【9506】
【タイトル】村田さん
【 日時 】04/12/11 22:38
【 発言者 】Jackie
>カルチャーばばあ
語学はいったんバカにならないとだめだと思うんですけど、カルチャーばばあは決してバカにならないんですよね。
プライドだけが高いバカ。
・・・そのとおりですね。
ポピュラー音楽から始めよう。という大人のためのピアノ講座がありますね。
バイエルなんかやりたくない。簡単に好きな曲からはじめたい。と。
そりゃ一曲さらっとひけたら格好いい。一曲だけ徹底的にやれば簡単なものならなんとかなる。
そういう客層という需要が確かに存在する。曲がひけるようになるのは楽しいし、それでいいと思う。
英語は常にライブセッションみたいなもので一曲だけ覚えるように簡単にはいかない。
しかしカルチャーばばあの英語(外国)への欲求もたしかに存在している。
近頃は韓国語にすりかわっているようですね。
文法的にも日本人にとって覚えやすく、好きこそなんとやら、恋は語学学習のパワーとなって
一石二鳥、旅行もできて3鳥!。
カルチャーで学びたいという人は 私には教えにくいです。
地元の大手カルチャースクールにゆずっときます。
村田さんは塾をはじめて何年ぐらいたつのですか?
客層は中高校生ですか?
私は「英語塾」をするのははじめてとなります。
調べると試験対策、受験対策などもしなければならないようで
今までの英会話スクール&英語教室とは ちょっと毛色が違う。
ご指導をいただければ嬉しくおもいます。
続けるというのはエネルギーがいりますね。
私のエネルギーも休息をとったのでやっと復活してきました。
【9509】
【タイトル】村田さん
【 日時 】04/12/12 12:41
【 発言者 】sb
>(村田さん)なめらかさを獲得するために「結果として」200回読んでいた、500回読んでいた、ということになると思うんですよ。ウチの塾生は100
回どころではない勢いで練習している者もいます。あれは読むこと自体が一つの楽しさになっているなあと思います。
「読むこと自体が一つの楽しさになっているなあと思います。」
これは素読の良いところということになるのでしょうか。私は読むこと自体を楽しんできたところもありますが、からっぽの電池をつくるところまでもいかない
まま、ただドラム缶を叩きつづけていくこと自体に楽しみをみつけてきたような気もします。ただ読みつづける中で、意識の焦点が変化していく。このことがも
うすでに素読を味わっているということになるのかもしれません。
【9515】
【タイトル】戦略と戦術
【 日時 】04/12/15 19:31
【 発言者 】パクパク
英語学習で
1.音
2.文法
3.練習法と時間量
が同時並行的に大切ですが、じつは、
これらは、戦術レベルの
知識でしかありません。
やっと昨日わかりました。
だから、どんなに努力しても
上達感が薄いとおもいました。
戦略が抜けていたのです。
戦略とは、じつに簡単なものです。
戦略:心象を音に合わせる
人間の心のなかに、外界のイメージを映じる。
そして、音を合わせる。
ここで、人間の心が、どこにあるかの議論は
不毛ですが、脳ではないのは確かです。
右脳でも、左脳でもありません。
また外界のイメージは、心に映じるものですから
言語音声では表現できません。
非言語になります。
とりあえず、絵でいいとおもいます。
まだ、何語にも、コトバにはなっていない前段階状態です。
例)
映画 ゴースト
It's better than seeing this gorgeous body
splattered all over place.
このセリフを日本語の直訳と学校英文法では、
than に 「より」の訳をあたえてしまいます。
つまり、心象イメージの湧出がないなかで強制的に
言語(日本語音声)をあわせます。
これは、無謀というか暴力に近い。
thanを「より」という日本語を媒介にしてイメージしながら、
音読1000回してもほとんど意味がない。
量質転換は起こるわけがない。
thanに、いままで信じて疑わなかった「より」の 意味はないのは、英英辞典をみれば
明白です。
学校英文法は、短文をおぼえさせたり、辞書をあたえるので、
こうした矛盾はおきません。
than=より で矛盾がおきない範囲内で学習させていると
おもわれます。
【9524】
【タイトル】jackieさん 1
【 日時 】04/12/20 18:40
【 発言者 】村田
遅レスすみません。
jackieさんに問われて、さて、俺は何年塾をやってきたのだろうかと思い返してみました。
中学から見てた塾生が、今大学3年生と言っているから、だいたい8年くらいになります。意外と年数は長いんだなあ。
素読舎としてやり始めた当初、村田は小学生と中学生を相手にやってました。素読舎で他の塾生を見つつ、他の塾生の中で一緒に修行をしながら、なんとか
やってました。特に大学受験をひかえた塾生たちは、当初の村田よりもはるかに先へ行っていたものですから、そりゃもう負けてらんねえと初日は知恵熱出しま
した。あ、これは余談ですね。
当初は大学を受ける人たちを見れることが目標だったんですけど、なんか、いつの間にか自分の教室の塾生に大学生がいたり社会人がいたり…。当時の自分が
見たら驚きですね。
何年やってるか、というのと、対象はどの層か、というのはこんな感じです。まだ書くべきことがたくさんありますので、今夜以降、書いていきますね。
【9525】
【タイトル】素読舎次回広告用原稿
【 日時 】04/12/20 18:44
【 発言者 】村田
英語を鍛える道場 素読舎
■素読舎は、塾生が自分で学ぶ力を身につける塾です。
独りで学ぶ力を身につけるためには、そのための武器を身につけなければなりません。語学ではそれはなにかと言えば、「ネイティヴに(最低限)通じる音で
英語の文章をよどみなく音読できる」ことです。
日本に住む限り、これがまともにできるまでには、実は相当な訓練が必要なのですが、学校には訓練が必要なことを言わない先生や、必要な訓練を甘く見積
もっている先生、確かな訓練法を持たない先生が多いようです。すなわち「音づくり」ができないのです。そのため、生徒が英語に苦手意識を持ってしまう場合
があります。
日本に住む日本人である限り、英語を学ぶということは、訓練するということです。これははずせません。きちんと訓練していけば、必ず英語を使えるように
なります。
■小学生〜高校生
小学生はもちろん、中学生・高校生は、現在の自分の成績がどのくらいでも構いません。自分の英語をなんとかしたい、と真剣に思ったなら、やる気ひとつだ
け持って来てください。真剣に練習したら、自分でもおどろく成果が出ているはずです。
過去に、最初は学校の成績が悪くても、素読舎のみを使い、旧帝大・有名私大に合格した塾生たちもいます。
■社会人クラス/電話でレッスン
英語を一からやり直したい方、英語を使えるようになりたい方、ぜひ教室を見学して、体験してみてください。
また、いったんつけた英語力に錆びを感じている方にもお奨めです(特に電話でレッスンがお奨めです)。高校の英語の先生(3名)、英検1級の保持者や、
海外在住の方も電話でレッスンを受けつつ、さらなるスキルアップを図っています。
【9532】
【タイトル】ホームページの紹介
【 日時 】04/12/27 0:28
【 発言者 】高橋
素読に関連したホームページを検索したところ、大変興味深いページを見つけましたので、ご紹介します。「「型」の教育−脳生理学が証明するその論理と方
法−」という論文で、筆者は福岡県立社会教育総合センターの三浦清一郎さんという方です。「型」の教育の大切さを説かれており、「早い音読」の効果等も紹
介されています。アドレスは、http: //www.anotherway.jp/tayori/forum/50.htm です。
前回の書き込みは、今回の記入内容を書くつもりで誤ってしまったものですので、無視して下さい。
【9534】
【タイトル】高橋さんへ
【 日時 】04/12/27 13:14
【 発言者 】パクパク
HPのご紹介ありがとうございました。
素読は、意味理解をしないで音読するところが
ポイントと私はおもいますが、この意味理解には
イメージを排除していないとおもいます。
イメージがまったくの空で、素読した場合は
単なる丸暗記になるし、いずれ、どんなにたくさん
回数音読をしても(たとえば、1000回以上音読)、忘れさるとおもいます。
イメージとは、日本語であってもいいのですが、日本語をキーに
イメージすると、日本語の音の流れの干渉が生じるのでデメリットが
でます。
生徒にイメージを屹立させるのが、コーチの腕の見せ所であり、
素読の定義には、コーチの存在を入れてもらいたいものです。
いずれにしても、素読が絶大な効果がありながら、
H 中世以来盛んになり、江戸時代がピーク。明治以降は急速にすたれていった。
すたれたというのも面白いものです。
急速ということは、外的要因が働いたとおもわれます。
音読の斎藤孝さんが、素読は、意味を考えずに音読するので
封建的であり、自分は、意味を渡すと言っていたとおもいますが
川島さんが、このあたりをどう記述しているかが、興味のあるところです。
【9547】
【タイトル】コミュニケーション主義と、英語学習の孤独さの現実
【 日時 】05/01/09 0:40
【 発言者 】いくこ
あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします<(_._)>
さて、
最近、
「英語は学習するものではない」
的な風潮が強くなっているような気がします。
これは、気のせいでしょうか。
これに台頭するように、
「異文化コミュニケーション」
が強調されるようになった気がします。
安易に
「外国人の先生と生きた英会話」
を売りにする英語教育産業ばかりがはびこっています。
そして、この波は、義務教育にまで及んでいます。
このバックグラウンドに、
「孤独な作業」
に耐えられない人たちが増えているせいが
あるんじゃないかと思ったりします。
携帯電話やメールで、
「常に誰かとコミュニケーションしていないではいられない」
この世の中です。
受験競争の激しい時代は、人生の通過儀礼として、
孤独な受験勉強を乗り越えて成長していけと、
大人達は学生達に発破をかけてきたし、
それに対して受験生達も応えてきました。
でも、今は、その状況も一変している気がしてなりません。
「耐えて、頑張るばかりが人生じゃない」と
生き方に多様な選択枝がでてきたことも、
「孤独な作業離れ」
に拍車をかけているように思います。
ちなみに、私自身は、
英語学習の孤独さに耐えうるほどドーパミンが出ません。
こまったものです。
【9548】
【タイトル】(無題)
【 日時 】05/01/10 6:55
【 発言者 】sb
コミュニケーション。私はこの言葉が嫌いでした。コンプレックスを持っていたからです。なんとなく苦手意識を感じてしまいます。でも今は少し考え方が変わ
りました。
正確は定義は出来ていないことをまずお断りさせていただきます。
昔はコミュニケーション力と言語記号(潜在言語運用力?)を二項対立で捉えていました。でもこれらは本来別のものだと思います。
コミュニケーション力もひとりでもふたり以上でも鍛えることは出来ます。バーバルな面もノンバーバールな面も。学習もひとりでもふたり以上でも鍛えること
もできるかもしれません。本来ひとりでやるものだというのはその通りだと思いますが。
ひとりになってやるべきこととそうでないこととの区別が一人ひとりの中でなされていることが大切になると思います。
何かでこんな文章を読みました。「本来教室ではひとりになってやることを重視すべきだ。グループでやることの前にやるべきことがある。それをまず教室でや
るべきだ。それをやっていないのにグループでやるようなことをやっても時間の無駄だ。」みたいなことが書いてあったと思います。みなさん、どう思います
か。
【9549】
【タイトル】型に意味が宿るということ
【 日時 】05/01/10 12:39
【 発言者 】村田
根石さんのところでコーチの手伝いをした後、雑談をしていました。
長文読解はつらかったねえ、という話が出たので、文がやたら長いから大変
でしたねえ、と村田は言いました。
ところが、つらかったポイントがどうやら違うようでした。
話を聞いていると、「新しい例文を読むときに、意味がわからないまま声を
出して読まなければならないこと」が大変だったよ、ということでした。
村田は、意味がわからないまま読んで覚えるのは全然平気でしたので、それ
がつらいということがよくわからないんです。以前からこういう話は出てい
たんですけどね。最初に意味まで全部解析して覚えるのか、音に自然に意味
なんかがまとわってくるのを待つのか、まあどちらも「使える」状態にはい
たっていくわけで、どちらがいいかというのは一概には言えないとは思いま
す。
村田は「意味はあとからついてくる」、という言葉を信じているので、知ら
ない単語があったら、まずは発音だけ調べて読んでいたわけですが。
話は変わりますが。
コーチの役割には、ここで区切って読むべであるということを、実際に読ん
で音で示すということがあると思いますが、これがかなり重要だと思うんです。
文法用語を使った説明や意味を示すより、ただ区切り方のルール=構造を示
してやれば、学習者は、新しい文にあたったとき、「多分こんな感じで切る
んだろう」とか、「ここを強く発音するべきだろう」とか、予想をたててい
くことができると思うんです。(頭で考えるんじゃなくて、感覚として)
その過程で学習者は自分の中で「自分だけの文法」を編み出していくのです
が、コーチがちゃんとしていれば、それが大外れってことはあんまりないと
思うんです。
村田は不思議の国のアリスを意味わからん部分は意味を保留して練習してい
たんですが、やっぱりわからないところというのは気になるもので、無意識
に気にかけてるもんなんですよね。おそらく。で、別のものを読んでいる時
とか、または復習として読んでいるとき、ふと、あ、わかったよ、という瞬
間があったりする。これは忘れにくいですね。
結論は何かっていったら、なんなのだ?
型を作ること。型に意味が宿るということ。
つまり。
空っぽの電池を作るべし、ということに落ち着くわけです。
【9552】
【タイトル】記号⇒記号+思考
【 日時 】05/01/12 8:16
【 発言者 】sb
>村田は、意味がわからないまま読んで覚えるのは全然平気でしたので、それ
がつらいということがよくわからないんです。
「音読自体を楽しんでみることががあってもいい」というようなことを村田さんが以前おっしゃっていたのを思い出しました。村田さんのその文章を読んでなん
かその時とても納得したことを覚えています。
>以前からこういう話は出ていたんですけどね。最初に意味まで全部解析して覚えるのか、音に自然に意味なんかがまとわってくるのを待つのか、まあどちらも
「使える」状態にはいたっていくわけで、どちらがいいかというのは一概には言えないとは思います。
そうですね。語学というのは本当にいろんなやり方があるものです。
千田さん(音読提唱者)
國広さん(只管朗読)
⇒「意味の分かった後の音読」
根石さん(英語も素読)
⇒「意味は後からついてくる」
「徐々に意味は自分自身に身につくことがあるだけ」ということを私は根石さんから学んでいます。根石さんが「素読舎」という塾の名前にされたのはいろいろ
と深い意味があったのでしょう。機会があればぜひ詳しく根石さんにお聞きしたいものです。
併せて、文字記号にしても音声記号にしても「徐々に自分自身に身につくことがあるだけ」ということも大切な要素だと私は思います。同じ言葉を発していても
「こども」の時の音声と「おとな」になってからの音声は違うはずです。気分や使用状況も影響します。
それからこのことは根石さんと対立することになるのかもしれませんが、文字記号も音声記号も「個性」と切り離して考えることはできないということです。
言語はその特徴として「記号」としての側面があると思います。もちろん「記号」の大部分はその「規範」に支えられているものです。ただし、それはその記号
の中の「法則」と考えられる部分です。
それらの規範とされる共通事項をうまく100パーセント含めていることが「ことばの基本」であるはずです。そのことを今までないがしろにしてきた教育に責
任があるという部分はいずれ大多数の人々も理解していくことになるかもしれません。
そのキホンがあって始めて「分かる」「通じる」ということがきちんと行われるということになるということです。もちろんその言報の受け手の育った言語環境
によってそれらの言語記号(文字、音声)は変化します。さらに時代によって本当に微々たるものであっても常に変化し続けるものであるということを私は念頭
においてこれからもことばと付き合っていきたいと考えています。
やるべき順序としては
記号(音声、文字)⇒記号+思考
の方が、
記号+思考⇒記号
より効率がいいのは確かだと思います。なぜなら人間は一時にひとつのことしかできないからです。
例えば、ラジオを聴きながら料理を作っている人を考えてみます。
たまごを割る瞬間はたまごに意識が集中しているはずです。興味のある話題をラジオで聞いていた瞬間は鍋の火のことはセカンドかサード、つまり意識の表面か
ら背景としての「地」≒無意識≒素地へ押しやられているはずです。
このことは「ゲシュタルト療法」という本で知りました。
>最初に意味まで全部解析して覚えるのか、音に自然に意味なんかがまとわってくるのを待つのか、まあどちらも「使える」状態にはいたっていくわけで、どち
らがいいかというのは一概には言えないとは思います。
言語で飯が食えないと誰かが書いていた理由がここにあるような気もします。でも私はその順序には普遍性があると疑わない一人です。「学習者に任せる」「学
習者が選べる」ということももちろん大切です。しかし、指導者が信念をもって学習者を納得させることも大切だと私は思います。
【9559】
【タイトル】今年は語学論を充実させたいが。
【 日時 】05/01/17 1:12
【 発言者 】根石吉久
しばらくいやけがさして、掲示板には業務連絡のようなものしか書いていない。
今年から、応答式で掲示板に書くのはやめようと決めた。
今年から、語学論は特定の人に向けてではなく、不特定多数の人に向けてだけ書こうと思っている。応答式をやめれば、掲示板というメディアの最大の利点を
手放すことになるが、私はそうしたい。一人だけで、勝手に語学論をやらせてもらうことにする。
論としての質疑は、いくこや村田君やSumieさんにまかせてしまおうと思うが、彼らがそれを引き受けてくれるかどうかはわからない。引き受けてくれな
いならくれないでいい。とにかく、私は応答式で語学論をやるのはやめる。疲れたのである。
ここに書いてくださる皆さんが、応答式でやっていただくのはこれまで通りにやっていただきたいと願っているが、私はよっぽどのことがなければ、応答式に
はしたくない。
月に一本程度、論文を書くように書いていきたい。
なるべく、過去ログからの引用を多くして、やってみようと思っている。
このわがままを皆さんお許し下さるように。
【9576】
【タイトル】教材改名
【 日時 】05/02/02 0:35
【 発言者 】根石吉久
以前、Sumie さんが、私が作成中の映画「ゴースト」を文法的に解析した教材の利点を書いてくださったことがありますが、自分で WZ
エディタというエディタを使って作りながら、2万3千行を越えたあたりから、急に教材の質がよくなるという感触があります。
この教材はかつてどなたかが、「波状的インプット効果」をねらったものだと書いてくださったことがありましたが、まさにその通りで、これまで「文法解
析」と名付けていたものの、ねらっているのはインプットなのです。インプットの途中にさまざまな文法理解を介在させ、生徒さんに媒介にしてもらい、いずれ
はイメージで理解するというレベルに出ていただくための教材です。
この教材の作り方は、新しい文を理解してもらうのに、すでに生徒さんの体の中に(音の一体化した連続として)インプットされている文を何度でも引用し、
なるべく文法的に関連づけていくというものです。最初のうちは、新しい文と対置するのに「ちょうどぴったし」という文例がなかなかみつからず、なかば強引
に関連づけていくしかないのですが、教材が先に進めば進むほど、参照し引用できる文例が多くなるので、「ちょうどぴったし」が見つかりやすくなります。ひ
たすらエディタの軽い検索機能を使って「ちょうどぴったし」を見つけます。「ちょうどぴったし」が割と簡単にみつかるのを感じられるのが、2万3千行を越
えたあたりだということです。
中級・上級の方がこの教材を使用された場合は、新しい知識の獲得のためというよりは、自分の現在の英語力を維持し、「錆び付かせない」ための教材となり
ます。上級の方にも、もちろん、この教材を使っていく途中で、新しい発見はあるものと思いますが、どちらかと言えば、「錆び付かせない」ためのものです。
初心者はこの教材を使わず、中学の教科書を使いますが、中級前半の方からはこの教材を使っていただいています。中級前半の方にとっては、「維持」のため
というより、新しい英語の力を「獲得」してもらうための教材となります。
「獲得」用にも、「維持」用にもどちらにも使える教材になっています。
上級者用には、現在、素読のみを行う「素読体験」とでもいうべきレッスンもあります。「素読体験」は、現場の教師である程度の力をお持ちの方が、自分の
英語力を「獲得」し「維持」し、チャンスがあれば英語の磁場に交わり、英語の即応力を得るための「準備」に最適だろうと考えています。
「素読実験」は、素読をやるのですから、レッスンは全部、字を見ての音読になります。これに較べると、もう一つの上級者向けレッスン・「ひたすらイン
プット」には、字を見ないで行う「テスト」があり、時間との戦いがあります。この「ひたすらインプット」が私の「電話でレッスン」では一番きついレッスン
です。現場の高校英語教師の方が三人、在米中で仕事で英語を使っておられる方が一人、英検一級をお持ちでドイツ滞在中に私の方法をドイツ語で試してくだ
さった方が一人、塾講師の方が一人、外資系企業にお勤めの方が一人、大手電機会社に勤めておられ海外出張がほぼ毎月のようにある方が一人、英文科を出られ
「電話でレッスン」のコーチを考えておられる方が一人、日本滞在中の外国人を相手にする仕事へ進むことを考えておられる公務員の方が一人、このレッスンを
使っておられます。現在、例のごとく酒が入っておりますので、列記した以外の生徒さんがおられましたら、お許し下さい。遺漏に他意はありません。酔っ払い
のせいです。
これまで「文法解析」と呼んできた教材を使ったレッスンは、「ひたすらインプット」の前段階の練習です。
だらだらと頭に浮かぶ順に書いてしまったので、わかりにくくなっていますが、いずれ私の「電話でレッスン」の全体像をわかりやすく図式化してみたいと
思っています。
現在鋭意作成中の教材は、これまで「文法解析」と呼んできましたが、今夜、この教材を作りながら、別の名前を思いつきましたので、暫定的な名前として、
ひとまずここに書いておきたいと思います。
教材名: 「イメージ・文法、受肉過程」
【9580】
【タイトル】素読と電圧装置
【 日時 】05/02/05 0:24
【 発言者 】いくこ
ご無沙汰しております。
素読だけで、どれだけ英文理解に結びつくかということは、
この板でも、直接的間接的にふれられてきたように思います。
このところ思うのは、
もちろん英文のシンタックスに親しみ、語感を体得するために、
素読が先にありきですが、
この素読の読み込みをまずクリアした段階で、
英文を、
「電圧装置」
にかける作業が不可欠だと思っています。
これは、自転車の両輪だと思います。
「電圧装置」については、
「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館文庫)でくわしくふれているので、
もしお持ちの方は、再度本をあたってみることをおすすめします。
【9582】
【タイトル】素読舎千曲市向け広告
【 日時 】05/02/05 6:04
【 発言者 】村田
英語を鍛える道場 素読舎
■素読舎は、塾生が自分で学ぶ力を身につける塾です。
独りで学ぶ力を身につけるためには、そのための武器を身につけなければなりません。語学ではそれはなにかと言えば、「ネイティヴに(最低限)通じる音で
英語の文章をよどみなく音読できる」ことです。
日本に住む限り、これがまともにできるまでには、実は相当な訓練が必要なのですが、学校には訓練が必要なことを言わない先生や、必要な訓練を甘く見積
もっている先生、確かな訓練法を持たない先生が多いようです。すなわち「音づくり」ができないのです。そのため、生徒が英語に苦手意識を持ってしまう場合
があります。
日本に住む日本人である限り、英語を学ぶということは、訓練するということです。これははずせません。きちんと訓練していけば、必ず英語を使えるように
なります。
■小学生〜高校生
小学生はもちろん、中学生・高校生は、現在の自分の成績がどのくらいでも構いません。自分の英語をなんとかしたい、と真剣に思ったなら、やる気ひとつだ
け持って来てください。真剣に練習したら、自分でもおどろく成果が出ているはずです。
過去に、最初は学校の成績が悪くても、素読舎のみを使い、旧帝大・有名私大に合格した塾生たちもいます。
■社会人クラス/電話でレッスン
英語を一からやり直したい方、英語を使えるようになりたい方、ぜひ教室を見学して、体験してみてください。
また、いったんつけた英語力に錆びを感じている方にもお奨めです(特に電話でレッスンがお奨めです)。高校の英語の先生(3名)、英検1級の保持者や、
海外在住の方も電話でレッスンを受けつつ、さらなるスキルアップを図っています。
【9584】
【タイトル】メールとお返事
【 日時 】05/02/05 12:26
【 発言者 】根石吉久
Kさんという方から、「回転読み」実演テープの問い合わせがあったので、それへのお返事を併記して引用させていただく。今後もいただいたメールは、個人情
報は伏せた上で引用させていただく場合があります。
----------------------------------------------------
最近『英語どんでん返しのやっつけ方』を読みました。
やっつけ方も大変参考になったのですがインプットされてないものはアウトプットできないとか、リスニングも知ってなければ聞き取れないなどという事が当た
り前のようでわかってなかったんだなぁと痛感しました。
後半の対談にも大変感銘を受けました。
HPでも強くおっしゃられているように英会話と学校教育に騙されている日本の英語学習状況に不安を感じます。
私は泥臭くても、醜いアヒルの子になってでもいいので英語で話せ、書け、読めるようにしたいです。
中学生の頃に(定期テストのためでしたが)範囲の文章を全て完璧に覚えて望んでいました。
テスト前には毎日、寝る前に音読、音読、その甲斐あってテストは余裕でほぼ満点でした。
高校に入っていつしかその習慣を失い、そして今まで気付かなかった文法の重要性を知りました。
(先生は文法書を読むなとおっしゃいますがやはり入試では使わないような語彙で頭をぱんぱんにして文構造をふまえた訳をつけないと点がもらえませ
ん・・・)
そして今になってやっと音の重要性に気がつきました。
単語帳に発音記号と例文をメモしたりしていましたが熱心に音読するでもなく記号の意味(読み方)も正確に知らずにいました。
今からでも以前の泥臭さを取り戻し、音づくりからやり直したいと思っています。
私は現在高校二年生、つまり今年の四月には受験生になります。
大学入試まであまり時間が無く焦り始めているところです。
直ぐにでも例文暗記に励みたいのですが生来我慢が足りず、回転読みをどれくらい、どんな風に繰り返すのか実感が湧かずなんだか適当にやっています。
参考のために実演テープを購入希望です。
千円札の郵送の仕方はアレでいいんでしょうか(笑
それでは宜しくお願いします。 北海道・・・高等学校2年 K
----------------------------------------------------
【9585】
【タイトル】(続)
【 日時 】05/02/05 12:28
【 発言者 】根石吉久
ちょっとおたずねしていいでしょうか。
「英語どんでん返し・・・」は本屋さんの店頭からはなくなっていると思っていましたが、まだ店頭にあったのでしょうか。
>そして今になってやっと音の重要性に気がつきました。
小学館文庫以後、「電話でレッスン」というものをやっておりまして、「音」の重要性に気付かれた方には是非おすすめしたいと思っています。個々の音はもち
ろんですが、大事なのは音と音の連続性と、音がぶつかりあうときの処理です。つまり、文単位で「音づくり」をやるときに生じる問題です。一つの文を繰り返
し言い続けるという私の方法では、この「音づくり」がしっかりできたときは、文まるごとがインプットされています。レッスンは音の練習であると同時にイン
プットの方法を伝えるためのものでもあるわけです。テキストは映画「ゴースト」のシナリオですが、専用の教材を作成してありますので、文法理解を媒介にで
きるようになっています。
こちらをお奨めしたいのですが、興味をお持ちになりましたら、再度お問い合わせ下さい。
「回転読み」その他のテープは何人かの人にお譲りした後で、テープを渡しただけでは方法の核心部分は伝わらないと思うことがあって、現在はお売りしており
ません。
ホームページを書き換えるたびに私のコンピュータがフリーズするため、ホームページを書き換えることを放置してあり、ご迷惑をおかけしました。申しわけあ
りません。
現在、掲示板「大風呂敷」があります。近頃はあまり活発ではありませんが、ご参考までに覗いてみていただけるとうれしく思います。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
>直ぐにでも例文暗記に励みたいのですが生来我慢が足りず、回転読みをどれくらい、どんな風に繰り返すのか実感が湧かずなんだか適当にやっています。
「回転読み」への導入となる、「技法グラウンド」というものを「電話でレッスン」では行っています。時間がたてば自然に「回転読み」ができるようになりま
す。やったりやらなかったりだと、非常に効率が悪いですが、レッスンがあるとペースメーカーになるかとも思います。いずれば、アメリカの無料会議電話を
使って、複数の人を相手にレッスンする予定ですが、今は一対一のレッスンがあるだけです。無料会議電話が使えるようになれば、レッスン代金を下げられるよ
うになるのですが、現在は、月額一万二千円でやらせてもらっています。しかし、貧乏が止まりません。
再度のお問い合わせをお待ちしております。
根石吉久
【9589】
【タイトル】Kさんのメールへのお返事
【 日時 】05/02/06 2:33
【 発言者 】根石吉久
K>「英語どんでん返し・・・」は学校の図書室にありました。
ああ、そうでしたか。教えていただいて、ありがとうございました。
K> 「電話でレッスン」ですが、
K> どう考えても北海道と長野では無理だよなぁ・・・と思って
長距離電話はずいぶん安くなりました。それで私の「電話でレッスン」も可能になっているのです。ただし、適当な付加サービスを是非使っていただく必要があ
ります。しばらく前は、「シャベリッチ」というサービスがありました。その頃の試算では、レッスンに必要な一ヶ月の電話料金は1200円〜1500円くら
いだったと記憶しています。フュージョンシステムというのを使って、月額700円程度の電話代でレッスンを受けておられる方もおられました。その後のサー
ビスの動向をあまり知りませんので調べてみていただけませんか。IP電話を導入されれば、もっと安くなりますが、ADSLはお使いでしょうか?
K> テキストは映画「ゴースト」のシナリオ・・・
K> なんだかあまり興味が湧かないのですが・・・
ふむ。まあ、あくまでも語学の教材としての映画だとお考えください。映画に関しては、どなたも好き嫌いがおありですが、難易度で、中学の英語が済んでいる
くらいの方からやれる教材として選択したまでのことです。英検1級をお持ちの方とか、高校の英語の先生3名のうち2名が、同じ「ゴースト」のシナリオを
使って練習されています。他に、アメリカ在住で仕事をされている方も同じ教材でやっていただいています。高校生でも英語が大嫌いという人でなければ、たい
ていやれると思います。映画としての興味とテキストに対する語学的な興味とはまったく別ですので、まあ、そう言わずに、と申し上げたいです。
K> 「技法グラウンド」
K> HPを見た限りではよくわからなかったのですが要するに電話での指導のことでしょうか?
「技法グラウンド」は「回転読み」への導入として位置づけています。「技法グラウンド」はコーチがいる練習です。「回転読み」は独学の方法です。レッスン
を受けていただいた場合は、「技法グラウンド」をやります。やっているうちに「回転読み」ができるようになります。電話でだけでなく、私の素読舎という塾
でも「技法グラウンド」で生徒たちが練習しています。
K> 「練習用テープ」5本
K> これは、「回転読み」のテープとはまた別なのですか?
K> 収録されている内容が気になります。
ちょっと、「練習用テープ」5本というのが思い出せないのですが、どんな記事の中にありましたか? 引用していただけたらと思います。
K> 電話で指導なさるのは根石先生なのでしょうか?
そうです。が、現在の空き枠は、土曜日夜8時50分〜9時20分、月曜夜9時〜9時半の二つしかありません。土曜日の枠は問い合わせがあり、近々埋まるか
もしれません。
また、私の枠が埋まった後は、奈良県の小川さんという方に受け皿になっていただき、生徒さんを預かっていただいています。
この方は、英検1級をお持ちですが、ドイツ滞在中にドイツ語の練習をされるのに、「英語どんでん・・・」のやり方で試してくださった方で、「これは効きま
すわ」と言ってくださいました。私の考えの肝心な部分をわかってくださっていると思い信頼して生徒さんを預けています。
小川さんに預けている生徒さんは現在もあるのですが、私の空き枠は近頃疲れることが連続しているもので、空き枠として空けたままにしていました。お申し込
みがあれば、すぐに始めていただくことができます。その場合は、メールで教材をお送りしますが、巨大な教材なので、無料メールアドレスでは全部送りきれる
かどうか不安です。まあ、何回かに分けて送ってもいいですが。CDで郵送という手もありますし。
【9590】
【タイトル】(続)
【 日時 】05/02/06 2:36
【 発言者 】根石吉久
K>
入試に向けて「即戦ゼミ 大学入試英語頻出問題総演習」という教材を丸ごと覚えてしまいたいのですが、「電話でレッスン」で扱うのは可能でしょうか?
今、手一杯なので、申しわけありませんが、新しい教材は導入できません。
K> (「電話でレッスン」で扱わなくても回転読みのコツを掴めれば自分で覚えていこうとは思っていますが)
是非それをやっていただきたいです。現在の私の生徒さんにもときどきそういうことを言っています。私のやるレッスンを中に据えて、他にいい教材がみつかっ
たら、私の方法でどんどん練習して欲しいと言っています。
K> (掲示板に書き込んだ方がいいのかなと思いつつ、メールにしました。掲載の判断はお任せします。)
事後承諾で申しわけありませんでした。
承諾いただけてうれしいです。
今回は、私のものだけ掲載するつもりです。
【9591】
【タイトル】Kさん
【 日時 】05/02/06 2:42
【 発言者 】根石吉久
先生は文法書を読むなとおっしゃいますがやはり入試では使わないような語彙で頭をぱんぱんにし
て文構造をふまえた訳をつけないと点がもらえません・・・
今の大学入試の出題は、変なものです。使えない英語を再生産する装置になっています。
私は文法書を読むなと言っているんではなくて、文法書の英文そのものの音読をやらないで、説明
だけ読むなと言っているのです。
メールでもお勧めしましたが、この掲示板にご登場願いたいです。
私は元々受験生を相手の仕事をしていた人間ですから、受験生と話をしてみたいです。
【9594】
【タイトル】回転読みの素材
【 日時 】05/02/08 1:30
【 発言者 】Sumie
回転読みを私の高校生の生徒相手に「NHKラジオ英会話 レッツ・スピーク」と大学入試用の語法・構文集で試してみました。 結論から言うと、広い文脈の
中で文章をインプットする方が定着率がいいのです。 もどかしい様でも、「ゴースト」の文法解析テキストを執拗に回転読みする方が、あらゆる面で効果的で
す。 文や語彙の用法やニュアンス、発音、イントネーション、イメージ、などなど丸かじりにする事で、身に着いて行きます。 急がば回れ、です。
一番、回転読みの効果がうすかったのが、文法書や受験英語の構文の回転読みでした。 語彙の入れ替え練習(パターン・プラクティスあるいはサブスティ
テューション・ドリル)などを沢山やるなどしないと身につかない様な気がします。 やはり型は型に過ぎない様です。
文法解析テキストは、回転読みを進めて行く内に、1つの型がどんどん仲間を増やしながらゾロゾロと集結して出てくるのがミソです。 この教材が優れている
理由はここにあります。 ひたすら回転読みする内に、自然にパターン・プラクティスができる様になってます。 しかも復習範囲をしっかりと掴みながら、同
時に新しい文をインプットできます。 将来のアウト・プットを目的にした理想的な教材だと思ってます。
【9596】
【タイトル】先生、おしっこ
【 日時 】05/02/08 2:41
【 発言者 】村田
知り合いの息子が今小学校の1年生をやっています。
その知り合いから聞いた話です。
生徒(もちろん小学1年生です)が、授業中に、おしっこをしたく
なってしまったそうです。どうにも我慢ができなくなって、
「先生、おしっこ。」
と先生に言ったそうです。
その先生は、
「先生はおしっこじゃない!」
と言ったそうです。
知り合いはそれを聞いて、なるほど、と感心したそうです。
しかし、私はなにかひっかかるものを感じました。
この先生は、
「先生、おしっこ」
という生徒の言葉を、
「先生(は)、おしっこ」と捉えたわけですが、なんというか、皮相
的やねぇ、と思えました。
この場合、「先生」は主語などではなく、先生に対する呼びかけ
です。そして、生徒の気持ちは、
「先生!(あたしは)おしっこ(をしたい!)」
なのです。
この先生には、生活言語としての日本語を使う時に、英語的
な文法意識が働いているのです。それはそれでいいかもしれな
いけれども、それなら、あらゆる局面でそうしろよ?と私は思い
ます。
いや、当然わかっていて、あえて
「先生!私はおしっこをしたい」ときちんと言いなさい、ということ
をこの先生は言いたかったのかもしれない。
ならば、「先生はおしっこではない。」という言い方をするべきで
はないと思うのです。
リアルな感情がくだらねえ似非論理に押さえつけられた瞬間な
んだと思いました。
(なんというか、「日本に輸入された西洋的近代」のクサイクサイ
においがするのでした)
小賢しい。
【9597】
【タイトル】(無題)
【 日時 】05/02/08 2:54
【 発言者 】村田
Sumieさんの投稿を見て、あらためて感じたこと。
電圧装置あっての回転読みだなあということです。
村田は、浪人時代に根石さんの本を読んで、一人で
電圧装置を作って英語を殺していたわけですが、素読
舎に入ってからは、練習をしている時に、自分用の電圧
装置を作る必要を感じませんでした。
それは、「ABCD」に始まり「長文読解」に至る根石さん
作の重層的なテキストが必要にして十分以上の電圧装
置となりえていたからです。
これらのテキストがあったからこそ、つまり、意味はいずれ
わかる、ということが担保されていたからこそ、音だけに
専念することができたのです。
ですので、ほんとはこう言うべきですね。
素読舎では、回転読みを先にやってから電圧装置をやる
ことができる。
この順序でできるということです。
これは一人でやるのはとてもしんどいことです。
でも、それができる。
そして、自分のテキストを作ることができるよう
になっているのです。
【9606】
【タイトル】「くだらねえ似非論理」
【 日時 】05/02/12 2:19
【 発言者 】Sumie
村田先輩のおっしゃりたかった事とずれてしまってるかもしれませんが。
日本男子の「飯、風呂、寝る」など、英語人から「それがど〜なんよ、はっきりどうして欲しいのかいいなさいよ」と言われかねませんね。 日本語は文脈とか
状況とかから「察する」事が必要な言語の様です。 御丁寧に「誰が何をどうした」と言わなくても、んなもん、この状況ではこう言う意味にしか取れへんや
ろ、と思います。 「先生、おしっこ」は生徒にとって緊急事態発生のサイレンみたいなもんですから、いっちいち「私は今おしっこがしたいので、お手洗いに
行っていいですか」などどしつこく子供に言わせようとするのは酷ですね。
けど英語の文は文脈に依存する度合いが少ないので、日本語の論理で英語を書いたりしゃべったりすると意味が解らなくなってしまいます。 それでも緊急の場
合は「泥棒!」とか「み、水!」とか言うだけで通用するわけで。
英語を教えている時は、私も実際必用以上に「くだらねえ似非論理」を振りかざして、日本語の曖昧さをあげつらってた様に思うな。。。 (って、反省してる
のか、懐かしんでるのか、自分でもようわかりませんが)
【9611】
【タイトル】音と文法
【 日時 】05/02/18 23:32
【 発言者 】パクパク
英語の学習本はいろいろ
ありますが、
同一著者で、発音の本と
文法の本とを書いた人は
あまりみかけません。
しかし、音と文法とは、本来同一では
ないでしょうか?
文法に音を合わせようとするとなかなか
会いませんが、
音に、文法をあわせると、合うようになります。
そうすると、英文を音と文法で、記憶定着できる
ようになります。
たぶん、ネィティブの赤ちゃんも同じことを
しているのではないでしょうか?
例)
従来英文法の英文切断 We're sure /in the middle /of it now.(Star Wars)
音重視の英文法による切断 We're sure in the /middle of it /now
100% 真ん中 今
【9612】
【タイトル】タイ修学旅行雑記
【 日時 】05/02/21 23:24
【 発言者 】いくこ
根石さんより、一足早くタイより日本にもどってまりました。
この「タイ修学旅行」は、
素読舎の月曜クラスという、
地元の大人向けクラスの生徒さんと企画したものです。
みな日本で鍛えた英語であり、
机上の練習はしてきたけれど、
力がついたかを実感する機会なくやってきました。
そんな折の去年の今回タイに行ってみて思ったのですが、
臆することなく英語を使うことができるようになっていたことに、
正直驚きました。
また、いずれくわしく続きを書いていくつもりですが、
本日は帰国したばかりですので、またいずれ書きたいと思います。
すみません。
とりいそぎ。
おやすみなさい。
【9613】
【タイトル】タイ修学旅行雑記
【 日時 】05/02/22 4:02
【 発言者 】いくこ
根石さんより、一足早くタイより日本にもどってまりました。
この「タイ修学旅行」は、
素読舎の月曜クラスという、
地元の大人向けクラスの生徒さんと企画したものです。
みな日本で鍛えた英語であり、
机上の練習はしてきたけれど、
力がついたかを実感する機会なくやってきました。
そんな折の去年の今回タイに行ってみて思ったのですが、
臆することなく英語を使うことができるようになっていたことに、
正直驚きました。
タイのひとも英語がそれほど堪能でないこともありますが、
行ったその日から、聞き取りも話すこともできました。
また、いずれくわしく続きを書いていくつもりですが、
本日は帰国したばかりですので、またいずれ書きたいと思います。
すみません。
とりいそぎ。
おやすみなさい。
【9614】
【タイトル】いくこへ
【 日時 】05/02/26 19:40
【 発言者 】根石吉久
ピサヌロークというところで、何もせず数日をだらだらと眠っておりました。
今日、スコタイに移動して、やはり何もせず眠っておりました。
この辺は、あまり英語が通じないですね。
やっと夕方になったので、動く気になり、インターネットカフェを探しましたが、宿から遠い。
明日はサムロー(人力車)に乗ってインターネットカフェまで来ることになりそうです。
いくこへお願いがあるのですが、毎日女房のところに電話しているが、かからないと女房に電話
しておいてくれませんか。今日、買ったカードの種類が違っていることが判明し、夜にもう一度
試してみるつもりですが、大風呂敷に書き込んでいくこに頼んでしまった方が早いかとも思った
ので。
皆様
おかげさまで楽しく旅を、というか、毎日だらだらと眠っております。そろそろタイはわずかな
がら暑季のきざしがあり、昼間はひなたを歩くのがおっくうで、午後はたいてい眠っています。
今日、小さな小さな蟻に食われましたが、けっこうピリッと痛かったです。なんていうんだろう
か、バンガローみたいなところに泊まっておりますが、ホットシャワー付き、トイレ付きで25
0バーツ・750円くらいです。
【9615】
【タイトル】2月22日
【 日時 】05/02/26 20:21
【 発言者 】根石吉久
<ピサヌローク>
無理に食べずにいたのがよかったのか、腹の調子回復。痛みはほとんど消えた。
昼過ぎ起きてから食べたもの、おかゆ、ゆで卵、ヤクルト一本。
オレンジの小粒のもの(直径4センチほど)をつぶして絞り、ジュースにして売っている
店先があったので頼む。10個分を半分に切り圧し潰す道具で潰した後、ミキサーに入れ
るのが変だ。なんでかきまぜる必要があるのかと思う。怪訝に思っていると、オレンジ1
00パーセントの果汁におたま三杯のシロップを加え、さらに何か白い粉末を入れようと
するので、砂糖かと聞くと塩だと言う。多分シロップでは甘すぎるものができるだろうと
思ったので、塩は加えるままにしてもらう。できたものをビニール袋に入れ、ストローを
つけて寄越したものが10バーツ(30円)。
もし、シロップと塩を加えなければ、果汁100パーセントのうまいオレンジジュースが
できるはずだと思い、英語が通じない人にたずねてみる。 no なんとかという言い方
は英語のわからない人にもよく通じる言い方で、 I dont want だの
without だの言わずに、 no sugar、 no salt、 no syrup
と言うと通じる。
no salt、no syrup、 only oranges で20個のオレンジを
使い、20バーツだと言う。夜、腹の調子がよかったら、ナイトバザールをひやかしな
がら試してみることにして店先を去ろうとすると、店の人がオレンジを切りはじめよう
とするのであわてて止める。 later とか not now が通じない。
【9624】
【タイトル】2月22日(続き)
【 日時 】05/02/27 23:23
【 発言者 】根石吉久
<ピサヌローク>
書店に入り、棚を見るが日本語の本はおろか、英語の本もない。すべてタイ語の本ばかり。タイにいるのだから普通のことであるが、何かわけのわかる字で書い
たものを読みたくなっている。
午後はやたらにほっつき歩くものではない。今はまだタイの夏ではないが、若くない体にはきつい。部屋に戻りパンツ一つになり、扇風機を回すが、風が体を冷
やしそうなので、回転調節のスイッチを最弱にして、中原中也を読む。出発数日前、寂蒔のモスバーガーで読んで胸にしみたものが、どうしてここではピンと来
ないのか。ちょうど中也が言葉をおもちゃにしているあたりを読んでいるせいか。
どうしてこうも寝るのか。寝てばかりいる。日本にいてもこの傾向はあったが、それにしても寝てばかりいる。
20日、一行をチェンマイ空港に送ってから、トクトクの運ちゃんにみつけてもらったゲストハウスに入った。外へ飲み水を買いに出て、部屋に帰ったのが3時
か4時。その頃から寝始めて、途中で何度か目がさめたものの、すぐにまた寝入った。寒気がして腹が痛いのに眠りの中で気づいていたが、そのまま寝続け、朝
10時頃まで寝た。断続的にだが、18時間くらい寝たことになる。そのまま荷をまとめ、宿を出たところでトクトクをつかまえ、チェンマイ駅へ直行。11時
頃切符を買ってからすることがないので、駅のベンチでまた寝る。夕方4時までの時間の半分は寝ていた。列車はほぼ定刻に出発。明るいうちは窓の外の景色に
見入っていたが、窓の外が暗くなってまた寝る。列車内の7時間も、半分は寝ていた。
【9625】
【タイトル】2月22日(続き)
【 日時 】05/02/28 0:07
【 発言者 】根石吉久
夜11時過ぎ、ピサヌローク着。駅のすぐはす向かいの安宿に入るがすぐに後悔。耳元で人のどなり声、車の騒音がしていて、とても眠れないだろうと観念し
た。すぐ外の駅前の音が直接に響き続けている。駅前に向いている窓が網戸だけで、開いていて閉められないし、閉められたとしても暑くて眠れないだろう。し
かし、やがて寝入る。夜中の1時に寝て、朝5時目をさます。騒音は相変わらず。存在の根底をゆさぶられるくらいにやかましい。ゆさぶられるどころか、否定
されるくらいにやかましい。よく4時間寝たものだと思う。さっさと宿を出て、朝の薄暗がりの中を駅から離れる。まだ準備を始めたばかりの市場のがらんとし
た中を歩き、ようやくほっとする。魚、野菜を運び込んで来る人の動きにぶつからないようにしながら、市場を出てホテルを探して街の中を歩く。こんな朝早く
にホテルを探すのも珍しいことかもしれない。ツインベッドで650バーツをみつけたが高過ぎる。歩いているうちに川にぶつかり、川岸の水上生活者の傾いて
沈みかけたような建物を見ているとき、インド人らしき人に話しかけられる。ホテルを探していると言うと紹介してやるというからついていく。一軒目のシング
ルは埋まっている。案内役はインド人からホテルの従業員に引き継がれ、従業員に連れられて、近くのゲストハウスに案内される。200バーツ前払い。チェッ
クインの書類を書くこともなし。ホットシャワーはないが、比較的静か。底鳴りのようにバイク、トクトク、乗用車の音が響いてくるが、音が間接的だから問題
はない。朝6時か7時か、さっそく寝始め、昼過ぎまで寝る。昼に外へ出て、おかゆ、ヤクルト程度のものを食べて、宿に戻ってまた寝る。2時から7時までの
5時間ほどを寝た。
宿のすぐ近くにコーヒーを飲ませるケーキ屋があった。メニューにホットテイとあるのでそれを頼んだ。リプトンのテイバッグの紅茶。ようやく甘くないお茶に
めぐりあう。中国茶のポットと中国茶用の小さいカップで出されたものを砂糖の量に気をつけて、渋みを殺さないようにして飲む。うまい。
しゃれた喫茶店なのに、やたらに蚊にさされるので歩くことにする。
【9626】
【タイトル】22日(続)
【 日時 】05/02/28 16:01
【 発言者 】根石吉久
<ピサヌローク>
昼頃起きたとき、シャワーを使ったのだったかどうか。もうぼんやりしてしまって、ものごとを覚えていられない。ぼうっとしていて、ものを記憶するのが面倒
になってしまう。シャワーを浴びたとき、シャワー兼トイレの部屋に直径60センチくらいのでかいプラスチックの桶があり、それに水を注ぐ位置にある水道の
蛇口が実にチープでいいと思った。チープな美というものがある。午後の暑い中をナン川まで歩く途中に農機具屋があったので、水道の蛇口のことを聞いたら、
風呂の設備用品の店を教えてくれた。後で行ってみることにして、川端を歩き、おかゆを食ったのだった。それから何をどうしたのか覚えていない。おかゆを
食って、途中で買ったマンゴーをむいて食って、部屋に帰る途中で風呂の設備用品の店に入ったのだったか。前後関係がすでにわからない。ともあれ、取っ手の
色で三種類、赤、黄、青の蛇口をひとつづつ買う。原色の鮮やかな取っ手と、アルミ合金らしい蛇口の地金の色のとりあわせがいい。春になったら自宅の庭に、
植物の水遣り用の水場を作る予定だが、日本の塩ビのパイプとネジ穴の径が合うかどうか。適合しなくても、コーキングで接着してごまかして試してみる価値は
あるとして、3つ買い込む。
どこをどう歩いたか忘れたが、川端のナイトバザールに出る。まず昼間シロップを混ぜられたオレンジジュースを試す。オレンジ20個を半分に切ったもの、合
計40個をひとつずつ潰すのだから、その手間だけでもけっこうなものだが、やはり昼間の話の通り、代金は20バーツ(60円)だという。パンにジャムをは
さんで、炭火で焼いたものと合わせて25バーツ払い、ナイトバザールの店をのぞきながら、ビニール袋からストローで果汁100パーセント一切無添加のオレ
ンジジュースを飲むが、苦みがあり思ったほどうまくはない。多分、潰すときにオレンジの皮から出る汁が混ざるからだろう。
昼間、シロップも塩も入れずに実を潰しただけのジュースを作ってくれるかと聞いたとき、店の周りにたむろしていた人たちが店の人に「この客は何を言ってい
るのか」というようなことを言って、店の人が俺の特別注文を説明したら、「おかしなことを言うやつだ」みたいな調子でみんなが笑った。何を笑うのか。控え
おろう。果実を潰して、それに何も混ぜずに飲むのがまともなジュースというものだ。おまえらこそシロップなんか混ぜておかしなやつらだとその時は思ったの
だった。やはりものごとには何かしら理由があるものである。タイの連中は、オレンジの皮を剥くという手間をかけずに、シロップを混ぜてオレンジの皮の苦み
を消しているのだ。苦みのするジュースを飲みながら、ナイトバザールをひやかす。
チェンマイのナイトバザールに較べると実に小規模なものだが、ついバイヤー根性が出て、10バーツのイヤリング20個ほど、45バーツ、55バーツのアク
セサリー合計10個ほど、女物の夏シャツ1枚を買う。買いたくなるものはほとんどない。ナイトバザールのはずれにフットマッサージ1時間100バーツの看
板をみつける。やってもらいたかったが、二つある椅子の両方とも埋まっていた。川を眺めながら、ハイネケンのビールを飲む。まだ体が本調子でないのだろ
う。ビールがうまくない。川にさかさに写ったナイトバザールの灯を眺める。川向こうの水上生活者の小屋も、午後の暑い光の中で見る惨めさはないはずだ。汚
い川の水も、小屋の色も薄くらがりの中に溶けているはずだ。しかし、やはり惨めな気持ちがあって、惨めなのはド派手なナイトバザールの灯なのか、薄くらが
りに沈んでいる小屋の小さな灯なのか、川向こうの土手の背後にそびえる GRAND RIVERSIDE
とやらの巨大ホテルなのか、それらを眺めてまずいビールを飲んでいる俺なのかわからなくなる。
【9627】
【タイトル】22日(続き)
【 日時 】05/02/28 16:29
【 発言者 】根石吉久
<ピサヌローク>
ビールを飲み残して、フットマッサージの場所まで戻る。まだ椅子は埋まっている。マッサージのおばちゃんと目が合ったので、頼みたい旨言うとベンチで待っ
ていろと言われるのでベンチに腰を降ろす。じきに椅子の一つが空く。フットマッサージというのは初めてやってもらうが、タイのやつは実に細かいところを突
く。足の指の一本一本にもツボがあるらしく、細い棒で指一本につき裏表で4、5個所も突く。ときどき痛いが、うっと思うとおばちゃんの力が抜けている。足
裏のマッサージと太股のマッサージが特に気持ちいい。ていねいにていねいにたっぷり一時間やってくれる。途中、生あくびが何度も出た後に、本格的にでかい
あくびをしたら、おばちゃんが笑った。ボディマッサージもやっているというから、明日また来ると言い、100バーツ払う。
歩き出したら、腹が減っているのに気づく。いよいよ調子が戻ってきたものかもしれない。米の麺を油で炒めたものと、もやしを主体としたサラダとを食う。柚
に似た果実の半切りがついてくるが、これをかけて食うと脂っこさが消えてうまい。もう一個余計にもらい、たっぷりとかけて食う。やっとものを食ってうまい
と思うようになった。
思えば、タイに着いて一週間は屋台の食い物がうまいので、腹が減ってもいないのにやたらに食い、消化不良を起こしての下痢だったのだろう。きのうあたりか
ら寒気や悪寒もないので、風邪も引き込まずに済んだらしい。弱った腹を助けてくれたのは、タイのおかゆ、ヤクルト、バナナ、オレンジジュースなどだ。リプ
トンのティーカップがあんなにうまいものだとは知らなかった。毎日甘ったるいものを食い続けた後では、リプトンの紅茶に砂糖を少な目に入れて飲むものが実
にうまい。歩けば汗が出るので、下痢腹に水気の多い食い物もそれほど毒にはならないのだろう。何はともあれ、食い過ぎがいけなかったのだと思う。
なるべく食わないようにしていたつもりの今日一日だったが、よく思い出してみるとけっこう食っているのに気づく。シロップ入りオレンジジュース、おかゆ、
茹で卵一個、ソーセージ一本、マンゴー一個、ヤクルト2本、コーヒー一杯、オレンジケーキ一個、リプトン紅茶一杯、オレンジ20個分のジュース、缶ビール
一本、米の麺のヤキソバ、もやしサラダ。やはりけっこう食っている。歩けばどこにでも食い物がもろむき出しで売っていて、簡単に買えてしまうのがタイのい
けないところである。
【9628】
【タイトル】2月23日
【 日時 】05/02/28 17:33
【 発言者 】根石吉久
起きたのは10時だったか11時だったか。ゲストハウスの従業員も主人も誰も見当たらないので、ゲストハウスの主人の子どもだと思われる女の子に話しかけ
る。見たところ、小学校4年か5年くらいの感じだが、非常にはにかむので話ができない。英語がわからないのと、はにかんで口を開かないのとが一緒になって
いるので困ってしまう。女の子も俺も両方で困っているところに、宿の主人が現れた。部屋を変えてもらいたいことを言う。エアコンディションは要らないこ
と、ホットシャワーは欲しいことを言うと250バーツだと言う。空き部屋二つを見せてもらい、ツインベッドではなくダブルベッドの部屋に決める。200
バーツの部屋から250バーツの部屋へ移ったのだが、この差が非常にでかいのがわかる。一日150円の差額で、極端に言えば、家畜扱いから人間扱いに変
わったような感じがする。何が違うのかといえば、部屋に風が通り、建具がしっかりしている程度の差のような気がするが。いやまだある。壁に厚みがあって、
隣室の音が聞こえないこと、外の騒音が気にならない程度に弱められていること、灯りが日本の規格で言えば20ワットの蛍光灯一本から、40ワットに変わっ
たこと、従って昼間は点灯しなくても字が読めることなど、まだまだ前の部屋との違いはある。簡単に言えば、200バーツの部屋は惨めさを強めるように作ら
れており、250バーツの部屋は惨めさを弱めるように作られている。客側からすればそうなる。宿側からすれば、200バーツにはホスピタリティを示す必要
はないが、250バーツにはそれを示す必要があるということだろうか。この宿の200バーツと250バーツとの間には深くて暗い河があり、積極的ホスピタ
リティの有と無の差がある。今回、同じ宿主のゲストハウスの中で部屋を変えたので、とりわけ50バーツの差がくっきりと出たのかも知れず、ピサヌロークの
宿一般にこの差があてはまることはないだろう。それにしてもこの宿の150円の差はでかい。
新しい部屋に荷物を運び込み、さっそくホットシャワーを浴びる。チェンマイのゲストハウスにあったのと同様の電気式の小型湯沸かし器を通ってお湯が出る。
久しぶりにお湯を浴びて、心底からゆるむものがある。額に汗が浮くほどにお湯を浴びてから外に出る。すでに日差しは強い。例の喫茶店で例のリプトン。昨日
ほどの感激はないが、やはり渋味がうまい。タイの人たちは渋味のうまさというのを多分知らないのではないか。紅茶の渋味を大事にしている店はほとんどない
ような気がする。紅茶を頼むときは、hot tea
と言って頼むが、クリーム無し、砂糖は自分で足すからと明言しないと、大量にクリームと砂糖をあらかじめ加えたものを持ってこられ、口の中がべとべとに甘
くなることが多いような気がする。
ツーリスト向けの主にバンコックの流行や催し物を紹介する雑誌を読みながら紅茶を片づける。足元が寒い。外に出れば暑いし、喫茶店にいれば寒い。腰痛持ち
としては外に出るしかない。少し歩いて朝飯兼昼飯とする。タイの料理は見た目と実際に食ったものの辛さが違うので、汁ものなら一滴二滴、手のひらに汁を落
として舐めてみる。うまかったら、うん、これ、と言って注文する。その程度のことをしても誰も文句は言わない。
フォークロアミュージアムに行く。すぐ近くだと思っていたので歩き出したのだが、どよんとした空気の中を歩いてみるとけっこうきつい。日が高く、建物の脇
を歩いても、日影があまりないので、いやな感じだ。途中でヤクルトのコピー商品を飲む。ほぼヤクルトと同じ味がした。フォークロアミュージアムに着いたと
きは脚がくたびれていた。
ミュージアムでは、ココナッツの実の中身を削り出す道具に動物をかたどった愛嬌のあるものがある。もの入れに柳宗悦の「民芸の美」に通じる非常に美しい形
のものがある。素材は竹で編んだかごに渋紙のようなものを貼っただけのものだろうが、非常に美しい。面白いのは、獣や魚をつかまえるための罠で、非常にい
ろんなものがある。仕組みのわかるものもあればわからないものもある。毒蛇専用の罠なんかもある。みんな素材は竹か木だ。罠を見るのに手間どって、二階あ
るうちの一階部分だけ見て閉館を告げられる。みやげものを売るコーナーで少し買い、門を出たところで待ち構えていたサムロー(人力車)をつかまえて乗る。
ピサヌロークにはまだサムローがけっこう走っている。トクトクは駅周辺でやかましい音をたてているだけで、街中ではそれほど見ない。タクシーも少ない。宿
に戻って、ホットシャワーを浴びて、ベッドで少し寝る。
【9629】
【タイトル】2月23日(続き)
【 日時 】05/03/01 16:06
【 発言者 】根石吉久
宿で寝て起きたら夕方。またお湯を浴びてから外に出る。ナイトバザールと道をはさんだマーケットとその付属の食堂は閉まっていたが、冷蔵庫の鍵を開けても
らって、ハイネケンの缶ビールを飲む。今日はうまい。そばにいた男がやたらに話しかけてくるが、すべてタイ語でわからない。welcome とか go
to とか come back
はわかっているようなのだし、トクトクのドライバーをやっているらしいことを言うので本当かと言うと、うんうんとうなずく。俺はスコータイに行きたい、お
前のトクトクをチャーターできないかと言うが、話がまるで通じていないらしいことがわかりがっかりする。どうもトクトクのドライバーでもないらしく、単に
バイクを持っていることを自慢していたらしい。ズボンがペンキだらけなので、建物のペイントをやっているのかと聞くと、うんうんと頷く。何を言ってもうん
うんと頷いて肯定するので、論理や話題などはどうでもいいのだ。話をしている(?)うちに、交通手段を表す by
を覚えようとしているらしいのがわかったので、 I want to go to Sukhothai by tuktuk or by taxi.
などと文に by を混ぜ込んで not by bus などとも言ってみると、by のことは忘れてしまって、Welcome
Phitsanulok go Sukhothai と言うから、そうだそうだと言うと、go to Sukhothai
などともっと正しく言う。そうだそうだと言うと、 go to taxi by Phtsanulok
などと言い出し、こちらの頭の中がぐるぐるし始め、笑い出してしまう。
自分でタイ語でしゃべった後、こちらの目の中をじっと覗き込んでいる。その目を見ていると、この人にはタイ語がわからない人間がいるということがわからな
いのだとわかる。どうしてこんなあたりまえのことがわからないのだというような怪訝そうな目がある。申し訳なくなる。何はともあれ、この人から何ひとつま
ともな情報は得られないのだが、向うはタイ語のみ、こちらは英語のみを話し続けて、およそ30分くらい話した。こちらがどうすればいいのかと真剣に考え込
んだときの目を見て、向こうが笑い出したりもした。ちょっと会話らしいものが成立しかけたかと思ったのは、途中に生じた英語のレッスンめいたものだけだっ
たが、話が噛み合わないどころか、相互にまるで通じていないことをしゃべり続けて、お互いにお互いの話を真剣に聞き、お互いにまったく了解できないという
貴重な体験をした。この種の体験としては、30分という時間は非常に長持ちしたものだと思う。それでも気心というものは通じてくるからおかしなものであ
る。ナイトバザールを見るからと言い別れたが、向うはなごりおしそうな顔をした。まだ話していたかったらしい。
ナイトバザールで茹でた麺に炒めた野菜を混ぜたものを食ったが、これが非常にうまかった。食い終わって、 drinking water
をぶらさげながらバザールの中を歩く。女物の服2着、男物のシャツ一枚、おもちゃ1つを買い、タイマッサージの場所へ行く。ボディマッサージは通路ではな
く建物の中でやっている。手招きされて建物に入り、床にあぐらをかいて座り込んで順番を待つ。施術されている女の人が日本人だとわかり、「どうも」と挨拶
する。今日、フォークロアミュージアムでお会いしましたねと言われるが、こちらは向うを見覚えなかったので申し訳ない。俺の番になってマッサージを受け
る。気持ちよくなって、とろんとする。
【9630】
【タイトル】2月24日
【 日時 】05/03/01 16:58
【 発言者 】根石吉久
昨夜なかなか寝付かれず、少し遠いコンビニまでビールの大瓶を買いに出て、瓶から直接飲んでから寝た。3時を回っていたのを覚えている。
9時過ぎ起きる。日本から持ってきたボールペン壊れる。ピサヌロークで買った一本はなくす。起きて、ボールペンと爪切りを買いに外へ出る。途中、ヤクル
ト、発酵乳をジュースに混ぜたようなもの一本ずつ買い、歩きながらストローで飲む。爪切りとを買った店のばあさんはまるで口をきかない。タイ語で値段を言
うときだけ口を開くのみ。タイ語がわからないので首を傾げると、広告の裏に30と書いた。算用数字。これだけは強力で、これまでのところどこへ行ってもこ
れが通じないということはない。これが通じないところへ行ったら、さぞかし不便だろうと思う。
日陰を選んで歩き、宿の近くの喫茶店へ。 hot tea
と言う。このところ連日で出してくれるリプトンだろうと思い、カウンターの近くのテーブルの上から砂糖壷をとりあげ、これを使うがと断ると、
Chinese tea
と言い、ポットの蓋をあけて中を見せる。甘くないお茶が好きなのを店員が知ってくれて、まともな中国茶葉をいれてくれたのがわかり、砂糖を元のテーブルに
戻す。 Very good. と言い、笑顔で Thank you. と言われる。
前回来たときは、バンコクからセゾンカード(VISA)を使って簡単に日本に電話がかけられたが、今回はどうもうまくいかない。カードが古くなっているの
かもしれない。通りのケーキ屋でテレホンカードを買って試してみるが、001−81をダイヤルしている時点ではねつけられる。このカードで本当に大丈夫な
のかとカードを買った店に入って聞くが、店の人は大丈夫だと言い、その後、TOTに店の電話で問い合わせてくれる。TOTは不親切で、何度も別の部署に電
話しろという回答ばかり。役場のたらい回しみたいなものだ。店の女の人がよく怒り出さないものだと感心する。TOTに言われる通り、何回でもいろんなとこ
ろに問い合わせてくれる。001を007か008に変えて試せというようなことを言われたというので、外に出てやってみるがやはりかからない。また店の電
話で問い合わせてもらう。30分近くもごたごたし、結局わかったことは、電話回線が混んでいるからまた後でかけろということだった。本当なのか?
(後でピサヌロークからスコタイへ移動して、セブンイレブンの店員にカードを見せたら、これは国内用だと言われた。INTERNATIONAL
と表示のあるカードを買ってかけてみたら簡単にかかった。TOTがあほなのかと思っていたが、俺にテレホンカードを売ったケーキ屋があほなのだった。肝心
なことに無知で、しかし非常に親切に何度もTOTに問い合わせてくれたのである。複雑な気持ちだ。無知なだけで、どこにも悪意はない。それだけでない。無
知なだけで、とことん親切なのである。)
いったん部屋に戻ってから、夕飯を食いに外へ出る。現地の人が群れている店があったのでそこに入る。麺の料理を出す屋台らしいので、ヌードルとだけ言って
テーブルで待つ。ラーメンのようなものを予想していたが、出てきたものは茹でたマカロニを少し濃い味のスープに入れたもの。マカロニもここではヌードル扱
いらしい。
デジカメのカードからデータを読み取らせてプリントを頼んでおいたものを取りに行く。割ときれいにできていて、4・6版で1枚5バーツ(15円)。20枚
で100バーツ(300円)払う。テーブルの上に孫の写真を立てる。
駅前でスコタイに行く件でトクトクの運ちゃんと交渉した。1時間80バーツで午前10時から夕方6時までの8時間を640バーツでチャーターできないかと
こちらから値を言い出したら、それでやれそうな顔をしていたが、途中で渋り出す。飯も食い物も俺が出すからと言うが、うんと言わない。ガソリン代を足して
700バーツでどうだと言うと、1000バーツよこせと言うので、OK, bye-bye. で決裂した。
俺とスコタイは縁がないのかもしれない。時の権力が作ったでかいお寺とか、立派な建物とかに基本的に嫌悪を感じるタチだから、スコタイの方でも俺を嫌って
いるのかもわからない。
(後日記。結局、バスでピサヌロークからスコタイへ移動したが、バスが一番楽だとわかった。チェンマイではトクトクを使うのが楽だが、ピサヌロークあたり
では少し遠距離だとバスが楽だ。道はまっすぐだし、よく舗装されているので、もっとバスを使うべきかもしれないと思う。スコタイからバンコクまでも、鉄道
の旅を捨てて、バスに切り替えようかとも思う。)
【9631】
【タイトル】2月25日
【 日時 】05/03/01 17:18
【 発言者 】根石吉久
何もすることはない。朝9時頃か、早めに起きた。例のごとく、ホテルの喫茶店で hot tea
。リプトンが出てくるか中国茶が出てくるか。正式のメニューのホットティは、リプトンなんだが、出てきたのは中国茶。何も言わなくても、中国茶を入れてく
れるようになった。
一時間ほど、ガラス越しに街を見てぼうっとする。街角がまるでアジアという名の一幅の絵だと思う。すぐそこに現実があるという気がしない。ただひたすら現
実を幻のように見て、ぼうっとしていることが快楽の一種だということに気づく。旅人の傲慢であり、特権である。それだけだ。何もすることはない。
それでも腹は減るので、安食堂(屋台の集合体)に入る。ライスヌードル。指差して this one
なんかと言う。向うがしゃべるタイ語が通じないのを知ると、人々は笑う。ただ単純におもしろがって笑う。その笑いがやさしい好意に満ちていて、俺を許して
くれている。日本人のくせに英語をしゃべってタイ語の中にいる俺を許してくれている。
日本に何度も電話したが通じない。二日も三日もまるで通じないということが変だが、通じない。001が駄目なのはわかったが、007も008も駄目。その
くせ、 Please call later. というアナウンスがある。
(後日記。日本に電話するためのテレホンカードだと言って、間違ったカードを売られたことについてはすでに記した。)
明日の午前中に、バスでスコタイに行くことに決める。スコタイに2、3日いてからバンコクに戻り、その後にアユタヤに行くか。それとも列車で名もない小さ
な町に行って、何もせず数日を空費してみるか。
遺跡だの観光地だのに基本的に興味はないのだ。旅の感覚、一人であることの感覚がリアルなだけだ。
【9632】
【タイトル】2月25日(続き)
【 日時 】05/03/01 17:59
【 発言者 】根石吉久
ordinary people
(民衆・大衆)の一人一人は、一人であるとき(つまり多くは若いとき)はそれほどでもないが、二人になって以後(多くは結婚して以後)は、忠実に思考の幅
を生活の幅に合わせていく。思考のサイズが生活のサイズと同じであることがピサヌロークという街を歩いていてもよくわかる。そういう人々が男と女の対とし
て幸せな顔をしているのだ。俺はそこがそうではなかった。この狂いはどこから生じたものなのか。
語学なのか。
語学は狂暴な個人幻想によって成るものであり、 ordinary people の個々の幻想の強度を踏み外しがちである。語学は ordinary
ではないのだ。ordinary
な幻想のレベルを踏み抜いてしまうようなところが語学にはあり、そこが犯罪者の幻想とよく似ているところである。架空の場で意識を酷使するのが、語学の
もっとも危うい性質である。
磁場を欠いた語学の骨組みを洗い出せば、それはまったく個人幻想によって成るものである。これに反して、当該言語の磁場にいて言葉の当事者として外国語を
使いながら外国語に上達するというのは、上達の容易さという観点から見れば「有効」だが、これは決して語学の骨組みを構成しない。
語学の骨組みはあくまでも机上の行為によってできる。というか、日本在住のまま、当該言語の磁場を欠いて語学をやるのであれば、机上の行為からもたらされ
るものを語学の骨組みとする以外にはない。使いながら上達する(磁場を生きる)というのは、語学としては亜種だと考えるのがいいのである。「磁場」で獲得
した英語のスキルも、日本語の「磁場」で日本語だけを生きるような生活を数年するだけで衰えていくのを見れば、それが語学の亜種に過ぎないことがわかる。
「磁場」における肉付け(イメージの充電)は、すでに個人幻想ではない。すでに知っている知識が、磁場の磁力によって充電されるということは、そこに言葉
の当事者となる場があるということであり、それはそのまま他者(性)によって、意味の立体性がもたらされるということに他ならない。書く言葉、読む言葉を
除けば、もはや言葉は個人の幻想だけで動いているのではなく、必ず相手の幻想の動きに応じて、他者(性)を組み入れながら動いていく。話し言葉や聞き言葉
は、磁場で実際に使用されるときは、独り言を言う以外では、いつでも他者(性)という謎に触れている。触れているどころか、他者(性)からドライブされて
いく時間さえあるのだ。
語学が語学にとどまる限りは、他者(性)を欠くのである。それが語学の恐ろしい性質である。自分の例で言うなら、日本にいて英語をやってきたのだが、日本
語の磁場における英語の宿命をふまえれば、語学は継続されなければならず、しかもいつまでたっても他者(性)に向けて開かれないというのが基本である。他
者(性)の欠如が語学をやるものの意識を幽閉された構造にしていく危険はいつもある。
語学の危険性を言う学者はいたが、その危険性の構造を言ったものを読んだことがない。「磁場論」を欠いてそれは言えないはずだ。
俺には語学の毒に対する油断があったかもしれない。語学には人間を生きたままの幽霊のようなものにしてしまう危険がある。その構造を開いたものに変える力
は、語学以外のところにしかない。それが「磁場」である。いつでも言葉の当事者であることを強いる場だ。
語学とは「磁場」に渡るための「準備」以外のものではない。だから、それは本質的に「磁場」以前である。「磁場」の外側における行為だ。
【9633】
【タイトル】2月26日
【 日時 】05/03/01 18:34
【 発言者 】根石吉久
<スコタイ>
ようやくインターネットカフェの使い方がわかったので、ヤフージャパンで「大風呂敷」で検索、村田君の過去ログ倉庫から「大風呂敷」へつなぐ。漢字変換プ
ログラムがMS−IMEだろうと思われ、記号やカタカナへの変換がわかりにくいがなんとか書くことができた。その後、屋台で食事したが、直後にホモ専門の
マッサージについて、エイズの心配について書かなければならなくなった。まったく何が起こるかわかったものではない。
一時頃寝て、3時頃目が覚めたら寝付けない。ホモのマッサージ師にやられたことを思い出すと気持ちが悪く、胸くそが悪い。マッサージの技術はしろうとくさ
いところがあったが、サッキングの舌の使い方はしろうとではないようなところがあった。すぐにやめさせたにしろ、俺のものはまったく動かなかった。それが
この偽タイマッサージ師のホモには気に食わなかったのだろうか、やめさせたこと自体が気に食わなかったのだろうか、その後の暗くひきつったような爬虫じみ
た目の光が忘れられない。サッキングされたこと自体より、あの目の光を思い出すので、寝付けないのかもしれない。手、足、首、肩あたりの筋肉は多少しろう
とっぽいマッサージによってもほぐれており、俺は相手がホモだとは知らないでいたから、安心して体から力が抜けていた。意識も半醒状態で空白ができていた
だろう。この男はその空白を突いてきたのだ。それを思うとむかむかする。サッキングされたのは、3秒だったのか5秒だったのか10秒だったのか、この間の
俺の意識の状態を思い出すとどうにも説明できないようなものがある。まだ単にマッサージされているだけだという思いもあり、タイマッサージの技の一つにこ
れがあるのかという思いもかすめ、いったい何でこんなことになっているのだという思いが交錯し、何かが決定的におかしいと思い、やめさせるのを一、二度躊
躇した。そして、はっきりと I dont like this. と言ったのだった。
はっきりしたのは、俺がサッキング自体を好きなのではないということだった。相手によるのだ。 Do you like sucking? に
Yes.
と言っちまったのが、この地獄への入り口だった。サッキングについて認識があいまいなことがこういうことをもたらしたのだが、サッキングについてそこまで
認識する必要も、こういうめに合わないと、必要自体が生じない。それを必要とさせられたこと自体がいまいましい。ファッキン、サッキン!相手によるのだ。
糞。
隣のバンガローで夜遊びから帰ってきたアメリカ人三人組みが話をしていて、時々高い笑い声がする。話し声は聞こえるが、話の内容はわからないという程度の
声の大きさで、こういうレベルの声というのも気になるものだ。しばらく寝付けそうもない。バンガロー式のゲストハウスに喜んだのは愚かだったかもしれな
い。建物がたてこんでいるので、隣の小屋の音が筒抜けなのである。
気味の悪い鳥の声が高く響いているし、犬が喧嘩を始めて、その周りに別の犬たちが集まってきて群を成していくかのように吠え声がどんどん大きくなってい
く。エイズになるのではないかと思った時からの不安がまだおさまらない。
【9635】
【タイトル】紙に書いたものは後回し(ライブ版)
【 日時 】05/03/03 16:53
【 発言者 】根石吉久
昨日、スコタイからバンコクに移動した。バスの中の冷房が寒かった。くしゃみをやたらするが、風邪ではなく花粉症ではないかと思う。ちょうど今が季節の
変わり目なのだろうと思う。
スコタイのゲストハウスからバスターミナルへ行く車の中で一緒になったオーストラリア人と話をしたのがきっかけで、今はたまたまバンコクのカオサンにい
る。
昨日は移動で疲れたので、少し夜のカオサンを見物しただけ。やたらネオンが光り、やかましいが、おもしろくもないところだ。やかましい点では、バンコク
でも随一ではないだろうか。
コリアンエアの電話番号がわからないので、昨日カオサン見物の途中でインターネットにつないでみたが調べがつかなかった。今日起きてまずやったのが、帰
りの飛行機のブッキングだが、電話番号を調べるのが面倒になり、宿の近くの旅行代理店に入り、チケットを見せてブッキングを頼む。ブッキングの代行、30
バーツ(90円)。こういうことが楽なのはさすがにカオサン。日本への電話、インターネット接続など同じ店の周辺で全部間に合ってしまう。
さすがにまた胃が疲れている。このところまた辛いものを食った。旅行代理店を出たら、マンゴーの皮をむき、中身を細かく切って売っている屋台があったの
で頼む。けっこう量があって20バーツ。これをすぐ近くのホテルのオープンテラスに持ち込み、テーブルについて紅茶を注文。例のごとく、ノークリーム
ノーミルク。買ったマンゴーを食べながらお茶にする。その後歩いたら汗が粒になって流れる。確実に暑季が近い。マンゴーと紅茶ではすぐに腹が減る。アメリ
カ人向けの食堂に入り、シンハビア小1本、やわらかいゆで卵一個、野菜サラダ一皿。椅子の上にあぐらをかき、テレビの歌番組を見てゆっくりする。脇に柱が
あり、背もたれにちょうどいい。1時間ほどテレビを見ていたが、歌番組なのでタイ語がわからなくても見ていられる。
カオサンはまったくのアメリカ人町。ヒッピーたちが有名にした町に、アメリカの中流の連中がでかけて来て、中流の好悪を働かせ、町をこぎれいにしていく
感じがある。つまらないところである。店の人間はほぼ片っ端からスレている。多分、タニヤに行けば、まったくの日本人町があり、やはりタイ人の店員はスレ
ているのだろう。今日、夕方、フカヒレでも食いにでかけて、タニヤの空気をかいでみるかと思う。
昨夜、チャイナタウンの布やボタンの店で仕入れをやろうかと予定したが、カオサンの食堂でビールを飲みテレビで歌を聴いているうちに面倒くさくなる。
多分、また夕方まで何もしないだろう。今朝変えたゲストハウスは、こっちに来て初めてのエアコンディション付きだから、部屋に戻ってごろごろするだろ
う。
食堂から部屋へ戻る途中のインターネットカフェでこれを書いているが、ここへ来る途中、~When heaven and earth
changed places. A vietnamese womans journey from war to peace~
という古本を買った。午後はこれを読むことにする。
【9636】
【タイトル】2月27日(日)
【 日時 】05/03/04 19:50
【 発言者 】根石吉久
9時半に目覚し時計をセットしておいた。10時にピックアップトラックが迎えに来て、俺一人を乗せてスコタイの古い寺を見せて回ることになっている。10
時から夕方7時までチャーターして700バーツでしぶしぶ承知させたもの。たまたまバスターミナルからゲストハウスまで連れてきてくれた大将に頼んだの
で、普段の仕事と違うことをやらせることになるし、車が大型なのでガソリン代を考えれば、大将にとってもあんまりおいしい仕事ではないような様子である。
起きてまごまごし、シャワーを浴びて10時の約束に10分遅れて道路に出たら、大将はすでにひなたで待っていた。9時20分から道で待っていたそうであ
る。30分ほどでオールドシティからニューシティに着く。遺跡はけっこう広い場所に点在していて、ピックアップトラックの大将は、寺に着くたびにおごそか
に寺の名前を俺に告げる。寺の名前を言うだけで、他には何も言わない。最初の遺跡でアメリカ人の三人組に会っただけで、その後の二つの寺では遺跡の敷地内
で誰にも会わない。ぜいたくざんまいとはこのことではないかと思った。好きなところに好きなように立ち止まり、好きなだけそこにあぐらをかいて遺跡の古い
煉瓦の色を見ていられる。
組積構造で自宅を自作したので、ブロック積みや煉瓦積みの建造物には興味がある。
チェンマイで泊まったホテルは中流相手の上流を装ったホテルだったが、煉瓦の煉瓦の間に入っているモルタルは上等なものだった。ホテル内で煙草を喫わせな
いので、よく駐車場で喫ったが、そこのコンクリートも硬度のあるいいコンクリートだった。コンクリートを練っている現場で、砂を手にとってもみたが、硬い
いい砂だ。
スコタイの古いモルタルも硬いいいものだ。雨が降るだけで、水気を含んだ煉瓦が凍るということがないので、スコタイの遺跡は残ったのだ。煉瓦と煉瓦の間か
らモルタルがのどちんこみたいに棒になっているのが見えたので、指を入れて割ってみたが、やはりいいモルタルである。古い煉瓦が建造物の形をとどめたもの
に、新しい煉瓦とモルタルで補修したものが多いが、古い煉瓦の部分が実にいい色をしている。この煉瓦の色を見ているだけで心が静かになる。これに比べる
と、金箔がはげた仏像はつまらない。おしなべてあほんだらの顔をしている。タイの仏像は新しいものもあほんだらの顔をしているのが多いので、伝統は守られ
ているのだ。
古い煉瓦の色と木々の緑とは抜群にマッチするので、しばしイギリスにいるのではないかと錯覚するような時間もあった。広い場所に一人でいて、黒ずんだ煉瓦
の色を見ているのはぜいたくなものである。しばし、昨夜のいまわしい記憶を忘れることができた。
大将に連れられるままに10個所以上見て回り、当時の権力が造ったものもまんざら毛嫌いするもんではないと思った。なにはともあれ古いものには古色があ
り、それはきれいなものである。約束した7時より1時間早く、大将が両手をあげて、 Finished. と言った。
夜、インターネットにつなげ、紙に書いておいたものを「大風呂敷」に書き写す。こうして紙に書いたものを捨てていかないと、荷が重くなる。ネットに書い
て、紙自体は捨てていった方がいい。ただでさえ、つい本を買い込む癖があるのだから、そこへ自分が書いたものの重量など加えるべきではない。
【9637】
【タイトル】2月28日(月)
【 日時 】05/03/04 20:24
【 発言者 】根石吉久
<スコタイ>
ゲストハウスを変える。歩いて一分のところにあるTR。ここはいい。今までで一番いい。
飯を食って、コーヒー屋で紅茶。ネットにつないで書いてきたものを少し書き移し、午後は洗濯だけする。今日は他は何もしない。
と、午前中に決意のようなものをしたが、崩れた。朝飯兼昼飯は肉まん2個をコーヒー屋へ行く途中で買い、コーヒー屋のオープンテラスの日影で牛乳とホット
ティを注文して済ませた。その後町の中を歩き、安いインターネットカフェに行く。インターネットカフェの安いところを探すのは割と簡単で、昼過ぎに中学生
(だと思う)が群れているところがいい。今回は「大風呂敷」を画面に表示させるのに手間取り、店の人に手伝ってもらった。1時から3時頃まではまともに暑
いので、インターネットカフェにいるのは妙案である。みつけた店は軽く冷房が効いていて、足元が寒いということもない。3時過ぎ、また町を歩く。早くも屋
台が出ているので、米の粉を水で溶いて、多分卵と砂糖を混ぜて、たこ焼きを焼くときの半円球の穴がへこんでいる鉄で焼いた食べ物を買う。焼いてもらって
待っている間に、ビールが飲みたくなった。ちょっとビールを買ってくると断って歩く。たいてい20〜30メートル以内の距離にビールはある。
戻ってすぐ、食い物が焼けたので、それをつまんでビールを飲んでいるつい数メートル先に団子状のソーセージがあるので、1個1バーツで5個買ってそれもつ
まみにする。それだけでほぼ満腹になってしまった。
まだ熱のある空気の中を歩いてゲストハウスに戻ったら、日本語で話しかけてくる人がいた。ゲストハウスの広いテラスで話す。一年のうち半年(秋から春先ま
で)をタイで暮らしている年金暮らしの日本人だとわかる。桜が咲いた頃に日本に帰り、紅葉が始まる前にタイに戻るのだそうだ。うらやましい。その人と話し
ていたら、あたりが暗くなった。部屋に戻ってシャワーを浴びて、煙草が喫いたくなったので、テラスに戻ったら同じ人がいた。再び長く話す。ほとんどがタイ
の話。遠藤周作の「王国への道」という本がタイの仏教や人を知るのにいい本だと教わる。
時計を見たらすでに日本に電話するには遅い。電話をやめて、フットマッサージの店に入る。やはりたっぷり一時間はやってくれる。大あくびを4、5回した。
150バーツ。
というわけで、午後の暑い時間に洗濯をする予定は崩れ、夜になってから洗濯した。チェックアウトの昼12時までに洗濯物が乾きそうにないので、明日もこの
ゲストハウスにいることになるだろう。洗濯物が乾くか乾かないが、旅の移動を左右する程度の気楽な旅である。なるべく何もしないで、なるべく退屈している
ことにする。ようするに午後の暑気をやりすごして、だらだらしているだけのことだが。ネットにつないで字を書いたりしているのも、その一環である。そうし
ていれば、午後をやりすごすことができるのだ。洗濯は夜でもいいのである。
【9638】
【タイトル】3月1日
【 日時 】05/03/04 21:46
【 発言者 】根石吉久
10時頃起きる。喫茶店で紅茶の後、すぐに集合屋台あり。イカ、エビ、野菜を炒めたものを飯にぶっかけたもの食う。その後、インスタントコーヒー。ネス
カフェなどのインスタントコーヒーも屋台のメニューのひとつになっていることがあり、メニュー上の名前も instant coffee である。
インターネットカフェで午後の暑い時間をつぶす。4時半までいて50バーツ。
また屋台でビールと飯。
明日バスでバンコクに行こうか行くまいか迷う。もう一日ここにいて、バイクを借りて、スコタイの遺跡をもう一度見てこようかとも思う。
【9639】
【タイトル】3月2日
【 日時 】05/03/04 22:07
【 発言者 】根石吉久
11時頃起きる。バンコクへ移動することにする。荷物をまとめてチェックアウト。ゲストハウスのテラスで朝飯。紅茶とツナサンド。このTRというゲスト
ハウスは、バスターミナルまで無料で送ってくれる。出かけようとしているところへ、ちょっと待ってくれという男がいて、少ししたら連れの女が玄関に現れ
た。3人で車に乗り込む。途中で男がオーストラリア人、女が日本人だとわかる。ミャンマーに行くので、ビザをとるためにいったんバンコクへ行くのだとのこ
と。バンコクで泊まる場所は決まっているかと聞かれたので、決まっていないと言うと、コーサンローへ一緒に行かないかと言われる。コーサンローなんて聞い
たことがないが、今日一晩はどこでもいいと思い、OKを言う。後でコーサンローはカオサンのことだとわかる。カオサンなら知っている。カオサンロードとカ
タカナで書いてあるものを、英語ネイティヴが言うとコーサンローになる。
バスの中は寒い。長袖のシャツをバッグから出し、膝のうえに毛布代わりに広げて、いくこからもらったガイドブックを読んでバスの中の時間をつぶす。バン
コクまで7時間半だとのことだが、スコタイをバスが出た時刻もバンコクに着いた時刻も知らない。時計が壊れたが買ってないので、時刻を知らずに動いてい
る。
カオサンに着く。オーストラリア人とその連れと入ったところは、320バーツもとるがが部屋に窓がない。サワディなんとかというチェーン化したゲストハ
ウスだ。よろしくない。三畳ほどの部屋にシングルよりわずかに大きめのベッドを置き、ダブルと称している。オーストラリア人はカオサンは安いとしきりに
言っていたが、カオサンなんかもう終わっているのではないか。少しも安いという気がしない。明日すぐに部屋を変えるつもりで、カオサン通りを見物に行く。
ひたすらやかましい白人(ほとんどがアメリカ人と思われる)の町。ネオンがやかましく、音楽がやかましく、けだものじみたうさばらしがやかましい。飯を食
い、宿に戻りシャワー。
この前来たときにTさんに紹介されたスクンビット通りのソイにある旅社の名刺をどこかに持っていたはずだと思い出し、手帳にはさんであったのをみつけ
る。この前来たときにもらって、日本に帰ってからかばんの中を整理しないでおいたから、そのまま持ってきてしまったものだ。
あるいはカオサンはやかましいとしても、宿の位置自体はお寺の裏へ回り込んだようなところでやかましくないから、すぐ近くに400バーツでエアコン付き
の看板を出しているところを明日あたってみることにするか。
いずれにせよ、カオサンがバンコクのどのあたりにあるのかガイドブックにあたって調べてみなければならない。それさえ知らずに泊まっているのだ。
【9640】
【タイトル】3月4日
【 日時 】05/03/04 22:49
【 発言者 】根石吉久
<バンコク・カオサン>
3日の分は、直接ネット上に書いたので記事が前後する。
11時頃起きる。フカヒレとやらを食ってみようと思って、外に出てすぐにバイクタクシーにつかまる。ものはためしだと思い乗ったが、非常に怖い。他のバ
イクをがんがん追い抜いて走る。左手で尻の後ろの金具をつかんでいるだけでは体が安定しないので、右手で運転するやつの右肩をつかむ。うるさそうにする
が、ともかくこいつの肩をつかんでいないと危なくて乗っていられない。車と車の間を右に左に縫って走るが、どう見ても駄目だろうと思うくらい狭い間隔に平
気でつっこんでいくので、思わず両足を固くすぼめる。何の駅か知らないがスカイトレインの駅が見えたので、ここでいいと肩を叩いて、バイクを止めさせる。
とにかくなるべく早く降りなければならない。見えた駅は登ってみて、ナショナルスタジアムだとわかる。そこから一駅乗って、サイアムスクエア。きのう暇
だったので、ガイドブックを見て、フカヒレの店に目星をつけておいた。「フカヒレ、サイアムスクェア駅から徒歩5分、ペナンシャークフィン、p98、
p82」とメモして、ガイドブックの該当ページを書いておいたのに、ガイドブックを宿に置いてきたことに気づく。方々歩き回り、何ケ所で人に聞いたがわか
らない。最後に客待ちしているタクシーの運ちゃんに聞くと、そこだと指さす。10メートルほど先に確かに中華料理屋はあるが、それは「ペナンシャークフィ
ン」ではなくて、「中上魚翅」という別の店。「ペナンシャークフィン」のシャークフィンのところだけ聞き取って、ものを食べるしぐさをしたので、俺がそう
だと言ったら、ただ単にフカヒレを食わせる店を指さしたという次第だろう。 Good? と聞くと、うんうんと言うからその店に入る。
フカヒレは質で中と上がある。皿の大きさでそれぞれに大・中・小がある。上の小を頼み、飯はカニ飯とする。フカヒレは期待したほどのものではない。カニ
飯がうまかった。テーブルの上にはキッコーマンの醤油とヤマサの酢醤油がある。飯にちょっと醤油を混ぜて食うのがうまい。皿の底にひっついているおコゲが
うまい。そういえばおコゲのうまさというものがあったなあと思う。しかし、1000バーツ以上も払って、おコゲにしみじみしているのもいかがなものか。フ
カヒレの方は、屋台で食うタイ料理に負けている。タイ料理は、中華料理とタイの調理法とが非常によく混ざったものらしいが、混血料理の方がうまいのだ。値
段も10分の1くらいに安い。下手な中華料理よりも、屋台のタイ料理に軍配を挙げたい。まあ、この店の数倍の金を払ってフカヒレを食えば、話はまた別だろ
うが、その手のグレードにはまったく興味はない。数千バーツ払って、実質的な味の勝負で、15バーツ、20バーツの屋台料理と同じということはありうるの
だ。15バーツ、20バーツの食い物は味の素を混ぜ込んであることが多いだろうが、200〜300バーツ出してまともなタイ料理を食えば(チェンマイの
フーフェンがそういう店だった)、数千バーツの中華料理に負けることはない。今回は千バーツ前後の中華料理で大したことのないものにぶつかったということ
で、こういう不運はここに住んでいるのでないから(あるいはガイドブックを忘れてきたから?)仕方がない。フカヒレを食った同じテーブルで、口直しにコー
ヒーを頼み、ここまで書いた。少し冷房が寒いので、また外を歩き回ることにする。
珍しく曇り空なので直射日光がなく歩きやすい。サイアムスクェアを歩いて、小便する場所を探す。どこの国でもそうだろうが、人にていねいに口をきく必要
はないと決めてしまった人というのはいて、建物のまわりを掃除しているおばちゃんに聞くと、口を開くのもいやそうに、 TOILET
なんかないと言う。歩き回っているうちに、タイに来てすぐご一行と一緒にラオス料理を食ったレストランの場所に出る。店は二階で、三階にトイレがあること
を知っていたので、三階に行きほっとする。また歩き回るが十代二十代向けのファッションの店が多いのでじきに飽きる。
道端のベンチで喫煙してから、タクシーを止め、ジム・トンプソンの家に行けと言う。初めわからなそうな顔をしたので、ジム・トンプソンという名の店では
なく、ジム・トンプソンが住んでいた家だ、ミュージアムだと念を押したら、わかったと言う。ひどい渋滞。2箇所でひどく長く信号待ち。
【9641】
【タイトル】3月4日(続き)
【 日時 】05/03/04 23:31
【 発言者 】根石吉久
ジム・トンプソンといえば絹だという先入観があったので、絹を見るつもりだった。しかし、日本語ガイド付きで回ったところに展示されていたのは焼き物が
多かった。古伊万里がひとつあった。ベンジャロン焼きも古色が出ると見られる。今のタイの木彫りの細かさから言えば、かえってざっくりした感じの木彫りの
調度品があるが、これもいい。いやなものはないが、すごいコレクションだとも思わない。松本の民芸館の方がましだ。
ガイド付きの巡回が終わって、もう一度一人で中を回ろうとしたら、ガイドにつかまって、一人で勝手に歩いてはいけないと言われる。割れたら困るものが多
いから、必ずガイドと一緒に動かなければいけないと言われる。だったら俺が好きなように歩くから、あんたが俺の後をついてくればいいと言ったら、OKと言
う。もう一度、立ち止まりたいところに立ち止まって、中を見て回る。ガイドはずいぶん長いこと俺の後を歩いた。いいのかなあ、俺ひとりにひっついていて。
ジム・トンプソンが住んでいた建物と喫茶店の間が池になっていて、赤、白、黒の魚が泳いでいる。鯉かと思ったが鯉ではなく、南方の魚である。でかいやつ
は、日本でも水槽で飼っているのを見たことがある。スイレンが咲いている。喫茶店のオープンテラスで、ココナッツとパイナップルのアイスクリームを食べ
る。ココナッツ部分を食べ、パイナップルの部分を食べ、次に両方を混ぜて食べる。混ぜて食べるのが一番うまい。
建物の中にいたとき、ガイドが言っていたが、昨夜雨が降ったそうだ。知らないでいた。今日曇りなのは、その後のぐずつきなのだろうが、おかげで午後も外
歩きができる。まあ、しかし、やたらに動きたくもないので、ここが閉館になるまでここに腰掛けていようと思う。
帰る準備といって特にないが、そろそろ旅行記は終わりにする。
そういえば、ジム・トンプソンの家で、本を買ってしまった。日本語の本だが、シンガポールで出版されたやつで、「ジム・トンプソン失踪の謎」とかいう本
だ。
明日、明後日は本でも読んでまたぐたぐたしていたい。
【9644】
【タイトル】3月5日
【 日時 】05/03/05 21:21
【 発言者 】根石吉久
もう書かないつもりでいたが、ちょっとキリピーと俺にとっていいことがあったので、書いておく。
もうタクシーに乗るのもトクトクに乗るのも飽きたので、昼飯を食ってからカオサンから北の方に向かって大通りを歩いた。カオサンは好きではないが、スク
ンビットの方に宿を変えるのを面倒くさがって、結局今もカオサンにいる。北の方に歩いて行って、二つ目の運河の川端に植物を売っているところがあった。素
焼きの植木鉢の大き目のやつを売っている店があったので、店の前をぶらぶらする。植木鉢だけ売っている店の店先で、これらの品物はどこから来るのかとたず
ねたが、店の人は英語がわからず、俺はタイ語がわからない。しかし、ちょうど通りかかった西田敏行に似た人が、チェンマイやチェンライから来るのだと教え
てくれた。生産現地に行けば、こういう店で買うよりやすいだろうが、俺が飛び込みで行っても、彼らは品物を売るのかとたずねたところ売るとのこと。バンコ
クの回りにも、焼き物を焼いているところがあるし、親類にその工場を持っている者がいると言う。これから行かないかと誘われる。スコタイで、にせタイマッ
サージ師にえらい目にあったが、またついて行く。市内巡回バスに乗る。ガイド付きだから心配が要らない。バスを乗り間違えたらしく途中で降りて、タクシー
に乗る。結構長いこと乗っていた。だんだん店の建物がそっけないものになっていき、住宅街に入る。タクシーが止まったところは、完全に住宅街の中なので、
焼き物の工場ではないではないかと言うと、兄が住んでいる家だという。
家の中にあがり、兄さんだという人と話す。客船の客を世話する仕事のチーフをやっているとのことだが、途中から船の中でのギャンブルの話ばかりになり、
やめさせるのに手間どった。焼き物の大型の鉢を買いたいこと。上薬のない、あるいは上薬の薄いもので、素焼きの肌が見えているか、肌がわかるものがいいと
いうをわからせるのに、手間どった。磁器で薄く硬いもの、上薬のきれいなものを欲しがっているかのように思い込んでいるので、この思い込みをほどくのに手
間取る。庭に素焼きの鉢があるので、庭に出てこういうやつだと指さす。 earthy なものという taste
をようやく理解してくれた。庭のコンクリートが年を経ていたので、コンクリートを指さし、これは単なるコンクリートだが、年をとって earthy
になっていると言ったら、こちらの言っているなんというか、texture
を理解した。この人の奥さんのいとこが焼き物の工場をやっているのだとのこと。
まずはカタログを郵便で送ってもらうこと、その中から選んだものをサンプルとして現物を無料で送ってもらうこと、船便の料金は俺が負担すること、気に
入ったものがあったら、10個20個程度を単位として注文することなどを決め、メールアドレスを交換する。
おかあさんが高コレステロールで入院しているので、俺をこの家に連れてきた弟の方は、おかあさんの見舞いに行くとのことで、帰りは一人で帰る。タクシー
に乗りカオサンに戻ったらすでに薄暗くなっていた。
日本に電話するがかからず。
ようやくバンコックに穴をあけたと思う。
船便の料金が心配だが、これが商売として成立すれば、おそらく他の雑貨の仕入れ先を探すことの手がかりになるはずだと思う。やってみなければわからない
が、タイ人は横のつながりが非常に強く、一人のタイ人でもさまざまな商売・職業にコネクションがある。
これまでは小売の店から仕入れたものを日本に持ち帰り、店に並べていたのだが生産現地から仕入れた方がいいに決まっている。これが手がかりになるといい
のだが。
ぶらぶら歩きで、何がひょっこりと飛び出すものかわからない。
いよいよ、タイ滞在も残り少なくなった。
書くのはこれで最後にしたい。
【9647】
【タイトル】根石さんのタイ旅行記
【 日時 】05/03/08 22:46
【 発言者 】村田
根石さんのタイ旅行記を過去ログ倉庫に収録しました。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
25日の語学論に関する部分を読み返していて、最近ちょうどちょっと関係ありそう
な議論をしたので、そうだよそうだよ、といちいち納得しました。
(というか、議論以前な話で、英会話教室のふりまく幻想を信じ込んでいる人とは
話しても疲れるだけ、ということがよくわかりました。あんたもわたしも、日本語
をしゃべってるんだけど、なんかあんたの言ってることが全然わからないよ?とい
う徒労感だけが残る…。根石さんはそういう気持ちを何度となく味わってきたんで
すね)
根石さんへ
倉庫に収録した分は、前半の方、HTMLの性質上、折り返しが見づらくなっているの
で村田が整形しましたが、気になる部分がありましたらお知らせください。
【9656】
【タイトル】村田君
【 日時 】05/03/11 19:02
【 発言者 】根石吉久
>英会話教室のふりまく幻想を信じ込んでいる人とは話しても疲れるだけ、ということがよくわかりました。あんたもわたしも、日本語をしゃべってるんだけ
ど、なんかあんたの言ってることが全然わからないよ?という徒労感だけが残る…。根石さんはそういう気持ちを何度となく味わってきたんですね
彼らに欠けているのは、一言で言ってしまえば磁場論なのです。
磁場論がまともに立ち上がれば、彼らの幻想は用のないものになる。
英会話幻想の信者たちとは口をきく気もありません。徒労感だけが残る。確かにその通りです。あの人たちには数十万円という金を損してもらうしかない。損
してもなお、英会話というものが幻想なんだということがわからない人もいる。だったら死ぬまで信じていてもらうしかない。それでどうなんだ、いったい、あ
んたの英語は使えるのか? とだけ言っておけばいいのです。彼らがやれることは、せいぜい「磁場」の磁力の密輸入だけです。密輸入しておいて、自分の手柄
みたいな顔をすることだけです。そんな密輸入が語学であるわけがないのですが。
【9658】
【タイトル】密輸
【 日時 】05/03/11 20:55
【 発言者 】村田
>彼らがやれることは、せいぜい「磁場」の磁力の密輸入だけです。
密輸品が魅力的らしいんです。
密輸だから魅力的なのか…。
地味なことやめんどなことはイヤ。
だけど外国人の人脈があること(!)をちょこっと自慢したいみたいなところなんだろな。
【9659】
【タイトル】一部書き直し
【 日時 】05/03/11 23:21
【 発言者 】根石吉久
彼らに欠けているのは、一言で言ってしまえば磁場論なのです。
磁場論がまともに立ち上がれば、彼らの幻想は用のないものになる。
英会話幻想の信者たちとは口をきく気もありません。徒労感だけが残るというのは、確かにその通りです。あの人たちには数十万円という金を損してもらうし
かない。損してもなお、英会話というものが幻想なんだということがわからない人もいる。だったら死ぬまで信じていてもらうしかない。戦後日本の時空への信
仰が迷妄であることにおいて、戦後民主主義者たちと英会話幻想の信者たちとは双璧を成しています。
で、実際問題に帰って、英会話幻想の信者には、それでどうなんだ、いったいあんたの英語は使えるのか? と言っておけばいいのです。例えば、一人の信者
が50万円の金を英語に使ったとして、元はとれたのか、と言えばいい。ほとんど90パーセントを越える確率で、彼らが買ったのは、英語の言語能力ではな
く、「英語が使えたら素敵」という幻想だけだったことがはっきりするはずです。実質を手に入れることなく、「素敵」な幻想だけを買うことにおいて、新興宗
教の信者と変わりはない。だから、正確に私は彼らは「信者」だと言ってきました。英会話幻想というものにやられた人たちというのは、「信者」だと言うのが
正確なのです。
彼らがやれることは、せいぜい「磁場」の磁力の密輸入だけです。日本在住の英会話幻想の信者も、アメリカ帰りの人たちも、イギリス帰りの人たちも、「磁
場」の「磁力」を浴びたか浴びなかったかの違いはあるにしても、実は同じ穴のむじなであることが多い。「磁力」を浴びた人たちは、「磁場」によって形成さ
れたスキルを自分の手柄のような顔をすることがある。その顔をしたとたんに、その人は密輸入者になるのです。
日本の英語の回りにいるのは、圧倒的多数が、信者か密輸入者かです。これをともにまぬがれている人はきわめて少ない。
そんな信仰や密輸入が語学であるわけがない。
【9661】
【タイトル】タイの海々・
【 日時 】05/03/12 0:43
【 発言者 】坂根
30件ほどこの掲示板を読みましたが、この掲示板がどういう掲示板なのかつかめてません。ちょっとしたメール代わりにも使われてるということはわかりま
した。
タイでは海はラヨーン、サメット島、パタヤに行きました。
ラヨーンはバンコクから南東に直行バスで3時間、ローカルエアコン2等バスで5時間半。
サメット島はラヨーンの南東にバスと船で計1時間ぐらいのリゾート島。
パタヤはバンコクから南東に直行VIPバスで2時間のところにあり、ベトナム戦争時に作られたアメリカ軍のための港とビーチ。
それぞれ2泊ずつしてきました。
ラヨーンは白砂で直線の12kmのビーチや、ほかにも多くのビーチがありますが、砂浜で遊んだり体を焼いている外人もほとんどおらず、夜もすごく静かで
す。自分が行ったときは木曜日、金曜日で、現地の人もほとんどおらず見渡す範囲に2匹の犬と自分だけというすばらしいビーチでした。10人部屋といった感
じのバンガローが150バーツ(400円)で借りられました。町の中心から10キロ以上離れているのでご飯などの物価は少し高いですが、許容範囲です。
サメット島は国立公園になっており、外国人は入場料200バーツを取られます。宿は現地人でも泊まらないような窓のない小屋で250バーツ。ビーチには
外国人と週末バンコクから来た学生やおかまの集団、そして現地のカップルが居ました。白人は基本的に日に焼いて、木陰で寝て、欧米の音楽の鳴っているレス
トランで食事してました。ディスコやクラブのような所はないものの、やはり耳が悪い??欧米人がたくさん居るので、音楽のうるさいバーが12時ごろまであ
ります。また、ほとんど誰もやっていませんがバナナボートなどもありました。ご飯は安いところで普通の町の食堂の2倍しました。
ただ、このサメット島はさすが国立公園。島の東側のビーチは多少波があり、桟橋から飛び込んだり、タイヤチューブで波に乗って遊ぶ以外は欧米人と同じよ
うにごろごろするしかやることはありません。しかし、島の西側の岩場まで行くと砂も波も無く、島から数メートル離れただけで海の深さは5メートル近くあ
り、透明度も5メートルありました。さんご礁、うに、熱帯魚、なまこなどがたくさん居て、海に浮かんだり潜ったりして魚をずっと眺めて居られます。1周
10キロ程度の島に白人、現地人旅行者等おそらく1,000人程度の人が居ますが、西側で魚と泳いでいるのは1日にせいぜい5人です。西側の岩場はすごく
良いところですが、岩場のフジツボが少々痛いのと、東の宿から30分かけて丘を越えなければならないので、シュノーケリングやダイビング好きというより
は、けちで一人が好きなおとなしいバックパッカーにお勧めです。
パタヤはもはやビーチではありません。沖にはたくさんの船が浮かび、ビーチはパラソルとそこに寝る白人(中年中心)で埋まっています。海にごみは浮いて
ないものの、ラヨーンとサメット島の後では泳ぐ気もしないし、砂の城でも作ってようとも思いません。バンコクの外国人の夜遊びエリアであるスクンビット通
り同様に、プールバー、スポーツバー、ガールズゴーゴーバー、ボーイズゴーゴーバーなどがたくさんあり、「あなた〜!」と声が掛かります。客は欧米人のお
じさん、おじいさんがほとんどです。おかま、子持ちなどわけありの娼婦が多いらしく、バンコクより相場が安いそうです。欧米人のおじさんたちが現地の女性
または明らかなおかまをつれて昼間からご飯を食べたり酒を飲んだり、無茶苦茶な街です。リゾートとして有名ですが、夜遊び好き以外は行く価値なしです。
今回の旅は終盤に海とバンコクに行くことになり、白人の悪い所を再確認。タイやラオス、カンボジアの色々な街で白人が「In this town,
I can find many people speaking and studying English. So I like this
town」と言っていましたが、彼らの多くは、local
languageしか話せない、裕福ではない人々の本当の心の大きさや、本当のご馳走を知ることなく旅行しています。アジアの素朴を壊しに来て欲しくない
ものです。
【9665】
【タイトル】坂根さん
【 日時 】05/03/13 1:26
【 発言者 】根石吉久
>30件ほどこの掲示板を読みましたが、この掲示板がどういう掲示板なのかつかめてません。
私は雑貨屋もやっておりますが、これは始めて1年ほどの道楽でして、元々は英語屋なのです。雑貨屋の方は、地元の英語の生徒に店番をまかせきりで、利益
で月7万円までは全額持っていっていい、7万を越えたら越えた分の半額を俺にくれという約束でやっています。給料というものは払っておらず、まったくの出
来高払いです。で、この約束で店のオーナーをやって、店の利益からの私の収入は0円です。つまり、利益で月額7万円を越えたことが一度もないのです。道楽
ですね。自宅も店も自作しましたので、こんなことをやっていられます。
前からやっている英語屋の仕事は「電話でレッスン」というもので、電話を使って小学生・中学生・高校生・大学生・社会人の区別なくレッスンをしていま
す。学校の英語の先生方や、アメリカで仕事をされている方も生徒さんにいます。電話を使っているので、国内でも、北は北海道から南は佐賀県まで、全国各地
に生徒さんがいます。特色は、日本人向けに特化した英語の「音づくり」の方法を持っていること。日本語と英語のシンタックス(文構造)の違いを乗り越える
ための方法を意識的にレッスンに組み込んであること。英語力を作るだけでなく、一度作った英語力を維持しメンテナンスする方法を提示できていること、で
しょうか。
この「大風呂敷」という掲示板は、私が語学論を書いたり、生徒さんとの連絡をとりあったりするのに使われています。名前の通り大風呂敷を広げていますの
で、私自身も旅行記など書きました。遠慮なさらずに、坂根さんもお書き下さい。
お書きいただいたものを読んで、ラヨーンに行きたくなりました。ただ何もせずぐだぐだしているのが好きなので、ラヨーンは最適だなあと思いました。私に
は貴重な情報です。穴場だと思いました。やかましい白人たちに荒らされないうちだと思います。今度タイに行ったら、是非ラヨーンに行って、本を読んだり昼
寝をしたり、たまに体を濡らしたりなんぞしてみたいものです。
私は釣りが好きなんですが、ラヨーンには釣り道具を貸すようなところはありましたでしょうか。向こう合わせで釣りができるようなら、日陰で寝ころびなが
ら釣ってみるのもいいなあなどと、思いは南の海に馳せていきます。
>10人部屋といった感じのバンガローが150バーツ(400円)で借りられました。町の中心から10キロ以上離れているのでご飯などの物価は少し高いで
すが、許容範囲です。
でかいバンガローは、何人で泊まっても400円なんでしょうか。
まあ、大勢で行くつもりはありませんが、二人で泊まって400円なら、一人200円だから10日いたって安いもんです。
>白人は基本的に日に焼いて、木陰で寝て、欧米の音楽の鳴っているレストランで食事してました。ディスコやクラブのような所はないものの、やはり耳が悪
い??欧米人がたくさん居るので、音楽のうるさいバーが12時ごろまであります。
本当に不思議に思うほど、白人たちは屋台では食べず、みんなレストランで食べていますね。屋台は見た目はきれいじゃないが、安くてうまい。うまくないも
のを出すレストランはいくらでもありますが、屋台にはまず外れがない。地元の人たちによって練りに練られているからだろうと思います。今までのところで
は、一度も白人が屋台で食べているのを見たことがありません。あほだなあといつも思ったものです。私は普段の食事なら、レストランなんか入る気がまったく
しません。レストランでしか食べられない白人たちは、結局自分たちの文化の雛形から出ることができないのではないのでしょうか。自分たちの文化の雛形みた
いなのをアジア各地に作り出して、その雛形の中に閉じている。まあ、日本人もバンコクにタニヤ通りみたいなのを作って、日本の飲み屋の雛形の中にいたがる
のですが、それでも白人たちの自己中心性が作り出す雛形の数に較べたら比ではないと思います。
もっとも、私などがよく使うゲスト・ハウスとやらも、あれは基本は欧米のホテルであり、ホテルのサービスをぶっきらぼうにしたようなもんですから、私み
たいな者も欧米発の雛形の恩恵はこうむっているわけです・・・。しかし、白人たちの我が者顔だけはどうもいやです。自分の庭のような顔をして、アジアの町
々を騒々しくしているのがどうにも恥知らずな感じです。やたらに喧しい。民間レベルでの植民根性みたいなものでしょうか。
一歩下がって、アジアの人たちの普段の暮らしを邪魔しないように、交えてもらえるところでは交わらせてもらうという姿勢が白人たちには希薄だと思う場面
が多いです。なんだかんだ言っても、私ら旅行者なんですから、一歩下がってという姿勢が必要だと思うのですが、それが白人たちにはないように思うことがあ
ります。というより、屋台で食べることがないことひとつとっても、白人たちは地元の普通の文化と交わろうという気がそもそもないのかもしれません。
>欧米人のおじさんたちが現地の女性または明らかなおかまをつれて昼間からご飯を食べたり酒を飲んだり、無茶苦茶な街です。
私が移動した範囲でも、(チェンマイでは少ししか見ませんでしたが、)バンコクあたりでは、欧米のおじさんたちが、まるで平気な顔をして現地の女を
チャーターし、真っ昼間から一緒にご飯を食べたりしています。この一点では、欧米のおじさんたちは、地元の人たち(商売女)とよく交わっています。あちこ
ちでよくみかけます。しかし、平気の平左のあのつらはどういう構造になっているのかと思うことがあります。(日本のおじさんが現地の女をチャーターしてい
るのを見たこともありますが、猿まねなので、日本人の方が回りを気にしているような感じがあります。)欧米のおじさんたちは、とにかくまったく平気の平左
ですね。あの平気さ加減がどうもよくわかりません。
【9668】
【タイトル】ラヨーン
【 日時 】05/03/13 13:43
【 発言者 】坂根
ラヨーンのカオ・レム・ヤというバンガロー村ははっきり言って廃墟になりかかっています。バンコクやパタヤの現地人が週末に遊びに来ることもあるらしい
ので宿を借りるときは週末からずらして買い手市場にするのもポイントだと思います。たぶん、1人でも2人でも大差無いと思います。ただし、最初の言い値は
エアコンのツインで350バーツ。エアコンがうるさいし、海風で必要ないのと、私の希望が150バーツだったので、他を探すようなそぶりを見せていたとこ
ろ、数分で150バーツになりました。更に、どの部屋でも良いというので、10人部屋にしました。
私が行ったときも例のごとく3人の白人のおじさん達が現地のおばさん(奥さん?)をつれて20階建てぐらいのホテルに泊まっていたようですが、彼らは木
陰で酒を飲んでいるだけなので、ビーチは独り占めでした。
カオ・レム・ヤから3,4キロ西に行くと波が強い砦があり現地人が服のまま波にゆられてはしゃいでいます。それも東南アジアらしくて楽しいのですが、人
の居ない白砂のビーチはカオ・レム・ヤの近くです。
ビーチから大きなホテルが2軒ほど見えるのを除けば、うるさい音楽も、白人も、物売りも、何もありません。釣具を貸しているところは見当たりませんでし
たが、ラヨーンのバスターミナル周辺に網屋はあったので、バスターミナル周辺に売っていると思います。バンコクのBigC(World Trade
Center前)やCarrefourで探して行くのがベストではないでしょうか。夜は沖にイカ釣り漁船が居ますが、ビーチにはうちあげられた海草もな
く、カニとヤドカリ、ゴカイがいるくらいなので、魚釣りは厳しいかもしれません。
誰も居ない海でごろごろしたいのであればベトナムがお勧めです。ベトナムは海から数キロのところをずっと国道が走っている上、私の知る限り南部はどこで
もビーチという感じです。私の場合、現地で友達を作ってホームステイし、バイクもただで借りたのでホーチミン以外はホテルもゲストハウスも泊まったことあ
りませんが、白人が大騒ぎするビーチに辿り着くことはまず無いと思います。ただし、ファンティエットなどそれなりの規模の街では現地人がビーチサッカーし
ています。
【9669】
【タイトル】大学選び
【 日時 】05/03/13 20:10
【 発言者 】根石吉久
私の「電話でレッスン」の生徒の唯一の大学受験生が、東京理科大学と豊田工業大学に受かりまし
たが、東京理科大学を蹴って、豊田工業大学をとるそうです。
豊田工業大学は車のトヨタが立ち上げた大学だそうで、東京理科大学よりイキがいいというのが理
由だそうです。私は大学選びのことはよく知らないので、あ、そうなのと言っただけでした。なに
はともあれ、理系あるいは技術系の仕事をやるときに、英語ができるといいから、大学に行ってか
らもレッスンは継続してくれと言いました。
続けてレッスンを受けてくれるとのことです。
大学選びと同様に、英語のレッスン選びも重要なはずなので、私の「電話でレッスン」をもっと大
学生が注目してくれるといいのだがと思っていますが・・・。
【9670】
【タイトル】言語のシンタックスと社会のシンタックス
【 日時 】05/03/13 22:07
【 発言者 】根石吉久
土佐の松岡祥男さんが吉本隆明の著作の初出の形を復元しておられるが、最近私がタイに行っている間に送られてきたものは、「吉本隆明資料集44/日本現
代詩論争史」である。その16ページに面白いことが書いてあるので引用する。
----引用------------------------------------------------
・・・五・七調というものは、その発生した源からかんがえてあきらかなように、日本型の感覚、日本型の社会構造の特長と対応した関係にあるということがで
きる。だから、明治二十年代の日本の近代詩が、五・七調の定型によつてヨーロッパ風の感覚をもろうとしたことは、ちょうど、日本型の専制政体のもとでヨー
ロッパなみの資本主義化のコースをとった当時の社会構造と対応する関係にあったということができる。・・・
----------------------------------------------------
五・七調が日本型の感覚と対応していることはわかるが、同時に日本型の社会構造とも対応しているというところが、非常に面白いのである。
ロックのような音楽を考えて、あのビートにもっともよく乗るのが英語のような言語であるのは、英語という言語自体にビートがあるからだ、いや、それどこ
ろか、英語のビートがロックという音楽のビートの親なのだ、というような考えは、三十代の初めころ、少しロンドンに滞在した後に「たごさくえーご宣言」と
いう本で書いたことがある。
英語という言語のビートを生み出しているのは、語学で「アクセント」と呼ばれている「強・弱」の音形式なのである。強を山とし、弱を谷とすれば、英語で
は山は高く、谷は深い。日本語の平坦さからすれば、強も極端化され、弱も極端化される。それぞれ極端化された強と弱が、鞭打つような英語のビートを生み出
してくるのである。
盆踊りのような体の動きにあるものが「調べ」と呼べばいいようなゆるやかなものであるのに対して、ヨーロッパ型のダンスにあるものが「リズム」であるこ
とも、日本語の(五・七の)「調べ」と、英語の「ビート(リズム)」の違いに対応していると言えるのかもしれない。これは、言語のリズムや調べ(その音形
式の違いが)、音楽に反映し、そこからさらに体の動きに反映していったものだと考えることができる。
しかし、そこで終わらない。吉本は、それが「社会構造」の違いにまで対応すると言うのである。
ここで、私は自分がシンタックスと言ってきたものを思い出す。これはひとまずは、「文構造」をさして言ってきたものだが、吉本の考えを媒介にするなら、
日本語と英語の「文構造」の違いも、そのそれぞれの「社会構造」の違いに対応していると言いうるのかもしれないのである。これは、文化的なシンタックスと
か、社会的なシンタックスというような語で私が考えようとしてきたものにつながるのではないかと思ったのである。
そしてさらに、私が始めた「磁場論」の「磁場」にも関連してくる。「磁場」とは言葉の当事者となる場のことだが、そこで外国語を通して人が浴びるのは、
単に言語の磁力だけでなく、文化的なシンタックス・社会的なシンタックスが発する磁力でもあるはずなのだ。つまり、社会構造自体が発する磁力をも、人は言
語の「磁場」で浴びているはずなのである。そうであるからこそ、長くヨーロッパ型の「磁場」で暮らして、その「磁場」になじんだ人が日本に帰ってくると、
彼らは「異人化」するのである。単なる言語体験ではなく、社会構造体験(文化構造体験)でもあるからこそ、この「異人化」が起こるのだ。
そうであるならば、それらの磁力を欠いて、「磁場」以前・「磁場」以外で行われる行為が語学なのであり、そこでは「意味」は平面でしかなく、立体化しな
いという私の語学の定義を、この「社会構造」をまで組み込んだ言語考察が反証してくれるのである。
【9672】
【タイトル】根石さんに質問します
【 日時 】05/03/14 7:10
【 発言者 】sb
「磁場」の輪郭が見えかけてきたような気がしています。よろしくお願いします。
>「磁場」以前・「磁場」以外で行われる行為が語学なのであり、そこでは「意味」は平面でしかなく、立体化しないという私の語学の定義を、この「社会構
造」をまで組み込んだ言語考察が反証してくれるのである。
質問@母語を素読する場合、「意味」は平面でしかないのですか?
質問A「読書」では「わたし」の「磁場」は醸成されたりするものでしょうか?
質問B「磁場」は「わたし」の中にあるのでしょうか、ないのでしょうか?
【9673】
【タイトル】根石さん、sbさん
【 日時 】05/03/14 9:56
【 発言者 】村田
吉本隆明の引用についての文章、おもしろいです。
いろいろ触発されるんですけど、村田が勘違いしていないか、確認させてください。
>つまり、社会構造自体が発する磁力をも、人は言語の「磁場」で浴びているはずなのである。
>そうであるからこそ、長くヨーロッパ型の「磁場」で暮らして、その「磁場」になじんだ人が日本に
>帰ってくると、彼らは「異人化」するのである。単なる言語体験ではなく、社会構造体験(文化
>構造体験)でもあるからこそ、この「異人化」が起こるのだ。
ここの言い方がすごくおもしろいと思ったんですが、ここで言われている「社会構造」という
のは、「社会規範」とか「文化的コード」などと読み替え可能ですか?
ある共同体において、してはいけないこと・するべきことや、どのようにご飯を食べるか、とか
年長者に対する口のきき方とか、日常生活や、冠婚葬祭などの特殊な状況など、生き
ていく上での立ち居振る舞い、身振りなど、明文化されていないけれど、(むしろ明文化
しにくい部分もある)暗黙の了解というか、無意識下で了解されていることがらを「社会規
範」と呼ぶと思うのですが。
もしそうであるならば、sbさんの根石さんに対する質問に答えられると思います。
根石さんの回答とは違うかもしれないけれど、参考までに…。
根石さん、間違ってたら直してくださいね。
>質問@母語を素読する場合、「意味」は平面でしかないのですか?
母語で素読をする場合、最終的には平面ではないと思いますよ。母語を獲得してい
く過程で、すでに「社会構造」につかっている「親」から影響を受けまくるし、単語ひとつ
とっても、自分の人生と堅く結びついたイメージを抱くことができるはずだからです。
>質問A「読書」では「わたし」の「磁場」は醸成されたりするものでしょうか?
まず、「磁場」は、「共同体」が持つものだと思います。すなわち、《「わたし」の「磁場」》
というのはそもそもないんではないでしょうか。
(もしもあるとしたら、それは新興宗教の教祖が持つものでは?)
「磁場」とは言葉を発する者が当事者となる「場」。切実に(程度の差はあれ)反応しあ
う「場」です。
読書によって、磁場に触れることがあるかどうか、といったら、かすることはあるんじゃないか
なあ、とは思います。ほんのかすかに。
しかし、読書は基本的には「ひとりごと」の世界なので、本質的には磁力を浴びるというこ
とにはならないと思います。
>質問B「磁場」は「わたし」の中にあるのでしょうか、ないのでしょうか?
「わたし」が他人と出会う瞬間に、「磁場」は生まれると思います。
sbさんへ
「わたし」ということについてかなり考えておられるように見受けました。
永井均さんをご存知でしょうか。「唯私論」というのを展開してる先生です。
筑摩書房の「ルサンチマンの哲学」というのがとってもおもしろかったですよ。
おすすめです。
【9678】
【タイトル】村田君・sbさん
【 日時 】05/03/17 1:54
【 発言者 】根石吉久
>吉本隆明の引用についての文章、おもしろいです。
いろいろ触発されるんですけど、村田が勘違いしていないか、確認させてください。
俺が吉本隆明をちゃんと読めている気はしていないので、俺が勘違いしていることは相当の確率であると思っていますが、俺のとっての吉本隆明は、村田君の
言葉で言えば、すごく「触発」してくれるものを書く人だということです。これは松岡さんの言葉ですが、吉本隆明は「ちゃんと読まれていない」。俺もそう思
います。吉本はこれからの人です。
>>つまり、社会構造自体が発する磁力をも、人は言語の「磁場」で浴びているはずなのである。そうであるからこそ、長くヨーロッパ型の「磁場」で暮らし
て、その「磁場」になじんだ人が日本に帰ってくると、彼らは「異人化」するのである。単なる言語体験ではなく、社会構造体験(文化構造体験)でもあるから
こそ、この「異人化」が起こるのだ。
>ここの言い方がすごくおもしろいと思ったんですが、ここで言われている「社会構造」というのは、「社会規範」とか「文化的コード」などと読み替え可能で
すか?
読み替え可能というより、「社会構造」を作っているのが、「社会規範」であり「文化的コード」だと思います。
>ある共同体において、してはいけないこと・するべきことや、どのようにご飯を食べるか、とか年長者に対する口のきき方とか、日常生活や、冠婚葬祭などの
特殊な状況など、生きていく上での立ち居振る舞い、身振りなど、明文化されていないけれど、(むしろ明文化しにくい部分もある)暗黙の了解というか、無意
識下で了解されていることがらを「社会規範」と呼ぶと思うのですが。
その理解でいいと思います。
>>質問@母語を素読する場合、「意味」は平面でしかないのですか?
>母語で素読をする場合、最終的には平面ではないと思いますよ。母語を獲得していく過程で、すでに「社会構造」につかっている「親」から影響を受けまくる
し、単語ひとつとっても、自分の人生と堅く結びついたイメージを抱くことができるはずだからです。
これでいいと思います。
しかし、私の関心は語学が強制してくる「平面性」「孤絶性」「机上性」「磁場外」です。母語(私らにとっての日本語)の素読は、厳密には語学であると同
時にいわゆる語学ではない。「いわゆる語学」とは、外国語に対する語学ですから、私らが日本語を素読する場合は、そういう「いわゆる語学」ではない。それ
にもかかわらず、母語に対する素読は、非常に「語学的な方法」だと思います。
母語を素読することは、母語に囲まれて素読することですから、語学的な母語の対象化が、母語の磁場に溶けることができる。それが村田君の言う、「自分の
人生と堅く結びついたイメージを抱くことができるはず」ということです。
母語の素読は磁場に囲まれているから、別の語で言えば、磁場に保護されての(比喩としての)語学であろうと思います。
まあ、しかし、英語学習を「語学」とし、母語素読は単に「素読」としておくのが混乱が少なくて済むと思います。これまで、私もそういうふうに用語を使っ
てきたと思っておりますが・・・。
>>質問A「読書」では「わたし」の「磁場」は醸成されたりするものでしょうか?
>まず、「磁場」は、「共同体」が持つものだと思います。すなわち、《「わたし」の「磁場」というのはそもそもないんではないでしょうか。
(もしもあるとしたら、それは新興宗教の教祖が持つものでは?)
磁場」とは言葉を発する者が当事者となる「場」。切実に(程度の差はあれ)反応しあ
う「場」です。
言語的な磁場は、目に見えないだけで実体として存在しています。私らは日本語の「磁場」を自覚していないし、日々の生活ではそんな必要はないだけです。
「わたし」の「磁場」というものは、実体としての(客観的存在としての)磁場とは違う位相にありうると思っています。それは吉本の用語で言えば、「個人
幻想」が発する「磁力」のある場所ですから、孤絶した個人の意識だと思います。
実体としての(客観的存在としての)「磁場」からすれば、ないに等しいものとして、確実に存在していると思います。
それは「比喩としての磁場」だと言ってもいい。
ここが吉本の思想の源だと思いますが、客観的存在としての(社会的な存在としての)「磁場」が実体であるなら、個人の意識という「磁場」は「ないに等し
い」。
同時に、個人の意識という「磁場」が実体となるとき(それはおそらく書き言葉を書き付けるとき)、社会的存在としての「磁場」は「ないに等しい」。
吉本は両方あるんだと言っている。だけど、相互に「逆立」すると言っている。
そして、その緩衝地帯を「対幻想」と言っているのだというのが俺の理解です。
現在もっとも粗末にされているものでありながら、この「対幻想」によって、この世の正気は保たれているのだというのが俺の理解です。
>>質問B「磁場」は「わたし」の中にあるのでしょうか、ないのでしょうか?
>「わたし」が他人と出会う瞬間に、「磁場」は生まれると思います。
村田君の理解で、社会的にはいいと思います。
しかし、「比喩としての磁場」が個人の中にあるからこそ、「読書」は可能になり、「ひとりごと」ではなくなり、「共鳴」が生じるのではないでしょうか。
「比喩としての磁場」は、「客観的な(社会的な)磁場」とはまったく別の領域であり、質的にまったく別のものだとも思います。吉本はそう言ってきたし、
私もそうだと思っています。
吉本はもっと読まれるべきです。
村田君の読んできたような柄谷なんかは、俺からすればあほんだらなんですが。
【9679】
【タイトル】坂根さん
【 日時 】05/03/17 2:15
【 発言者 】根石吉久
>ラヨーンのカオ・レム・ヤというバンガロー村ははっきり言って廃墟になりかかっています。
どういうことでしょうか。津波のせいですか?
アメリカが荒らしたせいですか。
>最初の言い値はエアコンのツインで350バーツ。エアコンがうるさいし、海風で必要ないのと、私の希望が150バーツだったので、他を探すようなそぶり
を見せていたところ、数分で150バーツになりました。
うん。そうですね。こういうのは、いきあたりばったりで決まる。俺の気分でそのバンガローに入ったり入らなかったりする。それは仕方がない。しょせん旅人
ですから。
>カオ・レム・ヤから3,4キロ西に行くと波が強い砦があり現地人が服のまま波にゆられてはしゃいでいます。
そういうのを邪魔したくないと思っています。長野は温泉が多く、私も二日にいっぺんは温泉につかっていますが、先にそこにいる人のなるべく邪魔をしない
ようにして温泉を楽しんでいます。それが礼儀というもので、アメリカ人はアジアやアフリカに対して礼儀知らずだと考えてきました。ああいう根性にはなりた
くない。
>バンコクのBigC(World Trade Center前)やCarrefour で探して行くのがベストではないでしょうか。
そうですね。やたらこちらの欲しいものがあるようなところは、逆にこちらの要らないものもやたらにあるようになってしまうから、バンコクで買っていきま
す。
>夜は沖にイカ釣り漁船が居ますが、ビーチにはうちあげられた海草もなく、カニとヤドカリ、ゴカイがいるくらいなので、魚釣りは厳しいかもしれません。
はい。
でもね、釣りは意想外です。釣れっこないと思ったところで大物が釣れたりするのです。
ゴカイがいるなら、それを食いたい魚はいる。クロダイなんかはカニは大好物です。
>誰も居ない海でごろごろしたいのであればベトナムがお勧めです。ベトナムは海から数キロのところをずっと国道が走っている上、私の知る限り南部はどこで
もビーチという感じです。
ありがとうございます。来年はベトナムに行くことになっています。
私は気が早く、今からベトナムのガイドブックを読んでいます。
まずはホーチミンに行きます。そこから南か東の海岸にいって、思い切りオサボリをムサボリます。再来年は生きていたら、いよいよインドです。
インドは私には敷居が高かった。
でも行きたいです。
【9680】
【タイトル】廃墟の理由
【 日時 】05/03/17 11:34
【 発言者 】坂根
ラヨーンが廃墟の雰囲気を出している理由は建物の数と利用客の数の大きなずれです。
平日だったのもありますが、管理人が居なかったり、建てっぱなしでオープンしてない(または潰れた)ホテルやバンガロー、集合住宅がありました。
私はアメリカ人に代表される白人が現地を荒らしているように思えるのは、現地の文化を敬わず、現地の全てを好きになっていないからだと思います。私は、
現地の人といっしょに現地流を一緒に体験するのであれば、少なくとも相手の文化、生活を荒らすことなく、逆に心の交流もできると思っていつも旅をしていま
す。
余談ですが、ラオスからタイ北部への6時間のスピードボートの旅で船が転覆した際、同乗していたメンバーは、フランス人中年夫婦、フランス人女性1人、
ドイツ人女性2人、自分(日本人男)、ラオス人(客)、ボート操縦者でしたが、白人は岸に上がって、転覆していく船を見たり、写真に撮ったり。私とラオス
人乗客と、操縦者と、通りがかった漁船やボートのラオス人で船の水を出しました。ラオス人乗客なんか、携帯電話が水没するのも気にせず、船を助けていまし
た。救命胴衣をつけていたとは言え河の流れは結構あったので、女性が協力しないのは少しは理解します。(日本人女性も協力しないのではないか?)しかし、
フランス人男性が何もしなかったのは、残念でした。ヨーロッパの多くの国が、アメリカに比べて文化というものを持ち、心があるものと思っていましたが、や
はり、白人はアジアより上に立っているつもりなのでしょうか。もちろん、その白人達は誰もタイ語、ラオス語を話す気配はありませんでした。
タイで会ったとき、根石さんはタイ語を使えなかったようですが、ベトナム語はアルファベットなので、かなり勉強がしやすいと思います(中国語のような音
の上げ下げが難しいですが)。来年というのであれば、ぜひ、文法から学んで、英語の話せない普通のベトナム人のやさしさ、人懐っこさなど、体験されてはど
うですか?
【9682】
【タイトル】根石さん
【 日時 】05/03/20 6:07
【 発言者 】村田
ありがとうございました。
共同幻想論を読まなきゃわからないと思いまして、本屋へ文庫版を探しに行ったんですが、すでに絶版となっていました。ハードカバーならあるそうなので、注
文しておきました。読んだらまた書かせてもらいます。
【9684】
【タイトル】坂根さん
【 日時 】05/03/21 2:31
【 発言者 】根石吉久
おっしゃったこと、3日ほどかけて考えました。
今回は3週間ものお休みを私の生徒さんたちからいただけたので、3週間もの旅ができましたが、私がベトナムに行くにせよ、タイに行くにせよ、インドに行
くにせよ、インドネシアに行くにせよ、ラオスに行くにせよ、あるいはイギリスに行くにせよ、どうせ特別な機会がなければ一週間の旅です。来年からはせいぜ
いが二週間の旅になると思います。あなたのように若くはないですし、勤めをやめて大学に入りなおすような貴族的な生活ができないでいる身です。普段の生活
がまったく忙しいのです。一ヶ月も二ヶ月も旅のできる身ではありません。
私が一週間程度の旅をするために、あなたはベトナム語を習うことをお奨めくださいました。私はやる気はありません。しょせん、私は旅人として来年もベト
ナムを通過するだけです。ベトナム自体に関しては、ベトナム人が英語で書いた”When Heaven and Earth Changed
Places”という本を英語で日々読み進めておりますし、そこに書いてある田植えに関する記述などは、私が子供の頃手伝った田植えとまるでそっくりなの
で、足裏の泥の感触や土との馴染など感覚でよくわかります。ベトナム語をやらなければ、ベトナム人が本当には理解できないというような考えは私の考えの外
側の考えです。
そりゃ、ベトナムに行くならベトナム語ができるのがよろしかろうが、私の体力の問題があります。
ラオスからタイに移る途中での舟の転覆に関する部分を興味深く読みましたが、私は同じ場面でしたら、岡にあがります。私は十数回ぎっくり腰をやっており
まして、水につかって舟の水を汲み出すことはできません。フランス人が岡にあがって写真をとっていたことには、ほぼ同じくらい「馬鹿やろう」と思います
が、坂根さんは私が岡にあがって転覆した船から水をかい出す坂根さんを見ていたらどうお思いになったでしょうか、と思います。「この馬鹿日本人野郎」と
思ったのではないでしょうか。どう思われてもかまいません。私は自分の腰をかばう必要があるのです。旅人には、この程度の細部さえわからないのではないで
しょうか。
ベトナム語やタイ語が(そこそこ)しゃべれて、コミュニケーションがとれて、ベトナム人やタイ人が喜ぶことをそれほど喜ぶ気は私にありません。そんなコ
ミュニケーションがなにほどのものかと思っております。楽しいは楽しいでしょうがね。
まあ、長く旅をするのであれば、その程度に語学を考えることも結構でしょうが、私の語学に関する考えはそんなところにありません。
ジム・トンプソンをご存知でしょうか。タイに長くいつづけて、へたっていたタイシルクを産業として隆盛にしたアメリカ人です。こいつは、最後は謎の失踪
をしましたので生きているか死んでいるのかわかりませんが、長くタイに暮らしながら、まるでタイ語をやる気がなく、英語だけで暮らした男です。タイに「暮
らしながら」、タイ語をやらなかったのは不遜な野郎だと思います。それでもタイシルクに関してなら、そんじょそこらのタイ人が絶対にかなわないだけタイシ
ルクを大事に思い理解した男です。建築家として、デザイナーとしてきちんとタイシルクを理解しています。つまり、タイシルクの美を通じてタイの文化とまと
もにコミュニケーションした男です。ジム・トンプソンがいたから今日のタイシルクがあるのだと言って過言ではありません。タイの文化をごく狭い角度から徹
底的に理解したのです。旅人なんぞ、それだけのこともできない「野郎」ではないでしょうか。ジム・トンプソンがいくら不遜な野郎でも、今日のタイに富を与
え続けています。その点では、タイ語やベトナム語をしゃべり、安いゲストハウスを血眼で探し、コミュニケーションなんぞしている人より立派な男です。一つ
二つ三つ程度に浅く外国語をしゃべり、心の交流なぞしている行為より立派なことだと思います。
私は来年ベトナムに行きますが、これからタイ語をやろうと思います。特に私の臍が曲がっているのではありません。ドンムアン空港に着くたびに、飛行機の
発着のアナウンスを音楽のように聴いてきました。「TG 4876 now boading
」とか、私が今適当にでっち上げたセリフですが、そんなようなアナウンスを聴くと、ああ、タイに来たなと思うのです。英語をしゃべっても、音が伸びて、
ちゃんとタイ語が響いていて、とても美しい。イントネーションも優しくて美しい。意味なんぞわからなくても、タイ語のやさしさはわかります。多分来年はベ
トナム語の味がわかると思います。しかし、私はアジアの言葉は音楽として聴いていたいです。アジアの言葉の美しさがわからなくなるのがいやなのです。そん
じょそこらのコミュニケーションなぞやる気はありません。タイに滞在中に私が書いたものをお読みになったと思いますが、タイ語しかしゃべらない人と英語し
かしゃべらない私とで、お互いにまったくお互いの話がわからないまま30分以上も真剣に話し続けました。そして、そいつの優しさもだらしなさもみんなわか
りました。
私はタイに住むのであればタイ語をやります。ベトナムに済むのであればベトナム語をやります。そうでなければやりません。それは不遜なことではないとい
う確信があります。語学とはしょせんどこに「住む」かの問題です。語学にタイしてタイしたことのない人からタイ語にタイしてつべこべは言われまいと思いま
す。
語学を考えることは思想なのだと思っておりますので。
私の友達に、アイヌ語と朝鮮語が好きな人がおりますが、この人は無差別にどんな言語をも音楽として聴いています。「なんでOさん、まともに語学やんない
の?」と聞きましたところ、「だって意味がわかっちゃうとつまんないじゃないか」との返事でした。
私はこれを思想としていいものだと思っております。
タイに行くならタイ語、ベトナムに行くならベトナム語をいちいちやらなくてはならないのであれば、あなたは日本にいるのですからアイヌ語をやらなければ
ならなことになりませんか。私がタイで英語をしゃべっていれば、英語帝国主義者のように思われるのはまったくかまいませんが、そうであれば、日本にいてア
イヌ語をしゃべらないのは、日本語帝国主義者ではないのですか。できましたらきちんとお答えください。
もっともあなたは、ただ単にベトナム語をやることを私にすすめてくださっただけでした。でも、私はそれ以外のものを嗅ぎつけてしまいました。語学に関し
て、アマチュアな人は気楽なことを言うもんだと思った次第です。
私はジム・トンプソン同様、商売でアジアに行くのです。今後、行く国は増えます。いちいちそれぞれの言語を浅くやるなどできません。それに、タイでもど
こでも、外国人を相手に真剣に商売をしようとしている人は、英語をしゃべります。私がアジアに行って、真剣に話さなければならない人たちはそういう人たち
です。
商用だの、用を足すだの、ゲセンな用途には英語でよろしかろうと私は思っております。
英語なんぞしょせん一言語です。しかし、もっとも簡単に国境を越える言語です。
かつてのイギリスの植民根性を許す気はありませんが、やつらがアジアに置いた言語はこれからのアジア人たちがとことん利用すべきだと考えています。
もっとも簡単に国境を越える言語だという性質がなければ、私は英語なんぞ商売にするのはやめていたと思います。
私は酒飲みですので、言い過ぎたところがあったら、勘弁していただきます。
【9686】
【タイトル】坂根さんにもう一言
【 日時 】05/03/21 2:44
【 発言者 】根石吉久
>現地の全てを好きになっていない
そんなことが誰にできるのでしょうか。
「全て」など誰が好きになれるのでしょうか。
私はタイがとても好きですが、タイの嫌いな部分もあります。
好きになることだけが理解することではないでしょう。
ことは男と女ではないのですから。
相手が女であれば、私は「現地」を全部好きになることができますが、タイは国の名前でして、「現地」はまったくさまざまです。
それとも、国の名前で考えずに「アジア」という語で考えておられるのですか。
「アジア」でも、私は愛憎こもごもです。
ご自分をお確かに願います。
【9688】
【タイトル】何のための旅行か?
【 日時 】05/03/21 15:40
【 発言者 】坂根
いわゆる観光旅行にくくられる旅行に関して、リゾートだけをめぐる旅、繁華街の夜を中心とした旅、遺跡を廻って人間の偉大さや歴史を巡る旅、大自然を感
じる旅、コミュニケーションを重視した旅など色々あることも一応認識しています。
「現地の全てを好きになる」というのは確かに無理ですね。どんな国や地域、人々の習慣にも、良いところ、悪いところあります。「好きだと口で言う割り
に、もっと多くを知ろうとしていない、尊重しようとしてない」と言い換えます。
好きな部分を見つけることができ、そこに文化・生活に魅力を感じるのであれば、そこの人たちの考え方や、文化を知る・尊重する手段として現地の言葉を話
せるように成った方が、より良い旅に成るのではないかと思います。
ブランド品買い漁りの旅行でなければ、旅行の行き先を考える時点で、すでにその行き先の衣食住その他の文化に対して何らかの魅力を感じるから旅行に行く
ものだと思います。
根石さんは雑貨店でお客さんに何を提供しているのですか?そちらでは単純に幾何学的模様の美しい布や機能・価格の優れた雑貨を売っているのですか?それ
だったら、雑貨を探す旅をしなくても、国内の他の雑貨店やインターネット・本から良いものを探して、小さな工場で、その商品のコピーを作った方が効率が良
いと思います。日本の工場で発注するのは高いというのであれば、中国などコピーとビジネスのうまい国を使う手もあります。しかし、私が外国の商品を扱う雑
貨屋に行って何かを買うとしたら、商品の裏に見える文化や暮らしを含めて買います。
いくつかの国を旅行しましたが、外国人が一ヶ月で数人しか来ないような町でも、数百人に1人ぐらいは、流暢に英語を話します。英語を話す旅行者の多く
が、英語が話せれば、何とでもなる。と思っているのかもしれませんが、私はそうは思いません。これまでの旅行で、現地人の中で英語を話す人は、金持ちだっ
たり、詐欺師だったり、擦れていたり、英語のわからない普通の人々に比べて、その国や町の人々の良さを失っていることがたくさん在りました。英語を勉強し
て、国の発展などに関する壮大な夢を実現しようとしている人間にも会うことが有ります。自分が少しでも興味を持って訪れた旅行先で、より多くを知り、友好
的な関係を築くために、その国や地域の言葉を話すことは大事だと思います。英語を話せない、大勢の人と”も”コミュニケーションを取ってみたいと自分は思
います。どんなに短期の旅行であっても、せめて「ありがとう」「またね」だけでも、現地の言葉で伝えたいと思います。人間の内面を感じる旅を私は提案した
つもりでしたが、押し売りしたのかなとも思います。
【9692】
【タイトル】北海道・Kさんへのメール返信転写
【 日時 】05/03/22 1:37
【 発言者 】根石吉久
K> いい子にしていれば良いことがあるもんだと思いました。
そうです。よく知らないですが・・・。
K> 『..40 上. 』の続きはそこまで進んでから配布すると言うことでしょうか。
私のレッスンはしばらくすると、こんなのろのろやってていいのかときっと思われるでしょう。大学受験生にはよくないのです。しかし、語学というのは、脱兎
の如くにやる必要がある時もありますが、のろのろとしっかり持続するのも大事です。脱兎の如くの方は、ご自分でやられることを期待しますし、ご自分でやる
しかありません。のろのろの方を私のレッスンがお引き受けします。
『..40 上.
』まで一年で終わるか終わらないかというくらいのものだと思います。それほど悠長なレッスンですので、その点はあらかじめ覚悟しておいていただきたいと思
います。
ひとまず、『..40 上.
』までお送りしたのは、送り先がフリーソフトのアドレスだっただけで他意はありません。お望みであれば、それ以後のもお送りします。
私のレッスンから知識量を期待しないで下さい。京都大学を受験されるのであれば、私のレッスンでは知識量はまったく不足します。しかし、音が意味と合体さ
せるに足る質でないままに、意味だけをいじる受験生が圧倒的多数です。レッスンは、将来使える英語を持つ意志がはっきりしている人には日本在住のまま英語
の芯を作るという意味で意味があると思います。
知識量ではなく、音の扱い方、できた音に意味を合体させる方法を会得していただき、それを受験勉強の中で生かしていただくことが私の望みです。
K> レッスンには予習など必要でしょうか?
やっていただくなら、予習より復習をよくやっていただきたく思います。でも、多分予習も復習もしなくても、レッスンは成り立ちます。復習を強制的にやらせ
るように教材を作ってありますし、予習をして間違った音を固定されるとその分だけ手間がかかりますから、ひとまず予習も復習もなしでやってみて下さい。や
はり、予習や復習が必要だと思ったらそう言って下さい。その時点でアドバイスします。なるべく私のレッスン自体が受験勉強のさまたげにならないようにした
いと思います。是非京都大学に合格なさることを期待します。そして、大学合格後、あるいは留学先で、是非私のレッスンを使っていただきたく思います。英語
の「磁場」にいて、私のレッスンを受けていただくのが語学としても、「磁場」体験としても最高のものになります。
K> レッスン時に教材の他に必要な物はありますか?
ありません。教材と電話だけあれば始められます。
K> しかし根石さんの意見に納得したので家族が在宅の時はなるべ
くPCでやることにしますね。
そうして下さい。ネットの誘惑に負けずに、PCを使えるように(多分)自分とお父さんに交渉してみて下さい。
K> ただ、PCが無くても電子辞書があるので語調べは素早くできると思います。
語義は教材に書いてあります。辞書で調べるなら、発音だと思います。
K> あと、紙の方が通学時に復習できて良いかと思います。
K> (往復で3時間かけて列車通学しています。)
それはそうですね。繰り返しますが、私のレッスンは肝心要のところは押さえますが、知識量はまったく不足すると思いますので、3時間の往復時間は知識量を
獲得するのに使われるのがいいかと思います。貴重な時間だと思いますから。私の音の扱い方を会得していただいてそれを受験勉強(知識量獲得)に生かしてい
ただくのが私の望みです。
K> 根石さん推奨の通学時に出来る英語のトレーニングなどはあり
ますか? 今の所英語のリスニング教材をMDに録音して聴いている
ぐらいなのですが。
通学時にリスニングの訓練をなさるのであれば、ビデオかDVDから映画「ゴースト」の音声部分をMDに録音し、聴かれることをお奨めします。レッスンが進
むにつれて、一発で聞き取れる部分が増えていきます。原理的にはリスニングも単語を覚えるのと同じで、初めのうちは「しらみつぶし」でやるしかありませ
ん。単語をよく責めると、接頭辞とか語幹とか接尾辞などで知らない単語も見当がつくようになり、どんどん語彙が増えるような時が来ます。それと同じで、リ
スニングも「しらみつぶし」をていねいにやっていると、ある時から急にいっぱい聴き取れるようになります。そのレベルを獲得されて、留学なさるのがいちば
んだと思います。そうでないと、英語フリークとか、欧米文化崇拝者みたいな病者になる可能性があります。留学を予定されているようですので、「準備」をぬ
かりなくなさることを強くお奨めします。
K> 単語や構文は覚えていないと書けないし、当然応用も出来ませ
ん。
そうです。語学ですから、覚えることは避けられません。そこは覚悟して、覚えるしかないです。「英語どんでん」の「電圧装置」を参考にしていただけるとう
れしいです。なんなら、私の手元にまだ文庫がありますから、お送りしましょうか。
K> 国語が得意なだけに良いネタでも良い文章が書けないと言うの
は屈辱的でした。
ここのところが、最高に「いい子」だと思いました。ここの問題は、「日本語でしか言えないことがあり、英語でしか言えないことがある」という問題だと思い
ます。多分、言葉の感覚が優れているので、かえって日本語にとらわれてしまい、英語の方に移れないということではないかと思います。知識量の問題もありま
すが、言葉の感覚が優れている人は、かえって語学の上達が遅いです。しかし、遅い分だけ、そんじょそこらの英語フリークが到達しない語学の領域につっこん
でいくことがあります。私は期待しています。
K> 学年別、単元別に習う事の虚しさを感じます。
学校はもう本末転倒が性分ですから、そこそこつきあう程度にして、本格的な受験勉強をやって下さい。もちろん、使えるところは学校もとことん使って下さ
い。しかし、本当に必要なものは学校に期待せず、自分で全部手に入れることです。一人でどかどかやるのが一番です。
根石吉久
【9693】
【タイトル】坂根さん
【 日時 】05/03/22 1:43
【 発言者 】根石吉久
その後も考えさせられています。
少しお時間を下さい。
【9712】
【タイトル】気違いじみた教材
【 日時 】05/04/04 5:09
【 発言者 】根石吉久
「イメージ・文法 受肉過程」の教材作りをこの時間になってもまだやっていますが、作りながら、この教材は「気違いじみている」と思った。引用のあまり
のしつこさが「気違いじみて」いる。しかし、この「気違いじみている」性質こそが、日本語に取り囲まれて英語をやる場合に避けられない性質なのである。
いい教材がなければ、学習者自身が「気違いじみて」しまう。そうなってしまった者たちが、「英語フリーク」なのだ。
「イメージ・文法 受肉過程」という教材は、「気違いじみている」という性格を教材の方で引き受けてくれる。人間が「気違いじみ」ることから解放してく
れる。この教材の「気違いじみた」性質は日本語に囲まれて英語をやる場合には必要なものなのだ。
英語をやることは、もっと普通の「持続型」の何かでなければならない。剣道の素振りを毎日やるような何かでなければならない。そして、「持続型」の教材
にいいものがなかった。
NHKの「英会話系」の放送テキストなんかではどうにもならない。何年も聞き続けているが、気休め程度の効果しか得ていない人が私のまわりにたくさんい
る。あれだって、「音作り」と「発酵過程」を意識化して、使い込むならいいが、毎日規則的に放送だけは聴くっていうようなことでは、消化不良のままで、つ
いに体には入らない。やっていることを気休めにしないためには、「強制的な復習」を避けられないように教材自体が作られていなければならない。
根石吉久の作る教材がNHKの教材よりいいものだとは人々は考えてはくれない。人は簡単にbig nameにしてやられる。まあ、いいや。気休め程度の
効果で気休めにしていれはいい人たちにはそれでいいのだ。
一方、一挙になんとかするような触込みで、売り上げを伸ばそうというような魂胆のものも書店にはあふれている。きつい練習をやらなければならない時期と
いうものがあるというのはわかるが、英語なんぞ、一挙にでっちあげても、すぐに錆付く。「持続型」の教材と、そのための方法が確立されなければ、日本人の
英語の9割9分が錆付いて駄目になってしまう。それは日本の戦後の「持続的な!」英語ブームの中ではっきりしたことだ。
日本語に囲まれて英語をやるのであれば、一度作った英語の力をどう維持するかを真剣に考えなければならない。実にここをとことん意識して作り続けている
のが、「イメージ・文法 受肉過程」という教材です。
【9713】
【タイトル】4月 語学をはじめたくなる時期
【 日時 】05/04/04 13:56
【 発言者 】Jackie
NHKの新講座が始まる時だ。
4月号のテキストの売上はすごいらしい。
5月になるとテキストを購入する人はがっくりと減る。
>NHKの「英会話系」の放送テキストなんかではどうにもならない。何年も聞き続けているが、気休め程度の効果しか得ていない人が私のまわりにたくさん
いる。
ただ毎日ラジオの前に座り読む そしてテープを流しきく、 または15分ぐらいの音読復習では
しみこまないうちにおわってしまう。そんな人がほとんどでしょうね。
>あれだって、「音作り」と「発酵過程」を意識化して、使い込むならいいが、毎日規則的に放送だけは聴くっていうようなことでは、消化不良のままで、つい
に体には入らない。やっていることを気休めにしないためには、「強制的な復習」を避けられないように教材自体が作られていなければならない
まさしくその通り。
まともにやろうとするとテキストのスキットの量が多いので
身体にいれるのには時間がかかりますね。
テキスト1本にしぼれず2,3本やるとあぶはち取らずになりかねず、どれも消化不良。
ご多分にもれず私も4月になると 強迫観念にもにてテキストを買います(笑)
しかし毎年続かない。テキストをみて 和文英訳は気が向いたらして、
いかに自分の英語力作文力があなだらけなのかを 自覚する。
Naimaさんは続けてらっしゃってしかも音読、回転読みでしっかり内在化してらっしゃる模様。
爪のあかをせんじてのみたいです。
私の友人でも学生時代にラジオ英会話をき(多分内在化するほど集中) TOEIC950点。英文翻訳を生業にしている人がいます。
エンジニアだったので工業知識と英語力があるのでひくてあまたです。
英語は日常生活では不必要な日本。
なのに「英語ぐらいできなくちゃ」という強迫観念がいまだ日本を覆っているのでしょう。
幼稚園、小学校から英語を習わせる親の多いこと、小学校英語導入を望む親の多いことからも察することができます。
いいたいことがわからなくなってしまいました。
今年のNHKの語学講座いつもより多いような。
なんだかなー。
と 三日坊主の私の 「すっぱい葡萄」か。
【9716】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】05/04/04 19:19
【 発言者 】Sumie
>Naimaさんは続けてらっしゃってしかも音読、回転読みでしっかり内在化してらっしゃる模様。
それが、、、そうでもありません。 友人のおつき合いでやっているのですが、回転読みまでは到底出来ません。 最初は意気込んでやっていたのですが、
「ゴースト」の回転読みをやりながらは、とてもとてもきつ過ぎて出来ませんでした。 今はお座なりになってしまっています。 それでも復習範囲を手放さな
い事だけは心掛けていますが、やはり激しい回転読みが基礎にないと、ダイアローグどころかセンテンスでさえ頭に残りません。辛うじて単語やフレーズのいく
つかを覚えている程度です。
>テキスト1本にしぼれず2,3本やるとあぶはち取らずになりかねず、どれも消化不良。
私も毎年4月が来ると、 "Let's Speak!" "Business English"
ドイツ語講座の三冊を買うのですが、友人にお尻を蹴飛ばされてやってる "Let's
Speak!" だけを辛うじて毎日開くだけで、他の物はだいたい6月頃になると買わなくなってしまいます。
しかし休み休みながら、回転読みを続けている「ゴースト」のダイアローグは、時と場を得ると反射的に口をついて出て来る事がよくあります。
【9717】
【タイトル】地道になんて
【 日時 】05/04/04 19:23
【 発言者 】Jackie
音楽もバイエルなどやらず、
簡単にアレンジしたポピュラー曲を習うのが流行っているらしい。
大人のためのピアノ教室というわけだ。
バイエルなんて面倒だし、もしもピアノがひけたならのように
1,2曲十八番があればカッコイイし。
家の母親も何年か前に「枯葉」「星に願いを」などの簡単アレンジの曲を
3年ほど週1回ならっていたなあ。
辞めて3年。今は見事に一曲も弾けない。
ま、カルチャーだから。
だから カルチャー希望の主婦や退職者世代にはそれでいいのだろう。
本人も今曲が弾けないことを 金を無駄にしたとは思っていない。
退職後のサラリーマンがピアノの練習をしてレストランコンサートにタキシードを着て
ピアノを弾く。 それでいいのだ。
しかし英語は?
ピアノは一曲を100回弾けばうまくなるが、
英語を話すことは即興演奏みたいなものでそんなにたやすくない。
しかし英語もカルチャー。文法や音読なんてやらずにフリーカンバセ―ションか
海外旅行英会話を習いたいのだ。
ネイティブ講師で生の英語になれ、晴れ舞台は海外旅行。
"May I help you?"
"No,I'm just looking"
"How much?"
ぐらいでも 通じれば嬉しいのだ。
ま、この程度を話すためなら
簡単アレンジのポピュラーピアノ曲を習得するぐらいの練習でいいだろう。
儲けるにはやはり外人講師とのくっちゃべりをメインにした教室なんだろうか。
それが顧客ニーズというものか。
歩み寄りが必要か。
日本人の私が英語を教えると、
ときに「これは英語でなんというのか」の質問攻めにあい、
まるで辞書のようにこたえられないと「講師の英語対したことない、やっぱりネイティブに」と思われてしまう。
いや、まー、私の英語力がたりないのだが。
私は辞書じゃないし知らない単語もいっぱいあるんだー。
私のやりたいのはばりばりの基礎練習を中心に置いたものだ。
その上で英作=英会話もある。
フォームを覚えないテニスは上達しない。
フォームは絶対必要だ。
しかし フォームなど習いたくない客が多いのだ。
ラジオをききながら書いている。
基礎英語2で 基本文→質問形→否定形のプラクティスをしている。
ラジオ英語講座も変わってきているのか。 1週間ほどきいてみるか。
おっと、英会話入門がはじまった。
楽しく語学にはもってこいの講座だ。
彼は実力ももちろんだが、顧客ニーズをよく掴んでいる。
今だ休養中でぼちぼちプライベートに教え始めるところ。
受基礎をしっかり身につけたい中学、高校生をと
知り合いの子供を実験台に プランを練りなおす。
中学生は教えたことがないのだが 中間期末対策もやらなくちゃならないのだろう。
Naimaさんはまだ続けてらっしゃいますか?
村田さんは期末対策もしているのですか?
新年度そうそう弱音ですみません。
Jackie英語まわりのわからんじんの人達とまた格闘したり、
終りのない英語力向上に時間をさくより
おとなしく家業の雑貨屋をついだほうが精神衛生上いいぞ。
【9718】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】05/04/05 3:01
【 発言者 】村田
村田は特に期末中間試験の対策はしてません。
(根石さんがそういうことをしてないので、当たり前といえば当たり前
ですが)
中学生に対しては、教科書の技法グランド及び教科書ガイド。
高校生に対しては、基礎問題集〜長文読解(素読舎の教材)。
ただし、中学生に一人、文法をしっかりやりたいと希望している人
がいるので、その人は教科書技法グラウンド+教科書ガイド
+ABCD(素読舎教材)をやっています。
範囲の決まっている試験は要領がいいやつがいい点をとりやすかっ
たりするわけで、あんまりそれは重視していません。
範囲が決まっていない試験、たとえば、中学生だったら、3年次の
1〜3年の全範囲の試験。
高校生だったら、全国模試など。
それに照準を合わせるように言います。
というか、それに通用する実力をつけるようにコーチします。
ただ、期末試験なんかそんなに気にしなくてもいいよ、というと、
普通はかなり拒否反応が来ますので、それを説得するコトバを持
つこと、また、説得できる信頼関係を築くことがとても大切です。
【9721】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】05/04/05 11:09
【 発言者 】Sumie
この3月で英語塾は閉めましたが、期末対策とか高校生の宿題対策とかをやってました。
もともとは「英会話」塾だったんですが、「せんせ、助けて」とメールや電話が入るとつい情にほだされて「補習」として宿題を手伝っていました。 無料の授
業はやらないに越した事はないのですが、12〜15年も通い続けている子供達もいて、もうわが子状態になっており、見るに見兼ねて手伝ってしまっていまし
た。 手伝う度に、子供が可哀想やで〜、と高校の先生達にフツフツと怒りが湧いて来ます。
中学生はまだしも、英語科の生徒達は本当に手に余る宿題やノルマを課されていました。 それも高校2年生に「安楽死」だの「憲法第9条」の是非などをテー
マに、ディベートをさせるとか、BSで放映されているアクターズ・スタジオの「トム・クルーズ自身を語る」などのディクテーションなど、その上にNHK
「レッツ・スピーク!」のノルマ(これは毎週小テストで修得度をチェックされます)、しかもオックスフォードの「本の虫」シリーズのペーパーバックを読む
ノルマもあり、「フォレスト」「ネクステージ」などの文法本をノートに整理する(これ、いつか「大風呂敷」に書きましたね)、データベース5500の単語
を覚える、などなど。 ライティングをやらされている生徒もいましたが、ネイティブ・スピーカーの高校生達用のテキストを使っていました。 7册くらいの
テキストを持っているのがふつうでした。 せめて文法本や単語集の覚え方、効果的な学習法などを教えてやってくれていたらいいのに、と思うのですが、生徒
は整理したノートを提出し検印をもらい、テストでチェックされるだけなので、どう手をつけたらいいのか右往左往するだけです。 「レッツ・スピーク」のダ
イアローグをシャドーイングしろだぁ〜? 発音もろくに教えられないで、シャドーイングもないだろうが、と思います。
単語問題集については、「1000」の回転読みを真似てやらせました。 無料電話レッスンです。電圧装置を作らせるべきだったな、と先日の村田先輩の投稿
を見て悔やまれました。 しかし、そういう時間的余裕も子供達にはなかったでしょう。
旅行英会話もおぼつかない生徒達にディベートなんかやらして出来るのか、と不思議でなりませんが、教育委員会だかなんだか知りませんが、偉いさん達が見学
に来ると言うと、通常の授業をないがしろにしてでも、ディベートなどをやらせようと躍起になってたみたいです。
最近は、留学経験者とか英語も準1級や1級、TOEIC900以上(んなもん、なんぼほどのものでもありませんが)などの先生達が多くなって来ていると聞
きますが、もっと下に降りて基礎的な学習法を教えてやって欲しいと思います。 単語の覚え方1つ、きちんと教えてやらないで、何がディベートか、と思うの
です。 もともと日本語でも考えていない様な事を、インターネットや新聞記事の英語をつぎはぎしてでっちあげた文などを原稿にして読みながらのディベート
などに何の意味があるのかと思います。
零細塾の講師などがフォローしてやって、やっとの事で形をつけて宿題や課題を提出している生徒がいる事を、先生達、わかってはるんやろか、と思います。
ちょっとええかっこしすぎです。
さらに、高校2年生で英検2級は取得するよ〜に、と言うお達しもあります。 対策など、何もなし、で、です。
なんでそんなに「盛り沢山」でないといけないんでしょうか?
【9723】
【タイトル】英語の話ではありませんが…
【 日時 】05/04/07 2:26
【 発言者 】いくこ
この春休み、
うちの塾生(小学生)が、親御さんの実家に帰省し、
おじいちゃんや、おばあちゃんと過ごしたようです。
そこで、たまたま般若心経の話がでて、
諳んじてみせたら、
おじいちゃんがすごく驚いて誉めてくれたそうです。
塾生は「やっててよかった」と言っていました。
ほかにこれも偶然ですが、
まえにも同じようなことを言っていた塾生がいました。
やはり、おじいちゃんが感心してたそうです。
こんな話を聞くと、
やっててよかったとつくづく思います。
【9724】
【タイトル】あ、書き忘れましたが…
【 日時 】05/04/07 2:28
【 発言者 】いくこ
「やっててよかった」というのは、
日本語の素読のことです。
【9726】
【タイトル】根石さんの過去ログより
【 日時 】05/04/11 11:09
【 発言者 】sb
(根石)>「媒介」と「同化」とはとことん違う。思想の姿勢が元から違う。
音声にも文字にも「個別化」が可能な共通要素なるものがある。
一方、その共通要素なるものを大方含みながら表現する段階においては「個性」がにじみ出る、
いわゆる「記号」としての音声や文字がある。
何処かで目にした具体例をあげる。文字なら、「B」が前後関係により「13」に見えるか、「B」に見えるかということ。「ライト」が「light」なのか
「right」なのかという例になる。
「法則(共通要素、つまり個別化が可能な領域)」が「個性」でコーティングされるのが「言語」の本質ではないだろうか。
記号としての個性の中に、個別化が可能な共通要素がある。
それが根石さんがおっしゃっている「媒介」という言葉なのかと感じた。
それが「同化」の場合、辞書や言い伝えが不変となってしまう。発展性が全くなくなってしまう。
伝言ゲームが、記録媒体の再生になってしまうのだ。
それはヒトの法則からして間違っている。ヒトは日々変化するものだ。
コトバも変化するからこれをうまく説明することが難しいが、「原理派」は「実践派」であり続けながら、「原理」を追求していくしかないのだ。
【9729】
【タイトル】sbさん
【 日時 】05/04/12 3:31
【 発言者 】根石吉久
「媒介」・「同化」の問題と、「個別化」やら「個性」やら、記号やら、言語の成り立ちやらとは
ひとまずは何の関係もありません。
「同化」は、「英語フリーク」や「文化的植民地根性」の英語によく見られる性質であり、「媒介」は、英語を一語学としてさっぱりと洗い出す時にみつかる一
人の人間の心の姿勢(主体性)の
問題です。
【9738】
【タイトル】村田さん
【 日時 】05/04/14 16:31
【 発言者 】Jackie
村田さん
>範囲が決まっていない試験、たとえば、中学生だったら、3年次の
1〜3年の全範囲の試験。
高校生だったら、全国模試など。
それに照準を合わせるように言います。
というか、それに通用する実力をつけるようにコーチします。
ただ、期末試験なんかそんなに気にしなくてもいいよ、というと、
普通はかなり拒否反応が来ますので、それを説得するコトバを持
つこと、また、説得できる信頼関係を築くことがとても大切です。
そうですね。中間期末に標準をあわせて 付け焼刃な指導をしても本当の力がつかない。
そこのところをもうちょっと長い目でみれるように説得をする言葉が必要なのですね。
点数勝負小手先のテクニックより基礎力をつけることが近道とわかってもらわなければ。
「英会話」のとき この基礎力をつける重要さをわかってもらえず辞めていってしまった人もいたので 難しく感じています。
信頼関係を築くには実績を上げていくことが先決。
まずは小さな実績を築くよう努力します。
【9739】
【タイトル】Sumieさん
【 日時 】05/04/14 16:57
【 発言者 】Jackie
>中学生はまだしも、英語科の生徒達は本当に手に余る宿題やノルマを課されていました。 それも高校2年生に「安楽死」だの「憲法第9条」の是非などを
テーマに、ディベートをさせるとか、BSで放映されているアクターズ・スタジオの「トム・クルーズ自身を語る」などのディクテーションなど、その上に
NHK「レッツ・スピーク!」のノルマ(これは毎週小テストで修得度をチェックされます)、しかもオックスフォードの「本の虫」シリーズのペーパーバック
を読むノルマもあり、「フォレスト」「ネクステージ」などの文法本をノートに整理する(これ、いつか「大風呂敷」に書きましたね)、データベース5500
の単語を覚える、などなど。 ライティングをやらされている生徒もいましたが、ネイティブ・スピーカーの高校生達用のテキストを使っていました。 7册く
らいのテキストを持っているのがふつうでした。
もりだくさんであぶはちとらずですね。
それよりも基礎力と勉強の仕方を教えろ!
>せめて文法本や単語集の覚え方、効果的な学習法などを教えてやってくれていたらいいのに、と思うのですが、
自分で学習する力を身につけさせることが先決なのに
辞書の使い方もあまりおしえていませんね。
中学レベルの辞書を使いこなすこともしていないのに
高校に入ると字が小さく分厚い辞書になる。昔の辞書よりはかなり見やすくなりましたが
中学用の辞書は本当ばかにできません。 あれで英作をすると役にたつし
動詞の概念がわかりやすい。
しかしガイドに頼って ガイドに乗ってる単語の意味しか覚えない。
辞書を引かないから英語の面白さがわからない。
それなのに 高校用の辞書を使いはじめてなお英語がわからなくなる。
英語科に入る生徒は英語が好きで得意な生徒がおおいでしょうから
またちがうかもしれませんが 一般の中学生はそんな感じと推測。
いや 私自身が英語の虎の巻の単語の意味と本文をたよりにして辞書をまったく引かなかったです。周りの友人もそんなのが多かったので。英語の成績は2。
>生徒は整理したノートを提出し検印をもらい、テストでチェックされるだけなので、どう手をつけたらいいのか右往左往するだけです。
「レッツ・スピーク」のダイアローグをシャドーイングしろだぁ〜?
発音もろくに教えられないで、シャドーイングもないだろうが、と思います。
>もっと下に降りて基礎的な学習法を教えてやって欲しいと思います。
単語の覚え方1つ、きちんと教えてやらないで、何がディベートか、と思うのです。
もともと日本語でも考えていない様な事を、インターネットや新聞記事の英語をつぎはぎしてでっちあげた文などを原稿にして読みながらのディベートなどに何
の意味があるのかと思います。
零細塾の講師などがフォローしてやって、やっとの事で形をつけて宿題や課題を提出している生徒がいる事を、先生達、わかってはるんやろか、と思います。
ちょっとええかっこしすぎです。
先生自身がそれだけの勉強をする時間があるのか予習しているのか疑問ですね。
日々の授業の予習と自分での勉強、生徒指導もあるのに。
生徒だって部活動もあれば塾もある。 たくさんのものが消化不良になってしまってもったいないですね。
あ、ラジオの英語早々脱落気味です。
英会話中級、レッツスピーク、英会話、基礎英語、テレビとチェックをしてましたが
聞かない日がでてきました。
毎年4月と10月になると血がさわぐのですが、いろいろやろうとおもうと結局挫折しますね。
やはりどれか1から2本に絞って しゃぶり尽くすのが結局の近道。
ラジオ英会話のダイアローグは結構な量がありますからね。
って私はこれでくっていくんだから 挫折しちゃいかんですが。
>「レッツ・スピーク」のダイアローグをシャドーイングしろだぁ〜?
レッツスピークのほかにもさまざまな宿題とテキスト おまけにリーディング、
そしてネイティブ高校用のテキストを使ったライティング。
アップアップでおぼれそうだ。 先生あほちゃうん?
【9740】
【タイトル】近々英語必修の時代が来る?
【 日時 】05/04/14 17:05
【 発言者 】Jackie
韓国では 英語熱がすごいそうです。
97年の経済危機があって、外資系の企業も増えたので
受験、就職に英語が必須に。
英語幼稚園、小学校からの英語の授業、 親の英語教育熱がすごい。
金融をアメリカ、ユダヤにのっとられた国は大変ですね。
日本にも何年か後には こうなるかもしれませんね。
郵政民営化の資金を 外資系生保が、ヘッジファンドが虎視眈々と狙っています。
日本にも金融危機がおとずれる可能性は大です。
その時には英語が必要になる。
「英会話」熱ではなく英語の実力、基礎力をつけたいと願う人が増える時代。
願わくばそんな時代はきて欲しくない。日本語で学び生活できることはとても幸せなことです。
小学生はやはり日本語優先してほしい。幼稚園から英語、なんて頭が分裂しそうなことは止めて欲しい。(国債結婚バイリンガル家庭は生活言語が二カ国なので
別として。)
しかし皮肉なことにそれは英語業界にとっては追い風。
嬉しいような悲しいような。
【9742】
【タイトル】「文→声」⇒「声→文」
【 日時 】05/04/14 21:28
【 発言者 】sb
素読(文章を声を立てて読む)と、書き取り(声を文章に書きなおす)は、核づくりと実践の関係だと思いました。
【9743】
【タイトル】「正しい発音」と「きれいな字」
【 日時 】05/04/15 18:21
【 発言者 】sb
きれいな字とはどういうものなのだろうか。
正しい発音とはどういうものなのだろうか。
【9746】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】05/04/15 23:55
【 発言者 】根石吉久
>願わくばそんな時代はきて欲しくない。日本語で学び生活できることはとても幸せなことです。
小学生はやはり日本語優先してほしい。幼稚園から英語、なんて頭が分裂しそうなことは止めて欲しい。(国債結婚バイリンガル家庭は生活言語が二カ国なので
別として。)
私は現在の幼児英会話ばやりは、「効果がないから害もない」と考えてきました。
あれが効果があれば、今後この国の神経症の人口は急激に増えるはずだとも思っています。
これまでの「英会話」と同じで、幼児の場合にも決まり文句や挨拶だけで止まる分には害はない。週一回の教室で、「磁場」で暮らすことと同等のものが買え
ると考えている母親たちが、アホなだけです。
金を無駄にしていることには腹がたつが、「効果がないから害もない」。それだけ言っておけばたくさんだと考えています。
【9748】
【タイトル】Julian さん
【 日時 】05/04/16 0:13
【 発言者 】根石吉久
会議室に入ることを試していただいたようでうれしく思いました。
私の方が、当日手間取るかもわかりませんが、Buffolo の 716-566-6067 への回線が安定し
ていることが確認できましたら、今後はここでレッスンを継続致します。
なるべく「磁場」体験とレッスンで行うインプットとの関係をこの掲示板に書いていただくと
いうことを条件として(お時間のとれるときで結構です)、私の方に発生する電話代は私が負
担したいと考えておりますが、それでよろしいでしょうか。
また、私の「イメージ受肉」という教材によるレッスンもお奨めしたいと思いますが、こちら
も是非ご検討下さい。お忙しい方には、むしろこちらの教材を使ったレッスンがいいかと思い
ます。
「磁場」とインプットしたものを激突させることをしたいのだという自覚がはっきりある場合
は現在のレッスンのままがいいとも思います。ご一考をお願いいたします。
【9750】
【タイトル】媒介と同化
【 日時 】05/04/16 12:04
【 発言者 】sb
>(根石さん)「同化」は、「英語フリーク」や「文化的植民地根性」の英語によく見られる性質であり、「媒介」は、英語を一語学としてさっぱりと洗い出す
時にみつかる一人の人間の心の姿勢(主体性)の問題です。
「媒介と同化」の関係は「信頼と信用」の関係だと思いました。一人の人間のある時点において混ざり合うことはないが、どちらかを選ぶということで、主体性
の問題であるという表現は非常によく分かりました。
【9752】
【タイトル】sbさん
【 日時 】05/04/17 0:09
【 発言者 】根石吉久
>一人の人間のある時点において混ざり合うことはないが、どちらかを選ぶということで、主体性の問題であるという表現は非常によく分かりました。
「ある時点」で「どちらかを選ぶ」というようなことではなく、私は語学はあくまでも「媒介」する行為だと考えています。「同化」に流れるのは根性なしだと
も思っています。
【9755】
【タイトル】I 村さん
【 日時 】05/04/17 1:34
【 発言者 】根石吉久
レッスン開始されて2年くらいになったそうですが、レッスンを始められた頃に言われたことで私が覚えているのは、アメリカに野球を見に行って、言葉がまる
で通じないのでショックを受けたということでした。
今ではお子さんがおられるので、難しいかとも思いますが、今の時点で英語圏に渡って、自分の英語がどの程度に通じるのか、つまりどの程度に通じないのかと
言っても同じですが、それを確かめに行かれるチャンスがありましたら、是非それをつかまえて行ってこられることをお奨めしたいと思います。I
村さんがご自分でおっしゃる通り、「音については自信ができた」といっていい時期を迎えていると思います。2年でその時期を迎えられたのは、非常に熱心に
練習してくださったからです。短い方だと思います。私の生徒の一人である高校の英語の先生は、やはり同じ頃レッスンを初めて下さいましたが、今でも英語の
音が日本語の音に先祖帰りしやすいので、もう一年はかかるだろうとにらんでいます。仕事がやたらに忙しいことのせいだとも思います。
今一人で英語圏に旅などしたら、奥さんに怒られますか?
私としては、「まるで通じない」という段階と、「どれほど通用するか、あるいはどれほど通用しないか」という世界がまるで違う世界であることの報告を是非
お聞きしたいと思っています。
【9756】
【タイトル】今日のレッスンで訊きそびれたこと。
【 日時 】05/04/17 1:52
【 発言者 】どさんこK
初めて書き込ませていただきます。
現在高校三年生です。根石さんのレッスンは今日で4回目でした。
お尋ねしたい事というのは映画『ゴースト』についてです。
ラブコメというキーワードを得てもネットではなかなか絞り込めないので詳しく載っているHP等を紹介して欲しいです。
シナリオを読んでもどんな映画なのかいまいちよくわからないので・・・登場人物やどんな場面かがわかるとやっていることがスムーズに理解できると思いま
す。
宜しくお願いします。
根石さんに勧められたので、数回のレッスンで感じたことを少し書きたいと思います。
最初のレッスンが終わった後は口や舌がだるくて「口も疲れるんだ!」と新たな発見をしました。
レッスンを受ける3ヶ月以上前に根石さんの著書を拝見し、自分なりに努力をしてきたつもりでしたがとにかく甘かったと思いました。
気まぐれにやっていた音読を毎日やるようになりたい、受験のために英文を覚えるツールが欲しい、と半ば「自分の堕落の歯止め」のためにレッスンを受けたの
ですが予想以上に見返りがありました。
発音はまだまだ良くはないのですが、定期的にチェックして貰う形で音読を行うというのが適度な緊張感を伴って英語学習を支えていてくれます。
次に受ける時までにもっと上手くなってやろうと思います。
「前回は1pしか進まなかったけど今回は2p進んだ」はすんごく嬉しい。
逆に「前回言えてたことが今回言えなくなってる」というのは明らかに怠慢であり、恥ずかしいことだと思います。
レッスンを受けた後では「こんなに繰り返してもまだ足りない、まだ全然染みこんでいない」という感覚が常にあります。
たった30分のレッスンであれだけしゃべらされる(笑)事を考えると自然と自分の学習にも厳しくならざるをえません。
30分でも集中しているとあっという間です。ぼんやりしていると直ぐ終わってしまいます。
この短い時間の中で学び、吸収しなければならない(時間もお金も勿体ないから)ので辛そうだと思うかもしれませんが
私はこのレッスンをやってて良かったなと早くも感じ始めています。
教えを受けたいと思う人から教えを受けれることなど滅多にないので、本当に有り難いと思います。
根石先生、これからも宜しくお願いします。
(この文章あまりまとまって無くてすいません。)
*今日「読み方少し変わったね」といわれたのが良い意味ならすんごく嬉しいです。
【9771】
【タイトル】どさんこKさん
【 日時 】05/04/19 3:44
【 発言者 】根石吉久
お返事が遅れて申し訳ありません。
>ラブコメというキーワードを得てもネットではなかなか絞り込めないので詳しく載っているHP等を紹介して欲しいです。
シナリオを読んでもどんな映画なのかいまいちよくわからないので・・・登場人物やどんな場面かがわかるとやっていることがスムーズに理解できると思いま
す。
まあ、ラブコメって言いますが、ラブの方は Sam と Molly がやっており、コメの方は Oda Mae
がやっており、ラブコメとしての出来はそんなによくないので、ラブコメっていうジャンルが適当かどうかはそんなに自信がありません。むしろ、ラブストー
リーと端的に言うのがいいと思いますが、で、ネットで何を絞り込んでおられるのかわからないでいます。
ビデオとかDVDを探しておられるということでしょうか。登場人物や場面を知るには、現物の映画を観るのがいいと思います。「ゴースト」と「ニューヨー
クの幻」というキーワードで探してみられてはどうかと思い付きました。「ニューヨークの幻」というのがサブタイトルになっています。私も、実は、DVDを
中古で探しています。コンピュータを新しくしたので、DVDが欲しく、ブックオフという古本兼ビデオ・古CD・古DVDを扱う店の店員さんと親しいので、
探しておいてくれやと頼んであります。新品で買っても、DVDなら1500円から2000円くらいのもんではないでしょうか。私は貧乏なので、1000円
以下でねらっているだけのことです。なにはともあれ、ビデオかDVDを入手なさることをお奨めします。
>最初のレッスンが終わった後は口や舌がだるくて「口も疲れるんだ!」と新たな発見をしました。
そうです。私が大学浪人をしていたときは、「口の筋肉もぎりぎりと痛くなるんだな」という発見をしました。
どかどかやって下さい。
>発音はまだまだ良くはないのですが、定期的にチェックして貰う形で音読を行うというのが適度な緊張感を伴って英語学習を支えていてくれます。次に受ける
時までにもっと上手くなってやろうと思います。
うん。「なってやろう」という意志がうれしいです。持ち続けて下さい。
>「前回は1pしか進まなかったけど今回は2p進んだ」はすんごく嬉しい。
逆に「前回言えてたことが今回言えなくなってる」というのは明らかに怠慢であり、恥ずかしいことだと思います。
レッスンを受けた後では「こんなに繰り返してもまだ足りない、まだ全然染みこんでいない」という感覚が常にあります。
たった30分のレッスンであれだけしゃべらされる(笑)事を考えると自然と自分の学習にも厳しくならざるをえません。
怠慢は、私にもあり、皆さんにもあり、まあ、普通のことです。ですが、大学受験という場面では、特にねらう大学がはっきりしている場合には、怠慢は敵に
なるわけで、敵を迎える力は若い人の方が圧倒的に持っているわけで、どんなもんでしょうね、敵はやっつけてみては。是非そうしたほうがいいというのではな
いですが、想定したものを実現することはいいことですから。
「あれだけしゃべらされる」というのにびっくりされた方が他にもおられました。私の新しいコンピュータの設定をいろいろやって下さったキムタクという渾
名の方です。私が古いコンピュータの画面を見ながらレッスンをしているのを、隣で新しいコンピュータを操作しながら聴いておられたのですが、一人分のレッ
スンを終えたとき、「ものすごく濃い30分ですねえ」と感嘆されました。私は疲れていたので、「ふう」とお返事してしまいました。
>私はこのレッスンをやってて良かったなと早くも感じ始めています。
うん。始めたばかりの頃は、そう思われる方が多いです。しかし、途中で、こんなことちんたらやっていていいのかという疑問が必ず生じます。その時が大事
です。ちんたらがとても大事です。受験では、どかどかと覚える、一挙にでっちあげるというのが大事ですが、英語の練習を持続させていくにはちんたらがとて
も大事です。
ちんたらと着実に、「空っぽの電池」を増やしていって下さい。「空っぽの」という概念はなかなかわかっていただけない概念ですが、要するに「音と意味が
相互にお互いを瞬時に呼び出す」ことができるようになった文が「空っぽの電池」です。意味が伴わないで音だけのインプットである場合も、素読を原理として
いる練習ですから、まったく肯定されます。先日も申しましたが、「まずは音」だと言っているのは、あまりにも日本の英語教育の世界で「音」がおろそかにさ
れているという現実を踏まえた戦略によるものです。「音」が先でも「意味」が先でもいい。最終的にそれらが一体化することが眼目です。
IP電話あるいは光通信を利用して、レッスン代金を下げる方途は探り続けていきますので、どうか長くこのレッスンを続け、「空っぽの電池」をなるべく多
く体に持ち、留学(「磁場」体験)なさることをお奨めします。あ、その前に大学受験をやっつけなければいけませんね。先走る話はちょいと棚上げしときま
しょう。
>教えを受けたいと思う人から教えを受けれることなど滅多にないので、本当に有り難いと思います。
こちらこそ、ありがたいことだと思っています。私は受験生が好きですので、受験と私のレッスンを両立させようと考えてくださったことに感謝しています。
>今日「読み方少し変わったね」といわれたのが良い意味ならすんごく嬉しいです。
良い意味です。2,3ヶ月もすれば、非常にいい音が穫れると思っています。がんばってください。
【9773】
【タイトル】根石さんへ
【 日時 】05/04/19 22:53
【 発言者 】kaoki
相変わらず反骨精神で頑張っていらっしゃるのを拝見しますと、こちらも勇気が出てきます。
実は、心臓近くの大動脈が2度も破壊しかかったので、臥せっておりました。1回目は救急車で運ばれて救命救急番組(ER)と全く同じ状態。運ばれて即、開
胸手術14時間、無事回復して、1年後再発、またまた開胸手術で12時間。2度とも、生体浮遊は経験せずじまい。残念!・・・と今だから言えますが。そし
て、今、胸の奥で機械式大動脈弁がどくどくと音を立てております。
其の後、機械式弁の表面で血の塊が出来ないように毎日呑む”ワーファリン”が効きすぎて(塊が剥がれて脳の毛細管へ行くと脳梗塞となる。それを防ぐ薬)、
脳幹出血。ここがやられると、呼吸がストップして一巻の終わり。でも、幸い、毛細管のうんとわずかな出血だったため、この世に留まりました。そんな頭の中
の”パイプから液漏れする”という物理現象が、心という精神の世界では、”不思議な映像に変換されて天井に映る”のだということを発見しました。だから、
物理現象と精神活動は表裏一体だということが理解できました。つまり、精神だけが独り立ちして存在しえるものではないということです。つまり、幽霊は居な
いと言うことです。心臓出口の機械式弁が開閉することによって血液が体内に誤り無く送り込まれるという物理現象が、こういう掲示版にもにゃもにゃと書き込
む精神力を生み出させていると言えましょう。でも、これは「躁」状態がそうさせているのかもしれません。何が何やら分からなくなったので、この辺で、筆を
置きます。そうです、そうです、メール・アドレスは公開しないほうが良いです。
【9777】
【タイトル】kaoki さん
【 日時 】05/04/20 0:53
【 発言者 】根石吉久
そんな大病をなさっていたんですか。
英語に深入りされた方に心身の不調を訴えられる方が多く、kaoki
さんもその程度のことだったのかと思っておりましたが、そんな大病だったとは・・・。
私は現在、肩こり程度の不調ですが、一時耳鳴りなどもあったことがあります。知り合いの方にはスピードの速いシャドウイングをやり、英文を読むにも日本語
を読むにもどもるようになってしまった方もおられました。英語という語学はかなり神経にはさわるもののようです。そういうわけで、kaoki
さんも神経系の不調だったのかと思ってしまったのですが、そんな大病だったとは・・・。大事になさってくださるようお願いします。
>そんな頭の中の”パイプから液漏れする”という物理現象が、心という精神の世界では、”不思議な映像に変換されて天井に映る”のだということを発見しま
した。だから、物理現象と精神活動は表裏一体だということが理解できました。つまり、精神だけが独り立ちして存在しえるものではないということです。つま
り、幽霊は居ないと言うことです。心臓出口の機械式弁が開閉することによって血液が体内に誤り無く送り込まれるという物理現象が、こういう掲示版にもにゃ
もにゃと書き込む精神力を生み出させていると言えましょう
ご自分の身体を土台に身体と精神の相関を論じられたこの部分を(大病された方には申し訳ないながら)、大変興味深く読ませていただきました。これは一種
の唯物論と読まれるおそれがありますが、kaoki
さんが正確に言われているように、物理現象と精神活動は「表裏一体」だという言い方で言い切られていると思いました。精神活動が表で、脳内物理現象が裏
で、しかしそれらは「一体」の分離不可能なものだということだと思いました。「幽霊はいない」。幽霊とは、生きている人間の精神活動そのものが根になって
生じている枝だと思っております。「死ねば死にきり。自然は水ぎわだっている」(高村光太郎)。引用は文字で覚えていないので、誤記のおそれがあります
が、そういう言葉があり、これは人間が「生きている間の」輪廻転生を断ち切ってくれる言葉なのだと私は読んでおります。精神活動を核とする「死後」はな
い。それは大いなる救いだと。うかがいしれない複雑で微妙で、露骨でありながら見えない物理現象によって、また新しい生命が生じ、そこに「私」がまたいる
ということはあるのかないのか。ないとすれば、なんで今、ここに「私」なんかってものがいるのか。そういう疑問は、中学生の頃からあるのですが、わけがわ
からなくなるばかりです。いずれにせよ、「死後」というものは、物理現象に解消された世界であり、その世界は「生まれる前」の世界と同一なのではないか。
輪廻転生は「生きている間」の人間にとってまったく真実だが、物語としての「死後」に適応する宗教の行為はまったく拒絶したい。冗談じゃない。精神なんぞ
というしろものが、死後にまで持続してたまるか。もし、持続することがありうるならば、書いた文字の中にだけだ。「書く」という行為はそういうものだと
思って書いております。一生を費やしても、有象無象の雑多な書き物のひとつにしか過ぎないのですが、自分の書くものの「その後」はどうなろうと、たとえ
ば、今古典を読んで感動することがありうるというのは、それが「書き物」として残ったからだという「物理現象」は打ち消せない。書かない人たちの生涯とい
うものは、植物のようにゆらぎ、伸び、花咲かせ、種を残すだけの、柔らかくやさしい生涯なのだと、書く者の一人として考えることがあります。どんなむごた
らしいことがあろうと、波瀾万丈であろうと、書かない人たちの生涯はやさしいものなのだ、と。書く者にある鉱物質の「生前の死」を知らない人たちのほうが
やさしいに決まっている。
いや、私もわけのわからないことを言い始めました。多分、いつもながらの酔っぱらいのせいです。
【9783】
【タイトル】「空っぽ」について
【 日時 】05/04/20 2:15
【 発言者 】根石吉久
>ちんたらと着実に、「空っぽの電池」を増やしていって下さい。「空っぽの」という概念はなかなかわかっていただけない概念ですが、要するに「音と意味が
相互にお互いを瞬時に呼び出す」ことができるようになった文が「空っぽの電池」です。意味が伴わないで音だけのインプットである場合も、素読を原理として
いる練習ですから、まったく肯定されます。先日も申しましたが、「まずは音」だと言っているのは、あまりにも日本の英語教育の世界で「音」がおろそかにさ
れているという現実を踏まえた戦略によるものです。「音」が先でも「意味」が先でもいい。最終的にそれらが一体化することが眼目です。
酔っぱらって(失礼!)書いたものを、今日再度酔っぱらって読んでみましたが、昨日の方が頭が混乱していて、わけのわからんこと書いてるという感想を自
分の書いたものに持ちました。
「空っぽの電池」という場合の、「空っぽ」について書いておきたいと思います。
「音と意味が相互にお互いを瞬時に呼び出す」ことができるようになった状態の文ひとつをひとつの「電池」と考えていますが、この状態の電池は、「充電可
能な電池」であるが、「空っぽ」なのです。なぜ「空っぽ」かと言うと、これらの文のことごとくが、「机上の」文であり、あらゆる文に対して、「自分」が、
あるいは「私」が、言葉の当事者ではない。それらの文は誰か他人の文であり、語学とは「他人の文」を習うことであり、ついにそれらの言葉の当事者にならな
い(なれない)行為だからです。これは原理であり、誰も逆らうことができません。「当事者みたい」になることはできる。映画の文を映画の俳優が言っていた
のと同じようなイントネーションや感情を模して言ってみることはできる。これはしかし、たった一人の演劇行為であり、他人の意識を模写している行為です。
「机上」という舞台で演じられるだけの、観客のいない芝居なのです。決して、「磁場」における生活言語のような、「当事者性」はそこに生じません。
この状態をさして、私は「空っぽの」と言ってきました。
「音と意味が相互にお互いを瞬時に呼び出す」ことが成立してもなお、これは「空っぽ」なのです。そして、この「空っぽ」だという語学における文の原理的
な性質をこれまできちんと言った言説はありません。
みんななんとなく、「机上」の練習が進めば進むほど、ネイティヴの連中がネイティヴ言語として意識しないで使っている「ぺらぺら」度に達すると幻想して
いる。そんなことはありえない。ありえないと言い切ってしまうことが精神の健康のためにいいことですし、逆らいようのない原理に逆らわないで済ませること
です。ここがわかっていないだけで、どれほどの鬱屈や劣等感が英語という言語の回りに「不快な湯気」として立ち登ることでしょう!
とりわけ、シンタックスが逆立している日本語の「磁場」において、それらの湯気は、「文化的植民地根性」や、「英会話サークルのホストクラブ化」や、外
人につきまとう「金魚の糞」を生じさせています。私はこれらを「馬鹿」の一言で片づけてきた一方、その醜く不快な湯気たちを立ち登らせる「戦後装置」をに
らんで、自分の語学論を考えてきました。
「音と意味が相互にお互いを瞬時に呼び出す」ということが、「充電可能」であるという電池の性能を言っています。これを「音と意味の同致」と言ったこと
もありますが、どっちの言い方も、「充電可能」な電池であると言うことを言っています。
「音と意味」がばらばらであることは、語学の入門期や、練習の初期にはあります。だから、これを根拠とすれば、「音」は音だけで練習することが可能であ
り、「意味」は意味だけを考えることが可能です。しかし、それは最終的には、「同致」させなければならない。「音と意味が相互にお互いを瞬時に呼び出す」
ことが成立するだけの練習に持ち込まなければならない。そうでなければ、「空っぽ」であるだけでなく、「充電不可能」の電池ができてしまう。
「意味」と合体させるだけの価値のある「音」を身につけようとしない受験英語の文がインポテンツであるのは、私の造語による「同致」が欠けているからで
す。また、音楽から英語の音に入った方や、「音読だのみ」の方にみられる現象ですが、音だけがあって、それに意味が伴わない場合も、「同致」が欠けていま
すから、これも「充電不可能」な電池です。
二度手間ではありますが、受験英語で作った英語の知識量にまともな「音」をかませること、あるいは「意味」が伴わない「音」の速度をゆるめて、(各生徒
さんの自分の)意識に「意味」を生じさせるための方法を伝えること、これが、私が「電話でレッスン」で行っている療法です。これは、また語学の対象として
の言語が、「空っぽの(死んだ)言語)」なのだということの認識を持っていただくためのレッスンでもあります。つまり、英語のスキルの基礎を作るだけでな
く、生徒さんに「語学論」を持ってもらう。神経症や金魚の糞や文化的植民地根性を生み出す言語を語学の対象にするのであれば、これは必要な方策です。
「空っぽ」理論や、「同致」理論によって、スピード信仰によるシャドウイングで生じた「どもり」を治したことがあるので、私の方法は、「療法」だと言っ
ていいと思うようにもなりました。
日本の、いや世界中の、語学の練習者に欠けているのは、「空っぽの言語」や「死んだ言語」に対する認識なのだと思っています。
【9797】
【タイトル】根石さん、柴田さん、Naimaさん村田さん、いくこさんらのおかげです。
【 日時 】05/04/21 17:11
【 発言者 】sb
根石さんの最近の書きこみ
「空っぽ」について
を読みました。
記号としての言語の側面、意味としての言語の側面、記号と意味の一致<同致>、語学としての電池の充電について、語学はモデルが存在しないと練習できない
こと(モデルで柴田さんを思い出しました)、練習して同致に至ったとしても充電池が充実しただけであるということ、などが改めて整理できました。
【9805】
【タイトル】むやみやたらな帰国子女批判にむかつく
【 日時 】05/04/25 2:43
【 発言者 】いくこ
今日、素読舎(根石塾)が終わった後、
塾生がこの春入学した某県立高校の
国際なんとか学科の話が聞こえた。
聞き耳をたてていたわけではないが、
その世間話がたまたま聞こえてしまったので、
ゆるしてもらいたい。
その学科に帰国子女が多いのかという質問は、
以前に私もその塾生にしていたので、
ああ、いろんな人間が面白半分に
同じような質問をしょっちゅうするのだろうな
と推察した。
その世間話の中で、
過剰な帰国子女批判が気になった。
言っておくがその塾生が批判したわけではない。
私も帰国子女の中に、
外国語を自在に操れることや
海外生活をしてきたことを、
「自分は日本人とは違う。
あなたたちより国際人としての
プライオリティが高い」
という意識をちらつかせる輩がいることも
承知している。
しかし、
そうではない人間もいるのだ。
海外生活経験や英語が堪能なことは、
そのひとにとっての「ひととなり」に関わるものであり、
それも人生を豊かにする要素となりうるものであるから、
決して他人が否定すべきものではない。
それこそ人それぞれのことなのである。
また、日本人であることを大切にしているかは、
その家庭の教育によるものも大きいに違いない。
同じ事をくりかえすが、
ある種の「帰国子女」の中には、
英語がしゃべれることを
自分がひとりで身につけたものと思いこみ、
それをことさら
「他の日本人より優れている」
と錯覚し奢る馬鹿者がおり、
その帰国子女を見て
劣等感と不快感と羨望を感じる
馬鹿な在来日本人がいる。
逆に言えば、
それだけのことにすぎない。
ただ、
吐き捨てるように
「帰国子女というものは…」
と語る言葉が
彼が知りうる
ある特定の人物をことさら想定しているとしか思えない点が
非常に不快なのである。
その乏しいサンプルでもって、
ステレオタイプな「平均値」あるいは「代表値」を語るのは、
あまりに軽率である。
それは、発言者の世界観の小ささと、
卑屈さを逆にさらしてみせただけに過ぎない。
今、都市生活をおくるものは、
全世界的にそれほど文化的なバイアスは
少なくなっている。
日本にいても、
世界から遅れているということは、
それほどない時代になっている。
日本に育って
日本語に重きを置いて生活していることを自然と思い、
文化的に豊かにくらすことに
ある程度の満足感を持っていれば、
帰国子女の持ち込んだ風を
「それは、それ」
と、
受け流すことなどたやすい。
たまたまその帰国子女の個性、
ですむことだ。
また、
今の高校生達はその程度にしか
とっていないかもしれない。
いずれにせよ、
日本で育ってきたバックボーンと、
素読舎で鍛えている英語を
活かすも殺すも、
塾生次第だということは忘れてはならない。
【9806】
【タイトル】妄想をするならもっと楽しい妄想をしてほしいもんだ。
【 日時 】05/04/25 18:41
【 発言者 】村田
「むやみやたらな帰国子女批判にむかつく」と題された記事は、おそらく村田のことにふれていると思われるので、一言書いておきます。
いや、むしろ、村田が、こんないいかげんで雑な議論をしているかのように錯覚させられてしまうようなガセネタを、村田自身の手で過去ログという形で記録に
残すのは極めて不本意なので、訂正しておきます。
昨日、確かに帰国子女に関する話はしました。
しかし、その経緯は、「むやみやたらな帰国子女批判にむかつく」なる文章を書いた者の「妄想」とは全く異なるものです。
(この筆者は、自分に都合のいいことしか聞き取らない・見ない人ですから、当事者からしてみれば、それは筆者の妄想としか思えません。筆者さんは当事者に
聞いてみるといい。私は今回確認をとりました。ですから、あえて、「妄想」としるします)
=======
ウチの塾生が学校で発音をほめられました。素直にがんばって練習したから当人も村田もうれしかった。
その子が「同い年でまわりに英語をしゃべれる人がたくさんいるのはどんな感じなのかな?」と聞いてきました。村田はそういう環境をよく知らないので、国際
学科の子ならそのまわりにいわゆる帰国子女がたくさんいるかな?と思い、当の塾生にたずねてみたまでです。
そんなことがなければ、帰国子女がたくさんいるの?などと訊きませんわ。
村田は面白半分に訊いてはいませんよ。少なくとも、元記事の筆者さんほどには。
さて、「帰国子女」批判についてですが、確かに村田は「帰国子女」批判みたいなことを言うときはあります。しかし論ずるにしても、「『帰国子女』というも
のは」などというおおざっぱで雑なくくり方はしません。(2年ほど前ならともかく、少なくとも現在はそんな雑なくくりはしませんね)
さらに、あの場では、「帰国子女批判」など出ていませんでした。これもこの筆者の妄想です。あの場での議論は、「日本語をぺらぺらまくしたてることができ
るのが日本語能力があるということではないよ」ということでした。
お互い日本語しゃべってても、話が全然わからない、という話は、この掲示板でも以前に何度か出たと思います。あの場では、その種の話になったのです。それ
は、ネイティヴ日本人についても言えることだということも想定された話でした。
そうすると、「むやみやたらな帰国子女批判にむかつく」なる文章における一連の「帰国子女」批判・批判は、全く無意味です。根拠が筆者の妄想ですからね。
ここでいえることは、かの文章は、この筆者の、村田に対しての内面の投影だということです。つまり筆者は自身の内面をはからずも暴露しているわけです。な
ぜわたしがそう考えるのか。それはこの筆者が以前、私以上に「過剰な」ものいいをしていたのを知っているからです。ですから、この筆者の書いた文章は、そ
のまま、筆者にお返しいたします。
【9817】
【タイトル】では、私も訂正しましょう。
【 日時 】05/04/30 1:29
【 発言者 】自分に都合のいいことしか聞き取
まあ、これ以上触れないでおくのが利口な人間だとは思いますが、
過去ログというかたちで記録を残す方によって、
手を加えられて記録に残るのはきわめて不本意なので、
私も若干訂正させていただくこととします。
ちなみに、
私は、あの場の会話が『いいかげんで雑な議論』だったとは、実は、思っておりません。
もしそうお思いになるなら、そうとらざるを得ないなにかが「彼」の中にあったのでしょう。
自分は緻密な議論をするというプライドが傷ついたのかもしれません。
もしそうであったのなら、あやまります。すみません。
私自身は、「彼」が緻密な議論をしない人間だとは思っておりません。
これは事実です。妄想かもしれませんが。
私なりに、あの場の会話についての妄想を書きたいと思います。
私の妄想では、会話は以下のようなものでした。
>某氏「…○○ちゃんのクラスは、帰国子女が多いの?」
>塾生「海外にホームステイしたとか、海外にいった経験のあるひとがすごく多いです」
>S氏「でも、日本語は○○ちゃん(塾生)の方が得意だと思うよ」
>塾生「でも、みんな日本語べらべらで、すごくしゃべれます」
>某氏「べらべらしゃべれるからといって、(以下村田氏の文章引用)、『日本語をぺらぺらまくしたてることができるのが日本語能力があるということ
ではないよ』…」
よく英語に「文法としては成り立つが意味としては無理がある」という文があります。
確かに『ネイティヴ日本人についても言えることだということも想定され』うる話ですが、私の妄想では、塾生が高校の国際なんとかコースにいるということ、
「帰国子女が多いの?」という質問が前提としてあっての会話と見受けました。そのため、ライブで聞いたかぎりでは、「誰の日本語能力についての話か」は、
ある程度限定されていたように思え、「べらべらしゃべる帰国子女に日本語能力があるとは思えない」的発言であるように妄想しました。
また、『(以下、村田氏文章の引用)その子が「同い年でまわりに英語をしゃべれる人がたくさんいるのはどんな感じなのかな?」と聞いてきました。村田はそ
ういう環境をよく知らないので、』とあるように、「彼」は、「まわりに英語しゃべる人がたくさんいる環境をよく知らない」わけです。このため、「帰国子
女」について語るにあたっては、それほどサンプルは多くなくして語っていると私はつねに妄想していたわけです。
(ちなみに、「事実」である村田氏の記述には、確かに帰国子女という文字は有りますが、「『お互い日本語しゃべってても、話が全然わからない』というテー
マを話していた」という文脈において、この「帰国子女について触れてからの会話である」という前提は、文章の叙述関係では、明確に読み取ることができませ
んでした。)
ここで蛇足ですが、この掲示板上でくりひろげられた『お互いが日本語しゃべってても、話が全然わからない、という話』は、確かにネイティブ日本人を含む話
題ですが、ネイティヴ日本人のうちでも、日本語をおろそかにしてきた「英語フリーク」をあげつらって語られたことが多かったようにも妄想しております。一
般的なネイティブ日本人を想定しての話題ではなかったのではないか、と妄想しているのですが。
このように、私は、『(以下村田氏の文章引用)日本語をぺらぺらまくしたてることができるのが日本語能力があるということではない』ということばに、「帰
国子女」には日本語能力ののないものがいる、というニュアンスを強く妄想しました。これは、「事実」のみが書かれているとされる文章を読んだ限りではみう
けられませんが、ライブで聞いた時に、一瞬の間に感じたものでした。これこそが、きっと妄想なのでしょう。
また、ここにもう一つ引用させていただきます。
『(以下、村田氏の文章引用)ここでいえることは、かの文章は、この筆者の、村田に対しての内面の投影だということです。つまり筆者は自身の内面をはから
ずも暴露しているわけです。なぜわたしがそう考えるのか。それはこの筆者が以前、私以上に「過剰な」ものいいをしていたのを知っているからです。』
私は、「彼」が、過去(『2年ほど前ならともかく』)に「帰国子女」批判をした言葉を聞いたという妄想があります。これは、村田氏の記述からも推測される
ためおよそ事実でしょう。上記にも、『私以上に』とあるので、『私(彼)』がものいいをしていたことが分かると思います。これらの時の、「彼」の頑ななも
のいいが強く印象にのこっています。
「彼」にとっては、これを覚えていることが都合の悪いことであり、「妄想」だといわしめたいところなのでしょう。いや、これも妄想ですが。
ちなみに、私は、『私(「彼」)以上に「過剰な」ものいいをしていたのを知っている』と書かれた「事実」の通り、偏見に満ちあふれた人間です。私自身のな
かにあるステレオタイプに悩まされることも多々あります。そして、「自分に都合のいいことしか聞き取らない・見ない人」人間です。
しかし、それもすべての事象にたいしてや、すべての人間に対してではないつもりでいます。
恩義を感じた人間の言葉には反省もし、耳を傾けます。
そして、それほど某氏のように、ルサンチマンを抱え込めないのですよ。私も死ぬ思いをして生きてきた時期があります。「都合のいいように」見聞きして、生
きるすべを得た小さい人間です。
【9819】
【タイトル】みなさま
【 日時 】05/04/30 16:50
【 発言者 】村田晴彦
寺沢郁子さんが何かかいていますが、名乗りもしないで書いて
いるので名前をしるしておきます。
村田は初期の目的は達成しました。
一回訂正してある事実が大事です。
ゆえにもう寺沢さんに関しての投稿はいたしません。
村田はここしばらく、この方とコミュニケーションとることを放棄して
います。
前回の投稿は、実はここしばらくでは唯一の例外です。
プライドが高く、このがんぜない方を相手にするのは、疲れる。
前回の村田の投稿の際は、実は書いてから無駄なエネルギー
を使ってしまったことをくやみました。
この方のがんぜなさは、おそらく今後も変わらないでしょう。
これを変えるには、恋愛にも似た労力が要求されるでしょうが、
こちらにはそんなエネルギーを投入する義理はありません。
ただ、このがんぜない方が、どのようなコーチをするかは興味があ
ります。
【9820】
【タイトル】素読舎初心者ですが。。。
【 日時 】05/05/02 17:00
【 発言者 】TKworld
皆さま初めまして。村田さんのところで英語を教えて頂いている者です。
去年Kさんを通じ、現在上田で英語の練習をしています。素読舎は初心者ですので、不適切
な表現等ありましたらご指摘ください。宜しくお願い致します。
さて、最近面白い体験をしましたので今回投稿させて頂こうと思います。
私は、去年の10月くらいからでしょうか?村田塾長のもとで回転読みという初めての経験を開始したのですが、当初この方法で本当に上達するのだろうかとい
う疑念があった、
ということは否定出来ませんでした(根石さん、村田さん気を悪くしないでください)。
しかし、先日イギリスの友人と話す機会があり久々に『生会話』をしました。
まず、以前より私の英語が良く通じるようになりました!つぶやきレベルの英語も相手の
耳に届くようになっていたのは驚きました。
それから、私は以前ニュージランドに一年間住んでいたことがあるのですが、当時は英語を
よく話ておりその頃の感覚でいうと英語を耳から聞いたときに英語の音が頭の中でビジュアル化して理解を助けていたのですが、その感覚がだんだん戻ってきた
ように感じました。
この感覚というのは説明しにくいですが、漢字を目にしたときに理解より先にその漢字のもつ
イメージが脳に伝わるような感じです。(大袈裟でしょうか?)とにもかくにも、恐るべし『回転読み』です。他国の言葉を習得するのは孤独なレースしか方法
がないと思っていた私
ですので、今回の体験は大変嬉しかったです。依然、言語を学ぶというのは辛いことですが、少しでも皆さんの励みになればと思い投稿をしました。
また、たまに投稿させて頂きます。これからも宜しくお願い致します。
【9821】
【タイトル】記号(□)→同致(□+○)→生活(□+○+△)
【 日時 】05/05/02 18:30
【 発言者 】sb
昨日、根石さんらからより学んだことを改めて考えていました。
@記号(□、読み書きの記号のこと)まずここを鍛えることが先決
A同致(□+○、読み書き記号と頭の中のイメージが一致すること)@がある程度きちんと完成していることが前提となる、イメージに指導者は基本的に介入が
たいへん困難であることを認識していることが大切
B擬似(英会話や学校の教室で行われる擬似英語使用環境)Aがある程度きちんと完成していることが前提となる
C生活(□+○+△)(基本的にはその言語が話されている場所に生活体験ごとどっぷり浸かること)Bを前提とせずとも、Aがある程度きちんと完成している
ことで可能となる
【9822】
【タイトル】sbさん
【 日時 】05/05/03 0:24
【 発言者 】根石吉久
sbさんと私では、用語が違うのですが、私は私なりに、こう言った方がいいと考えた上で、各種の用語を使用しています。例えば、「記号」ですが、sbさ
んはここで、「音」と「文字」というものを言っているのだと思います。「読み書きの記号」などという言い方より、「音」と「文字」と具体的に言ったほう
が、他の人にわかりやすいと思います。「読み書きの記号」と言えば、「活字」のことかと思ってしまう人がたくさんいるでしょう。
私の理屈は単純でして、「音」と「文字」は、相手の話を聞きとったり、話したり、読んだり書いたりする場合の「インターフェース」であるから、この「イ
ンターフェース」部分を鍛える必要があるということです。それを鍛える方法が、まだ定式としては日本にはないが、「技法グラウンド」(レッスン用・「回転
読み」への導入)や「回転読み」などを提示して試し続けてきています。
「記号」を鍛えるとは、けったいな言い方です。やはり、インターフェース部分を鍛えるとか、読み込む時の口の動きを鍛えるとか、字を書くときの手の動き
を鍛えるとか言う方が話が通じると思いますが・・・。私の日本語の感覚においては、「記号を鍛える」とはどうしてもけったいな言い方です。
「イメージに指導者は基本的に介入がたいへん困難であることを認識していることが大切」というのは、日本語を習ったアメリカ人が書くみたいな日本語で、
こういう日本語を書く人が多くなっているのであれば、日本もいよいよまともに壊れたんだなと思いますが、それはともかく、生徒の中で音とイメージの同致
(一体化・瞬間的相互喚起)が成立しているかどうかは、「指導者」(コーチ、教師)には本来的に確認不可能であるということを言っているのであれば、非常
に大事なことを言われています。これは原理的に確認不可能です。その不可能をごまかすために、学校は「訳読」を繰り返してきたのです。逆に言えば、間接的
にでも知ろうとすれば、「訳読」くらいしか手段がないということです。ウキの動きを見て、水中の魚の動きを推察し、釣りをやるようなものが「訳読」式授業
ですが、「音づくり」を外してこれをやれば、ごまかし以外のものではない。こんなごまかしをやめて、音とイメージの同致や文字とイメージの同致が本当に生
徒の中に成立しているかどうかは、原理的に確かめようがないと言い切ってしまえばいいのです。ごまかしなんかなんでやってるんだ。やる必要はない。馬鹿み
たいだ、と思います。「原理的に確かめようがない」と、私は自分の生徒さんにいつもそう言っています。
しかし、しなやかでバネがある音の連続という実質が、私が「音づくり」で作っているものですが、これが生徒において成立するなら、「訳読」も役に立ちま
すが、そうでなければ、馬鹿みたいな風景でしかありません。
教師が生徒の中に音とイメージ、文字とイメージの「同致」を成立させることができるならば、それはそのままマインド・コントロールでしかありません。宗
教行為になってしまう。語学がそんなものであってはならないし、そこをごまかして「訳読」などしていてもならない。
「同致」は生徒の主体に任せるしかない。しかし、「同致」が必要だということは、理論として先生が生徒に言えなければならない。教師であろうが、生徒で
あろうが、「同致」を自分で自分に対して強制するなら、自分の中での成立・不成立が自分にだけはわかる。だから、方法を伝えて、生徒の主体に任せるしかな
い。そこに介入しようとする「訳読式授業」というごまかしは、まことにおこがましいのです。
「同致」が必要だということを生徒に言い、そのための「対自己」の方法を言えるために語学論が必要です。語学の教師というものは、スキルの人ではなく理
論の人でなければならないのです。ここのところを勘違いしている英語教師で日本の学校は充満しております。文部科学省の犯罪と、それに荷担し、それを補強
している教師だらけだということです。
スキルなんてものは、sbさんの言い方を借りれば、「ある程度きちんと」していればいい。そのレベルも私は提示できます。まずはしかし言っておきたい。
語学教師にもっとも必要なのは、理論です。語学論が書けることです。
【9824】
【タイトル】「英語筋」
【 日時 】05/05/03 0:56
【 発言者 】村田
TKworldさん
投稿ありがとうございます。
>私は、去年の10月くらいからでしょうか?村田塾長のもとで回転読みという
>初めての経験を開始したのですが、当初この方法で本当に上達するのだろ
>うかという疑念があった、ということは否定出来ませんでした(根石さん、村田
>さん気を悪くしないでください)。
(引用上、改行入れさせてもらいました。)
先日、TKworldさんと一緒に飲んだときのこと。村田はTKworldさんに、
「TKworldさんが初めて見学にきたとき、実は身構えていたんですよ」と言いまし
た。すると、TKworldさんから「いや、実は…」、と切り出された話が上の引用部
の話です。この話を聞いたとき、やっぱりそう思ってたんだね!と思い、なんかお
互い笑ってしまいました。その疑念は、多くの人が最初に持つものだと思います。
TKさん、村田の録音したテープを聞いた時の話、おもしろかったんで、いずれ
ぜひ書いてください。
>つぶやきレベルの英語も相手の耳に届くようになっていたのは驚きました。
これを聞いたとき、なんかうれしかったです。村田は大前提として、音の強弱
をばかみたいに強調します。そのことと、回転読み、および発音のチェックによっ
て、「英語筋」ができてきたんだね、という話をしました。
「英語筋」というのは、初めて回転読みをした人が、口のまわりが痛い、とか言っ
ているところにあらわれるモノです。根石さんが小学館文庫に書く前に、村田と
話しているとき、頻繁に言っていたと思います。根石さんが今、どう考えているか
聞いていませんが、村田は、腹から顔にかけてのすべての筋肉の動きの再編成
が、『「英語筋」ができる』、ということだと思っています。
とにかく、TKworldさんは、なんの説明もしていないけれども、「英語筋」というの
を一発でわかってくれました。うれしい。
それにしても、「英語筋」ができると、つぶやきレベルにも反映されるのがわかって
うれしい。
それからTKworldさん、素読舎の「塾長」は根石さんただ一人なので、そこんとこ
よろしく。
【9825】
【タイトル】「読み書きの記号」
【 日時 】05/05/03 15:32
【 発言者 】sb
>「読み書きの記号」と言えば、「活字」のことかと思ってしまう人がたくさんいるでしょう。
「記号」という言葉をあえて使ったことは苦し紛れの部分もあります。根石さんのおっしゃるインターフェイスという言葉を使ったほうが分かりやすい人もいる
と思います。
私が記号と敢えて書くのは「音」も「文字」も自分の内側にある時は「イメージ」も入っている「水(変わるもの)」だが、外側(つまり表現して外に出すと)
に出ると、ガチガチの「氷(変わらない一瞬のもの)」となるからです。
変わらない一瞬のものという言い方が一般的に通じるのは「文字」の方だけで、「音」「音声」の方となるとなんとなく変わるものと思ってしまう人があまりに
も多いからです。
養老孟司の受け売りですが、「武士の一言」などという言葉で表わされるようにたとえ「音」「音声」でも自分の外に出た瞬間に言葉は記号となり相手の中には
いっていくということを伝えるために苦し紛れの表現「読み書きの記号」などという言い方になってしまったのです。
【9826】
【タイトル】「同致」
【 日時 】05/05/03 15:47
【 発言者 】sb
>「同致」が必要だということを生徒に言い、そのための「対自己」の方法を言えるために語学論が必要です。
同致が必要だということは疑いもなく「原理」だと思います。
【9827】
【タイトル】[
【 日時 】05/05/03 15:54
【 発言者 】sb
>語学の教師というものは、スキルの人ではなく理論の人でなければならないのです。ここのところを勘違いしている英語教師で日本の学校は充満しておりま
す。文部科学省の犯罪と、それに荷担し、それを補強している教師だらけだということです。
「スキルの人」と「理論の人」の違いをもう少し詳しく具体例を挙げて説明していただけないでしょうか。私は文部科学省は犯罪を犯していないと思います。む
しろ問題は、それを追随して疑わない教師や塾講師その他英語に関わる多くの人達の内理解がまだ満ちていない人々ではないでしょうか。(「イメージに指導者
は基本的に介入がたいへん困難であることを認識していることが大切」と同じような言い方をしてしまっている情けない自分を今感じました。反省しています。
ご指摘ありがとうございました。)
先日見ていたNHKスペシャルで「ガン医療を問う」というようなタイトルで番組をやっていました。政策の立場と現場の立場では立場が違う。立場が違えば考
え方にも違いが出てくるという感じでした。キャスターの人が政策は「大きく」、現場では「丁寧に」というようなことを言われていたのが印象的でした。
【9828】
【タイトル】「訳読式授業」
【 日時 】05/05/03 16:04
【 発言者 】sb
「訳読式授業」の功罪については議論がある程度つくされていると思います。「和訳先渡し」についても「同致(≒自分の中のイメージと言葉の持つ記号の側面
を自分の中でまとめること)」を目的としたものなら問題はないが、「イメージと対象言語記号なら問題ないが、それに和訳をあえて意識的に加えることによっ
て起こるしごく当たり前の混乱」についてはまだまだ現場が混線している感があります。(またくどい表現になってしまいました。すみません。私の混乱を露呈
しているかのようですね。)
こころとことばを一致させるだけでもたいへんな作業なのに、それに母国語を加えてめちゃめちゃにしているところに訳読の罪があると思います。このことはた
ぶん根石さんと一致すると思います。コメントいただければ幸いです。
【9829】
【タイトル】自分を見つめなおす
【 日時 】05/05/03 16:10
【 発言者 】sb
>日本語を習ったアメリカ人が書くみたいな日本語
反省しています。よってたつところがしっかりしていない自分から出た壊れた部分が出てきていると反省しきりです。なかなか指摘してくれるかがありません。
ありがとうございます。ある意味アメリカ人は意識の世界に生きていると言えるのでしょうか。いや、私自身が日本語をしっかり使えないというところが問題点
だと思います。
【9831】
【タイトル】midnight press 専務宛メール転載
【 日時 】05/05/05 0:06
【 発言者 】根石吉久
midnightprss> それと、根石さんのケータイの番号を教えてください。メモに
ふたつの番号が書かれていてわからなくなりましたので。
対応が遅くて申し訳ありません。
私の携帯の番号は、090ー4181ー5912(良いわい、極意に)です。
今日一日、庭いじりだけをやりました。
庭をいじるのは、人間の尊厳を守ることだ、などとは、今思っていることです
が、要するに面白い。
火を焚くことも、人間が何なのかを教えてくれると思うのですがこれは禁止さ
れています。俺は、庭先で、いつも煙を立ててやろうと思っています。行政の
いいなりになるかならないかも思想になりうるだろうと思います。
家族の人員の相互わだかまりは思想の根だろうが、それが行政のやることに従
順になった時点で根が腐れます。そのあたりが、我が家では、女房を除いて、
健全です。
俺は書き物で食えない人間だということが、だいぶはっきりしてきましたので、
植物の繁殖力に感動しています。植物とか女というものは非常にいいものです。
女がなくてやってられるか、と思います。女がいなくて生きている男などという
ものは、鉢植えの植物で、根の範囲を他によって決められているのです。
以上、酔っぱらいの言ですというか、酔っぱらいの言いたい放題です。
「内省的」には自信がありますのでご安心下さい。
大見得切っていいのかどうか、今は切ってしまうのであります。
「内省的」をやってられない時間が多すぎるだけです。
死んだわけではありません。
>相変わらず追われっぱなしの毎日ですが、そのうちに会えることを楽しみに。
お元気で。
「追われっぱなし」に強く連帯いたします。
俺は、ちょいと、千曲川で火を焚いて、飲みたいです。
近頃、最愛の千曲川にもちょいと疎遠です。いや、しょっちゅう、行っているの
ですが、気持ちがちょいと疎遠になっています。
語学をやめたいという気持ちがあります。
しかし、多分、やめないでしょう。
酔っぱらいの判断ですから、信用できませんかもしれませんかもしれませんが、
連休ですし、時間のかけらを自由に使えるかもしれない今月今夜ですので、ここ
まで書いたものを、「大風呂敷」に転写させてください。
根石吉久
【9834】
【タイトル】とある英語教師のつぶやき
【 日時 】05/05/07 9:09
【 発言者 】1ドル105円?
語学教師はスキルの人ではなく、理論の人ではないといけないという点について、少し意見を言わせてもらいたいのですが、語学教師は理論とスキルの両方プラ
スある程度の人格を兼ね備えたひとでないといけないと思います。教え方がへたくそで、そのうえ性格も悪い人から語学を学ぼうなどとは決して思わないでしょ
う。塾や予備校だと生徒が先生を選べますが、学校では選べないところが生徒の悲劇だとは思います。選べるようにすべきだと思います。ALTの研修よりも、
もっと質の高い日本人英語教師を育てることが先決だと思います。
【9836】
【タイトル】TKworld さん
【 日時 】05/05/07 18:00
【 発言者 】根石吉久
コンピュータの設定をやっていただきましてありがとうございました。現在、キーレイが使えなくなっています。試用期間が終わるというので、所持している
パスワードを入力したりしているうちに、壊れた様子です。またいずれ世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。
コンピュータの設定をしていただいている途中で、最近英語をしゃべる機会があったが、前よりよくしゃべれるようになっていたというお話をお聞きしたの
で、それは是非「大風呂敷」に書いてほしいと私からお願いしたのでした。村田君が喜ぶだろうから、と。
私の考案した方法は、一見風変わりに見えますが、実はこれこそが学校の英語から欠けていたものであり、それを提示したのだという自負が私にあります。学
校の英語(その元にある文部科学省)は、日本には英語の磁場がないだけでなく、日本には日本語の磁場があり、日本語の磁場の磁力が机上で作った英語を滅ぼ
す力を持っているのだというところをまったく理論化できていません。文部科学省やそのおかかえ学者などは、現場の教師とともに、生徒たちが習う英語に責任
があるのですが、欠けているのはいつも「理論」です。例えば、まともに読めもしない文の「訳読」が、「なぜ駄目なのか」を理論として提示するというような
ことを文部科学省やおかかえ学者などがきちんとやれたことはありません。生徒に「音の連続性」を安定させるまで(型として安定するまで)音読させ、「文字
が要らなくなるまで文字を使い込む」ことを提示したこともありません。フリークでない一般の生徒には、これしか切り札はないのですが、文部科学省とそのお
かかえ学者どもは、「磁場」の問題一つさえ繰り込めないままでこれまでずっとやってきたのです。
文部省、おかかえ学者どもがやってきたのは、例えば、コミュニケーション能力を高めるだのなんだのと、お題目を唱えることだけでした。そうするために、
実際に何をどうすればいいのかを提示できたためしはなく、AETなどを導入してごまかしてきました。以上は、TKworld
さんもご存知の日本の学校英語の話です。
TKworld
さんは、若くしてニュージーランドに行かれて、当地では英語を使っておられたのですが、日本に帰ってくれば、「磁場」仕込みの英語も錆び付いていきます。
いったん錆び始めた英語の錆を落とし、新たに英語のボディの厚みを作っていくとともに、錆を寄せ付けないでいるための方法を私の「磁場」理論は最初から意
識しております。「磁場」理論は、英語力を作るためだけのものではなく、英語力を維持するための方法に直結しています。
TKworld さんにおいて生じたことは、「磁場」理論の勝利なのです。
日本に英語の「磁場」がないから、机上の練習で獲得した文に、「当事者性」が生じない。だから、文一つを「電池」と考えて、意味と音が相互に瞬時にお互
いを呼ぶことができるだけの「からっぽの電池」を無数に作り出せ。音(文字)と意味が瞬時にお互いを喚起する状態になって初めて「充電可能性」が備わった
と考えよ。その時に、しゃべりにも聴き取りにも使えるだけの音の質は絶対に確保せよ。それはインターフェースだから、インターフェースを鍛えておけ。そう
しておいて、英語の「磁場」に渡るなら、ただちに「当事者性」の充電が可能になるから。というようなものが、私の「磁場」理論、あるいは、「からっぽ」理
論の骨子なのですが、「回転読み」を考案した当時、この理論が私にあったわけではありませんでした。
「回転読み」が日本語の磁場で英語力を確保し維持するのに非常に有効だという実際の成果に基づいた確信があっただけでした。その後、長いこと、私は「理
論」で自分が考案した「回転読み」の正体に迫るべく、堀を埋めてきたつもりです。
お書きいただいたことは、ニュージーランドで英語を使っておられた方が、日本に帰って以後の英語の錆び付きの錆を落とされ、新しくボディを作られつつあ
ることの報告だと読ませてもらいましたが、やはり、これは「磁場」理論の勝利なのだと思います。
そして、この理論は、日本に在住のままの「ごつごつ英語」をしゃべる者によってしか作られなかったことを今後はお考えいただければと思います。
是非また書いて下さい。
【9837】
【タイトル】1ドル105円?さん
【 日時 】05/05/07 18:47
【 発言者 】根石吉久
スキルは「結果」に「過ぎない」と考えています。その「結果」も、英語圏での生活込み(つまり、「当事者性」を磁場によって周りから与えられた)の「結
果」であれば、「磁場仕込み」の英語のスキルは、当人の語学の練習「結果」というよりは、生活の当事者性の「結果」なのです、という具合に私は「スキル」
という語を使用しています。
私は「理論」に対しては、常識通り「実践」が対置されるべき概念だと思っていますが、「理論」が「実践」を生み、「実践」が「理論」を生んでいくダイナ
ミックな動きがあって初めて「理論」と言えるし、「実践」と言えると思います。だから、私の「理論」という語は、いつも「実践」をその対にもっており、
「実践」を欠いた理論など、理論でもなんでもなく、(屁)理屈と呼べばいいしろものです。語学教師としての「実践」を離れた大学教師たちの、教育「理論」
などは、「屁」であるというのはそういうことだと思います。「屁」をしているに過ぎない連中ばかりではないでしょうか。
もし、私が言っている意味での「理論」を持った人がおられたなら、どうぞお教え下さい。私は知りません。
>教え方がへたくそで、そのうえ性格も悪い人から語学を学ぼうなどとは決して思わないでしょう。
「教え方がへたくそ」という言い方から、教えるための「スキル」を考えておられるのかと思いましたが、それだと私の言いたい「スキル」とは違うことを
言っておられることになります。私の言う「スキル」は、しゃべりにおいてであれば、「あの人は英語がぺらぺらだ」という時の、ぺらぺら加減に関するもので
す。
「性格」に関しては、職人の仕事に関して深く失望したときのことを思い出します。板金屋さんで、「性格」はいい人なのですが仕事が駄目で、雨漏りが止ま
らないという仕事をしたのでした。職人の性格がよくて、仕事が駄目ってのはどういうことかと考え込んでしまいました。こんな職人より、性格が悪くてしっか
りした仕事をする職人のほうがはるかにましであるに決まっています。
一般の職人は「もの」を相手にしており、一般の教師は「人間」を相手にしているのだから、一緒にはできないとも言えますが、語学教師が目を離してならな
いものは、生徒の中に形成される「英語力」という客観物です。やはり、これも「もの」なのだと私は考えており、まともな語学教師はまともな職人なのだとも
考えています。そこを見誤らない教師なら、生徒もその教師を見誤らないでしょう。
生徒の前で、「(よい)性格」なんぞをやっている(演じる)教師なぞ、「英語力」という客観物を見誤らない教師と比較するのもうっとうしい。「性格」な
ど、本質的な問題ではありません。
「性格」などというスカートの下に逃げ込むのはよろしくありません。
「性格」はあくまでも人間づきあいにおける問題であり、語学教師が語学教師であるのは、生徒の中に「英語力」という客観物を作り出す腕があるからです。
次元がまるで違う問題を一緒にしているとしか思われません。
【9839】
【タイトル】1ドル105円?さん
【 日時 】05/05/07 19:02
【 発言者 】根石吉久
>塾や予備校だと生徒が先生を選べますが、学校では選べないところが生徒の悲劇だとは思います。選べるようにすべきだと思います。
賛成です。
>ALTの研修よりも、もっと質の高い日本人英語教師を育てることが先決だと思います。
「ALTの研修」とはどういうものか知りませんが、質の高い日本人英語教師を育てることが先決であるというご意見にまったく賛成です。
【9840】
【タイトル】sbさん
【 日時 】05/05/07 19:05
【 発言者 】根石吉久
>反省しています。よってたつところがしっかりしていない自分から出た壊れた部分が出てきていると反省しきりです。なかなか指摘してくれるかがありませ
ん。ありがとうございます。ある意味アメリカ人は意識の世界に生きていると言えるのでしょうか。いや、私自身が日本語をしっかり使えないというところが問
題点だと思います。
「ある意味アメリカ人は意識の世界に生きていると言えるのでしょうか」というところが何をおっしゃっているのか、まるでわかりません。「ある意味」でな
ら、どんな国の人も、どんな人種の人も「意識の世界」に生きているのではないのでしょうか。わかりません。
【9841】
【タイトル】sbさん
【 日時 】05/05/07 19:26
【 発言者 】根石吉久
>「訳読式授業」の功罪については議論がある程度つくされていると思います。「和訳先渡し」についても「同致(≒自分の中のイメージと言葉の持つ記号の側
面を自分の中でまとめること)」を目的としたものなら問題はないが、「イメージと対象言語記号なら問題ないが、それに和訳をあえて意識的に加えることに
よって起こるしごく当たり前の混乱」についてはまだまだ現場が混線している感があります。
「音づくり」を欠いた「訳読」は功罪の「罪」だけで、「功」はないと考えています。あんなものはでたらめなのです。でたらめであるから、「偽の標準形」
だと言ってきました。
「同致」については、繰り返しますが、生徒にまかせるしかない。しかし、学校の授業でも、「同致」が起こりやすくする(文全体を一挙に鷲づかみする形
で、記号の認知と同時に意味を意識に生じさせる)ための「準備過程」はやれると思っています。学校がやらないでさぼり続けてきたのは、まさにこれです。
「準備過程」とは、「音づくり」であり、「音の連続性の型」を安定させるまで読み込ませるという過程です。これさえちゃんとやれば、学校(に勤める英語教
師)は、生徒に対しての責任は果たせたと考えていい。後は、生徒が自分でやればいいことです。意識に生まれてくる「過程」にある「意味」などというもの
を、当人が当人に対して手術的に行う以外に、誰にも本当はやれはしない。訳読というものは、やれもしないことをやっているような格好だけ作った化けの皮で
す。
私も「訳読」によく似たものをやることがありますが、あくまでも「音づくり」に付随するものとして位置づけており、「音づくり」が、(外在的であれ・内
在的であれ)「意味」を咀嚼し「音」に融合させていく過程の内にあります。これさえも、私は生徒の中に「同致」が生じやすくするための「準備過程」として
います。
「同致」は生徒が自分で自分に対してやるべきことであり、ここに関しては語学教師は生徒に下駄をあずけてしまって構わないという考えです。
原理的にやれないことをやってる格好だけ作るようなことは、くだらないし、一歩離れてみれば滑稽なのですが、訳読をやっている教師たちはそれがどれほど
滑稽なことかわからないらしい。生徒に必要なものは「教えること」なんかではなく、生徒が自分で実際に力を養成することのできる方法と練習です。
私のレッスンにおいて、私は何も本当は教えてはいないと思っています。知識を生徒の前に置くことはするが、その知識も生徒がそれを媒介にして練習を動態
にするためのもの以外ではありません。本当にそこにあるのは、「練習」だけです。
これまで、「同致」が必要だと言ってきましたが、今日初めて、「同致」が起こりやすくするための「準備過程」という考えが生じました。「実践」において
は、私はすでに手がけてきたことですが、ようやく言葉にすることができました。sbさんに感謝します。
今日は時間がとれませんので、残っている問題は後日に。
【9844】
【タイトル】言葉を使う VS 言葉に使われる
【 日時 】05/05/08 18:55
【 発言者 】sb
>「ある意味アメリカ人は意識の世界に生きていると言えるのでしょうか」というところが何をおっしゃっているのか、まるでわかりません。
偏見がまさに言葉で露呈されてしまった感じです。アメリカ人に対する私の狭い見方が出てしまいました。意識や言葉や理性の世界に生きているのは何人であろ
うと同じことですね。
【9845】
【タイトル】メモ
【 日時 】05/05/08 19:02
【 発言者 】sb
レスありがとうございました。
>「同致」が起こりやすくするための「準備過程」
「同致」が起こりやすくするための「準備過程」としての「音づくり」?
コーチの納得を得る方法は?
【9848】
【タイトル】根石さん
【 日時 】05/05/10 0:53
【 発言者 】村田
TKworldさんへの助言の件、ありがとうございました。
それから、もっとあとで言おうと思ってたんですが、もう上田組の人が言ってしまったので、書いちゃいますけど、素読舎上田組では、「ごつごつ英語ごっこ」
の文章版として、「ごつごつ英語daiaries」というMLを立ち上げました。残念ながら、今のところ会員制の閉じたMLですが、いずれみんなが書くこ
とに慣れてきたら、英文掲示板を立ち上げ、移行して行こうというもくろみでした。しばらくはMLで行かせていただきます。
1ヶ月くらい続いているんですが、書くことはしゃべることとはまた別のことなんだなあと思いました。しゃべることはなかなかできなくても、結構達者に書く
人もいる。また、書き続けることで、文章の内容も洗練されていくような感じもします。
L.A.に行ったKさんの近況も逐次報告されていい感じです。
ところで、根石さんちのバクテリアによる完全自己完結型汚水処理システム、かなり感動してしまいました。ほんとに high technology
ですね。
根石さんはすごーくいやがると思いますが、宮崎駿のアニメ「風の谷のナウシカ」に出てくる風の谷みたいだー!と思いました。座談会は昼間やりましょう。
【9849】
【タイトル】根石さん
【 日時 】05/05/11 1:53
【 発言者 】TKworld
返信、ありがとうございました。何だか、ちょっとした体験談を投稿したつもりだったのに、
それがきちんとした形で返信頂けて感動しました。また、『磁場論』や『からっぱの電池』に
ついてはまだ良くわかりませんが、『回転読み』を続けていれば身に付いた錆びが落ちていくと言うのは実感出来ると思います。帰国してから5年間も経ってし
まいましたが、この短期間で英語の
感覚にここまで近づけたのは『回転読み』の賜物ですね。本当にありがとうございます。
これからも、地道に練習を重ねて行きます。宜しくお願いいたします。
【9863】
【タイトル】根石さん
【 日時 】05/06/07 0:32
【 発言者 】sb
今まで軽視してきた音以外の面(イメージ)も考え始めていることが大きな収穫ですが、
岡倉天心の「茶の本」の第2章が以外に進みやすいのにも驚いています。
【9864】
【タイトル】sbさん
【 日時 】05/06/11 0:00
【 発言者 】根石吉久
語学を成す繊維で、音以外のもの、主にイメージや意味を重視して練習されるようになったこと、音とイメージ(意味)を合体させる方法をつかまれたこと、そ
のことと、テキストが進めやすくなったこととは、根が同じものだと思っております。
相撲で言う、「地力」がついてきた状態ではないかと考えていますが。
【9865】
【タイトル】金転がし
【 日時 】05/06/13 10:57
【 発言者 】Jackie
友人の銀行マン、30歳でボーナス200万だそうで。
そういえば不良債権のために公的資金がバンバンはいっていたころも
ボーナスよかったみたいだ。
銀行が利益を上げ始めた今 ボーナスよくなるのはあたりまえか。
銀行も個人にかさず、 サラ金に金をかし。
日本銀行から超低利でかり、その資金を何百倍にしてかしつけているのですから
濡れてに泡、金転がしエリートやくざというといいすぎなのだろうか?
ま、仕事量も毎日11時帰宅と、ハードにはハード。
長者番付もサラ金、パチンコ、投資顧問などがトップをしめ。
金ころがしたり、土地ころがしたりする人が儲かるのですね。
汗水ながして地道に働く親戚の農家とか 大工さんとかがもっと金周りがよくなってもいいとおもうのです。
現実は逆。
英語も幻想をうってたほうが 厳しい指導よりもうかりますね。
厳しい、報われる努力をしたほうがあとあと得、結局は王道だと思うのですが、
楽して楽しく、もしくは点取り技術のための試験のための英語のほうが人気がある。
長い目でみてほしいのだが。
もっと営業上手にならなきゃ。 どうするア○フル、NovaのようなCMって
結構影響力あるんですね。
ぼやいてしましましたよー。投資する金もないので自分に投資。
英語の道ははてしなく遠いが うむもいわせぬ英語力と指導力をつけるように精進するべきなのだ・・・・。挫折してたちあがりまた挫折ぎみ。
【9868】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】05/06/20 1:41
【 発言者 】根石吉久
なるほどなあと思いました。
金もうけに関して、あたしゃ駄目です。
でも、希望を持ちたいので、現在、植物を増殖中です。
語学論は、しばらく棚にあげてしまいます。
この日本の英語教育をめぐる状況に対しては、今のところまともにものを言っても相手にされないだけですので。
植物で食い扶持を作り、英語のレッスンの方からは金などろくに入らなくてもいいような体勢を作ってみたい。
そういう体勢が作れた暁には、俺がものを言うことを誰にも止められまいと思っています。
生きているうちにどれだけやれるもんかわかりませんが。
【9877】
【タイトル】「電話でレッスン」、「段」制定
【 日時 】05/06/26 23:01
【 発言者 】根石吉久
これまで私の「電話でレッスン」で生徒さんが練習しても、どのくらい進んだのかという指標のようなものが何もありませんでした。以前に、テキストの
「ゴースト」のページで何ページまで進んだかを、この掲示板上に発表していたことがありましたが、その後、教材の自作が進展しましたので、現在ではほとん
どの生徒さんに私が自作した教材を使っていただいています。
教材作成にもレッスンにもWZエディタという使い慣れたエディタを使っておりまして、生徒さんが自作教材の何行目を練習しているかは、常時はっきりわ
かっているという利点を使い、以下のように「段」を設定したいと思います。
・練習が一万行を越えたら「初段」とする。
・練習が二万行を越えたら「二段」とする。
・以下、一万行毎に、一段ずつ「昇段」する。
・「十段」(十万行)に達したら、「プロ初段」とする。
・「プロ初段」以降は、一万行ごとに「級」が増えることとする。
・例えば、十三万行に達した人は、「プロ初段三級」とする。
レッスンを始めてもらった時点での生徒さんの実力にはかなりの開きがあります。ですから、「プロ二段」「プロ三段」くらいまで行かないと、レッスンの進
展度と各自の実力の対応関係は整合性が出てこないと思います。
そこをどう考えるかですが、私のレッスンは、「英語力を作る」作用の他に、もうひとつ非常に重要な作用をもっています。「英語力を保持する」作用です。
人々は、「英語力を作る」ことばかり見ていて、「英語力を保持する」ほうはあまり注目してくれません。私の「磁場理論」によれば、日本人が日本にいて英
語をやる場合には、「英語力を作る」ことと、「英語力を保持する」ことは、重要性において、まったく同等の重さで考えるべきものです。英検でもTOEIC
でも、ここのところが片手落ちです。
「保持する」が軽く見られている分だけ、私はこちらを少し重く見ていきたいと考えています。そこに現状の資格試験に対する私の批評があると考えていただ
くのがいいかと思います。
一万行ごとに「昇段」する制度の制定は、コーチとしての私が、「作る」作用より「保持する」作用の方を少し重く考えているという意味を反映させるのにい
い制度ではないかということです。
十万行を越えて「プロ初段」という別の「段」が生じますが、これは、同じテキストを使って、そろそろ他の人の面倒を見て欲しいレベルに達したというくら
いの意味だとお考え下さい。
今日、樋口静香さんという高校生の生徒が、一万行を越えました。
これを機会に、「イメージ受肉」という教材を使っておられる方々の、「段」を逐次発表していく予定です。
樋口さんには、県名の他に本名を出していいかとお聞きしたところ、構わないとのことでしたので、本名で発表します。
他の生徒さんにもなるべく本名を使わせていただきたいと考えていますが、本名使用でない方がいい方もおられるだろうと思いますので、発表の前に、こちら
から可否をうかがいます。本名を使用するのはやめてほしいという方は、仮名をご自分でお考えになっておいていただくようお願いいたします。
次の記事で、樋口さんの「昇段」を発表いたします。
【9878】
【タイトル】樋口さん、おめでとうございます
【 日時 】05/06/26 23:12
【 発言者 】根石吉久
今日、昇段され、「初段」になりました。
これからもがんばってください。
以下、記録のために書きます。
樋口静香(長野県) 初段 2005年6月26日
(根石吉久認定)
【9888】
【タイトル】認定
【 日時 】05/07/02 1:55
【 発言者 】根石吉久
大澤弘文さんが、本名で発表して構わないとおっしゃってくださったので、本名で段を認定します。
大澤さんは、現在1万315行目まで進まれています。
従って、初段に認定致します。
レッスン開始時の外部のテスト(英検、TOEIC など)の点を公表することに関しても承諾をいただくことができました。感謝します。
次の記事で、すでに発表した樋口さんと併せて発表します。
【9889】
【タイトル】認定
【 日時 】05/07/02 2:29
【 発言者 】根石吉久
小川住江さんが、本名で発表して構わないとおっしゃってくださったので、本名で段を認定します。
小川さんは、現在1万5千694行まで進まれています。
従って、初段に認定致します。
小川さんは、レッスン開始時にすでに英検一級をお持ちでしたので、私のレッスンでの段の認定と整合性がとれませんが、レッスン自体で量的にどれだけ進まれ
たかという意味では認定に意味があるものと考えています。この考えは、先日の記事でもこの掲示板に書いてあります。
小川さんに。
英会話学校で教えておられたのは、いつ頃のことでしたでしょうか。
さしつかえなければお教えください。また、「レッスン開始以前のこと」として、認定の一覧に併記することをご許可いただけたらと思っています。
【9890】
【タイトル】認定
【 日時 】05/07/02 2:46
【 発言者 】根石吉久
M・Uさんが、本名での発表は差し控えて欲しいとのことでしたので、アルファベットの仮名で発表致します。
M・Uさんは、高校の英語の先生です。私のレッスンを受けられるまでは、英検、TOEIC
などの外部テストはまるで受けられたことがないそうで、レッスン開始時の級や得点はありませんが、私のレッスンを受けられるようになって10ヶ月目に受け
られた TOEIC の得点は820点だったそうですので、これを併記させていただきます。
M・Uさんは、現在2万4千209行まで進まれています。
従って二段に認定致します。
【9891】
【タイトル】認定一覧
【 日時 】05/07/02 2:53
【 発言者 】根石吉久
書式:
名前(県名) 段 昇段または認定の年月日
※レッスン開始時での外部テストの級や得点。学年。職業。英語の必要場面。英語圏在住経験の有無。段獲得以後の外部テストの級や得点。その他。
樋口静香(長野県) 初段 2005年6月26日昇段
※初段認定時高校2年。レッスン開始時中学3年2月。
大澤弘文(奈良県) 初段 2005年7月2日認定
※レッスン開始時、TOEIC370点 大手電機企業勤務。海外出張多し。
小川住江(奈良県) 初段 2005年7月2日認定
※レッスン開始時、英検一級、TOEIC870点。英語圏在住経験なし。英会話学校教師経験あり。
M・U(長野県) 二段 2005年7月2日認定
※高校教諭(英語) 英語圏在住経験なし。レッスン開始後10ヶ月目、TOEIC 820点。
(根石吉久認定)
------------------------------------------------------
小川住江さんの元に、あずかって頂いている生徒さんがおられますので、小川さんの生徒さんは小川さんに認定していただく予定です。その場合は、(小川住江
認定)と併記いたします。
【9898】
【タイトル】内心の音→文字
【 日時 】05/07/04 19:12
【 発言者 】村田
TKworldさんは練習をはじめてから半年くらい経つ方です。
先週、練習中に、
「ここで声を出して読む練習を始めてから、書く時にスペルを迷わなくなりましたよ。」
と話してくれました。
どういうことかと聞いてみました。
TKworldさんは、英語で文章を書く時に、頭の中で英語をしゃべり
ながらそれを文章にしていくそうです。練習を始める前は、例えば、
correct か collect かで一瞬迷ったりしたことがあるとのこと。
(ここに挙げた語はあくまでも例です)
しかし、教室で音に注意しながら読むことによって、意識の流れの
中の音と字とが一致し、書く時には意識の中の声が collect と言っ
ているからこれは"rr"ではなく"ll"だと手が勝手に動くようになってつづり
が間違わなくなったとのことです。
村田が、「それは頭で考えて書いているんじゃないでしょ?」と尋ねる
と、意識が介在しているのではなく、あくまでも音が手を自動的に動
かしているということでした。
すごいと思いました。