「日録」へ


2000年8月




8月1日 午前2時40分

 昨日。
 現場を休む。稲荷山自動車へジムニーのマフラーを直してもらうために行く。いくらくらいかかるか聞いたら、部品屋に電話して調べてくれたが、物の値段だけで4万5千円だとのこと。考えてしまう。中野の教室があるから、週に一度は高速道路を使う。いっそ新車を買おうかと言い出して、話が長くなる。候補は、以前に考えたフォレスターと、レガシーB4とゴルフ。2時間ほども稲荷山自動車にいただろうか。その後、やじろべえでコーヒー。ここでも車の話。一日、車のことを考えて日が沈んだ。
 月曜インプット教室。東山と吉田さんが、復習だけやる。教室終了後、B4を買うと一度は決める。しかし、とまた迷った。現場の作業がはかどって、冬に自宅自作現場に住めるならいいが、そうでないと結局桜の木の下に車を止めることになる。鳥の糞がやはり心配。冬の間だけ乗るために、5万・10万程度の安い車をみつけてもらい、現場を先に進めることが先決だというのが、理性のおっしゃることであり、それが正しいのはわかる。しかし、いつまでも生きているわけでもない。乗りたい車に乗るべきだとも思う。木曜日にゴルフとフォレスターを試乗することになっている。迷いに迷う。
 午前1時半頃、自宅自作現場へ。山本かずこ「不忍池には牡丹だけれど」読む。

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8月2日 午前4時35分

 午後2時起きる。この二階は結構真夏に寝ていられるとわかる。午前11時にいつもの通り、携帯電話の目覚まし時計が鳴ったが無視。そのまま2時まで寝る。よく寝たと思って、なぜ少し前に毎晩眠れなかったのかがわかった。要するに、寝過ぎるからだ。寝過ぎるから、夜中になっても眠くならない。朝まで起きていると、車の音がうるさくて寝つけない。あるいは、寝つくときになって、暑いから眠れない。寝過ぎることと夏との組み合わせのせいで、眠れなかったのだ。眠れないのが何日か続くと、ごそっとまとめて寝る。どうして眠れないのかと思っていたが、昨日はどうしてこんなに眠れるのかと思うほど寝た。
 妻のいる自宅へ。飯。お茶。新聞。暑い。やじろべえへ。磯崎さんと吉田さんに会う。吉田さんは英語の勉強をあまりやらない。その調子だと、英語が使えるようになるのに300年ほどかかりますよと言ったが、あまりやらない。500年生きているなら、300年かかっても、200年は使えるからいいんだがと言っても、単なる冗談にされてしまう。磯崎さんに、俺のやってる現場見ませんかと言ったら、見る見ると言った。吉田さんを放って現場へ。欲張りすぎたねと言われる。そうなのだ。この家の設計段階では、娘が小学生だったから、子供部屋があった。その後、ガウディをやっていたら、さっさと娘は大きくなり、今は大学生であり、田舎に帰って来るものやら来ないものやら。だから、途中で子供部屋はなくし、パララムを採用したのだった。しかし、一階部分は、設計図の大きさで作ったから、総二階ではなくしても、いまだでかい。やがて、妻来る。その後、吉田さん来る。
 磯崎さんと吉田さんが帰って、妻と現場をやる。妻はカインズへツーバイシックスを6本買いに行く。先日、接着剤だけで仮に留めておいた木をネジで堅結。ブロックの天端にボンドを置き、断熱材を施工。ブロックの壁にとりつけた断熱材との間に隙間ができるので、コーキングで処理。捨て張りと、気密性確保を兼ねる合板を一枚張る。今日、床材にフローリングを使わず、ツーバイシックスを使うと妻と考えて決めたので、合板の捨て張りの下は、転び止めが効くだけの処理。床の剛性はツーバイシックスで出るはずだ。
 夕方7時20分、現場中断。妻の自宅に帰宅。風呂。現場二階に老眼鏡を忘れてきていることに気づき、とりに戻る。寿司おんどで百円寿司5枚とみそ汁。やじろべえへ。インプット専用教室。皆さん、なかなか練習が進まない。晶子だけ、けっこう進む。普段、素読舎を使っている人とそうでない人とでは、雲泥の差があるのがわかる。
 やじろべえ教室終了後、Kさんの一対一のレッスン。「電話でレッスン」をやりたいと申し込んでくれたが、場所さえあれば直にレッスンできる。現場二階でやる。Kさんは、極端に虫が嫌いで、レッスンの途中でコガネムシをみつけ、センセエエ、コガネムシイ、と大きな声を出した。仕方がないので、コガネムシイイイをつまんで、窓の外に放る。おまいさん、俺は大きな虫のようなもんだが、俺は気にならないのかと言ったら、まあ、なんとか、努力して、人間だと、思えば、との返事。レッスン後、飲みにいかないかと誘ったが、今日会社をさぼったから、明日はちゃんとしなければならないとのことでさっさと帰る。
 レッスン後、妻用自宅に電話するも返事がない。腹が減る。妻用自宅へ帰宅。風呂からあがったばかりだったので、風呂で湯を使っていたから、電話に出なかったことがわかる。心配して損したと言えるのかどうか程度には心配した。腹が減る。ひとりで上山田・舞鶴へ。日本酒ぬる燗。ざる蕎麦。釣りの話になる。日本海へ発電器を持っていって、梅酒用の瓶に小さい蛍光灯を入れ、海の中へ沈めると、その回りに集まる小魚を食おうと大きい魚が灯りの下に来る。それをサビキだけで釣るのだという話。なあるほどと思った。コンセプトは理解したと思う。やってみたい。
 午前2時現場に戻り、床根太とりつけ。大して進捗ないまま、空が明るくなる。
 上山田からの帰りに買ってきた、「無頼派」やらいう酒と「Grand Blue」という水みたいなものを交互に飲む。
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8月4日 午前2時40分

 久しぶりに午前中に起きる。戸倉の駅へ行き、ティシュペーパーを買い脱糞。次に、戸倉駅で駅ソバ。ワカメソバだが、とてもまずい。こんなにまずかったっけと思う。
 屋代方面へ。途中、ホンダの店に寄り、オデッセイに乗らせてくれませんかと頼む。営業の人が助手席に乗る。冠着山の裾から、千石の小学校の前を通り、姨捨駅へ。さらにもう少し登り、聖湖へ行く道にぶつかったところから下る。八幡へ降り、ホンダの店に戻る。オデッセイはもっときびきびした車かと思っていたが、山道では非常におとなしい車。アクセルを踏むと、途中でちょっとひっかかる感じがある。サスペンションはちょうどいい固さ。坂道では、2300CCあるとは思えない非力な感じがある。そのくせ、マニュアルシフトはなく、オートマチックのみだという。話にならない。高速走行性はよさそうだが、高速道路には乗らなかった。
 やじろべえに寄る。コーヒーを一杯飲んですぐに稲荷山自動車へ。長野ファーレンという会社の営業の人がワーゲンゴルフを持ってきてくれてあった。すぐに乗らせてもらう。まずは、桑原から山道へ入る。乗ってすぐ、この車は違う。まるで今まで乗ってきたものと違うと思う。ドイツの大衆車だそうだが、いやらしい尻の振り方がない。カチッとしている。ハンドルが小さい感じで、腕の動きに反応しすぎる感じはあるが、これは慣れれば問題ないだろう。アクセルのバネがちょっと強すぎる。エンジンはオデッセイより小さく2000だが、同じオートマでも登坂能力はこちらの方がいい。途中で、営業の人がガソリンが残り少ないのを気にしたので、坂を下る。国道に出て、ガソリンを入れている間、デザインをながめる。可もなく不可もない。内装はいい。いやらしさがまるでない。更埴インターから長野インターまで高速に乗る。車幅が狭いせいか、100キロを越えると高速感が増す。車自体は非常に安定しているのだが、高速の体感度があり、他の車が近くにいるときにスピードを出す気になれない。帰りは、流れに乗ってゆっくり帰ってきた。ワーゲンの営業の人は篠ノ井に試乗の人がいるということで、稲荷山自動車でいくつかのワーゲンのタイプについて手短に説明した後、篠ノ井へ向かった。
 フォレスターで長野ファーレンへ。ワーゲンのシルバーの中古があるというので、その色具合を確かめに行く。シルバーでもいいかという気になる。ブラックがいいと思っていたが、ブラックは汚れと傷が目立つそうだ。ずぼらな者にはシルバーがいいと言われたのもその気になった理由だ。一つ古いタイプの車は、シルバーの方がいいかという感じもある。
 フォレスターは、安定感はある。路面は拾うもののふわふわした感じがある。最初は乗って楽な車だと思ったが、すぐにふわふわした感じがいやになった。安定感は、前後のタイヤの距離によるものだろうか。加速も、アクセルをある程度踏み込んだままでいると、オートマのギヤが次々につながり前に車がいないときは非常に楽。ゆっくり加速していくと、ギヤが変わるのがごつんとわかる。
 ワーゲンのギヤが変わるとき、桑原の上の方で、一度まるで性格が変わったように違う音になったことがある。一挙に爆音みたいなものに変わる。ちょっとした「羊の皮をかぶった狼」だ。
 稲荷山自動車に戻り、ワーゲンにするという話をする。今のワーゲンの日本仕様では、マニュアルのギヤシフトはGT1というタイプにしかなく、これは新車では290万もする。諸経費込みで320から330万になる。金がない。この理由で、3万キロ乗った一つ古いタイプのGT1の中古を買いたいと稲荷山自動車さんに言う。おそらく170万円前後だろう。諸経費込みで200万ちょっとか。
 稲荷山自動車から家に戻る途中で、レガシーB4に試乗すべきかどうか迷う。B4はデザインが気に入らない。ツラはまあまあだが、尻が駄目。ただ単に流行に追従しただけのデザインだ。乗り味に関しては定評のあるレガシーだから、乗っておかなくて後で後悔するのもいやだと思い、乗ることにする。更埴のレガシーの営業所へ。ターボなし、オートマのベーシックなやつに乗る。ハンドルの戻りがきついのは4WDのせいか。これも慣れればクリアできるだろう。シートの感じはいい。尻を振ることもない。ワーゲンよりも剛性を感じる。内装に一部、人工石みたいなものがあり、いやらしい。安定性は、重心が低いせいだというのがわかる車だ。理屈が単純すぎるのは、悪路用4WD育ちのせいか。これに対して、ワーゲンの乗り心地の良さは設計思想の重層性がもたらす車のシンプルな性格のせいだという気がした。
 レガシーは、練れていないような気がする。泥っくささがある。本来、この傾向は俺は嫌いではないはずなのだが、シンプルな性格の方に惹かれてている自分がいるのがわかった。
 迷う。実に迷う。今度こそ新車に乗りたいと思っていた。レガシーなら、200万の借金プラス現金で乗って乗れないことはないが、デザインと内装がとても劣る。剛性自体は好きだが、もうひとつ何か澱のようなものを感じる。
 家に戻って、ワーゲンの中古の冷房の質の悪さのことを言ったら、妻に大反対される。オーディオ関係や冷房のことを考えれば、絶対に新車がいい。しかし、デザインの点で、スバルはもう一つ好きになりきれないところがある。アホかって感じがある。
 何度も迷い、何度もワーゲンに引き戻される。今度も中古でいい。仕方がない。いくら新車で冷房能力やオーディオがよくても、デザインの気に入らないものに乗るのはやめておくことにする。妻の苦情に対しては、黙ってコーナーを回ってしまうことにする。
 車の試乗だけやって、一日が終わった。
 松岡さんが作った吉本隆明資料集5の中の「過ぎゆく時代の群像」を読む。
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8月7日 午前2時10分

 現場が進まない。金曜日、寝方が悪く、午後2時半頃まで寝た。飯を食って、やじろべえでコーヒー。職人が仕事を終えて帰る夕方5時、現場着。2時間ほどやる。土曜日は、Nさんの「電話でレッスン」の初日。午後、塾を妻と村田君にまかせ、「ワーキング・ガール」の「技法グラウンド」を自分に対して行う。夕方7時半、塾を抜け出し、現場へ。2時間足らず木を切る。10時からNさんの「電話でレッスン」。受験英語(学校英語)と、実践英語との間に肉離れがあるような感じがあった。Nさんは外資系の会社に勤めていて、毎日英語を使う。だから実践英語が形成されているのだが、自分の英語の基礎であるものとの間がうまく埋まらないということではないかと推測した。中間を埋めるレッスンとしては、「電話でレッスン」は機能するはずだ。
 また水虫になる。足の小指の股がかゆい。土曜、夜中にかゆくてたまらなくなり、ダイヤ軟膏を探すがみつからない。妻を起こし、どこにあるかと聞くがわからない。この家はモノが出てこない家だと妻にどなる。かゆさに追いつめられて八つ当たりした。気休めにマキロンを足の指にぶっかけたら、気休め以上に効いた。自宅自作現場に。
 日曜。午後1時過ぎ妻に携帯電話で起こされる。午後、「スピード」の技法グラウンドを自分に対してやる。夜8時頃だったか、Oさんから電話。Oさんは、塾をやっている人だが、夏期講習で忙しく、今日の「電話でレッスン」は休むとのこと。振り替えられるかと聞かれたので、振り替えのきく日をメールで書くと返事。夕食、外食、おおぎや、味噌ラーメンと餃子。「スピード」のビデオ観る。やはり、自分の中に音として沈めた文の聞き取りは楽。Kさんから携帯に電話。受けたとたんに電池が切れる。Kさんの電話番号は携帯にしか入れてない。さて弱った。自宅自作現場へ。充電器に携帯をつっこんで電話をかけるが、今度は向こうの電源が切れている。現場を2時間程度やる。夜は釘が打てないから、木を切ることだけ。再度、妻用自宅へ行き、風呂に入る。コーキングと木工ボンドをいじった日は、風呂に入らないと気持ちが悪い。風呂の中で文芸春秋のPR誌「本の話」読む。再度、自宅自作現場へ。ジムニーのマフラーがとれたままで走っているので、排気ガスが車の中に入ってきて、窓をあけて走っていても目が痛い。足の指に水虫用の軟膏を塗ってくるのを忘れた。ローソンでおにぎり二つ。「炎のとうがらし牛」というつまみ。おにぎりを平らげて、ウイスキーで「炎のとうがらし牛」をつまむ。

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8月11日 午前0時25分

 昨夜、KAOKIさんとのメールをつぎはぎしてホームページの1ページ分の素材を作る。深夜から始めて午前9時まで。一通のメールに対して一通の返事をルールとしてもらえないかと途中で言ってあるが、こちらが返事を書かないうちに次のメールが来ていたりして、メールを前後にあたってみるのが実に面倒。だいぶはしょって、朝になってようやく素材分だけはできた。「ARMY」というマンガを観ていて、10時頃寝付いたのか。起きたら午後4時。午後遅い光が戸の外にある。淋しい。
 現場へ行くべきだと思いながら、稲荷山自動車へ。どうして、なかなか買おうとしている車の顔が見れないのか聞いたところ、盆前は塗装屋が混むのだとのこと。親類の人たちが盆に来るので、車の傷をなおしておこうとかいう需要があるのだそうだ。マフラーのとれたままのジムニーに乗っていると目が痛く、やたらに目やにが出ると言うと、アルトを貸してくれた。ジムニーのマフラーをバンドで縛り、応急処理をして明日自宅へ持ってきてくれることになる。
 やじろべえでコーヒー。Sさんに会う。なんとなく会うような気がしていたら会った。8時近くまでカウンターにいる。Kさんから携帯に電話。8時半から臨時のレッスンをやることになる。やじろべえの庭にいたら、荒井さんが車で通りかかり、ドミダミ茶一瓶とメロン二つもらう。もらったものを妻用自宅へ置きにいったん借家に戻ったら、風呂に入りたくなり風呂を使う。風呂あがりにそのまま現場へ。着いてまもなくKさんが来る。一人でやっておく練習がなまやさしい。こちらもビールを飲みながらレッスンをしたので、どうもぼやける。
 深夜、妻用借家へ戻る。とうもろこしとおやきを食う。明日、朝から妻は坂城へ行くので、稲荷山自動車の人が昼過ぎにジムニーを持ってきてくれても、借りているアルトを返せない。妻が明日の午前中に稲荷山自動車に電話して、夕方自分で車を替えに行くと伝えることになる。
 自宅自作現場に戻る。

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8月12日 午前3時35分

 午後3時起きる。暑くて寝ていられない。汗をかいて起きた。
 アルトでデイツーへ。缶のお茶とセブンスターで自動販売機の前で休む。一休みしてからデイツーの便所で脱糞。便器の中のなだらかな傾斜が、すとんと落ち込んで深くなるちょうど縁のところに、普段ないような割といい糞が固まり、それが体勢を崩して、落ち込みに落ちていき、便漕との境の蓋をパコンとあけて落ち、見えなくなるまでを見た。すがすがしい。
 「やじろべえ」へアルトで行く。森に来ている翻訳家の人と会う。小学館の担当が、俺と同じOさんで、ミステリーの翻訳本が出ると聞いていたので、もう出ましたかと聞いたところ、ちょうど今やっているところだとのこと。アメリカの話、ニューヨークの話。この人はニューヨークはそんなに好きじゃないと言う。俺は、ニューヨークが好きだ。ニューヘイブンから乗った汽車の窓からニューヨークのビルの林立を見たとき、胸がわくわくしたことを思い出した。夕方5時過ぎになって、自宅自作現場へ。2時間ほどやる。
 妻の自宅へ。一風呂あびて塾。9時半からMちゃんの「電話でレッスン」。途中で、妻はお灸をすえてもらいに吉田さんちへ。
 木野さんから「青髭」届いている。木野さんの詩がすごくいい。笑いのふくらみをもつ詩を木野さんのもので初めて読んだ。エッセイは論旨につっこみたくなる甘いところがあるが、誠実な文章で好きだ。話したくなり電話するが留守番電話だった。「根石です、青髭、ありがとうございました」と吹き込んだ。
 しばらくやってなかったメールチェックをやる。Oさんから、明日の「電話でレッスン」が都合が悪いというメールあり。すぐ返事を書く。Aさんからのつべこべメールに返事を書かず一週間放置した。その返事を書く。ホームページへの掲載は遠慮したいとあったが、掲載すると返事。これまでのメールのやりとりの途中で、掲載することがある旨、断ってある。こっちが腹をたてたとたんに、掲載しないでくれとは虫のいい人だ。Aさんへのメールが手間取り、午前3時になる。自宅自作現場へ。風がなく、二階にこもった熱が抜けていない。窓とカーテンを開けるがまだ暑い。蚊に食われる。
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8月14日 午前5時3分

 12日の夜から13日の朝にかけて、KAOKIさんとやりとりしたメールを構成し、「KAOKIさんとの英語談義」というページを作り、ホームページの1ページとする。一通のメールに対して、一通の返事というふうになっていれば構成しやすいが、一通のメールに対して、2通、3通の返事があると、テーマが前後して構成しにくくなる。13日の朝に、一応アサヒネットに送ったが、ほぼ2日かかっている。途中、重複があったりして読みにくいが、後で見直すこととする。
 13日。盆の入り。午後起きる。娘から電話。軽井沢にいるが、これから各駅停車で帰るとのこと。
 こまごまとした用事のすべてを覚えていられないので、ソニーのICレコーダーを買うことにする。以前に買ったのは、建築現場でズボンのポケットに入れて使っていて、建材にぶつけたり落としたりして壊した。保証期間をすぎていたので、そのままにし、その後アイワのものを買った。ソニーの製品で操作を覚えたので、操作ボタンが扱いにくく、使わなくなった。使わなくなったら、どこにしまったのかわからない。身の回りで見なくなった。
 飯を食う前にラオックスへ行こうと思ったが、飯を食って娘の顔を見てからにする。2時頃、飯を食っているところへ娘帰る。一緒に食う。
 ソニーのデータディスクマンが、ディスクを読んだり読まなかったりする。最近になって、「ディスクが読めません」あるいは「ディスクを入れてください」のエラーが多く出るようになったので、これの修理とICレコーダーを買うのを兼ねてラオックスへ。データディスクマンは、ラオックスに着くとまともに動く。何度、やってみてもまともに動く。多分レンズに付着したごみか何かのせいだとは思うが、ラオックスまで持参していううちにごみの位置がずれたかどうかしたのだろう。空気を噴射して、オーディオ機器などのゴミをとるボンベが300円であったので買う。操作に慣れていたICレコーダーの後続製品は安くなり、録音可能時間が増えていた。以前のものは、合計で10分程度、1万5千円程度だったような覚えがあるが、現在のものは、音質のいい方を使っても32分録音可能。最大64分録音できるので、映画を観ながら録音したものを、高速道路でイヤホンで聞いて語学用に使うことなどもできるかもしれない。ソニー以外では、東芝がICレコーダーに力を入れており、4時間録音可能な製品など出ている。まだ2万円以上する。以前使っていたソニーの後続製品を9800円で買う。
 現場へ。床暖房用の床構造を作る。あと一日あれば、床下構造をダクトにする工事の居間の分が半分ほど終わるところまで来た。妻が娘に現場を見せに寄る。としこちゃんから、盆に来るように言われていたが、13日の今日がその日ではないかと思うと妻に言う。妻は、俺の携帯電話を使って、鋳物師屋へ電話。娘が疲れていて家で休みたいというので、せっかくだが行かれないと電話。盆のうちに、俺だけで行って、ばあやんに手を合わせてこようと思う。
 妻と娘は畑へ。俺は現場の続き。畑の帰りに、ジュースを買ってきてくれと頼んでおく。やがて、野菜を収穫してからジュースを持参して妻と娘来る。どこか外へ食べに行くかということになる。妻と娘、帰宅。俺はやりかけの現場仕事を一段落させてから帰宅したが、すぐに潤一郎から電話。これから行ってもいいかという。誰が来るのかと聞くと、達也、宮城、ミタンが来るとのこと。外食はとりやめる。
 やがて潤一郎来る。達也たちは後から来ると言う。潤一郎、達也、宮城、ミタンは同じ学年。いくつになったのかと妻が聞くと31だという。高校生の頃、温泉へ入りに連れ回していたのが、5,6年前のような気がするが、10年以上たっている。半分はどこかへすっとんでいる。忙しい時代のせいで心的リアリティの密度が半分くらいになっているということか。こいつらとシロウたちが、2年ほど年が離れていて、こいつらが高校の頃、俺がいくつで死ぬかで賭をしていたことがある。35で死ぬというやつもあれば、40まで生きるのに賭けたやつもいた。誰がどういう年齢に賭けたのか覚えていないが、誰かが49で死ぬのに賭けた。その49になった。その話が出たので、お前は俺が死ぬ年齢を何歳だと賭けたのかと達也に聞くと、おばさん(俺の妻)と結婚しているから大丈夫だと思っていましたよとお茶を濁した。本当はおばさん(妻)のおかげで、どれだけ命が縮まったか知れないのだ。実際の生存年齢は、確かにこの人のおかげで延びたと思うが、命は縮まった(思いだ)。ミタンは下痢で来なかった。
 潤一郎がレガシーをくれると言う。四駆ではないと言うが、四駆でないレガシーがあるのか。FFかどうか聞くが不明。FFならもらいたいものだ。9年で5万キロしか乗ってないとのこと。FRなら、稲荷山自動車からゴルフを買う。
 潤一郎のところも、宮城のところも子供ができた。潤一郎のところが7ヶ月。宮城のところが2ヶ月。
 哲がおやきを持ってきてくれる。達也が座をにぎやかす。涙が出るほど笑う。
 12時前、哲帰る。1時前、達也たち帰る。俺は、現場へ。月が冴えた光。夏の光とは思えない。ICレコーダーのマニュアルを読むつもりで、ベッドに横になったらすぐに寝たらしい。朝5時、目をさます。小便をしに外に出てから、これを書く。

 書名を忘れたが、深沢七郎が、セックスすることはビフテキを食べるようなことだ、男も女もおいしければむさぼるのがいいのだと書いていたような気がする。深沢七郎は、愛などというものを毛嫌いした。この感覚がよくわかるようになった気がする。あらかたの煩悩どもにおいては、セックスは愛によって汚されている。
 愛を考え続けている山本かずこという詩人は、愛という語を書かない。「愛の行為」というタイトルはあるが、やたらに愛などと口走らない。人の口から愛という語が発音されるたびに何が愛かとしばしば思う。嫌悪をかみしめるようにそう思うことがある。
 猫や鳩や犬を見ていると、ああこいつらは愛がなければセックスしないと思う。しかし、セックスがしたい時期になるから愛が生じるということもはっきりしている。普段の友達づきあいの時は、ことさらに愛などと呼ぶ必要のない、好意のようなもので充分間に合わせている。
 花屋のKなどが、恥ずかしげもなく愛などと口走るのを聞いていると、俺はすごくセックスがしたい時期にあるのだと言っているだけのように聞こえる。猫や鳩は、決して愛とは発音しないし、自分のサカリがついた状態を愛だなどと言わないが、サカリがついたときの彼らにあるのは愛以外のものでもない。愛はそれだけのものだ。
 日本語の愛という語が、発音すればどこまでも恥ずかしいのは、どこまで行っても性欲がらみの語だからではないか。だが、なぜ性欲がらみの語は発語が恥ずかしいのか。
 発音・発語可能な「愛」によって、セックスを汚される生き物。それが人間だ。
 愛に汚されていないセックスは、人間に可能なのか。
 愛に辟易した老人にとっては可能かもしれないが、そういう老人には相手がみつからない。人間の生涯というものは、天然自然から蹂躙されて終わるらしい。そのようにできている。今度生まれてくるときは、という想定自体、ニンゲンからの産物だが、それを信じられないニンゲンとしても、今度生まれてくるときは、ニンゲンばかりはもうまっぴらだと思う。
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8月15日 午前4時2分

 14日、午後起きる。朝はかなり涼しくなっている。朝方、少し寒いと思って目がさめた。小便をして、しばらく寝床で本を読む。加藤典洋「可能性としての戦後以後」。おもしろい。すっかり明るくなって、窓を閉めて寝る。午後に起きたときは、汗をかいていた。
 この家の二階は、真夏でも午後2時頃までは寝ていられる。この部屋だけクーラーをつけようかと考えていたが、かなり微弱なクーラーでいいだろう。午前中に起きるなら、クーラーなしでも寝ていられる。一階北側の冷えた空気は、真夏の午後になってもまだ涼しいから、寝室に一階北側の部屋から通じるダクトを作り、冷気を床近くに噴き出させれば、もっと寝やすくなるかもしれない。元々は、一階北側の部屋で暖房した場合に、暖気を寝室に送り込むために作りかけてあるダクトだが、夏にも使えるかもしれない。
 起きてじきにごはんができたと妻から電話。車で妻用自宅へ。ご飯を食べて、少しぐたぐたする。午後5時から現場。6時半、佐知子が来たと妻から電話。佐知子の顔を見に行くが、娘と佐知子は、じきに高校のときの友達に会いに行った。女ばかりが集まって飲むらしい。妻と現場へ。一日あれば終わると思っていた床合板張りは結局終わらなかった。あと少しだけ残して、いったん妻用自宅に戻り、その後舞鶴へ。妻、てんぷら蕎麦、俺、ビールとざる蕎麦。腹いっぱいになった感じがないので、モスバーガーでスパイシーチリドッグとミネラルウォーター、マンゴケーキ。妻は我慢してコーヒーのみ。ダイエットやら、らしい。先日、妻はどこかで服を買おうとして、試着室に入り、腹の贅肉やらなにやらを自分の目にもの見せたらしい。夜、「お父さん、私、もう夜の10時以後には何も食べない」と高らかに宣言した。どうしたんだと聞くと、贅肉がとても醜い、とても醜いものを今日見た、と言った。やっと見たのか、と俺は言った。今日、さっそく妻は誓いを破り、夜10時過ぎに蕎麦を食べた。しかもてんぷら蕎麦。しかし、モスバーガーでは我慢してコーヒーのみ。えらい!
 11時半、妻用自宅へ。テレビ観る。娘、午前1時帰る。すっかり酔っぱらって帰ってきた。午前4時近くまで、ああでもないこうでもないような話をする。午前4時過ぎ、自宅自作現場へ。二階に熱が少しこもっているので、窓を3枚開ける。ウイスキー、瓶に口をつけて飲む。すでに空が白んでいる。夜が明けるのが、遅くなってきている。現在、4時33分。

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8月17日 午前0時55分

 15日、自宅自作現場で起き、家に行くとナオコがいた。娘が、信州新町の花火を見に行くので迎えにきてくれた。
 娘とナオコが行ってから、メールチェック。Aさんからのメールあり。以前、メールをホームページに掲載することがありうると、自分のメールに書いたとき、好きなように編集してもらっていいと返事あったにもかかわらず、ナショナリズム云々、ヨーロッパによるアジアの蹂躙云々の話になって、俺が「とんでもないと思います」と書き始めて以後のメールで、ホームページへの掲載は遠慮させて下さいとの返事あり。しかし、毎回メールの末尾にはホームページへの掲載がありうる旨の定型文書を添付してあったのだから、掲載することに決める。
 4月頃からこれまでのメールを日時順に並べる作業。Aさん個人が特定できるような要素をすべてメールから削除。ひとつのテキストファイルにするまでの作業で、夜中をぶっとおしにして16日朝8時頃まで。素材の形までは作った。ホームページビルダーに流し込んだ時点で、さらにもう一度点検することにして寝る。昼頃、娘帰る。3時間ほどしか眠れなかった。妻、娘と三人で鋳物師屋へ。16日で、ばあやんは墓に帰るから、その前に焼香。鋳物師屋は大人は全員留守。モスバーガーでコーヒーを飲もうということになり、娘、妻と行くが、お盆の帰省の学生たちでいっぱい。隣の焼き肉屋に入る。そういえば何も食べてなかったことを思い出し、カルビ、レバ、ご飯、グラス生ビール。妻は石焼きビビンバ、娘は食事をした後なので、アイスコーヒーのみ。2時間近くいた。妻用自宅に戻り、寝転がって高校野球を見ていてすぐに眠りこんだ。3時間ほど眠っただろう。
 夜12時前、ケンタロウ来る。長野のイタリアンレストランで、ピザの生地を作っているという。英語はこのままつぶしてしまうのかと言うと、うーんと言う。朝7時半に家を出て、夜11時まで仕事だとのこと。それでは、英語をやるどころではない。
 最近、塾生に言っていることに以下のようなものがある。
 日本では、多くの人の英語の力は、大学受験の時がピークであり、その後、放っておけば英語はどんどん錆びついてしまう。信学会みたいな受験塾の英語が錆びついても、もったいなくない。点数のためだけの英語は、英語というよりは、「英語に関する知識」にすぎないから、そのままでは使い物にならない。だから、錆びつかせてももったいなくない。素読舎の英語は、大学受験で終わりにされたら、冗談ではないという感じだ。徹頭徹尾、音によるインプットが継続されているのだから、大学入学以後も磨きをかければ、あらゆる方面に使える英語にすることができる。大学受験でピークにし、以後錆びつかせてしまうなら、俺としては冗談ではないと言いたい。
 そういうことを最近は塾生に言っている。
 しかし、それでも多くの塾生が大学受験で英語を終わりにしてしまう。
 英語は「一生モノ」だということがわかっていない。「一生モノ」とは、普通、買った品物の質がいいから、一度買えば一生使える、というような意味の言葉だが、英語が「一生モノ」だとはまったくその意味ではない。日本に住みながら、使える英語を持ち続けるには、英語は一生やりつづけいなければ駄目だという意味だ。これは実にごくろうな道であり、コスト高だ。コスト高は、日本には日本語による言語的磁場があるだけで、英語の言語的磁場はないという理由による。シンタックスがまるで異質な言語でも、二つの異質な言語的磁場が併存するなら、これほどのコスト高にはならないだろう。実際は、日本には日本語の磁場一つしかない。だから英語はコスト高なものにならざるをえない。
 このあたりのことを、ホームページの1ページとして作り掲載する必要があるだろう。
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8月19日 午前2時16分

 17日、妻帰省。午前9時、久保田大工さん、現場に来る。寝ててくれと言うが、金槌の音がするところで寝ていられない。睡眠3時間で起きる。久保田さんは、冬に作ってもらったドアの不具合を直しに来た。ドアの取っ手の金具がぐらつくのを黒檀を丸く切って、隙間に埋めて直した。現場のズボンにはきかえて、一階居間の合板張りをやる。途中、床板にするツーバイシックスの取り合いを久保田さんに相談して決める。合板張り、ひとまず今日で終わる。この後は、久保田さんが床板張り。俺はまたコンクリいじり。
 午後1時、妻用自宅へ。娘はまだ寝ているようだったから、風呂を沸かして汗を流す。風呂に入っている間に、娘起きる。鶴忠の蕎麦を食いに行くことになる。車の中で、日本人がタイの山の中の素朴な村に入り、娘をレストランで働かせると嘘を言い、日本に連れてきて売り払うという話を娘が言い出す。二十歳にならない娘が売春させられて、すでにエイズにかかっているという番組をテレビで見たらしい。鶴忠で蕎麦を食った後もそんな話。援助交際をしている日本の十代の娘は、自分で自分を売っているわけだが、タイ人をだます日本人と同じことをやっていることにならないかという話になる。タイ人をだます日本人は自分には何の痛みもないところを渡るやくざだろうし、日本に住んで自分で自分を売る日本人娘は、痛みのない顔をしながら、本人の知らないところが痛んでいくのだから、まるで違うと言えばまるで違うが、金のために性を売る一点においては、人買いの商人と本質的に同じことをやっている。いずれにせよ、だまされたタイ人だけがただただ痛い。
 鶴忠を出て、稲荷山自動車へ。二日ほど前、潤一郎がレガシーを俺にくれると言った時、FFなのかFRなのかわからなかったが、多分FRだろうということになり、そんなら要らないと言って、別の話になった。ゴルフの中古にいつ試乗できるのか聞きに稲荷山自動車に寄る。レガシーをただでくれるというご塾の修了生がいるが、四駆でないレガシーはFRなのか、FFなのか聞くと、レガシーにFRは一台もないとのこと。確かなのかと聞くと確かだという。そんなら、その車をもらうかもしれないので、ゴルフの中古の試乗はちょっとストップしてくれと頼む。今日中に電話で潤一郎に確かめて、なるべく早く連絡するからと言い、家に戻る。娘はともちゃんという中学の頃の遊び友達に会う用事があるし、俺は中野へバーベキューに誘われているので、娘を家で降ろし、また車を走らせる。中野へ行くには少し時間がありすぎる。屋代のお宮に突き当たったところで、やじろべえでコーヒーにすることを決める。あと5年ほど、塾の修了生にもらったレガシーに乗るかもしれないと言うと、小山さんが少し淋しそうな顔をした。やじろべえを出るときは、俺も淋しい気持ちがしたが、5年辛抱してゴルフの新車か、アウディの中古を買おうなどと考えた。
 更埴の西友でメキシコ産のメロン買う。中野の子供たちに、100円ショップでメジャ−、ワイヤストリッパ、水平器など工具を11個買う。下の道では間に合わないが、高速で行けば時間が余る。高速でいくしかない。ほぼ70キロから80キロで走る。中野で高速を降りたら、やはり時間があるので、高速の出口からまっすぐ道をたどってみる。見覚えのある道に出る。「ウッディライフ」の取材で来たことのある道だった。東京でやっていたサラリーマンをやめて、田舎に帰りやはりサラリーマンをやっている人のひと月の家計の中身を聞くという企画だったが、それは後でわかったことで、新入りの女の編集者がまるで要領を得ないことをこちらに伝えた自分の力のなさを棚にあげて、こちらの取材につべこべ注文をつけ、やりなおせみたいなことを言った。頭にきて、俺はとれるだけのデータはとってある。文句があるならあんたが自分で書けと言って放りつけた。「ウッディライフ」を編集しているなんとかムサシという編集下請け会社は、ろくな金を出さないくせに、こちらの労力がかかることにはおかまいなしのことを言う会社だとわかり、それで「ウッディライフ」の取材はすべてやめた。
 中野の古い町並みの中に入る。さびれた店がいくつも並んでいる。そろそろバーベキューをやるお宮に行く時間だと思い、山の形を見て行くべき方角を決める。妻から携帯に電話。実家に着いたとの電話だが、車を走らせている途中だったので、コンビニの駐車場に車をとめて、これからバーベキューに行くところだと返事する。家に電話したが、誰も出ないというから、娘がともちゃんと会うと言っていたことを伝える。
 お宮に着くとすでに肉が焼かれていた。途中から、懇談会みたいになる。学校の英語が役立たずだと言明したあたりから、お母さんたちがあまり俺に話しかけなくなった。まあ、しょうがねえ。横田さん来る。「電話でレッスン」を始める場合に、採用する映画のシナリオのことを話す。横田さんの田舎は東京だが、今年の盆は帰らなかったそうだ。
 9時頃か、バーベキュー終了。まだビールの酔いがあるので、中野の駅の裏にあると聞いたファミリーレストランを横田さんと探す。中野の駅の前に車をとめて、駅の通路で裏口に出る。それらしいものを横田さんがみつける。メニューを見ると、ハンバーグ屋だとわかる。コーヒーとケーキ。横田さんが、トーイックを受けたいようなことを言った。7月の横田さんへのバイト代払う。
 横田さんに先導してもらって、須坂方面をたどるつもりだったが、中野の高速が近くにあるらしいとわかり、赤信号で車を降り、横田さんに高速へ乗るつもりだから、俺は放ってくれと言う。
 中野で高速に乗り、すぐに小便をしたくなる。須坂でパーキングエリアと間違えて出口に出てしまう。金を払うところにいる人に、間違えたがこのチケットでまた高速に乗らせてくれないかと言うが、口調ていねいに断られる。小便がしたいが、便所があるかと聞いたら、職員用の便所を教えてくれたので、ゆっくり小便をすませる。再度高速。家に着いたら、ともちゃんと娘が酒盛りしていた。ともちゃんという名前は何度も聞いていたが、初めて会う。いい大将だ。日本人らしい日本人だ。さまざまな問題は抱えているとわかるが、抱えたままでまっすぐのまま生きている男だとわかる。娘が完全に酔っぱらい、俺が何か言うと俺の体をびしゃびしゃ叩く。ともちゃんへもびしゃびしゃやっている。
 くたびれたので、午前4時、自宅自作現場に帰る。加藤典洋読む。読んでいるうちに寝た。
 18日。午後起きる。妻用自宅へ。飯どうするか考えて、長野の井村屋であんかけ焼きそばとシュウマイを食おうじゃねえかということになる。先に風呂を使い、眠気の覚めない娘にも、さっぱりするから風呂に入れとすすめる。娘が風呂を使っている間に便所に入ろうとして、便所が汚れているのを発見。多分、酔い過ぎて娘が汚したのだろうと思い、風呂にいる娘に遠くから声をかけたら、なんだかうすぼんやり覚えているという。足腰の立つ娘の便所汚しを俺が始末するのは業腹なので、屋代駅のホモの落書きだらけの便所まで行き脱糞。帰宅したら、娘が便所をきれいにしていた。
 なんだかんだで、2時をまわる。長野へ行って帰ってくるのじゃ忙しいので、寿司おんどで100円寿司にする。入ったとき混んでいた店が、途中で俺と娘だけになる。従業員が用心深くなく、うちわの話をでかい声でしている。「このボタンエビ、やめた方がいい。虫がいた」などと言っている。まだ客が大勢いた頃、ボタンエビの注文の返事に、「限定品なので切らしております」などと言っていたが、奥にはちゃんと虫の湧いているボタンエビがあったのだとわかる。娘が、おっかねえ、この店と言う。
 いかに俺の妻なる女が、無意識のまま戦後民主主義をテンカラキマッタ正義として振り回したかという話になり、昔を思い出して興奮する。どすぐろい気持ちが噴き出してくる。娘が嫌ったので、それでやめる。
 現場に行き、成功した(と思う)薪ストーブによる床暖房のシステムを見せる。空気の取り入れ口に煙草の煙を持っていけば、きちんと空気を吸い込んでいるのがわかるし、出口ではゆるやかな空気の流れが作れているのがわかる。欠陥は音がうるさいということだけ。安物のファンを秋葉原で買ってきたが音がうるさい。東芝のピタパネという製品に取り替えることは床を張った後でもできる。メンテナンス用の穴は充分の大きさに開けてある。とにかく思い通りの空気の流れは流れているので、ファンを音の静かなものに替えればほぼ完璧だろう。
 やじろべえに行ってコーヒーにすることになり、市民体育館の近くで、やじろべえが休みであることを思い出す。西友のコーヒーは沸かしかえしでまずいから、デニーズに行く。コーヒー二杯のみで1時間ほど涼み、帰宅。娘が汚れてもいいものに着替えてから、カインズホームへ。ツーバイシックスを選んでいるうちに、財布に大して金が残っていないことを思い出し、所持金を調べたらそれでも2万8千円あった。ツーバイシックス16本。ツーバイフォー2本。10本入りの安売りのシリコンのコーキングひと箱買う。現場に材木を搬入。
 今思いついたこと。屋根のほぼてっぺんからまっすぐ下に作ってある明かり取り用のダクトを二階の床の高さでポリカーボネートで蓋をする予定だが、それに下向きのファンと上向きのファンを取り付けるか、反転可能なファンを取り付ければ、夏でも冬でも空気の流れがうまく作れることを今考えた。冬は寝室の天井近くから薪ストーブの暖気を寝室に送り込むためのファンがとりつけてある。入ってくる暖気は斜めの天井沿いに下ってくるが、一番冷たい空気は床を這っている。この一番冷たい空気を明かり取り用のダクトの蓋に取り付けたファンで一階に送り込んでしまえば、冬の暖気の循環は非常にうまくいくはずだ。
 カインズホームでツーバイシックスなど買い、現場に搬入。俺が建物の中まで運び込んだ材木を娘が新しく作った今の床の上に積み上げる作業。20分ほどで終わる。帰宅して、夕飯をどうするか相談。野菜がたくさんあるので、家で何か作って食べることにするが、俺は野菜炒めくらいしか作れない。娘はジャガイモで煮物を作れるという。そういう話をしている途中で、ともちゃんから電話。急遽、鮎川の家に行く相談をしているのだとわかる。一週間連夜深酒をしている娘。大丈夫かと思う。水吉という名前も以前から聞いていたが、その大将も来ると言う。出かけるために娘は風呂に入る。やがてともちゃんと水吉君来る。水吉君はK建設の重機のメンテナンスをしているという。千曲川の砂より犀川の砂のほうが品質がいいという話をしている間に娘がおでかけの準備完了。隆志が来て、玄関に車がとめてあり、自転車が出せないと言ったことを潮に水吉君、ともちゃん、娘は鮎川の家に出かける。
 ビデオで「スピード」観る。途中で寝て、目をさましたら、映画終了のクレジットの羅列が画面の上から下に流れていた。午前1時、娘のPHSに電話するが、電源が切ってあるか電波が届かない場所にいるという。鮎川の家の電話番号を探し、電話する。
 この一週間飲みっぱなしだと鮎川のお父さんに言う。娘が電話口に出る。体に無理がかかることを頭に入れておけと言う。ダッチョウが来てるから、もっと話をしたいと娘は言う。それならそれでいいが、とにかく体に無理が来ることを頭に入れておけと言う。
 妻用自宅の灯りをつけたまま、自宅自作現場へ。途中、ラーメン屋が開いていたので、生ビールとネギ味噌ラーメン。
 夜の空気が冷たくなってきた。夜中も寝苦しいような空気の温度は、善光寺盆地では、1週間程度続くだけだ。今年はまともな夏。
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8月24日 午前3時

 久保田大工に朝から仕事をしてもらうため、妻用自宅へ数日泊まる。その間、日録は書かなかった。書かなければ、その間に何があったかはすっかり忘れる。自分で下地を作ってから、ツーバイシックスの材木で床を作ることを久保田大工にまかせたが、その床が出来た。材木にねじれ、曲がりがあり手こずっていたが、いい床になった。荒っぽいが気に入っている。階段の重みを受ける場所に布基礎状のコンクリートの基礎を作るため、昨日捨てコンを打った。夜、妻と千曲川の砂をとりに行く。昼間行くと、砂が熱くて駄目。夜も11時頃になると砂は熱くない。
 今日、ジムニーの中の荷物などすべて出す。稲荷山自動車へ持っていき、午後2時、ゴルフ受け取り、ジムニーを置いてくる。そのまま中野へ。高速に乗っている間に、時速100キロあたりでハンドルがぶれるのがわかる。
 中野全員出席。どうも自分の番が来るまでの間、子供は練習をしないで遊ぶ。自分の番を待つまでの間、練習をするかしないかで、差は倍や3倍ではない。何十倍も違うとクラスの終わりに言う。
 ゆいまあるへ。全員出席。9時前、娘と妻、ゆいまあるへ来る。一緒に綿半の裏のアジア料理の店で飯。店の名前は忘れた。
 ともちゃんが遊びに来るということなので、あまり店に長居せず帰宅する。娘とともちゃんが話している間、妻とドライブする。昼間も二度ほどあったが、夜になっても二度、ギアがローの位置に入らないことがあった。前に乗っていた人の癖がついているのか、この不具合が出たから中古車として売ったのか。いずれにせよ、これは直させる必要がある。すべての金を払う前に、ハンドルのブレとギアシフトの不具合は直させる。
 ドライブから帰り、四人で話し、大いに笑う。
 付属のオーディオ器機が割にいい音を出すので、自宅自作現場へ行き、CDからテープに録音する。サスペンションが固いので、車の中でCDを聞くのは無理だろう。
 これを書いている間、部屋の中をコウモリが飛ぶ。気持ちが悪い。一階の北の部屋にコウモリが棲みついているらしく、夕方、外へ飛び出して行くのを何度か見た。早くすべての窓をとりつけないと、どんどん棲みつくのではないか。とにかく、寝ている部屋の中をコウモリが飛ぶのは気味が悪いものだ。ティシュの箱で飛んでいるやつを叩きつけようとしたが、そのうちに外に出て行った。
 もしかして、寝ている間、部屋の中をコウモリが飛んでいるのだろうか。寝てしまっていれば、知らぬが仏であるから、顔に止まったりしなければ許してもいいが、何か書いている時にコウモリが飛ぶのは気分が悪い。
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8月27日午前2時

 23日、午後2時過ぎ、娘、東京に帰る。
 上田駅から稲荷山自動車へ。稲荷山自動車が2万円で引き取ることになっていたジムニーが、大日野の世話で5万円で売れることになった。大日野に10万円で売るかと言われたが、5万でいいよと答えたら、すぐに買い手をみつけてくれた。一応車の状態を見てもらうために、稲荷山自動車から大日野の仕事場へ車を持っていく。その後、更埴から高速に乗り、ゴルフGTIで能生まで行く。90キロから100キロあたりで、手にはっきり感じられるほどハンドルがぶれる。高速走行でのハンドルのぶれは非常に不快。能生で「青い大きな海」へ入る。10年ほどまえ、能生に遊びに行くたびに、ここでよく食事した。値は安くないが、うまかった。今回行ってみたら、すっかり味が落ちていて腹がたった。もう二度とこの店には来ないだろう。夕日を見に来たのだが、夕日は雲に隠れて見えない。
 妻と弁天島へ登り、海を見る。烏賊釣り船の青い光。
 帰りは、一般道を帰る。長野市内を通り過ぎる途中の信号で、またギヤがローに入らなくなった。夜、11時帰宅。
 24日、ゴルフで地蔵峠を登ってみる。聖高原へ登ったときはそれほどにも感じなかったが、地蔵峠のヘヤピンカーブを曲がり、もたついた後、盛り返すのにずいぶん時間がかかるのに気づく。こんな車なのか。どうも回りでゴルフの話をしているのを聞いていて考えていたものとずいぶん違うと思う。地蔵峠を降りて、平らを走る場合でも、信号待ちの後、ローからセカンドへギヤを入れた後、もたつく。そのまま素直に加速せず、アクセルを踏む割にレスポンスがない。スピードが増した後だと、素直な伸びがあるが、ギヤがセカンドにある時間の前半がもたもたする。
 25日、やじろべえへ。Tさんのゴルフと小山さんのゴルフに、俺のゴルフで駐車場に3台のゴルフが並ぶ。他の車はない。
 カウンターに座るなり、小山さんが「車、来た?」と言う。今乗ってきてあると言うと、小山さんとTさんですぐに外に出る。先に小山さんが俺の車に乗った。じきに帰ってきて、ミッションがへなへなだと言う。このことと、ギヤがローに入らないことがあるのと関係があるのかどうか。
 Tさんが「乗ってみていいですか」と言うので、是非乗ってみてくれと言う。Tさんは、ツルヤの方へ行って、やがて帰ってきた。トルクが薄くてまるでGTIらしさを感じないと言う。GTIというのはこんな車じゃないですよとのこと。Tさんは、小山さんのGTIにも乗ってある。信号待ちの後、昼間アクセルを踏み込むと、まるで走り屋のお兄ちゃんみたいで恥ずかしくなるほど飛び出す車のはずなのに、この車はアクセルを踏んでも飛び出すことがないと言う。俺は、これまでジムニーという車に乗ってきたので、今度の車を比較する場合にジムニーとしか比較できない。これでは比較しても意味がない。しかし、Tさんはゴルフに詳しく、自分のGLIだけではなく、小山さんのGTIにも乗っていて、GLIがどういう車か、GTIがどういう車か知っている。
 やじろべえのカウンターに戻り、車の話の続きをやる。ハンドルがぶれるのは、確かなことは言えないが、タイヤにフラットスポットがあるためではないかとのこと。フラットスポットは、急ブレーキをかけたために、回転が固定されたままタイヤが路面をこすり続け、一部分だけ極端に減って平らになった部分だとのこと。タイヤが安くなったので、今時の中古車はタイヤに問題があれば新品のタイヤに履き替えて売るケースはいくらでもあるとのこと。ハンドルのブレがフラットスポットのせいなら、そのタイヤのままで売ろうという営業マンに問題がある。
 ギヤがローに入らないのは、俺のシフトの癖のせいかもわからないが、それにしてもやたらに気をつかってローに入れるのでは使いにくくて仕方がない。このギヤの問題とハンドルのガタつき、セカンドのギヤを使っているとき前半でもたつくことなどは俺が自分でも気づいていたが、本来のGTIが持っているトルクがまるでないことはTさんに指摘されるまでわからなかった。しかし、このことはTさんの車に乗せてもらってはっきりわかった。まるで違う。Tさんは、GLIでもこれだけの走りをするんだ。GTIがあんな車であってたまるかと言った。
 小山さん、Tさんと三人で話しているうちに、この車は駄目だから突き返すのがいいということになる。気が重いが、また稲荷山自動車へ行く。
 トルクがないんだと俺が言うと、少し稲荷山自動車さんが気色ばんだ。ちゃんと走るではないかと言う。一緒に乗ってみようじゃないかということになり、聖高原方面をたどる。長い坂道を登り、ちゃんと登るじゃないかと言うから、この程度の坂をこの程度に走ることは俺はすでに確かめて知っている。この程度の坂をこの程度に登ることならどんな車でもやる。それで満足するのならサニーの新車を買う。俺はゴルフらしいゴルフが欲しいんだと言ったらやっと納得してもらえた。
 稲荷山自動車さんと一緒に長野ファーレンへ行く。もう一台あるGTIの左ハンドルのやつに試乗するため。あらかじめ連絡しておいたのだが、行ってみたら、目当ての車は上田の販売店に行っているからないとのこと。無駄足だ。桜井という営業マンは、俺をうさんくさそうな目で見た。何かろくでもない文句を言いにきたというような目だ。ハンドルがぶれるような車を持ってきておいて、ろくでもない文句を言いにきたというような目をすることはない。ろくでもないのはどちらなのだ。
 トルクの話をすると、GLIはトルク重視の車だが、GTIはスピード重視の車だというような、GLIとGTIを比較した講釈を言った。俺がつかみそうになった車は、それ以前の問題なのだ。こんなものはゴルフとは言えないような質の車なのだ。それは、Tさんが自分のGLIに乗ってみますかと言ってくれたので、乗せてもらってはっきりわかった。スポーツ仕様ではないGLIが、停止状態からアクセルを踏み込めば、一挙に飛び出す。しかも、TさんのGLIは18万キロ乗った車なのだ。18万キロ乗ったGLIより走らないGTI、セカンドに入れたら急にもたつくGTI、ヘアピンカーブでへたり込むGTI、つまり問題外のGTIなのだ。俺がそう言うにもかかわらず、営業マンの講釈は続いた。20年だったか25年だったか、ゴルフの営業をやってきて、ゴルフのことは知り尽くしていると言う。そして、自分で間違いのない車だと思って稲荷山自動車に届けたと言う。たわけたことを。ゴルフのことを知り尽くしている人間だと自負するような人間が、ハンドルのガタつきひとつわからないでいたというのか。ゴルフは知り尽くしているが、車の基本はわからないというのか。長野から稲荷山まで自分で乗って車を届けたのなら、ハンドルのガタつきやセカンドでのもたつきに気づかないはずがない。トルクのことは、5分乗っただけで、Tさんはすぐに指摘した。セカンドのもたつきや、地蔵峠のヘヤピンカーブを曲がった後のへたり方は俺にさえわかったことだ。それを、ゴルフを知り尽くしていると言明する人間が気づかなかったとでもいうのか。
 Tさんも小山さんも、170万という中古車の値段は、本来のまともな性能を持った車が手に入る値段だと言った。
 値段だけまともで、車自体がまともでないものを持ち込んだ。それが今回、長野ファーレンの桜井という営業マンが稲荷山自動車と俺に対してやったことなのだ。これは俺だけでなく、稲荷山自動車をも馬鹿にしたやり口だ。しかし、そのようにことを荒立てる言い方は、長野ファーレンではしなかった。稲荷山自動車さんとファーレンの営業とのつきあいというものがある。今回、稲荷山自動車さんが中に立っていなかったら、俺は正面きって喧嘩をしただろう。
 Tさんは、小山さんのGTIにも乗っているし、俺がつかみそうになったGTIにも乗った。同じGTIに乗って、俺のつかみそうになっている車にトルクがないと言っているのだと言うと、ようやく営業マンは黙った。そして、要するに車両交換ということですか、と高飛車なものの言い方をした。もう少しで、なんだこの野郎と言いだしそうになった。ろくでもないものを持ってきておいて、まともな金をふんだくろうとしておいて、一言の謝罪もないばかりか、高飛車なものの言い方をしやがる。
 最低限のことだけは言わざるを得なかった。ゴルフに乗るのなら、これから俺と長野ファーレンとのつきあいが始まるわけだが、おもしろくない気持ちで車を買いたくはないのだとはっきり言うと営業はしばらく黙った。稲荷山自動車さんと営業とのつきあいに傷はつけたくないが、俺と長野ファーレンとのつきあいにおいては、この男を外して別の人に面倒を見てもらおうかとも考えた。
 ヤナセだのファーレンだの、外車を売る店の人間は何かお高くとまっているようなところがあるのだろうか。自分で作ったものでもないものを売るだけで、何を根拠にお高くとまるのか。アホか。ハンドルのブレ程度の簡単にわかることさえ、しらばくれたまま車を持ってきた上、お高くとまる。ここは、お前が謝るべきところだろうがと思うが、稲荷山自動車さんの立場を考えてぐっと我慢する。末端の客にこんな気苦労をさせるような営業マンが、ゴルフのことは知り尽くしているも糞もない。基本が駄目なのだ。
 連絡をとってあったにもかかわらず、来てみたら目当ての車がないので、2000CCのGLIに乗ってみることにする。GTIはギヤの位置が遠く、クラッチのペダルが重すぎると感じていたので、オートマでもかまわないという気持ちに傾いていた。
 長野大橋を渡り、市場の方へ入ったところに空いた道があったので、一挙にアクセルを踏み込んでみる。ぐんと飛び出す。オートマでさえこれだけ飛び出すのだ。やはり、あのGTIはまともではない。
 長野ファーレンに戻る。桜井課長という営業マンが言うには、工場長に聞いてみたところ、工場長がエンジンをいじってあるかもしれないと言っていたとのこと。GTIはマニアックな車だが、さらにエンジンをいじるユーザーもいるとのこと。そんなことは、稲荷山自動車に車を持ってくる前に、さっさとファーレンの工場長にでも誰にでも聞いて把握しておくがいいのだ。そんな問題をもっている車なら、まともな中古車の値段で売れるはずがない。
 エンジンの問題が最重要な問題だが、ハンドルのブレというきわめてわかりやすい問題すら無視した長野ファーレンの桜井は信用できない。この営業マンの質はその程度の質であり、それはそのまま客が長野ファーレンに感じる質につながっていく。長野ファーレンとはそういうしらばくれた会社らしい。
 それでもやはりゴルフに乗りたいという気持ちは残る。ゴルフの営業マンが駄目でも、ゴルフ自体が駄目なわけではないはずだ。試乗してみた車が商談中だというので、月曜日に出る結論待ちという話にして、長野を後にする。
 長野から更埴に向かう車の中で、しだいに腹がたってきた。
 ろくでもない車を持ち込んでおいて、一言の謝罪もしない営業マン。その高飛車なもの言い。むしゃくしゃする。夜、仕事をしていてもむしゃくしゃする。車一台買うのになんでこんなに苦労をしなければならないのか。ひとえに、ろくでもない営業マンがいるせいだ。
 この日録には、桜井の名前は残す。長野ファーレンの名前も残す。これで、あと一度でもろくでもないものを見た場合は、記事は日録にとどめる気はない。ホームページのトップページ、「批判・喧嘩」のタグの元に独立した記事として、エプソン批判の記事の横に置くことにする。今後の向こうの対応もすべて記録し、腹にすえかねた場合は、「批判・喧嘩」のタグの元に、ページとして独立させるつもりだ。


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