2001年2月21日記
素読という方法を現代によみがえらせることはできないか。素読舎は、それを長年に渡って模索してきました。その模索の過程で、学校や進学塾の「黒板」や「説明」という近代的な道具にたてつくこともしてきました。こちらが学校や進学塾の急所をまっすぐに突いているにもかかわらず、相手からの反応はほとんど何もありませんでした。「金持ち喧嘩せず」ということらしいのです。この時代の支配的な空気に従順な経営者たちは、素読舎を無視しつづけてきました。
素読という非常に有機的な気の長い方法を模索すること自体で生活を成り立たせようとして、まがりなりにも生活を成り立たせてきた結果、素読を行う領域はほとんど唯一、英語という語学だけに限定されてしまいました。本当は、日本語で素読の可能性を切り開きたいという願望は胸の底にいつもありました。
現在、2001年。私(根石吉久)は今年50歳になります。
胸の底に持続してきた願望を、解き放とうと思います。
まずは、現代日本語の素読から始めたいと考えています。いずれは、時代を現代に限定しない素読も行いたいと考えています。
素読がどんな方法かについて知りたい方は、以下の郵便口座に500円をお支払いの上、メールまたは郵便でご住所をお知らせ下さい。ミッドナイト・プレス刊「根石吉久の暮らしの手帳」からの「素読の復権」の抜き刷りをお送りします。
・郵便貯金総合通帳
記号 11180
番号 21641261
名前 根石吉久
テキストは、根石吉久(素読舎)のホームページ上に作成します。テキストの作成方法は以下の通りです。
私の今後の読書の中から、心に残る文があった場合に、WZエディタというエディタで、単純なテキスト・ファイルに書き写していきます。月に一度程度のペースで、ホームページに追加していきます。これを「原データ」と呼びます。一つの断片の分量は、本の行で10行程度を目安にします。出典(出版社名、著者名、発行年月日)が明らかな場合は、それを明記します。部分や断片を読んでみて、全体を読んでみたい場合に書物を手に入れる便宜のためです。
著作権法にどのように触れるのかわかりませんが、自分の好きな文章を載せて、不特定多数の方に紹介することが主眼です。紹介した結果、それが載っている本が売れたなら、本の売り上げに貢献することになります。法律には不明のまま、「原データ」の作成に入ります。もし、このような形であっても引用はまかりならんという著者や出版社があった場合は、根石吉久までご連絡下さい。「原データ」からただちに削除します。
あえてジャンル分けはしませんが、主に、学術、語学論、批評、エッセイの分野から選択されます。これらが私の主な読書対象だからです。それぞれの断片に通し番号をつけます。量がたまってきたら、「通し番号・著者・最初の7文字」だけを列記したデータを作成し、「便覧」とします。
私の行う方法を見本として、自分なりのデータをホームページ上で蓄積されることを、ホームページをお持ちの方におすすめします。相互リンクを張り、私のホームページとの間で往来ができるようにしていただけば、双方のデータを合わせたものが、読者にとっての総データ量になります。相互リンクが充実していけば、データ量はどんどん増えていきます。
この形式に準じたデータを蓄積なさることで、自分の読書歴を残すことにもなります。これは、他人の文章の引用のみでできた自己表現として成立しうるのではないでしょうか。おそらく、人によって、まったく違ったデータができてくるでしょう。初めから自分というものを持ち出すのではない自己表現というものの可能性を未来の方角に見ています。
データの量が増えた後に、現在行っている(映画のシナリオを使った)「電話でレッスン」に準じて、電話を使って日本語の素読の練習ができるようにします。読書会を開いている方などに特におすすめします。一冊を決めて、みんなで読んでおいて、感想や批判を言うという形が一般的な読書会の形だろうと思いますが、これに素読を導入したらどんな立体性が生まれるかを、読書会を主宰している方には是非知って欲しいと願っています。
また、この電話使用の「素読による読書案内」は、そのまま文章講座にもなるはずです。素読によって内在化された文章は、生活過程の中で何度も考えられ、発酵をつづけます。これが自分の文章を励起させる力にならないはずはないと思っています。
小学生・中学生・高校生が、良質な現代日本語を素読することで、読書力を身につけるのにも適しています。最初に理解することや解釈することを求めないことが、素読の最大の利点です。初めはわからなくてもいい。だんだんにわかってきます。わかってくれば、本を読むことが面白いことだということもわかってきます。
この「素読による読書案内」は、荒廃しつつある現代に素読舎が打ち込みたい楔でもあります。
近代的な説明好きの人々からは、素読は「ただ単に読んでいるだけ」と見えるかもしれません。しかし、多くの説明や解釈は、ほとんどの場合、「頭」に届くだけです。素読の単純な作業の継続からもたらされる「発酵」は、「心」に届き、魂を形成していきます。素読は説明や解釈などより、はるかに高度な作用を持っています。
素読舎本体の中にも、いずれは現代日本語の素読を行う時間を設けたいと考えていますが、ひとまずはデータの充実に力を用いたいと思います。
以上の記事に興味を持たれた方は、メールを下さるようお願いいたします。
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根石吉久
Email ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
TEL 026(272)4330
C phone 090(3316)4180
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