【7510】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】03/05/04 4:50
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

Naima さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 4日(日)04時50分03秒

そろそろ、家をひきはらって、ドイツ放浪の旅でしょうか。
先日、Rosey さんの初回のレッスンをしました。
音はほとんど問題がありませんが、問題はシンタックスだと思いました。
音の問題の解決は絶対に必要ですが、語学の眼目は音じゃない、と再度思いました。
シンタックスの逆立関係が、眼目だろうと思いました。



【7511】
【タイトル】シンタックスの逆立が問題だからこそ
【 日時 】03/05/04 4:54
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

音は絶対に解決しなければならない。
そうじゃなければ、イメージと合体させるべき音がない。
イメージと音を合体させるのでなければ、本当にシンタックスの逆立を解決
する方法はない。

それを解決する方法がないことを、日本の近代は、英語の死屍累々によって
実証しているのに、俺の言うことに耳を傾けてくれようとする人がいまだろ
くにいない。
大学も文部科学省も、馬鹿ばっかしだから、私はほぼあきらめています。



【7515】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/05/05 12:14
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

>根石さんのお手本のスピードが速く感じられ、わたしも速くとあせったのですが、その必要はないとのことで、次回からは、きちんとあわてず読もうと思いま す。

 語学的に正確な音で言い続ければ、(回転の)回数をこなすことで、それが「こなれ」てきて、自然と速くなります。その道をたどって欲しいと思います。
 ただ同じように言い続けるのでは退屈ですが、音の質の変化に意識的になれば、結構面白いところもありますので、やってみてください。

 ゆっくりと正確に → 安定させる → 徐々に速める → 正確に速く

 音の質の変化をもたらすための手順は以上に要約できます。「回転読み」の「回転」というものが必要だと私が考えている理由のひとつに、この「こなれ」を もたらす作用があるからです。國弘正雄の「只管朗読」の「只管」が言っているものも、「こなれ」をもたらすためのものだと私は理解しています。ただし、國 弘には、「音づくり」という観点はありません。

>yearの音が自分でもよくわからないので、練習しているとき「すごい苦しそうな音やなあ、これでいいのかなあ」と気にしながら発音しています。

 そういう事態を解決するのに、コーチの存在が役に立つのだと思います。
 今度、テスト範囲で、そこのところを出題するときか、別の [j] の音が必要になるところにこちらでも気をつけていようと思います。
 この音に関しては、sbさんが以前うちに遊びにきてくれたときに、ああでもないこうでもないと議論しまし・000ス。sbさんは、舌の位置が大事だと 言っていましたが、村田君は喉の方にポイントを置いた説明をしていました。
 舌の裏が下の歯に触るくらいに前に移動するため、喉のほうの筋肉がひっぱられ、喉が狭められる感じだなあと自分では思っています。
 音が作られるのは喉だと思います。
 けっこう歳をとってから、単音の問題に深入りしたので、私の耳は大してよくありませんが、その音が出ているか出ていないかは即断できますので、今度、 レッスンの時に、出ていれば、「ああ、出ていますよ」と言います。うまく出ているときの「感じ」を覚えてもらえば、一発で解決します。後は、回数による 「こなれ」によって、いいにくかったのが自然に言いやすくなっていきます。

>ir、ur、er、orはもっと口を狭くとの助言をいただきました。練習してみたのですが、口を狭めるとrの音が強くなりますか?

 なると思います。こもった感じの r の音になります。これは舌を中途半端にもちあげているからだと思いますが、まずは口の開きを狭めることに注意を向けてください。

 シンタックスの逆立問題は、音よりも難問です。
 日本に住んで、日本語を第一言語としつづける限り、これは難問のままになります。
 私の立場は、この難問を持ち続けて、英語を維持する立場です。
 つまり、英語の磁場をあてにしない立場です。
 ごつごつした日本の英語でいい、と言い切ってしまう立場です。
 ごつごつとしていても、語が連続して繰り出せれば、そして、そのシンタックスが英語のものであれば、それは立派な日本の英語だと言えると思っています。
 磁場に支えられて折り目がついたぺらぺら英語より、日本人に必要なのはこちらの英語の方なのだという考えは、私には自明のものなのですが、どうもなかな か人には話が通じなくて困っております。

 シンタックスの逆立は、文を成す要素が意識に現れる順番が、英語と日本語では根底的に違うということで、仮に英文法用語で言えば、動詞と目的語の順序が 代表的なものです。これ以外に、疑問文・否定文を決める要素が英文では、文の冒頭に近いところにあるのに、日本語ではそれが最後に来るなども、シンタック スの逆立の問題です。
 これも、日本語の磁場においては、

 音の連続性と正確さの確立 → 知識を媒介にした理解 → 意味を伴う音の「こなれ」

 という順序をたどって練習し、慣れの度合いを深めるしかなかろうと思っています。



【7518】
【タイトル】yearとear
【 日時 】03/05/05 18:56
【 発言者 】sb

根石さんのところへは2度目の訪問を終えたばかりなのですが、1回目の訪問の時のことを覚えていてくださったようでうれしい限りです。
村田さんや根石さんとyearとearの発音について話をしていたのを私も思い出しました。earとyearは舌の位置だけで理解していた私には喉にポイ ントを置いた説明は今まで聞いたことの世界でした。しかし、発音の理解は個々人特有の部分もあると思います。今改めて考えてみるとyearの方が舌がより 歯に近づき、のどが狭められた感じになるのだと思います。でもその辺りの説明はeliot(柴田)さんにしていただかないと。。。私には説明できません。 それより私はレポート用紙を買ってきて、電圧装置を書いて早く実践報告をしなければ。。。
それ1000から、いくこさん!根石さん宅におじゃましたとき、声をかけていただいたのにゆっくりお話できず残念でした。



【7525】
【タイトル】今更ではありますが (1)...。
【 日時 】03/05/08 20:52
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

 3月末に、「いつか柴田武史さんの実践『音作りへの道』について感想を書かせていただきます」、などと言ったきり、シゴトしたり、じゃがいも植えたり、 はぜとうもろこしの種を蒔いたり、新しく買ったギターとバンジョー弾いたり、酒飲んで暴れたりしているうちに、4月が過ぎ、5月のゴールデンウィークも終 わってしまいました。「今更、なんだぁ、おめぇはよぉ」という気もいたしますが...。

 「音作りへの道」について、根石さんが、「現在の学校の教室がやれる最良の授業として、今後の学校の授業を考える際に、現在の中学・高校の授業が目指す べきモデルとしての意味を失うことはない」と書いておられますが、同感です。多くの大学の現状でも、同じことが言えると思います。
 現在、俺は、英語を専門としない大学1年生と2年生に、コンピュータと LL の設備のある教室 (CALL 教室) で、Smash Hit Listening (Longman) をテキストにリスニングの授業、『英会話ぜったい音読挑戦編』をテキストにリーディングの授業をしています。1クラス40人前後で、ヘッドフォンを通して 個々の学生の発音を聞いて注意したりしても、80分授業の中ではひとり2分も話せない、その上、週に1コマだけの授業設定で何ができるかっ、と責任転嫁し ながら、しかし、少しでも「力」をつけて欲しいと祈りつつ、声を涸らす毎日です。「発音要領(素読舎オリジナル)」は、現在進行中のリーディングの授業で 使わせていただきます。英語の音を出す過程をどのように、「生徒にわかるように説明する」かはもっともっと議論されるべき課題だと思います。俺なりに、た とえば「ae は、『あ』と言いながら、ノドの上の方を両手で絞めてみろっ、でもあんまりきつく絞めると死むど」などとオバカなことを言いながら説明してきましたが、な んらかのヒントを得た学生達は「そうかぁ、そういうことだったかぁ、なんだぁ」と納得して、英語「らしい」発音に近づいていくキッカケを得たような例もあ ります。



【7526】
【タイトル】今更ではありますが (2)...。
【 日時 】03/05/08 20:52
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

 「音読をテスト自体に使っている」は、高校に勤務していた時からやっていました。学校の授業で、「音読やれぇっ」ってどれだけ言ったって、テストにも出 ないし、セイセキにも「直接」関係ないんだったら、なんで音読なんかするかぁ、と思うのは、ごく自然な発想だと思っています。「テストなんて、紙っぺら1 枚で何が分かるか!」といった言いっぱなしで終わることなく、じゃあ、どうしたら「英語の力」を正確に測定して評価できるのか、その方法を見つけていくの が今現在の俺の大きな課題です。テストとセイセキのシステムを考えることと併せて、「テストそのもの」を検討し、とりあえず、しっかりとした測定方法を見 つけていきたいと考えています。

(1)英語をたくさん聞かせる
 → 「メシを食わなきゃ、ウンコは出ない」ですね。俺も、教室で、同じたとえをしたことがありました。「言いたいことは分からなくもないが、教室で、ウンコ、 というような言葉を使うのは、いかがなものか」とその時の生徒達に言われました。
(2)和訳をしない、させない、(3)文法の説明は最小限にしかしない、(4)音読の時間を最大限にとる、(6)教科書ガイドを全員に購入させる
 → 新卒の頃、文法訳読のノルマを早く片づけて音読の時間をとるために、教師用マニュアルの文法説明と和訳をコピーして生徒各自に配布して、ベテランの同僚に 睨まれたりしていました。教科書ガイドを持ってきた生徒に、「そこにはなんて書いてある?そうかぁ、そういう解釈もあるf7bなあ。」などと感心したりし て



【7524】
【タイトル】今更ではありますが (3)...。
【 日時 】03/05/08 20:51
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

(5)発音は細かいところまで説明し練習させる、「フォニックス」、「英語の音はカタカナでは書けない」、(10)教科書の各課の最後についているコミュ ニケーションごっこは無視する、(12)NHKのラジオ講座「基礎英語1」を聞かせない
 → 俺は、小学校4年で実施されているローマ字の学習が、「英語の発音」という観点から見れば、もっとも大きな、悪い影響を与えているのではないかと疑ってい ます。たった2週間ほどのローマ字の勉強が、生涯、英語の「ローマ字読み」から逃れられなくなる原因のひとつの、しかも、大きなものではないかと思いま す。
 → フォニックス、カタカナ、発音記号などは、いずれにしても英語そのものの音を説明する二次的な媒体である点からすると、学習途中の「補助具」として、個人 個人が利用しやすいものを使えば良いではないか、と俺は考えています。それは、「コミュニケーションごっこ」や「基礎英語」も同様で、生徒個人個人に合っ た方法を取れば良いと思います。それぞれの生徒には、学習方法に対する「相性」みたいなものもある、と思います。ただ、学校教育の、限られた授業時間とい う制約の中では、「優先順位」を慎重に検討すべきだとは思います。なお、カタカナによる英音の表記については、島岡丘 (1994) 『中間言語の音声学:英語の「近似カナ表記システム」の確立と活用』 (小学館プロダクション) という本が詳しく取り扱っていて、「けっこう、使える。」というのが俺の印象です。
(8)教科書の課文を覚えさせる、(9)必ず読めるようにしてから書かせる、「英語の語順に日本語にしたものを印刷したプリント」「同時通訳プリント」
 → 日本語に直すときに、英語の語順のままにすることはとても良いことだと考えています。頭の中で「語順」を操作して、訳文を日本語として整えてしまえば、 せっかく英語と日本語の語順の違いを直接的に把握できるチャンスを減らしてしまうじゃないか、と思っています。



【7523】
【タイトル】今更ではありますが (4) ...。
【 日時 】03/05/08 20:50
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

「英語を上手に発音できることはいいことだ」ということが生徒たちの間の常識になっています
 → このことは、とても重要なことだと思います。指名されて「英語らしく」読む生徒が、「ケッ、カスこいてんじゃねぇや、バァカ。カッコつけてんじゃねぇよ、 タコっ!」なんて思われてしまう雰囲気が強いと (ザンネンながら、俺の経験では、高校でも大学でも実際に授業を始めた時には、そういう雰囲気の場合が多かったですが)、まったく効果が上がりません。こ ういう雰囲気を作り出すことにも大変なエネルギーが必要になります。現在の職場で行っている音読の授業では、CALL教室で、ヘッドフォンをつけて自分の 声とのタタカイをしていますから、クラスメイトからのプレッシャーは、少ないのではないかと観察しています。

「それがどんな価値があるかは別にして、英検の試験を中2の3学期に受けさせたところ、2次試験までほぼ全員が合格しました」「発音は上手になるかもしれ ないが、それが何になる」
 → 一番先にも書きましたが、「英語の力」をどのように測定し評価するのかについては、まだまだ分かっていることが少ないようです。「通じる英語」「使える英 語」などと漠然とした定義だけではなく、「英語の力」について、キチンとした体系的な測定法と評価法を確立して行きたいというのが、再度になりますが、俺 の目下の課題です。



【7522】
【タイトル】今更ではありますが (5) ...。
【 日時 】03/05/08 20:49
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

 大学を卒業して、奇跡的に長野県の高等学校教員採用試験にひっかかり、奥信濃の「受験校」に赴任して、「英語教育」に関わり始めてから、もう四半世紀も 過ぎてしまいました。当時、「授業とテストの焦点は同じじゃないといけない」と宣言して、毎回授業プリントを作り、その中から定期テストに出題して、「テ ストはいい点取れるけど、ホントにおらたの英語は良くなってんかぇ」などと生徒に詰め寄られたりしていました。担任を持った時は、「金曜日は All English day」だとか言って、ホームルームの連絡から、「ソウジやれっ!」などとしかることまで英語でやったりしていました。英作文の授業で、添削が間に合わず に、授業中に生徒が作文の作業をしている間に、教卓で弁当食べたりしていました。思えば、むちゃくちゃな、申し訳ない日々でした。
 奥信濃の受験校、普通科・商業科併設の高校、定時制高校と、合計20年間勤務して、2000年に、イロイロな偶然が重なり、今の職場に移りました。もう 四半世紀もの間、エイゴを教えてきたのに、未だに、「これだっ!」という方法を見つけられないでいます。なさけなく、恐縮する毎日です。
 20年間、研修会などで、大学の先生お話を「聞く側」にいて、「何せってんのぉ、じょぅだんじゃぁねぇゃ、そんなヘリクツ聞きに来たんじゃねぃやっ」と 強く、強く思い続けてきました。が、現在は、時たま、恐ろしいことに、「話す側」にいることも増えてきて、多分、「ふざけんじゃねぇよ、授業は机の上の理 屈じゃねぇんだよぉ」と思っておられると見える「聞く側」の皆様に、「いやはや、皆さん、いろいろ調べてみると、これがなかなか、一刀両断に、すぱっと言 い切れないのですよ...しどろ、もどろ...」ということが多くなって来てもいます・000B
 フラフラしながらやってきたこの四半世紀ではありますが、これからも「音読」については、じっくりと取り組んで行きたいと考えています。



【7528】
【タイトル】Kぼんへ
【 日時 】03/05/09 19:29
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

「夕焼け小焼け」への記事に対するお返事です。
私のレッスンに必要な代金は、車を維持するのに維持費がかかるのと同様の
維持費と考えていただくのが、もっとも実状に合致すると思います。
日本語の磁場では、英語を維持するのに、維持費が必要ではないかと考えて
おります。車を維持するのに、自分で車検をとったりする人がいますから、
英語だって、全部自分でやればやれないことはない。しかし、社会人になっ
てしまえば、学生のように好きなだけ勉強に時間を割くことが難しくなる。
だから、私の「電話でレッスン」は、練習を維持するための維持費だと考
えてもらいたいと思っています。



【7529】
【タイトル】中村さん(1)
【 日時 】03/05/10 3:03
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 中村さんも百姓をやっているんですか。私の掲示板「夕焼け小焼け」に作物の生育状況など書いてもらえたらうれしいです。 http://6829.teacup.com/nessy/bbs 私は、百姓の息子のくせにほとんど何も百姓のことがわからず、ただ今試行錯誤をして います。アジア雑貨の店をやる予定があるのですが、雑貨以外に店で畑の作物を売ることも考えています。
 今日は、堆肥をいただきに姨捨駅の方へ車で登りました。八幡のお宮の前の通りを姨捨の方へ行き、県道を中村さんの家のある方へ折れずに、まっすぐに山に 登って行くと、長楽寺(っていう名前だったと思う)を通り過ぎて、踏切を渡るちょっと手前の右手に、農協(だと思う)がやっている「できかけの堆肥」がも らえる場所があります。勝手に持ってきていいのだと友達に聞き、今日は少しだけ持ってきました。家畜の糞尿処理施設を兼ねているようです。まだこなれてい ない状態の堆肥(というより厩肥)ですので、持ってきてからも、畑の隅で「寝かせて」おいた方がいいと友達は言っていました。確かに、まだちょいと臭う状 態のものでした。土に混ぜ込んで植物の根に触るとまずい状態なので、植えたばかりの植物の根から少し離れたところの土の上にぱらぱらと蒔きました。
 以後、百姓関係の記事は「夕焼け小焼け」で書き、以上にとどめ置きます。

 柴田さんの「音作りへの道」への批評をありがとうございました。

 「発音要領(素読舎オリジナル)」はコピーフリーですので、どうぞコピーしてお使いください。これは、まだ単音しか扱えていないし、単音だけに関しても 練り込む必要があると考えています。連音処理(音のぶつかりあいの処理)は扱えていないので、いずれ連音処理を加えようとも思っています。お智恵を拝借で きればと思っています。私塾が作ったものを、大学の授業で使っていただけるとは光栄です。

>英語の音を出す過程をどのように、「生徒にわかるように説明する」かは・000烽チともっと議論されるべき課題だと思います。俺なりに、たとえば「ae は、『あ』と言いながら、ノドの上の方を両手で絞めてみろっ、でもあんまりきつく絞めると死むど」などとオバカなことを言いながら説明してきましたが、な んらかのヒントを得た学生達は「そうかぁ、そういうことだったかぁ、なんだぁ」と納得して、英語「らしい」発音に近づいていくキッカケを得たような例もあ ります。

 大学で生産され大学を出ようとしない「学問としての音声学」ではない音声学。学校の授業の現場ですぐに使えるような音声学というものが日本にはまだない のだと私は考えてきました。「一瞬般若」「ゆでたまご」などとあだ名をつけた発音法を、「俗流音声学」と呼びたい気がしますが、これの重要性に英語関係者 はまだ気付いていないような気がしてなりません。中村さんのご意見にまったく同意します。
 この「俗流音声学」の知識というものも、学習者からすれば「媒介物」にすぎず、要はその音が自分で出せて、他のまぎらわしい音と区別できればいいわけで すから、説明法はこれだけというようなものではない。「ae」に関しては、般若の面という言い方は秀逸だと思っています(柴田さんの説明法です。これに 「一瞬」という語を加えた「一瞬般若」は根石の工夫です)が、蛙がつぶれるような音だと説明して、生徒が出せるようになったという報告もこの掲示板に書か れたことがありました。
 般若にせよ、蛙にせよ、喉の上の方を両手で絞めるにせよ、「異化」することが眼目だと思います。日本語の「あ」と同じ音ではないのだと、「異化」し、実 際にその音を出して、生徒にも出させる。「異化」することと、同じ重量で大切なことは、生徒がその音を出した瞬間に「あ、その音です」と言うことだろうと 思います。「そうです」と「違いますね」の指示も必要です。



【7530】
【タイトル】中村さん(2)
【 日時 】03/05/10 3:10
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 「異化」のための説明と、コーチのモデル音と、同定(あるいは否定)の指示があれば、ほとんどの生徒はかなり楽に音自体を獲得すると思います。
 このあたりに関しては、私には「中間音」という概念があります。これは川とそれに架かる橋を比喩として説明しています。
 こちら岸は日本語の音の土地である。むこう岸は英語の音の土地である。その間に川が流れている。この流れに流されて、川流れになってしまう人が多いが、 コーチがいれば、この川に橋が架かる。この橋の上にある音を「中間音」と呼んでいます。こちら岸に近い音もあれば、橋のまんなかあたりにある音もあれば、 向こう岸に近い音もある。それらすべてが「中間音」です。コーチがやる仕事は、まったくこちら岸にある音(日本語の音)をまずは橋に乗せてやること(異 化)。だんだんと、橋の真ん中あたりにある音の方にひっぱり、さらに、向こう岸になるべく近いところまでひっぱってやるだと思っています。
 例えば私の音も、あくまでも鍛えられた日本人の英語音です。向こう岸の音そのもの(ネイティヴ音)ではなく、中間音の中の向こう岸に近い音です。この音 によって、生徒の音を向こう岸に近いところまでひっぱれば、以後はCDなどのネイティヴ音録音教材によって、生徒はいくらでもネイティヴ音が媒介にできる ようになります。
 日本の学校の教室がやるべきことは、ネイティヴ音の録音教材を生徒が媒介にできる地点まで、生徒に橋を渡らせてやることだと思いますが、これがやれる先 生があまりにも少なすぎる。
 アメリカ帰りの先生や、ネイティヴの先生がいいとはまったく考えられません。ネイティヴの人は自分がどのように該当音を出しているのかが、説明できない からです。1000私はエイミーというイギリスから来た女の子に日本語を教えていますが、自分が出す日本語の音を出させるために、イギリス人の口をどう動 かせばいいのか説明できなくて困ることがあります。ネイティヴの人には、ネイティヴ言語の音というものはあまりにも自明であり、説明できないのです。
 実は日本は英語の教師の人材の宝庫なのではないかと言えば、逆説に響くかもしれませんが、私は本気でそう考えています。日本には発音の下手な英語の先生 がたくさんいます。この人たちの音が変わりさえすれば、この人たちこそが宝物なのです。下手だった人が上手になる「過程」を自覚し、その過程にあるコツを 言葉にできれば、日本人にとって本当に必要な「俗流音声学」を備えた人になるはずです。
 文部科学省とやらの馬鹿代官が与える免状を持つ人たちですから、たかが私塾の「俗流音声学」なんざ馬鹿にできると思っているのかもしれません。本当は今 現在発音が下手であることは、いい教師になるために必要な資質であり、それを持っているにもかかわらず、それに気付かない。それに気付いて、私塾だろうが なんだろうが、媒介にして、自分の音が変わることを自覚し、その過程を言葉にできれば、その人なりの「俗流音声学」ができてくる。それこそが、日本の英語 教育に必要なものであり、それこそが、日本の英語教育から欠けているものです。

>「音読をテスト自体に使っている」は、高校に勤務していた時からやっていました。

 稲荷山の喫茶店で、テストで「音読」をやらせると聞いて、私はすごく驚いたのでした。まさに、それこそがあるべきテストの形だと、少なくとも、あるべき テストの部分として欠いてならないものだと考えてきたものだったからです。それを大学のテストでやっているのだろうと思っていましたが、高校の先生をされ ていた頃からやられていたのだと知って、脱帽いたしました。世の中には、ちゃんとやっている人がいるんだなと改めて認識した次第です。



【7531】
【タイトル】中村さん(3)
【 日時 】03/05/10 3:11
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

> 「メシを食わなきゃ、ウンコは出ない」ですね。俺も、教室で、同じたとえをしたことがありました。「言いたいことは分からなくもないが、教室で、ウンコ、 というような言葉を使うのは、いかがなものか」とその時の生徒達に言われました。

 再び脱帽です。
 私はあるライブで、谷川俊太郎さんの吹き込んだ詩のCDを買い、谷川さんにCDの表に「うんこ」と書いてくれと頼んだのに、「うんち」と書かれてしま い、がっかりしたことがありました。谷川俊太郎の限界を見たように思ったことを覚えています。
 「うんこ」の方が、しっかりした形をしていると思います。尻の穴が汚れない。「うんち」は粘りけがあったり柔らかかったりして、尻の穴が汚れそうな音で 嫌です。
 中村さんは、「なんで教室でうんこと言ってはならんのか」と生徒に切り返さなかったのでしょうか。私なら、「お前、うんこを差別するのか」と言うような 気がします。まあ、毎日そんな騒動を起こしそうな予感が自分にあったので、学校の先生にはならなかったのかもしれません。(免許に必要な単位はすべてとり ましたが、免状にしなかったのです。)

>俺は、小学校4年で実施されているローマ字の学習が、「英語の発音」という観点から見れば、もっとも大きな、悪い影響を与えているのではないか1000 と疑っています。たった2週間ほどのローマ字の勉強が、生涯、英語の「ローマ字読み」から逃れられなくなる原因のひとつの、しかも、大きなものではないか と思います。

 これは私はちょっと違うように考えています。
 ローマ字で日本語の一つの音を表すには、多くの場合、二つのアルファベットを使います。例えば、「か」を「KA」と表記するように、アルファベットが二 つ必要です。これは、日本語の音がひとつずつ区切って発音されれば、どの音にも母音がくっついているという日本語の音の組成の問題であり、ローマ字を習っ ても、日本語の音にくっついている母音を表記しているわけですから、問題はないと思います。
 student の s だけの音を出すべき時に、「す tuden と」と発音する生徒が多くいますが、st という子音の連続や t だけの単音を出すのは、ローマ字を習おうと習うまいと、日本人の英語初心者には難しいのだと思います。
 これは文字表記の問題ではなく、音だけの問題として論じ得るものです。
 日本語の音と英語の音の生理(組成)の問題なのであり、文字以前の問題だと思います。

 島岡丘という方の本はいまだ読んでおりませんが、私は柴田さんと同様に、カタカナを英語の発音表記に使うことには反対です。「母音含み」の音を表記する カタカナでは、英語の音を表記することは原理的にできないという考えです。島岡さんの表記法によって、英語の発音が上達する人がいたとすれば、先に書いた 「異化」作用を起こしうるからであり、勘のいい生徒は、その「異化」作用だけで、ネイティヴの録音音声を媒介にできるようになるというにすぎないと思いま す。これは、勘のいい生徒や音楽好きの生徒には生じるだろうと思います。私がめざす方法は、勘のよくない生徒や音楽に興味がないような生徒でもやれる「異 化」作用です。ですから、表記に関しては、もっとも普及している発音記号でいいと思うし、眼目は「異化」であり、「一瞬般若」「ゆでたまご」のような、手 短なコツであると思っています。音自体が「中間音」の向こう岸寄りの音になれば、その音は発音記号では、この表記になるよ、と後から発音記号と一致させれ ばいい。そうすれば、発音記号もそれほど苦痛なものではなくなる。



【7532】
【タイトル】中村さん(4)
【 日時 】03/05/10 3:12
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 カタカナを工夫して、英語の音を表記できているというのであれば、それは新種の発音記号に過ぎず、発音記号とほぼ同じ程度の数の表記が必要になります。 それが発音記号であるかぎり、混乱は避けられないと思います。もともと日本語の音を表そうとした文字だから、なおさら混乱が生じると思います。音の組成の 根底が違うのだから、発音記号の方が表記法として1000優れているという考えです。
 眼目の中の眼目は、コーチの存在とコーチの質にあると思っています。音を生徒にきちんと持たせてから、発音記号との照合をやれるコーチが必要です。
 余談を加えますが、現在の学校とその中の英語の先生たちは、コーチたりえていない人がほとんどなので、果たすべき役目を果たしていない。

>指名されて「英語らしく」読む生徒が、「ケッ、カスこいてんじゃねぇや、バァカ。カッコつけてんじゃねぇよ、タコっ!」なんて思われてしまう雰囲気が強 いと (ザンネンながら、俺の経験では、高校でも大学でも実際に授業を始めた時には、そういう雰囲気の場合が多かったですが)、まったく効果が上がりません。

 これに関しては、柴田さんは比較的条件のいいところで仕事をされているということがあります。柴田さんが相手にしているのは、中学入試を経た優秀な生徒 たちです。私は柴田さんの生徒さんたちを見たことがありますが、端的な印象は、「素直な羊たち」というものでした。柴田さん自身も、優秀な羊たちの一人だ と思います。
 柴田さんの生徒さんたちと比べるなら、私の塾の塾生たちは、「泥だらけの山羊」というようなものです。「カスこいてんじゃねぇや」と言う中村さんの学校 の生徒も、「糞まみれの山羊」みたいなもんで、いずれにせよ素直じゃない。
 私も素直でないことに関しては人後に落ちないのに、生徒の親からは「先生」などと言われてしまいます。私一人に関して言うなら、「羊の皮をかぶった山 羊」だと思っています。「かぶってさえいない」という人も多々いるかもしれません。
 今回の記事では、多少、中村さんの山羊性がうかがえて、私としては存外にうれしく思いました。

>現在の職場で行っている音読の授業では、CALL教室で、ヘッドフォンをつけて自分の声とのタタカイをしていますから、クラスメイトからのプレッシャー は、少ないのではないかと観察しています。

 ふむ。
 私のレッスンは基本的に一対一のものですが、複数の生徒を相手にして音を扱い、「カスこいてんじゃねえ」という生徒の口を封じる腹案も別に持っていま す。LLの機材を必要としない方法です。これは、いまだ腹案のままであり、一度も使ってみたことはありませんが、機会があればやってみたいと思っていま す。中村さんの口添えでやらせてもらえるなら、一度どこかでやってみたいとぶしつけながら考えました。
 これがうまく成立するようなら、現在の馬鹿みたいな中間・期末テスト体制の中でも、授業時間のうちの5分から10分程度を使って、「音づくり」がやれる と思っています。「5分間音づくり運動」を考えています。



【7534】
【タイトル】中村さん(5)
【 日時 】03/05/10 3:13
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

>「通じる英語」「使える英語」などと漠然とした定義だけではなく、「英語の1000力」について、キチンとした体系的な測定法と評価法を確立して行きた いというのが、再度になりますが、俺の目下の課題です。

 漠然とした定義であっても、「通じる英語」というものはあり、「通じない英語」というものもある。「使える英語」というものがあり、「使えない英語」と いうものもある。「通じない英語」や「使えない英語」は英語じゃないという議論を棚にあげれば、それらはすべて事実として現象していますから、確かに漠然 としているものの、無用な言葉ではない。
 それ以上に精密に、あるいは正確に「英語の力」を定義しようとすれば、イメージと音、あるいは、イメージと単語(群)の綴りとの、即応関係を測るしかあ るまいと思います。
 自分以外の人の中に、的はずれでないイメージが確かに生起しているかどうかは、客観的にはわからない。イメージの存在が、学習者本人にしかわからないの であれば、イメージと音(綴り)との双方向の即応度は、学習者本人にしかわからない。
 これに関しては、釣りの喩えがよかろうと思っています。
 釣りのアタリをとるのに、脈釣りというのがあります。また、浮木釣りというのもあります。浮木釣りは、浮木の動きを見て、魚が餌を口にくわえているかど うかを見るものであり、脈釣りは、竿先の動きを見て、同じものことを判断します。
 浮き釣りの方が魚の動きがわかりやすい。しかし、これはよほど流れのゆるやかな場合か、流れのないところでしか使えません。これに対して、脈釣りは流れ のあるところで使えますが、流れ自体によっても竿先は動くので、流れが竿先を動かしているのか、魚が竿先を動かしているのかの見極めが難しい。
 ことイメージに関しては、テストで浮き釣りをすることはできないと考えています。イメージについては、それが確かに生起しているかどうかは、学習者本人 にしかわからないので、そして、学習者本人には、意識に意識的でありさえすれば、明瞭にわかります。
 点数や数字と何の関係もなく、意識に意識的になって、イメージの生起を見ることも、学習者自体による自分のテストだと考えれば、語の本来の意味において テストです。
 これは、釣りでは、見釣りに当たります。透明な水の中を泳いでいる魚と餌を直接に肉眼で見て、魚が餌を口にくわえた瞬間にアワセをくれてやるのが見釣り です。すべて見えている。イメージに関して、見ようとすれば、学習者本人には透き通った水の中を見るように見えます。そのように明瞭に見えるものが、学習 者の外側からは「絶対に」見えません。これがもしも見えるなら、謹厳実直な紳士がどんなすけべなことを考えている場合でも、すべて第三者にばれてしまいま す。イメージが第三者に見えるということですから。
 で、テストの問題に帰れば、イメージと音、イメージと綴りの即応関係、それぞれの双方向の即応度は、測定できないというのが今のところの私の結論です。
 で、脈釣り的な、「音読をさせてテストする」がもっとも正確なテスト法だとも思っています。初出の文でテストした場合、即時に意味がとれる(イメージが 動く)のでなければ、イントネーションが決定できませんが、音読をテストで使った場合は、イントネーションの自己決定力も、音の質も、すべて脈釣り的には わかります。
 これが最良のテスト法だと思います。生徒をテストする側に公平ささえ確保できれば、これが最良でしょう。このテストによって測られるものも、しかし、所 詮、「使える英語」かそうでないか、「通じる英語」かそうでないかです。それで、いっこうに構わないのではないでしょうか。



【7533】
【タイトル】中村さん(6)
【 日時 】03/05/10 3:13
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

>20年間、研修会などで、大学の先生お話を「聞く側」にいて、「何せってんのぉ、じょぅだんじゃぁねぇゃ、そんなヘリクツ聞きに来たんじゃねぃやっ」と 強く、強く思い続けてきました。が、現在は、時たま、恐ろしいことに、「話す側」にいることも増えてきて、多分、「ふざけんじゃねぇよ、授業は机の上の理 屈じゃねぇんだよぉ」と思っておられると見える「聞く側」の皆様に、「いやはや、皆さん、いろいろ調べてみると、これがなかなか、一刀両断に、すぱっと言 い切れないのですよ...しどろ、もどろ...」ということが多くなって来てもいます。

 なるほどなあと思います。
 私は、どこからもお呼びがかからないので、「話す側」に立つことがないことを幸いにして、不特定多数の方に向けて、この掲示板で、「書く側」に立ち続け たいと思っています。
 中村さんがお忙しいのは重々承知の上でお願いしたいのですが、これからも中村さんとの議論を公開していきたいと強く願っております。「夕焼け小焼け」と もども、「大風呂敷」をよろしくお願い致します。

 久しぶりに長文になりました。お許しの程。



【7540】
【タイトル】昔からあるコトバ
【 日時 】03/05/11 3:06
【 発言者 】英語嫌い人

「読書百遍意自ら通ず。」
 意味は、百遍も繰り返して書物を熟読すれば、よくわからなかった意 味も自然にわかる。乱読を戒め熟読の必要を説いた句。(大辞林から)

 英語の学習に当てはまるのだろうか?



【7541】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】03/05/12 1:19
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

Rosey さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月12日(月)00時56分36秒

Where'd you get those? の where'd は where did ですので、did you のつなげ方で、[dju] の音が
生じるのと同じ要領でいいと思います。where に連続させて、[dju] の音を出せばいいと思います。
 do you のつながりでは、do の母音が聞こえますが、did you のつながりでは、did が子音で終わるた
め、[dju] になり、you に相当する音の前に母音がないということです。
 このあたりは、私にも難しいです。

What'd the doctor say?
what the のつながりだったら、what の t のときに、舌の先を上の歯の先にあててしまい、「黙音」にな
り、次の th が発音されます。この場合は、舌の先だけが歯の先にあたっている感じですが、What'd the の
つながりだと、舌の先が歯の先にちょっと触るだけでなく、、歯の裏側にもべたっとついているような感じで
私はやっています。
what の音は wha の部分だけが担い、'd の部分を、舌の「べたっ」とした感じで黙り、the の th の弱音
部分を瞬間的に出す感じです。

 このあたりは、柴田さんが詳しいのですが、最近は大風呂敷に書いていただけないので、お尋ねできないの
が残念です。

already の l と r は舌に力が働く位置に距離があるので、l を上の歯茎の裏にきちんとつけないで発音し
ているネイティヴも多くいると思います。その場合でも、舌がいったんは上の歯茎の裏に向かおうとして、舌
先が細くなる感じになってから、舌の奥の方がもちあがっている感じがします。もっと崩れれば、l の音が無
視されたものになるでしょう。

 早口でしゃべるとき以外は、l をちゃんと発音するのが本式だと思いますが、私はたいていさぼって、l
のときに歯茎につけません。 all right などもそうです。

 この辺については、私はこうしている、というようなことしか言えません。
 他の方からアドバイスがいただけるかもしれませんので、「大風呂敷」の方に転写しておきます。



【7543】
【タイトル】読書百遍
【 日時 】03/05/12 1:28
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

英語嫌い人さん

原理としては同じだと思います。
ただ、読書百遍意自ら通ず、だけだと、「音づくり」という観点がない。
語学に固有な問題として、「音づくり」があります。
意味と合体させるに足る質の音が作れたら、以後は、「読書百遍」でかなり
いけるようにも思いますが、意識的なイメージの生起の確認を経ないとなら
ないのが、日本語の磁場における日本語の「読書百遍」と違いところだと思っ
ています。



【7550】
【タイトル】はかいかねぇ...(1)
【 日時 】03/05/14 20:10
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

これからも中村さんとの議論を公開していきたい
→ 返信がとんでもなく遅くなってしまいました。スミマセン。「もっと、チャッチャッとシゴト片づけて、すぐに返信できねぇもんかぁ、おめえはよおぅっ」と自 分でも思います。忘れた頃にやってくる、はかいかねぇ、効率の悪い交信ではありますが、ご理解の上、おつきあいいただければ幸いです。

中村さんも百姓をやっているんですか。
→ ネズミの額のような狭い畑に、種芋を1キロ植えて3キロ収穫する、といった非効率的なことをやっています。今年は、ミニトマト、水なす、子なす、ピーマ ン、シシトウ、ズッキーニなどの苗を植え、あとは、豆類が少しです。まぁ、だいたいが不作で、「まったくおらち畑は肥料ばっかり食って...」という晩酌 の話しの肴になるのがせきの山です。もともと建具屋のせがれで、非農家、百姓経験ゼロです。

「なんで教室でうんこと言ってはならんのか」と生徒に切り返さなかったか
→ その時の生徒たちは、商業科で、情報処理の授業を受け始めた頃で、「つまり、アウトプットのためにはインプットが必要だ、ってことじゃねぇの?」とせうの で、「そうそう、おめたち、わかってるじゃぁねぇか。ご飯がインプット、うんこがアウトプットだっ。いいかぁ、インプットとアウトプットを間違えると、え らいことになるどっ。」とは言いました。
→ それから、うんこの場合も、ケツの穴は、やっぱし、ちょっとだけは汚れるんじゃないかなぁ...。



【7549】
【タイトル】はかいかねぇ...(2)
【 日時 】03/05/14 20:09
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

「発音要領(素読舎オリジナル)」 単音しか扱えていない 連音処理(音のぶつかりあいの処理)は扱えていない
→ 前回書いたテキストの Smash Hit Parade では、この連音を中心に扱っていて、told them → toldユem → 「トォゥルデム」といった表記で説明がなされています。3年間使ってきた経験から言うと、なかなか良いです。

「学問としての音声学」「俗流音声学」
→ ホントの学問は現場で役に立ってなんぼのもんだと、オレは考えています。だから、最前線で役に立つ情報を与えてこそ、その時にやっと、「音声学です」とム ネを張ることができるのであって、それまでは、もっともっと精進すべきだと思います。

「俗流音声学」の知識 「媒介物」 説明法はこれだけというようなものではない 「異化」作用 「中間音」 その音は発音記号では、この表記になる 後か ら発音記号と一致させればいい
→ 「橋」の喩えも、とても分かりやすいと思います。オレの理解の範囲では、根石さんも島岡先生も同様のことをおっしゃっています。島岡先生の本のタイトルに 「中間言語の...」とあるのは、根石さんの「中間音」とよく似た概念だと思います。



【7547】
【タイトル】はかいかねぇ...(3)
【 日時 】03/05/14 20:08
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

カタカナ 新種の発音記号 発音記号とほぼ同じ程度の数の表記
→ 発音記号にしてもカタカナ表記にしても、説明すべき英語の音の数だけ、それを二次的に説明する表記が必要になることには変わりがないと思います。

→ 発音記号やカタカナは「橋」ですから、それ自体を身につけることが主な目標ではなく、「目的地」でもありません。そして、目的地である英語寄りの向こう岸 に近づくためには、どんな橋でも良いし、他の橋や道がもし何本かあれば、我が儘に欲張って、いろんな橋を渡ってみればいいと思うのが、オレの立場です。い ずれにしても、「異化」を促進させる触媒のようなものは、いくつか存在しうる、と考えます。

眼目の中の眼目は、コーチの存在とコーチの質にあると思っています
LLの機材 「5分間音づくり運動」
→ LLの機材の良いところは、自分の声が録音できて、それを後から聞くことができる点だと思います。発音しても即座にどんどん消えていってしまう「音」を、 ちょっと切り取って録音し、第三者的に聞いてみて、生徒自身が「ここはまずいなぁ」と思えれば、「さてどうしたもんか」という疑問を持ち、次なる課題を自 分自身で見つけやすくなるのではないかと思います。それを聞きながら、コーチが「なっ、ここはちょっと違うよな。こうやってみたら、どうだ。」といった形 を取れば (素直に受け入れられたとすれば、ですが)、学校の教室においても、比較的、効率の良い音読の取り組みができるのではないか、と淡い期待を持ちながらその ようなことを続けています。



【7548】
【タイトル】はかいかねぇ... (4)
【 日時 】03/05/14 20:08
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

「使える英語」かそうでないか、「通じる英語」かそうでないかです。
→ 「英語の力」を、ただ一つのものとして捉えるか、いくつかの要素の集合体と捉えるかという検討があり、今現在は、「英語の力」は、ひとかたまりになってい る部分と分解可能な要素の集合体の、ふたつの部分からなるという考え方が主流です。もしかしたら、「ひとかたまり」の部分については、音読のテストでもあ る程度測定できるかもしれないという感触を持っています。しかし、いくつかの要素については、音読のテストで計れないものもあるのではないかと思います。
→ 20年間近く、音読とそれに続く英問英答を行うインタビューテストの実施に関わってきましたが、「おぉ、ものすごいいい読みしているなぁ」と判断した受験 者の1〜2割ぐらいが、英問英答でかなり詰まってしまう、ということを体験しています。短絡的に言うと、音読の力とスピーキングの力が、まだ結びついてい ない段階にあるのではないかと、考えられます。またその逆に、読みはアレレェだけれども、英問英答はカンペキで即座に答える、といったケースも同程度経験 しています。そのような場合、やはり音読だけでは、わからない部分があると思えるのです。
→ 初任校の生徒で、ニューヨークで仕事をしている女性がいます。もう、かなりのおばさんになった元生徒に、「英語はどうだぁ?」と聞いたら、「聞いたりしゃ べったりするのは問題ないけど、仕事で、少しまとまった文章を書くときなんか、とっても困る。」とせっていました。音読の学習や測定評価では、どうしても 「書く力」は、間接的に取り扱わざるを得ない状況かと思います。



【7546】
【タイトル】はかいかねぇ...(5)
【 日時 】03/05/14 20:07
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

ローマ字 これは文字表記の問題ではなく、音だけの問題
→ 若林俊輔先生 (『無責任なテストは落ちこぼれを作る』の著書があります) も、根石さんと同じことをおっしゃっていました。
→ しかし、ヘッドフォンの向こうにいる生徒が、workを「うぉーく」、walkを「うぁーく」とどうしても発音してしまう、そして、どうもローマ字読みと 矛盾する読み方に心理的な葛藤がありそうな対応を頻繁に観察していると、やっぱりローマ字は許せねぇっ、という気持ちが強くわいてきます。
→ 音読のように、文字を頼りに英語の音を発音する場合、特に未知の語の場合、ローマ字を知っている生徒は、ローマ字読みの知識をまず頼るのではないでしょう か。高校の授業で音読をやっていた時、ローマ字を学習した生徒たちはローマ字読みに多く頼り、学習しなかった生徒たち (様々な理由で、小学校半ばからの学習が欠落していたものも多数いました) は、ことごとくの単語について、「これなんて読むんだ、教えろっ」と言って、音からまねようとしていました。ローマ字を知っていることがジャマになり、 ローマ字を知らないことがかえって遠回りしない結果になるのではないかと思った次第です。そして、もっとびっくりしたのは、その生徒達が「おぼえ」のため に英語の行の上に振ったカタカナとひらがなによるフリガナが、ローマ字を知っている生徒達のフリガナとは明らかに違うものであり、後から知ることになった 島岡先生の「近似カナ表記システム」とよく似ていたことです。



【7545】
【タイトル】はかいかねぇ... (6)
【 日時 】03/05/14 20:06
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

釣りの喩え 脈釣り 浮木釣り 見釣り
→ とてもわかりやすい喩えだと思います。従来から行われてきた、紙と鉛筆によって「間接的」にテストする方法と併せて、昨今では、英語を実際に使う場面を設 定して「直接的」にテストする方法が求められています。根石さんの釣りの喩えは、とてもわかりやすいので、ワークショップなどで説明する時に使わせていた だきます。(ホントの釣りは小学校3年の時にあきらめました。一日やって何も釣れなくて、オレは釣りには向いていないと、あっさりあきらめてしまいまし た。)
→ いずれにしても、根石さんの喩えの通り、テストという人工的な環境の中でのことです。テストというのは、本来は「見えないもの」を測定し、それを32点と いった数値や、A, B, Cや甲乙丙丁、優良可不可といった記号などで表すわけですから、そこには、どう考えても、間接的で不透明な部分が存在します。しかし、「通じるのか、通じ ないのか」、「使えるのか、使えないのか」、「このことをわかっているのかいないのか」「どのくらい知っていて、どのくらい知らないか」「50人定員の学 校に入学を希望する100人の中から誰を合格にして、誰を不合格にするのか」といった目的のために、どうしても何らかのテストが必要になってくるのです。 そして、そのテストそのものが、ちゃんとしているかどうかということに関しては、実は、まだあまり科学的に検討されていないのです。「やりっぱなしの使い 捨て」というのが、残念ながら、日本の言語テストの現状です。



【7551】
【タイトル】中村さん(1)
【 日時 】03/05/17 4:35
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 記事をありがとうございます。

 百姓仕事というのはなにか麻薬のようなところがあって、近頃はほとんど毎日畑に行きます。麻薬みたいだというのは、百姓仕事をしていると、他のことはも うどうでもよくなって、これだけやって生きていかれないものかと思うことがあるためです。生きていかれないとはよくわかっているのですが、これだけをやっ て生きていかれないものかとは、何度も畑で思うのです。子供の頃、よく草をとらされましたが、近頃、私は草は鎌で刈っています。伸びたらまた鎌で刈ってや ると、いくら雑草でも弱って、背丈が低く謙虚になるので、謙虚になった雑草を生やしておきます。今のところは、鎌一本の百姓です。鍬も鋤も使いません。低 い雑草の間へ、D2から霜にあたって傷んだせいで安くなった花の苗など買ってきて植えています。百姓仕事と言いながら、実質は畑を花畑にしているだけで す。一部に、ナス、トマトなどの定番の夏野菜を植えています。
 松代の人で、アカザが好きで、畑のアカザを食べ尽くして、畑にアカザが生えなくなった人がいます。どうやって食べればそんなにうまいのかわかりません。 アカザは私の畑では豊作状態です。とってきていろいろ試してみますが、食ってそんなにうまいものではない。うまい食べ方が見つからなかったら、今年も、鎌 一本で間もなく退治しなければなりません。アカザは放っておくと、鎌じゃ刃が立たなくなる。わざわざ畑で作らなくても、千曲川の河原にいくらでもある し、、、。
 五十有余年生きて、けつの穴の汚れない糞は4,5回したことがあるだけで、実態を申し上げれば、、、いや、やめましょう。また今度、ということで、けつ の穴の話は、ひとまず打ち切ります。

◆Smash Hit Parade

 Smash Hit Parade は高い本でしょうか。あんまり高くなければ、買ってみようと思いますが、出版社などお教えくださればありがたく思います。

◆現場で役にたってなんぼのもんであるはずの「音声学」

 これは、大学の英語科などで教えている「音声学」の種本が、アメリカ発のものであるのが駄目なのだと思っています。「教授法」などというえらそうな 「法」も、アメリカ発で、日本人の体を元にしていない。日本の大学では、欧米の引き写しをやっていれば、学問づらができるのがいけないのだと思っていま す。欧米のものを参考にし、媒介にして、自分なりの「音声学」が作れなければ駄目なのに、引き写しをやって一丁あがりにしてしまっている教員養成課程の駄 目大学教員がいっぱいいるのではないでしょうか。私は大学関係に何の義理もないので、好き放題が言えるので言ってしまおうと思いますが、そういう事情なの ではないでしょうか。



【7553】
【タイトル】中村さん(2)
【 日時 】03/05/17 4:36
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

◆島岡先生の本のタイトルに「中間言語の...」とあるのは、根石さんの「中間音」とよく似た概念だと思います。

 島岡さんの本を読んだことがないので、時間をみつけていつか読むために、買っておこおうかと思いますが、最初に何を読んだらいいかお教えいただけるとあ りがたいです。これについても、出版社名などもお教えいただけたらと思います。お手数をおかけします。

 ネイティヴ音崇拝者はいくらでもいますが、「中間音」の練り上げ自体に意味を見いだす人があまりいないと思っています。ネイティヴ音を崇拝して、真似や コピーに終始したところで、それがなんぼのもんかとも思っています。ネイティヴ音というものは、日本人の体にとって、あくまでも「媒介物」であるべきであ り、非常に厳密なことを言えば、お手本なんぞにしておくべきではない。ネイティヴ音をお手本にして、床の間に置く活け花みたいな扱いをすべきじゃなくて、 あくまでも「通じる音」は確保すべきだとしても、「通じる音」である限り、日本人は日本人の英語音を持つべきだと思っています。ほとんどすべてに近いアメ リカ在住のアメリカ人は日本語がしゃべれませんが、わしら日本の英語学習者はなにほどであれ、英語がしゃべれるのです。日本語の音を元に持ちながら、英語 をしゃべれるのであれば、そんじょそこらのアメリカ人には、控えおろう、と言えばいい。そんじょそこらのアメリカ人が日本を理解するのと比べれば、英語を しゃべるそんじょそこらの日本人の方がアメリカを理解しているはずです。英語がしゃべれるということはそういうことだと思っています。私は英ををしゃべっ ても、アメリカ(人)の自己標準化を強く憎むココロも持っています。とりわけ、new conservative という連中に対して、強い憎しみを持っています。
 ええと、なんでしたっけ。ああそうでした。「中間音」です。「中間音」という概念には私は存在根拠があるとしています。(その根拠は、根底的な英語と日 本語の音の組成の違いです。)そして、下手から上手までにわたる日本で作った日本人の英語音のすべてを、中間音と呼んでしまえばものごとはよほどすっきり すると思っています。
 そこがはっきりすれば、あとは「橋」の上のどの地点にいるかだけの問題が残るだけであり、余計なネイティヴ音崇拝も要らなくなる。私はネイティヴ音崇拝 に出会うたびに、「けっ」と思う種類の人間です。
 ネイティヴ音などというものは、同化の目標物なんかではなく、自分の日本人としての英語音を作る場合の媒介物であり、媒介物であるから、媒介にして捨て るべきものだという考えです。
 問題は橋の真ん中あたりの地点をまず確保しておいてから、より向こう岸(英語音)に近く、どれだけにじり寄れるかだけが問題となり、これは語学というも のを成果や結果として見るのではなく、絶えざる過程と見る見方となると思います。語学というものは、そういうものだと思っています。書いていて気付きまし たが、これは柴田さんの考えに意外に近い。私は、柴田さんの「完璧な音」という考えに非常に反発を感じたことがあり、議論で反論しました(過去ログに残っ ていると思います)が、柴田さんも語学を過程と見ている方だろうと、書きながら発見しました。
 ただ、音の問題は、音の問題だけにとどまった場合は、やはり「床の間・活け花主義」や「音声盆栽」になってしまい、音とイメージの同致の瞬間化の問題が すっとびます。日本人にとって、ほんとうに大事なのは、音をネイティヴ音と同化させることではなく、誤解が生じないだけの音を確保して、その音とイメージ を同致させること、しかも、それを瞬間化することだと考えています。
 中村さんの専門の「テスト」に関する考察でも、音とイメージの同致をどう測るかが考慮されないとあまり成果はないのではないかと不遜に考えます。
 同致と瞬間化に関して、これまでのところもっともいい考えを提出しているのは、長崎玄弥ではないかと思います。國弘正雄などは、自分では音とイメージの 同致は見事に実現しているが、その過程を言葉にできていない。國弘をご商売に使っている千田潤一という人も、このあたりについてはまるで舌足らずです。長 崎の方が、はるかに具体的に同致や瞬間化のことを言葉にしています。
 実は、長崎玄弥の「英語の攻め方」という本は、Jackie さんというこの掲示板にたびたび書いてくださる方に、ネットのオークションに出品されている著書を教えていただき買いました。読んでみて、長崎はまるで古 くないと思いました。千田潤一よりある意味では新しい。



【7552】
【タイトル】中村さん(3)
【 日時 】03/05/17 4:36
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 私は、音とイメージの同致、音からイメージ、イメージから音への瞬間化に関しては、「電圧装置」という工夫を提示してありますので、長崎よりも具体的だ と自負しておりますが、長崎の「音 ←→ イメージ」の変換は1秒以内でなければ駄目だという考えは、私の「電圧装置」の処理過程において、「思い出して いては駄目だ」という考えと非常に近いものだと思いました。
 長崎と私が根底で別れるのは、長崎には遅読法がないという一点だけだと思います。
 この「1秒以内でなければ駄目」という「質」は、音読をテストに使うのでなければ測れないと思っています。

◆音読は上手なのに、しゃべり(アウトプット)が下手。しゃべらせれば、どんどんしゃべるのに、音読をやらせると下手。

 これは、テストの設問自体が問題です。
 音読のテストは、生徒にとって、「初出」の文でやるべきだという一点が大事だと思います。授業でやった文をテストに出すのだと、単に「床の間向き」の音 読になってしまい、英語の力を測ることはできない。この場合に、音読は上手だが、しゃべらせるとろくにしゃべれない生徒が出現するのではないでしょうか。
 逆に、しゃべらせればしゃべるのに、音読をやらせると下手というのは、アメリカ帰りの人に多いと思います。日本にだけ在住して、音読がろくにできずに、 いくらでもしゃべるという人は出現することはなかろうと思います。(片方の親が英語ネイティヴであるなどの事例を除きます。ウドんちがそうですね。)

 テストというものは、授業で扱ったものだけを出題しなければならないとは私は考えません。特に「音読」に関してはそうです。授業で扱ったものだけをテス トする程度の狭いテストでは、あまりにも生徒を囲い込んでしまい、生徒に授業でやったことだけ勉強しておけばいいという心の態度を植え付けると思うので す。
 私の「電話でレッスン」では、レッスンで扱ったものだけをテストに出していますが、これは一回のレッスンがわずか30分であるという事情によるので、生 徒さんには、「技法グラウンド」を導入部分に使って、激しく「回転読み」をやってほしい、種々雑多なテキストを相手に、どんどん「回転読み」をやって欲し いと願っています。「基地」のようなものとして、「回転読み」が確保されたら、どんどんさまざまな方角に出撃して欲しいと願っています。私の生徒さんで、 これをやっているなとはっきり感じられるのは、もっこりさんという方です。
 「音読」をテストで使う場合は、生徒が一度も目にしたことのない文を使うべきです。
 易しい文、中程度の難度の文、難しい文(多分、これは使われている単語の抽象度にほぼ比例すると思います)を与え、いずれも初出の文を音読させる。それ だけで、音とイメージの同致、音とイメージの同致の瞬間化はテストできるし、今のところ、それ以外に、この種のものの測定法はないと思っています。読んで いく過程で音がイメージ(意味)になるかどうかを測るには、「音読」以外にないのではないでしょうか。
 またしても、私の独断の用語ですが、「イントネーションの自己決定力」が測れれば、音とイメージの同致とその瞬間化は測れる。「脈釣り」的には測れる。 決して決して、「見釣り」はできないが、、、。(余談ですが、アメリカは「見釣り」がやれるつもりらしい。透明な水の中の魚を見るように、アジアやアラブ が餌を加える瞬間を見ることができるはずだという前提でものを考えているらしい。実に馬鹿です。てめえらが、アジアの言葉をないがしろにしておいて、「見 釣り」ができると思っているところが、実に馬鹿です。アメリカ(人)にもっとも欠けているのは、私らの直観が見抜いている通りのものであり、それは謙虚さ です。)くたばれ、new conservative ども。
 ええと、酔っ払いの文章なので、やたらに話に枝が生えますがお許しください。



【7554】
【タイトル】中村さん(4)
【 日時 】03/05/17 4:37
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

◆カタカナや発音記号は「橋」

 工夫したカタカナや従来の発音記号も、英語の音の数に対応できるだけの数が必要になることに関しては、同意点がみつかり安心しました。
 私の「橋」という考えについてですが、語学という「行為」自体を橋に喩えたいのです。語学という「行為」をあくまで継続することが、「橋」を渡る行為に なるのであり、カタカナや発音記号は、この「橋」を渡る途中で「媒介」にすべきブツである、と。この辺は、人様は、私がどうでもいいようなことを言ってい ると扱われることが多いのですが、私は厳密に区別したい。この区別をいい加減にしておくと、語学という行為は規定できないと考えています。
 「橋」自体は、媒介物にするわけにいかない。なぜなら、私ら日本に住んでいる日本人は、何をどうしようとアメリカ人になるわけではないからです。どれほ ど見事な音の「似せもの」を作ろうと、私らの生きている言語磁場は日本語の磁場である。それがそうである限り、「橋」は媒介物ではない。
 発音表記は「媒介物」だと思いますが。
 日本の語学には、「媒介」という考えが抜け落ちていると考えております。

◆ LL機器

 私は、自分の声を録音したものを聞くのがとても不愉快です。椋鳥みたいな声を出しやがってと思って、とても不快になります。
 ですので、私は「回転書き」以外では、自分の声を録音したものを使用しません。
 「回転書き」では、自分の声を「いやでも」聞くわけですので、客観化するのは「いやでも」、どこかで客観化していると思います。しかし、「客観化」する ために「客観化」するのが不快です。どうにもいやです。
 これはいまのところ、あくまでも私の好みの問題ですが、日本人の英語の発音が上手にならないことの根元に横たわっている問題ともつながっているのではな いかと考えます。
 日本人のとりわけ「男」が、なかなか英語音を獲得しないことの根元にある問題ではないでしょうか。つまり、日本人の男というものは、自分を客観化するの がいやなのです。あたしゃ、はっきり言ってしまいますが、あたしゃ、自分を客体化するのはいやです。俺に惚れてくれる女が毎日列をなすほどになれば、客体 化してもいいが、実態がそうでないのである限り、客体化なんかしても無駄です。
 さりとて、近頃のへらへらした男どもに期待すべき問題だとも考えられません。やつらが、自分を客観化できているとは考えられない。あいつらは、根性なし の英語学習者がネイティヴ音を崇拝してしまうように根性なしで、簡単に女のご機嫌を崇拝してやがるのです。糞ったれが、と思っています。女を崇拝するのは 私もしていますが、女のご機嫌を崇拝しやがるのが気にくわない。いや、また話に枝が、、、。
 これはコーチの存在で解決すべき問題だと考えます。
 日本には日本人で英語のコーチをまともにやれる人がろくにいない。その元には、コーチのコーチをやるべき人がいない問題があります。そして、コーチの コーチは大学の教員がやるべきなのに、やるべきことをやっていない。つまり、大学がおさぼりを続けているのだということです。
 LL機器ではなく、生音声で英語音を客体化して欲しいのですが、私塾が作った「俗流音声学」を過小評価している間は、大学は駄目だろうと、尊大に傲慢に 力強く考え続けていきたいと思っています。大学の先生に向かって言いにくい言葉でありますが、言っておくべき言葉だとも思っています。

◆「英語の力」を、ただ一つのものとして捉えるか、いくつかの要素の集合体と捉えるかという検討があり、今現在は、「英語の力」は、ひとかたまりになって いる部分と分解可能な要素の集合体の、ふたつの部分からなるという考え方が主流です。

 この辺が理解できませんでした。
 せいいっぱい考えたところによりますと、「ひとかたまり」とは、英語の磁場で育った人が持つ英語力に近いものを言っており、「分解可能な要素」とは、語 学の対象として英語を扱う場合に働く要素かと、、、。
 誤解がありましたら、正していただきたくお願いいたします。



【7556】
【タイトル】中村さん(5)
【 日時 】03/05/17 4:41
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

◆「書く」力

 ニューヨーク在住の教え子の話はとても面白いものです。
 私は、「書く」力の根元は、イメージの的確さだと考えています。
 話言葉では、私が日常の言葉としている日本語のことを考えても、相当いい加減なものです。女房に用事をいいつけるときでも、「あの、ほれ、あれをさ、 あっちじゃなくて、そっちの方へ連絡しとけよ」みたいな、イメージの的確さを払底している日本語で、用が足りて、ものごとがちゃんと処理されちまったりし ます。
 ニューヨーク在住の教え子さんは、書く場面では、一語一語の語のイメージがドンピシャになることを要求されてきつい思いをするのだと思います。
 私は、しゃべることよりも書くことの方が、はるかにずっと高度なものだという考えは、ネイティヴ言語である日本語に関してもはっきり持っていますが、そ れが語学で獲得した言語では比べものにならないくらい高度な作業になるはずです。
 教え子さんは、英語の磁場にいるのだからまだしもです。あっしら日本語の磁場だけで英語の力をまがりなりに持った者が、的確な英語で「書く」のは至難の 技であるというふうに考えています。
 私は自分の英語力をかんがみるに、とてもじゃないが、英語のライティングの添削ができるレベルであるとは思えない。明らかな文法の間違いを直す程度のこ とはできても、語のイメージをドンピシャに射抜いて、まともな文章を(文ではなく文章を、です)書く力は私にはない。私はこのあたりについては、あくまで も厳密でありたいと思っています。

◆ローマ字の弊害

 教室での実例を挙げられ、なまじローマ字を知っているやつの方が、発音が上達しないというお説かと思いますが、私はそんなものは小さな違いにすぎないと いう考えです。
 柴田さんは、授業の最初に、生徒が英語の単語にカタカナでふりがなを振る行為自体を破壊しておられます。私はこれに賛同します。
 いくら工夫したカタカナであっても、しょせんカタカナは日本語の音を表記するものですから、いったんは、中村さんの英語の読みを忠実にふりがなにしたの であっても、生徒の中で「英語音」自体と一発で結びつかないなら、生徒は後で自分のふりがなを見て、また日本語の音に先祖帰りをさせてしまうことが起こる のではないでしょうか。また、同じ英語の文に関して、生徒によってさまざまな表記があり得るし、それぞれの生徒がそれぞれの先祖帰りをやらかすことをくい 止める方法はないと思います。
 つまり、ローマ字を知っていようが、知っていまいが、「先祖帰り」はしょっちゅう起こるという問題があります。生徒は当初、日本語の音だけを持ってお り、この音への「先祖帰り」の吸引力はあなどれないものがあります。
 私の「電話でレッスン」を例にとりますと、中村さんや私の母校の高校の英語の先生が、現在私の生徒さんになっておられますが、この方は、[ae]音、や [逆さ e (曖昧母音)] の音は、そのたびに数十回注意してもなお、日本語の「あ」の音に先祖帰りする力が強力で、一年近くレッスンをして、ようやく「先祖帰り」 の力が弱くなってきました。
 この「先祖帰り」の力の強力なことを目の前にすると、ローマ字を知っているか知らないかの差は小さなものに思えるということです。ローマ字を知らない方 が、いっそ素直に英語の音に向き合えると見えた後、その生徒の中に本当に英語音が定着するかどうかが問題です。私は、ローマ字を知らない生徒においても、 その「定着」に関しては、大いに疑っています。定着するのは、音や音楽に敏感な一部の生徒にとどまるだろうというのが私の見極めです。多くの生徒におい て、ローマ字を知っていようが、知らなかろうが、英語の音は定着しないと見ています。



【7555】
【タイトル】中村さん(6)
【 日時 】03/05/17 4:41
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 ここに、國弘の「只管朗読」の「只管」の重要性があるのですが、國弘自身は、「音づくり」に関してまともなことを言えておらず、自分の音がアメリカの大 学教授に褒められたという程度のことしか書いていません。千田潤一は、國弘の「只管」に、シャドウイングを接ぎ木しましたが、いいかげんな話です。
 私は、國弘の傍流の弟子を自認しておりますので、この点については、いつか千田にはっきり言いたい。しかし、あの方は利口な方ですから、まともな批判に は耳を貸さないだろうとも思っています。銭が余計とれる方を選ぶ、利口な方です。
 私は銭の不足をかこちながら、國弘だろうが千田だろうが、批判すべき点の批判はやっていく所存です。
 紙を折る時、きっちり折って、きっちり折り目を作ることができます。いい加減に紙を重ねて折り目がつかないような程度に折ることもできます。英語の音に ついても、折り目が残るか残らないかが問題なのだと思います。ローマ字を知っているか知らないかは、この折り目が残るかどうかについてなら、実に小さな違 いに過ぎないと思っています。
 生徒がネイティヴ音を媒介にしながら、どれだけ口を動かせるようになるか問題だと思います。
 しこたま動かせば、折り目はつく。イメージと合体させるに足る質の音が手に入る。
 そして、音楽や音自体にろくな興味がない生徒にも、ネイティヴ音を媒介にできる地点まで「橋」を渡らせてやることができるかどうか、です。この点に関し て、学校の授業というものは、実に実に駄目です。私の知る限り、唯一の例外は柴田さんの授業だけです。
 ローマ字を知っているかどうかの問題ではないと、やはり、思っています。

◆学校がやってきたテストそのものが、いいかげんなものであること。

 私は、合格させるか合格させないかなど、その人の人生に大きな岐路を作るようなテストには一切何の関心もありません。
 私も、「電話でレッスン」では毎回テストを繰り返していますが、このテスト自体が練習になっています。テスト自体が生徒やコーチの練習になるようなテス ト以外は、理念的にまるで認める気がありません。
 テストというものの根本理念は、コーチやら先生やらの反省材料になればそれで十分であり、生徒の人生を左右するような馬鹿なものであってはならないとい う考えは、すでに亡くなられましたが、遠山啓という数学者が提示されています。理念的には、私はこの方に私淑しております。
 テストというものは、それ自体が練習でなかったり、選別の道具であったり、コーチや教師の反省材料として使われなかったりした場合は、実に卑しいもので あると思っています。
 語学という行為には、この娑婆の体制自体を笑う力があると思っているのですが、淋しいことに、英語なんぞという a fucking language をやる人々は、あまりにも体制に従順でして、淋しさの果てる地平はいまだみつかりません。

 以上、またしても長文、失礼します。
 山羊的反論を期待しています。



【7558】
【タイトル】磁場?
【 日時 】03/05/18 18:10
【 発言者 】まじめな学習者

英語の磁場は、日本にあります。私個人的には作っています。1英字新聞購読 2 衛星テレビ 3 American Politics Chat
あなたが本当に英語力があるのなら、Yahoo USA Politics Chat ( voice chat) で neo con Bush崇拝者を、思想変換させよう!  最近では、日本語の磁場が外国にあるようですよ。(留学者が留学者だけでつるむため)



【7559】
【タイトル】まじめな学習者さん
【 日時 】03/05/18 19:06
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

私は「磁場」という語で、「個人的に」作れるようなものを言っているのでは
ありません。それは、あくまでも「自分に直接に」言語の磁力が働く場のこと
です。
あなたが例示されたもののうち、1,2は決して磁場を形成することはあり
ません。それは「自分に直接に」向けられる言葉ではないからです。3は、
「場」たりえますが、あくまでもネット上に仮構されたものであり、言葉の
食い違い(すでに「磁場」一語で、この掲示板に生じているものです)だけ
で泥沼のような疲労だけが残ることは、日本語だけでやっていてもしばしば
味わうことです。また、私の語学論は自分の日本語の能力を拡張しつつよう
やく書き次いでいるようなものであり、このレベルにおいて英語を使う能力
は私にはありません。
日本語でなんとかようやく言い表しているようなものを英語で書けるなどと
はまるで思っておりませんし、私は英語をはっきりと自分の第二言語に位置
づけておりますので、主に用をたすのに使うだけです。英語をそれ以上の言
語にする気はないということです。例外は、読書だけです。これは、語学を
やったものが手にする最後のご褒美だと思い、味わっています。
 日本語であろうと英語であろうと、Chat などというものは基本的に嫌い
ですから、日本語であろうと英語であろうとやる気はありません。



【7560】
【タイトル】「磁場」に働く磁力とは、
【 日時 】03/05/18 19:12
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

「自分に直接に向けられる」言葉そのものですらないのかもしれない。それ
はのっぴきならない関係そのものをもたらす場のことなのかもしれない。
「ああいえばこういう」ことだけが続いているような chat という場には、
のっぴきならない関係というものがない。あるように見えてないのだ。そこ
では、「ああいえばこういう」の常態的な垂れ流しがあるだけだ。



【7561】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/05/19 1:33
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

Rosey さん

>これまでのところ、一番の難物だと思ったセンテンス、I had Rose move...は初回100回転し、翌日もその翌日も100回転ほどしたと思います。その後回数は減ってもほぼ毎日機会があれば、唱えていたとこえろ 「あ、口が勝手に動く」と始めて実感しました。

 この感覚を大事にしていただきたいと願っています。口が勝手に動くようになり、それが安定していれば、「切断読み」や減速読みができます。「切断読み」 というのは、「口が勝手に動く」レベルの音を獲得してからでないと、あまり意味がありませんので。

>Nimaおっしょがよく、100回転させないと身につかない(こんな表現ではなかった。なんと表現してたのやら・・)、50回では足りないとよく言って いましたが、いまになって納得できるような気がします。

 私は、数十回でもいいと思っています。「電話でレッスン」のテストの範囲が決まったら、それぞれの文について数十回をいつもやってもらえれば、総数で数 百回になります。私のレッスンには「復習範囲を手放さない」という原理が働いていますので、同じところを何度も何度もテスト範囲として繰り返し設定しま す。毎回、各文について数十回の練習をしてもらえば、そのうちに必ず数百回という数に達します。これはもう覚えたから練習しなくてもいいと思ってしまうと ころに落とし穴があると思っています。

>映画をほとんど見ない人種なので、教材の感嘆詞や縮約形には面食らいましたが、少しなれてきたかなと思います。

 ああ、そうなんですか。私もほとんど映画を観ません。うちの女房は映画が大好きで、何がそんなに面白いのか私にはちっともわかりません。
 私にとっての映画は、語学教材でして、映画そのものを味わうみたいにたくさん観たいという気が生じません。語学教材としてはなかなかのもんだと思ってい ます。ですから、自分にとって面白い映画だろうがつまらない映画だろうが、語学教材として使えればそれでいいので、私の「電話でレッスン」で使っている 「ゴースト」なども、初期の生徒さんが選んだものが定番として残っただけのものです。

>頭に入っているところでも聞き取れないところがあり難しい。でも映画1本分の台本を回転するというのは、非常に効きそうな気がします。

 耳も徐々に鍛えていくしかないと思います。映画一本分を「回転読み」で自分の中に根付かせるとかなり効きますよ。人にもよりますが、二本目の映画の半分 程度が最初から聞き取れるようになる生徒さんは出てくると思っています。
 知らない単語が含まれていたり、知らない語法が含まれていると、英語の音は単語と単語が溶けあってしまうので、聞き取りが極度に困難になります。
 Rosey さんの場合は、今の音で読み込みの回数を惜しまず、知らない単語は「電圧装置」で殺していけば、耳はどんどんよくなっていくと思います。

[ae]の音は、「一瞬般若」の顔になる要領で出せるようになったら、口の水平方向の開きと垂直方向の開きを同時に実現するように移行してみてください。 その方が、上品な音になる感じがします。

>tとtheあるいはlとtheのつながりはtもlも舌はそれらを発音する位置に持って行くが、音は出さずにthe を発するという助言を受けました。レッスン中もおっしゃていましたが、新たに練習をしないといけないのですが、確かにそのほうが発音しやすい。

 先日は注意するものが見つかりましたが、その前までは、単語の最後が t や l で、次の単語の頭が th の場合に、ちゃんと上手にやっておられました。
 「tもlも舌はそれらを発音する位置に持って行くが、」というところに誤解があるかもしれません。tや l のときに、舌を th の位置に持っていって、t や l は黙った音(黙音)にしてしまっていい。黙音の一瞬があり、次の th が実際に発音されるということです。

 この記事は、他の方にも役にたつかもしれませんので、「大風呂敷」にも転写しておきます。



【7562】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/05/20 1:52
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

rosey さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月20日(火)01時48分38秒

 [逆さv]と[逆さe]は、私は「狭い音」(口の開きが狭い音)としてしまい、生徒さんにはレッスンの初めのうちは区別しなくていいと言っています。
 [逆さv]はアクセントのある位置に現れ、[逆さe] はアクセントのないところに現れるだけで、口の開き加減は同じようなものだと思っています。しかし、アクセントがあると息が強く流れますので、音価は違っ てきます。この音価の違いを最初に区別させるより、どっちも口の開きは、「狭い」と言ってしまいます。そうすると、アクセントのある無しで、自然にそれぞ れの音価が穫れます。穫れさえすればいいので、最初に「狭い音」と言う方がいいと考えそうしています。

 細かいことを言うと、[逆さv」の場合に、唇に力が入るような感覚があります。[逆さe]の場合は、唇から力が抜けています。
 単独の[逆さe]にアクセントが来ることはないと思いますが、[逆さe r]にアクセントがくることは多くはありませんがあります。この場合は、私は[逆さv r]の感じで、割と唇に力を入れて音を出しています。

 基本的に[逆さv]と[逆さe]はことさらに区別する必要がなく、アクセントを間違えなければ、自然に獲得される音価の違いがあるにすぎないという考え です。



【7567】
【タイトル】遠い道のり (1)
【 日時 】03/05/20 20:20
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆ 百姓仕事 これだけやって生きていかれないものかと思う
→ オレは、どちらかというと、畑シゴトを早く片づけちまって、より長い時間、焼酎を呑んでいたい方です。そして、酔っぱらって、今、オレのやっていること は、獲物を捕るとか、野菜を作るとか、「生」に直結する仕事とはずいぶんかけ離れていて、そういう意味では、非人間的な人生を送っているなあ、と、考える ことも、たまにあります。
◆ けつの穴
→ 了解しました。また、いつか...。
◆ Smash Hit Parade 出版社
→ スミマセン。2冊の本の名前を混在させて書いてしまいました。
熊井信弘・Stephen Timson. 2003. Hit parade listening, second edition: Developing listening skills through Rock and Pop. マクミランランゲージハウス. 2000円と、熊井信弘・Stephen Timson. 2003. Smash hit listening, second edition: English through Rock & Pop. マクミランランゲージハウス. 1800円 です。Smash hit listening の方が、より易しいレベルの設定です。
◆ 「音声学」の種本 「教授法」アメリカ発 欧米の引き写し 欧米のものを参考にし、自分なりの「音声学」が作れなければ駄目
→ その通りです。「引き写し」で終わってしまっているのです。残念ながら、様々な分野で、基礎的な理論にタダノリし、あたかも、自分で発見したように横に流 しているだけ、というテイタラクです。オレもえらそうなことは言えませんが、しかし、ナニカひとつでも、日本の言語テストの現状を打破して行ければと、も がいている次第です。遠い道のりであります...。
→ オレは今、教員養成に直接的に関わる立場にありませんが教員養成の課題もまた、大きいです。
◆ 島岡さんの本
手元に2冊ありますが、「辞典」のほうは、在庫切れのようです。
島岡丘. 1994. 『中間言語の音声学 英語の「近似カナ表記システム」の確立と活用』(Phonetic acquisition of English through interlanguage.) 小学館プロダクション. 3000円.
島岡丘. 1993. 『オーラルコミュニケーションの学習・指導のための発音・聞き取り上達辞典』. アルク. 1300円.
関連する新しい本もいくつか出ているようですが、自分で読んでいないので、紹介するのをひかえます。



【7565】
【タイトル】遠い道のり (2)
【 日時 】03/05/20 20:19
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆ 日本の英語学習者はなにほどであれ、英語がしゃべれる
→ 根石さんがここでおっしゃったのと同じことを、バージニア州の小さな町の女性タクシー運転手さんが、オレに向かって言って、ほめてくれたことがありまし た。
◆ そんじょそこらのアメリカ人 アメリカ(人)の自己標準化を強く憎むココロ
→ 手元に本がないので正確には書けませんが、短大の英語の先生だった方が書かれたエッセイの中で、アメリカがオリンピックで金メダルを多く取っていることが 「恥ずかしい」と言うアメリカ人の若者の話しを読んだことがあります。「アメリカ」を総体的に捉えると、「自己標準化」という言葉が出てくるのももっとも ですが、「アメリカ」の自己標準化に疑問を持っている「アメリカ人」も、わりと多いのではないか、という印象を持っています。オレも、これまたえらそうな ことは言えませんが、自分の無意識な言動も含めて、「自己標準化」にならないよう、気をつけてはいますが...。
◆ 「橋」の上のどの地点にいるか 語学というものを 絶えざる過程と見る
→ 同感です。根石さんがここでおっしゃりたいこととはちょっと離れるかも知れませんが、オレのセンモンである言語テストのひとつの目的には、まさしく「橋の 上のどの地点にいるのか」を継続的に調べ、次の過程に生かす、ということが含まれています。
◆ 音とイメージの同致をどう測るか
→ これは、テスト問題と実際に英語を使用することに深い関連があるかないかという検討の問題だと思います。ご指摘の通り、これが確保されなければ、テストな んてまったくの茶番なのですが、実態は、ご承知の通り、茶番の域をなかなか抜け出せないでいます。その茶番をなんとかするために、いろいろ研究もされてい るのですが、「音声学」とおんなじで、まだまだ「引き写し」の段階に留まっています。オレにとっても、とてつもなく巨大な課題なのですが、しかし、なんに もやらないのも悔しいので、すこぉしづつでも、データを蓄積して、なにかヒントを掴みたいともがいているところです。これで、今回の文章で2度も、もがい ていますが、遠い道のりです...。



【7566】
【タイトル】遠い道のり (3)
【 日時 】03/05/20 20:19
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆ 音読は上手なのに テストの設問自体 「初出」の文 「イントネーションの自己決定力」が測れれば、音とイメージの同致とその瞬間化は測れる
→ 前回の話しは、「初出の文」による音読のテストと、その文に関する英問英問を行う検定試験でのことでした。「イントネーションの自己決定力」ということで 根石さんが表現されたいことについてはオレなりに理解しているつもりです。音読を聞いて、そのチカラがあるだろうと予測した受験者が、 What とか Who とか Where といった質問について、音読した問題文を再構築して答えるパートで、まったくとんちんかんな応答をする例が少なからずあった、ということです。もちろん、 テスト問題の善し悪しも、このような極端な例の大きな要素になっているとも考えられます。しかし、どうもなにか、すっきりと説明できないナニカの原因があ るのではないか、と考えています。もし、ナニカ問題があるとしたら、音読で測れないナニカをどうやったら測れるか、検討していく必要があると考えていま す。
◆ カタカナや発音記号は「橋」 「橋」 語学という「行為」自体
→ 厳密な区別が必要なことは、その通りだと思います。オレは、橋は1本だけでなく、いろいろな橋や渡し船や、幅の狭い流れのところでは泳いでいく、といっ た、こっち側からあっち側へ渡る手段の集合体を「橋」という用語で示す、と捉えていました。根石さんの「橋」と「媒体ブツ」とは、ちょっと捉え方が違って いますね。さっきから考えていますが、どうもうまく理解できていないようです。もう少し、考えてみます。
◆ LL機器 自分の声 不愉快 客観化
→ これもまた根石さんが、ここでおっしゃりたいことと離れてしまうかと思いますが、オレも、自分の声の録音を聞くのが大っキライです。仲間とバンドなんか やったりして、ギター弾いたり、唄ったりするのですが、そんな録音を聞いたりすると、トリハダが立ちます。しかし、良く考えてみると、オレは、そういう自 分が不愉快だと思っている音でしゃべったり唄ったりしていて、オレの回りのヒトたちは、そういう不愉快な音をいっつも聞いているのだなぁ、申し訳ないな あ、なんて思ってもいます。



【7563】
【タイトル】遠い道のり (4)
【 日時 】03/05/20 20:18
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆ 「客観化」するために「客観化」するのが不快です
→ 音読を録音させておいて、「ほれ、ここまちがってるじゃんか」なんていうのは、「客観化」するための「客観化」かもしれませんね。そういう観点からすれ ば、オレのやっている音読の授業は「自己否定」にも結びつくような、アブナイものかもしれません。学校の授業の中で「その音です」「その音ではありませ ん」というコーチの役目をどのように果たして行くか、遅ればせながら、また考え始めることにします。
◆ 「ひとかたまり」とは、英語の磁場で育った人が持つ英語力に近いものを言っており、「分解可能な要素」とは、語学の対象として英語を扱う場合に働く要素か と、、、。
→ うまく説明できなく、申し訳なく思っています。再度、わけのわからねぇ説明になってしまうかと思いますが、やってみます。
→ エイゴをどうやって教えるか、その教えたことができるようになったのかならなかったのかを測る時に、「何」を教え測るのか、ということが問題になります。 その「何」が、要するにエイゴのチカラではあるのですが、一気に「全部」のエイゴのチカラについて教える訳ではないので、たとえば、ae の発音とか、He is ときたら、 reading a magazine. と続ける場合とか、聞き取れなかったら、すかさず Pardon? と聞き返すとか、要するに、バラバラに取り扱うことができないわけでもない知識や技術を、とりあえず教えるとします。しかし、エイゴは、そういった断片的 な知識や技術の集合体だけではなく、たとえば、問題文を黙読して、そのトピックに関して自分の考えをエイゴで述べるといった場合には、多くの知識や技能を 総合的に動員して処理することが必要で、その総合的に動員して処理するチカラというのは、バラバラにできないのではないか、というリクツです。全部のエイ ゴのチカラは、バラバラに学習したりその途中経過を測ったりすることができるチカラと、バラバラには学習できないしその途中経過もバラバラには測れないチ カラ (そのひとつとして、バラバラな知識や技術を必要に応じて動員し処理するチカラがあります) のあわさったものなのではないか、ということです。あれれぇ、またまた、なさけない説明になってしまいました。スミマセン。もっといい説明方法を考えてお きます。



【7564】
【タイトル】遠い道のり (5)
【 日時 】03/05/20 20:18
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆ 「書く」力 根元は、イメージの的確さ
→ ぼんやりとではありますが、「イメージの的確さ」という表現には、書く力の「イメージ」があると思います。
◆ ローマ字の弊害 小さな違い 日本語の音に先祖帰り 「定着」
→ 先祖帰りの強力さについて、オレも強く実感しています。自分自身の場合にも、しばらくエイゴの口を動かさなかった時などは、すぐに「帰って」しまいます。
→「異化」を促進させる時に、少しでもジャマになるものは排除しておいた方がよいのではないか、と考えているのですが、「定着」という観点からすると、 ローマ字は大きな要素ではないという点、よく分かりました。
◆ 学校がやってきたテストそのものが、いいかげんなものであること。
→ 「いいかげんなものなのか、いいかげんなものではないのか」を検討することさえ、やってこれなかったのだとオレは考えています。それと、「テストの点」の 解釈をする段階でも、大きな誤解をしてきてしまっている、と思います。たとえば、「紙っぺら一枚で人生を決められてたまるかっ」とか「ペーパーテストの点 数がなんぼのもんじゃい」といった意見については、「そんなものでは人生は決まらない」「なんぼのもんでもない」と、はっきりと示すべきだと思います。 「背の高さが170センチのヒトは、165センチのヒトより、人格的に優れているし、社会的な能力も高い」なんて言ったら、バカかおめぇは、よう、と一蹴 されると思います。テストの点も同じことだと思います。テストの点は、それが意味すること以上にも以下にも、意味を与えられるべきではありません。
◆ テスト自体が練習 コーチやら先生やらの反省材料
→ 言語テストの研究では、テストの捉え方について根石さんと同様のことも言い続けてきています。反省材料については、学習者にとっても、次の取り組みに生か すデータを提供すると考えています。しかし、現状は、さまざまな思いこみと勘違いで、テストについての捉え方はどうしようもならないようになってしまって います。「テスト」について、感情的な反感のみに留まることなく、キチンと正しい理解に立った議論が必要かと思います。
◆ 選別の道具
→ 「選別」の場にいる時、「テスト」の限界に大きくタメイキをついてしまいます。もっといい方法はないもんか、とずっと考えていますが、まだまだ見つかりそ うもありません。「選別」そのものや「選別のためのテスト」に対する批判は耳にしますが、「じゃあどうしたらいいのか」といった、建設的な意見は、あまり 耳にしません。
◆ 淋しさの果てる地平はいまだみつかりません。
→ 本当に、遠い道のりですね。なんだか、今日は、少し寂しくなってしまったので、アパートへダッシュして帰り、焼酎を呑むことにいたします。



【7570】
【タイトル】メールから
【 日時 】03/05/24 4:49
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

K> 私は英語を話せて聴き取れるようになりたいと思うだけで、
K> 語学、つまり学問としての英語をやりたいのではありません。

 学問としての語学っていうのではなく、ただの語学です。話せて聞き取れる
ようになるための練習だけで考えて、人様が思っているよりはやることがいっ
ぱいあります。しかし、登山みたいなもので、一歩ずつ歩いていれば、そのう
ちにずいぶんと歩いて、ずいぶんと高いところまで来たなあという感じになり
ます。そうなってほしいと思っています。
 登山と違うのは、高度を獲得すればするほど、一定の時間内に獲得できるも
のの量が増えていくことです。つまり、早足で歩けるようになることです。

 耳が元に戻ってよかったです。耳鳴りが気になりますが、医者は何と言って
いるのでしょうか。早く完全に直してください。

K> でも、TELでテストされることがとても苦痛に感じて、
K> ストレスになっています。

 弱りましたな。テストで「こなれ」」を作っていくので、テストはどうして
も必要です。それをテストだと思わなくてもいいです。(実際、これも練習の
一種です)
 ストレスは練習量を惜しまないことで退治できるので、何度でも同じ文章に
立ち返って口を動かしてもらいたいと思います。もう覚えたから練習は少なく
てもいいと思ったら、そこに落とし穴があります。
 同じ文に立ち返ること。読み込みの回数を惜しまないこと。ここが、多くの
人が見逃すポイントです。日本在住で、英語の駆動力を獲得するには、このポ
イントを外すわけにいかない。多くの人が、ただ単にやってみただけのことで、
使えるようにならないのは、ここを外すからだというのは、確信に近いものが
あります。

 口を動かして繰り返し言うことが嫌ではないというので、これは有利なこと
です。この一つのことに抵抗があるおかげで、上達しない人は数知れません。
 練習をどかどかやっていた時の方が、楽しかったのであり、練習を減らし加
減にしたあたりから、ストレスになったのではありませんか。
 繰り返しの回数を惜しまないなら、ストレスにはならないのではないかと思
っています。
 仕事との両立は大変ですが、頑張って欲しいです。
 実際問題としては、なるべくいっぱいやることと、継続させることだと思い
ます。
 では。

根石吉久



【7571】
【タイトル】メールから
【 日時 】03/05/24 4:54
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 うーん。
 仕事と英語とどっちをとるのかというならば、日本に在住して生活
しているのだから、仕事をまずとるべきだと思います。
 それも、やりすぎない程度に。
 あなたは才能があるから、仕事がやたら舞い込んでくるので、だけ
ど、限度のことを、依頼者に言うべきだと思います。依頼者が腹をた
てなければいいので、腹をたてないように言葉で言って、なにはとも
あれ、自分の体の疲れすぎを意識することだと思います。
 やっかいなのは、疲れ過ぎていると、疲れ過ぎていることを感覚す
るための感覚も鈍くなってしまうことです。

 なにはともあれ体を大事にしてください。
 体が大丈夫であり、気力も感じられるなら、是非英語をやってくだ
さい。
 私は仕込んでみたいと願っておりますので。

根石吉久



【7572】
【タイトル】■月曜日ごつごつ英語ごっこ レポート 5/19日
【 日時 】03/05/24 18:22
【 発言者 】村田
【 リンク 】http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/index.html

前半、children のl,d の発音は難しい、という話題でした。
l-l, d-d, t-t, n-n という音のつながり方のとき、最初の音は
loseして、後の音がwinする、ということを、根石さんが図解を
まじえて英語で解説しました。
私はどちらかというと、dr の音のつながりについて言ってみよ
うと思っていたのですが、うまく言えなかったのが残念です。
drive や、try などは、ダイv、タイというイメージをまず持って、
その後、dr、tr を1動作としてイメージして練習すればいいん
じゃないか、ということを言いたかったのですが、その場では
うまく言えませんでした。
今日、特筆すべきは、練習をはじめて3ヶ月位の人が、英語で
聞かれたことに対して、反射的に日本語で自然にとうとうと答
えていたことです。
「ごつごつ英語ごっこ」としては、減点対象ですが、それまで
とは、受け答えがかなり違うという感じでした。長い日本語の
1文ということで、1ポイント減点でした。



【7575】
【タイトル】英語学習会
【 日時 】03/05/25 9:19
【 発言者 】浜谷[Profile 近畿地方に住む60代の男性の方]
【 リンク 】http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp

村田さん、根石さん、ご無沙汰しております。この掲示板は「鬼」とともにいつも拝見させていただいています。最近の中村よういちさんのお話は、根石さんの 理論同様、ほとんど全面的に賛同しています。まだ根石さんとの対話が続いていますので、興味深々拝見し続けさせていただいています。その後で何か申し上げ られることがあればいいなと思っています。

さて、ごつごつ英語ごっこの記事興味深く拝見させていただきました。

>前半、children のl,d の発音は難しい、という話題でした。

childrenの発音は確かに難しいですね。おそらくkidsが多用されているのは、あちらの人でも発音しにくく、聴き取り難いということがあるので は、と想像しています。

>今日、特筆すべきは、練習をはじめて3ヶ月位の人が、英語で
聞かれたことに対して、反射的に日本語で自然にとうとうと答
えていたことです。

私も1年間ほど休んでいた近所での英会話サークルをこの4月から再開しました。このように近所で英会話学習会を主宰するのは3度目になります。1度目は少 し塾的なものを目指しました。塾的なものでは自分が主張する多読学習法を伝えることはできないことが分かり、2度目はサークル活動に転じました。しかし、 初級と中級を同時に同室でやったために双方の参加者に一人では対応出来ず挫折しました。1年間自分の洋画の聴き取り訓練を兼ねた充電期間を取った後の今回 が3回目のこの種活動の再開になります。

過去の経験を生かして、今回からは初級と中級に分けてミーティングを持つこととしています。丁度初級のミーティングがそちらの「ごつごつ英語」の会と同じ ようなものだと感じました。 土曜の夜の開催ですが、丁度昨日5時から9時半(初級5−7、中級7:30−9:30)までして今はほっとしています。ま だ、再開後日が経っていませんので軌道に乗っていません。年の精もあるのか、かなりの肉体的、精神的疲れを伴う作業で、終った翌日は本当にほっとします。 また、今日から次週以降のトピック探し、その翻訳作業に入ります。英字新聞などから探してきますが、選定が翻訳以上に難しいです。

さて、「練習をはじめて3ヶ月位の人が、英語で聞かれたことに対して、反射的に日本語で・・・」ということですが、こちらの初級者のミーティングでも同じ ことが起こります。それでもいいと思っています。その内に脳内に英語の回路が出来てくれば、自然に英語で喋ろうと努力するようになるだろうと思っていま す。

このようなサークルや会があちこちに出来、本当に有効な英語学習法が草の根的に広がっていくことが目下の私の夢です。以前は私のホームページにそれを呼び かけるコーナーを作っていましたが(ごつごつ英語の会が唯一ご賛同いただいていた会でしたが、今は自分の主宰するサークルを活発なものにするのが先決であ ると判断しそのコーナーは閉じています。そのことを遅くなりましたがここでご報告させていただいて事後になりましたが、ご了承お願いしたいと思います。近 い将来同コーナー再開の暁にはいの一番にお知らせし、ご了承がいただけるなら、引き続きご賛同いただける会として掲載ささせていただきたいと思っていま す。)



【7578】
【タイトル】浜谷さん
【 日時 】03/05/26 2:52
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

書き込みありがとうございます。
「鬼」の方で教えていただいた「回転読み」に似た方法のURLに行こうと
したら、私のコンピュータのハードディクスがやたらに回転しはじめ、一時
ファイルをため込みはじめ、Cドライブが満杯になってしまい、結局読むこ
とができませんでした。

以前にもアドバイスさしあげましたが、教室をやるなら、きちんとお金をい
ただくべきだと思います。
そうでないと、コーチ側も責任が免れてしまうのです。のっぴきならないと
ことに自分を追い込むためにも、お金はいただくべきだと思っています。



【7580】
【タイトル】根石さん
【 日時 】03/05/26 5:46
【 発言者 】浜谷[Profile 近畿地方に住む60代の男性の方]
【 リンク 】http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp

>「回転読み」に似た方法のURLに行こうとしたら、私のコンピュータのハードディクスがやたらに回転しはじめ、・・・

大変ご無沙汰し、失礼していましたのに今まで同様気さくにレスしてくださりありがとうございます。次にそのURLを(再度)お知らせします。これは私の主 宰する英会話サークルのメンバーに送ったもののコピーで、そのメンバーから何も言ってきていないので、正常に開くことが出来ると思います。なお、私はウイ ルスバスター社の製品でウイルス対策済みです。

>推奨の学習法のコマーシャルのURL:
http://www.maprig.com/

マプリグのメーリングリストのURL
http://i.freeml.com/ctrl/html/MessageListForm/lets_speak@freeml.com

>以前にもアドバイスさしあげましたが、教室をやるなら、きちんとお金をいただくべきだと思います。

私は根石さんのように塾の経験がありませんので、前回書きましたように塾的なものを目指して失敗した経験があり、また、多読という骨のおれる手法をみなさ んに的確に伝えて行きたいために、当分はボランティアでやっていこうと思っています。幸い目下のところ参加メンバーも部屋代をはるかに上回るだけ確保でき ています。さらにPR代、PRを兼ねた事前のトピック配布郵送料もぎりぎりで確保できています。PRの一方法としてチラシを休みの日の早朝に周辺のお宅に 自分で投函して回っています。これは普段車ばかりに乗っていますから、いい運動だと思ってやっています。

>そうでないと、コーチ側も責任が免れてしまうのです。のっぴきならないとことに自分を追い込むためにも、お金はいただくべきだと思っています。

そうですね、「責任が免れる」ということはその通りかもしれません。しかし、私はあくまでもサークルの主宰者で、「責任」まで背負い込むつもりはありませ ん。その代わり会費は1回300円づついただくことにしており、各会の内容がなければ、次回からは参加していただけないように「のっぴきならないところに 自分を追い込んでいる」つもりです。



【7582】
【タイトル】浜谷さん
【 日時 】03/05/27 11:37
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

コマーシャルのページっていうのは、CDを36000円で売る講座のやつ
でしょうか。特に目新しいものは何もみつかりませんでした。
メーリングリストの方へは、私のコンピュータが先日やったのと同じことを
やることを恐れて、接続させませんでした。
私は、正直なところ、あまり興味がありません。



【7584】
【タイトル】根石さん
【 日時 】03/05/27 21:29
【 発言者 】浜谷[Profile 近畿地方に住む60代の男性の方]
【 リンク 】http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp

>コマーシャルのページっていうのは、CDを36000円で売る講座のやつでしょうか。特に目新しいものは何もみつかりませんでした。

そうです。基礎文型(レッスン1から12まで)を毎日何度もくり返し読むというのが根石さんの薦めていらっしゃる回転読みに似ているということです。 1 レッスンを1ヶ月づつやっていくのがこの学習法のもう一つのミソのように思います。このような学習法が「使える英語」学習法の主流の一つになりつつあると 思います。

メーリングリストについては下のURLから参加登録しないと見れないかも知れません。私はゲストユーザーとして参加登録しています。
http://i.freeml.com/info/lets_speak@freeml.com

参加登録をしないでメーリングリストのURLをクリックすると仰るような不都合が生じていたのであれば、私の不案内の精とはいえ、申し訳ありません。



【7588】
【タイトル】村田君
【 日時 】03/05/31 3:24
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

>drive や、try などは、ダイv、タイというイメージをまず持って、
その後、dr、tr を1動作としてイメージして練習すればいいん
じゃないか、

 このコツは、村田君が dr, tr の音の子音だけの連続をすでに獲得してから考えたものであるように思いました。シラブル数で容器の大きさ(小ささ)を決めておいて、その容器からはみださ ないように発音しようとすると、音をとばしてしまう( r 音などを発音しないで済ませてしまう)ことなどが現象するのではないでしょうか。
 幼児や音の勘のいい人は、自然に村田君が言っているようなコツをつかんでしまうのだと思いますが、多くの人は舌がすばやく動かないので、最初に容器の大 きさを決めるのはどんなものか、果たして日本語で育った日本人の口の動きをちゃんと踏まえた考えなのかと思ったのでした。
 dr, tr の d や t のうしろにおたまじゃくしの尻尾のように母音がついているのが日本人の標準的な初期の発音であり、これは発音上はまずいものの、その根拠はしっかりと踏ま える必要があります。
 私は実際のおたまじゃくしの尻尾のように、結果的に母音が消失すればいいという考えです。その過程で、大量に激しく口を動かすことが必要です。(「回転 読み」という練習方法の存在理由の一つです。)余計な母音は、だんだんと縮小し、なくなるのでかまわないという考えです。
 「回転読み」という動態を本当に実行してくれれば、そして、途中でネイティヴ音の複製音声を媒介にすれば、母音を削るコツは、とりわけ音の勘がいい人で なくても、「自然に」獲得されるというふうに考えています。
 柴田さんほどに音とい・000、ポイントに力を入れた授業をしている方でさえ、学校の教室で、生徒の口の「動きとしての英語音」が穫れるまでに2年も3 年もかかると言われています。中学1年生という口の動きの柔らかい年齢層を相手にして、なお2年・3年と言われているのです。この2年・3年が何を意味す るのかです。これは、dr, tr で言えば、母音が消失する過程の時間であろうと私は推測しています。それが消失するまでに、大量の激しい口の動きというものが媒介されています。
 村田君の考えは、dr, tr の連続音がすでに苦もなく出せる人が、自分の現在を前提にしてものを言ってしまっているのではないか、つまり、結果からものごとを見てしまっているのでは ないかという疑いが私にあるのです。媒介にすべき「動態」をすっとばしているのではないかという批判です。



【7592】
【タイトル】リーディングの重要性 1
【 日時 】03/05/31 6:47
【 発言者 】浜谷[Profile 近畿地方に住む60代の男性の方]
【 リンク 】http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp

Scottさんというネイティブの方のホームページ(↓)でScottさんと次のようなやりとりをしました。英会話学習方法の参考になると思われますので 転載します。
http://www.internetenglish.org/ie.htm
なお、Scottさんのホームページの「何でも質問コーナー」ではどんな質問でも、英語ででも日本語ででも無料でさせていただけます。みなさんも英語の勉 強で分からないことがあったら質問されたらいかがですか。

Hi, Scott, thank you very much for your usual kind and detailed answer.

I admit that there are various ways for learning languages. I want to say, however, that very little has been said so far by the teachers of English here of the importance of reading. Yes, listening is important as the book "Don't ever study English" advocates and repeating basic sentences is important as Maprig method advocates, but alas! you will rarely hear how impor1000tant the reading of English materials is!

That is, I suspect, because you could not induce the people to come to the English conversation classes or schools as you can learn it by yourself. Please allow me to make my point clearer in Japanese.

Scottさんが仰るように受身で英会話を習う人々が多いです。英会話教室や学校で質問をしない人は確かに家で勉強をして来ない人達でしょう。しかし、そ のような教室や学校がリーディングの大切さを教えているでしょうか?リーディングといっても中学校や高等学校で教えているようなものでは駄目です。頭の中 で日本語に訳しながら読むことしか教えないからです。

英会話教室や学校は先ず語彙・構文のインプットをするように指導すべきなのですが、(そうでなければ質問など出来るわけがありません。質問に必要な語彙・ 構文がまだ十分にインプットできていないからです。)それをしようとしません。何故か? そんなことをしたら英会話教室や学校の存在理由が薄められ、多く の生徒が来るのをためらうからです。「それではもう少し家で勉強してから来ます」と言って。

語彙・構文のインプットにはリーディングが欠かせません。Maprigでは基礎構文を何度もリピートするように指導していますが、結果として暗記できるま でになります。それと同じように多読をすることにより、結果として語彙・構文の暗記ができるのです。初めから暗記を目的にしてもそうして暗記した語彙・構 文は実際には使い物にならないでしょう。

しかし、英会話教室や学校に来る彼らにリーディングをやれ、と言っても、そう簡単に納得させることは出来ないでしょう。英会話は先ず喋ることという先入観 があるからです。英会話は先ず語彙・構文のインプットが先です。彼等は間違った方法で英会話を勉強するから当然挫折します。

Scottさんは「英語は絶対勉強するな」とMaprigを英語教材評論団で薦めていらっしゃいますがこれにSSS多読学習法(URL↓)を追加したら完 璧のConversational English学習法になると思います。
http://www.seg.co.jp/sss/sitemap.html

Could you give me any of your comment on this, Scott?



【7591】
【タイトル】リーディングの重要性 2
【 日時 】03/05/31 6:45
【 発言者 】浜谷[Profile 近畿地方に住む60代の男性の方]
【 リンク 】http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp

Hi Toshio,I totally agree with you.English conversation schools are mostly only trying to make money. People are basically very lazy, and advertisements made by schools are very appealing, because they promise maximum results with minimum effort. However people like you and I, who have put a lot of effort into our studies, know that the advertisements are not true.I guess that is just the type of world we live in. Quite sad really!!I also agree with you about the importance of reading. I think many Japanese people are missing out on the wonderful benefits you can soon receive from plenty of reading. By the way, have you ever considered how much more difficult it is for us to use reading in our Japanese studies?The English alphabet is quick and easy to remember. Of course spelling is something that you have to learn over time, but you can get to a level where you can read fairly quickly.Japanese is a different story!! The benefits of being able to pick up a book and reading it are only gained after spending years studying the basic kanji.Anyway, back to your letter. Yes, I agree. More people should spend more time reading, and not expect to be able to sit in on a one-hour English class once a week and get any results. I also think 1000though that more people should spend more time reading, listening and speaking. All three of these are important parts of the learning process.Scott



【7594】
【タイトル】語数別
【 日時 】03/06/01 1:05
【 発言者 】Naima
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

同じ事ばかりお聞きしているみたいで申し訳ないんですが、いくつか質問があります。

・ 1000選の1番から順番に下記の様に分類していけばよろしいのですね?

1. 9語
水は摂氏100度で沸騰する。
Water boils at a temperature of 100 degrees centigrade.

2. 14語
毎日登校途中に、いつも沢山の犬や猫に出会う。
On my way to school each day, I generally see many dogs and cats.

・ これは根石さん宛に添付書類で送った方がいいですか? ベタでメールに張り付けて送った方がいいですか? 私はマック(AppleWorks 6)を使っているのですが、添付書類は開けますでしょうか?

・ ネイティブスピーカーの講師にチェックをうけた文で訂正のあるものについては、それも(注)として書き添えておきましょうか? 原文はそのまま残した 方がいいですね?

語数はほぼ数え終わっているので、以上の点についてお返事下さい。



【7597】
【タイトル】Naima さん(1)
【 日時 】03/06/01 9:55
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

  1. 9語
水は摂氏100度で沸騰する。
Water boils at a temperature of 100 degrees centigrade.

2. 14語
毎日登校途中に、いつも沢山の犬や猫に出会う。
On my way to school each day, I generally see many dogs and cats.

 分類の「結果」が上記のものだと困るのです。9語の文と14語の文の記載が連続していることになってしまいますので。一語分を・で表すと、

9語
1.・・・・・・・・・
2.・・・・・・・・・
3.・・・・・・・・・

14語
1.・・・・・・・・・・・・・・
2.・・・・・・・・・・・・・・
3.・・・・・・・・・・・・・・

 という具合に、9語の文は9語の文だけでグループになり、14語の文は14語の文だけでグループになっていないと、「音づくりによるインプット」(回転 読み)の教材としてはうまく機能してくれません。
 語数でグループ分けした教材ができると、ゲームができます。「技法グラウンド」(コーチが一回言ったものを生徒が繰り返し言い続ける)の練習では、「音 づくり」の他に、「音の連続性」(とぎれないこと・言い間違えないこと)が重視されますが、「音の連続性」の質によって「すごろく」ができます。
 9語の文をしばらく生徒が言い続けて、「たてつづけに5回」の連続性が穫れたら、10語のグループに移り、穫れなかったら、8語のグループに移る。移っ たグループでも同じことをやり、例えば30分の「電話でレッスン」だったら、レッスン終了時に何語の文を練習していたかだけを記録し続けます。
 その数字の3ヶ月程度の平均値を出せば、自分(生徒)が何語程度のところでうろうろするかがわかります。「わしづかみ」(文をまるごとで把握する)力の 分量的な現在の限界がおよそわかります。それがわかれば、その数値のものだけを集中して攻めるということもできるようになります。あくまでもコーチ付きの 練習であり、「音を先だたせる(ひとまずは意味がわからなくてもいい)」ことを原理としていますので、用途は限られますが、かなり使える教材になるのでは ないかと思っているのです。

 これは、単に思いついたゲームに1000すぎませんが、ゲームが成立するということは、教材として使えるということだとも思います。他にもいろいろな使 いみちは成り立つと思います。
 根底にあるのは、「音づくりによるインプット」の難易度は、蓋然的には語数によって決まってくるという語学上の理由です。
 受験用の教材の例文は、数語程度から20語程度までのものが多いですが、収録数を1000として、語数で分類してしまえば、これはこれで使えます。文法 の説明をするための例文として使うなら、なるべく語数の少ないものを採用して使うなどということもできます。



【7596】
【タイトル】Naima さん(2)
【 日時 】03/06/01 9:55
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 というわけで、教材として使える質を獲りたいわけです。
 以下に、私がやりかけて放置したものが掲載されていますが、雛形はおわかりいただけると思います。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/sodokusy/kazuhyo.htm

 なお、マックのファイルだけでなく、ウインドウズのワープロのファイルさえ私のところでは開けません。もっぱら、WZ Editor というエディタで読み書きしていますので、分類結果は、ベタなテキストファイルとしてメールで送っていただくしかありません。お手数をおかけしますがよろ しくお願いいたします。

>・ ネイティブスピーカーの講師にチェックをうけた文で訂正のあるものについては、それも(注)として書き添えておきましょうか? 原文はそのまま残し た方がいいですね?

 元本の著者に敬意を払うために、元の文は残すべきだと思います。チェックを受けた後のものを(注)として併記すれば、教材の使用者が、主客を転倒させて 使うことはいくらでもできます。(つまり、元の文を(注)扱いにしてしまう。)あくまでもフリーデータとしてネット上に掲載し、使用者が変形を加えるため のデータベース作りになります。

 分類の作業、本当に大変ですよ。私はこれをやっていたら他のことができなくなると思い、一人でやりかけて、結局放置するはめにおちいりました。ゆっくり 継続してやってください。


【7599】
【タイトル】根石さん
【 日時 】03/06/01 12:28
【 発言者 】Naima[Profile 奈良県に住む方]
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

私も最初は「語数による英文の分類」のひな形に従って同じ語数の文を集めるんだと思ってたんですが、どこかで順番にやるようにおっしゃったと勘違いしてた みたいです。 来週から700番〜1000番までWilliam先生にチェックしてもらって来ますので、語数の少ない例文群からぼちぼちベタでメールしま すね。



【7600】
【タイトル】何度もすみません。
【 日時 】03/06/01 12:43
【 発言者 】Naima[Profile 奈良県に住む方]
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

もう一つ確認。

例えば、454番のように
You're late. The meeting finished (thirty minutes ago. )
と2文になる場合は、解答部分を含む例文...The meeting finished thirty minutes ago. ..だけの語数で分類するのではなく、トータル語数...2+6=8語...で分類すればいいのですね?

くどくってすみません。



【7602】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】03/06/03 0:54
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

対になっている文があったら、その総語数で数えてください。



【7605】
【タイトル】中村さん(1)
【 日時 】03/06/04 2:13
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

 毎日毎日酒が抜ける日がありません。昼間はまあまあ抜けているんですが、夜になって、レッスンが終わると必ず酒が入っていて、近頃、めっきり体力と気力 がないので、すぐ寝てしまう日が続いていました。夜中に外へ出かけていても、じきに帰ってきて寝てしまう。
 今日はなんだか久しぶりに、この時間でも目がさめていますので、何か書けるかと思いました。いつも通り酒は入っていますが。

>そして、酔っぱらって、今、オレのやっていることは、獲物を捕るとか、野菜を作るとか、「生」に直結する仕事とはずいぶんかけ離れていて、そういう意味 では、非人間的な人生を送っているなあ、と、考えることも、たまにあります。

 いやあ、非人間的と言えば、語学なんぞはその最たるものです。学問より、非人間的だと思います。

◆2冊の本

 お教えくださりありがとうございました。難しい方から買ってみて、歯がたたないようでしたら、易しい方を買います。

◆◆ 「音声学」の種本 「教授法」アメリカ発 欧米の引き写し 欧米のものを参考にし、自分なりの「音声学」が作れなければ駄目

→ その通りです。「引き写し」で終わってしまっているのです。残念ながら、様々な分野で、基礎的な理論にタダノリし、あたかも、自分で発見したように横に流 しているだけ、というテイタラクです。

◆初めて、大学の先生に俺の乱暴な物言いに賛成してもらいました。大学の教師なんぞには、ずいぶんと駄目な人間がいると思っています。

◆→ オレは今、教員養成に直接的に関わる立場にありませんが教員養成の課題もまた、大きいです。

 そう思います。教員養成課程が、教育関係では諸悪の根元だと思います。
 金出して単位とるほどの価値のあるもんじゃねえのが現状でしょう。

◆ 島岡さんの本 島岡丘. 1994. 『中間言語の音声学 英語の「近似カナ表記システム」の確立と活用』(Phonetic acquisition of English through interlanguage.) 小学館プロダクション. 3000円.

これを買ってみようと思います。

◆1000「アメリカ」を総体的に捉えると、「自己標準化」という言葉が出てくるのももっともですが、「アメリカ」の自己標準化に疑問を持っている「アメ リカ人」も、わりと多いのではないか、という印象を持っています。

 わりと多いという感じはないです。たまにいるという感じでしかありません。
 あんな馬鹿な大統領が大統領をやっていられるのですから、やはりアメリカ人の自己標準化はどうしようもない腐れです。私ははるかにアメリカを警戒してい ます。



【7606】
【タイトル】中村さん(2)
【 日時 】03/06/04 2:14
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

◆オレのセンモンである言語テストのひとつの目的には、まさしく「橋の上のどの地点にいるのか」を継続的に調べ、次の過程に生かす、ということが含まれて います。

 しかし、「橋」とか「中間音声」という概念が人様にわかってもらえないのです。ネイティヴと同じになるのが最終的な語学の姿だと思っている馬鹿だらけで す。なにしろ、床の間に何か飾るのが好きな人たちの国ですからね。他にも、「磁場」という一語を守るために、私はどれほど体力を使ったかわからない。くた くたになりましたが、いまだ守り抜いています。

◆◆ 音とイメージの同致をどう測るか
◆ → これは、テスト問題と実際に英語を使用することに深い関連があるかないかという検討の問題だと思います。ご指摘の通り、これが確保されなければ、テストな んてまったくの茶番なのですが、実態は、ご承知の通り、茶番の域をなかなか抜け出せないでいます。

 私は語学と学校は相性がよくないと思っています。しょせん、学校は学校がやれる程度のことしかできない。学校の限界というものを学校はきちんと自覚すべ きです。そして、学校がやれることをちゃんとやるがいいのだ。しかし、学校はそれをやっていません。やればやれることもやらないで、人の生活なんぞに口を 出す。馬鹿の巣、蜂の巣、憎しみの巣ですから、私にとってのガッコは。

◆◆ 音読は上手なのに テストの設問自体 「初出」の文 「イントネーションの自己決定力」が測れれば、音とイメージの同致とその瞬間化は測れる
◆→ 前回の話しは、「初出の文」による音読のテストと、その文に関する英問英問を行う検定試験でのことでした。

 このことをずっと考えていました。「型に入って型を出る」という場合の「出る」方をやっていない人なんじゃないでしょうか。「型に入って型に入ったま ま」。
 じゃあ、どうやって出るのか。ちゃんと型に入れた人は、一度、余所の国に出るのがいいんじゃないでしょうか。出れば、型に入っていたときは、がちがちの 固いものだったのが、こんなにも柔らかいもんだったのかという発見は必ずあると思います。つまり、英語もただの言葉なんだという発見は、日本にいたのでは 1000非常に無理があるという考えです。たとえ一週間でも、出ると出ないではその後が大きく違ってくると思います。
 やはり、床の間主義の弊害ですが、しばらくはどうしようもないのではないでしょうか。なにしろ、日本ですから。

◆音読で測れないナニカをどうやったら測れるか、検討していく必要があると考えています。

 音読が上手で、しゃべらせると頓珍漢というのは、お坊ちゃん、お嬢ちゃん英語なんだと思います。これをどうにはするには、コーチ付きのレッスンしかない と思っています。それを1年2年やって、こなれて柔らかくてバネがある音を作った後、どこかへ行ってくるべきだと思います。音読が上手でしゃべらせると駄 目っていうのは、外国へ行ってきたことがない人に多いのではないのでしょうか。日本にいて英語の磁場で得るものと同じものは得られないという考えは、もう 何人の抵抗に会ったかわからないくらい、この掲示板でその人たちにまっこうから対立し、磁場においてしか手に入らないものが絶対にあると言い続けてきまし た。
 私自身は、英語の磁場には1ヶ月半いただけです。

◆◆ カタカナや発音記号は「橋」 「橋」 語学という「行為」自体
◆→ 厳密な区別が必要なことは、その通りだと思います。オレは、橋は1本だけでなく、いろいろな橋や渡し船や、幅の狭い流れのところでは泳いでいく、といっ た、こっち側からあっち側へ渡る手段の集合体を「橋」という用語で示す、と捉えていました。

 ふうむ。私は、橋は一本でイメージしています。何本橋があっても、一人の人が渡る橋は一つだから、しょせん何本橋があっても、実質は一本しかないのでは ないかと。
 様々な方法や手法を使うということには異存はありませんが、しょせんそれで渡るのは一本の橋ではないか、と。つまり、本人にとっては、上達という名前の 橋が一本あるだけだ、と。



【7608】
【タイトル】中村さん(3)
【 日時 】03/06/04 2:15
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

>オレも、自分の声の録音を聞くのが大っキライです。

 私は、たとえ語学をやるのでも、まっぴらごめんです。
 「回転書き」には、自分で録音しないと、「回転書き」用の道具が手に入らないので、自分で録音しましたが、これは字を書くスピードで考えを動かしている とさほど苦にならないです。

◆→ エイゴをどうやって教えるか、その教えたことができるようになったのかならなかったのかを測る時に1000、「何」を教え測るのか、ということが問題にな ります。その「何」が、要するにエイゴのチカラではあるのですが、一気に「全部」のエイゴのチカラについて教える訳ではないので、たとえば、ae の発音とか、He is ときたら、 reading a magazine. と続ける場合とか、聞き取れなかったら、すかさず Pardon? と聞き返すとか、要するに、バラバラに取り扱うことができないわけでもない知識や技術を、とりあえず教えるとします。しかし、エイゴは、そういった断片的 な知識や技術の集合体だけではなく、たとえば、問題文を黙読して、そのトピックに関して自分の考えをエイゴで述べるといった場合には、多くの知識や技能を 総合的に動員して処理することが必要で・・・

 わかりました。
 もっとも肝心な半分は、英語の力じゃないです。
 それは、言葉のちから、言葉に対する力だと思います。
 現今の英語使いは、ちょいと使えるくらいで、言葉の力をもっていないお馬鹿ちゃんが多いです。言葉の力もないくせに、英語の力があるんだと錯覚してい る。お馬鹿ちゃんは、いやあ、近頃多いですぜ。日本語書かせると、なんじゃこの馬鹿程度の日本語しか書けないくせに、馬鹿のくせに、と思うことがとても多 いです。もうあっしらは、英語回りには馬鹿が非常に多いと明言すべきだと思うのです。日本の英語というのは汚い言葉です。しょせん文学回り、その次は商売 まわり、煮詰めて、政治・経済回りですわ。文学回りだって、追いつけ・追い越せの政治・経済の動きとの同伴でした。大学の英文学なんぞ、95パーセント以 上、エセ文学だと思っております。

>その総合的に動員して処理するチカラというのは、バラバラにできないのではないか、というリクツです。

 絶対にバラバラにはできない。



【7607】
【タイトル】中村さん(4)
【 日時 】03/06/04 2:15
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

◆→ 先祖帰りの強力さについて、オレも強く実感しています。自分自身の場合にも、しばらくエイゴの口を動かさなかった時などは、すぐに「帰って」しまいます。

 ここんところを、英語まわりの馬鹿ちゃんたちは正直に言わないのです。

→「異化」を促進させる時に、少しでもジャマになるものは排除しておいた方がよいのではないか、と考えているのですが、「定着」という観点からすると、 ローマ字は大きな要素ではないという点、よく分かりました。

 私の考えでは、「異化」は「定着」させるために必要になるだけで、肝心なことは「定着」だと思います。その場合に、ローマ字の弊害なんかは小さいものだ ということです。
 また、学校には「定着」のための方法が払底しているとも思っています。
 学校で、「定着」を考えて授業した人は、今のところ柴田さんしかいません。

◆たとえば、「紙っぺら一枚で人生を決められてたまるかっ」とか「ペーパーテストの点数がなんぼのもんじゃい」といった意見については、「そんなものでは 人生は決まらない」「なんぼのもんでもない」と、はっきりと示すべきだと思います。

 全面的に賛成です。それを明言するガッコの先生がどれほどもいない。

◆「テスト」について、感情的な反感のみに留まることなく、キチンと正しい理解に立った議論が必要かと思います。

 わかりました。俺が感情的になるのは、ガッコに対していい思い出がほとんどないからでしょう。語の本来の意味でのテストなら、私も「電話でレッスン」で いつもやっており、そういうものなら、その場で生徒にも問題点がわかります。つまり、一対一のコーチ方式だからです。お金に少しの余裕がないと、コーチ方 式を使うのは難しいですが、それでも、私のレッスンは「少しの余裕」で受けることのできるレッスンです。しかし、めったに申し込みがない。雑貨と百姓で 食っていこうと思っている理由です。英語では、どこまでも冷や飯を食わされるのだとわかってしまったと思います。

◆「選別」そのものや「選別のためのテスト」に対する批判は耳にしますが、「じゃあどうしたらいいのか」といった、建設的な意見は、あまり耳にしません。

 どうせ私の生きている間に実現なんかしないでしょうが、「選別」のテストなんかやめちまうに限る。それがもっとも建設的です。その後は、「電話でレッス ン」だろうが、「ご近所コーチごっこ」だろうが、日本中でうぞうむぞうにやって、テストで生徒とコーチの双方で自分がやっていることのレベルがわかりさえ すればいい。そういうテストにすべきです。それは私の「電話でレッスン」ではすでに実現していると思っています。



【7609】
【タイトル】訂正
【 日時 】03/06/04 2:18
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

◆◆ 「音声学」の種本 「教授法」アメリカ発 欧米の引き写し 欧米のも
のを参考にし、自分なりの「音声学」が作れなければ駄目

◆ → その通りです。「引き写し」で終わってしまっているのです。残念な
がら、様々な分野で、基礎的な理論にタダノリし、あたかも、自分で発見し
たように横に流しているだけ、というテイタラクです。

 初めて、大学の先生に俺の乱暴な物言いに賛成してもらいました。大学の
教師なんぞには、ずいぶんと駄目な人間がいると思っています。



【7610】
【タイトル】訂正
【 日時 】03/06/04 2:26
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

◆→「異化」を促進させる時に、少しでもジャマになるものは排除しておい
た方がよいのではないか、と考えているのですが、「定着」という観点から
すると、ローマ字は大きな要素ではないという点、よく分かりました。

 私の考えでは、「異化」は「定着」させるために必要になるだけで、肝心
なことは「定着」だと思います。その場合に、ローマ字の弊害なんかは小さ
いものだということです。
 また、学校には「定着」のための方法が払底しているとも思っています。
 学校で、「定着」を考えて授業した人は、今のところ柴田さんしかいませ
ん。



【7612】
【タイトル】再度、転写
【 日時 】03/06/04 2:38
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

電話レッスン5 投稿者:Rosey  投稿日: 5月31日(土)23時08分55秒

 Naimaおっしょのピンチヒッターとして不肖の弟子が1ヶ月電話レッスンを受講させていただきました。そして、この機会が与えられたことに感謝してい ます。

 コーチについて回転を体験して、全く思いもかけなかったご指摘もいただきました。もともと気になっていた [ae]の音ですが、自分でやっていたときは気になりながら積極的に矯正するという姿勢にはなっていませんでした。しかしコーチにつくと、OKをいただき たために姿勢は違ってきます。まだまだ直りそうにありませんが、絶えず般若を意識し続けていきたいと思います。[ae]の聞き取りも苦手だったのですが、 少しわかりかけてきたかなと思っています。一月でこの変化は自分でも「すごい」と思います。

 初めての映画の台本を音読し、縮約形には非常にとまどいました。が、これまで根石さんに細部にわたり教えていただいて、最終回でやっと縮約形の読み方が 「わかった」ような気がしました。

 コーチに毎週チェックを受けるので、自分なりに回転に気合が入っています。かなりの長文で口が勝手に動くという体験は初めてだったのではないかと思いま す。何かの折に試してみようと諳んじると無意識に出てくる出てくる。感激しました。

 独りよがりになりがちな独学に、喝を入れていただいたり、貴重なアドヴァイスをいただいたり、有意義な一ヶ月でした。

 しかし、結構きつかった。長く続けておられる生徒さんたちはすごいなあと心底尊敬します。最終回に至って、電話レッスンは紛れもなく自分と戦っていると いう気がしました。プライベートなので、他の生徒さんの進み具合等は全くわからないので、自分自身との戦いの要素が強くなるかと思います。

 根石さん、ご指導ありがとうございました。これからも掲示板でよろしくお願いいたします。



【7613】
【タイトル】「夕焼け小焼け」から転写
【 日時 】03/06/04 2:46
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

こちらこそよろしくお願いします。 投稿者:Kぼん  投稿日: 5月30日(金)23時08分20秒

I村さま

 I村さまが、こちらに来てくださって、とても嬉しいです。>自分1人でないのが。

>おっしゃっていましたし、少し場違いな人間かな、なんて思うこともあります。
>とはいえ、以前独学でやっていたときと比べて、はるかに張り合いもありますし、
>有意義な時間を過ごしていると思ってます。

 私は35歳のI村さんの奥さんと同じ性別です。
 高校の頃、おじさんの英語塾に通っていました。
 今になって気付いたことは、当時は理屈理論でやっていて、自分で自分の首を絞めていた感じ。
 英語は電話でレッスンができるからいいですよね。
 おまけに腕の良いコーチに1日30分1ヶ月4回で10000円?12000円?なんて格安のように感じます。
 おじさんの英語は一度習うと落ちなかった(と私は思ってるのです!>おじさん)信用があって、今度は言われた通りに素直にアドバイスを聞きながらやって みようと思ってます。
 忙しい時間の合間に口を動かしてます。 スペルがそのまま発音記号で楽しいとも感じており、意外?!に英語って実は。。。思ってたより簡単だった の???!! 日本語のほうがとてつもなく難しいんでわないの????
 なんて直感で(今は直感です)感じてます。。。

 あああ、また「化けの皮のかまとと」と言われそうだ。

> 趣味ついでに、私は休日、義父の手伝いで薪を運んだり、山菜を採ったりと、
>根石さんと波長が合うのかも知れません。家が近かったらちょくちょく遊びに
>行けて、よかったかもしれないですね。もっとも、家が近かったら、休日の

 おじさんはね、思い立ったらすぐ行動してしまうんです!
 「自宅自作」と地味に掲載されてますが、トンデモナイ!ことで、どうしてどこもネタにしないんだろう?と思う程のもので、現在は、小屋も造っておられま す。
 「つくる」という字が工作の「作る」だ1000ったから目立たなかったのでしょうか?
 まさに家を自分で「造って」しまわれたのです!
 オールカラーの『クロワッサン』の特集にでも掲載できるほどだと思います。
 一度遊びに行かれると良いかも。

>方ですし、お互いがんばっていきましょう。くれぐれも、掲示板ばっかりで英語
>を全然していないな、と思われないようお互い気をつけて・・・。

 英語だけでなく、語学がどうにも苦手なので、なかなか先入観が拭えないのですが、
 それでも最近は以前よりかは英語に目や耳が向いて来てます。。。
 I村さまは趣味が英語だなんてうらやましい。。。。

 こちらこそよろしくお願いします。

 あと、タイムは結構苦いでしょ?
 男性向きだとは思いますが、すこーしでいいかもしれませんね。



【7614】
【タイトル】「夕焼け・小焼け」から記事の一部転写
【 日時 】03/06/04 2:51
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

私の住まいには白人が多いので、小さな子供と親が話す英語はとてもスロー
リーで聞き取りやすい。(『ゴースト』はさっぱりわからない。) これは
日本でもそうですよね。「ママ(パパ)、まって」>「(子供の名前)はや
くおいで」的な会話でしたが。。。
 あと、音に強弱があるんだ、ほんとだ、と実感してます。



【7615】
【タイトル】Kぼんの記事「夕焼け・小焼け」
【 日時 】03/06/04 3:09
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

http://6829.teacup.com/nessy/bbs

おじさんとは、高校の頃お世話になったのと、今またお世話になってるぐらいです。
高校の頃なんて怖くて口応えなんてとてもできませんでしたよ。。。。
言われるがままに、次、次、と進んで、でも頭はついていってないので
そのときにも「化けの皮がはがれた」と落胆させ、それで塾をやめたものです。
とにかく怒ってばかりで怖かった。
それでも、そんな感じでしたけど、英語力が落ちて無いから凄いです>ああああ、また何か言われそう。。。。
でも、これは異口同音で他の人たちも言ってますし、聞いて無くても絶対そうだと確信してます。 なんせスパルタぐらいだったから、叩き込まれた感じでし た。
でも、その投資や期間は決して無駄にはならず、苦しかったけれど、あの時のことがあったから今でも他の人たちよりは英語が少し使えてます。 私がまた戻っ て来たのは、やはりそれだけ凄くて良かったからなんです。 ただ、あまりに厳しく辛かったものですから来るのに1年、決めるのに1年、合計2年も躊躇して しまいましたが。。。。(これも転載してください>おじさん)



【7617】
【タイトル】ミッドナイト・プレス
【 日時 】03/06/04 3:40
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

詩の雑誌、midnight press の出たばかりの号に、鶴見駿輔をゲストに谷川
俊太郎と正津勉とが話をしている。
この記事は、英語をやっている人たちにも是非読んでもらいたい。
鶴見は、國弘が伏せているものを伏せていない。



【7622】
【タイトル】逆上してしまいました (1)
【 日時 】03/06/04 11:56
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

毎日毎日酒が抜ける日がありません。
→ オレも毎日です。晩ご飯の主食は焼酎です。
→ 先週末、しまむらへ行った帰り、根石さんのお宅近くを通りました。石積みがだいぶできてきた様子を拝見しました。外から見たらお店の土台は大丈夫のようで したが、いかがでしたか。

学問より、非人間的だと思います。
→ オレは、自分としては、ガクモンの中にいるとは考えていませんが、「学問」も困ったもんだなあ、と思っています。

初めて、大学の先生に俺の乱暴な物言いに賛成してもらいました。
→ 多くの「大学のセンセイ」を含めて、オレの回りには、同じことをせっている人がたくさんおります。

教員養成課程 諸悪の根元 金出して単位とるほどの価値のあるもんじゃねえ
→ もう少しなんとかならないかと思い、ある教員養成のカリキュラムの原案作りに参加したことがあります。なんとか原案をまとめ、某お役所に、「お伺い」を立 てたところ、即却下でした。教員免許法の枠組でがんじがらめ、という印象を強く持っています。
→ 教員養成についても、だめだこりゃ、で留まるのではなく、どうしたら良いか、という議論と実践が必要だと考えています。根石さんのおっしゃる、学校のダメ さを少しでも改善するためにも、本当の専門職としての教員養成が必要だと思います。

馬鹿な大統領
→ 同感です。
→ 残念ながら、自分の国、自分の県、自分の町についても、少し、ハズカシイナァ、という気持ちを、オレは持っています。



【7623】
【タイトル】逆上してしまいました (2)
【 日時 】03/06/04 11:56
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

「橋」とか「中間音声」という概念が人様にわかってもらえない
→ このようなことや、「テスト」のことも含めて、オレの考えていることを「人様にわかってもらえるよう」話して歩くのが、オレのシゴトだと思っています。今 年も夏から秋にかけて、札幌、横浜、広島、水戸、仙台、熊本、東京などで、吠える予定です。

私は語学と学校は相性がよくないと思っています。
→ 同感です。

学校は学校がやれる程度のことしかできない。学校の限界というものを学校はきちんと自覚すべきです。そして、学校がやれることをちゃんとやるがいいのだ。 しかし、学校はそれをやっていません。やればやれることもやらないで、人の生活なんぞに口を出す。
→ そのとおりだと思います。「やれっこもないこと」を「なんとかやってみましょう」と安請け合いして、「なんにもやれない」だけでなく、状況をさらに悪化さ せているのだと思います。
→ 「じゃあ、どうすればいいのよぉ」と、オレも必死に考えましたが、結論を出せないまま今に至っています。ただ、はっきり言えるのは、根石さんのおっしゃる とおり「ガッコは、これしかできません。だけど、これだけは、キチンとやります。」と宣言し、実行することから始めるべきだと考えています。



【7621】
【タイトル】逆上してしまいました (3)
【 日時 】03/06/04 11:55
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

「型に入って型を出る」という場合の「出る」方をやっていない人なんじゃないでしょうか。「型に入って型に入ったまま」。
→ 少し端折ってしまいますが、音読の「次の段階」として、「出る」ことが必要だ、ということですか。

音読が上手でしゃべらせると駄目っていうのは、外国へ行ってきたことがない人に多いのではないのでしょうか。
→ オレの問題意識は、音読のテストで、その人の英語のチカラの「全体像」を捉え、測定できるか、ということでした。この検定試験の受験者のうち、「外国へ 行ったことがある人」は、ほとんどいないと推測しています。中学生、高校生、高専生、短大生、大学生が主な受験者です (中には、海外経験が豊富な年輩の方もおられ、オレが恐縮してしまうような、ものすごい力のある人も、たまに、おられます)。大方の「外国へ行ったことが ない人」の受験者の中に、音読◎−英問英答△、音読△−英問英答◎といった極端な例が少なからず見られる、ということです。「型に入る」「型を出る」両方 の訓練を、バランス良くやっていれば、このようなことは起こり得ないと思うのですが、実態は、この検定試験のような例もあるので、そういう「歪み」を特定 し、改善していくためにも、音読のテスト「+α」が必要なのではないかと考えている次第です。

私自身は、英語の磁場には1ヶ月半いただけです。
→ オレは、「磁場」と言えるほどの所には、ほとんどいたことがありません。

橋は一本 上達という名前の橋が一本あるだけだ、と。
→ オレは、いろんな橋や道を通って、「自分の言葉としての英語を身につける」という向こう岸に行く、というイメージを持っていましたが、根石さんのおっしゃ るイメージについて、理解いたしました。

自分で録音
→ 現在、その授業での発音のポイントを説明、全体で練習、個人練習、最後に練習の「成果」を録音、その録音を自分でモニターして、自分で発音のポイントがク リアできたか、できなかったかを確認して次のステップに行く、という流れで授業を進めています。本当は、モニター・チェック・合否の判断は、根石さんの おっしゃる「コーチ」がすべきシゴトだと思いますが、教師1対学生40の教室では、残念ながらままなりません。ほんの数名ですが、自分の音読の録音をモニ ターしているときに、ヘッドフォン越しに (感覚は、電話に近いと思っています)、「その r の音は違いましたね」とか、「s の音は良くなりました」などと、「コーチ」のまねごとをして、せめてもの罪滅ぼしをしているところです。
→ 「どうですか、うまく読めましたか」と聞くと、「ぜんぜんダメでした」という過小評価がとても多かったのですが、最近は、根石さんのおっしゃる、「自己決 定力」について自分の弱点を自覚したような学生からのコメントも増えつつあります。



【7619】
【タイトル】逆上してしまいました (4)
【 日時 】03/06/04 11:54
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

英語の力 言葉のちから、言葉に対する力だと思います。
言葉の力もないくせに、英語の力があるんだと錯覚している。
→ 「言葉の力」という表現について、同感するところがあります。オレのセンモンは、いっちょうまえに「言語テスト」としているのですが、「英語のテスト」だ けではなく、「言語」のテストという気持ちが強いからです、(実態はオハズカシイものであるのですが、それはひとまず、おいといて...)。
→ 英語でも、日本語でも、共通する「言語能力」がある、と思います。「日本語 (国語ではなく) 教育」の先生方とお話をする機会がけっこうあるのですが、ますますその感を強くしています。

大学の英文学なんぞ、95パーセント以上、エセ文学だと思っております。
→ オレ自身、外国語学部英語英文学科だったのですが、大学時代はまったく勉強しなかったので、学生として接触する「大学の英文学」がどのようなものか、知り ません。というより、「文学」というものがなんなのか、分からないのです。オハズカシイ限りです。

絶対にバラバラにはできない。
→ 「言語能力」は、このバラバラにできない力「だけ」で成り立っている、という議論が1980年代に行われました。専門用語で恐縮ですが、この力は「期待文 法」(expectancy grammar) と呼ばれたりしました。書き取りテスト (dictation) や、機械的に設定した空所に適語を入れるクローズテスト (cloze test) などが、その時に提唱されたものです。しかし、このようなテストを使っていろいろな実験や研究がなされた結果、言語能力はバラバラにできない力「だけ」で はなく、バラバラにできる要素と、バラバラにできない要素の両方で構成される、という、現在におけるひとつの結論が引き出されてるというわけです。



【7620】
【タイトル】逆上してしまいました (5)
【 日時 】03/06/04 11:54
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

ローマ字
→ 本題とゼンゼン関係ないのですが、根石さんはヨコ文字で自分の名前を書くとき、どうやって書きますか。オレは、10年ほど前から、 NAKAMURA Youichi で統一しています。ひらがなで書くと、なかむらよういちですから、「よういち」は当然、 Yo-u-i-chi となるのです。こう書いても、英語では、必ずしも [yo-wu-i:-chi] とは発音してもらえず、「なけぇぃまぅらぁ よぅぃぇっちっ」などと呼ばれたりするのですが、そう書くのです。しかし、しかしです。昨日、あるところに行ったら、係のおっしゃんとおばさんが、なんと もエラソーに、「名前の欄は、ローマ字のヘボン式で書きなさい。」とせうのです。「洋一だったら Yoichi、または、最近こだわる人が多いので長音には h を使っても良くなったから Yohichi と書きなさい。」とせうのです。だけど Yoichi は、「よいち」でしょ。Yohichi は「よーいち」あるいは「よひち」でしょ。オレはね、「よういち」なの「よういち」っ!だいたい「長音」って言うけど、「洋」の中には、「長音」は入って いないのよ。太平洋は「たいへいよー」じゃなくて「たんへいよう」じゃないですか。それとなぁ、オレは使わねけどなぁ、コンピュータのローマ字変換だっ て、「洋一」を出すためには youichi って打たなきゃダメなんだど、おいっ、と強く心の中で思ったのですが、おっしゃんとおばさんは「ヘボン式は、国際的な取り決めですから、そう書きなさ い。」と、そっくりかえって繰り返すのでした。ふんっ、オレは、 Youichi って書いてやるからなっ、と思ったのですが、前回同様、申請書にどう書いても、できてくるパスポート (あっ、「あるところ」がどこだか分かっちゃう...) は Yoichi NAKAMURA になっているのです。おい、外務省!らっちもねぇことに血道あげてねえで、おれの「う」を、オレの思うとおりに書かせろっ!ヘボン式だって、「う」はu じゃねぇかぁ!と心の中で叫びつつ、ボールペンを握りしめて、しばし考えた末、 Yoichi NAKAMURA と申請書に書いて、一気に焼酎を煽り、ふて寝してしまったのでした...。
→ スミマセン、別にローマ字に恨みがあるわけではないのですが、ついつい逆上してしまいました。修行の足らない人生です。



【7618】
【タイトル】逆上してしまいました (6)
【 日時 】03/06/04 11:53
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

本来の意味でのテスト
→ テスト「本来」の意味を、分かってもらうように歩き回るのも、オレのシゴトだと思っています。そして、本来の意味を具現させるためのテストとはどういうも のなのか、追求していかなければならない、と考えています。

「選別」のテストなんかやめちまうに限る。それがもっとも建設的です。
→「選別」が全く必要のないものであれば、「選別のテスト」もやめてしまって良いと思いますが、現実問題として「選別」そのものは、必要だと思います。 「選別」自体が不要である、という立場であれば、これ以後に書くことはナンセンスなのですが、とりあえず「選別」は必要という前提で考えると、「テスト (といっても、紙と鉛筆のテストだけでなく、面接、スピーキング、実際の仕事をさせて見て観察するといった、いろいろな形式が考えられますが)」以外に、 どのようにしてその選別作業を行うか、ということが、オレには思い浮かびません。テストは不完全なものではあるけれども、それ故に、より正確で妥当なテス トを開発し、信頼できる結果を引き出せる複数のテストによって、多面的に測定・評価して、慎重に選抜作業を行うべきである、というのがオレの立場です。

自分がやっていることのレベルがわかりさえすればいい。そういうテストにすべきです。
→ これも、テストの重要な役割のひとつだと思います。そして、この「レベル」を定義するのも、とても難しいことだと思います。「向こう岸」まで、どのくらい 近づいたか、あと何を補充すればよいのか、と、ことばで書けばそう複雑なことではないかも知れませんが、「言語能力」のところで書いたように、言語能力そ のものの解析すら研究途中、という段階です。また、日本人にとっての、言語学習の段階分けについても、なかなか研究が進んでいません。テストを「必要悪」 なんて言う人もいますが、そうではなく、テストでデータを集め、分析・研究して、言語の学習や、測定・評価に生かしていくサイクルは、ゼッタイ必要なの だ、というのがオレの立場です。このサイクルは、根石さんが、電話でレッスンで実現されているものと、同様のものだとオレは勝手に解釈させていただいてい ます。



【7627】
【タイトル】中村さん
【 日時 】03/06/06 2:09
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



→ ◆先週末、しまむらへ行った帰り、根石さんのお宅近くを通りました。石積
みがだいぶできてきた様子を拝見しました。外から見たらお店の土台は大丈夫の
ようでしたが、いかがでしたか。

 しまむらは女房がよく行きます。婆趣味まるだしのなりをしているので、
ときどきたまんないです。
 小屋の基礎の寝転がりに関しては今のところ大丈夫なようです。

 今日もまた、肝臓によくないだけ飲んでいますので、これから英語のこと
など考えられません。
 その後、考えていることがありますので、またお時間をいただいて書きま
すので、それでご勘弁ください。

 タイトルが「逆上してしまいました」ですが、内容を読ませていただいて、
まるで逆上しておられないので、どうしてこういうタイトルなんだろうと思
っています。逆上した場合に逆上した文章になるかどうか、そこに文学の問
題があると思います。



【7630】
【タイトル】音読 定着
【 日時 】03/06/09 19:31
【 発言者 】Jackie

お久です。
中村さんと根石さんの往復書簡楽しく拝見しています。

>◆ 音読は上手なのに テストの設問自体 「初出」の文 「イントネーションの自己決定力」が測れれば、音とイメージの同致とその瞬間化は測れる
→ 前回の話しは、「初出の文」による音読のテストと、その文に関する英問英問を行う検定試験でのことでした。「イントネーションの自己決定力」ということで 根石さんが表現されたいことについてはオレなりに理解しているつもりです。

中学、高校でほとんど音読というものがなされていませんね。
50分授業で生徒が声を出すのはどのくらいなのでしょうか?
先生に当てられて質問に答える 先生の後について声を出して教科書を読む。
せいぜい5分 多くても10分あるかどうか?言葉の授業に五分も声をださないなど致命的です。これじゃあしゃべれるようになるわけがない。
音読も小さい声、発音も日本語発音で本文を五回読む。(二〜三回?)
始めは意味を考えずに音だけリピートでよいのだが その「音」がなっていない。そして先生に則されて大きい声で読むようにいわれしぶしぶリピート。音と意 味の一致などなされるはずもない。(イメージとして動かなきゃ使い物にならない。)

音読がすらすら出来ずに会話ができるはずがない。(中村さんの話しでは 音読下手でも会話OKの人もいるそうですが 少ないのでは?)

>音読を聞いて、そのチカラがあるだろうと予測した受験者が、 What とか Who とか Where といった質問について、音読した問題文を再構築して答えるパートで、まったくとんちんかんな応答をする例が少なからずあった、ということです。もちろん、 テスト問題の善し悪しも、このような極端な例の大きな要素になっているとも考えられます。しかし、どうもなにか、すっきりと説明できないナニカの原因があ るのではないか、と考えています。もし、ナニカ問題があるとしたら、音読で測れないナニカをどうやったら測れるか、検討していく必要があると考えていま す。

音読ができても 質問に答えることができないその場合、
推測1
外人のように読みたいと音フリークになってしまい読むのはうまい。
しかし意味と一致していない。イメージとしてとらえることができないから質問に答えられない。
第二には ドリルが少なすぎる。
私はレッスンで教科書本分を質問形にしたり WHQにしたりする訓練をします。その前に長崎式のドリルを徹底して 現在過去,未来 進行形 それに WHQmoついでに活用させます。 もうそりゃあ 口からすばやく活用する訓練です。そのあとに その文にあった絵 I cook breakfast in the kitchen. をみせて イメージさせながらまたは 話しかけるように活用させます。 口だけ(イメージなし)ではすばやくできたものが
話しかけるようにする or 絵をみて活用となると上手くできなかったりする。 でもしゃべるとはそういうことで どりるもここまでやることが必要。
音読上手の 会話下手の人は このドリルがかけているからではないでしょうか? 授業で果たして口でのドリルがなされているのか?
そしてそれを手で書いて 定着されることがされているのか?
そしてそれの日本文から英語への作文(瞬時英口文と手で書く英作文)ドリルがされているのか?
それができて やっとこさ基本が定着する。

中学生あたりは 英語音でよむことが きはずかしいことであり
また英語音でよむとクラスメートにちゃかされたりするから
わざと下手によむってのもわかりますが
その前に先生が英語の音を教えてないことに問題がありますね。
母音子音の発音 音のつながり など。
外人の先生がいて いくらほんまもんの英語の音をきいても発音はそう簡単に移りませんって。

そして英語音で読む=はずかしいことではない という雰囲気づくりも必要ですね。



【7631】
【タイトル】追加
【 日時 】03/06/09 19:45
【 発言者 】Jackie

そして 基本が定着したら クリエイティブに英作文。とどのつまりは
構文をつかって自分の言いたいことを話す=つまりは英会話&手をつかって書くこと=これからはライティング力も必要になってくるでしょうから。

今は定着させてないのにくりえいちぶに 生徒に英会話をさせたりして。
ペアワークさせてはやりのコミュニカティブな授業気分。(ペアワークも必要ですがね。ようはやり方 そしていつやるか)
AETの先生をいれて リスニングはこれで大丈夫などとお茶をにごして。
日本人の先生もなるべく英語で授業をして たいした授業をしてる気分になってる。

主役は生徒ですぜ。



【7632】
【タイトル】中村さん(1)
【 日時 】03/06/10 2:54
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



◆→ オレは、自分としては、ガクモンの中にいるとは考えていませんが、「学問」も困ったもんだなあ、と思っています。

 学問というのは、娑婆のリアルな動きとは別にあっていいと思っています。学問をやるんなら、とことん学問をやって、突き抜けたらそこにまた娑婆のリアル な動きがあったというくらいにやるのがいいだろうと思っています。そこまでやらないで、大学に収まりがいい程度のもんなら、蹴飛ばしてかまわないと考えて います。広島大学の柳瀬などは、まるで口ばっかりでそこまでやらない。それで学者づらをしているのが気にくわない。

◆◆教員養成課程 諸悪の根元 金出して単位とるほどの価値のあるもんじゃねえ
◆→ もう少しなんとかならないかと思い、ある教員養成のカリキュラムの原案作りに参加したことがあります。なんとか原案をまとめ、某お役所に、「お伺い」を立 てたところ、即却下でした。教員免許法の枠組でがんじがらめ、という印象を強く持っています。

 がんじがらめ。まさにそれです。くだらないのです、そのがんじがらめ自体が。
 優秀な役人には働いて欲しいが、どこもかしこも見回す限り、役人根性の跋扈です。
 くだらない。くだらない人間たちです。役人根性の糞ったれども。
 くだらないのだと明言する人が増えないと駄目ですが、ちゃんとくだらないものをくだらないと言う人がろくにいないのが、この国の真綿で首を絞める流儀を 許しています。
 中村さん、あっしらでそれを言っちまいませんか。

◆→ 教員養成についても、だめだこりゃ、で留まるのではなく、どうしたら良いか、という議論と実践が必要だと考えています。

 眼目は「音づくり」だと、やはり考えています。「音づくり」のできる教員があまりにもいない。私塾の私が、公立高校の先生の「音づくり」をやっているの です。それがまさに、これまでの英語科教員養成がとことん駄目だったということです。
 私はこの公立高校の先生を、偉い人だと思っています。自分に欠けているものを与える力があると見て、素直に私塾の「電話でレッスン」に入門してくださっ たのです。
 しかし、この先生も私も、共に恨んでいいのは、大学の教員養成課程とその元締めの文部省です。この二つがとことん駄目だったのです。近代以降、今日の現 代にいたるまで。
 どうしたらよいか。日本でやる英語は、「語学」でしかないということの認識をきちんと常識にすべきだと思います。「語学」。これ一つが日本の戦後の英語 学習ではきちんと踏まえられていないのです。教員養成などは、それを踏まえた後での話であるはずであり、原理的な部分をまるで押さえていないのが、大学や 文部科学省まわりのお馬鹿さんたちなのであります。Jackie さんが言う通り、ネイティヴを呼んで無駄な金を払って、音の問題は片がついたとしらばくれているのが、文部科学省なのです。これまでの近代のツケを払い続 ける行為が、呼んだガイジンに金を払うことでしかなく、これで何ひとつまともに解決するメドは立たない。このことを悲しいと思えない日本人はまるで信用で きません。

◆◆馬鹿な大統領
◆→ 同感です。
→ 残念ながら、自分の国、自分の県、自分の町についても、少し、ハズカシイナァ、という気持ちを、オレは持っています。

 同感です。少し恥ずかしい程度でなく、小泉が首相であり、あの猿芝居が通用する世の中が恥ずかしいし、田中が県知事であり、あのブルジョア民主主義の権 柄づくが通用する長野が恥ずかしいし、下崎なんぞという腐れ土建屋が再び当選してしまう更埴市がどこまでも恥ずかしい。世界の人々が本当に理解できないで いることは、日本は本当に利権屋や土建屋の国なのかというところだと思います。このポイントに関しては、日本人自身がわかっていないのではないでしょう か。英語回りの人々も、ソフトな利権屋であることをまぬがれないことの自覚をどれほど持っているのでしょうか。



【7633】
【タイトル】中村さん(2)
【 日時 】03/06/10 2:55
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



◆>ただ、はっきり言えるのは、根石さんのおっしゃるとおり「ガッコは、これしかできません。だけど、これだけは、キチンとやります。」と宣言し、実行す ることから始めるべきだと考えています。

 そして、英語に限定して言えば、学校がキチンとやらなければいけないことは、「音づくり」だと思います。そして、これさえきちんとやれば、学校は娑婆に 対して義理は果たせるのだとすら思っています。多くの人々は、放っておいても、勝手に英語の音を獲得してしまう英語フリークではないのです。英語フリーク は音を獲得するでしょうが、そんな人を「基準」にしてしまうのにはどこまでも逆らいたい。そんな人々が「基準」になるのであれば、英語フリーク(の親)に 税金をかけて、その金で学校の英語の授業はまかなってもらいたい。フリークではない人々に役にたつ授業をやらない限り、日本全国津々浦々、英語の授業に使 われている金の90パーセントからが無駄金なのです。

◆◆「型に入って型を出る」という場合の「出る」方をやっていない人なんじゃないでしょうか。「型に入って型に入ったまま」。
◆→ 少し端折ってしまいますが、音読の「次の段階」として、「出る」ことが必要だ、ということですか。

 音の相違はどんな言語でも相互に持つものですが、こと、シンタックスが根底的に異なる言語を「語学」としてやる場合は、日本の型の思想は大事だと思って います。素読というものの元にあるのも、型の思想だと思います。
 「型に入って型を出る」という場合、「型を出る」ことができるのは、型を修得し終わった場合です。型を修得し終わっていないで、「出る」などをやった場 合は、「型に入って」すらいない。実際そうです。「型に入る」ことすらできない人たちが、英語を長年やっているのにモノにならないとぼやいているだけの話 だと思っています。
 また、型に入ることをやれた人は、今度は型にとらわれて、型を守るようなことをやりだします。床の間主義という語で私が批判しようとしている人たちはそ ういう人たちです。この人たちは、「型に入ったまま」なのです。
 大きくとらえれば、「音読」の「次の段階」として、「出る」ことが必要だということでいいと思います。この場合の「出る」は、型から「出る」もあり、日 本から「出る」でもあると思います。あるいは、語学から「出る」であり、語学から出て、生活言語に渡り、英語もただの普通の言葉なのだと実感することでも あると思っています。
 このあたりをくらやみにして言葉にしていないのが、國弘正雄の駄目なところだと思ってもいます。



【7635】
【タイトル】中村さん(3)
【 日時 】03/06/10 2:56
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



◆◆音読が上手でしゃべらせると駄目っていうのは、外国へ行ってきたことがない人に多いのではないのでしょうか。
◆→ オレの問題意識は、音読のテストで、その人の英語のチカラの「全体像」を捉え、測定できるか、ということでした。この検定試験の受験者のうち、「外国へ 行ったことがある人」は、ほとんどいないと推測しています。

 中村さんの問題意識に戻りたいと思います。私が酔っ払って書いたため、論点が上滑りしたと反省します。
 私は、音読のテストで、その人の英語力の「全体像」はとらえられるはずだと思っています。問題文が初出の文であり、それが二度読み程度で音もイントネー ションも正しく音読できるなら、それで英語力は測れるという考えです。
 しゃべらせると下手という現象が現れるのは、それが「テストでしゃべらせられる」からであるということではないのかと思うのです。だって、二度読み程度 で、初出の文がまともに音読できるということは、その場で音とイメージを同致させることができるということを証明しているのですから、力は本物だと思いま す。
 まともに本文を音読できていないのに、その文に関する質問にまともに答えられるというのは、Jackie さんがおっしゃるように私にはよく信じることができません。ただ単に話し言葉に悪ズレしただけの簡単な馬鹿である可能性は高いと思います。

◆音読◎−英問英答△、音読△−英問英答◎といった極端な例が少なからず見られる、ということです。

 音読△−英問英答◎というケースがあったら、外国に行ったことがあるかないか聞いてみるべきだと思っています。推測ではなく、確認すべきだと思います。 ここをくらがりにしておくと、日本にいて英語をやる人たちの無駄なコンプレックスがいつまでも解消しないだろうと考えています。


◆◆ 自分で録音
◆→ 現在、その授業での発音のポイントを説明、全体で練習、個人練習、最後に練習の「成果」を録音、その録音を自分でモニターして、自分で発音のポイントがク リアできたか、できなかったかを確認して次のステップに行く、という流れで授業を進めています。本当は、モニター・チェック・合否の判断は、根石さんの おっしゃる「コーチ」がすべきシゴトだと思いますが、教師1対学生40の教室では、残念ながらままなりません。

 私も電話という機械は使っていますが、録音させて生徒が自分でモニターするようなことは特に奨めておりません。しかし、一人山形県の I村さんがそれをやっておられます。電話でのレッスンの全体をパソコン上の音声ファイルとして保存し、自分の練習をやるときに、レッスン時の私の読みを音 声データとして参照しておられるらしい。その時に、ご自分の読みも聞かれるでしょうから、自分の読みのモニターもしているということになります。そして、 この方は、非常に短期間に読みが改善され、すごいスピードで上達されています。学校が10年以上にわたってやってきて実現しなかった音を、実際に1ヶ月で 実現されています。
 生徒さんが自分で自主的に録音し、何をモニターしようと、それはいいことだと思っています。
 教師1対学生40の問題は、柴田さんがクリアされました。
 柴田さんがやられた方法が私はベストだと思っています。
 多分、この方法だったら、CDプレイヤーが一台あればできるので、機械にはまるで金がかかりません。

◆→ 「どうですか、うまく読めましたか」と聞くと、「ぜんぜんダメでした」という過小評価がとても多かったのですが、最近は、根石さんのおっしゃる、「自己決 定力」について自分の弱点を自覚したような学生からのコメントも増えつつあります。

 このあたりをもう少しお書きいただけるとうれしく思います。



【7634】
【タイトル】中村さん(4)
【 日時 】03/06/10 2:56
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



◆→ 英語でも、日本語でも、共通する「言語能力」がある、と思います。「日本語 (国語ではなく) 教育」の先生方とお話をする機会がけっこうあるのですが、ますますその感を強くしています。

 そして、この「言語能力」は学校の教室では作れないというのも私の認識です。
 「言語能力」は、学校の外にある。学校とはとことんソリが合わないと思います。
 馬鹿話としてしか受け取られないのを承知でまた書きますが、小学校はよく選ばれたまともな日本語のテキストを「素読」するだけでいい。まともな素読を成 立させようとすれば、余計な解釈なんかさせている時間はどこにもない。
 小学校で日本語の素読をちゃんとやれれば、中学で英語の音読はうまく成立すると思います。
 それらすべてが、生徒それぞれの「言語能力」の最大値を引き出すだろうと思っています。学校がやれることはその程度にとどまるのであり、「言語能力」そ のものを作るなんてことは逆立ちしたってできることではありません。生徒の中にあらかじめあるものに形を与えるなり、うまく引き出すことができるだけで す。「言語能力」という肝心要のものは、学校が作ることなどできないのだということに、学校はきちんと謙虚になるべきです。

◆◆大学の英文学なんぞ、95パーセント以上、エセ文学だと思っております。
◆→ オレ自身、外国語学部英語英文学科だったのですが、大学時代はまったく勉強しなかったので、学生として接触する「大学の英文学」がどのようなものか、知り ません。というより、「文学」というものがなんなのか、分からないのです。オハズカシイ限りです。

 この辺は酒の勢いで書いたところですが、とまた今日も酒の勢いを避けられずに書いておりますが、まあ、「大学の文学」とか「大学の英文学」という言葉自 体が、とてつもなく滑稽に感じられるというのも文学的感性というものではないでしょうか。
 なんというか、擦り傷に喩えて言えば、擦り傷をやっちまって、血が玉になってわき出してきている状態が文学であり、それを研究対象として客観化している のが大学の文学のお仕事であるから、それはかさぶた状態なのです。文学をやっているやつは痛いのだが、大学のお仕事では、もはや痛くはないのです。かさぶ たですから。
 中村さんは、広島の柳瀬なんかと違って、ちゃんと痛がってくださるので、それは文学なんじゃないでしょうか。どんな形をしていようがものごとは構わない ので、文字に書かれようが書かれまいが、文学はどこにでもある、と、かように考えています。
 危うい物言いですが、詩を書かない詩人はこの世にいるという考えです。
 「英文学」も、それを書いたやつはさぞかし痛かったのだろうと思うのですが、それを対象にしちまえば、痛くもかゆくもない。痛かったであろうというよう な解釈が出てくるだけのことです。
 戦後の日本にいて、英語なんぞという言語を語学の対象にすることが、痛くないはずはないと私は思っているのですが、英語できますというような得々とした ツラばかりがずらずらしていて、しょせん大勢は、政治・経済の奴隷どもなのです。英語が下手であることは価値のないこととイコールにされ、英語が下手であ ることの中に自分の英語のアイデンティティを探るような行為はまったく無視されてきております。ですから、戦後の日本の英語はすかんぴんだと思っていま す。それをまた、別の言い方で、「英語の回りは馬鹿ばっかし」と言ってきました。いくらなんでも、長年言うことをためらってはいたのです。しかし、誰も ちゃんと言いそうにないので、私は誰の怨みを買ってもいいから、自分で言うことにいたしました。



【7636】
【タイトル】中村さん(5)
【 日時 】03/06/10 2:57
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



◆◆絶対にバラバラにはできない。
◆→ 「言語能力」は、このバラバラにできない力「だけ」で成り立っている、という議論が1980年代に行われました。

 「言語能力」を構成するものとして、ただちに無機的に指摘できるものとして、語彙力などがあります。こんなものは、バラバラにできる。10知っている人 も20知っている人もそれぞれ、10や20を1に分割して、1が10あるとか20あるとか、バラバラにできる。
 私が「絶対にバラバラにできない」と言ったのは、現象する「言語能力」そのものではなく、その現象の元にある「能力」です。これは、絶対にバラバラにな らないと思います。これは、ある意味では歪んで現れる命の力そのものです。

◆しかし、このようなテストを使っていろいろな実験や研究がなされた結果、言語能力はバラバラにできない力「だけ」ではなく、バラバラにできる要素と、バ ラバラにできない要素の両方で構成される、という、現在におけるひとつの結論が引き出されてるというわけです。

 納得できます。
 しかし、すぐに私は理論から実際に帰りたくなるのです。
 学校は、バラバラにできる要素だけを扱ってきたのだ、と。
 バラバラにできない要素は、学校は「作る」ことはできない。それについてはすでに書きました。しかし、「作る」ことはできなくても、このバラバラにでき ない要素を、活性化させたりすることはできるはずです。
 そしてさらに、これを活性化させるために、バラバラにできる要素としての「音づくり」を外すことは許されないと考えています。それを外してしまうから、 意味やイメージとして活性化されたものが、外国人に通用しないで、非活性化されます。つまり、しょぼんとしてしまう。
 「音づくり」ひとつをやらないできた学校の授業の罪は大きいのです。

◆だけど Yoichi は、「よいち」でしょ。Yohichi は「よーいち」あるいは「よひち」でしょ。オレはね、「よういち」なの「よういち」っ!

 なるほど。私はこういう苦労はしていません。Neishi Yoshihisa っていうのの、Yoshihisa ってところが、ガイジンさんはとても発音しにくいらしく、Yoshi って呼んでいいかとよく言われますが、いつも「駄目だ」と答えています。冗談じゃねえ、Yoshi なんて。日本じゃ誰からもそんな馬鹿な呼ばれ方をしたことはねえんだ。「よっちゃん」と言え、「よっちゃん」と。ちゃんと「よっちゃん」と言えないやつ が、「よしひぃーさ」なんて「ひぃー」ってところにアクセントをつけて言うのは我慢する。我慢しています。
 ええと、ローマ字表記の問題でしたね。
 心中、お察しいたします。

◆→「選別」が全く必要のないものであれば、「選別のテスト」もやめてしまって良いと思いますが、現実問題として「選別」そのものは、必要だと思います。

 私は適否とか、向いてる向いてないという問題があるだけだと思っています。
 全員に同じ土俵で相撲をとらせる必要はないのに、高校入試だとかいう土俵をわざわざ作って、同じ相撲をとらせている。
 後になって、俺はこの方面に向いているんだと気付いた人がいた場合は、一切の年齢制限など設けず、挑戦できるようにするのも大事だと思います。そういう 人たちが競った結果を選別するのは構わないと思います。「好きこそものの上手なれ」という人たちだけを相手に選別するのですから。
 しかし、学校がやっている選別は、競争なんかしたくもない人たちにも競争を強制し、その上で選別をやらかすのですから、最初から犯罪です。
 世の中を維持するのに、「選別」があったほうがいいというのは賛成ですが、それはあくまでも世の中の理由です。うるせえ馬鹿やろ、競争なんかしたくね え、というココロは、それとは別にありうるし、それがあるところに競争を強制し、選別を行うのであれば、それは犯罪であると言っているに過ぎません。
 「選別」に対して前向きに「選別」された人もいれば、「選別」に対して後ろ向きのままに「選別」された人もいます。
 私は「後ろ向き」のままです。
 だから、既存の体制の外側に立ちうる私塾をやっているのです。
 組織の中や体制の中に就職しようと考えたことはありませんでした。



【7641】
【タイトル】暴れてしまいそうです (1)
【 日時 】03/06/10 18:12
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆「言語能力」を構成するもの 「絶対にバラバラにできない」 その現象の元にある「能力」
→「言語能力」の中にも、バラバラにできないものがあるという点と、さらに大きな意味の「能力」(根石さんのおっしゃる、「命の力そのもの」かと解釈して います) があるという点を、確認しておきたいと思います。かなりおおざっぱですが、「能力」と「言語能力」 (バラバラにできるもの+バラバラにできないもの) を総動員してコトバを使う、という捉え方です。

◆学校は、バラバラにできる要素だけを扱ってきた バラバラにできない要素は、学校は「作る」ことはできない。しかし、「作る」ことはできなくても、活性 化させたりすることはできるはず
→ その通りです。できることもやらないで、できないことを安請け合いしている、ということです。学校は、すぐに、できないことの安請け合いをやめて、できる ことを確実にやるべきです。

◆この「言語能力」は学校の教室では作れない 「言語能力」は、学校の外
→「言語能力」のうち、バラバラにできるもののいくつかは、学校の「内」にあり、直接的に教えることも不可能ではないとオレは考えています。
◆小学校はよく選ばれたまともな日本語のテキストを「素読」するだけでいい。
→うろ覚えなので、はっきりは書けませんが、どこぞの国の初等教育は、先生を中心として円座を組み、ただひたすら「教典」を聞き・読むことであり、そのこ とが、中等・高等教育での幅広い分野における能力伸長を確実に増大させている、という報告を読んだことがあります。
→小学校低学年の中心的な学習を、日本語のテキストの「素読」とすることは、オレも以前からずっと考えていたことでした。

◆「大学の文学」とか「大学の英文学」
→ここに「研究」という表現をつければ、根石さんのおっしゃっていることについて、思い当たることもあります。



【7642】
【タイトル】暴れてしまいそうです (2)
【 日時 】03/06/10 18:12
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆全員に同じ土俵で相撲をとらせる必要はないのに、高校入試だとかいう土俵をわざわざ作って、同じ相撲をとらせている。後になって、俺はこの方面に向いて いるんだと気付いた人がいた場合は、一切の年齢制限など設けず、挑戦できるようにするのも大事だと思います。
→「相撲はとらない」という選択も可能だし、否定されているものでもないと思います。また、高校入試に年齢制限はないのではないかと思います。
→今年の春、高校を受験した子供を持つ親のひとりとして、中学卒業後の進路選択は、あるべき方向にやや近づいた、と感じています。そして、その直接的な結 果的かどうかは分かりませんが、今年は「競争」が激しくなった例も多々ありました。
◆学校がやっている選別は、競争なんかしたくもない人たちにも競争を強制し、その上で選別をやらかすのですから、最初から犯罪です。
→この場合の「学校」は中学ですか、高校ですか、または、学校制度全般ですか?
◆うるせえ馬鹿やろ、競争なんかしたくねえ、というココロは、それとは別にありうるし、それがあるところに競争を強制し、選別を行うのであれば、それは犯 罪であると言っているに過ぎません。
→誰が「強制」しているのか、ということについては、慎重に考えてみる必要があるのではないかと考えています。高校に20年間、現在の職場で4年間、学校 と呼ばれる組織に24年間いるので、自己防衛的になっているのは否めませんが、「競争の強制」という側面から見れば、学校は、ナニカの手先だったのかも知 れませんが、主体的な行為者ではない、と思います。ナニカとは何か?もしかしたら、根石さんのおっしゃる、「娑婆」も、ナニカ関係があるのではないか、と 薄ぼんやり考えています。



【7640】
【タイトル】暴れてしまいそうです (3)
【 日時 】03/06/10 18:11
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆音読のテスト 「全体像」 英語力は測れる
◆しゃべらせると下手という現象が現れるのは、それが「テストでしゃべらせられる」からであるということではないのかと思うのです。だって、二度読み程度 で、初出の文がまともに音読できるということは、その場で音とイメージを同致させることができるということを証明しているのですから、力は本物だと思いま す。
→「全体像」、「英語力」という時に、また、「能力」とバラバラにできる「言語能力」とバラバラにできない「言語能力」の検討が必要になろうかと思いま す。「全体像」とか「英語力」とはいったいなんなのか、と、またフリダシに戻ってしまうのです。「全体像」には、スピーキング・リスニング・ライティン グ・リーディングの技術、音声・文法・用法などの知識などがどのように関連して含まれているのか、または、関連しないものもあるのか...、と果てしなく なってしまいます。
→オレがあげた極端な例が存在しうるのは、「音読の能力」と「テキストの表面的な意味把握の能力」が必ずしもリンクしない、ということがあり得るからでは ないかと考えています。
→これも極端な例ですが、今1才半になる息子は、まだコトバをしゃべりませんが、回りで話される日本語は、かなりの部分理解していると推測できます。3才 半になる息子は、絵本をそらで、自然な日本語で「読め」ますが、それは、おっかぁのマネをしているだけで、「ぐりはうみぼうずになんて言った?」なんて聞 いても「し〜らねっ」などと言ったりします。母語と外国語の習得する状況は違うかと思いますが、コトバを身につける段階は、常に「全体進行」の場合だけで なく、ある時は「部分進行」にならざるを得ないと思うわけです。直感的には、「読めれば」「意味は分かっているはずだ」と考えられますが、「読めても」 「分かっていない」ことも、自分自身、日本語でも英語でも体験しています。また「意味は分かっているつもりでも」「ちゃんと読めない」ことは、わりと頻繁 にあります。こういったことは、英語学習の歪みなのかもしれませんが、言語習得の個人差も考えあわせると、「あり得ない」、「不自然だ」と切り捨ててしま うわけにもいかない問題だと捉えています。
→このようなオレの推論は、もっときちんと調べる必要があるのですが、とりあえずは「音読のテストで測れないことがあるかもしれない」というのが、現段階 での、オレの立場です。



【7638】
【タイトル】暴れてしまいそうです (4)
【 日時 】03/06/10 18:10
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◆この方は、非常に短期間に読みが改善され、すごいスピードで上達
→この方の方法が本当に有効な方法かどうか、調べると面白いかも知れないですね。

◆「自己決定力」について自分の弱点を自覚したような学生からのコメントも増えつつあります。このあたりをもう少しお書きいただけるとうれしく思います。
→自分の録音をモニターして、ポーズを置くべき場所がずれていたり、文のイントネーション、語のアクセントなど、具体的に自分自身で把握した、といったコ メントです。漠然と「ヘタクソです」とか「ぜんぜんダメです」といったコメントよりも、少しは次の課題への取り組みを促す効果があるのではないか、と期待 しているところです。これは、山形の方にも、ご体験をお聞きしたいところですね。

◆日本の型の思想 素読というものの元にあるのも、型の思想
→「型」の重要性について、同感です。
◆「型を出る」ことができるのは、型を修得し終わった場合
◆「音読」の「次の段階」として、「出る」ことが必要だ
→ある意味、象徴的に書きますが、音読を型の修得、英問英答を次の段階、と解釈するということですか。だとすると、音読◎で英問英答△という論理は不自然 ではないか、というお考えは分かります。しかし、オレは、音読も英問英答も、型の修得の中にある、と考える立場です。

◆学問 娑婆のリアルな動きとは別にあっていい 大学に収まりがいい程度のもんなら、蹴飛ばしてかまわない
→同感です。繰り返しになりますが、そういう意味では、オレはガクモンの中にはいない、と考えています。オレがやりたいことは「じゃぁ、どうすればいいの か」という、目の前の「実際」をなんとかすために、どうしたら良いのかを考えていくことです。なんだか、ちょっとエラソーで、イヤミにも聞こえますが、し かし、今できることを、今やることがとても重要だと思います。

◆そのがんじがらめ自体が ちゃんとくだらないものをくだらないと言う人がろくにいない それを言っちまいませんか。
→今までも、できる限り言ってきたつもりですが、これからもどんどん言いましょう。ただ、がんじがらめを解くことは、そうカンタンではなく、たまぁ〜に、 虚しくなって、焼酎呑んで暴れたりしてしまいます。どうして、「みんな」分からないかなあ、おいたち「みんな」が、結局いちばん、わかってねぇんじゃねぇ のぉ、などと、毒づいたりしてしまいます。しかし、その「みんな」に分かってもらうためには、「みんな」を責めてるだけじゃ、道は開かない、ということも 分かっているつもりではありますが...。

◆教員養成 大学の教員養成課程 文部科学省
→しかし、現実問題として、その実態がなんであれ、教員免許状がなければ、学校での英語教育に携わることができません。そして、「これからの英語教師」よ りも圧倒的に数が多いのは「これまでの英語教師」です。
→もしかしたら、オレの生きているうちには、ぜんぜんダメかもしれません。また、今晩も暴れてしまいそうです。(さっき、近くのスーパーかすみで、ウナギ のきも焼き2本200円を買ってきておきました。)

◆同感です。少し恥ずかしい程度でなく
→ホントは「うんと恥ずかしい」のですが、結果として、個人としては、そうさせないことに対してなんにもできなかった、ということを差し引いて、「少し」 と書かせていただきました。



【7639】
【タイトル】暴れてしまいそうです (5)
【 日時 】03/06/10 18:10
【 発言者 】中村よういち[Profile 長野県に住む40代の男性の方]

◎◎◎ Jackie さん ◎◎◎
◆中村さんと根石さんの往復書簡楽しく拝見しています。
→メッセージありがとうございます。よろしくお願いいたします。
◆これからはライティング力も必要になってくる
→インターネットの普及で、「書いて伝える」機会が飛躍的に増えています。ぎょうぎょうしい「英作文」ではなく、「自分の言いたいことを手で使って書く」 という表現はまさしく、その通りだと思います。

◆はやりのコミュニカティブな授業気分 AET 英語で授業 主役は生徒
→先生だけが疲れる授業はダメだと思います。先生はラクして、生徒がヒィー・ヒィー言う授業じゃなくてはダメだと思います。そして、オレは「ラクするため にはどんなに苦労してもいい」と思ってやってきました。
→5年前に、「ALT は教室で authentic English を使っているか」という、はじめっから結果の分かっているようなアンケート調査をやったことがあります。結果は、ご想像通り、 ALT (最近はAssistant Language Teacher とも言うようです) は、「手加減した、速度の遅い英語を使っている」となりました。そうだったら、ALT ではなく、日本人教師を、もっとマシにトレーニングして使った方が現実的なのではないか、ということを言いたかったのです。もし、ALT の制度を継続するとしたら、もっと効率の良い方法を考えるべきだと思います。

◆音読ができても質問に答えることができない 読むのはうまい。しかし意味と一致していない。イメージとしてとらえることができないから質問に答えられな い。
→まさしくその通りだと思います。ですから、音読のテストだけでは、「読むのはうまい」が「イメージとして捉えられていない」人の英語の力の全体像はつか めないのではないか、と考えたわけです。反対に、「質問には、(黙読・音読と複数回読むチャンスもあったので) 問題文の再生でなんとかしのげる」けれども、黙読のチャンスだけでは、自然な音読ができないという場合についても、それを特定するテストが必要ではないか と考えている次第です。

◆中学生あたりは英語音でよむことがきはずかしい
→これについても、その原因はなんなのか、と慎重に検討すべきだと考えています。「英語の授業だから、英語の音を身につけるために、恥ずかしがらずに、意 識して英語を発音しましょう」と、当たり前すぎることを、唾飛ばして言わなければならないのはなぜか。どうして「恥ずかしがる」必要があるのか。「けっ、 いぇらそーにっ。何がエイゴらしい発音だぁ、ばぁか。」というキモチを生じさせるのはなんなのか。そして、その恥ずかしさは、イケナイことなのか。「雰囲 気づくり」で解決するのか、それとも「国民性」や「恥の文化」、「個性」、「ことなかれ主義」なんかも動員して考えなければならないのか...。
→世間の流行に身を任せて買った、ハリー・ポッターのビデオを、数知れず、何回も何回も見て、このあいだ、オレなんか絶対マネできないくらいのすばらしい 音で「ハェァリィー・ポァォタァ」と発音していた3才半の息子を見ていて、いつか、おめぇも「けっ、ばかかぁ。何がエイゴだぁっ。」とせい出す日もくるか もしれないなぁ、とまた虚しくなったりしました。



【7648】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/06/12 1:58
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



 メールをありがとうございました。
 社会人向けのレッスンは、月曜日夜8時から素読舎で開かれておりますが、
定員が5名で、現在定員をオーバーしております。しかし、このクラスは定員
オーバーになっても、新しいメンバーを迎えることができます。というのも、
このクラスと「電話でレッスン」は連動しており、5名の定員をオーバーした
分は、交替で「電話でレッスン」を受講してもらうような規約になっているた
めです。
 具体的には、現在は7名の方が月曜日のクラスを使われており、交替で二人
ずつ「電話でレッスン」に回っていただいています。
 使ってみていただくとわかりますが、あくまでも一対一のレッスンですので、
定員5人でも少し多すぎる感じなのですが、ひとまず定員5人でやっておりま
す。

 お薦めは、やはり「電話でレッスン」なのですが・・・。
 飯盒でご飯を炊くときに、「始めちょろちょろ、中ぱっぱ」という言い方が
ありますが、素読舎での月曜クラスは「始めちょろちょろ」の段階の練習に終
始します。いずれはどこかで、「中ぱっぱ」に突入していただく必要があるの
ですが、これは月曜クラスでは無理があります。月曜クラスは、あくまでも導
入用のクラスとしての位置づけです。
 月曜クラスは妻がやっており、その後の「ごつごつ英語ごっこ」というのに
は私も参加しています。また、妻も私も「電話でレッスン」をしておりますが、
妻は昼間勤めを始めましたので、現在は枠を増やすことができません。
 私の枠は、火曜日夜8時20分〜8時50分と、同じく火曜日11時〜11
時30分の枠が二つ空いています。

 ひとまず月曜クラスから始めていただくとして、いずれは「電話でレッスン」
への移行を是非ご検討いただきたく思っています。「電話でレッスン」の方が
はるかに密度の高いレッスンができます。

 以上ですが、お考えをお聞かせください。

 根石吉久



【7649】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/06/12 2:01
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



 ご連絡が遅くなりましたが、火曜日夜11時〜11時30分のレッスン枠が
空きました。ご都合がよろしければ、レッスンを始めることができます。ご連
絡をお願いいたします。

> 根石さんのHPを拝見したところ、「英語どんでんがえしのやっつけ方」
> での考え方は「電話でレッスン」のテキスト類に載っているとのことです
> ので、「電話でレッスン」を予約することにしました。

 「英語どんでんがえしのやっつけ方」での考え方に基づいてレッスンをして
いるのは確かですが、レッスンのテキスト自体にその考えが書かれているわけ
ではありません。よろしければ、「英語どんでんがえしのやっつけ方」をお求
めいただけるとうれしく存じますので、ご住所をお知らせくださるようお願い
いたします。

> TOEICは925点、ちなみに留学経験もあるので「ゴースト」からで
> 問題ないと思います。

 最近は力のある方のレッスンが増えてきて、こちらもおたおたしながらやら
せていただいています。
 留学経験はどのくらいの期間に渡ったものでしょうか。もしかしたら、私よ
り英語のできる方なのではないかと思っています。
 私のレッスンは、日本語の磁場の存在をはっきりと意識して前提としている
ものです。
 在英語圏の経験を持たれ、再び日本に暮らして、日本語の磁場が英語を錆び
付かせる強力な力を自覚されている方には向いていると思います。日本語の磁
場の作用をはっきりと意識して、方法に組み込んである一点が、非力ながら、
上級者に対して私がレッスンを行う場合のレッスンの存在理由となります。

 お返事をお待ちしております。

 根石吉久



【7651】
【タイトル】こみゅにかてぃぶ いんぐりっしゅ
【 日時 】03/06/12 23:39
【 発言者 】Naima[Profile 奈良県に住む方]
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs



英語が流暢にしゃべれるとか、ネイティブスピーカー並みにしゃべれる、とか、国際人として丁々発止と英語で渡り合えるとか、そういう事を目指したい人は、 そうすればいいんですが...

英語に自信のある自称上級者の中には、一方的に自分の言いたい事ばっかり言ってる人もいます。 口を差し挟む余地もなくて、「もうこんなんとは二度と話た くない」と思う事が多々あります。 話し相手に疎まれて、何が「こみゅにかてぃぶ いんぐりっしゅ」やろ。英語が流暢にしゃべれる事がひたすら嬉しいんやろか、と思います。 流暢にしゃべれる所をちょ〜っと見せたいって風な人もいて、 「なんやねん」と思ったりする今日この頃です。

今日、久しぶりにある友達と電話で話したのですが、英語講師の彼女は「一日中、ダイレクトメソッドで英語をしこんでいる幼稚園があり、それが効果を上げて いる。」と言って賞賛していたのですが、日本語もおぼつかない幼児を英語漬けにする幼稚園も幼稚園やけど、そんな事を賞賛する神経もどっかおかしい...

英会話講師の中には、日本語が出来なくても仕事が出来る、と思っているフラチな奴もいます。 日本で仕事したい外国人は日本語の勉強せい! 日本に来て英 語が通じへんと文句言う旅行者は、金を払ってガイドを雇え! そんなやつらにおもねて、なんで日本人が英語を勉強せねばならんのでしょう。

国際的に通用するって、そういう事なん?



【7655】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/06/13 1:05
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs



 お返事をありがとうございました。

 「電話でレッスン」は、福岡・札幌・奈良・京都・東京・山形など遠隔の地の
方に受けていただいていますが、長野にも生徒さんがいます。中野に3人、長野
市内に4人おられます。
 「電話でレッスン」を受けてくださるとのこと、うれしく思います。
 もちろん、「電話でレッスン」からスタートすることは可能です。

 現在の力を知りたいのですが、英検とかTOEIC などの級や得点などありました
らお知らせください。

 現在は、二つのコースがあり、まったく元からやりなおす方には、中学の教科
書(ニュー・ホライズン)をテキストとしています。中級前半以後、上級までの
方には、映画「ゴースト」のシナリオをテキストとして使用しております。

 多分、「ゴースト」でいけると思っているのですが、英語の力を推し量るのに
参考になるようなものがありましたらお教えください。

 火曜夜11時から30分間のレッスン枠に、レッスン開始予定である旨、記載
したいと思いますので、レッスンに使用する電話番号をお知らせください。

 また、シナリオ「ゴースト」を書店でお求め下さるようお願いいたします。
 出版社:スクリーンプレイ
 書名:ゴースト(ニューヨークの幻)

 テキストが手に入りました時に、再度メールをお願いします。
 ひとまずテキストさえ手に入れば、レッスンを開始できます。

 レッスン代金は、月額1万2千円です。郵便振替の振り込み料も生徒さんにご
負担願っています。

 個人レッスンのため、お金がかかるのが恐縮ですが、実質はあると自負してお
りますので、是非お試し下さい。

 月額1万2千円は、今年4月からの代金です。ホームページの古い記事に1万
円という額が訂正されずに残っておりましたら、悪しからずお許しください。
 現在はホームページの更新はほとんどなく、もっぱら掲示板「大風呂敷」の方
に書いております。料金の改定も、「大風呂敷」の方で発表させていただきまし
た。
 「大風呂敷」は以下のところにあります。是非、ご覧ください。
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru


 根石吉久



【7658】
【タイトル】質問です
【 日時 】03/06/13 22:14
【 発言者 】I村[Profile 山形県に住む20代の男性の方]

what's this chair doing here?
などで、what'sのあとのthisが非常にニガテなのですが、
sを発音せずにそのままtに移行してはいけないのでしょうか。



【7663】
【タイトル】I 村さん
【 日時 】03/06/14 3:17
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

>what's this chair doing here? などで、what'sのあとのthisが非常にニガテなのですが、sを発音せずにそのままtに移行してはいけないのでしょうか。

 s や z は th より強い、と理解しています。
 ts も th より強いと思います。
 「強い」というのは、その音が省かれることがないという意味です。

 で、 what's this における ts と th では、「歯先に近い歯の裏」で ts と th をたて続けに発音してみることを試してみて下さい。
 th は歯先で出すのが本来の位置ですが、「歯先に近い歯の裏」でも出ます。
 試してみて、うまくいかないときは再度ご質問ください。



【7673】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/06/21 0:50
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

つっかかった本日。 投稿者:かまととKぼん  投稿日: 6月20日(金)22時29分28秒

なかなか、ここのところ、手につかないような考え事が多く、大きな比重で頭を占め、
ついつい一週間が経ってしまってました。 おじさんには何回も同じことを言わさせてしまい、大変申し訳有
りません。。

今日、お昼に外人さんが後ろに居て、お昼に買うお金のことをなにか話していました。
そのように感じました。 単語1つ1つが分解されて聞ける様になってます。
電話のレッスン。凄いです。
ここに来て良かったです。



【7674】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/06/21 1:09
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

Naima さん、Rosey さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月21日(土)01時08分21秒

>>発音に気を配って読んでいるのがわかる。 最近、William が発音を訂正しなくなったと思
わん?

>わかる?さすが。でも気にするとね、萎縮する。先生、一応”Good!”とは言ってくれるよね?
でも、それ以上のほめ言葉を発してくれるようになった気がするでえ。

 これ、もしかして、「電話でレッスン」の成果があったということだと考えてもよろしいので
しょうか。そうでしたら、私はとてもうれしいのですが。



【7675】
【タイトル】「夕焼け小焼け」から転写
【 日時 】03/06/21 3:54
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

大工日録

 昼起きる。
 午前中に婿が小屋の壁の転び止めなど処理しておくものと思っていたが、何もやってない。ふう。小姑の気持ちになるが、何も言わない。
 娘、婿、俺で、昼飯を食う。
 腹がこなれた頃、現場に行き、あるだけの材料で小屋の壁の4枚目を作る。途中で、材料が足りなくなったので、カインズへ。
 ツーバイフォー3.6メートルもの、480円、15本。ツーバイエイト3.6メートルもの、1180円、3本。針葉樹合板5枚、買う。「なんか飲みたく ない?」と智ちゃんが言うので、「飲みたい」と答え、カインズの正面玄関で、俺が持たせて智ちゃんが持っている金のうち200円を出させて、飲み物2本買 い、一本ずつ飲む。
 変な天気の日だ。強い雨が降っているときにカインズに入り、材木を軽トラックに積んで、飲み物を飲んでいる間に、また強い日差しになる。寒かったり暑 かったりである。
 現場に戻る。続きをやっているうちに、考えるのがいやになる。
 だるい、いやだ、考えたくない、と思っていたら、智ちゃんが、理屈通りに寸法を出しても、大した狂いにはならないと思うと言ったので、木の切れ端に数字 を書いて、3回ほど4桁の引き算をやった。
 軽トラックの時計を見たら、大急ぎで帰宅しなければならない時間。現場の道具類を片づけるのを後回しにしたものを全部智ちゃんにやらせることにして、道 具類をほったらかしのまま、智ちゃんに家まで車で送らせる。
 帰宅後、シャワーも浴びずにレッスンの仕込みに入る。
 Kぼんが寝ているところをまた電話で起こした模様。寝起きの頭で、よくやるわと思うが、けっこうよくやる。昨日はまるで掲示板の読み書きをしないで、 「あしたのジョー」を読みながら寝た。Kぼんは、フェンネルをクラムチャウダーに入れて、おいしかったとレッスンの後の無駄話で言っていたが、残りのレッ スンが3枠もあるので、我慢してレッスンをやろうと覚悟する。Naima さんが、多分、William からだと思うが、発音がよくなって、とても natural だと褒められたそうだ。そのこと、「鬼」http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbsに書いてあったのを読んだけ ど、それ、もしかして、俺の「電話でレッスン」を受けた成果かなあ、と聞いたら、そうだと思うと Naima さんは言った。
 じゃあさ、俺、しらばっくれて、「もしかして、それ、俺の「電話でレッスン」の成果でしょうか」って、「鬼」に書くから、それに対して記事を書いてくれ ない?と頼み、OKをもらう。だから、今日「鬼」に書いたものは、俺がしらばくれて書いたものなのである。
 Y高校教諭のMさん、このところ抜群に発音がよくなる。こちらの成果もうれしい。Mさんは、カタカナ発音に戻る傾向が非常に強いので、[ae] と[狭い音] に関しては、カタカナ発音に戻るたびに必ず注意していたが、今日は二つ三つ[狭い音]のところを注意しただけで、注意すべきところが非常に少なくなってい る。

 まゆみ遊びに来る。
 波板トタンをカインズより安く売れないかと聞くが、カインズの値を言ったら、まるで無理だとわかる。

 まゆみが夜中に帰ったので、掲示板を読む。
 I 村さんの奥さんが流産したという記事を読み、しばし絶句する。
 なんだか自分が浮かれているようで、申し訳ない気持ちになる。
 合掌し、合掌と書いた。



【7676】
【タイトル】「夕焼け小焼け」から転写
【 日時 】03/06/21 3:56
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

(無題) 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月21日(土)02時07分55秒

>要するに物質主義の事を言いたいのよ、と教えてくれました。

 書きながら、「物質主義」という言葉が後頭部の後ろのあたりにさまよっていたような気がし
ますが、書いているときはその言葉が出てきませんでした。申しわけありません、もってまわっ
たような書き方をしました。でも、「物質主義」と言ってしまうと、私は再度メビウス状態にな
ってしまって、言霊と反応しているものも脳内の物質だしとか、湿気を感じて不快になったり、
微風を感じて快適だったりするのも、皮膚感覚と脳内物質の連携作業だしとか、皮膚感覚と脳内
物質の連携は俺の体内に限られた作業であるにしても、湿気そのものや微風そのものは、俺とは
別に、俺がいてもいなくてもそこにあるものだろうし、だからまったく客観的にそこにあるもの
だろうし、とか、快・不快は、単なる主観みたいだが、客観と主観(皮膚感覚)とがアウフヘー
ベンされた位置にあるので、快・不快の方が高次な次元のものだとか、それに対して、西洋がブ
ツを元にした場合は、ブツは快・不快の下位にあるとか、ブツを元にするのは、人間と自然を隔
離して、人間を元に神を発明したからだとか、それに比べるなら、東洋は人間と自然を隔離・分
離しないで、人間を元になどせず、人間を自然の元に置いた、など、考えはいよいよ怪奇なもの
になっていきます。

 まあ、しかし、「物質主義」という語で、見事に要約していただきました。
 壮大な構築物の元をキリストの「精神」としているせいか、物質に対してヨーロッパはあから
さまです。最近の若い人はちょっと違ってきているように思いますが、西洋人は、家畜や東洋人
を物質と見ているところがあります。
 このあたりで、私はでかい喧嘩をヨーロッパのやつと何度かやっております。



【7677】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/06/21 4:07
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

ささらほうさら 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月21日(土)04時04分19秒

っていう信州新町方言は、「ちゅうっくれ」っていう善光寺盆地方言で翻訳可能だと思います。「ちゅうっくれ」は知っているよな。
だけど、翻訳の難しさってあってさ、Kぼんの今日のレッスンが「ちゅうっくれ」だったのではなく、あくまでも「ささらほうさら」だったのです。
多くの場合、「ささらほうさら」は「ちゅうっくれ」で翻訳可能ですが、「ささらほうさら」は「気もそぞろ」っていう感じも含んでいて、「ちゅうっくれ」よ りもやさしい言葉です。

余計わけわかんなくなるだろ。
「説明」ってのはそういうもんなんだ。



【7680】
【タイトル】切断読み
【 日時 】03/06/23 0:08
【 発言者 】I村[Profile 山形県に住む20代の男性の方]

やってみようと思いましたが、いきなりつまずいてしまいました。
「There's gotta be at least seven or eight feet up there.」
が、訳せません。特に、「gotta」の意味がさっぱりです。
学生の頃から、「get」は苦手な単語でしたが、今になってまた
苦労するとは。お恥ずかしい限りですが、教えてくださいませ。



【7681】
【タイトル】I 村さん
【 日時 】03/06/23 1:49
【 発言者 】根石吉久
【 リンク 】http://8246.teacup.com/nessy/bbs

>「There's gotta be at least seven or eight feet up there.」

 there is, there are というのはご存じですね。
 「〜がある」という時の、there is, there are です。
 have to, has to というのもご存じですね。
 「〜しなければならない」という時の、have to, has to です。
 これは、「〜するに違いない」という意味も表せるのだろうと、上の文から帰納しています。

 have to は have got to という形になることがよくあります。
 同じく、has to は has got to という形になります。(アメリカ英語に多いのではないかと思います。)

 got to は口語で崩れて、gotta と発音されることがあり、このテキストでは崩れたものをそのまま表記しています。

 there is が短縮されて there's となるのはご存じだと思いますが、there has も短縮され、there's という同じ形になります。

 引用されたのは、これらがからみあっています。

  there are
→ there has to be 「に違いない」 to の後だから不定詞で動詞は原形(be)
→ there has got to be  意味的には has to be と同じ
→ there's got to be  there has が短縮されて there's
→ there's gotta be   got to の崩れ gotta

 以上の解析で理解できればそれでいいし、理解できなかったら再度ご質問下さい。
 何か間違った説明をしているのを発見された方は、ご教示ください。



【7683】
【タイトル】回転読み→回転書き
【 日時 】03/06/25 18:52
【 発言者 】I村[Profile 山形県に住む20代の男性の方]

根石さんが勧めてくださっているのは「回転書き」ですよね。
「どんでん」にもやり方は書いてありましたし、早速今日から
試そうと思います。先日から切断読みをやっていたのですが、
なんというか、イメージが全くできず、家中のガラスを割りたい
ような衝動に駆られて大変でした。今更ながら、英語の習得って
大変だと思いました。



【7684】
【タイトル】ところで
【 日時 】03/06/25 18:55
【 発言者 】I村[Profile 山形県に住む20代の男性の方]

there are  からの変化の場合
there have になるのでは、と妻に言われたのですが、
どうなのでしょうか。
なんかもう、中学生みたいな質問ばっかりで・・・。



【7687】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/06/26 8:59
【 発言者 】Naima[Profile 秘密に住む秘密の秘密の方]
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

I 村さん(「大風呂敷」用) 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月26日(木)02時26分21秒

解決しましたでしょうか。
「切断読み」もいいですが、まずは「回転読み」を試してみて下さい。
 テープレコーダーに自分で数十回から百回程度、同じ文を繰り返し吹き込んで録音し、それを再生しながら、同じ文を書き続けるという練習です。この時に、 外してはならないことは、自分の手首から繰り出される文、語法、語のいちいちをはっきりとイメージ化しようとする意識の使役です。前置詞や時制なども、イ メージ化できます。概念化だけではつかめないと思います。
 また、「回転書き」の下準備として、「電圧装置」があります。「電圧装置」の下準備として、同じ単語を数十回、言いながら書き続け、イメージを意識に保 持しようとする練習があります。広告の裏などを使ってできますので、ボールペン一本を買うお金以上のお金はかけずにできます。



【7688】
【タイトル】中村さん(1)-「鬼」から転写
【 日時 】03/06/26 9:01
【 発言者 】Naima[Profile 秘密に住む秘密の秘密の方]
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

 大風呂敷用 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月26日(木)02時28分23秒

先日は、拙書を大量にお求めいただきありがとうございました。
 新しい学部ができて、英語の先生になるつもりの学生さんに対する刺激になるなら、私としては思いもかけなかったことで、うれしいです。中村さんは、先生 の卵の先生をやるのに適任だと思います。是非、新しい学部の方で活躍されることを願っています。

 その後、音読○しゃべり△、しゃべり○音読△、という相互に逆の現象となって現れるものに関してとぎれとぎれに考えておりました。
 当初、日本の外に出て、しゃべることに慣れた経験を持つか持たないかが主な原因じゃないかと考えておりましたが、このことも音と意味の分離・背反の問題 なのじゃないかと思い返しました。
 もしも、受験者のほとんどが日本にだけ在住していた人たちであって、その人たちの間に、音読○しゃべり△、しゃべり○音読△という逆の現象がくっきりと 現れているなら、やはり音と意味の分離・背反、音と意味の同致(一致)の問題だと思われます。

 日本において語学を論じるものに、音と意味の分離・同致の問題を正面から取り上げたものを読んだことがありません。しかし、ここを外して、どんな上等な ことを言ってもダメなのだという判断が私にはあります。

 これは、ネイティヴ言語獲得過程を語学においてもなぞれるものとするような俗流学説や俗流学説の亜流などが跋扈していることと根は同じなのだと思ってい ます。
 ネイティヴ言語獲得過程と語学の過程が同じなのは、ともに生きている人間に現象すること、すなわち、意識というものの活力を使うというだけで、後はこと ごとく相互に逆の性質のものです。
 とりわけ、音と意味の関係において、ネイティブ言語獲得過程においては、音と意味を合体させる力は、言語を獲得しつつある個体をとりまく磁場の力におお きく依っています。この場の力によって、幼児の意識において、音と意味が「自然に」合体していきます。知恵熱を出すくらいですから、なかなか大変なことで はあるのですが、それでも、音と意味は「自然に」合体していきます。これは、幼児の意識の力が半分、磁場の作用が半分と見ていいくらいに、磁場の力に大き く依っているものだと思います。
 このような磁場からの支援が得られないのが、例えば日本における英語の学習です。
 (アメリカ在住で英語を学習するなら、磁場からの支援が得られます。)
 この観点からすれば、アメリカ在住の英語学習で得られた英語力と日本だけで作った英語力を同列に並べてその優劣を言うようなことは一切何の意味もありま せん。
 必要なエネルギーは、流れとともに泳ぎ下る魚(あるいは流れの中で静止するように泳ぐ魚)と、流れに逆らって泳ぎ登る魚が使うエネルギーが違うほどに違 う。日本語の磁場で作られる英語は泳ぎ登る魚以外のものではない。しかも、ゆったりした中流ではなく、結構な急流を泳ぎ登る魚にならないと日本で英語をも のにすることはないでしょう。
 で、ネイティヴ言語獲得過程においても、アメリカ在住で英語を学習する場合においても、磁場はその磁場の当該言語を支援します。日本語の磁場は、日本に おける英語学習の成果をむしりとります。鉄なら真っ赤に錆び付かせる作用が、日本語の磁場にあります。
 一方には語学という行為を支援する力が働き、一方には語学という行為をむしばむ力が働いています。このことをはっきりと言明する論をかつて目にしたこと がありません。隔靴掻痒という感じで、きれぎれに言及したものは読んだことがありますが、まったく正反対の力が働いているのだとして、英語の磁場と日本語 の磁場に同じ重量を与えた論を目にしたことがないのだということです。話が逸れておりますが、ごかんべんを。
 日本の型の思想は、能、歌舞伎の芸能、空手、相撲、柔道などのスポーツ(?、元武術)、茶道、華道、盆栽などをもすべて貫いています。素読や音読にさ え、それは入ってくると思います。いや、素読の場合は、はっきりと型の思想によるものだと思います。
 で、音読○しゃべり△の場合、型の思想が英語学習に反映したものだと見ることができるのではないでしょうか。しゃべり○音読△の場合は、型破りの思想の 持ち主の所業であると。。。



【7689】
【タイトル】中村さん(2)-「鬼」から転写
【 日時 】03/06/26 9:02
【 発言者 】Naima[Profile 秘密に住む秘密の秘密の方]
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

中村さん(2)  大風呂敷用 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月26日(木)02時29分10秒

 このことと、音と意味の分離・同致の問題は関係があると思うのです。
 型の思想は、語学学習において、とりわけ日本語の磁場における英語学習(その他ヨーロッパ系シンタックス言語の学習)において、大事なものだと思うので すが、型の思想には型の思想の落とし穴があり、型だけ完成して万事成ったと思ってしまうということがあります。この場合に、音読○しゃべり△が現象するの ではないかと思ったのでした。つまり、音と意味の合体がなされていないか弱い場合の現象だと思います。
 逆に、しゃべり○音読△は、型なんかどうでもいいというように思う人にあるのではないでしょうか。私が見聞した限りでの話ですが、こちらにはこちらの落 とし穴があり、どうも話がうすっぺらだという印象があります。ぺらぺらと、よくまあ、あんた、しゃべるね、とは思うものの、その人と話していたいと思った ことはありませんでした。
 で、音と意味の合体について言えば、しゃべり○音読△の人の方が、よく合体してはいるのです。音読○しゃべり△の人は合体していないか、合体に時間がか かる。
 で、好き嫌いを言わせてもらえば、私は合体に手間取る人の方が好きです。しゃべれるようになるなら、ずっと内容のあることを言える人だと思います。
 しかし、語学においては、音読○しゃべり△の人の方が日陰者扱いされています。
 ここをどうするのか。
 私には、アメリカの学説などを参照している暇はまるでありません。
 音と意味、この一点に絞ってしばらくは考え続けてみたいと思っています。

 音読としゃべりの○△問題も、音と意味の問題なのだと今は考えています。
 夏はお忙しいとお聞きしましたが、時間がとれるようになってからで結構ですので、ご意見をお聞きしたいと思います。
 よろしくお願いいたします。



【7691】
【タイトル】I 村さん-「鬼」から転写
【 日時 】03/06/26 9:05
【 発言者 】Naima[Profile 秘密に住む秘密の秘密の方]
【 リンク 】http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

夕焼け小焼けから転写 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月26日(木)02時56分11秒


いまだ「大風呂敷」に書けず 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月26日(木)02時53分15秒

 どういうわけか、「大風呂敷」に書いて投稿すると、一見送稿されたように見えるのですが、掲示板には表示されません。

I 村さん

 there are だったら、そこに have to か has to が加わった時に、 there have to の形になるはずだという奥様の論理は、なるほどその通りですね。
 いけね、「鬼」に書くべきものをこっちに書いている。
 どなたか、「鬼」に転写していただけますでしょうか。いや、ここから「鬼」には俺でもできるのだった。どうも混乱しております。

 で、
 there are が there's gotta の元にあるとの想定は、feet という語が foot の複数形だからという理由でした。しかし、seven or eight feet という語群は単数の観念を表せるのかもしれないと考え直しています。これは、形は確かに複数を言う語なのですが、観念としては、距離の大きさそのものとし て「一つ」のものと扱われ得る、と。
 迷いが生じています。宿題にしてください。論理的には、奥様のおっしゃる通りなのです。

 しかし、there's gotta be を分解した場合に there is gotta be ではなく、 there
has gotta be であるだろうとはやはり思っています。



【7696】
【タイトル】メールから転写
【 日時 】03/06/27 2:06
【 発言者 】根石吉久

メールありがとうございました。
お返事が遅くなりましたこと、お許しください。
忙殺されており、なかなか思うように時間を使うことができません。


 「英語のやっつけ方」はもちろんお送りできます。少部数ですが、
小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」が手元に残っており
ます。「英語のやっつけ方」はその種本となったものです。小学館文
庫の方をすでにお持ちであり、そのうえで、「英語のやっつけ方」を
お求めになられたいのであればこのうえなくうれしく思いますが、小
学館文庫をお持ちでないなら、こちらをお求めになられる方がよろし
いかとも考えました。こちらの方が値段的にも安く、一部読みやすく
書き直してあります。

 「回転読み・技法グラウンド実演テープ」は現在品切れです。最近
は、掲示板「大風呂敷」
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
にばかり書いており、ホームページの更新はさぼり続けており、記事
が古くなっております。ご迷惑をおかけしました。
 元のテープはありますので、ダビングすれば新しく作ることはでき
るのですが、内容的に気に入らないものになっており、できればいつ
か別の形で作り直したいと思っているところです。
 特に、「技法グラウンド」に関しては、私がやっている「電話でレ
ッスン」を受けておられる方には、何ヶ月目かに、ああ、なるほどと
わかっていただけていますが、単に一場面を切り取ってテープに録音
しても、伝わらないのだと認識しなおしており、今はどなたにもお送
りしておりません。

 「電話でレッスン」をしながら、生徒さんに対して練習のアドバイ
スをしたものを録音しています。こちらに関しては、まだヴォイスレ
コーダーというものに収録しただけですが、いずれどなたにもお分け
できるようにしたいと考えています。よろしければ、こちらをお求め
いただけたら幸いです。

 再度、ご連絡をお願いいたします。

 根石吉久



【7697】
【タイトル】メールから転写
【 日時 】03/06/27 2:24
【 発言者 】根石吉久

 お返事が遅くなり申しわけありません。

 本の代金は、郵便小為替がありがたく思います。
 確か50円刻みであったと思いますが、送料込みで600円分をお送り
いただければ結構です。

 お読みいただいての感想を、「大風呂敷」
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
あるいは、「回転寿司・鬼」
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
にお書きいただければうれしく思います。

 喉の方は大丈夫ですか。
 以前にも、音読をやりすぎて喉を痛められたという方にお会いしたことが
ありましたが、喉から口の筋肉の方に力点を移動させてみてください。
 また、息を吸う時に、ほんのわずかいつもより余計に吸うことをやってみ
て下さい。やっているうちに腹式呼吸ができるようになると思います。

 レッスンが可能になりましたら、またご連絡下さい。
 現在は、火曜日夜8時20分〜8時50分の枠の空きになりました。それ
以外は埋まっています。11時〜11時30分の枠も埋まりました。
 しかし、レッスン枠の空きは流動的ですので、お問い合わせ下さったとき
に空きがあれば、すぐに始めることができます。また、空きがなかった場合
も、しばらくお待ちいただけばこれまでのところは2,3ヶ月の間に空きが
できています。

 掲示板の方でおつきあいができればと願っています。



【7698】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/06/28 1:02
【 発言者 】根石吉久

今日のレッスン 投稿者:かまととKぼん  投稿日: 6月28日(土)00時24分44秒

前2回と比べると、今週は少し練習ができました。
今週は煩悩がずっと減ったからです。(笑)

でも、疲れていて、電話の直前と、直後はその場でバタンキューでした。
今、起きたところ。

今日も、相変わらず、manが上手く言えない。
週末は長野ですので、よくよく練習しときたいです。
明日帰って、あさってには戻るので、おじさんちに行かれなくてすみません。

この間、ベッカム選手が話してる内容が全部聞き取れました!!!
すごく感動しました。 全部、簡単な単語だったからと、イギリス英語っていうのは、
発音がはっきりしてるんですね?! だから聞き取れました。 超かんど〜

なんかレッスンの内容でなくてすみません。。。
でも、貴重でしょ???



【7699】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】03/06/28 1:03
【 発言者 】根石吉久

Kぼん 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月28日(土)01時01分58秒

えらいじゃん。
これまでできなかったことが、急にできるようになったってことなのか?
まだ1ヶ月ちょいのレッスンでそんなに変わるなら、俺の「電話でレッスン」て捨てたもんじゃ
ないな。

俺もうれしいので、「大風呂敷」の方へ転写させてもらいます。

うちに寄ってもらいたいのだが、今、また新しく別の場所に小屋を作り始めていて、急にまた
忙しくなってしまった。今度、木曜あたりに長野に帰ってきたら、寄ってくれるように。
畑に連れていって、鎌でフェンネルをどっさり刈って、持って帰らせるから。



【7700】
【タイトル】そうなんです
【 日時 】03/06/28 1:47
【 発言者 】かまととKぼん[Profile 東京都に住む30代の方]

男は視覚に、女は聴覚に優れてるってよく聞きますが、
(自分の場合は、視覚のほうが良く聴覚がダメなんですけど)
案外、自分も聴覚があったのかも?! なんて嬉しかったです。

NHKニュースで、たぶん、小学生に向かってベッカム選手が話してたんだと思うのですが、
中学生単語だったのと、発音がはっきりしてたし、もしかするとスローリー?だったのかなぁ? とにかく、NHKでのインタビューでしたよ、聞き取れた会 話って。

最近はおじさんの発音が聞き取れてるので、そのせいかもしれません。
外人さんの言葉も断片的に聞き取れるようにもなったみたいです。
あんまり早口だったりぼかされてる感じだとわかりませんけど。。。

※投稿不可が意外なところに原因があったのですね。
 発見できてよかったです! 私にはわかりませんでした。



【7713】
【タイトル】音と意味 (1)
【 日時 】03/07/02 10:37
【 発言者 】中村よういち。

 『英語どんでんがえしのやっつけ方』、他にも欲しい方々がおられるのに、買い占めてしまったようで、申しわけありません。増刷と韓国語への翻訳、是非、 実現させて下さい。

◆音読○しゃべり△、しゃべり○音読△、相互に逆の現象となって現れるもの
◆音と意味の分離・背反、音と意味の同致(一致)の問題
→ この話は、「音読だけで、英語のチカラを予測できるか?」から出たものでした。根石さんの言葉を使わせていただくと、音読が○でも、音と意味の分離・背 反、音と意味の同致(一致)に問題があるために、しゃべりが△のこともあるので、「音読だけ」では、英語のチカラの全体像は必ずしもつかめないというの が、オレの印象です。
→ 「音と意味の分離・背反・同致・一致」は、言語能力の一部をなすものだと思います。そして、オレのセンモンから考えると、「音と意味」に関する言語能力 を、どのようにすれば、測定して評価することができるのか、ということに至り、そうするとまた、言語能力は分解可能な・・・と分解不可能な・・・、を持ち 出すことになります...。ともかく、多角的な方法による測定と評価が必要だろう、というのが、現時点のオレの結論です。

◆日本 語学 音と意味の分離・同致の問題
→ オレの知っている範囲で言えば (2003年出版の『応用言語学事典』(研究社) をちらっと見ての、アサハカな、読みかじりの知識デス)、音と意味の問題の研究は、けっこう取り上げられているようです。しかし、いかんせん、脳というブ ラックボックスの中で行われることを取り扱う分野であり、いきおい「認知心理学」、「心理言語学」「大脳生理学」などのように、かなり専門的なもののよう で、少なくとも、オレにはなかなか理解できません。
→ しかし、ことばの勉強では、音と意味のリンクは大変重要で、避けられない大きな問題だと思います。根石さんのおっしゃるように、ほんとは、この議論が出発 となるべきだと思います。議論はしているけれども、なかなかひとつの方向が見えないのも事実のようです。



【7714】
【タイトル】音と意味 (2)
【 日時 】03/07/02 10:38
【 発言者 】中村よういち。

◆ネイティヴ言語獲得過程を語学においてもなぞれるものとする
◆言語を獲得しつつある個体をとりまく磁場の力
→ かなりはしょって大ざっぱに言うと、「英語をシャワーのように浴びせ、英語に触れる時間を絶対的に多くとる」というのが、第1言語習得と同様の方法論の基 になっているかと思いますが、根石さんのおっしゃるように、日本にいて英語を勉強する場合に、言語の「磁場」は、そんなことでは作れない、と私も考えてい ます。そんなあまいもんじゃぁない、と思っています。

◆しゃべり○音読△ 話がうすっぺら
→ オレも、話しの「ナカミ」があってこその語学だと思います。
→ 「ぺらぺらと、よくまあ、あんた、しゃべるね」という人もたまに見かけますが、純粋にスゴイなぁ、と思います。普段のなんということのない会話を英語でや ることは、そんなに簡単なことではないように、オレには思われます。オレなんか、話しが続かずに、スグに黙ってしまいます。だけど、伝えたいことがある時 には、なんとか話しは続きます。

◆アメリカの学説 音と意味、この一点に絞ってしばらくは考え続けてみたい
→ 残念ながら、上記の「認知心理学」、「心理言語学」「大脳生理学」もやはり、まだまだ「借り物」の域を出ていないのではないかと、疑っています。
→ 日本人が外国語を勉強する (他に良い表現が見つからないので、「勉強する」を使わせていただきます) 時、どのようにして音 (あるいは文字などの視覚刺激) と意味を結びつけるのか、それは、個人差などあまりなく、一般的・普遍的な過程なのか、その過程が分かれば、それを促す指導方法 (これもあんまり良い表現ではありませんが) にはどのようなものが有効なのかが分かるのか、など課題は大きいですが、より深く考えて行かなければならないことだと思います。なんだか、批評家的、第三 者的、エラソー的、タニンゴト的になってしまいました。スミマセン。



【7715】
【タイトル】■月曜 ごつごつ英語ごっこレポート 6/23
【 日時 】03/07/02 20:49
【 発言者 】村田

"ditto" でちょっと盛り上がりました。「ゴースト」で出てきた表現ということでした。
「同上」という、書類に使う用語ですが、みなさん洒落で使ってました。

それから、",na?"を文の最後に付けるのも、一部で流行っています。最初、根石さんが
使ってました。日本語っぽく聞こえるんで、それ、日本語じゃないですか?と聞いた
ところ、ドイツ語で否定的な意味合いを表す言葉だということで、付加疑問のような
感じに使ってます。イギリス・スリランカ・オーストリアの人に使っても、普通に
通じてるようです。
根石さんは掲示板で語学論に専念するため、今回で「ごつごつ」のレギュラーから抜け
るそうですが、また、機会を見て参加していただきたく思います。



【7716】
【タイトル】■月曜 ごつごつ英語ごっこ レポート 6/30
【 日時 】03/07/02 20:50
【 発言者 】村田

私がt.A.T.uの話題でネタふりをしてみました。ロシアの子って美人だよね、という
話で盛り上がり、「でも、中年になると太るんだよね」となかなか危ない話題に移行。
(私以外は全員女性なので…。)そこでPさんが「みかけじゃなくてハートだよね」と
言いい、みなさん同意。しかし、私は果敢にさらにネタ振りをしてみました(笑)

私は、Kさん(女性)が先週、友達に「やっぱり人は見た目だよ。あんたもルックス
のいい男が好きでしょ?キムタク好きでしょ?だから男もそうなんだよ」と言われた
という話を持ち出して、「Kさん、それに納得してたじゃない?」と言ってみました。

すると、Pさんが突然目を輝かせて「キムタク好き!」と言い始めます。「ファンな
んだ?」と聞くと、「Lover!」という答え。おいおい、なんかさっき言ってたこと
と違うじゃないの…。そして、"I am one of women of him."というコトバ。なんか
ちょっと気に入りました。

今回は全員がかなりしゃべってよかったと思います。



【7717】
【タイトル】新館
【 日時 】03/07/03 0:19
【 発言者 】Naima

むふ〜、新しい木と畳みの匂いのする様な背景色でいいですね〜

ドイツの人達は文の後に"Na?"と良く言います。 これはtag question だと思ってました。 "It's hot today, isn't it?" とか "You study hard every day, right?" とか言う感じかな〜と... 私も英語でしゃべっていても、この"na" をつける癖が抜けません。 大阪弁みたいで、これをくっつけると納まりがいいんです。



【7718】
【タイトル】付加疑問
【 日時 】03/07/03 0:21
【 発言者 】Naima

>これはtag question だと思ってました。→ 私もこれはtag question (付加疑問)だと思ってました。



【7723】
【タイトル】あ、もう2ページ目だ!
【 日時 】03/07/03 2:44
【 発言者 】村田

根石さん
タイトル文字の大きさ、私も小さいなあ、と思ったんですが、変え方がわからないんです。
サブタイトル、入れてみます。

Naima先輩
おほめいただき、ありがとうございます!

"Na?"はやっぱりそういう文脈で使っているんですね。"Na?"と最後に言うと、「〜な?」
と言ってるのと同じような感じがして、おもしろいです。
大阪弁みたいということは、気持ちの上では「〜 na? (そうやんか?)」と続くのでしょうか?



【7724】
【タイトル】na?
【 日時 】03/07/03 9:26
【 発言者 】Naima

>「〜 na? (そうやんか?)」と続くのでしょうか?

friendly 「そうやんか?」「そうやろ?」
formal 「そうでっしゃろ?」
derogatory 「そうやんけ?」



【7725】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/07/04 0:14
【 発言者 】根石吉久

    Wed, 02 Jul 2003 01:32:06 +0000 の
    りそうとおまんま
    に関するメールにお答えします。

 私もKさんの考えに賛成です。

 私は、初めからおまんまのために英語塾をやったので、本当は物書きを
やりたかったのでした。
 リソウとゲンジツの間で、私はバランスなどとれていませんでした。
 「意地と度胸の人生だ」とは思っていました。

 学校を出て、娑婆に出ても、悲惨なことに満ち満ちています。
 逃げをうつなら、Kさんの言うような逃げをうつべきです。

 あなたのような気が弱くて強情な人は、学校にいてほしい。

 Kさんのお手紙を、「KさんからTさんへのお手紙」として、「大風呂
敷」に掲載させていただけないかどうか、Kさんにお尋ねくださいません
か。多くの学校の先生を勇気づけると思います。



【7726】
【タイトル】音を先に行かせる
【 日時 】03/07/04 8:06
【 発言者 】Jackie

NHKの「にほんごであそぼ」という幼児向けの番組。
じゅげむじゅげむを テレビで放送している。
耳からじゅげむをおぼえてしまう子供がけっこういるそうだ。(字がよめないんだもんねーまだ。)音がおもしろいのだろう。
大人は字をみてもなかなか覚えられないのに子供の言語習得まる覚え能力聴解力はすごい。
もちろん意味はわかっていないだろう。
母語で磁場ではあるけれど 音が先に行く例だ。

英語だって 教科書の音をさきに行かせて(字つき)から意味や文法でよいのだと思う。
中学の教科書は薄いのだから。20分もあれば一回読める。
一単元なら1、2分。10分あれば5〜10回読んだり聞いたり出来る。

効率のよい教え方 中学でもっとできないものか?
コミュニカティブや リスニングもどきよりもっと先にやるべきことがあるはずだ。
足腰きたえずして(音読など) 試合(コミュニカティブー本番(ネイティブとの会話の試合ではないが それでも基礎訓練より華やか)しても へたれの力し か身につかない。 



【7727】
【タイトル】音に先に行かせる
【 日時 】03/07/05 1:16
【 発言者 】根石吉久

 この言い方もなかなか人様にはわかってもらえないものでしたが、Jackie さんにはちゃんと
伝わっていることがわかりうれしく思いました。
 「音に先に行かせる」っていうのは、実は日本に古くからある方法(素読が代表的)なのです
が、この手間のかかる方法を、手間がかかるものを排除する効率主義に屈して、明治の学校制度
以降、学校はずっとほったらかしにしてきました。
 素読的方法の接ぎ穂を作らなかったこと、それが、今になって学校が膿みただれるに至った原
因につながっているとすら私は考えています。
 生徒に考えるための素材を内在化させずに、お行儀めいたことばかり取り締まるのが現今の学
校です。膿みただれるのは当然だと思います。

 極論を言えば、学校というものは馬鹿を量産しているだけです。

 「音に先に行かせる」ということがどれほどのことかわかっている学校教員がどれほどいるこ
とか、こころもとないことかぎりない。



【7731】
【タイトル】(無題)
【 日時 】03/07/05 2:01
【 発言者 】村田

部活。
小学生の時、楽しそうに中学の教科書を読んでいた子供。
ガンガン進んでいた。
中学生になって、塾に来る回数が減った。
成績悪いわけじゃない。塾では試験対策はしていないけれど、学年でトップクラスだ。
部活で疲れた。
部活もそりゃいいもんだ。だけども、やりすぎじゃないかい。
小学生の頃はもっとのびのびしてたじゃないの。

内申書。
高校受験では試験5割、内申書5割だそうだ。
「俺、生徒会役員やってるし、ボランティアもやってるから、内申はばっちりだよ。」
塾を始める以前に、そう言う子に会った。
ボランティアは自分のためにやるもんだが、それ、どこか違うぞ。

さらに内申書。
高校受験では試験5割、内申書5割だそうだ。
成績はいいのに、「私、志望校へはいけない」という子がいた。
担任に、「お前の内申点は悪いからな」と言われたそうだ。
じゃあ、文句の言えない成績とろうぜ。この子はがんばった。
面談で内申がダメだと言われた。でもちゃんと志望校に受かった。

中学校は、変だ。



【7732】
【タイトル】<<電話でレッスン・進展>>
【 日時 】03/07/05 2:11
【 発言者 】根石吉久

●<五(ハイキング)> なし

●<十(里山)> なし

●<十・五(アルプス夏山)>

長野・MR (会社員・技術) ゴースト p.20
東京・KK (会社員・貿易) ゴースト p.15
奈良・OG (塾講師・英検一級) ゴースト P.21
山形・IN (公務員) ゴースト p.23

●<十・十(アルプス冬山)>

長野・HJ(主婦) ゴースト p.22
京都・TK(高校英語科教員) ゴースト p.56(700選終了)
奈良・OO(塾講師・英語) ミッドナイトランp.11(スピード終了)

●<十・十・五(岩登り)>

長野・KR(会社員) 逃亡者 p.62(ゴースト終了)
長野・SK(小学校教員) ミッションインポシブル p.142

●<十・十・十(岩登り・冬山)>

長野・KS(中一) ニューホライズン1 p.77
長野・KB(中一) 基礎問抽出1〜100、1の上
東京・KT(イラストレーター) ゴースト p.19
奈良・OO(会社員) ゴースト p.49
名古屋・KJ(塾経営・講師) ニューホライズン3 p.46
東京・JG(外資・会社員) ゴースト p.63
福岡・MR(短大教員) ゴースト p.100
佐賀・KT(主婦) ゴースト p.46
長野・KTH(中一) 基礎問抽出 101〜200、3中 
長野・MR (高校英語科教員) ゴースト p.32
長野・KTN(中3) ニューホライズン3 p.51
長野・YS(高2) ゴースト p.53
奈良・OK(大学生) ゴースト p.30
北海道・OK(塾講師) ゴースト p.96
埼玉・SI(外資・会社員) ゴースト p.44

◆<クラス十・十・十超(ヒマラヤ)> なし



【7739】
【タイトル】中村さん(1)
【 日時 】03/07/05 4:47
【 発言者 】根石吉久

 「どんでん」の増刷は小学館の文庫編集部の親玉の方針により、無理だと思っています。どこか、出版社をご存じでしたら、ご紹介ください。もっとスリムに して、ページ数を押さえれば、単行本にできると思います。小学館とは3年の契約ですが、先月あたりで契約期間は切れています。小さい出版社で、単行本にし てくれれば、ボチボチと売れていくとは思います。しかし、小出版は大出版にいじめられていますから、倉庫代も出せないような零細な仕事をしているところが 多い。
 そんなわけで、私の印刷機で復刻して、ネットで関心のある方にお求めいただくしかないのかとも考えています。
 韓国語への翻訳は、本当に是非実現してほしいと願っています。まだ、翻訳をやりたいと言ってこられた方から、その後の連絡を待っているところです。

 私は英語力は根本のところは、「音読」で測れるという考えです。
 なぜなら、「音読」と一言で言うものの、初めての文を「音読」して、おかしなイントネーションにならない場合は、その文全体の意味が把握できている場合 に限ると思うのです(コーチ付きレッスンを除く)。その場合、意味と音の同致は、その人の中に必ず存在するはずだと思います。
 (賃貸契約書など)論理を論理として言うだけであり、論理さえ伝わればいいという文であれば、棒読みのイントネーションでよろしいかもしれません (IBMのコンピュータ上の文字読み技術のイントネーションは実に棒読みです)。
 そういう文章以外(地上の99パーセント以上の文)では、意味は必ず感情がらみの意味であり、そういうものをちゃんと語学的標準型(床の間のお飾り的) で読めるということは、感情がらみの意味がとれているということであり、「異磁場」における語学力を立証するものだと考えます。

 意味と音の同致が実現しなければ、初出の文をまともなイントネーションで「音読」することはできないはずだというひとつの原理を提出しておきたいと思い ます。

 初めての文を「音読」して、おかしなイントネーションにならないことは、しかし、文の難易に大きく左右されます。これは、思考の難易度よりも、語彙の抽 象度などに大きく左右されてしまいます。易しい言葉で非常に高度なことを言っている文も、語学的にイントネーションを成立させるのは容易であり、駄文だが 語彙だけがやたら難しい文は、語学的にイントネーションを成立させるのが困難になります。意味のかたまりがどこでどう固まるのかが、語彙の不明により不明 になりがちだからです。これも、地付きの磁場で育ったシンタックスを持っている人には、比較的容易になりますが(読書で難しい語彙に慣れていけば解決す る)、シンタックス自体が、「異磁場」で、固定物(印刷物・録音音声)で作られた場合は、まるで容易になりません。
 この点で、「生きることの意味」を求める立場の人から見れば、語学の言葉の扱い方は、実に言葉に対して不遜であり、やくざだと思います。これが「英語嫌 い人」さんの立場だと思います。また、これは文学から語学に対する視線でもあると思います。

 音読○しゃべり△という型が、日本ではもっとも普通の当然の型だと考えることはできないものでしょうか。磁場の質が違う、シンタックスが逆立する、音の 組成が根本から違うなどの困難を考えれば、音読○しゃべり△がもっとも普通の日本の英語の型なのだと。
 その型が肩身の狭い思いをしてことのほうが、ずっと根の深い問題だと思っています。
 (日本語の磁場において、英語しかしゃべれないアメリカ人などがでかいつらをしている理由は何もないと思っています。)



【7740】
【タイトル】中村さん(2)
【 日時 】03/07/05 4:48
【 発言者 】根石吉久

>オレのセンモンから考えると、「音と意味」に関する言語能力を、どのようにすれば、測定して評価することができるのか、ということに至り、そうするとま た、言語能力は分解可能な・・・と分解不可能な・・・、を持ち出すことになります...。

 分解不可能な言語能力は、私は人間に普遍的なものであると考えます。なんらかの障碍を前提としなければ、万人に与えられており、鍛えようでどうにでも鍛 えることのできるものだと思います。
 これの根は語学の領域「以外」にあるものだとも思っています。
 学校や入試やらは、これまでひたすら「分解可能」なものだけを扱ってきましたが、分解可能なものを統合する能力はただ生徒の内部にのみあり、試験問題作 成者が分解可能なものを問い、それに正解する生徒がいても、その生徒の内部にとどまり続けてきました。
 内部にとどまり続けてきたものを露頭させるのは、今のところ「音読」のみだとやはり考えています。そして、語学をめぐるあまたの擬似科学によっては、こ の内部にとどまってきた能力の構造を把握することはできないのだと思っています。
 なぜなら、それは、個々の体験・経験に根を張りながら、イメージの連続(夢の繊維を織る、論理ではなく、イメージからイメージにつながる、連想によるイ メージの連続性)が言葉という客体に結びつく瞬間を言語化できない限り、「分解不可能」なものの構造は明らかにならず、それが明らかにならない限り、その 過程を外から(例えば、教室のような場所で教員によって)成立させることは不可能だからです。前途多難だと中村さんがおっしゃることの意味は私は理解して いるつもりですが、これに関しては、私は無意識の流動は無意識にまかせるということでことを済ませております。人間のやることはそれでいいのだという考え です。あえて言わせていただくなら、この流儀以外だと、ミイラ取りがミイラになり終わるとも思っています。

>しかし、いかんせん、脳というブラックボックスの中で行われることを取り扱う分野であり、いきおい「認知心理学」、「心理言語学」「大脳生理学」などの ように、かなり専門的なもののようで、少なくとも、オレにはなかなか理解できません。

 私は、この領域における言説の非常に多くが、科学のつらをした迷信だと思っておりますので、この領域の本を買う気がまったく起きません。
 無意識の領域のことは、無意識がやるにまかせておけばいい。
 人間が意識においてやれることは、意識の激化だけであり、そのことによる無意識の「波だたせ」だけです。直接に無意識を扱うなどということは、人間の思 い上がりだと思います。

>そんなあまいもんじゃぁない、と思っています。

 自分の回りを、例えば機械を介した英語音声や、印刷を介した英語記事、英語本でみたし、「擬似磁場」や「にせ磁場」を作ることはできても、そんなものが 言語の本当の「磁場」であるはずがないという、私の「磁場」という用語の重量をその重量のままに受けてくださったことに深く感謝します。



【7741】
【タイトル】中村さん(3)
【 日時 】03/07/05 4:49
【 発言者 】根石吉久

>「ぺらぺらと、よくまあ、あんた、しゃべるね」という人もたまに見かけますが、純粋にスゴイなぁ、と思います。普段のなんということのない会話を英語で やることは、そんなに簡単なことではないように、オレには思われます。

 ここが私と中村さんとで大きく違うところだと思います。
 私は純粋にスゴイなぁとは思うことはないのです。
 「ぺらぺらと、よくまあ、あんた、しゃべるね」という人たちは、みんな英語磁場で英語にイメージを充電して「もらった」人なのだと思っています。もちろ ん、自分が思い、感じることがなければ、この充電は起こらないのですが、しかし、思い感じさえすれば、充電自体は磁場がやってくれるのです。
 この磁場の作用をとことん欠いているのが、日本語の磁場における英語の「勉強」なのであって、そこでは生ものでない「固定物」だけが相手です。「固定 物」を相手に、「自分で自分に」強引にイメージを充電するのが語学です。メタファで述べるなら、独り者の力業です。生身の人間相手でなく、生の磁場の支援 を一切あてにできず、文字、録音音声など、複製可能なものが相手にする力業です。
 金持ちの有利と貧乏人の不利の関係が、英語磁場における英語と、日本語磁場における英語(学習)との間に厳然と存在すると思います。この一点は、私はど うしても、曖昧にしておくことができません。
 英語の磁場にイメージを充電されて「ぺらぺら」としゃべること自体は、貧乏を根本原理とする語学という行為においては、一種の密輸入だとも思っていま す。私は、むしろ、密輸入を密輸入だと自覚しないアメリカ帰りの意識のていたらくに対して、大したていたらくだ、スゴイナァと思うくらいなものです。
 「普段のなんということのない会話を英語でやること」に関しては、磁場という観点、磁場の作用という観点を外すと、のっぺらぼうなフリーク意見になって しまうというところはぶしつけながら、はっきりと指摘しておきたいと思いました。

 日本語の磁場だけでその「なんということのない会話を英語でやる」ことを成立させたのなら、それはまったくスゴイことです。
 英語磁場からの密輸入であれば、そんなもの、何のスゴイこともない。
 磁場に支援された英語、これは、ネイティヴ言語の獲得が意識的な作業でないのと同じような生い立ちで生い立ったものです。
 これがもしスゴイことであるなら、日本に生まれた赤ん坊が日本語をしゃべることをもスゴイことだと言わないと、言葉に対する態度としておかしなことにな ると思います。

>オレなんか、話しが続かずに、スグに黙ってしまいます。だけど、伝えたいことがある時には、なんとか話しは続きます。

 私が愛する日本の英語はそういうものです。
 私は、この質を破って、アメリカ人みたいに英語をしゃべる人間になることを生涯にわたって拒絶したいです。
 これは、不足やら未満などでは決してない。
 これが、日本語の磁場における英語の「自然」なのだとずっと考えてきました。



【7746】
【タイトル】通訳を使え。
【 日時 】03/07/07 12:18
【 発言者 】Jackie

先日BSで アメリカ人の学生・社会人(人種はさまざま)とイラク人(社会人・学生)が今回の戦争について衛星中継で 英語で討論しているのをみた。出演 のイラク人は英文科の学生や英語が堪能な人だった。どうやってネイティブと討論ができるほどの英語力を身につけたのか知りたいところだ。果たして日本の英 文科の学生の何割がこのように英語で討論できる力があるのだろうか?
各国の英語教育にはとても興味がある。

おっと 言いたかったことは別。
英語ネイティブのアメリカ人と英語が外国語の人が英語で討論するのはフェアじゃないなあと。
そりゃ通訳なしで話しをしたほうが 自分の言葉で語れるので嬉しい。
しかし この場合はイラク人もイラク語で話すべきだ。英語が堪能なら通訳の約す英語をチェックできる,そして相手のアメリカ人の言葉もダイレクトに理解で きるのだから。

かたや母国語で楽してペラペラ かたやいくらペラペラといえども外国語で勝負。
これは対等に討論とは言えない。



【7748】
【タイトル】こみゅにかてぃぶ 
【 日時 】03/07/07 15:40
【 発言者 】Naima

英会話学校でインフォーマル ディベートなんかだと 流暢な英語で他をなぎ倒す人がいるんですが、ほんまに自分の言葉で言うて無いやろっ! と思う時があ ります。 それどっかの英語雑誌で読んだでぇ、とか、NHKの英語番組で言うとったで〜、とか。 英語がしゃべれるからコミュニカティブな会話が出来る かっていうと違う。 なんか欧米人が言うのと同じ様な日本批判をしよる奴が一番、原たつのり。 小さい事ですが、日本は包装過剰やとか... 割り箸が森 林破壊に繋がる、とか.. よう日本の事情を知らずに言うたりしてる事って多いですやんか? どっかでやってたけど、日本人は色について微妙な表現を知ら ない、とか。 英語やる前に日本の事をよ〜くお勉強しなさい、と思う。

立派な聞き手、相手の話を上手に聞き出す人、質問を重ねて行って話し手の矛盾を引き出し自己矛盾に陥っている事に気付かせられる人、の方がやり手やと思 う。 一方的に言いたい事をだだだ〜っと機関銃みたいに言える人が必要とされるわけやないやろ、とグチグチ思ったりする毎日ですわ。 ましてや欧米人が自 分達と同じ考えをもつ日本人を喜ぶとは思えないし。 

それと... 日本で金もうけしよかって外国人は日本語を勉強せ〜、旅行者も片言の日本語くらいは覚えて来い。 英語の表示がないからっちゅうて文句言うな。 英語をや ればやるほど、急速にアメリカ人化、イギリス人化する学習者を見てると、頭おかしいんとちゃうやろか、と思います。 1年程アメリカ留学しただけで、ジェ スチャーまでアメリカ人になっとるやつもおるし。 家に鏡あるねんやろか? どこから見ても日本人の御面相のくせに、変。 根性が卑屈。

蒸し暑くて、いったい何をヒステリ起してるのかわけワカメ〜



【7750】
【タイトル】通訳を使え!
【 日時 】03/07/07 15:43
【 発言者 】Naima

おお、そうそう。 自分の英語力を過信するな。



【7758】
【タイトル】失礼。行が乱れました。
【 日時 】03/07/11 1:48
【 発言者 】根石吉久

ソラリス 投稿者:Naima  投稿日: 7月 9日(水)04時02分15秒

 時々、何の為に英語やってるんだかわからなくなる時がある。 仮に上達したからって、使う場所が年に一度もあるわけやなし。 映画や小説が原語で理解出 来たからって、どうよ、と言う思いもあるし。 「いまさらこんな所で止められるか」と意地でやってるねんやろか...中毒か... 強迫観念か..心霊現象か...

 語学が好きなのか、とあらためて自分に問いつめると...どうもそればかりでもないような... ぜひぜひ親交を深めたいネイティブスピーカーの知人友 人がいるってわけでもあらへんし...日本を離れると「英語みたいなもん、なしでもやって行けるんやわ」と、憑き物がホロリと落ちる様な気もするし... 英語も煩悩のひとつか。

 映画「ソラリス」を観て思ったんやけど、英語熱も日本と言うゾーンが人に生みつける幻影みたいなもんか...

 一体なんやの英語って。

 もうやめたろかな、英語。 と思う時もある。



【7762】
【タイトル】「鬼」から
【 日時 】03/07/13 3:29
【 発言者 】根石吉久

ゆっくりはっきり読むこと 投稿者:いくこ  投稿日: 7月13日(日)00時53分42秒

お久しぶりです。お久しぶりに超(ちょ〜)がつきますね。
いまだ「七年目の浮気」をやっております。
でもこれをみっちり身につけたいです。
最近は、「落ち着いて、ゆっくり、はっきり」を目標に回転読みをしています。
私は「v」の音をしっかり発音できないことがよくわかりました。今は、訳もわからず回転読みしてきたものを、もう一度ゆっくりとはっきりと、正しく発音す ることに力をいれてやるようにしました。そうすると、少しずつですが意味をとれるようになり、「ああ、こういう意味だったんだ」と思いながら、回転読みで きるようになってきました。といってもまだまだですが。
それにしても、文章を口が覚えているのにびっくりします。もう少しだ。終わらせるぞ。



【7763】
【タイトル】Vの発音
【 日時 】03/07/13 7:32
【 発言者 】Jackie

Vの発音
英語発音10のポイント より。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/p10point.htm
>上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。

この間 とある中学校の英語授業が教育テレビでやっていました。
ジェスチャーなどを使って動詞を覚えたり 
短いモデルスキットの単語を入れ替えてスキットをつくらせ発表させたりと 
わたしが先日参観した授業よりずーっとよい授業でした。

発音も教えていました。
しかしVの発音をさせるとき上の歯で下唇の真中あたりまで思いきり噛んで発音をさせていたのには疑問を持ちました。それではVの入っている単語を発音する たびに力むため 上手く読めないのではないか。

アメリカ人のかみあわせは 上下がほぼ一致している。
日本人の歯の噛み合わせは 上のあごのほうがでている。(たしかUdaさんの30音に書いてありました。)

だからアメリカ人の口の形 発音の仕方をそっくり真似るには無理があります。
しかし Vの発音>上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。
の仕方のほうが思いきり下唇を噛むよりスムーズだし 日本人のかみあせせでも可能なやり方だと思います。

>今は、訳もわからず回転読みしてきたものを、もう一度ゆっくりとはっきりと、正しく発音することに力をいれてやるようにしました。そうすると、少しずつ ですが意味をとれるようになり、「ああ、こういう意味だったんだ」と思いながら、回転読みできるようになってきました。

音がスムーズによめるようになると意味がクリアに入ってくるようになりますね。
逆に音がとれないものは 意味も入りにくいではないかのかと。
中学生にしっかりとした発音も教えずに やみくもに教科書をおんどくさせるのはかなり遠回り。
リスニングを重視するなら なおさら発音をしっかりと教えなければならない。
テレビの先生は発音を教えていたけれど
中学で発音をおしえているのだろうか?
私は中学生を教えていないのでわかりませんがどうなのでしょう?



【7764】
【タイトル】Jackieさんこんばんは(^^)
【 日時 】03/07/15 1:36
【 発言者 】いくこ

>上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。
「英語発音の10のポイント」また読み返しました。
Bはたしか破裂音だと昔学校で教わったことがあるような気がしますが、私の場合、かみ合わせの問題もあり、Vの音も上の歯を下唇にあてて空気をせき止めて おいたところに、息を強めに押し出すことで唇の上で歯がこすれるような音を発音するようにしてみました。

>逆に音がとれないものは 意味も入りにくいではないかのかと。
やはり意味ははっきりととれていなかったです。延べでですが、かなりの回転読みをして(音がからまったり、それをほぐしたりしながら)音をつかんでから意 味にとりかかっています。どちらが先かという問題もありますが、私には意味よりも前に、良いお手本のもとで、文全体の音を身体に入れることを先にした方 が、遠回りのようですが結果的には英語が身に付きやすいように思えました。「やみくもな音読(激しく音読するという意味で)」の前提として、正しい発音と 良質なお手本は必須だと思います。



【7765】
【タイトル】いくこ、Jackie さん(1)
【 日時 】03/07/16 1:52
【 発言者 】根石吉久

 横槍になることを恐れつつ。

 落ち着いてゆっくりとはっきり言うようにしたら、意味がとれるようになったといういくこの記事を興味深く読みました。これは、「音と意味」の問題として 面白いことを提示しているのだと読んでいます。
 ともかくやみくもに、大量に口を動かすということをいくこは続けてきたのだと思いますが、このところ、日本語を介在させずに「意味そのもの」が動くよう になりかけているという感触をつかんでいます。英語と意味とが直結されるつつあるという感じがあります。なにはともあれ、英語でしゃべり始めたことがその 証だろうと考えてもいます。
 やみくもに大量にという過程は大事な過程であり、これが結構長く続きます。この過程では、「音」だけが動き、「意味」が音の動きとダイレクトに結びつか ないというようなことがあります。それでも構わないから、正しい音とイントネーションで言い続けていると、「音の型」が安定します。この「安定した音の 型」を得るか得ないかというところに日本在住の語学が実を結ぶか結ばないかの分岐点があると思っています。
 「安定した音の型」を作る場合は、単音の発音の問題でいくつか問題点が残っていてもいい。型が安定していれば、残された少数の単音の問題は、それに関す る知識(コツ)さえわかれば、後からでも直せます。しかし、「安定した音の型」ができていなければ、音の問題に関して、いくつかの単音だけを攻めるどころ の話ではなく、何もかもがぐらぐらしてしまいます。

 「安定した音の(連続の)型」は、意味の受け皿となります。
 それができていなければ、意味の受け皿がないか、意味の受け皿が割れているということであり、実際はそれが全般的な日本の英語の状況を作ってしまってい ます。これを放置してきたのが、文部科学省です。AETなんぞ呼んで、音の問題から逃げたところで、税金の無駄遣いでしかない。
 日本語の音と英語の音の狭間に立ち、調音ができる日本人を粗末に扱ってきた文部科学省の罪は決して浅いものではありません。
 私一人のことで考えてみても、曖昧母音や ae 、逆さv、逆さ e 、烏のカー、烏の鳴きかけ、などをきちんと全部生徒に指示できるようになったのは、40歳半ばなのです。それまで、中学高校大学を通じて、これの指示方法 の知識は学校で一度も教わったことがありません。仕方がないから、「吊り上げ音」だの、「ちょっと唇だけに力を入れる」だの、独自のコツの伝え方を自分で 発明しつづけなければなりませんでした。
 こんなものは、学校で扱って当然のことであり、扱ってさえいれば、四十代半ばまで不明のままに残ったなどという回り道を私は通らなくて済んだはずです。 学校と文部科学省に対する怨みの果てる時はありそうもありません。
 これは、私一人の問題などでは決してなく、日本全国津々浦々の英語の授業のあらかたが駄目であるという、国家規模の問題です。



【7766】
【タイトル】いくこ、Jackie さん(2)
【 日時 】03/07/16 1:53
【 発言者 】根石吉久

>それにしても、文章を口が覚えているのにびっくりします。

 これこそが、素読を原理に据えた方法の果実だと思います。
 そして、「安定した音の(連続の)型」ができていることを語っています。
 これができて、単音の調整ができれば、音としてはほぼ使えるレベルになります。
 「使えるレベル」という時、「通じる音」という意味の他に、私はそれに、「意味と合体させるだけの価値を備えた音」という意味も加えています。
 これまでの学校も英会話学校も、生徒の口の筋肉に「意味と合体させるだけの価値を備えた音」を作ってきませんでした。学校も塾も英会話学校も、少数の例 外を除いては、意味と合体させるに足るだけの音の質を作ってこなかった。この場合の、音の質とは、「安定した音の(連続の)型」の実質部分です。単音だけ 扱ってもしょうがない。文として、連続として、全体として、「音」を扱わないと駄目なのですが、日本の英語教育はまるでこれに関してはおそまつ限りない。

 私は、意味の受け皿としての「音の型」を作る方法に関しては、一応のものは確立したと思っています。「音と意味」の問題に関しては、原理的にものを言え るようになったとも思っています。これのエッセンスだけを駆使しているのが「電話でレッスン」ですが、需要が少ないのにはびっくりしています。私は、今後 は「電話でレッスン」の生徒の数を減らす方向で動こうと思っています。やめる生徒がいた場合に、募集はしないでおこうと思っています。生活は、英語でな く、他のもので成り立たせたい。
 素読舎のやってきた仕事に関する研究が始まらないようでは、今後も日本の英語はどうしようもないていたらくを続けるのであり、そのていたらくを横目にな がめながら俺は死ぬのであろうと思うばかりです。
 一人で吠えていてもくたびれるばかりです。
 今後は、なるべく植物や花とつきあいたい。

 学校のていたらくや、その元締めの文部科学省の馬鹿どもや、そのごきげんとりなんぞやっている大学教員の腐れ根性などに悪態をつくために、私は今後も少 数の生徒を持ち続け、実践は続けます。しかし、とことん悪態をつくことさえできればいいので、そのための実践に必要なだけの生徒がいればいいので、生活は 他のことで成り立たせる方向で動いていきたいと思っています。

 つくづく、この国の英語教育をめぐる状況にはあきあきしています。



【7769】
【タイトル】何の為の英語?
【 日時 】03/07/23 23:04
【 発言者 】Jackie

>時々、何の為に英語やってるんだかわからなくなる時がある。 仮に上達したからって、使う場所が年に一度もあるわけやなし。 映画や小説が原語で理解出 来たからって、どうよ、と言う思いもあるし。 

英語なんていくら勉強しても 奥が深すぎて極められない。(極めるなんて程遠いくせによく言うなあ)はじめは英語に熱を上げていたが恋も冷めてしまった。 アメリカ社会のあらもみえてきて
ネイティブとペラペラ話せたところでそれがなんぼのもんかときづく。

翻訳をしている知人に同じように相談したことがあります。

「簡単 飯の種。」

まそりゃそうだ。 ラーメン屋ならうまいラーメンをつくらなあかん。
英語を生業にするのだから まー英語せな しかたない。

できれば1、2週間英語にいっさいふれずにすごす。 洋楽もラジオも雑誌も映画も教科書も、もちろん仕事でも。
禁断症状がでてきたら儲けもの。また英語を始めたくなる。
反対に 「英語なんてもう見るのもいやだ。」と頭が英語を拒否したら。
いやあ これがまた母国語ではないなあとつくづく思います。私の頭はときどき英語を拒否します。英語が面倒。

で、英語を休んだあと 気乗りしなくてもカラオケに行く。
洋楽をカラオケで歌いまくる。 あれは歌詞が次々とでてくるからいいですね。
自然とスペルと口の形に意識が行く。くやしいうまく歌えなかった,もう一回。
27点?なんてこっちゃ!そんなわけあらへん、もう一回。
と繰り返すうち 歌詞がダイレクトに伝わってきてじーんとしたり感動したり。
調子がのってきたら知っている曲を片っ端から 歌いまくる。

たいがいこれで スランプ脱出。ついでに大声でストレス解消。
口に英語が戻ってくる。頭に英語が戻ってくる。

家に帰ったら 中学の教科書かお気に入りの優しい本を音読。
ウオームアップ完了。



【7771】
【タイトル】音と意味の二人三脚
【 日時 】03/07/26 1:51
【 発言者 】根石吉久

 今日、語学というのは、音と意味の二人三脚ではないかと考えた。
 二人三脚なので、足並みが揃わないとうまく前へ進まない。
 音と意味は紐で縛ってある。
 この紐がほどけてしまって、音と意味がばらばらに動いてしまうこともある。
 語学においては、音と意味は、本来は別々のものなのだが、それを紐で縛って結合させるのである。人為的である。

 これに対して、ネイティヴ言語の使用は、一人の人の両足の一方が音を担い、もう一方が意味を担うので、前に進むには、無意識にリズムを刻んで一連の動き としてうまく動く。

 一人の人の右足と左足が交互に動くのが、無意識が統御するものであるのと同様に、ネイティヴ言語の言語使用は、無意識が統御している。意味と音は気を合 わせるなどというような意識的な操作を必要とせず、交互に(電気の交流のように)うまく動いている。

 非常に上達した語学においてでも、その使用は、「無意識『的』」なのだ。上達の途上にある語学から生活言語に渡った場合では、言語使用は、むしろ「意識 的」である。
 うまくしゃべれても、それは、気が合って、非常にスムーズに前に進んでいる二人三脚の足の運びと同じものなのだ。
 意味と音が、気を合わせなければ、語学から生活言語に渡るという一事さえ成立しない。



【7772】
【タイトル】柴田さんの講演
【 日時 】03/07/26 1:57
【 発言者 】根石吉久

柴田さんの授業は、必ず世に出るべきものだと思っていました。
柳瀬さんが、確かメールで柴田さんに連絡をとってもらえないかと私に依頼されたことがあり、
私は柴田さんの勤務校に電話をして、柳瀬さんがメールをいただきたいと言っている旨を伝えた
ことがありました。
その後、私は柳瀬さんの掲示板運営の方針についてとことんこきおろした経緯があり、その頃か
ら柴田さんは、「大風呂敷」に書かれなくなりました。

今でも、柳瀬さんの他人に対して勝手に自分の基準を押しつけたり、行儀を押しつけたりするや
り方は、思い出せば腹が煮えます。口ではラディカルそうなことを言ってみたりするが、おぼち
ゃんの枠から出ようとすることはない。

たとえ柳瀬さんの口ききであったところで、柴田さんの授業が世に出ることはいいことです。こ
れは掛け値なくいいことだと思います。



【7775】
【タイトル】自然結合と人為結合
【 日時 】03/07/26 10:23
【 発言者 】根石吉久

 音と意味の結合に関して、自然結合と人為結合ということが言えるだろうと思う。
 ネイティヴ言語の獲得過程にあるものが自然結合であり、これは人間という生き物の意識の力が「自然に」音と意味を結合させるということである。この場 合、そこにある磁力は「自然な磁場」から発生している。「自然な磁場」の磁力と、人間の意識の力(というよりは意識が形成されるための基盤がもつ力そのも の)との融合体として、自然言語は個の体に立ち上がってくる。
 意識が形成される過程にある「自然な力」とそれを取り囲んで絶えず磁力として作用する「自然な磁場」とがともにあり、いずれも自然なものである。これが ネイティヴ言語の獲得過程にあるものだ。
 語学がこれとはほど遠いものであることは自明なことだと思われるにもかかわらず、人々は語学の獲得過程を自然言語の獲得過程に擬するような迷妄に簡単に おちいってしまうらしく、自然言語の獲得過程を語学の見習うべきモデルとしているような妄説は絶えることがない。

 子供はしゃべり始める前に、回りの大人達の話をじっと聞いている期間があるのだとする説をどこかで読んだことがある。果たしてそうなのか。子供はじっと 聞いて、なにかを蓄積してからしゃべり始めるのか。子供が大人の話をじっと聞いているということがないと言おうとしているのではない。子供が大人の話を じっと黙って聞いていることで、自分の言語能力を一挙に拡大してしまう期間はあるのだろう。それでもなお、それは子供が話し始めることの因ではないだろ う。

 子供が話し始めることの因はそれ以前に遡れるはずである。

 それ以前にあるもので、しかも決定的なものがあるはずである。
 自分にじかに向けられる感情を備えた声。
 この場合の、「自分にじかに向けられる」という性質と「感情を備えた」という性質が、決定的な因となるだろう。感情は、「自分にじかに向けられる感情」 となる。
 意識と磁場は個に自然言語が立ち上がるための条件となるが、そこに因が要る。
 いや、この「自分にじかに向けられる」とか、「感情を備えた」という因の性質こそが、逆に磁場の性質を決定づけているのだと言ったほうがいいかもしれな い。自然な磁場とは、この因に満ちている磁場なのである。幼児は、最初から「自分にじかに向けられる」声というのっぴきならない決定的な言葉を生きてい る。

 これが語学とはとことん違うところである。
 語学は文字や録音音声として固定されたものを相手に、それを意識において「自分にとっての言葉」としてとらえ直し、抱き取ろうとする作業である。客体に すぎないものを、「自分にとっての言葉」として抱き取ろうとするのだから、これは自分とその客体としての言葉との関係を組み替えるような作業でもあるの だ。

 自然言語の獲得過程で、子供はそんなことは決してしていない。子供がしていることは、自分に「じかに」向けられる言葉に「じかに」応じて、笑い怒ること であって、客体としての固定物を「自分にとっての言葉」として抱き取り、言葉との関係を組み替えるなどというようなことをしているのではない。

 だから、自然言語の獲得過程を語学のモデルとすることは迷妄でしかない。それをモデルにしてみたところで、意識的な作業のモデルを無意識の働きの中に求 めることにしかならないのだから、せんないことである。



【7776】
【タイトル】「鬼」から転写
【 日時 】03/07/30 1:55
【 発言者 】根石吉久

Naima さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月30日(水)01時51分22秒

 獲らぬ狸の皮算用に類することになることも考えられますが、私のレッスン枠が埋まった場合に、生徒を引き受けていただけるかどうか、ご検討下さい。
 私は現在の生徒数程度でやっていきたいので、今後は今の生徒さんの中からコーチを作ることを是非やってみたいのです。

 「電話でレッスン」が広がりをもてればいいと考えています。

 もし引き受けていただける場合は、以下の条件でお願いしたいと思います。

 生徒さんもコーチも、レッスンが終わった後、「鬼」に毎回報告していただき、疑問点があれば書いていただく。私が書くのは主にコーチ法に関してであり、 生徒さんからの文法、語法に関する質問には、なるべく「鬼」のつわもの達が答えてあげていただきたい。

 レッスンの料金は私と同額でやっていただきたい。
 初めの3年間程度は、一人からいただけるのは月額で1万円です。
 その後、1万2千円になります。
 私は現在、新しく始められる生徒さんからは1万2千円をいただいております。
 また、英語の教員免許をお持ちで現在現職で先生をやっておられる方からは、月額1万5千円をいただき、その分、仕込みを厚くしています。

 是非、ご検討ください。
 先日も書いた通り、労力の割にあまりお金にはなりませんが。



【7782】
【タイトル】■ごつごつ英語ごっこレポート 7月28日
【 日時 】03/08/01 17:57
【 発言者 】村田

今日は始まる時間が遅かったので、根石さんが初めから参加。
先々週、Kさんが参加していた劇団についての話が出て、Kさん
は、英語で話そうと準備してきたようだが、「写真を見せよう
!」という考えに。
(Kさんは「天井桟敷」のメンバーだった人の主宰する劇団に
いたことがある)
どんな役をやっていたかという問いに、"Snake girl!"というの
で、それはどんな役なのか説明してくれ、というと、難しい、
とのこと。写真を見てくれ、というので、根石さんがいや、写真
は見たくない、演技してくれ、と言う。"Be a snake girl!"
残念ながらKさんは蛇女にはなってくれなかった…。

後半、根石さんから発音についてのレクチャーあり。
母音 a i u e o の後ろにそれぞれ r がついている場合、
(ar / ir / ur / er / or )
ar だけが発音が違うということ。
ar はカラスのカー 
その他はこもった音→唇をあまりひらかないのがポイント。

Kさんから根石さんと村田に誕生日プレゼント。(先週が誕生会
だったので、他のみなさんからはもらっていた)色違いの「なま
けたろう」というなまけものをあしらったマスコット。なんか
なごみます。なまけるなよ、ということか?

ところで、更埴近在の読者のみなさん。ごつごつ英語ごっこに参加
しませんか?初心者がアウトプットする機会としては最適です。
english native speaker と一緒にいればしゃべれるということは
ないわけで、話す練習も必要です。英語がどんなに「へたくそ」でも
インプットする気持ちを持っている人ならば、大歓迎されます。
参加希望の方は村田までメールしてください。



【7786】
【タイトル】英語だけで考える力
【 日時 】03/08/02 20:31
【 発言者 】寺嶋眞一

英語だけで考える力

我々日本人が英語を操って、英米人と対等にわたり合えるかが問題である。
「あるべき姿」と「今ある姿」を比較すれば、現実批判は可能になる。「あるべき姿」は、未来構文の内容である。未来形は、英語にあって日本語にはない。日 本人が現実批判能力を獲得するには、英語だけで考える力が必要である。
現実批判があれば、その改善は要求できる。批判がなければ、現実に関する発言は趣味の問題である。歌詠みのようなものか。
「上と見るか、下と見るか」の上下判断 (序列判断) を絶えず要請される日本人社会においては、向上心の芽生えは避けられない。
だから、日本人は指導者になりたい。お上のような境地に到達したい。
だが、今の状態では指導性は発揮できない。ただ、高い地位だけを望んでいる。これが、日本人の悩み・矛盾である。


http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/



【7787】
【タイトル】<<電話でレッスン・進展>>(コーチ・根石吉久)
【 日時 】03/08/03 4:33
【 発言者 】根石吉久

<<電話でレッスン・進展>>(コーチ・根石吉久)

○<クラス十・十・十超(ヒマラヤ)>  なし。
 生徒を紹介して下さった場合、お礼としてレッスン時間を毎回5分延長する。その上で、<十・十・十>以上の設定を可能とする。(テキスト2冊目以降で必 要な量)

●<十・十・十(岩登り・冬山)>

長野・KS(中一) ニューホライズン1 p.78
長野・KB(中一) 基礎問抽出1〜100、1の中
東京・KT(イラストレーター) ゴースト p.21
奈良・OO(会社員) ゴースト p.51
長野・KR(会社員) 逃亡者 p.62(ゴースト終了)
名古屋・KJ(塾経営・講師) ニューホライズン3 p.46
東京・JG(外資・会社員) ゴースト p.66
福岡・MR(短大教員) ゴースト p.102
佐賀・KT(主婦) ゴースト p.46
長野・KTH(中一) 基礎問抽出 101〜200、4上 
長野・MR (高校英語科教員) ゴースト p.38
長野・KTN(中3) ニューホライズン3 p.56
長野・YS(高2) ゴースト p.55
奈良・OK(大学生) ゴースト p.31
↑山形・IN (公務員) ゴースト p.34
北海道・OK(塾講師) ゴースト p.98
埼玉・SI(外資・会社員) ゴースト p.46
長野・SK(小学校教員) ミッションインポシブル p.142

●<十・十・五(岩登り)>

↓京都・TK(高校英語科教員) ゴースト p.56(700選終了)
↑長野・MR (会社員・技術) ゴースト p.39
↑奈良・OO(塾講師・英語) ミッドナイトランp.12(スピード終了)

●<十・十(アルプス冬山)>

↑奈良・OG (塾講師・英検一級) ゴースト P.25 <コーチ候補>
長野・HJ(主婦) ゴースト p.23
↑東京・KK (会社員・貿易) ゴースト p.16

●<十・五(アルプス夏山)>なし

●<十(里山)> なし

●<五(ハイキング)> なし



【7788】
【タイトル】形式変更
【 日時 】03/08/03 4:41
【 発言者 】根石吉久

 「電話でレッスン」の進展の発表の形式を変更しました。これまでは、練習レベルが上がるほど下にお名前が移るようになっておりましたが、今回から、練習 レベルが上がるほど、上に移るようになっています。同一クラスの中ではレッスンの曜日順にお名前を並べていますので、練習レベルに関しては順不同です。

 今回から使っている「↑」「↓」の記号は、前回の発表以後、練習レベルを表すクラスが上に上がったか、下に下がったかを表すものです。ただし、今回は記 憶に基づいて使用しておりますので、遺漏があるかもしれません。気付かれた方はご報告下さい。訂正いたします。

 今後は、パソコンのファイルで生徒さんのクラス移動があった場合に、「↑」「↓」をつけて記録しますので、遺漏はなくなるものと思います。



【7789】
【タイトル】賞の創設
【 日時 】03/08/03 5:04
【 発言者 】根石吉久

 「電話でレッスン」の進展を発表するたびに、前回の発表以後でめざ
ましい練習に対して賞を作り、顕彰したいと思います。まずは思いつく
だけのものを、賞の名前に冠して、第一回の発表にします。賞金・賞品
はありませんが、ご容赦下さい。なお、選考委員はコーチ一人だけです。

☆ <安定賞> 東京・JG(外資・会社員) ゴースト p.66

※ 音の連続(型)が非常に安定しています。一回のテストの量
  として、平均で4、5行程度を使用しますが、ほとんど5回
  の回転でパスされています。

☆ <躍進賞> 山形・IN 公務員) ゴースト p.34
        長野・MR (会社員・技術) ゴースト p.39

※ 規定のクラスの練習を軽くクリアされる場合、○の3回連続
  で進級の原則を破り、○一つあるいは二つで進級させる場合
  があります。このお二人は、短期間にクラス移動を繰り返さ
  れ、上級のクラスに早めに移られました。

☆<Naima 賞> 
奈良・OG (塾講師・英検一級) ゴースト P.25 <コーチ候補>
東京・KK (会社員・貿易) ゴースト p.16

※ レッスンを受けられての報告を、掲示板「鬼」または「大風呂
  敷」に書いてくださり、語学論を前に進めることに貢献されま
  した。掲示板「鬼」を主宰して下さる Naima さんのお名前を冠
  して賞とします。



【7790】
【タイトル】過去ログからのコピー
【 日時 】03/08/03 16:10
【 発言者 】村田

305. イメージの生態 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月13日(金)15時53分07秒

ST 様
 オーストラリアという英語の磁場のただ中で繰り返し繰り返し読まれている小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」というやつは、幸せ者だと思いま す。
 「イメージ」の位置づけは非常に大事なことです。
 音の問題ばかり議論されると、音が解決すれば英語がものになるかのように考えてしまう人が出てきます。パクパクさんはその気味があります。
 音の「矯正」や「音づくり」のためのいい機関は、探せば登場していると思います。パクパクさんが入れ込んでいる鵜田式は、もっこりさんも使ったとおっ しゃっていたと思います。Eliot
さんのフォニックス(でしたっけ)も、Eliot さんの生徒さんたちの発音を聴かせてもらって、お薦めできると思いましたが、「音のぶつかりあい」をフォローしていないことは欠点です。
 津田さんが通われた大阪の学校のことは、学校名とそこでどんなことが行われるのかの記事をここへ書いていただけると皆さんのために共通の知識になります ので、津田さんに記事をお願いしておきます。
 宣伝ばかりが上手な英会話学校なんかへ行くのではなく、「音づくり」「音の矯正」をやる機関をうまく探し、自覚的に使うのはいいことでしょう。
 私の「電話でレッスン」にもこの機能はありますが、「電話でレッスン」が他のものと違うのは、最後には「音とイメージの同致」というものをねらっている ことかと思います。そのための原則が、「復習範囲を手放さない」です。
 問題は「イメージ」です。
 語学における「イメージ」の問題はこれまでほとんど手つかずの状態だったのではないでしょうか。
 人と人が話している場面を外から眺めても、そこにイメージというものは何も見えません。音(声)が聞こえ、人の表情が見え、場の雰囲気のようなものを感 じることはできます。「磁場」においては、「イメージ」は潜在的だということです。
 「磁場」において、人が相手にしているものは、人であり、要件であり、議論そのものです。(Duffy
さんの言う「コンテンツ」です。)イメージそのものは、人の意識に潜在し動いているだけです。
 しかし、ひとたび「机上」(語学の場)に入った場合は、「意識」こそが真の意味での「場」となります。ここではイメージは潜在的なものではなく、非常に 顕在的なものになります。いや、顕在的なものにすべきです。
 目に見える、手で触れるという意味ではありませんが、目に見えるほどに感じられる、手で触れるほどに感じられるというイメージの顕在性を獲得しようとす べきです。これが顕在的であればあるほど、また「回転」というモメントが激しければ激しいほど、イメージは、無意識にとけ込み、長く潜在するようになりま す。
 私の言っているのは割と単純なことで、語学というものの真の場は「意識」なのだということです。本当は、耳でもなければ口でもない。本物の磁場そのもの でもない。それらのあらゆる現象(情報)は、「意識」という場に集約され、さらに無意識化され潜在するようにならなければ、使える英語にはならないという ことです。難しそうに聞こえるかもしれませんが、語学というものを虚心に見ればそういうものだと思うのです。
 「意識」が、「無意識化され潜在するようになった層」とコレスポンドするということが起こらない限り、「英語がしゃべれたらステキ!」なんぞは絶対に実 現しないのですが、「ステキ!」なんぞを口走る人たちの無意識化した外国語の層はほとんどの場合、層とも言えないほどに薄いのです。ほとんどの人がおも ちゃみたいな練習しかしないから、層が薄くて使い物にならないのです。英会話学校の練習などは、90パーセント以上がおもちゃみたいな練習です。
 日本語と英語を媒介するもの、そして、さらに大事なことは顕在的な意識と潜在的な無意識の間を媒介するもの、それをさして私は「イメージ」と言ってきた と考えています。
「イメージ」は英語に化けたり、日本語に化けたりする。あるいは、英語や日本語という具体的な言語は、「イメージ」を強めたり、変容させたりする。このよ うに、「イメージ」の在り様を述べたところで、さて、それをどう引き起こすのかはまた別のことです。それをどう引き起こすのかは、語学の
how to とならなければなりません。



【7791】
【タイトル】過去ログからのコピー
【 日時 】03/08/03 16:11
【 発言者 】村田

321. 語学的標準形 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月15日(日)00時09分01秒

匿名希望み〜ちゃん 様
 コメントが遅れております。すみません。
>まえから不思議だなあと思っていたことを書きます。
数学ができなくても、社会科ができなくても、国語やほ
かの地味な科目ができなくても、そんなに恥ずかしくな
いのですが、英語ができないと、自分がとってもどんく
さいような劣等感を持ちます。
 日本では、英語という言語はニュートラルな外国語ではなくて、日米安保条約という政治的な体制の元にある言語だということが関係あると思います。
 単に英語が世界語としての地位を確立しつつあるということではないと思っています。
>英語には、ニュートラルな英語っていうのがあるんじゃないでしょうか
 これは発音についての発言でした。
 これは想定できます。
 具体例としては、Eliot さんから、ご自分の声で吹き込んだテープを送っていただいて、聞いてみたときに、「ニュートラルな英語」というのに相当するような感じを持ちました。
 私は「語学的な標準形」というものがありうると思っています。
 個々の生活場面では、個々の発語のイントネーションを本当に決定しているのは、感情ですが、机の上で語学をやる場合に採用すべきものは、「語学的な標準 形」でいいのだと思っています。
 例えば、私は「電話でレッスン」で映画のシナリオを扱っていますが、一度も映画を見てないものもレッスンします。シナリオで筋を追っていって、内容が把 握できていれば、イントネーションは「語学的な標準形」を作ることが可能です。
 発音やイントネーションなど、総じて「音」に関して「語学的な標準形」を作るためには内容が把握できていなければならないので、これはあくまでも一定の 基礎力の上に成り立つものです。しかし、一定の基礎力さえあれば、「語学的な標準形」はできるということです。
 初心者が英語をやる場合のひとまずの目標とは、この「語学的な標準形」を自分で作れるというレベルだと思っています。



【7792】
【タイトル】過去ログからのコピー
【 日時 】03/08/03 16:12
【 発言者 】村田

323. 繰り返し・蒸し返し 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月15日(日)01時59分45秒

>(今やっている基本英文700選というテキストは2回目か3
回目くらいなのですが、)次の3回目か4回目からは文全体のイ
メージをつかめてから5回連続で読むようにしようと自分で思い
ました。練習すれば練習するほどより強固なものにしようと考え
てしまいますがこれでいいんですよね。
 その通りです。
 「700選」であれ、「ゴースト」であれ、テスト範囲はそのまま復習範囲となります。私の方法は「復習範囲を手放さない」ので、何度も何度も復習するこ とになります。こうして、「こなれ」を作っています。
 しゃべる場面で口に上ってくる文(あるいはその原型)というものは、「こなれ」たものだけです。つまり、もういやんなっちゃった、もうつくづくわかっ た、飽き飽きした、当たり前のものとしか感じられないというような質を獲得したもの、これが口に上る文(あるいはその原型)です。
 この質を獲得するために、「繰り返し」か、その激化されたものとしての「回転」が必要になります。日本には英語が作る磁場がないということが、この「繰 り返し」や「回転」を要請しています。
 「回転」はそのまま「繰り返し」ですが、「復習範囲を手放さない」は、むしろ、「蒸し返し」と言った方がいいかもしれません。(私が、古い記事にこうし てコメントをしているのも、「蒸し返し」ですが...)
 いずれにせよ、「飽き飽きした」「つくづくわかった」「もういいやっていう感じ」というような性質を獲得することは、英語を使うためには積極的なプラス の性質です。
 「飽き飽きした」というようになってもまだやるっていうのがコツです。
 復習範囲が何度も蒸し返されるたびに、こと新たにしっかり練習して下さい。「音」にせよ、語法への習熟にせよ、意味と音との即時性にせよ、より高いレベ ルを獲得するように、新しく練習して下さい。本当の「こなれ」を作っていただくためです。



【7793】
【タイトル】過去ログからのコピー
【 日時 】03/08/03 16:13
【 発言者 】村田

328. うまい! 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月15日(日)03時03分50秒

Eightball 様
>私も、楽器の練習に似てると思っていました。私は、高校の
時にバンドを組んでいたんですけど、ドラムスがブラバンと兼
任の子だったのです。最初の音合わせの時に、やたらゆっくり
叩くので、こいつ、下手やな、と思っていたんですが、練習を
重ねるごとに、まるでレコードに録音されているような演奏を
するので、参りました。ヘタレは、私の方だったという(^^)
彼らの方法は、最初は、ゆっくり、正確に、そして最後は正確
に速く演奏する、というものでした。
 うまいことを言ってくれたものだと思いました。
 「最初は、ゆっくり、正確に、そして最後は正確に速く」
 これぞ、「回転読み」のコツのコツです。
 ただし、「音」に関してだけですが。



【7794】
【タイトル】過去ログからのコピー
【 日時 】03/08/03 16:14
【 発言者 】村田

333. 音読・黙読 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月16日(月)04時03分47秒

>私は主にペーパーバックの多読により、語彙と構文のインプッ
トを図ったわけですが、現在でも毎週月曜日に私が近所で主宰す
る「英会話学習相談室」の開催日が迫ってくるとそのミーティン
グで使用する読書の為に使用するペーパーバックを求めて読みあ
さりますが、副次的効用として擬似磁場の造成を行っている感覚
をもっています。
 一度、議論を交わしたことのある問題ですが、ここで蒸し返しておきたいと思います。
 英語の多読(読書)は、中級以上の方には是非おすすめしたいのですが、初心者向けではないと思います。
 浜谷さんの「多読」は、「黙読」でしょうか。
 読書は黙読になることが多いのですが、初心者のレベルの人が黙読をやると、それぞれの単語の読み(音)がわかっていないので、「音」をスポイルしたま ま、単語を文字の組み合わせ(視覚的情報)として見るか、適当に見当をつけた「音」(通じないものとして固定するおそれあり)を「内部音」として使用して しまうのではないかと思います。
 初心者はまた、イントネーションやリズムが身についていない人が多いので、黙読の読みのリズムが「盆踊り状態」であることも多々あると思います。ですか ら、黙読での読書は、語彙、構文等について、すでに相当のインプット量があり、イントネーション(リズム)に関しては「語学的な標準形」が自分で作れる人 に適するものだと思います。
 浜谷さんはご自分の主宰される教室の生徒さん向けに、テープに吹き込んだものを手渡してあげているとお聞きしていますが、これはどうしても必要だと思い ます。そちらの開催時間の長さや人数、会場の都合、収入の有無などで、すぐに実現可能なものかどうかはわからないのですが、本当は、「英語の音読教室」そ のものをやられるのが初心者には一番ありがたいことなのではないかと思っています。
 黙読をやるには、その前段階が必ず必要だと考えていますので、私は初心者にはすぐには読書(黙読)は奨めません。初心者に奨めるのは、あくまでも「音 読」です。私の「音読」は複合的で、これは同時に「音づくり」でもあります。「音づくり」をひとつずつ完成させていくことがそのまま「インプット」にもな ります。この複合性を次の言い方で言ってきました。
「音読(音づくり)によるインプット」
 初心者にとって大事な養分はこれでかなり間に合うと思っています。あるいは、これを外してしまうと、知識が知識にとどまり、センスや感覚が伴わない英語 ができてしまい、結局、「使えない英語」になってしまうと思っています。
 「音読=音づくり」ですが、この「音づくり」の場面で、私の仕事が生じます。塾にせよ、「電話でレッスン」にせよ、生徒に同じ文を繰り返し「音読」して もらって、その場で直すべきところを直し、再び同じ文を繰り返し「音読」してもらいます。
 初心者の練習では、経済的に余裕があるなら、絶対に先生につくのがいいと思っています。語学的なセンスが優れていて、自分で語学教材を使って、通じる音 の「音づくり」を成立させることのできる人には必要ありませんが、この場面で自己流に口を動かしてしまうために、通じない英語になってしまう例は非常に多 いはずです。
 「音読(自己流)によるインプット」
 これが日本の英語学習者の大多数だと思いますが、こういう人の場合でも、「電話でレッスン」を一年ほど受けられるとはっきりと音が変わります。多くの人 が、「こんなことは学校では教えてくれなかった」と言います。
「音読(音づくり)によるインプット」をそのまま映画のシナリオに対して行い、ヒアリングに直結させていくのが、ある程度基礎力のある人に対する「電話で レッスン」になります。
 日本の英語の先生が、Eliot さんのような方ばかりであるなら、私は「音とイメージの同致」の方に専念してみたいものだとも思いますが、現状はそうではなく、絶対に必要であるにも関わ らず学校がやらないこと、「音読(音づくり)によるインプット」が仕事の多くを占めています。
 個人的には私も浜谷さんにならって、ペーパーバックスを読もうとしているのですが、なかなか時間がとれず思うように進みません。
 英語での読書では、私の場合は、新しい語彙や構文のインプットをやっているという自覚があまり生じません。むしろ、英語の構文や語彙に触れ続けることに よって、慣れやこなれを作っているという感じの方が強いです。補強、蒸し返し、保存の働きを余計に感じています。語彙に関しては、見当がつくものは見当を つけて読んでいて、ほぼ間違いないなというようなところまで持っていっても、なおも辞書を使いません。辞書を使うと読みのリズムが壊れるので、ペーパー バックスを読むときは辞書は使わないことにしています。



【7798】
【タイトル】日本全国津々浦々の方々へ
【 日時 】03/08/07 23:08
【 発言者 】根石吉久

>「音読=音づくり」ですが、この「音づくり」の場面で、私の仕事が生じます。塾にせよ、「電話でレッスン」にせよ、生徒に同じ文を繰り返し「音読」して もらって、その場で直すべきところを直し、再び同じ文を繰り返し「音読」してもらいます。
>初心者の練習では、経済的に余裕があるなら、絶対に先生につくのがいいと思っています。語学的なセンスが優れていて、自分で語学教材を使って、通じる音 の「音づくり」を成立させることのできる人には必要ありませんが、この場面で自己流に口を動かしてしまうために、通じない英語になってしまう例は非常に多 いはずです。

 戸倉の花火を見てきて、今夜も酒に酔っていますので、「音読によるインプット」じゃ淋しい気がしました。
 「コーチによる音づくり・音読指導によるインプット」としようかと思います。
 日本語の磁場じゃ、意識的なインプットなしで英語がしゃべれるようになるわけも聴きとれるようになるわけもないので、現在ではこれが最良の方法かと思っ ています。
 「コーチによる音づくり・音読指導によるインプット」を2年か3年経験してから、國弘正雄の「師管朗読」に入れば、日本に住んでいるだけでもある程度の 英語は使えるようになる。國弘は「師管朗読」を根底としたいらしいが、そうではないと思う。学校の教室で柴田さんのような先生にめぐりあえるならともか く、日本全国津々浦々のチャチな学校授業しか受けられない人たちは、今後は Naima さんの「電話でレッスン」を真剣に検討してほしい。



【7807】
【タイトル】浜谷さんとの議論(1)
【 日時 】03/08/12 12:17
【 発言者 】根石吉久

 村田君が再掲してくれている過去ログに浜谷さんとの「多読」をめぐる議論の一端が現れたので、少し現在からのコメントをすることにした。
 結局、この議論はうやむやになった。「多読万能主義」とでもいうべきものの盲点は明らかにしたと思っているが、浜谷さんの側で、私の言い分が腹におさ まったのかどうかがわからなかったので、うやむやになったという印象が残ったのである。
 簡単に要約すれば以下のような議論だったと思う。

浜谷:自分の英語がブレイクスルーしたときの方法がペーパ
   ーバックスの多読である。これは誰にでも薦められる
   方法である。
根石:浜谷さんは、中学・高校を通じて英語の優等生だった。
   その人に「高校以後」有効であった方法が、初心者に
   薦められるというのは間違っている。初心者に必要な
   のは、「音づくり」を兼ねた「音読」である。

 「多読」は多くの場合、「黙読」になると思う。その場合、「音」の問題はどうなるのかという私の指摘に対して、浜谷さんは初心者の人にはテキストを自分 で吹き込んだものをテープに収めて手渡していると言われた。
 現在からもう一度、この場面、浜谷さんがテープを初心者に手渡す場面を見てみたい。
 テープを手渡したからといって、それで「音づくり」の問題は何も解決しないという問題がここにある。
 
 複製音声教材があれば、生徒はネイティヴ音(モデル音)を自分の口で複製できるという盲信がそこにあるだけなのだ。これは、複製音声教材の使い方の間違 いである。基本が間違っているのだ。この間違いの元にあるのは、語学とネイティヴ言語獲得過程の同一視である。
 学校の教室みたいなところで、テープやCDの複製ネイティヴ音を聞かされ、同じように言ってみろと言われたことのある人は多いだろう。それがその場で成 立すれば結構であるが、生徒たちは日本語の音の体系を身体化した後の人間なのだ。「英語しかしゃべれない」人たちの音が、「聴けば作れる」ということは 『ない』。
 NHKの語学放送だってそうである。基本的に、「聴けば作れる」という盲信によって多数の番組が作られているのである。「聴けば作れる」が元になってい る限り、いくら番組内容が多様化したところで、しょせんは英語フリーク向けでしかない。
 CD付きの英語本がちまたには溢れているが、これも「聴けば作れる」という盲信が元になっている。「聴けば作れる」が嘘であるのは、これほどにCD付き の本が溢れてもなお、日本人にとっての英語が、(「音」の問題だけをとりあげても)相変わらず難物のままであるのを見ればわかるはずである。

 浜谷さんがテープを手渡す行為にも、「聴けば作れる」が元にある。
 そんなことはない。「そこは、もっと顎を下げてください」というような、具体的なコーチが必要なのだ。コーチによる「音づくり」と並行させて、あるい は、「音づくり」を経てから、複製音声教材によって「調音」を行えば、CD付きの英語本だろうが、NHKの語学放送だろうが、みんな活きて来るだろう。



【7808】
【タイトル】浜谷さんとの議論(2)
【 日時 】03/08/12 12:18
【 発言者 】根石吉久

 基本が間違っている、というより、基本的な順序が間違っている。

・コーチによる「音づくり」 → 複製音声教材による「調音」

 この順序を、のべたらな複製音声教材の模倣にしてしまっているのである。まずこの国の90パーセント以上の複製音声教材の「使い方」がそうだろう。お手 本にして崇めてしまい、「媒介」にする方法を知らない。

 もしも、コーチが手に入らない場合は、「只管朗読」なり「回転読み」なりで、自分の口の筋肉を使った「ひたすらな読み込み」「同じものを繰り返し音読」 を継続すべきだろう。それを基本にして、口の動きの柔らかさをまず作り、その柔らかさに「複製音声教材」を「媒介」にすべきだろう。

・コーチによる「音づくり」 → 複製音声教材による「調音」

・自分の口をひたすら動かし「柔らかさ」を作る → 複製音声を「媒介」

 この二つがコーチのある無しを別とすれば、同じ原理によるものであることがわかるだろう。どちらも、「自分の口を動かす」ことが最初にあり、次に、その 「動き」に「媒介」すべきものとして、複製音声がある。
 最初に複製音声を聴き、次に真似ようとするという行為と、これらの二つは遠くから見れば似ている。しかし、近づいてよく見るなら、これは原理的にまった く別の行為なのである。「媒介」という行為があるかないか、そこが決定的に違う。「媒介」として使うという語学的主体の有無がかかっているのだ。

 ここに横たわっている一事は、「初心者にはコーチが必要である」という原則であるはずだ。本当はそれが原則なのである。この国が貧しい国だということ は、この原則が原則として通用しないことでもわかる。本当は柴田さんのやってこれらたような授業が全国的に行われていて当然なのだが、公立の学校は、文部 科学省の親玉の元で、授業と称するスカンピンをやってきただけだ。

 私の「電話でレッスン」は、「音づくり」だけでなく、「音と意味の合体」をも視野に入れている。学校が「音づくり」をちゃんとやれるなら、私は「音と意 味の合体」の方だけに力を注ぐことができるのだが、今は夢の夢でしかない。レッスンはいつも「音づくり」から始めている。

 複製音声教材があれば、生徒がネイティヴ音を自分の口で複製できるのは、生徒が英語フリークである場合だけである。多くの非フリーク(普通の人々)は、 複製音声教材をそっくりに真似て言うような行為に嫌悪を感じる。
 この嫌悪は当然なのだ。これは、発語が声と音とに分離することに対する嫌悪なのであり、言葉に対して鈍い人でなければ、当然感じるはずの嫌悪だろう。
 生活過程では、言葉の音声現象は決して単なる音ではない。音声現象はいつも、音と意味が一体化した「声」であって、もしも生活過程で、声と音が完全に分 離するようなことが起これば、それは病気である。
 生活過程で生じないことが、語学では、最初に生じるという問題がここにあるものである。「音と意味が分離している」という問題である。
 生活過程では決して起こらないことが、語学を考える場合には、大前提なのである。
 人々はここをすっかり無視している。

 私は語学屋ではあるが、複製音声をそっくり真似て言うことで生じる非英語フリークの嫌悪の味方でもある。語学では、「原理的に」音と意味は別々のものな のだが、非英語フリークは、語学の対象物をあくまでも「言葉」として受け止めようとするのである。語学の最終過程においてようやく実現することを、最初に 簡単にやってしまうのである。
 これはきわめて自然なことであると思う。人々にとって、言葉はいつも総体であり、音だけであったり、文字だけであったり、意味だけであったりすることは 「ない」からだ。



【7809】
【タイトル】浜谷さんとの議論(3)
【 日時 】03/08/12 12:19
【 発言者 】根石吉久

 上級者には初心者のことがわからないと私は何度か浜谷さんとのやりとりで繰り返したと思う。これは、フリークには非フリークのことがわからないと言い直 してもいいのかと思い直している。しかし、それがわからなければ、「教室」などやれたものではないはずだとも思っている。
 ことは、一英語教室の問題ではない。広島大学の柳瀬という方は、私とのやりとりで、「自分には学習者の身がわからない」と現代哲学用語で言われた。私 は、非常にびっくりしたのを覚えている。それがわからなくて、どうして「現場の先生の指導」なんかやっていられるのか。現場の先生たちが右往左往している のは確かだが、そのまた元には、「生徒の身」があるのだ。生徒という学習者の「身」がある。それがわからなくて、チョムスキーも糞もあるか、と思ったの だった。
 難解な言語理論で武装できたつもりなのであるのかどうか知らないが、なあに、尻隠さずじゃないか。柳瀬さんのいいところは、正直に反省するところだけで ある。この程度の人に指導なんかされていたら、「現場の先生」たちの右往左往がやむ時はないだろう。
 浜谷さんとのやりとり、広島大学・柳瀬さんとのやりとりのどちらをも、私の「音と意味の分離」は貫いている。
 分離している音と意味の音に焦点を当て、「意味と合体させるに足る質の音」を実現した方は、私の素読舎の回りを除いては、柴田さん一人いるだけである。
 その柴田さんにおいてでも、「音と意味の合体」の問題は、数百語から成るテキストの暗唱発表ということで対処できているだけである。しかし、これでいい のではないか。学校の教室がやれることのベストの形ではないか。それ以上の「音と意味の合体」の方法は、学校の教室では不可能であるだろう。
 柴田さんは、柴田さんの「場」でベストを尽くした。それは「音作りへの道」にはっきりと形になっている。
 言ってみれば、柴田さんは「音づくり」という外科手術における名医だ。縫合術は実に見事だしていねいな仕事だ。それは、柴田さんが作ったCDで生徒たち の朗読を聴いてみれば一目瞭然である。
 それに比するなら、私の「音づくり」は実に荒っぽい。切った後がわかるような手術であり、音の見栄えはよろしくない。しかし、基本はきっちりと押さえて ある。丁寧な縫合よりも、私はその外科手術を成立させる「原理」の方に力を注ぎたいと思っている。

 浜谷さんとのやりとりの話が、柴田さんのことになってしまったが、私は「音づくり」という一事に関してなら、柴田さんの授業が、この国の最高峰だと思っ ている。本当は、柳瀬一派ではなく、國弘一派が着目すべきなのだと思っている。



【7811】
【タイトル】使える英語学習理論
【 日時 】03/08/12 14:20
【 発言者 】浜谷

根石さんご無沙汰しています。お元気そうで何よりです。

さて、しばらくこちらにお邪魔していませんが、それは私の使える英語(英会話)学習理論と根石さんの英語学習理論の間にかなりの溝があることに気がついた からです。私は外国語の学習は喋れてなんぼのものと思っております。ですから音読の重要性は十分認識していますが、それはインプットの一環としての音読だ と思っています。確かに発音の矯正に効果が大きいということもあり、初心者の方には私も音読を薦めています。実際この4月から再開した私の主宰する英会話 サークルでは最初の30分間一心不乱に音読をしていただいています。その教材は「英絶」初級編のC/Dです。

しかしながら私は使える英語(英会話)の在日のままでの学習にはインプットが最も重要だと思っています。発音の大切さは英語学習者はよく知っていますが、 インプットの大切さを知らない人、また、知っていてもなおざりにしている人が多いように思います。在日のままで使える英語(英会話)をものにしようと思え ば沢山英字書を読むこと、沢山英語音声を聴くことだと思いますが、音声を聴くには学習者のレベルが大きなファクターになると思います。そのレベルに合わせ た音声を聴こうとしてもそのような便利な教材を沢山見つけることは困難です。その点英字書は易しいもの(graded reader)からさまざまなレベルのものがあります。どんな英字書でもいいですが、各自に興味のあるものがいいに決まっています。多くの方にはペーパー バックが適当でしょう。便利なことにgraded readerは7等級ぐらいのレベルに分けて出版されています。いずれにせよペーパーバックを沢山読むのが最も良いインプット方法だと思っています。

それから根石さんの理論は素晴らしいと思っています。柴田さんの学校での音読を主体とした英語授業も素晴らしいと思っています。また、私は学校での英語授 業がなるべく柴田さん方式に変っていって欲しいと願っています。 しかし、おそらくそれはかなり遠い将来の話になると思います。だとすれば、学校で使えな い英語しか教わっていない社会人に使える英語を教える私たちの役目は大きいと思っています。ネット上ではそういう方達、具体的には、近くではこの掲示板に よく見えられていた恋人ファンさん、boysome228さん、など遠くではSSS方式で指導されている方達、その他、各地で英会話サークルを主宰して使 える英語(英会話)を指導している方達とも共に手を携えてその役目を果たして行きたいものだと思っています。



【7812】
【タイトル】浜谷さん(1)
【 日時 】03/08/13 0:17
【 発言者 】根石吉久

 お久しぶりです。

>さて、しばらくこちらにお邪魔していませんが、それは私の使える英語(英会話)学習理論と根石さんの英語学習理論の間にかなりの溝があることに気がつい たからです。

 私は浜谷さんの理論(?)と私のそれとの間には巨大な溝があると思っておりました。優等生だった人と、一度だって優等生であったことのない者との間の溝 だと思っております。現在は、この溝を埋める気は失せております。しかし、浜谷さん一人が妄説の中におられることは構わないとしても、この掲示板を読んで 下さる未知の読者に向けては書いておかなければならないと思っています。語学の原理論というものはありうるはずだと考えている私の義務だと心得ます。

>私は外国語の学習は喋れてなんぼのものと思っております。

 喋れてなんぼのもんであると同時に、喋れたからってなんぼのもんだとも思います。
 喋れるか喋れないかに大別するなら、私は喋れるのですが、それがなんぼのもんなのでしょう。そんなもの語学を「まともに」やれば、途中で自然に手に入る ものでしかない。語学は、人間のイメージの力を強めてくれる。そっちの方がはるかに人間の質に資するものが大きい。うすっぺらなアメリカ帰りがぺらぺらと 喋っているではありませんか。アメリカ製のイメージでぺらぺら喋れることがなんぼのもんなのか。
 語学に対する思いにおいて、確実に浜谷さんと私の間に巨大な溝があるのです。

 もっとも大きな違和は、浜谷さんが英語の読書を語学の手段としてしまうところにあります。読書は読書であり、絶対に語学の手段なんかではないと思ってい ます。英語での読書は語学をやった人に対する大きなご褒美だとは思っていますし、本来の意味で大きな楽しみであるとも思っています。楽しみであるというこ とにおいて、日本語による読書と英語による読書の間に私は何の区別も設ける気がありません。そして、読書をいかなる意味でも語学の手段として使う気はあり ません。
 楽しみで読むことにも、忘れてしまいがちな語彙・語法等をリフレッシュさせる作用はあるでしょう。つまり、読書が語学に資するものはあるでしょう。しか し、それは読書の副作用みたいなものです。副作用が生じることに何の文句もない。しかし、副作用をめがけて読書をするなどということはやりたくもないとい うだけの潔癖が私にあります。
 私は実際に貧乏ではあるものの、副作用をめがけて読書するなどということは貧乏くさくていけません。貧乏であることと貧乏くさいということは別のことで あり、貧乏くさいのはいけません。楽しみは楽しみでいい。それ意外のものは要らない。そう考えております。
 語学のために読書する? 冗談じゃないのです。

>確かに発音の矯正に効果が大きいということもあり、初心者の方には私も音読を薦めています。実際この4月から再開した私の主宰する英会話サークルでは最 初の30分間一心不乱に音読をしていただいています。その教材は「英絶」初級編のC/Dです。

 いいことだと思います。もし、浜谷さんの教室から英語が喋れる人が出てきたなら、浜谷さんの理論(?)によるものではなく、このひたすらな音読のおかげ だと思います。もしも、語学の過程に自覚的な生徒が、喋れるようになったのは、多読のせいではなく音読のせいだと明言するようなことがあれば、浜谷理論 (?)による効果ではなく根石理論による効果だということになります。その生徒さんと私が一度も言葉を交わしたことがなくても、そうなります。
 理論というものは、ハウツウの優劣を言うようなものであるはずがない。何もかも貫き通すことができるのでなければ、理論などと言えないはずです。



【7813】
【タイトル】浜谷さん(2)
【 日時 】03/08/13 0:18
【 発言者 】根石吉久

>しかしながら私は使える英語(英会話)の在日のままでの学習にはインプットが最も重要だと思っています。

 インプットは必須であるのであり、最も重要なわけではない。
 だいたいが、間違った音でインプットする人は間違った音でアウトプットするはずですが、「喋れてなんぼ」主義の浜谷さんは、間違った音で喋って通じない 現象はどう理解なさるのですか。通じるかどうかなんぞはどうでもよくて、何でもいいから何か喋ってさえいればそれでいいのですか。だったら人を相手にする 必要もない。独り言を言っていればそれでいいのです。
 インプットは必須です。飯も食わずにうんこができるか、と私が言ってきた通りであり、アウトプットのためにはインプットは必須です。
 しかし、音の問題よりもインプットの方が重要だなどというのはまったくの妄説です。
 この点に関しては、「意味と合体させる価値のある音」「意味と合体させるに足るだけの質を備えた音」という私の言い方で解決していると思っています。
 インプット、インプットとおっしゃいますが、インプットは「音と意味の合体」抜きにできるわけのものではない。むしろ、「音と意味の合体」こそが、イン プットの実質ではないでしょうか。その合体がないなら、「音のインプット」「意味のインプット」と限定すべきであり、いつもながら浜谷さんのもの言いは無 限定に過ぎるのです。
 そして、「多読」によっては、意味のインプットしかできないのではないでしょうか。「合体」があるとすれば、具体的には、綴り(文字)と意味の合体で す。多読によって、音と意味を合体させることができる人は、音の問題をすでに解決してある人だけです。黙読の途中で音読に切り替えれば、そのまま通じる音 で読める人だけです。

 再度言います。音の問題よりもインプットの方が重要だなどとは妄説です。インプットは絶対に必要なだけです。そして、インプットするなら少量よりも多量 の方がいい。
 浜谷さんが言っているのは、この「多量」のことです。だから、「多読」なのです。それが必要であることは、まったくその通りですが、私が言っているの は、インプットの「質」のことです。通じない音でインプットしたってしょうがねえだろ、というのは「質」の問題です。
 「量」をやるのであれば、どかどかやるがいい。しかし、「質」をちゃんと確保しろと私は言っているに過ぎません。正当なもの言いだと思っております。そ して、「質」の問題を外して、「量」のことを言うのは、不当なもの言いだとも思っております。

 音の問題をすっとばして、意味と綴り(文字)の合体を学校英語や受験英語はやってきたはずです。つまり、音の問題を外したインプットです。これと浜谷さ んの理論(?)は相似形なのです。学校のやり方に欠点があると言いながら、理論(?)としては、浜谷さんは文部科学省と似たりよったりなのです。「質」を すっとばして、「量」を問題にする点において、相似形です。

>在日のままで使える英語(英会話)をものにしようと思えば沢山英字書を読むこと、沢山英語音声を聴くことだと思いますが、

 文法の問題はどうなさるのですか。
 文法の理解を外して、いくら易しいものから始めたところで、ちゃんと読めるとは思えません。ここにも、浜谷さんの「無自覚優等生」問題があるのです。
 SSS なんかが理論的に駄目なのもここです。「磁場」という問題をすっとばしている。
 英語の磁場のない場所では、文法は必要なのです。
 これも何度も書きますが、浜谷さんは優等生として、文法はちゃんとマスターしておいてから、「多読」をやったのです。学年で一番できた人のブレイクス ルーの方法が、万人向きであるわけがない。これに較べれば、國弘の「只管朗読」は万人向きです。しかし、実際に「只管朗読」の「只管」をやる人が余りにも 少ないだけのことです。



【7814】
【タイトル】外野から
【 日時 】03/08/13 3:26
【 発言者 】Naima

浜谷さんと根石さんの議論を久々に読ませて頂いて、やはり初心者の定義が違う事が堂々めぐりの原因だと言う思いを新たにしています。 

これは随分前に決着した様なしなかった様な、なんだかモヤモヤした所で終わってしまったんですが、浜谷さんは学校の英語の基礎くらいはある人達を対象にし た英語サークルを主催しておられると私は理解しています。 しかも、赤尾の豆単程度の語彙はある程度、認識しておられる方を対象にしていらっしゃる、と言 う理解なんですが、それでよろしいでしょうか? 

数年前に英語学習をグループでいた方をお手伝いした事があります。 最近になってその方が、「もう一度英語をやりたい」とおっしゃいました。 「自分の勉 強の為にお金をかけたくはない」ともおっしゃったもので、浜谷さんのサークルと音読マラソンと言うサークルをご紹介しました。 

その方の浜谷さんのサークルでの体験レッスンの印象は「初級のグループでもそこそこ英語がしゃべれる方達が中心の様でついて行けるかどうか不安」と言うも のでした。 かなり謙遜されているとは思います。 初級者とご自分ではおっしゃっていますが、発音もよく高校で習った基礎は充分に身につけておられます。  いわゆる”旅行英会話”くらいはこなせる方です。 勉強法も自分なりのやり方をいろいろ試して来られて、何が自分に不足なのかがある程度わかってもおら れます。 こういうレベルの方ならば、浜谷さんのサークルで充分効果が上がるだろうと思います。 

そういう意味で、「自分の持っている英語力をなんとか活用して、英会話力をつけよう」とされている浜谷さんのサークルは貴重だとは思っています。 一回た かだか300円の参加費で、労力のいる準備をされてサークルに臨んでおられる姿勢には頭が下がる思いもしております。

それに対して、根石さんの言われる「初心者」は、掛け値なしの初心者です。 私も英語教室を長年やっていたので、「初心者」と言うのは アルファベットの 読み書きから始めなければならない人達と思っています。 高校生であっても単語の発音、綴り、意味、文法、なにもかもがはっきりとした形にならないまま雑 炊の様にグジャグジャになっている子達は沢山います。 英語が苦手なまま社会人になり、会社で経理畑にいるにもかかわらず、TOEICのスコア 500点 とらなければ課長昇進は出来ない、とのお達しで、四苦八苦しておられる方も沢山おられます。

このようなレベルの方達には graded readers の最下レベルのものでも、何が何だかわからないのです。 しかも勉強するにも、どこからどう手をつければいいのかわからないレベルです。



【7815】
【タイトル】もう一点
【 日時 】03/08/13 3:50
【 発言者 】Naima

これもさんざん議論して来た所であると思いますが、「多読」の「多」はどのくらいの量か、と言う点です。 月に1〜2冊で、しかもgraded readers 程度の語数のものを1〜2冊で、多読と言えるのか、と言う点です。  浜谷さんが多読によって英会話をものにされ、通訳ガイド試験に合格されたと言う事実 を認めるにしても、付合いを断って読書だけに集中する数年が必要だったと言う現実もあるわけです。 それが出来ない人がほとんどであり、付合いを断ってま で英語をやらねばならないと言う必然性を感じない人も大勢おられると思います。

ならば、浜谷さんがこなされて来た様な量を読破するには、一般的な学習者は何年を費やせば良いのか? と言う疑問も残ります。 

それとgraded readers はあくまで副教材として編集されていると思います。 コースブックや文法テキストやフォニックスによる発音指導が基本にあって、それで余力のある子達がど んどん好きなものを好きなだけ読み進んでいけば、相乗効果が得られると思います。
しかし、 This is apple. と言う間違いくらいで済むレベルなら良いけれども、This も is も apple もわからないレベルでは、無理なのではないでしょうか?



【7816】
【タイトル】インプットの質
【 日時 】03/08/13 5:10
【 発言者 】Naima

インプットの質が大切だ、と根石さんがおっしゃっていますが、同感です。 

リスニング力をつける為には、ただ漫然と「シャワー」の様に英語を聞いていてもあまり効果はありません。 中級者あたりでもまずは量より質を目指す方が学 習効率が良いだろうと思います。 「まったくの初級者」では、絶対に発音指導が必要です。 非常に音感のある人や耳の良い人でなければ、聞けない音はいつ までたっても聞けません。 

ただ、浜谷さんがサークルで発音指導をされてない理由についても理解出来る様な気がします。 発音指導にはある程度熟練も必要で忍耐づよい指導が必要です が、ほとんどボランティア状態でされているのです。 サークルに集まる人達もそこまで切実には望んではおられないに違いないと思うのです。 浜谷さんも 「伴走読み」のレッスンでは、音づくり指導をされているのではないだろうか、と想像しています。

浜谷さんは、これも多読のみで、フランス語やスペイン語もかなりのレベルに達せられたとうかがっています。 英語の基礎がおありになったにせよ、まったく の文法的知識もなく、読書だけでものにされましたか? 厳密に言うと、単語を辞書で引けば文法説明が必ず出て来ます。 大学でフランス語を第2外国語とし てとられた、と言う事もなかったでしょうか?

根石さんの浜谷さんの多読論に対する執拗な喰い下がり様は、浜谷さんの語学学習の出発点はどうであったか、をあいまいにされている為だと思います。 中学 一年生で初めて英語を習われた時の事を思い出して見て下さい。 どんな風に勉強してこられたのでしょうか? 

私は、その辺の事がはっきりすればこういう議論は簡単に決着がつく様に思うんですが...



【7817】
【タイトル】私の主張(理論?)
【 日時 】03/08/13 5:49
【 発言者 】浜谷

根石さん、Naimaさん、いろいろアドバイスありがとうございます。

まあ、英語学習及び英語教育にはいろいろの方法があると思います。頑固なようですが、私は私のやり方で行くしかないと思っています。それでついて来ていた だける方が一人でもいたらいいと思っています。ですからサークルという形をとっています。それも会費は1回づついただいていますので、駄目だと思われた方 は参加されないでいいだけです。実際1回〜数回来られて、来られなくなる方が多いです。私のホームページも、カウンターをつけていませんのでどれだけの人 が来られているか分かりませんが、気長に改良しながら、自分の主張(理論?)を分かってもらえるよう努力していきたいと思っています。

私は現在の使える英語(英会話)の学習方法が大手英会話学校や新聞の巨大広告の学習テープに汚染されている現状をなんとか打破したいと思っています。その ための捨石になる覚悟です。ただそれだけです。

>もし、浜谷さんの教室から英語が喋れる人が出てきたなら、浜谷さんの理論(?)によるものではなく、このひたすらな音読のおかげだと思います。もしも、 語学の過程に自覚的な生徒が、喋れるようになったのは、多読のせいではなく音読のせいだと明言するようなことがあれば、浜谷理論(?)による効果ではなく 根石理論による効果だということになります。その生徒さんと私が一度も言葉を交わしたことがなくても、そうなります。

結構だと思います。サークルのみなさんには毎回素読舎やその他有益と思われるサイトのコピーを持っていって展示し、折のふれて素読舎の手法の素晴らしさを 伝えています。音読も素読舎を見学させていただいた経験を生かすようにしています。

大風呂敷は今後も拝見させていただきますが、おそらく私の主張(理論?)を展開することはないでしょう。それが出来るのは私のホームページと主宰する英会 話サークルが確固とした基盤固めが出来た時です。



【7818】
【タイトル】コーチの存在の有無
【 日時 】03/08/13 12:45
【 発言者 】パクパク

たいへん、ご無沙汰しております。
なにかわかりきったことを、蒸し返しの議論がなされている感があります。

英語学習の前に、音作りが必要というのは、きわめて、当たり前とおもいます。
そばに外人がいたところで、外人の肉声音声を聞いたところで、
あるいは、CD複製音声を聞いたところで、音づくりはできないと
おもいます。
1:1の個人的指導でのみしか、音づくりは、できないでしょう。
これが、原則でしょう。
音作りのコーチの有無が、山のようにある英語学習法の区別のポイントとおもいます。
しかし、いまの日本に、音作りを教えている人は、少数です。
だから、多くの英語学習者は、仕方がない方法で、次善の策として、音読をせざるを得ない。
ひとり学習です。
これは、犬かき泳法のようなもので、かろうじて、水にうかべられるのがオチです。
それよりも、英語学習原則に戻って、音作りの師を求めることが、戦略的に勝ちと
おもいます。
ネットの時代だから、そういう先生が探せばいるし、値段もそんなに高くないと
おもいます。
ちなみに法外に値段の高い発音矯正教室がありますが、そういうところは行かないほうが
いいとおもいます。
つまり、英語の音づくり自体は、そんなに時間のかかるものでもなく、
価格の高いものではないということです。



【7820】
【タイトル】チャーチルの手紙
【 日時 】03/08/14 3:33
【 発言者 】寺嶋眞一

チャーチルの手紙

昭和16(1941)年4月12日、松岡外相に宛てたチャーチル英首相(外相代理)の手紙には、八項目の疑問文が書いてある。その第(八)は、 1941 年には米國の鉄鋼生産は7500万トンである。英國では、約1250万トンであるから、合計すると大体9000万トンになるのは本当のことであるか。ドイ ツが敗北すれば、日本の鉄鋼生産700万トンは、日本単独の戰爭の爲には足りないのではないか、である。当時わが国の鉄の生産は、アメリカの10分の1も なかった。それでも、戦争した。それで、鉄の嵐が吹きすさんだ。弾丸を節約するばかりでは、戦には勝てなかった。日本人は、苦労のための苦労をした。
日本語には、未来形がない。だから、未来構文の内容は成り立たず、未来に関する筋書きの精査は不可能である。日本人の未来に関する発言は、小言、片言、独 り言のようなものになる。意味もなければ、誤りもない。日本人は、英米との戦いで、気合負けはしていなかった。だが、戦いには敗れた。
420文字
You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/

精神論

英米人は、理性判断により、この世界を支配した。日本人は、この理性判断の強みを信じることができない。ことの成否は、気合の有無 (精神論) によると考えている。その例は英語の勉強の中にも見られる。’Where there’s a will, there’s a way.”は、私の解説では、「意思 (will) のあるところに方法がある」となる。日本人の考え方では、「精神一到何事かならざらんや」である。明らかに、後者は気合の重要性に着眼している。
意思 (will) は、未来構文の内容である。日本語には、未来構文がない。未来構文の内容は、意味の理解も可能であるし、誤りも発見できる。だがしかし、構文がなく、ばら ばらな単語ばかりでは、意味もなければ誤りもない。日本人には意思がない。そこで、「やる気・気力・精神力がなくては駄目だ」ということになる。気合・掛 け声とともに行動に踏み切る。為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけりと信じてのことである。現在の地球は、英米の世である。現実 を何よりも重視する日本人に、現実支配ができないことは、至極残念なことである。474文字
You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/



【7821】
【タイトル】寺嶋さん(1)
【 日時 】03/08/15 1:21
【 発言者 】根石吉久

 以前、一度ここに書かれたことがありましたが、独自の用語法によるものでよくわかりませんでした。今回、ご案内のホームページを読ませていただき、よう やくなんとなくですが、おっしゃりたいことがわかりました。

 何度も繰り返し繰り返し書かれているのは、「日本語には未来構文がない」という一事でした。この一事を基底として、日本人はヴィジョンを持つことができ ないという現象が現れている、とおっしゃっていると読みましたが、それでよろしいでしょうか。とりわけ、政治家たちにヴィジョンがないことを繰り返し批判 されていて、この食い下がりの粘り強さは、政治人事にほとんど興味が持てない私にも、はっきり伝わってきました。

 自分の意見をはっきりさせない日本人のふるまいの背後に日本語の特質があると見る見方は非常に面白いと思います。
 寺嶋さんは、「未来構文」ばかりを問題にされていますが、日本語には「構文」という構造自体がないのではないでしょうか。日本語を書いていても、構造物 だとか構築物だとかいう感じが持てません。そこに構文というものがあるならば、書きながら、構造物や構築物の感じがするはずだと思うのですが、私はそれを ほとんど感じません。
 流動物みたいな感じがします。つまり、日本語は構築されるのではなく、流れるのだと思います。半ばは言語自体の性行に主体をゆだねないとうまく日本語と して流れないというような感じがいつもあります。自分の意思で構築するという感じがどうもしません。英語を書けば、構築している感じはいつもはっきりあり ます。

 英米流の考え方を日本人が持つべきだという意見には賛成ですが、これは実にあやうい道でして、私は分裂に耐えきるだけの力を持たない人々がそれをやって も、神経症の多発として結果するだろうと思っています。その激突をやわらげ、時至らば、一挙に獲得するためには素読という一方法あるのみだとも思っており ます。
 日本人が英米流の考え方を持つことは、英米流の考え方に同化することではないはずです。日本人として、 super flat な日本人の考え方をよく理解しながら、構築的な英米流をも理解するという分裂になると思います。胆力があれば、この分裂は積極的なプラス価値になります が、そうでなければ神経症の多発となるでしょう。しかし、この分裂に耐えきる人が今後の日本に必要であるのだとも考えています。

 私は基本的には、日本語でなければ言えないことがあり、英語でなければ言えないことがあると考えています。日本語でなければ言えないことは、日本語で言 うしかないし、英語でなければ言えないことは、英語で言うしかない。
 日本語でなければ言えないことを日本語で言っても、日本語を知らない英米人がそれを理解しなかった場合、彼らがアルタイ語系の考え方がわからないのであ るから、彼らには世界の半分がわからないのだと言うことができるはずだと思っています。その逆もまた真であり、英語でなければ言えないことを英米人が言 い、英語を知らない日本人がそれをわからない場合は、やはりこの日本人も世界の半分がわからないままであると言えると思います。この点で、私は日本語と英 語をまったく even にとらえており、寺嶋さんのように日本語が構築的でないことを欠点や欠如としてとらえることはありません。それを欠如とするならば、英語には流動性が欠如 しているとも言えるはずです。いつでもがちがちと主語を明確にしたがり、その主体のありかをはっきりさせたうえで、その意思や意思が向かう対象物を客体化 したがる言語の性行は、人間の意識に陰影として生じ、綾として浮かぶものをとらえるのは苦手でしょう。そういうものは、「流れ」としての言語がよくとらえ るものです。

 英語が科学・哲学に向いているというご指摘には賛成です。これはがちがちの世界ですから、構築的な言語の方が向いている。
 また、現在が英米の世の中であるというのもその通りだと思います。

 構築的な言語は、鉄砲を作り出す。
 それに対して、super flat な言語は、弓くらいしか作り出さない。
 現在が英米の世の中であることの元には、そういう事情もあると思います。
 英米が、弓くらいしか作らない人々をどれほど殺してきたか。日本の近代の猿まねの狂気どころではない。あやつらは、一神教の神の名において、自覚的に自 信をもって、堂々と殺してきた。家畜を殺すように殺してきたのです。



【7822】
【タイトル】寺嶋さん(2)
【 日時 】03/08/15 1:22
【 発言者 】根石吉久

 現実のパワーにおいて、つまり、政治や軍事力において、英米の世の中であるからといって、英語が日本語よりすぐれているというように考えることはまった くできません。日本人が英語的思考を理解することは必要だと思っておりますが、もしそうであるならば、実際的な力を持つ英米人たちは、super flat な流動物としての日本語による思考法も備えるべきなのです。現実的な力を持つ人間は、弱くやわらかいものを理解しなければいけません。深い深い溝がその間 にあるにせよ。

 それを冗談めかして言うと、ブッシュは日本語をやれ、となります。

 言うなれば、それがヴィジョンというものだと思います。構築的なものの方から flat なものの方へ、flat なものの方から構築的なものの方へ。その二つがともに動きとなるなら、ようやくそれをグローバルな動きと呼べると思います。アメリカが振りかざすグローバ リズムなど、それがいくら現実的なパワーを備えていようと、私は信じるつもりはありません。無視することをしないだけです。

 一神教の神は砂漠生まれだと理解しておりますが、これは略奪や強盗が日常的である土地で生まれた神でもあり、絶えず論理・正邪をはっきりさせたがる西洋 シンタックス(言語)はそういう風土が産んだものとは言えないでしょうか。ヨーロッパの土地は、砂漠ほどひどくはないにせよ、アジアの肥沃に較べれば、痩 せた土地だとも聞いております。こういうところで、will をはっきり述べる言語が発達するのは理由のあることだと思います。
 アメリカに即せば、世界史上の途中で、WASPどものご先祖は、西部開拓とやらをやらかし、ネイティヴたちの住んでいる場所を略奪し強盗しました。はっ きり言って、泥棒行為です。この行為を正当化したのは、砂漠生まれの神であろうと思っています。

 これに対して、日本の神は八百万の神なので、中心や基準があるようでない、ないようでなんとなくある、というような世界観になるのであろうと思っており ます。日本はまた、大陸を伝わってきたものが吹き溜まる場所でもあったであろうと思っています。時代時代に伝わってきたものが、層を成して積み重なった場 所が日本だったのではないか、と。
 大陸から伝わってきたものは、日本に吹き溜まり、ハワイまでは伝わらなかった。
 これが、日本人が新しいものを受け入れてすぐにそれを消化する能力を発達させたのではないかと考えています。鉄砲が伝わってきた時も、すぐに同じような ものを作ってしまったそうです。これは、寺嶋さんによれば、科学ではなく、技術にすぎないとなります。確かにそうですが、作物がとれる土地にいて、待って いれば大陸から次々と新しいものが伝わってくる土地にいれば、待つ姿勢、来たものを消化する姿勢ばかりが育つのも無理はないと思います。わざわざ鉄砲など というものを「設計」し、効率よく人を殺すことをヴィジョンに描くなどという必要はなかったのでしょう。
 英米の世の中であり、論理をはっきり言い、ヴィジョンをはっきり言い、正邪を一方的に言い立てるものどもを相手だからこそ、日本人のあいまいさはむしろ 貴重だとも言えます。日本が技術力でもいいし、経済力でもいいですが、何かの力を持ち続けるかぎり、日本人の意志明示的でない性質は、英米のものどもの喉 にひっかかった魚の骨であり続けるでしょう。

 寺嶋さんははっきりと書かれませんが、日本語より英語の方が言語として優れているとおっしゃりたいかのような印象を持ちました。そうであるならば、これ には、まったく賛成することができません。英米にとって、非英米世界は世界の半分です。



【7823】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/08/17 11:52
【 発言者 】sb

>ネットの時代だから、そういう先生が探せばいるし、値段もそんなに高くないと
おもいます。
ちなみに法外に値段の高い発音矯正教室がありますが、そういうところは行かないほうが
いいとおもいます。

発音矯正教室というのは例えばどんなところがありますか。教えていただけませんか。



【7824】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/08/17 18:07
【 発言者 】パクパク

おひさしぶりです。
発音矯正を専門とした教室はやまのようにあります。
京都では、T英会話(京都河原町三条)が有名です。
全国から、生徒を募集しているようです。
そのため、短期集中講座のスタイルです。
でも、sbさん、お金が安くないです。
もちろん、本当に効果があれば、安い金額です。
わたしは、発音や文法を個別にバラバラにならうより
同時にからめてならったほうがいいとおもいます。
イントネーションの自己決定能力と
シンタックスのわしづかみは、相互に
からみあい、関連しているとおもうからです。
そういうコーチに1:1で教えてもらったほうが
いいとおもいます。



【7829】
【タイトル】英語教師座談会。
【 日時 】03/08/22 20:17
【 発言者 】Jackie

http://www.eiken.or.jp/eikentimes/tokusyu/main.html

英語を習いはじめの頃に 発音をしっかりやるのはよいことだ。
先生頑張ってらっしゃる。

>受験英語と使える英語のギャップに揺れる教育現場。
>受験英語とコミュニケーションできる英語のギャップには日々悩んでいます。その二つを両立できる方法が見いだせればと模索しているところです。

生徒は「英会話」よりは受験英語を習いたいという進学校の現場。
生徒は 文法より 「英会話」を習いたいと思い英会話学校に来る。こちらは高校生も含め大学生やら社会人。文法は学校でやったからだそうで。その割には  中学程度の英作でぼろぼろ間違う
いや はっきりいってまったく出来ないのはなぜだろう。君はいったじゃないか。学校で文法はならってきたと。

受験英語と 使える英語にぎゃっぷなぞはありわしない。先生が悩んでどうする。
音から始めて 基礎を固めていけば それは受験にも英会話にも通用する使える英語となる。
あっ 先生が悩むのは 英語の時間が少ないからか?一クラスの人数がおおいからなのだろうか?  

>リスニング スピーキング リーディング ライティング
>読む・書く・聞く・話す」のバランスがとれていないと英語の力は向上しないということです。どれかひとつに集中しても英語力は上がらないんです。

そうですね。 バランス。もっというなら 聞く 話す 読む 書くと まんべんなくやることが大事。 それごとにテキストをわけるのではなくて 一つのテ キストをしゃぶりつくしながら。
本文を読んで「文の構造や論理の立て方が英語の発想を教えながら話したり聞いたり書いたり。

英語(英会話)を教えていて悩むのは 「英会話」や「旅行会話」を習いたい生徒が多いということ。中学レベルの英作文もできないのに なにをほざく。
学校では英会話もいいけど やはり受験に役立つ英語を習いたい生徒達。

みんな近道とおりたいもんねえ。それはわかる、私もそうだ。楽したい。
でも ♪この際地道に基礎からスタディ!それが結局上達の早道。
なぜわからないのだろう 英語は一つ。使える英語も受験英語も英会話もありはしない。
あるのは「英語」という言語。

しかし根石さんの言うように 日本で学ぶ英語と 磁場で使う「生活言語としての英語」は違うものだ。それも日本で学ぶ英語が身についていない場合(あ、忘 れていた。現在の学校の教え方では基礎がみにつけられないのだった。) 生活言語を体得するのは困難よ。

>文科省の構想については、英語がどういう人に、またどれだけの数の人に、どの程度必要なのかを根本的に考える必要があると思います。そういったものを具 体的にすべきではないでしょうか。英語でコミュニケーションできる子どもたちを育成すると、雰囲気で考えているところがあるように感じます。具体的な目標 や目的がないまま、護送船団方式で英語教育のためだけに膨大な時間とお金をつぎこんでみたところで、そのリターンがどれだけあるのか非常に疑問です。

そうだそうだ!先生のおっしゃる通りです。文部省が英語でコミュニケーションをなんて雰囲気でものをおっしゃるので 学校の生徒は受験の雰囲気で英語を勉 強し 英会話学校には外人とペラペラ話す私 ビジネスで英語を使う俺を想像して 雰囲気に浸りに来る。いや英語を身につけたい戸思ってくるのだったか。

文部省!しっかりしてくれ!
しかし今だって高校では英語を週に5時間か それ以上ぐらい費やし学習しているのは同じ。
その割にリターンがあるのかはなはだ疑問です、先生。 



【7832】
【タイトル】Jさん(1)
【 日時 】03/08/23 6:26
【 発言者 】根石吉久

 掲示板「大風呂敷」は、何者かによって削除されてしまいましたので、現在、teacup の有料掲示板を利用しています。URLが変更になったのをお知らせしないで、掲示板に書いて欲しいと言ってしまいました。すみません。現在の「大風呂敷」 のURLは以下の通りです。

http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs

>英語勉強暦の中でひとつの学校(?)で1年続いたのは史上最長です。
 ありがとうございます。

 こちらこそ、Jさんのような生徒を持てたことを有り難く思っています。

>「回転読み」の主旨は
>読み込む→読み込む→読み込む
>覚えてしまうくらい読み込む→その結果口になじむ(すなわち覚えてしまう)
>という理解でよろしかったでしょうか?

 それでよろしいです。

>だとすると練習時間が不十分な私は主旨に反して勉強していることになります。
>暗記しながら覚えているからです。
>特に数行まとめて出されるようになってからは
>その傾向にあります。

 メールをいただいてすぐにお返事が書けなかったのは、考えていたからでした。
 レッスンをやらせていただいて、Jさんの練習時間は他の方より少ないことはないだろうと思っておりました。また、練習の密度は、かなり高いとも思ってお りました。
 「回転読み」の主旨に反しているとは、私は考えておりません。レッスン時では、「技法グラウンド」によって、ゆるやかではありますが、「回転読み」を やっていただいており、その仕上がりの質は、私の生徒の中でピカ一です。その方が「回転読み」の主旨に反しているとは考えられないのです。
 この点も、メールをいただいて以後、考えていて、他の方の事例と違っていると思ったことでした。「回転読み」の質の仕上がりがピカ一である生徒が、ご自 分で主旨に反していると考えられたことが私にはとてもわかりにくいことでした。
 暗記しながら覚えているとおっしゃっておられますが、自宅での練習で、声を出して(「音読」して)練習されていますでしょうか。もし、そうであれば、何 も問題はないと思います。



【7833】
【タイトル】Jさん(2)
【 日時 】03/08/23 6:27
【 発言者 】根石吉久

 「音読」や「回転読み」には一つ、落とし穴があります。「音読」が音だけにとどまり、いつまでも意味やイメージが動かないということが生じる可能性があ るのです。音がなめらかになり、口が動かしやすくなった時から、読むスピードをゆるめて、意味やイメージが意識に動くことを確認しながら練習し、意味やイ メージを伴ったまま、再び徐々に読みのスピードをあげていく必要があるのですが、ごく少数の生徒の場合、音だけにとどまってしまい、意味やイメージを自分 の中で動かそうとしない場合があります。
 机上の練習ですから、状況や磁場が意味を強制し、外から意味を注入してくれるということは生じません。自分で、強引に意味をとらえ、イメージをはっきり させるという意識性が必要なのですが、たまにそれをやらないで、音だけにとどまってしまう生徒さんがいます。この場合、音がなんだかカラッポの感じがしま す。極端な言い方をすると、カラッポのドラム缶を叩いているような感じの音読をします。Jさんにはまったくそれを感じておりませんので、その点では問題が ありません。
 で、「回転読み」で、読み込み続ける場合ですが、文まるごとの音さえきちんと作れたら、以後は文法を考えたり、文全体の構造をひとつかみにしたり、個々 の単語のイメージをよりはっきりさせるなどの意識の作業はいくらやってもらってもいい。スピードをゆるめたりしながら、文法、シンタックス、個々の単語に 丁寧につきあい、最終的に、読むスピードで意味(速く動くものをイデアと呼んでいます)が動けばいいのです。
 ひたすら無心に音だけの読みに専念しつづけなければならないかのように考えられていませんでしょうか。そんなことはないのです。いったんきちんと音がで きたら、いくら文法を考えてもいいし、意味をとろうとして、スピードを殺してもいいし、意識の逆流を引き起こすために、読みを中断したって構わない。
 初心者の場合は、文法的意識や意味、構造、イメージ(速く動くイデア)をどんどん動かせるに至るまでの「音づくり」に非常に時間がかかります。Jさん は、「音づくり」にほとんど時間がかかりません。だから、早めに文に対して意識的になることができる。そのことを、「暗記しながら覚えている」というふう に考えられておられるのではないかと愚考したのでした。それでしたら、まったく主旨に反しているということはありません。むしろ、音ができて以後、必ず必 要なことです。
 私がひたすらな音づくり(音読)をくどく言うのは、初心者や中級者の中に、まだ文法や意味や構造どころではなく、まだ音ができていない、という段階で、 音づくりをおろそかにし、意味や構造を考えることを始めてしまう人があまりにも多いからです。この点は上級者にはわかりにくいことかもしれませんが、音が できておらず、しょっちゅうつっかかってしか読めないのに、意味や構造を考える人は実に実に多いのです。
 この点で、Jさんは問題のない方です。いつも音はきちんと完成させてあることがレッスンしていてわかります。だから、意味や構造をいくら考えていただい ても構いません。

 声に出して練習されておられるなら問題はまったくありません。

 目で文をにらむだけで、まったく頭脳的に「暗記」しているのでないかぎり、Jさんの場合には、ご本人が「暗記」と意識されていても問題はありません。 「暗記しながら覚えている」というのは、声を出さず、頭脳的に「暗記」しているという意味では「ない」と読んだのですが、それでいいですよね。



【7834】
【タイトル】Jさん(3)
【 日時 】03/08/23 6:29
【 発言者 】根石吉久

 Jさんの場合、ご本人が「暗記」と意識されるような練習をしていても、問題が生じていないのは、外資系の会社に勤めておられ、英語を日常的に実用されて いるからだとも考えています。先日のレッスンで、「英語圏に住んでいたことがあるんでしょうか」とお聞きしましたが、日頃のレッスンでの練習の進め具合 は、まるで英語圏に住んでいたことがある人のようなので、そうお聞きしたのでした。
 英語圏に住んだことはないとのことでした。それで考えたのは、やはり外資系の会社で英語を仕事に使っておられるという条件が大きいのだろうということで す。私は、英語圏という一般的な言い方でなく、もっと言語や語学に即して考えておりますので、「磁場」という用語を使用しています。日本の外資系の会社の 中は、その伝でいくと、「準磁場」と言えると思っています。日々、「準磁場」に身を置かれていることが、私の他の生徒さんたちと条件が異なるところです。
 この条件によって、ご本人は練習にあまり時間を割いていないとおっしゃるにもかかわらず(実は他の生徒さんよりいっぱいやっていますが)、非常に質のい いレッスンが成り立っているのだと思います。
 これまでの練習方法でまったく問題はありません。要は持続して下さることだと思っています。私としても、レッスンで新たな語法に少しずつ触れていかれ て、「準磁場」に日々身を置かれて、新しい語法を使われるようにしていかれるなら、薄皮をはぐように少しずつではありますが、英語を使うのが楽になってい くものと確信しています。
 持続して欲しいというのを、喩え話で言うと、日本語の磁場における英語の練習というものは車を維持するようなものだととらえていただきたいということに なります。車は車検だの、保険料だの、ガソリン代だの、壊れたときの修理代だのいろいろとお金がかかります。私のレッスンを使わないで英語の練習を続ける ことは、Jさんのように力のある方にはできますが、それは車検を自分で通すようなことになります。壊れたものも自分で修理するようなことです。時間に余裕 があり、車に詳しい少数の人は、そういうこともできます。
 それに対して、車検を車屋さん経由でやってもらったり、壊れた場合も車屋さんで修理してもらったり、定期点検をやってもらったり、オイルの交換時期に声 をかけてもらったりというのが、一般の車のユーザーです。お金はかかりますが、維持していくのがぐっと楽になる。私のレッスンも、車に喩えれば、車屋さん を使うようなものだととらえていただくのがいいかと思います。
 初心者や中級者には、私がやっているようなレッスンは必須のものだと思っております。何年英語をやっても、初心者や中級者にとどまってしまう人は、車の 構造を知らないまま、勝手に修理して、かえって壊してしまう人と同じなのだと考えています。また、上級者にとっても、維持しつづけるということを考えれ ば、私のレッスンの「復習範囲を手放さない」という原理が、徐々に英語力の発酵を促していると考えています。

 どうも、話に枝が生えて恐縮ですが、ポイントとしては、実際に声に出して、練習されているならこれまでの練習方法で何も問題はないということです。

>現在の私の勉強の仕方としては
>今レッスンが火曜なので通常ですと木曜あたりから新しいところの練習に入ります。
>金曜土曜と時間を取るべく努力し、新しいところを30分から1時間やります。
>テープを併用します。
>土曜日曜月曜はテストの範囲も混ぜます。時間があればテープを併用、なければ
>テキストにそって範囲を読みます。

 現在、生徒が20数人おりますが、このくらいの練習をしてくれる人は、4人くらいしかおりません。火曜のレッスンの後、木曜あたりから練習を開始してく ださっているのですから、ほぼ毎日練習なさっているということです。他の生徒さんにも、これを見習って欲しいと思うくらいです。



【7835】
【タイトル】Jさん(4)
【 日時 】03/08/23 6:30
【 発言者 】根石吉久

>初期のころワンセンテンスくらいずつ出題されるのはわかります。が、数行に及ぶものはどうしても暗記が先行してしまいます。

 暗記の性質を弱めるために、テスト中にメモをとることを始められるのも一法かと思います。Jさんの場合は、ご本人が「暗記」とおっしゃるにもかかわら ず、私は心配はしておりませんが、センテンスごとの(意味的な)内容を代表させて、一つの文につき、一つの単語だけメモするとか、文の最初の単語だけメモ するとか、間違えがちな単語の頭文字だけメモするとか、なるべく少ないメモを補助材として使うことを是非試してみて下さい。
 極端に短い文が4つも5つもつながる場合とか、似たような感嘆詞ばかりが連続する場合、私はレッスン中に「メモをとって下さい」と言うことがあります。 なるべく少ないメモをきっかけや補助として使うことを練習なさってください。これは練習する価値があると思います。そのことで、丸暗記の性質はかなり弱め ることができます。

>今の私のやり方で進めていって効果は期待できるのでしょうか?
>というかこれで正しいのでしょうか?

 私のレッスンは、初心者や中級者の初期を除いては、劇的な効果は自覚されることはないと思います。私のレッスンは、初級・中級の人には劇的な効果があり ます。特に、「音づくり」で、リスニングのきっかけをつかんだという報告が一番多いです。Jさんは、上級前半あたりにおられると思っていますが、このレベ ルになると、初心者が味わう劇的な効果というものは、あらかじめ奪われてしまっています。大量の練習で少量の前進があるということにしかなりません。切な い話ですが、上級者の宿命です。目に見えませんが、そして少しずつですが、効果はあると考えています。
 何度も書きますが、これまでの練習で問題ありません。正しいですから、胸を張っていただいて結構です。

 コーチとして、私の方は「復習範囲を手放さない」というたくらみを手放しません。
 これの本当の効果というものは、レッスンでやったものがそのまま直接使えるというような効果ではなく、何度も浮き上がってきてしまう英語のシンタックス に錘をつけて、少しずつ無意識に沈めるというようなものです。上級者や、英語磁場帰りの人(英語圏に在住した経験があるが、日本語の磁場による英語の錆び 付きの早さに自覚のある人)にとっては、前述のとおり、「維持」に主眼があります。
 切ないことですが、大量の練習で少量の進展という上級者特有の宿命はどうにもなりません。宿命ですので。

 以上ですが、不明の点は再度おたずねくださるようお願い致します。



【7840】
【タイトル】各人のストックの量は?
【 日時 】03/08/26 3:28
【 発言者 】sb

自分のストックの量は、錆落としが日常に出来る範囲にとどめる事が大切であるように思われます。私は700選にゴーストそれに高校基本例文は常にすぐ出て くる状態にしておかないといけない。それをメンテするのに1日せいぜい2〜3時間(ぼーっとクスニングしている時間含めて)です。それをいかに集中してモ チベーションを上げやり続けるかが問題です。でも私は短文を技法グランドして散歩していると気持ちが落ち着いてくる変な人なのでこの練習方法は幸いしてい ます。



【7841】
【タイトル】質問その2
【 日時 】03/08/26 15:14
【 発言者 】J

根石様。ご丁寧に回答いただき、ありがとうございます。

練習はもちろん声を出して練習しています。ぶつぶつ口の中で言っているのでもなく、ちゃんと大きな声をだして繰り返し練習しています。「暗記」しているの は「一文」の中身というよりは台詞の順番といったほうが適切かもしれません。誰かがこういったら次はこの人がこういう、、みたいな。。でもその「暗記」も メモをとることにより防げそうです。音読に関しては今の方法で正しいことがわかりましたので、このまま続けてがんばろうと思います。アドバイスありがとう ございます。

1年間勉強させていただいていたにもかかわらず、回転読みの主旨を履き違えていたようで
す。(あまりホームページをじっくり読んだことがありませんでした。スミマセン)私は回転読みをCOMMUNICATIVE METHODと混同してしまっていたようです。もちろんまったく同じだとは思っていませんでしたが、COMMUNICATIVEの部類に属するものだと勘 違いしておりました。とにかく口に出すことで英語を作り上げていくというか、英語の音をつくるというかなんというか。。なので文法などは気にせずどんどん 読み込む!という自分勝手な主旨のもとに読み進めていたようです。単語の意味がわからないときはもちろん調べてみたりもしていましたが、あまり細部にとら われることなく練習していました。意味も細かいところはさておき、一文を全体的にとらえていました。とんだ勘違いだったようです。

私なりに英語は勉強してきました。学校にもいくつか通いました。受験勉強さながら文法構文等叩き込んだこともありますし、ひたすら英文を暗記したこともあ ります。でも使わなければすぐに忘れてしまいます。せっかく覚えた単語もすぐに忘れてしまったり、考えなければ口からでてこなかったり、肝心の会話の中で 応用できなければ意味がありません。そんなこんなの理由をつけていろいろなことを覚える作業を止めてしまいました。
ある程度文法は必要だとは思いますが、そればかりが先行すると話せなくなってしまいます。じっくり考えて答えていたのでは会話は成立しません。現に私は 「英語ぺらぺら」の「ぺ」くらいなもので、あんなに勉強したにもかかわらず、かなりの量の単語文法等忘れてしまいました。やり方が甘いのだ!とご指摘をう ければそれまでですが、、
今はゴーストの中の会話を繰り返し読みながら、こういうときに使うのか。。くらいの非常にリラックスした感じで単語等流しています。

ついでにうかがう形で申し訳ないですが、文法的なことに関してはやはり少し掘り下げて勉強したほうがよいのでしょうか?今の私のやり方で(単語、文法等細 かいことは気にせず読み進める)英語を取得するには、日本にいて、たまに音読をやるくらいでは難しいのでしょうか?



【7843】
【タイトル】メール転載
【 日時 】03/08/31 2:59
【 発言者 】根石吉久

 名古屋の大学の先生からメールをいただきました。そのお返事を転載いたします。

----------------------------------------------------

 メール、ありがとうございます。
 「英語談義(1)」をお読みいただいたとのこと、うれしく思います。
 インターネットが普及したからこそ、私ごときの発言にも、著者本人か
らメールがいただけるのだと思うと、ネットは私にはありがたいメディア
です。

 アメリカですか、いいですね。私の夏休みは、お盆をはさんだ一週間で、
なんだか、ぐたっとしたらすぐに終わりました。

 シンタックスの違いをどう乗り越えるかについて、いまだ学校その他の
英語教育機関はまるで意識的でないと思っております。
 日本語を外国人に教える場合にも、シンタックスの問題が大きいのだと
のご指摘、私もそうだと思っております。
 実は、私もイギリス人とスリランカ人に日本語を教えているのですが、
日本人を相手に現在やっている「電話でレッスン(英語)」で開発した
「技法グラウンド」を、イギリス人とスリランカ人を相手に使っています。
「技法グラウンド」というのは、きわめて単純な成り立ちのもので、一度
私(コーチ)が読んだものを、繰り返し生徒が読むという方法です。
 これの元には、素読があります。
 シンタックスの違いを乗り越えるためだけなら、独学でもかなりなことが
可能であるが、音の問題、イントネーションの自己決定力のためには、コー
チがいたほうが絶対的に有利だとの考えに立ち、私の現在の活動は、「電話
でレッスン」だけとなっています。実質的に、塾は妻に譲り渡しました。
 「技法グラウンド」は、小学館文庫で書いた「回転読み」の穏やかなもの
で、コーチ付きのレッスンで使うにはこちらが向いていると考えています。

 御著書をお送りいただけるとのこと、楽しみに待っております。
 私の「英語どんでんがえしのやっつけ方」をお持ちでなければ、ぶしつけ
ながら交換していだだけるとありがたいのですが。

 なお、お読みいただいたホームページを作成して以後、「大風呂敷」とい
う掲示板を作り、現在は主にこちらに書いております。よろしければ、おい
で下さることを願っております。

 余計なことを書きすぎましたかもしれません。「技法グラウンド」などと
突然言われても、何のことやらと思われたかもしれません。しかし、私はこ
の方法が語学の柱にしてもいいだけの質を持っていると考えておりますので、
「大風呂敷」においでいただいて、批評願えればと切に望んでおります。

「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs



【7844】
【タイトル】Jさん(1)
【 日時 】03/08/31 3:57
【 発言者 】根石吉久

 ちゃんと大きな声を出して、繰り返し練習なさっているとのことで、安心しました。

>「暗記」しているのは「一文」の中身というより
は台詞の順番といったほうが適切かもしれません。
誰かがこういったら次はこの人がこういう、、みた
いな。。でもその「暗記」もメモをとることにより
防げそうです。

 是非、メモをとることを積極的に採用して下さい。文の最初の単語とか、その頭文字だけとか、ごく簡単なメモをとるのには時間がかかりませんし、台詞の順 番に気をとられ、それにエネルギーを使うことにはあまり意味はありませんから、是非やってみて下さい。わずかなメモをきっかけにして、文まるごとが口から 飛び出してくることの方がはるかに大事です。

>私は回転読みを COMMUNICATIVE METHODと混同して
しまっていたようです。もちろんまったく同じだとは
思っていませんでしたが、COMMUNICATIVEの部類に属
するものだと勘違いしておりました。

 COMMUNICATIVE METHOD と称するものがどんなものかよくわかりません。お教えくださるとありがたく存じます。

>文法などは気にせずどんどん読み込む!という自分
勝手な主旨のもとに読み進めていたようです。単語の
意味がわからないときはもちろん調べてみたりもして
いましたが、あまり細部にとらわれることなく練習し
ていました。意味も細かいところはさておき、一文を
全体的にとらえていました。

 どんどん読み込むというのは、まさにその通りですが、文法は必要だと考えています。
 最初に細かいところに気をとられずに、一文を全体的にとらえるというのは、そのやり方でいいと思います。だんだんと細かいところに攻め込んでいけばいい と思います。
 「復習範囲を手放さない」という原則によって、音のこなれができてきた範囲がたくさんありますから、その範囲については、細かいところに攻め込んでいっ て下さい。
 語法・文法的にピンとこないところは、以前に旦那様がここで質問して下さったように質問して下さるのがいいと思います。場所は、「鬼」

http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs

が適していると思います。

>そんなこんなの理由をつけていろいろなことを覚える作業を止めてしまいました。

 単語増強、英語による読書、その他、いろんな練習はどんどんして下さい。「暗記」ではなく、口で言い、手で書き、耳で聞くことを伴う練習で、つまり体で 「覚える」練習でやって下さい。そういういろんな練習の中心に私の「電話でレッスン」を据えておかれると、非常に有効だと思います。
 「電話でレッスン」がねらっているのは、「深度」です。つまり、垂直方向の練習です。単語増強等、横にというか面積的に広げる練習、いわば量をかせぐ練 習は、週一回30分の練習ではカバーできませんので、生徒さんが各自どんどんやってくれることを期待しています。
 「電話でレッスン」は、ひたすら「深度」をねらいますので、水平方向にさまざまな練習を繰り広げる場合の中心の柱になりうるだろうと思っております。



【7845】
【タイトル】Jさん(2)
【 日時 】03/08/31 3:58
【 発言者 】根石吉久

>ある程度文法は必要だとは思いますが、そればかり
が先行すると話せなくなってしまいます。

 おっしゃる通りです。文法は必要ですが、文を単位として、音と意味を合体させるための媒介項に過ぎません。文まるごとで、音と意味が合体し、音の流れと 共に意味が流れるならば、文法や文法意識は脱ぎ捨てて構わないものです。

>ついでにうかがう形で申し訳ないですが、文法的なことに関してはやはり少し掘り下げて勉強したほうがよいのでしょうか?今の私のやり方で(単語、文法等 細かいことは気にせず読み進める)英語を取得するには、日本にいて、たまに音読をやるくらいでは難しいのでしょうか?

 先に書きましたように、文法に関しては、音がこなれたものに関して、徐々に細部を攻めるのでいいと思いますが、それにしても、その文に含まれる主要な文 法がくらがりのままであると、いつまでももやもやしてはっきりしないということがあると思います。
 やはり、「鬼」で質問して下さるのがいいと思います。
 文法のありがたいところは、一つはっきりと理解すれば、非常に多くのものに関してはっきりしてくるところです。ある程度自分で煮詰めておいてから、自分 はこう考えたのだけど、それでいいのか、という形での質問が最上だと思います。是非、「鬼」をお使いくださるようお願いいたします。「鬼」にはつわものが いらっしゃいますから、私がやらなくても質問に答えて下さる人がいるかもしれませんし、もし、遠慮してどなたも回答しないようなら、私がやります。私の説 明が違っていたら、すぐにチェックが入るだろうと思いますが、それこそがネットのありがたいところだと思っています。

 語学における文法は、理解するのに十全に役立てばそれでいいので、文法のための文法は必要ありません。こんなことはすでに十分おわかりになっていること と思いますが、念のために書き添えます。



【7847】
【タイトル】syntax
【 日時 】03/09/01 0:00
【 発言者 】熊倉千之

根石様
MSNが対応してくれてぼくのハングルメールボックスが日本語に戻され、いただいたメールが読めました。それをここに転載していただいて恐縮です。(再度 お送り下さいとお願いしたぼくのヤフーのメールは反古にして下さい。でも、これからの御連絡は、ヤフーのアドレスの方にお願いいたします。)

ご著書いただければ幸甚です。「技法グラウンド」のことなど、拝見するのを愉しみにしております。シンタックスについては、これがその言語を使う人の「考 えるプロセス」という意味で、英語(あるいは広くインドヨーロッパ語系)と日本語(あるいはウラルアルタイ語系)が真っ向から対立することから、日本語が 日本人の英語習得を妨げていること、にもかかわらず、日本の教育では「翻訳の技法」ばかりやってきて、これをやっている限り日本人の英語学習は絶望的に不 毛であることに、永い間わたしたちは気がつきませんでした。それは、大昔の日本人が中国文明の偉大さに気付き、早く取り込もうとして始めた返り点送り仮名 (つまり中国語の翻訳法)による「学習」のために、中国語を中国語として理解しようとしなかった、永い永い不毛の歴史の延長線上にあります。ですから、ほ とんどの日本人が(ぼくも含めて)、中国人と中国文化、あるいは西欧人と西欧文化がごく表層的にしか判っていないという、本当に残念な状況にあります。こ の不毛から脱脚するためには、ほとんどごまかしのインチキ教育から足を洗うためには、ぼくもお考えのように、「学校なんかやめちゃえ」と本気です。

三島由紀夫が最後の作品を『豊饒の海』と題し、己の文学を「不毛の海」として自己否定して死んだことも、このシンタックスが判っていなかったことと関係が あります。彼が理想とした「やまとごころ」をその文学の本質としたいならば、ギリシャ以来の西欧文明を翻訳で理解できたなどと考えてはいけなっかったので す。自衛隊が侍でないと文句をいうまえに、翻訳教育が語学教育でないことに、自分が受けた教育が間違っていたことに抗議して、防衛庁ではなく文部省にこそ 殴り込みをかけなければならなかったはずです。彼の(いや、われわれのというべきでしょうが)大きな間違いは、明治以来の「西欧に追いつけ、追い越せ」教 育の理念、つまりは日本の近代化の過程で日本語を西欧語と「互換性」があるものとしてきた、その誤解(言語の本質的な無理解)だったと思います。

日本語は西欧語(あるいは中国語)に翻訳不能です。もちろんその逆も真なり。シンタックスの違いはどうにもならないからです。お始めになった草の根(ほん とうは「芝草の根」というべきなのでしょうが、これも「誤解」の一例か)運動に微力ながら協力させていただくことをお約束するための、ぼくなりのマ二フェ スト(「大風呂敷」)を書かせていただきました。



【7848】
【タイトル】熊倉さん(1)
【 日時 】03/09/01 3:05
【 発言者 】根石吉久

 こちらにダイレクトにおいでいただいてありがとうございます。
 メールを読ませていただいたのが夕方で、「電話でレッスン」の仕事が終わったら、お返事を書こうと思っておりました。レッスンの途中で少し時間がとれた ので、ここを読んでみたら、すでに熊倉さんの記事があってうれしく思いました。

 さしつかえがあってはまずいので、名古屋の大学の先生へのメールとして転載いたしましたが、実名で記事を書いていただいたことに感謝しています。本気で ものごとを論じる気があるのであれば、実名(あるいはペンネーム)で行うべきであるという信条が私にあるので、この点で非常にうれしいです。ネット用ハン ドルネームというのは、どうもあやふやで、これを使う人は論じることに対してもあやふやになる傾向があるので、どうもいけません。

 「技法グラウンド」というメソッドや、「磁場」という観点などは、小学館文庫「英語どんでん・・・」発行以後に考えたものですが、「英語どんで ん・・・」には、一応の基本的な考えというものが書いてあると思いますので、是非お読みいただければと願っております。妻に送付を頼んでおきましたので、 アメリカからお帰りの頃にはお宅に届いているものと思います。

>シンタックスについては、これがその言語を使う人の「考えるプロセス」という意味で、英語(あるいは広くインドヨーロッパ語系)と日本語(あるいはウラ ルアルタイ語系)が真っ向から対立することから、日本語が日本人の英語習得を妨げていること、にもかかわらず、日本の教育では「翻訳の技法」ばかりやって きて、これをやっている限り日本人の英語学習は絶望的に不毛であることに、永い間わたしたちは気がつきませんでした。それは、大昔の日本人が中国文明の偉 大さに気付き、早く取り込もうとして始めた返り点送り仮名(つまり中国語の翻訳法)による「学習」のために、中国語を中国語として理解しようとしなかっ た、永い永い不毛の歴史の延長線上にあります。ですから、ほとんどの日本人が(ぼくも含めて)、中国人と中国文化、あるいは西欧人と西欧文化がごく表層的 にしか判っていないという、本当に残念な状況にあります。この不毛から脱脚するためには、ほとんどごまかしのインチキ教育から足を洗うためには、ぼくもお 考えのように、「学校なんかやめちゃえ」と本気です。

 実はあまり読んでいないのですが、このあたりは竹内好(字が間違っていないことを願う!)あたりの問題意識と重なるところだと読みました。武田百合子の 旦那は、武田タイジュンなのですが、「泰淳」でしたっけ。武田百合子は大好きなのですが、旦那の名前の字を忘れてしまっています。
 で、竹内と武田たちの問題意識は、中国語を中国語のままで理解しないなら、中国文学を読めたことにならないというものだったと私はとらえています。この 私の理解も、竹内や武田の論を直接に読んでのものではなく、何かの批評文で知ったものにすぎないので、大きな誤解を含んでいるかもしれません。



【7849】
【タイトル】熊倉さん(2)
【 日時 】03/09/01 3:08
【 発言者 】根石吉久

 学校の英語の先生達は、竹内や武田を読んで欲しい。私もろくに読んでいないので、でかい口はきけないのですが、英語の先生たちは、戦後のアメリカ天下り 民主主義の枠内に生きてのほほんとしており、思想的なレベルとしてはろくでもない。日本国憲法なんぞも、口当たりのいいところを口当たりのいいように語る だけで、あれがアメリカの憲法を批判する根底になるほどの理念を持つところを抱きしめているとは思えない。
 ほとんどの日本人が、中国人と中国文化、西欧人と西欧文化が表層的にしかわかっていないというご指摘はその通りだと思いますが、中国人や西欧人が、日本 と日本文化をどれほど深層でとらえているのかと考えれば、ものごとは寒々とした広がりでしかありません。
 中国語はアルタイ語系の言語ではないので、中国人が日本を理解するのは、日本人が中国人を理解するのが困難であったのと同じ程度に困難であろうという事 情は、アメリカ人が日本を理解するのは、同じように困難であろうということと同じだと思います。
 で、いつもながら寒々とするのは、日本では不毛であろうとも、英語を学ぼうとする人の数は膨大なものになるにもかかわらず、果たして、アメリカで日本語 を学ぼうとする人の数がどの程度のものであるかと考えたときに、どれほどもいるわけじゃないという思いが私の胸中に生じるときです。この辺は、熊倉さんが 詳しいことですので、お教えいただければと思います。日本を真剣に受け止めようという気のある人がアメリカにどのくらいいるのかという疑問です。
 学校なんぞくたばるがいい、学校の英語の授業なんか何もやれていない、根底で間違っているなど、私はさんざ悪態をついてきましたが、この点においては、 同志を得たほどに思っております。不思議なことに、実にこの同志を得るという感覚は希有のものです。日本の皆さんは何を勘違いしているのか、日本の近代以 降の学校というものが、どんな悪態をついても足りないほどのしろもの(インチキ)であるということの認識を持っていないらしいのです。日本にしかいたこと のない私が、「日本の皆さんは」と言うのも変なものですが、そうとしか呼びようがない。

>三島由紀夫が最後の作品を『豊饒の海』と題し、己の文学を「不毛の海」として自己否定して死んだことも、このシンタックスが判っていなかったことと関係 があります。彼が理想とした「やまとごころ」をその文学の本質としたいならば、ギリシャ以来の西欧文明を翻訳で理解できたなどと考えてはいけなっかったの です。自衛隊が侍でないと文句をいうまえに、翻訳教育が語学教育でないことに、自分が受けた教育が間違っていたことに抗議して、防衛庁ではなく文部省にこ そ殴り込みをかけなければならなかったはずです。彼の(いや、われわれのというべきでしょうが)大きな間違いは、明治以来の「西欧に追いつけ、追い越せ」 教育の理念、つまりは日本の近代化の過程で日本語を西欧語と「互換性」があるものとしてきた、その誤解(言語の本質的な無理解)だったと思います。

 有り難いという言葉の本来の意味で、希有な言葉であるという意味で、有り難いと思いました。殴り込みをかけるべきは、まさに文部省です。アメリカがテロ の攻撃対象になるのであるなら、日本の中においては、文部省こそがテロの攻撃の的となっていいようなしろものです。文部省こそ、私ら、底辺を生きるインテ リゲンチャを小馬鹿にしつづけてきた馬鹿エリートの巣です。この馬鹿エリートを水で薄めれば、学校の先生であるというのが、現今、実に情けないことです。
 三島由紀夫一人に関して言うなら、彼の狂いは当初からのものであり、彼は狂い続けて死んだと思っています。彼が若いころに書いた美文を、若い頃に読ん で、どうにもいやはやと思ったことは覚えております。こんな人もいるのかと驚きました。正気が狂気であり、狂気が正気であるところを生きなければならな かったところには、人の宿命をいうものを思うだけです。私も三島の宿命とは別のものながら、私の宿命を生きており、三島の死んだ歳をはるかに越えてなお生 きておりますが、宿命自体としては同じだけの重量を生きてやろうと思っております。
 小林秀雄は、三島がハラキリをしたときに多くを語らず、ここには実に痛ましいものがあるとだけ言いました。腹切りではなく、ハラキリになってしまったこ とを言っているのか。三島は欧米的視線を絶えず前提にしていたと思います。だから、腹切りではなくハラキリになっただろうと思います。痛ましいという思い は小林と共有できても、大阪の池田小学校におけるルサンチマンの黒い暴発など、わたしどもは小林が沈黙したものの後を生きています。中也の言葉を借りれ ば、実に茫洋とする。茫洋とする以外の誠実さというものを、私はいまだみつけられないでいます。



【7850】
【タイトル】熊倉さん(3)
【 日時 】03/09/01 3:14
【 発言者 】根石吉久

 語学や異言語の問題は、思想の問題と直結しているのだとのお考えと読みました。私もそう考えております。この一点を、戦後の日本人は実に実におろそかに してきたと思います。
 現実に足のつかない語学という激しい行為を真剣に考えることこそ、今必要なことだと思っているのですが、これに関して思いを共有できる人は、語学の世界 にも文学の世界にもかつていませんでした。
 熊倉さんの言葉を有り難いと思うのは、そのゆえだと思っています。

 どうぞ、「大風呂敷」で、御著書を発行されて以後の考えを思う存分に展開していただくことを願っております。

 追伸。
 「芝草の根」という語には、顔の筋肉がゆるみます。
 実にそうです。よろしくご協力をお願いいたします。



【7855】
【タイトル】問い合わせのメールへのお返事
【 日時 】03/09/03 4:18
【 発言者 】根石吉久

 ホームページをお読みいただきありがとうございます。
 記事が古くなったまま、更新しないでおり、人様に迷惑をかけております。
 ホームページビルダーという更新用のソフトを立ち上げるたびに、コンピュ
タがフリーズするため、おっくうになって放置してあるという事情もあります。

 「回転読み」「技法グラウンド」のテープをお譲りして、感想を聞きたいと
思って考えた企画でしたが、どうもテープをお譲りしただけでは、「回転読み」
の方法としてのエッセンスは伝わないと考え、現在では、テープ送付は中止し
ております。

 小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」は、著者取り分がまた多少
残っておりますので、お譲りしています。600円分を郵便小為替で下記にお
送り下されば、不足分の送料はこちらで負担してお送りいたします。

387−0015
千曲市鋳物師屋642−3
根石吉久

 記事の更新をさぼり続けておりましたこと、お許しいただきたく平にお願い
申し上げます。

 一度試しに「電話でレッスン」をお受けいただければと願っております。
 初心者から中級者のレベルの方には、是非お勧めしたいものです。

 また、英語圏に在住された経験をお持ちの方や、日本で英語力を作られた方
で、日本語の磁場に生活することが、どれほど急激に英語を錆び付かせるかの
自覚を十分にお持ちの方にも受けていただきたいレッスンです。

 以上、お詫びとお願いです。

根石吉久



【7856】
【タイトル】開発しなければ。
【 日時 】03/09/05 19:03
【 発言者 】Jackie

中学程度の基礎がかためられつつ かつ 実用的な大人用のテキストを。
前にやるといっていて ずーっとさぼっていた。
中学程度の基礎なくして英会話はできない。
旅行英会話もできない。ましてやコミニュケーションなどとることは不可能だ。
酒を飲んでその場の雰囲気でわいわいするぐらいならちょっとの言葉と心意気とボディーランゲージでじゅうぶんだが。 
基礎をすっ飛ばして英会話をやりたい人が大多数だ。すっとばしてやっても ある程度までいくと(ある程度もいかないが)伸びない。
基礎固めは中学のテキストを使って大人もレッスンをしていた。
市販のものや外国出版社のテキストをさがしたが大人用の使えるテキストがあまりない。 
今は中学のテキストをつかいつつ 二年教科書の後半からOxfordアメリカンストリームやパスポートなどを併用したりしている。
これらはリスニングがはやいので 中学一年の教科書のテープもききとれないうちはできない。

プライベートで10回ほど教え 中学二年のテキストにはいったところで 仕事の都合でこれなくなった生徒がいた。それから二年、今度アメリカ人と結婚する ときいた。いつからつきあいはじめていたのかはわからないが そりゃあネイティブと恋人として会話できれば これに勝るレッスンはないわけだ。 仕事が一 段落ついたあと 私のレッスンに戻らずに ネイティブのレッスンをとりはじめたのか。 
授業をやめたわけは 果たして本当に仕事が忙しくなったからだったのだろうか?私のレッスンが退屈だったのかもしれない(ほとんどの生徒は90分レッスン をあっという間と感じてくれるが)
基礎練習につまらなくなったからか?中学1年のテキストを復習しなおすのはやはり退屈そして
プライドがきづつけられるのだと思う人がおおいのであれば やはり大人向けの基礎テキストをつくらねばならない。

中学のテキストを煮たり焼いたりいろんな手立てであきさせないようにするコーチつきで 
基礎訓練が続かないとすればとすれば 
中学のテキストをベースにした「ぜったい音読」をやり遂げられる人は少ないといわざるおえない。
日本語訳がのっていないので訳があやふやになる。
独学の仕方はかいてあるが実行するには 叱咤激励するコーチがいなく続けられる人がどれほどいうるのか。

英語の達人や講師はごまんといるはずだ。巷に英会話書があふれかえっている。
なぜ大人用のよいテキストがないのか?
どなたか よい本がありましたら教えてください。

そうだ。知り合いの娘さんということで 特別価格で教えていたからなおがっくり来たのだ。
あの値段であのレッスンをうけて 不満足?
プランしたレッスンも やはり ”生”会話のインパクトには負けるのか。
どんなに知り合いでももうレッスンを安売りはしない。

いや 恋の力がいちばんか。話したい分かり合いたいという強力な動悸。
彼女は恋人のおかげでかなり英語が話せるようになったのだろうか? 
いつか合うのが楽しみだ。
けれど娘さん 基礎ををしっかりやっておかないと 現地にわたって親族や友人との日常生活に苦労するよ。アメリカには片言の花嫁がたくさんいるが離婚も多 い。恋が冷めたら言葉が必要なのだ。あめりかでは「あ、うん」は通用しない。
基礎、からっぽの電池を作ってから行くがよい。空っぽの電池は生活言語とは違うが生活言語を使いこなす時に元になるものだ。



【7858】
【タイトル】メール転載
【 日時 】03/09/07 1:33
【 発言者 】根石吉久

 メールありがとうございます。
 すぐにお返事が書けず申しわけありません。

 柴田さんのご縁で、私のホームページを読んでくださったと
のこと。うれしく思いました。柴田さんの授業は、現在の日本
での最高レベルの授業だと思っています。
 私のホームページにあるのは、柴田さんが「大風呂敷」に書
いてくださった初稿です。その後、改稿されたものが、

http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/

に掲載されています。こちらは、村田君が管理してくれている
過去ログの倉庫です。過去ログには、柴田さんと私の議論も掲
載されておりますが、記事数が膨大なものになっているので、
読みやすいダイジェスト版が欲しいところですが、やたらにい
ろんなことをやっていまして、手が回りません。
 面白いと思ったものをピックアップして、「大風呂敷」に再
掲する作業は村田君に依頼してあります。これを持続してやっ
てくれれば、結果として村田版ダイジェストができるのですが、
こちらも進展しておりません。

 勤務されているのは、公立の学校でしょうか。中学でしょう
か、高校でしょうか。どちらであっても、公立の学校で柴田さ
んがやられたような授業をする場合は、多々困難があると思っ
ています。
 高校ですと、「音づくり」を経ていない生徒が入学してきて、
大学入試向けの授業なんかをした場合には、「意味と合体させ
るだけの質を備えていない音」に意味を合体させていきますの
で、結局、使えない英語の量産となります。
 中学で「音づくり」をやるようになることが非常に大事だと
思っていますが、実際にそれがやれている授業はほとんどない
に等しいと言っていいでしょう。

 柴田さんの「音作りへの道」はなるべく多くの方に読んでい
ただきたいと願っておりますので、回りの人にURLをお知ら
せ下さるとうれしいのですが。

 私と柴田さんとの間に、かつて「完璧な音」という考えをめ
ぐって議論がありましたが、その後、さらに考えてきたところ
を書かせていただくと、私の現在の考えは、中学でやるべきこ
とで決して抜かしてはならないことは、「意味と合体させるに
足るだけの質を備えた音」の「音づくり」だろうと思います。
 「完璧な音」という考えには、今も強い違和を持ちます。
 しかし、それ以外のところでは、私は柴田さんを全面的に支
持しています。あれ以上の授業はまずみつからないのではない
かとも思っています。
 近頃は、柴田さんが「大風呂敷」に書いて下さらないので淋
しく思っています。いよいよ、柴田さんが中学1年生から仕込
んできた生徒たちが、大学受験に向けての急坂を登らなければ
ならない時期にさしかかっているので、お忙しいのだろうと推
察しております。

 ところで、「大風呂敷」はご存じでしょうか。柴田さんが、
初稿を書いてくださったのも「大風呂敷」でした。

http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs

 私は、日本近代の学校に対して、いいようもない怨みを持っ
ている人間ですので、学校や文部省に対して、その制度の根に
対して、口汚くののしることをはばかりなく行ってきましたが、
実は「大風呂敷」には、学校の先生たちに登場して欲しいとも
思っておりました。文部省の指導などというものがいかにいい
かげんなものであるのかは、現場の先生たちの声が多く響くな
ら、より明らかに照らし出されるだろうと思い、そうなること
を願っています。

 ご登場はペンネームで結構ですので、おいで下さることを願
っております。

根石吉久



【7859】
【タイトル】足立さん
【 日時 】03/09/07 2:09
【 発言者 】根石吉久

「鬼」からこっちへ引っ張り出そうと思います。
実は、恥ずかしい話なのかどうかもわからないのですが、「カラマーゾフの兄弟」をまだ
読んでおりません。その程度の人間です、私は。
四十代には井伏鱒二を読み、五十代でドストエフスキーを読んでやろうと三十代の初めに
計画したのでしたが、四十代で井伏を読むことさえできずに、べんべんと生きてきてしま
いました。
マラルメに言ってやりたいです。
何が万巻の書を読み終えたか、くそったれ。
太宰治は読んだのか、井伏鱒二は読んだのか。
江藤淳は読んだだろう。しかし、つげ義春は読んだのか。
ああ、俺も糞ったれだ。
読もうとして憧れたものの一部を囓ってそのまま死んでしまうのだ。
糞ったれ。



【7860】
【タイトル】熊倉さん
【 日時 】03/09/07 2:21
【 発言者 】根石吉久

三島について。

私は、彼の「やまとごころ」は表記が間違っていると思います。
あれは、カタカナで「ヤマトゴコロ」と書かないといけないと思います。

彼は世間体を必死に生きた人であると思ってもいます。
彼の世間体は西洋的視線にさらされていたところが、私どもの世間体と違うだけです。
世間体の人です。



【7862】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/09/07 2:33
【 発言者 】根石吉久

今日、レッスンの時にお話しましたが、単純に考えても、語学には垂直方向の練習と、水平方向
の練習があります。

水平方向とは、次々と本を買い求めて、浅く広く練習することです。
垂直方向とは、一つの文がどれほど自分にとって馴染みになっているか、つまり「こなれ」の問
題に関することです。

垂直方向を深くする練習は、「質」に関することです。
水平方向を広げる練習は、「量」に関することです。

アメリカという国が馬鹿だけがいる国だとは決して思っておりませんが、日本人が「質」をおろ
そかにして「量」に目を奪われてしまうなら、日本こそが馬鹿に満ち満ちた国になるでしょう。

マッカーサー・ノートによれば、それがマッカーサーが見積もった日本でした。



【7863】
【タイトル】昨夜の記事の注釈(1)
【 日時 】03/09/08 2:17
【 発言者 】根石吉久

>マッカーサー・ノートによれば、それがマッカーサーが見積もった日本でした。

 昨夜はほぼぐらぐらするまで酒を飲んで(酒に飲まれて)書いたので、今日読んでみるといやはやというような口調の文が書いてある。今日もまた飲み始めて しまったが、ぐらぐらする前に昨夜書いたものの注釈を書いてしまいたい。

 現在、江藤淳の「一九四六年憲法 その拘束その他」(文春文庫)を難渋しながら読み進めているところだが、江藤が政治を論じ始めると国家というものから 身を剥がしてものが言えないのだとはっきりわかる。社会人として大人ぶりを発揮してしまう人であるところに強い違和を持つものの、日本の戦後という時空を 縛っているアメリカの恣意による透明で強力な拘束を客体化した労には、私はきちんと頭を下げたい。
 文学者としては実にあやういところを踏んでいる。文学者として書く文体の柔軟さと、社会の大人として書く硬い文章との間にある江藤の分裂。この分裂こそ が、江藤の問題であるばかりでなく、日本の戦後という時空に隠されている分裂の問題なのだ。

 私の子供の頃、マッカーサーという名前は一種の尊敬の響きを伴って発音されていたような覚えがある。なんとなく尊敬していい人なのかもしれないと私は 思っていた。
 江藤の本を読み進めているうちに、マッカーサーという名前にさしていた後光のようなものは消えた。この人は、原子爆弾を落とした国から来た司令官である ことを重々承知であり、その原子爆弾というものの力を踏まえて、実に高みから日本を見下ろしてものを言っていたのだということがわかる。

 ただ単に戦争に勝った国の指令官が戦争に負けた国を見下しているというようなものとは違うと思う。軍人のマッカーサーにおいては、日本は「最初から」 劣った国なのである。マッカーサーのこの心の態度は、戦争の勝ち負けという条件を除いても、マッカーサーに、あるいは欧米の白人にある。植民地時代という 昔から、彼らがアジアを見る視線にずっと根付いていたものである。マッカーサーに体現された傲慢は、戦争に勝った国の司令官が戦争に負けた占領国に対して の関係においてはっきりと現れるものになったが、戦争の勝ち負け以前に、この傲慢は西欧からアジアを見る視線にいつでも伏在していたものだ。欧米は欧米の 思考シンタックスにおいて、「最初から」劣ったものとしてアジアを見ているのである。
 マッカーサーは、日本の国民には英雄として、日本の政治家たちには自由の国からきた検閲官としてふるまって去った。自由の国からの検閲官、民主主義の国 からの検閲官とはいったいどんなしろものなのか。いったいどんなしろものか言いようもない者が規定した日本国憲法とは何か。それが江藤の問題意識である。 (同じものが三島由紀夫の問題である。)

 「量」と「質」のことが、マッカーサー・ノートに書かれているというのではない。しかし、「量」にばかり目を奪われ「質」をおろそかにするような現今の 日本人の行為にある性根のなさこそは、アメリカが日本にもたらしたものではないか。

 アメリカが是非とも日本を骨抜きにしたかったのは、「量」と「質」の問題なのだ。
 アメリカ中枢は、「質」において戦争に勝ったとは思っていなかっただろう。なにをしでかすかわからない日本(真珠湾攻撃)というものをアメリカは知って いたからこそ、アメリカ中枢は日本を骨抜きにしようと考えたのだ。アメリカは「物量」によって勝ったのだと知っているはずだ。それは、アメリカのネイティ ヴたち(アメリカインディアン)に勝った勝ち方と同じだとアメリカ中枢の無意識は知っていたはずだ。

 マッカーサーが規定した戦後の日本の時空という枠は、日本製品という「質」をいっとき花開かせた後で、その花の根を枯らすように働いてきたのではない か。



【7864】
【タイトル】昨夜の記事の注釈(2)
【 日時 】03/09/08 2:18
【 発言者 】根石吉久

 いまや、日本の職人の仕事の質の低下は、目も当てられないようなものになっている。畳屋、大工、板金屋。私がつきあった職人は、みなかつてはいい仕事を した人なんだろうと思えるのに、実にくだらないところで大きな間違いを平気でやったりして恬淡とした。馬鹿野郎ども。同じ社会的クラスから出た者として、 悲しい、俺は。
 「やる」と言って引き受けたことを、やらないで放置しつづけるような若い日本人の根性というものも、職人達の考えが(技がではない)根腐れしてしまって いるように、根腐れしている。(私ははっきりと二人の人間の顔を思い浮かべてこれを書いている。)
 あいつらを信じることはできない。

 自由の国から来た検閲官と同じように、民主主義に妥協する職人などというものはわけがわからないしろものである。だけど、実際はそんな連中が職人を自称 しているのだ。そして、根をぼろぼろにしていってしまう。

 語学だって同じなのだ。語学のコーチとしての職人がどれほどもいやしない。英語の先生や英語を教えている人は掃いて捨てるほどいるが、どれもこれも職人 と呼べるだけの仕事などしていやしない。(柴田武史さんは、私は見事な職人だと思っている。)

 日本の戦後という時空はマッカーサーの見下す視線に実に実に従順であった。
 マッカーサーの見下す視線に従順に、日本人は日本人を見下してきた。見下す視線の内在化において、日本人は世界に類がないだろう。(M君のエロトメイ ニャの出所もそこだろう。)それがしかし、少年達の心を腐食した金属のようにぼろぼろのものにしてしまっているではないか。根をぼろぼろにしてしまった職 人がいるのと同じことなのだ。少年たちの心はいまや老人めいている。

 そして、この事態こそは、マッカーサーを指示したアメリカ本国の中枢がねらったものだと疑うことは十分に可能なのだ。自由の国だの民主主義の国と呼ばれ る国から来た司令官が、自分一人の意志で検閲を実施していたとは考えにくいことだ。アメリカ本国の中枢の意志の反映だと考えることは可能である。
 マッカーサーの元で作られた憲法案は、まったく日本を骨抜きにするためのものであるのは江藤の本を読めばはっきりする。日本側は抵抗し、いくつかの条項 は変更されたのだが、「交戦権の否定」は残った。

 江藤は、「交戦権の否定」に反発して、「交戦権の肯定」を導こうとしている。それが駄目なのだと思う。

 文言の字句は正確ではないが、私なりの言葉で書けば、「日本は交戦権を放棄する」というのが、憲法第9条にあるものである。
 「交戦権の肯定」など導く必要はない。「交戦権の否定」のままでいい。「日本は交戦権を放棄する」を「日本はみずから交戦権を放棄すると同時に世界のす べての国家に対して交戦権を放棄することを要求する」と書き直せばいいのだ。戦争に負けた国はそれくらいのことを言うがいいのだ。
 こうしないと、アメリカに押しつけられた憲法をアメリカの方に向け直すことはできないはずである。「世界のすべての国家」の一つにアメリカはもちろん含 まれる。違うのか。アメリカは「国家達の国家」だというのか。認めることはできない。アメリカはインディアンの土地を泥棒して成ったただのひとつの国家に すぎない。違うのか。

 アメリカは北朝鮮に原子力を放棄しろと命じたいなら、てめえが最初に放棄しろ。違うのか。朝鮮を分断した力にアメリカが関与しなかったとでも言うのか。

 「否定」に対して単純に「肯定」などを持ち出すところが江藤が駄目なところだと思う。

 だからといって、江藤が客体化したアメリカ中枢の魂胆に日本人がいつまでもめくらのままでいていいはずがない。英語フリークなどは掃いて捨ててしまいた いのはそのためだ。彼らは端的に言って、英語のできるめくらにすぎない。

 まずい。また酒に飲まれ始めた。ぐらぐらする。



【7865】
【タイトル】追補
【 日時 】03/09/08 2:21
【 発言者 】根石吉久

江藤は、日本の保守勢力と、日本の革新勢力と、アメリカ中枢との暗黙の了解(蜜月)を
書いている。正確だと思う。



【7866】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/09/08 2:47
【 発言者 】根石吉久

K> メールにお書きくださったURLは「大風呂敷」につながりまし
K> た。ありがとうございます。ただ、ホームページのリンク「大
K> 風呂敷」はリンクしていないようです。

申しわけありません。これは、IBMの「ホームページビルダ」と
いうソフトを動かすと、必ず私のコンピュータがフリーズするので、
ホームページに記事を追加したり、リンクを更新したりするのがお
っくうになり、ホームページをいじるのを現在放置しているためで
す。ウインドウズの出来の悪いのはよくわかっております(自滅型
OS)が、IBMの技術力もマイクロソフト並なのではないかと疑
っています。
 通産省がトロン計画をつぶしたのが根元です。
 文部省にも通産省にも殴り込みをかけていいと思います。
 文部省には、私ら語学屋がなぐり込むのがいい。
 通算書には理系の人々、技術屋の人々がなぐり込むのがいい。
 で、リンクのこと、申しわけありません。
 しばらく、私のホームページは放置いたします。

K> 帰国後溜まっていた雑用に追われ、たくさん書いてくださった
K> ご返事にすぐ反応する余裕がありません。少々時間をください

 どうぞお仕事を進めてください。
 私や掲示板におつきあいいただくのは、お仕事の後の余力があった
時で結構です。

熊倉>。僕のアメリカの友人たちは、日本文学を大学で教えていますが、
ほとんどその教育は、日本語の原文を英訳することが中心ですから、日
本の英語教育と似たり寄ったりです。

 ははあ。英語側にとって日本語は、日本語側からの英語の距離と同
じだけの距離があると考えてきましたが、そんな程度のていたらくです
か。アメリカにおいても。

 拙書、お手元に届いておりますでしょうか。

 この私のメールも、「大風呂敷」に転載させていただきたくお願いい
たします。

 根石吉久



【7871】
【タイトル】こんなコトバ見つけました。
【 日時 】03/09/10 23:36
【 発言者 】英語嫌い人

現代スペインを代表する作家フアン・ゴイティソーロのインタビューから引用。(朝日新聞・朝刊 2003年9月10日 水曜日)

「・・・私が平和主義者として思う原則は、いかに高尚な理念を掲げても戦争は結局人を殺すもの、ということだ。理念を掲げて戦う者はやっかいだ。人間同士 なら敵とでも妥協や交渉が可能だが、理念を掲げる限り合意に達することは永遠にない。スペイン人詩人ブランコはこの状況を『天に根ざす者は、地に平和をも たらさない』と表現したが、言い得て妙だ」



【7872】
【タイトル】正当防衛。
【 日時 】03/09/11 5:11
【 発言者 】足立和夫

 たとえば、賊に襲われ殺されそうな家族(妻、子供など)をまえにして、緊急反撃で賊を殺してしまった場合、これは正当防衛で「賊を殺害した罪」は刑法で は問われない。ただ過剰な正当防衛は罪を問われるようだ。殺さなくても賊の襲撃は防げたと司法が判断した場合などだ。

-----------------------------------------------------------
「日本国憲法」から引用。

第二章 戦争の放棄
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 永久にこ れを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 」
-----------------------------------------------------------

憲法第九条「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」を、素直に読めば、日本は他国の武力攻撃を受けたとき、反撃することができない。つまり日本人は、殺害され るがままという事態を呆然と見ているだけなのだ。そう虐殺されるままなのだ。そんな馬鹿な話が国民の総意であるわけはない。

すくなくとも、正当防衛としての自衛権の発動は認められるべきであろう。限定つき「交戦権の肯定」は必要であり正当である。憲法は改正されるべきだと思 う。

憲法第九条を肯定している人たちに聞きたい。正当防衛は犯罪ですか?
日本が攻撃を受け侵略されたとき、あなたちは何をしていますか?



【7873】
【タイトル】「日本国憲法」全文。
【 日時 】03/09/11 5:20
【 発言者 】足立和夫

「日本国憲法」URL。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1946C.html



【7874】
【タイトル】有事関連3法案。
【 日時 】03/09/11 5:26
【 発言者 】足立和夫

「武力攻撃事態法案全文」URL。
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/yuji/news/20020417-38.html



【7875】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/09/12 13:10
【 発言者 】根石吉久

K様

 御著書お送りいただき、ありがとうございました。すぐにお
礼を申し上げようか、読んでからにしようか少し迷い、読み始
めましたら、横から次々とやぼ用が出てきますので、時間がか
かってしまいました。家の自作を継続しているためで、英語の
ことを考えていたと思えば、モルタルの配合やら建材選びやら
に迷って、考えることがまったく語学から離れます。
 語学屋とはんちく職人の二つの領域を往復するのがときどき、
とてもつらいと思う時があります。

 メールでは酒の作用か『インチキ教育から足を洗うためには、
ぼくもお考えのように、「学校なんかやめちゃえ」と本気です。』
というお言葉に興奮したためか、「同志」などという言葉を使
ってしまったと覚えておりますが、ご著書を読ませていただい
ているうちに、まずいなあ、と内心で思っておりました。
 私の本は、一種のやっつけ仕事だと思っております。その程
度のものを書いたにすぎないものが、地道に長い時間をかけて
著書を世に問うている方に対して、「同志」などと言ってしま
いました。こりゃとことんまずいなあと思っておりました。
 本の背後に、持続する思考の厚みというものを感受して、し
きりにまずいなあと思いました。
 年齢的に近い方だろうと勝手に思いこんでいたという事情も
あったかもしれません。御著書の奥付を見たら、十五歳も年上
の方で、勝手になれなれしげなことを申し上げたことに、汗が
出るような思いもしました。
 失礼いたしました。

 私は日本語の文法というものをちゃんと勉強してみようと思
ったことがありません。ちゃんと勉強してみようと思えないの
は「ちゃんとした文法」がまだ出来ていないからだと勝手に決
めつけておりました。しかし、Kさんのようにアメリカで日
本語を教えるという仕事をするなら、生徒の理解に日本語の文
法を介在させないわけにはいかないので、もし日本語に「ちゃ
んとした文法」ができていないなら、アメリカで日本語を教え
るということは途方もなく困難なことになるだろうと想像しま
した。この方面に関しては、今後「大風呂敷」の方でお話をお
聞きしたいと願っております。

 日本語の文法がわからない私にも、「き」「けり」をめぐる
解釈の間違いの指摘などの部分は、胸のすく思いがありました。
日本の国語学界でのいいかげんな文法の扱いでは、アメリカで
日本語を教えることの基礎が得られないので、Kさんは日本
語の文法を考え続けられた。そうしてみたら、国語学界の文法
解説や国文学会の解釈のいいかげんさが逆に照射された、とい
うことだったのだろうと推測しています。
 語学のコーチが、国語学界や国文学界の大御所の解釈をひっ
くりかえしているわけで、本居宣長などまでひっくりかえされ
ているわけで、爽快でした。



【7876】
【タイトル】メール転写(続)
【 日時 】03/09/12 13:11
【 発言者 】根石吉久

 私はほとんど小説というものを読まないのですが、御著書を
読み進めているうちに、ここで扱われていることは私の小説嫌
いと関係あるなあと思っておりました。
 極めて単純化して言ってしまいますが、私は小説に出てくる
「彼」という言葉が嫌いなのです。何が「彼」か、とつい思っ
てしまい、読み進められない。「彼」なんていう言葉は、若い
女の子が(それもあんまり言葉に対する感受のよろしくない子
が)、自分の恋愛を話題にするときに使うくらいで、英語の
he  と互換性はない。
 御著書の中の <He is sad.> が日本語で言えないという問
題と、私の小説嫌いは同じ根から出てくる問題だろうと思った
のでした。
 また、私は文章を書いていて、自分のことを「私」と書いた
り、「俺」と書いたりして、その二つが混ざって困ることがよ
くあります。特に掲示板とのつきあいでは、夜中に一人で酒を
飲みながら吠えていたりするので、「私」と「俺」が混在しま
す。俺はいったい私なのか俺なのか、俺を私と言っている俺
(私)や、私を俺と言っている私(俺)は私なのか俺なのか、
という具合に混乱し、混乱を放置することがよくあります。
 これが、日本の近代文学を貫いている問題と関係があるのだと
は御著書によって照らし出していただいたことです。

 芥川のこととか、演劇のこととかについては、私には読みきれ
なかったという思いがあります。今後、お教えいただきたいと願
っています。
 いくつか質問させていただきたいこともありますが、今後、掲
示板でお教えいただければと思っています。

 ただいま、掲示板は憲法をめぐる問題などが出てきておりまし
て、タイトル通り大風呂敷を広げた状態です。書きにくい掲示板
だとよく人に言われますが、話題の混在は避けようもないので、
雑多なまま継続するしかないと考えております。

 このメールも、掲示板の方に転載しておきます。メールの内容
をきっかけに使っていただいておいで下さるのも一法かと思いま
す。

 ひとまずお礼を申し上げ、手短な感想だけ書かせていただきま
した。
 先日いただいたメールにお書きいただいた諸点については、後
日書かせていただきます。

根石吉久



【7877】
【タイトル】足立さん
【 日時 】03/09/13 0:58
【 発言者 】根石吉久

 正当防衛に関しては足立さんの考えでいいと思います。
 理念に関しては、フアン・ゴイティソーロの言う理念と、私が考えている理念とが違うと思いました。ゴイティソーロの言う理念は、お題目のようなものでは ないでしょうか。中国やソ連がお得意としたお題目です。これは、現在、ブッシュのもの言いの中に、やはりお題目として唱えられています。言っていることは 違うが、お題目である点においては同じです。
 私は、理念というものはお題目ではないという考えです。
 理念以外に何があるのか、最終的に何があるのかと思っています。
 理念以外に何もないじゃないかと思っています。

 「無抵抗不服従」という言葉を突然思い出しましたが、記憶違いかもしれません。正確かどうか自信がありませんが、ガンジーの言葉だったと記憶していま す。これも、私にとっての理念です。お題目ではありません。

 しかし、やはり憲法9条です。
 これは実に問題です。憲法は理念をいう法律だと思うので、戦争なんか全部やめちまえでいいはずだと思う。全部の国が戦争を放棄しろ、でいいと思う。そう いう言葉として、成文化しないかぎり、私はこの憲法に書いてある文章を抱き取れない。
 アメリカが世界史の先端を走っているつもりであるなら、この国が「俺はやめる。だから世界のすべての国がそれをやめろ」と言えばいい。それなのに、この 国を牛耳っている猿どもが、「俺はやる。だけど世界のすべての国がそれをやめろ」と言っている。ヤクザな国です。

 問題は理念です。
 戦争なんかやめちまえ、馬鹿くせえ、でいいと思います。
 経済効果も糞もねえ。
 経済効果のために、子供が殺されてたまるか。
 私はもうじき孫を持ちます。
 絶対に国になんかとられたくねえ。そう思っています。



【7878】
【タイトル】問題は
【 日時 】03/09/13 1:14
【 発言者 】根石吉久

欲ってもんだと思います。
いくら理念を高く掲げたところで、欲はその根のあたりをしっかりとほじくり、理念の高みは
しっかりと崩す。
欲がある限り、戦争は絶えない。
アメリカも「理念」で動いていると見せて、欲で動いてけつかるのです。
欲がある限り、戦争は絶えないとは、実に仏教的なものいいです。
この点で、仏教は実にいい。せちがらくないのがいい。それぞれの成立の事情というものは
あるだろうから、それぞれの根拠はあるのだが、理念の高さにおいて、キリスト教なんぞは
仏教の元に跪いて考え込むがよろしいと思う。



【7879】
【タイトル】理念
【 日時 】03/09/13 1:28
【 発言者 】根石吉久

自然は水際だっている。

これは、吉本隆明が誰かの言葉を引用したものだと記憶しています。
好きな言葉の一つです。



【7880】
【タイトル】こんなコトバ見つけました。
【 日時 】03/09/14 22:44
【 発言者 】英語嫌い人

上野千鶴子「いつもそばに本が・中」(朝日新聞・朝刊 2003年9月14日 日曜日)から引用。
「社会学者とは、人間の想像より現実のほうがもっと豊かだ、と思うひとびとのことである。現実より想像のほうが豊かだ、と思うひとは、作家に向いている。 想像力は、残念ながら、ひとの身の丈を超えない。反対に、まさか、と思うようなことは、きっと事実だろう、と考えることにしている。
 わたしは今でもぼうだいな量の本を読むが、ひとに会ったり、現場を踏んだりするのも、それに劣らず好きである。本からはわたしが得たいと思っている情報 しか得られないが、経験からは、わたしが予想もしない贈りものが、向こうからやってくるからである。」

たしかに一理ある。だが、現実経験が現実であるのは、人間の想像力の働きが事実を捕捉しているから成立するはずなのだ。また、だれもが固有の感受性をそな えていることから、だれもが同じ現実経験を経ていても、見ている現実は違うと考えられるのではないか。



【7881】
【タイトル】非暴力不服従運動。
【 日時 】03/09/14 23:54
【 発言者 】足立和夫

「問題は欲ってもんだと思います。
いくら理念を高く掲げたところで、欲はその根のあたりをしっかりとほじくり、理念の高みはしっかりと崩す」
そうかもしれません。欲は人間の根元ですね。

>「無抵抗不服従」という言葉を突然思い出しました・・・

 わたしは「非暴力不服従運動」と憶えていましたが、訳語がいろいろあるのかもしれません。インドを英国の植民地から解放するため、ガンジーが指導した独 立運動ですね。わたしの記憶では、この独立運動の目的は「英国が無抵抗のインド人に暴力の限りを振るっていることを国際世論に知らしめ、英国への非難を喚 起させ、よって最終的にインド独立を勝ち取ること」だったと思います。
 ただ、何年まえだったか忘れましたが、「ガンジー」という映画を観ていて疑問に思ったことがあります。
 ガンジーが「非暴力不服従運動」をインド全土に展開することで、多くのインド人が英国軍に殺害されています。死者の数は知りません。このような結果を考 えるとガンジーは、あらかじめインド人に多数の犠牲者が出ることを覚悟していたのだろう、と思いました。これはあらゆる戦争指導者の覚悟と同じものです。 戦争の方法が違うだけです。
 そう、「非暴力不服従運動」は苛酷な戦争だったのです。「非暴力不服従運動」というと平和主義者が好みそうですが、実態はきれい事ではない死者の出る戦 争だったと、私は考えています。



【7882】
【タイトル】メール転写
【 日時 】03/09/15 0:49
【 発言者 】根石吉久

K様

 シンポジウムの記録をありがとうございました。
 ただいま、腰を傷めており、長く書けませんので、手短にいたしま
す。
 非常に面白い内容でした。私の作業として、「大風呂敷」にいくつ
かに分割して掲載したいと思います。(一つの記事に文字数制限があ
るためです。)
 また、今日村田君に会いましたので、doc 形式のファイルのまま、
村田君に渡し、改行の乱れなど整序した後に、村田君が管理する記事
の倉庫へひとまとめの記事として収めてもらうことを依頼し、承諾を
得ております。
 この倉庫へ入れるべきもので、やり残しているものがいくつかある
ので、少しお時間をいただきたく思います。

K> 日本語の文法を書き換えるためには、やはりシンタックスの問
K> 題から始めなければならないようです。少しずつでも書いたも
K> のを見て頂くことにいたします。

 まさにそうだと思います。
 最初に、「一文字詞」というものを取り出す必要があると考えてお
りますが、どんなものでしょうか。「一文字詞」というのは、いわゆ
る「てにをは」のことで、「が、は、を、に、の、も、と、で」など
です。
 英語のシンタックスは構築物のシンタックスであり、日本語のシン
タックスは流動物のシンタックスであるというような漠然とした考え
があるのですが、日本語において流動するイメージは、これらの「一
文字詞」によって流れを変える。いわば、川の中にある石のようなも
ので、どの石があるかによって、それ以後の流れが変化する。流れの
変化そのものが日本語のシンタックスを形成するという考えです。

 名古屋に帰られて、お時間がとれるようになりましたら、「大風呂
敷」をよろしくお願いいたします。

 名古屋に帰られると、お母さんが淋しがられるでしょうね。

根石吉久



【7883】
【タイトル】英語嫌い人さん
【 日時 】03/09/15 1:07
【 発言者 】根石吉久

>想像力は、残念ながら、ひとの身の丈を超えない。反対に、まさか、と思うようなことは、きっと事実だろう、と考えることにしている。

 上野千鶴子という人は、平板な言葉を書く人だと思いました。
 上野が、現実や現場という語で言っているものから、何か衝撃を受けたとして、その衝撃は何によって成立するのか。その衝撃は、現実や現場そのものから来 るのではあろうが、同時に上野の心的な領域からも来る。両方から来るものが、激烈にぶつかり合わないなら、衝撃も何も成立しやしない。そして、心的領域か ら来るものは、メタレベルの言葉以外のものではない。生で個的なイメージは、現実と心的領域がぶつかって交わるところでしか成立しない。
 本や言葉じゃない、現実だ、現場だ、という思考は平板きわまりない。まさに身の丈を超えることのない言葉です。簡単に言えば、つまらない言葉です。つい でにもう一言加えるなら、勝手にほざいてろ、と申し渡すのが、きちんとした礼儀となる程度の低い言葉に過ぎない。身の丈を超えることのない言葉に対する礼 儀は、そういうものであろうと承知しておるわけです。

 想像力に関して、この程度にしか考えられないような者が書く本は当然読む気を持つ必要はない。従って、上野の本は買わなくていい。これまた簡単な結論と なります。



【7884】
【タイトル】足立さん
【 日時 】03/09/15 1:41
【 発言者 】根石吉久

 「非暴力不服従」という語を、私が勝手に「無抵抗不服従」と翻訳して覚えていたのか、「無抵抗不服従」という言い方も流布しているのかわかりませんが、 いずれにせよ、この背後にイギリスの手前勝手な暴力と殺しがあったに違いありません。それがなければ、ガンジーがそんな言葉を言う必要はないからです。

 「無抵抗不服従」という理念が行ったものは、戦争ではありません。人がたくさん死んでも戦争ではありません。明らかな闘いですが、世の中に普及している 「戦争」という語で考えると違ってしまうと思います。
 ガンジーとガンジーを信じた人たちは、明らかに闘いました。欧米の連中が好きな目に見える闘いではない。「戦争」というような目に見える闘いなど、ガン ジーもガンジーを信じた人たちも信じていたとは思えない。これは、理念の地平を信じる闘いです。

 人が死ねば戦争だなどとは言えないと思います。人が死ねば「戦争」だと言ったのはブッシュです。9・11の事件をとらえて、ブッシュは「戦争」だと言い ました。
 足立さんの言い方だと、ブッシュとガンジーを戦争指導者として同列に置いてしまうことになりかねないのではないですか。

 これは、欧米の植民地主義という罪悪を見事に見逃すことになりませんか。

 ガンジーは、世に言う「戦争」という地平においては、何も「仕掛けていない」。何も「仕掛けない」ということが、「無抵抗不服従」という語となった理念 だと思っています。ガンジーに仕掛けたものがあるとすれば、それは理念の地平においてです。人が多く死んだ。それは、戦争の地平において「仕掛けた」イギ リスが一方的に責められていいことだと思います。イギリスが bitch なのです。

 England is a bitch. という語を繰り返す歌を聞いたことがあります。これは、アイルランドの歌手の歌なのかそうでないのかを知りませんが、私はそれを聞きながら、インドのこと を思っておりました。日本の近代の猿まね侵略は、中国や朝鮮から責められていいと思っておりますが、中国や朝鮮は、同時にイギリスやアメリカの侵略根性を 撃たなければ嘘だとも思っております。また、日本の戦争放棄の理念は、上野千鶴子や足立さんの「現実」に対してどれほど無力であろうとも、理念としてはこ れでいいのだと思っています。それが、アメリカの恣意によって、日本だけの手足をもぐための言葉として成っているのが駄目なだけで、あの憲法を書き直し て、アメリカ野蛮、イギリス野蛮を撃てる言葉とするならば、理念としては世界史の突端にあるものだと思っています。

 英語をおやりなさいと思いました。
 そうでないと、アメリカ野蛮、イギリス野蛮が、アジアやアフリカをヨーロッパのための家畜が住む土地と見ていたその視線の「質」がわからないと思いま す。



【7885】
【タイトル】アメリカに渡って。
【 日時 】03/09/15 2:28
【 発言者 】Jackie

エリート。一流といわれる大学や大学院に留学して 
あからさまに人種差別をしない白人エリートに囲まれて勉学すると
アメリカの白人の視点でものをみるようになる。

そして帰国後も日本人についぞもどることはなく 
二つの視点で物をみる複眼をもつにいたらず 白人よりのまま。
そんなエリート。
上野さんや竹中さんをみるとそんな臭いがする。



【7886】
【タイトル】根石さん。
【 日時 】03/09/15 3:08
【 発言者 】足立和夫

>この背後にイギリスの手前勝手な暴力と殺しがあったに違いありません。それがなければ、ガンジーがそんな言葉を言う必要はないからです。

もちろん、「背後」にあるものは前提として書いたつもりなのです。

>「戦争」というような目に見える闘い・・・
>理念の地平を信じる闘い

この違いが、まだわたしには見えてきません。
「理念の地平を信じる闘い」が具体的になったとき、それは戦争になってしまうのではないのですか?

>足立さんの言い方だと、ブッシュとガンジーを戦争指導者として同列に置いてしまうことになりかねないのではないですか。

言葉が足りなかったようですね。同列ではありません。ガンジーには人類史に残る思想があります。ブッシュはただの鈍い凡人です。

>欧米の植民地主義という罪悪を見事に見逃すことになりませんか。

見逃しているつもりはありません。誤解を招く書き方をしてしまったようです。



【7887】
【タイトル】目覚めてみると
【 日時 】03/09/15 7:07
【 発言者 】Jackie

深夜の投稿。
竹中さんはブラウン管ごし 上野さんは新聞などのみ お二人の著書など読んだこともない。
それなのに「上野さんや竹中さんをみるとそんな臭いがする。」などと書いてしまい 反省しています。



【7890】
【タイトル】ブッシュというひと
【 日時 】03/09/16 1:40
【 発言者 】いくこ

9・11事件は、アメリカに対するテロだということはよく分かった。陰惨な事件だ。多くの罪のない人間が殺された。犠牲になった。
でも、9・11事件以降、日本のマスコミや政治家(特に小泉)が、「国際社会における許し難いテロ行為だ」と激しく同意することには、なにかしっくりとし ないものを感じるようになった。

当事国でなかったからかもしれない。
オウムによるサリン事件はテロであったといえるだろうが、日本では、国際テロに対しての現実感が乏しいのも事実だろう。北朝鮮による拉致事件をテロである と言い切れないでいる。テロというものの定義も日本人ははっきりとつかめないでいる。

しかし、9.11事件が、本当に「国際社会」に対する挑戦であると言い切れるのか。とにかく9・11事件以来、アメリカという存在を、国際社会の中で実は あやうい存在だということを思うようになった。
私は、国際社会といえばアメリカが支えていてくれると思っていた。国際社会には共通する理念としての「正義」があると思っていた。もちろん、国際社会で守 るべき正義も、全く無いわけでもないのだろう。

だが、「正義」とはなにか。9・11事件以降、国際社会がかかげる「正義」と思っていたものが、実は「ただアメリカにとっての正義」であったのではないか と思うようになった。

そこで、ブッシュである。彼は、戦争の好きな男だ。あの猿のような顔で、アメリカという「警察」が「国際社会の正義を守る」というお題目を背負って、実力 行使をもって「平和」を実現させようとする。
イラク戦争がどういういきさつで起こったのか知らない。しかし、彼のイラクにおける平和のための戦争は、戦争が終わってからの方が米兵等の死亡数が高いと いう現状を生み出している。戦争が終り、これから平和を築いていこうと望むはずのイラク国民の民意を高めることができないでいる。
これは、どういうことなのだろう。

朝鮮半島の有事に対し、日本はアメリカなしには、自国を守ることはできないだろう。また、もし北朝鮮の気持ちを損ねれば、朝鮮半島の平和のために、アメリ カとともに朝鮮半島に赴くということも今やまったくの夢物語ではないかもしれない。
日本はアメリカの泥舟に、寄り添うようにして生きていくしかないのか。

私は、アメリカのあやうさを、ブッシュという人に見てしまう。まぬけなあの猿顔を見るたび、国際社会というものの、空虚なばかばかしさを感じてしまう。



【7892】
【タイトル】メール転写(1)
【 日時 】03/09/20 1:56
【 発言者 】根石吉久

 お返事が大変遅れまして申しわけありません。
 ようやく、椅子に座っていられるようになりましたが、椅子から立ち
上がると、腰が折れたままで、まっすぐになるまでに1分ほど要する状
態です。3日ほど前は、一度曲げた腰がまっすぐにならず、腰を曲げた
まま杖をついて、非常にゆっくりと階段を降りたりしておりました。そ
の前日は、まったく杖に頼りきりで、腕の力で杖に体重の多くをあずけ
て、杖がぶるぶるふるえたりなどしておりました。
 まったくなさけないかぎりです。
 特に重いものを持ち上げたとかということは覚えがなく、窓をあけた
まま寝て、朝方体をひどく冷やしたということだったと思います。鍼を
打ってもらいに行きましたが、鍼医の言うことでは、体をひどく冷やす
だけで、癖になっている人はぎっくり腰になるとのことでした。
 いやはやです。
 鍼と温泉で、なんとか快方に向かいつつあります。

K> 鴎外の短編『普請中』は明治日本の近代化の比喩ですが、流動
K> 物を構築物の理念で「普請」しなければならない日本語文法は
K> 、結構手間がかかるということでしょうか。

 そうですね。文法自体が流動物じゃ困るので、文法自体は固形でな
ければ困ります。文法を定めるという行為は、流動化じゃなくて、固
形化をめざすというのは、万国共通です。だからといって、日本語文
法を作る際の概念が英文法からの借り物じゃどうにも日本語は解析で
きまいとも思っています。この点で、著者名をド忘れしましたが、
「日本語に主語は要らない」という本に書かれていることに深く頷い
たことがありました。金谷さんといいましたか、ちょっと正確に思い
出せません。モントリオール大学で日本語を教えている方が書かれた
本ですが、手元に見あたりません。Kさんなら、多分ご存知だろう
と思います。この本に関してはどのようにお考えになられますでしょ
うか。

K> 、この「流動物」の拠って来たるところは、日本語の時間処理
K> (常に「現在」)であり、いわゆる膠着語の特質のようです。

 日本語以外の膠着語も、そこに流れる基本的な時間は「現在」のみ
なのでしょうか。モンゴル語をやろうとして、やろうと思っただけで
放置してあります。韓国語は日本語とシンタックスがほぼ共通すると
のことですので、そうであれば、逆算して、時間処理の仕方も同じで
はないかと想定できます。モンゴル語なども時間処理が同じものだと
したら、実に面白いと思いますが、日本語で書かれたモンゴル語文法
などは今のところ目にしておりません。
 韓国語、モンゴル語に関して、単なる入門書でもなく、かといって
極度に研究に傾いたものでもなく、しっかりした文法意識で書かれた
やさしい文法書を読んでみたいという希望がありますが、何かそれに
近いものをご存知でしたらお教えいただきたくお願いいたします。



【7893】
【タイトル】メール転写(2)
【 日時 】03/09/20 1:57
【 発言者 】根石吉久

K> 助詞がある種の「方向指示」だとして、たとえば「が」によっ
K> てどう流れが変わるか。「君が好き」あたりから始めましょう
K> か。

 これは、どなたかがすでに言っていることなのかどうか知らないの
ですが、「は」という助詞と「が」という助詞を考えてみたことがあ
ります。
 食堂で注文する時に、俺は野菜炒めにするとか中華丼にするとか仲
間が言っていて、「僕はラーメン」と言った場合、この場合の「僕は」
の「は」は主語を決めるのでもないし、主格でもない。
 I am rahmen. の意味ではない。

 だから、御著書にある語を使わせていただけば、「提題」の助詞だ
というのでいいと思いますが、私の考えでは、「は」はもっとも広く
範囲を限る。「が」はその限られた範囲の中で、さらに狭く範囲を限
るのだという感じを持っています。
 住所の書き方(意識の仕方)でもそうですが、日本語では、「長野
県千曲市鋳物師屋」という具合に、広い方からだんだん狭く範囲を限
っていきます。
 「花子は君が好き」だと、まず、花子のことだぜ、話は花子のこと
なんだともっとも広く範囲を限る。それが「花子は」の「は」の役目
だと思います。花子が意識するものは、いろいろあり、いろんな人を
花子は意識したことがあるのだが、その中で、「君」というのがピッ
クアップ(限定)されておる。花子は、「君」と狭く限定した。
 花子についての話だ(「花子は」)。その花子においては、「君」
が特別であり、君に限定して(「君が」)、その限定した狭さを「好
き」という語(感情)が染め上げている。
 この伝でいくと、「空が青い」も、「君が好き」もシンタックスは
同じではないでしょうか。英文法的に見るのに慣れた目から見ると、
「空が青い」の「が」は主格であり、「君が好き」の「が」は目的格
だと言いだしそうな気がしますが、実は、主格も目的格も、英文法に
まどわされているからそう見えるだけで、「空が青い」も「君が好き」
もまったく日本語に則するなら同じシンタックスではないか、と。

 「が」は主格とか目的格とかに関係なく、より狭く限定する作用を
持つ、と。

 まったく独断的な考えであり、これまで行われてきた研究などまる
で踏まえておりませんが、ひとまずはそのあたりまで考えました。

----------------------------------------------------

 ご予定では名古屋に戻られたかと存じます。
 お暇がとれましたら、「大風呂敷」の方へおいでいただくことを願
っております。
 このメールは、例によって、「大風呂敷」の方へ転写しておきます。

 よろしくお願いいたします。

 御著書、二度目を読み始めております。今回は、鉛筆で線をひっぱり
ながら読んでおります。せっかくいただいた本を汚して申しわけありま
せんが、お許しください。

 シンポジウムの記録を「大風呂敷」に転写する作業、村田君に doc
ファイルを渡し、村田君の管理するホームページに収めてもらうことな
ど、明日以降にさせていただきますが、ご容赦ください。

根石吉久



【7894】
【タイトル】Mさん宛てメール転写
【 日時 】03/09/20 12:48
【 発言者 】根石吉久

英語圏に住む方に対して「電話でレッスン」を行う意向がある旨をメールに書きましたので、
転写いたします。

----------------------------------------------------
 ぎっくり腰は快方に向かいつつあり、なんとか椅子に座っていられるくらいに
なりました。ご迷惑をおかけしました。

 来週月曜日にアメリカに行かれて、一週間程度滞在の後、日本に戻られるとい
うことかと思いますが、日本にはどのくらいおられるのでしょうか。この期間は
レッスンはお休みになるのか、レッスンを行うのかを知りたいと思っております。

その後、アメリカの試作ラインが動くようになるまで、再びアメリカ滞在、3ヶ
月が予定されているというように受け取りましたが、それでよろしいでしょうか。

>アメリカへ下見に行きます。ですから来週分はお休みさせてい
 ただくという形でお願いしたいです。その後に再渡米し本格的
 に指導が始まり、試作ラインが動き出すま

 こちらは、一週間の下見にかかわることかと思いました。
 お休みは来週分だけなのかどうかという一点をおたずねしたいのです。

>それまでレッスンを休止していただきたいのです。もちろん私の時間帯は
別の方に使用していただいて結構です。

 こちらは、3ヶ月の滞在期間にかかわることかと思いました。
 一週間の下見と、3ヶ月のアメリカ滞在の間がどのくらいあくのかですが、
時間がそれほどなければ、来週から「3ヶ月余り」のお休みの予定と考えてよ
ろしいでしょうか。

>仕事が一段落し帰国した際にまた空き枠があれば、また
 再開させていただきたいと考えております。

 Mさんには、大いに期待していますので、帰国されましたらまた是非始め
てください。

 今回は、3ヶ月余りのアメリカ滞在だとのことですので、非常にお忙しいこ
とになると思いお奨めしませんが、その後、長期に渡る英語圏滞在があった場
合は、英語圏滞在のままで私のレッスンをお受け下さることを是非ご検討くだ
さい。アメリカの語学学校で習うよりも、私の「電話でレッスン」を組み合わ
せた方が、英語の磁場から獲得されるものが大きいという確信を持っています。
 磁場の作用を見定めてあるところが、「電話でレッスン」が、他の語学学校
などの授業とは違うところだと自負しております。
 また、すでにアメリカに渡ってしまっていて、英語で困っている方とお知り
合いになられました場合も、「電話でレッスン」をご紹介くださるとありがた
く思います。
 どんな電話を使えば、電話料金を大きく節約できるかなどは、生徒さん側で
ご検討いただくことになります。パソコン経由の電話などもできるそうですが、
こちらは私の方も実験などして徐々に態勢を作っていこうかとも思っておりま
す。

 体に気をつけて行ってこられることを願っています。
 パソコンを持って行かれるようでしたら、是非、掲示板「鬼」にそちらでの
生活の様子と英語事情をお書きくださるとありがたく思います。

 帰国されて、レッスンが再開できるようになりましたら、ご連絡ください。
お待ち申しております。

根石吉久



【7899】
【タイトル】は と が
【 日時 】03/09/21 9:49
【 発言者 】パクパク


 「が」は主格とか目的格とかに関係なく、より狭く限定する作用を
  持つ、と。

 この例と逆の場合があります。
 有名な例。
 むかし、むかし、おじいさんとおばぁさんがいました。
 おじいさんは、山へ芝刈り、

 が で話題提示。  は で詳細記述(より限定)
 この考えは、英語業界では、不定冠詞と定冠詞の説明につかわれる
 こともあります。

>「空が青い」

 空が主格かも知れません。しかし、英語語順表現では、青空になるとおもいます。
 同様な、表現は多いです。
 みかんがおおい。
 髪がながい。



【7900】
【タイトル】ぱくぱくさん
【 日時 】03/09/21 13:02
【 発言者 】根石吉久

>むかし、むかし、おじいさんとおばぁさんがいました。
 おじいさんは、山へ芝刈り、

 「むかし、むかし、おじいさんとおばぁさんがいました。」は、「むかし、むかし、ある村(ところ)に、おじいさんとおばぁさんがいました。」としても文 法的には正しくなります。抽象的な場を提示する場合は、「〜は」を使い、具体的な場所を提示する場合には、「〜は」でなく、「〜に」で限定するということ ではないかと思いました。

 「〜に〜が」のパターンには、「いる」「行く」「戻る」などが相性がいい。
 「〜は〜が」のパターンには、「好き・嫌い」などの状態詞(英文法の形容詞?)が相性がいい。

 今日は空が青い(「〜は〜が〜」パターン)(抽象的な場・「今日は」)
 野原に花が咲いている(「〜に〜が〜」パターン)(具体的な場・「野原に」)

 この伝でいくと、「僕は花子が好き」の「僕は」の「は」は、主格を表すのではなく、抽象的な場を表すと考えられます。

 次の例は、( )内が明示されないものです。いずれも、「〜は〜が〜」パターンです。

 今日は中華がいい
 僕はラーメン(がいい)、僕は中華丼(がいい)、僕は焼きそば(がいい)

 昔話の型としては、「むかし、むかし、おじいさんとおばぁさんがいました。」よりも、「むかし、むかし、あるところ(村)に、おじいさんとおばぁさんが いました(住んでいました)。」とする方が座りがいいと感じますし、実際にそう語られる場合が多いのではないでしょうか。例示された文は、具体的な場所を 広く限定する「〜に」が省略されているのであり、「〜に〜がいる」の型は伏在していると思います。

 「〜は〜が〜」パターンではないし、明示的ではないが、「広く限定」→「より狭く限定」という流れは伏在すると考えています。この文の基本パターンが 「〜に〜が〜」だとすれば、ぼけていた焦点がだんだんはっきりとピントを結ぶような、日本語の「ゆるく・ぼんやり」→「きつく・はっきり」、あるいは「広 く」→「狭く」という流れが確実に伏在していると感じます。

 この考えに対して、反証となる例がありましたら、お手数ながら提示していただきたくお願いいたします。また考え込んでみます。

----------------------------------------------------

>空が主格かも知れません。しかし、英語語順表現では、青空になるとおもいます。

 「英語語順表現では、青空になる」という部分の意味がわかりません。お教えください。



【7901】
【タイトル】「只管朗読」の洗濯(1)
【 日時 】03/09/21 13:53
【 発言者 】根石吉久

 素読は、基本的に一対一で行う練習方法である。コーチ一人に生徒一人が素読の基本的な場を構成する。語学としての英語学習では、コーチは単音の「音づく り」を行い、文全体の「音づくり」を行い、それらをメンテナンスし、錆び付きを防ぐための管理を行う。コーチ側の意図をくみ取って、メンテナンスの実行や 錆び落とし、文の打ち直し(文法媒介)等、必要な練習は普段の生徒の独学による。

 この過程の中で、コーチと生徒とが一対一で行う練習の部分(生徒の独学を除いた部分)だけを取り出して、「技法グラウンド」と呼んでいる。私の「電話で レッスン」の実質部分である。そして、この「技法グラウンド」の根は素読にある。

 國弘正雄の「只管朗読」は、独学法である。「只管朗読」の場には、コーチは存在しない。現代では、コーチの代用品としてCDなどの録音音声を利用するこ とはできるが、英語フリークや音楽センスのいい人など、一部の人にしか独学で「音づくり」はできないことが無視されている。最初から、フリーク性やセンス が前提されている方法であることが「只管朗読」の欠点である。

 また、「只管朗読」だけで國弘の同時通訳の能力ができているわけではないことを人は見落としがちである。國弘が「血のにじむような」訓練を自分に課し続 けた人であることは間違いのないところだが、いくら血のにじむような訓練を継続したところで、國弘が日本にだけ居続けたのであったなら、國弘の同時通訳の 能力は成立したはずがない。同時通訳どころか、不自由なく話し聞くことだって、日本在住のままでは成り立ちがたい。準磁場(外資系会社の社内など)で仕事 で英語を使うとか、結婚相手が英語圏で育った人で家庭内は英語でいくなどの申し合わせがあるなど、日常的な言語の基本の一つに英語が据えられないなら、不 自由なく話し聞くことすらほぼ成立しないと言っていい。(松本道弘は準磁場を持っていた人間だと私は考えている。)

 ゴンベが種蒔きゃ、カラスがほじくる。
 なまなかが英語学習など、日本語磁場の日本語シンタックスが片っ端からひっくりかえしてしまう。

 私は、日本にだけ居続けた人間だ。この条件において、國弘のような英語能力が身に付かないことは、私の体がよく知っている。私の練習における血のにじみ 加減は、國弘に負けるのかもしれないが、それでも、私の日本在住の体にある苦痛は首を縦に振ることはない。たとえ、國弘よりも多く血のにじむような訓練や 練習をしても、私の英語能力が國弘の同時通訳レベルに達することはありえないと、私の体の苦痛は言明し続けるであろう。
 そんなことがありえないことを知っていることこそが、私の英語のアイデンティティなのだ。そこを承知していることこそ、在米で英語に困っている人に、海 を越えて電話でレッスンをしようとまで企てることの根拠なのだ。在米での困惑をもっともよく理解するものは、在日英語の英語能力ではない。在日英語の苦痛 なのだ。

 言語的に「在米」に渡らせる力は、環境的には英語磁場、方法においては「技法グラウンド」だ。それが極め付きだとまで思っている。



【7902】
【タイトル】「只管朗読」の洗濯(2)
【 日時 】03/09/21 13:54
【 発言者 】根石吉久

 國弘は、英語の磁場の磁力を大きく媒介した人である。國弘における在米13年(?)の意味を國弘はほとんど語っていない。しかし、そこに何があったかを 言明しないならば、「只管朗読」はむやみな幻想を売ることに一役買ってしまうことを指摘しておかなければならない。

 音読ばやりである。
 素読はいまだほとんどかえりみられていない。
 國弘も、この音読ばやりの中で、「只管朗読」の「朗読」を「音読」という呼び名にシフトしつつある。

 私は、素読によって立つ。
 「只管朗読」という場合に、音読ばやりの中で「朗読」という語ばかりが問題にされて、「音読の一種」と読み替えられ、「只管(ひたすらに)」の意味がほ とんど放置されている。

 「只管」の意味を人々に知ってもらうには、「技法グラウンド」における「復習範囲を手離さない」という原則によって具体的に体で知ってもらう以外にはな い。特に、仕事を持ちながら英語を練習する人に「只管」の意味を知ってもらうにはそれ以外に方法はなかろうと思う。

 國弘の「朗読」をはやりの「音読」の方へひっぱり、シャドウイングなどを導入して、水で薄めている千田潤一は、人々から「只管朗読」の「只管」の意味を 奪っているのである。「只管」というのは、その程度のもんじゃねえよ、という文句が私の側にはっきりとある。

 「声を使うこと」と「意味がわかること」。
 この前後関係はどちらでもよい。
 國弘は、「只管朗読」を提唱して、「意味がわかること」が「声を使うこと」に必ず先立たなければならないと限定した。これによって、國弘は素読という方 法を相当程度に水で薄めたと私は考えている。

 音のシーケンスが完成した直後に意味が備わるのでなぜ悪いのか。
 何も悪いことはない。前後関係はどっちだっていいのである。
 問題は、音と意味の一体化の強度にあるのであって、前後関係にあるのではない。

 國弘は、別に素読になど義理はないと言うのかも知れない。
 しかし、國弘は幼児期に素読を施された人だという。素読に義理はないどころの話ではないし、素読などを幼児期に施すような社会的クラスに生まれたことの 義理を、素読の原理を水で薄めることで、薄めてはならないはずである。
 多くの人々は、そのような社会的クラスに生まれてくるのではない。そして、その人々に國弘の「只管朗読」の「只管」は伝わっていかない。元々「只管」 も、コーチ付きの素読が持つ方法から育った考えに基づいているものだからだ。



【7903】
【タイトル】「只管朗読」の洗濯(3)
【 日時 】03/09/21 13:55
【 発言者 】根石吉久

 中学の先生に勧められた音読を、やりとげたのは國弘だけだったということは何を意味するか。國弘に素読の素地があったから、國弘だけが先生が勧める音読 を「只管朗読」にまで練り上げることができたということだ。素読の素地が、音読の意味、「只管」の意味を内在的に理解させたのだということだ。

 國弘の「只管」は、もともとは素読から得られたものなのである。

 そもそも、「最初に意味がわかっていなければならない」の意味が不明である。これは人に教わった意味でもいいということなのか、自分で考えて得心した意 味のことを言っているのか。この時点で、「意味」というものが水で薄められて考えられている。
 もし、「意味」が自分で考えて得心したもののことを言うのなら、この「意味」は語学の初心者には不可能なものである。それが得られないからこそ、語学を やるのだからだ。この意味での「意味」をつかみ、文の構造(音のシーケンスに内在する構造)と緊密に溶接するためにこそ、「只管朗読」の「只管」が必要な のではないのか。

 國弘の「意味」が、人に教わった意味(外在的な意味)ということなら何も文句はない。語学の当初においては、それでいいのである。

 國弘においては、「意味」というものが内在的理解によって能動的につかむもの(内在的意味)なのか、人から教わったり、英文の隣に並記された日本語から 受け取る意味(外在的意味)なのかがまるで区別されていない。



【7904】
【タイトル】は と が
【 日時 】03/09/21 17:11
【 発言者 】パクパク

日本語で○が□い の場合
英語では、□○の語順になる場合があります。

りんごが多い   many apples   ×apples are many.
空が青い     a blue sky



【7905】
【タイトル】素読の定義
【 日時 】03/09/21 17:23
【 発言者 】パクパク

私は、素読と音読とを議論する場合、素読の定義をきちりと
したほうがいいとおもいます。

 素読とは、そばにコーチがいる。(基本的には1:1)
 意味のわからない文でも、音読でおぼえる。
 文字は見てもよい。

ところで、現実には、コーチは、いまの日本では得がたいとおもいます。
生徒ひとりひとりの特徴を見ながら、その場、その時、的確に即座に
音読コーチができるような人は
先生側になかなかいないとおもいます。

また、「まったく意味のわからない文を素読するだけで、なぜ、言語能力がつくのか?」を
素読を主張する側は、科学的に主張しておけばいいとおもいます。



【7911】
【タイトル】素読の目的
【 日時 】03/09/22 20:04
【 発言者 】パクパク

素読の定義をしたら、素読の目的の明記が必要だとおもいます。
わたしは、
素読の目的=イントネーションの自己決定能力の養成
とおもっています。
このために、独学・音読ではダメで、コーチ随伴が不可欠なわけです。

ひるがえって、いまの日本において個別音の矯正や訓練を
しているところはありますが、イントネーションの修得を
売り物に商売しているところは見当たりません。
もちろん皆無ではないですが、一桁レベルの若干はあるとおもいます。
逆に、イントネーションの修得を目的とした場合、
そのための指導方法は、素読にならざるを得ないとおもっています。
では、何を素読の教材にするかですが、これは何でもいい
わけではありません。
700選や、TOEIC音声教材、中学校音声教材では
素読の目的が達成できないのではないかとおもいます。
素読の教材については、四書五経のような定番に相当するものが
英語の場合あるとおもっています。



【7912】
【タイトル】ぱくぱくさん(1)
【 日時 】03/09/22 23:56
【 発言者 】根石吉久

 もっとも簡単に定義を書きます。私の勝手な定義です。

素読:一読で意味がとりにくいものを相手にする
音読:一読で意味がとれるものを相手にする

 この定義の根拠は、素読においては、意味がとれているかどうかは、問題にされないからです。辞書の素読の定義においても、それは同じです。

素読の目的について。

 語学に応用した場合に、素読ががもたらすものは、イントネーションの自己決定力だけではありません。素読自体の場では、意味がとれているかどうかは問わ れないにしても、素読は意味と音が合致することを準備するためにこそあります。単なるイントネーションまで含めた音の問題にとどまるものではありません。 素読は意味を強制しないだけであり、いつでも意味に向けて開かれている方法です。

 いや、失礼、ぱくぱくさんは、イントネーションの「自己決定力」と書かれたのでした。イントネーションが独力で決定できるということは意味がとれている ということです。これは原理的にそうです。その意味でなら、イントネーションの自己決定力と言えば、意味の問題も解決してしまうように思えます。
 ところが、素読を英語学習に応用する場合、英語と日本語のシンタックスの逆立の問題があり、この逆立が、音と意味を分離させやすいのです。いったん音と 意味を合体させた後でさえ、音と意味が分離しやすいのは、言語相互のシンタックスの逆立のせいです。

 意味をまるで考えずに歌を歌っていること、日本語の歌でもよくありますが、これと同じことが素読であろうが音読であろうが朗読であろうが、いつでも生じ る可能性があります。素読はひとまずこの状態を許容します。しかし、語学の場面では、これにとどまり続けたらまずい。

 國弘正雄は、素読でもなく音読でもなく、「只管朗読」と言ったのでしたが、私は「只管」こそが國弘の眼目だと思っています。シンタックスの逆立を超え て、分離しがちな音と意味を緊密に合体させるのが、「只管」ということだと思います。そして、私がにらむところでは、國弘の「只管」は素読という方法から もたらされたものです。

 しかし、「只管」においてさえも、音だけの空回りが避けられる保証はありません。本人が自分の意識を意識して、音と意味の合体の度合いを見て調整するこ とをしない限り、「只管」においても、空回りが生じることはありえます。

 それでも、「只管」およびそのルーツとしての素読は、音と意味の合体を成立させるための「準備」を整える作用において、語学の当該言語の「磁場を欠いた 場所」で、他に並ぶものがない。それしかないだろうというくらいなものです。英語をものにした人たちのほとんどが、音と意味の合体の「準備」などというこ とを考えずに上達したにしても、やったことを言葉によって展開してみれば、私が言っている語学の繊維が必ず現れるはずです。彼らはやみくもに正道を踏んだ だけのことです。やみくもであろうとなかろうと、個の語学力が確かに獲得されるなら、つまり正道さえ踏んでいるならそれでいいと言えますが、先生だのコー チだの指導者だのいう人たちは、自分がやみくもに踏んだ正道では、先生もコーチも指導者もできはしないのだということをわきまえる必要があります。柴田さ んのように、ひたむきな探求心によって、やみくもに指導法の正道を確立してしまう人もありますが、本当は柴田さんの方法も語学論によって裏打ちされる必要 があります。



【7913】
【タイトル】ぱくぱくさん(2)
【 日時 】03/09/22 23:57
【 発言者 】根石吉久

 これまでのところ、柴田さんは音と意味の問題のうち、音だけを大きくとりあげておられ、音と意味を合体させる方法、あるいはそれを準備する方法に関して は、ほとんど触れられておりません。しかし、柴田さんは確実に正道を踏んでおられ、生徒に数百語から成る教科書本文の暗唱発表をさせておられる。学校の授 業がやれることは、おそらくこれが最高峰だと思います。音作り、多量の音読、暗唱発表。これが、学校の英語の授業がやれる最高峰だと思います。私はそれを 固く信じております。それにも関わらず、柴田さんの方法が普及するためには、それを裏打ちする語学論が必要であり、それがないかぎり、柴田さんの方法は 「すぐれた授業」にとどまってしまい、一部からの賞賛の的になるにとどまり、方法として現在の駄目な学校授業を食い破っていく力を備えることにはならない だろうと思っています。つまり、柴田さんの授業を受けることのできた生徒だけが幸せであり、他の圧倒的多数の不幸せを幸せに変える力にはならないだろうと いうことです。

>独学・音読ではダメで、コーチ随伴が不可欠なわけです。

 そうだと思います。学校の授業でこれをやれた人は柴田武史さん以外に知らないと私はずっと以前に書いたことがありますが、今でも私は柴田さん以外には知 りません。私の方法は、一対一(「電話でレッスン」など)であり、複数の生徒を相手にする場合でも、せいぜいが数人どまりです。この点で、実に柴田さんは すごいと思っています。私は、現在の学校では、「コーチ随伴」など成立するはずがないと思っていたのですが、たとえ私立の学校であったにせよ、柴田さんは たった一人の信念によってそれをうち立ててしまったのです。この意味は決して小さなものではありません。
 私は、これからも、一対一、せいぜいが数人どまりでやっていくつもりですが、語学論は鍛えていくつもりであり、遠くから間接的にでも、柴田さんの方法を 応援しつづけたいと考えています。

 今日はやたらに柴田さんのことを書いておりますが、昨夜、「大風呂敷」の過去ログをテーマ別に整理して、柴田さんの「音作りへの道」を読み直したせいで す。やはり、すごい人です。

>逆に、イントネーションの修得を目的とした場合、そのための
 指導方法は、素読にならざるを得ないとおもっています。

 コーチ付きの素読は、単音の音づくりだけでなく、イントネーションの自己決定力を養うためにも、大いに有効ですが、ここでもやはり、柴田さんの存在とい うものを私は思います。柴田さんは、素読などはあまり意識されず、國弘の「只管朗読」を強く媒介にされたのだと思います。(國弘の方法の元に素読があるの は前述しました。)
 柴田さんの実にユニークなところは、教師用のCDを毎回の授業で生徒に聞かせたところにあります。これは、柴田さんだけの独創です。國弘に負ったもので はない。生徒は教科書一冊分の録音音声を毎回の授業で聴いているわけです。これは確実に効くでしょう。
 そして、生徒の口をどんどん動かす(音読させる)ということさえ外さないなら、これによって、イントネーションの自己決定力は形成できます。生徒が個々 に音と意味を合体させれば、それは形成できます。



【7914】
【タイトル】ぱくぱくさん(3)
【 日時 】03/09/22 23:58
【 発言者 】根石吉久

 今のところ、柴田さんには「遅読法」がないのが残念です。わざとゆっくり読むということが、音と意味の合体には有効であり、緊密に合体されたら、再び徐 々にスピードを速めていき、録音音声の速度までスピードアップする。そして、録音音声そのものを聞いて、意味が同時に動くというところまで持ち込むという ところまで、方法として意識化(言語化)されるなら、柴田さんの方法に強力な裏打ちができるはずだと思っています。
 ただ、音と意味の合体の具合は、どうにも確認のしようがないのが難点です。
 それは、生徒自身にしかわからない。意識の薄い生徒においては、生徒自身にすら、音と意味の合体の度合いはわからないでしょう。

>  では、何を素読の教材にするかですが、これは何でもいい
   わけではありません。
   700選や、TOEIC音声教材、中学校音声教材では
   素読の目的が達成できないのではないかとおもいます。
   素読の教材については、四書五経のような定番に相当するものが
   英語の場合あるとおもっています。

 イントネーションの自己決定力だけに焦点を絞れば、定番(すぐれた教材)があった方がいいと思います。Naima さんと Rosey さんが作ってくれた、「語数別分類」という教材が近いうちにネット上に掲載される予定です。
 イントネーションの自己決定力を外在的に(コーチが)育てる場合は、語数によって難易をなだらかに形成するのがいい。現在、おおまかな校正をやっており ますが、この教材がネットに載り、これが「技法グラウンド」と組み合わせられるなら、かなり強力なものができると思っています。特に高校生くらいの年齢の 人には、受験突破と本物の力を獲得することを両立させる教材になると思っています。
 イントネーションの自己決定力に焦点を絞るのでなく、音と意味の合体の強度に焦点を絞るなら、私は教材は何でもいいと思っています。「擬似磁場」なが ら、磁場が得られるという利点をとって、私は今は映画のシナリオを採用しています。この場合は、素読的方法(「技法グラウンド」)による、音づくりを兼ね たインプットを経て、「復習範囲を手離さない」という原理によって、國弘の「只管」がもたらすのと同等の効果をもたらしうるものと思っています。

 音と意味が合体したら、さらにそれを寝かせて、熟成させるのです。これを短期間にやみくもにやるのが國弘正雄の「只管朗読」です。私の方法から國弘の方 法を見れば、そういうことになります。



【7916】
【タイトル】音と意味について
【 日時 】03/09/23 0:38
【 発言者 】パクパク

イントネーションの自己決定能力とは、じつは、同時に
シンタックスのわしづかみがなされていると私はおもいます。
イントネーションが語順制御(英単語の並び順)をするからです。

イントネーションの自己決定能力が生まれると、英文が何回も
音読練習しなくてもおぼえやすく、忘れにくくなるとおもいます。
イントネーションの自己決定能力とは、英語の核が頭のなかに
出来て、消えないものとおもわれます。
このため、日本語環境の酸にも強い対抗力ができるとおもいます。
ところで、国弘さんのもとに、漢文素読があったことを知らせたのは
私です。過去ログを調べればわかるとおもいます。
柴田さんについていえば、生徒さんが、練習した教材での音声ではないでしょうか?
初見の英文に対して、どういう音声で読めるか疑問です。
柴田さんは、NHKの英語でしゃべらナイトにでたことがありますが、家のなかで
家族との対話にも英語で四六時中しゃべっていました。
では、イントネーションの自己決定能力をどれだけの時間量をかければ
形成されるのかが残された最後の問題になります。

素読の定義
素読の目的
素読の教材
素読の学習量



【7918】
【タイトル】過去ログ、こんな具合に整理しています
【 日時 】03/09/23 1:36
【 発言者 】根石吉久

.学校英語
----------------------------------------------------
..ガイジンの雇い方
----------------------------------------------------
 (1〜100の内・後で検索のこと)
 「英語の磁場の中で=日本語の磁場を欠いた場所で、日本語の基礎を作ったことがある」ということが望ましい。
 それでようやく日本の生徒(日本語の磁場の中で=英語の磁場を欠いた場所で、英語の基礎を作っている)という立場とイーヴンになります。まったくシン タックスが異質である言語を「語学として」扱うことの困難を知っている外人教師が必要です。
 だから、文部科学省がいますぐにでも着手しなければいけないのは、英語圏の国に出先機関を作り、そこで日本で英語を教えたい英語ネイティヴに日本語を教 えることです。そこで日本語の基礎を持ったものだけを雇うべきです。
 現在の外人の雇い方は、税金の無駄遣い以外のものではありません。
 英語圏で日本語を身につけた教師を雇うこと。これが実現すれば、本当の意味で語学的にイーヴンな者同士が向かい合うことができるので、交流というものも ただのお題目ではなくなるはずです。
 こういう外人に、日本人の「音づくり」をさせるのが一番いい。その場合に、日本の音読法の精華としての素読などもきちんと評価されるべきです。(江戸時 代の素読は、例えば現在のニューヨークで日本語を習っているアメリカ人に施しても、絶対に使えると思っています。)
 いずれにせよ、外人に日本語を習得させるような文部科学省の出先機関を英語圏につくるべきだということです。
 そうでなければ、日本人が欧米型の言語を「磁場を欠いたままに」修得しようとする場合に生じる困難を外人が理解することの糸口すら与えることができな い。
----------------------------------------------------
..滅びる英語
----------------------------------------------------
48. 学校英語で音作りに励んでいます(その1) 投稿者:Eliot  投稿日: 6月24日(日)13時40分21秒

学校英語は滅びる英語。本当にそうです。ほとんどの学校と塾の教室で行なわれている英語の授業は生徒を欺いています。英語を教えると言いながら、その場限 りにのくだらないことをやっていることが普通です。英語の音作りを激しく、厳しくやっている所は極めてまれだと思います。実際、英語の教員の多くにとって 英語の発音は、できれば避けて通りたい弱点です。自分自身が通じるレベルの音が出せない教員がたくさんいますし、そこそこ通じる音を出せる教員もその多く が英語の音作り必要な知識を体系的にルール化して生徒に教えることができません。例えば、根石さんが示しておられるような、音と音がぶつかり合ったときの 音の消失とかいうことも生徒に説明できるような知識としては持っていないのが現状です。
----------------------------------------------------
..教員の質・囲い込み
----------------------------------------------------
62. 学校での音読の実践(2) 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月27日(水)07時30分57秒

 日本の学校の英語の先生の多くは、日本の学校英語の犠牲者だと思います。学校を出てそのまま学校へ入ってしまうような方がほとんどですから、この方々は 学校英語に取り囲まれてしまって、多分、その外へ出ることがどういうことかわからなくなっているのだと思います。
 「囲い込み」というものが、学校制度にはあると思っています。
 それが無効であるということが一番見えやすいのが、英語という教科なのですが。
----------------------------------------------------



【7919】
【タイトル】使用ソフト
【 日時 】03/09/23 1:37
【 発言者 】根石吉久

 ピリオドの数で、テーマをアウトライン化できるエディタ(ソフト)・「WZエディタ」でやっています。こうすれば、相互に距離の離れた記事で関連性のあ るものを、整序して保存することができます。データが充実してきたら、順次、テーマ別に「大風呂敷」に再掲していきます。これは、「大風呂敷」における 「復習範囲を手離さない」ともなるかと思っています。



【7920】
【タイトル】素読の効用=磁場の形成
【 日時 】03/09/23 8:31
【 発言者 】パクパク

われわれは、日本の社会に住んでいますので
 1)日本語イントネーション
 2)日本語発想法
をもっています。
そして、この1)と2)とが無意識下にあり、顕在化していません。
この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。
このため、早晩、いまブームの音読も消えていくとおもいます。
一方のブームであった多読も、音の部分や文法の部分がすっぽり抜けて
おり、易しいレベルの本をたくさん買って(薄くて高い本=利益率高い)
業者にお金をつぎこみ、みずからは、ハリーポッターも読めない人が
大半だとおもいます。
日本語の磁場のなかで、英語の磁場のない中で、学習して成果があるのは
テストの英語だとおもいます。
テストはそのようにつくっているからです。

では、磁場とは何か?

 実は、これが、イントネーションの自己決定力、シンタックスのわしづかみだと
おもっています。
英語磁場にいると、無意識下のなかで、自動形成・自然形成されるとおもいます。
このため、生徒に科学的に、イントネーションの自己決定能力、シンタックスの
わしづかみ能力を、プログラム化して外部に教授することが不可能です。

素読とは、これら2つの能力の強制外部形成とも言えます。
強制の部分があるので、辛い、嫌がる生徒もでてきます。
しかし、大半は、楽しいという印象のようです。
ただどちらにしろ、未来永劫、素読学習をするわけではなく、
ある一定期間のみするわけです。

素読の効用とは、自己の脳内に、外部力でもって、英語の磁場を
具体的につくることであるとおもいます。
そして、素読以外には、この英語の磁場をつくる方法はまず存在しないと
おもいます。
いまの日本の英語教育は、素読をしていませんから、まず、英語力が
上達するわけがないとおもいます。
たとえ、外人教師が、教えても、発音は、風邪でないから、うつらないわけです。
また、正確に個別音を合成しても、イントネーションは生成されません。



【7921】
【タイトル】英語でしゃべらナイト。
【 日時 】03/09/23 9:51
【 発言者 】Jackie

>柴田さんは、NHKの英語でしゃべらナイトにでたことがありますが、家のなかで
家族との対話にも英語で四六時中しゃべっていました。

パクパクさん 柴田さんがNHK月曜夜の英語でしゃべらナイトに出演されたのですか?
いつごろでしょう? 自宅でのお子さんへの英語での会話以外に
柴田さんの学校での授業なども放送されたのでしょうか?
「音づくりの道」のような授業の放映があったのでしょうか?
だとしたら NHKも やるじゃないか! 

NHK教育テレビの語学番組は 内容が昔よりよくなりました。しかし娯楽化がはげしすぎてうるさいのでみるのに疲れてしまいます。
昨夜久々にNHK総合の英語でしゃべらナイトをみました。 この番組は英語を使ったバラエティー。
英語で観光ガイドやインタビュー有名人の英語にまつわるエピソードなど いろんな形で英語にふれて英語好きになればよいというコンセプトでできているので したね。
昨日は映画特集でした。 そういえば 昔は映画や洋楽にはまって英語に興味をもったんだった。しかし映画熱もアメリカンポップスにも冷めてしまった現在の 私。
友人からビートルズのテープをきいて ディクテーションしていた昔が懐かしい。レコードが買えなかったから、聞き取ってから歌詞カードを借りて答え合わせ をしたのだった。
あの情熱は若さゆえだったのか、アメリカやイギリス西欧や西洋文化へのあこがれゆえだったのか。
今や西欧への憧れはとうに冷め アメリカの傲慢さなど アラのほうが目立ってくるようになった。そうだからか年齢のためか アメリカ文化への熱もさめてし まった。英語を使って活躍する有名人と英語のかかわりを紹介する英語でしゃべらナイトをみると自分の熱の冷めたのがよくわかる。英語ができるとこんなこと もできるあんなこともできる。いや先に記述や才能があってついでに英語ができると世界で活躍できるよ、楽しいよといって言うことは理解できるのだ、が。

なんで日本人が英語で観光ガイドせにゃならんのだ。(欧米人にかぎらず「英語は世界の共通語」だが。)なぜに 数学や理科を英語で勉強する高校があるの だ?

NHKはこのごろアメリカ好きだ。 BSなどは大リーグばかり放送している。大リーグに興味がないので 視聴料金半分返せといいたくなる。
私は普通のニュースできょうの松井やイチローダイジェストをみれば充分。

錯覚。 日本人大リーガーにアメリカが 世界が注目しているという錯覚。イチローはすごいが。
日本のニュース番組ばかりみていると 世界中が、アメリカが日本に注目しているという錯覚をうける。しかし世界のニュースやCNNなどををみると けっし てそうではないことがわかる。
アメリカでは 未だに日本がどこにあるのか知らない人も多い。 ましてや日本の首相の名前などしている人は少数だろう。

複眼をもつために英語、他外国語を学ぶことは役に立つ。

なにをいいたいのかよくわからなくなってきた。 
こんなに 英語熱がさめてしまっているのに英語を教えていていいのだろうか?



【7924】
【タイトル】なんだかんだで
【 日時 】03/09/25 1:47
【 発言者 】魁101

前の書き込み読めているようなので、前のは前ので置いておきます
京都に行ったら宇宙工学に進むよりは、天文や、宇宙物理に進んでいくのではないでしょうか、どうなるかは判りませぬが、でも、まぁどっちにしろ英語は必要 です、
多分ですが、向こうに行ったら、フツーに論文を英語で書くのではないでしょうか?!
やっぱり、英語は出来ると云う前提の世の中に成って行ってるのでしょうね

http://here.is/kabu/



【7925】
【タイトル】初めてです
【 日時 】03/09/26 2:22
【 発言者 】ミッフィー

九州のS県で公立高校の英語教員をしています。6月に高校英語教育S県大会で柴田先生の発表をきいて、しびれた人間です。そのご縁でこちらのサイトにお じゃましています。3年生の授業を担当しています。自分で授業をしていての気づき。(一応進学校の肩書きをもっているし、それなりの能力もある)生徒が簡 単な単語をきちんと発音できない。音読をなるべく授業で取り入れているけれど、高校3年であろうと、音読するのは好きらしい(これは教える側もうれし い)。今まで自分は「発音記号を読めるようになろう」と言ってきたけど、考えてみれば、あまり発音記号を指導する時間も取らずに発音記号を理解しろと言う のは残酷なのではないかという反省の気持ち。あと、自分のことは相当棚に上げての発言ですが、英語教員の持つ英語の音声があまりにも貧弱で、教育実習生の 音声の方が遙かにましだという現実を各自が持っているんだろうかという憤り。あと、他の先生が公立高校で音読についてどのようなアプローチをしていらっ しゃるのか知りたいです。高校でフォニックスを取り入れたりしてる人いるかなあ…。柴田先生は中学からだったしなあ…。そりゃあ、S県でも公立の県立中学 はありはするし、今後も増える予定だけど、公立高校という土俵でなんとかしたいという野望。ではこれにて今日は失礼します。



【7926】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】03/09/27 0:23
【 発言者 】根石吉久

 こちらにお書きいただきうれしく思います。
 私はただ今、ぎっくり腰のリハビリ中で、なさけないことになっております。
 椅子に座っていると、腰が固まってしまい、立ち上がろうとすると腰が伸びません。
 長く書けません。ご容赦ください。

 この掲示板に、もっと学校の先生が書いてくれればいいと思うのですが、ときどき議論が激烈になることがあるせいか、ほとんど書かれません。

 メールに書かせていただいたかと思いますが、公立の進学校での「音づくり」は極度に困難だと思います。柴田さんも書かれていますが、白紙の状態から始め て、「音づくり」は2年から3年はかかると思います。ただ単に音を指示するのではなく、文字通り「音づくり」をやって、「作る」(生徒の体に実現する)と いうことをするなら、そのくらいかかります。
 私は単音で16ほどのポイントだけは外さないようにして「音づくり」をやっています。16のポイントに関しては、文書化してありますが、連音処理(音と 音のぶつかり合いの処理)に関してはいまだ文書化してありません。
 白紙の状態から始めた場合で、単音と連音の両方で、ちゃんとした音を安定させるまでに、3年ほどかかっています(小学校6年生や中学1年生で始めた場合 です)。一人でよく音読練習などやってこられた大人の方で、いくつかのポイントを指示するだけでほとんど注意することがなくなってしまう方もおられます。 そういう人は、1ヶ月ほどで、「音づくり」の過程を終了してしまわれますが、初心者の場合は、3年はみておく必要があると思っています。
 高校生で、自分の口を激しく動かして練習するということをやってこなかった生徒だと、中学以来の間違った音が固定化されているという事情がからみ、さら にやっかいになると思います。

 単に構想だけですが、「5分間音づくり」というものを試してみられたらどうかと思います。
 私がレッスンで使用している「技法グラウンド」を教室用にアレンジしたものです。興味がおありでしたら、それについて書いてみようかと思っています が・・・。



【7929】
【タイトル】ぜひぜひ!
【 日時 】03/09/28 11:48
【 発言者 】ミッフィー

1歳2ヶ月の子供が入院している中、寝ている間に『英語どんでん返しのやっつけ方』を楽しく読んでおります。5分間音作り、とても興味があります!よろし くお願いします。



【7930】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】03/09/29 1:58
【 発言者 】根石吉久

 お子さんが入院と書かれていたのが気になりました。大したことなければいいのですが。

 「5分間音づくり」は、現在の公立の中学・高校の英語の授業、つまり、中間・期末テストが敷き詰められてしまっており、その間を繋ぐものになってしまっ ている授業をにらんで、ほぼ絶望に近いと考えると同時に、そういう体制下においても、なお、「音づくり」を息づかせることはできないものかと考えて思いつ いたものでした。誰か実験してみて欲しいと思っていたのですが、やってみていただけませんでしょうか。

 幸いなことに、ミッフィーさんの授業では音読が行われているようです。音読と「音づくり」は非常に相性がいいので、「技法グラウンド」に変形を加えたも のを試してみて下さい。

 まずやってみて欲しいのは、私が「ア系列」と呼んでいる母音の「音づくり」です。
 「ア系列」というのは、日本人の耳が「ア」の音だと聞き取る英語の音のグループです。
 発音記号で言うと、[a] [ae] [逆さ e] をひとまず区別できる(言い分ける・聞き分ける)ようにして欲しいと思います。

 つまり、私は、「ア系列」の母音を大きく3つに分けているということになります。

 生徒に指示する時は、手短なコツの決まり文句を常時使って下さい。
 決まり文句にしてしまうと、生徒の側に混乱がなくなります。
 先生が当該の音が出せることが前提となります。

 では、3つの決まり文句を書きます。

 [a]  顎を下げる
 [ae] 口の両端を斜め上に引っ張る
 [逆さ e] 口を狭く

 日本語の「あ」は、ローマ字では 「a」と書くので、発音記号の [a] との間に混乱が生じやすいです。発音記号の [a] は日本語の「あ」より、ぐっとあごが下がります。あごの下がることがポイントだと思います。
 [ae] は、発音の教則本には、[a] のあごの下がりに、[e] の水平方向への開きを加えた音としてあるかと思いますが、中間音(練習途中で、コツを呑み込ませるために使用する媒介音)としては、「口の両端を斜め上に 引っ張る」とした方がいい。こうすると、アメリカ的な行儀の悪い感じの音になるが、この音の特徴は、一動作でつかまり、誤解が生じることがない(通じる) からです。この中間音を出すための口の動きが柔らかくなりバネが備わったら、もっと[a] 音の顎の下げを加えてごらんと言えば、いい感じの音が作れます。[ae] 音のコツを一動作にしてあるのは、まずコツをつかませ、近似音を出せるようにするためです。これで、他の音とまぎれない音価を確保しておいてから、「感じ のいい音」に移行すればいいと考えています。まず確保すべきなのは、他の音とまぎれない音価だとの考えが元にあります。
 [逆さe]は、まずは、「狭い」ということを意識させるのが先決だと思います。この音と[逆さ v] は初めのうちは区別する必要はなく、両方とも「狭い音」と言えばいい。[逆さ e] にアクセントが来ることもありますが、[逆さ V] にアクセントが来る方が圧倒的に多いです。この両者を区別しないでおいても、アクセントのある[逆さ V] は自然と息を強く使いますから、音価は自然に備わるでしょう。[逆さ e] がうまく出せるようになったレベルになったら、[逆さ V] の時に少しだけ唇に力を入れてごらんと言えば、より区別ははっきりしてきます。しかし、当初はやたら区別しないほうがいい。両方とも「狭い音」と言ってお くだけで、誤解の生じない英語の音にはなりますから、まずは「狭い」ということを押さえるのが先決だと思います。
 柴田さんは、この口の狭さを言うのに秀逸なコツを提示されています。風邪をひいて鼻がつまったときに、口で息をしなければならなくなりますが、この時の 口の開き程度の狭さだと言っておられます。実に見事なコツだと思います。

 [ae] は [r]音とからむことがないと思いますが、[a] や [逆さe] はよく[r]音とからみます。[a:r] や[逆さe:r] 音です。これらは、それぞれの単音を出したらほぼ同時に舌を中途半端に浮かせると指示すれば出ると思います。



【7931】
【タイトル】[ae]音 追補
【 日時 】03/09/29 2:19
【 発言者 】根石吉久

 申し忘れました。[ae] の音に関しては、柴田さんは、「般若の面」の口の形を作れば出ると言われています。私はそれにさらに変形を加え、「一瞬般若」とあだ名をつけています。口 の両端を斜め上に引っ張って、一瞬、般若の顔になって、と「音づくり」を始めたばかりの人にはよく指示します。慣れた人が間違えた場合は、「吊り上げ音で すよ」と言う場合もあります。



【7933】
【タイトル】ミッフィーさん(続)
【 日時 】03/09/29 2:30
【 発言者 】根石吉久

 「手短なコツ」の授業での使用方法。

 同時に3つのコツ(の決まり文句)を生徒に言うのではなく、一つづつやってください。

 The cat is sleeping. をやるとして、The 「キャット」is sleeping. とカタカナ発音で読んだ生徒がいたら、そこで、「キャット」が問題だから、「5分間音づくり」に切り替えるからねと生徒全員に告げます。
 「私が一度言うから、同じように何回も言ってみて」と、The 「キャット」is sleeping. と読んだ生徒に指示し、ご自分で読みます。生徒には、同じ文を何回も言い続けさせます(5回程度)。そして、生徒の読みの間違えた直 後に「えーと」などと言い、読みを中断し、例のコツの決まり文句を言います。「口の両端を斜め上に引っ張って」と指示してから、「同じように何回も言って みて」と指示し、ご自分で読みます。音価が違っている場合は、さらに別のコツを加えることもあります。この音の場合だと、「一瞬ね、一瞬のすばやい引っ張 りあげだよ」というようなことを私はよく言います。

 「音づくり」のコツは、生徒が口を動かしている最中に中断し、ポンと発音のコツを手短に置いてあげ、再びその生徒の口を動かし続け、音を変化させ、当該 の音価になるべく近づけることです。これを一人の生徒に対して行います。ほぼ当該の音価が穫れるまでの過程は、他の生徒たちも聞いていますから、当該の音 価が穫れたら、各自全員に練習させる時間を設けます。その時間も含めて、5分あれば一つのコツを教室の生徒全員の把握させることをねらうことができます。 一回でコツが飲み込めなかった生徒も出てくるでしょうが、「ア系列」の母音に関しては何回も何回も、別の文を使って同じ音の練習をすることになりますか ら、そのうちに全員が飲み込んでくれると思います。

 まだいろいろ書けば書けますが、ひとまず以上のものを試してみていただけたらと思います。「ア系列」の基本3つのコツを練習させるのに、授業で3コマ使 います。4コマ目には、[ae] と [a]、あるいは[a] と[逆さ e] の混ざった文を使って、それぞれの両者を区別させたりするのもいいと思います。

 試してみられて気付かれたことは、小さなことでも結構ですから是非お書き下さることをお願いします。



【7934】
【タイトル】田中君
【 日時 】03/09/29 2:50
【 発言者 】根石吉久

>やっぱり、英語は出来ると云う前提の世の中に成って行ってるのでしょうね

 確か京都大学だったと思うが、養老さんという脳の研究者がいると思います。
 この人は、英語がとてもできる人であるにもかかわらず、日本語で論文を書くと腹を決めたと宣言しています。日本語で書いたものに、価値があると思った ら、アメリカ人でも何人でも日本語を勉強するがいいのだと言っています。
 基本的にこの人の考え方が私は好きです。

 ただし、アメリカに勉強に行くのであれば、英語が前提になると思います。
 俺としては、天文や宇宙物理は、アメリカの研究レベルを媒介にする必要はあるはずだと思うし、是非アメリカへ行って勉強してきてもらいたいと思う。

 俺は、宇宙工学より、天文や宇宙物理やの方が田中には向いてるとなんとなく思っているので(根拠はないが)、名古屋大学より京都大学の大学院の方へ行く のがいいと思っている。

 こせこせと就職のことなんか考えないで、思う存分やりたいことをやるのがよかろうと思う。おふくろさんを説得する必要があれば、俺がやるから。



【7935】
【タイトル】三度、ミッフィーさん
【 日時 】03/09/29 3:08
【 発言者 】根石吉久

 私には、自家製のフォニックスがあります。

 黒板に、「 a i u e o 」を、間を大きくあけて書いてください。
 次に、それぞれに r を加えて、
 「 ar  ir  ur  er  or 」とします。

 最初の 「 ar 」 だけを色の違うチョークで丸で囲んで下さい。
 残りの「 ir  ur  er  or 」 全部を別の色のチョークでひとくくりに楕円で囲んで下さい。

 こうしてから、「ar] だけが音が違う、あごが下がる音、と強調して下さい。
 「 ir  ur  er  or 」 は全部「狭い音」だからね、と強調して下さい。

 フォニックスですから、つづりの中の 「ar」であり、「 ir  ur  er  or 」です。

 car, park などの中にある 「ar] 。 あごが下がる。
 birthday, thursday, refer, counselor などにある「 ir  ur  er  or 」。全部「狭い」音でいい。

 これら全ては、「ア系列+ r 」に関しての指示です。



【7936】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】03/09/29 3:32
【 発言者 】根石吉久

 柴田さんが NHK に出演されたことはどなたからお聞きしたか忘れましたが、私は耳にしておりました。私は普段はテレビを見ないのですが、柴田さんが出られるなら見たと思い ます。柴田さんは、放映時刻などここで俺たちに教えてくれてもよかったのにと思っております。水くさい。

>>家族との対話にも英語で四六時中しゃべっていました。

 この辺が私と柴田さんが大きく違うところだと思っています。私はこれはやりたくない。具体的な個人の個の言語は、磁場に浮いているのだと思うので、日本 語の磁場でこれをやりたくない。私は日本語を身体と分かちがたい言語とし、英語を異物として使い続けたい。いくら英語商売の人間でも、家庭の中に英語を持 ち込むのはやりたくない。

>映画熱もアメリカンポップスにも冷めてしまった現在の私。

 この両方に、一度も熱くなったことのない私です。
 私がアメリカに向ける視線の元には、平気で native people を殺すアングロサクソンの根性を見据えてやろうという自家製根性があります。映画や音楽にアメリカを見たことはかつて一度もありません。平気で native たちを殺した流儀が、日本の戦後民主主義にも反映していると思っています。現在の日本の息苦しさは、江戸頃からいい思いをした保守本流の者どもと、支配者 としての占領軍の頭領(マッカーサー)が置いていった民主主義(検閲を隠した民主主義)との野合だと考えております。
 私は中学以来、日本の戦後民主主義を斜めにしか見て来なかった。

>あの情熱は若さゆえだったのか、アメリカやイギリス西欧や西洋文化
へのあこがれゆえだったのか。今や西欧への憧れはとうに冷め アメリ
カの傲慢さなどアラのほうが目立ってくるようになった。そうだからか
年齢のためかアメリカ文化への熱もさめてしまった。

 この「醒め」は、正常な現状認識だと思います。

>なぜに 数学や理科を英語で勉強する高校があるのだ?

 私は、数学や理科に限っては、英語で授業してもいいかと思っている人間です。
 ただし、効率が落ちないことが見落とされていないことが前提です。
 だから、実際は現実的ではないかもしれません。
 理念としては、数学や理科に限っては英語でやって構わないと思っています。
 論理を論理そのものとして扱うなら、英語の方が利があるという考えによります。

>NHKはこのごろアメリカ好きだ。

 昔からです。

>錯覚。 日本人大リーガーにアメリカが 世界が注目しているという錯覚。イチローはすごいが。日本のニュース番組ばかりみていると 世界中が、アメリカ が日本に注目しているという錯覚をうける。しかし世界のニュースやCNNなどををみると けっしてそうではないことがわかる。

 まったく正確な指摘だと思いました。NHKの番組の作り方がおかしいのです。
 世界に向けて開かれているようにみせかけて、実は日本に向けて閉じている。
 ソフト・ファシズムが始まっているのだと思います。
 芽は昔からあったが、いよいよ始まっているのだと思います。

>複眼をもつために英語、他外国語を学ぶことは役に立つ。

 御意。

>こんなに 英語熱がさめてしまっているのに英語を教えていていいのだろうか?

 いいのです。そうじゃなければ、私もおまんまが食えない。
 私は昔からこれに関しては、醒めまくってきましたから。



【7937】
【タイトル】前言、翻します
【 日時 】03/09/29 3:35
【 発言者 】根石吉久

>映画や音楽にアメリカを見たことはかつて一度もありません。

 ありました。JAZZです。
 アメリカン・ポップスには、醒め続けてきました。



【7938】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/09/29 3:48
【 発言者 】根石吉久


   われわれは、日本の社会に住んでいますので
    1)日本語イントネーション
    2)日本語発想法
   をもっています。
   そして、この1)と2)とが無意識下にあり、顕在化していません。

 顕在化していないこと、おっしゃる通りです。
 顕在化させるには、語学論が必要です。

>  この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
   けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。

 これは、起こる人もあるし、起こらない人もあります。
 意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させるという過程をきちんと踏まえるならば、量質転換は起こります。

>  このため、早晩、いまブームの音読も消えていくとおもいます。

 私はそのようには見ておりません。音読のブームというものは、日本人の戦後の過程に対する反省として出てきているものであり、素読や音読に関するまとも な認識が立ち上がるならば、根付くと思っています。

>  一方のブームであった多読も、音の部分や文法の部分がすっぽり抜けて
   おり、易しいレベルの本をたくさん買って(薄くて高い本=利益率高い)
   業者にお金をつぎこみ、みずからは、ハリーポッターも読めない人が
   大半だとおもいます。

 賛成です。いくら易しいものから読み始めても、音、イントネーションが確かでなく、文法が文法用語を必要としなくなる程度に媒介されないならば、多読推 進ブームははあだ花に終わります。

>  日本語の磁場のなかで、英語の磁場のない中で、学習して成果があるのは
   テストの英語だとおもいます。
   テストはそのようにつくっているからです。

 実に学校のテストは両義的です。
 文法など「理解」はさせるでしょう。この点で、まったく役に立たないとは言えませんが、それは途中にあるものを到着点のように思いこませることにおい て、語学的には犯罪に類するものです。
 ここでも、音、イントネーション、それらと意味の合体こそが眼目であり、学校はそれに手をつけていません。

>  英語磁場にいると、無意識下のなかで、自動形成・自然形成されるとおもいます。
   このため、生徒に科学的に、イントネーションの自己決定能力、シンタックスの
   わしづかみ能力を、プログラム化して外部に教授することが不可能です。

 見事な認識だと思います。

>  素読の効用とは、自己の脳内に、外部力でもって、英語の磁場を
   具体的につくることであるとおもいます。
   
 磁場は素読によってもできません。磁場とは、個人の脳内に形成されるものではなく、客観的な外在物です。脳内に作れるものは、欧文脈による思考回路程度 のものだと思います。この元には、磁場が文を強制するか、文によって磁場を想像するかの違いがあります。生と死が違うほどに違うことです。



【7939】
【タイトル】良い音読と悪い音読
【 日時 】03/09/30 21:59
【 発言者 】パクパク


>  この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
   けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。
 これは、起こる人もあるし、起こらない人もあります。
 意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させるという過程をきちんと踏まえる ならば、量質転換は起こります。
 
 この表現は、非常に抽象的です。
 そもそも、量質転換とは、語学の場合に、発生しない概念だとおもいます。

具体例からはいりたいとおもいます。

 例)He is no better than a beggar.

この英文を、どうすれば、暗唱できるようになるでしょうか?
 多くの人は、単語分解をします。
 各単語の意味を日本語訳と対応させ、文法適用をします。
 それでも、意味がなんかわからない場合は、
 イディオムとして、暗記します。
 こんな学習法が、いままで、何らの批判を受けず、はびこっているのです。

 音読回数を増やして、覚えたところで、すぐ忘れてしまうでしょう。
 ふだん、使わないものは、どんどん忘れます、
 そもそも、この英文を学校英文法では、第何文型として、教えるのでしょうか?
 thanの品詞は、この場合何でしょうか?
 すべて、簡単な中学英単語から成り立っています。
 しかし、全体の意味は、なかなかわかりません。
 何百回も音読しても、忘れるとおもいます。
 量質転換は、起こるわけがないのです。

 しかし、この英文を、イントネーションに気をつけながら、
 シンタックスのわしづかみに留意しながら、音読すると
 しましょう。
 そうすると、何回も音読しなくても、すぐ暗唱できるように
 なるばかりか、脳内に焼きついてしまうので、なかなか
 忘れないとおもいます。
 この英文の日本語の意味がわからなくても、
 暗唱できてしまうのです。

 いずれの方法が正しいか議論するまでもないことです。
 実験してみればいいことです。



【7940】
【タイトル】パクパクさん(1)
【 日時 】03/09/30 23:52
【 発言者 】根石吉久

>>>  この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
      けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。

>>  これは、起こる人もあるし、起こらない人もあります。
    意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させると
    いう過程をきちんと踏まえるならば、量質転換は起こります。
    
>   この表現は、非常に抽象的です。
    そもそも、量質転換とは、語学の場合に、発生しない概念だとおもいます。

 どこが抽象的なのでしょうか。「意味」という言葉が抽象的なのですか。「過程」という言葉が抽象的なのですか。あるいは、それらが抽象的だったとして、 なぜ語学を抽象的に語ることがいけないのですか。そもそも、机上の行為を語るのです。本質からして、抽象的な行いなのです。

 量を練習することが質の変化をもたらさないならば、誰が量を練習するなどという馬鹿らしいことをやるでしょうか。私は我が身で、量が質に変わることを 知っているのでやっているのです。
 そんなことはないと思う人はやらなければいいだけのことです。磁場を欠いた場所で量を馬鹿にして、どうして英語なんぞという異言語が身体化される(無意 識化される)ことがあるというのですか。

 再度言います。やりたくなければやらなければいい。それだけのことです。
 どこをどうさまよい続けていただいてもいっこうに構わないことです。

>   具体例からはいりたいとおもいます。

>   例)He is no better than a beggar.

>   この英文を、どうすれば、暗唱できるようになるでしょうか?
    多くの人は、単語分解をします。
    各単語の意味を日本語訳と対応させ、文法適用をします。
    それでも、意味がなんかわからない場合は、
    イディオムとして、暗記します。
    こんな学習法が、いままで、何らの批判を受けず、はびこっているのです。

 単語の意味を調べること、日本語訳と対応させること、文法理解を適用すること、これらすべては必要です。しかし、そこで止まるから駄目なのです。それが 感覚に変わるまで、「まるごとひとつかみ」の理解が生じるまで、それらを音読の坩堝でぐつぐつと煮て、煮汁が濃厚になるまでやらないのが駄目なのです。

>   音読回数を増やして、覚えたところで、すぐ忘れてしまうでしょう。

 紙を折ることを喩え話に使いたいと思います。
 しっかり折ったつもりでも、少したてば、折り目が消えているのが、日本語の磁場でやる英語の宿命です。日本語の磁場が、少しくらいの折り目は消してしま うのです。これが英語の磁場でしたら、適当に折ったものでも、回りが(磁場の磁力が)しっかりと折り目がつくまで後押ししてくれますから、紙を広げてみれ ば、見事に折り目が残るのです。

 忘れることはちっとも構わない。何度でも折るしかないのです。ある域を越えると、折り目が消えなくなるということが生じます。私はこれしかあてにしてお りません。



【7941】
【タイトル】パクパクさん(2)
【 日時 】03/09/30 23:53
【 発言者 】根石吉久

>   何百回も音読しても、忘れるとおもいます。
    量質転換は、起こるわけがないのです。

>>  意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させると
    いう過程をきちんと踏まえるならば、量質転換は起こります。

 私が「意味」と言っているのは、個々の単語の意味だけのことではありません。それらのすべてを音読の坩堝で煮て、合体させると、そこから蒸気のように立 ち上る意味(文まるごとの意味・全体で一つとしての意味)が生じます。それを生じさせるなら、質量転換が「起こらないわけがない」のです。

>   しかし、この英文を、イントネーションに気をつけながら、
    シンタックスのわしづかみに留意しながら、音読すると
    しましょう。
    そうすると、何回も音読しなくても、すぐ暗唱できるように
    なるばかりか、脳内に焼きついてしまうので、なかなか
    忘れないとおもいます。
    この英文の日本語の意味がわからなくても、
    暗唱できてしまうのです。

 どこが具体的なのかちっともわかりません。
 脳なんぞをこんなふうにあてにしたやり方で、使える英語が身体化されるなどとはとうてい信じられません。そもそも、イントネーション一つでさえ、初心者 にとっては、量が質に転じることで獲得されるしろものなのです。
 「暗唱」ひとつでも、暗記して(脳なんぞというちゃちなものを信じて)暗唱するのと、「音づくり」によって、口の筋肉を break in することで、柔らかくバネの備わった動きを作った「結果として」暗唱できるようにしたのとでは、その後の身体化の度合いがまるで違います。
 そもそも、音読は「暗唱」なんぞが目的ではありません。「暗唱」なんかしようとしなくても、まともに量をこなした「結果」として、自然に「暗唱」もでき るようになってしまうということです。眼目は身体化(無意識化)にあるのです。そして、英語の磁場の磁力をあてにできないから、「からっぽの電池を無数に 作る」ということになるのです。すべては、磁場に渡るか読書に渡るための「準備」です。語学は「準備」を生ききること以外ではありません。

>   いずれの方法が正しいか議論するまでもないことです。
    実験してみればいいことです。

 いずれの方法が正しいかは、両方やってみない人にはわかりませんが、脳なんぞというチャチなものをあてにする人が、まともな「音読」を実験をしたとは信 じられません。
 まともな「音読」は脳なんかじゃなくて、心の全体をあてにしているのです。
 質量転換が生じないのは、パクパクさんに生じないのであり、私には生じています。
 覚えるだの暗唱だの脳だの、あたしゃどうでもいい。
 覚えたところで、暗唱したところで、脳をあてにしたところで、使える英語ができなければ元も子もねえや、そう思ってやってきたのです。

 日本で使う英語に限れば、磁場の磁力に触れずに作った英語で言いたいことが言え、相手の言い分が受け止められれば上出来です。変な英語だの、ネイティヴ の言わない言い方だの何の遠慮もする気がありません。磁場を欠いて作った英語なのだ。お前さん(英語ネイティヴ)が日本語に渡るまでの間の助力になるだけ ありがたく思え、でいい。そうして、ぎくしゃくと、ごつごつと英語をしゃべり、私は使っています。このぎくしゃくやごつごつが、英語の磁場に身を置いて生 きる(磁力に取り囲まれて生きる)のでなければ、なくなることはないのだと私は見きわめています。
 しかし、使えば使えるだけの質は作ったのです。

 暗唱だの、覚えるだの、脳だの言っている方は、使えば使えるだけの質は作ったのでしょうか。



【7943】
【タイトル】音読ブームはいまどうなっているのか(1)
【 日時 】03/10/01 0:36
【 発言者 】根石吉久

 「音読」がブームになったのは知っているが、その後、このブームはどうなっているのだろうか。せっかくこういうまともなものがブームになったのだから、 各小学校の裁量で使えるようになったなんとかの時間という枠を、日本語の音読や素読に使えばいいのにと思ったことがあったが、英語しか話せないAETを呼 んで、楽しいゲームなんぞをやって税金と小学生の時間を無駄にしている学校が多いらしい。
 私は素読という方法を根幹に据えて、英語の教室をやってきた。素読と音読の違いについては、何度か書いたことがあるが、繰り返しを厭わずに書いてみよう と思う。素読は、一読で意味がわからないような難度を含む文に対して行うものであり、音読は、一読で意味がとれるような文に対して行うもの、という区別を 勝手に設けている。これは私が勝手に設けた区別に過ぎないが、もう10年ほど使用しつづけて、この区別でいいのだろうと今も思っている。
 江戸時代の論語(漢文)を対象にして行われていた素読も、子供にとってテキストは一読で意味がとれるようなものではなかっただろう。素読には、いつも コーチがいたのであり、コーチの読み(音声)を、文字にかぶせていくということが素読の最初にある。音を文字に「かぶせ」るということが、素読の特質であ る。簡単に言えば、コーチが読むのと同じように生徒が読むということだが、その実質は、「音」を文字に「かぶせ」ていくということに他ならない。何度も同 じ文字に同じ「音」をかぶせているうちに、「音」が文字に住みつき、文字から音が出てくるようになる。つまり、コーチが先に読まなくても、子供は文字を見 てそれを「音」に変換できるようになっていく。この時点でも、子供に意味を説明するようなことは要求されない。もし、それをする素読のコーチがいたら、素 読のコーチとしては二流・三流である。素読の原理をそこで踏みにじるようなことをしていることになる。

・コーチがいること。
・文字に「音」を「かぶせ」ていくこと。
・文字に「音」を住みつかせ、文字から「音」が生じるようにすること。
・意味や解釈を要求しないこと。

 これらが素読という方法の原理である。
 必ず声に出して練習するという一点では、素読と音読には何の違いもない。
 だから、話をわかりやすくするために、素読と言いたいところを、音読という語で代用し、私の方法を説明することもしばしばある。

 素読は意味を放置するのだろうか。一見、そのように見える。しかし、本当は、素読という方法は、意味に関して、生徒の心の成長に任せるのだと言うのが正 当だろう。同じ文だって、生徒の心の成長の段階によって、別の意味を帯びることは生じうることだ。だから、素読は意味を解釈として固定しないのである。

 「英会話・ぜったい・音読」という本が売れているようである。これは、千田潤一という商売上手な人が、國弘正雄というすぐれた方法論を持つ人を、「朗 読」から「音読」の方へひっぱりこんで成り立った本である。
 これは、シャドウイングという方法を、國弘の方法論と野合させた本だと言える。この本の方法から払底しているのは、コーチによる「音づくり」という過程 だが、千田はその過程はなくても済ませられるものと考えているらしい。端的に言いきってしまえば、こういう本は英語フリークにしか向かない。本にCDを付 けたところで、複製音声で英語音を作れる人は少ないからである。英語フリークはこの難所を乗り越える。悪く言えば、虚仮の一念であるし、よく言えば、好き こそものの上手なれ、である。
 千田のけったいな先進性の批判は、いずれゆっくりとやるつもりなので、「英会話・ぜったい・音読」に関してはここまでの言及で止めることにする。



【7944】
【タイトル】音読ブームはいまどうなっているのか(2)
【 日時 】03/10/01 0:37
【 発言者 】根石吉久

 そもそも、國弘正雄は「只管朗読」を唱えた人である。音読とは言わず、「朗読」と言ったのは、國弘は中学時代にこの練習を楽しんだからだろうと思ってい る。「朗々と」という言葉でもわかるが、「朗読」は言葉の音楽性を楽しむ方法なのだ。それを英語という言語に対して日々実行したのが國弘正雄だったのであ る。
 國弘正雄は、中学の英語の教科書を、朗々と声に出して、毎日読んだそうだ。読み込みの回数は500回から1000回に及んだという。中学生という、日本 語のシンタックスが固化しきらない年齢で、英語の教科書の全体を500回から1000回読むこと。これは、千田潤一じゃないが、「ぜったい」に有効な方法 である。英語のシンタックスを身体に沈めながら、日本語のシンタックスが固化する。これが、後に同時通訳の第一人者として華々しい活躍をした國弘の基底を 作ったものである。

 人によっては、苦痛きわまりない方法だろう。人によっては、楽しい方法だろう。
 苦痛きわまりない人は、語学に向いていないだろう。これを楽しむことができる人は語学に向いているだろう。語学は根っこのところで、「音」を楽しむこと ができるかどうかが、その後の上達を大きく左右するものだ。

 私は小学館の「サピオ」という雑誌の編集者から依頼されて、英語本9冊をとりあげ、書評をやったことがあるが、小学館から送られてきた本の中で、筆頭に とりあげたのは、國弘正雄の「英語の話しかた」という本だった。この本には、國弘の方法の骨髄のようなのが語られている。妻もこの本を読み、「これ、お父 さんのやり方と同じじゃないの?」と言った。
 大元では同じである。しかし、違うところがある。今日は、その違うところを少しはっきりさせたいと思って、この記事を書き始めているのである。

 國弘は、声に出して朗々と英語の文を読むことが楽しかったのだろうと私は推測しているが、そしてだから、國弘は自分の方法を「朗読」と言ったのだろうと 思うが、「只管朗読」に即して言えば、私は「朗読」よりも、「只管」の方に力点を置いて読む。國弘においてでも、「只管」を言いたいに違いないと読む。 「朗読」は、練習が楽しかったことを表したくてそう言うのであり、素のままで方法を名付けるなら「只管音読」でも構わないのだろうと思う。

 この掲示板に登場して下さったパクパクさんという方は、國弘正雄に、なぜ朗読なのかと直接に会って訊ねたことがあると書いてくださった。子供時代に、 (祖父からか父からか忘失したが)素読をてほどきされたことがあったのだと國弘は言ったそうである。俺なんぞとは、えらく育ちの違う人なんだなと、それを 読んだ時、はっきりと思ったことも覚えている。それはひとまず棚にあげてものを言うが、國弘の方法の原点に素読があるのであれば、國弘は実に実に伝統に根 ざしたひとなのだということだけは言えるだろう。これだけは間違いなかろうと思う。中途半端な日本人まがいの英語使いが多い中で、國弘がひときわ光るのは そのせいだろうと思う。



【7945】
【タイトル】音読ブームはいまどうなっているのか(3)
【 日時 】03/10/01 0:38
【 発言者 】根石吉久

 私の「電話でレッスン」の生徒さんで、sbさんという方も、この掲示板に登場して下さっているが、この方は、國弘と私の方法のはっきりした違いとして、 「國弘さんは、朗読(音読)をする際に、意味がわかっているものでなければ、朗読しても意味がない、と言っている。それに対して、根石さんは、意味がわか らなくてもいいと言っている。そこが違う」と指摘して下さった。

 まさにそうである。ここに関してははっきりと言いたい。國弘は素読をなし崩しにしたのだ。素読をなし崩しにして、「朗読」としたのである。
 國弘は、自分のアメリカにおける体験に関しては非常に寡黙である。
 なぜそれを語らないのか。なぜそこにある屈辱と喜びを語らないのか。
 國弘は言いたいことの半分しか言っていないと私はずっと考えてきた。

 つまり、國弘が語らないのは、「磁場」の作用に関してである。
 英語の磁場なくして、國弘正雄は國弘正雄ではないはずなのだ。
 英語の磁場なくして、根石吉久が根石吉久であるのとまるで正反対なのだ。



【7947】
【タイトル】ぜったい音読
【 日時 】03/10/01 13:09
【 発言者 】Jackie

「ぜったい音読」をやりとげることは難しい。
やり遂げられる人はほんのほんのひとにぎりの人達。よほどの根性の持ち主か 無類の努力好き、英語好き。

やりとげられないのは根性がないからだろうか?
この本は 音読シャドーイングであたかも独学で英語の回路ができるようにうたっている。
トレーニングメニューにしたがって独学で音読すればかなりの力がつきますよ。
そうさ 根性さえあればできるのさ??
ダイエットと同じように。
一昔前にはやったダンベル体操。 この本のトレーニングメニューにしたがって
ダンベルトレーニングを毎日すればおなかはへっこみ体脂肪はへり健康になれますよ。
と書いてあった。私は挫折した。三日坊主なのである。週3日×3ヶ月も続かないのである。

コーチが必要なのだ。 本当は あの順番どうりにただメニューをこなしたところで
さしたる効果はえられない。重要なポイントを指摘してきづかせ あきらめそうになったときに励ますコーチがいないから。
(いや 一冊やりとげることは下手に英会話学校にいくよりずーっと力にはなる) 
前に千田さんのセミナーに行ったことがある。
そこで彼は 独学で勉強すると学校へいって勉強するのの3倍は時間がかかる。とその必要性を語っていたように記憶している。
だから本当は彼もその必要性はわかっているはずだ。

まあ 巷にあふれる英会話本を一冊でも完全にやり遂げることができれば 確かに力にはなる。
英会話学校に予習もせず 週二回 半年かようより力がつくこともありうる。

しかしだいたいの人が一冊をやりとげることができない。
もしかして 他にいい方法や本があるのではないかと探して
別の英会話本を手に取る。そしてまたそれを終えないうちに一冊。
もっと楽に楽しく効率的に英語を身につける方法はないかと探している。
だから日本には英会話本が増殖している。

うちの本棚にも いっぱいいっぱいあります。
あちこちかじり 途中でほうりだした本が。
人のことはいえたもんじゃない。
これすべてやりとげたとしたら すごい英語の使い手になれるのかもしれない。



【7948】
【タイトル】ありがとうございます
【 日時 】03/10/01 23:30
【 発言者 】ミッフィー

無事に子供は今日退院しました。ご心配をおかけしました。とにかく健康が一番です。奇遇ですが、今このサイトで話題になっている『英語の話しかた』も読ん でおりました。根石さん、5分間音作りの手ほどきありがとうございます。ただそのままの形だと、どんくさい私のことなので5分間でできないかもしれないの で、少し手順を考える必要がありそうです。でもまずは自分の音作りから。今UDA式30音DVDの母音のところをやっていますが、特に3種類の「ア」の発 音の時、舌の位置がいまいちわかりにくい。「とりあえず下の方に舌を置いておくのかな?」と思いつつ、でもそうとうあやしいです。



【7949】
【タイトル】追加
【 日時 】03/10/01 23:36
【 発言者 】ミッフィー

どうでもいいことですが、音読って今ブームなんですね。知らなかった…。



【7951】
【タイトル】ミッフィーさん(1)
【 日時 】03/10/02 4:53
【 発言者 】根石吉久

 お子さんが退院されてよかったですね。
 うちももうじき娘が出産するので、その後は家族そろってあたふたする予定です。小さい子供が病気になると気が気ではない。子供はすぐに熱を出すし。

>根石さん、5分間音作りの手ほどきありがとうございます。ただそのま
 まの形だと、どんくさい私のことなので5分間でできないかもしれない
 ので、少し手順を考える必要がありそうです。

 案ずるより産むが易しで、5分あれば十分できますよ。これは、私が「電話でレッスン」をやってきた経験から、5分あれば学校の教室ででも、一つの音に関 してならできるはずだとにらんでいるのです。まずはやってみてください。これをやるのは、「私の授業では、音を大事にするからね」と生徒たちに宣言するこ とになります。同時に、先生が自分にそう宣言することになります。
 手順は、おいおいに洗練させていけばよろしいではないですか。

>でもまずは自分の音作りから。今UDA式30音DVDの母音のところをやっていますが、特に3種類の「ア」の発音の時、舌の位置がいまいちわかりにく い。「とりあえず下の方に舌を置いておくのかな?」と思いつつ、でもそうとうあやしいです。

 自分の音作りを完了させてから生徒の音づくりをやろうと考えると、いつまでたっても着手できません。英語の先生たちの音も、仕上がっていない人が多いで す。また、どの程度で仕上がったとするかというのも難しい問題です。何をもって仕上がったとするのかと考え始めると、実に難しい問題です。英語ネイティヴ と同じ口の動きで口が動くのでなければ「音づくり」ができないと考えると、英語の先生たちはいつまでたっても「音づくり」に着手できないでしょう。
 「誤解が生じないだけの音」(通じる音)を確保できさえすればいいので、発音のポイントは少なければ少ないほどいいと私は考えています。単音に関して、 私は鵜田さんの30音は多すぎると思い、10程度にできないかと試行錯誤してみましたが、どうにも10では収まりませんでした。現在は16程度にしていま す。これは鵜田さんの約半分です。残りの半分は、日本語の音の流用で、誤解は生じないし通じるとにらんでおります。
 単音だけで30も設定するより、単音と連音のコツを合わせて、20程度にしておくのがいいだろうというのが私の考えです。
 「音づくり」に関しては、自分も修行中の身だと生徒に宣言し、しかし、誤解が生じない音、通じる音にすることはとことんやりたいのだと言い、自分を鍛 え、生徒を鍛えるのがいいと思います。これを基本にするなら、英語の先生たちの多くがすぐに始められるでしょう。「音づくり」については、私もそれをやっ てきただけです。
 逆説めきますが、私は発音の上手な先生より、発音の下手な先生の方が、日本人向けの英語の「音づくり」には向いていると思っているのです。柴田さんを例 外とすれば、多くの発音の上手な先生は、自分の発音が意識化できていません。この無意識状態の最高レベルは、英語ネイティヴに極まるでしょう。ほとんどす べての英語ネイティヴは、発音が意識化されていないので、日本人向けに「音づくり」ができないのです。
 下手な先生が上手をめざして、その途中にあることを意識化できれば、それを言葉にすることができる。だから、当初は下手な方がいいのだと思っています。 英語ネイティヴなんかより、よっぽど役に立つはずです。

 「自分の音を完成させてから」と考えない方がいいということです。
 ただし、生徒の音を変えるには、自分で該当の音を言い分けることができることが前提となります。その意味でも、現状では、単音・連音を合わせて20程度 のコツにとどめるのがいいと思います。



【7952】
【タイトル】ミッフィーさん(2)
【 日時 】03/10/02 4:54
【 発言者 】根石吉久

 3種類の「ア系列」の舌の位置ですが、[ae] と[a] の単音は「下の方に舌を置く」でいいと思います。柴田さんは、「下の歯の裏に舌先をつけたまま」と言われていたと覚えています。この二つは、日本人にとっ ては「力を感じるア」です。[逆さe] はこれらと異なり、「力が抜けたア」(鼻づまりのア)ですから、舌からも力が抜けています。舌の位置としては、「下の歯の裏に舌先をつけたまま」というよ り、「下の歯の裏に舌先がついていてもいい、触っていなくてもかまわない」というような指示になります。しかし、細かくなりますので、「ア系列」では「舌 は下」とするだけでもいいと思います。
 [逆さe] は力を入れなくていいというのがコツですが、力を入れないコツというのは、力を入れるコツより初心者には難しいです。だから、最初は「狭い」とだけ意識さ せるのがいいのだと考えています。(「狭い」という観点に関しては、私は鵜田さんから大きくおかげをこうむっています。)それだけで、ほとんどの人が近似 音を作れます。真形を求めて徐々に変えていくのでいっこうに構わないと思います。
 これらに[r] がからんだ場合ですが、[ae] にからむことはないので、[a] と [逆さ e] が問題になります。イギリス式だと、「下の歯の裏に舌先をつけたまま」の状態の音を延ばすようになり、アメリカ式だと、[r] のときに舌を浮かせる(口蓋に触れない)ことになるのだろうと思っています。



【7953】
【タイトル】追加
【 日時 】03/10/02 5:06
【 発言者 】根石吉久

>どうでもいいことですが、音読って今ブームなんですね。知らなかった…。

 「音読」のブームがはっきりしたのは、斉藤孝さんという方の「声に出して読みたい日本語」
がベストセラーになった時点だったと考えています。

 そうだよな、当然だよな、必要なことだ、とその時点で思ったことを覚えております。

 私としては、もう少し「素読」にも目を向けてもらいたいという希望はありますが、ひ
とまずは、音読ブームに対して首を縦に振りたい。



【7954】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】03/10/02 5:16
【 発言者 】根石吉久

>そこで彼は 独学で勉強すると学校へいって勉強するのの3倍は時間がかかる。とその必要
性を語っていたように記憶している。

 私は、独学で勉強すると学校へ行って勉強するのの3分の1の時間で済むと考えています。
 ただし、ものごとの本質を見抜くことが肝要です。

 しかし、それでも「音づくり」に関しては、絶対にコーチがいた方がいい。
 また、一度やったものを何度もやらせることに関してもコーチがいた方がいい。

 私のレッスンには、二本の柱があります。「音づくり」と「復習範囲を手放さ
ない」です。コーチがいた方が圧倒的に有利である場合に、その眼目は何かと考
えて、この二本の柱を立てました。
 「音づくり」は文字通り、音に関してのものであり、「復習範囲を手放さない」
は、音と意味の一体化に関してのものです。

 ほとんどのすべての語学に関する言説が、「意味」を扱えていないという批判
も込めてあります。



【7955】
【タイトル】磁場とは?
【 日時 】03/10/04 0:12
【 発言者 】sb

根石さんが言っている「磁場」というのは、私にも最初はわけがわかりませんでした。でも語学を考える上でとても重要な用語なのです。少なくともこの掲示板 では。磁場というのは「その言葉とその言葉が使われる状況が一緒になっている場所」ということです。当たり前です。

日本では日本語が使われる状況は、その日本語と必ずセットになっているからです。例えば「おはようございます」という言葉は、基本的に朝、誰かに会ったと きに使われることが多いでしょう。そういう基本的な状況と言葉を元に子供は表現を覚えていきます。成人になってから日本にいらっしゃた外国籍の方々もそう いう状況(「おはよう」「おっす」「おはようっす」などという言葉と朝、午前中、人と会った時という状況を自然にセットにする)で新しい言語を学んでいき ます。ある外国人(思いだした!ユンソナというタレント?でした)がNHKの昼のトーク番組の中で「夜放送局で「おはようございます」という言葉を何度も 聞いてパニックになった」というようなことを言っていたことも思い出しますが。。。(笑)

いずれにしても「磁場」という言葉は語学(外国語として学ぶ場合)を語る場合にはとても重要な言葉なのです。語学に対して「生活言語」という言い方を根石 さんはされています。生活言語とは「磁場のある中で生得的に身につける言語」という意味で語学に対する反対語としてこの掲示板では使われていると私は理解 しています。



【7957】
【タイトル】音読と素読(その1)
【 日時 】03/10/04 0:46
【 発言者 】sb

>私の「電話でレッスン」の生徒さんで、sbさんという方も、この掲示板に登場して下さっているが、この方は、國弘と私の方法のはっきりした違いとして、 「國弘さんは、朗読(音読)をする際に、意味がわかっているものでなければ、朗読しても意味がない、と言っている。それに対して、根石さんは、意味がわか らなくてもいいと言っている。そこが違う」と指摘して下さった。

國広さんや千田さんや多くの英語の達人がおっしゃっているのは「意味がわかった後の音読(朗読)でないと意味がないということ」です。
それに対して根石さんがおっしゃっているのは「意味」は後から付いて来るので、まずは「音」をしっかりつくることに専念すればよいということです。「音」 がしっかりしてきたら、それから「意味」を「音」にくっつける。こういうことをおっしゃっているのだと思います。これは私にとってはコロンブスの卵的発想 でした。

この掲示板にはお馴染みの柴田さんも英語教師と立場で実践されているのがこの「音作り」です。とりあえず「意味」と切り離して「音」の問題を解決してしま う。ところがこれがなかなかたいへんたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいへん、時間のかかることで根石さんも柴田さんもとても苦労されてい ることと想像します。お二人によればやはり最低の質(いわゆるエルとアール問題やth、bとv、 hat,hut,hot,heart,hurtの区別などなどです)を確保するためにはレッスンと各自の練習を含めて2年程度は最低かかるらしい。柴田さ んは中1に最初の3ヶ月程度でフォニックスなどを自作プリントでまとめ「音作り」の基礎力をつけることのみに集中されてかなり苦労されたようです。しかし そのかいあってか、私が見学させていただいた授業の中でその生徒さん達は中3の時には本当にびっくりするくらいのきれいな音で、しかも大多数の生徒が、読 んでいました。少しくらい遠回りしたって(実際は近道のはずですが。。。)それは語学を身につける点からたいへん「お得」な方法なのです。それくらい 「音」というのは大切な問題だと私も思っています。特に初心者にはそうだと思います。中級以上になるとまた力点の置き方が少し違ってくると思いますが。

根石さんがおっしゃていますが「音」といっても実は日本には2種類の「音」があります。「サンキューベリーマッチ」という日本語的な「擬音」ちゃんとした (最低限の質を確保する)英語的な「真音」です。それがごちゃごちゃになったままさらに「意味」のわかった後で音読を訳読した後に「お涙程度」やるという のがまだまだ日本の英語教育の多数を占めて入ると思います。特に中学段階は音をないがしろにしてはいけない。実はそれが日本の英語教育をゆがめていると いっても過言ではないと思います。



【7958】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/04 1:00
【 発言者 】根石吉久

お書きくださってありがとうございます。
レッスンを中断されるとのこと承知しました。
「音づくり」の過程はほとんど必要としないだけの音をお持ちの方でしたから、「復習範囲を
手放さない」がどれほどのものをもたらすのかを是非知って欲しかったのですが、あまりわか
ってもらえなかったとの思いもあります。

 音と意味の一体化に関して、レッスンの途中で、「ああ、こういうことか」という言葉をお
聞きしたことを覚えております。その後、TOEIC の点が急に伸びたのではなかったと覚えてお
ります。

 今後は、この掲示板の方でおつきあい下さい。



【7959】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/04 1:12
【 発言者 】根石吉久

 一人の生徒を相手にして、「音づくり」をし、その後、クラスの全員に練習の時間を設ける
といいと私が言ったとき、それは柴田さんがやっておられましたわ、と言われたのも思い出しま
した。

 私は学校の教室では、この柴田さんのやり方しかないと思っています。
 フォニックスを導入するかしないかより、先生が英語音を備えたうえで、実際に「音づくり」
に着手するかしないかの方がはるかに大事なポイントだと思います。

 フォニックスは、文字を音声化させるのに非常に有効ですが、もともと、アメリカの学校の生
徒に、音を文字に対応させるために開発されたものです。「音を文字に」というベクトルが、日
本で使用する場合は、「文字を音に」という逆ベクトルになります。
 それでもいっこうに構わないのですが、先生が音を言い分け、聞き分けることができないなら
ば、絵に描いた餅です。

 sbさんは、音はいいのですから、学校の教室で「音づくり」を始めてもらいたいもんだと強
く願っています。

 最近登場してくださったミッフィーさんも、高校の英語の先生です。sbさんと、話してもら
えるとうれしく思います。



【7960】
【タイトル】素読と音読(その2)
【 日時 】03/10/04 1:30
【 発言者 】sb

>まさにそうである。ここに関してははっきりと言いたい。國弘は素読をなし崩しにしたのだ。素読をなし崩しにして、「朗読」としたのである。

根石さんは「素読舎」という名前をつけておられるくらい「素読」博士だと思います。私には素読に関してわからないことがたくさんあり、根石さんにこれから もいろいろ質問し続けていきたいと思っています。素読の素は「すうどん」の「す=素」という解説をしていただいたことを今思い出しています。素読は読みの 中でも一番「もと(元、素)」になる読みであるということです。だからこそまずは「音」に集中してよい。というか自然に「音」の問題をまず片付けていると いうほうが正確かもしれません。

素読では「音」も「意味や場面」も溶け合っているが、読みの余計なものを取り去った時、そこに残るのは「素読」だということで、自然にまず「音」の問題を 解決しているということなのだろうと推測しています。事実、素読というのは「漢文の素読」という時に使うくらい「難解な」ものを読む時によく使われます。 そういう難しいものに、またそういう大切な教えをいただける文体(先人の知恵文学など)に感謝の気持ちを込めて向き合った時、ゆっくりゆっくり噛み締めて 詠み進めていくとき、まず自然に「音」、それからじっくり「意味場面状況など」を溶け合わせていく、それが「素読」という言葉の意味というふうに現在では 理解しています。

それに対して「音読」は、その意味において「音」と「意味」は根っこにおいてつながっていません。「音」と「意味場面」は無機的であるという感じです。無 機的ものを無理やりくっつけて「有機的」にあつかってしまう。そのやり方が千田さんらによってなされているような感じがします。シャドーイングは大変有効 な方法ですが、それはあくまでも中級以上の学習者にという但し書きが付きます。國広さんの場合は「読み」は有機的なものだと無意識では理解しながら、あく までも無意識なので「只管朗読」は「素読」から「朗読のようなもの」に変化していったものと考えられます。無関心に放置された「只管朗読」の「朗読」と部 分は、無関心で放置されたゆえに、千田さんなどによって次第に「音読」という言葉に変化していき、それが皮肉にもブレイクしたのです。(しかし「ブレイ ク」するには「ブレイク」した理由(時代背景など)があると思います。その辺りをぜひ根石さんに今後とも教えていただきたいと思っております。)

 >國弘は、自分のアメリカにおける体験に関しては非常に寡黙である。
 なぜそれを語らないのか。なぜそこにある屈辱と喜びを語らないのか。
 國弘は言いたいことの半分しか言っていないと私はずっと考えてきた。

この上3行の根石さんの叫びもここに答えがあります。國広さんは「只管朗読」には意識的であったが、その「朗読」という部分においては「無意識的」であっ たということです。だからアメリカという「磁場」での、「通じない悔しい思い」や「場面と表現が状況と一体となって重なり合ったというような(語学オタク には震えるようなうれしい)体験」については國広さんはあまり関心が向いていなかったのかもしれません。「朗読」や「音読」や「素読」ということ=「読み そのもの」には興味がなく、よって無意識的だったのかもしれないのです。

 >つまり、國弘が語らないのは、「磁場」の作用に関してである。

だから根石さんが「磁場」についてこれだけはっきりと解説をしてくださったことにはたいへん意味があることなのです。私は語学オタクなので大変感謝してい ます。

 >英語の磁場なくして、國弘正雄は國弘正雄ではないはずなのだ。

まったくその通りです。つまり日本でいっぱいいっぱい練習していったからこそ、本場アメリカ(=英語の磁場)で花開いたということ自体に國広さんはあまり 関心がおありでなかったのでしょう。もっと他に国際情勢やいろんなことに意識が向いていたのだと思っています。

 >英語の磁場なくして、根石吉久が根石吉久であるのとまるで正反対なのだ。

そういうことになります。それが「語学」として学ぶということなのです。根石さんの「語学」の対立用語である「生活言語」を國広さんは「磁場」のあるアメ リカへ渡って「以降」獲得されたということなのです。



【7961】
【タイトル】TOEICが100点ほど伸びた時
【 日時 】03/10/04 1:43
【 発言者 】sb

それは私が「電話でレッスン」をやって何年か経った時です。

何度かTOEICを受験して50点そしてまた50点ほど合計にして数ヶ月で100点ほど伸びたのは、忘れたような頃でした。練習にたいへん「むら」があ り、やったりやらなかったりという私でしたが、同じテキストを何度も何度も「繰り返し」「復習範囲を手放さない」という根石さんのアドバイスを少しずつ実 行して、そのことを忘れたような頃です。点数がぐっとアップしてのは。



【7963】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/04 2:11
【 発言者 】根石吉久

>素読は読みの中でも一番「もと(元、素)」になる読みであるということです。だからこそまずは「音」に集中してよい。というか自然に「音」の問題をまず 片付けているというほうが正確かもしれません。

 素うどんの素というのは、余計なものがなくて、まちがいなくうどんであるという意味です。いろんな種類の読みの中で「素」になるかどうかはわかりませ ん。素読舎をやっている私自身が素読のてほどきなどうけることのない階層に生まれて育ったのでした。私の読みの基本は、音読です。小学生の頃に、勝手に自 分で声を出して読んでいたのです。誰かに、読むときははっきりと声を出して読むといいとアドバイスされたことがあったかどうかは記憶にありません。何か耳 に届いていたはずだとは思います。

 素読を意識したのは、むしろ、英語をやってからです。
 一読で意味がわからないものを扱うには、音読ではなく素読の方がいいと・・・。
 大学受験の時は、自分の方法が「素読」を原理とするものだなどとは知らずに、音の型が安定したら、激的に音と意味を化合させていましたが・・・。

 そうです。先に「音」を片づけるのです。
 その場合に見落としてはならないことは、「素読」はコーチ付きの方法であるというところが、他の音読系の方法と違うことです。「音読」も「朗読」も、一 人で勝手にやれる方法です。「素読」はコーチ付きです。
 素読は、基本的にコーチがいて、コーチの読みを生徒が真似ます。

 日本語を弱体化させないためには、私は小学校低学年くらいの子供を相手に、日本語の「電話でレッスン」で素読をやりたいと切に願っていますが、まことに 貧しい国であり、こちらの需要はまったくありません。

 素読の場合には、多くの場合で、浅い深いはあるにせよ、コーチはテキストの意味がわかっています。意味がわかっていると、その読みにその人に固有の声の 調子などがくっついています。生徒は、声の調子を受け取り、その調子までも含めて真似するでしょう。
 意味はわからなくても、声の調子を受け取り、それを真似します。
 日本語の素読では(漢文の素読も、実際は日本語の素読です)、最初から「声」という有機性が備わります。

 語学はそういうわけにはいかない。語学は、「音」を「声」に渡らせることです。
 日本語の素読と、英語の素読はそこが大きく違います。
 日本語の素読だと、生徒が育つに従って、「音(声のコピー)」は、自分の「声」として自然に育っていきます。それが、日本語の「磁場」がもたらしてくれ る大きな恩恵です。

 語学だと、やはり音という無機物を意味と意識的に激的に一体化させるという過程が必要です。「磁場」の磁力をあてにできないからです。多くの人は、それ を意識的にやっていませんが、語学に関する認識を得るためには、意識的にやる方がはるかにいい。
 意識的にやろうが、無意識的にやろうが、「やみくもさ」は語学には不可欠です。無意識的にやった人は、自分にもっとも効果をもたらした方法をやはり「や みくも」に信仰してしまう強い傾向があります。それだけやっていれば大丈夫だなどと初心者に向けて言いだしたりするのです。「多読派」などは、その最たる ものでしょう。浜谷さんとの議論も、私にしてみれば、ずっとそれへの批判だったのです。



【7968】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/05 0:43
【 発言者 】根石吉久

>國広さんや千田さんや多くの英語の達人がおっしゃっているのは「意味がわかった後の音読(朗読)でないと意味がないということ」です。
 それに対して根石さんがおっしゃっているのは「意味」は後から付いて来るので、まずは「音」をしっかりつくることに専念すればよいということです。 「音」がしっかりしてきたら、それから「意味」を「音」にくっつける。こういうことをおっしゃっているのだと思います。これは私にとってはコロンブスの卵 的発想でした。

 國弘正雄は「意味がわかった上での音読」と簡単に言ってしまっていますが、「意味がわかる」というのは、大きくわけて二つあります。
 人に説明されて、あるいは教えてもらって「わかる」場合と、自力で意味が決定できて「わかる」場合とです。これは実は根本的に違うことなのですが、國弘 正雄の言い方ではこれが区別されません。國弘はどっちを言っているのだろうというのが、私の中でずっとひっかかったままになっています。
 本当に「わかる」というのは、自分で意味が決定できるということの方です。それはその文の内側にもぐって内側から把握しているということです。一方、人 に説明されたり教えてもらったりして「わかる」というのは、その文の外側に立ち、人の解釈や理解を外側からあてはめているということです。これは、本当の 意味では「わかる」ということではないと思っています。
 國弘はどっちを言っているのだろうと私の中で釈然としないものが残るのです。本来の意味での「わかる」ということを、英語の初心者に求めているのであれ ば、これは語学論として暴論になります。初心者はそれができない人のことなのですから。そして、「只管朗読」というのは、初心者向けの方法として述べられ ているのですから。

 だから、「意味がわかった上での音読」の「わかる」は、人に教えられたり説明されたりして、文に対して外在的に理解することの方を言っているはずだと私 は現在は理解しています。これだと納得できます。人に説明されるのでもいいし、英文と対になって置かれている日本語から理解するのでもいいが、自分以外の 人の解釈を使い、それで「わかる」という手順です。
 「只管朗読」でも「只管筆写」でもいいが、これらの本質は「なぞる」ということです。それに入る前に、意味をなぞれと國弘は言っているのだろうと考えて いるのです。

 学校の授業で、先生が生徒に先に訳を渡すということをやっている方々がいます。私はこのやり方に賛成です。これは私もやっていることです。生徒のレベル に応じて(例えば中学生を相手にする場合など)、私が先に訳し(直訳体が多いです)、それを同じように生徒に繰りかえさせてから、「技法グラウンド」に入 るという手順を踏むことをやる場合があります。

 イントネーションの確立まで含めた意味での「音づくり」においてでも、意味に関してでも、最初は「なぞる」ということでいい。それが、語学の方法の根幹 です。

 自分でイントネーションを確定できる力と、意味を自分で決定できる力とは実は連動しています。意味が決められないならば、本当の意味では、イントネー ションを決定することはできないはずだからです。この場合の意味は、外在的に文に対してあてはめる意味ではなく、内在的に把握される意味のことです。

 鶏と卵ではありませんが、意味が先か音が先かに関しては、私はどっちが先でも構わないと考えているのです。國弘は、意味が先でなければならないと言って しまったことにより、素読的方法の根幹を侵したというのはそういうことです。

 どっちでもいいではないか。問題は、意味と音の結合の強度にあるのであり、意味と音の前後関係ではないはずだ。それが國弘に対する批判点です。

 音だけをまず完成させてしまい、外在的な他からの意味をあてはめ、なお音読を続け、文の内側にもぐって、文法的理解など媒介し、内在的に意味を把握し、 そしてなおも音読を続け、最終的に感覚的に音と意味が一体化するところまで持ち込む。それで何も悪いことはないはずですし、「只管朗読」の実質は、私がこ こで言語化したことときわめて近いものであるとも思っています。

 國弘は勘所はまるで間違っていないが、語学論の言葉としては、まるできめが粗いのだと思っているのです。



【7971】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/05 1:15
【 発言者 】根石吉久

>事実、素読というのは「漢文の素読」という時に使うくらい「難解な」ものを読む時によく使われます。そういう難しいものに、またそういう大切な教えをい ただける文体(先人の知恵文学など)に感謝の気持ちを込めて向き合った時、ゆっくりゆっくり噛み締めて詠み進めていくとき、まず自然に「音」、それから じっくり「意味場面状況など」を溶け合わせていく、それが「素読」という言葉の意味というふうに現在では理解しています。

 基本的によく「素読」を理解してくださっていると思います。
 難解なものというのは、(江戸時代の武家の)子供にとっても、論語の語彙などは、実になじみのない語彙であっただろうということです。まして、庶民の子 供などには、なじみがない「どころではない」語彙だったろうと思います。そのなじみのなさ、とっつきにくさ、語彙の他者性は、日本人が英語をやる場合に は、あらゆる階層に共通します。その点で実に外国語というものは平等です。この平等性は私は好きなのです。戦後民主主義の「アメリカ天下り平等」は大嫌い です。
 感謝の気持ちがあろうがなかろうが、ゆっくりと噛みしめて読むことは実に大事なことです。言葉が自分のものになるかならないかは、それで決まるのだと 思っています。
 私が扱っている映画のシナリオなど、「ゆっくりと噛みしめて」読むに価するほどの文がどれほども載ってはいませんが、それでも、練習の途中で、口が柔ら かく動き、バネが備わった状態になったら、つまり、音がこなれたら、「ゆっくりと」読むこと、そのことで音と意味を一体化させるということが肝要です。
 英語関係の論者は基本的にあらかたがアメリカかぶれですから、「ゆっくりと」ということを言う人がいません。少なくとも私は知りません。速読の方がいい と思っているような人ばかりです。このことをさして、「英語まわりは馬鹿ばっかし」と私は言ってきました。(地元の生徒には、「自分を含めてだね」と先日 念を押されましたが。)

 sbさんもそうだったと思います。
 私のレッスンに触れていただかなければ、「ゆっくりと」の意味へのとっかかりも持っておられなかったと思います。不遜な言い方になるのかもしれません が・・・。



【7972】
【タイトル】音と意味
【 日時 】03/10/05 1:28
【 発言者 】根石吉久

素読だろうが、音読だろうが、朗読だろうが、英語を相手にするんであれば、根っこのところ
で、音と意味は分離しています。それは、読みの方法以前に、英語が外国語であるということ
だと思います。



【7973】
【タイトル】2つの読み方
【 日時 】03/10/05 9:21
【 発言者 】パクパク

音と意味について、当然、昔の素読でも、2派あったようである。

漢文の音読み派  イシンデンシン型
漢文の訓読み派  心をもって、心をつたう型

訓読み派は、シンタックスが漢文とちがってくるし、漢字の読みもちがう。

子供は、音読みでも暗唱できたようだ。つまり、意味を知らずとも長い音連鎖を
暗唱できたようであった。
訓読み派は、日本語になっているので、日本語の力で、意味がわかるようになっていると
おもわれる。
音読み派は、いつ意味を獲得するのか、非常に興味あるところである。
仏教経典は、漢語訳されている場合、音読みされていたようである。



【7974】
【タイトル】「わかる」と「できる」は大違い
【 日時 】03/10/05 19:39
【 発言者 】sb

>どっちでもいいではないか。問題は、意味と音の結合の強度にあるのであり、意味と音の前後関係ではないはずだ。

そう思います。語学論という点については、確かに初心者には不親切だと思います。現在、日本国内で英語を学習していこうと思っている人々の少なくとも3分 の2には不親切だと思います。

最近、公文式の英語教育に興味を持ち、本を読んでいます。「わかる」と「できる」の違いに敏感なのが公文式だと思います。「わかる」は外在的理解、「でき る」は内在的理解です。文字と音と意味の合致に語学としての一つの最終目標があることは誰しも認めるところと思います。國広の只管朗読で「意味がわかって から」という場合の意味は、「できるようになった!」理解ではなく、「わかるようになってき始めたかなあ?」という段階の理解レベルのことを言っていると 思います。



【7975】
【タイトル】電話でレッスンで気がついたこと
【 日時 】03/10/05 19:53
【 発言者 】sb

@意味はあとから自然についてくるから、最初は「音」だけに注意を向けていてもいい。
A「音」がある程度完成したら、「意味」を「人から説明してもらってわかる→人に説明できる」状態(内在的理解)にするために「読む速度」を「理解の程度 に応じてスピードを落とす」
BAが自分のものとなればなるほど、自然に「音声(自分の中から意味を本当に理解した)」は速くなる。(千田さんも本当はそのことを言いたいのだと思って いますが、少々舌足らずです。)

これは日本語の素読でも同じことなのですね。



【7976】
【タイトル】気がついたこと(2)
【 日時 】03/10/05 20:02
【 発言者 】sb

>素読だろうが、音読だろうが、朗読だろうが、英語を相手にするんであれば、根っこのところ
で、音と意味は分離しています。それは、読みの方法以前に、英語が外国語であるということ
だと思います。

これとまったく同じことが、公文の英語教育論の本に書いてありました。そういうことなのですね。私がさっき書いたことと矛盾しますね。そこ(母国語には音 だけに集中しなければならないケースはまずないということ)に母国語と外国語の違いがあるのですね。

母国語の場合は「音」だけに注意を向ける必要がないのでまず、「ゆっくり」「自分が理解できる程度(程度という言葉の中に「わかる」と「できる」の両方の 意味が入っているとすれば)」で読むことが大切だということですね。それにたとえ速く読めるようになったとしても、あくまでも「聞き手」のことを考えて 「ゆっくり読むこと」はとても大切なことなのですね。



【7977】
【タイトル】わたしはできていません
【 日時 】03/10/05 20:08
【 発言者 】sb

だんだん私がいかに出来ていなかったかに気づかされます。英語はおろか日本語でさえも。日本語も英語も英語の音が上滑りしています。内在的理解の上に文字 があり、その文字の上に最低限の音がある。特に語学においては「意識的」「強制的」「集中的」にやらなければダメだということにいまさらながら気づきまし た。根石さんに感謝です。



【7979】
【タイトル】パクパクさん、教えて!
【 日時 】03/10/05 20:36
【 発言者 】sb

漢文を音読みした場合には国語ではなくなる。漢文を訓読みした場合には国語になる。
古文はどちらでもないということになるんですか?それから古文の現代語訳も素読したほうがいいのでしょうか?



【7980】
【タイトル】■ごつごつ英語ごっこレポート 9/29 その1
【 日時 】03/10/06 18:42
【 発言者 】村田

 今回は参加者が比較的多かったので、隣あっている人同士でごにょごにょしゃべっている時が多かったのですが、雰囲気としては悪くはないと思います。 「ごっこ」の目的はとにかく英語をしゃべることですから。
 練習を始めてだいたい半年くらいになるKさんがCan I close the window?と自然な感じで言っていたらしいのですが、私は聞こえませんでした。とにかく、よいことです。

 後半、いくこさんが、「村田はなぜ英語で話すときに低音になるのか?」ということを言ってきたので、私は困りました。そんなこと考えたこともなかったの で、「なんでそんなこと聞くのかな?」と思ったのですが、とっさに、発音するときに、腹とあご、唇、舌を使って発音し、のどを使わないからではないか、と 言ってみました。(ここで私はstomachと言ったんですが、それは変ではないかと指摘され、bellyか?などと言っているうちに、いくこさんが、辞 書をひいてabdominal breathingという言葉を見つけてきました。)まあ、あとから考えると低音であることとは関係ないですね。
 そこで根石さんが、「村田君は器官の説明だけしてるけど、気持ちの問題もあるんじゃないか。」ということを言ってました。(これはまた後で書きます)
 さて、よくよく考えてみると、私は無意識のうちに小林克也とか伊武正刀なんかをモデルにしていたんだと思えてきました。彼らは低音で英語をしゃべりま す。「俺、小林克也とかをモデルにしてたんだ。…あとデ・ニーロとか」と言った途端にKさんから「デ・ニーロは言い過ぎ」と激しいツッコミが入ったのは言 うまでもありません。

 さて、根石さんが「気持ちの問題もあるんじゃないか」と言っていたのには続きがあります。根石さんは、日本人が英語をしゃべるようになると、おおむね、 音程が高くなる傾向がある、と前置きした上で、「以前、NHKの語学講座は異様にハイテンションではありませんか?と大風呂敷に書いていた人がいた(過去 ログ『9. NHKラジオの英語』参照)。自分もそう思う。英語をしゃべるとき、ハイテンションにならなければいけないと思っている人が多いのではないか」ということ を言っていました。これは自分を見失っているということでありましょう。
 根石さんはさらに続けて、自分は英語をしゃべる時と日本語をしゃべる時に態度・調子をなるべく変えないようにしている、と言っていました。日本人が英語 をしゃべるときに「盆踊りリズム」になるのは当たり前で、自分はハイテンションでしゃべるつもりはない。ただし、聞き取るときには英語のリズムをつかまな いといけない、と言っていました。英語をしゃべる時も、自分は自分である。そして、My English should be my English.と言うので、みんな笑っていたんですが(私も笑ってましたが)大事なことだと思いました。
 (つづく)



【7981】
【タイトル】■ごつごつ英語ごっこレポート 9/29 その2
【 日時 】03/10/06 18:44
【 発言者 】村田

 突然ですが、ここで、腹とリズムについて思うところを書きます。

 根石さんの言うように、英語を聞き取るときには英語のリズムを聞き取らなければならないわけですが、自分のなかに英語のリズム感が内臓されていなかった ら、聞き取り=相手のリズムをとらえること、はできません。(ただ、リズム感が自分の中に内臓されているということと、実際にそのリズムでしゃべるかどう か、というのはまた別のことだと思います。)

 英語の文を読む練習をするときに、大きく読むべきところはより大きく発音し、小さな音との対比を際立たせるようにしていくと、自然と英語のリズム感で読 めるようになります。
 大きく読む部分は、瞬間的に大きく声を出すようにします(点として音を出す感じだと思います)。その時に腹筋が活躍します。大きく読むべき部分を、点と して瞬間的に出せると、読むときに「盆踊り」にならず、英語的リズム感をとらえることができると思います。

 英語には腹式呼吸が必要だとよくいわれるようですが、私は英語を使うために腹筋の訓練をしようとか、腹式呼吸の訓練をしようとか、そういうことを言って るわけではありません。読む練習をするときに、腹筋も意識すると、リズムが作りやすいのではないか、と思うのです。

 最後に、あまり関係ないかもしれないんですが…。昔、テレビで金沢明子がろうそくの前で歌っていて、ろうそくの火がゆれないという場面を見ました。これ に対して、オペラ歌手なんかは、ろうそくの火を消す歌い方です。これらの歌唱法の違いは、日本語とヨーロッパ系言語の体の使い方の違いに由来すると思うの ですが…。金沢明子はなんでろうそくの火を消さないで歌えるのでしょう?



【7983】
【タイトル】■補足:ごつごつ英語ごっこ
【 日時 】03/10/06 20:41
【 発言者 】いくこ

先の村田氏のレポート中にありました「ごつごつ英語ごっこ」のことを、少し書きます。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、少し触れておきます。

ごつごつ英語ごっことは、日本語の磁場で育った日本人が英語をしゃべってみるという「英語のままごと遊び」の時間のことです。根石氏の英語塾の地元の生徒 を主催者として、毎週月曜日に1時間ほど時間をもうけて開催しています。使用シンタックスと単語は、英語としています。

あくまでも練習であり「架空のこと」「お芝居」「どろんこ遊び」「ままごと」を原理とすること、英語がどれほど下手でもかまわず、英語のシンタックスに慣 れることを目的とすること、帰国子女、留学経験者、英語ネイティブは参加できない、などの規約があります。

英語経験者の多い英会話サークルなどでは、英語が流暢でないとなかなか話に加わることができません。また、英語が聞き取れないこと、うまく話せないことが ひけめとなって、なかなか分からないことを言い出しにくいなどの状況が多いと思います。
「ごつごつ」した英語でいいこと、あくまでも「練習用」なのだ、「ごっこ」なのだ、ということを前提とした「ごつごつ英語ごっこ」は、インプットした英語 を使ってみる場として、大変いい機会になっていると、いくこは考えています。



【7984】
【タイトル】先だし音読
【 日時 】03/10/08 20:00
【 発言者 】パクパク

素読のとき、コーチがはじめから、イントネーションと
シンタックスのわしづかみを教えておいて
素読させる(詳細な意味はかんがえない)というのは
ありでしょうか?
私は、100回も500回も1000回も音読するよりも
はじめから、コーチが教えていても何らの害もないとおもうし、
むしろ正しいようにおもう。
読書百ぺん意おのづから通ずというのは、
読み手に、イントネーションの自己決定能力とシンタックスのわしづかみが
内在化している場合には、言える(成立)するかもしれない。
しかし、英語のような外国語には、これら能力の自動形成は、私には懐疑的であるようにおもわれる。



【7985】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/09 19:02
【 発言者 】sb

イントネーションの自己決定力は「たくさん聞く中で身につく」という人もいるし、「身につかないのでコーチが必要だ」という人もいる。どちらも本当だと思 う。イントネーションなどとイメージをつかむことはまた別問題だ。そこを明らかにしたのが根石さんだと思う。第一人者だと思う。

読書百遍というのは「素読」のことをいっていると思う。



【7986】
【タイトル】脚気の原因
【 日時 】03/10/10 20:27
【 発言者 】パクパク

昔、脚気の原因がわからず、森鴎外などは
大権威で、ウィルス説をとなえていました。
しかし、まったく無名の人がビタミン説をとなえ
ほとんど相手にされていませんでした。

英語も、じつは、同じようなことです。
英語のできないのは、イントネーションがないからです。
映画の速い英語が聞き取れないのも、
タイムやニューズウィークの英語が読めないのも
じつは、イントネーションにおおきく関わるわけです。

                つづく



【7987】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/10 22:19
【 発言者 】sb

治療と教育は違う。治療に処方があっても、学習アドバイスに絶対的なものはないと思う。
語学教育についてはいろいろ言われても、学習については学習者の特性による部分もあると思う。
リスニングが得意な人。リーディングが得意な人。音声に興味がある人。文字に興味がある人。それぞれの学習形態があると思う。イントネーションがないから 読めないということも十分あり得ると思います。身体論的アプローチからそういうこともあると思います。

指導者は自分が信じる語学論をもっている方がいいに決まっているが、それで必ずしも学習者がうまくいくとは限らないのが悔しいところである。

よく言われることですが、コーチは信念を携えていれば、あとはどれだけ選手に対して受身になれるかということが大切だと最近感じる。



【7990】
【タイトル】電話レッスン
【 日時 】03/10/14 10:12
【 発言者 】Naima

今日のレッスンはお休みさせて下さい。 高校生のテスト対策をしてやらなければなりません。 昨日も祭日でしたがテスト対策で高校生を教えていました。内 容はテキストの回転読みと技法グラウンドです。 1人の生徒は私立高校の英語科に通っているのですが、構文の覚え方、英語の勉強法がわかった、と言ってい ます。 それと、とにかくスラスラ読める様になってから、文法的説明や意味の解説をする方が教える側も教わる側も楽です。

いつも小学生の感想文の様な投稿ですみません。



【7991】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】03/10/14 18:19
【 発言者 】根石吉久

お休みの件、承知しました。
塾で、「回転読み」と「技法グラウンド」を活用されているようでうれしいです。

>とにかくスラスラ読める様になってから、文法的説明や意味の解説をする方が教える
 側も教わる側も楽です。

 実に単純な原理ですが、これをちゃんとやるだけで実質的な力をつけることができます。
 これに「復習範囲を手放さない」を加えると、さらに強力になります。
 「復習範囲を手放さない」で扱うのは、理解を媒介にした後の音だけですから、この過
程はそれほど時間もかかりません。しかし、「電話でレッスン」のような個人指導でなく
これを実現するのは、いろいろ工夫しなければならないかもしれません。

 現在、高校の英語の先生なども生徒さんにおられますが、「回転読み」「技法グラウン
ド」をすぐに活かせる場所としては、塾の方が有利だとNaima さんの記事を読んで改めて
思いました。塾で英語を扱っておられる方に、「電話でレッスン」のことをお話してくだ
さればうれしく思います。



【7992】
【タイトル】英語の勘とイントネーションの生理
【 日時 】03/10/14 21:28
【 発言者 】パクパク

中国で、話題になった、クレージーイングリッシュというのが
いよいよ、日本に上陸します。
中国人が英語をしゃべれれば、アメリカ帝国主義の呪縛から
離脱できるという政治的目的をもっています。
その方法は、大声でしゃべることぐらいしかわかりません。
私は、3年前に映画で見ましたが、甲子園球場のようのところに
生徒を何万人も集め、先生一人が教えるものでした。
この先生は、英語がまったくできない貧しい階層の出身者ですが
あるとき、英語上達法を編み出したという映画でした。

さて、私は、つぎのように思っています。
一番大切なことを避けたまま、英語を教えられたきたと。
受験にとおれば良いんだということで、努力の割には
ほとんど成果がなかったとおもいます。

日本人が英語ができない理由は、英語の勘の組織的育成という
概念がなく、むしろ、その形成を、学校英文法で破壊してきたと
いえるとおもいます。(別の文法が必要ということです)

例)
come on in over here.

この英文は、映画には多発しますが、学校英文法の視点で
みるともうお手上げです。
個々の単語は易しいけれど、それが文になってしまうともう
わからない。

例)
black and white
日本語で、白黒を、英語では、逆に並べるが、
従来手法では、丸暗記一点張り。
なぜ、こういう語順になるかが解説されていない。

例)
タイム誌に頻繁にでてくる表現構文を、クオリティペーパー特有な
表現として、逃げる姿勢。
じっさいは、USATODAYにも、でてくる構文。
no 比較級、 二重否定、倒置、省略など。



【7993】
【タイトル】電話レッスン
【 日時 】03/10/14 23:29
【 発言者 】Naima

今日もほとんど回転読みと技法グラウンドに費やしましたが、これだけで教科書準拠問題集はほとんど間違いなくスラスラ解けてしまいます。 大学受験準備に 入る頃には語数別1000の回転読みをさせようかと思います。

実は、昨日補習をした時、高校生達がそれぞれ自分のテキストと文法書の例文を繰返し音読している間、私もちょこちょこっと「ゴースト」のシナリオを見なが ら回転をやってたのです。 もちろん正規の授業で、自分の勉強をやったりはしません。 Yukiちゃんと言う子が、「先生、映画の台本読んでるん。  Yukiもそんなんやりたい。 楽しいやろ?」と言ってました。 この子達が大学進学する頃には、私も少しはコーチらしき事も出来るだろうと思うので、 「大学に入学したら一緒にやるか?」と言ってあります。



【7994】
【タイトル】少しやってみましたが
【 日時 】03/10/16 5:44
【 発言者 】ミッフィー

とほほ英語教員のミッフィーです。現在中間考査のまっただ中、これが終わればセンター対策というところです。先日教えてくださった(せっかく丁寧に教えて くださったのに!)5分間音作り、自分の音を作ってから、ではなく作りながらというアドヴァイスにより「やろう!」と思ったものの、高3のこの時期、そし て勤務校の45分授業という制約のなかではサワリしかやる度胸がなかった・・・。高3とはいえ、音を発することの重要さは変わらないと考えてはいるもの の、年度当初から導入した方がやりやすそうです。しかし般若の「ア」はよかったです。生徒もよく声を出し、「般若のア!」というと口をつりあげようとして いました。音はまあまあです。ところでうちはyahoo.bb.なのですが、yahoo.bb.に加入されて、電話レッスンをなさっている方はおられます でしょうか?
 またまた話は変わりますが根石さんのお嬢さんのご出産は大丈夫でしたか?元気な赤ちゃんが生まれておられることだと思います。赤ちゃんは大変だけどいい ものです。赤ちゃんとお嬢さんのご健康、そして根石さんの腰の具合がよくなることを祈念して、今日の所はおやすみなさい、ではなくごきげんよう。



【7995】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/17 17:05
【 発言者 】sb

例)
black and white
日本語で、白黒を、英語では、逆に並べるが、
従来手法では、丸暗記一点張り。
なぜ、こういう語順になるかが解説されていない。



【7996】
【タイトル】black and white
【 日時 】03/10/17 21:03
【 発言者 】Naima

パクパクさん、
日本語では、白黒(しろくろ)と言う語順ですが、黒白(こくびゃく)をつける、と言う場合もありますね。 でもここはそういう問題ではないか...

white and black と言わずに black and white と言うのかについての解説がなされないとおっしゃってますが、どうしてそうなるのか教えて下さい。 リズムがいいから、と言うだけの理由ではないんです か?



【7997】
【タイトル】リズムの良さという捉え方で十分か?
【 日時 】03/10/17 22:45
【 発言者 】パクパク

リズムの良さで、かたづけると、抽象的になると
おもいます。

他の例
1)wood,clay
2)bricks,mortar
3)iron,steel
4)bend,bow
5)silver,gold

こう並べると、法則性がわかるとおもいます。
コーチは、この法則性を生徒に考えさせずに
教えてもなんらの副作用もないばかりか
応用がきくとおもいます。

イントネーションとは、語順を制御する力があります。
AとBとをむすんで、A and B というとき、どちらを
先に言うのか法則性があるのです。
法則ですから、例外があるとおもいますが、役に立つ
法則をどんどん教えたほうがいいとおもいます。

on and off なのか off and onなのか
丸暗記するよりは、まず、法則性です。
この法則性を意識して、実際に自分の口で音読すると
音読の回数を少なくしてもフレーズをおぼえやすくなるはずです。
100回も1000回もただ音読しても、英語は風邪ではないから
うつらないとおもいます。
たとえ、その場でおぼえていても、いずれ忘れさるとおもいます。



【7998】
【タイトル】わからない。。。
【 日時 】03/10/19 1:36
【 発言者 】いくこ

>他の例
>1)wood,clay
>2)bricks,mortar
>3)iron,steel
>4)bend,bow
>5)silver,gold

>こう並べると、法則性がわかるとおもいます。
>コーチは、この法則性を生徒に考えさせずに
>教えてもなんらの副作用もないばかりか
>応用がきくとおもいます。

う〜ん、すみません、こうならべても法則性がわかりません。



【7999】
【タイトル】わたしもわかりません。。。
【 日時 】03/10/19 14:44
【 発言者 】sb

でもblack and whiteとwhite and blackはわかる感じがします。
ckの音/k/の時に舌の後ろが口の内側の上に当たるのでandの/ae/のポジションにより近いからだと思うのですが。。。
whiteの/t/は舌先が上の歯の裏の付け根の辺りなのでandの/ae/に移る時に舌が前上後中→前下後上とシーソーの「ギッタンバッタン状態」なの でロスが大きいということだと思うのですが。。。どうでしょうか?



【8000】
【タイトル】もうひとつの例
【 日時 】03/10/19 15:57
【 発言者 】パクパク

Give me half an apple.

この英文の意味は、誰でもわかるとおもいます。
しかし、文法的に説明すると、halfの品詞は何だと
おもいますか?
多くの受験生は、halfの前に冠詞がこの場合なぜないのだろうか?
あるいは、half of an appleの ofが省略されたのか?
などと考えるとおもいます。

語順に文法的違和感がある場合は、
イントネーションが語順を制御していることを考えます。

元の英文  Give me a half apple.