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学校英語と受験塾英語のほとんどは死にます。
学校の中間テストや期末テストに点をとることばかり考えている人の英語は、まず間違いなく死にます。使える英語としての実力が滅びるということです。
また、英会話学校は、学校英語の犠牲者・受験塾英語の犠牲者たちを食い物にするハイエナです。学校英語のほとんどが死に、英語の死体が日本中に充満しているので、このハイエナどもが喜んで餌にしているのです。
日本では、「フツウに」やってれば、英語はたいてい死んでしまいます。
日本在住のまま英語をモノにするのは、実は細く険しい道です。
英語学習者の最初の難物が「音づくり」です。
日本の学校で通用する音は、「通じません」。学校がやっているように、いいかげんな音のままに放置しておくと、英語の音が「盆踊り」を踊るだけで、英語本来のイントネーションとリズムがいつまでたっても備わりません。
「盆踊り」を「ダンス」にする方法は、学校も進学塾も持っていません。ぺらぺらしゃべるのはいつまでたっても外人の先生ばかりという英会話学校も「音づくり」ができません。情けないことに、「会話」の学校のくせに、イントネーションやリズムを扱うことができないのです。
「音づくり」の指示は、舌の位置、歯の位置などを、その場で簡潔に日本語で言えないと駄目ですから、日本語のできない外人にできるような簡単なものではありません。
素読舎の初心者の練習は、「音づくり」に特化されています。「音づくり」のために、簡潔に日本語で舌、歯、唇の相互の関係を指示します。これが英語の音に渡るために不可欠な橋です。これまでの日本の英語学習に欠けていたものは、「橋」です。この「橋」がないと、いくらネイティヴの発音が日本中にあふれていても日本人の口が「通じる音」を発するようにはなりません。
ただ今、現在、日本中に英語の音はあふれています。ちょっとテレビを観ているだけで、英語の音は耳にします。しかし、そんなものがいくらあふれかえろうと、日本語のシンタックスによって生きている日本人に英語の力を形成する力にはなりません。
突破口は「音のあふれ」があるだけです。
初心者から中級者のレベルの人には、本当はこれ以外の突破口というものはありません。
中級者になったら激しい練習に突入しないと、英語はモノになりません。いつまでも初心者用の練習をしていると、ちょっとしゃべるようになるのにも、300年も400年もかかります。600年も700年も生きる予定の人はもたもたしていてもいいが、人間の寿命のうちに使うつもりなら、中級レベルからは絶対に激しい練習が必要です。激しい練習方法は普通は個人にまかせられていますが、素読舎は練習法のポイントをまっすぐに指し示します。
唯一のメンテナンス法は「音づくり」の継続です。
日本語は英語に対する強力な酸です。この酸の強さを自覚しない英語は、ただやってみただけのことで、みんなぼろぼろに錆びてしまいます。素読舎には映画のシナリオとビデオを使った英語のメンテナンスの方法があります。
最短距離は、受験英語に激しい「音づくり」を合体させることです。
受験に使われるとてつもないエネルギーと金と時間が「使える英語」という観点から見ればほとんどが無駄なエネルギー、無駄な金になっています。受験英語に「音づくり」を堅結し、受験が終わっても音が体に残るようにすること。大学受験が終わっても、「音づくり」によって、英文のインプットを継続すること。こうすることによってのみ、日本在住のまま英語に錆を寄せつけないでおくことができます。
これらは、点をとるためだけなら無駄のように見えます。しかし、この無駄は絶対に必要な無駄です。「点をとるだけなら無駄なもの」を大事にしてこなかったから、日本人が英語に使う金はほとんどみんな無駄金になってきたのです。
日本という国の全体で考えれば、これがどれほどのエネルギーの損失かはかり知れません。英語一つによって生じる時間と金とエネルギーの無駄。これがこの国をどれほど弱めているか知れません。
大学合格後にも、音に錆を寄せつけない練習を継続すること。これが英語をものにする最短距離です。受験英語が駄目なのではありません。これまでの受験英語の「やり方」が駄目だったのです。
受験英語そのものを「使える英語」に変える技術を開発し続けてきた塾が素読舎です。素読舎が駆使する方法は、受験用の塾では決して手に入らないものです。「技法グラウンド」、「回転読み」。これこそがこれからの日本の英語に必要なものです。
「フツウに」やってれば、日本人の英語はみんな死んでしまいます。
そんな実例なら、自分の回りを見回せばすぐにみつかります。
学校で英語をやったんだろう?
それで、まるで英語が使えないんだろう?
つまり、死んでいるのだ、英語が。
そのようにお父さんやお母さんに言ってみたら、お父さんやお母さんはどんな顔をするのでしょうか。みんなみんな学校英語の犠牲者たちなのです。
「音づくり」ひとつをまともにやる場所は、実は現代の日本では砂浜でゴマ粒を探すようなものです。この銭の娑婆にあるものは、お芝居授業、がちがち知識塾、ガイジンみせびらかし英会話のような馬鹿みたいなものばかりです。
日本では、英語の生き死には塾で決まります。
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