ホームページお教えくださいましてありがとうございます。大量に記事がありますので、少しだけ読ませていただきました。また、時間に追われており、失礼ながら拾い読みになりました。後日、ゆっくりと読ませていただきます。拾い読みの中で、私の関心に触れたものに関して書きますが、よろしくお願いいたします。
「文法獲得と集中的入出力経験(2002/9/23)」という記事の終わりに近い部分から引用させていただきます。
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シャドーイングと音読では、まずはシャドーイングを優先し、音声言語の獲得が安定し、かつ、書記言語の獲得の必要性が生じるにつれ、音読が徐々に導入されるべきだと私は考えます。英語の音声に慣れていない世代には、シャドーイングは音読よりもはるかに難しいように思われるかもしれませんが、シャドーイングの「音声入力→音声出力」という過程と、「音読の視覚入力→つづり字の音声変換→音声出力」という過程を比べても、私はシャドーイングの方が音読よりも、(処理スピードが同じなら)本来は簡単な集中的入出力経験ではないかと思っています。
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この記述はあまりにも無限定なものと思われてなりません。
口の動きが日本語という言語によって固まって以後の人と、まだ固まる途中にある人(子供)とでは、生じる困難の度合いがまるで違います。これは、「世代」の問題ではなく、根本的には日本語で育ったかどうか、どこまで口の動きや思考が日本語が固まっているかの問題です。
柳瀬さんの観点には、多くの日本人は、日本語で口の動きが形成された「後に」英語をやる場合が多いのだという大事なポイントが欠けているのではないでしょうか。
日本語で口の動きが形成された「後に」英語をやるのであれば、日本語で形成された口の動きを具体的にどうするのかが問題になるはずだという視点が欠けているのです。
また、個が行う練習(私はこれを一人の机上の練習と呼んでいます)と、学校の教室などの場での練習とが区別されていないと思いました。「導入されるべき」などという語からは、教室のような場所が想定されていると読めますが、そうなのでしょうか。
シャドウイングは「一人の机上」に向く練習であって、学校の授業で扱うのは難しいだろうと思います。理屈と現場がかけ離れている悪例の好例でしょうか。
「一人の机上」での練習に限って考えても、シャドウイングを行うためには、いわゆる「英語口」というものが形成されていないと無理でしょう。LL設備などを整えたうえで、それを学校の教室などに持ち込んでも、多くの生徒は落ちこぼれるだろうと思います。一部の勘のいい生徒はシャドウイングそのものによって、「英語口」を作ることができるかもしれませんが、それはしょせん英語フリークや音楽のセンスのいい人であり、一部の人にすぎません。柳瀬さんの理論は英語フリーク用なのでしょうか。
音読よりもシャドウイングを優先するなら優先するで、日本語で口の動きが形成された「後の」人間に、どうすればシャドウイングが成立可能になるのか、その過程を明らかにしていただかなくてはなりません。その過程には、「英語口」を作るための知識が不可欠だろうと思うのです。
ご自身のESS出身などという英語フリーク体質を基準にしてはいけません。
>さて発音指導ですが、私自身は日本で育ち、大学の
ESSのドラマ活動で発音やイントネーションを学び
ましたので、例えばaとeの中間音でしたら「「キャベツ」の
「ャ」に近い、ただし/j/の音はいらない。イメージ的
には「ア」の口の縦の開きを保ったまま、「エ」の口の
横の開きをもって発声して・・・」などと指導しています。
/tl/などの連続音は、それ独特の音として指導しています。
これが柳瀬さんの「英語口」を作るための知識の一端だと思いますが、日本語の「キャベツ」の「ャ」の音は、ae 音とはほど遠く、非常に口の開きの小さい音であると思います。「キャベツ」の元になった cabbage には ae 音がありますが、日本語の「キャベツ」にその音が含まれているとは思えません。
>「イメージ的には「ア」の口の縦の開きを保ったまま、「エ」の口の横の開きをもって発声して・・・」などと指導しています。
これもいいかげんな知識で、普通の日本人は「ア」も「エ」もことさらに何かを強調するのでなければ、唇に力をいれないで小さな口の開きで発音しています。試しに「亜鉛」と発音してみましたが、「ア」の口の開きも「エ」の口の開きも意識すればわずかに違うのがわかる程度の小さな口の開きであり、日本語で形成された日本人の口の動きにおける「ア」も「エ」もae
音の説明に使うことができないのは明らかです。日本人は「エ」の音を出すのに、口の両端を強く横に引くようなことはしていません。
私の言い分が間違っているのでなければ、大学の先生も英語の音を日本人の口に実現するための知識を持っていないということになります。だから、日本中が「調音コーチ」のできない英語の先生だらけになっているのです。チョムスキーだの生成文法だの高級そうなものを引用して、肝心な基本に対してほっかぶりしているという私の批判がありますが、それは的を外していないだろうと再度確認しているところです。
ちなみに私は、ae 音に「一瞬般若」というあだ名をつけており、口の両端を意識して一瞬斜め上にひっぱりあげて、般若の顔になってくれと言い、自分でもモデル音を出しますが、そうするとその場ですぐに生徒さんは近似音を作ります。その近似音(「中間音」とも言っています)が確実に出るようになった生徒さんに、口の両端を横にひっぱるのと、顎を下げるのを同時にやってみて、と指示すると、英語の原音に一挙に近づきます。(「般若の顔」というヒントは、Eliot
さんというハンドルネームで私の掲示板「大風呂敷」に書いてくださった高校の先生からいただきました。この種の一見低級に見える知識を大学教師が馬鹿にしているのが大問題です。言語学も音声学も糞もねえ、実際に生徒にちゃんと音を出させてみろよ、と私はいつも思うのです)
私は、シャドウイングに入るためにも前提が必要だと明言する必要があると考えます。私自身は、単に学校や文部省の批判をしているだけではなく、「回転読み」というものを提示しておりますが、この「回転読み」というようなものの他に、シャドウイング以前の「英語口」の形成に適当なものは見あたらないのではないかとも考えてもいます。「回転読み」は、たった一つの文を対象にした激しい繰り返しです。
「回転読み」への導入には調音のためのコーチがいた方がいい。私の「回転読み」だろうが、國弘さんの「只管朗読」だろうが、学校の先生こそがそれのコーチができなければいけない人たちだと考えています。國弘さんも私も広くとらえれば音読派ですが、柳瀬さんのシャドウイングって同じです。調音のできるコーチが必要です。大学の英語関係者がおさぼりを続けているので、調音のコーチのできる中学・高校の先生が非常に少ないのが現状です。
私の塾に通う中学生の学校の先生が、AETに発音を直されて、I'm sorry.
と言ったそうです。先生は、直されてみたものの自分の口のどこをどうすればいいのかわからなかったそうです。私の塾生は、どうすればいいかわかっていたのです。I'm
sorry. とか言ってやがんの、というのが私の塾生の言葉でした。この言葉は、不遜な響きはあるものの、全国の英語教員養成課程を間違いなく串刺しにしていると考えています。
まともなコーチがいれば、「視覚入力→つづり字の音声変換→音声出力」という過程は、「文字に音をかぶせる → 音読」あるいは、「文字に音をかぶせる途中での調音 → 音読」が成立します。つまり、まともなコーチさえいれば、「音声入力→音声出力」と、「つづり字の音声変換→音声出力」が同時にやれるのです。これは、日本語でできた人の口の動きをどうすればいいのかを知らない英語
carrier (英会話学校教師などの外人)にはできません。日本人の中学・高校の英語の先生が「調音コーチ」ができるなら、これが実現するのです。はらわたが煮えくり返りますが、ニッポンの現在の学校ではこれが成立していません。大学が、「調音コーチ」の質を備えた教師を作ることをさぼり続けているからです。大学の(教員の)怠慢のせいです。
わかりにくい言い方かもしれませんが、知識を「動きの中に置いてやる」ということが不可欠だと思うのです。学生に繰り返し一つの文を言わせ、直すべきポイントがみつかったら、(例えば)「一瞬般若」のような指示を与え、再び口を動かし続けさせ、「その場で直させる」というような作業が行われないならば、単に発音知識の提示に過ぎないと思います。(さらに、柳瀬さんの場合はその知識が間違っているのが非常に困ります。)
逆に、知識を「動きの中に置き」、繰り返し言わせ、「その場で直させる」ということがきちんと行われるならば、英語の先生になる人が「調音のコーチ」として育つと思うのです。これがこれまでの大学の英語科教員養成課程からすっぽりと欠け落ちていると考えています。
「英語口」が形成される前に日本人が持っているのは、日本語で形成された口の動き、言ってみれば「日本語口」です。柳瀬さんの文は、英語を学習する日本人がすでに「日本語口」を持っていることを踏まえた論理になっていません。複製音声技術が発達した現在では、音読よりシャドウイングを優先していいという考えは一見もっともらしく見えますが、いくら音声の複製技術が発達しても、いまだ日本の学校の生徒の口に英語口は実現しておりません。シャドウイングならシャドウイングの前提条件が無視されているからです。つまり、「一瞬般若」のような知識や、それを「動きの中に置く」ことが無視されているからです。「中間音」という概念が無視されていると言っても同じことです。「日本語口」が無視されているのです。英語フリーク体質を基準にするなと私が述べた所以です。
学校の生徒(初心者の段階)では、緩急自在が行える方法の方がよく、もし、文字を介する音読ではなく、直接に複製音声を使うのであれば、「繰り返し聴き」、「繰り返し言う」(激化すればそのまま「回転読み」です)を交互に行うべきだろうと思います。その場合でもまともなコーチがいるといないでは生徒の体に実現するものは大違いになります。「英語口」ができていないものにシャドウイングをやらせるのは、英語フリークや一部の勘のいい生徒以外には乱暴な話だと思われてなりません。しょせん語学の一つにすぎない「英語獲得法」に、フリークども向けの高踏はやめてほしい。諸悪の根元は、「調音コーチ」のできる教員がいないことにあるのです。大学(教員)のおさぼりにあるのです。
現在の学校がさぼり続けている作業に、「英語口」を作る作業があります。これをちゃんとやっているところはほとんどありません。私が知っているのは、佐賀県の Eliot さんのいる学校だけです。本当は、学校こそがこれをやらなければならない場であるはずです。そうでなくて、何の英語の授業でしょうか。これまでの大学の教員養成課程が先生になる予定の人の口に「英語口」を作れないため、先生になった人もどうすれば生徒の口に「英語口」を実現できるのかがわからないままなのです。何度でも言いますが、これは間違いなく大学(教員)の責任です。
柳瀬さん一人に口を酸っぱくしてもしょうがないのです。総じて、大学の英語関係者は忙しそうにしているだけで、基本がわかっていないという批判は、この国のあらゆる大学に向けて言いたいのです。いつまでもさぼってんじゃねえ、見ている者は見ているんだと知っていただきたいのです。
私は少しシャドーイングの訓練を受けた事があるのですが、数語遅れでテープの音だけを頼りに再生して行く、と言う作業は「とおりすがりのがくせい」さんのおっしゃる様に負荷の高い訓練です。 しかもテープは最初に一度聞かされるだけです。 激しい集中力が必要で長くは続ける事が出来ません。 この「数語遅れ」が非常に苦しいのです。 もともとは同時通訳者の訓練だったと思うのですが、今は初級者までこれをやらねばならない様にいい初めています。 そして正しいシャドーイングの方法をしらないままに、やっている人も多い様に思います。
シャドーイングは発音や繋がり融合する音などは聞き取れる上級者の為の訓練だと私は思って来ました。 なので、初級中級の人達がプロの訓練の真似する必要はない、と言って来たのです。 國弘流「英語の話し方」でも、「まず音読を十分にやってからシャドーイングに入る」とされていた様にも記憶していますが、手許に本がないので調べられません。 しかし、最近になって、これを導入する事でよって効果をあげている実例もあると聞いています。
シャドーイングが一般的になって来たとはいえ、まだまだ何の事か知らない学習者も英語教師もおります。 まずはシャドーイングの正しい方法をどなたかがここに説明していただけないでしょうか。
非常にハイペースで投稿が進んでいますので
短くコメントします。私に限らず、あまりに
速いペースで投稿が続きますと、(じっくり)
コメントできない方もいると思います。
管理運営人としてはハイペースで投稿が
続くことは必ずしも望ましいとは考えていませんが、
これは自然な流れに任せたいと思います。
ですが、投稿はあくまでも各人の判断に任せて、
コメントの返事がないことを否定的に
とらえないようにお願いします。
(1)「文法獲得と集中的英語訓練」について
あの記事は、音読、シャドーイング、および
それらに類する活動(声を出さないシャドーイング、
テキストを見てかつ声を出さない/声を出す
シャドーイング)、あるいは繰り返し歌う歌
などを一括して「集中的英語訓練」とまとめた
うえで、それが音声の面だけでなく、チョムスキー
的な意味での文法獲得においても貢献するもの
として再認識することを主張した記事です。
どなたかが引用されていた箇所は、終わりの
方の補足的につけた文章です。具体的な活動
のやり方については、それこそ経験者のご意見
などをお伺いしたいところです。
(またアルクから出た本、確か国井/橋本著
だったと思いますが、この二人の同時通訳者は
数語遅れではなく直後に再生するシャドーイング
を練習法として提示しています)
(2)ae音について
私が指導する時は、書き忘れていたことですが、
「『ア・イ・ウ・エ・オ』とはっきり、口を空けて
大きく発音してごらん」というのを前置きとして
行います。その後にその「『ア』の口の縦の開きを
保ったまま『エ』の口の横の開きをもって発声して
・・・」と指示します。「・・・」で省略した
箇所は「イメージ的には口を台形の形にするつもりで」
と指示することです。この点「一瞬般若」というのは
非常に巧みな指示だと思います。今後使わせていただき
たいと思います。
また「キャベツ」と発音する時は「キャ・ベ・ツ」
と一音一音を強調し、ae音に「近い」音を提示します。
(これは以前にも書いた通りです)
また発音指導に関しては、上のような説明が
抽象的に行われるだけでなく、常に教授者の
デモンストレーション、学習者の試行がある
ことは言うまでもありません。
(3)調音コーチについて
根石さんのいわれる「調音コーチ」の養成については
もっともだと思います。私自身「調音できる学生」の
養成の方に主に目がゆき、「調音コーチ」の養成は
二義的になっていたのかもしれません。(「調音できる
学生」を育てる際には、もちろん私は私なりに
「調音コーチ」にはなるのですが・・・)
的確なご指摘をありがとうございました。
(4)「コミュニケーション能力」と「英語力」
について
両者ともに曖昧な概念ですから、私はそれらを
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/education.html
できるだけ明確にするように心がけました。
(「英語力」に関する「直接の」言及はありませんが・・・)
「コミュニケーション能力」は「英語力」よりは
大きな概念です。上の記事をじっくりお読みくだされれば
幸いです。
mailto:yosuke@hiroshima-u.ac.jp
シャドーイングについてのご回答ありがとうございました。 数語遅れの本来の意味でのシャドーイングでない事がわかり納得しました。 (アルク出版の国井/橋本著のシャドーイングの本は私も読んでみます。) テープと同時に再生するのであれば、テープの音声が自分の声に消されて聞取りにくい、とのコメントもこれで納得が行きました。 (この方法を生かす為には特別のテープレコーダーが必要だと思いますが、これもアルクから発売していた様に思います。)
シャドーイングのテクニックひとつでも人によって方法が違うので、それが原因で議論がすれ違う事が多く無駄な時間を費やす羽目になった事も多かった様に思います。
有り難うございました。
保護者さん、Naimaさん(できればお互い「さん」で
ゆきませんか)、非常に丁寧なお礼を言っていただき
まして、恐縮です。
シャドーイングの本ですが、詳しくは
国井信一・橋本敬子著『究極の英語学習法』アルク
(2500円、ISBN 4-7574-0305-4)
です。
それからごく普通の中学校でシャドーイングを使って
素晴らしい実践を行った方に中嶋洋一さんがいます。
中嶋さんについては、とりあえず
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/nakashima.html
をお読みいただければありがたいです。
mailto:yosuke@hiroshima-u.ac.jp
お返事ありがとうございました。
ae 音に関してのものを読ませていただいて、日本人の「調音コーチ」を作るための客観的な知識となるようなものを共同で蓄積していけたらいいのだがと考えました。「台形」という言い方は非常に面白かったです。また、「動きの中に置く」ということは、私の「電話でレッスン」を受けてくださっている方にはすぐにわかってもらえる言い方なのですが、教室という空間を前提とされる方にはわかりにくい言い方なのだなと改めて思いました。これに関しては、必要が生じましたら、再び書いてみたいと思います。
シャドウイングについて書くために私が引用したものは、補足的なものだとのことですが、順序として音読よりシャドウイングを優先すべきというお考えを読んで、やはり、今でも強く疑問に思っています。いわゆる「英語口」ができていない段階で、シャドウイングをやらせても失敗するんじゃないかという疑問が今も強くあります。
その根拠は、語学においては、音とイメージは当初まるで別々のものだというところにあります。音とイメージの統合が比較的自然に起こるのは、生活過程における使用言語(私は当該磁場の生活言語と言っています)においてであって、語学における言語(外国語)はまるで違う。外国語では、音とイメージ(意味)は、最初はばらばらに分離している。(音だけがあって、イメージがないという場合も多い)。かなり意識的に音とイメージを強引に合体させなければ、音とイメージ(意味)はいつまでたっても分離したままです。英語をやり始めたばかりの人が、「りんごは
apple 、apple はりんご」とぶつぶつと言い続けたりするのは、音と意味(イメージ)が分離している証拠です。音と意味が分離していないのであれば、そんな呪術めいたつぶやきは必要ないはずです。初心者の段階でシャドウイングをやるなら、果たして学習者はいつどこでどのようにばらばらのイメージと音とを合体させればいいのかという疑問が強くあります。
初心者は、最初、日本語の単語でイメージを形成し、イメージを独在させ、イメージに日本語の単語を脱ぎ捨てさせるのだと思うのです。(これをやらずに、イメージが日本語単語を着衣したままの人が多すぎることはひとまず別問題です。)日本語単語を脱ぎ捨てて、独在するようになったイメージを音と合体させる場合、あるいは逆に調音が済んだ音とイメージと合体させる場合、語学の主体が自分で時間の流れを緩急させることができるかどうかは大事なポイントだと考えています。
磁場を欠いている場所では、厳密には、英単語からそのイメージの核を最初からつかませるということはできません。どんなに大量にインプットしても、いくらシャドウイングが上手になっても、それだけで意味と音が合体することはありません。なんらかの媒介物とそれを脱ぎ捨てる意識の行為とが必要です。初心者にとっては、それは英和辞典の日本語の訳語から得るイメージと、そのイメージを英文の構造に載せて動かす意識の行為だと思います。そのことによって、日本語の訳語を脱ぎ捨て、イメージだけを動かして読むことができるようになり、イメージを変容させたり、調整することで、本来の英単語のイメージの核を得ることもできるようになります。
私の生徒さんに、高校の英語の先生が二人おられますが、一人の方は非常に発音が上手で、きわめてなめらかに読まれます。この方は、ご自分の英語の問題点をはっきりと自覚しておられ、「音が意味と同時に動かない」あるいは「意味が音と同時に動かない」という問題意識を持っておられます。英語の音が好きで、歌や音楽から英語に入られたそうです。シャドウイングをやらせれば非常に高いレベルでやれる方だと思うのですが、音に意味が伴わないか、同時に動かないとはっきりと言われ、私の生徒さんになってくださいました。
この現象の根底に、外国語においては、音と意味は当初まったく分離しているという厳然たる事実があると思います。根底的な事実と言ってもいいと思います。
音と意味を同致させる(私の造語です)という行為も、「英語口」の形成と同じく、シャドウイングの前提条件になると考えますがいかがでしょうか。シャドウイングだけで、音と意味が同致するに至ることはないと考えています。
例えば、マンガを読むとか、本を読むという行為では、読んでいる人の主体が、読みの速度を緩急自在にとることができます。映画ではそうはいかない。映画はあらかじめ決められた展開のスピードに従うしかない。シャドウイングは、この例で言うなら映画だと思います。複製音声のスピードに従うしかない。緩急自在ができない。
音と意味が分離したままの状態で、緩急自在ができないと、イメージと音とを合体させるのに非常に障碍になるのではないかと思います。スピードという点において、シャドウイングは学習者を複製音声の奴隷にしてしまう危険が非常に高い。音読を欠いたシャドウイングは、音と意味のばらばら状態を放置してしまうのではないかという危惧があります。シャドウイングはかなり乱暴なことをやってもいいくらいに基礎ができている人に向いている方法であり、決して初心者には向かないのではないでしょうか。
シャドウイングと音読の前後関係を言うなら、音読が優先されるべきだと考えています。國弘さんもシュリーマンも、いくら音声複製技術が発達しても、音読を先立たせるべきだと言うと思います。緩急自在ができる。立ち止まって考えることができるということが音読の利点です。音読でなら、音が正確に作れて、なめらかさができてきたら、どんどん自分で速めることもできる。最高速度を出してから、意味を呼び込むために、わざと思い切りゆっくり読むこともできる。
私は、シャドウイングは、音作りができており、イメージを独在させることができ、いわゆる多読ができるようになったレベルを確保してから、やるならやるべきであり、やらないならやらないでもいいくらいの位置づけをしています。
あるいはまた、シャドウイングを柱に据えた優秀な教材があれば話は別になるのかもしれません。易から難へ、緩から急へ、非常にうまく教材を配列したものがあり、当該のテキストと別に音と意味を合体させるプログラムがあり、コーチによって「英語口」を作る作業が並行するなら、あるいはうまくいくのかもしれません。そのような教材をご存じでしたら、お教えください。「英語口」を作るコーチは曲がりなりにやれますので、いい教材があれば、少数の弟子にやらせてみたいとも思います。
お返事はお時間のとれるときで結構ですので、よろしくお願いいたします。
中嶋さんのビデオに関する記事を読ませていただいての感想を「大風呂敷」の方に掲載いたし
ます。こちらの記事が混むことを恐れてのことですので、URLを併記することをお許しくださ
い。
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
根石さん(できればお互い「さん」でゆきませんか?)
投稿をありがとうございました。
日本人の「調音コーチ」を作るための客観的な知識と
なるようなものを共同で蓄積するということには、
大賛成です。私もHPをやっているのは、私が英語教育
について知りえたことを、自分なりにできるだけ整理
して、皆さんと共有できる形にしたいからです。
「調音コーチ」のための知識がわかりやすく提示されて
いるサイトがあれば、多くの英語教師がそれを参考に
すると思います。
ae音に関してですが、台形のイメージは、ae音を
単音として固定的に出させるときはいいですが、
下手をするとイメージが固定化し、例えばcatなら
/kjae:t/のようにae音が妙に強調された音になって
しまうことがあります(もちろん、そういう時は
慌てて修正しますが)。
その点「『一瞬』般若」という言い方は、固定化を
招きにくい優れた言い方か、と思いました。
>お返事はお時間のとれるときで結構ですので、
>よろしくお願いいたします。
こういっていただけると非常に助かります。
お答えは必ずしますので、しばしお待ちください。
>また中嶋さんのビデオに関する記事を読ませていただいて
>の感想を「大風呂敷」の方に掲載いたします。こちらの記事
>が混むことを恐れてのことですので、URLを併記す
>ることをお許しください。
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
のご配慮もありがとうございます。
根石さんの毎日の膨大な投稿量には驚嘆し、英語教育を
変革しようとする熱意には敬意を払います。
どうやってそういったお時間を捻出されているのか
わかりませんが、私の場合、正直に自分のスケジュール
の優先順位を書きますと、
(1)勤務校での仕事(含む、学生さんとの個人面談)
(2)HP本体への記事執筆
(3)掲示板での管理運営および投稿
となります。(この他にも、家族への義務を果たすことは
もちろん当然のこととして含まれています)。
(3)あるいは他の活動ににあまりの時間が費やされると、
(1)でいうと、学生さんと個人的に過ごす時間、
自分の研究の時間という裁量の幅が大きい課題が
まず削られ、次に授業の準備が最小限になるという
ことになります。(2)もできなくなります。
もちろん家族との時間も削られてしまいます
(長い目で見ますと、これは非常に怖いことです)
掲示板を運営している以上、私はきちんと尋ねられた
質問に対してはできるだけきちんと答えますが、
あまりにも分量が多いと、その分量に応えるようには
応答できません。
もちろんだからといって簡潔に投稿すると、意を尽くせず
不要な誤解を生じさせてしまうこともよくあることです。
だから私は掲示板よりもHP本体に書くことを優先
させているわけです。最初に書きましたように、私も
知識を客観的に共有することには大賛成です。ただ
そのためには掲示板よりはHP本体の方が優れている
のではないかと個人的には考えてそのように行動しています。
ですから「大風呂敷」での議論には私は参加いたしません
(現在、この「中庭」だけででも手一杯です)。
ただ簡単に申しますと、確かに中嶋さんの本やビデオ、
あるいは直接の話を私が聞く限り、「調音コーチ」の
ようなことを積極的にやられてはいないのかもしれません。
ただ、ぜひ「調音」以外の面でも中嶋さんの授業を
お考えになってくださればと思います。(もちろん、
根石さんのご意見こそは音作りこそは全ての基本だと
いうものでしょうが・・・)。
ごめんなさい、これだけでも投稿するのに私は一時間かかり
ました。スケジュール的には(私は毎日毎週のスケジュール
をできるだけきちんと書き上げる方です)、若干超過
してしまいました。今日はこの辺で。
>ですから「大風呂敷」での議論には私は参加いたしません
(現在、この「中庭」だけででも手一杯です)。
私も、ひとつ何かやれば、ひとつ何かができなくなって、寝不足でもうろうとしたりするので事情はよくわかります。「大風呂敷」に書いたのは、あくまでも「中庭」の記事が混むことを避けるためですので、ご了解下さい。しかし、私が書いたものに反論して下さる場合は、「中庭」ででも、「大風呂敷」ででも結構ですので、大いに繰り広げていただくことを願っております。
「大風呂敷」は、過去ログを保存することを基本方針としております。もし、柳瀬さん(お言葉に甘えて、「さん」を使わせていただきます)が、「中庭」の方で私に反論して下さった場合、私への反論の文に限り、「大風呂敷」に転写することをご許可いただければ、読者のためにはいいことだと考えておりますが、この点に関しても、すぐにでなくて結構ですので、お返事をいただけるとうれしく思います。
是非、実現したいものだと考えています。
ただ、これは単に発音の知識を列記しても、その使い方が問題だとずっと考えてきました。
すでに、簡単なものは私のホームページにあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/p10point.htm
これは、母音関係が弱いし、その後思いついた「一瞬般若」というあだ名も記されていません。
なんとか10という数におさめようとしたのですが、どうも無理らしく、現在私の手元では、
15くらいの数に増えてしまっています。
いずれ、この15も「大風呂敷」か私のホームページに掲載する予定です。
(ホームページ: http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis )
いずれにせよ、これらの知識は、列記しただけだと、「なんだこんなもの」と思われて終わりです。「動きの中に置く」という使い方をすると、生徒さんの音はどんどん変わります。この「動きの中に置く」という方法を、私は自分でやりながら「技法グラウンド」と名付けております。素読舎でも、私の「電話でレッスン」でも、これでやっています。実にシンプルなものですから、種あかしをすると、「何それ?ただそれだけのこと?」と言われてしまうのがくやしい。
私は、この「技法グラウンド」にたどりつくまでに、地元と地獄のような闘いをして、ほぼ30年の年月を費やしました。
客観的な知識の蓄積は必要ですが、単に客観的な知識なら、すでに売られている発音の本にも掲載されているわけです。「一瞬般若」にせよ、「診察室のアーン」にせよ、「ゆでたまご」にせよ、このように名付けた発音要領は、「動きの中に置く」ということが伴わないと、あまり意味はないと考えてきました。このあたりについても、お考えをお聞かせください。
根石さん、
根石さんへのお答えは長くもなりましたし、その答えは
HP本体に残しておこうと思いましたので、
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/inservice.html#021118
に掲載しました。ご指摘ありがとうございました。
また根石さんが下で言及していた
Eliotさんの実践:音作りへの道
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburoshiki/series/otomichi.htm
を読んで、ようやく根石さんがおっしゃりたいことが
わかりかけてきたような気がします。
このページは私のリンクページにも追加させていただきました。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/link.html
また、根石さんの『英語どんでんがえしのやっつけ方』も注文しました。
Eliotさんの授業実践はぜひ拝見させていただきたく思います。
もしEliotさんと連絡が取れることがあれば、柳瀬という人間がそう
お願いしていたとお伝え願えませんでしょうか。もし承諾
していただくなら
yosuke@hiroshima-u.ac.jp
にメールをいただけませんでしょうかともお伝えください
ましたら幸いです。
私が書いた文章の引用に関してですが、引用に関する方針は
私のHPの表紙の一番下に書いているとおりですからOKです。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/index.html
の一番下をご覧ください。
客観的に書かれた知識もそれだけでは生きた知識にならない
というのはその通りだと思います。世の中全てマニュアルだけ
ですむのなら、苦労はいりません。ですが、十分ではなくても、
最低限必要な知識を共有するためにはマニュアルを整備することは
重要だと思っています。(根石さんが「動きの中に置く」という
言葉で表現しようとしていることは、まだよくわかりません)
今回は久しぶりに週末に休みが取れたので、まる一日つかって
下(↓)のお返事を書き上げましたが、来週は学会出張ですし、
その次の週からは卒論第一次提出原稿のチェックが始まります。
今回のような長い文章は残念ながらいつもは書けません。
(今回は私が3月末までに書かなければならない長い論文の
執筆時間をこのために使いましたが、いつまでもこんなことは
できません。私はこのHPに対しても責任を持っていますが、
勤務校での責任も持っています)
これからも、返答の時間には忍耐を、分量には寛容をお願いできればと
思います。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/inservice.html#021118