2501 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)00時45分57秒

 酔いが回る前に、前に書いていただいたことへのお返事から始めます。

>以前(5年ほど前)、私はCompuServeというOnlineサービスでアメリカ
 人(複数)と広島・長崎の原爆について議論(喧嘩)しました。やつら
の反駁手段は、真珠湾と南京事件です。結局、やつらの潜在意識には、西
欧はアジアを蹂躙してもいいが、非西欧(日本)がアジアを蹂躙するのは
許せないということがあるのです。
 ところで、中国・朝鮮がこれに関して、日本のみを責めるのも、おかし
いと思います

 日本は、中国・朝鮮にきちんと謝罪すべきですが、その謝罪の言葉が同時に欧米の傲慢さを掘り出し浮き彫りにするだけの質を備えなければならないと思いま す。
 それがどんな言葉になるのか、日本人は真剣に考えるべきだと思っています。



2502 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)01時17分34秒

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例えば、冗談で言うのですが、もし2年以内に英語に上達しなければ、自分の命が無くなるとなれば、大抵の人がその期間内に上達するのではないでしょうか?  私のことを言えば、単純にアメリカかぶれでした。物心がついたころには、テレビでアメリカのドラマを沢山やっていました。1960年代の始めでしたか ら、日本は貧しかった。それに較べて、アメリカは輝いて見えました。初めて中学校で英語の教科書をもらった時の嬉しさを今でも覚えています。
 結局、私の潜在意識には、アメリカに対する深いあこがれが有った(今でも有る)のでしょう。これが、私の英語に対する動機だと思います。
----------------------------------------------------

 2年以内に上達しなければ、自分の命が無くなるという条件づけと、アメリカへのあこがれということとは関連がなく、困っています。並列できない事柄では ないでしょうか。

 2年以内に上達しなければ命がない場合ですが、おっしゃる通り、大抵の人が上達すると思います。そりゃそうですが、その間、生活の世話は誰がしてくれる んだろうと思いました。日本在住のまま、日本語の磁場で英語に上達して英語が使えるようになるには、2年という時間は通常の生活をしていたのでは短かすぎ ます。どこか蔵の中にでも閉じこめ
てもらって、生活の世話は誰かがしてくれるのであれば、ようやく2年という数字が現実的になります。
 埴谷雄高という人は、左翼活動で監獄に閉じこめられて語学をやったと聞いておりますが、監獄のような場所は非常に語学に適していると思います。いくらま ずい飯でも、飯は国家が食わせてくれるわけですから。
 民衆を一人残らず監獄に入れて、国家がやっていけるものならやってみてくれと言えばいいだけのことです。
 語学をやりたいから監獄に入れてくれと私が国家にお願いして、監獄に入れてもらえるならば、私は2年くらいは監獄暮らしをしてみたいとも思います。

 アメリカ(の文明)へのあこがれについて。
 私にはこれがなかったのです。今もまるでありません。
 これが、多くの英語好きな人々と私が違うところだと思っています。
 私は、単純に、日本語と異質である言語が面白かっただけなのです。優位にある文明の魅力などとはまるで関係なく、言語の異質性が面白かっただけです。 リービ秀雄が「日本語の勝利」という意味とまったく同じ意味で、「英語の勝利」は私の中にありました。どこまで遡っても、異質な言語に対する興味という 「言語的興味」が見つかるだけです。

 異質言語の面白さに、19歳頃にめざめて、今も面白がっているだけです。

 アメリカの魅力というものはあると思っています。
 一つの国の中に異質な文化が二つや三つどころでなく、無数にせめぎあうこと。そのせめぎあいから生まれる渾然とした活力を容れていることです。つまり、 ニューヨークに集約される魅力です。それ以外のアメリカの文化の質に魅力を感じたことはありません。

 アメリカのパワーやそれを踏まえた政治はこの世界でもっとも嫌いなものの一つです。



2503 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)01時17分34秒

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例えば、冗談で言うのですが、もし2年以内に英語に上達しなければ、自分の命が無くなるとなれば、大抵の人がその期間内に上達するのではないでしょうか?  私のことを言えば、単純にアメリカかぶれでした。物心がついたころには、テレビでアメリカのドラマを沢山やっていました。1960年代の始めでしたか ら、日本は貧しかった。それに較べて、アメリカは輝いて見えました。初めて中学校で英語の教科書をもらった時の嬉しさを今でも覚えています。
 結局、私の潜在意識には、アメリカに対する深いあこがれが有った(今でも有る)のでしょう。これが、私の英語に対する動機だと思います。
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 2年以内に上達しなければ、自分の命が無くなるという条件づけと、アメリカへのあこがれということとは関連がなく、困っています。並列できない事柄では ないでしょうか。

 2年以内に上達しなければ命がない場合ですが、おっしゃる通り、大抵の人が上達すると思います。そりゃそうですが、その間、生活の世話は誰がしてくれる んだろうと思いました。日本在住のまま、日本語の磁場で英語に上達して英語が使えるようになるには、2年という時間は通常の生活をしていたのでは短かすぎ ます。どこか蔵の中にでも閉じこめ
てもらって、生活の世話は誰かがしてくれるのであれば、ようやく2年という数字が現実的になります。
 埴谷雄高という人は、左翼活動で監獄に閉じこめられて語学をやったと聞いておりますが、監獄のような場所は非常に語学に適していると思います。いくらま ずい飯でも、飯は国家が食わせてくれるわけですから。
 民衆を一人残らず監獄に入れて、国家がやっていけるものならやってみてくれと言えばいいだけのことです。
 語学をやりたいから監獄に入れてくれと私が国家にお願いして、監獄に入れてもらえるならば、私は2年くらいは監獄暮らしをしてみたいとも思います。

 アメリカ(の文明)へのあこがれについて。
 私にはこれがなかったのです。今もまるでありません。
 これが、多くの英語好きな人々と私が違うところだと思っています。
 私は、単純に、日本語と異質である言語が面白かっただけなのです。優位にある文明の魅力などとはまるで関係なく、言語の異質性が面白かっただけです。 リービ秀雄が「日本語の勝利」という意味とまったく同じ意味で、「英語の勝利」は私の中にありました。どこまで遡っても、異質な言語に対する興味という 「言語的興味」が見つかるだけです。

 異質言語の面白さに、19歳頃にめざめて、今も面白がっているだけです。

 アメリカの魅力というものはあると思っています。
 一つの国の中に異質な文化が二つや三つどころでなく、無数にせめぎあうこと。そのせめぎあいから生まれる渾然とした活力を容れていることです。つまり、 ニューヨークに集約される魅力です。それ以外のアメリカの文化の質に魅力を感じたことはありません。

 アメリカのパワーやそれを踏まえた政治はこの世界でもっとも嫌いなものの一つです。




2505 斎藤さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)01時39分40秒

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実用を「めざす」という考えが何故貧しいのかよくわかりません
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 私は口が酸っぱくなるほどに、「使える英語」ということを言い続けてきました。
 しゃべれる英語でなくてもいい。読める英語でもいい。しかし、読めると言われている日本人の英語は、頭から読み下すのではなく、昔の漢文式に視線をあち こちさせて、パズルをいじるように英語をいじってきました。
 これでは駄目だ、と言い続けてきたと思っています。
 「使える英語」というものは、英語のシンタックスが内在化されている英語のことです。

 一方、「実用英語」と言われているものは、早い話が産業界から要請されている英語の質のことです。日本が世界を相手に、ショーバイを続けていくのに役に 立つ英語のことです。言葉そのものの魅力とか、異質言語や異質シンタックスの魅力とは関係のないことです。この「実用英語」の眼目は、なにはともあれ、 ショーバイで得ができる英語のことであり、これが現在の日本に必要だということはわかっているつもりですが、英語に注ぐ労力の焦点をここに合わせてしまっ たら、貧乏くせえ話だと思うのです。

 語学の原動力は、言葉そのものの魅力だという考えは一歩も譲る予定がありません。




2508 悲しさ 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)01時51分19秒

男どもは、産業界の要請に尻尾を振り英語をやる。
女どもは、白人と白人文化に尻尾を振り英語をやる。

どっちも駄目なんじゃないか?



2511 わからない 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)02時20分15秒

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アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます
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 パクパクさんの書かれた言葉ですが、私にはわかりません。
 アメリカに動く金、アメリカから世界にばらまかれる金の多くをユダヤ人が牛耳っているということならわかります。

 しかし、そんなことと関係なく、アメリカに対する憧れは日本の人々にあります。
 今もあります。
 「あります」どころか、英語をやりたがる人々の非常に多くがこの病気です。

 「言葉そのもの」という基点から、この病気を覆すことはできないのかとずっと考えてきました。



2512 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)02時23分56秒

>住んでみるとわかりますが、洗練されたしゃべり方に聞こえる、ああ、やっぱり、
 ああいうふうにしゃべりたいな、という刺激を受ける人も多いようです。

 これはとても自然な心の動きだと思います。



2513 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月15日(月)02時32分46秒

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「さくら」をご覧になりましたか?
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 今日だったか昨日だったか、初めて見ました。
 日本の英語教育のどこに問題があるのかを提議することはやっているのだと思いますが、さくらの授業で、日本人が英語をしゃべるようになるとは思えません でした。
 しかし、あの何ていう人でしたっけ、「パッとサイデリア」のコマーシャルで日本中にサイディングを売った太ったおやじ。

あの人は、実になんというか、
味がある。

 なまじ才能があったおかげで、日本中にサイディングを普及しちゃった罪はあると思いますが、実に、味があるのであります。



2517 「病気」→「動機付け」 投稿者:浜谷  投稿日: 4月15日(月)21時36分54秒

>しかし、そんなことと関係なく、アメリカに対する憧れは日本の人々にあります。今もあります。「あります」どころか、英語をやりたがる人々の非常 に多くがこの病気です。
「言葉そのもの」という基点から、この病気を覆すことはできないのかとずっと考えてきました。

上の2行はここのところ熱く議論されて来ました。最後の1行に私は惹かれました。私は英語の他にフランス語とスペイン語をかなりの期間学習して来ました。  最近サッカーの全日本監督がフランス語でまくし立てているのをよく耳にしますが、私のフランス語はかなり錆び付いているためよく聴き取れないのですが、 やはりかなり惹かれます。また、スペイン語も時々FM放送などで耳に入ってきますが、やはり惹かれます。私が両方の言葉を習い始めた動機は、多読中心で学 習してきた英語の学習方法がその両言語で応用出来るかどうか確かめたい、ということが一つ、そして英語とその両言語が世界でもっとも多くの国で喋られてい て実用性があるということが2番目にありました。つまり学習結果が仕事に結びつく可能性がもっとも高い言語であるということでした。

何が言いたいかというと、アメリカに対する憧れというのは普通わが国の学校で米国語を教えているという事象から導き出された当然の結果だと思うのです。も し学校で英国語又はフランス語、スペイン語が教えられていればそれぞれの言語が話されている国が憧れのまとになると思うのです。私は米国の他フランスやス ペインにもそしてそれらの言語が話されている国々にも憧れています。言葉を習っていなかったらそういう憧れはおこらないように思います。実際大学などで第 二、第三外語を習っている人達のなかには、勿論それらの言語を習う前からそれらの国に憧れていたという人もいると思いますが、大学卒業後仕事に結び付けた いとかの動機で習い始めて、それらの国に憧れるようになったという人の方が多いのではないでしょうか。ですから習おうとしている言語の話されている国やそ の国の人々に憧れを抱くというのは「病気」ではないと思います。 いやむしろ「語学」を始めるためにはその「病気」がある方が良いとさえ考えます。 その 「病気」を転じて語学をやる「動機付け」にうまく誘導してやる国家の英語教育方針や施策が間違っていることや、まともな英語教育者が不足しているのが問題 だと思っています。



2518 根石さん 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月15日(月)22時20分40秒

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 私は口が酸っぱくなるほどに、「使える英語」ということを言い続けてきました。
 しゃべれる英語でなくてもいい。読める英語でもいい。しかし、読めると言われている日本人の英語は、頭から読み下すのではなく、昔の漢文式に視線をあち こちさせて、パズルをいじるように英語をいじってきました。
 これでは駄目だ、と言い続けてきたと思っています。
 「使える英語」というものは、英語のシンタックスが内在化されている英語のことです。
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同感です。 ただ,「使える英語」と「実用英語」の違いが良くわかりません。

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 一方、「実用英語」と言われているものは、早い話が産業界から要請されている英語の質のことです。日本が世界を相手に、ショーバイを続けていくのに役に 立つ英語のことです。言葉そのものの魅力とか、異質言語や異質シンタックスの魅力とは関係のないことです。この「実用英語」の眼目は、なにはともあれ、 ショーバイで得ができる英語のことであり、これが現在の日本に必要だということはわかっているつもりですが、英語に注ぐ労力の焦点をここに合わせてしまっ たら、貧乏くせえ話だと思うのです。
--------------------------------------------------------------------

「実用英語」をこのように規定するのは、少し窮屈な気がします。
私は、「使える英語」と「実用英語」は、ほぼイコールという意識で
意見を述べさせていただいたつもりです。
ショーバイだけでなく、学問、芸術の世界でも「実用英語」は必要なはずです。スポーツもそうでしょう。
ただ、ショーバイ、学問、芸術、スポーツの間に貴賎は無いと思っています。ショーバイが下賎で学問が高尚というのは、学者一般を買いかぶっていると思いま す。立派な商売人もいるし、立派でない学者もいるでしょう。
その逆も、もちろん有るでしょう。

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 語学の原動力は、言葉そのものの魅力だという考えは一歩も譲る予定がありません。
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根石さん個人の御意見としては、反論しようもありません。
私も、言葉そのものの魅力は同感する部分が有ります。




2519 仮定法 投稿者:浜谷  投稿日: 4月15日(月)22時22分39秒

ぱくぱくさん、

>浜谷さんの紹介の仮定法のサイトにつぎの記述があります。
>>
"If he will come tommorrow, I will not go "などの文は存在し、
上の規則は事実にも反していることも付け加えておきます。
もちろん、"If he comes tommorrow, I will not go."とは文の意味が違います。

>この2英文は、そんなに意味が違うのでしょうか?

ご紹介したサイトの掲示板で質問してみました。下記に転載いたします。
(無断での転載ですが、下記に改めて当該サイトのリンクを載せ、PRする
ことによりお許しを願うことにしたいと思います。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
If he comes tomorrow と If he will come tomorrow の違いを感覚的に
捉えられることができないのは、He like her. と He likes her.の違いを
感覚的に捉えられないことと同じです。
日本では、機械的に言葉を処理しようとしてしまって、He like her.
はただの「文法的誤り」として処理されてしまっているのです。
He lile(likeのあやまり? 浜谷注) her.は He likes her.とは異なるだけであって、それなりの意味
があるのです。(? 浜谷注)

さて、学校文法では「未来を表す副詞節の動詞の現在形は未来の代用をする」という「未来を表す場合は未来形を使う」という動詞の形態が時によって
決まるという法則に対する、日本の中学生が出会う最初の例外です。

日本の英語関係者の間では、動詞の形態は、主語の人称、数、および
時によって決まっているということを全く疑うことを知らないため、
仮定法という概念がつかめていないようです。
動詞の形態を決定しているのは、人称や数や時ではなく、話し手の
「感情の入れ込み方」なのです。
if he comes tomorrow の方が if he came (=did come) tomorrow よりも感情の注入度が低いのであって、後者の "came" は過去のことを表している
のではないということです。
質問の "if he will come tomorrow" の意味は、if he insists he come tomorrow のことで、もちろん、"if he comes tomorrow" とは意味がかなり
異なることがお分かりですか?
仮定法というのは動詞が時によって支配されるという「法則」に対する
例外であるという見方に従うならば、「未来のことを表すのに現在形を
使う」ということも仮定法の一種であるという考え方をするのが論理的です。

尚、"if he will come tomorrow" は、仮定法未来ではなく、直説法現在
です。仮定法 (Subjunctive mood) に対して、直説法 (Indicative mood)
が存在するということも理解しておいて下さい。"if で始まる文”を
仮定法と思ってしまっているある翻訳学校のテキストなどもあるくらい
ですから、生徒レベルでは混同するのは無理もないと思いますが、
直説法という用語くらいは覚えておいてください。
とにかく、動詞の形態は時によって決定されているという呪縛からまず
自分を解放してください。
そんな規則が通用するのは直説法の場合だけなのです。


http://www.smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html



2520 パクパクさん、 投稿者:浜谷  投稿日: 4月15日(月)22時37分51秒

パクパクさんのお名前とリンクが違っていました。お詫びして訂正いたします。

http://smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html



2521 浜谷さん 投稿者:パクパク  投稿日: 4月15日(月)22時41分14秒

どうも貴重な情報ありがとうございます。

 動詞の形態を決定しているのは、人称や数や時ではなく、話し手の
「感情の入れ込み方」なのです。

 このことは、学校文法では、なかなかお目にかかりませんね。



2522 根石様 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月15日(月)23時17分42秒

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 2年以内に上達しなければ、自分の命が無くなるという条件づけと、アメリカへのあこがれということとは関連がなく、困っています。並列できない事柄では ないでしょうか。
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関連は有ります。私の言いたかったことは、強い動機付けの重要さです。

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 2年以内に上達しなければ命がない場合ですが、おっしゃる通り、大抵の人が上達すると思います。そりゃそうですが、その間、生活の世話は誰がしてくれる んだろうと思いました。
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"これは、冗談ですが"と断ったはずです。あくまで、例えです。

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 アメリカ(の文明)へのあこがれについて。
 私にはこれがなかったのです。今もまるでありません。
-------------------------------------------------------------------

ちょっと、想像しにくいですが、あり得ることと思います。
前にも書きましたとおり、現在の私はアメリカに対して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。アメリカの文化は底が浅いです(歴史
が浅いので当然ですが)。

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 日本は、中国・朝鮮にきちんと謝罪すべきですが、その謝罪の言葉が同時に欧米の傲慢さを掘り出し浮き彫りにするだけの質を備えなければならないと思いま す。
 それがどんな言葉になるのか、日本人は真剣に考えるべきだと思っています。
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これは、難しいです。国が国に謝罪するのは、個人が謝罪するのとは、違います。謝罪するとなると、当然、賠償問題が出てきます。莫大な金額になるでしょ う。その場合、当然、我々の税金からとなります。我々の爺さん連中がやらかした事の責任を何故、我々が取らなければならないのかという疑問が
出てくるでしょう。

中国は中国で現在もチベットを蹂躙しています。どの面下げて、日本に謝罪を要求しているのでしょうか?

韓国に関しては、日本が出て行かなかったら、ほぼ確実に韓国は共産化
(北朝鮮化)していました。日本も共産化していたでしょう。
日本も韓国もロシアの属国です。
だからといって、日本の責任が無くなるとは思いませんが。



2524 素読舎日録 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月16日(火)00時01分15秒

 正午、起きる。
 しばらくぐったりする。
 午後1時、薪小屋の屋根に登って屋根を葺くが、暑い。下へ降りる。
 午後3時まで、妻とよもやま話。
 午後3時過ぎ、再び屋根に登り、暗くなりかけるまでに全部葺き終える。
 ビデ足場の再利用で作った薪小屋だが、ちょいと恰好が悪いので、これから恰好をいじる予定。しかし、ひとまず一番広い部分の屋根葺きが終わったので、し ばらくは放置することにする。
 明日からは、西側の壁のサイディングをやることにする。

 夕方7時、国民温泉に行く。湯に入ったり出たりして、10時までいる。湯に入ったり出たり、出たり入ったりしていると、人の話が聞こえてきて、これが実 に面白い。
 今日、信濃鉄道で飛び込み自殺があったという話だった。
 人体は挽肉状態になり、骨もろくにみつからないとのことだ。

 国民温泉から帰り、掲示板を見るがKぼんが書いてくれただけ。他には誰も書いていない。
 Kぼんに「すけべ論」を書きかけた途中で、隣町Y美人の笑い声がするので、二階から一階に降りる。村田君に隣町Y美人の英語の上達が近頃めざましいの で、その記事を掲示板に書いておいてくれと頼んでおいたのに、やってくれないから、村田君に文句を言う。ひとしきり、英語の話。隣町Y美人は、英語に対す る感覚がどんどんまともになってきている。英語出来る自信過剰日本男に最近文句を言われたそうだが、英語出来る自信過剰日本男は根性の狭いのが多いから、 そんなやつには爪で鼻くそをピンと飛ばしてやればそれでいいのだと隣町Y美人に教えを垂れる。
 塾の部屋から出て、またブコウスキーのテープを聴く。
 再び二階に戻り、Kぼんへ書く。
 それをUPしたら、どかどかと皆さんが書いてくれてあった。
 今日はしかし、3時間も温泉にいたので、どうにも・・・。



2525 お邪魔します 投稿者:Ton@個人の立場  投稿日: 4月16日(火)00時18分09秒

根石様

はじめに、根石姓を、こともあろうに間違えて書き込んでしまったことをお詫びし
訂正します。

>Ton 様が私の編集者をやっていただくのが、私の最大の願いです。

 それらを踏まえまして、Kawakamiが戻り次第、先生のところへ差し向けます。
 キャラクターの部分は、一アイディアで、ちゃぶ台をひっくり返しているアレ、かも
 わかりません。

>パクパク さま

 本日、
 >習おうとしている言語の話されている国やその国の人々に憧れを抱くというのは
  「病気」ではないと思います。 
 いやむしろ「語学」を始めるためにはその「病気」がある方が良いとさえ考えます。 
 
 という浜谷さんの書き込み、どう思われましたか?
 ズバリ、これと同意見の者が、本日の会議で多数でした。そのことを
 書こうと思ったら、既に書かれてあってニンマリ。

 つまり、憧れから入って、英語をマスターしていって、更に憧れているかどうか
 は別問題だが、動機は、これが圧倒的であり、それでいいのではないか、というものです。
 どんなものなのでしょうか?

 但し、『その「病気」を転じて語学をやる「動機付け」にうまく誘導してやる国家の
 英語教育方針や施策が間違っていることや、まともな英語教育者が不足しているのが
 問題だと思っています』。
 については教育フェティシスムに陥るところまで、「教師の責任だ」といって教師が
 胸をはるようなことでもない、ということ。(先生だったら、志を傷つけるようで、
 ごめんなさい、ですが)

 生徒に手助けはいいとして、生徒が好きならやるでしょう。
 だからといって受験英語で受かるというものでもないが
 好きな部分と、やらねばならないという部分は違う、ということは至然だと思うのです。

 「国家の・・・・〜」は、生徒、誰も考えていないのでは。
 学校へ行けば英語が好きになる、というのは大幻想。
 したがって先生が動機づけをしてどうにかなる、というものでもない、
 とも考えるのです。

 語学は、ツールである、
 何の為に英語をやるのか。
 それでもって自分が為したいことを実行する。(同時通訳は別として)。

 と考えるのは間違いですか?
 
 突き抜けたところ、に、論が進んでいくのが楽しみです。

 門外漢の論(たわごと)かも知れませんが。

http://www.doujinsha.com



2526 SAMの発音 投稿者:nishiazabu  投稿日: 4月16日(火)01時04分49秒

根石様、土曜のレッスンお疲れ様でした。
SAMのAの発音慣れるまで、少々練習が必要です。
それを意識してCNNを見てたら、アジア系のキャスターが
その音を発音する時、かなり無理に口の端を吊り上げて発音してました。
彼も苦労してるんだなと感じた。
ところで最近ブコウスキー聴いてるんですね。
私は彼の詩集を数冊持っているので、今度送りましょうか?



2527 あこがれと英語力 投稿者:パクパク  投稿日: 4月16日(火)06時29分17秒

あこがれが動機で、英語が通じるようになった人は、
在外経験があるか否かがチェックポイントとして大切だとおもいます。
あこがれが強いと、米国留学(米国勤務)をして、そこで英語磁場を照射されますので
結果として、英語ができるようになるとおもいます。
わたしは、あこがれだけの在日英語学習者は、どんなに学習しても
英語が通じるようになるとはおもえません。
あこがれを廃し、語学として(英語磁場でなく、日本語磁場での
外国語学習の明確な自覚をともなう学習行為)、ただ只管、素読するなら
別でしょう。
ここで、国弘さんは、音読という表現ですが、私は、素読の表現の
方がいいとおもいます。
素読の、素の語感を残した方がいいとおもいます。



2528 スランプ 投稿者:P  投稿日: 4月16日(火)13時41分50秒

根石先生

昨夜はレッスンありがとうございました。ちょうど月曜日生徒の中で「最近、先生見ないね。」
と話していたところで、久しぶりにお話したような気がします.
この1カ月、塾へ行くのが遅れたりして毎回復習範囲で終わっていた私は何だか練習も
サボリ気味でした。やっぱり私には聞いてくれる人が必要だと改めて思いました.一人では
すぐに止めてしまいそうです。「唄を忘れたカナリヤ」じゃないですけど音読を私からとって
しまったら何か気が抜けてしまいそう、と月曜日のレッスンから長野のゆいまあるにうつった
友人Sさんと話してました.
昨日も話しましたが英会話クラブの友人に「難しい単語を質問してみて」と言われ、自分が
やっているシナリオ「逃亡者」からちょっと出題してみたのですが「英語らしくもっと言ってよ」
なんて言われてガーンと来ていた所でした。英会話クラブの仲間は気の知れたとても良い
仲間だと私は思います。でも何か英語に対する考えがちょっと違うような気がします.
その人は特にクラブの中でも英語を勉強してます。「日常会話なんて勉強しても対して使わない
。」 何か、何か違うんですよね。先生。長くなりそうなので又あったときにお話したいです。
日本語に逆らって、英会話の仲間にも逆らって、、って思うんですけど、、このまま進んで見たいんです。

P.S いつも時間が無くてあまり話せないので、たまにはMさんとかと、ウドさんの店に行く時とかは誘って下さね。

  それと。Eliottさん元気ですかぁ。この前逃亡者のシナリオをやっていたPです。覚えてますか?難しいお話はできないので書きこめ
  ないですけど。ほんとうにEliottさんの音読はすばらしかったです。また長野に遊びに来て下さいね。 
                



2530 根石様 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月16日(火)21時14分45秒

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隣町Y美人は、英語に対する感覚がどんどんまともになってきている。英語出来る自信過剰日本男に最近文句を言われたそうだが、英語出来る自信過剰日本男は 根性の狭いのが多いから、そんなやつには爪で鼻くそをピンと飛ばしてやればそれでいいのだと隣町Y美人に教えを垂れる。
---------------------------------------------------------------------------------

英語が出来る位で自身過剰になるのは、日本人と韓国人くらいでしょう。
つまり、両国とも語学音痴でありながら、妙にアメリカかぶれなんです。
アメリカでは10歳の餓鬼でも英語ペラペラというあたりまえのことを認識しましょう。



2531 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月16日(火)22時31分20秒

 隣町Y美人は、つい近頃書いてくれた p さんです。この人は偉い人だと私は思っています。私の教室に通ってきてくれて、英語がどんどん変わりました。
 この人は、それ以前から隣町の英語クラブとかいうのに所属していて、このクラブの人たちを私はウドの店で見かけたことがあります。中へ入って話したこと はありませんが、どうも雰囲気が大学のESSの社会人版みたいな感じでした。よくいる英語病の方々のようにお見受けし、近寄らずにおりました。

  p さんの英語がどんどん変わったので、そのクラブの年輩の方がほめてくれたこともあったらしく、p さんがすごく喜んでいたことがありましたが、最近、どうも別の若いクラブ員から意地の悪いことを言われたらしい。発音がまともでないとか、会話なんかやっ てもしょうがないとかいうようなことを言ったらしい。

 このことに関して、この若いクラブ員は、p さんの英語が変わるまでは、何も言わなかったのではないかと私は勘ぐっています。人の英語が変わると、気になって、「追い越されるんじゃないか」というよ うに思って、水を差すようなことを言ったのではないかと勘ぐっているのです。もしも、そうなら、根性の狭い野郎だと思うのです。

 嫌なやつはどこにでもいますが、特に英語をやる若いやつに多いと思っているのは私の偏見でしょうか。



2533 Pさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月16日(火)23時10分35秒

>昨夜はレッスンありがとうございました。ちょうど月曜日生徒の中で「最近、先生見ないね。」と話していたところで、久しぶりにお話したような気がしま す.

 月曜のクラスについて、妻と話しました。現在、私の活動の主体部分は「電話でレッスン」に移っています。月曜のクラスの扱いが、「電話でレッスン」とま るで整合性がとれないということを妻に言いました。生徒5人に対して、2人で2時間見るということは無理だから、月曜は、私の「電話でレッスン」の受け皿 として私の体を空けておくということにしたいと思い、4月からは、私がレッスンから抜けたらどんなふうになるかを試しています。
 月曜のクラスも「ゆいまある」のクラスも、「電話でレッスン」の標準からすれば、一種の「お試しクラス」だと思ってください。どんな方法か知っていただ くためのものです。この方法が有効であるとわかっていただけたなら、いずれは「電話でレッスン」に移行していただきたいというのが、私どもの願いです。
 妻と話して、以下のような方針を立てました。

・月曜クラスも「ゆいまある」クラスも妻が一人でやる。
・定員を5人とする。
・定員をオーバーした場合は、オーバーした人数分だけ、毎月交代で「電話でレッスン」
 の生徒さんになっていただく。(練習が先に進んでいる人から始めます)

 来週の月曜日に、以上のことを全員にお話する予定です。

>昨日も話しましたが英会話クラブの友人に「難しい単語を質問してみて」と言われ、自分がやっているシナリオ「逃亡者」からちょっと出題してみたのですが 「英語らしくもっと言ってよ」なんて言われてガーンと来ていた所でした。英会話クラブの仲間は気の知れたとても良い仲間だと私は思います。でも何か英語に 対する考えがちょっと違うような気がします.その人は特にクラブの中でも英語を勉強してます。「日常会話なんて勉強しても大して使わない。」 何か、何か 違うんですよね。先生。長くなりそうなので又あったときにお話したいです。日本語に逆らって、英会話の仲間にも逆らって、、って思うんですけど、、このま ま進んで見たいんです。

 「英語らしくもっと言ってよ」なんかと言うのは、多分その単語を知らなかったんだと思います。こんな知識量較べなんかは、どうでもいいくだらないことだ と思って、放っておけばいいのです。私の感触では、なにやら根性の狭い野郎だという感じです。
 何が「難しい単語を質問してみて」か。くだらない。
 あなたのように真剣にやっている人の気持ちをくじくようなやつは、どうにも頭にきます。私はろくでもねえ野郎の鼻っ柱をへし折ることはいくらでもやりま すが、あなたがやってきたような真剣な練習の気持ちに水を差すような野郎には、どうも腹がたって仕方がありません。
 一発、臭い屁でもかませてやればいいのです。
 もっとも、美人に臭い屁というのもあんまり似合わないので、是非やれとは申しませんが・・・。

>P.S いつも時間が無くてあまり話せないので、たまにはMさんとかと、ウドさんの店に行く時とかは誘って下さね。

 おお、そうだそうだ。ウドの店に行くときに誘うから、ちゃんと電話がつながるようにしといてね。なにしろ、p さんは電話がつながらないことにかけては定評がある。
 俺は、木曜日しか空いてる日がないので、たいていは木曜日に電話するから。
 Mさんていうのは、村田君だよな。
 村田君たら、p さんとウドの店に行くって言えば、ほいほいって言って、出かけてくるよ。

>それと。Eliottさん元気ですかぁ。この前逃亡者のシナリオをやっていたPです。覚えてますか?難しいお話はできないので書きこめないですけど。ほ んとうにEliottさんの音読はすばらしかったです。また長野に遊びに来て下さいね。

 これは勘違い。俺の家へ来ていたのは、Eliot さんじゃなくて、sbさん。



2534 パクパクさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月16日(火)23時46分45秒

>わたしは、あこがれだけの在日英語学習者は、どんなに学習しても
 英語が通じるようになるとはおもえません。
 あこがれを廃し、語学として(英語磁場でなく、日本語磁場での
 外国語学習の明確な自覚をともなう学習行為)、ただ只管、素読するなら
 別でしょう。

 まさにこれが私が言い続けてきたことです。
 「あこがれ」で始めてもかまわないけれど、語学そのものの面白さ、言葉そのものの面白さに目覚めなかったら、ちんちくりんのままで終わりです。

>ここで、国弘さんは、音読という表現ですが、私は、素読の表現の方がいいとおもいます。素読の、素の語感を残した方がいいとおもいます。

 國弘さんは、「朗読」と言っています。私は「素読」と言ってきました。
 落としどころは「音読」です。朗読だろうが、素読だろうが、音読には変わりがない。

 私も「素読」の方が好きです。「素」は「素うどん」の「素」でもありますが、「素人」の「素」でもあります。
 國弘さんはもう明らかに「玄人」です。私は人様からお金をいただいているくせに、自分のことを「素人」なんだと思うことがあります。
 國弘さんが、在米経験を経て「同時通訳」の能力を得たことは間違いないと思っています。いくら「只管朗読」を激しくやっても、日本在住のままでは「同時 通訳」はできるようにならないと思います。
 この方がまったくの「玄人」でありながら、「素人」以前の初心者のための方法を密教として提示されたことの意味は非常に大きい。こういう玄人が言うので なければ、初心者は信じないのです。そして、さすがに「玄人」だけあって、余計なことは言わず、自分の方法を密教としています。そして、密教的にでなけれ ば言えないことは言い切っています。

 私は、この密教を顕教としようとしています。この一点で私は國弘正雄と違います。

 それで私は、やたら理屈を言うやつだとして嫌われています。
 損な役回りは私の身上です。

 少なくとも、私の元で英語をやる人は、英語フリークでなくても英語ができるようになります。國弘さんの回りに集まったのは、英語フリークがほとんどだっ たと思いますが、英語フリークたちのためだけの英語を覆すには、密教が顕教にならなければならない。英語が英語フリークの専有物であってたまるか。それ が、日本の英語の惨めさがいつまでたっても覆らないところなのです。國弘正雄に対する私の批判があるとすれば、この人が日本の英語教育を根底から批判しな かったことです。
 私が「シンタックスの内在化」、「音づくり」などと、英語密教系の人々の使わない語を作り出さなければならなかったのは、英語フリークどもでは日本の英 語がどうにもなりはしないという絶望があったためです。



2535 nishiazabu 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月17日(水)00時10分20秒

>  根石様、土曜のレッスンお疲れ様でした。
   SAMのAの発音慣れるまで、少々練習が必要です。
   それを意識してCNNを見てたら、アジア系のキャスターが
   その音を発音する時、かなり無理に口の端を吊り上げて発音してました。
   彼も苦労してるんだなと感じた。
   ところで最近ブコウスキー聴いてるんですね。
   私は彼の詩集を数冊持っているので、今度送りましょうか?

 [ae] の音をきちんと出している日本人は少ないと思います。
 あるいは、逆になんでもかんでも[ae]にしてしまう人が少数います。
 このあたりは、学校英語はまったくの暗がりにしてきました。
 nishiazabu さんは、[ae] に関してこちらが指示したら、その日のうちにその音が出ていましたから、レッスンを続けていかれるうちにまもなく自然に備わると思います。

 この音は、子音と子音に挟まれた a のときに生じる率が高いという程度の認識しか私にはありませんが、もっと細かい見つけ方があるのかもしれません。
 Eliot さんが読まれておられましたら、ご教示いただけるかもしれません。

 ブコウスキーについて。
 ウドにお前はブコウスキーに似ているところがあるから、ブコウスキーを読めと数年前に言われて、その後ほったらかしておりました。nishiazabu さんが私の記事を読まれて、ブコウスキーを思い出すと書いてくださったので、これで二人の人から言われたことになり、最初に言ったウドに、お前、なんかブ コウスキーのものを持っていただろうと言いましたら、ブコウスキーが酔っぱらって朗読したCDだかテープがあるから、出てきたら貸してやるということにな りました。翌日、信州中野で小学生・中学生の混成クラスのレッスンの最中に、ウドから携帯に電話があり、テイピング(ダビングのこと)したものを届けてお いたからとのことでした。
 その後、聴いております。素っ気なくて好きです。
 しかし、仕事をやる気がうせるのがまずい。

 詩集はどんなのをお持ちなのでしょうか。
 日本でも簡単に手に入るのでしょうか。
 村田君が、船長が飯を食いに出ている間に船員どもが船をのっとったとかいうような意味のタイトルの本を昨日貸してくれました。女房にコピーしといてくれ と依頼してあります。
 私の手元には、村田君が貸してくれたこの一冊しかありませんが、nishiazabu さんのお持ちの本のタイトルを教えていただけますか。
 もし、日本でも手に入るようでしたら、ブコウスキーをまとめ買いしていただけるとありがたく思います。
 お金は払いますので、面倒なことをやっていただけるならお願いしようかと思っています。

 ウドはブコウスキーの声は light だと言っていましたが、テープを聴いた限りではそんなに light ではない。詩集が響かせる声をウドは知っているので、それと較べると、生身の声の方が light だということだと思いました。

 ブコウスキーの詩集を我が身で音読にかけてみたいと思っています。



2536 nishiazabu 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月17日(水)00時12分17秒

ウドからもらったテープ、ダビング可能です。
自分の部屋で、ブコウスキーが吹き込んでいます。
途中で、タバコでせきこんで、

Wonderful ciger とか言っています。

お持ちでなかったら、ダビングしてお送りしますが・・・。

 



2537 訂正 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月17日(水)00時17分29秒

ciger



cigar

この cigar がもし ciger だと、「狭い音」になります。力の入っていない音です。
cigar だと、「開く音」になります。
cigar の方が、肺から口に戻った煙がもくもくといっぱい出ていくので、こちらが正解でした。




2540 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月17日(水)00時37分18秒

>"これは、冗談ですが"と断ったはずです。あくまで、例えです。

 承知しております。
 語学をやりたいから監獄に入れてくれと国家にお願いするというようなもの言いも、私の冗談です。国家の監獄の世話になぞならんで、わしゃ、英語をやる。 英語病のウイルスをかき分けかき分け、わしゃ、なんとか生活ができるようにする。そんでもって、英語は続ける。
 しかし、それにしても私のもの言いはなかなか人が受け入れてくれない。
 それで、生活が苦しいのが30年も続いたので、すっかりがらっぱちになってしまいました。

>前にも書きましたとおり、現在の私はアメリカに対して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。アメリカの文化は底が浅いです(歴史が浅い ので当然ですが)。

 現在の私は日本に大して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。日本の近代は底が浅いです。
 アメリカに対しては、愛もなければ憎もない。
 ニューヨークに対してなら、愛がありますが・・・。
 友だちのウドというやつはニューヨークのしかもマンハッタンのしかもダウンタウンに住んでいたことがあるのですが、こいつに、私が、ニューヨークはアメ リカじゃないと言ったことがありました。その通りだ、と返事が返ってきて、あんまり簡単に話が通じてびっくりしたことがありました。
 アメリカ人のくったくのないところが私は好きですが、同時にあの人たちの自己標準化がどうにも嫌いです。
 アメリカの政治はこの自己標準化によってできており、これはとことん嫌いです。
 つまり、アメリカに対しては、愛憎ではなく、好悪があるだけです。



2543 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月17日(水)01時05分21秒

>中国は中国で現在もチベットを蹂躙しています。どの面下げて、日本に謝罪を要求しているのでしょうか?

 賛成です。しかし、だからといって、日本がやったことが帳消しになるわけではありません。

>韓国に関しては、日本が出て行かなかったら、ほぼ確実に韓国は共産化
 (北朝鮮化)していました。日本も共産化していたでしょう。
 日本も韓国もロシアの属国です。

 このあたりのことは、私は無知です。
 村田君が詳しいです。
 村田君、何か一言あっていいんじゃないか。



2546 根石様 投稿者:nishiazabu  投稿日: 4月17日(水)01時32分50秒

私の持っている本は「パルプ」「ブコウスキーと町でいちばんの酔いどれ天使」
「指がちょっと血を流した始めるまでパーカッション楽器のように酔っ払った
ピアノを弾け」の3冊です。
事務所のすぐ近くにけっこう取り扱っている本屋がありましたので、明日覗いてみます。
ふと思ったのですが、根石さんはもしかして原書をお望みですか?
近くの本屋に並んでいたものは、すべて翻訳本だったような気がします。
それでもよろしければ、まとめ買いします。
またダビングの件、是非お願い致します。お手数おかけします。



2547 初出ですか? 投稿者:パクパク  投稿日: 4月17日(水)06時30分19秒

つぎの表現は、この掲示板ではじめてみるような気が
します。

>私は、この密教を顕教としようとしています

>素読の素は、素人の素でもある

2549 小林亜星と吉田研作 投稿者:sb  投稿日: 4月17日(水)10時21分22秒

小林亜星さん、私は感じてしまって困るの。あのろくにセリフを言わない仏頂面がいいですね。
あの人だけが、テレビドラマの臭いがあまりしない。あまりしゃべらないからかもしれませんが・・・。他の人は、ドラマの臭いがして、どうも嫌だ。

これは私も嫌いです。なぜこのドラマが今作られるのかというスケベ根性や集められたキャストの芝居くささが私もあまり好きではありません。あどデフォルメ された展開も嫌いですが、今回のは英語教育に関する部分がかなりあるので、思考の材料としてはとてもいいと思っています。あの吉田研作さんも監修されてい るようですし。以前自腹を切って受けた東京でお会いしました。実は吉田さんには(もちろん直接は会っていませんが)3回も講演をきいていました。よく考え てみたら。京都の大学の講演会、大阪の教材販売会社の宣伝も兼ねた講演会、そして先ほどの東京の講演です。いずれも非常に具体的でわかりやすい講演だった と思っています。
 ドラマドラマしてるってのが嫌で、私はドラマは見ないのです。
 それだけでなんか馬鹿くさくて・・・。



2551 根石さんのデータベースはどこでしたっけ。 投稿者:sb  投稿日: 4月17日(水)14時56分50秒

技法グラウンドの語数設定には深いふかーーーーーーーーーーーい意味がありますね。



2552 根石 様 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月17日(水)20時56分53秒

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 現在の私は日本に大して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。日本の近代は底が浅いです。
 アメリカに対しては、愛もなければ憎もない。
 ニューヨークに対してなら、愛がありますが・・・。
---------------------------------------------------------------------------

日本の近代(特に戦後)はとことん、アメリカに影響されています。憲法、自衛隊もそうですし、
国字改悪もそうです。ウーマンリブ、セクハラなんぞもそうでしょう(私はこれらがイケナイとはいいませんが)。愛憎がなくて好悪のみですか?余計なお世話 ですが、沖縄の人の前では言わないほうがいいと思います。私はとても、根石様のようにアメリカに対して(常には)冷静ではいられません。といって、いつも カッカしているわけではありませんが。



2553 教科書 投稿者:Jackie  投稿日: 4月17日(水)21時34分37秒

薬代ぐらい稼ごうと プライベートをうけることにしました。

それで新課程用の教科書を
今日 販売店で買ってきました。 サンシャインとホライズン。
どちらもとても カラフルで 絵が多い。 会話文が80%。リスニング問題も多くがユニットのはじめて練習問題にある 
一年の教科書はゆっくり読んでたった8分 2年用は15分。
 とてもつまらなくなってやめてしまった。こんなので英語の力がつくのだろうか?リスニングが多いが 生徒にスクリプトがぐばられるのだろうか?
まあシンプルな教科書は 使いようなのかもしれないが 私は 今度の教科書がすきではありません、

あとは教科書ガイドを見てきめるしかないなあ。

改定前の教科書の方が面白い。 私は テープを繰り返しきいてもあきなかったのと文法の導入がよかったのでニューホライズンをつかっていました。(ホライ ズンの 英語ガイドは 使い物になりませんが)クラウンは光波だが 文法がわかりやすかった。 コロンバスは口語が多かったが文字数も多かった。

皆様 新課程の教科書について どうおもわれますか?



2555 同僚のKさん 投稿者:sb  投稿日: 4月17日(水)22時05分28秒

>英語フリークどもでは日本の英語がどうにもなりはしないという絶望があった

1つ年下の同僚のKさんは理系なのです。その人は根石さんやエリオットさんの考え方に非常に近く独自の考え方を持っている人です。その人に教えてもらった 言葉「守破離(しゅはり)」
まず型の習得(守る)、それを自分自身で分析し(破る)、自分自身の考え方を発展昇華させる営み(離れる)。根石さんと國弘さんはこの関係なのですね。 「どんでん」を追加注文したいと思います。20冊はほぼ完売しました。



2557 根石様  投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月18日(木)00時16分59秒

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>中国は中国で現在もチベットを蹂躙しています。どの面下げて、日本に謝罪を要求しているのでしょうか?

 賛成です。しかし、だからといって、日本がやったことが帳消しになるわけではありません。
-----------------------------------------------------------------------------

当然です。 しかし、正直言って、私は日本が中国、韓国で何をしたのかよくわかりません。この辺の事は、本屋に言っても、詳しく書いてある本は、なかなか みつかりません。だからといって、中国、韓国の言い分を鵜呑みにするのは、脳天気だと思います。
それにしても、なぜ日本だけが責められるのでしょう? 英国なんぞ、中国にインドのアヘンを輸出して大もうけをしたあげく、中国が堪り兼ねてアヘンの輸入 を禁止すると軍隊を差し向けて戦争をしかけ、香港を奪い取りました。その香港もやっと2、3年前に中国に返還されたのです。この英国のやり口なんて、コロ ンビアの麻薬王が聞いたら、脱帽するでしょう。
アメリカもハワイを20世紀の初頭に(軍隊を使って)奪い取って、しまいには、自分の州にしてしまいました。どの面下げて、イラクのクエート侵攻を非難し たのでしょう?
結局、冷徹なパワーポリティクスの前では、素朴な書生論など通用しないのではないでしょうか?



2558 Ton 様  投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月18日(木)00時53分33秒

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詰まらん思想次元におちいらず、ほうようとした中に、一言、「(私は)愛憎はない、
(好きか嫌いか)好悪あるのみ」、。。スッキリしていてわかりいいじゃないですか?
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残念ながら、日本とアメリカの関係はスッキリもしていなければ、分かり良くもないのですよ。
それが証拠に、日本にはアメリカにかぶれていながら、それを自覚していない人が大勢いるじやないですか。 ロックミュージシャンの一部には、日本語を英語 風のアクセントで歌っているのがいるじゃないですか。あれをカッコイイと思う人の気がしれないです。



2559 斎藤伸夫 様ふたたび 投稿者:Ton@個人の立場  投稿日: 4月18日(木)01時27分51秒

大分、お疲れのようです。

>残念ながら、日本とアメリカの関係はスッキリもしていなければ、分かり良くもないのですよ。
それが証拠に、日本にはアメリカにかぶれていながら、それを自覚していない人が大勢いるじやないですか。 ロックミュージシャンの一部には、日本語を英語 風のアクセントで歌っているのがいるじゃないですか。あれをカッコイイと思う人の気がしれないです。


>あれをカッコイイと思う人の気がしれないです。

むこうもあなたをかっこいいとはおもっていないでしょうね。
これはスペースの無駄です。そうおもいませんか?
ぼくは思います。

http://www.doujinsha.com



2563 パクパクさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月18日(木)02時50分45秒

明日、H堂へ行って、話を聞いてもらうことになっています。
その結果によって、講演をやるかどうか決まると思います。

「回転読み」の一分枝として、「技法むすんでひらいて」というやつを工夫しました。
これは、コーチ付きのレッスンとしての「技法グラウンド」とは別物で、あくまで机上でひとり
で行うものです。
ある程度「回転読み」ができるようになった人が、手の指を一本ずつ折っていって、全部折った
ら一本ずつ立てていくと、「むすんでひらいて」になります。つまり、10回数えるのですが、
ミソは、途中で言い間違えたら、ご破算にして、最初から数え直すというところです。

この練習過程をビデオに録画しました。安物のテープにダビングしたせいで、画質がたいへんよ
ろしくないのですが、これを明日持参してみてもらおうと思っています。

講演をやることになったら、改めてお知らせします。
ともあれ、ありがとうございました。



2564 I'm sorry. 投稿者:P  投稿日: 4月18日(木)15時32分11秒

Pです。
エリオットさん、Sdさん大変失礼しました。m(__)m Sdさんが根石宅に来ていた時にエリオットさん
の話題が多かったので混乱してしまったようです。ゆるしてください。
根石先生「一発臭い屁でもかませてやればいいのです。」の教えありがとうございます。
何かすっきりしました。因みに先生は私を隣町Y美人などといってますが、ただの間抜けな者凡人
(友人は変人と言う)です。^^

<アメリカでは10歳の餓鬼でも英語ペラペラとうあたりまえのことを認識しましょう。

斉藤さんの言葉、本当にそうだなぁと感じました.
私は昔から音楽が好きで英語の歌もよく聞いていて、口ずさんだりしていました。
でもうまく発音が出来なかったりで人にはとても聞かせられなくひどかったんですけど、
素読書のおかげでしょうか?最近はそんなに苦労しないで唄えるようになりました。
こりゃ、私にとって一石二鳥かも。やっぱり素読はすべてに置いて必要なんだと感じました



2568 「電話でレッスン」の空き枠 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月19日(金)21時57分47秒

空き枠のお知らせです。

金曜日、夜、9時20分〜9時50分の枠が空いています。

シナリオ「ゴースト」を使って、映画のリスニングを目指すコース(社会人向け)か、中学の教科書を音読し、音のこなれを作り授業の吸収をよくするコース (中学生向け)のどちらかで埋めたいと思っています。

いずれにせよ、英語の音読講座です。「復習範囲を手放さない」という原理によって、音のこなれを作り、「技法グラウンド」というレッスン方法によって、新 しい文を身体化していきます。

お問い合わせは、携帯電話にお願いいたします。
090−3316−4180



2572 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月20日(土)00時47分09秒

 イギリスは bitch です。アメリカは son of a bitch です。

 日本が、韓国や中国に謝罪する言葉が、そのまま植民地主義の傲慢によって、自分のものでないものを自分のものにした国々、ポルトガル、スペイン、オラン ダ、フランス、イギリス、アメリカ、日本、中国などのすべてを射抜く質を備えなければならない。その植民地主義の傲慢を射抜く言葉でなければならないと以 前に書いた通りです。

 アメリカに関しては、インディアン( native American )に対して、白人どもがやった行為がそのまま建国の歴史です。間違いなく泥棒行為です。




2574 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月20日(土)01時45分50秒

>1つ年下の同僚のKさんは理系なのです。その人は根石さんやエリオットさんの考え方に非常に近く独自の考え方を持っている人です。その人に教えてもらっ た言葉「守破離(しゅはり)」
 まず型の習得(守る)、それを自分自身で分析し(破る)、自分自身の考え方を発展昇華させる営み(離れる)。

 「守破離」という言葉は、最近 google で「素読」を検索語にして、ネットの記事を検索しましたら出会いました。Kさんにも、この掲示板に登場してくださいとお伝え下さい。

 この「離」によって得られる質(文法にせよ、音にせよ、です)をなんとか名付けられないものかとずっと考えていますが、いい言葉を思いつきません。

 「守破離」の全課程に働くものは、語学においては身体化ではないかと思っています。
 身体化による「こなれ」というものがもたらすもの、その成立時が「離」の時だと思いますが、そこで穫れるものを「昇華物」と言っても、「結晶」と言って も、私が体感しているものとそぐわない。
 
 「破」によって、質的な変化がもたらされ、それが「離」をうながすのだと思います。

 以前からイメージとして私の中にあるものは、飛行機です。
 飛行機が停まっている状態 「守」
 飛行機が滑走している状態 「破」
 飛行機が飛行している状態 「離」

 あるいは、飛行機が滑走を始める時点 「破」
 飛行機が離陸する時点 「離」

 「離」によってもたらされる状態は「滑空」となりますが、状態ではなく質を言う言葉が欲しいとずっと思ってきました。
 文法的理解なら文法的理解がセンスと化して動いている状態があります。「音づくり」によって得られる「通じる」という音の質があります。これらを串刺し にして言い当てる言葉が欲しいとずっと思ってきました。それは「暗算」のレベルだと、以前、Duffy さんからご教示いただいたのですが、これは計算については当てはまっても、語学についてはどうもいまひとつぴったりしない。
 私が最近、「イデア」という語を使っていないとパクパクさんが指摘して下さいましたが、小学館文庫で書いたのは、軽く速く動くようになったイメージのこ とでした。これも同じようなことを言いたかったのですが、いまひとつ、言葉がこなれていない。

「イメージ」 → 「イデア」
「文法的知識」 → 「センスと化した文法」
「滑走」 → 「滑空」

 「峰にたなびく横雲の空」の「横雲」のことなんですが・・・。

 「上位運動態」とでも言えば、理科的には割と正確なんですが・・・。
 (これ、セックスの体位とは関係ありません → Kぼん)

 なんかないものか。



2575 Jackie さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月20日(土)02時17分07秒

>薬代ぐらい稼ごうと プライベートをうけることにしました。

 病気をお持ちなんですか。やばい薬じゃないですよね。
 「プライベートをうける」というのは、プライベートで行うレッスンのコーチを受けたということだと読みました。それが最高です。

 皆様へ

 素読舎がやっている「電話でレッスン」もプライベートのレッスンです。
 ご検討下さい。

 再度 Jackie さんへ

 サンシャインとホライズンなら、生徒さんは中学生ですね。
 サンシャインはこのあたり(長野県北信地方)では使っていないようです。
 ホライズンは私の「電話でレッスン」で信州中野の中学生を相手に使っています。
 今年からずいぶんと水っぽくなりました。
 しかしまあ、こんなものは水っぽくても、少し濃くても、しょせん同じなのです。
 しょせん、学校は「音づくり」をやれていないのですから。
 「音づくり」をやってみれば、教科書の中身が濃くても薄くても、しょせん、生徒に必要な時間は、そのそれぞれの生徒にとっては同じです。教科書の中身が 薄くなったら、速めに一冊片づけて、何か別の教材を選んであげればいいだけのことです。検定教科書を越えた教材なんざ、いくらでもある。
 
 ニューホライズンの教科書ガイドの質がよくないこと、まったく同じことを思っておりました。クラウンの方が、教科書ガイドは明らかに質が上です。
 しかし、ニューホライズンを採用する学校が、私の住んでいる場所の回りで増えてきています。学校の教科書も、すでにショウバイ・レベルで決まるように なっているのだと思います。クラウンの方がショウバイは下手だが、質はいい。



2576 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月20日(土)02時28分27秒

>技法グラウンドの語数設定には深いふかーーーーーーーーーーーい意味がありますね。

 ふかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい意味があるかもしれません。
 とにかく、初心者は、語数が多いかで、「音づくり」の苦労がまったく違います。
 ただ単純にそこに目をつけたのでした。
 しかし、データが太っていかない。俺が忙しすぎるのだ。人間というのは、一人だけだとどれほどのこともできませんね。

 「どんでん」完売ありがとうございました。
 深く感謝いたしております。

 お問い合わせのURLは、以下の通りです。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/sodokusy/kazuhyo.htm



2579 書く英語 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月20日(土)09時26分30秒

私は趣味で数学をやっているので、たまに数学のnewsgroupのsci.mathというところに投稿するのですが、いまだに自分の書く英語に自信があ りません。最低限、文法的に正しい英語を書きたいですが、難しいです。特に冠詞の使い方がよく分かりません。aか theか無冠詞かによく悩みます。以前、アメリカ人におまえの書く英語は"somewhat poor"だと言われた(書かれた)ことがあります。これは、かなり例外的な状況で言われたことなのですが、ちょっとムッときました(私の英語がpoor なのは、言われなくてもわかっていますが)。まともな英語を書くには、どうしたらいいのでしょうか?



2581 村田さん 投稿者:パクパク  投稿日: 4月20日(土)18時23分10秒

フルメタルジャケットのリスニングの記事は
非常に興味深かったです。
では、ゴーストの方はトライされてみたでしょうか?
チェックとして、冒頭のデミムーアのセリフを解説して
いただくとありがたいです。
(今、Hawai'iさんのサイトでも解説をお願いしています)

Molly:and that will leave us with all this space.

実に簡単な単語ばかりからなる英文ですが、聞き取りは
フルメタルジャケットより難解ではないかとおもいます。
なぜ、村田さんを指名したかというと、一音一音丁寧に
はじめは発音して練習すると、全体が聞こえるようになる
という記述があったからです。
ところが、このデミムーアのセリフは、化学結合して
まったく異音になっている感じがします。



2583 斎藤さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月20日(土)23時10分06秒

 以前、Eliot さんが教えて下さった方法が参考になると思いました。
 自分が書きたい分野の英文で、まともなものを手に入れるのは、google を使ってネットで手に入れると手に入れやすいのではないでしょうか。あるいは、newsgroup の投稿の中から、自分がまともな文章だと判断できるものを手本として手に入れるのでいいと思いますが、ともかくまともな文章を手に入れて、これをひたすら 音読、筆写する過程で、とりわけ冠詞に注目しながらやれば、感覚的に身につけることが可能ではないかと思いました。

 私もそんな勉強をやってみたいと思いますが、貧乏暇なしで、なかなか自分のやりたいように英語をやることができません。

 google はヤフーで、google を検索語にして検索するとみつかります。
 google で、自分の書きたい分野の英文にのみ使われるような語を使って検索すると、おびただしい数の文章がみつかると思います。

 この検索エンジンを教えて下さったのも Eliot さんですが、現在非常に重宝しています。
 Eliot さん、この場を借りてお礼申し上げます。



2586 初出語 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月21日(日)00時05分51秒

Ton 様

>いよいよ、ことは、44年未顕真実、第7の鐘とも、真言秘法とも 神がかってきましたが
 その先へとご講義をお進めください。パクパクさんも「初出ですか?」と目を輝かせ、
 小躍りしているのが目に浮かぶようです。

 44年未顕真実って何でしょうか。未顕真実は言葉としてわかりますが、44年ていうのは何でしょうか。ご教示下さい。
 第7の鐘っていうのも教えて下さい。


パクパク様

 何を書いたんでしたっけ?
 ああ、そうだ。國弘密教と根石顕教でした。それと、何でしたっけ。
 ああ、素読の「素」は「素人」の「素」でもある、でした。
 どちらも、初出です。



2588 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月21日(日)00時42分03秒


Pさんの原稿を読んでエリオット先生がすでに音読CDを根石さんと作られたのかと勘違いしてしまいました。でもあの教材は必ず仕上げてほしいと思っていま す。日本人がつくる日本人による日本人のための教材。楽しみにしています。

 私の案では、例の「語数別分類」のデータを充実させ、1語〜10語でできた文をそれぞれ、100くらいずつの基礎データを作る。このあたりは著作権の問 題は生じないで作りやすいと思います。これだけで一冊作り、CDをつける。
 11語〜20語あたりは、例文を集める際に、著作権がからんでくるものがあるので、これをどうクリアするかが課題です。

 まずは最初の1語〜10語でできた文だけで一冊作る案ですが、CDの他に、「発音10のポイント」あるいは、それを改訂したものを付ける。
 CDを Eliot さんに吹き込んでいただく。

 まずは、基礎データができないとどうにもならんのですが、例文がまともなものかどうかの判断が私には難しい。皆さんの協力を仰いで、データの候補を集 め、数百の中から百を絞り出し、ネイティヴにまともな文ばかりかどうかチェックをいれさせる。これをやれそうな人はいます。私の友だちの息子です。アメリ カで英語を教えています。日本でいえば、国語の先生というところでしょうか。

 基礎データとして各語数でそれぞれ100ずつ集めたら、文字の基礎データ自体は私のホームページの語数別分類を改訂することで公表できます。
 ホームページにアクセスできる人には、CDと「発音10のポイント」(の改訂版)だけをお買い求めいただき、コンピュータをやらない方には、書籍とCD と「10のポイント」のセットをお買い求めいただくというようなことを考えています。

 出版してくれる出版社がみつかれば、出版社から出す方がいいが、みつからなければ、私の塾に印刷機がありますので、自分で必要なものを印刷してしまうこ とができます。また、CD作成に関して相談するところも、心当たりがあります。
 自分で作った場合は、ネット上で売ることになると思います。

 基礎データ作成にご協力いただけませんでしょうか。



2600 こんにちは 投稿者:Ton  投稿日: 4月21日(日)11時44分03秒

根石吉久様
 >44年未顕真実って何でしょうか。未顕真実は言葉としてわかりますが、
  44年ていうのは何でしょうか。ご教示下さい。
   第7の鐘っていうのも教えて下さい

△斎藤伸夫説
 
 >googleで検索されるといいと思います。創価学会の教えらしいです。

斎藤さんに一言、申し上げます。
これまでも、まともにひざをつきあわせるような形でお返事するになじまなかった
のは、浅薄、ないし論の飛躍が多く、時には論のするかえなど日本語にもなっていない
と読んできたからです。私は教育者ではありませんので、一々、これはどうしてこういう取りかたをするのかなどと
細かに正しながら長く対論することをしてきていません。時間的にも、また私の任でもないと考えているからです。

横レス、を為される場合も、どなたかが「質問」があった場合、
あなたが、その事実を認識している場合にはじめて、入れるのがNETでのマナーです。
勉強をしあいましょう・・・

私は一宗教法人のみの主張する思想を「例にあげること」は過去にも今後もありません。


■44年未顕真実 

 先ず、結論です。
「世間の人は "鰯の頭も信心から" というような事を言っているが、これはとんでもない間違いである。
法華経のみが唯一絶対の法であることは、仏の金言である。
法華経以外の法は、各宗の宗祖、開山等の人師が何といおうとも、仏が "方便であって、真実を説いていない" と仰せられているのであるから、絶対に捨て去るべきである。
仏の教えをもととして一乗の法たる法華経に帰依し信仰する人こそ、如説修行の人である」

と、まず第一段階の答えを出している。
「法華経も余経もおなじ仏説と いうがそしるのはじめ也けり」
釈迦如来は、初めて悟りを開かれたときから、その悟りの内容、根本である法華経を説こうと思われたのであるが、

これを聞く衆生は能力が低くて理解が出来なかったので
やむを得ずかりの教えである方便教を四十年余りもお説きになり、受け入れ態勢の整った所で、最初からの目的であった法華経を説かれたのである。仏は十九才 で出家、三十才で悟りを開かれた。その悟りを開かれた始めの時。
法華経の序分にあたる無量義経を説かれた時に、
その中で権教と実教のけじめを示し、方便教と真実教とを分けた。
それは、無量義経の中にある、
「今までの法はすべて方便であった。今までの四十余年間の教えの中には真実を説いていない」
というお言葉がそれである。
「釈迦如来説教すべて五十年 諸教方便法華真実」

の釈迦の言です。つまり、ここの、「法華経」の文字を「根石英語」といいかえ、これまでの、を、文字通りこれまでの英語教育、といいかえたものです。

言い換えると、仏教における末法思想によく活用されますが、
 基督教における終末思想においても関連して幾多の類例があります。

●第7の鐘第7の・・というは、仏教における700年、700年で切っていく時代区分で、創価学会の「七つの鐘」の場合はこれにそって、「七年ごと」にこ の教団におこった区分をのべていますが、私はこれを差した覚えはありません。

以下にこの文献的証明を上に挙げますが、ここには元来無用ですので、質問された根石先生がごらんになったら、削除勝手とさせていただきます。

http://www.doujinsha.com



2730 玉石論断片 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月27日(土)11時38分44秒

 アメリカに行けば、英語はただの石だ。ごろた石にすぎない。それを飛行機に乗せて日本に持ってくれば、そのまま宝石扱いされる。この落差は、以下の言い 方でも言及されてきた。曰く、アメリカでは子供でも英語をしゃべっている。あるいは、アメリカでは馬鹿でも英語をしゃべっている。
 話はその先へ進むべきだ。アメリカで子供でも馬鹿でもしゃべる英語が、なぜ日本に住んだままではこれほどに難しい課題になるのか、と。

 巨額の税金が無駄づかいされている。日本の学校で雇っているAETたちに払われている金のことである。ごろた石の宝石扱い以外の何だというのか。彼らの ほとんどがしろうとである。語学の何たるかを心得た人たちではない。日本人が働いて得た金を、単なる英語のネイティヴにばらまいているのだ。どぶに捨てて いるのだ。
 ごろた石に宝石の代価を払っているのだから。

 英語の塾をやってきて見てきたことから断言する。AETが日本の学校に来るようになっても、日本の英語は何も変わっていない。
 原因は語学論の払底にある。文部科学省の英語教育についてのお題目はいつまでたってもお題目にすぎず、何をどうすべきかが提示できたためしがない。欠け ているのは、語学論なのだ。英語のハウツウ本ならあふれかえっている。しかし、語学論をみつけようとしたらまるでみつからない。

 もう断言すべきだろう。
 本当の宝石は、日本在住のままに英語を使えるようになった日本人の英語なのだ、と。
 これは同時に語学論を備えた英語でもあるだろう。
 もしも、英語ネイティヴというごろた石の中に宝石があったとしたら、アメリカ在住のままに日本語をものにしたというような人だろう。こういう人になら金 を払って来てもらう価値がある。

 AETの採用基準は以下のものとなるべきだ。
 アメリカ(その他英語圏)在住のままに、日本語をものにした英語ネイティヴ。この一項目が絶対に必要なのである。この条件を満たす者のみが、日本にいて 英語をやることの困難を知るからである。これを知らないアメリカの大学出など、ごろた石にすぎないことを認識すべきである。



2732 おじさん、おひさしぶりです。(笑) 投稿者:Kぼん  投稿日: 4月27日(土)12時20分50秒

>「あの分野の本の中で」は、あれが一番だったと言っていたのかもしれない。

でも、読み返してみると、どちらにも取れますね。 失礼しました。

>じゃねえかと思ってしまったのだ。

おじさんは、あの部類の本を他にも読まれていて、それで、それは知らなすぎる、と
お怒りになったのだと解釈しておりました。


>「あの分野の本の中では」なら、至極納得。

えっ、案外他にもあるかもしれませんよ。

あの本も8章までだっけか。 そこまでは凄いと思うのですが、
残りの9章、10章はひと昔の、というか、調査国がもっと開放的な国からも調べたら
もう少し違った答えが出たような気がする。 ただ、あくまでも脳みそとしての男脳か
女脳かの話だから、あれはあれでいいのかなぁ。 読んでいて最後の2章があまりピンと来なかった。


えっとここのところ、アメリカと香港から英文が来てやりとりしています。
アメリカは母国語のせいか、思ったより簡単な英語で書いてきて驚きました。
中学3年から高校1年ぐらいのレベルかも。 頭からすんなり訳せて意味が理解しやすかったです。 香港の方は、訳すのに時間がかかってしまい、知らない単 語ばかりでした。 香港の方には4社ほどだして、そのうち1社から反応がありました。
香港のほうは中国のお国柄がよく出ていました。

意外に難しい文章を書くのは母国語が英語でないところかなぁ?と思ったり、
いや、シンガポールの人とかつて文通したときは相手は高校3年レベルで書いてきたので
そうでもないのかなぁ。 アメリカの会社はたまたま輸出のプロだったから、簡単に書いてきてくれたのかなぁ? と。

自分が仕事で使って3日ぐらいですが、
なんだか学校で5文型だの、現在完了形だのと難しい授業でダメだーと逃げていたのが
あれは、英語得意な人向けの授業なんだろうなぁ、と思っていました。

英語が得意でない人たちのほうが多いと思われるので(私みたく)
そのまますぐバシバシ使っていくのがもっとも簡単で解け込みやすいんじゃないかな?
とここのところ思っています。

ふぅ、初めて「英語に関する思っていること」を書いたぞ。 でもまだひよこ。




2735 磁場と個(1) 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月27日(土)16時15分06秒

 言語的磁場のことを考え出して、二年ほどになるだろうか。
 磁場の作用をなぜ人々ははっきりと見ようとしないのだろうかと思ってきた。
 人間の子供が言語を獲得する能力として生まれてくるという謎は今は謎のままに置いておくしかない。そんな能力を持った生き物がなぜいるのかという謎はつ いに解けない。なにはともあれ、人間の子供は言語を獲得する能力として生まれてきて、その能力を使うと言うことができるだけだ。この時、その能力を活性化 し、その能力と交流するものを名付けて「磁場」と呼ぶことができる。人間は、言語の磁場の中に生まれてくると言ってもいい。
 ネイティヴ言語の獲得にとって、言語の磁場の有無は決定的である。狼に育てられた人間の幼児は、人間の言語を持つことがなかった。育てられる過程に言語 の磁場がなかったからである。磁場がなかったら、ネイティヴ言語は決して育たない。ここが語学とネイティヴ言語が決定的に違うところである。
 語学の過程を、ネイティヴ言語の獲得過程と同一視しようとする論をしばしば目にするが、語学とネイティヴ言語獲得の間にはよく似た現象がいくらあって も、その本質がまるで違う。
 ネイティヴ言語の獲得には、磁場が無意識に直接働きかける作用が働く。これは言語を獲得している者にとって、なまの情動を伴うものである。
 なまの情動。これこそが無意識と連動しているものだ。言語を無意識まで沈めるものだ。
 これに対して、語学はあくまで架空のものである。仮の感情であり、からっぽの実用だ。
 語学は、ひとまずはとことん架空の仮のからっぽのものだ。
 語学とは意識的に無意識を作る作業であり、無意識的に意識が形成されるネイティヴ言語の獲得過程に対して逆立ちした領域である。
 語学をもっとも厳密に定義してみれば次のようになるだろう。

 「当該の言語の磁場を欠いた場所で行う意識の意識的な激化」

 これが本来の語学の姿である。磁場を欠いてなされる行為こそが語学なのだ。「当該の言語の磁場を欠いた場所」とは、個室のようなところ、あるいは、個人 の机の上のような場所だ。あるいは、もっと厳密に限定するなら、具体的な人間との交流を「欠いた」個人の意識である。貫く性質は、「一人の場所」というも のである。
 たとえアメリカに住んでいても、英語を語学とするならば、その場所は個室、個人の机の上、具体的な人との交流を欠いた個人の意識がその場所になる。この 「語学の場所」で作ったイメージは、そこを離れて、人々と交わることで、すぐに英語の磁場に迎えとられ、生彩を帯びる。しかし、厳密な意味では、人々との 交流はすでに語学ではない。それは、すでに生活過程であるからだ。
 アメリカ(などの英語圏)に住みながら英語を語学とするならば、それがもっとも語学に有利な場所であるということは明らかだ。語学という孤独な行為を、 磁場が取り囲み、語学の場を離れた直後から、その意識を磁場が支えてくれる。語学と生活過程の間にうまくへその緒がつながるのである。しかし、その場所が いくら語学にとって有利であろうとも、その場所で獲得された語学のスキルそのものは、語学としては亜種である。
 語学の本質をスキルだと思わない方がいい。それは、結果だけしか見ないものの見方である。スキルだけを見ていては、語学そのものをとらえることはできな いだろう。

 イメージの鍛え込みを外してしまえば、語学論は成立しないだろう。



2736 磁場と個(2) 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月27日(土)16時16分30秒

 厳しい冬のような語学。それが日本人が日本にいて英語をやる場合の語学だ。不利といえば不利な条件が揃っている。しかし、これがもっとも純粋な語学の姿 だ。もっとも純粋な語学を成立させられる場所にいながら、人々は語学を英語病に変えてしまい、語学としてすっきりと洗い出すことをしない。かくして、もっ とも純粋な語学を成立させられる場所にいながら、やたらにみつかるのは語学まがいばかりということになる。英会話学校の繁盛とは語学まがいの繁盛だと言え ばいい。

 語学の場所とは「一人の場所」だから、英会話学校であろうと、文部科学省管轄下の学校であろうと、教室という場所は本当は語学の場所ではない。
 語学には本当は先生というものは要らない。あったほうがいいものはコーチというものであって、先生ではない。初心者の「音づくり」の場面では、絶対に コーチはいたほうがいい。先生は要らない。
 語学を微分していくと、「イメージする」という端的な行為にぶつかる。これは、知識的に教えて扱える領域ではない。イメージの存在は、一人の人間の意識 においてその当人にだけ明らかになるものであり、教室という場であろうと、生活という場であろうと、あらゆる社会的な広がりのなかでは点として閉じられて いる。
 社会的には非存在に等しいものであろうとも、当人の意識に明らかに存在するもの、それがイメージである。
 だから、イメージの存否を知るためには、「訳」というものを使う以外にない。そして、生徒にあてて訳させるという日本の英語の教室に蔓延した授業方法が ある。イメージの存否を確認するためには、「訳」を使う以外にないのは確かだが、生徒に訳させてこと足れりとする「訳」の扱い方は間違い続けてきただけの 話である。
 いるのは要らない先生ばかりである。コーチがまるでいないのだ。
 必要なのは先生ではない。語学論を備えた腕のいいコーチだ。

 イメージそのものは、イメージしている当人にしかわからない。また、イメージを成り立たせるのは、端的にイメージするという意識の具体的な力の行使以外 のものではない。

 「イメージそのもの」を扱える場所は、一人の人間が自分に対する場所だけである。
 教室では、(あるべき)イメージをたどらせることはできても、イメージそのものを扱うことはできない。

 ある程度力をつけた生徒に対して、長大な文を覚えさせ発表させるというような課題は有効である。20語程度までの文なら、ただ音の連続として覚えてしま うことはできるが、100語を越える複数の文からなる論述やストーリーを覚えようとすれば、イメージをたどることを避けられなくなる。そして、この長大な 論述やストーリーを覚える場所は、決して、教室のような場所ではないだろう。それは、個室、机の上、個の意識においてであるだろう。そこに語学の領野が広 がる。そこが語学の場所だ。



2745 Kぼん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月28日(日)13時13分06秒

なかなか店を作る段取りにならないから、実際にやるのは先のことなんだが、何をどうするのか
の最初のとっかかりくらい知っておかないといけないなあとは思っているのです。
どうやら、しんきんがその方面に力を入れているということらしいですね。
これを知っただけでも収穫です。

まあ、娑婆が私の英語の方法をまともに遇してくれて、おまんまの心配をしなくていいなら、雑
貨屋なんかやることを考える必要もないのですが、英語の語学論はやたらにくたびれるだけみた
いな気がしてもいます。語学論は金にはならんし。



2746 3つの基本的ターム 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月28日(日)13時20分04秒

以下の3つにしばらく限定して、考えていこうと思っています。

・磁場の不在
・シンタックスの内在化
・イメージの逆輸入

これらは、日本在住英語(在日英語)を言い当てるための語です。
「音づくり」などの重要なタームが別にありますが、これは練習の必須項目を成すものであり、
日本在住英語を表す語というわけではありません。



2747 根石吉久 様 投稿者:Ton  投稿日: 4月28日(日)15時40分11秒

こんなサイトがありました
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
公文の英語には驚きました。
<K教室>では、
 公文でG〜というテキストを使って英語を学習している子どもが春期講習を受けに来た。
 テキストの内容は中3だが、be動詞の意味も知らず、なおかつ過去形の 〜ed の発音
 が無声音の後では[t]になることも知らない。よく聞くと先生自身が知らないので、
 watched (ウォッチト[t])なのに何年もの間(ウォッチド[d])と言われ続けてきたそうだ。
 ひどい話はよく聞く。いいのはテキストの本文だけ。設問も解説もまるでダメですね。
<H教室>でも、同様のことがあった、この子は公文の成績優秀者にもよく顔を出す
 子どです。やはりG〜の英語を終わらせていたが、英語は単語の訳を頼りにいい加減
 な訳ができるだけで全く英語を理解してはいなかった。つまり、英語力ではなく、
 その子が元々持っていた国語(日本語)の力で推測して訳していただけなのだ。
  それなのに、公文の先生からは「できるから」と中3の教科書と高校入試用の
 文法問題集を与えられていた。当然のことながら、全くダメ。即座に公文を辞めさせて
 0から英語を教えている。理解力はあるので回復は驚異的に速い。このまま公文に
 行っていたら潰されていただろう。算数・数学にも同じ事が言えるようだ。
         (〜考える力を育てる「どんぐり倶楽部」のホームページ〜)

  http://homepage.mac.com/donguriclub/comment.html

種々、整備の重要性を痛感いたします。

*今日はGW下のお休みです。赤坂でシークカバブ、タンドリーチキン、とマトンマサラ
 インドカレーを食べます。

http://www.doujinsha.com/



2751 根石吉久 様 投稿者:ジェーン  投稿日: 4月29日(月)00時27分55秒

>イメージ

以前ちょっとここに書きましたが、私の母は日系2世です。
といっても、日本に来たのが子どもの頃だったので、今では英語での会話は出来ません。
でも、相手が英語でしゃべっている内容は、今でもわかると言うんですね。
これ、ずうっと不思議な感じがしてたんですが、そういうことだったのか、と考えると何となく納得がいくんです。
イメージって、ふだん使わなくてもあんまり風化しないものなのでしょうか? 

>生徒にあてて訳させるという日本の英語の教室に蔓延した授業方法
こんなつまんない授業、最初に考え出したヤツはだれだ〜!って思います。
私、学校で習う英語ほどつまらないものはありませんでした。

これからの楽しみに拝読させて頂きます。
では♪



2753 ご報告 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月29日(月)02時50分00秒

-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------

<中学教科書音読クラス>

中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.12
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.?
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.12
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.30
東京・M(中2) プログレス1年 P.190

<クラス五>なし
<クラス十>なし

<クラス十五>

東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.21

<クラス十十>

長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.66
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.60
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.52
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.16
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集開始予定

<クラス十十五>

戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「ゴースト」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.75
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26

<クラス十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集199

<中学教科書音読クラス>

中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.12
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.?
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.12
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.30
東京・M(中2) プログレス1年 P.190




2754 ご報告について 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月29日(月)02時54分35秒

初回は誤植が多いですが、今後、「電話でレッスン」をやった後に、生徒さんの進展をご報告いた
します。
初回の今回は間違いがあっても見逃して下さい。寝不足でもうろうとして作りました。
次回のご報告は月曜日、って今日か。
人生は忙しい。



2757 はじまして 投稿者:さくら  投稿日: 4月29日(月)22時29分14秒

時々大風呂敷を眺めていたけど、どうやらこれは英会話上達法というより語学論だったのですね。
どうも・・・論ってヤツは苦手なんだけど、英語の磁場とかイメージとかのところで、根石さんが妙に的確に根石語を作るあたり、「こいつ天才!」って思っ て、つい文章嫌いのワタシがキーボードを叩くはめになってしまった。
しょうがない。前のページに戻って「磁場と個」を読み直した(どうも言葉が身に付いていかない)。
日本で英語を学ぶって磁場がないのか。これって、数学や物理などの実際に使わないことを理論立てて学ぶのと同じように思える。でも違うか。ひとつの真実が ある学問と、同じ状況をいろいろに表現できる語学とでは。



2759 さくら様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)17時04分07秒

 はじめまして。

>時々大風呂敷を眺めていたけど、どうやらこれは
英会話上達法というより語学論だったのですね。

 そうです。「英会話」の元にも「語学論」が必要だと考えています。
 それがないから、役にもたたないエイカイワガッコウが繁盛しているのだとも思っています。つまり、まともな語学論が日本に育たないから、幻想にだまされ る人々が後をたたないのだと思っています。
 「会話」というとらえかたが嫌いなためだと思いますが、「英会話」というとらえかたも嫌いで、私は時流に合いません。
 「会話」能力というのは、日本語であろうと英語であろうと、気さくであるとか、そつがないとか、おしゃべり自体を楽しめるとか、そういう能力だと考えて います。私はその能力が不足しており、日本語でもじきにべらんめえになり、「なにいってやんで、あほくせえ」などと言い出しますので、そこで「会話」が 凍ったりします。
 日本語でのおしゃべりが好きな人は、「英会話」の素質があると思います。この場合、「会話」の能力はすでにあるわけですから、それに組み合わせるべきも のは、英語力自体です。必要なのは「英会話」ではなく英語力、と思います。
 おしゃべりが好きな人はおしゃべりをすればいい。しかし、必要なものは、「英会話上達法」というようなものではなく、単に英語力だろうと思っています。
 「英会話」をやるかやらないかは各自勝手に決めればいいことで、私自身は今後も「英会話」などをやる予定はありません。英語力自体を鍛えるということは 続ける予定ですし、英語力というものが幹だと思っています。「英会話」は日本独特の幻想の一つで、もしも英語力から生える枝だとしても、奇形の枝だと思い ます。
 「会話」能力が不足する私のような者にはとうてい向かないものだと思っていますから、私は単に英語でしゃべるだけです。「会話」なんかしたいと思わな い。

>英語の磁場とかイメージとかのところで、根石さんが妙に的確に根石語を作るあたり、「こいつ天才!」って思って、つい文章嫌いのワタシがキーボードを叩 くはめになってしまった。

 ようやく、私の造語の意図を汲み取っていただける方が登場してくださったかと思っています。英語が作る磁場がない場所で作る英語力は、語学論を備えなけ ればならないのではないでしょうか。そうでなければ、自分のごつごつ英語が何に根拠があるのかを言明できないし、これが言明できなければ、妙な劣等感から 出ることもできないはずだと考え続けてきました。英語フリークの英語好きというのは、裏返せば劣等感なのかもしれないのです。英語フリークが駄目なのは、 「英会話」などの幻想に頭をやられてしまって、語学論を持とうとしないところです。

>日本で英語を学ぶって磁場がないのか。これって、数学や物理などの実際に使わないことを理論立てて学ぶのと同じように思える。でも違うか。ひとつの真実 がある学問と、同じ状況をいろいろに表現できる語学とでは。

 例えば、イメージの探求という面に関して、語学が「机上」で行われている場面では、ひとまずは「生活(実用)」から切れています。しかし、語学が他の学 問と違うところは、「机上」から「生活」に渡る方向に常時開かれていることです。その逆、「生活」から「机上」に帰る方向にも常時開かれています。数学は その抽象性の清潔さのおかげで、抽象の高みから生活に直接に戻る経路が閉ざされてしまうのが大きな違いでしょうか。
 生活に「渡る」こと、生活から「帰る」こと。この二つの行為をも私は語学に含めてしまっています。「渡る」ことをして、生活過程に入ってしまえば、そこ での言語はすでに生活言語であり語学の言語だとは考えませんが、「渡る」という行為自体は語学に含めてしまっていいと思っています。
 喩えで言えば、日本を発ってアメリカに着くまでの飛行機の中の時間もまだ語学だということです。アメリカに着いて、人々と交わることはすでに語学ではな いと・・・。

 めんどうくさがらずに、またキーボードを叩いていただきたくお願いいたします。



2760 ジェーン様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)17時48分50秒

>以前ちょっとここに書きましたが、私の母は日系2世です。
といっても、日本に来たのが子どもの頃だったので、今では英語での会話は出来ません。
でも、相手が英語でしゃべっている内容は、今でもわかると言うんですね。
これ、ずうっと不思議な感じがしてたんですが、そういうことだったのか、と考えると何となく納得がいくんです。
イメージって、ふだん使わなくてもあんまり風化しないものなのでしょうか? 

 英語の磁場のないところで英語をやった人の英語が、ごつごつするがしゃべれる、しかし、英語ネイティヴ同士のしゃべりの速度についていくには非常な困難 を覚えるというのと、ちょうど逆の現象ではないかと思いました。
 磁場の磁力を浴びて英語を内在化させた(ネイティヴな言語とした)方が、その後、英語の磁場を欠いた場所で暮らし続けた場合にそうなるのだろうと思いま す。
 「風化」というふうに考えた場合に、もっとも「風化」しにくいものは音だろうと思っています。この音の風化しにくい性質がなかったら、イメージは宿る場 所を失います。ネイティヴの英語音がお母様の体の中に生きているということだと思いました。また、しゃべりのシンタックスはもっとも急激に「風化」するも のだとも思っています。日本語の磁場は、英語のしゃべりのシンタックスを風化させる力がすごいとも思います。
 お母様には、英語の音とイメージとが「一致」していた幼児経験が生きているのだと思いますが、この音とイメージが「一致している」がネイティヴな言語の 性質です。
 日本人が英語をやる場合は、自覚的に(あるいは強引に)イメージと音を「一致させる」という意識的な作業になります。意識にイメージが動けばほぼ同時に 音にすることができるようになった状態、あるいは、相手の話の音を聞けばイメージがほぼ同時に生じるようになった状態のことを、私はイメージと音の「同 致」と呼んで、ネイティヴ話者の「一致」と区別してきました。
 「一致」の場合、音とイメージは最初から関連があります。この関連を個の意識に与えるのが磁場です。音とイメージの関連を最初から備えて人々が話してい る場所に赤ん坊の意識は置かれます。音とイメージの関連を、関連しているそのままの状態で赤ん坊は内在化していきます。音とイメージが最初から関連してい るので、音もイメージもまるごとで「一つ」のものとなり、「一致」がもたらされます。
 「同致」の場合は、まるで事情が違います。相互にばらばらであるというより、そもそも存在していないイメージを強引に意識に生じさせ、音やつづりに宿ら せるような作業になります。かなり強引に荒削りのままにこの作業を行い、徐々にイメージの核を洗い出すような作業です。磁場から切れた個の意識で、これら の作業のすべてが行われます。別々のものであったものを、なんとか「同じ場所に重ねる」ような作業によって得られるものであるから、「同致」という語で表 そうとしてきました。「同致」は私の造語です。

 話に枝が生えたうえ、しちめんどうな話になってしまって恐縮です。
 またご登場ください。



2761 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)18時17分13秒

 娑婆はあんまり甘くなく、時間がとれず、難渋していますが、近々、「イメージの逆輸入」について書いてみたいと思っています。

 英単語を眺めている一人の日本人の意識に生じるイメージというものを思い描いています。このとき、生じたイメージとその英単語とは、実はまだばらばらで ある。これを「同致」に持ち込むには、國弘さんの「只管朗読」とか「只管筆写」、あるいは、私の「回転読み」とか「回転書き」というような身体化を通さな いと、イメージと単語は「同致」しない。練習者の意識に則せばそうなると思います。
 その意識の動態を一歩離れて考えると、いったん生じたイメージというものは、英語でもなければ日本語でもないというのが私の言いたいことの眼目です。
 イメージはイメージであり、すでに具体的な単語ではない。だから、具体的な言語でもない。
 英語でなければうまく言えないイメージというものがあり、日本語でなければ言い表せないイメージというものがある。また、英語にも日本語にもなれるイ メージというものもある。いずれにせよ、イメージはイメージであり、具体的な言語ではない。イメージは具体的な言語から喚起されたり、具体的な言語を動か すことはあるが、イメージは言語そのものではなく、生きた人間の中に生きて動く不定の動態そのものである。
 「逆輸入」というのは、英語でのコミュニケーションという妄説が跋扈している現状を撃つための考えです。英語まわりの人間どもの中には、この妄説をまぬ かれている人は非常に少数です。しかし、語学がコミュニケーションに奉仕しなければならないというような考えはいくら労多くして実り少なくても、はっきり と撃つ必要があります。これは、語学というからっぽを生きる作業に対して実に失礼なイデオロギーだからです。からっぽを身上とする語学を、この妄説の垂れ 流しの時流から救い出したいと考えています。

 「逆輸入」とは、ひとまずは英語から日本語へのイメージの逆輸入ともとらえることができますが、本当は、英語にも日本語にも限定されない、個の言語能力 への逆輸入だととらえています。

 このあたりのことを書いてみたいのですが、娑婆はやはり甘くなく、なかなか時間がとれません。



2763 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)18時38分53秒

公文は私は昔から嫌いです。
あれは、子供の頭をロボットにすることがうまいだけです。

考える力を奪う方式だと思います。



2764 質問です:。 投稿者:Ton  投稿日: 4月30日(火)19時28分56秒

根石吉久様

1、>いったん生じたイメージというものは、英語でもなければ日本語でもない
   というのが私の言いたいことの眼目です。

ここでいうイメージとは、equus(ラテン語 馬)といおうがhorseといおうが、英語でもラテン語でもない「馬」、そのもののイメージ、が無い限り 意味をなさない。(言語学= ソシュールだが言ったのだったように思いますがか、忘れました)ということを言っておられる、と、解してよろしいですか?

2、>公文は私は昔から嫌いです。
  あれは、子供の頭をロボットにすることがうまいだけです。

  考える力を奪う方式だと思います。

多くの親も、本省の心ある人間もにも「覚醒」的なご意見です。
これも、しっかり、まとめて、世にぶつけてみたい、部位だと感じます。


http://www.doujinsha.com/



2765 質問 2 投稿者:Ton  投稿日: 4月30日(火)19時38分28秒

2、「逆輸入」というのは、「英語でのコミュニケーション」という「妄説」が跋扈している現状を撃つための考えです。英語まわりの人間どもの中には、この 妄説をまぬかれている人は非常に少数です。しかし、語学がコミュニケーションに奉仕しなければならないというような考えはいくら労多くして実り少なくて も、はっきりと撃つ必要があります。これは、語学というからっぽを生きる作業に対して実に失礼なイデオロギーだからです。からっぽを身上とする語学を、こ の妄説の垂れ流しの時流から救い出したいと考えています。
「逆輸入」とは、ひとまずは英語から日本語へのイメージの逆輸入ともとらえることができますが、本当は、英語にも日本語にも限定されない、個の言語能力へ の逆輸入だととらえています

これは非常に難解です。さっぱりわからないんです。「学問するためにあるのか、言語学であって言語ではない、英語学であって英語ではない ツールではな い、などと読めてしまいます。
この解明、しっかり読み進んでいきたい、

このスタンスをはじめにしっかり打ち出すことによって、これを必要とする客層は違ってくる、と感じます。

http://www.doujinsha.com/



2766 空っぽ 投稿者:Ton  投稿日: 4月30日(火)19時45分02秒

母国語が存在し、これで基本的なイメージが確立してから、外国語を学ぶ時、いくら言われても「空っぽ」になることは、極めて至難、か、と思います。
英語にあって日本にないものは、知らないものは知らない(のですから成立はすると思いますがティータイムにスコーンを食べますか?と聞かれてスコーンって な〜に?、といった、場合=こういう環境=異文化=知らないからもともと空っぽなわけで、これは隙間として成り立つと思いますが)。
空っぽを埋めていく作業において、
空っぽのタームも類推でしか、分かりませんので、楽しみです。

http://www.doujinsha.com/



2767 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)21時11分10秒

語学・からっぽ論、近々書いてみたいと思います。
これは、語学で扱うあらゆる文は、現実の切実な状況で使われている生な文ではないということ
を根拠にしています。生な状況から切れており、状況があるとすれば、すべてが想像的なもので
あるということです。すべては仮のものであり、生な状況を生きる文ではない。語学とは、まさ
にこの死物を扱う行為だということです。



2768 根石吉久 投稿者:Ton  投稿日: 4月30日(火)21時35分20秒

>語学とは、まさにこの死物を扱う行為だということです。

死物とは これまた挑発的な!

検死官のようですネ。ここから更に続く展開に
興味をそそられ 期待いっぱい、と言った感を覚えます(意外性、という意味で) 。

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2769 報告 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)22時31分39秒

-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------

<中学教科書音読クラス>

中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.32
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.?
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.17
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.30
東京・M(中2) プログレス1年 P.190

<クラス五>なし
<クラス十>なし

<クラス十五>

東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.21

<クラス十十>

長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.66
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.60
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.52
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.16

<一時間枠・十十>

山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集開始予定

<クラス十十五>

戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「E.T」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.77
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26

<クラス十十十>なし

<一時間枠・十十十>

名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集199



2770 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)22時54分58秒

>ここでいうイメージとは、equus(ラテン語 馬)といおうが
horseといおうが、英語でもラテン語でもない「馬」、そのもの
のイメージ、が無い限り意味をなさない。(言語学= ソシュー
ルだが言ったのだったように思いますがか、忘れました)という
ことを言っておられる、と、解してよろしいですか?

 そうです。「馬そのもの」のことです。この「そのもの」は、horse にも化けるし、equus にも化けるし、日本語の馬にも化ける。horse、equus、馬のそれぞれを貫いて共通するが、いかなる言語にも属さないもの。
 あるいは、horse、equus、馬 のどの語も、その「そのもの」を喚起しうるので、言語以後のものでありながら、いったんそれが立ち上がってしまえば、horse、equus、馬 のいずれにも化けて出るので、言語以前のものでもあります。
 言語以後、言語以前を貫くものがイメージだという考えです。

去年今年貫く棒の如きもの

誰の俳句でしたっけ?

 ソシュールのことは私はわかりません。
 私の語学論は、自分の語学という動態から抽出したものですので、既存の学問をふまえておりません。



2773 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月30日(火)23時29分28秒

>このスタンスをはじめにしっかり打ち出すことによって、これ
を必要とする客層は違ってくる、と感じます。

 確かにおっしゃる通りで、言語学とかに興味のある方の方が私の言っていることをつかんでくれるかもしれないとは思います。
 しかし、本当は、英語でも何でもいいですが、日本で語学をやっているすべての人にわかってもらいたいことです。これがわかってもらえないので、人々は相 変わらずエーカイワガッコウに無駄な金を払っているのです。あるいは何年もNHKの番組を聞き続けて、同じところをぐるぐる回っている人がたくさんいるの です。
 既存の学問の成果を踏まえて、その学問領域でものを言うことをせず、耳慣れない「語学論」などを言い出しているのは、本当は語学をやっている人にはどな たにも踏まえて欲しいと願っているためです。学問として成仏したくないのです。

 生きた英語とか、生きた表現とか、みんな嘘なのです。生の磁場がない場所では、あらゆる英語の文が複製物であり、レプリカです。
 語学は、ひたすら死物を扱い、死物を徹底的に死なせることで生き返らせる行為だと考えています。これは、生な英語の磁場で英語を身につけた人には、およ そうかがい知れない激烈な行為です。

 死にはさらに激烈な死を与えよ。そこにイメージが立ち上がる。これは、異言語相互を貫いて生きるであろう。

 言葉には道具としての一面がありますので、語学の成果を実用とすることに不服はありませんが、語学が実用のためのものであるという「規定」が生じたな ら、これにはとことん逆らうつもりでおります。そんなはずはない。外国語の実用とは、語学から生える一本の枝にすぎない。語学には語学の天地がある。それ は、イメージが火花を散らす王国なのだ。イメージによるイメージのためのイメージ。語学とはイメージの王国なのです。
 そこから、実用という枝が生えたってかまわないが、実用が目的化されたときは、語学をおとしめるイデオロギーとして、語学を生きる者は牙をむくというこ とです。

 Ton 様が以前、素読は素養のためのものなのだとおっしゃったこととそれほど違わないことを言っているつもりなのですが。



2775 電話でレッスン 受講報告 投稿者:O  投稿日: 5月 1日(水)00時06分03秒

現在「ボディガード」で電話でレッスンをうけている埼玉のOです。

今年の1月から始めたのですが、最近復習範囲が10・15ページ(合計25ページ)
になり、すこし大変になりました。
しかし、練習時間は以前とあまり変わらず、レッスンの直前に
30〜40分程度(余裕のあるときは前日にも20分程度)です。

ただ、以前と比べると、最近は復習の範囲を練習するのにあまり
苦労しなくなってきました。
別の言い方をすると、復習範囲は増えているのに、テストにかかる時間は
あまり変わらないのです。

それが慣れなのか、同じところを何回も繰り返しているからなのか
自分ではよく分かりませんが、そんな現状です。

ただ個人的には、テストでつっかえるところがまだまだたくさんあるので、
復習範囲の練習をさぼらずにやっていきたいと思っています。

別のことで言うと、テストの時に文章を(文法の)構造としてつかんで
言うことは何とかできていると思うのですが、それと意味がうまく
結びつかない、というところが現在の悩みといえば悩みです。
多分まだまだ練習の量が足りないのだと思うのですが、どうなんでしょうか?



2783 Kぼん 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 1日(水)12時04分08秒

>一般市民の私達

「一般市民の私達」っていうのは、英会話学校へ大金をくれてやり、素読舎を枯らしていくあん
たたちのことだろう?なあにが一般市民。そんな実態のねえくらげみたいなものに依るわけには
いかない。俺が信頼するのは、ものが見える一人の人間というものだけだ。

更埴市議会がサークル活動だなんてとんでもねえぞ。
私腹を肥やして、噂では毎回名前が出るけど、悪知恵が働くので、証拠をつかませねえって野郎
がちゃんといるんだよ。
今工事だらけで、不便きわまりないが、この下水道工事だって、これまでの家庭用合併浄化槽と
技術レベルは同じなんだそうだ。家庭用合併浄化槽のばかでかいやつを、下水の下流に作るだけ
のことだそうだ。それでどれだけの金が動くのか知らないし、市議会レベルのことなのか県議会
レベルのことなのかも知らないけど、議員どもと土建屋の結託で、各家庭から100万から15
0万の金をまきあげているのだ。一戸から100万からの金だぞ。
 どういうサークル活動なんだ?



2784 「電話でレッスン」の生徒さんたちへ 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 1日(水)14時08分48秒

 先日、妻と話していて、埼玉のOさんのことが話題になりました。Oさんは妻の生徒さんで、毎回のテストを軽々とパスするというのは以前から聞いていまし た。現在、Oさんは、<クラス十十五>のレベルで練習をされています。これは皆さんご存知のように、復習範囲のテストで出す一つの文を一問と数えて、10 問+10問+5問の意味です。
 先日の妻との話では、Oさんが<十十五>になってもテストを軽くクリアしてしまうというので、私がびっくりしました。妻がOさんに聞いた話によると、 <十十五>になると、同じ範囲が繰り返し繰り返しテストされるようになるので、「こなれ」が生じ、<十十>でやるよりかえって楽だということでした。
 現在、<十十五>レベルで苦しんでおられる生徒さんが何人かおられるので、このつらいところを抜けると、「かえって楽になる」というOさんの経験を、O さん自身に掲示板に書いてもらえないか頼んでくれと妻に言っておきました。
 その話が伝わり、Oさんが昨日書いて下さったものと思います。

----------------------------------------------------

 Oさん

ただ、以前と比べると、最近は復習の範囲を練習するのにあまり
苦労しなくなってきました。
別の言い方をすると、復習範囲は増えているのに、テストにかかる時間は
あまり変わらないのです。

 「復習範囲を手放さない」という原理がもたらしているものだと思います。「こなれ」が生じているからに違いないと思っています。

>別のことで言うと、テストの時に文章を(文法の)構造としてつかんで
言うことは何とかできていると思うのですが、それと意味がうまく
結びつかない、というところが現在の悩みといえば悩みです。
多分まだまだ練習の量が足りないのだと思うのですが、どうなんでしょうか?

 発音や文の構造に注意が行くと、意味の方に注意が行かなくなります。
 発音や文の組立を意識しないでできるレベルになると、意識の全部を意味に注ぐことができます。発音や文の構造への意識と、意味の全体をまるづかみする意 識との間には二律背反があります。
 Oさんは発音に関しては、ほとんど何の問題もない方でした。
 構造(組立)に関して妻に聞いてみましたが、難度を含む文の場合、妻が二度か三度言うとクリアできるということでした。これを、一度か二度でクリアする レベルをめざしてみて下さい。
 二度か三度でクリアできるレベルだと、おそらく「組み立てる」という意識がどこかにあるのではないかと推測しています。一度か二度でクリアできるレベル では、コーチ側の一度か二度の読みによって、(すでに知っている)意味の全体が自分の意識に生じて、文の全体が口から出てくるという順序になります。
 「組み立てる」感じではなくなると思います。
 このレベルを確保したら、「わざとゆっくりと読む」ということをやってみていただきたいと考えています。つまり、「組み立てる」という意識を捨て、最初 から全体を全体として扱い、全体を全体として扱えることがきわめてなめらかになったら、「わざとゆっくり読む」ことによって、「組み立て」を後から確認す る練習です。

全体として扱う → 組み立てを意識する → 全体として扱う

 という具合にやるのですが、まずは全体として扱うことのレベルをあげてみてください。

 試してみていただきたく思います。
 不明の点はおたずね下さい。



2786 語学=逆葬式 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 1日(水)15時23分57秒

 外人と話すことは語学ではない、というこの単純なこと一つがなかなか通じないのだ。もしも、外人と話すことを語学にするのであれば、これはその外人に対 してきわめて失礼なことをしているのだというあたりまえのこともわからない日本人が多い。生活の場を語学の場にするということは、根底的に失礼きわまりな いことなのだが、英語フリークの皆様は頓着しない。こういう人たちは、言葉というものに関して感度が鈍いのだとしか思えない。
 生活の場を語学の場とするというのは、大して用もないのに質問するということである。質問して、質問が通じるかどうかを試すために質問する。質問のため の質問だ。
 質問のための質問のような「からっぽ」が許されるのは、語学の場面だけである。日本にいる外人だって、生活しているのだ。生活の場面を勝手に語学の場面 に変えることは、ぶしつけなことである。そして、こういうことをするのは、たいてい語学の場面で、「からっぽ」をきちんと生きるということをしない人たち である。
 まあ、相手になる外人にもよる。大して意味もないことでも、なんだかんだ話しているだけで楽しいという人もいるのだから、そういう人は迷惑だとも思わな いかもしれない。
 しかし、そうじゃないやつもいるのだ。
 私の外人の友だちが言っていたことがある。日本人が話しかけてくれば、同じことしか聞かない。「どこの国から来たか」「日本の食べ物は何が好きか」「何 歳か」「納豆は食べられるか」などなど。「納豆は好きかと聞くやつに、納豆はどうやって作るんだと聞き返す」とにやにやしてどこかへ行ってしまう。蝿みた いなやつらだ、と。こいつは、日本にいても日本語が上達しないような頑固なやつなので、特別な例かもしれない。日本にいて英語をやることがどれほどの困難 を秘めたものかなど、気にもかけていない。どっちもどっちだと言えないこともない。
 何が言いたいのか。生活で話す言葉が空っぽであることは許されないが、語学では空っぽが常態なのだということである。
 生きた英語、生きた表現などという言い方があるが、片っ端から嘘だと思うのがいいと思う。私はひとまずは言葉をその通りに受け取るので、生きた英語とい うものは、生きた英語の磁場における英語だとしか考えない。それ以外の英語は、すべて「死んでいる」。単純にそう思っている。
 日本で英語を語学とする場合、ほとんどの場合、複製技術によるものを相手にすることになる。本(テキスト)が印刷技術という複製技術によるものであるの は言うまでもないが、他に、映像複製技術(映画など)、音声複製技術(CD教材など)など、要は複製技術が複製したものを相手に語学をやることになる。こ れは、決して「生きた英語」なんかではない。それどころか、みんな片っ端から「死んだ英語」なのである。
 複製技術が生み出すのは、おびただしい死なのだ。本屋さんから、本を一冊買ってくることは、死を一冊買ってくることなのだ。
 日本で普通に英語をやることは、死をどう扱うかという技術になる。
 複製技術が生み出す死をどう扱うか。つまり、複製技術による死のお弔いであるから、日本で英語をやるということはお葬式をやることである。お別れするこ とである。何にお別れするのかと言えば、複製技術による死にお別れする。普通のお葬式なら、人が死ぬからお別れするのだが、複製技術による死は最初から死 なのだから、こちらが何もしなくてもあらかじめ死んでいる。それが死んでいるからといって、じゃあ、さようならとテキストやCD教材を放り出したのでは、 お別れしたことにはならない。それは、ただ単に離れただけのことだ。
 普通のお葬式なら「南無阿弥陀仏」を何度も唱えたりするだろう。これは宗教によるお葬式だからそうなるが、私らがやろうとしている語学によるお葬式で は、同じ英文を何度も何度も唱える。「繰り返し」という点で同じだ。
 違うのは人のお葬式では、一人の人を「あの世」へ送ればいいのに対して、語学というお葬式では、無数の死を次々に扱い、「この世」で生きるものに変えて しまう点にある。
 私の提唱する「回転読み」は、「南無阿弥陀仏」を唱えることに非常によく似ている。「南無阿弥陀仏」を唱えるコツは、小声であまり明瞭でなくぼそぼそと 言うことだが、「回転読み」はここがまるで違う。「もっとはっきり、もっと強く」と語学葬式のコーチである私は生徒さんによく言う。明確なアーティキュ レーションを備えろと言う。これは、絶対に「南無阿弥陀仏」のお葬式ではやってはならない。ただ単に変な人になるだけである。
 語学のお葬式ではやっていいのだ。「強く、はっきりと」口を動かし、ひたすら同じ文を繰り返し言い続ける。なぜ、強くはっきりなのか。あらかじめ死んで いるものを生き返らせる逆葬式だからだ。
(以後、続く)



2787 ちょっと書き直し 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 1日(水)15時38分51秒

 私の提唱する「回転読み」は、「南無阿弥陀仏」を唱えることに非常によく似ている。同じことを繰り返し繰り返し言い続けるという点において非常によく似 ている。しかし、はっきりと対立する性質もある。「南無阿弥陀仏」を唱えるコツは、小声であまり明瞭でなくぼそぼそと言うことだが、「回転読み」はここが まるで違う。「もっとはっきり、もっと強く」と語学葬式のコーチである私は生徒さんによく言う。明確なアーティキュレーションを備えろと言う。これは、絶 対に「南無阿弥陀仏」のお葬式ではやってはならない。ただ単に変な人になるだけである。明確なアーティキュレーションを備えた「南無阿弥陀仏」は不気味な ものだ。
 しかし、これは語学のお葬式ではやっていいのだ。「強く、はっきりと」口を動かし、ひたすら同じ文を繰り返し言い続ける。激烈にやっていい。なぜ、強く はっきりなのか。なぜ激烈になのか。あらかじめ死んでいるものを生き返らせる逆葬式だからだ。
(以後、続く)



2789 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 1日(水)15時43分34秒

語学=逆葬式。これでは商品にならんかもしれませんね。



2790 根石吉久様 投稿者:Ton  投稿日: 5月 1日(水)17時01分23秒

>語学=逆葬式。これでは商品にならんかもしれませんね
いえいえ仏教でも唱えるのが「南無妙法蓮華経」、法華であれば、これは明瞭、明確、大音声可。

繰り返し繰り返し何度も何度も、仏に聞こえるように 明瞭に、五体をあげて取り組んで何百万便辺、体が覚えていきます。

段々よく鳴る法華の太鼓、これは立派な奨品になります〔失礼しました)

*本日のペースト、終了いたしました。

http://www.doujinsha.com/



2791 おじさんを追いやった? 投稿者:Kぼん(自粛中だけどちょっと)  投稿日: 5月 1日(水)18時29分00秒

なんか。。。かなり。。。深刻な話のようで、うっかり返事できるものではなさそうですね。

本題からズレているんですが、私は英語のためにお金かけたことがあったのは書籍代と
素読舎だけです。



2795 Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 2日(木)01時56分51秒

>いえいえ仏教でも唱えるのが「南無妙法蓮華経」、法華であれば、これは明瞭、明確、大音声可。

なるほどそうですね。しかし、いくら日蓮系の宗派でも、葬式の時にはそんなに明瞭、明確、大音
声はやらかさないのではないでしょうか。
これから、語学=逆葬式の続きを書いてみます。



2798 繰り返し(1) 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 2日(木)04時10分13秒

 複製技術による「死んだ英語」を、國弘方式であるなら「只管朗読」「只管筆写」で、素読舎方式なら「回転読み」「回転書き」で、身体化し、逆葬式をとり おこなう。死物を激しい身体化によって、生き返らせることを行う。これを貫く原理は、「繰り返し」である。
 この「繰り返し」が初心者にとっては、絶対に不可欠なものなのだが、なかなか人はこれをやらない。やっても、数回の繰り返しで止めたりする。思う存分に 「繰り返す」、英文が自分の中で質的な変化を起こすまで「繰り返す」。こういう作業が必要なのである。國弘正雄さんは、五百回、千回という数字を提示して おられる。これが思う存分に繰り返すときの具体的な数字になるだろう。笹野洋子さんという方は、最低五十回と言っておられる。一方が「思う存分」、一方が 「最低でも」ということであるから、どちらも的を射抜いた言説だと思う。私は、「電話でレッスン」というものをやっていて、復習範囲のテストを常時行う。 「復習範囲を手放さない」という原理を一つ置いてあり、レッスンによって「繰り返し」が生じるようにシステム化してある。生徒が「繰り返し」を繰り返すよ うに、テストを繰り返す。いずれにせよ、原則は「繰り返し」なのである。
 「繰り返し」が必要な理由は、日本には英語の磁場がないという一事に尽きる。あるいは英語圏のように英語の磁場においてでも、語学では「繰り返し」が必 要であるのかもしれないが、日本で英語をやる場合に比較すれば、はるかにその必要は少なくて済むのではないだろうか。これは、日本にだけ住んで英語をやっ てきた経歴を身上としている私には、正確なところはわからない。
 いずれにせよ、日本にいて英語をやる場合は、自分が日本語に取り囲まれ、日本語を日々使いながら英語をやるのだという絶対的な条件を自覚する必要があ る。英語の側から見れば、日本語は英語を簡単に錆びさせる強力な酸なのだということを自覚する必要がある。この酸を日々浴びながら英語を作り英語を持ち続 けるのであれば、酸に逆らう作用をもつ何かが必要である。それが「繰り返し」なのだ。
 「繰り返し」だ、「繰り返し」だと「繰り返し」書いているから、しつこいやつだと思う人が必ずいるだろうと思うが、「繰り返し」は繰り返し繰り返し必要 なのだと、繰り返し言っておこう。しつこさは語学に必要なものなのである。
 「繰り返し」は馬鹿くさい。馬鹿くさいので、馬鹿にしやすい。そして、実体は死んでいるもの(複製技術によるコピー)を「生きた英語」であるなどを信じ てしまう。あるいは、英会話学校の英語ネイティヴの英語が「生きた英語」であるなどと信じてしまう。教室というところは、シミレーションしかできない。教 室を単なるおしゃべりの会の場所にしてしまう外人教師もいて、これならシミレーションではなくなるが、先生一人に日本人多数なら、まずはそこは英語の磁場 ではない。ということになると、英語の磁場ではないところにある英語だから、「生きた英語」ではない。外人一人だけが、故郷の磁場の磁力を身から放出する だろうが、そこは英語の磁場という場ではない。
 教室をおしゃべりの場に変えてしまうようなふとどきな外人教師の教室に通っても、生徒の英語が上達しないのは、そこが磁場たりえないからである。



2799 繰り返し(2) 投稿者:根石吉久  投稿日: 5月 2日(木)04時11分12秒

 「繰り返し」問題に戻ろう。
 「繰り返し」は退屈であり、馬鹿くさい。だから、それを馬鹿にする人はたくさんいる。
 私の生徒さんにもそういう人がときどきいる。五百回も千回も繰り返すなんて、宗教じゃあるまいに、と言うのである。英語はもっと生き生きとしたものだ、 と言うのである。そういう人は、「生きた英語」とか「生き生きとした表現」とかを信じてしまっているので、語学は死物を扱う行為であるという私の考えとは まっこうから対立する。
 「生きた英語」とか「生き生きとした表現」というものがないというのではない。それはあるところにはある。それは英語の磁場にだったらあるのである。 「生きた日本語」とか「生き生きした表現」が日本語の磁場にあるのと同じように、英語の磁場には英語のそれがある。それはいつも、その言語の磁場の中にあ り、その磁場の中にしかない。だから、日本語で日常を暮らしている人の場所では、英語の「生き生きとした表現」というものは、たいていは複製技術による複 製物の中にしかない。
 そして、「生きた英語」も「生き生きとした表現」も、複製技術によって、あらかじめすべては死物である。この、死物というものをちゃんと死物として見な いから間違うのである。

 「繰り返し」を馬鹿にした人の英語はまずとうていものにならない。「繰り返し」を馬鹿にしてしまうということは、日本には英語の磁場がないという厳然た る事実を馬鹿にしたことと同じなのである。
 「繰り返し」を馬鹿くさいように思う人は、「何かいい方法」を探す。そういう人は、何をどう言っても「何かいい方法」を探す。探してさまよう。やらせて おくしかない。しかし、一応の親切を示すために、断言をもうひとつ、どんと置いておくくらいはすべきだろうか。
 「何かいい方法」を探して、それをちゃんと見つけられた人は何をみつけるのか。「繰り返し」をみつけるのだ。それが最上の「何かいい方法」なのである。 とりわけ日本で英語をやる場合においては、これは絶対的なのである。

 さまよいたい人の前には、断言を置くことしか他にすることはない。

 日本で英語をやって、「繰り返し」を排除して、英語をものにした人がいたらお目にかかりたい。そんな人は一人だっていないはずである。だったら、これは もう法則と言っていい。「繰り返し」は、誰にも無視することのできない語学の法則と言っていい。




2805 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 2日(木)21時55分18秒

おひさしぶりです。お元気でしょうか。
「英語発音10のポイント」作成時は、ご協力いただきましてありがとうございました。
あれは、生徒に口を動かさせながら、その動きの中にポンと置いてやるという使い方をしないとあ
まり意味がないとその後考えました。単なる基礎的知識の羅列であるなら、あれはそれほどの意味
はない。生徒が口を動かす動きの中に置く知識として使うなら、その場で動きを変えることができ
ると思いますし、もしそのように使うならば、たった10ばかりのポイントでも、生徒の口の動き
として実現するためには、1年や2年はかかると思います。
 動きの中に置かないとあまり意味はないという註釈をいずれ書かねばならないと考えています。

http://asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/p10point.htm



2806 イメージの探求−体育編 投稿者:さくら 投稿日: 5月 2日(木)23時12分48秒

あのね、イメージの探求ということで、「机上」と「生活」の関係なんだけど、ワタシ、中学の体育の授業を思い出しちゃって・・・
ハードルを跳ぶ授業があって、授業中になかなかうまく跳べない。悔しくて、家に帰って教科書を何度も読んで、跳ぶフォームを鏡の前で練習した。そして、 きっとイメージを組み立てていったのでしょう。次の授業のとき、きれいな跳び方の模範演技に指名されちゃって。
この作戦はバスケットボールのシュートのフォームや器械体操なども同様でした。
・・・どうもワタシは詰めが甘い。根石さんのようにバシっと決まらない。
机上と生活じゃなくて、理論と実践の関係? そうだよね、ハードル跳びなんて、非日常だから、身につかないものね。

ワタシは「会話」能力がないから「英会話」が出来ないとあきらめていた。英会話のために人格を変えられるか!ってね。でも、英語をしゃべればいいのか!  目からうろこ。
次の次くらいに電話でレッスンの空きがでたら立候補してみようかなあ。



2809 根石様 投稿者:Eliot 投稿日: 5月 3日(金)01時27分16秒

新学期になり色々忙しくしております。高校1年生の担当をしています。
中学からそのまま引き続き高校に入学した生徒たちと新たに高校入試を経て
入ってきた生徒たちの両方を教えていますが、後者は中学校三年間をほぼ
英語の音作りなしで過ごしてきた連中ですから、現在の授業では三年前に
中学一年生に使わせたプリント教材を使って「高校版音作りの道」を歩み
始めたところです。

彼らに発音練習をさせていると、中学一年生の教室からも大きな声が
聞こえてくることがあります。中学一年生担当の英語教員は私の「弟子」で、
彼が使っているのは、私が作ったプリントですから、中学一年生と高校一年生が
同じ教材で発音を学んでいるわけです。



2810 さくらさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 3日(金)01時30分13秒

 ふうむ。ハードルを跳ぶために、教科書を何度も読んだ!
 偉い! 偉いやっちゃ、と思いました。
 まったく私の論と共通するものがあります。
 教科書を読むのは、言葉を読むわけです。それで、言葉が喚起するイメージがまず生じます。そのイメージを身体化するために、鏡の前でフォームを練習し た、と。この私の読み方でいいと思うのですが、これって、ほとんど原理が語学です。
 それとも、言葉が喚起するイメージじゃなくて、ハードルを跳ぶ写真とかを参考にしたのでしょうか。だけど、それなら、テレビでアスリートたちのフォーム を見ても、参考になる。教科書をよく読んだというところが、ずばぬけていると思います。
 模範演技に指名された!
 偉いやっちゃ。
 私はなぜだかうれしくなりました。

>ワタシは「会話」能力がないから「英会話」が出来ないとあきらめていた。英会話のために人格を変えられるか!ってね。でも、英語をしゃべればいいのか!  目からうろこ。次の次くらいに電話でレッスンの空きがでたら立候補してみようかなあ。

 英会話のために人格を変えられるか!
 頼もしいです。
 この言葉は、英語フリークどものための口に苦い良薬なのですが、どうせ、フリークたちは無視するでしょう。こういう言葉をちゃんと考えることをしないフ リークたちを、私は戦後の亡霊たちだと思ってきました。

 「次の次くらいに」っていうのはどういうことですか?
 立候補して下さい。私はすぐにでも、さくらさんに英語を仕込んでみたいです。
 今なら、私の枠が空いています。金曜日です。
 土曜日にも1時間分空いていますが、この枠は今月から、日曜日に30分枠で使っていた生徒さんが、試しに一ヶ月使うことになっています。一ヶ月間1時間 枠を使って、再び日曜の30分枠に戻られるかもしれないので、両方を空けておく必要があります。
 なんとか、さくらさんをゲットすることはできないものか。
 立候補してくれたら、「根石吉久の暮らしの手帳」(ミッドナイト・プレス)、「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館)を一冊ずつプレゼントするっ ていうのでは駄目かな?
 あなたが申し込んでくだされば、私がこの掲示板を開設して以来、掲示板から直接申し込まれた最初の生徒さんになります。なんとかゲットしたいものだ。

----------------------------------------------------


 「電話でレッスン」の生徒さんへ

 さくらさんに、「電話でレッスン」というのはどういうものか、生徒さんの立場から説明していただけたらうれしく思います。



2811 Eliot さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 3日(金)01時37分15秒

>彼らに発音練習をさせていると、中学一年生の教室からも大きな声が
 聞こえてくることがあります。中学一年生担当の英語教員は私の「弟子」で、
 彼が使っているのは、私が作ったプリントですから、中学一年生と高校一年生が
 同じ教材で発音を学んでいるわけです。

 ああ、Eliot さんのいる学校だ、と思いました。
 いい風景です。
 どうか、お弟子さんと「音づくり」を貫いていただきたくお願いいたします。
 まだ細い細い流れですが、私もこの流れを絶やさないようにやっていきます。
 sbさんも、「音づくり」を始められたようですが、一人の生徒を相手に、生徒の口の動きの途中で、コツをポンと置いてやり、その音が変化するのを他の生 徒たちが聞くというプロセスをとばしてしまっているようでしたので、このプロセスはとばさない方がいいと先日「電話でレッスン」のときにアドバイスしまし た。

 またお暇ができましたら、この掲示板にもおいで下さい。




2818 想定される状況・あらかじめある状況(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 4日(土)00時36分00秒

 言葉の回りには状況があると言えばいいのか、言葉は状況とともにあると言えばいいのか。
 状況といったからといって、何も特別な事態や、政治的な事件やらをさしているわけではない。「腹が痛い」とか、「医者は遠いから車で連れていってやろ う」とか、「ケーキが潰れちゃった」とか、「潰れたケーキでもいいから俺にくれ」とか、「今朝顔を洗うのを忘れちゃった」とか、「ああいいお天気だなあ」 とか何でもいいが、これらの各種の言葉が発せられるところに、いつも何らかの具体的な状況があると言っているにすぎない。それが、現実の状況であろうと、 想像的な状況であろうと・・・。

 例えば、「腹が痛い」である。
 どこで、いつ、誰がなど、具体的な細部がわからないままに、とにかく一人の人が「腹が痛い」と言っているという事態は「想定」できる。
 私は、「腹が痛い」という言葉を、言葉と状況の関連を説明しようとする文の中に、文字として書いた。読者の中に何かの状況が想定されたとしたら、文字と して固定された「腹が痛い」が喚起したものである。実質は書き言葉が読者の意識にもたらした「想定」であるが、「腹が痛い」を取り囲むカッコの存在によっ て、書き言葉を話し言葉として「想定」する人が多いかもしれない。
 これは、具体的な人から面と向かって言われた言葉ではないし、読者が何か実際の状況の中にいるわけでもない。ここにあるのは、「想定」だけである。それ がどんなものであれ、それは「想定」にすぎない。状況そのものではなく、状況の「想定」なのである。
 だから、おそらくこの「腹が痛い」には何の切実さもない。
 腹が痛い現実の当人にとって、「腹が痛い」は切実な言葉であるだろうが、状況を想定させるきっかけとしての「腹が痛い」には切実さはともなわない。

 「腹が痛い」がもたらす「想定」に切実さがともなわない事情と似た事情が、あらゆる語学の言葉にある。
 本当に腹が痛い人が「腹が痛い」と言っているとき、それは生活言語である。切実な生活言語である。もしも、腹が痛くない場合に「腹が痛い」と言っている のであれば、それも生活言語であるかぎり、嘘として本物である。嘘という実質がある。
 語学で扱う「腹が痛い」は嘘でも本当でもない。語学の世界には嘘とか本当というものはない。いったん語学の世界に入ってしまえば、英語の音として通用す るかどうかとか、イメージ自体として真であるか偽であるかという問題はあっても、現実世界の嘘と本当というものは一切何も関与しない。嘘であるか本当であ るかが一切関与しないということをさして、語学は「からっぽ」なのだと言ってもいい。
 「腹が痛い」が語学の対象になったとたんに、切実さは完全に「からっぽ」になる。すべては想定されたもの、あるいは想像されたものにすぎなくなる。あら ゆる文が、語学の対象となったとたんに、「からっぽ」になるのだ。あらゆる文を「からっぽ」にするのが、語学なのだと言ってもいい。「からっぽ」という性 質こそが、語学における言葉の本質規定となる。
 (これの唯一の例外が、外国語による「読書」であろう。これは机上の世界におけるものであるし、生活過程そのものではないし、語学力を養うことがあるの で、語学に含めたくなる。厳密には読書は読書であり、語学は語学だが、読書と語学の境界はいつもあいまいである。読んで楽しみながら、言葉を覚えるという ことが成立するからである。)



2819 想定される状況・あらかじめある状況(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 4日(土)00時37分40秒

 語学の言語が状況を想像させるのは、そこに本当の状況が「ない」からである。「ない」から「想像」「想定」することが必要になるのだ。
 生活言語では、状況は想定するまでもない。状況は、想定するまでもなくすでにある。生活言語において必要なのは、状況自体の想定や想像ではなく、状況に 対する判断である。これは決定的な違いである。
 生活言語にだって「想像」や「想定」はあるぞと言う人がいるかもしれない。話の途中で、「だけど、お前、ちょっと考えてみろよ」と言われて、何かを思い 直した人がいたとする。それは、ちょっと考えてみろよと言われて、何かを想像したり、想定したりして、思い直すということをしたのだから、生活言語にも 「想像」や「想定」はある、と。
 しかし、この場合でも、現に話している場の状況自体は想像されたり想定されたりすることはない。それは、想定するまでもなく、想像するまでもなく、現に そこにある。現に自分が生きている場であるから、想定はできないのである。

 生活言語というものはそういうものだ。生活言語においては、ある一つのことは「想定」されることがないのだ。「想定」されないその「一つのこと」とは、 生きている場そのもののことである。

 語学がただちに「想定」するものを、生活言語は「想定」しない。

 そこを生きることと、そこを想定することはまるでうらはらなものである。これは両立しない。

 逆に言おう。語学には、「想像」や「想定」しかないのだ。とりわけ、最初からその文にまつわる状況そのものを「想像」したり「想定」する必要が生じるの が語学である。あくまでも仮の世界だから、「状況」でさえも「想定」する必要がある。
 ここから何が導かれるか。語学とは、「状況」さえも「想像」「想定」するような、何から何までも、「想像」「想定」だけでできた世界なのだということで ある。

 どしゃぶりに雨が降っているときに、部屋の中で英語を勉強している人が、It's a beautiful day, isn't it? という文を繰り返し言い続けているとする。その人の想像の中では、青空が広がっていたりする。現実はどしゃぶりだが、語学の机上には青空が広がる。まるで うらはらである。これが、生活言語と語学の言語の間にある「うらはら」な関係である。

 生活言語と語学の言語との間には、生きたものと死んだものとの間の距離に等しいほどの距離がある。距離として考えるなら、ひとまず無限大と言うしかな い。生と死の間の距離を無限大と言うならばそうなるだろう。
 一方が実であれば、もう一方は虚なのである。

 ここから、語学の言語の「からっぽ」という性質が導かれる。
 これが、語学の言語の本質規定なのだということに気づいている人はあまりいない。語学とは死を扱うことであるとか、虚を扱うことなのだということが本当 に認識できているならば、人は決して英会話学校などに通うことはないだろう。「生きた英語」などにだまされることはないだろう。しかし、現実を見るなら ば、だまされる人は後をたたない。語学の言語が「からっぽ」であるとは思っていないのである。語学が死を扱う技術なのだと思っていないからである。

 どんなに生き生きとしたイメージでも、それはからっぽである。一人の人間の意識という場所では、それがなまなましかったり、生彩を帯びていたりするだろ うが、それがどれほどなまなましかろうと、生彩を帯びていようと、それは一人の人間の意識という場所に閉じられている。単に閉じられているだけでなく、現 実の状況とは何の関係もないままに、なまなましさを増したり、生彩を帯びたりもする。現実の状況と「ひとまず」何の関係もない想定や想像がイメージをもた らすのであるから、語学で強く作り出されるイメージはすべてことごとく「からっぽ」である。ひとまずは、「からっぽ」である。



2825 無断引用(毎日新聞から) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 5日(日)01時24分49秒

 4月28日の毎日新聞の書評から引用します。
 河合隼雄「ナバホへの旅 たましいの風景」への書評で、森谷正規さんの文章です。

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 河合さんは、ナバホと対比させて、白人、日本人の問題を考える。個人主義を育てて、自立を指向してきた白人も、現代社会では不安や孤独にさいなまれて、 アルコール依存、薬物依存が増えている。
 一方、日本人は「個」に強くなく、したがってグローバリゼーションの波の中で、白人の中に取り入れられて、ナバホの人たちと同じように白人の文化の下層 の沈んでいくおそれがあるという。

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(以下根石)

 この本は現在、町の本屋さんに注文してあります。
 森谷さんが捉えた河合隼雄の思考に非常に興味がありました。
 私が亡霊どもと呼んできた英語フリークたちのことを思いました。
 「白人の文化の下層に沈んでいく」人々のことです。
 日本で利口そうな顔をしている英語フリークたちは、日本のもっとも淋しい姿を構成しています。あの人々があのままでいられるのであるなら、河合隼雄の危 惧は遅かれ早かれクリティックを通り越して、予言となるしかないでしょう。

 アフガンの現状に目を注ぐことは必要なことです。
 しかし、その根が、ヨーロッパを蹴立ててきた白人どもの「インディアン」に対する視線がはらんでいた傲慢とその犯罪にあると私は考えてきました。「イン ディアン」殺しと、現在のアメリカの自己標準化は同一の根から生えた別の茎です。

 私にとってのアメリカは、ヨーロッパを蹴立ててでてきたWASPどものアメリカではありません。WASPとユダヤの結託ではありません。
 私にとってのアメリカとは、アメリカ黒人の暗さと明るさに代表されるものです。
 白人どもの冷血によってアメリカにいることになっている人々の表情です。
 あるいは、決して自分がいる場所を蹴立てたわけではないのに、ただただ住む場所を奪われたためにアメリカを選んだ人を「受け入れたアメリカ」です。
 それ以外にアメリカに意味はないと考えています。
 リアルパワーを「からっぽ」として扱えないならば、語学にも意味はないと考えています。



2826 村田君へ 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 5日(日)01時30分23秒

なぜチョムスキーは、「インディアン」のことを言わないのかなとずっと思っています。



2834 斎藤さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 6日(月)02時13分49秒

あなたは英語の書き言葉によるディベートで獲得した感覚で、日本語のディベートをしているので
はないでしょうか。

あなたの言っていることは、感情を排して読めば、あなたに理があることが多いと思いました。
あなたは、英語のディベートで日本語を荒らされた人であると思います。
あなたの日本語はバタ臭いのです。
これを英語フリークが集う掲示板の人々が叩くという現象が、日本の英語フリークやそれと仲良し
をやっているバイリンガルの限界を示しているとも思います。

しかし、あなたの論点が一挙に変化することがあるのは、自省の必要な点だと思います。




2837 根石様 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 5月 6日(月)09時30分24秒

----------------------------------------
あなたは英語の書き言葉によるディベートで獲得した感覚で、日本語のディベートをしているのではないでしょうか。
----------------------------------------

そうかもしれませんが、良くわかりません。
私が、趣味で数学をやっていることも関係しているかもしれません。

>あなたは、英語のディベートで日本語を荒らされた人であると思います。
>あなたの日本語はバタ臭いのです。

プロの物書きの根石さんのおっしゃることなので、多分そうなのでしょう。
それで、私の日本語がバタ臭いと何が問題となるのでしょうか?
そして、その問題を解決するには、どうしたらよいとお考えでしょうか?



2838 斎藤さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 6日(月)14時15分16秒

>それで、私の日本語がバタ臭いと何が問題となるのでしょうか?
 そして、その問題を解決するには、どうしたらよいとお考えでしょうか?

 バタ臭いこと自体は、料理法で文章の持ち味に変えることはできると思います。それをどう料理するかということについては、一般論な料理法はないと思いま す。斎藤さんの文章の味というものは、斎藤さんに固有のものです。これは、長ネギやタマネギみたいにスーパーで売っている野菜の料理法ではなく、行者ニン ニクとか、ノビルをどう料理するかみたいなものなのかもしれません。

 野のものかもしれないと思います。その野の香りは、実は私は好きです。

 生なバタ臭さは、日本人の反発を買うと思います。外人のバタ臭さはそんなもんかで済ます人も、日本人のバタ臭さには反発します。英語の書き言葉でディ ベートをやってこれだけのバタ臭さを体臭にしたというのは、珍しい人です。しかし、人々ははるかにお上品にエーゴをやっていますので、反発になります。英 語回りの掲示板などといったところで、多くはすまし汁の好きな日本人の淡泊な性質は保たれています。そこが日本語で営まれる場所だからです。英語という言 語の中では当然のやりとりも、日本語でやると異様なものになるということだと思います。

 斎藤さんが、英語回りのフリークたちが、これまで伏せてタブー化しているものに触っていることは確かです。これがやたらな反発を買うだけだったらもった いないと思っています。

 私が気づいたことは、どんどん枝が繁茂する、あるいは話が跳ぶという性質でした。
 これが、ディベート育ちの性質ではないかと思ったわけでした。
 何が何でも勝とうというねらい方は、問題に枝をはやして別の論点を生じさせてでも、優勢を保とうとします。ディベートでは誰でもそうやるようになると思 いますが、辛抱強く一つのことを言い続ける、何度でも起点に戻り、何度でも同じところから出撃するということをやってみられたらどうかと思いました。これ やっているのを、古川さんの掲示板では少し見ることができました。
 さらに、その起点が何を根拠にして生じているのかを掘り当てられれば、「英語をやるのはいいこと、みんなでやろう」みたいな暗黙の了解で集うフリークを 撃ち貫く言葉の質が手に入るかもしれません。その時は、斎藤さんは強力な論者になると思います。

 私が好きな性質というのもはっきりあります。
 あなたの文章が、過激に率直なところです。
 タブーを恐れないところです。

 私は否定しているのではありません。文章の性質を言ったのです。率直だが、脇が甘いから、斎藤さんが正面から振りかぶっているところを、人は横から叩く のです。この構えだけでやっていくと、相当ダメージが大きいから損だなと思います。
 しかし、あなたの打たれ強さにはびっくりしています。横殴りにいくら叩かれても、正面から振りかぶる構えを崩さない。
 この構えに関しては、私なんぞが口を出すことではないかもしれないとも思いますが、この構えで論点のひとつひとつにいちいちつっかかっていくと疲れが大 きい。へなちょこな横槍はざっと流して、譲れない一点に立ち続け、その一点の動きを深めることかと思います。
 文章に関しての料理法は提示できなくても、論点の多発に関しては言えるかと思い、書きましたが、的外れであったらお聞き流し下さい。



2842 メモ 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 7日(火)02時50分17秒

録音、録画 − 複製物 生な言葉の死 
語学の対象物としての死物
語学の場 − 一人の机上 − 一人の意識
逆葬式 死物としての言葉をイメージの連続体へ

状況自体をもイメージとしてしまう語学
生な状況から切れた場 語学の場
言語の磁場の磁力が直接に届かない場所
すべては仮の意味、仮の状況、仮の想定
仮で架空で空っぽである語学の場において、唯一生のもの − イメージ

なぜことさらに、語学の対象物が死物であり、語学の場が空っぽであると隈取る必要があるのか?
死物と空っぽを認識しない語学が、磁場だけが作る言語スキルが絶対にあることを認識していない現状があること。
そのことによって、日本の英語という語学が死物化していること。
あるいは、英語の私物化による語学の死物化。

死にさらに激烈な死を与える。
その方法。
からっぽをさらにからっぽにし、生なイメージを独在させる − 繰り返し




2847 進学補講で音作り 投稿者:sb 投稿日: 5月 7日(火)23時26分44秒

進学補講に音作りを取り入れる試みが始まりました。
高校生が覚えておくべき構造文法事項を組み込んだ基本例文集はどこでもやられていることですが、そこに音作りの技法グラウンドの発想を取り入れてみまし た。
学習方法の提示といくつか実際に音作りを行うことで自分でどんどん出来るようにしていきたいと思っています。自主的参加の講座だからこそとりあえずはじめ ることができました。私の力量というか今の時点ではまだ普段の授業で5分の3以上もエリオットさんのように授業で音作りができません。でもフォニックスの ことを勉強し、リズムや連結などの教え方をじっくり学びいつかエリオットさんのような授業ができる日を夢見ています。
私の理想とする授業は根石さんの技法グラウンドにエリオットさんの音作りを融合させたある種の授業の理想の姿です。



2848 進学補講で音作りその2 投稿者:sb 投稿日: 5月 7日(火)23時34分25秒

もちろん生徒の志望大学や短大の過去問題を解くこともやりますが、これはプリントで英文の構造を図式化したダイアグラムを提示したプリントを配ることで十 分だと思っています。もちろんダイアグラムの説明はしますが。。。それからエリオットさんが作っておられたスラッシュ訳のプリントも作る予定です。これが あれば本当にあとはできるだけ音作りをやってあとは筆写をやればいいと思っています。そのやり方を提示してあとは個々人の英語を学ぶ緊急性と集中力と練習 力(実際は技法グラウンドや回転読み回転書きなど)さらに言えばその練習を記録しておくこと、進捗度を学習者自らが知りどれだけ学べばどれだけの成果が得 られたかまで記録しておくことだと思っています。私は今練習の真っ只中で私のやっていることを学習者に提示することで学習者自身が学んでくれたらこんなに うれしいことはありません。



2849 進学補講で音作りその3 投稿者:sb 投稿日: 5月 7日(火)23時39分39秒

今日はその初日でした。
受験英語がないことをしゃべりました。
実用英語がないこともしゃべりました。
それからもちろん英会話なんて言葉が本当はないことも説明しました。
生徒はきょとんとしていました。
でもたった12名はきちんと視線を向けてくれました。
選択の講座なので義務はないとも説明しました。
でも1名でも希望者がいればこの講座は開講されることも告げました。
来週12名がまたくると行って手を挙げました。
でも最終的に何人が残るか分かりません。
例年では2,3名残ればいいほうです。
1人でも音作りを一生涯取り入れてくれればとてもうれしいのですが。。。
来週が楽しみです。



2850 その一方で。。。 投稿者:sb 投稿日: 5月 7日(火)23時53分06秒

明日は1年の普通科でTT=teamteachingがあります。
コミュニケーションごっこが相変わらずあります。
こんなことを繰り返していてもちっとも実力はつかない。
でもオーラルコミュニケーションの授業はチームを組んでいてテストもあるし、進度も合わせなければならない。

ストレスがたまります。

でも私は今は「出る杭」にはなれません。
「出る杭」もエリオットさんくらいになれば「出すぎて高すぎて打てない杭」になり誰も杭を打てないようになります。そこまでいくにはあと5年くらいは最低 でもかかりそうです。しかも私自身が根石方式を忠実に守り、かつ自分自身の知識の枠組みを日本語と英語の両方において着実に増やしていけるかどうかです。 ネイティブに迎合するのはもちろん駄目です。でもネイティブがモデルになっていることも完全には否定は出来ないと思います。外国語学習は神経症です。辞書 を眺めているだけでも気が狂いそうになるというのが正直なところではないでしょうか。
分けて考えた方がいいと思います。
一人(モノ)でできる「質」の段階・・・音読と筆写(この段階は技の習得、型の習得、教材を広げない)
オブジェクトが必要な「量」の段階・・・新聞、英語を話す人との会話、映画など

この2つにはっきり線を引いたのがある意味根石さんのような気がします。
でも線引きをしにくいという面もあります。
でもそこにつけこんでいるのが英会話学校というのもわかります。
でも真実はその間にあるような気がするのです。。。




2851 礎づくり。 投稿者:Jackie 投稿日: 5月 8日(水)09時50分01秒

部活。 サッカー部 テニス部 バスケット部 ブラスバンド。 放課後 2時間は練習する。一週間で 12時間以上は練習するのではないだろうか。
 朝練が ある部もある。 みんな上手くなりたりから 練習をする。毎日 毎日練習して やっと上達する。
それにくらべ 英語上達に対しては なぜみんな 速効性をきたいするのだろうか。
公立中学で 週3,4時間 だ
英会話学校では 週2回 各一時間で 計 2時間。
一年かよって 「一年も英会話かよったのに 上手くならない」という。
計100時間だ。 部活に換算すると 入部2ヶ月というところか? 玉ひろいの段階。

ああ わからないかな。 わかんねえだろうな。わからないから 英会話学校 英会話教材がうれるのだろうな。




2852 SB さん 投稿者:Jackie 投稿日: 5月 8日(水)09時58分04秒

こんにちわ
中学校の先生なのですね。
コミュニケーションごっこ、、

このごろの中学の教え方は 昔とかなりかわったのでしょうか?
日常の レッスン運びを おしえてください。
音読筆写SBさんと 他の先生とは またちがうのでしょうね。
中学週3時間。 クラスは40人。そして あの教科書。 うーん。大変そうだ。
(SBさんの学校の教科書はサンシャインですか?)

研修会情報、 教え方の教本をみると 教授法が花盛り。
教授法ばかりで なんだかなあ

はじめから 英語で導入して 授業中英語しかしゃべらない先生 も HPを検索するといらっしゃいますが 週何時間も英語づけなら ともかく 少ない時間 なのに 英語で教えるのは効率が悪いと思う。
現状はどうなのですか?



2854 技法グラウンド 投稿者:sb 投稿日: 5月 8日(水)17時12分12秒

オーラルコミュニケーションの授業はとくにいろんな面で問題を抱えていると思います。
普段の授業でもそうです。
変えたい気持ちはあります。
持ち続けています。
進学補講では始めた部分もあります。
実績を100%含めてしまうほどのエネルギーと理念が必要です。
出る杭でも打たれないくらい出てしまえばいくらでも理想のことができると思います。
今は根石さんのレッスンでただひたすら自分を鍛えるのみです。
その際に役立つのは回転読みと回転書き、それに技法グラウンドという発想です。
TOEICの学習方法として学習ダイアリーなるものが出版されていますが、基本的にはあのやり方です。それに5回ないしは7回連続して音読する練習方法で ある「技法グラウンド」の方法が非常に役に立つのです。
それをやったものにしかわからないイメージと音(声)の一致という体感があります。




2860 これ面白いですよ。 投稿者:こうじ 投稿日: 5月 9日(木)02時16分01秒

久々にやってきました。面白いプロキシを見つけましたよ。
このプロキシを通してホームページを見るとテキストを全部英語に変換して表示してくれます。
http://203.115.234.98:8890/-_-

たとえば、この掲示板の書き込みを英語に変換して見たい場合は、
ブラウザのURL入力の欄に、
http://203.115.234.98:8890/-_-http://8246.teacup.com/nessy/bbs
と入れてみてください。
皆さんの書き込みが英語に翻訳されて表示されます。
いろいろな使い道が考えられますね。
ではまた。^-^



2862 ノーム・チョムスキーの文 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 9日(木)04時10分53秒

私は広島に原爆が落とされた日のことを今も覚えている。あの日、私は文字通り誰とも話がで
きなかった。誰もいなかったのだ。私は夏休みのキャンプに行っていた。ニュースを訊いて、
私は林の中へひとりで入っていき、二、三時間たったひとりで過ごした。広島の原爆投下につ
いて誰とも話ができなかった。他人の反応がまったく理解できなかった。私は自分が孤立して
いることを感じた。



2863 チョムスキー・9.11、「アメリカに報復する資格はない」の訳者の後書き 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 9日(木)04時26分02秒

その後、戦後民主主義のなかで、原爆投下は戦争の終結を早めるため必要だった、と説明された。
わたしは素直に受け入れた。しかし、最近になって「黙殺」(仲晃、NHKブックス、2000
年刊)といった本によってあの原爆投下が、戦争の終結にまったく関係のない単なる殺戮であっ
たことを知って愕然とした。あれは、戦争行為に名を借りたテロではなかったか、という疑惑が
湧いてきた。そして、アメリカの民主主義というものが、必ずしもわたしが信じ込まされてきた
ものとは違うのではないか、と思い始めた。



2864 what Kouji recommends 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 9日(木)04時27分50秒

相変わらず、翻訳ソフトは馬鹿ですね。
技術系以外には通用しない。
思想のニュアンスなんぞ、まるで出来ていない。




2865 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月 9日(木)04時31分12秒

思想のニュアンス



思想の肌合い



2868 回転読み、時間配分の質問 投稿者:nishiazabu 投稿日: 5月 9日(木)18時56分14秒

私は「ゴースト」のレッスンを始めて、まだ20Pそこそこです。
ただここのところ、最初から最後まで回転読みをすると、
一回1時間以上かかりはじめました。
仕事等の関係上、一日これ以上の時間を費やすのが厳しいのが現実です。
この先のことを考えると多少不安があります。
レッスンを受けられいる皆様の時間配分あるいは、方法等
お聞かせ願えれば幸いです。




2872 おひさです。 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月 9日(木)22時59分37秒

根石さん
お久しぶりです。


>生きてましたか。
>よかった。
>って、のは、どう翻訳されるのか、試してくれませんか。
>試してからここへ載せてみてくださいますか。


Living, * be - - - - - .
It was good.
Don't I have the kindness how to try - - - as it is translated?
After trying, does it have the kindness to try to be put here?

という翻訳になりましたよ。
「って、のは、どう翻訳されるのか、試してくれませんか?」が
 'Don't I have the kindness how to try ..'
となっているあたり、根石さんの性格がよくでているような意訳になっていると思いますが。
何はともあれ、お元気そうなのでほっとしました。

パクパクさん、こんにちは。
Hawai'iさんのURLさっそく行ってみます。

皆さんへ、
私は最近YAHOO USAのチャットでヒアリングの練習をしています。
YAHOO USAからYAHOO MESSENGERを無料でダウンロードできますので、後は、MESSENGERを立ち上げるだけで世界中の人たちとチャットでお話ができます。パソコン にマイクやウエッブカムを接続すれば相手の顔をみながらマイクでお話もできます。
カテゴリーがいろいろあるのですが、英語のヒアリングに役立つのは、
Regional > UnitedStates > Sanfrancisco Bay Area 1
Regional > Australia > Australia 4
です。
Australia 4 には なぜか(日本の深夜の時間帯に)カナダ人達がとても楽しい雰囲気で会話を楽しんでいます。
だまされたと思って一度試してみてください。マイクやウエッブカムがなくてもPCから音がでる環境であれば自分以外の人の声を聞いたり、ウエッブカムは見 ることが出来ますので。

なお、日本のYAHOO MESSENGERでは上記のカテゴリーがありません。
また、音声チャットはMAC, Windowsのみ対応で、LINUXでは使用できません。

それではまた。




2873 P.S. 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月 9日(木)23時17分39秒

>what Kouji recommends 投稿者:根石吉久

あまり慎重にとらないでください。
こんな面白いものもあるよ、というニュアンスですので。
^-^



2874 補足 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月 9日(木)23時29分27秒

補足―
YAHOO USA CHATの
Regional > UnitedStates > Sanfrancisco Bay Area 1
は(日本時間の)深夜よりも夕方の5時から7時にかけて、ベイエリア付近にいる人達がよく会話しています。



2875 Yahoo chat 投稿者:もっこり 投稿日: 5月10日(金)02時04分13秒

こうじさん、おひさしぶりです。

yahoo.comのチャットは混沌としてて、面白いですね。
私がときどき覗くのは、Asia Global Chatです。
強烈な訛りの英語とアメリカへの呪詛が、満ちあふれています。


2876 英会話学習に「本当に必要なこと」 投稿者:浜谷 投稿日: 5月10日(金)18時17分18秒

Jackie様、はじめまして、

>英会話学校では 週2回 各一時間で 計 2時間。一年かよって 「一年も英会話かよったのに 上手くならない」という。計100時間だ。 部活に換算 すると 入部2ヶ月というところか? 玉ひろいの段階。
ああ わからないかな。 わかんねえだろうな。わからないから 英会話学校 英会話教材がうれるのだろうな。

現在のわが国の英語教育の貧困さを改めて喚起させるご意見だと思いました。「英会話」教育なるものが大手を振ってまかり通っている現状は改める必要がある と思います。この根本にあるのは「学校(受験)」英語の弊害です。少数の心ある先生達が教えるものを除いて、「学校(受験)」英語は使い物になりません。 むしろやればやるほど喋れなくなるような英語です。文法至上の英語をやっている限り、やればやるほど喋り難くなるのは当たり前です。結局ラジオ英会話や英 会話学校などでの「補習」が必要になる訳ですが、これらの機関が本当に喋れるようになる工夫をしているとは思えません。私は近所で英会話サークルを主宰し ていますが、小規模ですがその工夫に四苦八苦しています。 何故か? 理由は「金」です。「金」のためには英会話能力向上のために「本当に必要なこと」を 言わない、或いは言えないということがあります。つまり、それを言うと学習者にアッピールしない、ということです。学習者にアッピールしなければ、人を集 めることが出来ません。英会話学校もラジオ英会話プログラムも英会話サークルも成り立ちにくくなるのは明白です。「本当に必要なこと」とは、大量の英語構 文・語彙の多読、多聴によるインプットです。勿論その前に英語音の徹底的な修得が必要なことは言うまでもありません。 日常会話に必要な英語とは、英会話 学校やラジオの英会話学習プログラムで教える定型的な構文のインプットだけでは使い物にならないのは明白です。そんなものをいくら覚えてもそれらを意識的 に使うことが無理なのは、明白なのですが、大抵の学習者はそれに気が付きません。途中で挫折するのは自明の理です。 前述の各機関の指導者達はどうかとい うと、「金」のために口をつぐんで「本当に必要なこと」を言おうとしません。(私の主宰する英会話サークルでは言いますが、参加者の反応は今ひとつです)  最近やっとインターネット上で「本当に必要なこと」を言っているサイトが噴出してきました。 しかし、そのようなサイトはまだ「本当に必要なこと」を 言っているとは多くの学習者に認知されていません。指導者間でも、同じようなことを言っているのに、往々にして枝葉末節で意見の不一致が見られ、「本当に 必要なこと」を学習者に明確に提示できていないのが現状のように思われます。私が「英会話学習法フォーラム」と名付けてHPを開いたのは英会話学習に関し て活発に意見を述べ合い明確な学習法の確立を目指したいと考えたからです。


http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



2877 思い当たること。。。 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月10日(金)19時17分25秒

もっこりさん> 
お久しぶりです。お元気そうで。^-^

浜谷さん>
>「むしろやればやるほど喋れなくなるような英語です。」
なるほどと思い当たる経験があります。

自分が中学生の頃、英語の選択問題で、[look]の正しい使い方を選ばせるもので、「私の方をみて」の意味として、
(1) look at me.
(2) look to me.
というのがありました。
ここで、(1)が正解で(2)は誤り、なんていう回答をする教科書や先生がいます。
正しくは、英語を母国語とする人たちにはどちらも正解です。
look at me は 私の顔や体の方をむいてくれ(見てくれ)、 look to me は 私の方を向いてくれ(私の気持ちが分かるように私の顔をみてくれ)というようなニュアンスです。
英語を母国語とする人たちには「正しい」文法で英語をしゃべる人は「ロボットのような人(良い意味でも悪い意味でも)」のように映ります。(私の奥さんい わく。) 英語を母国語とする人たちにとって正しい文法と言うのは、「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」ということです。だからスペルが間違っていて も、グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝わってさえいればネィティブ は皆さんの英語を理解します。こんな感じの解釈でいいですか?




2878 思い当たること・・・ 投稿者:浜谷 投稿日: 5月10日(金)22時36分38秒

>・・・英語を母国語とする人たちにとって正しい文法と言うのは、「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」ということです。だからスペルが間違っていて も、グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝わってさえいればネィティブ は皆さんの英語を理解します。こんな感じの解釈でいいですか?

こうじさん、レスありがとうございます。申し遅れました、お帰りなさい! また以前のように「こうじブシ(?)」をお聴きできること楽しみにしています。 仰るとおりだと思います。我々も日本語を話す時、文法に合ってるかなど考えずに話していると思います。 発音については根石さんの10のポイントなどのよ うな基本を抑えておけば、後は少々違っていてもいいということだと思います。ネイティブの奥さんのお話は大変参考になります。 



http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



2883 Jackie さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月13日(月)04時16分24秒

 浜谷さんが引用なさった Jackie さんの文は、まことに日本人の異質シンタックスへの
なめた態度を示していると思います。
 英会話学校なんどに通うやつらは、本当は、英語という異質シンタックスをなめてかか
っているのだと思います。



2885 メモ 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月13日(月)04時52分07秒

 日本語の磁場において英語をやることは、しょせん英語そのものの獲得ではない。
 正確に言うなら、英語の磁場に置かれたり、英語の磁場に触れたときに、それを受け、それに応じることのできるボディを作るだけのことではないか。
 このボディの存在を英語の磁場で英語を使う人たちは意識しない。
 同じく、日本語の磁場で日本語を使う人たちは、日本語を感じ応じるボディそのものが自己の元であることを意識しない。

 当該の磁場においては意識されず、語学においては意識的に作られる当のものを、感応体と名付けよう。

 語学が作りうるものは、せいぜいが感応体である。
 英語力そのものは、英語という言語の磁力を発するはずであるが、日本にいて語学として英語をやるだけでは、磁力を発するものが作れたとしても、その磁力 はきわめて微弱なものでしかない。できているもののほとんどを占めるのは感応体だ。
 
 生活言語に「渡る」行為自体をも語学に含めるべきではないか。
 また、渡って以後の生活言語は、語学から峻別されるべきではないか。

 生活言語の中にいて、言葉を習って身につけることはある。
 しかし、これは厳密には語学とは言えない。
 意識を直に磁場がとりかこみ、意識が直接に磁場に接しているところでは、語学が行われているのではない。そこにあるのは、生活言語による生活言語の豊富 化だけだ。
 しかし、子供ででもないかぎり、生活言語による生活言語の豊富化を可能にするものは、人工的に作られた感応体以外にはない。

 感応体は語学においては人工的に作られる。
 「音づくり」の外科手術的性質 つまり、人工的性質。
 知識的理解。知識が知識にとどまるレベルの理解。

 知識的理解は不要ではない。これを軽視する人が、昔、知識的理解をさんざやったことがあるというケースはよく見られる。そして、文法は重要でないなどと 言うことは、自分のたどった道を隠す犯罪である。これは初心者に対する上級者の犯罪なのだ。
 文法的理解、知識的理解は、理解がセンスに化する途中では媒介物として必要なのだ。
 媒介物にすぎないものを目標物にしてしまう、学校英語がとことん間違っているだけのことである。用・不要を言うなら、知識的理解・文法的理解は必要なの である。

 知識的理解をしたから英語が使えるようにならないのではない。英語の磁場を欠いた日本では知識的理解が必要であるのは当然である。
 知識的理解自体が悪いのではない、それが知識的理解のレベルのとどまって止まってしまうことが駄目なだけだ。

 知識的理解がたどるべきプロセス
 知識的理解 → 自明化(慣れ) → 感覚化・瞬間化




2886 文法至上主義 投稿者:浜谷 投稿日: 5月13日(月)21時39分16秒

私>・・・この根本にあるのは「学校(受験)」英語の弊害です。少数の心ある先生達が教えるものを除いて、「学校(受験)」英語は使い物になりません。む しろやればやるほど喋れなくなるような英語です。文法至上の英語をやっている限り、やればやるほど喋り難くなるのは当たり前です。

こうじさん>・・・英語を母国語とする人たちにとって正しい文法と言うのは、「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」ということです。だからスペルが間 違っていても、グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝わってさえいれば ネィティブは皆さんの英語を理解します。こんな感じの解釈でいいですか? 

根石先生>知識的理解は不要ではない。これを軽視する人が、昔、知識的理解をさんざやったことがあるというケースはよく見られる。そして、文法は重要でな いなどと言うことは、自分のたどった道を隠す犯罪である。これは初心者に対する上級者の犯罪なのだ。
 文法的理解、知識的理解は、理解がセンスに化する途中では媒介物として必要なのだ。
 媒介物にすぎないものを目標物にしてしまう、学校英語がとことん間違っているだけのことである。用・不要を言うなら、知識的理解・文法的理解は必要なの である。
 知識的理解をしたから英語が使えるようにならないのではない。英語の磁場を欠いた日本では知識的理解が必要であるのは当然である。
 知識的理解自体が悪いのではない、それが知識的理解のレベルのとどまって止まってしまうことが駄目なだけだ。

私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らかにこれに陥っていると思っています。先生も上記の記述で同じことを仰っている と解釈致しました。

ところでこうじさんの記述は私の上記の記述に対するコメントだと思いますが、この記述だけみたら文法軽視と思われても仕方がないと思いますが、私の上記記 述を敷衍して解釈して下さったのだと思います。すなわち、<私の記述=こうじさんの記述> ではなく<私の記述+こうじさんの記述> だと思いました。そ の意味でこうじさんの記述に賛成しました。 

すなわち、こうじさんの記述中「グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝 わってさえいればネィティブは皆さんの英語を理解します。」というのは私が言う「文法至上主義」にならないように注意を喚起する文章だと私は解釈しまし た。これは初心者に文法を軽視してよいととられる怖れがあるよ、ということでしたら素直に反省します。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



2891 やはり技法グラウンドをやりたかった生徒もいた! 投稿者:sb 投稿日: 5月14日(火)22時28分30秒

典型的な受験の基本例文の文法解析と音読・暗唱を進学補講で取り入れています。

12名中10名集まりました。

うち一人だけですが、何度も何度も音読練習を授業意外でやっていたようです。

たった一人でしたが、うれしかったです。


2892 酔って書くとろくなことはないにもかかわらず 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月14日(火)23時30分37秒

Jackie さん

 以下の文は、酔っぱらって書いたので、読みようによっては実に不遜な文章になることに、先ほど気がつきました。そのように気がついた私がすでに酔っぱら いであることはどうしたらよいのか、ついについにわかりません。

>浜谷さんが引用なさった Jackie さんの文は、まことに日本人の異質
 シンタックスへのなめた態度を示していると思います。

 Jackie さんの文が、「なめた態度を示している」という文脈ですと、こりゃ、私が言いたかったこととはまるで違ってしまうのが実にまずい。私が言いたかったのは、 Jackie さんの文が、「日本人の異質シンタックスへのなめた態度」を掘り起こしている、ということです。Jackie さんは、アメリカ帰りの方に珍しく、日本語の綾も理解される方だと承知しておりますが、私の書いたアルコール度の高い文の、論理が論理ですから、万が一の 誤解を恐れてこれを書いております、ところが、今日も酔っぱらいで、Jackie さんに失礼になるのかならないのか、とにもかくにも酔っぱらいであります。
 お見捨てなきよう。




2893 カレー食い損ねた 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月14日(火)23時47分19秒

sbさん、先日、妻がカレーを作ったのを覚えていたので、カレーを食ってやろうと、皿にご飯
を盛って、鍋の蓋をあけたら、カレーが底に少量こびりついていただけだった。

淋しかった。

sb食品の社長さんが、公立高校の英語の先生だというのは不思議ですが、まあ、いいんじゃな
いでしょうか。
SB食品だと、まじな話ですが、sb食品ですから。いいことにSue Bear.

----------------------------------------------------

 その一人の生徒、大事にして下さい。
 その子を指名して、「発音10のポイント」の「簡潔な言い回し」で発音がその場で変わるこ
とを他の生徒の耳にわかるようにしたら、他の生徒もついてきてくれるかもしれません。




2894 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月14日(火)23時51分50秒

Jackie さんへの文の訂正

掘り起こしている



掘り起こして、示している

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis



2895 斎藤さん・横ッ飛び 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月15日(水)00時03分23秒

----(根石)---------------------------
> 知識的理解は不要ではない。これを軽視する人が、昔、知識的
理解をさんざやったことがあるというケースはよく見られる。そ
して、文法は重要でないなどと言うことは、自分のたどった道を
隠す犯罪である。これは初心者に対する上級者の犯罪なのだ。文
法的理解、知識的理解は、理解がセンスに化する途中では媒介物
として必要なのだ。
 媒介物にすぎないものを目標物にしてしまう、学校英語がとこ
とん間違っているだけのことである。用・不要を言うなら、知識
的理解・文法的理解は必要なのである。

-----(斎藤)--------------------------
>文法は必要としても、毎日1時間、3ヶ月もやれば(どんな言語でも)十分な気がします。

 私は、文法を軽く扱うことで上級者ぶるやつらに蹴りを入れました。
 これは浜谷さんやこうじさんに対するものではなく、こういう上級づらが昔から気に入らなかったという事情があってのことです。もちろん、語学を原理的に 考えてのことです。あいつら、現象面だけに関してものを言って、語学を語り得たつもりなのだ、ケッ、という心意気は昔から私にあります。
 さてさて、ポイントはそこにはない。
 私が蹴りを入れた文法軽視について、斎藤さんは、「毎日1時間、三ヶ月」という時間の長さを言われました。
 これが横ッ跳びです。
 いけなくはありませんが、横っ跳びは横っ跳びです。



2896 蒸散 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月15日(水)00時11分22秒

蒸散と俺が書いたのに、散蒸とヒネルあたりがあんたは偉い。

何だ、散蒸って?
惨状じゃないよね?
三畳に住むこともないだろう、あんたは。

わりい、わりい。
俺の提示するデータは、まるで意図は欠いた上で、大間違いが多々頻繁によくある話だから、そ
んなに神経質に気にすることはないないない。

気にして欲しいのは、あんたの英語や英語圏やアメリカに対する卑屈な態度を見ていると、俺は
英語なんぞやめてやるかと思うことがあるということだよ。




2898 斎藤さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月15日(水)00時53分36秒

>私が自分の議論を数学の論理と同じようにしているとは、言った覚えがありません。
根石さんは、私に対して偏見を持っているような気がします。
私がアメリカ人と討論をしていると書けば、それが原因でバタ臭いといわれたり、
数学をやっていると聞けば、議論も数学と同様にしているのだろうというように。
そういう、はっきりしない原因論は不毛な気がします。
確かに関連はあるかもしれませんが、はっきりしたことは、分からないはずです。
具体的に指摘してください。
では、私が理詰めでないとして、バタ臭いとは具体的にはどういうことでしょうか?
自分の議論の根拠を自分で掘り下げる方向へ向かう文章が見あたらないとは、例えば?
それはそうと、何故こんな話になったんでしょうね?(笑)
----------------------------------------------------

 斎藤さんは、「自分の議論を数学の論理と同じようにしている」と言ったことは、この文以前にはないと思います。私もそんなことを言ったことはないと思い ます。私は、「同じようにしている」という言葉の「している」がわからない。論理は「する」ことができるようなしろものなのか。
 それとも、「している」というのは、「扱っている」ということでしょうか。

 私が斎藤さんに対して偏見を持っているかどうかですが、偏見を持っているかもしれないし、偏見を持っていないかもしれない。それは、私が決められること ではないし、斎藤さんが決められることでもありません。人々が決めることです。ここは書き言葉の場ですから、人々の判断はなかなか声にならないだけで、読 んでくださる方が何らかの判断を持つことは信じていいと思っています。それがどんな判断であるかは、本当に本当にわからないのです。私は人々が判断すると いう一事を静かに信じているだけです。
 斎藤さんのように大きな声ではない声もあります。声、というものに関してなら、私は、声にならない声を信じています。くどく申し上げますが、私はアメリ カ派ではありません。

 リアルなパワー。圧倒的なパワー。それが何だというのか。
 アメリカが血にまみれた罪深い国であることは自明のことです。
 そして、勝ち続けてきた国であることも自明のことです。
 それが何だというのか。

>原因論より現象論で行きましょう。

 いやです。
 現象論で行くかぎり、アメリカは自由の国です。
 それはヨーロッパという旧世界を蹴立た自由です。
 しかし、インディアンを虐殺し続けた「自由」が別にあり、この根はヨーロッパにあります。
 根とは、アジア、アフリカに対する「未開人」というものの見方そのものです。
 あいつらヨーロッパのやつらにとって、「未開人」は未開であるゆえに、殺していいものなのです。したがって、私は、この21世紀の日本にあって、プラス チックやダイオキシンの散蒸する惨状のただ中で、三畳間の思考として、ヨーロッパ的思考こそが野蛮で未開であると強くほざきたいと思います。フランスの デュポン・カンパニーが化学物質を作ったまではいいとして、それが政治の中に動く金の動きによって、つまり袖の下を通る金によって、野放しにされた。それ が、現代の野蛮の起点です。この野蛮がもっとも強力な場所がアメリカと日本です。

 なんで、こんな話になったのでしたっけ、というのは、私の頭がアルコールに支配されているためでしたっけ、という原因論です。
 現象論は現象するもののすべてにつきあうわけですか?
 つきあいきれたものではない。それは論にはならない。ただただ感覚がそれに応じることができるだけです。ひたすら分裂するしかやることはない。それでい いのなら、なぜ斎藤さんは文章なんか書くのでしょうか。
 現象論は、現象の背後に働くものを意識するのでしょうか。それを意識した途端に、それは現象論ではなく、原因論になりませんか。

 目に付く文を対象として、割と具体的に指摘したと思います。



2899 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月15日(水)01時02分36秒

文法至上主義の件、わかりました。
しかし、誰もそれを文法至上主義だと思っていないのです。
そのただ中にいる人たちが、そうは思っていない。
普通の英語をやっているつもりなのです。

浜谷さんが、英会話主義のただ中にいるのに、自分を英会話主義だと自覚しないのと同じです。



2902 「電話でレッスン」への問い合わせへのご返事(つづき)  投稿者:根石吉久 投稿日: 5月15日(水)03時10分13秒

S> 申し込み対象は”電話でレッスン”英語シンタックス獲得です。

 「英語シンタックス獲得」ということで言うなら、シナリオを使ったレッスンでも
同じことができます。こちらは、詳しい文法解説がないだけで、レッスンの実質部分
は同じものになります。また、映画という(語学に遠慮していない)疑似磁場教材が
ありますので、リスニングに結びつけることを考えておられるなら、こちらの方がお
すすめです。
 料金も、私の自作教材でない分だけ、月額で2千円安くなります。(月額1万円で
す)

 シナリオを使ったレッスンは、初めからリスニングを射程に入れてあります。
 「シンタックス獲得」の方は、ひとまずリスニングは棚にあげておき、自分の言い
たいことを曲がりなりにでいいから、口に出せるようにすることを当面の課題として
います。

 ここで、おたずねしたいことは、中学・高校の文法はどの程度終えたと自覚してお
られるかです。基礎的な文法はわかっているのでしたら、シナリオを使ったレッスン
をご検討下さい。

 最近も、「英語シンタックス獲得」を申し込まれた方がありましたが、お電話でお
話をお聞きし、「映画でリスニング」の方を受講されている方がおられます。
 私の自作教材を使うか、市販のシナリオを使うかで、レッスンの方法が変わるわけ
ではありません。これは、生徒さんの文法理解のレベルによってどちらを使うべきか
が決まるだけです。

 中学英語が身についていない方はおられます。
 「英語シンタックス獲得」のための教材は、こういう方々のために作ったものです。
 非常に基礎的なことの解説が多くなります。

 Sさんが、「シンタックス獲得」が適するのか、「映画でリスニング」が適する
のか、判断がつきかねています。多分、シナリオを使う「映画でリスニング」の方が
向いているのではないかと推測しています。
 これまでに申し込まれた生徒さんは、実際の英語歴をお聞きすると、ほとんどの方
が「映画でリスニング」をお勧めすべき方々でした。

 一度、お電話でお話をお聞きしたいと思います。さしつかえなければ、こちらから
お電話さしあげますので、お電話していい時間など、ご都合をお知らせください。

 あるいは、こちらにお電話をいただくのでも結構です。
 
 026−272−4330

 正午から午後5時頃まででしたら、どの曜日でも結構です。
 月曜日と木曜日は、終日結構です。

 上記の番号で留守でしたら、畑に出ているか庭仕事をしていますので、

 090−3316−4180

 へお願い致します。

 最後に、メールのお返事が遅れましたこと、重ねてお詫び申し上げます。
 ご連絡をお待ちしております。




2905 英会話(使える英語)至上主義 投稿者:浜谷 投稿日: 5月15日(水)19時13分38秒

>浜谷さんが、英会話主義のただ中にいるのに、自分を英会話主義だと自覚しないのと同じです。

「英会話主義」というお言葉の理解に苦しんでおります。おそらく先生は私の「私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らか にこれに陥っていると思っています。・・・」を対極において従来から私が主張している「英会話(使える英語)至上主義」を指して仰っておられると思いま す。「使える英語」を教えることを現在の学校(受験)英語は放棄していると思います。だから、学校を卒業した人達が英会話学校やテープを売らんかなの「聴 くだけで英会話が上達する」という巨大新聞広告に懲りずにはまり湯水のように金をつぎ込んでいるのだと思います。

この意味で私は、私の「英会話(使える英語)至上主義」をはっきり自覚しておりますし、将来とも HPや諸掲示板等で訴えていきたいと考えています。私は「語学」は喋れるようにならなければ、意味がないとさえ思っています。現在私はフランス語とスペイ ン語を英語の時と同様、多読中心の学習法で学習し、フランス語はかなり、スペイン語も少々喋れるようになっていますが、その経験を少しでも皆さんに参考に してほしいと考えてHPを開いております。

翻って先生のHPなり、ご著書「英語どんでんがえしのやっつけ方」、洋画の電話レッスン等は語学の真髄をとらえていると思いますし、おおいに参考にさせて いただいています。先生の「語学」そのものの捉え方は全く正当なものだと思っています。私の捉え方はどちらかというと「泥縄式」で英語が喋れなくて悩んで いる方達を念頭においた「語学」です。 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/



2906 訂正 投稿者:浜谷 投稿日: 5月15日(水)19時25分17秒

>「私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らかにこれに陥っていると思っています。・・・」を対極において・・・

      ↓

「私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らかにこれに陥っていると思っています。・・・」との前回の書き込みの文章を対 極において・・・

と訂正いたします。お見苦しい書き込深謝申し上げます。



2909 根石さん 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 5月15日(水)21時23分45秒

>私は、文法を軽く扱うことで上級者ぶるやつらに蹴りを入れました。

文法不要論を述べている人とは、具体的には誰でしょうか?




2910 補足 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月15日(水)21時58分35秒

「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」は「正しいグラマーの文法とは違う」ということを解りやすく説明します。「正しいグラマーと正しい発音」であなた が何かを話した時、ネィティブはあなたの言葉を理解できるでしょうか?不思議に思われるかもしれませんが、あなたのグラマーに間違いはありません。あなた の発音やイントネーションも完璧です。でも時々ネィティブは「何をいいたいのかわからない」と質問を返してくることがあるのです。ここで「え?自分の英語 は何かおかしい?」と聞き返すと、「英語はおかしくないよ。何を喋っているか解らないだけだよ。」という答えが返ってきます。(自分の過去の経験から。) これって解ります?



2911 補足の回答 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月15日(水)22時29分14秒

足りないものは「何を伝えたいのか」という気持ちです。日本語の漢字には意味があります。日本語は言葉を聞いただけで、おおよその漢字が頭に思い浮かび、 一つ一つの単語の意味が理解できます。英語は違います。漢字がありません。言葉を並べただけでは何を言っているのか解らないのです。英語の「漢字」にあた るものは「気持ち」です。「漢字」を使って日本語を表現したら皆さんは相手が何を言いたいのか良くわかるでしょう。でも私が今話していることをすべてカタ カナで表現したならそれはとても解りにくくなると思います。英語は「漢字」ではなく「気持ち」で表現します。だから「何を言いたいか」という「気持ち」を うまく使えなければそれは「カタカナ表現の日本語」と同じです。「漢字が日本語を引っ張る」という言い方なら「気持ちが英語を引っ張る」という言い方もで きます。「気持ちの伝え方」の上手な人は文法や発音がめちゃくちゃでもちゃんとネィティブは理解します。




2912 こうじ様 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 5月15日(水)22時33分52秒

----------------------
ここで「え?自分の英語は何かおかしい?」と聞き返すと、「英語はおかしくないよ。何を喋っているか解らないだけだよ。」という答えが返ってきます。(自 分の過去の経験から。)これって解ります?
----------------------

原因としては、いろいろ考えられます。
一番可能性のあるのは、文化の相違だと思います。
言語と文化は密接に関連しているので、文化を理解しないと、意思疎通に支障をきたすと思います。



2913 非常に解りやすい補足 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月15日(水)22時53分27秒

私の職業は俳優です。(今回初めて明かします。^-^")
演技を職業にしている私達は、言葉にとても敏感です。
感情と言葉を正しく使えなければ明日の仕事がないのです。
演技初心者のクラスでは先生達がよくこのような表現で生徒に説明します。
「あなたの言葉の発音やイントネーションはそれであっています。でも気持ちが入っていないので私はあなたが何を言っているのかまるでわかりません。もう一 度やってください。」



2914 文化。正解です。 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月15日(水)23時34分15秒

斎藤様。そう、「文化」の違いも大きな理由ですね。
ディベートみたいな表現になってしまいますが、「英語圏文化教育」を日本の英語教育の中にとりいれることで日本人の英語能力は向上すると思います。でも反 対意見も多いでしょうね。このように言うと「アメリカ帝国主義云々、、」という人たちが必ずでてくるのは目に見えています。でも私は現在の英語教育はその ままでもいいと思います。今の若い人達は昔の人達と違って「日本の英語は通じない」ことをよく知っていて、自分が将来、英語の実力が必要になると思えば、 どんどん外国に出て行ってよく勉強していますよ。英語留学で挫折して帰ってくる人たちも多いですが、自分の目標を持って最後まで頑張っている人たちもいま す。最近のオリンピックをみても日本人だってたくさん金メダルをもらっているじゃないですか。それでいいと思います。映画「猿の惑星」の猿の顔のメー キャップを担当したのは日本人です。「タイタニック」の海や波のシーンはすべてがCGで出来ています。この海や波のCGを作ったのも日本人です。 「U.S.A.ゴジラ」のゴジラの爪のCGも日本人が製作しました。ペルーの警察特殊部隊で一番の射撃手は日系人です。日本のアニメーションは世界でとて も有名です。コンピュータゲームだってそうです。大都市の病院にある救急医療の現場にだって日本人医師が活躍しています。こういう現場で仕事をしている人 達はみなネィティブのように英語を喋ります。日本人って本当はとても優秀だから、ちょっとしたきっかけさえ作ってやれば英語だってどんどん話せるようにな るんだと思います。



2915 Re: 補足の回答 投稿者:もっこり 投稿日: 5月15日(水)23時50分37秒

>日本語は言葉を聞いただけで、おおよその漢字が頭に思い浮かび、
>一つ一つの単語の意味が理解できます。英語は違います。漢字がありません。
>言葉を並べただけでは何を言っているのか解らないのです。

ことさら日本語と英語とを対比させる意味が理解できません。

「今の映画、おもしろかったね」と日本語で声に出したとき、
相手には「意味」と「気持ち」の両方が伝わると考えられます。
そのさい、話者と聞き手が漢字を知っていて頭に思い浮かべることで
「意味」は伝わりやすくなると思いますが、「気持ち」は別問題でしょう。

その証拠に、漢字を知らない幼児を相手に、
「いまのえいが、おもしろかったね」
と気持ちを込めて、(こうじさん流に言えば、「気持ちを使って」)
同様の会話をしたら、言いたいことはよく伝わるはずです。

逆に、英語だろうと日本語だろうと、気持ちを込めずに台本を棒読みしたら、

>「あなたの言葉の発音やイントネーションはそれであっています。
>でも気持ちが入っていないので私はあなたが何を言っているのかまるでわかりません。
>もう一度やってください。」

という状況に陥ると思われます。




2916 予測回答 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月16日(木)00時04分54秒

「ちょっとしたきっかけで英語が話せるようになるなら日本人は皆英語が話せていてもおかしくない」という突っ込みが帰ってきそうなので明確にしておきます が、私が言う「ちょっとしたきっかけで英語が話せるようになる人」というのは「ちょっとしたきっかけで自分が最後まで努力して英語が話せるようになる人」 という意味です。英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。人生がもったいないと思いませんか?



2917 Re: 回転読み、時間配分の質問 投稿者:もっこり 投稿日: 5月16日(木)00時15分48秒

nishiazabuさん、
遅レスですみません。

>私は「ゴースト」のレッスンを始めて、まだ20Pそこそこです。
>ただここのところ、最初から最後まで回転読みをすると、
>一回1時間以上かかりはじめました。
>仕事等の関係上、一日これ以上の時間を費やすのが厳しいのが現実です。
>この先のことを考えると多少不安があります。
>レッスンを受けられいる皆様の時間配分あるいは、方法等
>お聞かせ願えれば幸いです。

私も、回転読みに1時間とれるのは週末くらいで、平日は30分が精一杯、
全くできない日もあります。なので、あまり参考にはならないと思いますが、
いちおう心がけているのは、レッスンの後に30分くらいかけて、
復習と、来週の範囲の予習をしておくことです。
早めに1週間後のテスト範囲を把握していると、
暇なとき思い出して、口の中や頭の中で反芻できます。

「ゴースト」のレッスンを始めてちょうど1年がたちます。
1年あれば最後までいくだろう、と考えていたのですが甘かったです。
今のペースでいくと、今年中に終わるかどうか怪しいところ。
まあ、別に悲壮感はないので、あきらめずに続けていきますが、
要は進度ではなく、回転読みの深度だろうと自分に言い聞かせているところです。



2918 もっこりさんへ。 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月16日(木)00時19分38秒

こんばんわ。「いまのえいが、おもしろかったね。」では短すぎます。
こちらの説明不足です。申し訳ありません。
なんと表現したらいいんでしょうか?たとえば英語表現の場合、息を吸ってから吐ききるまで、3から5くらいの文が連続して続くときがあります。私が言って いるのは「日常英会話初級レベル」ではなく、ネィティブの大人が使う通常英語表現レベルです。たとえばNHKのニュースアナウンサーに原稿をすべてカタカ ナで書いて渡すとどうなるか?」というレベルのことです。それをみたアナウンサーはなんとか日本語を喋ることができるでしょうが、何を言いたいのか視聴者 に正しく伝わるかどうかは疑問です。




2919 その補足。 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月16日(木)00時25分46秒

ただ単にひとつの簡単な感情や気持ちを相手に伝えるレベルではなく、自分の考えや感情の細かい部分まで正確に相手に伝えようとするレベルです。



2920 その補足の補足。 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月16日(木)00時28分35秒

「その映画のどういう部分が、どういう具合に、どういう理由で面白かったのか」を伝えられるレベルです。



2921 Re: 回転読み、時間配分の質問 投稿者:もっこり 投稿日: 5月16日(木)00時33分22秒

nishiazabuさん、
遅レスですみません。

>私は「ゴースト」のレッスンを始めて、まだ20Pそこそこです。
>ただここのところ、最初から最後まで回転読みをすると、
>一回1時間以上かかりはじめました。
>仕事等の関係上、一日これ以上の時間を費やすのが厳しいのが現実です。
>この先のことを考えると多少不安があります。
>レッスンを受けられいる皆様の時間配分あるいは、方法等
>お聞かせ願えれば幸いです。

私も、回転読みに1時間とれるのは週末くらいで、平日は30分が精一杯、
全くできない日もあります。なので、あまり参考にはならないと思いますが、
いちおう心がけているのは、レッスンの後に30分くらいかけて、
復習と、来週の範囲の予習をしておくことです。
早めに1週間後のテスト範囲を把握していると、
暇なとき思い出して、口の中や頭の中で反芻できます。

「ゴースト」のレッスンを始めてちょうど1年がたちます。
1年あれば最後までいくだろう、と考えていたのですが甘かったです。
今のペースでいくと、今年中に終わるかどうか怪しいところ。
まあ、別に悲壮感はないので、あきらめずに続けていきますが、
要は進度ではなく、回転読みの深度だろうと自分に言い聞かせているところです。



2922 こうじさんへのお返事 投稿者:もっこり 投稿日: 5月16日(木)00時53分04秒

こうじさんが、「気持ち」と表現しているのは、
「漢字仮名交じりの原稿を読むアナウンサー」にあって、
「仮名だけで書かれた原稿を読むアナウンサー」には無い、そういうものなのでしょうか?
ならば、「気持ち」ではなく、「意味」と言う方が適切なのでは?

「気持ち」と聞いて私が想定していたのは、
声のトーンやイントネーションやスピードの違いによって、
「はーい」という返事一つでも相手に伝わるものが全然違ってくるような、
微妙で高度な感情や含意のことでした。
その場合、たとえ「今の映画、おもしろかったね」という短い文であっても、
初級レベルではなく、「通常日本語表現レベル」になります。



2923 もっこりさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月16日(木)03時02分47秒

nishiazabu さんへのレスありがとうございました。

今日は、というか、今日も、というか、Walter だか Waltur だか知らないが、貧乏なガイジン
とたくさん話をして、日本の group thinking は水田の水の流し方に根拠があったというよう
な話をたくさんして、くたびれた。

いや、特別なことが言いたいわけでもないのです。
今日も、酔っぱらいだというだけのことです。

くたびれますぜ。基本がわからんガイジンが多いのですぜ。



2924 斎藤さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月16日(木)03時04分11秒

別に、いじめるつもりはないにせよ、こうじさんは、現象論しかしていないような気がします。



2925 もっと深いところにあるもの、、 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月16日(木)03時05分13秒

>声のトーンやイントネーションやスピードの違いによって、
というのは演技で言うところの「技術的」、「表面的」なものです。
自分が言わんとしているのはもっともっと奥に位置しているもので、
ああ、すみませんがこの議論はこのくらいにしましょう。
おそらく自分は特殊な職業についているので「言葉」を一般の方とは違う「捕らえ方」をしているのだと思います。「気持ちが言葉を引っ張る」というのは確か に日本語でも言えるかもしれませんが、それはもっと別な意味合いがあるのです。おそらく英語をネィティブと同じ速さで聞いたり話すことの出来る方ならばそ の「別な意味合い」が少しはわかっていただけるのではないかと思います。
またまたおかしな議題をもちだしてしまって申し訳ありませんでした。




2927 差別 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月16日(木)03時11分56秒

こうじさんて、割と、差別するんじゃねえのか。
差別されたからか?



2928 Re: もっと深いところにあるもの、、 投稿者:もっこり 投稿日: 5月16日(木)12時10分44秒

こうじさん

母語以外の第二言語を習得するために、
言葉に乗せられる感情に敏感にならなければならない、というのはよく理解できます。
しかし、それは外国語を習得する過程で誰もが通らなければならない共通の課題だし、
英語だけではなく、日本語や他の言葉を学ぶ際にも言えることではありませんか?
つまり、言葉とコミュニケーションに関わる普遍的な問題を、
英語や英語文化だけの特徴だとして捉えているところが、こうじさんの誤りだと思います。



2929 時間配分 投稿者:nishiazabu 投稿日: 5月16日(木)13時48分29秒

もっこりさま、ありがとうございます。

>私も、回転読みに1時間とれるのは週末くらいで、平日は30分が精一杯、
>全くできない日もあります。なので、あまり参考にはならないと思いますが、
>いちおう心がけているのは、レッスンの後に30分くらいかけて、
>復習と、来週の範囲の予習をしておくことです。
>早めに1週間後のテスト範囲を把握していると、
>暇なとき思い出して、口の中や頭の中で反芻できます。

プライベートなレッスンですので、他の方の進め方が気になっておりました。
参考になります。
私もよく酔っぱらって全く出来ない日がありますので、
少し安心しました。



2930 浜谷様 投稿者:Jackie 投稿日: 5月16日(木)16時58分37秒

レスが遅くなりました。
>「本当に必要なこと」とは、大量の英語構文・語彙の多読、多聴によるインプットです。勿論その前に英語音の徹底的な修得が必要なことは言うまでもありま せん

そうですね 同意いたします。 



2931 文法至上主義 投稿者:Jackie 投稿日: 5月16日(木)17時28分29秒

>浜谷さん 現在のわが国の英語教育の貧困さを改めて喚起させるご意見だと思いました。「英会話」教育なるものが大手を振ってまかり通っている現状は改め る必要があると思います。この根本にあるのは「学校(受験)」英語の弊害です。少数の心ある先生達が教えるものを除いて、「学校(受験)」英語は使い物に なりません。むしろやればやるほど喋れなくなるような英語です。文法至上の英語をやっている限り、やればやるほど喋り難くなるのは当たり前です。

私が某英会話学校で教えていたときのことです。
現在完了 I have lived here since I was seven. (for 10 years)
初中級のクラスで 現在完了を教えていました。(英語で―英会話学校は 日本人も 英語でおしえなければなりません)
 for と since の使い分けのレッスンが終わって 生徒の一人、20代半ばのビジネスマンの生徒が 「僕文法は得意だったから 今日のはかんたんだった。」といいました。

うーん レッスン中の彼を見ると 知識はもっていても それを体得 反射的にてるまでには 獲得しているとは いえませんでした。 だからもって 週2回 のレッスンの片方が 日本人講師 もう一つは外人講師のレッスンな わけです。

きっと その生徒は文法が 得意だったそうです。もちろん受験も突破
知識が多い割に 話せない という人は多いですね。
これは 中学英語の基礎(音読することも含む)を シンクタックスとして獲得しないうちに 語彙文法をふやしてしまったからでしょう。 基礎がないのに  家をたててしまった、、

今の高校の授業の進み方が わからないのですが どうなのでしょう?
私のころは SVOCからはじまり これがどこを修飾するだの 難しい文法用語が多く
その日本語で つまづいてしまった口です。(高校生用の参考書 問題週をみるといまでも頭がいたくなります。 難しい 私には理解不能だ。わかりやすいの がないですね フォレストぐらいしか ーお勧めのものがありましたら教えてください。)
おまけに()をうめろ だことの so that を 書きかえよ だことのパズルのことし問題に
頭をかかえてしまっていました。 それで 高校の英語の成績は 2と3をいったりきたり。

英語なんてもっと簡単なのに だれだ!難しくしたのは!

学習塾でも 死んでしまう英語をおしえているのでしょうか? 点をとらせるだけ テクニックだけの英語は もったいないですね。 第一つまらない。 

長文も 分析せずに 頭からよみこなせる。
きちんと中学英語をやりシンクタックスを獲得してから 長文をよむと 楽しいはず。




2932 こんばんわ。 投稿者:こうじ ^-^ 投稿日: 5月16日(木)20時39分01秒

根石さん>差別じゃなくて区別です。努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を 使って戒めるのは悪いことですか?差別なんでしょうか?努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦 しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張っている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。

もっこりさん>私は自分は間違っていると思いません。実際に英語は日本語よりも早いスピードで意思の疎通が行われます。日本語で意思の疎通をするときより も何倍も自分の気持ちで強く言葉を引っ張らなければいけません。欧米人のゼスチャーが大げさになるのはその為です。もっこりさん、どうか英語がネィティブ と同じ位の実力になるように努力された後でもう一度私の言っていることが正しいかどうか確認してください。そこまでこなければ私の言っていることが理解で きないと思います。



2933 電話でレッスンの予習 投稿者:okada 投稿日: 5月16日(木)21時58分07秒

 nishiazabu さんへ

 私ももっこりさんと同じく、レッスンを受け始めてまもなく一年になろうとしております。現在のところ一日30〜40分ほどの読みの練習をしています。
 練習場所は、通勤のときの車の中です。車にはカセットの機器がないので、ウォークマンを使っています。
 車に乗り込むと、すぐさまイヤホンを耳に入れ、映画の音声を聞き始めます。聞く場所は手当たり次第で、そのときにかかっているところです。たいていは、 最新の復習範囲のところです。
 テキストを見ながらやるわけにはいかないので、覚えている文をやります。だから、一番最新のところは、車に乗る前に、一文でも二文でも、くり返し読ん で、覚えてしまいます。それから、車に乗って、その文が自分の身に付くまで言い続けます。
 テキストを見ていないので、自分の記憶と音だけを頼りにします。無理ならあきらめて、別のできるところをやります。
 こんな感じでやっていると、通勤の20分で、一つの文をひたすら言い続けていることもあります。よく定着している場所は、最新のところから10ページ 〜15ページ前のまでの部分です。
 そろそろ回転書きをやろうと思い、自分の音声を録音したのですが、実行に移してはいません。
 なかなか先に進まなくなってきていますが、練習をしている通勤時間は充実しています。やはり、すらすら口をついて英語がでてくるのは楽しいです。
 「ゴースト」に関しては、どんな音を発しているか区別が付くようになってきています。しかし、まだ、音を聞いて意味がすんなり入ってくるところまではい きません。まだまだ長い道のりだと感じています。



2934 生きている価値 投稿者:Jackie 投稿日: 5月16日(木)22時47分36秒

こうじさん はじめまして。

>英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。人生がもったいないと思いませんか?

せっかく生まれてきたのだから もったいない という 気持ちは大事にするのはいいです。
けれど人に 「あなたは 生きている価値がない」なんて 誰にも言える資格はありませんね。目的を持とうが持つまいが 努力をしようがしまいが 個人の自 由です。

>努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いことですか?

はい 悪いです 人を 踏みにじるような言葉を いうのは 悪いことです。

>努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張って いる人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。

努力する人間は もくもくと努力すればいい。 または 努力する人間と友達になればいいのです。努力しない人を もったいないなあ と思うのはかまわない です。
こうじさんが 苦しいのは なぜでしょう?
本当は 楽をしたいから? 人が 努力しないで 楽をしているのが にがにがしいのかな?

いろんなことにおいて人と違うことをする 違った行き方をするのは 日本の中では とても苦しいことですね。
英語の面では 根石さん エリオットさん 浜谷さんも  戦いをしています。

私も やっぱり 英語を お金に したいですね。でも 方法が 努力を要するので なかなか 理解してもらえず 苦しいです。 楽しく身になる努力なので すが。みなさん 楽をしたいもので。(笑)

ま 辞めてしまうまたは 体験レッスンではいらなかった人達(単純なほうほうだから 独学でできるとおもってしまったらしい。コーチは必要)
のことは つくづく もったいないなあ。 やれば 伸びるのに。と 
でも それだけです。

自己反省は しました。どうやったら 力をのばすことができるかも考えました。
でも 考えているうちに 具合をわるくしてしまったので もう 
自分の実力のせいにしないで 他人のせいにすることにきめました。

ほんとうのところ 現在病人なので 生きる価値をいわれると つらいので
いろいろごたごたと理屈をならべてみました。

P.S.俳優業は 楽しそうですね。



2935 Re: こんばんわ。 投稿者:もっこり 投稿日: 5月16日(木)23時50分24秒

こうじさん

>実際に英語は日本語よりも早いスピードで意思の疎通が行われます。
>日本語で意思の疎通をするときよりも何倍も自分の気持ちで強く言葉を引っ張らなければいけません。
>欧米人のゼスチャーが大げさになるのはその為です。

すみません。
私には、この3つの連続した日本語の文のつながりが全く理解できません。
まさにこうじさんのおっしゃる、
「一つ一つの単語の意味はわかるが、何を言いたいのか全然わからない」状態です。
英語以前に、日本語での意志の疎通に問題があるのではありませんか?

>もっこりさん、どうか英語がネィティブと同じ位の実力になるように努力された後で
>もう一度私の言っていることが正しいかどうか確認してください。そこまでこなければ
>私の言っていることが理解できないと思います。

これでは、新興宗教の教祖と同じです。
上級者にしか共有できない境地があることを否定はしません。
しかし、書き言葉だけが頼りの「掲示板」というフィールドで、
こうじさんのように、「わかる人にしかわからない(わからない人にはわからない)」と
議論の前提を最初から否定したような言い方をされると、こちらは沈黙するしかありません。



2936 無題 投稿者:浜谷 投稿日: 5月17日(金)00時09分38秒

こうじさん、そしてJackieさん、

>>努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いことです か?

>はい 悪いです 人を 踏みにじるような言葉を いうのは 悪いことです。

>>努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張っ ている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。

>努力する人間は もくもくと努力すればいい。 または 努力する人間と友達になればいいのです。努力しない人を もったいないなあ と思うのはかまわな いです。
こうじさんが 苦しいのは なぜでしょう?
本当は 楽をしたいから? 人が 努力しないで 楽をしているのが にがにがしいのかな?

私もJackieさんのご意見に賛成です。こうじさん、ホームレスに炊き出しをしている人を貴重だとお思いになりませんか? そのような人に救いの手をさ しのべているマリア・テレサを偉大な人だとお思いになりませんか?

Jackieさん、どうされたのですか? 元気を出してください。



2940 努力 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月17日(金)01時58分37秒

努力はしたいやつはしろ。
そんなめんどうくせえこと、俺はしたくねえ。

俺は英語が面白いからやってるだけだ。
努力なんて馬鹿くせえ。



2941 努力と練習 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月17日(金)02時03分17秒

俺は生徒には練習しろと言う。
努力しろと言ったことは一度もない。
そんなことを言うやつは不遜なやつだと思う。

努力か。
ああ、やだやだ。



2947 む、流石に皆、寝てしもたな... 投稿者:Naima 投稿日: 5月17日(金)06時35分38秒

またぞろNaima這い出してくる...

私の英語は実は、英語圏で暮らした事もなく、日本にいて獲得した英語です。 獲得したなどと偉そうな事をいいましたが、実にショボイものです。 でも、
根石さん、ちょっと自分の英語学習について書いていい? 二つだけ。

これはと思う映画をカセットテープに録音して、(英語教材として見込んだわけじゃなく、自分が観て面白いと思っただけの映画なんですけど)、テープがビロ ンビロンになるまで聞きぬいた事が、私の様な「おばはん」にもあるのです。 ERの小児科医 Rossのエピソードだけを毎回編集してテープに録音しリスニング教材にした事もあります。これは、勉強でも努力でもなんでもなくて、好きでやってたの で、ほとんどいつも集中して聞いていたと言っていいと思います。 どれだけ聞き込んだか、と言う事を証明してみせるのに、潰れたウォークマンを台数を示し て見せる、古典的な手法がありますが、私は半年に一回、買い替えなければなりませんでした。

ビデオも毎日1本から3本、劇場映画は隔週1回、と言う年もありました。(ビデオデッキは3台潰れたと思う) 

Enlish Express1冊丸ごと、テープについて読むpaced readingだっけ?と言うやつを毎月集一回つづけた事もあります。 毎回、一回目は聴解と撥音、連音、イントネーションを聞く為に、あと10回は、 テープをかけながらスクリプトを音読。 最後の回には、シャドーイング(ただし、これは集中力が続かないので、数分だけ)

精聴と多聴の両方の経験をしてみて思ったんですけど、

1年かかって(かかりすぎか...)1本の映画の70〜90%理解を目指すより、50%程度の理解で良しとして、365本の映画を見る方が良いんじゃない かな〜〜。 

浜谷さんの掲示板に投稿した事を繰り返してるだけで、申し訳ないですが、5数十年に一度しか出会わない表現、俳優独特の言い回しや撥音の癖、"Wow!" だとか"and.." だとかイントネーションひとつで、何通りの意味も出てくる様な言葉の、特殊な状況下の言い方などに、振り回されるより、頻度数の高い表現、言い方、単語、 等に気付いて行く方がかえって効率がよいのではないか、と自分では思ってるんですが...

それと文法についてなんですが...

根石さんがハンブルクの事、書けよ、言うてはりましたので、ハンブルクの事をちょっと引き合いにしてみます。 

外国語は、当たり前の事ながら、言いたい事、言わなければならない事から覚えて行きますよね。 ドイツ語学校に通い始めて、まっさきに覚えて行ったのは、 やはり切羽つまった必要のあるドイツ語ばかりです。 これは、状況によって決まりきった文章を、単語をちょこちょこっと入れ替えて言うだけで、ほぼ間に合 います。 (このあたりはドイツ語会話、なんてなものではなく、クレジットカードみたいなもんで、さし込みさえすりゃ金が出る、それだけの事です。 会話 などとは、と〜てい程遠い代物。 なんか見当はずれの喩えやったな...) 学校では、そんな丸覚えさえしときゃすむ様なドイツ語のモデルダイアローグ は、すっとばして行きます。

話が前後しますが、私の通っていたドイツ語学校は、ハンブルクで一番歴史と実績のある所でしたが、意外にも文法中心の授業でした。 私どもは、英会話を学 ぶ際、文法を軽んじがちですが、すでに中学/高校で曲りなりにも学習した、と言う土台の上にある事を忘れるわけには行きません。 

このドイツ語学校で文法を学んだ、と言う事が後で非常に役に立っているのです。 自学自習の基礎になっていると思っています。 多読、多聴、などによる学 習も, 文法の基礎があっての事です。 成人が外国語を学ぶ場合、文法から入る、と言うのは間違ってはいないと思います。 根石さんも文法はおろそかになさらな い、と記憶しています。

実のある会話をするには、文法をしっかり固めて、多読、多聴、(私の場合は、質より圧倒的な量)で攻めていくのが、いいのではないか、と思うのです。 あ くまでネイティブスピーカーの様な英語を目指したいですけれど、少々、言い回しが不自然でも、誠実な英語、と言うか、真摯な英語を目指したいと思っていま す。 

私は、"Thank you."だの"Vielen Dank"など言いながら、頭を下げている様な英語の達人になりたいな〜〜

なんか、去年、浜谷さんの掲示板に書いた事ばっかりやわ。 ボケたか...

「おまえ、ブツクサ、独りで何言うとるんやっ!」とか、もっこりさんから、「それはそれでいいんじゃないですか?」と突っ込みが来そうですが、来ない所を みると、

むむ、やっぱり皆、寝てるンやね。。。

帰りまっさ。 わかりもせん癖に、わかったげな事を言いました。 ほな、また、いつか。 

退散、退散、



2948 努力 投稿者:Jackie 投稿日: 5月17日(金)07時09分32秒

努力 言葉が わるかったですかねえ。 

努力っていうと したくないことを無理やりするような イメージですかね。
そう 練習です。 発音をきれいにしたいから 練習する。 恋人と話しをするために 外国語を覚える。  ヒットを 打ちたいから練習する。
サッカー選手になりたい子は 毎日 練習します。努力とは思わないでしょうね。
すきなら とことん練習する。
逆に 嫌いなことをやることは 努力

好きでないものを しなくちゃならないときは 努力が必要。私にとっては 高校の英語は 努力が必要はものでした。 あ 数学も。 で 放棄いちゃったで すね。 なぜか 教科書の英語テープは高価だったのに かってもらって テープみたいに読める練習はしてました。
英語はきらいでも 音は好きだったみたい。

 英会話学校に来る人の一部は
話したいから家でもStudyしますが でも まったく やらないで 上達を期待するやからが多い。 高い学費にみあう 上達をきたいする、
ちっとは 努力(練習)しておくれ。

翻って学校でやる英語 努力の方向がまちがっているようなきがする。
私みたいな 英語嫌いが 多いのは そのせい?と思う。



2949 Jackieさん 投稿者:Naima 投稿日: 5月17日(金)07時58分57秒

はじめまして。 

私、Jackieさんのご投稿をまったく読まずに、根石さんの「努力」について発言を、そのまま受けて放言してましたね。 ごめんなさい。 皆、努力はし ないといけない、とわかってると思います。 根石さんの事は、個人的には全く存じ上げないのですが、あれは根石さん特有の「偽悪者ぶり」なんだと思ってる んですけど。 もっこりさん、どうですか?

私も努力はする方だと思いますが、「努力した、努力した」といいつのるのか、恥ずかしかないかい? と思ってるわけでして、努力の結果がすべてだ。 と 思って、奮闘している所は見せたくないな〜、と言う事をいいたいだけでした。 でも、好きな事ばっかりしてたから、これは努力でないな、と言う感じはあり ますね。 けれど、これも「努力」と言う言葉の捕らえ方が、それぞれ違うからかもしれません。

見当はずれの投稿ばかりして、まぜっかえしてる自分を反省しています。 すこし自嘲して、あれ、自重します。 (変換間違いしたけど、どっちもあたってる わね...)

今週は、とち狂ってしまい投稿が過ぎました。 ハンブルクは木の芽時ですから。

さようなら



2950 Ton 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月20日(月)01時47分41秒

シャドウイングという方法は、英語がシンタックスごとで使えるようになった人がやるのに適し
ていると思っています。
それ以前の人がやると害が大きいだろうと思います。

私の方法は音読を激化したものです。
これは基礎作りに適しています。
基礎作りのひとまずの目標は、「イントネーションの自己決定力」の獲得だと思います。

この「イントネーションの自己決定」ができない段階の人がシャドウイングをやると、実に害が
大きいだろうと思います。

語学をいっぱいやって、何の味もしないような人間になってしまう人がいます。語学の害に無頓
着だと、語学の達者な幽霊みたいな人ができます。



2953 根石吉久様 投稿者:Ton 投稿日: 5月20日(月)04時17分39秒

きわめてご丁寧なご説明、有難うございます。
ベースを作り上げるところから、10. 英語使用(イマージョン方式のような、と現段階では
想像していますが)、1つ1つ、納得できました。

>この「イントネーションの自己決定」ができない段階の人がシャドウイングをやると、
 実に害が大きいだろうと思います。

特に、ここは大きい、し、おっしゃるとおりであることは 極めて良くわかります、し、
この間の強調されてきていたことの重大性がわかったように思います。

英語を聞く耳を育てることと、このための方式を踏まえ、更に、これを持ち帰り、しっかり頭に入れたいと思います。

ありがとうございました。

私も朦朧寸前に眠いので      寝ます



2955 語学は危険な行いである(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月20日(月)13時01分04秒

 車の運転が危険な行いであることは誰でもよく承知している。

 語学が車の運転と同様に危険な行いであることを承知している人がどれほどいるだろうか。語学も、場合によっては、実に危険なものであり、凶器に変わるの だ。母語が培ったやわらかい心の動きに対する凶器に。

 軍隊のスパイ養成の課程で訓練を受ける人の中から、発狂する人がよく出るという話を聞いたことがある。この訓練は、半年ほどで、異質シンタックスを聴解 できるようにするものだとのことである。通常の語学レベルから、異質シンタックスを聴解できるようにするまでの期間が半年!
 出るだろう。発狂者は何人も出るだろうと思う。発狂に至らないまでも、神経症は頻発するだろう。

 ちまたでのんきに英会話などと言っているものも、軍隊の訓練で人が発狂に至る過程を水で薄めて時間を引き延ばし、発狂を避けているだけのことであり、め ざしているものは同じものであるはずだ。目をひんむいてちゃんと見ろ。「異質シンタックスの聴解」「異質シンタックスによる発話」だろうが、めざしている ものは。磁場の下支えのないそれらだろうが。




2956 語学は危険な行いである(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月20日(月)13時02分39秒

 軍隊の語学叩き込みが発狂者を出すのは、個体に圧倒的な無理がかかることが大きな原因だろう。
 この強制による無理というものがなくても、語学は実は危険な技なのである。

 それは、語学が「からっぽ」を本質としているからなのだ。
 語学で扱う文は、実際の状況を生きる生きた文ではない。
 一見生きた文のように見えるだけだ。文はことごとく、びっしりと死んでいるのだ。

 「死んだ文=もぬけの殻」の成り立ちを調べたり、強引にイメージを捻出したり、強引に作ったイメージを「殻」の中に押し込んだり、「殻」からイメージが なめらかに流れ出すように調整したり、一切の意味からいったん離れて、「音」だけを言いやすくするために、繰り返し同じことを言い続けたり、およそ生活言 語では見られないような奇妙奇天烈なことが繰り広げられているのが、語学の机上という場所である。

 母語や生活言語とのバランスを損なって、こういう奇妙奇天烈ばかりを続けていた場合、語学の「からっぽ」という本質が、人間の心の性質に写る。

 日本人は日本在住のままに英語をものにしようとして格闘する。
 アメリカ人がアメリカ在住のままに日本語をものにしようとして格闘するか。そんな気配はない。日本がアメリカの文化政策による属国だからである。

 日本人の多くが危険な道を歩く。あくせくしている。
 アメリカ人は、英語だけ知っていればいいと信じ切っている人が多いので、安泰という石に腰掛けてのんびりしている。

 英語をやることは、アメリカの「自由」や「平等」がすばらしいのと同じようにすばらしいことだと信じている信者がたくさんいる。馬鹿な話である。語学 は、どこまでいっても「死」を扱うことなのに。

 英語をやって、果実が得られる場合と、人間そのものが「からっぽ」になる場合との分かれ道はどこにあるのか。スキルに目を奪われ、スキルを至上価値とす るかどうかではないか。英語だって、たんにスキルではない。言葉なのだ。英語から言葉の富というものが得られれば、それが自分の日本語を鍛えることになる はずなのだ。英語をやるのも、日本語を鍛えるのも、どちらも言葉に向き合うこととして同じではないか。英語ができて日本語が「からっぽ」になった人間をど うしても認めることができようか。スキル亡者がついに言葉と出会えないでいる無惨なざまはひたすらに悲しい。
 スキルがいくら人目をひくからといって、スキル亡者になったのでは元も子もない。

 日本在住のままに英語が使えるレベルになり、そのことが日本語を鍛える力をもたらすならば、この宝ばかりはアメリカの安泰が決して手にすることのない宝 だろう。
 どの国の人も自国語を鍛えるために英語をやるべきだ。これは細い細い道だが、道がないわけではない。




2958 一人に音読させました! 投稿者:sb 投稿日: 5月20日(月)21時37分35秒

他の生徒は直された発音を聴いていました。

シャドーイングをする生徒も増えました。

でもまだまだ道のりは遠そうです。



2959 エリオットさん 投稿者:sb 投稿日: 5月20日(月)21時39分12秒

先日本屋でフォニックス40時間とかなんとかいう本を見つけました。

この指導案に沿って中1の最初は指導されたのですか?

最近フォニックスに少し興味を持っています。



2960 フォニックス 投稿者:Eliot 投稿日: 5月20日(月)22時27分35秒

sbさん

その本は松香フォニックス研究所が出している本です。私はこの本を
そのまま使ったわけではありませんが、参考にはしました。実は私は
7年ほど前に松香フォニックス研究所主催のフォニックスの教え方の
講習会に参加したことがあり、その際のテキストがこの本だったのです。

松香ではフォニックス関連の教材をたくさん作っていますので、フォニックスに
興味がある人は利用なさったらよいと思います。sbさんが見た本の紹介は
↓の松香フォニックス研究所のページにあります。

http://www.mpi-j.co.jp/kyouzai/k_category.htm



2961 本の紹介ページの見方 投稿者:Eliot 投稿日: 5月20日(月)22時33分47秒

先ほどのリンク先のページの画面の上の方の「カテゴリ別」の
「フォニックス」をクリックして、Take Off with Phonicsを
クリックしてください。



2962 さき様 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月20日(月)22時58分47秒

>コロンビア大学在学中にシャドーイングを研究している教授のクラスがあ
って拝見させていただいたことがあります。ちょっと驚いたのはそこで私よ
り1ヶ月早く日本から来た友達が6ヶ月くらいで向こうの人くらいにぺらぺ
らな発音で喋れるようになっていたことです。目を閉じて聞いたらおそらく
ネィティブが話しているように聞こえるのじゃないかしら。

 Jackie さんはもの言いの柔らかい方なので、柔らかく疑いを提出しておられましたが、私はちょっとはっきり言ってみたいと思います。

 シャドウイングという練習を日本語で育った日本人がやれるようになるためには、かなりの練習で下地(基礎)を作ってある場合に限ると思います。基礎が弱 い段階でシャドウイングをやっても、難行苦行になり挫折するだけでしょう。

 練習にはただただ苦しいばかりのものと、苦しいが楽しいというものとあります。

 ただただ苦しいばかりのものは、やらない方がいい。必要な前段階の練習が不足しているのです。
 苦しいが楽しいという性質の練習はどんどん力がつく練習なのでどんどんやるべきだと思います。
 お友達は、アメリカに渡って英語の生の磁場に下支えされて語学として英語をやるという最も有利な条件の下にいたわけですが、それでも、その6ヶ月は、苦 しいが楽しい、という練習だったのではないかと推測しています。
 つまり、アメリカ在住という条件の下で、シャドウイングが、苦しいが楽しいものになるだけの下地を日本で用意してあったという推測です。
 さらに推測を重ねますが、お友達が日本にいて下地を準備するのに、おそらく音読をやったのではないかと思います。まだおつきあいがあるようでしたら、訊 いてみていただけませんでしょうか。非常に興味があります。
 あるいは、日本にいながら、シャドウイングができるというレベルに達しておられたかもしれません。その場合でも、そのレベルになるまでに音読は通ってい るだろうと推測しているのです。音読はまったくの初心者から、シャドウイングが可能になるまでのレベルをカバーできる非常に汎用性のある練習方法です。

 上級者の盲点というものはあるのです。
 上級者は、自分の英語がブレイク・スルーした時点での練習ばかりを人に薦める傾向があるということです。先日、こうじという人がこの掲示板でおおっぴら に見せていたのも、上級者の盲点に対する盲目さ加減でした。
 確かにその方法で、ブレイク・スルーしたのですから、その方法が有効であるのは間違いないことですが、それが有効になるための下地は、また別の方法で、 長い時間かけて作られています。こうじさんは、そこを伏せてくらがりにしています。
 この長い時間を、「醜いアヒルの子の期間」と呼ぶとすれば、この期間では、音読のような練習をじっくりやる必要があります。音読・文法的理解・醸成のよ うな雑食の期間です。醜いアヒルの子が白鳥になるためには、雑食によって醜いアヒルの子が十分に大きくなっていなければならないのです。
 醜いアヒルの子が白鳥になる寸前にシャドウイングが有効だとしても、醜いアヒルの子がそこまで大きくなるためには、音読・文法(理解・醸成)・多読・そ の他が必要なのです。そして、その柱となるものを音読に代表させるなら、

 音読 → シャドウイング

 この前後関係は絶対的だと思っています。

 上級者というものは、醜いアヒルの子の時期をなかったことのようにして涼しい顔をしたがる傾向があります。これはきつい言い方をするなら、上級者による 初心者への犯罪行為なのです。醜いアヒルの子の期間をなかったことのようによそおい、僕は白鳥なんだみたいなつらをするやつがいると、私はちゃんとその首 をひねってやることにしています。
 また、シャドウイングは英語の磁場に下支えされてやるのがいいと考えています。
 そうでないと、神経症などになる危険が大きいと思っています。
 この点に関しては、私は英語フリークたちのような楽天性は持ち合わせがありません。



2963 こうじ君、臍曲げた? 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月20日(月)23時28分32秒

>ご自分の経験則から、根石式はダメだった、から、といったご発言がありました。
これですと、読者は、比較する何者もないので、説得力が希薄になります。
また、根石さんの推進する方式をどの程度 こうじさんが把握されておられるのかも
わからないので、批判の根本となるところが弱い、と考えながら読みました。

 以上が、こうじ君に対する Ton さんの質問です。

 こうじ君さあ、苦労して英語が上達したことを自慢するのもいいけどさ(あんまりよくねえか)、こういうまともな質問にはちゃんと答えるべきだと俺は思 う。

 おまえはさ、なんか、かわいい。
 でもね、論を張るんなら、こういうところで逃げていては駄目なんだよ。



2964 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月20日(月)23時44分38秒

>一人に音読させました! 投稿者:sb  投稿日: 5月20日(月)21時37分35秒
他の生徒は直された発音を聴いていました。

 おめでとうございます。これがベストですよ。
 一人に音読させたというのは、技法グラウンド方式ですか。
 一回だけ音読させたのですか。
 できたら、せっかく「電話でレッスン」を受けておられるのですから、「技法グラウンド」を試してみてください。

 一人の生徒に、一つの文を数回繰り返し言わせる。
 問題があったら直す。(手短かに舌の位置などを指示する)
 (他の生徒は、音の変化を聴いている)
 全員に繰り返し音読する時間を設ける。

>シャドーイングをする生徒も増えました。

 ここでsbさんが言われているのは、こうじさんが言われたシャドーイングとは違うとおもいますが。



2965 こうじさん 投稿者:浜谷 投稿日: 5月21日(火)00時15分19秒

5月18日に私は貴方に次のようにお尋ねしました。

こうじさん>英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。人生がもったいないと思いませんか?

Jackieさん>せっかく生まれてきたのだから もったいない という 気持ちは大事にするのはいいです。けれど人に 「あなたは 生きている価値がな い」なんて 誰にも言える資格はありませんね。目的を持とうが持つまいが 努力をしようがしまいが 個人の自由です。

こうじさん>努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いこ とですか?

Jackieさん>はい 悪いです 人を 踏みにじるような言葉を いうのは 悪いことです。

こうじさん>努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっ と頑張っている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。

Jackieさん>努力する人間は もくもくと努力すればいい。 または 努力する人間と友達になればいいのです。努力しない人を もったいないなあ と 思うのはかまわないです。
こうじさんが 苦しいのは なぜでしょう? 本当は 楽をしたいから? 人が 努力しないで 楽をしているのが にがにがしいのかな?

私>というこうじさんとJackieさんのやりとりを拝見していて、私はホームレスに炊き出しをしている人たち、道端で死にかけている乞食に愛の手を差し 伸べているマリアテレサのことを思ったのでした。ホームレスや道端で死にかけている乞食の中には努力してもそうならざるを得なかった人もいるとは思います が、多くのそれらの人達はある時期に努力しなくなった人たちだと思います。そういう人達のことをこうじさんはどうお思いになるのでしょうか? やはり上記 の最後に述べておられる通りお思いになるのでしょうか? 

私>ホームレスに炊き出しをされている方、道端で死にかけている乞食に愛の手を差し伸べているマリアテレサとその教えに従って同じように献身されている尼 さん達、それらの方々が努力されていることは分かりますが、その努力の根源についてお考えいただきたいと思います。「努力する人間は、努力しない人間の中 にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。」ということからそういう献身をされているとお思いになるのでしょうか?   「英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。」とのお言葉ですが、前述のように献身されている人 たちがそのように考えておられるとは到底考えられないのですが・・・。

貴方は直ぐ同日付で次のようにレスして下さいました

こうじさん>私の「苦しい」は向学心のない人間の中にいるのが「苦しい」という意味。
お解りか?勉強したいのに勉強したくない生徒が沢山いるクラスにいたって面白くもなんともないし、はっきり言ってそいつらが迷惑だというのと同じです。

はっきり言ってこのレスに失望しました。こうじさんは前回投稿された際、ネイティブに対して相手を信用すれば100%聴き取り可能である旨のご持論を展開 されていました。私は100%は大袈裟ですが、それに近い数値で聞き取れるかもしれないなあ、と思っていました。しかし、今回のこの回答でそれも信用でき なくなりました。私の質問がこうじさんの今回展開されている「努力をしない学習者」に対するこうじさんの憤りというのは分かるのですが、私がお尋ねした かったのは
こうじさんがそのような「努力しない人は生きている価値がない」と仰ったことです。「100%云々」の時も感じたのですが、例え話が飛躍過ぎて、聴いてい る人に分かり難くなっているのではないでしょうか? 「生きている価値がない」というのがそれです。「100%分かる」というのと同様に飛躍しすぎている と思います。あなたは「揚げ足とり」と非難されますが、対話される場合政治家のように寸分の空きもなく話してくれとは言いませんが、もう少し慎重に話され るようにお願いしたいと思います。前回は就職活動のために忙しいというご理由で退去されましたが、今回はどうされるのでしょうか? シャドーイング方法論 争を提起された後、Ton様のシャドーイングが根石さんの回転読みより優れているという貴方の論拠を尋ねられていますが、そのレスと、私の上記「英語でも 何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。」という貴方様の議論に関しお尋ねしました趣旨をご理解いただ いた上でのレスを切にお願い致したいと思います。



2971 眠いのに 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月21日(火)02時59分49秒

目が覚めた。

そんだもんで、提案を一つさせていただきます。

 提案。

 相も変わらず非常に語学的で申し訳ないのですが、有志で、「ほぼ同じごっこ」というのをやりませんか。どうやるのかというと、ある一つの英文を提示し て、これはこう言っても「ほぼ同じ」ことが言えるというものを考え、元の文と並列して提示するのです。

例。

Say cheese!
You guys, smile!

She's a real looker!
She's so beautiful!

He took her in his arms and kissed her.
Neishi-san wants to do so.

 最後のやつは、私のすけべによる冗談ですが、想像的本音です。ああ。

 こういうゲームをやって、相互批評が行われ、いや、それはちょっとまずいのではないか、それだと結構別のことを言ってることになるんじゃないかなどと意 見が交換されればいい勉強になります。
 さて、私は実に商魂たくましいのですが、こういう相互批評によって、2つの英文の良質の対比が作れると、私は私の月曜日のクラスの生徒のために教材が作 れるのです。
 誰か、この掲示板につきあってくれる英語ネイティヴがいるといいんですがね。
 英語でコメントしてくれると助かる。
 ウドというやつは忙しすぎるし、そもそも英語をまくしたてるだけで、英語の書き言葉は苦手だからあんまり期待できない。

 私の側の商魂を明らかにした上で、ご参加下さる方を募ります。
 また、このゲームの流れを他の話題から区別するために、記事のタイトルを同じものにしておく必要があるとも考えています。案としては、「二卵性」という のを提示しておきたいと思います。




2973 O嬢の物語その後 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月21日(火)03時11分58秒

腹たててるか?
あんたがバカアメリカのバカプレジデントのバカクリントンと握手したという話を、てんしんら
んまんに俺にしてうれしそうな顔をしたとき、おまえ、クリントンがスーダンで何をしたのか知
ってるのか、と思い、ああこいつが知ってるわけがないと思い、暗澹とした気持ちになり、あん
たのてんしんらんまんづらを眺め、あんぽんたんと思い、でもいい女だなと思ったことなど、あ
んなは何も知らない。
あんたが知らないのは、
知の悲しさ
もう、あんたは若くはないのだから、
肉の悲しさ
だけじゃやっていけない。

その次に俺が異様な思いをしたのは、9.11のときのあんたの次の発言。

「どうせ逆らったって駄目なのにね」

あんたへの今の時点でのおすすめの本は
「9.11」(ノーム・チョムスキー)
今、村田君に貸してあるから、出版社が確認できない。

読むべし。

あんたの脳味噌がもう少し重量が増すことを願っています。少しずつ増すことになれば、あんた
はますますいい女になると思うので、俺はますます苦しいことになるが、我慢してやるからさ、
少し脳味噌を重くしろ。

以上、O嬢へ。



2980 お願い 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月21日(火)03時53分26秒

私はこの掲示板の過去ログを、自分が持っているリソグラフという印刷機で印刷して、出版物に
しようかと思いつきました。
過去ログに書かれた記事で、印刷物にすることはごめんこうむるという方がおられましたら、こ
の掲示板でハンドルネームを明記して言明して下さい。

やる場合は、安いコピー用の紙を使用します。事務用上質紙です。
多分、版形はA版でいきます。
これをシリーズで出していって、Ton さんか Kawakami さんに目を通していただき、ダイジェス
ト版として出版していただけたらと願っています。どの部分を採用し、どの部分を削除するかは、
すべて編集者様におまかせしたいと思います。

Ton さん、どうでしょう、この案。



2981 ただいまぁ 投稿者:Naima 投稿日: 5月21日(火)06時12分02秒

さっき旅行から帰って来て、さっそく3日間の投稿に目を通した所です。

Eliotさんが松香フォニックス研究所を紹介されていますが、私も夫の転勤でこちらへ来るまで、会員として定期的にワークショップに参加していました。 入会当初に撥音矯正を受けた時は、th や v/f の撥音より、p j y の撥音の方が私には難しく難儀しましたが、後にリスニングの向上の為に非常に役に立ちました。 息子が中学生になった時、フォニックスを教えてやったので すが、学校で、「"name"の綴りは『なめー』と覚えると簡単だ、と先生が言われた」と聞いて、がっくりした事があります。 先生はおもしろおかしく おっしゃったのだとは思うのですが。

斉藤さんが、文法の事について述べておられましたが、別に文法至上主義だと言ってるわけではありません。 語学を修得するのに、文法を無視するわけにはい かない、と思ってるだけです。 学校英語(そんなカテゴリーがあるのもおかしいんですけど)が文法を強調したあまり、文法に対して拒絶反応を起こす人達が 多いのも無理ないと思いますが、やっぱり大切。 私は語学の専門家ではありませんので、経験上感じた事を書いただけですので。

根石さん、私のちゃらんぽらんな投稿もそのまま活字になるんですか? ならないんでしょ? ええい、なってもいいか... 今後は口に気をつける事にしま す。



2983 根石さん 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 5月21日(火)20時34分50秒

---------------------
私はこの掲示板の過去ログを、自分が持っているリソグラフという印刷機で印刷して、出版物に
しようかと思いつきました。
過去ログに書かれた記事で、印刷物にすることはごめんこうむるという方がおられましたら、こ
の掲示板でハンドルネームを明記して言明して下さい。
---------------------

これは、かなり問題がありそうです。
インターネット上の掲示板に投稿された意見には、自動的に著作権が発生します。
従って、原則として他の公共的媒体への転載は禁止されると考えられます(当該掲示板内での
引用やリンクは問題ないようです)。
従って、転載する場合、書いた本人の承諾が必要になると思います。
本人の反対が無ければ良いというものではないと思います。
もし、そうなら、書いた人は常にその掲示板を見ていなければならないことになります。
さらに、本人の承諾をとるとしても、どのようにして、本人の確認をとるのでしょうか?
これも難しそうです。赤の他人が本人になりすますこともインターネット上では簡単に出来そうです。



2984 Naimaさん 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 5月21日(火)21時34分07秒

--------------------
斉藤さんが、文法の事について述べておられましたが、別に文法至上主義だと言ってるわけではありません。 語学を修得するのに、文法を無視するわけにはい かない、と思ってるだけです。
 学校英語(そんなカテゴリーがあるのもおかしいんですけど)が文法を強調したあまり、文法に対して拒絶反応を起こす人達が多いのも無理ないと思います が、やっぱり大切。 私は語学の専門家ではありませんので、経験上感じた事を書いただけですので。
--------------------

この問題はかなり複雑な気がします。
文法が必要というときの「文法」とは、何を指しているのかがまず問題です。
学校で習う英文法のことでしょうか?
学校で習うような英文法が出来たのは19世紀後半だそうです。
そうだとすると、19世紀以前に英語を習った非英語圏の人々はどのようにして英語を習ったのでしょうか?



2985 斎藤さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月21日(火)21時59分37秒

>インターネット上の掲示板に投稿された意見には、自動的に著作権が発生します。

 そうですか。弱りましたな。
 私は、独立した形で語学論をやろうかとも思ったり、この掲示板で議論されることを語学論の方へ引っ張ることで継続しようかと思ったりして迷っています。
 掲示板の議論を語学論の方へ引っ張るのであれば、元の議論が見えていないと、記事で言いたいことの輪郭がはっきりしなくなる。
 その意味で、元の記事を書いた人の記事が必要になるなあと考えていたのでした。
 再考します。

>さらに、本人の承諾をとるとしても、どのようにして、本人の確認をと
るのでしょうか?これも難しそうです。赤の他人が本人になりすますこと
もインターネット上では簡単に出来そうです。

 これもなるほどと思います。
 「大風呂敷」というタイトルの脇に、この掲示板に書かれた記事は、ハンドル・ネームを変更した上で、根石吉久が印刷物にする可能性があります、というお 断りの文をあらかじめ書いておいたらどんなことになりますか。これなら、赤の他人が本人になりすます問題もクリアできると思うんですが。

 私自身が作る印刷物は粗末なもので、発行部数も数十程度のものです。これをたたき台にして、本を構想できるのではないかと考えたのでしたが、Ton さんの方からの Go ! がなければ、この案はひとまずは棚に上げてしまいます。



2988 文法 投稿者:Naima 投稿日: 5月22日(水)00時35分15秒

齋藤さん、

私やこの掲示板を閲覧している私の友人達は、熱心な英語学習者です。 ですけれど学校で習う文法が19世紀後半に出来たとかいう専門的な事などについては 全く知らないのです。 一般の学習者が考えている文法、というあいまいな定義では前に進まない様な難しい議論であれば、私の手に負えかねます。 それ以前 の人達がどうしていたか、私は会った事もないので、さっぱりわかりません。

his ate vicious cat pretty dog the この単語の羅列を整理して意味のある文章にするのが文法だと理解している、と言うのが関の山です。 19世紀後半以前の非英語圏の人々がどの様に英語を 習ったか、についてはこちらから逆に、齋藤さんに教えをこわなければなりません。

近代の英文法の成立とそれ以前の英語の学習について、誰にでも理解しやすい言葉で教えて頂けますか?



2989 英語はもともと田舎ことばだった・・ラテン語からみると田舎  動詞の活用が省略されている国なんて・・という見解 投稿者:dosukoi 投稿日: 5月22日(水)01時12分32秒

Naima 様

19世紀以前に英語を習った非英語圏の人なんかいないでしょ?
大英帝国があっちこっちに手をつけたのは19世紀じゃないですか?
コロニアルの側は奴隷をしばいていれば良かったのですが、文法なんぞ、というのは
大英帝国進出以前は必要がなかったのでは?
ハプスグルグと・・と書いていて笑ってしまいました。

http://dreamcity.gaiax.com/home/dosukoi/main



2990 文法について(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月22日(水)01時47分25秒

斎藤さん、 Naima さん

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 駄目だあ。書いているうちにどんどん酔いが回ってきた。以下の文は、まだ比較的酔いが回らないで書いたものです。不備があっても、酔いが回ってからの 「良い判断・酔い判断」よりは酔い・良い・ヨイヨイと思うので、今のうちにUPするぞ。
 (酔わないで文法回りのことを書くのはきわめて難しい。人よ、これを知れ)

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 言語の中に法則が見つかれば、それはどんな素朴なものでも文法と言っていいのではないかと思っています。

 I と am がセットであらわれ、you と are がセットであらわれるのだなと気づいたら、きわめて単純ながら、そこには法則性が見いだされているので、この法則をつかんでいる意識を「文法的意識」と呼 べると思います。
 文法的意識の強い人が、自分が気づいたものの数を増やしていき、他人が気づいたものでも、なるほど確かにそういう法則もあるなと確認できたものを数に加 えていけば、素朴に把握された文法事項の項目がどんどん増えていきます。初めはかなりランダムに増えていった項目の中に、さらに共通性が見いだされたりす れば (am, are, is は同じグループに含まれるんだな、など)、文法は抽象性を獲得します。

 斎藤さんに教わった、「19世紀の英文法成立」は、この抽象性の成立期のことなのかどうか?

 なにはともあれ、そうして、いったん抽象的な体系が成立してしまうと、これが規範化し、この体系を「語学の初めにおいてでも」、「体系として」理解しな ければならないかのような幻想が成立します。
 これが、学校や受験の世界で、かなり抑圧的な幻想として作用していると思います。この幻想を学校が産出するのは、「先生」とか「教育」とかという幻想が 崩れないようにするための姑息なタヌキが学校回りに多く棲息しているためです。こいつらの巣は、鼻が曲がるほど臭い。(少なくとも、私の鼻で嗅ぐかぎりで は・・・)。
 スコラ的な文法知識で頭を混乱させて、語学が嫌いになる人が多く出てくるのは、この悪質な幻想のためです。(学校的「正しさ」を、しっかりと裏切ること のできる心の力を持てない子供がたくさん出てくるのは、日本の学校の背後にアメリカイデオロギーが聳えているためです)。

 斎藤さんは、初めに文法ありき、という考えをとらないのだととらえてよいでしょうか。
 これは、いかにも斎藤さんらしく、抑圧的な幻想に対して against です。
 この場合の「文法」は規範として成立した体系という意味でよろしいでしょうか。

 Naima さんのおっしゃる「文法」は、いわゆる基礎文法事項のことではないでしょうか。
 体系に深く分け入ることで全体を把握し、その全体を書き直そうとするような作業のことではなく、語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に 押さえてしまえ、というような意味での、文法事項のことを言っておられるのではないでしょうか。(違うかも知れん)




2991 文法について(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月22日(水)01時52分11秒

 文法体系のことも、文法事項のことも、同じく「文法」と呼ばれてしまうのですが、この両者はまるで別のレベルのものです。

 以上の理解でよろしければ、斎藤さんの捉え方と Naima さんの捉え方は対立しないと思います。

 英語という言語についてよく言われるのは、中学文法はちゃんとおさえる必要があるというような言い方です。語学のための損得では、これは素直に受け入れ てしまった方が得になります。体系の全体に分け入って、全体を書き直すというような「文法のための文法」ではなく、役にたつ基礎事項をおさえるという、あ くまで語学のための文法の扱い方です。「役にたちゃいいわい」という考え方における文法です。

 斎藤さんのこれまでのいくつかの記事に見られるものに、「文法よりもインプット」というものがあります。しかし、文法を、体系と捉えず、必要な基礎事項 と捉え、さらにもっとプリミティヴな行為として、具体的な文の中に法則性を見ようとする文法意識として捉えるなら、これはインプットという行為においても とても役にたちます。
 文に働く文法的な法則性を理解してインプットしたほうが、文は立体的に理解されてインプットされます。特に初心者では、インプットという行為に文法的意 識が働いていたほうがいい。(この意識は次第にハイパー化し、まるで小さな点のようなものになりますが、語学ではこの微少な点はかなり後まで残ります。)

 これは、ネイティヴ言語と語学の対象としての言語との違いに基づきます。
 これまでの日本の語学状況は、ネイティヴ言語・生活言語・語学言語が味噌糞一緒です。味噌と糞は全然違うのに(笑)。(俺はみそ汁を作るときに糞は使わ ないぞ・再度((笑)))。

 ネイティヴ言語は、一度も文法を意識しなくても身に付きます。文法意識も、それがハイパー化された微少な点としての一瞬の意識(センス)もないままに、 文法は無意識に備わっていきます。文法意識をまったく欠いた言語がネイティヴな言語なのだと言ってしまってもいいはずです。

 文法を「根」だとした喩えばなしだと次のようになるかと思います。

 ネイティヴ言語の「文法にとって」、意識は大地そのものであり、そこに種がこぼれさえすれば、勝手に根を張り始めます。種から「直接に」根が出てきま す。子供の意識の活力さえあれば、これにはどんな世話も要りません。親やその他の人の生活言語が生活言語を育てるのであり(糞や小便の世話をして、言語の 世話をしなくても)、すべてはきわめて自然な過程として、言語が備わります。
 「なぜ自然に」文法が備わるのかと問うならば、一挙に巨大な謎が立ち上がりますが・・・。(このあたりが、チョムスキーの文法理論の問題意識なのかと推 測していますが、不勉強のため見当違いなことを言っていることを恐れます)

 さてさて、語学に目を転じるならば、語学の言語の文法は、「文法にとって」、園芸の世界の挿し木が扱われるような扱いを受けます。場所は小さな鉢であっ たりするので、保水に気をつかい、時期外れに扱われるために保温が必要だったりする。文法事項は切り取られた一本の枝ですから、根がついていない。(感覚 の自然性ではなく、知識という外来物である)。だから、挿し木によって、根を出させるところから始めなければならない。(根は人工的な工夫によって生じさ せるしかねえのだ)。

 ネイティヴ言語が文法を意識しなくても身につくから、語学でも同様なことが可能なのではないかと考えるのは、乱暴な考えであるばかりでなく迷妄でもあり ます。これは、語学の多くが「磁場」に下支えされることがないことを無視した論です。(とりわけ、日本人が英語をやるような「異質シンタックス」を扱う世 界においては、これがてきめんに当てはまります)。
 語学はどこまで行っても、意識的=人工的なものです。こうじ君が生きているような俳優・女優の世界に通底します。(こうじ君、元気かな?)





2992 文法について(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 5月22日(水)01時53分05秒

 初心者のひとまずの目標は、「音づくり」と「イントネーションの自己決定力の確立」だというのが私の持論ですが、この段階で、すでに文法(的意識)がか らみます。意味がわかってこそ、イントネーションは自己決定できる。その時に、文法的理解は媒介されるはずです。

 逆から言えば、本当の初心者は、イントネーションが自分で決められない人のことです。
 この段階では、コーチなり、音声複製教材という「他力」あるいは、「モデル」が必要です。自分以外の人や教材が作り出すイントネーションを真似すること でイントネーションをなぞり、作るしかありません。
 また、この真似をするのに、どんどん口を動かして口を動かしやすくするような「音づくり」の過程が先行する(か同時進行する)必要があります。ですか ら、私の(「磁場」を欠く場での練習順序の)私案では、最初に「音づくり」があります。この点では、Eliot さんとまったく考えを同じくします。
 この「音づくり」は英語ネイティヴにはできないという認識は、まだ Eliot さんと共有できていませんが・・・。

 Eliot さんと私が違うのは、この過程をすっとばしてしまった(学校英語の犠牲者になってしまった)人の面倒をみるかみないかが最大の違いです。
 それ以外では、思考としては、とても共通しています。

 まずは、「他力」あるいは「モデル」にならうことで「音づくり」を兼ねながら、(他力から成る)イントネーションを備えた文を一定量インプットする。次 第に、法則性を見いだそうとする文法的意識を備え、既存の文法知識を媒介にし、そこから生まれる理解を媒介にし、(同じ文に繰り返し立ち戻る=「復習範囲 を手放さない」ことで)音と意味が一緒に動く状態を作り出す。
 この全体を繰り返すことで、醸されるのが、「イントネーションの自己決定力」です。 これには、(いわゆる)正しい発音も、意味(的理解)も備わってい るはずです。
 この過程で、文法的意識は働いており、文法的知識は媒介にされ、次第にセンスと化して動くようになります。もはや、知識ではなく、すばやい種々の点(セ ンス)の連続的な移動となります。

 これが、私が考えている「使える英語」の基体です。
 文法的知識は、理解を媒介にし、イメージを確定するためにも必ず必要なものです。

 言葉にして言えば実に面倒ですが、私がレッスンでやっていることは実にシンプルです。

 文法的知識は、知識のレベルを脱して、センスとならなければならない。
 これは語学をやる人が、とりわけ意識していないだけで、誰でもがたどっている過程です。(これに対して意識的になれれば、語学論が立ち上がるでしょ う。)

 イントネーションが「自力」で確定できるようになった人は、斎藤さんが言われるように、どんどんインプット量をかせぐ段階に入ればいいと思います。イン プット量を急激に増大させる必要のある時期が来たら、必要な練習です。この時期では、浜谷さんが推奨しておられる多読も大いに有効です。
 この段階では、基礎体力ができているので、相当きつい「雑食」に耐えられるようになっています。

 斎藤さんの主張は、初心者のレベルを脱した人のための練習法ではないでしょうか。
 Naima さんの主張は、この世を生きていく上で、バランスを失わないためには必要なものだと思います。




2993 ブンポウ 投稿者:Naima 投稿日: 5月22日(水)02時27分19秒

私の記憶では、フォニックスはアメリカへ移民した人々に英語の撥音とスペルを指導する為のものだったと思うのですが、間違っていたらEliotさんに正し い成り立ちについて教えて頂かなければなりません。

フォニックスも撥音とスペルの規則を体系化(そんな大層な事でもないか?)したものです。 この規則性を覚える事で、始めて耳にする音を70〜80%、文 字化出来、自学自習する際、読解や聴解の大きな助けになると聞いています。 

外国語を修得する場合、大量のインプットが必要な事は言うまでもありませんが、母国語の様な過程を経て、それと同様の時間を費やすわけには行かないと言う のも、哀しいかな、現実です。 ネイティブスピーカーが数十年かけて体得した言語を、私達は数年、場合によっては数カ月で形にしなければならない事もあり ます。 

膨大なインプットが出来る物理的な環境にあればそうしたいと思いますが、一般の学習者にはそんな時間はとれない事の方が多い様に思います。外国語を学習す るにおいて、規則を一通り学んでおく事は必要な事だと思っています。 

根石さんが助け舟を出して下さった通り、「語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に押さえてしまえ」と言いたかっただけの事で、19世紀以 前にまで遡る事になろうとは、夢にも思いませんでした。 ちょっとびびってしまい、涙目になってました。




2994 見果てぬ夢やねんけど... 投稿者:Naima 投稿日: 5月22日(水)03時32分00秒

根石さん、

私は言葉をしらないので、自分の思いを十分に伝えられない腑甲斐無さにいつもヒステリーを起こしていますが、ちょっと頑張って書いてみます、

私の回りには英語の上級者と言われる人達が沢山いますが、流暢に喋ってはいても、自分の言葉に実感がわかない、と言う思いを皆一様に経験しています。

日本を出ずに学習して来た友人達は特にそうです。 たとえば flimsyと言う言葉を使えたとしても、意味が判ったとしても、どういう状況で使うかを英英辞書で引いて例文を覚えたとしても、インターネットでこの語 が使われている文章を片っ端から読んだとしても、映画の中で出て来たのを真似したとしても、なかなか自分の血肉にはならない、と言う歯痒さを、年がら年中 しているわけです。

そこまで突き詰めて自分の英語を「どないかしたい」と思えば、ちょっとやそっとの量のインプットでは話にならない、と言うので、延々と英語をやってる様な 気がします。 

上級者になればなるほど、ネイティブスピーカーは、その人の英語を額面通り受け取る様になります。 私達がひとつひとつの言葉に持つイメージと母国語とし て話している人達が同じ言葉にもつイメージとに、どれ程隔たりがあるのか、と考えると、空恐ろしくなってきたりします。 もっとも私は上級者ではないので すが、それでも自分の言葉が空回りしてないか...と気になるのです。 (実際の所、空回りしてるんだと思う) 所詮、外国語やねんから、そこまで求める のが無理、とは思っても、ウナギの様にぬらりくらりと両手の先から逃げ出ていく英語を追っかけてるのが現状です。 しかも「なまもの」なので、賞味期限の 短い語や文法規則があったりして、なんとか曲りなりにも身に着いた頃には、腐ってしまっていたりもするのです。

根石さんの英語論は難しい事が多いのですが、根石さんが「語学が意識的なもの」「人工的なもの」とおっしゃるのは、こういう事なのだろうか、と思ってるん ですけど。そういう所に気付かない、と言うか、そういう所を無視して「英語が出来る」と言う人達に対して、辻切りをやってはるのか、な、と思ったりするん ですが。 見当はずれでした?

自分の日本語と同じレベルの実感をもって英語で話せたらいいなと思うのですが、(まずそういう場もないだろうし、一生かかっても無理だろうけど。)、ここ に投稿されている齋藤さんやこうじさんは、どの様にしてそれを克服されたのか、素直に聞いてみたい気がしています。 




2995 外国語を学ぶ 投稿者:Naima 投稿日: 5月22日(水)04時23分22秒

>根石さんが「語学が意識的なもの」「人工的なもの」とおっしゃるのは、こういう事なのだろうか、

は、

根石さんが「語学が意識的なもの」「人工的なもの」とおっしゃるのは、こういう事も含めておっしゃっているのだろうか、

に変えて下さい。 (変えてもやっぱり見当はずれだったりして...)




2996 Naima さん、皆さん 投稿者:斉藤伸夫 投稿日: 5月22日(水)20時00分41秒

英文法が成立したのは19世紀後半と書きましたが、これは、人から聞いただけなので、念のため、今日、本屋にいって「英語の歴史」というような本を見てき ました。
それによると、規範英文法がイギリスで成立したのは、18世紀末だそうです。
18世紀の初め頃から、規範文法の本が出始め、約100年かかって成立したそうです。
何故、18世紀の初め頃に規範文法が出てきたのかの理由は詳しく書かれていませんでした。



2997 Naima さん 投稿者:斉藤伸夫 投稿日: 5月22日(水)20時09分40秒

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自分の日本語と同じレベルの実感をもって英語で話せたらいいなと思うのですが、(まずそういう場もないだろうし、一生かかっても無理だろうけど。)、ここ に投稿されている齋藤さんやこうじさんは、どの様にしてそれを克服されたのか、素直に聞いてみたい気がしています。
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私は、「自分の日本語と同じレベルの実感をもって英語で話せます」と書いたことはもちろん、それに似たようなことも書いた覚えはありません。
私の英語は、英語ネイティブに較べたら、謙遜抜きでお粗末なものです。



2998 Naima さん  投稿者:斉藤伸夫 投稿日: 5月22日(水)20時23分06秒

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根石さんが助け舟を出して下さった通り、「語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に押さえてしまえ」と言いたかっただけの事で、19世紀以 前にまで遡る事になろうとは、夢にも思いませんでした。 ちょっとびびってしまい、涙目になってました。
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19世紀ぐらいでびびっていたら、英語なんて、いや、現代人なんてやってられないと思います。現代の文化は過去の遺産のもとに築かれています。その証拠 に、英語の言い回しには、聖書やシェークスピアの言葉が今でも残っています。



2999 Naima さん、たびたび、すみません。 投稿者:斉藤伸夫 投稿日: 5月22日(水)20時35分29秒

>「語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に押さえてしまえ」と言いたかっただけの事で、

英語の基礎事項は、大抵の日本人が、中学、高校でイヤと言うほどやらされているので、特に強調しなくてもいいのではないのでしょうか。



3000 根石さん 投稿者:斉藤伸夫 投稿日: 5月22日(水)20時46分30秒

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 斎藤さんの主張は、初心者のレベルを脱した人のための練習法ではないでしょうか。
 Naima さんの主張は、この世を生きていく上で、バランスを失わないためには必要なものだと思います。
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中学校で学ぶ英語を一応理解すれば、ひとまず、初心者のレベルを脱したといえるのだと思います。