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2000年9月
9月7日 午前1時20分
しばらくずっと、妻の自宅に居候をしていた。
この間、車のことでごたごたしていた。
中野で仕事を始めたので、週に一度は必ず高速道路に乗る。これまで乗ってきたジムニーで高速道路を走るのはけっこう怖い。特に小布施の雁田山のあたりで、強い風が吹き、車体が不安定になる。ジムニーは背がある割にとても軽い車で、雪道や砂だらけのところを走ると、軽自動車のくせにここまでやるかとあきれるくらいの走り抜けをやる。しかし、高速道路は駄目。特に高速走行中の強風が駄目。80キロ、90キロで走るだけで結構疲れる。そもそもスピードメーターが90キロまでしかない。メーターの針を振りきって走ることがしばしばあるが、エンジンにはよくないだろう。このジムニーには愛着がある。35万円で買った安い車だったが、今も未練はたらたらだ。しかし、高速走行用の車と、悪路走行用のジムニーを二台持つ余裕はない。涙をのむことにした。
ジムニーを手放し、高速に乗るのに具合のいいやつを探し始めたのが、盆前だった。稲荷山自動車さんに頼んで、長野ファーレンの桜井という営業課長と会った。レガシーB4、フォレスターなどスバルの車もいいと思ったので、それらも試乗したが、フォルクスワーゲンのゴルフの剛の質が気に入って、長野ファーレンの桜井と交渉が始まった。予算は200万円前後、できたら、総経費200万円未満で買いたかったので、ゴルフを探すなら中古にしようと思うと言うと、桜井がちょうど今GTIが塗装工場に行っているという。一週間待ってくれと言う。一週間待ったが、車は来ない。10日以上待ってから車に乗ったが、発進後、セカンドのギヤに入れるともたつきがある。ハンドルは時速90キロでがくがくする。半日走っていれば、2度か3度、ローギヤに入らないことがある。なめとんのか、と思った。塗装だけぴかぴかにして、あちこち不具合だらけの車を持って来たのだ。ローギヤに入らないことに気をとられて、乗って翌日、さっそく車体の脇に小さなこすり傷を作ってしまった。これは、友達の板金塗装をやっているやつに3万円で直してもらうことにしたが、その後、「やじろべえ」に車を乗って行ったところ、ゴルフにうるさいTさんがいたので乗ってもらった。こんなのは駄目だという判断だった。本来、ギヤをきり替えるタイミングにいちいち気をつかうほどトルクのない車ではない。とても、スポーツ仕様のGTIとは言えない車だという。おそらく、Tさんが指摘したことは、俺が平地を走ってセカンドギヤの前半がもたもたともたつくと感じていたことや、地蔵峠のヘアピンカーブを曲がった直後にへたりこんで、まるで盛り返さないことに持っていた不満と同じところを突いているのだろう。
ゴルフは、おとなしく乗ろうと思えばとてもおとなしく走る。しかし、飛び出そうと思えば飛び出す。つまり、羊の皮をかぶった狼みたいなところがちょっとある。それなのに、長野ファーレンの桜井が稲荷山自動車に持ってきたゴルフGTIは、羊の皮をかぶった山羊なのだ。羊の皮をかぶった山羊なんかだったら、サニーの新車を買いますよ、と稲荷山自動車さんに言った。
左ハンドルのGTIがもう一台あると桜井から聞いていたので、稲荷山自動車さんに桜井に連絡をとってもらい、桜井の営業先から長野ファーレンに連絡をとってもらい、長野ファーレンまで、稲荷山自動車さんと俺とで行った。ところが、長野ファーレンに着いてみると、その車は上田ファーレンに行ってしまっていてすでにないことがわかった。無駄足だ。やがて桜井が営業先から戻る。ろくでもない車を稲荷山自動車に持ち込んで、俺と稲荷山自動車を馬鹿にしたことについても、俺と稲荷山自動車さんとで長野まで出掛けた足を無駄足にしたことについても謝ることがない。腐っていやがるのだ。長年、ガイシャなんぞ売ってきて、娑婆をなめることだけ覚えやがった男なんだと俺は値踏みした。
帰りの車の中で無性に腹がたってきた。ハンドルのガタについてだって、気がつかなくて申し訳なかった程度のことを言うがいい。そうすれば、40キロ前後で一度、90キロ前後で本格的にブレるハンドルに、車の営業を長年やってきたあんたが気がつかないってことがあるか、とまでは俺は突っ込まない。こっちが逃げ道を用意してやっているのに、一言も謝るということがないので、この男は駄目だと思い、翌日、稲荷山自動車に行き、桜井から買う気はないと言った。
ごたごたが長引いたので、記憶が錯綜しているが、多分、長野ファーレンまで行って、無駄足を踏まされた日の夜、ナカピロンが遊びに来て、自分の友達に上田ファーレンに勤め始めたばかりの男がいると言ったのだろう。そいつに探させようかと言った。是非連絡をとってみてくれと頼んだ。
その翌日だったか、上田ファーレンの人から電話があった。自分が探すのは難しいと言う。なにぶん新入社員だと言う。長野ファーレンの桜井は長くガイシャの営業をやってきて、営業課長とやらいうたぬきだ。それは俺の判断だが、同じ会社の新入社員が、その営業課長が途中までやった仕事をとるわけにはいかないという判断は、その新入社員が上司におうかがいをたてた上での判断だ。へええ、と思った。会社というところはおもしろいところだ。馬鹿らしい。
稲荷山自動車さんは、長野ファーレンの桜井に本気で探させるからもう少しだけ時間をくれと言う。それならそれでお願いすると返事をしたが、9月に入ればすぐにみつかるだろうと言われた車がいつまでもみつからない。根石さんが不満をもたないグレードのものを探しているからと言われたが、俺は特別な車を探してくれと言っているのではない。ハンドルががたつかない車、素直にローギヤに入る車、ヘアピンカーブを曲がってへたり込まない車、セカンドギヤの前半でもたもたしない車、要するに普通のゴルフの性能を求めているだけだ。こんなものはゴルフではないというような車を、ゴルフとして買う気はないと言っているだけだ。
とにかく、桜井という男が間にいると埒があかない。俺はあの男は嫌いだと稲荷山自動車さんに言った。桜井は、こちらが気に入らないと言っているのに、稲荷山自動車に車を置いたまま取りにも来ない。スズキのディーラーだったら、売れなかったとわかれば翌日には取りにくるという。桜井は2週間以上も、羊の皮をかぶった山羊ゴルフを取りに来ない。こちらにあきらめさせて買わせる魂胆かとも勘ぐった。
Tさんに乗ってみてもらうまでの間に、俺がはっきり指摘した問題は、ハンドルのガタ、ローギヤに素直に入らないことがあることの二点だった。この二点については、直せると稲荷山自動車さんが言ったので、購入の契約書にハンコを押した。ところが、Tさんに乗ってみてもらって、はっきりとエンジンに問題があることがわかって、とにかく山羊ゴルフは突き返すことにした。こちらがハンコを押してあるのだから、法律を盾に取れば、長野ファーレンや桜井は、違約金を請求することもありうる。そうなればとことん喧嘩をするだけのことだ。とにかく、ここで山羊を買うわけにはいかない。
桜井という男のやることのいちいちに誠意というものがないので、誠意のかけらしか持ち合わせのない俺も業腹となった。
やかましわ。新車買ってやると決めた。買うにつけては、絶対に桜井からは買わない。上田ファーレンに電話した。新入社員は、新車を売るのでも、長野ファーレンとごたごたしたお客に売るのは売りにくいと言う。いいじゃねえか、新入社員から新車を買う。いい話じゃねえかと俺は言ったが、どうもその、というような感じだった。
どうすりゃいいんだ。長野ファーレンや桜井は嫌いでも、ゴルフは好きだ。そう思って困っていると、ある人から耳よりの話を聞いた。ファーレンより、DUOの方が値引きしますよ、ということだった。DUOというのはどこにあるんですかと聞いたら、川中島の西友の近くのトヨタがやっているとのことだ。
すぐにDUOに行った。これまでのいきさつを話す。おたくは俺が買う場合いくらまで値下げするのか。俺はとにかく稲荷山自動車さんから買うが、俺が買う場合の末端の価格をここで出せるのかと聞いた。15万ほど値引きしないかと聞いたら、14万までならできると言う。それで買うことにした。お宅から稲荷山自動車さんに渡す車の金額は聞く必要はない。それは俺が知る必要はない。とにかく、稲荷山自動車さんが、自分で儲け幅を決めるためにお宅(DUO)と交渉できる形にしてくれ。その形で俺は買うとDUOの人に言った。
翌日、寝ている時に携帯電話が鳴った。ねぼけたままで電話に出る。
DUOは、業販はやらないと言っているとの稲荷山自動車さんからの電話。俺が飛び込みでDUOに行き、DUOに稲荷山自動車さんを紹介している、つまり業者に業者を紹介しているのだが、その形だと業者間販売になる。逆に、稲荷山自動車さんが俺をDUOに紹介した形にし、俺が直にDUOから買う形をとらなければDUOは車を売らないらしい。トヨタの大名商売だ。稲荷山自動車さんには、紹介料という名目の金が出るのだそうだ。金の名目は俺は何でもいい。稲荷山自動車さんの声が、俺はもう引きたいという感じの声だったのを思い出し、茶の間でお茶を飲んでいる間に気持ちがもやもやした。なんだかすっきりしない。稲荷山自動車さんに電話する。どうもすっきりしないと伝える。しかし、DUOの営業マンがお宅に向かっていて、もう着く頃だろうと言う。
やがてDUOの営業マンが着いた。俺は最初におたくに行った時、あくまで稲荷山自動車からゴルフを買うということで相談した。稲荷山自動車さんが、自分の儲け幅をDUOと交渉して決められる形で俺は買うのだとはっきり言ったはずだ。そうDUOの営業マンに言う。稲荷山自動車さんは、俺と長野ファーレンとの間のごたごたの中に立って、かなりの手間をつぶしている。俺が面倒な話を何度もしに行って、仕事の途中で仕事をやめて、俺とつきあってもらったりもしたのだ。だから、稲荷山自動車さんが自分で儲け幅を決められる形でなければ、俺は気持ちがすっきりしないとDUOの営業マンに言う。
わかりましたとDUOの営業マンは言った。稲荷山自動車さんに行って、話をして来ますと言った。DUOの営業マンが行って10分後、稲荷山自動車さんから直接に電話があった。稲荷山自動車が俺をDUOに紹介した形で買ってもらいたいとのこと。わかりましたと答える。DUOのこの機敏さは、桜井なんぞとは雲泥の差だ。
DUOの営業マン二人が、稲荷山自動車に交渉に行くとき、新入社員の方の若いやつが、「行ってきます」と言って、玄関を出ていったのを妻が聞いたそうだ。あの子はかわいいと妻が言う。稲荷山自動車さんから電話があって10分後、DUOの営業マン二人が戻ってきた。一人はベテラン、一人は新入社員で見習い中という感じの、中年と若者の二人だ。
それで、そのかわいい新入社員と中年のベテランと再度話すことになった。
もやもやがすべてすっきりしたわけではないが、稲荷山自動車さんが、DUOの融通の利かない形でいいから買ってくれと言うから、買うと答える。稲荷山自動車さんへは、DUOからちゃんと部品は出すのかと聞くと出すと言う。俺は、稲荷山自動車さんにやってもらえる修理は、これまでと同じように稲荷山自動車さんにやってもらうつもりだと話す。
すべて話が済んで、字をいっぱい書いて契約書にハンコを押した。
後は無駄話。車の色は黒に近い青。この色の車は、ときどきよく拭かないと汚れが目立つから大変だよと小山さんから聞いた。小山さん、心配するな、まかせてくれと俺は言った。新車を買ったきり、一度だって車を洗うなんてことはするつもりがないから、と小山さんに言った。その話をDUOの二人にして大笑いした。とにかく俺は車なんかについてはずぼらだから、オイル交換した方がいいような時がきたら連絡してくれないかと新入社員に言った。
この数日のことは車のことばかり。
いくら体が疲れていても、長野ファーレンの営業の承知できない点は承知できない。
長野ファーレン、桜井。ゴルフのことは知り尽くしていると豪語する二流の根腐れ営業。
とぼけて生きていられると思っているのか。
金を積めば、固有名詞を消すインターネット上の掲示板がいっぱいあるとナカピロンから聞いた。俺は億の金を積まれても、長野ファーレンという固有名詞、桜井という固有名詞をホームページから削除する気はない。
なめやがって。
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9月18日 朝7時19分
昨日、チビが車に轢かれて死んだ。
自宅自作現場からスコップを持ってきて、庭に穴を掘り埋めた。
俺がウイスキーを飲んでいた小さなコップをマウンドの上の石に置き、アカマンマの花を入れた。猫缶をひとつそなえた。水も小さなコップに入れて置いた。
慶澄さん、空海の素読の初日。チビのためにお経を頼もうかと一瞬思ったが思いとどまる。
人間の勝手で猫を飼い、人間の運転する車に轢かれて死んだ猫に、人間の言葉に属する言葉でお経を唱えてもらっても、猫は浮かばれない。
娘が東京から帰っているが、娘も妻も俺も、夜になってもチビのことは一言も話さない。
夜中3時過ぎ、自宅自作現場へ。
シナリオ「ゴースト」を夜が明けるまで声に出して読み続ける。
声を出すのをやめると、チビの姿が思い出されれて駄目だから声を出して読む。
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