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教科書べらべら読み

                         (中学生対象)



                長野県更埴市小島3137 素読舎 文責・根石吉久                         電話・026−272−4330


 このレッスンは、「電話でレッスン」の一環として行います。




 英語をとりまくぶあつい迷信の一つに、「理解」が英語力の基礎だというものがあります。この迷信の発生元は学校であり、学校体制や受験体制に寄生する進学塾です。

 この迷信は、英語を知識として扱い、使えない英語を作りだします。学校と進学塾は「使えない英語」をこれまでずっと作りつづけてきました。日本の学校育ちの英語や進学塾育ちの英語が使いものにならないことは、今や世界的に有名なことです。

 確かに理解ということは、絶対に必要です。しかし、理解だけにとどまった英語力はついに使えるレベルの英語に育ちません。学校の英語や進学塾の英語が普通の英語だと思ってしまった人の英語は、ことごとく駄目になります。その実例ならば、日本中にごろごろしています。

 受験生が貴重な十代の時間をどれほど英語に注ぐか。その時間とエネルギーとコストとを考えれば、使えない英語をつかまされることがどれほど大きな損失かはかりしれません。日本人はこと英語に関しては、学校と進学塾と英会話学校によって、とことん損をさせられてきたのです。

 今も、中間・期末のようなテストの点ばかり追いかけている人は大勢います。学校英語の信者たちです。その人たちは、必ず最後に使えない英語をつかまされます。

 英語の基礎は知識や理解にあるのではありません。本当の基礎は、「べらべら読み」という場合の「べらべら」の質にあります。基準は一つだけです。「通じる音」であること。イントネーションまで含めて、通じる音でべらべらと簡単に読めること。これが本当の基礎です。この基礎を欠いて、「理解」から始めた場合に「使えない英語」ができてしまうのです。

 学校の英語、進学塾の英語、それらが普通の英語だと思われていますが、普通どころか、あれほど変なものはないのです。学校体制や受験体制の中でしか通用せず、その外側に出ればとたんに使いものにならない英語。そんなものがそもそも英語であるはずがありません。日本の学校や進学塾が扱っているのは、「疑似英語」「英語みたいなもの」であり、本来の意味では英語ではありません。しいて言うなら、英語に関する「知識」にすぎません。

 言葉を知識として扱うだけで済むと考えるような考え方は、近代以後の最大の迷信の一つです。

 英語をものにするなら、まず最初に「音作り」が絶対に必要です。しかも、「通じる音」としての「音づくり」が欠かせません。素読舎のような塾の存在理由がそこにあります。単に日本語の音を移行させて英語を読むのではなく、立体的に英語の音に準じた口の動きを作ることが決して欠かせない条件なのです。これを実現するには、個人指導しかありません。また電話が、この練習のための利器になります。

 ラジオ、テレビの英語番組や、市販の音声教材(CD・テープ)も、「音作り」の面倒はみてくれません。驚くべきことに、多くの英会話学校のガイジン教師たちも、日本人の口に英語の音がどんな種類の困難をもたらしているのかを知りません。自己流の通じない音を作らないためには、素読舎の「電話でレッスン」こそは画期的なものです。

 「音作り」という一点に関して、学校の英語や進学塾の英語はお寒い限りです。学校や進学塾はまるで使いものにならない音しか作っていません。また塾へ通うという形態では、更埴市近在の方にしか素読舎の方法を使っていただくことができませんでした。「電話でレッスン」を開設したのは、どこに住んでいても素読舎の方法を使ってもらえる体勢を作ろうと考えたからです。

 この「電話でレッスン」の一環としての「教科書べらべら読み」では、中学生を対象として、学校で使っている教科書をまるごとべらべらに読めるようにするレッスンを行います。教科書のどのページを開いても、すぐにべらべら読めること、しかも自己流でなく、「通じる音」が出せること、その練習が学校の授業より先に進んでいること。これが眼目です。

 学校の授業や進学塾の「英語」の何が間違っているかと言えば、「順序」が間違っているのです。「順序」がとことん間違っています。

 正しい順序とは、まずべらべらと通じる音で読めるようにすること、次にそのべらべら読める文について、文法的理解や内容把握としての理解を媒介させること、そして、理解したものを「音」として体に残すことです。この順序を学校は踏まえていません。進学塾は知識量として英語を扱うだけで、音に関しては学校よりももっと駄目です。学校と進学塾がやっていることは、英語学習法に関してはでたらめだと言っても言い過ぎではありません。

 黒板を使って説明したり、生徒に日本語に訳させたり、文法問題を与えて正解を言うものが現れるまで生徒をアテたりしているようなやり方では、絶対に英語はものになりません。

 「教科書べらべら読み」がねらっているものは、駄目な学校の授業の逆活用です。中学生は毎日学校へ行くわけですから、あのように駄目な授業でも、それを逆用し活かすことを考えるのがもっとも効率的です。学校英語という税金の無駄使いを、怒りをもって逆用すべきです。

 「教科書べらべら読み」では、学校や進学塾の授業から欠け落ちているものだけを行います。文法的な説明などは行いません。教科書一冊をどこでもすぐにべらべらと読めるようにする練習と、その過程で市販されている教科書用のCD教材を媒介にする方法を伝えていきます。

 この「教科書べらべら読み」の練習をきちんとすすめてもらえれば、まもなくその効果がわかります。学校の授業が格段にわかりやすくなります。しかし、その後が大切です。理解したものが音として体に残るかどうかがポイントです。このレッスンは「音として体に残す」ことを確実にフォローします。

 中学の教科書3冊をべらべら読みができるようになったら、素読舎が開発した「脱日本語」と「基礎問題集」という教材に接続させていきます。この時点から本格的な文法理解が始まります。これは高校英語の基礎固めから大学入試レベルの英語に渡るための教材です。練習方法は、「教科書べらべら読み」で行うものがそのまま使えます。中学生の時期に「教科書べらべら読み」のコツをつかんでおけば、大学入試用の知識量につぶされることもありません。こうして、高校英語・大学受験英語を将来に渡って使える英語の基礎として活かします。決して入試で終わりになるような英語を作るのではありません。

 数のうえから言えば、日本人のほとんどの英語は入試で終わりになる英語です。入試以後に生き残れる英語はほとんどありません。しかし、日本人の英語がこのままでいいわけがありません。日本人がこれまでのような馬鹿げた損をしつづけていていいはずがありません。

 学校や進学塾から根底的に欠けていて、しかもそれがなければ使える英語として成立しない条件が絶対にあります。

 浅はかな批判にとりかこまれて、サバイバルを遂げてきたのが素読舎の英語です。素読舎育ちの英語は、世の中で通用しています。英語を仕事に使って活躍している人達もいます。

 日本人の「普通の英語」は決して普通ではありません。学校と進学塾と英会話学校をとことん疑うべきなのです。

 「音づくり」がきちんとできないうちに説明を求めるような人の英語は、使えないものになります。「音づくり」ができていないうちに説明を求めた時点で、その人の英語の命運は尽きるのです。十年くらいの時間のスパンで眺めていただきたい。その種の英語は必ず滅びていきます。





「電話でレッスン・教科書べらべら読み」


料金 月額1万円

レッスン 毎週一回 30分

電話代 生徒が負担します。NTTなどの割引サービスを利用していただきます。月額で、1500円から2000円の電話代が必要になります。(「しゃべりっち」併用)

申し込み・問い合わせ電話番号 
090−3310−4180

レッスンで使用する電話番号
026−272−4330



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