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小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」書評


普聞 小池隆さんから


 日立株式会社社長室の瀬々さんからメールをいただき、しばらくメールのやりとりがあって後、小池隆さんに「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読んでいただくようにとおおせつかり、小池さんに拙書をお送りしたところ、少しメールのやりとりがあった。いずれ読後感を書いてくださるとのことだった。
 待っていたいたものを、先日、封書でいただいた。
 お許しを得ることができたので、ここに転載させていただきます。


前略
貴書ありがたく拝読させていただきました。私の如きものにまでご丁寧にご送付頂きましたので読後感を申し述べるのはむしろ礼儀に叶うものと思い、遅れ馳せながら、若干の感想を述べさせていただきます。
 「まえがき」にあるアメリカ人のエピソード、まったく同感です。「一人一人の人間が世界の中心なのだ」は私の哲学でもあります。ただし私の場合は「宇宙の中心」にもなりますが・・・。韓国人を例に出しての英語の持つ汎用性とその土地固有の言語に対する認識も堂々たる見識です。感服しました。またイギリス娘との文化論争もよくわかります。最後の「語学の言語は語学の言語、生活言語は生活言語」の概念規定は重要です。もっと声を大にして仰ってください。
 「第1部」
 「はじめに」・・・正直言って言葉の過激さに驚きました。「やっつける」「殺す」「みな殺し」等々、なるほど「喧嘩」かねえ・・と。もちろん筆者が述べたいことはわかりますよ。それにどういうわけか、この筆者は妙に「喧嘩」のやり方を知っている。「喧嘩にはやり方があります。むやみに手や腕をふりまわしていれば」云々は常人には言えません。何か武道でも?と思いたくなる言い方です。それはともかく、「上達の方法」を認識の対象とする筆者の意気込みを感じさせます。
 「学校の・・・」p17.・・・この項は学生に限らず全ての社会人に聞かせたい。とくに学校の教師には必要でしょうが、恐らく何の改正も為されないでしょう。
 「頭がよいとか・・」p18.・・・そうです。この通りです。また教育法としてもこうでなくてはなりません。孔子は「汝は画(かぎ)れり。」と言って、自らをあきらめる者を叱りました。「無限の可能性」をもつという甘い言葉ではなく、努力するとはどういう事かを具体的に示す事が指導者の役目なのです。
 「単語・熟語」p22・・・「単語は覚えなくてはならない」。同感。でもどうして世の中の語学教師達ははっきりと言わないのでしょうか。当たり前の事を当たり前のように言う事が勇気なのです。
 「みな殺し電圧」・・・またまた恐ろしい(笑)。意識の強さ、言いかえれば目的意識の強さ、あるいは「志」がないと単語は記憶媒体としての我々の肉体に刻印できません。昔からラブレターを書け!と言われたものでしたね。
 「電圧装置」p24・・・これは飛び抜けたアイデアです。実践してきた人だけが語りうる極意ともいえます。とくに発音に触れているのがいい。一度に何枚も作らない。そうです。私は昔それで失敗したのでした。「知識を殺す・・・」云々。わかってるじゃないか!そう、その通り!と喝采をあげました。「体の動きによって・・」当然ですよ。そうでなくてはものになりませんとも。「見たらすぐに手が動き・・」毎日やらないと語学は身につきませんね、いや、暇さえあればやらないとすぐに忘れてしまいます。だから語学はやらなくなったら忘れる時でしょうね。これは私も反省しました。耳のいたい指摘でした。この後の具体的な方法は読んだだけではわからないでしょうね。やってから読むように指導されたらいかがなものか?
 「理解」p38末尾。・・・理解の構造とでも言ってよい。こういう認識能力のある筆者から「みな殺し」という言葉が出るから時々面食らう。
 「辞書」p40.・・・発音記号への注意。大切です。辞書の発音記号は言語学上、正確な発音では無いと言う人もいます、そんなこと、学習者としてはまったく関係ありません。
 「例文暗記」・・・よくぞ言ってくれた。という思いです。私はこれは日本語でもやって欲しいと思います。受動態から能動態へ。これも世の教育者と名乗る者なら誰でもが心せねばならない事です。
 「回転読み」〜「宝物テープ」・・・秘伝開陳としか言いようがありません。よくぞここまで教えてくださった。きっと他の場所でこっそりと利用する英語塾の経営者も出てくるでしょうね。
 「素読」・・・実を言うと驚きました。私も同じ方法で教えてきました。私はもちろん語学の教師ではありませんし、また英語も教えておりません。ではどうして?と疑問に思われるでしょうから、私自身の事を少しだけ述べさせてもらいます。
 私が英語に関する論文『日本人と外国語』(東京海上)を少しだけ発表したのは職業がら、英語教師の代行をしたからでした。もともと私自身は東洋思想の中で育ちましたので、それに対する反発?からか、専門は地球物理学を勉強しました。ところが入った大学が教育系の大学だったためか、理科の教師になってしまいました。まああの頃は・・・と思ってください。教師になって驚いた事は、(愛知県だけかもしれませんが)、学閥の凄まじさと教師たちの不勉強ぶりでした。私は学閥側でしたので、いわばエリートコースだったのです。しかし、「仲間」と称する先輩達は人格的にも知性的にも尊敬できる連中ではなく、私はさっさと彼らと別れましたが、お蔭で「裏切り者」として陰に陽に学閥側からのいやがらせ・いじめ?(笑)を受けてきました。そんな事はしかしどうでもよく、私にとって急迫不正なことはこのままでは自分が駄目になる、自分を自分で教育する方法はないのか、という課題でした。つまり私ははじめて自分に学問がないと言うことに気が付いたのでした。幸いに良い友人に恵まれ、その人の助言もあり、私は自分に学問を付ける目的でさまざまなカリキュラムを自己設定したのです。そのとき役だったのが幼い頃に叩きこまれた論語や仏典の学習法でした。その方法とはもおうお分かりでしょうが、素読だったのです。語学に限らず学問は全て独学でしたが、法学も文学も哲学も、その他私が学んだものは全てが素読か写本だったのです。最近では教師の仕事でも「喧嘩」がなくなり、佛大の大学院で学ぶようになったのですが、これで良かったのだと確信するようになってきました。ところで、私にも門弟らしき若者が数名居ります。みんなでJEDIと呼び合っていますが、彼らには必ず語学をやらせます。いま建築家希望の高校生がいて、彼とは二人だけでラテン語を読んでいます。ただ読むだけです。もちろん簡単な文法を終えてからですが、彼は面白がってヨーロッパの歴史を学び始めました。語学をやれば必ず余慶があるものなのです。
 「リスニング」p80・・・派手な宣伝に踊らされるな。そうです。そのとおりです。商品としての語学もあるのです。
 p80末尾からp81・・・喋るとはどういう事か。中身のある会話とは何か。読書の大切さがわかるというものです。「このレベルの人はとつとつと喋る」。例えば数学者の小平先生(フィールズ賞受賞)はそうでした。そのとき世界中の数学者が耳を傾けたのでした。

 以上、とりあえず第1部までの感想を述べさせてもらいました。どうにか満州語の仏典翻訳のめどが立ち、あとは梵蔵漢との校合ですので、少しばかり時間が出来ました。かねて気になっていたお約束を果たすべく、お送りいただいた貴書『英語どんでんがえしのやっつけ方』(小学館文庫:2000)を本当に慌てて通読致しました。恐らくは読み間違いや意味の取り違えなど、失礼な事が多々あるかと存じますが御寛容くださいますようあわせてお願い申し上げます。
 最後に良い本にめぐり合えた喜びを感謝致します。
 May the FORCE be with you!
                      草々
                        普聞 小池 隆

  根石吉久 様 机下


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