【タイトル】インプットの絶対量
【 日時 】02/10/26 0:26
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs
 
 

 実証すべく実験したわけではないのですが、日本人が日本で暮らして英語をやった場合、10程度から20程度の語数でできた文を少なくとも1000程度インプットした後でなければ、日本人は挨拶とカタコト以上の英語をしゃべり出すことはないのではないかと考えています。
 そのくらいのインプット量の元に、Eliot さんが言われる「音作り」、あるいは私が言う意味での「音づくり」がないと、やはり駄目だとも思っています。
 外在的にやれることは、「音づくり」とインプット量の実現だと思っています。それと、文法的理解をもたらすことくらいでしょう。
 音とイメージ・意味との連結(音とイメージの同致)は、生徒さんが自分でやらないとどうにもならない。こればっかりは、外在的にやるわけにはいかない。

 「音づくり」もやった、インプット量も実現した、疑問文・否定文へ瞬時に変えるためのドリルもやり、文法的理解ももたらした。それでも、音と意味を同致させることのない生徒がいたとしたら、それは語学に縁のない生徒だとも考えています。
 縁がないなら縁がないで仕方がありません。縁とはそういうもんだから。
 学校では縁があろうがなかろうが、生徒は根本的には、英語を「やらされている」わけです。塾でさえそうなのです。本人がやりたくて来ているわけではなくて、親に行けと言われて来ている子供がいる。こういうお嬢ちゃん、お坊ちゃんの相手をすると反吐を吐きそうになる体質が私にあり、現在は塾は妻にまかせて、私は主に社会人を相手に「電話でレッスン」をやるようになった経緯があります。

 話が逸れた。
 現在の学校は、生徒に対して外在的にやれることすらやれていない。先生たちには、まずは、これを自覚することから始めてもらうしかない。「音づくり」とインプット量の実現の方が、文法理解より先立つべきだとも考えていますが、これが現在の学校ではやれていない。

 学校でそれができないのかと言うなら、そんなことはない。
 テスト問題なんか作って忙しがったり、会議会議で忙殺されて、自分の英語力を養うこともできないほど時間を奪われることに反逆しないことが駄目なのだと思います。

 学校でだってやるべきことはやれる。
 それを実証したのが、Eliot さんです。

 俺が酒に酔って管を巻いたりするので、Eliot さんは書いてくれなくなっちゃったのかなあ。それとも、やはり忙しいのかなあ。
 Eliot さんは、俺には恩人なんですが。
 私は文学畑から出たので、恩人にはきついことを言う体質があります。
 Eliot さんが来てくれないと、この掲示板も淋しいです。
 Naima さんや Jackie さんも待ってくれていると思いますので、お時間がとれるときはお願いします。

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