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英語学習法・「良書・愚書」フラグメンツ




 英語関係には、愚本、駄本のたぐいが多々あります。しかし、良書もまた決して少なくありません。英語をどうとらえるか、つまり、英語に関する考え方として、あるいは、英語学習法の参考として、これは好きだな、これは参考になるなと思えたものを、ここに引用していきます。
 「おっしゃる通り! 付け加えるものは何もない」というものに関しては、引用文のみを入力します。コメントを付けたいものに関しては、<コメント>というタグの下に、根石のコメントを付します。

 愚本・駄本は無視することを基本的な方針としますが、あまりにも馬鹿なことを言っている本があったら、<愚本>というタグの下でこき下ろすこともあえていたします。

 専門書のたぐいは買いません。古本屋で買える100円、200円の文庫の中から英知を探すこと、見つけたらここに転記すること。それを続けてみようかと考えています。

                      2000年3月11日



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講談社文庫・守誠・「やりなおし英語」成功法・41p

 私はこれまで『中学英語で基礎を!』と叫びつづけてきました。英語速修法は、中学英語を徹底的にやることだ、といえばいうほど、『そんな、いまさら』という返事が戻ってくるだけでした。そして、基礎のない人たちが、英会話をやろうとして、テープなり、ビデオなり、英会話学校なりにとびつき、日本全体で壮絶なる英語学習という無駄をやっているように思えてならないのです。

<コメント>

 文法レベルで見て、中学レベルを完全にマスターすることが速修法になることはその通りだと思う。文中に「中学英語を徹底的にやること」とあるが、その「徹底的に」の内実を知りたいのだ。「音づくり」について(音の立体化について)、一文まるごとを一つの単位として扱い、加速し、コンプレス(凝縮)し、一瞬に理解が自分の中に走るようになるまでのプロセスについての言及がない。そのプロセスが不可欠だと思うのだが・・・。

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講談社文庫・守誠・「やりなおし英語」成功法・42p

(守さんと植田さんとの対話という形で記述された部分での植田さんの発言)

もう一つは音声の問題です。英語をはじめて教えるとき、実際には使われていない英語の発音で、英語を教えていることなんですね。例えば、Would you take her to the hospital? (彼女を病院に連れて行ってくれますか)という文章があるとします。日本の英語の先生だったら、「ウドゥ ユー テイク ハー トゥー ザ ホスピタル」と発音するかもしれない。ところが、アメリカ人なら、「ウジュ ティカー トゥザ ハスピトゥ」と発音すると思うのです。英語を習いたてのときに、耳に入ってくる音声が、こうちがうのでは、会話などとてもおぼつかない、というのが現状です。

<コメント>

 現状はこの指摘の通りだ。しかし、(いつの日のことか知らないが)いつか日本の英語の先生の質が向上して、「ウジュ ティカー トゥザ ハスピトゥ」と言える人ばかりになっても、その先にまだ問題は残っている。いくら先生の口がそう動いても、生徒の口がそうそう簡単に、「ウジュ ティカー トゥザ ハスピトゥ」と動き出しはしないという問題である。日本語の音の一つ一つが母音つきの音だという大きな問題が横たわっている。
 中間テスト・期末テスト、高校入試などという邪魔を取り除いて(廃止して)しまう程度の大がかりな改変がないかぎり、この問題は解決しない。素読舎で「音づくり」の訓練をしていても、音が「英語っぽく」なるのに、みっちりやって一年はかかる。
 学校の「授業」というものがこの最大の問題を越えることは難しいだろう。それが現在の学校(制度)に宿る欠陥というものだと考える。

 素読舎はこれに対しては、「素読」あるいは「回転読み」というもので対処して来た。素読舎には「授業」は存在しない。
 植田さんの指摘に、素読舎はすでに対処し、この問題をクリアしている。日本語の音を壊さないかぎりでの、「音づくり」、Breaking In がすでに存在する。しかも、江戸時代という古い時代の方法を使って。

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講談社文庫・守誠・「やりなおし英語」成功法・99p

 正直な話、商社マンとして三十二年間、国際的に活躍してきたはずの私だが、今回、中学英語を精読してみて感じたのは、中三のレベルの英語を話せたら、もういっぱしの英語遣いだということだ。

<コメント>
 その通りである。しかし、それは結果論だ。この本には、その「結果」にいたるための「順序」も書いてあるが、そこにあるべき「音づくり」の観点が抜けている。
 大枠では、この守さんという人の言うことの多くが、私が考えてきたことに近いものであることは確かだ。英語をめぐるきちがい沙汰の中にこの人を置けば、これが良識だというべき発言が非常に多い。
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講談社文庫・守誠・「やりなおし英語」成功法・170p

ある英語学校(英会話中心)の責任者と話したことがある。
「正直なところ、会話を習いにくる人のどのぐらいが、英語をモノにするんですか」
「さあ、わかりませんね」
「カンですがね、全体の二パーセントぐらいじゃあないですか」
私は自分なりの推定値を述べた。相手は苦しそうに反発した。
(略)
「二パーセントとか五パーセントの層を成功物語の主役として打ち出し、『あなたもやれば、英会話がこんなに出来るようになれますよ』と宣伝しようとしていることが問題なんです。ある意味で、それは、善意ではあっても、錯覚商法です。皆が皆、ペラペラしゃべり、外人のいうことが全部聴き取れるようになるはずがない。もし、それが目標なら、習いにくる人の大部分は、だまされていることになる」
「なるほど」
相手は、肯定とも否定ともつかぬ、生半可な答え方をした。

<コメント>
 長年、言いたくて胸につかえていたものを代弁してもらったような気持ちになった。私は二パーセントもあやしいと思う。モノになるのは、アメリカ帰りのアメリカ英語を錆び付かせないような用途に使う場合だけではないだろうか。それだって、週に一回程度のレッスンでは錆び付きをくい止めるにはまるで不足するだろう。ずっと日本在住のままの人が、いくら英会話学校に行っても、2パーセントの成功例もおぼつかないだろうと私は推定する。この引用部分の後、守さんは英会話学校肯定論に移っていくが、私はそちらに移る気持ちにはなれない。「ある意味で、それは、善意ではあっても、錯覚商法です」とあるが、私は英会話学校の経営者は、実態を充分把握して「しらばくれている」としか思っていない。確信犯だと思う。どこにも「善意」などというものを見ることはできない。

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青春出版社・青春BEST文庫・松本道弘・「私はこうして英語を学んだ」・3p

 ある年の夏、私は初めて中学、高校の英語の先生方三〇名近くからなる夏期英語研修グループとともに、アメリカ西海岸を訪れた。そのとき、彼らの英語が外国人にコミュニケートできるようなものではないと知ってガク然とした。

<コメント>
 ツアーコンダクターをやっている友人からも同じような話を聞いたことがあります。英語の先生達の英語が通じないという話でした。学校の先生たちの英語こそ、学校英語の犠牲そのものでしょう。学校英語で育ち、学校英語の中へもぐりこんでしまった人たちの英語ですから、通じなくて普通なのです。文部省の管轄する英語の教員免許などというものに何の根拠もありません。

 松本道弘という人は、「英語道」というようなことを言います。柔道・華道・剣道のような「道」だというのです。日本にだけ住んで、NHKのテレビ英会話の先生をやるようになった人ですから、すごい人だなと思うのですが、この人の英語はやはり英語フリークのものです。何か特別なものです。アメリカへ行けば誰でもしゃべっているようなものが、英語フリークによって何か特別なものにされ、「道」というようなものになることはいかがなものか。
 学校の先生たちのしゃべれない英語も普通ではないが、松本道弘の「斬れる英語」も普通ではない。相当おだてられるせいか、近頃の「英会話、簡単な言い方ほどよく通じる」(講談社α文庫)などにはできあがった人の気楽な言いぐさが散見される。文章も杜撰だ。いい気なもんだと思う。
 英会話稼業をやってる人で私が好きなのは、東後勝明さんです。この人の、あまりにも普通なもの言いがいい。「表現を覚えること、その表現を適切な場面で実際に使ってみること、この繰り返しこそ英会話上達の秘訣」(三笠書房・知的生きかた文庫「東後勝明の英会話すぐに使える表現集」)。別の本で、この方は、「インプット」を継続せよと平明に言っています。
 松本流の激烈な英語修行というものは、時が熟したらドカンとやれという意味でなら必要なものです。しかし、地味に「インプット」を継続せよという東後さんの言こそは、あまりにも地味であるために見過ごされやすいものでしょう。日本在住という条件下においては、「継続」こそが最大のコツです。
 英語で飯を食っている人なら、仕事だから「継続」は比較的容易ですが、そうでない人にとっては、「継続」こそが最大の難事です。ここから、私の「自分の英語を継続させるために英語でお金をもらえ」というセオリーが生まれてきます。インターネット接続されたコンピュータと、電話があれば場所をとらずに開ける塾として、「素読舎WEB英語塾」=「sensei自動発生装置」を構想しました。近々詳細をホームページ上に公開します。ご参照下さい。(2000年3月11日記)

 私自身、英語塾をやってこなかったら、今、英語をしゃべっているということはなかっただろうと思っています。そこから、英語を死なせないでおくためには、人様からお金をいただいて仕事にすることだという説が生まれてきました。人様からお金をいただいて仕事にするなら、自分の英語を鍛えることを抜きにするわけにはいかなくなるからです。「人様からお金をいただく」という言い方は、言い換えれば、「人の面倒を見続けよ」ということでもあります。
 世の中の「先生」という幻想を逆手にとって、「せんせいごっこ」とでも言うべきゲームを日本全国に広げることはできないものかと考えています。ひとまずは、「センセイ」の資格をとって、親類や知り合いの子供たちを相手に、電話線を伝ってレッスンを行う塾を開始されてはいかがでしょうと、ここでちょっと営業活動をしておきます。
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Email ax9y-nis@asahi-net.or.jp
C phone 090(3316)4180
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三笠書房・知的生きかた文庫・田崎清忠の「英会話で遊ぼう」

(NHKの英語会話番組の収録。視聴者参加。ゲストはおじいさんとおばあさん)

セットの両側からアメリカ人と視聴者代表が登場し、カメラの正面で出会って「やあ、こんにちは」とあいさつする・・・という練習です。まず、おじいさんが「出演」。かなり緊張しています。
 "Ready? Start!" (用意! スタート!)
2人が両側から中央に進みます。そしておじいさん・・・。
 「ヒイーッ!」
相手をしているアメリカ人はびっくりして腰を抜かし、スタジオで見守っていた人たちはひっくりかえりました。もちろん収録は一時ストップ。講師のセンセイが駆けよって、
 「その『ヒイーッ!』っていうのは何ですか?」
 「エッチとアイで『ヒイーッ!』でっしゃろ」
 「やあ」とか「こんにちは」に当たるあいさつ表現で、もっともポピュラーなのは、
  Hi!
です。発音は「ヒイーッ」ではなく、「ハイ」。いくらなんでも、アメリカ人同士悲鳴をあげあうなんてことはありません。

<コメント>
 田崎センセイ、好きです。
 実に日本語のツボをこころえた方で、こういう人に英語を教われる人は幸せ者です。

(追加予定)




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