根石さんのタイ旅行記 2005年2月



【タイトル】いくこへ
【 日時 】05/02/26 19:40
【 発言者 】根石吉久

 ピサヌロークというところで、何もせず数日をだらだらと眠っておりました。
 今日、スコタイに移動して、やはり何もせず眠っておりました。
 この辺は、あまり英語が通じないですね。 
 やっと夕方になったので、動く気になり、インターネットカフェを探しましたが、宿から遠い。
 明日はサムロー(人力車)に乗ってインターネットカフェまで来ることになりそうです。
 いくこへお願いがあるのですが、毎日女房のところに電話しているが、かからないと女房に電話しておいてくれませんか。今日、買ったカードの種類が違って いることが判明し、夜にもう一度試してみるつもりですが、大風呂敷に書き込んでいくこに頼んでしまった方が早いかとも思ったので。

皆様
 おかげさまで楽しく旅を、というか、毎日だらだらと眠っております。そろそろタイはわずかながら暑季のきざしがあり、昼間はひなたを歩くのがおっくう で、午後はたいてい眠っています。今日、小さな小さな蟻に食われましたが、けっこうピリッと痛かったです。なんていうんだろうか、バンガローみたいなとこ ろに泊まっておりますが、ホットシャワー付き、トイレ付きで250バーツ・750円くらいです。



【タイトル】2月22日
【 日時 】05/02/26 20:21
【 発言者 】根石吉久

<ピサヌローク>

 無理に食べずにいたのがよかったのか、腹の調子回復。痛みはほとんど消えた。
 昼過ぎ起きてから食べたもの、おかゆ、ゆで卵、ヤクルト一本。

 オレンジの小粒のもの(直径4センチほど)をつぶして絞り、ジュースにして売っている店先があったので頼む。10個分を半分に切り圧し潰す道具で潰した 後、ミキサーに入れるのが変だ。なんでかきまぜる必要があるのかと思う。怪訝に思っていると、オレンジ100パーセントの果汁におたま三杯のシロップを加 え、さらに何か白い粉末を入れようとするので、砂糖かと聞くと塩だと言う。多分シロップでは甘すぎるものができるだろうと思ったので、塩は加えるままにし てもらう。できたものをビニール袋に入れ、ストローをつけて寄越したものが10バーツ(30円)。
 もし、シロップと塩を加えなければ、果汁100パーセントのうまいオレンジジュースができるはずだと思い、英語が通じない人にたずねてみる。 no なんとかという言い方は英語のわからない人にもよく通じる言い方で、 I dont want だの without だの言わずに、 no sugar、 no salt、 no syrup と言うと通じる。
  no salt、no syrup、 only oranges で20個のオレンジを使い、20バーツだと言う。夜、腹の調子がよかったら、ナイトバザールをひやかしな
がら試してみることにして店先を去ろうとすると、店の人がオレンジを切りはじめようとするのであわてて止める。 later とか not now が通じない。



【タイトル】教えて下さい。
【 日時 】05/02/26 23:59
【 発言者 】根石吉久

 先程、インターネットカフェで書き込みをしてから、屋台で夕食を食べ、寺の境内を歩いていたら、こんにちはだったかこんばんわだったか、日本語で声をか ける人がいたので振り返ったら、うすぎたないなりをした人が手招きしたので、ベンチに腰かけました。その人のまわりにタイの十代の少年が三人ほどいたの で、寺に入ったのは何歳のときかなどと話し始めました。そのうちに最初に話しかけてきたのは、50歳くらいの男でした。その男に仕事は何をしているのかと 聞くと、タイマッサージだということでした。この数日、ピサヌロークでタイマッサージを受けていたので、タイマッサージ自体には興味があったし、今日の疲 れをとろうかという気もあったので、その男が自分の店に来いと言うままに、バイクに二人乗りしてその男の店に行きました。
足の方から始まったマッサージでしたが、やたらにきんたまのまわりの筋肉を圧すのがいつも受けているものと違いました。裸になれというからパンツもはかな いままマッサージを受けていました。マッサージの前にシャワーを浴びる方が効果があると言われたので、シャワーを浴びてからタオルで体をふいていると、服 を着ないままベッドに横になれと言われたので言われたままにしたのでした。どうもやたらにきんたまのまわりを圧すし、きんたま自体もひっぱったりもしまし た。きんたまをひっぱるマッサージがあることは知っていたので、それほど何も思わずにやられるままになっていましたが、途中からマッサージの後のサッキン グは非常にいいと言い出しました。
 サッキングをされたことがあるかと言うので、あるからイエスと答えました。サッキングが好きかと聞くから、サッキング自体は好きなので、イエスと答えた ところ、その男が私の陰茎を口にくわえてサッキングを始めました。すぐに I dont like this. と言ったところ、やめて体のマッサージに戻りましたが、暗い怒りのようなものが男の顔にあり、目が爬虫類のような光を帯びているのがわかりました。
 ようやく、その店がホモの人たちの専門の店なのだとわかったのでした。その男は長いことバンコクにいたと言っていましたので、これまでどれくらいの男根 を口にくわえてきたことかわかりません。
 何かの菌が陰茎を遡りはじめたらと思い、サッキングから30分くらいして宿に着き、小便をしたのですが、恐怖のためか小便にまったく勢いがなく、菌を洗 い流せたのかどうか不安でたまらなくなりました。
 どなたかどうかお教え下さい。サッキングによってエイズになることがあるのでしょうか。さっきから不安でたまらないのです。

 これからネットでも調べてみますが、わかる方がおられたら教えて下さい。



【タイトル】あの男がシソウノウロウじゃないことを祈る
【 日時 】05/02/27 0:17
【 発言者 】根石吉久

ウイルスが体内に侵入しても、体内の生体防御機構の攻撃を受け、死滅してしまうケースがほとんどです。攻撃を免れたとしても、増殖できるまでに至らなけれ ば、ウイルス自身や感染細胞の死で終わってしまいます。したがって感染が成立するには、生き残って増殖ができるだけのウイルス量(濃度)が必要となりま す。唾液や汗・尿といった体液は、感染が成立する濃度に遠く及ばないため感染源となりません。感染源となりうるHIV濃度をもった体液は、血液・精液・膣 分泌液・母乳に限られるのです。

 唾液が感染源にならないというこの記事をみつけてひとまずほっとしています。
 念のために感染していないかどうか帰国後に調べたいのですが、感染しているかいないかがはっきりするのにどのくらいの期間が必要なのかについては、情報 がまだみつかりません。
 引続き、ご存知の方がおられましたら、お教えください。
 あの男の口の中に傷でもあった場合は、感染源の血液に私の体液が触れたことになるわけですので、まだ警戒は捨てていません。
 それにしてもやばいことになったものです。タイに来て、女にはまるで触れていないのに、いきなり男にチンポをくわえられ、エイズの心配をしなければなら なくなっているのですから悲しくなる。


【タイトル】2月22日(続き)
【 日時 】05/02/27 23:23
【 発言者 】根石吉久

<ピサヌローク>

 書店に入り、棚を見るが日本語の本はおろか、英語の本もない。すべてタイ語の本ばかり。タイにいるのだから普通のことであるが、何かわけのわかる字で書 いたものを読みたくなっている。
 午後はやたらにほっつき歩くものではない。今はまだタイの夏ではないが、若くない体にはきつい。部屋に戻りパンツ一つになり、扇風機を回すが、風が体を 冷やしそうなので、回転調節のスイッチを最弱にして、中原中也を読む。出発数日前、寂蒔のモスバーガーで読んで胸にしみたものが、どうしてここではピンと 来ないのか。ちょうど中也が言葉をおもちゃにしているあたりを読んでいるせいか。
 どうしてこうも寝るのか。寝てばかりいる。日本にいてもこの傾向はあったが、それにしても寝てばかりいる。
 20日、一行をチェンマイ空港に送ってから、トクトクの運ちゃんにみつけてもらったゲストハウスに入った。外へ飲み水を買いに出て、部屋に帰ったのが3 時か4時。その頃から寝始めて、途中で何度か目がさめたものの、すぐにまた寝入った。寒気がして腹が痛いのに眠りの中で気づいていたが、そのまま寝続け、 朝10時頃まで寝た。断続的にだが、18時間くらい寝たことになる。そのまま荷をまとめ、宿を出たところでトクトクをつかまえ、チェンマイ駅へ直行。11 時頃切符を買ってからすることがないので、駅のベンチでまた寝る。夕方4時までの時間の半分は寝ていた。列車はほぼ定刻に出発。明るいうちは窓の外の景色 に見入っていたが、窓の外が暗くなってまた寝る。列車内の7時間も、半分は寝ていた。



【タイトル】2月22日(続き)
【 日時 】05/02/28 0:07
【 発言者 】根石吉久

 夜11時過ぎ、ピサヌローク着。駅のすぐはす向かいの安宿に入るがすぐに後悔。耳元で人のどなり声、車の騒音がしていて、とても眠れないだろうと観念し た。すぐ外の駅前の音が直接に響き続けている。駅前に向いている窓が網戸だけで、開いていて閉められないし、閉められたとしても暑くて眠れないだろう。し かし、やがて寝入る。夜中の1時に寝て、朝5時目をさます。騒音は相変わらず。存在の根底をゆさぶられるくらいにやかましい。ゆさぶられるどころか、否定 されるくらいにやかましい。よく4時間寝たものだと思う。さっさと宿を出て、朝の薄暗がりの中を駅から離れる。まだ準備を始めたばかりの市場のがらんとし た中を歩き、ようやくほっとする。魚、野菜を運び込んで来る人の動きにぶつからないようにしながら、市場を出てホテルを探して街の中を歩く。こんな朝早く にホテルを探すのも珍しいことかもしれない。ツインベッドで650バーツをみつけたが高過ぎる。歩いているうちに川にぶつかり、川岸の水上生活者の傾いて 沈みかけたような建物を見ているとき、インド人らしき人に話しかけられる。ホテルを探していると言うと紹介してやるというからついていく。一軒目のシング ルは埋まっている。案内役はインド人からホテルの従業員に引き継がれ、従業員に連れられて、近くのゲストハウスに案内される。200バーツ前払い。チェッ クインの書類を書くこともなし。ホットシャワーはないが、比較的静か。底鳴りのようにバイク、トクトク、乗用車の音が響いてくるが、音が間接的だから問題 はない。朝6時か7時か、さっそく寝始め、昼過ぎまで寝る。昼に外へ出て、おかゆ、ヤクルト程度のものを食べて、宿に戻ってまた寝る。2時から7時までの 5時間ほどを寝た。
 宿のすぐ近くにコーヒーを飲ませるケーキ屋があった。メニューにホットテイとあるのでそれを頼んだ。リプトンのテイバッグの紅茶。ようやく甘くないお茶 にめぐりあう。中国茶のポットと中国茶用の小さいカップで出されたものを砂糖の量に気をつけて、渋みを殺さないようにして飲む。うまい。
しゃれた喫茶店なのに、やたらに蚊にさされるので歩くことにする。



【タイトル】22日(続)
【 日時 】05/02/28 16:01
【 発言者 】根石吉久

<ピサヌローク>

 昼頃起きたとき、シャワーを使ったのだったかどうか。もうぼんやりしてしまって、ものごとを覚えていられない。ぼうっとしていて、ものを記憶するのが面 倒になってしまう。シャワーを浴びたとき、シャワー兼トイレの部屋に直径60センチくらいのでかいプラスチックの桶があり、それに水を注ぐ位置にある水道 の蛇口が実にチープでいいと思った。チープな美というものがある。午後の暑い中をナン川まで歩く途中に農機具屋があったので、水道の蛇口のことを聞いた ら、風呂の設備用品の店を教えてくれた。後で行ってみることにして、川端を歩き、おかゆを食ったのだった。それから何をどうしたのか覚えていない。おかゆ を食って、途中で買ったマンゴーをむいて食って、部屋に帰る途中で風呂の設備用品の店に入ったのだったか。前後関係がすでにわからない。ともあれ、取っ手 の色で三種類、赤、黄、青の蛇口をひとつづつ買う。原色の鮮やかな取っ手と、アルミ合金らしい蛇口の地金の色のとりあわせがいい。春になったら自宅の庭 に、植物の水遣り用の水場を作る予定だが、日本の塩ビのパイプとネジ穴の径が合うかどうか。適合しなくても、コーキングで接着してごまかして試してみる価 値はあるとして、3つ買い込む。
 どこをどう歩いたか忘れたが、川端のナイトバザールに出る。まず昼間シロップを混ぜられたオレンジジュースを試す。オレンジ20個を半分に切ったもの、 合計40個をひとつずつ潰すのだから、その手間だけでもけっこうなものだが、やはり昼間の話の通り、代金は20バーツ(60円)だという。パンにジャムを はさんで、炭火で焼いたものと合わせて25バーツ払い、ナイトバザールの店をのぞきながら、ビニール袋からストローで果汁100パーセント一切無添加のオ レンジジュースを飲むが、苦みがあり思ったほどうまくはない。多分、潰すときにオレンジの皮から出る汁が混ざるからだろう。
 昼間、シロップも塩も入れずに実を潰しただけのジュースを作ってくれるかと聞いたとき、店の周りにたむろしていた人たちが店の人に「この客は何を言って いるのか」というようなことを言って、店の人が俺の特別注文を説明したら、「おかしなことを言うやつだ」みたいな調子でみんなが笑った。何を笑うのか。控 えおろう。果実を潰して、それに何も混ぜずに飲むのがまともなジュースというものだ。おまえらこそシロップなんか混ぜておかしなやつらだとその時は思った のだった。やはりものごとには何かしら理由があるものである。タイの連中は、オレンジの皮を剥くという手間をかけずに、シロップを混ぜてオレンジの皮の苦 みを消しているのだ。苦みのするジュースを飲みながら、ナイトバザールをひやかす。
 チェンマイのナイトバザールに較べると実に小規模なものだが、ついバイヤー根性が出て、10バーツのイヤリング20個ほど、45バーツ、55バーツのア クセサリー合計10個ほど、女物の夏シャツ1枚を買う。買いたくなるものはほとんどない。ナイトバザールのはずれにフットマッサージ1時間100バーツの 看板をみつける。やってもらいたかったが、二つある椅子の両方とも埋まっていた。川を眺めながら、ハイネケンのビールを飲む。まだ体が本調子でないのだろ う。ビールがうまくない。川にさかさに写ったナイトバザールの灯を眺める。川向こうの水上生活者の小屋も、午後の暑い光の中で見る惨めさはないはずだ。汚 い川の水も、小屋の色も薄くらがりの中に溶けているはずだ。しかし、やはり惨めな気持ちがあって、惨めなのはド派手なナイトバザールの灯なのか、薄くらが りに沈んでいる小屋の小さな灯なのか、川向こうの土手の背後にそびえる GRAND RIVERSIDE とやらの巨大ホテルなのか、それらを眺めてまずいビールを飲んでいる俺なのかわからなくなる。



【タイトル】22日(続き)
【 日時 】05/02/28 16:29
【 発言者 】根石吉久

<ピサヌローク>

 ビールを飲み残して、フットマッサージの場所まで戻る。まだ椅子は埋まっている。マッサージのおばちゃんと目が合ったので、頼みたい旨言うとベンチで 待っていろと言われるのでベンチに腰を降ろす。じきに椅子の一つが空く。フットマッサージというのは初めてやってもらうが、タイのやつは実に細かいところ を突く。足の指の一本一本にもツボがあるらしく、細い棒で指一本につき裏表で4、5個所も突く。ときどき痛いが、うっと思うとおばちゃんの力が抜けてい る。足裏のマッサージと太股のマッサージが特に気持ちいい。ていねいにていねいにたっぷり一時間やってくれる。途中、生あくびが何度も出た後に、本格的に でかいあくびをしたら、おばちゃんが笑った。ボディマッサージもやっているというから、明日また来ると言い、100バーツ払う。
 歩き出したら、腹が減っているのに気づく。いよいよ調子が戻ってきたものかもしれない。米の麺を油で炒めたものと、もやしを主体としたサラダとを食う。 柚に似た果実の半切りがついてくるが、これをかけて食うと脂っこさが消えてうまい。もう一個余計にもらい、たっぷりとかけて食う。やっとものを食ってうま いと思うようになった。
 思えば、タイに着いて一週間は屋台の食い物がうまいので、腹が減ってもいないのにやたらに食い、消化不良を起こしての下痢だったのだろう。きのうあたり から寒気や悪寒もないので、風邪も引き込まずに済んだらしい。弱った腹を助けてくれたのは、タイのおかゆ、ヤクルト、バナナ、オレンジジュースなどだ。リ プトンのティーカップがあんなにうまいものだとは知らなかった。毎日甘ったるいものを食い続けた後では、リプトンの紅茶に砂糖を少な目に入れて飲むものが 実にうまい。歩けば汗が出るので、下痢腹に水気の多い食い物もそれほど毒にはならないのだろう。何はともあれ、食い過ぎがいけなかったのだと思う。
 なるべく食わないようにしていたつもりの今日一日だったが、よく思い出してみるとけっこう食っているのに気づく。シロップ入りオレンジジュース、おか ゆ、茹で卵一個、ソーセージ一本、マンゴー一個、ヤクルト2本、コーヒー一杯、オレンジケーキ一個、リプトン紅茶一杯、オレンジ20個分のジュース、缶 ビール一本、米の麺のヤキソバ、もやしサラダ。やはりけっこう食っている。歩けばどこにでも食い物がもろむき出しで売っていて、簡単に買えてしまうのがタ イのいけないところである。



【タイトル】2月23日
【 日時 】05/02/28 17:33
【 発言者 】根石吉久

 起きたのは10時だったか11時だったか。ゲストハウスの従業員も主人も誰も見当たらないので、ゲストハウスの主人の子どもだと思われる女の子に話しか ける。見たところ、小学校4年か5年くらいの感じだが、非常にはにかむので話ができない。英語がわからないのと、はにかんで口を開かないのとが一緒になっ ているので困ってしまう。女の子も俺も両方で困っているところに、宿の主人が現れた。部屋を変えてもらいたいことを言う。エアコンディションは要らないこ と、ホットシャワーは欲しいことを言うと250バーツだと言う。空き部屋二つを見せてもらい、ツインベッドではなくダブルベッドの部屋に決める。200 バーツの部屋から250バーツの部屋へ移ったのだが、この差が非常にでかいのがわかる。一日150円の差額で、極端に言えば、家畜扱いから人間扱いに変 わったような感じがする。何が違うのかといえば、部屋に風が通り、建具がしっかりしている程度の差のような気がするが。いやまだある。壁に厚みがあって、 隣室の音が聞こえないこと、外の騒音が気にならない程度に弱められていること、灯りが日本の規格で言えば20ワットの蛍光灯一本から、40ワットに変わっ たこと、従って昼間は点灯しなくても字が読めることなど、まだまだ前の部屋との違いはある。簡単に言えば、200バーツの部屋は惨めさを強めるように作ら れており、250バーツの部屋は惨めさを弱めるように作られている。客側からすればそうなる。宿側からすれば、200バーツにはホスピタリティを示す必要 はないが、250バーツにはそれを示す必要があるということだろうか。この宿の200バーツと250バーツとの間には深くて暗い河があり、積極的ホスピタ リティの有と無の差がある。今回、同じ宿主のゲストハウスの中で部屋を変えたので、とりわけ50バーツの差がくっきりと出たのかも知れず、ピサヌロークの 宿一般にこの差があてはまることはないだろう。それにしてもこの宿の150円の差はでかい。
 新しい部屋に荷物を運び込み、さっそくホットシャワーを浴びる。チェンマイのゲストハウスにあったのと同様の電気式の小型湯沸かし器を通ってお湯が出 る。久しぶりにお湯を浴びて、心底からゆるむものがある。額に汗が浮くほどにお湯を浴びてから外に出る。すでに日差しは強い。例の喫茶店で例のリプトン。 昨日ほどの感激はないが、やはり渋味がうまい。タイの人たちは渋味のうまさというのを多分知らないのではないか。紅茶の渋味を大事にしている店はほとんど ないような気がする。紅茶を頼むときは、hot tea と言って頼むが、クリーム無し、砂糖は自分で足すからと明言しないと、大量にクリームと砂糖をあらかじめ加えたものを持ってこられ、口の中がべとべとに甘 くなることが多いような気がする。
 ツーリスト向けの主にバンコックの流行や催し物を紹介する雑誌を読みながら紅茶を片づける。足元が寒い。外に出れば暑いし、喫茶店にいれば寒い。腰痛持 ちとしては外に出るしかない。少し歩いて朝飯兼昼飯とする。タイの料理は見た目と実際に食ったものの辛さが違うので、汁ものなら一滴二滴、手のひらに汁を 落として舐めてみる。うまかったら、うん、これ、と言って注文する。その程度のことをしても誰も文句は言わない。
 フォークロアミュージアムに行く。すぐ近くだと思っていたので歩き出したのだが、どよんとした空気の中を歩いてみるとけっこうきつい。日が高く、建物の 脇を歩いても、日影があまりないので、いやな感じだ。途中でヤクルトのコピー商品を飲む。ほぼヤクルトと同じ味がした。フォークロアミュージアムに着いた ときは脚がくたびれていた。
 ミュージアムでは、ココナッツの実の中身を削り出す道具に動物をかたどった愛嬌のあるものがある。もの入れに柳宗悦の「民芸の美」に通じる非常に美しい 形のものがある。素材は竹で編んだかごに渋紙のようなものを貼っただけのものだろうが、非常に美しい。面白いのは、獣や魚をつかまえるための罠で、非常に いろんなものがある。仕組みのわかるものもあればわからないものもある。毒蛇専用の罠なんかもある。みんな素材は竹か木だ。罠を見るのに手間どって、二階 あるうちの一階部分だけ見て閉館を告げられる。みやげものを売るコーナーで少し買い、門を出たところで待ち構えていたサムロー(人力車)をつかまえて乗 る。ピサヌロークにはまだサムローがけっこう走っている。トクトクは駅周辺でやかましい音をたてているだけで、街中ではそれほど見ない。タクシーも少な い。宿に戻って、ホットシャワーを浴びて、ベッドで少し寝る。



【タイトル】2月23日(続き)
【 日時 】05/03/01 16:06
【 発言者 】根石吉久

 宿で寝て起きたら夕方。またお湯を浴びてから外に出る。ナイトバザールと道をはさんだマーケットとその付属の食堂は閉まっていたが、冷蔵庫の鍵を開けて もらって、ハイネケンの缶ビールを飲む。今日はうまい。そばにいた男がやたらに話しかけてくるが、すべてタイ語でわからない。welcome とか go to とか come back はわかっているようなのだし、トクトクのドライバーをやっているらしいことを言うので本当かと言うと、うんうんとうなずく。俺はスコータイに行きたい、お 前のトクトクをチャーターできないかと言うが、話がまるで通じていないらしいことがわかりがっかりする。どうもトクトクのドライバーでもないらしく、単に バイクを持っていることを自慢していたらしい。ズボンがペンキだらけなので、建物のペイントをやっているのかと聞くと、うんうんと頷く。何を言ってもうん うんと頷いて肯定するので、論理や話題などはどうでもいいのだ。話をしている(?)うちに、交通手段を表す by を覚えようとしているらしいのがわかったので、 I want to go to Sukhothai by tuktuk or by taxi. などと文に by を混ぜ込んで not by bus などとも言ってみると、by のことは忘れてしまって、Welcome Phitsanulok go Sukhothai と言うから、そうだそうだと言うと、go to Sukhothai などともっと正しく言う。そうだそうだと言うと、 go to taxi by Phtsanulok などと言い出し、こちらの頭の中がぐるぐるし始め、笑い出してしまう。
 自分でタイ語でしゃべった後、こちらの目の中をじっと覗き込んでいる。その目を見ていると、この人にはタイ語がわからない人間がいるということがわから ないのだとわかる。どうしてこんなあたりまえのことがわからないのだというような怪訝そうな目がある。申し訳なくなる。何はともあれ、この人から何ひとつ まともな情報は得られないのだが、向うはタイ語のみ、こちらは英語のみを話し続けて、およそ30分くらい話した。こちらがどうすればいいのかと真剣に考え 込んだときの目を見て、向こうが笑い出したりもした。ちょっと会話らしいものが成立しかけたかと思ったのは、途中に生じた英語のレッスンめいたものだけ だったが、話が噛み合わないどころか、相互にまるで通じていないことをしゃべり続けて、お互いにお互いの話を真剣に聞き、お互いにまったく了解できないと いう貴重な体験をした。この種の体験としては、30分という時間は非常に長持ちしたものだと思う。それでも気心というものは通じてくるからおかしなもので ある。ナイトバザールを見るからと言い別れたが、向うはなごりおしそうな顔をした。まだ話していたかったらしい。
 ナイトバザールで茹でた麺に炒めた野菜を混ぜたものを食ったが、これが非常にうまかった。食い終わって、 drinking water をぶらさげながらバザールの中を歩く。女物の服2着、男物のシャツ一枚、おもちゃ1つを買い、タイマッサージの場所へ行く。ボディマッサージは通路ではな く建物の中でやっている。手招きされて建物に入り、床にあぐらをかいて座り込んで順番を待つ。施術されている女の人が日本人だとわかり、「どうも」と挨拶 する。今日、フォークロアミュージアムでお会いしましたねと言われるが、こちらは向うを見覚えなかったので申し訳ない。俺の番になってマッサージを受け る。気持ちよくなって、とろんとする。



【タイトル】2月24日
【 日時 】05/03/01 16:58
【 発言者 】根石吉久

 昨夜なかなか寝付かれず、少し遠いコンビニまでビールの大瓶を買いに出て、瓶から直接飲んでから寝た。3時を回っていたのを覚えている。
9時過ぎ起きる。日本から持ってきたボールペン壊れる。ピサヌロークで買った一本はなくす。起きて、ボールペンと爪切りを買いに外へ出る。途中、ヤクル ト、発酵乳をジュースに混ぜたようなもの一本ずつ買い、歩きながらストローで飲む。爪切りとを買った店のばあさんはまるで口をきかない。タイ語で値段を言 うときだけ口を開くのみ。タイ語がわからないので首を傾げると、広告の裏に30と書いた。算用数字。これだけは強力で、これまでのところどこへ行ってもこ れが通じないということはない。これが通じないところへ行ったら、さぞかし不便だろうと思う。
 日陰を選んで歩き、宿の近くの喫茶店へ。 hot tea と言う。このところ連日で出してくれるリプトンだろうと思い、カウンターの近くのテーブルの上から砂糖壷をとりあげ、これを使うがと断ると、 Chinese tea と言い、ポットの蓋をあけて中を見せる。甘くないお茶が好きなのを店員が知ってくれて、まともな中国茶葉をいれてくれたのがわかり、砂糖を元のテーブルに 戻す。 Very good. と言い、笑顔で Thank you. と言われる。
 前回来たときは、バンコクからセゾンカード(VISA)を使って簡単に日本に電話がかけられたが、今回はどうもうまくいかない。カードが古くなっている のかもしれない。通りのケーキ屋でテレホンカードを買って試してみるが、001−81 をダイヤルしている時点ではねつけられる。このカードで本当に大丈夫なのかとカードを買った店に入って聞くが、店の人は大丈夫だと言い、その後、TOTに 店の電話で問い合わせてくれる。TOTは不親切で、何度も別の部署に電話しろという回答ばかり。役場のたらい回しみたいなものだ。店の女の人がよく怒り出 さないものだと感心する。TOTに言われる通り、何回でもいろんなところに問い合わせてくれる。001を007か008に変えて試せというようなことを言 われたというので、外に出てやってみるがやはりかからない。また店の電話で問い合わせてもらう。30分近くもごたごたし、結局わかったことは、電話回線が 混んでいるからまた後でかけろということだった。本当なのか?
 (後でピサヌロークからスコタイへ移動して、セブンイレブンの店員にカードを見せたら、これは国内用だと言われた。INTERNATIONAL と表示のあるカードを買ってかけてみたら簡単にかかった。TOTがあほなのかと思っていたが、俺にテレホンカードを売ったケーキ屋があほなのだった。肝心 なことに無知で、しかし非常に親切に何度もTOTに問い合わせてくれたのである。複雑な気持ちだ。無知なだけで、どこにも悪意はない。それだけでない。無 知なだけで、とことん親切なのである。)
 いったん部屋に戻ってから、夕飯を食いに外へ出る。現地の人が群れている店があったのでそこに入る。麺の料理を出す屋台らしいので、ヌードルとだけ言っ てテーブルで待つ。ラーメンのようなものを予想していたが、出てきたものは茹でたマカロニを少し濃い味のスープに入れたもの。マカロニもここではヌードル 扱いらしい。
 デジカメのカードからデータを読み取らせてプリントを頼んでおいたものを取りに行く。割ときれいにできていて、4・6版で1枚5バーツ(15円)。20 枚で100バーツ(300円)払う。テーブルの上に孫の写真を立てる。
 駅前でスコタイに行く件でトクトクの運ちゃんと交渉した。1時間80バーツで午前10時から夕方6時までの8時間を640バーツでチャーターできないか とこちらから値を言い出したら、それでやれそうな顔をしていたが、途中で渋り出す。飯も食い物も俺が出すからと言うが、うんと言わない。ガソリン代を足し て700バーツでどうだと言うと、1000バーツよこせと言うので、OK, bye-bye. で決裂した。
 俺とスコタイは縁がないのかもしれない。時の権力が作ったでかいお寺とか、立派な建物とかに基本的に嫌悪を感じるタチだから、スコタイの方でも俺を嫌っ ているのかもわからない。
(後日記。結局、バスでピサヌロークからスコタイへ移動したが、バスが一番楽だとわかった。チェンマイではトクトクを使うのが楽だが、ピサヌロークあたり では少し遠距離だとバスが楽だ。道はまっすぐだし、よく舗装されているので、もっとバスを使うべきかもしれないと思う。スコタイからバンコクまでも、鉄道 の旅を捨てて、バスに切り替えようかとも思う。)



【タイトル】2月25日
【 日時 】05/03/01 17:18
【 発言者 】根石吉久

 何もすることはない。朝9時頃か、早めに起きた。例のごとく、ホテルの喫茶店で hot tea 。リプトンが出てくるか中国茶が出てくるか。正式のメニューのホットティは、リプトンなんだが、出てきたのは中国茶。何も言わなくても、中国茶を入れてく れるようになった。
 一時間ほど、ガラス越しに街を見てぼうっとする。街角がまるでアジアという名の一幅の絵だと思う。すぐそこに現実があるという気がしない。ただひたすら 現実を幻のように見て、ぼうっとしていることが快楽の一種だということに気づく。旅人の傲慢であり、特権である。それだけだ。何もすることはない。
 それでも腹は減るので、安食堂(屋台の集合体)に入る。ライスヌードル。指差して this one なんかと言う。向うがしゃべるタイ語が通じないのを知ると、人々は笑う。ただ単純におもしろがって笑う。その笑いがやさしい好意に満ちていて、俺を許して くれている。日本人のくせに英語をしゃべってタイ語の中にいる俺を許してくれている。
 日本に何度も電話したが通じない。二日も三日もまるで通じないということが変だが、通じない。001が駄目なのはわかったが、007も008も駄目。そ のくせ、 Please call later. というアナウンスがある。
(後日記。日本に電話するためのテレホンカードだと言って、間違ったカードを売られたことについてはすでに記した。)
 明日の午前中に、バスでスコタイに行くことに決める。スコタイに2、3日いてからバンコクに戻り、その後にアユタヤに行くか。それとも列車で名もない小 さな町に行って、何もせず数日を空費してみるか。
 遺跡だの観光地だのに基本的に興味はないのだ。旅の感覚、一人であることの感覚がリアルなだけだ。



【タイトル】2月25日(続き)
【 日時 】05/03/01 17:59
【 発言者 】根石吉久

 ordinary people (民衆・大衆)の一人一人は、一人であるとき(つまり多くは若いとき)はそれほどでもないが、二人になって以後(多くは結婚して以後)は、忠実に思考の幅 を生活の幅に合わせていく。思考のサイズが生活のサイズと同じであることがピサヌロークという街を歩いていてもよくわかる。そういう人々が男と女の対とし て幸せな顔をしているのだ。俺はそこがそうではなかった。この狂いはどこから生じたものなのか。
語学なのか。
 語学は狂暴な個人幻想によって成るものであり、 ordinary people の個々の幻想の強度を踏み外しがちである。語学は ordinary ではないのだ。ordinary な幻想のレベルを踏み抜いてしまうようなところが語学にはあり、そこが犯罪者の幻想とよく似ているところである。架空の場で意識を酷使するのが、語学の もっとも危うい性質である。
 磁場を欠いた語学の骨組みを洗い出せば、それはまったく個人幻想によって成るものである。これに反して、当該言語の磁場にいて言葉の当事者として外国語 を使いながら外国語に上達するというのは、上達の容易さという観点から見れば「有効」だが、これは決して語学の骨組みを構成しない。
語学の骨組みはあくまでも机上の行為によってできる。というか、日本在住のまま、当該言語の磁場を欠いて語学をやるのであれば、机上の行為からもたらされ るものを語学の骨組みとする以外にはない。使いながら上達する(磁場を生きる)というのは、語学としては亜種だと考えるのがいいのである。「磁場」で獲得 した英語のスキルも、日本語の「磁場」で日本語だけを生きるような生活を数年するだけで衰えていくのを見れば、それが語学の亜種に過ぎないことがわかる。
 「磁場」における肉付け(イメージの充電)は、すでに個人幻想ではない。すでに知っている知識が、磁場の磁力によって充電されるということは、そこに言 葉の当事者となる場があるということであり、それはそのまま他者(性)によって、意味の立体性がもたらされるということに他ならない。書く言葉、読む言葉 を除けば、もはや言葉は個人の幻想だけで動いているのではなく、必ず相手の幻想の動きに応じて、他者(性)を組み入れながら動いていく。話し言葉や聞き言 葉は、磁場で実際に使用されるときは、独り言を言う以外では、いつでも他者(性)という謎に触れている。触れているどころか、他者(性)からドライブされ ていく時間さえあるのだ。
 語学が語学にとどまる限りは、他者(性)を欠くのである。それが語学の恐ろしい性質である。自分の例で言うなら、日本にいて英語をやってきたのだが、日 本語の磁場における英語の宿命をふまえれば、語学は継続されなければならず、しかもいつまでたっても他者(性)に向けて開かれないというのが基本である。 他者(性)の欠如が語学をやるものの意識を幽閉された構造にしていく危険はいつもある。
語学の危険性を言う学者はいたが、その危険性の構造を言ったものを読んだことがない。「磁場論」を欠いてそれは言えないはずだ。

 俺には語学の毒に対する油断があったかもしれない。語学には人間を生きたままの幽霊のようなものにしてしまう危険がある。その構造を開いたものに変える 力は、語学以外のところにしかない。それが「磁場」である。いつでも言葉の当事者であることを強いる場だ。
 語学とは「磁場」に渡るための「準備」以外のものではない。だから、それは本質的に「磁場」以前である。「磁場」の外側における行為だ。



【タイトル】2月26日
【 日時 】05/03/01 18:34
【 発言者 】根石吉久

<スコタイ>
 ようやくインターネットカフェの使い方がわかったので、ヤフージャパンで「大風呂敷」で検索、村田君の過去ログ倉庫から「大風呂敷」へつなぐ。漢字変換 プログラムがMS−IMEだろうと思われ、記号やカタカナへの変換がわかりにくいがなんとか書くことができた。その後、屋台で食事したが、直後にホモ専門 のマッサージについて、エイズの心配について書かなければならなくなった。まったく何が起こるかわかったものではない。

 一時頃寝て、3時頃目が覚めたら寝付けない。ホモのマッサージ師にやられたことを思い出すと気持ちが悪く、胸くそが悪い。マッサージの技術はしろうとく さいところがあったが、サッキングの舌の使い方はしろうとではないようなところがあった。すぐにやめさせたにしろ、俺のものはまったく動かなかった。それ がこの偽タイマッサージ師のホモには気に食わなかったのだろうか、やめさせたこと自体が気に食わなかったのだろうか、その後の暗くひきつったような爬虫じ みた目の光が忘れられない。サッキングされたこと自体より、あの目の光を思い出すので、寝付けないのかもしれない。手、足、首、肩あたりの筋肉は多少しろ うとっぽいマッサージによってもほぐれており、俺は相手がホモだとは知らないでいたから、安心して体から力が抜けていた。意識も半醒状態で空白ができてい ただろう。この男はその空白を突いてきたのだ。それを思うとむかむかする。サッキングされたのは、3秒だったのか5秒だったのか10秒だったのか、この間 の俺の意識の状態を思い出すとどうにも説明できないようなものがある。まだ単にマッサージされているだけだという思いもあり、タイマッサージの技の一つに これがあるのかという思いもかすめ、いったい何でこんなことになっているのだという思いが交錯し、何かが決定的におかしいと思い、やめさせるのを一、二度 躊躇した。そして、はっきりと I dont like this. と言ったのだった。
 はっきりしたのは、俺がサッキング自体を好きなのではないということだった。相手によるのだ。 Do you like sucking? に Yes. と言っちまったのが、この地獄への入り口だった。サッキングについて認識があいまいなことがこういうことをもたらしたのだが、サッキングについてそこまで 認識する必要も、こういうめに合わないと、必要自体が生じない。それを必要とさせられたこと自体がいまいましい。ファッキン、サッキン! 相手によるのだ。糞。
隣のバンガローで夜遊びから帰ってきたアメリカ人三人組みが話をしていて、時々高い笑い声がする。話し声は聞こえるが、話の内容はわからないという程度の 声の大きさで、こういうレベルの声というのも気になるものだ。しばらく寝付けそうもない。バンガロー式のゲストハウスに喜んだのは愚か  だったかもしれ ない。建物がたてこんでいるので、隣の小屋の音が筒抜けなのである。
気味の悪い鳥の声が高く響いているし、犬が喧嘩を始めて、その周りに別の犬たちが集まってきて群を成していくかのように吠え声がどんどん大きくなってい く。エイズになるのではないかと思った時からの不安がまだおさまらない。



【タイトル】時差
【 日時 】05/03/01 18:52
【 発言者 】根石吉久

皆様

 投稿時刻から2時間分、マイナスしてください。それがタイの現地時刻になります。例えば、これの直前の投稿は、3月 1日(火)18時34分54秒 になっておりますが、18時の18から2を引いて、16時半、つまり夕方の4時半頃これを投稿しています。さきほど、インターネットカフェから出て、外で 煙草を一本喫ってきましたが、まだ外はムワンと暑い。午後は、昼寝をするか、インターネットカフェにでもいるのがいい。このインターネットカフェは軽く冷 房がきいており、いごごちがいいです。
 しかし、そろそろ歩けば歩ける程度になっているはずなので、今日はここまでにして、また屋台探検をします。ビールを買って、つまみをピックアップして歩 きます。屋台は酒の持ち込みはOKですし、数軒からいろいろ少しずつ買ってきて、適当なテーブルに着いてそれらを食うのもOKです。
明日あたり、バンコクへ移動するかもしれません。海へ行ってぼうっとしていようかとも思いましたが、それも面倒になっています。



【タイトル】紙に書いたものは後回し(ライブ版)
【 日時 】05/03/03 16:53
【 発言者 】根石吉久

 昨日、スコタイからバンコクに移動した。バスの中の冷房が寒かった。くしゃみをやたらするが、風邪ではなく花粉症ではないかと思う。ちょうど今が季節の 変わり目なのだろうと思う。
 スコタイのゲストハウスからバスターミナルへ行く車の中で一緒になったオーストラリア人と話をしたのがきっかけで、今はたまたまバンコクのカオサンにい る。

 昨日は移動で疲れたので、少し夜のカオサンを見物しただけ。やたらネオンが光り、やかましいが、おもしろくもないところだ。やかましい点では、バンコク でも随一ではないだろうか。

 コリアンエアの電話番号がわからないので、昨日カオサン見物の途中でインターネットにつないでみたが調べがつかなかった。今日起きてまずやったのが、帰 りの飛行機のブッキングだが、電話番号を調べるのが面倒になり、宿の近くの旅行代理店に入り、チケットを見せてブッキングを頼む。ブッキングの代行、30 バーツ(90円)。こういうことが楽なのはさすがにカオサン。日本への電話、インターネット接続など同じ店の周辺で全部間に合ってしまう。

 さすがにまた胃が疲れている。このところまた辛いものを食った。旅行代理店を出たら、マンゴーの皮をむき、中身を細かく切って売っている屋台があったの で頼む。けっこう量があって20バーツ。これをすぐ近くのホテルのオープンテラスに持ち込み、テーブルについて紅茶を注文。例のごとく、ノークリーム  ノーミルク。買ったマンゴーを食べながらお茶にする。その後歩いたら汗が粒になって流れる。確実に暑季が近い。マンゴーと紅茶ではすぐに腹が減る。アメリ カ人向けの食堂に入り、シンハビア小1本、やわらかいゆで卵一個、野菜サラダ一皿。椅子の上にあぐらをかき、テレビの歌番組を見てゆっくりする。脇に柱が あり、背もたれにちょうどいい。1時間ほどテレビを見ていたが、歌番組なのでタイ語がわからなくても見ていられる。
 カオサンはまったくのアメリカ人町。ヒッピーたちが有名にした町に、アメリカの中流の連中がでかけて来て、中流の好悪を働かせ、町をこぎれいにしていく 感じがある。つまらないところである。店の人間はほぼ片っ端からスレている。多分、タニヤに行けば、まったくの日本人町があり、やはりタイ人の店員はスレ ているのだろう。今日、夕方、フカヒレでも食いにでかけて、タニヤの空気をかいでみるかと思う。

 昨夜、チャイナタウンの布やボタンの店で仕入れをやろうかと予定したが、カオサンの食堂でビールを飲みテレビで歌を聴いているうちに面倒くさくなる。

 多分、また夕方まで何もしないだろう。今朝変えたゲストハウスは、こっちに来て初めてのエアコンディション付きだから、部屋に戻ってごろごろするだろ う。
 食堂から部屋へ戻る途中のインターネットカフェでこれを書いているが、ここへ来る途中、~When heaven and earth changed places. A vietnamese womans journey from war to peace~ という古本を買った。午後はこれを読むことにする。



【タイトル】2月27日(日)
【 日時 】05/03/04 19:50
【 発言者 】根石吉久

 9時半に目覚し時計をセットしておいた。10時にピックアップトラックが迎えに来て、俺一人を乗せてスコタイの古い寺を見せて回ることになっている。 10時から夕方7時までチャーターして700バーツでしぶしぶ承知させたもの。たまたまバスターミナルからゲストハウスまで連れてきてくれた大将に頼んだ ので、普段の仕事と違うことをやらせることになるし、車が大型なのでガソリン代を考えれば、大将にとってもあんまりおいしい仕事ではないような様子であ る。起きてまごまごし、シャワーを浴びて10時の約束に10分遅れて道路に出たら、大将はすでにひなたで待っていた。9時20分から道で待っていたそうで ある。30分ほどでオールドシティからニューシティに着く。遺跡はけっこう広い場所に点在していて、ピックアップトラックの大将は、寺に着くたびにおごそ かに寺の名前を俺に告げる。寺の名前を言うだけで、他には何も言わない。最初の遺跡でアメリカ人の三人組に会っただけで、その後の二つの寺では遺跡の敷地 内で誰にも会わない。ぜいたくざんまいとはこのことではないかと思った。好きなところに好きなように立ち止まり、好きなだけそこにあぐらをかいて遺跡の古 い煉瓦の色を見ていられる。
 組積構造で自宅を自作したので、ブロック積みや煉瓦積みの建造物には興味がある。
 チェンマイで泊まったホテルは中流相手の上流を装ったホテルだったが、煉瓦の煉瓦の間に入っているモルタルは上等なものだった。ホテル内で煙草を喫わせ ないので、よく駐車場で喫ったが、そこのコンクリートも硬度のあるいいコンクリートだった。コンクリートを練っている現場で、砂を手にとってもみたが、硬 いいい砂だ。
 スコタイの古いモルタルも硬いいいものだ。雨が降るだけで、水気を含んだ煉瓦が凍るということがないので、スコタイの遺跡は残ったのだ。煉瓦と煉瓦の間 からモルタルがのどちんこみたいに棒になっているのが見えたので、指を入れて割ってみたが、やはりいいモルタルである。古い煉瓦が建造物の形をとどめたも のに、新しい煉瓦とモルタルで補修したものが多いが、古い煉瓦の部分が実にいい色をしている。この煉瓦の色を見ているだけで心が静かになる。これに比べる と、金箔がはげた仏像はつまらない。おしなべてあほんだらの顔をしている。タイの仏像は新しいものもあほんだらの顔をしているのが多いので、伝統は守られ ているのだ。
 古い煉瓦の色と木々の緑とは抜群にマッチするので、しばしイギリスにいるのではないかと錯覚するような時間もあった。広い場所に一人でいて、黒ずんだ煉 瓦の色を見ているのはぜいたくなものである。しばし、昨夜のいまわしい記憶を忘れることができた。
 大将に連れられるままに10個所以上見て回り、当時の権力が造ったものもまんざら毛嫌いするもんではないと思った。なにはともあれ古いものには古色があ り、それはきれいなものである。約束した7時より1時間早く、大将が両手をあげて、 Finished. と言った。
 夜、インターネットにつなげ、紙に書いておいたものを「大風呂敷」に書き写す。こうして紙に書いたものを捨てていかないと、荷が重くなる。ネットに書い て、紙自体は捨てていった方がいい。ただでさえ、つい本を買い込む癖があるのだから、そこへ自分が書いたものの重量など加えるべきではない。



【タイトル】2月28日(月)
【 日時 】05/03/04 20:24
【 発言者 】根石吉久

<スコタイ>

 ゲストハウスを変える。歩いて一分のところにあるTR。ここはいい。今までで一番いい。
 飯を食って、コーヒー屋で紅茶。ネットにつないで書いてきたものを少し書き移し、午後は洗濯だけする。今日は他は何もしない。
と、午前中に決意のようなものをしたが、崩れた。朝飯兼昼飯は肉まん2個をコーヒー屋へ行く途中で買い、コーヒー屋のオープンテラスの日影で牛乳とホット ティを注文して済ませた。その後町の中を歩き、安いインターネットカフェに行く。インターネットカフェの安いところを探すのは割と簡単で、昼過ぎに中学生 (だと思う)が群れているところがいい。今回は「大風呂敷」を画面に表示させるのに手間取り、店の人に手伝ってもらった。1時から3時頃まではまともに暑 いので、インターネットカフェにいるのは妙案である。みつけた店は軽く冷房が効いていて、足元が寒いということもない。3時過ぎ、また町を歩く。早くも屋 台が出ているので、米の粉を水で溶いて、多分卵と砂糖を混ぜて、たこ焼きを焼くときの半円球の穴がへこんでいる鉄で焼いた食べ物を買う。焼いてもらって 待っている間に、ビールが飲みたくなった。ちょっとビールを買ってくると断って歩く。たいてい20〜30メートル以内の距離にビールはある。
 戻ってすぐ、食い物が焼けたので、それをつまんでビールを飲んでいるつい数メートル先に団子状のソーセージがあるので、1個1バーツで5個買ってそれも つまみにする。それだけでほぼ満腹になってしまった。
 まだ熱のある空気の中を歩いてゲストハウスに戻ったら、日本語で話しかけてくる人がいた。ゲストハウスの広いテラスで話す。一年のうち半年(秋から春先 まで)をタイで暮らしている年金暮らしの日本人だとわかる。桜が咲いた頃に日本に帰り、紅葉が始まる前にタイに戻るのだそうだ。うらやましい。その人と話 していたら、あたりが暗くなった。部屋に戻ってシャワーを浴びて、煙草が喫いたくなったので、テラスに戻ったら同じ人がいた。再び長く話す。ほとんどがタ イの話。遠藤周作の「王国への道」という本がタイの仏教や人を知るのにいい本だと教わる。
時計を見たらすでに日本に電話するには遅い。電話をやめて、フットマッサージの店に入る。やはりたっぷり一時間はやってくれる。大あくびを4、5回した。 150バーツ。
 というわけで、午後の暑い時間に洗濯をする予定は崩れ、夜になってから洗濯した。チェックアウトの昼12時までに洗濯物が乾きそうにないので、明日もこ のゲストハウスにいることになるだろう。洗濯物が乾くか乾かないが、旅の移動を左右する程度の気楽な旅である。なるべく何もしないで、なるべく退屈してい ることにする。ようするに午後の暑気をやりすごして、だらだらしているだけのことだが。ネットにつないで字を書いたりしているのも、その一環である。そう していれば、午後をやりすごすことができるのだ。洗濯は夜でもいいのである。



【タイトル】3月1日
【 日時 】05/03/04 21:46
【 発言者 】根石吉久

 10時頃起きる。喫茶店で紅茶の後、すぐに集合屋台あり。イカ、エビ、野菜を炒めたものを飯にぶっかけたもの食う。その後、インスタントコーヒー。ネス カフェなどのインスタントコーヒーも屋台のメニューのひとつになっていることがあり、メニュー上の名前も instant coffee である。
 インターネットカフェで午後の暑い時間をつぶす。4時半までいて50バーツ。
 また屋台でビールと飯。
 明日バスでバンコクに行こうか行くまいか迷う。もう一日ここにいて、バイクを借りて、スコタイの遺跡をもう一度見てこようかとも思う。



【タイトル】3月2日
【 日時 】05/03/04 22:07
【 発言者 】根石吉久

 11時頃起きる。バンコクへ移動することにする。荷物をまとめてチェックアウト。ゲストハウスのテラスで朝飯。紅茶とツナサンド。このTRというゲスト ハウスは、バスターミナルまで無料で送ってくれる。出かけようとしているところへ、ちょっと待ってくれという男がいて、少ししたら連れの女が玄関に現れ た。3人で車に乗り込む。途中で男がオーストラリア人、女が日本人だとわかる。ミャンマーに行くので、ビザをとるためにいったんバンコクへ行くのだとのこ と。バンコクで泊まる場所は決まっているかと聞かれたので、決まっていないと言うと、コーサンローへ一緒に行かないかと言われる。コーサンローなんて聞い たことがないが、今日一晩はどこでもいいと思い、OKを言う。後でコーサンローはカオサンのことだとわかる。カオサンなら知っている。カオサンロードとカ タカナで書いてあるものを、英語ネイティヴが言うとコーサンローになる。
 バスの中は寒い。長袖のシャツをバッグから出し、膝のうえに毛布代わりに広げて、いくこからもらったガイドブックを読んでバスの中の時間をつぶす。バン コクまで7時間半だとのことだが、スコタイをバスが出た時刻もバンコクに着いた時刻も知らない。時計が壊れたが買ってないので、時刻を知らずに動いてい る。
 カオサンに着く。オーストラリア人とその連れと入ったところは、320バーツもとるがが部屋に窓がない。サワディなんとかというチェーン化したゲストハ ウスだ。よろしくない。三畳ほどの部屋にシングルよりわずかに大きめのベッドを置き、ダブルと称している。オーストラリア人はカオサンは安いとしきりに 言っていたが、カオサンなんかもう終わっているのではないか。少しも安いという気がしない。明日すぐに部屋を変えるつもりで、カオサン通りを見物に行く。 ひたすらやかましい白人(ほとんどがアメリカ人と思われる)の町。ネオンがやかましく、音楽がやかましく、けだものじみたうさばらしがやかましい。飯を食 い、宿に戻りシャワー。
 この前来たときにTさんに紹介されたスクンビット通りのソイにある旅社の名刺をどこかに持っていたはずだと思い出し、手帳にはさんであったのをみつけ る。この前来たときにもらって、日本に帰ってからかばんの中を整理しないでおいたから、そのまま持ってきてしまったものだ。
 あるいはカオサンはやかましいとしても、宿の位置自体はお寺の裏へ回り込んだようなところでやかましくないから、すぐ近くに400バーツでエアコン付き の看板を出しているところを明日あたってみることにするか。
 いずれにせよ、カオサンがバンコクのどのあたりにあるのかガイドブックにあたって調べてみなければならない。それさえ知らずに泊まっているのだ。



【タイトル】3月4日
【 日時 】05/03/04 22:49
【 発言者 】根石吉久

<バンコク・カオサン>

 3日の分は、直接ネット上に書いたので記事が前後する。

 11時頃起きる。フカヒレとやらを食ってみようと思って、外に出てすぐにバイクタクシーにつかまる。ものはためしだと思い乗ったが、非常に怖い。他のバ イクをがんがん追い抜いて走る。左手で尻の後ろの金具をつかんでいるだけでは体が安定しないので、右手で運転するやつの右肩をつかむ。うるさそうにする が、ともかくこいつの肩をつかんでいないと危なくて乗っていられない。車と車の間を右に左に縫って走るが、どう見ても駄目だろうと思うくらい狭い間隔に平 気でつっこんでいくので、思わず両足を固くすぼめる。何の駅か知らないがスカイトレインの駅が見えたので、ここでいいと肩を叩いて、バイクを止めさせる。 とにかくなるべく早く降りなければならない。見えた駅は登ってみて、ナショナルスタジアムだとわかる。そこから一駅乗って、サイアムスクエア。きのう暇 だったので、ガイドブックを見て、フカヒレの店に目星をつけておいた。「フカヒレ、サイアムスクェア駅から徒歩5分、ペナンシャークフィン、p98、 p82」とメモして、ガイドブックの該当ページを書いておいたのに、ガイドブックを宿に置いてきたことに気づく。方々歩き回り、何ケ所で人に聞いたがわか らない。最後に客待ちしているタクシーの運ちゃんに聞くと、そこだと指さす。10メートルほど先に確かに中華料理屋はあるが、それは「ペナンシャークフィ ン」ではなくて、「中上魚翅」という別の店。「ペナンシャークフィン」のシャークフィンのところだけ聞き取って、ものを食べるしぐさをしたので、俺がそう だと言ったら、ただ単にフカヒレを食わせる店を指さしたという次第だろう。 Good? と聞くと、うんうんと言うからその店に入る。
 フカヒレは質で中と上がある。皿の大きさでそれぞれに大・中・小がある。上の小を頼み、飯はカニ飯とする。フカヒレは期待したほどのものではない。カニ 飯がうまかった。テーブルの上にはキッコーマンの醤油とヤマサの酢醤油がある。飯にちょっと醤油を混ぜて食うのがうまい。皿の底にひっついているおコゲが うまい。そういえばおコゲのうまさというものがあったなあと思う。しかし、1000バーツ以上も払って、おコゲにしみじみしているのもいかがなものか。フ カヒレの方は、屋台で食うタイ料理に負けている。タイ料理は、中華料理とタイの調理法とが非常によく混ざったものらしいが、混血料理の方がうまいのだ。値 段も10分の1くらいに安い。下手な中華料理よりも、屋台のタイ料理に軍配を挙げたい。まあ、この店の数倍の金を払ってフカヒレを食えば、話はまた別だろ うが、その手のグレードにはまったく興味はない。数千バーツ払って、実質的な味の勝負で、15バーツ、20バーツの屋台料理と同じということはありうるの だ。15バーツ、20バーツの食い物は味の素を混ぜ込んであることが多いだろうが、200〜300バーツ出してまともなタイ料理を食えば(チェンマイの フーフェンがそういう店だった)、数千バーツの中華料理に負けることはない。今回は千バーツ前後の中華料理で大したことのないものにぶつかったということ で、こういう不運はここに住んでいるのでないから(あるいはガイドブックを忘れてきたから?)仕方がない。フカヒレを食った同じテーブルで、口直しにコー ヒーを頼み、ここまで書いた。少し冷房が寒いので、また外を歩き回ることにする。
 珍しく曇り空なので直射日光がなく歩きやすい。サイアムスクェアを歩いて、小便する場所を探す。どこの国でもそうだろうが、人にていねいに口をきく必要 はないと決めてしまった人というのはいて、建物のまわりを掃除しているおばちゃんに聞くと、口を開くのもいやそうに、 TOILET なんかないと言う。歩き回っているうちに、タイに来てすぐご一行と一緒にラオス料理を食ったレストランの場所に出る。店は二階で、三階にトイレがあること を知っていたので、三階に行きほっとする。また歩き回るが十代二十代向けのファッションの店が多いのでじきに飽きる。
 道端のベンチで喫煙してから、タクシーを止め、ジム・トンプソンの家に行けと言う。初めわからなそうな顔をしたので、ジム・トンプソンという名の店では なく、ジム・トンプソンが住んでいた家だ、ミュージアムだと念を押したら、わかったと言う。ひどい渋滞。2箇所でひどく長く信号待ち。
                



【タイトル】3月4日(続き)
【 日時 】05/03/04 23:31
【 発言者 】根石吉久

 ジム・トンプソンといえば絹だという先入観があったので、絹を見るつもりだった。しかし、日本語ガイド付きで回ったところに展示されていたのは焼き物が 多かった。古伊万里がひとつあった。ベンジャロン焼きも古色が出ると見られる。今のタイの木彫りの細かさから言えば、かえってざっくりした感じの木彫りの 調度品があるが、これもいい。いやなものはないが、すごいコレクションだとも思わない。松本の民芸館の方がましだ。
 ガイド付きの巡回が終わって、もう一度一人で中を回ろうとしたら、ガイドにつかまって、一人で勝手に歩いてはいけないと言われる。割れたら困るものが多 いから、必ずガイドと一緒に動かなければいけないと言われる。だったら俺が好きなように歩くから、あんたが俺の後をついてくればいいと言ったら、OKと言 う。もう一度、立ち止まりたいところに立ち止まって、中を見て回る。ガイドはずいぶん長いこと俺の後を歩いた。いいのかなあ、俺ひとりにひっついていて。
 ジム・トンプソンが住んでいた建物と喫茶店の間が池になっていて、赤、白、黒の魚が泳いでいる。鯉かと思ったが鯉ではなく、南方の魚である。でかいやつ は、日本でも水槽で飼っているのを見たことがある。スイレンが咲いている。喫茶店のオープンテラスで、ココナッツとパイナップルのアイスクリームを食べ る。ココナッツ部分を食べ、パイナップルの部分を食べ、次に両方を混ぜて食べる。混ぜて食べるのが一番うまい。
 建物の中にいたとき、ガイドが言っていたが、昨夜雨が降ったそうだ。知らないでいた。今日曇りなのは、その後のぐずつきなのだろうが、おかげで午後も外 歩きができる。まあ、しかし、やたらに動きたくもないので、ここが閉館になるまでここに腰掛けていようと思う。

 帰る準備といって特にないが、そろそろ旅行記は終わりにする。
 そういえば、ジム・トンプソンの家で、本を買ってしまった。日本語の本だが、シンガポールで出版されたやつで、「ジム・トンプソン失踪の謎」とかいう本 だ。
 明日、明後日は本でも読んでまたぐたぐたしていたい。



【タイトル】3月5日
【 日時 】05/03/05 21:21
【 発言者 】根石吉久

 もう書かないつもりでいたが、ちょっとキリピーと俺にとっていいことがあったので、書いておく。
 もうタクシーに乗るのもトクトクに乗るのも飽きたので、昼飯を食ってからカオサンから北の方に向かって大通りを歩いた。カオサンは好きではないが、スク ンビットの方に宿を変えるのを面倒くさがって、結局今もカオサンにいる。北の方に歩いて行って、二つ目の運河の川端に植物を売っているところがあった。素 焼きの植木鉢の大き目のやつを売っている店があったので、店の前をぶらぶらする。植木鉢だけ売っている店の店先で、これらの品物はどこから来るのかとたず ねたが、店の人は英語がわからず、俺はタイ語がわからない。しかし、ちょうど通りかかった西田敏行に似た人が、チェンマイやチェンライから来るのだと教え てくれた。生産現地に行けば、こういう店で買うよりやすいだろうが、俺が飛び込みで行っても、彼らは品物を売るのかとたずねたところ売るとのこと。バンコ クの回りにも、焼き物を焼いているところがあるし、親類にその工場を持っている者がいると言う。これから行かないかと誘われる。スコタイで、にせタイマッ サージ師にえらい目にあったが、またついて行く。市内巡回バスに乗る。ガイド付きだから心配が要らない。バスを乗り間違えたらしく途中で降りて、タクシー に乗る。結構長いこと乗っていた。だんだん店の建物がそっけないものになっていき、住宅街に入る。タクシーが止まったところは、完全に住宅街の中なので、 焼き物の工場ではないではないかと言うと、兄が住んでいる家だという。
 家の中にあがり、兄さんだという人と話す。客船の客を世話する仕事のチーフをやっているとのことだが、途中から船の中でのギャンブルの話ばかりになり、 やめさせるのに手間どった。焼き物の大型の鉢を買いたいこと。上薬のない、あるいは上薬の薄いもので、素焼きの肌が見えているか、肌がわかるものがいいと いうをわからせるのに、手間どった。磁器で薄く硬いもの、上薬のきれいなものを欲しがっているかのように思い込んでいるので、この思い込みをほどくのに手 間取る。庭に素焼きの鉢があるので、庭に出てこういうやつだと指さす。 earthy なものという taste をようやく理解してくれた。庭のコンクリートが年を経ていたので、コンクリートを指さし、これは単なるコンクリートだが、年をとって earthy になっていると言ったら、こちらの言っているなんというか、texture を理解した。この人の奥さんのいとこが焼き物の工場をやっているのだとのこと。
 まずはカタログを郵便で送ってもらうこと、その中から選んだものをサンプルとして現物を無料で送ってもらうこと、船便の料金は俺が負担すること、気に 入ったものがあったら、10個20個程度を単位として注文することなどを決め、メールアドレスを交換する。
 おかあさんが高コレステロールで入院しているので、俺をこの家に連れてきた弟の方は、おかあさんの見舞いに行くとのことで、帰りは一人で帰る。タクシー に乗りカオサンに戻ったらすでに薄暗くなっていた。
 日本に電話するがかからず。
 ようやくバンコックに穴をあけたと思う。
 船便の料金が心配だが、これが商売として成立すれば、おそらく他の雑貨の仕入れ先を探すことの手がかりになるはずだと思う。やってみなければわからない が、タイ人は横のつながりが非常に強く、一人のタイ人でもさまざまな商売・職業にコネクションがある。
 これまでは小売の店から仕入れたものを日本に持ち帰り、店に並べていたのだが生産現地から仕入れた方がいいに決まっている。これが手がかりになるといい のだが。
 ぶらぶら歩きで、何がひょっこりと飛び出すものかわからない。

 いよいよ、タイ滞在も残り少なくなった。
 書くのはこれで最後にしたい。