ふざけて誤字をそのままにした部分だけでなく、誤字の多いメールだが、ほとんどをあえてそのままにした。なお、これらの議論の背景に小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」という本がある。論議をたどっていただくには、この本をお読みいただく必要のある部分があることをおことわりいたします。(根石註)
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Aさんの発言 ●印
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●4月26日
ご本、わざわざお送りいただき、ありがとうございます。「目からウロコの英語力習得法」、このさい、きちんと習得できれば、と。通勤電車で読む予定のうれしい一冊。
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[根石]4月30日
読み通していただけたら、ご感想をお聞かせください。
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●5月2日
読了しました。
「電圧装置」は、はるか昔が思い出され懐かしく読みました。私の場合、3分割にしてたかなーとか(英単語・発音、イミ、使用例)。でもあまり徹底してなくて、最初のページばかし込み合っていたような。(レポート養子っていうのはグッドアイデアだと思います。「回転読み」「回転書き」等は、経験がありません、少しびっくりです、こわいような、一瞬宗教的な感じがしましたヨ)。
ことば→イメージ(個々に多種多様)→イデア(透明)
と、いうような展開だったと思いますが、
ぼんやりながら、私はこんなふうに感がえます。(考え)
イデア・概念(透明)⇔ことば(言語・多種多様・発語可)→イメージ(個々に多種多様・言語化&ビジュアル化可能)
はじめに出合う「言葉」というのは同じなのですが、その言葉のイメージの行き着く先に概念(イデア?)があるというよりは、魔物である言葉の手前に、すでに、概念があるような気がします。概念がなければ、言葉も発生しないのではないでしょうか。
「日本英語」というので思い出したのは、不思議な日本語(アジア日本語?)---書名忘れてしまいましたが、アジアの若いカメラマン、日本在住と帰省と繰り返しているひとの「写真集」(とーやとそーやだったか?ぜんぜんちがう。図書館から借りて読んだ本って、内容は覚えていたはずなのに、書名そのた、忘れてしまっていて、ごめんなさい)。
「色即是空」(般若心経)のたとえは、おもしろかったです。けれど、聖書にも、「空は空、いっさいは空である」というのが、伝導の書というのにあったと思います。
「生活言語」って、「世界内存在」に近い定義のように思いました。
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[根石]5月7日
●
「回転読み」「回転書き」等は、経験がありません、少しびっくりです、こわいような、一瞬宗教的な感じがしましたヨ。
[根石]
私にとっては、語学というものは、まるできれいごとではありません。
人によっていろいろだろうとは思うものの、語学での意識は呪的な性質のものだろうと思います。単語一つを扱うにも、概念(頭脳)的理解では満足できず、イメージ(全)的理解でなければ、私はたった一つの文も了解できた気がしませんでした。
「回転読み」のような激しい動態が、むしろ語学においてはあたりまえの事態なのだと言いたいのです。
語学は、架空の意識を強引に作っていくのですから、人が思うほど平らなものではないはずです。宗教的かどうかはともかく、おとなしいお勉強みたいなものでないことは確かです。ところが、語学は世間では相当におとなしいものと思われているように私には思えます。とりわけ「音」の扱いに関してそうです。
つまり、語学はみくびられているのです。
●
はじめに出合う「言葉」というのは同じなのですが、その言葉のイメージの行き着く先に概念(イデア?)があるというよりは、魔物である言葉の手前に、すでに、概念があるような気がします。
[根石]
うーん、ここんところは。
辞書というものがなぜ成立しうるのか。
概念というものが社会的に(客観的に)存在するからである。
人が出会うのは、すでに概念をともなった言葉である。
と、そういうことを言われているのでしょうか。
「概念がある」という場合の、「ある」の意味はどうなのでしょう。辞書の中に記述可能であるように、社会的・客観的に「ある」場合と、一人の人間の意識において、初めて認識され(知られ)、その時点から初めて「あるようになる」場合とでは、同じ「ある」という語がまったく別の地平のものについて言っていることになります。
客観的に「ある」ものも、一人の人間の意識に知られていなければ、その意識においては「ある」ことになりません。知ることによって、初めて「ある」が成立する領域=意識を地平として考えるなら、概念も「知る」ことを通して人の意識に形成されるものです。それは、言葉の後に、あるいは少なくとも言葉と同時に意識を訪れるような気がします。
最初から(客観的に)「ある」から、意識においても「ある」ことが始まり得るのだと言えば、それはまったくその通りなのですが、それは、語学をやる場面では、アクセントを置くべきこととは思えないのです。
学問的視線というか、博物学的視線というか、そういうもので言葉を眺めた場合には、概念は最初から「ある」と言えると思います。辞書とはまさにその博物学的視線によって成立したものでしょう。これに対して、語学のように、ひたすら言葉と交わる動態によって言葉を知る場合には、「概念」は言葉の後に来ると思います。語学においては、最初にあるのは、音や、綴り(文字の連続)という具体だけです。そこに、意識が何かを込めない限り、あるいは、そこから、意識が何かを引き出さない限り、概念は辞書のページの上にあるだけで、意識における具体にはなりません。
●
概念がなければ、言葉も発生しないのではないでしょうか。
[根石]
言葉の発生は、まるで難問です。
人間の口から発せられる音が、ある抽象のレベルを指し示すことがなければ、つまり、具体と抽象を同時に指し示しうる音(その内に分裂を持つ音)でなければ、言葉の発生ということはなかっただろうというような想像ができるだけです。
概念というものは、私には抜け殻のように思われています。その中に、また新しくイメージが住みつきうる抜け殻のようなもの。抜け殻だから、辞書のページに並列しうる。あるいは博物学的に扱いうる。
これに対して「イデア」という語で考えているのは、動態として生きているものです。イメージが純化されたものという言い方をしていますが、「イメージを純化する」という意識(無意識)の動態において初めて現れてくるものと言えばいいでしょうか。
言葉の発生の場面で、「ある抽象のレベルを指し示す」ということを担うのは、概念ではなく、むしろこの「イデア」ではないかと思います。
うちの猫は寝言を言います。彼がイメージを生きているということだと思うのです。彼においては、イメージがイデアに至るということが、これまでありません。今後もあるとは思えません。
イメージがイデアとなる過程と、言語の発生は関係があるような気がします。
●
「色即是空」(般若心経)のたとえは、おもしろかったです。けれど、聖書にも、「空は空、いっさいは空である」というのが、伝導の書というのにあったと思います。
[根石]
「空は空、いっさいは空」であるというのと、「色即是空」とは、やっぱり言ってることが違いますね。
「空は空、いっさいは空」は、ひっくり返せば「実は実、いっさいは実」となりそうで、やはり西洋だなあと思います。
●
「生活言語」って、「世界内存在」に近い定義のように思いました。
[根石]
難しくてわかりません。
追々に教えて下さい。
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●5月8日
SVO⇔SOVのことでした。アグレッシブ⇔リザーブの関係にも通底しているように読めました。読んでいると、つい勢いに押されて(?)、そんな気がしないでもないのですが。
例えば仮に、日本が開国(といっても、鎖国は民間にとっての鎖国で、幕府は外国事情に関しては情報を独占していたようです)したとき、植民地になってしまっていたとしたら、今ごろ、日本英語&方言かなんかが、日常的に使われていたのかもしれません。
当時のアメリカって独立戦争にようやく勝って、イギリスの植民地(インドなど悲惨です、文化の歴史でいったら英国の比ではないのに。イギリスの紅茶文化は植民地あってのハイティーやらアフタヌーンティー)ではなくなったばかりで、それどころではなかったのかも(?)。優位な通商条約を結べたということで、それでOKだったようです。
で、そのあと、日本は韓国に対して、もっと無茶な条件で、条約を押しつけるし、おまけに不当な言いがかりをつけて、韓国や台湾を無理やり植民地化してしまうというか、なんとなく、どうにも、どうしようもなく、いまいちステキではありません。
いわゆるアフリカ分割(ヨーロッパ列強の植民地の陣取り)のときなど、脱亜入欧論の福沢諭吉サンなんかは、日本も参加すべきだと息巻いていたこと、最近になって知りました。
バブルのころの見境いのない買い占め(ロックフェラーとか)にしても、、、、。結局、バカをみちゃってる。
××人の本質ってSOV/SVO、言語のシンタックスでは、一概にくくりきれないような気がしてなりません。
どこのくにの歴史を見ても、陣取り合戦というか、覇権争い(DNAのなせる業なんでしょうか)に関しては容赦なく積極的です。いまではワビサビで知られる利休にしても本職は武器商人(堺の貿易商)。
「若草物語」は、たしか4人姉妹。男勝りの子もいれば、おしとやかな子もいたし、あまったれちゃんも、エトセトラ。
一時期、娘のボーイフレンドが外国人だったときがあって、電話機の前に(娘在宅時に私が出たとき用)「ちょっとまってね」とか、(娘不在のとき用)「ごめんなさい、いまいません、つたえておきます」といったカタコトの英文、貼っていたときがありました(私は、もちろんタジタジ。とりあえず、わかってもらえるように何とかかんとか、話してました、少しは通じてたのかな)。その彼、うちには2回くらい遊びにきたのですが、SVO言語でしたけど、すこぶるシャイな美青年でしたヨ。
一人の人間のなかでも、積極的・消極的(控えめ?)は、さまざまな場面で出たり消えたりするでしょうし、一国の中でも、時代によってかなり違ってきたように思います。(日本人のひとりとして、かなしく思うのは、近代に始まったことではなく、藤原時代からの、まっとう(?)ではなしの、きたない戦い方。ほとんど策略的なだまし討ちで、覇権を繰り返してきたという歴史。これが、リザーブ、控えめ、腹蔵、だとしたら、やりきれないし)、、、。
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●5月10日
●
プリントしたものを電車の中で読みました。
(読者としての私には)「語学」の立場がカンペキに欠けていたように思います。
「語学」(言葉を習得する、ということでいいんでしょうか)での意識、を意識すると、それなりに了解。納得の幅が広がってきました。
言葉のイメージの手前に概念が(イデア?---イデアの使い方も難儀です、純粋っぽい理念・観念? プラトンさんに聞いても仕方なく、時代とともに多様化しちゃってるのでしょうし)、というのは、辞書的な意味合いではなく、単に、私がそのときに考えた「言葉って、こういうものじゃないのかな」ということです。「語学」は抜けていました。
おそらく、根底にあった言葉自体、英語ではなく、日本語あるいは言葉そのもの的な発想をもとにしていたと思います(申し訳なくも、いつも酔っ払って入力していて、翌日あたり常にアゼンです。今回はきちんとしなくちゃと思いつつも、少々危ないところです)。
いま現在の私は、「××語」を学んでいる真っ最中とか、ましてや教える立場ではありません。立場が違えば、読み方も違ってきたのでしょうけれど、「ご海容ください」、というしかなく。
で、(ごめんなさい、「語学」欠落のままに、こたえるほかありません)、
「概念がある」という場合の「ある」という意味ですが、
例えば、だれかが、---宇宙人でもいいのですが、新しい言葉(即物的なものはまだどうにか、実際に存在する動植物であればラクかなと。でも、そうではない抽象的な言葉に遭遇、それを習得・理解する場合、そのだれかにとって、似たような概念が---すでに、あらかじめ---なければ、理解不能だと思ったのです。
<一人の人間の意識に知られていなければ、その意識においては「ある」ことになりません。知ることによって、初めて「ある」が成立する領域=意識>(根石さんからの引用です)
何かを「知る」ということが可能な背景には、その何かの(言語化されていないもの、不確実なものも含めて、何がしかの)概念的な裾野があるように思いました。でなければ、(あらかじめ概念がなければ、---曖昧なかたちであっても)意識・無意識にかかわらず<一人の人間の意識に知られて>いなければ、(ぼんやりながらでも抽象的な言葉の場合、その下地がなければ)、どんなに綴りや音を覚えても、その言葉を「知る」ことにはならないような気がしました。(学問的とかいうより、ただ単に、素朴な視線です)。
(「語学」(動態)不足のすれ違いだと思います)「概念がなければ、言葉も発生しないのでは」に関しては、(自身で言っておきながら、正直言って、どう説明していいのか、よくわかりません(ことばって、身体的に、口唇の発達した動物とか、信号送ったりする動物とか---??ではなく、)。
((よくわからないのに、「---ではないでしょうか」と言ったのは?うーん、そういわれても、、、あっ、わかった。わからないから、疑問のかたちにしたのかも-------えー? そんなの姑息))
<ある抽象のレベルを指し示すことがなければ、つまり、具体と抽象を同時に指し示しうる音>(引用しました。---なんとつづければいいのか困り果てていたところ、目の前にあったプリントに助けられました。)
「助けられた」と言っておきながら、よくわからなくなってしまいました。(やっぱり、お酒はよくありません→この数日にかぎってではなくての習慣です、よくないことがわかりつつの、依存症)
概念が抜け殻というのは、からの電池、「語学」上の、というふうに考えればいいのでしょうか。
少し、はしょります。
色即是空、空は空、実は実、
「やはり西洋だなあ」って、よくわかりませんでした。
「四大元空」(しだいもとくう)というのを、今日、帰りの電車ではじめて知りました。(禅宗に由来する言葉らしく、四大って当時考えられていた身体の四元素で、超はしょれば、死んだら元の空に還る、ということのようです)
「生活言語(英語)」の件です
ずっとずっと昔、ハイデガーの『存在と時間』とか読んだとき、まったくもってチンプンカンプンでした。
『恋愛小説』(カトレア・クレマン?著・女性)手元にないので、うろ覚えです。------登場人物は、老いて発語不可能になってしまったハイデガー、彼の妻、それから愛人だったハンナ・アーレント――彼女の本を読んだことはないのですが、引用で時々目にしたことがあります----というのを、たまたま読んでいたあとでした。
「世界内存在」っていうのは、「現存性」「現前性」にも近いコトバらしいのですが、コトバだけでは、ほんとにまあ何のことやらです、でも、このハイデガーの言葉って、めちゃ簡単にいってしまうと、日常的な現実、「目の前にある時間」のことのようです。
『存在と時間』が書かれた背景に、妻と愛人がいて、(あまりに簡単すぎて、これでいいのかしら、でもあるのですが、ハンナさんの主張によれば、自分がいたから書けた本だと)、妻子との日常、流れていく時間と同時進行の自分(ハイデガー)の現存在(?)が「世界内存在」(妻子)ということで、そうではない存在のあり方というのが、時間にとらわれずに「生成」する存在のなんとかかんとか(?)(愛人)だったか---、そんなこんなを、しちめんどくさく語っているのが、「存在と時間」。ほんとうであれば、堅物の研究者さんには気の毒ですが、妙に納得していたところです。
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[根石]5月15日
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例えば仮に、日本が開国(といっても、鎖国は民間にとっての鎖国で、幕府は外国事情に関しては情報を独占していたようです)したとき、植民地になってしまっていたとしたら、今ごろ、日本英語&方言かなんかが、日常的に使われていたのかもしれません。
[根石]
かもしれません。
しかし、Aさんはものをよく知っていますね。勉強になる。
●
いわゆるアフリカ分割(ヨーロッパ列強の植民地の陣取り)のときなど、脱亜入欧論の福沢諭吉サンなんかは、日本も参加すべきだと息巻いていたこと、最近になって知りました。
[根石]
初耳です。おもしろい。
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××人の本質ってSOV/SVO、言語のシンタックスでは、一概にくくりきれないような気がしてなりません。
[根石]
一概にくくりきる気はありません。SOV/SVOが、しかし、どこにどういう作用をおよぼしているのかということです。意外に深部におよんでいるのではないのかと言いたかったのです。それですべて割り切れますよという程の簡単なことを言ったつもりはありませんが、私の言葉がいまだ言いたいところまで届かないということでしょう。
●
どこのくにの歴史を見ても、陣取り合戦というか、覇権争い(DNAのなせる業なんでしょうか)に関しては容赦なく積極的です。
[根石]
そりゃ、この世のリアルなパワーの世界では当然だと思います。とるかとられるか、殺すか殺されるかの単純な世界では、事実だけがものを言い、「態度」として、reserved
であるか agressive であるかなどは重要な条件ではない。首をとったかとってないかだけが問題です。
人が人とつきあい続ける場合に、「態度」のようなものが、どこまでも誤解を招き続ける世界もまたあるのです。そこでは、「態度」が実に重要な要素になっていて、そこに作用しているのは、それぞれが背負う文化の繊維のようなもの、基本的な性質のようなものです。そこに
SOV/SVOは触っているなという感触があります。
●
一時期、娘のボーイフレンドが外国人だったときがあって、電話機の前に(娘在宅時に私が出たとき用)「ちょっとまってね」とか、(娘不在のとき用)「ごめんなさい、いまいません、つたえておきます」といったカタコトの英文、貼っていたときがありました(私は、もちろんタジタジ。とりあえず、わかってもらえるように何とかかんとか、話してました、少しは通じてたのかな)。その彼、うちには2回くらい遊びにきたのですが、SVO言語でしたけど、すこぶるシャイな美青年でしたヨ。
[根石]
私のアメリカ人の友人も、とてもおとなしくて、シャイなやつです。「態度」としては、私の方がいつもよほど態度がでかく、aggressive
です。この友人は、私に向かって、Oh, be nice!
Be nice! と言うのが癖になったほどです。
そんな個々の人の性質のことをあの本で言ったつもりではありません。そんな個々の千差万別の中を貫いていく、基本の要素として、シンタックスに注目してみたかったということです。
●
日本人のひとりとして、かなしく思うのは、近代に始まったことではなく、藤原時代からの、まっとう(?)ではなしの、きたない戦い方。ほとんど策略的なだまし討ちで、覇権を繰り返してきたという歴史。これが、リザーブ、控えめ、腹蔵、だとしたら、やりきれないし)、、、。
[根石]
この辺のことは、私はものを知りませんので、ものを提示していただかないとよくわかりません。
reserved 、控えめ、腹蔵には、江戸時代に形成された性質も相当あるんじゃないかと考えていますが・・・。
「策略的なだまし討ち」なんてものは、政治の世界では、あたりまえのことなんじゃないでしょうか。それは、まるでシンタックスとは関係なく、民族や洋の東西に関係なく、いつでも繰り返されてきた図柄ではないでしょうか。
例えば一つ提示します。
SVOシンタックスの世界がSOVシンタックスの世界を植民地にした事例は枚挙にいとまがないが、その逆はあるのか。
モンゴルが西洋を占拠したことがあったなあ・・・。
ふむ。
モンゴル語は、SOV文型だそうだし・・・。
しかし、なんというか、SOV文型の世界はなんだかいつまでもウダツがあがらないというような感触が私にはあるのです。モンゴルみたいなとてつもなくでかい例外があるにはあるのですが・・・。
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[根石]5月15日
●
「語学」(言葉を習得する、ということでいいんでしょうか)での意識、を意識すると、それなりに了解。納得の幅が広がってきました。
[根石]
言葉を習得するという言い方だと、ネイティヴな言語を赤ん坊が獲得していくことも含んでしまうような気がします。語学というのは、私としては、あくまで意識的な作業だと思うので、ネイティヴ言語の獲得は別のことと考えています。
●
何かを「知る」ということが可能な背景には、その何かの(言語化されていないもの、不確実なものも含めて、何がしかの)概念的な裾野があるように思いました。
[根石]
概念的な裾野というものも、あらかじめあるのではなく、獲得される(知る)もののような気がします。人間という動物にかぎっては、それを獲得する能力だけは、はじめからなぜかあるように思います。
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概念が抜け殻というのは、からの電池、「語学」上の、というふうに考えればいいのでしょうか。
辞書に、この単語はこういう意味だよと記述できる共通性というのか、了解可能性というのか、そういうものは、学習以前にすでにありますが、それは生身の人間の動態がなくても、生身の人間の学習能力が事故などで壊れても、共通性や了解可能性自体は、人間という生き物が類として存続する限り、意識以前に「あらかじめある」と思うのです。
その「あらかじめある」性質をさして、抜け殻と言ったように思います。
●
色即是空、空は空、実は実、「やはり西洋だなあ」って、よくわかりませんでした。
[根石]
そうかなあ。
東洋って、あくまで「色即是空」と言い続け、西洋って、実は実だ、空はしょせん空だと言うような気がするんですが・・・。
●
「四大元空」(しだいもとくう)というのを、今日、帰りの電車ではじめて知りました。(禅宗に由来する言葉らしく、四大って当時考えられていた身体の四元素で、超はしょれば、死んだら元の空に還る、ということのようです)
「しだいもとくう」は知らなかった。
「とうだいもとくらし」は知ってたけど。
これも、四大っていったところで、元は空なんだぞって読むこともできそうな気がして、色即是空に通じているような気がします。
●
『存在と時間』が書かれた背景に、妻と愛人がいて、(あまりに簡単すぎて、これでいいのかしら、でもあるのですが、ハンナさんの主張によれば、自分がいたから書けた本だと)、妻子との日常、流れていく時間と同時進行の自分(ハイデガー)の現存在(?)が「世界内存在」(妻子)ということで、そうではない存在のあり方というのが、時間にとらわれずに「生成」する存在のなんとかかんとか(?)(愛人)だったか---、そんなこんなを、しちめんどくさく語っているのが、「存在と時間」。ほんとうであれば、堅物の研究者さんには気の毒ですが、妙に納得していたところです。
[根石]
こういう解説をしてくれれば、俺も「存在と時間」とかいうものを読む気になったかもしれない。おもしろい。つまり、「世界内存在」は実は実、つまり色。そうじゃないのが「生成」する存在のなんとかかんとかと区別される、と。
うっせえなあ、そんなもの、おんなじこったって言っているのが、「色即是空=空即是色」みたいな気がするのですが。
しかし、まあ、理論としては「色即是空」の方が圧倒的に高度だと思うんですが、人間は、「世界内存在」を生きるしかないということでは、実に実は実だと思う次第です。時と場合によっては裁判にかけられて縛り首になるわけですから。
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●5月16日
●
「初耳です」に関しては、私自身、少し前の初耳に過ぎず、例えば、利休とか(なぜ、切腹させられたのかしらか、とか、キリシタン説っていったい?とか、いまだになぞが多いのです。私なりに追いつつの途中です、オハツにもたくさん出会います。器をはじめ、お菓子、花、まったく無知だった経済とか、戦争の仕方とか、当時の全体像が少しずつぼんやりと、です。
「えー?ウソピョーン」ということがけっこうあってしまい、---こういう発語をしたら、先日、娘に笑われました。でも、ウソぴょンだったのですから、仕方ないです−−最低限、娘・息子とはまっとうに対峙してます、包丁が飛び出すこともあったなあと。)
藤原時代からの>>
っていうのは、その、お茶の一環で出合ったウソぴょン。例えば1950年頃生まれの世代では、「645年といえば大化の改新」って、ふつー、内容はともかく、何となく出てきてしまう。なんだかしらないけれど、とにかく習いましたよね、ハンデンシュウジュノホウとか。でも、それって、明治の為政者たちの創作のようです。「大化」というネーミング自体、なかったようです。(ニュースソースは、おもに利休のことを知りたいついでに借りた「歴史誕生」(角川書店)シリーズ。たくさんあって、大きい本なので、電車では読めません。読んだものは、まだ、半分にも達していません)。
「控えめ」のことですが、
<なぞ>です。
もしかしたら、けっこう新しく、新しい時代の男性が理想とした日本女性の属性かも知れず。例えば、日本社会のなかでは、いつのころから使われていたのかしら、とか。江戸時代以降(武家が中心?)たぶん儒教の影響では?とか。よくわかりません。
「古語辞典」では、どう使われているのかな、とか。ひまがあれば、古典をつぶさに読んでいけば、少しは分かるかもしれないのですが。そんなひまって、ないですし。
ふるい(?)使い方では、「お控えなすって」「控えおろう」を、思い出しました。(自分で使ったことはないですが)
リザーブに似た感じ(?)で、ディセント・ディセンシィ(20年近く前に覚えた言葉)とかいうのは、実際の使い方として、控えめとは違うのですか? わたしはよくわからず、控えめ的なことば(態度・しぐさのありかた)のようにとらえていたみたいです。
ステンカラージン
SVO・SOVの植民地云々にかんしては、またいずれ。(だって、わからないので)。
「アジア」っていうネーミング自体、なんとか山脈の東、昔のヨーロッパにとっての視線(日がいずるところ・東)、オリエントというネーミングにしても、日が昇るところ・東、というのを、きょう、別の仕事のなかで知りました。
アジアということ自体、非アジア(アッチ(?)からお日様が昇ってくる)という、大昔は、神聖なところだったのかも?
空は空っていうのが西洋っていうのは、壱進強敵(一神教的)なこと、かなあ、とも、思いました。
西洋ではないワタクシには、こないだ息子と一緒に植えた朝顔にも神様がいたり、トイレにも神様がいます(あったたことはないけれど)。
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●5月16日
●
すみません、間違っていました。
幕末から明治、アメリカでは独立戦争ではなくて、何歩区(南北)戦争でした。奴隷解放のリンカーン側(北部)が勝って、すぐあとに暗殺されていたのでした。
ステンカラージンは、ジンギスカンの間違いです。
どう間違えばこんな単語が出てくるのやらですが、ジン、、、、、でしょうか。
(間違いだらけです。どうぞ、まに受けないでください)
膠着語とかいう(具体的にぴんとわかってなどいませんが)のが日本語とか朝鮮語、モンゴル語というのは、ぼんやり知っていましたが、それがSOVとは知らず、トンチンカンでした。
SOVで、メチャ戦いに強かった国は、トルコ(オスマントルコ)と蒙古(モンゴル)。トルコの意味って強い人、モンゴルの意味は鼻息の荒い、だったかです。(これは、ほぼ大丈夫)。
失礼いたしました。
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[根石]5月29日
●
器をはじめ、お菓子、花、まったく無知だった経済とか、戦争の仕方とか、当時の全体像が少しずつぼんやりと、です。
[根石]
本を読む時間があってうらやましく思います。
まったく、ただいまは自宅自作にかかりきりで、近頃、腰が痛く、ようやく自宅自作を中断して、メールの返事を書き始めました。
●
その、お茶の一環で出合ったウソぴょン。例えば1950年頃生まれの世代では、「645年といえば大化の改新」って、ふつー、内容はともかく、何となく出てきてしまう。なんだかしらないけれど、とにかく習いましたよね、ハンデンシュウジュノホウとか。でも、それって、明治の為政者たちの創作のようです。「大化」というネーミング自体、なかったようです。
[根石]
へええ。私は歴史・地理はまるで駄目で、大学に入ってからも、福島県が九州にあると思っていたような人間です。福岡県と区別できなかった。従いまして、645年に何があったのかなどは、まるで知りません。多分、蓋をあければ、あっと驚くほど、私はものを知りません。恥ずかしいことですが。
英単語を覚えるのはいやではなかったのに、「大化改新」やら「班田収授法」などは、それが何であるのかまるで覚える気にならなかったのは、歴史というモノガタリがしょせんは体制の持ち物なんだという感覚があったからだと思います。体制が行うネーミング自体を拒絶していたような気がします。英単語はそこへいくと、あちらのじいちゃんばあちゃん、おじちゃんおばちゃんも知っているものなので、まあよろしかった。
私は学校で教えている歴史というものは、みんな創作なんだと思っているので、明治以後の創作だと聞いてもへええと思うだけです。
●
「控えめ」のことですが、<なぞ>です。もしかしたら、けっこう新しく、新しい時代の男性が理想とした日本女性の属性かも知れず。例えば、日本社会のなかでは、いつのころから使われていたのかしら、とか。江戸時代以降(武家が中心?)たぶん儒教の影響では?とか。よくわかりません。
[根石]
新しい時代の男性が理想としたのかどうか、私にもわかりません。武家文化も儒教ももちろん影響しているだろうとは思いますが、もう一つ、言語のシンタックスがあるんじゃないかというのが私が提示したかったことです。武家文化や儒教は「控えめ」の肉を作っているかもしれないが、言語のシンタックスは骨を成しているんじゃないかというのが言いたいことです。もしも、そうであれば、決して「新しい」性質ではないだろうと思うわけですが。
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「古語辞典」では、どう使われているのかな、とか。ひまがあれば、古典をつぶさに読んでいけば、少しは分かるかもしれないのですが。そんなひまって、ないですし。
[根石]
まあ、そうおっしゃらずに、意識に置いておいてもらって、何か発見があったら教えて下さい。
●
リザーブに似た感じ(?)で、ディセント・ディセンシィ(20年近く前に覚えた言葉)とかいうのは、実際の使い方として、控えめとは違うのですか? わたしはよくわからず、控えめ的なことば(態度・しぐさのありかた)のようにとらえていたみたいです。
[根石]
reserved と decent は違う感じがします。当たり前ではありますが、その双方と、「控えめ」がまた違う気がします。
* de´cent【di´:snt】 [形]<収入、服装、態度など>見苦しくない,きちんとした,上品な;〈話〉親切な//相当な,かなりよい.◇
〜ly [副]
* rese´rve【rizэ´:γv】 [他]取っておく,蓄える;<席などを>予約する//<権利、利益を>保留する;持ち越す,延期する;差し控える
辞書の受け売りで申し訳ありません。
decent は「態度・しぐさのあり方」もさすでしょうけど、見た目の感じが上品だということのような気がします。「ちゃんとしてる」「ちゃんとした」っていうような日本語ともだぶる気がします。
人間が「ちゃんとしてる」から、見た目にも上品だという、その経緯を言う語だと思います。日本語だと、「筋目の通った」というような感じを持ちます。
「ちゃんとしてる」っていう日本語もしかし、考えてみると変と言えば変。「ちゃん」ていうのは何のことだろうか。
「控えめ」と decent は重なりながら、ずれてもいる。
日本では、「控えめ」であることが、decent
であるが、西洋では reserved であることはまるで
decent ではないどころか、逆であるととられかねない。日本流の「控えめ」を西洋文化の磁場でやっちゃうと、reserved
であると思われ、きちんとものを言わない、だから
decentではない人間だと誤解されるということだと思います。
decent には「控える」「でしゃばらずにいる」という語感はまるでないと思いますが、decent
と「控えめ」は、「上品」であるという一点で共通するものがあるように思います。その一点でなら、交換可能な語かもしれません。
reserve というのは、行為ですので、背後に意図というものが想定されるのだと思います。
西洋の reserved は日本では「腹にいちもつ」になるように思います。だけど、日本語の「控えめ」は、「腹にいちもつ」を全然意味しません。
このあたりは、実にしちめんどうくさいのです。実際に西洋のやつと日常的につきあっているのですが、実にめんどうなのです。
●
アジアということ自体、非アジア(アッチ(?)からお日様が昇ってくる)という、大昔は、神聖なところだったのかも?
[根石]
アジアという呼称自体が、非アジアからの呼称であって、大昔は非アジアにとってのアジアは日の昇る神聖なところだったのかも? ということをおっしゃっているのでしょうか。
アジアということ自体、非アジアという神聖なところ・・・というつながりが理解できません。多分カッコの中を書いているうちに、「非アジア」の述部を紛失なさったのではないだろうか。
(もし、私の解釈でよければ)
そうかもしれません。でも、蒸気機関が発明されたあたり(?)から以後の、ヨーロッパのアジアに対する蔑視はしっかり根付いてしまっているようにも思います。
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●5月31日
●
「645年といえば大化の改新」云々は中学の頃を想定してのこと。
その頃、歴史がみんな創作などとは思ってもみなかったし、政治などよくわかりませんでした。
今、少しは違うにしても、そのいまだって、よくわかりません。
(ただ、大人として、大人しいより以前に、少しは分かっていないと、と思いながら、わからないことだらけです→経済のことが筆頭)
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●
<言語のシンタックス>のこと。
文化の繊維のようなもの、骨を成しているようなもの、という、言葉を媒介とした根源的な文化の属性、、、言わんとされているその構図は何となくわかります。
意識無意識をはなれて日々何年も、代々数百年数千年もつかわれていれば、体内に深く深く浸透していきます。
言葉に限らず、汗や涙ですらSOVだったり……。
でもです。確か、かつて「言文一致」といわれていた時代がありました。ということは、話し言葉と、書き言葉が違ってたということです、おそらく。
少し前の17歳の少年のバスジャック事件。
情報としてTV・NHK&久米宏のニュースと、朝日新聞でのものし知りませんが、バス内でのその男の子の話し方って、ふつうの会話にはほど遠く(初めて人を殺し、おそらく殺したことすらわからず、キンチョーその他、会話になっていないのは当たり前かもしれないのですが)、かなり違和感がありました。まるで文章を読んでいるような話し方だったと思います。
SOVって、とりあえず(まさしく、のほうが正しい言い方かもしれないのですが)日本語の言語のシンタックスなわけですが、実際に、そのかたちで、ウン百年あるいはウン千年つかわれてきたのかどうか、というのは、??です。
ふつーの会話って、SOVではないのでは?(何かを考えるとき、SOVの順序で規則正しく考えているのかどうか、というのは少し?です。けっこう全体的にぼんやり考えていて、言語化するときにVやOがでてくるというか、、Sはあましでてきそうにありません、日本人のせいでしょうか。
(いま、試しに明朝の献立を考えてみました。--朝は苦手なので、私の場合、夜、朝食をつくります。---「野菜スープをつくっとくこと」ETC。---SなしOV、省略のSは、どのみち私です。メモのときには、つくっておく(V)ことなんて書かず「野菜スープ」(O)だけです----でもこれ、うちわ過ぎて、例になりませんね)
(例えば、テープ起こし--テープリライト--、日本語の会話って、英語の会話(そのままのリライトで英文になるというのは本当でしょうか?)に比べて、かなり大変のようです。私自身は、経験として日本語のテープリライトしかしたことがありません
が、日本語の会話を日本語の文章に変換するという、ややこしさはつねにありました)
おそらく、メールの文体は中間です。(話しているような、書いているような)。
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[根石]6月5日
●
「645年といえば大化の改新」云々は中学の頃を想定してのこと。
その頃、歴史がみんな創作などとは思ってもみなかったし、政治などよくわかりませんでした。
[根石]
中学の頃を想定して、どこを探しても私の中に「645年」が何であるかというような知識が見当たりません。まったく関心の外のことがらだったようです。
政治など、おおかたはずるい糞たれがやっているものと思いますが、糞たれがやっていることが、私らの生活に影響してくるとなると心中おだやかではなくなるるはずなのに、結構おだやかだったりして、俺は馬鹿かもしれない。
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●6月8日
●
以下、リザーブに通じているかどうかは<?>ですが、例えばわたしの場合、きちんと自分の意見が言えない、ということで、かなり顰蹙をかっているような気がします(日本人の友人たちに。仕事はまた別です、これはテキパキ)。
でも、私のいいかげんさ曖昧さに相手が慣れてしまってくれているせいか、きちんと自己主張しなくても、文句など言われたこともなく、その逆もなし、です。
外食の場合など、いつだって相手任せで、あーおいしい、です。(でも、もしかして、仮にまずかったとしたら、どーするのでしょう、相手のせいにしたり、自分が頼んだものじゃないとか言ったりできる可能性はあります、ほんとはあれが食べたかったのに、とか、、)
具体例(外食時)をあげれば、親しい誰かさん(男女問わず)との飲食時(外で飲んだり食べたりのとき)、メニューを見ながら何をオーダーしたいのか、決めたことなどほとんどなくつねに、相手に負ってしまいがちです。エイッと、決めたりするときって、一人のときくらい(それと、思い出しましたが、昔、子供を連れての飲食のときなど)です。(→控えていられるときって、もしかして責任回避可能なときかもしれません。ちっちゃい子つれてたときは、控えめになどしておられず、何とかせざるを得ませんでしたし)
昨夜、仕事帰りに落ち合って、飲んで食べて(すべておまかせ)、またしても唄って帰って(朝帰り)してきてしまった相方の友人に、チラッと「コレシカ」(これこれしかじか)と、日本人の「控えめ」に関して意見を聞いてみました。いわく、控えめは誤解されやすい、あるいは優柔不断、曖昧、はためいわくになりがち、エトセトラ。「言いたいことがあるんなら、ちゃんと言えって」。
まあ、確かに、、。(ちゃんと、は、きちんと、のことのようです。ちゃん、しゃん?)
おそらく、いちばん感じ悪いのは、あとでゴチャゴチャいう場合、、のように思います。
先月だったか、三谷幸吉(?)のエッセイ(夕刊)にありました。---記者会見のとき、ほとんど誰からも質問がなく、一生懸命意見を述べざるをえず、だのに、その後、オフレコになると、どっと記者に囲まれ、ああだこうだ聞かれちゃうと。さっきまでの「あの控えめ」っていったい、、、と。少し皮肉交じりに使っていました。聞いて欲しいときは聞いてくれず(おかげで孤軍奮闘)、、、と。
「行為」に対する受け取り方っていうのは千差万別なのに。でも、「意味する・意味しない」にかかわらず、「こうされて、こう感じた」の積み重ねがあれば、(私の嫌いな)多数決っぽく、何となく、ぼんやりがカタチになってしまうのかな、と思います。
最近の???ですが、ペルーのフジモリ大統領が(独断的?)再選で、いっぽうのだれっだたか、ニホンという言葉そのものを、悪の象徴(言い換え、パラフレーズ)として使っていたこと。ずるいとか汚いとか不正とか。えー、そうなんだー、、、どうしてー、、、です。
昔であれば、「鳥肌がたつ」って怖いイメージであったはずなのに、いまや、「すごい」(肯定的)ということで使われています。言葉って生き物です(やっつけかたで、おっしゃてたように、使うことによって変わっていくし、浸透していくのでしょう)。
かなりランダムですみません。
本当に、蒸気機関(イギリスの産業革命の源)以後のアジアって(日本も含めて)、おっしゃるように、どうしようもなく蔑視的<洋→東>な雰囲気。皮膚感覚的に、私自身も、そんななかで育ってきました(育てられてきました)。
でも、半年くらい前に、そんな認識をちょっと変えてくれた本があります。 そのうち、おひまなときに、お読みになっていただけたらと、思います。中公新書だったかの『茶の世界史』。『茶の文化史』という新書が別の人のであるのですが、これも、それなりに、ではあるけれど(と私は思いますが)、一冊といえば、同じようなやすさと軽さで、ゼッタイ、世界史のほうがおすすめです。
(いま、インドのPS技術者って日本の比ではないようです、中国にしても。茶の世界史はそんなことをいっている本ではないのですが)
通勤中に読みおわったキプロス島に関する本。ギリシャ神話の国だとばかし思っていたら、トルコ系とギリシャ系のひとたちがいて分断されているというのを初めて知ったばかりなのですが、篠田節子によれば、北側のトルコ系(オスマントルコ系)の人たちは、みな、おひとよしで、やさしい。アジア的な人々だと。
トルコ系って、その、例のSOVです。
ベートーベンもモーツアルトも、トルコ行進曲つくっている、軍隊マーチの国。
例えば朝鮮半島で言えば、キプロス島の北側っていうのは北朝鮮っぽい、ところのようなのですが、
その国の国民性(あと数百年したら、国民性じたい、なくなってしまってもいような概念だと思いますが)って、気候・風土、経済・政治に左右されながら(文化や言語のせいではなく、)育ってきたように思います。
変換ミスその他深謝。
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●6月14日
●
その国の国民性(あと数百年したら、国民性自体、なくなってしまっても{いような→異様なではなくて}いいような概念だと思いますが)って、気候・風土、経済・政治に左右されながら(文化・言語のせいではなく)育ってきたように思います。
●
などと先日、言っていましたが、どう考えても変です、異様です。何を言っているのかしら?と自分でも?でした。
国民性の存亡はともかく(国はともかく)、文化的なもの---育まれ、育ってきたもの---は(言語その他含みます、食生活、気候、風土エトセトラ)は、残って当たり前です。文化的な違いがあったら、違いを楽しめればいいと思います。どこもかしこも同じであれば、エトランゼの楽しみがなくなってしまいます(プラスマイナス何もかも)。
梅雨です。リューマチ(?)とか食中毒に、ご用心ください。とりいそぎ、失言撤回まで。
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●6月14日
●
本をおすすめ、とかしていましたが、おこがましいことです。無視してください。
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[根石]6月27日
[根石]
ただいま、「電話でレッスン」というのをやっております。お知り合いの方のお子さんにおすすめいただけたらうれしく思います。現在中学生二名を相手にやっておりますが、かなり急激に伸びたので私がびっくりしています。
●
中高年の私としては、一日に一個くらい何か英語(単語でも文でも)を覚えようと、思っています。
[根石]
中高年の方を相手の「電話でレッスン」は映画のシナリオを使って始めようと考えております。奈良の方を相手に、スクリーンプレイの80番、「スピード」を始めようとしているところです。
●
でもです。確か、かつて「言文一致」といわれていた時代がありました。ということは、話し言葉と、書き言葉が違ってたということです、おそらく。
[根石]
話し言葉と書き言葉が違っていても、言語のシンタックスそのものは別のものではないと思いますが・・・。
●
SOVって、とりあえず(まさしく、のほうが正しい言い方かもしれないのですが)日本語の言語のシンタックスなわけですが、実際に、そのかたちで、ウン百年あるいはウン千年つかわれてきたのかどうか、というのは、??です。
[根石]
ウン千年使われてきたかどうか、それは私もわかりません。ひとまず現在日本語として扱われているものへ言及したまでです。
●
ふつーの会話って、SOVではないのでは?
(何かを考えるとき、SOVの順序で規則正しく考えているのかどうか、というのは少し?です。けっこう全体的にぼんやり考えていて、言語化するときにVやOがでてくるというか、、Sはあましでてきそうにありません、日本人のせいでしょうか。
[根石]
SOVを規則正しくなどは使わなくても、相互にSOVが踏まえられていると思います。Sが出て来ないのは、個よりも場を先に意識させる言語的磁場があるからではないでしょうか。
●
(例えば、テープ起こし--テープリライト--、日本語の会話って、英語の会話(そのままのリライトで英文になるというのは本当でしょうか?)に比べて、かなり大変のようです。
英語の会話でも、チョウチョウハッシのやつは、文がちょんぎれたり、途中まで言いかけて別の文を言い始めたりがあると思いますので大変だとは思います。英語をしゃべったまま速記すれば、意味の通る文になるというのは、講演などの場合ではないでしょうか。この辺は推測にすぎませんが・・・。
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●6月28日
[根石]
「 知り合いの方のお子さん」
●
むずかしすぎます。
[根石]
いただいたメールは、そのたびにお断りすることなく、私のホームページに転載させていただく場合があります。転載を許可していただけない場合はその旨をお書き添え下さい。
●
???
転載に関してですが、どうしても必要であれば仕方がありませんが、匿名でお願いします。
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●6月28日
[根石]
いただいたメールは私のホームペー
ジに転載させていただく場合がありま
す。許可をいただけない場合は、その
旨お書き添え下さい。
●
?
匿名であれば、なんでもOKです。(はたち・男の子とか。)「転載」自体、編集的な作業(意図)が働くのでしょうし、自由に使ってくださってかまいません。
(しいていえば、個人攻撃にさらされることだけは避けていたく。)全くの保身です。
もう少しゆとりがあれば別ですが、
いまはこれでせいいっぱいです。
了解ください。
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6月28日
●
でも、私のいいかげんさ曖昧さに相手が慣れてしまってくれているせいか、きちんと自己主張しなくても、文句など言われたこともなく、その逆もなし、です。
[根石]
最近、「言語的磁場」というもので考えることがあるのですが、日本は単一の「言語的磁場」でできていると思うことがあります。
単一の民族とかいう言い方は嘘だと思うのですが、言語的には非常に単一である、と。
この「磁場」が、「いいかげんさ曖昧さ」を許し支えているのではないでしょうか。
●
具体例(外食時)をあげれば、親しい誰かさん(男女問わず)との飲食時(外で飲んだり食べたりのとき)、メニューを見ながら何をオーダーしたいのか、決めたことなどほとんどなく、つねに、相手に負ってしまいがちです。
[根石]
これは、「控えめ」っていうより、「めんどうくさがり」の例にぴったりするような気がしました。
●
(→控えていられるときって、もしかして責任回避可能なときかもしれません。ちっちゃい子つれてたときは、控えめになどしておられず、何とかせざるを得ませんでしたし)
[根石]
なるほど。日本の「控えめ」は責任回避に使われることも大いにあると思います。
●
いわく、控えめは誤解されやすい、あるいは優柔不断、曖昧、はためいわくになりがち、エトセトラ。「言いたいことがあるんなら、ちゃんと言えって」。
[根石]
なるほど。
●
おそらく、いちばん感じ悪いのは、あとでゴチャゴチャいう場合、、のように思います。
[根石]
しかし、このテの人種は多くいますね。自分じゃ正式には何も言わないでおいて(責任を回避しておいて)、後で隠れてごちゃごちゃ言うというテアイです。
●
最近の???ですが、ペルーのフジモリ大統領が(独断的?)再選で、いっぽうのだれっだたか、ニホンという言葉そのものを、悪の象徴(言い換え、パラフレーズ)として使っていたこと。ずるいとか汚いとか不正とか。えー、そうなんだー、、、どうしてー、、、です。
[根石]
政治的力関係の中で析出される言葉でしょうか。
日本人は金のことしか考えていない。そのために働くことしか考えていないというようなことを本気で信じている連中に先日ボストンで会いました。その場合、たいてい私は「そんなことはない」と言って、それだけでおしまいにしてしまいます。ちくしょう、もっと、英語で口が回ればなあと思いますが、英語で口がよく回るためには、英語でできた言語的磁場の中で暮らすしかなく、それは私には無理です。
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●6月29日
[根石]
最近、日本は単一の「言語的磁場」でできていると思うことがあります。
単一の民族とかいう言い方は嘘だと思うのですが、言語的には非常に単一である、と。
この「磁場」が、「いいかげんさ曖昧さ」を許し支えているのではないでしょうか。
●
(単一の「言語的磁場」?……、単三ではなくて単一?、、、、少々、、考えてしまいました。)
たしかにそうかな、と思います。
北海道から沖縄まで(21世紀現在。日本国という範囲にしても、この先どうなるのか、よくわかりませんが)、それなりに方言があるにもかかわらず、ありがたいことに、とりあえず言葉は通じるように思えています。ナンの苦労もなしに、です。(メールにしても、そうですが)いま現在、ふつー誰もが(?)ナンの苦労もなしにコミニュケーションがとれる、何を言っても許される、察してもらえる、甘えられる、ダッテ、お金払ってるもーん?(?)、それが当たり前に近いような「磁場」というのは、曖昧さの温床、羊水のようなものです。
でも、この「磁場」がなくなったら、どうなってしまうんでしょう。
●
具体例(外食時)をあげれば、親しい誰かさん(男女問わず)との飲食時(外で飲んだり食べたりのとき)、メニューを見ながら何をオーダーしたいのか、決めたことなどほとんどなく、つねに、相手に負ってしまいがちです。
[根石]
これは、「控えめ」っていうより、「めんどうくさがり」の例にぴったりするような気がしました。
●
まったくピッタリ、そのとおりです。要するに、いいかげんなのです。ドジョウとイナゴ以外はほとんど大丈夫な(さそりは食べたことがありませんが)、何でもOKなせいか、お任せなのです。
●
ニホンという言葉そのものを、悪の象徴(言い換え、パラフレーズ)として使っていたこと。ずるいとか汚いとか不正とか。えー、そうなんだー、、、どうしてー、、、です。
[根石]
政治的力関係の中で析出される言葉でしょうか。
日本人は金のことしか考えていない。そのために働くことしか考えていないというようなことを本気で信じている
連中に先日ボストンで会いました。その場合、たいてい私は「そんなことはない」と言って、それだけでおしまいにしてしまいます。ちくしょう、もっと、英語で口が回ればなあと思いますが、英語で口がよく回るためには、英語でできた言語的磁場の中で暮らすしかなく、それは私には無理です。
●
フジモリサンに限らず、ニホンのイメージ自体、「ずるい、だます、残忍、ETC」といった指摘を多く(新聞)、見かけます。どうしてなんでしょうかって、思います。
「そんなことはない」……って思いたいところです。
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[根石]7月9日
●
本をおすすめ、とかしていましたが、おこがましいことです。無視してください。
[根石]
本はどんどん教えて下さい。たまに書店で、立ち読みして買うこともありますが、たいていは知り合いが面白いと言ってたやつを買うのです。教えていただくのはありがたいです。
思うように本を読む時間がとれないのですが・・・。
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[根石]7月9日
[根石]
「 知り合いの方のお子さん」
●
むずかしすぎます。
[根石]
ぶしつけなお願いでした。
探していただくことはもちろんありませんが、「近頃、英語がおもわしくなくて・・・」というような声を聞くことがあったら、こんなのがあるよ、と話してみていただけたらということです。
私は言いたいことを言って暮らしてきたおかげで、地元からけっこう憎まれるはめにおちいり、電話線を伝って「電話でレッスン」というのをやり、仕事上は更埴市を抜け出そうと画策しています。
先日、奈良の方と滋賀の方が「電話でレッスン」で映画のシナリオをやっつけ、ビデオを語学教材に変える練習に申し込まれました。すでに、名古屋の方と、山口県の方を相手に、半年ほどやってきています。
中学生を相手にする場合は、教科書をやります。
こういう逃げ出し方を今後も続けようと思っています。
話のついでで結構ですのでよろしくお願いいたします。
●
日本語にならない文を数枚書いて、ウン十万、それを、できるだけ分かりやすい文にリライトしてあげるのが私の仕事です。
[根石]
うーん。やりたくない。分かりやすい文にリライトする側がウン百万円もらえるんならともかく・・・。
●
転載に関してですが、どうしても必要であれば仕方がありませんが、匿名でお願いします。
[根石]
私の「おことわり」は、英語関係で議論している相手が複数いますので、議論が面白いものになったら、転載したいというのが、主な用途です。
ほとんどのメールは、この対象になりません。
それでも、いつなんどき面白い議論が穫れるかわからないので、メールの最後にいちいち断るのがめんどうなので、定型文にして挿入しています。
もちろん、匿名にします。
名前を明らかにしてくれと言われた場合以外は、匿名でいこうと思っています。
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[根石]7月9日
●
匿名であれば、なんでもOKです。(はたち・男の子とか。)「転載」自体、編集的な作業(意図)が働くのでしょうし、自由に使ってくださってかまいません。(しいていえば、個人攻撃にさらされることだけは避けていたく。)
[根石]
ありがとうございます。前のメールでも書きましたが、冬になりましたら、「編集的な作業」をやろうと思います。
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[根石]7月9日
●
いま現在、ふつー誰もが(?)ナンの苦労もなしにコミニュケーションがとれる、何を言っても許される、察してもらえる、甘えられる、ダッテ、お金払ってるもーん?(?)、それが当たり前に近いような「磁場」というのは、曖昧さの温床、羊水のようなものです。でも、この「磁場」がなくなったら、どうなってしまうんでしょう。
[根石]
この「磁場」がなくなるとしたら、言語に政治的な力が働いた時だと思います。
これがなくなったら、強制される言語による磁場が形成されるのでしょうが、「曖昧さの温床、羊水のようなもの」はずたずたに裂かれるでしょう。
今あるものとは別の国になるということだと思います。
●
フジモリサンに限らず、ニホンのイメージ自体、「ずるい、だます、残忍、ETC」といった指摘を多く(新聞)、見かけます。どうしてなんでしょうかって、思います。「そんなことはない」……って思いたいところです。
[根石]
日本の政治家の無能ぶりは、アメリカでは広く知られています。馬鹿ぞろいだとか言うのをよく聞きます。そして、それは本当だと思います。
日本という国家のイメージは非常に悪いですね。そのイメージをひとりずつ別々の顔で生きている具体的な日本人(私も逃れようもなくその一人)に重ねられるのは、大いなる迷惑です
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●7月12日
●
でも、この「磁場」がなくなったら、どうなってしまうんでしょう。
[根石]
この「磁場」がなくなるとしたら、言語に政治的な力が働いた時だと思います。
これがなくなったら、強制される言語による磁場が形成されるのでしょうが、「曖昧さの温床、羊水のようなもの」はずたずたに裂かれるでしょう。
今あるものとは別の国になるということだと思います。
●
「言語に政治的な力が働」くって、いまひとつ、よくわからないところです。「別の国」も、よくわかりません。(どうなってしまうんでしょう、などという、いいかげんな聞き方自体、まず、反省です、スミマセン)ステキな国になるのでしょうか?
政治経済まるきし疎すぎて、すみません。
その、単一にしても(言語の単一性? 単一言語? 忘れっぽくって、謝謝)、確かに今現在のニホン語は単一なのだと思うのですが、少し反省があります。自分自身の出自がアイヌや琉球と直接(直截)していないせいか、言葉を奪われる・言葉を強制されるといった身体感覚、---私自身まったく欠けていました。うつろだったことに気づかされます。お詫びします。だれに、というわけではないのですが、なんだか、気がとがめてしまったものですから。
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[根石]7月25日
●
「言語に政治的な力が働」くって、いまひとつ、よくわからないところです。「別の国」も、よくわかりません。(どうなってしまうんでしょう、などという、いいかげんな聞き方自体、まず、反省です、スミマセン)ステキな国になるのでしょうか?
[根石]
アジアの国で、英語がクレオール化している国は、例外なく、ヨーロッパの植民地にされて、もともとの(ネイティヴ)言語がずたずたにされたところのようです。
オランダ語とかスペイン語を元にした「若い人工言語」が成立していて、単語は地元のものでも、シンタックスがヨーロッパ由来の人工言語があったのだと書いた本(「英文法の謎を解く」ちくま新書)を読みました。
日本人がタイによく行くのは、あそこが例外的に植民地化をまぬがれ、本来のアジアの文化の保存状態がよく、だから面白いということなのではないかと思うのですが。
シンガポールなんか、清潔で面白くないという人はけっこういっぱいいます。私は行ったことがないのですが、こんなところはアジアじゃないと書いた記事は読んだことがあります。
単語レベルでは地元のものは残るでしょうが、シンタックスをやられてしまうことは、思考の根をやられてしまうことだというくらいに考えていいことではないでしょうか。フィリピンやハワイなんかもそういう無惨なところだと思います。
「言語に政治的な力が働く」とは、日本がアイヌや朝鮮にしたように、言語を強制することです。
「別の国」は、「思考の根をやられてしまった」国のことです。英語なら英語で考えなければならなくなった国のことです。日本がそうなったとき、どんな国になるのか、それは私もわかりません。
いまだ「日本英語」は成立していませんが、外からの強制力(政治的な力・言語の強制)の下にではなく、日本人が自主的に「日本英語」を作れたなら、これは世界史上、非常に新しい事態だとは思います。
植民地化を経ないで、SOV文型の文化がSVO文型の英語をクレオール化した例はないのではないでしょうか。
●
その、単一にしても(言語の単一性? 単一言語? 忘れっぽくって、謝謝)、確かに今現在のニホン語は単一なのだと思うのですが、少し反省があります。自分自身の出自がアイヌや琉球と直接(直截)していないせいか、言葉を奪われる・言葉を強制されるといった身体感覚、---私自身まったく欠けていました。
[根石]
あくまで擬似的なものですが、「言葉を奪われる」感覚は、単身で英語圏の国に旅に出ることで感覚することができます。別に英語圏でなくてもいいのですが・・・。
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●7月28日
[根石]
アジアの国で、英語がクレオール化している国は、例外なく、ヨーロッパの植民地にされて、もともとの(ネイティヴ)言語がずたずたにされたところのようです。
●
そのようです。東欧(?)と西欧(?)の食文化をみてみると、けっこうはっきりしてくるのですが。
いわゆる大航海時代(ヨーロッパといっても、スペイン、ポルトガルのあと、オランダがけっこう強く、その後、超強力だったのがイギリス)の、大英帝国のアジアに対する影響―酸鼻をともなうもの―です。おそらく、アメリカ人もびっくり(?)かもしれません。
19世紀(ヴィクトリア女王の時代)がいちばんすごかったようです。(そのころ、お話というか文芸も、けっこう発展してしまい、ヴィクトリア朝文芸ということになっています―知らずに子供の頃読んだりしたものがあったり…)インドは、ヴィクトリア女王の属国(インド帝国?)になってしまい、伝統あるインドの綿製品は完膚なきまでにたたきつぶされてしまうのです(サリーとか、いまの比ではなく繊細な素敵なもので、英国の貴族にとってはあこがれの品)、19世紀に入る前は、一部貴族の需要だったのでしょうけれど、何もなかったイギリスとしては原材料をまさに自国(植民地化)のものにしたかったのでしょうし、輸入するより自国で大量生産したかったのでしょう(他国の産業をつぶしてまでも? 腕のいい職人たちは皆殺しにされたといいます)。その女王時代、中国は、アヘン戦争を通してしっかりコケにされてしまうのです。イギリスでは同時期、有名な(?)、いわゆる<産業革命(綿製品が発端)>が起きているわけです。そのうち、偉大なる(?)ヴィクトリア女王の肖像画とか、写真のようなもの、見てみたいと思っています。
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[根石]7月29日
●
インドは、ヴィクトリア女王の属国(インド帝国?)になってしまい、伝統あるインドの綿製品は完膚なきまでにたたきつぶされてしまうのです(サリーとか、いまの比ではなく繊細な素敵なもので、英国の貴族にとってはあこがれの品)、19世紀に入る前は、一部貴族の需要だったのでしょうけれど、何もなかったイギリスとしては原材料をまさに自国(植民地化)のものにしたかったのでしょうし、輸入するより自国で大量生産したかったのでしょう(他国の産業をつぶしてまでも? 腕のいい職人たちは皆殺しにされたといいます)。その女王時代、中国は、アヘン戦争を通してしっかりコケにされてしまうのです。イギリスでは同時期、有名な(?)、いわゆる<産業革命(綿製品が発端)>が起きているわけです。そのうち、偉大なる(?)ヴィクトリア女王の肖像画とか、写真のようなもの、見てみたいと思っています。
[根石]
学校の授業で歴史など習っても、何一つ覚えなかったものですが、クレオール化した言語とは何かというような問題意識を抱いてしまうと、A先生の歴史のお話がとても面白いものになるものなんだとわかりました。
[根石]
クレオール化した英語をありがたがる人たちは、酸鼻をともなうものをありがたがっている人たちということになります。
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●7月31日
[根石]
クレオール化した英語をありがたがる人たちは、酸鼻をともなうものをありがたがっている人たちということになります。
●
「酸鼻をともなうものをありがたがっている人たち」というのは、少し言い過ぎかし知れないような気がします。前回、少々トンチンカンにも大英帝国云々になってしまいましたが、それって(イギリスとしての)時代の趨勢もあったのでしょうし、大航海時代にどんどん、勢力を伸ばすというのは、どこでも仕方なかった(?)のかもしれません。もちろん、やられた側は、たまったものではなかったはずです。(でも、仕方なかった、とか、やむにやむレズのことではなかったとはず思いたいのですが、やはり、イケイケになってしまうのでしょうか? トップを行くもののプレッシャーみたいなものも、少なからずあったかもしれません。「イギリス史」に関しても、無知です。いろんなことを知るたびに、なんてひどい、とアゼンとします。でも、イギリスに限りません、やはり、どこでもです。
ヒトの遺伝子には種族を殺してはいけないという遺伝子がないという事実、どこかで読んだ気がします)
●
時は、現代。
きっと(?)、クレオール化した英語のおかげで、現在、コミュニケーションがスムーズにいくので、ありがたい、ということなのではないでしょうか。(基本的に過去は過去、にしないと、どこまでも無間地獄です。)
[根石]
「日本人がタイによく行くのは、あそこが例外的に植民地化をまぬがれ、本来のアジアの文化の保存状態がよく、云々」「シンガポールなんか、清潔で面白くない」
●
私自身どこにもいったことがなく(パスポートを持っているのは娘と息子だけで)、実感としては何もないのですが、ささやかな疑問。
「本来のアジア文化」って、なんなのでしょう?
焼け跡闇市文化みたく、(要するに、ゴチャゴチャ、たくさん生にあふれていてエネルギッシュで、雑然としてて、「懐かしい」とか、(もちろん、懐かしさに関してのみ、わかりますが、それって、第二次大戦後の敗戦後の日本の風景、)
例えば、雑然としていると安心するとか、多少きたなめなほうがラクだとか、それがアジア的だとか、
それって、少し変だと思います。
(千年単位で言えば、よほど華麗な建造物&文化があります→それを西洋ハは真似してもいるわけです)
(アジア的・汚くてゴチャゴチャ)それが安心って、とんでもない話です。
かつて、アジアはきれいでした。
非衛生極まりないのha,西欧です。
でも、行ったことがないので、ナんともいえないのですが。
仮に、思考のネをやられてしまっても、そのときはそのときかな?と。
(尻切れ、ゴメンナサイ)
(でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください。)
乱筆深謝。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[根石]7月31日
●
「酸鼻をともなうものをありがたがっている人たち」というのは、少し言い過ぎか知れないような気がします。
[根石]
「酸鼻をともな「った」ものをありがたがっている人たち」ではどうでしょうか。
●
前回、少々トンチンカンにも大英帝国云々になってしまいましたが、それって(イギリスとしての)時代の趨勢もあったのでしょうし、大航海時代にどんどん、勢力を伸ばすというのは、どこでも仕方なかった(?)のかもしれません。
[根石]
とんでもないと思います。こんな言いぐさは、政治にとって都合のいい言いぐさだと思いました。
●
でも、イギリスに限りません、やはり、どこでもです。
[根石]
その通りです。
●
時は、現代。
きっと(?)、クレオール化した英語のおかげで、現在、コミュニケーションがスムーズにいくので、ありがたい、ということなのではないでしょうか。
[根石]
とんでもないと思います。コミュニケーションなどスムーズにいかなくて構わないのです。ヨーロッパの奴らがアジアに来たら、そこの地付きの言葉を習うのが礼儀です。
まるで言いぐさがひっくり返っていると思いました。
シンガポールの人が、「ありがたい」と言うのでしたら、私は黙るしかありません。
「英語のおかげ」だの、「コミュニケーション」だの、「ありがたい」だの、これらのいちいちが嫌いです。英語塾をやっている私が、これらのいちいちが嫌いです。
あなたは「知識的」ではありませんか。
●
(基本的に過去は過去、にしないと、どこまでも無間地獄です。)
[根石]
基本をお教えいただきありがとうございます。糞くらえだと思います。
●
「本来のアジア文化」って、なんなのでしょう?焼け跡闇市文化みたく、(要するに、ゴチャゴチャ、たくさん生にあふれていてエネルギッシュで、雑然としてて、「懐かしい」とか、(もちろん、懐かしさに関してのみ、わかりますが、それって、第二次大戦後の敗戦後の日本の風景、)
[根石]
そんなことを私が言ったでしょうか。
私はずたずたにされたアジアの言葉のことを言ったのでした。踏みにじられたSOVのことを言ったはずです。私にとって、アジアは、その土地の地付きの言葉とそれによって育ったものすべてです。
●
例えば、雑然としていると安心するとか、多少きたなめなほうがラクだとか、それがアジア的だとか、それって、少し変だと思います。
[根石]
「少し変」でなくてけっこうです。
「とことん変」でもけっこうなのです。
こんなものは、あくまで好みの問題です。
私はアジアを持ち出すまでもなく、雑然やきたないのが好きです。これは私の育ちの問題です。これに関しては、誰につべこべ言ってもらう必要もありません。
私が、先に「雑然」や「きたなめ」などと言ったのではないですし、あなたも、私が、「雑然」や「きたなめ」がいいと言っていると言っているわけではありませんが、なんだか神経にさわりました。
普段から「きたねえオヤジ」と呼ばれているせいかもしれません。そうでしたら、これは八つ当たりです。
単に好みの問題ですが、いったん好みの領域に入れば、私は好きなものは好きですし、嫌いなものは嫌いです。
●
(アジア的・汚くてゴチャゴチャ)それが安心って、とんでもない話です。
[根石]
「安心」ではなく、「好き」なのです。
●
かつて、アジアはきれいでした。
非衛生極まりないのha,西欧です。
[根石]
その通りだと思います。ha?
●
仮に、思考のネをやられてしまっても、そのときはそのときかな?と。
[根石]
はああ?
そうなんですか。
駄目な日本人て、こんなことを平気でほざける人のことだと思いました。
●
(でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください。)
[根石]
失礼。私は天皇主義者ではありませんが、ナショナリストです。何かいけませんか。
アジアはずたずたにされて、近代の nation
になりましたが、踏みにじられたものは country
でしょう。
日本もすでに country ではなく nation です。
日本は、ずたずたにされることをまぬかれ、自分で生産した文明レベルによって、nation
になったように思います。おだやかにずたずたにされつつありながら、なおも呻いて生きている
country の心というものはあります。country
でなくなった国にも、country の心はまだあります。
大嫌いなのは、戦後民主主義です。
戦後民主主義的なずぼらなもの言いです。
そんなものにいまさらすがっていられるとお考えでしょうか。もちろん、あなたのことです。
今回のやりとりは、是非私のホームページに掲載させて下さい。あなたが何者かが少しわかり、私が何者かが確認できました。
ありがとうございました。(これは皮肉ではありません)
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●8月1日
●
「酸鼻をともなうものをありがたがっている人たち」というのは、少し言い
過ぎかも知れないような気がします。
[根石] 「酸鼻をともな「った」ものをありがたがっている人たち」ではどうでしょうか。
●
そのほうが、より、ぴったりかもしれません。
それより、反省ですが、私自身その筑摩新書を読んでもいないのに、無防備かつイーカゲンな物言いだったと思います。
●
前回、少々トンチンカンにも大英帝国云々になってしまいましたが、それって(イギリスとしての)時代の趨勢もあったのでしょうし、大航海時代にどんどん、勢力を伸ばすというのは、どこでも仕方なかった(?)のかもしれません。
[根石]
とんでもないと思います。こんな言いぐさは、政治にとって都合のいい言いぐさだと思いました。
●
言い方が足りませんでした。確かに、どこの国にとっても、都合のいい言いぐさでしかありませんでした。
大航海時代ではないのですが、かつて日本も、いさんで百済の戦いの応援に行ったり、秀吉が朝鮮に出兵したり、明治以降は清を攻めたり、露西亜を攻めたり、そのときそのときの国(政権)の事情があってしまったと思うのです。例えば西郷隆盛は征韓論で、悪くいわれがちですが、それに反対して西郷を滅ぼした側が結局、韓国併合を果たしていたり。時代ってというか、ひとって、そのときそのときの都合に左右されているというか、理不尽な気がします。いまだって、日々その積み重ねなのだと思います。
●
時は、現代。
きっと(?)、クレオール化した英語のおかげで、現在、コミュニケーションがスムーズにいくので、ありがたい、ということなのではないでしょうか。
●
これは、読みもしないでの単なる連想・想像です。とんでもないとしたら、本当にとんでもありませんでした。誤ります。今度、ぜひ読んでおきます。その後、改めて、何か言わせてください。
[根石]
とんでもないと思います。コミュニケーションなどスムーズにいかなくて構わないのです。ヨーロッパの奴らがアジアに来たら、そこの地付きの言葉を習うのが礼儀です。
まるで言いぐさがひっくり返っていると思いました。
シンガポールの人が、「ありがたい」と言うのでしたら、私は黙るしかありません。
「英語のおかげ」だの、「コミュニケーション」だの、「ありがたい」だの、これらのいちいちが嫌いです。英語塾をやっている私が、これらのいちいちが嫌いです。
●
スミマセン。
でも、好き嫌いを前面に出されてしまわれても、困ってしまうだけです。
(だいたい、まったく読みもせず、何も理解することなく、手前勝手なイーカゲンな憶測・判断で、よくもまあヌケヌケと……ああだのこうだのと。はっきりいって、こういった物言い自体、すべてひっかかる、絶対に納得がいかない、自分自身の生き方からして、相容れられない!ということであれば、よくわかります。)
[根石]
あなたは「知識的」ではありませんか。
●
「方向音痴」「おひとよし」「勘違いバカ」「非常識」「ドジ・・」「ノーテンキ」etc、時どきの知人からよく言われます、で、それって、しっかり自分に似合っていると思ってきました(だから、少しは気をつけなくては、と思いながら、あらっ、またしてもばかやってるっていう感じです)。
でも、「知識的」と、言われたのは初めてです。どう応えていいのかわかりません。
●
(基本的に過去は過去、にしないと、どこまでも無間地獄です。)
[根石]
基本をお教えいただきありがとうございます。糞くらえだと思います。
●なんでも、くらっちゃいますケド。
でも、ただ、つらつら話しただけで(少なくとも、この場が、何かに規制されてたりといった不自由な場ではなかったような気がしていました。それで、時に、というか、しょっちゅう脱線しつつ、勝手なことを言ってしまいました。)、少なくとも、「お教え」とかいわれるような発言をしたような覚えって、ないです。
ノーテンキ過ぎたかな、とはつくづく思います。
●
「本来のアジア文化」って、なんなのでしょう?
焼け跡闇市文化みたく、(要するに、ゴチャゴチャ、たくさん生にあふれていてエネルギッシュで、雑然としてて、「懐かしい」とか、(もちろん、懐かしさに関してのみ、わかりますが、それって、第二次大戦後の敗戦後の日本の風景、)
[根石]
そんなことを私が言ったでしょうか。
●
スミマセン。おっしゃってないです。私の言い方、話の持っていき方がペケでした。これって、根石さんのおっしゃったことに対してではなく、最近の(ちなみに、東京ではアジアンテイスト真っ盛りです。お店の造り、インテリアetc。話が飛躍してしまいますが、この不況の中、景気は数字上では上向きとか回復なんて発表されているけれど、ほとんど信用できません。外食料飲店にしても、少し前まではイタリアン、いま最も活況を呈しているのはアジアです。じわじわとアジアが切り売りされています。売られたら最後、消費者はというか、消費をあやつる側がいて、ブームなど、あっというまになりかねないのです。どこかで、設けるだけ設ける人がいます)アジアンブームとか、そこらへんに対する、きちんとカタチにはならないけれどもの、ぼんやりとした思いです。
それで、どうしても、つい言い方にトゲがあったのだと思います(「方向音痴」の故です)。
[根石]
私はずたずたにされたアジアの言葉のことを言ったのでした。踏みにじられたSOVのことを言ったはずです。私にとって、アジアは、その土地の地付きの言葉とそれによって育ったものすべてです。
●昨夜の送信は、「とりあえず一部です。」の一環です。
「単語レベルでは〜シンタックス」については、また後日、きちんと、のつもりでした。
●
例えば、雑然としていると安心するとか、多少きたなめなほうがラクだとか、それがアジア的だとか、それって、少し変だと思います。
●これも、先のアジアンに関する思いと、根は同じなんです。なんだかいまの日本の商売人の(もっと単刀直入に、商売上のといえばよかったのかもしれません)「アジア認識」に対して、どことなく違和感がつきまとい、それって、「少し変だと思います」、でした。とくに、根石さんに対してではなくって、私はそう思っちゃった、だけです。私自身、ナショナリストではないつもりなのですが、なんだか、アジアをタダ食いしているような、馬鹿にしているような、妙な違和感があったからです。たとえば、アジアンテイストの居酒屋さんによくみられるキャッチフレーズは、「雑然」「ローテク」(次に展開するお店は、もっとローテクに、工事現場のようなぐちゃぐちゃな汚い雰囲気を目指したい、と話したオーナーもいました。)「懐かしさ」「いやし」「やすらぎ」とか。ただ、やっぱり、誰だって生き残りにかけて、精一杯なのです。それはそれで納得できます。トコトン、とまで、言い切れない所以です。
●
仮に、思考のネをやられてしまっても、そのときはそのときかな?と。
●やっぱり、こんなことまで言っちゃてて、アーア、と思います(酔っ払いを迎えに行くときの子供の気分)。でも、これって、とくに失言ではありません。「思考の根」というのは、言葉を奪われようが、そう簡単には、やられるはずがナイト思うのです。(あまいことは重々承知です。とりあえず、近未来的には北東アジアの有事は収まりかけています、もちろん、わかりません。)。
「石に紅して1000年」だったか、昔の現代美術のひと(瀧口修三)の詩。
[根石]
はああ?
そうなんですか。
駄目な日本人て、こんなことを平気でほざける人のことだと思いました。
●
そうなんです、私は、いついかなるときも「ダメな日本人」です。できれば、ちょっとボケて外れた、にほんじんでありたいなあと、思っています。
●
(でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください。)
●これって、私自身への注意でもありました。
●
申し訳ないです、時間切れです。以降は、明日にさせてください。(あ、でも、ちらっと見えてしまった戦後民主主義とかいうの、わたしって、戦後民主主義なんですか?はあ〜です。)
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●8月2日
●
昨日の補足です。
●
仮に、思考のネをやられてしまっても、そのときはそのときかな?と。
●
「やられてしまっても」という言い方、誤解のもとでした。息の根であれば、止められてしまえば死んでしまいますが(生き物と死体との区別は普通つくわけです)、「思考の根」といった目に見えないものの場合、「やられてしまっている」と、だれが明確に判断できるでしょう。むりやりに例えれば、ポジではなくネガのようなものです。やられたように見えても、そう簡単にはやられはしないものだと、思いたいのです。
瀧口修三→瀧口修造の間違いでした。
●
ピントはねじれてしまうのですが、どこかで話すつもりで、ここんところの忙しさで触れるヒマがなかったことを思い出しました。
イギリスによってとことん産業をずたずたにされてしまったインドの、かつての王族(マハラジャとか、いくつかの王家)の末裔が、先祖代代の宝物を少しずつ処分したりしながら、いまも細々と、廃墟というか廃城のようなところで生き延びているのを知りました(400年近くです)。TVのドキュメント番組かなんかで見たのですが、彼らのプライドといったら相当なものでした。(英語とか日本語とか意識していなければ、おそらく見過ごすところだったのですが)取材(日本人)に対する彼らの言葉はすべて英語でした。流麗な(私がしゃべれないぶん、そう聞こえてしまうだけなのかもしれませんが)英語で、当の英国を見下すように呪うように話します。滅びつつあるインドの王族を見ながら、なぜか、室町幕府以降の宮家(皇室)や公家たちの京都のことを連想していました。日本の場合、地理的な事情もあって、植民地を免れているような。
[根石]
失礼。私は天皇主義者ではありませんが、ナショナリストです。何かいけませんか。
●
いいとかいけないとか、誰にもいえないことだと思います。どこまでも自由なはずですから。私はかつてタイピストで生計を立てていましたが、ワープロ全盛時代になり職を失い、以降××リストとは無縁の日々です。
「ジンゴイズム」(辺見庸の本の中で先週初めて知った言葉で、スペルすら知りません。好戦的な愛国心ということらしいです)というのは疲れますし、少々やっかいな気がするので、こういうのだけは、ちょっと勘弁してください、と思いますが。
●
ただ、少し不思議な感じがするのです。以下の「アジアはずたずたにされて、近代のnation
になりましたが、」に続くところを読みながら思ったのですが、ここでは心情として、
nation より country にシンパシーが置かれていると思うのです。だのに、どうして(英語音痴ですのでスミマセン。お話にならないくらいトンチンカンな疑問かもしれません)natyonalist
なのでしょう。 natyonalist にも、 「countryの心は、まだまだある」んでしょうか。
私にも好みを言わせていただけるなら、country びいきかもしれませんが、実生活は「エレーン(ちょっと、ピントがずれますが)」(中島みゆき)みたいなもののせいか、幻の
country です。数年前、地域のヘルパーをしていた当時は、いつのまにか行く先々のおばあさんやおじいさんたちと、結構それなりに(理解のピントが、かなりずれてしまっていますが、ひとつの喩だと思ってください)、ではありましたが、いま現在、気分は植民地人だったり異邦人だったりしています。
[根石]
アジアはずたずたにされて、近代の nation
になりましたが、踏みにじられたものは country
でしょう。
日本もすでに country ではなく nation です。
日本は、ずたずたにされることをまぬかれ、自分で生産した文明レベルによって、nation
になったように思います。おだやかにずたずたにされつつありながら、なおも呻いて生きている
country の心というものはあります。country
でなくなった国にも、country の心はまだあります。
[根石]
大嫌いなのは、戦後民主主義です。
戦後民主主義的なずぼらなもの言いです。
そんなものにいまさらすがっていられるとお考えでしょうか。もちろん、あなたのことです。
●
ご指摘いただかなくても、「わたし=ずぼらなもの言い」なことは、日頃から自覚していることなのでよくわかりますが、戦後民主主義に関しては、難しすぎてよくわかりません。ずぼらな私すぎて、辞書を引く気にもなりません。
なぜ、わたしが、戦後民主主義にすがらなくてはならないのでしょうか?
ずぼらな物言いをしたら、戦後民主主義的になるのでしょうか?
戦後民主主義ってなんなのでしょうか?
[根石]
今回のやりとりは、是非私のホームページに掲載させて下さい。あなたが何者かが少しわかり、私が何者かが確認できました。
ありがとうございました。(これは皮肉ではありません)
●
お役に立てずに申し訳ありませんが、ホームページへの掲載は遠慮させてください。
必要があれば、引用にとどめてください。
(時間が足りなすぎます。入力ミスその他、常に不本意ですが、失礼とは思いつつ、いつもイーカゲンです。)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[根石]8月12日
●
それより、反省ですが、私自身その筑摩新書を読んでもいないのに、無防備かつイーカゲンな物言いだったと思います。
[根石]
筑摩新書など読んでいなくても、別にかまわないです。「英文法の謎を解く」は、評判にはなりましたが、なに言ってんだというところが多々あり、英語でもやっている人以外には、特におすすめしたいというわけではありません。ただ、この本で、私は「クレオール」の概念を得ることができたので、書名を持ち出しました。
●
言い方が足りませんでした。確かに、どこの国にとっても、都合のいい言いぐさでしかありませんでした。
[根石]
どこの国にとっても都合がいいのではなく、蹂躙した側にとって都合のいい言いぐさだと思ったのでした。
●
大航海時代ではないのですが、かつて日本も、いさんで百済の戦いの応援に行ったり、秀吉が朝鮮に出兵したり、明治以降は清を攻めたり、露西亜を攻めたり、そのときそのときの国(政権)の事情があってしまったと思うのです。例えば西郷隆盛は征韓論で、悪くいわれがちですが、それに反対して西郷を滅ぼした側が結局、韓国併合を果たしていたり。時代ってというか、ひとって、そのときそのときの都合に左右されているというか、理不尽な気がします。いまだって、日々その積み重ねなのだと思います。
[根石]
以前のメールに、ヨーロッパからの視線にアジア蔑視が隠されているというものがありました。これは、「かつて」のことでもあり、現在のことでもあります。勝手にアジア・アフリカを蹂躙しておいて、その上、蔑視までできるこのヨーロッパ流の視線を叩きつぶしてやりたいという憤怒が私にはあります。
ヨーロッパの貴族ども、叩き殺してやろうかという気持ちがあります。あいつらの颯爽とした歩きぶりに足払いをくわせてやりたい。あいつらは、今も颯爽と歩きます。
政治や政体のことはわかりました。ですが、そんなものの都合に都合のいいことを私は言う気にはなれません。
●
きっと(?)、クレオール化した英語のおかげで、現在、コミュニケーションがスムーズにいくので、ありがたい、ということなのではないでしょうか。
●
これは、読みもしないでの単なる連想・想像です。とんでもないとしたら、本当にとんでもありませんでした。誤ります。今度、ぜひ読んでおきます。その後、改めて、何か言わせてください)
[根石]
「誤ります」というのは、今後も「誤ります」ということではなく、「謝ります」だと読みました。ですが、本など読んであろうとなかろうと、「クレオール化した英語のおかげで云々」は、あなたの考えというものであるはずです。
私に謝られても、私が困る。浮ついたもの言いは、実際に流れた血に対して失礼だと思うだけです。
[根石]
とんでもないと思います。コミュニケーションなどスムーズにいかなくて構わないのです。ヨーロッパの奴らがアジアに来たら、そこの地付きの言葉を習うのが礼儀です。まるで言いぐさがひっくり返っていると思いました。
シンガポールの人が、「ありがたい」と言うのでしたら、私は黙るしかありません。「英語のおかげ」だの、「コミュニケーション」だの、「ありがたい」だの、これらのいちいちが嫌いです。英語塾をやっている私が、これらのいちいちが嫌いです。
●
スミマセン。
でも、好き嫌いを前面に出されてしまわれても、困ってしまうだけです。
[根石]
好き嫌いだけ前面に出しているのではなく、「まるで言いぐさがひっくり返っている」という指摘も前面に出しています。
●
よくもまあヌケヌケと……ああだのこうだのと。はっきりいって、こういった物言い自体、すべてひっかかる、絶対に納得がいかない、自分自身の生き方からして、相容れられない!ということであれば、よくわかります。)
[根石]
物言いが浮ついていると思いました。
気楽なもんなんだなと思いました。
井戸端会議なんだとも。
申し訳ありませんが、私は井戸端会議はやっていくつもりはありません。
●
(基本的に過去は過去、にしないと、どこまでも無間地獄です。)
[根石]
基本をお教えいただきありがとうございます。糞くらえだと思います。
●
なんでも、くらっちゃいますケド。
でも、ただ、つらつら話しただけで(少なくとも、この場が、何かに規制されてたりといった不自由な場ではなかったような気がしていました。それで、時に、というか、しょっちゅう脱線しつつ、勝手なことを言ってしまいました。)、少なくとも、「お教え」とかいわれるような発言をしたような覚えって、ないです。
[根石]
「この場」が「何かに規制」されたりしていないのはもちろんですが、あなたがあなたの言葉に責任を持つという規制はあるはずです。
●
(基本的に過去は過去、にしないと、どこまでも無間地獄です。)
[根石]
この物言いに、私はなんだか利口そうな響きを聞きます。どうしてこんなに利口そうなんでしょうか。私には、「お教え」くださっているように聞こえました。
●
スミマセン。おっしゃってないです。
私の言い方、話の持っていき方がペケでした。これって、根石さんのおっしゃったことに対してではなく、最近の(ちなみに、東京ではアジアンテイスト真っ盛りです。お店の造り、インテリアetc。話が飛躍してしまいますが、この不況の中、景気は数字上では上向きとか回復なんて発表されているけれど、ほとんど信用できません。外食料飲店にしても、少し前まではイタリアン、いま最も活況を呈しているのはアジアです。
じわじわとアジアが切り売りされています。売られたら最後、消費者はというか、消費をあやつる側がいて、ブームなど、あっというまになりかねないのです。どこかで、設けるだけ設ける人がいます)アジアンブームとか、そこらへんに対する、きちんとカタチにはならないけれどもの、ぼんやりとした思いです。
[根石]
アジアンテイスト真っ盛りは何もつべこべ言うようなことではないでしょう。それは商品のテイストにすぎません。くだらねえことに息巻いていると見ました。アジアンテイストの外食産業がどれほど盛んになろうとまったく一向に構わないはずです。そんなことに、「アジアが切り売りされています」などと言っていることが何のことなのか不明です。「消費をあやつる側がいて、ブームなど、あっというまになりかねない」というのも、よくわからない文章ですが、「あっというまになりかねない」は「あっというまにブームがすたれかねない」ということでしょうか。「どこかで、設けるだけ設ける人がいます」というのは、「儲けるだけ儲ける」かと思いましたが、それの何がいけないのでしょうか。商売人は儲けるだけ儲ける。当たり前のことです。
日本語をもう少しちゃんと書いて欲しいと思います。
●
私自身、ナショナリストではないつもりなのですが、なんだか、アジアをタダ食いしているような、馬鹿にしているような、妙な違和感があったからです。
[根石]
タダ食いとは金を払わないで食うことですが、「強い円」を払って食っているわけでしょう?アジアから来て商売している人たちも、重々承知の上でやっている商売だと思いますが。違和感があれば、その種の店に行かなければいいだけのことです。何かつべこべ言いたいだけのことですか。
●
思考のネをやられてしまっても、そのときはそのときかな?と。
●やっぱり、こんなことまで言っちゃて
て、アーア、と思います(酔っ払いを迎えに行くときの子供の気分)。でも、これって、とくに失言ではありません。「思考の根」というのは、言葉を奪われようが、そう簡単には、やられるはずがナイト思うのです。
[根石]
「酔っぱらいを迎えに行くときの子供の気分」とは、うまいことを言いますね。
日本語の通じない国に一度一人で行って、人と話をして来られることをおすすめします。まるで日本語が通じないとき、あなたの胸のなかで独り言が始まり、それが日本語のシンタックス、日本語の語彙以外の何ものでもないということは経験できます。
ここのところが、まるで認識の仕方が違っています。 私は、思考の根はある特定の言語を通じて育つものだという考えです。日本語には、日本語が育てる思考の根というものがあり、英語には英語が育てる思考の根がある。これは、思考であり根であるという一点で共通するだけで、思考の仕方になるとまるで異なります。
あなたの言っていることは、「言葉なんかなくても感じることはある」ということでしょうか。それはそうだと思います。しかし、それは思考ではないし、根でもない。
日本語が滅びることは、日本語による思考の根が滅びることです。英語が滅びることは(当座考えられませんが)、英語が育てた思考の根が滅びることです。
さまざまな言語はさまざまな言語のままに生き延びよ。誰もそれぞれの言語が生き延びようとすることに力(政治的力)を加えてはならない。私はそう言いたいのです。
思考の根を一種類のものだとお考えのようにお見受けしますが、植物が無数にあるように、思考の根もそれぞれ無数にある。しかし、それを育てるのは、ある特定の言語です。日本語なら日本語、英語なら英語。取り替えがきくものだとはまったく考えられません。
●
そうなんです、私は、いついかなるときも「ダメな日本人」です。できれば、ちょっとボケて外れた、にほんじんでありたいなあと、思っています。
[根石]
それは、日本の政治家の現実感覚のなさと同じようなものだと思いました。
外というものは、
あります。
あなたが、「ちょっとボケて外れた」程度のものに自分のアイデンティティを重ねたい思惑などは、ただちに踏みにじるだけの外があります。
●
(あ、でも、ちらっと見えてしまった戦後民主主義とかいうの、わたしって、戦後民主主義なんですか?
はあ〜です。)
[根石]
戦後民主主義の毒は知らないうちにたくさんお吸いになっておられる方です。これを吸わなかった人間は戦後の日本にいないのですが、あなたはたくさんお吸いになっていると思います。
「はあ〜」というのがよく語ってくれています。
戦後民主主義というのは、無自覚のことですから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●8月12日
●
いつのまにか、<天地左右>がどこにあるのか、地軸がぐらついてしまっているような、何をどうこたえていいのかわからず、困惑しきりです。
『英語どんでんがえしのやっつけ方』を送っていただき、感想を求められ、トンチンカンながら、私なりに応えてきただけです。おっしゃるように、私が「英語でもやっている人」でないことは、最初からご存知のはずです。ですから、門外漢からのボケ発言風に、それなりに聞いていただけているものと思っていましたし、毎回のように間違いながら(前回もスペルを間違っていましたが)、失言やら訂正の連続でした。
英語に対する<思い>の重さ自体、私のそれは子供だましのモンジャ焼きのような薄っぺらさです。
たしかに、一度「日本語の通じない国に一人で行って」みたら、おそらく違ってくるのでしょうけれど、いまの私にはわからないとしか、言いようがありません。
家にいる時間帯は、私の場合ほぼ99%ほろ酔い気分で家事などしながらの「だらだらタイム」です。時には泥酔もあったり…子供と喧嘩していたり、
あえて間違ったり無責任にしているつもりはないのですが、にっちゅうの反動かもしれませんが、バランスとしては、どうしても、「浮わついたもの言い」になってしまいがちです。
24時間きちんとなど、私には無理です。
ひとつ誤解があります(誤解を招くようなことを言った私がいけないのですが)。私が違和感を抱いたアジアブームは、日本人経営者に対するものであって、「アジアから来て商売している人たち」に対してではありません。
[根石]
「さまざまな言語はさまざまな言語のままに生き延びよ。誰も(略)加えてはならない」
●
いい言葉だと思いました。
「戦後民主主義の毒」ですか。××主義は苦手ですが、高校の頃、何となく無政府主義にあこがれていたことを思い出しました。
蛇足ながら、『毒草を食べてみた』(文芸春秋の新書)、面白かったですよ---というより、あと20ページくらいで読了です。なぜかヴィクトリア女王まで出てきて、「『あのインドは私のもの、国民は皆そう思っているでしょう』と、満足そうにいった」とあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[根石]8月12日
●
仮に、思考のネをやられてしまっても、そのときはそのときかな?と。
●
「やられてしまっても」という言い方、誤解のもとでした。息の根であれば、止められてしまえば死んでしまいますが(生き物と死体との区別は普通つくわけです)、「思考の根」といった目に見えないものの場合、「やられてしまっている」と、だれが明確に判断できるでしょう。むりやりに例えれば、ポジではなくネガのようなものです。やられたように見えても、そう簡単にはやられはしないものだと、思いたいのです。
[根石]
うまいところに逃げ込むものだと思いました。
自分の言葉に責任を持たない、あるいは自分の言葉をちょいちょい軽く前言撤回するような人に対して、「明確に判断」することはあります。
アメリカの黒人に思考はないのか。
思考はある。
しかし、英語による思考しかない。
連れてこられなくてもいいところに連れてこられた人が持っていたアフリカの思考の根はもうない。
ジャズにならある。言語にはない。
ひとつの特定の言語が固有に育てる根があるのだということは、前回のメールに書きました。
例えば、アメリカの黒人だって生き延びているじゃないかと、そういうことをおっしゃっているのでしょうか。
私は、一つの具体的な言語を滅ぼすことは、政治の犯罪だと考えています。根というものを、言語以前に想定する人が、この政治の犯罪に都合のいいことを口走ることはすでに見ました。
●
イギリスによってとことん産業をずたずたにされてしまったインドの、かつての王族(マハラジャとか、いくつかの王家)の末裔が、先祖代代の宝物を少しずつ処分したりしながら、いまも細々と、廃墟というか廃城のようなところで生き延びているのを知りました(400年近くです)。TVのドキュメント番組かなんかで見たのですが、彼らのプライドといったら相当なものでした。
[根石]
当然の呪いだと思いますが、それが王家の呪いとしてしか映像化されない。このヨーロッパに対する呪いは、アジアの民衆の中にしみわたっていくべきだと思います。まだ何も片づいてなどいない。
[根石]
失礼。私は天皇主義者ではありませんが、ナショナリストです。何かいけませんか。
●
「ジンゴイズム」(辺見庸の本の中で先週初めて知った言葉で、スペルすら知りません。好戦的な愛国心ということらしいです)というのは疲れますし、少々やっかいな気がするので、こういうのだけは、ちょっと勘弁してください、と思いますが。
[根石]
この辺は、私の感覚と似ています。
しかし、ヨーロッパが好き勝手やって、それをマネて日本が好き勝手をやって、ヨーロッパが日本は韓国に謝らなければならないというようなことを言った日には承知しないという意味で、私はナショナリストです。
馬鹿野郎。侵略の本家本元が無傷なだけでなく、盗人猛々しい言いぐさをしやがると思う。そう思っている私を私がナショナリストだと思います。
●
ただ、少し不思議な感じがするのです。
以下の「アジアはずたずたにされて、近代のnation
になりましたが、」に続くところを読みながら思ったのですが、ここでは心情として、
nation より country にシンパシーが置かれていると思うのです。だのに、どうして(英語音痴ですのでスミマセン。お話にならないくらいトンチンカンな疑問かもしれません)natyonalist
なのでしょう。 natyonalist にも、 「country
の心は、まだまだある」んでしょうか。
[根石]
私が戦後民主主義は嫌いでも、戦後過程を切実に生きた日本人がいます。
確かに私の心情は country にありますが、戦後過程を生きた日本人は、アメリカがお膳立てした
nation を生きました。端緒にあったのは、アメリカ「軍」の元での「平和」でした。そうして生きてきた過程を一切省くわけにはいきません。
アメリカがお膳立てした nation を生きる
nationalistですから、私は天皇主義者になれません。
俺は nationalist だというのは、気楽にナショナリスト呼ばわりすることで、自分が上位にたっているかのように錯覚しうるあなたに対して言った言葉であり、戦後民主主義者どもの言う文脈での
nationalist ではありません。
私が思うのは、日本のじいさんばあさんのことです。彼らの中には皇国史観によるナショナリズムは、くすぶりながら生きています。この人たちは、そういう種類のナショナリズムを持ちながら、一方で単なる日本のじいさんばあさんをもやっており、心情は
countryにあったりします。country と nation
は、政体を区別するのに使った語であり、「心情」というものを持ち出せば、nationalist
に country の心があるなどとはいくらでもその辺に転がっている事例です。
心情は右翼であり、理論は左翼であるというタイプの知識人がごろごろしているのと同じです。
おそらく、私もこのごろごろしている者の一人であることから抜けてはいないでしょう。私が現在やろうとしているのは、彼らを対象化するということです。
これは自分を対象化することと同じことです。
気楽にものを言って、そうじゃなかったかもなどと言うことを繰り返している暇は私にありません。
日本の戦後過程の分裂というものがあります。
この分裂が、自分の言葉に責任をとらない者を多く作り出したと考えています。このメールのやりとりに関しても、私の側にあるのは、言語の問題や植民地の問題を、タイピストをやめて以来、どんな**ist
にもなれないという程度の井戸端会議口調でなにかまぜかえせると考える一方、朝日新聞調の「いい人」をやっている者に対する悪意です。
●
実生活は「エレーン(ちょっと、ピントがずれますが)」(中島みゆき)みたいなもののせいか、幻の
country です。数年前、地域のヘルパーをしていた当時は、いつのまにか行く先々のおばあさんやおじいさんたちと、結構それなりに(理解のピントが、かなりずれてしまっていますが、ひとつの喩だと思ってください)、ではありましたが、いま現在、気分は植民地人だったり異邦人だったりしています。
[根石]
わけがわかりません。
文章というものは、自分以外の他人にも読まれるものであり、あなた好みのメモでいいわけではないと心得るのですが。
「行く先々のおばあさんやおじいさんたちと、結構それなりに(理解のピントが、かなりずれてしまっていますが、ひとつの喩だと思ってください)、ではありましたが、いま現在、気分は植民地人だったり異邦人だったりしています
もう一度引用しました。
よく読んで下さい。
「結構それなりにではありましたが」というのだから、「それなりに話ができた」とか、「それなりに心が通じた」というようなことかと推測しますが、そう推測して初めて、「いま現在、気分は植民地人だったり異邦人だったりして」いるということと脈絡がつくのです。
必要な語が欠けています。
「おばあさんやおじいさんたちと、結構それなりにではありましたが、いま現在、気分は植民地人だったり異邦人だったりしています」
これだけだったら、他人にはわけがわからない文章です。
あんまり他人に苦労をさせないで下さい。
外というものが欠けていると思います。
「駄目な日本人」と、あなたに言いましたが、駄目な日本人が駄目な日本語を書くことの事例でしょう。
●
なぜ、わたしが、戦後民主主義にすがらなくてはならないのでしょうか?ずぼらな物言いをしたら、戦後民主主義的になるのでしょうか?
[根石]
外が欠けているとすでに言ったことが答になると思います。「ずぼらな物言いをしたら、戦後民主主義的になる」ことは多々あり、あなたの物言いに私が見たものもそれです。
アメリカ「軍」を繭とした「平和」が、戦後の繭の中身で、これは外を欠いています。
天皇主義を繭とした、「八紘一宇」という近代の物語が外を欠いていたことと何の変わりもありません。
●
戦後民主主義ってなんなのでしょうか?
[根石]
暴力による平和です。
[根石]
今回のやりとりは、是非私のホームページに掲載させて下さい。あなたが何者かが少しわかり、私が何者かが確認できました。ありがとうございました。(これは皮肉ではありません)
●
お役に立てずに申し訳ありませんが、ホームページへの掲載は遠慮させてください。
[根石]
このことは、私とあなたとのメールのやりとりを井戸端会議のレベルにとどめておきたいことと読みました。
申し訳ありませんが、私は井戸端会議にこんなにエネルギーを使うことは今後したくありません。井戸端会議には興味がもてません。
そもそも、小学館文庫の私の本にある「reserved・控えめ」に関してあなたがつべこべ言ってきたことが発端でしたが、自分で発端を作っておきながら、しかも、途中で私が、メールでのやりとりをホームページに掲載することがありうる旨のお断りをしておいたにも関わらず、ホームページへの掲載はお断りいたしますとは、いったいどういうことでしょうか。
自分の言葉に責任を持たないとは、まさにこのことではないでしょうか。
私は、ホームページへの掲載がありうると、お断りしましたので、掲載いたします。自分の言葉に責任をとって掲載いたします。
掲載にするに際しては、あなたを特定できる記号はすべて削除いたします。個人の生活を営む上では、なんら迷惑がかからないように配慮いたします。
●
(時間が足りなすぎます。入力ミスその他、常に不本意ですが、失礼とは思いつつ、いつもイーカゲンです。)
[根石]
今後、メールを下さるのでしたら、「入力ミスその他」等、「不本意」なままでは、私にメールしないで下さい。「失礼とは思いつつ」は結構ですが、実際に失礼なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●8月13日
●
「〜でしょうか?」といった疑問符が出てきてしまいますが、すべて私自身に対する<?>ですので、無視してください。
[根石]
例えば、アメリカの黒人だって生き延びているじゃないかと、そういうことをおっしゃっているのでしょうか。
●
いいえ(「明確に判断」することがおできになる方には、すでに、お見通しでしょうけれど)。
●
(「井戸端」の〆です。少し疑問が先行するかと思いますが、取るに足りない<ギモン>は、とことんうっちゃってください。無駄なエネルギーはご返事は無用です。
[根石]
俺は nationalist だというのは、気楽にナショナリスト呼ばわりすることで、自分が上位にたっているかのように錯覚しうるあなたに対して言った言葉であり、戦後民主主義者どもの言う文脈での
nationalist ではありません。
●
ところで、「気楽にナショナリスト呼ばわりする」とありますが、いつどこで、私が根石さんをナショナリスト呼ばわりしたでしょうか。<(でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください)>と、わたしは言いました。これが、根石さんを「気楽にナショナリスト呼ばわり」したことに当たるのでしょうか。この決めつけのすごさには、驚きました。
前にも言いましたが、これは、私自身に対する注意でもありました。アジアって何?とか、この日は私自身ひとりのアジア人としてエスカレート気味になり、少し言い過ぎな気もして、途中かなり削除、かっこつきの<(ご注意ください)>が残ってしまいました。はっきりいって、おっしゃるところの「メモ」に近いものを送信してしまったことになります。かさねがさね申し訳なく思います。
[根石]
タイピストをやめて以来、どんな**ist にもなれないという程度の井戸端会議口調でなにかまぜかえせると考える一方、朝日新聞調の「いい人」をやっている者に対する悪意です。
●
お言葉ですが、<なれない>と言った覚えはありません。独断的な「思い込み&お決めつけ」は、やめてほしいと、思います。
[根石]
もう一度引用しました。
よく読んで下さい。
●
ごていねいに、ありがとうございます。
お手数をおかけしてしまい、本当に申し訳ありません。
仕事としてリライトするのであれば、ただのボツ原です。
●
なぜ、わたしが、戦後民主主義にすがらなくてはならないのでしょうか?ずぼらな物言いをしたら、戦後民主主義的になるのでしょうか?
[根石]
外が欠けているとすでに言ったことが答になると思います。「ずぼらな物言いをしたら、戦後民主主義的になる」ことは多々あり、あなたの物言いに私が見たものもそれです。
●
まったくよくわかりません。外が欠けていたり(早く言ったもの勝ちというか、おそらく他者の意見を排除するときに、最も有効な手段として、「外欠け」があるように思います。試しに、<他者が欠けている>を、応用してみてください。悪意がありさえすれば、ほぼ万能です。<他者>も<外>(外部)も、いくらでも応用が利きそうです)ずぼらな物言いだったり、私みたいだったりしたら、戦後民主主義的になるのですか? それって、少しじゃなく、とんでもなく、すごすぎると、思いました。
(20年前に同じ質問をしたら、同じように応えていただけたのでしょうか。流行にのった時流のキャッチフレーズに思えてなりません。(現在、当方の悪意度、68%)。
[根石]
アメリカ「軍」を繭とした「平和」が、戦後の繭の中身で、これは外を欠いています。
●
そうですか。沖縄にとっては、ちょっと、繭の風貌が違うと思いませんか?
(ついこないだの全く不評な沖縄サミットですが、クリントン発言に対する訳のことで、ちょっとひと悶着、少し食い違いがありましたよね。なんかそこらへんに対しては、私にはよくわからず、英語のプロの方としては××があるのかな? などと思っていました。でも、そういうプロの話は、わかる人たちのあいだで交わされることで、「井戸端」とか下々には余計なことだし、言うだけくたびれるということかな、と理解したいと思います。)
[根石]
天皇主義を繭とした、「八紘一宇」という近代の物語が外を欠いていたことと何の変わりもありません。
●
「天皇主義」じたい、よくわかりません。新しい右翼サンが、そう言っているのでしょうか。どなたがおっしゃっているのでしょう。
●
戦後民主主義ってなんなのでしょうか?
[根石]
暴力による平和です。
●
そうですか。(少し近いのかもしれませんが、私にとっては多数決の威勢による暴力のようなものでした。)
[根石]
井戸端会議には興味がもてません。
●
あたり前です。
[根石]
そもそも、小学館文庫の私の本にある「reserved・控えめ」に関してあなたがつべこべ言ってきたことが発端でしたが、自分で発端を作っておきながら、しかも、途中で私が、メールでのやりとりをホームページに掲載することがありうる旨のお断りをしておいたにも関わらず、ホームページへの掲載はお断りいたしますとは、いったいどういうことでしょうか。
自分の言葉に責任を持たないとは、まさにこのことではないでしょうか。
●
そうですか。よくわかりませんが、わかりたいと思います。
「ホームページへの掲載」について、以前、1、2回お尋ねしたとき、もう少し軽い(とりあえず、便宜上つかっているだけで、掲載はあまりないような、ことをおっしゃっていたような。)扱いだったように思います。たしか私は「自由に編集してくださってOKです」と言っていたように思います。その時点で「一天にわかにかき曇り…」といったことになろうとは、思いが及びませんでした。(バカの見本=私、でしょう)。
細かいことなど、言いたくはないのですが、ここは自己保身上、苦手を乗り越えて、少しがんばります。
おひまなら、隅から隅まで見てください。「ホームページへの掲載はお断りいたします」などという断定的なことは、わたし自身、ひと言も言っていません。「遠慮させてください」と、お願いしているだけです。
「いったいどういうことでしょうか」は、そっくりそのまま、お返し致します。
私はズボラですから、おっしゃりたいことの意味はどんぶり勘定でほぼ理解できてしまいたいところですが、言葉の責任云々をこと細かに責められるのであれば、「???」です。
ひとを責めるときには、ご自分の言葉にも(私みたいにイーカゲンではなく)、整合性を持たせてください。
これが仕事であれば、もっと、(私の嫌いな)一字一句、すべて調べ尽くし、数万人の方が読んでも、OKな文章に、リライトしなければなりません。トコトンになってしまいます。でも、休みの日に家で仕事をする気なんて、ありません。
ゴメンナサイ。
お元気で。
新刊書を立ち読みしたりすることはありますが、滅多なことで本を買ったり、ましてや、ひとの本に対して、わざわざ自分からツベコベ言うだけのヒマもゆとりもありません。
くたびれました。
[根石]
私は、ホームページへの掲載がありうると、お断りしましたので、掲載いたします。自分の言葉に責任をとって掲載いたします。
●
(…場合があります。許可を…)ではなかったでしょうか?
責任のとり方には、もう少し、気をつけていただきたいと思います。
[根石]
掲載にするに際しては、あなたを特定できる記号はすべて削除いたします。個人の生活を営む上では、なんら迷惑がかからないように配慮いたします。
●
それは、むずかしいと思います。
ひとの暮らしや生活に関して、本当に責任が取れると、お思いですか?
どんなに気をつけても気をつけても、言いがかりをつけてくる、たちの悪いヒトは必ずいます。老婆心ながら、甘いと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[根石]8月15日
●
毎回のように間違いながら(前回もスペルを間違っていましたが)、失言やら訂正の連続でした。
[根石]
字句の訂正は結構ですが(同時に迷惑ですが)、失言の訂正が気楽であると思いました。だから井戸端会議だと言っているのです。
●
あえて間違ったり無責任にしているつもりはないのですが、にっちゅうの反動かもしれませんが、バランスとしては、どうしても、「浮わついたもの言い」になってしまいがちです。
[根石]
わかりました。私としては、こちらが考えてきたことに対して、「浮ついたもの言い」を自覚しつつ浮わつく言葉におつきあいはしたくありません。
●
24時間きちんとなど、私には無理です。
[根石]
誰にだって無理です。
実際に血が流れたことに対して、気楽なことを言うんじゃねえよと思うだけです。
●
ひとつ誤解があります(誤解を招くようなことを言った私がいけないのですが)。私が違和感を抱いたアジアブームは、日本人経営者に対するものであって、「アジアから来て商売している人たち」に対してではありません。
[根石]
それだって何の変わりもない。アジアをイメージ化し商品にすることの何が悪いのですか。イメージ化し商品にすること自体を問題にすることと、アジアのことを問題にすることはまるで別のことです。くだらないと思いました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[根石]8月15日
●
10年位前だったか、<言葉に対して無自覚だ>と言われ、自分自身納得のうえ、やめただけです。
[根石]
何を「やめた」のですか。話がわかりません。私が言いたいのは、わからないということであり、何を「やめた」か知りたいということではありません。したがって、お返事はいただかなくてけっこうです。
●
(「井戸端」の〆です。少し疑問が先行するかと思いますが、取るに足りない<ギモン>は、とことんうっちゃってください。無駄なエネルギーはご返事は無用です。
[根石]
「無駄なエネルギーはご返事は無用です」
よくこの文章を眺めて下さい。
「無駄なエネルギーを使わせたくありませんので、ご返事は無用です」ではないだろうかと、他人が書きなおした上で受け止めなければならない文です。
[根石]
俺は nationalist だというのは、気楽にナショナリスト呼ばわりすることで、自分が上位にたっているかのように錯覚しうるあなたに対して言った言葉であり、戦後民主主義者どもの言う文脈での
nationalist ではありません。
●
ところで、「気楽にナショナリスト呼ばわりする」とありますが、いつどこで、私が根石さんをナショナリスト呼ばわりしたでしょうか。(でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください)と、わたしは言いました。これが、根石さんを「気楽にナショナリスト呼ばわり」したことに当たるのでしょうか。この決めつけのすごさには、驚きました。
[根石]
私はあなたが私をナショナリスト呼ばわりしたなどとはどこにも書いていません。「でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください」という言い方で、ナショナリズムと言うだけで、警戒すべき対象として他人と話が通じると思っている気楽さ(戦後民主主義の他律性)に対して、あなたのその「一枚上手」は何に根拠があるのかと言ったのです。もっとわかりやすく言えば、
(でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください)
に対して、「けっ!」と思ったのです。なあにが、
(でもでも、ナショナリズムだけはご注意ください)
あらかじめ自分を上手に置くんじゃねえよと思ったということです。
●
独断的な「思い込み&お決めつけ」は、やめてほしいと、思います。
[根石]
あなたの失言は、独断的な「思いこみ&お決めつけ」といかほどの距離があるのでしょうか。それをさんざんに読まされたのはこちらです。
●
仕事としてリライトするのであれば、ただのボツ原です。
[根石]
そんなものを、メールとしてでも送らないで下さい。
私は井戸端会議をしたいのではないと再度お断りいたします。
●
ずぼらな物言いをしたら、戦後民主主義的になるのでしょうか?
[根石]
外が欠けているとすでに言ったことが答になると思います。「ずぼらな物言いをしたら、戦後民主主義的になる」ことは多々あり、あなたの物言いに私
が見たものもそれです。
●
まったくよくわかりません。外が欠けていたり(早く言ったもの勝ちというか、おそらく他者の意見を排除するときに、最も有効な手段として、「外欠け」があるように思います。試しに、<他者が欠けている>を、応用してみてください。悪意がありさえすれば、ほぼ万能です。<他者>も<外>(外部)も、いくらでも応用が利きそうです)ずぼらな物言いだったり、私みたいだったりしたら、戦後民主主義的になるのですか? それって、少しじゃなく、とんでもなく、すごすぎると、思いました。
[根石]
まったくよくわからないのはあなたの文章です。このすぐ上に引用してあるのが、わけのわかる文章なのかどうか、他人の目にさらしてみたらいいじゃないか。
他人の目からなら、わけのわからないことを言っているのが、あなたなのか私なのかわかるはずです。
何が「外欠け」か。
「早く言ったもの勝ちというか、おそらく他者の意見を排除するときに、もっとも有効な手段」というつながりがもうわかりません。「早く言ったもの勝ち」は、「他者の意見を排除する」こととはまるで違うことであり、「というか」も「おそらく」も糞もない。
「例しに、<他者が欠けている>を、応用してみてください」とは何をどうすればいいのですか。
これは、「・・が欠けている」という言い方の、「・・」のところにいろんな要素を入れて攻撃すれば、種々の攻撃が成り立つということを言っているのですか。それとも別のことを言っているのですか。とにかく、「読めない」のです。判読しなければならないようなものを、他人に送りつける根性の太さがわかりません。
●
ずぼらな物言いだったり、私みたいだったりしたら、戦後民主主義的になるのですか? それって、少しじゃなく、とんでもなく、すごすぎると、思いました。
[根石]
「少し」だろうが「とんでもなく」だろうが、「すごすぎる」だろうが、どうでもいいや。見たものは見ただけのことだ。
●
(20年前に同じ質問をしたら、同じように応えていただけたのでしょうか。流行にのった時流のキャッチフレーズに思えてなりません。(現在、当方の悪意度、68%)。
[根石]
けっ。
20年前の言いぐさを持ち出して、「ご注意下さい」なんぞは誰が言ったのか。俺は、他律性を嫌って生きてきた。それだけのことだ。20年前もまったく他律性は嫌いだった。だから今も嫌いだ。
●
「天皇主義」じたい、よくわかりません。
新しい右翼サンが、そう言っているのでしょうか。どなたがおっしゃっているのでしょう。
[根石]
岡田幸文が「天皇主義者」という言葉を使っていたと覚えています。
[根石]
井戸端会議には興味がもてません。
●
あたり前です。
[根石]
減らず口だと思います。
●
「ホームページへの掲載」について、以前、1、2回お尋ねしたとき、もう少し軽い(とりあえず、便宜上つかっているだけで、掲載はあまりないような、ことをおっしゃっていたような。)扱いだったように思います。たしか私は「自由に編集してくださってOKです」と言っていたように思います。その時点で「一天にわかにかき曇り…」といったことになろうとは、思いが及びませんでした。(バカの見本=私、でしょう)。
[根石]
「軽い」扱いなどとは言った覚えがありません。
「掲載はあまりない」のは本当です。ちょっと放っておけば、30通くらいのメールが溜まりますが、そのいちいちをホームページに掲載するなどということはありません。しかし、「意見を言う」ようなメールで、こちらに強く触れてくるようなものがあれば掲載したいとは思っていました。そのことによって、「現在」というものが掬いとれるなら掲載しようと考えて、例の「おことわり」はメールの末尾につけてあります。
「便宜上つかっているだけ」などということを、どうして行う必要があるでしょうか。
「一天にわかにかき曇り…」は、私が、「本当にあんたこんなことを言いたいのか」と思ったあたりから生じた事態です。それが生じたからこそ、掲載を考えたのです。同時に、現在の私が何を批判したいのかをも明らかにしたいということです。
●
おひまなら、隅から隅まで見てください。
「ホームページへの掲載はお断りいたします」などという断定的なことは、わたし自身、ひと言も言っていません。「遠慮させてください」と、お願いしているだけです。
[根石]
そのお願いを、私が「掲載はお断りいたします」と読んだのです。すでに、掲載がありうるとお断りしてあり、その上、「掲載させてください」とお願いしたにもかかわらず「遠慮させてください」の返事ですから、「お断りいたします」だと読んだのです。違いますかね。
●
「いったいどういうことでしょうか」は、そっくりそのまま、お返し致します。
[根石]
そっくりそのまま、再度お送りします。馬鹿らしい。
●
言葉の責任云々をこと細かに責められるのであれば、「???」です。
[根石]
やかましいと思いました。
だったら、生半可な「意見」など井戸端会議レベルで言わないがいいと思いました。要するにつべこべ言ってみてえだけのことじゃねえか。
●
これが仕事であれば、もっと、(私の嫌いな)一字一句、すべて調べ尽くし、数万人の方が読んでも、OKな文章に、リライトしなければなりません。トコトンになってしまいます。でも、休みの日に家で仕事をする気なんて、ありません。
[根石]
何度でも申し上げますが、井戸端会議はしたくないということです。
●
くたびれました。
[根石]
お互い様です。
[根石]
掲載にするに際しては、あなたを特定できる記号はすべて削除いたします。
個人の生活を営む上では、なんら迷惑がかからないように配慮いたします。
●
それは、むずかしいと思います。ひとの暮らしや生活に関して、本当に責任が取れると、お思いですか?
[根石]
なんで俺があなたの暮らしや生活の責任をとらなくてはいけないのですか。
俺は、「あなたを特定できる記号はすべて削除する」ことをするだけです。 それで十分に、あなたに迷惑がかからないようにすることはできるはずです。
誰も意見そのものからあなたを特定することはできないと思います。無意識にしのびこんでいる戦後民主主義やらつべこべやら、そういうものほどありふれてはびこっているものはありません。
あなたがどこに勤めているとか、電話番号はどうであるとか、そういうことがなければ、あなたが書いた意見など、ありふれてあふれかえっているものの一つですから、誰もあなたを特定することなどできないでしょう。あなた程度に「知識的」な人間もまた、ごしゃまんといますし。
「それは、むずかしい」とは、何がいったい難しいのですか。何もむずかしいとは思いません。
ホームページに掲載云々以前に、メールというものは相手のハードディスクに、生のままに残るものだということにお気づきになることが先にすべきことでしょう。あなたが削除したつもりになっても、相手のハードディスクには残るのです。私が、ホームページに掲載しなくても、私のハードディスクには残るのです。
つべこべと理屈を言いたいのなら、メールという密室形態をやめて、表に出てやりましょうやというだけのことです。
●
どんなに気をつけても気をつけても、言いがかりをつけてくる、たちの悪いヒトは必ずいます。
老婆心ながら、甘いと思います。
[根石]
あなたを特定できる記号をすべて削ったものにいいがかりをつけてくる人がいたとしたら、それを受けてたつのは私です。私はそれを受けてたつつもりで、ホームページを作っています。
あなたの密室性こそがくだらないと思っております。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
8月15日
●
「井戸端会議」未満のように思います。
ホームページへの転載は、お断り致したく、許可くださいますよう、重ねて、お願い申し上げます。
(その都度、許可の申請が必要だったのかもしれないのですが、気づかず、申し訳ありません)
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8月16日
ご迷惑をおかけしたこと、数十時間にわたり、重々納得しました。
転載は、かたくお断り致します。
(少なくとも私が文筆で生計を立てているのであれば、どんな言葉にも責任をとりたいと思いますが、ただの素人です。
ご海容いただきたく、よろしくお願いいたします)
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