502.「どかん!」を期待して(その1) 投稿者:浜谷 投稿日: 7月28日(土)17時19分24秒

根石さん、今日は! 奈良は蒸し暑いですが、そちらはどうですか? 避暑に行くにはいいところじゃないかと羨ましく思っています。いつも掲示板に私や他の 熱心なビュウアー(この言葉は私が勝手に造語しました。何かもっと適当な言葉があればお教えいただくとあり難いです。)へ熱心な書き込みをされているのを 拝見し、自然にこちらもいい加減なことは言えない、いや、折角与えてくださる絶好の私見を述べるチャンスであり、且つ試練であると考え、いつも気を引き締 めながら、パソコンに向かっています。

>えっ! 「音読」だったんですか。私は、浜谷さんの方法は、内部音声を響かせていても、黙読だとばかり思っていました。どこかでおたずねして、内部音声 を響かせた黙読だとお聞きしたような気がしていたものですから・・・。すみません。読み過ごしておりました。
 
いえ、どういたしまして。私も根石さんとかなり永いあいだお話しさせていただいていて、以前お話した内容をきちんと覚えているわけではありませんので、そ んなに風に言って下さると返ってつらいです。

>まあ、両方ともやられたのだと思いますが、ペーパーバックスの場合、(実際に声を出す)「音読」と、(内部音声を響かせる)「黙読」のどちらをたくさん やられたのでしょうか。

(内部音声を響かせる)「黙読」が断然多かったと思います。その方が量をこなせるからです。 

>相も変わらず、外人のいる英会話学校の方がいいと思っている人が多いのでしょう。
 私は、逆に思い切って、大人の人に「勉強スタイル」をとらせています。私の地元の生徒さんには、英会話学校にだまされたことのある方が少なからずいま す。この人たちは、勉強そのものが必要であるとわかっていてくれるので、「勉強スタイル」を続けてくれます。

私も将来はチャット・タイムを減らし、リーディング・タイムを増やしたりして、激しく、中身の濃いサークル(相談室)にしたいと考えています。 ところ で、根石さんが「英語どんでんがえしのやっつけ方」でも掲示板でも強く仰っているものに、「英会話学校」へ通うことの馬鹿さかげんということがあります が、私自身も通ったことがありますので、何故通ったかを申し上げてみたいと思います。私は徹底的インプット、ヒヤリング訓練、スピーキング訓練を意図的に 分けて別々にやりました。インプットについてはすでに幾度となく申し上げたとおりです。スピーキングは2つほど英会話サークルに所属し徹底的に英語をしゃ べる訓練をしました。こういうサークルでは1次会(ミーティング本体)で積極的に喋る事は当然として、2次会で喫茶店に行った時も、会員相互の交友を深め るだけの目的で日本語で喋る人が多いなか、私は努めて英語で喋るようにしました。次にヒヤリングの訓練の為には当時(40年前、今ほどヒヤリングの教材は 揃ってなかった)手に入れることが出来るだけのカセットテープなどやラジオ講座等を利用したのは勿論ですが、一番利用し甲斐があったと思うのが英会話学校 のネイティブの喋りでした。当時の英会話学校は今と違って、上級クラスであったせいもありますがチャット形式でした。ネイティブがその日、その日に話題に なっていることを中心にお喋りをし、適宜生徒が質問をしたり、意見をいったりするというものでした。私は1週間に2時間ぐらいそれらのクラスをヒヤリング の練習と割り切って出席し、微妙な発音の違いや法則みたいなものを発見し、やった!と思ったことが数回あり、その後ネイティブのしゃべるのが聴き易くなっ たのを覚えています。
このことから私は英会話学校へ通うことが一概に良くないとは考えていません。問題はその利用方法だと思います。
漫然と通うのは根石さんはじめ多くの達人の方たちが仰っているように金をどぶに捨てるようなものだと思いますが、上記のように割り切って考え、ヒヤリング に特化して利用するなら値打ちは十分引き出せると考えています。だから私は相談室来室者で英会話学校に行っている人には、なるべく自分のレベルより上のク ラスに入れて貰い喋れなくてもいいからヒヤリングに特化するようアドバイスしています。



503.「どかん!」に期待して(その2) 投稿者:浜谷 投稿日: 7月28日(土)17時21分41秒

>「音読」だとすると、知らない単語に出会っても辞書をひかないとおっしゃっておられたこととぶつかりあうと思うんですが・・・。つまり、知らない単語は 読み(発音)もわからないことが多いのですが、これはどう「音読」なさるのでしょうか。

私もそれらの単語は発音せず留保しています。実際問題として、それら難しい単語はそんなに何回もでてくることはまれで、殆ど気にはなりません。3,4回続 けて出てくれば辞書を引きます。

内部音声を響かせながらの多読(黙読)を楽しめるようになるのに、20〜30パーセントの理解でもいいからやれと言っても、よほど根性のある人(浜谷さ ん)以外にはなかなか継続は難しかろうと思っています。このごり押しは、・・・

そうでしょうか? 私はこれを登山に喩えています。 登り切った時の快感は何ともいえないものですが、20−30%しか分らない本でも最後まで読み切った ことで達成感がありますし、それらの苦労して読んだ本が本棚に並んでいくのを眺めることで自信につながると確信しています。逆に途中で挫折し投げ出すと投 げ出す癖がつき自信喪失につながります。最初は20−30%でもそれが、30−40%、40−50%と次第に読む力はついてくると思いますし、どのような 本が自分に向いているかもそのうちに分ってきます。探偵小説は一般的に言って読みやすいのですがそのわけは、次に何がおこるのだろうと興味しんしんと読み 進めることで、これは日本語で読む場合と同様でしょう。ただ、ご指摘のようにサークル(相談室)ではテキストをうまく選んで、60〜70パーセントの理解 度のものを教材に使うようにしています。

>ST さんのように、「20〜30パーセント」の理解でも読んでいいのか! と開眼してくださる人もいますから、

私のHPでも言っていて、STさんにもご説明しましたが、この方法は基本的には語彙・構文のインプットを目的にしていますが、ヒヤリング練習という側面が あります。ヒヤリングの場合相手が言っていることが聴き取れないということがしばしばですが、その際ある程度推量で理解しようと努めることになりますが、 その訓練を20−30%しか分らない場合でも出来ることが一点。もう一点は探偵小説など特にそうですが、会話体の多い本を読むことにより、特に会話の際使 える構文のインプットが出来るということです。概して、会話体は口語で書かれていて、しかも短い文章が多いので読みやすいということもあります。スラング も、何度も同じものが出てくれば、そのスラングは知っていて有益なものと考えられますので、スラング辞典等で調べ、覚えておくことは知らない語彙の場合と 同様です。STさんのご発案でこの方法をヒヤリング読みとネーミングすることとしました。

>私は生徒さんに、「いつかはどかんとやれ」と言っています。いつどかんとやるかは、生徒さんにまかせています。だから、私の仕事は、どかんとやれるよう にするための準備だとも思っています。

最近ある熱心なママさんメンバーから、次のようなお便りを頂きました。(ミーティングが夜6:30−8:30に行うため、よくお話を聞く時間が持てないの で、葉書を配って、簡単なお便りを書いて投函して貰うようにしているのですが)「・・・真剣に英語に取り組もうと思いました。・・・でも英語学習は大変 で。・・・浜谷さんの考えに触れ少し救われた思いです。でも、結局は自分の根気、努力しだいですよね・・・」こういう人はいつか、根石さんが仰るようにど かんとやってくれる人だと信じています。私もこういう人たちに根気しかもより良いメッセージを送り続けたいと考えています。

>「どかん以後」であっても、人に英語力を持たせることは、自分の英語力を作ることとは違った難しさがありますから、短期間生徒になっていただいて、人に 英語力を持たせる方法を学んでいただこうとも考えています。現在、塾の先生が二人、学校の先生が一人、生徒さんにいらっしゃいます。
 
根石さんの「映画でリスニング」の講座はSTさんはじめ沢山のかたが、受けておられ「素読舎」は将来的に私設英語教育機関の中核になるべき存在であると感 じています。根石さんはご親切に、私にも参加を呼びかけて頂いて、私はしばらくは私の「相談室(サークル)」に専心したいことを申し上げて、それが軌道に 乗った暁にはきっと参加させて頂きたいと申し上げておりますがその考えは変わっておりませんので、その節は宜しくお願いします。



505.知らない語彙の音読はどうするか? 投稿者:浜谷 投稿日: 7月28日(土)19時37分35秒

STさん そして、根石さん

STさん>60分テープを買って、実際に片面に回転読みをしましたが、実はそのB面にペーパーバックの音読のリーディングをやってみたのです。確かに、次 のような問題が出てきました。

根石さんに同じ質問(音読の際知らない単語が出てきたらどうするか)されて、「発音を留保する」とお答えしましたが、STさんに同じ質問をされて、且つそ の実験をされたとお聞きし、私も今やってみました。それで分ったことは、確かに見当をつけて発音していることに気がつきました。
例えば、Harry Potter シリーズの本からです....seized Harry by the scruff of the neck... の中のscruff が分らなかった(簡単なのに分らなかった・・・面目ない)ですが、ちゃんと正しく発音してました。このケースはスペルが短く意味は分らないけど発音自体は 類推で(見当をつけて)読めるということです。根石さんに『「どかん!」に期待する』でお答えしたのは意味が不明でスペルの長い読みづらいものの場合に発 音を留保するということでよろしいでしょうか? 

STさん>根石先生が指摘なさること(つまり音読すれば必ず読めない単語で詰まってしまい(特に初心者(綴りと音の基本的なルールがまだ身についていない 人)にその傾向が強い)調べたくなるストレスの付加がどうしてもかかってしまう恐れが大きいということ)が起こり得ました。 

根石さん>私はペーパーバックスはひたすら黙読です。知らない単語が出てきたら、字の並びだけにらみ、内部音声としてはなるべく発音しないように留保して います。どうしても見当をつけて、(内部音声として)発音してしまいたくなります。これがつらいところです

ということでお二人のご質問のニュアンスが大分違うようなのですが・・・。根石さんは「どうしても見当をつけて、(内部音声として)発音してしまいたくな ります。これがつらいところです」とされていますが、上記の私の引いてきた例ではどうですか?もし知らなかったとしてです。この例のような場合発音的には 簡単だから、見当をつけて(内部音声として)発音しますか? 同じ例でSTさんはもし知らなかったとしてどうされますか? 「調べたくなるストレスの付加 がどうしてもかかってしまう恐れが大きい」というのは発音の仕方を調べたくなるのですか?あるいは意味を調べたくなるのですか? あるいは両方ですか?

根石さんに質問させていただきたいことがあります。素読の場合はどうでしょうか?知らない語彙は見当をつけて音読しないのでしょうか? 根石さんの仰って いることを十分理解していない惧れがあります。その節はどうかご容赦ください。



506.生徒の記録 投稿者:Eliot   投稿日: 7月28日(土)23時17分52秒

ST様

生徒の発音の進歩の度合いを示す記録(録音・録画)は残念ながら、根石様にお送りしたテープ以外にありません。
ごめんなさい。

皆様へ
英語の学習での発音の重要性を説いている人が作っているサイトをひとつご紹介します。参考になりますので、よろしかったらご覧になってみてください。「英 語・発音・語彙」を中心にして英語学習について相当の量の情報を発信しています。

http://www.scn-net.ne.jp/~language/




507.日録・なつかしのオクザーナ 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月29日(日)03時21分17秒

素読舎日録

 午後起きる。最近、朝が涼しい。朝風がひやひやするのを感じながら寝付く。現在の借家はやけに天井が高いのがいい。自分で天井にボードになっている断熱 材を入れたのが効いているのか。娑婆が暑い暑いと言い、新聞でどこそこが何度になったという記事になる日でも結構午後まで寝ていられる。蚊がやたら出る (庭を雑草にまかせているから)問題以外は、この家は夏にはいい。決して立派な造りの家ではないが、この借家は日本の夏には抜群の性能を持つ。これが、俺 が追い出されたら壊されるのか。そして、ニューでファンシーなプラスチックハウスが建つのか。
 4時近く、山梨県のSさん玄関に現れる。上半身裸だったので、Tシャツをあわてて着る。「電話でレッスン」の元にある考えを話す。「音づくり」の音の立 体化と「復習範囲を手放さない」について。「英会話用インプット」の教材をひとまずあるだけ、どかんと置いたらビビったようだったが、ビビらないでくれと 言う。少しずつその度に郵送するのが面倒なだけなのだ。
 5時半頃だったか、これから、今夜の「電話でレッスン」のための準備に入るからと断って、自分に対して「技法グラウンド」。今日から、「ゴースト」のシ ナリオが同日に3人になる。「ゴースト」の初日は、札幌のOさん。
 9時半からTさんのレッスン。オーストラリアのTさんは、滞在を楽しみ始めている感じで、レッスンのための練習は少し薄くなっている。いいことだと思 う。英語の磁場に身を置くことは、普通の日本人ははそんなにたびたびあることじゃない。磁場で磁力にまみれて欲しい。レッスンの準備はして欲しいことはし て欲しいが、あまりレッスンに欲を出さず、今はオーストラリアの磁場をたくさん呼吸するのがいいのだと思う。レッスンについては、復習範囲に錆を寄せない でおくことにとどめことで正解だろう。今日は、オーストラリアで日本語を教えているTさんの友人が勤める学校の校長先生の家で夕食をいただくと掲示板に あった。そんなことを書かれると、またどこかよその国に行きたくなる。次回のテスト範囲を言うのを忘れてしまった。(Tさん、自分で割り出していただけま すか。すいません、事務能力に欠ける男であり、その上、年寄りになりつつあるもので。)
 次に、福岡のMさん。この人に特徴的なことは、一度レッスンでやったもののこなれがいいこと。新しい文に対して不器用であること。復習型文化と予習型文 化というものを想定すれば、欧米文化は予習型ではあるまいか。日本は復習型文化ではないか。福岡のMさんは、まったく復習型であり、これは、日本の文化の タイプにまったく合致する。Mさんは正しい日本男児なのだ。
 次に、札幌のOさん。「ゴースト」の初日。7語8語あたりにひとまずの壁があるかもしれない。しばらくは、ごり押しの日々だが、ごり押しは実を結ぶ。ご り押しをやっている間が本人は不安だがやって欲しい。自己流になってもいいから、激しく口を動かしてくれと言う。まだ、音が立体的でないから、自己流を やってもらっても、一週間後に直せば、次の一週間で直るだろう。コスト的には不利だが、最初のうちは仕方がない。
 札幌・Oさんのレッスンを終えて、ウドの店に電話。まだやってるか、と言うに際して、You open, now? と言う。人様からお金をいただいて英語をレッスンしているのに、なんてでたらめな英語を平気でしゃべるやつかと自分で思う。ウドは店を閉めるところだと言 うが、俺は今日ゲストを持っておる、それで、お前の店に連れていくのがいいと俺は思ったと言うと、すぐ来いと言う。どのくらいいられるんだ、一時間くらい はいいのかと言うと、オオケイだからすぐ来いと言う。山梨・Sさんと車で行く。
 駄目だ。ワイズアウルに行くと、酒があるから、どうしてもスケベ話になってしまう。俺はスケベ話はいやなんだよね。という顔を一瞬するけど、本当に好き なんだよね。ボストンのオクザーナの話になる。彼女の尻はいいと俺が言うと、ウドは若い頃はもっとよかったと言う。トミコの目が光る。ああ、おっかねえ。



512.浜谷先生へ 投稿者:ST 投稿日: 7月29日(日)13時47分25秒

(内部音声として)発音しますか? 同じ例でSTさんはもし知らなかったとしてどうされますか? 「調べたくなるストレスの付加がどうしてもかかってしま う恐れが大きい」というのは発音の仕方を調べたくなるのですか?あるいは意味を調べたくなるのですか? あるいは両方ですか?

*私は特にまず発音を調べたくなります。なんか気持ち悪いのです。浜谷先生のように未知の単語をBLACK BOXにしまい、とりあえず読むという訓練があまりできていないということかもしれません。つまりTOP-DOWN的な解釈処理が苦手なのでこういう処理 を求めてしまうのでしょう。

>根石さんに質問させていただきたいことがあります。素読の場合はどうでしょうか?知らない語彙は見当をつけて音読しないのでしょうか? 根石さんの仰っ ていることを十分理解していない惧れがあります。

*私の推測では、電圧装置を回転読みするために作られるのだと思います。電圧装置と回転読みについては「どんでんがえし」の1章に詳しく出ています。また ペーパーバックなどでTOP-DOWN的な読みをされる場合は黙読されるのが根石先生の基本ではないかと思っています。なんで根石先生に対しての質問に私 が口を挟むのか?それは私自信が根石先生の考え方を少しでも吸収したいからです。自分のためなのです。すみませんがご容赦ください。




516.素読舎訪問記 投稿者:Shima 投稿日: 7月29日(日)23時00分01秒

根石さんのサイトに辿り着いて、同意できる部分が多く、電話でレッスンを受けてみようと決意。
でも、サイトに書いてある内容を全て理解できているわけではないし、練習のやり方にいま一つ確信が持てない。それならば、一度みてみれば感触がつかめるか なと、見学を申し出てみた。
山梨より中央高速で2時間、あんずの里 更埴市に素読舎はあった。

行って、会って、話を聞いて、練習風景を眺め、レッスンを体験。
「音づくり」の現場はとても刺激的で、私の予想を大きく上まる「激しさ」が穏やかな雰囲気の中で実現されていた。
塾生と先生が各自の課題を素読する声が素読舎内に響きわたっている。
音量がすごい。こんなに声を出すものなのか!!
一つの文を繰り返し読み上げ、滑らかになるまで仕上げる「回転読み」という練習は、ここまでやることだったのか!!
サイトで、書籍で、メールで、電話で、いくら説明されても、目の前にある練習量と質を私には想像することが出来ないと感じた。
「英単語の音と意味のイメージが一体化するまで」と根石さんより説明を受けた。
しかし、私は練習方法すらもイメージできていない。英語の練習の入り口にも辿り着いていないことを痛感。そして、黙って眺めているだけ自分が恥ずかしく思 えてきた。
練習に加わり、声を出してみた。
周りの声より自分の声が小さくて聞こえない。繰り返し滑らかに言えない。
しかし、素読のための雰囲気があるので声を出せる。集中できる。練習が続けられる。
恥ずかしいほど簡単な文章なのに先生より指摘を受ける。
また、練習する。繰り返していると言えるようになる。先生よりOKをもらう。ウレシイ!!
6,7語以上の文章に最初必ずつまずくと気づく。自分のレベルが把握できる。
繰り返し声を出して読むことに抵抗が無い雰囲気があるので、つまずいても練習が続けられた。
そして、言えるようになる。おぉ、なんかスゴイぞ!!
気づくと2時間が経過していた。口の周りと舌が痛い。
今までこんなに集中して英語を練習したことはない。
つまずいたところで放り出さずに、乗り越える経験が出来た。小さなつまずきではあるが…。
一人で練習をするコツがつかめたような実感を得た。

他人が英語を練習する風景をはじめて見学して、今後のレッスンに大いに参考となりました。
根石さん、奥様、長い時間お付き合いして頂いてありがとう御座いました。

P.S.
英語とはかけ離れますが、
サイトなどからは感じられなかった奥様の存在が大きく、幸せそうな根石さんが印象的でした。




517.トラウマの子や孫 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月30日(月)05時31分04秒

素読舎日録

 夕方5時頃から、「電話でレッスン」の準備に入る。
 途中、塾生に英語のS音の時、舌の先がどこにあるかと聞く。人によってまちまちで、上の歯の裏という者もいれば、舌の歯の裏という者もある。自分で何度 もやってみるが、歯の裏ではない。ほとんどlと似た位置で舌に力がこもる感じになる時と、それよりも口蓋寄りになっている場合とがある。いずれにせよ歯に 触ることはない。出っ歯気味のせいだろうか。舌が触っている場所があるが口の中がどうなっているのか、よくわからない。歯茎(や口蓋)から軽く浮いた舌が 作っている薄い隙間を勢いよく息がこすっていく感じがする。st を連続して発音してみると、軽く浮いていた舌先がはっきりと歯茎に触りに行く。
 掲示板の記事のおかげで、ずいぶん舌の位置を意識するようになった。日本語の「ん」が鼻に抜ける音であることを発見。口を開いても出せるし、口を閉じて いても出せるが、口を開いているときは鼻に抜ける息が少ない。口を開いて「ん」を発音するのは、英語のn音の影響だろうか。村田君が「ん」のときは、のど ちんこのあるあたりの喉が狭くなる感じがすると言うので、やってみるが、これは口を閉じたときの「ん」である。塾の中で、「うんこ、うんこ、うんこ、うん こ」と真剣に何度も発音し試していたら、塾生が笑い出して全員の練習が止まってしまった。

 山口・Mちゃんのお母さん、練習不足だから休むとのこと。先日は、Mちゃんが東京の親戚の家からの電話でレッスンしたが、家族で今日も親戚の家にいるの かもしれない。練習がやりにくいか、東京・山口の往復で練習時間がとれなかったのだろうと思う。
 奈良・Oさん。Oさんは塾の先生。夏期講習の準備で忙しいとのこと。多少、足踏み状態。新しいところより、復習範囲(テスト範囲)の方が、口がなめらか にはっきりと動かせるようになっているはずで、それを練習してくれれば復習範囲からの方が栄養がいっぱいとれる。だから復習範囲だけはやっておいて欲しい と要望する。
 長野・Sさん。こちらも足踏み状態。足踏み状態の時が、これまでの力のレベルを越える前なのだ。ここで一踏ん張りしてくれと言う。Sさんは小学校の先 生。忙しいですかと聞いたら、休みになったと言う。じゃあ、忙しくないじゃないですか、暑いだけで・・・。暑気払いに、英語の練習はどんなもんだと言う。

 日本人が dual であることが不得意だとは信じられない。しかし、英語に関しては不得意だった。それが続いてきた。続いてきたというものの、それは、戦後に強く現象してい るだけではないのか。敗戦のトラウマが、向日性の英語好きをその上に乗せている。「なんとなく民主主義」の人たちなのか。時代は変わった? 信じられな い。みんなトラウマの子や孫だ。
 日本在住のまま英語(あるいはヨーロッパ語)の思考回路と日本語の思考回路をふたつとも維持することがどれだけの労力を必要とすることなのか、その労力 に対する敬意がこの国には欠けている。足し算も引き算も不要だ。その労力が小さなものでないことが確かなことだ。この労力の絶対量をこの国はいまだ知らな い。
 英語が達者で、日本語が駄目な亡者ならいくらでもいる。俺が言い張りたいのは、両方を持ち続ける労力のことだ。労力を費やして両方を持ち続けることは危 ない道だ。この道を歩く者がどれほどいるのか。



522.日本語の「ん」は4種類(その1) 投稿者:Eliot 投稿日: 7月30日(月)15時44分17秒

日本語人(日本語のnative speaker)は「ん」で書き表される音を4種類使い分けています。同じ文字を見ながら、四つの音を使い分けているのです。その四つの音とは以下の通り です。
 @[n] 舌先が上の前歯の歯茎に付き、唇が開いた状態で発音される
 A[η] 舌先は前歯の後ろにあって、舌の奥の部分が軟口蓋が押し当てられた状態で発音される
     唇は閉じない
 B[m] 唇を閉じて発音する
 C鼻母音化 「ん」の直前の母音を鼻と口の両方から響かせる
この使い分けは、次にどういう音が来るかによって自動的に行なわれる、まったく無意識の現象です。しかし、日本語人の英語学習者は通常「ん」=/n/と 思っており、英語の中で/n/を発音する際に、日本語の習慣どおりにこの4個の異音を使い分けるので、しばしば不自然な発音になります。

日本語の「ん」の使い分けのルール
 @タ行、ダ行、ナ行、ラ行、ザ行、チャ、チュ、チョ、ジャ、ジュ、ジョが続くとき
  ⇒[n]←ナ行の子音
 Aカ行、ガ行が続くとき
  ⇒[η]←いわゆるngの音
 Bマ行、バ行、パ行が続くとき 
  ⇒[m]←マ行の子音
 C母音、ワ行、ヤ行、サ行、ハ行が続くとき、あるいは語末であとに音が何も来ないとき
  ⇒直前の母音の鼻母音化
例)
 @サンタ、げんだい、あんない、しんらい、そんざい、ばんちゃ、エンジン
 Aさんか、げんかい、あんがい、しんかい
 Bさんま、げんば、しんぱい
 Cさんや、みんわ、ワンワン、でんしゃ、かんそう、はんしん、マンハッタンを、パン

一字一字拾い読みしたり、「ん」を強調したりするときは必ずしもルール通りの発音にならないこともあります。特に、語末の「ん」に力を込めて発音すると /m/の音になることが多いようです。演歌歌手が「わたし、あなたを忘れませえええんんん」などと最後の「ん」を伸ばして歌うときはたいていしっかりと口 を閉じて、/m/の音を発音しています。

@〜Cのルールにのっとって「ん」を発音し分けている日本語人ですが、その差を聞き分ける力は赤ん坊の時代を過ぎれば失われますから、普通の日本語人は @〜Cのルールに違反した「ん」の発音を聞きとがめる耳を持っていません。特に語末の「ん」は @〜Cのいずれの発音をされても聞き分けられませんから、通常気に留めることはありません。

以前勤めていた高校にタイから留学生が来たことがありましたが、その生徒から面白いことを聞きました。ある先生が授業で出席を取る際に、「〇〇さm、×× さm」と言うので、「先生、『さn』をなぜ『さm』と言うのですか」と質問しても、その家庭科の先生は質問の意味を理解することができなかったそうです。 タイ語では語末の/m/ng/n/の区別は重要であり、タイ人はこれらの子音を語末でもはっきりと聞き分けられるのだそうです。英語もそうですね。例え ば、sum/sun/sungやPam/pan/pangなどでは語末の子音の違いが重要です。でも、日本語人にとっては語末の/m/m/ngの発音し分 けと聞き取りは非常に難しいものです。I saw them.をまるで、「愛想膳」のように言う日本の生徒は極めて多いと思われます。もちろん普通の速さで言えば「膳」の中の「ん」は、直前の母音である 「え」を鼻母音化することによって発せられます。このとき、唇は閉じられておらず、舌先は前歯の後ろにあって、「え」の音のときと何ら変化はありません。 「ん」の音は、口と鼻の両方から声を出して鼻にかかった「え」を出すことによって表されます。He saw one.は「非移送湾」となり、最後の「ん」はやはり直前の母音「あ」を鼻からも声を出して鼻母音化することによって発音されることが多いでしょう。

He saw one.を「非移送湾」のように言う人に対して「きちんと最後の/n/を発音しなさい」と支持すると、今度は「ん」に気合を込めて言ってしまい、しっかり と口を閉じて「非移送wum」と言う可能性が高いでしょう。




523.日本語の「ん」は4種類(その2) 投稿者:Eliot 投稿日: 7月30日(月)18時13分59秒

(その1)の最後の文の「支持」を「指示」に訂正します。

英語人にとっては、原則的に/n/はあくまで[n](舌先を上の前歯の歯茎に付ける)という音ですから、「婚約」をkonyakuまたはkon'yaku と考えて英語人が発音すると、/n/のところで舌先を歯茎に付けて「コニャク」となります。彼らは鼻母音化ができませんから、「千円を」は「セネノ」に なってしまいます。私たちは上手に鼻母音化ができるので、英語でも自然と
 The man on the bike...⇒The maン オn the bike...
 ten years⇒teン years
 clean water⇒cleaン water
とやってしまいます。母音やワ行、ヤ行の前だけではなく、サ行やハ行の前でも、さらに語末でも「ん」は鼻母音化しますから、
 Once upon a time⇒ワンス upoン a time
 Attention⇒atteンション
となることが多いはずです。

また、カ行やガ行の前では/ng/の音になるので、
 in Canada⇒ing Canada
 on Gloria's desk⇒ong Gloria's desk

マ行、バ行、パ行の前では/m/なので
 in Boston⇒im Boston
 on Mary's chair⇒om Mary's chair
 ten people⇒tem people

ほとんどの日本語人は、自分がこのように[n]の音を日本語風にアレンジして英語の中で発音していることに気付いていません。気づいていないから、ほぼ 100%日本語の習慣を持ちこんでしまいます。英語人の発音では、/n/を/ng/や/m/に置きかえるのは速く話しているときには起こり得ますが、ゆっ くり話すときは/n/は/n/のままです。[n]を鼻母音で置きかえる現象は英語では起きません。日本語で言う「ワンワン(犬の鳴き声の真似)」と英語の "One, one."の響きは相当違います。




525.規範(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月31日(火)07時04分50秒

Eliot 様

>結果として各人が獲得した音が「通じるレベル」であればよいという
考え方には賛成しますが、そこに至る過程ではあくまで完璧な発音を目
標にさせるべきだと私は思います。日本の中学生には最低でも2年、も
しかしたら3年、完璧な発音を目指して練習させることが必要です。

 私は「完璧な発音」という考え方が理解できません。私は「その時点でのベストの音をいつも求めよ」という考えです。「その時点でのベストの音」をたどり 続けた場合に、その道の先に「完璧な発音」があるというふうには考えられません。「完璧な発音」というものは、完璧な人間というものが存在しないと同様に 存在しないと思っています。あるいは、逆に、通じる音であれば、それで現実的には完璧な発音なのだとも思っています。その音が聞く者にとって、快であるの か不快であるのかは、階級的感性によるものです。
 例えば、ボストンで私が突然家に転がり込んで、一週間ほども世話になったフレッドという黒人は、アラバマ生まれだと言っていました。田舎に一年に一度く らい帰るそうですが、田舎の人にお前の英語は立派な英語だと言われるそうです。ボストンの英語の影響を受けた英語を、アラバマの知人たちは立派な英語だと 受け取るらしい。田舎の人の素朴な劣等感がそう言わせるのだと思いますが、私はそれがいくら素朴であっても、考えとしてはまるで転倒していると思っていま す。
 フレッドは実に自覚的な男で、田舎の人たちは俺の英語をほめてくれるが、ボストンに帰ってくれば、俺の英語は black English なんだと言っていました。この black English のどこがどう白人たちの英語と違うのかは、私には知識がありませんが、例えばフレッドの音が、英語の発音の教則本が示す舌の位置と違っていたとしても、生 活言語としては完璧な音なのだと思っています。それで生活しているんですから。
 歯抜け婆さんのもごもご英語も、それで生活が成り立っているのなら、生活言語としては完璧です。「完璧」なんぞどこ吹く風であって、磁場を欠く日本で 作ったきれいな英語音にない、ネイティブの語感とリズムがある。それが、どれほど語学の教則本からみて、とてつもないおかしな音であってもです。
 ここでもやはり、生活言語としての「音」と語学の言語としての「音」を区別する必要がどうしてもあるように思います。生活言語としての「音」に語学の標 準(規範)を押しつけることは、必ず抑圧になると思っています。日本国家が沖縄の人やアイヌの人たちに対してやったことと通じていく問題です。日本国家は 「完璧な音」とは言いませんでしたが、「標準語」とは言ったはずであり、これは「完璧な音」と同じように、外から押しつけた規範です。


526.規範(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月31日(火)07時05分38秒

 一方、語学では、規範を定立させる必要があり、規範はどうしても必要です。この規範として、イギリスの上流階級の音や、アメリカで優勢を占める人たちの 発する「音」が採用されるということは単に「仕方のないこと」であるにすぎないと考えています。いくら私でも、インド英語を規範にせよとか、カタカナ発音 英語を規範にせよと言い出すことはありません。アメリカ英語やイギリス英語でいいよ、と思っています。
 私は、語学においては絶対に規範は必要だと考えている者ですし、規範としては、イギリス英語やアメリカ英語がよいとも思っています。その点で、個々の具 体例な発音例などになると、Eliot さんのような方から教えていただきたいことはたくさんあるのですが、語学の規範となる「音」が実に現世的な支配・被支配の構造を反映したものであること に、語学者はきちんと自覚的であるべきだとも考えています。その規範の音は、アジア・アフリカを蹂躙した大英帝国が発した音であり、世界の警察・アメリカ 国家が発する音でもあるのですから。

 規範を定立したとして、しかし、それに基づく音を「完璧な音」という目標物にすることは、ただただ語学という領域だけてかろうじて「許される」だけで す。ひとたび「机上」を離れて、生活言語の領域に入った場合は、「通じさえすればなんでもあり」、が本来の意味で標準であり、他に標準というものはありえ ません。快・不快はありますが、それはまるで語学の問題ではなく、人間の生まれ育ちの問題だと思います。あるいは、生まれ育ちが持っている階級性の問題だ と思います。

 私は語学の場面でも、規範を決して「目標物」にすることはありません。規範はあくまでも規範に過ぎません。アメリカ英語やイギリス英語は「あくまでも語 学的に」「あくまでも机上で」どんどん真似して媒介にすべきだと思いますが、それは「目標物」ではなく、あくまでも「媒介物」です。その媒介の主体は日本 語を主言語とする私にあります。媒介の度合いが薄ければ「通じない」音になってしまうし、媒介の度合いが強ければ「通じる音」が作れる。それだけのことだ と思っています。
 アメリカ英語やイギリス英語は、日本語の音によって形成された口の動き(英語として通じない音)を変容させていく場合の媒介物であり、出来てくる音はあ くまでも「通じる・通じない」が判断の基準になるべきだと考えています。アメリカやイギリスの音と「同じかどうか」あるいは「どれだけ近いか」が基準にな るべきだとはどうしても思えません。「通じる・通じない」という基準以外のものを設定すると、必ず抑圧に転じると考えています。

 磁場を欠く場所で穫れる最上の音は、「鍛えこまれたにせもの」だとも思っています。TOP- DOWN の方法を主体にする人に欠けているのはこの「にせもの」に関する思想です。この掲示板でこうじなどという人が吹聴した「ほんもの英語幻想」を私 は本当に嫌っておりますが、その理由は、彼の盲目的に欧米を上位に置くワールドワイドの階級的感性、つまり劣等感(笑)にあります。(語学の成果を得るた めに、キリスト教に改宗するなど・・・。馬鹿か。イギリス人の女房を持って、それに屈しただけじゃねえか。理由は宗教でも語学でもなく、おまんこなんだ。 それを正直に言えたなら、俺はこうじは評価したけど・・・。すいません、またまた行儀が悪くて)

 TOP-DOWN の方法は必要だが、一方でそれに BOTTOM-UP (「回転読み」などの動態)を対置しないと、ミイラ取りがミイラになる。動態を対置しないと、日本語と英語が本当にこすれ合って出す熱が穫れない。あるい は、日本語にはね返る活力が穫れない。私は、わけのわからない日本語を平気で書く英語好きは、TOP-DOWN ばかりやった人じゃないかと疑っています。

 「音づくり」の基本を生徒に持たせるだけで、2年も3年もかかるのだということ、その大変な仕事を見事に実践なさってこられたことには頭が下がります。 時間がかかる仕事なんだということは、私の実践においてもまったくその通りであり、私の実感とまったく重なります。その意味では、遠い地に同じ苦労を味 わっている人を知ったことをうれしく思っています。
 お送りいただいたテープを聞かせていただいて、その成果に敬意をいだいていることも変わりありません。(大阪の津田さんが、テープを聞いてみたいとおっ しゃったので先日お送りしました。津田さんには、感想をこの掲示板に書いていただくようお願いするつもりです。)

 「音」に関する考えのもっとも基本的なところで、私の考えとの相違点を浮かび上がらせてみたくあえて書かせていただきましたが、お考えをお聞かせ下さ い。



540.音・インターフェイス 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 1日(水)05時01分17秒

ST様

> >「多読」をやる前に「音読」をやるべきだと考えています。

>   その第一の理由と根石先生が考えておられることはなんでしょうか?

 「音」が英語のインターフェイスだからです。




539.(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 1日(水)04時55分27秒

ST様

>10月に帰国してからの今までのペースを考えての予定は、56章
が10〜12月、78章が1〜3月、910章が4〜6月の予定です。
もっこりさんにさらに水をあけられそうですが、マイペースでやって
いきますので、今後も「ゴースト」の先輩としてよろしくお願いしま
す!では。

 上は、もっこりさんにSTさんが書かれたものです。
 これを読んで、STさんは計画を立てすぎるのではないかと思いました。一冊ずつ片づけるだけでも大変なのに、「ゴースト」と「Duo」を同時進行させた り、浮気症じゃないかとも思いますよ。
 私は、英語と女については、「一穴主義」です。
 それなのに、現在シナリオを複数同時進行させています。だから、とてもとてもとても切ないです。仕事だから、切なくてもやっていますし、泣きたくなって も、泣きはしません。しませんとも。男の子だもん。
 私は、仕事でない限りは、シナリオなら一本だけ、女なら一穴だけの男です。
 そのたびに、全霊を込めて、一本だけ、一穴だけに取り組みます。

 何言ってんだか、自分でもわかんなくなってきた。
 今日も、酔ってますよお。

 まあ、すべての道はローマに通じ、すべての穴は闇に通じていると思います。
 忌憚のないご意見をお待ちしています。
 私は誠意ある番頭さんを持てて幸せですが、給料を払わず、逆にお金をいただいていることが心苦しいです。
 だって、STさんの「音」は私の「音」よりいいんですから。
 発音を直してくれと言いたいのは私の方です。

 私の「音」が ST さんより上回る点は、flat でないという点だけでしょう。
 「音」の質自体は ST さんが格段に優れています。
 発音を直してくれなんて、無理なことを言って、俺を苦しめないで下さい。

 語学の奥社は、「音」ではなく、「音とイメージの同致」ですから、かろうじて俺、ST さんのレッスンができているのです。
 ちなみに奥社というのは、長野市の西にある戸隠山の麓にあるみすぼらしいほど小さなお社です。それより手前に「中社」というお宮がありますが、「奥社」 よりはよっぽど大きく立派です。またそれより手前に「宝光社」というお宮がありますが、やはりもっと立派です。
 奥社はインターフェイスじゃないんですね。インターフェイスは「宝光社」だと思っています。戸隠神社(戸隠山)の入り口にあるのが「宝光社」です。戸隠 神社でたとえれば、「インターフェイス」=「宝光社」=「音の問題」です。
 「中社」はイメージの発生であり、「奥社」が「音とイメージの同致」だと考えています。

 戸隠に雪が来る前に、素読舎を見に来て下さるなら、戸隠へ蕎麦を食いにいきましょう。奥社が小さなお宮で、結構粗末な造りであったと私は記憶しておりま すが、二人でそれを確かめに行きませんか。

 観光ガイド資格をお持ちの、浜谷さんには、私の戸隠解釈でいいのか悪いのかを質問させていただきますが、多分、観光ガイドの資格試験には、戸隠なんぞは 出ないと思います。しかし、この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。

 柳田国男や宮本常一に対する注視が、英語好きには欠けている。
 私もこれから多くを読みたいと願っているが、果たして生きているうちにどれだけ読めるか。
 「忘れられた日本人」(宮本常一)。タイトルだけで、読みたくなりませんか。




551.戸隠解釈について 投稿者:浜谷 投稿日: 8月 2日(木)05時50分59秒

根石様、毎日お暑うございます。 

>観光ガイド資格をお持ちの、浜谷さんには、私の戸隠解釈でいいのか悪いのかを質問させていただきますが、多分、観光ガイドの資格試験には、戸隠なんぞは 出ないと思います。しかし、この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。

やはり私の音読による多読でインプットという方法に危惧を持たれてのお言葉と思います。 前にも申し上げましたように、私は根石さんの考案された;素読⇒ 電圧装置⇒回転読み⇒回転書きによる「音⇒イメージ⇒音とイメージの同致」のプロセスによるインプットの方法は大変効果的なものと考えております。ですか ら私は先日申し上げたように私の相談室にこられている数人の方に「映画でリスニング」電話レッスンを奨めさせていただきました。私はその他早稲田大学教授 の矢野安剛氏他のインプットを重視するハウトゥ本やHPを来室者に奨めさせていただいています。私のペーパーバック音読による多読でインプットの方法が私 だけが考案したものでないことを示して、その汎用性を来室者に納得していただく為です。私には根石さんのように実績がありませんので、そのようにせざるを 得ません。

私は根石さんが重要視されているイメージによるインプットについては異論はありません。従来「英語で考えよ」と松本亨先生をはじめいろんな方が言われてき たことと同じだと思っています。日本語に翻訳したもの(英語そのものやイメージ以外のもの)をインプットしても何の役にも立たないのは歴然としています。 私が主張している多読によるインプットもこの流れからはずれるものではないと確信しています。それに音が加わること(音とイメージの同致)の重要性にも異 論はありません。激しく多読をやり、何度も同じ語彙、同じ構文に遭遇しその結果それらをイメージ化(少なくとも日本語でなく英語で)インプットすることは 可能だと確信しています。 なぜペーパーバックに拘るか?については前にものべました。なるべく勉強気分を避けるためです。私は根石さんの電圧装置以下の 方法は特に学生に向いていると考えています。それに対し私のペーパーバック多読の方法は社会人に(全部ではないにしてもかなりの割合の人々に、つまり、私 のように大学にも行ってないような勉強嫌いの人々に)向いているのではないかと考えています。

以上ご質問の趣旨を踏まえレスさせていただきました。頑固なやつと思われるかも知れません。この私の方法がこれから相談室を訪れるどれだけの方に受け入れ て貰え、実効が上がるのかは未知数です。やはり駄目で、他の方法を模索することになるかもしれません。その時は選択肢の一つとして、根石さんの方法を採ら せていただくようになることもあろうかと思いますがその節は宜しくご教示のほどお願い致します。

ところで「この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。」と仰っていますが、特に「日本の何か」とはどういうことなんでしょう か?

それからご示唆のありました宮本常一著「忘れられた日本人」を読んでみました。(全部ではありませんが)根石さんがお始めになっている素読の為の和書とし ては大変良い書物かと思います。私もこのての和書も本当はもっと読みたいのですが、英語(英会話)の相談機関の仕事に船出してしまい、おそらくこれから後 和書を紐解く機会は非常に少ないものと思います。しかし欲張ったらきりがないとも思っています。そういう意味から、時々このように和書で良書がある時はお 教え願えればと思います。少なくとも時々根石さんの和書素読欄を覗いてみて、少しでも良い和書に触れるようにしたいと考えています。

最後になりましたが、お誕生日おめでとうございます! 本当は根石さんの書き込みの後すぐにでもその旨書き込みしたかったのですが・・・、やはりどなたか 門下生の方が書き込まれていましたね。 しかし、なぜ「血」という字があったのか解せません。その後なにか分りましたか? 



582.実験やってみました! 投稿者:ST 投稿日: 8月 2日(木)08時55分59秒

>3分で40〜50回くらいという数字は、「回転読み」の数字だと思いますが、語数はいくつでできている文かも書いていただくと、他の人の参考になると思 いました。

*実験の結果です!「18語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約6回」
         「12語の文を3分で」「回転読み56回」「回転書き約7回」
         「12語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約7回」
(ただし5%程度のスペルミスが散見されます。まだまだですね。)
これでわかったことは私の場合、回転書きは回転読みの6分の1程度になるということです。次にはじめて実際にやってみて思ったことを書きます。
1:始めはゆっくり読んだ方がよい。回転書きするときもそのほうが好都合。
  (始めから早く読んだ文は書き取りに苦労した。発音の崩れなどで)
2:回転書きをする時も始めはゆっくり書くとよい。
  (字も始めから飛ばして書くと崩れがち)
3:書いている文の途中でテープが次の文に移ったら、途中でも次のへ移る方がよい。
  (このことは「どんでんがえし」にもあったかも)
4:回転書きの時その前に書いているものを移してもよいのか、移さないように努力したほうがよいのか?
5:回転書きの時、声を出してやったほうがよいのか?
6:「どんでんがえし」にもあったと思うが、機械的作業にならないように注意する!
  (例えば。。。'Stop making a fuss. It really gets on my nerves,' she shouted.
   という文でreallyをrarelyと間違えたままで3回も書いてしまっていた!)
以上、報告でした。




594.ACTIVE LEARNING SCHOOLについて 投稿者:ST 投稿日: 8月 2日(木)22時37分47秒

面白いHP、見つけました。根石先生の考え方に非常に近い考え方を基本コンセプトとしているようです。ACTIVE LEARNING SCHOOL といいます。
URL:http://www.als.co.jp
例えば。。。(引用します)

>The concept of Active Learning's original AICC is "to provide students with the time to 'memorize' after their classes in order to 'crystallize' what they have learnt." In studying foreign languages, it is imperative to "repeat until it comesautomatically," thus our AICC is particularly meaningful.

CRYSTALLIZEはCONSOLIDATIONやINTERNALIZATIONの意味で使われているのだと思います。
教室で板書ばかりしていることも批判していました。

学習方法や教育がどんどん進化していきますね。いいことだと思います。
日本における最短の英語学習方法(語学として)をとりあえず最初にまとめられたのが根石先生ではないかと思います。基本の所は優秀な方がいわれると一致す るんですよね。これからはいかにして最短の学習方法を学習者に実行させるかという方向に移っていくような気もします。




599.引用・1 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 3日(金)04時35分38秒

「おまえはなぜそんなことをしらべてあるくのか」、一人の友だちはそういってききました。おそらくみなさんも、きっとそういってきくにちがいありません。 私はちょっと困ってしまいました。しかし私は、その友だちにこう答えたのです。−−−「私はそういうことをしらべてみるのがすきなんだ」と。
 それは私のほんとうの気持ちなのです。そして、みんなの人がこういうことをしらべるのを、もっとすきになってほしいと思います。
 ただおもしろいからすきになった、というだけではありません。今の私たちの生活の習慣や、村や町、そのほかあらゆるものが、どうして今のようになってき たかということは、私のいちばん知りたいことの一つです。そして世の中が今のようなありさまになるまでには、ずいぶんたくさんの人の、目に見えない努力が つまれているのではないでしょうか。その目に見えない努力が少しでも知りたいのです。

                 宮本常一「ふるさとの生活」(講談社学術文庫)



605.私の姿以前の私の姿 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 4日(土)03時41分20秒

浜谷さん

>私はやはりSTさんが仰ったようにトップダウンの勉強方法を採ったように思
っています。つまり、根石さんは英語を根底から揺り動かしてやっつけられた。
私は目的(使える英語をものにする⇒ガイド試験に受かる)を決めて、その目
的を達成するためのベストと考えられる方法(多読で語彙・構文をインプット
する)を考案し、それに向かって猛進したということです。私は人それぞれに
合った方法で勉強すべきだと考えております。たまたま私が現在関心をもって
いる対象の方達が前述しましたように「英語(英会話)に再挑戦しようとして
いる」社会人です。(前述しましたように40数年前の私の姿がそこにあるか
らです)まあ、私が教えられることは私が経験したことしかないというのが本
音ではあります。その点根石さんの方法は全ての方が対象になりますので、私
も私の主宰する「英会話学習相談室」で「映画でリスニング」のレッスンの受
講を奨めるなど貴「素読舎」の教え方を間接的に採りいれさせていただいてお
ります。

 私はつい最近までは、確かにボトムアップの方だったと思いますが、浜谷さんは若い頃に、ボトムアップもトップダウンも両方やった方だと思っています。中 学の英語の教科書の「音読」は、ボトムアップだと思っています。また、「多読で語彙・構文をインプットする」ことも、ボトムアップだと思います。その後 に、聞いて聞いて聞きまくるのようなトップダウンをやられたのだというふうに、私は浜谷さんを理解しています。
 私の「電話でレッスン」をご紹介いただけたことはとてもうれしいのですが、この掲示板での論議を参考になさって、方法を錬り込まれ、ご自分で実践なさる ことも是非続けていっていただきたく思います。
 私の懸念は、「前提」の捉え方だと思います。浜谷さんの方法だと、どうしても、ある程度の「前提」は当然のこととされてしまうと思うのです。しかし、こ の「前提」を持たない社会人の初心者もたくさんおられます。いや、こちらの数の方がはるかに多いのです。この人たちに対する福音があるべきだと思っていま す。

 今頃になりましたが、お送りいただいた Horse Whisperer の吹き込みテープを聞かせていただいています。Eliot さんの音を聞いても、浜谷さんの音を聞いても、思うことは、俺なんぞが、英語の「音づくり」を唱えて、人様にレッスンするなんぞはお恥ずかしいかぎりだ、 ということです。しかし、方法に対する方法的懐疑が不足している間は、私の仕事はあるのだとも思っています。
 浜谷さんがお持ちの鍛え込まれた音が、初心者が音読をやる場合に模範として必要な音です。しかし、以前にも書いたことがありますが、上級者は、「前提」 を作った過程を忘れてしまい、人の体に「前提」を持たせる方法がわからなくなってしまいがちです。初心者を理解するのにもっとも大切なことは、「上手に思 い出す」ということではないでしょうか。「40年前の私の姿」とともに、40年前の「私の姿以前の私の姿」を思い出すということではないでしょうか。「音 読」や文法をやっていた「私の姿」です。
 直面するものは荒野です。しかし、この荒野を耕さないかぎり、日本の英語はできてこないと考えています。

 浜谷さんは、瞬時に「意味の固まり」をとらえて読み進められますが、初心者はこれができないのです。「意味の固まり」を固まりとして捉えるには、イン プット量とともに瞬間的な理解が不可欠です。大学受験をなさらなかったとお聞きしていますが、浜谷さんの英語の基底は、「音読」と「学校英語」を組み合わ せたことによって形成されていると思います。この二つを緊密に組み合わせるなら、日本人に勧められる方法として普遍性を持っていると思います。逆に、この うち「音読」を欠いた場合のことを、是非想像していただきたいのです。それが、世にある英語の死屍累々です。

 私の「電話でレッスン」の録音ですが、もうしばらくお待ち下さい。どうやればいいのかいまだわかっていない状態です。生徒の声も入っていた方がいいだろ うと思っていますので。名古屋のK君に録音の許可をもらってありますが・・・。私は実生活では何をやるのも結構のろまです。その点、どうぞお含みおき下さ い。

 お暇がとれたら、是非、素読舎に遊びにおいでください。びっくりするようなボロ屋に住んでいます。




606.完璧な発音(返事の1) 投稿者:Eliot 投稿日: 8月 4日(土)16時18分24秒

根石様

私が「完璧な発音」ということばで指しているものは、根石様がいわれる「その時点でのベストな音」と同じものです。「完璧な発音を目指せ」というのは「で きる限り英語の音を出すよう最善を尽くせ」という意味であり、それ以上でもそれ以下のものでもありません。

私は、日本人英語学習者がまるでアメリカ人とかイギリス人のように発音できなければならないとは思いません。しかし、モデル、または媒介、とする英語に発 音の体系が備わっている以上、初学者はひたすらそれを身に付けるよう最大の努力を傾けるべきだとは思います。その際、指導者は、学習者が通常規範とするア メリカ英語やイギリス英語の話者が「アジア・アフリカを蹂躙した大英帝国が発した音であり、世界の警察・アメリカ国家が発する音でもある」発音をしている ということは、とりあえずおいといて、学習者が音に集中して、激しく音作りに精を出すよう指導すべきだと思います。もちろん指導者自身がその問題に無自覚 であっていいはずはありませんが、英語を学び始めたばかりの中学生に「大英帝国と世界の警察国家アメリカの世界支配」について語る必要はないと考えていま す。あくまで、とりあえずは、ですが。

英語教師の中には結構能天気な人もいて、英語ができれば世界はばら色、英語ができれば即国際人のように思っていたり、アメリカ英語は美しい、いやオックス フォード英語が最高で、アメリカ訛りは下品だ、など勝手なことを生徒に向かって平気で言うこともあります。私自身はそういう向きとは一線を画したいと思っ ております。

「通じる音であればよい」というのはあくまで結果としてであり、この姿勢を音作りの練習過程にストレートに持ちこむのには疑問を感じます。何語であれ、ネ イティブスピーカーは育って行く中で自分の周りに聞こえる音をほぼ「完璧に」身に付けるからこそ、お国訛りも備えた「通じる音」を習得するのではありませ んか。外国語学習者もモデルとする発音と同じになるように、まはたできるだけ近づくように、特に初学者の段階で練習に励んで、その成果として、各人の適性 と練習に応じた「通じる音」を獲得するのではないでしょうか。

アメリカ英語やイギリス英語(BBC英語やReceived Pronunciation=RPと呼ばれるもの)と同じ音を出すように生徒に練習させたら、抑圧に通じるというご意見には反対です。それが抑圧といわれ るのなら、語いの学習も文法の学習も抑圧でしょうか。英語の学習そのものが抑圧でしょうか。まあ、そういう見方もできるかもしれません。私には、それを理 由に英語の学習をバカにする知人がおります。「英語ヘゲモニーの手先か、あんたは」と言われます。

しかし、英語が世界で一番使われる言語になってしまっている現在、英語を学習して使っていかざるを得ない以上、「実に現世的な支配・被支配の構造を反映し たものである」というこの言語の性格を自覚しつつ、アメリカ英語であれイギリス英語であれ、徹底的な模倣と練習を通して、日本人である私たちの文化を載せ ることができる道具へと磨き上げていくことができればいいのではないかと思います。




607.完璧な発音(返事の2) 投稿者:Eliot 投稿日: 8月 4日(土)18時57分18秒

「通じる音」というのを唯一の基準としたら、発音の指導はしにくくなると思います。なぜなら、例えば、thの音の出し方は「絶対的な基準」として示せます が、生徒が出すthの音、あるいはthもどきの音が通じる音であるかどうかには絶対的な基準は立てられないからです。実際、英語の音作りなど全然していな い日本人学習者の発音でも、英語使用の場面においては、文脈などの助けがあれば相当通じます。極端な話、通じるかどうかだけを基準にすれば、母音はアイウ エオの五つで何とかごまかし、th/sの対立も無視、lとrも文脈まかせでも、かなり通じるはずです。では、生徒がthirdを[sa:d]のように発音 したとき、指導者はどうコメントすればよいのでしょう。確かに、突然何の脈絡もなしに、[sa:d]という音を聞かされた英語人にthirdは思いつかな いでしょうが、何らかの文脈のヒントによって[sa:d]がthirdとして「通じる」可能性は否定できないとすれば、指導者は学習者に「通じるからいい よ」と言ってもいいのでしょうか。まさか、ですよね。

二年以上中学生に発音を指導してきましたが、一歩教室を出るとすべて日本語で事足りる世界に生きている生徒達の中に、thirdをsird/sahdと言 わないように練習することの意義が実感できず、私が無理強いすればthirdと発音するのに、普段はほとんど常に手を抜いてsirdやsahdとしか言わ ない者たちがいます。こういう生徒達に「通じる発音」であればよいのだという目標を設定するのは、現状追認でしかないと思います。

一方、一生懸命練習するのだけれど、下手という生徒たちもいます。何せ、日本語の発音が不明瞭で、普段から口をあまり開けずに広げずにモソモソとしゃべる 人たちですから、英語の音を発する時にも同じようにしか口が開きません。私はこういう生徒たちもできるだけ上手になるように指導せねばなりません。私がよ く使うコメントは
 「それでも十分通じるとは思うけど、さらに英語らしい音を出すには云々....」
です。そうなんです。十分通じる音なんです。英語の音らしくはないけれど。そこをもう一歩踏み込んで、さらに英語の音に近づくことができるよう、ヒントを 与えて練習させています。中学3年生とはまだそういう時期であると思うからです。

今週、二泊三日の韓国旅行に行きました。ソウルではツアーガイドをはじめ、ホテルの人、お店の人、タクシー運転手など実に多くの人が日本語を話します。お 店の人が「ひっとっちゅ?」といわれても「一つ?」と聞いているんだなとわかりました。でも例えばもしこの調子の発音でこの人に観光ガイドを延々やられた ら大変ですよ。聞く側に相当の辛抱と集中力さらには想像力を要求することでしょう。さらにもしそのガイドさんに「おっしゃることは何とかわかりますが、発 音をもっと日本語の音に近づける方がいいですよ」とアドバイスしたらどうでしょう。そのガイドさんが「我が民族を蹂躙した日本人の発音を真似るなど国辱的 行為だ。私の発音で十分だ。抑圧はやめてほしい」と言ったら、私たちはその通りだなあと思うべきでしょうか。




608.完璧な発音(返事の3) 投稿者:Eliot 投稿日: 8月 4日(土)19時00分09秒

私は「快・不快」の基準を発音指導に持ちこむことはありません。「完璧な発音を目指して練習させるべきだ」と音作りへの道で書いたときも、快・不快云々と 書いた記憶はないのですが、ボストン在住の黒人の方の例を出されましたので、少々考えを述べさせていただきます。

もし私がデパートの店員から「おいあんた」と言われたらとてつもなく不快でしょう。もっとも、これは発音ではなく、言葉づかいの問題ですけど。テレビの ニュースを見ていてアナウンサーの発音が不明瞭で聞き取りにくいものだったら、やはり不快でしょう。日本語を使う外国人から街で道を聞かれて「あのさー、 道聞きたいんだけどさー」などと言われたら、これも不快でしょう。しばらくぶりに高校の同窓会に行って昔のクラスメートたちが「ところであなたはどんなお 仕事をなさっているのですか」などと聞いてきたら、よそよそしすぎて、これもまた不快でしょう。

私たちが英語を使う際も原則的には同じことだと思います。相手に自分のメッセージを一番効率よく伝達するためにはメッセージ以外のことに相手の注意がそれ ないようにするのがいいはずで、そのためには、その場に適した文法、語い、表現、そして発音を用いるよう努めるべきだと思います。ビジネスレターを英語で 書く際にはそれらしく書かねばビジネスチャンスを失うかもしれません。こちらの意図が通じれば何でもいいじゃーん! というわけにはいかないでしょう。発 音もそれに準じて考えれば、外国語として英語を習得しようとしている日本人が学習者が目指す発音の目標もただ単に「通じればよし」ではなく、国際的な場面 で何国人を相手にして英語を話しているのかにかかわらず、その日本人の教育程度やその人の立場から大きくはずれた印象を与えることなく、相手に過大な負担 をかけることなく理解してもらえる発音が望ましいといえるのではないでしょうか。言いかえれば、「相手が発音に特に注意を払うことがないような発音」で す。

なお、南部出身の黒人の話者の訛りがボストンでどう受け取られ、彼のモディファイされた発音が故郷でどう評価されるかという問題や、アメリカ人の歯抜けの 老婆の発音が立派に通じる音だとかいうことは、あくまで英語を母語とする人々の枠内での問題です。私は、それは日本語の音から英語の音へという音作りの道 の旅人が直面する諸問題とはまた違った問題だと考えます。




614.リスニング・ヒアリング 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 5日(日)03時38分44秒

浜谷様

>このネーミングはいただきました! 英語で言うと"Reading for hearing
practice"と言えばいいのでしょうか? ただ、{根石先生に『喝!』されそ
うなので「リスニング読み」もやめて・・・}とあるのはどういういみなのか
よく分りませんが・・・。

 ST さんはなんとかという島に出かけるので、しばらく掲示板には書かれないと思いますので、私が弁明します。あくまで私のための弁明です。

 私は一度も ST さんに「喝!」と言ったことはないのですが、いつなんどきそれを言うかわからんというオーラが私から出ているということなのでしょうか。

 以前、ヒアリングとリスニングの区別について書いた覚えがあります。どんなふうに書いたか、記憶が薄れつつありますが、ヒアリングは「聞こえている」と いうことであり、リスニングは「耳を傾けて聞く」ということだとして、めざすものは「ヒアリング」であり「リスニング」ではない、という考えを書いたよう に覚えています。
 「リスニング」は努力することだと思います。トップダウンの練習の実質部分はリスニングだと思います。これはやるにこしたことはないという性質のもの で、必ずやらなければやらないものだとは考えていません。「回転読み」で音を錬りこめば、「リスニング」をすっとばしてでも、「ヒアリング」が可能になる と思っています。意味がわからないままに「音」を聞き続ける努力ということは、私は大人ですから我慢できません。
 「回転読み」は自分の口の動きを錬りこんで、英語の音に迫る方法です。こっちの努力の方が私は気が紛れます。この間、リスニングをやって、英語ネイティ ヴの音を媒介にすることはよい練習になります。しかし、リスニングが主体ではなく、ネイティブ音を媒介にしながら、あくまで自分の口の動きを鍛えて自分の 音を作ることが主体です。中級以上の方がこれをやると、(リスニングを媒介として使うかもしれないが)リスニングを主体としないままに、ヒアリングが成立 します。

 めざすべきは「ヒアリング」、と思います。

 ヒアリングというのは、聞く気もなくて、耳に聞こえてきた音に注意を払うだけで「意味」が成立するという聞き方(聞こえ方)だと思います。これが成立す るようになるのを支えるのが、私の場合は「回転読み」です。
 ヒアリングマラソンだかなんだか知らないが、1000時間とか、長時間聞けば英語が聞こえるようになるというような口説き文句は妄説だと思います。アル クなんぞは、近頃少しまともになりましたが、20年ほど前は妄説をまき散らしていた会社でした。むかっ腹がたったことをはっきり覚えています。今頃になっ て、何が「音読」か。泥棒根性めが。 浜谷さんがおっしゃるように、ヒアリングは「聴解」ですから、これにも絶対に下地が必要です。その下地を私は「回転 読み」で作っています。

 リスニングよりもヒアリングの方が上位にあると思っています。
 誤解を恐れずに言えば、リスニングは「机上」の語学の行為であり、ヒアリングはそのまま生活過程に持ち込んでさしつかえないレベルだと考えています。



615.下地=前提 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 5日(日)03時53分45秒

浜谷様

>STさんからご評価いただきました、いわゆる「ヒヤリング読み」について、根石
さんはじめこの掲示板ビュウアーのみなさんのご批評を仰ぎたいとおもいます。ど
んなものでも結構ですのでお気軽にお寄せいただきたいと存じます。

 「ヒアリング読み」というからには、すでにヒアリングが(ある程度でいいから)できる人にしかできないと思います。音読のような前提(下地)を持った人 にしか成立しないと思います。



620.基礎と地盤 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 5日(日)04時58分22秒

ST 様

>「初心者」の定義として私の意見を述べさせて下さい。今まで根石先生や浜谷先
生のご議論を読んで私なりに初心者と考えるのは「音と文字の同致の基礎を練習し
ている最中の人」ということになります。これが出来た人はとりあえず初心者の域
を出て「初級者」と考えてよいのではないかと思います。根石先生の言葉と借りれ
ばさらに「中級者」の定義としては「音とイメージの同致の基礎を練習している最
中の人」ということになります。これが出来た人はとりあえず中級者の域を出て「
上級者」と考えてよいのではないかと思います。

 すべて賛成です。
 「初級」の前に「初心」を置かれたことに、目を開かれました。
 基礎づくりの前の地盤固めです。

 上級者は「もう放っておいてもいい人」です。



621.初級者 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 5日(日)05時02分26秒

ST 様

 「初級者」は、知識を獲得し、(文法的・構造的)理解を練習する人

 としたら、どうでしょうか。
 あくまでおおまかな区別であり、中級者が「理解を練習」することももちろんあります。




628.こんなコトバ見つけました(1) 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 8月 5日(日)19時02分41秒

   突然ですが、おじゃまします。
   わたしは、中学1年のとき「英語」に遭遇して、すっかり嫌いになり
   それ以来、英語から逃走しつづけている者です。
   エイゴと聞くと、ぼくの内なるタイガーホースが暴れます。
   何だかわけがわからないのですが。
   ここに訪れるのも無意識がさせているのでしょうか。

   「悪人正機」吉本隆明×糸井重里からの引用です。

    方言と外国語の違いは、地続きだと思っている。
    「日本にいる外国人でも、日本語があまりにもうまいと、なんだかヘンな
     感じがしますけどね。ちょっとヘタなくらいがいいんだろうなあと、思  
     ったことがありますね。」
    「これも実感なんですけど、僕は自分の考え方として方言と民族語の違い  
     は、地続きになっていると思っているわけですよ。ずっと方言を延長し  
     ていくとね、違う民族語になるって。で、そこに断絶はないと思ってる
     わけですよ。」
    「僕の学生時代なんか、山形にいたんだけれど・・・コトバが通じません  
     方言がきつくてね。・・・方言だからわかるなんてウソだって、そのと  
     き思いましたよ。だから、その地続きのところに外国の民族語があるん  
     だって考えです。」

   ううむ。わかるような気になるけど、人にうまく説明できないかも。
   方言を、いきなり外国語に接続させる着想に絶句いたしました。
   ではまた。




631.こんなコトバ見つけました(2) 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 8月 5日(日)19時42分24秒

また、引用の続きです。

  言葉の成立には、全然根拠がないんだ
  「要するに言葉っていうのはね、全部根拠がないんですよ。・・・
   なぜお米のことを〈米〉って言うのかに根拠なんて、全然ないんです
   なぜコメって言ったのかといったら、それは偶然でしかないでしょう」
  「人間そのものが持っている根拠のなさと同じでね。生まれたことって
   いうのには根拠がないんですね」
  「どういうコトバが、いま一番役に立つっていうか、通用しやすいかっ
   て言えば、英語でしょうね」
  「どうしてなんだって言われると困るんですけど、多分英国人が最も早
   く、・・・植民地をもったりとか、いろいろやったっていうことがあ
   るのかな」
  「今のところは英語が一番役に立つから、じゃあ英語を習っておきゃい
   いじゃないかって、こういうふうになるわけです」
  「利害がからんでくると・・・切実になりますから・・・自然にやらざ
   るを得ない」
  「国家の強さによって、ある民族語が広まっていくか衰退していくかっ
   ていうよりは、もっとビジネスの必要に応じた、利害が、決めていく」
  「まあ、英語を憶えたいんだとしたら、違うコトバだと思わないで、方
   言のひとつとして考える方法というのは、案外早く憶えられる」

最後の「方言のひとつとして考える方法」っていうのは、よくわかりませんが。
英語嫌いには、まったくインパクトのないコトバでした。
勉強している人には、わかるのでしょうか。

ではまた。



637.否定はしていない 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 6日(月)03時50分13秒

ST 様

>その理由ははっきり覚えていませんが、根石先生が以前掲示板でリスニング
という言葉を否定されていたからです。あまり詳しいことは覚えていません。

 リスニングという言葉を否定したということではなかったと思います。そもそも、言葉を否定しても意味がありません。リスニングという「考え方」を否定す ることなら可能ですが、そういうことをした記憶もありません。
 以前、どこかで、「ヒアリング」という言い方は変で、「リスニング」でなければならないというような理屈を読んだことを覚えているのです。その時は、耳 を鍛えることに今ほど関心がなかったので、なんでかなあと思っただけでした。
 その後、語学の場としての「机上」での言語と生活過程での生活言語をはっきりわけて考えるようになり、「リスニング」は語学の練習用、「ヒアリング」は 生活用というようなおおまかな区別をしました。もちろん、生活過程の中でも、雑踏の中で相手の言っていることが聞き難い時などは、「リスニング」も行われ ます。
 「リスニング」という考え方自体も私は否定してはいません。
 「ヒアリング」という考え方は全然変じゃないと書いたのではなかったでしょうか。
 耳に関しては、「リスニング」が「ヒアリング」になるのがいいのだと考えています。



638.英語は道具か?(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 6日(月)05時38分44秒

いくこへ

>塾の場合、英語は会話の道具でしかないとまざまざと示されます。しょせん教
える側も学ぶ側も日本人です。英語ができるかできないかは、練習の差ぐらいな
ことです。そうやって覚えた英語は、コミュニケーションの道具にすぎません。
そして、それでいいのです。

 素読舎に対するとてつもないつかまえ方だと思いました。
 私は、「英語=道具」観はとりません。また、世上に勢いのある「コミュニケーション第一論」もとりません。言葉は道具としての一面があるのは確かなの で、道具として使うことはもちろん私もします。しかし、「言語=道具」ではない。言語は必ず道具をはみ出す何かです。
 私にとっての日本語が単に「道具」でないのは自分には明らかです。日本語が私の基底を養って作ってくれたのだと思うので、「道具」としてとらえるのは、 言葉に対する不遜な態度だと思っています。
 英語は私の基底を養ってくれた言語ではありません。そして、日本語で養われた基底に何か非常に異質なものを置く言語であることも間違いありません。日本 語で養われた基底が、この異質なものを受胎することで何がもたらされるのか。日本語にとっての単なるノイズになるのか、それとも日本語を鍛える作用になる のか、それは英語観あるいは言語観によって分かれるのだと思っています。

 自分の意識を英語と日本語が相互に作用を及ぼす場とすることができるのも、その相互作用が生じることが可能になるのも、英語が単なる道具ではなく「言 葉」だからです。

 いずれにせよ、私は英語というものを、絶えず日本語との関係の中で考えています。日本語で育った人間としてはきわめて当然なことだと思っています。

 お手本としての範型は語学の「机上」では絶対に必要ですが、ひとたび「机上」を離れて、生活過程に入ったなら、範型は絶えず破られ、忘れられるべきで す。範型から得られたエッセンスだけが動いていればいい。私が考えているのは、あるいは日本語そのものでもなければ英語そのものでもなく、その双方から得 られる別種のエッセンスがぶつかり合う時の相互作用です。あるいはその反発と融合の繰り返しが作る普遍性です。
 異質なエッセンスの相互作用、その反発と融合が作る普遍性ということを考えたときに、いつも思い浮かぶ言葉は、「ニューヨーク」です。




639.英語は道具か?(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 6日(月)05時39分37秒

 誤解されることを恐れないで言うなら、日本在住のまま英語をやることは、自分の意識を「ニューヨーク化」することではないでしょうか。私は、このことを 「アメリカ化」とはまるで異質なことと考えています。ほとんど正反対のベクトルだと思うことさえあります。ニューヨークはアメリカじゃない、と言ったら、 ウドがその通りだと言ったので、こんなに簡単に話が通じていいのかとびっくりしたことがありましたが、その時、確かに話は通じていました。ウドはニュー ヨークに住んでいたことがあります。

 お手本や範型に従うだけの範囲にとどまる人にはなかなかわかってもらえないことですが、エッセンスが動くことによる「変形」は英語という言語にとっての 新しい富なのです。100人の人がいれば、おそらく100人に近い人がこれを富だとは思わず、「変なもの」だと見ます。とりわけ日本人の卑下根性がそう見 ます。
 しかし、英語という言語自体が口をきけたなら、英語はそれを富だと言うと思っています。また、日本語という言語自体が口をきけたなら、やはりそれを日本 語にとっての新しい富だと言うと思います。

 私が英語をやっているのは、(下世話方面では生活のためですが)もう一つには、自分を養ってくれた日本語に対する恩返しだとも思っています。日本語に よって養われた基底に英語が媒介にされた時に得られるエッセンスは、英語そのものでもなく日本語そのものでもないが、あくまでその二つの言語に同時に触れ ています。あるいは、へその緒を二本持つひとつの生き物です。

 単に道具として英語が使えればいいのであれば、日本に住み続けて英語をやるなどということは圧倒的に不利なことです。
 「日本にいてやる英語」が単なる道具であってたまるかという気持ちが私にはあります。その程度のものを持つのにこんなに苦労する必要はない。本当に道具 だけのことなら、こんな苦労は他でして、その苦労で金を作り、通訳でも雇っていた方がいい。本当に道具だけのことだったら、私はそうします。商社に勤めて いるとか、日々の実務で英語が必要なら、話は別ですが・・・。
 圧倒的に不利な条件を逆手にとらないと、日本にいつづけて英語をやることの豊かな意味に気づかないままで終わると思います。英語をやって、こんなに苦労 してこんなに実りの少ない土地であることが、普遍という小さな穀物をもたらさないのであれば、私は決して英語などやりません。
 机の前に座り込み語学として英語をやることが、自分をとりかこむ時代の制約を越え出る契機となりうるのではないかと思えないなら、英語などやりません。



640.RE:英語は道具か 投稿者:いくこ 投稿日: 8月 6日(月)15時07分10秒

根石さんへ

おっしゃんの書き込みを読みました。うーむ、とうなるご指摘でした。
まだ完全に読み切れていないので、じっくり読んでまた、書き込みをしたいと思います。
また、私は、おっしゃんの文面に出てくる単語の定義がしっかりと読み取れていないです。
稚拙な質問をさせていただくかもしれません、その時は、よろしくお願いいたします。

すこし考えたことを書きます。いや、これは反芻です。

私にとっても、確かに日本語は単なる道具ではありませんでした。
やはり日本語が、私の基底を養ってくれたということは事実であると思いました。
「道具」としてとらえるのは、言葉に対する不遜な態度だと思いました。

親の恩を知らずに、好き勝手な物言いをしているような気持ちになりました。




643.発音子細 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 7日(火)02時21分48秒

Eliot 様

>>th の前の t,d,l,n は上の歯の裏あるいは歯先に舌の先をもっていき、
脱落(あるいは黙音化)させる  (根石)

>「thの前のt,d,l,nは歯茎ではなくて上の前歯の裏あるいは歯先に舌の先を
あてて発音する。ただし、tとdは舌先をあてたまま息の流れを絶ち、一瞬の
無音状態を生じさせた後、直ちにthを発音する」

 あやふやなところを直していただきありがとうございました。
 私のもくろみとして、なるべく簡単で短く理解しやすい言い回しで、日本人が英語の音を作るのに役にたつものにしたいということがあります。音づくりの際 の「決まり文句」を作りたいのです。知識として不正確であることは避けたいのですが、しかし、長かったり複雑だったり難しそうであったりしない「決まり文 句」にしたいのです。

・th の前の t,d,l,n  舌の先を歯先へ
・th の前の t, d  無音になる
・th の前の l,n   発音される

 以上の三項目は間違っていないでしょうか。間違っていなければ、固定化し、塾生に素読させる材料にします。

・t,d,l,n,ch,j   上の歯の歯茎に舌の先

 これは、以前に書いたものと同一です。これはこのままで使えると思います。

(発音個々)
・she は、口笛を吹くように口先を丸くすると出る。
・she は、「(しずかにしてもらうときにいう)シーーーッ」
・see は、口の両端を横にひっぱると出る。(子供がイーッだ、とやるときの口の形)

>I open the door./I opened the door.が同じに発音されることはなく、ed
の部分は舌先を前歯の裏にあてたままでの一瞬の無音状態によって表現されま
す。

 これは自分ではクリアできているのですが、生徒さんに説明するとき、どう言うのが一番わかりやすいかをいつも考えます。th の位置に舌を持っていって、「音にならない音」「気配の音」「小さな一拍」などと言います。まあ、一対一でやるときは、そんなことをごてごてと言って、モ デルの音を作れば、生徒さんはすぐに真似てできてしまいますので、そんな言い方でいいのかとも思っています。

>I spend the money./I spent the money.とか I wrote the letter./I rode the
bus.の中に出て来るspend/spent, wrote/rodeの発音はそれぞれ同じでしょうか? 
いえ、無音状態といってもdとt は微妙に違います。これを説明するのはなかなかむ
ずかしいのですが、しいて言えば、d+thのときのdには舌先を上の前歯の裏にあてた
状態のままでもかすかに音があるのです。舌をdの位置にセットして、鼻をつまんで
(これはnの発音をしてしまわないための措置)、舌はしっかりつけたまま、声を一
瞬だけ出してみてください。ほんの一瞬、のど、つまり声帯から鼻の方へ「ッグ」と
いう感じの音が聞こえるでしょう。

 やってみましたが、つまり、わずかに喉がふるえるかどうかの違いということでしょうか。このあたりが、私の長年の疑問だったところです。



644.ch と j の位置 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 7日(火)02時31分39秒

ST 様

>>ch, j についても、口を動かしてみると確かに、t、dなどと同じ位置でし
たが、これまでの私の分類では、舌の位置として t,d,l,n の仲間に入っていま
せんでした。これも新知識。

>これに関しては私は疑問が残ります。根石先生は新知識とおっしゃいますが、
私は /t/d/n/l/ は同じでもそれらと/ch/j/ (こちらは綴字表記)は違うと思い
ます。

 おかしいなあ。change を何度も発音してみました。唇の形は大きく変わるのですが、舌の位置は同じような気がします。




645.発音 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 7日(火)02時48分53秒

Eliot 様

(発音原則)
・t,d,l,n,ch,j   上の歯の歯茎に舌の先
・th の前の t,d,l,n  舌の先を歯先へ
・th の前の t, d  無音になる
・th の前の l,n   発音される

(発音個々)
・she は、口笛を吹くように口先を丸くすると出る。
・she は、「(しずかにしてもらうときにいう)シーーーッ」
・see は、口の両端を横にひっぱると出る。(子供がイーッだ、とやるときの口の形)
・Is this the bus? → Iz zis zuh bus? (アメリカ)
・Who's there? → Who's zair? (アメリカ)
・s+th ⇒ s+z (アメリカ)
・z+th ⇒ z+z (アメリカ)

 簡略にまとめました。間違いがありましたら、ご指摘下さい。



646.生活の場の絶対性 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 7日(火)03時36分37秒

Eliot 様

>つまり、s/z+th⇒s/z+zという変化が生じているわけです。ですが、注意深
い発音ではこの場合でも/th/は/th/のまま発音されます。私は、外国語として
英語を話す私たちは面倒でも/th/を発音するよう練習した方がいいと思います。

 そう思います。ちゃんと th を th として発音し、アメリカ崩れの音を直してやるのがいいのではないでしょうか。私もみかけによらず遠慮深いので、いまのところやっていませんが・・・あ、い けねえ、それをやれるだけの音がまだ俺の口に実現してないのだった・・・。音だけのことなら、(私はともかくとして)アメリカ人よりいい発音をする日本人 がいます。親切に直してやらないまでも、崩れを指摘することはやっていいと思います。
 だって、th は th なんだから。

 別の話ですが、個々の語についての語感がネイティヴのように身体化されないのは、これはどこまでいっても身体化されることはないと思っています。英語の 磁場で暮らすことでしか養われないものが絶対にあると思っています。アメリカ式に生活しなければ、アメリカ英語の語感は身につかない。だから、身につかな くて結構なのだと考えています。
 だから、日本人の間違った英語を直してあげよう、アメリカではそうは言わずにこう言うんだよという趣旨の、おためごかしの英語本があふれていますが、う るせえよばかやろ、と思っています。個々の語の語感、個々の語法の本当のところは、あんな本なんかではどうにもなりはしない。日本式に暮らしていたら絶対 に身につかないものを書いた本が、日本式に暮らしている人たちに売れるというのは、これは実は語学的な現象というより、コンプレックスを利用した文化政策 の一種にやられているのだと思います。出版社は、もうかるから本を出すだけだと思っているかもしれませんが、まず最初に出版社がやられているのだと思いま す。アルク、大嫌いだ。
 うるせえよばかやろ、と思いながらも私はその種の本を買うことがあります。日本在住のままにでもそれらは媒介材料としては使えるからです。使って、元を とってやります。文化政策の一種にやられてしまう人々は、元をとりません。あこがれの幻の国の呼吸が詰まった本として、本棚に飾ってあります。うるせえ よ、とことん使って、真っ黒にし、ぼろぼろにして元をとってやればいいのだ。
 世界のさまざまな生活の中の一種類としてアメリカ式生活もあるのだから、その一種類として媒介にしてやろうじゃないかという魂胆です。別にそれを知るの にやぶさかではないということです。
 やぶさかではないので、アメリカ映画のシナリオを使うこともします。
 生活ぐるみでなければ身につかないセンスを知識として持ってもしょうがない。磁場だけが作りうるセンスというものが絶対にあり、それは絶対なのだから、 その磁場のないところでは手に入ることはない。
 生活の場の絶対性という考えを私は決して手放すことはないでしょう。
 映画などの疑似磁場をせいぜい利用して、間接的に徐々に隔靴掻痒のセンスを作っている行為を、アメリカ帰りなどが馬鹿にしやがったら、とことんやっつけ てやる用意はいつも整っています。

 話に枝が生えました。お聞き流し下さい。




649.アクセント対イントネーション 投稿者:Duffy 投稿日: 8月 7日(火)18時18分30秒

いつもNHK FMの日曜喫茶室という番組を楽しんでいるのですが、
先日「新明解日本語アクセント辞典」を20年振りに改訂発行された
国語学者の秋永一枝さんがゲストで出てまして興味深いことを
言っておられました。
アクセントとは:状況や感情に関係なく固定した単語の調子のあげさげのことで、
イントネーションとは:そのときの話し手の感情を表すためにつける抑揚のことだ。
とおっしゃってました。
日本語と英語の違いはあるものの私はこの話を聞いて我が意を得たりという
感じがしました。
イントネーションとは「こうするものですよ」と教えられるものではなく
「こういう感情を表したいときには、こうするものですよ」と教えられるもの
であるべきだとずっと思っていたからです。
皆さんどうでしょう。



654.pronunciation 投稿者:ST 投稿日: 8月 7日(火)20時38分07秒

私は /t/d/n/l/ は同じでもそれらと/ch/j/ (こちらは綴字表記)は違うと思い
ます。

*Now I am in the Youth Hostel in Launceston which is in north of Tasmania state.
I don't know how to operate a software of Japanese language. So I must write English.
The crucial difference of pronunciation I think is the position of toungue. Basically in case of the pronunciation/l/n/d/t/ we should touch back of the upper teeth which is not precise though using the tip of the tongue. On the other hand the pronunciation /j/t+longs/ we usually don't touch the same part.
That's just what I think. But it's just my opinion please tell me how to do.



657.冷や飯食い(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)04時11分39秒

浜谷さん

>私は英会話学校へ通うことが一概に良くないとは考えていません。問題はその利
用方法だと思います。漫然と通うのは根石さんはじめ多くの達人の方たちが仰って
いるように金をどぶに捨てるようなものだと思いますが、上記のように割り切って
考え、ヒヤリングに特化して利用するなら値打ちは十分引き出せると考えています。

 ヒアリングに特化して使い、開眼されたこととは、具体的にはどんなことだったのか、お教えいただけるとうれしく思います。
 私の英会話学校否定は、目的意識をはっきり持たないで通っている生徒批判でもあるのです。英会話学校に通う多くの人が、「風邪がウツルように英語がウツ ル」と思っています。これに対して、私は「英語は風邪じゃないからウツラない」と言ってきました。
 非常に多くの人が、外人の存在そのものに頼ります。外人の存在そのものに頼り、自分ではたいした勉強をやらない人が多いのです。おばさんよう、そんなこ となら、外人のいるホストクラブに行った方がずっといいぜ、と私は平気で言います。
 英語ネイティヴと恋人関係になったりすれば、ネイテイヴが運んできた英語の磁場の中に入ることはできます。そして、これが磁場の最小単位でしょう。しか し、英会話学校の教室は、特に何を教えるわけでもなくただおしゃべりしているだけの教室でも、教室は教室であり、そこでは英語はあくまでも教室という状況 での英語でしかありません。「ひとつ言葉間違えたら、あの娘にわるいじゃない(サザンオールスターズ)」という切実さが教室にはないのです。
 とりわけ、教室で何か状況設定をして、その状況での役を分担して会話する練習などは、言葉を間接化する教室という状況の中で、お芝居という間接化をする わけですから、間接化がさらに間接化されます。
 これは、映画がどれほど手に汗握るものであっても、その映画を観る人に直接的な危険が迫っているわけではないのと同じようなことです。教室というところ には、本当の意味での切実さはないのです。教室は、言葉をどうしても間接的なものにしてしまいます。教師と生徒が授業をはなれて本気で喧嘩でも始めてしま うと、教室という場でも切実さが生まれますし、言葉が直接的なものになりますが、そういうことができる人は英会話学校なんかに通うより一人でどんどんイン プットする方がいいことを知っていますから、めったに教室などというところには現れません。



658.冷や飯食い(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)04時15分03秒

 教室で直接性や切実さが生まれることはまずありません。通常の「教える者と教えられる者」という図式の中では、言葉は知識であり、間接的なものにとどま ります。
 この「間接性」という一点を人々は見逃すのです。しょせん、語学は「間接性」の激化なのですが、英会話学校に通う人は、外人の存在に頼る他力本願があり ますので、「激化」などやりません。「間接性」でしかないものを「生」だと思っているのです。
 浜谷さんが、大損しなかったのは、ヒアリングに特化するという目的意識がはっきりしており、ヒアリング練習として練習を激化させるのにうまく利用したた めでしょう。これを一般の「風邪がウツルように英語がウツル」ことを期待する他力本願の人々に薦めても、結果は「ドブに金」になることがほとんどだと思い ます。もっとも、他力本願の人は、私の方法でやっても駄目ですが・・・。他力本願だった人を自力本願に方向転換させるのに、例えば月額1万円だったらあま りにも安すぎますが、まあ文句も言わずやっております。
 他力本願が駄目なのであって、英会話学校がいけないのではないのかもしれません。しかし、他力本願の連中に甘いことを言って、外人というものさえあて がっておけば金もうけができるという魂胆は学校の経営側にはしっかりあるのです。この他力本願と金もうけ魂胆の組み合わせが、英会話学校の繁盛になってい るわけであり、英語をまともに語学としてとらえようと努めている私の側から見ると、やはり、アホか、の一言が飛び出すのは避けようがないのです。
 ダグラス・ラミスの「イデオロギーとしての英会話」という本に、ラミスが日本の英会話学校で仕事をしていた時のエピソードが書いてあります。ある日、英 語をよく研究し、語学的な訓練を経て英語に習熟している日本人教師が、「私は文句を言うわけではないが」と前置きして、ラミスに次のようなことを言ったと いうのです。
 「私はもうここに20年(だったか30年だったか)も勤めているのですが、あなたよりも給料が安いのですよ」
 ラミスは、この先生が英語の使い手としてきちんとした力を持っていることを知っており、語学的訓練の質と量は自分とはくらべものにならないのにもかかわ らず、自分より給料が安いと知って非常にびっくりしたというのです。自分は単に子供の頃からしゃべってきた言葉を教室でしゃべり、来る途中の電車の中で見 たことなどをおしゃべりしているだけなのに、なぜこの語学の達人よりも給料が多いのか。そんな馬鹿なことが・・・という話です。
 浜谷さんが冷や飯を食い、私が冷や飯を食うのは、他力本願の馬鹿と、その馬鹿に外人をあてがう経営魂胆の組み合わせがあるためです。アメリカコンプレッ クスを出汁にした商売なのです。私らのような冷や飯食いの位置からは、少なくとも敵の姿だけははっきり見えていないといけないと思うのですが・・・。



660.前提の有無 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)04時33分14秒

浜谷様

>私はこれを登山に喩えています。登り切った時の快感は何ともいえないもので
すが、20−30%しか分らない本でも最後まで読み切ったことで達成感があり
ますし、それらの苦労して呼んだ本が本棚に並んでいくのを眺めることで自信に
つながると確信しています。逆に途中で挫折し投げ出すと投げ出す癖がつき自信
喪失につながります。最初は20−30%でもそれが、30−40%、40−5
0%と次第に読む力はついてくると思いますし、どのような本が自分に向いてい
るかもそのうちに分ってきます。

 20〜30パーセントしか読みとれなくてもペーパーバックスを読み続けるという方法が、登山に喩えられるのはとてもよくわかります。私のホームページで も、英語をやるという行為を登山に喩えたページがあります。私は高校の頃は山岳部にいましたので、この喩えはよくわかります。私は、縦走に持ち込めと言っ ています。
 20〜30〜40〜50〜60パーセントに読む力がついてくるのも納得できます。これを信じなければ語学などやっていられるものではありません。
 しかし、やはり、語学を語学としてやり、一応の基礎を持っている人(文法がわかる人)でないと、この「20〜30〜40〜50〜60パーセント」も起こ らないと考えています。単にくじけて終わるのではないでしょうか。
 浜谷さんに何度でも何度でも申し上げるべきは、「前提の有無」です。



661.つらさ 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)04時44分57秒

浜谷様

>根石さんは「どうしても見当をつけて、(内部音声として)発音してしまいた
くなります。これがつらいところです」とされていますが、上記の私の引いてき
た例ではどうですか?もし知らなかったとしてです。この例のような場合発音的
には簡単だから、見当をつけて(内部音声として)発音しますか? 同じ例でST
さんはもし知らなかったとしてどうされますか?

 ST さんへのコメントですが、私の場合を書いておきます。
 例にあげられた、scruff であれば、私も(内部音声として)発音することをためらわないと思います。
 問題は、発音のヴァージョンがいくつか考えられる場合です。これは、自分で勝手に決めたくなるのを我慢して留保するわけで、これがけっこうつらいので す。
 解決策はただただ語彙力ですが、20〜30パーセントしか理解できない場合では、語彙力も大してないと思いますから、難行苦行になると思うのです が・・・。



662.素読の基本形 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)04時59分15秒

>根石さんに質問させていただきたいことがあります。素読の場合はどうでしょう
か?知らない語彙は見当をつけて音読しないのでしょうか?

 素読というのは、インタラクティヴな方法で、「読みを知っている人」と「読みを知らない人」とで練習するわけです。
 先生という言葉はどうにも好きではないのですが、便宜的にここで使えば、先生と生徒が一対一で向き合ってやるのが素読の基本の形です。
 従って、「読みを知っている人」が、「知らない語彙」を含んでいるテキストを使用することはありません。原理的に矛盾します。
 それなのに、実際には「読みを知っている人」が「読みを知っていなければいけないのに知らない人」になる場合が突発します。所詮、生身の人間ですから。 その場合は、ごめんと生徒に謝って、調べればいいのです。

 以前、地元のお寺の副住職を相手に素読をやったことがありました。空海全集から副住職がやりたいテキストを選んで素読にかけたわけですが、私にはチンプ ンカンプンの語彙が非常に多くあり、「Kさん、俺、読めねえや、ごめん。本山に問い合わせて読みを確定してくれねえか」と頼みました。先生役失格ですが、 Kさんは、それでもいいからやってみたいと言ってくれたので、生徒に読みを教わりながら先生役をやりました。
 この場合は、空海のテキストを教えたのではなく、ただ単に素読を教えただけでした。
 この副住職は、現在、京都の本山から呼ばれて本山で修行しています。

 早く帰って来てくれねえかなあ。冷や飯食いの私には、いないと淋しい人なんです・・・。



663.感謝 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)05時10分04秒

Eliot 様

>英語の学習での発音の重要性を説いている人が作っているサイトをひとつご紹介し
ます。参考になりますので、よろしかったらご覧になってみてください。「英語・発
音・語彙」を中心にして英語学習について相当の量の情報を発信しています。
   http://www.scn-net.ne.jp/~language/

 お教えいただきありがとうございました。
 行って読ませていただきました。
 ここで s の調音点は上の歯の裏だと知りました。
 いいサイトだと思います。こういうサイトを作っておられる方には感謝感謝です。

 発音のコツをなるべく簡潔な言い回しで生徒に言うためのデータを少しずつゆっくり作っていこうと思っています。このサイトなどで調べられることは調べよ うとは思いますが、なにぶんにもずぼらな性分ですので、自分の口を動かしながら生じた疑問を突如ここへ書くことがあるかとも思います。その場合は、ご面倒 ながらよろしくお願いします。



666.ごり押し 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)05時26分38秒

ST 様

>ごり押しの練習とは、どのようなものですか?ぜひ知りたいです。

 ごり押しというのは、語学に必要だというだけのことです。
 要するに、ただごり押しするのです。
 だって、apple がりんご、などというのは、知っている人は当たり前だと思っていますが、知らない人は、これを自分に強制しなければならないわけで、外部(知識)を内部に 強制するわけです。単語一つ覚えるのでも、磁場を欠いた語学の場では、ごり押しにならざるをえません。
 民主主義者が何を信じるか知りませんが、語学は暴力的といえば暴力的な行為です。



668.きつい方法とおだやかな方法 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 9日(木)06時15分53秒

ST 様

>昨日もcourageが本の中に何度も出てきて、すぐに訳語がでてきてしまう。どう
したらこの日本語を消して英語 courageの「イメージ」を浮かび上がらせること
ができるのか。というようなことを考えていました。やはり「電圧装置」が弱いの
でしょうか?それとも「イメージ力」が足りないのでしょうか?強く強くただイメ
ージする。弱い頭は鍛えるしかない。やはり電圧装置」なのか?

 「英語どんでんがえしのやっつけ方」は、種本(「英語のやっつけ方」)が大学受験をする人たち向けのものだったので、かなりきつい練習方法が書いてあり ます。大学受験に「音づくり」を緊密に結合させれば、日本在住のまま使える英語を作るための最短距離になると考えており、大学受験生にこれまでの受験英語 から踏み出して、大学受験が終わった時点で、使える英語としてよちよち歩きができる程度のものを持ってもらいたいという願いがあったためです。そのため、 短期間に強引にやる方法が書いてあります。「電圧装置」などはその最たるものです。
 映画のシナリオを使った「電話でレッスン」では、もっとおだやかにイメージを醸すために、「復習範囲を手放さない」という原理を据えてあります。この原 理は、素読そのものと関係ないのですが、非常に素読的なものであると思っています。
 若い人にはきつい方法を奨めたいが、社会人の方で時間がなかなかとれない方には、「復習範囲を手放さない」おだやかな方法でやっています。
 しかし、このおだやかな方法でやってもなお、練習量が足りないと思われる方が散見されるのは残念なことです。まあ、人には調子のいいときと悪いときの波 がありますから、気長にやっていくしかないんだと思っています。



670.冷や飯食い 投稿者:浜谷 投稿日: 8月 9日(木)20時55分27秒

根石さん、

>ヒアリングに特化して使い、開眼されたこととは、具体的にはどんなことだったのか、お教えいただけるとうれしく思います。

「開眼」とまでは言っていません。「値打ちが引き出せる」、つまり媒介としての「外人の喋り」から学べることもあるということです。 具体的に記憶に残っ ているのはaffect の a の発音です。それが e (え)と聞こえたのです。その先生(米国人)特有の発音だったのかも知れませんが・・・。

私が英会話学校を利用したのは40年ぐらい前でしたが、その頃は英会話学校という名称だったかどうか不確かです。私が選んだ上級クラスでは、兎に角外人の 先生が時事問題等を喋りまくるだけでした。勿論質問は可でした。だからヒヤリングに特化せざるを得なかったのかも知れません。英会話学校が現在の形態に なって久しいですが、やはりおかしな形態だと思っています。私は現在英会話サークル(相談室も兼ねて)を主宰していて、チャットの時間を1時間半もとって やっていますが、来られている方々は異口同音にもっと喋る場が欲しいと言っています。喋る場の確保が出来れば、外人のいる英会話学校でなくても良いのでは と考えています。私はそういう観点から「英語(英会話)学習相談機関(サークル)」の各地での設立を呼びかけさせていただいています。良貨は悪貨を駆逐で きないかなと考えているのですが・・・。

>英会話学校に通う多くの人が、「風邪がウツルように英語がウツル」と思っています。これに対して、私は「英語は風邪じゃないからウツラない」と言ってき ました。

こういう風に思っているいわゆる他力本願の人が多くいることを否定はしませんが、前述のように喋る機会を求めて行っている人が多くいるのも否定できないと 考えています。だから実際の話としてサークルに参加している人で、同時に英会話学校に1週間に1回通っておられる人には、私はヒヤリングに特化して通うよ うに奨めています。インプットの大切さも分ってくれているようなのでサークルのチャット・タイムを充実させていけば、英会話学校から足を洗ってくれる日も 近いのではないかと期待しています。ちなみにチャット・タイムでは英字新聞のきり抜きなどによりトピックをきめてやっています。最近では「大学の効用」、 「日本人の宗教観」などです。

多くの英会話学校、新聞の巨大広告によるカセット販売、6週間で英会話が出来るようになるなどの誇大宣伝によるハウトゥ本の版権で豪勢に飯を食ってる人な どが片方に居り、根石さんや私や様々な無料のHPで本当の英語(英会話)学習法を伝えようとして、「冷や飯」を食わされている者も居るという状態は何とか ならないものかといつも考えていますが、どこの世界にも同じことは散見されるのではないでしょうか? 地道に信ずる道を進むしかないと思っています。たと えその道が我々の生きている間に評価されなくても、死後にでも評価されればいい、それは芸術家が死後に正当に評価されているのに似ていると思っています。  



683.近況など 投稿者:もっこり 投稿日: 8月11日(土)03時12分19秒

おばんです。
最近、ネットラジオで海外放送を聴くのがおもしろくなってきました。
( http://www.webcastpilot.com/japan/ や
  http://www2.starcat.ne.jp/~ndxc/link.htm にいろんな局へのリンクがあります)

英語の音が固まりになって入ってくるようになった気がします。
レッスンの成果でしょうか。テキスト(「ゴースト」)で何度も練習したフレーズが、
耳から飛び込んでくるのは快感です。
ただ、聴こえたから即理解できるのかといえばさにあらず、文の構造を意識していないと、
話者のイイタイコトは伝わってきません。
ここらへんは、多分浜谷さんの強調しておられる多読などでカバーしなければならない部分かなと
思っています。

それにしても各国の放送を聴いていると、英語もいろいろあるんだなーと思います。
Real Audioが聴ける環境にある方は、是非一度、インド( http://air.kode.net/news1.html )の放送を聴いてみてください。
私には、どちらかというと、アメリカ英語よりインド英語の方が聴きやすいのです。




686.「同じ幻想」を食い破る 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月11日(土)03時49分46秒

ST 様

>>アメリカ英語やイギリス英語でいいよ、と思っています。

>「やっぱ「牛乳」でしょ!」とは私は思いません。むしろ「お茶づけ」といいたい。私は「イギリス英語やアメリカ英語でいいよ」とは思いません。

 イギリス英語やアメリカ英語でいいよ、と言ったのは、日本人が媒介にする英語としてなら、イギリス英語やアメリカ英語でいいよ、ということです。
 それらを媒介にしても、できてくる英語は日本英語です。
 「同じ幻想」が日本人は強すぎます。イギリス英語やアメリカ英語と「同じ」英語を身体化するのが、上等な語学的態度だと思っている人が多すぎます。日本 に住んで「お茶漬け」をすすりながら作る英語は、どれほどご立派な発音の英語でも、日本英語なのです。だから、積極的に日本英語を作るべきです。日本英語 を作ろうという呼びかけは、「同じ幻想」を食い破ろうという呼びかけでもあるのです。

 別に日本人に限らず、非英語圏の人が英語を習う場合に、イギリス英語やアメリカ英語を媒介にすることでよろしいのではないでしょうか。



687.「音」だけを信仰しないこと 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月11日(土)04時09分13秒

ST 様

>私の場合は「音」があまりにも強烈に入り過ぎるのか「イメージ」構築に今も苦
しんでいます。

 これはむしろ「信仰」の問題ではないでしょうか。
 語学というミクロの世界を、拡大鏡で広げてみると、「音」を信仰している人がたくさんいます。
 戸隠神社で言えば、「奥社」は「音」そのものではありません。
 「音」はインターフェイスとして、絶対に大事にすべきものです。
 日本の学校英語・受験英語は、絶対に大事にすべきものを大事にしてきませんでした。
 「音」を大事にして、「通じる音」を作るべきです。
 しかし、「音の問題」を解決したその先に語学の「奥社」があります。

 「音とイメージの同致」だと思います。

 「『音』があまりにも強烈に入り過ぎる」というより、「音」を解決することで語学が成立するというように信仰したためではないでしょうか。これは、パク パクさんに向けても言いたいことです。



688.もう一つのイメージ 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月11日(土)04時26分58秒

パクパク様

>音、イメージ、音とイメージの合致 まさに、このプロセスコントロールであると
おもいます。ただし、シリアルな直列構造ではなく、同時多発領域でしょう。そうい
う意味で、映画には、音とイメージの同時提示があります。

 直列構造ではないというのはその通りです。
 むしろ、実態としては「ごった煮」だと思います。
 どんな順序で成立してもいいのです。
 極端な話が、「音とイメージの同致」が先に成立してはみたものの、「音」が「通じない音」であったら、後から「音」をきちんと通じるものにするのでもい いのです。
 札幌のOさん、山梨のSさん、福岡のMさん、長野のBさんなど、私の生徒さんに、学校英語の犠牲者がおられますが、この方々は、「音」と「イメージ」を 同致させる力は充分にお持ちです。

 宝光社、中社、奥社の順序は、おおざっぱな順序ではありますが、これをたどるのがもっとも効率がいいとは言えます。語学の一つの定式として意味がないも のではないと思います。

 「同時多発領域」というのは、パクパクさんがおっしゃるものとずれると思いますが、私はどうしても「回転読み」を思い出します。「回転読み」を技法とだ けとらえず、意識の運動の場であるととらえるなら、まさにこれは「同時多発領域」です。

 映画が提示するイメージというのは、私が言っている「イメージ」とは別物です。
 映画のイメージはむしろ、美術の世界でイメージと言っているものに近いと思います。つまり、具体的な映像のことです。
 私が「イメージ」と言ってきたのは、生きている人間の意識に現象するイメージで、本人にしかわからないもの。視覚ではとらえることのできないものです。 こちらの「イメージ」の核になるものは、むしろ、「概念」とか「観念」というようなものだと思います。



702.復習範囲を手放さない 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月13日(月)22時04分31秒

 何週間か前、Mちゃんのお母さん(山口県)とのレッスンのとき、ペーパーバックスをどんどん読み進めていく感覚が戻ってきたよ、とお聞きしうれしく思い ました。アメリカにいたころ、結構ペーパーバックスを読んでいたんだけど、どんどん読み進めていく感じが日本に帰ってきてなくなっていたのだそうです。 「電話でレッスン」の「技法グラウンド」で練習を続けていただいて一年余りになると思いますが、アメリカにいたときみたいにペーパーバックスがどんどん読 める感覚が戻ってきたのでうれしいというお話でした。このやり方はやっぱり効果があると思うとその時におっしゃってくださいました。

 Mちゃんのお母さんの旦那様は大学の先生で、アメリカの大学におられた時期があり、その間、Mちゃんのお母さんもMちゃんも家族ぐるみでアメリカに滞在 されたと聞いております。アメリカの大学に付属の機関だったかどうかはお聞きしませんでしたが、大学人およびその家族のために正しい(とされる)アメリカ 英語の調音を訓練してくれる機関に通って、発音の訓練を受けたこともお聞きしました。

 日本に帰ってこられてからは、Mちゃんのお母さんはNHKの語学番組などを聞き続けておられたようです。

 二年ほど前でしたか、Mちゃんが最初にレッスンを受けてくれることになりました。Mちゃんは幼い頃にアメリカで英語の音が耳に入っていたせいか、イント ネーションのバネはすぐに備わる感じがありました。レッスンを始めて、それほど時間がたっていない頃、電話をいただき、学校のテストの点が急激に伸びたの でびっくりしたとお聞きしました。その時、「何、これ?」と言われたことをはっきり覚えています。なんで、こんなに急に点があがるの? という疑問だった と思います。
 私は特に学校のテスト用に何かをしたことはなく、ただ学校の授業で扱う前に教科書の「音づくり」を済ませておくということをしただけでした。「音づく り」が終わっているので、急に授業の吸収がよくなったからだろうと思います。点を余計にとらせようとしてやったことではなく、「音読」のてほどきをして、 知識以前の基盤を確かなものにしたのでした。基盤ができていたので、そこに受肉された知識が活性化し、結果としてテストの点があがったのだろうと推測して います。
 一年ほどの間、Mちゃんがレッスンを受ける様子を見ていてくださり、「これはいいと思うから私もやってみる」とおっしゃって、ご自分でも「逃亡者」をテ キストに「電話でレッスン」を受けてくださるようになりました。Mちゃんのお母さんは私よりも発音がよく、発音の面では私が直すべきことはほとんどありま せんでした。私がねらったのは、シンタックスの錆落としでした。

 日々、日本語に囲まれている生活の中で、一度確立した英語の「音」は錆びつかなくても、「シンタックス」の錆は徐々に進行すると私は考えています。
 日本在住のままにやる英語は、技能としては自転車に乗れるようになるというようなこととは違います。自転車なら一度乗れるようになれば、その後は特に練 習など必要とせず、乗ることを続けられます。
 日本在住のままでの英語は、楽器を練習するのと同じようなところがあります。ピアノであれ、ギターであれ、しばらく練習しなければすぐに指の動きに錆が 寄ります。だから、錆を寄せ付けず、あらたな自由度を開くためには、英語の練習を日常の中に組み込む必要があります。その練習が、シンタックスに寄る錆を しっかり意識したものでなければなりません。

 Mちゃんのお母さんはNHKの番組を聞き続けておられたのですが、「音」は維持できても、シンタックスに寄る錆は防ぎきれなかったということではなかっ たかと私は推測しています。
 「電話でレッスン」でほぼ一年、錆がとれ、新しい自由度に向かって開かれている英語ができてきたときに、「ペーパーバックスがどんどん読み進められる」 という感覚が戻ってきたのだと思っています。

 なかなか皆さんに注目していただけませんが、これを成り立たせている原則が、「復習範囲を手放さない」です。「電話でレッスン」で毎回行われるテストの テスト範囲がそのまま「復習範囲」となっています。ここをその度に新たに練習しなおすことをきちんとやってくれれば、英語の感覚が「醸される」と考えてい ます。非常に有機的な方法です。

 Mちゃんのお母さんへ。
 この一年ほどの練習の効果をお聞きし、是非詳しいことを書いていただきたいとお願いしてあったのですが、なかなか書いてくださらないので、私が書きまし た。訂正すべきことなどありましたら、ご登場いただき訂正をお願いいたします。




711.どなたの日録? 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月16日(木)22時12分29秒

ヤフーで「英語どんでん」という検索語を入力して遊んでいたら、大東文化大学の大学院で教えて
いる通訳の方の日録にぶつかりました。どなたでしょう。

http://akasaka.cool.ne.jp/kakeru3/new10.html

(以下、引用です)


■またまた資料探しに神保町へ行く。今月から始まる「国際情報セミナー」のためのベーシック
な資料はないかと探したのだが、あんまりいいのがない。細谷千博・監修 (1999)『国際政治経
済資料集』(有信堂)を買ったが、もっと分厚くしてくれないと役に立たない。あとは江畑謙介
(1999)『世界の紛争 日本の防衛』(PHP)他数冊。ついでにこの前探して見つからなかった『GUN
用語事典』(1999)(国際出版)があったので買っておく。ムックなので見逃していた。経済書の
売場で伊東光晴(2000)『日本経済の変容』(岩波書店)を買う。

■根石吉久・村田晴彦『英語どんでんがえしのやっつけ方』(小学館文庫)。塾の先生の本。学
校(受験)英語と会話学校の英語の狭間で格闘しているらしい。まあ初心者向けだからあまり内
容を云々しても仕方がない。でもこんなところはなかなか面白い。著者の自由人としての体験が
にじみ出ている。

「アメリカ人みたいに話す日本人というのにすごく嫌悪感がある。ESSって、今でもあるのかどう
か知らないが、ああいうのに属しているやつらの英語って胸糞悪くなる。」

「鈴木(孝夫)っていう人は現状指摘はいいんだ。だけど、そこから出てくる結論というのが、
とんでもないアホ理屈(笑)。あの岩波新書(『日本人はなぜ英語ができないか』のこと)、読
んでみてくれよ。本当にくだらない。(笑)・・・あの本に書いてあるもので判断すると、慶応
でやってるのは、「自己開発セミナー」っぽい訓練だと思う。こんなやつが、例えば文部省かな
んかに発言権を持って、日本の英語教育を決めるようになった日には、おっかねえよ。」

でも、こんなところだけ引用するのはアンフェアかな。文脈がありますので読んでみてください。
著者のホームページも面白い。「英語の良書・愚書」、大手学習塾に乗り込んで抗議する話など。

■そんなこんなで、通訳・翻訳研究の方はなかなかアップできません。



719.外国かぶれ 投稿者:Duffy 投稿日: 8月18日(土)15時48分40秒

根石さんが常日頃おっしゃっていることに通じる記事を見つけました。

一部を抜粋します。
>しかし残念なことに、日本のインテリは(多くの場合)、精神的に弱い。自国をバカにし、外国か
>ぶれになってしまうのを見ればわかります。
...
>外国かぶれで日本をバカにし、現場の意見を聞こうともしません。

全文はリンクをたどって下さい。

http://plaza14.mbn.or.jp/~yacht/nippon12.htm



723.はじめまして 投稿者:Jackie 投稿日: 8月19日(日)22時07分40秒

はじめまして。
どんでんがえし おもしろく拝読いたしました。
元英語・英会話を教えていました。。 大手英会話学校で講師をし そこで あまりにも大人を子供扱いするのに嫌気がさし あと自分で教えはじめましたが力 尽きてやめました。
コンセプトは 
1 初心に戻って基礎からstudy- 思いきって中一英語から
2 日本人が丁寧にコーチ −ガイコクジンに習っても雰囲気だけでできた気分になりがち。
3 英語はリズム  歌と チャントで 楽しくレッスン。 1年後には12曲のレパートリー
4  あなたも MOVIE STAR! 台本をみながら なりきって 英会話 

でした。
生徒は高校生以上から 大人一般でした。はじめは Interchange と教科書を同時にしていましたが 多くの生徒の基礎力不足を感じ いつのまに か 中学教科書を聞いて リピート 理解 音読 シャドー 日から英にする 筆写と 歌と発音 がメインになってました。 あと生徒のニーズに合わせて旅 行英会話。
 
音読 音作り 地道ですよね。 何人かの生徒は 退屈におもったのか それともこの練習法なら 私でも独学でできると思ったか、 やっぱりネイティブに  習わないとうまくならないと おもったのか やめていきました。
「絶対音読」などうりだされていますが 独学でこれをやるのは至難のわざだとおもいます。
英語はトレーニングで適切なコーチが必要におもいます。

 日本人が教えるとなるとがっかりされて 入会しない人もおおかったですね。
体験レッスンで中学の教科書をリスニング シャドー そして 日本語から英語へとの変換をしてもらうのですが 中学2年のそれをできる人はほとんどいませ んでした。
大学生でもです。 そこで 基礎の必要性を実感してもらうのですがやはり 外人に習いたいひとが多いですね。  
まあ 往々にして 私の実力不足もありますが。

少数ながらも続けた生徒は 結果をだしてくれたので それを喜びに 終わりとしました。うれしいことに 彼らは90分からときには 2時間にのびちゃう授 業を あっという間と感じてくれたことでした。
でも なかなか生徒は集まらず もうからないし つかれちゃいました。

根石さん それから 学校の授業で実践されている方 すごいですね。 感服です。

先日知人が 外国人の夫と日本に帰り英会話塾をはじめたところ 2ヶ月もたたないうちに生徒が20人もあつまったそうです。
それをきいて 生徒集めに苦労していたわたしは びっくりしました。
大人もいますが多くが近頃の英語熱からか 子供だそうです。けっこう芋ずるしきに生徒が集まってるらしいです。
ちなみに 幼稚園や小学校へも教えにいっているそうです。
彼は英語を教えた経験もないたんなるガイコクジンなんですが よっぽど 教え方が美味いんでしょうかねえ。

これをきいて わたしはやめて正解だったとおもいました。

親御さんで 英語じゃなくて 英会話が習いたいというかたが 何人かいらっしゃいました。
英語と英会話は同じで その基礎は中学英語の音読と活用ですと説明しましたが 親がめんどうなので 小学生と中学生はおしえませんでした。

こんな私ですがまだ 英語 教育?に熱意がくすぶっています。
掲示板に参加させてください。



724.英語トレーニング・コーチ 投稿者:浜谷 投稿日: 8月19日(日)22時52分48秒

Jackie様

>英語はトレーニングで適切なコーチが必要におもいます。

私も同じ考えを持っています。 私はずーっと語学は喋れるようにならなければ意味がない、と独学で英会話を勉強してきて、その経験を生かして、4年前に英 会話を教えようとしましたが、うまく行きませんでした。始めは初級、中級だけをやっていたのですが、欲を出して、外人に頼んできて貰い上級をやりはじめた のですが、すると中級の人がみんな上級に行ってしまたのです。中級を教えていた私の仕事は無くなってしまいました。ちょうど私が体を壊したのを言い訳代わ りにしてやめましたが、この4月から非営利で「英会話学習相談室」を細々とやりはじめました。しかしそういう名称では人は集まりません。田舎ですが、一応 人が集まり易いところとして、駅近くのビルの一室を借りてやり始めたのですが、これまでずーっと赤字でなけなしのポケットマネーでやり繰りし、最近やっと 会費からチラシ代ぐらいの費用が捻出出来るようになりました。今は「英会話サークル」という名称で、「相談室」としての仕事(主に語彙や構文のインプット をどうするか、といった硬派の相談というか、アドバイスが主な仕事と考えて)をサイド・ビジネス的にやっています。名目程度の相談料をテープの吹き込みな どからとっています。私自身の経験から多読で語彙・構文をインプットするのがいいと考えていますので、今相談室の仕事として考えているのは「伴走読み」 レッスンです。ペーパーバックなど生徒が読みたいと思う読み物を一緒に読んであげ、質疑応答と音声面の指導を電話でやろうと思っています。「素読舎」の電 話でレッスンにヒントを得ました。ご興味がおありでしたらぜひリンクしてある私のHPをご覧ください。よろしくお願い致します。                                 

                                 浜谷俊雄
 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



726.トレーニング・コーチの質 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月20日(月)15時23分02秒

Jackie様 浜谷様

>英語はトレーニングで適切なコーチが必要におもいます。

 そして、ただ単に英語がしゃべれるだけの外人ではトレーニングコーチはできないという認識
が広まらないと駄目です。

Jackie 様

 いらっしゃいませ。ホームページの方は、最近書き換えがありませんが、そちらもお読みいた
だけるとうれしく思います。



732.娑婆に対する義理 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月21日(火)02時00分31秒

浜谷様

>激しく多読をやり、何度も同じ語彙、同じ構文に遭遇しその結果それらをイメージ化(少なくとも日本語でなく英語で)インプットすることは可能だと確信し ています。

 それが可能であることに異論があるのではありません。
 それが可能になるための「前提」があるということを申し上げてきました。
 いわゆる基礎力ですが、基礎力自体をペーパーバックスの多読で養成することは難しいだろうと思います。ですから、浜谷さんの方法は、すでに基礎力を持っ ている人向けのものだと思うのです。
 それに対して、私の方法は、基礎力そのものを養うためのものです。
 この違いが、これまでの意見の食い違いの元にあったものだろうと思います。

>根石さんの電圧装置以下の方法は特に学生に向いていると考えています。それに対し私のペーパーバック多読の方法は社会人に(全部ではないにしてもかなり の割合の人々に、つまり、私のように大学にも行ってないような勉強嫌いの人々に)向いているのではないかと考えています。

 「全部ではないにしてもかなりの割合の人々」は、基礎力を持っていません。浜谷さんは、ご自分が中学・高校の頃に英語がよくできた方であることは、この 掲示板に書かれたことでわかりましたが、それはつまり、高校卒業の時点で基礎ができていたということです。とりわけ、音読をやられたことが、後に「使える 英語」を鍛え上げるために役に立っていると思います。
 「私のように大学にも行ってないような勉強嫌いの人々」とおっしゃいますが、浜谷さんが本当に勉強嫌いであるなら、とうていガイド資格をとれたはずはあ りません。「大学に行ってない」ということと「勉強嫌い」ということとは違います。大学になど行っても、ろくに勉強しない人はたくさんいます。私がそうで した。私は大学にいた間は、まるで英語はやっておりません。文学の本ばかり読んでおりました。文学というのは本当のところ、勉強ではありません。むしろ、 勉強の世界での落ちこぼれが文学には向いています。
 早稲田に行ったと言えば、勉強が好きだったんだろうと言われますが、早稲田に行ったことは「やっつけ仕事」でした。地道な勉強はしていません。なにし ろ、とびきりの学校嫌いですから。
 私の定義では、学校英語で基礎力を作り、社会人になってから「話すための英語」としてそれを鍛えあげた浜谷さんは「勉強好き」な人です。少なくとも、 「英語好き」な人です。
 私はそうではないのです。とりわけ英語が好きだというのではなく、たまたま家庭教師をやり、塾を始め、それで生活を成り立たせることになったので、英語 を続けることは娑婆に対する義理でした。義理でやっていて、徐々に深入りし、ミイラ取りがミイラになったと思っています。

 私の主張は、「音の問題」を未解決のまま文法や点取り英語をやっても、本当の基礎力ができないということに尽きます。
 浜谷さんが、私は基礎力なんか作るつもりはない、基礎力のある人だけを相手にするのだから、とおっしゃるのなら別に異論はないのです。どのレベルの人に とっても、多読によるインプットが有効であるかのように書かれているように思ったので、疑問を呈してきたのでした。



733.三層構造、包装文化、日本語のシンタックス 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月21日(火)03時02分26秒

浜谷様

>ところで「この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。」と仰っていますが、特に「日本の何か」とはどういうことなんでしょう か?

 その後、考えておりました。戸隠神社のお宮の三層構造とデパートの包装の馬鹿丁寧なこととは関係あるのかないのか、と。江戸以後のことなのかなとも思い ますが、丁寧に包むことが日本の文化の一項目になっていると思います。現在でも、デパートで何か買うと丁寧に包むのではないでしょうか。デパートでものを 買わないのでよくは知りませんが・・・。
 すでに薄いビニールで包装されているものを買うと、紙で丁寧に包装してくれ、その上、紙のバッグに入れてくれたりします。これは日本独特のものなのか、 どこかよそでもやっているのか。
 この何重かに包装することの元に、戸隠神社の三層構造みたいなものがあると思います。戸隠神社は三越より先に存在を始めましたから。
 これは西洋流に、あるいは悪く解釈すると、「もったいづけ」となります。または、「資源の無駄」という考えになります。
 しかし、日本人の慎ましやかな性質は、この包装文化に通じていると思っています。そして、その根底にあるものは、日本語のシンタックスだと思っていま す。

 英語の構造は「主張型」です。「誰がどうする」をまず言います。「何を」は後回しです。
 日本語の構造は「受け入れ型」です。「誰が何を」をまず言います。「どうする」は実は英文法における「動詞」ではなく、「関係づけ語」だと思っていま す。
 「誰が何を」をまず言う言語(日本語)では、「誰が」が場を作り、「何を」でその場に対象をすぐに迎え入れてしまうのです。「どうする」は「誰が」と 「何を」の関係づけです。つまり、場における関係づけが最後に来て、文が成立します。
 疑問文を成立させる「か?」、否定文を成立させる「ない」など、論理的には最重要な語が最後の最後に来る言語という点で、日本語は英語や他のヨーロッパ 語ととことん違います。ドイツ語では、否定語は最後に来るようですが、それ以外は基本的にヨーロッパ語と共通しているのではないでしょうか。ヨーロッパ系 の言語では英語しか知らないので、ドイツ語をやった人からの受け売りです。

I eat an apple.

I は意志を持った主体です。eat はその主体の意志的行為です。an apple は意志的行為の対象物です。

私は りんごを 食べる。

「私は」で場を形成します。「りんごを」で場に対象を呼び込みます(迎えいれます)。「食べる」で、「私は」という場と「りんご」という対象の関係を決め ます。

 英語を「意志を言う言語」、日本語を「関係を言う言語」と言うこともできると思います。

 デパートの包装では、紙袋から出し、紙の包装をほどき、ビニール包装を破いて、ようやく「対象」が手でじかに触れるようになります。戸隠神社では、宝光 社、中社、奥社と歩いて、ようやく神のいるところに行きます。それはもしかして、戸隠山そのもので、奥社の建物ではないかもしれませんが・・・。日本語で も、うだらうだらといろいろ言った果てに、「ない」とか「か?」とか言えばようやく最後に文が決定されます。

 ワンピースなんか脱がせるより、十二単を脱がせる方が快楽は大きいように思います。さんざ苦労して十二単を脱がせてみたら、皺だらけのご老体が現れた ら、失望も大いに大きいでしょうが、私は私の私生活のことは言いたくありません。包装文化のことを述べておるのですのですから・・・。

 このあたりのことを「日本の何か」と言ったのではなかったかと思い返しています。



739.回転読み・回転書き 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月22日(水)03時05分35秒

ST 様

>実験の結果です!
  「18語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約6回」
  「12語の文を3分で」「回転読み56回」「回転書き約7回」
  「12語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約7回」
   (ただし5%程度のスペルミスが散見されます。まだまだですね。)
これでわかったことは私の場合、回転書きは回転読みの6分の1程度になるということです。次にはじめて実際にやってみて思ったことを書きます。

   1:始めはゆっくり読んだ方がよい。回転書きするときもそのほうが好都合。
     (始めから早く読んだ文は書き取りに苦労した。発音の崩れなどで)
   2:回転書きをする時も始めはゆっくり書くとよい。
     (字も始めから飛ばして書くと崩れがち)
   3:書いている文の途中でテープが次の文に移ったら、途中でも次のへ移る方がよい。
     (このことは「どんでんがえし」にもあったかも)
   4:回転書きの時その前に書いているものを移してもよいのか、移さないように努力し
     たほうがよいのか?
   5:回転書きの時、声を出してやったほうがよいのか?
   6:「どんでんがえし」にもあったと思うが、機械的作業にならないように注意する!
     (例えば。。。'Stop making a fuss. It really gets on my nerves,' she shouted.
      という文でreallyをrarelyと間違えたままで3回も書いてしまっていた!)
   以上、報告でした。

 報告ありがとうございました。「回転書き」の回数が「回転読み」の回数の6分の1程度になるということは初めて知りました。読みの回数より書きの回数の 方がはるかに少ないということは知っておりましたが、そんなに少ないのかと思いました。

 4.についてですが、「移す」というのは、「書き写す」という意味だと読みました。
 これは、「なるべく書き写さない」のがいいです。書くときは、「なるべくボールペンの先だけ見ている」のが正しい「回転書き」です。ボールペンの先だけ 見ていても、単語全体は見えるものです。すでに書いた単語を見ないようにするのがポイントになります。簡単に言えば、自分の手から生まれてくる単語ひとつ だけを見ているのがいいです。

 2.の「回転書き」で初めはゆっくり書く段階では、すでに書いたものを見てもしょうがないですが、その前に「電圧装置」で手首を単語に馴らしておくな ら、「回転書き」を始めても、いきなりボールペンの先だけ見てやる練習が可能です。

 5.については、内部音声だけ響かせるのがいいと思います。「音づくり(回転読み)」でしっかりと立体的に音が作れていれば、「回転書き」に入ったら内 部音声を強めるといいでしょう。これによって、ペーパーバックスの黙読などで、内部音声を速めに使う準備ができます。

 以上のこと以外は、すべて問題ありません。どんどんやって下さい。

 ところで、タスマニア島からそろそろ帰ってきたのではないでしょうか。音沙汰がないので、無事なのかどうか心配し始めています。
 元気でしたらご登場下さい。



749.ラジオ英会話 投稿者:Jackie 投稿日: 8月23日(木)10時52分46秒

ラジオ英会話について どうおもわれますか?
わたしは 毎日聞こうとおもいつつ 3日坊主をくりかえしています。
入門などは とっつきやすい。 日常語がおおいですね。欧米人とのコミュニケーションを 想定している。 日本にいても ガイコクジンの友人がいないかぎ り 使わないなあ。アメリカで 生活していく上ではこの上なく便利だとおもいますが日本にいる限りは、、、
それに コミュニケーションの仕方が 欧米っぽくなるのに 抵抗を覚える今日この頃です。
ちなみに昔は 外人ミーハーでした。

と ひたすら 教科書音読,頭だし理解、 筆写しています。 中学レベルを復習するだけで、 実際の読むスピードが 速くなったと確信しています。 



750.ラジオ英会話講座を考える。 投稿者:浜谷 投稿日: 8月23日(木)19時21分11秒

Jackie様

>ラジオ英会話について どうおもわれますか?
わたしは 毎日聞こうとおもいつつ 3日坊主をくりかえしています。

ご自分で分析されている通りだと思います。私も英会話を習い始めた時同じ状態でした。ネイティブの講師の喋りは役に立つと思います。だから、録音しておい て、その部分だけを聴くとかした方が効率的ではないでしょうか? そうすれば「コミュニケーションの仕方が 欧米っぽくなるのに抵抗を覚え・・・」なくて も済むのではないでしょうか? そのような部分は「こういう言い方もあるんだなあ」ぐらいに聴きとめて、ヒヤリングの参考にするぐらいの気持ちの方がいい のではないでしょうか? 要するに英語(英会話)についてはいろんな人や機関(ラジオ、TV講座、英会話学校)やハウトゥ本、HPなどでこの学習の仕方を 説いていますが、それらの一部を鵜呑みにするのではなく、それらのいいところを取り入れて、自分が納得する学習の方法を各自が考え出して、その方法に沿っ て学習することが大切だと考えています。私はそのようにして、独自の方法(多読でインプットを中心に据える)を考え出して一応の結果を出すことが出来たと 思っています。(3年がかりで・・ちょっと長すぎるかな?・・ガイドの試験に合格出来ました。)リンクしてある私のHPをご一覧ください。 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



754.「通じる音」は下位概念ではありません 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月25日(土)05時20分19秒

Eliot 様

>私が「完璧な発音」ということばで指しているものは、根石様がいわれる「その時
点でのベストな音」と同じものです。

 わかりました。
 私が nervous だったのだと思います。
 私はとにかく小学校の頃から、学校や教壇とは相性が悪く、とにかく学校に行きたくなくて、家を出て、一時間も二時間も家の近くの川で魚を獲っていて、母 親に「学校へいけえっ」って、石を投げられたものです。小学校の頃は、特に自覚的に勉強に反抗的であったわけではありませんが、中学、高校では、自覚的に 勉強を馬鹿にしておりました。中学の成績は中の上。高校の成績は下の上、大学では下の下です。
 高校三年のとき、ちょっと思うことがあり、周りを見回して、これらの勉強家たちとちょっと張り合ってみようかと思いました。どこも受けずに浪人したら、 英語がおもしろくなり、おもしろいのでがんがんやって、早稲田に受かってしまいました。国語だけは勉強しなくても点がとれたので、英語ひとつをなんとかす れば受かったのです。
 ですから、根は学校嫌いです。勉強自体は、自分のペースで面白いことをやれるだけやっているのなら好きです。私は中学・高校の期間には本当の意味では英 語に出会っていません。出会ったのは、大学受験の一年でだったと思っています。だから、私は英語に関しては学校のおかげをこうむったという覚えがまるであ りません。

 そういう私の勉強の生い立ちというものが、Eliot さんの「完璧」という言葉に反応したのだろうと思います。教育的物言いに対して、わりと激しく反応するのです。

>指導者は、学習者が通常規範とするアメリカ英語やイギリス英語の話者が「アジア・
アフリカを蹂躙した大英帝国が発した音であり、世界の警察・アメリカ国家が発する音
でもある」発音をしているということは、とりあえずおいといて、学習者が音に集中し
て、激しく音作りに精を出すよう指導すべきだと思います。

 これも、そう思います。「とりあえずおいといて」ということが語学に踏みとどまることですから、賛成です。しかし、語学をやって、ガイジンと話している と、どうしても「アジア・アフリカを蹂躙したものども」、「世界の警察」の感覚に出会いますね。そうじゃない謙虚なガイジンもいますが・・・。
 Eliot さんの生徒さんたちも、将来、これらに出会うことは大いにありうると思います。出会ってから先は、要するに思想のぶつかりあいの問題ですから、「ひとまず は」語学教師、あるいは語学屋の出る幕ではないのかもしれませんが、私としては自分の旗色をはっきりさせておくことをためらわない方針です。




755.「完璧な音」「通じる音」 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月25日(土)05時26分13秒

>「通じる音であればよい」というのはあくまで結果としてであり、この姿勢を音作り
の練習過程にストレートに持ちこむのには疑問を感じます。何語であれ、ネイティブス
ピーカーは育って行く中で自分の周りに聞こえる音をほぼ「完璧に」身に付けるからこ
そ、お国訛りも備えた「通じる音」を習得するのではありませんか。

 「あくまで結果として」ということ、納得しました。
 しかし、ここには難問が潜んでいるように思えてなりません。
 ネイティヴスピーカーが自分の周りに聞こえる音を「完璧に」身につけることができるのは、やはり言語の磁場のせいだと思うのです。音声学的に抽出した音 素とそれに対応した口の動きの練習によって音を「完璧」に身につけるのではありません。ネイティヴ言語習得過程で最初に出会う言語の音が、すでに genuine な「感情込み」のものです。音素の組み合わせやその抑揚が、いつも言語の磁場での感情の生起から(生起と同時に)生じてきます。感情の生起、利害関係での 主張など、生なものがいつもあり、それら感情や利害関係が、規範として内在化されている言語の体系に同致して発語があります。あるいは、その規範の内在化 を絶えず促しているのも、生な感情や利害関係だと思います。これがネイティヴな言語です。ネイティヴスピーカーが「完璧」に音を身につけるのは、音声学的 な「音」というよりは、感情と一体化した声の調子から析出される音によるものであり、のっぴきならぬ、あるいは、切実な関係における発語の調子によるもの です。「音」は「声の調子」によって媒介されたり、「声の調子」から析出されているだけです。人が本当に聞いているのは、音というよりは「声の調子」であ り、この経験の積み重ねが、そのネイティヴ言語の音に即応する感覚の層を作るのだと思います。
 ある言語から音声学的に音素を取り出すことができますが、それはネイティヴの言語スキルには大して意味のあることではなく、ネイティヴはただ身体的に音 素を自然化し駆使するだけです。
 この点で、まったく別のベクトルを持つものが語学の言語です。こちらは根っから、artificial な性質の言語です。
 語学では、「音」から入り、次に感情がそれに同致するという順序はおかしなことではありません。これは、まず感情や主張や利害があり、それが声の調子と なるネイティヴ言語に対してまったく逆立ちしています。
 つまり、語学はネイティヴ言語に対して逆立ちしているのです。感情と音の間に成立するベクトルが逆です。このことに、これまでの語学論はほとんど言及し ていないと思っています。私が無知なだけなのかもしれませんが・・・。
 いずれにせよ、ネイティヴスピーカーの「音」の修得過程は、語学にはまったく適応不可能です。
 私は日本語での「完璧な発音」を親からも兄弟からも求められたことがありません。社会的にも求められたことがありません。私たちにとって、日本語が語学 ではないからです。通じさえすれば、親を怒らせることも、親からどなられることもできたからです。「っせえ」という生活の発語が、「うるさい」という語学 テキスト的発語に劣るとは私にはとうてい考えられません。「せぇ」だけでも通じます。これは、「音」ではなく、「声」であり、同時に調子であり、勢いだか ら通じるのであり、おそらく、「せっ」だけでも通じます。



756.「完璧な音」「通じる音」(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月25日(土)05時27分39秒

 「通じる音」は実在です。これに対して「完璧な音」は理念であり、あるいは階級的なプライドに結びついた生活言語の語学化です。アメリカでもイギリスで も、上流階級は、「完璧な音」という理念を信じているだろうと思います。だから、子供に正しい英語を教えようとすると思います。それが成功すれば、生活言 語の語学化に成功してしまいますから、時に人と人をへだてます。
 私は語学の「着地点」は、「通じる音」でいいということを言いたかったのであり、基準はこちらにあると思っています。基準ということで言うなら、「完璧 な発音」が基準だとは思えないということです。「完璧な発音」が基準たりうるとすれば、あくまでも語学の中だけです。言葉を使うという場面でではありませ ん。
 もちろん、Eliot さんは教室での指導の課程だけを問題にされているのですから、「完璧な発音」ということでいいのです。私は、その「音」がどこへどう出ていきどう揉まれる のか、つまり、語学の外側が気になるのです。私も、語学の内側にいるときは、(「完璧な発音」とは言いませんが)、「今の時点でのベストの音」を作れとは 言っています。音をおろそかにしているわけではありません。私はあくまで語学の外側が気になるだけです。英語というのは、とりわけ語学の外側が気になる言 語だということはわかっていただけると思います。
 テキストを読ませるとすごく発音がうまい(「完璧」かどうかはともかく)のに、人を相手に話せない人は大勢います。これは私に言わせれば、「通じる音」 に至っていないということです。つまり、私の言う意味での、「音とイメージの同致」が自分の中でまだ信じられていない人です。まだ語学内部にいて、「ず れ」を「同致」に持ち込めないでいるわけです。
 ですから、「完璧な音」や「じょうずな発音」は、私にとっては、「通じる音」以前のものです。「通じる音」が「完璧な音」の下位概念では決してありませ ん。
 「完璧」と言うと、その先はないように思えますが、実はその先にあるのが「通じる音」だと思っています。そうでなければ、語学の言語は語学の外へ出るこ とができなくなってしまいます。

 まだお答えすべき問題が残っていますが、今日はここまでとして、また後日書かせていただきます。



757.転載 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月25日(土)15時35分48秒

悪名高き2チャンネルの受験生向け掲示板に書いたものを以下に転載します。
アドレスは以下の通りです。
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kouri&key=998021877&ls=50

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527様

   基本的に賛成です。
   しかし、英語で読書するレベルには、必ずその下地(基礎)があります。
   ここで議論されているのは、その下地をどう作るかだと思います。
   私は解析は本当は教えることができないと思っています。ある人がある参考書を使
   って力をつけるのは、参考書の良し悪し以上に、それを使う人の食らいつき方であ
   り、使い方です。先日問題になっていた、例の英文が言う通りだと思います。
   No one can tell another person in any definite way how he should
   think.

   日本語は媒介にしていい。しかし、最後は脱ぎ捨てなければいけない。
   (単語レベルで媒介にし、イメージを作れ。文を読むときは、イメージを動かせ。
    日本語を動かすな)

   文法は媒介にすべきだ。しかし、最後はセンスだけが動き、文法用語は不要になら
   なければいけない。

   意味の固まり(節、句)は自力で決定できなければ意味がない。

   以上をすべて解決するために私は「回転」という方法を提示しています。
   この「回転」は、同時に「音づくり」の方法にもなります。
   この場合でも、本人のイマジネーションの力は必須ですが・・・。



768.サラリーマン太郎様 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月26日(日)02時40分55秒

 お考えを書いていただき感謝します。
 ただいま、2チャンネルが壊滅状態ですので、不完全な形でコピーしておいたものを元に書きますがお許し下さい。2チャンネル復旧するでしょうかねえ。あ れだけのデータが灰燼に帰するとしたら、大きな損失です。なんとかこちらにおいでになることができればいいが、と思っていますが、2チャンネルが潰れてし まっていれば、リンクのたどりようもありませんね。そちらの手元にここのURLがコピーしてあれば幸いですが・・・。

>内容>日本語>英語、の速度が非常に速くなった状態を比喩的に述べたものに
すぎない。と考えています。

 この「内容>日本語>英語」ということは、順番を「→」で書けば、「英語→日本語→内容」ということでよろしいでしょうか。英語を読む場合について、私 が「日本語を介在させるな」と言っていることが、「英語→日本語→内容」という過程が高速化したものだろうというご意見と思います。
 自分の読み方を振り返ってみて、やはり、日本語は介在していないと思います。非常にわかりにくい英文を読んでいるとき、瞬間的に日本語を介在させること はありますが、日本語が介在しない読み方は成立します。ここで、私が「日本語」と言っているのは、具体的な日本語の単語のことです。具体的な英単語を見 て、具体的な日本語の単語を意識に浮かべることです。それをやるなと言ったわけです。
 英文を読むのに上達した人においては、英語→イメージ(センス)→内容(意味)ということが成り立ちます。この場合の「イメージ(センス)」の土壌が日 本語であるなら、イメージやセンスも日本語だというご意見なのかもしれないとも思いました。
 この点に関しては、イメージはあくまでもイメージであり、日本語でも英語でもないという考えです。たとえ日本語を土壌として育ったイメージでも、いった んイメージとして独在し始めれば、それはあくまでもイメージであり、すでに日本語ではありません。日本語からへその緒が切れたものだと思います。
 日本語からへその緒が切れて、イメージとして独在し始めたものは、日本語と英語との間を自由に往来します。日本語と英語という二つの項の他に、第三の項 があり、それがイメージです。これこそが、英文を読む場合に動いているものです。英文を読む場合には、英文とイメージとの間の高速化された往来がありま す。日本語(の具体的な単語等)は動きません。

 私が「イメージ」という語で言っているものは、「思考」「概念」「イデア」「語感」とも言える場合がありますが、すでに具体的な日本語の単語ではないと いうことが眼目です。




769.サラリーマン太郎様(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月26日(日)02時41分34秒

>言語は文化そのものであり、思考の根本です。思考が言語(母国語)なのか、言語が思考なのかという程密接な関係にあるわけです。

 これを読んで非常にうれしく思いました。英語=道具論という俗流言語観がはびこっている中で、こういうまともな考えに出会えるのは非常に稀なことです。 考えが一瞬先にあって言葉になったり、言葉が動き出して考えが先に進んだりというように、言語と思考はくんずほぐれつ、あるいは二人三脚をやっています。
 日本語を読んでいるときのことを考えてみて下さい。日本語を読んでいる時、私たちはそのいちいちの単語や語句を別の具体的な単語や語句に置き換えたりは していないと思います。単語や語句からイメージ、考えそのもの、感覚などを動かしているはずです。つまり、実際に意識に動くものは、すでに言語ではなく、 考えやイメージや概念です。
 英語を読むときも同じことです。

>例えば、いかに自分で英語で思考していると考えても I=私、You=あなたと
いう日本文化内部での理解ではこれは日本語で考えてるに他ならないんじゃない
でしょうか?

 読書をするのは翻訳をすることとは違いますから、I を「私」「俺」「あたし」 you を「あなた」「君」「お前」などと置き換えることはありません。I を読んだときは I という英単語のイメージ(概念)が動くだけであり、「私」「俺」「あたし」などはまるで動きません。
 最初は日本語から得たイメージを独在させ、英単語に充電して以後は、英単語を見ればイメージ(概念、イデア、語感)だけが浮かぶようになります。初めは 日本語の土壌から得たイメージであっても、イメージが独在して以後、何度もいろいろな文脈で、同じ単語に出会っていると、英単語そのもののイメージ(概 念、イデア、語感)が育ちます。つまり、日本語という土壌から得られたイメージは変容し、英単語の核となるイメージになります。これが動いて、日本語が介 在しない読みが成立するのです。

>つまり母国語の概念の中で理解してる限りそれは日本語を介してるでしょという事です。

 母国語の概念であったものを、英単語そのものが持つ概念に変容させる過程があるわけです。近代の毒を吸った頭脳派の人々に嫌われる言い方ですが、あえて 言いますと、イメージは霊的なものです。それこそ比喩的にいうならば、この霊が化学変化を起こし、英単語の核のイメージに変わることはあります。それは本 物の核なのかという疑問はあくまでありえますが、英語をネイティヴ言語として育った人が持つ核に対しては亜種であり、変異種であるが、それでも英単語の核 のイメージであることには変わりがないという考えです。亜種であり、変異種であるというところが、日本の英語というアイデンティティです。
 以上の考え方でおわかりのように、私は霊というものは生きている人間の意識に動くものであると考えています。死後から来るものだとは思っていません。
 英語をやって、一種の言霊思想に至ったと言ってもいいかもしれません。

>英語で考える、日本語を介さずにというのはあくまで比喩、種と仕掛けは「高速での翻訳」というのが私の意見であり自分自身の経験からの理解です。

 繰り返しになりますが、英語で考えるというのは、読書という場に限れば、まさに文字通り「英語で考える」ということは成立します。これは、書物というも のが、一つの世界(磁場)を形成しているためだと思います。
 一方、普段日本語で暮らしている人にとっては(私もそうです)、「話す・聞く」はどうしてもぎくしゃくします。これは、英語の話し言葉が形成する磁場が 日本にはないためです。当然の現象だと考えています。



776.2ちゃんでの続き 投稿者:英語太郎 投稿日: 8月26日(日)13時53分23秒

丁寧なお返事をありがとうございます。
なにしろ、現場で教えている方のご意見ですから、それだけですでに、
他人の学習過程をみる事の無い私には、説得力の点で圧倒され気味ですが・・・。

もう少し具体的に考えてみました。
日本語を母国語としつつ英語で考えられる人、例えばジョン万次郎なんかは
恐らく英語で直接考えてたんだと思います。これに類する人というと帰国子女
の一部の様などっちが母国語かわかんない人達ですよね。

あとは松本道弘だとか、私なんかに言わせれば
ちょっとあちらへ行っちゃってる感じの人々も、あるいは
英語で直接考えてるのかな〜という感じがあります(但しこの辺から私の中では疑問符
が付き始めるのですが)。

私の感覚ではネイティブの12〜13歳ぐらいの子供達に匹敵する程度の時間英語に暴露され+それを大人としての経験と知識で補った人達が直接英語で考えら れる人達なのかな?などと思いますが、どうでしょう?いずれにしても日本で普通に英語を学んでる感覚からすると想像を絶する量です。少なくとも受験生や ら、それを終えた大学生レベルの人達が直読直解をやってるからといって英語で考えてるといわれてもな〜というのがまず一歩です(この辺は根石さんも同じだ と思いますが・・・。)

その先の言語とイメージや言霊論についての議論は勉強不足ゆえ、まだまだ私の手に余ります。
推測だらけの粗雑な議論になりそうで、とても現場での経験をふまえた根石さんとやりあえそうにはありません。ただこの辺(言語認知)についての有効な論文 なり実験なり、あったら根石さん、あるいはこのBBSでご存知の方ご教示いただきたいところです。

後は思いつきの感想を少し

「読書と磁場」については、なるほどなと大変参考になりました。

「私」と「I]については日本語の、私達と私の中間にあるような、時には何も指さないような微妙な使われ方をする「私」とまさに私個人としての私 commitmentという言葉も一緒に連想させるような西洋的「I」との違いという意味です。

長文で場所をとりました。2ちゃんすれがどんどん育つとよいですね。



777.ちょっと続き 投稿者:英語太郎 投稿日: 8月26日(日)14時22分11秒

ちょっと続き。
私の考える日本人の英語の理想について書いてみます。
英米人とまちがわれるほど流暢なのは非常に困難なだけでなく
不利だと考えます。
むしろこいつはセカンド・ラングエッジとしての英語を今喋ってるんだな
という事をどこかで常に相手(ネイティブ)に意識させる、つまり別の文化を背負ってるん
だなという圧迫をあたえられる英語という事が戦略としても必要かと思っています。
具体的にはどうなんだ、といわれればとりあえず「ゆっくり喋る」「文法的にできるだけ正確に喋る」ぐらいしか今は浮かびません。私の現在の英語力は以上の 点だけでみても「落第」ですが
頑張ってお勉強を続けたいと思います(笑)。

778.英語で考える=(種と仕掛け)高速での翻訳。 投稿者:浜谷 投稿日: 8月26日(日)19時11分22秒

英語太郎様、始めまして。根石さん、今晩は!

太郎様>英語で考える、日本語を介さずにというのはあくまで比喩、種と仕掛けは「高速での翻訳」というのが私の意見であり自分自身の経験からの理解 です。

根石さん> 繰り返しになりますが、英語で考えるというのは、読書という場に限れば、まさに文字通り「英語で考える」ということは成立します。これは、書 物というものが、一つの世界(磁場)を形成しているためだと思います。
 一方、普段日本語で暮らしている人にとっては(私もそうです)、「話す・聞く」はどうしてもぎくしゃくします。これは、英語の話し言葉が形成する磁場が 日本にはないためです。当然の現象だと考えています。

このお二人の議論は大変納得させて頂くものがあります。根石さんはよくご存知のように私は多読で英会話に必要な語彙・構文のインプットをすることを現在英 会話学習中の方たちにお奨めしていますが、ガイドの試験に合格した私も聞くほうはともかく、しゃべるほうは「高速で翻訳」している感覚は否めないと感じて います。勿論よくインプットされた簡単な語彙・構文は英語で考えてというか、思いついているんだと考えています。故にこの場合はどうしてもぎくしゃくしま す。これは根石さんの仰る「英語の話し言葉が形成する磁場が日本にはないため」だと考えています。

太郎様>英米人とまちがわれるほど流暢なのは非常に困難なだけでなく不利だと考えます。
むしろこいつはセカンド・ラングエッジとしての英語を今喋ってるんだな
という事をどこかで常に相手(ネイティブ)に意識させる、つまり別の文化を背負ってるん
だなという圧迫をあたえられる英語という事が戦略としても必要かと思っています

日本人が英語を喋る場合の態度として、また、戦略として重要なことだと思います。この点については根石さんが常に仰っていることですね。こういう風に具体 的に、戦略という言葉までは使われていませんが・・・。 私もそういう風に考えてやってみたいのですが、もともと喋れればいい、という調子でやってますの で残念ながら地のままでそういう風になっています。

英語太郎様、私は下にリンクを入れていますが、「英会話学習法フォーラム」という大そうな名称を勝手につけてHPを開いています。お暇な折にご一覧くださ い。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



783.manyの区切り 投稿者:パクパク 投稿日: 8月28日(火)17時30分55秒

質問があります。

英語の音作りにはないようなので、わかる方がいれば
教えてください。

manyは、
    1. man,y
    2. ma,ny

のように区切られますが、英語の辞書では、1のタイプ。
日本人の読み方としては、2のタイプ。
英米人からすれば、1の区切りと2の区切りでは、読み方(発音の仕方)が
異なるのでしょうか?



784.言語的小風土 投稿者:Eliot 投稿日: 8月28日(火)23時24分03秒

根石様

>繰り返しになりますが、英語で考えるというのは、読書という場に限れば、まさに文字通り「英語で考える」ということは成立します。これは、書物と いうものが、一つの世界(磁場)を形成しているためだと思います。

ある本で次の一節を見つけました。

「わたしが外国語学習においてこうも読書を重視するのは、≪言語的小風土≫を造り出すのに、これが最も効果的までは言えないものの、最も手軽で簡単な方法 だからです。≪言語的小風土≫(microclimate)という表現は、専門書類の中でも出会ったことのない用語ではありますが、その意味するところは 極めて明白であり、わたしの造語ではないと確信します。わたしたちが現在住んでいる国の言語を指す≪大風土≫(macroclimate)からの類推でわ たしが≪小風土≫というのは、わたしたちを直接取りまく言語環境のことで、これはわたしたち自身である程度創り出すことのできるものです。その昔、公爵た ちの城やハンガリーの商家の子供部屋には≪フロイライン≫や≪マドモアゼル≫たちによって彼女らに託された子供たちのために、このような言語的小世界が作 り出されたものです。さて、このような小世界を作り出すのにわたしたちの配下にあるのは、このわたしたちというのは現代の平均的学習者のことですが、はる かに民主的な手段だけです。すなわち、本と人。(ロンブ・カトー著、米原万里訳「わたしの外国語学習法」ちくま学芸文庫)

ちなみに私も英語の本を読んでいるときに「英語⇒理解」の過程に通常日本語は介在しません。もし私が英語を黙読する速度で英語から日本語への「高速の翻 訳」ができれば、それこそ同時通訳者並みの離れ業でしょう。

翻訳できないから英語のまま読むのです。




785.「通じる音」vs「完璧な音」 投稿者:Eliot 投稿日: 8月29日(水)00時30分06秒

根石様

大変示唆に富んだお返事をいただき、ありがとうございます。ご意見を読んで以来色々と考えています。特に、母語における感情込みの音の習得と語学での音作 りのベクトルが逆向きだというご指摘は非常に重要だと思います。近いうちに私が考えたことをまとめてから書き込みをさせていただきます。





786.高校1年生用模試の発音問題 投稿者:Eliot 投稿日: 8月29日(水)01時55分48秒

最近あった高校1年生の全国規模の模試の発音・アクセント問題です。

A 次の文中の1〜3の三つの下線部と発音が同じものを、それぞれ下のア〜エのうちから一つずつ選び、記号で答えよ。

The weather report says that it will be cloudy tomorrow.
     1       2           3

 1.ア smooth イ thirsty ウ through エ worth
 2.ア bike イ dead ウ great エ mail
 3.ア allow イ country ウ daughter エ road

B 次の1〜3の各組で、最も強いアクセント(第1強勢)のある位置が他の三つと異なるものを、それぞれ下のア〜エのうちから一つずつ選び、記号で答えよ。

1 ア bas-ket  イ cof-fee ウ home-work エ suc-cess
2 ア bet-ween  イ for-ward ウ po-lice  エ sur-prise
3.ア av-er-age イ i-de-a  ウ mu-se-um  エ po-ta-to

先日私の勤務校の中学3年生がこのテストを受けました。発音・アクセント問題の配点は6点で、私の生徒たちのこの問題の平均得点率は82%でした。この模 試の受験者は全国の高校1年生で、約42万人もおり、その出来不出来を観察すると「日本人の高校1年生の英語力の実態」を垣間見ることができます。(42 万人の中に少なくとも数千人以上の中高一貫校の中学3年生も混じっていますが)

受験者が正しく発音できるかどうかをペーパーテストで測ることはできませんが、逆に「正しく発音できない人」であるかどうかはわかります。この問題の全国 平均の得点率は40%でした。四択の問題ですから、あてずっぽうでも25%の確率で正解に当たります。出題されている単語は基本的なものばかりであるとい うことから考えても、40%という成績は極めて悪いと言えると思います。すなわち、高校1年生はこれくらいの単語も正しく発音できない人たちばかりだとい うことがわかります。

情けないのが、いわゆる進学校の実態です。この模試の全国平均点はかろうじて30点を上回る程度なのですが、受験校の中には平均点が60点だの70点だの というすごい学校もあります。そういうところの生徒たちの得点源は「語法・文法」問題と、いわゆる「長文」問題です。しかし、そんな生徒たちの、この発 音・アクセント問題のできはほとんど6割以下なのです。例えば、ある県の一番の進学校の生徒たちは、語法・文法問題の正答率が80%近くなのに、発音・ア クセント問題は40数%しかできないのです。

私の生徒たちは、英語の体力作りとして、過去2年間に音作り、暗唱、和文英訳を中心に勉強してきましたので、語法・文法と長文問題の点は高くありませんで した。これは当然のことであり、今までに身に付けたことを基礎にして、これから多読へと進んで行くのですから、今の時点で心配することはないと思っていま す。しかし、成績優秀校の高校1年生がこれから英語の音作りに向かうことはほぼありえないことですから、英語の音を無視した彼らの英語学習もどきはこれか らもそのまま続いていくはずです。その行き着く先は「使い物にならない英語」ですね。

この模試の受験校は二千校以上。しかし、発音・アクセント問題の正解率が70%を上回る学校は数えるほどしかなく、80%を超える学校はわずか2校で、勤 務校の中3生徒の正解率82%は全受験校中、上から2番のできでした。





787.Re: manyの区切り 投稿者:Eliot 投稿日: 8月29日(水)02時42分54秒

英語人がmanyをma/nyと区切ることはありません。英語では[e]という母音は音節末に来ることができず、必ず後ろに子音を伴なわねばなりませんか ら、[me]+[ni]のようには切れません。このことはhappyなどでも同様で、音節の区切りはhap/pyです。[ae](aとeをくっ付けて読ん でください)は後ろに子音を伴なって使われるので、ha/ppyという切り方は不可です。もし、ha/ppyと切れば、最初の音節はhaになりますね。し かし、haは[hI±:]ですよね。だから、ha/ppyと区切ると、このhappy は[hI±:pi]と発音される単語だよ、と主張することになります。

Manyをma/nyと切ると、ma+nyとなりますが、maというつづりは[mI±:]と発音されますから、これも具合が悪いですよね。

では一つ問題を。次の単語の音節の区切りはどうなるでしょうか。答えは辞書で確認して下さい。
 1.gather 2. father

さらにもう一つ問題です。
 英語ではsakeやkarateやkaraokeのようなeで終わる日本語からの借用語が本来の母音の「え」ではなくて[i:]で発音されて、サー キー、カラーティー、キャリオウキー(またはカロウキー)のようになります。なぜでしょうか。



788.ありがとうございました。 投稿者:パクパク 投稿日: 8月29日(水)09時11分43秒

Eliotさん

 manyの件、よくわかりました。
 英語の辞書の区切りかたはわからなかったのですが、
 読みに影響を与えるようです。

 ついでに、質問をあまえさせてします。
 ンです。
  Q1 singer,finger
   どちらも、語尾が ガァ に聞こえます。singerの場合、明瞭にngの場合でも、gの音が
   つぎが、母音ですと生まれてくるようです。(発音記号上はgは無い)
   このng+母音の発音はどのようなことを心がければいいのでしょうか?

  Q2 nの発音の仕方はよくわかりますが、ngの発音の仕方は、指導書によって
  ばらばらです。ある書は、鼻音といっています。しかし、別の書では、ngは
  息は、鼻から出さず、口からですと明瞭に書いています。
  どちらが、正しいのでしょうか?

 Q3 日本語のンは、英語のnとngとで違う音だとも言われていますが、
    明瞭に定義されていないようにおもいます。
   tenを、テンとカタカナ発音する場合のンは、英語のnでもngでも
   ないと言う書物もあります。


   要は、日本人の学習者は、ン、n、ngの3者間で多いに混同して
   いるとおもいますが、この解決策というのはあるのでしょうか?




793.Re: n/ng 投稿者:Eliot 投稿日: 8月30日(木)14時09分16秒

パクパク様

([I・]をngの音を表す発音記号の代用とします)

質問1について
日本語で「シンガー」と言うときの「ガ」の子音は[g]ですが、英語のsingerを[siI・g]+ erと発音するのは一般的ではありません。普通は[siI・]+erと発音します。[I・]+母音は日本語でも一部の話者に使われていますが、若者の間で は急速に消滅していっているようです。以前は、共通語の基となった、東京方言では、ガ行の発音が、語頭では[g]となり、その他のところでは[I・]とな るのが普通でした。ただし、助詞の「が」は[I・]を使い、数字とカタカナ語ではすべて[g]を用いました。

パクパクさんは「十五」と「銃後」を同じに発音しますか。それとも「ご」の部分、もっと正確に言えば、「ご」の子音に異なる音を使いますか。NHKのアナ ウンサーの多くは「十五」を「じゅうgお」、「銃後」を「じゅうI・お」と発音し分けています。

長野県出身の根石さんも発音し分けられるのではないでしょうか。

このような[I・]+母音で発音されるがぎぐげごのことを「鼻濁音」といい、アナウンサーは鼻濁音をきちんと発音するよう訓練を受けます。しかし、最近の 若いアナウンサーは普段の生活では鼻濁音なしの日本語を話す人が多いため、ニュースを読んでいても鼻濁音の使い方が下手な人が多くなっているようです。中 にはまったく鼻濁音を使わないアナウンサーも出てきています

鼻濁音を使わない日本語話者も[I・]は使います。「ん」の後にカ行かガ行が続くときの「ん」は [I・]です。「参加、音楽、インク、ギャング」などでは私達は皆[I・]を使っています。ただ、鼻濁音を使わない人は[I・]+母音の連続は不得意かも しれません。こつは、[I・]は破裂音ではなく、鼻音ですから[g]の破裂を伴なわないソフトな発音を目指すことです。

ルール
@〜ngで終わる動詞に母音で始まる接尾辞(er,ingなど)が付いても[g]の音は出しません。
 singer/singingなど
A〜ngで終わる形容詞に比較級と最上級のer/estが付いたら[I・]のあとに原形にはなかった[g]の音が生じます。 
 young/younger/youngestなど
B〜ngerで終わる名詞(=erを取った形では意味をなさない語)は[I・g]です。
 finger (fingの派生語ではない)
 anger (angの派生語ではない)

質問2について
[I・]は[n][m]と同様、鼻音ですから、口から「息」が出るはずがありません。口を閉じて[m]を発音しながら息を口から出すことができましょう か。それと同じことです。

質問3について
「ん」の発音には4種類あるということとそのことが日本人の英語の発音にどんな影響を与えるかということについては以前にこの掲示板に詳しい書き込みをし たことがあります。根石さんのサイトで「大風呂敷の過去の記事」の300番以降が見られるようになりましたら、探してお読みください。



794.かさねがさね、有り難うございます。 投稿者:パクパク 投稿日: 8月31日(金)09時25分36秒

この世に、正論をとうして、住むことは
たいへん難しいことです。
教育の現場ばかりではないとおもいます。
天動説のなかで、ひとり、地動説を主張する
ようなものです。
t、d、l、n、w、r、y、th、ngを
正確な知見をもとに発音をすれば、
1年、2年もかかるのではなく、
これらの単独子音の音だしは瞬時に解決する問題とおもっています。
上記子音の単独音と、組み合わせのマトリックス音(例、tn、nt、dlなど)と
マトリックス音のなかにあいまい母音が混入した場合のトリオ音(例、wel,withなど)を
自在に発音できれば、ものごとの進展、
英語の音づくりが現実のものとなるとおもっています。



800.英語語学論のHPを読んで 投稿者:ST 投稿日: 8月31日(金)18時07分08秒

*英語ネイティヴを本家本元とする意識から抜けないと日本の英語は作れない。

この根石先生のお言葉、正しいようで正しくないような気もするのです。
国際語となった英語に本家本元という言葉は当然似合いません。日本の英語をつくることはとても大切なことですし、必要なことだと思います。しかし、同時 に、根石先生も書かれていたように出来るだけ一発で相手の言っている事を理解するためにはネイティブの英語にあわせていく部分も必要なのではないでしょう か?以前の浜谷先生とのご議論はこの辺りだったのでしょうか?エリオット先生もおっしゃっているように小説を読む時はだたイメージが動いていて翻訳という 高度な作業は入る余地がないという方、また高速の翻訳と言われる根石先生。。。まだ私が音とイメージの同致がしっかりできていないから、このようなとんち かんな発言になるのかもしれません。ここのところ(つまりネイティブの英語をインプットすることも大切という部分)が根石先生の方式で弱い部分なのではな いでしょうか?まだ私の理解不足なのかもしれません。ご教示頂ければ幸いです。



801 音が感情になるノンネイティブ 投稿者:ST 投稿日: 8月31日(金)18時12分12秒

感情が音となってほとばしるのがネイティブ、
音に感情をつけることで表現しようと必死になって試みている私(ノンネイティブ)
面白いなあと思いました。この根石先生おっしゃる「逆ベクトル」というのがどんでん返しの「仮構力」ということでしょうか?回転でモメントが必要というこ となのでしょうか?



802 音作りへの道を読んで 投稿者:ST 投稿日: 8月31日(金)18時34分34秒

エリオット先生>授業で英文和訳はまったくしません。

国弘先生の英語の話し方?という本の中でしみずかつぞうという方が予備校で日本語訳を生徒に配布しておられる話はきっとエリオット先生はすでに読んでおら れることと思います。私も勤務校で配った事もありましたが他の先生方からやめてほしいと言われた事もあります。翻訳についてエリオット先生の言われている ように最初から分かっている生徒には2度手間、分からない生徒にとっては内容の分からない日本語をきくことになる?ということで無駄というのは分かるので すが、生徒によってはトップダウン型で理解しているような生徒にとっては日本語訳も尊重してもよいのではないかとも思うのですが、その点はどうでしょう か?




803 基本英文700選 投稿者:Eliot 投稿日: 8月31日(金)18時41分36秒

ST様

以前回転読みのテキストとして基本英文700選をやっているということをお書きになっていたように思います。そのテキストは駿台文庫の基本英文700改訂 版(鈴木長十、伊藤和夫著)のことでしょうか。私はその本を見たことがないのですが、以前ある本でその本のことをけちょんけちょん批判した記述を見たこと があります。要は、英語が間違いか不自然なものが非常に多いという批判でした。その批判の本を今持っていないので、具体的なことは書けないのですが、もし STさんがお使いの本が駿台文庫の700選ならば、オーストラリアの人に本に記載の英文を見せて感想を聞いてみていただけませんか。ちょっと興味がありま すので。

それから、私が教えている生徒たちは現在中学3年生です。



805 エリオット先生、早速のレスありがとうございます! 投稿者:ST 投稿日: 8月31日(金)20時31分12秒

エリオット先生>和文英訳をしないというのは、英語のまま理解せよとかいうのではありません。私は、初学者が教科書の英文の意味を理解するのに日本語を 使って悪いとは全然思っていません。私がいう「和文英訳をしない」という意味は、ただ、授業中に教員が生徒を指名し、その生徒が教科書を和訳するのをクラ ス全体で聞き、そのあと教員が生徒の和訳をなぞりながら、再度日本語に訳し(多くの場合、この際に文法的説明が入り、板書などもされますね)、生徒はノー トに正しい和訳を書くという作業をしないということです。そんなことをしていたら音読の時間や暗唱発表の時間が取れません。

ST*私がやってきたのはまさにこの「害あって利なし」の授業形態とほとんど変わりません。クラスを一人でもたせてもらった時に和訳を配布して教師がどん どんエリオット先生のぶつ切り訳のプリントを口頭で説明してろくに音読練習せずに消化不良になっていたとも思います。自分を変えたいと思っています。その ためには私は根石先生やエリオット先生や浜谷先生も足元にも及びませんがまず自分が回転読み回転書きを「音とイメージの同致」も含めて実践しなければと思 い現在電話でレッスンを続けています。今後ともよろしくお願いします。

エリオット先生>中学校の教科書の英文程度のものでしたら、教科書ガイドに載っている全文訳を読み、教科書準拠のワークブックの説明や問題を通して、そし て音読と暗唱を通して、その意味を理解することは十分可能であり、授業時間を何十分も割いて、生徒に和訳をさせるのは時間の無駄だと考えたのです。

*特に進学校でなくとも中学生レベルなら大抵の生徒はその意味は容易に理解できるのではないかと思います。
@presentation→Apractice→Bproductionというプロセスで流れを考えると@はエリオット先生が言われるようにあれこれ説 明するよりしっかり聞かせる機会をたくさんつくる方が絶対にいいと私も思います。Aもエリオット先生は最大限時間をとられているようで、私もしっかりとま ず自分が学びそして教育の場で実践していきたいです。学年が進むにつれてBもすこしずついれてもいいような気もしますが実践への道で書かれているように」 英会話などの「別枠の」授業があって擬似的であっても生活英語に近い形でproductionできる場は学習のはげみにもなると思います。あくまでも語学 と切り離した場が必要なのですね。これは根石先生がいつもいわれていることだと思います。

エリオット先生>和訳といっても、英文の前や後ろを(=左や右)を行ったり来たりしてきれいな和訳を作ってこいというのではなく、根石さんのおっしゃる 「切断読み」のように、意味のかたまりごとに英文を区切ってタイプしたプリントを配布し、 chunkごとにその下に日本語を書けという宿題です。その際強調するのは、必ず適切な助詞を補い、その語句の文中での機能が明らかになるように書いて来 いという点です。

ST*これはいわゆるスラッシュリーディングというものに近いのではないでしょうか?私もぶつ切り訳のついたプリントを作ってみたことがあります。左がわ に英語と日本語のぶつぎり訳、右側に日本語のみのものをつくりこれをみながら暗唱させることを夏休みの課題としたこともあります。

エリオット先生>まるでお経を唱えるように音読をして暗記するような者たちもやや目に付き始めましたので、2学期からは生徒全員に和訳をしてくることを宿 題として課すことにしました。

ST*お経を唱えるように」という部分は根石先生はたぶんそれでもよいからとにかく5回連続なり10回連続(これが技法グラウンドという名前で根石先生は 呼ばれているようです)で音読できるようにすることがまず先決だと言われるような気もするのですが、その部分についてはエリオット先生はどのようにお考え でしょうか?今まではとくにとされてきた「音読は意味がわかってからでないと効果がない」という部分についてです。私はこれは正解であり不正解という感じ がしています。学習者により答えが違うような気もしているからです。私自身は高校時代はどちらかというと「意味が分からなくてもとにかく音読していた。音 に興味があったから」ということになります。基本英文700選と映画ゴーストで根石先生のレッスンを今受けていますが、最近になってすこしずつイメージが 前から前からもてるようになってきた感じがするのです。だから「意味が分からなくても」音読するということは全く無駄だとは思えないのです。しかし国弘正 雄先生は無駄だと言われているようです。そのあたりも含めてぜひエリオット先生のコメントを頂ければ幸いです。



806 しょうもないこともたくさん 投稿者:ST 投稿日: 8月31日(金)20時40分35秒

エリオット先生>以前回転読みのテキストとして基本英文700選をやっているということをお書きになっていたように思います。そのテキストは駿台文庫の基 本英文700改訂版(鈴木長十、伊藤和夫著)のことでしょうか。

ST*そのことです。

エリオット先生>私はその本を見たことがないのですが、以前ある本でその本のことをけちょんけちょん批判した記述を見たことがあります。要は、英語が間違 いか不自然なものが非常に多いという批判でした。

ST*不自然なものが多いというのは私も何かで読んで知っていました。しかしあえてこれを私が電話でレッスンで選らんだのは構造の基礎が文語体も含めてか なりの程度体系的に学び直せると考えたからです。

エリオット先生>その批判の本を今持っていないので、具体的なことは書けないのですが、もしSTさんがお使いの本が駿台文庫の700選ならば、オーストラ リアの人に本に記載の英文を見せて感想を聞いてみていただけませんか。ちょっと興味がありますので。

ST*すでに3人の人に聞いてみています。
aさん;60歳くらい女性主婦 これはいつも使っている表現がおおいね。
Bさん;55歳くらい男性、ハイスクールの校長先生結構 陳腐な表現もあるね。
Cさん;50歳くらい男性、元教師うん。つかう。つかう。でもたまに私達が使わないものもあるね。

エリオット先生>それから、私が教えている生徒たちは現在中学3年生です。

ST*すみません。音作りへの道をしっかり読んでいればわかった質問でしたね。余計なことを聞いてすみませんでした。




808 英文和訳 投稿者:浜谷 投稿日: 8月31日(金)21時24分35秒

Eliot様

>英文和訳 投稿者:Eliot  " "投稿日: 8月31日(金)19時08分07秒

ST様

和文英訳をしないというのは、英語のまま理解せよとかいうのではありません。私がいう「和文英訳をしない」という意味は、ただ、授業中に教員が生徒を指名 し、その生徒が教科書を和訳するのをクラス全体で聞き、そのあと教員が生徒の和訳をなぞりながら、再度日本語に訳し(多くの場合、この際に文法的説明が入 り、板書などもされますね)、生徒はノートに正しい和訳を書くという作業をしないということです。そんなことをしていたら音読の時間や暗唱発表の時間が取 れません。

いつも興味を持って拝見させて頂いています。将来の学校教育において先生のおやりになっている英語教育が主流になることを願っている者です。根石さんが 「全国の中学、高校の英語教師に告ぐ」という趣旨のメッセージで先生の書き込みを読んで頂きたい旨掲示板上で仰っていましたが、同感で、出来るだけ多くの 中学、高校の英語教師に読んで欲しいと思いました。

ところで、本文の「和文英訳」というのは「英文和訳」のことでしょうか?それから「和訳をなぞりながら、再度日本語に訳し・・・」は「・・・再度英語に訳 し・・・」ではないでしょうか?

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



811 全国の英語教師の音作りに対する目覚め 投稿者:ST 投稿日: 9月 1日(土)10時14分56秒

根石先生>全国の学校の先生たちに向けて、「音づくり」「音読」の効果を知らせていかれてはどうでしょうか。「音づくり(音読)によるインプット=基礎づ くり」です。

ST*エリオット先生が音作りを最初にしっかりやられたために、生徒さんが偏差値30台という試練を乗り越えて大きく飛躍することを切に願っているもので す。インプットを通してアウトプットの練習をひたすら続ける事は本当に大変なことですが、後の加速度的な伸びが大きく期待できると思います。さらに実際に 数字で証明できたらこれは本当に日本の英語教育を根幹から変える大変なことになると思います。エリオット先生ののなされていることは決して優秀な成績をと る生徒達のためのものだけではないと思います。現在エリオット先生は比較的というかかなり優秀な生徒さんを教えておられるようですが、これがある程度目に 見える形で伸びを示した時本当にたいへんな、英語教育界全体にとっては「革命」ともいえることになるのではないかと思います。自分達が習ってきたやり方で 教え続ける日本人英語教師の間で大きな意識の変革が期待されます。しかしそういうことを堂々と言えるのは一部の大変優秀な英語教師のみかもしれません。音 に固執するばか者のたわごとと取られてしまう可能性が大きいと思うからです。エリオット先生や根石先生はお釈迦様のような方です。こういった優秀な方々に まず頂上を目指していただき、登山道ができた時点でそこに続く方が一人でも増えることを私は望んでいます。せめてそこに私も少しでも早めに登りはじめたい と考えています。私も今後最大限努力していくつもりですが、まだまだ私には力がありません。今34歳ですが、30代のうちになんとか通訳ガイド国家試験や TOEIC900点の壁を突破したいと思います。というか資格にこだわっているうちはまだまだ中級の真っ只中ということになると思います。もちろん私もや ります。しかしエリオット先生や根石先生に期待する部分はたいへん大きいのです。



815 再度、基本英文700選(その1) 投稿者:Eliot 投稿日: 9月 1日(土)23時03分09秒

ST様

基本英文700選のことを批判した本を見つけ出しました。「どうして英語が使えない?」(酒井邦秀著、ちくまライブラリー)です。この本の中で10数ペー ジにわたって酒井氏は700選のことをこき下ろしています。以下、少し引用します。

p.127
 その奇妙奇天烈なこと、まさに天下の奇書と言っていいでしょう。そのすさまじさをいくつか書きならべてみます。
  単語の一対一対応による硬直した訳  
  ワンパターンの「構文」が作り出す奇妙な英文
  文法偏重による、現実にはありえない文章構造
  使用レベルを一切無視した滑稽な文
  使われている「構文」の古さ、さらに内容の古さ、陳腐さ
  「構文」に合わせて書いた日本語の不自然さ
・・・・・・
p.128
 ただし「ひどい」とはいっても、一応文法的には正しい文章がほとんどです。英語の先生や予備校の先生まですすめているくらいですから、受験生にはどこが おかしいのか、まず分からないと思います。
 しかし、文法さえ正しければ自然な英語になるのかというと、そうはいきません。
・・・・・・
 だれの目にも明らかところから始めて、少しずつ微妙な話に入っていくことにしましょう。本当に微妙なところは、三人のアメリカ人に解説をしてもらったも のを要約しました。二人はアメリカの大学の先生、一人は日本の大学の先生です。
・・・・・・
*5 It is getting colder and colder morning and evening.
   朝晩だんだん冷えてきました。

 「朝晩」をmorning and eveningときっちり訳しているところがおかしいのです。英語にはmorning and eveningという表現の仕方はないと思います。日本語の「朝晩」を文字通り直訳してしまったのでしょう。中学生なみと言っていいほど初歩的な誤りで す。
・・・・・・
p.129
*608 Present supplies of fruit are short of requirements.
   現在における果物の供給は需要に及ばない。

 これも一目瞭然の間違いです。「需要と供給」と言えば、supply and demand(訳語の順とは逆)の訳だということは、ちょっとでも英語にくわしい人なら「常識」として知っていると思います。それなのにこの本では「需 要」をrequirementsとしているのです。
 それだけでもおどろきですが、誤りはほかにもあります。少しだけ微妙な点になりますが、608の英文は、

  The present supply of fruit doesn't meet the demand.

というように書き換える必要があります。supplyとdemandを複数にする必要はないのです。そして定冠詞が必要です。こうしたことが連なって、も との文章はほとんど意味不明になっています。
 それにしても、supply and demandを知らない人が、模範として覚えるための英文を書いていると言うのは恐ろしいことです。(引用続く)




816 再度、基本英文700選(その2) 投稿者:Eliot 投稿日: 9月 1日(土)23時06分51秒

引用の続きです。

*421 The bride came into the room with lowered eyes and with everyone staring at her.
   花嫁は伏目がちに、満座の注目を浴びながら入場した。

 「花嫁は伏目がちに」というところにある種の偏見を感じる人もいるでしょう。受験英語の参考書はどれもかびくさい偏見がはびこっているので、この程度で 目くじら立てていては先へすすめません。ここではstareという動詞に注目します。そもそも人をstareするのは無作法だということになっています。
 stareを The Oxford Advanced Learner's Dictionary で引いてみましょう。

 (おどろき、不思議さ、おそれなどの気持ちで)目を見開いて注視する

つまり、stareは単に「注目」するのではなく、「何ということだという気持ちでじっと見つめる」ことなのです。
 とするとこの花嫁は、ペールをかぶってジーパンをはいていたとか、ピエロのようなメーキャップをしていたとか、水着で現れたとか、何か常識はずれの登場 をしたとしか考えられません。あるいはまた、信じられないほど美しいのでみんなが口を開けて見ていたという場合もありえます。もっともその場合は「注目を 浴びて」では訳が弱すぎます。
・・・・・・
引用終わり。

さて、その他いくつか例文のおかしい点をあげてありますので、箇条書きにしますと、
*448 The paint on the seat on which you are sitting is still wet.
   君の座っている腰掛のペンキはまだ塗りたてだよ。
⇒訳は確かに会話だが、英文はいやにもったいぶって、on whichなどという、こんな状況では出てくるはずのない堅苦しい言い方が使ってある。
*453 The house whose roof you see beyond the bank is Mr. Suzuki's.
   土手の向こうに屋根が見えるのが鈴木君の家です。
⇒明らかに会話の文章と思われる英文にwhoseが出てくるのはあまりに不自然。
 448と453の例文の載っているページは特にひどい例文が多く、12の英文のほとんどが関係代名詞をむりやり使っている。一人のアメリカ人は12の文 のうち自然に読めるのは455の一つだけだと言った。

*45 As it is cold, you may keep your overcoat on.
   寒いからオーバーを着ていてもかまいません。
⇒英語は尊大な感じがするのに、訳文は物柔らかな調子。
*118 Excuse me for interrupting. I have something to to tell you.
   じゃまをしてすまない。ちょっと話があるのだ。
⇒英文はぶっきらぼうで奇妙。
*203 Happy is the child who has such a mother.
   こういう母親を持っている子供は幸福である。
⇒訳文は現代語の書き言葉なのに、英文はとてつもなく古風で、芝居がかっている。この英文には「幸いなるかな。かくのごとき母を持つ児は」のような訳をつ けるべき。
・・・・・・
引用終わり

先ほどのstareですが、私が手元にある Collins English Dictionary で引くと

 to look or gaze fixedly, often with hostility or rudeness

と書いてありますから、確かに酒井氏の指摘は正しいと思われます。「花嫁が伏目がちに入場してきたが、皆は『くそ、なんだあの野郎』というような目で彼女 をじろじろ見た」は変ですよね。




817 弱った 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 2日(日)04時10分05秒

Eliot 様

弱りました。
実は塾で、「700選」を使っています。
私の塾は、元は受験用の塾だったので、受験生に人気のあるやつを採用しようと思って使った
のですが・・・。
私自身が受験英語の毒をたっぷり吸っており、現在は映画のシナリオなどで解毒をしています。
日本の受験制度の中における英語の毒を吸った人(ほとんどの受験生が吸います)は、後で解
毒するような二段構えを強要されるということだと思います。

元凶はやはり日本の大学入試の質だと思います。

この「700選」の種本が存在します。出版社は忘れましたが、「The new art of English
composition」という名前の3分冊の参考書です。これを妻が出た高校で長年使っていたとか
で、妻が持っていたのですが、「700選」は非常に多くの部分が、この「The new ・・・」
からのそっくりそのままの引用です。この「The new ・・・」は、「〜でしょう」を「〜で
せう」のように明治(大正?)の版下をそのまま使っている本で、それを昭和40年台の妻の
高校で使っていたというので非常にびっくりしたことがあります。
 いつの時代かに、日本人が書いた英語が、現在の受験英語の中にそのまま生き残っていると
いうことでしょう。

 「700選」は大学入試で点をとることだけを考えれば有効であるのが問題の根を深くして
います。

 私は現在、英語の教材をWEB上に作成してみようと考えており、「語数別分類」という作
業を断続的に続けています。
このデータが太ってきたら、こちらを使おうと思っていますが、私の「語数別分類」におかし
な文が載っていた場合は、ご指摘くださるとありがたく思います。

今日は映画の「ゴースト」にある文を語数別に分類しました。
まだHPには掲載されていませんが、テキストファイルとして私のハードディスク上にありま
す。



818 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 2日(日)05時08分02秒

Eliot 様

 「語数別分類」の話の続きですが、これをWEB上に公開しつづけるとともに、いずれ、これを元に英語の教材を仕立てたいと考えています。
 現在は、自宅自作に時間をとられ、なかなか手をつけていられませんが、何年後か、データが太って使えるだけの量になったら、着手しようと思っています。

 テキスト自体は、WEB上に置くと共に、印刷物にもする予定です。
 印刷物の方にはCDをつけたいと考えています。
 文法的な解析などは、WEB上だけに置くべきか、印刷物にもすべきかは未定です。

 おかしな文は排除したいのですが、英語ネイティヴのチェックを通さないとなかなか私の手だけで排除できません。ちくまライブラリーの酒井という人も、自 分の知見だけで「700選」のおかしなところを指摘できているのではなく、アメリカ人3人のネイティヴの感覚を根拠にしています。この感覚の天下りみたい なところが、やはりくやしいところですが、生の磁場を欠く日本ではこれは避けられないことだとも思っています。

 ご相談があるのですが。
 おかしな文を排除した上で、教材を仕立てることができた時に、Eliot さんの音でそれを吹き込んで欲しいと願っているのです。私が今後作る予定の音声教材の音として使うのであれば、Eliot さんの音が絶対にいいと思っています。
 英語を教えているアメリカ人などの知り合いは何人かいますが、日本人のよく鍛えられた音で音声教材を作りたいというのが以前からの希望です。

 国際語として通用する日本人の感じのいい音という言い方を Eliot さんはしておられたと思いますが、まさに Eliot さんの音は、そういう感じのいい英語の音です。(津田さんの言葉を借りれば、男前の音です)。是非この音で音声教材を作ってみたいと願っているのです。

 あえてネイティヴの音を採用しないというところに、私の日本の英語に対する思いがあります。
 Eliot さんの音の方が、ネイティヴの音よりも、日本人にとってははるかになじみやすいことは間違いありません。

 「回転読み」の導入部分にあたる「技法グラウンド」という練習方法がすでにあります。
 これは、普通は私が一回読んだ文を生徒が五回繰り返し言うというものです。塾でも、「電話でレッスン」でも使われています。
 私が現在考えている音声教材は、Eliot さんに一回ずつ吹き込んでもらった音をコンピュータ上で複製し、同じ文が5回連続で聞こえるようにするものです。技術的には、パソコンでも可能になりつつ あるのではないかとにらんでいます。これによって、イントネーションをつかむのが非常に楽になると思っています。

 どのような形をとるのかは未定ですが、私はこれを市販してみようと思っています。
 この教材自体が、私が日本の英語(の修得法)について考えてきたことの具現化になることをねらっています。市販を予定していますので、吹き込んでいただ けるならもちろんお礼はいたします。

 どのような機材を使って、どこで吹き込むか、予算的に折り合いをどうつけるかなど問題は多く出てくるでしょうが、是非実現したいと考えています。コン ピュータに強い人やオーディオに強い人に今後相談していこうと考えています。

 自宅自作が一段落して、印刷室を持ててからの話なので、まだまだ先のことですが、今のうちからお願いしておきたいと思いました。すぐにお返事をいただけ なくてもかまいませんが、是非ご考慮をお願いいたします。




820 例文集の弱点 投稿者:ST 投稿日: 9月 2日(日)09時34分38秒

あらためてぞっとしました。毒の中に泳がされている自分を再発見しました。

エリオット先生ありがとうございました。

特にstare:to look or gaze fixedly, often with hostility or rudenessを読んだ時、思わず吹き出してしまいました。しかし、これをおおまじめで週1回、根石先生のレッスンを受けてもう半年くらいになるでしょ うか?最近はかなり口が馴染んできて発音もこなれてきています。陳腐な文、滑稽な文、古い文など現代英語には使えないものは確かに多いと思います。これか らもいろいろ教えていただきたく思います。私としてはせっかくここまでこなれたものを手放すのはもったいないと考えております。700選は会話というより はむしろ読む時の構造の体系的知識を体で覚えるために使っていると自分ではわりきっています。エリオット先生のいろいろなご指摘を一つ一つマスターしてい きたいと思っています。The bride came into the room with lowered eyes and with everyone staring at her.の文を音読する時はジーパンをはいてタイツをかぶった花嫁を連想してみることにします。

こういうことをしていると一見遠回りをしているようにも見えますが、確実に前に進んでいる自分を感じることができます。例えば父親は渋滞という感じを (しったい)と50歳まで覚えていました。あるとき私が指摘したのですが、なかなかなおりません。しかし、父親がそれを強く意識していれば次第にただしい 読みができると思います。黒色を知るために白色が必要なこととも似ていますか?ちょっと例が悪いような気もしますが。。。例えばこのstareという単語 については、すでにエリオット先生から教えていただいのですから、この文章を読むたびにそれを強く意識しながら読む事になります。今はそんなやり方が私に できる最良の方法なのかもしれません。もっといい方法があればぜひ教えていただきたく思います。方法については常に考えていますのでたいへん興味がありま す。今の私の実力では、ひとつひとつ積み上げていくしかないと思っています。700選の弱点を埋めるために映画のシナリオ「ゴースト」や今自分で技法グラ ウンドをやっているDUOを使っています。DUOも700選と同様、無理している部分がありますが、無理をしている部分が違います。構造をむりやり体系的 に入れようとした700選に対し、日常使われる単語をむりやり入れ様としたDUOとでは少し構成が違うと思い、お互いに補完できる部分もあると感じたから です。700選+DUO+映画のシナリオを3本片づけて一応私の電話でレッスンには区切りをつけたいと思っています。映画のシナリオにおいても完全とはい えません。エリオット先生は既にご存知だと思いますが、ある本で知ったのですが、映画のせりふは観客に状況を説明するために役者に状況をむりやりしゃべら せるせりふというのがあるようですね。なかなかいい教材がないのでとにかく手をつけているものをしっかりマスターして、余裕があればいろんなものをやって いきたいとも思っています。
もっとも回転読みと回転書きと切断読みをきちんとやるためにはあと10年くらいはかかると思っています。

エリオット先生今後ともよろしくご教示をお願いします。

823 議論のための素材として 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 2日(日)17時25分52秒

2チャンネルに書いたものをコピーしておきます。
「700選」という例文集に今後言及するときに、自分で踏まえてみたい考えが含まれていると
考えていますので・・・。
----------------------------------------------------

    英語はなかなか純粋な語学になるのが難しい言語だと思います。
    語学としては、すでにかなり汚れていると思います。
    受験の点、産業界からの実用英語の要請、あと、戦後の日本人が少しずつ、自信
   をなくしていった過程、その中で、馬鹿なミルクのみ人形みたいなESSどもの先
   進意識など。それらがぐちゃぐちゃにからまって、下水の水みたいなきたない言語
   になっているような気がすることもあります。

   私としては、日本における英語の汚らしさを洗濯して、まともな語学としてひき据
   えたいと思っています。受験生の英語の首根っこをつかんで、「音づくり」の方へ
   引きずり込むことで、日本における英語を洗濯できると思って、2チャンネルに書
   いているんですが、皆さん、なかなか耳を傾けてくれません。

   英語太郎さんの問題は、「音づくり」の問題だと思います。「音づくり(イントネ
   ーション、リズム)」が、「英会話」どころか、読書においてさえ、非常に重要な
   ことなのだということが自覚できましたら、是非素読舎の「電話でレッスン」をご
   検討下さい。来年3月までの枠で、現在3つくらい空き枠があります。月額1万円
   ですが、実質で比べていただけば、どんな英語機関より安いんじゃないかと思って
   います。(私の枠は埋まっております。3つの空き枠では妻がレッスンします。)

   まあ、私の掲示板より、2チャンネルの方が気楽だというのはその通りです。
   なんなのでしょうかね、2チャンネルのこの居心地の良さは。
   有象無象の、ばい菌だらけの、憂さが暴発している場所の心地よさというのはあり
   ますね。これだけの規模で、戦後市民社会の亀裂がはっきりと表現となっている場
   所はないのではないでしょうか。ここのすばらしさは、暴発やトンドルを、たえず
   「まとも」という場所へ引き戻す力が働いていることです。私はインターネットの
   本当の活力というのは、2チャンネルを読んでいて知ったと思うくらいです。

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825 伊藤・酒井 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 3日(月)04時18分17秒

Eliot 様

 伊藤和夫という人はなくなっていると聞きましたが、死後にまでこれだけ話題になるのですから、何者かではあると思います。「700選」の改訂前の版を読 んだことがありますが、剽窃ならともかく、「The new art of English composition 」の恥も外聞もないまったくの引き写しでした。私も現在「英文語数別分類」というとても単純な原理で、英文を分類する作業をしていますが、これも世に流通 している様々な語学書からの引き写しです。語数で分類するというアイディアが私のものであるだけです。しかし、伊藤和夫にはその程度のアイディアさえな い。伊藤和夫は本当にそのまんま引き写して羅列するだけであれを作りました。

 「700選」のことを今日考えました。
 考えている途中の考えをひとまず書いておきたく思います。

 「700選」が奇妙奇天烈な文を大量に含んでいるのは信じられますが、この奇妙奇天烈さは、語学をやって上達しつつある人の意識の奇妙奇天烈さによく照 応すると思っています。
 私は、語学に上達する途中にある意識は、滑稽で、不自然で、逆立ちしたり、右往左往したり、一言で言えば、曲芸的な場面を必ず形成すると信じています。 日本語に慣れた意識にとっては、英語のシンタックスは意味の流れが逆流します(特に関係代名詞のところで)から、学習者の意識には必ず奇妙な曲芸的な性質 が生じます。これを経ることの必然が、日本の英語のアイデンティティだと思っています。ヨーロッパの連中が英語をやるときは、この逆流や曲芸は生じませ ん。
 このことを、日本の語学の上手な人たちは、一様に口をつぐんで言いません。変な曲芸を経て英語が読めるようになったのだと正直に言いません。語学が泥っ くせえものだと言いません。代表的なのは、大学の英語の先生みたいなもんですが、この涼しげな顔をした紳士たちの意識がどれほど奇妙奇天烈で、滑稽なとこ ろを通ったものか、彼らは口をつぐみ続けています。それで、英語のできない者より一枚上手みたいな涼しげな顔をしています。バカったれが。あれらの涼しげ な顔をひんむいて見れば、荒唐無稽な馬鹿馬鹿しいものが必ず現れると信じています。

 荒唐無稽で馬鹿馬鹿しく空しく滑稽であるのは、生活言語に対する語学の本質です。あるいは生活過程に対する勉強の本質です。これが、語学や勉強の積極的 な性質であり、語学や勉強というもののアイデンティティです。これはほぼ私の信念です。
 古本屋で100円程度で売られている、おためごかしの語学本を買うのは私は好きですが、これは、必ず風呂に入りながらヨレヨレにして読みます。これらの 本に特徴的なのは、日本人て、こんな馬鹿げた英語を使うけど、本当はそうじゃないんだよ、アメリカ人はこう言うんだよ、わかった?ってな、日本の学習者の 意識に自然に生じる語法的変形、奇形、変異種のようなものを見下す視線です。こういう澄ました顔をした正統性ほど、私が憎んできたものはありません。
 例えば、「どうして英語が使えない?」(酒井邦秀著、ちくまライブラリー)が、「700選」をこきおろすことができたとして、それは学問のあるアメリカ 人3人の感覚を根拠にしてこきおろすことができているだけですから、つまり、本家本元を仰ぎ、正しいものをコピーする、あるいは、本家本元の感覚を天下り させるだけですから、この引き写しや、感覚の天下りや、コピーの恥知らずさは、「700選」の伊藤和夫の剽窃に匹敵するのではないかと思います。伊藤和夫 はまだしも受験生にもっとも効率のいいものを作ろうというもくろみはあったと思うのですが、酒井云々様は、ただ「英語感覚の天下り」をやっているだけでは ないでしょうか。その本を通して読んでいないので、ここまで言っていいものかという一抹の不安はありますが、引用された部分だけで判断して、けっ、と思い ました。
 伊藤和夫にせよ、酒井邦秀にせよ、コピーをしているのです。一方はすでにある書物を。もう一方はアメリカ人の感覚を。
 この人たちにとことん欠けているのは、「媒介」という意識です。
 この「媒介」という動態においては、伊藤和夫だろうが、おためごかしだろうが、かまいやしねえ、どんどん媒介にしてやらあという根性があるのです。ばい 菌や毒なんざ排除するこたあねえ、みんな噛んで飲んでやらあってな根性です。どうせあっしら語学屋はその本質からして奇妙奇天烈なんだからよということで す。
 私が、今後作る教材においては、変な文はできるだけ排除したいと考えているにもかかわらず、私一人が語学をやる場合には、なんでもござれ、奇妙奇天烈大 いに結構というところがあります。
寄らば大樹のアメリカ感覚には寄りたくねえよということです。「媒介」ということをすっとばしたコピーという行為にはとことん噛みついてやろうという野良 犬の根性があります。

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827 語学=偽物 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 3日(月)05時07分36秒

>   *5 It is getting colder and colder morning and evening.
>      朝晩だんだん冷えてきました。

>「朝晩」をmorning and eveningときっちり訳しているところがおかしいのです。英語にはmorning and evening という表現の仕方はないと思います。日本語の「朝晩」を文字通り直訳してしまったのでしょう。中学生なみと言っていいほど初歩的な誤りです。

 こういうところが、けっ、と思うところです。
 morning and evening という言い方が英語にないから、どうだってのか。
 morning and evening を使って、アメリカ人が、「それどういうこと?」って不思議そうな顔をしたとして、例えば私が、「ああそうか、英語にはその言い方はないのか。 morning and evening は「毎日少しずつ」みたいなことだよ」と言って、それで、アメリカ人が「日本語(日本人の考え方)はとても面白いところがある」と面白がる可能性は充分あ るのです。それで、コピーや本家本元本物意識のくだらなさを尻目に、相互交通が成立します。

 私は塾生が使う例文はなるべく「語学的標準形」を使いたいと思っていますし、私の机上の練習でも量的には「語学的標準形」を多く使いたいと思っています が、ひとたび生活過程の中で英語を使う場合は、そりゃあもう、まったく語法的な正統性は踏みにじります。ウドという、まあ悪友といっていいような英語くっ ちゃべり人間(オーストリア人)がいますが、こいつを相手に私は、日本語の言い回しをそっくり英訳(直訳)するようなことを積極的にやります。「わかんね えのか、この言い方で! 頭わりいんじゃねえのか」というようにしゃべっていることが、ウドが日本語(日本人)の考え方に渡るためにはいい媒介になってい ると思っています。
 ウドが山の中の廃屋で、昔の学校で使ったと思われる「甲乙丙」の「甲」の字を彫ったはんこを拾ってきて、これ何だ?と私に聞いたことがありました。もう 何人の人にも聞いたけど、誰も説明できないと言うのでした。そりゃ、多分学校の先生をやっていた家じゃないか、成績のグレードのいいやつに押してやるはん こだが、亀の背中の固いとことか、手や足のこういう表の部分も甲っていうんだ。何で成績のいいやつが、「甲」なのか、そりゃ知らねえや、くらいなことを 言ったら、ウドは喜んでいました。日本のことはそんじょそこらの英語使いに聞くより、お前に聞いた方がいいと何度か言ったことがあります。それも、私が 「朝晩」を morning and evening と言うことをためらわない人間だからだと思っています。

 morning and evening の何が悪いのか。語学の教材であるから悪いだけであって、実際にそうしゃべることに何のさしさわりがあるもんか、と思います。しかし再びしかし、伊藤和夫 のものは、語学の教材であるのだから、やはり悪いのです。伊藤和夫は端的に悪い。しかし、酒井なんとかはタチが悪い。酒井の一枚上手意識は本当にむかむか します。

 私は生活過程では本当に(語法的に)でたらめなことを言います。

 俺がニューヨークで暮らしていたときはワイルドだった、なんかって恰好つけやがるロバートってやつとウドの店で朝まで飲んでいたときは、「金は天下の回 りもの」って言うのを直訳するのも面倒くさくなって、Money goes merry-go-round. って言ったら、yeah, yeah, rightってうなずいて言うから、そのまま次の話にどんどん入ってというか横滑りしていきました。
 私は、その場その場でむちゃくちゃな発明を行います。その発明が、通じるか通じないかは、「語学的標準形」をどれだけ「媒介」にしてあるかだと思いま す。
 語学的標準形を生活過程でそのまま使おうという気持ちはまるでありません。なにか恥ずかしいことだという感覚があってできません。

 語学と生活はうらはらであり、一方がまじめであれば、一方がふまじめになるような関係の絶対性があります。
 例えばですが、亭主が死んで、取り乱して泣き叫んでいる女がいたとして、その女の横に座っている人が、「それは日本語の語法として間違っている」と言っ たとしたら、間違っているのは語法を正している野郎の方です。語学と生活の間では、正しさが間違いであり、間違いが正しいという関係がすっきりと成立する と思っています。

 日本で英語をやる人たちは、ここのところが非常に無意識だとずっと思ってきました。
 本家本元意識、本物感覚天下り、正統へのひれ伏し、それが駄目だと思います。
 日本の英語が育つために、本当に邪魔をしているのはこれらの意識です。
 「人生いろいろ、語学もいろいろ」っていうウラハラが認識できていないのです。
 語学って、生活言語にとってはとことん偽物なんです。それを腹におさめないと駄目だと思います。


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829 I just recommend one hole. 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 3日(月)06時14分33秒

STさん

 さて、「700選」ですが、どうしましょうか。
 レッスンを始めるとき、「700選」を同時進行でやってみたいと言われ、「ゴースト」だけの方が「ゴースト」がよく進むのでいいんじゃないかと一瞬思っ たのでしたが、生徒さんの希望になるべく沿うようにするのが当初の「電話でレッスン」の方針でしたので、「700選」も始めたわけでした・・・。

 morning and evening については、Eliot さんに書きましたが、with everyone staring at herに関しては、英英辞典の記述を参照するとやはり、語学用のテキストとしてはひどい。
 確かに笑えます。
 改訂版でいくつか直したところもあるようですが、with everyone staring at her みたいなものは随所にあるんじゃないかと思っています。

 「ゴースト」をがんがん進めて、構文理解の力をつけるにはペーパーバックスなどを使うのがいいんじゃないかと思います。ペーパーバックスの「技法グラウ ンド」も可能です。現在、村田君が「不思議の国のアリス」を始めています。比較的易しい英文ですが、やたらに文章が長いのが村田君の今の英語の状態に適し ていると思っています。

 STさんとやるとしたら、Eliot さんが薦めておられた「音法」の英語版の参考書などいいんじゃないかと思いますが・・・。

 私は現在「嵐が丘」を読んでおります。布団の中の唯一の読書ですが、じきに眠ってしまうので、なかなか先に進みません。出てくる人間では、ヒースクリフ の気持ちが一番よくわかるような気がします。

 映画のシナリオ一本(ゴースト)を片づけたら、「電話でレッスン」を一区切りにされる予定である旨の記事を読みました。シナリオの二本目の途中から、一 本目の「ゴースト」のこなれが出来てくると思うので、なるべくなら二本目をやってみて欲しいと願っています。「こなれ」を実感していただくのが眼目のひと つなので・・・。

 DUOは私はお奨めしません。
 「700選」の方は構文に焦点をあててあるのがまだしもですが、DUOは単語習得用であり、単語習得用のテキストがあれほど荒唐無稽の文を多量に含む と、単語のイメージの核が損なわれるおそれがあると思っています。アイディアだけは秀逸だと思いますが・・・。

 本当は、同時進行でなく、「ゴースト」なら「ゴースト」に集中するのがいいのだと思っています。所詮、実になるものは同じです。「700選」と「ゴース ト」を同時進行でやっても、「ゴースト」だけに絞るのでも、一週間の間にやってある練習の質と量が同じであれば、身に付くものは同じなのです。構文把握力 をつけたいなら、「ゴースト」の始末をつけてから、テキストを真剣に選べばいいと思います。「ゴースト」に絞れば、「ゴースト」がどんどん先に進みますか ら、次の課題を早く始めることができて、結局同じなのです。

 一穴主義をお奨めします。

 だけど、「ゴースト」のテキストを旅行中になくしてしまわれたんでしたね。
 しょうがないですから、英語の磁場のまっただ中におられる生徒さんを相手に、「700選」でやりましょう。オーストラリア在の一穴主義です。英語の磁場 のただなかで、日本の受験英語用のテキストを真剣に「一穴する」。これはこれで、いい思い出になると思います。
 10年たって生きていたら、二人で酒を飲んで笑いましょう。
 「ゴースト」だけでやろうが、「700選」をかませようが、英語に対する日本人の意識の逆立ち状態は同じです。こちらの方がはるかに本質的な問題だと 思っています。
 シンタックスの齟齬の問題です。



830 根石先生へ 投稿者:ST 投稿日: 9月 3日(月)10時48分56秒

>映画のシナリオ一本(ゴースト)を片づけたら、「電話でレッスン」を一区切りにされる予定である旨の記事を読みました。シナリオの二本目の途中か ら、一本目の「ゴースト」のこなれが出来てくると思うので、なるべくなら二本目をやってみて欲しいと願っています。「こなれ」を実感していただくのが眼目 のひとつなので・・・。

*これは違います。「3本」片づけてと書きました。もっとも、一応の区切りをつけるのには、5年以上先の話だと思っています。今後ともよろしくお願いしま す。

ST>>700選+DUO+映画のシナリオを3本片づけて一応私の電話でレッスンには区切りをつけたいと思っています。

>STさんとやるとしたら、Eliot さんが薦めておられた「音法」の英語版の参考書などいいんじゃないかと思いますが・・・。

*このエリオット先生がすすめてくれたこの「発音パーフェクト事典?」は帰国後すぐに手に入れようと考えています。中に使われている例文はエリオット先生 はどのようにお考えですか?根石先生とこの本の内容についていろいろと30分の電話でレッスンの内3分程度質問したり(これはレッスンの教材としては今は 考えていません)、エリオット先生にいろいろとこの掲示板を通して質問させていただければうれしいのですが。何しろ音法については全くの独学でやってきた ようなもので、連結や省略などの体系的な知識がこのエリオット先生に薦めていただいた本で身につけば最高です。



831 一穴主義〜帰国後の試み 投稿者:ST 投稿日: 9月 3日(月)11時13分31秒

一つの教材をとことんやることは、とても大切なことです。教材選択について浮気性の私自身がそれでずいぶん失敗してきてもいます。今回の700選の議論に ついては、どの方の言っている事も正しく否定するつもりは全くありません。私自身も、もがきながら自分にとって最良の方法を模索しながら学習しています。

700選とDUOについては帰国後の実践計画があります。2冊分の例文の合計は1260文です。毎日2時間を「回転」の時間に設定してこの1260文を入 れる予定です。一つの例文につき6分「回転読み」します。そうすると60分テープに10例文(片面に5例文)入る計算になります。1260文をいれるのに 126本の60分テープが必要と考えています。それはあとあと残しておき4月以降に復帰したあとも1日に1本文1時間回転書きをするためです。ちょっとつ まって読んだ所などが自分だけの弱点として貴重な記録になりますのであえて1度録音したテープの上に重ねて録音することはせず、126本のテープを使おう と考えています。

しかし生徒にすすめる時は1本のテープで十分というつもりです。根石先生のすごい所は本当に辞書とテープ1本とペンとレポート用紙と自分の身ひとつあれば どこでもだれでもそして自分にとって最良の教材を作れるというあまりにも当たり前にしてかつだれも言ってこなかったすごいことだと思うのです。

帰国してからのもくろみとは次のようなものです。1日目に1本目のテープをつくります。1例文につき6分読み続けると50回から100回(文の長さにより ます)程度の回転読みが可能になります。とにかくそれを1日目には10例文つくります。2日目からは1日2時間とります。最初の1時間は前日に録音した テープの回転書きです。回転書きは回転読みの約6分の1の量をこなすことができますから1例文の60回程度の回転読みの間に10回程度は回転書きできる計 算になります。これを127日目まで続けます。127日というと約4ヶ月ですが、土日を休みにしたりのどをいためた時のことを考えると半年くらいかかると 考えています。ちょうど復帰の時期が4月なのでそれにあわせて一番大変な1回目を終えてしまう予定です。毎日最初の1時間を前日に作った回転書きの時間 に、後の1時間を次の回転読みテープを作る時間とします。

この1260例文を基礎にして映画のシナリオ3本を通過したころからある程度の結果が出せるものと確信しています。これは根石先生がいらっしゃったから考 え付いた方法です。本当に感謝しています。電話でレッスンがなかったらたぶん計画することも実行することもまた継続することもできないと思います。電話で レッスンではゴーストは約10分の4、700選はすでに終了して4回目あたりに来ていますので、技法グラウンド(同じ文章を5回連続でつまることなく音読 できるようにすること)を700選の1見開き分のGG5は約6分で出来るようになりました。さらにこなれてきたら休みの土日だけを利用してGG3(技法グ ラウンドの変形版3回連続で読めるようにあすること)が毎週1回のペースで700例文の復習ができる計算になります。

これは提案ですが、技法グラウンドをGGと読んでみたらいかがでしょうか?
GG5=5回連続で言えるようにする本来の「技法グラウンド」
GG10=10回連続(こちらは特に初級者におすすめ。「初心者」はむしろ「フォニックス」や「基本的な音法がおすすめ)
GG3=かなりこなれた文において時間の節約と復習範囲を手放さないためのもの

しかし電話でレッスンではGG5が基本なのでそれが一番いいと思います。この回数は本当によく考えられていると思います。根石先生が長年の経験で出てきた 数字だと思います。



832 700選の罪 投稿者:Eliot 投稿日: 9月 4日(火)01時12分06秒

根石様

「正しい英語」などと書くと、また「けっ」と言われそうですが、あえてこの言葉を使います。ここで私が正しい英語というのは take care forではなくて take care of が正しいですよ、とかMy parents was goed Tokyo.ではなくて My parents went to Tokyo.が正しいですよとかいう意味での「正しい英語」です。私は、英語の教員はこの意味での「正しい英語」の知識はできるだけ豊富に持つべきだと 思っています。生徒に教える際に「『午前中に』というのは in morning だったっけ、それとも in the morning だったかな。よくわからないよ」とか「hurtとheart の発音の違いはだって? どっちも同じでいいんじゃないかなあ」というようなことを言うような人では、習う方が迷惑します。もちろん英語非母語人である私 たちの知識には限りがありますから、わからないことはたくさんあるわけですが、英語を教えることを生業とする以上、日々自己撃誑に努め、知識を増やして英 語力を高めるようにすべきだと考えます。それでも、生徒から質問を受けたときに答えを知らないことがあるでしょう。その時には適当なことを言ってその場を しのぐのではなく、きちんと調べてできるだけ「正しい」ことを伝えるよう努力すべきではないでしょうか。学習者は勉強する以上、できるだけ間違いのない英 語を身につけたいと思うはずですから、「適当でいい、多分通じる」と言われても困るでしょう。

さて、morning and evening が、ここで私がいっている「正しい英語」かどうかは、私は、ある文脈でこの語句が通じるか通じないかということで決まるのではなく、あくまで英語を使う世 界の人々の多くがそれを普通の表現として使っているかどうかで判断されるとべきだと思います。英語学習者が指導者に求めるものは、例えば、自分で「朝晩」 を直訳して morning and evening と書いたけれど、これで本当に「正しい」のか、という問いに対する適確な答えではないでしょうか。その際、「いや、正しくない。こう言う言い方はしない」 という教員と「morning and evening か? よくわからんが、いいんじゃないか」という教員のいずれが学習者にとってありがたい存在でしょうか。

学習者にとっては教員だけではなく、各種の教材も「正しい」英語を知るために必要なものです。当然彼らは、辞書、教科書、例文集、単語集などには「正し い」英語が載っていると信じて購入し、使っています。そういう教材の一つが700選です。学習者は700の例文がいずれも正しい英語であり、英語圏の人達 が普通に使う役立つ例文であると期待してこの本を買うのです。ところが、収録例文の少なからぬものが奇妙な英語や正しくない英語を含んでいるならば、購入 者はまがい物をつかまされたということになります。詐欺にあったも同然です。

正しくないものを正しいもののように装い、お金をだましとる。これが700選の罪です。



833 morning and evening考 投稿者:Eliot 投稿日: 9月 4日(火)01時49分41秒

根石様

>morning and evening という言い方が英語にないから、どうだってのか。
 morning and evening を使って、アメリカ人が、「それどういうこと?」って不思議そうな顔をしたとして、例えば私が、「ああそうか、英語にはその言い方はないのか。 morning and evening は「毎日少しずつ」みたいなことだよ」と言って、それで、アメリカ人が「日本語(日本人の考え方)はとても面白いところがある」と面白がる可能性は充分あ るのです。それで、コピーや本家本元本物意識のくだらなさを尻目に、相互交通が成立します。

おっしゃることは十分に理解できます。しかし、一点だけ引っかかります。酒井氏は生活言語として日本人英語話者がしゃべった(あるいは書いた) morning and evening を非難しているわけではありません。この語句を学習者のための正しい英語の例文集であるはずの700選に載せた著者(正確には編者?)たちを批判している のです。

生徒が私の誕生日に手作りのカードをくれてそこに Happy Burthday! と書いてあっても私は喜ぶだけでしょうが、市販のカードに同じつづりが印刷されていたら、「けっ。あほか」と思うことでしょう。

生活言語として使用される英語と語学の材料としての英語は別物。であればこそ、語学の教室で指導する立場の人は媒介とするに足る、正しい材料としての英語 を提供するよう必死の努力をすべきだと思います。しかし、その日本語人が一英語使用者として英語を使う際は It's getting colder morning and evening.と言ったからといって非難されることではないでしょう。ただし、It's getting colder in the mornings and in the evenings.という表現に比べて、日本人の語感により適した表現であり、相互文通が生じる可能性を秘めているものとして morning and evening の方が推奨される理由もないと思います。ただ単に in the mornings and in the evenings を知らなかった(または思い浮かばなかった)ので、morning and evening と言ってしまったが、通じた(または、そこから面白い話に発展した)ということもありうるということでしょう。




834 語学の本質 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 4日(火)05時18分13秒

Eliot 様

 お返事をありがとうございます。

>「正しい英語」などと書くと、また「けっ」と言われそうですが、あえてこ
の言葉を使います。ここで私が正しい英語というのは take care forではなく
て take care of が正しいですよ、とかMy parents was goed Tokyo.ではなく
て My parents went to Tokyo.が正しいですよとかいう意味での「正しい英語」
です。

 語学の場面(私の用語では「机上」)では、この「正しさ」は正しいので、それについては私がいくら野良犬でも何の不服もありませんし、この「正しさ」を どうこうできるものだと思ってはいません。それどころか、この「正しさ」は、塾という仕事の中で私は日々使用しております。
 私が言いたいことは、この正しさは語学、机上、教室のような場所に限定されているものであり、無限定なものではないということでした。ここを無限定にし てしまうと、やはり抑圧や阻害になると思っています。そして、学校や塾や受験やテストがでかいつらをしている時代では、本来限定つきの正しさであるべきも のが、無限定な正しさのような錯覚を人々に与えてしまうだろうと思うのです。引用部分だけで判断するなら、酒井云々様はしっかりとこの錯覚に陥っておられ ると判断しました。「700選」のおおまじめ滑稽英語の毒より、限定つきの正しさを無限定なものにしてしまうことの毒の方がはるかに大きいと考えていま す。伊藤の毒よりも、酒井の毒の方が大きいということです。伊藤の本には「受験」と限定する文字がありますが、酒井の一般書には「語学英語」の限定文字が なく、酒井の意識においては、語学英語が生活英語に地続きです。この地続きがもたらす毒の方がでかいのです。
 語学と生活言語との「ウラハラ」の関係の絶対性を見ないと、語学の英語が生活言語としての英語に地続きであると考えてしまうことになります。私は、この ことの恐ろしさに英語をやる多くの人が無意識であると思い続けてきました。語学は、生活言語やネイティヴな言語とはまったく違うものであり、生活言語やネ イティヴ言語の習得過程は、語学にはまったくあてはめることはできない、むしろ峻別すべきものだと考えています。「習うより慣れろ」という言い方を援用す るなら、語学は「習って慣れる」しかないものであり、ネイティヴ言語は習おうとしなくても習ってしまい、慣れようとしなくても慣れてしまうものです。ネイ ティヴ言語では、ことさらに「習うより慣れろ」などと言う必要がないのに対して、語学ではこれは必ず必要であり、意識的に行うべきことです。
 語学と生活言語の間を合い渡ろうとするなら、絶壁をよじのぼるとか、断崖を飛び越えるような曲芸が必要です。
 酒井が根拠にしたものは、習おうと思わなくても習ってしまい、慣れようなどと思わなくても慣れてしまったアメリカ人の英語の感覚です。これを根拠にし て、人の作った本をけなしているところが酒井の駄目なところです。(伊藤が駄目でないとは私は決して言いません。伊藤も駄目です)。ネイティヴの感覚に は、どこまでも artificial なものである語学の英語の感覚が追いつくはずがない。それは、相当の英語使いである吉田健一がすでに過去に言っていることです。だからこそ、この人工性や 意識的である性質こそが語学の英語の本領だと思っています。人工性や意識の強さこそが語学の積極的な性質です。いつまでも、ネイティヴ感覚にへいこらして るなんぞ、おらあやだね、と思っています。語学には語学の本領というもんがある。俺は語学屋だという自覚です。



835 アメリカ感覚援用嫌い人 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 4日(火)05時20分54秒

>もちろん英語非母語人である私たちの知識には限りがありますから、わからな
>いことはたくさんあるわけですが、英語を教えることを生業とする以上、日々
>自己研鑽に努め、知識を増やして英語力を高めるようにすべきだと考えます。

 2チャンネルの用語でお答えさせていただきますが、「激しく同意」です。
 ここで言われている意味での「自己研鑽」は、私はやってきたつもりです。その一筋において、塾だの学校だのという垣根を越えて、私は Eliot さんを同志と思っています。また、「激しく正直」な ST さんも同志だと思っています。

>それでも、生徒から質問を受けたときに答えを知らないことがあるでしょう。
>その時には適当なことを言ってその場をしのぐのではなく、きちんと調べてで
>きるだけ「正しい」ことを伝えるよう努力すべきではないでしょうか。

 この辺が、語学教師と語学屋の違いかなと思いました。私は、調べられるだけのことは調べますが、調べても本当のところはわからないという意見です。(英 語の話し言葉の)磁場だけが養うことのできる感覚が絶対にあるという考えです。磁場のないところでは、その感覚からは絶対にずれると思っています。ずれて かまわないが、ずれを絶えず修整するのが語学だよと思っています。それでも、いくら修整しても、話し言葉の磁場が養った感覚と同一の感覚にはならないとい う考えです。これを語学の絶望にする気はまったくなく、語学というものはそういうもんだが、やって損はないからどんどんやれよ、という意見です。日本民俗 学をうち立てた柳田国男に、あんた本当に常民の感覚がわかってんのかよ、と言うことは可能ですが、柳田がやったことの意味は決して消すことはできません。 語学やら勉強やら学問やらの本質というものがある。それは生活とは峻別されるというだけのことです。生活だけしてる者が偉いわけでもない。勉強ができて知 識が余計にある者が偉いわけでもない。酒井云々野郎め、ちゃんと働けよ、と思ったのでした。
 酒井というやつが今も生きているなら、「700選」のおかしなところを、アメリカ感覚を援用しないで、全部自分なりの感覚で指摘する文献を作るべきだと 言っておきたい。出版社が相手にしなくても、今の時代、ホームページ一つ作るだけでそれができるんだ。働けよ、バカたれが。涼しい顔で偉そうなこと言って んじゃねえよ。

 しらふで書き始めたんですが、飲みながら書いているうちに、すっかり酔いどれになりました。
 寝ます。

http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/mimic.cgi

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836 なんか、わからなくなってきました! 投稿者:ST 投稿日: 9月 4日(火)12時03分25秒

語学教師のエリオット先生:基本的に正しいとされる英語を教えることもする。その根拠は辞書、文法書、テキスト、ネイティブの意見そして自分の感覚の中に 見つける。分からない事は調べた後、正しいと思われる情報を生徒に流す。ご自分が媒介として使う英語の場合は正しいとされる英語は気にせず自分の感覚とし てしゃべる。

語学屋の根石先生:基本的に正しいとされる英語を教えることもする。基本的に正しいとされる英語を個々人がただひたすらインプットを続けることにより感覚 を再修正していく営みが語学学習のプロセスだと考えている。詳細にわたって正しい事はわからないのだから、生徒にも教えない。ご自分が媒介として使う英語 の場合も正しい英語は気にせず自分の感覚としてしゃべる。

ST:基本的に正しいとされる英語を教えているつもりになっている。まだまだ修行が足りない。

間違っていたらごめんなさい。なんか、わからなくなってきました。




837 ネイティブに聞いてみると。。。 投稿者:ST 投稿日: 9月 4日(火)12時31分24秒

It is getting colder and colder morning and evening.
あの文章をネットカフェの受け付けの人に聞いてみました。

Tyson:Weirdだ。
ST:どういう風にいうの?
Tyson:In the morning and evening it is getting colder and colder.か
    It is getting colder and colder in the morning and evening.だろう。
ST:2つの文に違いはあるの?
Tyson:違いはない。
ST:morning and eveningの直訳「朝晩」には徐々に季節は気候が変化するという意味も含まれている場合もある。
Tyson:それは面白い。でも英語のmorningやeveningにはそんな意味はない。morning and eveningはacceptableではない。

'in the morning and evening'と'morning and evening'。教える時は当然前者になります。しかし生活言語においては、その違いは受け止め方によると思います。人によって受け止め方が違うからで す。聴く側の寛容度や緊急度などに関わる部分もあると思います。

この文を聞いた時に相手の表現を直すかそれとも興味をもってこの表現を聴くかと聞いたところ、興味をもって文化を知りたいということでした。これはたまた ま彼は日本語を4年ほど勉強していたことや、言語そのものに興味があるということでこういう答えになったのかもしれません。その人の背景とも大きくかか わってきます。このいろいろと日本や日本語の話ができたのがよかったです。

しかしこれはまだまだ私の説明不足によるところが大きいと思いました。

根石先生がmorning and eveningを使いきちんと説明すればもっときちんと理解してもらえたのにとも思いました。こういうこと考えるとやはり自分としてもできるだけ正しいと される英語をもっと激しく練習しなければと思いました。一方自分がこの青年に説明できた分だけ英語という国際語を媒介にして文化の交流ができたことを嬉し くも思いました。なんか複雑な気持ちです。エリオット先生の言われる正しい英語(morningではなくin the morning,goedではなくwentという意味での)をやはり教える側がきちんと意識して教え、学ぶ側も正しい英語であると考えられるものをしっか りとインプットするのが大前提だと思います。その上で生活言語にある時はそれを媒介にして根石先生やエリオット先生のような交流ができるのはやはりたくさ んの文章がすでに入っている場合であると思います。



838 ここがロードスだ、ここで跳べ 投稿者:PB 投稿日: 9月 4日(火)23時38分42秒

根石先生、

浜谷さんのHPのリンクで、こちらのHPを知りました。 日本の英語教育の為に尽力されているご様子、頭が下がります、と共に、教えられる所も多く愛読さ せて頂いています。 私も出来る事なら、電話によるレッスンを受けたいと思っている所です。 

さて、すこし古い話になりますが、この投稿欄でこうじさんの100%の聴解について大激論がありましたね。 激論というよりは、私には、こうじさん袋だた き状態の様にも受け取れました。 

しかし、こうじさんは何故、ああまでこき下ろされなければならなかったのでしょうか?

100%理解などと言う大風呂敷は、この投稿欄程度の”大風呂敷”にはそぐわないからでしょうか? こうじさんは役に立つ学習のヒントなども提供されてい た様に思いますし、参考にもなりましたが。 

そんな物をありがたがる私も、先生にとっては、同じ様にアホなのでしょうか? だとすれば、私には、このHPを拝見する価値もないですね....

私は教育者でもなんでもなくただの英語学習者ですので、難しい事は何一つ解りません。

ただ英語の学習法は向き不向きがあると思いますので、どれが正しい、と言う事はないと思っています。 私の様な、一般の英語学習者にとっては、自分の性分 にあっていて続けられそうなものが一番、との認識しかありません。 ですからこうじさんが、100%理解を達成された、と言われれば、とにかくその方法で 私もやってみようか、と言う、それだけの事です。 

第三者として傍観していたのですが、ちょっとおとなげないなぁ、と思ったのです。 

あの様な場外乱闘状態の言葉の応酬を見ていると、思わず、「あんたら、そこまで言うなら英語で正々堂々と喧嘩してみんかいっ!」とヤジを飛ばしたくなるの です。 こうじさんが逃げている、と見る人もありましたが、こうじさんの穏やかな反論振りに対し、根石先生もElliotさんも、過剰反応だった様に受け 取る人もありました。

英語の上達法やご自分のレベルについては、百の御託を並べるより、こうじさん、Elliotさん、根石さんで、英語でオンライン討論をなさった方が、説得 力があった様に思います。 お三方の持論を強力に裏付けられたと思うのですが。 

こうじさん、会う機会がないとおっしゃいますが、こんな時こそ、インターネットです。 ご自分の英語力をお二人に示して名誉挽回されるべきでしょう。 

今度、こうじさんが投稿される機会があれば、口汚く罵って退けるより、だれもが納得できる様に英語で討論をなさって下さい。 読者の側も、辞書を片手に英 語の勉強もさせて頂けるし、一石二鳥だと思いますが。

古い話を蒸し返す様な事になりましたが、一愛読者の素直な感想と提案です。 気に入らなければ、二度とアクセスするな、と言われそうで、ちょっと恐いです けど。




841 大風呂敷でも懐は「浅い」 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 5日(水)09時10分23秒

PB様

 書き込みありがとうございました。
 掲示板を開設していてうれしいと思うことの一つに、初めての方が書いて下さることがあります。ずっと読んでいたと言って下さると、さらにうれしさが増し ます。くたくたになりながらやっていたかいがあったと思う時です。なにしろ、生活が不規則で、年がら年じゅうひどい下痢をしながら、体に力が感じられなく なっていても、へばりつくようにコンピュータに電源を入れることがあります。若くないんだから、いいかげんにしろと言われることもあります。
 
 こうじさんのことを蒸し返して下さり、ありがとうございました。本来、この掲示板の蒸し返し役は私なのですが、書かれたばかりの記事に対してすぐにお返 事した方がいい場合もあり、今回もそういうケースですので、蒸し返しの方はストップさせます。いずれ、また蒸し返しはやろうと思っています。具体的な記事 は古くなっていっても、日本の英語の複雑骨折状態は決して古くなることはなく、学校英語や受験英語から日々新たな犠牲者が生まれているのですから、問題そ のものは古くなることはありません。時間をかけて、古い記事に含まれている問題を蒸し返そうと思っています。

 さて、こうじさんに関してです。
 「あんたは信頼しない」と最初に書いたのは私です。なぜ信頼しないのか、その根拠は示さなければなりません。蒸し返しになりますが、再度考えてみます。
 こうじさんは、最初「私は100パーセント英語が聞き取れる」と言ってこの掲示板に登場したのでした。それが、どういうことを言っているのかわからない ので、100パーセント聞き取れるということは、英語のすべての単語を知っているということになるが、あんたは知っているのかと私は聞いたと思います。そ れに対して、こうじさんは、知らない単語が含まれている場合は、それが字に書ける状態だと答えました。
 私は自分が英語を聞いている状態のことを翻って考えてみました。聞き取れている場合は、字で書いて見ろと言われると、その文の全体を書くことができま す。聞き取れていない場合は、単に知らない単語が含まれているだけの場合と、知らないものが単語だけにとどまらず、語法的に未知である場合とがあります。 つまり、「100パーセント聞き取れる」というのは、単に単語をいっぱい知っているということにとどまらず、英語のあらゆる語法に通じていることも意味す るはずです。

 いずれにせよ、単純な原理が取り出せると思っています。「知らないものは聞き取れない」という単純な原理です。そして、語法や単語を100パーセント知 ることはできないのだから、100パーセント聞き取れるということは成立しない。成立可能なのは、「100パーセント聞き取ろうとすること」だけです。

 こうじさんが、「私は英語を聞き取る耳がいい方だと思う」とか、「ニュースの英語に限れば、100パーセント近く聞き取れるようになった」というような 限定を置いてものを言われたのなら私は信頼したと思います。そして、どんな訓練をしたのですかと質問していっただろうと思います。
 「知らないものは聞き取れない」のですし、「聞き取れる」というのは、単に耳が音を聞いている状態ではなく、内容の把握が同時に行われている状態だと思 いますので、こうじさんの言われていることは原理的に成立しないと言った覚えがあります。

 「100パーセント」という語に過剰に反応しているのだという第三者の目からの判断は正確だと思います。しかし、私は人の言うことを信頼すべきかどうか 判断し、すでにそれに関して発言してしまっていたので、議論においては第三者ではありませんでした。「過剰反応」みたいなものは、議論にはどうしても避け ることができないと考えています。そもそも、議論などというものはそういうものです。
 懐が浅いという言い方は日本語にありませんが、お前は懐が浅いんだと言われれば、それはそうだと答えるしかありません。英語に関する議論に関しては、私 はきわめて懐が浅い男です。日本人が使うある種の英語に対する強い嫌悪があるためです。

 時間がとれません。まだお答えしてない問題については、後日必ずお返事いたします。申し訳ありませんが、今の時点ではここで中断いたします。

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842 いつでも歓迎 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 5日(水)09時34分29秒

ST さん

 もちろん、こうじさんが登場したければいつでも登場してくれればいいのです。
 私は、こうじさんにここへ書くなと言った覚えはありません。馬鹿なことを言うなと言っただけ
です。
 浜谷さんが、先日拙宅に見えられたとき、こうじさんはその後、浜谷さんの掲示板にしばらく書
き、浜谷さんの掲示板からもいなくなったとおっしゃっておられました。
 私は、こんな疲れる議論をしていて何になるんだろうと思うことがよくあり、たかが語学じゃね
えかとか、たかが英語じゃねえかと思うこともあり、時々、すべてを放り出したくなります。
 「たかが英語、されど英語」と思って、またコンピュータに電源を入れるのは、日本にはいまだ
まともな語学論が成立していないと思うためです。語学に働く原理をとりだすことは、一つの思
想たりうるんじゃないかと思うのでなければ、こんな掲示板など掲げません。
 ネイティヴ言語の習得過程を語学に重ねてその類似点を言うようなものは目にしますが、ネイテ
ィヴ言語と語学の根底的な違いを明らかにするようなご苦労なことは誰も手をつけていないと思
っています。議論というフィールドでも、実は語学は「たかが語学」で片づけられているのです。

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843 変形の奨め 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 5日(水)11時35分47秒

Eliot 様

 
>しかし、その日本語人が一英語使用者として英語を使う際は It's getting colder
morning and evening.と言ったからといって非難されることではないでしょう。ただ
し、It's getting colder in the mornings and in the evenings.という表現に比べて、
日本人の語感により適した表現であり、相互文通が生じる可能性を秘めているものとし
て morning and evening の方が推奨される理由もないと思います。ただ単に in the
mornings and in the evenings を知らなかった(または思い浮かばなかった)ので、
morning and evening と言ってしまったが、通じた(または、そこから面白い話に発展
した)ということもありうるということでしょう。

 「机上」で、in the mornings and in the evenings を練習する必要があるという前提は絶対です。語学は「すでにあるもの」「既定のもの」を媒介にします。
 しかし、生活過程では、「すでにあるもの」「既定のもの」にとどまる必要はまったくない。語学的な「正しさ」にとどまる必要もない。これははっきり言わ ないと、教室的正しさが、日本人の英語が生活過程に渡ることの足をひっぱります。あるいは抑圧に転じます。
 英語と日本語の間には、シンタックスの齟齬という大問題が横たわっているのですから、その上に正しくしゃべろうなどと思った日には、英語なんぞ使えたも んじゃない。いいかげんな英語でもいいんです。私も、いいかげんな英語をしゃべって、そっくう、もっとはっきりとものを言いたいもんだなあと思ったり、 片っ端から一発で聞き取ってみたいと思うから、再び「机上」に戻るわけです。
 私が「机上」で扱うものは、教室的正しさ「でもある」わけですから、私が教室的正しさを否定しているのではないということはおわかりいただけると思いま す。
 ですが、「机上」においても、私は「正しさ」よりも「練習の激しさ」をより重要に考えています。練習が激しければ、正しさは後からついてくると思う者で す。方法が間違ってしまうとどうしようもありませんが・・・。

 私の生きている場所では、「教壇」は無化されています。塾でもそうです。教壇は存在しません。黒板と教壇の無化。これが素読舎の思想です。まあ地元での 評判はかんばしくありませんので、食い詰めて存在しなくなるかもしれない塾ですが、提示してきた思想というものはあると思っています。

 in the morning and evening をすでに「机上」で媒介にし終えていても、生活過程で、morning and evening の方が自分の気持ちにぴったりすると思えば、それはどんどん使っていい、使うべきだという考えです。「推奨される理由」は、それが気持ちにそぐうかそぐわ ないかだと思います。
 通じなければどうしようもないが、そこから相互交通が生じうるだけの質が備わっているなら、日本人は自分の気持ちに「なるべく」沿った英語を使うことの 方が推奨されるべきです。
 これは、日本人は日本人として英語に変形を加えてよろしいという考えです。これを私は推奨します。アメリカ人が英語に変形を加えてきた歴史は容認する が、日本人が英語に変形を加えることは「正しくない」なんて、そんな馬鹿な話はないと思います。
 「非難されることはない」どころじゃなくて、「やっていいんだ、やれ」です。

 以上の話の外側に、日本語でしか言えないことがあり、英語でしか言えないことがある、という大前提があることは申し添えておかなければならないことで しょう。

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844 ご、御無体な... 投稿者:PB(小川住江) 投稿日: 9月 5日(水)13時28分43秒

根石先生、

早速お返事が入っていて大感激です。 お忙しいにもかかわらず、たわ事につき合って頂き恐縮しております。 「どうせ一蹴されるか、一笑に伏されるかの末 路だぁ」と思ったので匿名で出しました。 失礼をお許し下さい。

こうじさんの「100%聞き取り」、はあながち眉唾ではないと、私は思っています。 先生の言われる様な厳密な意味合いでの100%理解、と言うのであれ ば、確かに誰にも出来ないだろう、と思います。 こうじさんが、「知らない単語であっても文字化出来る」、と言われるのであれば、それは100%聞き取れ る、と言っても差し支えないと思うのです。 

英語は50万単語あるとか、Oxford大学出版のカタログで読んだ記憶があります。「50万語を熟知している、すべての語法に精通している」、などと言 う前提に立っての議論は空しくはないでしょうか? (「ちょ〜むかつくぅ」レベルの泡沫新語、刻々と生み出される造語なども含めるとネイティブスピーカー の言語学者でもお手上げでしょう。) 
 
私などは、言うまでもない事ですが、こうじさんも、(極論すれば)諸先生方も、所詮は外国語の学習者でしかありません。 こうじさんも「100%聞き取れ る」と言う言葉を不用意に口にしてしまったばかりに、こういう事態になってしまったのだろうと思うのですが、 しかしそうではあっても、ネイティブスピー カーにも叶わぬ事を人に突き付ける、というのは「余りにも御無体」、と言うのが私の率直な思いです。

また、こうじさんが、「相手を信頼すれば聞き取れる」と言う事を言われていますが、これも理解し難い事でもありません。 「聞く耳をもたない」、「相手に 関心がない」、「こいつの言う事など端から信用出来ない」等々、話手に対する好悪、先入観などの心理的な障壁が理解を妨げると言う事は、よくある事ではな いでしょうか? 

相手を理解しようと専心すれば、相手の言いたい事が見えて来る、と言う場合も多々あると思っています。 これは国際人として(「大きく出たな」、とのつっ こみ、いたみ入ります)言語修得以前の心構えの問題ではないでしょうか。 

「日本の英語教育が複雑骨折している」、とは言いえて妙です。 しかし、ご存じの通り、現場で足掻いている英語教師も少なくない事も事実です。 

私の友人にも高校の英語教師が何人かおりますが、教授法をわきまえた人達もおられます。 松香フォニックス研究所のワークショップに自腹を切って通う人も おり、新しい教材を探しにOxford、Cambridge大学出版、Longman社などが主催する、数時間にもわたる英語でのワークショップに定期的 に参加する人もおります。 

しかし哀しいかな、大学受験という壁に阻まれてにっちもさっちも行かない、というのが現状の様に聞き及んでおります。 もっとも、これも根石先生、 Elliotさんが、とっくの昔にご承知の通りです。

英語教育の複雑骨折には、私共、生徒の親にも大きな責任があると反省ひとしきりです。 とにかく英語の成績さえ上げてもらえれば、と言うせこい考えを捨て なければなりません。 が、これがまた、大方の親には一苦労でして。 根石先生は、さぞかし保護者の啓蒙にも御苦労されていると拝察しております。

話が脱線してしまいましたが、接骨医もびっくりの英語教育の症状には、根石先生の荒療治も必要であろう、とお察し致します。 何かを変革しようと志を持た れた方は、ある種の狭量さと頑迷さがなければ、突き進んでいけないのだろう、と思います。 

しかし、方向性は違えども、こうじさんも同じ憂いをもっておられると思うのです。 たとえ、「こうじさんと同列においてくれるな」、とおっしゃろうが、私 の目には、どちらも英語救世主に映っております。 「なんとか穏やかに話し合えないものか、ここでこじれると、ますます骨が砕けて再起不能になるのではな いか」と、田舎のおばちゃんはオロオロするばかりです。

いづれにしろ、これはド素人の感想ですから、生ゴミの回収日にでも捨てちゃって下さいませ。 ただ、こうじさんに対する罵倒、あれは先生やElliotさ ん一流の挑発だったのかも、とおもってはいるのですが。 

先生のHPは、今後も愛読させて頂きます。 「二度と見てくれるな」とおっしゃっても、残念ながら無理です。 これが、インターネットの数ある弱点の一つ ですね。

英語討論が実現する日が来る事を楽しみにしております。




845 こうじさんの風呂敷 投稿者:もっこり 投稿日: 9月 5日(水)14時52分39秒

PBさん、こんにちは。
久しぶりに過去ログを読んでみました。

議論に乗るということは、相手の発言に関心があり、
共通理解を得たいという意欲の現れだと思います。
その意味でこうじさんの風呂敷は面白かったんだけど、なんだか穴だらけの風呂敷でしたね。
そして最後までその穴をふさがずに(本人はふさいだつもりだったのかもしれませんが)
いなくなってしまいました。

一番残念だったのは、こうじさんの信奉しているFOXテレビのアンカーマンさながらに、
根石さんが、議論(口論)を仕掛けているのに、
こうじさんは、「批判はするな」「私の言う通りにやればわかる」といって、
議論を避けてしまったことです。

意見を主張すれば、それに対する反論、異論がでるのは当たり前、
こうじさんの好きなFOXニュースなんかは、相手の言葉尻を取る、こじつける、
大声で相手を威圧する、なんでもアリの世界だと思います。
それに比べれば、ここでの議論は、いつでも意見を主張できる場は確保されているし、
その意見をきちんと読んだ上で反論されていたし、しごく真っ当に展開したはずなのですが。

英語の世界では丁々発止議論できる(はずな)のに、
日本語の世界では「うんうん君の言いたいことはよくわかるよ」
という共感だけをほしがるのはどうしてなのかな、という疑問を、私は抱いていました。
今でもその感想は変わりません。
日本語による「感情の受け渡しの訓練」は必要ないのかな?




846 弁護側最終弁論 投稿者:PB 投稿日: 9月 5日(水)15時46分19秒

私が問題にしたのは、7月頃の投稿だったと思います。 今辿ってみましたが、もう記録がありません。 

頼まれもしない最終弁論をさせて頂きます。 

相手がどうであれ、「おめぇなんかに」、とか、「アホ」、「糞」よばわり、を論理的で客観的な反論だとか議論だとかおっしゃるおつもりでしょうか。 (こ の言葉を引き合いに出すのは、今まで随分とためらいがあったのです)

辛口の、あるいは強面の等々、いろいろの言い方がありましょうが、文字でしか理解しあえないネット上のやりとりでは、表情や人柄が見えて来ない以上、ひと りよがりな言葉使いを避ける必要もあるでしょう。 (言葉遣いを云々するのは、根石さんのお嫌いなPTA 婆あの特性ですね。) 

私は浜谷さんから、根石さんのお人柄を聞いていますので、言葉を額面通りに受け取ってはいませんが、(額面通りだったのでしょうか?) 一般の読者はどの 様に感じられるでしょうか。

私なら、糞、よばわりされた所では、口も聞きたくなくなると思いますが。 根石さんや Elliotさんが、取り巻きの方達に囲まれておられる親分なら、いざ知らず、学習者の力強い水先案内人としておられるのなら、もうすこし違った挑発の仕 方もあったろうと、思ったまでです。

まったく私も暇な人間だと反省しています。 日に何度もこのHPを覗いているんですから。 
家事に専念します。 ごめんなさい。

カルチャー婆あ




850 ありがとう。 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 6日(木)02時16分04秒

>「アホ」「糞」言ってるのは根石さんだけですよ。Eliotさんは至極紳士的。「罵倒」してい
ませんよ。

 客観的に論理的にそうですそうです。
 それが Eliot さんに対して、私が物足りなく思うところであったと、仮に、そうだとしても、
それは人間それぞれの限界というものがありますから、駱駝の背中に藁一本乗せただけで足が折
れるという世界は確実にありますから、私は重さのある藁は乗せないでおこうと思う。
 言葉というものをなめないでね、言葉が学校的な正しさの中に納まっておとなしくしているだ
けのものだとは思わないでね、という重さのない抽象の藁一本を置くだけです。


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854 正統な輸入 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 6日(木)16時27分37秒

小川さん

 うっちゃいといてくれと言われても、なかなか書く時間がないだけで、考え始めることは始めてしまったんで、じゃあ、一つ二つだけ。

 糞、馬鹿、あほ、たわけなどと言語道断の言語を使用したのは、ひたすら私一人ですが、これらの呪的な言葉の多発は、やはり「100パーセント」という近 代科学的言辞が引き起こしたものだったと思います。こうじさんも学習法などには、なかなか呪的なものがありますが、その学習法の成果に自分で「100パー セント」などという背広を着せたのが気に入らなかった。だから、うっせえ、このやろ、なんだその背広は、みっともねえと言ったのです。
 私が嫌いな日本人の英語のタイプというのははっきりあります。日本に住んでいることの言語的磁場の足元が見えなくなってしまっているタイプです。このタ イプの人は日本語が奇妙にデオドラントなものになります。日本語に味がなくなる。これは、英語をやることがもたらす恐ろしい作用なんですが、そのことに まったく無自覚であり、英語の発達だけを「善」とする涼しい顔した御仁です。
 端的に、こうじさんの持っている英語と日本語が私の嫌いなタイプのものだったのです。私が嫌いな言葉のタイプを作るための学習法を私が蹴飛ばすことは しょうがありません。
 一方、私はお茶のみ話だけしているつもりもなくて、真剣に話そうとしたつもりですが、こうじさんはのらくらと逃げておりました。難しいことになると応え ないのです。考えろよ、このやろ。ちゃんと働けよ、と私は思いました。あまりに空振りが大きいので、結果、糞大スターマイン、馬鹿スターマイン、あほ仕掛 け花火などごうせいに上がりました。経過があっての結果です。
 英語の上達のためにキリスト教に入信することが持っている意味など、私は今でもはっきりさせたいのですが、「何か悪いんですか」ってなことを言ったき り、こうじさんは登場しなくなりました。冗談じゃねえや。宗教一つで、今現在も、世界でどれだけの血が流れているか。この人は、宗教や思想というものが切 れば血が出る生身のものだとは思っていないのです。
 もっこりさんの誠実な反論にも、こうじさんはまともに答えるということがなかった。こうじさんは英語のディベートはやった人じゃないかと思いますが、い や、そうじゃねえや、あの方は夫婦喧嘩が英語なんだ、まあ、いずれにせよ、日本語での議論において誠意がなかった。もっこりさんも淋しい思いをしただろう と思います。

 日本語での議論に誠意がない日本人に、英語で議論すれば誠意が生まれるのでしたら、やってみてもいいですが、そんなことはあることでしょうか。

 私は「100パーセント」と書かれれば、「100パーセント」という言葉を、「100パーセント」という言葉として、受け取ります。今後も、その他の言 葉として受け取ることはしません。ここを崩せば、それこそネットの上の言葉は、すれ違いだけを引き起こすようなものになります。

 私が「馬鹿」と書くのでも、馬鹿だと思うから馬鹿だと書くのです。本当にそう思っているのです。

 「100パーセント」という言葉の使い方に、私はこうじさんの日本語に対する「鈍さ」を嗅いでいたのです。その臭いが最初からしました。読んでいるうち に、この日本語に対する鈍さは、英語をやりすぎて日本語を駄目にしたところから来るんだろうと思ったのです。英語使いには、日本在住のままに日本語の亡者 になる人がいっぱいいます。英語ばかり見ていて日本語を見なかった人の自業自得であり、深い病だと思います。
 英語をやったら、それを日本語の活力にしろ。これは、密輸入じゃない。もっとも正統な輸入なんだ。英語をやって日本語の活きがよくなるんじゃなきゃしょ うがねえ。(英語が使えるようにならなきゃしょうがねえってことも、もちろんありますが、そこにとどまるつもりはありません。)

 是非また書いてくださいね。


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855 100%聞き取り(私も結構しつこいなぁ) 投稿者:小川 投稿日: 9月 7日(金)00時03分13秒

根石先生、

こうじさんののらりくらり振りが、憤怒の発端だと言う事、分かりました。 「糞、バカ、たわけ」呼ばわりは、根石先生のキャラクターの一部、と言う事 で.... 理解しました。 

(くせはあるけど、誠実な方らしい、と納得してます。これが誤解による理解なのか、理解に基ずく誤解なのか、ようわかりませんが。)

私、ゆうべ、つらつらとボケ切った頭を抱えて考えてみて、(これは浜谷さんにもメールを出したのですが)ふと思い付いたんですが、、、

字幕翻訳家(っていうんですか?)なんかは、100%聞き取ってませんか、ね?  こうじさんは別にして、(別にしとかないと、また乱闘になってしまいそ うなので) 例えば、戸田奈津子さんはどうなんだろう? この方は、日本で英語を修得された方だと聞いていますが。 ド素人の素直な疑問です。 「何遍説 明したら、分かるんじゃ、どあほ!」との怒号と共に、卓袱台のひっくり返る音が聞こえる様でので、あたふたと退散しますっ! 

もっこりさん、根石先生は、あなたの敬愛される先生なのだと思います。 援護射撃ぶりから推察出来ました。 いろいろ先生を非難して、嫌な思いをなさった でしょう。 ごめんなさいね。

投稿はまたさせて頂きたいと思います。   

でも〜、「おめぇぐらいの英語なら、こちとらにだってできらぁ」と言った類の口げんかは、英語でやるのが一目瞭然で面白いと思います。 外野もやんやの喝 采です。 (しかし、私って、本当にしつこいなぁ)

糞ばばあ




856 戸田さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 7日(金)01時43分16秒

戸田奈津子さんですか。私は映画に詳しくないので、女房や村田君ならお返事できると思います。
でも、戸田奈津子という字は映画が始まるときか終わった時か覚えてないけど、何度も見た覚えが
あります。うまいよ、これ、と思ったことは何度もありますが、それが戸田さんだったかどうかは
記憶に自信がありません。
聞き取れるのが100パーセントだとは思わないんですが。映画の場合は、スクリプトがあるわけ
ですから、戸田さんはスクリプトを手に入れて仕事をしていると思いますよ。
「戸田さん100パーセント」は幻想じゃないでしょうか。
うまいよこれ、と思ったのが戸田さんの仕事だったとして、戸田さんは、日本語の話し言葉がよく
わかっている人なんだということだと思います。

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858 この世に100%なるものがありますか 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 9月 7日(金)04時25分54秒

カルチャー婆さんへ

わたしも「100%聞き取れる」というコトバに違和感を抱くものです。
日本語として、なにかが違っている。「腑に落ちない」ないのです。

「100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから「腑に落ちない」
というコトバは理解できないということになりますね。すると、100%
とは言えないのではないでしょうか?

戸田奈津子さんが引き合いに出されていますが、「100%聞き取れる」
ひとだとお考えのようにですね。
逆に、「100%聞き取れる」ひとは、戸田奈津子さんの字幕などは簡単に
できることになるのでは?

上の疑問にお答えいただければ幸いです。お待ちしています。

ちなみに、わたしの考えるところでは、日本語の会話でさえ、言ったこと
の50%も相手に伝わっているかどうか。怪しいとにらんでいます。
これは理屈ではありません。「経験から来る知識」いわば世間知です。
コトバは人の様々の理解のレベルにさらされているのだなという思いです。

さて、「100%聞き取れる」ひとは、以上のことは「100%聞き取れる」
わけですよね。



859 100%問題のつづき 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 9月 7日(金)05時45分44秒

カルチャー婆あさまへ

つづけます。「100%聞き取れる」ひとについて、何だか書いている内に
腹が立ってきました。「馬鹿、クソ、」などの罵倒語が口から飛び出しそう。
それは根石先生におまかせます。

「100%聞き取れる」。このコトバには、世間知の琴線を逆なでするものが
ある。とても無神経なものが。そして傲慢なものも。

では、お聞きします。「ひとには理解できないものがある」「人間の心は
わからないものだ」などのコトバが世間にはたくさん転がっていることは
ご承知だと思います。このたぐいのコトバは、ひとが様々な体験から得た
知恵を示すものではないでしょうか?

とすれば、「100%聞き取れる」と公言するひとは何者なのでしょうか?
わたしには、ひとのコトバを洞察しようとする態度が欠落しているように
見えます。とても知恵者には見えません。カルチャーが欠けているといえ
るのではないか?

コトバは、とても重層的な構造で、そのひとなりの理解力にゆだねられて
いると考えます。つまり、コトバの聞き取りは、表面を見取るだけで、
「他人のうかがい知れない人生」を知ることはできないないわけです。
婆さまは、どう考えられますか?

戸田奈津子さんの仕事は、ただ者にはできないこと。「100%聞き取れる」
だけのひとができることではありません。わたしの世間知がそう告げてい
ます。
どう思われますか?

たくさんの問い掛けは、困惑されることと思いますが、
お答えをお待ちしています。





860 ただの技芸 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 7日(金)13時19分06秒

英語嫌い人様

書き込みありがとうございます。英語なんぞに興味はねえという方の書き込みも必要だと思いま
した。
英語の聞き取りというものは、それが練習段階であるならば、技芸の一つです。
技芸にとどまっているうちは、100パーセントも、理念としてなら大いに結構。その場合は、
「100パーセントの聞き取りをめざす」という理念になるはずです。
 ひとたび生活過程に入るならば、自分が日本語をどう聞き取っているかをよく見てみれば、
「100パーセント聞き取れる」が、澄まし込んだ嘘だということがわかる。生活過程での
聞き取りというものは、相手の真意をくみ取ろうということであり、相手の言いたいことを
受けとめることと直結しています。この点では、英語も日本語も何の区別もする必要が生じ
ません。
 技芸なのか、生活過程なのかの区別を置かずに、無限定に「100パーセント聞き取れる」
ということは、ほとんど白痴的なもの言いです。語学と生活の区別がついていないのです。
語学が生活過程であるわけがねえ、ということは世間知を備えた人なら誰でもわかる自明の
ことなんですが・・・。
 英語の練習という技芸の世界をそのまま餅のように引き伸ばせば、生活過程に連続してい
るという幻想は非常に根強いものがあります。語学(技芸)という世界の果ては、断崖絶壁
になっており、そこでは人は何事かを大きく飛び越さなければなりません。この飛躍をして
も人間が壊れないで済むのは、異言語が形作る別の磁場という実体が存在し、そこに着地す
ることができるためです。その磁場に住んでいるのもまた人間であるという信によるもので
す。この着地に失敗すれば、人間は簡単に壊れます。だから、私は語学は人が思っているよ
りもはるかに恐ろしい行為だと思っています。

 人々は、語学をやることが断崖絶壁に向かって歩くことだとは思っていません。
 餅のように引き伸ばされた道がそのまま、異言語による生活過程に連続すると思っていま
す。実はそうではないと気づくためには、語学の本当の場所は意識以外のものではないと気
づくことが必要なのです。意識という繭の中の世界を十全に生きることが語学であり、繭の
外に出る(成虫になる)ことが、その言語で生活過程に渡ることです。繭という意識だけの
世界を破って外に出ることです。外気にさらされることです。
 私は昆虫の気持ちはわかりませんが、語学という繭の外に出て生活過程に渡ることは、私
の覚えているかぎりでは異様な感覚のものでした。アメリカ帰りのアメリカ英語は、アメリ
カに渡ったばかりのときの異様な感覚をさっさと忘れたふりをしていると私には見えます。
 また、この磁場の力に大きく頼って成立した英語能力は、磁場を欠いた場所(日本)で獲
得した英語より、レスポンス能力は格段に優れていますが、この英語がどう逆立ちしてもで
きないことは、英語能力が日本語能力にはねかえり、日本語に活力を与えるというダイナミ
ズムを生きることです。こればかりは、一見不毛に見える「日本在住の英語学習」にしかで
きないことです。語学の富はここに潜んでいる。ぺらぺらしゃべれてステキ、なんぞにはな
い、そう思っています。

 さすがに英語嫌い人さんの「しばり」はきついですね。

>「100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから
「腑に落ちない」というコトバは理解できないという
ことになりますね。すると、100% とは言えないので
はないでしょうか?

 この「しばり」はきつい。西洋論理的「しばり」です。お見事と思いました。
 おおかたの方には意味不明と受け取られるおそれがあるほどにお見事です。




861 戸田奈津子 投稿者:小川 投稿日: 9月 7日(金)23時03分03秒

そら、そうですよね。 スクリプトが有るんでしたよね。 

私は、端から否定せずに、当たり前の事でも、そう豪語する人がいれば、ちょっとそう言う事が可能かどうか、考えて見ようと思っただけなのですけど。 

「こういう場合は、どうなんだろ?  事情聴取なんかの際のテープを書き起こすと言う仕事の場合なんだけど」と、寝室の天井を眺め乍ら、今だに考えていま す。 

こうじさんのおっしゃってるのは100%聞き取れる、つまり、書取れる、と言う事に過ぎないと理解してたんですが。 なんか、お互いに、違う土俵で相撲 とってたんじゃないだろうか....

根石先生、「おめぇくれぇの」は先生のお言葉じゃありませんでした。 ごめんなさい。あの頃、あちこちから怒号が飛んでいたので、どなたかが、これに近い 事をおっしゃってた方があった様に記憶してたんですが。

カルチャー婆さま、と言われると随分、老いぼれた婆様の様に聞こえますね。 頭脳構造が単純なので「そう言う事もあるかもしれない」と思うしかない婆さん です。 すんません。

夜明けの行灯



862 夜中の3時まで飲んではるのです 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 8日(土)02時53分45秒

小川さん。(昼行灯より)

>「100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから
「腑に落ちない」というコトバは理解できないという
ことになりますね。すると、100% とは言えないので
はないでしょうか?

 この言葉は解説の必要があるかと思いました。恐ろしいことを言っていると思います。
 古代ギリシアの政治屋やカルチャー婆あたちが、ソクラテスを恐れたと同じように、現代日本の人々も恐れていい言葉です。しかし、日本語の散文として「イ マイチ」のところがあるので、日本語を日本語に翻訳する愚を犯さざるを得ません。
 ニュース英語のように、言葉が社会の共同的観念を頼りにし、その共同観念の射程の内で言葉が使われている場合は、「100パーセント(と言ってさしつか えないだけ)聞き取れるぜ、おらあ」っていうことは成立します。(私がこの社会の共同的観念駆使の世界において50パーセント以下であることはひとまず棚 にあげておきます。嘘じゃないですよ。本当に、私にはニュース言語は、私にリアルなものとして響かないのです。)
 しかし、語学の外、生活過程において、無限定に英語が「100パーセント聞き取れる」と言明することは馬鹿な話です。マイクロソフトの新製品の売り出し 文句(実際は売り出されない。やたらに遅れる。出たら出たで、品質は劣悪。(私のコンピュータは二日にいっぺんは「青く」なる))と同じくらい馬鹿な話で す。そんな文句にだまされたい人が何人もいたので、私はこの世から詐欺がなくなることはない、とつくづく思いました。
 こうじさんの言いぐさを、もっこりさんが、テキ屋の口上と言いましたが、的を射抜いていると思います。小川さんに言っときますが、もっこりさんは単に私 の生徒だというだけではありません。この人の眼力を私は信頼しています。
 小川さん、「カルチャー婆あ」などと自称してはいけません。カルチャー婆あども(の泥のようなニヒリズム)こそが、あのオウムを産んだのです。

 さて、英語嫌い人さんの言葉に戻ります。
 言葉がニュースのように共同観念に大きく依存しているのでない場合、しかも、言葉が生活過程で交錯する場合、つまり、生身の人間が生活過程にある場合で すが、ここでは、一挙に言葉の「聞き取り」が難しくなります。この難しいところを、人々は毎日、平気で生きています。恐ろしいと言えば、空恐ろしい場所を 生きているのが「普通の人々」です。

 以下が英語嫌い人さんの日本語から「日本語への翻訳」です。

 「100パーセント聞き取れる」人には、不明なものは生じない。すべてが手に取るようにわかる(絶対的な)能力を持っている。だから、この人には「腑に 落ちない」ということは生じるはずはない。(生活過程において)「100パーセント聞き取れる」ということは、「100パーセントわかる」ということであ り、自分に「腑に落ちない」ことが一つでも含まれていたら、「100パーセント」ではなくなってしまう。
 従って、この人が「絶対に」わからないことは、「腑に落ちない」ということで「なければならない」。(「腑に落ちない」ということがわかったとたんに、 この人の絶対的な能力が相対的なものになってしまう。そしたら、それまでの能力はゴミになってしまう)。
 この人は、「腑に落ちない」ということがあるとわかろうとしない。
 しかるに、「普通の人々」の娑婆は「腑に落ちない」ことに満ち満ちている。
 「100パーセント聞き取れる」つまり「全部わかる人」は、この娑婆が「腑に落ちない」ことだらけであるということもわからない人である。
 そんなこともわからない人が「100パーセント聞き取る」ことがどうしてできるのか。そんなことさえわからないままで・・・。
 100パーセント嘘である。

 英語嫌い人さんが言っていたのは、そんなことではなかったかと思います。誤訳を恐れています。
 翻訳って、本当に清水の舞台から飛び降りるようなことですね。

 やはり、翻訳は原文より長くなります。戸田さんの才能がうらやましい。

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865 では、一言だけいわせていただきます。 投稿者:Tackchan 投稿日: 9月 8日(土)03時37分29秒

100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから
「腑に落ちない」というコトバは理解できないという
ことになりますね。すると、100% とは言えないので
はないでしょうか?

本当にこうなりますか?
”腑に落ちない”という言葉を私は通常「言っていることは分かるんだけどどうも腑に落ちない」
という意味で使っていますが・・
私の中では”腑に落ちない”というのは【言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる】という意味だと思いますが・・・如何でしょうか。

まあ、余計な御世話だとは思いますが・・・「随分と哲学的になってんだよ」と言われましたので
あえて反論を加えさせていただきました。



866 紛糾の続き(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 8日(土)15時17分54秒

Tachchan 様

 まあ、「哲学的」はなかば冗談ですが、「100パーセント」の話がずっと続いてきたわけじゃなくて、小川さんがたまたま最近になって蒸し返してくださっ て、この話になってるんだと申したわけです。しょうがねえ掲示板だなと言われるのは「腑に落ちない」、と。
 「言っていることは分かるんだけどどうも腑に落ちない」という意味で、英語嫌い人さんも「腑に落ちない」という言葉を使うと思います。それは英語嫌い人 さん、Tachchanさん、私の間でただちに相互了解が成立すると思います。いまだになかなか相互了解にならないのは、こうじさんの言った「私は英語が 100パーセント聞き取れる」という言葉です。
 英語嫌い人さんは、「100%なわけですから」と言っており、絶対的理解力、全知全能というような意味で使っておられます。英語、日本語の区別はしてい ません。また、語学の場のことより、あくまで生活の中の言葉の生態を考えておられます。
 いずれにせよ、お前、人間のくせして、自分が全知全能みたいなこと言うのかよ、というむかつきを引き起こす力は、こうじさんの「100パーセント」とい う言葉にあったということだと思います。
 場を生活過程に「限れば」、私は英語嫌い人さんの言い方が「哲学的」にまったく成立すると思っています。お見事だと思いました。だって、なにしろ、こと は「100パーセント」なんですから。しかし、生活過程のことを「哲学的」に扱ってどうするってんだ、生活過程のことは生活過程のこととして、生活過程で 扱えという Tachchan さんの言い分もわかります。(こう「意訳」しちゃってよろしければですが・・・)これについては、英語嫌い人さんと議論してみて下さい。

 しかし、そもそもは、こうじさんが語学と生活過程をまるで区別しないで、「100パーセント」などと言ったことが紛糾の元でした。この人は本当に、その 両者に何の区別もおいていないあぶない人です。おまえさん、そのままだと語学に食われちゃうぜ、と私は思っています。
 語学は危ない行為だというのは、私の持論の一つです。

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867 紛糾の続き(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 8日(土)15時18分56秒

 語学の結果だと思うのですが、こうじさんは日本語の言葉の感覚が鈍いわけです。しかし、こうじさんの言葉は、圧倒的にこの掲示板では人気があります。こ んなに人々にエネルギーを使わせ、考えさせ、人と人の間にごちゃごちゃを置く言葉を最初に書いたこうじさんは、本人に自覚があるかどうか、まあ、大した才 能です。困った才能なんですが・・・。
 人気のことはともかく、ことの真偽について書きましょう。
 「100パーセント聞き取れる」ということは、本当のところどういうことを言っているのかはっきりさせてくれと私は今でも思っています。こうじさんは知 らない単語があれば、それが字に書ける状態だと言いましたが、これは、簡単な文の中に単語が一つだけというような時に成り立つだけではないかと思います。

I can't ***** out what he said.

 なら、***** のところを聞こえた通りに字に書いてみようとすることができます。しかし、その場合に、純粋に音素だけに頼って、その音を何通りにも書くことが可能であっ たら、一連の字の組み合わせは確定できません。このことは英語にはよく起こります。つまり、書こうとしても確定できないということが起こります。あるい は、確定してみたところで、意味のない(存在しない)単語を書くことになる可能性が大きい。
 弱音、中間音、消失音は書こうとしても書けないか、難しくなります。しかし、こちらは標準とされている英語の癖を掴むことで解消可能でしょう。こうじさ んはこのレベルはクリアした人だと思います。私はまだ途中にいます。
 個人の癖や、他の外国語の音の影響を受けた英語の音はさらに確定しにくいでしょう。これは、その個人とのつきあいの長さによって解消されますが、こうじ さんの言い分からは、個人とのつきあいという「生活過程」のことは完全にすっとんでいます。(またこうじさん自身が、イギリス人と結婚しており、最小単位 ながら日本で英語の「磁場」を持っている人であることを、長いこと伏せたままで掲示板に書いていました。この「磁場」があるかないかで、語学はまったく違 う様相を見せることになり、同一のこととしては論じられないのですが、こうじさんはそれを隠したままで書いていました。このことは、まともに語学を論じる 意識があるのなら、最初に前提として書いておかなければならないことです)
 話に枝が生えましたが、「字に書けば書ける」問題に戻ります。
 たった一つの単語で、これだけの問題があるのに、

I can't ***** *** what he said.

 の ***** *** が ******** と聞こえたりすることも起こります。つまり、二つの単語なのか一つながりの一つの単語なのか、「知らない単語に関しては確定できない」という問題です。そ れが三つつながれば(実は三つかどうかも、それを聞いている人には確定できない)、「100パーセント」なんぞ軽く吹き飛ぶ。嘘つけ、このやろ、です。

 いちいち以上のことを確認してのことではないですが、私はきわめて簡単な言い方をしてきました。「知らないものは聞き取れない」。それだけです。こうじ さんの「100パーセント聞き取れる」は嘘だと思いますし、「知らないものは聞き取れない」は本当だと思っています。自覚があるのかないのか、こうじさん は嘘を言っていると思います。自覚があるなら、とことんやっつける必要があるし、自覚がないなら、困ったちゃんであります。
 以上のことは、この場をお借りして、小川さんの疑問に答えた部分が多く、Tachchan さんには自明のことが多く含まれていると思います。お許し下さい。

 見限らないでね。


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868 人世に100%は、ありますかな 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 9月 8日(土)21時11分35秒

Tackchan さんへ

>> 本当にこうなりますか?

そうなります。

>> ”腑に落ちない”という言葉を私は通常「言っていることは分かるんだけ
   どどうも礇に落ちない」という意味で使っていますが・・
  
腑に落ちない、とは辞書にあるとおり、合点がいかない、納得できない、という
ことです。たとえば「あの人の言っていることは、どうも腑に落ちないなぁー」
何かがしっくりこない。引っ掛かる。つまり言っていることが「何かがわからな
い」ということです。理解できないわけですね。わからない、という意味ですよ。

「言ってることは分かるんだけど」という言い方は、成り立たないと思います。
とても不自然な日本語の使い方に見えますが。
本当にそう思っているんですか?

>>【言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる】

矛盾した言い方ですね。失礼ながら失笑してしまいました。
逆に言えば「腑に落ちる」とは「ああ、それでわかった!」ということです。
つまり、わからなかったことが、わかったわけです。

「腑に落ちない」とは、言っていることに何かが足りないために、わからない、
ということです。

根石先生
日本語から「日本語への翻訳」。ありがとうございます。
とても、わかりやすくなっていると思いました。

カルチャー婆さま
>>私は、端から否定せずに、当たり前の事でも、そう豪語する人がいれば、ちょっ
  とそう言う事が可能か どうか、考えて見ようと思っただけなのですけど。

この文章は、私には意味不明ですね。何かいろいろ省略されているように感じます。
きちんと書いていただきたい。これでは、さっぱりわかりません。

>>「こういう場合は、どうなんだろ? 事情聴取なんかの際のテープを書き起こすと
   言う仕事の場合な んだけど」と、寝室の天井を眺め乍ら、今だに考えています。

心おきなくお考えください。時間は充分にあります。 

>>こうじさんのおっしゃってるのは100%聞き取れる、つまり、書取れる、と言
 う事に過ぎないと理解してたんですが。

なぜ「書取れる」になるのですか。「聞き取れる」とはっきり書いているではない
ですか。

>>すんません。

あやまる理由はないと思います。
  




880 もう一言だけ説明しましょう! 投稿者:Tackchan 投稿日: 9月 9日(日)02時36分56秒

腑に落ちない、とは辞書にあるとおり、合点がいかない、納得できない、という
ことです。たとえば「あの人の言っていることは、どうも礇に落ちないなぁー」
何かがしっくりこない。引っ掛かる。つまり言っていることが「何かがわからな
い」ということです。理解できないわけですね。わからない、という意味ですよ

あのさあ、納得できないということは少なくとも“相手の言っていることはは分かる”ということでしょう! 英語でいうとCANというとことですよね!
あなたが言っているのはCANの意味でしょう。
だって、少なくても相手の言っている事の意味を分からなければ”納得”と言う概念は出て来ませんよね!

言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる】

「矛盾した言い方ですね。失礼ながら失笑してしまいました。」

この発言のどこが矛盾しているのでしょうか、教えてください。
もし、説明できないのであればあまり人をみくだした言い方はしない方がいいと思うよ!




884 理解の階層性 投稿者:もっこり 投稿日: 9月 9日(日)04時32分32秒

Tackchanさん、

>本当にこうなりますか?
>”腑に落ちない”という言葉を私は通常「言っていることは分かるんだけどどうも腑に落ちない」
>という意味で使っていますが・・
>私の中では”腑に落ちない”というのは【言っていることは理解できるが、感情的には賛成しか>ねる】という意味だと思いますが・・・如何でしょうか。

「腑に落ちる・落ちない」は、Tackchanさんのおっしゃる「感情的な賛否」以外に、
「浅い理解から深い理解へ到達した・到達できない」ときにも使いますよね。

「三角形の3つの内角の和は180度である」
という公式(でよかったかしら?)があります。
この文の「三角形」「内角」「和」「180度」という言葉を知っていたとしても、
理解の仕方には、

(1)テキストを読んで、この公式を丸暗記する。(「三角形の内角の和は?」という問いには答えられる。)
(2)いろんな形の三角形を分度器で測ってみて、すべて180度になっていることを確かめる。
(3)この公式の数学的証明ができる。
(4)公式を使って応用問題を解くことができる。

と、いろんな段階があります。
で、(1)の段階だと、「なんとなくわかるんだけど、どうも腑に落ちないなあ」だったのが、
(3)(4)の理解に達したとき、「なるほど、やっと腑に落ちたよ」と喜ぶと、
そんな感じです。
なので、「腑に落ちない」ということばが、
「浅い(100%でない)理解に留まっている不全感」の表明というケースもあるでしょう。

もっとも、

>言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる

これはよく使う用法だし、矛盾しないと思いますが。



887 納得できませんね 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 9月 9日(日)10時20分13秒

Tackchan へ

>>納得できないということは少なくとも“相手の言っていることはは分かる”ということ
  でしょう!

違うでしょう。言ってることがおかしいと思います。「わからない」ということでよ。
それとも、こういう言い回しを使うことがある、ということですか? その場合でも、
“相手の言っていることはは分かる”の内実は「わからないけれども」ということで、
やはり受け止める側は「言ってることがわからんな」という意味ですね。

>>少なくても相手の言っている事の意味を分からなければ”納得”と言う概念は出て来ま
 せんよ

そうでしょうか。わからないから、納得できないのですよ。

>>言っていることは理解できるが、

つまり「理解できていない」のに「理解できるが」ということ。可笑しいです。
言い回しのことをいっているのかな?

>>感情的には賛成しかねる】

理性では賛成している、と読めますね。
「理解できる」「理性では賛成している」けれども「感情的には賛成しかねる」という
ことになりますが、意味がわかりますか? 矛盾していますよ、これは。分裂です。

>>これはよく使う用法だし、矛盾しないと思いますが。

もっこりさん
用法とは「言い回し」のことですか。
いま問題にしているのは「腑に落ちない」の意味ですよ。
その意味は「わからない」につきます。




889 ご無事を祈ります 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 9日(日)13時24分37秒

ご無事でなによりです。
私は御無事と、わざと書くことがありますが、「御」無事と、わざと書かれたのでしょうか。
旅の御無事と日本語の御無事をお祈りしております。

最近のおもしろくない記事は、実は「日本在住英語」の問題と太くつながっていると思います。
でも、また、だんだん、英語そのものの話に戻っていくでしょう。




891 腑に落ちない 投稿者:もっこり 投稿日: 9月 9日(日)13時51分44秒

英語嫌い人さん

たとえば、誰かが、「弘法筆をえらばず、ってなんて腑に落ちないなあ」
って言ったとします。
その人は「弘法筆をえらばず」ということわざの意味(名人は道具の善し悪しにかかわらず良い仕事ができる)は理解しているはずです。
一方で、「いや、やっぱり名人ほど道具を吟味するものじゃないかなあ」
「でもことわざになるくらいだから真理を突いているのかな?」など逡巡する気持ちがあって、
このことわざの教訓を全面的に受け入れられないでいる。
そこで「腑に落ちない」と表現する、っていうことはありませんか?
まさに、

>言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる

だと思うのですが。



892 社会人塾生ノート その1 投稿者:十三番目の使徒(笑 投稿日: 9月 9日(日)15時22分33秒

素読舎以前

 私は長野県で最大勢力を誇る教育団体(某信学会、そのまんまですが)で、小学校の6年間、英語をならっていました。
 理由はといえば、英語がやりたかったわけではないのでして…。私はその教育団体(何度も言うけど信学会です)の幼稚園に通っていて、卒園する時に「もう 幼稚園の先生とお別れしなくちゃいけないの?!」と思ったからです。小学生の英語の授業は、その幼稚園の中でやっていたので、英語をやりに行けば、ずっと 幼稚園の先生と会えるゾ、という、まったくもって不純な動機だったのです(やっぱりねぇ、という声がどこぞから聞こえてきそうですが…(笑)

 今にして思えば、そこでやっていたことは、英語で歌を歌う、とか、英語で劇をやる、とか、どっちかというと父兄にウケがよいことをやっていたような気が します。劇なんか何ヶ月も練習をやって、だけれどさっぱり当人は何をやってるかわからない、という状態でした。
 歌も、毎月別の歌をやるんですが、こんな感じでした。

「あーびわーきおんざれーるろー おーんざりぶろんぐでー」

 先生はきっと、もっと英語らしく発音していたと思うのですが、当時も今も、思い出してみると、自分が出していた音はこんな音です。十年くらい経ったある 時、あ、あれはもしかして「鉄道員」だったのではないか?と気付きました(笑)
(必ずしも遊びだけではなくて、ロールプレイなどもやっていたこと、身の周りの物の単語を覚えるということもやっていたことは一応補足しておきます。あ、 それから、先生は保母さんで、先生のことは大好きだったことも補足しておきます(笑)

 とはいうものの、中学では、英語の試験は楽勝でした。田舎の中学でしたから、たとえ遊びのようなものだとしても、少しでも英語(のようなもの)に触れて いたのは有利だったのかもしれません。

 そこで、私は、勘違いをします。
「俺って、もしかして英語できるんじゃねえの?」


893 社会人塾生ノート その2 投稿者:十三番目の使徒(笑 投稿日: 9月 9日(日)15時27分05秒

 勘違いしたまま、高校の1年半が過ぎます。それまでは、「感覚」で答えていたら、試験は高得点を取れていました。ところが、そろそろ、点数が伸び悩みま す。全国模試なんて、最低です。「おかしい。俺、いけてるはずなのに!」
 今思えば、まったくアホ、です。ただ問題解いていただけですし、「貯金」は、実質的には小学校の6年間だけだったのですから。しかし、当人には「貯金切 れ」だという自覚がなかったのでした。プライドだけは持ったアホは始末が悪いのです。輪をかけて、その地域では一応、進学校として通っている高校だったか ら、なお始末が悪い。いつかはなんとかなるんだ、と、ただただ思っていました。
 結局、現役では大学受験全滅で、その時までアホさは続くのでありました。

 またしばらく経ち…。かつて同級生だったMが、黄色い、一冊の薄い本を手渡してくれました。
表紙には、「けんか英語入門・英語のやっつけ方」と書いてあります。
「俺の行ってる塾のおっしゃんが書いた本なんだけどさ」

え?おっしゃん?て何?

 奥付を見ると、帽子を被ったひげ面のあやしいおっさんが写っている。うーん…
 でも、表紙の線画がちょっと素敵。ちょっとブキミけど。どれどれ…。




898 小川さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 9日(日)17時18分54秒

 私もやってみようかな、というのは?
「回転読み」などの私の方法のことですか。

 是非、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」をお読みいただきたくお願いします。
ここには、耳の問題はあまり書いてありません。でも参考になることはあると思います。
高校の先生(ST さん)が、「回転読み」「回転書き」「電圧装置」などを実践して、この掲
示板にときどき報告を書いてくださっています。こちらもご参照ください。

 昨夜、野暮用で、浜谷さんの掲示板を読んだら、JIJIRO さんという方の練習の様子が想像
できました。とてもいいやり方をしておられると思いました。

 「出来るんだか、どうだか」ってのは、英語用に耳を鍛えるってことですか?
 「100パーセント聞き取れる」ことになることは、原理的に成立しませんが、「鍛える」こ
とはどなたにでもできます。

 娑婆やカルチャーばばあと喧嘩ばかりしてきたので、地元でも私の評判はよろしくなく、食い
詰めつつあります。「電話でレッスン」の生徒さんになっていただくことをご考慮いただけたら
・・・と、急にビジネスモードですが、悪いものではないと自負しております。実質はあると思
っています。

 なにはともあれ、江戸紫、今後ともご登場下さい。(わかる人は年寄りか?)


http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis



899 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月 9日(日)17時19分38秒

Eliot 様

 お忙しいでしょうか。
 お時間がとれた時で結構ですので、以下についてお教えいただきたくお願いいたします。

He would accept full responsibility for the act of violence.

She took over the responsibilities of being head of the family.

 妻がこの二つの文を探してきたのですが、responsibility が一方は単数、一方は複数になっています。なぜか、と聞かれました。
 違いはそれだけでなく、一方には the があるし、一方は無冠詞。また responsibility がひきつれている前置詞が一方では of であり、一方では for になっている。


 700選に含まれるような間違いを含んでいれば話は別ですが、そこが私にはわからないので、ひとまず語法的な間違いを含まないとして考えてみました。

上の文の「責任」は裁判などになれば、「法的責任」というような抽象度を持つ。「暴力行為に対する責任」という抽象度がある。for を連れているのは、「償い」などが含意されるため。

下の文の「責任」は、町内会とどうつき合うかとか、子供の養育費をどう確保するかとか、個々の具体的な「果たすべき用事・仕事」で、具体性が強い。それが 具体的にどんなものか、話の相手が想定(想像)することができるので、the がつく。複数なのは、「用事・仕事」は数として数えられるから。of はこの「立場」を「具体的な用事・仕事」に連結する。

 ということじゃないか、と妻に説明しましたが、確信に至りません。
 これでよろしいのでしょうか。


http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis



903 もっこり様へ 投稿者:Tackchan 投稿日: 9月 9日(日)22時50分50秒

お互い”英語嫌い人”さんの相手をするのをやめませんか?
なんか疲れるし、時間の無駄のような気がしてきました。
以下は彼の引用ですが・・・

>>感情的には賛成しかねる】

理性では賛成している、と読めますね。
「理解できる」「理性では賛成している」けれども「感情的には賛成しかねる」という
ことになりますが、意味がわかりますか? 矛盾していますよ、これは。分裂です。

このようにひねくれた物の見方をしている方と話すほど暇ではないでしょう。
余計な御世話でしたらごめんなさい。

これからもよろしくお願い致します。




905 「聞き取れる」問題 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月10日(月)00時51分25秒

こういうことではなかったのでしょうか。

英語嫌い人さんは、自分のしゃべることが半分も人に伝わっているかどうかわからないとどこか
に書いておられた。これは、相手の言っていることの半分もわかっているかどうかわからないと
いうことにもなるのではないか。つまり、この方は、理解ということを、人の感情もなにもかも
含めて「わかる」ことと考えている。そうでなければ、彼は「聞き取れている」とは考えない。
人の気持ちを汲み取るというレベルまで含んでいなければ、「聞き取れる」とは考えない人なの
ではないでしょうか。

一方、こうじさんに代表される「聞き取れる」は、ひとまず文が了解できれば了解できたと考え
る。文がどういう単語から成り、どういう語法から成り立つかがわかれば「聞き取れた」と考え
る。こちらは語学という領域を限れば、それはそれで成り立つ。シミュレーションの世界ですか
ら。

つまり、違う問題をごっちゃにして論じていた、と。
だけど、私は英語嫌い人さんのいう意味での「聞き取れる」(気持ちがくみ取れる)は、外して
いい問題だとは思えない。語学が生活言語に渡ろうとするなら、生活言語の側で待っている問題
はまさに英語嫌い人さんが言っている困難であろう、と。

英語嫌い人さんも、一目でそれとわかる「こにくたらしい」口調という背広をお脱ぎになられた
らどうでしょうか。暑くありませんか。



907 RE:ぶろんぐで〜 投稿者:十三番目の使徒(笑 投稿日: 9月10日(月)01時30分42秒

根石様

「あーびわーきおんざれーるろーど おーざりぶろんぐでー」

いやあ、メロディがないとほんとに呪文みたいですね。
実際は多分、
I've been workin' on the railroad 〜
っていうアメリカの鉄道員の誇りを歌ったものだと思います。日本では「せーんろはつづくーよーどーこまーでーもー」ですね。でも、未だに「おーざりぶろん ぐでー」はわかりません(笑)調べればすぐわかることだと思いますが。

でもね、今、小学生に英語教育を必須にしよう!ということが言われているけれど、現状の公教育では、やっぱり「あーび〜」になるんじゃないかなあ、と思い ます。(全部が全部じゃないと思いますが)
中学生に英語で意見発表をさせる大会があるみたいですけど、そんな話を聞くと、私の頭には「あーびわーきおーざれーるろーど」が繰り返されています。



908 Tackchan 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月10日(月)01時31分10秒

>>理性では賛成している、と読めますね。「理解できる」「理性では賛成している」けれども
「感情的には賛成しかねる」ということになりますが、意味がわかりますか? 矛盾していますよ、
これは。分裂です。

>このようにひねくれた物の見方をしている方と話すほど暇ではないでしょう。

英語嫌い人さんは、ひねくれたもの言いをしますが、論理はきわめて率直です。
非常に面白いキャラクターの方だと思います。ひねくれた率直。矛盾していますが、
私には面白い。

私も、矛盾も分裂も生きています。避けたいが避けられないので。

英語嫌い人さんがこだわっているのは、あくまでも論理だと思います。推理小説を貫く論理が首
尾一貫しなければならないように、論理が首尾一貫しなければならない?

私は激情も論理だと考える者ですので、推理小説は退屈します。
語学の練習の材料にするのはためらいませんが・・・。



918 質問です! 投稿者:ST 投稿日: 9月10日(月)16時32分24秒

根石先生>語学の言語が死んだ言語だということがどうしても納得できないということは、その人の語学に対する認識が閉じているためです。「生き生きとした 表現」だのなんだのを信仰する人は、一見開明的に見えますが、実は認識を閉ざしてしまっています。

*ここのところをもう少しわかりやすく具体例などを挙げて説明をお願いできませんか?
基本的なことを聞いているようで恥ずかしいのですが。。。あえてお聞きしたく思います。



921 骸骨に踊りを踊らせる(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月11日(火)02時40分05秒

ST 様

 多分、メルボルンのインターネットカフェから書き込んでもらったのだと思いますが、今後、タイでもインターネットカフェが簡単にみつかればいいが、と 思っています。

 次回のレッスンの範囲については承知しました。

 語学の言語と生活言語をはっきり別のものとして認識すべきであるという私の主張は、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読まれた ST さんはすでにご存知です。
 「死んだ言語」という言葉も、語学をやる人に、語学の言語と生活言語を混同すべきではない、はっきり区別すべきだと言いたいために使っています。

 「死んだ言語」であれば、元は生きていたわけです。それが、生活言語です。
 語学では辞書をよく使うので、辞書というもので考えてみましょう。辞書は、標本集です。昆虫の標本集なら、標本になっているものの一つ一つは、元は、跳 ねていたり、飛んでいたりしたものです。しかし、標本集の中では昆虫は死んでいます。辞書の一つ一つの単語も、採集される以前は、生活(や実用)の中で使 われ、状況とともに動いていたものです。生きていたのですが、それが固定され、辞書に収められることで死にます。
 辞書は、それぞれの標本に対して説明してあります。それが辞書のありがたいところですが、言葉の一つ一つ(標本の一つ一つ)はやはり死んでいます。生き ている言葉は、あくまでも状況と共に状況を呼吸しながら動く言葉だからです。STさんが、今日までオーストラリアの人々と話してきた言葉を考えていただけ ばいいのです。語学から生活言語に渡った人(現在の ST さん)には、辞書で知った言葉にまったく新たな光があてられたという感覚が生じるのではないでしょうか。
 机上の語学で扱う言語は、すべて辞書の中の言葉と同じ性質(死んでいるという性質)を持っています。それが英会話用のテキストであっても、この規定を逃 れることはできません。語学の対象とされる言葉は必ず現実的な状況から切れており、「仮のもの」「仮定のもの」だからです。あるいは「架空のもの」だから です。
 机上の言葉で、唯一生きている言葉は、読書で読まれる言葉でしょう。読書で読まれる言葉が英語であっても、読書は厳密には語学ではありません。想像され て生成する世界そのものが、(擬似的な)状況を作り出し、その状況の中に言葉が動きます。読書という行為は、想像によって、擬似的な状況を生きることで す。一つの具体的な文は、その文以前の多数の文が形成した状況の中に置かれるので、擬似的ながら状況のまっただなかにあります。これは想像不要の状況に依 存する(話し言葉の)生活言語や、状況から断絶した語学の言語のどちらにも属さない言語領域です。この領域にとことん立脚しているのが文学というもので しょう。



922 骸骨に踊りを踊らせる(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月11日(火)02時42分02秒

 机上では、現実と異なること、現実とはうらはらのことを言うことはいくらでも可能です。
 どしゃぶりの日に、机上で、

It's very sunny, isn't it?

と言ってもまるでおかしなことではありません。その言葉を「回転読み」で何十回、何百回繰り返し言い続けることもおかしなことではありません。あくまで状 況から断絶した語学の文だからです。
 ところが、机上から顔をあげて、窓をあけ、窓の外のどしゃぶりの中を傘を握りしめて歩いて行く人に同じ文を言えば、いやみな皮肉と聞こえるか、頭のおか しな人と思われるでしょう。言っていることが現実の状況とまったくうらはらだからです。
 腹が減っていないのに、 I'm hungry. を言い続けるとか、とろんとした眠い目をして、I killed hundreds of people this morning. と言うことも、語学ではやはり日常茶飯事です。語学が扱うものがひたすら「架空」のものであるということです。そうでなければ、映画のシナリオなんかおっ かなくて扱えません。日常で出会うような状況ではないものが、映画では日常茶飯事ですから。

 以上の例示で、語学の対象になる言語と生活言語の断層はおわかりいただけるものと思います。
 語学の言語と生活言語は、まるで地続きではありません。死と生が地続きでないのと同じです。
 語学は、「死んだ言葉」を殺し直すことによって、それを生き返らせるような行為です。言語そのものに「復活」という契機があります。生活言語にはこれは ありません。語学とは、言うなれば、骸骨に踊りを踊らせるような行為です。語学と生活言語が地続きだと幻想する人は、決してそうは思っていません。
 それが生活過程で生活の言語として通用するなら、それはすごいことです。日本人が日本で(英語の磁場を欠いて)それがやれるようになるならば、それは本 当にすごいことだと思います。

 タイでの英語体験を書いていただくことを、期待しています。



925 間隙を埋める 投稿者:ST 投稿日: 9月11日(火)11時21分42秒

*レスありがとうございました。

>机上の言葉で、唯一生きている言葉は、読書で読まれる言葉でしょう。読書で読まれる言葉が英語であっても、読書は厳密には語学ではありません。想像され て生成する世界そのものが、(擬似的な)状況を作り出し、その状況の中に言葉が動きます。読書という行為は、想像によって、擬似的な状況を生きることで す。

*浜谷先生の「伴走読み」は根石先生の「電話でレッスン」の英語学習の間隙を埋めるものと思います。もっとも中級以上の人にむく場合が多いとは思います が。人によっては初級のうちからトップダウン的な理解を得意とするひとには向くとも思います。



926 必殺仕置き人根石氏(うじ) 投稿者:小川 投稿日: 9月11日(火)11時42分06秒

根石さん、

夕べ「どんでん返し」の前半を読みました。 

電圧装置、とはよくも名付けたり、と思います。(失礼な言い草でしたね。 すみません)
私は田舎者なので、殺虫電燈(この装置の名前知りませんので)で、「ジッ、ジッ」と次から次ぎへと虫がお焦げになっていく様を想像しました。

電圧装置による攻略法は、英検1級受験勉強のおりに、私が友人達とやっていた方法に酷似しています。 私共は30桁の大学ノートを二つ折りにして、左に英 語、右に意味、同義語、用法などを一行おきに記し、計15問を作り、日に数度チェックしました。 私共の場合にも、即座に解答できないものは、アウト、と みなしました。 左側を見て解答するだけでなく、右側を問題として解く事もしました。 

翌日の朝にもう一度チェックして、それでも即解答出来ないものは赤字でノートの最上行に書き込むので、覚えきれていないものはいつまでも残って行く、と言 う戦法です。 さぼりが続くとノートが真っ赤っかになってしまいます。 

根石さんほどの徹底振りではありませんでしたが、この方法は短期間で功を奏しました。 電圧装置流にやれば、もっと短期間で合格したかもしれません。

受験勉強や初〜中級者には、必須、かつ非常に有効な攻略法だと思います。 根石さんは、イメージしながら声を出して覚える様に勧めておられるので、これも 大切なポイントだと思いました。 地固めの為の作業として、盛り土をひたすら突き固める必要があります。 基礎体力づくり、としてはやってみる価値あり、 と思います。 

「回転読み」ですが、テープに吹き込んだものを聞きながら書く、というのがユニークです。 (「えっ、感想、たったそれだけかよ...」と言わないで下さ い。)

中高生には、寺子屋風に、教室でこれらの準備運動をさせてやる必要があると思います。 道場で素振りさせる様に、です。 これを1人で出来る子はそうそう いないと思うので。 

実は今月は日本にいろのですが、現在ハンブルク住いなので、ドイツ語の勉強に追われています。 ここは思ったより英語が通用せず、日常の生活などはドイツ 語でしなければなりません。 ドイツ語圏に住んでいても、ドイツ語は自然に身についたりなんかしないのです。 ドイツ語の勉強に「電圧装置」を使ってみよ うと思っているところです。



930 エントロピーの法則 投稿者:パクパク 投稿日: 9月11日(火)15時58分13秒


語学の学習者は「音をイメージにもっていく」のに対し、
生活言語では「イメージが音になる」
つまり矢印の方向が逆ということなのでしょうか

まさに、本質的な質問だとおもいます。
周辺に英語磁場がない場合、
サウンドインプットをあびても
サウンドメモリーになりません。
口が裂けるくらい音読して、サウンドがおぼえられても
よほどの人でないとやらない。
長い英文を記憶に残す方法として、音読や筆写以外に
ないのでしょうか?



931 「伴走読み」とは? 投稿者:浜谷 投稿日: 9月11日(火)19時34分16秒

皆様、STさんからの下記書き込み関連の記事です。

*浜谷先生の「伴走読み」は根石先生の「電話でレッスン」の英語学習の間隙を埋めるものと思います。もっとも中級以上の人にむく場合が多いとは思います が。人によっては初級のうちからトップダウン的な理解を得意とするひとには向くとも思います。

浜谷です。根石さんからご許可いただいて、謹慎開け初めての書き込みをさせて頂きます。STさんが一応のご評価を頂いている「伴走読み」についてです。英 語の語彙・構文のインプットには多読が有力な方法の一つということは皆さんもよくご存知だろうと思います。私は高校を出たばかりの40年前にある英会話 サークルに出席し他の参加者が言っていることが殆ど聴き取れず、どうしたら聴き取れるようになるだろうと考えて思いついたのがこの方法でした。以来3年間 必死に多読しガイドの試験に合格しました。勿論その間多読以外に発音面、スピーキング面等の勉強も相応にやったことは言うまでもありません。 そこで、こ の多読のスキルをコーチしたいと考えて試行中なのがこの「伴走読み」です。興味を持たれた方はぜひ下記リンクから私のHPのそのコーナーを覗いて見てくだ さい。分からないところをメールで随時訊いていただき学習者のペースで読み進んでいただくというものです。読み物は学習者が自由に選んでいただきます。多 読と言っても黙読ではヒヤリング勉強としては不十分ですので、できるだけ音読することをお奨めしていますが、週に一回学習者の方から30分間お電話してい ただくことにより音読のコーチもしております。


http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



933 俺のニューヨーク 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月12日(水)06時41分24秒

 なんで気持ちいいのか。

 なんでニューヨークのビルが崩壊するのをテレビで何度も何度も見ているのか。
 あのビルはアメリカの思い上がりの象徴なのか。

 俺が世界で一番好きな場所は、女の寝ている布団。
 それとニューヨーク。笑う女がいる everywhere.

 いい顔で笑う女と今日も飲んだ。
 その間の数時間に、でかいビルが二つ、崩れていた。

 おお、ニューヨーク。ニューヘイブンから列車に乗って、ニューヨークが列車の窓から見えた
ときも、デトロイトから乗り継いで、下降を続ける飛行機の窓の下に夜景がどんどん間近に迫っ
てきたときも、体に血の流れるスピードがはっきりと変わるのがわかった。俺はニューヨークが
好きなんだと思った。

 それなのに、ニューヨークがもうもうと煙をあげるのが、なんでこんなに気持ちがいいのか。
 それを何時間も何時間も見ていた。
 なんでこんなにも気持ちがいいのか。
 制度が隠しても隠しても、隠していたものがいつか必ず噴き出す町。
 それが俺のニューヨークだからか。

 ニューヨークは
 「内側から」
 それが噴き出してくる町だったはずだ。

 普遍が制度になった途端に、別の普遍が現れる。
 普遍はいつも、嫌われ者として現れる。

 ニューヨークよ。アメリカにやられてはならない。
 ニューヨークよ、アメリカになるな。
 もうもうと煙があがる。

 貧しいブッシュの声明。貧乏根性。
 アメリカとアメリカンを守る。アメリカの自由と正しさを守る。
 それだけのことなのだ。お前が考えることは。お前が言うことは。

 Wall Street の wall は何を何から守ってきたのか。
 俺は知っている。
 あの Wall Street でゼニを得ている者どもが street で俺を見た目つきで。

 お前らはワシントンの「地下」にもぐってとりまきに囲まれよ。

 ワシントンを撃った者。
 あれは明らかに蘇った特攻隊だ。
 国籍なんか関係はない。

 That's Japanese spirit. とウドの店で俺はわめいた。
 なんでお前がうれしそうな顔をするんだと俺はウドにわめいていた。
 アメリカ本土の友だちに電話しているウドが、第三次世界大戦などと口走った。
 目がいきいきとしていた。アメリカが「攻撃された」。その喜びが顔の表に出ていた。
 嘘つきのアメリカが攻撃された!

 アメリカ「本土」が攻撃された。
 ブルックリンじゃない。世界貿易ビルが破壊された。
 ペンタゴンが攻撃された。
 ジェリーの家の前の樅の木じゃない。世界の警察が攻撃された。
 俺には見える気がする。
 レキシントンのあの樅の枝の下の屋根のその下で、ジェリーの目だって生き生きしているのが。

 正しい顔をした「ずるさ」が攻撃されているのだ。

 Remember Pearl Harbor. 
 Remember New York.



937 ニューヨーク 投稿者:Eliot 投稿日: 9月12日(水)22時18分05秒

パレスチナの街角で人々が歓喜の声をあげていた。子供たちもはしゃぎまわっていた。南京陥落ののときもこうだったのだろうか。あのとき、私たちの祖父母世 代は提灯行列に繰り出して、難攻不落の敵地の攻略を笑顔で祝った。彼らにも、戦闘に巻き込まれ、はかなくも命を落とした無数の異国の人たちの悲痛な声は聞 こえなかったことだろう。

午前1時。テレビを見ていた。信じられない光景があった。何十人もの乗客と乗員を乗せた旅客機が高層ビルに突っ込み、一瞬にして砕け散って爆発した。そし てビルがスローモーションを見ているように崩れ落ちた。多発テロ。恐ろしかった。戦争? そんなバカな。

妻を起こした。一人では見ていられなかったのだ。二人でテレビ画面を注視する。あの飛行機の中に人がいる。あの崩れていくビルの中に人がいる。何百人、何 千人という人たちが死んでいく。胸塞がる思いがした。痛かっただろう。悲しかっただろう。悔しいことだろう。アメリカに生まれたことが彼らの罪か。世界貿 易センターで仕事をしていたのが罰せられたというのか。アメリカの大統領やWall Streetがどうであれ、突然理不尽な死を強要された彼らに何の罪があるというのか。

二十四時間過ぎた今も多数の人が行方不明のまま。その中の一人の日本人銀行員は私の勤務校の同僚英語教員の友人である。悲しげな同僚の顔が浮かぶ。そして 家族の人たちの気持ちを思うとやりきれない。

数千人の命の向こうに数万人の家族や友人の悲しみが連なる。私も人間の一人として、悲しい。



938 (無題) 投稿者:さや 投稿日: 9月12日(水)22時39分38秒

>アメリカに生まれたことが彼らの罪か。世界貿易センターで仕事をしていたのが罰せられたというのか。アメリカの大統領やWall Streetがどうであれ、突然理不尽な死を強要された彼らに何の罪があるというのか。

今回なくなった方々には心からお悔やみ申し上げ、
その冥福を外国人としての節度を越えない範囲でお祈りしますが。
アメリカで生まれたこと、貿易センターで仕事をしていた事、
は当然彼らの罪でしょう。



939 あなたがあなたであることが罪ですか。 投稿者:Eliot 投稿日: 9月12日(水)23時10分52秒

>アメリカで生まれたこと、貿易センターで仕事をしていた事、
は当然彼らの罪でしょう。

あなたがあなたとして生まれたこともあなたの罪ですか。



940 それとも 投稿者:Eliot 投稿日: 9月12日(水)23時12分30秒

あなががあなたとして生まれたことは至福ですか。



941 あながが⇒あなたが 投稿者:Eliot 投稿日: 9月12日(水)23時17分29秒

訂正です。



942 (無題) 投稿者:さや 投稿日: 9月12日(水)23時38分56秒

>あなたがあなたとして生まれたこともあなたの罪ですか。

当然でしょう、原罪ってご存知ですか?



943 (無題) 投稿者:さや 投稿日: 9月12日(水)23時45分51秒

先進資本主義国家の一員として安い石油で呑気に暮らしている時点で当然
「罪」はあるわけです。(つまり我々日本人も。)
別にテロが素晴らしいなどと言いたいんじゃないですよ。
罪はあるのか?と問われれば「ある」というだけの事です。

もっと言えば「何の罪もない彼ら」というあなたの感想は
この様なテロルに際して、被害者にたいしても加害者にたいしても
あまりにナイーブすぎないか?
と思うのです。



944 評論家へ 投稿者:Duffy 投稿日: 9月13日(木)00時37分12秒

良く分からないな。
原罪という言葉を知らないと何か問題があるのですか?
人間の命の尊厳に対する感想に対する評価が、言葉の知識の有無で揺れるのですか?
私はEliotさんの感覚を支持します。
ナイーブってなんですか?
ナイーブとは悪なのか?



945 お返事 投稿者:さや 投稿日: 9月13日(木)01時01分48秒

当事者以外は、あなたも私もある意味皆評論家にならざるをえないですね。
原罪という単語を知らなくてもその感覚を知っているかどうか
は重要だと考えます。
原罪は国語辞典
ナイーブはこの場合英英で調べればどうでしょう。




946 ??? 投稿者:Duffy 投稿日: 9月13日(木)01時33分56秒

で?
奥歯に物が挟まったような言い方をしないでちゃんと説明して欲しいですね。
ナイーブの何が悪いのですか?
この文脈の中でなぜ原罪の感覚を知らなくてはいけないのか理解できません。


げん‐ざい【原罪】(広辞苑より)
〔宗〕(original sin) アダムが神命に背いて犯した人類最初の罪(旧約聖書創世記)。人間は皆
アダムの子孫として生れながらに原罪を負うものと考えられる(原罪説)。宿罪。
naive (Oxford advanced learner's dictionary of current engligh)
natural and innocent in speech and behavior(e g because young or inexperienced);
amusingly simple




947 罪と罰 投稿者:Eliot 投稿日: 9月13日(木)01時38分00秒

私は「何の罪もない彼ら」とは言っていません。「このような無残な死を強要される彼らに、そんな死に値するような何の罪があるのか」と問うたのです。犠牲 者たちは、アメリカに生まれたという「罪」で今回の死の裁きを受けたのですか。安い石油でのんきに暮らし、世界貿易センターで働くという「罪」を犯したか ら、彼らはテロによる死という当然の報いを受けたのですか。

彼らのような存在を「罪」と呼ぶのかどうかの議論に深入りするつもりはありません。ただ、彼らが「罪人」であったとして、今回の「罰」はその「罪」に対し てあまりにもむごすぎると感じ、涙を流すことを「ナイーブ」だといわれるのなら、私は自分はナイーブでいいと思っています。




948 KAMIKAZE 投稿者:ST 投稿日: 9月13日(木)03時00分13秒

こちらタイ王国の英字紙のトップの見出しは「Kamikaze なんとか」でした。オーストラリアで見た映画「パールハーバー」を思い出しました。ただただ、第3次世界大戦がおこらないことを祈るのみです。犠牲者の方 々には心からお悔やみを申し上げます。




949 (無題) 投稿者:通行人 投稿日: 9月13日(木)03時01分07秒

原罪の意味を知ってると言う事になにか意味があるんでしょうか?
原罪って、辞書で引いて解る、なんてお手軽なもんなんでしょうか?




950 正義面のテロリズム 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月13日(木)03時09分41秒

 巨大なビルが崩落するのを見るのは、何度見ても気持ちがいい。
 「ゴジラ」がビルをつぶすのを見ることの恐怖と開放感と酷似したものを自分の中に感じる。

 今日になって、地上の救出作業がテレビの映像となった。人の目の高さから、人の背丈をとらえる映像が流れ始めた。それを見ると、コメンテーターたちと同 じように、テロが許されてはならないと思う。

 人が逃げまどう高さでの映像と、遠景でとらえられたビル崩落の映像は、まったく異質の思いを俺の中にもたらす。

 人の背丈の映像は、アメリカがベトナムに対して落とした爆弾の下にも必ずあったものであり、中東でアメリカが落とす爆弾の下にも必ずあったはずのもの だ。
 ニューヨークを逃げまどう人やニューヨークの人命救助活動は次々と多量の映像と化して、日本の報道の中を流れるのに対し、これまで、たとえば、アメリカ 軍が中東で行ってきた「テロ」の元での人々の苦しみが、どれほどの量の映像として日本に届いていたか。アメリカの「テロ」の元に、必ず人々の苦しみがあっ たはずだ。
 ニューヨークの地上でと同じように、パレスチナの地上でも、人々は必死に逃げ、あるいは逃げる間も与えられず殺されてきた。そして、こちらは闇に葬られ てきたと言っていいほど、報道量として少量であり続けてきた。

 大国が自分の都合で、小国を思うようにしようとすること自体が犯罪である。そこにこそ、テロが育つと言うより、それこそがテロリズムなのだ。小国が大国 に逆らえばテロであり、大国が小国に駐留したり、小国を攻撃することが正義であるなどと、そんな馬鹿な理屈があってたまるものか。
 アジア、アフリカ、中東の悲しみの元に、大国が自分の都合で小国に手を出すということがあった。大国による、小国へのふみにじりがある。ヨーロッパの植 民地主義の時代からそれは変わらない。それはいつも国家(その政治と経済)による犯罪である。

 人の背丈の映像に対しては思わず目をそむけたくなり、遠景としてビルの崩落を見るときはなんとも言えない爽快感を感じる。この二つは相容れない。

 俺はおかしいのかと思うほど、この分裂は激しい。

 この引き裂かれをもたらしているものは、即物的にはカメラの目線の高さの違いだろうが、かつてのソ連も含めて大国の思い上がりというものは、いつも人の 背丈の高さの目線を欠くのだ。それが、国家・政治というものの本質だ。勝ったものが、いつも涼しい顔した正義づらとなって現象する。それだけだ。

 自由、平等、アメリカ。笑わせるなと思う。
 経済力に支えられた政治(アメリカの世界警察化)の正義づらのテロリズム。それが正義という仮面の下にアメリカが隠してきたテロリズムである。その昔、 白人どもがインディアンに対して行ったテロリズムと何の変わりもない。

 アメリカという国がテロリズムによって成った国であることを忘れてはならないのだ。
 やつらの正義とは、それまで平和に暮らしていたインディアンたちを追い、踏みにじり、殺すことの正義だった。その「正義」が世界規模になっただけであ り、やつらがやっていることは同じことなのだ。白中の正義づらのテロリズム。

 正義づらのテロリズムの横つらを張った映像のせいだろうか。
 巨大ビル崩落の映像が気持ちがいいのは、そのせいだろうか。



951 別物と思います 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月13日(木)04時00分25秒

>パレスチナの街角で人々が歓喜の声をあげていた。子供たちもはしゃぎまわっていた。南京陥落のときもこうだったのだろうか。

 日本がヨーロッパに追いつこうとして、近代化という猿まねをし、後進地域を植民地化することまで猿まねした行為が、大東亜共栄圏という幻想の根拠だった と思います。その途中での、点景が南京陥落のときのお祭り騒ぎだったと思います。
 「もどき」ということが、決して消極的な意味の行為ではないという質を日本の文化は持っていたはずですが、近代の「もどき」は「猿まね」になった。それ が日本の近代化だった。
 しかし、特攻隊の青年が死を胸にして飛行する心情を私は想像します。そこに言葉にならずに張り裂けそうになっていたものを想像します。南京陥落のお祭り 騒ぎには、植民地主義の猿まねがしのびこむ余地はあっただろうが、特攻隊の青年の胸にあったものに、どんな「もどき」も、まして「猿まね」もしのび込める 余地はない。
 誰もそれを言葉にできるわけがない。
 せめて、辞世の歌という形式として放つ以外に。

 パレスチナの街角の歓喜の声は、ソ連やアメリカという大国の都合でいじりまわされてきた土地の人々が、解放の幻に舞う姿であり、これは猿まね植民地主義 が混ざり込んだ南京陥落のお祭り騒ぎとは別物ではないでしょうか。



952 悲しみと冷静さと 投稿者:もっこり 投稿日: 9月13日(木)04時07分45秒

犠牲者を悼む気持ちに、かわりはありません。

けれども、事実は注意深く選り分けられていて、
米国政府にとって不都合な事実は、全く報道されていないような気がします。
湾岸戦争のとき、重油まみれの水鳥が繰り返しテレビで流れ、イラク非難の世論を喚起しました。
しかし、あれは実はイラクによるものではなく米軍の爆撃によるものだったはずです。
情報統制下の現在、似たような事実の歪曲や隠蔽がどれだけあるのか、明らかではありません。
もちろん、テロは許されるべきものではありませんが、
米国のメディアが唱える自由と正義と民主主義には、一定の留保が必要だと思います。
報道だけを鵜呑みにして、性急に事件を論評したり、誰かを一方的に非難したくはありません。

ただ一つ疑いようのない事実、多くの人の命が失われたことを悲しみ、
犠牲者の方々の冥福をお祈りするばかりです。



953 不謹慎について 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月13日(木)05時57分27秒

Duffy 様

 不謹慎という言葉は、私の記事へのものと思います。

 私は、自分の中にある「爽快感」のようなものをどうにもいつわることができません。

 湾岸戦争の時にも思ったことでしたが、テレビの報道の映像を見ていると、それが何かのシュミレーションゲームの映像なのか、現実をとらえた映像なのか、 まったくわからないという一瞬が訪れます。つまり、質的には映像に差がない、ということです。虚構なのか現実なのか、テレビの映像だけを見ていてもわから ない。私はテレビゲームはやりませんが、テレビゲームをよくやる子供にとっては、湾岸戦争のテレビの映像は、よく出来たゲームの映像ほどのリアルさもない ということだったでしょう。湾岸戦争の時の映像はやたらにうす暗いようなぼやけたものが多く、アメリカ軍の落とす爆弾の光が光る「そこで」、人が死んでい るのだということはひたすら「想像」することでしか、自分に結びついてきませんでした。

 どこかの体育館のようなばかでかいところに泊まり込んで、何百人というプログラマの手で20日くらいの期間で一つのプログラムを作るのに、私の友だちの 友だちが参加した話を聞いたことがあります。自衛隊からの注文を日立が受注したものだとか聞きました。つまり、軍用のプログラムなのですが、友だちがどん な感じかと聞いたところ、「別にゲーム作るのと変わりないよ」と言っていたそうです。プログラムの手続きだけのことを言っているのか、飛行機が自分で飛行 している状態を表示するディスプレイの使用感のことを言っているのかはわかりませんでしたが・・・。飛行機を操縦する者に目視が不要になり、地上のことが ディスプレーに表示される情報だけになれば、いよいよ、地上のことはシュミレーションゲームのディスプレーと何の質的な差もなくなるだろうと思ったことを 覚えています。

 飛行機の上から爆弾を落とす人間を描いた映画に「フルメタルジャケット」があります。果たして、本当のところ、飛行機から爆弾を落とす人間があのような 者(残忍な喜びを隠さない者)であるかどうか知りません。実際は、もっと冷静に沈着に正確に爆弾を落としていくものではないかとも思いますが、いずれにせ よ、飛行機を操縦し、爆撃していく者が、「絶対有利」という場所にいることは間違いありません。

 これまで、アメリカはこの「絶対有利」というところにいたのです。経済的にも、政治的にも、「絶対有利」の場所から、飛行機の上からベトナムの土地を見 るように世界を見下してきました。個々のアメリカ人のことを言っているのではありません。アメリカという国家の無意識には、世界への見下しがある、と思っ てきたのです。それが世界の警察となって現象しています。

 アメリカが世界を見下すその高さを横から串刺しにして崩落させた映像として、昨夜、私が見た映像は世界が決して忘れることがないだろうと確信していま す。

 私のやっているような、いつ倒れても不思議もないような小さな小さな私塾が、圧迫の元から声をあげるなら、学校英語がやっていることを横から串刺しにす るしかありません。映像的には同じなのです。私は実際に人を殺さないだけです。思想的殺し自体は信じています。

 普段の生活の中では、学校的価値が私塾の思想を窒息させることに有効に動いています。ここもまたパレスチナであり、ブルックリンです。
 私がテロリズムを奉じている者だと思いたい者は思うがいい。めくらです。
 テロリズムは近代の学校の中にこそ働いている。

 私が行使しているのは、自分への暴力、語学という暴力です。それだけの者です。



954 ずっと見続けていた 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月13日(木)05時58分23秒

Duffy 様

 言葉を複合して考え始めるなら、人々の暮らしを思うなら、事はまるで別なのです。ビルの中に働く人々や、旅客機にたまたま乗り合わせてしまった人々のこ とを思うなら、事はまるで別なのです。人々の暮らしや生活の高さから見るなら、冗談じゃねえという思いや、怒りや、不安が、私にもリアルなものです。ビル に働く人々や飛行機に乗り合わせた人々を道づれにしたという一点では、テロリストの行為はどこまでも卑劣なものです。しかし、テロリストをここまで追いつ めてきたのは、アメリカの涼しい顔した白中のテロリズムであることは間違いないと思っています。

 卑劣なのは、大国です。

 私も、暮らしの方から言葉を紡ぐなら、ST さんその他の方と同じように、亡くなった方々に哀悼を捧げます。しかし、それでも言いたい。ベトナム戦争の時、私たち日本人はベトナム人にちゃんと哀悼を 捧げたのか、と。靖国神社などに「とられて」しまって、私たちは自国の戦死者にも、まだ本当には哀悼をささげていないのではないのか。殺されたことの意味 を絶対に国になど「とられて」はならない。
 チンピラがやくざをバックにするように、戦後の日本という国はアメリカをバックにしてきた。そのことで、普通の人々の普通の暮らしから、どれほどのもの が「とられた」のか。

 アメリカが落とす爆弾の元には、ベトナムにもパレスチナにも、普通の人々の普通の生活があったのです。それが必ず血まみれになり、ごろごろ転がっている はずなのです。
 世界貿易ビルに働く優秀な人々や、ペンタンゴンに働く優秀な人々や、圧倒的に報道量の多いニューヨークの人々のことに、優秀な日本の人々は反応します。
 アメリカの爆弾の元にある普通の人々の普通の生活の中でごろごろ転がる死を想像すること。別に優秀でもなんでもない、普通の人々の普通の生活を踏みに じってきたのは、ソ連という大国であり、アメリカという大国でした。それが20世紀という世紀の後半でした。それ以前には、イギリスやフランスという bitch がいます。

 アメリカこそがテロリズムを奉ずる国であるということを、テレビは一言も言っていません。

 私が即応したのは、ひたすら、映像の映像的意味だけです。
 一枚の絵を見るように見たとき、あの絵は、アメリカという言葉が世界に対して持つ意味を変えるものだと思いました。
 酒に酔っていた頭が見たからだというところへ逃げ込む気持ちは私にはありません。
 その後も何度も何度も、朝まで見続けていたのですから・・・。
 画面に釘付けになるように、食いつくようにずっとずっと見続けていたのですから・・・。
 酔いがさめても、まだ見ていたのです。
 くたびれ果てて、へたりこんでも、まだ、見ていたのです。

956 根石さんへ 投稿者:Duffy 投稿日: 9月13日(木)09時44分31秒


> それなのに、ニューヨークがもうもうと煙をあげるのが、なんでこんなに気持ちがいいのか。
> それを何時間も何時間も見ていた。
> なんでこんなにも気持ちがいいのか。

私は気持ち良くないです。
たとえ、気持ち良くても気持ち良いとは公言したくないです。
ただ、それだけです。



957 (無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月13日(木)16時15分54秒

>私は気持ち良くないです。
 たとえ、気持ち良くても気持ち良いとは公言したくないです。
 ただ、それだけです。

 わかりました。
 私は、気持ち良い時は、気持ち良いと書こうと思い決めた者です。
 それが俺の壊れを晒し、俺の分裂を晒すものであっても、あるいはそれがさらに俺を壊し、俺
の分裂を深めるものであっても、気持ちいいときは気持ちいいと書こうと思い決めている者です。


958 (無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月13日(木)16時27分43秒

爆撃用の飛行機から世界を見下すような視線を、私たちは茶の間のテレビの前で簡単に手に入れる
ことができます。

>これまで、アメリカはこの「絶対有利」というところにいたのです。経済的にも、政治的にも、
「絶対有利」の場所から、飛行機の上からベトナムの土地を見るように世界を見下してきました。

 茶の間でテレビを見ている場所も、あるいはこの「絶対有利」という場所です。
 本当はテレビの映像を見ている限り、誰もこの「絶対有利」からは逃れられないのではないで
しょうか。



959 茶の間にて 投稿者:奥村真 投稿日: 9月14日(金)14時31分11秒

私の母親はアメリカ軍の空襲にあったが、私自身はアメリカ軍の空襲にあっていない。

私の父親はオランダ軍の捕虜になったが、私自身はオランダ軍の捕虜になっていない。

私にはビルの八十階に突入する信念はないし、七十階の窓から脱出する勇気もない。

ピッツバーグ近郊に墜落したユナイテッド航空九十三便についての、詳細な報道がない。
報道すると大国にとって、都合の悪い事情がないとは限らない。

アメリカを旅行する日本人、アメリカで暮らす日本人、既にアメリカ人となった日本人は多いが、
パレスチナやアフガニスタンを旅行する日本人、パレスチナやアフガニスタンで暮らす日本人、
既にパレスチナ人やアフガニスタン人となった日本人は、さほど多くない。

友人知人家族親族がニューヨークにかつていた、あるいは今いると云う話はよく聞くが、
友人知人家族親族がチェチェンにかつていた、あるいは今いると云う話はあまり聞かない。 
 
http://page.freett.com/oku/



960 (無題) 投稿者:風水 投稿日: 9月14日(金)19時27分18秒

> それなのに、ニューヨークがもうもうと煙をあげるのが、なんでこんなに気持ちがいいのか。
> それを何時間も何時間も見ていた。
> なんでこんなにも気持ちがいいのか。

私は、鳥肌がたちました。

>人々の暮らしを思うなら、事はまるで別なのです。
>ビルの中に働く人々や、旅客機にたまたま乗り合わせてしまった人々のことを思うなら、
>事はまるで別なのです。

高層ビルに飛行機が突っ込んだら、
少なくても高層ビルには、多くの人々が働いているのですから、
そのことは、想像できるはずです。
瞬時にそれを読み取れず、しかも朝まで興奮なさっていたとは、
不謹慎といわれてもしかたないとおもいます。

今までロムしておりましたが、
根石様の自己中心の本性が覗くことができ、失望しました。



961 奥村さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月14日(金)19時42分02秒

 こんにちは。

 私もほとんど茶の間で手に入るだけの情報(主にテレビから)のもので考えていて、ピッツバ
ーグに落ちた飛行機はどうして落ちたのかと思っていました。テロリストと乗客あるいは、旅客
機の乗組員が争って落ちたという情報と、アメリカ軍機が打ち落としたという情報があると、今
日、隣町の喫茶店で聞きました。

 しかし、人が飛行機の中でもみ合ったくらいで今の飛行機は落ちないという話も聞きました。
 自動操縦装置が積んであるから、操縦桿で積極的に下に向かわないと落ちないという話でした。

 何が本当のところかわかりませんが、もしも米軍機が打ち落としたのであれば、打ち落とすこ
とを命じた人が必ずいたはずだと思います。
 ペンタゴンやホワイトハウスに勤務する優秀な人間を守るために、一般乗客を殺すことを是と
する判断がここには含まれるはずです。アメリカ国家の本音というものがあるはずです。
 国家の仕事に直接的に関わる人間を生かし、うぞうむぞうの一般人は殺すという判断です。
 もしも、本当にもしもですが、これがこの通りであったら、アメリカ国家はアメリカ人だろう
が何だろうが殺すということです。本当は優秀な人間を守るのでもなんでもない。国家が国家で
あり続けるためには、人を殺すということであり、実はアメリカに限ったことではない。国家と
いうものの本音であろうと思います。
 もしも、本当にもしもですが、あの飛行機が打ち落とされたものであったのであれば、そこに
国家というものの本音が露呈しています。

 あくまであの飛行機が打ち落とされたのであればという仮定の上で考えられるにすぎないこと
ですが・・・。
 それは充分にありうることだと、私は日本の茶の間で考えています。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis



962 失望されても仕方ありません。 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月14日(金)20時54分41秒

 私は本当に気持ちよかったのです。

 あのビルの中に人がいるということが瞬時に想像できなかったのかということですが、まった
くそのことは瞬時に想像できませんでした。しかし、何度も見ているうちに、あの中に人がいる
んじゃないのかと思いました。だから、いつまでもテレビを見ていたのかもしれません。あれは、
本当のビルだとテレビが言っている。だったら、中に人がいるんじゃないのか。映像自体が、そ
れを否定しているような感覚が私にはありました。現実感がない。私の中の遠くの方で、異様な
感覚があったことは覚えています。現実感がないが現実のものなのだという考えはありましたが、
そう考えても、それが現実感になりません。すげえという思いと、遠くの方に持続する異様な感
覚。すげえという思いと、異様な感覚が混ざり、つまり、何なのか、これは何なのかと思ったか
ら、ずっと朝まで見ていたのだと思います。興奮していたというより、本当に本当のことなのか、
本当には納得できないから朝まで見ていたのだと思います。

 最初に私にきた、気持ちいいという感覚は、これまでに私がアメリカという国家に対して抱い
てきた思いが反映しています。
 歳をとるにつれて、自由という観念と実際のアメリカ国家が行うテロとの食い違いをどんどん
憎むようになっていきました。何が自由か、それはアメリカに都合のいい自由、アメリカの好き
勝手をするための観念的つっかい棒じゃないか。普段からそう思っていましたので、このアメリ
カ国家に対する憎しみが瞬時に反応したと思います。

 その後、二日経ったのか、三日たったのか、いくつかの考えを書いてから、気持ちはすっかり
重くなってしまいました。

 しかし、最初にあの映像を見たとき、明らかに私の中には爽快感がありました。
 湾岸戦争以後、誰もアメリカには逆らえないんだと、アメリカ国家自体が誇示してきたし、日
本の中にもその空気は潜在していました。風穴があいた、という感覚がありました。

 あなたは、本当にあの最初の映像だけで、あの中に人がいるとわかったのですか。
 すごい人です。
 私には、テレビが映す無機的なビルの映像にすぎませんでした。その無機的なビルが煙をあげる
のを見るのは気持ちよかったです。高い無機的なビルが世界を睥睨することに反感を感じるような
普段の私の感覚というものが伏線になっています。気持ちよかったのです。映画を見ているのと、
何の違いもありませんでした。ニューヨークのビルに飛行機がつっこんだのだと、テレビは繰り返
し言いましたが、私にはそれが納得できていなかったとも言えます。今でも、本当に納得できてい
るのかどうか、よくわかりません。

 そのとき、アメリカの世界睥睨の象徴としてのビルだけが見えていたのだろうと思います。

 私が、それが本当に本当のことだと納得し始めたのは、翌日になって地上の救助活動の映像が
テレビに映り始めてからです。

 テレビの映像を見て、それを瞬時に現実と結びつける感覚は私の中に育っていないということ
です。そして、しかも、持続していた反米の感情が、私にあったということです。その組み合わ
せで、「すげえ」は生じたし、「気持ちいい」は生じました。

 あのビルが崩壊せずに立っている風景を見たことがありますが、記憶に残っていません。私に
はそれが立っている風景も信じられない風景だったからだと思います。
 私がニューヨークで覚えているのは、暇な店で話した黒人たちとの冗談話と、ウォールストリ
ートに勤める白人の最初から蔑視を含んだ視線だけです。

 アメリカにこんなふうに逆らうやつがいるんだ、すげえという感覚は今でも持続しています。

 今はすっかり気持ちが重くなっていますが、このテロに巻き込まれた一般の人を悼む気持ちが、
気持ちをだんだん重くしているのだろうと思います。

 俺は分裂している、と私は申し上げています。
 最初の映像が私にもたらした爽快感を、私は決していつわることができません。
 観念はすばやく、思いは遅い。
 その分裂を私は晒したと思っています。





963 (無題) 投稿者:谷川 投稿日: 9月14日(金)22時26分58秒

>根石さん
BBS時々覗いてました
マンハッタンの巨大ビルに旅客機が突っ込む映像
それを観てスペクタクルを感じる
そんな自分におぞましさを覚える
犠牲者の事を思い気持ちが重くなる
しかしひたすら中東をもてあそび続け、何万人のイラク人を殺し
正義づらする一人勝ち国家アメリカをテロをしかける連中には妙に爽快感を覚える
また犠牲者を思い気が滅入る
これ、全て一人の人間の中におこる自然な感情です。
人間てその程度の複雑さは持ってます。
もし被害者への追悼の感情やテロに対する怒りだけの人がいたら
その方が異常だと思いますよ。本当に怖いのはそういう人の方でしょ。
全然問題な〜し。



966 (無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月15日(土)02時51分21秒

憎しみだけがはっきりとある。
アメリカに対するものだとも、アラブのテロリストに対するものだとも、日本の戦後市民社会の
感覚に対するものだとも、自分に対するものだとも、今はもういっさい何とも結びつけたくない。
どのような方向性ももたない憎しみだけがはっきりとある。
絶対に、今、ここにある。




970 a real bitch 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月15日(土)17時24分11秒

 詳しい知識を知らないが、イスラエルという国が現在あの地にあるのは、イギリスの画策によるものだと聞いたことがある。アラブに紛争の種を置いたのはイ ギリスだったという。
 England is a bitch.
 という歌の文句を、ウドと大笑いして聴いていたことがある。

 私は英語塾をやっている。
 私はイギリスもアメリカも嫌いだが、英語は好きだ。

 この立場はありうる。

 この立場を書いた本にリービ秀雄(秀雄で合ってる?)の「日本語の勝利」がある。
 日本も日本人も嫌いだが、日本語が好きだという本だ。

 アメリカも成績幻想もお受験も嫌いな英語塾というのは、なかなか経営が難しい。
 ここにゃあ、石油も出ないし。
 主にサラリーマン家庭の財布から直接に出る資金と援助物資で生き延びてきた。
 お嬢、この間はぶどうをありがとね。
 さて、
 らくだでも飼うか。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis



971 現代の踏み絵(その1) 投稿者:足立和夫 投稿日: 9月15日(土)23時03分30秒

現代の踏み絵(その1)

「アメリカ」という国に対して、どういう態度、言動を取るかで
その人の評価を定める、という風潮が頑としてある。
さしたる証拠もなく「アメリカ」は悪い、という前提で論議が進んで
しまうことはよくあると思う。

それゆえに発言を控える。沈黙する。「一体なにが悪いのか」疑問を
抱えたまま。そういう一群の人たちがいる。恐れている。「アメリカ」
はやることなすこと悪いのだと思い込んでいる人たちの頑な態度と恫喝。
憎悪。私も恐れを抱く者のひとりだ。

むかしからある「持てるもの」に対する妬み、嫉み、嫉妬のたぐい。そう
いう臭いがする。

あるいは、たんなる刷り込みか。前提を疑わないのか。

むろん「アメリカ」という超大国ゆえの、小国に対する無神経さ。これは
充分にあると思う。

また来ます。




972 (無題) 投稿者:谷川 投稿日: 9月15日(土)23時22分01秒

>足立さん

アメリカについて多少なりとも興味を持ち学んでみれば、
米国文化のもつ明快さ、風通しの良い社会や個人のシステム、
社会のもつ厚みと豊かさに魅了されると同時に
アメリカが国家としてこれまで行ってきた、また現在行いつつある
恥知らずとしか思えない他国にたいする様々な横暴や圧迫、謀略の
数々は自明の事だと思います。
特にここ20年ほどの中東に対する介入の仕方の凄まじいばかりの
ひどさには言葉も無くしてしまいます(米国人内部でも同様の指摘
は勿論あります)。

>むかしからある「持てるもの」に対する妬み、嫉み、嫉妬のたぐい。そう
 いう臭いがする。
>あるいは、たんなる刷り込みか。前提を疑わないのか。

>むろん「アメリカ」という超大国ゆえの、小国に対する無神経さ。これは
充分にあると思う。

これを聞いて納得するのは、アメリカ市民の5分の4と
アフガニスタンの政治家ぐらいでは?と思います。




973 訂正 投稿者:谷川 投稿日: 9月15日(土)23時23分12秒

アフガニスタンじゃないや、イスラエルでした。
怒られちゃうよ、ごめんね。




974 踏み絵について 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月15日(土)23時42分42秒

足立さん

私は若い頃は、アメリカは嫌いではありませんでした。特に好きでもありませんでしたが。
私はアメリカに友だちがいます。そいつのことはとても好きです。
frank という性質でしょうか。あのアメリカ人の質はとても好きです。

しかし、ここ10年ほどで、アメリカという「国家」はすっかり嫌いになりました。

今、他の国々に踏み絵を踏ませようとしているのは、アメリカです。
今日のニューヨークタイムズには、アラブの国々に対して、どちらの側につくのか明確にしろと
要求するという記事がありました。これは踏み絵じゃないのでしょうか。

アメリカ側につかないなら、攻撃されるのを覚悟しろと恫喝しているのです。

前提を疑わないのか、というのはどういう意味でしょうか。





975 アメリカ?アメリカ 投稿者:もっこり 投稿日: 9月15日(土)23時50分38秒

足立さん、

「アメリカ」は良い、正しい。何が何でも「アメリカ」はすばらしい。
という前提を疑わない人たちにも、多く出会ってきました。
その反動か、私自身の本心を探ってみると、足立さんの言われたような、
やることなすこと「アメリカ」悪い、嫌い、に近かったようです。

最近は、どちらの態度も、つまらないと感じるようになりました。
嫌いと言ったって、音楽、映画、文学、ファッション・・・・
沢山の影響を受けていることは、疑いようがないのです。
「アメリカ」を嫌うと、「アメリカ」に影響を受けた自分も否定しなければなりません。
アホらしい。

そこで、何かアメリカ発の情報に接するたびに、良いことも悪いことも、
心の中で十分の一くらいに縮小して受け止めるようにしています。
そして、大きな大きな米国発の情報量に対して、バランスをとるために、
他国や他地域からのニュースや文化に、たくさん触れるように心がけています。

ちなみに、今回のテロ事件について感じていることは、

本当に気の毒だよ。
悔しいだろう。
俺たちの仲間も殺されたんだ。
お前の悔しい気持ちはよく分かる。
だからちょっと落ち着け。
俺もみんなもお前の味方だ。
普段は仲が悪い**も##もお前に味方すると言っているぞ。
だから早まるな。
だってお前は図体がでかいのだ。
暴れると後始末が大変なんだ。
頼むから落ち着いてくれ。

といったところでしょうか。




977 (無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月16日(日)02時11分40秒

  > 本当に気の毒だよ。
   悔しいだろう。
   俺たちの仲間も殺されたんだ。
   お前の悔しい気持ちはよく分かる。
   だからちょっと落ち着け。
   俺もみんなもお前の味方だ。
   普段は仲が悪い**も##もお前に味方すると言っているぞ。
   だから早まるな。
   だってお前は図体がでかいのだ。
   暴れると後始末が大変なんだ。
   頼むから落ち着いてくれ。

ニューヨークタイムズも今日アメリカに対してそう言っていました。
とても不思議です。
もっこりさんのこれらの言葉を、まったく英語のイントネーションで読みました。



981 (無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月16日(日)03時58分01秒

>むかしからある「持てるもの」に対する妬み、嫉み、嫉妬のたぐい。そういう臭いがする。

卑しい嗅覚と思いました。

ちなみに、
足立和夫さんは古くからの私の友だちです。

ちなみに、
発行されたばかりの詩の雑誌、「midnight press」に足立さんの写真が載っています。
私も書かせてもらっています。
谷川俊太郎さんと正津勉さんがアーサー・ビナードさんと木坂涼さんを招いてやっている座談会
が英語と日本語を考えている人にはいい記事だと思います。

ちなみに
足立和夫さんは詩人です。
最近詩集を出しました。発行人は確か俺だったんじゃないか。
確かめてみます。

そうでした。

私の手元にたくさんあります。
皆様に読んでいただきたくご案内いたします。

詩集は「空気のなかの永遠は」というタイトルです。
東京でも、ポエムパロウルとかいう店に行けばあるかもしれません。

詩人は散文を書くと卑しくなるみたいだ。



986 回転読み 投稿者:小川 投稿日: 9月16日(日)14時00分04秒

根石さん、

「どんでんがえし」後半読みました。 英語のシンタックスを「体得」する為のメソッドとしての「回転読み」は説得力があり、ドイツ語で応用しようとおもっ ていたところです。 ただ、ドイツ人が英語に渡る場合には必要ない、との事でしたが、これは違うと思います。

重箱の隅をつっつく様ですが、「回転読み」の証左にもなると思うので、あえて書きます。  

ドイツ語のシンタックスは英語のそれと似ていますが、動詞はかならず2番目の位置に来なければならない、従属節では一番後ろに置かなければならない、な ど、基本的な所で違いがあります。 皆さん、とっくに御承知の通りです。 英語圏の生徒が苦労するのは、似ている分だけ紛らわしい、と言う点です。(日本 語のまずさ、御容赦)

おまけに、ドイツ語の動詞変化、形容詞語尾変化のややこしさ、など、英語にはないものですから、「回転読み」は、英米人の性分にさえ合えば、大変有効だと 思います。  

要するに、シャドウボクシングみたいなものか、な、? 違いました?  ここへ投稿するして下手な事を言うと、揚げ足をとられそうで、いつも神経使いま す。 はい。

退散



984 (無題) 投稿者:村田 投稿日: 9月16日(日)05時22分22秒


アメリカの流す情報には一定の留保をつけるべきだというもっこりさんのご意見に同意します。
日本に住む私は、アメリカ発の情報を、アメリカという国家の目線や、イスラエルという国家の目線で見る必要は全然ないわけで。まあ、パレスチナの目線で見 ることもできないんですが。

「『特攻」直後の喜ぶパレスチナ人の映像』、私は見ていないんですが、ある掲示板で興味深い記事を見つけました。所詮、可能性でしかないのですが、「湾岸 戦争の水鳥」を知った後では、意外とここらへんが本当かな、と思います。


「2ch軍事板」より転載
[航空機テロ情報集約スレ(分析、質問スレ)その3]
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=10002762597

> 802 名前:名無し三等兵 投稿日:01/09/13 05:06 ID:6em04lI.
> 時差考えるとヨルダンはアメリカ東海岸時間+5時間なので、
> 1発目が9時だとすると4時くらい。
> そのネタが最初に出た頃は「ヨルダンは夜のはずだ」という
> ギャグ半分のツッコミや「明るさが真昼のようだ」って意見もあったが、
> 日本と違って緯度が低いので明るさに関しても問題無い。
>
> 報道が早いと言っても、あれだけの事件なんでCNNとかの
> 「早さをウリにする」放送局が対応して
> 中東の反応をリアルタイムで送ってきても不思議ではない。
>
> ただ、「アメリカでテロが起きましたが、どう思いますか?」という
> インタビューではなく、単に浮かれていた人達の映像であるんで
> 関係の無い映像を流した可能性はあるな。



986 回転読み 投稿者:小川 投稿日: 9月16日(日)14時00分04秒

根石さん、

「どんでんがえし」後半読みました。 英語のシンタックスを「体得」する為のメソッドとしての「回転読み」は説得力があり、ドイツ語で応用しようとおもっ ていたところです。 ただ、ドイツ人が英語に渡る場合には必要ない、との事でしたが、これは違うと思います。

重箱の隅をつっつく様ですが、「回転読み」の証左にもなると思うので、あえて書きます。  

ドイツ語のシンタックスは英語のそれと似ていますが、動詞はかならず2番目の位置に来なければならない、従属節では一番後ろに置かなければならない、な ど、基本的な所で違いがあります。 皆さん、とっくに御承知の通りです。 英語圏の生徒が苦労するのは、似ている分だけ紛らわしい、と言う点です。(日本 語のまずさ、御容赦)

おまけに、ドイツ語の動詞変化、形容詞語尾変化のややこしさ、など、英語にはないものですから、「回転読み」は、英米人の性分にさえ合えば、大変有効だと 思います。  

要するに、シャドウボクシングみたいなものか、な、? 違いました?  ここへ投稿するして下手な事を言うと、揚げ足をとられそうで、いつも神経使いま す。 はい。

退散



987 回転読み2 投稿者:小川 投稿日: 9月16日(日)14時03分00秒

根石さん、

さっきの私の投稿、支離滅裂でしたね。 ドイツ人が英語を習う時、という前提なのに、英語人(?)がドイツ語を習う時、にすりかわっちゃってました。  ま、逆も言える、と言う事でご容赦。

脱兎のごとく退散



988 映像の差し替え? 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月16日(日)14時05分32秒

2チャンネルに飛ぼうとしたが、「そんな板ない」というエラーでした。

> 関係の無い映像を流した可能性はあるな。

これは、具体的には、湾岸戦争の時の映像を流した可能性がある ということでしょうか。




989 RE:映像の差し替え?  投稿者:村田 投稿日: 9月16日(日)15時13分08秒

> 関係の無い映像を流した可能性はあるな。

>   これは、具体的には、湾岸戦争の時の映像を流した可能性がある ということでしょうか。

例えば、過去の祭りの時の映像かも、ということです。



990 そんな! 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月16日(日)15時31分51秒

>例えば、過去の祭りの時の映像かも、ということです。

 もしも、そんなことであったなら、人を馬鹿にした話です。
 アメリカ国家はアメリカ人をも馬鹿にするという話です。



995 リハビリ 投稿者:小川 投稿日: 9月16日(日)17時44分33秒

根石さん、

現地のドイツ語学校ではビリの方なので、えらそ〜な事は言えませんが。

英語で "Yesterday it rained." を、ドイツ語流に並び変えると、"Yesterday rained it." となり動詞が倒置します。 これが英語のシンタックスがインプットされている生徒にはややこしくてかないません。 ドイツ人も英語を習うと同じ悩みをもつ のではないでしょうか。 「回転読み」がドイツ人の性分にあうかどうか、ですが、やりはじめたら徹底的にやらずには気がすまない国民性の様な気もしますの で、もしかしたら、あう、か、も。

それともう一つ気がついたのですが、英語がかなりできる人達でも、会話では、しょ〜もない文法的間違いをやらかす事がありますよね。 "He go to school." "I eat 5 apple."レベルの言い間違いです。 これも「電圧装置」と「回転読み」でリハビリ出来ると思うのですが、どうでしょうか? 「通じりゃいいのだ」と 言う人もいますが、「どうせやったら、ちゃんとしたい」と言う気もしますし。 いろいろなレッスンに応用発展させる事が可能ではないでしょうか?

ハンブルクへは10月半ばには帰りたいと思ってますが、あっちでも大風呂敷は拝見してましたので、また投稿させて下さい。



997 国家 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月17日(月)02時07分18秒

 「きもちいい」発言についてその後も考えていますが、ますます気持ちが沈んでいくようです。人道的に許されない発言をしたから、気持ちが沈んでいくのか とも考えてみましたが、そういうことではないという気がしています。
 ニューヨークに友だちがいるという Eliot さんの発言も充分に気持ちはわかります。私もアメリカ人の友だちに、家族は全員大丈夫かとメールを書きました。

 自分の感覚が、テレビの映像を現実のものとして受け止めないままであったこと。それをそうあらしめていたものが何であったのかと考えています。かなり 酔っぱらって帰宅したということはありますが、酔いのせいにしたところで、あの「きもちいい」の明確さは消えません。
 最初に見たときに、「きもちいい」と思ったことの背後に、アメリカの傲慢に対する普段の反米感情が伏在していたのは間違いないでしょう。この反米感情 は、今もリアルです。反米感情というより、大国が行う小国の踏みにじりへの憎しみでしょう。かつてのソヴィエトに対しても、私には同じ感情がありました。 私は国家というものが、とことん嫌いです。日本国国家も同様に嫌いです。これは、ちょっと度を越しているかと思うくらい、国家と国家の行動が嫌いです。世 界の痛みの元凶は、国家と国家の行動にあると考えている者です。

 アメリカはなぜ中東に軍を置いたままにしてきたのか。イスラエルを守るためなのか。イスラエルがあそこにあるのは、イギリスの画策の結果だという私の 持っている知識が確かなものであるなら、イスラエルはイギリスが守るがいい。なぜアメリカが軍を置き続けるのか。ヨーロッパの貴族という bitch どもが、アジア・アフリカを植民地にして、金銀を泥棒した恥ずべき行為の延長で、今度は、アメリカが中東の石油の利権を得たい、つまり泥棒したい。そうい うこととは違うのか。インディアン(原アメリカ人)の土地を泥棒したことの延長と違うのか。人が暮らしているところに勝手に入ってきて、人を殺し、土地を 泥棒する。これが現在のアメリカの建国というものだった。イギリスからの独立だの自由だので、建国記念日などを設けるが、その前にインディアン殺しがずっ と続いただろう。インディアン殺し記念日は、アメリカには日々是好日のようなもので、設けきることはできないだろう。それの続きを夢見ているのか、アメリ カは。今度は、生活するための土地を得たいというよりは、ひたすらゼニカネのためではないのか。

 日本には日本の猿まねの恥ずべき行為があった。かつてロンドンにいたとき、街角で買った新聞に、日本は中国に対して謝罪すべきだというような記事を読ん で、ほとんど逆上に近い感情を持ったことがある。恥知らずめが。ヨーロッパの貴族どもほどに恥知らずな者どもはいない。イギリスが中国に何をしたか。麻薬 まで使用するテロリズムの御本家の新聞が何を言うのかと思ったのでした。日本は謝罪すべきです。しかし、イギリスがそれを言うなら、イギリスがイギリスと してすべきことがあるはずだ。日本が百回土下座すべきなら、イギリスは何千回でも土下座すべきだ。ヨーロッパの貴族ども、聖職者どもに対して、その時、私 は心情だけなら、アラブのテロリストと同じテンションにいました。

 口をぬぐってのうのうとしているヨーロッパの貴族どもの感覚が、今、アメリカの感覚として蘇っています。

 人がいいという形容詞そのままのようなJというアメリカ人の友だちがいます。こいつが私のところに遊びにきて、3ヶ月近くいたことがあります。まだソ ヴィエトが崩壊していなくて、内はめちゃくちゃ、外には強硬な顔をしていた時代だったと思います。私の友だちは、素朴に反共イデオロギーを信じていて、人 となりという点では実に人がいいのに、ソヴィエト=悪というイデオロギーを信じていました。俺は、ソヴィエトは巨大な悪であると思う。しかし、それと同じ 大きさでアメリカは悪である。お前の言うことはアメリカ国家という悪の宣伝に染まっていると、こいつに言ったことがありました。大した議論をしたわけでは ありません。私がこれを言って、双方で黙りました。こいつがアメリカに帰った後で手紙をくれ、お前の言ったことをよく考えてみた。今も考えていると、手紙 にありました。何をどう考えたのかは聞きませんでした。こいつとは今も友だちです。

 アメリカという国家が善悪の善であるなどと信じることはとうていできない。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis



998 (無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月17日(月)02時28分57秒

----------------------------------------------------
Your family are okay?
Your parents are okay?
----------------------------------------------------
Yes, we are all fine; we are tired from worry, but well in body. Our
great concern is how Americans shall react as a country. What is your
reaction to the attacks?
----------------------------------------------------
It's good to know you all are okay.
I like American people. 
I want to live as a person, not a member of Japanese nation.
I was forced to live as a member, but in me, I am a person.
I resist against this forcing power of nation as much as I can.
I want American people to do the same.

I do not like American politics.
As a country, America is too powerful and too arrogant.

Of course, I hate terrorism.
As a country, America should rethink what it did to native people.
Wasn't that a terrorism to native people living peacefully in those days?

To Vietnam. To Arabs.
America should know there's no western frontier.

I care much about my friends in America.
I love my friends in America.
But I hate American politics.

What do you think about this thought?


999 (無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月17日(月)02時34分46秒

Cという友だちに書いたメールですが、

At first, I felt it's so cool.

とはついに書くことができませんでした。しかし、今後やりとりが続けば、これは書くつもりで
います。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis