何度か、『こうしょく市議会だより』という印刷物を目にしたことがあるが、読んだことはなかった。ぺらぺらとめくってみても、読みたくなるようなものが書かれていないから、すぐゴミ箱行きになる。これが『こうしょく市議会だより』に対する一般市民の一般的な反応ではないかと思っているが、そうだとすると、更埴市議会は税金を使ってゴミを量産しているだけだ。
印刷物がそのままゴミとなるか否かは、中身次第だ。面白かったり貴重であれば保存もするだろうが、『こうしょく市議会だより』は、わが家に届いた瞬間にゴミ箱に入る。こんなつまらないものを読むやつは、議員やらそのとりまきだけであって、一般市民がこれをちゃんと読む気になるとはとても思えない。一般市民のために編集されていないからだ。読んでつまらない。これは、俺個人の意見だから、その通りに断言できる。
ゴミが問題となっている時代である。ゴミが出て困ると言っているくせに、ゴミをやたらに作るなと更埴市には言っておきたいものだ。
まあしかし、俺には好色市民の自覚はあっても、更埴市民の自覚がほとんどない。昔、市営住宅に住んで極端な貧乏をしていた頃、国民年金やら国民保険に払う金がなくて呼び出され、市役所の中年の女に奥の方へ連れていかれ、あんたのような人のために、払うべき金を「貸しておく」ありがたい制度があるというような説教をされたことがあった。ぬあにが「ありがたい制度」だ。そのとき、「あんたのような人」と言いながら俺を見る女の目にたっぷりと軽蔑の色がたたえられていたことを
覚えているが、その時も、市だの県だの国だのというダニにくっついている女が何でこんな目をして俺を見るのだろうと不思議に思いはしたし、このくそババアと思いもしたが、更埴市民の自覚などはついに持つに至らなかった。だから、あまりでかい口はたたきたくないが、それでも『こうしょく市議会だより』がつまらないのは、まるでもう確かなことなのだ。
たまたま毎日新聞で、武井なんとかという市会議員が何やら疑惑をもたれているというような記事を読んだ。記事を紛失したので、正確な引用ができないが、この武井という議員は、他の議員をどやしつけて顎で使うということを耳にしたことがあり、更埴市の市議会では、「声のでかいやつの言うがまま」がまかり通っていると聞いたこともあった。毎日の記事を読んだときも、武井なんとかというやつが(ろくに興味がないので、名前の方はいつまでたっても覚えられない)、また何かやらか
したんだなと思った。
それからしばらくして、『こうしょく市議会だより』を読んだのだった。その1ページ目に「公文書問題等調査特別委員会を設置」という見出しがあり、ああ、毎日新聞で読んだのはこのことだと思い、更埴市議の問題なんだから、毎日新聞の記事よりは詳しいことが読めるはずだと思って、中を見ているうちに腹がたってきた。発行人は原利夫だが、実際に記事を書いているのはいったい誰なのか。もうなにか、市民を馬鹿にしているとしか思えないような「書き方」なのである。
腹がたったので、普段なら決してやるはずもないことを今回はやってみることにする。
つまり、『こうしょく市議会だより』をよく読んでみることにしたのだ。こんなものを時間をかけて読むのは苦痛だが、『こうしょく市議会だより』は、ただつまらないだけでなく、その「書き方」によって、わざわざ問題の所在がわからなくなるようにしてある。その「書き方」を指摘しておこう。
さて、読んでみる。
「・・・について(可決)」という字がずらずら並ぶ。その多くが、市の金の使い道に関係あるものだが、具体的に何に使われるのかはまるでわからない。例えばこんな調子だ。「平成8年度更埴市一般会計補正予算(第4号)の議定について(可決)」。こんな「書き方」では、いったい何にどのくらいの金がどのように使われるかはまるでわからない。わざわざ具体的なことがわからないように書いてあるとしか思えない。
ところどころに、「反対討論」とか「賛成討論」が出ている。「更埴市議会議員の定数を減少する条例の一部を改正する条例制定について」というのには、春日修司という議員が「定数の見直しは、他から要請されて行うのではなく、議会自らが主体的に行うものであり、現状維持が妥当だ」というのがある。しかしまあ、おっさん、冗談も休み休み言え。更埴市の議員の数は半分でたくさんだ、いや、半分もいらない、能なしが何人集まったってしょうがねえ、一部の腹の決まったワルどもにどやしつけられて尻尾を振っているだけの議員を飼っておくような無駄な金はねえよというのが、更埴市のあちこちで耳にする話だ。「定数の見直し」は、こういう声によって出てきた問題であり、「主体」を犬に食わせちまったような議員どもが決められることじゃない。それにさ、おっさん、「議会自らが主体的に行うものであり」というのは、そのまま「現状維持が妥当だ」という結論につながるはずはないぞ。「議会自らが主体的に行う」のであれば、現にある市民の声に耳を傾け、定数を減
らすべきかどうか、一度でいいから本当に「主体的に」議論してみせてくれ。議会が主体的であるとは、市民の声をきちんと汲み上げ、真剣に討議することと同義だ。その場では、一部の議員が脅しで議会を牛耳ることや、能なしどもが何もやらないで一部の議員に尻尾を振っていることも議題にならなければならないが、それを議論するのが今の議員どもじゃ話にならない。しかし、あくまでそれを実現させることが議会の「主体」なのだ。他に議会の「主体」なんてものはない。今の議会に「主体」なんて言葉はあまりにもったいない。現にある声が聞こえないふりをして成立する議会の「主体」なんぞとんでもねえしろものだ。そんなものは要らない。あんたいったい何様なんだ、おっさん。ねぼけた頭をはっきりさせてからものを言えよ。
共産党の田沢祐一という人が、定数の削減は、市民サービスの低下、議会のチェック機能の弱体化につながるという反対討論をしているが、こっちの方がよっぽど頭がはっきりしている。それでもやはり、田沢さんも寝ぼけてるね。それは議員の人数の問題じゃない。議員の質の問題だ。半腐れみたいな議員の数がいくら多くても、議会のチェック機能なんてものがはたらくわけがない。議員定数が少なくなれば、共産党からの立候補で当選しにくくなるってな事情があるんだろうか。それだったら、そう言って、おらあ困るんだわって言えばいいのだ。立派な言葉で低劣なことを言うなよ。
さて、問題の「更埴市公文書問題等調査特別委員会の設置」についてだ。これにも、頭のはっきりしない春日修治さんが発言している。「市としてはなんら実害を被ってはおらず、むしろ被害者の立場だ」ってさ。いったい何を言いたいのかね、このおっさんは。「市としては」なんて、あんたが市の代弁をしなくていいんだけどさ、それより、なんら実害を被っておらないならば、被害者ではないし、むしろ、被害者の立場だったら、実害を被っちゃっておる筈だね。こんな単純な理屈を、寝ぼけた頭でぐちゃぐちゃにしないでほしいんだわ。「実害を被っていないから被害者」だなんて、めちゃくちゃ言わないでね。お願いね。
しかしまあ、こんなわけのわからないことを言う人に投票した人たちも脳味噌がとろけちゃっているのかと思わないでいられない。だって、市会議員なんて、顔も人も知っている人たちが投票するんだろう。俺は、春日修治さんて人は顔も人も知らないから、発言したことだけを根拠にこれを書いてるんだけど、俺、やっぱ、この人に投票した人たちの脳味噌って心配だなあ。
さてと、「更埴市公文書問題」っていったい何なんだろう。毎日新聞の記事では、武井なんとかという議員が市役所の職員に迫って、産業廃棄物処理業者だか、産業廃棄物処理場建設会社に渡す書類に市長印を押させたというようなことが書いてあったような気がする。ともかく毎日新聞には武井の名前があった。
これって、こういうことかい。娑婆の噂話やら新聞記事から推測するんだけど、更埴市が産業廃棄物処理場を作るという話を武井という議員がでっちあげたと。そんでもって、施設を施工する土建屋に便宜を図ってやるからというような話をして、賄賂をとったと。そんでもって、廃棄物処理場建設というのは、もともとありもしない話だったから、業者が賄賂を返せと裁判を起こしていると。つまり、武井は話をでっちあげて、土建屋をだまくらかしたと。そういうことなんだろうか。
俺は毎日新聞を初めに読んだ。次に「こうしょく市議会だより」を読んで、腹がたった。腹をたてていたら友達が信濃毎日新聞の記事をもってきてくれた。その記事によると、市長印を押させたのは原利夫だと書いてある。武井なのか、原なのか。毎日は武井だと書いたし、信濃毎日は原だと書いた。どっちなんだろう。
しかし、信濃毎日の記事には笑っちゃいました。更埴市は、原利夫がしたわるさについて調査をして、調査の中間報告を議長に文書で報告したっていうんだわ。その議長が原利夫さんなんだって。あんたがしたわるさについての調査が進みましたので、議長さんに報告しなければならないので、議長さん、あんたに報告しますけど、あんたというのはわるさをした当人のあんたで、そのあんたが議長なので、あんたのわるさをあんたに報告・・・・・なんだか、頭が変になりそう。っていうか、原
利夫って人は、議長として議事の舵とりをする人のはずだが、そんなわるさをする人が議事の舵をとっていいのかって思うわけだわさ。議会は報告なんぞ受け付ける前に、原利夫を議長から降ろしておかなければ駄目だ。そうでなければ、報告なんか受けて何の意味があるんだ。
『こうしょく市議会だより』の発行人も原利夫なんだけど、そういえば、わるさをした議員の名前はこの『市議会だより』には一回も出てこない。毎日と信濃毎日を読んで、原利夫なのか、武井なのかがわからずに困っているのだが、とにかく『市議会だより』には、このどちらの名前もまったく出てこない。だから『市議会だより』はゴミだというのだ。だって、一般の新聞が名前を出しているのに、よりローカルに詳しく報道でき、チェック機能を効かせることができるはずの『市議会だより』に、わるさをした議員の名前が一回も出てこないのだ。発行人が原利夫であることに原因があるとしか思えない。
問題の人物の名前を出さないという一事だけで、立派なわるさなのだということに更埴市の市民は気づかないのだろうか。本当にここは馬鹿ばっかしが住んでいるのだろうか。
あああ、『こうしょく市議会だより』をくわしく読みはじめたら、これまでのところ、8ページのうち2ページ目までしか読めていない。かいつまんでいきますか。
『「公文書問題」真実を解明せよ』というタイトルの部分では、共産党の宮尾真人さんが質問をしている。「いわゆる「公文書問題」は当時、更埴市には産業廃棄物処理場の建設計画など全くなかった中で関係の「申請書」を預かるとか、市が如何にも「処理場」建設にとりくんでいるように思わせる通知書の発行など、これらの市の行為と文書が議員個人の経済行為等に大きくかかわったものといえる内容だ」って言っている。なんだか、奥歯にものがはさまっている。「いわゆる公文書問題」
と言うが、産業廃棄物処理場の建設計画などないのに、それがあるようにみせかけた書類に市長印を押したっていうことなら、これは、「公文書問題」ではなく、「公文書偽造問題」だ。偽札づくりと本質的に同じものだ。そこをはっきり言わないでどうするんだ。「申請書」とか「通知書」がどんなものか知らないが、それはこれとこれですっていう具合に、「こうしょく市議会だより」に掲載すべきだ。市が廃棄物処理場建設にとりくんでいるように思わせる通知書を原か武井が作って、それに
市長印を押させたということなら、それは「でっちあげ」なんだから、きちんと「でっちあげ」という言葉を使うべきだ。単なる「通知書の発行」なんかじゃない。そしてまたしても、「議員個人」などと言っている。これは原とか武井とかの圧力があってそう言っているのか、そうではないのか。宮尾真人さんは、それを言明しろ。圧力がなくてそう言っているのだったら、なぜ誰であるかはっきりしている人の名前を伏せるのか、その理由をはっきりさせろ。その程度のことができなくて、何が市議会議員だ。何が「議員個人」だ。一番頭にくるのは、「議員個人の経済行為」という言葉だ。そうじゃないだろ。ここに入るべき言葉は、「武井の賄賂だましどり」とか「原の周到な詐欺」という言葉だ。文脈もはっきりしないことだし、面倒くさいけど、宮尾さんの発言をここにわかりやすく書き直してみることにする。今手元にあるのは、信濃毎日の記事と「こうしょく市議会だより」だけなので、信濃毎日のデータを元にして原利夫の名前でいってみよう。毎日のデータだと原が武井に置
き変わる。
『原利夫が行った「公文書偽造」は、当時更埴市には産業廃棄物処理場の建設計画など全くなかったのに、いかにも市が建設にとりくんでいるように業者に思わせるために、「申請書」や「通知書」を偽造したものである。原利夫のごり押しに負けた職員によって、書類に本物の市長印が押された。市長は印鑑の管理がいいかげんであり、このいいかげんさと圧力に屈する市職員の弱さを、原利夫が賄賂のだましとりに利用したものである』
これでいいだろうか。これならずいぶんはっきりする。しかし、先程から困っているのだが、信濃毎日と毎日ではデータが違っており、手元には信濃毎日しかない。信濃毎日の記事と宮尾議員の発言記事を読み合わせるとこのようなものになるのだ。これは、原利夫、あるいは武井なんとかの名誉を棄損するだろうか。もしも、そういうことになったら、それは、「こうしょく市議会だより」が、何ひとつはっきりしたことを載せないためであるから、発行人・原利夫の責任だろう。なぜ、一般紙がはっきり書いた人名を「こうしょく市議会だより」は伏せるのか。原利夫が議長であり発行人であるからという以外にどんな理由があるというのか。
行われたことは、汚いことだ。その汚いことを、「公文書問題」とか、「通知書の発行」とか、「議員個人の経済行為」などというていのいい言葉が隠蔽している。そうなんだよ、宮尾さん。言葉が隠蔽のために使われるから、『こうしょく市議会だより』は死んでいるんだ。
おっと、市長の答弁にこんなのがあった。
「現在民事訴訟で係争中でもあり、氏名の公表については人権プライバシーとの絡みもあり回答はさしひかえたい」
あのね、民事訴訟なんてものは、誰でも傍聴できるものじゃないのか。だから、民事訴訟での氏名は初めから娑婆に公開されているんじゃないの。それを、お前さん、知ってて言わないのは、こりゃあおかしい。さすが官僚あがり、市民を愚弄するのはうまいもんだぜ。それに民事訴訟と公文書偽造は別件だろ。公文書偽造は公文書偽造ではっきりさせろよ。市長だったら、市長印を悪用した者をはっきりさせる責任があるだろ。日本て国じゃ、印鑑を押すことで責任が生じるんだから、市長印が押されたら、そのことに対する市長の責任が生じるはずだ。責任の大元は、市長、あんたなんだよ。でたらめな文書に、あんたが責任をもつべき印鑑、つまり「市長印」が押されたんだ。それを悪用した者の氏名をあんたがなぜ伏せるのか。公文書偽造については、ものごとをはっきりさせる責任が市長にある。のらくらするんじゃねえよ、まったく。こんなことやってるってのは、あんたも同じ穴のむじななのかって誰だって思うぜ。
ていねいに読むつもりでいたけど、あんまりていねいに読めなかった。やはり、信濃毎日の記事と毎日の記事の食い違いが気になる。市長が問題の人物をはっきりさせないのがいちばん悪いんだ。
あれあれ、「こうしょく市議会だより」の編集委員の名前があった。この人たちがこんなつまらない役にもたたないものを作っていたのだとはっきりしたよ。
御尊名を列記する。
委員長・中沢直人、副委員長・八重島レイ子、委員・宮尾真人、町田好治、越石袈裟幸、中條智子。
くそぅ、税金を無駄にしやがって。
「こうしょく市議会だより」の死に場所とはまさにそこだ。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏