【9001】
【タイトル】やってられるか
【 日時 】04/07/04 0:48
【 発言者 】根石吉久
素読舎の塾長は俺だ。
俺が柱だ。
その俺がしこしこと本気で作ってきた「あいうえおフォニックス」について、まともに読みもしねえで、門下のあほたれがでかい口をききやがる。
やってられるか。
で、いくこは俺の門下というより、実質は俺の女房の門下である。
しかし、俺の女房は俺の門下である。
俺がいくこを破門するためには、俺は女房を破門しなければならない。
いくこがでかい口をききやがったことを、いくこ自身がどう処理するのか。
俺は女房を破門することは構わない。
【9002】
【タイトル】再度、改訂版
【 日時 】04/07/04 0:59
【 発言者 】根石吉久
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の大前提・・・
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりとくっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する(粗末にさ
れる)傾向が強い。(この曖昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の小前提・・・
・日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別を綴りから割り出すためのものであること
----------------------------------------------------
<それぞれの綴りにアクセントがある場合・あるいはそれぞれの綴りがアクセントの前にある場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
------------------------
<それぞれの綴りがアクセントの後ろにくる場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or のすべてを大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・全部「狭い音」になる
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o
」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができ
た)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭い音」
・re は er と同じく「狭い音」(母音の後で re が現れる・図式の er の下に括弧に入れて (re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から
「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er = re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いからである。
----------------------------------------------------
<例外>
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
・ar に関して particular (どちらの ar も「狭い音」)
----------------------------------------------------
【9003】
【タイトル】Hさんから聞いたKさんの話
【 日時 】04/07/04 1:29
【 発言者 】根石吉久
稲荷山で喫茶店をやっているKさんが、ずっと一筋、自分が求めるものを求め続けてこれまでやってきた、それは根石さんが長年英語をやってきて、今でも真
剣に日本人にとっての英語を考えているのと同じだ、と言っていたとHさんから聞いた。
自分がやってきたことを、そのように求め続け、作り続けてもいない若い者から、わかったようなつらをされると、無性に腹が立つとも言っていたそうだ。
【9004】
【タイトル】もっと簡略化します
【 日時 】04/07/04 1:43
【 発言者 】根石吉久
「あいうえおフォニックス」は、日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関してだけ
のものですが、区別しているのは、『顎の下がる明るい「あー」(歯医者のアー)』と『狭い
「あ」』だけです。
広い音には、『顎の下がる明るい「あー」(歯医者のアー)』の他に、「一瞬般若(吊り上げ音)」
がありますが、「一瞬般若」は「あいうえおフォニックス」が扱う音としては対象外です。
【9005】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/04 3:56
【 発言者 】根石吉久
>>語学の言語と生活の言語の区別ができていない
>これは自虐論者か道具論者という議論なのでしょうか?
自虐論というのは、まだ読んだことがありませんので、新書の名前がわかりましたら教えて下さい。しかし、字面を見るだけでも、自虐論というのがどんなも
のかはわかる気がします。私はこの掲示板で「反英語フリーク」を掲げておりますが、自虐が生じるのは、「英語フリーク」においてです。磁場に渡った英語フ
リークの病気は、磁場がなおしてくれますが、日本在住のままの英語フリークの病気を治す薬は日本語の磁場にはありませんので、病気は深まる一方、その結
果、自虐が生じるのではないでしょうか。
私が言い続けてきた理屈は、「自虐論」です。というか、「自虐批判」です。
道具論には、一定の根拠はありますが、言葉に関する思想の底が浅すぎるので、まともに相手にしたくありません。
で、語学の言語と生活言語の区別ができていないという問題は、自虐批判とも道具論とも無関係ではありませんが、直接には別問題です。
お手数をわずらわせて申しわけないですが、多忙をきわめておりますゆえ、私がsbさんのどんな発言に対して、「語学の言語と生活の言語の区別ができてい
ない」と発言したのか、覚えておいででしたら、私のものでもsbさんのものでも結構ですので、引用していただけたら幸いです。
もし、この問題について興味がおありの方がおられて、第三者の立場から引用していただけるならなお結構ですので、読者の方々にもお願いしておきたいと思
います。
【9006】
【タイトル】リセット。
【 日時 】04/07/04 9:48
【 発言者 】Jackie
たまにはいいものです。海外滞在。
ここ何年も旅をしていないので行きたいですね。
リフレッシュをしに。
ながらくひとつところにいると凝り固まる。
頑固になる。
そんなとき自分をぽーんとどこかに放り出してやると
こだわりがとける。
物事を別の角度からみれるようになり いままでこんなことで悩んでいたのかとばからしくなる。
私の英語の力はさびてきている。さびまくりだ。
英語への執念、恋も醒め 教えることに前より情熱をいだかなくなった。
いだかなくなったのにはわけもある。
ただ英語がしゃべれるというだけの外国人に1時間4000円もはらうのに
私には払えないらしい。
しっかりとレッスンプランをたて
なるべく効率的に効果的に英語の基礎力を身につけようとしているものにとって
単なるくっちゃべり外人兄ちゃんより稼ぎが悪いというのは
時にあまりにもばからしくなるのだ。やってられねーよ。
ま、私の不徳のいたすところもままある。
英語で飯をくうのだから英語力、教える力をたえず磨かねばならない。
それで英語圏滞在を考える。
英語力チャージ。
語学学校に午前中いってみるか。いやほとんどの語学学校は行くに値しない。
(Naimaさんがドイツ滞在中に通っていた学校を覗く。ここは効果ありですね)
行くに値しないがどっぷりと英語にひたることができる。
単なる旅行だけでは英語を使う機会は少ないのだ。
休息。午後は気ままに散策。ビーチがあれば昼寝。
夜はバーにでも行ってコロナビアかテキーラで雑談。
いつもと違う環境に自分をおき
自らをリセットして
充電してパワーアップしたいところだ。
根石さんも いかがです?
からっぽの電池を充電しに行きませんか?
【9007】
【タイトル】謝罪
【 日時 】04/07/06 2:30
【 発言者 】いくこ
あいうえおフォニックスについて、
掲示板で、前提条件を含めたあいうえおフォニックスについて、
思慮なく軽んじた発言をしたことをお詫びもうしあげます。
今後は、いっそう語学について真摯にとりくでいく所存で降ります。
よろしくお願いもうしあげます。
【9008】
【タイトル】アルファベットの o を日本語の「あ」と発音するもの
【 日時 】04/07/06 21:23
【 発言者 】いくこ
あいうえおフォニックスと直接関係があるとは言えないかもしれませんが、
この理論(あるいは法則)を太らせる材料となるのではないかと思うものがありました。
アルファベット o (単独で現れる場合) を 「あ」と発音する場合が、アメリカ英語においてよくみられるという点です。
単語帳のとあるページからですが、o の含まれる単語をくまなくひろってみます。
例1)単独で子音と子音の間にあり「あ」と発音される場合
compliment, bond, hospitality, odds, colleage, posture, doctrine,
prophecy, bottom, botany, contest, posterity, (theology)
例2)うしろに u を伴って「あ」と発音する場合
output, counsel, drought
例3)発音が「あ」(逆さ e) となる場合
prisoner, symptom, irony, retoric, deducation, corporation*, riot
例外1)r を伴って発音が鏡文字 c: となる場合
core, course, court, corporatopn*, shortcoming
例外2)発音が ou となる場合、あるいはその他
revolt, oath, zone
category, dogma, childhood, bosom
*は、重複して掲載しているもの
法則性については、まだ私の中でうまく整理されておらず、言及できずにいますがご了承ください。
とりいそぎ、失礼いたします。
【9009】
【タイトル】追記 および 訂正
【 日時 】04/07/06 22:36
【 発言者 】いくこ
■追記
あいうえおフォニックス および 10の発音 の効用について、考えていました。
これらの発音規則を学ぶことは、
日本人が英語の音を聞いたとき、
それがどの単語であるかを特定するのに、非常に助けになる、
のではないかと思うようになりました。
その中でも、
「あ」・「あー」が、明るい音であるか狭い音であるかを知っているだけで、
日本人のヒアリング力は、かなり向上するものと思います。
これにあわせて、先にあげた o が「あ」と発音されているのを知っていれば、
日本人が「お」と発音されるものと誤解して聞き取れなかった単語が、
そうとう聞こえるようになるのではないか、と思いました。
あいうえおフォニックスは、
日本人の英語のヒアリング力を向上させる点で、
かなり有効な戦略性を持っているのではないかと期待されます。
■訂正
先の記事において、訂正があります。
>例外1)r を伴って発音が鏡文字 c: となる場合
>core, course, court, corporatopn*, shortcoming
の
corporatopn* → corporation*
の誤りです。
失礼いたしました。
【9010】
【タイトル】自虐論者と道具論者
【 日時 】04/07/06 23:21
【 発言者 】sb
さる公的機関の世論調査によれば、ふだんの生活の中で自分自身の日本語のことば遣いが乱れていると感じることがあるかと調査したところ、「よくある」
「ときどきある」「たまにある」で八割に達したそうだ。多くの人が自分のことば遣いをダメだと思っているのである。
なんと自虐的なのだろう!これは謙虚さを超えていると思う。日常使っていることばにこれほど多くの人が自信を持てないとは、驚きである。
なぜか?それは常にダメだダメだといわれているからである。ことばについての話が好きなのはいいのだが、マスコミなどの報道では「最近のことばの乱れ」
というのに焦点の当たっていることがとても多い。この「乱れ」という観点からしてすでに評価が含まれている。常日頃からそういうものを目にしていれば、自
分のことば遣いに自信が持てなくなるもの当然である。彼らを言語自虐論者と呼ぼう。
またこの反対の立場を取る者も現れる。つまり、ことば遣いが少々違ったって、それがどうした、ことばなんて通じればいいじゃないか、そうせ道具なんだか
ら、といった開き直りである。いくら乱れているといわれようが、ふだんは何の問題もなく話しているんだ。そんな細かいことを気にするのは、一部の意地悪な
言語学者ぐらいだ。学者がえらそうになんか言ったところで君するもんか。こういうグループを言語道具論者としよう。
この自虐論者と道具論者は、真っ向から対立するものではない。自虐論者があるときキレて、ついに道具論者になるというパターンもある。過激な人も多い。
かくして、言語学者に対する敵は増えるばかりで、月のない夜は外を歩けない。
『はじめての言語学』(黒田龍之介、2004)講談社現代新書
【9011】
【タイトル】雑談1
【 日時 】04/07/07 2:09
【 発言者 】村田@酔っ払いモード
根石さんちで昼飯をごちそうになりました。
雑貨屋きりPと俺と根石さんとで飯を食いながら話していたわけですが。
その時、根石さんは、こう言ってました。
「最近、英語の聞き取りができるようになってきた分、日本語の聞き取り
ができなくなってきたような気がする」
===========================
最近、村田はテント芝居の脚本を音読するのに凝ってます。
演劇のセリフは、身体の動きに立脚している部分が大きいので、音読
してもおもしろいのです。さらに、音読していて初めて気づいたのですが、
一つのセリフの中で、時間軸や空間が流動し、意味が2重、3重以上
に重層的になっているのに感動してしまうのです。
(根石さんだったら、詩を読め、と言うでしょうけど)
最近、村田は英語の方が音読しやすいかな?と思います。
日本語の音読っていうのは、普通はしない、というのがまず一点。
普段日本語をしゃべるときは、無意識に自分のクセによってしゃべってい
る部分がかなりあるので、字面が意識の流れや口の動きを裏切るので
す。村田は出っ歯なので、言いにくい言いまわしは身体が無意識に避
けているということもわかりました。
英語をやることによって、日本語が聞き取りにくいと思うようになったり、
日本語をしゃべるのが、実は不自由だったんだと思ったりするのは似てい
ることなのか、と思ったのでした。
【9012】
【タイトル】雑談2
【 日時 】04/07/07 2:10
【 発言者 】村田
今日、おもしれー!と思ったこと。
昨日、きりPがポータブルレコードプレイヤーを持ってきて、ジャズも聞き
たいねえ、と言っていたから、デイブ・ブルーベック・カルテットを持ってい
きました。あーほんとはドルフィとかコルトレーンとか持っていきたいところ
ですが、残念ながらそれはCDしか持ってないんだなあ!
それで根石さんがきりPに、
「昼間にジャズを聞いているなんて、物悲しいな」
といいました。
きりP「『物悲しい』ってどういうこと?」
根石さん「村田くんにきいてみな」
ということで、きりPが物悲しいってどういうこと?と村田に聞いてきたの
でした。改めて聞かれると、さてねえ?です。
「なんとなく悲しいってことかなあ?」
その後、根石さんに、
「改めて聞かれるとわかんないもんだねえ」
と言ったら、
「他の言葉で説明しても端からすり抜けていってしまうからな」
言葉っていうのは、そういうもんですね…。
あ、付け加えると、きりPは村田よりずっと頭が切れる人です。
後、村田が、脚本音読してるんですよ、と言ったら、根石さんも、うーん、
俺もやってみるかな?と言ってたんですが…。
「昔、演劇はストリートパフォーマンスとか言って日常を非日常に変えて
しまうということをやっていたんだが…日常の会話の中でいきなり演劇を
始めてしまうってのはおもしろくないかい?非日常を日常で真綿で締める
ようにくるんでしまうのだ…ただ、帰ってくるのが大変かもしれないが」
すごくおもしろそうだなあと思いましたよ。確かに、帰ってこれるかどうかはわ
からないですが。
最後に、民芸理論の話をしていて、根石さんが、
「批評は、地の塩なんだ」
と言ってました。あー、なんでこういう言葉が出てきたのか、途中経過を
今は思い出せないんですけどね…。気になったので、書きとめておきます。
「もしかして、聖書の言葉っすか?」
と聞いたら、いや、俺が言ってるんだけどね、と言われました。
【9013】
【タイトル】こんなページを見つけました
【 日時 】04/07/10 12:02
【 発言者 】sb
受験対策として音読指導は
効果があるか?
【9014】
【タイトル】その1
【 日時 】04/07/10 12:03
【 発言者 】sb
1.軽視される音読指導
英語国で生活することなく,英語をマスターした人たちがまず例外なく勧める学習法が音読です。コミュニケーション能力の基礎を身につける手段としての音
読の有効性が個人的体験として実証されていると言えます。しかし,学校では,特に高校では音読指導は十分に行われていないようです。音読指導が軽視されて
いると思われるいくつかの事実を挙げてみましょう。
数年前のことですが,私が昨年3月まで勤務していた高校の卒業生で,教員採用試験に合格した私の教え子が,ある高校に着任早々に校内の新任研修担当指導
教官から最初に言われたのが,「うちの学校は進学校で,リスニングや音読の指導には生徒も興味を示しませんから,そのような指導はしないように。」という
ことでした。
ある県の公立高校数校で教えた経験のある方から,「私の県では,特に進学校では音読指導は御法度になっている高校が多いです。」という話を聞きました。
昨年4月から大学で教えるようになり,教育実習や観察実習に出かける学生に対する事前指導で,「中学や高校時代にどんな英語の授業を受けてきました
か?」と一人一人に尋ねたところ,音読指導が全く行われていない高校も少なからずあり,行われていても,毎時間1回だけという形式的な指導しか行われてい
ないことがわかりました。私の勤務校のの学生たちは「進学校」出身者が多く,また約半数が近畿2府4県以外の出身者ですから,全国的にも音読指導が軽視さ
れていると言えそうです。
【9015】
【タイトル】その2
【 日時 】04/07/10 12:04
【 発言者 】sb
2.なぜ軽視されるのか?
(A) 大学入試で音読が課されていない。
(B) 入試でもっとも重視される読解力の養成に音声は不要であるという思い込み。
(C) 音読指導を十分に行うための時間が取れない。(進度が遅れる)
(D) 生徒が声を出さない。
(E) 効果が明確でない。
進学校で音読指導が行われない原因を列挙すると,このようになるでしょう。その内,(E)の原因を取り除くことができれば,(A)と(B)は消えてなく
なるでしょうし,(C)と(D)は,自分の過去の経験から,大した問題ではないと私は思っています。
(E)についてはあとに回して,(C)と(D)について触れておきます。(C)と(D)は,どちらかと言えば,音読指導は大切だとお考えの先生方が音読
指導ができない理由として挙げられるものです。
(C)については,進度も確保しながら,音読指導に充てる時間を捻出することはできます。和訳をさせたあと,その和訳を生徒がノートに書くために何度も
繰り返し和訳を言うというのがよくありますが,授業が済んでから(あるいは1レッスン終了後)和訳を配布すれば時間を節約できます。全文和訳をやめること
も考えていいでしょう。ただし,使用する教科書が難し過ぎるとだめですから,生徒の力に合ったものを選ぶことが必要です。「全訳しないと生徒が満足しな
い」と思われるかもしれませんが,全訳を続けると生徒はいつまでも全訳をしてほしがりますが,部分訳で1年間通せば,生徒は慣れてくることが,生徒に対し
て実施したアンケートからわかっています。また,本文のあとの練習問題は解答を配布して,家で自己添削させ,わからないところを次の時間に質問させれば済
むことです。これらは私が実際に行っていたことです。「進学校」の生徒ならその程度のことはできるはずです。
(D)については,「掃除をさぼる生徒が多いからといって,掃除をするよう指導するのをやめますか?」とお尋ねしたいと思います。そんな場合は,先生も
生徒といっしょに掃除して,ねばり強く指導を続けるのではないでしょうか。音読指導も同じです。
【9016】
【タイトル】その3
【 日時 】04/07/10 12:06
【 発言者 】sb
3.受験対策として音読指導は効果があるか?
「入試対策としては音読指導など無駄だ。」という考え方が「進学校」では多く見られますが,実際はどうでしょうか。ここでは,コミュニケーション能力の
一部であるリスニングとリーディング・スピードに対する音読指導の効果と,入試対策としての音読指導の効果に関する実証研究(鈴木,
1998)を紹介します。
1.音読指導を十分に行うと,リスニング力とリーディング・スピードが向上する。
音読回数を大幅に増やした音読指導を行ったクラス(Aクラス)と,音読指導を儀式的に行ったクラス(Bクラス)に対して,4月と2月にリスニング力と理
解を伴ったリーディング・スピードを測定したところ,両クラスの優劣関係は表1のようになりました。
<表 1>
リスニング リーディング・スピード
--------------------------------------------
4月 A=B A=B
2月 A>B(p<0.05) A>B(p<0.01)
--------------------------------------------
4月の時点では,両クラスの間には統計的有意差はありませんでしたが,2月の時点では音読回数が多いAクラスが,リスニングとリーディング・スピードにお
いて,Bクラスを上回りました。
(注/たとえば,p<0.05 は危険率5%ということで,A,
B両クラスが100回テストを受けた場合に,BクラスがAクラスを上回る確率は5回以下であることを意味します。pの値が0.05以下の場合に統計的有意
差があるとされています。数字上は上回っていても,pの値が0.05を越えているときは統計的有意差はないということになります。)
2.音読指導を十分に行うと,入試に対応できる学力も養成できる。
大量音読クラス(Aグループ)と,1〜2回程度の儀式的な音読クラス(Bグループ)の校内模擬試験(センター試験形式と国公立大学2次試験形式)の成
績,センター試験自己採点結果を比べたところ,両グループの優劣関係は表2と表3のようになりました。
<表 2>
センター形式模試 センター試験
------------------------------------------------
6月 A=B
11月 A>B(p<0.05) A>B(p<0.01)
------------------------------------------------
<表 3>
国公立2次試験形式模試
------------------------------------------------
6月 A=B
11月 A>B(p<0.05)
------------------------------------------------
表2,表3が示すように,6月時点での校内模試の成績を比較すると,センター試験形式模試においても,国公立2次試験形式模試においても,2つのグルー
プの平均点には統計的有意差はありませんでしたが,11月の校内模擬試験,1月のセンター試験の成績はいずれもAグループがBグループを統計的有意差を
もって上回っています。
これだけで,音読は入試対策としてもっとも効果的な方法であると主張するつもりはありません。英語の授業は音読だけで成り立っているのではありません
し,授業中の様々な活動や家庭学習によって英語力は伸びていくからです。しかし,「音読は入試に必要とされる学力を養成する有効な方法の一つである」とは
言えそうです。また,「入試に対応する学力の養成には音読は無駄だ」という考え方は間違っていると言えるでしょう。
【9017】
【タイトル】その4(忘れてました、著者は鈴木寿一さんです)
【 日時 】04/07/10 12:07
【 発言者 】sb
4.英語が苦手な生徒にも効果はあるか?
少し本題からそれますが,英語が嫌いな生徒にも音読指導は効果があります。いわゆる「困難校」で勤務していた頃から,授業中のいろいろな活動を生徒に評
価させていますが,英語が非常に苦手で嫌いな生徒でも,音声が絡んだ活動は高く評価していました。音読もその一つです。英語が苦手なあるいは嫌いな生徒で
も音声を重視した授業を受けると苦手意識が少なくなり,また英語嫌いの生徒が減少することもわかりました。(逆に,音声を軽視した指導を続けると,英語が
好きな生徒が多い進学校でも,英語が嫌いが増えることもわかっています。)
学習した語彙や文法が内在化し,コミュニケーションのための基礎力がつき,入試にも対応できる学力がつく音読をもっと生徒にさせたいものです。音読でき
るようになれば,一人で学習する際にも大きな支えになります。筆者が実施したアンケートに対する生徒の回答からもそのことがわかります。私たちは目先のこ
とにとらわれることなく,本当に生徒のためになる授業をしたいものです。音読指導もその一つです。
(参考文献)
鈴木寿一「音読指導再評価−音読指導の効果に関する実証的研究」(1998,『LLA関西支部研究集録』第7号,pp.13-28)
(京都教育大学助教授)
【9018】
【タイトル】大学入試にどんな項目を盛り込めばいいのか?
【 日時 】04/07/10 12:24
【 発言者 】sb
TOEFLやTOEIC
音読(文字の美しさや綺麗さを自由英作文などに求めないのと同様、音読力を測定するのに、音声や発音の美しさや綺麗さを求めないことが大切ではないかと思
うのですが、みなさんいかがでしょうか。そしてどのように「音読力」を測定するかという問題ですが、ズバリ「音読量」で測定してみてはどうかと思うので
す。根石さんは電話でレッスンでとにかく「5回連続できちんと言える」こと、「復習範囲を徹底的に手放さない」こと、などを中心に指導されています。音声
の綺麗さなどは、書道の字の「美しさ」のようなもので、評価者によって違いが出てくるのは当然のことです。「理想的な異性のタイプは?」という質問が、
「どこの英語をモデルにするか?」という質問と繋がる感覚があるのですが、みなさん、いかがでしょうか?「好きな日本語や英語のフォントは?」というの
も、いわゆる「趣味の領域」だと思いますし、「あの人の演技は今一つ、とか、あの歌手の声はいいねえ」などというのも、繋がると思います。そこで、音読力
を大学入試や高校入試などで測定する基準として「きちんと」「3回ないし5回くらい」「連続で」「音声や発音は度外視して」「聴覚力が普通程度と測定され
た複数の評価者に聞こえる音量で」言えるかどうかでかなり判断できると思うのですが、みなさん、いかがでしょうか?もちろんそれに加えて、その文章を書か
せます。書かせる回数は「1回ないし2回」で十分でしょう。この「音読」と「筆写」を「少しでも速く」でもなく、「きちんと」「さっさと」できるかを診る
ことで少なくとも「英語の基礎力」があるかどうかは、かなりきちんと測定できると思うのですが、みなさん、いかがでしょうか。
【9019】
【タイトル】「あいうえおフォニックス」の再構想
【 日時 】04/07/10 12:27
【 発言者 】根石吉久
先日、レッスンを休まれた方があったので、次のレッスンまでの間に時間ができたので、横になって一休みしているうちに眠ってしまった。そこへいくこが来
て、謝りたいと言ったので眼が覚めた。
いくことの口論は、いくこが「あいうえおフォニックス」が「日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音」に関してだけのものであるという一点(前
提)を無視しているという私の指摘に対して、or
が「鏡文字c:」となる事例が多いと言い続けることに対して、私が腹を立てたことから始まった。これは「あいうえおフォニックス」にとっては、
irrelevant(とんちんかん)な事例であるが、いくこが「あいうえおフォニックス」ができそこないであり、使えるしろものではないような口調でも
のを言い出したことで、私が「それなら使うな」と言い、いくこが「使わねえわ」と言ったことから破門に至ったものだった。
『日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音』という限定の元では、「あいうえおフォニックス」の的中率は100パーセント近いものになるという確
信が私にあるので、身近な者からの粗末な扱いには頭に血が登った。完成形に至っていないだけであり、「あいうえおフォニックス」は使えるものである。
いくこが言った or の問題は、日本人の耳に「おー」と聞こえる音に関してのものである。
「あいうえおフォニックス」の or は、日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえるものである。
そのことをはっきり例示しようと思って、パソコン画面に「ゴースト」の文法解析をやりかけたものを表示させ、「or」で検索をかけた。これは、「おー」
と聞こえる例だから、「あいうえおフォニックス」の対象外だし、これは「あ」と聞こえるし、これは「あー」と聞こえる例だから「あいうえおフォニックス」
の的中例だと言って、検索を続けているうちに、ゴーストというテキストのわずかなページ数だけを検索しただけなら、アクセントのある位置に or
が来れば「鏡文字c:」となる(「おー」と聞こえる)事例ばかりであることに気付いた。いくこは or
が「おー」となる例が多いとだけ言っていたのだが、そこに「アクセントがくれば」という条件を与えれば、法則化できるほどに or
が「おー」と聞こえる場合が多い。
しかしそれでも、ただ単に or は「おー」だ法則化してしまえば、今度は word, world
などが例外になる。今、ちょっと思いつかないが、or
が「狭いア」になる例は、例外扱いするには多すぎるだろう。だからこそ、『日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音』という限定を置いたのだった。
その後、考えて次のようにするのがいいかとも思った。
日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる or は「狭いア」であり、日本人の耳に「おー」と聞こえる or は「鏡文字
c:」(ゆでたまご)である、と。
この二つのうち、「ゆでたまご」は日本人の日本語の「おー」で代用しても、しゃべる分には通じる。しかし、「狭いア」を日本人の「あー」や「あ」で代用
したら、通じない。だから、日本人にとっては、「あいうえおフォニックス」における or こそが問題なのである、という問題意識からすれば、いくら
or が「おー」となる事例が多かろうと、「あいうえおフォニックス」から or を外すことはできない。
ar の問題にせよ、or の問題にせよ、アクセントの有無によって「あいうえおフォニックス」を二つに分割するのではなく、祖形に戻して「ar,
ir, ur, er, or」だけを提示し、ar と or に註をつける形にするのがいいのではないかとも考えている。
ar に関してなら、『アクセント以後に ar が現れる場合は、ar さえも「狭い音」になることが多い』という註を付け、or
に関してなら、『アクセントがくる場合は、日本人の耳に「おー」と聞こえる音になる場合が多い(「あいうえおフォニックス」の対象外)』という註を付ける
のである。
そうすると、アクセントによって「あいうえおフォニックス」自体を分割するのをやめることになるから、もう一度ふりだしに戻ることになる。
「あいうえおフォニックス」は、そもそもいかに英語に狭い音が多いかということをはっきりさせるためのものである。だとすれば、「ar, ir,
ur, er, or」のすべてを狭い音だとしてしまうことも考えられる。ar
の註に、『アクセント以前やアクセント位置では、「顎の下がる明るい「あー」(歯医者のアー)になる』とすれば、「あいうえおフォニックス」の全体が、基
本的に「狭い音」を扱うものになる。前提を置き、註をつけ、その後で例外を探せばいいのではないだろうか。
再度、「あいうえおフォニックス」を考え直す機会を与えてくれた功績を認め、いくこの破門は解いた。
【9020】
【タイトル】根石さんの過去ログより
【 日時 】04/07/10 12:52
【 発言者 】sb
1601なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 4日(金)20時09分44秒
私の考えていることは、少しわかりにくいと思いますので、同じようなことを再度書いてみます。
> そういう人の英語は「通じる音」よりも「通じる英語」
とか「斬れる英語」とか「使える英語」とでも呼んだ方が適
当ではありませんか。そして「通じる音」という語句は、あ
くまで発音の問題に限定して使わないと話がかみ合わないと
思います。
「通じる音」を「通じる英語」と読み替えれば、おっしゃ
っていることに異論はありません。
確かに、私が言っていることは「通じる英語」と言った方が、わかりやすいと思いました。英語で話をしている人の話として顕在しているものは、単なる
「音」ではなく、「英語」ではないかと言えるからです。
なぜ私が「通じる英語」とわかりやすく言えばよさそうなものを、「通じる音」と言っているのかと考えてみると、日本に住んで「語学として」英語をやる人
の場所からものを言っているからだと思います。つまり練習者の場所からものを言っているからだと思います。あるいは、その場所を離れずに考えてきたからで
す。
語学をやらない人にはあまり意味のない言い方でしょうが、語学として英語をやる人にとっては、「通じる音」という概念の中に、「音とイメージの同致」ま
でを含めてしまった方が実際的だし、役に立つと考えるのです。そうすれば、「イメージと同致する音を作れ」という方針が引き出せるからです。あるいは、
「音づくりの過程で、同時にイメージも作れ=イメージせよ」という方針です。
語学とは、まったく語学の中にいて、純粋に語学をやること(机上の練習)でもありますが、「渡る」行為によって、語学の言語を脱皮させ、「生活言語にす
る」ところまで含めていいのではないか。
生活過程で生活言語を使うことは、語学ではなく生活です。ここを私は峻別しますが、生活言語として生きたものを、再び「机上」に持ち帰り、再度、語学の
言語に化かして鍛えるならば、語学には、語学の言語と生活言語を往復することの全体まで含めてしまっていいのではないか。往復行為自体も語学ではないか。
そう考えています。
この「往復」を可能にする音(イメージが同致して動く音)をさして、私は「通じる音」と言っています。実際、「通じる」とはそういうことではないでしょ
うか。化けて生活言語に「なる」ことのできる英語が、「通じる音」であるならば、「音とイメージの同致」は必須条件ですから、「通じる音」という概念に
「音とイメージの同致」も含めてしまっています。
語学から「出る」とか、語学から生活言語に「渡る」とか、語学を「脱皮」して生活言語にするとか、あるいは、生活言語から語学の言語に「帰る」とか、語
学の言語と生活言語の間を「往復・往来する」行為全体をも語学の行為と呼ぶならば、そして、その行為総体の内側で考えるなら、あらゆる語学の練習とそれに
よって動く意識の動きのすべてが、「音(声)」として顕在化します。
すべての理解、センス、イメージの動きは、音に集約されて外在化されるので、音(声)こそが、語学という行為から生活言語に血を通わせるときのへその緒
みたいなものであり、同時に、もっとも主要なインターフェイスだと思います。「音(声)」とは、理解・情動・イメージなどが瞬時に集約されるほどの集約点
なので、語学の内側から「話す」という行為を見るならば、そこにあるのは私が言う意味での「通じる音」なのです。「通じる音」という質が成立しているなら
ば、語学の外からそれを眺めてもやはり「通じる音」だと言えないことはないと思います。しかし、練習者の立場を離れて、それを呼ぶならば、「通じる英語」
でもいいと思います。私はあくまでも練習者の立場からものを言い続けたいと考えているだけです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
ここまで引用
以前、素読舎にお邪魔したとき「毎日の練習に入るまでの約束事」のようなものを毎回生徒さんに読ませていらっしゃったのを思い出しました。「音声はインタ
フェイス」のようなことも盛り込まれていましたがその意味が今日分かりました。ありがとうございました。
【9021】
【タイトル】なぜ「あいうえおフォニックス」がわかりにくいか
【 日時 】04/07/10 13:10
【 発言者 】根石吉久
日本人がアメリカ伝来のフォニックスを、英語の綴りから音を割り出すためのものとして使っている(だからネイティヴ音が「前提」とされている)のに対し
て、「あいうえおフォニックス」が、「音づくり(音読=回転読み)」のためのものだからである。英語音という前提が「ない」場所で、英語音を「作る」ため
のものだからである。
ネイティヴ音は、日本人の英語学習においては「前提」にできない。柴田さんだって、複製のネイティヴ音を「媒介」にして、そのコピーを「作り」ながら、
フォニックスを生徒に与えたはずである。そうしなければ、どこにも「前提」などありはしないのだ。アメリカ本国のフォニックスとそこがまるで違う。同時に
英語音を「作り」ながらでなければ使えないというのが、日本におけるフォニックスの自転車操業なのだ。
「あいうえおフォニックス」が、英語ネイティヴ音を前提とせず、日本語で育った日本人の体(耳)を前提としているところがもっともわかりにくいのであ
る。
「あいうえおフォニックス」は、日本人の体と、その体が英語音をどうとらえるのかというところを「前提」としているのである。当然である。日本人が英語
をやるというのは、そういうことであるはずだ。この前提を置いた上で、後は「にじり寄れば」いい。英語ネイティヴ音は、「にじり寄る」ための媒介物であ
り、「前提」なんかではない。
媒介物として使用するのであれば、この複製音声全盛の世の中である。テープだろうが、CDだろうが、MDだろうが全部役に立つ。
欠けているのは「媒介」という思想なのだ。
「英語複製音声天下り方式」(CD付き市販本、NHKの英語学習放送)あるいは「英語ネイティヴ音声天下り方式」(英会話学校)が駄目なのは、日本人の
体を「前提」としていないからなのだ。日本人が英語音に「にじり寄る」ための語学的主体を作れないからなのだ。
だからちょっと英語ができると思えば、ただのフリークにすぎないような醜いしろものがやたら跋扈するのである。語学的主体が作れるならば、フリークには
ならない。
【9022】
【タイトル】あいうえおフォニックスのサンプル
【 日時 】04/07/10 14:26
【 発言者 】sb
@Daydreaming once was considered a waste of time.
・considered
APsychologists regarded it as evidence of maladjustment, an attempt to
escape from reality.
・regarded
BThey warned that habitual daydreaming could reduce a person's
effectiveness in real life and hamper his ability to cope with problems.
・warned*
・person's
・hamper
CEven the more indulgent psychologists considered daydreaming a
childish habit which caused students to get bad grades and adults to
fail at their jobs.
more*
considered
their?
DRecent research on daydreaming, however, indicates that it is an
intrinsic part of daily life.
research?
however
part
EDaydreaming, it has been discovered, is an effective means of
relaxation.
discovered
FBut the beneficial effects of daydreaming go beyond that.
GExperiments conducted by Dr. Joan T. Freyberg, a New York City
psychotherapist, showed that daydreaming significantly helps
intellectual growth, powers of concentration, attention span, and the
ability to communicate with others.
Freyberg
psychotherapist*
powers
others
HDr. Freyberg also discovered that her patients who easily engaged in
fantasy-making usually responded more quickly to treatment.
Freyberg
discovered
her
more*
【9023】
【タイトル】あいうえおフォニックスのサンプル
【 日時 】04/07/10 14:28
【 発言者 】sb
@Daydreaming once was considered a waste of time.
・considered
APsychologists regarded it as evidence of maladjustment, an attempt to
escape from reality.
・regarded
BThey warned that habitual daydreaming could reduce a person's
effectiveness in real life and hamper his ability to cope with problems.
・warned*
・person's
・hamper
CEven the more indulgent psychologists considered daydreaming a
childish habit which caused students to get bad grades and adults to
fail at their jobs.
・more*
・considered
・their?
DRecent research on daydreaming, however, indicates that it is an
intrinsic part of daily life.
・research?
・however
・part
EDaydreaming, it has been discovered, is an effective means of
relaxation.
・discovered
FBut the beneficial effects of daydreaming go beyond that.
GExperiments conducted by Dr. Joan T. Freyberg, a New York City
psychotherapist, showed that daydreaming significantly helps
intellectual growth, powers of concentration, attention span, and the
ability to communicate with others.
・Freyberg
・psychotherapist*
・powers
・others
HDr. Freyberg also discovered that her patients who easily engaged in
fantasy-making usually responded more quickly to treatment.
・Freyberg
・discovered
・her
・more*
【9024】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/07/10 22:09
【 発言者 】sb
語学に前提がないように、言葉というものにそもそも前提はない。母語で考えてみればそのことは明らかである。以前柴田さんも話題にされていた「モデル」の
問題なのかもしれない。「モデル」が「前提」にならないのが面白い。根石さんの言い方だと「モデル」は「媒介物」ということになるのであろうか。日本人で
あれ、英語が母語の人であれ、それ以外の人やモノ(CDやテープなどの複製音声)であれ、誰かが「モデル」にならざるを得ないという難しい問題がある。
しかし、基礎となる部分(法則、つまり音法や文法など)は存在していると思う。言語記号に音声記号と文字記号があるとすると、そのどちらにもはやり基礎と
なる共通部分(法則)は存在していると思う。
>アメリカ本国のフォニックスとそこがまるで違う。同時に英語音を「作り」ながらでなければ使えないというのが、日本におけるフォニックスの自転車操業な
のだ。
「自転車操業」の部分は否めないにしても、フォニックスから導入されるなどしていろいろと工夫されている日本の熱心な英語コーチは「日本語にはない英語の
特徴(つまり表音文字)については十分考えた上、たとえ「直輸入」だとしても、授業に活かされているのだと思う。そのことを十分理解した上で、さらに「に
じり寄る」ために、さらに発展・改良させるために、「あいうえおフォニックス」などの「日本人が英語を学ぶという視点をさらに工夫したいろいろの方法」
が、もっと研究実践されていくことが望ましいのではないかと思う。
【9025】
【タイトル】sbさん(1)
【 日時 】04/07/11 11:03
【 発言者 】根石吉久
アメリカの子供がフォニックスを習う時は、自分が既に持っている英語の音を、単語の綴りに結びつけていくだけなので、子供がすでに持っている音がフォ
ニックス学習の「前提」となる。日本の子供にそんな「前提」はない。
それが日本には「前提」がないということです。そこのところを、
>語学に前提がないように、言葉というものにそもそも前提はない。
こんなふうに平べったい論理で、いっしょくたにローラーをかけられたんじゃたまったもんじゃない。
「そもそも」などとおっしゃりますが、そもそも、これはいったい何を言っている文なのでしょうか。なんでもかんでもいっしょくたにして、論証なしに言い
放つなら、楽なもんですね。
語学には「前提」があります。母語で育ったイメージ形成力です。言葉というものに「前提」はあります。チョムスキーの言う「普遍文法」、あるいは私の言
う「言語獲得能力」です。
「モデル」はただそれだけでは「前提」になりません。そこに、「音づくり」の具体的な方法がなければ、教室の生徒にとっては「モデル」音など、単にお飾
りに過ぎないのです。すでに口が酸っぱい。
「モデル」が何もしないで「媒介物」になるわけではありません。「モデル」はそのままなら「モデル」のままです。そして、日本中の学校で、「モデル」は
「モデル」のままに終わっているではないですか。それを「媒介物」にするのは、語学的主体です。「モデル」を「媒介物」として取り入れる語学的な足元の確
かさです。
この足元の確かさもないままに、英語音を獲得してしまう曲芸をやらかすのが英語フリークたちです。普通の生徒に勧められるような行いではない。
だから、簡単に言えば、日本では、音を作りながらでなければフォニックスは使えないと言っているのです。先生が「音づくり」の技術を持たない場所で、
フォニックスなど一切無効だとははっきり言えます。また、「自転車操業」という語で、フォニックス使用を否定しようという意図もありません。やるならそれ
しかないと言っているだけです。
【9026】
【タイトル】sbさん(2)
【 日時 】04/07/11 11:04
【 発言者 】根石吉久
sbさんにおいて、語学の言語と生活言語の区別がついていない事例を新しく書かれたものにみつけることができました。
>日本人であれ、英語が母語の人であれ、それ以外の人やモノ(CDやテープなどの複製音声)であれ、誰かが「モデル」にならざるを得ないという難しい問題
がある。
英語獲得に場面を限れば、英語を母語として育つ人は決して自分以外の人たちの音を「モデル」になんかしていない。それは「モデル」なんかじゃない。初め
から「媒介物」です。例えば、母親は子供に「直接」話しかけるのです。世界の誰に向かってでもなく、ただ自分一人に向けられている「直接性」や「切実さ」
や「のっぴきならなさ」は子供に最初からあるのです。時には、包み込むような愛と一緒にそれらがあるのです。母親がよしんば自分のしゃべりを「モデル」扱
いしたところで、子供にとっては、それは音としての「モデル」以前に、母親が自分の言うことを「真似させようとしている意図」です。子供は、音としての
「モデル」より先に、必ず母親の「意図」を受け取ります。「音」は付随物であり、子供の意識はただただ「感情」に向かっています。普段の自分の日本語使用
だってよく眺めてごらんになればわかる。「言葉」や「音」より「先に」、相手の「意図」や「感情」に向かっている自分がいるはずです。
この直接性の場は、語学にはありません。語学では、あらゆる文が自分にとって間接的です。直接的なものがあるとすれば、想像的なイメージのリアリティが
あるだけです。
ネイティヴ言語獲得の場面にいる「人」と語学の場面における「CDやテープなどの複製音声」を、例のごとく平べったくローラーをかけていっしょくたにす
ること自体が、sbさんが、語学と生活言語の区別ができていないことを証拠だてているのです。
sbさんは、「人」も「cd、テープ」も言語を獲得しつつある意識における「外在物」だとしか考えられないのです。子供にとっての母親の愛にせよ、母親
の怒りにせよ、それが外在物であるわけがない。それらは間違いなく、最初から「わがこと」なのです。その「わがこと」が言葉と一緒に自分に届き、響くので
す。外在的な「モデル」なんかであるわけがない。
>しかし、基礎となる部分(法則、つまり音法や文法など)は存在していると思う。言語記号に音声記号と文字記号があるとすると、そのどちらにもはやり基礎
となる共通部分(法則)は存在していると思う。
存在しております。しかし、これもまた「音」と同じく語学にとっては「外在物」ですから、媒介にして「わがこと」に変換しなければ、「外在物」のままで
す。
>「自転車操業」の部分は否めないにしても、フォニックスから導入されるなどしていろいろと工夫されている日本の熱心な英語コーチは「日本語にはない英語
の特徴(つまり表音文字)については十分考えた上、たとえ「直輸入」だとしても、授業に活かされているのだと思う。そのことを十分理解した上で、さらに
「にじり寄る」ために、さらに発展・改良させるために、「あいうえおフォニックス」などの「日本人が英語を学ぶという視点をさらに工夫したいろいろの方
法」が、もっと研究実践されていくことが望ましいのではないかと思う。
こういう「いい子」の文章が、何も切り開くことがないことはおわかりになりませんでしょうか。そんな「日本の熱心な英語コーチ」が、柴田さん以外にどこ
におられますかね。あっちに気を配り、こっちに気を気を配りして、自分の言いたいことがもうろうとしてくるような文章を書いて、何か楽しいですか。
【9027】
【タイトル】sbさん、別件
【 日時 】04/07/11 11:14
【 発言者 】根石吉久
サンプル提示をありがとうございます。
一度、「あいうえおフォニックス」を祖形に戻してみたいと考えていますので、その後に、
提示していただいたサンプルを使って、解説してみたいと思っています。
【9028】
【タイトル】更に内部告発させていただきます。
【 日時 】04/07/12 2:13
【 発言者 】信学会内部のものです
以前メールを遅らせていただいたものです。このような形で掲載していただきありがとうございます!
ところで、最近ある情報を手にいれました!
長聖中学の寮でおととし起きた出来事です。これは私を信頼してくれる生徒からの情報です。
おととし、5月後半、中間考査後、夕食を食べた後、複数の生徒が気持ち悪いなどの体調不良を訴えたとのこと。学習会が始まる前に吐いてしまった生徒も複数
名、夜の点呼前にはすの数は20名を超えていたかもしれないほどであったらしい。しかし、この生徒(今後Aと記述)が、体調不良を訴えたが教師は「早く寝
ろ」との対応(その日昼間頭痛のために飲んだ薬のせいにされた)。Aはその後、何回か吐いた。そして、深夜になり、教師側から病院にいこうといわれた。こ
の時点で、体調不良で病院に行った生徒は15人超。(しかも、同日夜教師が病院で点滴を先に受けている)
この時点で、教師が生徒を信用していない、本気で心配していないことが伺われる。
Aはこの時、医者から入院するように言われた。(二日間)
見舞いはなし。
この原因は食中毒(SRSV)である。入院は2名。病院に行ったもの30名程と新聞は報じたが、実際は入院10名、病院に行った人数は50人を超えていた
ようだ(バスで行った)。
しかも!
学校側はAの親に対し、この真相をAが退院するまで伏せ、「勉強をがんばりすぎて、悪い風邪にかかったようだ」などと言っていたらしい。
全校集会でも、副校長が「悪い風邪がはやっている。吐き気がひどい」などと話したらしい。
いい加減にしてもらいたい。
そこまでして「学校」を守る必要があるだろうか。
因みにこの事件で寮を辞めた生徒は3名。
やはり、ここの体質は腐りきっているとしか言えない。
【9029】
【タイトル】sbさん(1)
【 日時 】04/07/12 10:05
【 発言者 】根石吉久
私がとんちんかんをやらかしたかもしれません。
>日本人であれ、英語が母語の人であれ、それ以外の人やモノ(CDやテープなどの複製音声)であれ、誰かが「モデル」にならざるを得ないという難しい問題
がある。
「Aであれ、Bであれ、Cであれ、誰かが「モデル」にならざるを得ないという難しい問題がある。」とsbさんは書かれているのであり、A、B、Cはすべ
て、「モデル」となるもの(人)のことなのではないかと読み直してみて思いました。私は「日本人であれ」「英語が母語の人であれ」というところを、「日本
人にとっても」「英語が母語の人にとっても」と読んでしまっておりました。「日本人」とか「英語が母語の人」というところには、「日本語で育ち、日本に住
みながら英語をやる人」というような限定がないので、sbさんの文を語学の過程もネイティヴ言語獲得過程も区別していない文だとして読んでしまったのでし
た。寝不足でもうろうとする日が続いていたせいです。お許し下さい。
sbさんが最初から話を語学に限定しているのであれば、「モデル」というものは語学上の「モデル」だけを言っているのであり、ネイティヴ言語獲得過程に
おける幼児にとっての「モデル」は問題の外ですので、私の誤解です。
その上でお聞きしますが、なぜそれが「難しい問題」なのでしょうか。
誰か(何か)が「モデル」に「ならざるを得ない」というところに、高校英語教師というsbさんの職業の響きを感じるのは私だけでしょうか。これは、sb
さんが「モデル」をやりたくないということを言っておられるのでしょうか。
なぜ「ならざるを得ない」ととらえるのかとお聞きしているのです。
視点を学習者(生徒)の側にとっていないな、と思うのです。
生徒にとっては、先生というものは「いい音」を出せる人であるである前に、「音づくり」ができる人でなければ意味がない。「モデル」なぞCDでいい。先
生は、該当の音をどう出すべきかを的確に言える人でなければならない。
ここに私が言ってきた、「中間音」という考えが登場する根拠があります。日本人の日本語なまり(カタカナ発音)からは抜け出しているが、英語ネイティヴ
の音ではない(当然です!)音。つまり、誕生して育つ過程で自然に身につけた英語音ではなく、意識的に人工的に作った音。この音のことを「中間音」と言っ
てきました。
コーチが備えるべき音はこの「中間音」です。中間音にもピンからキリまでありますが、何をもって、ピンとし、何をもって、キリとするのかということの方
がはるかに難しい問題ではないでしょうか。これまで、多くのわけのわかっていない人たちは、英語ネイティヴと同じ音を出すことをピンとしてきたのです。認
識としてはめくらです。このめくらが、自虐を生むのだとも考えてきました。
【9030】
【タイトル】sbさん(2)
【 日時 】04/07/12 10:11
【 発言者 】根石吉久
なかなか人々ははっきりと認識してくれませんが、英語ネイティヴには日本人に向けて英語の「音づくり」はできないのです。彼らは日本人の発音が違うとい
うことはただちに指摘できる。しかし、その後は何もできはしない。ただ違うということができるだけであり、どこをどうすれば該当の音が作れるのかは何も言
うことができない。
生徒の側からすれば、彼らがやれるのは、単に「モデル」に過ぎません。彼らの英語は「自然言語」ですから、「音」についてもほぼ無意識です。私たちが日
本語の音についてほとんど無意識に話しているのと同じです。
「モデル」を「媒介」にして「中間音」を作る作業は、生徒の語学的主体です。この場面で意識的に人工的に英語音を作ってきた「中間音」のプロ(=コー
チ)がいれば、その「音づくり」の技術は生徒に大いに役に立ちます。長く迷い続けなくても済むからです。
コーチが持つべき音は、「中間音」でいい、というよりも「中間音」でなければならない。日本人の生徒が「媒介」にし、英語音に「にじり寄る」時に、もっ
とも役に立つのは「中間音」であり、その音の作り方の知識です。「中間音」の「媒介」が成立すれば、次に英語ネイティヴ音(CDなどのモデル)が「媒介
物」として役に立ちます。この順序が世の中にいまだ確立しておりませんが、私はずっとそれを言ってきたのです。コーチの必要性を言ってきたのも、世の中が
「中間音」を馬鹿にしていることが間違っていると認識してきたことと同時進行でした。そこらにごろごろしているのは、英語ネイティヴ音信者ばかりじゃあり
ませんか。そんな者どもに語学がわかってたまるかと思っています。
私の実践例では、「音づくり」をきちんとやれば、若い生徒の音は私の音よりよくなります。「音づくり」によって、生徒の側に「中間音」をきちんと作れ
ば、CD(モデル音)が一挙に役に立つ教材に変わるからです。単なる「モデル」の音が(語学的に)「わがこと」として受け取れるようになり、「媒介」とい
う行為が成立するからです。生徒が私よりいい英語の音を出すのに何の不思議もない。CDを媒介にしているのですから。
私の「音づくり」は、複製音声を「媒介」にするところまで視野に入れて行っていますが、そこにどうしても必要なものとして「中間音」があるのです。いう
なれば、私は「中間音」のプロなのです。
【9031】
【タイトル】信学会内部のものです 様
【 日時 】04/07/12 10:13
【 発言者 】根石吉久
歓迎いたします。
できれば、進学会をぶち倒すだけの質を備えた内部告発を期待しております。
【9032】
【タイトル】「あいうえおフォニックス」の祖形
【 日時 】04/07/12 10:48
【 発言者 】根石吉久
数年前、信州中野のお宮に付属する建物(公民館のようなところ)で、数人の子供を相手に週一回英語のクラスを持っていたことがあった。ある日、ちょっと
待てよと内心に思うところがあり、生徒に練習を中断させて、黒板に「a, i, u, e,
o」とローマ字であいうえおを書き、それぞれに「r」を加えて、「ar, ir, ur, er, or」とした。
英語の音が「あ」とか「あー」と聞こえる場合、この中で「ar」だけが「顎の下がる明るいア(歯医者のアー)」だと言い、残りの4つ、「ir,
ur, er,
or」は「狭い音」だと言った。そのつもりで英単語をよく見ながら音読するようにと言って、生徒を練習に戻させた。普段から、「歯医者のアー」とか、「狭
い音」という言い方は使用していて、絶えず日本語の「あ」に先祖帰りする生徒の音を「歯医者のアー」「狭い音」にひきもどすことをやっていたので、単体と
しての「歯医者のアー」や単体としての「狭い音」の感覚は生徒の中にできている。それを前提として、そう説明したのである。
「あいうえおフォニックス」は中野の神社の脇で生まれた。その祖形は、実に単純なもので、「あいうえお」のローマ字に r を加えただけのものだ。
体感でものを言うだけだが、この簡単な図式だけで(「あ」または「あー」と聞こえる音に関して)「顎の下がる明るい音」と「狭い音」の区別は90パーセ
ント以上、いや、95パーセント以上的中する。
その後、re が「あ」または「あー」と聞こえる場合は、er と同じだから「狭い音」であるとか、ear も「狭い音」であるとか、ar
がアクセントの後にくる場合は、ar でさえも「狭い音」になるとか、どう考えても図式にとっては例外になる例だとか、いろいろなものを考えて、特に
ar にとってのアクセント位置によって、図式を二つに分割した。
ar にアクセントが来る例の方が多いが、ar がアクセントより後ろにくる例もぽつぽつと目にしたので、それによって図式を分割してみたのである。
or
が「狭い音」になる例より、「おー」と聞こえる例の方が多いという指摘がいくこからあった。これは、「あいうえおフォニックス」が「あ」または「あー」と
聞こえる音についてのものであるという前提を無視していることから論争になったが、いくこの指摘自体はその通りである。
ar と or に註をつける形で祖形に戻したほうがいいかもしれないと考えた。
次に、祖形に註を加えたものを提示し、皆さんの意見をお聞きすることにする。
ご協力をお願いします。
【9033】
【タイトル】Jackie さん、いくこへ
【 日時 】04/07/12 11:07
【 発言者 】根石吉久
Jackie さん、アドバイスありがとうございます。
私も相当煮詰まっておりまして、ほんとにどっか余所へ行って、充電したいものです。
今日の夜、多治見と土岐に出かけ、3日ほど滞在します。雑貨屋を始めたので、陶器の仕入れに
行くのです。仕事がらみですから、ゆっくりはできませんが、それでも、普段の暮らしからは離
れられると思っています。またご登場ください。
いくこへ
再度の問題提起ありがとう。これについては、俺は少し前から「o は七変化する」と言ってきた。
後でもう一度書くつもりだが、忘れていたら、書けと言ってほしい。
【9035】
【タイトル】後で考える
【 日時 】04/07/12 12:03
【 発言者 】根石吉久
祖形に註を加えようとして、第二前提自体を取り払うことを考え始めてしまった。頭の中が沸騰してきた。「あいうえおフォニックス」が、「あ」または
「あー」と聞こえる音の広い音・狭い音の区別だけを扱うものではなくなってしまい、「おー」と聞こえる音も扱うことになるが、どっちが生徒の側に混乱が少
なく、例外が少なくなるか。
ギブアップする。
多治見へ行く車の中で今夜考えることにする。
ar の問題は、アクセント位置であらかた解決する。
or の問題は、w の有無で解決するのではないか。
【9036】
【タイトル】検討外れかもしれませんが...
【 日時 】04/07/12 14:24
【 発言者 】Naima
W 音はかなり口唇を前に突き出して出すので、続くar
音が「おー」に片寄るのは自然の成行きかもしれないと考えたりします。 口を究極まですぼめた後にarの音の為にぐっと大きく開くのはしんどいですね。
ネイティブスーカーにも面倒臭いんじゃないでしょうか。 もともとは「あ−」音だったものが、時代を経て発音しやすい方に流れて行った結果、「おー」の様
な音になったのではないでしょうか。international
が「イナナショナル」になってしまう様に、言いやすい方が主流になったのではないでしょうか。
もしこの推測が正しければ、例外として扱い、そういう説明を付け加える方が生徒も理解しやすいと思います。
【9038】
【タイトル】みんながモデルになってしまう
【 日時 】04/07/12 20:34
【 発言者 】sb
>生徒にとっては、先生というものは「いい音」を出せる人であるである前に、「音づくり」ができる人でなければ意味がない。「モデル」なぞCDでいい。先
生は、該当の音をどう出すべきかを的確に言える人でなければならない。
このことは口語だけでなく文語にも言えることだと思います。
生徒にとっては、先生というものは「いい文章、いい文字」を書ける人である前に、「文章がつくれるか、文字が書けるか」ができる人でなければ意味がな
い。「お手本の文章やきれいな文字」は教科書やペンマンシップに任せておけばよい。先生は個々の文字をどう書くか、文章をどのように構成するか(文法的に
修辞的に)的確に言える人でなければならない。
>ここに私が言ってきた、「中間音」という考えが登場する根拠があります。日本人の日本語なまり(カタカナ発音)からは抜け出しているが、英語ネイティヴ
の音ではない(当然です!)音。つまり、誕生して育つ過程で自然に身につけた英語音ではなく、意識的に人工的に作った音。この音のことを「中間音」と言っ
てきました。
ネイティブ音はそんなに偉いものではないと思います。ネイティブだって、ノンネイティブだって「中間音」を出している。ただ「通じている」「分かってい
る」「通じさせることができる」「分からせることが出来る」かどうかだけが問題だと思います。「相手に」なのか「自分に(つまり自分で書いて後で確認する
メモなのか)」なのかという違いはあるとしてもです。もちろんそこにはある程度の「法則(ルール)」の問題が絡んでくると思います。
>コーチが備えるべき音はこの「中間音」です。中間音にもピンからキリまでありますが、何をもって、ピンとし、何をもって、キリとするのかということの方
がはるかに難しい問題ではないでしょうか。
ネイティブであろうが、ノンネイティブであろうが、「中間音」を出していると認識が「自虐」から抜け出すことになるのだと思います。ネイティブだから「音
作り」が出来ないということはないと思います。日本語をしっかりやって「通じる日本語を獲得した英語ネイティブなら、日本語と英語の発音の特徴をある程度
押さえた人なら、たとえネイティブであろうと日本人に対して英語音をコーチすることは可能であるし、そうならなければならないと思います。我々の発言が英
会話学校やALTを始めとする人たちの意識を変えることになればいいと思います。意識しないと行動は変わらないと思います。
>これまで、多くのわけのわかっていない人たちは、英語ネイティヴと同じ音を出すことをピンとしてきたのです。認識としてはめくらです。このめくらが、自
虐を生むのだとも考えてきました。
そういうことになると思います。同じ人間です。ネイティブであろうが、そうでなかろうが。国際語としてのthe Englishでなく、an
Englishという発想があれば、ピンというものの相対化は十分可能なものになると思います。また近い将来そうなることは十分予測可能です。
【9039】
【タイトル】鈴木さんのURLです。
【 日時 】04/07/13 5:14
【 発言者 】sb
http://www.zoshindo.co.jp/Ms_Ns/Dialg29a.htm#ondoku
【9044】
【タイトル】記憶やイメージ
【 日時 】04/07/19 2:34
【 発言者 】sb
@すらすらよめる
A整理と理解
Bイメージを使う
記憶に関するあるHPをヒントに今まで根石さんに教えていただいたことを基に書いてみました。
はやりBについてはいろいろ各個人の工夫があると思いますが、みなさんどのようにイメージの世界を広げていらっしゃるのでしょうか?いろいろ教えていただ
きたいのです。
Bイメージを使う
といっても日本語の文章や法律、表現、グラフなどいろいろなものを覚える時に「絵を使う」または「頭の中に絵を描くような感じ」をもっていらっしゃる方は
多いのかもしれません。絵を描くことができないような抽象的な「例えば「抽象的な」というような単語」は頭の中でどのようにイメージ化しているのでしょう
かねえ。
【9047】
【タイトル】中学生と英検
【 日時 】04/07/22 12:13
【 発言者 】いくこ
こんにちは。
このところ、いくこ塾をはじめて、子供たちからいろいろ刺激をうけていおります。
まだまだ、これからだけど、楽しんで、そして時に厳しく、憎まれ役になることを恐れず、
やってきたいです。
Naima師匠、まじで、いろいろご相談させていただくことがあるかと思いますが、
よろしくお願いいたします。
で、このところ何回か、親御さんから「英検」について聞かれることがありました。
広告をぶった時、
「中学3年生なのですが、英検2級対策をしてもらえませんか」
という問い合わせがありました。
それから昨日も、塾生の親御さんから、
中学3年までに英検準2級をとらせたいのですがどんなもんでしょう、
という相談がありました。
で、よく聞いてみると、
どうも高校入試などの推薦入学枠で、準2級以上をもっていると配慮されるらしい、
ということなのです。
確か、英検は3級が中学校修了レベルぐらいだったと思いますので、
準2級がとれるならば、中学3年生では英語ができるという判断基準にはなるかもしれないな、
とは思いました。
いずれにせよ、塾生の場合は小学生で英語を始めたばかりだし、
入塾のお問い合わせでも、その中3生が実際どのぐらいのレベルなのかわからないので、
いきなり英検対策というわけにはいきませんが、
将来、英検対策の生徒さんを受け入れるとしても、
できれば、やっぱりまずは中学の教科書のレベルをしっかり固めてから、
という基本線は、かえられないな、と思う、いくこでした。
乱文失礼いたします。
【9048】
【タイトル】学校教育(英語)を振り返って
【 日時 】04/07/24 23:10
【 発言者 】石坂
こんにちは
僕は去年の11月から根石さんの電話でレッスンをやっている者です。
(プロフィール:男、19歳、長野県に在住)
僕は高校の後半から英語に興味を持ち始めました。
英語を聞き取り、話すには何が必要かを本などで調べてみました。
たどり着いた答えは、「発音」でした。
まず英語を勉強するのに大切な点は発音をしっかりできるようにするということでした。
自分で発音できないものは聞き取れないそうです。
でも、発音に関して中学(普通の市立中学)や高校(職業高校)ではほとんど扱いませんでした。
覚えているのはf、vの発音する時は唇をかむとか、thの発音は舌をかむようにと言われたぐらいです。
根石さんが言われている「せまい音(発音記号はeの逆)」に関して教えられたことは全く記憶がありません。
例えば、「fast」と「first」の発音の違いが全く分からず、中、高と過ごしました。
なぜ、発音に関して、中学や高校ではもとしっかりやらないのでしょうか?もし、英語の先生や学校教育に詳しい人がおられましたら、なぜやらないのかを教え
くださればありがたいです。
確かに、一クラス約40人もいれば、1人1人に対して発音を直していくのは無理だとは思いますが、だからといって、発音に関して授業でほとんど扱わないの
はおかしいと思います。
中学校では基本的に、教科書を先生やテープの後に音読し、文法についてやっただけでした。
発音や音と音のつながりに関してはほとんど扱いませんでした。
【9049】
【タイトル】石坂さん
【 日時 】04/07/25 9:50
【 発言者 】sb
>覚えているのはf、vの発音する時は唇をかむとか、thの発音は舌をかむようにと言われたぐらいです。(記号「>」は以前の誰かの掲示板での発言を意味
します。つまり今回はあなた石坂さん自身の発言です。それをもとに何か私の書き込みをしようとしているということです。)
fやv、thの発音の話を覚えていたのですか。私が高校生の時は全く覚えていませんでした。授業を自覚的に聞いておられたのだと思います。
私も根石さんのレッスンを受けているsbと申します。根石さんのレッスンを受けてアドバイスに従っていれば「英語の基礎は確実につきます」。やり方はいろ
いろあって自分に合うやり方を見つけていけばいいと思いますが、本当の基礎の段階ではある程度の誰にでも共通するやり方があると思います。それをきちんと
やってもらえるのがこの電話でレッスンだと思います。
【9050】
【タイトル】「あいうえおフォニックス」について迷う
【 日時 】04/07/26 2:14
【 発言者 】根石吉久
「あいうえおフォニックス」を「顎の下がる明るいア」の音と、「狭いアの音」の区別だけを扱うものにすべきか、それに「ゆでたまご・唇を丸くし唇自体に
力を入れる音」を加えて、3つの音を区別するものにすべきか、迷い続けています。すでにこれらの音をクリアされた人にとっては、区別すべき音が二つであろ
うが、三つであろうが差はないと思われるかもしれませんが、初心者にとってはそれはそうではない。二つが三つになるだけで、非常に面倒なものであるという
印象を与えてしまうおそれがある。しかし、三つの音を区別するものに仕立てると、これまでよりもはるかに広い範囲を扱えるものになることも確かである。
祖形を祖形のままに提示し、「日本人の耳に<ア>または<アー>と聞こえる音に関して」という前提を置くだけで、90パーセント以上の「顎の下がる明る
いア(歯医者のアー)」と「狭いア」は区別できる。これをひとつ置くことは必要ではないか。初心者にはこれが一番わかりやすい。
もうひとつ、「ア系列」だけを扱うものだという前提を取り払って、「ゆでたまご」をも扱えるものとして、進化形を別に提示するのがいいのではないか。
せっかく破門騒ぎまでやったのだから、「ゆでたまご」を反映させるのもいいだろう。そうしても、アメリカ直輸入のフォニックスほど煩雑なものにはならな
いだろう。
と、そのあたりまで考えております。
【9051】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/26 2:26
【 発言者 】根石吉久
石坂君は、
>なぜ、発音に関して、中学や高校ではもとしっかりやらないのでしょうか?もし、英語の先生
や学校教育に詳しい人がおられましたら、なぜやらないのかを教えくださればありがたいです。
と書いています。この点に関して、sbさんが答えて下さるのがいいと思います。
sbさんは現職の高校の英語の先生ですから。
私はすでにこの掲示板で、現在の石坂君の疑問に対して答えを出したことがありますが、sb
さんは教師という立場から答えてくださるのがいいと思います。
私も実は英語教師の免許に必要な大学の単位はすべて取得し、教育実習もやりましたが、最後
に申請してそれを一枚の免許にする段階で放棄しました。私が自分でみつけた方法を、学校の
授業という形で展開することは無理だろうとにらんだためでした。
國弘正雄さんに今年の正月にお会いしたとき、國弘さんも只管朗読を学校の授業で実現するこ
とは無理だと考えてきたと言われました。
この「無理」に風穴をあけたのが、柴田さんだと考えています。
私は柴田さんの実践には、本当に驚きました。
「音と意味の同致」に関しては、柴田さんに理論はありませんが、初心者の段階でもっとも
必要な訓練(音の訓練)に関しては、柴田さんがやったことが、学校でやれることの最良の
モデルだとも思っています。
話が逸れました。
よろしくお願いします。
【9052】
【タイトル】石坂さん
【 日時 】04/07/26 22:50
【 発言者 】sb
>なぜ、発音に関して、中学や高校ではもとしっかりやらないのでしょうか?
この質問はすばらしい。この疑問を考えた石坂さんに敬意を表します。発音に関して中学や高校でもっとしっかりやらなければならないのに「実際は十分出来て
いない」のが現実だからです。
そしてこの問題は私自身まだまだきちんとした答えが出ていないのです。でもこの質問にきちんとした形で答えていくことは私にとってはたいへんうれしいし、
また楽しみでもあります。なぜなら私は現役の高校英語教員だからです。
しかし現在は「抑うつ神経症」という病気で休んでいます。仕事をやめて他の仕事をしようかとも何度も考えました。でも現在は「休職」状態でまず自分の心身
の健康回復を目標に日々頑張っています。だから石坂さんにもこの掲示板をご覧になっている方々にもあまりはっきり「英語教員」ということは知られたくな
かったのです。
まず第一に、よくある答えに「就職試験や上級学校への入学試験に直接関係ないから」というのがありますが、今ではこの答えは意味を持ちません。
現在ではリスニングを試験を取り入れている所がどんどん出てきているからです。そして、石坂さんも書かれているように「自分で発音できないものは聞き取れ
ないそうです。」ということが実際にあるからです。このことは英語学習に関する常識になりつつあると思います。
石坂さんは、「発音」という言葉について、どのようなイメージをもっていますか?私は「発音」というのは「個性」だと考えています。一般的には「発音記
号」(国際的にはIPAというのがあります。初耳なら後で調べてみてください。)などと使われて、誰もが持っている「音」の共通部分というイメージがある
かもしれません。しかし、私はそれを「音声」と捉えて「その人にしか出せない音声」と考えます。このことは根石さんから学んだことです。
「ことば」には「話し言葉」と「書き言葉」があります。日本語でもそうですが、「文字」「書道」には個性がでます。その人独特の文字の形があります。同じ
ように「話し方や発音」にもその人の特色がでるのです。それを私は便宜上、「音声」と呼んでいます。
しかしプロ野球でもそうだと思いますが、個性は「基本原理」があってこその「個性・特色」です。イチロー選手が素振りを今でも毎日していることでもよく分
かります。では、英語「基本原理」は何か?それが「音声」つまり「発音」なのではないかと思うのです。」
しかし「音声」は外からの「モデル」がないと自分の内側に「つくる」ことはできません。だからCDやテープやNHKを始めとする語学教材や英会話学校を始
めとするネイティブスピーカーと言われる先生などが登場する機会が特に今までは多かったのです。
しかし、モデルは必ずしもネイティブである必要なありません。日本語が母語である人でもよいわけです。むしろ、日本人の学習者に「日本語独特の音と英語独
特の音の違い」などを明確に「日本語で」説明できるコーチがあればそのほうが良かったのです。
そのことを真剣に考えて実際に塾を開かれたパイオニア(先駆者)が根石吉久さんだと私は思っています。もちろん他に同じようなやり方で英語を習得された方
もいらっしゃるかもしれません。しかし「真剣に考え」「生徒の立場に立ち」「定点観測を怠らず(つまり同じ生徒をしっかり見つめつづけること)」「理論や
理念もしっかりしており」「。。。」まだまだ続くのですが、あまり根石さんはほめすぎると図にのり、私に「ほめすぎる!」と怒られるのでこのくらいにして
おきます。
まだきちんとした「なぜ発音をもっと中学高校でしっかりやらないのか」という答えは全くでていません。今日はとりあえずここまでにしたいと思いますが、こ
の掲示板を時々見てください。そして石坂さんも意見を書きこんでみてください。私もできるだけ応答したいと思います。
このような形での書きこみを促してくれた石坂さんに感謝します。
このような形での書きこみを促してくださった根石さんに感謝します。
【9055】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/27 21:19
【 発言者 】根石吉久
>石坂さんは、「発音」という言葉について、どのようなイメージをもっていますか?私は「発音」というのは「個性」だと考えています。一般的には「発音記
号」(国際的にはIPAというのがあります。初耳なら後で調べてみてください。)などと使われて、誰もが持っている「音」の共通部分というイメージがある
かもしれません。しかし、私はそれを「音声」と捉えて「その人にしか出せない音声」と考えます。このことは根石さんから学んだことです。
私がsbさんが述べられているようなことを言ったことがあったでしょうか。あったようなら、過去ログから引用して下さるようお願い致します。
私は「音」と「声」を区別したことはあります。しかし、「個性」などという戦後民主主義じみた概念とそれらを結びつけたことは、私の自覚では一度もな
かったと思っています。
発音記号というものがあり、それが有効であるなら、「音」は「個性」なんかではありません。sbさんの言う「個性」という語を使うなら、あらゆる有象無
象の個性を貫いている音の共通部分を抽き出して、それに該当するものとして発音記号というものが存在しているのです。私が「音づくり」と言う場合でも、柴
田さんが「音作り」という場合でも、それは必ずこの「共通部分」を作ることをさしています。そうでなければ、私が「あいうえおフォニックス」などを人と喧
嘩しながら作っている意味がありません。
なんなんでしょうか、その「個性」とやらは。
個性だの民主主義だの、アメリカ伝来日本歪曲版ほど、語学と縁のないものはありません。
私の「音」と「声」の区別に関しては、「midnight press」という詩の雑誌に書いたものがありますので、以下に引用します。
【9056】
【タイトル】語学を極論すれば、
【 日時 】04/07/27 21:22
【 発言者 】根石吉久
自分に対する暴力です。
暴力の自覚もなく暴力を振るってきたことに対して、sbさんはあまり自覚的ではないと思って
きました。
【9057】
【タイトル】midnight press から引用(1)
【 日時 】04/07/27 21:33
【 発言者 】根石吉久
あらかじめ死んでいる言語
語学を長いことやってきたので、語学のことを考えることがよくある。語学の言語のことを考えていると、語学の言語以外の言語が気になり、語学の言語とそ
れ以外の言語を対照させて考えたりするような癖もできた。
語学から見たら生活言語がどう見えるかとか、逆に生活言語から見たら語学の言語がどう見えるかというようなことが気になるのである。
語学の言語と対照させるために、生活言語と言ってみたり、ネイティヴ言語と言ってみたり、自然言語と言ってみたりしたいろいろな言語があるが、これらの
言語は生きている。書き言葉や、書かれた文学のテキストの問題を持ち出すと、非常に面倒なことになるが、少なくとも、話し言葉としての生活言語、ネイティ
ヴ言語、自然言語というものは生きて動くなまものである。人間の意識の動きと分離しがたいものだから雑多であったり、流動状態であったり、整理されていな
かったり、断片ばかりだったり、衝動的だったりするが、みんな生きて動いている。
語学の言語は死んでいる。ある人に、語学の言語というものは死んでいるのだと言ったら、変なことを言う人だという感じの反応が返ってきた。不気味なこと
を言う人だというような感じでもあった。あからさまな言葉ではなかったものの激しく反発されたので、むしろこちらがびっくりしたのだった。
語学の言語が死んだ言語だというのは、異様な考えなのだろうか。私にはしごく当然のことに思われるのだが、私に反発した人は、「生きた表現」というよう
なものを信じている人だったということなのだろうか。
私は「電話でレッスン」という英語のレッスンで映画のシナリオを使っているが、テキストには気の利いた言い回しが載っていることがある。また、ことわざ
集のようなものには、ツボにはまった言い回しがたくさんあったりする。比喩に面白いものがあったりもする。そういうものを「生きた表現」と呼ぶことに反対
はしないが、語学の対象になったとたんに、それらは全部死んでしまう。「生きた表現」は「生きた表現」のままに死んでしまう。語学の対象になったとたん
に、言葉がかさぶたのようなものになり、客体化されるのだと言えばいいのか、飛び回る昆虫ではなくピンで止められた標本となるのだと言えばいいのか。
死んでいる言語の一番わかりやすい例は、英語を習い始めたばかりの中学1年生が、「習う learn 習う
learn」などとぶつぶつと唱えて自分に言い聞かせるような場面にみつかる。これは、一見、対応する日本語と英語を単に並列させているように見えるが、
実は「音」と「意味」を一体化させようとしているのである。「習う」という日本語から意味を取りだし、「learn
」という「意味のない音」に意味を込めようとしているのである。「音」と「意味」が別々のものとして分離しているから、それらを一体化させようとして呪文
のようなぶつぶつを唱えるのである。
「意味」と「音」の分離、あるいは、「音」だけがあり「意味」がそれに伴わないことは、語学の対象としての言語が死んでいることの証拠の一つである。生
きて動いている言語において、「音」と「意味」がばらばらであるなどということはない。
言語として死んでいるから、それを生き返らせようとして中学一年生は呪文を唱えるのである。この呪術がうまくいき、「音」と「意味」が合体し、「
learn 」という音に対して、「習う」という日本語の訳語を必要とせずに、「意味そのもの= learn
という語のイメージの核」がただちに生じるようになれば、learn
という語は生き返ったのだと考えていいだろう。そこに至る呪術の途中では、語学の机上において、ミイラが踊りを踊っているだけなのである。
こんなことは、生活言語では起こらない。いや、「音」というものひとつだけとりあげても、生活言語には「声」はあるが、「音」というものはないのだと
言ったほうがいい。誰も皆、生活では「声」を聞いているのであり、「音」などを聞いているわけではない。例えば、言葉を覚え始めた幼児に母親が話しかけて
いるとき、幼児が聞いているのは、「音」ではなく「声」である。
(私は最近孫を持ったが、孫の顔をみていてわからなくなったことがある。生まれたばかりの赤ん坊が持つ意識の白紙状態は、「声」を聞いているのか、
「音」を聞いているのか。それがわからない。この時点では、無機物が有機的であり、有機物が無機的であり、相互に交流しているみたいなのだ。)
【9058】
【タイトル】midnight press から引用(2)
【 日時 】04/07/27 21:34
【 発言者 】根石吉久
なにはともあれ、赤ん坊が母親の言葉に反応するようになった時からは、赤ん坊が聞いているのは母親の気持ちや感情と分離しがたい「声」である。もちろ
ん、この「声」も録音できるので、録音されてしまえば「音」であるだろうが、それでも、言葉が母親から発せられているその時に、話しかけられている幼児に
とって、言葉は必ず「声」であって「音」ではない。つまり、自分に直接に話しかけられているという関係が、幼児を言葉の当事者にしているということであ
る。生活言語においては、大人と大人の話でもそうである。話す人もそれを聞く人も言葉の当事者である。
この当事者性とでも言うべきものも、語学にはない。当事者性もなく、言葉は「声」ではなく「音」に過ぎず、そしてそれに意味が伴わないというような事態
において、言葉はすでにあらかじめびっしりと死んでいるのである。単純な事実であり、何も気持ち悪がられる必要はない。
【9059】
【タイトル】石坂君
【 日時 】04/07/27 21:56
【 発言者 】根石吉久
なぜ学校ではちゃんと「発音」を扱わないかに関して、sbさんは答が出ていないようです。
私は、それについては一応の答を出してあります。過去ログを読んでくれればわかりますが、
過去ログは膨大な量があり、どうでもいいような記事も決して少なくはないので、該当部分
を探すのが大変だと思いますから、手短に私の考えを書いておきます。
日本語と英語が音に関しても、文構造に関しても根底的に異なる言語であるということにつ
いては、文部省に何の責任もありませんが、このことをきちんと方法的に組み込むことなく、
大学の英語教員養成課程のカリキュラムを組み立ててあることが根本の原因です。
大学の英語教員養成課程には「英語音声学」という単位があります。日本中の英語の先生は
全員この単位をとった人たちです。そして、この「英語音声学」とやらが、日本の英語の教
室では(先生たちは「現場では」と言っています)、役に立たないのです。
この「英語音声学」は日本の学者が作ったものではなく、アメリカの学者が作ったものの輸
入品です。この輸入品が日本人の生徒に英語の「音づくり」をするときに、役に立たないの
です。すでに、日本語の音を持った人が英語をやるのであるという明らかな前提を無視して
いるからです。もちろん、アメリカの学者にも罪はありません。こんな直輸入ものを無媒介
に導入して、「お飾り」にすぎないものを単位として設定し、教員になろうとする人たちに
強制し、柴田さんや私の実践のように、現実に日本語で育ってすでに日本語の音を持ってい
る生徒に対応できている事例を無視しつづけている馬鹿役所(文部省)があるからです。
日本の学校でまともな「音づくり」がなされないのは、馬鹿役所(文部省)の責任が半分、
それをまともに批判できない大学教員どものおさぼりの責任が半分です。
大学教員どものおさぼりについては、以前、広島大学で教えている柳瀬という男と喧嘩こ
きましたが、興味がありましたら、過去ログを参照して下さるとありがたいです。
どなたか、過去ログから、石坂君の疑問に関連する記事や、文部省批判、大学教員批判を
引用して下さると助かります。
なぜ日本の英語教育が駄目なのか、多少ははっきりするだろうと思います。
【9060】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/27 22:05
【 発言者 】根石吉久
あなたが現場復帰できないでいることの原因の一つに、あなた自身は「音」を非常に大事にされ
る人なのに、高校の英語の授業という現場では、それが実践できないということがありますか?
もしそうであるなら、あなたの敵も文部省です。なぜ現場の教師が文部省のでたらめさをえぐら
ないのか。私には不思議で仕方がありません。
あなたは現場復帰して、度胸を据えて「音づくり」をやるべきです。
【9062】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/27 22:34
【 発言者 】根石吉久
根石>ここに私が言ってきた、「中間音」という考えが登場する根拠があります。日本人の日本語なまり(カタカナ発音)からは抜け出しているが、英語ネイ
ティヴの音ではない(当然です!)音。つまり、誕生して育つ過程で自然に身につけた英語音ではなく、意識的に人工的に作った音。この音のことを「中間音」
と言ってきました。
sb>ネイティブ音はそんなに偉いものではないと思います。ネイティブだって、ノンネイティブだって「中間音」を出している。ただ「通じている」「分かっ
ている」「通じさせることができる」「分からせることが出来る」かどうかだけが問題だと思います。
ネイティヴだって「中間音」を出しているというふうに、例の如く一般化のローラーをかけられたのでは、私はここに書くことが空しくなります。
私は、「中間音」を「育つ過程で自然に身につけた英語音ではなく、意識的に人工的に作った音」だと定義してあるのに、sbさんによってその定義はまった
く無視されています。ネイティヴの音は、それぞれ個々の癖はあってもみんな「育つ過程で自然に身につけた英語音」ですから、私の言っている意味での「中間
音」であるわけがありません。
イギリスの歯抜け婆さんのふがふが音でさえ、それが明瞭でないだけであって、「中間音」であるわけではない。「意識的に人工的に」ふがふが音を出してい
るのではないからです。
sbさんは、sbさんの使いたい意味で<中間音>ということを言いたいのであるならば、括弧つきの「中間音」という表記はやめていただきたい。私は定義
したうえで、括弧をつけ、「中間音」としているのです。
>ネイティブだから「音作り」が出来ないということはないと思います。日本語をしっかりやって「通じる日本語を獲得した英語ネイティブなら、日本語と英語
の発音の特徴をある程度押さえた人なら、たとえネイティブであろうと日本人に対して英語音をコーチすることは可能であるし、そうならなければならないと思
います。
「そうならなければならない」のはその通りです。
しかし、そうならなければならないことを実現して、実際に日本人に対して「音づくり」がやれている外人をどなたか一人でもいいがご存知なのですか。
私は、英会話学校でセンセイをやっている外人は何人も知っておりますが、そのうちの一人だって、日本語の音をすでに持った日本人に対して「音づくり」が
やれている者を知りません。
彼らがやれることはモデル音を出すことまで、です。それ以上の何をやれるわけでもない。それをやるためには、相当高度な日本語能力が必要ですし、日本人
の舌や唇が日本語の音によってどう定式化されているかを知っていなければならない。「通じる日本語を獲得した」程度の英語ネイティヴに、日本語で育った人
の口の動きを変えることができるなどとはとうてい信じることはできません。実際にそれを可能にした人を一人でもいいですが知っておられた上で、『ネイティ
ブだから「音作り」が出来ないということはないと思います。』などと言っておられるのですか。一人もそれを知らないで言っているのであれば、そして根拠を
掘り出してないならば、それは空論ではないですか。
ちゃんと現実を見て欲しいと思います。
sbさんにあるのは理屈だけではないですか。
あなたの理屈を私は信じることができません。
現に日本の津々浦々の英会話学校で、外人は日本語の音をすでに持っている人に対して何もできていないではないですか。あなたはかつて英語フリークだった
ので、こういうところに非常に盲目なのだと思っています。
【9063】
【タイトル】公言する
【 日時 】04/07/27 22:39
【 発言者 】根石吉久
外人のモデル音も英語フリークには有効だ。
フリークはやみくもに真似するのが好きだからだ。
私の「音づくり」は、口の筋肉の動きに障碍がないなら、あらゆる日本人に有効である。
英語がしゃべれるだけの外人なんかと同列に扱われてたまるか。
【9064】
【タイトル】Naimaさん
【 日時 】04/07/27 22:54
【 発言者 】根石吉久
お返事が遅れ申しわけありません。
>W 音はかなり口唇を前に突き出して出すので、続くar
音が「おー」に片寄るのは自然の成行きかもしれないと考えたりします。 口を究極まですぼめた後にarの音の為にぐっと大きく開くのはしんどいですね。
(略)
> もしこの推測が正しければ、例外として扱い、そういう説明を付け加える方が生徒も理解しやすいと思います。
唇の開きを小さくして前に突きだす w
音が、それに続く母音を変形させるのではないかという考えは、非常に示唆的です。それがなぜ、「えー」などにならず、「おー」になるのかというのは相変わ
らず疑問のままに残りますが。
最近、「あいうえおフォニックス」をどうまとめるかを考えていて、w に関して二つほど法則があると思っています。
w に続く or は、「狭いアの音」
例: word, work, world, worse, worth
w に続く ar は、「ゆでたまご・唇を丸く開き唇自体に力を入れるオーの音」
例: war, toward, ward, warden, warm
これらにも例外はありますが、まずかなりの確率で当たりますので、定式化していいと思っています。これをどう「あいうえおフォニックス」に組み込むかを
考えています。
【9068】
【タイトル】これは養老孟子さんから教わったことでした
【 日時 】04/07/28 7:53
【 発言者 】sb
石坂さんは、「発音」という言葉について、どのようなイメージをもっていますか?私は「発音」というのは「個性」だと考えています。一般的には「発音記
号」(国際的にはIPAというのがあります。初耳なら後で調べてみてください。)などと使われて、誰もが持っている「音」の共通部分というイメージがある
かもしれません。しかし、私はそれを「音声」と捉えて「その人にしか出せない音声」と考えます。このことは根石さんから学んだことです。
私がsbさんが述べられているようなことを言ったことがあったでしょうか。あったようなら、過去ログから引用して下さるようお願い致します。
【9070】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/07/28 8:06
【 発言者 】sb
>私は「音」と「声」を区別したことはあります。しかし、「個性」などという戦後民主主義じみた概念とそれらを結びつけたことは、私の自覚では一度もな
かったと思っています。
根石さんの頭の中の「音」は、私の中では「音法(発音記号にいくつかの基本的な単語と単語が重なった時の約束事を加えたもの)」ととらえています。また、
「声」は、私の中では「音声」という風にとらえています。なぜなら、「声」には、根石さんがこの後、おっしゃっている「音」が含まれているからです。それ
からもう一つ。根石さんのおっしゃる「音」を日本人英語コーチは一体どこまで塾生や生徒に身に着けさせることができるのかということです。そのことについ
て根石さんはどのように考えておられますか。
>発音記号というものがあり、それが有効であるなら、「音」は「個性」なんかではありません。
これは私の定義の仕方でも、根石さんの定義の仕方でも同じことですから問題にはなりません。
根石さん・・・「音」と「声」に区別・・・「音」は個性ではない
sb・・・「音法」と「音声」に区別・・・「音法(根石さんのおっしゃる「音」と同義?)」は個性ではない
>sbさんの言う「個性」という語を使うなら、あらゆる有象無象の個性を貫いている音の共通部分を抽き出して、それに該当するものとして発音記号というも
のが存在しているのです。
このことが今私が書きこんだこと、そのものです。たぶん。
【9071】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/07/28 8:25
【 発言者 】sb
>なぜ学校ではちゃんと「発音」を扱わないかに関して、sbさんは答が出ていないようです。
この根石さんの書きこみには少しムッときました。なぜなら私は石坂さんへの書きこみで次ぎのように結んだからです。
>(sb)まだきちんとした「なぜ発音をもっと中学高校でしっかりやらないのか」という答えは全くでていません。今日はとりあえずここまでにしたいと思い
ますが、この掲示板を時々見てください。
これは私の表現力の拙さです。でもどうしてムッとしたのか。なぜ学校で発音をしっかりやらないのかということに対する答えの続きを書く気持ちがまだあった
からです。このような「怒り」は大切にしていきたいと思っています。自分の「怒り」は結局は「自分」から出ているからです。だから自分の責任なのです。
そこのところを本当によく分からず混乱していた自分というのがありました。「わたし」と「わたしのあたま」、「わたし」と「わたしのからだ」、「わたし」
と「わたしのこころ」がある程度区別しながら、自分の中にもっていると今までどうしようもなかった「怒り」「空しさ」が少しずつですが、解消されていきま
す。これは私自身が少し経験したことです。
そこで私が石坂さんへの回答としていくつか考えていた項目のみを書き出してみます。まだどんどん出てくるかもしれませんが、「今」の時点で思いついたこと
や本で読んだことです。
@(前回の石坂さんへの中で書きましたが)就職・進学試験における問題
A音声測定が難しいという問題
B教員世代にはまだまだムラ社会意識が強く(もちろんこれも大変大切なのですが)私も含めて変えていくだけのちょっとした勇気を持ち合わせていないという
問題(つまり何でも前例が幅を利かせてしまう)
C日本語の特殊事情(日本の漢字は表意文字で、ネイティブ言語から輸入されたphonicsや根石さんがおっしゃっていた大学教員養成段階での音声学はこ
れまた輸入物であるということ、これについてはまた機会があれば補足します)
DCでもでてきましたが、教員養成と教員免許の問題
だいたいこのあたりではないかと思います。
【9072】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/07/28 8:32
【 発言者 】sb
>あなたが現場復帰できないでいることの原因の一つに、あなた自身は「音」を非常に大事にされ
る人なのに、高校の英語の授業という現場では、それが実践できないということがありますか?
そのことも含まれています。でもこの掲示板ではそれ以外のいろいろな私の現場復帰できない原因は聞いてもらいたくありません。
>もしそうであるなら、あなたの敵も文部省です。なぜ現場の教師が文部省のでたらめさをえぐら
ないのか。私には不思議で仕方がありません。
根石さんは敵を作るのが好きですね。私は自分の「怒り」を大切にしながら、自分に関係のある人達とはうまく適応していきたいです。そしてそれらの人達を意
見がぶつかったら、「説得」はしません。「納得」してもらうように努力しようと思います。そして追いかけないことにしたいなあと思っています。
>あなたは現場復帰して、度胸を据えて「音づくり」をやるべきです。
根石さんは教祖ですか?いい加減にしてください。今の私のことについては見守っていていただけますか。
【9073】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/07/28 8:48
【 発言者 】sb
>ネイティヴだって「中間音」を出しているというふうに、例の如く一般化のローラーをかけられたのでは、私はここに書くことが空しくなります。
ちょっと喧嘩調子になってきたことをお詫びします。でも「空しく」なってみてください。根石さんの塾生の皆さんの英語も日本語も少しずつ向上してきている
のではないですか。私自身日本語も英語も音声面でも文字面でも文章面でも少しずつ向上してきているのではないかなあと思っている面もあります。3歩進んで
2歩下がるという感じですが。。。
でもでも。。読み返してみると根石さんのおっしゃることが分かってきました。その部分を引用します。
>私は、「中間音」を「育つ過程で自然に身につけた英語音ではなく、意識的に人工的に作った音」だと定義してあるのに、sbさんによってその定義はまった
く無視されています。ネイティヴの音は、それぞれ個々の癖はあってもみんな「育つ過程で自然に身につけた英語音」ですから、私の言っている意味での「中間
音」であるわけがありません。
ここのところは私自身ずっと疑問に思ってきたところです。「育つ過程で自然に身につけた英語音」と「意識的に人工的に作った音(=根石さんの言い方では
「中間音」)で、「音」の部分において何か違いがあるのでしょうか?「声」は生得的なものだとすると。。。「音」そのものに違いがあるということなので
しょうか?それは納得できません。なぜなら「イメージを伴っているかどうか」そして「生活上の経験があるかどうか」などだけが問題なのであって、「音」そ
のものは「音」だと思うのです。ネイティブだからネイティブの出す音は「人工的な音ではなく」、ノンネイティブだからノンネイティブの出す音は「人工的な
音」なのでしょうか?私は同じと考えて良いと思います。
しかし、ここが言語の面白いところですが、根石さんのお考えもよし、私sbの考えもそれでよし、いろんな考えが言語習得・獲得にはあると思っています。
根石さん議論はお手柔らかに願います。
石坂さん話しが急に難しくなってしまい、申し訳ありません。またぜひこの掲示板でお会いできることを楽しみにしております。
イギリスの歯抜け婆さんのふがふが音でさえ、それが明瞭でないだけであって、「中間音」であるわけではない。「意識的に人工的に」ふがふが音を出してい
るのではないからです。
【9074】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/07/28 8:56
【 発言者 】sb
>『ネイティブだから「音作り」が出来ないということはないと思います。』などと言っておられるのですか。一人もそれを知らないで言っているのであれば、
そして根拠を掘り出してないならば、それは空論ではないですか。
>空論かどうかは時間が経ってみないと分かりません。いろんな人がいろんな所で動いているかもしれませんから。「大風呂敷」だけが大風呂敷を広げているの
ではないと思いますがいかがでしょうか。
>ちゃんと現実を見て欲しいと思います。
現実を見ていくことの大切さをかみしめて日々の療養生活を送らせていただいています。
>sbさんにあるのは理屈だけではないですか。
理屈が多い分、実際そうだったと思いますが、これからもそうかどうかは私のbehavior次第です。
>あなたの理屈を私は信じることができません。
そうですか。私は根石さんのbehaviorについて尊敬し応援しているひとりです。
【9075】
【タイトル】最後に、根石さんへ
【 日時 】04/07/28 8:57
【 発言者 】sb
なんか今回たくさん書きこみをしましたが、お返事はゆっくりした時で結構です。
失礼します。
【9076】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/28 15:50
【 発言者 】Jackie
こちらに書かれる文章から推測して
とてもよい先生なのでしょうね。
自分を磨く努力を怠らず、向上につとめてらっしゃる。
しかし学校は,システムはそう簡単にかわらない。
改革しようにもあらゆる抵抗勢力が・・・・。
閉塞感ありません?
私は窒息しそうになりますね。
英語の足腰をきたえたほうが 結果的にみて近道なのに
みな、うさぎさんになりたがる。
一見して近道でもかなりの周り道なのに
てっとりはやく結果がでる小手先を欲しがる。
または楽しく自然に身につく道を選ぶ。
そっちの楽しいじゃなくて 実のある力をつける楽しみのほうが
よっぽど楽しいんだけどね。
いくこさん、
小学生の塾生さんの親御さん、気がはやいですね。
基礎力をある程度つけてからじゃないと
最初に英検ありきは 本末転倒。
まあ英検の勉強もやり方によっては実のある力をつけることは可能ですが。
愚痴っぽくなりました。またNaimaさんの叱咤激励をお待ちしています。
そうですよね。プロにならなくては。 あまちゃんですね、私。
【9077】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/28 22:21
【 発言者 】根石吉久
>根石さんの頭の中の「音」は、私の中では「音法(発音記号にいくつかの基本的な単語と単語が重なった時の約束事を加えたもの)」ととらえています。ま
た、「声」は、私の中では「音声」という風にとらえています。なぜなら、「声」には、根石さんがこの後、おっしゃっている「音」が含まれているからです。
それからもう一つ。根石さんのおっしゃる「音」を日本人英語コーチは一体どこまで塾生や生徒に身に着けさせることができるのかということです。そのことに
ついて根石さんはどのように考えておられますか。
「音法」は法です。方法です。「音声」は「音と声」です。
「音」は純粋に物理現象です。「声」は物理現象で片づけられません。感情や思いというものと分離できないものが「声」です。私が言っている「声」という
ものと、sbさんが言おうと誰が言おうと、「音声」というものは違います。「音声」などという言い方は、音や声を総称しただけのものではないですか。
「声」はいつも当事者性とともにあり、他人事ではありませんが、「音声」などは相も変わらず他人事です。そういう総称では、何もはっきりしてこないから、
私は「音」と言い、「声」と言っているのです。
私は、語学の言語と生活言語を峻別しています。だから、「音」と「声」はまるで違うものだと言ってきました。実際に語学の言語と生活言語がまるで性質の
違うものであるところに「音」と「声」を峻別する根拠があるのです。
私が「音」と「声」と言う場合に、その両者はまるで違うという考えはあっても、そこに「音法」などという「法」は含めてありません。ただ単に「音」と
「声」は違うと言っているだけです。それが、語学での音声現象と、生活での音声現象がまったく違うところだと言っているだけです。当事者性やのっぴきなら
なさの「あるなし」を言っているのです。
「音」と「声」のように、同じように扱われがちなものに対して、語学をやる者の心得として、そこをきちんと区別しろと言っているのです。
「音法」は法です。「音声」は「音と声」です。その両者が違うなどということは最初からわかりきったことです。「法」と「総称」がいったいどういうふう
に対になっているのか、あなたの文章からではわかりません。
「声」に「音」が含まれているなどという考えは迷信だと思っております。「声」は「声」であり、「音」は「音」です。人の「声」を聞いている人が、決し
て「音」などを聞いてはいないという理屈はおわかりにならないでしょうか。それを「音声」などと総称しててんたんとしていられるのは、テープレコーダーの
心くらいなものだと思います。人が「音」を聞いていないならば、そこに「音」はないのです。物理学者なら、たとえ人が「声」を聞いているときでも、そこに
「音」はあると言うでしょう。そんな理屈は私でもわかります。その程度の科学的な考えがいったい語学において何の役に立つと考えておられるのでしょうか。
それについてはちっともわかりません。
私が、「音」と「声」と分けて考えているものを、あなたは「音声」として、ここでも一般化のローラーをかけているのです。そこへ、「音法」というまった
く関係のない方角から別のものをひっぱりこんだのです。
「音法」について言うなら、私は「あいうえおフォニックス」は「音法」だと思っています。
これが普及する日が来るのか来ないのか、もしも普及するならば、日本にようやく「音法」と呼べるものが誕生するのだと思っています。尊大だと言われよう
と何と言われようとかまいませんが、これまでに果たして「音法」と呼ぶに値するようなものがいったいあったでしょうか。あなたが現場で、「音づくり」がや
れないことは、単に受験制度や学校制度の問題にとどまらず、これまでにまともな「音法」そのものがなかったことを証明しているのです。
>根石さんのおっしゃる「音」を日本人英語コーチは一体どこまで塾生や生徒に身に着けさせることができるのかということです。そのことについて根石さんは
どのように考えておられますか。
英語ネイティヴがその「音」を英語として受け取り、さほどストレスを感じない程度にはできますね。石坂君あたりは、それを証明してくれると思っていま
す。アメリカ在住のまま、私のレッスンを続けて下さっている高橋さんもそれを証明してくれると思っています。
私は、それをフリークでない普通の生徒にも実現できます。日本の学校はそれをやれていないではないですか。あなたがいくら「音」を大事に思っても、あな
たにおいてそれはやれていないではないですか。
だから、理屈だけだと言っているのです。
【9078】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/07/28 22:44
【 発言者 】根石吉久
>>あなたが現場復帰できないでいることの原因の一つに、あなた自身は「音」を非常に大事にされる人なのに、高校の英語の授業という現場では、それが実践
できないということがありますか?
>そのことも含まれています。でもこの掲示板ではそれ以外のいろいろな私の現場復帰できない原因は聞いてもらいたくありません。
私は、過去ログを読まれる人には、あなたが現職の高校英語教員であることはわかることだから、あなたが高校の英語科教員であると言ったのであり、あなた
が現場復帰できないでいるということは、あなたが自分でそう書かれるまで触れておりません。
もちろん、「それ以外の原因」などについて私は聞くつもりはありません。
私が「それ以外の原因」など何か聞きましたか?
>>もしそうであるなら、あなたの敵も文部省です。なぜ現場の教師が文部省のでたらめさをえぐらないのか。私には不思議で仕方がありません。
>根石さんは敵を作るのが好きですね。私は自分の「怒り」を大切にしながら、自分に関係のある人達とはうまく適応していきたいです。そしてそれらの人達を
意見がぶつかったら、「説得」はしません。「納得」してもらうように努力しようと思います。そして追いかけないことにしたいなあと思っています。
私は文部省のことを言っているのです。「自分に関係のある人達」のことなど言っておりません。
>>あなたは現場復帰して、度胸を据えて「音づくり」をやるべきです。
>根石さんは教祖ですか?いい加減にしてください。今の私のことについては見守っていていただけますか。
あなたの病気については見守っています。あなたがレッスンを休む際に、何の連絡もしないでいることがあることについても見守っています。
しかし、レッスンを休むならそのことを連絡すべきであることについては、それはそのままその通りであり、英語科教員として金を受け取っているのであれ
ば、現場復帰してあなたの信じる実践をやるべきであるのは、それもそのままその通りです。あなたが現実感覚が希薄であろうとなかろうと、それはそのままそ
の通りなのです。
過去ログを読み返せば判然とすることですが、「音づくり」に関してこれだけ膨大な発言を繰り返してきたあなたが、学校の現場で「音づくり」をしようとし
まいと俺の勝手だとでも言いたいのでしょうか。
私が見守っていることと、「それはそのままその通り」であることとは別問題です。
いっしょくたにしないでいただきたい。
【9079】
【タイトル】sbさん(1)
【 日時 】04/07/29 0:54
【 発言者 】根石吉久
>ここのところは私自身ずっと疑問に思ってきたところです。「育つ過程で自然に身につけた英語音」と「意識的に人工的に作った音(=根石さんの言い方では
「中間音」)で、「音」の部分において何か違いがあるのでしょうか?「声」は生得的なものだとすると。。。「音」そのものに違いがあるということなので
しょうか?
それは納得できません。なぜなら「イメージを伴っているかどうか」そして「生活上の経験があるかどうか」などだけが問題なのであって、「音」そのものは
「音」だと思うのです。ネイティブだからネイティブの出す音は「人工的な音ではなく」、ノンネイティブだからノンネイティブの出す音は「人工的な音」なの
でしょうか?私は同じと考えて良いと思います。
「音」そのものは「音」です。何の反対もしません。
國弘正雄は、「音」だけでなく、「英語」そのものについて、ノンネイティヴの作るものは「人工的なもの」だと言っています。その「人工的なもの」に対置
されるものが、「自然なもの」で何かおかしいでしょうか。私が言っているのは、結果としての音ではなく、「音」が作られる過程のことです。過程において
は、両者はまったく異なります。柴田さんや私がやっている「音づくり」というものが「人工的なもの」であるというのと同じ意味で、あなたは自分の日本語の
「音」を本当に「人工的に」作ったのですか。誰も自分が日本語の「音」を獲得した頃のことは覚えていませんが、私に言わせれば、でたらめは言わないでく
れ、となります。
「結果としての音」が「音」の部分において何の違いもないとして、それは誰にとっての話ですか。
物理学者にとってなら「同じ」でしょう。それが「同じ」だとして、それでどうかしましたか。
物理学者にとってならともかく、その「音」を「声」に変えて発語する者にとっても、それを受け取って返事を返す人にとっても、「自然に身につけた音」と
「人工的に作った音」は音価が同じでも、ただちに違うものになります。まさに言われているとおり、「イメージが伴っているかどうか」の問題があるからで
す。あるいは、イメージのずれの問題があるからです。語学の縁(へり)において、「音」は「声」となるべきでしょうが、その時に、同じ音のはずのものが、
まったく異なった働きをすることがあるのは、イメージが伴う速度、イメージとの一体化の強度が違う、あるいはイメージそのものが違うためです。イメージの
問題がからむと、同じ音が同じものではなくなります。物理学的に「音」として同じだなどということは、大した問題ではないどころか、ほとんど問題にもなら
ないのが生活過程です。何度も言いますが、生活過程では、語学的な興味において人の話を聞くのでない限り、人は「音」など聞いていない。人は話す人の感情
や思いとわかちがたい「声」ばかりを聞くからです。
そこでは、物理学者にとっての「同じ音」など、ほとんど意味がないのです。
物理学者にとってではなく、語学教師にとってどうなのですか。音価が「同じ」だとして、それでどうだというのですか。語学教師にとっては、「同じ」かど
うかは、「音づくり」の実践において、生徒の口の動きを変えられるかどうかにおいて問題なのであって、「音づくり」をやっていない語学教師が「同じ」だな
どと言っていて、それで何がどうなるというのですか。すでに何度も書きましたが、あなたの上質な発音は、生徒のためのものではなく、あなたの自己満足のた
めのものなのですか。「同じ」だからそれでどうだというのですか。それは「飾り物」ですか。
物理学者がある音価についてきわめて精密に定式化できたとして、さらに「音」としてはネイティヴのものもノンネイティヴのものも「同じ」だと判定したと
して、それは物理現象として同じだと言っただけのことです。なぜあなたは物理学者の真似なんかしているのでしょうか。わけがわかりません。
【9080】
【タイトル】sbさん(2)
【 日時 】04/07/29 0:55
【 発言者 】根石吉久
物理学者めいた判定を下したところで、ネイティヴの「音」には最初からイメージが伴うこと、つまり、「声」として存在すること、ノンネイティヴの「音」
は「声」から切り離されて、まったく口の運動として、感情抜きで独在させることができ、イメージの伴わない「音」となってしまうことが可能であること、そ
れがきわめて普通の語学の過程であるだけでなく、上達にとって必須であること、そのことによって、言語使用そのものに根底的な違いが生じることなどには一
指をも触れ得ないと考えます。
物理学者にとって同じ音であるものが、語学にとっても、生活過程にとっても、まるで異なるものとなるという理屈はおわかりにならないでしょうか。語学と
生活過程を峻別できなければ、同じ音価がまるで意味の異なるものとなることはおわかりにならないのかもしれません。最初からイメージとともに獲得され、生
活過程で繰り返し使用されているネイティヴな語や文に伴っている「音」が、イメージを伴わずに独在する過程にある「音」と、「語学の過程」にとっても「生
活過程」にとっても同じものであるわけがないのです。
再度お聞きしますが、いったい誰にとって、あるいは何にとっての話をしているのですか。
いったいどこで「同じ」だと言っているのでしょうか。
私が信じることができないのは、あなたの物理学者めいた「客観性」なのかもしれません。その客観性が、人の痛みを構わず、一般化のローラーをかけるから
腹がたつのです。
また、日本人の生徒にとっては、「自然に身につけた音」を持つ人に習うよりは、「意識的に人工的に作った音」を持つ人に習う方がいいのは、当然のことで
す。私はそのことを書きたくて、あなたが引用した部分を書いたのです。物理学者やその真似ごとにとって「同じ」かどうかなど知ったことではありません。
「意識的に人工的に」音を作った人なら、どうすればその該当の音が出せるのかを言葉で説明できますが、「自然に」身につけた人にはそれができません。私
はスリランカから来た若者に日本語を教えていて、自分がある一つの日本語の音をどのように発音しているかを説明できないことに気付いたときに、そのことを
考えました。「自然に身につけた音」に関してはネイティヴ話者は説明できないのです。だから英語ネイティヴには日本人の英語音は作れないと言っているので
す。前回もお聞きしましたが、英語ネイティヴで私が言う意味での「音づくり」がやれる人を一人でもいいからご存知だとでも言うのですか。
「意識的に人工的に作った音」というものは、生活過程に突き混ぜないと、そこに実感がありません。だから、語学の先には「音」を「声」とする生活過程が
あるのです。
語学における「音」に実感が伴うことがある場合は、語学をやる学習者の意識からのみもたらされる「イメージ」のリアルさによるものであるか、「物語とし
ての磁場」がもたらす文脈からの実感(小説などを読む場面を想定しています)があるだけです。
そこには「他者性」というものはなく、「他者」ときり結ぶ「切実さ」も「のっぴきならなさ」も「当事者性」もありません。
極論すれば、生活過程においては誰も「音」そのものなどは聞いていないのです。
誰も聞きもしないものを鍛錬するのが語学です。「音づくり」とは、物理現象としての「インターフェイスつくり」だからです。そこだけに限定すれば、sb
さんの言っている「同じ」ものはあります。私のレッスンもそれを作っているのです。あなたが「同じ」だなどと言いながら「音づくり」をやっていないのであ
れば、あなたは空論をもてあそんでいるだけのことです。あなたが大事に考えている「音」というのは、いったい誰のためのものなのでしょうか。ほんとうにわ
かりません。
「声」については生得性ということもありましょうが、私は「生きて動く感情」、「生きて動く思考」、それと同致するものについて言っています。
【9082】
【タイトル】根石さんへ、sbさんへ
【 日時 】04/07/29 16:05
【 発言者 】石坂
僕が高校生の時に、英語の先生に「発音をもっと勉強したほうがいいんでしょうか」と質問したことがありました。そのとき先生は、「通じればいいんだよ」
と一言で終ってしまいました。
sbさんや根石さんが真剣に僕の質問に回答して下さった事に本当に感謝します。
>私も根石さんのレッスンを受けているsbと申します。根石さんのレッスンを受けてアドバイスに従っていれば「英語の基礎は確実につきます」。やり方はい
ろいろあって自分に合うやり方を見つけていけばいいと思いますが、本当の基礎の段階ではある程度の誰にでも共通するやり方があると思います。それをきちん
とやってもらえるのがこの電話でレッスンだと思います。
sbさんのこの回答には励まされました。
sbさんには会ったことはありませんが、見ず知らずの若者(ここでは僕)の質問に真剣に回答してくれたというのは、とてもうれしいものです。根石さんにも
言えることですが。僕もそういう「人」になりたいと思ってます。
sbさんこれからもよろしくお願いします。
【9083】
【タイトル】電話でレッスンの感想
【 日時 】04/07/29 17:09
【 発言者 】石坂
僕は電話でレッスンをやっています。シナリオは「ゴースト」です。
最初は電話でなんか本当にできるのか、と少し疑問がありました。
最初は狭い口とかあごを下げるようにと言われても、なかなかできませんでした。そこで、考えたのが、鏡を使って自分の口を観察しながらレッスンを受ける
と言うものです。
僕はいつも、鏡を用意してレッスンを受けています。これはこれからレッスンを受ける方にはとてもお勧めです。根石さんからokがでたら、その口の大きさ
などをなるべく覚えるようにしています。
レッスンを受けてみてどのくらい経ったかは忘れましたが、いつものようにレッスンを受けていると、そのレッスンの一週間前は感じなかったのに、根石さん
の口の動きが急に分かるようになりました。頭が勝手に口の動きを感じ取っているというか。もし同じような経験をした方がおられましたら、うまく説明できな
いので、補足していただければありがたいです。
また、レッスンを受けて、少ししてから、テキストの「ゴースト」を見てみると、しっかり読んでいる文はスーと聞き取れました。自分でも驚いたのですが。
(sbさん)>根石さんのおっしゃる「音」を日本人英語コーチは一体どこまで塾生や生徒に身に着けさせることができるのかということです。そのことについ
て根石さんはどのように考えておられますか。
(根石さん)>>英語ネイティヴがその「音」を英語として受け取り、さほどストレスを感じない程度にはできますね。
僕は英会話スクールを二つほど通ってみましたが、どうも自分の中で納得がいかなかったのでやめました。でも根石さんのレッスンはとても自分の中で、納得
しています。根石さんは音についてのレッスンをやっていますが、過度に音に捕らわれすぎてはいないと思います。英語を勉強している人の中には、完璧にネイ
ティブの音に近づけようとする人もいるとの事ですが、発音に関して言えば、根石さんが言われている程度に発音できればいいと思います。
一生徒としての感想でした。
(感想は鬼の方に書くようにといわれましたが、見つからなかったので、こちらに書かせていただきました。)
【9088】
【タイトル】石坂さん
【 日時 】04/07/30 6:09
【 発言者 】sb
石坂さん、いろいろ書きこみをしてくれたようで、うれしいです。今は付合う人がたいへん限られているので何か友達ができたようなうれしさも感じます。
>僕は英会話スクールを二つほど通ってみましたが、どうも自分の中で納得がいかなかったのでやめました。でも根石さんのレッスンはとても自分の中で、納得
しています。
「自分の中で納得がいくかどうか」はとても大切な基準ではないかと思います。何を食べるか、いつ寝るか、どこに行くか、いつ決めるのか、何を望むのか、ど
のように対応したいのか、誰に教えてもらうか、などなど、そこの基準がしっかりしていると、健康や人徳が自然にもらえるのではないかと思います。
>僕が高校生の時に、英語の先生に「発音をもっと勉強したほうがいいんでしょうか」と質問したことがありました。そのとき先生は、「通じればいいんだよ」
と一言で終ってしまいました。」
「通じれば」とか「分かれば」とかいった表現があります。これについてはいろいろ深い意味も十分考えられます。「発音をもっと勉強したほうがいいのか」と
いうことも私自身しっかり考えていきたい問題です。石坂さんは素直にいろいろ質問や疑問を身近な人に投げかけていらっしゃるようです。これは生きていく上
でとても大切なある意味技術をもうすでにお持ちではないかということで、すばらしいことだと思います。
鏡を用意して電話でレッスンを受けられているとのこと。これもまたすばらしいアイデアです。自分にとっての口の形を覚えようともしていらっしゃる。これも
またすばらしい。ところで私はいつもテキスト片手にレッスンを受けているので受話器しか持てません。鏡は机に置くタイプですか?
また電話の声をヘッドホンで聞き、自分の声も口の前にくるマイクでしゃべれるものを根石さんのお家で見かけたので、そういうのもひょっとしたらどこかで手
に入るかもしれません。いろいろ試されている石坂さんの素直な行動力に敬意を表します。
>根石さんは音についてのレッスンをやっていますが、過度に音に捕らわれすぎてはいないと思います。英語を勉強している人の中には、完璧にネイティブの音
に近づけようとする人もいるとの事ですが、発音に関して言えば、根石さんが言われている程度に発音できればいいと思います。
根石さんが言われている程度とあなたが満足する程度が同じなら問題はないと思います。根石さんのアドバイスに沿ってある程度できたかなと感じた頃に文単位
(大文字からピリオドまで)で同じ文を5回ほど自分の音声をテープにとってみて、その声で文字文章が書け、その文がテキストに80〜90%くらいヒットし
ていれば(スペルミスが1個かせいぜい2個、でもその単語は意識して練習するのが大切なことは言うまでもありません)、どんどん先へ進む方がいいのかもし
れません。
>英語を勉強している人の中には、完璧にネイティブの音に近づけようとする人もいるとの事ですが、発音に関して言えば、根石さんが言われている程度に発音
できればいいと思います。
根石さんについていってみてください。信頼できる方です。そして自分の可能性を信じてください。少しずつですが、確実に進歩している自分を確認できること
でしょう。
【9090】
【タイトル】「語学は暴力」
【 日時 】04/07/30 23:41
【 発言者 】村田
本質的に語学は暴力だと根石さんずっと前に言ってましたね。
再認識。
外国語なんてものは意識にとって所詮異物だわ。
子供がわざと小さな声で英文を読んだり。
黙ったり。
どもったり。
するのは、異物に対する無意識な・しかし必死な抵抗だ。
どんなやさしい顔したって、やさしい声したって、やさしいコトバを使っても、教師・先生なんて異物を強制するもんでしかないわ。
だったら「先生」には「個性を尊重する」なんて言ってほしくないわ。
その存在の暴力性に自覚的になってください。
それは悪かもしれないが、必要なものなのですから。
「暴力はイケナイデス」なんてのはみんせいにでもまかしておいて、泣きながら生徒に暴力ふるってください。
そして自分に対して、悲鳴をあげながら暴力をふるってください。
戦後民主主義の呪縛からfreeになってください。
個性なんてものは、たたかれてたたかれて、その後にそれでも残っちゃうのが個性です。
暴力ふるわれて、それで消えてしまうようなものは、個性なんかじゃない。
そんなもの、いずれ世間の荒波にもまれて、消えてしまいます。
俺は自分のことは、生徒さんより多少先に行っている者くらいのものに思っています。
ただし、生徒の誰よりも激しく練習しているつもりです。
人間の出来・不出来からいったら、俺の生徒さんの方が出来てるくらいなもんだと思います。
誰が「先生」というものに「人格」を求めるのでしょう。
今の日本で、先生なんてのは、儒教道徳における先生ではないでしょう。
戦後民主主義自体が、儒教を否定してますから。
「(映画に)幸せに犯されている」
栗本慎一郎が小森和子さんや淀川長治さんを評して言った言葉です。
英語フリークってのは、要するにそういうことだと思いますが、根石さん、どう思いますか?
【9091】
【タイトル】渡米後の状況など
【 日時 】04/07/31 14:22
【 発言者 】高橋
電話でレッスンを始めてから4ヶ月、渡米してから2ヶ月になった高橋です。こちらに来てからは何かと雑事が重なることもあり、なかなか練習する時間がと
れず、それこそ毎回、レッスンのために根石さんからの電話が鳴るまで回転読みをしております。先週、やっと「ゴースト」の20ページに入ることができ喜ん
でおります。なぜかというと、19ページから20ページにかけての歌の部分のレッスンについて、「いい年をした男が二人、土曜の深夜に愛の歌の歌詞を材料
に英語の練習をするというのは、ある意味不気味ね」などとからかわれていたからです。ひどいことをいう奴です。
さて、渡米後の私の英語の状況ですが、英語力がのびたと感じることはなく、相変わらず非常に不自由しております。特に、アメリカ人同士の会話や会議中の
発言を聞き取るには、大変難渋しています。ただ、2週間ほど前から、分からないなりにともかく日本語を聞くのに似た感覚で、英語での会話や発言がすーと
入ってくるように感じるようになってきました。特に、その発言等の内容に知っていたり、語彙的にあまり難しいものでないと英語を聞いているというよりも、
内容そのものを聞く、それに集中するという感覚が生じております。
また、特に渡米後、感じている電話でレッスンの長所と感じているところを三点書かせていただきます。
まず第一に、意識的に英語を練習する時間をとるための枠組みになるということだと感じております。最初にも書かせて頂いたように、自分にとってもしも電
話でレッスンという枠がなければ、あらためて英語を語学として練習することは今以上に難しいだろう、おそらく日々の忙しさにかまけてやらなくなってしまう
のではないかと思うからです。
第二に、電話でレッスンを通じて、ともかく通じる音が出せるようになっているはずという自信をもって英語を話すことができるということです。もちろん、
いつでも通じる音が出せるほど安定しておりませんが、アメリカ人に通じなければ、根石さんに指摘を受けたときと同様に、意識して音を修正すれば何とか通じ
るという自信を持つことができております。もしも、電話でレッスンを受けてなければ、いかに自分で英語を勉強しても、この点についてはまったく改善できて
いなかったのではないかと思います。
第三に、英語を練習する際に、自分に生じやすい他の教材や練習法への浮気心を押さえ、地道な練習に専念できるように働きかけてくれることです。これは、
毎週のテストに合格するための練習をすると、他に手を出す時間がなく、強制的に地道な練習に集中することができているとも言い換えることができるでしょ
う。語学において地道な練習が必要なことは、知識としては知っていてもなかなか実行できずにおりましたが、根石さんがレッスンの時に言われる「とにかく何
回も読み込んでください。練習の量を確保してください。」という言葉に後押しされ、その言葉を信じてレッスンの復習に専念できております。
以上、甚だまとまりを欠きますが、私の英語の現状とあらためて感じている電話でレッスンの有り難いところ等を書かせて頂きました。
【9094】
【タイトル】高橋さん
【 日時 】04/07/31 19:05
【 発言者 】根石吉久
投稿、ありがとうございます。
励まされます。
アメリカ在住の方で英語で苦労されている方がおられましたら、この掲示板をご紹介いただけた
らと、ぶしつけながら考えました。
なお、小川さんが「電話でレッスン」を広めるためのホームページを作成していてくださいます。
それができたら、もっと広くこのレッスンがわかってもらえるようになるのではないかと期待し
ています。
時間がとれませんので、後ほど再度書かせていただきます。ひとまず御礼まで。
【9096】
【タイトル】英語を英語で理解するとは・・・
【 日時 】04/07/31 23:02
【 発言者 】石坂
中学の最初にやることと言えば、英単語の練習帳(単語を書きやすいように線が入ったもの)を買い、英単語を練習すると思います。その時にやるのが、日本
語と対にして覚えます。英単語一つと日本語の一つの意味を結びつけて覚えます。
このことには英語を真剣に勉強しようと思ったときから疑問に感じていました。なぜなら応用がきかないという事と必ず日本語の助けを借りないと英語を理解
できなくなってしまうと思ったからです。
聞き取りにも、英語を聞いたら、日本語を思い出し、日本語で理解しようとする、と会話を聞き取れないという最悪な事態に(;;
今日のレッスンの最後に英単語はイメージを使って覚えるということを教えてもらいました。英単語の意味を調べた時に出てくる日本語は参考、ヒントであっ
て、そこから共通する部分を抜き出し、それをイメージとする。そして、言いながら、書きながら、イメージし、覚える。
さらに、辞書だけでは分からないものがあるので、文の中でどのように使われているかを感じ取るのだと。
発音に関しても、単語の覚え方にしても、学校の英語教育には何かが欠けているとつくづく考えさせられました。これでは真剣に勉強している生徒がかわいそ
うだと思います。本当に・・・
【9097】
【タイトル】高橋さん(1)
【 日時 】04/08/01 0:34
【 発言者 】根石吉久
先程、レッスンを終えて(高橋さんが土曜日の最後の生徒さんです)、サッポロビールのDraft One
というビール(発泡酒?)のロング缶を一本空けました。
日本におられた時にレッスンの申し込みをいただいて、私のレッスン枠が埋まっており、小川さんに預かっていただいた生徒さんでしたが、渡米の少し前に私
に空き枠ができ、私の生徒さんになっていただいたと覚えております。一ヶ月私のレッスンを受けて、渡米されたのではなかったでしょうか。
小川さんの手元から私の手元に戻っていただいた時に、小川さんから、「高橋さんは発音に苦労しておられる」というメールをいただいたことも思い出しまし
た。確かに、私の生徒さんとして練習を始められた時にも、発音のことで指摘することは比較的多い生徒さんでした。ですから、私のレッスン開始一ヶ月で渡米
されるとお聞きした時は、正直なところを申しますと、私に多少の不安がありました。ああ、大変だなと思ったのを覚えております。
しかし、渡米後の何回かのレッスンをやらせていただいて、私の不安はとてもやわらいでいます。実は私が緊張してしまうほど、毎回、そちらから「音」を
送っていただいていると思っています。どういうことかと申しますと、例えばですが、sorry の o
を私は長年、日本語での「オ」の系列の音として発音してきましたが、今日のレッスンで、高橋さんが「ア」の系列の音(顎の下がる明るいア)で発音されるの
を聞いて、おっ、アメリカだっ、と思ったのです。日々、アメリカ音を身に浴びておられるのだということを私はしっかりと受け止めたと思います。
レッスンでの私の指示する音(語学の机上の音)を携えて、生活過程(仕事の英語を含めてです)で圧倒的に押し寄せるアメリカ音に切り込んで混じり、現地
の音を体に受け止めて、私に返して下さる。ああ「磁場」だなあ、と思う思いが、いずれ私の語学論に何らかの形で反映していくだろうことを思うと、在米のま
ま私のレッスンを続けてくださっていることに感謝したいと思っております。
>先週、やっと「ゴースト」の20ページに入ることができ喜んでおります。なぜかというと、19ページから20ページにかけての歌の部分のレッスンについ
て、「いい年をした男が二人、土曜の深夜に愛の歌の歌詞を材料に英語の練習をするというのは、ある意味不気味ね」などとからかわれていたからです。ひどい
ことをいう奴です。
たぶん「ひどいことをいう奴」は、奥様だと推測しておりますが、私の理論によれば、奥様はいいところを突いているのです。この「ある意味不気味」なとこ
ろが語学というものでして、私は山形県の男の生徒さんを相手に、やはり、土曜日の深夜、「I love you. I really love
you.」などとやっていて、顔を赤らめたことがあります。掲示板にたまに「I 村」さんの名前で書いて下さる方です。I
村さんは、私の家に遊びに来てくれたことがあって、I
村奥様も一緒に遊びに来てくださったので、奥様に誤解される心配はないのですが、それにしてもねえ、土曜深夜に男同士が、「I love you. I
really love you.」ですからね。レッスンをやりながら、自分で自分のことを「ひどいことをいう奴」だと思ったわけでした。
「語学」は「生活」から誤解されることがありうることを、語学をやる人間はいちおう踏まえておく必要があるかもしれません。
【9098】
【タイトル】高橋さん(2)
【 日時 】04/08/01 0:56
【 発言者 】根石吉久
> さて、渡米後の私の英語の状況ですが、英語力がのびたと感じることはなく、相変わらず非常に不自由しております。特に、アメリカ人同士の会話や会議中
の発言を聞き取るには、大変難渋しています。ただ、2週間ほど前から、分からないなりにともかく日本語を聞くのに似た感覚で、英語での会話や発言がすーと
入ってくるように感じるようになってきました。特に、その発言等の内容に知っていたり、語彙的にあまり難しいものでないと英語を聞いているというよりも、
内容そのものを聞く、それに集中するという感覚が生じております。
非常に正確に現在の高橋さんの英語の状態を書いて下さったと思い感謝しています。
そうです。「内容そのもの」というものが、語学の机上では「仮」のものでしかないのですが、自分がそのグループに加わっている場での会話や会議の発言な
どは、他人事ではないわけですから、「内容そのもの」が最重要事です。とても、自然なことです。そして、この「自然なこと」が日本在住の語学の机上では原
理的に生じないのです。それが、生じるところが私の用語では、「磁場」です。語学にとってはもっともいい場所におられるのです。私としてはうらやましいで
すが、日本在住のまま指をくわえていることになるでしょう。どうぞ、この機会を活かすためにも、「電話でレッスン」のための練習に手抜きが生じないで2年
間を過ごされるようお願いしたいと念じております。つまり、「机上 生活 机上 生活 机上 生活」の交流を存分にしていただきたいと念じているというこ
とです。個人差がありますから、いつのことかわかりませんが、「語学」なのか「生活」なのかわからなくなるような危機を迎えられることと思います。その危
機を乗り越えれば、語学的なスキルは急激に獲得されるものだと私は考えています。
さて、Draft One の二本目にとりかかりましたが、なるべく乱れないようにしたいと思います。
> また、特に渡米後、感じている電話でレッスンの長所と感じているところを三点書かせていただきます。
まず第一に、意識的に英語を練習する時間をとるための枠組みになるということだと感じております。
いわゆるペースメーカーとしての機能は、日本在住の方を相手にでも、アメリカ在住の方を相手にレッスンするのでも、「電話でレッスン」はうまく機能する
だろうと自負しております。レッスンがやれることは、「机上の練習」ですが、アメリカ在住の方だと、レッスンで扱ったことをただちに「生活過程」に持ち込
んで突き混ぜられる。「枠組み」を設定できるだけでなく、レッスン直後に「生活過程」に突き混ぜられるというところを存分に活用なされるようにお願いしま
す。私は歳とったコーチですので、大したプレイはできないのです。「磁場」で存分にプレイされてくれば、たとえ2年でも、高橋さんは私よりはるかに「しゃ
べれる人」になって帰国されることを確信しています。それがまあ、コーチというものの存在理由なわけです。帰国後、ただちに英語の錆び付きが始まります
が、それでも「磁場」でプリントされた感覚はどこかに必ず生き続けますので、途中でつらいことがあっても、人と交わって下さい。おいくつなのか聞きそびれ
ておりますが、私は若い人に期待するしかない歳です。実は今日(じゃなく昨日か、正確には)、私は誕生日を迎えまして、53歳だか、54歳になりました。
どっちなのか、自分でもわからないのですが、多分どっちかで当たっていると思います。
【9099】
【タイトル】高橋さん(3)
【 日時 】04/08/01 0:57
【 発言者 】根石吉久
> 第二に、電話でレッスンを通じて、ともかく通じる音が出せるようになっているはずという自信をもって英語を話すことができるということです。もちろ
ん、いつでも通じる音が出せるほど安定しておりませんが、アメリカ人に通じなければ、根石さんに指摘を受けたときと同様に、意識して音を修正すれば何とか
通じるという自信を持つことができております。もしも、電話でレッスンを受けてなければ、いかに自分で英語を勉強しても、この点についてはまったく改善で
きていなかったのではないかと思います。
お書きいただいたことで、一番うれしかったのはここでした。「電話でレッスン」なんかやめようかと思ったこともあったのでしたが、続けていてよかったと
思うことができました。
>第三に、英語を練習する際に、自分に生じやすい他の教材や練習法への浮気心を押さえ、地道な練習に専念できるように働きかけてくれることです。これは、
毎週のテストに合格するための練習をすると、他に手を出す時間がなく、強制的に地道な練習に集中することができているとも言い換えることができるでしょ
う。
私のレッスンは下敷きです。音が安定し、シンタックスが駆使できる時が訪れたなら、他のこともどかどかやっていただいて結構です。しばらくは辛抱して、
私のレッスンにおつきあい下さい。
最近車上狙いにやられて、15万円ほど失いまして、気が滅入っておりましたが、高橋さんの記事で元気が出ました。再度お礼申し上げます。
【9100】
【タイトル】石坂君
【 日時 】04/08/01 1:05
【 発言者 】根石吉久
語学のコツは、暴力的に強く「思う」ことです。
やってみて欲しいと思っています。
語学はとても危ない行為です。
しかし、やってみて欲しいです。
【9101】
【タイトル】村田君(1)
【 日時 】04/08/01 1:42
【 発言者 】根石吉久
どうやら酒を飲んで書いたな、と思いましたが、当たってるか?
酒を飲んで書くことは、この掲示板はとても歓迎しています。
飲まずにやってられるかってなもんだわ、英語なんざ。
(生徒さんへ。レッスン時は、私は努力して飲まずにレッスンしていますから、その努力を評価するとともに、安心もしてくださって結構です。それについて
言えば、飲んでレッスンなんかしてられるか、となります。愛知県、Kさん、一度だけ過ちを犯しましたが、気付かれましたでしょうか? とても心配です)
>どんなやさしい顔したって、やさしい声したって、やさしいコトバを使っても、教師・先生なんて異物を強制するもんでしかないわ。
教師でもコーチでも、「強制するもんでしかないわ」でいいのです。
それを自覚している教師がろくにいないことと、「強制」を受け止める力が生徒の方になくなってきていることがヤバイのです。あっしらで暴れるしかないで
しょう。
>それは悪かもしれないが、必要なものなのですから。
「暴力はイケナイデス」なんてのはみんせいにでもまかしておいて、泣きながら生徒に暴力ふるってください。
「みんせい」ですか。なつかしい響き。みんみん蝉みたいに純粋でない。ほとんど「馬鹿」と同じ響き。うちの女房にも弱ったもんだ。村田君は俺にいったい
何を言わせるのかしらねえば、実に弱ったもんだ。「みんせい」だっていいおまんこを持っていることはあるんだけどよ。だけど、俺がそれをきっちり評価して
も、みっちり評価しても、何が偉いのか知らないが、きっちり評価された気がしないのだわ、「みんせい」は。頭の中が浮かれているから。
済みませんね。Draft One 二本目で取り乱して。
美しいイメージとしては、「暴力はイケナイデス」と言いながら、泣きながら生徒を殴って欲しいですわね。取り乱して欲しいですわ、センセー方には。
>そして自分に対して、悲鳴をあげながら暴力をふるってください。
いやあ、俺はそうは思わないな。そんなお芝居はやめて欲しい。
語学をやれ、どの科目の教師どもも。そう思います。
>個性なんてものは、たたかれてたたかれて、その後にそれでも残っちゃうのが個性です。
暴力ふるわれて、それで消えてしまうようなものは、個性なんかじゃない。そんなもの、いずれ世間の荒波にもまれて、消えてしまいます。
その通りです。これを明確に最初に言ったのは、私の知る限りでは小田嶋隆(もしかしたら表記が違う)です。
>人間の出来・不出来からいったら、俺の生徒さんの方が出来てるくらいなもんだと思います。
まことにそう思います。
【9102】
【タイトル】村田君(2)
【 日時 】04/08/01 1:43
【 発言者 】根石吉久
>誰が「先生」というものに「人格」を求めるのでしょう。
今の日本で、先生なんてのは、儒教道徳における先生ではないでしょう。
戦後民主主義自体が、儒教を否定してますから。
うまいことを言うもんです。「人格」なんか求めたって駄目だと生徒が知っているのに、「人格」を演じてしまうのですわ。戦後日本のセンセイたちは。
戦前は、「人格」がありましたが、戦後にはないですな。それを明らかにするために、教員免許は持たないながら、私は「おまんこ」などと叫んでいるので
す。切ないです。
「(映画に)幸せに犯されている」
栗本は言葉については天才があります。どんな切ない育ち方をしたのか知らないが、あいつの書き言葉の言語能力は一世を風靡しただけのものがあります
>英語フリークってのは、要するにそういうことだと思いますが、根石さん、どう思いますか?
「(英語に)幸せに犯されてる」。
名言です。
【9103】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/08/01 17:14
【 発言者 】村田
>どうやら酒を飲んで書いたな、と思いましたが、当たってるか?
>酒を飲んで書くことは、この掲示板はとても歓迎しています。
その通りです。なんでわかっちゃうかなあ(笑)
翌日、書いたこと思い出して、やっちまった、と思うのですが、あとのまつり。
「みんせい」は「ふーてんの寅」に出てくるさくらのだんなをイメージして
みましたよ。
>>そして自分に対して、悲鳴をあげながら暴力をふるってください。
>
>いやあ、俺はそうは思わないな。そんなお芝居はやめて欲しい。
>語学をやれ、どの科目の教師どもも。そう思います。
つまりそういうことを書くはずだったのですが、酔っ払いのかなしさですね。
酔っ払ってもちょっとかっこつけようとしてるのがはなはだかっこわるい。
「それでも残ってしまうのが個性」
小田嶋さんのことばでしたか。なんか気に入ったので覚えていました。
だめになりそうなとき、思い出します。
さてさて。
8月4日水曜日 夜8時から根石さん宅で「鰐る」の座談会本番やります。
Sさんも今回はフルスロットルで来るようですよ?
よろしくお願いします。
【9104】
【タイトル】訂正
【 日時 】04/08/01 17:29
【 発言者 】村田
>いやあ、俺はそうは思わないな。そんなお芝居はやめて欲しい。
>語学をやれ、どの科目の教師どもも。そう思います。
私は「どの科目の教師」も語学をやれ、とは思ってなかったから
全然違う意味になってしまいますね。
そうか、どの科目の教師も「語学」をやれ、か。
なんかこれだけでひとつのテーマになりそうですね。
【9105】
【タイトル】石坂さん、鏡使ってます。
【 日時 】04/08/01 22:43
【 発言者 】T <0150419501@jcom.home.ne.jp>
私も鏡を使ってます。レッスン初めて2〜3回目くらいで、「一瞬般若」の確認用に必要性を感じ、100円ショップ(ダイソー)で四角で蓋が折り畳み式で足
になるパステルピンク(家でのレッスン用なので恥ずかしくない)の鏡を買ってきて使ってます。私は、食卓テーブルでレッスンを受けてますが、目の前にテキ
ストと、その先に鏡を置いて、左手で受話器を握り、右手にペンを持って、テキストと鏡に視線を移動させながらレッスンを受けています。その後小川さんに
レッスンを受けるようになり、狭い音の時に、「唇をドナルドダックのようにつきだして...。」「もっと狭く、はい、もっと狭く...。」と指導されるた
びに、自分で口の形や開き方がどんな風になっているか、わからなくなりますので、確認のため、また「今の良かった!」と言われたときに、口の感覚と目で記
憶に残すように活用しています。また、最初に根石さんからレッスンをテープに取ることを勧められ、レッスン後の1週間の練習に活用しています。(小川さん
には言ってなかったかも)通しで聞いたり、早送りしたり、スローにしたりして、レッスンで印象が薄かったところが、再認識できたり、読み込むうちにいい加
減になってしまっているところに気が付いたりします。褒められたところは2度ニンマリし、励みにもなります。本当は、小川さんが読んでるところだけを編集
して「珠玉のテープ」を作りたい気がしますが、そんな時間があれば、流され気味の練習をもっとすべきだと思っています。私も、ゴーストのDVDをたまに見
て(最初のところしか進んでないことに愕然としますが)、かなり聞こえることに感動しました。また、カールの方が私は聞き取りにくいです。あと、最近、練
習前やレッスン前に般若の口や狭い口の形や、舌を出したり引っ込めたり、上げたり下げたり、丸めたりのばしたり、口蓋に着けたり離したりと準備運動をして
います。自分としては音が出しやすいくなるような気がします。
【9110】
【タイトル】ICレコーダーを使った復習について
【 日時 】04/08/07 21:59
【 発言者 】I村
私が当初やっていた学習方法を投稿して欲しいと
根石さんにお願いされておりましたので、以下投稿します。
@ICレコーダーは取り込んだデータをパソコン上で編集できる
物を使用。まずは根石さんとのレッスンを録音する。
A根石さんがしゃべるセンテンスを手本としてとりだす。
B長いセンテンスや自分が苦手だと思うセンテンスは、
さらに編集して複数のセンテンスに分割する。
C編集したセンテンスを繰り返し聞き、繰り返し練習する。
レッスンを始めた当初は、全く音作りができない状態でしたので、
レッスン時にだけ根石さんの手本を聞いただけでは、まったく
覚えられず、私なりに考えて生み出した方法です。
【9111】
【タイトル】こんなコトバ見つけました。
【 日時 】04/08/08 13:59
【 発言者 】英語嫌い人
小林秀雄『考えるヒント』(文春文庫)所収の、『言葉』より引用。
「・・・私は、宣長の片言を決して任意に解釈出来るままに解釈して来たのではない。姿は似せがたく、意は似せ易し。言葉は、先ず似せ易い意があって、生ま
れたのではない。
誰が悲しみを先ず理解してから泣くだろう。先ず動作としての言葉が現れたのである。動作は各人に固有なものであり、似せ難い絶対的な姿を持っている。
生活するとは、人々がこの似せ難い動作を、知らず識らずのうちに、限りなく繰り返す事だ。似せ難い動作を、自ら似せ、人とも互いに似せ合おうとする努力
を、知らず識らずのうちに幾度となく繰り返す事だ。その結果、そこから似せ易い意が派生するに至った。
これは極めて考え易い道理だ。実際、子供はそういう経験から言葉を得ている。言葉に習熟して了った大人が、この事実に迂闊になるだけだ。
言葉は変わるが、子供によって繰返されている言葉の出来上り方は変わりはしない。子供は意によって言葉を得やしない。真似によって言葉を得る。この法則に
揺るぎはない。大人が外国語を学ぼうとして、なかなかこれを身につける事が出来ないのは、意から言葉に達しようとするからだ。言葉は先ず似せ易い意として
映じているからだ。
言うまでもなく、子供の方法は逆である。子供にとって、外国語とは、日本語と同じ意味を持った異った記号ではない。英語とは見た事も聞いた事もない英国人
の動作である。これに近附く為には、これに似せた動作を自ら行なうより他はない。まさしく習熟する唯一つのやり方である。」
【9112】
【タイトル】英語嫌い人さん
【 日時 】04/08/11 22:37
【 発言者 】根石吉久
小林秀雄の若い頃の商売道具はフランス語でしたが、英語もまあまあできた方の人だと思います。
これらの言葉は、小林の三十代の言葉でしょうか。私は書誌学的なことはまるでわからないのですが、三十代の匂いがします。あるいは四十代もありうるかと
も思います。
五十代でこんなことを言っていたら、馬鹿かとも思います。
>姿は似せがたく、意は似せ易し。
>誰が悲しみを先ず理解してから泣くだろう。
こういう小林節は今読んでも魅力があります。俺は、若い頃は小林秀雄ばかり読んでいた者です。とりわけ好きなのは、ランボーの翻訳です。
小林でさえ、語学の言語と生活言語の区別をしなかったのだというのが、引用していただいたものを読んでの感想です。小林ほどの男がそんなことがわからな
いわけはないのですが、言葉としてはそれを書けていない。
>先ず動作としての言葉が現れたのである。動作は各人に固有なものであり、似せ難い絶対的な姿を持っている。
これが生活言語です。しかし、語学においては、「言葉としての動作」が現れる。まったくの逆転が現れる。各人に固有のものは、単なる癖として残るが、
まったくその固有性から意味を奪われ、似せ難い絶対的な姿がおちぶれる。
>生活するとは、人々がこの似せ難い動作を、知らず識らずのうちに、限りなく繰り返す事だ。似せ難い動作を、自ら似せ、人とも互いに似せ合おうとする努力
を、知らず識らずのうちに幾度となく繰り返す事だ。その結果、そこから似せ易い意が派生するに至った。
そうだと思う。生活がもたらす堕落というものがあるのだと思う。
>言葉は変わるが、子供によって繰返されている言葉の出来上り方は変わりはしない。
本当にその通りです。チョムスキーが言っている「普遍文法」の「普遍」とはそういうことだと思います。
>言うまでもなく、子供の方法は逆である。子供にとって、外国語とは、日本語と同じ意味を持った異った記号ではない。英語とは見た事も聞いた事もない英国
人の動作である。これに近附く為には、これに似せた動作を自ら行なうより他はない。まさしく習熟する唯一つのやり方である。
ここですね。俺がふざけんなと思うところは。小林さん、あんたほんとに真似によって外国語をものにした人なのかね。言ってることとやったことが違うじゃ
ねえか、と思うのです。冗談じゃねえ。小林みたいな男が真似から外国語を身につけるなんてするはずがねえのです。そんなことは恥知らずだと思うやつのくせ
にこんなことを言う。フリークの醜さをまだ見なくていい時代に生きた人のせいですかね。
ものごころついたばかりの子供について言う分には、小林の言う通りでいい。
ものごころついたばかりどころか、日本語を自然として大人として生きているようになってしまった大人がこんなことはできるわけがない。いや、恥知らずな
者どもはいつの時代にもいますから、やる者はいるわけですが、普通の人にはとうてい奨められる方法なんかではない。
小林は独学の人ですから、そのもの言いに「コーチ」の存在が抜けているのはしょうがないのかもしれませんが、羞恥心のある大人の男でも「真似」して英語
の音を作れるのは、英語の音を自覚として形成した日本人の語学コーチの音を媒介にする場合だけです。私はこの確信を深めています。
【9113】
【タイトル】I 村さん
【 日時 】04/08/11 22:47
【 発言者 】根石吉久
初期の頃の学習法を書いていただいてありがとうございました。
I
村さんは、急激に音がよくなった方でした。他の生徒さんに見られないほどの「急激さ」でしたので、何かやってるなと思い、以前のレッスンでお聞きしたら、
IC レコーダーを使っているとのことでしたので、いつか書いて欲しいなと思っていました。
私あるいは小川さんの生徒さんで、IC レコーダーを使った学習法についてもっと知りたい方がおられましたら、I 村さんに質問して下さい。I
村さんは教えてくださると思います。
【9114】
【タイトル】いくこへ
【 日時 】04/08/11 22:52
【 発言者 】根石吉久
嘘こけ、と思うところがあるものの、あんたにはコピーライターの才能はある。
小川さんと直接に相談してやって欲しいが、小川さんは今むちゃくちゃ忙しいので、あと二ヶ月
ほどしたら、動いて欲しい。
俺は、ここでがちがちやっていくので、ほとんど宣伝らしい宣伝はやれない。
俺としては、奈良の小川さんのところを生徒でいっぱいにしたい。
俺の方法を伝えてくれる拠点を作っていきたいのだ。
【9115】
【タイトル】T さん
【 日時 】04/08/11 23:02
【 発言者 】根石吉久
書いていただいてありがとうございます。
鏡を使っておられるとのこと。私は自分でやったことがないので、珍しいものを読む感じで読ませ
ていただきました。石坂君がやっていると書いたときも、ふうん、珍しいことをやるんだなと思っ
たのでした。
確かに私が言っているのは、「狭い音」とか、「顎の下がる音」とか、「口の両端が上に動く音」
とかですから、鏡は有効なのかもしれません。なるほどなあと思っています。
私や小川さんから受けるレッスンは遅々として進まないように思われるかもしれませんが、実質部
分は形成されていきますので、ひとまずは量よりも質を確保していただき、質が備わったところで、
「脱兎の如く」量をかせぐ練習に突入していただくことを望んでいます。
その後も、日本に住み続ける、あるいは日本語による感覚を持ったまま英語圏に住む場合は、英語
をメンテナンスする日本人コーチは必要だと思いますので、私どものレッスンでやることを基本に
据えて、「脱兎の如く」別のテキストに突入していただくようにも望んでいます。
【9116】
【タイトル】T さん
【 日時 】04/08/11 23:11
【 発言者 】根石吉久
>私も、ゴーストのDVDをたまに見て(最初のところしか進んでないことに愕然としますが)、かなり聞こえることに感動しました。
わたしどものレッスンの特質だと思っております。ほとんどどの生徒さんも、急に英語の音が英語として聞こえてくるようになったという感想を言って下さい
ます。
ただ多量に聞いていりゃ、英語が聞き取れるようになるなどという人だましの新聞一面を使った広告をようやくあまり目にしないようになってきましたが(俺
が新聞を読んでいないせいか)、一頃はやたらにそれでかせいだ人だましがありました。
そんなわけがない。コーチについて、自分の口を実際に動かす他に、(フリークでない)普通の人が英語の音を身につけることは難しいというのが私の考えで
す。わたしどものレッスンはフリーク相手ではなく、普通の人を相手にしてやっていけるものだとも自負しています。
>また、カールの方が私は聞き取りにくいです。あと、最近、練習前やレッスン前に般若の口や狭い口の形や、舌を出したり引っ込めたり、上げたり下げたり、
丸めたりのばしたり、口蓋に着けたり離したりと準備運動をしています。自分としては音が出しやすいくなるような気がします。
カールの音が聞き取りにくいのは、不誠実な人を演じている役柄のせいかとも思います。
私もカールの音は聞き取りにくいです。
準備運動はいいことだと思います。
レッスンの前やレッスンに備えての練習の前に、思い切り大きく顎を下げることをやっておくだけでも音はずいぶんと出しやすくなります。
【9117】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/08/11 23:16
【 発言者 】根石吉久
>準備運動はいいことだと思います。
レッスンの前やレッスンに備えての練習の前に、思い切り大きく顎を下げることをやっておくだ
けでも音はずいぶんと出しやすくなります。
こんなことをやる、あるいはこんなことをやることが有効であるのが語学の特質です。
つまり、意識的な人工的な言語での特質です。
sbさんだって、朝起きて日本語をしゃべるために口の準備体操をやるなんてことはないで
しょう。そんなことをやらないのが、生活言語です。
【9119】
【タイトル】小林秀雄の年齢
【 日時 】04/08/14 11:08
【 発言者 】英語嫌い人
先の『言葉』の初出は、「文藝春秋」昭和35年2月に掲載されたものです。
小林秀雄の生年月日は、1902年4月11日なので、58歳のときに書かれたものでしょう。
没年は、1983年で81歳です。
【9120】
【タイトル】各種レッスンの概要
【 日時 】04/08/14 11:10
【 発言者 】根石吉久
小川さんへのメールに、現在私がやっているレッスンの概要を書きました。ほとんどメモ書き程度
のものなので、わかりにくいですが、知りたい方がおられたら、質問していただき、少しずつ明ら
かになればいいかと思い、概要の部分のみ引用しておきます。
----------------------------------------------------
・小学校低学年、日本語素読。「声に出して読みたい日本語」。復習20分。新規部分10分。読みが熟成した部分は一回読み。それ以外は毎回「技法グラウン
ド」。
・小学校高学年、中学教科書準拠の教科書ガイド。ゆっくりと準備する。「磁場」を欠いたまま、字に音をかぶせていくだけなので、日本語での生活過程に害は
ない。日本語訳先渡しし、素読(技法グラウンド)。
・中学生、中学教科書準拠の教科書ガイド、授業を受ける前に、教科書の本文をすらすら読めるようにしておく。三冊終わったら、「ゴースト」解析・熟成へ。
日本語訳先渡しし、素読(技法グラウンド)。
・高校生、「ゴースト」解析・熟成、大学受験の英語の基礎がためを兼ねて、将来「使える英語」となる部分の基体づくり。終了したら、「七年目の浮気」解
析・熟成へ。この段階で、大学受験レベルの英語との相関関係を形成。
・大学生、「ゴースト」解析・総合・熟成。終了したら、「七年目の浮気」解析・熟成へ。
大学受験で得た知識量を、音として蘇らせ、「使える英語」にまで熟成させる。
・社会人、初心者。「ゴースト」解析・総合・熟成。終了したら、「七年目の浮気」解析・熟成へ。
・社会人、中級者。「ゴースト」解析・熟成。終了したら、「七年目の浮気」解析・熟成へ。その後は、「茶の本」解析・熟成。
・社会人、上級者。「ゴースト」素文のみ。三十のテストにはテキストなし。三十分のレッスン時間のうち、テスト終了で余った時間だけ新しい文の素読(「技
法グラウンド」)。
・社会人、上級者。「茶の本」 素読。FF(15分)、FN(10分)、N(5分)方式。
【9121】
【タイトル】英語嫌い人さん
【 日時 】04/08/14 11:14
【 発言者 】根石吉久
小林は、歳をとるほど評価が高まっていったタイプのものかきだったと思いますが、断然若いときに書いたものの方が面白いです。語学と文学が混在していた
時期です。
58歳であんな程度の語学の認識だったら、語学に関しては、小林はボケがきていますね。なに言ってんだ、と思ったのでした。多分、長年語学を離れた者の
もの言いでしょう。
【9122】
【タイトル】ご本人に代わって
【 日時 】04/08/15 0:19
【 発言者 】根石吉久
昨夜、奈良のOさん(小川さんでなく、もう一人のOさん)のレッスンをした。
最後のレッスンだったので、少し長話をさせてもらって、現在の英語の状態をお聞きした。
Oさんは、一部上場の家電メーカーに勤めておられ、ときどき海外に行って、仕事をなされるが、最近は海外に行ってすぐに仕事になると言われたのが私はう
れしかった。以前は、海外に出て、しばらく(数日?)、英語に慣れてからようやく仕事になるという状態だったが、私の「電話でレッスン」を受けるように
なってから、現地に着いてすぐに仕事になると言われたのだった。
お話がうれしかったので、そのことを是非「大風呂敷」に書いて下さいとお願いしたが、うれしさが持続していて、Oさんが書く前に私が自分で書いてしま
う。
Oさん
是非ご本人にも書いていただきたいので、日本人の英語は「仕事がちゃんとできればそれでいい」というご意見と共に是非書いて下さい。
私の思い違いがあったら、訂正して下さい。
【9123】
【タイトル】幼児英会話
【 日時 】04/08/15 0:21
【 発言者 】根石吉久
効果がないから、害がない。
効果があったら、絶対に害になる。
【9127】
【タイトル】死んだ言語(1)
【 日時 】04/08/15 1:02
【 発言者 】根石吉久
語学を長いことやってきたので、語学のことを考えることがよくある。語学の言語のことを考えていると、語学の言語以外の言語が気になり、語学の言語とそ
れ以外の言語を対照させて考えたりするような癖もできた。
語学から見たら生活言語がどう見えるかとか、逆に生活言語から見たら語学の言語がどう見えるかというようなことが気になるのである。
語学の言語と対照させるために、生活言語と言ってみたり、ネイティヴ言語と言ってみたり、自然言語と言ってみたりしたいろいろな言語があるが、これらの
言語は生きている。書き言葉や、書かれた文学のテキストの問題を持ち出すと、非常に面倒なことになるが、少なくとも、話し言葉としての生活言語、ネイティ
ヴ言語、自然言語というものは生きて動くなまものである。人間の意識の動きと分離しがたいものだから雑多であったり、流動状態であったり、整理されていな
かったり、断片ばかりだったり、衝動的だったりするが、みんな生きて動いている。
語学の言語は死んでいる。ある人に、語学の言語というものは死んでいるのだと言ったら、変なことを言う人だという感じの反応が返ってきた。不気味なこと
を言う人だというような感じでもあった。あからさまな言葉ではなかったものの激しく反発されたので、むしろこちらがびっくりしたのだった。
語学の言語が死んだ言語だというのは、異様な考えなのだろうか。私にはしごく当然のことに思われるのだが、私に反発した人は、「生きた表現」というよう
なものを信じている人だったということなのだろうか。
私は「電話でレッスン」という英語のレッスンで映画のシナリオを使っているが、テキストには気の利いた言い回しが載っていることがある。また、ことわざ
集のようなものには、ツボにはまった言い回しがたくさんあったりする。比喩に面白いものがあったりもする。そういうものを「生きた表現」と呼ぶことに反対
はしないが、語学の対象になったとたんに、それらは全部死んでしまう。「生きた表現」は「生きた表現」のままに死んでしまう。語学の対象になったとたん
に、言葉がかさぶたのようなものになり、客体化されるのだと言えばいいのか、飛び回る昆虫ではなくピンで止められた標本となるのだと言えばいいのか。
死んでいる言語の一番わかりやすい例は、英語を習い始めたばかりの中学1年生が、「習う learn 習う
learn」などとぶつぶつと唱えて自分に言い聞かせるような場面にみつかる。これは英単語と日本語を単に並列させているように見えるが、実は「音」と
「意味」を一体化させようとしているのである。「習う」という日本語から意味を取りだし、「learn
」という「意味のない音」に意味を込めようとしているのである。「音」と「意味」が別々のものとして分離しているから、それらを一体化させようとして呪文
のようなぶつぶつを唱えるのである。
【9128】
【タイトル】死んだ言語(2)
【 日時 】04/08/15 1:03
【 発言者 】根石吉久
「意味」と「音」の分離、あるいは、「音」だけがあり「意味」がそれに伴わないことは、語学の対象としての言語が死んでいることの証拠の一つである。生
きて動いている言語において、「音」と「意味」がばらばらであるなどということはない。
言語として死んでいるから、それを生き返らせようとして中学一年生は呪文を唱えるのである。この呪術がうまくいき、「音」と「意味」が合体し、「
learn 」という音に対して、「習う」という日本語の訳語を必要とせずに、「意味そのもの= learn
という語のイメージの核」がただちに生じるようになれば、learn
という語は生き返ったのだと考えていいだろう。そこに至る呪術の途中では、語学の机上において、ミイラが踊りを踊っているだけなのである。
こんなことは、生活言語では起こらない。いや、「音」というものひとつだけとりあげても、生活言語には「声」はあるが、「音」というものはないのだと
言ったほうがいい。誰も皆、生活では「声」を聞いているのであり、「音」などを聞いているわけではない。例えば、言葉を覚え始めた幼児に母親が話しかけて
いるとき、幼児が聞いているのは、「音」ではなく「声」である。
(私は最近孫を持ったが、孫の顔をみていてわからなくなったことがある。生まれたばかりの赤ん坊が持つ意識の白紙状態は、「声」を聞いているのか、
「音」を聞いているのか。それがわからない。この時点では、無機物が有機的であり、有機物が無機的であり、相互に交流しているみたいなのだ。)
なにはともあれ、赤ん坊が母親の言葉に反応するようになった時からは、赤ん坊が聞いているのは母親の気持ちや感情と分離しがたい「声」である。もちろ
ん、この「声」も録音できるので、録音されてしまえば「音」であるだろうが、それでも、言葉が母親から発せられているその時に、話しかけられている幼児に
とって、言葉は必ず「声」であって「音」ではない。つまり、自分に直接に話しかけられているという関係が、幼児を言葉の当事者にしているということであ
る。生活言語においては、大人と大人の話でもそうである。話す人もそれを聞く人も言葉の当事者である。
この当事者性とでも言うべきものも、語学にはない。当事者性もなく、言葉は「声」ではなく「音」に過ぎず、そしてそれに意味が伴わないというような事態
において、言葉はすでにあらかじめびっしりと死んでいるのである。単純な事実であり、何も気持ち悪がられる必要はない。
【9129】
【タイトル】出典
【 日時 】04/08/15 1:06
【 発言者 】根石吉久
「死んだ言語」は詩の雑誌 midnight press に連載している語学論の第一回目のものです。
----------------------------------------------------
ミッドナイトプレス 電話 0484−66−3779
【9131】
【タイトル】NHK わくわく授業 発音
【 日時 】04/08/20 9:48
【 発言者 】Jackie
何気にちゃんねるを変えたら 教育テレビで短大の発音の授業をやっていました。
おわりのほうだけだったので、今日もう一度見てみようとおもっています。
http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/jugyo/housou.html#040819
この発音なら英語は通じる!
〜 岩佐玲子先生&クリーブランド先生の英語 〜
(大学生の短期集中授業)
■放送日:平成16年8月19日(午後10:25〜10:50)
■再放送:平成16年8月20日(午後1:35〜2:00)
■再放送:平成16年8月25日(午前2:25〜2:50)
←ここをクリック!
東京都多摩市にある恵泉女学園大学。この夏、この大学で英語の短期集中授業が行われました。英米文化学科助教授の岩佐玲子先生は、以前から大学生に外国
人とコミュニケーションをとるだけの英語力がないことを気に掛けていました。そこで今回の授業を計画しました。教えるのは、文法でも読み書きでも会話でも
なく、発音です。外国人に通じる発音を手に入れれば、単語だけでもコミュニケーションは出来る、という考えです。
授業期間は2週間。90分の授業が9回です。1年生から4年生まで33人の学生が参加しました。この授業の模様を2回シリーズでご紹介します。
授業は、岩佐先生の徹底した発音矯正トレーニングから始まります。一つ一つの発音を通じる音にするため、口の形を細かく教えていきます。「F」の唇の位
置と息の強さ、母音を発音するときの口の大きさなど、具体的な指導が積み重ねられていきます。
【9132】
【タイトル】Jackieさん、私も何気に途中からでした。
【 日時 】04/08/20 11:44
【 発言者 】sb
わくわく授業<再>情報、ありがとうございました。
結構、再放送もやっているのですね。
私は、その授業の成果が「わくわく授業」の続編でなされるというところを聞いて、次回分だけでも録画してみようと思っていました。
【9134】
【タイトル】独学の限界
【 日時 】04/08/22 18:03
【 発言者 】パクパク
音の修得を、複製音声で独学で学習している人が
大半だとおもいますが、コーチから習ったほうが
いいとおもいます。
下記は、あるところの掲示板で、私が投稿したものです。
比喩でいえば、病気にかかったとき、マニュアルや薬で自分で
なおすよりも、医者のところに行くのがふつうの選択ですが、
英語学習の場合は、独学信仰が強いようにおもいます。
とくに、音の修得に関しては、独学は不利だとおもいます。
>
投稿内容
Aさん
>
>
発音法の解説の多くは、単音の発音の仕方を説明しているだけで、それが実際の文章になった時に、どうやってネイティブのように高速に音の連鎖を発音できる
のか、どうやったらあのモゾモゾとした音の連鎖を再現できるのかは教えてくれません。音声学は、英語の単音をスタティックにそれ単独で発音する時の舌や唇
の位置を教えてくれるだけで、実際の発話において、どのようにしたら音の連鎖をスムーズに発音できるのかという動的な唇や舌の動きについては何ら教えてく
れません。この分野は今後の研究の発展を待たねばなりません。
>
>
これに対する私の返信
上記のことは、つぎのように言い換えることができますでしょうか?
言語のらしさを習得するには、モデル音を聞いて、真似るわけですが
その方法論がまだ確立していない。
今後の研究をまつしかないと・・・。
確かに、普通の日本人が、何回も回数を聞いても、何回も音読しても
なかなか英語のプロソディを真似ることができない。
もちろん、人によっては、結構、上手に身につける人もいることは確かに
存在します。こういう人は、そう努力しなくても身につけてしまうようです。
(子供、タモリなど)
単音や単語ではなく、文章を、英語のイントネーションやプロソディで
読むためには、我流や独学では極めて困難とおもいます。
どんなに、複製教材を通じて、努力を重ねても、むつかしいとおもいます。
ここは、お母さんのような役割をする生身の人間のコーチをうけて
英語のイントネーションをつかむほうがいいとおもわれます。
また、それ以外にもないとおもいます。
【9142】
【タイトル】わくわく授業 歌と発音2
【 日時 】04/09/01 21:08
【 発言者 】Jackie
先週の木曜のパート2、金曜の再放送をみのがし、
昨晩夜中二時の再放送もすっかり忘れてました。
どなたか 見た方感想をお願いします。
【9143】
【タイトル】わくわく 2 感想
【 日時 】04/09/02 5:07
【 発言者 】sb
たしか、「わくわく授業」の情報を教えてもらったのはJackieさんだったと思います。
お世話になりありがとうございました。80%くらいはうまく録画できたと思います。
2回目分を中心におもいつくままに私の感想を。
80〜100分の授業を10回程度の短期講座だったと思う。日本人の英語の担当と、その先生自身が留学時に体験してきた授業(ネイティブ言語圏の学校にお
ける歌などを使った発音の授業、音声学の方は日本人講師の担当のようだ)を生徒にも受けさせたいという熱意が伝わってくる。
楽しみにしていたのは、1回目放送(出だしやテクニック、目的や経緯)と2回目(結果や感想、学習者自身の伸び感など)である。最後に歌の発表会のような
ものがあったが、あれでは「はい、やりました、おわり」の感もぬぐえないのではないだろうか。
折角、最初に個々の生徒の発音アンケートを実施したのに事後アンケートの紹介は直接にはなかったように思う。そのアンケートというのは例えば、名前を英語
で書かせた後、アルファベットが書いてあり、そこからきちんと個々の発音がなさせているかがチェックできるようなものだったと思う。問題があるところには
日本人の講師の先生が丸印をつけていた。その後そのプリントには、特に日本人が苦手とする3大要素?<th−/
LR/FV>などを含む、coastとghost, rightとlight, feetとheat, seatとsheet,
beatとbit,
th-などの具体例が記入されており、そちらもチェックできるような、全体としては「個別にその発音が各学生に課題があるのかを機能的にチェックすること
ができるもの」だった。せっかくこのようによいものがありながら、その表と10回くらいの短期講座で同じ生徒がどう変わったのかということをカメラで写し
てもらえるとさらに充実した番組になったことと思う。それから先生がこの講座の期間中個別レッスンまで丁寧にされていた。大きな鏡の前で。鏡で思い出した
が、女子大ということもあろうが、全員きちんと指示どおり手鏡や、鏡がついている文具やケータイなどをもってきて自分で確認しているところも好印象だっ
た。
【9144】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/09/02 16:46
【 発言者 】Jackie
感想ありがとうございました。
一回目の放送で私がみたのはゴスペルが上手そうな黒人の先生が
「La La La」とLの発音のフレーズを 口と下の動きをみせながら指導していたところです。
その前に日本人講師が発音の指導をしていました(ここはちょこっとしか見れませんでした)
>特に日本人が苦手とする3大要素?<th−/ LR/FV>などを含む、coastとghost, rightとlight,
feetとheat, seatとsheet, beatとbit,
th-などの具体例が記入されており、そちらもチェックできるような、全体としては「個別にその発音が各学生に課題があるのかを機能的にチェックすること
ができるもの」だった。せっかくこのようによいものがありながら、その表と10回くらいの短期講座で同じ生徒がどう変わったのかということをカメラで写し
てもらえるとさらに充実した番組になったことと思う。
そうですね10回の指導でどうかわったかが知りたいですね。
>coastとghost, rightとlight, feetとheat, seatとsheet, beatとbit,
th-などの具体例が記入されており、
この辺の発音はどこの大学のLLでも行われているのではと思います。
しかし個別の単語をやって これは rightかlightかをききわけて丸をつけるという発音というよりリスニングのクラスになってしまっていますね。
単語でやったあと文単位で練習をしていかないと発音は身につかない。
手鏡をつかって発音確認もいい。
>それから先生がこの講座の期間中個別レッスンまで丁寧にされていた
指導方法ををみたかったです。
歌を通してやるのは効果的ですね。
Love me tender, Last Christmas などを教材に
わたしも教えていましたが なにせ音痴なもんで・・・(汗)
1と2を夜中の特集で再再放送ってこともなきにしもあらずなのでこまめにHPをチェックしておきます。今度こそ、見逃すまい。
【9145】
【タイトル】カラオケ教室
【 日時 】04/09/02 17:16
【 発言者 】Jackie
いやあ 小金、大金、あるところにはあるもんですね。
今日小耳に挟んだはなしです。
カラオケブームはとうにさったとおもいきや、
カラオケ教室がおおはやり。
カルチャーセンターでやる30人クラスのものから 5人ほどの小グループのレッスンや高額個人レッスンなど
主婦、リタイア組でさかんになっているようです。
きいたところの二つのカラオケ教室(個人)では
100人〜150人以上の生徒をかかえているそうです。
よほど指導力のある先生なのでしょうが、 うはうはでんな。羨ましい。
時に小ホールなどで めかしこんで晴れ舞台。
出演するのにも各自相応の出費が必要ですが、
スポットライトをあびることが病みつきになるようです。
びっくらこいたことにはオリジナルCDを東京のプロスタジオで自主製作、約100万。
有閑マダムや退職した記念になど顧客は結構いらっしゃる模様。
いやー 巷の大手英会話学校がすたれないわけと共通するものを感じます。
大手英会話は英語上達よりも「外国人と話すワタシ」に酔うために通う方がいるのですたれないのですね。もちろん英語上達を真剣に望む学生や社会人もいます
が、通うだけでなく 日々の練習力がものをいう。
カラオケなどは レッスン後、近くのカラオケボックスに流れて楽しく練習。
練習も苦にならないのはゴルフ好きがゴルフうちっぱなしにいそいそ通うのと似ていますね。
英語もこうであってくれれば、 いやいそいそと練習にいそしむように 興味をもたせて教えることが講師のつとめか。
ジャズを歌う教室、同じくBarで発表会、生演奏のピアノをバックに 英語のスタンダードナンバーを。 本人達は英語で歌っているつもりでしたが、以
下略。
ま 楽しいことが第一です。
根石さん 歌はお得意ですか?
こちらのほうがよほど気楽に儲かりマンデー。
【9148】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】04/09/05 1:30
【 発言者 】根石吉久
私は歌は駄目です。特に英語という言語の拍が生み出したと思われる英米系の歌が全部駄目です。人様とカラオケに行って歌うことがごくたまにありますが、
私が歌うのは全部演歌です。石狩挽歌、網走番外地、唐獅子牡丹、新潟ブルースくらいしか歌いません。
ウドという外人の義理の父はカラオケ教室の先生で、その先生が経営する店で唐獅子牡丹を歌ったら、ウドが根石はサムライソングを歌うと言ったことがあり
ました。おめえな、あれはサムライソングじゃなくて、ヤクザソングだと教えたことがありました。
私は風体がどう見ても英語でおまんまを食っている人間にはみえないらしく、先日庭先で始めた雑貨屋に、私の英語の生徒(高校生一年生、女)がお母さんと
来てくれて初対面をしましたが、後でお母さんから聞いた話によると、「どう見たってあの人が英語を教えているとは思えない。私の電話でレッスンの先生はど
こか他にいる別の人に違いない」と言っていたそうです。
歌でまうからんのは初めからわかった話ですが、英語でもまうからんのは困ったものです。風体だけじゃなく、歌も駄目なんですから、なかなかまうかりはし
ません。で、雑貨屋を始めてみたものの、こちらもいまだまうかりません。
ええい、帰農するぞ、と思っている今日このごろです。
【9149】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】04/09/05 1:43
【 発言者 】根石吉久
>この辺の発音はどこの大学のLLでも行われているのではと思います。
しかし個別の単語をやって これは rightかlightかをききわけて丸をつけるという発音というよりリスニングのクラスになってしまっていますね。
単語でやったあと文単位で練習をしていかないと発音は身につかない。
これはsbさんがテレビを見て書かれた感想の、「特に日本人が苦手とする3大要素?<th−/
LR/FV>など」に対するコメントですが、なんとかというNHKに登場された先生は、母音は扱わなかったのでしょうか。あ、これはsbさんにもお
聞きしておきたいと思います。
子音は複製音声やコーチの生の音を聞いて、コツを聞くことで音を身につければ、比較的「先祖帰り」がない。しかし、私が提示している3つのア系列の母
音、「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」は先祖帰りがはなはだしい。
地元の高校の英語の先生を生徒に迎えて、2年以上レッスンしてきましたが、一時期非常に上達して、3つのア系列の音もよく出るようになったと思って喜ん
でいたところ、先日のレッスンで、音の連続性は非常にいいものが穫れているのに、3つのア系列がみんな日本語の「あ」に先祖帰りしているのに気付いて、英
語の音のレッスンでは、3つのア系列の音こそが眼目だと改めて思ったのでした。
この3つのア系列を区別しないで長年英語をやってきた人においては、先祖帰りの傾向は非常に強いものがあります。この3つを明確に扱う方法(指示方法)
がこれまではなかったと思っています。そのあたりを放送ではどんなふうに扱っていたのか、私としてはそれに非常に興味があります。
【9151】
【タイトル】先祖帰り
【 日時 】04/09/06 23:24
【 発言者 】boysome228
> 子音は複製音声やコーチの生の音を聞いて、コツを聞くことで音を身につければ、比較的「先祖帰り」がない。しかし、私が提示している3つのア系
列の母音、「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」は先祖帰りがはなはだしい。
それは日本語の母音の口の構えと、英語の母音の口の構えとが根本的に異なるからです。四六時中英語を喋っているネイティブと違って、日本人の英語学習者
は英語を発声する時間の割り合いは勉強家の場合ですらせいぜい10%以下で、残り90%は日本語を発声している訳です。例えば、テニスプレーヤーがトップ
スピンをマスターしようとして10分それを練習したあと、残りの2時間をそれとは全く逆の打ち方であるスライスを打ち続けるようなものです。これでは元に
戻ってしまって当たり前です。それ程、英語の発声と日本語の発声とは距離があるという事です。それが嫌ならば、日本語を一切排除するか、日本語を喋る場合
でも英語の発声法で通すか(その場合には訛った変な日本語になってしまいますが)いずれかしかないでしょうね。
【9152】
【タイトル】boysome228さん
【 日時 】04/09/07 15:56
【 発言者 】いくこ
>それ程、英語の発声と日本語の発声とは距離があるという事です。それが嫌ならば、日本語を一切排除するか、日本語を喋る場合でも英語の発声法で通
すか(その場合には訛った変な日本語になってしまいますが)いずれかしかないでしょうね。
いずれしかないということですが、
では、boysome228さんは、
日本語を一切切除したり、
日本語を喋る場合でも英語の発声法で通すか、
してらっしゃるんですね。
ある意味、すごい。
【9153】
【タイトル】発声法
【 日時 】04/09/08 6:12
【 発言者 】boysome228
>いずれしかないということですが、
では、boysome228さんは、
日本語を一切切除したり、
日本語を喋る場合でも英語の発声法で通すか、
してらっしゃるんですね。
そうした方がベター程度の意味です。絶対そうしなければならないという訳ではありません。言語、コミュニケーションというのはまずは本人の気持ちです。
伝えたい事、熱意があれば、極端に言えば発音の訛り、文法の少々の間違いなどはものの数ではありません。積極性に勝る教師はありません。
【9158】
【タイトル】「先祖帰り」考
【 日時 】04/09/12 2:37
【 発言者 】いくこ
数日前、
根石さんの生徒さんの音の「先祖帰り」への嘆きに対して、
boysome228さんがレスをつけておられました。
それについて、ワタクシは、いいがかりにも似た嫌味を書いたわけですが、
ワタクシなりに「先祖帰り」について、思うところを書くことにします。
boysome228さんは、
音の「先祖帰り」について、
>それは日本語の母音の口の構えと、英語の母音の口の構えとが根本的に異なるからです。
>…これでは元に戻ってしまって当たり前です。それ程、英語の発声と日本語の発声とは距離があるという事です。
と帰結されました。
しかし、ワタクシはこの「ごもっともな」説明が、
「先祖帰り」の主要因だとする説を採用しません。
ワタクシは、根石さんも書かれていたように、
音の「先祖帰り」が、「長年英語をやってきた方」に多く見られるとする点に注目しています。
ワタクシが目の当たりにしたサンプル数が、十分に多いというができない点で残念ですが、
学校で習う以前の早い段階で、3つのア系列の母音「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」を習得した素読舎の生徒さんには、
音の「先祖帰り」はあまりみられないように思われます。
また、素読舎の高校生になってから入塾した生徒さんにおいても、
回転読みで音を体得している英文ならば、
復習段階で「先祖帰り」することは、そう多くはないように思います。
ちなみに、音の「先祖帰り」をしない生徒さんが喋る日本語に、
子音・母音が「アメリカ(あるいはイギリス)渡り」している様子は認められません。
これは、確実にいえます。
これらのことから、
日本人にみられる音の「先祖帰り」は、
英語の音と日本語の発音との乖離という点だけに負うとは到底思えません。
むしろ、音の「先祖帰り」は、
「長年の英語教育」に負うところの方が多いのではないか、とワタクシは思っています。
もっといえば、これは「人災」ではないかと思っています。
恐らく、学校という場所には、今も
「最低限、身に付けるべき音をないがしろにする磁場」が、
ガチガチに張り巡らされているのが現状でしょう。
この磁場に戻ると、せっかく身に付けた通じる音が、再び犯されるのだと思っています。
学校が、日本人の英語の最低限通じる音づくりに取り組んでこなかった怠慢の結果です。
しかし、最低限通じる音づくりへの取り組みは、確実にあります。
素読舎もこれに取り組んでいるわけです。
これは、空しい努力だと、ワタクシは思いません。
結論ですが、ワタクシは、
日本人が、日本語の音を保ちながら、英語の通じる音を持つことは、同時に可能である、
とする説を採用したいと思っております。
また、実際にそれに取り組んでいます。
音の「先祖帰り」をする根石さんの生徒さんについても、
学習段階における揺り返しの一つで、いつからでも再び改めていけばいいことだと思うだけです。
boysome228さんのレスは、もうしわけありませんが、
単なる日本人の「通じる音づくり」を悲観しただけの、一般論としか思えませんでした。
これからの英語学習の方向性に対して、「分かったような口を利く」だけの、
非建設的なものと受け取りました。
P。S。
また、「情熱があれば通じる」論は、英語を実際に使う場で発揮すればよいこと。
英語学習は、現場に出る前にしっかり積み重ねておいて損はないというものであり、
それは、そんな非科学的なものではなく、例文を沢山体内に蓄積するという具体的な訓練をした方が、効率的です。
【9159】
【タイトル】RE: 「先祖帰り」考
【 日時 】04/09/13 0:47
【 発言者 】boysome228
>学校で習う以前の早い段階で、3つのア系列の母音「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」を習得した素読舎の生徒さんには、
音の「先祖帰り」はあまりみられないように思われます。
また、素読舎の高校生になってから入塾した生徒さんにおいても、
回転読みで音を体得している英文ならば、
復習段階で「先祖帰り」することは、そう多くはないように思います。
以前、Naimaさんが、ちょっと英語から離れていると、すぐ発音がさび付いてしまって元に戻すのに苦労するというような内容のことを言われていました
が。。。。
両言語の口の構え、使用する筋肉が異なるという事は結構言えるように思います。そのため、一方のの言語を話している時、急に他方に切り替えるには、まる
で仮面ライダーの変身のようなドラスチックな変化を口腔に生じさせる必要があります。帰国子女の方々でも、長いこと英語から離れていると、発音が日本語化
するという現象が見られます。
【9160】
【タイトル】RE:RE: 「先祖帰り」考
【 日時 】04/09/13 7:19
【 発言者 】いくこ
>以前、Naimaさんが、ちょっと英語から離れていると、すぐ発音がさび付いてしまって元に戻すのに苦労するというような内容のことを言われてい
ましたが。。。。
Naimaさんの書き込みを確認していないので申し訳ないのですが、
恐らくNaimaさんは、「発音がさびつく」ではなく「英語がさびつく」という言い方をしていたと思います。
お手数ですが、ご確認ください。
もちろん、練習をしていなければ「英語」はさびつきます。
日本語の磁場は強力です。
ただ、
素読舎ではじめて英語に触れた生徒さんにおいて言えば、
練習を怠れば「英語」はさび付きますが、
ダイレクトに単語の「発音」がさびつくという現象がおきているかといえば、
それとは少々違うように見受けられます。
ワタクシが注目しているのは、
素読をつづけている人間が、練習を続けているにもかかわらず、
音の「先祖帰り」をするということについていっているのです。
Naimaさんは英語のエキスパートであり、「英語のさびつき」についての記述を、確かな筋からの文章の引用することは悪いことではないと思います。
ただし、それはあくまでもboysome228さん自身の「実感」ではないととりました。
boysome228さん、
提案なんですが、いろいろ言ってないで、実際に素読舎で英語を鍛えてみたらどうでしょう。
そうしたら、「英語がさびつく」という感覚が、もっとはっきりわかると思いますよ。
まあ、boysome228さんは、英語のエキスパートでいらっしゃるのでしょうが。
【9164】
【タイトル】引用、河合隼雄「ナバホへの旅 たましいの風景」
【 日時 】04/09/14 1:55
【 発言者 】根石吉久
ユングは彼の会ったプエブロの人たちの悠然とした落ち着きに感嘆する。そして、それから逆に
ヨーロッパ人のしてきたことについて考え直してみる。「われわれの観点から植民地とか、異教
徒への宣教、文明の拡張などと呼んでいるものは、別の顔をもっている。つまり、残忍なほどの
集中力で遠くの獲物を探索する猛禽類の顔つきであり、海賊、野蛮といった悪人どもにふさわし
い相貌である」とユングは述べている。現在ならともかく、一九二〇年代に、これだけヨーロッ
パ文明の影の部分をはっきりと認識した人は稀であろう。
【9167】
【タイトル】「あいうえおフォニックス」祖形に前提と註を加える(再度暫定版)
【 日時 】04/09/15 1:13
【 発言者 】根石吉久
----------------------------------------------------
<<<「あいうえおフォニックス」の前提1>>>
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する傾向が強い。(この曖
昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
<<「あいうえおフォニックス」の前提2>>
・日本人の耳に「ア」「アー」「オー」と聞こえる音に関するフォニックスである。「ア」または「アー」と聞こえる音については、口の構えの「広い・狭い」
の区別をするためのものである。「口の両端を斜め上にひっぱった瞬間に出す「ア」(一瞬般若)やその他の母音・子音は、「あいうえおフォニックス」の対象
外である。(「あいうえおフォニックス」の註として、「発音10のポイント」を付け、そちらで扱う。)
----------------------------------------------------
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られたものは ar ir ur er or
・ ar を○で囲ませ、「顎の下がる明るいアー(歯医者のアー)」と説明
・ or を○で囲ませ,「ゆで卵(鏡文字c:)」とあだ名を言う。「唇に丸く力が入る(ゆでたまごを唇にくわえた感じのオー)」と説明
・残った三つ ir, ur er を一つの○で囲ませ、「狭くこもったアー」と説明
----------------------------------------------------
(註)
・ w に続く or は「狭くこもったアー(逆さe :)」 word, world, work
・ w に続く ar は「ゆで卵(鏡文字c:)」 war, toward, warning
・アクセント直後の ar は「狭くこもったアー(逆さe:)」
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o
」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができ
た)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭くこもったア」
・re は er と同じく「狭くこもったア」(母音の後で re が現れる・図式の er の下に括弧に入れて (=re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から
「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er =
re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いから最初から扱ってしまっても構わない。
----------------------------------------------------
【9168】
【タイトル】(2)
【 日時 】04/09/15 1:15
【 発言者 】根石吉久
----------------------------------------------------
例外
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
・ar に関して particular (どちらの ar も「狭い音」)
----------------------------------------------------
<参考>
・ 子音に挟まれた u が「日本人の耳に」「あ」と聞こえる場合、ことごとく「狭い音」(逆さv)
【9169】
【タイトル】boysome228 さん
【 日時 】04/09/15 1:48
【 発言者 】根石吉久
>以前、Naimaさんが、ちょっと英語から離れていると、すぐ発音がさび付いてしまって元に戻すのに苦労するというような内容のことを言われていました
が。。。。
両言語の口の構え、使用する筋肉が異なるという事は結構言えるように思います。そのため、一方のの言語を話している時、急に他方に切り替えるには、まる
で仮面ライダーの変身のようなドラスチックな変化を口腔に生じさせる必要があります。帰国子女の方々でも、長いこと英語から離れていると、発音が日本語化
するという現象が見られます。
このように書かれるのであれば、結局、Naima さんや私が言う「錆び付く」説をご自分から認められたのですか。
あなたは、「私の英語は錆び付かない」みたいなことを言われたのです。よく聞いてみれば、音に関して日本語をスポイルするということをあなたはやってお
られる様子です。錆び付かないと言われるのは結構だが、その背後に変態的練習が存在するのだということを明言しないと駄目です。そんなこと、私だって、積
極的に日本語の音をスポイルすればできる。それは変態であり、フリークであるから、そんなことは絶対にやりたくないという意志がはっきりあるのでやらない
だけのことです。
いくこへ。
boysome228さんといくことの尻切れトンボの論争では、どちらの言っていることも当たりだと思いました。英語と日本語の母音では口の構えが違う
から、日本人の英語の母音は先祖帰りの傾向が強いのだということも言えますし、英語のア系列の母音をまともに区別しないで長年英語をやってきたから、先祖
帰りが激しいのだということも言えます。
いくこは「人災」だと言いました。それについては、俺はこの掲示板で、「学者災」であり、「文部省災」だと言ってきました。それぞれ、人がやっているこ
とだから、「人災」だと言えば言えるが、でたらめな英語教育法が「贋の標準形」として「制度」化され、「自然」化されているのが、日本の腐れ英語教育なの
です。制度の問題でもあるのです。
俺が英語の母音の区別の仕方を言葉で人にはっきり言えるようになったのは、四十代半ばを過ぎたころです。だから、いくこには俺は「人災」を及ぼしていま
す。いくこが中学生だった頃、俺は母音の区別の仕方をはっきり言葉にできなかった。それはつくづくくやしいが、その元に「文部省のでたらめ」が続いてきた
という事実がある。埴生中学、屋代高校、早稲田大学のどの授業においても、日本人にとって緊急に必要な母音の区別法に一度も出会ったことがない。
「文部省のでたらめ」がその下にあったのです。そして、いまもその「でたらめ」が続いているのです。
【9170】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/09/15 23:03
【 発言者 】boysome228
> このように書かれるのであれば、結局、Naima さんや私が言う「錆び付く」説をご自分から認められたのですか。
あなたは、「私の英語は錆び付かない」みたいなことを言われたのです。よく聞いてみれば、音に関して日本語をスポイルするということをあなたはやってお
られる様子です。錆び付かないと言われるのは結構だが、その背後に変態的練習が存在するのだということを明言しないと駄目です。
そういう事になるかも知れません。変態的かどうかはともかく。。。。
>そんなこと、私だって、積極的に日本語の音をスポイルすればできる。それは変態であり、フリークであるから、そんなことは絶対にやりたくないという意志
がはっきりあるのでやらないだけのことです。
これは何となく、東京弁を使うと自己否定しているようで嫌だという関西人の心理と似ていますね。言語の習得、特に音の習得というのはある程度英語ネイ
ティブになりきって真似するという事も必要となるように思います。まあ、この辺はお互いのイデオロギーの相違かも知れません。
> boysome228さんといくことの尻切れトンボの論争では、どちらの言っていることも当たりだと思いました。英語と日本語の母音では口の構えが違
うから、日本人の英語の母音は先祖帰りの傾向が強いのだということも言えますし、英語のア系列の母音をまともに区別しないで長年英語をやってきたから、先
祖帰りが激しいのだということも言えます。
この辺りの感性の鋭さ、真実への謙虚さはさすがですね。私としては重要な点をコメントしたつもりですので、ご理解頂いて嬉しく思います。
【9171】
【タイトル】boysome228 さん
【 日時 】04/09/17 1:30
【 発言者 】根石吉久
>変態的かどうかはともかく。。。。
ネイティヴ言語を話す者にとって、「音」などは存在しない。あるのはただ「声」だけだということを私が主張し、sbさんと論争しましたが、あなたが日本
語を英語の「音」で置き換えた時に、日本在住という条件下で、どのようにあなたの「声」が確保されるのかがわかりません。ネイティヴ言語を話す者にとっ
て、あるのはただ「声」だけであるのに、あなたがそれを「音」としてとらえたければ、日本語は「音」として立ち現れる。その時にこそ、「声」の自然性は壊
れるのではないのでしょうか。「声」は、感情そのものと分離できない。感情と「声」の間には境目がない。その境目のなさが壊れるのだと思います。日本語で
育った日本人が、日本在住のままどんな激しい英語の練習をすることもいいが、「声」と感情の境目のなさを壊すようなけじめのないことをしたら駄目ですし、
その駄目なことをする者を変態と呼ぶしかありません。私は変態という語を真剣に使っているのです。本気でそう思っているのです。
>これは何となく、東京弁を使うと自己否定しているようで嫌だという関西人の心理と似ていますね。言語の習得、特に音の習得というのはある程度英語ネイ
ティブになりきって真似するという事も必要となるように思います。まあ、この辺はお互いのイデオロギーの相違かも知れません。
関西弁の人が東京弁を使うときの心理は、同一シンタックスの言語内での違和に過ぎません。日本語で育って日本で生きている人が日本在住のままに、日本語
を英語の音(だけでなくシンタックスも)に置き換えることに対する私の違和は、似て非なるものだと思っております。
日本在住のままの日本人は、「練習の場面だけで」、英語のシンタックスや音を無意識化することをすればそれで十分です。使うときは、意識的に使えばい
い。ごつごつと不器用に使えばいい。私の英語の練習音と使用音はまるで違います。相互に自然に血が通う分だけ血が通えばそれでいい。練習が激しければ、使
用音も「自然に」変わります。それで十分です。そのように放置すべきものを放置しないならば、日本語という母語に罅が入る。そんなことはすべきことではあ
りません。そんなことを私が言ったところで、フリークはやる。やりたきゃやってろ、亡者どもが。それが、イデオロギーと言えば私のイデオロギーでしょう
が、私はこれを思想だと思っております。イデオロギーと思想も似て非なるものです。
>音の習得というのはある程度英語ネイティブになりきって真似するという事も必要
いいことを書かれました。boysome228
さんは単に必要ということを言われたに過ぎないと思っておられるかもしれませんが、これは私には立派な「定義」です。フリークというものの定義です。フ
リークはこれをやるんです。私はそれを知っています。そして、そんなものはフリークにとっての必要性でしかないと考えています。フリークだから、普通の人
がどうにも恥ずかしくてやれないことを平気でやってしまえるのです。フリーク以外では、意識の希薄な女もこれをやりますね。
ここは実に微細な話なのですが、「ネイティヴになりきって真似する」ということと、ネイティヴ音を練習の「媒介にする」こととは、まるで別の事柄なので
す。
みっともないからフリークになるなと私はずっと言っているのです。やみくもなネイティヴぶりは、端から見れば実に実にみっともない猿です。日本で英語を
ぺらぺらやる輩を見ると、こっちが恥ずかしくなる。あんまり俺を無駄に苦しめるな、と思うのです。
私はフリーク猿達のやみくもさが必要でなくなる方途を探し続けてきたのです。私の「あいうえおフォニックス」は、そのように方途を探してきた結果です。
これがあれば、これまでのフリークのやみくもなみっともない可哀想な真似は要らなくなる。
「あいうえおフォニックス」で純粋に練習の場での英語音を作れば、後はネイティヴ音は鼻歌を歌うように自然に口から出てくればいい。そういうことなら私
は否定しない。英語音など、鼻歌程度にしておくのがいいのです。
----------------------------------------------------
Jackie さん
以上の意味では、私のレッスンは金にならない「カラオケ教室」かもしれません。
【9172】
【タイトル】口の形
【 日時 】04/09/17 2:26
【 発言者 】Jackie
テレビの英語番組にでてくる欧米人とのハーフの人、
ヒロコグレースさんとか その他のバイリンガルの人。
第一言語は英語だからか 英語を母国語の親の影響か、
日本語を話すときも英語の口の開き方ですね。
テレビをみながら彼、彼女たちの口の開き方を真似てみると
英語のときはもちろんですが、
日本語を話すときも 口周りの筋肉の使い方は英語のそれで、
不思議なかんじです。 口周りの筋肉が疲れます。
【9173】
【タイトル】口の形
【 日時 】04/09/17 5:00
【 発言者 】boysome228
>テレビの英語番組にでてくる欧米人とのハーフの人、
ヒロコグレースさんとか その他のバイリンガルの人。
第一言語は英語だからか 英語を母国語の親の影響か、
日本語を話すときも英語の口の開き方ですね。
そうなんですね。日英バイリンガルといっても、日本語の口の形か、英語の口の形かどちらか一つなんです。中間というのはあり得ないです。
【9174】
【タイトル】英語で考える事
【 日時 】04/09/17 5:38
【 発言者 】boysome228
>「練習の場面だけで」、英語のシンタックスや音を無意識化することをすればそれで十分です。使うときは、意識的に使えばいい。
根石さん。これって矛盾していますよね。意識的に使っている限り、無意識ではあり得ない。それは左脳を使いながら言語を話している事になります。だから
フレーズが次々につながって出てこずに、ゴツゴツとした言葉になります。私のイデオロギーでは、右脳を使いながら、スムーズに間髪を入れず、次々言葉が口
から出てくる状態こそ、本来の言語の使用条件なのです。これができて初めて英語のシンタックスが無意識領域に入った事になります。これこそ、英語を英語の
ままで考える、松本亨の世界に他なりません。
【9175】
【タイトル】一種の先祖帰り?
【 日時 】04/09/17 5:47
【 発言者 】boysome228
>私の英語の練習音と使用音はまるで違います。
これも先祖帰りの例ではないでしょうか?
【9176】
【タイトル】もうこれは、議題の核心からは完全にそれているけれど…
【 日時 】04/09/17 6:59
【 発言者 】いくこ
>中間というのはあり得ないです。
もうどうでもいいはなしですが、
boysome228さん、
世の中広いんですから、簡単に断定しちゃだめですよ。
まず、「中間」って意味が、わかりません。
Jackieさんは違うと言うかもしれないけど、
ヒロコグレースの日本語なんか、「中間」だと思いますよ。
例えばケイン・コスギなんかに比べれば、彼女の日本語はまだマシな方ですよ。
流暢な日本語のようには聞こえるんだから。
もしかしたら、「完璧な」英語口で日本語を喋ってるってわけでもないんじゃないかな。
じゃ、もしboysome228さんが言うように、ひとは1つの発音しか持たない説をとれば、
彼女があの発音で英語も喋ってるなら、彼女は英語もカタワですね。
そうかと思えば、日本での生活が短くても、きれいな日本語を話すハーフのひともいます。
私の友人ですが、彼女のお母さんは、よく彼女の日本語をあそこまで維持したなと思います。
彼女は、音も、言葉の言い回しも、敬語の使い方も、遜色なく日本人ですよ。
日本語口で、日本語を発音してます。
じゃあ、boysome228さんが言うように、ひとは1つの発音しかもたない説をとれば、
私の友人は、日本語口で英語を普段しゃべってるんだろうか。
彼女の英語が「完璧な」英語かを判断する耳を、私は、持ち合わせておりませんが、
スイス人の父親を持ち、その父親は決して日本語を喋ろうとしないひとだし、
彼女がカナダと英国で育ったことを考えると、日本語口で英語を喋ってるひととは思えない。
日本語があれだけ綺麗なことの方が奇跡、ともいえる環境で育っていますし。
彼女は、2つの音を持ってるんじゃないかな。
彼女に関しては、確かに「中間はありえない」ですな。
でも、これって、boysome228さんが言う「中間はありえない」って例に入りますか?
どっちかしかありえない、って言ってるんでしょ? boysome228さん。
まあ、どっちでもいいんです。
通じりゃ。
日本語の壊れたひとが一部いたって問題はないんです。
一部のフリークが、得意がって英語を維持するために日本語を壊しても平気だってだけなら。
ただね、
これが、「国際化の時代だ」なんていって、
これからは英語を喋るのがおしゃれなんて思った母親達が、こぞって子供たちに英語をやらせて、
日本語が壊れてくのを「英語が上手くなった」と手放しで喜ぶような大衆化が起こっちゃったりしたら、
まずいでしょ。
まあ、そこまではいかないでしょうから、日本語口で英語喋ってりゃいいんでしょうけどね。
いつまでたっても、通じない、聞こえない、をやってりゃいいんでしょうけど。
だけど、「奥様は魔女!」のドラマで見たアメリカみたいな生活に憧れても、日本がそうなるのは夢のような話だったのに、
今は、当然のように日本人は手に入れてるんですよ。
あのドラマを今見て、違和感がないんですから。
日本なんか、想像してた以上に変わっちゃうんですよ。
しかも、日本語のシンタックスは「女陰型言語」だし。
日本語なんか、イチコロなんですから。
私は、フリークはフリークにとどめたいんです。
「通じる・聞こえる」と、綺麗な日本語の維持を両立させたいんですよ。
【9177】
【タイトル】ついでに…
【 日時 】04/09/17 7:09
【 発言者 】いくこ
>一種の先祖帰り? 投稿者:boysome228 投稿日: 9月17日(金)05時47分57秒
>>私の英語の練習音と使用音はまるで違います。
> これも先祖帰りの例ではないでしょうか?
根石さんは、先祖帰りしない、とは言ってませんよ。
【9178】
【タイトル】???
【 日時 】04/09/17 7:54
【 発言者 】boysome228
>もうどうでもいいはなしですが、
boysome228さん、
世の中広いんですから、簡単に断定しちゃだめですよ。
あなたは私にここで何を期待されているのか理解に苦しみます。
黙れと言いたいのでしょうか?
私は他人がどう思おうと、自分が真実と感じるところを述べたまで
です。これは根石さんもおなじとおもいます。(あなただって
同じですよね。)
ものごとの理解に個人差があるのは当然の事です。
そこから何を得るか、これは読む側である各自の自由です。
誹謗中傷でない限り、人の発言を遮ることはできません。
内容についての建設的な批判ならば歓迎いたします。
【9179】
【タイトル】そういえば
【 日時 】04/09/17 9:29
【 発言者 】銀のくつ
タレントの早見優さんは、15歳までハワイで暮らしてその後日本でデビューしたと記憶していますが、当時から彼女の話す日本語は日本人のそれと全く同じ
だったと思います。当時から、「この人本当に英語ペラペラなのかな?見た目も全く日本人なのに。(当たり前だけど)」と思っていました。彼女がデビューし
て10年以上たったころでしょうか、NHKのラジオ英会話のインタビューに出ていたのを聞きまして、すごくびっくりしたんです。「これ、本当に彼女がしゃ
べってるの?別人みたい。」と。声の質からして違っていて(普段の声よりもかなり低い)、私の耳にはネイティブと変わらなく聞こえました。インタビューの
内容もいかに英語を錆付かせないか、みたいなことを言っていたと思います。
【9180】
【タイトル】ついでに
【 日時 】04/09/17 9:47
【 発言者 】銀のくつ
もうひとつだけ参加させてもらうと、私は日本人が英語を話すのを聞いて、すごくいいな、と思うときと、なんとなくむずむずするときがあります。いいな、と
思うのは、その人が自分の声を使って、自分の発声器官を使って、自分らしく英語を話しているときで、むずむずするのはむやみやたらにネイティブの音(しか
もなぜかアメリカ英語)真似でしかも自分はいかにもアメリカ人だ!みたいにしゃべる人(オーバーリアクションだったり、you know,
を連発したり)の英語を聞いたときです。で、根石さんがおっしゃっているのは日本人が誰の物まねでもなく全世界の人に通じる英語の発音を身につけられるよ
うに、がんばっていらっしゃるのかなあ、と掲示板を読んで思いました。とんちんかんな見解だったら、すみません。
【9181】
【タイトル】2つの音
【 日時 】04/09/18 6:50
【 発言者 】boysome228
>彼女は、2つの音を持ってるんじゃないかな。
>彼女に関しては、確かに「中間はありえない」ですな。
でも、これって、boysome228さんが言う「中間はありえない」って例に入りますか?
どっちかしかありえない、って言ってるんでしょ? boysome228さん。
この点はまじめな質問ですから、ちゃんと答えないといけませんね。
中には、2つの口の形を完璧に使い分けられる人が少数ですが存在するようです。こういう人達は日本語と考えると日本語口、英語と考えると英語口という具
合に、両者の間をまるで仮面ライダーかカメレオンであるかの如く一瞬の内に変身できるようです。しかし、この変身には1秒ぐらいかかるようで、変身の瞬間
だけ少し時間がかかるようです。一旦変身したら、後は無意識に一つの口の形を保てます。東北弁を駆使するダニエル・カールさんはこの例ですね。多くの普通
のバイリンガルは、一方の口の形で他方を話します。私は凡人ですから、どちらか一方のみをずっと保った方が、先祖帰りを防ぐ事が容易になります。
【9183】
【タイトル】失敬な
【 日時 】04/09/18 15:04
【 発言者 】いくこ
>この点はまじめな質問ですから、ちゃんと答えないといけませんね。
いやいや、全部真面目に書いてますよ。
この点は、なんて限定してもらっちゃ、こまります。
【9194】
【タイトル】銀のくつ さん
【 日時 】04/09/30 3:16
【 発言者 】根石吉久
お書きいただきありがとうございます。
>で、根石さんがおっしゃっているのは日本人が誰の物まねでもなく全世界の人に通じる英語の発音を身につけられるように、がんばっていらっしゃるのかな
あ、と掲示板を読んで思いました。とんちんかんな見解だったら、すみません。
いいえ。まさにお書きいただいたことをやっているつもりです。正確に眼目となるところをつかんでいただいたと思い感謝しております。
是非またこの掲示板にご登場いただくよう願っております。
【9195】
【タイトル】いくこへ
【 日時 】04/09/30 3:19
【 発言者 】根石吉久
Naima
さんがホームページ作成に着手して下さるようですので、コピーライターとして参加して下さい。ゆっくりでいいですが、着実に集客効果のあるものを作っても
らいたいと思っています。私の空き枠は、女房が勤めている薬局の店長が英語を始めることを検討しておられ、この方が始めるとまた全部埋まることになりま
す。今後は奈良のNaima
さんの生徒数を増やしていきたい。奈良が手一杯になる時がきたら、いくこの塾で生徒として受けてもらいたいと思っていますので、英語の研鑽を積みながら、
集客効果という武器を作ってもらいたい。私のレッスンには、これまでこれがなかったと思っています。機能するホームページができれば、一部分をノリピーに
レイアウトしてもらい、版下を作成してもらって、私の印刷機で刷れば、「電話でレッスン」のパンフレットができます。それを現在の生徒さんに郵送し、回り
に手渡してもらえば、集客用ホームページへのアクセス件数を増やすことができる、などとも考えています。
Naima
さんが言われたことによると、口で「電話でレッスン」のことを話した場合に、「いったい電話で何ができる?」という反応と、「週一回30分で一万二千円は
高い」という反応があるそうです。ひとまず、この二つの反応をうち破りたい。
私および Naima
さんとの連絡は、メールでもいいですし、この掲示板を使ってもらってもいいです。私は基本的に公開主義ですので、ホームページ作成の相互連絡も、掲示板で
やっちゃうのがいいと思っていますが、その辺は各自の判断におまかせしたいと思っています。
よろしく。
【9198】
【タイトル】それとですね...
【 日時 】04/09/30 17:36
【 発言者 】Naima
根石さん、
回転読み道場みたいなものを開く事は可能でしょうか。 複数の生徒さん相手に技法グラウンドを指南するサークルです。 根石さんの奥様と村田先輩がやって
おられるのと同じ方式の道場をやってみたいのですが。 幸い私の通っている英会話学校が、「英語のサ−クル活動や自習の為に空き部屋を使って下さい」と提
案して下さったので、週2回ほどやってみようかと思うのです。 会費を徴収してもかまわないとの許可も得ているので、一月6000円以下に押さえてやって
みたいのですが、どんなもんでしょうか? 何を教材に使うかも決まっていないし、複数の参加社をどういう風にさばいたらいいのかもわからないので、まこと
に頼り無い事この上ないんですが。 とりあえず、NHKラジオ講座の Let's Speak
が音読で学習する事を奨励していて、中級〜上級の学習者にも人気が高いので、これを使ってみてはどうかと思ったりするんですが。 ここで「回転読み」や
「技法グラウンド」の効果を実感された方は電話レッスンにも興味を示されるのではないかと思います。
私の周囲には、「皆が音読は効くと言うので」音読をやってはいるけれど、いろいろ問題をかかえている人が何人もいます。 一番大きな問題は、「ただ漫然と
回数をこなしているだけの場合が多く、その効果についても半信半疑なので音読に力が入らない。」事だろうと思います。
時間が出来たので近い内に長野に伺っていろいろご指導頂きたいとは思っていまが、いづれにしろ遅配になってるお給料が出てからですわ....
【9199】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】04/10/01 0:27
【 発言者 】根石吉久
「回転読み」道場の話、興味深いです。
>複数の参加者をどういう風にさばいたらいいのか
これが一番問題です。私の経験では、5,6人を越えると急に困難が生じてきます。
何人かの学校の先生に提案しましたが採用してもらえなかった「いけにえ方式」を今回試してみてもらえないものかと思いました。村田君や女房がやっている
のとは違うやり方になりますが、「いけにえ方式」は、一人の生徒を「いけにえ」にして、技法グラウンドをやり、音に関して問題点が見つかれば、その場で音
づくり(手短なコツを伝える)をし、「いけにえ」の生徒の音の変化をその場の他の生徒全員に認識させ、その後、1分とか2分という時間を与え、全員に繰り
返し音読させるというものです。
その場合、是非私が作った「ゴースト」の「文法解析」のテキストを使っていただきたいと思っています。このテキストは波状的に何度も同じ文が引用されて
いますので、同じ文の音づくりに関して、少しずつだんだんと細部に触っていくということができます。この作り方をしてあるテキストでないと、「復習範囲を
手放さない」という原理が放置されてしまうだろうとも考えています。
盆栽の仕立てと同じで、まずは太い枝から手をつけていき、最後に細い枝をいじるという手順がこのテキストで可能になります。
This is not brain surgery you're going into.
「いけにえ」になった生徒が、surgery の ur
を日本語の「アー」で発音したら、まずはそれを問題にし、「狭くこもったアー」の作り方として、唇の開きの「狭さ」を言い、「狭い音」だと指示します。こ
の文について、それだけ指示して、「いけにえ」の生徒が ur
の「狭い音」を作ることができ、まともに5回程度繰り返すことができたら、1分とか2分の時間を与え全員に繰り返し音読(回転読み)させます。それが終
わったら、次の文に移ります。テキストが進んでいくと、また、
This is not brain surgery you're going into.
が引用されているのにぶつかりますから、また別の「いけにえ」の生徒と「技法グラウンド」をやります。surgery の ur
の「狭い音」が日本語の「アー」に先祖帰りしていたら、ただちに指摘しますが、それ以外に何か問題があったら、今回の「いけにえ」さんには、そちらを重点
的に指示します。例えば、you're の re は er
と同じく「狭くこもったアー」ですが、それを日本語の「アー」で言っていたら、前回この文を扱った時と同じように、「狭い音」を作らせ、まともに5回程度
繰り返させます。その後、全員に回転読みさせます。これで、surgery の ur, you're の re
の二つの「狭いこもったアー」がポイントとなりました。テキストが進むと、また、
This is not brain surgery you're going into.
が現れます。今回の「いけにえ」さんが This の th
に問題があったら、それを「発音10のポイント」で直します。前回までの二回は、「あいうえおフォニックス」で直してありますが、子音関係は「発音10の
ポイント」で直します。前回、前々回の ur, re の問題と th
の問題を今回の「いけにえ」さんがクリアしたら、いつも通り、全員に時間を与え回転読みさせます。
not のアメリカ発音(顎の下がる明るいア)などに触るのは、その後でいいと思います。
機械的に生徒に順番にあてていき、問題点がなければ、どんどん次の文に移るのでいいと思います。問題点がみつかったときは、「いけにえ」を相手に「音づ
くり」をやり、全員の生徒に時間を与えて各自「回転読み」をやるというようにするのがいいと思います。
最初に触るべきなのは、「ア系列」の母音と全体のイントネーションだろうと思います。子音の正確な出し方や英米の母音の誤差の扱いはその後でも構わない
と思っています。日本人にとって、肝心なところから触っていき、楽に直るものは後回しにしていきます。太い枝からだんだんと細い枝に、というのはそういう
ことです。
ご検討下さい。
【9204】
【タイトル】日本人の英語
【 日時 】04/10/02 13:27
【 発言者 】いくこ
昨日、テレビで中国からの帰国者(中国残留孤児およびその家族)による弁論大会の様子を見ました。
もちろん、スピーチは日本語で行われました。
かれらは、日本人ですが、中国でながく育ってきました。
だから、彼らの日本語は独特の抑揚をもち、
いわるゆ中国ネイティブの方特有の日本語でした。
もちろん、その日本語は十分に通じるものです。
これを見て、
「ああ、日本人も、日本人独特のイントネーションをもつ英語でいいんだ」
と思いました。
最低限通じる音を押さえれば、
むしろ日本人とわかる英語の方がいいかもしれない。
これを恥ずかしがることはない、と思いました。
【9205】
【タイトル】《my English》の視点(引用)
【 日時 】04/10/03 6:19
【 発言者 】sb
最近、"world
Englishes"というコトバが話題に上り、英語多元主義を擁護する議論が行われている。(Kachru1982,1986,1989)。「外国語と
して英語を学ぶ」という立場からすると、英語を母語とする人たちが共有する文化規範に依拠した英語を学習の目標に据えることは十分に正当なことである。し
かし、「英語を国際語として使う」という立場からすると、事情は異なる。特定文化の言語規範ーーー英語の正しさと適切さと決定する規範ーーーの縛りは「国
際語」という概念に相反するものとなりうるからである。
もちろん、world
Englishesの思想は、後者の立場を支持するものであり、"English"というコトバを固有名としてではなく可算性を備えた普通名として取り扱
うことを要請する。すなわち「色々な英語があってもよい」というのが英語の複数化を前提にするworld
Englishesの要諦である。この「色々な英語」の中にJapanese Englishも含まれよう。
確かにJapanese
Englishを認めるという態度は「特定の規範に依拠した英語のみが正解だ」という信念に揺さぶりをかけるという意味合いにおいて重要である。だが、
Englishが理念的実在を指す概念であるのと同様にJapanese Englishも仮想にすぎない。つまり、Japanese
Englishは「英語でコミュニケーションをする」という際の「英語」ではありえない。Japanese EnglishやAmerican
Englishというものを誰も個人的に所有することはできないからである。
英語によるコミュニケーションは《my English》と《your
English》で行われるやりとりである。myとyourが対話関係における役割を記す所有代名詞だとすると、誰かが使う英語は、その誰かに帰属する
my Englishであると言い切ってもよい。
my English⇔your English
この対話的関係では、両者が機能的に言語的やりとりを行うことができるかどうかが重要なのであって、一方の英語を「正しくない英語」と評価する基準は働
かない。つまり、Englishの規範はここでは機能しないのである。
だが、英語を学ぼうとすると、「英語というもの」があるという錯覚に陥ってしまう。がしかし、机や椅子があるような形では英語というものはないはずであ
る。幼児が言語を身につけていくとき、出来合いの言語というものを受け取るわけではない。コミュニケーションの流れの中に入っていくのである。そして、
<私の言語>をより「機能的なもの」にしていくのである。
英語教育の課題は、言うまでもなく英語を教えることであるが、何のために、教えるのかといえば、生徒が英語を使えるようにするためである。教える「対
象」−−−そして学ぶ「対象」−−−となる英語は、アノニマスなEnglish(大抵は英米で使用される英語)である。だが、ここで強調しているように
「英語を使う」という際の「英語」はEnglishではなく、それを使う当事者に帰属したmy
Englishである。(田中茂範,forthcoming)
9208】
【タイトル】RE: 田中茂範
【 日時 】04/10/03 23:10
【 発言者 】boysome228
> 英語教育の課題は、言うまでもなく英語を教えることであるが、何のために、教えるのかといえば、生徒が英語を使えるようにするためである。教え
る「対象」−−−そして学ぶ「対象」−−−となる英語は、アノニマスなEnglish(大抵は英米で使用される英語)である。だが、ここで強調しているよ
うに「英語を使う」という際の「英語」はEnglishではなく、それを使う当事者に帰属したmy
Englishである。(田中茂範,forthcoming)
sbさん。お久しぶりです。上記はなかなか核心をついた言葉ですね。何という本からの引用でしょうか?ぜひご教示願います。
【9209】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/10/04 0:22
【 発言者 】根石吉久
引用ありがとうございます。
田中さんに欠けているのも、「磁場」という観点だと思いました。
my English⇔your English
これは、日本人が日本で作った英語を日本で使う場合に当てはまります。
こんな図式に普遍性はないのです。
my(our) English⇔your English
これが英語の磁場での図式になるはずです。
my English は、our English から絶えず養分を得て、my English なのです。
日本における my English は、our English からへその緒が切れているのです。
本当に孤絶して my なのです。
【9210】
【タイトル】中間音はどこにでもある
【 日時 】04/10/04 0:55
【 発言者 】根石吉久
畑に花の苗を植えようと思って畑に着いたら、雨が本降りになったので、植えるのをあきらめて帰ってきた。今は雨がやんでいるので、明日の天候に期待す
る。秋の苗は早く植えてやらないと、冬が来るまでの根が張れない。急がなくてはならないので、掲示板に何か書くのもおっくうである。ここで体力を使ってい
るわけにはいかないのだという思いがあるが、片づけてしまわなければならないものを片づけようと思う。しゃらくせえと思いながら、片づけないでおくと、畑
で仕事をしていても、俺の胸が胸くそ悪いせいで畑仕事が楽しくないものになるからだ。
boysome228 さん
私はあなたを英語フリークだと見定めてしまいましたので、勝手にやっててくれ、あんたのやることに普遍性は見いだせないと言えば、それで結論になるので
すが、まあ、火の粉は払う私のこれまでの流儀に従って、火の粉は払っておこうと思います。
----------------------------------------------------
口の形 投稿者:boysome228 投稿日: 9月17日(金)05時00分10秒
>テレビの英語番組にでてくる欧米人とのハーフの人、
ヒロコグレースさんとか その他のバイリンガルの人。
第一言語は英語だからか 英語を母国語の親の影響か、
日本語を話すときも英語の口の開き方ですね。
そうなんですね。日英バイリンガルといっても、日本語の口の形か、英語の口の形かどちらか一つなんです。中間というのはあり得ないです。
----------------------------------------------------
これは、バイリンガルに限定した話でしょうか。「どちらか一つ」っていうのは、日本語寄りの音、あるいは英語寄りの音ということではなく、まったく英語
だけの音で日本語をしゃべる、あるいは、まったく日本語だけの音で英語をしゃべるということになります。理屈ではそうなります。そして、そんなことはあり
えないことです。「中間というのはあり得ない」などということはありえない。中間音はどこにでも生じます。
あなたが日本で、英語の音で日本語をしゃべるらしいのを知って、あほかと思ったのでしたが、その前にあなたの経歴を知らなければなりません。私は、あな
たがいわゆる英語圏で生活した経験を持つ人だとにらんでいるのですが、それはどうなんでしょうか。私は「磁場」論ひとつをひっさげてものを言っているので
すが、私の「磁場」論をあなたのケースに当てはめるに際して、あなたが英語圏で生活したことがあるのかないのか、それは何年に及ぶのかということを知らな
いと、あなたに向けて言うべきことが違ってくると思ったのです。この点をはっきりしてもらいたい。
何歳まで日本語だけで育ったのかとか、何年英語圏にいたのかとか、そういうことをなるべく具体的に公表していただきたい。
いくこが、中国残留孤児の日本語の音について書いているものは、中間音はどこにでもあることの例証です。中間音の問題こそが、語学としての音の問題なの
です。
想定してみます。あなたが、例えば20歳まで日本語の音だけで育って、その後、英語圏に5年間渡ったとします。英語圏で獲得した英語の音を失いたくなく
て、日本に帰国後、英語の音で日本語をしゃべろうと考えたとします。そのあなたの「英語の音」は、本当に英語の音なのかどうかです。中国残留孤児の日本語
の音の問題と、あなたの英語の音の問題は変わりはなかろうが、と思うのです。ご本人が、「英語の音」だと思っているだけで、あなたの英語の音でさえ、英語
ネイティヴが聞けば、日本語が音としてその背後に響いているのです。まともな英語の(ネイティヴな)音だと思っているのは、ご本人だけということは十分に
考えられることなのです。あなたの経歴をお書きいただきたい。
【9211】
【タイトル】boysome228 さん
【 日時 】04/10/04 1:32
【 発言者 】根石吉久
----------------------------------------------------
英語で考える事 投稿者:boysome228 投稿日: 9月17日(金)05時38分39秒
>「練習の場面だけで」、英語のシンタックスや音を無意識化することをすればそれで十分です。使うときは、意識的に使えばいい。
根石さん。これって矛盾していますよね。意識的に使っている限り、無意識ではあり得ない。それは左脳を使いながら言語を話している事になります。だから
フレーズが次々につながって出てこずに、ゴツゴツとした言葉になります。私のイデオロギーでは、右脳を使いながら、スムーズに間髪を入れず、次々言葉が口
から出てくる状態こそ、本来の言語の使用条件なのです。これができて初めて英語のシンタックスが無意識領域に入った事になります。これこそ、英語を英語の
ままで考える、松本亨の世界に他なりません。
----------------------------------------------------
どこが矛盾しておりますでしょうか。意識的に使っているかぎり無意識ではありえないのはその通りです。私は日本語でも、とても意識的に使っているときが
あります。その時は、無意識ではありえません。何か問題がありますか。私が日本語を「意識的に」使っては何か問題があるとでも? まして、私が日本で英語
を「意識的に」使うのです。どこにどんな問題があるのでしょうか。
私は、練習の机上と、実際の言語使用とを峻別しているのです。そんなことは過去ログをちょっと読んでもらえればはっきりすることです。練習の机上と実際
の言語使用とはまったく違う世界なのです。そこをのべたらにつなげる錯誤が、あなたの「日本で日本語を英語の音で話す」という馬鹿らしいというかみっとも
ない変態のざまをもたらしているのです。
日本で日本語を主言語としている人が、日本で作った英語を日本で使うときに、「意識的に」使うことに何の問題があるのですか。是非はっきりお教えいただ
きたい。私は以前から、「ごつごつとした英語を使え」と言ってきたのです。日本語の磁場において、「スムーズに間髪を入れず、次々言葉が口から出てくる状
態こそ」が変態なのです。あほなのです。もしも、そんなことが日本語で育った人が日本で作った英語を日本でしゃべる場面において生じているならば、あほで
あり変態です。
「日本在住のまま」というのを売り文句で登場した者として、松本道弘がおりますが、ご本人の書いた本の中で、商社勤めの仕事の中で日々英語で商談をして
いたというのを読んで、こりゃ電話線で「磁場」と毎日繋がっていた男じゃないか、電話というのがミソじゃないかと思ったことがありました。sbさんが引用
したものから引用するなら、松本は、my English を絶えず your English とこきまぜていたのです。この場合の your
を訳すなら「あなたの」ではなく「あなたがたの」です。
当該の磁場における言語の背後に絶えず複数性があります。日本人が日本語で育って、日本だけで作り、日本で使う英語というものに、複数性はありません。
孤絶した単数性がその身上です。その場合には、「ごつごつと」「意識的」にしゃべるのがいい。ぺらぺらしゃべるのより、はるかに上等な語学的姿勢だと考え
ているのです。多分あなたにはわからないだろうと皮肉ではなく思うのですが、一応、「控えおろう」とは言っておく。
松本亨の名前が出たので、言わせてもらえば、松本亨がいくらぺらぺらと「スムーズに間髪を入れず、次々言葉が口から出てくる」としたって、しょせん「磁
場」仕込みの英語ではないですか。松本道弘にせよ、松本亨にせよ、どっちの松本も、「磁場」を使っている(媒介にしている)のです。
私は使っておりません。絶無ではない(一ヶ月半のイギリス滞在あり)ですが。まあ、使っていない(媒介にしていない)と言えると思います。
前の記事で、あなたの経歴をお聞きしたのも、あなたの英語が「磁場」を媒介にしたものであるのかないのか、それをはっきりさせたいからです。もしも「磁
場」仕込みの英語であり、しかも、現在日本在住であり、しかも、日本語を主言語としており、しかも、日本語を英語の音で発音しているというのが本当である
なら、実にみっともないことをしているもんだというのが端的な感想です。
まあしかし、あなたの経歴をお書き下さい。
【9212】
【タイトル】boysome228 さん
【 日時 】04/10/04 2:27
【 発言者 】根石吉久
私の机上の練習における英語音と、実際の使用場面での英語の音が違うことに関して、それも「先祖帰り」ではないかという疑問にお答えします。
使用場面での私の英語の音に日本語の音への先祖帰りの力は働いておりますが、日本語の音に「帰りきらない」音です。私の机上における練習の音が、日本語
への「先祖帰り」をくい止めてしまうのです。
机上では、英語ネイティヴの吹き込んだ複製音声(CDなど)を、まるで一切奉る心なしに「媒介」にすることにはやぶさかでなく、私もやります。「真似す
る」ということによく似てはおりますが、実は「真似」しているのではなく、かなり英語寄りの音でできた私の「中間音」が、なおもネイティヴ音を「媒介」に
していくのです。「中間音」を作ってあるので、それを拠点にして「媒介」が可能になります。語学の机上において、私が英語の音を扱う場合は、「あいうえお
フォニックス」「発音10のポイント」準拠の「音づくり」と、ネイティヴ音の「媒介」だけです。これは、「真似」に似ているように見えるだけで「真似」で
はない。あくまでも「媒介」ということをしているのです。
長野のある喫茶店で、日本に10日ほど滞在して、明日はアメリカに帰るという人と会ったことがありました。喫茶店のマスターが、「おお、根石君、ちょっ
とあの人と話してやってくれ」と言ったので声をかけたのでした。アメリカから来た人は、私の英語を聞いた瞬間に、Oh, you speak
English!
とかなんとか言ったと覚えておりますが、その時同時に、目が輝いて表情が急に明るくなったことのほうをはるかにはっきりと覚えています。10日間、「自分
の言語=英語」に飢えていた人だと分かったのでした。話したのは雑談ばかりでしたが、まるで閉じこめられていた心が解き放たれたかのように、その人は私を
相手に大量に話し続けました。
私の英語の音はこの人によって英語だと瞬時に認識されたのだというお話になりますが、話はこれで終わらない。
先に書いたロンドン1ヶ月半滞在のちょっと長い旅行の途中で知り合ったアメリカ人が、私の家に遊びに来ていたことがありました。3ヶ月ほどいましたが、
じきにアメリカに帰ってしまうのだからと思い、甘やかして、私はなるべく英語を使ってやっていました。そして、こいつも途中からかなり英語に飢えてきたの
でした。私の英語がネイティヴなものではないことがわかってきて、ネイティヴな英語に飢えてきているのがわかりました。帰国途中、ハワイに飛行機が降りた
ので、機外に出たとき、本当にこころがやすらぐのを感じたと後で私に手紙を寄越しました。「磁場」に戻ったやすらぎです。ネイティヴな言語がやつにやすら
ぎを与えたのです。
一人のアメリカ人は、多分ほとんどまったく英語が通じないまま、10日間を日本で過ごし、私の英語「音」を聞いて、ネイティヴな英語に根を張る英語を聞
いたと錯覚したのですし、もう一人の友達のアメリカ人は、3ヶ月私の英語とつきあって、私の英語がネイティヴな英語に根を張っているのではないことを認識
し、ネイティヴな英語に飢えたのでした。
何を言いたいのかと言えば、音の問題に限って言えば、中間音はどこにでもある、まともな語学の練習をやれば、中間音はどこででも作れるということです。
そして、日本で日本語を主言語とする者が作るべき音は、決して「ネイティヴと同じ」あるいは「ネイティヴ並み」な英語音なんかではなく、「中間音」だとい
うことです。「中間音」が「ネイティヴ音」を媒介にし続けてそれににじりよっている限り、誰にも文句は言わせないということです。文句があるなら、私の前
に出てくるがいい。かならず、深い歯形をつけて噛みついてやります。手近に刃物があれば、ぶったぎってやります。肉が裂けて血が噴きだすことはよくあるこ
とです。
中間はありえないどころの話ではない。
「中間音」はどこにでも生じる。それが、ネイティヴ音を媒介にしつづけるなら、それは絶対に通じる英語の音になる。
「ネイティヴと同じ」信仰、「ネイティヴ並み」信仰、そして、その信仰によって、なりふりかまわず「真似」すること。これこそがみっともなくぶざまな植
民地根性というものです。
「中間音」こそまともなのです。これが、いわば基盤なのであり、この基盤があれば、各自の選択によって、アメリカ音だろうがイギリス音だろうインド音だ
ろうが、「媒介」にすればいい。
「真似」するということと、「媒介」にするということは、私の考えでは根底からして違う。一方には信仰があるだけであり、一方には「中間音」という実質
(基盤)がある。私は実質を作っている者です。そして、それによって、信仰を食い破ってやろうと考えている者です。
【9213】
【タイトル】my English でなぜ通じるのか
【 日時 】04/10/04 17:36
【 発言者 】根石吉久
English という規範があるからだ。
規範の共有部分において通じるのである。
固定化された規範にゆさぶりをかけたり、拡大したりすることは可能だが、規範そのものを否定し
て語学が成立するはずがない。
【9214】
【タイトル】英語で見る夢
【 日時 】04/10/05 1:14
【 発言者 】村田
村田は社会人のための英語道場もやっています。
立ち上げてそろそろ2年くらいが経つのですが、初期から
いる生徒さんからこう言われました。
(以後、kyさんとします。)
「最近、英語で夢を見ることがあるんですよね。」
kyさんは、大手の英会話学校へ少し通っていたけれど、
そこに限界を感じて結局ウチの教室に根をおろしてくれ
た人です。
kyさんが英語を始めた動機は、さるアメリカのマイナー
なロックバンドの一人と付き合うこと!という簡潔にして
明確なもので、ゆえに、練習も毎日欠かさず、進み具
合も最先端です。
夢についてさらに聞いてみると、そのバンドマンと英語で
話しているということでした。
(ちなみに、彼女は実物と何度か会っていて、練習がか
なり進んだ最近では、以前よりかなり聞き取りやすくなっ
たということでした)
それは是非「大風呂敷」に書いてくれ、とkyさんに言った
のですが、奥ゆかしいkyさんはなかなか書いてくれません
ので、このほど、村田が書いてしまいました。
kyさん、なにか補足することがありましたら是非書いてくだ
さい。
【9215】
【タイトル】つづき
【 日時 】04/10/05 1:15
【 発言者 】村田
下の記事は、これだけで完結するはずの記事だったので
すが、先週、付け加えるべきことがおこりました。
最近出会った人が、私も英語で夢を見るというのです。
この方(以後、kmさんとします)は、英語圏である程度生
活したということは聞いていたので、そのときのことですかぁ、
と尋ねてみると、日本での話だということでした。
村田は、一度も英語で夢を見たことがないので、それはス
ゴイ!とさらに話を聞いてみると、kmさんは日本で以前、
英語圏の人と付き合っていたということでした。
kyさんもkmさんも、日本で生活しながら、英語で話してい
る夢を見た、という点で、現象的には、一見同じことを体験
したように思えます。
というか、普通は同じことのように思えるでしょう。
しかし、磁場理論の立場から見てみると、この2人は、全く
別の経験をしたということが言えると思います。
kmさんの場合、英語圏の人と交際していた、ということで、
最小限の磁場に身をさらし、まがりなりにも磁場の影響を
受けていたということが言えると思います。
(対幻想に持ちこまれた磁場とか書いてみちゃったりします)
一方、kyさんは、英語の磁場が全くない場所=日本で、
孤独に練習し、英語で夢を見るというところにいたりました。
どちらが上か、ということは言えないと思いますが、最低限の
磁場さえ持たずに、しかし激しく練習することには、意識の
強度が、相当に必要だったと思います。
【9216】
【タイトル】つづきのつづき
【 日時 】04/10/05 1:17
【 発言者 】村田
1つの文を何回も声に出して言うことの意味。
「一見機械的に見えるけれど、俺たちはサンプリングマシンや
テープレコーダじゃない。同じことを何回も言っているように
見えるけれど、一つの文を繰り返し読むたびに、それは毎回
新しい」
こういうことを言っても、わからない人には全くピンと
来ないようですが、わかる人には一発でわかります。
その差は、どこにあるかというと、激しく練習したこと
があるかどうか、ということのような気がします。
kyさんは、一発でわかりました。
村田は、とてもうれしかったです。
【9217】
【タイトル】???
【 日時 】04/10/05 9:19
【 発言者 】sb
根石さん、教えてください。
理解するときや、いわゆる刺激と反応"stimulus and
response"という時の「刺激を受ける側」に立てば、規範があるからこそ学べるということになると思います。根石さんがおっしゃっているように
our
Englishという磁場やEnglishという規範があるから「本当の意味で学べる」というか「生活に根ざした言語」ということになると思います。そこ
にあるのは、Englishesやworld
Englishesという複数形になるのではないかと先日引用させていただいた田中さんはおっしゃっていらっしゃるのだと思います。
逆に、「使う」という狭い枠組みから言語を捉えるとき、つまり発信するとき(書いたり、話したりするとき)には、your
English(yourはもちろん単数、複数が含まれるでしょう)を対象とした現存在としての"my English"というものがあり、our
Englishというのは、根石さんが書いていらっしゃるように「磁場」があるからこそ、ということになるのでしょうか。
根石さんの著書である「英語どんでん返しのやっつけ方」)小学館文庫(村田さんとの共著)の中にあったこんな一節を思い出しました。はっきりは覚えていま
せんが、根石さんが英語ネイティブとけんかしていたとき、「脳味噌がぐだぐだと汗をかいていた」その瞬間の英語というのはmy
Enlgishということは言えないのでしょうか。やはり磁場がないということはmy Englishなんて言い方はできないのでしょうか。our
Englishがない、つまり磁場がないところでは練習の仕方を工夫するパイオニア的発想が求められているということになるのかもしれません。その辺があ
まり考えてもよく分かりません。よろしくお願いします。
【9218】
【タイトル】boysome228 さん
【 日時 】04/10/05 9:36
【 発言者 】sb
こんにちは。お元気ですか。
過日の引用についてのご質問の回答です。
「コミュニケーションとしての英語教育論」
(副題)英語教育パラダイム革命を目指して
鈴木佑治 吉田研作 霜崎實 田中茂範 共著(1997)
アルク2400円+税
ISBN4-87234-688-2 C0082
はじめに 鈴木
序論 田中
第一部:言語論
第一章 コミュニケーションにおける言語論(鈴木)
第二章 断片連鎖と日常会話(田中)
第二部:異文化論
第一章 異文化間コミュニケーションとしての外国語教育(吉田)
第二章 異文化教育とステレオタイプ(田中)
第三章 言語とアイデンティティー(鈴木)
第四章 辞書の視点について(鈴木)
第三部:英語教育論
第一章 教育図式の転換(霜崎)
第二章 磁界発生装置としての英語教育(霜崎)
第三章 言葉のゆれと規範ーーNative Speaker論ーー(霜崎)
第四章 英語学習と心理負担<my English論>(田中)
第五章 言語論からみたテスト論(鈴木)
第六章 コミュニケーション時代の新しいカリキュラムの考え方(吉田)
第四部:英語教育実践論
第一部 Display活動とReferential活動(吉田)
第二部 自己表現力と対話力の育成について(吉田)
第三部 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス ACE Program(鈴木)
座談会 英語教育パラダイム革命を目指して(鈴木 吉田 霜崎 田中)
【9220】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/10/06 1:24
【 発言者 】根石吉久
my English⇔your English
と、
my(our) English⇔your English
では、 my の意味が違います。
our に支えられた my と、孤絶した my ではまるで my が別物です。
家族と共に一つの家に住む子供と、孤児ほどに違います。
よく読んでいただけば、すでに書いてあると思いますので、くだくだしく説明することはしたく
ありません。
【9221】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/10/06 15:02
【 発言者 】sb
「使う」と「分かる」を区別しないのが語学で、
「分かる」ものが「使わなくても」使えるようになる場合もあるのが生活言語という
ことになりますか。
そうであれば「分かる」ものが「使えない」のは、磁場がないからということになるのでしょうか。
【9223】
【タイトル】意識的の定義
【 日時 】04/10/07 23:00
【 発言者 】boysome228
> どこが矛盾しておりますでしょうか。意識的に使っているかぎり無意識ではありえないのはその通りです。私は日本語でも、とても意識的に使っているとき
があります。その時は、無意識ではありえません。何か問題がありますか。私が日本語を「意識的に」使っては何か問題があるとでも? まして、私が日本で英
語を「意識的に」使うのです。どこにどんな問題があるのでしょうか。
これは「意識的」という言葉をどういう意味で使うかによります。我々が日本語を使う時に日本語を意識的に使うのは当たり前です。ここで言う「意識的」
の意味はシンタックスを意識的に使うのかそれとも無意識的に使うのかという事です。以前、貴殿も「シンタックスの内在化」という言葉を使われていたと思い
ます。問題の主旨は、英語を話す時にシンタックス=文法を意識的しているのか(例えば予め、日本語や文法を頼りにして)”英作文”してから英語を話してい
るのか、それとも無意識的に次々に話す言葉が英語のシンタックスに適っているかという事を問題にしています。もし、その意味で意識的に英語を話しているの
であれば、それは間違った方法であるという事がポイントです。
【9224】
【タイトル】先祖帰りを促す要因
【 日時 】04/10/07 23:07
【 発言者 】boysome228
> 私の机上の練習における英語音と、実際の使用場面での英語の音が違うことに関して、それも「先祖帰り」ではないかという疑問にお答えします。
使用場面での私の英語の音に日本語の音への先祖帰りの力は働いておりますが、日本語の音に「帰りきらない」音です。私の机上における練習の音が、日本語
への「先祖帰り」をくい止めてしまうのです。
では根石さんは、先祖帰り、又は「帰りきらない先祖帰り」ではあるが、半分は返ってしまう発音の先祖帰りは、一体何が原因しているとお考えですか?そこ
を説明してください。
私のコメントの主旨は、その原因として普段の日本語の発音があるという事がポイントです。そしてそれを防ぐにはどうしたらよいとお考えですか?生徒にどの
ようにアドバイスされますか?
【9225】
【タイトル】boysome228 さん(1)
【 日時 】04/10/08 12:57
【 発言者 】根石吉久
言語にとって異質な「磁場」では、シンタックスだろうが、発音だろうが、単語一つのイメージの核だろうが、絶えず浮力が働いており、無意識(深部)に沈
めたものも、絶えず浮き上がってしまうのです。深みを泳ぐ魚ではなく、浮いた魚。これは死んだ魚です。日本語の「磁場」には、英語のシンタックスや音や語
のイメージなどを死なせる力が絶えず働いている。このあたりについてはあなたとの間に意見の違いはあまりないでしょう。
私とあなたとで、「意識的」という語の定義もそれほど違っているとは思っておりません。私が、「意識的」と「無意識的」の間に無数の中間点を想定してお
り、グラデーションを成していると想定しているのに対して、あなたは、意識の動きを「意識的」と「無意識的」の二つに分割して、それでことが済むと安易に
考えているところがまるで違うのです。
日本語の音と英語の音との間に、どこにでも「中間音」は生じるし、その「中間音」こそが練習の拠点であり、しかも拠点は練習によってグラデーションの中
の位置を絶えず変えます。だから私は「中間音」はどこにでも生じる、と言っているのです。
「意識的」と「無意識的」に関しても同じことが言えると考えております。「意識的」「半意識的」「半無意識的」「無意識的」など、おおざっぱに言っても
すぐにその程度のグラデーションは想定できます。
【9226】
【タイトル】boysome228 さん(2)
【 日時 】04/10/08 12:59
【 発言者 】根石吉久
>貴殿も「シンタックスの内在化」という言葉を使われていたと思います。問題の主旨は、英語を話す時にシンタックス=文法を意識的しているのか(例えば予
め、日本語や文法を頼りにして)”英作文”してから英語を話しているのか、それとも無意識的に次々に話す言葉が英語のシンタックスに適っているかという事
を問題にしています。もし、その意味で意識的に英語を話しているのであれば、それは間違った方法であるという事がポイントです。
日本での机上の練習での「内在化」によって内在したものは、「外在化」(使う)前に消失しがちです。スタンプされるだけで、刻まれるのではないからで
す。それが、「磁場」を欠くということです。これに対する解決は、村田君が言うように、「激しさ」と「強さ」だけだろうと思います。架空の経験を「強く」
自分に「刻む」だけのことです。この「刻み方」として、私は「回転読み」というものを提示してきました。
英語の「磁場」における英語は、自分で自分に「刻む」必要はない。生活の切実さが、そのまま言葉の切実さである場所では、「自分で自分に対して」行使す
る力など必要とせず、場の切実さという外部が、言葉を自分の意識に刻んでしまうのです。「半意識的」あるいは「半無意識的」というレベルではそれが起こり
ます。
まったくの「意識的」では、それは起こりません。
あなたは単にそれを言っているだけのことだと思います。そして、それはその通りです。
また、私個人の英語に関してお尋ねになっておられるのであれば、私はまったくの「意識的」なレベルは大学受験の勉強において脱し、その後長く、五十代に
至るまで、「半意識的」と「半無意識的」の間を絶えず往復してきています。シンタックス=文法を、「半意識的」あるいは「半無意識的」に使っています。
何が「無意識的に次々に」ですか。これがアホくさいと言っているのです。英語にとって異質な日本語の磁場は厳然と存在しているのです。その「磁場」で
「無意識的に次々に」などという妄想は、同時に脅迫観念なのです。私は日本で英語を練習する人たちが、こんな観念に脅迫される必要はないと言っているので
す。
日本における英語の練習とは、「準備」なのです。「磁場」に渡ったら、すぐに磁場と「交わり始める」ことができるだけのことはしておけ、それは必要なこ
とだから、ということを私は言い続けてきたのです。日本で英語を「無意識的に次々と」駆使するなどということは、日本語を第一言語として生きている人には
必要ない。しかし、「磁場」に入れば、ただちに「磁場」と「交わり始める」ことができるだけの「準備」を必要とする人はいる。あるいはその「必要」がいつ
生じるかわからないという人たちもいる。その人たちにとって必要なものを私は提示しているのです。
あなたは、言葉というものが、単にスキルであるとでも思っているのですか。
生活のもっとも柔らかい部分を育てているのも言葉なのです。
英語の音で「意識的に」日本語を話す! とことんあほくさい。
しかし、あなたが英語で育った人であり、日本語を第二言語として使っている人であるなら事情は異なります。そうであれば、英語の音で日本語を話すのも自
然なことです。そういう事情がありますから、あなたの経歴を書いて欲しいと言っているのです。私の要請はあくまでも語学論として必要なものの要請にすぎま
せんが、あなたはその大事な一点さえ無視するらしい。であるならば、これが済んで以後、お相手はしないことといたします。
【9227】
【タイトル】boysome228 さん(3)
【 日時 】04/10/08 13:19
【 発言者 】根石吉久
>では根石さんは、先祖帰り、又は「帰りきらない先祖帰り」ではあるが、半分は返ってしまう発音の先祖帰りは、一体何が原因しているとお考えですか?そこ
を説明してください。私のコメントの主旨は、その原因として普段の日本語の発音があるという事がポイントです。そしてそれを防ぐにはどうしたらよいとお考
えですか?生徒にどのようにアドバイスされますか?
あなたの言う通り、普段日本語を話すということが、「先祖帰り」の外的な原因でしょうが、それはあくまでも外的な原因です。内的な理由を言えば、実際に
英語を使う時は、いちいち音になど気を使わないからでしょう。
あなたがこれまでに言われたことの中で唯一まっとうなもの言いは、「音と意味の二律背反」でした。
練習の場面では、音だけを鍛える、意味だけを考える、音と意味を合体させる、などの個々の練習を個々にすることができる。しかし、実際に使う場面では、
私は意味や感情や意図だけを扱う。自分に関しても相手に関しても、です。音なんかほったらかす。だから、「音」は「声」になっているはずだ。
では、言明した通り、以後、お相手はいたしません。
【9232】
【タイトル】メール転写、およびそれへのお返事
【 日時 】04/10/10 1:39
【 発言者 】根石吉久
大学受験生と思われる方から質問がありましたので、メールとそれへのお返事を掲載します。
----------------------------------------------------
英語どんでんがえしのやっけかたを読ませていただきました。やり方はわかったのですが、このやり方で、入試の長文読解は本当に克服できるのでしょうか?一
文一文は訳せるようになると思いますが、かなりの量をこなさなければならないのと思います。また、実際にこのような訓練で、時間内に問題が解けるのでしょ
うか?ちまたに、はやっている速読やパラグラフ・リーディングなどの技法は必要ないでしょうか?とりあえず、本の方法を実行して見ます。あと入試まで1年
4月です。よろしくお願いします。ヒカルより
----------------------------------------------------
メールありがとうございました。
現在、お使いいただいたメールアドレスはあまり使っておらず、
数日に一回程度のチェックしかできません。
できましたら、今後、掲示板の方にお書きいただければ幸いです。
「大風呂敷」
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
「鬼」
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
どちらでも結構です。
>
やり方はわかったのですが、このやり方で、入試の長文読解は本当に克服できるのでしょうか?一文一文は訳せるようになると思いますが、かなりの量をこなさ
なければならないのと思います。
5語、6語程度の短い文から慣らして行き、15語程度の文に慣れてから、
20語を越えるような文を「回転読み」「回転書き」し、その中に「電圧装置」
で得た知識を溶かし込むことをやって下さい。それがどれだけ上手になるかが
ポイントになると思います。
意識によって(知識・イメージを)文に溶かし込むことも、逆に文から自分
の意識に生じさせることも「瞬時」にできるようになれば、長文読解に対応で
きますし、使える英語にもつながっていきます。
>ちまたに、はやっている速読やパラグラフ・リーディングなどの技法は必要ないでしょうか?とりあえず、本の方法を実行して見ます。あと入試まで1年4月
です。よろしくお願いします。
私の方法を元に据えていただくなら、他のどんな方法を試していただくのも
結構です。私の主張の眼目は、入試の後で、使える英語として生き残れるだけ
の練習をしろというものです。他のいい方法と矛盾はしないと思います。
入試に焦点を合わせたものではありませんが、大学入試と決して相性が悪く
ないものとして、映画のシナリオ(ゴースト)を使った「電話でレッスン」を
行っております。こちらもご検討いただきたくお願い致します。
疑問点はまたおたずね下さい。
【9233】
【タイトル】ヒカルさん
【 日時 】04/10/10 22:18
【 発言者 】sb
この掲示板の常連で根石さんの電話でレッスンを受けているsbといいます。
高校で英語を教えています。勝手に書き込みをしますが、ヒカルさん、根石さん、ごめんなさい。
あと1年4月で入試の本番ということですが、ヒカルさん自身が一番いいと思われる方法をとってみるのがいいと思います。これを前置きにして、私なりの提案
をざっくばらんにしてみます。
0。単語は学校の小テストをきちんとこなす。
@大学入試は長文傾向といっても、1分間に100語も読めればおつりがくると言われている。
A音読のスピードは、個人差があるが、100語〜150語くらいになる。
(志望校の入試問題本文を、計時しながら、「声に出して」一度読んで見ては?)
B入試本番で、このスピードで黙読でき、意味がとれればよい。
C意味の取りにくいものや難しいものは、日本語でもわずかでも舌や唇が動いていることがある。
Dそこでこんな方法はいかが?
E志望校の文章で、やさしい個所は黙読で、難しい個所のみ音読で、意味がとれたら、次へ進む。
F意味をとるのがかなりムズイもののみ、文単位で根石さん方式でやっつける。
(文単位とは大文字からピリオドまでのこと)
(「意味がとれる」とは、英語を「読み」、日本語ででも英語でも「意味が分かる」ということ)
G当面入試が終わるまでは、志望校の入試過去問で7〜8割を目指す。
(過去問3年分だけでも合格力はつく。)
H並行して「電話でレッスン」受講を検討してみる。入試と実用も射程に入れているなら断然お勧め。
【9234】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/10/11 1:53
【 発言者 】根石吉久
有益な情報ありがとう。
----------------------------------------------------
ヒカルさん
sbさんがかつて自分の身を使って調べてくれたデータですが、「書く(筆写)」ことは、
「読む(音読・素読)」のスピードの6分の1程だそうです。
だったら、まともに私の方法を元に据えてもらえば、大学入試の長文などラクチンだ、と
は受験生の怒りを買うので、そうは言いませんが、時間が足りなくなるなどということは
ないはずです。
まともに攻めること。これが肝要です。
【9235】
【タイトル】引用
【 日時 】04/10/11 1:58
【 発言者 】根石吉久
<鬼>とはおおかた、理由のつけられぬ、あるいは理由をいうことがはばかられるような場合
に口にされた<理会の符牒>であり、いったん人びとによって<鬼>の行為と評されたことが
らには、被害者の反論が許されぬような重みがあった。
・・・馬場あき子「鬼の研究」 (筑摩書房・ちくま文庫)
----------------------------------------------------
この本は途中から、俄然迫力が出てきて、瞠目させられます。
【9236】
【タイトル】「書く」のは「音読」の6倍ほどの時間がかかる
【 日時 】04/10/11 8:16
【 発言者 】sb
日本語のこういう文章で試してみました。
「文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているということです。(約
70字)」
(「読む心・書く心」〜文章の心理学入門〜 秋田 喜代美著 北大路書房 より)
根石方式でやってみます。
まずスラスラ読めるように練習した後で、きちんと読めるようになったら5回連続で音読します。
ストップウォッチスタート!(計時する)
「(音読1回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(音読2回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(音読3回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(音読4回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(音読5回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
ストップウォッチストップ!(計時結果50秒)
次に同じ文章を紙に5回書き出します。これも計時します。スタート!
「(筆写1回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(筆写2回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(筆写3回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(筆写4回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
「(筆写5回目)文章の内容をわかりやすく自分で言い換えることができることは、それだけ内容をよくわかっていることであり、本当に理解できているという
ことです。」
計時結果:約4分11秒=約251秒
251秒(5回連続筆写時間)÷50秒(5回連続音読時間)=5.02
よって、音読は筆写の約5分の1の時間でできるということがわかりました。
逆に言うと、筆写(書くこと)は音読(声に出して読むこと)の5倍の時間がかかるということ。
日本語は慣れていますから、こういう結果がでましたが、以前私が英語でやってみたところ、「書くことは読むことの6倍ほどの時間がかかった」ということに
なります。でもこれはあくまで私のその時の結果です。
ヒカルさん自身が実際に日本語、英語で試してみて、(英語なら3語〜10語までくらいの短文がおすすめです)書くのは読むのの5倍、6倍、7倍かかるとい
うことに「気づく」ことで実際に受験に取り組むときの「展望」が開けるのではないかと思います。
ちなみに私の経験では日本語でも英語でも慣れてくると、10倍→9倍→8倍→7倍→6倍→5倍と差が少なくなるのではないかと思います。
【9252】
【タイトル】Sumie さん
【 日時 】04/10/16 0:57
【 発言者 】根石吉久
ちょっと読んできました。
過去ログを読むだけでも大変な作業だと思いますので、ゆっくりと少しずつ進めて下さい。
急に作ろうなどと思うと、体を壊しますから。
私も、読んでいるうちに腰が痛くなってきたので、今日は、もう横になります。
私は、校正係りをやろうかと思いました。
村田君、いくこへ。
過去ログのダイジェストを各自で作るっていうのはどうでしょうかね。
村田版過去ログダイジェスト、いくこ版過去ログダイジェスト、根石吉久版過去ログダイジェスト
など、各種ダイジェストができてくると、それぞれの読み方がさらされてよろしかろうと思います
が・・・。
Sumie さんはそれに着手されているようなものですし、もうお一方、過去ログダイジェストを進め
てくれている方がおられます。中学生と高校生を私の生徒として預けてくださっているお母さんで
す。
ひとまず提案まで。
【9255】
【タイトル】高橋さん
【 日時 】04/10/17 0:12
【 発言者 】根石吉久
今日も「こんばんわ」などと挨拶してしまいました。どうもいつも日本の時間感覚で挨拶してしまうのですが、そのたびにいつも、そちらは朝だと思い、
ちょっとちぐはぐな気持ちになります。午前中に「こんばんわ」と返してくださる高橋さんは、もっとちぐはぐな気持ちになっておられることと思いますが、今
後もこんな調子で挨拶してしまうと思いますのでお許し下さい。
今日は、電話線の状態がよくないようでした。レッスンをしている途中で、声が遠くなるというか薄くなる感じがあって、途中で電話が切れてしまわないかと
思い、ちょっとひやひやしながらやらせていただきました。レッスンの後で申し上げたことも、電話線の状態が不安定な中で申し上げたので、電話を切ってか
ら、念のためにこちらに書かせていただこうと思いました。
私のレッスンの現在の生徒さんに新しい生徒さんをご紹介いただいた場合、紹介した方のレッスン時間を5分延ばすことにしておりますが、これまでにそのこ
とを申し上げてありましたかどうか。練習のテストが30個になると、この5分がかなり貴重なものになってきますが、ちょうど高橋さんがその時期にさしか
かっておられます。新しい文を獲得されていくために、もう5分欲しいという時期になってきました。
今日のレッスンの後でのお願いは、アメリカに渡られた日本人の方で、英語で苦労しておられる方を知っておられるようでしたら、私の「電話でレッスン」の
ことを話していただきたいというお願いでした。
これまでにも、同じ一人の方で、サンフランシスコとボストンから、半年ほど間を開けて私の携帯電話に電話をされて、レッスンを受けたい言われた方がおら
れましたが、条件を整えるからと言われたまま、その後、消息がなくなった方がおられます。最後の電話では、ニューヨークにアパートを借りる予定なので、電
話をひいて条件を整えるとのことでした。
アメリカに渡ったが、英語に渡るのに苦労されている方は結構大勢いるのではないかと思っておりますが、私のレッスンを使っていただけば、英語の「磁場」
のただ中にいてレッスンを受けられることになりますので、私の理論における「机上」と「磁場」の激しい往復が可能になりますから、もっとも上達が早いだろ
うと思うのです。
高橋さんにもう一つお願いがあります。
高橋さんが実際に使っておられる電話会社と料金割引のためのサービスは何という名前のものになるのでしょうか。今後、アメリカから私のレッスンを受ける
ことを検討される方に参考になると思いますので、ご面倒ながらお教えいただけたらうれしく思います。
掲示板の方に書くからとはお伝えしてなかったし、日々お忙しい様子なので、こちらを読まれないかもしれないとは思ったのですが、次回のレッスンの時に、
掲示板の方をのぞいていただくことをお願いすることにして、ひとまず今日のうちに書いておきます。
【9271】
【タイトル】こころ、ことば、からだ
【 日時 】04/10/20 6:46
【 発言者 】sb
村田さん、いつも過去ログ作成、ありがとうございます。感謝しています。
過去ログ9026より
>(根石さん)sbさんは、「人」も「cd、テープ」も言語を獲得しつつある意識における「外在物」だとしか考えられないのです。子供にとっての母親の愛
にせよ、母親の怒りにせよ、それが外在物であるわけがない。それらは間違いなく、最初から「わがこと」なのです。その「わがこと」が言葉と一緒に自分に届
き、響くのです。外在的な「モデル」なんかであるわけがない。
今この意味を改めて噛み締めています。根本的なことが分かっていなかった自分を恥じています。
「モデル」の中の「法則」を意識しながらも、「モデル」は「モデル」だという意識が強く、それが誤解の原因になっていたという気がしています。「こころ」
と「ことば」の一致が日本語でもできないことでいろいろ問題を抱えており、そのことが、「からだ」に影響を及ぼしています。でも正しい考え方を少しずつで
すが、身につけることにより、根石さんの言われる「だから説明なんて役にたたねえんだっつーーの」とか、「そ、そっ、そうなんですよ」という声が聞こえて
くるのは「ことば」の背景の「こころ」から、直接「記号体系」に働きかける「からだ」の働きそのものだということを今大変意識してきているところです。い
つもありがとうございます。
【9300】
【タイトル】英語学習について
【 日時 】04/10/24 17:31
【 発言者 】いくこ
この頃、塾に来ている高校生の男の子と話していて、
「そもそも、語学(古典も含む)は、なんでやるの?」
というような話になったので、
後で考えました。
日本の国は、
語学教育のうち、特に英語に関しては、
きっと
「国際化の時代に通用する国民を育成するため」
とかなんとか言ってるんじゃないかと思います。
でも、
今の英語教育は、
「海外旅行で使える英語、
外人さんと会ったら、楽しく会話できる英語」
程度のものに向かっているような気がしました。
学校教育だけじゃなくて、それこそ英会話学校も。
でも、そんなところを国策の落しどころにしてちゃだめだな、
と思いました。
語学は、考えることを培うものだし、
言葉は、思考、言うこと、聞くこと、交渉すること、感銘を与える・得ること、
その活動そのものだなと。
諸外国のひとと、自分の生きる権利や相手の生きる権利について交渉して、
渡り合える日本人を育成するってことが大切なんじゃないかと思いました。
文明開化夜明け前に親しみながら、
ふと思った今日この頃です。
【9305】
【タイトル】対比の効用
【 日時 】04/10/24 19:20
【 発言者 】根石吉久
いくこ>
今の英語教育は、
「海外旅行で使える英語、
外人さんと会ったら、楽しく会話できる英語」
程度のものに向かっているような気がしました。
学校教育だけじゃなくて、それこそ英会話学校も。
でも、そんなところを国策の落しどころにしてちゃだめだな、
と思いました。
語学は、考えることを培うものだし、
言葉は、思考、言うこと、聞くこと、交渉すること、感銘を与える・得ること、
その活動そのものだなと。
Fさん>
この「喧嘩」は実は日本語によるディベート構築の狙いが隠されているらしく、たとえ磁場がどうあろうとも、日本語を使った英語論理で攻めまくる。読んでい
るほうはわくわくしてくる。
根石>
英語をやって日本語が鍛えられたら、それは副産物扱いされるかもしれないが、実はそれが一番貴重な産物かもしれない。
【9330】
【タイトル】「電話でレッスン」について
【 日時 】04/11/02 11:28
【 発言者 】高橋
「電話でレッスン」がいかに安いかについて、以下のとおり自分の考えをまとめてみました。少しでもSumieさんのご参考になれば幸いです。
1 「電話でレッスン」は高い?
「電話でレッスン」を高いと感じる理由は、様々だと思いますが、その一つとして「音読ならば自分一人でもできる」というものがあると考えます。
音読を続けることは、確かに個人ででもできます。そして、音読の教材を準備するには高くても数千円程度ですみます。また、英語上達に励まれた方の体験記
の中でも、独学による音読の積み重ねということがよく書かれています。従って、音読の重要性を強調する「電話でレッスン」の月額費用1万2千円は高いので
はないかと感じる方は多いと思います。
2 「電話でレッスン」は安い:その三つの理由
しかし、私は「電話でレッスン」は以下の理由から安いと考えています。
第1に、個人では解決するのが難しい発音の問題を、「電話でレッスン」はうまく解決することができるからです。英語上達の体験記には、音読の重要性を説
くと共に、正しい発音についても強調します。具体的方法としては、テープやCDなどを利用してお手本となる発音を何度も聞き、また、自分の発音を録音して
直していくという方法がすすめられます。しかし、この方法は、時間と労力を要し、なかなか継続して行うのが難しいものです(私も何度も挑戦しては、挫折し
ていました)。また、時間と労力の問題だけでなく、発音に自信のない人の場合、お手本の発音と自分の発音を聞き比べて、違いがあることが分かっても、何を
どう修正したらよいのかがまず分かりません。また、どの程度の発音ができるようになればひとまずよしとして良いのかも分かりません。このような修正の方法
や修正の程度に関して、個別の指導を受けることができる点が「電話でレッスン」の優れた点であると考えております。
第2に、「電話でレッスン」は、音読の質を維持しつつ音読練習を行っていく環境を安価に用意してくれます。このレッスンには「技法グランド」というテス
トが組み込まれており、質を維持しつつ音読を重ねていかないと先に進むことはできません。逆に行くと、「技法グランド」に合格しつつ先に進んでいくことに
より、質を維持しつつ音読を継続していくことができます。個人の努力による練習の継続が必須なのは当然ですが、それには学習者が行っている努力が正しいも
のであるかどうかチェックし、間違っていれば正しい方向に導いてくれるコーチが必要です。「電話でレッスン」により、学習者はまさに質を維持するために必
要なコーチを得ることができます。
第3に、「電話でレッスン」を利用することにより、どこにいても電話さえ通じる環境にいれば、コーチを受けることができるからです。この点は、非常に画
期的なことではないかと感じています。発音の問題については、多くの本が教師から直接指導を受けることを薦めつつも、実際にはなかなか直接指導を受けるこ
とができないため、便法としてテープ・CDの使用をあげています。「電話でレッスン」は、英語を学ぶ上で大きな障害であった直接指導を受けることの困難性
を克服しやすくしたという点で、画期的だといえるのです。実際「電話でレッスン」がなければ、私が根石さんやSumieさんから指導して頂くことはまず不
可能であったと思います。どこにいても的確な指導を受けることができるという点で、「電話でレッスン」は本当に安いと思います。
以上です。
なお、上記中「音読」としたところは「回転読み」や「素読」とすべき等、用語等で不適切な部分があると思いますが、自分自身まだうまく使い分けができて
おらず、特にこだわらずに書かせて頂きました。
自分の考えをまとめてみて「電話でレッスン」の安さを再認識しました。どうか、根石さんが「確かに安すぎる。値上げしよう!」とお考えになりませんよう
に・・・。
【9333】
【タイトル】Sumie さん
【 日時 】04/11/06 2:26
【 発言者 】根石吉久
ありがとうございました。近頃、妙に疲れますので、掲示板もたまにのぞく程度です。
HPはあの感じでやっていって下さい。
私の地元の弟子筋は、なかなかのサボリ屋ですので、あんまり期待しておりません。
期待はしておるのですが、あんまりは期待しておりません。
私も体力がなくなってきたので、全部を渡したい人がそろそろ欲しいのですが、なかなか見つから
ないもんですね。墓場に持って行っても、閻魔様のご機嫌をとるのに役に立つとも思えないしろも
のですが、誰かに渡してあちらに行こうとは思っているのです。
先日、私よりかなり歳とった人から、あんたももっと地元に貢献しなくては駄目だと言われました。
糞ったれがと思いました。俺が地元を相手に英語一つだが学力をつけてきたことは、地元に貢献し
てないと言いたいのか。この糞ったれがと思いました。
少年野球やらという余計なものの世話をするようなことが、この糞ったれにおける地元への貢献ら
しいので、アホくさくてたまらず、話をしていることを我慢していることがつらくてつらくてたま
りませんでした。あやつらは、俺を無駄に疲れさせることを自覚していない。
しんねりむっつりの地元なんてもんと、緊張関係をなくすことは絶対にしないぞと、糞ったれを相
手にしてから思いました。
やつらは思想というものを安く見積もる。
その一点がどうにも許せない。
英語の磁場を生きている高橋さんが私のレッスンを安いと言ってくださったことを考えています。
疲れ果てておりますが、明日かあさって、この掲示板にまた来ます。
【9334】
【タイトル】過去ログ1728より
【 日時 】04/11/06 23:12
【 発言者 】sb
>(根石さん)「音づくり」と「文法理解」の順序で言えば、「音づくり」が絶対に先立つべきであり、生徒の体に「音づくり」が成立していない文に関して文
法の説明をするのは、根底的に錯誤である。
根拠1:文字の無い言語は無数にあるが、音声の無い言語はたった一つだそうである。
根拠2:ある言葉がある人の中に根付く(使いこなせるようになる)までは、「十分に一つのこと(例えば文法なら文法、音声なら音声、文字なら文字といった
ように)に留まってから、次へ進むこと」を考えなければ、その効果は得がたい。
【9335】
【タイトル】海外出張に備えるための「電話でレッスン」
【 日時 】04/11/07 1:18
【 発言者 】根石吉久
keyword: 海外出張
material:
昨夜、奈良のOさんのレッスンの後で、Oさんと少し話をさせてもらった。私の記憶ではOさんがメールでレッスンを申し込まれたのを読んで私から電話をさ
しあげたが、そのとき、「なんだかやたらに偉そうなことを言うやつだなと思ったので、そのレッスンがなんぼのものか試してやろうと思ったのだ」という主旨
のことをOさんは言われたのである。昨夜、そのことを言ったら、「ええっ、僕はそんなことは言った覚えはないですがねえ」ということだった。ハードディク
スクがクラッシュしたので、その当時のメールは残っていないし、電話での話は録音されていないので、Oさんがレッスンを始められたときの言葉は、私の記憶
の中にしかないのである。Oさんが挑戦的にレッスンを開始されたという証拠になるものは残っていないのだが、私の記憶には確かに刻まれたものがあった。
私としては、Oさんが「お前、なんぼのもんじゃ」というふうに挑戦的にレッスンを始められたのであった方が、現在の結果から見ればうれしいことなのであ
る。というのは、Oさんは何週間か前のレッスンで、「このレッスンはありがたい」と言ってくださったからである。「なんぼのもんじゃ」と言って始めてくだ
さった方が、「ありがたい」と言われるのであれば、私のレッスンがなんぼのものであるかはっきりと認識してもらえたことになるからである。
Oさんの「ありがたい」ということの子細は以下の通りである。
Oさんは大手家電メーカーの技術畑で働いておられ、国内だけでなく、海外にもしょっちゅう出張される。今年は、10月が国内の出張だっただけで、1月か
ら9月までは毎月海外への出張があったそうである。かつてベトナムで1年ほど仕事をしていた時は、ベトナムに住んで、仕事も生活も英語でまかなったそうで
あるが、日本に帰ってきてからは、一週間とか十日程度の海外出張が多くなったそうである。ベトナムに在住している間は、英語を使うことが毎日のことだった
ので、特に苦労はなかったのだが、日本に帰って日常語として日本語を使っている状態で、突然海外へ出張に行くと、思考回路が英語モードに切り替わるのに、
2、3日はかかるようになったというのである。一週間しかない出張で、思考が英語に切り替わるのに3日かかってしまえば、出張期間の半分近くが仕事になら
ない。しかし、私の「電話でレッスン」を受けるようになってからは、出張先で到着後ただちに仕事にかかれる。それがありがたいということだった。
それは、私の「磁場論」から見れば、よくわかる話である。奥さんが英語ネイティヴででもあれば、家庭内は英語、仕事では日本語でやれるから、日常的に英
語と日本語を並行させることができるが、日常語が日本語だけになってしまえば、突然の海外出張で思考が英語に切り替わるのに2、3日必要になるのは当然の
ことなのである。それが日本語の磁場に生きているということなのである。そして、私の電話でレッスンは、この2、3日を不要にする効果があるということを
Oさんは実証してくださったことになる。これは、私にとってもありがたいことだった。
私の「電話でレッスン」の売り文句に、海外出張の多い方にお薦めできる質のレッスンなのだという一項目が追加できると思ったのだった。
【9340】
【タイトル】電通鬼十則(引用)
【 日時 】04/11/09 12:30
【 発言者 】sb
ある方に教えていただいたものです。根石さんと重なりました。わたし自身の気づきのために。
@仕事は自ら創るべきで与えられるべきでない
A仕事とは先手先手に働きかけていくことで受身でやるものではない
B大きな仕事に取り組め小さな仕事は己を小さくする
C難しい仕事を狙えそして之を成し遂げる所に進歩がある
D取り組んだら放すな殺されても放すな目的完遂までは
E周囲を引き摺り回せ引き摺るのと引き摺られるのでは永い間に天地のひらきができる
F計画を持て長期の計画を持っていれば忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる
G自信を持て自信がないから君の仕事には迫力も粘りもそして厚味すらがない
H頭は常に全廻転八方に気を配って一分の隙もあってはならぬサービスとはそのようなものだ
I摩擦を恐れるな摩擦は進歩の母 積極の肥料だでないと君は卑屈未練になる
【9350】
【タイトル】量質転化点を実感できるもの
【 日時 】04/11/11 22:38
【 発言者 】sb
カルテや食堂の勘定書きを参考にチェック表などを創ってみるとどうなるだろうか。。。
量質転化点の「練習記録表」みたいなもの。。。
練習者本人が実感できるもの。。。
成長記録(赤ちゃんの写真のようなもの)。。。
しかも一枚で一覧できるもの。。。
発音チェック。。。
技法グラウンドまでの練習回数(日数など)
技法グラウンド完成後、同致を実感した日の日付(実感したときの体感メモ)。。。
Sumieさんの「回転読み」のHPより。。。
(抜粋はwww004.upp.so-net.ne.jp/pillbug-
twins/english/sodokusha.html/kaiten.html)
回転読み?
聞き慣れない言葉です。 これは同一の英文を何十回となく声に出して読み続けると言う作業です。 できれば最低50回。 50回あたりから変化が見られる
様になります。 初心者の方は100回以上を目処にして下さい。
’(抜粋終わり)
この中にはたいへん重要な事柄がいくつも散りばめられている。しかしその本当の意味を知る人は実行した人だけかもしれない。私は練習が嫌いなタイプの人間
なのでしっかり実感したとはとうてい言えない。でもある文章では実感したのかもしれない。しかし、その実感というのにはどうやら段階がいくつもあるよう
だ。
人間は一度に一つのことしか意識できないということを「ゲシュタルト療法」という本で知った。
ある人はある文で、50回で実感するだろう。また、82回で実感する人もいるだろう。ある人はある文で126回で実感するかもしれない。記号がイメージと
合体する瞬間はその人自身の体験だが、記号に意識が集中しているときは記号にしか意識は向かっていない。しかも記号の中の母音なら母音、子音なら子音、し
かも子音の中でもthの音ならthの音、もっというなら、そのthの中でも有声音なら有声音、無声音なら無声音のいずれにしても非常に限られた部分のみし
か一度に人間と言う者は意識できないのだということを最近知った。だから根石やSumieさんの言われる「回転読み」は非常に有効であるというよりは、な
ぜ今までいろんな所で行われなかったかのほうが不思議なくらいなのである。
【9351】
【タイトル】HP用、過去ログから
【 日時 】04/11/12 0:05
【 発言者 】根石吉久
keyword:
「音づくり」
「音作り」
「柴田武史」
「にせの標準形」
「滅びる英語」
「英語科教員」
「滅びない英語」
「私立」
「公立」
「進学校」
material:
48. 学校英語で音作りに励んでいます(その1) 投稿者:Eliot 投稿日: 6月24日(日)13時40分21秒
根石さん、こんにちは。初めてお便りいたします。実は、私は素読舎サイトの大ファンです。
私は私立の中高一貫男子校で英語を教えております。一年ほど前に検索エンジンで面白いサイトを探していたところ素読舎のページを見つけ、以来何十回(も
しかしたら百回を超えた?)と訪問させていただいております。サイトのページは全部読みましたよ。「英語どんでん返しのやっつけ方」も買って読みました。
私は、英語の音作りに関する根石さんの主張に大賛成で、学校英語と塾英語の体たらくをこき下ろすエッセイを「よくぞ言ってくださった。その通り!」という
気持ちで読んでおります。エッセイのいくつかはプリントアウトして、勤務校の若い英語教員に読ませたりもしています。おっしゃっていることの多くはまさに
その通りだと思います。文法の質問を生徒にして、答えられる者が出るまで次々に当てていくことのばからしさは私も常日頃感じていることです。
学校英語は滅びる英語。本当にそうです。ほとんどの学校と塾の教室で行なわれている英語の授業は生徒を欺いています。英語を教えると言いながら、その場
限りにのくだらないことをやっていることが普通です。英語の音作りを激しく、厳しくやっている所は極めてまれだと思います。実際、英語の教員の多くにとっ
て英語の発音は、できれば避けて通りたい弱点です。自分自身が通じるレベルの音が出せない教員がたくさんいますし、そこそこ通じる音を出せる教員もその多
くが英語の音作り必要な知識を体系的にルール化して生徒に教えることができません。例えば、根石さんが示しておられるような、音と音がぶつかり合ったとき
の音の消失とかいうことも生徒に説明できるような知識としては持っていないのが現状です。
23日の浜谷さんへの文で根石さんは「学校で音読させることはまずない」と書かれていました。「学校なんか消えろ」ともどこかで書かれていましたね。私
は学校に勤めていますので、それが消えてなくなられると家族が路頭に迷います。消えろ、と言われないよう、私は学校というところで、将来滅びない英語を生
徒の中に根付かせる取り組みをやってきました。私は2年前に初めて中学1年生の担当になったとき、周りがどう言おうと、この生徒たちに英語の音を教えよう
と決心し、中1の最初から「英語の音作り」を私なりにやってきました。本校はいわゆる「進学校」であり、中学生のときから中高一貫校用の模試などを受けさ
せては、他校や本校の過去の成績と比較して、あーだこーだと言われるところで、いきおい、授業はハイスピードの詰め込み教育が当たり前です。中2までに中
学校の教科書+文法問題集を終わらせ、中3では高校の教科書をやります。もちろんその過程で英語の音作りはほぼ無視されます。
【9352】
【タイトル】コメント(1)
【 日時 】04/11/12 0:06
【 発言者 】根石吉久
(以下、根石によるコメント。2004年11月11日)
これは、柴田武史さんが Eliot
の筆名で初めて「大風呂敷」に登場してくださった時の文である。私が「音づくり」と言い、柴田さんが「音作り」と言っておられるものは、大筋で一致する
が、柴田さんと「大風呂敷」上でいくつか討論しているうちに、「音づくり」あるいは「音作り」の両方に共通する「音」そのもののとらえかたに関しては私と
の間に認識の差が大きいことがはっきりしてきた。
柴田さんは原理論には深入りされない。授業実践で多くのメソッドの利点をうまく組み合わせて活かすというところに柴田さんの真骨頂があり、あくまでも実
践派なのである。しかし、おそらく柴田さんの編み出したメソッドは、あまたあるメソッドの一つとしてしか扱われないだろう。それは柴田さんが原理論に深入
りされないためなのである。
柴田さんの実践は決してあまたある実践の一つなんていうところに位置づけされていてはならないものである。それは、「教室」という場を前提とした場合に
は、原点と言っていいほどのものなのだ。
東大に数十人を合格させる私立の中高一貫校での柴田さんの実践は、抜群の語学的センスが本能的にかぎわけて選んだ各種メソッドのエッセンスを独自に編み
上げてできている。しかし、柴田さんが連載してくださった「音作りへの道」という優れた報告を読んでも、例えばあまたある公立学校の英語の先生はなにをど
うすべきかわからなくなるばかりだろうと思う。管理職との軋轢はあったにせよ、柴田さんの実践は私立の学校だからこそ成立したものである。私立、あるいは
民間の塾でしか、いまだ柴田さんの方法を活かす場所はないだろう。
果たしてこんな言葉で理解されるのかどうかわからないが、柴田さんは「進歩派」なのである。語学における「進歩」を信じて実践されている方である。生徒
の英語が進歩すれば、満足される方なのであろうと思う。私はその意味では、「進歩派」ではない。語学のスキルがどれほど進歩しようと、語学における練習と
いうものが、いつかは語学という行為の自覚とならなければ、すなわち語学の思想とならなければ、語学はついに実務家どもの奴隷でしかない。そう考えるとこ
ろが、私が柴田さんと大きく違ってくるところなのである。
【9353】
【タイトル】コメント(2)
【 日時 】04/11/12 0:07
【 発言者 】根石吉久
私は「進歩派」でいることはできない。あえて言うなら、「逆転派」なのである。
先日のレッスンで、佐賀県の県立高校の英語の先生が、「根石さんが語学を死物を生き返らせる行為だと言っているのは、本当だと思いました」と言っておら
れた。語学が死物を相手にする行為なのであり、多少不気味な言い方をすれば、死体処理の行為なのだということをこれまでの英語のハウツウ屋どもが言ったこ
とがない。
語学は、「逆葬式」なのである。記号がイメージになるとは、いつでもそういうことなのである。あの世で死んでいるものを、この世にひきずりこむことなの
である。
私は語学という行為を思想たらしめ「逆転」させることを考えてきた。語学がこの世の「用」に仕えるだけのものであってたまるかという語学の誇りを私は手
放す気がない。語学というものは、「無用」の楽しみであっていいのだ。あの世とこの世を行き来し、生と死を往来するものであってよろしい。気体状の悦楽で
あっていいのだ。
「用」に仕えること自体は、私もやったことがあり、そのこと自体を否定するのではない。それをやらなければおまんまは食えなかったのだから、否定なんか
できたもんじゃない。が、「用」に仕えることだけが語学の役目だとする実務家どもの思い上がりにはどこまでも背いてやる。スキルなどという貧乏くさいもの
の達成を達成だと思いたい英語フリークという思想の貧乏人には貧乏しているがいいと言い放って、さて、私は無用者を生きていきたい。
このあたりの自覚の強度は人によってさまざまだが、私の自覚は強いと思っている。語学が記号を貫いて、イメージの普遍性に至らないならば、語学なんぞは
人を損なうだけのものなのである。薬になる場合よりも毒になる場合の方が圧倒的に多いのである。
記号を貫いて、イメージの普遍性に至ること以上の悦楽があるだろうか。イメージという核から記号を繰り出すことだって悦楽である。
これはしかし、柴田さんの優れた実践によっても生徒に伝えることはできないだろう。
柴田さんは、音の悦楽にとどまっており、原理論を掘り下げることによる思想の悦楽(無用であることの悦楽)には踏み入ってはおられないのである。
あえて中間領域に漂おうという語学の無用性は、ネイティヴ音への「同化」をよしとする「音派」の方々にはついに理解できないものであろう。
私の「音」は中間音である。それがどれほどアメリカ音やイギリス音ににじり寄って、それに近いものとなろうとも、元の元は日本語の音に発するものであ
り、絶対にネイティヴ音と「同じもの」になるまいという一粒の抵抗素をはっきり自覚しつづけるものなのである。「同じもの」になったら(なるわけがない
が)、おしまいなのだ。フリークの一丁あがりなのだ。
私はネイティヴ音を「媒介」にするだけだ。それによってネイティヴ音ににじり寄るだけだ。ネイティヴ音と同じ音を出そうというようなことはいつでもやっ
ているが、それで本当に同じ音が出るなどと思ったことは一度もない。「媒介」と「同化」とはとことん違う。思想の姿勢が元から違う。
柴田さんが自分に対しても生徒に対しても、実際にやってきたことはネイティヴ音の「媒介」だった。ところが、書かれるものを読むと、ネイティヴ音への
「同化」の信奉者のように読めてしまうところが私にはかえすがえすも残念なところである。原理論(語学論)に深入りしないで、踏みとどまってしまうことに
よって、それがもたらされてしまったのである。
【9356】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/11/12 0:28
【 発言者 】根石吉久
ひとつの眼目をおさえてくださってありがとう。
人間の意識は通常は一度にいくつものことに向かわない。たいていは一つにしか向かわない。
これは、語学では、boysome228 さんが言った、「音と意味の二律背反」に典型的に現れるもの
です。
なぜ「回転読み」なのか。
私はこれまで、日本には日本語の磁場があり、英語の磁場はないからだと言ってきました。
「回転読み」が必要な根拠はそういうことなのだと言ってきました。
sbさんが考えてくださったことは、私の観点から抜けていました。
まさにそうです。意識が一度にいくつものものに向かおうとしないからこそ、「回転読み」
の「回転」が必要なのです。同一の文を何回でも「回転」させていれば、意識はあっちに
いったりこっちに来たりできます。当たるべきところにすべて当たることができる。音にだ
け注意を向けたり、意味にだけ注意を向けたり、文法を考えたり、文法をセンスに気化したり、
語のイメージの核を念じたり、ゆっくりと文のシンタックスを無意識化させたり、とにかく、
やりたい放題に気が済むまでやれます。
これらすべてを一つの行為に孕むことができるものは、「回転読み」以外にはなかろうと思
うことができました。
感謝します。
【9360】
【タイトル】現在の「電話でレッスン」のクラス構成
【 日時 】04/11/12 1:19
【 発言者 】根石吉久
「電話でレッスン」が時が経つにつれ、少しずつ様態が変わってきています。
最初は、中学の教科書の「技法グラウンド」と、生徒が選んだ映画のシナリオをつかった「技法グラウンド」だけで始めました。
「技法グラウンド」は、私(コーチ)が一回読んだものを、生徒に5回あるいはそれ以上の回数を繰り返して読んでもらうものです。その間に「音づくり」が
行われます。問題があり、直すべき音がみつかったら、生徒の読みの繰り返しを中断し、手短なコツを言い、再び5回あるいはそれ以上の回数を読んでもらいま
す。一度に全部を直そうとはしません。肝心なところから直していきます。(主に「ア系列の母音」)
この「技法グラウンド」が進化し、最近になって「技法フュージョン」が生まれました。
これは、生徒による「和訳」を「技法グラウンド」でサンドイッチするものです。「復習範囲を手放さない」という原理によって、生徒は「技法グラウンド」
により、すでにやった範囲の文については、口の動きが「正しく自然化」しています。すでに「正しく自然化」している範囲の文をつかって、「技法グラウン
ド」→「生徒による和訳」→「技法グラウンド」というふうに、「技法グラウンド」によって、「生徒による和訳」をサンドイッチします。これは村田君や私の
女房が地元の小中高生を相手に塾をやる過程でみつけた方法をさらに分厚くしたものです。
「音づくり」に関してはほとんど注意する必要のない生徒さんに向けては、「電話でレッスン」を始めて3年後頃(よく覚えていないので正確かどうかわかり
ません)、英文の「素読」を始めました。このクラスの生徒さんは、今のところsbさん一人だけです。これは、生徒の生活へのおせっかいや会議会議のくだら
ない時間の浪費の中に置かれていることを逃れられないながらも、自分の英語力を衰えさせないために、何か継続的に英語の練習をやっていきたいと望んでおら
れる現職の英語の先生達にお奨めしたいレッスンです。
そのように、新しい技法をつかんだり、新しいレッスン形式を作ったりして、いくつかの変更点が加わりましたので、以下に現在のクラス構成を記録しておき
ます。
1.中学教科書の「ガイド」を使って、本文のみ「技法グラウンド」。
(小学生・中学生)
2.「ガイド」の自習により、こなれた復習範囲を「技法フュージョン」。
(小学生・中学生)
3.映画「ゴースト」のシナリオを対象とした素読舎自作の文法解析教材の
中の英文のみを「技法グラウンド」
(中高生、大学生、「やりなおし英語」を要する社会人)
4.映画「ゴースト」のシナリオで、復習範囲を文字を見ないで「技法グラ
ウンド」(テスト30)。余った時間を、文字を見て、新しい範囲を、
「技法グラウンド」
(上級者向け・力点は「話し言葉」)
5.岡倉天心「茶の本」を対象に「技法グラウンド」による素読。終始、文
字を見て行う。
(上級者向け・力点は「書き言葉」)
という具合に、わずか20人余りの生徒さんのために、5つのクラスがあります。いずれのクラスでも、基本になっているのは「技法グラウンド」です。
「技法グラウンド」は、「回転読み」への導入として位置づけています。
【9361】
【タイトル】「あいうえおフォニックス」最新版
【 日時 】04/11/12 1:34
【 発言者 】根石吉久
----------------------------------------------------
<<<「あいうえおフォニックス」の前提1>>>
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する傾向が強い。(この曖
昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
<<「あいうえおフォニックス」の前提2>>
・日本人の耳に「ア」「アー」「オー」と聞こえる音に関するフォニックスである。「ア」または「アー」「オー」と聞こえる音について、口の構えの「広い・
狭い」「力が入る・入らない」の区別をするためのものである。「口の両端を斜め上にひっぱった瞬間に出す「ア」(一瞬般若)やその他の母音・子音は、「あ
いうえおフォニックス」の対象外である。(「あいうえおフォニックス」とは別に、「発音10のポイント」を付け、そちらで扱う。)
----------------------------------------------------
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られたものは ar ir ur er or
・ ar を○で囲ませ、「顎の下がる明るいアー(歯医者のアー)」と説明
・ or を○で囲ませ,「ゆで卵(鏡文字c:)」とあだ名を言う。「唇に丸く力が入る(ゆでたまごを唇にくわえた感じのオー)」と説明
・残った三つ ir, ur er を一つの○で囲ませ、「狭くこもったアー」と説明
----------------------------------------------------
<註>
・ w に続く or は「狭くこもったアー(逆さe :)」 word, world, work
・ w に続く ar は「ゆで卵(鏡文字c:)」 war, toward, warning
・アクセント直後の ar は「狭くこもったアー(逆さe:)」
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o
」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができ
た)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭くこもったア」
・re は er と同じく「狭くこもったア」(母音の後で re が現れる。図式の er の下に括弧に入れて(=re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から
「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er =
re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いから最初から扱ってしまっても構わない。
----------------------------------------------------
<例外>
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
・ar に関して particular (どちらの ar も「狭い音」)
----------------------------------------------------
<参考>
・ 子音に挟まれた u が「日本人の耳に」「あ」と聞こえる場合、ことごとく「狭い音」(逆さv)
----------------------------------------------------
【9364】
【タイトル】根石さんに質問(回数について)
【 日時 】04/11/12 20:42
【 発言者 】sb
>「あ:技法グラウンド」→「い:生徒による和訳」→「う:技法グラウンド」(あいうsb追加)
あいう、それぞれの音読回数は下のように実践されているのでしょうか?
(コーチによる英語の原文音読(素読)1回)
あ:生徒による英語の原文の音読5回
い:生徒による日本語訳1回
う:生徒による英語の原文の音読5回
それとも「あいう」の回数はもっと別のパターンでしょうか?
【9366】
【タイトル】ドカッとやる
【 日時 】04/11/12 21:29
【 発言者 】Sumie
友達が付合って欲しいと言うので、NHKのラジオビジネス英語を使って毎週一回一緒に勉強して2ヶ月になります。 「まあせめて毎日5〜10回くらいはモ
デル・ダイアローグを音読しといたらどう?」と言ったのですが、あんまり意味がない事が判明しました。 やっぱりやる時はドカッと50〜100回あたり読
み込んでおく方がいいのです。 それだけしておいて毎日5回とか6回とか読むのであればいいのですが、端から5回なんぞ読んでお茶を濁していては、音も定
まらないし、シンタックスなどが身体化される事もないし、文法事項についての気付きも起こりません。 今さらながらに回転読みの意義を感じています。
【9367】
【タイトル】雑誌「英語情報」より(抜粋引用)
【 日時 】04/11/12 21:34
【 発言者 】sb
英語嫌いを増やす 入試対策の授業が増えている!
京都教育大学 助教授 西本 有逸(Yuuichi NISHIMOTO)
1:はじめに
私たち英語教員は、あまりにもダイコトミー(dichotomy:二項対立)に振り回されてはいないだろうか。langueとparole,
competenceとperformance, formとmeaning,
accuracyとfluencyなど、まるで二元論(dualism)に縛られているかのように、英語教育の諸問題を論じてはいないだろうか。
単純化を恐れずに言えば、受験英語vs実用英語というダイコトミーも不毛な議論であり、学習者に英語の力をつけさせるという要諦・本質を見失うべきではな
いだろう。
2:入試対策の授業の問題点と改善の方向性
(中略)
1)語彙の学習
・市販の単語帳によるリスト学習(英語ー日本語の1対1対応の丸暗記)が圧倒的に多い。
sb私見:これは「一度に一つのことしか意識できない人間の特性よりまず、1対1対応でよい。」
・教師がモデルとして発音しないので、学習者が声に出して正しい発音ができない。
sb私見:そもそも「正しい発音」という言い方がおかしいのかもしれない。「音声」は「文字」と全く同じようにはいかないが「人間がもともともっているか
らだによる個性」ということを「わかるということ」というCDブックより学んだ。
(改善点→中略)
2)文法の学習
・文法問題を解くことに終始している
sb私見:これはこれで大切であると思う。根石さんの方式で文単位で回転読みなどをするのがいいと思うが、その例文の数や長さ、量と現在子どもたちの状況
を見ながら各学校、小教科単位(チームを組んでいる教員間)で精選していけばよいのではないか。
(改善点→中略)
3)リスニング
・どうすれば聞き取れるようになるのか、教師が教えてくれない。
これについても根石さんの「回転」についてじっくり考えてみる必要があると思う。ただし、ある程度の量になった時点で(学習者の記号とイメージがある程度
まで一致した文がどれくらいたまったかにより)たくさん聞いたり、読んだりする必要は当然でてくるだろう。それをいつ指導の俎上にのせればよいのだろう
か。柴田さんはすでに多読のプログラムも取り入れておられるようである。かなりの進学校であるけれども。。。
(改善点→中略)
4)リーディング
・文法訳読式の授業が圧倒的に多い。
・音読をしない授業が多い。
sb私見:訳読も音読も大切だと思うが、どのようなバランスがいいのだろうか。
(中略)
〜トップダウン処理は読解の言語処理がある閾値に達しないと、すなわちボトムアップ処理が自動化されないと効果的に作動しないということが判明している。
〜一般に、読解のプロセスは、<文字認識⇒音韻符号化⇒理解>という図式が成立する。音韻符号化とは、英語のように綴りと音の関係が不規則な自然言語の場
合、単語の認知は一度、音韻表示に符号化を行って(心の中で発音して)、心内辞書(mental
lexicon)にアクセスすることをいう。熟達した読み手になればなるほど、音韻符号化はより自動化されて読解プロセスの処理スピードが速くなってい
く。昨今、音読の重要性が再評価されていているが、声に出して(verbalization)、英語を読むという行為は、一見何の変哲もない活動に見えて
も、この音韻符号化の訓練に役立っていると言う意味で、実は非常に質の高い言語活動なのである。
5)ライティングとスピーキング
・和文英訳に終始し、自分自身の考えや意見を書いたり話したりする機会がない。
sb私見:すでにいろいろな試みがなされていると思うが、「ごっこ」「その場限り」の域を出ている実践は少ないのではないだろうか。これは指導者と学習者
のやる気と力量による。
(改善点→中略)
3:おわりに
どの教科においても、学校教育におけるその存在理由や目的が問われている。教科教育の目的は人類の文化遺産の伝達・子どもの全面的発達への知識や技能の習
得・人格形成であることを再認識し、英語教育の陶冶と訓育を英語教員は実践するなかで考えていかなければならない。前者は英語という外国語の学習と習得に
関わり、後者は学習者の情動の動きをモメント(契機)として人格形成に繋がるものである。二元論の○○(難しそうな漢字2字)にはまってはいけない。豊か
な言語活動・インタラクションを教室無いに展開すること。そうすることで人と人との「間」に何かしらの意味が生まれる。そこにこそ豊かな人「間」性の芽生
え、情動の発露が興りえる。そして、長い目で見て他者や教材の価値に媒介されながら学習者の人格は発達していく。この実践こそ、広い意味での言語教育に携
わる者の醍醐味ではないだろうか。
【9368】
【タイトル】無意識的英語モード(英語嫌いをつくらない)−現場教師の意見
【 日時 】04/11/13 8:50
【 発言者 】sb
sbの気になったキーワード
「無意識的英語モード」
「リズミカルに黙読で素読」
「一人一人の一人による状態作り」
「競争を度外視して静かに培っていくもの」
茨城県立竹園高等学校 教諭 小野三郎(Saburo ONO)
茨城県立竹園高等学校は県内随一の進学校であると同時に、より高い英語コミュニケーション能力育成をはかるプログラム、 ESP(English
Shower
Program)を実施するなど、いわゆる「実用英語」にも力を入れている。はた目には大学進学実績向上と実用英語能力向上を完璧に両立しているようにに
映るのだが、現場の先生方には思わぬ悩みがあるようだ。今回は英語科の小野三郎先生に胸の内を語っていただいた。
1:現場教師の悩み
(中略)
2:英語嫌いをつくる要因は?
(中略)
3:無意識的英語モード
自分のささやまな経験から考えてみますと、語彙を増やすことによって英語を話そうとしたり、鍛錬に鍛錬を重ねて英語を使おうとしたり、覚えたばかりの
表現を使おうとやっきになったり、要するに英語という言葉に、強い意識をもって英語を使おうとすると、逆にぎくしゃくとしたやり方になってしまい、かえっ
てうまくいきません。それに反して、比較的、英語を使う自然な展開ができているように思われるときは、英語などどいうものを考えずに、話し合いの状況の変
化に対応しながら、自然に出てくる英語に身を委ねながら英語で会話しているような気がします。このときには頭の中で英語を日本語に変換したり日本語を英語
に変換したりすることなく、英語だけで話し合いを展開しているわけです。英語を実用的に駆使できるということは、話し手の中に無意識的な英語モードといっ
たものが常に流れているから、英語を話す状況が目の前に現れたときに、とっさに英語を使うことができるわけです。どうしたらこの無意識的な英語モードを学
習者の中に芽生えさせることができるのか、ここのところがうまくできれば、「実用英語」と「受験(私の場合はあらゆるテスト形式の英語と授業形態で行われ
る英語を含む)英語」を、融合化できる方向が見出せるのではないかと思います。
この無意識的な英語モードは、その作り方を話し合うことはできても、学習者個人が自分で自分の中に作り上げなければできないものであり、継続して養成
し続けなければ紛失してしまうものであるように思われます。どうしたらこの英語モードを作り上げることが可能でしょうか。基本的には、受験英語学習あるい
は実用英語学習と称される範疇で行われていることの反対のやり方を多く取り入れることが必要であるように思われます。たとえば、点数化とか評価の仕方と
いったようなことから離れたり、辞書を放棄したり、問題を解くというような煩わしいことをやらないようにしたり、訳すという作業をやめたり、完璧主義を捨
てたり、というように。繰り返しになりますが、自分が書いたり、読んだり、話した英語が常に評価や点数という形で数値化されていては、生徒も英語が嫌いに
なってしまうと思われます。
無意識的な英語モードを作るうえでの有効な方法は素読です。見かけは平易ですが奥が深く、発見することも楽しみも多く、学校英語や受験英語で学習して
いることや、やってきたことがいかに役にたっているかがわかるのではないかと思います。自分が今持っている力で、簡単に読める物をどんどん英語だけで読ん
で楽しんでいくことが大切だと思います。途切れないでストーリーを追っていけるものをできるだけレベルを上げないで、心地よいペースでリズミカルに黙読で
素読していくことです。日常頻繁に使われるやさしい単語や表現に、読めば読むほどダイレクトに反応していけるようになるでしょう。毎日毎日継続して楽しみ
ながら素読を続けているうちに、無意識的な英語モードができあがっていくでしょう。このモードがきめ細かくでき上がっていくにつれて、自然に英語が出てき
たり、聞いてもひとりでにわかっているというような感覚を持つことができるでしょう。すなわち無意識下での英語反応ができ上がっていくということになると
思います。実用的にということは、一人一人の一人一人による状態作りのことであって、学習者の知識レベルに関係無くできることであり、競争を度外視して静
かに培っていくものであるように思えます。いかにして英語嫌いをつくらないか、といった問題の根底には私が今までに述べてきたようなところに問題や切り口
があるような気がしています。
【9369】
【タイトル】注
【 日時 】04/11/13 8:51
【 発言者 】sb
ただいまの書きこみも「英語情報」という英語教育者などに向けて書かれた雑誌よりの抜粋です。
【9370】
【タイトル】/ae/の発音その他
【 日時 】04/11/13 16:33
【 発言者 】村田
今週はいつもはやらない月曜クラスを見る役でした。
ある人について、/ae/の発音を注意するとき、「口の端に意識を集中」してと言いました。口はたしかにやってるんですが、今思えば逆さvとa:の中間
みたいな音でした。(あごを下げる音ではなかったと思います)
そばで聞いていた根石さんが「その音は違う」、と指摘しましたので、私は「今あなたは口の端をひきあげているけれど、実際は口を開きはじめた時点で発音
しおわっている。口の端をひきあげつつ発音してくれ」と言ったのですが、根石さんから、「とにかく『口の端を引き上げる』ということだけに集中すればいい
んだ。2アクション以上になるような説明は意味がない」と言われました。
たしかに現状を説明されるのは塾生にとってはほとんど意味がない。というか、口の筋肉の動きを静的に説明しても初心者にとってはそれを「動き」にするのは
さらに多くのステップを必要とする。できるようになってふりかえってみるとそうだなあ、と思うものですね。
昔、発音を視覚的になんとか表せないかという話が根石さんからあって、私の力も足りず、結局、解剖図からは出られませんでした。ほんとはキモとなる部分
だけのアニメーションができればいいなということだったんですよね。
発音10ポイントやあいうえおフォニックスは、電話でレッスン以降、視覚を用いない方法であるからこそ、編み出された意識・感覚に直に作用する言葉だっ
たんだと改めて思いました。視覚は時に発音の邪魔になりますね。解剖図は役に立つときもあるけれど、見当違いな見方をしてしまうときもあるので。
話は月曜クラスにもどります。実は私はその前に余計な母音を取るのを指摘していたのですが、根石さんはまず母音の方が先だと言いました。私は文の中で出
てきた順番が先だったのでそうしたのですが、これは学習者の「回転読み」の中で解決すべきものだということだと思い返しました。というか、これは根石さん
が言ってたことですね。
…ということを考えていました。
【9372】
【タイトル】>ドカッとやる
【 日時 】04/11/13 16:56
【 発言者 】村田
最近、素読舎の紹介記事を書かせてもらう機会がありました。私にとって、「回転読み」と「技法グラウンド」、そしてその二つの関係をあらためて考える機会
となったのですが、まさに「ドカッと」やらないと意味がないんだと思いました。5回・7回はあくまでも氷山の一角、水鳥が泳いでいる姿のようなものだと思
います。
【9373】
【タイトル】やっぱりおられるのですね。
【 日時 】04/11/13 21:00
【 発言者 】パクパク
>
無意識的な英語モードを作るうえでの有効な方法は素読です。
私立高校でなく、県立高校の先生ですね。
音読でなく、素読という言葉をつかっているのは驚きました。
【9376】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/11/14 0:24
【 発言者 】根石吉久
ご質問いただいた件についてお答えします。
>>「あ:技法グラウンド」→「い:生徒による和訳」→「う:技法グラウンド」(あいうsb追加)
> あいう、それぞれの音読回数は下のように実践されているのでしょうか?
> (コーチによる英語の原文音読(素読)1回)
> あ:生徒による英語の原文の音読5回
> い:生徒による日本語訳1回
> う:生徒による英語の原文の音読5回
想像して下さったのとほとんど同じです。
(コーチによる英語の原文音読(素読)1回)
あ:生徒による英語の原文の音読5回あるいは5回以上
い:生徒による日本語訳1回
(コーチによる英語の原文音読(素読)1回)
う:生徒による英語の原文の音読5回あるいは5回以上
これで全体ですが、「い」で、生徒が文法や構文が把握できていない場合には、必要な知識を
その場で与えます。肝心なことは、知識を与えた直後に生徒に「訳させない」ことです。知識を
与えたら、「あ」に戻る(「技法グラウンド」を通す)ことです。このあたりのコツは、なんと
も言いようがないです。
今、「電話でレッスン」に「会議電話」を使うことを考えています。
NTTに「クリアカンファランス」という「会議電話」サービスがあるようです。
これを使って、一時間枠で同時に3人の生徒さんを相手にするレッスンを始めたいと思ってい
ます。実現しましたら、一定期間で結構ですので、sbさんにも参加してもらいたいと思います。
「技法フュージョン」がどんなふうに行われているかがわかってもらえると思います。
この「会議電話」サービスによるレッスンは、実は学校の先生たちに参加してほしいと願って
います。これまでの「電話でレッスン」はあくまでも一対一でしたが、同時に3人4人を相手に
「音づくり」ができるのだということを体験してもらえれば、学校の授業に「音づくり」のコツ
を応用する展望が開けるだろうと思っているのです。
【9377】
【タイトル】わずかだけコメント
【 日時 】04/11/14 0:35
【 発言者 】根石吉久
パクパクさん
sbさんが引用してくださった記事を書かれた方は、「素読」というものを誤解しておられます。
「黙読による素読」と書かれていますが、「素読」の定義からして、「黙読による素読」など成
立しようがない。まったくの語義矛盾です。この方が冗談を言っているのでなく、sbさんが引
用を間違われたのでないなら、この方は素読については何もわかっておられない方です。
たぶん、勝手な思いこみを「素読」という語にあてはめておられるのです。
日本の全部の国語辞典を調べてもらっても、「素読」は必ず「声を出す」方法だと書かれている
はずだと思います。「黙読による素読」などという奇妙奇天烈なことを書かれる方は、きっとど
こかのサイトをのぞいて、自分なりの勝手な「素読」像を作ってしまったのではないかと勘ぐり
たくもなる記事でした。そして、英語と「素読」を同時に論じてきたサイトは、多分、私の昔の
ホームページとこの掲示板しかないのではないかと思っているのですが。
自分のオリジナルな考えとして書いているが、素読舎関係のサイトを読んでいる方なのかなと
思ったのでした。そうならそうと書くのが礼儀だろうがとも思いました。自分のオリジナルな考
えで「素読」を持ち出した方が、「素読」についてあんな馬鹿げた間違いをおかすとは思えない
のです。英語をやる人は人のいい人が多いが、日本語さえまともに理解できないような人もまた
多い。
しかし、大筋ではいい記事です。
「素読」に関するところがあかんのです。
あれではあかん。
【9379】
【タイトル】1:1
【 日時 】04/11/14 7:43
【 発言者 】パクパク
無意識英語モードの獲得とその方法
この無意識英語モードとは、非常にいい言葉だとおもいます。
回転読みというと、どうしても、激しさが語感としてともないます。
暗記してやろう、口に覚えこませてやろうという意識がくっついてきます。
音読というと、意味(日本語の意味)を感じさせます。
この竹園高校の先生が、どのような実践をしているかわかりませんが
口を動かす訓練はやらせているとおもいます。
私(パクパク)の素読の定義は、そばに1:1コーチがいる。(独学禁止)
意味がわからなくてもただ口に動かして読む。
英語の場合、とりわけ1:1が重要なのは、イントネーションの獲得にあると
おもわれます。
たとえば、同じ、I thoght でもイントネーションによって意味が
違います。
予期したことと同じことの場合と、違うことの場合ではイントネーションが
異なります。
【9381】
【タイトル】「黙読で素読」考
【 日時 】04/11/14 9:01
【 発言者 】sb
>(根石さん)sbさんが引用してくださった記事を書かれた方は、「素読」というものを誤解しておられます。「黙読による素読」と書かれていますが、「素
読」の定義からして、「黙読による素読」など成立しようがない。まったくの語義矛盾です。この方が冗談を言っているのでなく、sbさんが引用を間違われた
のでないなら、この方は素読については何もわかっておられない方です。たぶん、勝手な思いこみを「素読」という語にあてはめておられるのです。
これはsbの引用ミスではありません。一応念のためこの雑誌の一部をコピーしてお送りします。18日の木曜日にはお手元にお届けできると思います。
お忙しいとは思いますが、この方の原稿全体を根石さんに読んでいただければなあと思ったからです。いろいろとお忙しいとは思いますが、ぜひお読みいただけ
るとたいへんありがたいです。
ここで、広辞苑の引用を改めて書いてみます。根石さんの書かれていることが正しいことがわかります。
広辞苑より
そ-どく【素読】
文章の意義の理解はさておいて、まず文字だけを声を立てて読むこと。漢文学習の初歩とされた。「論語をーする」
たぶんこの方は広辞苑の定義についてはっきりとは意識しておられなかったのかもしれません。しかし、私はこの「リズミカルに黙読で素読」という個所にひっ
かかりました。そして、根石さんにひっかかっていくのがいいと正直に思いました。そういうことに気づいていました。
なぜなら、それは読解のプロセスと関係があるからです。以前引用させていただいた別の方の文章の一部を改めて引用させていただきます。
(引用開始)
一般に、読解のプロセスは、<文字認識⇒音韻符号化⇒理解>という図式が成立する。音韻符号化とは、英語のように綴りと音の関係が不規則な自然言語の場
合、単語の認知は一度、音韻表示に符号化を行って(心の中で発音して)、心内辞書(mental
lexicon)にアクセスすることをいう。熟達した読み手になればなるほど、音韻符号化はより自動化されて読解プロセスの処理スピードが速くなってい
く。昨今、音読の重要性が再評価されていているが、声に出して(verbalization)、英語を読むという行為は、一見何の変哲もない活動に見えて
も、この音韻符号化の訓練に役立っていると言う意味で、実は非常に質の高い言語活動なのである。
(引用終わり)
この中のverbalizationや、subvocalizationという言葉は、専門的な言葉ですが、私もきちんと意味を理解しているわけではあり
ませんが、読解のプロセスの重要な部分を占めていると思うのです。
素読の定義も大切ですが、音読や素読がこれほど注目を浴びているのにはそれなりの意味があると私は思います。
人間は動物なので、「声(この本当の意味はきっと根石さんがよくご存知でしょう)」についてないがしろにしてきた今までの実践に疑問を投げかけることが大
切だと思うのです。
私も以前「素読」には「音読」だけでなく、「黙読」も入れてもいいのではないか、などといった、辞書の定義を無視してしまったかのような、拙い表現をした
記憶があります。たしか、この掲示板「大風呂敷」だったと思います。でも、その時はそう思っていたからそのように書いた(書いてしまった!?(ゴメンナサ
イ)のです。
今の私は辞書の定義はもちろん尊重することが大切だと思っています。同時に「ことば」を足がかりにいろいろ「考えた」り、「分かった」りするのことも、た
いへん大切なことではないかと思っています。
【9383】
【タイトル】ご回答ありがとうございました。
【 日時 】04/11/14 9:23
【 発言者 】sb
(コーチによる英語の原文音読(素読)1回)
あ:生徒による英語の原文の音読5回あるいは5回以上
い:生徒による日本語訳1回
(コーチによる英語の原文音読(素読)1回)
う:生徒による英語の原文の音読5回あるいは5回以上
これで全体ですが、「い」で、生徒が文法や構文が把握できていない場合には、必要な知識を
その場で与えます。肝心なことは、知識を与えた直後に生徒に「訳させない」ことです。知識を
与えたら、「あ」に戻る(「技法グラウンド」を通す)ことです。このあたりのコツは、なんと
も言いようがないです。
サンドイッチ方式はたいへん素晴らしいやり方だと思いました。
そこで、さらに、質問2点です。お時間の許す時で結構です。
@「5回」あるいは「5回以上」というのは学習者に任されているのでしょうか?
Aご回答の下から3行目「訳させない」というのは、「日本語訳を書かせない」ということでしょうか?それとも「自分の日本語でコーチに声で伝えた後、すぐ
に忘れなさい」という感じでしょうか?
【9387】
【タイトル】仲良し倶楽部。
【 日時 】04/11/16 10:28
【 発言者 】Jackie
ここはいい。自由に言葉を発することができる。
掲示板によっては批判や疑問をうけつけず、侮辱や罵倒と勘違いする方がいる。
お互いを誉め称え合い 解決しなくちゃいけないことから眼をそむき。
解決しなきゃならないところを話し合おうとしても フレーミングになったりする。
これは以前の教授の掲示板の出来事ではなく、英語ともまったく関係のない掲示板での出来事ことですが。仲良し倶楽部に進展はない。 と私は思う。
私の言葉が喧嘩を売ってるように見えてしまうのかもしれない。ただそれだけのことかもしれないけれど。
大風呂敷は 自由でいい。
感謝です。
【9392】
【タイトル】ホームページ
【 日時 】04/11/17 20:26
【 発言者 】Sumie
先週までのキーワードとマテリアルを更新して置きました。
先日、英語講師仲間の1人が「大風呂敷」の語学論は難しいと言うので、「どこいら辺が?」と聞くと「日本語が難しくて読みにくい」と言ってました。 日本
語もろくに読めね〜で、何で英語やってんだ、おめ〜、と腹の中で塾長風につぶやきました。
【9393】
【タイトル】Sumieさん
【 日時 】04/11/18 7:51
【 発言者 】sb
SumieさんのHPは最初に拝見したのは福岡県のあるホテルでのことです。
その時は夢中で読んでいました。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/gogakuron.html
たしか、このページでした。
私はまだまとまっていませんが、Sumieさんやいくこさん、村田さんならきっと「大きな仕事」を「創って」いかれることは間違いないと信じております。
それにしても。。。
ことばはホント難しい。
日本語は難しいですね。
英語ももっと難しい。
英語を学びたいと思っている大半の人々が一読して分かる語学論を日本語でやることもかなり難しい。英語はさらに難しい。逆に言えば、日本語がきちんとイ
メージに近づけば、案外、英語への翻訳はそんなに難しいことではないかもしれませんね。いったいどうすればいいのでしょうか。
私の場合、日本語の場合1文は30文字以内にしようと決めるときもあります。(といいながら、すでに36文字?)英語の場合1ケタのワード数までです。こ
のように、意識してうまくいくこともあります。しかし、そんなことはまれです。私が拙いからです。すぐに字数オーバーしてしまいます。つまり、自分のあま
た、いや、頭が混乱してしまっているようです。(くそっ、1字オーバーか、とこだわるヘンな私であた、いや、あった。)(この()内の文も32文字だ、
あーーーあ)その証拠が文章に現れ、文体に現れ、文字にも現れるのかもしれません。関連しているかもしれませんが、音声もそうです。緊張して声が震えるの
は誰でも経験しているかもしれません。
【9394】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/11/18 10:46
【 発言者 】Sumie
英語を流暢にしゃべれる人達が私の周りには沢山います。 ほとんどが通訳ガイドさんとか通訳さんとか英語講師です。 TIMEをガシガシ読める人だったり
CNNニュースを苦もなく理解する人だったり、一般の英語学習者からすれば雲の上の人達かも知れません。 私だって人様の事を言えた義理ではありません
が、「日本の事をちゃんと勉強してないやんか」と思う事が多々あります。 英語の勉強の為に日本人作家の書いた物の英訳本を読んでも日本語の原書を読んで
ないとか、茶の湯や歌舞伎や神道なんぞについてガイド試験用のマニュアルでしか勉強してないとか、それでその受売りをそのまま流暢な流暢な英語乗せて得々
として流す、とか。 「外国から来た人達はそれをそのまま鵜のみにして帰りはるねんやな」と思うと悔しいですやん? これじゃマクドナルドなんかのマニュ
アル店員とさして変わらんやん、と怒ったり。 通訳ガイドなんか掃いて捨てるほどいて大阪なんかじゃ仕事がないのであぶれてしまい、仕方なく英語講師なん
ぞをしながら仕事を待ってる人達がいっぱいいます。 で、一度仕事が回ってくるとそれを足掛かりにしてさらなる仕事に繋げたいばかりに、自分のクラスをド
タキャンして行ってしまうなんてな不埒な人もいて、どうよ...
と思いつつも他に代りがいないので、またぞろ私が代講するなんてな事もあります。内職かなんかしながらその合間に日本文化の勉強でもしろっ、英語講師なん
てそんな軽いもんなんか、と文句たらたらの夏でありました。
>英語を学びたいと思っている大半の人々が一読して分かる語学論を日本語でやることもかなり難しい
そうですよね。 でも根石さんの書いておられる事は難しいかも知れませんが、日本語なんですから、広辞林を引き引き考えながら読めばいい。 母国語に対し
てそんなわずかな熱意も持たずに、何で外国語なんか出来るねんっ! と思いませんか?
私のこの支離滅裂な投稿を読み返すと、どうもこの夏の超ハードな仕事が祟ってるみたいです。(^^)>
【9395】
【タイトル】sbさん その2
【 日時 】04/11/18 11:00
【 発言者 】Sumie
「恋人同志の熱々ぶりを見たりすると『あてられる』って言いますよね。 英語でどう言うんですか」と聞かれた事があります。 普段何の気なしに使ってる言
葉を顧みる瞬間です。 「あなたにとって『あてられる』と言うのはどんな感じの情なんですか、それを分析してみないとぴったりの英語表現は出来ないでしょ
う」とその場は逃げた格好になりましたが、それで正解だったと思います。 英語を学ぶ事は日本語を知る事なんだと思いますよね。
ライティングクラスを受講していた時の事、日本語をしっかりインプットしているクラスメートの書く物は、たとえゴツゴツした英語であっても魅力がありま
す。 語彙がなければ比喩などを使ってうまく表現していて、かえってその方が説得力があったりします。 それに反して上手に纏めてはいるけれど、なんだか
どっかで聞いた様な...と思われる様なエッセイもあります。 上級者と中級者が一緒くたになったクラスだったんですが、相撲みたいでしたよ。 関脇が横
綱を倒すんです。
すみません。 なんだかドンドン話がずれて行ってしまってますね。
【9397】
【タイトル】関脇が横綱を倒す
【 日時 】04/11/18 12:35
【 発言者 】sb
Sumieさん、いろいろと書きこみをしてくださり、ありがとうございます。感謝しています。
関脇が横綱を倒す、ということについて考えてみたことがあります。
この「関脇が横綱を倒す」という表現とどう格闘するかが「回転読み」が一気に花開くかどうかの一つのポイントでもないかと思っているのですが、いかがで
しょうか。
関脇や横綱のこの文脈での定義が必要と思われますが、取り敢えず思ったまま書いてみます。
ある英語暗唱コンテストの?」審判の採点用紙と録音テープを見ていて気づいたことです。
その時は私が優勝したのですが、「記号論的自虐論者」として「閉じる世界」に落ち込んでいっていました。その時のネイティブとノンネイティブの評価の差に
ついての話しです。
私の癖で申し訳ありませんが、図を思い浮かべてみていただけませんでしょうか。
簡単な図だと思います。
2つの図です。
一つは四角(□)です。
もう一つは丸(○)です。
□=記号(音声や文字)
○=概念(思考やイメージなど)
この二つの図はいつも丸(○)が四角(□)がの内側にあります。(□は外側、○は内側)
思っていること(なかみ)=○(丸)を、形=記号(音声や文字)=□(四角)に出すからです。
小さな○に大きな□(○と□の重なり方はバランスがよい)・・・発音が比較的うまいタイプ
大きな○に小さな□(○と□の重なり方は少しずれもある)・・・内容が濃いが平均的発音タイプ
次に評価者がネイティブとノンネイティブで違いをみてみます。
ネイティブの評価
小さな○に大きな□(○と□の重なり方はバランスがよい)の人に対して50点(50点満点)
大きな○に小さな□(○と□の重なり方は少しずれもある)の人に対して48点(50点満点)
ノンネイティブの評価(日本人A氏)
小さな○に大きな□(○と□の重なり方はバランスがよい)の人に対して46点(50点満点)
大きな○に小さな□(○と□の重なり方は少しずれもある)の人に対して49点(50点満点)
ノンネイティブの評価(日本人B氏)
小さな○に大きな□(○と□の重なり方はバランスがよい)の人に対して47点(50点満点)
大きな○に小さな□(○と□の重なり方は少しずれもある)の人に対して49点(50点満点)
もう一人の審判は2人ペアで見ておられたので、ここでは省略させていただきます。
ここで、注目したいことは次の2点です。
@○が少しでも大きいことが外国語を学ぶ上でとても大切だということ(外国語話者として母国語の世界を広げ、概念の世界を豊かにしておくことの意味)をど
のようにしてより多くの学習者に伝えていくか、という問題
A○がせっかくものすごく大きい人でも□と○がうまく重なり合っていない(根石さんの言い方では同致<どうち>)ために、最適な評価が得られず、困ってい
る人達の問題
@はともかく、Aにメスを入れなければならないのが、この「大風呂敷」の書きこみ者の方達だと思います。
先日私が引用したある英語教育雑誌の中からたいへんこのことと関連の深いものを再掲させていただきます。(⇒「関脇が横綱を倒す<その2>)
【9398】
【タイトル】関脇が横綱を倒す<その2>
【 日時 】04/11/18 12:46
【 発言者 】sb
>この無意識的な英語モードは、その作り方を話し合うことはできても、学習者個人が自分で自分の中に作り上げなければできないものであり、継続して養成し
続けなければ紛失してしまうものであるように思われます。どうしたらこの英語モードを作り上げることが可能でしょうか。基本的には、受験英語学習あるいは
実用英語学習と称される範疇で行われていることの反対のやり方を多く取り入れることが必要であるように思われます。
「反対のやり方」というクダリです。このように考えることもできると思うのですが。。。
受験英語学習=○(個人の中での「概念」の構築)・・・英語教師のふがふがふふ(苦脳)
実用英語学習=□(個人の中での「記号」の構築)・・・浜谷さんの怒りもこの辺りと関係が!
ベルグソンの「開」と「閉」考ではありませんが、発展のためには「割られなければならない」。
個人の「はたらき」が。。。
存在・時間・可能性(自由と責任)
言語・意味
神学⇒美学⇒科学⇒哲学⇒言語⇒存在
すみませんでした。すみませんでした。すみませんでした。
【9399】
【タイトル】大学教員批判(1)
【 日時 】04/11/20 3:59
【 発言者 】根石吉久
sbさんが郵送して下さったので、「STEP 英語情報」2004年11/12月号を読むことができた。この雑誌は旺文社系のというか、英検系の雑誌だ
そうである。
sbさんがこの掲示板で引用していた京都教育大学助教授の西本有逸さんが書いたものを読んでみた。今、すでに私は酒が入っているので、好き勝手なことを
書くだろうと思うが、酔っ払いの書くものなどどうでもいいと思う方は、読み飛ばしていただきたい。また、私は西本さん個人をあげつらいたいのではなく、大
学教員が中学・高校の教員にものを言うときの言い方についてものを言いたいと思っている。その調子の馬鹿らしさについてである。一段上にいるような言葉の
調子が、どうにも気にくわないので、数段上からものを言ってやろうと思うのである。なんだってんだ。日本の英語教育の駄目さ加減、ていたらくを作ってきた
のは、あんたら大学教員と馬鹿文部省役人たちではないか。張本人の一人が何を偉そうにものを言っているのだ、と思うからである。
「私たち英語教員は、あまりにもダイコトミー(dichotomy:二項対立)に振り回されてはいないだろうか。」と西本さんは最初に書く。「私たち英
語教員」と一応言ってはいるものの、俺は大学教員であるぞ、お前ら中学・高校の英語教員達よ、よく聞けという声の調子を私はすでにこの文に聞いてしまうの
である。娑婆の序列に従順な居丈高な声を聞くのである。そんなふうに聞く耳を持つ私が歪んでいるのであるならば、それはそれでいい。以後の文は私が私の歪
みを表沙汰にするための文だとして読んでもらえばいいわけだ。
「ダイコトミー」とやらのうちで、西本さんが問題にしたいのは、「受験英語vs.実用英語」というダイコトミーだけらしい。その肉離れを埋めるためにこ
うしてみたら?というようなことをそれ以後に書いているだけなのである。最初から、「受験英語vs.実用英語」について、あるいは、その対立のさせ方がそ
もそも変だということについて書くからね、と言えばいいところを、まずは「ダイコトミー」一般についてお説教を垂れるところが大学教員である。耳慣れない
ことを言っていると、商売になるのだわ。だけど、ダイコトミーに振り回されてはいかんなどというもったいぶったお説教は、私らどうでもいいんだわ。ものご
との輪郭をはっきりさせるために、時にダイコトミーが必要になるというだけのことであって、それに振り回されるのはお馬鹿さんたちだけだというだけのこと
じゃないか。西本さんはお馬鹿さんを相手にしたいのか。「私たち英語教員」にダイコトミーに振り回されるお馬鹿さんたちが多いと西本さんは言いたいのか。
それならそれではっきりとものを言うがいい。確かにそうなのだから。
「受験英語vs.実用英語というダイコトミーも不毛な議論であり、学習者に英語の力をつけさせるという要諦・本質を見失うべきではないだろう。」
これはまったく賛成である。その通りだ。しかし、「学習者に英語の力をつけさせるという要諦・本質」は、どこでどのように確保されるというのか。西本さ
んは、それについて何をどう言っているのか。検討してみよう。
【9400】
【タイトル】大学教員批判(2)
【 日時 】04/11/20 4:02
【 発言者 】根石吉久
「いくつかの大学で教科教育法を担当しているが、私は1時間目の授業で受講生に今まで自分たちが受けてきた英語教育を振り返させている」と西本さんは書
く。その中で、共通に浮かび上がってくる問題点と改善の方向性を西本さんは示したいのだそうである。
生徒が市販の単語帳に英単語一つに対して、日本語単語一つを書き込むことに対して、語彙を覚えるのに英語−日本語の一対一対応の丸暗記がいかんと西本さ
んは言う。表面面は正しいことを言っているが、そうじゃないだろう。生徒が市販の単語帳によるリスト学習に走るのは、教員が学校の教室を訳読の場にして、
生徒に「当てる」ということがあるからだ。虎の巻を机の上に広げて答えるわけにはいかないから、自分の力がつくかつかないかは二の次にして、生徒は「当て
られた」ときに恥をかかないで済むように、市販の単語帳に単語をリストアップするだけなのだ。利口な生徒なら、辞書をひかずに虎の巻の訳語を単語帳に書き
込むだろう。教員には生徒が自分で辞書をひいたのか、虎の巻から書き写したのかなど区別がつきはしない。これらは、訳読式の授業などが主流としていまだに
まかり通っていることに対する生徒の自然な反応がもたらすものにすぎない。
元にあるのは、あくまでも「にせの標準形」であるにすぎない。学校の英語の授業のほとんどすべてが「にせの標準形」だから、生徒の側に「にせの標準形」
が生じてしまうのである。しこしこと単語帳に字を書き、覚えさえしないという「にせの標準形」が。
「当てる」ということをやめて、英語科教員という商売がやれるものかどうかということは大問題である。私はそれは可能だと思っている者だが、あらかたの
英語科教員は「当てる」ということをやめたら、生徒との間に交渉を失うような者が圧倒的に多いのだ。
一度、「当てる」ということをやめてみるがいい。沈黙だけが支配する教室。いい風景だ。ひとまずはそれが必要なのだが、なんの、日本全国津々浦々にある
のは、きつねとたぬきのにぎやかなだましあい、教師の「当てる」という行為と、生徒の「単語帳によるその場しのぎ」という行為がだけなのである。西本さ
ん、そこを突かないなら、ただ上澄みをすくっているだけなのだぜ。澄ましこんだ大学教員の言に過ぎないのだぜ。わからんかね。
「単語が覚えられないのは、概念が巣くっていないからであり、語彙のもつイメージが学習者の心の中にクオリア(質感)として沸き立たないからである。」
おっしゃる通りである。それでだが、「語彙のもつイメージが学習者の心の中にクオリア(質感)として」沸き立つようにするにはどうすればいいのですか?
そんなことが学校の教室という場所でできることだとお思いなのですか。
おっしゃる通りだと言ったが、「概念が巣くっていないから」という言い方にはひっかかるものがある。「〜が巣くっていない」という言い方が、なんだか変
なのである。「巣くう」というのは、「町に巣くう暴力団」などというような使い方が普通なのだという感覚を私は持っているので、「概念が巣くう」というこ
とを肯定的な意味あいで使う使いかたに対して素直に肯定的になれない。よくなかろうと思う。「お説教だけしている者が大学に巣くう」というような使い方が
普通でしょ? どうも西本さんは「巣くう」ということがよくわからないらしい。
概念というものは「巣くう」ものなのか。まあ百歩譲ろう。そうかもしれない。「概念」ですからね。しかし、概念が「巣くう」ということと、クオリアが沸
き立つことを混同してほしくない。「概念」と「イメージ」というものは、ダイコトミーにしていいものなのだ。「概念が巣くう」ということを、イメージがク
オリアとして沸き立つことと一緒くたにするんじゃない。いいことのように書くんじゃないと思う。「概念」てものがないと、大学教員などやっていられなくな
るということはともかくとして。ダイコトミーをちゃんとやれよ。基本だろ。
ちょっと寄り道した。まあ、その辺が酔っ払いというものである。
【9401】
【タイトル】大学教員批判(3)
【 日時 】04/11/20 4:03
【 発言者 】根石吉久
「語彙のもつイメージが学習者の心の中にクオリア(質感)として沸き立たない」という言い方は「巣くう」というおかしな使い方に較べればよっぽどましで
あるし、ものの言い方としていい。しかし、私はどうしても聞きたい。学校の教室で、英語教員の免許一枚持っているだけの者が、どうすれば語のクオリアを生
徒の中に沸き立たせることができるのでしょうかね。それは何をどうやっても無理なことではないでしょうかね。それは学習者本人にまかせていいことではない
でしょうかね。学校の教室で、英語科教員がそれができるなどと思うことがとてつもなく不遜なことではないでしょうかね。
一に音読、二に音読、三四も音読、五も音読、と言っていいような柴田武史さんの授業がもっともまともなものであり、それ以後、語をどうイメージするかな
ど、英語科教員に手のつけられるものではない。そこのところに手をつけられるということは、動いてやまないイメージが可視的なものになることであり、私が
常日頃どれだけスケベなことを考えているか、その赤裸々な中身が映像として娑婆に実況中継で公開されることが可能になることなのである。まずい! あるい
は、また別に、私がどれほど哲学的に考えているかが娑婆に実況中継で公開されることが可能になることなのである。それはない。人が思うことは、人の思いと
して全世界に向けて閉じている。キムジョンイルやフセインが殺されていいのであれば、アメリカの大統領のブッシュも殺されていいと思うことは、思うだけな
ら思いとして私の中に閉じている。
思いというものは閉じているものなのである。だから、イメージというものも閉じている。閉じたままに、しかし、イメージが核を備えるようになれば、濃縮
され、一つの強い点になるならば、それはいつでも全世界に開かれたものになるというダイナミクスを、学校の教室なんかが実現するはずがない。何が「豊かな
文脈」か。何が「多読」か。何が「クロスワードパズル」か。それがクオリアを確保する?冗談を言っているのか。逃げを打っているだけだろう。
西本さんが「語彙の学習」の問題点としてあげた二つのポイントのうち、市販の単語帳による一対一対応の丸暗記批判ではなく、もうひとつの、
「教師がモデルとして発音しないので、学習者が声に出して正しい発音ができない」
というこちらの方が眼目なのである。イメージするかしないかは、生徒にまかせればいい。イメージするやつはするし、しないやつはしない。それはまかせる
しかない。イメージの基礎になるもの(音)だけを、文を単位としてきちんと作る(イントネーション、リズムも含めて)なら、英語科教員の娑婆(生徒)に対
する務めの大半は果たしたと考えていいくらいのものだ。しかし、現在の学校の英語の授業はそれを欠いている。
私どもが主張してきた「音づくり」だけは、客観的な物質として成立する。イメージの浮動性とはまるで違って、「音」はやろうと思えば客観的な物質として
成立させることができるものなのだ。体内の物質(イメージ)とは違って、「音」は体外に響きますから。客観的な共有可能な物質ですからね
西本さんには「音づくり」の観点が抜けている。もちろん、「磁場」の観点など期待しようもない。
従って、西本さんは肝心なもの(音)の方には何ひとつとしてコメントしていない。逃げを打っているのである。中学・高校の教員に向けて偉そうにものをい
いながら、ご本人は論としては逃げを打っただけのものを書いたのである。犯罪じゃないか。
だって、西本さんは、何をどうすれば、クオリアが生徒の心中に生じるかなど何も書いていないに等しいのだ。まあ、しかし、そんなものは書きようがない。
あえて言えば、「生徒が自分で自分に言い聞かせる」という呪術しかないのだ。的が外れたような段階(日本語の訳語との一対一対応)から、英単語のイメージ
の核をじかに鷲掴みする段階に至るまでの実質は、生徒が自分でやるにまかせるしかない。それは呪術だ、やれ、ということができるだけだ。「クロスワードパ
ズル」なんぞ持ち出して、学校の教室なんかという場でそれができるかのように書くことがすでに錯誤でしかない。というか、論が漫画でしかない。なにが「ク
ロスワードパズル」か。そんなもんでクオリアが沸き立つと思っているのか。馬鹿らしいこと限りないわ、京都教育大学助教授よ。
(この後、西本さんは文法の学習などいろいろ書いておられますので、明日以降対応します。明日も酒の勢いを借りて、こんな調子で勢いのいいことが書けま
すかどうかは、明日以降のおなぐさみです。近頃、くたびれてしょうがありません。ほっとけばいいものを、私が相手にしてもらえないにもかかわらず、私が相
手にするからかもしれません)
【9402】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/11/20 11:52
【 発言者 】sb
>「概念」と「イメージ」というものは、ダイコトミーにしていいものなのだ。
自分の思い(subjectとしての)
と
単語の持つイメージ(objectとしての)
ということで、
ダイコトミー(dichotomy:二項対立)ということですか。
>思いというものは閉じているものなのである。だから、イメージというものも閉じている。
閉じているもの(自分が考えること)
と
閉じているもの(単語が持つイメージ)
が出会う、ことばと対峙することは、人と対峙することと似ていますか。
【9403】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/11/20 12:14
【 発言者 】sb
@文字認識⇒A音韻符号化⇒B理解
Aの音韻符号化の訓練の量質転化点を学習者個人が「気づく」ようにするための「シート」があればよい。
【9404】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/11/20 12:18
【 発言者 】sb
>イメージするかしないかは、生徒にまかせればいい。イメージするやつはするし、しないやつはしない。それはまかせるしかない。
根石さん、多読は生徒がイメージする機会を奪いますか。
>イメージの基礎になるもの(音)だけを、文を単位としてきちんと作る(イントネーション、リズムも含めて)なら、英語科教員の娑婆(生徒)に対する務め
の大半は果たしたと考えていいくらいのものだ。しかし、現在の学校の英語の授業はそれを欠いている。
なぜ、「欠いている」のでしょうか。教員養成課程ですか。
>私どもが主張してきた「音づくり」だけは、客観的な物質として成立する。イメージの浮動性とはまるで違って、「音」はやろうと思えば客観的な物質として
成立させることができるものなのだ。体内の物質(イメージ)とは違って、「音」は体外に響きますから。客観的な共有可能な物質ですからね
難しいことかもしれませんが、音の分析はどの程度発達してきているのでしょうか。
【9406】
【タイトル】素読関係の本
【 日時 】04/11/20 16:24
【 発言者 】村田
「素読のすすめ」安達忠夫著・カナリア書房
本屋で偶然見かけたので衝動買いしてしまいました。
表紙見返しにこんなことが引用されていました。
「素読は有機農法における土づくりとおなじで、即効性を
求めない。意味や内容など理知的な面については説明しな
いので、ことばの響きやリズムといった感性的な面だけが、
時間をかけてじっくり耕され、根がしっかり育つ。(中略)
表面的な意味をせっかちに求めない。『わかった』つもり
にならない」
音読ではなく素読と言っているところが目にとまった点
です。
10年前に絶版になって、最近再版されたそうです。
【9407】
【タイトル】sbさん(1)
【 日時 】04/11/21 3:08
【 発言者 】根石吉久
>>イメージするかしないかは、生徒にまかせればいい。イメージするやつはするし、しないやつはしない。それはまかせるしかない。
>根石さん、多読は生徒がイメージする機会を奪いますか。
なんで多読が生徒からイメージする機会を奪うと考えるのですか。
どういう質問かよくわかりません。
>>イメージの基礎になるもの(音)だけを、文を単位としてきちんと作る(イントネーション、リズムも含めて)なら、英語科教員の娑婆(生徒)に対する務
めの大半は果たしたと考えていいくらいのものだ。しかし、現在の学校の英語の授業はそれを欠いている。
>なぜ、「欠いている」のでしょうか。教員養成課程ですか。
私はしがない個人塾をやってきただけの者ですが、sbさんは現職の学校の先生なんですから、回りをよく見て、自分の胸に手をあててみれば、私なんかより
よくおわかりになることと思います。まあ、しかし、私なりの考えを書いておきます。すでに何度も書いたものですが、めんどうくさがらないことにします。
教員養成課程の中の特に「英語音声学」という単位が駄目なのです。輸入ものをそのまま日本で使えるものとしてやってきたのですが、日本語でいったん口の
動きが定型化された生徒に対してはまるで使い物にならない。日本語の音を問題にせず、英語に即して、本来の音だけを記述するような「英語音声学」は、学校
の教室で生徒の音を変える場合には訳に立たない。生徒の音を「変える」のですから、変えるべき生徒の音は日本語の音に根ざしているのです。だから、日本語
の音や日本語の音の生理を排除した「英語音声学」などただのでくのぼうにすぎません。日本で語学に役立てるものとするのであれば、「英語音声学」は、極端
に言えば「日本語音変化法」でなければならない。それをずっと無視して、教員養成課程というものはおつに澄ましこんでやってきたのです。教員養成課程の
「英語音声学」は膨大な無駄です。
だから、大学の責任が大きい。それを放置してきた文部省の責任も、管理責任として大きい。しかし、それだけではない。現場の先生たちが、「にせの標準
形」の呪縛から抜け出せないというところに、末端で悲惨を作り出す責任がある。悲惨の再生産の責任は、現場の先生たちにもあるのです。「にせの標準形」を
やっている限り、可もなく不可もないものとして許されてきた爛れきった英語教育界というものを批判する先生がめったにいない。つまりは、先生たちの保身が
先に立っているのです。これじゃ駄目なんだと承知しながら、その駄目な「にせの標準形」を繰り返す先生が多数だったのです。
しかし、もっと原理に即して言うなら、学校が「音づくり」ができなかったのは、日本人としてなら「この程度」に英語の音が作れればひとまずは大丈夫とい
う「基準」がなかったからです。また、日本人の口の筋肉を英語用に柔らかくし、バネが備わった状態にするための方法が編み出されて来なかったからです。
「発音10のポイント」と「あいうえおフォニックス」は、「基準」を作ろうとしたものです。この「基準」を構成する項目は、少なければ少ないほどいいの
だが、必要な質を確保するために、すでに発表した形になっています。
また、日本人の口の筋肉を英語用に柔らかくし、バネを備えるための方法としては、先達・國弘正雄の「只管朗読」がありますが、「音づくり」のためには、
一文を繰り返す方がいいので、口の筋肉を作っていく(変えていく)方法として、「回転読み(独学用)」と「技法グラウンド(レッスン用)」を開発しまし
た。「回転読み」と「技法グラウンド」を修得する過程で、「発音10のポイント」と「あいうえおフォニックス」を体得すれば、音に関してなら絶対に通用す
るものになります。
【9408】
【タイトル】sbさん(2)
【 日時 】04/11/21 3:10
【 発言者 】根石吉久
暫定的なものながら、すでに「基準」は存在しています。
それが存在していることが何を意味するのかに対して、現場の先生たちからの反応は非常に鈍い。私の「電話でレッスン」を受けてくださっている英語の先生
たちがいますが、この方たちがわずかに目をさましているだけで、ニッポン中の多くの英語の先生は「にせの標準形」の泥の中にまどろんでいる。そんなふうに
まどろんでいられない時が来ているにもかかわらず、です。
以前sbさんが言っておられた「免許更新制」に私は賛成しようと思います。「音づくり」ができていない先生は、免許を剥奪すべきです。しかし、考えてみ
れば、免許を剥奪する権力の主体である文部省自体が「音づくり」のための「基準」を何一つ提示してきていないのですから、文部省が免許を剥奪する資格が問
われて当然です。というか、文部省にそんな資格がないことはわかりきったことです。資格がないものが、資格を与えてきたのですから、資格も仕方もない。ア
ホな風景です。
私は一人で吠えてきたような気がします。全国の英語科教員のおそらく8割9割の免許というものは、価値のない紙っ切れにすぎないのだ、と。
「にせの標準形」は、文部省・大学・現場の教師たちの三位一体の「にせ」信仰によって作られ、再生産されてきました。
英語教育の問題点を指摘するだけなら、これまでにあらかたの問題点は指摘されてきました。しかし、日本人の体を元にした具体的な方法はほとんど提示され
てきていません。わずかながら、「只管朗読」、「只管筆写」がありますが、これにも「音づくり」は欠落しています。
私はsbさんと初めてお会いした白樺湖畔のホテルでの、柴田さんの言葉を再び思い出しています。私立の学校なら、柴田さん以外にも私や柴田さんが言う意
味での「音づくり(音作り)」をやっているところがあるのではないでしょうかと私がお聞きしたところ、柴田さんは、「ありません。私が知る限りでは、私の
教室と根石さんの塾だけです」と言われたのでした。私は非常に驚いたことを覚えていますが、ここまで書いてきて、やはりそうなのかもしれないと思っている
のです。
掲示板を掲げてすでに何年かたちますが、本格的に「音づくり」をやっているというところを私もいまだに知らないのです。私の生徒のうちの数人は英語の先
生ですが、一人、ミッフィーさんが「音づくり」を手がけられているようです。また、柴田さんのお弟子さんも柴田さんと同じ学校で「音作り」をやられている
ようです。私の知る限り、日本での英語の「音づくり」はそれだけです。
素読舎がやってきた仕事を何か特殊なもののように遠巻きに見ている学校の英語の先生たちは、とてつもなく鈍いのだと思います。「にせの標準形」の呪縛か
ら抜けられないためです。
学校がやってきたものは「にせもの」なのだともうはっきりと言わなければならないでしょう。文部省・大学・現場の教師たちの三位一体の「にせ」信仰の息
の根をとめることを真剣に考えるべき時が来ていると思われます。
>>私どもが主張してきた「音づくり」だけは、客観的な物質として成立する。イメージの浮動性とはまるで違って、「音」はやろうと思えば客観的な物質とし
て成立させることができるものなのだ。体内の物質(イメージ)とは違って、「音」は体外に響きますから。客観的な共有可能な物質ですからね。
>難しいことかもしれませんが、音の分析はどの程度発達してきているのでしょうか。
どんな質問なのか、よく主旨がわかりません。
sbさんからは、他にも質問を受けていたように思いますが、後日にさせて下さい。
【9409】
【タイトル】文法も、にせの標準形かもしれない。
【 日時 】04/11/21 13:41
【 発言者 】パクパク
音作りと文法は、同様に大切ですが、この文法も
外人がつくったものをベースにしているのであれば、
やはり、にせの文法になるとおもわれる。
現在の学校英文法は、用語の日本語翻訳が誤解を招きやすい。
受身、受動態、仮定法、仮定法過去、現在進行形、分詞構文、関係代名詞
など、漢字からイメージすると本当にわからない。
例)
The book is interesting.
ついinterestingに、進行のイメージを浮かべてしまう恐れがある。
be+過去分詞がでてきたら、すぐ受身の訳を強制させているため
まったくわからなくなる。(Spring is gone.)
また、頻出語の解説もプアなものが多い。
would:willの過去形
could:canの過去形
内容には間違いないだろうが、wouldやcouldの
真のイメージとは、まったくの別物であろう。
ただ、最近は、文法形の本がどんどん出版されており
(TOEICテストの影響)、なかには、新しい視点の
文法書もでるようになった。(例。新情報、旧情報の
概念を導入して、英語の語並び法則を直観的に説明する)
1.音づくり
2.文法
3.膨大な時間の個人練習量
1と2とは、コーチが受け持ち
3は、生徒の責任。
1は、実用的に解決されているので、今後の残された課題は2となると思われる。
素読用に役たつ文法である。
素読といっても、何らかのイメージや思考がありながら声を出して
いるとおもわれる。
素読練習に感覚的になじむ文法がいずれ生まれてくるとおもう。
【9410】
【タイトル】こんなページを見つけました
【 日時 】04/11/22 14:04
【 発言者 】sb
>声を出さないリーディングから始めるのは、先に音読やリスニングをやると、脳内では言語野の記号処理の方が重視され、連合野の統合処理(概念処理、意味
処理)で英語の内容をイメージで理解するのが難しくなるからです。(HP「英会話の真理に目覚める…」より)
ことばのアプローチは、いろいろある。
【9411】
【タイトル】説明しても、説明された人は分かることがほとんどないことを説明することの難しさ
【 日時 】04/11/22 14:08
【 発言者 】sb
>潜在意識を無意識に利用するためには、その前に、潜在意識を意識的に利用し、その方法に習熟し、潜在意識を無意識に利用出来るまで訓練する必要がありま
す。
これは、自転車を運転出来ない人が乗り方を訓練する場合や、右利きの人が左手で箸を使う訓練をする場合を考えれば理解出来ると思います。
我々は、普段はほとんど意識をせずに、自転車を運転したり、箸を使ったりしているのです。
これは、無意識に潜在意識を利用していることを示しています。
そして、この事実は、英会話や数学を習得する場合も変らないのです。
(HP「英会話の真理に目覚める…」より)
【9412】
【タイトル】音読の効能(?)
【 日時 】04/11/23 8:16
【 発言者 】ミッフィー
久しぶりに書きます。現在公立高校で1年生に英語を教えています。1学期の当初からさんざん生徒に音読をさせ、英語はまず声を出すのが1番大事だと洗脳し
た結果、生徒もそれを当然と思い、11月になった今もなんのためらいもなく、教室中に響き渡るほどよく読んでいます。とは言え、100%音読オンリーでは
なく、文法の説明やら、内容把握やらもやっているので音読の占める割合は45分授業のうちの10〜13分程度ですが。発音については、(母音は)明るいア
(診察室のアーン)と狭いア(さかさer:/さかさv)と一瞬般若しか言っていません。絶えず言わないと平べったく読むし、私もさぼって言わないこともあ
りますが、でも言い続けていると、少し意識して読む生徒がでてきました。ときどき褒めちぎります。「音読は良い」というのは最近の英語教育の中でも幅をき
かせてきているようです(というのは「英語教育○○大会」なんぞに出席したり、英語教育情報などから感じることですが…)。理論には強くないので、私は自
分が感覚で得たことを書いてみます。私がリーディングを担当しているクラスは、2クラス、そのうち1つは毎年定員割れを起こす学科のクラスです。定員割れ
を起こすだけあって、成績は他のクラスと比較するとしょぼい。しかし音読させればよく声をだす。音読をするのがどうやら好きらしい。単語も続けて読むとリ
ズムが生まれて、なんだか気持ちが良くなる、というのがわかるらしく、英語は好きだとかがんばるとか言ってくれている。もともと英語の成績の良い生徒は、
英語の音そのものが好きな生徒が多いので、これもよく読む。学校の外に出た時、自力で勉強するための力をつけてやるのが学校の役目だと、柴田さんは1年前
の講演で言っておられました。今、つくづくそうだなあと思います。
【9414】
【タイトル】ミッフィーさん(1)
【 日時 】04/11/25 0:17
【 発言者 】根石吉久
>文法の説明やら、内容把握やらもやっているので音読の占める割合は45分授業のうちの10〜13分程度ですが。発音については、(母音は)明るいア(診
察室のアーン)と狭いア(さかさer:/さかさv)と一瞬般若しか言っていません。
その後の授業の様子をお書きいただきうれしく思います。
レッスンの時は、やたら練習の時間を削るわけにはいかないので、授業の様子を聞きたくても聞けないので、ときどき様子を知らせてくださるとありがたく思
います。
私は最初、「5分間音づくり」を提唱していたんですが、音読で10分以上も時間を使ってくださっており、音読がそのまま「音づくり」になっているのな
ら、私が提唱した時間の倍以上の時間を使ってくださっていることになります。
「音づくり」を続けていてくれるといいがとずっと思っておりましたが、やっていてくださるのを知ることができました。時間をたくさん割いてくれているこ
ともですが、なによりも継続して下さっていることがうれしいことです。
3つの「ア系列」の音に関しては、絶えず言い続けて下さい。それをやる時に、「あいうえおフォニックス」を活用されることを希望しています。掲示板に発
表してある最新版(村田君が管理する倉庫にも収めてくれてあるようです)をご自分のワープロなどにコピー、貼り付けをして、適当にレイアウトして学校の印
刷機で刷って生徒に手渡して使っていただくなどしていただくといいと思います。希望を言わせていただくなら、「素読舎・根石吉久作成」というクレジットを
どこかに添えておいていただきたく思います。
「あいうえおフォニックス」の的中率は抜群です。単語末尾の or
(逆さe)に関する記述が抜けていて、どのあたりに位置づけするのがいいのか、その後迷い続けていますが、現在のものでもかなり使えるだろうと思っていま
す。生徒に印刷したものを手渡しておけば、生徒の家での学習で使えるので、普段の授業の10分余の「音づくり」(音読)に反映してくるものがあるだろうと
思っています。
>学校の外に出た時、自力で勉強するための力をつけてやるのが学校の役目だと、柴田さんは1年前の講演で言っておられました。今、つくづくそうだなあと思
います。
同じことを私がこの掲示板で柴田さんに言ったことがあったように覚えています。
ミッフィーさんが私のレッスンを始めて下さるよりも、かなり前のことだったように記憶しています。Mさんという方が、過去ログを読んで、語学論として中
身のあると判断されたものをピックアップする作業をして下さっていますが、Mさんに私のその発言をピックアップするように依頼しておきます。
「学校の外」というものを、卒業後という意味に限定する必要はないということを申し添えたいと思います。家で生徒が自分で勉強するのも「学校の外」での
勉強です。そして、実際は「学校の外」で生徒は実質的な力の大部分を作っています。そこそこ使えるレベルの英語力でさえ、「学校の中」だけでとうてい作れ
るものではありません。
「学校の外」(卒業後・在学中の家での学習)で使えるものを、普段の授業で生徒に持たせてやるのが学校の役目なのですから、音読(音づくり)、その中で
も特に3つの「ア系列」の区別こそ、眼目中の眼目です。眼目を外しておられないところが、さすがミッフィーさんだと思っています。
本に書いてあり、生徒が自分でやればわかるようなもの(文法の問題を解く・意味を考える)などは、生徒にまかせていい。そんなことだけで授業時間を使っ
てしまうことは、授業としては張りぼてなのだと思っています。解説つきの問題集を解けば、生徒は自分で文法を考えるようになるし、意味を考える場合も、生
徒が自分でイメージするしかないのであって、「概念」と「イメージ」というダイコトミーを利用して言うなら、授業で与えることができるのは、「概念」に過
ぎない。(「訳読」授業の「訳」は、概念です。決して「イメージ」ではありません。)「イメージ」するのは、生徒が自分で自分に対して力を行使しなければ
できることではありません。「イメージ」は、自分で自分に対して力を行使することで、意識に湧いたり浮かんだりするもので、外在的に外から与えられるよう
なものではない。それが「イメージ」の本質ですから、学校の授業は、まずは外在的に外科手術のように扱える「音づくり」を眼目とするのがいい。それが生徒
が得るものがもっとも大きい授業です。
【9415】
【タイトル】ミッフィーさん(2)
【 日時 】04/11/25 0:18
【 発言者 】根石吉久
ミッフィーさんが、高校生になってからの生徒に対して敢然と「音づくり」をやってくださっていることは大きな光明です。高校生になってからの生徒を相手
にするのは、不利と言えば不利です。本当は中学でまともにやらなければいけないことなのです。
柴田さんが、私立の学校で、中学一年生から「音作り」をされたこと、ミッフィーさんが、公立の高校で、音としての「にせの標準形」を放置せず、「音づく
り」をなさっていること。この二つはともに私を勇気づけてくれます。
今後もご報告をお願いします。
【9417】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】04/11/25 0:38
【 発言者 】根石吉久
日本語の英文法用語に問題があるという点はそうかもしれませんが、文法そのものといいます
か、学習者にとっての各文法事項のイメージというものは、文法用語を越えたものです。
イメージができている段階は、具体的な文法用語を必要としないレベルになっているというこ
とですから、文法事項のイメージは浮かんでも、文法用語は意識に浮かばなくなっているはずで
す。
文法用語そのものの出来のよさや悪さを云々するより、それが「概念」にとどまらず、「イメー
ジ」になりうるかどうかが眼目でしょう。多くの人が「概念」にとどまって、「イメージ」に至
らないというところに本当の問題があります。
私は文法の問題集を生徒に解かせることは賛成です。
しかし、そんなものは学校の授業の時間を使ってやるべきことではなく、生徒が自分勝手にで
やればいいことだとも考えています。問題を多く解くことで、文法は文法用語から抜けて「イメ
ージ」化する。外国語なんですから、一度はそこを通っておく必要があると考えています。
その場合、いい解説のついた問題集を選んでやることが、生徒に対する先生の義務だと思いま
す。それがちゃんとやれれば、責任の半分は果たせている。
生徒が自分でまともにやれば、文法用語は、現行のものの半分から3分の1くらいあれば間に
あってしまうだろうとも思っています。
【9418】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/11/25 1:25
【 発言者 】根石吉久
どこのホームページからの引用かわかりませんし、時間がないので、そこへ読みに行くこともいたしませんが、引用してくださったものへの批判だけ書いてお
きます。
>>声を出さないリーディングから始めるのは、先に音読やリスニングをやると、脳内では言語野の記号処理の方が重視され、連合野の統合処理(概念処理、意
味処理)で英語の内容をイメージで理解するのが難しくなるからです。(HP「英会話の真理に目覚める…」より)
この人が「声を出さないリーディング」と言っているものの実質がどういうものかわかりませんが、subvocalize
された「内心の音」のようなものを言っているのであれば、問題があります。
この方もすでに流通している概念(音読、リスニング、脳内、言語野、記号処理、連合野、統合処理)は使用しているが、観点として「音づくり」というもの
が欠けています。
根石吉久の言っていることを放置しておくと、こういう落とし穴に落ちてしまうのだという好例です。
具体的に考えてみます。音読やリスニングと組み合わせた「音づくり」がないまま、「声を出さないリーディングから」始めた人は、もし実際に音読させてみ
れば、たいてい音としての「にせの標準形」でしか発音できないはずです。またそうであれば、リスニングなどの向上に重大な障碍が生じるはずです。リスニン
グが先だなどと言っておいて、リスニングの障碍の実質を放置するのだから、理屈だけの馬鹿な論です。
脳内の「記号処理」と「統合処理」を並列させ、その前後関係がどうあるべきか(統合処理が記号処理に先立つべきである)とこの人は言っているのですが、
これはよくある俗説にすぎません。ネイティヴ言語の習得過程にあるものをなぞって、外国語学習が成り立つかのように言う俗説はかなり流布している迷信の一
つですが、この人は、さらにこの迷信をなぞって一見科学的で学問的なもの言いをしているに過ぎない。
「記号処理」と「統合処理」などどっちが先でもいいのです。どっちを先にやっても、先にやったものが後からやるものの邪魔をする。意味にとらわれるか
ら、音の波に乗れないということも起こるし、音だけがからっぽのドラムカンをひっぱたいたように「意味」もなく繰り返されることも起こる。どっちから先に
やったところで、先にやったものが邪魔をするのだから、「記号処理」と「統合処理」がさらに「統合」(同致)される必要がある。この人のもの言いは、語学
論として「並列」しかできていない。論として「統合」ができていないのです。
音と意味(「記号処理」と「統合処理」)は、本当はどちらからやる「べき」かと言う問題ではない。かつて
boysome228 さんが一度だけいいことを言いました。「音と意味」は二律背反の関係にあると言ったのです。まったく言い当てています。前後関係に
おいて、どちらが先かというような問題ではなく、本当は「背反」しあうものなのです。
しかし、お前は素読を持ち出して、「意味」よりも「音」が先だと言い続けてきたではないかという反論が聞こえるような気がします。
これは、私の状況論なのです。
日本の英語教育は実質的に「音」の問題を放置してきました。これは、「音と意味」の二律背反の問題そのものが放置されてきたことを意味します。学校の生
徒に身になってみれば、数年にわたって、いや時には、十年以上にもわたって、それが放置されます。そして、結果として「使えない英語」を持たされます。そ
の状況に石を投げ込むように、「音が先だ」と私は言ってきたと自覚しています。
「音」の問題が放置され続けるのであれば、
「記号処理」と「統合処理」がさらに「統合」(同致)される必要がある。
という場合の「統合」(同致)など生じない。というか、実際は学習者は音として「にせの標準形」で学習してしまいますから、「統合」(同致)されたもの
が「にせもの」になってしまう。
私は単に語学論を言っているにすぎないのですが、語学をまともに語れば語るほど、日本の英語教育が「にせもの」だということがはっきりしてきてしまいま
すね。
【9419】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/11/25 1:32
【 発言者 】根石吉久
まだお答えしていない以下の点について、後日に致します。
----------------------------------------------------
>「概念」と「イメージ」というものは、ダイコトミーにしていいものなのだ。
自分の思い(subjectとしての)
と
単語の持つイメージ(objectとしての)
ということで、
ダイコトミー(dichotomy:二項対立)ということですか。
>思いというものは閉じているものなのである。だから、イメージというものも閉じている。
閉じているもの(自分が考えること)
と
閉じているもの(単語が持つイメージ)
が出会う、ことばと対峙することは、人と対峙することと似ていますか。
----------------------------------------------------
西本批判も後日継続します。
【9420】
【タイトル】訂正(1)
【 日時 】04/11/26 2:11
【 発言者 】根石吉久
>「声を出さないリーディングから」始めた人は、もし実際に音読させてみれば、たいてい音としての「にせの標準形」でしか発音できないはずです。またそう
であれば、リスニングなどの向上に重大な障碍が生じるはずです。リスニングが先だなどと言っておいて、リスニングの障碍の実質を放置するのだから、理屈だ
けの馬鹿な論です。
書いているうちに酔いが回り、早とちりしましたので訂正します。
>>声を出さないリーディングから始めるのは、先に音読やリスニングをやると、脳内では言語野の記号処理の方が重視され、連合野の統合処理(概念処理、意
味処理)で英語の内容をイメージで理解するのが難しくなるからです。(HP「英会話の真理に目覚める…」より)
どこやらのホームページの記事らしいですが、これを書いた方は、「リスニングが先」だとはどこにも言っていないのに、私が間違えてしまいました。
以下に要点のみ書き直します。
「音」が subvocalize されるためには、その前に vocalize されている必要がある。vocalize されてもいないものの
subvocalize は原理的に意味を成さない。
その意味では、vocalize と subvocalize
との間には、「読めるものを書く」というときの「読める」と「書く」との間の前後関係の絶対性と同じ絶対性がある。あれよりもこっちが先だという前後関係
の絶対性というものは、語学にはある。
読めもしないものを書くこと(中学の宿題で生徒がやらされているケースがよくある)は語学の土俵においてはナンセンスである。ただ字を引き写しに引き写
すだけであるから、語学の上達などは望めず、英習字がうまくなるだけである。教科書のページをまるごとノートに書き写させる宿題を出し、「音づくり」をや
らない先生は、生徒の語学の上達を原理の地平で邪魔しているのである。それと同じように、vocalize されていないものを
subvocalize することは原理的に不可能な話であり、同じようにナンセンスである。
しかし、この人が「声を出さないリーディング」と言っているものの実質がはっきりしない。subvocalize
することさえないリーディングというものは想定できないわけではない。文字(綴り)と概念や意味を直結し、音(vocalize されるものも
subvocalize
されるものも)を一切排除したリーディングというものは想定できる。ちょうど、読めない漢字の熟語を見て、意味だけはわかっているので読み続ける場合と同
じことになるだろう。
この人はそれを言っているのか。
理論のために、純粋に仮定してみよう。この人の理屈を純粋に実行するなら、読んでいる単語のすべてについて、一切の音を排除し、綴りと概念(意味)の直
結だけで読むのがいいと言っていることになる。そんな苦痛を誰が引き受けることができるのだろうか。読めない漢字の熟語に出会って、読みを調べもせず続き
を読むことができるのは、それがごくたまにあることだからだ。漢字の全部の「音」がわからないままに綴りと概念(意味)との直結を先にやらなければならな
いとしたら、そんな馬鹿なことを誰がやるというのか。
subvocalize
された音を使うのか、それさえも使わないのか。この人の「声を出さないリーディング」というものの実質がわからない。わざわざ「声を出さないリーディン
グ」と言っているのだから、流通している「黙読」というものとは違うことを言いたいのだろうと思うのだが、実質がどんなものなのかがわからない。
【9421】
【タイトル】訂正(2)
【 日時 】04/11/26 2:13
【 発言者 】根石吉久
subvocalize
された音さえ使わない、使ってもごく薄い影のようにしか動かないという読み方はある。いわゆる速読である。しかし、これがやれる人は、
vocalization も subvocalization も経ており、読ませればまともに音読ができる人である。
ときどき、subvocalize
せずに英文の数行を読んでいることに気付くことがあるが、その時にも概念とともにリズムだけは動いている。英文のリズムが複数の語から成る意味をもたらし
ているように感じる。そして、そのリズムは音読やリスニングから得られたものであって、いきなり最初から「声を出さないリーディング」などやって得られる
ものではない。
音読やリスニングが先だつべきだろう。subvocalization
による読みに習熟してから、いわゆる「速読」が可能になるだろう。その時にようやく「声を出さないリーディング」の実質が備わるだろう。
subvocalization さえもごく薄いものとなり、あるいは subvocalization
自体がなくなり、英文のリズムと概念(意味)の運動だけの読みが成立するだろう。私はそのとばくちにいる。リズムと概念(意味)が直結された一切の
subvocalization
なしの読みはまだ英文ではできていない。日本語のやさしい読み物でならちょくちょく食堂でラーメンを食べながらでもやっているが・・・。
「声に出さないリーディング」が私がラーメンを食べながら、日本語でやっているようなことを言っているのであれば、よほどの経験の厚みを必要として成立
するものを、最初にやれというのだから、妄説もいいかげんにしろ、である。言っていることが馬鹿であり、理屈のための理屈に過ぎない。その点については訂
正の必要を認めない。
【9422】
【タイトル】音と意味の二律背反
【 日時 】04/11/27 0:16
【 発言者 】boysome228
> 音と意味(「記号処理」と「統合処理」)は、本当はどちらからやる「べき」かと言う問題ではない。かつて
boysome228 さんが一度だけいいことを言いました。「音と意味」は二律背反の関係にあると言ったのです。まったく言い当てています。前後関係に
おいて、どちらが先かというような問題ではなく、本当は「背反」しあうものなのです。
性懲りも無く、のここの出てきてしまってお恥ずかしい限りですが、I can't resist,
here.ですので、ちょっと付き合ってやってください。
初期の段階では、確かに音と意味は背反しあうのですが、未来永劫そうかというとそうでもありません。発音に熟達してきて、音のマージが自然にできるよう
になれば、意味を考えながらしゃべっても、意識の上での音の切れ目というものが、たとえ音がつながっていても存在しますので問題なくなります。音がつな
がっていても、意識の上では切れているという点がポイントですので、この点を心に留めておいて下さい。これができない内は、無理やり音のマージをやってネ
イティブっぽく話すと、音と意味は確実に二律背反してしまいますので注意が必要です。その場合には、ブツ切れで話した方がまだましというものです。音と意
味の二律背反を克服するためには、英語を使う=アウトプットの機会を多く持つ、或いはそれに相当する練習を十分に積む必要があります。
【9424】
【タイトル】発音。
【 日時 】04/11/27 10:55
【 発言者 】Jackie
知り合いのネイティブにどのように発音を教えるかをきいてみた。
発音を教える時のテキストは発音用のr−l v−bと書かれているテキストを使用せず
普段クラスで使う会話のテキストで 気になったところをやるそうだ。
まずTがモデルをしめしそれをリピートさせること2,3回。
そしてそれでできなかったら 単語をシラバスごとにぐきってゆっくりリピートをやり、普通の素ピードやってみる。だそうだ。
気になる単語ごとにこれをやる、と。すべての単語をやるわけでない。
文も2、3度リピートさせる程度。
彼曰く「基本的に僕がきいて理解できれば直さない。アメリカにはさまざまなアクセントでしゃべる人達がいる。メキシカン、チャイニーズ、その他のアクセン
トで。だから通じればきにしなくてよいとぼくは思う。それより内容だ。」
一理ある。
しかし、だ。彼はながらく日本に滞在していて日本人の英語発音のくせが理解できるのだ。
それでOKをだされると、いざアメリカに仕事でまたは旅行で話すときに通じないこともある。
(ハワイなど日本人観光客がおおいところなら問題ないだろう。)
えてして日本に滞在している外国人講師の 発音に対するスタンスはこんなかんじではないだろうか。
ちょっと甘いよな。
彼は発音の教え方をしらないのだ。ネイティブなのに。もったいない。
単独のレッスンならば顔をつきあわせて唇や舌の使い方をみせながら教えることとはできるけれど。発音を身につけるには「英語で映画をみたりニュースをみた
り、とにかく英語にふれること」
だそうだ。 ・・・・知ってるよ。耳を鍛えるには絶好だ。
で、英語の発音は移るのか?
彼に「私の発音を直してくれ」といったら「ノープロブレム」と帰ってきた。
私は近頃ちょっと英語からはなれているので 英語がさびついているのを自覚している。
先日、アメリカの友人に久々に電話してその家族と話したとき何回か「Pardon?」とききかえされたのだよ。
子音の基本、母音の基本は 中高校生のうちにしこんだら リスニングらくになり
受験にも役に立つ。
会話するときにも自信をもって話せるようになる。
遠回りのようで近道、 これをわかってる人は少ない。
【9425】
【タイトル】文法
【 日時 】04/11/27 11:06
【 発言者 】Jackie
日本の英語教育は文法に偏りすぎている。
もっと会話しなきゃ。話さなきゃ。
とは先の友人の弁。
あたっているような的外れのような。
むずかしい文法用語は必要ない。()の中に熟語を選んでいれろというのも必要ない。
それが副詞的用法か名詞的用法か区別することよりも
まずは口と体でその用法を覚えるほうが優先されるべきだ。
まず、現在形過去形、進行形、ぐらいは瞬時に活用し変えられるように訓練するべきなのだ。
そう文法は使うものなのだ。必要なのだ。
多くの外国人講師も外人ということにあぐらをかき教え方の研究をおこたっている、
学校の教師も 万年変わらぬ授業でも首にならぬからあぐらをかいている人多数。
私も、一見遠回りだが実は近道という基礎習得を理解してもらうことの難しさに嫌気がさし
英語を教えることのレベルアップをおこたり、自分の英語力をつけることを怠けている。 切腹。
【9426】
【タイトル】明日、またしっかり読んで投稿します。
【 日時 】04/11/27 22:14
【 発言者 】sb
>「記号処理」と「統合処理」がさらに「統合」(同致)される必要がある。この人のもの言いは、語学論として「並列」しかできていない。論として「統合」
ができていないのです。
そういうことなんですね。私もJackieさんの書き込みの言葉を借りると同じことです。。。
「私も、一見遠回りだが実は近道という基礎習得を理解してもらうことの難しさに嫌気がさし(このことに私は気づきさえしていなかった!)英語を教えること
のレベルアップをおこたり(これも私自身の職務怠慢!)、自分の英語力をつけることを怠けている(練習嫌いの怠け者の私。。。音づくりの本当の意味もほと
んど理解していなかった!だから行き詰まったとも言える。。。)」
【9427】
【タイトル】「英語モード、素読、音づくり、反対のやり方」などについて
【 日時 】04/11/28 6:05
【 発言者 】sb
>(Jackieさん)日本の英語教育は文法に偏りすぎている。もっと会話しなきゃ。話さなきゃ。
とは先の友人の弁。あたっているような的外れのような。
そうなんですよね。どっちも大事。語学論がいつも不毛議論に終始しやすい傾向にあるのは、自分自身の体験が基になりやすいからだと何かで読んだ。
以前私が引用させていただいた、現役高校教員の方の文章を再掲させていただきたい。(少し省略などがありますことをお断りさせていただきます。)
>この無意識的な英語モードは、その作り方を話し合うことはできても、学習者個人が自分で自分の中に作り上げなければできないものであり、継続して養成し
続けなければ紛失してしまうものであるように思われます。
>どうしたらこの英語モードを作り上げることが可能でしょうか。
>基本的には、受験英語学習あるいは実用英語学習と称される範疇で行われていることの反対のやり方を多く取り入れることが必要であるように思われます。
昨日考えていたのですが、「受験」が大切だと思っているタイプは「素読」が、「音読」が大切だと思っているタイプは「文法などの解析」が、「実用」が大切
だと思っているタイプは「語彙などの素材」が、とまさに、この方が言われているように、「反対のやり方を多く取り入れること」が結構大切なのではないかと
思いました。
但し、根石さんもおっしゃるように、「一度に意識できることは一つ」と考えて、「音づくり」に集中する時期はそのようにし、「解析」に集中する時期はその
ようにし、「意味」に集中するときはそのようにし、「素読」に集中するときはそのようにする、というのがいいのではないかと思うのですが、いかがでしょう
か。
>たとえば、点数化とか評価の仕方といったようなことから離れたり、辞書を放棄したり、問題を解くというような煩わしいことをやらないようにしたり、訳す
という作業をやめたり、完璧主義を捨てたり、というように。。。
(中略)
>無意識的な英語モードを作るうえでの有効な方法は素読です。見かけは平易ですが奥が深く、発見することも楽しみも多く、学校英語や受験英語で学習してい
ることや、やってきたことがいかに役にたっているかがわかるのではないかと思います。
この「やってきたことがいかに役にたっているか」という視点もとても大切だと改めて感じています。
>自分が今持っている力で、簡単に読める物をどんどん英語だけで読んで楽しんでいくことが大切だと思います。途切れないでストーリーを追っていけるものを
できるだけレベルを上げないで、心地よいペースでリズミカルに黙読で素読していくことです。
このことは確か、柴田さんもおっしゃっていました。
「この黙読で素読」という表現。。。
「(個人が意味を理解した後の)黙読」と読み替えてもよいと思うのですが。。。
今、ふと思いましたが、國広氏らの「意味が分かった後の音読」ということと、関係があるのでしょうか。
>日常頻繁に使われるやさしい単語や表現に、読めば読むほどダイレクトに反応していけるようになるでしょう。毎日毎日継続して楽しみながら素読を続けてい
るうちに、無意識的な英語モードができあがっていくでしょう。
>このモードがきめ細かくでき上がっていくにつれて、自然に英語が出てきたり、聞いてもひとりでにわかっているというような感覚を持つことができるでしょ
う。すなわち無意識下での英語反応ができ上がっていくということになると思います。
>実用的にということは、一人一人の一人一人による状態作りのことであって、学習者の知識レベルに関係無くできることであり、競争を度外視して静かに培っ
ていくものであるように思えます。
この著者は柴田さんと同じようないわゆる進学校の先生です。現実の中で、最高の授業をされて、生徒への愛情というか、サービス精神も旺盛な方ではないかと
十分推測できます。「競争を度外視し」という言い方も、「声は個性、文字も個性、文も個性」という点で「表現面」を「競争から外す観点」も大切でしょう。
矛盾しますが、競争することも大切なようにも思われます。
>いかにして英語嫌いをつくらないか、といった問題の根底には私が今までに述べてきたようなところに問題や切り口があるような気がしています。
「切り口」は「学習者、生徒」にあることと、「音づくり」は、それでもやはり「欠かせない」と私は確信しています。「無意識の英語モード」や「いわゆる実
用英語と呼ばれているもの」は「一人一人の一人一人による状態作り」という表現でどうしてもひとくくりにできないものは確かに存在していると私は考えつづ
けます。
「音づくり」を理解してもらうことよりも、「音づくり」を実践してもらう方法を!
根石さんのお考えが一人でも多くの方に伝わりますように。。。
【9428】
【タイトル】boysome228さん、これからもよろしくお願いします!
【 日時 】04/11/28 6:26
【 発言者 】sb
>(boysome228さん)初期の段階では、確かに音と意味は背反しあうのですが、未来永劫そうかというとそうでもありません。発音に熟達してきて、
音のマージが自然にできるようになれば、意味を考えながらしゃべっても、意識の上での音の切れ目というものが、たとえ音がつながっていても存在しますので
問題なくなります。音がつながっていても、意識の上では切れているという点がポイントですので、この点を心に留めておいて下さい。
そうなんですよね。このことを拙いながら私自身経験しています。つまり、記号と概念の「分裂状態」です。もちろん文章の難易にもよりますが。。。記号に意
識がいく時は、意識は確かにほとんど「記号(音、音声?)」に向いている可能性があります。その時にもちろん全く意味のことを考えないかというとそこはよ
く分かりません。何かいい資料があれば教えていただけるとありがたいです。
記号⇒意味⇒同致(記号+意味)・・・Aパターン
意味⇒記号⇒同致(意味+記号)・・・Bパターン
Aパターン、Bパターン、いずれの経過をたどる人も同致(統合処理=無意識的英語モード)という一つの頂上目指して、やっていると考えるならば、根石さん
とboysome228さんの意見は一致しているということになるのではないでしょうか。
>(根石さん)>「記号処理」と「統合処理」がさらに「統合」(同致)される必要がある。この人のもの言いは、語学論として「並列」しかできていない。論
として「統合」ができていないのです。
この「統合処理」と「統合(同致)」という表現についてです。私が考えるのに、これは、単なる「記号」が、「記号とイメージの一致(=同致)」、さらに、
「記号とより深まったイメージ」(根石さんの著書「英語どんでん返しのやっつけ方」<小学館文庫>の中の表現を借りると)、「イデア(イメージのより純度
の高いものみたいな感じ?)」へと進む過程ということになると思います。つまり、boysome228さんの「音と意味の二律背反」という表現と根石さん
の「同致」については同じことになるのではないかと私は思います。
【9429】
【タイトル】いつも誠実にお答え下さる根石さんに感謝です。
【 日時 】04/11/28 6:43
【 発言者 】sb
根石さんには本当に感謝しています。お酒も田んぼも近所の方との語らいも時間も、あの温泉でのリラックスタイムも、大切にしながら、時間の許す限り、これ
からもよろしくお付合いください。
私が言うのもなんですが、お体を大切にしていただきたいです。根石さんに教えていただきたいことはまだまだたくさんあります。今後ともよろしくお願いしま
す。さて。。。
>「音」が subvocalize されるためには、その前に vocalize されている必要がある。vocalize されてもいないものの
subvocalize は原理的に意味を成さない。
私の父親が新聞を読むときに「おおっ!唇が動いている」と感じたことが何回かあります。これは「subvocalizationだ!」と思ったものです。
vocalizeされていないもの(例えば父親にとっても未知語の漢字の部分は適当に「おん」を当てはめてその部分スキップしているか、その難解な漢字は
vocalizeせず、つまり、subvocalizeできるはずもなく、通りすぎていくものだと思いますがいかがでしょうか。しかし、これは当然母国語
日本語での話しです。
外国語の場合は、根石さんのおっしゃるとおり、
「vocalize されてもいないものの subvocalize は原理的に意味を成さない。」
ということになると思います。
しかし、慣れてくれば母国語を同じようになっていくとは思いますが。。。
【9430】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/11/28 6:48
【 発言者 】sb
>教科書のページをまるごとノートに書き写させる宿題を出し、「音づくり」をやらない先生は、生徒の語学の上達を原理の地平で邪魔しているのである。
これには随分私自身悩んでいました。そのホントの理由もよく分からずに。そして、それを言語化できずにいる自分がいることに。。。
【9431】
【タイトル】とば口を「とがぐち」と理解し、辞書で見つからず難儀してました
【 日時 】04/11/28 6:53
【 発言者 】sb
>subvocalize
された音さえ使わない、使ってもごく薄い影のようにしか動かないという読み方はある。いわゆる速読である。しかし、これがやれる人は、
vocalization も subvocalization も経ており、読ませればまともに音読ができる人である。
>ときどき、subvocalize
せずに英文の数行を読んでいることに気付くことがあるが、その時にも概念とともにリズムだけは動いている。英文のリズムが複数の語から成る意味をもたらし
ているように感じる。そして、そのリズムは音読やリスニングから得られたものであって、いきなり最初から「声を出さないリーディング」などやって得られる
ものではない。
日本語にはリズムという言葉があまり馴染まないと私は勝手に考えてしまっていました。
>音読やリスニングが先だつべきだろう。subvocalization
による読みに習熟してから、いわゆる「速読」が可能になるだろう。その時にようやく「声を出さないリーディング」の実質が備わるだろう。
subvocalization さえもごく薄いものとなり、あるいは subvocalization
自体がなくなり、英文のリズムと概念(意味)の運動だけの読みが成立するだろう。私はそのとばくちにいる。リズムと概念(意味)が直結された一切の
subvocalization
なしの読みはまだ英文ではできていない。日本語のやさしい読み物でならちょくちょく食堂でラーメンを食べながらでもやっているが・・・。
>「声に出さないリーディング」が私がラーメンを食べながら、日本語でやっているようなことを言っているのであれば、よほどの経験の厚みを必要として成立
するものを、最初にやれというのだから、妄説もいいかげんにしろ、である。言っていることが馬鹿であり、理屈のための理屈に過ぎない。その点については訂
正の必要を認めない。
まったく同感です。
【9432】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/11/28 6:57
【 発言者 】sb
>。。。この人が「声を出さないリーディング」と言っているものの実質がはっきりしない。subvocalize
することさえないリーディングというものは想定できないわけではない。文字(綴り)と概念や意味を直結し、音(vocalize されるものも
subvocalize
されるものも)を一切排除したリーディングというものは想定できる。ちょうど、読めない漢字の熟語を見て、意味だけはわかっているので読み続ける場合と同
じことになるだろう。
>この人はそれを言っているのか。
たぶんそのことだと思います。日本語を母国語とする人が漢字などのを読む際に処理している仕方のことを言っておられるのだと思います。「英会話の真理に目
覚める…」についてはコメントはよろしければ、もう結構です。根石さんがお考えのところをいろいろ教えていただきたいと思います。
【9433】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/11/28 7:04
【 発言者 】sb
>思いというものは閉じているものなのである。だから、イメージというものも閉じている。
閉じているもの(自分が考えること)
と
閉じているもの(単語が持つイメージ)
が出会う、ことばと対峙することは、人と対峙することと似ていますか。(sbのQ)
このことは昨日考えていました。人間は皮膚によって「閉じている」。その「閉じている」もの同士が「ことば」を使う。理解し合う。その時「こころ」は「通
じている」かもしくは、「通じていない」。よく、「こころを開いて」とか聞かれるが、そして、「閉じる」のはよくないともよく聞くが、人間が皮膚で「閉
じ」ているのは、会社が外から見れば「閉じ」ているように見えるのと同じことで、だから「ことば」が必要で、「ことば」は開いていることが大事で、「こと
ば」は人間の「概念」がもとになるのだから、自然で、しかし同じに「人工物」で、以前に根石さんが長野で教えてくださった「sbさん、あそこは田んぼです
が、自然ですか。人工物だよね。」などということばを今思い出している。とりとめのない文章ですみません。
【9435】
【タイトル】過去ログ読みのマスターベーションはできない
【 日時 】04/11/29 2:47
【 発言者 】根石吉久
過去ログを自分で読んで、コメントすることはしたいが、それに keyword をつけて次々に同じ keyword を辿ることでそれぞれの
keyword の真の概念を知ってもらうことのできるホームページができたらいいと思って、Sumie さんに無理なお願いをしている。
過去ログ自体の
keyword付けは、やはり自分ではできない。それをやろうとしても、そのための時間がまるでみつけられない。英語だけやってればしあわせみたいなフ
リークとは違って、このところずっと薪割りをやっている。それが片づいたら、またコンクリートをいじる。この季節、コンクリートを練るのはつらいものがあ
るが、やらないとならない。
コンクリートを練るのがつらいのは、水を使うだ。作業の途中で、どうしてもズボンが濡れたりして、冬の初めにはつらい。真冬はもっとつらいが、真冬にな
ると善光寺盆地では打ったコンクリートそのものが凍るので、コンクリートをいじるのは馬鹿である。
えーと、何を言おうとしていたのだっけ。
過去ログを自分で料理するのはやっていられない。時間がない。それを言おうとしていたのだった。Sumie
さんが、過去ログは順番通りでなく、自分で記事の重要性を決めて、keyword付けなどして、勝手に新しいホームページを膨らませてもいいですかと、先
日のレッスンの後で言われたので、私は是非お願いしたいと言った。それこそが、私が私以外の人にやってもらいたいことなのだったので、渡りに舟っていうの
はこのことだと思ったのだった。
地元の弟子筋は駄目ですな。動かない。本当は、奈良の Sumie
さんにお願いする筋のものじゃない。地元の弟子筋が動いて当然のものだと思う。しかし、動かない。地元の一流だとされている高校を卒業した連中というもの
は、働かない。なんでだろうと思う。なんであの程度の4流高校を卒業したやつらは働かないのだろう。
そんなことも実はどうでもいい。俺は語学論を新しく絶えず書いて行きたいのだが、かつて書いた語学論を wording
として使えない。思考の根は変わらないが、wording
が使えれば、それを基盤として新しい考えにつっこんんでいけると思うのだが、地元の弟子筋は何を考えているのだか、そのあたりを汲む能力に欠けている。単
に俺の教材とか俺の方法を使いたいということだろうが、それだって、俺が絶えず語学論の新しい地平につっこんでいってできたものだ。既存のできたものさえ
使っていればいいのか。それじゃ、あんたらの存在そのものが「かさぶた」みたいなもんじゃないのか。
まあいいや。肝心なものは渡さないと決めればいいことだ。
なんなら、墓場に一緒に埋めてもらえばいいことだ。肝心なものなんざ。
俺が死んだ後、日本の英語がどんなものになろうが知ったことか。
だけど、働かないやつらは駄目だな。
俺の娘も含めて。
【9436】
【タイトル】京都教育大学助教授西本有逸
【 日時 】04/11/29 3:14
【 発言者 】根石吉久
すでにかなりな酔っ払いです。
私の語学論は当初から、アルコールが混ざっていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
どうもこの西本って野郎が駄目だなあと何度も思っています。
最初に種明かしをしてしまいますが、日本中、西本だらけなのです。そりゃ、名字は各自いろいろでしょうが、いろいろの名字の英語の先生たちは、みんな
「西本」なのです。西本だらけの馬鹿ニッポンが皆さん見えないですか。みんなこの程度の理屈にだまくらかされるエイゴキョウユなのです。世も末だというの
は、学校の先生を見ていると、実に自然な思いとして、私の中に思いが生じます。
さて、やりますか。
「語彙の学習」に関する問題点として、「英語−日本語の一対一対応の丸暗記」では駄目だと西本さんは言い、それに対する対処法として「多読やゲーム」を
提示した。いいかい? 語彙の学習で「一対一」の丸暗記をする精神の姿勢を持っている生徒が、「多読」をやって、あるいはクロスワードパズルをやって、さ
て何がそこに生じるのか。西本さん、現場を離れてものをいったら、大学人としても駄目なんだよ。
ええかね? 日本語のクロスワードパズルをやってみなさい。推測して、これだっ、というイメージがあって、一瞬、カチアウことで、ある日本語の単語が浮
かぶでしょうが。そのときに暫定的に鉛筆でその単語を書き込むでしょうが。
そのことは英語のクロスワードパズルでだって同じなんだってことが、大学の助教授なんかっていう、そこそこ銭になる地位地位パッパの人にはわからんか
ね。
つまり、「イメージ → 具体的な単語」っていうのが生じうる人にならクロスワードパズルは面白いが、「具体的な単語 → イメージ」という過程をやら
なければならない(語学として一言語をやらなければならない)人にとっては、「イメージ → 具体的な単語」なんか成立しない。成立するかしないか以前に
苦痛でしかない。
俺が嘘を言っていると思うなら、西本ちゃんよ、助教授よ、現場でおめえさんの理屈通りにやってみろよ。そこらの高校に「私の理論を実践してみたいから、
授業時間をいくつか貸してくれないか」と言えば、言うことを聞く校長なんざいるでしょ?
やってみなよ。
おめえがただ気楽な太平楽しか言っていないことがそれでわかるはずだからよ。
sbさん
今日も書きたいことがあって、書き始めたのでしたが、本論に入る前に疲れてしまいました。明日以降にいたします。
書きたいことは、西本がお題目だけ唱えているということです。
これは、文部省がやってきたことを、多少学問的色づけをして繰り返しているということです。
西本よ。
世の中には、ちゃんと文章を読む人間がいるのだ。
なめるんじゃねえ。
【9439】
【タイトル】sbさん、boysomeちゃん
【 日時 】04/11/30 1:24
【 発言者 】根石吉久
>(boysome228さん)初期の段階では、確かに音と意味は背反しあうのですが、未来永劫そうかというとそうでもありません。発音に熟達してきて、
音のマージが自然にできるようになれば、意味を考えながらしゃべっても、意識の上での音の切れ目というものが、たとえ音がつながっていても存在しますので
問題なくなります。音がつながっていても、意識の上では切れているという点がポイントですので、この点を心に留めておいて下さい。
あのう、初期の段階に限らず、音と意味は背反しあうのです。それは初級・中級・上級の級の問題ではなく、英語に囲まれて生きているのか、日本語に囲まれ
て生きているのかの問題です。日本語に囲まれて生きている限り、音と意味は背反しあう。背反しあうという言い方が「科学的」に聞こえるなら、言い直して、
そもそも外国語は、音と意味がばらばらであり、それぞれ別々のものであり、それを絶えず一致(同致・同時化)させるのが語学という動きやまない行為なのだ
ということです。
嘘だと思うなら、boysomeさん程度の上級者でいいから、5年ほどいっさい日本語だけで生きてみるがいい。英語なんぞぼろぼろになっている。まあ、
仕事で英語が必要なら、それをやるためには退職の必要があるので、俺はその点においては何の責任も負う気はないが、想像力があるのであれば、想像してみて
もらうのでもいい。5年やめてみなさいよ。ぼろぼろだ。俺は、英語塾をやりながら、釣りばっかりやっていた5年というものがあって、ああ、ぼろぼろになっ
ていくなあというのを、鯉が餌を銜えるのを伝える竿先を見ながら思っていたのだったなあ、昔。
で、ぼろぼろになってから、また英語に戻ってみなさい。
「音」と「意味」は結びつかないから。
「音」を意識すれば、「意味」がすっとぶし、「意味」を思えば、「音」がすっとぶ。
どっちかしかできなくなる。
5年で大丈夫。やってみなさいよ。
言っておくが、俺は意地悪だよ、フリークには。
あんたがやれっこないとわかっていて、こういうことを言うのだからね、俺は。
>意識の上での音の切れ目というものが、たとえ音がつながっていても存在します
そんなこた当たり前だ。
俺は、「音と意味の二律背反」という言葉でそんな程度のことを言っているのではない。boysome ちゃんからは、wording
だけいただいて、俺は俺の定義を与えて、この言葉を今後使わせていただく。boysome ちゃん、感謝!
「音と意味の二律背反」に関しては、どこかで書いた覚えがあるので、探して引用してみます。多分、 midnight press に書いたんだ。
【9440】
【タイトル】midnight press に書いた記事から一部引用
【 日時 】04/11/30 1:33
【 発言者 】根石吉久
死んでいる言語の一番わかりやすい例は、英語を習い始めたばかりの中学1年生が、「習う learn 習う
learn」などとぶつぶつと唱えて自分に言い聞かせるような場面にみつかる。これは、一見、対応する日本語と英語を単に並列させているように見えるが、
実は「音」と「意味」を一体化させようとしているのである。「習う」という日本語から意味を取りだし、「learn
」という「意味のない音」に意味を込めようとしているのである。「音」と「意味」が別々のものとして分離しているから、それらを一体化させようとして呪文
のようなぶつぶつを唱えるのである。
「意味」と「音」の分離、あるいは、「音」だけがあり「意味」がそれに伴わないことは、語学の対象としての言語が死んでいることの証拠の一つである。生
きて動いている言語において、「音」と「意味」がばらばらであるなどということはない。
言語として死んでいるから、それを生き返らせようとして中学一年生は呪文を唱えるのである。この呪術がうまくいき、「音」と「意味」が合体し、「
learn 」という音に対して、「習う」という日本語の訳語を必要とせずに、「意味そのもの= learn
という語のイメージの核」がただちに生じるようになれば、learn
という語は生き返ったのだと考えていいだろう。そこに至る呪術の途中では、語学の机上において、ミイラが踊りを踊っているだけなのである。
こんなことは、生活言語では起こらない。いや、「音」というものひとつだけとりあげても、生活言語には「声」はあるが、「音」というものはないのだと
言ったほうがいい。誰も皆、生活では「声」を聞いているのであり、「音」などを聞いているわけではない。例えば、言葉を覚え始めた幼児に母親が話しかけて
いるとき、幼児が聞いているのは、「音」ではなく「声」である。
【9441】
【タイトル】さて、「西本」だ
【 日時 】04/11/30 1:50
【 発言者 】根石吉久
昨日だったかも書いたが、日本中「西本」だらけなので、西本有逸さんにまたご登場願うことにする。京都教育大学なんて知らなかったが、そこの西本さんは
もちろん「西本」さんだが、広島大学の助教授だか教授だか助手だか知らない柳瀬なんとかも「西本」だった。今はどうしているかな。あの腰抜け。
なんで英語まわりは腰抜けばかりなんだ。おお、足腰がしっかりしてるぞと思った柴田さんさえ、俺を敬遠して遠回りにこの掲示板を覗いているんだわ、きっ
と。知ったこっちゃねえ、各自勝手にやれ。
俺は滅ぼすだけだ。俺が仲立ちしたにしろ、柳瀬程度の者とくっついたら、柴田さん、だいなしだよ。人だましはよくない。俺は滅ぼすね。柳瀬が、国立大学
で今後、教授だか助教授だか助手だかしらねえが、そういうものをやっていくとして、それをどれだけ長くやっていけるにせよ、俺はその意味を滅ぼすね。くだ
らねえんだよ柳瀬。
何がチョムスキーか。チョムスキーの「文法」はともかく、「普遍」がおめえにわかっているのか。わかっていないと俺はわかっている。なんで、チョムス
キーは政治的な発言をずっと続けているのか、おめえはわかっているのか。わかっていねえと俺はわかっている。ツインタワービルが美しく崩れ落ちたとき、人
は死んだわね。しかし、チョムスキーは言った。この程度のことは世界中で数え切れないほど起こってきた、と。
しかも、それを起こしたのは、その元凶はアメリカだ、と。
いいか、柳瀬。そのように発言できて初めて、「普遍」という言葉を使え。
10年早い。10年で足りればの話だが。
まあ、達者で暮らせ。
大学のセンコウなんぞ、馬鹿ばっかしと言ったら語弊があるが、大学のセンコウやってる人たちさ、馬鹿ばっかしは「普遍的」だと、一度くらい退職覚悟で
言ってみろよ。
制度の家畜のくせに、言葉づらだけ立派そうなことをやっていりゃ、銭になる。
腐れだ。
【9442】
【タイトル】西本
【 日時 】04/11/30 2:26
【 発言者 】根石吉久
西本が「STEP英語情報」に書いた記事を読んで、もういきなり最初から駄目だこりゃ、なんだが、こいつも「音読賛成派」なんだわね。いやだね、この程
度の理屈しか言えないやつが「音読賛成派」なんだから。おめえなんぞ、トップダウンをやってろ。理屈の声の調子がトップダウンじゃねえか。あほ。
西本は書いた。
・教師がモデルとして発音しないので、学習者が声に出して正しい発音ができない。
教師がモデルとして発音しないのは、大学の「教科教育法」を受け持っているあんたみたいな者のせいだというのはすでに書いたので、繰り返さない。皆さん
に、西本の文章を繰り返して見て欲しいのだ。
・教師がモデルとして発音しないので、学習者が声に出して正しい発音ができない。
西本はそう書いた。駄目でしょ、これじゃ。
これが駄目だというのは、柴田武史さんがこの掲示板に昔書いてくれた記事で言い尽くされている。「先生、あんた一人が上手でどうする? 生徒を上手にし
てみろよ」である。
「西本」たち(英語教科教育法担当腐れ大学人)が、「(現場に立つ予定の)教師の卵がモデルとして発音」できるようにできるとは俺は毛頭思っていない。
駄目なんだよね、「西本」達じゃ。
あんたらの世話になってもならなくても、教師がアメリカ帰りで、モデルとしてちゃんと発音ができて、教室で発音したとするわいな。そうすりゃ、「生徒が
声に出して正しい発音」ができるってのかいな、ええ? 西本よ。
モデルとして「正しい発音」をすれば、「生徒が声に出して正しい発音」ができるってのか。そんな理屈で済むのなら、AET導入ですでに解決しているはず
じゃねえのかよ。AETが来て、日本人の生徒の発音がどれだけ変わったってんだ?
税金の無駄使いをやっただけで、日本人の生徒の発音は変わってないぜ。
おめえのすっとばし理論でいいなら、AETは役に立つはずだ。大学人なんざ、世の中のためになって初めて大学人だろうが。おめえの理屈でAETを役に立
ててみろよ。ああ? やってみろよ。
本屋に行けば、1500円程度でCD付きの英語本が買える。
おめえの理屈が本当なら、日本中のCD付きの英語本が生き返る。
おめえの理屈が駄目だから、日本中のCD付きの英語本がびっしりと死んでいる。
理屈を言うのであれば、おめえ、責任とるつもりがあるのか。
ええ、おい? 俺と会ってみるか?
「音づくり」という観点が抜けてるのが、おめえさんがとことん駄目なところだ。
本命は「あいうえおフォニックス」だ。
それが、馬鹿どもには今も見えない。
「磁場論」はもっとさらに単純なことを言っているので、馬鹿どもにはなおさら見えない。
【9443】
【タイトル】創る
【 日時 】04/11/30 7:39
【 発言者 】sb
暴走族が走る。それは、みんなが秩序だってるからできるのだ、という話しを聞いた。このことはいろんな意味を含んでいる。私なりにいろいろと考えてみた。
sbは族にはなれない。根石さんは族タイプだろうか。そうではないのだろうか。私にはどちらともとれる。タカ派かハト派かは、この際、問題にもならない。
発展を想う気持ちが大切なのかもしれない。
対象や自分も含めた学習者。その全てに対してどうするのがいいと考えるのか。その気持ちを常に表現していくことが大事だと思う。一方、大切に想う人(養わ
なければならない人など)がいればいるほど、人が過激になれない面もあると思う。
柴田さんの勇気はすごいと私は思う。私は柴田さんにはいろいろとお世話になった。まだ私はなにも返せていない。でも柴田さんはたぶん「来るもの拒まず、去
る者追わず?」の発想をお持ちなのだと思う。練習量は尋常ではない。生徒さん立ちを想う気持ちは並ではない。授業の組み立てに執念を感じた。エネルギーが
すごい。妻子がありながら、ここまで出来る人はあまりいないと思う。
音声と文字。表現した途端、自分には選択と責任がそれなりに生じる。「認知の歪み」も、誰でも多かれ少なかれ生じる。でも表現していくことは人間にとって
とても大切なことだと思う。ハト派かタカ派はこの際、問題にもならない。みんな、自由人なのだ。つまり、optionをその時その時選んでいるに過ぎな
い。もちろん責任は生じる。しかし、職人気質が含まれない仕事は本来ないはず。暴走族に社会的意義はあるのだろうか。いや、ないのだろうか。この掲示板の
果たす役割はなんなのだろうか。前に進むことが大切なのだろうか。足踏みすることが大切なのだろうか。
【9444】
【タイトル】どの仕事も
【 日時 】04/11/30 8:40
【 発言者 】Jackie
>柴田さんの勇気はすごいと私は思う。私は柴田さんにはいろいろとお世話になった。まだ私はなにも返せていない。でも柴田さんはたぶん「来るもの拒まず、
去る者追わず?」の発想をお持ちなのだと思う。
柴田さんの勇気とは 学校英語の教育の流れのなかで、
異端ともいえる音読と音作り中心の授業をしてらっしゃることですよね?
>練習量は尋常ではない。生徒さん立ちを想う気持ちは並ではない。授業の組み立てに執念を感じた。エネルギーがすごい。妻子がありながら、ここまで出来る
人はあまりいないと思う。
すごいと思います。しかしSBさんご自身がおっしゃっているように
>職人気質が含まれない仕事は本来ないはず。です。
−妻子がありながらここまで出来る人はあまりいないー どの仕事でも手はぬけないはず。
寿司屋が不味い寿司をだしたらそれでおわりです。旨い寿司をていきょうしなれば。
妻子が病気だからといって、大工が傾いた家をたてるわけにはいきません。
妻子がいてもいなくても そこまでやるのが本来です。
英語の教師は 自分の英語力と生徒の英語力をつけなければなりません。
学校の教師はそこに進路指導生活指導なども加わってきますが それをふくめてのおまんま代です。 妻子がいるからといって 手をぬくわけにはいかんぜよ。
ま、私自身自分の英語力をつけることを怠りがちのこのごろ 精気をかいて手を抜きがちなので
またもや「切腹」です。
それから 根石さんは暴走族ではないですよね?
ぼうそうしてるのは 現代の学校教育と ゆとりきょういくで へたれの教科書を作っている
文部科学省のほう。
【9445】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/11/30 8:51
【 発言者 】Jackie
sbさんの投稿いつも拝読しております。
受験英語学習VS実用英語学習にとらわれない英語教育を
sbさんが実行に移す時ではないかと。
受験英語と実用英語はダイコトミー(出た!大学教授のカタカナ好き!つまりは対立ということでOKですか)するものではなく、 ベースは同じ。口と手をつ
かっての音づくりと基本文法、構文の内在化。
sbさんの理論や考え方を実践しなければもったいないです。
さまざまな壁もでてくることでしょうが
掲示板上で 皆で対策も考えることができますし。
【9446】
【タイトル】何からでも学べる
【 日時 】04/12/01 1:37
【 発言者 】boysome228
>音声と文字。表現した途端、自分には選択と責任がそれなりに生じる。「認知の歪み」も、誰でも多かれ少なかれ生じる。でも表現していくことは人間
にとってとても大切なことだと思う。ハト派かタカ派はこの際、問題にもならない。みんな、自由人なのだ。つまり、optionをその時その時選んでいるに
過ぎない。もちろん責任は生じる。しかし、職人気質が含まれない仕事は本来ないはず。暴走族に社会的意義はあるのだろうか。いや、ないのだろうか。この掲
示板の果たす役割はなんなのだろうか。前に進むことが大切なのだろうか。足踏みすることが大切なのだろうか。
人はその気になれば何からでも学べます。ここに限らず、掲示板の投稿にはそこまで言いますかと言いたくなる程過激な物言いがあります。しかし、そこに自
分にとっての真実を発見できればそれはそれで役に立つ。むしろ怖いのは固定観念に囚われて、広い心を失う事です。何から・誰からでも学ぶ謙虚さを失っては
なりません。個々の人間は本来ちっぽけな存在です。人類数万年の歴史の一瞬を生きて、先人の偉大な業績の上に乗っかってほんの小さな貢献ができれば幸せと
いうものです。
PS:先日ご紹介いただいた田中茂範氏の本、大変参考になりました。
【9447】
【タイトル】ありがとうございます
【 日時 】04/12/01 7:59
【 発言者 】sb
>むしろ怖いのは固定観念に囚われて、広い心を失う事です。何から・誰からでも学ぶ謙虚さを失ってはなりません。個々の人間は本来ちっぽけな存在です。人
類数万年の歴史の一瞬を生きて、先人の偉大な業績の上に乗っかってほんの小さな貢献ができれば幸せというものです。
暴走しそうな私を止めてくださるのはいつもboysome228さんです。感謝しています。今後ともよろしくお願いします。
【9448】
【タイトル】boysome228
【 日時 】04/12/01 12:10
【 発言者 】Naima
>ここに限らず、掲示板の投稿にはそこまで言いますかと言いたくなる程過激な物言いがあります。
ほんとですね。 でも、ぬるい所で妥協していては議論にならない現実もあります。 自分の確信する所に従って火花散らす議論をする事も大切だろうと思いま
す。 塾長は、こと英語指導に関しては非常に謙虚で真摯な人でありますが、ウソ臭い謙虚さとは無縁の人であります。
確かに「何からでも学べる」と思います。 思いはしますが、何が一番効果的なのかを考える必要があります。 特に今の英語教育界や英会話業界の現状を見て
いると、その感がますます強くなります。 10年近くも英会話学校に通い、ベテランのネイティブ・スピーカーについて週に数回のレッスンを受講して来てい
ながら、far なのか four なのか、はたまたfir
なのか、区別のつかない発音で、たどたどとしか会話出来ない生徒をいっぱい見て来ました。 映画を見る? ペーパーバックをどんどん読む? 「生」の英語
にどんどん接する? 留学する? どれもこれもそれなりの効果はあります。 おっしゃる通り、何からでも学べます。「やったらやっただけの」効果はありま
す。 時間とお金があって、英語を趣味でやってる人はそれでもいいと思います。 英語を学ぶ目的も人それぞれです。 やったらやっただけの成果を得られは
しますが、「やっただけの成果しか得られない」と言う事も考えて見る必要があります。
ここは英会話の百貨店でも、英会話の座談会の場でもないのです。 反英語フリークを標榜するがちがちの語学論BBSであり、そのガチガチの語学論を突き崩
すくらいの鋭い突っ込みを歓迎する気概をもったBBSでもあろうと思っていますが、どうでしょうか?
強硬な英語論をぶち上げるからと言って、人格云々とは無関係です。 これが多くの英語学習者が有り難がる「ディベート」の真髄ではないかと思いますが、ど
うでしょう?
【9450】
【タイトル】ディベート
【 日時 】04/12/01 22:27
【 発言者 】boysome228
>ここは英会話の百貨店でも、英会話の座談会の場でもないのです。 反英語フリークを標榜するがちがちの語学論BBSであり、そのガチガチの語学論
を突き崩すくらいの鋭い突っ込みを歓迎する気概をもったBBSでもあろうと思っていますが、どうでしょうか?
強硬な英語論をぶち上げるからと言って、人格云々とは無関係です。 これが多くの英語学習者が有り難がる「ディベート」の真髄ではないかと思いますが、ど
うでしょう?
鋭いディベートは大いに結構です。しかし、発言内容そのものへの突っ込みは当然ですが、その人個人や人格への攻撃はルール違反ではないですか?
ここはなかなか内容のある掲示板ですが、いささか長野県根石村になってしまっているのではないでしょうか?ここを訪れる旅人は、異説を唱えると村八分に
あって、無事生きて帰れるか否か我が身が心配になります。と言う事は、オープンな掲示板を標榜してはいるが、異なる意見を持つ人達を知らず知らずの内に遠
ざける結果となってしまっているのではないかと危惧されます。
【9452】
【タイトル】長野県根石村
【 日時 】04/12/02 7:07
【 発言者 】sb
長野県根石村は立派な村です。きれいな村です。ゴミ一つ落ちていないという意味ではありません。入村しやすい所です。生活感がただよっている所です。同時
に自然がいっぱいです。そして、入村する人たちは根石村になんらかの価値を見出した立派な方たちです。
あとは、根石村にもっとたくさんの人達が入ってきてくれるように、みんなで考えていくことも必要かもしれません。ガンジーの精神が必要なのかもしれませ
ん。ルールは集まった人達で決めればいいことだと思います。
自由人でない人は本来いない。職人でない仕事もない。複数以上の人が集まればルールがいるが、各ルールはその中で決めていけばよい。
皆さんが、もっとグループを大きくしたければ、それに見合った自分たちのルールがいるのかもしれない。でも小さなグループでもそれなりに楽しい。ところ
が、楽しい楽しいといっていて喜んでいる人達の掲示板ではないような気もする。
志しある人達のグループだからこそ、根石村は根石町に、そして根石市になることが必要だとsbは思います。
【9454】
【タイトル】boysome228さん
【 日時 】04/12/02 16:49
【 発言者 】Jackie
>異説を唱えると村八分にあって、無事生きて帰れるか否か我が身が心配になります。と言う事は、オープンな掲示板を標榜してはいるが、異なる意見を持つ人
達を知らず知らずの内に遠ざける結果となってしまっているのではないかと危惧されます。
異説をとなえると村八分にされる?
えー そうですか?この掲示板は自由闊達に意見交換が行われてるとおもいますよ。
少々言葉は荒いですが、本質はまさに「自由」。徹底的に意見を戦わすことができると私は思いますが。
ただ
※本人が討論するほど「語学論」を持たないとき、
※または自分の意見に自信がなかったり
※ただ単に面倒な場合、
※語学論に飽きた、もうすでに実践中だからここで話すことはない。
※単に忙しい
※時に喧嘩言葉もまじるので 恐い。
これらの理由などで、書くのを辞めてしまうのではないでしょうか?
もったいないです。多くの人の意見を伺いたいですね。
私にとっては 言葉あたりはやわらかいけれど異論や異説、キビシイ意見などに対して、
オブラートの誉め殺しで異説を消しにかかるところのほうがよっぽど恐いです。
【9456】
【タイトル】復帰
【 日時 】04/12/03 17:18
【 発言者 】Jackie
ここにはかいていなかったのですが、
実は仕事をいったん休業していました。
体の調子をくずしていたので療養が必要でした。
だいたいの生徒も外人講師に手放してもいいころだったので旅だつようにして
家業の雑貨屋を少し手伝い 英語は実質休業していました。
英語をやめることも考えました。体も心も疲れていました。
幸いにして体の調子もよくなってきたので
本業に復活しようとしています。
いままでは高校生以上社会人を相手にしてきました。
受験とはかかわりのない仕事をしてきました。
しかしこれからは中学生も教えていこうかとおもっています。
今自分の教え方を振り返っています。
生徒の数がのびず自転車操業状態だったのには理由があるはず。
もっと「伸びてる」という成果を感じられる授業を。
テストの点なり受験を通しての「見える結果」をだす授業を。
「よそとくらべて納得して決めてください」といわずにその場で入会きめてもらう営業トークも
ものにしなければならないでしょう。
労力に見合った月謝を払ってもらえるような授業をしたい。
下手な外国人教師よりは授業研究をしているはずだが 同じだけのレッスン料を言うと
「高い」とくる。
外国人というネームバリューに負けないくらいのうむもゆわせぬ実力を身につけなければ。
来年の春の復帰をめざします。
【9466】
【タイトル】村田君
【 日時 】04/12/04 23:51
【 発言者 】根石吉久
なんか俺が SAIT さんが無料会議電話の話をして IP 電話開設を急がせてしまったようで、申しわけないような気がしていますが、俺の方も今日
SAIT さんが主体を務めて下さった無料会議電話に参加して、IP 電話に切り替える潮時かなと思っているところです。
これまで ISDN
から抜けられなかったのは、俺が二階で「電話でレッスン」をしているときに、女房がやっている地元相手の塾(素読舎)へ塾生から休みの連絡などが入るか
ら、実質的に電話回線として使えるものを二つ確保しておかなければならなかったからでした。しかし、女房の携帯の電話番号を塾生に教えておけば、ADSL
を導入して、電話を IP 電話にしてしまうことができるじゃないかとキリピーに言われ、そうかそういう手があるなと思ったのでした。
俺が IP 電話に切り替えた場合のメリットというものを考え始めています。
無料会議電話というものが、日本に上陸するものかどうかわからないのですが、まあ時間の問題だとも思っています。アメリカに電話して無料会議電話を使っ
てみて、俺は NTT に腹が立ちました。
俺はもうフリークは相手にせんからとはっきりと言っているのに、俺のこの掲示板にのこのこ出てきて、「長野県根石村」などとアホなことを言っているお人
がいますが、NTT の体質こそは日本の「村」の体質が作った滅びるべきものの典型でしょう。アメリカにすでに無料会議電話があるというのに、NTT
のクリアカンファランスとやらは、通話料金の他に会議に参加する人全員に1分25円も課金するのですから、どうしようもないお代官根性です。日本の村の体
質が作ったもので滅びてはならないものはさっさと滅び(俺が生まれて育った村では自殺者がこの数年で何人も出ています)、NTT
のような滅びなくてはならないものがのうのうと生き残っている。
NTT
に対抗する電話会社が協力しあって、日本にも一つ無料会議電話を作るべきだというのが、アメリカ経由で俺と塾生の方々3人と同時に話したりしてみての今日
の感想でした。これは電話での通話を促進するのに有効だと思いますが、その場合でも NTT
に基本料という金が流れ込むのが腹が立ちます。こういう金が、小泉みたいなやくざものを首相に据え続けるような日本の体質になっている。
これほど NTT が嫌いなのに、俺が IP 電話を使うときは、OCN
を選ぶだろうと思うと気持ちが逆噴射に似た動きをします。回りの話を聞く限りでは、ヤフーBB
なんかは回線の品質が不安定で、仕事には使えそうもない。「電話でレッスン」をやっているときに、勝手に回線が切れたりしたんでは仕事にならない。俺の生
徒さんの IP 電話では、KDDI だかの系列の ディオン(DION と書くのですかね?)とやらもよく切れます。
山形の I村さんの OCN が、SAIT さんのマンション型の IP
電話(光通信)などを除外すると最も安定しているので、現在の俺の逆噴射判断があります。
俺が IP
電話を導入した場合、すぐに思いつくのが、女房、村田君、いくこを相手にした会議式のレッスンです。俺が地元相手の塾から手をひいて以後、英語の音に関し
ていくつか新しくわかったことがあるのですが、女房、村田君、いくこがみんな IP 電話を使ってくれて、俺が IP
電話を導入すれば、月々各自4千円程度でレッスンが可能になり、ここ数年の間に俺がみつけたものを伝えることができます。俺の娘にも参加してもらいたいと
俺は思っています。もはや、無料で伝えることは素読舎内部においてもやりたくはありません。
【9469】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】04/12/05 0:13
【 発言者 】根石吉久
そうですか。休業なさっていたんですか。Jackie
さんのような真摯な方が休業しなければならないということを思うと、日本という「村」、その村の中の「村」である学校(大学をもちろん含む)の犯罪という
ものを思わないわけにはいきません。
そういう「村」の住人が俺なんぞに対して「穏健なもの言い」を求めることに対しては、命あるかぎり、ぶちまかしひっくり返してやろうと思っております。
まったく Jackie さんの言う通りだと思ったのでした。
「暴走」しているのは、現在の公教育機関としての学校です。そのもっとも見やすい教科が英語科です。しょせん、文部馬鹿省のいいなりをやっている学校の
いいなりをやっている教員の言うことですから、気にしても無駄です。ほったらかそうと思っておりますが、しかし、それにしても「生徒」のくせに言うことが
でかい。この掲示板の意味などがいまだにわからないようなら、この掲示板に出入りしなければよかろうがと思ったのでした。返事をする気にもなりません。
>英語をやめることも考えました。体も心も疲れていました。
俺もしょっちゅうそのことを考えます。
>いままでは高校生以上社会人を相手にしてきました。
受験とはかかわりのない仕事をしてきました。
しかしこれからは中学生も教えていこうかとおもっています。
やってみるとおわかりになると思いますが、このラインもきついです。
そういう枠組みで考えない方がいいように思います。
「音」を中心に据えるか据えないかという枠組みの方がはるかに重要だと思います。
「音」を中心に据えた上で、長崎などのパターンプラクティスを実践される方が、実質的だと思っています。
俺(私)の生徒には、小学生・中学生・高校生もいますが、すべて親が「音」を中心に据えたレッスンを望んで、私のレッスンを選んでくれた場合の生徒で
す。
制度が幻想させたがっている枠組みは、微分してしまうべきだと思います。
無料会議電話で私が仕事を始めた場合は、ID をお教えしますので、参観してみて下さることをお願いします。
【9472】
【タイトル】Jackie さんの記事への注釈
【 日時 】04/12/05 0:32
【 発言者 】根石吉久
>※本人が討論するほど「語学論」を持たないとき、
人に英語を教えるようなやくざな商売をしているのであれば、学校の教師、塾の講師、英会話学校教師を問わず、「語学論」を持たなければ駄目だと思いま
す。そうでなければ、アメリカ発の睥睨から逃れられないのです。この点に関して、もっとも微細で微妙な感覚をお持ちの方は、私の知る限りでは柴田武史さん
です。sbさんなどは、穴だらけです。自分が論理として相対することができず、暴走する論理でどれほど俺の手間をわずらわせたかも心得ないまま、この掲示
板の「意味」などを問うたりしたのですから、私は今後さらに『暴走』したいものだと思いました。二重かぎ括弧の暴走です。ああ、暴走も裸が気持ちいい。
※または自分の意見に自信がなかったり
まあ、この掲示板は、玄人さん、あるいは半玄人さんのためのものになっていますから、自信のない方は、私が今後、無料電話会議を開催することがあった
ら、参観なさることをお奨めしたいです。私は確信を深めつつありますが、「論理」だけがすべてを貫くのです。あっちを見たり、こっちを見たりの人たち、つ
まり、しろうとなのに学校の先生をやらなければならない人たちが持っていないものこそ「論理」です。食うに困らんからということで免許などとってしまった
人たちこそ、今後は悲惨だと思います。
※ただ単に面倒な場合、
こりゃ、しょうがねえや。俺もよくそういう状態になります。
※語学論に飽きた、もうすでに実践中だからここで話すことはない。
冗談じゃねえと思います。日本に「語学論」はまだまともには立ち上がっていません。
※単に忙しい
これもしょうがねえが、村田君がしっかりしていてくれれば、過去ログでみんな読めます。俺も忙しいときは、掲示板なんかやってられるか、アホクセ、とい
う気持ちになり、その気持ちに従順に生きております。
※時に喧嘩言葉もまじるので 恐い。
俺が恐い人間かどうかは、私の生徒さんに聞いてもらえばわかります。
私は厳しいだけです。
酒も飲まずに酔っ払う人は、今後なるべく相手にしないでいたいと思った日でした。
【9474】
【タイトル】boysome ちゃん
【 日時 】04/12/05 0:46
【 発言者 】根石吉久
俺がおめえに何の危害を加えたってのかね。
アホはアホをやっていろ。
日本語を英語の発音でしゃべっていろ。
何が「生きて帰れるか」だね。ええ?
論理が生きているか死んでいるかだけの問題じゃねえか。
アホはアホだ。
人格の問題じゃねえ。おめえのアホの問題だ。
【9476】
【タイトル】日本の音楽状況は
【 日時 】04/12/05 2:38
【 発言者 】根石吉久
よくなっています。
メタファでアメリカをコケにする歌など登場しているから、しばらくは日本も大丈夫じゃないか
と希望が持てた日でもありました。
亜室波江さんなんかも、貧乏くさくなくなってよろしいとおもいました。
よしよしと何度もうなづいてしまいましたが、歌など歌っている人たちは純粋でよい。
語学論と歌が対立項(なんていいましたっけな、ダイゴトミーじゃねえ、ダイゴは俺の生徒の弟
だった、そうでしたぁ、ダイ「コ」トミーでした)になってることを、日本の皆様が早く認識し
て下さることを願った日でもありましたぁ。
毎度のことながら、酔っ払いであった日でもありましたぁ。
やい、いいかげんにしろよ、糞ったれども。
【9479】
【タイトル】顧客のニーズ
【 日時 】04/12/05 16:53
【 発言者 】Jackie
>>しかしこれからは中学生も教えていこうかとおもっています。
>やってみるとおわかりになると思いますが、このラインもきついです。
そういう枠組みで考えない方がいいように思います。
そうですか。根石さんは進学塾と長年たたかってこられたのでしたね。
受験のための塾やら補修塾やらは 大手塾、近所にも私塾がありますね。
私達のころは1学年6クラスあったものが1学年3クラスに減っています。
少子化にともない パイの争いは厳しいのでしょう。
生徒を育てるための「実力」が必要ですね。
途中参加ならなおのこと。
受験のポイントを教える塾も多い中、英語の基礎力を地道につけていく方法がうけいれられるかどうか。 中高生のニーズといったら受験にパスする実力。
遠回りのようだが基礎力をつければ 英語は一生の財産になるのだが・・・・。
わかってもらうには実力とマーケティングと営業力か。
根石さん、村田さん、Naimaさん、いくこさんも がんばってらっしゃることだし。
見習ってひとぶんばり。
今回は顧客のニーズをつかまなければ。
私は英会話をやりたいという人に 英会話をやりつつも基礎力を身につけるトレーニングをしてきた。やる気を出して外国に巣だった子もいる。なにかをつかん
人もいる。これは嬉しい。
途中で止めた人もいる。トレーニングはやりたくないけれど英会話をしたいという人たちだ。
彼、彼女たちは 英会話をしている自分という湯気がほしかったのだ。
私は顧客のニーズに反していたから辞めていったのだ。
基礎なぞやらずに適当に外人をあしらって フリーカンバッセーションさせてればよかったのだ。
生徒が力をつけようがつけまいがしったこっちゃないと。
求めているものは 「英会話湯気」なのだから
旅行会話のコースもやったが 基礎力ないとね、話しにならない。
教科書の本文通りに会話は進まないから。
「ハウマッチ?」「トイレドコ?」の特級のサバイバルイングリッシュなら
旅行前に何回かふれるだけでいいが。
前にも書いたが
白人の外国人の友人がやっている英会話教室はとても盛っている。
正直くやしい。 彼はただの外人だ。教える力????
「子供の時からネイティブに習うと発音も英語も身につく」とうたっている。
顧客のニーズにぴったりマッチしている。
大人のクラスも カルチャーおばさんたちに人気だ。
一年かよっても二年通ってもちっとも上達がないが そんなことは関係ないのだ。
外人と話す自分で満足なのだから。
カルチャーおじさん、おばさんには私は外人でないので満足してはもらえない。
しっかしこういう人を教えるのは 私にとってとってもストレスだった。
私はカルチャーでなくやる気のある子を教えたい。
築いた英語力が将来に役立つように。
なんて理想論ばかりこいてるからだめやねん。商売なんやから
顧客満足かすたまあさてぃすふぁくしょんとやらが重要なんやで。
やっぱりなあ、実家家業の雑貨屋を大きくするか。
小さいが顧客はいる。
よいものを売ればいいのだ。
生徒の成長に責任をおわなくてよいのだ。
小売も大変な時代だが 探せば活路はあるだろう。
英語を教える夜の仕事と違い、
昼間の仕事だから 病みあがりの体にはこのほうがいい。
カナダ人の友人はカナダの中学侯教師の教職から 大学に行きなおし不動産の家販売をはじめた。
AETの友人はアメリカに戻り 普通の会社に入社して事務をやっている。
どちらも教えることが好きだったが 転職した。
「いやー、休日に予習しなくていいし 気が楽。やめてよかった」と言っている。
食べていくために どちらかを選んで出発しなければ。
(英語教室やる気になったと言っていたではないか??)と自らつっこんどきます。
【9481】
【タイトル】中学3年専用技法グラウンド素材
【 日時 】04/12/06 0:21
【 発言者 】村田
村田の塾には中学3年になってからなんとかしてくれとやってくる生徒さんが結構います。
ところが、中学3年の教科書をいきなり回転読みで練習するといっても、語数もそこそこ
多いのでなかなか先へ進みにくいです。
そこで、中学3年の教科書の回転読み練習用の素材を作ってしばらく試験的に使ってみま
した。
(1)After this
この後
(2)After tihs, the number
この後、数は
(3)After this, the number of people
この後、人々の数は
(4)After this, the number of people led by King
この後、キングに指導された人々の数は
(5)After this, the number of people led by King increased.
この後、キングに指導された人々の数は増えました。
(5)が教科書の本文です。
(1)の日本語訳を言ってから、After this After this ...と5回連続で読んでもらいます。
(2),(3),(4),(5)と同じようにしていきます。
不慣れなうちは、(3)から(4)へ移るあたりでつっかかり始めるので、(3)からもう一回練習
してもらいます。
最終的に(5)がすらすら読めるようにします。
まあこうやって書いてみるとさもないものですけど。
短いものから始めるので、回転読みの回路が作りやすいのと、勢いがつけやいのが自信に
つながると思います。
以上、参考まで。
【9482】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】04/12/06 0:51
【 発言者 】村田
村田はある意味サロン的に機能してるカラオケ教室なんかはアリだと思います。
だけど。
「カルチャーばばあ」
あーなんといやらしいひびきでしょうね。
カラオケ教室で楽しく集うじじばばとは一線を画するいやらしさ。
語学はいったんバカにならないとだめだと思うんですけど、カル
チャーばばあは決してバカにならないんですよね。
プライドだけが高いバカ。
まあ年齢に関係ないですけどね。
村田はへたれですが、なんとかやってます。
ともに、というのはまあ僭越なんですが、それでもともに、
なんとかやっていきましょうよ。
【9488】
【タイトル】言い忘れた
【 日時 】04/12/07 2:44
【 発言者 】根石吉久
> (1)After this
この後
(2)After tihs, the number
この後、数は
(3)After this, the number of people
この後、人々の数は
(4)After this, the number of people led by King
この後、キングに指導された人々の数は
(5)After this, the number of people led by King increased.
この後、キングに指導された人々の数は増えました。
自分で方式を編み出そうとしているのがわかってうれしかったです。
これはいいと思いました。
ミソは、既存の各種メソッドに「技法グラウンド」を歯車を噛み合わせるように噛み合わせる
ことだと思います。
そうすれば、学校の訳読式や文法説明も全部生き返ると思いました。
俺は、その実験を今、小学生相手にやっています。
【9490】
【タイトル】「音読」と「回転読み」の違い
【 日時 】04/12/07 18:46
【 発言者 】sb
「音読」は黙読と違い「声に出して読むこと」です。自分が音読すると相手はそれを聞くことができます。上手に音読すると意味が相手に伝わります。当たり前
ですね。
では、「音読」と「回転読み」はどこが違うのでしょうか。回転読みは同じ文章を100回程度読みます。文単位で読んでいきます。文単位とは大文字からピリ
オド(.)までのことです。大文字からピリオドまでを最低50回繰り返し読むのです。
50回〜100回で変化が出てきます。変化がでるのには個人差があります。しかし、だいたいこの数字で変化が出る人が多いのです。変化とは自分がことばを
使いこなしているという実感です。そこまで繰り返し繰り返し音読するのです。それが「回転読み」です。
何回も何回も繰り返す。それが「回転」ということです。ぐるぐる回すのです。しかしそこまで読む人はほとんどいません。馬鹿らしいと感じているからです。
なぜそのようなことをするのか。それは自分の体の中にその「ことばを入れるため」なのです。
なんのために「ことば」を学ぶのか。それは「使う」ためでしょう。「使う」ものは当然「分かる」。受験で「使う」。長文を読んで「分かる」。会話を聴いて
「分かる」。尋ねる時に「使う」。答えてもらって聴いて「分かる」。手紙やメールを書いて「使う」。それらを読んで「分かる」。電話で相手の声を聴いて
「分かる」。ファックスを読んで「分かる」。電話で話したりファックスで書いたりして「使う」。映画を観て「分かる」。新聞を読んで「分かる」。つまり、
「分かる」ため、「使う」ために、学ぶということです。
なぜ学ぶのか、この当たり前のことが今まであまり真剣に考えられてきませんでした。その当たり前のことをやっていくのがこの「回転読み」です。
つまり、音読は「声に出して読むこと」。一方、回転読みは「声に出して100回(文単位)連続で読むこと」。その目的は、「使えること」「分かること」。
そのために「自分の体の中に入れること」。体の中に入れるために同じ文を繰り返し約100回音読する。それが「回転読み」です。
【9491】
【タイトル】Naimaさん
【 日時 】04/12/07 18:48
【 発言者 】sb
直前の投稿はNaimaさんのHP「素読舎案内板」を参考に自分なりに考えてみた文章です。
【9492】
【タイトル】回転読みと技法グラウンドの差
【 日時 】04/12/08 4:54
【 発言者 】村田
回転読み:学習者が、机上で自分一人でやる練習。一つの文を、なめらかさを持つまで、学習者が納得いくまで読む練習。
技法グラウンド:塾や学校などで、一つの文を最低5回以上繰り返して読む練習。必ずコーチがつく。
村田が昨日書きこみしたのは、あくまで「技法グラウンド用素材」であって、回転読み用ではありません。「塾で、一つの文を5回以上読む」ことを目的にした
ものであるので、技法グラウンド用の素材ということになります。
【9493】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/12/08 5:48
【 発言者 】村田
なんとなく違和感を感じたこと。
>「音読」は黙読と違い「声に出して読むこと」です。自分が音読すると相手はそれを聞くことができます。上手に音読すると意味が相手に伝わります。
当たり前ですね。
(sbさんは「音読」としていますが、「大風呂敷」に書いているの
で、村田は「素読」と読み替えます)
これは本当だろうか。素読という観点からすると違和感あります。
声を出して読むと相手に「意味が伝わる」のは「当たり前」か?
村田は今日、高校生に、彼のやっている部分のはるか先を声を出し
て読んで、「意味がわかるか?」と聞いてみました。
彼は「わからん」と言う。
村田はこれが当たり前だと思うんですよ。
日本語のテキストを声を出して読んだとして、意味が相手に対して
伝わるのは当たり前だろうか。これも必ずしも当たり前とは言え
ないと思うんです。
素読は、とりあえず意味は保留してよいから、とにかく声を出して
読むということだと思います。意味はそのうちわかる。さらに読ん
でいると、わかった、と思っていた以上のことがさらにわかる。
>では、「音読」と「回転読み」はどこが違うのでしょうか。回転読みは同じ文章を100回程度読みます。文単位で読んでいきます。文単位とは大文字
からピリオド(.)までのことです。大文字からピリオドまでを最低50回繰り返し読むのです。
読む回数は「何回」とは決まっていないと思うんですよ。
確かに過去ログでは50回とか100回とか数字はあるんですけど、
村田はあくまでも一つの目安であると思っています。
なめらかさを獲得するために「結果として」200回読んでいた、
500回読んでいた、ということになると思うんですよ。
ウチの塾生は100回どころではない勢いで練習している者もい
ます。あれは読むこと自体が一つの楽しさになっているなあと
思います。
>なんのために「ことば」を学ぶのか。それは「使う」ためでしょう。
使用価値のためだけに学ぶわけではないと思うんですよね。
単におもしろいから、とかではだめかな?
その結果として、ああ通じたよ、もアリだと思うんですけど。
【9494】
【タイトル】村田さん
【 日時 】04/12/08 8:15
【 発言者 】sb
コメントありがとうございます。
いろいろ考えてみたいと思います。
>(村田さん)声を出して読むと相手に「意味が伝わる」のは「当たり前」か?
そんなことはありません。このsbの表現は可笑しいですね。あまり考えずに書いてしまいました。
>(sb)音読すると意味が相手に伝わります。
これはこのように表現した方が良いかもしれません。⇒「音読すると音声が相手に伝わります。」
この表現も可笑しいかもしれません。またいろいろ教えていただきたいと思います。
意味が伝わるかどうかは聞き手の概念構築度や音づくりの度合い(=同致の度合い?)によるのでしょうか。双方の概念構築度と音づくりがうまくかみ合わさっ
ている場合は通じる。やはり同致という言葉がいるということも少しずつ分かってきたような気がします。
日本人の英語話者では、概念構築度(ここでは文字文章とイメージが一致しているというくらいの意味)がたいへん高度なのに音づくりができていない人も多
い。そのため、通じないと感じている人が多い。彼らは日本人が聞き手であれば非常によく通じるのである。
逆に、英語フリークの中でも音に関心がある少数派は音づくりが比較的できているが概念構築度が低い場合は「日本人にはきれいな音と表面上は受け止められる
(概念構築度が高く、音づくりがあまり出来ていない聞き手には同致が出来ていない分、分かりにくいことになる)」「ネイティブには話者の概念構築度に応じ
て通じる(音づくりに基本原則を踏まえているため)」
同致が出来ておらず、概念構築度も低い人も多いが、いわゆる英会話を楽しんでいる人も多い。
音づくり⇒同致・・・Aパターン
同致⇒音づくり・・・Bパターン
では、根石さんは確か、Aパターンだ!と言っておられた記憶があるのですが、確かにBパターンで音づくりの修正にたいへん苦労されている方々は多いのだと
思います。音づくりの基礎が出来ていないのに、概念構築と記号(文字+音声)を同致しようとすることは、どう考えてもエコノミーとは言えない。しかし、こ
の当たり前のことを理解してもらうことが難しい。それくらい歪んでいるとも言えるのではないでしょうか。
音づくりと概念構築は別々の作業で、一度に一つのことに集中したほうがよい。「音づくり」は「音づくり」でやる。「音づくり+概念構築=同致」は「同致」
としてやる。順序は「音づくり⇒同致」。
それから他にも村田さんにコメントしていただいたところもありますが、また投稿させていただきます。重ねてコメントありがとうございました。
【9495】
【タイトル】娘へのメール転写
【 日時 】04/12/11 1:52
【 発言者 】根石吉久
正直なところを書く。中野の話があったとき、俺はどれほどお前にそれをやらせたかったかわからない。俺の相場を呑んできた話だから、往復する時間まで入れ
て、時給二千円になる話だ。本体だけなら四千円になる。
この国で英語が安くなることはない。俺の理論が正しければ、英語しかわからない外人の値は下がっても、語学の本質を認識する日本人の値は下がらない。
やらせたいと思い、直後にできっこないと思った。
語学とは無益を生きることだ。
目先の金を見ている者に、シャバが語学の代価を払い続けることはない。ただ信用を落とすことで終わりになるだけだ。
俺の今の生徒たちは、俺が正面から無益を生きているところまで見て、俺にお金を払ってくれている人たちだ。俺はそう思っている。
----------------------------------------------------
ここでの追記
語学とは、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を生きることだ。
自分を無にする練習だ。
【9496】
【タイトル】ありがとうございました。
【 日時 】04/12/11 1:59
【 発言者 】根石吉久
この掲示板を村田君が立ち上げてくれてから、延べ人数ですが、四万人を越える人が読んでくだ
さいました。
初代「大風呂敷」で三万五千人、二代目「大風呂敷」でほぼ四万人。ここで四万人。
合計で、酔っ払いの頭が狂っていなければ、11万から12万人の方が読んでくださったことに
なります。
感謝いたします。
【9497】
【タイトル】あくまでも延べ人数ですが
【 日時 】04/12/11 2:02
【 発言者 】根石吉久
これからは、もっと多くの人に読んでもらえるように努力したいと思います。
村が町になんかならなくていい。町が市になんかならなくていい。
村や町や市が、国を相手取ることが成立しなければならない。
【9498】
【タイトル】いまだ理念でしかないが
【 日時 】04/12/11 2:03
【 発言者 】根石吉久
あらゆる国家の死滅が私の願いです。
【9499】
【タイトル】英語学習方法
【 日時 】04/12/11 10:03
【 発言者 】Jackie
休眠状態だった頭を活性化させ 英語教室のプランをねるためにHP散策を再開。
All aboutに英語を勉強してきたものが皆賛同するとおもわれる
王道ともいえるオーソドックスな勉強法のまとめがかいてあった。
速習!英会話上達のつぼ
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/CU20030125A/index.htm
口の筋肉が英語上達の秘訣!
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/CU20030128A/index.htm
さらにリスニング力を高める方法
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/CU20030128D/index.htm
上記の英会話習得法をすべて実行するのは英語がどうしても必要な人意外は無理だろう。
英語が必要な社会人にも仕事があり 英語に費やすことのできる時間はかぎられている。
中学高校生は授業、部活、他教科の勉強もある。
彼らには上の勉強をオールマイティーにやっている時間はない。
時間がとれるのは夏休みもながく 時間がある大学生ぐらいだろう。
素読、音読 回転読み テープのかけながしをメインに
たまーにディクテーションンなどを加えるのがよいだろう。
全部やることも必要だが あぶ蜂取らずになりそうで。
基礎固めはもっとシンプルにだ。
やはり 発音、音読、回転読み。基礎構文の徹底。
【9500】
【タイトル】Goodな外国人講師
【 日時 】04/12/11 10:11
【 発言者 】Jackie
外人講師ー下記のようなことを言う まともな外国人講師ってめったにいないのが残念だ。
彼らの生徒はラッキーです。
イアンさんより英語を学ぶ日本人へのアドバイス
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/CU20030526A/index2.htm
もし、英語を本当に上達させたかったら、自ら進んで勉強しなければなりません。これだけは覚えておいてください。誰もあなたに英語を教えることはできませ
ん。あなた自身が学ばないといけないのです。英語の力を伸ばすには、あらゆる方法を試し、苦労をいとわないで一生懸命に打ち込まないといけないということ
です。
http://allabout.co.jp/study/english/closeup/CU20030513A/index3.htm
>「ラサール弁護士のREAL英会話」
英語を話す日本人、あるいは学んでいる日本人に対して、何かアドバイスをいただけませんか?
はい、僕のアドバイスはすごくシンプルですよ。
▼ 1.一生懸命勉強する
本屋さんへ行くと、「世界で一番やさしい英語の本」とか「英語は勉強する必要なし」なんていうタイトルの本を見かけるかもしれませんが、語学を学ぶって実
は本当に大変な作業なんです。
▼ 2.規則正しい学習
ただ、1週間に1度、英会話学校へ通うだけでは十分ではありません。毎日勉強しなければなりません。英語を生活の一部にしましょう。少なくとも1日に30
分の学習は必要です。
▼ 3.根気強く!地道な努力をする
▼ 4.楽しく学びましょう
もし推理小説が好きなら、英語版推理小説を読んでみましょう。音楽が好きなら、英語の歌詞から