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駄目な英語を作ってしまう学校と進学塾
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進学用の塾で英語の授業を受け続けた場合、ほとんどが使いものにならない英語をつかまされます。大学に合格するまでに一人の受験生が英語ひとつにどれほどのエネルギーと時間を注ぐか。その総量を是非考えてほしいものです。高いお金を払い続けた結果、使いものにならないものをつかまされることが、どれほど大きな損か、一度は真剣に考えてほしいのです。英語を知識的に扱う進学塾のやり方では英語はまったく駄目なのです。
日本の学校英語が使いものにならないことは、今や世界的に有名なことです。日本の学校英語は学校という制度の中で通用するだけの英語です。制度用の、あるいは制度内の英語にすぎません。わかりやすく言えば、テスト用の英語です。そんなものが英語であるかどうかすら実は疑わしい。なぜなら、それはシンタックス(生きて動く骨組み)を備えることができないからです。
進学塾の英語は、学校制度、テストという制度、入試制度などの制度に寄生した英語にすぎません。寄生虫です。使いものにならない学校の英語を、さらに使いものにならないものに強化していくのが進学塾の英語です。現実を見ていただけば、すでに答は出ています。学校のテストの点を追いかけ、進学塾で授業を受け、大学に合格した人の英語が使えるか。ほとんどの英語が使いものにならないのです。
日本人は英語が話せなくても英語で読み書きはできると言われてきましたが、それも本当は疑わしいのです。関係代名詞のところで、目を右から左に移し、心で日本語に置きかえてからでなければその先を読み進めることができない読みのレベルでは、読みの場面においても英語のシンタックスが使えていません。パズルをいじっているようなものです。もちろん、このレベルでは英語で話すことなどできるわけもありません。
学校英語を進学塾によって強化してしまった場合の最大の欠陥は、英語のシンタックスが身につかないことです。単に英語が話せないというだけの問題ではありません。
もっとも簡単な塾の良し悪しの見分け方は、黒板を使って説明しているかどうかでしょう。英語ほど黒板が役にたたないものはないのです。教室から黒板をひっぺがすことから始めなければ、日本の疑似英語は変わることはないでしょう。
かつて一度も黒板を説明の道具に使ったことのない塾があります。
素読舎です。
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幻想を高く売りつける英会話学校
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学校英語と受験英語でまるでシンタックスが身につかないので、大人になってから英会話学校に通ったりする人もいます。悲しいことに、ここでもシンタックスが身につかず、何十万円も使ってアイサツ20個、30個覚えただけという人がたくさんいます。学校、塾、予備校、大学、英会話学校をすべて使って、英語のシンタックスを身につけられなかった人は驚くほど大勢います。彼らはいったいどれほどの損をしつづければ気が済むのでしょうか。
ていのいいホストクラブ代わりに英会話学校を使っているカルチャーオババたちは単に軽蔑しておけばいい。本気で英語を身につけようとして英会話学校に通い金を失っただけという人は、もっともっと腹をたてるべきです。あなたのお金が単に無駄になったのですから。
日本の英会話学校に通って英語が話せるようになったという人に、これまで一度も会ったことがありません。
それは個人の能力のせいではありません。英会話学校というものが方法を欠いているせいです。英語と日本語では、シンタックスが逆立します。この事実に対して日本の英会話学校が無能なのです。
シンタックスを身につけるためには、日本人専用に開発された訓練を行う以外にないことを英会話学校のガイジンたちは知りません。ガイジンたちは、日本人の口から英語の文が出てこないことに不思議そうな顔をするばかりで、何をどうすればいいかを知らないのです。そして、彼らは自分たちのシンタックスが標準だと思いこんでいる。そんなはずがあるはずがない。ここで標準なのは日本語のシンタックスに決まっています。
日本では、ガイジンは芸を持たざる芸人です。芸を持たない芸人が金をつかめる場所、それが日本の英会話学校です。実は日本人は馬鹿にされているのです。同時に、日本語でまともに英語を説明できないようなガイジンに金を渡している日本人も馬鹿なのです。それは単に幻想に金を払っているだけです。
中学・高校にアメリカ人やらカナダ人が滞在するようになってどのくらいたったでしょうか。日本人の英語はまるで変わっていません。単なる税金の無駄使いです。エーカイワ幻想は、いまや行政ぐるみです。馬鹿らしい。
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怒る素読舎
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学校英語。その不能を強化する進学塾。エーカイワという幻想だけを売りつけて実質を備えない英会話学校。これらこそが無能の三位一体です。税金の無駄づかい。学歴社会に奉仕し、英語を死物とすることしかできない制度の寄生虫。そして、風邪がうつるように英語がうつるという人々の幻想を食い物にする英語屋ガイジンというダニ。特徴的なのは、そいつらの風体や建物だけは立派だということでしょうか。
最初から、音づくりを通じてシンタックスの獲得をめざしている塾が素読舎です。素読舎の塾生だった人たちには、仕事で英語を使っている人がたくさんいます。20代、30代になって、素読舎に英語をやりに戻ってきてくれる社会人もいます。彼らは英会話用インプット専用教室を使っていますが、練習を始めてすぐに英語でしゃべり出す人がいます。中学・高校を通じて素読舎で培った英語の酵母が生きているのです。
受験以後にサバイバルできる英語。それが素読舎の英語です。
学校のテストに合わせた授業など、素読舎では過去に一度も行ったことがありません。大学受験用に問題集を解かせるようなこともしたことがありません。ひたすら基礎づくりだけを行い、最終的に英語のシンタックスが身につくように、理解を媒介にした文が、音として体に残るように、訓練を続けてきただけです。
塾生数が少ない割に合格大学のレベルが非常に高いことや、英語の学年トップを次ぎ次ぎに輩出したことなど、素読舎が制度内英語においても、進学用の塾を上回ってしまうことは、皮肉な結果といえます。素読舎がめざしているものでない分野で、進学用の塾を上回ってしまうのですから。
問題は基礎力の違いにあります。素読舎と進学塾との最大の違いは、英語の基礎力というものにシンタックスが備わっているかいないかです。素読舎の塾生の基礎力は、学校のテストの点でたとえ同じ点をとっている場合でも、ぶあつさが違います。その違いがはっきりするのに時間はかかりません。高校生になればはっきりします。中学の優等生たちの非常に多くが、英語を駄目にしてしまう時期が、高校時代という3年間です。
点をとるための英語力に、シンタックスが備わっていない場合、その英語は確実に滅びます。受験が終われば死ぬ英語です。死ぬ運命にある英語を大事に抱いて、点をとることにチマナコになる。英語を活かすか殺すかという一点だけからものを言うなら、進学塾は英語を殺しています。中学生や高校生にとてつもなく大きくむなしいあがきをさせているのです。
素読舎を使う人は、安心を金で買おうとして進学塾を使う人より厳しい訓練を受けます。英会話用インプット専用教室においても同様です。しかし、素読舎には素読舎以外では得られないものが確実にあります。近在の塾で、英語のシンタックス獲得に焦点を合わせた塾は残念ながら一つも知りません。
単に知識ではありません。単に発音ではありません。単に点数ではありません。生きて丸ごと動くシンタックスをこそ獲得すべきです。シンタックスを抜いた英語は、学校時代にどれほど点がとれても確実に滅びます。
制度内の英語と制度外の英語が両立しうる場所。それが素読舎です。言語は制度内にも制度外にもあります。あたりまえのことです。学校に飼い慣らされたくなかったら、素読舎の「制度外」の質をこそ見ていただきたいものです。
小・中・高の英語の教材はすでに完成しました。その後は、社会人を対象に英会話用インプット専用教室が開かれています。根底を貫く方法は、同じものです。それは、素読舎の語学思想を体現した方法です。
徹底した音作りを通じて、インプットを繰り返すべきです。理解を媒介にし、理解したものが「音」として体に残るような練習をすべきです。その過程全体がシンタックスの獲得に達する以外に、日本人が日本在住のままに英語をものにする方法はありません。
他には本当に方法はないのです。これは、日本在住のまま英語をものにした人達が必ず通っている道です。
様々な方法が商品化されています。あるレベル以上の人には役に立つと思われる教材や方法もあります。
しかし、初心者が絶対に欠かしてはならないのは、「音づくり」です。「音づくり」を通じたインプットであり、理解を媒介にした後に「音」を体に残すことです。
素読舎は設備も教材の見た目も貧しい。しかし、その見た目の貧しい教材の質において、また、その教材を駆使する練習方法において、在来のあらゆる英語屋を凌駕したという自負があります。
日本人の幼児に英語のシンタックスを身体化させることは実は非常に危険です。なかなかそんなことは起こりませんが、もし幼少時に本当に英語のシンタックスが日本在住のままに身体化されれば、子供の日本語が壊れるでしょう。あるいは、英語・日本語ともに言語の活力は弱まるでしょう。人々は二つの言語が同じレベルで使えることを褒め、バイリンガルと褒めそやしますが、一面しか見ていません。英語・日本語ともに言語の活力が弱まる可能性を見ようとしません。
素読という方法はもっとも危険の小さいものです。素読は無数の空っぽの電池を作り出します。これに充電するのは、もっと年齢が上になってからでいいのです。語学というものは、どこまでやってもネイティヴな言語になりませんが、だからこそ語学なのです。語学で獲得される言語がネイティヴな言語と決定的に異なるのは、獲得過程が無意識的であるか意識的であるかという点です。
まだ小さい子供のうちは、空っぽの電池だけを持たせる方がいいと素読舎は考えています。素読舎は小学生の低学年の人の練習も受け付けますが、英語の文まるごとの素読にとどめます。この年齢では、まだ日本語の骨組みがよくできていないからです。
幼児用の英語教室のような害はありません。
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