【8002】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/20 1:26
【 発言者 】Naima

結局、口に乗せてリズムに合うって事だと思うのですが... 法則性をいちいち説明してやるより、口に乗せて覚えさせる方が無理なく身につくと思うんですが、人によるのかな...



【8003】
【タイトル】法則性
【 日時 】03/10/20 1:36
【 発言者 】Naima

法則性を覚える方が私には面倒くさいですけど...

birds and bees, bread and butter, cats and dogs, Mr.& Mrs. とか、いろいろ引きづり出して分類しないといけない気分になってしまいます。 こんなん、いちいち法則に照らし合わせてやってなかったですけど。



【8004】
【タイトル】法則性のほうが簡単
【 日時 】03/10/20 20:36
【 発言者 】パクパク

コーチというのは、法則性を生徒に気づかせます。
この法則が、例外が多かったり、複雑でしたら
つかえません。
だから、丸暗記に走るのです。

A&Bの法則性はじつに簡単なものです。
解答を出す前に、皆様方でもすぐわかると
おもいます。

わたしは、以前、この掲示板に書いたとおもいますが、

He is no better than a beggar.
He is no less a person than the President.
Nothing could be further from the truth.

このような否定語+比較級の構文を、丸暗記させるのではなく
共通の簡単な法則をまずコーチが生徒に教え、
しかるのちに、生徒が音読をした方がいいとおもっています。
これらの否定語+比較級の構文にも、イントネーションが
語順を制御しているわけです。
受験生は、なぜ、moreがでてきたり、lessがでてくるのか
まったくわからないまま、クジラ構文を丸暗記しているのが
実情です。
かりに、これを理論的に説明している場合でも、エラク複雑な
解説をしているのが通例です。
イントネーションという軸で、これらを見ていないからだと
おもいます。




【8005】
【タイトル】そうだったのか。。。
【 日時 】03/10/20 20:57
【 発言者 】sb

half an hourも同じパターンですね。
よくわかりました。ありがとうございました。



【8009】
【タイトル】メール転写(1)
【 日時 】03/10/21 1:31
【 発言者 】根石吉久

すぐに返事をさしあげられず失礼しました。
腰と脚にいまだ力が入らず、病院通いをして
おります。

電話でレッスンのお問い合わせをありがとう
ございました。

土曜日は、掲示板にsbさんの名前で書いて
くださっている方(この方も高校の英語の先
生です)がレッスンを中断されましたので、
空きが生じています。

夜9時半〜10時でよろしければ、私がレッ
スンいたします。昼過ぎの方がよろしければ、
掲示板に Naima さんの名前で書いてくださっ
ている方にレッスン可能かどうか問い合わせ
ます。奈良県の方というのは、Naima さんの
ことです。

あるいは、直接に「大風呂敷」で Naima さん
に問い合わせていただいても結構です。

柴田さんのレッスンを受けられた方ですので、
私の方法について注釈を少しさせて下さい。

私は、音に関しては、「意味と合体させるに
足りる質の音」を大事にしています。この考え
は、かつて柴田さんと私とで強く議論しあった
際の柴田さんの理念・「完璧な音をめざす」こ
ととは違います。

音をちゃんとさせないと駄目だという点におい
ては、私と柴田さんはまったく一致しています。
しかし、私は柴田さんほどには音を偏重してい
ません。柴田さんは、ネイティヴ話者に負担が
生じない音を作ることが必要だと言われました
が、私はそう考えません。負担が生じるのは構
わない。こちらが向こうがどうしても欲しいだ
けの情報を持っていれば、負担などものの数で
はない。相手は必ずこちらに耳を傾け、こちら
の言っていることをつかもうとするはずです。
ですから、私は、「完璧な音」という考えはと
りません。「通じる音」だけはどうしても確保
する必要があると考えています。
こちらが価値のある情報を持っていないならば、
相手に負担の生じない音ということも考え直し
てみなければなりませんが、そもそも、価値の
ある情報もない者が英語なんぞしゃべれたって
しょうがないのです。私はそういう考えの者で
す。

多分、「通じる音」はすでにお持ちの方ではな
いかと推測しております。「通じない音」を持
っているような英語の先生が柴田さんのレッス
ンを受けず、すでに「通じる音」を確保してい
るような先生がかえって柴田さんのレッスンを
希望するのではないかと推測しています。



【8010】
【タイトル】メール転写(2)
【 日時 】03/10/21 1:35
【 発言者 】根石吉久

私のレッスンでやっていただくことは、音の改
善ではないだろうと思っております。もちろん
直すべき音があれば直しますが、それよりも、
音をどう生徒に指示するかの指示の方法ではな
いかと考えています。
その意味では、現在発音が下手な人であること
を期待しています。今現在において発音が下手
なほど、音の指示方法は具体的な厚みを獲得で
きます。実に逆説めきますが、日本人に対して
音の指導ができるようになる資質は、現在、音
は苦手だと思っているような先生たちだろうと
考えます。音を直す過程がわかってもらえるか
らです。ついでに言ってしまえば、ネイティヴ
はほとんど役に立ちません。彼らは、ただ単に
子供の頃からの音を発することのできる人たち
に過ぎず、日本語で口の筋肉が形成された生徒
に対しては、筋肉のどこをどうすればいいのか
に関して、まったく方法を持っていません。
これも逆説めきますが、アメリカ人やイギリス
人は、日本人の発音訓練はできないということ
です。

もう一つ、私のレッスンに固有の方法だと思っ
ておりますが、「復習範囲を手放さない」と名
付けているものがあります。
この効果を実際に感じていただくには、実際に
レッスンを受けていただく以外にはないと思い
ます。黒板式の授業とはまるで異質のものだと
思っております。
この方法を学校の授業で使うには、ほぼ絶望に
近いほどの距離がありますが、学校の授業一般
がいかに偏ったものであるかを照らし出す作用
ははっきりとあると思っております。

sbさんも学校の先生で、私のレッスンを受け
て、TOEIC の点が100点ほどあがりましたが、
それが「復習範囲を手放さない」の効果だった
のだということを理解されないままレッスンを
中断されました。
「復習範囲を手放さない」という言葉は、いか
にも理解の容易な言葉ですが、実は言葉ではど
うにも伝えにくいものです。

以上ですが、不明の点がありましたら、再度お
問い合わせをお願いしたします。

追伸。
私は、理屈を言い出し、理論を作ろうと思って
いるときは、少しのことも容赦せず相手を批判
しますし、文部科学省は間違いなく馬鹿の集まり
だと考えていますので、著書にも掲示板にもか
なりきつい口調のものを書いてきました。私は
文部科学省を叩きつぶしてやりたいだけであり、
個々の先生に文句を言いたいのではありません。

このままでいいのかと考えては欲しいです。

実際のレッスンはとても普通のものです。最近
は、ちゃんと練習をしない生徒は、怒らずに、
こちらからレッスンをお断りするという技も覚
えましたので、どうぞ安心してレッスンを始め
ていただくようお願いいたします。


根石吉久




【8018】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/10/23 0:25
【 発言者 】とも

>それだけやって大丈夫だなどと初心者に向けて言いだしたりするのです。「多読
派」などは、その最たるものでしょう。

大丈夫だとは言ってないでしょう。非英語ネティブにとって、どんな方法だろうと、
英語が大丈夫とは、普通はとても言えない。
ただ、多読は非常に効果的であるとは言えるでしょう。
ほとんど、mustと言っていい。



【8019】
【タイトル】初心者と多読
【 日時 】03/10/23 9:52
【 発言者 】Jackie

ともさん こんにちわ。

多読の論議のときにいつも各自の初心者のレベルの定義のずれが問題になります。
初心者の定義。中学1、二年レベルの英語力のある人を初心者とするか、
はたまた 高校卒業程度の力のある人を初心者とするか。

私は初心者というと 中学二年程度の英語力がある人を想像します。巷の英会話学校に入学してくる生徒、高校生 大学生 社会人のほとんどがこのレベルで  もっと現実にいうと彼らは中学二年程度の作文力(=会話力)もありません。英語をパズルのように勉強したり英語の文法用語の学習はしてきたが 音読や 構 文の血肉化(暗記ではない)をあまりしていないからです。
 

その場合 多読より少ない文章をモノにすることのほうが優先されるべきです。
まずは広く薄くより狭く深くです。 型を極めることといってもいい。
2,3冊教科書をつぶすほど音読したり 構文を言い換えたり。その構文を使って簡単な英作文をしたり。
それをやった上で 多読は初めて有効となり 英語の力を伸ばす上で効果がでてくる。
先に多読ありきでは絶対にない。



【8020】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/10/23 20:13
【 発言者 】とも

Jackieさん、こんにちわ。
中学校の教科書を何回も音読する。これは、確かに効果があるんでしょうが、
やってる人ってそんなに多くはないでしょう。私もやってません。
私がやったのは、辞書を引き引き簡単な読み物を読むことです。
これである程度の語彙がついたらペーパーバックに挑戦しました。
一冊読むのに、半年くらいかかったでしょうか。
高校2年くらいのときだったと思います。
一冊読めれば、後は比較的簡単です。
今から思うと、もっと簡単な本を読むべきだったと思っています。
【8021】
【タイトル】ともさん
【 日時 】03/10/24 3:11
【 発言者 】根石吉久

>大丈夫だとは言ってないでしょう。

 誰がですか?

 この掲示板の過去ログには、多読をめぐる論争があります。ご面倒ながら、お読みいただけたらうれしいです。
 浜谷さんという方は、多読だけで大丈夫なように言われましたし、噂に聞くSSS方式なるものも、そう言っているのだと思います。

>非英語ネティブにとって、どんな方法だろうと、英語が大丈夫とは、普通はとても言えない。

 賛成です。

>ただ、多読は非常に効果的であるとは言えるでしょう。ほとんど、mustと言っていい。

 Jackie さんが言われている「前提」を前提にされているのであれば、賛成です。

 あなたが辞書をひきひき多読の入り口に入ったのが高校2年であれば、そこが「起点」ではないのです。




【8026】
【タイトル】根石さん
【 日時 】03/10/24 19:52
【 発言者 】とも

>浜谷さんという方は、多読だけで大丈夫なように言われましたし、噂に聞くSSS方式なるものも、そう言っているのだと思います。

リスニングやスピーキングが、多読により自動的に大丈夫になるわけでないのは
当然でしょう。多読すればこれらもネイティブ並に大丈夫と言えるという人がいたら、
失礼ながら常軌を逸していると思わざるを得ない。
浜谷さんはそう言っているのですか?

>あなたが辞書をひきひき多読の入り口に入ったのが高校2年であれば、そこが「起点」ではないのです。

辞書をひきひきしたのは、もっと前です。
中学の英語の教科書もそうです。



【8027】
【タイトル】電話でレッスンで教わったこと
【 日時 】03/10/24 20:45
【 発言者 】sb

根石さんの電話でレッスンを受けてきました。
そのレッスンを通して私が教えていただいたことは「素読の重要性」です。
素読は音読と違って、意味がとれないものでもまず「読む」ということです。
「読む」というのは「音読」とも「黙読」とも違います。
だた「読む」ということです。

人によって「音読」「黙読」どちらから入るのか。。。
それは人によるような気もしますがよくわかりません。
ただ「音読」は「読み」のひとつひとつを意識化せざるを得ないプロセスだということです。
しかし「音読」は「意味(イメージ)」が伴っていなくてもできることです。
これは幼児が「ひとーーつ、ふたーーーつ」と言いながら「おはじき」をいっぺんに2つも6つも動かしているのに似ています。「音読」している時にただ「音 読」していて「意味」が伴っていない経験がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。それでもOKということです。そのままとにかく読む。「素読」とい うのはそういう意味だと思います。詳しくは根石さんに聞いてください。

つまりまず第一段階はとにかく「音読」してまず最低限の「音の質だけでも」内在化することが大切ということです。最初は「ゆっくり」「丁寧に」「確実 に」。誰でも最初からきちんとできませんが。。。だんだん「音」がこなれてくると「スピード」が伴ってきます。この段階でも「意味」が伴っていなくてもま だ大丈夫です。

ただし、「音」に「意味(イメージ)」を入れるということは「意識的」にならなければいけないということです。これが第二段階です。この時に大切なのは 「スピード」を落とすことです。そしてじっくり「音」に「イメージ」を入れていきます。そうすることで「音」に「意味」がくっつきやすくなる方が多いと思 います。「音」に「意味」がくっついた部分はその程度に応じてだんだんスピードを速めてかまいません。だたし、「音」に「意味」がくっつきにくい所はス ピードを落として少しでも「自分の中に」「音」と「意味」がくっつくように「意識的に」「読んで」いきます。この第二段階もまた第一段階と同じく」「素 読」なのだと思います。詳しくは根石さんにこの掲示板などで質問すれば丁寧に答えていただけると思います。私は本当にいろいろお世話なりました。ちょっと 辛口の時もありますが、とてもすばらしい方です。

以上の2段階は今まではっきりと理論化されてこなかったように私は思っています。そういう意味で根石さんの功績はただならないものがあると思います。
ところが世の英語学習者達はいろんな理由から根石さんの考え方に出会いがないのが苦しいところです。

一人でも多くの学習者が根石さんの考え方を知り、それを実行することがとても大事だと思います。私は決してよい生徒ではありませんでした。この場をお借り して、本当に申し訳なかったと思います。

私は根石さんから学んだことは計り知れません。
最初にこのHPにぶつかったのは「小学館文庫」の「英語どんでん返しのやっつけ方」という文庫本に出会ったのがきっかけです。その本の中のURLを見てア クセスしたのです。この本は非常に残念なことですが、今なかなか手に入れにくい状況のようですが。。。ひとりでも多くの人がこのHPに出会いがあることを 願っています。そして「根石メソッド」なるものを習得すれば、それぞれの「夢」に向かって突き進む時間が節約できると思います。



【8028】
【タイトル】ともさん、根石さん、
【 日時 】03/10/24 22:14
【 発言者 】浜谷

過去にこの掲示板に書きました中には生来の口下手で、舌足らずなところがあり、誤解されているところがあります。↓の私のホームページで私の経験則そお伝 えしていますが、その中の一節をここにご紹介します。

>次に正しい発音を身につけましょう。 
それには、テープ、ラジオ、テレビ等で聴きまくったり、英会話学校でネイティブが喋るのを聴くのが良いでしょう。 只、英会話学校では喋るよりも聴く方に 重点を置いてください。 この場合ポイントは自分の実力より少し上のクラスに入れて貰うことです。喋れなくても構いません。 聴きまくることです。 

>今中学、高校に通っている人はリーダーの教科書を先生の(担当の先生が正しい発音でない場合は、周りの正しい発音の人に読んでもらってその)真似 をして、毎日数回その教科書の最初からその日までに習った個所を全部、出来れば何回も音読により復習すると良いでしょう。基本的文型を叩きこむつもり で・・。 毎日30分から一時間、それを一ヶ月間続けてみてください。 きっと驚くような効果が出てくると思います。


http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp/sub1.html



【8029】
【タイトル】多読で意味がわかるようになるか?
【 日時 】03/10/25 9:33
【 発言者 】パクパク

例でいきます。

 I am not more sure that I breathe than I am that the letter

 is not at the hotel.

 上記英文は、単語はむつかしいものはないとおもいます。

 この英文を多読してきた人は理解できるでしょうか?

 単語レベルからすると、グレイドリーダーズの初級のはずです。

 この英文の意味がわかるには、つぎの方法が唯一的にベストだと

 わたしは思っています。

 1)コーチがそばに1:1で必ずいる。
 2)コーチは、この英文のコンテクストを十分に親切すぎるくらい教える。
 3)コーチがこの英文のイントネーションをはじめに生徒に明示的に教える。
 4)生徒は、英文の日本語の意味をきにせず、とりあえずイントネーションをそっくりまねる。
 5)コーチは、この英文のシンタックスのわしづかみを生徒におしえる。
 6)生徒は、頭のなかで、シンタックスのわしづかみを理解しながら、イントネーションを
   まねる。

この英文を暗唱させると、上記1から6のステップを踏むと、中学一年生でも
すくない音読回数で、この長い英文を暗唱でき、なかなか忘れません。
ところが、従来方法ですと、大学生でも、上記英文は、お手上げで、日本語に
訳せないとおもいます。

音読とコーチとは、きってもきれない関係にあるとおもいます。
その意味でも、素読のほうが、正しい用語であるとおもいます。
また、意味のわからない英文を読むという意味においても
素読のほうが的確に表現しているとおもいます。

【8030】
【タイトル】↓
【 日時 】03/10/25 9:48
【 発言者 】パクパク

用語の解説

コンテクスト: 状況。その英文をどのような状況で、誰が、誰にしゃべるか。

シンタックスのわしづかみ:英文のおおまかな構造(主語、動詞、目的語、修飾関係)

多読:易しいから難しいへ。大衆にわかりやすい理屈。独学。

音読:ひとつの英文を500回も1000回も読む。独学。

素読:生徒が意味のわからない難解な英文を、1:1のコーチ付きで読む。



【8031】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/10/25 18:34
【 発言者 】とも

私はやったことはないのですが、英英辞書をそのまま書き写すというのは
非常に効果があるらしい。辞書に限らず、英語の文章でもいいんですが。
昔の人は辞書を書き写すというのはよくやったみたいですね。
福沢諭吉だったか勝海舟だったか忘れましたが、辞書を借りて2部写し、
一部は自分用にし、一部は売って辞書の借り賃を払ったようなエピソードを
読んだことがある。その辞書は英英ではなく蘭和でしたが。




【8032】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/10/26 1:26
【 発言者 】根石吉久

 今日は(もう昨日ですが)、お電話をありがとうございました。
 もうテキストが手に入ったのですか。取り寄せる方が多いので、早く手に入ってよかったと思っております。
 多分一緒に買われたCDは、映画の音声をそのまま録音したものではなく、語学用にスピードを落として、吹き込んだものだと思いますが、これで練習して下 さって結構です。
 ある程度レッスンが進んだら、映画の音声をそのまま録音したものを使われるのがいいと思います。テープに録音したものでよければ、私がMDで編集したも の(電車が走っているだけの音など余計な音を削除したもの)を、レッスン開始以後にお送りすることはできます。
 映画は、セリフが町の雑音に混ざっていたり、映像の補助があるせいで、はっきり言っていなかったり、聞き難いところが多発しますが、ある程度練習のレベ ルがあがると、かえってこの方がいい練習ができます。

 映画のストーリーはすでにわかっているとのことなので、レッスン開始に際しての条件は非常にいいと思いました。

 お電話をいただいて、電話を切ってから気になったことが一つありました。レッスンの代金に関してなのですが、私のホームページだけ読まれた場合に、代金 月額1万円となっているかもしれません。ホームページの更新はまったく停止し、掲示板「大風呂敷」ですべてのお知らせをしてきており、代金も書き変えてな かったかもしれません。私自身が、もうしばらく自分のホームページを読んでいないので、現在それがわかりません。

 ホームページ更新を停止したのは、IBMの「ホームページビルダ」というソフトを立ち上げるたびに、私のコンピュータがフリーズするという現象があるた めに、いやけがさしてしまったのが最大の理由です。ホームページを読みに来てくださる方々には申しわけなく思っております。

 現在のレッスンの代金は、中学生・高校生初心者の大人の方は、月額で1万2千円いただいております。教員免許をお持ちで、現職で教えておられる方から は、1万5千円いただき、その分、仕込みを厚くしております。

 お電話でこれをお伝えしなかったので、それが気になっております。これをご承知いただければ、11月からレッスン開始ということでやらせていただきたく 思っております。

 11月1日が土曜日ですので、この日に私から教えていただいた自宅の電話番号に電話いたします。ベルを2度3度鳴らし、いったん電話を切りますので、そ ちらから、お電話下さい。私が電話をとり、レッスンが始まります。
 いきなり、初日から、レッスンとなります。いろいろ説明するより、まずレッスンを受けていただくやり方です。必要な説明は、なるべく掲示板でやらせてい ただこうと思っています。

 ヤフーBBをお使いだとのことですが、ヤフーBBは、いきなり電話が切れてしまうことがあり、少し心配しています。妻の生徒さんで、ヤフーBBを使われ ている方がいますが、レッスン中に電話が切れてしまい不便を感じています。私の生徒さんにもヤフーBBの方がおられますが、この方の電話は雑音が入るだけ で切れたことはありません。ヤフーに問い合わせたところ、切れる現象を認めましたが、どう対応するのかに関しては明言しませんでした。レッスンを始めてみ て、この問題に関して問題がなければいいのだがと願っています。

 テキストさえ手に入っていれば、レッスンはひとまず開始できます。

 以上ですが、ご不明の点はお問い合わせくださるようお願いいたします。

根石吉久



【8033】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/26 1:32
【 発言者 】根石吉久

 「シンタックスのわしづかみ」に関してですが、私が考えているものとパクパクさんが考えておられるものの違いについて書いておきます。
 私は、「わしづかみ」ということで、「おおまかな構造」を意味しておりません。
 文の構造を、鳥瞰的に一挙につかむことをさして、「わしづかみ」と言ってきたように思います。全体を一挙に把握するというような意味あいです。



【8034】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/26 1:39
【 発言者 】根石吉久

>I am not more sure that I breathe than I am that the letter
is not at the hotel.

 簡単なことを言うのに、こんな言い方をするやつがいたら、馬鹿だと
思われるのが落ちだと思います。
 こんなものが解釈できるかできないかは、多読をしてきた経験の有無
と関係のないことだと思います。実に衒学的であり、いやみな文章です。
こんなものを読んだ場合に、アホかと思うのが「わかる」ということだ
と思います。
 「解釈できる」ということと「わかる」ということは違うのだという
ことを例示するのに使用するには役にたつ文だとは思いますが。



【8035】
【タイトル】浜谷さん
【 日時 】03/10/26 1:47
【 発言者 】根石吉久

 私は過去ログを自分なりに整理しています。
 私の方に誤解がありましたら、判明した時点で明記したいと思います。
 また、ご自分のホームページからの引用文のうち、音読のすすめを書かれているものは、私との論争以前のものであるか、以後のものであるかを明らかにして くださることをお願いいたします。



【8036】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/26 2:25
【 発言者 】根石吉久

 レッスンについて書いていただいてうれしかったです。

>「読む」というのは「音読」とも「黙読」とも違います。
だた「読む」ということです。

 これは素読に関してのものですが、素読は「黙読」ではなく、明らかに「音読」の一種です。

> ただ「音読」は「読み」のひとつひとつを意識化せざる
を得ないプロセスだということです。
 しかし「音読」は「意味(イメージ)」が伴っていなく
てもできることです。

 おっしゃりたいことがよくわかりません。「読み」のひとつひとつを意識化せざるを得ない、というのは、音を意識化することを言っておられるのでしょう か。

>「音読」している時にただ「音読」していて「意味」が伴
っていない経験がある方もいらっしゃるのではないでしょう
か。それでもOKということです。そのままとにかく読む。
「素読」というのはそういう意味だと思います。

 私は「素読」そのものをずっと続けよと言っているのではなく、方法の根幹に「素読」という原理を据えているだけです。「音」のシーケンスと質が完成した ら(その人なりのベストが作れたら)、後は存分に「意味」とつきあうことは必要です。
 「音読」していて「意味」が伴わないという現象も、「ひとまずは」OKだということであり、いずれは「意味」は伴うようにならなければなりません。

>つまりまず第一段階はとにかく「音読」してまず最低限の
「音の質だけでも」内在化することが大切ということです。最
初は「ゆっくり」「丁寧に」「確実に」。誰でも最初からきち
んとできませんが。。。だんだん「音」がこなれてくると「ス
ピード」が伴ってきます。この段階でも「意味」が伴っていな
くてもまだ大丈夫です。

 この通りです。

>ただし、「音」に「意味(イメージ)」を入れるということ
は「意識的」にならなければいけないということです。これが
第二段階です。この時に大切なのは「スピード」を落とすこと
です。(略)この第二段階もまた第一段階と同じく」「素読」
なのだと思います。

 「意識的」にならなければならないことに関してはその通りです。
 この第二段階はすでに「素読」ではないと思います。「意味」とまともにつきあう段階はすでに素読ではありません。この段階の練習を名付けたできあいの言 葉がないので、私は「切断読み」という名をつけました。

>以上の2段階は今まではっきりと理論化されてこなかったよ
うに私は思っています。

 最初に全体を扱い、「音」の完成の後に、次に個々の要素を扱うという段階論はなかっただろうと思います。私が知らないだけかも知れませんが。

>最初にこのHPにぶつかったのは「小学館文庫」の「英語どんでん返
しのやっつけ方」という文庫本に出会ったのがきっかけです。その本
の中のURLを見てアクセスしたのです。この本は非常に残念なことです
が、今なかなか手に入れにくい状況のようですが。。。

 たかが文庫本ですが、簡単に絶版にしてしまうのはよろしくないとは私も思っています。
 小学館文庫の方針は、紀伊国屋系列の書店のデータを一週間だけ見て、急激に売れしたものだけを再版するというようなものだったと覚えています。私の担当 の編集者の方が言っていました。このやり方はよくない。じわじわと売れたものは一切無視されてしまいます。
 「英語どんでん」は結構よく売れたようです。
 私の手元には、著者取り分が多少残っておりますが、これがなくなったら、文庫の版を拡大コピーしたものを私の印刷機で印刷してA版の本にしてみたいとも 思っていますが、版権の問題があり、できるかどうかわかりません。



【8037】
【タイトル】ともさん
【 日時 】03/10/26 2:42
【 発言者 】根石吉久

>辞書をひきひきしたのは、もっと前です。
 中学の英語の教科書もそうです。

 そうでしたか。
 ともさんはとても真摯な人だという勝手な印象を持っておりますが、私の中学時代は実にいいかげんで、中学の英語でわかっていたものは、現在進行、未来、 規則変化の過去、不規則変化の過去10個程度でした。理屈だけわかっていただけです。驚かれるかもしれませんが、現在完了がはっきりしたのは、大学受験の 浪人をしていた時でした。
 とにかく辞書をひくのが嫌いで、大学受験の時に、「回転読み」という奇天烈なやり方を編み出して英語が急にわかり始めてから、辞書をひくのが嫌でなくな りました。

 それ以前は、学校英語とのおつきあいが比較的縁薄くあっただけです。
 私の英語がまがりなりにも英語と呼べるようになったのは、19歳の時です。ですから、中学くらいの時に、まともな方法に出会った場合に感覚に浸みるであ ろうものは浸みておりません。英語磁場に身を置いた経験は1ヶ月ちょっとありますが、この程度では、ちょっと長い旅行くらいなもので、英語圏で生活したこ ともないと言えると思います。

 19歳で本格化したのでは少し遅いが、まあ、いまだ英語との縁は切れておりません。
 英語でおまんまを食ってきたということが一つあり、それがなかったら縁は切れていただろうとも思っています。
 私の語学論というのも、英語でおまんまを食ってきたことに対して義理を果たしたいと思ってのものです。

 どしどし書いてくださるよう期待しています。




【8039】
【タイトル】根石さん、ともさん、
【 日時 】03/10/26 6:53
【 発言者 】浜谷

根石さん、
>また、ご自分のホームページからの引用文のうち、音読のすすめを書かれているものは、私との論争以前のものであるか、以後のものであるかを明らか にしてくださることをお願いいたします。

以前です。本当はこれを多読のすすめとの関連で同等かそれ以上にすべきだったかもしれません。特に「次に」と書き出しているため、多読の「後で」という誤 解を与えるかもしれないことに今気がつきました。早速次のように訂正しました。これでも根石さんの英語習得手法とかなりかけ離れているかも知れません。そ れについてはあまりここで議論したくありません。先日申し上げましたとおり、近所で主宰している英会話サークル等で結果を出すことが出来てからにしたいと 思いますので悪しからずご了承ください。

<私のホームページの関連ページ↓から抜粋>
以上書いてきました多読と同じぐらい、あるいはそれ以上に大切なのは正しい発音を身につけることです。(前述の多読の大切さの記述はみなさんがすでに正し い発音を身につけていることを前提として書いてあるぐらいです。) 
それには、テープ、ラジオ、テレビ等で聴きまくったり、英会話学校でネイティブが喋るのを聴くのが良いでしょう。 只、英会話学校では喋るよりも聴く方に 重点を置いてください。 この場合ポイントは自分の実力より少し上のクラスに入れて貰うことです。喋れなくても構いません。 聴きまくることです。 

今中学、高校に通っている人はリーダーの教科書を先生の(担当の先生が正しい発音でない場合は、周りの正しい発音の人に読んでもらってその)真似をして、 毎日数回その教科書の最初からその日までに習った個所を全部、出来れば何回も音読により復習すると良いでしょう。基本的文型を叩きこむつもりで・・。 毎 日30分から一時間、それを一ヶ月間続けてみてください。 きっと驚くような効果が出てくると思います。

腰痛体操の方、今の状態が良くなってから是非されることをお奨めします。

ともさん、
私のホームページ改良の機会をお与えいただきましてありがとうございました。このbbsの過去録をよくご覧になっているのですね。私も以前はよく書き込ま せていただいていましたが、発音重視の指導をなさる根石さんと多読重視の私の語学習得手法はなかなか合わないようですので、前述の通り、結果を出すことが 出来てから戻ってきたいと思っています。もう歳ですから戻ってこれないかも知れませんが・・・。


http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp/sub1.html



【8040】
【タイトル】根石さん、浜谷さん
【 日時 】03/10/26 17:47
【 発言者 】とも

私は、音読を殆どしていません。もっぱら多読でやってきました。
ただ、知らない単語の発音記号を調べてその単語の発音を2、3回
発声してみることはやりました。これだと、まれに間違って
発音を覚える場合がありますが、これはしかたないと諦めてます。
映画やニュースなどで正しい発音を聞いて修正するようにしています。
今は、CD辞書で発音が聞けるので、若い人はいいですね。



【8041】
【タイトル】発音について
【 日時 】03/10/26 22:47
【 発言者 】Naima

ネイティブスピーカーの英語を聞き捲る、のは大切な事だとは思うのですが、それを自分で再現出来るかどうかは、別の話です。 中には聞き捲るだけで再現出 来る人もいるかも知れませんが、多くの学習者は発音のコーチが必要です。 



【8042】
【タイトル】発音について 
【 日時 】03/10/27 0:50
【 発言者 】とも

コーチはいなくても、発音は学べます。
まず発音記号をその正しい発音とともに覚えることです。
CD付きの発音専門の教科書で独習すればいいでしょう。



【8043】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/10/27 1:50
【 発言者 】根石吉久

 レッスン代金のこと、了解いただけてほっと
しています。掲示板に何度かお知らせしました
が、掲示板の欠点は記事がじきに流れてしまう
ことです。つい、語学論の方に関心が行ってし
まうので、実務がおろそかになりがちで、皆様
に迷惑をかけています。

 Yahoo の方は大丈夫なようで一安心です。

@ 予習範囲というのは、私のレッスンにはあ
りません。復習を大事にしています。生徒さん
の音の質や英語シンタックスへの習熟度によっ
て違ってきますが、復習を大事にしてレッスン
を進めて、予習をやってもらっても、こちらが
安心できると思った時点で、予習をして下さい
とこちらから言っています。
 高校生を教えておられて、「音づくり」に関
心のある方なので、予習をやってもらうように
なる時は早く訪れるだろうと予想しています。
 その場合でも、予習「範囲」というものはあ
りません。好きなだけやってもらえば結構です。

 しかし、まだ第一回目のレッスンが始まって
いませんので、好きなようにやってもらってい
ていいです。レッスンが始まってからは、とこ
とん復習を大事にします。復習を大事にする程
度は、私のレッスンではなまじではない、と言
っていいくらいに大事にします。
 もう、ロフトについての話まで声に出して読
んでしまわれたのなら、そのページの最後まで
やっておいていただけば充分だと思います。

A私のレッスンはゆっくりと進みます。レッス
ンまでに50〜100回でいいと思います。時
間に余裕があり、もっとできる時はもっとやっ
てもらうということでいいと思います。その分
だけ、先に進むスピードが獲得できます。
 この点に関しては、原理はきわめて簡単で、
復習範囲のこなれがよければよいほど、新しい
ものが獲得できるというようになっています。

 小さいお子さんがいるので、あんまり無理は
しないでください。生活の中に組み込んでいた
だいて、無理が生じないようにして下さい。バ
ランスを探ってみつけていただくことをお願い
しておきます。私のレッスンを受けてしばらく
すると、きついものであることが正体を現しま
すので、そのことは是非お願いいたします。

B歌のところも、やります。
ただし、素読み(すよみ)でやります。歌を歌
っていただくわけではありません。

根石吉久



【8044】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/10/27 1:53
【 発言者 】根石吉久

 腰の方は相変わらずで、一進一退です。
 医者に行き、痛み止めの薬を処方されたので
この薬を飲んでいると、日常の体の動きは確保
できています。ときどき、胃がむかむかするの
が痛み止めの薬の悪いところです。
 日野屋で女房が処方したので、毒が入ってい
ないか少し心配しています。今のところは生き
ています。

 腹筋の体操はあんまり激しくやらない方がい
いと、俺がかかった医者は行っていました。弱
めでいいから持続せよということではないかと
思います。俺は、まだそういう体操ができると
ころまで快復していません。
 ときどきやきもきしたり、いらついて女房を
どなったりしています。

 ブラインドタッチは、メールを書いたりして
普段使っていると、だんだんなめらかになって
くるので、日常的に何か書くのがいい。日記な
んかをつけるといいのではないかと思います。

 動物が病気になると、心配です。
 家の猫は二匹とも若いので、今のところはま
あ安心しています。
 犬に言うのもなんだが、お大事にとお伝えく
ださい。

根石吉久



【8045】
【タイトル】ともさん
【 日時 】03/10/27 2:04
【 発言者 】根石吉久

>コーチはいなくても、発音は学べます。

 これは効率の問題です。
 コーチがいた方が効率がいいということです。
 また、音に対するセンスというものがあり、音楽の好きな人たちや
英語フリーク(英語大好き人間)は、CD付きの教科書でいけると思
います。
 ともさんがコーチをやったことがあれば、コーチがいなくてもでき
ると一概に言えないということがわかってもらえるはずですが、コー
チをされたことはおありでしょうか。
 ともさんに可能であったことが、多くの人にとっては難しいことで
あったりするのです。実際に、私がレッスンしてみると、「こういう
ことを学校では一度も教えてくれなかった」と私に対してではなく、
その人が受けた学校の授業に対して、激して怒り出す人もいます。

 ところで、CD付きの発音専門の教科書と言われているのは、具体
的にどんな名前の本でしょうか。お教え下さるととてもありがたいで
す。
 私は柴田さんという方に教えていただき、「英語の発音パーフェク
ト学習事典」(深澤俊昭著・アルク)を持っておりますが、他の本で
もいいものがあれば買って手元に置いておきたいと思っています。



【8046】
【タイトル】ともさん
【 日時 】03/10/27 2:08
【 発言者 】根石吉久

>私は、音読を殆どしていません。もっぱら多読でやってきました。

 さしでがましくも、音読はお奨めします。
 多読にも非常に役にたちます。英語のリズムで黙読できるようにな
るのが、最大の利点だと思います。

>今は、CD辞書で発音が聞けるので、若い人はいいですね。

 これは本当にそう思います。



【8047】
【タイトル】浜谷さん
【 日時 】03/10/27 2:20
【 発言者 】根石吉久

>以前です。本当はこれを多読のすすめとの関連で同等かそれ以上
にすべきだったかもしれません。

 私と浜谷さんの議論は、比較的長く続いたと覚えておりますが、その途中で、浜谷さんが中学のときに、音読を奨めた先生がいて、その奨めに従って、授業で やった範囲を古いものからやったばかりのところまで、全範囲を音読したと言われたことがありました。先生の名前を忘れたとおっしゃられたので、そういう大 事な先生の名前は忘れてはならないのではないかというようなことまで私は言ったと思います。
 浜谷さんのホームページでの音読の奨めの記事が、私がそんなことを言った以前か以後かをお尋ねしたいのです。

 私は多読はいいと思っています。私はことさらに語学の方法として「多読」などと意識せず、それでも英語で本は読んでいます。私の英語が多読によってブレ イクスルーしたという自覚はまったくないのですが、読書はしています。これは、日本在住のままに英語をやってきた場合の最大のご褒美だと思っています。
 割と日常的に英語を話す機会が多いので、英語を「話す」という方面でも使いますが、これよりも、私は英語でいい本が読めたときなどに、語学のご褒美とい うものをしみじみと思います。
 私は、「多読」をすることはまったく賛成です。
 しかし、単に一つの単語を練習するのでも、ちゃんと発音できるようになってから書いて覚えるということをやれ、というような練習の絶対的な順序というも のがあります。
 こういう意味での順序を考えるなら、多読の前に音読、音読の前に「音づくり」という順序は、絶対的に言えると思っています。
 ある個人がやみくもにやってうまくいった方法や順序というものには、語学論としては普遍性はありません。
 普遍性というからには、誰に対してあてはめてみても、他のやり方より圧倒的にうまくいくというものでなければなりません。
 そうでなければ、理論とは言えないし、語学論とも言えないと思います。



【8048】
【タイトル】根石さん、
【 日時 】03/10/27 7:18
【 発言者 】浜谷

>浜谷さんのホームページでの音読の奨めの記事が、私がそんなことを言った以前か以後かをお尋ねしたいのです。

私の10/26の書き込み>以前です。

http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp



【8049】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/10/27 21:16
【 発言者 】sb

>これは素読に関してのものですが、素読は「黙読」ではなく、明らかに「音読」の一種です。
 素読について私はよく理解していません。「素(す)」というくらいなので、どんな人でも読みの練習をしている課程が「素読」というように勝手に解釈して しまっていました。浜谷さんがなさった練習は私には馴染みがありません。でもそれだけに頭や心がどういう風に動いていたのかお聞きしたいとも思っていま す。浜谷さんが練習なさってきたのは「素読」ではないのでしょうか。よくわかりません。「素のままで読む」のが個人個人違うとすればある人は「音読」から 入り、ある人は「黙読」から入る場合もあるのではないかということを考えながら書きました。「素読」という言葉に関しては良く理解もせずに勝手に言葉を 使ってしまったことをお詫びします。


>>ただ「音読」は「読み」のひとつひとつを意識化せざるを得ないプロセスだということす。しかし「音読」は「意味(イメージ)」が伴っていなくてもでき ることです。

>おっしゃりたいことがよくわかりません。「読み」のひとつひとつを意識化せざるを得ない、というのは、音を意識化することを言っておられるのでしょう か。

黙読では一つ一つの単語の上をきちんとたどれない(習熟すればたどる必要がないという意味で)こともあるが、音読では必ず文字をなぞらなければならないと いうことです。言葉の細部までもがいやでも浮き上がるということです。



【8050】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/10/27 22:10
【 発言者 】とも

>さしでがましくも、音読はお奨めします。

音読が非常に効果があるのは知っています。
ただ、ことさら音読をしなくとも、使いものになる程度の英語の力は
付くということを言いたかったわけです。



【8051】
【タイトル】もしかりに
【 日時 】03/10/28 11:46
【 発言者 】Jackie

中国語やフランス語などの外国語を 使いものになる程度に身につけるとする。
会話文でも文章でも 音読なしにその「使い物になる力」が身につくとは思えない。
音が意味が一致しなければ 会話もできるようにはならないからだ。音と意味が一致する程度には声を出して読みこむことが大事に思う。

中学校や高校などの学校現場では
声をだして読みこみ音が意味と一致するところまで音読しない。そこに達する前にjコミュニカティブな授業 リスニング重視な授業をやろうとする。 
このやり方では 使い物になる英語力など身につかない。

ともさんは 「ことさら音読をしなくとも 使い物になる英語の力はつく」とおっしゃっている。これはまったく音読をしないということではないだろう。では どのくらい音読をするのか。
いや ともさんは英語の力を身につけるのに どのくらいの音読をしたのですか?




【8052】
【タイトル】定義の違いなのだろうか
【 日時 】03/10/28 15:35
【 発言者 】いくこ

>声をだして読みこみ音が意味と一致するところまで音読しない。そこに達する前にjコミュニカティブな授業 リスニング重視な授業をやろうとする。  
このやり方では 使い物になる英語力など身につかない。

Jackieさんの、上記の書き込みを見て、早い段階での、コミュニカティブな授業、リスニング重視の授業が、なぜ身に付かないか、分かった気がします。
私は、声を出して読み込み音と意味が一致するところまでもっていかなければ、英語など使い物にならないと思っています。
ただ、ともさんのいう、「使い物になる程度の英語」がどういったものなのか、わかりませんが。



【8054】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】03/10/28 20:16
【 発言者 】とも

殆ど記憶にないくらい音読はしてません。
本を読んでいて、気にいった文章があればぼそぼそと口の中で発声
するくらいはやったかもしれません。
ただ、英語の歌は少しやりました。
ところで、本を読むときに黙読するわけですが、これがかなり役立っていると思います。
頭の中で発声しているわけです。
因みに私の英語力をいいますと、英語ネイティブと一対一で喋る分には
ストレスを感じないで話せます。ただ、外人のグループの中だと
置いてけぼりを食らう率が高いです。



【8055】
【タイトル】音読なしで上達
【 日時 】03/10/28 22:14
【 発言者 】パクパク

わたしは、500回も1000回も音読するのは、
そもそも根本から、やはり間違っているとおもっています。
なぜなら、英語は風邪でないから、回数では、うつらないからです。
しかし、音読回数は、ゼロでは、在日の状況のなかでは
英語力はつかないとおもっています。
ゼロとは、音読50回以下だとおもいます。



【8056】
【タイトル】浜谷さん
【 日時 】03/10/29 0:33
【 発言者 】根石吉久

 私との議論以前に、浜谷さんのホームページに音読の奨めの記事があったことに関して了解しました。

 問題は、音読か多読か、ではないと思います。音読三昧をやって、多読をやっていない人には多読が大事でしょうし、多読ばかりやってきて、音読をやってな い人には音読が大事でしょう。
 どっちがより有効かとか、どっちがハウツウとして優れているかなどはどうでもいいことです。それぞれに固有の性質があり固有の効果があるというだけのこ とです。ただ、ハウツウの優劣を言うのではなく、順序を言うのであれば、個人が個人の意志でやみくもにブレイクスルーをやるというのでなく人に方法を奨め るのであれば、多読の前に音読です。
 実際、これが浜谷さんがたどられた道ではないですか。

 浜谷さん個人が、多読によって自分の英語がブレイクスルーした記憶がどれほど鮮やかであっても、そこから初心者にいきなり多読を奨めるのがベストである という結論は引き出せません。
 ともさんが、音読をやらず多読をやって英語がしゃべれるようになったと言っていますが、そういう人もいるかも知れないという程度の感想しかありません。 そういう人がいたからといって、そこから何の普遍的な方法論も引き出すことはできません。ただ単にそういう人もいるというだけのことです。意志が強固であ れば、順序を無視して、やみくもにやってもブレイクスルーは起こるだろうというだけのことです。

 そんなやり方が人に奨められるかと言えば、とんでもないと思っています。
 ともさんと同じように英語が好きで、意志が強固で、辞書をひくのを嫌がらないで、内部音声を外部音声に変換できるような音のセンスを持っていて、という 具合に条件をいろいろと揃えたとき、人々一般がそんな条件を備え持っているなどということは考えられない。
 個人がやってよかった方法が、そのまま方法論になるなどと思ったら大間違いです。
 それでいいのなら、英語使いの体験談だけ聞いていればいいのであり、何も語学論を作りあげようなどというご苦労なことをやる必要もない。そして、英語使 いの体験談なら、星の数ほどもあります。本屋にあふれている英語本を見ても、体験談以上のレベルで論を成しているものなどまずありません。

 このあたりで、音読・多読に関しての議論は打ち切りにしたいと思います。
 浜谷さんがガンコなおかげで、私も考えを一歩すすめるだけ考えることができました。
 感謝しています。




【8057】
【タイトル】ぱくぱくさん
【 日時 】03/10/29 1:00
【 発言者 】根石吉久

>わたしは、500回も1000回も音読するのは、
 そもそも根本から、やはり間違っているとおもっています。
 なぜなら、英語は風邪でないから、回数では、うつらないからです。

 「なぜなら」以後の根拠が根拠となっておりません。
 「音読」は「ウツル」ことなど期待してやるのではありません。うつる、ってそもそも何が何にうつるのですか。

 「風邪じゃないからウツラナイ」というのは、私が使い始めたフレーズですが、これは私の用法では、英会話学校なんかに通って、教室で複数の日本人が英語 ネイティヴ一人を囲んでも、そこにできるのはまともな英語の磁場ではないから、「ウツラナイ」という使い方で使ってきたものです。

 「音読」は日本語に囲まれて、日本語のシンタックスで生きている人が、英語のシンタックスを内部化するのに有効であり、すぐに根が浮き上がってしまうも のを、何度も何度も根付かせてやるために有効なのです。

 私の中に新しく生まれた仮説がありますが、ネイティヴ言語において、最初に赤ん坊の体に根付くのはシンタックス(言語構造)であるというものです。また 数十程度しか単語を知らないしゃべり始めたばかりの赤ん坊の中に、すでにまぎれもないネイティヴ言語のシンタックスは根付いているのではないかという仮説 です。そして、その前に音を聞き分けるという過程があるだろうと思います。
 語学では、単語を攻め、語法を攻め、文法を攻め、音読をやり、多読をやり、シンタックスの瞬間的な把握をやっても、日本人のネイティヴ言語(日本語)を 日常言語とするかぎり、英語のシンタックスはなかなか根付くことがなく、じきに根が浮き上がります。
 赤ん坊が最初に根付かせてしまうものが、語学では最後の課題になるのであり、ネイティヴ言語と語学の言語では、まったく別のベクトルを辿っています。

 500回、1000回が間違っているという根拠をちゃんと示してください。
 また、ああでもないこうでもないと言い続けているパクパクさんにおいて、そもそも英語はものになったのかどうか以前お尋ねしましたが、お答えいただいて おりません。
 ものになっていないのではないかと推測しておりますが、もしもそうであれば、「間違っている」も糞もない。

 やりたくない人はやらないでいればよろしいと思います。
 是非やらないでいていただきたい。
 根拠にもならないものを根拠として、「間違っている」もないものです。




【8058】
【タイトル】ぱくぱくさん
【 日時 】03/10/29 1:15
【 発言者 】根石吉久

>しかし、音読回数は、ゼロでは、在日の状況のなかでは
 英語力はつかないとおもっています。
 ゼロとは、音読50回以下だとおもいます。

 日本語として読めるように日本語を書いてくださるようにお願い致します。
 「ゼロとは、音読50回以下」って、そりゃそうですね。
 「ゼロとは、音読1回未満」でもあります。

 読めないのです。日本語が日本語として読めない。
 英語の方法論どころではない。大問題です。




【8059】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/10/29 23:49
【 発言者 】とも

私の方法は伝統的語学習得の方法に近いのではないでしょうか。
学校英語に多読を組み合わせたものと言えましょう。
私には語学の特別の才能はないと思っています。




【8060】
【タイトル】じゃかじゃかじゃん
【 日時 】03/10/30 7:39
【 発言者 】Jackie

意味不明なタイトルをつけてしまった。

ともさん

>学校英語に多読を組み合わせたものと言えましょう。
>因みに私の英語力をいいますと、英語ネイティブと一対一で喋る分には
ストレスを感じないで話せます。ただ、外人のグループの中だと
置いてけぼりを食らう率が高いです。

>殆ど記憶にないくらい音読はしてません。本を読んでいて、気にいった文章があればぼそぼそと口の中で発声するくらいはやったかも

学校英語と多読(黙読) 脳内で声をだすことはしても外に向って声をださずに
ネイティブとストレスをかんじることなく話せるようになったとは。
2、3回声にだして発音する程度と多読(黙読)でそのようになれるのなら
私も中国語 フランス語あたりで実験してみましょうか?
どのくらいのものを何冊ぐらい読めばいいですか?
また1日何時間 何年の勉強をすればよいですか?

>私には語学の特別の才能はないと思っています

学校英語と多読で ネイティブとペラペラ話せるようになったー
やはり 信じられない。ともさんには語学の特別な才能があるとしか思えない。

ともさんって もしかして 釣り? 



【8061】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】03/10/30 8:00
【 発言者 】とも

少し勘違いされてますね。
私の説明も不正確でしたが。
音読を殆どしていないと言っただけで、発声練習をしていないとは
言ってません。英会話の教材を買って練習したこともあるし、
NHKのラジオ講座も聞いたことはあります。
ただこれらはやったことがあるという程度で長く続けてはいません。
多読をしていれば、会話というのは難しくないです。



【8062】
【タイトル】ああ 勘違い。
【 日時 】03/10/30 11:33
【 発言者 】Jackie

ともさん、

>音読を殆どしていないと言っただけで、発声練習をしていないとは
言ってません。

私もともさんが まったく声に出して読んでいないとはいっていません。
>2、3回声にだして発音する程度と多読(黙読)でそのようになれるのなら
と書いています。

>英会話の教材を買って練習したこともあるし、
NHKのラジオ講座も聞いたことはあります。

これは初耳なわけでして。 またそれも どのくらいその教材を学習したのか、
またどのように勉強したのか 黙読音読リスニングなどーもわからないのでなんともいえません。
NHKのラジオを時間内に毎日きいていただけなのか それとも何度もテキストを音読したりディクテーションをしたりとしていたのか。

>ただこれらはやったことがあるという程度で長く続けてはいません

やった程度というのも人それぞれですから。
1日30分でやった程度という人もいれば 3時間勉強して「やったことがある程度」と言う人もいる。 

>少し勘違いされてますね。
私の説明も不正確でしたが。

これはちょっと待ったです。
私の説明が不正確でしたね。少し勘違いをされているようです。とおっしゃるべきでは?




【8063】
【タイトル】天才
【 日時 】03/10/30 11:40
【 発言者 】Jackie

東大にはいるのには 英語力も必要です。
文法も読解も学習して ある程度多読もしてなきゃはいれませんよね。

何人かにあったことがありますが 彼らは「英語ネイティブと一対一で喋る分には
ストレスを感じないで話せます。」というレベルには達していませんでした。

>多読をしていれば、会話というのは難しくないです。

やはりともさんは 語学の天才です。
しかし天才の勉強方を 凡人にあてはめることは出来ないと思います。

かくいう私も 語学を教える身でありながら ストレスを感じることなしに英語を話すことなどできません。 情けないですね。



【8065】
【タイトル】Jackieさん  
【 日時 】03/10/30 20:23
【 発言者 】とも

多読をしていれば、会話は少しの訓練で出来るようになります。
これが私の言いたいことであり、どのくらい会話をやったとかは
重要ではないと思います。

>これはちょっと待ったです。
私の説明が不正確でしたね。少し勘違いをされているようです。とおっしゃるべきでは?

私は、音読を殆どしていないと言ったのであり、会話を勉強してないとは言ってないです。
Aをしないことは、Bをしないことを意味しない。これは言わずもがなの当たり前の
ことですよね?




【8067】
【タイトル】わからんじん
【 日時 】03/10/31 7:22
【 発言者 】Jackie

英語まわりは わからんじんだらけ。 私も含めて。
わからん人同士が わかりあうことは不可能なのかもしれない。                          




【8068】
【タイトル】どのくらいやったかは重要です。
【 日時 】03/10/31 7:42
【 発言者 】Javckie

>多読をしていれば、会話は少しの訓練で出来るようになります。
これが私の言いたいことであり、どのくらい会話をやったとかは
重要ではないと思います。

重要です。それは どのくらいの量が人によって違うからです。
「多読をやっていれば 会話は少しの訓練でできるようになる。」
その 「少し」は
1日30分で「少しの訓練」という人もいれば 3時間勉強して「すこしの訓練」と言う人もいるからです。 

だから私は ともさんが
>これは初耳なわけでして。 またそれも どのくらいその教材を学習したのか、
またどのように勉強したのか 黙読音読リスニングなどーもわからないのでなんともいえません。
NHKのラジオを時間内に毎日きいていただけなのか それとも何度もテキストを音読したりディクテーションをしたりとしていたのか。
をたずねているのです。
 
ともさんの学習法を 試してみたい人がいるかもしれません。
何をどのくらい どのようにやったのかは 指針になると思いますので
書いていただけませんか?

>私は、音読を殆どしていないと言ったのであり、会話を勉強してないとは言ってないです。
>ただこれらはやったことがあるという程度で長く続けてはいません

会話を勉強していないとはいっていない(やっている) 
しかし これら(英会話教材、NHK)はやったことがある程度=多読をしていれば会話は少しの訓練でできるようになる。 では 私にはよくわからない。わ からんじんの私にわかるように 説明お願いします。




【8069】
【タイトル】しつこいですが。
【 日時 】03/10/31 8:03
【 発言者 】Jackie

>音読を殆どしていないと言っただけで、発声練習をしていないとは
言ってません。英会話の教材を買って練習したこともあるし、
NHKのラジオ講座も聞いたことはあります。

ん?
これらを 声をだして読むことも音読 じゃありませんか?
「会話を勉強」 するときにテキストを声をだしてよむ。これも音読。ともさんの言い方では発声練習?
やはり どのくらいは重要だ。 2,3回なのか 50回なのか。




【8070】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】03/10/31 22:21
【 発言者 】とも

また誤解されているようなので説明します。
初めから英語ネイティブとストレスなく会話できたわけではありません。
英語は慣れです、場数です。



【8072】
【タイトル】大風呂敷過去ログより Naimaさんのドイツ語学習記1
【 日時 】03/11/01 8:31
【 発言者 】Jackie

【3728】
【タイトル】ドイツ語
【 日時 】02/07/14 21:50
【 発言者 】Naima
ドイツ語についてお話が出ていましたので、その経験だけ、ちょっと書いておきます。

集中講座の160時間で一応文法のほとんどは習い終えてしまいます。 初級検定(ゲーテ学院が主催する世界共通の検定)で必要な語彙は2300程度、と聞 いた事があります。 英語が出来ればドイツ語収得に有利ではないか、との事ですが、クラスメートの中では、アメリカ人3人、英語がそこそこ出来る私、でビ リッケツを争ってました。 似ている単語や文法がなまじ似ていても、あんまり関係ない用です。 生活がかかっているトルコ人や中国人の人達の方が上達はは やかったです。 ドイツ語圏にいてドイツ語の磁場の中にある人達でも、やはり勉強をしなければ会話力はつかない様です。 当たり前ですね。 私も朝から夜 までドイツ語放送を聞いてすごしましたが、有用な言い回しや単語などは覚えますし、聞き取りの勘も良くはなるのですが、やはり新出単語をつかい人称代名詞 ごとに作文して添削を受けたり、自分でsubstitution drill をやって音読/暗唱して実際に町中で使ってみない事には、活用出来ません。 この様な基礎勉強は語学に関しては、たとえ磁場のあるところにいたとしても、 外国語であるかぎりは、必要不可欠だと思います。

なおヘンゼルとグレーテルなど良く知っている話は、背景知識が豊富なので、多少未知の単語が沢山あったとしても、推測が容易く、当然、筋も理解しやすいで す。 
 



【8074】
【タイトル】大風呂敷過去ログより Naimaさんのドイツ語学習記2
【 日時 】03/11/01 8:41
【 発言者 】Jackie

【3730】
【タイトル】ドイツ語つづき
【 日時 】02/07/14 22:35
【 発言者 】Naima
ごめんなさい、320時間でした。 毎日4時間でだいたい3ヶ月です。 ただ、ドリルやワークブック、新出単語をつかって文章を書く、などの宿題をする時 間が、毎日4〜5時間くわわります。 土/日は月曜日の復習小テスト(90分)の為にやはり毎日きっちりやれば、半日ぐらい潰れると思います。 もしドイ ツ語だけにかかりっきりになる時間の余裕があればですが。  ハンブルク大学の入学資格が400時間ドイツ語を学習した、と言う認定証を添付しないといけ ないそうです。 これはドイツ語学校の集中クラスの初級を終了して、あと応用クラスで1〜2ヶ月学習する、と言う程度だと思います。 ただダイレクトメ ソッドというんでしょうか、ドイツ語をドイツ語で教えると言う方式ですから、最初はとてもしんどいのです。 文法用語などは英語と酷似しているので、英語 の文法用語などを知っている人には有利かもしれませんが、所詮用語なので、文法説明を受ける際にわかっておればいいだけの事で、これで英語をはなせない人 と差がつく、などど言う事は全くありません。

これで、名目上は、ドイツ語を1人でなんとかやっていけるレベル、と言う事になると思います。 この400時間の間には多読についやす時間の余裕は到底な い様に思います。 たとえマンガや幼児向けの絵本であったとしても、多読はちょっと無理です。

もちろん、ドイツ語圏にいれば、発語の機会も多いですし、読書とはいえなくても「シュターン」や「シュピーゲル」という様な雑誌や新聞を読む機会もありま すし、時にはドイツ語の小説を読む機会もありますが、基礎の400時間の間に「多読」をする余裕はありません。 

しかし3ヶ月四六時中、基礎をみっちり学習した後であれば、多読と多聴だけで語学を修得すると言う道も開けてくるのでしょうが、
やはり文章や語彙を活用する為には、書いたり読んだりして反復練習をしなければ、口をついて出て来る様にはならないと思います。 これは、経験上、はっき りとそう思います。

なお余談ですが、ゲーテ学院の検定の中級資格を取得していれば、医者/弁護士などの専門的な仕事をドイツで営む事が出来るそうです。 ドイツ語を外国で教 える事も出来るそうです。 もちろん各専門分野での資格は取得しなければなりません。 ドイツ語が出来って、医者資格がなければ、あきません。 当たり前 の事を言って、すみません。 
 



【8076】
【タイトル】大風呂敷過去ログより Naimaさんのドイツ語学習記3
【 日時 】03/11/01 8:55
【 発言者 】Jackie

【3766】
【タイトル】ドイツ語
【 日時 】02/07/15 8:14
【 発言者 】Naima
根石さん、

英語力がドイツ語を学ぶ際の助けになっている事は認めますが、似ていながら微妙に違う文法がかえって紛らわしかったりもします。 どっちにしろ、初心に なって勉強しないと、どないにもならしません。 その意味では、英語力が多少あっても、あまり有利だとは言えない様な気がします。 

齋藤さん、

320時間のドイツ語の基礎がおわった状態は、日本の高校生の英語のレベルだと思います。 これが終わったからとて、スラスラ多読に入れるとは言っていま せん。 Erich Kastner の児童小説「飛ぶ教室」や「エミールと探偵達」などを1ヶ月くらいかけて読んで、50%っくらいの理解です。 (これは私の場合です。 小テストでは5段 階評価の3の下くらいのドイツ語力です。 会話力はもっと下で、2の下くらい) 辞書はほとんど引きませんが、ドイツ語の先生にわからない所は先生に聞い ています。 

このレベルの小説は、平均1ページに250語、200ページの量です。 集中力のみなぎっている時には、60分で10〜12ページくらい読めます。 理解 度は50%程度。(この作家の本は子供の頃に日本語で読んでいるので、大体のストーリーを覚えている、というメリットがあります) 理屈の上では、1冊読 むのに20時間程度ですか。 1週間に1冊くらいはがんばれば読めるかもしれません。 1年に52冊。

けれど、出来のあまりよくない高校生が、多読で勉強する、と言うのと良く似た状態に私自身がいるわけで、こういう状態で、1ヶ月に5冊も6冊も読むのは非 常に難しい様に思います。 こればっかりにもかかってられませんし。 1年に数十冊読む程度を、「多読」とは言えない、と私自身は思っているのです。 普 通の読書家、程度の量では「多読による学習」は出来ないだろう、と思ってるのですが、どうでしょうか? 齋藤さんは、成績が中の下、の生徒が多読で英語を 修得するには、どの程度の量をどの程度の期間、読めばいいとお考えでしようか。 そしてどの段階でブレークスルーを迎える事が出来ると御考えですか? も し、ご経験に基づくおおざっぱな目安でもあれば、わかりやすいのですが。



【8078】
【タイトル】繰り返し
【 日時 】03/11/01 9:30
【 発言者 】Jackie

大風呂敷過去ログより
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/#return

2798 繰り返し(1) 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 2日(木)04時10分13秒

私は、「電話でレッスン」というものをやっていて、復習範囲のテストを常時行う。「復習範囲を手放さない」という原理を一つ置いてあり、レッスンによって 「繰り返し」が生じるようにシステム化してある。生徒が「繰り返し」を繰り返すように、テストを繰り返す。いずれにせよ、原則は「繰り返し」なのである。
 「繰り返し」が必要な理由は、日本には英語の磁場がないという一事に尽きる。あるいは英語圏のように英語の磁場においてでも、語学では「繰り返し」が必 要であるのかもしれないが、日本で英語をやる場合に比較すれば、はるかにその必要は少なくて済むのではないだろうか。これは、日本にだけ住んで英語をやっ てきた経歴を身上としている私には、正確なところはわからない


ともさんのおっしゃる通り 多読は英語力を伸ばす上で効果があります。
しかしそれは 音読や構文入れ替えなどの 「繰り返し」をし基礎を作った上でのことです。

>私は初心者というと 中学二年程度の英語力がある人を想像します。巷の英会話学校に入学してくる生徒、高校生 大学生 社会人のほとんどがこのレベルで  もっと現実にいうと彼らは中学二年程度の作文力(=会話力)もありません。英語をパズルのように勉強したり英語の文法用語の学習はしてきたが 音読や  構文の血肉化(暗記ではない)をあまりしていないからです。
 
>その場合 多読より少ない文章をモノにすることのほうが優先されるべきです。
まずは広く薄くより狭く深くです。 型を極めることといってもいい。
2,3冊教科書をつぶすほど音読したり 構文を言い換えたり。その構文を使って簡単な英作文をしたり。
それをやった上で 多読は初めて有効となり 英語の力を伸ばす上で効果がでてくる。
先に多読ありきでは絶対にない。

ともさんは 音読はあまりなされてないとのことでしたが
「繰り返す」ことはされたのでしょうか?例えば一冊の本を何度も何度も読むとか。
NHKの語学番組のテキストを繰り返し音読した とか。
どのくらい「繰り返し」をされましたか?

>初めから英語ネイティブとストレスなく会話できたわけではありません。
英語は慣れです、場数です。

どのくらい場数をふんでから ネイティブとストレスなく会話ができるように¥なられたのでしょうか? 英会話学校 駅前留学 海外留学のご経験はおありで すか?
また多読とは 何冊ぐらいよんだのでしょうか?



【8079】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】03/11/01 18:52
【 発言者 】とも

「繰り返し」は殆どしていません。英会話の教材(クラークのなんとか)を買って
練習したことはありますが、すぐ飽きてやめてしまいました。
本は、100冊くらいでしょうか。数えてないのでよく分かりません。
場数と言ってもたいしたことはありません。
ヨーロッパに3ヶ月ほど旅行したことがありましたが、それが
初めて英語を本格的に喋った時といっていいでしょう。
ほとんど英語で苦労した覚えはありません。
ヨーロッパの人も英語は得意とは限らないことも理由でしょう。
相手の言うことが分からなければ、もっとゆっくり喋ってください
と頼めばすみます。しかし、普通は、こう頼む必要もありません。
相手は私が英語ネイティブとは夢にも思わないでしょうから。



【8080】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】03/11/01 23:58
【 発言者 】Naima

久しぶりに自分の文章を読んで、日本語ですら無茶苦茶なので愕然としました。根石さんがよくおっしゃってる様に、母国語が大事ですわ。 猛省しています。

私はJackie さんのおっしゃった「型を極める」事と音読/回転読みに専心している毎日です。これが私の語学学習の基本になっています。 

つい先だって、ある国立大学の英語講師が「どんな野球の選手でも素振りは欠かさないのと同様、語学のプロならば音読を奨励するだろう」と言っていました。  しかもこの人は、今だに御自分でも音読をやっているらしいのです。 ちなみに、私の英語の先生(アメリカ人)に言わせると、「彼と初めて会った時、ネイ ティブスピーカーかと思ったほど、確かな英語をしゃべる」人だそうです。  

グズグズの英語でしゃべる事を恐れていてはいけないけれど、学習者はきちんとしたステップを踏んで勉強した方がいい。 外国語学習をなめてかかってはいけ ない。 「型を極め」てこそ運用力や応用力もつき、「とっさの一言」も出てくると言うものです。 



【8081】
【タイトル】ともさん
【 日時 】03/11/02 0:30
【 発言者 】Naima

Jackieさんは、ともさんに執拗に食下がってはる様に思われるかも知れません。 でも Jackie さんの執拗さは、「学習者の為に、もっと具体的なアドバイスを」と思っておられるからに他ならないと思います。 ともさんはかなり英語が流暢な方だとお見 受けします。 ならば、ますます、ともさんの学習経験を具体的に聞きたい、と思うのです。 多読以外にたいした学習はしていない、とおっしゃってしまわれ ると、学習者の中には「多分、語学の才能がありはるねんわ。 うちらは無理や」と意気消沈してしまう人も多いと思います。 

掲示板では言葉のニュアンスがうまく伝わらないので、誤解が生じるのが恐いのですが、皮肉でも嫌味でもなく、素直な気持ちで、ともさんの学習経験を具体的 にお聞きしたいのです。 是非是非、御自分の学習過程を詳しく分析して、皆さんに教えてあげて下さい。 



【8082】
【タイトル】Naimaさん
【 日時 】03/11/02 4:45
【 発言者 】とも

最初は辞書をひきひき本を読んだと書いています。
これはかなり忍耐を要するので、多くの人はこれが出来ないのだと思います。
さらに学校英語の重要性も指摘しました。学校で習う文法の基礎的なことは
覚えておく必要があります。さらに、単語の発音を調べることの重要性も指摘しました。
これらの基礎の上に多読があるわけです。
あとは読んで読みまくるだけです。シドニーシェルダンは簡単な英語で面白いので
お奨めです。読むコツはわからない個所が少しあっても気にしないで読み進める
ことです。わからない所が一杯ある本は避けます。
多読の他に何をしたらいい?
会話だけなら英会話の教材(例えばクラークのなんとか、それも第1巻のみ)を
買って練習すればよいでしょう。
これで簡単な会話は十分ですが、もっと進みたいなら、
映画を字幕なしで見るとか、英語ニュースを聞くとかすればいいでしょう。
これも、続けるこつは、わからないことを気にしすぎないことです。



【8083】
【タイトル】もしかして
【 日時 】03/11/02 9:09
【 発言者 】Jackie

「誤解されているようです。」「指摘」などの言葉づかい。論点ずらし。説明の後だし。
多読。100冊の洋書読破。高校二年のペーパーバック。
クラークの口語本。

ともさんとは 前にお話したことがありますね。 この掲示板上で。去年の夏ごろ。
違いますか?



【8084】
【タイトル】多読
【 日時 】03/11/02 14:13
【 発言者 】Naima

ともさんがおっしゃったように、「基礎の積み重ねの上に多読がある」と言う事です。 

でも、多読が会話力をつけるのに効果的かどうかを云々する前に、ひとつ疑問があるのです。 学校での6年間の基礎の積み重ねがあって、何故、会話力だけが つかないんでしょうか? Jackieさんが毎度毎度言われている様に、基礎構文を元にしたパターンプラクティス、それを利用した自由作文、そこで使われ た文の音読や反復練習がスッポリ抜け落ちてしまっているからだと思います。 根石さんの「技法グラウンド」や「回転読み」を、生徒達にやらせるべきです。  中学3年までの英語がしっかり身についていれば、相当な会話が出来ます。 

学校の英語は「問題解き」に終わってしまっています。 私は英語教室の生徒達に中間期末テストの補習をしてやる際、学校の文法問題に出て来た文は全部音読 させています。 「いづれ使う機会が来るねんから、全文を音読し倒して口に覚えさせとき。」と言っています。 文法問題の空欄を埋める事が出来、書換え問 題が出来たとしても、その文が口からついて出て来ないのではやってる意味がありません。 

生徒に長文を朗読させてみると良くわかるのですが、聞きやすい朗読をする子はたいてい内容を理解しています。 私はその反対もあると思うのです。 ちゃん と読める様にしてやれば内容理解の大きな助けになると思います。 

sight reading などと言うテクニックも、「訳ワカメ〜」状態の子供には無理な話です。 どこで切れ目を入れたらいいのか判る、と言う事は英語がわかってる、と言う事で す。 それをやるならば、まずその文の音読コーチをしてやってからの方がいいのです。 それよりも、みすみす文をブツ切りにしたりする様な歪な教え方をし ないで、丸ごとの日本文を与えてやった方がいいかもしれません。 頭から読み下すも何も、丸ごと飲み込んで消化するわけです。




【8085】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】03/11/02 18:22
【 発言者 】とも

誰かと勘違いされてるようですね。



【8086】
【タイトル】Naimaさん
【 日時 】03/11/03 2:53
【 発言者 】とも

中学3年までの学習内容では日常会話といえども、語彙や熟語、決まりきった言い方など
の知識がまるで足りません。これらの知識を日本に在住しながら得るには、
多読は必須でしょう。ただ、海外旅行で使う必要最小限の英会話なら、この限りでは
ありませんが。



【8087】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/11/03 6:53
【 発言者 】とも

音読大いに結構じゃないですか。私は音読賛成ですよ。
ただ、アウトプットよりインプットが重要というのは
大原則だと思います。このことは学校では教えられていない。
すくなくとも私が学生の頃は。インプットの絶対量が少な過ぎるのです。
教えるほうからすれば、ただ本を読みなさいじゃ芸がない。
本を読むだけなら教師はいらないですからね。
英会話学校でもそうでしょう。アウトプットばかり教える。
何故なら、インプットを教えるのは、あまり金にならないからです。




【8088】
【タイトル】語彙
【 日時 】03/11/03 7:36
【 発言者 】とも

ある程度の知的な会話をするには、語彙は最低でも1万は必要でしょう。
この語彙を身につけるのに多読以外の方法がありますか?
勿論、日本に在住しての話です。




【8089】
【タイトル】インプット
【 日時 】03/11/03 8:29
【 発言者 】パクパク

英語を朝から晩まで、シャワーのようにあびるのも
インプット重視の学習法でしょう。
ただ聞くだけなので、楽です。
欲耳に入りやすいのですが、アウトプットの方がはるかに重要と
おもわれる。
理由は、インプットでは、いくら聞いても、イントネーションがうつらない。



【8090】
【タイトル】シャワー
【 日時 】03/11/03 9:31
【 発言者 】とも

ただ聞くだけなんてこれっぽっちも言ってないですよ。
意味のわからない英語をいくら聞いても駄目です。
だから多読と言ってるんです。



【8091】
【タイトル】基礎 多読 インプット アウトプット 
【 日時 】03/11/03 10:53
【 発言者 】Jackie

ともさん。
人違いをし 少々荒っぽい言葉を使い 大変失礼いたしました。
お詫びいたします。

>中学3年までの学習内容では日常会話といえども、語彙や熟語、決まりきった言い方など
の知識がまるで足りません。これらの知識を日本に在住しながら得るには、
多読は必須でしょう。ただ、海外旅行で使う必要最小限の英会話なら、この限りでは
ありませんが。

まず Naimaさんも私もそれから この掲示板上のみなさんも多読に反対はしていません。
「基礎の積み重ねの上に多読がある」と言う事です。そうです。
逆に基礎ができていないのに多読をしても効果は薄い。といっているのです。 

Naimaさんがおっしゃる通り
>学校の英語は「問題解き」に終わってしまっています。文法問題の空欄を埋める事が出来、書換え問題が出来たとしても、その文が口からついて出て来ないの ではやってる意味がありません。

そう今の学校の英語の授業で基礎が身につくとは到底いえないのです。
特に去年から学習指導要領が変わり新しい教科書になりました。
知人のAETによると今年の生徒は去年の生徒より学力が低いそうです。彼らは中学3年から内容削減されコミュニカティブ重視の新しい教科書を使っていま す。再来年の高校一年生は中学3年間を新しい教科書、授業が週3時間で卒業したことになり 彼らの英語力が不安になるばかりです。

語彙や熟語、決まりきった言い方などの知識を増やす前に まずは英語の骨組を口の反復練習と頭と体でものにすることが優先されるべきです。 それができる と英語を読むのが楽に楽しくなり、読みたいなと思うようになります。英語力を伸ばす上でも効果的、そして英語の読書の楽しみがうまれてくるわけです。洋書 の楽しみはこの掲示板でも何度ももちあがっていますね。

大学生 社会人でも同じです。しっかりとした礎がきづかれていないため
英会話学校で 中学1,2年の現在形過去形をつかった文章をならっているのです。
彼らはインプット(地道な基礎訓練 +単語を増やす努力)なしに アウトプット=会話をしようとしているのです。1年通ってみにつくのは 挨拶と簡単な自 己紹介にちょっと輪をかけただけ
ぐらいだったりするのです。
これも根石さん曰く「英語は風邪じゃないからウツラナイ。」のにエイカイワガッコーの催眠術にかかってウツルように勘違いしてしまっているのですね。

>アウトプットよりインプットが重要というのは大原則だと思います。

根石さんの言葉でしたか、「たべなけりゃうんこはでない。」
しらない言葉は使えない、話せない。
インプットなしには アウトプットはできない。
インプットもアウトプットも大事ですね。




【8093】
【タイトル】大風呂敷過去ログより さすがエリオットさん
【 日時 】03/11/03 19:53
【 発言者 】Jackie

【3982】
【8094】
【タイトル】Lest I be misunderstood
【 日時 】02/07/29 18:48
【 発言者 】Eliot
私は多読に賛成です。多聴も大切だと思いますが、英語の音の
聞き取りに難がある日本人学習者が漫然と英語に耳を傾けても
時間の無駄に終わる心配があります。細かいことが聞き取れないと
英語が頭に定着しないでしょう。

一方、初歩の段階での英語の音作りの訓練を済ませた学習者は、
印刷された文字から英語の音を読み取り、頭の中で英語の音を
再生する能力を身につけていますから、多読によって英語力を
伸ばすことが可能だと私は思っています。これは多読を通じた
多聴であるとさえ言えるのではないでしょうか。

もちろん、通常の速さの発話に慣れ、聞き取り能力を高める
ためにたくさんの英語を聞くことは大切なことです。しかし、
これとても、音作りの過程をすっ飛ばしたままでは効率の
悪いものとなるでしょう。聞き取れないものを何度聴いても
十分なインプットとなるはずがないし、不正確な聞き取りで
正確な英語力を高めようとしても、それは無理でしょう。

初歩の段階で基礎文法の理解と運用力を養成を英語の音作りと
一緒に行ない、中学校の教科書レベルの英語が十分に聞き取れ、
読んで内容を理解することができ、それを英語の音声で音読する
ことができるようになったら、「多読+多聴+多書+話す練習」
でさらなる英語力の向上をはかることができると私は信じて
います。



【8095】
【タイトル】ともさん
【 日時 】03/11/04 6:42
【 発言者 】Naima

中学三年生までの教科書程度の事さえ充分に使いこなせている学習者は意外と少ないもんです。 これを核に語彙を増やせば相当の会話が出来ます。 



【8096】
【タイトル】それと...
【 日時 】03/11/04 7:06
【 発言者 】Naima

一万語はだいたい英語検定で言えば準1級合格、1級合格には及ばない、程度の語彙数でしょうか。 年に100册を読むとして何年かかるでしょう?  

ともさんの論を読ませて頂いていると、斉藤さんとグダラグダラ繰返した多読論に対する答と同じなってるのに気付きました。 私はひっこみます。



【8097】
【タイトル】Naimaさん
【 日時 】03/11/04 7:56
【 発言者 】とも

1万語覚えるのに100冊読む必要があるなんて書いてません。
それに語彙とは関係なくても、何がなんでも100冊読む必要
があるとも言ってません。しかし、ある程度読まなければ
英語はものにならないんですから、あきらめてやるしかない
ですね。誤解のないように言いますが、英語ネイティブと
話せる環境にある人は、別ですよ。



【8099】
【タイトル】Naimaさんへ
【 日時 】03/11/04 19:56
【 発言者 】とも

前にも書いたとうり私は斎藤さんという人とは別人です。
Ad hominem という言葉をご存知ですか?
私が誰だろうと、そんなことはこの議論に関係ないことです。
ここは、仲良しクラブではなく英語論をするところですよね?



【8100】
【タイトル】素読
【 日時 】03/11/04 23:31
【 発言者 】パクパク

素読の素は、素うどんの素。
あまりにも奥が深い。
深すぎる。
貧者の強み。
素読行為そのものに、目的をもたない。
しかし、そばに必ず、生身のコーチがいる。
生徒に勝手に、素読させているわけではない。

素読は、音読を超える。



【8102】
【タイトル】偶然にしては・・・似すぎと言いたくなりますな
【 日時 】03/11/05 2:35
【 発言者 】ご参考までに

↓この掲示板より転写@
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Naimaさんへ 投稿者:とも  投稿日:11月 4日(火)19時56分08秒

前にも書いたとうり私は斎藤さんという人とは別人です。
Ad hominem という言葉をご存知ですか?
私が誰だろうと、そんなことはこの議論に関係ないことです。
ここは、仲良しクラブではなく英語論をするところですよね?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓古川さんの掲示板より転写A
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
斎藤伸夫
Sunday, November 02, 2003 at 20:37:36 (JST)

Rayさんの書いてることは、私の持論とほぼ同じですね。
特に、わからないことを気にするなというあたり。
日本人は悪い意味の完全主義者が多いので、
どうしても気になるんですよね。それで結局、読まない、聞かない
となって、英語が出来ない。それと、簡単なものを馬鹿にする傾向もある。
それで、簡単なものも読まない。駄目だこりゃと言いたくなりますな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓大風呂敷連絡帳より転写B(今年の10月25日)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
殿ご乱心? 投稿者:とも  投稿日:10月25日(土)18時20分18秒

失礼ながら、スピード違反の件は根石さんの八つ当たりに思えますな。
高速道路であってっも法定最高速度が決まっている。
120、30キロ程度では、警察も大目に見ている。
しかし160キロじゃしかたないでしょう。
速度無制限に法律を改正したらいい? それはまた別の話になりますな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓大風呂敷連絡帳より転写C(昨年の10月3日)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
根石さん 投稿者:斉藤伸夫  投稿日:10月 3日(木)22時51分55秒

で、結局、私があなたに締め出された理由は何だったんですか? 前にも書きましたが、犯罪者だって判決の前にその理由を知る権利があるんですから、犯罪者 でもない私なら、なおさらだと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

@のリモートホスト⇒YahooBB219184112076.bbtec.net
Bのリモートホスト⇒YahooBB219184112076.bbtec.net
Cのリモートホスト⇒YahooBB219184112021.bbtec.net




【8105】
【タイトル】ご参考までにの下司野郎へ  
【 日時 】03/11/05 19:41
【 発言者 】とも

俺のホストIDをかってに公開するなよ。
馬鹿野郎。取り消せ。



【8106】
【タイトル】多読を推薦する人
【 日時 】03/11/05 21:04
【 発言者 】パクパク

音づくりのあとに、多読をする人と
音づくりのないなかで、多読を繰り返す人では
その英語力はちがってくるでしょう。
しかし、多くの日本人は、音づくりをしていないわけですから
この環境のなかで、多読を薦める人は、どういうメンタリティを
もっているのでしょうか?
まず、音づくりを強調しておくほうが、親切だとおもいます。

例)
The Queen did not like him,
No more did the King.

単語は、すべて簡単。
しかし、意味がとれないのが普通だとおもいます。

ここにコーチがいて、イントネーションとシンタックスを
外示的に指導して、この英文を音読訓練をすれば、
意味がわかるようになるとおもいます。



【8107】
【タイトル】音づくり
【 日時 】03/11/06 0:10
【 発言者 】とも

だからさ、音づくりは必要だって言ってるでしょ。
すればいい。しちゃいけないなんて言ってない。
だけどさ、音づくりを2年も3年もやる必要はないよね。



【8108】
【タイトル】Naimaさん
【 日時 】03/11/06 18:43
【 発言者 】sb

>中学三年生までの教科書程度の事さえ充分に使いこなせている学習者は意外と少ないもんです。 これを核に語彙を増やせば相当の会話が出来ます。
 
まったくその通りだと思います。中2〜中3あたりの「教科書で出てくる英語」は実際の運用レベルに達している人はほとんどいないと言っても過言ではありま せん。ほとんどの英語学習者だけでなく、指導者全員もそれらのレベルを日々「練習」し続けるだけでも、日本国内の英語学習状況はかなりよくなることでしょ う。

Naimaさん、掲示板でたいへ失礼ですが、いつでも結構ですので、一度お会いできれば大変光栄です。もちろんNaimaさんがOKされて、かつご都合が つけばですが。。。(根石さんにたしか奈良在住ということを伺ったような記憶があったので。。。<間違っていたらごめんなさい>)




【8109】
【タイトル】中学3年まで
【 日時 】03/11/06 19:24
【 発言者 】とも

中学3年までの英語で基本は十分というのは、耳たこになるくらい言われている
ことです。私も、勿論賛成です。だけど、語彙はどうするんですか?
中学までだと、2000語くらいでしょ。これじゃまるで駄目です。
海外旅行での簡単な英会話ならこれでいいでしょうが。



【8110】
【タイトル】Ad hominem
【 日時 】03/11/06 19:32
【 発言者 】とも

議論で形勢が悪くなると、相手の個人攻撃に移る。
欧米人もこの傾向なきにしもあらずですが、日本人ほどひどくはない。
彼らは、小さいときからディベートに慣れているから、そのような
ことはフェアではないということをよく承知している。
大統領選挙などになると別ですが。
だけど、それは一般のディベートとは性格が異なるから話は別です。




【8112】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/11/06 23:38
【 発言者 】Naima

音読サークルに行かれているとお聞きしていますが、今度はいつ行かれますか? 土曜日は学校と仕事とで潰れてしまうのですが、1ヶ月前くらいになら、一度 くらいは都合がつくかもしれません。 サークル会場の近くですので、我が家に来て頂いてもよし、どこかでお会いするのも良し。 ご都合の良い日時を「鬼」 にお知らせ下さい。 




【8114】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/11/07 21:18
【 発言者 】とも

中学の英語教科書を何回も音読し、文法もマスターしたが多読はほとんどしてない人と、
音読はしないが、多読をした人がいるとしましょう。私は、後者のほうが英語の力は、
遥かにあると思う。早い話、意思疎通には筆談だって可能なはずです。
だいたい日本にいて英語を話す機会なんてそうそうないでしょう。
しかし、英語の原書がスラスラ読めるというのは、かなり役に立つ能力です。
何も、実用だけが英語をやる目的とは限らないですが、この点でも多読派の
ほうが有利であるといえましょう。



【8117】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/11/07 22:29
【 発言者 】とも

私がここを追い出されたのは、早い話が根石さんの怒りを買ったからでしょう。
つまり私の論が気にくわない。前にも言いましたが、それなら公平を装いなさんな。
自分の気にくわない意見はお断りとはっきり書けばいい。おべっか使いの
追従者だけここに書き込むべしと書けばいい。



【8118】
【タイトル】文は人なり
【 日時 】03/11/07 23:11
【 発言者 】ご参考までに

この掲示板から転写
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Jackieさん  投稿者:とも  投稿日:11月 2日(日)18時22分57秒

誰かと勘違いされてるようですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Naimaさんへ 投稿者:とも  投稿日:11月 4日(火)19時56分08秒

前にも書いたとうり私は斎藤さんという人とは別人です。
Ad hominem という言葉をご存知ですか?
私が誰だろうと、そんなことはこの議論に関係ないことです。
ここは、仲良しクラブではなく英語論をするところですよね?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(無題) 投稿者:解答2  投稿日:11月 5日(水)07時57分41秒

>あはは
だれもそんなこと言ってないのに
語るに落ちたな(笑)

言ってるだろうが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご参考までにの下司野郎へ   投稿者:とも  投稿日:11月 5日(水)19時41分07秒

俺のホストIDをかってに公開するなよ。
馬鹿野郎。取り消せ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ご参考までに」さん   投稿者:とも  投稿日:11月 6日(木)19時37分10秒

お主は斎藤とかいう人の隠れファンじゃないのか?
そうでなけりゃ、あれほど彼の言動、しかも1年以上前のを追ったりしないだろ、普通?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自らウソをつき、Jackieさんに謝らせたりしておきながら、そのことを
反省する様子のかけらもないですね。まさに、文は人なり。けだし、名言。



【8120】
【タイトル】文は人なりA
【 日時 】03/11/08 0:19
【 発言者 】ご参考までに

「文は人なり」を英語では You[We] are what you write.と言います。



【8121】
【タイトル】文は人なりB
【 日時 】03/11/08 0:20
【 発言者 】ご参考までに

訂正です。
「文は人なり」を英語では You[We] are what you[we] write.と言います。



【8122】
【タイトル】「私」様
【 日時 】03/11/08 0:57
【 発言者 】根石吉久

まずは、あなたが書いた一記事の全文を掲げます。

----------------------------------------------------
(無題) 投稿者:とも  投稿日:11月 7日(金)22時29分44秒

私がここを追い出されたのは、早い話が根石さんの怒りを買ったからでしょう。
つまり私の論が気にくわない。前にも言いましたが、それなら公平を装いなさんな。
自分の気にくわない意見はお断りとはっきり書けばいい。おべっか使いの
追従者だけここに書き込むべしと書けばいい。
----------------------------------------------------

 「私がここを追い出された」の「私」とは誰のことなのでしょうか。
 私は、ともさんをここから追い出したことはありません。
 でたらめを書かないで下さい。こういう事実無根を平気で書くような人にはアクセスを拒否します。

 この掲示板からかつて「追い出された」ことがあるのは斎藤伸夫という人だけです。
 斎藤伸夫に対してのアクセス拒否の理由は過去ログにあります。ここに繰り返すつもりはありません。

 以上の理由により、「私」がどちらであっても、この「私」からのアクセスを拒否します。

追伸(「俺」モード)

>つまり私の論が気にくわない。前にも言いましたが、それなら公平を装いなさんな。

 この掲示板のタイトルに、「反英語フリーク」を明記してある。
 俺は最初から、「公平」なんぞやる気がないのがわからんか。
 誰もでずっぱりの虚栄心を相手にしている暇はないのだ。
 自分で掲示板を作って、そこへ人を呼んだらいいじゃないか。その掲示板で一つでも二つでもまともな語学論が穫れたなら、あんたの言う「私の論」にもなん らかの普遍性があるということだ。俺は、一つだってそんなものが穫れるわけがないと思っている。あんたは、我が強く、虚栄心が強く、論点を横ずらしするこ とに長けているだけだ。そんな者が掲示板など作ったみたところで、語学論の一つだって穫れるわけがない。俺の言うことが嘘だと思うならやってみな。黄色い 掲示板は開けてあるから、耳にタコができたようなものでないものが穫れたら報告してごらん。見に行くから。



【8126】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/11/08 2:08
【 発言者 】根石吉久

「電話でレッスン」を受けて 投稿者:tiny sand  投稿日:10月31日(金)13時45分09秒

1年3ヶ月程になります。久しぶりに感想をまとめて見たいと思います。

 私は最初に根石さんの発音を聞いた時、「上手だなあ」と思ったことはもちろんですが、
「あっ、音が生きている」と感じました。こういう指導をしてもらえるところは、他に聞いた事がなかったので、初めてレッスンを受けた時は、大変感激しまし た。

 私は「回転読み」をしている時、子供の頃、父の靴を磨いていたことを、ふと思い出す事があります。先ず埃を払い、チューブからクリームを出してあちこち に点々とつけて、布で伸ばすとどんよりとした黒い色になります。それをせっせせっせと磨いていくうちにキュッキュッと音がして、少しずつ光り輝く黒になっ ていきます。そして、最後は新品のようにピカピカになっていく過程が大好きで、よく靴磨きをしたものでした。父がニコニコして喜んでくれたことは、言うま でもありません。

 「回転読み」も新しい文は、知らない単語、難しい発音や連音があったりして大変ですが、50回、100回と読んでいくうちにスラスラと文が出てくるよう になった時は、「苦あれば楽あり」と思わず言いたくなるほど、嬉しいものです。

 先日、夫の書道の先生が「お手本を書く時は、100枚は練習しますね」と話しておられましたが、「ああ、やっぱりね」と私は思いました。何事をするに も、100という数字は一つの目安になるようですね。
 私の姉が根石さんの奥様と同じ職業で、今、漢方の勉強をしているのですが、「なかなか名前を覚えられない」と言っていたので、「100回、言え ば...」と私が言ったら、「そうね、100回ね。やってみる」と喜んでいました。

 私が「電話でレッスン」を受けていちばん嬉しかった事は、100回読めば何とかなると思えた事と日本語ではなく英語が頭に残ることです。学校で「ヘレ ン・ケラー物語」や「ベニスの商人」を勉強した事は覚えているのですが、なにひとつ英文が浮かんではこないのです。

 スポーツや楽器を練習する時は、同じ動作を何度も繰り返して身体で覚えていきますよね。
コーチも生徒も当然の事として... それがなぜ英語においてなされないのか、ちょっと不思議です。私たちの時代はCDなどもなく、学校の授業で「英語の 音」を聞いたことはありませんでした。
 書店に教科書のレコードは売ってありましたが、先生方がそれを使われるということはありませんでした。
 私は今、気がつきました。英語を「生きたことば」としてではなく、「文法という学問」を学んできたのではないかということに。
 もちろん英語を勉強するのに「文法」は大事だと思います。しかし、根石さんがおっしゃっている「音作りは大事」ということが、実際、レッスンを受けてよ くわかりました。

 娘の高校時代の先生は、「fast」も「first」も同じ発音だったそうですが、これではリスニング力はつかないのです。

 根石さん、ご家族のためにも私たちのためにも、どうぞお身体を大切になさって下さい。



【8127】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/11/08 2:14
【 発言者 】根石吉久

tiny sand さん 投稿者:根石吉久  投稿日:11月 8日(土)01時49分27秒

 レッスンの感想を書いていただいてありがたく思いました。
 腰痛をかばって、なるべく掲示板に書かないでいましたが、今日また畑で軽いぎっくり腰をやってしまいました。かばってばかりもいられないので、「大風呂 敷」に書いた後ですが、お礼を申し上げなくてはと思い書き始めました。

 tiny sand さんがもっとも変わられたのは単音ではなく、(単音は最初からお上手でした。)、イントネーション・リズムだと思います。始めたころのを録音しておけばよ かったと思うくらいに変わられました。

 私の音なんぞ、柴田さんなんかと較べれば、実に下手な音です。
 これはまったく卑下を含んでおりません。単純に事実として下手です。
 音は絶対に大事ですが、「音」が「声」になるかどうかの方がもっと大事です。
 また、「完璧な音」よりも「通じる音」の方が大事です。
 國弘正雄が、最近の若い人の英語はその人の「自分の英語」になっていないという意味のことを著書のどこかで書いていましたが、「音」が「声」になるとい うのは、「自分の英語」でしゃべるということと同じだと思います。

 お父さんの靴を磨いた話は、tiny sand さんらしい、いい話です。
 なんだか、ほっとしました。寒いところから帰ってきて、熱いものを飲んだみたいな感じでした。いい話です。「過程」が好きだというのが、英語の上達でも 眼目だと思います。

>私の姉が根石さんの奥様と同じ職業で、今、漢方の勉強をしているのですが、
「なかなか名前を覚えられない」と言っていたので、「100回、言えば...」と私
が言ったら、「そうね、100回ね。やってみる」と喜んでいました。

 ありがたいことだと思っております。
 うちの女房が私と出会った頃、薬剤師の試験に落ち続けていましたので、こういうふうにやれば... とアドバイスしたら半年後に受かりました。私の「どんでん」という文庫に書いた「知人」とは、実は女房のことです。女房も知らない人ではないので、「知 人」と書いてもいいんじゃねえかと思い、「知人」にしてしまいました。自分の女房に勉強法を教えたなんて、なんとなく書きにくかったのでした。

> 私が「電話でレッスン」を受けていちばん嬉しかった事は、100回読めば
何とかなると思えた事と日本語ではなく英語が頭に残ることです。

 「電話でレッスン」を始めてよかったと思い、うれしいです。

>私は今、気がつきました。英語を「生きたことば」としてではなく、「文法という学問」を学んできたのではないかということに。

 まさにそうです。
 ただ、語学で扱う英語は、向こう岸(英語磁場)では「生きたことば」ですが、こちら岸では「死んだことば」なのです。
 ドイツやオランダから、イギリスの英語やアメリカの英語を見る場合は、「死んだことば」というものの、ほとんど軽い「仮死状態」なのだと思いますが、日 本で英語をやる場合は、英語は本当に死んでいるのだと思います。
 ドイツ人やオランダ人だけでなく、フランス人やスペイン人イタリア人も含めて、語学として英語をやることは、「仮死状態」の言語を蘇らせる程度の作業だ と思いますが、日本にいて日本人が英語をやるのは、まともな死物を蘇らせる作業になります。
 しかし、それにしても意識というものは不思議なもので、死物も生き始める。
 実に実に不思議です。この不思議の元に、イメージというものの普遍性というものを思わないと、そんな馬鹿なというくらい不思議です。日本人が日本在住の ままで英語を使えるようになるというのは、私にはそれくらい不思議です。

 この不思議を前にすると、アメリカ帰りのペラペラ英語の人々にはもうちっと謙虚でいてもらいたい。
 「磁場」のおかげを自分の手柄のような顔で得意そうな顔をされると、俺なんか、横向いて下の方へぺっと唾なんか吐いちゃう。
 いや、すみません。行儀が悪くなりました。



【8134】
【タイトル】自分の言葉
【 日時 】03/11/08 14:31
【 発言者 】sb

>「音」が「声」になるというのは、「自分の英語」でしゃべるということと同じだと思います。

「語学は自分でやるしかない」「才能は二の次」「複製音声はだめ」などのことが思い浮かびました。
 初心者の学習発展途上の矛盾点として、
 1:音法は音法に過ぎない。でも音法は大切。
 2:文法に文法に過ぎない。でも文法は大切。
 3:単語や構造はだだそれだけに過ぎない。でも単語や構造は大切で背景知識や内容も大切。
補足:読めるようになってから書くことが大切だが、書くことで意識していくことも大切。

などの注意点が語学をやる上ではポイントになってくるのではないかと思います。そして徐々に「自分の言葉」になっていくのではいかと私もあくまでも想像し ています。



【8137】
【タイトル】初電話レッスン
【 日時 】03/11/09 5:22
【 発言者 】ミッフィー

先週初めて電話でレッスンを受けました。復習中心というスタイルが非常にやりやすく、嬉々として回転に励んでいます。人から教えを受ける機会が少なくなっ た現在、「しないと怒られる」ではありませんが、(いや、少しはあるか…)独学ではどうしても怠ける性格なので指導者がおられるということはありがたいも のです。とはいえ復習範囲が今回は増えたのでいつまでこんな気楽なことが言えるのやら。英語のシンタックスを体に覚え込ませるという点で、私がなぜ英語を 好きになり、中学高校で英語の成績がよく、その結果英語の教員になるにいたったのかを思い出しました。英文をたくさん音読した覚えはあまりなかったのです が、私にとっての英語はやはり音声をともなったもので、英語の歌の歌詞がその土台でした。80年代の洋楽にどっぷり浸っていた私は次から次へとa-haや らDURAN DURANやらの歌を辞書をひきひきテープを繰り返し巻き戻して歌っていました。意識はしなくてもそれによってシンタックスを身につけた経験があったのだ なと今更ながら確認しました。ならば、別に洋楽が好きではない、英語の歌を歌うこともない、英文を音読することもない、そんな生徒に黙読だけさせて文法問 題だけ解かせて英語の力をつけろと言っても、そらつかんわな。こんなこと、レッスンを受けなければ気づかなかった。
 それと教員になって今でも忘れられない言葉があります。研究授業で内容把握のための背景ばかり(文化論に毛の生えたような話だった)説明してしまった 時、「英語が生徒の中に残る授業をして下さい。社会の授業みたいだった。」と先輩の先生から言われたことがあります。どんな授業をすればよいのか、5年前 の私はえらく難しく考えていました。
とほほな私でしたが、こんな先生って多いと思います。今ならどうすればよいか、少しはわかる。でもまだまだです。



【8139】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/11/10 1:31
【 発言者 】根石吉久

Naima さん 投稿者:根石吉久  投稿日:11月10日(月)01時26分34秒

 「復習範囲を手放さない」についてですが、どういうふうに復習範囲を扱うかは、コーチ側でプログラムされています。毎回、テスト範囲だけでいいですか ら、しっかり仕上げていただくようお願いします。毎回、テスト範囲だけをきっちり仕上げることを続けるだけで、身に付くようになっています。基本的な考え 方は、前に村田君が解説した「T、FN、FF」と同じです。

 お金をいただいてやっているレッスンですので、このプログラムが味噌なのです。

 一応書いておきます。
 初心者の方や、順調にテストの個数が増えていかない方の場合は、○が3つ連続するたびに5個ずつテストの個数を増やします。
 力のある方で、順調に進む方の場合は、○が3つ連続するたびに10個ずつテストの個数を増やします。
 どちらの場合も、30個まで増やします。
 一回のレッスンでやるテストが30個に達した後、テスト一個に使う文の数を、少しずつ増やします。実際は、文の数というより、行数で数えていますが、最 初は1,2行を使って一個分のテストにし、次第に2,3行で一個のテスト、3,4行で一個のテスト、最後は、4,5行で一個のテストにします。
 4,5行で一個のテスト、それを30個となると、相当の力のある方でもひいひい言われますが、これを3ヶ月くらい続けると、実力者の方が、英語が変わっ たと言われます。

 そういうテストをやるためには、私の側でも仕込みでひいひい言っています。

 初心者の場合は、音づくりに時間がかかるかわり、最初の数ヶ月で自分の英語が変わるのがはっきり意識されます。力のある方は、音づくりの過程もすぐに終 わっていまうので、この最初の数ヶ月の功徳はほとんど感じられないと思います。この点で、Naima さんやミッフィーさんは損をされます。sbさんもそうでした。

 初期に損をされる方は、是非、「4,5行で一個のテスト、それを30個」のレベルに早めに突入していただきたく願っております。

 Naima さんは私のレッスンの他にもいろんなことをやられているので、なかなか時間が割けないかもしれませんが、ここで是非お願いしておきたいのは、私のレッスン を中心に据えていただきたいということです。これを中心に据えていただければ、後は何をどのように組み合わせていただいても、組み合わせるものに方法の核 心となるものを適応していただけます。ここに書かれる記事を読むと、すでにそれをやられているようにも見受けられるのですが、ひとまずは、「4,5行で一 個のテスト、それを30個」を是非試してほしいのです。

 新しい発見が必ずあるものと私は思っておりますので・・・。



【8140】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/11/10 2:02
【 発言者 】根石吉久

Naima さんにメールアドレスをお伝えしておきました。

 「複製音声はだめ」ってことはなくて、複製音声の使い方がこれまでの学校のやり方などでは間違っているのだと思います。この間違いの元には、複製音声を 聞かせれば、それをそのまま真似できるはずだという間違った仮説があります。
 できる人もいます。しかし、できない人の方がはるかに多い。この現実を無視して、いまだにただ単に複製音声を聞かせ、さて真似しろ、でやっているのが学 校の実状ではないかと思います。
 複製音声を聞かせれば、それをそのまま真似できる人ばかりであるならば、私がやっている「音づくり」も、柴田さんの「音作り」も必要ないわけですが、実 状はそれどころの話ではない。

 「自分の英語」をしゃべるというのは、語学の言語が生活の言語に渡ることでもあるのです。生活の言語であるべき場面で、その言語に語学のにおいが強いと いう場合、「自分の英語」になっていないという國弘の感想が出てくるのではないでしょうか。生活の言語に、まだ語学の言語の尻尾がくっついていて、一人前 の蛙になっていない段階だと考えています。
 まったくの語学の英語はおたまじゃくしとしての英語だとし、まったくの生活言語の英語を蛙としての英語だとすれば、まだ「自分の英語」になっていない英 語は、蛙の格好をしているが尻尾がある段階だと言えばいいのではないかと思います。

 sbさんは理屈としてはもう充分わかっておられることですが、私は語学の言語と生活言語を峻別しています。この峻別は、本当は語学をやる人はどなたにも 必要なことだと考えています。しかし、実状はそうではなく、なんとなく語学の英語と生活言語としての英語が地続きだと思っている人が圧倒的多数です。
 この二つの間には、「言葉の当事者性」の有無という決定的な事項があります。
 私の「磁場」という概念は、「言葉の当事者」となる場という規定です。
 「磁場」を欠く語学が典型的な語学であるというのは、そこに「当事者性」がないという意味です。
 だから、語学から生活言語に渡るとは、ひとつの奈落をまたぎ越すような行為です。
 この奈落に落ちて、英語フリークという病態に落ち込み、抜けられなくなっている日本人が一般に人が思っている以上に多くいます。ひどい場合には、人間が 壊れてしまうことだってあります。「とも」を名乗った人などもその一人だと思っています。

 語学は実は恐ろしい行いだと私は考えています。

>   1:音法は音法に過ぎない。でも音法は大切。
>   2:文法に文法に過ぎない。でも文法は大切。

 このあたりのことは、私は自分なりの言い方で、

 たかが音法、されど音法、たかが文法、されど文法、と思ってきました。
 これで言えば、「たかが英語、されど英語」でもあるのです。
 「たかが英語」だけで済むのであれば、私も英語をやらないで済ませることができるのですが、今のところそうはまいらないので続けています。



【8141】
【タイトル】注釈
【 日時 】03/11/10 2:12
【 発言者 】根石吉久

>まったくの語学の英語はおたまじゃくしとしての英語だとし、まったくの生活言語の英語を蛙としての英語だとすれば、まだ「自分の英語」になっていない英 語は、蛙の格好をしているが尻尾がある段階だと言えばいいのではないかと思います。

 尻尾はあったっていい。尻尾があるから、日本で作った日本人の英語はぎくしゃくしたりごつごつしたりします。
 しかし、語学の対象としての英語と、生活や仕事で使う英語はまったく別のものだという一事は腹の底にしっかりと持っていることが大事なのだと思います。

 これは、言葉に対する態度としても、それぞれ別のものとして立ち現れるべきです。

・語学の机上では、音法、文法ともに、「正しい」英語、フォーマルな英語をやるべきです。
・生活言語では、相手の考えを受け取り、自分の考えを言うことだけに注意を注ぐべきです。

 生活言語でも、正しい英語が使える方がいいに決まっているが、最重要なのは、「正しさ」ではない。相手をきちんとつかまえられるかどうか、相手に自分を きちんとつかませられるかどうか。こちらが眼目になります。



【8142】
【タイトル】ミッフィー さん
【 日時 】03/11/10 2:36
【 発言者 】根石吉久

 初回のレッスンの感想を書いていただきありがとうございました。
 すごいスピードで進まれるので、こちらがたじたじとなっています。
 息切れなさらないようにと願っておりますので、生活とのバランスを見つけていただくことを是非お願いしておきます。

 「回転読み」のコツのようなものを早くもつかまれているので、非常にびっくりしています。どうも言葉ではなかなか伝わらないものなので、「英語どんで ん・・・」を読まれた方でも、しばらくレッスンを続けられて、ようやくコツを身につけられる方が多いのですが、ミッフィーさんの場合は、いきなり初回か ら、あれ、もうわかっているんだな、と思い、びっくりしました。
 どなたにも申し上げるのですが、「初めはゆっくりとていねいに」、音がしっかりと安定したら、それを壊さないように、そっと、「徐々に速める」。これが 「回転読み」をやられる場合の留意点です。これさえきちんと意識されるなら、ミッフィーさんの場合は、かなりきついことをやられても大丈夫だと思います。

>独学ではどうしても怠ける性格なので指導者がおられるということはありがたい
 ものです。

 レッスンは、独学でつい怠けがちなところで、尻を叩くという作用はあるだろうと思います。ペース・メーカーとしての作用です。これをうまく使っていただ けるとありがたく存じます。

 Naima さんに向けて書いた記事にありますように、上級者は初期に英語の変化が感じられないものですので、早めに「十・十・十」(合計30のテスト)の態勢に入っ ていただくよう願っております。次回で、○が二つ連続になりますが、これで「十・十」に移行させようかと思っています。この進級の速度は、かつてなかった ものです。

 非常に期待しています。
 しかし、どうか息切れなさらないようにと、再度お願い致します。
 そのうちに、私のレッスンははっきりと正体を現します。その時になると、けっこうきついものなのだとお分かりいただけると思います。

 シンタックスの内在化を歌を通じてなさったとのことで、この点でsbさんと共通するものがあります。sbさんも歌を通じて英語になじんだとのことでし た。sbさんの場合は、音と意味が一緒に動かないという自覚をはっきりお持ちでしたので、「英語どんでん・・・」における「切断読み」を試していただきま した。これは、レッスン時にアドバイスして、一人でやる練習で実験していただいたものです。なんらかのコツはつかまれたものと思っております。このあたり に関して、sbさんとここでお話していただければ、興味深い話が聞けるのではないかと思っております。

 音の質も非常にいい方で、初回のとき注意したことは二度目のレッスンのときにすべて消化されているのがわかり、二度目のレッスンでは音に関して言うこと はほとんどなくなってしまいました。後は、「復習範囲を手放さない」がどのように働くかを知っていただくだけです。こちらは「音づくり」より時間がかかり ます。

 その後、教室での「5分間音づくり」の様子はいかがでしょうか。
 是非おしらせ下さい。



【8147】
【タイトル】いただいたメール転写
【 日時 】03/11/11 2:11
【 発言者 】根石吉久

根石 吉久さん

Naimaさんにお会いできるかどうかわかりませんが、現在「鬼」などで連絡をとり
あっています。
「鬼」の根石さんの書きこみ「学校をあきらめるなと伝えてくださいというような内
容」、読みました。
いろいろ心配していただき、ありがとうございます。感謝しています。

お願いがあります。Naimaさんとスムーズに連絡をとるために、Naimaさんに私のメー
ルアドレスを送信していただけないでしょうか。体調を崩していらっしゃるのに、勝
手なお願いですが、ゆっくり調子のよい時で結構ですので、お願いできれば幸いで
す。

最近、700選の「回転書き」をやっています。3日坊主の私なので、いつまで続く
かわかりませんが。。。。
それから、音のこなれとイメージがかなりくっついてきた現在700選に関しては、
「回転読み」+「回転書き」+「切断読み」=「切断回転読み書き」をやっていま
す。テープから流れてきた自分の声をイメージを強く意識しながら回転読みしながら
回転書きをするというものです。

自分の声を録音するときに、例えば100回以上1文を録音するなら、最初はゆっく
り電車が動き出すような速さで、それから徐々に速めていき自分が回転読みできる最
速にまでもっていき、最速でしばらくそれを維持し、今度は徐々に落としていき、回
転書きができる速さにまで落としてた速さにまで落とし、最後の10回くらいでまた
速くするというものです。根石さんのアイデアを私の理解している範囲においてでき
るだけ活かしたものとなっています。700選など基本例文の例文の暗記はあくまで
の基礎力=練習力をつけるための手段にすぎないことはありますjが、語学としてた
とえコロケーションに問題があると分かっていてもそれが本当にその人にとって「内
在化」されるまではどうしても必要なプロセスだということです。語学学習途上にい
る人は「自分がつけた練習力の程度に応じてしか」学習は成り立たないということを
改めて実感しています。このことも根石さんから学んだことです。

最近考えていることがあります。
一体何のためにいろんな勉強の科目があるのか。。。
国語は自分を知るために、
算数は自分の好きなことをやる時間を増やすために、
理科は自分の周りの環境と仲良くするために、
社会は自分と周りの社会の色合いを知るために、
保健体育は自分の心と体と仲良くするために、
そして。。。
英語は自分の練習力をしるための格好の科目だと認識するようになりました。
(もちろん根石さんやいろんな本の知識と自分の信念をすり合わせたに過ぎないので
すが。。。)

根石さんの「電話でレッスン」で根石さんから学んだことは計り知れません。感謝し
ています。ではお元気で。また考えたことがあればメールします。

(追伸:私の本名とメールアドレスさえカットしてくだされば、掲示板に
ペーストしてくださってもかまいません)



【8148】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/11/11 2:25
【 発言者 】根石吉久

 自分の声を録音する場合、「ゆっくり → 徐々に速める → 最速」の手順はテープレコーダーなどで録音しないでやってみて下さい。つまり、音のこなれ を一応仕上げてから、録音します。この場合は、自分にとって一番普通の速度だと感じられる速度で吹き込んでください。

 「回転書き」にはこれを使用します。
 「切断読み」はテープレコーダーは必要ありません。自分の生の声でやるのが一番いいと思います。

 是非試して欲しいのが、「電圧装置」です。私も最近やっておりますが、「回転読み・書き」と組み合わせて「電圧装置」をやり、日本語単語を見たら、ただ ちに(1秒以内程度)英単語が手首から繰り出されるようにしておいて、再び「回転読み・書き」「切断読み」をやられると、イメージが英単語に受肉されるよ うになります。

 「電圧装置」をよくやったのが、村田君です。
 うちの女房も、薬剤師の免許をとるときに、「電圧装置」を使いました。

 村田君に「電圧装置・部会」の会長を頼もうかなどと考えつきました。
 まあ、それほどの大役ではなく、この掲示板か「鬼」で、「電圧装置」を使う上でのコツみたいなものを話し合っていただければ、という希望です。

 そういう部会ができてきたら、「回転読み」の会長は Naima さんだろうと思います。

 sbさんは、割とよく「回転書き」をやっておられるようなので、「回転書き・部会」の会長さんをお願いしたいと思います。

 それぞれの部会での話が相互に乗り入れるようになれば、私の方法の太い繊維が現れ、方法の全体像が見えてくるようになると思います。

 どうも、こんなアイディアばっかり思いつく私で申しわけないのですが、(語数別分類など手元の仕事がなかなか進まず申し訳ないですが)、皆さんで検討し ていただけたらうれしいです。



【8153】
【タイトル】チョムスキーのアメリカ(1)
【 日時 】03/11/16 2:56
【 発言者 】根石吉久

 チョムスキー(Noam Chomsky)のアメリカンパワー(American Power and the New Mandarins)を読んでいる。チョムスキーの60年代の政治論文が収められたものである。この人は一貫しているというのが、まず最初の感想だった。
 日本人はアングロ・アメリカンに対する警戒心が薄いが、こいつらは本当に警戒する必要がある。アメリカという土地で、最初にネイティヴ(インディアン) に対してやったことと同じことを今でもやっている連中なのである。それと同じことを時と場所を変えて世界中でやっている。ネイティヴ(インディアン)に対 してやったことは直接的であった。直接に殺した。同じようにヴェトナムに対してもやった。これは見えやすい。
 アングロ・アメリカンが行使するのはこういう直接性だけではない。イスラエルを使ってやっているように、自身は背後に回り、必要な武器はまるごと供給す るようなずるいこともアメリカは続けてきた。
 それらに一貫しているのは、アングロ・アメリカン以外の者たちの生活を破壊することに対する平気の平左のつらの皮の厚さである。
 それを現時点で名指すならば、「ブッシュのアメリカ」である。このアメリカに真っ向から対決し、一歩も後ろにひかないのが「チョムスキーのアメリカ」で ある。

 日本人が選びとるべきなのは、「チョムスキーのアメリカ」である。
 デモクラシーだのフリーダムだの、おためごかしをブッシュの恥知らずの口は繰り出しているが、ブッシュの思考にあるのは、アングロ・アメリカン以外の痛 みを痛みだと感じることのできない無知・無恥・無感覚であり、デモクラシーだのフリーダムだのであるわけではない。チョムスキーは、そんなゴリッパな語を 声高に叫んだりしない。しかし、それらを本当に生きているのはチョムスキーの方だ。

 無恥・無恥・無感覚であるブッシュを簡単に呼ぶなら、馬鹿ということだが、この馬鹿のいいなりになろうとする小泉をさらに何と呼べばいいのか。自分を立 派な人間だとでも思っているらしいあのツラを見ると、何とも言いようがなく、「恥」というような語が突然胸に浮かんだりする。

 社民党やら共産党やら、とうの昔に死に体であったものどもが大きく後退した。当然である。こんなものどもがいままでうろついていられたことが不思議なく らいだ。戦後憲法を絶対に守るというのがこいつらの決まり文句で、それ以外のことが言えたためしがない。



【8154】
【タイトル】チョムスキーのアメリカ(2)
【 日時 】03/11/16 2:57
【 発言者 】根石吉久

 俺は憲法改正論者だぜと妻に言ったら、「誤解されるからそんなことは大きな声で言わない方がいい」と注意を受けた。しかし、私は憲法改正論者なのだ。
 あんな翻訳書みたいな文章は気に入らない。日本の軍国主義が、戦争犯罪を犯したことは間違いないが、アメリカやイギリスがてめえらを絶対善として文章を 決めたような憲法が日本人のものであるわけがない。アメリカやイギリスはどんなに軍事力を増強しようと構わないが、日本だけは一切の軍事力をもつことはま かりならんというのが、あの憲法の背後にあるアメリカ、イギリスのおもわくなのである。日本から手足をもぎとるというだけのことであり、てめえらの手足は 好きなように振り回すことを予定したものなのである。

 あの憲法を改正しなければならない。日本が余所の国に手を出すことを許容するような方角にではない。妻が心配したのは、憲法改正論者などと自称すると、 私がこっちの方角を許容する者と受け取られるということなのだ。
 ただ単に日本がみずから戦争放棄をするというだけでは駄目なのだ。他のあらゆる国にも戦争放棄を絶えず働きかけつづける国となると明記すべきだ。そのた めの国際会議を毎年日本で開催する程度の独自の動きをとり続けるくらいなことまで、憲法に書いたって構わない。アメリカを初めとするあらゆる国に戦争を放 棄させるように働きかけていかないなら、息子や夫を戦争にとられたこの国の人たちが報われる日は来ない。軍国主義に敵討ちをすることのできる日は来ない。
 人々の生活を破壊することは明らかな犯罪である。その意味で、アメリカは現在、最大の犯罪国家である。日本の軍国主義だけが、戦争犯罪を犯したのではな い。イギリスもやっているし、アメリカもやっている。「ブッシュのアメリカ」が「日本の軍国主義」とどれほどの差があるものか。

 憲法は、理念を言うものである。人間に欲があるかぎり、人間に無知と無恥と無関心があるかぎり、全面的戦争廃棄、あるいは全面的国家廃棄は遠い遠い夢物 語としてしか聞こえないのは承知である。だからこそ、憲法はまともに理念を言い表していなければ駄目なのだ。日本の憲法は書き直して、そういう憲法になる べきだ。積極的に他の国に戦争を放棄させることを働きかけることを明記した憲法になるべきだ。今の憲法ではまるでなまぬるいのである。今の憲法は、私(日 本)は戦争を放棄します、あなたがた(他の国々)が戦争をしても何も言いませんというスタンスなのである。そう明記してないが、スタンスはそんな程度のも のなのである。

 憲法に、日本は他の国に戦争放棄に向けてきちんとものを言う国だと明記すべきだ。
 そうして初めて、私はその憲法を自分のこととして抱きしめることができるだろう。日本人は現在のあの憲法を本当にわが事として抱きしめたことなどない。 共産党や社会党などの「あらかじめ正しい」観念が好きな連中が抱きしめたふりをしてきただけだ。
 チョムスキーの60年代の論文を読んで、そんなことを考えたのだった。
 この本はお薦めできる。



【8156】
【タイトル】初電話でレッスンの感想
【 日時 】03/11/16 21:38
【 発言者 】Seiichi

 >電話レッスンの簡単な流れ(教材 映画「ゴースト ニューヨークの幻」
  1.先生(根石さん)が一文を読む。
  2.自分でその文を何度も読む。
  3.2をやりながら、先生が発音の悪いところなどを直す。
  4.先生のokがでたら次の文へ
  5.1へ戻る  
 
 >レッスンの感想
 細かいところまで、指導してくれて分かりやすかったです。例えば、単語と単語のつながり(seven or,all this)や口のあけ方など、間違えるとその場で直してくれます。
 30分のレッスンでは、自分で練習できるように最低ラインの音作りをするそうなので、あとは自分の努力次第なので頑張りたいです。



【8158】
【タイトル】Seiich さん
【 日時 】03/11/17 0:42
【 発言者 】根石吉久

感想を書いてくれてありがとう。
最初のうちは口が動かしにくいでしょうが、レッスンでやったようによく口を動かして読み込んで
おいて下さい。


【8160】
【タイトル】Slow Hand
【 日時 】03/11/17 10:20
【 発言者 】Naima

Eric Clapton はギターを豪速で弾いても指がゆっくりと動いている様に見える、と言うので、"Slow Hand" と言う渾名がついています。

先週のレッスンの時に、根石さんのお話を伺った時にそれを思い出しました。 先週は自分ではかなり早いスピードで回転させたつもりだったのですが、時間内 に新しいページには進めませんでした。

「よっぽど早く回転させないと先に進めませんね」と言った所、「丁寧に作り上げた音を壊さない様に大切にして、徐々にスピードを上げながら回転させる事」 と言うお答えでした。 そうすると早く回転させても、なめらかにゆっくりと回転させている様に聞こえるとの事です。 「あ、また壊れちゃった〜」で回転さ せてる私のは、ガタガタのポンコツ車が暴走しているみたいです。 つっかえるとテストでの回転数も増えますし。

今まで頭では回転の術を理解してはいたのですが、「質のよい回転を心掛けないと...」と心で納得。



【8161】
【タイトル】スピーチコンテスト
【 日時 】03/11/18 4:36
【 発言者 】ミッフイー

先日のレッスンの時、このことを話題に出したところ、「掲示板に書いてみては」と根石さんに勧められたので少しこのことについて書いてみます。先週某S県 ○○郡の中学生のスピーチコンテストの審査員をしました。というとえらそうですが、単に○○郡内にある高校の教員とALTに依頼があって、他の英語の先生 達が行けなかったのでわたしがやったまでのことですが。気づき@以前はいかにも英語っぽさそうにしゃべっているのを聞いて「うわあ、すごいなあ」と感心し ていた(実は私もこの手合いだった)がよく聞いてみると、「ん?ただ巻き舌っぽく言っているだけ?」という区別が少しつくようになった。これはレッスンの 成果かも…。A仕方なかろうが、元気よく読むのと元気よく読まないのでは評価が分かれる。中3はさすがにキング牧師のI have a dreamを引用したやつだったので落ち着いて、じっくり読めた生徒さんが入賞していたけど、中1くらいだと、きちんと英語の発音をしていることは当然評 価したし、他の方も評価されていましたが、私が見て「元気なさそうだけど、Lのところは気をつけて読んでるよな」と思っても、ALTにしてみれば「Oh, it's ソーシキね」だそうな。中1なんだし、(しかも話題が日本のコマやけん玉の紹介で、ペアで会話形式)もっと元気出して行かなくちゃ、とのこと。演技という 要素も評価の基準になっていました。私も田舎の人間ですが、田舎の人間は良くも悪くもshyな人は多い。そのことがスピーチコンテストなどでは裏目にでて しまうんですよねえ。審査員をしたALTが言っておられましたが、隣接した○○市のコンテストはもっとレベルが高かったよ、とのこと。○○市は少しだけ開 けており、○○郡は田舎にあるのがやはり原因かもと思いました。B私が「これはいい!」と思ってもALTが「でもあの子はLとRの区別ができていないし、 Vも読めてなかったよ」とか言うと、自分の聞き取りに自信をなくし、しょんぼりしてしまった…。まだまだです。でもALTの中でも意見が分かれると少し ほっとしたりして…。こんなところです。行く前は「このくそ忙しい時に!」とぶーぶー文句を言っていましたが、謝礼を頂き、喜んでしまった。



【8163】
【タイトル】電話レッスン
【 日時 】03/11/18 23:27
【 発言者 】Naima

やっと...2週間の泥沼から這い出して、先にページを進める事が出来ました。 このままの調子で、丁寧な回転を心掛ける事にします。 しかし年のせい か、途中でフっと集中力が途切れて、コーチのお手本を聞いても「はぁ〜?」っと夜明けの行灯状態の時がありました。 



【8164】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】03/11/19 0:17
【 発言者 】根石吉久

>しかし年のせいか、途中でフっと集中力が途切れて、

 私にもよくありますが、歳のせいばかりではなく、なにかが無意識に根を降ろすときの感覚
ではないかと思っております。「あたまんなかまっしろ」みたいな時に、なにごとかが無意識
化されるのだと思っております。

 今日の調子がいい感じのものです。これを持続していただくようお願いします。



【8167】
【タイトル】中村雄二郎「術語集」(1)
【 日時 】03/11/19 5:06
【 発言者 】根石吉久

 腰が痛いので、早めにベッドに横になって、本を読むことをこのところ続けている。辞書をひきながらチョムスキーを読むのが最近の読書だが(寝転がったま ま電子辞書をひくのである)、ときどき私の中で、無性に日本語を欲しがってもがくものがあり、今日もその虫が動いた。私はこういう虫の居所には非常に従順 なので、チョムスキーを閉じて、隣の部屋へ行って本を探した。無性に日本語を欲しがる虫が欲しがっているのは、書き言葉としての日本語である。だから、日 本語の本を探すことになる。昔、村田君から借りてそのままになっていた「術語集−気になる言葉」(中村雄二郎・岩波新書)を読み始めたら、いきなり非常に 興味のある文章に出会った。
 これに関して書いておこうかどうか迷ったが、書いておかなければ結局そのままになってしまい、また日常業務に紛れて忘れてしまうだろうと思ったので、腰 がひどく痛くならない程度に書いておこうと思う。

 中村の本でみつけたものは、「英語どんでんがえしのやっつけ方」という本でも書いたことなのだが、私のもの言いはたいがいいつも体感的であり、言いたい ことが曖昧であったり中途半端であったりすることが多い。それに対して、「術語集」でのように抽象的に語られると実にはっきりすることがある。まずは引用 しよう。

 もう一つは<遊び>がすぐれて自由な活動だとい
うことである。この点を強調しているのは、J・ホ
イジンガ(『ホモ・ルーデンス』一九三八年)であ
る。彼は述べている。<遊び>とは、あるはっきり
決められた時間・空間の中で行われる自発的な行為
あるいは活動である。それは自発的に受け入れられ
た一群の規則(ルール)に従っている。そしてその
規則は、いったん受け入れられたら絶対的な拘束力
をもっている。また、<遊び>はなにかの目的に奉
仕するのではなく、遊びの目的は遊びの行為そのも
ののなかにある。それは緊張と歓びの感情を伴った
非日常的な行為である、と。

 中村がホイジンガの考えを紹介しているところを読んで、私はホイジンガにまったく賛同してしまったのだった。この「遊び」を「語学」に置き換えて読んで 見て欲しい。これは見事に語学という行為を語っている。
 私は「語学」は、ホイジンガの言う意味での「遊び」だと考えてきた。「遊び」は、その遊びの「決められた時間・空間」においては「役に立たない」。「役 に立たない」ということが、語学のもっともすばらしい性質なのである。「決められた時間・空間」のことを、「語学の机上」とも言ってきたが、この机上はま た「役にたたない王国」なのだ。
 語学に関する書物は、どれもこれも「役に立つ」ことばかり推奨している。アホかと思う。語学がそんな痩せおとろえた考えの下位にいることを承服するとで も思っているのか。いつも私の腹にはせせら笑いがあった。学者ども、教授ども、アメリカ帰りども、お前達の考えはとても貧しいぞ。

 例えば、子供たちがやる「ままごと」が役に立つか立たないかを考えてみるとしよう。
 「おとうさん、ご飯できましたよ」と言って、泥の固まりを渡されて、「うん、うまいなあ」などと、子供たちがやりとりしている場面において、この泥の固 まりは実質的に腹の足しにはならない。本当に食うわけにはいかない。「役に立たない」のである。だから、英語回りの学者どもや教授どもやアメリカ帰りども の多くは、「ままごと」を馬鹿にし、「ままごと」のレベルではなく、即戦に使える英語だとか実用英語だとかコミュニケーションだとかいろいろと唱えるので ある。「ままごと」を唱える者はほとんどいないと言っていい。英語回りにいる論者どもは、まず99パーセントが実用(役に立つ英語)主義者たちである。う るせえよ、と思い、俺はじゃあ、「ままごと主義者」になってやらあと思った。
 そして、「ごつごつ英語ごっこ」というのを始めた。私の塾で、毎週月曜日に老若男女がやっている。誰が「老」で誰が「若」であるかは言わないでおく。



【8168】
【タイトル】中村雄二郎「術語集」(2)
【 日時 】03/11/19 5:07
【 発言者 】根石吉久

 「ままごと」がままごとをやっている子供たちの将来にどれだけ「役に立つ」かははかり知れない。語の本来の意味で、「はかり知れない」のである。いつど こで何がどのように役に立つかなどは、教授や学者やアメリカ帰りなどの思惑の外側にある。
 以上は、私の考えであって、中村雄二郎がそう書いているわけではない。中村に戻ろう。

遊びと真面目(本気)という二分法は、遊び(遊戯)
を考える上に基礎的なものだけれど、<遊び>が対
比される、ほかの主要なものとして、労働と有効性
とがある。そしてここに、遊びが近代世界の(プロ
テスタンティズム)的な生産労働の精神とどんなに
相反し、近代世界のなかでどうして軽んじられ蔑ろ
にされてきたか、うかがい知ることができる。他方、
それらの真面目・労働・有効性という日常的なもの
との対比で、<遊び>とつながってくるのは、非日
常な<演劇>であり<祝祭>である。

 うむ。まったくそのようである。私の「語学」=「遊び」は実に蔑ろにされてきた。とりわけ英語回りは、労働・努力・実用性の好きな「プロテスタンティズ ム」の腐った巣窟であり、ご本人が意識しているか否かはともかく、アメリカ流プラグマティズムの泥沼である。
 現在の私はお金をもらってレッスンということをやっているので、これは「労働」であり「有効性」である。しかし、お金をもらう以前(30年以上前)の私 の語学はまったくの「遊び」であった。<演劇>であり<祝祭>であった。私は大学入試のために英語を始めた者がだ、その大学入試そのものが、「遊び」であ り、「賭」だった。19歳にして、「飲む・打つ・買う」のうち、「打つ」だけはちゃんとやってみたのだ。これは、私の生まれ育ちからして、でかい「賭」 だった。そのせいか、その後、あらゆるギャンブルがつまらない。
 いや、そんな私の性癖はどうでもよい。それよりも、人々よ、アングロ・アメリカンの価値観は、「真面目・労働・有効性」なのだということに注目してほし い。



【8169】
【タイトル】中村雄二郎「術語集」(3)
【 日時 】03/11/19 5:08
【 発言者 】根石吉久

幼い子供が二人、小公園の砂場で遊んでいるうちに、
砂のかけ合いになる。まわりで見守っていた大人た
ちは、子供が泣き出したりすると、遊びが遊びでな
くなり争いが本気(真面目)になったものとしてや
めさせるだろう。が、どこまでが遊びでどこからが
本気なのかという境い目を見きわめることはむずか
しい。それでも、遊びと本気のちがいは決定的な意
味をもっている。

 「境い目」を見きわめることは実にむずかしい。ほとんど不可能だとも思う。しかし、一人の語学をやる人間の意識においては、その境(奈落)は感知可能で ある。見守っている大人の目に不可能であるにすぎない。だから、国連は子供が見えない。
 アメリカ自身がどう言おうと、あれは「子供」の国だ。子供のくせして、「真面目・労働・有効性」などと日本みたいなことをやっているのがちゃんちゃらお かしいのである。とっちゃん坊やなのである。日本は、そんな国じゃないぞ。日本は、日本は、日本は・・・・・・・「赤ちゃん国家」なのだ。だけど、この赤 ちゃんは、金持ってるぞ。アメリカ軍を傭兵にするくらいに金があるのだ。いや、中村に戻ろう。

 遊びと本気のちがいを見きわめることの困難については、私は「語学の対象としての言語」と「生活言語」との間にある奈落として語ってきたつもりだ。その 「ちがいは決定的な意味をもっている」ということが、しかし、全然通じないのだ。私の英語は「通じる」などと言っている人たちに、この基本的な「ちがい」 の認識が「通じない」。いや、そんな単純なことはわかっている、なにをいまさらことごとしく言っているのか、というのが、英語まわりの人々のご意見なので ある。
 そんな単純なことはわかっている、と言う人たちが、その単純なことがわかっているとはとうてい信じがたいのである。英語フリークというのは、あらかたが 利口そうな馬鹿であり、概念の把握は早いが、それをイメージとして生きるということをさぼるのである。そいつらが「わかっている」などと言う言葉などまる で信用できない。
 しかしそれにしても、「語学」と「生活言語」の境い目をみきわめることは、本当にむずかしい。これは、いかなる実感的な言葉によっても不可能である。た だ一つだけ、理論的な言葉だけが、その絶壁を登り、その奈落をまたぐであろう。
 自分の英語力が伸びることがもっとも大事なことだなどと思っている人には理論は必要ない。やみくもにやってでも、とにかく伸びさえすれば「結果オーラ イ」であるからだ。ひとたび、自分以外の人の英語力を伸ばそうとする立場に立ったなら、「結果オーライ」は全然オーライじゃない。
 絶壁を登り、奈落をまたぐことが絶対に避けられない。その技術なくして、自分以外の人の英語の力を伸ばすことなどできはしない。いや、日本人は理論を感 覚として持つことが得意だから、自分一人で自分一人の生徒達を伸ばすことは「理論」なしでも見事にやることがある。しかし、その「方法」を他に広め、その 「方法」を真に民衆と出会わせることはない。それは理論なしでは可能にならないのである。
 えーと、話は中村の論からだいぶ逸れた。
 いいのである。腰が痛い。寝る。



【8172】
【タイトル】ミッフィーさん(1)
【 日時 】03/11/20 3:48
【 発言者 】根石吉久

 私のレッスンを評価していただいてうれしいです。今後、「復習範囲を手放さない」という原理が何をもたらすかを知っていただく予定ですが、こちらはなか なか言葉にならないような微細なしかし決定的な英語の変貌をねらっていきます。その微細なところを言葉にすることはいまだ力が及びませんが、これがやれれ ば優にひとつの語学論が立ち上がるはずだとは思っています。

 スピーチコンテストのことを書いていただいてありがとうございました。スピーチコンテスト一般についての考えを書いておきたいと思います。
 中学生のスピーチコンテストだったそうですが、私は中学生にスピーチなんかやらせることには反対したいです。日本語でならともかく、日本在住のまま(日 本語の磁場で日本語を日常語としながら)作った英語でスピーチをやるためにはかなり高度の練習を経た後でなくてはできないはずだと考えているからです。中 学一年から英語を始めて、三年生になったとしても、英語でスピーチができる子が日本に何人いるというのかと思ってしまいます。
 スピーチというのも、一種のアウトプットですが、中学一年生から英語を「磁場」を欠いたまま学習して、三年生でそのアウトプットが成立するとは私にはど うしても考えられない。私は英語フリークの話をしているのではありません。フリークというものは、よく言えば「好きこそものの上手なれ」、悪く言えば、英 語がしゃべれることは実にすばらしいとあらかじめ決め込んでいる「英語病」ですから、時に常人の及ばぬ成果を見せることがあります。これは、あらかじめ決 め込むことがもたらす強さですから、めくら蛇に怖じずの強さです。
 スピーチコンテストというものの主催者がどんな人たちなのか知らないのですが、傍目に見ていると、フリークがフリークを作っている「英語ごっこ」に過ぎ ないものを、スピーチコンテストと称している場合が多いのではないでしょうか。あれはスピーチコンテストなんかではなくて、「スピーチごっこコンテスト」 とでも言わないと正確ではないだろうと思います。
 「ごっこ」ということでは、私も一種それに似たことを手がけていますが、その集まりの名前は「ごつごつ英語ごっこ」と正確に命名してあります。皆さん実 に楽しんでやっています。普通の日本人(日本語を日常言語とする人たち)が楽しんでやれるやり方を、私はひとつみつけたと思っておりますが、これは「ごっ こ」を自覚的に選び取り、「ままごと」を原理として、インプットした文を変形させる練習にすぎません。まったく生活言語ではなく、すべては仮の言説です。 「ごっこ」であり、「ままごと」であり、「仮の言説」であるというこの一線をきちんと言明し、確保しないと、フリークがフリークを再生産することをまぬか れることはないだろうとも考えています。(ちなみに、この「ごつごつ英語ごっこ」は、かつてこの掲示板で恋人ファンさんという方と激しく論争したときに考 えついたものでした。恋人ファンさんには感謝しています。)

 私はフリークたちがやることには興味がありません。私がフリーク達と違うところは、日本語の「磁場」の作用というものを基本的に考えに組み入れてあると ころだろうと思っています。私の興味は、英語の「磁場」を欠いたままで、つまり日本語の磁場の中で、どれだけの「準備」が可能かと問うことにあります。そ う問うことの先に開ける展望にあります。
 日本語の磁場において、普通の日本人がやれることは「準備」に尽きるだろうと思うのです。語学の成果がそのまま生活言語としての英語に地続きではないと いうのは、私のもっとも基本的な考えです。(日本に居続けて英語をやってきた私は、「準備」だけやってきたとも言えます。)この「準備」は、生活言語から 独立した固有の領域だと考え、「語学」と呼んできました。「語学」はどこまでも「準備」であり、生活言語や実用英語(スピーチも実用の一つ)と簡単に結び つけるべきではない。簡単に結びつけた先には、「ごっこ」に過ぎないものを「実用」と勘違いする倒錯が生じます。いわゆるスピーチコンテストはこの倒錯の 一つであり、英語まわりにあまた咲くあだ花の一つだと考えています。



【8173】
【タイトル】ミッフィーさん(2)
【 日時 】03/11/20 3:49
【 発言者 】根石吉久

 私は若い人たちには、どんどん英語の「磁場」に渡って欲しいと思っています。しかし、その前にちゃんと「準備」を整えろとも言い続けてきました。そし て、「磁場」という観点をきちんと踏まえて、「磁場」に渡り、「磁場」のもたらす作用をきちんと検証して欲しい。それこそがまともな語学の態度というもの だと思っています。そうでないならば、「磁場」が個人の英語を支える「場のおかげ」を、まるで自分の手柄みたいな顔をする「アメリカ帰り」という倒錯が絶 える日は来ないでしょう。英語ネイティヴ崇拝や、帰国子女の英語におそれをなすような態度も絶える日は来ないでしょう。彼らが英語をしゃべることは、日本 人が日本語をしゃべることとまったく等価なのだという基本的な認識が人々に共有されることはなく、日本人が日本語をしゃべることと等価なことを「崇め」て しまう迷信がやむ日も来ないでしょう。これは戦後市民社会に発生したたちの悪い病気なのだという考えが私にはあり、だからこそ、この掲示板のタイトルには 「反英語フリーク」と書いてあります。
 繰り返します。若い人たちには、まともな「準備」を経て、まともに「磁場」に渡り、自分の英語を「磁場」に突き混ぜ、激突してほしい。語学的に激突して 欲しい。そして、「磁場」という観点を見失わず、帰国後に、「磁場」の作用を自分の手柄みたいな顔をすることのない人として帰ってきて欲しい。そうでない なら、「アメリカ帰り」は、日本語の「磁場」だけで英語をやっている人たちに対する災厄でしかない。帰って来ない人も出るでしょうが、帰ってくるなら、脱 フリーク、反フリークとして帰ってきて欲しい。できることなら、語学論をひっさげて帰ってきて欲しいのです。それをひっさげて帰ってきてくれれば、私はそ の語学論と私の語学論を激突させる好運にめぐりあえる。

 漱石や鴎外の時代とは違い、質のいい「準備」さえ整えるなら、「磁場」自体と激突するのはそれほど難しい時代ではなくなっています。ただ単に「磁場」に 渡るだけなら、5万円もあればできる時代です。若い人たちには、是非「磁場」に渡って欲しい。いや、その前にまともに「準備」を整えて欲しいと願っていま す。

 スピーチコンテストなんかに出て、「ごっこ」に過ぎないものの品評会なんかの対象にされるくらいなら、「準備」を強化し(インプットをどんどんかせ ぎ)、インプットされたものが、発酵熱を出しアウトプットとして逆流を始めるまで持ち込むことに専念すべきです。(インプットの回路もアウトプットの回路 も回路としては同じものです。ただし、日本語で生活しているかぎり、この回路は日本語の思考回路とは別のものとして、別仕立てしなければならない。別に仕 立てることが私の言う「準備」の実質部分となります。)

 中学生たちは、スピーチコンテストという「ごっこ」を大人たちに「やらされている」のです。この「やらされている」というところが実に問題だと思いま す。私の言う意味での「語学」を実質的なところで形成することのない「ごっこ」を「やらされている」。

 「ごっこ」というものは、「やらされている」のはまずいのです。
 「ごっこ」は、それを「ごっこ」として自覚すればいい。単にそれだけのことです。「語学」というのは、生活言語から見ればあきらかに「ごっこ」です。

 私の塾は音読(素読)を主体とし、「音づくりによるインプット=シンタックスの内在化」を繰り返しますので、音読が上手な子が多く、学校の先生に指名さ れてスピーチコンテストに出ることを「やらされている」生徒がよく出ます。
 こんなこと「やらされて」、あんたほんとに「やるの?」と聞くことがあります。原稿を書いたけど直してくれと言われて、文法の間違いを直しながら、ぼや く言葉は、「ほんとにやるの?」です。
 ALTの「ソーシキ」という語はこの「ごっこ」のフリーク性を言い当てているのだと考えれば面白い。スピーチとは名ばかりで、実はそこにあるのは「死ん だ言語」なのですから。「死んだ言語」を生きているかのように見せるための大根役者を「やらされる」のが、スピーチコンテストですから。多分、このALT にそんな意識はなく、お書きになっているように「もっと元気よく読むべきだ」と考えているだけの者だろうと思いますが・・・。つまり、スピーチコンテスト の意義を疑うなどという意識は持ち合わせていないだろう、と。
 田舎の人間の shy な質朴さと町の人間のはしこさを対比させていると私は読みましたが、この対比は面白く読みました。質朴な者には、「英語で明るく元気に演技する」などとい うのは、もっとも苦手なもののひとつでしょう。あるいは、強い嫌悪の対象でもあるでしょう。そういう人が、英語ができるというのでスピーチコンテストの演 者を「やらされている」場合は多々あると思います。



【8174】
【タイトル】ミッフィーさん(3)
【 日時 】03/11/20 3:50
【 発言者 】根石吉久

 lとrの区別だの、vの発音ができているできていないだのは、「音づくり」の問題であって、まったく「スピーチ」の問題ではありません。
 このALTに、「じゃあ、あんた、あの子にlやrやvがどうすれば出るようになるか指示できるか」と聞いてみてください。まず間違いなく、ほとんどすべ てのALTがそれを指示することができません。特に「連音」の処理などは、説明できないでしょう。いや、その前に、彼らにはそれらを説明するための日本語 の持ち合わせがありません。
 ネイティヴ話者というのは、単に子供の頃からしゃべってきた言葉をしゃべれるというだけの者であり、日本語で形成された日本人の口をどう動かせば英語の 音になるかを指示できる者ではありません。

 私の塾を使っている子が通っている中学で、こんなことがあったそうです。
 ALTが日本人の英語教師が喋る(読む?)発音を間違っていると指摘したそうです。多分、私の言う「ア系列」の区別ができない先生だったのだと思いま す。指摘された先生は、ただ単に、I'm sorry. とだけ言ったそうです。それを聞いていた私の塾の塾生は、「ア系列」の区別は常時塾でやっているので、ALTが先生の発音のどこを指摘したのかわかったの ですが、先生はどこが悪いと言われているのかがわからなかったとのことでした。
 私は中学生からその話を聞いて、腹が立ちました。 I'm sorry. で終わらせるんじゃねえよ、アホかと思ったのでした。この先生が「ア系列」の区別ができないことは、この国の学校英語が「音づくり」をまともに扱ってこな かったことの結果であり、根本原因は文部省やそのとりまきの学者どものおさぼりに発しているものです。根本はそこにあります。何も恥じることも謝ることも ない。この先生自身の「おさぼり」もあるにはあるでしょうが、ほんとうの原因は文部省とそのとりまきどもにある。
 俺なら絶対に、I'm sorry. だけじゃ終わらせないな、と私は中学生に言いました。
 「私の発音が間違っていることはわかった。では、今ここで、あなたが私の発音を直せ。私の日本語でできた口の動きのどこをどうすれば英語の音になるの か、今ここで、私に示せ。私は言われた通りにやって、音を変えてみせる。音が変わるのを聞いている生徒たちに非常に役にたつはずだ。だから、今ここで、私 の音をあなたが変えてみるがいい」。
 俺なら絶対にそう言うな、と私は中学生に言いました。

 もしも私がそういう場にいて、そのようにALTに指示した場合、おそらくはっきりする事実は、ALTには日本語で形成された日本人の口の筋肉の動きは扱 えない。つまり、指示することも直すこともできないという事実だろうと思います。
 ここをはっきりさせていかないと、ちょっと日本に物見遊山に行って来るか程度の大学新卒のALTが後を絶たないでしょう。行政はそんなものにまともな金 を渡して、税金を無駄遣いすることをいつまで続けるつもりなのでしょうか。
 まず息の根を止めなくてはならないのは、文部省ととりまきの学者たちです。「音づくり」のできる教師を作っていかなくてはどうにもなりはしないという単 純な事実を無視し続けてきたのがその連中です。
 私は理屈を言い続けることで、こいつらの息の根を止める日が一日でも早く来ることを願っていますが、ミッフィーさんは、日々の教室で、ひとまずは「5分 間音づくり」に着手してみて欲しいと願っています。どんな教室でもすぐにでも始められるのが、「5分間音づくり」です。

 私が提唱しているのは、鵜田さんや柴田さんと較べたら、はるかに少ないポイントです。単音で15程度、<t、d、l、n>をひとくくりにすればもっと減 らせます。連音処理を含めても、20程度のポイントを、「生徒の口の動きとして」しっかり確保することを、日常の授業の中でやってみて欲しいと願っていま す。
 この程度は絶対に確保する必要があります。そうでないと、私の言う意味での「通じる音」は、フリーク以外には実現することがありません。問題は、ここで もフリークではなく、一般の生徒です。「一般の生徒」から、「日本語で口の動きを形成された人たち」という規定を外したら駄目だと思うのです。そこから、 「日本語で形成された口の動きを、さらにどう動かすか」という観点を導き出さないと、日本人のための「音づくり」は立ち上がりません。

 お金をもらえるのはいいことで、それには何も言うことはありませんが、まずたいがいのスピーチコンテストなどは横目に眺めていればいいしろものです。私 はずっと、アホくせえと思ってきました。そんなことよりも、学校の教室での「音づくり」を是非お願いします。この一点をどうにかしない限り、日本の学校英 語はどうにもなりません。本当に、「5分間音づくり」なら、すぐにでも始められると思います。



【8175】
【タイトル】とんでもない間違いを
【 日時 】03/11/20 5:00
【 発言者 】ミッフィー

ここまで根石さんに書いていただき恐れ多いのですが、本当にすみません!正しくは暗唱大会でした!!とはいえ、演技が求められるだの、なんだか言葉と心が かけ離れた部分での話はまったくそうだなと思いました…。ただ、私は彼らが中学生という早い時期に、英語を繰り返し読んで、個人指導を受けて、シンタック スをものにしていくプロセスが得られるという点では評価しています。しかし、問題はそれがごく一握りの生徒にだけなされることで、それが教室でその残りの 生徒にはなされないという状況がなんとかならないかな、と思います。とは言いつつ、卑怯なのですが、5分間音作り、来年の年度当初から始めたいです。正直 なことを言うと、(なんだか言い訳めいてきた、いや言い訳だこれは)今のセンター演習の授業でも生徒に英文を1人1文は声に出して読ませているものの、高 校3年のこの時期に今までしなかったことを取り入れて、生徒の反発を食らうのが怖いのです。間違った読み方をその場で直させるというぐらいです。正直なこ とを書かないのが心苦しいので書きました。今教えている生徒達は本当にかわいい。もっと早い時期から私が英語で大切なことを気づき、それを教えてやるべき だった。
 ところで話は変わりますが、22日のレッスンはお休みさせて下さい。友人の結婚式で、どうもべろべろに酔っぱらって帰ってきそうな気がしてきて…。



【8176】
【タイトル】???
【 日時 】03/11/20 20:30
【 発言者 】sb

覚えてから使う
のか
使ってから覚える
のか?
みなさんはこの点、どう思いますか?



【8179】
【タイトル】楽観主義!?
【 日時 】03/11/21 18:22
【 発言者 】sb

言葉を理解する時に、
「記号(音声や文字)」と「頭の中でイメージすること」を意識的に分けることが、
語学としてとても大切なことだと根石さんから教わりました。
また、
「語学の英語」と「生活英語」の違いに意識的になることは、
英語が第一言語や公用語として使われてる場所に行った時、生きた言葉として花開くということ
も学びました。

「言語記号とイメージを分けること」
そして
「語学の英語と生活英語を分けること」、
この2つのことが根石さんから学んだたいへん大きなことです。これはたいへんな財産です。

これは外国語(母国語を学ぶ場合も意識的になっているだけでどれだけその後の語彙が増えていくかということと大きく関係していると思います)を学ぶ場合に たいへん当たり前のことですが、なかなか日本では理解されない。

そこのところの歯がゆさを感じている人はとても多いと思うのです。ところがそのことに気がつくまでに時間がかかりすぎる。そこのところろ真摯に戦っておら れるのが根石さんです。ところがこのことは日本国内で英語教育を受けている限りなかなか理解されない現状や土壌、文化的背景などがあります。

しかし、今後そういった「当たり前のこと」が加速度的に理解される日がくると考えています。
高学歴化で人々がスマートになってきたこと、脳科学が発達してきたこと、学習と教育のバランスを文部科学省も意識せざるを得ない環境になってきたことなど があるような気がします。

国語には森鴎外や夏目漱石の定番があるのに、どうして今の日本の英語の教科書にはジャックアンドベティ−がないのか?
どうして日本語対訳付きの教科書がでていないのか?
今まで音声付きの語学参考書が少なかったのか?

これらの疑問が少しずつ動き始め、これから、加速度的に解決していくような感じがしています。



【8180】
【タイトル】いまどき
【 日時 】03/11/22 10:12
【 発言者 】Jackie

>どうして日本語対訳付きの教科書がでていないのか?
今まで音声付きの語学参考書が少なかったのか?

そういえば 教科書のCDはなぜ別売なのでしょう。
別売にしておいて リスニング重視をうたい 高校、大学入試にもリスニング試験の割合を増やす模様。ばかげている。
中学教科書のCDは二千円、ガイドも二千円。
参考書はともかく 市販の英会話書はCDつきで二千円をきっている時代に。



【8181】
【タイトル】電圧装置の話
【 日時 】03/11/23 16:19
【 発言者 】村田

最初に電圧装置にかけたのは駿台予備校の「英文法頻出問題演習」でした。
熟語関係はこれのパート2をやっとけば大丈夫、と誰かに聞いたのです。

まず、2〜3日つかって全部解答してました。そして、間違っていたもの
全部に印をつけました。どの正解したかはちょっと覚えていないのですが、
だいたい半分以下くらいだったような気がします。
次に、電圧装置化していきます。「英文法頻出問題演習」は、例文の穴埋め
問題で、答の部分に関連する例文なども書いてあったので、電圧装置は作り
やすかったと思います。
レポート用紙1枚、約15問の電圧装置NO.1は、ちょっとてこずりましたが、
数時間かけてできたような覚えがあります。問題を見て、瞬時に答を書けな
いといけないし、一つも間違ってはいけないので、てこずりました。
それと、最初の3枚1パックあたりと最初の10枚1パックをつぶすのがし
んどかったと思います。慣れてくると、電圧装置を作るのが結構楽しくなっ
ていきました。
そして、「英文法頻出問題演習」パート2の電圧装置の10枚1パックが
一通りできたとき、「英文法頻出問題演習」パート2を一気にやってみま
した。全問正解しました。一冊まるごと間違いがなかったのは初めての経験
だったので、すごく感動した覚えがあります。これで少し自信がついたと
思います。
あとは、同じ要領で予備校のテキストを電圧装置化していきました。
電圧装置は、自分に特化した問題集であり、自分にとって、とても意味が
あるものです。また、電圧装置を作る上で、どのように自分に問いかける
か、ということも考えるようになるので、理解も深まります。

予備校時代に使った電圧装置の一部を、根石さんに見せたことがあります。
それは、ルーズリーフをバインダーでとじたものだったのですが、根石
さんはそれを見て、「これは使い方が甘い!」と言われました。
根石さんは、レポート用紙で電圧装置を作って、最後は全部ごちゃまぜに
して、適当に取り出したものを全部答えられるようにしたそうです。

素読舎の教材(ABCD・基礎問題集・長文読解・話体)は、一般化した電圧
装置になっているので、塾生は少しうらやましい部分もあります。



【8184】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/11/25 1:13
【 発言者 】根石吉久

>覚えてから使う
>のか
>使ってから覚える
>のか?

 これは、「磁場」という観点で解決済みのことではないでしょうか。
 「磁場」には二つほどはっきりした作用があると思います。個人の言語を「場」(磁場)が支えるという作用、人を言葉の当事者にしのっぴきならない場に置 く作用、の二つです。
 「使ってから覚える」という言い方は少し変で、「使って覚える」(使いながら覚える)ということをおっしゃりたいのだと思いますが、これは「磁場」にお いてこそ可能なことであり、「磁場」を欠いてはやりようがない。「磁場」を欠いた語学(もっとも典型的な語学)では、外国語はそれを練習する人の「頭とい う監獄」「胸という監獄」「腹という監獄」に閉じこめられたままです。唯一の例外は読書だけであり、それ以外の言語使用においては、学習結果としての外国 語の力は、監獄に閉じこめられたままで、普段の生活においては出口がないのです。
 日本語の「磁場」は、語学学習の結果としての英語力を「支えないだけでなく」、むしろそれを錆び付かせます。語学の結果としての外国語力は、単に監獄に 閉じこめられるだけでなく、出口がないだけでなく、外から(日本語の「磁場」の磁力によって)、その力を弱められ、むしりとられるのです。それが、日本在 住という条件の下にある、英語の宿命です。
 降り止まない酸性雨。それが日本在住の英語にとっての日本語の「磁場」であり、その磁力です。そういう場所においては、「使って覚える」などは荒唐無稽 なことがらであり、「覚えて使う」より他にない。しかも、「覚える」という一事をとっても、頭で覚えるのではまるで「降り止まない酸性雨」に太刀打ちでき ない。この掲示板で、千田潤一が学者の文章から引用している「運動記憶」という語を使用されたのはsbさんでしたが、その語もまた、「降り止まない酸性 雨」(英語にとっての日本語の「磁場」)があるからこそ、強調される必要があります。

 「磁場」という観点一つで解ける問題だと私には思われました。



【8185】
【タイトル】同じ雨でも
【 日時 】03/11/25 2:04
【 発言者 】根石吉久

アメリカ(その他英語圏)では、植物に対する慈雨です。
日本(ウラル・アルタイ語圏)では、鉄に対する酸性雨です。

植物と鉄。
この比喩の対比でもわかりますが、英語の「磁場」が個人の英語を有機物(植物)にし、日本語の「磁場」が個人の英語を無機物(鉄)にします。

作用としては、プラスとマイナスであり、まるで正反対の作用です。

語学の言語は「死んだ言語」だと私は考えています。それをどれだけ生き返らせることができるかに賭けるのが語学という行為なのだ、と。だから、語学の当初 においては、ただ骸骨が踊りを踊るだけです。難度を含む初発の文で、まともな音を使ってのイントネーションの自己決定力がきちんと駆動するようになるまで は、骸骨が踊りを踊っているだけだと考えるのが正確です。イントネーションの自己決定力が駆動するようになってもなお、語学の英語は英語圏における生活言 語としての英語とは、まるで根底から性質の違うものです。

日本在住のまま英語をやっても、英語は当初、鉄であり、「死んだ言語」です。単に「覚えた」程度では決して植物にならない。そして、この鉄を少し放置する だけで、日本語の「磁場」の磁力(降り止まない酸性雨)がまっかに錆び付かせるのです。

人々は、日本の英語は、英語の「磁場」を欠いているだけだと思っているかもしれない。それにとどまるならばどれほど楽だろうと私は考えています。日本の英 語は英語の「磁場」を欠いているだけではなく、日本語の「磁場」に絶えずそのシンタックスのバネをむしりとられ、外されている。徹底的に不利な条件下を、 なおも生きていこうとしているのが、日本在住の英語であり、それがどれほどごつごつしていようが、必要時にどれほど不自由を感じながらの使用であろうが、 徹底的に不利な条件下で「死ななかった」ことこそが、日本在住の英語の栄光です。実に不利な条件下で、植物となり、枯れないでいたこと。その植物がどれほ ど小さくても、株が太れなくても、ただ一つ「死ななかった」ことの栄光というものが、あるはずです。現在の状況下ではこれはまだ明らかになっていません。

ネイティヴの英語だの、帰国子女の英語だのを崇めたり、おそれをなしたりしているようではどうしようもない。こういう状況の続くかぎり、日本で作った日本 在住の英語の栄光が明らかになることはないでしょう。

アメリカ帰りのアメリカ英語が、アメリカという尻尾を切れないおたまじゃくしであるならば、「磁場」を欠いて作った日本の英語が、語学という尻尾を切れな いおたまじゃくしであることに何の遠慮もいらない。

では、蛙とは何か。

蛙とは、日本における日本語であり、アメリカ(英語圏)における英語です。日本における日本語にとっての英語は、「蛙のつらにしょんべん」のしょんべんに 過ぎず、アメリカにおける英語にとっての日本語も、同様にしょんべんです。日本がどれほど政治的にアメリカに従順であろうと、異質な言語磁場どうしは、お 互いにしょんべんのひっかけあいを演じてゆずることがありません。これは世界の豊かさの一項目だと考えるべきものです。

なにはともあれ、「磁場」という観点こそ、日本の英語学習に徹底的に欠如してきたものです。



【8186】
【タイトル】同じ雨?
【 日時 】03/11/25 2:51
【 発言者 】根石吉久

日本における日本語の「磁場」。
アメリカ(英語圏)における英語の「磁場」。

そのそれぞれは、シンタックスにおいてまったく別のものであるが、それが「磁場」であるとい
う一点においては同じものである。
この人間の意識外から来る力として「同じもの」というところから、チョムスキーにおける生得
的な「普遍文法」という考え方を批判できるはずだという考えが、ずっとぼんやりと持続してい
るが、いまだ言葉にならない。

日本語に訳された「普遍文法」という語をどれだけ信頼できるのかという問題もある。

生得的なものとしては、言語に交わりそれを獲得する能力というものが一つあるだけではないか。
これはひとつの巨大な「同じもの」である。

自余は、すべてが、「同じもの」としての「磁場」と個における場としての「意識」がやるので
はないか。その「意識」が幼児において急激に「生成」すること。そこに生得的な「文法」を見
たのがチョムスキーだろう。それを「文法」としてとらえることを準備したところこそが、チョ
ムスキーが生成したボストン(西洋リベラル本流の地)だろう。
しかし、それは果たして「文法」なのか。ここにチョムスキーの属する西洋的思考がはっきりと
現れているのではないか。チョムスキーが言明しているかどうか私は知らないが、それが「文法」
だとすれば、それは「神の文法」となるはずだ。

「磁場」の作用があるからこそ、文法は「生成」するのではないか。私はそう考える。この場合
の「磁場」は決して神などを必要としない。人々の日々の生活は絶対条件だが、その絶対条件が
生み出す「自然」、それが「磁場」だと考えている。

「磁場」という観点に西洋流の唯一の神は必要ない。
自然に支えられて、人々の日々の暮らしが織る「磁場」というもうひとつの人間的自然があれば
すべては足りているのだと、アジアから出た私は考える。

チョムスキーは「ウラル・アルタイ語」系の個別文法を知らなすぎるのではないかというあてず
っぽうな疑いがある。

チョムスキーの「普遍」や「生得的」という観点は、どんな弱小民族をも、どんな強大な国家の
住人をもひとしなみに見ることができるという点で、また、そのゆえに、例えばアングロ・アメ
リカンの猛禽類的睥睨主義を完全に相対化できるという点で比類がない。

チョムスキーと私が固く手を結ぶのはそこだ。一方的に手をさしだしているのは私だが、チョム
スキーを読み進める中で、チョムスキーがさしだしている手をみつけられたなら、私はあらゆる
国家と権力を超えた抽象の地平で固く手を結ぶだろう。



【8187】
【タイトル】言葉を振り回す自分に赤面しています。
【 日時 】03/11/25 11:43
【 発言者 】sb

ありがとうございました。この書きこみのタイトルのお陰でやっと「磁場」の意味が分かった気がします。長年の氷が溶けてきた、まさに「氷解」の気分です。 「酸性雨」の理解の方はもう少し時間がかかりそうです。

「使って覚える」なんていうこと自体が変なんだ、ということが分かりましたが、千田氏は自身の体験(ビジネスなどの生活経験)を通じて言っておられること を考えると、不思議な感じもします。酸性雨(なんとかしなければならない日本の語学)に対峙する酸性雨(健全に指導されているように一見見えてしまうよう な○○○)は、これまた酸性雨(これまたはたまた困ったものであるということで、うーーーーーーん。)である部分を否定できないということでしょうか。 「使うときはもうすでに覚えてしまっている(磁場と言葉の不一致があったとしても)」という言い方が適切であるということが、非常によく分かりました。感 謝いたします。

でもなんか変です。今自分が書いた文章。過去ログが3ケタの時代にもし自分が読んでいたとしたなら。。。「こいつ何言ってやがんの!?」の世界であろうと いうことが。。。でも言葉とは人間?と思いました。生物の「内側の言葉は有機体」であり、人間の「外側の言葉は無機質」なんだと。

個人のマインド(水)と個人の音声や文字(氷)
の関係は、
言語磁場(水)と言語(≒語学)(氷)の関係ということですね。



【8188】
【タイトル】作戦部長の作戦を開始!?(したい?)
【 日時 】03/11/25 12:09
【 発言者 】sb

>シンタックスにおいてまったく別のものであるが、それが「磁場」であるという一点においては同じものである。

一元論が二元論に分析などのきっかけを与え、二元論は一元論の中に魅力を見出す。。。
この不思議なる関係はきっといろんな人が?に思ってきたことだろうと思います。これを哲学というのでしょうか。

「一切衆生悉有仏性」目に映るすべてのものは私という存在を含めて、その中に絶対的な不思議な(言葉上で逃げている印象があります。すみません。)ものが 存在する。この有名な般若心経の一節を理解できないプロテスタントの人が多い。しかし、その人の中にも神仏は存在している。けれども、その人が絶対的なも のを信じている。「コンタクト」というゼメキス監督の映画をみました。エンターテイメントとしては面白かったのですが、宗教と人間性の問題は考えるときり がありませんね。でもだからこそ考えつづけられてきたのでしょう。わたしも自然に逆らわず考えているときは考えているということになるのでしょう。 うーーーん。

むずかしいことをやさしくいうことのむずかしさ。それに挑戦するプロセスが生きることの一つの楽しみなのかもしれません。




【8189】
【タイトル】お時間のあるときに教えてください。
【 日時 】03/11/25 12:12
【 発言者 】sb

>「ウラル・アルタイ語」系の個別文法
って
何ですか?




【8190】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/11/25 14:41
【 発言者 】根石吉久

「酸性雨」とは、生活言語としての日本語の強度のことです。
語学の対象としての「仮の言語」を滅ぼす力の強さのことです。

日本語の存在そのものが降らせる雨です。(これは、あくまでも英語にとっての酸性雨
に過ぎませんが、英語にとっては猛烈な酸だと言っていいと思います。)



【8191】
【タイトル】ウラル・アルタイ語系の個別文法
【 日時 】03/11/25 14:49
【 発言者 】根石吉久

これは、日本語文法がその一つの例です。

チョムスキーは、ウラル・アルタイ語系の言語を知らないのではないかという私のあてずっぽう
によってチョムスキーを責めることはできないなとも思うのは、日本語の文法が、語学学習に使
えるほどにこなれたものとしては、存在しないからです。明治以後の日本語文法は、英文法の概
念を外側から日本語にあてはめただけのものが主流であり、日本語に即してそこに文法をみつけ
出したような文法は、こなれたものとしてはない。「日本語に即して」という意識が強い文法学
者だったら、まずは「主語」などという概念が疑われてしかるべきだったはずなのに、日本語文
法に「主語」などという語がしゃあしゃあと使われている。
私は本当に「しゃあしゃあと」と思います。

今、使用しているような意味での「文法」というのが、「個別文法」です。日本語文法、朝鮮語
文法というように、個別にいくつもある文法です。




【8193】
【タイトル】いろは風味の讃美歌 
【 日時 】03/11/28 17:59
【 発言者 】波江究一

紹介あるにより、ザンビア氏の掲示板よりお邪魔します。独自な視点よりの語学論を通して、文化の自己確立を希求する姿勢に共感を覚えます。下記愚論ご参考 まで。折々に参考にさせて頂きます。  

 聖堂の薔薇窓透きて
 母子に燃え揺る陽ぞ薫り
 懺悔声無く凝視め居ぬ
 落ち合ふ室辺我や寝よ
 
 せいたうのはらまとすきてほしにもえゆるひそかをりさんけこ絵なくみつめ居ぬおちあふむろへわれやねよ
 
 クリスマスを信仰抜きにツリーを飾り、ケーキを食べサンタクロースのお土産を貰ふ祭りにしておいても仕方無いと思ひ、いろは風味の讃美歌を提案します。 薔薇窓とはノートルダム大聖堂にある
 ステンドグラスです。ここで礼拝賛美されて居るのは三位一体の神では無く、創めに言葉ありきといふその言葉であり、言霊です。かういふものに曲つけて、 クリスマスソングとして逆輸出するやうになれば、日本も真の意味で国際化し、歴史を生き抜くしたたかさを身ににつける事になると思ひます。将来この歌に霊 感得て実際に日本教の聖堂を造りあげてしまふ、建築家美術家もあるかしれません。提供は言霊神宮です。

A saint's mother and child's image is shining in the sunlight
Burning and flickering on the rose window of the cathedral.
While I pray forgetting even penitential language and stare at its figure.
Let my soul carrying out feeling so ease and peacefullness,thus the inside of the solemn
palace !

http://8504.teacup/namie/bbs



【8194】
【タイトル】波江究一様
【 日時 】03/11/29 2:04
【 発言者 】根石吉久

しかしまあ
日本人は折り紙なんか得意とするだけあって、凝りますね。
「我や寝よ」あたりに無理があると思うものの、よく出来ています。
誰が考えたものなのか、お教え下さればうれしいです。
江波さんが考えたのでしょうか。
ダジャレー夫人の恋人さんが、この掲示板には出没しますので、割と
彼といい話ができるのではないかと期待しています。
どうぞ今後もお書き下さい。

せっかくURLを書いてくださったのに、私のコンピュータからは読
めませんでした。DSNだかDNSだかエラーとのことです。
ちょくちょくこんなことがあるのはどういう仕儀なのか、マイクロソ
フトと思っております。
そろそろトロンでOSを立ち上げるべきではないかと思う者です。
日本の根回しをしっかりして、ワープロ、表計算、データベース、ブ
ラウザ、デジタル写真表示ソフトあたりのアプリケーションソフトの
質のいいものをあらかじめ予定してしまえば、国産OSは可能であり、
マイクロソフトを外すことができると思う。

済みません。風流な記事に味もそっけもないお返事になってしまいま
した。



【8195】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/11/29 2:13
【 発言者 】根石吉久

作戦部長さんとしては、この冬から来春にかけて、どんな作戦をお考えでしょうか。
私は、刷り物を作ろうと思っております。学校の英語の先生と塾の英語の先生を今
後の生徒さんとして募集していくための刷り物です。
塾の先生は、アルバイトを禁じられているということはないと思うので、コーチと
して育ててみたいと思っています。
塾が踏ん張らないと、日本の英語はどうにもなるまいと思っています。この場合の
塾とは、小さな個人塾です。大手の進学塾のことではありません。大手進学塾にお
勤めの先生は、一個人ですので、大手進学塾の根性と一致しているとは限りません。
その方々にも期待しています。

私の空き枠は現在埋まっていますので、空きができるまでは生徒さんの新規募集は
行いませんが、予約は受け付けていこうと思っています。空きができたら、予約申
し込み順にこちらから問い合わせ、曜日と時間の都合のつく方から使ってもらおう
と思います。

印刷物、出来ましたら、お送りしますから、身の回りだけで結構ですから、配布を
お願いします。

曜日と
時間帯の都合のつく方から



【8196】
【タイトル】今、読んでいる日本語の本
【 日時 】03/11/29 2:15
【 発言者 】根石吉久

宮本常一「忘れられた日本人」(岩波文庫)
むちゃくちゃ面白いです。これを読まずに死んだら、死んでから後悔しても遅い。




【8197】
【タイトル】村田君
【 日時 】03/11/29 2:17
【 発言者 】根石吉久

書いてもらったものは、大学受験の話だと思うが、大学受験の話だと書かないと話がよくわから
ないと思う。

俺は、「甘い!」とか言ったことは覚えていない。大学ノートを使ってやったというので、大学
ノートよりレポート用紙の方が使いやすいということは言ったと思う。



【8198】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】03/11/29 2:37
【 発言者 】根石吉久

 コメント、遅くなり申しわけありません。

>正しくは暗唱大会でした!!

 ああ、スピーチコンテストではなくて、暗唱大会でしたか。
 暗唱大会は、私は何の異議もありません。どんどんやるのがいいと思います。

 書かれた通り、それが一部の生徒だけに施されていることが問題です。生徒に
暗唱させるということは、普段の授業にもっとどんどん取り入れるべきです。ど
の生徒もそれができるようにすべきだと思います。ただ、暗唱で心配なのは、多
くの生徒が暗記しようとする傾向が非常に強いだろうということです。

 ここでも柴田武史さんがやられたことが、一つの理想形を示しています。
 柴田さんは、3ヶ月ほどかけて、フォニックスを使って「音作り」をやり、そ
の後は、ひたすら「音読」の指導をされました。柴田さんの場合でも、「音読=
音作り」です。これは、私の「音づくりによる文構造ごとのインプット」と非常
に近いものです。私はフォニックスはやらず、最初から文構造まるごとを扱うと
ころが柴田さんと違いますが、基本的な考えにおいていくつも共通のものを持っ
ています。
 柴田さんの「音読」指導の極まるところに、数百語から成るテキストを生徒に
暗唱させるという実践があります。これはおそらく、暗記の要素をなるべく排し
て、ひたすらな「音読」により、自然に口が動くようになるまで口を動かすこと
を生徒に指示しての実践だろうと推測しています。

>5分間音作り、来年の年度当初から始めたいです。

 今の時期に突然「音づくり」の要素が濃くなると、生徒がとまどうかもしれま
せんね。「音づくり」というものがあること。根石吉久が特に大学生を仕込みた
がっていること。日本で(日本語の「磁場」で)英語を維持するためには、大学
卒業後に週に2,3人でもいいから、生徒を持ち、「音づくり」のコーチを続け
るのが一番いいのですが、根石がそういうコーチを作りたがっていることを、教
室の生徒さんたちが卒業されるまでの間に一度は話しておいて下さるようお願い
いたします。

 柴田さんの「音作り」と私の「音づくり」はいくつかの点で異なりますが、基
本的な考えは同じです。活動の場として、「音づくり」が塾育ちであるのと、
「音作り」が学校育ちであることの違いだと考えています。
 私の「音づくり」に関する考えは、断片的に、過去ログに散らばっています。
非常に読みにくいので、この冬の間に柴田さんの「音作りへの道」を再読・熟読
していただきたく思います。



【8199】
【タイトル】言葉や意識が夢を作り、それに行動が加わり現実を作る。歴史からは学ぶのみ。
【 日時 】03/11/29 14:47
【 発言者 】sb

>(過去ログ(根石さん→浜谷さん)より)「回転読み」や「只管朗読」の激しさがねらっているものは、多読などとはまるで違うものだと思っています。私の 「復習範囲を手放さない」は、音も理解も知識も意味もイメージもすべて同じ釜で煮込んでもらうような方法であり、黙読による主に頭を使う読書とは、根底が 違っています。

音読と黙読。
そして素読。
素読は読みのもともとの形だったのだろう。

素読は、勝手な言い方だが、私には、「音読と黙読を一緒にした言い方」に思えてくる。
(素読の本当の意味は根石さんに解説していただくとしても)
別の言い方をすると、読みの「ごった煮」とも言えると思う。
黙読を語学の入り口にすることも全く否定することもできないのではないか。

浜谷さんの黙読。(こちらも素読のような気がしてきた。)
根石さんの音読。(素読という言葉の中の音読。)

私の知っている人で本当に黙読中心で仕事をうまくこなしている人がいる。
その人はとつとつとした英語で実際に仕事をこなしてきた。
アジアの製品の品質も上がってきている今、日本人に求められているのは、ぺらぺら英語ではない。とつとつとしていてもしっかりした英語だ。しかもそれが体 に根付いている、そういうもの。

そこで。。。
音法は音法に過ぎない。
文法は文法に過ぎない。

しかし、音法、文法、共に、よりしっかりしたものを目指すことは、
語学を学びつづける者としてのプロセスなのだと思う。

この完全主義からの脱却については、背景知識についても言えると思う。
また、そのほか非言語活動などについても言えると思う。

コーチを利用することもいいだろう。
自分でやるのもいいだろう。
必要性のある人も、ない人も、やってみようと思う人ならは何をやってみてもよいだろう。
英語は深い。一方、浅いとも言える。
もっと他にやらねばならないことが多い人も多いことだろう。

なんでもOKなのだ。最近そう思います。




【8200】
【タイトル】百科的知識からノート的知識へ
【 日時 】03/11/29 14:58
【 発言者 】sb

>作戦部長さんとしては、この冬から来春にかけて、どんな作戦をお考えでしょうか。
私は、刷り物を作ろうと思っております。学校の英語の先生と塾の英語の先生を今
後の生徒さんとして募集していくための刷り物です。

今度Naimaさんとそのお仲間と12月6日にお会いする予定です。それまでに今まで散在していたノートやメモをできるだけまとめたいと思っております。 しかし、分かりやすい言葉で表現するのには時間がかかると思います。でもとりあえず何かを作ることが大切だとも思っています。それからそれをとつとつとし た英語でも表記することを夢として持っています。つまり対訳の形にして残していくのです。バージョンを重ねていく必要があるでしょう。徐々にいいものがで きると思います。難しいものは駄目です。根石さんの「どんでん」は難しい。私はもう何回読んだか分かりませんが、1冊目の赤線を施したものはなくしてしま いました。今2冊目がボロボロです。でもまだよく分からないところもあります。だいぶ理解できるようになってきましたが。。。しかし、英語を学ぼうとする 人達が、「途中で投げ出さず」「そこそこ流して読める」「見た目にもすっきりした」ものを作るのが、どれだけたいへんなことかは私にはわかっていないと思 います。だからこそ散在したノート、メモ類を自分で集めてみたいのです。



【8201】
【タイトル】募集は営業、営業は生活、生活は妥協、妥協は募集
【 日時 】03/11/29 15:16
【 発言者 】sb

行動を起こさせる営業戦略は「理想」ではなく、「戦略」であること。
ここを私は自覚していませんでした。

しかし「戦略」には「そったく同時」という大原則があります。
ご存知のように「ひながたまごの内側から殻をつつく、その時に、親鳥が、そのひながつつく瞬間を見届けて、即、間髪を入れず外側から殻をつつく」というや つです。また受け売りです。ごめんなさい。

しかし私は根石さんの「電話でレッスン」を通じて、「語学とはどういうものか」「語学とはどのようにして学ぶのが自分にとっての生活に役に立つのか」など を深く深く学ぶことができました。
学び続けることが大切です。しかしきりがありません。私の場合は日本語の素読や背景知識、それに電圧装置の作り方をきちんと学ぶべきだったと反省しきりで す。でもこれからの学びにたいへん役に立ったばかりでなく、自分にとって一生の財産になったことがたくさんあります。

@自己管理、自己目標設定を最終的に助けるプログラムであること。
A音づくりを塾生が自ら内的に理解し、実際の行動に(練習力、回転読みなど)移せるものであること。
B語学論の真髄を分かりやすい言葉で相手がほしい情報だけを欲しい時に的確に伝える準備があること。

などがノートにまとめる時のポイントであるような感じがしています。



【8202】
【タイトル】英語暗唱大会と英語弁論大会
【 日時 】03/11/29 15:20
【 発言者 】sb

英語暗唱大会は音作りに主に機能します。また音に意味を溶け込ませることにも役に立つ場合もたくさんあると思います。

英語弁論大会は背景知識を高めるのに主に機能します。また音作りや音に意味を溶け込ませることにも役に立つと思います。

焦点のあたる場所が少しずつ違うと思います。




【8203】
【タイトル】アドレス訂正及び讃美歌の二
【 日時 】03/11/29 15:21
【 発言者 】波江究一

アドレス印刻違ひありまして失礼。 二作目出来ましたので紹介かたがた。
末尾にあるが正しいアドレスです。その言語に内在する特質を存分に発揮
してこれを国際間に認知普及せしめることが将来の於て無用の侮りを除く
重要なる戦略と思ひます。

奇し霊孕む
処女より生れて
罪を癒せる子
諸音植ゑ匂へ
率ゐ結ふ縁ぞ
我が名消さぬ野路


くすしたまはらむおとめよりあれてつみをいやせるこ
もろねうゑにほへひきゐゆふえんそわかなけさぬのち

When the child who purifies our crime
Is born from the maiden belly conceived by the Holy Spirit,
We will play all good tones.
And we connect solidarity with unknown people,
And we will parade a field, reciting an immortal name



【8204】
【タイトル】「チョムスキーのアメリカ」の反響
【 日時 】03/11/30 0:37
【 発言者 】足立和夫

灰皿ネット「足立和夫の家」http://www.haizara.net/~kirita/adachi/の
BBS「骸骨人の風」より引用。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★2003年11月28日 14時11分★ ザンビア河野
下の根石さんの発言の引用(複雑だなあ)にはもろ手を挙げて賛成したいです。反戦掲示板というまどろっこしいことをしなくてもこんなに明確に表現してくれ た根石さんに感謝したいです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※「根石さんの発言」というのは、この掲示板に書かれた、「チョムスキーのアメリカ」投稿者:根石吉久  投稿日:11月16日(日)のこと指しています。

mailto:ck9k-adc@asahi-net.or.jp



【8208】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/12/01 1:38
【 発言者 】根石吉久

>募集は営業、営業は生活、生活は妥協、妥協は募集

どういう意味だか、ちいともわかりません。



【8209】
【タイトル】「電話でレッスン」アドバイス
【 日時 】03/12/01 2:52
【 発言者 】根石吉久

 生徒さんにアドバイスした場合に、I村さんがレッスンをコンピュータの音声ファイルにしてるってのを聞いて、俺もそれ参考にして、アドバイスの部分だけ 録音してみようかなって思ったんですわ。
 ええと、喩え話で言うと、新品のジーパンを買ってきたとして、音の質がまだ新品のジーパンの状態っていう感じなんです。まだごわごわして硬いっていうこ となんですが、体になじんでくると、布が柔らかくなって、非常に穿きやすくなって、それで、布もまだしっかりしてて、っていうこの状態が続けば一番いいん ですが、そうもいかなくて、そのうちに布が薄くなって破れちゃいますね。
 今日やったところだと、I had Rose move your three o'clock ・・・の文が特にごわごわしていて硬いっていう感じがしました。これから柔らかくしていくわけですけど、とにかく回数を読み込んでもらうことだと思いま す。
 えーと、英語のネイティヴの音っていうのは、崩れた音が暗黙の了解のうちに許容されていくので、ジーパンで言えば穿きすぎちゃってあるので、穿き過ぎて 穴があいちゃったっていうような音なんですね。布自体が薄くなってるというか、くたくたになってるんですね。
 ネイティヴの音っていうのはそういう音なんですよね。
 で、わたしらが語学で作るべき音っていうのは、そのくたくたな薄い布みたいな音だとは考えていないんです。ネイティヴの音をやたら尊重する人がたくさん いるんですが、布が薄くなってるとか穴があいてるというような音の性質自体はお手本にする必要はないですね。柔らかくて繊維がしっかりしてるっていう音が 作れればいいんだと思うんです。
 ただねえ、その柔らかくてバネがあるっていうところまで持ち込むためには、どうしても回数を読み込む必要があるんです。だから、頭で覚えちゃったとか、 暗記しちゃったので言えるっていうレベルで止まっちゃわないってことが非常に大事なんですね。あくまで「読み込む」っていう感じで、ジーパンだったら「穿 き込む」っていう感じで、口の筋肉を「使い込む」って感じで、筋肉を鍛えるつもりで、ひとつやってみて欲しいんですが。

 もう覚えたからいい、と思うとそれが語学では落とし穴ですから。もう充分になじんだ文でも、どんどん読み込むっていう練習をつづけて下さい。




【8210】
【タイトル】こんにちは
【 日時 】03/12/01 10:46
【 発言者 】ザンビア河野

根石さんこんにちは。およびにより参上いたしましたザンビアです。

チョムスキーの件は私が身も心もすりへらしてやっていた反戦掲示板にある解答をあたえるものでした。ありがとうございました。

ここの主題である、言語については先におじゃました波江さんとこそこそ話しあっております。そこでは日本語の問題について語り合っているのです。

世界は日本語だけで構成されているわけではもちろんないですね。日本語と外国語(印欧語族、セムハム語族、ウラルアルタイ語族、ポリネシア諸語族)との間 の意識交換は翻訳ということでなされるわけですがこれにすごい難題が数々よこたわっているというのが最近の私の主張です。

http://sky.zero.ad.jp/toku/zambia/

mailto:zambia@sky.zero.ad.jp



【8211】
【タイトル】波江さんについて
【 日時 】03/12/01 15:45
【 発言者 】ザンビア河野

根石さん、故有って波江さんはウチの一角にすんでます。下のリンクが彼のホームページとおもってください。

http://8315.teacup.com/talkingsnake/bbs



【8212】
【タイトル】また一つ理解しました。根石さんに感謝しています。
【 日時 】03/12/02 0:03
【 発言者 】sb

>>募集は営業、営業は生活、生活は妥協、妥協は募集

>どういう意味だか、ちいともわかりません。

酔っていたようです。失礼しました。


薄く擦り切れたジーパン(くずれた言葉)を履かないのが語学であるというのは、
音声の崩れ自体を生活言語でしかとらえてはいけないということなのですね。崩れは生活言語に渡ってしまった場合のみに許されるという風に語学では割り切る ことが(意識的になるということが)上達の早道ということなのですね。
文字の面から言うと、ゴーストで扱われているような非文(文法的におかしい)、つまり崩れている文字(もしくは文)も語学としてはとりあえずとらえないと いうことになるのでしょうか。生活言語として(本来は渡ることはほとんどあり得ないが渡ってしまった場合)の英語はとりあえず無視することが大切だという ことですね。700選へのこだわりへの自身が私自身持てた気がします。同時に早く700選からも卒業して、ゴーストへ移行することの大切さにも気づきまし た。

言葉ほど人工的なものはないが、言葉ほど人間的(自然的)なものもない。
語学としてとらえるということは、意識として言語をとらえるということがやっと自分の中で整理できました。
生活言語は無意識(自然的)なのに対し、語学は意識的(人工的)だということがやっと本当の意味で別々なものとなりました。根石さんの生活言語としての英 語と語学としての英語を意識的に分けることの意味を内側から分かった気がします。ありがとうございました。



【8213】
【タイトル】ザンビア河野 様
【 日時 】03/12/02 23:48
【 発言者 】根石吉久

現在、
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
http://6829.teacup.com/nessy/bbs
などを読むだけで、他の掲示板にほとんど読みに行く時間がとれません。

しかし、先程、サンビアさんの掲示板を読みに行きました。
波江さんの字数歌は、最初に一つ読んだときは非常にびっくりしましたが、いくつも読むと
とても読みにくく、古い教養がなければとりつけない質を持っています。
とりわけ、旧かなづかいに日本語のアイデンティティを求めることは私はとうてい賛成でき
ません。旧かなづかいの方が整合性があるという意見には耳を傾けるべきだと思いますが、
そこにアイデンティティのようなものを求めると間違うと思います。
私は、日本語のアイデンティティは、その言語構造そのものにあると考えている者です。
どれほどカタカナが氾濫しようと、どれほど整合性を欠く新かなづかいで書かれようと、若
い人がどれほど流行語で日本語を乱そうと、その言語構造(シンタックス)が日本語のもの
であれば、それはまともな日本語だと思います。
最後の砦というものがあるとすれば、ただ日本語のシンタックスあるのみだろうと思ってお
ります。旧かななど復活したところで、シンタックスがやられればどうしようもないのです。



【8215】
【タイトル】根石さんありがとうございます。
【 日時 】03/12/03 11:50
【 発言者 】ザンビア河野

言語構造ですか、それは核心をつくご意見ですね。多いに賛成できるとおもいます。

波江さんは 古えにもどすべし というご意見でしょうが現実問題として不可能でしょう。古えでも各時代で特徴とニュアンス(語味といったらいいでしょう か?)がちがうとおもいますからね。私にとっては鎌倉時代はきらいな日本語です。

言語構造以外にもこのニュアンスというのも大事だというのが私見です。ロルカのところもごらんになったでしょうが、翻訳や語学の問題もここが重要な点かと おもいます。

http://sky.zero.ad.jp/toku/zambia/



【8217】
【タイトル】根石さん
【 日時 】03/12/04 14:19
【 発言者 】sb

根石さん
私のような者にいろいろお教えいただき、感謝しています。
また表現や引用など、不適切で稚拙であったことを反省しています。
申し訳ありませんでした。
記号言語とイメージや生成文法とチョムスキーは今の私には難しすぎます。
しばらく間をおいて、いろいろ実践してみたく思います。
本当にありがとうございました。
今後ともお付き合いしていただければ幸いです。



【8218】
【タイトル】引用
【 日時 】03/12/04 14:53
【 発言者 】ザンビア河野

>根石さんの発言「私は、日本語のアイデンティティは、その言語構造そのものにあると考えている者です。
どれほどカタカナが反乱しようと、どれほど整合性を欠く新かなづかいで書かれようと、若
い人がどれほど流行語で日本語を乱そうと、その言語構造(シンタックス)が日本語のもの
であれば、それはまともな日本語だと思います。」の部分、こちらの掲示板で引用しました。
事後報告失礼。


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【8224】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/12/06 0:56
【 発言者 】根石吉久

>記号言語とイメージや生成文法とチョムスキーは今の私には難しすぎます。
 しばらく間をおいて、いろいろ実践してみたく思います。

まずは、「5分間音づくり」から始めてみて欲しいものだと思っています。
ミッフィーさん(柴田さんの講演をお聞きになった佐賀県の高校の英語の先生)も、来春から
「5分間音づくり」を試してみられるようです。
5分なら、通常の授業の邪魔をせず、「音づくり」ができるだろうと思います。
公立の学校での「音づくり」はまずそんなところから着手すべきだろうと思います。



【8225】
【タイトル】ニュアンス
【 日時 】03/12/06 1:13
【 発言者 】根石吉久

ザンビア様

そうですね。言語構造だけだと、日本人のアイデンティティと朝鮮人のアイデンティティはほぼ
同じものになります。ニュアンスということを考慮しないと、日本語でしか言えないこと、朝鮮
語でしか言えないことというものがすっとんでしましますね。
私は日本語の歴史における各時代のニュアンスは、実におおざっぱに感じることができるだけで
す。鎌倉時代に特有のニュアンスというような細かい感覚はいまだ所有できていません。
おいおいにお教え下さい。



【8226】
【タイトル】それでもしかし
【 日時 】03/12/06 1:35
【 発言者 】根石吉久

英語という語学をやってきて、「話せるようにならない問題」を考えてきましたので、私の目に
は、「言語構造」が大きくうつるようです。
言語構造(シンタックス)が、ほぼ無意識化されないのに、しゃべろうとするのは無理だと思う
のです。ニュアンス以前の問題としてそれがあるように思います。

翻訳は語学の発展形ですが、やはり、語学から出て、語学から切れた独自の領域を形成している
と思います。そこでは、ニュアンスがきわめて大事になるということはよくわかります。

話をする、読書する、翻訳するなど、語学の成果を実用とする以前の、語学が語学であり続けて
いる領域を私は考えてきました。そこでの難題は、まずはシンタックスだろうと思っています。

インド・ヨーロッパ語系に対して、ウラル・アルタイ語系の日本語のアイデンティティは、シン
タックスとなると思います。
ニュアンスということになると、ウラル・アルタイ語系の中の各言語において、それぞれ固有の
ニュアンスとなります。

日本語の、あるいはそれを使う人のアイデンティティとなると、ニュアンスとした方がいいのか
もしれません。

それでも、しかし、押し寄せるヨーロッパ系のシンタックスをどう受け止めるかという場合には、
「言語構造」だろうなと思っているのです。ニュアンスは、戦後の日本語は相当のダメージを受
けています。生活がアメリカ化したことによるものだろうと思います。
しかし、シンタックスはまるで無傷ではないか、と思っているのです。

「寝た?」
「まだ」
「欲しい」
「うん」

こんな会話で用が足りるのが日本語で、これはシンタックス的にはとても正当な日本語です。
これを英語で言うとして、

Sleeping?
No
Want it?
Yeah

とでもするとして、問題は3番目の Want it? です。
Want? だけでわからんのかなあと思うのは、日本人で英語ネイティヴは、自然に it を言う
と思うのです。

で、とことん省略してもなお、「動詞+目的語」という構造が顔を出す。

「寝たの?」
「ううん」
「欲しいの」
「・・・」(うなずくだけ)

ニュアンスってのは、こちらの問題ですね。



【8227】
【タイトル】仮名遣か「かなころがし」か
【 日時 】03/12/06 13:36
【 発言者 】波江究一

 旧かなづかいに日本語のアイデンティティを求めることは私はとうてい賛成でき
 ません。旧かなづかいの方が整合性があるという意見には耳を傾けるべきだと思いますが、
といふご意見ですが旧かなといふ用語がそも罠であると思ひます。視点を換へれば今公式の仮名遣いとしてはびこつて居るものの方が「かなころがし」とよばれ て然るべきでせう。動詞の活用語尾
五十音経緯図の一行にをさまるべきところ、あふ あはない あへば が あう あわない あえば
のやうにあわ行間を右往左往するのみならず、いろはに代表される独特の言語表現機能を台無しに
してしまふからです。いろはの伝へて居ることで最も大事なことはその構成時各音が我々はその一
を欠いても総体成立し得ない有機的連鎖体なのだといつて居る所にあります。
英語辞書には単音にして品詞定義あるは一人称代名詞と不定冠詞のみですが。国語辞書はそれこそ
仮名各音につき辞両面に亘る定義の山です。その意味するところは彼が無機質なる表記部材である
に対し、わが国語表記を構成する仮名とは各音に命を宿した細胞器官も同じといふにあります。
これがいろは歌のごとき他言語に類例ない表現機能を可能ならしめて居るのです。「かなころがし」は五十音図が経緯図としてある意味をも、いろはに篭められ た世界観文明千載の大略をも蹂躪
してしまふ性質の物であつて、決してこれを永続させてはならぬと思ひます。
下記性懲り無く下手な英訳つけて不信者の讃美歌つくり置きました。


樅の枝に灯り
集ひ寄る我等
雪屋根を綺ふ
星ぞ果てぬ裔
興さむ名浮く気
馬柵へ立ち居ん眼

もみのえにあかりつとひよるわれらゆきやねをいろふほしそはてぬすゑおこさむなうくけませにたちゐんめ

在?的?枝点??的房?里(上),我?集聚祝福救星的?生。在雪?的屋?的上,称呼星的光和,到世?末了都不腐朽的名放光在。靠近?小房注?的人影,用三 个博士?洗??

The candles burning on the branch of the christmass tree,
Where we gather and congratulate a savior on birth.
A stellar light shining on the roof thick snow layed.
Praised the name which does not decay till the end of a world,
Are they three doctors who come and watch the horse hut?



【8228】
【タイトル】透視
【 日時 】03/12/07 11:51
【 発言者 】ザンビア河野

なんか私の頭の中の整理がつかない言葉の塊を根石さんが透視してくれているのではないかとおもってしまいます。

ただ言語構造というのは比較言語学の分類で音声言語学的な分類だとニュアンスは違う集合体を我々の前に出現させるかもしれません。そこいらへんを詳しく調 べたという人を私は不幸にしてしりませんが膨大なフィールドワークが必要な関係で専門家がいないのだとおもいます。調査には金がかかりますしね。これが政 治とか経済的な価値のある研究だとみとめられれば、全世界的な調査がおこなわれるでしょう。

音声にもなんらかの秘密がかくされているとおもいますが裏付けを取り様がなく、現時点では言語構造が国語を代表するというご意見に賛成したいとおもいま す。

http://sky.zero.ad.jp/toku/zambia/



【8230】
【タイトル】言文一致かデアル点か
【 日時 】03/12/11 14:26
【 発言者 】波江究一

いろはとは何も古語ばかりでなく、いはゆる現代史風に平明な表現も可能だといふ証明までに
下記投稿致します。書かれた文章はすべて文語であつて、現代語口語なるものは、その実文末に特徴的に頻出する語法をとつてデスマスデアル点といふへぼ訓点 であるといふ観点も可能です。いはゆる文語全体と等価に対峙するものとして言文一致なるものが確立されてある訳ではありません。飽くまで畸形の派生形でし かないといふが、私の立場です。

子ども達に
親は願ふ
平和な明日
造る夢を
誉れ照らし
拡げ笑む世
跛者(ゐざり)失せん
消えぬ希望

こともたちにおやはねかふへいわなあすつくるゆめを
ほまれてらしひろけゑむよゐさりうせんきえぬのそみ

跛者(ゐざり)失せん 地雷に触れて脚を失ふやうなこと。


小泉氏憲法前文を都合のよいところだけ持ち出して人的派遣を決定の声明を出したやうですね。
言葉は非力の極みですが下手にいぢり廻すとおお火傷をすると思ひます。



【8231】
【タイトル】泣きっ面に蜂
【 日時 】03/12/12 23:18
【 発言者 】ミッフィー

我が家のちびゴンたちの面倒を見てくれているじーちゃんが入院してしまった…息子は水疱瘡にかかってしまった…だんなは事故を起こしてしまった(不幸中の 幸いでお互いけがはなかったらしい。神様仏様ありがとう)そして私はEliot大先生の授業を来週見学に行く手配をしていたのに、その日ちびゴンが完治し ていない可能性が高く私がガッコを休んで面倒を見なければならず、早速キャンセルせざるを得なかった…Eliotさん、見ていらっしゃるでしょうか、この サイトを。先生の授業を見に行く予定にしていたのは私です。ごめんなさい。でもいずれおじゃまさせてください。そんな私は今「いわゆる受験指導」の真っ最 中ですが、センター試験だろうが、国立大の入試だろーが私大だろーが、あったりまえの話ですが、英語のシンタックスがしみこんでいればするする読めるし、 なければ読むのに難儀する。たとえば英作文やイディオムの小テストをする。声に出して読んで覚える生徒は伸びるし、眺めているだけの生徒は伸びない傾向が ある。10枚ワンパックと多少違うが、がりがり書きまくる生徒もなかなかいい感じ。いくら「…かどうか」のifやら「…ということ」のthatやら「…で あること、もの」のwhatを口先で説明しても英文が体に、かけらだけでも残っていたら話は通じるのだけれど、何もないところからの、例文を引用しての説 明は焼け石に水のよう。じゅわーっ、しゅしゅしゅと蒸発しているのが目に見えます。中学高校の英語の先生、とにかくいっぱい低学年から音を出して読ませよ う。私もこの一週間のさぼりを克服すべく、回転今からがんばろうっと…。



【8240】
【タイトル】色は風味の讃美歌二
【 日時 】03/12/23 13:33
【 発言者 】波江究一

明日がイブですか。中英二ヶ国語の翻訳をエンジンによつて得ましたが,専門家お揃ひの所で拙い訳に添削玉はらばと投稿,ご笑覧のほどを。


樅の枝に灯り
集ひ寄る我等
雪屋根を綺ふ
星ぞ果てぬ裔
興さむ名浮く気
馬柵へ立ち居ん眼

もみのえにあかりつとひよるわれらゆきやねをいろふほしそはてぬすゑおこさむなうくけませにたちゐんめ

在?的?枝点??的房?里(上),我?集聚祝福救星的?生。在雪?的屋?的上,称呼星的光和,到世?末了都不腐朽的名放光在。靠近?小房注?的人影,用三 个博士?洗??

The candles burning on the branch of the christmass tree,
Where we gather and congratulate a savior on birth.
A stellar light shining on the roof thick snow layed.
Praised the name which does not decay till the end of a world,
Are they three doctors who come and watch the horse hut?



【8245】
【タイトル】本年最後に、投稿させていただきます。
【 日時 】03/12/31 18:42
【 発言者 】パクパク

たぶん、浜谷さまも、この掲示板を投稿されなくても
毎日、アクセスされておられるとおもいます。


浜谷さんのように優等生だった方以外は、浜谷さんの多読のやり方で英語が上達するには、300年から500年かかると思います。一生懸命にやってもそのく らいかかると思います。私は冗談を言っているのではありません。浜谷さんにはよかった方法でしょうが、普遍性はない。この性質を決めているのは、浜谷さん が、多読に至るまでの「前提」を軽んじているという一事です。SSSも同じことです。

今年は、多読が、音読ブームにつづいて、商業的にブレークしたときだと
おもいます。
しかし、来年は、その勢いは持続しないのではないかとおもいます。
300年から、500年もしくは、永遠に、多読では到達しえないとおもいます。
わたしは、やはり、素読のベースの元に、多読が必要とおもいます。
しかし、素読のベースがなく、多読をしても、なんらの効果もないと
おもいます。
自分自身の上達のことも含めて、来年、具体的に投稿したいと
おもっております。



【8246】
【タイトル】あけましておめでとうございます
【 日時 】04/01/01 4:04
【 発言者 】いくこ

旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

パクパクさん<
>わたしは、やはり、素読のベースの元に、多読が必要とおもいます。
>しかし、素読のベースがなく、多読をしても、なんらの効果もないと
>おもいます。

これはパラドックスとして、あえて提示してらっしゃるのでしょうか。

私は、英語の基礎をつくるためには、素読は欠かせないと思っています。いろいろな方法はあるでしょう。しかし、素読・特に回転読みは苦労ではありますが、 英語がよく身に染みます。頭だけで考えただけでは捉えきれない長いフレーズを身体に取り込むことさえ可能になります。

初めて見た英文を脳を振り絞って暗記しても、脳の中にそれを受け入れる素地ができていなければ、英文をとらえることはできないと思っています。そこで、素 読は、体が英文を捉える素地をつくるのに最適です。素読する英文には単語もイデオムも含まれていますし、一文をわしずかみして身に付けることによって、噛 めば噛むほど味がでるスルメと同じく、後々英語に対する理解度があがるほど、その英語の一文はより有用になっていきます。だから、復習範囲も、手放すわけ にはいかないのです。

パクパクさんがおっしゃっている「素読のベースの元に、多読が必要」は、そもそもどういう意味なのかよくわかりません。が仮に素読ができるようになるため に、多読が必要というならば、それは初級者には、不毛な英語への取り組みになるだけのように思えます。
多読も、もちろん辞書を引き引き、沢山の本を読みすすめるほど「このような言い回し前にも見た、この単語は見たことがある」などの気づきもあるでしょう が、それが身体にしっかり定着するためには、膨大な本に接する経験量が必要であり、身体に英文をしみこませるには、多読はあまりに弱い経験量だと思ってい ます。

また、膨大な本に接することは、英文を十分に理解しない初心者にとって壁に頭をぶつけ続けるだけだと思います。結局、一文ずつ回転読みして素読をしていく 方が、確実に一つずつ英語を身につけていくことになるし、結果的には飛躍的な英語の習得につながっていくと思います。



【8247】
【タイトル】謹賀新年
【 日時 】04/01/01 9:34
【 発言者 】パクパク

本年もよろしくお願いします。

素読:荒塗り
多読:中塗り
精読:仕上げ塗り

 荒塗りのベースがないなかで、中塗りをいくらしても、それは定着がわるく
 いずれ剥げ落ちる。
 しかし、荒塗りのベースを土台にしていれば、中塗りが生きてくる。
 もっと言い方をかえれば、荒塗りの過程を省略して、中塗り作業を
 つづけても、それは一瞬の見かけのよさだけだとおもいます。
 また、荒塗りをしていないと、中塗り作業自身が本来は継続できないとおもいます。



【8252】
【タイトル】転写(1)
【 日時 】04/01/01 21:39
【 発言者 】根石吉久

どこかに広告用のフレーズを書いたファイルがあったはずだが、みつからないので、当座ここに書いておく。

野鍛冶としての英語職人(電話でレッスン・コーチ) 根石吉久

 野鍛冶は、権力に寄り添う刀鍛冶のようなものとは違う。一流の学校の一流の先生は刀鍛冶のようなものであろう。根石吉久は英語をめぐる一切の権力に「ま つろわぬ者」として生きてきた。その方法の一切を塾から始めたことがそれを物語っている。いまやくたばりぞこないの早稲田の「在野」という理念を、そのま ま地で生きて、女房・子供を苦しませたのが根石吉久だと言っても、女房・子供の観点からまったく正しい。まだ誰も「音読」などと言っていない頃から、「音 読」ひとつを死守し、塾一つを維持するのは血みどろの娑婆との喧嘩だったのである。

 根石吉久は野鍛冶である。だから、ぼろぼろの鍋の修理だって行う。その土地で鉄がとれるなら、その鉄をうち据えて鍛冶をする。電話回線を「野」として、 「鍛冶」をする。どんな土地のどんな鉄だって打ち据えるのである。

 日本で英語の原料となる鉄は手にはいるのか。手に入る。それは、「音」でもなく「文法」でもない。「イメージ」である。
 外科手術的に浸入してくる英米標準強制。これに「抗する」ためにこそ英語をやる必用があるのであって、意識を英米化するためにであってはならない。とこ ろが、英語フリークという亡者どもは、意識の英米化をやりたい人たちなのである。そして、日本にいて英語を使う者の90パーセントを越えるほどの圧倒的多 数が英語フリークどもなのである。意識を英米化し、それに同化してしまった方が、語学はよっぽど楽なものになる。英語フリークとは、楽をしたい者どもに過 ぎないと言ってしまってもいいのだ。
 もう、英語をフリークどもの手から奪いかえすときが来ている。英語をフリークや亡者たちに握らせておくべきではない。技術者として研究者として、あるい は商品の取引を行うものとして、ときには親戚として英語をしゃべる人たちと英語でやりとりする場面はこれからも減ることはないだろう。意識を英語に同化さ せた者としてではなく、日本語と英語を両方持つ者として、その分裂の中で狂わずに静かに進む者として、普通の日本人が英語を必用としはじめているのであ る。アメリカ帰りではあるが、語学の方法を持たないフリークが、どうして先生やらコーチやらができるというのか。在来の学校英語に何ができるというのか。

 英語をフリークや亡者の手から奪いかえし、堂々と日本育ちの英語をしゃべるためには、日本だけで英語を作って、語学論を備えた人のコーチによる以外には ない。そして、そんなコーチをみつけるのは、砂の中でゴマ粒を探すほどに難しい。それが現状なのだ。

 野鍛冶としての英語職人・根石吉久は、コーチ作りに着手しようとしている。
 自分が英語がわかるとか使えるということと、生徒が英語がわかるようにするということ、生徒が英語が使えるようにすることとは、まったく別のことであ る。そこを見据えるならば、日本の英語の先生たちは「巨大なるしろうと集団」にすぎない。
 全国の悩める英語の「先生」たちは、素読舎に問い合わせるのがよろしい。



【8253】
【タイトル】転写(2)
【 日時 】04/01/01 21:52
【 発言者 】根石吉久

これぞ、実用文法!
「ゴースト」文法解析

 この文法書は一部のみ、ネット上に公開します。また、公開部分は、通常の「電話でレッスン」の生徒さんの練習にも組み込み使用します。



【8254】
【タイトル】転写(3)
【 日時 】04/01/01 21:55
【 発言者 】根石吉久

以下は、すでに掲載したものの書き直し。

玉石論1 (2002年4月〜 )



 アメリカに行けば、英語はただの石だ。ごろた石にすぎない。それを飛行機に乗せて日本に持ってくれば、そのまま宝石扱いされる。この落差は、以下の言い 方でも言及されてきた。曰く、アメリカでは子供でも英語をしゃべっている。あるいは、アメリカでは馬鹿でも英語をしゃべっている。
 話はその先へ進むべきだ。アメリカで子供でも馬鹿でもしゃべる英語が、なぜ日本に住んだままではこれほどに難しい課題になるのか、と。

 巨額の税金が無駄づかいされている。日本の学校で雇っているAETたちに払われている金のことである。ごろた石の宝石扱い以外の何だというのか。彼らの ほとんどがしろうとである。語学の何たるかを心得た人たちではない。日本人が働いて得た金を、単なる英語のネイティヴにばらまいているのだ。どぶに捨てて いるのだ。
 ここでも役人どもが馬鹿であることが証明されているに過ぎない。ごろた石に宝石の代価を払っているのだから。

 英語の塾をやってきて見てきたことから断言する。AETが日本の学校に来るようになっても、日本の英語は何も変わっていない。
 原因は語学論の払底にある。文部科学省の英語教育についてのお題目はいつまでたってもお題目にすぎず、何をどうすべきかが提示できたためしがない。欠け ているのは、語学論なのだ。英語のハウツウ本ならあふれかえっている。しかし、語学論をみつけようとしたらまるでみつからない。

 もう断言すべきだろう。
 本当の宝石は、日本在住のままに英語を使えるようになった日本人の英語なのだ、と。
 これは同時に語学論を備えた英語でもあるだろう。
 もしも、英語ネイティヴというごろた石の中に宝石があったとしたら、アメリカ在住のままに日本語をものにしたというような人だろう。こういう人になら金 を払って来てもらう価値がある。

 AETの採用基準は以下のものとなるべきだ。
 アメリカ(その他英語圏)在住のままに、日本語をものにした英語ネイティヴ。この一項目が絶対に必要なのである。この条件を満たす者のみが、日本にいて 英語をやることの困難を知るからである。これを知らないアメリカの大学出など、ごろた石にすぎないことを認識すべきである。

----------------------------------------------------



 言語的磁場のことを考え出して、二年ほどになるだろうか。
 磁場の作用をなぜ人々ははっきりと見ようとしないのだろうかと思ってきた。
 人間の子供が言語を獲得する能力として生まれてくるという謎は今は謎のままに置いておくしかない。そんな能力を持った生き物がなぜいるのかという謎はつ いに解けない。なにはともあれ、人間の子供は言語を獲得する能力として生まれてきて、その能力を使うと言うことができるだけだ。この時、その能力を活性化 し、その能力と交流するものを名付けて「磁場」と呼ぶことができる。人間は、言語の磁場の中に生まれてくると言ってもいい。



【8255】
【タイトル】転写(4)
【 日時 】04/01/01 21:57
【 発言者 】根石吉久

 ネイティヴ言語の獲得にとって、言語の磁場の有無は決定的である。狼に育てられた人間の幼児は、人間の言語を持つことがなかった。育てられる過程に言語 の磁場がなかったからである。磁場がなかったら、ネイティヴ言語は決して育たない。ここが語学とネイティヴ言語が決定的に違うところである。
 語学の過程を、ネイティヴ言語の獲得過程と同一視しようとする論をしばしば目にするが、語学とネイティヴ言語獲得の間にはよく似た現象がいくらあって も、その本質がまるで違う。
 ネイティヴ言語の獲得には、磁場が無意識に直接働きかける作用が働く。これは言語を獲得している者にとって、なまの情動を伴うものである。
 なまの情動。これこそが無意識と連動しているものである。言語を無意識まで沈めるものだ。
 これに対して、語学はあくまで架空のものである。仮の感情であり、からっぽの実用だ。
 語学は、ひとまずはとことん架空の仮のからっぽのものだ。
 語学とは意識的に無意識を作る作業であり、無意識的に意識が形成されるネイティヴ言語の獲得過程に対して逆立ちした領域である。
 語学をもっとも厳密に定義してみれば次のようになるだろう。

 「当該の言語の磁場を欠いた場所で行う意識の意識的な激化」

 これが本来の語学の姿である。磁場を欠いてなされる行為こそが語学なのだ。「当該の言語の磁場を欠いた場所」とは、個室のようなところ、あるいは、個人 の机の上のような場所だ。あるいは、もっと厳密に限定するなら、具体的な人間との交流を「欠いた」個人の意識である。貫く性質は、「一人の場所」というも のである。
 たとえアメリカに住んでいても、英語を語学とするならば、その場所は個室、個人の机の上、具体的な人との交流を欠いた個人の意識がその場所になる。この 「語学の場所」で作ったイメージは、そこを離れて、人々と交わることで、すぐに英語の磁場に迎えとられ、生彩を帯びる。しかし、厳密な意味では、人々との 交流はすでに語学ではない。それは、すでに生活過程であるからだ。
 アメリカ(などの英語圏)に住みながら英語を語学とするならば、それがもっとも語学に有利な場所であるということは明らかだ。語学という孤独な行為を、 磁場が取り囲み、語学の場を離れた直後から、その意識を磁場が支えてくれる。語学と生活過程の間にうまくへその緒がつながるのである。しかし、その場所が いくら語学にとって有利であろうとも、その場所で獲得された語学のスキルそのものは、語学としては亜種である。
 語学の本質をスキルだと思わない方がいい。それは、結果だけしか見ないものの見方である。スキルだけを見ていては、語学そのものをとらえることはできな いだろう。

 イメージの鍛え込みを外してしまえば、語学論は成立しないだろう。

 厳しい冬のような語学。それが日本人が日本にいて英語をやる場合の語学だ。不利といえば不利な条件が揃っている。しかし、これがもっとも純粋な語学の姿 だ。もっとも純粋な語学を成立させられる場所にいながら、人々は語学を英語病に変えてしまい、語学としてすっきりと洗い出すことをしない。かくして、もっ とも純粋な語学を成立させられる場所にいながら、やたらにみつかるのは語学まがいばかりということになる。英会話学校の繁盛とは語学まがいの繁盛だと言え ばいい。



【8256】
【タイトル】転写(5)
【 日時 】04/01/01 22:00
【 発言者 】根石吉久

 語学の場所とは「一人の場所」だから、英会話学校であろうと、文部科学省管轄下の学校であろうと、教室という場所は本当は語学の場所ではない。
 語学には本当は先生というものは要らない。必要なものはコーチであって、先生ではない。初心者の「音づくり」の場面では、絶対にコーチはいたほうがい い。先生は要らない。
 語学を微分していくと、「イメージする」という端的な行為にぶつかる。これは、知識的に教えて扱える領域ではない。イメージの存在は、一人の人間の意識 においてその当人にだけ明らかになるものであり、教室という場であろうと、生活という場であろうと、あらゆる社会的な広がりのなかでは点として閉じられて いる。
 社会的には非存在に等しいものであろうとも、当人の意識に明らかに存在するもの、それがイメージである。
 だから、イメージの存否を知るためには、「訳」というものを使う以外にない。そして、生徒にあてて訳させるという日本の英語の教室に蔓延した授業方法が ある。イメージの存否を確認するためには、「訳」を使う以外にないのは確かだが、生徒に訳させてこと足れりとする「訳」の扱い方が間違い続けてきたという ことなのだ。
 いるのは要らない先生ばかりである。コーチがまるでいないのだ。
 必要なのは先生ではない。語学論を備えた腕のいいコーチだ。
 学校の「先生」たちは、そのぶあつい着衣を脱いで、ひとまずはコーチとして立たなければ駄目だ。いつまでも「先生」なんかやっているから駄目なのだ。 コーチに必用な技術は大学の教員養成課程ではまるで手に入らない。ごく少数の塾がその鍵を握っている。謙虚に塾に教えを乞うべきである。

 イメージそのものは、イメージしている当人にしかわからない。また、イメージを成り立たせるのは、端的にイメージするという意識の具体的な力の行使以外 のものではない。

 「イメージそのもの」を扱える場所は、一人の人間が自分に対する場所だけである。
 教室では、(あるべき)イメージをたどらせることはできても、イメージそのものを扱うことはできない。

(ある程度力をつけた生徒に対して、長大な文を覚えさせ発表させるというような課題は有効である。20語程度までの文なら、ただ音の連続として覚えてしま うことはできるが、100語を越える複数の文からなる論述やストーリーを覚えようとすれば、イメージをたどることを避けられなくなる。そして、この長大な 論述やストーリーを覚える場所は、決して、教室のような場所ではないだろう。それは、個室、机の上、個の意識においてであるだろう。そこに語学の領野が広 がる。そこが語学の場所だ。)



【8257】
【タイトル】転写(6)
【 日時 】04/01/01 22:02
【 発言者 】根石吉久

.葬式

 外人と話すことは語学ではない、というこの単純なこと一つがなかなか通じないのだ。もしも、外人と話すことを語学にするのであれば、これはその外人に対 してきわめて失礼なことをしているのだというあたりまえのこともわからない日本人が多い。生活の場を語学の場にするということは、根底的に失礼きわまりな いことなのだが、英語フリークの皆様は頓着しない。こういう人たちは、言葉というものに関して感度が鈍いのである。人々はもうはっきりと言葉にすべきなの だ。あの人たちは言葉に対して感度が鈍いのだ、と。
 生活の場を語学の場とするというのは、大して用もないのに質問するということである。質問して、質問が通じるかどうかを試すために質問する。質問のため の質問だ。
 質問のための質問のような「からっぽ」が許されるのは、語学の場面だけである。日本にいる外人だって、生活しているのだ。生活の場面を勝手に語学の場面 に変えることは、ぶしつけなことである。そして、こういうことをするのは、たいてい語学の場面で、「からっぽ」をきちんと生きるということをしない人たち である。
 まあ、相手になる外人にもよる。大して意味もないことでも、なんだかんだ話しているだけで楽しいという人もいるのだから、そういう人は迷惑だとも思わな いかもしれない。
 しかし、そうじゃないやつもいるのだ。
 私の外人の友だちが言っていたことがある。日本人が話しかけてくれば、同じことしか聞かない。「どこの国から来たか」「日本の食べ物は何が好きか」「何 歳か」「納豆は食べられるか」などなど。「納豆は好きかと聞くやつに、納豆はどうやって作るんだと聞き返す」とにやにやしてどこかへ行ってしまう。蝿みた いなやつらだ、と。こいつは、日本にいても日本語が上達しないような頑固なやつなので、特別な例かもしれない。日本にいて英語をやることがどれほどの困難 を秘めたものかなど、気にもかけていない。どっちもどっちだと言えないこともない。
 何が言いたいのか。生活で話す言葉が空っぽであることは許されないが、語学では空っぽが常態なのだということである。
 生きた英語、生きた表現などという言い方があるが、片っ端から嘘だと思うのがいいと思う。私はひとまずは言葉をその通りに受け取るので、生きた英語とい うものは、生きた英語の磁場における英語だとしか考えない。それ以外の英語は、すべて「死んでいる」。単純にそう思っている。
 日本で英語を語学とする場合、ほとんどの場合、複製技術によるものを相手にすることになる。本(テキスト)が印刷技術という複製技術によるものであるの は言うまでもないが、他に、映像複製技術(映画など)、音声複製技術(CD教材など)など、要は複製技術が複製したものを相手に語学をやることになる。こ れは、決して「生きた英語」なんかではない。それどころか、みんな片っ端から「死んだ英語」なのである。
 複製技術が生み出すのは、おびただしい死なのだ。本屋さんから、本を一冊買ってくることは、死を一冊買ってくることなのだ。
 日本で普通に英語をやることは、死をどう扱うかという技術になる。
 複製技術が生み出す死をどう扱うか。つまり、複製技術による死のお弔いであるから、日本で英語をやるということはお葬式をやることである。お別れするこ とである。何にお別れするのかと言えば、複製技術による死にお別れする。普通のお葬式なら、人が死ぬからお別れするのだが、複製技術による死は最初から死 なのだから、こちらが何もしなくてもあらかじめ死んでいる。それが死んでいるからといって、じゃあ、さようならとテキストやCD教材を放り出したのでは、 お別れしたことにはならない。それは、ただ放り出しただけのことだ。



【8258】
【タイトル】転写(6)
【 日時 】04/01/01 22:06
【 発言者 】根石吉久

 普通のお葬式なら「南無阿弥陀仏」を何度も唱えたりするだろう。これは宗教によるお葬式だからそうなるが、私らがやろうとしている語学によるお葬式で は、同じ英文を何度も何度も唱える。「繰り返し」という一点だけ同じだ。
 違うのは人のお葬式では、一人の人を「あの世」へ送ればいいのに対して、語学というお葬式では、無数の死を次々に扱い、「この世」で生きるものに変えて しまう点にある。
 私の提唱する「回転読み」は、「南無阿弥陀仏」を唱えることに非常によく似ている。同じことを繰り返し繰り返し言い続けるという点において非常によく似 ている。しかし、はっきりと対立する性質もある。「南無阿弥陀仏」を唱えるコツは、小声であまり明瞭でなくぼそぼそと言うことだが、「回転読み」はここが まるで違う。「もっとはっきり、もっと強く」と語学葬式のコーチである私は生徒さんによく言う。明確なアーティキュレーションを備えろと言う。これは、絶 対に「南無阿弥陀仏」のお葬式ではやってはならない。ただ単に変な人になるだけである。明確なアーティキュレーションを備えた「南無阿弥陀仏」は不気味な ものだ。
 しかし、これは語学のお葬式ではやっていいのだ。やらなければ駄目なのだ。「強く、はっきりと」口を動かし、ひたすら同じ文を繰り返し言い続ける。激烈 にやっていい。なぜ、強くはっきりなのか。なぜ激烈になのか。あらかじめ死んでいるものを生き返らせる逆葬式だからだ。語学は逆葬式だ。死んだものを片っ 端から生き返らせる行為だ。

.繰り返し

 複製技術による「死んだ英語」を、國弘方式であるなら「只管朗読」「只管筆写」で、素読舎方式なら「回転読み」「回転書き」で、身体化し、逆葬式をとり おこなう。死物を激しい身体化によって、生き返らせることを行う。これを貫く原理は、「繰り返し」である。
 この「繰り返し」が初心者にとっては、絶対に不可欠なものなのだが、なかなか人はこれをやらない。やっても、数回の繰り返しで止めたりする。思う存分に 「繰り返す」、英文が自分の中で質的な変化を起こすまで「繰り返す」。こういう作業が必要なのである。國弘正雄さんは、五百回、千回という数字を提示して おられる。これが思う存分に繰り返すときの具体的な数字になるだろう。笹野洋子さんという方は、最低五十回と言っておられる。一方が「思う存分」、一方が 「最低でも」ということであるから、どちらも的を射た数字だと思う。
 私は、「電話でレッスン」というものをやっていて、復習範囲のテストを常時行う。「復習範囲を手放さない」という原理を一つ置いてあり、レッスンによっ て「繰り返し」が生じるようにシステム化してある。生徒が「繰り返し」を繰り返すように、テストを繰り返す。いずれにせよ、原則は「繰り返し」なのであ る。「通じる音」の「音づくり」を兼ねた「繰り返し」なのである。
 「繰り返し」が必要な理由は、日本には英語の磁場がないという一事に尽きる。あるいは英語圏のように英語の磁場においてでも、語学では「繰り返し」が必 要であるのかもしれないが、日本で英語をやる場合に比較すれば、はるかにその必要は少なくて済むのではないだろうか。これは、日本にだけ住んで英語をやっ てきた経歴を身上としている私には、正確なところはわからない。
 いずれにせよ、日本にいて英語をやる場合は、自分が日本語に取り囲まれ、日本語を日々使いながら英語をやるのだという絶対的な条件を自覚する必要があ る。英語の側から見れば、日本語は英語を簡単に錆びさせる強力な酸なのだということを自覚する必要がある。この酸を日々浴びながら英語を作り英語を持ち続 けるのであれば、酸に逆らう作用をもつ何かが必要である。それが「繰り返し」なのだ。それしか、「酸化」に抗する「還元」作用はない。



【8259】
【タイトル】転写(7)
【 日時 】04/01/01 22:09
【 発言者 】根石吉久

 「繰り返し」だ、「繰り返し」だと「繰り返し」書いているから、しつこいやつだと思う人が必ずいるだろうと思うが、「繰り返し」は繰り返し繰り返し必要 なのだと、繰り返し言っておこう。しつこさは語学に絶対に必要なものなのだから。
 「繰り返し」は馬鹿くさい。馬鹿くさいので、馬鹿にしやすい。そして、実体は死んでいるもの(複製技術によるコピー)を「生きた英語」であるなどを信じ てしまう。あるいは、英会話学校の英語ネイティヴの英語が「生きた英語」であるなどと信じてしまう。あの英語も個人の英語としては生きているが、英語の磁 場から切れた英語という意味では死なせる力の元にまだ生きている英語に過ぎない。彼らが自分の英語を生かしておくためには、日本語から遮断されたミニ社会 を作って、そこだけで生きる必用がある。本当に日本語の磁場と交わり、日本語が上達してしまうような英語ネイティヴの英語は、徐々に死に続けるのである。 それほどに日本語の磁場は個人の英語に対して異質であり、強力なのである。しかし、そこまで自覚している日本在住の英語ネイティヴがどれほどいるというの か。
 教室というところは、シミレーションしかできない。教室を単なるおしゃべりの会の場所にしてしまう外人教師もいて、これならシミレーションではなくなる が、先生一人に日本人多数なら、まずはそこは英語の磁場ではない。ということになると、英語の磁場ではないところにある英語だから、「生きた英語」ではな い。外人一人だけが、故郷の磁場の磁力を身から放出するだろうが、もうそこは英語の磁場という場ではない。
 教室をおしゃべりの場に変えてしまうようなふとどきな外人教師の教室に通っても、生徒の英語が上達しないのは、そこがもはや磁場ではないからである。

 「繰り返し」問題に戻ろう。
 「繰り返し」は退屈であり、馬鹿くさい。だから、それを馬鹿にする人はたくさんいる。
 私の生徒さんにもそういう人がときどきいる。五百回も千回も繰り返すなんて、宗教じゃあるまいに、と言うのである。英語はもっと生き生きとしたものだ、 と言うのである。そういう人は、「生きた英語」とか「生き生きとした表現」とかを信じてしまっているので、語学は死物を扱う行為であるという私の考えとは まっこうから対立する。
 「生きた英語」とか「生き生きとした表現」というものがないというのではない。それはあるところにはある。それは英語の磁場にだったらあるのである。 「生きた日本語」とか「生き生きした表現」が日本語の磁場にあるのと同じように、英語の磁場には英語のそれがある。それはいつも、その言語の磁場の中にあ り、その磁場の中にしかない。だから、日本語で日常を暮らしている人の場所では、英語の「生き生きとした表現」というものは、たいていは複製技術による複 製物の中にしかない。例外は、英語のよる文学表現というものだけだ。本というものは不思議で、時と場所を越える。それは、文学の力であって、語学そのもの の性質とはひとまず関係はない。

 「繰り返し」を馬鹿にした人の英語はまずとうていものにならない。「繰り返し」を馬鹿にしてしまうということは、日本には英語の磁場がないという厳然た る事実を馬鹿にしてしまうのと同じなのである。
 「繰り返し」を馬鹿くさいように思う人は、「何かいい方法」を探す。そういう人は、何をどう言っても「何かいい方法」を探す。探してさまよう。やらせて おくしかない。一生探していろと言っておけばいいだけだ。しかし、一応の親切を示すために、断言をもうひとつ置いておくくらいはすべきだろうか。
 「何かいい方法」を探して、それをちゃんと見つけられた人は何をみつけるのか。「繰り返し」をみつけるのだ。それが最上の「何かいい方法」なのである。 とりわけ日本で英語をやる場合においては、これは絶対的なのである。

 さまよいたい人の前には、断言を置くことしか他にすることはない。縁なき衆生なのであるから。



【8260】
【タイトル】転写(8)
【 日時 】04/01/01 22:13
【 発言者 】根石吉久

 日本で英語をやって、「繰り返し」を排除して、英語をものにした人がいたらお目にかかりたい。そんな人は一人だっていないはずである。だったら、これは もう法則と言っていい。「繰り返し」は、誰にも無視することのできない語学の法則と言っていい。


以下、未掲載

.状況

 言葉の回りには状況があると言えばいいのか、言葉は状況とともにあると言えばいいのか。
 状況といったからといって、何も特別な事態や、政治的な事件やらをさしているわけではない。「腹が痛い」とか、「医者は遠いから車で連れていってやろ う」とか、「ケーキが潰れちゃった」とか、「潰れたケーキでもいいから俺にくれ」とか、「今朝顔を洗うのを忘れちゃった」とか、「ああいいお天気だなあ」 とか何でもいいが、これらの各種の言葉が発せられるところに、いつも何らかの具体的な状況があると言っているにすぎない。それが、現実の状況であろうと、 想像的な状況であろうと・・・。

 例えば、「腹が痛い」である。
 どこで、いつ、誰がなど、具体的な細部がわからないままに、とにかく一人の人が「腹が痛い」と言っているという事態は「想定」できる。
 私は、「腹が痛い」という言葉を、言葉と状況の関連を説明しようとする文の中に、文字として書いた。読者の中に何かの状況が想定されたとしたら、文字と して固定された「腹が痛い」が喚起したものである。実質は書き言葉が読者の意識にもたらした「想定」であるが、「腹が痛い」を取り囲むカッコの存在によっ て、書き言葉を話し言葉として「想定」する人が多いかもしれない。
 これは、具体的な人から面と向かって言われた言葉ではないし、読者が何か実際の状況の中にいるわけでもない。ここにあるのは、「想定」だけである。それ がどんなものであれ、それは「想定」にすぎない。状況そのものではなく、状況の「想定」なのである。
 だから、おそらくこの「腹が痛い」には何の切実さもない。
 腹が痛い現実の当人にとって、「腹が痛い」は切実な言葉であるだろうが、状況を想定させるきっかけとしての「腹が痛い」には切実さはともなわない。

 「腹が痛い」がもたらす「想定」に切実さがともなわない事情と似た事情が、あらゆる語学の言葉にある。
 本当に腹が痛い人が「腹が痛い」と言っているとき、それは生活言語である。切実な生活言語である。もしも、腹が痛くない場合に「腹が痛い」と言っている のであれば、それも生活言語であるかぎり、嘘として本物である。嘘という実質がある。
 語学で扱う「腹が痛い」は嘘でも本当でもない。語学の世界には嘘とか本当というものはない。仮のものというものがあるだけだ。いったん語学の世界に入っ てしまえば、英語の音として通用するかどうかとか、イメージ自体として真であるか偽であるかという問題はあっても、現実世界の嘘と本当というものは一切何 も関与しない。嘘であるか本当であるかが一切関与しないということをさして、語学は「からっぽ」なのだと言ってもいい。
 「腹が痛い」が語学の対象になったとたんに、切実さは完全に「からっぽ」になる。すべては想定されたもの、あるいは想像されたものにすぎなくなる。あら ゆる文が、語学の対象となったとたんに、「からっぽ」になるのだ。あらゆる文を「からっぽ」にするのが、語学なのだと言ってもいい。「からっぽ」という性 質こそが、語学における言葉の本質規定となる。



【8261】
【タイトル】転写(9)
【 日時 】04/01/01 22:16
【 発言者 】根石吉久

 (これの唯一の例外が、外国語による「読書」であろう。これは机上の世界におけるものであるし、生活過程そのものではないし、語学力を養うことがあるの で、語学に含めたくなる。厳密には読書は読書であり、語学は語学だが、読書と語学の境界はいつもあいまいである。読んで楽しみながら、言葉を覚えるという ことが成立するからである。)



【8262】
【タイトル】転写(10)
【 日時 】04/01/01 22:22
【 発言者 】根石吉久

 語学の言語が状況を想像させるのは、そこに本当の状況が「ない」からである。「ない」から「想像」「想定」することが必要になるのだ。
 生活言語では、状況は想定するまでもない。状況は、想定するまでもなくすでにある。生活言語において必要なのは、状況自体の想定や想像ではなく、状況に 対する判断である。これは決定的な違いである。
 生活言語にだって「想像」や「想定」はあるぞと言う人がいるかもしれない。話の途中で、「だけど、お前、ちょっと考えてみろよ」と言われて、何かを思い 直した人がいたとする。それは、ちょっと考えてみろよと言われて、何かを想像したり、想定したりして、思い直すということをしたのだから、生活言語にも 「想像」や「想定」はある、と。
 しかし、この場合でも、現に話している場の状況自体は想像されたり想定されたりすることはない。それは、想定するまでもなく、想像するまでもなく、現に そこにある。現に自分が生きている場であるから、想定はできないのである。

 生活言語というものはそういうものだ。生活言語においては、ある一つのことは「想定」されることがないのだ。「想定」されないその「一つのこと」とは、 生きている場そのもののことである。

 語学がただちに「想定」するものを、生活言語は決して「想定」しない。

 そこを生きることと、そこを想定することはまるでうらはらなものである。これは両立しない。

 逆に言おう。語学には、「想像」や「想定」しかないのだ。とりわけ、最初からその文にまつわる状況そのものを「想像」したり「想定」する必要が生じるの が語学である。あくまでも仮の世界だから、「状況」でさえも「想定」する必要がある。
 ここから何が導かれるか。語学とは、「状況」さえも「想像」「想定」するような、何から何までも、「想像」「想定」だけでできた世界なのだということで ある。意識の暴力である。

 どしゃぶりに雨が降っているときに、部屋の中で英語を勉強している人が、It's a beautiful day, isn't it? という文を繰り返し言い続けているとする。その人の想像の中では、青空が広がっていたりする。現実はどしゃぶりだが、語学の机上には青空が広がる。まるで うらはらである。これが、生活言語と語学の言語の間にある「うらはら」な関係である。

 生活言語と語学の言語との間には、生きたものと死んだものとの間の距離に等しいほどの距離がある。距離として考えるなら、ひとまず無限大と言うしかな い。生と死の間の距離を無限大と言うならばそうなるだろう。
 一方が実であれば、もう一方は虚なのである。どちらが実であり、どちらが虚であるかは、時と場合による。生活言語が実であると言い切るわけにはいかな い。それではアメリカ的浅さにしかならない。

 ここから、語学の言語の「からっぽ」という性質が導かれる。
 これが、語学の言語の本質規定なのだということに気づいている人はあまりいない。語学とは死を扱うことであるとか、虚を扱うことなのだということが本当 に認識できているならば、人は決して英会話学校などに通うことはないだろう。「生きた英語」などにだまされることはないだろう。しかし、現実を見るなら ば、だまされる人は後をたたない。語学の言語が「からっぽ」であるとは思っていないのである。語学が死を扱う技術なのだと思っていないからである。



【8263】
【タイトル】転写(11)
【 日時 】04/01/01 22:25
【 発言者 】根石吉久

 どんなに生き生きとしたイメージでも、それはからっぽである。一人の人間の意識という場所では、それがなまなましかったり、生彩を帯びていたりするだろ うが、それがどれほどなまなましかろうと、生彩を帯びていようと、それは一人の人間の意識という場所に閉じられている。単に閉じられているだけでなく、現 実の状況とは何の関係もないままに、なまなましさを増したり、生彩を帯びたりもする。現実の状況と「ひとまず」何の関係もない想定や想像がイメージをもた らすのであるから、語学で強く作り出されるイメージはすべてことごとく「からっぽ」である。ひとまずは、「からっぽ」である。



【8264】
【タイトル】転写(12)
【 日時 】04/01/01 22:28
【 発言者 】根石吉久

塾の塾・学校の塾・素読舎「電話でレッスン」
  英語、音づくり、シンタックス内在化・醸成

 後で、掲示板の記事から引用のこと。(ALTに「音づくり」はできないことについて)
 

・塾の英語の先生たちからのすばやい反応

 素読舎が「電話でレッスン」を始めて満3年がたちました。これは、長距離電話の電話料金が安くなったので始められたことでしたが、その後、素読舎のホー ムページ、根石吉久の掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs などを読んで問い合わせてくださる方が増え、現在では「電話でレッスン」が素読舎の活動の太い柱になっています。
 初めて、受講してくださったのは、名古屋の自宅で塾をやっている主婦の方でした。塾をやっておられる方や塾に勤めて英語を教えておられる方の受講申し込 みはその後も続き、札幌の塾講師の方、奈良の塾経営の方、大阪の塾講師の方など、現在も受講を続けていてくださいます。いずれも、英語を教えている「塾の 先生」たちですが、根石吉久が提唱している「音づくり」を塾の授業の中で活用しておられます。特に札幌の塾講師の方は、「このレッスンのやりかたを、塾の 授業で使っており、非常に役に立てさせてもらっています」とおっしゃってくださいました。

・学校の英語の先生に対するレッスン

 また、学校の先生からの受講申し込みもあり、根石吉久が小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」を出した直後に、この文庫を読まれた京都府立の高 校の英語の先生から「電話でレッスン」の受講の申し込みがありました。この方は発音が非常に上手な方でしたが、「音」と「意味」が一緒に動かないという自 覚をはっきり持っておられ、通常のレッスンの他に、「音」と「意味」を一緒に動かすための練習方法をお伝えしました。レッスンの途中で、「ああ、こういう ことか」と大きな声を出されたことがあり、なにごとかコツをつかまれたはずだと思います。レッスンを始めて1年ほどたった頃に、TOEIC の得点が一挙に100点以上伸びたこともめざましい成果でした。
 長野県立の進学校の英語の先生には、根石吉久の方から受講をお勧めしました。
 掲示板から引用した文にあるような例ばかりでなく、AETがらみの喜悲劇をよく耳にするようになったので、「電話でレッスン」の高校生の生徒に、「あな たの学校に音に問題のある先生はいるかね」と聞いたところ、「○○先生は受講した方がいいと思う」というので、電話番号を聞いて電話をさしあげ、「音づく り」のやり方がわかるレッスンがあるのだがというお話をさせていただきました。「考えさせて下さい」ということでしたが、一週間ほどして、「受講させて下 さい」とご返答くださり、レッスンを開始しました。
 レッスンを開始して1年ほどは苦労されましたが、その後はめざましく「音」が変わり、現在では、学校の教室で「音づくり」を開始されてもいい「音」に なっています。「こんなふうに同じことを何度も何度もやっていて何になるんだろうと思っていましたが、このやり方が効果があるのがようやくわかりました」 とおっしゃっていただいたのは、レッスン開始後、やはり一年以上たってからでした。
 最近、レッスンを開始されたのもやはり高校の英語の先生です。佐賀県立の進学校の先生で、発音は非常に上手で、根石吉久の唱えている「ア系列」の区別の 仕方についていくつかお伝えしただけで、個別の発音に関してはレッスンすることがなくなってしまいました。今後は、教室での「音づくり」のやり方を主体に レッスンしていこうと考えています。また、発音のようにその場で即座にわかるという性質のものではありませんが、「シンタックスの内在化とその醸成」につ いて知っていただく予定です。この方は、私の「音づくり」という考え方をよく理解されている方で、来春から教室で、「技法グラウンド」をベースとして生ま れた「5分間音づくり」も始められる予定です。



【8265】
【タイトル】転写(13)
【 日時 】04/01/01 22:33
【 発言者 】根石吉久

・小学校への英語導入

 小学校に英語が導入されたこととも関連してか、小学校の先生の受講者が二人おられます。一人は根石せいの生徒であり、一人は根石吉久の生徒です。文部科 学省は、小学生の英語では、「発音について細かいことをいわなくてよい」という方針を打ち出していますが、これによって生徒に間違った発音が固定すること の害にはまるで触れていません。小学校の先生が間違った発音で英語を扱うのは絶対にやめて欲しい。その後の生徒の英語にとって、大きな害になります。文部 省の方針が間違っているのです。「電話でレッスン」を受けておられる小学校の先生たちのように、積極的に自分の「音」を変え、その「音」の変化の過程を小 学生たちに提示できるような先生が増えて欲しいものです。こうすればこういう音ができるし、こうすればこういう音になる、というように、「音」のコツとそ のコツによる変化を小学生に提示できるようになってもらわないと先生たちの間違った「音」は害になります。
 「電話でレッスン」を受講してくださっている小学校の先生たちは、今後、もしも小学校への英語の導入が定着した場合に必須項目になるはずの英語の「音」 に気付かれた先駆的な方々だと私は考えています。

・本当に必要なのは中学での「音づくり」

 高校の英語の先生が三人、小学校の先生が二人と書いてきて、中学校の先生がいないことに気づきました。中学校の先生は、いわゆる「生活指導」とやらに忙 殺され、自分の英語を鍛えることも、生徒に「音づくり」をさせるような余裕もまったく見つけだすことができないのではないかとも推測しています。しかし、 中学の3年間こそ、本当に大事な時です。この期間にまともな「音づくり」に触れたことのある生徒とそうでない生徒とでは、その後の英語がまったく別ものに なってしまうと言っていいほどに大事な期間です。
 現在の中学では、中間・期末のテストに合わせて授業をするような倒錯が常態化してしまっており、英語でもそうなっていますから、本格的な「音づくり」を 中学3年間の中に設定することは極度に困難なことにもなっています。ですから、実際の中学の英語の授業では、「音づくり」などは行われていません。日本人 の英語が「使いものにならない」ことの根がそこにあります。
 高校の先生は高校の先生で、中学で間違った音が固定してしまうので、高校になってからではなおさらどうしようもないとおっしゃいます。特に進学校では、 大学入試用の知識の量がとてつもないものなので、とても「音づくり」どころではないというのが実際のところなのです。そして、生徒たちは、膨大な知識を 「間違った音」と結びつけていってしまいます。「使えない英語」が再生産されていくのです。
 中学校の先生が、「音づくり」の方法を学んでくれないと、この巨大な無駄は止まる時が来ません。現在の学校では、無駄が強制されています。中学校の先生 で、生徒に対する「音づくり」の方法がわからないという方は、素読舎の「電話でレッスン」を受講なさることをお勧めしたいと思います。他に類のないレッス ンだと自負しています。
 ただ単に生徒の間違った音を指摘するだけでは駄目なのです。先生がまともな「音」が出せるというだけでも駄目なのです。「音づくり」というくらいですか ら、実際に「音」が作れないとならない。自分の口で「音」が作れるだけでなく、実際に「生徒の口の動きとして」実現しないと意味がありません。この一点か ら見るならば、大学の英語科教員養成課程における「音声学」などはほとんど何の役にも立ちません。それが役にたつものであれば、わざわざ素読舎が独自に 「音づくり」の方法などを開発する苦労はなかったのです。
 実際は大学の「音声学」が授業の役にたちませんので、素読舎は長い時間をかけて「音づくり」を追求し、それをそれほど多くはない発音上のポイントとして 定式化しました。



【8266】
【タイトル】転写(14)
【 日時 】04/01/01 22:35
【 発言者 】根石吉久

・突破口「5分間音づくり」

 どうしようもないほどの閉塞感が学校の英語にはあります。どこかに小さな突破口が作れないかと考えて、素読舎は、「電話でレッスン」を受講しておられる 学校の先生、塾の先生たちに向けて、「五分間音づくり」を提唱しています。これは、「電話でレッスン」で行う「技法グラウンド」という練習方法を、学校や 塾の教室で一人の生徒に対して行い、「音」を変えるためのコツを言い、クラスの他の生徒たちに、実際に「音」が変わるのを聞かせた後に、一斉練習の時間を 与えるというものです。毎回の授業でわずか5分あれば、連音処理を含む発音のポイントを一つずつ扱っていくことが可能です。5分なら、現在の学校体制の中 ででも、すぐにでも実行できるでしょう。最低でもその程度のことに着手していってもらわないと、日本の「使えない英語」の再生産は止まることがないでしょ う。
 そして、その動きの第一歩として、現場の英語の先生たちに「音づくり」のレッスンを受けていただくことが必用です。素読舎の「電話でレッスン」はその目 的のためにも開かれています。

・大学の先生の発音

 これまで学校の先生の発音を扱ってきた経験から推測すれば、大学の先生にも「音」を直す必要のある方は沢山おられると見ています。日本の学校制度の中 に、柴田武史さんのおっしゃる意味での「音作り」、根石吉久の言う意味での「音づくり」というものがどこにも見当たらないので、発音の上手な方も勘に頼っ て自分の発音を作っているだけという方が圧倒的多数だと思われます。
 特に、「ア系列」と名付けている母音の区別については、「狭い音」「あごの下がる明るい音」「金属音(一瞬般若)」という3つを意識的に区別し、いった んは他とまぎれない音とするという練習をしたことがない場合は、それぞれの音の境が意識されていない場合があるでしょう。根石吉久の「音づくり」の特徴 は、「ア系列」の母音をこの3つに大きく大別すること、曖昧母音と逆さVの区別は後回しにすること、連続音の処理(リエゾン、音の消失)を絶えず同時に扱 うことなどにあります。子音の単音などがすべて仕上がっている発音の上手な学校の先生方でも、これらのポイントのいくつかに関してはこれまでのレッスンで 触れる必要がありました。
 英語の歌を英語に入るきっかけにされたような方は、音をまるごとでとらえているので、私などよりはるかに発音の上手な方もおられます。また、中学生くら いの生徒では、私が指摘するポイント(全部で20程度)をすべてクリアしてしまった後、CDなどの複製音声を使って練習し、私より上手になってしまう生徒 もよく出ます。「生徒は私より発音が上手でね」と私が話すと人は笑いますが、私の役目は、15〜20程度のポイントに関して、それをどういうコツとして渡 せば、生徒がその音を自分の口の動きとして実現できるかという守備範囲を徹底的に守ることにあると自覚しています。15〜20程度のポイントをすべてクリ アしてしまった生徒は、どんどん私より上手になって羽ばたいてもらいたいと思っています。
 その15〜20程度のポイントをすべてクリアしてない大学の先生はいるのだろうか。いる、と私は見ています。
 それをすべてクリアしている生徒さんが現れた場合はどうするのか、と私は考えました。それでも、まだお伝えすることはある。15〜20のポイントをどう いうふうにコツとして生徒に渡すのか、その渡し方に関してならレッスンはできます。現に、最近生徒さんになってくださった佐賀県の高校の先生は、1ヶ月も しないうちからその段階に突入されました。
 もう一つ、発音の問題ではなく、シンタックスの内在化・醸成に関して、「復習範囲を手放さない」という原理を一つ置いてありますが、これが何をもたらす のかを知っていただくということもあります。これは、素読という古い方法を根底にしているものであり、学校の教室のような一律授業とは実に相性の悪いもの です。しかし、「学校以前」の方法・「江戸の方法」が持つ豊かさを備えており、「こなれ」を「醸し出す」という作用が個人の練習だけでなく、一対一の 「レッスン」の中に働いています。



【8267】
【タイトル】転写(15)
【 日時 】04/01/01 22:38
【 発言者 】根石吉久

 「音」に大きな問題がある方については、「電話でレッスン」での練習は「音づくり」がしばらくの間主体になりますが、「音」に問題がない方の場合は、 「音づくり」のコツをどう生徒に手渡すか、内在化させたシンタックスをどう醸成し、インプットで使用した回路をアウトプット用にどう変換させるかなどのポ イントがレッスンの内容になります。
 近代以後の「学校」が、「学校以前の素読」をどう受け止めるのか、あるいは排除しつづけるのか、その瀬戸際の水の流れをみつめてみるためにも、大学の先 生のレッスンもお受けします。すでに短大の先生のレッスンはお受けしています。

・方法のエッセンスと独学の組み合わせ

 「電話でレッスン」というと、電話で何ができるのか?と思われがちです。週1回、毎回わずか30分のレッスンですから、そう思われてしまうのも無理はな いのですが、このレッスンの方法は長い時間をかけて練り込まれた果てに生まれたものであり、毎回の30分のレッスン時間では、その方法のエッセンスだけを お伝えしていきます。実際に力をつけるのは、生徒さん各自の一週間の間の独学にあります。この独学の間に、レッスンで受け取った方法的エッセンスを駆使し て練習していただきます。次回のレッスンでは、その独学の成果をコーチがチェックし、成果に応じて新しい部分のレッスンを行います。レッスンでエッセンス を伝えることと、独学でそれを駆使していただくこととの組み合わせによって、各自の英語力は大きな変化をみせてくれるようになります。週1回、わずか30 分のレッスンが生徒さんの英語を大きく変えることが可能であり、それはすでに実証されています。
 根石吉久の掲示板「大風呂敷」
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
においでになれば、現在の生徒さんの声を耳にすることもできます。

 素読舎の「電話でレッスン」は、とりわけ、学校の先生、塾の先生たちにとって、週1回わずか30分のレッスンで、自分の英語を変えるだけでなく、生徒に 対して「音づくり」をするための方法がわかるというのが大きな利点です。

・文部科学省の「音づくり」軽視

 学校の英語に対する批判はずっと続いていますが、学校はなかなか変わりません。特に問題があるのは、文部科学省が「音づくり」を非常に軽視してきたこと です。先に、「小学校の段階では、音を細かく扱う必要はない」という文部科学省の方針について書きましたが、「小学校の段階では」どころの話ではない。文 部科学省が、いつどの「段階」で「音」を大事にしたことがあったというのでしょうか。中学でだって、高校でだって、文部省が英語の「音」をまともに扱った ことなど一度もありません。「音声教育は大事」だと言ったことはあるかもしれませんが、単にお題目を唱えただけであり、何をどうするのかに関して、大学の 教員養成課程を通じて具体化したためしは一度もありません。文部省に一貫してきたのは、英語の「音」に関していいかげんな態度をとりつづけて放置してきた ということだけです。

 掲示板から引用した記事でも明らかですが、この先生はAETから間違った音を指摘されただけではなかったのです。「音づくり」を経験していた素読舎の生 徒も、その先生の「音」が間違っていることははっきりと感知していたのです。日本人の生徒は先生の音の間違いを指摘することはないでしょうが、それでもそ れが間違っていることはきちんと感知していた。今後、AETと生徒の両方から、挟み撃ちにされていく日本の英語の先生の間違った「音」というものは、ます ます逃げ場がなくなっていくはずであろうと思わざるをえません。



【8268】
【タイトル】転写(16)
【 日時 】04/01/01 22:40
【 発言者 】根石吉久

 それはまた、「音づくり」をやらない英語の授業というものが、だんだんごまかしがきかなくなっていくだろうということでもあるだろうと考えています。素 読舎に遊びにくるALTたちの言うことを聞いていても、はっきりし始めている傾向です。

・「音づくり」を兼ねて音読をやる塾が増えないと駄目。

 学校がなかなか変わろうとしないことを横目ににらむなら、現在、もっとも可能性があるのは塾です。塾の先生たちに、「音づくり」のやり方を身につけても らうことが早道だと思うのですが、受験用の塾では、既存の学校の授業と同じように、「5分間音づくり」程度のことしか可能ではないかもしれません。いずれ にせよ、学校の先生も塾の先生も「音づくり」に関してはどう手をつけてよいかわからないでいるのが現状です。個人塾で英語の「音」を大事に扱おうと考えて いるところがあれば、そういう塾がこういう現状に対しての突破口になるでしょう。素読舎は、その突破口になろうとしています。
 学校英語や受験英語にまともな「音」を緊密に噛み合わせることを、小さい個人塾をやっておられる方々には真剣に考えていただきたい。生徒の英語の命運に おいて、この「噛み合わせ」が絶対に必要なのです。この条件を整えたうえで、大学以後、英語の磁場(英語圏)でできたら数年暮らすことを組み合わせるな ら、日本人は英語が使えるようになります。
 社会人になってから、英語のために海を渡るというのはなかなか難しいことになりますので、できれば大学生である間に一年程度の海外で生活するというのが 現実的かもしれません。

  ◆中学でのまともな「音づくり」(連音処理、イントネーションの自己決定力を含む)
  ◆高校・大学受験での知識量と「音」の緊密な噛み合わせ
  ◆少なくとも1年程度の英語圏での生活

 この3つの条件が備われば、日本人は英語が使えるようになるでしょう。学校がこのうちの『中学でのまともな「音づくり」』をやらないのであれば、民間で 学校を包囲してしまうしかないのではないでしょうか。つまり、大小の塾がまともな「音づくり」をし、生徒が自分で知識と「音」を噛み合わせることを可能に してしまうしかないでしょう。
 しかし、大手の塾のほとんどが「進学塾」「受験塾」であり、入試で点をとることに焦点を合わせています。従って、こういう塾に「音づくり」を導入するこ とは、学校の教室に本格的な「音づくり」を導入するのと同様に困難を極めることになるでしょう。こちらに関しては、「5分間音づくり」の導入がせいぜいと いうところでしょう。
 また小さい塾でも、最初は「5分間音づくり」から入られるのが安心かもしれません。生徒の「音」が「通じる音」としてできてきた場合に、それが知識と緊 密に組み合わされた場合に立ち上がる英語というものが、これまでの受験英語、学校英語とどれほど違うものかはっきりと見定めることができてから、本格的な 「音づくり」に着手されるのでも構わないと思います。学校の教室での本格的な「音づくり」については、柴田武史さんが、「音作りへの道」として、掲示板 「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs に連載された記事が、過去ログ倉庫 http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/ で読むことができます。これを参照されて、始められるのがいいでしょう。

・中学の教科書をすらすら読めるようにすること

 特に、「音づくり」を兼ねて、中学生を相手に、教科書の本文のどこを開いてもすらすらと読めるようにしてやることをやることが非常に大事です。塾でこれ を徹底してやるなら、学校の授業での理解は非常に容易になります。あるいは、塾や他のクラスでの知識を扱う授業の理解も容易になります。問題集を解こう が、教科書ガイドなどの解説書を読むのであろうが、理解が早まり、理解したものの消化がよくなります。教科書をまるごとすらすら読めるようにしてやるとい うのは、非常に手間のかかる仕事ですが、それが本当に生徒のための基礎を据えてやることになります。
 この場合、「和訳先渡し」をすべきです。和訳を先に生徒に渡せば、授業時間にかなりの余裕が生じますから、その時間を使ってどの生徒も教科書を全部すら すらと読めるようにしてしまうのです。
 高校の英語をやるにせよ、大学入試を受けるにせよ、TOEIC を受けるにせよ、実際に英語を使って仕事をするにせよ、中学の時に「まともな音」で教科書を全部すらすら読めるようにしておけば、あらゆることの基礎にな ります。



【8269】
【タイトル】転写(17)
【 日時 】04/01/01 22:42
【 発言者 】根石吉久

 中学の教科書をすらすら読めるようにするといっても、「間違った音」ですらすら読んでしまうと非常に危険です。それをやると「通じない音」が固定してし まい、後で直そうとしてもなかなか直りません。高校の先生が、中学で間違った音が固定してしまっているので、どうしようもないというのは、このことを言っ ています。どれほど中学の3年間の英語の「音づくり」が大事かを、塾をやる方々に考えていただきたいと願っています。
 「音づくり=文構造ごとのインプット」をやらない塾は、文として立ち上がれない断片的な知識を扱うだけになってしまいます。「使える英語」を作るしかな い。それが育つなら、大手塾の広告力に太刀打ちできるはずです。大手進学塾の乱立の中で、小さな英語塾が生き残れる道も、「音づくり=文構造ごとのイン プット」以外にはないでしょう。
 素読舎が大手塾の進出の中でつぶされないできたのも、「使える英語」を作ってきたからに他ならないと考えています。

・塾が学校を包囲するしかない

 特に、小さな塾をやっておられる方々に素読舎の「電話でレッスン」の受講を検討していただきたいと願っています。ご自分のレッスンは映画のシナリオを使 用しますが、このレッスンで「音づくり」の方法自体を身につけていただき、中学生の生徒に対しては、中学の英語の教科書をすらすら読めるようにしていただ きたい。その過程で、「音づくり」を兼ねるのが最適です。「電話でレッスン」はそれをやるための方法をお伝えできます。
 学校が動こうとしない現段階では、塾の先生が「音づくり」ができるようになり、「音づくり」をやる塾が増えて学校を包囲するしかないでしょう。それ以外 に、英語フリークから英語を奪い返し、英語を普通の日本人に開かれたものにするための突破口はないでしょう。いまや、英語を必要としているのは、英語フ リークたちではなく、普通の日本人なのです。それなのに、学校は動こうとしない。
 塾が学校を包囲するしかないと思われます。

 学校の先生を生徒として引き受けることは今後も続けますが、特に塾の先生たちからのお問い合わせを歓迎します。根石吉久の空き枠は現在ほとんどなくなっ ていますが、奈良県で英会話学校の先生をしてこられた方(日本人)に、ひとまず「電話でレッスン」の生徒になっていただき、方法の精髄をお伝えしつつあり ます。根石吉久のレッスン枠に空きがなくなった場合は、この方に生徒をお預けしてレッスンしていただくことになっています。

 この方のご紹介を少ししておきたいと思います。 Naima という名前で素読舎の掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs に書いて下さり、根石の方法を種々に試していてくださっています。
 これまでの記事で特に面白かったのは、Naima さんのドイツ語経験です。Naima さんは、数年ドイツに暮らしてドイツ語の学校に通って練習を続けておられましたが、途中から根石吉久の「英語どんでん返しのやっつけ方」(小学館文庫)を ドイツに持参され、そこに提示された方法のうち、特に「回転読み」をドイツ語の練習に使ってくださいました。ドイツから日本の掲示板に書かれた記事の中 で、「私は今まで何をしていたんだろうと思いました」と書いてくださったのです。「『回転読み』を当該言語の磁場で行うなら、非常に力がつきます」という 主旨のことも書いて下さいました。この記事はまだ、独立したものとして過去ログから抽き出されておりませんが、掲示板「大風呂敷」の貴重な記事のひとつで す。



【8270】
【タイトル】メール転写
【 日時 】04/01/01 22:45
【 発言者 】根石吉久

年末にいただいたメールにうれしいものがあったので、転写します。
----------------------------------------------------
根石さん

来年もよろしくお願いします。
今大学入試の500語程度の長文を1パラグラフ(60語程度)ずつ回転読みをして
います。
10語くらいの分を5分で技法グラウンド連続5回出来るようになったのは700と
ゴーストのさわりをやって電話でレッスンをやったお陰だと感謝しております。特に
自分に関心のある文章なら60語程度のものならまとめて技法グラウンドができるよ
うになりました。しかも根石さんに最後の方のレッスンでアドバイスいただいたゆっ
くり確実に言えるところまで「スピードを落とす」というのが「ミソ」だと実感して
います。ゆっくり確実にはっきりと言えれば言えるほど「イメージ」が「内側」で動
いているのが実感できます。今回転読みの本当の楽しさを味わっています。もう電話
でレッスンを最初に受けたのがいつのことか忘れましたが、当時悩んでいた「音声と
イメージが無機的な感じ」がとれて「イメージと音声の同致」が起こっています。そ
れからやはり広辞苑に載っているかどうかどうでもいいことですね。つまり「一致」
より「同致」のほうが「イメージ」しやすいということです。
今年はNaimaさんにも根石さんのお陰で会えました。今後ともよろしくお願いします。



【8271】
【タイトル】根石吉久、國弘正雄に会う(1)
【 日時 】04/01/05 1:20
【 発言者 】根石吉久

 去年の12月に、年が明けたら長野市のホテル三景苑というところで、学校の英語の先生たちを相手に話をするので出てこないかという葉書を國弘正雄さんか らいただいて、今日その会に出かけてきた。國弘さんは、年寄りがここまで熱くなって大丈夫かと心配するくらいに顔を真っ赤にして、ブッシュのアメリカをこ きおろした。私は、もっと英語教育に即した話を期待していたので、終始、政治の話を聴きながら、まあしょうがねえかと思っていた。國弘さんは、欧米じゃ講 演予定の時間枠の半分は講演で、後の半分は質疑応答や議論になる。今日はそうしたいと話の初めに自分で断っておきながら、政治の話にどんどん興奮され、時 間枠のほとんどを自分の話で埋めてしまわれた。まあ、予定というものは狂うものであるから、それはそれでしょうがない。一応少しだけ質疑の時間があって、 質問があるかと司会者の方が言われたときに、私は手をあげなかった。どういう会か知らないが「新英語教育研究会」という会に呼ばれた國弘さんに最初に質問 するのが、その会と何の関係もない俺じゃまずいだろうと判断したからだった。最初に手をあげた年寄りの先生の質問はまるで要領を得ない。あれでよく國弘さ んは質問の主旨がわかるなと思ったが、國弘さんは質問の主旨がどうであれ、自分の政治思想をしゃべるので、話が噛み合おうが噛み合わなかろうが、どうでも よろしいらしく、とうとうとしゃべられ、また質疑の時間を縮められた。まだ質問があるかと言うので、俺が手をあげ、千曲市というところで素読舎という塾を やってきた者で、根石と言うが、あとどのくらい時間があるのでしょうかと司会者の方にお聞きしたところ、5分だというので、じゃあ、夕食会の時に質問させ ていただくと言い、腰を下ろした。そしたら、別の方が質問され、その質問に噛み合おうが噛み合わなかろうが構わず、國弘さんは再びとうとうと自説を繰り広 げられ、時間は予定をオーバーして終わった。
 夕食会で、韓国の人は日本人よりよっぽど英語ができるとお話の中で言われたが、韓国では英語「で」授業をしていると聞いている。英語「を」授業するので はなく、英語「で」授業をしていると聞いているが、というあたりから切り出して、國弘さんとサシで話し始めたら、まもなく國弘さんが東京に帰る列車の時刻 になって、俺はちょっとからんだだけでほっぽり出され、欲求不満になってしまった。國弘さんに今夜俺んちへ泊まっていけばいいじゃないですかと言ったが、 明日医者と約束があるから東京へ帰ると言われ、とんぼ帰りで帰られた。
 村田君が「大風呂敷」の過去ログから抽出してプリントアウトしてくれた國弘批判の文書は手渡せたからまあいいとする。それから、「只管朗読」と歯車を噛 み合わせなければならんのは、千田潤一のシャドウイングなんかじゃなくて、柴田武史の「音づくり」じゃないか。それは真剣に考えてくれと國弘さんに注文を つける話はできた。國弘さんも歳だから、後で葉書で柴田さんの連絡先を再度送っておくべきだろうと思った。
 で、言いたいことはまだ別にある。
 ホテル三景苑の料理はまずくはないが、量が少なく、一人4千円はねえだろ。ふざけんな、しょぼくれた量を出しやがって。なんで、学校の先生は、あんな程 度の料理に4000円も払って文句を言わないのだ。頭へ来た、ホテル三景苑!
 皆さん、ホテル三景苑はとてもボリます。なんであんなところをよりによって選ぶかなあ、幹事さんは。しょぼくれたブルジョアジーはさすがにわしらとは違 いますなあ。
 腹いせに、いつも「大風呂敷」に書いている通り、なんで学校は「音づくり」をやらねえんだと残った先生たちにからむ。お前、学校の何を知っているんだ、 知っていて言っているのかと國弘にわけのわからない質問をしていた年寄りがからみ返してきたので、あんた、じゃあ、音読だの「音づくり」だの本当に学校で やっているってのか、やってるんならあんたの授業を俺に見せてみろ、俺は本当に見にいくぞ、と言ったら、一瞬黙り、県名も学校名も自分の名前も言わずに、 学校の教師は苦しんでいるんだぞみたいなことに話を転じた。



【8272】
【タイトル】根石吉久、國弘正雄に会う(2)
【 日時 】04/01/05 1:21
【 発言者 】根石吉久

 やたらつまらない会であった。國弘さんから直接に葉書をもらわなかったら縁もない会だろう。しかし、最後まで部屋に残った二人の妙齢のご婦人の先生は、 興味深そうに俺がくだまくのを聞いてくださった。妙齢のご婦人、好き。それと、長野県の先生で須坂というところの学校の先生たちは、これからも話ができそ うだった。
 多くの男の先生たちは本当に閉じていて、神経質にすぐにビビる。
 村田君が「大風呂敷」のURLを書いた紙をホテルのフロントまで行ってコピーしてくれた紙を夕食会に残っていた先生方には手渡してある。どうか、「大風 呂敷」に出てきてまともに俺と喧嘩してほしいと願っているが、果たして出てきてくれるものかどうか。俺は本当にとことん喧嘩してみたいのだ。國弘を呼ん で、僕たちは自費でちゃんと研修をしているんだという自己満足でないものを、披瀝してみてくれ。
 話を聞いてくれた女の先生は、掲示板を見てみると言ってくれたが、見るだけでなく登場して欲しいものだ。
 國弘は自分のことを少数派だと言っていたが、俺なんざ、孤立派だわ。
 先生たち、喧嘩してくんねえんだもん。
 先生たちは、とても閉じている。
 さびし。
 さびしいまま、ホテル三景苑を出る。

 高校の英語の先生をやめてから、信州大学で留学生に日本語を教えている方と村田君と俺とで、別のホテルの喫茶室で10時過ぎまで話す。この方の話は、し みじみとしたいい話だった。今度、信州大学へお邪魔することをお約束して、ホテルの喫茶室が閉まるのでお別れした。



【8276】
【タイトル】講演会の前 1
【 日時 】04/01/06 11:34
【 発言者 】村田

講演会の前 1

 根石さんと私は、長野駅に予定よりだいぶ早く着き、会場の場所も予想に反してすぐにわかってしまったので、会場そばのホテルのロビーでコーヒーを飲んで いました。

村田「うちの生徒さんにイーオンの発音クリニックというビデオを借りたんですが、結構よかったですよ」
根石さん「どういう風に説明してる?」
村田「発音の本によくある解剖図みたいなのですけど、動きがあるからわかりやすいです。発音10ポイントを身につけた後ならかなり役に立つと思いまし た。」
根石さん「そうか。」
村田「音声は全部英語で、ネイティヴが説明しているんですが、聞いているとちょっと嫌な感じがする時がありました。『日本人の間違いやすいところは〜』 『正しく発音するためには〜』とか言ってるんですが、なんか違和感があるんです。
 例えば、『日本人は v の発音をバビブベボの b と混同してしまうんだ』と言ってるんです。まあ、これはそうなんだけど、しかしちょっと待て!お前の言ってる『バァ、ビィ、ブゥ、ベェ、ボォ』は日本語の 音じゃねーだろ!とテレビの前でツッコミを入れてしまいました。」
根石さん「ああ、それはな…」

(つづく)



【8279】
【タイトル】定義にもよるが・・
【 日時 】04/01/06 20:29
【 発言者 】パクパク

素読というと、意味のわからないものを、コーチのもとで
1:1で音読というイメージがあります。


 この場合、「和訳先渡し」をすべきです。

和訳を先渡しにすると、素読ではなくなるのではないでしょうか?



【8280】
【タイトル】素読 「的」 方法
【 日時 】04/01/06 23:54
【 発言者 】根石吉久

 純然たる素読は、語釈など一切なしで行われるものです。漢文を日本語シンタックスに変換して素読していたのが、江戸時代の素読です。テキストは漢文で あっても、シンタックスが日本語ですから、文としては一種の日本語を素読していたのだと考えていいと思います。日本における日本語の素読ですから、この素 読は日本語の磁場を「あてにできる」のです。ですから、語釈、解釈、意味などを扱わなくても、「いずれわかる」と放置できたのです。あてにできる磁場にお ける素読だからそれが可能です。
 日本語の磁場における英語の素読はこれと同列に扱うわけにいきません。
 私が、以前から素読という用語にはあまりこだわらないと言ってきたのも、このあたりに根拠があります。國弘さんの「只管朗読」も素読的方法でしょうし、 私の「回転読み」も素読「的」方法です。素読そのものにとらわれることは、日本語の磁場で英語を扱う場合には、かえって根本を見失うことになると考えてい ます。ですから、私の方法は、素読を源流とする一支流だと考えていただいて結構です。
 そのあたりを、「素読を原理とする」という言い方で言ってきたと思っています。

 「和訳先渡し」は、私の「電話でレッスン」で中学の教科書を扱うときにはやっています。生徒はほとんどが中学生です。

 「ゴースト」などでは、「技法グラウンド」で、私が一回言ったものを生徒さんに五回(以上)繰り返し言ってもらって、音に問題があれば、「音づくり」を 行いながら、文丸ごとのインプットを行っています。「和訳先渡し」はやっていません。「理解」は、私が作った文法解析をメールでお送りして、自習していた だく方式です。

 「ゴースト」でやっている「技法グラウンド」の先頭に、「和訳先渡し」をくっつけたのが、中学の教科書を使った「技法グラウンド」です。



【8282】
【タイトル】素読
【 日時 】04/01/07 0:01
【 発言者 】根石吉久

素読は、解釈は排除するが、意味を排除するものではありません。意味は磁場の力と、
生徒が生きる過程(による思考)によって、自然と備わるとしているのです。磁場の
力があてにできるところでは、純然たる素読が可能になります。



【8284】
【タイトル】村田君
【 日時 】04/01/07 0:50
【 発言者 】根石吉久

内村鑑三や新渡戸稲造の素読をやろうと思うが、俺のために本を買っておいてくれないかな。
今の子供たちが、日本語の髄を奪われているという意味でなら、「声に出して読みたい日本語」
もよろしかろうが、内村や新渡戸や、あれ、酔っ払ったら名前が出てこないや、「茶の本」の
人誰だっけ、まあ、そういう人たちの英文とその翻訳文を、特に高校生あたりに素読させたら
よろしかろうと思う。

 このアイディアを得たことが、國弘さんの講演会に行って来たことの成果かな。

 國弘さんも長生きして、もう一度、政治から語学に戻ってきてもらいたいと願っている
んだわ。ブッシュみたいな小物相手にして、顔、真っ赤にしてもしょうがねえだろうと思
うんだわ。戦後民主主義の輝かしかったものを見た人たちは、どうもトチ狂うみたいだ。
野坂昭如みたいに。



【8286】
【タイトル】素読的・・これでは、もはや素読ではないとおもう。
【 日時 】04/01/07 19:37
【 発言者 】パクパク

わたしは、純粋の素読のほうが効果があるのではないかと
おもっています。
素うどんの素:かけうどんではなく、純粋のうどんだけのお湯につけたうどん。
       塩味さえない。釜揚げのうどんをお湯で食べる。

江戸時代の素読を現在実践している人の本をよむと、
2種類の読み方をさせています。
子供が相手です。

 音読み  イシンデンシン
 訓読み  心を以って、心を伝う。

 子供は、意味のわからない音読みのほうをよろこぶとのことです。
 この場合、読みは、まったくの日本語カタカナ発音です。

 つまり、素読は、音作りのまえにおこなってもいいような感じです。
 
素読とは、ひとりでやってはいけない。コーチのもとにおこなう。
このコーチは、一見、インテリジェンスがないようですが、相当あるのが
事実であったとおもいます。

いまの音読、多読一派は、このコーチに関する記述が不足しているようです。



【8287】
【タイトル】思ったこと
【 日時 】04/01/08 1:07
【 発言者 】sb

日本語磁場で英語を素読すること。
それは英語を意味が分かった後で音読することとどのように違うのですか?
素読しているうちに(記号と概念(イメージ)が同致していく過程で)
意味の分かった後の音読ということになりますか?
音読という言葉は不明瞭な感じがします。
徐々にイメージが記号と同致していくという概念が「音読」という言葉でははっきりしない
ところが、そう説明している人々にとって無意識的だということになるような感じがしています。



【8288】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】04/01/09 17:04
【 発言者 】根石吉久

>わたしは、純粋の素読のほうが効果があるのではないかと
 おもっています。

 思うのは結構ですが、実際にやってみていただくことをお勧めします。純然たる素読は、日本語磁場における英語では、うまくいきません。初心者には「和訳 先渡し」でよく、中級以後に、文法の媒介を経て自分で意味をつかむようになることが要求される。日本語の磁場で英語をやる場合に、「和訳先渡し」を行うと ころが、素読「的」なのです。
 何度も書きますが、素読は意味を排除するのではない。「意味」は、「音づくり」の後でいいとする方法だというのが私の素読に対する理解です。その「意 味」さえも、コーチによる「解釈」など与えなくても、当該言語の磁場に育つ子供の中には、当人の思考力によって自然に備わってくるとするのが、主に漢文を 対象とする素読です。
 日本語の磁場における英語の素読では、この「自然に備わってくる」ということが生じません。あてにすべき英語の磁場が「ない」からです。
 やってごらんになると、私の「磁場論」が不可欠のものだとわかるはずです。

 私のやっていることが素読そのものではないと言うのなら、それでも結構なのです。私は生徒の力をつけたいだけであり、素読という方法そのものに義理があ るわけではないのです。机上の空論をやっている暇はありません。

>子供は、意味のわからない音読みのほうをよろこぶとのことです。

 そういうこともあるでしょう。しかし、素読は子供が喜ぶかどうかを軸にしている方法だとは考えられません。当座子供が喜ぶかどうかなどということを軸に してきたのが、戦後民主主義の元で、子供におべっかを使ううぞうむぞうのいやらしい方法だったはずです。

>つまり、素読は、音作りのまえにおこなってもいいような感じです。

 素読がせっかく声を駆使する方法であるのに、なぜわざわざ素読することと「音づくり」を二段階にわけなければならないのか、理解できません。

>素読とは、ひとりでやってはいけない。コーチのもとにおこなう。

 これはそうだと思います。一人でやることを想定したのが、國弘さんの「只管朗読」だと思います。しかし、それでも、國弘さんの方法は、素読「的」ではあ るのです。とことん口を動かすことで、英語が育つ畑を耕すというところが、つまり、軸を「口」に据えたところが素読「的」なのです。

>いまの音読、多読一派は、このコーチに関する記述が不足しているようです。

 賛成です。



【8290】
【タイトル】sb さん
【 日時 】04/01/09 17:23
【 発言者 】根石吉久

>日本語磁場で英語を素読すること。
 それは英語を意味が分かった後で音読することとどのように違うのですか?

 意味がわかった後で音読。これを言っているのが國弘正雄です。私は國弘の言い方はあいまいだと思っています。「意味がわかる」というただそれだけの言い 方で、実は二つのまったく異なることが意味されてしまうところがまずいと思っています。
 ある文を前にして、「人の解釈を受けてわかる」ことと、人の助けが一切なしで「自分でわかる」ということは、まったく別の二つの事柄です。國弘の言い方 では、これが区別されない。
 私はそこを区別するために、初心者には「和訳先渡し」が必要であり、中級以後では、「文法を媒介にした自分の思考」が必要だと分けています。

>素読しているうちに(記号と概念(イメージ)が同致していく過程で)
 意味の分かった後の音読ということになりますか?

 これが、中級以後の人に生じることです。

>音読という言葉は不明瞭な感じがします。
 徐々にイメージが記号と同致していくという概念が「音読」という言葉でははっきりしない。ところが、そう説明している人々にとって無意識的だということ になるような感じがしています。

 「音読」派がくらがりのままに放置しているところがそこです。無意識的というより、いいかげんなのです。
 言葉そのものとしては、素読よりも音読の方がはるかに広い概念だと思います。素読も音読の一つに含めていいはずです。音読は、「黙読」に対する概念で あって、声に出して読みさえすれば、何でも「音読」です。素読は、「音を先立てるか、意味を先立てるか」が重要であって、あくまでも先だてるべきものは 「音」だと考えている方法です。



【8291】
【タイトル】「ゴースト」文法解析
【 日時 】04/01/09 18:11
【 発言者 】根石吉久

「電話でレッスン」の生徒さんに、ゴーストの文法解析をお送りしたら、次のようなメールを
いただいた。転写しておく。
----------------------------------------------------
> 根石せんせい
> 自分一人でできますっ!!!

 先に音を作ってあると、文法なんてものは実にわかりやすいでしょ?
 ただ、世の中の文法書を読む人たちは、そこに例示されている英文を声に出して、繰り返し読んで、こなれた音を作るってことをやらないのです。目で読んで いるだけです。これが、文法をやるときの落とし穴です。
 私の文法書には、「復讐範囲を手放さない」という原理が貫かれていて、文法的に関連がある文(すでにやった文)を何度も何度も提示し音読します。レッス ンでは、だから文法事項には触れません。例示してある文をいつものレッスンのように読んでもらうだけです。文法事項を書いてあるところは、自分で読んで理 解してもらえばいいのです。

 まあ、ひと月くらいやってみてもらえませんか。私のたくらみは深いのです。この教材を使ってもらえば、毎回新しいことをやる時間が5分確保されますか ら、忙しい方にはかえっていいだろうと思っているのですが・・・。

 少し試してみてもらって、文法は全部自習にしたいということになりましたら、また元のやり方に戻るっていうのでも結構です。



【8292】
【タイトル】「ゴースト」文法解析
【 日時 】04/01/09 18:13
【 発言者 】根石吉久

別の生徒さんにも「わかりやすい」との感想をいただいた。その方に書いたメールに、文法解析
をした教材を使った場合のレッスンの時間配分について書いたので転写する。
----------------------------------------------------
では、今度からこの教材でやってみて下さい。
ちょっと、変わった使い方で、文法事項について触れたところは読まないのです。
例示してある英文のみ、いつものレッスンのように読んでいただきます。
25分を文法教材に使い、毎回5分を新しいところをやるのに確保します。



【8293】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】04/01/09 18:18
【 発言者 】根石吉久

書こうと思って忘れていました。
「ゴースト」の文法解析(途中までのもの)、お送りして眺めていただこうと思ったのでした。
Naima さんのレッスンでは必要ないと思いますが、Naima さんが生徒さんをとるときに使って
もらえるだろうと思っているのです。

カラのメールで結構ですので、メールをいただけませんでしょうか。
「返信」でお送りします。メーラーの住所録が使えなくなっておりますので、お手数をわずらわ
せますが・・・。



【8294】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/01/09 19:00
【 発言者 】Naima

空メールを送信しました。 

今、ホームページの改築改装に四苦八苦している所です。 

根石さんが転写された文を掲載するにあたって、一つお聞きしたい事があります。 前々から質問しようと思っていたのです。 考えてみれば殆どの人達が言い 習わして来たものなので、今さらって気もしますが。
 
「外人」についてなのですが、日本語のわかる外国人の中には「外人」と言われると「よそもの」と言われている様だとして、この言い方を嫌う人が沢山いま す。 私のアメリカ人の先生によると、「言い方にもよる」との事でした。 彼は、近所のおばあちゃんから「外人さん」と呼ばれても、まったく気にならない との事。  

根石さんは、あえて「外人」と呼ばれているのでしょうか。 

最近、私はなるべく外国人と呼ぶようにしてはいますが、「外人」と呼んでいた時にも差別意識は持っていませんでしたし、外国人と呼んだとて、「他所者」と いうニュアンスは残るんじゃないかと思ったりするのです。 

しかし、「外人」と呼ばれる事を嫌う外国人も、同じ様な事を他国人に対して言ってるわけで...

英語でも foreigner の foreign に「異物」と言うニュアンスも含まれる様なので、この言い方を嫌う人も沢山いる様です。 私は最近、神経質になって、people from foreign countries などと言う事にしています。 何の事はない、結局同じ事を言ってるわけなんですが、「ちょっとは配慮してるぞ」と仄かに意思表示をする事にしています。 

他に適切な言い方があるのか、と質問しても日本語でも英語でも見当たらず、出身国名がわからない限り、これは難しい事ですね。 そもそも「外人」と言う言葉の中に「他所者」との差別感情が含まれていたもんなんでしょうか? 



【8296】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】04/01/10 1:12
【 発言者 】根石吉久

>今、ホームページの改築改装に四苦八苦している所です。

 よろしくお願いします。

>「外人」についてなのですが、日本語のわかる外国人の中には「外人」と言われると「よそもの」と言われている様だとして、この言い方を嫌う人が沢山いま す。

 私も近所の外人から抗議を受けたことがあります。その後も、そいつとは悪友みたいな感じでつきあいが続いていますが、そいつとの話の中で gaijin という単語は使います。
 Some English freek in Japan indulge gaijin. なんてことはよく言っています。

>根石さんは、あえて「外人」と呼ばれているのでしょうか。 

 外人に外人と言うなと言われて、はいはいと従っている人たちの半植民地根性が嫌で、外人と言われるのをいやがる外人がいるのを承知で「外人」を使ってい ます。承知の上で使っているのがわかるせいか、私が gaijin を使うと、近所の外人は喜ぶようになっています。

>最近、私はなるべく外国人と呼ぶようにしてはいますが、「外人」と呼んでいた時にも差別意識は持っていませんでしたし、外国人と呼んだとて、「他所者」 というニュアンスは残るんじゃないかと思ったりするのです。

 まったくそうだと思います。意識のありようが、言葉を汚していくのであり、その逆ではありません。「外人」を差別用語扱いする外人は、「外人」という言 葉を汚しているのだと思っています。何が偉くて日本語を汚すのだこのやろ。「毛唐」呼ばわりしているわけであるまいに。
 「外国人」という言い方が嫌なのは、「国語」という言い方が嫌なのと理由は同じです。「国」の問題ではないと思っているからです。
 問題は、「外人」に対して「内人」という語が成立しないことにあります。
 「内人」とはことあらためて言わずに、「外人」という語だけがあるのは、一種の中華思想ではあると思います。しかし、私は戦後民主主義に毒されたアメリ カ追従根性が大嫌いですから、あえてこの中華思想の語を使います。

>そもそも「外人」と言う言葉の中に「他所者」との差別感情が含まれていたもんなんでしょうか?

 「外人」という語の成立に関わるものだと思いますが、私にはわかりません。
 私はこの語を使うのに、「区別」はしてるが「差別」はしていないと思っているので、自分の日本語ヴォキャブラリーから削除しません。差別はしていない が、そいつが日本語を駆使して私と喧嘩ができる程度にならないかぎり、「余所者」は「余所者」だと思います。「余所者」を「余所者」だと思うだけでは差別 は成立しないと思います。
 「余所者」を「余所者」として排除したときに差別が成立するので、おお、「余所者」、よく来たな、というふうにつきあっているのであれば、何の問題もな いと思います。
 やたら白人を崇めるような態度を平気でとるやつらこそ、差別意識が強い人たちだと思います。やつらのアジア人への無視の仕方を見ればよくわかります。



【8300】
【タイトル】回転読みルポ
【 日時 】04/01/10 2:33
【 発言者 】ミッフィー

タイトルだけは立派ですが、たまたま今日、明日と偶然にもレッスンを続けてしていただくチャンスがあったので回転読みをして体験(というほどでもないが) したことを少し。本日のレッスンが終わって「うわ、明日までにこれだけ覚えなくっちゃ、大変だぞ。」私の練習方法はまず新しい範囲のひとかたまりの英文を 20回ほどはテキストを見ながら読み、30回目からはちらちら、40回目からはなるべく見ないで、最終的には50〜80回読むという(時間がある時は 100回)やり方です。今はゴーストをやっていますが、今の範囲がhold on babyだとか、oh my Godやall rightの連発で覚えにくい。しかし、やっていて気づいたことは、どんなにごちゃごちゃした文でも40回〜50回目に入ったところでやたらすんなり読め るようになる。で、80回くらい読むと後日練習する時も、出だしの言葉さえちらっと本を見れば、皿洗いをしながらでもするする読める。回数は個人差もある ので一概には言えませんが…。この40回〜50回というのは一つの山かな、と思ったのでありました。ところで私は来週実施されるセンター試験にそなえ、生 徒に過去問の演習をさせたり解説したりしていますが、2年後にはそのセンター試験にリスニングが導入されることが決定しています。たぶんどこの学校でも大 丈夫ではないと推測するのだけれど、(しかもどんなレベルか見当もつかない)こんなご時世だからこそ、音読させねば!と強く思います。自分がかつてCNN ENGLISHでリスニングの練習をやってきた経験から言うことですが、知っている単語は聞き取れるし、知らない単語は聞き取れない。しかもその単語を自 分が正しく発音できれば確実に聞き取れるし、正しく発音できない単語は、まず、音で聞こえてきても頭の中でイメージがわかないことが多い。ただ教室で音読 をたくさんさせるのは現状ではかなり厳しいのだけれども、暗唱例文を渡して、生徒にどんどん繰り返し読め、とテストなり、何らかの形でけしかけることはで きないかな、と思っています。誰か高校の先生または塾の先生で、2年後のリスニング導入に向けて、何か動いておられる方、よろしければその手法を紹介して 下さい。
 話は変わりますがおととい韓国の小学生と英語で話す機会がありました。とはいえ、"Where's the bathroom?" "Uh,just right here, on the right side."くらいものですが。英語のbをpと発音しがちな韓国なまりはあったものの、その流暢さにびっくりしてしまった。みんなああなのだろうか。



【8301】
【タイトル】素読と音読
【 日時 】04/01/10 9:27
【 発言者 】パクパク

>日本語の磁場で英語をやる場合に、「和訳先渡し」を行うところが、素読「的」なのです。

この文は、
日本語の磁場で英語をやる場合に、「和訳先渡し」を行うところが、音読「的」なのです。

こうしたほうが、私には、よくわかります。
小さな違いですが、このほうが、素読の特徴が
よくでるのではないかとおもいます。
素読は、棒読み、丸暗記、繰り返しのところが
斎藤孝氏らによれば、非科学的とされ、意味を
先にあたえて読ませるのが、音読とされています。
わたしは、この上記定義でよいとおもいます。
意味先わたしは行われれば、もう、素読要素はなくなり、
音読「的」になるとおもわれます。

>素読がせっかく声を駆使する方法であるのに、なぜわざわざ素読することと「音づくり」を二段階にわけなければならないのか、理解できません。

 素読は下地つくりですから、英語音声にしなくても、日本語音声ではじめのうちは
 いいのではないかというのが、私のいい分です。
 正確な発音づくりは、後の工程でいいとおもっています。
 

日本語の磁場のなかであっても、はじめは、素読(棒読み)で
あっていいと私はおもっています。
私が、この掲示板でなんども、具体英文を出しているのは
そのためです。

例)
I could not care less what he says about me.

Who could ask for anything more?

このような英文は、日本人が苦手とするところとおもいます。
和訳の意味をとりにくいとおもいます。
単語一語一語は、中学レベルです。

従来方式ですと、英文全体の意味を先渡し、音読を10回ほど繰り返しをしたあとに
わけのわからない学校英文法式の文法解析でしょう。
わたしは、意味の先渡しが、かえって毒になるとする立場であり
そのために、素うどんの素読というコトバにこだわっているわけです。



【8302】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】04/01/10 13:19
【 発言者 】sb

>意味先わたしは行われれば、もう、素読要素はなくなり、音読「的」になるとおもわれます。

意味を先に渡す場合にはある意味で危険が伴います。
意味が分かったのは「日本語」を通してです。
英語を自分の体に入れるのが目的なら、先渡しこそ「素読的要素」が必要だと思います。

人から見れば「音読」も「素読」も同じように見えます。
人が声を出していれば聞いている人には「音読」にも「素読」にも映ります。
なぜなら、本人の頭の中で起こっていることは人には分かりにくいからです。
ただし息継ぎやイントネーションからどのあたりまで本人のイメージが動いているかは分かります。
そこにコーチの存在意義があると思います。

逆に
声を出していなければ「意味を考えていない黙読」にも「意味を考えている黙読」にも映ります。
この場合はコーチの意味がありません。

しかし、本人の中では「素読(その時のその人にとっての概念の枠組みを意識的に考え<<抽象捨象を繰り返しイメージがよりしっかりしたものになっていく過 程>>ながら)」なのか「音読(ただの音や声にしかなっていない<最初はこれでよいのですが。。。>」なのかは本人が言葉を習得していく上で大変重要な要 素となるのだと思います。



【8303】
【タイトル】素読の定義からはじめてみる
【 日時 】04/01/10 13:39
【 発言者 】sb

素読:文章の意義の理解はさておいて、まず文字だけを声を立てて読むこと。漢文学習の初歩とされた。(広辞苑)
素読:文章の意味はしいて考えず、声を出して読むこと。すよみ。(新世紀)

素読は「意味をしいて考えない」ことから始まる。しかし、だんだん意味が本人の中に入ってくる。
あくまでも「本人にとって」ということである。さらに、意味が意義になり、イメージがイデアになる過程で、音声はsubvocalizationになり、 意識的に舌や唇を動かさないように努力することなしに、限りなく物理的に動かなくなるところまでいく。難しい文章でそういうことができる人はたいへん少な いだろう。私は苦手である。だから、その人が頭の中で意味を考えていれば、たとえ黙読であっても「素読」という言葉を使っても面白いのではないか。

一方、音読と黙読(対義語)。これらの違いは「人からみて」という点に重点があるように思われます。人からみれば音読は「音読」、黙読は「黙読」である。



【8304】
【タイトル】パクパクさん(1)
【 日時 】04/01/10 14:25
【 発言者 】根石吉久

>斎藤孝氏らによれば、(略)意味を先にあたえて読ませるのが、音読とされています。

 「斎藤孝氏ら」の「ら」がことを曖昧にしてしまいます。英語の方で國弘正雄が音読派の代表と言ってよければ、日本語の方での音読派の代表は、斎藤孝で しょう。斎藤孝に限定して、著書からの正確な引用をお願いします。
 斎藤孝がそのように音読を定義しているとします。あくまでも仮定です。私は斎藤の本は「声に出して読みたい日本語」を一冊持っているだけであり、その中 には素読否定の記述はなかったように覚えています。ざっと読んだだけですので、読み過ごしかもしれません。いずれにせよ、斎藤がそのように「音読」を定義 しているということ、斎藤が素読を否定していることの文責はパクパクさんがとってください。以下は、パクパクさんの記述に基づいて書きますので。
 斎藤が「音読」をそのように定義したとして、それは斎藤孝の定義にすぎません。私は単純に、声に出して読みさえすれば、何でも音読だと考えています。普 通、「音読」と言えばそのことであり、だから、素読も音読の一種です。素読と音読を対立させて考える必要があるとは思えません。
 音読という袋は、素読をまるごとその中に入れられるだけ大きい。音読は、朗読も素読もその袋の中に放り込むことができる。つまり、概念として一番広いも のをさし示すことができる。これが私の定義ですが、この定義で何か不都合がありますでしょうか。
 「意味を先に与える」のがいいとして、この上で声を出して読むのが「音読」だと限定したければ、そうすることは斎藤の勝手です。呼びたいならそう呼ぶこ とはできる。それは「斎藤孝の音読」というべきものです。
 このかぎりでは、「斎藤孝の音読」が原理を言えているわけではない。意味を先に与えた方がいいというのは、いわゆる古典はもちろん、明治・大正期の日本 語すら「古典化」してしまった現代日本語のボディがあるからにすぎません。これが、復古主義者どもからどのように悪く言われようと、私たちはこの現代日本 語のボディを鍛えて、時代という枠を越え出るしかない。そこに「斎藤孝の音読」がブームとなった根拠があります。現代日本語のボディが弱りつつあるという 危機意識がなければ、「斎藤孝の音読」ブームもありはしなかったでしょうが、人々に危機意識はあり、そしてそれはまっとうなものだと私は思っています。

>日本語の磁場で英語をやる場合に、「和訳先渡し」を行うところが、素読「的」なのです。
この文は、
日本語の磁場で英語をやる場合に、「和訳先渡し」を行うところが、音読「的」なのです。
こうしたほうが、私には、よくわかります。

 パクパクさんは他のところで、「意味」を先渡しすることについて書いておられますが、私は、「和訳先渡し」だと言っており、「意味の先渡し」だと言って いません。「意味」というものは、渡せるものではないというのが私の考えです。渡せるものは、「意味」に至るための「きっかけ」だけです。文法も「きっか け」にすぎませんし、「和訳」も「きっかけ」にすぎません。そういうものは渡すことができる。「意味」にもっとも類するものとして「解釈」を渡すこともで きる(素読が禁じているのはこれです)。しかし、文法はもちろん、「和訳」も「解釈」も「意味」そのものだとは思えません。
 それらを「きっかけ」にして、「意味」は生徒の中に「発生」するのだと私は考えています。個の意識(という社会的には点として閉じた場)において、芽を 出し、伸び、葉を広げるのが「意味」です。これは、命が生きようとする力にその根を張っているものです。
 こういうものを外から与えることができるなどと斎藤が考えているとしたら、不遜な考えだと言うしかありません。こういう不遜さはパクパクさんの書くもの の中には何度も見たものであり、斎藤の考えというよりパクパクさんの考えではないでしょうか。
 繰り返しますが、私のやっていることが素読ではないというのであれば、素読でなくて結構です。実は日本人に対して日本語を扱うときは、私は素読そのもの をやるのですが、英語を扱うときは素読そのものでは間尺に合わないと言っているだけのことです。また、外人に対して日本語の素読をやる場合も、相当の長期 間に渡る日本滞在という条件がなければ、日本語の純然たる素読だけでは間尺に合いません。
 確かなことは、英語を扱うときの方法が素読であろうとなかろうと、私は原理を素読に見ているというだけのことです。



【8305】
【タイトル】パクパクさん(2)
【 日時 】04/01/10 14:30
【 発言者 】根石吉久

>  素読は、棒読み、丸暗記、繰り返しのところが
   斎藤孝氏らによれば、非科学的とされ、意味を
   先にあたえて読ませるのが、音読とされています。

 もしも本当に斎藤がその通りに言っているのであれば、斎藤は素読の何たるかを何もわかっていない者だということになります。繰り返しは、「斎藤の音読」 でだって避けられるはずもないでしょう。
 問題はとりわけ「丸暗記」にあります。素読は「丸暗記」からはほど遠い。方法的な原理として遠いのです。「字」を見てよい、「声」に出して読め。ただ単 にそれだけを繰り返せ。そうすることによって、結果的には「丸暗記」したのと同じように覚えてしまうということは起こります。その「結果」だけを見て、素 読は丸暗記だとするなら、素読が何であるかはまるでわかっていない者のいいぐさです。素読は「過程」を生きる方法そのものなのだということが何も取り出せ ていない。肝心なものが取り出せないのであれば、「とんちんかん」なのです。私は、斎藤が素読を丸暗記と一緒にするほどの馬鹿だとは思っておりませんでし た。今でもどうもそうは思えないでいます。

>素読は下地つくりですから、英語音声にしなくても、日本語音声ではじめのうちはいいのではないかというのが、私のいい分です。正確な発音づくりは、後の 工程でいいとおもっています。

 コーチがちゃんと英語の音を作れる人であれば、初期に生徒が日本語音声のみで読むことは構わない。かまわないというか、当然そうなります。日本語で育っ てきたのですから当然です。まったくの当初は、日本語の音でだって構わないからとにかく、はっきりと声に出せということが大事です。正確な音づくりは、当 然後の工程になりますが、コーチが英語の音を作る技術を持っているなら、この「初期」や「当初」は、1,2ヶ月どころか、1,2週間に縮められます。以後 は「後の工程」です。それで何のさしつかえがあるのでしょう。1,2週間で英語の音のボディを扱い始めます。英語をやるのです。英語の音を作ることこそ下 地作りです。後に「意味」と合体させて使い物になるだけの価値を持つ音を、素読や音読と同時進行で作っていかなければ、単なる二度手間です。

>  私が、この掲示板でなんども、具体英文を出しているのは
   そのためです。

   例)
   I could not care less what he says about me.

   Who could ask for anything more?
   

 これを提示したことが、どうして「棒読み」でいいということの論拠になるというのですか。「意味」さえとれればいいということになりませんか。それな ら、学校英語の欠陥に歯止めがかからないのではありませんか。
 これを提示してもらえれば、私が「シンタックスの鷲づかみ」と言っているものを実現する方法を考えるのには役に立ちます。全体で一つと感じられるほど に、読み込め、読み込みの回数を惜しむな、という方針を得るにも役に立ちます。また、個々の単語の「イメージの核」をつかめ、と言ってきたことにも合致し ます。「和訳先渡し」の可否とか、「棒読み」の肯定とは関係のないことだと思います。
 「和訳先渡し」をしても、英語のリズムとイントネーションを備えた読みで読んでも、個々の語の「イメージの核」をつかみ、「シンタックスの鷲づかみ」に 至るならば、意味は「発生」します。



【8306】
【タイトル】パクパクさん(3)
【 日時 】04/01/10 14:32
【 発言者 】根石吉久

 おそらく言いたいことの半分も伝わらないと覚悟はしておりますが、私は初心者に対してもっとも親切な方法は「かぶせる」ということだと思っています。素 読において、コーチが「先に」読むのは、字に音を「かぶせる」ことです。それを受けて、生徒が繰り返し読み込むのも、字に音を「かぶせる」ことです。ま た、「和訳先渡し」においても、「和訳」を英文に「かぶせる」ということが行われます。初心者というのは、この「かぶせる」ということをするだけで脳味噌 に汗をかくレベルの人たちです。繰り返し「かぶせる」ということに付き合うのがコーチの役目です。
 練習が進めば、個々の語の「イメージ」の核は煮出せば煮出せるものになっていきます。煮出せば煮出せるだけの条件だけ整えてあげれば、コーチの責任は果 たせたと考えていい。
 条件が整ったのに、自分で煮出すことをしない生徒がいたら、単にコーチ側が馬鹿を見たというだけのことですが、お金をもらって仕事をしているのですか ら、文句は言いません。いや、文句は言いますが、仕方がないと思っています。



【8308】
【タイトル】講演会の前 2
【 日時 】04/01/10 16:46
【 発言者 】村田

根石さん「『正しい音』なんて、どこにもないからなんだ。」
村田「そうなんですか。」
根石さん「ああ、ネイティヴにだって『正しい』発音はできないはずだよ。『正しい音』なんてものはどこにもなくて、あるとすれば、それは神の音なんだ。」
村田「なんか『ユートピア』みたいな話ですね。それは、イデアとしての音ということを言ってるんですか。」
根石さん「まあそういうことだな。…それでな、実際に人が出す音には、その「どこにもない音」との差だけがあるんだ。」
村田「なるほど!つまり、『正しい音』なんて言っても、絶対的に正しい「どこにもない音」からの差があるだけなんですね。ということは、「どこにもない音 の前」では、ネイティヴの音も非ネイティヴの音も相対化されるということですね。」
根石さん「そうなんだが、差、と言っても、またその間には大きな「ギャップ」があるわけだが。」
(つづく)



【8309】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/01/10 16:48
【 発言者 】村田

「茶の本」 岡倉天心
「代表的日本人」 内村鑑三
「禅とは何か」 鈴木大拙
「武士道」 新渡戸稲造

この4冊、平安堂あたりで探してみます。
「茶の本」は持ってたけど、文庫なのにえらく高かったような気がする…。



【8310】
【タイトル】正確な引用
【 日時 】04/01/10 18:16
【 発言者 】パクパク

すごく長くなります。
書名だけ、ここにあげておきます。

からだを揺さぶる英語入門
角川書店

 
この本にかなり相当広範囲で素読と音読について
かかれています。
したがって、正確な引用はできません。
関心があるのなら、本を読むかどうかしてください。


音読こそ王道 P38
英語は素読したっていいじゃないか P47

といっておきながら、

意味や文の構造を理解したうえで読む P93

 P94 素読という方法から、非合理的な要素を取り去り
    、真に合理的なトレーニング方法にしたいというのが
    私の願いだ。

では、何が非合理的な要素かというと、意味がわかったものを
読んだほうがいいという考え方のようです。
これは、私が、そう、推定しているので、本人に
確認したわけではありません。

事実、意味の解釈も、素読の講義においては重要であった。 P48

斎藤氏の考え方は、名文を意味を日本語で
理解したうえで、カタカナ発音で
よく、英文構造(主語、述語、修飾語など)をはっきり理解しながら、何度も、読むということに
あるとおもいます。


この本は、CDがついており、すべての英文にカタカナのルビがつけられており、
和訳はあり、英文構造を青のラインや赤色のラインであらわし、
スラッシュやカッコをつかい、リエゾン箇所などを明記しています。
素うどんではなく、鍋焼きうどんのようなテキストです。


くどいようですが、意味を和訳で先渡しするのは、わたしは素読でなく、
音読とおもっています。
素読「的」ともいえません。
どうしても素読というコトバをつかいたければ、素読もどきでしょう。
意味がわからなくても、何度も読む。
あるいは、筆写する。
この一見、非合理的な作業に、わたしは、意義があるとおもうので、
こうやって、何度も投稿しているのです。



【8311】
【タイトル】コトっ、と腑に落ちる音がした様な...
【 日時 】04/01/11 0:19
【 発言者 】Naima

私は、土曜日は朝からTIME Reading Class, 午後はCreative Writing Class に籍を置いて勉強しています。 TIME は 必ず丁寧に音読して音づくりをして臨みます。 それで発音やイントネーション、意味の切れ目などなど、音に関しては講師から「不可」が出る事は滅多に ありません。 

しかし、Writing Class は 地のままの英語です。 このクラスで、「あれ、うちって、随分、ええ加減な音でしゃべってるな...」とふと我に帰りました。 意識すればいい音が出る程 度と言う様な事に甘んじていてはいけない。 

ゆっくり丁寧に音づくりをする。 作った音を壊さない様に、まずはゆっくりと回転読みしながら、徐々に速度を上げて行く。 それが豪速でも崩れないくらい になるまで回転を続けて身体化するまでにならなければ、音づくりは完成しない.... 考えてみれば、当たり前の事ですが、身をもって納得するまでに時間 がかかりました。 

腹立たしい事に、これを「完全主義者」などと言う言葉で切って捨てる勉強仲間がいますが、そうじゃない。 

回転読みは、単純なメソッドの様に見えますが、巷の音読などどは深さが全く違います。 複数の人から、回転読みのやり方を教えてよ、と言われましたが、説 明を求める前に、とりあえず自分でやってみなければ。 簡単に説明を求められても、簡単には言えない内容があります。 豚に真珠、猫に小判、になってしま う恐れがあります。



【8312】
【タイトル】素読と音読
【 日時 】04/01/11 1:00
【 発言者 】根石吉久

 素読は解釈主義(解釈に時間の多くを費やして恬淡としている馬鹿どもの流儀)に対立するのであり、音読に対立するのではない。
 音読は黙読と対になる(時に対立する)語であり、音読が素読と対立するのではない。
 この程度のこともわからない人に、多くの言葉を費やしてもしょうがないのだが、ご当人にわからなくても、読んで何かを得る人がいないとも限らないので、 言葉を費やすことにする。



【8313】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】04/01/11 1:13
【 発言者 】根石吉久

>からだを揺さぶる英語入門 角川書店

 古本屋で安く手に入る時期がきたら読んでみるつもりです。新刊本で買うほどのものではないとにらんでおりますので。

>  音読こそ王道 P38
   英語は素読したっていいじゃないか P47
   といっておきながら、
   意味や文の構造を理解したうえで読む P93

 だったら、斎藤は素読の否定などしていないではないですか。
 用心深く、「斎藤がそんなことを言うはずはないだろう」と疑っておいてよかったと思っています。
 パクパクさんは次のように書かれました。

   素読は、棒読み、丸暗記、繰り返しのところが
   斎藤孝氏らによれば、非科学的とされ、意味を
   先にあたえて読ませるのが、音読とされています。

 この文を書かれている通りに読めば、斎藤によって音読は素読と対立させてとらえられており、斎藤は音読を提唱し、素読を否定したがっているかのように読 めます。

>  音読こそ王道 P38
   英語は素読したっていいじゃないか P47

 これらの正確な引用わずか2行によってでも、斎藤が音読と素読を対立させてとらえてなどいないことがわかります。パクパクさんは曲解が上手なのです。 困ったものです。



【8314】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】04/01/11 1:40
【 発言者 】根石吉久

 斎藤が「意味」と書いて使っている語を、私は斎藤のように軽く扱うことができないだけで、「和訳先渡し」をしても素読は成り立つと言っているのです。斎 藤が「意味や文の構造を理解したうえで読む」というところを、私は「和訳先渡し」でいいと言っているのですから、斎藤と私の考えには相当部分で重なるとこ ろがあると思っています。
 斎藤が「意味」と言っているところを、私はより限定的に「和訳先渡し」としているだけのことだと思います。私の「意味」の定義はすでに書きましたので繰 り返しません。
 パクパクさんの言いたいことを煮詰めてみれば、sbさんが広辞苑その他から引用してくれた素読の定義からはみ出したら、それは素読ではないと言っている に過ぎません。
 そんなことはどうでもいいのです。素読まがいだろうが、素読「的」でさえなかろうが、日本語の磁場で辞書の定義通りに英語の素読をやっても駄目だという のは、10年以上もの年月を実験して食うや食わずの崖っぷちを歩いて、結論したものです。パクパクさんが「いいんじゃないか」とか「駄目なんじゃないか」 などと気楽に思っているようなものはすでに私は全部実験してあります。あなたは、ただ「思っている」だけではないですか。ただ「考えている」だけだ。だか ら、「机上の空論」だと言うのです。「机上の空論」呼ばわりが気にくわなかったら、あなた、自分でやってみるがいい。日本語の磁場で、純然たる素読を英語 に対してやってみるがいい。それをやった上でものを言うがいい。
 いいですか。私は正確に「和訳先渡し」だと言っているのです。それで、コーチが生徒に「意味」が渡せるなどとは考えたこともありません。「意味」に関し て私は斎藤ほど気楽ではない。國弘ほど気楽ではない。斎藤や國弘よりもはるかに職人を生きているのです。講釈を垂れているのではなく、実際に日々コーチを やっているのです。へとへとになってやっているが、月額20万円ちょっとにしかならない仕事を、男一匹の命を賭けていいと思ってやっているのです。
 斎藤や國弘はしかし、少なくとも我が身で実験したことを提唱している。それがパクパクさんと大違いです。パクパクさんのいいぐさは、講釈士見てきたよう な嘘を言い、だと私は思っています。文は人なり。講釈士のいいぐさが講釈士のいいぐさだと人が見抜くことがないとでも思っているのですか。

 P94 素読という方法から、非合理的な要素を取り去り
    、真に合理的なトレーニング方法にしたいというのが
    私の願いだ。

 斎藤の考え、大いに結構である。私もこう考えている。

>では、何が非合理的な要素かというと、意味がわかったものを
 読んだほうがいいという考え方のようです。

 さて、ここに狸の化けの皮が一枚広がったようです。ご自分がお書きになった文をよくお読みいただきたい。いいですか。こんな日本語を書くと、多くの人 は、「非合理的な要素」は「意味がわかったものを読んだ方がいいという考え方」だと読むのです。そして、それが正しい読解です。パクパクさんの日本語が、 「読めない」のです。「読めない日本語」なのです。アホみたいな日本語と言っても同じです。
 おっしゃりたいことは、以下のことでしょう?

◆では、何が非合理的な要素かというと、意味がわかったうえで
 読まないから、という考え方のようです。
◆素読の非合理的な要素を排除しようとして、斎藤は意味がわかったものを
 読むべきだと考えているようです。

 この私が直した日本語を読んだ後で、もう一度ご自分の日本語を読んで下さい。

>では、何が非合理的な要素かというと、意味がわかったものを
 読んだほうがいいという考え方のようです。

 いいんですか、こんな日本語を書いていて?なさけなくはないですか?



【8315】
【タイトル】練り直す
【 日時 】04/01/11 1:48
【 発言者 】根石吉久

◆では、何が非合理的な要素かというと、意味がわかったうえで
    読まないから、という考え方のようです。

☆では、(従来の素読の)何が非合理的かというと、意味がわかったうえで読まない
から、という考え方のようです。



【8316】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】04/01/11 2:02
【 発言者 】根石吉久

>  これは、私が、そう、推定しているので、本人に
   確認したわけではありません。

 推定することは構いません。しかし、それは斎藤の考えそのものではなく、パクパクさんの推定だと明記すべきです。斎藤の考えなのか、パクパクさんの推定 なのかわからなかったので、斎藤の著書から正確に引用してくれとお願いしたのです。今回、曲解の得意な方だということが判明しましたので、これからは眉に 唾つけて読みます。

>  斎藤氏の考え方は、名文を意味を日本語で
   理解したうえで、カタカナ発音でよく、英
   文構造(主語、述語、修飾語など)をはっ
   きり理解しながら、何度も、読むというこ
   とにあるとおもいます。

 ここには曲解は含まれていないと私は読みます。で、斎藤の考えは英語に関しては駄目だと思います。理由は、ここ一日ほどの間に書いた私の文にすでに書い てありますので、繰り返しません。

>  この本は、CDがついており、すべての英文にカタカナのルビがつけられており、
   和訳はあり、英文構造を青のラインや赤色のラインであらわし、
   スラッシュやカッコをつかい、リエゾン箇所などを明記しています。
   素うどんではなく、鍋焼きうどんのようなテキストです。

 英語の方にまでしゃしゃり出てこないでいれば、斎藤も化けの皮が剥がれずに済んだものをと思います。鍋焼きうどんと言ってもいいでしょうが、ゲテモノと いうのが正確だと思います。

>  くどいようですが、意味を和訳で先渡しするのは、わたしは素読でなく、
   音読とおもっています。
   素読「的」ともいえません。
   どうしても素読というコトバをつかいたければ、素読もどきでしょう。

 くどいようですが、「和訳先渡し」をしたら素読でなくなるというのでしたら、素読でなくて結構です。何も素読に義理はないと言っているではないですか。 しかし、私は素読そのものもやるのです。素読の原理を押さえて、素読そのものもやるのです。そういうことをやる人間が、英語を扱って「素読を原理とする」 と言っているのです。それでも、素読「的」ともいえません、と断定する根拠をはっきり示すがいい。これをやらないなら、あなたのもの言いに何の根拠もない ことになる。言葉というものをなめるんじゃねえ。
 「素読もどき」で結構。あんたの物言いは「言論もどき」なだけじゃねえか。
 馬鹿らしくなってきた。っていうか、最初からこれだけ言葉を費やすのは馬鹿らしいとは思っていたが、「和訳先渡し」をきっかけとして「意味」が個の意識 に発生するように、馬鹿らしさをきっかけとして、馬鹿らしさが一段と深まり、意味となってきた。



【8317】
【タイトル】ミッフィーさん、Naima さん
【 日時 】04/01/11 2:08
【 発言者 】根石吉久

また疲れてしまいました。せっかく書いていただいたのに、コメントが遅れます。ごめんなさい。

お二人にはいい記事を書いていただきました。ありがとうございました。ひとまずお礼だけ申し
ます。



【8318】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】04/01/11 2:24
【 発言者 】根石吉久

>  意味がわからなくても、何度も読む。
   あるいは、筆写する。
   この一見、非合理的な作業に、わたしは、意義があるとおもうので、
   こうやって、何度も投稿しているのです。

 意味がわからなくても、何度も読めと日本語の磁場で日本語を扱う時は、私はいつでも言っています。
 英語はそれじゃ駄目なのです。それじゃ駄目だということがわからなければわからないで結構だが、

>この一見、非合理的な作業に、わたしは、意義があるとおもうので、

 という時、どういう意義があると思うのか、ちゃんとした日本語で書いて下さい。
 それができなければ、「それじゃ駄目」なのだ。
 何度も投稿してくださらなくても結構だから、どういう意義があるのかを、書けるものなら明確に書いてみるがいい。そこに踏み込まないで、何が言えたつも りなのか。



【8320】
【タイトル】パクパクさんへ<素読と音読について
【 日時 】04/01/11 2:39
【 発言者 】いくこ

>くどいようですが、意味を和訳で先渡しするのは、わたしは素読でなく、
音読とおもっています。

これもくどいようですが、私見を語らせてください。
音読と素読を考えてみた場合に、概念としては、音読の方が広いのではないでしょうか。素読は、そのうちの一つの要素と考えた方が、自然だと思います。
音読は、そのフレーズに訳・意味・考え・イデアなどを伴うかどうかは、問いません。フレーズが音として発せられていれば、それは音読であるといえます。
この音読のうち、もちろんフレーズを音として発し、かつ「訳」を先渡ししたものを、素読舎では「素読」と呼んでいます。

ここで、あえて「意味を和訳で先渡しする」とせず、単に「訳を先渡しする」とするのには理由がありますが、まず音読と素読を繰り返し読みした結果として何 が起こるかを考えたいと思います。

音読は、広い概念です。音読を繰り返せば、音の体得を実現します。つまり、フレーズの「丸暗記」をすることに役立ちますし、あわよくばフレーズのもつ意味 を捉えることができます。
この音読の繰り返しのうち、「フレーズの意味を捉えることができる」を担っているのが、素読の繰り返し(回転読み)にあたります。

ここでもう一度、先ほど「意味を和訳で先渡しする」とせず「訳を先渡しする」したことを説明します。
素読では、音読を始める前に「訳」を先渡しします。しかし、音読者にとっては、最初記号として「訳」を与えられただけのように感じられることでしょう。
しかし、まず「もともと体の中にないフレーズ(異物)」を身体に取り込むという困難な行為を先に片付け、身体の中に新しい受け皿を作れば、「訳」を内在化 し「意味」を受け皿に結びつけることが可能になります。逆に、受け皿ができていなければ、訳を内在化することができないといえます。
また、あくまでも「意味を先渡し」するのでなく「訳を先渡し」するというのは、訳を意味として捉えるのは、音読者本人の内部で行われることだからです。こ れは、音読者が自身の内部で能動的に行わなければなりません。外部から意味を先渡しすることは、できないということです。
その上で、音としてのフレーズが筋肉の動きを伴って音読者の内部に受け皿として作られていることは、脳だけで意味を考えて体得するという必要以上の苦労か ら助けてくれます。

>素読「的」ともいえません。
どうしても素読というコトバをつかいたければ、素読もどきでしょう。

先の考え方を展開してみて、いよいよ素読「的」、あるいは「素読もどき」という意味がわかりません。

>意味がわからなくても、何度も読む。
あるいは、筆写する。
この一見、非合理的な作業に、わたしは、意義があるとおもうので、
こうやって、何度も投稿しているのです。

素読は、「この一見、非合理的な作業」を否定しているわけでなく、むしろ「意義がある」としています。それが、回転読みであり回転書きであることは、何度 も大風呂敷では取り上げられているように思いますが、何度も投稿してらして気づかないとは、不思議なことです。



【8321】
【タイトル】補足:理解不足であった点
【 日時 】04/01/11 3:00
【 発言者 】いくこ

>意味がわからなくても、

手放しで、「意味がわからなくてもいい」を肯定してしまった点で、自分はまだまだ分かってないなと、思いました。
回転読みや回転書きを、その程度のものだとたかをくくってしまっていたと反省。
自分には実践がまだまだ足りない、自覚的でないことを感じました。



【8322】
【タイトル】どちらが、曲解?
【 日時 】04/01/11 8:27
【 発言者 】パクパク

素読でないものを、素読「的」とよぶことほど、
わたしは、曲解する人ではありません。

> 素読は、棒読み、丸暗記、繰り返しのところが
   斎藤孝氏らによれば、非科学的とされ、意味を
   先にあたえて読ませるのが、音読とされています。

 この文を書かれている通りに読めば、斎藤によって音読は素読と対立させてとらえられており、斎藤は音読を提唱し、素読を否定したがっているかのように読 めます。

 斎藤氏は、素読を否定しています。
 それは、意味のないものを、構造のわからないものを、繰り返すことを
 否定しているからです。


>  音読こそ王道 P38
   英語は素読したっていいじゃないか P47

 これらの正確な引用わずか2行によってでも、斎藤が音読と素読を対立させてとらえてなどいないことがわかります。パクパクさんは曲解が上手なのです。 困ったものです。

 これは、斎藤氏が、素読と音読をぐちゃぐちゃにとらえているからでしょう。



【8323】
【タイトル】いくこさん
【 日時 】04/01/11 10:44
【 発言者 】sb

>音読者が自身の内部で能動的に行わなければなりません。外部から意味を先渡しすることは、できないということです。

これはいくこさんの文章からの引用です。人が声を出していれば、その人は音読をやっている。
人が声を出していない(出していないような)場合、その人は黙読をやっている。他人からみれば声を出しているか、声を出していないか。。。それが、音読と 黙読の違いだということになると思います。

一方、素読は「本人のなかでのイメージ構築(≒意味や概念)」はとりあえず棚に上げて、「だだ読んでみる」ということだと思います。そのように素読をやっ ている人を端からみても、その人は音読をしているのか(ただ声を出しているのか)、素読をしているのか(イメージを自分の中に構築しようとしているの か)、まったく分かりません。

いくこさんも言っておられるように、イメージは本人で時間をかけてじっくりとじっくりと構築していくしかないのだとうことです。ただ、その際、「和訳」は 役に立つということです。「意味概念」は渡せずとも、「和訳そのもの」は、ざっくり意味を捉えるのには多少なりとも役に立つということだと思います。

そのようにして本人の中で意味概念を和訳をあくまでも参考にしながら、「構造を考え」「意味を考え」「じっくりじっくり」英語を煮込んでいく。その中で 「声」は速くなったり、わざと遅くなったり、「声」は大きくなったり、小さくなったりする。声がたいへん小さくなった時、subvocalization 状態になったり、黙読状態になったりすることがあると思います。それは、意味の難易度、構造の難易度によると思います。また、自分の興味の度合いにも大き く関係すると思います。またそのジャンルの文章を読みなれているかどうか、そのジャンルの背景知識があるかどうかということも大きく関係していると思いま す。

浜谷さんら優秀な方たちが多読を入り口にされているのも素読ではないかと時々書いてきました。そういうやり方があっている人優秀な人もいらっしゃるので、 その方たちの否定をすることにもあまり意味はないなあと思ったのです。ただ、そこに至るまでに、根石さんらのやり方をなんからの形で通っている部分は多少 なりともあるとは思いますが。。。



【8324】
【タイトル】英語を素読したっていいじゃないか
【 日時 】04/01/11 11:40
【 発言者 】sb

@音声=意味=文字・・・意味が中心(素読的?なのかよくわかりませんが。。。)
A意味=音声=文字(=意味)・・・音声が中心(音読的?なのか。。。)

Aの最後の2つの「文字→意味」のプロセスは表意文字に特有なものと考えます。

学習者が興味を持って取り組むために「意味(イメージ)」を」先立てることがとても大切だと最近学んだ。意味→音声。このネットワークは言語学習の基本 で、音声→文字へうつる橋渡しの役割を「音声」が担っている。表意文字の場合はさらに、「文字→意味」が加わり、視覚言語的役割が強くなり、より理解が早 くなる。ところが英語の場合、アルファベット事体は表音文字なので「意味→音声→文字で理解がとまりがちである。ところが接頭辞・語幹・接尾辞になると、 アルファベットをグルーピングしたものを表意文字「的」にとらえてみると、「文字→意味」の色彩が濃くなる。だから、「音声」を中心に据える「音読」も大 切だとは思うが、「意味」に回帰していく、「素読」の意義は大きく、斎藤氏がいっている「英語は素読したっていいじゃないか」という表現はより現実的なも のとなると感じた。

日本語では漢字が表意文字でひらがなカタカナが表音文字ということになると思いますが、
英語では接頭辞・語幹・接尾辞の意味のまとまりは表意文字という風に考えることができます。



【8325】
【タイトル】意味が中心なのか、音声が中心なのか
【 日時 】04/01/11 12:35
【 発言者 】sb

@音声=意味=文字・・・意味が中心→音声と文字の間を往復することで意味が深まっていく
A意味=音声=文字・・・音声が中心→意味と文字の間を往復することで音声が深まっていく?

Aは音声に無意識になる危険があります。今までの日本の英語学習はAを採用してきたので、良くも悪くも音声に無意識だったのではないでしょうか?それにも かかわらず、現在の流れが@よりAになりつつあるのは、言語の本質から逆行しているようにも思えます。

対して@は意味に無意識になる危険があります。しかし、意味に無意識的になる人間は非常に少ないということを根石さんから聞いたことがあります。実際言葉 は手段であり、人間は思考する動物です。そこで音声と文字をただひたすら往復するだけでよい。つまり回転読み回転書きです。一見、意味(イメージ)にたい へん無意識的になりそうです。しかし、最初は和訳を通してでも、音声と文字の間にあるイメージ(意味)が「和訳→イメージ→単語の意味→イメージ→文法構 造→イメージ→イデアなどの経路」と自然に移動していきます。その経路は各個人ごとに違ってもいつかは言語を獲得できます。やり続けることが大切だという こと、とにかく繰り返し繰り返し読んだり書いたりすることで、その人の繰り返す度合いに応じて獲得言語の意味を獲得していくのだと思います。



【8326】
【タイトル】音読ボランティアの尊敬している人に今から会いに行きます
【 日時 】04/01/11 12:52
【 発言者 】sb

@音声=意味=文字・・・意味が中心→音声と文字の間を往復することで意味が深まっていく
A意味=音声=文字・・・音声が中心→意味と文字の間を往復することで音声が深まっていく?

@は素読派(実用派、情報開示派、1対1の指導がどうしても基本になる)
Aは音読派(理論派、情報閉塞派、1対多の指導が可能になるが、言語の本質からはどうしても離れてしまう)



【8327】
【タイトル】あなたが曲解
【 日時 】04/01/11 14:56
【 発言者 】根石吉久

>  素読でないものを、素読「的」とよぶことほど、
   わたしは、曲解する人ではありません。

 相変わらず「読めない」。これは次のように書くべきです。

◆素読でないものを、素読「的」と呼ぶほど、私は曲解する人ではありません。

 あるいは、

◆素読でないものを、素読「的」と呼ぶことほど、危険なものはありません。

 「〜する<こと>ほど、私は〜ではない」では日本語にならない。
 つまり、自分で自分の文章を「曲解」している。こんな文脈で「こと」は使えません。人の文を曲解する前に、自分で自分の文を曲解してしまうようなこと で、いったい何ができると思っているのでしょうか。こんなことで人の手をわずらわせないでいただきたい。

 掲示板に書くのであれば、自分で自分の文章を曲解するレベルを早く脱していただきたい。

 さて、「読める」文に直した上で、反論しなくちゃならんのか。

 素読でないものだから、素読「的」と呼ぶのです。素読そのものであれば、単に素読と呼べばいいのです。
 素読そのものではないが、原理的に素読と同じものが働いているとか、素読がもたらす効果と同じものをもたらしうるものをさして、素読「的」なものだと言 うのです。

 素読であるものを、素読「的」ということも間違いです。
 素読でないものを、素読「的」と呼ばないのも間違いです。
 素読でないが、素読と関係があるから、素読「的」なのです。
 「的」という日本語がわからないのでしょうか。

 パクパクさんの最大の問題は日本語です。英語どころの話か。
 もう一度、自分の文をよく眺めてください。

>  素読でないものを、素読「的」とよぶことほど、
   わたしは、曲解する人ではありません。

 いいんですか、ほんとうに。こんなことで。



【8328】
【タイトル】sb さん
【 日時 】04/01/11 15:07
【 発言者 】根石吉久

あなたは最初に自分でものごとを図式化する癖があります。自分ではよくわかっている図式なの
でしょうが、お他人様にはわからない。絶えず、他人にわかる文を書くようにこころがけていた
だきたいです。



【8330】
【タイトル】いくこへ
【 日時 】04/01/11 15:16
【 発言者 】根石吉久

面白く読みました。「意味」というものを、通貨のようにやりとりに使えるものと考えるのか、
(社会的には閉じられた点としての)個の意識に生まれていまだいかなる形でも翻訳されてい
ない(言語化されていない)ものととらえるかによって、「意味」という言葉の意味ががらり
と変わるということだと思います。

 (死んだ)言語を通じて、いまだ言葉にならない源基としての「意味」にたどりつくのが、
語学です。そこにたどりつくからこそ、具体的な個々の単語にイメージの「核」が備わる。
 人は「英会話」などと気軽に言っているが、個々の語に「イメージの核」が備わらないか
ぎり、しゃべることなどできはしない。ここのところを、英会話回りのうぞうむぞうの講釈
士たちは誰も語りませんね。



【8331】
【タイトル】sb さん、感謝
【 日時 】04/01/11 15:51
【 発言者 】根石吉久

>そのようにして本人の中で意味概念を和訳をあくまでも参考にしながら、「構造を考え」「意味を考え」「じっくりじっくり」英語を煮込んでいく。その中で 「声」は速くなったり、わざと遅くなったり、「声」は大きくなったり、小さくなったりする。声がたいへん小さくなった時、subvocalization 状態になったり、黙読状態になったりすることがあると思います。それは、意味の難易度、構造の難易度によると思います。

 ここのところを、私は読みの「スピードの自在さ」と言ってきました。型にはまった「回転読み」などを考案したのも、この「自在さ」を手に入れるためで す。
 さらに「スピードの自在さ」を手に入れてから、シャドウイングを導入するならすべきだと、シャドウイングの導入時期とからめて考えています。

 シャドウイングというものは、複製音声のスピードに自分の意識を従わせる。意識のスピードが、外的スピードの奴隷になってしまう。だから、シャドウイン グを初心者にやらせるべきではないと考えています。「スピードの自在さ」が確立すれば、速い音も自分の口から繰り出せる(いわゆる「英語口」ができてい る)から、耳も動く。この順序を踏まえないと、神経症じみた英語病が発生します。
 高校の英語の先生をしておられる生徒さんが、TOEIC 受験用の教材(CD)を使って練習を始めたら、どもるようになったと言われたことがあります。確かにレッスン中に、軽いどもりが混ざるようになっていまし た。私はこの方にも、sbさんに言ったのと同じように、「わざと意識的にゆっくり読んで、意味と音を合体させてください」とアドバイスしました。現在で は、どもりは解消しています。
 この方は、初心者ではありません。受験校の高校の3年生に授業をしている方で、読解力は高い方です。こういう方でも、意識のスピードが外的スピードの奴 隷となると、神経症に類する症状を呈するのです。

 「スピードの自在さ」を考えるとき、いつも脳裏に浮かぶのは國弘正雄の「只管朗読」です。独学法としては、これはきわめつけと言っていいと思いますが、 千田潤一と組んで、「只管朗読」をシャドウイングと結びつけた本を作り、初心者向けとしてしまいました。

 先日、國弘さんにお会いして、初心者向けの教材としては、「只管朗読」と組み合わせるべきなのは、柴田武史さんの「音作り」であり、千田のシャドウイン グなんかじゃないだろうと注文をつけたのも、「スピードの自在さ」を確立した上でシャドウイングをやらないと、複製物の複製(奴隷)の誕生になるから、と いう意味合いでした。



【8333】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】04/01/17 0:43
【 発言者 】根石吉久

回転読み 投稿者:Naima  投稿日: 1月12日(月)02時53分11秒

Rosey,

やればやるほど、外国語の自学自習にはこれしかないやろ〜、と思う。

何年も前、立花隆が武光徹のあるエピソードを話ながら、涙にむせんだ事があるねんけど、その話を思い出してる。

武光徹は、貧しくてピアノを買う事が出来なかったので紙に鍵盤の絵を書いて、弾く真似をしていたんやて。 ある時、結核(だったか、肺炎だったか)を患っ て、余命いくばくもないと医者からいわれた。 ある日、トボトボと道を歩いていると、近くの家からピアノの音が流れて来たので、せめて死ぬ前に本物のピア ノに触れてみたいと思ってたそうな。 矢も楯もたまらず、その家の戸を叩いて、事情を話し、ピアノを弾かせてもらった所、立派に弾けたんやて。 それをい いつつ、あの雷様だか鬼瓦だかの様な顔をした立花隆が、涙を堪えて絶句した。 あたしだって、もらい泣きしてしまった。

演奏家や作曲家の同じ様なエピソードを良く聞くから、ほんとにそうなんやろ、と思う。 



【8334】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】04/01/17 0:45
【 発言者 】根石吉久

「作った音は壊さない様に、大切にして」 投稿者:Naima  投稿日: 1月12日(月)03時19分8秒

回転させないといけない、って事が、先週、やっと理解出来た。

タイムリーディングのクラスでは、パラグラフ毎に音読させられるから、発音とかイントネーションとかアクセントとか意味の切れ目とか、ちゃんと予習するよ ね。 せん? 自分の番になると、それらを壊さない様に「意識」しながら読むから、自分でも「結構ええ音作ってるやないか、これも回転読みの成果やな〜」 などとほくそ笑んでたけれど、先週のライティングクラスで、自分の英語にハッとした。 たった1時間の昼休みを挟んだだけやのに、「何じゃ、こりゃ〜!」 と松田優作が腹を撃たれた時の様な気分。 信じられない。

なんちゅう、グズグズのええ加減な音でしゃべっておった事か。 意識すればいい音が出る、なんてのはまだまだ修行が足りん。 ちゃんとした音が無意識に出 て来ないといけない。 その音は豪速で回転させても崩れない様にならないといけない。 

今、ピアノで3連音符が均等にきれいに弾けなくて四苦八苦してるとこ。 寺井師匠が、「なめらか〜に、あたかも円を描いて回転する様な粒揃いの音が出るま で、練習せなあかん。 最初はゆ〜くり均等になる様に徹底的に練習、それが出来るようになったら速度を速めて行くんや。 それが出来へんのに先を焦ったら あかん。」と言うてはった。

B型丑年のおおざっぱさが災いして、ついつい「ま、いいか〜、今日はこれくらいにしといたら〜」と見切ってしまってたんやけど、今年からはちゃんとやる わ。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/pillbug-twins/



【8335】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】04/01/17 0:46
【 発言者 】根石吉久

回転 投稿者:Rosey  投稿日: 1月15日(木)12時49分24秒

おっしょはん

>やればやるほど、外国語の自学自習にはこれしかないやろ〜、と思う。

全く同感。ほんとに、巷のわけのわからん英会話学校に行く人の気が知れんな?まだ、回転をしたからといって著しい進歩を実感しているわけではない。回転を 始める前は、同じ文章を10回音読するということさへ、というより、そう聞いただけで「ああ、しんど」と反応するのみだった。

1年強続けて、音読が楽になり、ちょい楽しくなった。それと、英語の語順そのままで理解する習慣がつきつつあるのじゃないかと思う。

「文法1000」と「ぜったい音読挑戦編」はすでに回転したものを引き続きやってるのだけど、ま、これがものの見事に忘却のかなたにすっとんでる。とく に、単文の「1000」にそれが、顕著だわさ。「挑戦編」は筋があるので、「ああ、やったな」という認識はある。いずれも、初見よりはまし程度か・・ぐぐ ぐ。

でもさ、今年も引き続きやるとして、そのあと間をおくとまた、忘却の彼方にいってしまうのやろか?いつまで、やり続けないといけないのやろと思うと不安に なる。脳裏にきちんと残る絶対音読回数ってどないなものなんやろ?そりゃ、なまやさしい回数やおまへんな?そや、まだ回数が足りんねん。

回転をするということは、仮想磁場を構築することやないかって気がするな。圭南先生の「Three Liners]でよく、and とbut を取り違え る。わからんなあと思いつつも、何回も音読していくと、納得がいくようになる。というか、うまく言えないけど、頭で「こういうときは、こう」と割り切るの ではなくて、じわじわと脳が自然に(自然にというのは、誇張かな?)受け入れていく感じ。

回転は教材を一つに絞って、密度を濃くするほうがいいのかなと思いつつ、「これも、あれもやりたい」でてんこ盛りになった。それもいいんやないかって思 う。それぞれの教材がからんで、同じような表現が出てきたりすると、「出た〜」と感歎の叫びを発するわたし。

おっしょはんの労作の「1000」ね?おかげさまで、疑問なしに音読できるざんすよ。できんくせに、えらそうに自分で「??」と思うような文章に出会う と、「音読して大丈夫かいな」とびびってたけど、その心配がなくなった。それと、語数順ってことで、文法事項があちこちに飛ぶので、やりにくいかなと思っ てたけど、何回も文法を確認できていい。

「ぜったい音読入門編」も、子分を従えてやってるよ。「わたしで直せる音だけ直す。LとRは私自身、気をつければ音が出てるらしい。でも、わたしゃ聞いて もわからんから、音の出し方だけ言うから、みんな、気をつけてや!」と無茶苦茶を言ってきたわ。B型1名、あれが一番続くか疑問だわ。おっしょもB,ごめ んごめん。

えらい長くなりました。



【8339】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】04/01/17 1:12
【 発言者 】根石吉久

回転 投稿者:Rosey  投稿日: 1月15日(木)12時49分24秒

おっしょはん

>やればやるほど、外国語の自学自習にはこれしかないやろ〜、と思う。

全く同感。ほんとに、巷のわけのわからん英会話学校に行く人の気が知れんな?まだ、回転をしたからといって著しい進歩を実感しているわけではない。回転を 始める前は、同じ文章を10回音読するということさへ、というより、そう聞いただけで「ああ、しんど」と反応するのみだった。

1年強続けて、音読が楽になり、ちょい楽しくなった。それと、英語の語順そのままで理解する習慣がつきつつあるのじゃないかと思う。

「文法1000」と「ぜったい音読挑戦編」はすでに回転したものを引き続きやってるのだけど、ま、これがものの見事に忘却のかなたにすっとんでる。とく に、単文の「1000」にそれが、顕著だわさ。「挑戦編」は筋があるので、「ああ、やったな」という認識はある。いずれも、初見よりはまし程度か・・ぐぐ ぐ。

でもさ、今年も引き続きやるとして、そのあと間をおくとまた、忘却の彼方にいってしまうのやろか?いつまで、やり続けないといけないのやろと思うと不安に なる。脳裏にきちんと残る絶対音読回数ってどないなものなんやろ?そりゃ、なまやさしい回数やおまへんな?そや、まだ回数が足りんねん。

回転をするということは、仮想磁場を構築することやないかって気がするな。圭南先生の「Three Liners]でよく、and とbut を取り違え る。わからんなあと思いつつも、何回も音読していくと、納得がいくようになる。というか、うまく言えないけど、頭で「こういうときは、こう」と割り切るの ではなくて、じわじわと脳が自然に(自然にというのは、誇張かな?)受け入れていく感じ。

回転は教材を一つに絞って、密度を濃くするほうがいいのかなと思いつつ、「これも、あれもやりたい」でてんこ盛りになった。それもいいんやないかって思 う。それぞれの教材がからんで、同じような表現が出てきたりすると、「出た〜」と感歎の叫びを発するわたし。

おっしょはんの労作の「1000」ね?おかげさまで、疑問なしに音読できるざんすよ。できんくせに、えらそうに自分で「??」と思うような文章に出会う と、「音読して大丈夫かいな」とびびってたけど、その心配がなくなった。それと、語数順ってことで、文法事項があちこちに飛ぶので、やりにくいかなと思っ てたけど、何回も文法を確認できていい。

「ぜったい音読入門編」も、子分を従えてやってるよ。「わたしで直せる音だけ直す。LとRは私自身、気をつければ音が出てるらしい。でも、わたしゃ聞いて もわからんから、音の出し方だけ言うから、みんな、気をつけてや!」と無茶苦茶を言ってきたわ。B型1名、あれが一番続くか疑問だわ。おっしょもB,ごめ んごめん。

えらい長くなりました。



【8340】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】04/01/17 1:14
【 発言者 】根石吉久

つづき 投稿者:Naima  投稿日: 1月16日(金)01時26分14秒

今夜、高槻のいっちゃんに会って来た。 中年になってから某一流私大に社会人入学し、成績優秀なので奨学金をもらって学業を続けた。 その後、某有名私大 の大学院に入学。 今年は超一流大学大学院に留学が決まった。 子連れ留学。 専攻は政治学で英語教授法とか英米文学ではない。 
 
生活の為に某時事英語の講師を長年やってたんやけど、この人はあれやこれやと手を広げる人ではない。 手を広げている暇があったためしがない。もちろん教 室においてあるタイムを休憩時間に読む程度の事はするけれど、多読や多聴、速読などには手をつけた事がない。 けど英語力は私の知っている上級者と言われ る人達をはるかに抜いている。

「何故そんなに英語が出来るのか」と聞いたら、生徒の教材を生徒の立場にたって隅から隅まで丹念にやって来た事しか、思い当たらないと言ってた。 サイマ ルで一緒のクラスだった時も、宿題以外の余計な事は一つもしていなかったと記憶してる。そのかわり予習復習は綿密やったと覚えている。 女手ひとつで2人 の子供をかかえてるから、そんな暇などなかったん。 その頃は「高卒やし海外に行った事もない」と言って、留学経験者がいっぱいいる学校で小さくなって た。 にも係わらず、卒業時には、留学経験者や帰国子女を押さえて堂々のトップの成績やった。 他人事やけど、やけに小気味よいかった。

彼女が激しい音読をやったと言う気配はないけれど、10年以上も一つの教材をじっくり腰をすえて骨の髄まで食い尽くすって事は、繰返しの連続やったわけで もあるよね。 語法や語彙の用法が身に染み付くって事やないやろかな...

と言うわけで、勇気凛々、元気もらって帰って来ました。 



【8344】
【タイトル】I 村さん
【 日時 】04/01/20 13:53
【 発言者 】根石吉久

 先日のレッスンの時、10+10+10のすべてを50回〜100回の回転読みで練習している人がいるのですか、と私におたずねになりましたが、ミッ フィーさんもそれをやられているのではないらしく思われます。実際問題として、勤めを持っている人がそれをやるのは、ほぼ不可能に近いとも思います。やれ ばなまじな時間ではないですから。
 練習していて、口の動きにひっかかりがあるようなところだけを集中してやるというのでいいと思います。あるいは、ミッフィーさんのように、「最新部分に 貼り付いた10」を集中してやるというやり方もいいやり方だと思います。
 私のレッスンは、時間をかけて國弘の言う500回・1000回を実現してしまおうというものです。これなら、勤めを持っている方でもやれます。

 大学生などで、十分に時間がある人には、全復習範囲にわたって、50〜100回の回転を是非奨めたいです。これをやれば、比較的短時間に確実に成果は現 れてくるだろうと思います。心当たりがありましたら、まともに英語をやる気のある大学生をご紹介下さい。

 そういう練習をしておいて、テキスト一冊片づけたあたりで、少なくとも一年ほどは英語圏で暮らして、人々と交わってきて欲しい。「磁場」においても、帰 国後も、テキスト一冊に錆を寄せないことを継続して欲しい。

 そんなふうに若い人たちに期待しています。

 勤めをお持ちの方は、もう少しゆっくりと進められるので結構です。



【8345】
【タイトル】メール転写
【 日時 】04/01/20 13:59
【 発言者 】根石吉久

 メールで失礼します。

 ていねいなお手紙をありがとうございます。
 「英語どんでんがえしのやっつけ方」を昨日お送りしました。ご感
想を「大風呂敷」の方に書いていただけたら幸いです。

http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs

 学校英語のていたらくを作ってしまったのは、文部省の責任であり、
個々の先生の責任ではありませんが、文部省指導下のテストに間に合
わせるだけの授業から抜け出そうとしないことは個々の先生の責任で
あると考えています。Aさんのように悩んでおられる方は実はたくさ
んおられるのだと思っておりますが、学校の先生達はみなさん閉じて
おられるらしく、なかなか「大風呂敷」に書いてくださいません。そ
の意味では、Aさんから連絡いただいたことをとてもうれしく思って
います。

 柴田武史さんの授業は、現在の学校における最高峰を示していると
思いますが、柴田さん自身が管理職の人たちと闘って勝ち取った授業
です。また、柴田さんの職場が、私立の学校であり、中学入試を経た
成績優秀な生徒ばかりを集めた学校であるという点も見逃せないと思
っています。一般の公立の中学・高校で、柴田さんと同じことをやろ
うとしたら、柴田さんよりもはるかに困難な闘いになるだろうと思い
ます。柴田さんは最高峰を示されましたが、その方法を無媒介に現在
の公立の中学・高校に当てはめるには非常な困難があると私は見てい
ます。
 私は、公立の中学・高校の先生たちには、「5分間音づくり」を提
唱しています。5分でも10分でも構わないのですが、5〜10分を
「音づくり」に使ったらどうかという提唱です。訳読式をやめ、教科
書ガイドを生徒に買わせれば、説明や訳読に使っている時間を「音読」
に使うことはできるはずです。(ただし、「音づくり」をするための
技術を持つ必要があります。)
 また、「音づくり」とはいうものの、これでインプットを兼ねてし
まえば、受験校の授業でも十分に使えるだろうとも思っています。
 「5分間音づくり」は、ミッフィーさんのお名前で書かれているS
県の高校の先生に宛てて、現在「大風呂敷」でお奨めしているのです
が、Aさんにも是非試してみていただきたいと願っています。
 ミッフィーさんは、公立の進学校の高校三年生を受け持っておられ、
今この時期に「5分間音づくり」に着手することはできないが、四月
からやってみたいとおっしゃっています。私が提唱する「5分間音づ
くり」をそのままやられるのか、独自に方法を工夫なさるのかはわか
りませんが、とにかく「音づくり」に着手されるとのことです。
 ミッフィーさんと私との掲示板のやりとりに是非、Aさんも参加し
て下さるようにお願い致します。私の方法が確かに成果をもたらすも
のであるなら、もっと多くの学校の先生が掲示板に参加してくれるも
のと思っています。私の「音づくり」の方法を試していただいて、
「大風呂敷」にご報告をいただきたいと願っています。
 それをしていただけば、日本の学校英語を変える大きなきっかけを
提供していただくことになると考えています。実際は少しずつじわじ
わとやっていくしかありませんが。



【8346】
【タイトル】メール転写
【 日時 】04/01/20 14:00
【 発言者 】根石吉久

A様(2)

 「音読による音づくり=文まるごとのインプット」という点は私と
柴田さんとでまったく共通しています。
 「音」の扱いだけに限定すれば、柴田さんと私の方法にはいくつか
の共通点と相違点があります。私は、「音づくり」をする場合に触れ
るべきポイントは少ないほどいいという考えです。それでも、15〜
20程度のポイント数にはなってしまいますが、それだけのポイント
を徹底的にやれば、日本人の英語は使えるレベルの音を確保できると
思っています。私自身もこれだけのわずかなポイントだけを守って自
分の音を作ってきたにすぎません。
 私の自慢は、生徒の方が私よりも発音が上手になってしまうことな
ので、「私の生徒は私よりも発音がよくて・・・」と言うと人々は笑
います。しかし、これは実際にそうなのです。私の提唱する15〜2
0程度の発音のポイントをきっちり確保してから、CD教材などの複
製音声を媒介にすれば、生徒は私より発音がよくなってしまいます。
私はCD教材などをほとんど媒介にしませんので・・・。

 最初から複製音声をあてがい、さて「この通りに真似しろ」では駄
目なのです。これだと、英語フリークなどの一部の生徒以外には音が
できません。特に私が「ア系列」と呼んでいる音に関しては、コーチ
による「音づくり」は必須だと思います。
 その意味で、できることなら、私の「電話でレッスン」も是非ご検
討願いたいものだと思っておりますが、現在、レッスン枠が埋まって
おりますので、新しい生徒さんが現れた場合は、掲示板に Naima さん
のお名前で書かれている方に、生徒さんを預かってもらってレッスン
していただくことになっています。Naima さん自身も私の生徒さんで
すが、私の提唱している「回転読み」をドイツ在住の間にドイツ語で
試してくださって、その効果を実証してくださった方です。英語の方
では、ドイツに渡る前に英会話学校の講師などをなさっていた方で、
非常に熱心な練習をなさいます。私の生徒さんになってくださるより
もずっと前に英検1級をおとりになったのですが、なおも研鑽を続け
ておられます。
 この方に、生徒さんをお預けして、私の方に空き枠ができましたら、
私の生徒さんとして戻ってきていただくということで、現在はやって
おります。
 是非、「電話でレッスン」の方もご検討下さい。「音づくり」をや
る場合に、生徒に指示する「手短な決まり文句」というものを、オリ
ジナルに作ってきており、これを学校の先生が生徒さんになってくれ
た場合に習っていただいています。これは、そのまますぐに学校の教
室での「音づくり」に使っていただけるものです。
 これまでに文書の形にまとめたものはありますが、再度書き直して
改訂する予定でおります。分量的にはわずかな文書ですので、書き直
したら「大風呂敷」に掲載いたします。

 では、「大風呂敷」でお待ちいたしております。

根石吉久



【8347】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】04/01/20 21:54
【 発言者 】I村

 初めまして。I村と申します。
 根石さんが、先日のレッスン時の質問について投稿されておりますので、
私も少し投稿させて頂きます。

 私のテストは現在10+10+10で、復習範囲は20〜30pといった
ところです。それで、実際どれくらい回転しているのかというと、

1 新しく習ったところを100回
2 言いにくいと感じたところを数十回
3 問題ないところは10回

 これを1週間かけてやりますと、1日の練習時間はだいたい1時間程度と
いったところでしょうか。私にとっては無理のない時間です。もちろん、
根石さんがおっしゃるように「復習範囲も50〜100回」ができれば
一番なのでしょうが、そうするととても1時間の練習ではおいつきません。
やってやれないことはないのですが、「少しずつでも毎日継続」を心がけて
おりますので、しばらくはこのままのやり方でやろうと考えております。



【8348】
【タイトル】リスニング
【 日時 】04/01/21 10:42
【 発言者 】Jackie

大学入試のリスニング重視。
またコミュニケーションか。
ちゃんちゃらおかしい。
今の学校の授業ではすっぺらな聞き取り力しか養成できないと思う。
(中学のオープンハウスでの授業見学で感じました。)
音作りやそれを基礎にした音読すら行われていないのに
どうやってリスニングの力をつけるのだろう?

高校ではリスニングの授業がどのようにおこなわれているのだろう?
現役の先生 学校でのリスニングの養成、どのようにおこなっているのですか?
どのくらいの時間をさいているのですか?
教えてください。



【8349】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】04/01/21 23:37
【 発言者 】根石吉久

こちらにはじめてお邪魔します 投稿者:ミッフィー  投稿日: 1月19日(月)05時12分12秒

根石さんの電話でレッスンを11月から受けている者です。「鬼」もちょくちょくのぞいておりましたが、Naimaさんのお友達「高槻のいっちゃん」さんの お話を読んで、こんな時間というのに書き込みをせずにいられなくなりました。公立高校で英語を教えています。仕事柄、海外留学経験者やえらく流暢に英語を 話せる人や聞き取れる人に会うことが多く、そのような人たちにコンプレックスを抱いていました。私の英語は(もし受験英語というカテゴリーがあるとすれ ば)ばりばりの受験英語、音は日本で育てたもので…。きちんと発音できるようになりたいという思いから電話でレッスンを受けるようになりました。学生時代 にフランスに行った時もふらりとブティックに入り、"What are you looking for?"とご丁寧に英語で聞いてくれたのに、"Just looking"が言えず、"あ、…あ〜いどんのぉ〜ぅ"しか言えなかった。大学4年の頃は就職難の嵐が吹き荒れる中、各種企業の就職試験や教員採用試験 を受け、ことごとく失敗し、しかし生活のためプータローも長くできず翌年ようやく採用試験に通りました。で、教員になって8年が過ぎようとしている今感じ ること。私の英語は確実に学生時代より上達している。電話でレッスンをする前やっていたことは,とにかく日々の授業の予習。(上は入試問題から下は高校一 年のNew Horizonレベル)どんなに簡単なテキストでも、予習をばちっとしていないと不安で仕方がないので一生懸命せざるを得なかった。自分があやふやな状態 で教えていると、必ず生徒にばれてしまうので。あとはteam teachingのためのALTとの打ち合わせ。JETプログラムの狙いは、本当は生徒にではなく、現職の英語教員に無理矢理でもネイティブスピーカーと しゃべらせて、ちょっとはやれよ、とハッパをかけるためのプログラムではないかとにらんでいる。育児休業を取っている間、2ヶ月TOEICの勉強をし、受 験したら学生時代よりスコアが80ほど伸びた。たぶん授業の予習やらの貯金があったからでしょう。先に書いたコンプレックスについては今はほとんど感じる ことはありません。なぜか。日本で英語を作った自分だからこそ、日本人に教えるのに向いているだろうという自信がでてきたから。もっとも根石さんとの話か ら、また電話でレッスンを受けてからのことですが。もはや私の電話でレッスンの狙いは発音のみならず、体に英語を染みこませることになっています。ここに 行き着くまで、街角の英会話学校やジ○○に金をつぎ込んできた。しかし自分の子供がいずれ英語を勉強したいと言い出したら、迷わず電話でレッスンを受けろ と言うだろう。



【8350】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】04/01/22 0:15
【 発言者 】根石吉久

>根石さんの電話でレッスンを11月から受けている者です。公立高校で英語を教えています。仕事柄、海外留学経験者やえらく流暢に英語を話せる人や聞き取 れる人に会うことが多く、そのような人たちにコンプレックスを抱いていました。(略)コンプレックスについては今はほとんど感じることはありません。なぜ か。日本で英語を作った自分だからこそ、日本人に教えるのに向いているだろうという自信がでてきたから。もっとも根石さんとの話から、また電話でレッスン を受けてからのことですが。

 ここのところをとてもうれしく思いながら読みました。
 私はこれまでに何度かここへ書きましたが、留学経験者や英語ネイティヴの人たちのほとんどが「音づくり」ができません。自分ではまともな英語の音を持っ ているが、日本人の生徒に対して「音づくり」ができないのなら、よく言って「宝の持ち腐れ」であり、悪く言えば「役立たず」です。
 また私の「磁場論」と「折り目論」によって考えれば、「えらく流暢に英語を話せる」能力は決して個人の手柄ではなく、「磁場」の手柄なのです。「磁場」 の手柄を自分の手柄のような顔をする人に会ったら、私は必ずそのことは言おうと思っています。

 たとえ周りと喧嘩していても、英語の「磁場」では、個人の英語のスキルは強化されます。
 たとえ周りと和気藹々であっても(そうであればあるほど)、日本語の「磁場」では、個人の英語のスキルはむしりとられます。

 余計なコンプレッスクと余計な鼻高々をご破算にするために、私の「磁場論」と「折り目」論は必要だと自負しています。

 日本で作った英語力は、「えらく流暢に」など英語が使えなくても、絶えず激しい逆流を遡った魚の筋力を持っているのです。英語の「磁場」で流れと一緒に 泳いでいたような魚とは魚が違うのです。決して、「流暢な」スキルなどを最高価値などにしてしまってはならないと思います。そのことを、学校の教室でも明 言して欲しいと願っています。
 もう余計なコンプレックスなど脱ぎ捨てるべき時は来ていると思います。
 しかし、いまでも余計なコンプレックスにとらわれている人は多くいます。
 日本の英語に「語学論」が欠けていたためです。

 私は「日本の英語」とは「語学論を備えた英語」のことだと確信しています。「語学論を備えた英語」とは、語学論から方法を抽き出せる英語のことです。
 この一点で、「日本の英語」は「磁場」の手柄による「流暢な英語」を超えます。
 私はときどき英会話学校の英語ネイティヴに、なぜあんたたちのやり方では日本人に英語の力がつかないのかという話をします。去年の塾の忘年会でもその話 をして、一人のアメリカ人が私の話に興味を示しました。私の方法を採用してみたいという場合は、このアメリカ人を弟子にしてやろうと思っています。
 「語学論」はスキルを超えます。少なくとも、英語教育にたずさわる人々はこの道(スキルを超える道)を確実にたどる必要があると思っています。
 スキルなどが宝なのではありません。スキルとともにどれだけのイメージが動くかどうかが肝心なのです。この意味では、語学は文学と同じように一種の人間 修行だとも思います。

 こう書いたからと言って、私は「磁場」仕込みの英語を否定するものではまったくありません。これからの若い人たちはどんどん「磁場」に渡ってほしいと 思っています。しかし、「磁場」に出会い、「磁場」と交わるための「準備」を整えることの意味を決して小さく見積もって欲しくありません。ここを小さく見 積もり、ただ単にうすっぺらなことをぺらぺらしゃべれるようになって帰ってくるような「流暢」は破り捨てたいと思っています。
 私のかつての塾生で、まったく流暢に英語をあやつる人がおりますが、私に向かってはあんたのお世話になった覚えはないというような顔をします。この顔を 破って捨ててやりたいと私は思っています。確かに「流暢」は、私が作ったものではない。それは英語の「磁場」が作ったものだ。(数年の在米の後に帰国した 人です。)しかし、その「流暢」に接続するまでの「準備」のために俺の方法がどう作用したのかを、しっかり計算した後でそのつらをしているのか、といつも 思うのです。
 「磁場」頼みの英語は破って捨ててやるだけの「語学論」は書いていきたいと思っています。



【8351】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】04/01/22 0:28
【 発言者 】根石吉久

 お久しぶりです。

>音作りやそれを基礎にした音読すら行われていないのに
 どうやってリスニングの力をつけるのだろう?

 まったくここがポイントだと思います。
 英語学習における「音読」という語は、ずいぶんと一般の人たちにもなじみができてきているとは思いますが、多くの「音読」からは、「音づくり」が欠け落 ちています。

 私は、「音読」という語を使わなくても、英語を攻める攻め方は言えるとすら思っています。

 「音づくり」=「インプット」

 です。ここにはミソがあり、「復習範囲を手放さない」ということが無視されるとうまくいきません。「復習範囲を手放さない」ことによって、こなれが生 じ、「音づくり」が完成したときは、インプットなどしようとしたつもりがないにも関わらず、「インプット」が成立してしまっています。
 「ゴースト」という映画のシナリオに対して施した「文法解析」の教材があります。まだ作成途中ですが、これは「復習範囲を手放さない」という原理によっ て作ってあります。いずれ公開する予定ですが、ひとまず Jackie さんに見ていただきたいと思っています。よろしければ、
ax9y-nis@asahi-net.or.jp まで空のメールをお送り下さい。「返信」に教材を載せてお送りします。



【8352】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】04/01/22 0:43
【 発言者 】根石吉久

ミッフィーさん、今晩わ! 投稿者:Naima  投稿日: 1月20日(火)00時33分4秒

公立学校では制約が多くて指導も大変な事だろうとお察しします。 それにミッフィーさんのように、「自腹」を切って自己研鑽に励まれている先生は希有な存 在だと思います。

>日本で英語を作った自分だからこそ、日本人に教えるのに向いているだろうという自信がでてきたから。

私もそう思います。 大方のポッと出のネイティブスピーカーよりは、私の授業の方がましだろうと思います。 「英語でも教えて日本でしばらく暮らそか」程 度にしか考えていないネイティブスピーカーは、かかって来んかいっ! と思います。 文句あんねんやったら、日本語で書いて来いよっ! 

冗談はさておき、

私の生徒に某私立女子大学付属高校の英語科の2年生がいます。 彼女は最近、塾に来て「今日はここで音読やってる暇ないねん。 宿題してええ?」と言いま した。 分厚い文法書を、毎週10ページつづくらいノートに纏めて清書して提出しなければならなくなっのです。 「纏める」と言っても、その文法書自体が 綺麗にまとまっているので、ほとんど丸写しに近い状態になります。 それを赤や緑のペンを使って美しくレイアウトして書き写しているのです。

「なんでそんな宿題出しはるん?」と問うと、「一応、本を開いて勉強してるって事を形にして見せなあかんねんやろと思うねん」と言うのです。 「こんな事 してても、いっこも構文が頭に入れへんわ。 無駄やわ。」と彼女も言います。 私は「せめて大声上げて読みながら書きな」と言うしか手がありませんでし た。 

音を切り離して、書く事と問題解きだけに終始させる英語学習法って何なんだろか... と思いました。 
http://www004.upp.so-net.ne.jp/pillbug-twins/contents.html



【8353】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】04/01/22 0:53
【 発言者 】根石吉久

>私の生徒に某私立女子大学付属高校の英語科の2年生がいます。 彼女は最近、塾に来て「今日はここで音読やってる暇ないねん。 宿題してええ?」と言い ました。 分厚い文法書を、毎週10ページつづくらいノートに纏めて清書して提出しなければならなくなっのです。 「纏める」と言っても、その文法書自体 が綺麗にまとまっているので、ほとんど丸写しに近い状態になります。 それを赤や緑のペンを使って美しくレイアウトして書き写しているのです。

>「なんでそんな宿題出しはるん?」と問うと、「一応、本を開いて勉強してるって事を形にして見せなあかんねんやろと思うねん」と言うのです。 「こんな 事してても、いっこも構文が頭に入れへんわ。 無駄やわ。」と彼女も言います。 私は「せめて大声上げて読みながら書きな」と言うしか手がありませんでし た。 

 生徒を奴隷扱いしたこういう授業は、現在も多くの学校で行われていると思います。
 これ、「某私立女子大学付属高校」ということでとどめておくと、いつまでたっても根絶やしができないだろうと思うのです。

 ここからは、全国の中学生・高校生に向けて書きます。

 もちろん匿名でいいから、「こんなことやってたってどうにもなりはしないだろう」という授業があったら、自分の学校名と英語の先生の名前を明記して投稿 して下さい。
 教室でどんなことが行われているのか。なぜそれが駄目だと思うのかをきちんと書いて下さい。単なる中傷記事はお断りします。「語学論」を含んでいる必要 があります。

 教室は密室であってはならないはずです。
 教室の密室性を破る記事が、被害者の中学生や高校生から寄せられて当然だと考えています。



【8354】
【タイトル】某...
【 日時 】04/01/22 1:52
【 発言者 】Naima

大阪女学院高校英語科です... 言うてしもた...



【8355】
【タイトル】英語科
【 日時 】04/01/22 2:39
【 発言者 】Naima

別の高校の英語科に通っている生徒は、教科書準拠のプリントばっかりが宿題に出ます。 明けても暮れてもそればっかり。 語法と読解問題ばっかりなんです が、私の教室で音読させてみると新出単語なんかロクに読めてません。 なのに成績はトップクラスです。 最近はどの学校もリスニングに力を入れる様になっ て来たみたいですが、なんで声に出して読む事がいつまでも後回しになってるんでしょうか... 

http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs



【8356】
【タイトル】おらおら、出てこんかい
【 日時 】04/01/24 0:48
【 発言者 】根石吉久

大阪女学院高校英語科の先生、生徒に参考書写させてるあんただよ。
何でそんなことしてるのか、ちょっと説明してくんないかな。
修身かな?



【8358】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】04/01/24 0:55
【 発言者 】根石吉久

>別の高校の英語科に通っている生徒は、教科書準拠のプリントばっかりが宿題に出ます。 明けても暮れてもそればっかり。 語法と読解問題ばっかりなんで すが、私の教室で音読させてみると新出単語なんかロクに読めてません。 なのに成績はトップクラスです。

これも全国に広がった病気だと思います。特定するのは多少可哀想な気もしますが、特定した
方が、面白い。やっちゃいませんか。喧嘩売りましょうや、学校様々に。



【8359】
【タイトル】地元の学校名
【 日時 】04/01/24 1:55
【 発言者 】根石吉久

 戸倉上山田中学というところでAETをやっているAがよくうちに遊びに来るが、2カ月ほど前だったか、英語の先生たちが何かのテストを受けたようだと 言った。多分、TOEIC だろうと言ったら、テストの名前はわからないが、先生たちがとても nervous になっているとAは言った。一人だけ、nervous になっていない女の先生がいて、この人はよく英語ができるとのことだった。他の nervous になっている先生たちは、英語がよくわかっていないとのことだった。よくわかっていない先生たちが nervous になっているのだとAは言うのだった。
 英語がよくわかっていなくても、学校の先生はできる。なぜか。教室がこれまでは密室でやってこれたからだ。他に理由はない。この密室性を破り始めたの が、AET達なのである。
 一人だけ nervous になっていない女の先生が、Aの言う通り力のある先生だとして、さて問題はその先にある。
 ご本人がどれほど英語の力があろうと、どれほど発音がよかろうと、それでいい英語の先生であるという保証はどこにもないのだという問題である。いい英語 の先生とは、生徒にちゃんと英語の力をつける先生のことである。(生徒に入試で余計に点をとらせる先生ではないが、この問題に深入りする場面ではないの で、ひとまず、さて置く。)
 例えば発音の問題だけに限定して言えば、ご本人が極端に発音が悪くて、生徒にちゃんとした発音を持たせることはできない相談である。逆にご本人がどれほ ど発音がよかろうが、それを生徒の口の動きとして実現できないならば、役立たずのAETと何の変わりもないではないか。
 問題は実に単純なのである。自分がものごとをわかることと、他人にものごとをわかるようにさせることとは、まったく別のことであるというだけのことだ。 これは実に単純なことがらなのだが、それがわかっていない、あるいはわかろうという気のない学校の先生というのは実に多いのである。
 英語がよくわかっていないのに学校の先生をやっているというのも大いなる問題だが、自分では英語がよくわかっているのに、生徒に英語がわかるようにする ことができない先生が多いのもまた問題だ。
 何が駄目なのか。文部省が駄目なのである。その教員養成課程がまるで駄目なのである。教員採用試験もまるで駄目なのである。そしてまた、先生たちが現場 の生の声をきちんと言葉にしないのがさらに重ねて駄目なのである。せっかくネットというものが成立したのに、そういう声がちっとも聞こえてこない。そのこ とが駄目なのである。
 そんなことでは、文部省とグルだと思われても仕方がないのである。馬鹿を集めた役場みたいなものにきっちりと逆らうことをしないのでは、いつまでたって も仕方がないのである。正体は保身だけだ。
 多くは知らないが、英語に関してだけはずっと私は見てきた。そして、文部科学省などというところには馬鹿しかいないと確信するようになってしまった。そ の馬鹿の元にある教育委員会などに、へいこらしたりびくびくしたりしているようでは、そんなものを知識人などと呼ぶことはできない。

 だって、知識人なんだろう? 学校の先生というのは? 違うのか? 人々は、庶民は、大衆は、そう思っているんだぜ。

 もう一度言う。自分がものごとがわかるのと、生徒にものごとがわかるようにすることとはまるで別のことだということ。
 TOEIC なんかでわかるのは、自分がものごとがどれだけわかるかということだけだ。
 そんなものにびくびくしているんだから話にならない。
 生徒にわかるようにさせる能力に対して、自省しへりくだるがいいのだ。

 これは、まるで戸倉上山田中学だけの問題ではない。埴生中学や屋代中学もそうだというだけの話ではない。日本全国津々浦々の学校の肝に関する話である。



【8360】
【タイトル】高校でのリスニングただし一般論ではない
【 日時 】04/01/24 23:57
【 発言者 】ミッフィー

 これについては学校によってかなり差があると思われるので私がやってきたことを書きます。初めての赴任校は英語コースが設置され、狭い県だが県立進学校 のトップクラス。リスニングを含むオーラル関係に費やす時間は週一コマ。これを英語コースは3年間。学校によってはこれを「オーラルコミュニケーション ○」、「LL演習」という授業でやっているだろう。この時間のうち10分〜15分を英検などのリスニング問題を解かせ、残りの時間でALTとのティーム ティーチング(T.T)をしていた。そのTTの内容は今考えるとなんと馬鹿なことをと反省するお遊びのものから、ちょっとはましなことをしたかもな、とい うものまでさまざま。あとは英語T、英語U、リーディングでその日に扱う英文を聞かせたりするくらいだった。
 今の学校は英語のセンター試験で全国平均点がそのまま学校平均点になるか、ややそれより下くらいのレベル。オーラル関係の授業があるのは1年次のみ。こ れも週に一コマ。
4年前に1年を担当した時は教科書(これが実に薄っぺらでくだらない)の会話を聞かせて、教科書に載ってる設問を聞き取らせ、解かせ、彼らが知らない単 語、重要表現を音読させることをやっていた。これがあまりにもくだらないので、時々自分のことについて英語で書かせ、それを声に出して読ませていた。ただ し誰もが英語に興味を持つわけでもなく、進学なんてどうでもいいやという生徒も数名いたので、単位をやらないぞと威嚇してどうにかこうにかやっていた。今 にして思えばあまりにも工夫をしていなかった。
 そして2年間の産休育休の後、去年の4月から3年を教えているが、1学期はReadingの教材のCDがあったが、別の先生が使っていて、テープにダビ ングすれば良いだけだったが、面倒でせずに、CDの音声に何もふれさせなかった。ただしその日に扱う英文を全員で、必ず音読させた。2学期から別の教材に なり、改心してダビングをし、生徒に毎時間、その日に扱う英文を聞かせた。そして単語だけだが、必ず読ませた。これを10月までやった。(11月からはセ ンター試験対策に入ったので)
 そして今の高校1年がセンター試験を受験する年度からリスニングテストが導入されるが、1年生の英語で何をやっているかは知らない。ただ、担当者は「な んとかしなくちゃ」という思いは強くある。教材を売り込みに来る業者さんも「この教材はCDがついているんですよ」とか「リスニングに対応すべく、リスニ ング問題もついていますよ」と言ってくる。
 でもさ。声に出して読めない言葉は聞き取れないよ。ということは、声に出して読まなきゃリスニングの力も伸びないよ。少なくとも私は聞いても聞いても聞 くだけではだめで、聞いて、原稿を文字で確認して、自分で聞き取れなかったところをぼそぼそとでも読まないと、聞き取れない。
 長くなったついでにはなわの歌で有名になった我が県の話。ローカル新聞の記事です。
タイトル「英語苦手な教師サポート・小学授業にCD教材」
ここからは記事の抜粋。『県教委は、小学校の総合学習で新年度から英語を学べるように、CD利用の読み出し専用メモリー(CDロム)のソフトを教材に用い た授業の研究を進めいている。(中略)「英語が苦手な教諭が操作しても授業が進められる」と効果を期待している。(中略)県教委によると、小学校では英語 科目がないため、総合学習で英語を学ばせたいという要望は現場からあっても、児童に教えられる教諭は少なかったという。ソフトは30時間分の内容。児童に 英語に慣れ親しんでもらうために、果物や動物などを英語で紹介したり、英語を使ってゲームをしたりする。(以下省略)』
 いろんな意見はあるだろうが、私は、ことばを学ぶ際に人間をかならず介在すべきと思っている。特に低年齢の場合は。総合の時間を遊びと割り切ればいいん でしょうけど…。
英語を教える以前に日本語を仕込んでくれよ、と言いたい。



【8361】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】04/01/25 2:46
【 発言者 】根石吉久

いい記事をありがとうございます。
柴田さんがお書きになった頃に思ったことでしたが、学校の先生の全部が全部駄目なわけでは
ない。しかし、やる気のない給料泥棒の先生がたくさんいることは間違いのないことです。直
接の職場でやたら喧嘩をすると体力を消耗しますので、ここで、「理論」や「実践報告」の形
で、給料泥棒たちを批判して下さることを期待します。



【8362】
【タイトル】(無題)
【 日時 】04/01/26 16:37
【 発言者 】あすみ

根石さん、お礼を言うのが遅くなってしまってすみません。「英語どんでんがえしのやっつけ方」を送っていただきありがとうございました。1回目一気に読ん で、今は熟読中です。私は現在高校の英語教師をしていますが、あの本に書かれてあったことが、語学の基本中の基本だと実感しました。自分の授業もあの本を 参考に作りなおして行こうと思います。そして授業で何をやって、その結果生徒にどのような力をつけられたのかを実験・調査してみたいと思っています。今の ところは今年4月から始まる授業の年間指導計画を立てている最中ですが、根石さんが提唱されているように、毎時間10分〜15分程度を音作りにあて、フォ ニックスを取り入れながら、つづりの読み方と発音の仕方を教え、さらに文の読み方へ、と進めて行こうかと思っています。(それまでに、はやく自分も人にお しえられるだけしっかり勉強しておかなければなりません。)また、和文英訳はなるべくしないつもりです。絶対にしない!と、柴田さんみたいに気合いを入れ た方がいいかもしれませんが、途中で息切れしてはこまるので、少しずつできることをやっていきます。今後授業作りに関していろいろ疑問がわいてきたら、質 問させてください。

話は変わりますが、リスニング指導に関してですが、うちの学校に限ってはまだ、全くなんにも対策を立てていません。生徒たちは一応オーラルコミュニケー ションのクラスが週1回あるので、そこでALTとのティームティーチングを受けている程度です。今後どうするか次回の教科会議で話し合おうといった実にの んびりした感じです。

また、お便りします。



【8366】
【タイトル】あらかじめ死んでいる言語
【 日時 】04/01/28 3:01
【 発言者 】根石吉久

 語学を長いことやってきたので、語学のことを考えることがよくある。語学の言語のことを考えていると、語学の言語以外の言語が気になり、語学の言語とそ れ以外の言語を対照させて考えたりするような癖もできた。
 語学から見たら生活言語がどう見えるかとか、逆に生活言語から見たら語学の言語がどう見えるかというようなことが気になるのである。
 語学の言語と対照させるために、生活言語と言ってみたり、ネイティヴ言語と言ってみたり、自然言語と言ってみたりしたいろいろな言語があるが、これらの 言語は生きている。書き言葉や、書かれた文学のテキストの問題を持ち出すと、非常に面倒なことになるが、少なくとも、話し言葉としての生活言語、ネイティ ヴ言語、自然言語というものは生きて動くなまものである。人間の意識の動きと分離しがたいものだから雑多であったり、流動状態であったり、整理されていな かったり、断片ばかりだったり、衝動的だったりするが、みんな生きて動いている。
 語学の言語は死んでいる。ある人に、語学の言語というものは死んでいるのだと言ったら、変なことを言う人だという感じの反応が返ってきた。不気味なこと を言う人だというような感じでもあった。あからさまな言葉ではなかったものの激しく反発されたので、むしろこちらがびっくりしたのだった。
 語学の言語が死んだ言語だというのは、異様な考えなのだろうか。私にはしごく当然のことに思われるのだが、私に反発した人は、「生きた表現」というよう なものを信じている人だったということなのだろうか。
 私は「電話でレッスン」という英語のレッスンで映画のシナリオを使っているが、テキストには気の利いた言い回しが載っていることがある。また、ことわざ 集のようなものには、ツボにはまった言い回しがたくさんあったりする。比喩に面白いものがあったりもする。そういうものを「生きた表現」と呼ぶことに反対 はしないが、語学の対象になったとたんに、それらは全部死んでしまう。「生きた表現」は「生きた表現」のままに死んでしまう。語学の対象になったとたん に、言葉がかさぶたのようなものになり、客体化されるのだと言えばいいのか、飛び回る昆虫ではなくピンで止められた標本となるのだと言えばいいのか。



【8367】
【タイトル】あらかじめ死んでいる言語(続)
【 日時 】04/01/28 3:02
【 発言者 】根石吉久

 死んでいる言語の一番わかりやすい例は、英語を習い始めたばかりの中学1年生が、「習う learn 習う learn」などとぶつぶつと唱えて自分に言い聞かせるような場面にみつかる。これは、一見、対応する日本語と英語を単に並列させているように見えるが、 実は「音」と「意味」を一体化させようとしているのである。「習う」という日本語から意味を取りだし、「learn 」という「意味のない音」に意味を込めようとしているのである。「音」と「意味」が別々のものとして分離しているから、それらを一体化させようとして呪文 のようなぶつぶつを唱えるのである。
 「意味」と「音」の分離、あるいは、「音」だけがあり「意味」がそれに伴わないことは、語学の対象としての言語が死んでいることの証拠の一つである。生 きて動いている言語において、「音」と「意味」がばらばらであるなどということはない。
 言語として死んでいるから、それを生き返らせようとして中学一年生は呪文を唱えるのである。この呪術がうまくいき、「音」と「意味」が合体し、「 learn 」という音に対して、「習う」という日本語の訳語を必要とせずに、「意味そのもの= learn という語のイメージの核」がただちに生じるようになれば、learn という語は生き返ったのだと考えていいだろう。そこに至る呪術の途中では、語学の机上において、ミイラが踊りを踊っているだけなのである。
 こんなことは、生活言語では起こらない。いや、「音」というものひとつだけとりあげても、生活言語には「声」はあるが、「音」というものはないのだと 言ったほうがいい。誰も皆、生活では「声」を聞いているのであり、「音」などを聞いているわけではない。例えば、言葉を覚え始めた幼児に母親が話しかけて いるとき、幼児が聞いているのは、「音」ではなく「声」である。
 (私は最近孫を持ったが、孫の顔をみていてわからなくなったことがある。生まれたばかりの赤ん坊が持つ意識の白紙状態は、「声」を聞いているのか、 「音」を聞いているのか。それがわからない。この時点では、無機物が有機的であり、有機物が無機的であり、相互に交流しているみたいなのだ。)
 なにはともあれ、赤ん坊が母親の言葉に反応するようになった時からは、赤ん坊が聞いているのは母親の気持ちや感情と分離しがたい「声」である。もちろ ん、この「声」も録音できるので、録音されてしまえば「音」であるだろうが、それでも、言葉が母親から発せられているその時に、話しかけられている幼児に とって、言葉は必ず「声」であって「音」ではない。つまり、自分に直接に話しかけられているという関係が、幼児を言葉の当事者にしているということであ る。生活言語においては、大人と大人の話でもそうである。話す人もそれを聞く人も言葉の当事者である。
 この当事者性とでも言うべきものも、語学にはない。当事者性もなく、言葉は「声」ではなく「音」に過ぎず、そしてそれに意味が伴わないというような事態 において、言葉はすでにあらかじめびっしりと死んでいるのである。単純な事実であり、何も気持ち悪がられる必要はない。



【8368】
【タイトル】sb さん
【 日時 】04/01/28 3:08
【 発言者 】根石吉久

今でも素読のレッスンをご希望であれば、岡倉天心「茶の本」をやりませんか。
素読をするのは、英語部分です。
岡倉が英語で書いたものを日本語に対訳してあります。
日本語部分の素読をやりたければ、自分で勝手にやって下さい。



【8370】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/01/28 16:57
【 発言者 】あすみ

最近寒い日が続きますが、そちらは雪もたくさん降っているのでしょうか。無理せずご自愛ください。

ところで、最近授業で音読の練習を多く取り入れるようにしてはいるのですが、なかなか生徒は面倒臭がって積極的ではありません。工夫の必要性を感じていま す。めげずにがんばります。



【8372】
【タイトル】講演会の前 3
【 日時 】04/01/29 17:11
【 発言者 】村田

根石さん「だいたい、世間に出回っている発音関係の本は、欧米人用の発音の解説本の直輸入ばかりだ。今までに俺がいいと思ったのは宇田さんの30音ぐらい だよ。よくある、頭の側面の解剖図を見たところで、それが日本人にとって役に立つとは思えない。以前、話題になったearとyearの発音の違いがあった ろ?」
村田「/j/の音の出し方についてですね?」
根石さん「earとyearの違いを、舌の動きが違うという説明をしていた人がいるけれど、俺はその時、全然ピンとこなかったな。村田君は/j/をのどち んこと舌の付け根をくっつける感じと言ってたな。」
村田「そういう感じですね。」
根石さん「あれから俺も試行錯誤してみたんだが、あの音はは喉の方に関係あるな。舌の動きや唇の動きには関係ない。それから/r/に関してだが、あれもい ろいろな説明があるだろ。」
村田「舌を後へもっていってどこにもつけないとか…。」
根石さん「まあいろいろあるわけだが、/r/の本質は『舌をどこにもつけない』ということだな。解剖図なんか見ていても、余計なところに目が行って、本質 的なところを見逃してしまう。」
村田「なるほど。」
根石さん「欧米人はあの解剖図でもわかるかもしれないが、日本人に英語の音を出させるには、まずは日本語の音をもとにして一言で簡潔に説明できないと役に 立たない。そしてそういう説明をしてきた人は今までほぼいない。」
(つづく)



【8373】
【タイトル】講演会の前 4
【 日時 】04/01/29 17:12
【 発言者 】村田

根石さん「しかし、大事なことは、母音だな。単語の最後についてしまう母音は回転読みで激しく回転させればそのうちに消えていく。」
村田「そうですね。」
根石さん「それよりも大事なことは、apple, shut, park の母音の違いを出すことだ。これがそれぞれまず違う音だとということを気付かなければならない。」
村田「自分で音を出す時に、違う音だということを意識するんですね。」

と、ここに来て、村田は「やっと」気付いたのでした。素読舎で「ア系列」と言っている時の「ア」はまぎれもなく日本語の「ア」ではないか、ということに。
(つづく)



【8374】
【タイトル】メールから(1)
【 日時 】04/01/30 18:15
【 発言者 】根石吉久

お返事が大変遅くなりました。体調がよくなく、
コンピュータに触らない日が続きました。ご容赦
下さい。

「英語どんでん返しのやっつけ方」は、現在版元
で品切れの様子です。私の手元にわずかながら、
著者取り分が残っておりますので、よろしければ、
お送り致します。小学館の文庫部門に再版するつ
もりはないことがはっきりしておりますが、今で
も私の方に問い合わせがあり、どこかで出してく
れるところはないものかと思案しております。
 この文庫の種本となった「英語のやっつけ方」
は、手元に在庫があります。
 両方お求めいただけるようなら、郵便小為替で
1000円分を下記にお送り下さい。文庫のみお
求めいただく場合は、600円分を同じく郵便小
為替でお送り下さい。

387−0015
千曲市鋳物師屋642−3 根石吉久

 ホームページ作成ソフトを立ち上げるたびにコ
ンピュータがフリーズし、原因がわからないため、
ホームページの更新は現在まったくストップして
しまっております。そのため、古い記事がそのま
まに放置されており、時々、読んでくださった方
にご迷惑をおかけしております。
 「回転読み」「技法グラウンド」実演テープは、
現在、お送りするのを止めてしまっております。
理由は、掲示板「大風呂敷」に最近書きましたの
で、そちらをお読みいただけたらと思います。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
 テープだけでは伝わらないものがあるというこ
とです。テープの方はせっかくお申し込みいただ
いたのに、お送りできず申しわけありません。

 私のやっている「電話でレッスン」も是非ご検
討いただきたいと思いました。
 掲示板「大風呂敷」を始めたころに、「電話で
レッスン」というものを始めました。順調に生徒
さんが増えてくれて、ここ半年ほどは空き枠がな
かったのですが、今年になって、空き枠が生じて
います。空き枠が埋まって以後は、現在私の生徒
さんの一人で英検1級をお持ちで、「回転読み」
をドイツ在住の間にドイツ語で試してくださった
上級者の方にお願いして、私の生徒さんを預かっ
ていただく予定にしています。ひとまず預かって
いただいて、私の方に空き枠ができたら、私の生
徒として戻ってきていただくという方針です。で
すから、たとえ私の方に空き枠がない場合でも、
受け皿はできております。

 コーチをお願いしているのは、奈良県の方で、
「大風呂敷」に Naima という名前で書き込んでお
られます。また、「回転読み」を試してくれてい
る方々のために、「鬼」という掲示板を開設して
主宰してくださっています。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs



【8375】
【タイトル】メールから(2)
【 日時 】04/01/30 18:16
【 発言者 】根石吉久

 私の現在の空き枠は、
日曜夜、11時40分〜0時10分
火曜夜、11時〜11時30分
です。
 また、火曜夜9時40分〜10時10分も、近
いうちに空く予定ですが、こちらはすでに予約が
入っております。

 私のレッスンをもっとも簡単な形で言えば、
「音づくり=インプット」です。絶えず文まるご
とを「音づくり」の対象として、単音処理だけで
なく、連音処理も行います。この「音づくり」が
完成したときは、覚えるつもりでやっていたわけ
ではないが、文がまるごとでインプットされます。
「暗記」というものとは違います。めがけている
ものはあくまでも「音づくり」であり、それが完
成すれば、結果的には暗記したのと同様に覚えて
しまっているというだけです。学校英語、受験英
語では、「音づくり」は行われておりませんし、
英会話学校でさえ、「音づくり」は行われていま
せん。英語ネイティヴには、日本語で育った日本
人の口をどう動かさせるべきかがわからないので
す。外人を売り物にする英会話学校に通う人々に
は、英語が風邪がうつるかのようにうつるものだ
という期待(幻想)がありますが、これはいつも
裏切られます。英会話学校に通ったことで英語を
しゃべるようになった人には、私はこれまでにお
目にかかったことがありません。
 「音づくり」こそが眼目です。これをいい加減
にしておいて、他のことをやっても英語が実を結
ぶことはありません。読むことや書くことにも、
実は「音づくり」が必要です。英語のリズムでそ
の語順通り読むためには、英語という言語のイン
トネーションやリズムが身についていないとうま
くいきません。黙読する場合でさえ、英語のリズ
ムが身についていないと、うまく読み進めること
ができないのです。
 私の言う、「音づくり」とはリズムやイントネ
ーションまで含めた音づくりです。だからこそ、
絶えず文まるごとを単位に行う必要があります。

 本屋に行けば、CD付きの独学書があふれてい
ますが、英語大好き人間ででもないかぎり、こう
いう種類の教材では、リズムやイントネーション
を根付かせるのは難しいことです。英語の音は、
聞けばそのまま真似できるという性質のものでは
ないからです。

 絶えず文まるごとで「音づくり」するという私
の方法は、「音づくり」ということの中に、イン
トネーションやリズムまでも含めてある点で、単
なる単語単位の発音練習とは違うものです。
 始めていただく時点のでの実力は問題にしませ
ん。その後の練習と持続力がはるかに大事です。

「音づくり=インプット」に、途中で文法理解を
媒介にします。このための教材を自作しており、
文法をやり直す必要のある生徒さんに、これを使
っていただいています。このメールに続けて、こ
れまで作ったところをお送りしますので、ご覧に
なって下さい。どうしてこんな作り方をしてある
のかと思われるかもしれません。「電話でレッス
ン」用に特化してあるため、一般の書籍の文法書
とはかなり違ったところがあります。
 初心者・中級者には、この自作教材でレッスン
しています。いただいたメールから判断する限り
では、この教材を使ったレッスンが最適かと思い
ました。

ご不明の点は再度お問い合わせ下さい。



【8376】
【タイトル】あすみさん
【 日時 】04/02/01 2:25
【 発言者 】根石吉久

「鬼」http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
で Naima さんに書いたものが参考になると思いましたので、こちらに転写します。
ご質問があれば、遠慮せずお書き下さい。



【8377】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】04/02/01 2:26
【 発言者 】根石吉久

Naima さん(1)

 「1000」のタイトルでお書きになったことに非常に興味を持っています。
 欲張らずに、「1000」だけでやったらどうかと思っています。國弘さんの「只管朗読」だと読み物を対象にするのが基本であり、学校の教科書の本文が適 するかと思いますが、「回転読み」は、「1000」みたいなものに相性がいい。生徒がどの高校に通っていても共通の教材として使えるのも利点です。
 どうやるかですが、要するに「音づくり=インプット」だと思います。「音読」というものは、「音づくり=インプット」のために媒介にすべき方法にすぎま せんので、「音読」そのものに盲目的な価値を見ては駄目だと思います。
 暗記をさせようとしているのではなく、「音づくり」をめがけているんだと最初に生徒に宣言して下さい。「音づくり」ができてこなれれば、覚えようとしな くても覚えてしまうから、家でもどんどんやるようにと言っておくのがいいと思います。語法・文法については、あの「1000」はよくポイントを押さえてあ ると思うので、本の説明を読め、でいいと思います。わからなかったところがあれば、質問しろと言っておくのでいい。

 テキストに、語数別に分類したやつが使えると思います。
 4語、5語程度から始めるとして、生徒を一人指名して、「音づくり」をやります。つまり、「技法グラウンド」です。Naima コーチが、一回読んで、指名した生徒に5回程度繰り返させ、問題があったら、英単語を書いて、「一瞬般若」とか、「顎をさげる・明るい」とか、「狭い」な どと要点を板書します。「上の歯茎の裏」とか、「下唇を上の歯に」とか、ごく短くその音が他とまぎれなくするためのポイントを板書します。その間、「技法 グランド」は中断していますが、ポイントを書いたら、また指名してあった生徒を相手に最初から「技法グラウンド」をやります。うん、いいんじゃないかとい う質の音が穫れたら、教室全員に同じ文を使って各自で練習する時間を与えます。

 必ず、文まるごとで「音づくり」をすること。
 「ae」「a:r」「逆さ e(逆さ v)から手がけること。

 この二つがポイントだと思います。文まるごとを最小単位として「音づくり」をする必要があるのは、「連音処理」「イントネーション」「リズム」までも 「音づくり」に含める必要があるからです。
 「ア系列」は、日本語の「ア」を基準としています。日本語の「ア」より、口の両端を斜め上にひっぱる、日本語の「ア」より狭い、日本語の「ア」より顎が 大きく下がり明るい音になる、という具合に、私の「ア系列」は日本語の「ア」を元にしています。日本語の「ア」を元にするという考えが、大学の音声学など から払底していて、アメリカの音声学の教科書をそのまま使うか、その翻訳書を使うかの違いはあっても、日本語の「ア」をゲテモノ扱いしているところが日本 の大学の英語音声学が徹底的に駄目なところです。が、ここではこの問題には深入りしません。

 この「ア」系列を最初に扱い、個々の子音を扱いながらも、「ア系列」は絶えず扱うべきだと思っています。一年を通じて絶えず扱うべきであり、それほどに 日本語の「ア」そのものへの先祖帰りが強いのが、三つの「ア系列」の音です。
 
 で、語数別分類をどう扱うかですが、生徒の名簿を手元に用意しておいて、5語の文がうまくできた生徒は、6語の文を扱ってよいというように進級させるの です。あんたは、今は6語レベルだよとか、13語レベルだよとか、語数をそのまま生徒の練習レベルとして、生徒に奮起させるための数字として使用します。 明るく宣言するのがいいでしょう。
 ミソは、落第もあるというところです。例えば、17語レベルの生徒が練習不足で、うまい調子の「音づくり」ができなかった場合は、「落第」と宣告し、 16語レベルに戻します。
 つまり、「技法グラウンド」をやって、その出来次第で、○△×を判断し、○の場合は進級。△の場合は同じ語数に留まる。(「留年」とでもしますか?)× の場合は、落第(逆戻り)とします。

 この、進級、留年、落第の判断は、初発の文で判断します。そうすれば、生徒は自分で自宅で練習するようになると思います。予習だろうが、復習だろうが好 きなように好きなだけやれと言っておけばいいでしょう。



【8378】
【タイトル】「鬼」から(続)
【 日時 】04/02/01 2:27
【 発言者 】根石吉久

Naima さん(2)

 復習範囲を絶えずやり直すことは、是非行って下さい。60分あれば、30分を古層の復習に、20分を新しい層の復習に、10分を新しい文の獲得に、とい うくらいの時間配分でいいのではないでしょうか。10分でどれほどの新しい文もできはしないと思われるかもしれませんが、要は生徒が自宅でどれだけの練習 をやるようになるかです。そっちの方がはるかに実質部分なので、自分でどんどん進めるなら、教室で実際に進める分量が少なくても気にする必要はありませ ん。復習を厚くして、「こなれ」を作ることと、押さえるべき「音づくり」のポイントをきっちり押さえることさえしてあげれば、やる気のある生徒はがしがし とやるだろうと思うのです。

 生徒が家で自分でやる練習に使えるだけのコツをきちんと持たせてやることが最大の眼目になると思います。週1回1時間でも、効果は出てくると思います よ。

 ここまで書いた分は、「大風呂敷」でのあすみさんへコメントしたかったことと大いに重なりますので、こちらに投稿後、「大風呂敷」へ転写します。



【8380】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】04/02/01 3:47
【 発言者 】根石吉久

古層、新しい層、あたらしく当日やるところに、それぞれ20分ずつでもいいと思います。
受験を意識する場合はこの方がいいかもしれません。



【8381】
【タイトル】「1000」
【 日時 】04/02/05 0:07
【 発言者 】Naima

根石さん、

アドバイスありがとうございます。 今週、生徒に語数別にやって行くと伝えた所、「やさしい所から段々に難しくして行くんやね。 それって何か新しくな い?」と言ってました。 とても新鮮な文法の学習法だと思った様です。 



【8383】
【タイトル】ヒアリングが課題
【 日時 】04/02/09 0:33
【 発言者 】いくこ

私は、英語のヒアリングがかなりダメです。

根石のおっしゃんに相談したところ、克服するには「回転読み」につきるとのことでした。
それから根石のおばちゃんからは、「回転読みするときに、はっきりと発音すること、f・v、th、ae、a:r、逆さe:rなどの音を、はっきり発音する ことを心がけるようになって、音が聞こえるようになってきた」というアドバイスをいただきました。

概念として、身体化されてない音はきこえない、というのはわかっていたつもりでした。が、実際のところ、あまりに音を捉えることができなくて、は〜っとた め息が出ます。
もっと、地道に回転読みをしようと思っています。



【8385】
【タイトル】メール転写
【 日時 】04/02/09 1:18
【 発言者 】根石吉久

申しわけありません。土曜日に郵便局に行った
ところ、郵便局が閉まっておりました。どうも
世間の動きがよくわからず、まだ郵送すべきも
のは手元にあります。明日、月曜日ですので、
必ずお送りします。

T> しかし、過去に、英会話学校に数ヶ月、メールで定
T> 期配信される独習の教材も長続きせず...。
T> 英語の指南書のたぐいは、本棚に山。ネットの英語
T> サイトを見るのも好き(素読舎には巡り会うのは遅
T> かったのですが)で、女房に「10年来の筋金入り
T> の英語の勉強の方法マニア」と暖かく笑われる日々。

 全部でどのくらいのお金を使われたのか、私はとても興味があり
ます。私の方法が、「マニア」の方の目にとまったのでしたら、是
非、「電話でレッスン」をやってみられることをお奨めしたいです。
「筋金入りのマニア」が本当でしたら、2,3ヶ月で私の方法が駄
目なものか、いけるものか、おわかりになるはずだと思います。

 現在、火曜日の9時半から一時間の枠が空く予定ですが、名古屋
の高校生で、大学受験で忙しくなるから、「電話でレッスン」を一
年休ませて欲しいとのことで、休んでいた生徒がおりました。
 この高校生が、大学に受かったにせよ、浪人するにせよ、レッス
ンを再開して欲しいということでしたので、この一時間枠は予約済
みとしました。

 つい先日、日曜日に空き枠が生じましたが、こちらは、中学3年
生の生徒で翌日埋まりました。

 奈良の方で、私の空き枠がない場合に生徒を預かっていただく予
定の方は O さんとおっしゃいます。このことはすでに書いたよう
な覚えがありますが、再度書かせて下さい。
 この方は、単に一級品の英語力をお持ちであるだけでなく、日本
語にびっしりと囲まれて英語をやることがどういうことなのかの認
識をお持ちです。それを持たない方に、私はコーチをお願いするこ
とはありません。今のところ、「電話でレッスン」の生徒さんを預
けられる唯一の私の生徒です。

 「電話でレッスン」ご検討願います。

根石吉久



【8386】
【タイトル】根石さんの
【 日時 】04/02/09 18:08
【 発言者 】tiny sand

「ゴースト文法解析」はすごいです。
このテキストで3回程、レッスンを受けましたが、
すでに例文の「音作りとインプット」を済ませているので、
文法が頭にスッーと入ってきます。最初のレッスンの時は、
例文が立体的に浮かび上がってくるような、人込みで知っている人に会ったような
不思議な感じでした。「音作りが大切」という事が実感できました。

根石さんは「このやり方は新しいというわけではないんですよ。うちの塾生に使っている
ものです」と、おっしゃっていましたが、私も中学生からこの方法で学びたかったなあと、
思いました。私たちのために大変な労力と時間を使っていただき、本当に有難うございます。

娘がかたことを話すようになった頃、ラジカセで童謡を聞かせていましたが、
自分から一緒に歌うという事はありませんでした。ところが、私が口移しで
「さいた」  ちゃいた
「さいた」  ちゃいた
「チューリップの」  ちゅういっぷの
「はなが」  はあが
と、アッという間に覚えてびっくりした事があります。それと同時に「生の声」というのは、
すごいなあと感激したものでした。 雨音、風の音、波の音・・・
どんなにすぐれたオーディオでも、自然に勝るものはありません。

最近の小学校では、テープのピアノ伴奏で歌ったりするそうですが、私たちの世代には
ちょっと違和感がありますね。私が小学生の頃、女の先生はオルガンを弾くのが上手でしたが、
男の先生はあまり上手ではありませんでした。それで授業中に間違ったら、「あっ ちょっと
待って」と言って、しばらく練習しておられました。
でも、私たちはお利口さんにじっと待って、先生が上手く弾けるようになったら、
一段と声を張り上げて歌ったものでした。遠い昔のセピア色の大切な思い出です。

そういうほのぼのとした空気を吸いながら成長した私たちの子供時代は、物はなくても
幸せだったように思います。



【8389】
【タイトル】tiny sand さん
【 日時 】04/02/10 1:04
【 発言者 】根石吉久

 教材を評価していただいてうれしいです。
 「音づくり = インプット」をやってあるところの文法は、非常に楽に受け取れるものになるはずです。この原理は、本来、学校の中になければいけないは ずです。ほとんどの学校は税金によって成り立っているのだから、原理を外したら駄目なのですが、原理を外したような授業ばかりですから、駄目です。
 文法そのものを考えることは、非常に面白いことだろうと思うのですが、文法そのものと「語学に役立つ文法」とは別物です。ひとまずは、「語学に役立つ文 法」が私らには必要であり、私も教材を作るときは、それだけを考えて教材を作ります。すでに、8千行を越えましたが、多分、あの教材の中で「仮定法」とい う語は一度も使ってないのではないかと思います。(使っていたらごめんなさい。)学校でやっている文法は、しかつめらしいのがきにくわない。文法なんて書 きようで、ずっと分かりやすく書けるものだと思っていて、「雑な言い方では、be動詞はすっとぶ」みたいな、説明自体が雑な言い方で作っています。わか りゃいいのです。

 ネットが普及してよかったと思うのは、こういう文法解析を生徒さんにメールで渡せることです。塾は、プリントアウト、印刷、帳合い、綴じの手間が大変で した。

>根石さんは「このやり方は新しいというわけではないんですよ。うちの塾生に使っているものです」と、おっしゃっていましたが、私も中学生からこの方法で 学びたかったなあと、思いました。私たちのために大変な労力と時間を使っていただき、本当に有難うございます。

 是非とも、近所の中学生の生徒さんを集めて、塾をやってみて下さい。tiny sand さんの音は、「音づくり」をやっていただける音です。生徒の口に英語の音を実現する時には、是非、「一瞬般若」(吊り上げ音)、顎が大きく下がる(明るい 音)、狭い音などのコツをそのまま使用されることをお奨めします。この三つは、日本人は苦手ですが、この三つを「音づくり」ではまず手がけるべきだと考え ています。tiny sand さんのレッスンを始めた時も、そうだったと思います。
 それと、私の考案した「アイウエオ・フォニックス」も是非使っていただきたいと思います。これは今のところ本気で評価してくれる人がいませんが、実際に 使ってみ ると、抜群の効果があります。

a i u e o とローマ字であいうえおを書き、そのそれぞれに r をつけ、

ar ir ur er or

として、ar だけを「顎の下がる明るい音」だと区別する。後の四つはグループで、「狭い音」だと指示します。これをやると、生徒さんの以後の「音づくり」はぐっとよく なります。

 娘さんの「さいた さいた」の話、小学校のオルガンの話、楽しく読ませてもらいました。こういうものをもっとどんどん書いて掲載して下さい。



【8390】
【タイトル】文法の説明なんかしてもらわなくていい
【 日時 】04/02/10 11:51
【 発言者 】根石吉久

 生徒に英文を日本語に訳させ、生徒の日本語をもっといい先生の日本語に直すということをやっている授業は、翻訳学校の授業ならそれでいいのだが、一般の 中学生・高校生のための授業においては、まるで駄目である。「音づくり=インプット」をやらないで、英語を日本語に直させ、その日本語を直している先生が いたら、中学生や高校生は、「こんな授業は駄目だ」と声をあげてほしい。少なくとも、そんなものは駄目なのだと言っている掲示板(ここ「大風呂敷」)があ ると、先生にここのURLを教えるくらいはして欲しい。訳読式の授業をやっている先生というのは、税金泥棒なのだから、そうすることは必要なことです。
 この訳読という授業形態とともに腐った主流を作っているのが、文法の説明です。
 「音づくり=インプット」が行われるなら、文法なんてものは、それほど難しいものではないのだが、肝心な「音づくり=インプット」が欠落しているので、 文法を難しいもののように思いこんでしまう生徒は多い。もし、まともに「音づくり=インプット」が行われるなら、教室での文法の説明などは不用なものにな るはずです。生徒が説明を媒介にする必要がなくなるということではなくて、生徒が自分で解説書を読めばほとんどのことが片づいてしまうということです。解 説書を読んでも生徒がわからないということがあれば、解説書の出来が悪いか、生徒の日本語の読解力がないかという問題であって、英語の文法をめぐる問題で はない。生徒の日本語の読解力がないことは、根が深く小学校の国語の授業形態にまでつながっています。ここでは、この問題に深入りしませんが、学校が素読 をやらないのが駄目なのです。特に、英語に使おうが日本語に使おうがどっちでもいいという性質の授業時間は、現況では日本語の素読に使ってもらいたい。日 本語がぼろぼろで、英語どころではないという生徒はおおぜいいるのですから。

 これは、柴田さんがすでに先駆的に実行されたことですが、英語の文法に関しては、中学生の生徒に「教科書ガイド」を買わせ、「説明は自分で読め、わから ないところは質問しろ」でやられました。それでまったくいいのだと思います。

 訳読なんかさっさとやめるがいい。そうでないと、先生は税金泥棒になるだけだ。
 文法の説明なんかさっさとやめるがいい。そんなもの本に書いてある。

 という具合に、訳読と文法説明をやめてしまったら、日本の英語の授業に何が残るでしょうか。ほとんど何も残らない。カスしか残らないというか、訳読と文 法説明というものがそもそもカスだったので、カスを除いてみたらカラッポであるというのが、日本の英語の授業の主流を成しています。

 訳読をやめ、文法説明をやめ、「音づくり=インプット」に多くの時間を使うべきです。そうでないと、本当に税金の無駄づかいなのです。
 「音づくり=インプット」に関しては、素読舎に方法があります。お問い合わせください。



【8391】
【タイトル】恥じを忍んで...
【 日時 】04/02/10 23:07
【 発言者 】Naima

今夜の電話レッスンの報告です。

母が階段半ばから落ちて腰を痛めたせいもあって、家事の分担をしてもらえず、週に5クラスも受講している英会話学校も今週は1回取っただけ。 いつもだ と、宿題を最低でも4〜5回は音読して授業に臨むんですが、端から「休む」と決め込んでいるので、それもせず。 英語塾の仕事も代講をお願いして、休み。

家事以外に何をする事もなく、のほほんモード。 時間が充分にあったにもかかわらず、ゴーストの回転読みもまったくしない1週間でした。 こころのどこか で「まあ、なんとか出来るやろ」とたかをくくって、自分の英語力を過信していました。

今朝、家事をすませてやっとゴーストのシナリオを開いて読みはじめて、口がまわらないのに驚きました。 W音が一番きつく感じました。... What should we do. がきつい。 L音も、hold、spellbound などの様に、b, d, t などとくっついた語がきつい。

小1時間ほどやって、「午後にもう数時間やれば戻るやろ」とまだ楽観的。 センテンスの順番も「あれだけやって来たんやから、最初のフレーズが口に乗れば 後は自動的に出てくるやろし...」とお気楽に構えていました。

なんやかやと、どうでも良い様な他の雑事を済ませてから、6時30ぷん頃に再びシナリオを開きました。 1時間ほどやっても、なかなか口が英語口にもどり ません。 焦り始めたけれど時すでに遅し、です。 

食事の仕度もそこそこにして、8時20分ぎりぎりまでもう小1時間回転させましたが、完全に「アウト」です。 根石さんに、「今週は練習不足です。」と告 白せざるを得ませんでした。 練習不足どころか、全然英語にかかわらなかった1週間のブランクは、3時間やそこらでは取り戻しが効かない事が良くわかりま した。

案の定、結果はテストを3単位(?)残して、次回に持込みです。 m(__)m  



【8392】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】04/02/11 0:32
【 発言者 】根石吉久

お書きいただいたことは、日本語の磁場が、どれほどすみやかに英語を錆び付かせるかというこ
となのだと思いました。私も、盆や正月に1週間くらい英語を離れるだけで、いやはやというく
らいに錆が寄っているのを体験します。
英検一級の方でも、英語を離れればすぐに錆びつきが始まるということ。これは貴重な知識だと
思います。



【8393】
【タイトル】いただいたメール転写
【 日時 】04/02/11 0:35
【 発言者 】根石吉久

根石吉久 様

東京のTです。
本日送っていただけたのでしょうか?
昨日まで、休日でしたが出張だったので、今度の
11日の祝日は子供から遊びのアテにされているの
で、充分時間はとれないのですが、本を拝見する
のを楽しみにしています。
実は、この出張に持参したく、先週の月曜日(2
/2)に女房に宛先と1,000円を渡して当日郵
送するよう頼んでおいたのですが封筒を持参せず、
翌日になってしまい、残念で口論していました。
11日休みたいので、本日は嫌いな徹夜をしていま
す。

ちなみに、電話でレッスンは本を読んでからの検
討ですが、

>現在、火曜日の9時半から一時間の枠が空く予
>・・・・・ の高校生で、・・・・・一時間枠は
予約済・・・

とありますが、その名古屋の高校生が休みに入ら
れたらその後私をに入れていただき、その方が復
帰された時に私がもし続いていたら他の時間もし
くは、奈良のOさんという方の枠に異動させて
いただくということは可能でしょうか?
参考にお聞かせ下さい。

また、「筋金入り」は本物ではなく、私の勉強法
にいつも触れてみては本当の勉強は長続きせず、
いつも計画を立てて、取り組む決心ばかりしてい
るダメ人間ぶりを女房が呆れていっているだけで
す。



【8394】
【タイトル】メール転写
【 日時 】04/02/11 0:42
【 発言者 】根石吉久

メールありがとうございました。
本は、速達便でなく、普通便でお送りしましたので、また着かないかもしれません。少しお待ち下さい。

>その名古屋の高校生が休みに入られたらその後
私をに入れていただき、その方が復帰された時に
私がもし続いていたら他の時間もしくは、奈良の
Oさんという方の枠に異動させていただくという
ことは可能でしょうか?
参考にお聞かせ下さい。

 名古屋の高校生は、昨年の春にレッスンを中断し、今年の春から復帰する予定です。名古屋大学をねらっていますので、試験が割と遅いので、受かったにせよ 落ちたにせよ、レッスン開始は4月からになるだろうと思っています。
 2月から3月にかけて、一ヶ月分(4回)、試しにレッスンを受けてみられるのはどうでしょうか。その後、大学生(もしくは浪人生)が、復帰しましたら、 Oさんのレッスン枠に移っていただくか、私の枠が空きましたら、私の生徒さんとして継続していただくことになります。
 あくまでも、レッスンを継続する価値があるものと認めていただいた場合の話ですが・・・。

 レッスンは「音づくり」と「熟成」が柱になっています。「音づくり」に関しては、一ヶ月のレッスンでも何をどうするのかはわかっていただけます。「熟 成」に関しては、一ヶ月でわかっていただくのは無理だと思います。
 私の地元の高校の英語の先生が、私のレッスンを受けておられますが、「復習範囲を手放さない」という原理について、「レッスンを始めた当初は、なんでこ んなに同じことばかりやらせられるのかと不審に思っていたが、ようやくわかりました」とおっしゃっいました。レッスンを2年近くやってからのことでした。 「熟成」過程をわかっていただくには時間がかかります。

 ひとまず、「音づくり」に関して知っていただくだけでも十分に意味はあるものと思います。

>また、「筋金入り」は本物ではなく、私の勉強法
にいつも触れてみては本当の勉強は長続きせず、
いつも計画を立てて、取り組む決心ばかりしてい
るダメ人間ぶりを女房が呆れていっているだけで
す。

 仕事を持ちながら、英語の練習を継続するのは至難の業であるというのはおおげさではないと思います。私のレッスンはペースメーカーとしての機能、一度到 達したレベルを維持する機能もあります。お金がかかるのが難点ですが・・・。
 初級者はわずかなことをやるにも大きな時間を必要とし、上級者は大量のことをわずかな時間でこなします。圧倒的に上級者の方が得のように見えますが、そ うでもないのです。初級者は比較的少量の練習で大きく伸びます。上級者は、大量の練習をしても、「これっぽっちか」という程度にしか英語力が変化しませ ん。
 こういう相反する性質が、初級者と上級者の間にはあり、そのどちらにとっても、仕事を持ちながら英語の練習を継続するのは難しいことです。

 ひとまずは、本のご感想をお待ちしております。



【8395】
【タイトル】Jさんのメール転写
【 日時 】04/02/11 0:59
【 発言者 】根石吉久

ねいしさま

辞めたのにのこのこすみません。
せっかく1年半続けてきたのだからこの一年半を振り返り、感謝の意を込めて感想を述べさせていただきたくメールいたしました。

始めた頃と比較して、私の英語はどうでしょうか?
自分では結構進歩したのではないかと思っているのですけど。。
最初は緊張もあって、新しい文章になじむのにも時間がかかっていたのですけど今はそれが以前より楽にできるようになったような気がします。
あら?進歩したのかな??と自覚したのは英語の文がすっと頭に入ってくるようになったこと。
そして無意識のうちに英語らしく(?)発音できるようになったことです。

結婚し、仕事も続けていますので、練習時間の捻出にはちょっと苦労しました。
時間がないというのは言い訳でしかないのですが、やはり時間が足りなかったのが残念です。
というのは課題に間に合わせるための勉強以外、することができなかったからです。

要は文法を掘り下げたり、疑問に思ったところを調べてみたりとかそういうことがおざなりになり、よどみなく回転読みができるための訓練のみを行ってしまっ たということです。結果、読むのは上手になったけど、話すのはまだまだうまくなっていない、、というような感じ? ですかね。。。怠慢な生徒ですみませ ん、、、。

次回始めるときはちゃんと掘り下げて練習したいです。
そのために文法解析もお送りいただいたわけですからね。あれを利用しない手はないですね。
前にも申しましたけど、こんなに長く続いた英語の学校(?)ははじめてですし、身を入れてやったのも初めてではないかと思います。
そういった意味でも私には合っている方法であったのではないかと思います。

少しの間中断しますが、またそのうち勉強は再開させるつもりです。
音読ももちろん取り入れようと思っていますし、またお世話になるや知れません。そのときはまたご連絡させてください。
加えて、主人が元気になりましたら、ぜひ遊びに行かせてください。

ではでは、季節がらご自愛くださいますよう。。





【8396】
【タイトル】メール転写
【 日時 】04/02/11 1:04
【 発言者 】根石吉久

レッスンの感想、ありがとうございました。
進歩した、と私ははっきりと感じていました。
文法解析は、現在も作成途中です。ある程度分量が追加されたら、掲示板「大風呂敷」に通知をしますので、空のメールをお送り下さい。折り返し新規追加分を 加えてお送りします。

旦那様のご看病をよろしくお願いいたします。
旦那様は顔も見たこともない方ですが、レッスンを通じて、「ああ、この人は大したもんだ」と思った人の一人です。
退院されてからも、体に気を付けて仕事をなさるように私が言っていたことをお伝え願います。

> 要は文法を掘り下げたり、疑問に思ったところを調べてみたりとかそういうことがおざなりになり、よどみなく回転読みができるための訓練のみを行ってしまっ たということです。結果、読むのは上手になったけど、話すのはまだまだうまくなっていない、、というような感じ?ですかね。。。怠慢な生徒ですみませ ん、、、。

 それでいいんです。話すのがうまくなるというより、話すことに中身が備わることの方が大事なんで、レッスンでこなれた部分に関しては、そのうちに話して いるうちにひょいと語法が使えたりするようになります。そのためにも、レッスンで終えた範囲を錆び付かせないようにだけはしていていただきたくお願い致し ます。

> 少しの間中断しますが、またそのうち勉強は再開させるつもりです。
> 音読ももちろん取り入れようと思っていますし、
> またお世話になるや知れません。そのときはまたご連絡させてください。
> 加えて、主人が元気になりましたら、ぜひ遊びに行かせてください。

 是非、練習は再開させて下さい。それと、是非遊びにおいで下さい。

根石吉久



【8398】
【タイトル】文法の説明なんかしてもらわなくていい
【 日時 】04/02/12 8:58
【 発言者 】あすみ

全くその通りですよね。私も授業をしながらそう思っています。私が勤務している高校は3月から特別時間割になり、生徒が自分で受けたい授業を選びます。英 語科として次のような授業を用意しています。就職英語・英文読解・英会話(ALTとのティームティーチング)そして英文法(英語T・英語U)。この英文法 という授業は参考書とそれに付随する問題集を使っての授業ですが、だいたいまず教師が黒板を使って文法事項を説明し、生徒はただひたすら黙ってノートをと り、そのあと問題集をやらせ、生徒に当てたりしながら解答・解説していく、という旧態依然とした授業です。
それなのに、強制ではないにもかかわらず、生徒の受講希望はこの文法のクラスが圧倒的に多いのです。可愛そうに生徒たちも洗脳されてしまっているんです ね。英語力をつけたいならまず、文法をしっかりやっておかなければ駄目だ!というふうに。実際そう明言されておられる同僚の先生もいます。で、私としては この文法の授業は担当したくなかったんですが、時間割作成上担当することになり、困ってます。3人の教師で分割して担当し、項目は仮定法と話法を中心に教 えることになっています。うーん。さて、どう授業をしようか・・・・根石さんは音作りによるインプットだと、おっしゃっていますね。授業時間は70分ひと コマで、週2回です。合計8回。
今のところ頭にあるのは、まず例文を沢山与えて読む練習(回転読みなど)をし、次の授業までに完全に覚えてくるように支持し、その後沢山英作文をやらせ て、そのときに必要なら文法を説明したりして、最後にまとめとして問題集をさせてみようかな?と考えています。
音作りに関しては、私はまだ電話でレッスンを受けていないので、まず私が自分で受けてみた方がいいですよね。どうしたらいいでしょうか?奈良県のOさんと いう方に、見ていただけるように前のメールにありましたが、どうなんでしょう?



【8399】
【タイトル】文法の授業
【 日時 】04/02/12 17:53
【 発言者 】Jackie

あすみさん こんにちわ。
高校の先生なのですね。
高校の英語授業の様子がきけて嬉しいです。

>私が勤務している高校は3月から特別時間割になり、生徒が自分で受けたい授業を選びます。

3年はもう受験シーズンまっただなかですから クラスは二年生ですか?
英語科というからには 英語好き、得意の生徒がほとんどのはずです。
仮定法などの定着率、理解率は よいのでしょうか?
仮定法が使えるようになると 英語の会話の幅もひろがり受験にも英検にも役にたつので
生徒にはしっかり覚えて欲しいところですね。

>この英文法という授業は参考書とそれに付随する問題集を使っての授業ですが、だいたいまず教師が黒板を使って文法事項を説明し、生徒はただひたすら黙っ てノートをとり、そのあと問題集をやらせ、生徒に当てたりしながら解答・解説していく、という旧態依然とした授業です。

英語が苦手だった私も なぜか英文法の選択授業をとっていました。
先生は問題集を宿題に出し授業で生徒をあてて答えさせ解説をしていくだけ。
普通の英文法の授業も教科書をつかって文法説明をして すぐさま穴埋め問題、そのあと英作文をした記憶があります。文法用語につまづいて解説はちんぷんか んぶんそして英語もちんぷんかんぷん。
授業の前には友達のやった宿題をみせてもらっていたありさまでした。

仮定法現在、 
仮定法過去If+主語+動詞b(e動詞、一般動詞)の過去〜主語+助動詞の過去形 +動詞の原型
などの文法用語につまづき その公式に一生懸命動詞や言葉をあてはめていって
まるでパズルのようで ちっとも定着しませんでした。




【8400】
【タイトル】私の仮定法のティーチングプラン。
【 日時 】04/02/12 18:02
【 発言者 】Jackie

まず仮定法現在、過去、過去完了という文法用語はおいておいておくこと(もしくは こういう言葉を使うが気にするな)が必要におもいます。
私がつまづいたのは なんじゃ 仮定法過去って??ってところでしたから。

まず 仮定法現在(条件)を しっかり定着させる。
If the weather is good, we'll probably go to the beach.
If the weather is bad, we'll probably stay home.
(旧side by side P60より引用) そのページの例をやったあと 考える時間を与えずにどんどんあてて 答え合わせ、音読。 理解しているか確認するために英作を2,3。

そのあと 仮定法のもしなになにだったら何々なのに。に入る。
楽しい文章をつかって導入。 
宝くじがあたったら(当たりそう)ポルシェをかうぞお!! (条件)
宝くじがあたるわけないけどあたったら ポルシェをかうのに(仮定法過去)、
などの文章を絵なども使い 面白く導入したあと
黒板に公式(英語と日本語)を書く。例文を何回か素読。そのあと感情をいれて音読(独り言でつぶやくように感情をいれてもよし、ペアにして伝えるように話 してなど。)

その後2、3例英文を提示して 公式をIf+主語+動詞の過去〜主語+助動詞の過去形 +動詞の原型をこくばんに書き 英語の単語の活用を提示しながら説 明
何回か音読。

そして(パスポートを探している絵と文章I've lost my passport)(I want to go to the game,but I can't get the ticket.)
などの 状況の絵や英文の大カードを黒板にはり
その文章を元に仮定法過去の文章をつくらせる。

そのあと 確認 音読 公式をみて単語がどのようにかわるのか確認させながら音読させる。
宿題は授業で学習した文章の音読と筆写。問題集の仮定法の単元をやってくる。自分で答え合わせもしてくること。参考書は勝手に読んでくること。
問題集、参考書のわからないところは次回質問すること。 
次回は前回授業でやったところを絵カードや元の英文をみてこたえさせる事からはじめる。
そして問題集のわからなかったところを言わせて
説明 疑問点をクリアにしたあと文章音読。
その後小テスト、前回やった例文や問題 たった今答え合わせして音読した問題集の問題、
そしていくつかの新しい問題もまぜて。

そして仮定法過去完了を導入。
これまた仮定法過去完了などというわけのわからない文法用語はおいておいて

宝くじがあたったら(当たりそう)ポルシェをかうぞお!! (条件)
宝くじがあたるわけないけどあたったら ポルシェをかうのに(仮定法過去)、
そして今回のテーマ、
もしあの時宝くじがあたっていたらあ!(一番違いだったんだそお。)ポルシェを買ったのにぃ。
仮定法過去完了を導入。
以下 授業の流れは前回と同じ。

宿題も前回と同様に。 +英作文宿題。宝くじがあたったら、時間があったら 英語がペラペラだったら 彼女の電話番号をしっていたら などなどのテーマ文 (英語でも日本語でもOK)
を使った英作文と 各自自由に5つぐらい英作を宿題にだす。
次回は 前回の確認と小テストと 英作の発表会。

てな具合かな。お恥ずかしいまでですが
さらして ご批判 助言をいただけれれば
私のレッスンに生かしていきていとおもっています。
文章間違い説明間違いもあるかも。 失礼。

学校では小さな塾と違い大人数なので レベルや理解の差をまとめて踏まえながら教えていくのは大変なことだろうと思います。 私は小人数なもので 楽をさ せてもらってます。



【8402】
【タイトル】続き
【 日時 】04/02/12 21:06
【 発言者 】Jackie

例文は音作りをかねて指導。 技法グラウンドで定着をはかる。

AETの授業の時に 練習した英文を読み発音がネイティブに通じるかチェック、
日本人教師がしっかりと音作りをしていれば通じるはず。ここでAETにも発音指導(できるか?)
や上手くできたら誉めてもらうことが肝腎。
そして 実際に仮定法を使ってAETと会話してもらい生徒は 「俺の仮定法通じた!」と感動。
また外国出版社のテキストの仮定法を使ったダイアローグや練習問題をを使うもよし。(これは指示も全部英語だから英語で授業ということになる。)

英検準2級、2級の筆記問題の 仮定法の過去問題をかたっぱしから解かせると
英検にも役にたちます。

あー 途中から妄想がはいってきてます。お許しを。



【8403】
【タイトル】Jackieさん
【 日時 】04/02/13 8:28
【 発言者 】あすみ

Jackieさん、おはようございます。早速のアドバイスありがとうございます!プリントアウトして熟読しました。とても楽しそうな授業案ですね。ぜひ私 の授業でも使わせてください。仮定法現在をしっかり定着させた後、仮定法過去、そして過去完了へとひとつずつ確実に定着させること、(その際文法用語には あまりこだわらない、というか使用は最低限に抑える)楽しい例文をたくさん使うこと、発音をALTにチェックしてもらうこと、英検などに出された仮定法の 問題を解かせること、絵を使ったり、楽しいテーマを与えたりして英作させて発表させる、などなど本当に良い案を出してくださってありがとうございます。こ れらはできる限り授業でやってみたいと思います。そしてその基本にあるのは音読ですよね。正しい発音で何度も読む練習をさせる。これを忘れないでおこうと 思います。
あとは、私自身の発音の矯正・・・・・これが課題です。
そうそう、私の勤務校は単位制高校なので、さまざまなレベルの生徒が集まっています。学年もまちまちで、自分の学力に合わせて授業を選ぶので、1年生や2 年生が混じっています。ただ、あくまでも自己評価なので、すごくできる子が基礎クラスにいたり、力が今一歩足りずに発展クラスにいたりして、なかなか授業 がやりにくい面もあります。英文法を受講する生徒は主に大学進学希望の生徒たちなので、そこそこできますし、やる気もあると思いますが、英文を声に出して 読むということを、おそらくほとんどやっていないんじゃないか、そういう感じです。読ませてみてもきちんと発音できている子は少ないです。ただ、今回は人 数が多く、1クラス60人前後になりそうで、音読指導がむずかしそうだなあ、と不安ですが、まあ、やれるだけやってみます。
それでは、また。ありがとうございました。



【8404】
【タイトル】あすみさん
【 日時 】04/02/14 1:36
【 発言者 】根石吉久

>で、私としてはこの文法の授業は担当したくなかったんですが、時間割作成上担当することになり、困ってます。

 困ることはないと思います。「音づくり」が終わったものについてだけ説明するから質問せよ、でいけばいい。「音づくり」を終えたものに関してなら、疑問 が生じ、質問も生じると思います。「音づくり」が終わっていないもの、生徒が疑問にも思っていないものを、しゃあしゃあと学校の先生たちは説明などしてき たのでした。阿呆のやることです。
 「音づくり」が終わったものに関してだけ質問があれば説明する、というやり方でやれば、阿呆のやる授業よりずっと楽しいと思います。
 ですが、これをやるのは度胸が要ります。
 応援しますから、やってみて下さい。

 問題集なんか、自分で勝手に解け、でいけると思います。
 そういえば、昔、生徒に問題集を渡すに際して、セット販売の解答集をあらかじめ外して生徒に渡すような姑息な学校の授業がありました。アホか。
 あらかじめわかっている解答を学校(を笠に着た先生)が押さえて、生徒には問題だけ渡すというやり方をやっていたんです。多分、長野県立屋代高校のバカ 教師です。名前を忘れたが、名前を覚えていれば、ここに書いてやるのだが(仮定法過去)。

>根石さんは音作りによるインプットだと、おっしゃっていますね。授業時間は70分ひとコマで、週2回です。合計8回。

 合計8回というのは、一ヶ月に8回ということでしょうか。
 時間とコマ数は充分だと思います。
 要は、生徒が自分で「音づくり=インプット」を始めるかどうかです。先生たちのおせっかい根性がなくなれば、生徒は自分でやるでしょう。とにかく、きめ 細かくやかましいのです、学校の先生が言うことは。
 やかましいことを言うのをやめて、実際に必要な「音づくり」のコツをしっかりと生徒に手渡すこと。つまり、生徒が自分で勝手に好きなだけ練習するのに、 必ず役に立つように、手短なコツを伝えることです。一度は実現した音も、絶えずカタナカ発音に先祖帰りしますから、熟成((復習(蒸し返し))に少なくと も、授業時間の半分の時間は割くことです。

Jackie さんの案のように、授業時間を小さく区切って、区切り毎に「音づくり」を混ぜ込むのも一案です。

>音作りに関しては、私はまだ電話でレッスンを受けていないので、まず私が自分で受けてみた方がいいですよね。どうしたらいいでしょうか?奈良県のOさん という方に、見ていただけるように前のメールにありましたが、どうなんでしょう?

 生徒にこうしろと明確に指示できないのであれば、是非レッスンを受けていただきたく思います。Oさんには、私から連絡することもできますが、Oさんは Naima さんですので、直接「鬼」にお問い合わせ下さるのがてっとり早いです。
 Naima さんは「鬼」(「回転読み」を実験する人々)どもの総元締めです。是非、始めていただきたく願っております。
 私のレッスン枠は、予約で埋まった時点で、再び空きがなくなっております。
 「鬼」で、Naima さんこと、鬼さんこと、Oさんにお問い合わせ下さい。

 「鬼」を覗いてみていただけば書いてありますが、今現在は、Naima さんは木曜日がレッスン可能です。ひとまず、「鬼」に何か書いて下さい。Naima さんからお返事があると思いますので。

http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs




【8406】
【タイトル】私も嬉しい
【 日時 】04/02/14 17:42
【 発言者 】ミッフィー

 国立大の二次指導のさなか、ふと大風呂敷を見たら、あすみさんの、公立高校の現状を生々しく描いた(?)ジレンマやJackieさんのアドヴァイスが。 来年何年生を担当するかはわかりませんが、Jackieさんのアドヴァイスは私もぜひ使わせていただきたいと思いました。ありがとうございます。それと根 石さんとNaimaさん、1000を送っていただきありがとうございました。もし時間があれば、誤植を打ち直し、お送りできればと思います。(しかしいつ になるかは相当あやしい)
 センターを終え、二次試験の指導をしながら思うこと。いくら三年になって問題集を解かせても、それまでに英文をたくさん口に出して読むインプットがなけ れば、単語を口に出して読めなければ、生徒が1日5,6時間勉強しても無駄だ。要領のいい生徒なら、マーク形式で8月頃には100点いくかいかないかでも 最後には130点くらいまで(つまり全国平均)伸ばせるが、哀れなのは、ものすごおく勉強して、でも要領が悪い生徒さん。3年を担当して、暗唱例文テスト を週2コマ(理系)、または週3コマ(文系)で実施していたが、彼女らが3年の11月頃につっかえていたのは(英文がなんだったか忘れたけど)とにかく that節の後にSVが来る文章だった。
 センターの語句整序が取れないと言って泣きついてきた生徒に「toの後は動詞の原形がくるやろ」と言っても「へえ〜。ふう〜ん。」と言う。文を繰り返し て50回読めばいいと言ってもせっぱ詰まっていたその子ができたかどうかもよくわからない。そして彼女らは医学部あたりを目指していたけど、センターの英 語は100点前後、当然志望学部を変更せざるを得なかった。センター試験、マークシートといえども小手先の問題集解きまくりで何とかなる人もいるだろうけ ど、勉強時間が多いのに報われない生徒は確かにいる。自分の生徒を見て、今後は決して生徒にこんな思いをさせたくないと思った。声に出して何度も読ませる 指導が1,2年の時からあるべきだと痛感した。文法に関しては私も今年一年は相当旧態依然とした授業をしていたので偉そうなことはあまりいえない・・・。



【8407】
【タイトル】アドバイスお待ちしています。
【 日時 】04/02/15 13:50
【 発言者 】Jackie

あすみさん ミィフィーさん

私のプランでよければ、役にたつことがありましたら使ってください。
教師のSbさん、ベテラン塾講師のNaimaさん、文法説明抜群のRayさん 浜谷さん、
掲示板常連の方々ならきっといい案をもってらっしゃることと思います。
私、参考にしたいので投稿してください、って企業秘密かな。

英会話学校勤務の時は研究授業という場がありました。
ベテランの先生方を前にいろいろとつるしあげられるので
それはもう逃げ出したかったですね。
今ならば 自分のプランをみてもらいいろいろと批評やアドバイスを得ることができ
自分のレッスンがよくなるわけですから 積極的にうけたいところです。
変われば変わるもんだ。
個人の教室だと切磋宅間する場所がありません。ということで
ここで自分のプランを書き、ご批判、アドバイス、ご指導をいただければと思っています。
よろしくお願いします。



【8408】
【タイトル】小道具
【 日時 】04/02/15 14:03
【 発言者 】Jackie

宝くじで仮定法現在と過去を導入するときは 小道具にぜひグリーンジャンボかLoto6を。 それを見せて英語で導入。 ”What is this?"てな具合に英語で質問して 「宝くじ」"That"s right. How do you say takarakuji in English?"
と生徒に発話を則していく。
以下日本語でかきますが英語ということで
”Have you( ever bougtht(won)a lottery?"" (未成年は買えないのかな?じゃ君のお父さんとか)
私は当たったことがある。すごいだろ。 300円!!
最高賞金はいくらか知ってる? グリーンジャンボは二億円。
さあこの宝九くじ あたるかな。あたったらどうしよう。
If I win the lottery, I will buy a house, I will go to Paris, I will buy..
と言いながら 基本文を黒板に書く。
で 生徒にHow about you? どんどん夢を言わせていく。(宝くじを実際にもたせるとよい。自分の夢ト小道具をかねて20枚ぐらい購入する。)

そのあとにでもこれって当たると思う? 何人の人がかうのかな?
で 当選者は何人?(宝くじの裏をみさせて答えさせる) これじゃあ あたらないなあ。
で 仮定法過去を導入。
If I won the lottery I would buy a house.
           I would go to Paris. 

ここからは説明にはいるので しっかり日本語で。
今までの文章は確率が50%ぐらいはあるかなあ 可能性はあるとき使うのだが
可能性がほとんどないときは こういうんだ。と導入。ここが過去形になって・・・と動詞変化を文法説明)
例文数回音読。音作り指導。 音読。
生徒にこの文の動詞を自由に入れ替えさせ言わせていく。(あたるわけないけどさあという顔つきもさせながら)

公式を書く If+主語+動詞の過去形・・・, 主語+助動詞(would,should,could might)+動詞の原型
仮定法過去の使い方(事実と反することに使うとかどうたらこうたらを手短に)説明。
公式をみ見ながら助動詞と動詞の変化などを いくつか提示。
If I were you, If I had time、 などよく使う文を提示して教師が英作。板書。
例文を音読 音作り指導をかね 技法グラウンド。
生徒にもその頭文を使った文章を言わせていく。(Good! OK! Great!) と誉めていくのをわすれずに。
生徒に言わせて いくつかは黒板に書いていく。音読。

まず元の例文を音読して少し定着させたあと その文を使っていくつか文章を作らせていくことは重要に思います。
If I won the lottery,など一つ例文を提示したあとその頭文を使って文章をつくっていく。
If I were you (be動詞)と教師が例を書いていくそのあと生徒に英作を当てていく。
※教師が書いた例文はあとで仮定法の説明とともにプリントにして渡す。回転読み宿題&小テスト用。
If I had time,If I knew her telephone number(一般動詞)以下同じく。 If I could speak English well,
Be動詞と一般動詞とかそこいらへんでこんがらがる子も公式の日本語でつまづく生徒もいるので 一足飛びに動詞、be動詞、助動詞などがミックスした問題 をとかせることは
仮定法嫌いをつくってしまうのではないかとおもうのです。

私がうけた学校の文法の授業では 先生が教科書の例文を使って説明したあと
すぐに 穴埋め問題や英作にはいってしまっていました。
それも 問題は繰り返しがありませんでした。公式の日本語の意味や 仮定法ということばに?動詞の使い方がまざり?いきなり高度な英作文。
仮定法は大嫌いでしたね。というよりかんぜんなるおちこぼれでした。
それもフルの日本語から英語へなおす全訳。仮定法過去、過去完了I wish, as if,
should, 倒置などならったものが順不同ででてきていました。 
仮定法過去を音読 頭の文をあたえて英作と定着させたあとでその英作文、
仮定法過去完了を例文音読を通して定着させたあとで その英作文と言う風に順序だててくれればなあと思うのです。※前もってよく使われる動詞の変化(do -did done)
も宿題に出しておく。 
そして総仕上げに仕上げにミックスした問題をだす。



【8409】
【タイトル】音読は照れくさい?
【 日時 】04/02/15 15:10
【 発言者 】Jackie

英会話学校に来る生徒は英語が好きでしゃべりたいと思うからくるので
本文音読やダイアローグなども声を出して読みます。
しかし高校生は恥ずかしがるのでなかなか音読してくれないと先生がなげいていらしたのをどこぞの掲示板で読んだことがあります。
現場、どうですか?英語らしく読むと周りがひやかしたりするので帰国子女も日本語発でで教科書を読むともきいたこともあります。
なんとなく想像できます。
しかしもったいないですね。しっかりと音作りをして通じる音で発音し
それをAETにほめてもらうことで英語で声を出すことにおくせないようになって欲しいですね。

>英文法を受講する生徒は主に大学進学希望の生徒たちなので、そこそこできますし、やる気もあると思いますが、英文を声に出して読むということを、おそら くほとんどやっていないんじゃないか、そういう感じです。

そうですね、声に出して読むのはとても大事ですね。
よく出来る生徒でも実は英語ができない。
英会話学校の初級クラス(中学1,2年レベルの文法を使った会話)にも
難しい大学受験を通ってきた{英語ができるはず}の生徒がいました。
なぜか?文字をみて頭で考えて答えを出すことはできても 声にだしたり書いたりして口や体で言葉を体得していないからというところでしょうか?
もったいないですね。

>センターを終え、二次試験の指導をしながら思うこと。いくら三年になって問題集を解かせても、それまでに英文をたくさん口に出して読むインプットがなけ れば、単語を口に出して読めなければ、生徒が1日5,6時間勉強しても無駄だ。

ミッフィーさんのおっしゃる通りです。
根石さんが大学受験後に英語が死んでしまうといっていました。
高校までに学校や塾や自宅での勉強でいったいどれだけ英語のためについやしていることか。
もったいないですよねえ。 せめて死の手前のいつでも生き帰ることが可能なゾンビぐらいにしとかなきゃ。



【8410】
【タイトル】受験英語で の記事の倉庫より
【 日時 】04/02/15 15:39
【 発言者 】Jackie

大風呂敷過去ログより転載  
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/log/7201-7300.html

【7275】
【タイトル】受験英語で の記事の倉庫より

受験英語で、、の記事の倉庫より転載

根石さんの
受験英語で「音づくり」をちゃんとやるべし
 
25年、英語だけの塾をやってきました。現在は、電話を使い、映
画のシナリオをテキストにして、社会人の英語のレッスンもやってい
ます。
これをやってみてわかったのは、受験英語に「音づくり」を合体さ
せるのが、日本人が「使える英語」を手に入れるための最短距離だと
いうことです。
 受験が終わったら、「使える英語」としてよちよち歩きができるく
らいになるのがいいと思うのですが、ほとんどの受験英語は知識が知
識のままにとどまり、およそ「使える英語」とは言えないものができ
てしまいます。
 受験英語に「音づくり」(イントネーション、音のぶつかりあいの
処理を含む)を合体させることは、「使える英語」を作るには欠かせ
ない作業だと考えています。だから、「音づくり」→「理解」の順序
は決して崩してはならないのですが、これを予備校や塾は平気で崩し
てしまいます。
 結果として、日本全土に英語の死屍累々が続いています。

 どうせやるんなら、「使える英語」に道をつけないと大損だと思いま
せんか。
 

今日は風が強いので家でPC前に。
7200番〜そして7300番〜と読み返しています。
中庭をめぐって 熱かったですね。なつかしー。
どうしてらっしゃるか 大学講師さん。
鬼で
「学生は高い授業料を払っている。あなたが学生と同じ特権を得る権利はない。」
と叱られました。 私は懲りずとここでまたアドバイスを求めています。
開き直ってオープンに。
気が変わったらアドバイスよろしく。大学での音読実践その後如何ですか?



【8412】
【タイトル】音読・繰り返し・テクニック
【 日時 】04/02/15 18:45
【 発言者 】Jackie

>ところで、最近授業で音読の練習を多く取り入れるようにしてはいるのですが、なかなか生徒は面倒臭がって積極的ではありません。工夫の必要性を感じてい ます。

やはり照れくさいのでしょうかねえ?そのくせ英語は話せるようになりたかったりする。うーん。

Naimaさんの過去ログより
>一斉に音読したり生徒1人を指名して読んでもらったり、スラスラ読める様になると教科書の一文づつ順に読む、指名された生徒はテキストを見ないで空で 言ってみる、などバリエーションは工夫と創意でいくらでも出て来ます。 素読や只管音読、音読筆写などは、古くて新しい日本発の語学基礎学習法だと思い始 めている所です。 


>今回は人数が多く、1クラス60人前後になりそうで、音読指導がむずかしそうだなあ
、と不安ですが、まあ、やれるだけやってみます。

やはり一クラス60人は想像もつきません。どうやって60人を乗せていくか。

例文の一部入れ替え英作などで あまりに生徒の口が重い場合は
生徒にキッチンタイマー爆弾を回して急いで答えさせていく。という手も
英会話学校でよく使う手段です。

または声をださせるために各自ばらばらに音読練習やペアワークをさせる。
生徒をペアにする。既習事項の音読を繰り返した例文と2,3の新しい文章をまぜたもの10問ぐらいのプリントを渡す。
1-a Ken wants to buy a car, but she doesn't have enough money.
 b If he had enough money, he would buy a car.
生徒Aはプリントを見ながら読む。生徒Bはプリントを裏返しにしておく。
生徒Aがのaの文章を読んだら 生徒Bがその文章を元に答える。
生徒AはOK!Good!Close!やを出したりヒントをだしたりして進ませていく。
終わったペアから座るなり立つなり、
教師の前にいって技法グラウンドしながら音作りのアドバイスをもらったり。

また次の時間の復習には、上記の例文の日本文と英語文をかいたものを私
生徒Aが日本文を読み生徒Bが口で英訳して答えるなり書いてみるなりする。

同じ文章を何度も手をかえやり方をかえ繰り返します。
根石さんのいう 「繰り返し。復習範囲を手ばなさない。たくさんのの既習事項の繰り返しに新しい文を少数開拓。」(鬼でいうFF FN T のバランス。 詳しくは根石さんか村田さんまで)が大事だとおもうのです。

英語授業の技とか教師向けの本には授業でのコツや音読のさまざまなバリエーションが書いてありますね。
あすみさんもミシフィーさんもご存知だとおもいます。
柳瀬さんのHPや達ゼミの実践報告にもさまざまなアイデアがあります。
その他セミナーもありますね。
自分にできそうだと思うことはとりいれていこうと思っています。
しかし実際やってみるとなかなか自分の技にするのはむずかしい。
教授法 テクニックは数あれど 躍らされていてはなにもならない。
たくさんある技を取捨選択して
主役は生徒ということを肝に銘じていきたいと思います。



【8414】
【タイトル】Tさんからのメール転写
【 日時 】04/02/16 3:14
【 発言者 】根石吉久

根石吉久 様

東京のTです。
送っていただいた、本2冊、コテンパンすべて読ま
せていただきました。
タイトル通り、激しいですね。でも、英語をモノに
するには、生半可な事では無理だということが素直
に浸みこんできました。
生半可な英語勉強法好き(マニア改め)としては今
までも大変な努力が必要なのは理解しているつもり
でしたが、まだまだ全然甘かったことを痛感し、読
み進めるたびに目から鱗がおちました。

たぶん、根石さんの進める方法がやりきれるのかは
自信がありませんが、今の私にとって英語をモノに
する方法として、一番明確な道筋に感じます。

>  2月から3月にかけて、一ヶ月分(4回)、試
> しにレッスンを受けてみられるのはどうでしょう
> か。その後、大学生(もしくは浪人生)が、復帰
> しましたら、小川さんのレッスン枠に移っていた
> だくか、私の枠が空きましたら、私の生徒さんと
> して継続していただくことになります。

まだ、上記の枠、まだ大丈夫でしょうか?
一ヶ月お願いします。
レッスン日火曜日ですよね?
因みに、早速2/24は出張先で夜、宴席の予定が入っ
ています。手続き含め、詳細ご連絡いただきますよ
うお願い申し上げます。





【8415】
【タイトル】Tさんへ
【 日時 】04/02/16 3:16
【 発言者 】根石吉久

メールありがとうございます。

本の感想をいただきとてもうれしく思いました。ありがとうござい
ます。大風呂敷の方へ、「Tさんからいただいたメール」として転
載させて下さい。

> 一ヶ月お願いします。
> レッスン日火曜日ですよね?
> 因みに、早速2/24は出張先で夜、宴席の予定が入っ
> ています。手続き含め、詳細ご連絡いただきますよ
> うお願い申し上げます。

 では、切りがいいですから、3月2日を初日として、4回試して
みていだだくことでよろしいでしょうか。お試しの4回は、通常の
レッスン代金の半額でやらせていただきます。現在、月額で1万2
千円いただいてやっておりますが、お試しに限り、6千円でやらせ
ていただきます。

 レッスン枠は、火曜夜、9時40分から10時10分でお願いい
たします。初日、こちらからお宅の電話を2,3回鳴らしていった
ん電話を切りますので、026−272−4330 に電話をかけ
直していただきます。
 お試しいただいた後、レッスンを継続なさる場合は電話会社のな
んらかの割引サービスをお使いになるようにお勧めします。一番高
いNTTの「シャベリッチ」で、月額のレッスンの電話代が150
0円くらいです。数百円台でおさえられるサービスがいくつもあり
ますので、普段の電話の使い方と考え合わせて、なんらかのサービ
スをご利用下さい。

 テキストはコピーをお送りします。
 継続してやろうと決められた場合は、書店から一冊お求め下さい。
 出版社:スクリーンプレイ出版
 書名:ゴースト
 ビデオを借りてきて、映画を一度観ておいていただくといいかと
も思います。

 送金は、郵便口座にお願い致します。申しわけありませんが、振
り込み手数料をご負担下さい。

郵便貯金総合通帳
記号 11180
番号 21641261
名前 根石吉久

 何か書き漏らしたような気もしているのですが、ひとまずこれだ
けのものをお送りします。不明の点は、お問い合わせ下さい。

根石吉久



【8417】
【タイトル】あすみさん、ミッフィーさん
【 日時 】04/02/17 2:01
【 発言者 】根石吉久

一案ですが、教室で生徒を指名し、「いけにえ」にするのはいかがなもんでしょうか。
「はい、××君、立って。いけにえ、ね」と申し渡しておいて、私のレッスンでやっているよう
に「技法グラウンド」をやるのです。まず自分(コーチ)が一回読み、生徒に5回程度繰りかえ
させる。その間に問題にすべき発音をみつけ、「生徒に手渡すべきコツ」を定型通りに手渡しま
す。教室の全員が、「いけにえ」の音が変わる過程を聞いているので、教室が60人でもできま
す。「いけにえ」さんの音がまずまずのものになったら、教室全員に、今の要領でやれと指示し、
各自勝手に口を動かし続ける時間(「回転読み」をやる時間)を1〜3分くらい与えます。

 この手順で、学校の教室でも「音づくり」はできるはずです。



【8418】
【タイトル】皆様
【 日時 】04/02/17 2:05
【 発言者 】根石吉久

Naima さんに向けて次に掲載する「音づくり」案は、学校の教室、塾の教室でも使えるはずです。
プリントアウトして、コピーするなり印刷するなりしてご利用下さい。
ただし、この掲示板「大風呂敷」のURLを末尾に添えておいてくださることを希望します。
また、考案者は根石吉久であるということも添えて下さるとうれしく思います。

なお、「生徒に手渡すべきコツ」に書いてあることがわからない学校の先生や塾の先生がいら
した場合は、是非素読舎にお問い合わせ下さい。レッスンさせていただきます。



【8420】
【タイトル】生徒に手渡すべきコツ(1)
【 日時 】04/02/17 2:08
【 発言者 】根石吉久

タイトルを間違えましたので、再掲します。
----------------------------------------------------
@ ar  [a:r]  顎の下がる明るい音。診察室の「アーン」。
     [a]   一瞬顎の下がる音

A 子音+a+子音 [ae] 口の両端を一瞬斜め上に引っ張り上げる。「一瞬般若」

B [逆さe:r] [逆さe][逆さv] 狭い音。日本人はひとまず唇の開きで狭さを作る。
           ネイティヴは口はそれほど狭くないが、舌で口の中に狭い息
           の通路を作る。ひとまずは唇の開きで作るのがコツ。
           [逆さe]と[逆さv]の区別はアクセントの有無により、自然に
           備わる。( [逆さe] は息から力が抜ける)

C th 舌の先を上の歯の歯先にあてる。舌が歯にこすれて出るかすれた音。

D f, v 上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてて、離す瞬間に出す。

E t,d,l,n    舌を上の歯の歯茎の裏。それぞれ舌の押しつけ方は微妙に違う
         が、技法グラウンド」「回転読み」の量で自然に解決する。

F r 多くは、舌を喉の方に引き込み、口蓋の天井に触らない。
   舌が歯に近い方で、宙に浮く場合もあり。ポイントは口蓋の天井に触らない
   こと。

D s, z      歯と歯茎の境目あたりに舌がわずかに触わるくらい。狭い隙
   間に息を通す。

ES(long s) 「静かにして、シーーッ」のシに含まれる音。

F 単語の最後が t,d,l,n のどれか。次の単語の最初が t,d,l,n のどれか。
  前の単語の最後の音は、舌の位置を確保するだけで黙音化。(一瞬の空の音)
  この法則以外でも、単語の最後の t や d が舌の位置を確保するだけで、黙音
  化することは多い。

G 単語の最後が t, d, l, n のどれか。次の単語の最初が th
  前の単語の最後の t,d,l n は舌を th の位置で黙音化させてよい。

H 単語の最後が子音。次の単語の最初が母音。子音と母音は連続する。リエゾン。

I [s][z][d3] と th のぶつかりあいでは、[s][z][d3] が勝つ。
  th の音は、[s][z][d3]の音と同化する。



【8421】
【タイトル】生徒に手渡すべきコツ(2)
【 日時 】04/02/17 2:09
【 発言者 】根石吉久

併記。根石吉久考案「あいうえおフォニックス」

生徒にローマ字で a i u e o を紙に書かせる。
それぞれに、r を加え ar ir ur er or と書かせる。
最初の ar だけを丸で囲めと指示する。
残った4つ、ir ur er or  を大きな丸でひとくくりに囲めと指示する。

ar だけが分離される。残り4つはグループ。

ar は
@ ar  [a:r]  顎の下がる明るい音。診察室の「アーン」。

ir ur er or は

B [逆さe:r] [逆さe][逆さv] 狭い音。日本人はひとまず唇の開きで狭さを作る。
           ネイティヴは口はそれほど狭くないが、舌で口の中に狭い息
           の通路を作る。ひとまずは唇の開きで作るのがコツ。
           [逆さe]と[逆さv]の区別はアクセントの有無により、自然に
           備わる。( [逆さe] は息から力が抜ける)

の仲間のひとつ、[逆さe:r] の音。

この「あいうえおフォニックス」でしばらくレッスンして、顎の下がり、狭い音の音
の「こもり」がはっきりと穫れてきたら、ear の綴りの音も ir ur er or と同じく
「狭い音」だとして追加する。



【8425】
【タイトル】根石さん
【 日時 】04/02/17 8:47
【 発言者 】小川住江

「生徒に渡すべきコツ」ありがとうございます。 特に中学や高校生には、こういう説明の方が分かりやすいので、英語塾でも使わせて頂きます。

同僚の先生達が、「1000」は高校2年生には難しいのではないか、と心配していましたが、語数別でやると楽に頭に入る様です。 私の説明に説得力がない のが問題なのだとは思いますが、他の先生達にはなかなか理解してもらえません。 中級者以上になると、「英語は英語で理解するべし」と頭に叩き込まれてい るので、日本語訳をそっくりそのまま与えてしまう、と言うやり方にも抵抗がある様です。 
  
回転読みや語数別分類について、すんなりとわかってくれてるのはRosey くらいか... 彼女はもともと英語畑の人ではなく理工系なんですが、かえって巷の指導法に毒されてないのがいいのかも知れません。



【8426】
【タイトル】油断大敵
【 日時 】04/02/17 22:22
【 発言者 】小川住江

夫の海外出張中にいろいろ煩わしい出来事があり、英語に集中できる状況ではなかった、と言うのが言い訳なんですが、これからコーチを引き受ける様になって くれば、そんな言い訳は通用しないと、自分を恥じています。

音を先に行かせる事がまず大切だと言う事は、よく理解出来てはいるのですが、日常の雑事に煩わされると、つい「手抜き」をやってしまいます。 先週に引き 続き、1人反省会です。 

簡単なダイアローグなどを手抜きしてしまう事が多いのですが、これは話の流れや意味がわかるので、コーチの読みを聞いたらすぐに再生出来るやろ、と慢心し てしまう為です。 メモもとれるし、ここは適当にしておいて、つい長く複雑なセンテンスを重点的にやろうとしてしまいます。 

"I had Rose move your three o'clock with Bob Kahan to four o'clock..." や "Molly, the New York Times is just some frustrated little critic with pimples ..." などの長いセンテンスでひっかかる事はまずありませんが、"No, Moly, don't! Molly, no, no, please." などでつまづく事が多いのです。

練習量というものは侮れません。 致命的です。 話の流れで意味を考えてたかだか数十回ほど回転させてお茶を濁しているだけのものは、やはり頭で考えない と出て来ませんでした。 当然、自分の言葉でやるわけですから、似て非なるダイアローグが出てくるわけです。

Oh, やら Hey やらの間投詞などは特別重要でないやろ、と思った事もあったのですが、ストーリーの流れや役者の感情の流れなどの中から必然的に出て来たものであるので、 会話のイメージや状況を理解する上でも、やはり大切な部分だと思うようになりました。 

英語はまあそこそこ出来るから、と言う慢心は捨ててかからねばなりません。



【8428】
【タイトル】全くその通りです
【 日時 】04/02/18 5:59
【 発言者 】ミッフィー

 Naimaさんでもそうなんだあ…と納得してしまいました。私もNo,Molly,don't!のくだり ではとても苦労しました。しかしやはり練習量 がすべてだと本当に実感しています。根 石さん、今週の土曜日がちと苦しいので、もしよろしければ21日以後の別の曜日に振 り替えてもらうことはできま すでしょうか?もうすぐ国公立の前期試験なのでそれに向 けて英文読みまくりの解きまくりで具合が悪くなりそうです。



【8429】
【タイトル】楽しそうですね。
【 日時 】04/02/18 11:45
【 発言者 】Jackie

>「はい、××君、立って。いけにえ、ね」と申し渡しておいて、私のレッスンでやっているよう
に「技法グラウンド」をやるのです。まず自分(コーチ)が一回読み、生徒に5回程度繰りかえ
させる。その間に問題にすべき発音をみつけ、「生徒に手渡すべきコツ」を定型通りに手渡しま
す。教室の全員が、「いけにえ」の音が変わる過程を聞いているので、教室が60人でもできま
す。「いけにえ」さんの音がまずまずのものになったら、教室全員に、今の要領でやれと指示し、
各自勝手に口を動かし続ける時間(「回転読み」をやる時間)を1〜3分くらい与えます。

根石さんのこの方法は楽しそうですね。生徒が勝手に回転読みをする時間を与えることで授業のかなりの時間、発音に気をつけて「声を出す。」練習になる。そ れも受け身でなくある意味自主的で能動的に。
英語の普通の授業にかぎらず 読解、文法の授業でもやれる。定着にもぴったりです。

話はかわりますが、
高校入試にむかって追いこみに入っている生徒達への教師からの助言が新聞にのっていました。
「リスニングの試験対策には普段からラジオなどの生の英語にふれておくこと、また英語らしく教科書を読むことが大事です。」

その通りなのですが 中学で先生が英語の音をおしえていないのにどのようにして「英語らしく」読めというのでしょう。(この学校では教えているのかもしれ ませんが。)それと英語らしく発音すること英語の音は違う物。
一見べらべらと英語っぽく発音してみても実はネイティブには「今の何語?」にしかきこえていなかったりする。英語らしく、のほうは子音や一つ一つの音が しっかりと発音されていないから。
口の形もできていないから。発音できないものは聞き取れない、いやききとれるが上っ面だ。
やはり 音づくりは重要ですね。リスニングにも英語力の底上げにも。



【8430】
【タイトル】仮定法の歌。
【 日時 】04/02/18 11:49
【 発言者 】Jackie

If I Had A Hammer.
ROD STEWART LYRICS - If I Had You
Barenaked Ladies - If I Had $1000000 lyrics
http://www.google.com/search?q=If+I+had+you+I%27d+have+the+power+lyrics&hl=en&lr=&ie=ISO-8859-1


ROD STEWARTの詩はかっこいい。高校生受けしそうです。
Barenaked Ladies は おもしろい詩。しかしカラオケにははいってないだろうなあ。 
If I Had A Hammer. は スタンダードですね。高校生には退屈かもしれない。
しかしだれでも知っている曲だから十八番にしておけば将来友達づくりに役に立つ。
クラス演奏用のCDが手に入るか、生徒がカラオケの時に歌えるように、近所のカラオケボックスに歌がはいっているかがポイントでしょうか。

I could havw danced with you.
マイフェアレディ 女子高生うけしそうなオードリー。
I could have danced with you.
の繰り返されるので 音作りにもてきしているかな。映像も手に入る。
授業の気分転換に先生がオードリーになりきってパフォーマンス。
次からあだ名は オードリー先生。

英文法は楽しい♪。



【8431】
【タイトル】「英文法は、楽しい♪」
【 日時 】04/02/18 13:07
【 発言者 】小川住江

仮定法は知識として理解出来ていても、会話の実践の場では,なかなか活用出来ないものですね。 私も歌や映画の台詞を「型」にしてしまうといいと思いま す。

Eric Clapton の ヒット曲、"Tears in Heaven" にも、"Would you know my name, if I saw you in heaven?", "Change the World" にも、"If I could change the world, I would be the sunlight in your universe." など仮定法が満載です。 

映画、"One Fine Day" の中に、"What would you do if I kissed you right now." と言う色っぽい台詞が出て来ます。 お互いにひかれあいながらも会えば喧嘩ばっかりしている男女のラブシーンで出てくる台詞なんですが、この映画の1コマ を見れば、わずらわしい文法説明などまったく無用です。

電話レッスンのテキスト「七年目の浮気」には、たくさん仮定法が出て来るらしいです。楽しみです。

確かに「英文法は、楽しい♪」ですね。


http://www004.upp.so-net.ne.jp/pillbug-twins/frame/sitemap.html



【8432】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】04/02/18 13:50
【 発言者 】小川住江

私は忙しさにかまけて、電話レッスンをキャンセルしなければならない時も多々あったんですが、レッスンがないとやはり練習がおろそかになってしまいがちで す。 根石さんよりミッフィーさんの練習ぶりをお聞きして、心構えを改めなければならないと思っています。 

無心になって回転読みするのは、私にとって案外難しい事なのです。 Jackie さんが、歌の効用について書かれていますが、歌を歌う時の様に読むのがいいんだ、と根石さんもおっしゃってました。 ミッフィーさんは英語の歌がお好きな 様ですね。 以前に書いた「高槻のいっちゃん」も、高校生の時、ロックバンドを組んでいて英語の歌詞を書き起してはコピーして歌ってたんです。 彼女は音 読をした事はないんですが、歌は相当数のものを完璧にコピーしているはずです。 これには「回転読み」効果があったと思います。

余談ですが、私はどうも歌詞がわからない歌だとフラストレーションを感じてしまいます。 音楽の音や英語の歌詞の響きそのものよりも、歌詞の内容に惹かれ たものを好きになる傾向があります。 どうも左脳派のようです。 回転読みには右脳を使う必要があるのかもしれません。 

文法の事ですが、私の中学生時代はビートルズの全盛期でした。 仮定法や関係代名詞など、学校ではまだ教えてもらっていない時に、歌詞と和訳を照らしてあ わせて歌う事で、文法用語はわからないままに、意味と用法は理解していました。 

「1000」を生徒に回転読みさせる時に、和訳を丸ごと手渡してどうしても必要な場合にしか文法説明はしないでも充分に理解出来ると思います。 

「私やいっちゃんが知らず知らずにやって来た事は、回転読みや技法グラウンドみたいなものだったんだ」と目からウロコの気持ちでした。 「繰返し」「音を 先にいかせる」などなどを、学習効果があるなどとは露知らず、無意識にやって来た人は多いと思います。 曖昧模糊としてつかみ所のなかった学習法を纏めあ げて理論づけされたのが根石さんです。 古くて新しい学習法です。 効果がないはずはないと思います。



【8446】
【タイトル】回転読みの成果
【 日時 】04/03/03 15:34
【 発言者 】小川住江

生徒本人達がPCを持っていないので、直接投稿出来ないのが残念ですが、回転読みの成果をご報告しておきます。

2人とも高校の英語科の一年生です。 もともと成績は上位でした。

テキストも英文法も問題集も、とにかく例文という例文は全部、音読させる事だけに集中して来ました。 特に分厚い文法のテキストに関しては、「な〜、文法 なんかどうやって勉強したらええのん?」と生徒にとっては悩みの種でした。 以前にも書いた様に、文法書の内容をノートにきれいに整理して提出し、例題を 解くだけが学校の指導する勉強法の全てだったのです。

とにかく回転読みの方法を教え、電話で進行状況をチェックしたりしながら音読に集中させました。 問題集は、学校の先生が聞いたら激怒されると思いました が、問題なんか解いてる暇がもったいないので、正解を書き写してそれを丸ごと回転読み用に使いました。
文法説明は一切しませんでした。 どうせ学校で微に細に入り説明を受けているでしょうし。 英文を左側、和訳を丸ごと左側に書いたレポート用紙が教材で す。 教室では英文を読んで、その後すらすら言えるまで再生させたり、和文を読んでその後英文で何度も言わせたりしました。 時々は電話で回転読みの状況 をチェックしてやる事もしました。

最初は彼女達も半信半疑だったのです。 しかし、3学期はそれだけに集中してやってみて、成績の向上につながった今回は手ごたえを感じた様です。 2人と も「やっぱり最低50回読むのがええな。 だんだん読むスピードも速くなって来るし、元戻りして読むだ文はよう覚えてるねん」と実感しています。

その内の1人は1番の成績をとって来ましたが、その事よりも「一番楽な勉強法がわかった」と喜んでいた事が成果でした。 

口頭でのパターンプラクティスにもっと時間を割いてやれればよかったのですが、しっかり回転読みして来た文については、語彙を増やす事で会話に応用が効く 様になるはずです。 

Oxford大学出版やLongman などが出している英会話のコースブックなどは捨てて、学校の英語のテキストで「英会話」につながるレッスンをする事にしました。 学校の英語以外に他のテ キストをやる程、高校生は暇ではありません。 学校の宿題だけで手一杯なのです。 学校の英語が消化不良にならない様にしてやるのが先決ではないかと思っ ています。



【8447】
【タイトル】小川さん、すばらしい!
【 日時 】04/03/03 18:00
【 発言者 】sb

素晴らしい実践です。回転読みの利点を本当に理解されている人にしかできないコーチです。

学校で良い成績をとったり、英語に興味がある人がくいつく方法と感じていた時期もありましたが、自信をもってこの方法は実践できます。要は学習者の意欲。

そこで一つクエスチョン。回転読みで学習者(特に初心者)の意欲を引き出すことは可能なのか?

上記の回答を根石さん、小川さん、掲示板をご覧の皆さん、よろしくお願いします。



【8448】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/03/03 20:28
【 発言者 】小川住江

最初は回転読みで意欲を引出すなどと言う様な大それた事は考えていなかったのです。 ただ、子供達はクラブから帰って来ると食事もそこそこにして英会話教 室や塾に来る。 宿題は山の様にある。英語ばっかりやってるわけにもいかない。 眠い。 俯いて問題集なんかをチマチマ解いていた日にゃ、眠くて眠くて コックリコックリしてしまう。そこで、「立って大声出して音読する事で眠気を吹っ飛ばすしかないやろ。」と誘ってみたのがきっかけだったと思います。 そ んな調子だったと思います。 中学1〜2年生のクラスを担当していた時には、テキストの音読を皆でやらせてました。 まだ回転読みの方法を充分に理解出来 てなかった頃ですが。 

生徒が言う様に、回転読みは「楽」な勉強法だと思います。 大声でやらせるとストレス解消、眠気解消にもなります。 そしてスラスラ英語が読める様になる と楽しくなってくる様です。 

ただ日課にするのがむつかしい。 帰国してからは6人の生徒を受け持っているだけなので、毎日10分でも電話をかけてこさせて進行状況をチェックしてやり たいと思うのですが、現実はままなりません。 しかし、続けさせる事ができれば、必ず成績は上がります。 成績が上がる事で意欲が出て来れば、先にご紹介 した2人の高校生の様に、自分から回転読みをする様になると思います。 



【8450】
【タイトル】Re:回転読みの成果
【 日時 】04/03/04 8:45
【 発言者 】あすみ

小川さんの回転読みの成果、すごく興味深く読ませていただきました。

>問題集は、学校の先生が聞いたら激怒されると思いましたが、問題なんか解いてる暇がもったいないので、正解を書き写してそれを丸ごと回転読み用に使いま した。

文法だけの授業を担当してみて本当にそう思います。私はこっちの方がよっぽど能率的だと思います。音読もしくは回転読みによるインプットができてないの に、いくら問題集をやっても時間の無駄のような気がします。むしろインプットがしっかりできてさえすれば、問題集はそれこそあっという間に自分で解けると 思います。問題集とは、もともと頭の中にどれだけ英文がインプットされているかのチェックのために使用するものですよね。
まあ、一応問題集を解かせてみて、自分のインプット量がどれくらいかをわからせるには、役に立つかもしれませんが。むしろ大事なのは解いた後で、その問題 の英文を覚えてしまうくらいに読み込むことかな、って思います。しかも正しい発音で。

あと、文法事項は説明しない、という点についても、以前小川さんがビートルズの歌を、仮定法や現在完了などならってなくても、日本語の訳を参考にしながら 歌っていたら、意味や用法はなんとなくわかった、とおしゃっていましたが、まさにそれですよね。
結局大事なのは、いかに生徒をそのような状態に持っていくか。自分で音読をたくさんやって、帰納的にその文法事項の意味や用法を習得する。

絶対にこっちの方が効果的だということをわかってもらうために、授業も工夫していきたいです。小川さんのレッスンから学べることがたくさんあると思いま す。楽しみにしています。



【8451】
【タイトル】回転読みを宿題でどれだけやったかの自己申告
【 日時 】04/03/04 12:34
【 発言者 】sb

すでに柴田さんが実践されています。いずれチェック方法などもシステム化される可能性があります。私が現在考えているのは、技法グラウンド(以下GG、回 転読みを連続できちんとつっかえずに5回、指を折りながらやると数え間違いがまずない)を応用するというものです。

GG3・・・授業でできたかどうかのための確認の基準の数字として使う。
GG5・・・練習後の確認に使う。(根石さんの電話でレッスンがまさにこの方法)
GG7・・・家で練習してもらう最低ラインの数字として使う。

こんなん小川さん、いかがでしょうか?



【8452】
【タイトル】回転読みは「楽」で「楽しい」方法
【 日時 】04/03/04 12:40
【 発言者 】sb

「楽」と「楽しい」という漢字が同じなのは意味があると思います。

英語が身につくという言い方は「自分の生活に自覚的であるかどうか」がひとつの鍵だという表現をどこかで読みました。

白星に目がいく力士、黒星に目がいく力士。
稽古が好きな力士、稽古を嫌々やっている力士。

「が」か「を」の違いが「自覚的」というところと繋がっているのかどうなのか。。。



【8453】
【タイトル】あすみさん
【 日時 】04/03/05 1:00
【 発言者 】小川住江

はじめてのレッスン、緊張しました。 方法をわかって実践出来る事と、それをきちんと説明出来る事とは別物で、要領を得ない説明もあったかもしれないと反 省しています。 教える事は学ぶ事だと、つくづく思います。 私もあすみさんから良い刺激を頂きました。

風邪をひいておられた様で、長いセンテンスの繰返しは息が続かず、本領を発揮出来なかったのではないでしょうか? 



【8454】
【タイトル】sbさん
【 日時 】04/03/05 1:16
【 発言者 】小川住江

>指を折りながらやると数え間違いがまずない

私はハンブルクでドイツ語の回転読みをする為に、カウンターを購入しました。 前にも書いたんですが、ソファーやベッドの中で回転読みするとついそのまま うたた寝してしまいますが、「いけねっ!」と思って飛び起きたら、カウンターにきっちり回転数が残っています。 (^^;;

回転読みを宿題でどれだけやったかの自己申告の事なんですが、スラスラ化に必要な回数は人それぞれだと言う事と、テストでなめらかに回転させられたか否か で結果は明らかに出るので、私は自己申告の必要はないのではないかと思います。 根石さんの電話レッスンでは、テストが練習でもありますし。

回数は目安として50回上、としてもいいと思いますが、それより「なめらかに回転してスラスラ化するまで読み込む」とするだけでも良い様に思えますが、ど うでしょうか?

私は練習不足の時は「すみません。 今週は練習不足で...」などと言い訳がましい事をよく言ってたんですが、練習不足だったかどうかはテストに反映する ので、根石さんは私の言い訳を「あ、そうですか」と流してしまわれます。

沢山の生徒を一度に扱う場合は、個々にテストをするわけにもいかないでしょうから、便宜的に回数を申告させてもいいのですが、不埒な中高生などは、回数表 に書込んで提出したりするので、どんなもんかな... と思ってます。 皆の回転読み回数を公表する事で、生徒間の競争心や向上心をあおる事はできるでしょう。 しかし、量よりも質が問題にされるべきだと思う のです。 

音読や回転読みでは、テスト結果を見れば練習量がわかる、でいいんじゃないでしょうか? 



【8456】
【タイトル】技法グラウンド
【 日時 】04/03/05 22:21
【 発言者 】sb

5回という回数自体はどうでもいいことだと思います。
5回程度、文字を離れて連続できちんと詰まらずに言えるということ。
そのことが根石さんのレッスンですばらしいと思ったのです

「使える」ということを学習者本人が確かめられる!
コーチもコーチとして確かめられる!
これは素晴らしいと思ったのです。

そして人間の指が5本というのは何かあるとも思いました。
まあそれもどうでもいいことかもしれませんが。。。
そもそも語学の習得の方法を議論すること自体、あまり意味がないことかもしれません。

小川さんの書かれている通り、「なめらかに回転してスラスラ化するまで読み込む」。
これでいいのだと思いますし、根石さんもそこを言われているのだと思います。
各人のその時の練習力に応じてというのでいいのだと思います。

小川さんの生徒さんが「50回くらい読めば。。。という発見を誘ったこと」。
そのことに意味があると思います。
それを誘ったのが根石さんであり、小川さんだということだと思います。

>音読や回転読みでは、テスト結果を見れば練習量がわかる、でいいんじゃないでしょうか?
練習量が分かってもなんの意味もないと思います。
小川さんが書かれているように本人が「スラスラ化」を自覚すればいいのだと思います。



【8458】
【タイトル】最近うれしかったこと
【 日時 】04/03/06 21:24
【 発言者 】sb

500語の文章を技法グランド(連続5回暗唱)してみました。
最初、5分かかっていたものが、2分台で言えた時、なんとも言えない喜びを感じました。

今後100語程度のものを集め、「宝物テープ」をつくってみたいです。
回転読みとの長い付き合いが、一つの構成段階に入った感じです。根石さんに感謝です。

今後は、「回転読みをどう伝えていくか」も含めて考えてみたいです。
言語の特徴(イメージ、記号、文化など)の中に回転読みを位置付けることが目標です。



【8460】
【タイトル】メール転載
【 日時 】04/03/07 1:33
【 発言者 】根石吉久

突然のe-mail失礼します。
高校の教員をしているHです。
信学会関係の記事しか読んでいませんが、信学会に対する批判は
その通りだと思います。なんだか別冊宝島の『福島隆彦vs研究社』
の構図ですね。まあ相手が研究社ほど賢くはないようですが。

 しかし信学会が中学校の模試では最大シェアを持っているので
有益だろうと思っていました。息子が高校受験の浪人になったら入学
させようと思っていました。 この記事を読み、自分の息子を信学会
に通わせるのを再考しました。

 私がかつて職場の同僚にも、信学会に勤めていた先生が何名かいました。
管理職になろうとしている教員は別ですが、良く言う人はいません。
最も嫌だから、公立高校の採用試験を受け直したわけですが・・・・

 私の同僚の娘で信学会の模試を受けて、何回か上位の成績をとった
そうです。無料で受講させるので、せひ信学会の塾に入って欲しいと
しつっこく勧誘の電話があったそうです。高校に入っても勧誘されたが
高校受験の時に模試を受けただけだそうです。
このように、塾外生の実質のトップを塾の生徒にしてしまう戦略も行わ
れているようです。

 信学会より更に悪い塾もありますし、どこに通わせようか悩みます。
-----------------------------------------------------------
「英語のやっつけ方」  1000円
「回転読み」「技法グラウンド」 実演テープ。 2本1000円。
を購入したいので、支払方法等お知らせ下さい。



【8461】
【タイトル】メールへのお返事転載
【 日時 】04/03/07 1:36
【 発言者 】根石吉久

メールありがとうございました。また、ホームページを
お読みいただきありがとうございました。

Hさんからいただいたメールであるということを伏せた
上で「大風呂敷」という掲示板にメールを転載させてい
ただくことをお許し願えないでしょうか。

「大風呂敷」は以下のところにあります。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs

いきなり営業で申しわけありませんが、息子さんを私ど
もの「電話でレッスン」で引き受けさせてもらえないも
のかと思いました。「大風呂敷」の過去ログをお読みい
ただけば、「電話でレッスン」のおおよその概要はおわ
かりいただけると思いますが、過去ログは膨大な量にな
っており、その中から「電話でレッスン」の記事だけを
拾うのは実に労力が大変です。

「売店」の件ですが、「回転読み」「技法グラウンド」
のテープは現在、人様にお渡しするのを止めてしまって
おります。テープを渡せば、「電話でレッスン」のこと
がわかってもらえるものと考えて作ったのでしたが、や
はりそれだけでは、肝心のところがわかってもらえない
とはっきりしたためです。
ホームページの記事は、ずっと書き換えてなく、問い合
わせいただく方々にご迷惑をおかけしています。ホーム
ページビルダというソフトで作っていたのですが、これ
を立ち上げるたびに、コンピュータがフリーズするので
記事を書くたびにコンピュータの電源を切り、入れ直す
作業がつくづく嫌になり、放置してあります。古い記事
がそのままになっており、申しわけありませんでした。

「英語のやっつけ方」は小学館文庫「英語どんでんがえ
しのやっつけ方」の種本です。小学館文庫の方も、わず
かですが、私の手元にあります。どちらも、リーフレッ
ト込みで、郵便小為替で千円分お送りいただけば、折り
返しお送りいたします。(送料当方負担)
 小学館文庫の方をお求めいただけば、いっそのこと種
本は付録につけてしまってもよろしいですから、文庫を
お求め願いたく思います。

以上です。
不明の点は再度おたずね下さい。



【8462】
【タイトル】小川さんからのメール
【 日時 】04/03/07 1:43
【 発言者 】根石吉久

根石さん、

何だかあまりにも些細な事なので、メールでお知らせするのも
気が引けるんですが...

私、N音は、「天丼」「天皇」の時の「ん」と教えてました。

SとZ、FとV、TとD、PとB、CとG、は、従兄弟同志。
口の形は同じで、息だけ出すのと音を出すのとが違うだけ。

と教えてたんですが、どってことなかったですね。
こんなんでも使えますか? かえってややこしいかも知れませんね。

とりあえず、気がついた事だけ、その都度メールしますので、
お役に立たないのは、ボツにして下さい。 

小川



【8463】
【タイトル】小川さんへのお返事
【 日時 】04/03/07 1:44
【 発言者 】根石吉久

メールありがとうございます。

こういう記事こそ、初めから公開でいくべきなので、どうか掲示板の方に
投稿してくださるようお願いいたします。

「あいうえおフォニッスク」と併記するべき内容だと思いました。



【8464】
【タイトル】「音づくり」用知識
【 日時 】04/03/07 1:49
【 発言者 】根石吉久

2004.3.07

@ ar  [a:r]  顎の下がる明るい音。診察室の「アーン」。
     [a]   一瞬顎の下がる音

A 子音+a+子音 [ae] 口の両端を一瞬斜め上に引っ張り上げる。「一瞬般若」

B [逆さe:r] [逆さe][逆さv] 狭い音。日本人はひとまず唇の開きで狭さを作る。
           ネイティヴは口はそれほど狭くないが、舌で口の中に狭い息
           の通路を作る。ひとまずは唇の開きで作るのがコツ。
           [逆さe]と[逆さv]の区別はアクセントの有無により、自然に
           備わる。( [逆さe] は息から力が抜ける)

C th 舌の先を上の歯の歯先にあてる。舌が歯にこすれて出るかすれた音。

D f, v 上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてて、離す瞬間に出す。

E t,d,l,n    舌を上の歯の歯茎の裏。それぞれ舌の押しつけ方は微妙に違う
         が、技法グラウンド」「回転読み」の量で自然に解決する。

F r 多くは、舌を喉の方に引き込み、口蓋の天井に触らない。
   舌が歯に近い方で、宙に浮く場合もあり。ポイントは口蓋の天井に触らない
   こと。

D s, z      歯と歯茎の境目あたりに舌がわずかに触わるくらい。狭い隙
   間に息を通す。

ES(long s) 「静かにして、シーーッ」のシに含まれる音。

F 単語の最後が t,d,l,n のどれか。次の単語の最初が t,d,l,n のどれか。
  前の単語の最後の音は、舌の位置を確保するだけで黙音化。(一瞬の空の音)
  この法則以外でも、単語の最後の t や d が舌の位置を確保するだけで、黙音
  化することは多い。

G 単語の最後が t, d, l, n のどれか。次の単語の最初が th
  前の単語の最後の t,d,l n は舌を th の位置で黙音化させてよい。

H 単語の最後が子音。次の単語の最初が母音。子音と母音は連続する。リエゾン。

I [s][z][d3] と th のぶつかりあいでは、[s][z][d3] が勝つ。
  th の音は、[s][z][d3]の音と同化する。

----------------------------------------------------



【8465】
【タイトル】「音づくり」用知識 併記
【 日時 】04/03/07 1:50
【 発言者 】根石吉久

併記1.  根石吉久考案「あいうえおフォニックス」

生徒にローマ字で a i u e o を紙に書かせる。
それぞれに、r を加え ar ir ur er or と書かせる。
最初の ar だけを丸で囲めと指示する。
残った4つ、ir ur er or  を大きな丸でひとくくりに囲めと指示する。

ar だけが分離される。残り4つはグループ。

ar は
@ ar  [a:r]  顎の下がる明るい音。診察室の「アーン」。

ir ur er or は

B [逆さe:r] [逆さe][逆さv] 狭い音。日本人はひとまず唇の開きで狭さを作る。
           ネイティヴは口はそれほど狭くないが、舌で口の中に狭い息
           の通路を作る。ひとまずは唇の開きで作るのがコツ。
           [逆さe]と[逆さv]の区別はアクセントの有無により、自然に
           備わる。( [逆さe] は息から力が抜ける)

の仲間のひとつ、[逆さe:r] の音。

この「あいうえおフォニックス」でしばらくレッスンして、顎の下がり、狭い音の音
の「こもり」がはっきりと穫れてきたら、ear の綴りの音も ir ur er or と同じく
「狭い音」だとして追加する。

----------------------------------------------------

併記2. 小川考案

N音は、「天丼」「天皇」の時の「ん」

SとZ、FとV、TとD、PとB、CとG、は、従兄弟同志。
口の形は同じで、息だけ出すのと音を出すのとが違うだけ。



【8466】
【タイトル】あすみさん
【 日時 】04/03/07 1:59
【 発言者 】根石吉久

第一回目のレッスンが終わったようで、まずはめでたしだと思います。
レッスンのご感想を是非お聞きしたく思っています。
忌憚のないところをお書き下さい。

----------------------------------------------------

Naima さん

 初回のレッスンはむちゃくちゃ緊張したんじゃないですか。
 だんだんとレッスンを通じて、気心がわかってきますから、緊張しなくなります。

 ネットのいいところは、生徒もコーチも同じ場所に書けることですから、コーチ側の意見を
書いて下さい。あすみさんにも、生徒側の意見を是非お願いしたいと思っています。

 今は、無事だと思っておりますから、私からはほとんど何も言うことがありません。
 難渋するコーチ側の問題が生じましたら、アドバイスしますので、基本を外さないかぎり、
どんどん自由にやってみて下さい。
 テキストに書き込む記号などは、是非私がやっている通りでなくても結構です。
 何回テストに使ったか、どこまで進んだか、どれだけの分量をテスト一問とするかなど、
もっと自分に使いやすい記号があったら、その辺はどんどん変更してもらって結構です。

 「音づくり=文まるごとのインプット」
 「熟成過程」

 この二つを踏み外さないでやっていただきたく思っています。



【8467】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】04/03/07 2:03
【 発言者 】根石吉久

レッスンの時、ALTとの喧嘩、とても面白いと思いました。
日本をなめてけつかるALTというのは、地元の篠ノ井高校に来ていたことがありました。
こいつらは、間違いなく日本語と英語の根底的な違いをもなめてけつかるのです。
噂に聞いただけですが、こやつに会えば、私もきっと喧嘩をしただろうと思います。

レッスンの成果がわずかながら感じられるとのことでした。
是非、このわずかなことを書いていただきたくも思っております。

春から、「音づくり」を導入した授業をなさる予定でいらっしゃるので、そのあたりは
あすみさんとお話してみていただきたくも思っております。



【8468】
【タイトル】Hさんへのメール
【 日時 】04/03/07 2:08
【 発言者 】根石吉久

お返事が遅れまして、申しわけありません。
メール転載をお許しいただきありがとうございました。

清水さんの知り合いだとは、まったく思いがけないこと
でした。清水さんには、最近会いませんが、お元気でや
っておられるでしょうか。メールから推察するに、お元
気そうなのでひとまず安心しています。

"H"> U市在住ですので、直接授
業を受けることを希望しています。

 お受けできますが、上田から通い続けるのは大変では
ないかと思います。現在、私は「電話でレッスン」だけ
をやっており、塾は妻がやっています。
 しばらく通われて、無理が生じるようでしたら、是非
「電話でレッスン」をご検討いただきたく思います。
 私のレッスン枠は、現在埋まっておりますが、奈良県
の小川さんという方(英検一級、ドイツに数年在住し、
私の方法をドイツ語で試してくださった方)にお願いし
て、新しい生徒さんを引き受けていただいています。
 私の方に空き枠が生じれば、もちろん直接に私がレッ
スン致します。

 いまだ本の代金は届いておりませんが、留守中に郵便
屋さんが来たかもしれません。もう少しお待ち下さい。

根石吉久



【8470】
【タイトル】在日英語
【 日時 】04/03/08 20:35
【 発言者 】村田

 「在日英語」。日本国内だけで育った個人の英語能力を在日英語。
 在日英語のことを思うとき、正確にいうならば根石さんのことを思う時、私は「明日のジョー」のあるエピソードを思い出すのだ。

 力石を殺し、そのショックで長いスランプを脱したジョーは、もと戦災孤児のアジア系ボクサーと戦うことになる。
 このボクサーは、戦場で育ったため、子供の頃、ろくに食べるものがなかった。そのため、大人になっても胃袋は小さいままで、多くの食べ物を受け付けな い。故に、このボクサーは、減量で苦しんだことはなく、そのことをある意味ウリにし、高度経済成長にわく日本人をひややかに見ている。
 ジョーは、自らもあまり幸福とはいえない生い立ちを持つが、高度経済成長期の日本で減量に苦しむボクサーとして、対戦相手に戦慄し、苦戦する。
 しかし、やがて気付くのだ。ジョーは対戦相手にこんなことを言う。
 「お前が戦場に生れてしまったのは不幸だったかもしれない。だがお前はそこに生れただけだ。俺はお前よりもすごいやつと戦った。あいつはお前よりも恵ま れて育ったかもしれない。だが、あいつは自ら進んで、お前の言う地獄を経験したんだ。俺はお前には負けない」
 日本語の磁場に囲まれて、その中だけで自分の英語を育てていくのは、力石になることだと思ってしまうのだ。
 日本語の磁場の中で外国語を身につけるということは、本質的に自らを孤独に追い込むことだと思うのだ。



【8471】
【タイトル】在日英語 2
【 日時 】04/03/08 20:36
【 発言者 】村田

 在日英語は孤独だ。
 在日英語は、時間、金、そして人生のエネルギーを相当注ぎ込んで、悲鳴をあげながら作り上げられるもの。
 しかし、常に半端なものとして軽く見られるものでもある。
 在日英語が日本国内で英語ネイティヴと話すとき、擬似的に「障害者」体験をする。これは以前根石さんが触れていたけれど、私も最近そう思うようになって きた。

 ある言語の磁場で、別の母語を持つものは、話すのがきわめてゆっくりになったり、とぎれとぎれになったりすることがあるだろう。ヨーロッパ系の言語内で は目立たないかもしれないが、日本語と英語くらいに違う言語だとそれは顕著に表れる。
 日本語の磁場の中で英語が母語の人たちがしゃべる不自由さ、そして、英語の磁場の中で日本語が母語な人たちが感じる不自由さ、これは現象的には完全に等 価なものだ。
 しかし、実体はどうか。日本語磁場の中で、英語の磁場もちは、困ることはないのだ。それは自分たちこそがスタンダードであるという自負があるからだ。
 私は知っている。日本で日本語をしゃべろうとしない英語ネイティヴが、在日英語に対して持つある種哀れみの視線を。「知性=「英語を」なめらかに・流暢 にしゃべること」と無意識に思っているやつらを。
 彼らが日本で日本語をしゃべろうとしない理由。それは「知性が低い」と思われたくないからだ、と私は思っている。こちらが、悲鳴をあげながら育ててき た、在日英語で必死にしゃべろうと、その不自由さをばかにするのだ。

(まだ続く)



【8472】
【タイトル】在日英語?そんなものがあるのか!
【 日時 】04/03/08 22:30
【 発言者 】sb

>在日英語で必死にしゃべろうと、その不自由さをばかにするのだ。

自意識過剰ではないかとも思います。
ばかにすると感じるのはそれを受け取った側の話です。

事情に通じる信頼できる人を介して「英語で」伝えなおすのか。
それとも「日本語で」伝えなおすのか。

その際。。。
「攻撃的な日本語」が有利なのか。
「控えめな英語」が有利なのか。
それはその人によります。

言葉を自虐的にとらえるのか。
言葉を道具としてとらえるのか。
それもその人によります。



【8473】
【タイトル】流暢とは?言語とは?
【 日時 】04/03/08 22:51
【 発言者 】sb

>「知性=「英語を」なめらかに・流暢にしゃべること」と無意識に思っているやつらを。

無意識で問題にしなければならないのはどちらかというと日本語を母語とする人だと思います。

言葉とはどういうものなのかをこの掲示板を見ている方々がどう伝えるかということです。

この掲示板をご覧の方々のレベルはかなりのものだと思います。(過激なものが多い印象ですが)

その際に日本語を使おうが英語を使おうがそれはその人の問題です。

ただし、当面は英語も(「を」ではない!)使わざるを得ないという面もあると思います。

その訳は。。。
「足の痛みは踏まれた人は自覚的だが、踏んでいる人や見ている人達は気づいていない場合があまりにも多いから」です。

つまり、外国語として英語を学んでいる人の苦労や痛みと日本で英語を母国語として使っている人達の間にはかなりの温度差があると考えられるということで す。ここで大切なのは「英語に対する温度差」ではなく、「言語というものに対する温度差」だということです。

英語を母国語をする人達の中で「知性=「英語を」なめらかに・流暢にしゃべること」と意識している人達がいれば、それはある意味すばらしいことです。彼等 は外国語で論戦することで言いたいことが言えなくなる可能性を恐れている可能性があるからです。

仮に日本語を少しかじっているとして、相手を日本語でまくしたててもますます殻を閉じる可能性も否定できないと思います。それは、「知性=流暢」だと「意 識」しているからです。それは言語というものを誤解しているだけのことだと思います。

「無意識的に」「(もしその人が心から)ばかにしているとすれば」彼等を敵に回さずにこの問題を考えなければならないと思います。「知性=流暢」ではな く、「知性=知性」だと日本語ででも英語ででも伝える心構えが大切だと思います。



【8474】
【タイトル】心構えの問題ではない
【 日時 】04/03/09 0:14
【 発言者 】いくこ

>「足の痛みは踏まれた人は自覚的だが、踏んでいる人や見ている人達は気づいていない場合があまりにも多いから」

これを私はあなた自身に問いたい。
あなたは、踏まれている感覚を恐らく持たないのだろうと思います。
それだけ、あなたが、日本で英語を獲得すること、獲得した英語のほんの上澄みでやっと話せるようになった英語でもって外国人と話すということ、その背景に ある「世界標準」ではない日本人の屈辱と悲しみに、鈍感であるということです。



【8475】
【タイトル】心構えの問題ではない 2
【 日時 】04/03/09 5:46
【 発言者 】いくこ

>英語を母国語をする人達の中で「知性=「英語を」なめらかに・流暢にしゃべること」と意識している人達がいれば、それはある意味すばらしいことで す。彼等は外国語で論戦することで言いたいことが言えなくなる可能性を恐れている可能性があるからです。

「ある意味すばらしい」とはどういうことでしょう。皮肉ですか。私には訳がわかりません。
英語を母国語とする人は「英語で話せばいい」ということでしょうか。日本語を母語とする人間(ここでは日本人と書かせてもらいます)とは英語で話せと。

ここにも、日本人の屈辱と悲しみは、存在していると思います。日本人に「恥」の文化が残っているとすれば、「英語が喋れない恥」という形で、現に残ってい る。逆に言えば、英語が喋れる、ガイジンと喋れる、ということだけで優越感が持てる社会構造ができあがっている。
この事実はなんですか。

私自身は、日本人は、日本にいるなら日本語で話せばいいし、もし英語で喋る必要があるなら、流暢とは程遠いカタワの英語であってもそれで渉りあえばいいと 考えています。
ただ、あなたの言うような、「個々人」の言い方・伝え方の問題だということに、帰結させたくはない。言語的カタワであることを蔑む風潮を、心構えの問題と いうことだけで、解決できるとは到底思えないからです。

SBさん、あなたの文章は、どの立場の人間が、どうなっているのか、が全然わからない。

村田さんの今後の書き込みを待って、また投稿したいと思います。



【8477】
【タイトル】これからもよろしくお願いします。
【 日時 】04/03/09 21:42
【 発言者 】sb

>>「足の痛みは踏まれた人は自覚的だが、踏んでいる人や見ている人達は気づいていない場合があまりにも多いから」

>これを私はあなた自身に問いたい。
>あなたは、踏まれている感覚を恐らく持たないのだろうと思います。

あなたの言う通りかもしれません。私は踏まれている感覚を持たないのかもしれません。
逆に踏まれている感覚を持ってしまうこともあります。
それはその人にしかわからないことだと思います。
それが「思考」「イメージ」などと言ったものだと思いますがいかがでしょうか。
「思考」や「イメージ」といったものはある意味「個人的」「個別的」「個性的」なものだと思います。それだけいくこさんはいろいろ細かいところまで気づか れているという感じがしています。言葉を大切にしている人ほど言葉に敏感であり、大胆な部分もあるのではないかという感じもあります。そういう意味でいく こさんは言葉をとても大切にしていらっしゃる方だと心から思っています。

>それだけ、あなたが、日本で英語を獲得すること、獲得した英語のほんの上澄みでやっと話せる>ようになった英語でもって外国人と話すということ、その背 景にある「世界標準」ではない日本>人の屈辱と悲しみに、鈍感であるということです。

言葉の問題もあります。それから私自身が経験から逃げている部分もあるのではないかと思います。コミュニケーションという言葉に敏感になり過ぎていた自分 に最近気づきました。語学や言語について考える時、やはり道具としての言語という側面とやってもやってもネイティブのようにイメージを伝えたり理解できな いもどかしさみたいなものを抱えつづける自虐的なところに入り込むのか。でも入り込まないと進歩はないとも言える部分もあると思います。どうでしょうか。

いくこさん、私のようなものに対する書きこみに感謝します。



【8478】
【タイトル】うまく書けませんが。。。よかったらまた書きこみしてください。
【 日時 】04/03/09 22:03
【 発言者 】sb

自分が言いたいことが「母語を使わないことで伝わらないこと」への不安や恐怖の背景。。。
それは「母語を使っても伝わらないこと」への不安や恐怖の背景と同じだと思います。

逆で考えて見るとわかりやすいと思います。
日本語を母国語をする人達の中で「知性=「日本語を」なめらかに・流暢にしゃべること」と意識している人達がいれば、それはある意味すばらしいことです。 彼等(日本語が母語の人)は外国語(英語)で論戦することで言いたいことが言えなくなる可能性を恐れている可能性があるからです。

つまり、
英語を母国語をする人達の中で「知性=「英語を」なめらかに・流暢にしゃべること」と意識している人達がいれば、それはある意味すばらしいことです。彼等 は外国語で論戦することで言いたいことが言えなくなる可能性を恐れている可能性があるからです。

どういうことかというと、「知性=英語をなめらかに流暢にしゃべること」と意識している英語を母語としている人の中にも、日本語で話すことによって自分の 言いたいことが制限を受けることを認識しているがいるということです。外国語を使ってくれている相手を尊敬していると思うからです。



【8479】
【タイトル】レッスンの感想
【 日時 】04/03/10 10:49
【 発言者 】あすみ

おひさしぶりです。小川さん、遅くなってすみません!年度末の業務と入試業務が重なりばたばたしてて。(言い訳ですが、、、)明日でもう1週間ですね。 How time flies!
レッスンの感想は、まず30分あっという間でした。えっ?もう30分も経った?って感じでした。集中してたんですね。あと、自分の発音ができてないところ を、的確に指摘してもらえるところがよかったです。自分では意識してなかったり、とか、意識して発音しているつもりでも、できてなかったりする部分が、よ く分かりました。分かっただけじゃだめで、練習しないと!がんばります。それではまた明日よろしくお願いします。



【8480】
【タイトル】お忙しいですね
【 日時 】04/03/10 15:29
【 発言者 】小川住江

風邪をひいてらしたみたいでしたが、大丈夫ですか? この時期は、先生達はお忙しいですよね。 

一昔前に、松香フォニックス研究所の発音矯正講座を何度か受講した事があるのですが、コツは理屈ではわかるんですが、いざ自分が話す段になるとなかなか理 屈通りにはいかないものです。

私は「電話レッスン」でゴーストの回転読みをする様になって初めてそれを実現出来る方法を知りました。 ゆ〜くりと丁寧に音をつくり、音が出来たら、それ を壊さない様に大切にしながら、徐々に回転を速めて行く、と言う方法です。 当たり前の事なんですが、その当たり前の事に気がついてなかったんです。 い や、端から気がついてもいなかったかもしれません。 

明日、またよろしく御願いします。



【8481】
【タイトル】鬼から転写
【 日時 】04/03/10 15:35
【 発言者 】Naima (昔の名前で出ています)

最近、英語学習に嫌気がさして来た。 そろそろ潮時か、と思ったりする。
 
TOEIC が数十点上がったのさがったの、CNNが聞き取れるかどうか、だのそんな話ばっかりが渦巻いてるとこに身をおいてると、頭がおかしくなって来た。  

興味のないタイムの記事を「お勉強やから」と無理して読むのも面倒くさくなって来て、読みたくもない記事の時には欠席を決め込む事にしてる。 ジャズが好 きだもんで、Down Beat 誌なんかを読んでる方が楽しい。 お勉強なんかやめて、ジャズ関係の本をコツコツ誰に見せるでもなく翻訳しようか、とか思う。 ま、今日、たまたまQ先生 のホームページを見たら、1級になったから翻訳でもせなあかん、と思うのがそもそも勘違いだって言う様な主旨の事が書いてあって、何だか、私の言うてる事 をどっかで聞いてはったんやろか、と思ったりしてギョッとしたんやけど...別にそんな不遜な考えを持ってるわけではありません。

学習者の間では、「英語の三冠王」と言う言葉もある。三冠王って何なのさ。 TOEIC 900点以上、英検1級、通訳ガイド、の三つをカバーしてるって事なんやけど、だからど〜よ。 就職に必要なわけでもない私にはなおさらの事。

日本語と英語の埋め難い深い溝のおかげで、どうあがいても思う事がまっすぐに伝わらない切なさは、わかる人にはわかるけど、わからない人にはわからない し。 当たり前か... なのに言葉づらだけ流暢にしゃべると、ネイティブスピーカーは言葉をそのまま受け止める。 真に受ける。 言い間違いだとは思ってくれない。 別に私が流 暢にしゃべれるってこってはないですよ。
だんだん英語が空恐ろしくなり、「ほんとに自分に英語の勉強は必要不可欠なんか」と疑い、逃げ腰になっている今日この頃なんですわ。

って、誰に向かって言うてるんだか...

Q先生のホームページは↓
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Q-Higuchi/emc020.html




【8482】
【タイトル】転写2
【 日時 】04/03/10 15:37
【 発言者 】Naima

「遠吠え」その2 

って、これを読んでるわけないと思うけど...

ゲットの Wiliam 先生や Noel 先生は日本語を真摯に勉強されてますね。 そら、日本で仕事するんやもん。 当たり前っちゃ、当たり前なんやけど、非常に希有な先生方です。
うちは、もう教室以外では日本語で押し通します。 授業を離れたら、うちらと同じ土俵で相撲をとっておくんなはい。 m(__)m



【8483】
【タイトル】転写3
【 日時 】04/03/10 15:38
【 発言者 】Naima

「遠吠え」その3 

日本人が日本にいて、なんで英語で話せなあかんねんな。 日本で仕事しようって外国人の方は、日本語をしっかりお勉強してちょ。 

源の違う異言語を学ぶって事が、どれほど大変な事か、身をもって感じてない講師に生徒の気持ちはわかるはずなどあらしません。 そういう意味では、私の方 が、英語しか知らないネイティブスピーカーより、英語を教える技量も資格もあると思っておりますねんわ。



【8484】
【タイトル】在日英語 付録
【 日時 】04/03/10 22:06
【 発言者 】村田

 「在日英語」というべきものは厳然としてあります。
 現代日本では、複製技術が発達しています。英語の基礎とか原型を身に付けるのに役に立つCD、DVDなどの音声素材や、テクストは巷にあふれています (そもそも素読は最も古い複製技術である印刷がなければ成り立たない)。それをどう身に付けるかどうか、ということが問題なんですよね。長野の田舎で、し こしこ英語やって、たまたま英語ネイティヴな人と会って、しゃべってみたら、ああ通じたよ、うれしいな、くらいのものは身につきますよ。
 けれども、そこにいたるまで、自分なりに相当なエネルギーを費やしたと思います。sbさんだってそうじゃありませんか?私なんかよりももっと英語を習得 するためにエネルギーを費やしているんじゃないですか?
 sbさんの最初の指摘の通り、「自意識過剰」で、要は、もっと英語やればいいのだろ!という結論は確かに私の中にもあります。
 しかし、いくらやったとしても、最終的に不自由さは残るでしょう。それは日本人も英語ネイティヴも同じです。同じはずだけれど、主観的には大いに違うで しょう。
 sbさんが、
>つまり、外国語として英語を学んでいる人の苦労や痛みと日本で英語を母国語
>として使っている人達の間にはかなりの温度差があると考えられるということ
>です。ここで大切なのは「英語に対する温度差」ではなく、「言語というもの
>に対する温度差」だということです。
 と書かれているとき、なんでそんなに相手のことを考えてやるのかと思わずにはいられません。日本で日本語を話そうとしない外国人が、それで引け目を感じ ずに済むのは、彼・彼女は無自覚かもしれないが、彼・彼女のバックグラウンドが持つ、政治・軍事・経済の強さを、彼・彼女が内面化しているからではないで すか?(これは日本人である私も無自覚である部分だと思いますが)
 日本人が英語をしゃべることのウラにどれだけのものがあるのか、彼・彼女たちはそれを知らない。

 私は在日英語と題して書いた記事に関して、こんなことは先達の方々、特に実際に会った方では旧naimaさん、今は小川さんなんかは先刻承知、のことと 思って、今まで書かなかったんですが、ある人々に村田がまたあえて書くことにも意味がないわけじゃないといわれて、自分が破綻するまで書くべきだと思うに いたり、書いているわけですが、やっぱりnaimaさんは的確なことをすでに何回も書いていますね。
 根石さんは、俺はここまでやった、だけどできることはここまでだ、と身をもって示してきた。
 「先生」と呼ばれる者は、身をもって後に続く者に限界を示すべきだ。故に俺は、みっともない自分を、さびしいさびしいといってるみっともない自分を、少 なくとも自分の生徒さんにはさらし続けるつもりです。
 「コミュニケーション」のためになんか英語なんかやるもんかい。
 言語の政治性に気付かない鈍感な人々とは泥仕合します。



【8485】
【タイトル】付録2
【 日時 】04/03/10 22:53
【 発言者 】村田

 日本で英語をしゃべろうとしない英語ネイティヴということ限定していることに注意してください。

 先日、私は八ヶ岳のジャズフェスに行ってきました(まあ、これも人によっては外人奏者がいない、ジャズはアメリカ人がやるのがホンモノとか言う人はいる わけですが)。泉郷という村の中に、演奏会場が点々とあるので、移動するには巡回バスに乗ります。最初に乗ったバスの運転手は、白人でした。多分アメリカ 人です。彼は「発車します。ご注意ください。」と外人なまりで言ってましたが、俺はすごくいい感じがしました。彼は多分、アルバイトでやってたのだと思い ますが、再び彼と出会った時、お互い「じゃあな!」という感じで会釈しました。

 また、地元の飲み屋で、ニュージーランド出身のデラシネな人と初対面で、いきなり英語の階級性の話になり、NZやオーストラリアの政府はマイノリティに 厳しい、それは日本もそうだ、という話になり、アメリカは最低だね、という話になりました。しかし、実際にアメリカ人と個別に話してみると、いいやつが多 かったりするのが困りものなんだ、という彼を、俺は大好きになりました。

 かつてこの掲示板で、恋人ファンさんがグループ分けの危険性を述べていましたが、俺もそれは感じます。
 敵は誰なのか。英語をしゃべるということに関して、無自覚な人たちだ、というのが今の私の結論です。
 戦前、英語を学んだ人たちは、アメリカを相手にした戦争に負けるということがちゃんとわかっていて、反対したと聞きます。現在、英語を学ぶ人たちは、は たしてどうなんだろうか、と疑問に思います。



【8486】
【タイトル】私見と期待
【 日時 】04/03/10 23:37
【 発言者 】いくこ

SBさん<
あげあしとりのようで申し訳ないのですが、

>自分が言いたいことが「母語を使わないことで伝わらないこと」への不安や恐怖の背景。。。
>それは「母語を使っても伝わらないこと」への不安や恐怖の背景と同じだと思います。

もしかしたら、SBさんが海外で体験なさった、リアルな孤独感・不安・恐怖から出てきた言葉なのでしょうか。しかし、どんな「背景」なのか分かりません が、私には、そもそも、どうも上記の二つが同じことだとは思えない。
語学論というより、どちらの状況の方がアイデンティティを保ちやすいかというところに関心がいってしまうのですが、私は、前者なら外国語だから通じないん だとあきらめもつくが、後者は日本語でさえ通じないのかと、救いようがない気持ちになる。これは全くの私見ですが、事例としてあげるには、どうも同値とは 思えない。

>日本語を母国語をする人達の中で「知性=「日本語を」なめらかに・流暢にしゃべること」と意識している人達がいれば、それはある意味すばらしいこ とです。

何度も言ってしまいますが、「ある意味すばらしい」って皮肉ですか。本気ですばらしいと思ってるんですか。私は、知性があっても、なめらかに・流暢にしゃ べれない人間だっていると思いますよ。流暢にしゃべったからって、利口だとも思わないし。

>それから私自身が経験から逃げている部分もあるのではないかと思います。コミュニケーションという言葉に敏感になり過ぎていた自分に最近気づきま した。

思うに、英語の勉強は続けるにせよ、所詮ネイティブにはなれないのだと割り切る潮時がきているということではないでしょうか。これを機会に、もっと日本語 に触れたらどうでしょう。母語であるはずの日本語にリアリティを持っていないのと違いますか。



【8487】
【タイトル】一つの理想
【 日時 】04/03/10 23:42
【 発言者 】村田

 語学論からどんどん離れていってるかもしれませんが、空気を読まずに書き込み。

 私のじいさんは、戦争へ行って中国が大好きになって、中国全土を制覇するのが夢だったようです。ガンで余命幾ばくもないというとき、やっと西域ルートへ 外国人が入ることを中国政府が許可しました。
 私はじいさんのボディーガード役でじいさんの夢の最後の行程のお供に指名されました。
 あれは新疆ウイグル自治区に入った時のことです。寝台列車(中国では火車と言ってました)に乗り込んだ時、私たちのグループと、ドイツのグループ、そし てもう一つ、関西のグループがトリプルブッキングされていました。
 そんなことは当時の中国では日常茶飯事だったらしいですが、火車の職員はしらんぷりです。そこで、それぞれのグループの添乗員が折衝することになりまし た。私のグループの添乗員はウイグルの若く美しい女の子で、ドイツはドイツの男、そして関西グループは、大阪のおばちゃんでした。
 押しの強さでその場のヘゲモニーを握っていたのは大阪のおばちゃんで、基本的に英語を使っていましたが、時おり日本語で、「seven, eight,ああ、あんたらの言葉で言ったらジーベン、アハトやな、ここまではウチのもんや」と言ってたのが忘れられません。当時は若く美しい我らが添乗 員が何もいえなくなっていたのがかわいそうになってしまったんですが、今思えば、あの大阪のおばちゃんの振る舞いはおおいにアリだと思います。

 一つの理想として、完璧な文法にのっとって、日本語丸出しの発音で、ネイティヴと対等にやりあうということが、私の一つの理想だったりします。

 こんなバカなことを考えているやつはおらんだろうと思いながら、ロンドンに5年間滞在した女の人に話してみたら、それ、とってもかっこいいことだよ、と 言われて、マジメに目標の一つに考えていたりします。



【8488】
【タイトル】在日英語 ひとまず終
【 日時 】04/03/11 0:16
【 発言者 】村田

 昔読んだ本に、「ポーランドに生れたユダヤ人であるニーチェは、ドイツ語で書き上げたツァラストラなどの言語鮮明・意味不明な謎の物語を、ドイツ語市場 に流通させ、ドイツ語を内部から解体し、再構築した。現象的には、ニーチェはドイツに対して復讐をしたのである」というようなことが書かれていました。
 以前、根石さんが、自分たちが英語を学び、外国人と話すことは、英語という言語にとっても富であるし、日本語にとっても富である、ということを書いてい ましたが、私は根石さんがそう語るとき、ニーチェのことを思っていました。
 日本人が不自然なイントネーション・発音・言い回しでしゃべり、しかしなぜか言いたいことはわかるという英語をしゃべる時、そしてそういう事態が大いに 広まった時、英語ネイティヴにとってそれは大いなる不快感を呼び起こすのではないかと想像します(多分そういう日は来ないでしょうけど)。在日英語は、ネ イティヴな英語にとっては、ある意味、「ノイズ」であり、もしかしたら「ウイルス」のようなものかもしれません。
 しかし、ノイズあるいはウイルスは、変化のきっかけでもあります。英語が独・仏語などに比べて、あれだけ例外だらけな言語なのは、商売、侵略、植民地経 営などの行為によって、外部と接触を持つ機会が多く、外部を受け入れてきたからだと想像しています。
 ニーチェは、自分の意図とは関係なく、ドイツに対して目に見えない復讐をしたのかもしれませんが、そのことは、ドイツ語に厚みを加えた結果になったとも 言えるでしょう。ニーチェには程遠いですが、英語を学ぶにあたって、私も強烈なノイズになりたいと思います。



【8489】
【タイトル】流暢さ
【 日時 】04/03/11 0:58
【 発言者 】小川

言葉が「字面」だけで滔々と垂れ流されていても、流暢には聞こえますでしょう。 聞いてる側には、借り物の思想なんだかどうだか判りづらいし、どうかする と話し手本人だって判らなくなってるかも知れません。 

英語って、なんかカルトに似てないか...



【8490】
【タイトル】小川様
【 日時 】04/03/11 1:32
【 発言者 】村田

自分で流暢さがどうのと書いておいて、雑さにおいて自分が同じことやってる…
自分も十分無自覚ですね…。

英語がカルトじゃないです。
私の性格がカルト的なんだと思います。



【8492】
【タイトル】たたかう英語教員
【 日時 】04/03/11 21:09
【 発言者 】ミッフィー

 先日のレッスンで根石さんに少しお話ししたこととをまず。電話でレッスンを始めて3ヶ月。一番の変化は覚えるのが速くなった。私の主なレッスン時間は深 夜と決めていましたが、最近うちのちびゴンの激しい夜泣きにより、夜は撃沈してしまっています。そこで通勤時間の車の中がメインになってしまいました。口 に英語をのせる前に映画の音声をMDで聴くと、その後で口にのせる英語がなかなかいい感じになります。スクリーンプレイ社から出ているゴーストのリスニン グ用のCDも買っていて、聴いていたのですが、いかにもリスニングの練習用だぞ、という、なんとも教材くさい英語が鼻について(この感覚は私だけだろう か、もし同じ感覚を持たれた方がいたら、お知らせ下さい)おもしろくないので最近は聴いていません。そして黙読の方ですが、これも読むのが速くなりまし た。おかげで学校の授業の予習の時間が短くなりました。
 「まだまだだ〜」と痛感する事件があったのでこれも。とキーボードを打っていたら子供が「お母さんとねんね」と言ってきたので後ほど書きます。



【8493】
【タイトル】村田さん
【 日時 】04/03/11 21:28
【 発言者 】sb

>日本で日本語を話そうとしない外国人が、それで引け目を感じずに済むのは、彼・彼女は無自覚かもしれないが、彼・彼女のバックグラウンドが持つ、政治・ 軍事・経済の強さを、彼・彼女が内面化しているからではないですか?(これは日本人である私も無自覚である部分だと思いますが)

それが「英語どんでん返しのやっつけ方」にも触れられていたSVO(スヴォ)とSOV(ソヴ)の違いではないかと思います。SVO圏の方たちは相手だけで はなく、自分自身の中にもOなるものを見つけ属性を抜き出し、対象化する傾向があると思います。例えば言論で攻撃を受けた時でも彼等(SVO圏)は自分と 自分の強みや弱みに対して分析的なので、自虐的になりにくい。一方、SOV圏の場合、SとOをごった煮にして一つにして、V(ダイナミズム)の中に入り込 んでいくという感じがあります。だからこそうまくいっていた面があるとはよくいろんなものに書かれています。(特に今までは。。。)

これもよく言われることですが、英語を外国語として学習している人もなぜか英語を話すと日本語を使っているときには言えなかったことが言えてしまったりと いうこともこのことと大きく関係していると思います。

私はものをよく知りませんので、村田さん、いくこさんこれからもよろしくお願いします。
私はこの掲示板によせてもらっているだけでありがたいと思っているのです。



【8494】
【タイトル】アメーバ=ウイルス
【 日時 】04/03/11 21:37
【 発言者 】sb

>自分たちが英語を学び、外国人と話すことは、英語という言語にとっても富であるし、日本語にとっても富である

このことは私も以前本名信行という人の著書で学びました。インド人にインド英語なるものがあるように(私はただ英語があるとも思いますが。。。)日本人に も日本人英語なるものがあるとすれば、そういうものをしゃべりだせば、世界の英語なるものがアメーバのように変容する、というようなことが書かれていて、 なーーるほど、と思った記憶があります。それでいいのだ、とその時感じました。村田さんが学ばれたこともそういうことなのではないかと推測いたします。

>ニーチェは、自分の意図とは関係なく、ドイツに対して目に見えない復讐をしたのかもしれませんが、そのことは、ドイツ語に厚みを加えた結果になったとも 言えるでしょう。

ニーチェがドイツに対して目に見えない復讐をしたのかもしれません。。。という所がよく分かりません。教えていただけませんか。お暇なときで結構ですの で。。



【8495】
【タイトル】すみません。読んでませんでした。
【 日時 】04/03/11 21:39
【 発言者 】sb

>昔読んだ本に、「ポーランドに生れたユダヤ人であるニーチェは、ドイツ語で書き上げたツァラストラなどの言語鮮明・意味不明な謎の物語を、ドイツ語市場 に流通させ、ドイツ語を内部から解体し、再構築した。現象的には、ニーチェはドイツに対して復讐をしたのである」というようなことが書かれていました。

ここですね。ごめんなさい。



【8496】
【タイトル】いくこさん
【 日時 】04/03/11 21:48
【 発言者 】sb

>>日本語を母国語をする人達の中で「知性=「日本語を」なめらかに・流暢にしゃべること」と意識している人達がいれば、それはある意味すばらしいことで す。

>何度も言ってしまいますが、「ある意味すばらしい」って皮肉ですか。本気ですばらしいと思ってるんですか。私は、知性があっても、なめらかに・流暢に しゃべれない人間だっていると思いますよ。流暢にしゃべったからって、利口だとも思わないし。

誤解を生んだようです。確かに皮肉も含んだ表現ではあると思います。「流暢=利口」だと意識している人は「流暢=利口だとは限らない」とも意識しているの ではないか、という私の勝手な思いこみによる表現だったということです。ごめんなさい。そもそも「流暢」にしても「利口」にしても広辞苑にのっている言葉 で、それらに対するいくこさんやsbが抱くイメージもずれている部分もあるのではないかと思います。だからこそ言語論は難しい。コード(記号)を表現した とたん、誤解が始まり、たとえある辞書にのっているのに近い解釈をしたとしても、次に認知がずれている。難しいですね。気をつけます。私は言葉をよく知ら ないのに振り回す悪い癖がありますので許してください。こんな私ですが、今後ともよろしくお願いします。



【8497】
【タイトル】村田さん、これかもよろしくお願いします。
【 日時 】04/03/11 21:59
【 発言者 】sb

>>つまり、外国語として英語を学んでいる人の苦労や痛みと日本で英語を母国語
>として使っている人達の間にはかなりの温度差があると考えられるということ
>です。ここで大切なのは「英語に対する温度差」ではなく、「言語というもの
>に対する温度差」だということです。
 >と書かれているとき、なんでそんなに相手のことを考えてやるのかと思わずにはいられません。

なるほど、と思いました。私は日本にうまれてきて、日本語の中にうまれてきたということですね。日本文化と日本語、その中にうまれてきた。それが私の思考 に少なからず影響を与えているだろうことは、そういう部分もあると思います。でもそれと自分自身のアイデンティティーみたいなものとは別ものだという感じ がしています。言語道具論に極端になってしまいますが、日本語であろうと英語であろうと他の言語であろうと、またジェスチャーであろうと、相手にわかって もらいたいこと、分からせたいことである自分自身のイメージは一つです。ただ、そうしたいだけです。そのために自分自身で目標を定めて日本語も英語も、そ の他のことを学んでいきたいです。



【8498】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】04/03/11 22:04
【 発言者 】sb

>スクリーンプレイ社から出ているゴーストのリスニング用のCDも買っていて、聴いていたのですが、いかにもリスニングの練習用だぞ、という、なんとも教 材くさい英語が鼻について(この感覚は私だけだろうか、もし同じ感覚を持たれた方がいたら、お知らせ下さい)

お知らせします。なんともじゃまくさそうに発音しているなあという印象です。ただ、サントラと違い利用できるのは「あー」とか「うー」とかというような所 が飛ばしてあること、それと、機能語も「比較的不自然な分」ききとりやすく、はじめに根石さんがおっしゃるように「丁寧に、きちんと、ゆっくり」練習する 材料としては使えるということです。



【8499】
【タイトル】たたかう英語教員(2)
【 日時 】04/03/12 3:43
【 発言者 】ミッフィー

sbさん、確かにそうですね。そういえば、このCDを聴いた時と同じ感覚を感じたのは、ラジオ英会話のテープを聴いていた時だった。

さて、電話でレッスンを受けていながらも「まだまだだ」と思うに至った事件とは、私が勤務する学校にここ3年ほど派遣されているALTとケンカ(ではな く、「指導」だったのだが…、私にとってはケンカのようなものだった)したことであった。そのALTは頭は悪くないが、@とにかくルーズで遅刻は日常茶飯 事、二日酔いで予告もなしに休みを取る(年休を取る権利はあるが、二日酔いでさぼるなよ!)A授業がないと誰にも何も言わずに黙って帰る、B自己保身のた めに嘘はつく、Cteam teachingのために話し合いをして、「この日までに授業のためのこんなworksheetを作ってくれ」と頼んでも、かなり催促しないと授業の直前 にしか作らない、D生徒にはわからないとたかをくくっているのか授業中でもfour letter wordsを言う(しかし一番前の席の生徒くらいは聞こえる程度)E授業中ガムを噛む、Fそして「なぜあんたはそんなに学校にいるのを嫌がるのか」と聞く と「誰だってそうだろ?」という言い方をし、(てめえの立場はALTであって一応「先生」と見なされてんだよ!!)「僕はALTであって、生徒達とお話し したりするために学校に来ているのであってteacherではない」とほざき、なぜ学校にいたがらないのかについては「僕は日本語がわからなくて、みんな が何かのjokeで笑っていて、自分にわからない時など猛烈に孤独感を感じ、窓から飛び降りたくなってしまう」とのたまっている。なら勉強しろよ、日本語 を。Gそして(ああ指が止まらない、とても良心的で献身的なALTも日本にはたくさんいるのに…)英語があまり話せない英語教員を影で馬鹿にする。私に対 しても言いたいことがうまく出てこなかった時、ばかにされたので、むかついて「あんたのその態度、何?むかついてたまらない」と言ったらば、すぐに謝りは したが。H風呂に入らず、怪しい臭いがする時がある(国民性のちがいだから、仕方ないんだろうか?)

最近ここで議論になっている、日本で働き日本に3年も滞在しているくせに、日本語を勉強せず、英語が話せない日本人に対して優越感らしきものを見せる外国 人の典型といえよう。(ちなみに奴は南アフリカ出身の白人。ここまで書いて私の県名まで出すと、たぶん関係者は一発で彼が誰か特定できる)

じゃあなぜそんな奴をずっと雇ったのか?雇用者は(たぶん)文部科学省であり、人事権は県庁の学校教育課というところにある。学校にできることは半年に一 回あるALTの派遣申請の時に、同じ人を派遣してくれと頼むか、または派遣しないでくれと頼むかくらいである。

で、ALTとの付き合いは、経験した人はいやでもわかるが、まともにALTと話し合ってteaching planを立てる人ほど、そのALTの資質がわかるのであって、日本人教員がteam teachingについておざなりにしていたり、どうでもいいと思っている限りはどんなALTでも、ひどく性格が悪くない限り、受け入れられるものであ る。(つまり評価が甘くなる)
今までも彼を継続して受け入れるかどうかについて、その都度話し合いが英語科の先生方で持たれたがいつも「彼はうちの学校を知っているし、人柄はいいか ら」ということで継続してここ2年ほどのさばっていた。そして去年の7月にも派遣の継続をすることを決定
したが、そのときの理由は「今までよりも態度が改善しているから」であった。(当たり前だ、私や他2人の先生でずっと説教してきたし、教頭、校長を借り出 して学校の勤務についての説明までしたもん)

なめた態度のALTに一番問題はあるが、その背景には「人はいいから」というので甘やかす日本人がいる。しかし12月のある日、授業のチャイムがなってか ら、奴が教室に駆け込むという(つまりは奴は無断で遅刻して話し合いも何もせず授業に臨んだ)ことをしたため、相方の日本人教員が激怒し、そのALTに 「ここから出て行け!」と一喝する事件があった。これにはさすがに他の英語教員もあきれ果て、教科主任であった私と、教頭先生の二人で奴を別室に呼び出し 説教をするということがあった。

そして2月。それ以降態度はましになったが、派遣申請とALTの勤務評価の様式がが学校に届き、話し合いを持ったが、もうこんなALTの面倒を見るのはう んざりだった。私だけでなく、他の人たちも。家に帰れば子持ちの私、生徒もわんさか質問に来るし、3年を担当して激しく忙しかったのに馬鹿なALTの説教 で貴重な勤務時間を何度も無駄にした。そして勤務評価もこの上なくひどい点数をつけたし、それを校長先生も納得した。(続く)



【8500】
【タイトル】たたかう英語教員(3)
【 日時 】04/03/12 4:55
【 発言者 】ミッフィー

その書類は学校教育課というところに回され、そしてALT担当のMさんがそれを見て、うちの学校だけでなく、もう一校奴が行っている学校の評価も悪かった のであろう、彼に「こんな態度をするのだったら、君はくびだ。今すぐ国外退去するか?」と最後通牒をつきつけたらしい。(それまで彼は私以外の数人に "No one can fire me."と言いふらしていた)Mさんには、私が去年の4月に教科主任になってからずっとそのALTのことで相談したり、苦情を申し立てたりしていて、うち の学校での事情をよく知っていた。奴にしてみれば12月にへまをやったが、それ以降は改善したし、大丈夫と思っていたらしい。しかし私たちにしてみれば、 確かに態度は良くなったが、再び同じようなトラブルを起こされるのはもうごめんだった。彼はMさんに、こんな評価は納得がいかないとほざいた。Mさんは、 「ならば学校へ直接行って○○先生(私のこと)に聞いてこい」と言ったのだった。で、彼はその足で私の所へ来たのであった。

開口一番、「僕は君とはよいteam teachingを持っていたのにどうしてあんなひどい評価を出したのかわからない。君は僕とは楽しそうにしていながら、他の場所では違う態度だったんだ な。(you have one face here, and another face thereだとか言っていた)ぼくのことが気にくわないんだろ、だからそんなひどいことを書いたんだろ。」確かに私とのteam teachingはよくやってくれた。しかし11月くらいから、奴の勤務時間中に次の日の授業計画を相談にいっても、勝手に帰ったりして話ができず、結局 彼に頼んだ仕事を私がやったり、授業の直前にばたばたしてプリントを作ったりするというのを奴は気づいていなかった。私も、そのことで文句を言いたいのは 山々だったが、そんなことに時間を浪費するくらいなら他の仕事をさっさと片付けて、速やかに家に帰り…ろうとすると生徒がやってきて結局学校を出るのは夜 7:30すぎになることしばしば。私の場合は帰宅してからも夕飯の支度、ちびゴン2人の世話、授業の予習など戦争は続くという状態だった。それでもその都 度文句を言うべきだった。しかしもうこいつはどうでもいいと思い始めていたので(3年のteam teachingは12月で終わり)適当に楽しく振る舞っていた。で、奴に言ったことは上に書いたことと(2)で書いたことの@ACDEであった。Bにつ いては、本人が嘘をついている自覚がなければ言っても無駄だと思ったので省いた。「あんたは気づいていなかったろうけど、私はあんたに文句も言わず、授業 の準備を残業して、また授業の直前にばたばたしてやっていた。文句を言わなかったのは、全くの時間の無駄だからだ。私には1日に24時間しかない、学校で は生徒も質問に来る、受験をひかえた生徒の授業の準備はある、家に帰れば夫と子供2人がおなかを空かして待っている。私のどこに、あんたの勤務態度の悪さ というくっだらないことで文句を言う時間があったよ?くっだらなくってやってらんないよ!!」と。Mさんからも「日本人は嫌なことはあまり言いたがらない んだよ。文句とか不満を真正面から言う人はあまりいないんだよ」と言われていたらしく、それに思い当たったのか"Oh, that is Japan. I know."とつぶやいた。しかし自分がおろそかにしていたことについては彼は謝った。結局彼は勤務評定と言っても私と話す時は私との関係でだけ話し、他 の先生達との関わりについて考えることもなく、語りもしない。あげく、しかし、月30万もらっているくせに「僕は学校の先生じゃない。生徒と話すのが楽し いし一緒に何かをするのが好きだから(その割には学校の登山とかクラスマッチや学園祭の日は必ず休みをとる。嘘つきめ。)学校に来ている。生徒だって違う 文化の人間がfour letter wordsを言ったりするのを聞いたり、ガムを噛んでいるのを見たりして、違う文化に接することができるんじゃないか。」馬鹿か。たいした文化だよな、南 アフリカはよ。これについてはコテンパンに打ちのめしてやった…と言いたいところだが、「あんた何言ってんの、ここ学校だよ。あんたはどうであろうが、生 徒はあんたをteacherとして見なしてんだよ!」くらいしか言えなかった。