※記事番号2001〜2500は江戸の母さんにピックアップしていただきました。
2002 まがい・もどき考 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)13時30分17秒
浜谷さん
やはり、英語の質を言う語と、意識のありようを言う語との混在があるようです。一晩寝て考えたところを書きます。
「日本の英語」という場合の「日本の」という語は、「日本に置かれた英語」という意味ではなく、日本語で育った人が、日本語に囲まれて作った英語、ある
いは、今も「日本語の磁場」という不利な場にある英語という意味です。今後は私はこの意味で、「日本の英語」と言おうと思います。
(単に「日本に置かれた英語」の意味にしてしまえば、英語ネイティヴが、日本に観光に来ているだけでも「日本の英語」になってしまうのでまずいと思いま
す。)
「日本の英語」は、「まがい」と「もどき」に大きく分類されます。このどちらも、ネイティヴ「ではない」ことが共通した本質規定です。
「まがい」「もどき」ともに、「形容詞+名詞」の形容詞として使えます。
用例:「まがい英語」「もどき英語」
「まがい」「もどき」ともに、名詞の後につけて、使うこともできます。
この場合は「AはBである」というシンタックスを内蔵します。
用例 「英語まがい」 (英語がまがいである)
「英語もどき」 (英語がもどきである)
「AB」のうち、AもBも、「まがい」か「もどき」のどちらかである場合は、意識のありようを表します。この場合も、「AはBである」というシンタック
スを内蔵します。
用例 「まがいもどき」 (まがいがもどきである)
「もどきまがい」 (もどきがまがいである)
難しいのは、「AB」のうち、AもBも「まがい」か「もどき」である場合です。その組み合わせは以下の通りとなりますが、そのそれぞれがいったい何をさ
すのかは、今後考えていくつもりです。
「まがいまがい」
「まがいもどき」
「もどきまがい」
「もどきもどき」
おそらく、多くの人々は、私が単に言葉で遊んでいると考えると思います。多分にその気味はあるものの、しかし、これらの語は、戦後日本の英語に集まる魑
魅魍魎・亡霊たちの馬鹿踊りの底で静かに光り出すだろうと考えております。日本の英語は、上の四つのうちのどれかに含まれてしまうという本質規定がここに
あるのです。
ひとまず、「まがいまがい」についてだけ、私の考えを述べます。
「まがいまがい」(まがいがまがいである)。まがいがまがいなら本物ということになります。マイナス掛けるマイナスはプラスという単純な思考ならそうな
ります。この場合は、「絶対に英語が使えないということにおいて本物である(意識)」です。また、「僕は僕だ」というように、意地っぱりであるだけである
場合もあります。私の考えでは、「すでに死んだ英語を持つ意識」です。すでに「まがい」ですらない場合を言う語として使いたいと思っています。
死ぬ運命にある学校英語・受験英語を現在やっている人は、単純な「まがい」に過ぎません。「昔、学校で英語ってものをやったなあ。あ、もちろん全然使え
ないよ」という人は、「まがいまがい」です。「まがい」が「もどき」になる可能性はいつでもありますが、「まがいまがい」が「もどき」になることはきわめ
て困難でしょう。
「まがいもどき」以下は、明日以降に持ち越します。
2005 わしづかみ 投稿者:sb 投稿日: 3月 6日(水)15時52分01秒
シンタックス鷲掴み。そうか。こういうことだったのか、と今日思いました。
イメージは一人の頭の中でどのように進化していくのか。
それは「音読=回転読み」の量に比例する。
シンタックスは「鷲掴みする」から「鷲掴みにできる」のだ。
本人にも他人にも「分析」できるような代物ではない。
そういうものなのだ、と考えました。
2009 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)16時40分26秒
700選に錆が寄ったということを言っておられるのですか。
シンタックスは分析すれば分析できますし、分析してはならないということではない。
分析にとどまってはならない。鷲掴みで掴むところとまで読み込めということだと思っています。
2010 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)16時41分28秒
鷲掴みで掴むところとまで
→
鷲掴みで掴むところまで
2015 浜谷さんを無断掲載 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 7日(木)01時29分54秒
根石さん、次のように考えて見ましたが合ってますでしょうか?
1.「まがいまがい英語」=「初・中級無自覚的もどき英語」(初・中級のべたらもどき英語)
2.「もどきまがい英語」=「上級無自覚的もどき英語」(上級のべたらもどき英語)
3.「英語もどき」 =「中級自覚的もどき英語」(英語もどきコンシャス)
4.「もどき英語」 =「上級自覚的もどき英語」(もどきコンシャス英語)
「自覚的もどき英語」に初級はない。この段階で「使える英語」は期待
できないからである。勿論3.4.が理想的「日本の英語」である。
----------------------------------------------------
すばらしい分析力だと思います。
感謝します。
2043 シナリオ本 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 8日(金)12時44分54秒
ゴースト 買いました。
私の英語のシンタックスはゼロですが、これで
シンタックスの内在化を試みようとおもいます。
2044 「まがい・もどき」再説 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 8日(金)17時28分40秒
浜谷さん
日本の英語を「まがい」と「もどき」に分類することは、パンドラの箱を開けるようなことと思います。これは、これまではタブー扱いされてきたと思いま
す。しかし、これに類することは、ちらほら目にしなかったわけではありません。例えば、國弘さんに、「英作文ではない、英借文だ」という言い方がありま
す。これは、実は「もどき」の自覚です。
たとえ國弘さんといえども、渡米するまでに(日本在住のままに)、高度な「もどき」を作られた方です。
もう一度、最初から組み立ててみます。
「日本の英語」 日本語で育った人の英語。日本語の磁場の中で作った英語。今も、日本語の磁場の中にある英語。
「日本の英語」は「まがい」か「もどき」のどちらかになる。
「まがい」の代表は、学校英語、受験英語。特徴は、「知識が知識にとどまる」こと。文法的知識、構文解析のための知識など、知識が豊富である場合も多い。
「もどき」は、知識がセンスとなって動くレベルが獲得されているもの。文法や、シンタックス把握がセンス化されている。
「まがい英語」は英語だが、「英語まがい」は英語ではないなどの、言い回しは、「のべたら言葉遊び」になる可能性があるため、今のところ立ち入らないこと
とします。「まがい英語」は果たして英語なのかという大きな難問があります。
「まがい」という語は、「使えない」という語とほぼ重なる語として使用したいと思います。
「もどき」という語は、「使える」という語とほぼ重なります。
日本の英語教師たちが、「巨大なるしろうと集団」になってしまうのは、「もどき」の自覚の弱さによるものと考えます。「もどき」の自覚がある人でも、そ
の自覚を授業の方法に結びつけようとすると、現在の受験体制、テスト体制が障碍となり、実現がほぼ不可能になっている現状があります。
「音づくり」という初期段階の重要な練習は、あくまでも「もどき」の誕生をうながすものです。
複製音声教材(映画のビデオなども含む)は、「磁場」として「まがい」です。このまがい性の認識がなく、本物の英語だなどと思っている人は、認識とし
て、「まがい」です。
「まがいまがい」 まがいものとしてすら通用しないまがいもの。英語の練習もしない。昔、学校で英語をやったことがあるなど。
「まがいもどき」 まがいの世界でもがいているが、そのしゃにむにの動きが何かをつかみかけている。もどきの世界に入る可能性の芽を内包する。まがいの世
界にいるが、真剣に英語をやろうという意志がある。
「もどきまがい」 英語力自体はある。使えば使えるレベルができている。しかし、その力が「もどき」の力であることの自覚がないため、自覚としてまがいで
ある。
「もどきもどき」 単なるもどきのレベルを抜け出ようとするレベルに達している。英語は使える。英語の磁場に置けば、日本語を遮断して、英語として生きて
いける英語。しかし、現在は日本語の磁場に置かれているために、思考法が日本語と英語とちゃんぽんになる。それらの事態を自覚している。日本語の磁場にお
ける最高レベル。
バイリンガルの英語は、「まがい」にも「もどき」にも含まれません。ほとんどの場合、英語圏滞在により、日本語を遮断した経験があるか、幼児期に「二つ
の生の磁場」を往復しています。バイリンガルの英語は、あくまでもバイリンガルの英語であり、日本の英語ではありません。
どの人の英語にもでこぼこはあるもので、「バイリンガルの英語」は、読み書きに弱いなどの傾向があるかもしれません。しかし、これは一般的な傾向にすぎ
ません。
「もどき」「まがい」は、一般的傾向ではありません。これは、日本語の磁場に規定された、本質規定です。これを本質規定として自覚できない人は、日本語
の「磁場」がどれほど大きな作用をしているかの認識ができていない人です。
「もどき」にせよ、「まがい」にせよ、自分の英語の状態に無自覚であり、無自覚なままにとどまっているものに関して、「のべたら」の語を関することにし
ます。「のべたらもどき」「のべたらまがい」など。
「まがい」の世界に初級・中級などを設定することはできないと思います。「まがい」や「無自覚的まがい」に初級も中級もない。初級を設定できるのは、
「もどき」の世界においてです。いくら英語が駆使できても、「もどき」のもどき性の自覚を欠く者に、「上級」などの語を冠するのは間違っていると思いま
す。
2049 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 9日(土)00時01分52秒
「ゴースト」を始められる由。応援します。進展をご報告下さい。
パクパクさんは、鵜田さんのところで、音の区別はやってあるので、後は、國弘式
で回数を大事にされることが大事かと思います。
以前、喉を傷められたとお聞きしましたが、英語の音読は、喉に力を入れるのでは
なく、口や舌を立体的に動かす(強くはっきりと動かす)ことがポイントになります。
喉から声を張り上げないで使って下さるようお願いします。声を張り上げると、また
喉を傷めてしまいますので・・・。
2109 英語音「10?のポイント」考 投稿者:浜谷(はまや) 投稿日: 3月11日(月)19時42分30秒
根石先生、
>[tall s] の方がわかりやすいかもしれません。
[縦長 s]でどうでしょうか? まあ将来印刷される場合はいずれにせよ必要のない呼称ですが・・・。 それから「s
と同じ。唇を丸めて突き出す。」という説明のなかの「唇を丸めて突き出す」というのがまだ分からないのですが・・・。これは後に来る母音が「u」の場合に
言えますが、それ以外の母音が来る場合には言えないと思います。例えばsheの場合などです。また、このポイントと類似した音で[t+縦長s]がありま
す。[f, v]
ポイントと同様のケースだと思います。このポイントに併せ加えて説明すればわかり易いのではないでしょうか? 例えば、「それぞれ日本語の「し」「ち」と
同じ口の形から次に来る母音につながる音になる。」というようにです。
>黙音: want to などで、 want の t 音が黙る(舌の位置は確保される)
連結: would you などで、 ウジュ のように繋がる
母音削除: これが結構時間がかかります。要するにカタカナ発音でなく、子音を
子音単独で出すようにすることです。
このポイントは3つとも非常に大事ですから3つに分割すればいいと思います。すなわち「10のポイント」→ 「12のポイント」にした方がいいのではない
でしょうか?「母音削除」の説明は「子音を子音単独で出すようにすること。例えば「sitの場合[s]をまず単独で発音し、その後の[it]につなげ
る。」のようにすればどうでしょうか?
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
2110 「もどき」「まがい」英語再考察+「英語の身体化」の有無 投稿者:浜谷(はまや) 投稿日: 3月11日(月)22時02分21秒
根石先生、
先生のJackieさんへの書き込み(3月9日付、「英語の身体化」の有無)と「もどき」「まがい」英語再考察の書き込みの要旨を合体してみました。 こ
れは合っているでしょうか?
「まがいまがい」 まがいものとしてすら通用しないまがいもの。英語の練習もしない。昔、学校で英語をやったことがあるなど。
=使えない英語 + 身体化していない英語 → 喋れない → 普通の学校(含む普通の英会話
学校)で学んだケース
「まがいもどき」 まがいの世界でもがいているが、そのしゃにむにの動きが何かをつかみかけている。もどきの世界に入る可能性の芽を内包する。まがいの世
界にいるが、真剣に英語をやろうという意志がある。
=使えない英語 + 身体化している英語 → 喋れるが意味不明 → ESSなどで下手に訓練
(身体化)されたような英語
「もどきまがい」 英語力自体はある。使えば使えるレベルができている。しかし、その力が「もどき」の力であることの自覚がないため、自覚としてまがいで
ある。
=使える英語 + 身体化していない英語 → 一応喋れる → 身体化の特訓が必要 (一応独学などで英語は使えるようになったが、初期の段階
で身体化の過程を踏んでいない。)
「もどきもどき」 単なるもどきのレベルを抜け出ようとするレベルに達している。英語は使える。英語の磁場に置けば、日本語を遮断して、英語として生きて
いける英語。しかし、現在は日本語の磁場に置かれているために、思考法が日本語と英語とちゃんぽんになる。それらの事態を自覚している。日本語の磁場にお
ける最高レベル。
=使える英語 + 身体化している英語 → 喋れる
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
2115 発音「10のポイント」 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月11日(月)23時49分23秒
sb さん。ありがとう。
----------------------------------------------------
> @th 歯で挟み、引っ込めながら息を出す。
「ひっこめながら」というのは違うのではと思います。
「歯で挟み、下の上から息を出す」の方がいいのではと思います。
そうか。単語の最後が th だったら「ひっこめる」ことはないですね。
@th 「歯で挟み、舌の上から息を出す」
----------------------------------------------------
Af, v 上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあて、息を出す。
これもわかりました。訂正後のものを記します。
----------------------------------------------------
> Bt,d,l,n 上の歯茎の裏。t と d は舌を歯茎から離すときに。
「t と d は」は不要だと思います。「上の歯茎の裏。舌先をそこから離す」で
どうでしょうか?
これに関しては、l と n は連続で発音し続けることができるが、t と d は息で舌を
歯茎から離さないと出せないという区別をしたかったのですが、舌の位置だけの指示だけをするなら、もっと簡単になります。簡単な方がいいので、以下のよう
にします。
Bt,d,l,n 上の歯茎の裏。
----------------------------------------------------
> Cr 喉の方にひっぱり、上の方に触らない。
これでいいと思います。やはりよく言われることですがl(エル)との対照がある
といいと思います。
l の舌の位置は t,d,l,n に含めてしまっていますので、「対照」は、実際にこの10
のポイントの説明法を使っていただく時に対照させていただくことにします。
----------------------------------------------------
> Ds 歯と歯茎の境目あたり。触るか触らないかくらい。狭い隙間に息を
通す。
これでいいと思います。
----------------------------------------------------
> E☆S (long s) と同じ。
「静かにして、シーーッ」のシに含まれる音。
おっしゃる通りに直しました。これは、私はすでに使っています。日本人にはとても
わかりやすい説明法だと思います。感謝。
----------------------------------------------------
> F☆逆さe・逆さv 唇を狭く。(逆さe は息に力を入れない)
勉強不足でよくわかりません。パーフェクト事典でもっと学びたいと思います。
保留しておきましょう。
----------------------------------------------------
G☆a 歯と歯を開く。(下顎を下げる)
これは10個の中に必要だとは私は思いません。
日本語の「ア」の音は、[逆さ v] に近いことが多いのではないでしょうか。英語の
[a] は日本語より、ずっと歯と歯の間が開くように思うのです。鵜田さんという方
が、「開く音」と言われて区別されており、私もこれは、「狭い音=逆さe」との対照
上、とりあげる必要があると考えました。
----------------------------------------------------
> H☆ae 口の両端を斜め上にひっぱり上げる。
これでいいと思います。
----------------------------------------------------
I黙音・連結・母音削除
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2116 sbさんが改訂したもの 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月11日(月)23時53分08秒
sbさんが改訂して下さったものを掲げます。さらに皆さんのご意見をうかがいたいと思ってい
ます。特に Eliot さんのご助力がいただければうれしく思いますが、お忙しいでしょうか。
----------------------------------------------------
@th 「歯で挟み、舌の上から息を出す」
----------------------------------------------------
Af, v 上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあて、息を出す。
----------------------------------------------------
Bt,d,l,n 上の歯茎の裏。
----------------------------------------------------
Cr 喉の方にひっぱり、上の方に触らない。
----------------------------------------------------
Ds 歯と歯茎の境目あたり。触るか触らないかくらい。狭い隙間に息を
通す。
----------------------------------------------------
E☆S (long s) 「静かにして、シーーッ」のシに含まれる音。
----------------------------------------------------
F☆逆さe・逆さv 唇を狭く。(逆さe は息に力を入れない)
----------------------------------------------------
G☆a 歯と歯を開く。(下顎を下げる)
----------------------------------------------------
H☆ae 口の両端を斜め上にひっぱり上げる。
----------------------------------------------------
I黙音・連結・母音削除
----------------------------------------------------
2118 すみません 投稿者:もっこり 投稿日: 3月12日(火)00時54分46秒
ありゃ、二重投稿になってしまってスミマセン。
スミマセンついでに根石先生に質問です。
>@th 「歯で挟み、舌の上から息を出す」
これ、必ず舌を歯で挟まなきゃダメなのでしょうか?
私は、舌先を上の歯の内側にあて、息を出しながら舌と歯の間に隙間を作ることで、
音を出しています。
歯で挟むことを意識すると、回転読みの途中で、
文字通り「舌を噛む」ことになってしまってしまうのですが。
2119 岡田さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月12日(火)01時04分01秒
遅くなりました。ごめんなさい。
レッスンを受けられての経過報告をありがとうございました。
私には、報告をいただくのが一番うれしいことですので、今後もときどきお願いいたします。
映画の流れの全体を普段から聴いておられるなら、そろそろ、「語学的標準形作り」をやっていただいていいと思います。「語学的標準形作り」は、普段レッ
スンでやっていることですが、これを一人でやると、それがそのまま予習になります。個々の音のポイント(掲示板に掲載したばかりの「10のポイント」をご
参照ください)を踏まえた上で、イントネーションの「語学的標準形」を作るには、映画の全体を普段から聴いておかれると、媒介にすべき音の波の型が自然に
備わると思います。
車の中で練習されると以前の書き込みにありましたが、全体を通して聴くということもやってみて下さい。
國弘正雄さんが、500回・1000回という具体的な数字で「繰り返し」読み込むことの重要性を説かれています。学生ならともかく、仕事を持ちながらで
は、500回・1000回という回数は非常に難しい回数です。
私の「電話でレッスン」を受けておられる方には、それぞれの文を50回ずつ読み込まれておくことをお薦めします。この50回という回数は、笹野洋子さん
という方が提唱されていて、「英文が自分の中で質的に変化する」回数だと言われています。信頼していい言葉だと思います。
もう楽になったところを使って、テストで扱う「復習範囲」の文を、いったん馬鹿になって、50回ずつ読み込んでいただきたくお願い致します。もう覚えた
から回数を減らそうなどと思わず、強くはっきりとなめらかに言える状態で50回、口を回して下さい。もうそれほど音自体に気をとられなくなっているはずで
すから、意味やイメージを意識にくっきりと持とうとこころがけてみて下さい。
口の動きがしっかりして、音が壊れたり崩れたりする心配がなければ、字を見ないで言い続けることもやってください。これをやると、確かに英文シンタック
スで思考が動き始めます。
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塾の生徒に、家でも練習させたいとのことですが、これはとても難しいです。親に尻を叩かれて塾に来ているのか、本人が英語に興味を持って通って来ている
のかでまるで違ってしまいます。
私の塾では、日本在住という条件下で英語をやる場合の「こころがまえ」のようなものを書いて印刷物にし、月の初めの練習日に、各自に素読させています。
「英語は毎日やらないと駄目」というように手短かな言葉で書いたものです。
教科書の文の素読がよくこなれた範囲に関しては、各自に持たせてある教科書ガイドを使って、文法の説明を生徒に素読させるような練習があります。これは
日本語の素読の一種になります。教科書ガイドを相手にした日本語の読みがこなれてすらすら読めるようになったら、文法のポイントになるところを鉛筆で線を
つけ、消してしまいます。
「進行形:
be動詞+現在分詞」 というような説明があって、それを生徒が読み、読みがこなれてきたら、「進行形:*動詞+**分詞」などのように消してしまうので
す。*印のところが鉛筆で消した状態ですが、ただ活字の上に横棒を引くだけですので、消してもまだ何が書いてあるか読めます。覚えたら、白の修正液で自分
で完全に消してしまうように生徒に指示しておきます。消した部分がわかりやすいように、オレンジとか黄色のマーカーで白の修正液の上に色をつけておくよう
にも言っておきます。
教科書ガイドも、何度も同じところを復習に使いますので、少しずつ消したところが多くなっていき、しまいにはテキストはひどい虫食い状態になります。そ
うなった頃には、文全体の素読でなく、消して隠れてしまっている言葉だけを拾い読みすればいいことにしています。
非常に大事なポイントは、教科書の本文の素読がよくこなれた範囲だけを、上に書いたように教科書ガイドで扱うことです。確実に教科書本文の音読を先立て
ることです。
さて、それが、生徒の家庭での学習を促すかどうかです。
私の塾では、毎回その日の練習に入る前に、音読の練習が済んだ範囲(電話でレッスンで言うなら「復習範囲」の全範囲と同じです)の任意のページを開い
て、1ページ分を音読させます。読みがこなれていれば、その日は「教科書ガイド」を使った練習をします。読みがこなれていなければ、教科書の音読の練習を
させます。このように分岐点を作れば、家で練習する生徒も出てきます。必ずうまくいくとは限りませんが、試してみて下さい。
わかりにくい説明かとも思います。実際に行っている簡単なプロセスも言葉にするとしちめんどうなものになってしまいます。不明の点は質問して下さい。
2121 もっこりさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月12日(火)01時23分20秒
th の音は、上の歯の裏側に舌を軽くつけて、息を通してやっても「許容範囲」の音になると
思います。実用上は問題ないと思います。
「歯で挟む」という言い方がよくないのかもしれません。
「上の歯の裏から歯先あたりに舌の先を軽くつける」ということかもしれません。
しかし、映画などの役者の口を見ていると、舌が明らかに見えていることが多いです。
歯の裏から、歯先の方へわずかに移動させれば、実は歯と歯に挟んだ位置になると思います。
いずれにせよ、摩擦が生じていればいいのではないでしょうか。
日本語の「ザ」という音は、破裂音と摩擦音との中間音かとも思いますが、この音から破裂を
除去すれば、非常にこもった音ながら、th の音として通用する音が得られるかもしれません。
Eliot さんには怒られるかもしれない説明の仕方かもしれません。
もっこりさんは、摩擦音としての th の音はできていると思います。
ことさらに直す必要はないと思いますが、歯先まで舌を持っていくと「こもった」感じが少なく
なります。
2122 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月12日(火)01時42分49秒
3)Alice likes rabbits which are sweet-tempered.
4)Alice likes rabbits,which are sweet-tempered.
まず、3と4との読み方が同じか、違うのか?
つぎに、3と4との意味は同じなのか、違うのか?
これは、多くの日本人にわかりません。
外から眺めるなら、3は全体を連続して喋る。
4では、カンマで、一秒や二秒、間があく。
その違いですが、
3では、rabbits which are sweet-tempered がひとかたまりの名詞として意識されて
いる。
4では、 Alice likes rabbits. だけがともかく言いたい。しかし、言った後で、追
加して言いたいことが出てきて、文の最後の rabbits を which で拾って新たに文を作
る。
というような把握の仕方を私はしています。しかし、文頭に関係代名詞を使うことは
いまだ自分のしゃべりで、うまく使えていません。学校英語の後遺症なのか、関係代名
詞がいまだきっちりとしたイメージにならないせいなのか。
2123 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月12日(火)02時03分25秒
少し前にメールでお聞きした意見ですが、
>まがいまがい =使えない英語 + 身体化していない英語 → 喋れない → 普通の学校(含む普通の英会話学校)で学んだケース
「使えない英語+身体化していない英語」という場合のプラス(+)の意味がわからないのです。プラス(+)ではなくて、「使えない英語=身体化していな
い英語」ではないかと思っています。
「まがい」は「使えない」と等値ではないと思いますし、同様に「もどき」は「使える」と等値ではないと思います。
「まがいまがい」「まがいもどき」「もどきまがい」「もどきもどき」は、まだこれを言うのは早すぎるかもしれないとも思っています。
ひとまずは、「まがい」と「もどき」があり、日本の英語としては、「それしかない」と言うことが眼目です。
英語を真剣にやろうとしている人に冷や水を浴びせるような言い方ですが、しかし、この冷や水は「年寄りの冷や水」ほどには体には毒にならないと思いま
す。
日本語で育ち、日本語の中で作った英語。今も日本語に囲まれている英語。
絶海の孤島のようなものです。
これは、必ず「もどき」になる。
この本質規定があまりにもタブー視されてきました。
このタブーがあるので、余計な劣等感や余計な優越感が甘やかされてきました。
2124 混乱 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月12日(火)02時06分42秒
「まがい=使えない」
「もどき=使える」
これは私が言い出したのでした。
しかし、「身体化」の概念と足し算はできないと思います。
「まがい=使えない=身体化されていない」
「もどき=使える=身体化されている」
こうするとすっきりすると思います。
2125 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月12日(火)02時13分41秒
>「10のポイント」→「12のポイント」にした方がいいのではないでしょうか?
鵜田さんという方が「30音」を言われているので、作戦上、「10音」がいいと思っていま
す。鵜田さんという方は非常に優れた着眼点を持っておられる方です。
私はこの方よりも乱暴です。
2126 はあはあ。 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月12日(火)02時52分36秒
語学はさ、全然民主主義的にやっても駄目。強制が必要な世界。強制されて、生き残る
語学は一丁前の語学になる。強制されて、強制はいやだ、民主主義に反してるなんて言う
やつの語学は死ねばいい。強制はいやだ、私が勝手に激しくやるっていうんなら、生き残
るし、いい語学が育つが、「私が勝手に激しくやる」ってことが、もう、アメリカの真似
の民主主義を食い破ってる。そういうもんだと思うんだわ、語学って。
あんたは、仕事が忙しいって条件の元で英語が死なないようにするために、俺のレッス
ンを使うのがいいとは思うが、しょせん「勝手に激しくやる」って世界だ。それをやれる
人にはいいレッスンができるし、そうじゃねえと、強制をやるぜ。たいがい、それをやる
と、民主主義育ちのボケどもはレッスン自体をやめちゃうけどね。
2128 at leastが聞こえるか? 投稿者:パクパク 投稿日: 3月12日(火)07時12分07秒
ゴースト冒頭部
Molly:There's gotta be at least seven or eight feet up there.
** *****
アトリーストとはまったく聞こえません。
そもそも言っているのかどうかも定かではありません。
学校英語では、at leastをクリア音声で習います。
したがって、生活音で、かすかな音(時間もエネルギーもない無音)に
なると聞き取れません。
映画英語を商売にすると、まさに英語の本質と対決することになります。
客も、聞こえない音より、聞こえる教科書英語音を心の底で期待しています。
英語の本質とは、あきらかに日本語より、物理的に高速な音です。
ロックと盆踊りのリズムの違いがあります。
教科書英語音とは、ロックの英語を、日本人用に盆踊り用にスローダウンした
ものとおもわれます。
学校では、スローダウンサウンドに慣らされるので、映画の生活音を
言語音として、無意識に聞き取りません。
生活音も、言語音として、認識するように、脳をセットします。
無を聞く。まさに、般若心経です。
無の知覚。
そうすると、聞こえる。
これが、生活音法です。
2129 根石様 投稿者:Jackie 投稿日: 3月12日(火)15時50分14秒
>間違い訂正が不要だと言っているのではありません。それは必要です。しかし、それよりもはるかに必要なのは、「身体化」を先立てること。つまり、順序で
す。
順序だてるどころか、「身体化」の過程そのものがまるごとすっとばされているのが日本の英語の授業の現状です。
そうですね 身体化をしていないのに 直しても あまり意味がありませんね。
先に 内在化ありき ですね
>基礎的な身体化の過程をすっとばして、「リピーティング」や「シャドウイング」を薦めるような方法には私は断固反対しようと思っています。これを薦める
ような人がバイリンガルであったり、アメリカ帰りであったり、ESSの部長なんかであったりして、後光がさしているように人は思うのかもしれませんが、イ
メージの根付きを無視したやり方です。これは、基礎的な身体化がすでに実現している人がやるにはよろしいでしょうが、それを欠いてやったら、人間がコピー
マシンのようなものになります
今は街に語学をこうして身につける方法というものが あふれていますね。
K/H などの本もみましたが 割とテクニックばかりが専攻してしまい
それをこなすだけで 精一杯で息切れがしてしまいそう。
音読、筆写を徹底的にやったあと
気分転換にやるのは よいですが
根石さんの おっしゃるとおり まず 音読ありきですね。
私は高校までは 英語が 2だったもので それで 大学受験も失敗しています。
ひょんなことから 英語が楽しくなり今にいたるのですが
私が高校のときに 今の私が 英語を教えていたら よかっただろうに と思ってます (えへへ)
季節がら 今は英会話学校の生徒募集が 新聞広告をにぎわしています。
「英語を英語で習うから 身につく」「講師は資格のあるネイティブ}(どんな資格?)
などの広告に 今年もたくさんの人が惑わされるのでしょう。
2131 ふと思ったこと 投稿者:sb 投稿日: 3月12日(火)20時33分35秒
>これが、生活音法です。
根石さん、私が生活音法などない、ただ「音法」があるのだというのと、
根石さんが、英会話などない、ただ「英語」があるのだということは、共通点がありますか?
2132 パクパクさん 投稿者:sb 投稿日: 3月12日(火)20時43分39秒
>ゴーストの映画音声と、スローテープではあまりにもその音質が違いすぎます。
そうですね。初心者にはとても貴重なテープになると思います。(スローテープの方)
一方、初めから学習するときはナチュラルスピードの方がいいかもしれません。
その意味でカタカナ発音も私は完全否定はしません。(学研のヴィクトリーアンカーの発音記号の右にかかれているカタカナは比較的ましでお勧め、しかしそれ
はカタカナディクテーションをナチュラルスピードでやってからが効果的だと思います)
2135 聞き取り練習の材料 投稿者:浜谷(はまや) 投稿日: 3月13日(水)06時22分45秒
ぱくぱくさん>ゴーストの映画音声と、スローテープではあまりにもその音質が違いすぎます
sbさん>そうですね。初心者にはとても貴重なテープになると思います。(スローテープの方)
ビデオでの聞き取り練習について聞き取り練習を重視する本「英語は絶対べんきょうするな」の著者は次のように言っています。みなさんはどう思われますか?
<引用文>
ビデオは聞き取りにふさわしくない。 視覚と聴覚が同時に働くと、両方が影響しあって、どちらの能力も発揮されないからだ。ただし、聞き取り能力が完全に
身についたあとなら、視覚によって聴覚能力がそこなわれるという問題はなくなる。 しかし、字幕のついたビデオテープでは、聞き取り練習の意味がまったく
なくなってしまうので要注意。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
2136 文字を見て、読むことに関して 投稿者:パクパク 投稿日: 3月13日(水)09時18分29秒
多くの指導書のなかには、文字を見るな。
耳に聞くだけにしろ。
音で覚えろとあります。
しかし、文字に頼らないと、英文を覚えられません。
ビデオ字幕を見ても、英語習得上に有害ということは
ないとおもいます。
ゴーストの場合、そして多くの映画シナリオ本の
場合、文字と音声が一致しないことがあまりに
多いということです。
教科書音法で、映画シナリオを読んでも、
映画は聞こえてこないとおもいます。
2137 ゴースト前半部 投稿者:パクパク 投稿日: 3月13日(水)11時12分50秒
教科書音声を高速回転読みにしても、映画音声には
ならないとおもいます。
別次元の音です。
漢字でいえば、音読み、訓読みのようなものです。
日本語でも、こんにちは が、ちわ になるようなものです。
形式的には、こんにちは、の「こんに」が
ドロップしたように見えますが、別次元とおもいます。
人間にとって、初聞の音が、どちらでくるかは
人によります。
ある人は、ちわ を初聞するかもしれません。
要は、ちわ を俗語としてみなさず、言語音として
差別しないようにします。
その意味では、教科書音も映画音も違いません。
(あくまでも、言語音として、違いはないということ)
2138 つづき 投稿者:パクパク 投稿日: 3月13日(水)11時16分19秒
ゴースト前半部(歌がでてくるまで)
あまりにも高速に発話されています。
多くの場合、これは、聞こえないとして
教育対象からはずしていたとおもいます。
つまり、教科書音に近い音だけを拾っていたと
おもいます。
この態度は、受験英語教育の延長上にほかならないと
おもいます。
日本語の磁場の環境のなかで、映画音声をやつけることが
できるのが、これからのポイントです。
けして、避けない。妥協しない。こういう姿勢が大切と
おもいます。
2139 パクパクさん、皆さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月13日(水)16時05分42秒
パクパクさんが提出された、「教科書音法」と「生活音法」の問題は非常に面白い問題だと思い
ます。
現在、時間がとれませんので、夜にでも、駄目なら明日にでも考えてみたいと思います。
sb さんが提出された疑問も、同じ問題にからむものです。少し、お時間を下さい。
2141 10のポイント 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月13日(水)16時23分22秒
もっこりさんの意見を繰り込んで、以下のように直しました。
こちらも、継続して、みなさんのご意見をお願いします。
----------------------------------------------------
@th 舌の先を上の歯の歯先にあてる。
----------------------------------------------------
Af, v 上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。
----------------------------------------------------
Bt,d,l,n 上の歯茎の裏。
----------------------------------------------------
Cr 喉の方にひっぱり、上の方に触らない。
----------------------------------------------------
Ds 歯と歯茎の境目あたり。触るか触らないかくらい。狭い隙間に息を
通す。
----------------------------------------------------
E☆S (long s) 「静かにして、シーーッ」のシに含まれる音。
----------------------------------------------------
F☆逆さe・逆さv 唇を狭く。(逆さe は息に力を入れない)
----------------------------------------------------
G☆a 歯と歯を開く。(下顎を下げる)
----------------------------------------------------
H☆ae 口の両端を斜め上にひっぱり上げる。
----------------------------------------------------
I黙音・連結・母音削除
----------------------------------------------------
2142 サピオの記事を読ませていただきました 投稿者:Shima 投稿日: 3月13日(水)23時50分48秒
国弘さんの書籍は読んでみようと思います。
ただ、根石さんの名前が表題、文中と間違っていて残念でした。
この掲示板やサイト内での主張が適度な温度で分かりやすく説明されていますので、
知人などに安心して紹介できると感じました。
何人か紹介したい知人が頭に浮かびましたが、
スポーツや芸事の練習とは違って、英語の練習は一緒に出来ないことに気づきました。
一人でコツコツ激しく練習するしかないのですね。
他人と楽しみを同時に共有できない部分が、いわゆる財テクの資産運用と似ていますかね。
人それぞれの流儀があり、一人よがりもよし。他人に共感を求めるも良し。
なので、英語の勉強法を軽率に他人に勧めることは、サラ金の窓口嬢よりタチが悪い証券レディと同じことになってしまう!?
いまはまず自分自身を律してコツコツ激しくですね。
2143 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月14日(木)02時07分36秒
パクパクさんが指摘している問題は、「ずれ」の問題だと思います。
「こんにちは」が「こんちは」へ、「こんちは」が「ちは」へと「ずれ」る。発音上、おざなりになり、おざなりになったものが定着し、標準化されていく過
程は日本語、英語を問わずあります。
映画の「ずれ」の多い音に対置すれば、「教科書音法」というものが想定できるにもかかわらず、その「教科書音法」ですら、日本には存在していないという
ことはすでに書きました。英語の先生が、通じる音を持っている場合でも、その通じる音を生徒の口の動きとして実現できないならば、「音法」が存在している
と言うわけにはいかない。「音法」が存在しないならば、その一種であるべき「教科書音法」も存在できるわけがない。
私が「10のポイント」を言い出しているのも、最低の「音法」を作りたいと願っているからです。これが確保されれば、「語学的標準形」というものを作る
上で役に立つと考えています。「10のポイント」は、単に知識として羅列してもあまり意味はなく、「音づくり」をしていく途中で、生徒に同じ文を繰り返し
言い続けさせ、その動きの中に、コツとしてポンと置いてやることで、生徒が知識を直ちに口の動きとして実現させていくためのものです。あくまでも、動きの
中に置くべきものです。
これらは、個々の音に関してのものがほとんどですが、10番目の、
I黙音・連結・母音削除
は、英語のリズム形成に密接に関係があります。浜谷さんがおっしゃる通り、これは一項目に3つも詰め込んでしまっていいものかというほどのものです。し
かし、これは知識として文字で詳しく記述してもほとんど功徳のないものです。「黙音」なら「黙音」、「連結」なら「連結」を記述することはできますが、こ
れも、生徒の口の動きの途中で、コツとして手短に言い、再度生徒に口を動かさせることで実現するのが一番です
2144 パクパクさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月14日(木)02時08分03秒
私が「音づくり」という語で言っているものは、「発音10のポイント」に「黙音」「連結」「母音削除」というものが含まれていることでおわかりいただけ
ると思いますが、リズムとかイントネーションというものまで含めた概念です。作るべきリズムやイントネーションは、映画を例にとれば、話の流れの中で、あ
る特定の場面や状況に規定されたリズムやイントネーションになります。この場面でこういう状況ならば、こういうイントネーションになるだろうと決められる
能力を、「イントネーション自己決定力」と呼んだことがあります。「イントネーション自己決定力」を手に入れることが、初心者から中級前半くらいの人がめ
ざすべき一里塚だろうと考えていますが、この「イントネーション自己決定」によって作られる音のことを、また「語学的標準形」と呼んできました。これは、
パクパクさんが買われた「ゆっくりモード」の「ゴースト」のせりふ吹き込みテープの音に近い音になると思います。私はその種のテープを買ったことがないの
で、近い音だろうと想像することができるだけですが・・・。
私は生徒さんに「ゆっくりモード」のテープは買う必要はないと言ってきました。このゆっくりモードは、テープの音として聞くよりも、自分の口の動きとし
てまず実現してしまうのがいいと考えています。もっこりさんが使われているように、あくまで自分の口の動きを作る場合の媒介物にするのであれば、もちろん
この種のテープは役に立ちます。眼目は、この種のテープを使おうが使うまいが、”自分の口の動きとして”「語学的標準形」を作ることだと思っています。
ひとまず「語学的標準形」としての口の動きを作れたなら、ここまでで準備体操完了です。ここから、いよいよ、「回転読み」を通じて口の動きを鍛え込みま
す。口の動きを壊さないように細心に、徐々に動きを速めていきます。回転の速度をあげるわけです。この過程で、日本語の癖による余計な母音を、回転読みの
遠心力で口の動きから飛ばします(母音削除)。口の動きを速めていくと、連結させるべきところは連結させないと非常に言いにくいので、連結のコツも自然に
備わってきます。もしも、これらのコツがわからないまま、音をおろそかにせずに最高速度を出してしまった場合でも、誰かに一言、「連結」や「黙音」などの
ことを言ってもらえば、難なくクリアできる場合がほとんどです。(コーチの有用性)
これらのコツをクリアしても、その音はいまだ「語学的標準形」のままです。映画の音そのものを聞いてみれば、相当大きな距離が埋まっていないままである
ことに気づきます。しかし、「回転読み」の高速化によって、「ずれ」への対応能力はまるで違っています。「回転読み」によって高速化を経た「語学的標準
形」の音は、「ずれ」を大量に含む映画の音に対応可能なレベルまでに到達します。映画の音と同じになるわけではない。しかし、対応可能な音にはなります。
「近似値」を口の動きとして実現することで、「対応可能」なレベルを獲得することはできるのです。日本語で育った日本人の口がやるべき練習は、この対応可
能なレベルの音の実現だと考えています。
私の「電話でレッスン」によって、「復習範囲のテスト」で何度かやった範囲は聞き取れると生徒さんが言い出すのは、自分の口の動きが、映画の「ずれ」た
音に対応できるレベルになったことを意味しています。
以後は、明日書きます。
2145 対応可能は、福音です。 投稿者:パクパク 投稿日: 3月14日(木)06時13分45秒
>「回転読み」によって高速化を経た「語学的標準形」の音は、「ずれ」を大量に含む映画の音に対応可能なレベルまでに到達します。映画の音と同じになるわ
けではない。しかし、対応可能な音にはなります。
この到達地点があれば、通じる音であり、日本語磁場のなかで語学をやることの
実用価値の実現だとおもいます。
つまり、映画の音をやっつける射程圏に突入したということでしょう。
あと、よく言われる呼吸法の問題があります。
国弘さんも、腹式呼吸法の重要性を主張しています。
根石さんの語学的標準形の獲得過程には、呼吸法の記述がありませんが
これは、とくに意識するものではないということでしょうか?
2146 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月14日(木)11時21分58秒
サピオでも書きましたが、「英語は絶対、勉強するな!」の著者は、ドイツのへ留学経験があります。ドイツへの留学経験自体は批判点でもなんでもありませ
んが、欧米型シンタックスの中に身を置いて生活しながら、その磁場の中に語学という行為を置くならば、韓国や日本だけで「語学として」欧米型シンタックス
言語をやる場合とはまるで事情が違います。欧米型シンタックスに身を置いて、言語を定着させた人は、ほとんど例外なく、「磁場を欠いて」言語を習得する人
に特有の事情に対してめくらになります。例外は、いまだ國弘正雄一人だけです。國弘正雄にも在米期間がありますが、この人だけは、「磁場を欠いて」語学を
やることの難点を見失っていない。この一点において、私は國弘正雄の弟子なのです。
私のこの本への批判点は、初心者や中級前半の人のことがわからなくなっているという点に尽きます。この種の本は非常に多いのです。自分がやってきたこと
の途中からしか見えていない。上級者とは、初心者や中級者が通るくらがりが、すでに明るいものになってしまっている人たちのことです。そして、明るいこと
が当然だとしてしまうのです。今でも、初心者や中級者はくらがりをてさぐりで歩いているのだということの本当の意味がはわからなくなってしまうのです。
上級者の最大の欠点がここにあります。
だから、日本で「英語は絶対、勉強するな!」をいい本だと言っている人たちは、初心者や中級前半の人ではありません。これは非常に特徴的なことだと思い
ます。
乱暴に言ってしまえば、「英語は絶対、・・・」は大学出ばかりを相手にしている本だと言っていいでしょう。
どこにも一行も書いてありませんが、しっかりと選別が隠されています。
<「英絶」からの引用文>
ビデオは聞き取りにふさわしくない。 視覚と聴覚が同時に働くと、両方が影響しあって、どちらの能力も発揮されないからだ。ただし、聞き取り能力が完全に
身についたあとなら、視覚によって聴覚能力がそこなわれるという問題はなくなる。 しかし、字幕のついたビデオテープでは、聞き取り練習の意味がまったく
なくなってしまうので要注意。
ビデオの映画は最初に通して観ておくことを生徒さんに奨めています。映画自体を繰り返し観ることは奨めていません。全体の流れが把握できたら、ビデオの
音声だけをMDに録音すると、MDに任意の文を「疑似回転読み」させることができます。これは、イントネーションをとらえるにはいい教材になります。リス
ニングに的を絞った練習に入った生徒さんにはお薦めできます。
私自身は、役者音声による「疑似回転読み」は多用しておらず、車の中でMDを流しっぱなしにしておき、リスニングをやっています。ほぼ聴きとれるという
ところまできましたが、この下準備は、私が生徒さんを相手にやっているレッスン自体が果たしてくれているのだろうと思っています。レッスンの下準備という
ものがあり、その場面で、私は自分の口を使った「回転読み」でシナリオを読み込んでおきます。普段からその種の下準備をする必要があるので、車の中では映
画の音だけを流しっぱなしにしてもリスニングが成立します。
2147 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月14日(木)11時30分20秒
國弘さんの「只管朗読」でも、私の「回転読み」でもそうですが、非常に愚直な方法ですので、練習の途中で溜息がでます。この溜息が、複式呼吸へのよい導
入になります。
とりわけ、回転読みでは、回転の速度をあげていこうとすると、息を溜める必要が出てきます。
複式呼吸自体は、必要に応じて生じればいいので、複式呼吸自体は問題にしていません。
2148 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月14日(木)11時31分00秒
複式呼吸
→
腹式呼吸
2149 ああなるほど、、、 投稿者:いくこ 投稿日: 3月15日(金)02時03分29秒
>國弘さんの「只管朗読」でも、私の「回転読み」でもそうですが、非常に愚直な方法ですので、
練習の途中で溜息がでます。この溜息が、腹式呼吸へのよい導入になります。
私の回転読みは、英語が盆踊りを踊っている場合が多く、あまりのできなさに悲しくなります。
は〜。
しかし、時に、いいため息をつくときがあります。
悲しみと絶望のふちの「は〜」です。かなり深刻な「は〜」です。ただし意識してはできません。
この一息冷静になって「あたし、まけない!」と立ち向かいますと、なかなかの回転読みができるときがあります。
「さっきのは〜は、いいは〜であった」
という感じです。
話かわりますが、
最近、シナリオなどで、速度をあげて回転読みしているうち、単語が壊れてしまっているものがありあたふたしています。もしかしてこれが錆なのだろうか。先
進むのも大変なのに、どんどん錆が追っかけてきます。苦しいっす。
錆びだしている例文を回転読みするときは、頭の中で単語をつづりながら、こころもちゆっくりめにして回転してみたりして補修しています。
それにしても、英文を定着させるのに、いいコツはないものでしょうか。
しかし、あれこれ悩んでも、さらに回転読みするのが近道というところに戻ってきます。
ああ、いい「は〜」がでるまで、せつない回転読みをするかな。は〜。
2150 Shima さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月15日(金)13時22分06秒
>ただ、根石さんの名前が表題、文中と間違っていて残念でした。
もう、吉久をやめて、久吉にしてしまえと何人かの人に言われました。迷うところです。
>この掲示板やサイト内での主張が適度な温度で分かりやすく説明されていますので、
知人などに安心して紹介できると感じました。
適度な温度になったのは、各書評の他は電話取材であり、直接の私の文章でなかったためです。各書評は、私が直接に書いたものを元にしたものですが、こち
らもかなりやわらかいものに直していただいてあります。
どうぞ安心してご友人にご紹介下さい。
>何人か紹介したい知人が頭に浮かびましたが、スポーツや芸事の練習とは違って、英語の練習は一緒に出来ないことに気づきました。一人でコツコツ激しく練
習するしかないのですね。
一人でやる孤独な作業であるからこそ、コーチがいることが役に立ちます。また、方法的なヘボ筋というものが、学校英語やその延長、標準的英会話学校のま
わりには非常に多いですから、英語を必要だと感じている方に「電話でレッスン」のことを話していただくことは、大いなる親切というものだと思います。よろ
しくお願いいたします。
語学が一人でやるべきものだということは、大前提ですが、これを大前提として承知している方がコーチを得るならば、実質的に英語を変えていくことに役に
立ちます。コーチが必要な段階で、実質を備え、実際に英語を変えることのできる方法はやたらに転がっているものではないと思っております。
>他人と楽しみを同時に共有できない部分が、いわゆる財テクの資産運用と似ていますかね。人それぞれの流儀があり、一人よがりもよし。他人に共感を求める
も良し。
なので、英語の勉強法を軽率に他人に勧めることは、サラ金の窓口嬢よりタチが悪い証券レディと同じことになってしまう!?
おっしゃる意味がよくわかりません。練習というものは、個という場に閉じられていますが、練習を方法的に練り上げていくことは、例えばこの「大風呂敷」
などで論議することで、「他人と楽しみを同時に共有」することが可能です。「人それぞれの流儀」といいますが、表れている形はさまざまであっても、原理的
に同一であるものである場合があります。「電話でレッスン」の技法グラウンドは、國弘さんの「只管朗読」の導入部分として有用であるとか、声の使い方とし
ては、原理的に同一のものから派生しているということはあるのです。あまたある的外れな練習まで含めて「人それぞれの流儀」でよいということになれば、た
だもがいて死んでいく英語の数は数知れません。
方法を求めることにおいて真剣な方には、「技法グラウンド」は、「人それぞれの流儀」をつかんでいただくための核になります。的はずれな練習で自己満足
していたり、迷ったままでいたりするケースは非常に多いのですが、それまでも「人それぞれの流儀」だと言われるならば、それは違うだろうと考えています。
語学には、原理がある。とりわけ、「磁場」を欠いた場での語学には、踏み外してはならない原理があると考えています。
道さえあれば、山はいろんな方向から登り始めることができます。そして、同じ頂上に出るということがあります。しかし、登っている「体の動き」自体に
は、必ず共通のものがあります。学校英語や受験英語というものは、この共通な「体の動き」そのものさえ、すっとばしてしまっており、英会話学校の英語も同
様です。ですから、長く暗い登山道を歩くという行為自体は似ていても、一方は頂上に出ることができたり、一方は途中で遭難してそこで死んだりするのだと思
います。
あくまで原理的に語るならば、「イントネーションの自己決定」によって「語学的標準形」を作れるようにならないならば、英語は確実に死にます。日本語の
磁場の中では、非常に高い確率で英語は死にます。90数パーセントの英語が死にます。これは学校などで英語に触れたことのある総人口に対しての割合です
が・・・。
方法を求め、英語本など買い集めた人の英語でも、半分以上は死ぬのではないでしょうか。
2151 いくこへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月15日(金)13時26分17秒
昔、腹式呼吸自体を扱おうとしてことがあるのですが、徐々に備わればいいと考えてやめました。
2152 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月15日(金)13時27分37秒
扱おうとして
→
扱おうとした
2153 いくこへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月15日(金)13時40分44秒
>最近、シナリオなどで、速度をあげて回転読みしているうち、単語が壊れてしまっているものがありあたふたしています。もしかしてこれが錆なのだろうか。
先進むのも大変なのに、どんどん錆が追っかけてきます。苦しいっす。
口が動き始めると、「ほどける」という現象が出ます。
動きの速度自体が確保されてしまって、その速度に口の回転が追いつかない場合に出ます。これは、上達の途中で必ず出る現象です。これは、寿司を食ってい
る途中でガリをかじるようなちょっとしたコツがあります。
ほっぺたを両手でよく擦って暖めて下さい。
口の動き自体にわずかに力を込めて、再度練習をして下さい。
音がほどけないようにするのに、「動きにわずかに力を込める」わけです。
それ以前の練習の質が悪くなければ、これだけで速度に対応できるはずです。
それでも「ほどけてしまう」ならば、以前の練習の質が悪いのです。
弱音が弱音となる場合にも、「ほどける」感覚があります。
これと、日本語の音の体系でできた口の動きが回転の速度に追いつかないこととは、はっきりと区別すべきです。
2166 中学生の指導について 投稿者:okada 投稿日: 3月16日(土)03時34分38秒
根石様
素読舎で指導のしかた、お教えいただいてどうもありがとうございます。教科書ガイドの素読という発想はすごいと思います。「自分の気づき」というものを
非常に大切にしているように思えます。
現在の塾の英語は、週二時間で、一時間を私が教え、もう一時間を他の講師が教えているという変則的な形態になっています。基本的に、一人は文法中心の授
業を行い、私が教科書の本文の単語や訳、そして暗記を担当しています。ですから、文法的なことは考えないで、とにかく、ひたすら、読みの練習をしたいと
思っています。そして、現在私が根石さんに教わっているやり方を生徒たちに実践してみたいと思うのです。中学生に対してこのやり方は有効なのか。時間があ
ればで良いです。根石さんの意見をお教えください。
2168 okada さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月16日(土)12時09分42秒
>ですから、文法的なことは考えないで、とにかく、ひたすら、読みの練習をしたいと思っています。そして、現在私が根石さんに教わっているやり方を生徒た
ちに実践してみたいと思うのです。中学生に対してこのやり方は有効なのか。時間があればで良いです。根石さんの意見をお教えください。
中学生に対して、もちろん有効です。
文法的な理解を他の方が担当しているのなら、次のようなことをやってみて下さい。
非常に効果がありますので、迷うことなくやってみて下さい。
1.生徒が読むべき一つの文を、先に okada さんが日本語に訳してしまう。
(教科書ガイドの訳の該当部分を生徒に一度だけ音読させるのでもいい)
2.「技法グラウンド」を行う
最初に、日本語訳を英文に「かぶせる」わけです。
こうすると、生徒は、「技法グラウンド」の回転の中に日本語の訳を混ぜ込むようなことをやることになります。最初は、訳そのものに気をとられる生徒が出
てきますが、かまわず継続して下さい。眼目は、「技法グラウンド」そのものにあります。うまく回転さえ効いていれば、心配はありません。
okada さんの持っているクラスは少人数のようですので、「技法グラウンド」の回数も7回から10回くらいまで増やすといいと思います。
中学の間は、先生側が訳を言い、生徒はそれを英文の「技法グラウンド」の中に鋤き込むことでいいと思います。何よりも大事なのは、コーチが読んだ読み
を、7回〜10回生徒に繰り返させ、本当にこなれた質のいい読みを作ることです。
こうして扱う読みが、学校の授業や、塾の文法のクラスが扱うところより先に進んでいると非常に効果があります。
「技法グラウンド」を継続していくと、生徒の読みが「回転読み」に近いノリが生じてきます。これが出てきた時に、家でも読むように生徒に言って下さい。
また、この時点で、CDの音声教材を媒介にすると、非常に効果があります。
私は「電話でレッスン」で中学生を相手にするときは、ほぼこれに近いことをやっています。先端部分(初めてやる文)と復習範囲の組み合わせは以下の通り
です。(復習範囲や先端部分は、糊つきの付箋を使えば、簡単に管理できます)
1.先端部分を「技法グラウンド」。問題なくこなせれば、次の
文へ進む。難渋するようなら「2」へ。
2.復習範囲の1ページ分を「技法グラウンド」。ここでも難渋する文がみつかれば、
さらに前の復習範囲の1ページを「技法グラウンド」
3.先端部分へ戻り、「1」を行う。生徒が一人で練習可能な音が持てたら、一人でが
んがん口を回せと言っておき、次の生徒を呼ぶ。
本当に質のいい読みができた範囲は、次の手順ができます。
1.「技法グラウンド」(7〜10回)
2.生徒に日本語訳を言わせる。
これは是非ともやらなくてもいい課程ですが、余裕のある生徒にはやらせていいと思います。
こうして基盤を作ると、少人数の塾のクラスから、学年トップがよく生まれます。
私の「電話でレッスン」の生徒さんで、今年高校に入る子がいますが、この子は中学1年の秋ごろ、50〜60点あたりの点でした。中学1年の前半は、平均
点が高いですが、この子は最初からこのくらいの点をとっていたそうです。「電話でレッスン」を始めて、3ヶ月くらいたって、テストで90点代をとり、お母
さんが電話をかけてきました。
「根石さん、何これ? 急に点が伸びたよ」
「何これ?って言っても、別にテスト用のことは何もしてないよ」
お母さんは、私の友だちです。ご本人も娘さんのテストの点の動きを見て、「電話でレッスン」の生徒さんになって、「技法グラウンド」を体験してくれまし
た。現在は、今年小学6年生の息子さんにレッスンを譲られて、私の生徒は、娘さんと息子さんの二人になっています。
「技法グラウンド」で基盤を作ると、点が急に伸びることがあります。学校のテストの点のための練習ではありませんが、点が伸びると子供の気持ちが元気に
なります。こっちの作用の方が大きいです。
okada さんにお願いしたいことは、「技法グラウンド」を生徒に施した場合の成果の程を是非この掲示板に報告していただきたいということです。
一年くらいやってみて、変化をご報告願えればうれしく思います。
非常に効果がありますので、是非やってみて下さい。
2169 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月16日(土)12時12分30秒
生徒の読みが「回転読み」に近いノリが生じてきます。
→
生徒の読みに「回転読み」に近いノリが生じてきます。
2170 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月16日(土)13時24分40秒
>根石さん、私が生活音法などない、ただ「音法」があるのだというのと、
根石さんが、英会話などない、ただ「英語」があるのだということは、共
通点がありますか?
パクパクさんが「生活音法」と言われるのは、「ずれ」の問題だということはすでに書きました。
「英会話」などないというのは、違和感の問題です。
私ら日本人は、日本で「日本語会話」なんかしてるかよという問題です。
少なくとも私の実感においては、私は「日本語会話」などしていません。いや、実際はやっていることがあるかもしれない。別に話したくもない人と一緒の席
にいなければならないとき(結婚式など)、別に話したくもない話題を、特に嫌でもなさそうにして話をしていることがあります。これは、「日本語会話」かも
しれませんし、言語駆使としては結構高度な技術かもしれません。しかし、こんな「日本語会話」をやらなければならない場は、なるべく避けて生きていくつも
りなので、私の生活の中に「日本語会話」が占める割合は非常にわずかです。
そんな「会話」なんぞというものが、英語をやる場では大手を振っている。馬鹿な話であると思います。
その人がおしゃべりであろうとなかろうと、英語力というものは実質として備わります。しかし、「会話力」などというものは、圧倒的におしゃべりな人が勝
ります。そんな土俵に登る予定は私にはありません。馬鹿くさい。
2172 10のポイントについて 投稿者:Eliot 投稿日: 3月16日(土)17時05分09秒
根石さん、長いことご無沙汰してすみませんでした。
以下、10のポイントについての私の意見です。
逆さvと逆さeの説明が長くなるのは、私がこれらを
別の音だとした方がよいと思っていることが
その原因です。例えば、MondayのMonとlemonのmonは
同じ音には聞こえないし、doneとLondonのdonも
やはり同じ音には聞こえません。
@th 舌の先を上の歯の歯先にあてる。
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舌先の位置は、上の前歯の裏側と言うほうがより正確だという人もいるようですが、
根石さんの案でいいと思います。
Af, v 上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。
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下唇の山の頂点より少し内側を上の前歯に押し当てる、の方が私にはしっくり来ます。
Bt,d,l,n 上の歯茎の裏。
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t, d, nは舌をべったりつける。lでは舌先だけを押し当ててその脇から声を通す。
Cr 喉の方にひっぱり、上の方に触らない。
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舌を口の天井にできるだけ近づけてうなる音。決して天井には触らない。
Ds 歯と歯茎の境目あたり。触るか触らないかくらい。狭い隙間に息を
通す。
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s,zの二つの音の説明にしたらいかがでしょうか。
E☆S (long s) 「静かにして、シーーッ」のシに含まれる音。
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これでいいと思います。
F☆逆さe・逆さv 唇を狭く。(逆さe は息に力を入れない)
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逆さvは自然にポカンと開いた口のまま「ア」 顎を大きく下げないこと。
逆さeは単語の最後では逆さvと同じだが、その他ではつづりに合わせて
最少の口の動きであいまいな「アイウエオ」のいずれかを出す。
G☆a 歯と歯を開く。(下顎を下げる)
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顎を落として、口の奥のほうからやや長めの「ア」
H☆ae 口の両端を斜め上にひっぱり上げる。
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顎を落として、同時に口の両端を斜め上にひっぱり上げる
I黙音・連結・母音削除
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ポイントに入れるかどうかは別にしても、以下のことは教えるべきでしょう。
(1)無声子音は息を強く出す。有声子音は息を弱く出す。
例えば、if/giveやkite/guideやdoor/toreなどの違いは、単に無声・有声
の違いだけではありません。ifのfは意識的に息を強く速く吹き出さねばなりません。
(2)母音を発音するときには必ず舌先を下の前歯の裏側に付けておく。
[ae]や[a(:)]を練習させると、舌先が口の中をうろうろしたり、そり上がったり
してしまう生徒がかなりいます。これではだめです。
以下のペアの区別は10のポイントに入っていませんが、どうしましょうか?
starとstir
foolとfull
boatとbought
sumとsunとsung
2173 英語の国産化 投稿者:パクパク 投稿日: 3月17日(日)11時33分32秒
ゴースト、1本を完全に仕上げたとします。
この段階で、シンタックスの内在化は
何%できるのでしょうか?
イントネーションの自己決定能力は
何%到達できるのでしょうか?
国産化英語(日本語の磁場のなかで学習)
計測項目
シンタックスの内在化率
イントネーション自己決定能力率
2174 Eliot さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月17日(日)13時00分18秒
本当にお久しぶりです。お忙しいところ、「10のポイント」をチェックしていただきありがとうございます。浜谷さん、sb
さん、もっこりさん達にご意見をいただき、少しずつ手直ししてきました。最後に Eliot
さんに目を通していただいてひとまず確定版にしようと思っておりましたが、ようやく願いがかないました。うれしいです。
「10のポイント」は、以下のような考えが元になっています。
1.初心者に役に立つものであること。
2.コーチをやる人がすぐに使えるものであること。
3.生徒に一定の「口の動き」を繰り返させ、その途中で使うこと。
4.クリアできれば、それだけで「通じる音」が確保できること。
「1」に関しては、初めて英語に触れる人の他、学校で「音づくり」など何もしてもらえなかった人が、「やり直し英語」をやる場合も想定しています。
「2」にはいろいろなケースが想定できます。学校の授業で先生が使う、塾の少人数のクラスで使う、家庭教師のように一対一でやる場合など様々ですが、発
音の知識として確かなものであれば、どのような場所でも使える汎用性が確保できます。
「3」。これが独特かもしれません。ポイントの数を少なくし、手短かな言い回しにしたかったのも、この使い方を想定しているためです。
「4」。Eliot
さんの言い方をお借りすれば、ネイティヴの聞き取りに過大な負担をかけないレベルは、「10のポイント」をクリアするだけでも確保できると思います。
「3」の問題がありますので、指摘していただいた点を繰り込みながら、あくまでも「言い回し」の簡潔性は残したく思います。
この「10のポイント」につける解説を別に用意し、Eliot
さんに指摘していただいたことの多くは、この解説の方に記述しようと考えています。当初の目的の通り、「10のポイント」自体は、きわめて簡単な「言い回
し」だけで成立させたいと考えています。
以上の作業が終了しましたら、私のホームページに独立したページを設け、「10のポイント」をUPします。
10という数にとらわれる必要はなく、これを越えていくらでも深化させられる性質のものですが、「まずはこの10」というものが存在するのは意味のある
ことだと考えております。
本当にご協力ありがとうございました。
浜谷さん、sbさん、もっこりさんにもこの場を借りてお礼申しあげます。
2175 パクパクさん(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月17日(日)15時43分19秒
>ゴースト、1本を完全に仕上げたとします。
この段階で、シンタックスの内在化は
何%できるのでしょうか?
イントネーションの自己決定能力は
何%到達できるのでしょうか?
日本人が生まれてから大人になるまでに交わる日本語の総量というもの、あるいはアメリカ人が生まれてから大人になるまでに交わる英語の総量でもいいです
が、それをどう計量するかという問題があります。独り言や考えごとも、実はネイティヴ言語で行われているのですから、コミュニケーションなどないところで
も、人はネイティヴな言語と交わって生きています。また、言語との交わりは多くの場合意識されていませんし、交わり自体の濃淡というものもあります。
読書というものを例にとった場合、深い感動をもたらす書物と、単に情報を得ただけの書物というものがあったとして、その双方への交わりは濃淡だけでな
く、意識を通り無意識に沈むものの質の違いにもなります。
これは総量として数字で計量できないと考えています。もしも、この総量が数値化できるならば、ネイティヴ言語使用者の平均的なシンタックスの内在化を
100とした場合に、ゴーストのシナリオ一本を(当該の生な言語磁場を欠いて)語学的に扱った場合に、例えば、平均値で0.34%達成できるというような
具合に数値化することがようやく可能になります。そもそもの100パーセントという数値に根拠が与えられないので、語学の言語によるシンタックスの内在化
のパーセント数値も成り立ちません。
5文型のような文型分類を頭で理解するだけなら、シナリオ一本分も要らないでしょう。しかし、活用自在の自在さで考えるなら、シナリオ一本ではかなり低
い数値が想定できるだけです。しかし、具体的な数値はわからないままです。
言えることは、本当に身に付いたものなら、その後の活用自在の自在さを得るための種になるということだけです。種が世代交代して、更なる種をつけるかど
うか。
「一粒の種、もし死なずば・・・」
本当に身に付いたものを一粒の種と考えて、それが一粒の種のままで終わることも可能性としてありますし、幾何級数的な増大増殖に結びついていく可能性も
あります。私が上等な「もどき」と考えている日本の英語は、この増大増殖が起こった英語のことです。
それは、巨視的には、語学を継続するかどうかに大きく規定されます。また、微視的に見るなら、語学の一瞬一瞬に意識に生起するイメージの濃淡や質に規定
されます。さらに、同じ用法、類似の用法に何度も出会うことで、イメージが変容したり、イメージが軽く速く動くようになる(イデア化する)過程を、語学と
いう行為がどうくぐるかによってまったく違う結果が出ます。元になる認識力によって、まるで違う結果が出ます。
2176 パクパクさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月17日(日)15時44分33秒
「今、何考えてるの?」
「君と同じことだよ」
「きゃあ、エッチ!」
この構造があります。人のイメージや考えというものは、深い淵の向こうにあり、本人以外には見えません。発語や表情というものがないなら、イメージの動
態は、個人の中に閉じられて流れるだけであり、極端な言い方をすれば、その多くの部分を人は個の中に閉じこめたまま墓場まで持って行きます。
どんな優秀な語学教師にも、具体的な生徒一人の中のイメージの動態は見えません。イメージの動態そのものは、個に閉じられており、人と人との間には、渡
れない淵があります。渡れない淵の上空を、言葉が飛び交うだけです。「きゃあ、エッチ!」ということで、ここにはコミュニケーションによる了解があるかの
ように見えますか、それぞれがしかし、同じことを考えていたのかどうか、違うことを考えていたのかどうか、それは神のみぞ知るです。それぞれが、自分のイ
メージの動態だけを、(ある程度)わかっているだけです。
ここでも、原理的に言えることがひとつだけあります。英語なら英語の語の順番でイメージが動くこと、あるいは、その順番で繰り出される語の総体を、ある
程度の大きなかたまりで「鷲掴み」するということが、シンタックスの内在化には絶対に必要だということです。そして、語学をやっている本人以外には、この
絶対に必要なことがらの「存否」がわからないということです。これは、「音派幼稚園」の方々の多くが見逃しているところです。
イメージや意味がともに動くのでなければ、シンタックスの内在化は起こりません。しかも、イメージや意味が個人の中で動く動態は、本人以外には手のとど
かないところにあります。どんな優秀な語学教師にも、イメージの動態そのものを左右することはできず、語学をやる本人が自覚的に動かす以外にありません。
私がレッスンでやれることは、「よく準備を整える」ということに尽きます。イメージを動かし、意味のかたまりを鷲掴みすることは、一人の人間が一人の人
間の場でやる以外にありません。つまり、語学の本当の場というものは、一人の人間の意識以外にはどこにもないということです。それは、一人の人間が自分の
意識とよくつきあい、耕す以外にはないということにもなります。
意識というイメージの運動場をよく整備するためにこそ、「音づくり」は必要であり、文法の媒介や理解は必要です。理解などというものも、実は運動場の整
備段階に過ぎないのですが、困ったことにこれだけで学校のテストの点がとれるので、人は整備だけやって、語学をやりません。
お答えになっていませんが、イメージの動態というものほどパーセンテージという考え方とそりの合わないものはないので、仕方がありません
2178 たぶん、低い数値ではないか・・・ 投稿者:パクパク 投稿日: 3月17日(日)21時11分25秒
>
活用自在の自在さで考えるなら、シナリオ一本ではかなり低い数値が想定できるだけです。しかし、具体的な数値はわからないままです。
私の仮説ですが、ゴースト1本を完璧に仕上げても、
たぶん、ローマの休日や、スピードはやはり聞こえないだろうと
おもうのです。
そうすると、何本の映画を仕上げれば、初出の映画でも、聞こえて
くるかだろうかという疑問です。
たとえば、10本を仕上げると、初出の映画が聞こえてくることが
わかっていれば、学習者には、すごく励みになるとおもいます。
語学が非常にファジーなのが、私には気に入らない点です。
赤ちゃんの場合、3年でだいたい、しゃべれる素形を内在化すると
おもいます。
ところが、語学の場合は、その数字の提示ができず、ある人は
4,5年で素形を獲得し、ある人は、30年たっても進歩がない
のが、実際の事例なものですから、数字化できないと言われます。
数字化できないのものは、科学でもなく、理論でもないのが
私の考えです。
2179 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月18日(月)00時56分13秒
>たとえば、10本を仕上げると、初出の映画が聞こえてくることが
わかっていれば、学習者には、すごく励みになるとおもいます。
「10本仕上げる」という場合の仕上がりの質はどう数値化されるのでしょうか。
仕上げるというのは、どういうレベルを想定されているのでしょうか。
「聞き取れる」というのは、音の細部がわかるというようなことではなく、意味も
イメージもニュアンスもわかって聞き取れるということだと思いますが、この意味で
「聞き取れる」シナリオが10本あれば、初出の映画は相当聞こえると思います。
やってごらんになるとわかりますが、10本を「仕上げる」ということはなまじな
ことではありません。本当の意味で10本を仕上げられたなら、私は脱帽します。
>語学が非常にファジーなのが、私には気に入らない点です。
人の心にあるイメージの濃度やイメージの核の確実さの度合いは、客観的な数値に
はなりません。それが気に入らないなら、語学論などに関わらないのがいいのです。
>赤ちゃんの場合、3年でだいたい、しゃべれる素形を内在化するとおもいます。
生の言語的磁場の中に赤ん坊というものは生まれてくるのです。生の言語的磁場の
磁力を浴びて、子供は「無意識」にシンタックスを内在化します。
>ところが、語学の場合は、その数字の提示ができず、ある人は
4,5年で素形を獲得し、ある人は、30年たっても進歩がない
のが、実際の事例なものですから、数字化できないと言われます。
語学の言語は、生の言語的磁場を欠いているものです。
ネイティヴ言語は、無意識的に意識を作ります。人間が無意識であっても、形成さ
れるものがネイティヴ言語の能力であり、これは人間の意識的な努力の量と関係なく、
3年なら3年でシンタックスの素形が備わります。無意識に形成されるものであるか
らこそ、この「3年」というような数値が成立するのです。
語学の言語は、意識的に無意識を作るものです。これは、数値化できるはずがあり
ません。「意識的」に行わなければならないという本質規定を無視して、イメージの
強度というようなものに無意識であるならば、30年たっても進歩がないのも当然の
ことです。語学の進展は、本人の自覚や認識に大きく依存しているのですから、ネイ
ティヴ言語の「3年」というような数字はまるで成り立ちません。当然のことです。
>数字化できないのものは、科学でもなく、理論でもないのが私の考えです。
だったら、語学は科学でも理論でもないのです。
それだけのことです。
2180 近代科学信仰 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月18日(月)01時03分22秒
>数字化できないのものは、科学でもなく、理論でもないのが私の考えです。
こういう考えの方は語学には向かないと思います。
私は語学は呪術の一種だと思っています。
近代科学の信者には、謎のままに残るでしょうが、「意識的に無意識」を作るほどの
精妙なわざが、「数値化」などという馬鹿げた信仰にへいこらすることはないでしょう。
2183 呪術と科学 投稿者:パクパク 投稿日: 3月18日(月)07時24分17秒
語学が呪術ということは、科学でないという文脈で使用されていたのですか?
わたしは、秘術という意味でとらえていました。
いっぱんに、天文学、医学などは、前段階の呪術を科学化したものです。
○学というのは、科学です。
語学というのは、語術でしょう。
柔術がほろびたのは、科学化された柔道が登場したからです。
語学が科学化されにくいのは、そういう視点がなかったからです。
言語的磁場の国で生活されれば、言葉が発達されるからです。
こうした思考こそ、じつは、科学的な思考です。
シンタックスの内在化、イントネーションの自己決定能力、発音ポイント10
などは、いずれも、科学的思考なのです。
2185 イメージと数値化(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月18日(月)11時57分39秒
>語学が呪術ということは、科学でないという文脈で使用されていたのですか?
科学ではないとは言いませんが、近代科学信仰ではどうにもかたがつかない呪性が語学にはあります。「数値化」などとは相性が悪いのです。
科学的には、「りんご」は「apple」ではありません。「りんご」は「りんご」であり、「apple」は「apple」であるという個々の同一性を確
定し、その起点を忘れないのが科学です。最初に、個々の自己同一性を成立させるのです。あるいは、この個々の自己同一性を、最初に成立させようとして求め
る続ける学が科学です。
イメージの動態が、本当に数値化可能であるなら、俳句は人間が作る必要はなく、コンピュータに作らせればいいのですが、たったの5・7・5音の組み合わ
せでさえ、コンピュータにやらせると、くそおもしろくもないものができます。イメージの動態の数値化が可能であるなら、文学の翻訳も人間がやる必要はな
く、翻訳ソフトにやらせておけばいいはずです。
こちらを信じたいなら、パクパクさんもゴーストのシナリオなど買い込んで苦労などする必要はなく、コンピュータ技術の進展を首を長くして待っていればい
いのです。
イメージの動態が数値化できないならば、しかしいくら首を長くしても、その時は来ないでしょう。首筋が痛くなるだけです。
私はイメージの動態の数値化はできっこないと考えております。その日のお天気の具合によってでも人間の意識に動くイメージの色合いは違ってきます。も
し、お天気の影響でイメージがどうなるというようなことまで数値化するのであれば、最初に天然自然・全宇宙を数値化しておかなければなりません。それがで
きるなら、意識やイメージや語感も、正確な数値化ができまるでしょうが・・・。
「一粒の種、もし死なずば・・・」
一粒の種が、世代交代を経て、いったい何粒に増えるかなど、浅はかな近代科学の数値の知ったことではありません。これが数値化できるなどと考えるのは、
語学を生きるという行為に対して不遜な考えです。
また、イメージの基点と終点というものすら実は定められないのです。イメージが現存するかしないかが一人の人間の意識にわかるだけで、イメージそのもの
は地下水脈のように無意識界に通じており、あるとき思いがけず、ひょっこり顔を出したりするのです。英語をやって得たイメージが、日本語の本を読んでいる
ときに顔を出したりもします。逆もあります。
2186 イメージと数値化(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月18日(月)12時00分41秒
語学は、「りんご」と「apple」のように元々別のものであるものを、ひとまずイコールであるかのように結びつけ、イメージを誕生させます。このイ
メージを変容させることによって、「apple」という語のイメージの核を求めます。最初、蓋然的であったものが、最後に核が備わり必然となるのが語学で
す。まるでイコールでないものを、イコールにしてしまう暴力が語学の最初にあります。
最初に「たった一人の暴力ありき」。これが語学であり、この時点では、人間が思ったことに何の普遍性もなく、ただの思いこみであることも充分にありま
す。しかし、意識というものは充分に面白いものであり、最初のとんちんかんが、最後に的を射抜いて新たな語のイメージの核を得ることはいくらでもあるので
す。語学の最初には混沌があります。行為そのものが混沌をさらに大きくするような行為です。混沌が大きくなることを知って、わざわざ混沌の中につっこんで
いくようなところが語学にはあり、ここがオリコウでゴセイケツな近代科学づらととことん違うところです。
「AがBだから、Cである」という記述性は科学です。
「AはBだ」と強く思う(呪性)によって、「C」を誕生させ、「C」を使い込むことによって変容させ「D」を得るのが語学です。最後に得られた、「D」
は、もはや「A」には適応できず、「B」のイメージの核として「B」に戻せるだけであったりします。
>わたしは、秘術という意味でとらえていました。
語学は秘術ではありません。秘術であれば、私は掲示板で塾のやり方を書いたり、皆さんの協力をあおいで「10のポイント」を決めようとしたりなどはしま
せん。
>柔術がほろびたのは、科学化された柔道が登場したからです。
それもありましょうが、柔道が制度や政治とくっついたからということもあります。
それで、日本の柔道界は、ヨーロッパ出身の審判の馬鹿な判定を許しています。柔道の試合を見ていても思うことですが、あんな警戒心同士の泥んこごっこみ
たいな姿になったのは、日本の近代化の醜さの現れだとも思っています。レスリングの方がまだよっぽどすっきりしています。
そういえば、柔道の判定も、「数値化」でした・・・。
私は柔道が柔術よりまともだと思っているわけではないのです。
制度や政治とくっつかなければ、柔術が柔道になれないのであれば、私は柔術は柔術のままにとどまるのがいいという考えの持ち主です。
私の英語も相当のすれっからしではありますが、「テロ国家の親玉・アメリカ」(チョムスキー)にまつろわぬ者でありたいという願いは捨ててはおりませ
ん。
>シンタックスの内在化、イントネーションの自己決定能力、発音ポイント10などは、いずれも、科学的思考なのです。
評価していただけてうれしいですが、問題は数値化です。
数値化できないものは、数値化できないものとしてとどまるということを申し上げております。本来的に数値化できようはずのないものは数値化しないこと
が、科学的な思考です。やたらな数値化で満足したがるのは、迷信という信仰です。
2188 自己言及 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月18日(月)18時33分20秒
>私は柔道が柔術よりまともだと思っているわけではないのです。
つまり、学校が塾よりまともだと思っているわけではないのです。
2196 SAI さん from Hamaya's 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月20日(水)00時31分45秒
>バイリンガルの脳の働きでは、意味を考える前にどちらの言語であるかを
判断するようですね。これを練習するのが洋画を略100%聞き取るための王道
だと思うのです。
バイリンガルというのは、二つの言語を even に扱う人々です。
これは、二つの「生の言語磁場」を往復することを幼児期に強いられた人であるか、一つの言語磁場で育って、その磁場を途中で断ち切って別の言語磁場だけ
で生き、その後、最初の磁場に戻った人のどちらかです。
日本語の中に生まれてきて、日本語で育ち、日本語に囲まれて英語力を作った人は、決してバイリンガルにならないと私は考えています。事情がまるで違いま
す。
磁場が一つであり続けたことは決定的なことなのだと考えています。
バイリンガルが、音の系の異同によって、言語を切り替えるというのはそうだと思いますが、Nature
誌の記事で取り上げられていた言語は、スペイン語ともう一つの言語がシンタックス的に同系なのか異系なのかが私は気になります。記事を読んでいたときは、
シンタックスの面からは、同系言語だと思って読んでおりました。
シンタックスが同系である二つの言語のバイリンガルでは、意味を考える前に、一方の言語を遮断するための最大の手がかりは、音の系だと思います。
これが、そのまま日本語と英語の関係に当てはまるのかどうか。当てはまったとしても、スイッチのオン・オフはもっと重いものになるだろうと思っていま
す。音だけで切り替えても、まだ切り替えなければならないものが残ります。
シンタックスです。
2201 聴解不可能領域の設定 投稿者:パクパク 投稿日: 3月20日(水)09時03分03秒
ゴースト前半部、天使像を部屋に持ち込むシーン
スクリプト
Grab the bottom. I got it.
**** *** ****** * *** **
*は、聞き取れない部分。
つまり、この会話部分は全滅です。
こういうことが、映画の独学で必ず遭遇するとおもいます。
単語は簡単。語数も少数。でも、まったく聞き取れない。
この場合、以前でしたら、100%聞き取りを目指していたのですが
聴解不可能領域という概念を設定し、聞き取りを放棄する戦略を
とります。
問題は、初心者は、どの部分が聴解不可能領域かわからないことです。
ここにコーチの存在が必要です。
「それは、解かなくいいよ」と言ってくれる人です。
残念ながら、日本の映画をつかった学習教材には、この手の
解説はまずありません。
2203 本屋で 投稿者:Jackie 投稿日: 3月20日(水)20時00分46秒
今話題の ビッグファットキャットを 立ち読みしてきました。
ベストセラーですね。 簡単に文法がわかるということらしいです。
私には 箱やら猫やら 化粧(形容詞) やら でてきて わかりにくかったです。
結局は SVO を説明しているのですが
だったら 誰が どうした 何を どこで いつ の語順 です
というだけで 充分なのに
読んだかた いらっしゃいませんか?
2204 ビッグファットキャット 投稿者:Eliot 投稿日: 3月20日(水)21時35分11秒
ちょっとだけ見ました。箱やら猫やら出したからといって
英語がわかるようになるわけない! と思いましたよ。
↓でこの本の著者のとんでもない記述が取り上げられています。
返答も全部読んでみてください。
http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb.cgi?b=sss&c=e&id=611
2205 SAIさん from Hamaya's 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月21日(木)02時34分13秒
お返事ありがとうございます。明日お返事を書こうかと思って布団に入ったのですが、考え始めてしまったので、今日書くことにします。
>例えば、親がアメリカ人と日本人であって、アメリカで生まれ育った者でもバイリンガルになるケースがあることです。このケースから考えると、「磁場」は
バイリンガルになるための必須の要素であるとは限らないと思われます(この議論ではカルチャーの部分を除きます。その国のカルチャーはその国に住んでみな
いと分からないからです)。
よく流通している「英語圏」という語ではなく、私が「磁場」という語を持ち出しているのは、国という単位に依存せず、あくまでもある一つの言語の磁力が
及んでいる場というものを考えているからです。親がアメリカ人と日本人である場合に、家庭の中で日本語が使われるなら、子供は二つの別の「磁場」を往復し
ます。友だちや父親とは英語で話し、母親とは日本語で話すということをしているなら、二つの「磁場」を往復していることになります。
以前、これを考えて、「大きな磁場」と「小さな磁場」ということをどこかに書いたような記憶があります。「大きな磁場」は、社会的な広がりに流通する言
語が形成するもので、個人をとりまいている外的な言語状況です。これは英語圏なら英語圏という「圏」という概念とほぼ重なります。
「小さな磁場」は、自分と相手の二人だけでも「磁場」になります。自分と親、自分と恋人、自分と友だちのように自分を数に数えて二人しかいない場合で
も、「小さな磁場」は形成されます。
「磁場」とそうでないものとは、直接性、切実性、親密性の度合いが決めると思っています。親と子供の関係ほど、言葉を獲得しつつある子供にとって、直接
で切実で親密なものはないので、これほど強力な磁場は他にないというほどのものです。
磁力の強さは、「大きな磁場」「小さな磁場」という場合の、磁場の大小には左右されません。磁力の強さは、直接性、切実性、親密性の大小で決まると考え
ているので、磁場の大小とは反比例する関係にあるとさえ言えると思っています。
この意味で、音声複製技術によるあらゆる語学教材は、磁場を形成しないのです。映画を語学教材にすることを例にとれば、どれほど手に汗握る映画であろう
と、それは観客として手に汗を握っているにすぎないので、直接に自分の身が危険にさらされているのではない。想像的にどれほど切実で、リアリティがあって
も、リアルではない。
「小さな磁場」とは、自分が直接性、切実性、親密性の当事者となる場のことです。この直接性、切実性、親密性を通じて、カルチャーは感覚や無意識にしみ
わたりますから、「磁場」とは同時にカルチャーをもろに浴びる場でもあります。沢庵和尚にちなんで言えば、おふくろが漬けるタクアンの味も、ご飯を食べな
がら、「おいしいね」って言うのも、「うん」とうなずくのもみんなカルチャーです。
バイリンガルとは、二つの言語に直接性、切実性、親密性を持ちうる人です。これは、原理的に「磁場」なしでは成立しません。成立すると思うのは、言葉に
は根というものがあることが見えていないのだと思います。
直接性、切実性、親密性が「磁場」そのものを作り、その「磁場」がまた直接性、切実性、親密性をはぐくんでいます。そこが、言葉が根を張っている場所で
す。
語学をやるからには努力を惜しもうとは思わないにせよ、私の英語が私の日本語と同じレベルになる日が来るなどということは、私はまるで信じることができ
ません。ありえないことだと思っています。私の日本語は、まがいものや複製物ではないところに根を張っていると思っているからです。
バイリンガルの本質は、「磁場」を切り離しては考えられません。
2206 SAIさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月21日(木)02時37分45秒
>最初のスイッチが切り替われば、英語は脳の英語のメモリへ、日本語は脳の日本語のメモリへ格納されます。この段階では意味は分からなくとも、文字や音が
そのまま格納されます。
これは、「メモリ」を実在のものと考えるか、ある比喩的な領域と考えるかで話がまったく違ってきます。私は実在のものとしては、英語用、日本語用の別々
のメモリがあるとは考えられません。脳に関する知識が乏しいので、反証があったらお教え下さい。
音の系、シンタックスの系が確定されれば、その系に属する語や語法が芋蔓式に出てくるのだとは思うのですが、メモリとしては一つの領域から出てくるのだ
と思っています。
記憶の実態はイメージだと思っています。イメージは言語をきっかけにして誕生しますが、一度誕生してしまえば、逆に言語をひっぱり出す力を持ちます。イ
メージがいったんイメージとして立ち上がれば、もはや英語にも日本語にも依存しません。逆に、英語なら英語を、日本語なら日本語を引っぱり出す力そのもの
です。
2209 RE: ビッグ ファット キャット 投稿者:Jackie 投稿日: 3月21日(木)11時06分04秒
Eliot さん 箱と猫のものがたり なんと 130万部を突破したそうです。
なぜうれるのでしょう?
「世界一簡単」というコピー とかわいい猫。 マーケティングですね。
Aの箱に猫をいれて Bの箱に カーテンを。 矢印はなんだとおもいますか?
主語と動詞を説明するのに これですから 私にはわかりにくかったのですが
この本で目からウロコがおちたという方もたくさんいるようなので
おいおい 中高校 6年間で何をならってきたのか、 日本の学校教育はそこまで ひどかった?
のでしょうか?
掲示板にいってみました
英語が世界一簡単な言語?というくだりですか? すくなくとも 日本人にとっては あてはまらないですよね。 日本語では結論を先に言わずあとにくるので
すから。それに 日本人が英語が上達しないのは その必要性にせまられていないこと と 自分の意見をはっきりと口にだして 言わない文化のゆえ だと思
うのです。
>「一番普通で一番確実なのに、なぜか今まで誰も教えてくれなかった世界一簡単な覚え方です と 著者はいっています。
この本を読み終わったらやさしい本を多読をということですが まず先にSVOを 口と体で体得しなくては無理。
どんな本か 楽しみだっただけに むかむかしてくる本でした。
2209 RE: ビッグ ファット キャット 投稿者:Jackie 投稿日: 3月21日(木)11時06分04秒
Eliot さん 箱と猫のものがたり なんと 130万部を突破したそうです。
なぜうれるのでしょう?
「世界一簡単」というコピー とかわいい猫。 マーケティングですね。
Aの箱に猫をいれて Bの箱に カーテンを。 矢印はなんだとおもいますか?
主語と動詞を説明するのに これですから 私にはわかりにくかったのですが
この本で目からウロコがおちたという方もたくさんいるようなので
おいおい 中高校 6年間で何をならってきたのか、 日本の学校教育はそこまで ひどかった?
のでしょうか?
掲示板にいってみました
英語が世界一簡単な言語?というくだりですか? すくなくとも 日本人にとっては あてはまらないですよね。 日本語では結論を先に言わずあとにくるので
すから。それに 日本人が英語が上達しないのは その必要性にせまられていないこと と 自分の意見をはっきりと口にだして 言わない文化のゆえ だと思
うのです。
>「一番普通で一番確実なのに、なぜか今まで誰も教えてくれなかった世界一簡単な覚え方です と 著者はいっています。
この本を読み終わったらやさしい本を多読をということですが まず先にSVOを 口と体で体得しなくては無理。
どんな本か 楽しみだっただけに むかむかしてくる本でした。
2211 SAIさん 中島さん 浜谷さん from Hamaya's 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月21日(木)12時04分52秒
「生きた英語」「死んだ英語」という議論、面白く読ませていただきました。
SAIさんは、「冷凍された英語」と言い直されましたが、私は映画の英語に対して「死んだ英語」と言うことをためらう必要がないと考えています。
複製技術によって複製された英語は死んだ英語と言ってしまってよいと考えています。これは、せりふが生き生きしているとか、どんぴしゃりであるとか、松
本流に言えば、「斬れる」とかいうこととは関係のないことで、もっとはるかに馬鹿みたいに簡単なことで、録画や録音によるものは死んでいるということで
す。「なまもの」ではないということです。
逆に、どんなにたどたどしくても下手でも、「磁場」の中にいて「磁場」を生きているならば、どんな英語も生きているのだと思っています。日本にいて、た
まに外人と話すくらいだと、英語が呼吸し始めたかなと思ったら話が終わりになることも多いですが・・・。
あらゆる語学教材は死んでいると思うのです。語学というのは、死んだものを相手にする行為なのだと思っています。死んだものを殺し直せば、自分の中に生
き返ってくる。殺し直すとは、例えば國弘正雄の「只管朗読」のような行為です。
SAIさんは、音という一点に絞って、この「殺し直す」ようなことを企てられているのだと考えています。シンタックスはどうするんだという疑問はあくま
で残っているのですが、注目しています。
死んだものを殺し直して生き返らせるというダイナミクスは、バイリンガルなどのあずかり知らぬものです。
殺し直すということに日本にいて英語をやることの根拠を見ないならば、日本にいて英語をやる人はバイリンガルに頭があがらないはずです。なめらかに英語
が口から出てきて、聞き取りに苦労しないという点において、いくら馬鹿なバイリンガルの英語でも、日本人が日本でやった英語より上位にあるという馬鹿な話
になりかねません。どれほどのイメージの沃野を持った日本人もバイリンガルに頭があがらないなどということはどう考えても馬鹿な話です。
2212 聴解不可能領域の設定について 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月22日(金)00時32分53秒
パクパクさん
映画の場合、このせりふが聞きにくかったら、話の筋がわからなくなるものと、背景をしつらえるための添え物、刺身のつまみたいなせりふとが混在します。
例えば登場人物が二人大きく映っている場面でも、二人の間にある行為がお互いに自明であれば、せりふは実におざなりな発音で行われることがあります。こ
れは、私たちが日本語を使う場面でも同じです。生活過程のそういう言語現象を採用すれば、それが映画の自然な感じというものを作り出すと映画を製作する人
たちは考えるはずですし、俳優たちもその辺をのみこんで演じているはずです。
Grab the bottom. I got it.
**** *** ****** * *** **
物を一緒に持ち上げる場面だったと思いますが、この場合、bottom の bo の部分さえ相手に伝わり、相手が got の go
だけ返してくれれば、一緒にものを持ち上げることができます。
これは、これがわからなければ話の筋がわからなくなるというせりふではありません。
ですから、分類方法の一つの基準として、それがなければ話の筋がわからなくなるせりふかどうかというものが考えられます。ゴーストで、喫茶店の場面で、
主要な登場人物たちが話しているテーブルの背後の別のテーブルの客の話し声が聞こえている場面がありました。この話なんかはまったく刺身のつまであり、聞
き取れたら聞き取れたでいいが、聞き取れなくてもまるで構わないものです。
それがなければ話の筋がわからなくなるセリフは、決して刺身のつま扱いされることがありませんので、これに関してはとことん攻め込んで聴き取るべきで
す。
> 問題は、初心者は、どの部分が聴解不可能領域かわからないことです。
ここにコーチの存在が必要です。
「それは、解かなくいいよ」と言ってくれる人です。
残念ながら、日本の映画をつかった学習教材には、この手の
解説はまずありません。
こんなものに解説は必要ないと思います。自分で、勝手に聴解不可能(不要)部分を決めればいいと思います。
私の「電話でレッスン」の場合は、スクリプトに出ているセリフは極端に短いもの以外はすべて扱います。これを「技法グラウンド」で扱い、「復習範囲を手
放さない」という原理によって「復習範囲テスト」を繰り返していくと、どうでもいいような背後のセリフも、「ああ、確かにそう言ってるな」という感じで急
に聞こえてきたりします。「回転読み」及び「技法グラウンド」の余録かと思います。
パクパクさんの試みは、リスニングから入るやり方です。
私がやっているのは、音読から入るやり方です。
私は、シナリオを数本こなすまでは音読から入るのがいいと考えています。
平均して50パーセント程度聴きとれるようになった頃から、リスニングから入ることを始めるべきだと思います。
この手順を踏まないと、映画のリスニングはきつすぎます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
2213 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月22日(金)00時34分38秒
このせりふが聞きにくかったら、話の筋がわからなくなるものと
→
このせりふが聞きにくかったら、話の筋がわからなくなるというものと
2214 新アプローチ? 投稿者:パクパク 投稿日: 3月22日(金)07時30分56秒
>私は、シナリオを数本こなすまでは音読から入るのがいいと考えています。
平均して50パーセント程度聴きとれるようになった頃から、リスニングから入ることを始める べきだと思います。
この手順を踏まないと、映画のリスニングはきつすぎます。
50%も聞き取れるようになれば、一大効果だとおもいます。
この場合の音声は、映画音声ですか?それともコーチの音声ですか?
付記
はじめは、音読をやるということは、映画音声を聞かないということですね。
これは、一大革命的アプローチです。
映画をつかう場合だれでも、映画音声をいきなり聞こうとします。
だから、10%も、いや5%も聞き取れません。
しかも、シナリオを見ながらでも、文字と音が対応しません。
そういうわけで、映画をつかった英語教育は、あまり普及しないのです。
生徒にフラストレーションがたまるからです。
しかし、はじめは、コーチの声(在日英語)だけで、映画音声を抜きにして音読を繰り返して
いけば、映画音声が50%以上聞き取れるようになるなら、
これは、革命的アプローチといえましょう。
私の場合は、生活音法を開発しているので、これなら、50%はシナリオ本を見ながら
聞き取れます。
つまり、見掛けの聴解不可能領域と真性聴解不可能領域があります。
聞き込めば、いつかは聞こえてくる音声と
いくら聞き込んでも聞こえてこない音声があります。
これはスクリプトを頼りに聞いているからです。
もっといえば、スクリプトどおりに発話されていないわけです。
こんちは が ちは になったり
おはようございます が おす になったりするわけです。
この辺は、俳優がアドリブでやるけれど、シナリオ本は
アドリブを聞き取ったものでない。つまり、完全原稿でないわけです。
わたしは、完全原稿でやれば、映画リスニングからいきなり
はじめても問題ないとおもいます。
しかし、そのようなものはない。
そうすると、音読からスタートは、一つの現実的な解だとおもいます。
2215 UDA 投稿者:パクパク 投稿日: 3月22日(金)09時11分26秒
UDAさんのサイトで、映画音声のリスニングの
コーナーがあります。
次回の映画作品に、ゴーストをお願いしています。
そして、スクリーンプレイのシナリオ本と
実際の聴解音声の異同も、個別に解説して
もらう予定です。
インターネットの時代だから、どんどん進みます。
2216 (無題) 投稿者:パクパク 投稿日: 3月22日(金)09時15分22秒
Grab the bottom. I got it
**** *** bo**** * go* **
ということですか?
こういう解説をきくと、全体が聞こえてきます。
ふしぎですね。
bottomをボトムと期待していると
全部のセリフが聞き取れないが
ボと期待すると、周辺まで引きずられて
聞こえてきます。
ふしぎな現象ですね。
2217 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月22日(金)12時02分47秒
>
よく分かりました。「なまもの」でない英語を国弘先生が仰るように只管朗読したり、根石さんが仰るように回転読みをして、「生き返らせる」、と言うよりも
日本人の英語(ネイティブやバイリンガルのではない)に甦らせる作業が語学だということですね? 根石さんの文章をお読みしていてふと思ったのはその甦ら
せる作業つまり根石さんが仰っている「殺しなおす」という作業の根幹になっているのは「生ものでない英語」をイメージ化することだと思いました。そしてそ
のイメージが昇華してふつふつと湧き出してきたものがあたかも「なまもの」かのようになって学習者の耳、口に甦って来て、 日本人の英語(「もどき」英
語)となる、そうでしょうか?
どんぴしゃりと正解していただけてうれしいです。
「殺し直す」ことによって、「甦らせる」ときに、「通じる音」を作るなら、ここに日本人の英語というものの根拠地ができると考えているのです。ここか
ら、多読へも、映画の聴きとりへも、シャドウイングへも出撃できます。
多くの日本人は、この根拠地を持たないまま英語をやっています。
「殺し直す」ことの根幹は、「音づくり」とイメージ化だと思います。この作業の途中で、ネイティヴ吹き込みによる複製音声を媒介にすれば、徐々にイント
ネーションの自己決定ができるようになります。イントネーションとイメージの融合。これが自分の口の動きとして実現しているもの、これが「もどき」です。
(この過程全体の中で、私の「電話でレッスン」は、「通じる音」と「イントネーションの自己決定」が独り立ちするまでの面倒を見るものです。また、これ
に使われる「技法グラウンド」と、「復習範囲テスト」のやり方自体を学んでいただくためにも使っていただいています。後者は、塾の先生をやっているとか、
社内教育などで小さな英語のクラスを持っている方などに向いています。)
>
私はこの作業に欠かせないのが前段階としての鵜田氏の30音なり、根石さんが最近構築された10のポイントなどによる英語音の獲得、及び基礎工事としての
多読であると考えます。多読による基礎構文身体化の補強なくしては只管朗読も回転読みも十分にその役目を果たせないと思うからです。
鵜田さんの30音や、私の「10のポイント」などは、「通じる音」を作るために必要なものです。
多読は、ある程度の「もどき」ができてきた時点で、すなわち、「通じる音」と「イントネーションの自己決定力」がある程度できた時点で採用すべきものだ
と考えています。
「音づくり」のコーチの必要をすっとばしてしまえば、いくら易しいものから多読しても、それだけで英語の力が作れるということはないでしょう。また、疑
似磁場頼みの「英会話学校」方式も、「音づくり」のコーチの必要をすっとばしている場合がほとんどです。
多読の前の基礎工事。この順序が非常に大切だと思っています。
日本の英語教育が欠いているものは、基礎工事です。
SSS 方式も、基礎工事を欠いていると思っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
2220 同感 投稿者:パクパク 投稿日: 3月22日(金)13時38分04秒
> SSS 方式も、基礎工事を欠いていると思っています。
そしてもう一つは、ネィティブは、音の基礎工事が
できないのではないかとおもいます。
2221 新刊本 投稿者:パクパク 投稿日: 3月22日(金)13時55分39秒
暗記と念仏の威力がよくわかります。
七田式 超右脳記憶法
つまり、暗記をする方が、頭が良くなるという
説です。
語学修得における暗唱の必要性を豊富な
事例で紹介しています。
注意
英語の音づくりには、触れていません。
2230 ランさん from Hamaya's 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月23日(土)01時05分24秒
おやっ、と思いました。
私もリスニングとヒヤリングは別物と考えてきたので、同じことを考えている人がいたのかと思ったのでしたが、ちょっと違いました。
私のリスニングとヒアリングの捉え方の違いは以下の通りです。
耳を傾けて、聴きとろうと努力する聴き方 = リスニング
とりわけ努力しているわけではないが、耳に届いたものが聴解できる = ヒアリング
これは、複製音声か生の声かによる区別ではなく、音に対する姿勢の違いだと思ってきました。ヒアリングの方が高度なものが働いているとも考えてきまし
た。
自分の英語を鍛えるための勉強法は、確実に力がつきさえすれば、どんなものでもいいのですが、ひとたび人様に方法や手順を示さなければならないことにな
ると、自己流というわけにはいかず、語学が成り立つ原理を探ることを避けられません。私が、年がら年中、やかましい理屈ばかり言っておりますのは、体験談
のレベルにとどまるわけにいかない事情があってのことです。体験談は必要ですが、そのレベルにとどまってしまうと、あなたには良かった方法が、私には良く
なかったという事例があっても、その理由がいつまでも明らかにならないと思っています。
自己流とおっしゃいますが、スペイン語の通訳ができるレベルまで語学をやられた方ですから、必ず語学の原理的な部分を踏まえられている方であり、語学の
センスをお持ちの方だと思います。音の扱いをどうなされたのかとても興味があります。教えていただけたらうれしく思います。
私が開設している掲示板にも遊びにおいで下さい。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
2232 ヒヤリングとリスニング 投稿者:sb 投稿日: 3月23日(土)08時16分03秒
エリオットさんお勧めの英英「Longman Advanced American Dictionary」から。
hear:
1 to know that a sound is being made, using your ears
2 to listen to what someone is saying, the music they are playing etc.
3 to be told or find out a piece of information
4 to listen to what is said in a court of law, and make a decision
定義の2と4にlistenが入っているのが面白いところです。
ヒトの聞く能力と関わる言葉ではないでしょうか?
2と4は直接ヒトと関わり重要だと考えるのでlistenで定義されるのでしょうか?
1と3はその時その人にとってそんなに重要でないことのような感じがします。例えばちり紙交換の車が必要な時とそうでないときがあります。3で与えられた
情報も必要になったときにlisten状態に移行していくのではないでしょうか?
WORD CHOICE:hear, listen
Use 'hear' when you mean that a sound comes to your ears:I heard loud
music coming from the room next door. Use 'listen' when you mean you
want to hear something and pay attention to it:I was listening to music
when the phone rang.
日本での英語学習者にはこんな感じで伝わっていると思います。
listen:
1 to pay attention to what someone is saying or to a sound that you can
hear
2 to tell someone to pay attention to what you are about to say
3 to consider carefully what someone says to you
いずれもヒトと関わっています。
こんな例文が載っていました。
Joe can't hear the phone ringing because he's listening to music.
もちろん、英和に限らず英英の限界もあるとは思います。
しかし私には英英が必要な時があります。
2233 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月23日(土)14時43分38秒
多読派の人たちは、多読が有効になるために何が基礎になっているのかということに無意識な場合が多いです。
もちろん多読自体は大いに有効なのですが、それが有効になるための基礎項目に何と何があるかを確定しないと駄目だと思います。
>そしてもう一つは、ネィティブは、音の基礎工事が
できないのではないかとおもいます。
まったくその通りです。ネイティヴというのは、自分でネイティヴ音が出せるだけの人であり、音の基礎工事がやれる人ではありません。これが、あまたある
外人を売りにしている英会話学校が暗闇にしている部分です。英会話学校に無駄金をふんだくられている人たちも暗闇を暗闇だと思っていないので、馬鹿な幻想
ごっこが続いています。
このことは、実は日本の学校にも当てはまることです。せっかく金を使って外人を学校に置いてあるのに、生徒の「音づくり」にはまるで役にたっていない現
状があります。文部科学省や教育委員会や学校の責任者たちは、外人を置くことで、音の問題は解決したかのようによそおうごまかしが通用するとでも思ってい
るのでしょうか。
また、日本人の英語の先生で、「通じる音」を持っている人は数としては少なくないと思いますが、自分の発音がよくても、生徒の口の動きとして「通じる
音」を実現できないならば意味はない。先生の発音というものは、飾り物ではないはずです。
また、「音づくり」をやる能力がある先生がいても、それを阻んでいるのが、中間・期末という名前のテストの敷き詰めです。「音づくり」をやる余地がない
のです。背後にそびえているのは、やはり入試制度です。
中高一貫の私立、中学入試を経た非常に優秀な生徒たちというような好条件はあるにせよ、この中間・期末のテストの敷き詰めのなかへ敢然と「音づくり」を
うち立て、成功させたのが Eliot
さんです。この画期的な授業の存在はまだ注目されていません。公立学校にそのまま持ち込めないものであることも問題の一つです。しかし、これはもっともっ
と注目されてしかるべき授業です。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/series/otomichi.htm
英会話学校のネイティヴも、公立学校の英語の教師も「音づくり」ができないことの元に、日本には日本人のための「音法」がなかったという一事があると
思っています。英語音に関する知識自体はあっても、それをどう授業に使うかという意味での「音法」が存在しない。このことと、中間・期末テストが音を食い
殺すことに声をあげようとしない英語教師の保身がからんだ蛇体が日本の学校英語です。
私の「10のポイント」は、最低の「音法」を提示するためのものです。
これだけでも、本当に身体化されるなら日本人の英語はまるで変わると思っています。
要するに、現状では、英語ネイティヴの外人にも、日本人教師にも「音づくり」ができないのです。
2242 音作り 投稿者:パクパク 投稿日: 3月24日(日)00時04分43秒
この基礎工事ができる人は、まだ、日本でも少数でしょう。
UDAさんと言えども、完全とは言い切れません。
在日の環境で、英語の音がわかるようになったもののみが
この基礎工事ができるからです。
欧米に滞在していると、英語の磁場の影響によって音が
出来るようになるため、教育的手法がわかりません。
この英語の音作りの教師を育成するには、長い道のりが
またあるとおもいます。
私は、音作りセミナーを4日間集中でやればいいとおもいます。
相手は、英語教師です。
2243 JIJIRO さん from Hamaya's 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月24日(日)00時42分48秒
>
何事にせよ物事を習得する場合に一番必要なのは、その人自身の資質であり、情熱であり、飢餓感であるということです。易きを求める虫のいい人間に、いくら
地道な音読や書写の重要性を説いたところで、それは所詮は馬の耳に念仏のたぐいになってしまうでしょう。
逆にそういう人たちを金儲けの材料にしようと牙をむいている学習産業のプロたちの手にかかれば、誇大な広告で彼らを「究極の学習方法」に誘い込むのは、赤
子の手をひねるようなものだとも思えます。
まったく同感です。
資質に関して少し書かせて下さい。
私は塾という仕事をやってきていろんな子供に出会いましたが、語弊があるのを承知で書きますと、どうも数学が得意なやつ(理系の頭)の子供は、語学が苦
手になる傾向があるという感触をもっているのです。理系の頭のやつは、易きを求めるわけではないのですが、どうしても近道を探します。数学の解は筋さえ通
れば近道であるほど、いい解なわけですので、この傾向はあるように思います。私はこのテのアタマの連中に、やかましわ、なんでもいいから同じ文を百回も二
百回も、ちゃんと発音しながら読み込めと命じました。うまくいった場合は非常に力をつけますし、駄目な場合は駄目でした。
語学には愚直さが必要なのだとわかるやつもいれば、わからないやつもいます。
それがわからないやつは、語学というものの本質が見えないわけですから、数学の点が高得点でも、ものごとの本質がわからないやつです。こういうアタマを
「頭がいい」と評価するのは、非常に間違っていると思っています。
数学には数学の本質があるのと同じように、語学には語学の本質がある。それぞれの本質を見抜いて、それに応じることが「頭がいい」ということなのだと思
うのです。
どんなものでしょうか。
情熱と飢餓感については、おっしゃる通りだと思います。私の場合は、これに加えて、危機感というものもあります。特に、若い人たちが書く日本語の質を見
ていると、いいのかよこれで、と思うことがあります。また、英語が必要になる場にいつさらされるかわからないにもかかわらず、学校英語がまるで動こうとし
ないことに対する危機感もあります。日本在住のまま、日本語に対しても英語に対しても、危機感があります。
英語は結果から見ると、これまで英語フリークたちの専有物でした。しかし、まるで英語フリークではない数学頭の生徒たちにも、語学の原理を踏まえて、こ
れをやれ、次にこれをやれと指示すると、英語が使えるレベルになるやつがいます。その成り立ちを明らかにしたいという「情熱と飢餓感」が私にあるのです。
英語フリークではない、もっとずっと普通の人たちに英語が開放される方途があるんじゃないかと思っているのです。英語フリークよりも、そういう人たちのほ
うが、はるかに実のある話が英語でできるはずだとも思っています。
2244 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月24日(日)00時54分05秒
>在日の環境で、英語の音がわかるようになったもののみが
この基礎工事ができるからです。
そうです。そのことの価値を、この娑婆はまるでわかっていません。
>音作りセミナーを4日間集中でやればいいとおもいます。
相手は、英語教師です。
英語教師が相手なら、4日間集中でもそれ相応の成果はあるかもしれません。
しかし、問題はどこが金を出すかです。
2256 ネットカフェ 投稿者:sb 投稿日: 3月24日(日)08時53分04秒
ネットカフェで大風呂敷に入る時は、「根石吉久」で検索しています。
もういちど「どんでん」の簡易版を、ビッグキャット風に出版され、「根石吉久」ここにあり!と世に問うのもよいと思います。(さじを投げているか。。。)
2263 のどちんこさん 投稿者:sb 投稿日: 3月24日(日)21時26分33秒
この前根石さんの所におじゃまさせてもらった時に話していたことです。
「とにかく國広さんの只管朗読≒根石さんの回転読みなどを自分で力をつけたいと考えている一人でも多くの人にそのやり方を実行してもらうことにその眼目が
あると思います。」
手段は選びません。そしてこの方法は全て公開です。化粧を施した本であろうと、どんな本であろうと他のどんな手段であろうとやれることはやってみたいとも
思っています。もちろん実行となると時間はかかるし、まだ自分は何もできていないので偉そうなことも言えませんが。。。
2305 生活音法 投稿者:パクパク 投稿日: 3月26日(火)16時37分41秒
英語の前置詞、of,at,on,in,withは、映画音声では
明瞭には聞き取れないが、その理由がわかった。
従来の説明では、弱く、速く発話されるということで
あったが、そうではないようである。
2309 UP要望 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月27日(水)02時01分50秒
>英語の前置詞、of,at,on,in,withは、映画音声では
明瞭には聞き取れないが、その理由がわかった。
わかったことは書いて下さい。
内緒にしておくとお金がもうかるというのであれば、無理強いはいたしませんが・・・。
2316 生活音法とは 投稿者:パクパク 投稿日: 3月27日(水)09時31分40秒
基本的に、音のつながりと音の変化です。
たとえば、littleの[tl]の部分の発音が、音のつながりです。
音の変化は、t-->k , l-->nなどの教科書音法にあまり記載されて
いないが、実際の映画の音では検出される現象を規則化したものです。
ゴーストの場合、教科書音法では、シナリオを見ても
30%わかればいい方だとおもいます。
生活音法で、シナリオを見ながら聞くと、60%がわかります。
つまり、30%+60%=90%がわかります。
残りの10%は、聴解不可能領域です。
上記は、あくまでも、シナリオ本を見ながらの
聴解%です。
シナリオを見ないで、初出の映画を見る場合は
教科書音法では、5%以下。
生活音法でも、10%以下。
計15%以下とおもいます。
このような現実があるため、
映画教材を実際の英語学習につかうには
相当な障害があり、おもったほど、普及しなかったのが
実情とおもいます。
しかし、回転読み+生活音法+シナリオ本で
90%のレベルまでには、誰でも行くとおもいます。
2324 生活おんぽ 投稿者:パクパク 投稿日: 3月28日(木)09時21分01秒
引用
>
タモリ倶楽部」という番組の「そら耳アワー」というコーナーでやってるような外国語で歌われている言葉が、どう聴いても日本語に聞こえるというやつであ
る。ここにその一例を紹介する。
hold the lettuce −−−−−−−− ほんとうなんです
special orders dot up set us −− 少し海苔の大きさです
all we ask is that you let us −−− オレンジ、納豆なんです
serve it your way −−−−−−− そうです,よう食わん
too much paranoiasハ −−−−−− つまってる海苔
2325 生活音法と空耳アワー 投稿者:パクパク 投稿日: 3月28日(木)09時30分53秒
教科書音法の知識だけでは、空耳アワーの日本語は
英語スペルと大きな変移がある。
生活音法の知識をつかうと、さもありなんという
ことになる。
生の英語音は、母音転移現象ばかりでなく
子音転移(l-->n,t-->k etc)があるからである。
2326 素読の評判 投稿者:パクパク 投稿日: 3月28日(木)22時28分38秒
酒席で、素読の重要性を話したら、相手にすごくいやな顔をされた。
たしかに、そうだわな。
素読=子供の自由を剥奪=創造性のない子供
という等式がいまだに根強い。
2329 素読は「素養 投稿者:Ton 投稿日: 3月30日(土)09時10分25秒
素読の評判 投稿者:パクパク 投稿日: 3月28日(木)22時28分38秒
>酒席で、素読の重要性を話したら、相手にすごくいやな顔をされた。
たしかに、そうだわな。
素読=子供の自由を剥奪=創造性のない子供
という等式がいまだに根強い。
それは説明の仕方が下手だったのではないでせうか。。。。
http://www.doujinsha.com
2331 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月30日(土)11時24分20秒
以前、少し気になってそのままにしてあったのですが、素読と暗記を連続線上のものと考えておら
れるように思います。これは、意識の指向性のベクトルがまるで違うものです。
暗記は、覚えようという指向性が最初からあります。
素読にはこれがありません。
素読を通した場合は、結果として覚えてしまった、覚えようとしないのに覚えてしまったというこ
とはあります。
2332 生活音法 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月30日(土)11時25分46秒
パクパクさんが研究されている英語の生活音法なるものは、子音の音の変化に集約されると考え
ていいものなのでしょうか。
2334 九九は丸暗記 投稿者:パクパク 投稿日: 3月30日(土)14時02分59秒
素読には、暗記するという意図がまったくないわけですか?
>
暗記は、覚えようという指向性が最初からあります。
素読にはこれがありません。
これは、極めて重要な違いです。
私が、素読にもつイメージには、エンターティメント性がない。
素うどんだから、おいしくない。
しかし、口に音を出していれば、いつか覚えられるという
メリットがある。この期待が、当面の苦痛を和らげていたわけです。
そうすると、真の素読とは、意味はもちろん、暗記しようという
意図もなく、ただひたすら、声だしに専念するという理解でよろしい
でしょうか?
2335 感想&質問 投稿者:nishiazabu 投稿日: 3月30日(土)22時27分56秒
根石様、先程はお疲れ様でした。
今日の8:50で三度目のレッスンを終えたものです。
最近では一日一回は音読をしないと、何かやりのこ
したような感じが芽生え始め、しめたものだと思っ
ております。今後も坊主が毎日お経を読むように、
出来るだけ毎日、続けられたらいいなと思います。
私は割と外国人と話す機会が多いのですが、音読を
はじめて約1ヶ月、以前より口から英語が出てくる
スピードが早くなったような気がします。また、映
画のぼそぼそと早口で話す言葉は聞き取れませんが、
CNN等のアナウンサーが話す、はっきりと明確に話さ
れているものは徐々に聞き取れるようななってきま
した。効果的な学習法をご指導いただき感謝してお
ります。
以下、質問です。よろしくどうぞ。
1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
I'd say you could sell this tomorrow and double
your money.
上記の分は仮定法だと思いますが、couldをwould に
置き換えても同じ意味になりますか?
2)Three'oclock is the only time he could make it.
のcouldは、昔学校で習った「時制の一致」からcanに置き
換えて使うと不自然でしょうか?
3)「incredible」が非常に多く出てきて、最初は文字
ずらから想像し、形式ばった時に使用するのかと思って
いましたが、日本語で言う「すごい、すげっー、チョー」
といった軽いノリ、場面でよく使われるものなのでしょ
うか?
4)Where'd you get those?
What'd thedoctor say?
の 'd はdidの短縮ですよね?(念のため)
まだお尋ねしたいことはありますが、長くなりましたので
またの機会に投稿せていただきます。
2336 ゴースト 投稿者:パクパク 投稿日: 3月30日(土)22時53分23秒
nishiazabuさん、こんにちは。
ゴーストのシナリオの質問、ほんとうにいいですね。
受験英語で、育つと、ほんとになぜだろうと気持ちが
わいてきます。
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
*** *** *** *****
*は、私には、聴解不可能領域です。
2337 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月31日(日)00時49分56秒
>素読には、暗記するという意図がまったくないわけですか?
暗記は暗記であり、素読は素読で、別物だと思います。
私は暗記しようとして英語をやったことがありません。
素読と考えても音読と考えてもいいと思いますが、練習の質を上げることだけを考えてやっていれば、自然に覚えてしまいます。これは結果だけ見ると暗記と
同じように見えますが、実際は出来ているものが違うだろうと思っています。化学肥料と堆肥が違うように違うだろうと思っています。
>私が、素読にもつイメージには、エンターティメント性がない。
素うどんだから、おいしくない。
素読の「素」は素うどんの「素」だということを書いた覚えがありますが、これは飾りけのないものというような意味でした。素肌の「素」でもいいのです。
素うどんだからおいしくないっていうことは決められなくて、粉自体の質が良くて、醤油もいい醤油であったら、素うどんはおいしいだろうと思います。
エンターテイメントだとは思いませんが、素読や音読はそれ自体で楽しいものです。言葉の音楽性というものを身体化するのは楽しいです。仮説ですが、英語
という言語のビートというものがなかったら、ロックミュージックというものも成立しなかっただろうと思っています。
>しかし、口に音を出していれば、いつか覚えられるという
メリットがある。この期待が、当面の苦痛を和らげていたわけです。
素読には、おっしゃる通り、苦痛を和らげる作用があります。
暗記という考え方はやせた考え方だと思います。近代の貧しさです。そして、体にとっては苦痛です。
体がものを言うことができるなら、体は必ず暗記というものを憎むと思っています。
暗記が得意だという人は、感覚のどこかが狂っているのだとさえ私は思っています。
素読ははっきりと身体に依存します。
外在する知識の身体化そのものです。頭に通すのではなく、体を通すのです。
素読の結果として、テキストを覚えてしまうということは生じます。
確かに素読は結果をもたらしますが、結果を先に見ないのが素読です。
暗記とはやはり違うものです。
2339 nishiazabu さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月31日(日)02時16分48秒
英語のレッスン、お疲れ様でした。私はお金をいただくので、お疲れはしょうがないですが、生徒さんは、お金を払った上に疲れるのですから、現在の酔っぱ
らい頭で翻訳すれば、踏んだり蹴ったり、です。しばらくの間、しかし、これでやらせて下さい。
> 最近では一日一回は音読をしないと、何かやりのこ
したような感じが芽生え始め、しめたものだと思っ
ております。今後も坊主が毎日お経を読むように、
出来るだけ毎日、続けられたらいいなと思います。
私の「電話でレッスン」は生徒さんの質が非常にいいです。
さすが、あのようなヘンテコなホームページを読んで、レッスンを受けることは決意される人たちだと思っています。一挙に極論しますが、日本の正気をお持
ちの方じゃないと、あのホームページを読んで申し込むことはなかろうと思っています。
芽生え始めた感覚をどうか大事にして下さい。
坊主が毎日お経を読むとは言い得て妙なりです。
まさにそれです。
英語という言語が作る磁場がない場所で生活しているのですから、坊主がお経を読むのと同じようにやるに限ると思います。イントネーションやリズムが違う
だけで、お経はお経です。お経こそ、音読や素読のルーツじゃないかと思っています。
> 私は割と外国人と話す機会が多いのですが、音読を
はじめて約1ヶ月、以前より口から英語が出てくる
スピードが早くなったような気がします。また、映
画のぼそぼそと早口で話す言葉は聞き取れませんが、
CNN等のアナウンサーが話す、はっきりと明確に話さ
れているものは徐々に聞き取れるようななってきま
した。効果的な学習法をご指導いただき感謝してお
ります。
こういう報告が私には一番うれしいものです。
ありがとうございました。
> 1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
I'd say you could sell this tomorrow and double
your money.
上記の分は仮定法だと思いますが、couldをwould に
置き換えても同じ意味になりますか?
助動詞の過去形は、仮定法かそうでないかの分類以前に、「あいまいさ・遠慮を伴う気持ち・ていねいさ・自信のなさ」などを表すと思ってしまっていいと思
います。現在、例のごとく酔っぱらいですので、例のごとく「酔っぱらい文法解析」となりますが・・・。
could と would は微妙に違います。通じる通じないで言うなら、この両者を入れ替えてもたいがい通じます。それだから、We could
も We would も、早口にしゃべる奴は、We'd
にしてしまえる。しかし、微妙な違いというものは、決定的な違いでもあるわけで、その違いは、can と will の違いにさかのぼれると思います。
2340 nishiazabu さん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月31日(日)02時18分54秒
> 1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
この例ですと、could を使っている Sam は Molly に対して、まだすごく遠慮があるように私は解釈します。would
を使えば、「俺はそうしたいんだけども」という感じが強まりますが、could
だと「やればやれるんで、やってみたらどうかと思うんだけど」というくらい「遠慮した気持ち」が生じると思います。男と女の間の、わがままの芽の大きさが
関係します。would と could のどっちが余計に強引かはわかりません。could
の方が強引だということはいくらでもあります。しかし、そのあたりは、生活という場面では、声の調子がほとんどを代弁してしまうので、We'd が成り立
ち、 could なのか would なのかは声の調子でわかるという世界だと思います。あるいは、声の調子がなければわからない世界です。
スクリーンプレイの「ゴースト」のシナリオ本は、多分、映画を元にして文字に起こしたものだと思うのですが、映画自体の音では、We could と
We would
は聞き分けることはほぼ不可能だと思います。その部分自体がパクパクさんが言っておられるとおり、「聴解不能」であるほどに微弱な音です。文字に起こした
人が could
だとして起こしているのです。これはそのように起こした人の主観が入っているのだと思います。借りたのか買ったのかわかりませんが(多分、ニューヨークの
話ですから借りたのだと思いますが)、部屋のレイアウトをしている場面です。この場面では、ものごとはまだどうにでもなるので、could
なのだと考えるのも一法です。あんがいそんなところかもしれません。
2)Three'oclock is the only time he could make it.
のcouldは、昔学校で習った「時制の一致」からcanに置き
換えて使うと不自然でしょうか?
can
に置き換えてかまわないと思いますが、きつい感じの文になります。事務的というか、私的な感じの文ではなくなります。融通がきかない感じが出ます。
助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。
he は Gary Alan ですが、この男が Carl に言ったことを元にして、Carl
が自分の主観を混ぜてものを言っているのだと思います。Gary Alan の予定や行動が本当に確かどうか、three o'clock に本当に
Gary Alan が Sam のために動くかどうかは Carl にわかっていない。その「自信のなさ」が could
という過去形を呼び寄せているのだと思います。
助動詞の過去形というのは、気持ちの問題なのです。はっきりとしていると確信しているときに現在形を使うが、はっきりとしてもいないし、確信もしていな
い場合に過去形を使うという把握の仕方でいいと思っています。
この現在形と過去形のちゃんぽんは、 Carl という人間の役作りになってもいると思います。
3)「incredible」が非常に多く出てきて、最初は文字
ずらから想像し、形式ばった時に使用するのかと思って
いましたが、日本語で言う「すごい、すげっー、チョー」
といった軽いノリ、場面でよく使われるものなのでしょ
うか?
そうだと思いますが、学歴みたいなものと関係していると思います。
4)Where'd you get those?
What'd the doctor say?
の 'd はdidの短縮ですよね?(念のため)
did
で間違いないと思いますが、こういうものは、自分の持っている知識の範囲を駆使して自分で勝手に決め込むことが大切です。もしも決め込んだものが違ってい
たりすると、違っていたとわかったときに、非常にビックラコキますので、すごく印象に残ります。それは語学の大切な瞬間です。
ビックラコク前の人に向かって、君たちはよくわかっていないと思うけど、本当はこうなんだよね、みたいなおためごかしを学校の教師やらアメリカ帰りやら
がやらかしますが、そんなものは屁だと思っていることが大切だと思います。
自分がビックラコクことが一番大事です。
私も比較的頻繁にビックラコクことをやっています。
だから、語学は面白いのです。それがなかったらやりません。
----------------------------------------------------
以上、酔っぱらって書きましたが、そりゃ違うだろ、と思われた方は、助動詞の過去形的でなく、現在形でつっこみをお願い致します。
あてにしようと思う Kawakami さんが日本にいないと、Ton さんが言っていたな。
どこにいるのかな。アメリカだろうな。
アメリカでこの記事を見かけたら、何か書いて下さい。
Kawakami さん、アメリカに行くときは、日本語の使えるコンピュータを持っていくこと。これ、基本だよ。
2347 3色読みと知識の身体化 投稿者:パクパク 投稿日: 3月31日(日)07時16分08秒
外在知識の身体化 これは非常に興味あることです。
いままで、その方法論の考察がなかった。
素読がそれに近いことがわかってきたので
酒席でそのことを話したら、実にいやな顔をされたわけですが、
こんど、斎藤孝さん(音読の本で有名)が、3色ボールペンを
駆使して本を読むことを推奨しています。
推奨というより、強制的ニューアンスです。
角川書店から出しています。
青、赤、緑のボールペンで、本に線を引きます。
この行為を身体化としています。
2348 助動詞の過去形と生活音法 投稿者:パクパク 投稿日: 3月31日(日)08時10分31秒
映画のシナリオを見て驚くことは、助動詞の過去形が
実に多くでてくることです。
セサミストリートのシナリオを見ても、子供が
wouldやcouldを頻繁に使っています。
シナリオライターの腕の見せ所でしょう。
映像にリアリティと生活感をあたえるからです。
しかし、学校英語では、中学校では、仮定法を
教えていないようです。
(would like to は教えている)
>
助動詞の過去形は、仮定法かそうでないかの分類以前に、「あいまいさ・遠慮を伴う気持ち・ていねいさ・自信のなさ」などを表すと思ってしまっていいと思い
ます。
通常の文法書では、仮定法の用法のひとつに、ソフト化機能の解説をしています。
仮定法は、直接法と対置しますので、あいまいさ、遠慮、丁寧などの感情は
仮定法の範疇になるとおもいます。
しかし、日本語学習者からみれば、仮定法は、仮定法であって、感情をあらわす
ソフト化の機能を仮定法から独立させる、根石さんの解説の方が有効だとおもいます。
なお、would ,could,will,canの使い分けの解説は
英語の達人の領域の人でもできないとおもいます。
だから、あまり、本で見たことはありません。
唯一、外国人のマークピーターセンが書いています。
日本人では、今回の根石さんの記述ぐらいではないでしょうか?
ヨッパラテイルから出来たこととおもいます。
2349 根石先生、 投稿者:浜谷 投稿日: 3月31日(日)09時14分16秒
>1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
>could を使っている Sam は Molly に対して、まだすごく遠慮があるように私は解釈します。would
を使えば、「俺はそうしたいんだけども」という感じが強まりますが、could
だと「やればやれるんで、やってみたらどうかと思うんだけど」というくらい「遠慮した気持ち」が生じると思います。
>2)Three'oclock is the only time he could make it.
>can
に置き換えてかまわないと思いますが、きつい感じの文になります。事務的というか、私的な感じの文ではなくなります。融通がきかない感じが出ます。
助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。
>以上、酔っぱらって書きましたが、そりゃ違うだろ、と思われた方は、助動詞の過去形的でなく、現在形でつっこみをお願い致します。
Eliot先生やsbさんのレス領域だと思いますが敢えてこのつっこみの先駆けをさせていただきたいと思います。
1)ベッドを2階に上げる提案をしている訳ですから、「ベッドを2階に上げようと思えば上げられる(仮定)んだけど君はどう思う?」と訊いているのは自然
だと思います。 一方wouldにして、「俺はそうしたいんだけども」というのは提案の仕方としては一方的で、日本語でもそういうことはしないと思いま
す。wouldの場合はI think we would better be putting our bedroom...
とすることが可能かと思います。
2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は「3
時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
Eliot先生、sbさん、どうでしょうか?
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
2350 助動詞 投稿者:nishiazabu 投稿日: 3月31日(日)10時58分41秒
「根石様」「バクバク様」「浜谷様」ご回答ありがとうございます。
助動詞の使用は頭で考えると、かなり難しいのですね。
いちいち考えていると会話が成り立たないくらいに。
それを体の中に覚えこませ、自然に口から出てくるようにするには…。
やはり素読なんでしょうね。アメリカでは子供だって頻繁に使っているようですから。
素読する際に20回を過ぎ、テキストを見ないでもできる辺りからは
文法を意識するよりはむしろ、映画のシーンの映像を頭の片隅に呼び寄せ、
ストーリー及び話者の微妙な感情を理解しながら、素読する。
最近私はこんなやり方をして、これがいいのかなと思っています。
あと「incredible」は想像するに、割と高学歴で、しかも仲間内で
使用する頻度が高い単語なのでしょうね。
2358 nisiazabu さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 1日(月)03時07分00秒
>助動詞の使用は頭で考えると、かなり難しいのですね。
いちいち考えていると会話が成り立たないくらいに。
この捉え方でいいと思います。
日本で英語をやると、体でわかる感じじゃなくて、頭でわかる感じにどうしてもなります。
それならそれで仕方がないので、頭でわかったものを体でわかるようにするところまで行けば、
本場の英語みたいなものができます。これを私は「もどき」と呼んでいます。
2359 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 1日(月)03時25分42秒
>Eliot先生やsbさんのレス領域だと思いますが敢えてこのつっこみの先駆けをさせていただきたいと思います。
先駆け、ありがとうございました。
>1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
>1)ベッドを2階に上げる提案をしている訳ですから、「ベッドを2階に上げようと思えば上げられる(仮定)んだけど君はどう思う?」と訊いているのは自
然だと思います。 一方wouldにして、「俺はそうしたいんだけども」というのは提案の仕方としては一方的で、日本語でもそういうことはしないと思いま
す。wouldの場合はI think we would better be putting our bedroom...
とすることが可能かと思います。
「上げようと思えば上げられる」から、それが可能だから could である。わかります。
「これは、部屋のレイアウトをしている場面です。この場面では、ものごとはまだどうにでもなるので、could
なのだと考えるのも一法です。あんがいそんなところかもしれません。」
とすでに書きました。
「一方的で日本語でもそういうことはしない」に関してですが、人間は千差万別ですので、日本語でそういうことをする人はいくらでもいます。少なくとも、
私はそうしています。I think we would better be putting our bedroom...
こんな礼儀正しい英語は、ゴーストの世界には似合わないと思いました。
>2)Three'oclock is the only time he could make it.
>2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は
「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
極めて論理的な解釈で、ふうむ、と思いました。浜谷さんの解釈が成立することはもちろんあり得ます。
しかし、 Gary Alan はこの映画には名前だけ使われているだけで、Gary Alan
という人間は映画の前面には一度も現れません。Carl との関係がわかりません。Carl が Gary Alan の秘書であり、Gary
Alan の任意のある一日の
駄目。猛烈に眠い。寝ます。
浜谷さん。
丸一日二日待って下さい。
2364 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)00時44分20秒
>2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は
「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
極めて論理的な解釈で、ふうむ、と思いました。浜谷さんの解釈が成立することはもちろんあり得ます。
しかし、 Gary Alan はこの映画には名前だけ使われているだけで、Gary Alan
という人間は映画の前面には一度も現れません。Carl との関係がわかりません。Carl が Gary
Alan の秘書のような立場にあり、Gary Alan の一日の予定がはっきり把握できているとか、Gary Alan
の予定を立てる立場にいるのででもあれば浜谷さんの解釈で当たりが出る可能性が濃厚ですが、「〜とかいう話だぜ」みたいな不明確さを言っているだけの可能
性も充分にあります。
はっきりしているのは人の話を別の人に伝えるときに使われた could
であるということです。むしろ、明確さから逃げる用法だと思います。「代弁の could 」とでも名付けたい用法です。
「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」と明確に言うほど、Carl が Gary Alan
の行動を把握しているというという状況証拠はほとんどこのシナリオの中には見あたりません。
浜谷さんの解釈の「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という複層構造を言うには can では駄目で could
でなくてはなりません。「〜らしいや」という不確定さを表すだけの用法なら、その不確定さを表すふくらみをすっとばしてしまえば、can
にすることでも用は足ります。用が足り、ものごとを先に進めるのにさしさわりがあるかということで言うなら、ものごとは先に進むし、さしさわりは生じな
い。その意味で can だって使えるということを申したのでした。
Three o'clock is the only time he can make it.
これは充分に用が足せる文だと思います。
気持ちの「複層構造」や「ふくらみ」がすっとぶことは、それらがすっとぶのですから、「複層構造」「ふくらみ」の有無という決定的な違いになりますが、
この文の場合は、can
にしてもとりわけ極端にぶっきらぼうな文になることもないと思います。もしも、「したくてもできない」という解釈をとるとしても、言いたいことは
the only time という語が充分に担っていると思いますので、could
を使えばくどくありませんか。「〜とかいうことらしいぜ」という「あいまいさ」の用法だと考えて不都合は何もないと思います。can
を使えば、「あいまいさ」がすっとび、文の「感じ」は違ってしまいますが、ものごとが逆になってしまうとか、用が足せなくなるというようなことはないと思
います。代置可能だというのはその意味です。
あるいは、the only time S could make it
が成句化している可能性もあります。もしもそうであれば、この成句を成り立たせるのは浜谷さんの解釈以外ではありません。成句化しているかどうかが私には
確定できません。このあたりで、Kawakami さんの意見が聞きたくなりますが、Kawakami
さんは現在この掲示板にアクセスできないようです。
2365 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)07時37分10秒
Carl が Gary Alan の行動を把握しているというという状況証拠
→
Carl が Gary Alan の行動を把握しているという状況証拠
2367 素読舎日録 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)07時42分00秒
誰が語学論なんかを求めているのか。
知りたいのはハウツウだけだという人々の中に混じって、語学論の立ちあがる方途を探ることに血眼になって何の意味があるのか。
彼らが欲しいのは、語学論ではない。てっとり早いハウツウだけなのだ。しかし、ハウツウならすでに腐るほどある。各論として有効なハウツウなど、すでに
すべて提示されている。真剣にひとつの外国語を求めて、自分の方法を発見するためのきっかけとなりうるハウツウなら、すでに有り余るほどあるのだ。それな
のになおもハウツウを求める人たちが絶えないのはなぜなのか。そして、ばたばたと死んでいく英語の数が数知れないのはなぜなのか。
「語学論としてのハウツウ」がないからではないのか。
ハウツウがハウツウのレベルにとどまり、体験談のレベルを出ようとしない。それらの言説には、語学の原理を提示しようとする指向が払底している。ハウツ
ウの氾濫と、原理提示の払底。これが状況の姿だ。その状況を構成する一粒一粒ずつの英語フリークの姿だ。
英語教育界とは、ことごとく知的な怠け者の棲息する沼なのか。
英語フリークとは、状況に甘んじて、知の私物化を行う亡霊たちなのか。
そして、知の私物化という動機に食い込み、知そのものを食い殺す英語産業の隆盛。馬鹿な英会話信仰やまぬけづらのコミュニケーション信仰。それに並置さ
れながら闇に潜んで見えない英会話教室経営者どものほくそえみ。これらの醜悪な光景の背後にそびえるアメリカという巨大な山脈。
もし、この光景の全体を倒すことができるものがあるなら、それは語学論だ。
他の知の領域と連動する語学論のみが、この醜い総体をうち倒すだろう。
ハウツウにとどまるハウツウに何ができるというのか。
2368 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)07時43分41秒
自分の方法を発見するためのきっかけとなりうる
→
自分の方法を発見するためのきっかけとなしうる
2371 亡者どもへの鎮魂歌 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)09時21分18秒
条件のいいところに育ちやがったくせに、自分の感覚が標準だとするやつに対する対処法を私は私の非常に身近な人から学んだ。
腐れ女ども、腐れ男ども、アメリカ経由の民主主義を信仰しているがよろしい。
語学ほど民主主義に反するものはない。
世界に明日があると考えるなら、アメリカ(政治)という図式を破ることが必ず必要になる。
世界の今日を生きることしかしない人々に見えないだけだ。
2372 すれっからしの語学論 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)09時38分59秒
子供を産めもしないのに女であることの不条理。
ものになることがないのに英語が好きであることの不条理。
2373 『英語の部屋』をお読み頂き、ありがとうございます 投稿者:Hawai'i 投稿日: 4月 2日(火)10時23分20秒
タイトルにも書きましたように、『英語の部屋』をお読み頂き
ありがとうございます。
このHPを始めてまだ3ヶ月ほどで、内容があまり充実していません。
他にもまとめてみたいことはあるのですが、なかなかHPにする元気が
なく、更新が遅れているところです。
本題ですが、まず根石様のご質問の「自分で検証・・・」の件ですが、
検証といえるほど正式かは別にして、基本的にあのHPの内容は、ほとんど
塾に来てくださっている子供たちや、大学生たちの間違いや、質問をベースに
しています。中に一部、英語の学習者としての自分の経験から、書き込んだ
ものもありますが、中心になる事象は、すべて子供たちのものです。
あとそのような間違いに対する考え方というか、対処法は、音声学の知識を
応用しているところもありますが、ほとんど私が自分勝手な経験論から
割り出したものです。
文法論はいくらか踏み込んで学んだことはあるのですが
「音」に関しては、素人で専門書をまともに読んだことはありません。
したがいまして、音声学や音韻論など「音」の専門家の人にお読み頂くのは
恥ずかしい限りです。きっと間違いを山のように指摘されたり、そんなことは
分かり切っていると批判されるにちがいありません。
次に根石様のお書きになった「教壇からの講義ではなく、同じ高さの床にいるのがいい。
・・・」の件ですが、先日これに似たテーマ(子供と教師の位置関係は?)を同業の友人
にたずねてみたところ、こいつに一本とられてしまいました。友人曰く
「子供の方が上にきまっているやんか」
話が脱線してしまい、すみません。HPの”対談式”ですが、あれは塾の
子供の提案から、あのような形式を取り始めたしだいです。私にはあまり
独創性がなく、いつも子供たちから、何か刺激をもらっているようなわけでして。
最後に「・・・ここでどかどか書いて下さい。」の点ですが、そのように
言って頂き、感謝しています。新参者で、あまり上手い文も書けませんが、
これから、書き込みさせて頂きます。といっても、あまり刺激的な内容は
書けそうにありませんが、
今後ともご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。
http://www.tv-naruto.ne.jp/ejyuku/
2374 亡者論 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)10時51分13秒
極論すれば、俺は語学論一つでおまんまを食ってきたのだ。
それをアメリカのおかげだと思うお前たちが糞ったれなのだ。
「俺の戦友は犬死にした」と思い、悲しむ心がお前たちのでかいつらを載せている心だ。
それが見えないならば、アメリカに渡り、アメリカの地でくたばるのが当然だろう。
2375 仏道。武士道。 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 2日(火)11時19分17秒
武士道。「死ぬことと見つけたり」。
嫌な言葉だと思い、若かった俺はこの言葉を回避した。
しかし、それしかねえだろう。
あの世も極楽も天国も信じないまま、「死ぬことと見つけたり」。
あいつら、欧米どもが理解できない言葉がアジアにはある。
欧米とアジア。どっちが現実的なのか、それはまったくわからない。
迷信にからみとられる必要はない。
死は大いなる解放なのだ。
わざわざ自分から死ぬようなめんどうなことをする必要はまるでない。
まして、国や宗教を守るなどとは世迷いごとだ。
そんなことは頭の狂った奴以外は誰も必要としていない。
ブッシュもオサマビンラディンも同類だ。
しなければならないことは、自分の言葉を作り守ることだ。
作り守ることは、他と交わることだ。
「一期は夢」
これに匹敵する欧米語を知っている人がいたら、誰か書いて下さい。
2380 一期は夢・葉隠れ 投稿者:Eliot 投稿日: 4月 2日(火)22時37分03秒
Life is but a dream.というフレーズがよく使われると思います。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は「葉隠れ」にある言葉
ですね。その「葉隠れ」に遺訓を垂れた山本常朝(つねとも)の
庵の跡が私の勤務校から徒歩数分のところにあります。
鍋島藩二代目藩主鍋島光茂公の祐筆役をつとめた山本常朝は、
主君光茂が没した元禄13年(1700年)に朝陽軒(後の宗寿庵)に
隠居しました。同藩士であった田代陣基が七年間にわたって常朝を訪れ、
武士の心構えや生き方を聴きこれを筆録したものが「葉隠れ」です。
今はその遺構を偲ぶものは残っていませんが、その傍らに常朝の夫人が
建立した千部経塔がひっそりと立っています。
2381 教科書音法 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 3日(水)09時53分06秒
頭のいい人は、文字をみて、発音記号になおし、
そして英文を読む。
発音記号信奉者
しかし、実際の生活音声は違う。
そうすると、発音記号の信奉が崩れるので
ズレだの俗語だのと、一種、下級な表現をする。
そうすると、脳が、もうこの下級な音声を
受け付けなくなる。
子供や赤ちゃんには、高級、下級の概念がないから
はいってくるものを、色をつけずに聞き取る。
般若心経 :色をつけずに、そのまま受け入れる。
そうすると聞こえる。
映画音声が、速く聞こえて、聞き取れないのは
教科書音法のせいだとおもう。
2382 Life is but a dream. 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 3日(水)16時17分18秒
こう言われちゃうと、化学の公式でも読まされたような気がするのです。
まあ、しかし、「一期は・・」にせよ「Life is ・・」にせよ、その文に人が込めているものの
具体的な感触というものは、なかなか外からうかがい知れないものがあります。
私の場合は、英語をとりまく亡霊が発する毒にあたってもがく我が身が空しい。
その程度の具体性はあります
2384 皆さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 3日(水)16時38分33秒
>映画音声が、速く聞こえて、聞き取れないのは教科書音法のせいだとおもう。
普通に日本で英語をやった人には映画の英語は聞き取れません。
しかし、映画の英語に迫る方法はあります。
「電話でレッスン」の生徒さんたちへ。
パクパクさんの指摘されている映画音声の聞き取りが、各自どのように変化しつつあるかをこの掲示板へご報告下さい。
2386 Hawai'i さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 3日(水)17時02分58秒
> 本題ですが、まず根石様のご質問の「自分で検証・・・」の件ですが、
検証といえるほど正式かは別にして、基本的にあのHPの内容は、ほとんど
塾に来てくださっている子供たちや、大学生たちの間違いや、質問をベースに
しています。中に一部、英語の学習者としての自分の経験から、書き込んだ
ものもありますが、中心になる事象は、すべて子供たちのものです。
それにしても、子供たちや大学生たちの「間違い」を「間違い」だと認定し、どこをどうすると指示するためには、ご自分の側にそれを照らし出すだけの音の
基準というものがあるはずだと思うのです。これを、日本に住んだまま手に入れたのか、アメリカなどに住んで手に入れたのか、そのあたりが私の興味のあると
ころです。よろしければお教え下さい。
私は日本在住のままに、この掲示板の常連の方々の協力を仰いで、あくまで日本人のための「英語発音10のポイント」というやつをホームページの方に掲載
してあります。これはまったく初心者向けのものですが、しかし、このわずか10のポイントでさえ、普通に学校で英語を習う人たちはクリアしていないという
現実があります。この「10のポイント」を大学生や社会人に言うと、「こんなこと学校では一度も教えてもらったことがない」と言う人が多いです。
私の「10のポイント」は英語フリーク「ではない」人々のためのものです。
英語の知識は、英語フリーク「ではない」人々のためのものがなければならないと思っています。私自身が英語フリークではありませんし・・。
であるならば、最小のポイントを定め、ひとまずはその最小のポイントだけはクリアさせる必要があると考え、「英語発音10のポイント」を作ったわけでし
た。
ご意見をお聞かせ下さい。
> したがいまして、音声学や音韻論など「音」の専門家の人にお読み頂くのは
恥ずかしい限りです。きっと間違いを山のように指摘されたり、そんなことは
分かり切っていると批判されるにちがいありません。
間違いを指摘されたら、直していけばそれでいいので、それよりも、ひとまず自分なりに作ったものを公開することが大事なことだと思います。それがなけれ
ば、議論のたたき台すらないことになります。たたき台を提出なされたことは勇気ある行為だと思います。
Hawai'i さんの音の分析に対して、 Eliot
さんはどんな意見をお持ちになるだろうか、と私は思いました。音に関する知識については、私はこの掲示板にときどき書いてくださる Eliot
さんを信頼しています。
ときどき、学校育ちと野育ちの違いから、意見が食い違い議論になりますが、学問的な姿勢についての信頼はゆらぎません。
Eliot さんが書いてくださればいいのですが・・。
2387 教科書音法について 投稿者:Hawai'i 投稿日: 4月 3日(水)17時18分44秒
>映画音声が、速く聞こえて、聞き取れないのは
>教科書音法のせいだとおもう。
このご意見には、個人的にはかなり賛成です。教科書に載っている
発音記号という2次元的な『文字』では、時間軸まで組み込んだ
多次元的な『音』を表しきれなくて当然です。ただ、残念なことに
英語の”勉強”になると、発音記号という『文字=活字』が一人
歩きしてしまい、いつのまにか、元になっている『音』よりも
絶対的な存在になってしまうという、不自然なことが起きてしまいます。
そこで思うのですが、いわゆる受験英語や資格英語でだれもが触れる
この発音記号に、何らかの手を加えることで、より実際の音に近づける
ことが出来れば、もっと楽しみながら、英語を音から身につけることが
できると思います。ということで、ここしばらくですが、自分なりに
従来の発音記号に手を加えてた、試行錯誤中のものを、
HPに掲載しています。(www.e-jyuku.has.it)よければご覧頂き、
ご意見やご指導をいただけると助かります。
あともう一つ考えを述べさせていただきます。
>・・・子供や赤ちゃんには、高級、下級の概念がないから
>はいってくるものを、色をつけずに聞き取る。
これは、ある意味、当を得ていると思うのですが、反面、そうとは
限らない側面もあると個人的には思います。
あまり上手く表現できないのですが、
まったく色を付けずに、つまり、なんのバイアスもかけずに、あるがままに
子供が英語を身につけるとは限らないと思います。まったく同じデータに触れても
人は、その人なりの書き換えをしてしまうのではないでしょうか。
耳にまで伝わった音が、頭に伝わるまでに、なんかの書き換えというか、
処理が加えられることで、赤ちゃんは音を、そして英語を身につけていくのでは
無いでしょうか。ある意味で、この耳から頭に伝わるまでの
書き換えの仕方が、赤ちゃんと、私たちそれ以上の年齢の日本人では、かなり
異なっているのが、より問題なのではないでしょうか。
2389 仮定法 投稿者:浜谷 投稿日: 4月 3日(水)21時45分22秒
Eliot先生、
以下は根石先生宛て3月31日付(レス)私の仮定法に関する意見ですが、それ以降の根石先生のご意見と併せて、コメントしていただけないでしょうか?
>1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
>could を使っている Sam は Molly に対して、まだすごく遠慮があるように私は解釈します。would
を使えば、「俺はそうしたいんだけども」という感じが強まりますが、could
だと「やればやれるんで、やってみたらどうかと思うんだけど」というくらい「遠慮した気持ち」が生じると思います。
>2)Three'oclock is the only time he could make it.
>can
に置き換えてかまわないと思いますが、きつい感じの文になります。事務的というか、私的な感じの文ではなくなります。融通がきかない感じが出ます。
助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。
>以上、酔っぱらって書きましたが、そりゃ違うだろ、と思われた方は、助動詞の過去形的でなく、現在形でつっこみをお願い致します。
Eliot先生やsbさんのレス領域だと思いますが敢えてこのつっこみの先駆けをさせていただきたいと思います。
1)ベッドを2階に上げる提案をしている訳ですから、「ベッドを2階に上げようと思えば上げられる(仮定)んだけど君はどう思う?」と訊いているのは自然
だと思います。 一方wouldにして、「俺はそうしたいんだけども」というのは提案の仕方としては一方的で、日本語でもそういうことはしないと思いま
す。wouldの場合はI think we would better be putting our bedroom...
とすることが可能かと思います。
2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は「3
時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
Eliot先生、sbさん、どうでしょうか?
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
2393 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 4日(木)01時59分25秒
sbさんは、「ゴースト」をテキストとして練習をしておられますが、Eliot さんは、「ゴース
ト」のシナリオを読まれたことがないかもしれません。
映画一本の全体の構成などが把握できないまま、答えようにも答えられない質問かもしれません。
シナリオの全体の中から、二つ三つの文を切り出して、どう考えますかと質問されても、困ると
いう事情を少しお考え下さい。
sb さんには意見をお聞きできると思いますが、Eliot さんには、「ゴースト」のシナリオ全
編を読んで意見を言って欲しいという要求はとてもできません。人生、300年も400年も生
きられるわけではないですし、自分以外の人に超人的な仕事を課することになりかねません。
もちろん、Eliot さんが、ここに重大な問題があるとお考えになったなら、ご意見をお聞きし
たいと私も願っておりますが・・・。
2394 死を扱う技術 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 4日(木)03時09分58秒
>英語の”勉強”になると、発音記号という『文字=活字』が一人
歩きしてしまい、いつのまにか、元になっている『音』よりも絶
対的な存在になってしまうという、不自然なことが起きてしまいます。
学問というものは、どうしても「文字=活字」として固定化することを避けられないと思います。発音記号を固定した人(たち?)は、きちんとした学問をし
た人(たち)だと私は思っております。なぜかと申しますと、この発音記号で英語をやっても、自分で話す英語なら使い物になるからです。
ところが、リスニングになると、発音記号を頼りに英語をやっても、聞き取れないという結果が生じます。
これは、発音記号が悪いのではなく、そもそも「固定化」というものが持つ弱点だと思います。その意味では、Hawai'i
さんの音に関する分析も、この運命を逃れられないだろうと思いました。リスニングは、まるで固定化の逆、流動してやまないものと対処することだからです。
それは、「固定化」という学問の本能から絶えずそれて、磁場を呼吸することでしか成立しません。
「固定化」や「法則化」は、生の磁場の動態を把握しきれないという運命を逃れられない。しかし、この「不自然」は、学問としては自然です。
そもそも、学問的な成果というものが、天然自然の方から見ればことごとく「不自然」な固定化であり、この「不自然」を否定するなら、あらゆる学問も学問
もどきも成立しません。そうなると、「英語をやるならアメリカやイギリスに行け」以外の方途はなくなります。
「元になっている音」と言いますが、この音自体が、日本で英語をやる場合は、多くの場合、複製物です。この複製物が生の音を再現しえているという迷信
が、広く信じられていますが、私は信じることができません。生の音は生の音であり、複製物は複製物だとかたくなに分けて考えています。
発音記号自体は、音声複製技術以前に成立していると思います。つまり、生の音を分析して得た記号群だと思います。その記号群をあてにして、音声複製技術
による音声を聞き取ろうとしても相当な無理が生じます。生の音を「固定化」しようとした記号群を使って、その後の時代に、まるで別種の「固定化」の技術に
よる音をほぐそうとしているからです。
しかし、身体化によって、複製音声の内側にもぐりこむなら、生の音を聞き取ることが非常に楽になります。これは、実験済みです。
ここでも、キーワードは「身体化」だけだと思っています。
発音記号と「元になっている音」の距離と同等の距離が、あるいはそれ以上に巨大な距離が、生の音と複製物としての音との間にあると思っています。生な音
は、その場の当事者になることを強いる音であり、複製物としての音は当事者となることを免責する音です。
この関係の絶対性を、人々はあまりに軽く考えていると思います。
私が「磁場」という語を持ち出しているのも、複製技術への「軽信への不信」によります。
これはまた、生の磁場と語学の机上との距離とも関連します。
語学が「死」を扱う行為なのだということを理解している人がほとんどいません。
2395 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 4日(木)03時15分34秒
浜谷さんの記事に対してのご意見をお願い致します。
→
時間に余裕がありましたら、浜谷さんの記事に対してのご意見をお願い致します。
2396 記号表記の優秀性 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 4日(木)09時35分30秒
>これは、発音記号が悪いのではなく、そもそも「固定化」というものが持つ弱点だと思います。
そうとも言えないとおもいます。
現在の発音記号は、切り出し音声記号であり、音声の静的特性に向いていますが
動的特性に向いていません。
科学の歴史でいえば、微分記号があります。
日本でも、微分を考えた数学者がいるようですが、記号はわかりません。
イギリスとフランスでは、この微分記号の表記方法が異なっていました。
その後の科学の発展をみると、イギリス式表記法が良かったようです。
2397 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 4日(木)11時12分47秒
>現在の発音記号は、切り出し音声記号であり、音声の静的特性に向いていますが
動的特性に向いていません。
動的特性に向いている記号群ができたらできたで、記号の数が問題です。
やたらに増えてしまったら、単語そのまま、文そのままを発音記号にした方が効率がいいという
ようなことになりかねません。
部分記号は頭の中でいじればよろしいでしょうが、言語の発音表記は学習者が文の音を身体化す
るのに使うわけです。身体化に具合の悪いようなものだったら、ないほうがましです。
微分記号っていうのは、いくつあるんでしょうか?
2398 訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 4日(木)11時13分27秒
部分記号
→
微分記号
2399 「教科書音法」で練習しても映画は聞き取れるのではないでしょうか 投稿者:村田 投稿日: 4月 4日(木)15時04分14秒
私は教科書音法と生活音法との違いというのはよくわからないんですけど、教科書
音法というのは、
1.すべてにわたりクリアに発音する。
2.ゆっくり発音する。
3.gonna とか wanna とか outta などの省略形を使わない。
だと理解しました。
これだけだったら、確かに映画の音は聞き取れないと思います。
特に「ゆっくり発音する」だけでは聞き取れない。
この点において、パクパクさんと同意見です。
ですが、教科書音法(上で仮定したもの)と生活音法(アメリカとかイギリスなどで話
される音?)が絶対的に違うものか、といわれると、そんなことないんじゃないかな、
と思うのです。
私は「俗語・卑語」「崩れた発音」「高速度」と三拍子そろった Full Metal Jacket
(以降フルメタ)の練習をやっていますが、実はこれ、「教科書読み」で練習していま
した。最初の自己練習(初見)の時は、映画の音を参照していません。けれども、練習
した後だと、聞き取れました。このスクリプト間違っているぞ、というのも。 他の映
画も、聞き取りやすくなった気がします。
ただし、「教科書読み」といっても、発音に関しては、注意すべき10の発音を意識
して、単語のアクセント(音の大小)はきっちり押さえる、という「教科書読み」です。
あと、自分ルールとして、
・名詞と動詞は一番えらい(大きく発音)
・名詞のうちで固有名詞は最もえらい/代名詞はあんまりえらくない(小さく発音)
・動詞のうちでbe動詞はあんまりえらくない。(小さく発音)
・冠詞・助動詞は名詞・動詞よりえらくない。(小さく発音)
・前置詞はあんまりえらくない。(小さく発音)
・大きく発音しない音も、口の動きは小さいながらもきっちりとやる。
(これも「教科書読み」の一部かな?当然、文脈により変わりますが、最初はこのルー
ルで読みます)
例えばこんな文を攻略するとします(フルメタの障害物乗り越え訓練の時の訓練教官の
セリフ)。
What the hell is the matter with you anyway? I'll bet you if there was
some pussy up there on top of that obstacle you could get up there!
Couldn't you?!
第一段階:全部同じ大きさの音で、発音だけ注意し、つっかからないように繰り返し読
む。
第二段階:口を大きく開けて、大きな声で繰り返し読む。
第三段階:↓のように、文の中での音の大小に注意して繰り返し読む。
What the hell is the matter with you anyway? I'll bet you if there was
some pussy up there on top of that obstacle you could get up there!
Couldn't you?!
これを100回以上繰り返して、発音・アクセント・音のかたまりを崩さないように徐々
に速くしていきます。(実際は第三段階からいきなり練習を初めていますが)
その後、映画の該当箇所を聞いてみると、聞き取れます。
この教官はこもった感じであんまり強弱つけてないなあ、 the hell は教官の合いの手
というか、口癖みたいなもので、あんまり強く言わないんだなあ、と思い、以降、自分
の練習にフィードバックします。
さらに何回も読んでいくと、教官のセリフのリズムのよさが気持ちよくなっていきます。
「男はつらいよ」の車寅次郎が「けっこうけだらけねこはいだらけ、いきなねえちゃんたちしょうべん」と言ってるようなもんだよなあ、という感じで。
発音・音の大小をきちんと発音しながら高速化していくと、get up は「ゲラp」
という感じだと言い易いんだがなあ、と思うようになります。それで映画の音を聞いてみ
ると、そうなっています。
また、例えばある文を読んでいて、 get him が 「ゲティm」とい
う感じだと言い易いんだけどなあ、と思っていると、映画でそう言っていたりします。
(Eliotさんの紹介されていた「英語の発音パーフェクト学習事典」を読で、himを[im]と
言うのは「弱形」というのだ、ということを知りました)
でも、こういう言い方は純粋に自己練習だけで出てくるか、というと違うかも。練習し
ているうちに今までに無意識に聞いてきた「思いあたる音」を無意識的に参照している
のかもしれません。
でも、私の練習の仕方の基本は、「教科書読み」です。
今のところ、私のハリウッド映画の聞き取りは6〜7割(タランティーノやスパイク・
リーだと3割以下だなあ…)くらいだと思いますが、「教科書音法」でも激しく読みを
加速すれば、映画の音ももっと聞き取れるようになるんではないか、と思うのです。
2400 訂正 投稿者:村田 投稿日: 4月 4日(木)15時11分46秒
「ゲラp」→「ゲラp」
2401 村田さん 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 4日(木)15時28分47秒
教科書音法を捨てて、回転読みをしたから聞こえるのだと
おもいます。
多くの人は、実際に聞こえてくる音を正確に捉えていると
おもいます。
しかし、教科書音に拘泥するため、聞きのがすのだとおもいます。
例)
get up ゲラッpに聞こえるにも関わらずに、 [get]+[up]と
一単語ずつ 正確に発音記号どうりに言うのが教科書音法です。
発音記号のかわりに、ゲラッpとはじめから発音表示すれば
いいのではないかとおもうのが、生活音法です。
質問
この掲示板で、文字フォントの大きさはどういうやり方で
変えるのか教えてください。
2402 生活音法(文をひとまとまりの音) 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 4日(木)15時48分37秒
教科書音法How fast is it on skates?
生活音法 ( How fa ~sisu~ on skate ? )
スケートでどのくらいの速さ?
説明
How fa st is it on skate?
- * u*
- 長音
* 黙字
u 変字(i-->u)
このような、説明を不要とするのか、あった方がいいのかが
議論の分かれ目だとおもいます。
2404 もう一例 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 4日(木)16時33分54秒
フォントの件、わかりました。
生活音法もう一例。
They both say they don't want to jump into any commitment thus far.
se* ze* ***** wan* na
両者ともこれまでのところどんな約束事にも急に発展させたくはないと言っています。
教科書音法を信奉すると、don't をどうしても、聞き取ろうとします。
ネィティブは、高速に言っているのではなく、飛ばしているのだとおもいます。
2405 おまけ 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 4日(木)17時04分32秒
You must never do this or that.
di du* ** se*
決して、あれこれできないですよ。
最後の聞こえは、ディドゥセになります。
これをこう言っていると考えるわけです。
教科書音法をいくら早読みしても、でて
こない音です。
2406 音法と文法 投稿者:sb 投稿日: 4月 4日(木)23時33分10秒
生活音法も学校音法もないと思います。
生活文法に学校文法がないのと同じこと、と言ったら言いすぎでしょうか?
学校文法がしっかりしていればいるほど、生活文法も使える。でもただ「文法」があるだけ。
学校音法がしっかりしていればいるほど、生活音法も使える。でもただ「音法」があるだけ。
私はそう思っています。
今はエリオットさんに薦めていただいた本を読んで音法を学ぶのが楽しいです。
文法もそうですが、自分が知っているのと人にうまく説明できるのは次元が違うと思います。
2407 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 5日(金)10時51分54秒
>学校音法がしっかりしていればいるほど、生活音法も使える。でもただ「音法」があるだけ。
「学校音法がしっかりしている」ということの内実がわかりません。
現在の学校では、音法と呼べるほどのものが成立していません。Eliot
さんの教室は例外中の例外です。ほとんどの学校の英語の教室というものは、音に関してだけ言えば、草ぼうぼうです。この現状を目の前にして、「学校音法が
しっかりしている」という理念を言うなら、それがどういう内実を備えたものかを言っていただかないとわかりません。
2408 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 5日(金)11時39分37秒
>
You must never do this or that.
di du* ** se*
決して、あれこれできないですよ。
最後の聞こえは、ディドゥセになります。
これをこう言っていると考えるわけです。
教科書音法をいくら早読みしても、でて
こない音です。
「決して、あれこれできない」とはどういうことをおっしゃっておられるのでしょうか。
「ディドゥセ」ともし聞こえたとして、それをこのようにカタカナで固定しても、「これをこう言っている」と考えたことが外れになることはいくらでもある
と思います。また、固定された「ディドゥセ」という表記を使って、始めて英語に触れる日本人の生徒が練習した場合に、通じる音が作れるようになるとは考え
られません。こんな程度のものでどうにかなるのは、決まり文句だけです。決まり文句以外に適応したら、混迷が深まるばかりでしょう。
もしも、原音と「ディドゥセ」との間の法則が確定できればすごいことになると思いますが・・。パクパクさんがおっしゃっているのは、そういうレベルの話
だとは思えません。
日本人の耳に「聞こえる通りの音」というのは、アメリカ人の耳に「聞こえる通りの音」とは違っているはずです。違っていると考える根拠は、日本人は、日
本語という音の体系をすでに持っているということです。語学をやらないアメリカ人はアメリカ語を体感として自然化しただけの一枚岩ですから、日本語の音を
すでに体感として自然化している日本人が英語をやる場合に抱え込む「異質さ・異和」などとはおよそ無縁です。馬鹿と利口が違うくらいに違います。もちろ
ん、馬鹿の喩えは一枚岩の側に対してのものです。
このあたりを無視して、日本人が日本人の耳に「聞こえる通り」の音を表記として固定化したところで、「生活音法」の内側にもぐることはできないでしょ
う。
「教科書音法をいくら早読みしても」に関して。
「教科書音法の速読み」という語は、私は使いません。「教科書音法」などというものが日本に存在しているとは思えないからです。存在しているのは、日本
語の音体系から英語を読んだ場合に実現してしまう「通じない音」だけです。
しかし、村田君が自分の音法を「教科書音法」の加速化ととらえているので、ここであえて「教科書音法」という語を使ってみます。
「教科書音法の速読み」で映画の音に迫れるのは、「回転読み」の「回転」という身体化・内在化の力によってです。「回転読み」はいったん馬鹿になって、
一つの文を何十回と読み込むわけですから、激しい「繰り返し」と考えてもよく、繰り返しの「回数」と考えてもいいのですが、そこをなんとかうまく言えない
ものかと思って、「回転というモメント」と言い方をしてきました。これこそが、身体化・内在化の力です。
音に関して限定して言えば、「回転読み」の過程で、音が「質的に変化する」ということが起こります。余計な音(主に母音)を回転の動きで飛ばす(蒸散さ
せる)こともできます。そのまた途中で、ネイティヴ音の複製を媒介にし、さらに回転させ続けると、音の全体がふわっと軽くなり、重力を感じないような感覚
が生じます。滑走状態から飛行状態に入ったような感じです。
「生活音法」というものは、この「飛行状態」のみでやりとりされる音法ですから、「教科書音法」との間に巨大な距離があるだけでなく、質的にも大きく違
うものとなります。
しかし、村田君の実験によって明らかにされていることは、「教科書音法」を鍛え込み、ネイティヴ音の複製を媒介にすることで、「生活音法」に肉薄するこ
とまでは充分に可能だということです。この後に、シャドウイングなどを行えば、さらに距離は縮められますが、私はシャドウイングという奴隷行為が嫌いなた
め行っていません。
パクパクさんの嘆きは、音を外から眺めて、生活音法の内側にもぐりこめないという嘆きです。「外から眺めて」という姿勢には、語学にとって根本的に間
違ったものがありますから、この嘆きが終わることはないでしょう。
2409 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 5日(金)11時46分30秒
>
They both say they don't want to jump into any commitment thus far.
se* ze* ***** wan* na
両者ともこれまでのところどんな約束事にも急に発展させたくはないと言っています。
教科書音法を信奉すると、don't をどうしても、聞き取ろうとします。
ネィティブは、高速に言っているのではなく、飛ばしているのだとおもいます。
「両者とも云々」が意味不明のままコメントさせていただきます。
don't を「飛ばす」はずはありません。
それがあるとないとでは、論理が逆になるような重大な語を「飛ばす」などということがあるわけがない。
don't
は、音が「気配」に変化しているだけであり、目に見えなくても空気の中に水分が実在するように実在しています。この「気配」にとって、複製音声というもの
は実にまだまだのものだと思います。
音声複製技術を信じ過ぎないことがいいと思っています。
2410 複製音声 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 5日(金)13時27分14秒
>don't
は、音が「気配」に変化しているだけであり、目に見えなくても空気の中に水分が実在するように実在しています。この「気配」にとって、複製音声というもの
は実にまだまだのものだと思います。
気配や気や臭いは、複製技術がありません。
2411 量質転換 クリティカル数値 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 5日(金)14時08分38秒
>
音に関して限定して言えば、「回転読み」の過程で、音が「質的に変化する」ということが起こります。
村田さんの記述では、100回という数値がでています。
この数値こそ、M値と命名していいかも知れません。
初心者は、ともすれば、5、6回で量質転換を期待するからです。
30回でも、50回でも起こらない。
99回でも起こらない。
その100回目に起こる。
2412 パクパク様 投稿者:村田 投稿日: 4月 5日(金)15時38分34秒
パクパクさんに返事を書こうとしてうんうんうなっていたら、
とっくの昔に根石さんがすごいこと書いてた。「死を扱う技術」。
さらにまごまごしているうちに私が言いたかった以上のことを書
かれた。すごい。
でも書きます。
パクパク様
私は「教科書音法」「生活音法」という言い方にずっともやもやし
たものを感じていたのです。ずっともやもやしていて、言葉になり
ませんでした。
以前のパクパクさんの書き込みの、『「教科書音法」はすでに破綻し
ていることが指摘されています』という部分で挙げられていた「破綻」
の中身が、どうも私が読むときのルール(私が昨日書いた「自分ルー
ル」)と重なっているように感じたため、『「教科書音法」で練習して
も映画は聞き取れるのではないでしょうか』を書きました。
だから、「『教科書音法』を捨てたから聞き取れるようになった」と
言われると、なんか違うなあ、と思ったのです。
それから
「音が消える」とか、「このように聞こえる」、だからそういう音を
教える・学ぶべきだ、というご意見。
これは順序が逆だ、と直感的に思いました。しかしどのように逆か、
というのを考えて丸一日かかってしまいました。それでもうまく伝わ
るかどうかわからないんですけど…。
今まで練習してきた中での私の感覚からいうと…。
聞こえない、と言われる音は、気配を感じ取っていると思います。
その気配を感じ取るのは、自分の発声に関わる筋肉の動きだと私は
思っています。相手が話す音に無意識に自分の筋肉が反応して、実
際には自分は筋肉を動かしてはいないけど、筋肉が運動するのを感
じる感覚。
聞こえない音と言っても、実際は話し手は確実に筋肉を動かしてい
るわけで、その動きを感じ取る・聞き取る(ほんとは聞こえてると
思うんですよ)のです。
そして、そのような音に反応する感覚は、鍛えられて、速さを備え
た運動を持てるようになった筋肉にしかできない。
その基盤がないところに「こう聞こえるから」「この音は聞こえな
いから」といって、最初からそのように教えたり学んだりしたら、
ほんとに聞きとれなくなってしまうと思うんですよ。
筋肉に英語の音を受容できる動きをもたせること。それがまずある
べきだと思います。
最後に、私が長々と書いてきたことは、根石さんが、あえて私の書き
方に合わせて書かれた文章に集約されると思いますので、引用させて
いただきます。
> 「教科書音法の速読み」で映画の音に迫れるのは、「回転読み」の「回転」という身体化・内在化の力によってです。「回
>転読み」はいったん馬鹿になって、一つの文を何十回と読み込むわけですから、激しい「繰り返し」と考えてもよく、繰り返
>しの「回数」と考えてもいいのですが、そこをなんとかうまく言えないものかと思って、「回転というモメント」と言い方を
>してきました。これこそが、身体化・内在化の力です。
2413 根石様 投稿者:村田 投稿日: 4月 5日(金)15時39分13秒
根石先生。
前の私の投稿
『「教科書音法」で練習しても映画は聞き取れるのではないでしょうか』
で
>でも、私の練習の仕方の基本は、「教科書読み」です。
と書いたのは言葉足らずでした。
私の本意はこうです。
「私の練習の仕方は「回転読み」です。そして私は「回転読み」を「学校
でのゆっくり読む読み方=教科書読み」を練習者がその時点での速度の限
界に近づけるものでもあると捉えています」
です。
このように訂正させてください。
2415 パクパク様 投稿者:村田 投稿日: 4月 5日(金)15時46分38秒
初心者にとって音が滑らかになる一つの目安としての「回転読み」100回以上
というのは、以前、Duffy様の体験報告に基いて根石さんが示した回数です。
それから、「回転読み」における繰り返しの回数は、デジタルなものではな
いと思います。人間って、数字が一つ違うだけで劇的に変わるもんではない
と思います。
2416 筋肉知覚 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 5日(金)15時48分11秒
>
今まで練習してきた中での私の感覚からいうと…。
聞こえない、と言われる音は、気配を感じ取っていると思います。
その気配を感じ取るのは、自分の発声に関わる筋肉の動きだと私は
思っています。
私もたぶんそうではないかとおもいます。
昔、自転車乗りの練習をはじめたとき、
補助車輪を使う方法をやめろといわれた
ことがあります。
補助車輪に頼るからです。
これは、大昔の話です。
いまは、補助車輪で皆、練習しているとおもいます。
A:聞こえ音声表記(生活音法)+回転読み
B:教科書発音記号表記(教科書音法)+回転読み
Aの方が、補助車輪方式です。
Aのやり方でも、回転読みをします。
回転読みの練習時間は同じでしょう。
Bのやり方だと、教科書音声と実際の聞こえ音声の
開きがありすぎるので、途中でいやになるとおもいます。
2420 ただ「音法」がある。ただ「文法」がある。 投稿者:sb 投稿日: 4月 6日(土)00時54分39秒
>「学校音法がしっかりしている」ということの内実がわかりません。現在の学校では、音法と呼べるほどのものが成立していません。
私が言ったのは学校音法とは音素の講義に終始しているという意味です。それも意識のある教員によってのみです。日本のほとんどの仏教と同じで日本の英語教
育における音法教育は「インポテ」ではないでしょうか?でも発音記号でもやらないよりはましということです。村田さんが言っておられることに賛成です。根
石さんも学校文法をしっかりやってきたプロセスがあったからこそ生活としての英語(黙読する場合など)に渡れたのではありませんか?
本当に必要な「音法」は「発音パーフェクト事典」に載っている順番で(リズムの項目から始まる)ポイントを押さえたものだと思います。
2421 村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 6日(土)01時08分00秒
村田君が教科書音法と言っているものに相当するものとして、教科書準拠のCDの吹き込み音などがあると、今思いつきました。
しかし、これも教科書「音法」というほどのものではなく、ただゆっくりとていねいに読んだだけの音です。これに対して、パクパクさんが言っている生活音
法は、映画のせりふの質(速度)に対応させることができます。こちらは本来語学用ではないので、語学をやる者に何の遠慮もしてくれません。(だから、ある
レベルに達した人にはいい教材になるのです)
私は基本的には、「音法」というからには、学校の教室などで使えるものでなければならないはずだと考えていますが、ひとまず、上の定義の元で書いてみま
す。
ここで、論じられているのは、「教科書音法」でゆっくりとていねいに読むと顕れる音が、「生活音法」では気配に化けてしまうという問題だと思います。
日本人が映画の「気配としての音」に応じているときに働いているものとして、
> その気配を感じ取るのは、自分の発声に関わる筋肉の動きだと私は
思っています。相手が話す音に無意識に自分の筋肉が反応して、実
際には自分は筋肉を動かしてはいないけど、筋肉が運動するのを感
じる感覚。
これでどんぴしゃりだと思います。
いよいよ、「回転読み」に秘められていたものを勘づいてくれたかと思っておりますぞ。
「気配の音」を聞き取っているのは、口の筋肉の動きの感覚が内在化した二次的な感覚。実際の口の動きの感覚に対する影のような感覚という感じがします。
英語だけで育って、英語だけを持っている人たちのしゃべりは、英語音に100パーセント特化されているわけで、この人たちの間では、「気配の音」はまっ
たく自明なものとして聞き取れていると考えています。影のような感覚が共通感覚になっているからだろうと思っています。
英語ネイティヴの人たちどうしの間の「気配の音」の自明性を成立させているものとして、「影の感覚」に劣らず重要なのがシンタックスの自然性だと思いま
す。
日本人は外在的な英語のシンタックスを力技で内在化させるしかないわけですが、英語しか持たない人たちは、子供時代に半ば無意識にシンタックスを内在化
させてしまうので、シンタックスそのものは意識されないもの=自然性となっています。
私たちが日本語をしゃべるときに、シンタックスなど意識しないのと同じです。
この自然性こそは、「磁場」以外のものが育てることはできないものだと思っています。
実は、「気配の音」が最初から聴きとれるか聴きとれないかは、シンタックスの自然性(無意識化の度合い)と大いに関連しているのだと思います。このあた
りが、日本の英語教育界ではほとんどまったく理論化されていません。
音だけを熱心に聞いていれば聴きとれるようになると思うのは、大いなる迷信だと思っています。自然化された(無意識化された)シンタックスが働いていな
いはずはない。
日本語を主言語とする私たちは、意識的にシンタックスを内在化させることで、映画の音などに含まれる「気配の音」に肉薄するというところまでやればそれ
でいいのではないでしょうか。それで、英語の複製音声に対する義理は全部果たせると思います。
映画の音の100パーセントの聴き取りをめざすということは、神経症的な行いになる可能性が高いと思っています。そんなふうに複製音声につきあう必要は
ない。
私も複製音声は役に立てられるだけはとことん役に立てるつもりですが、複製音声を100パーセント聴き取ろうとは考えていません。複製音声なんぞに、そ
こまでつきあう必要はない。
「気配」だって、録音技術の最高のレベルを使い、再生技術の最高レベルを使うならまざまざと聞こえてくるかもしれません。おそらく、再生装置だけでも数
百万の金が必要でしょう。そんなものに金をかける気にはなる前に、そんな金がないと気づくだけのことです。2万円か3万円の機械でたくさんだと思っていま
す。オーディオマニアになりたいのならともかく、語学に上達したいのであるなら、機械の質より「回転読み」の質をあげる方がずっとましです。
人々が、「回転読み」の質の向上自体を伝授しうる「電話でレッスン」にもっと目を向けてくれないものかと思ってもいます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
2422 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 6日(土)01時16分47秒
> 本当に必要な「音法」は「発音パーフェクト事典」に載っている順番で(リズムの項目から始まる)ポイントを押さえたものだと思います。
この「音法」は、学校の授業で生徒の口の動きとして実現できるものでしょうか。
それとも、個人で学んでやるしかないものとしてお考えでしょうか。
本当は、学校でもできるはずです。Eliot さんの実例がすでにあるのですから。
(しかし、公立と私立の間の、巨大な溝があります。)
生徒の口の動きとして実現しないならば、「学校音法」などは存在しないと考えるのがいいのではないでしょうか。「インポテ」とおっしゃっている通り、
「インポテ」だと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
2423 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 6日(土)01時33分05秒
>根石さんも学校文法をしっかりやってきたプロセスがあったからこそ生活としての英語(黙読する場合など)に渡れたのではありませんか?
この場合の「学校文法」ですが、学校でやる文法の意味でしょうか。
それだと、私はほとんどまったく学校から受け取ったものはありません。
文法の骨子は、大学受験の浪人の一年で、自分で勝手に決めました。
感覚でつかんだので、何ともこの「文法」を言葉では表せません。
後で、文法の本を読んでみたら、たいがいは自分で決めたもので理屈は合っていました。
(しかし、こんな文法用語で考えたら、簡単なものが難しくなるとは思いました)
「学校文法」というものに、大学入試で点をとる文法というものも含めていいのでしたら、私は「学校文法」はどかどかやりました。学校でやらなかっただけ
で、これはやりました。学校でやらなかった「学校文法」というのも、しかし、おかしなものです。
この意味での「学校文法」は実に役に立っています。
黙読だの、しゃべりだのに使っているのは、この感覚と化した「学校文法」です。
2424 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 6日(土)01時36分16秒
>ただ「音法」がある。ただ「文法」がある。
この言葉がとても好きです。
sbさんらしい言葉です
2425 これまた、一大発見! 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 6日(土)08時33分01秒
>実は、「気配の音」が最初から聴きとれるか聴きとれないかは、シンタックスの自然性(無意識化の度合い)と大いに関連しているのだと思います。
根石さんへ。
これは、初出の表現でしょうか?
気配の音、シンタックスの自然性、それらの相互関係は、私には
この掲示板がはじめてです。
もうひとつ日ごろの疑問があります。
外人が日本語を学ぶ場合です。
一般的には、外人の日本語は、すごく上達が早いようです。
それは、現象面だとおもっています。
語学としてはいかがでしょうか?
わたしは、米国人が日本語を学ぶ難しさは、日本人が英語を学ぶ難しさと
ほぼ同じだろうとおもいます。
このあたりの考察もしていただければとおもいます。
2426 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 7日(日)02時39分01秒
済みません。すでに深く酔ってろります、じゃねえ、おります。
ろりますは、村田君だった。
>気配の音、シンタックスの自然性、それらの相互関係は、私にはこの掲示板がはじめてです。
パクパクさん、村田君、私の協同作業で、私から出た言葉だと思いますが、こんなことばかり、昔から考えておりました。
>外人が日本語を学ぶ場合です。
一般的には、外人の日本語は、すごく上達が早いようです。
それは、現象面だとおもっています。
語学としてはいかがでしょうか?
H株式会社に来たオランダ人のことで、以前にお答えしたことを覚えております。
外人が日本語を学んでいる「場所」をお考え下さい。
そこは日本です。日本語の磁場です。「すごく上達が早い」のでなければ嘘だと思います。この場合、上達が早くなければ、お馬鹿さんです。
これは、語学の問題であると同時に、まったく語学の問題ではない。
語学の問題であるのは、ヨーロッパ系の言語から日本語に渡る行為をしているから。
語学の問題でないのは、日本語の磁場の中で上達しているだけのことだから、です。
2427 起きました。 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 7日(日)11時51分26秒
パクパクさん
多少まだ、二日酔い気味です。
昨夜のものに書き加えます。
>語学の問題であるのは、ヨーロッパ系の言語から日本語に渡る行為をしているから
語学の問題でないのは、日本語の磁場の中で上達しているだけのことだから、です。
>英語しか持たない人たちは、子供時代に半ば無意識にシンタックスを内在化させてしまうので、シンタックスそのものは意識されないもの=自然性となってい
ます。(略)この自然性こそは、「磁場」以外のものが育てることはできないものだと思っています。
この「磁場」は大人にも作用しています。
私たちがとりわけ訓練を続けていなくても日本語を忘れないのは、日本語の磁場の中に暮らしているためです。私は、18歳でアメリカに渡り、数年暮らした
後に、まったく日本語を忘れた英語フリークを一人知っています。磁場がなければ、ネイティヴ言語も体から抜けていくのです。
逆に、日本に来た外人が語学的に日本語を勉強するなら、日々の暮らしの中に働く日本語の磁力が、その外人の習ったばかりの日本語を補強し、複層化し、自
動化し、自然化します。
私が「磁場だけがもたらす言語能力が絶対にある」と言ってきたものは、この、補強、複層化、自動化、自然化の作用によるものです。
2428 補正 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 7日(日)11時59分15秒
「語学」という語でさえ、一般的に使われている意味以外のものを私は込めてしまっています。一般的な用法でも使っていますが、私が「語学」という場合、
当該の言語の磁場を欠いた場所で、ただ意識だけを場として行う行為
です。
しかし、このあたりもだんだんと腑分けしていかないと、話が混乱しますので、これまで「語学」と呼んできたものを以下のように呼ぶことにしたいと思いま
す。
異質磁場における語学
これは、例えば、日本語の磁場の中で英語をやるような行為です。
つまり、日本に広く見られる英語学習はこれに該当します。
2429 「英語下手のすすめ」津田幸男(KKベストセラーズ) 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 7日(日)12時58分37秒
私は「英語フリーク」という語を使ってきた。これは英語好きな個人をさす言葉だが、この種の人々が作り出す社会現象をとらえて「英語信仰」と名付け、こ
れを否定する本である。
読み始めた時は面白いと思ったが、読み進めるうちに次第に違和が増幅していった。とりわけその味のしない学術的文体について。
鈴木孝夫の「日本人はなぜ英語ができないか」(岩波新書)と同様に、現状指摘はいい。しかし、そこから導き出される意見が、アメリカの歴史のように浅
い。この人にも、骨に届くまでアメリカで英語をやった人に特有の意見の浅さがある。
文体が、英語に脱臭されており、デオドラント効果が効いてしまっている。
日本語が病気にかかっているのである。ハウス栽培の野菜のように、この人の日本語は日本語の味があまりない。これは、著者がかつて「英語信仰」の信者で
あったことのなごりであるだろう。あるいは、アメリカで論文を書いて高い評価を得、日本に帰って学者の地位を手に入れた人によく見られる病気のなごりだろ
う。
私などと比べると、この人は劇的な人である。徹底した「英語信仰」の信者から、徹底した「英語信仰批判」に移った人だからである。
非常に共感できる部分と、違和をもたらす部分とが交互に現れる書物であり、部分部分を引用し、引用部分についてコメントすることで、現在の日本の英語現
象に関する私自身の考えを検証してみたいと思った。
----------------------------------------------------
(引用)
・・「英語信仰」は一種の人種差別を生み出す認識体系でもある。
しかし現実には`信仰`に染まっているとは、誰も思っていない。誰もがこれらの考えを、正しく、ゆるぎのない`真実`としてとらえている。`信仰`を`
真実`と思い込んで、知らぬ間に人種差別的な態度や行為を日本人は行っているのである。そこに「英語信仰」の重大な問題性があるのである。
「英語信仰」はさらに「自己植民地化」を生み出してしまう。「自己植民地化」とは「自ら進んで支配者と同一化する」ことである。
この指摘はいい。意見としていい。
しかし、この日本語には、英語を読んでいるかのようなにおいがある。論述だから当然だろうというのかも知れないが、英語にローラーをかけられたような日
本語という印象は私の中にはっきりとある。
「英語にローラーをかけられたような日本語」という病態は、現在の日本で静かに進行しているだろう。しかし、この著者は、「英語信仰」を言い、それを批
判し、否定するのであるから、こんな病態の中にとどまっていてはいけないはずである。そうでなければ、この人の「英語信仰」批判も、「英語信仰」から抜け
出してはいないということになってしまう。
いきなり「重大な問題性」に踏み込んでしまったが、以後は、なるべく各論を意見として扱うにとどめて書く。
いずれ、量がたまってホームページに独立したページとする場合は、この本の末尾にあるメールアドレスに著者ご本人に読んでいただくようご案内するつもり
である。
2430 「英語下手のすすめ」津田幸男(KKベストセラーズ) 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月 7日(日)19時21分18秒
>この指摘はいい。意見としていい。
>しかし、この日本語には、英語を読んでいるかのようなにおいがある。
現代日本人のほとんど全員の日本語が英語の影響を受けていると思います。
人称代名詞(私、彼、彼女)の使用は特にそうです。
”自分を棚に上げて”批判するのも止むお得ない面があるのではないですか?
これは、よくある話で、自分を棚に上げずに批判していけないのなら、教師、評論家など
やっていられないでしょう。
2431 訂正 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月 7日(日)19時26分05秒
>これは、よくある話で、自分を棚に上げずに批判していけないのなら、教師、評論家などやっ>ていられないでしょう。
すみません。”自分を棚に上げずに批判していけないのなら”は、”自分を棚に上げて批判していけないのなら”の間違いです。
2432 (無題) 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月 7日(日)20時00分11秒
根石吉久さん。
>外人が日本語を学んでいる「場所」をお考え下さい。
>そこは日本です。日本語の磁場です。「すごく上達が早い」のでなければ嘘だと思います。こ>の場合、上達が早くなければ、お馬鹿さんです。
どうでしょうか?
日本人が米国に行って、英語の上達が早いとは特に聞かないですが。
人にもよるでしょうし、言語の特性も関係があるように思います。
外人(オーストラリア人)が中国語は難しいと言っているのを聞いたことがあります。
その人は日本語が話せます。
2433 根石さん 投稿者:sb 投稿日: 4月 7日(日)23時03分02秒
>この「音法」は、学校の授業で生徒の口の動きとして実現できるものでしょうか。それとも、個
人で学んでやるしかないものとしてお考えでしょうか。
音法も文法も「その気」になれば一人でも十分できるだけの学習環境は今の日本にはいくらでもあると思っています。「音法」が授業で生徒の口の動きとしてで
きるかどうかは、まだ実践していないのでわかりませんが、できると思います。いややってみて初めて「できる」と言えると思います。「文法」に関しては根石
さんが素読舎で「実践」され「どんでん」も出版されています。そこで「文法」の基礎を教えずに「学習者が学びたくなるまで質問力を保留する」することを実
践されています。「音法」も同じではないでしょうか。「学習者が学びたくなるまで質問力を保留する」ことを「音法」においても「実践」したいと考えていま
す。公立と私立の「溝」とおっしゃいますが、私塾であろうが、公立であろうが、できると思います。ただエリオットさんのおっしゃる「巨大な金魚鉢」が特に
「公立」には立ちはだかっているとは思いますが。。。
2434 根石さん 投稿者:sb 投稿日: 4月 7日(日)23時12分48秒
>この場合の「学校文法」ですが、学校でやる文法の意味でしょうか。それだと、私はほとんどまったく学校から受け取ったものはありません。
そうでしたね。すみません。sbとしたことが。以前お話されていましたね。忘れていました。
>文法の骨子は、大学受験の浪人の一年で、自分で勝手に決めました。感覚でつかんだので、何ともこの「文法」を言葉では表せません。
その通りですね。そうですね。
>後で、文法の本を読んでみたら、たいがいは自分で決めたもので理屈は合っていました。
それが根石さんのすごいところだと思います。テレビを見ないのもすごいけどちょっと変わったおじさん。家を建てるのもめちゃくちゃすごいけど、かなり変な
人という感じかな。。。
>「学校文法」というものに、大学入試で点をとる文法というものも含めていいのでしたら、私は「学校文法」はどかどかやりました。学校でやらなかっただけ
で、これはやりました。学校でやらなかった「学校文法」というのも、しかし、おかしなものです。
これもその通り。私が「学校文法」なんて言葉を使ってはいけませんよね。ここで「学校文法」なんて言葉を使うこと自体、私がいかに学校で教えられている
「文法」にしばられているかがわかります。反省しきりです。ただ「文法」があるのみですね。
>この意味での「学校文法」は実に役に立っています。
この意味とはその意味です。
>この感覚と化した「学校文法」です。
感覚と化すまでには「自分自身への質問力のタメ」が必要だということですね。
2435 斉藤様 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 8日(月)00時40分11秒
>現代日本人のほとんど全員の日本語が英語の影響を受けていると思います。
人称代名詞(私、彼、彼女)の使用は特にそうです。
ちょっと正確ではないと思います。
おっしゃっているのは、語法のレベルのことですが、私が問題にしたのは、津田という人の文体についてです。
英語にローラーをかけられたような味のしない文章と私は言いました。
「彼、彼女」という人称代名詞を日本語の文の中に使うことは、別にまるで英語をやったことがない人でもやります。これは明治の頃からの語法ではないで
しょうか。最初に使われ始めてからすでにかなりの時間がたっており、すっかり日本語の中に定着していると思います。そもそも最初にこれらの語を使い出した
人たちには、英語かどうかはわかりませんが、西洋語の影響があったと思います。「私」という語の使用が西洋語の影響であるということはないのではないので
しょうか。
間違っておりましたら、どなたでも結構ですからご指摘下さい。
いずれにせよ、私が言っているのは、「語の使用」のレベルのことではありません。
>
”自分を棚に上げて”批判するのも止むお得ない面があるのではないですか?
これは、よくある話で、自分を棚に上げて批判していけないのなら、教師、評論家などやっていられないでしょう。
そういう輩がいくら多くいたところで、本来、批評や批判というものはそういうしろものではないと思っています。
2436 斎藤様 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 8日(月)03時19分47秒
>日本人が米国に行って、英語の上達が早いとは特に聞かないですが。
人にもよるでしょうし、言語の特性も関係があるように思います。
さきほどは、簡略字で斉藤様と書きまして失礼しました。
そもそも、パクパクさんが提示された問題は、異シンタックスの問題でした。
アメリカ人が日本語をやれば、日本人が英語で苦労するのと同等の苦労になるはずだということをパクパクさんはおっしゃっていたと思います。これだけのこ
とならその通りだと思います。
しかし、言語の「磁場」の観点を外すわけにはいきません。
日本人が英語をやる場合、日本にいて英語をやるのと、アメリカにいて英語をやるのとでは、まったく事情が異なります。
アメリカ人が日本語をやる場合、アメリカにいて日本語をやるのと、日本にいて日本語をやるのとでは、同様にまったく事情が異なります。
日本人が米国に行って英語の上達が早いかどうかですが、もちろん人によります。
ですから、あくまで理論的に仮定した話として聞いていただくと以下のようになると思います。
同等の語学的センスを持った日本人が、同じだけの努力を傾けて、一人は日本で英語をやり、もう一人はアメリカで英語をやった場合、これはまったく異なる
結果が出ます。
アメリカに行きさえすれば英語が身につくのは、子供の場合だけであり、大人の場合は、英語を語学としてきちんと扱うかどうかが重要です。アメリカに行き
さえすれば英語がものになると言っているのではないのです。いくらアメリカにいても、何の語学的努力もしないならば、英語が身につくことはないでしょう。
しかし、アメリカにいて語学的努力をした場合には、日本にいて同量の努力をした場合とまったく比較にならない結果が出ると思っています。馬鹿らしいほど当
然のことではないでしょうか。「磁場」が語学を底から支えてくれるのですから。
ちょっと回りを見回してみていただきたい。
ぺらぺらしゃべっているのは、みんなアメリカ帰りです。
この現象の基底には、シンタックスの自然化ということがあるのです。
シンタックスの自然化に関しては、日本語の磁場の中で英語をやっても、労多くして実りの少ないものです。
私は、この「労多くして・・・」だけをやってきた人間です。
英語の磁場で英語を身につけたわけではありません。
我が身を実験台にして得た結果を正直に言えば、「労多くして実り少なし」です。
それが、日本にいつづけたことの意味だと思っています。
そして、そこにこそ「語学」の意味を見いだしています。
2437 磁場の存在証明 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 8日(月)09時28分30秒
>
アメリカにいて語学的努力をした場合には、日本にいて同量の努力をした場合とまったく比較にならない結果が出ると思っています。馬鹿らしいほど当然のこと
ではないでしょうか。「磁場」が語学を底から支えてくれるのですから。
最近、磁場が存在するのではないかとおもうようになりました。
比喩的な意味ではなく、物理的な意味においてです。
脳内電流が流れれば、そこに磁場を発生するので、それに感応するわけです。
複製技術は、この磁場を発生しません。
さらに面白いことは、日本人が英語の音声を朗読しても、そこに磁場が
できるのではないだろうかと思うようになりました。
では、自分の声でいいのかというと、これは、磁場の感応量がすくなると
おもいます。
しかし、はげしくこつこつ音読すれば、砂金のように微量でも集めれば
一定量を越すので、臨界点に到達するのではないかとおもいます。
根石さんへ
最近、この掲示板では、イデアという表現を見受けません。
これはなぜでしょうか?
2438 語学教育家の問題 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 8日(月)11時10分00秒
蟹に味噌のあるものとないもの
アメリカの磁場を受けて、英語の上達した
者が、日本で語学を教える資格があるのか?
無いとおもう。
幻想を売っているだけだろう。
あるいは、大学入試で高得点をとる技術、
翻訳技術を教えているのだろう。
しかし、これでは、生活言語はわからない
ままである。
生活言語=映画の言語に近い。
今求められている英語能力とは、
受験英語力や翻訳英語能力ではなく
生活言語だろう。
日本人の圧倒的多数は日本語磁場にいる。
この自覚すらない。
語学教育家、語学教師は、実に少数であるが
ゼロではない。
2439 エールをお送りします 投稿者:中山 投稿日: 4月 8日(月)16時11分51秒
根石さま
2002/04/09 中山
初めてメールをいたします。
「素読」の語を検索していて、偶然貴HPを拝見致しました。
読み進んでいる内に、感激のあまり涙が出てきました。
齢50をとっくに越えた中高年サラリーマンの流す涙は
ぞっとしませんが。
私は電機メーカに勤務しているものですが、20数年前に
仕事で米国ロスアンジェルスに家族といっしょに数年間
くらしたことがあります。
その生活と仕事でつかうことになった英語(米語)とその
習得法が、帰国してから会社の仲間や世間・学校でなさ
れている英語の習得とかなり違っているので驚きました。
それまでは英語習得法なんぞは意識したこともなかった
のですが。
帰国当初はその違和感と、効率的、安価な習得法(安易で
はないのですが)を伝えようと職場の同僚や部下達を相手に
頑張っていたのですが、「布教」見たいな感じでした。
しかし日本の組織文化のなかではアメリカ帰りを鼻にかけたキ
ザな奴としかうけとられず、冷や飯をくわされました。
そのあと、私は「改心」しまして、部下の英語大好きOL嬢達に
「われわれ英語屋は、日本人の英語コンプレックスを食い物
にする稼業なのだぞ。だから本当のことを教えても結果として
相手を傷つけ、うらまれるだけだから、適当にあしらうように」
と伝え、「洗脳」していました。
冒頭の文の「涙」は、その方法論を体系だって説明している人
が日本にいたのだという感激の所産です。単なる私の無知
なのかもしれませんが。
根石さんの方法論は、全く実際的で理にもかなっていると
私の体験からも納得できます。私の場合だけかもしれませんが。
ただ、ご著書にはまだ触れたことがありませんので勝手な
思い込みがあるといけませんので、会社の帰りに貴書を書店
で探そうとおもってます。
孤軍奮闘のご様子ですが、ここ東京から心をこめて応援を
いたします。
中山拝
2440 浜谷さん from Hamaya's 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 8日(月)21時00分57秒
その後も、助動詞の過去形のことを考えておりました。
それでふと思ったのですが、「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」というものと、仮定法の「仮定」とはもともとは別のものではないのではないかと思っ
たのでした。
「こうしようと思えばできるんだがなあ」というような感じで、could
を使う場合、「こうしようと思えば」の仮定部分と、「できるんだがなあ」の遠回しは、もともとは「こうしようと思えばできるんだがなあ」という具合の一つ
のものです。
「こうしようと思えば」の方に重点を置いて考えると仮定法です。
「できるんだがなあ」の方に重点を置くと、遠回しです。
いかがでしょうか。
私の掲示板での議論についてこちらでお返事するのは失礼かとも思いましたが、近頃は私の掲示板で浜谷さんをお見受けしなくなりましたので、こちらに書か
せていただけば確実にお目にとまると思った次第です。
私は薪作りと畑仕事と家の自作のため、余所様の掲示板をたまにしか見ることができなくなっておりますので、お返事をいただく場合は、私の掲示板の方にお
願いできればと思っております。
こういうお願いは掟破りになるのでしょうか?
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
2441 仮定法の<方>について 投稿者:Hawai'i 投稿日: 4月 8日(月)21時51分05秒
いつも興味深く拝見しています。
ところで、
皆さんの”仮定法”についての熱い議論を読ませていただいているうちに、
10年ほど前に読んだ文法書の一節を思い出しました。
その方の議論に
よると、英語には仮定<法>なるものは、そもそもなく、仮定<法まがい>
しかない、
そのようなことが、主張されているように記憶しています。
その考え方が絶対に正しいかどうかはともかく、
一般に”有る”と信じられてきたものを、”無い”として
考えてみるのは、今までは異なった角度から眺めることになって、面白いかも
しれません。
ちなみに参考までに、その本の一節を引用しておきます。
(Cambridge University Pressからでている、Huddleston氏によって書かれた
English Grammar: an outlineの80ページからの抜粋です)
Mood(法) involves the grammaticalization of modality. More specifically,
mood
applies to a system of the verb, marked inflectionally or
analytically 中略.
Again, then, English does not have mood as a grammatical category.
スペルミスがあったら、すみません。
http://www.tv-naruto.ne.jp/ejyuku/english/grammar/tense/tense_subjunctive3.htm
2442 訂正させてください 投稿者:Hawai'i 投稿日: 4月 8日(月)21時52分12秒
タイトルの仮定法の<方>は<法>の間違いです。
失礼しました。
2443 中山さんへ 投稿者:パクパク 投稿日: 4月 8日(月)22時56分19秒
はじめまして。
>
効率的、安価な習得法(安易で
はないのですが)を伝えよう
この習得法は、素読(音読)を中心としたものと
理解してよろしいでしょうか。
2444 根石吉久様 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月 8日(月)23時35分10秒
根石吉久様
斉藤で一向に構いません(どちらでもいいです)。
”いくらアメリカにいても、何の語学的努力もしないならば、英語が身につくことはないでしょう。しかし、アメリカにいて語学的努力をした場合には、日本に
いて同量の努力をした場合とまったく比較にならない結果が出ると思っています。馬鹿らしいほど当然のことではないでしょうか。「磁場」が語学を底から支え
てくれるのですから。”
おっしゃるとうりだと思います。
”私は、この「労多くして・・・」だけをやってきた人間です。
英語の磁場で英語を身につけたわけではありません。
我が身を実験台にして得た結果を正直に言えば、「労多くして実り少なし」です。”
私も同様です。ただし、根石様と同程度の努力をしたかは、はなはだ疑問ですが。
”それが、日本にいつづけたことの意味だと思っています。
そして、そこにこそ「語学」の意味を見いだしています。”
わかるような気がします。
2447 中山様(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 9日(火)13時08分44秒
中山様に対する興味が生じております。よろしければ、いくつかお教え下さい。
「素読」という語で検索をかけて、私のホームページをみつけられたとのことですが、どのような経緯から素読に興味を持たれたのでしょうか。以前から、実
践なされている英語習得法あるいは英語維持方法が素読になんらかの関連があるのでしょうか。
私のホームページのどのあたりを読んでいただいたのでしょうか。私としては、その時々に書きたいものを書いて放り出してきたので、何をどの順番に書いた
のかもわからなくなっております。同じことを何度も何度も書いてきたという感触だけははっきり残っていますが、そのことによって、わずかずつ新しいものを
拓いたとも思っております。
日本語で書くという作業においても、ある意味で私は素読的方法を生きているのかもしれません。
> その生活と仕事でつかうことになった英語(米語)とその
習得法が、帰国してから会社の仲間や世間・学校でなさ
れている英語の習得とかなり違っているので驚きました。
ここに書かれた「習得法」はアメリカで出会ったものでしょうか。それとも、日本にいた頃にすでに実践されており、アメリカに渡ってからも継続されたもの
でしょうか。
> 帰国当初はその違和感と、効率的、安価な習得法(安易で
はないのですが)を伝えようと職場の同僚や部下達を相手に
頑張っていたのですが、「布教」見たいな感じでした。
私も、「布教」みたいな感じをずっと続けてきましたが、最近になってようやく少し空気が変わったかみたいな感触があります。「素読」とか「音読」という
ことが、一部で見直され始めていると思っています。
話が逸れますが、小学校の「総合学習の時間」は日本語の「音読」の時間にしてもらいたいものだと私は強く思っています。日本語の屋台骨がしっかりしてい
ない若者が今、非常に多くなっています。そして、日本語の屋台骨さえしっかりしていない人たちが、英語英語と騒ぐのを見ると、なんだか虚しく悲しいので
す。この元に、小学校の日本語に対する扱いのずさんさがあると思っています。
> しかし日本の組織文化のなかではアメリカ帰りを鼻にかけたキ
ザな奴としかうけとられず、冷や飯をくわされました。
このあたりの話も詳しくお聞きしたいと願っています。お急ぎにならなくて結構ですので、いずれお聞かせ下さい。時間を置いて、連載していただくのでも結
構です。
最近、機会があって、遠藤尚雄という人の「英語は独学に限る」(主婦の友社)を読みました。ファナックで華々しい活躍をされた人の本です。こういう華々
しさの陰に、日本在住のまま英語を持ち続ける人たちの地味で陽の当たらない語学というものがあります。この語学の場からの本当の声が日本ではまるで聞こえ
てこない。ハウツウを求める声やハウツウを教える声はありますが、日本にいながら日本語にローラーをかけるようなつらい経験を語る声がない。つらさを語る
ことを避ける日本人の美徳もからむのでしょうが、英語信仰、英語病、英語フリークたちが、陽の当たる方ばかり見ていて、日本語が呻く内心の声に耳を傾ける
ことがないためだとも思っています。日本語の呻きが聞こえないということが、英語信仰、英語病、英語フリークの病態なのだと思っています。
2448 中山様(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 9日(火)13時09分33秒
> 冒頭の文の「涙」は、その方法論を体系だって説明している人
が日本にいたのだという感激の所産です。
私が書き散らしてきたものを、「体系」だててくれる編集者が欲しいと願っております。
私はすでに書きましたように、その時々に書きたいことを書き散らしてきました。今後も、亡霊、妄想を相手取って、斬ることを続ける作業は避けられないと
覚悟しています。書き散らしたものは、なるべくホームページに掲載していこうと思っていますが、この量に対して、自分なりの光をあてて洗い直すような作業
をしてくれる編集者の出現を心待ちにしています。
> 孤軍奮闘のご様子ですが、ここ東京から心をこめて応援を
いたします。
ありがとうございます。
中山様も孤軍奮闘なさってこられた方であることは、昨日の記事ではっきりと読みとれました。この上は、この掲示板をご利用いただき、常連の方々や私と相
互に語学論を照らし合わせていただけるなら、非常にうれしく思います。どうぞ、お書きいただきたくお願いいたします
2449 根石先生 投稿者:浜谷 投稿日: 4月 9日(火)20時53分51秒
>「こうしようと思えばできるんだがなあ」というような感じで、could
を使う場合、「こうしようと思えば」の仮定部分と、「できるんだがなあ」の遠回しは、もともとは「こうしようと思えばできるんだがなあ」という具合の一つ
のものです。
「こうしようと思えば」の方に重点を置いて考えると仮定法です。
「できるんだがなあ」の方に重点を置くと、遠回しです。
それでいいと思います。もともと仮定法に「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」の意を込める
用法は本来の「仮定」の意の延長線上にあるものだと考えています。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
2450 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 9日(火)23時51分23秒
>もともと仮定法に「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」の意を込める
用法は本来の「仮定」の意の延長線上にあるものだと考えています。
「仮定」の意の延長線上にある「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」が、近頃の女のように勝手に振る舞い始めることがあり、もともと「仮定」だった歴
史があるなんて、あたし知らないもん、「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」だけで生きていくもん、という感じで実際に使われることはあると思います。
で、しかし、その、近頃の若い女のような勝手な振る舞いはそれでいいのか、ということです。
生活的にはそれでいい。学問的にはまるで駄目。
このあたりが落としどころだと思いました。
学問的にはまるで駄目な用法が映画には多く出てきますので、私も多少それに染まっていたような気味があります。しかし、「正しさ」を持ち出して、生活的
語法につべこべ言うような言説には、私は黙っていることができません。その「正しさ」は何に根拠があるのかを、どこまでも問いつめる覚悟があります。
今回は、根拠があったのでほっとしています。
いずれにせよ、落としどころが見つかってよかったと思っています。
2454 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月11日(木)01時32分09秒
>アメリカの磁場を受けて、英語の上達した者が、日本で語学を教える資格があるのか?
無いとおもう。
「磁場を受けて」は、「磁場の磁力を受けて」の意ととりました。
私は、アメリカで英語の磁力を浴びて英語を内在化させた人にも英語を教える資格はあると思いますが、条件があります。英語の磁場のない場所で英語をやる
純然たる語学の構造がわかっている人であるべきだという条件です。
2458 条件 投稿者:パクパク 投稿日: 4月11日(木)11時13分57秒
>条件があります。英語の磁場のない場所で英語をやる純然たる語学の構造がわかっている人であるべきだという条件です。
こういう人は、まずは存在しないものとおもわれます。
存在しても、そういう人が、語学教師をやっていると
はとてもおもわれません。
2459 国弘さんの場合 投稿者:パクパク 投稿日: 4月11日(木)11時51分04秒
この人は、在米経験がありますが、
磁場の非存在の下での語学学習の
明確な意識はないとおもいます。
2460 アメリカ帰りの人 投稿者:パクパク 投稿日: 4月11日(木)12時07分24秒
英語ができる人が多いです。
そのなかで、アメリカで
死ぬほど、一生懸命勉強した
と発言した人は、私の経験では
1名います。
あとは、自然に出来るようになった
といいます。
国弘さんとおなじで、気がついてみると
出来るようになったという表現形式です。
なぜ、努力をしたと言わないのかとおもいます。
もちろん、人に語学を教える立場にないから
努力を隠しても何ら問題はありません。
しかし、アメリカ帰りの人で語学を教えている
人は、自分のアメリカでの努力量を時間で
いうべきでしょう。
2462 ぱくぱくさん 投稿者:Jackie 投稿日: 4月11日(木)17時14分39秒
>アメリカの磁場を受けて、英語の上達した
者が、日本で語学を教える資格があるのか?
無いとおもう。
そんなー 悲しいことをいわないでくださいよ。 パクパクさん はじめまして。
私は 英会話(英語)教室を ひらいていたものです。(今現在療養中)
私は高校のとき 英語は2でした。 そのあと専門学校へいき 渡米しました。
だから 向こうでカレッジに通いながら(卒業してはいません) 英語をよんだり ルームメイトと話したりしたのが上達した理由だとおもいます。 あと時間
があれば テレビのコメディーをみて いました。
俳優のいったことを いつもリピートしていたらしく 友人いわく 「あなたはいつもテレビとしゃべっていた」そうです。
ですから 私の英語は向こうでの勉強と ルームメイト テレビを通じて 覚えたものです。磁場の力ですね。一年すぎて帰国
帰国後 何年かのち こちらで 英語を教え始めたとき
中学の英語と文法をおさらいしました。一年生の基礎からです。
形容詞 名詞 ということばさえも はじめてしって 数えられる名詞 などの細かいことも
はじめてしりました。(むこうでもESLはとったのですが 英語を英語で勉強するというのは
なんとも中途半端な理解で終わっていたことが判明。)
中学の基礎をおさらいしながら 教科書を音読していくにつれ 不思議なことがおきました。
久しぶりにカレッジの分厚い教科書を 開いたらすらすら 読めるのです。 あたまから 理解できるのです。 向こうにいたときの方が語学力(そのとき書い
たエッセイなどを読み返したらかなりしっかり書けていた)は 高かったはずなのに、です。 今いけば 向こうでの勉強が よく身について理解できることで
しょう・・・・
だから 根石さんのおっしゃっている 方法の正しさが 納得がいきます。
中学の教科書を読み テープをきき 音読して 構文を口で体得 そして 日本語から英語に英会話(英作文)できれば 相当な力です。 受験にも通用する
のでは?と思います。
>しかこれでは、生活言語はわからない
ままである。
生活言語=映画の言語に近い。
今求められている英語能力とは、
受験英語力や翻訳英語能力ではなく
生活言語だろう。
生活英語ー 日本にいて これを獲得するのはむずかしい。必要性がないから。
磁場があるところで 家をかりたり 交渉したりする必要性にせまられて 覚えていくことも多いでしょう。
このごろネイティブと 接する機会もなく 興味のない外人とおしゃべりをするのも時間の無駄。
果たして日本にいて 生活言語を 獲得する必要があるのだろうか???(自問自答)
もし今の私にあるとすれば 英語を教える立場上 話せる方が良いとおもうことと
単に好きな映画や番組をダイレクトに感じたいと思ったとき 一番には カナダ人の元ルームメイトと再会したら あれもこれも話したいから という理由。
日本の磁場に居る限り 英語の底力を 巣読みによって身につけるのが
これからの社会にも通用する力だとおもいます。
2463 仮定法 投稿者:浜谷 投稿日: 4月11日(木)20時33分15秒
仮定法の型破りの説明が次のURLで見れます。一応リンクも入れておきます。その他の文法事項についてもgrammar/grlst.htmlのURLで
同じような説明が見れると思います。(私はまだ見ていませんが・・・)最近「最強の英語学習法」の掲示板に紹介されていたものです。
http://smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html
http://smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html
2467 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(金)03時17分02秒
ちょっと見てきましたが、やはり文法というのは論理だと思いましたが、この言葉で言い表せる
論理というのでは、文法はやはり鷲掴みできないとも思いました。
文法なんか一つも知らなくて文句があればまくしたてるやつら(ネイティヴ)と、このように論
理としてきちんと文法を説明する人たちの、ちょうど中間に論理がセンスに化する場所があるよ
うに思います。その架空の場所を、私は一年弱生きておりました。
19歳のときだったと思います。
2469 誰も噛みついてくれない 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(金)03時24分38秒
> マークが帰ったら客が誰もいないので、湯原の部屋へ行って酒を飲もうとウドに言う。
湯原は sense を欠いているので、湯原を beat してセンスを叩き込もうとウドが言うが、そん
なことは hopeless だから、Only beating Yuhara. にしようと言い、湯原の部屋に行くが留
守。
こんな文章を書くやつが、どうして日本語について人に文句が言えるのだと噛みついてくる奴
がいるんじゃないかと思って書いておいたのに、誰も噛みついてくんないのだ。
美しい日本語論者は、俺は嫌いだ。
津田幸男は、そのうちにそこへ逃げ込むだろう。他に行くところはねえだろ。
あの程度の理屈じゃ。
英語がシンタックスであるなら、日本語もシンタックスだというところがつかめなかった奴な
んだね、この名古屋大学教授野郎
2471 気持ち悪さ 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(金)13時14分31秒
別にきのうのことと関係なくて書いてる。
あんたに向けた文の中にそれを書いちゃ、誤解されるわな。あんたのことじゃねえよ。
ウドの店やら、長野市内の外人の集まる酒場なんかでよく見かけるんだが、やたらに外人(それもほぼ白人ばかり)の回りに群がる女どもがいる。深酔いして
帰ってきて、これまでに見かけたことのあるそいつらを想定して書いた。
あの方々にとっては、白人ていうのはなんだか先験的に価値がある。この先験的な価値が感覚に刷り込まれていること自体を疑うことがない。
もしも、白人や外人に先験的な価値を置くのであれば、黄人に先験的な価値を置くことも同位に成立するはずだが、日本にはそんな多様性はほとんどない。日
本の女が白人につきまとうのは、ただひたすら白人に価値を見ているのだ。多いんだぜ、この種の女っていうのは。
ウドと俺が友だちだっていうことを知っている女が、ウドを紹介してくれと俺に言ったことがあった。ウドがどういう人間かとか、どういう考え方をしている
かとか、そんなことはその女にはどうでもいいことで、ウドがヨーロッパ人であるから、ただそれだけの理由で紹介しろというのだ。こいつらには、欧米崇拝の
すぐ裏側にアジア・アフリカに対する見下しがある。欧米から習った見下しが・・・。それは、その場にいた俺にはすぐにわかったのだ。
こういう事例は、結構多く目にするんだよ、俺は。
一般に人々が思っているよりも、ものごとははるかに深く進行しているような気がする。
この種の女どもに対する俺の見下しというものがひとつあるわけです。
別に女に限ったわけじゃなくて、男にも英語信仰と白人崇拝がセットになっているやつはいるんだが、女に特に目立つのが、外人への「つきまとい」です。反
吐を吐きたくなる。
それで、深酔いすると、それが噴き出してくるわけです。
英語を語学としてまともにひきすえる行為と、外人(白人)に先験的な価値を見て、その下位の価値として英語をやりたがる行為とは、まるで別ものだ。
俺は、あの人たちの英語信仰から、自分の語学を分離して、別のところへ置きたくなる。あんなものと一緒にされてたまるかという気持ちが強くあるのです。
2472 引用 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(金)13時53分05秒
midnight press 15
「ご隠居と八っつあんの現代詩談義 傲慢な標準を却下する
・・・・青空は暗い」から
ビンラディンをテロリストと呼ぶなら、少なくともブッシュを人殺しとか泥棒と呼ぶことは間違ってないだろうし、これがテロリズムより罪が軽いってことには
ならないだろう。
自分のものでもないものを自分のもんだと言うなっていうのは、ロシアに対してだってアメリカに対してだって、世界の全員が言っていいことだ。自分のもので
ないものを自分のもんにするために人を殺すっていうのは、アメリカが建国する前に、インディアンを殺してインディアンの土地を自分のものにしたことまで
遡っていいと思ってるんだ。今回のアフガン爆撃にしたって、西部開拓が太平洋を飛び越えただけのことで、他人のものを自分のものにする泥棒行為が続いてい
るんだ。(略)アフガニスタンに対するアメリカの意識はインディアン殺しと同じだよ。人を人とも思わないってのが本質だ。
元からそこに住んでいた人間を蹴散らして、自分のものでもない土地を自分のものにするっていう恥知らずな行いが、アメリカの建国の礎だ。アメリカは無恥
によって建国した国だ。土建屋だな。(略)まあ、開拓ってのは土建だよ。このアメリカの土建屋根性が、世界に軍を配置する政治の中に生き延びていて大手を
振っているんだ。
キリスト教の教えに、「盗むべからず」っていうのはあるんだし、「殺すべからず」もあるはずなのに、植民地を作ったヨーロッパの連中も、アメリカの歴代大
統領もしっかりと教えに背いている。どのつらさげて、神だの正義だの言えるのかと思うんだよ。
「大航海」時代なんて言葉が、もうそもそもヨーロッパ的なものの見方の真似じゃないか。何が「植民」地時代かと思う。「植民」という言葉の背後には、のう
のうとした権力ってものがある。ヨーロッパの王族、貴族、宗教者、総じて政治屋どもによる泥棒時代っていう方が正確な言い方だよ。
2473 仮定法 投稿者:パクパク 投稿日: 4月12日(金)16時13分00秒
浜谷さんの紹介の仮定法のサイトにつぎの記述があります。
>
"If he will come tommorrow, I will not go "などの文は存在し、
上の規則は事実にも反していることも付け加えておきます。
もちろん、"If he comes tommorrow, I will not go."とは文の意味が違います。
この2英文は、そんなに意味が違うのでしょうか?
音声的には、If he will の willは、弱形で発話されるとおもいます。
2475 sb さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(金)19時58分55秒
公立の学校における「音づくり日誌」楽しみにしています。
私は相変わらず「変なおじさん」をやっています。
昨夜も、ウドが俺を呼ぶのに「ヨシ」と呼ばせろとまた言い出しました。「ヨシ」というのは、
「ヨシア」かなんかと同じかなんかなのかどうか、オーストリアではいい名前で、グラッツと
かいうウドの生まれ故郷の市の市長も「ヨシ」というのだと言って、俺を説得にかかりました。
「ヨシ」と呼ぶ方が、あいつにしてみれば親しみが込められるということらしいのですが、や
だよ、と言って今回も断りました。「ネイシサン」と呼べと命じました。
ウドの娘のヴェラは、私のことを「ネイッシャン」と呼びます。
これは私は気に入っています。
2480 Aさんとのメールによる議論 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月13日(土)11時51分23秒
[Aさんとのメールによる議論]を読ませて頂きました。
[Aさん]
「ジンゴイズム」(辺見庸の本の中で先週初めて知った言葉で、スペルすら知りません。好戦的な愛国心ということらしいです)というのは疲れますし、少々
やっかいな気がするので、こういうのだけは、ちょっと勘弁してください、と思いますが。
[根石]
この辺は、私の感覚と似ています。
しかし、ヨーロッパが好き勝手やって、それをマネて日本が好き勝手をやって、ヨーロッパが日本は韓国に謝らなければならないというようなことを言った日
には承知しないという意味で、私はナショナリストです。
馬鹿野郎。侵略の本家本元が無傷なだけでなく、盗人猛々しい言いぐさをしやがると思う。そう思っている私を私がナショナリストだと思います。
-----------------------------------------
根石様のこの御意見に賛成です。
以前(5年ほど前)、私はCompuServeというOnlineサービスでアメリカ人(複数)と
広島・長崎の原爆について議論(喧嘩)しました。やつらの反駁手段は、真珠湾と南京事件
です。結局、やつらの潜在意識には、西欧はアジアを蹂躙してもいいが、非西欧(日本)が
アジアを蹂躙するのは許せないということがあるのです。
ところで、中国・朝鮮がこれに関して、日本のみを責めるのも、おかしいと思います
(日本を責めれば、政治的に得をする(情けない)というのは、わかりますが)。
彼らにしてみれば、プライドが傷つくのでしょう(日本にだけは、やられたくなかった)。
そして、朝日新聞が彼らの口車に乗っているのは、虫酸が走ります。
2481 斎藤様 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月13日(土)13時45分14秒
ホームページの記事をお読みいただきありがとうございました。
近頃は、独立した記事を書くことができず、この掲示板をなるべく毎日見ることしかやれません。
それでも、書かなくてはと思って書けないままになってしまうこともいくつもあります。
皆様
斎藤さんがお読みいただいた記事は以下にあります。
どうぞご覧ください。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/kenka/asantono.htm
2483 転載 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月13日(土)13時54分28秒
最近、受験生と思われる方にさしあげたメールを転載します。
----------------------------------------------------
古川さんの掲示板の昔の記事を読んでいて、
>
そこで悩んでいるのは、『700選』と、『和訳』についてです。
この二つは、どうにも取っ掛かり難いんです。
と書かれているのをみつけました。
その後はどんなふうに進展されていますでしょうか。
「700選」をまるごと覚えてしまうための方法があります。
音読をシステム化したものです。
以下をご参照ください。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/sodokusy/yousetu.htm
受験生のための「音づくり」について書いてあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/monooki/kansou/kansou.htm
受験生が書いた記事はありませんが、「電話でレッスン」の生徒さんからいただいた感想です。もうすでに古くなっていて、その後は下記の掲示板にいくつも
感想を寄せていただいています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
掲示板です。
現在はあまり生徒さんがレッスンの感想を書いてくださいませんが、そのうちに、レッスンの感想だけをまとめて、ホームページの独立した記事にしようと
思っています。
この掲示板は難しすぎるとよく文句を言われます。しかし、日本の英語をとりまく
状況について、まともに論議するとこういう掲示板ができてしまいます。
もし、「電話でレッスン」に関して興味を持たれたときは、この掲示板にお問い合わせ下さい。
2487 英語を勉強する目的 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月13日(土)21時44分22秒
根石さん、
"「英会話」について”を読ませて頂きました。
「細かいことを言うようですが、私は「使える英語」と「実用英語」を区別しています。使える英語はめざすべきだが、実用英語などという貧しいものはめざす
ことはないと考えます。英語そのものをまともに語学としてやり、その結果、それが「実用」にも使えたらそれはそれで構わないという程度に「実用」というも
のを考えています。英語をやる日本人が、国際的な商社マンみたいな気持ちで英語をやる必要などない。英語で本を読んで楽しむとか、英語で喧嘩こいて腹をた
てるとか、そういうことでいいと思います。要は自分の英語を作り、それを使えばいいのです。」
----------------------------------------------
おっしゃることが良くわかりません(失礼)。
「実用英語」を目指さないとしたら、根石さんが英語を勉強する目的は何でしょうか?
私は、「実用英語」を目指して、一向に構わないと思います。
2488 斎藤様 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月13日(土)23時56分50秒
>「実用英語」を目指さないとしたら、根石さんが英語を勉強する目的は何でしょうか?
私は、「実用英語」を目指して、一向に構わないと思います。
私が英語を勉強する目的?。
自分が幼年時に浸っていた言語とまるで違う言語に触り、理解することが面白いというだけのことではないかと思います。目的とかいうものはありません。
現在、英語をやって勉強になってしまうのは、人様からお金をもらっているからです。
また、19歳頃に、「勉強」をしたのは、大学に受かってやろうと思っていたからです。
私はとことん「学校」というものとは相性の悪い人間でして、小学校から高校までの自分の学校とのつきあいを、大学に入ることで帳消しにしたいと思いまし
た。大学(早稲田大学)はそれに応えてくれませんでしたが、それならそれで、そんな大学はほったらかして、古本屋めぐりとジャズ喫茶めぐりをやっておりま
した。これらの行為は遊民の行為であり、およそ貧乏な水呑百姓の息子の行為であるべきではありませんでした。
何はともあれ、「役にたつ」ということが嫌いです。
実用という言葉には、とても貧しいものを感じます。
そうなると、俺は金のために英語を勉強し、学歴を得るために英語を勉強したのか。
それに違いない。その貧しい「実用」が好きか嫌いかということで言うのなら、はっきり言えます。嫌いです。
「実用英語」をめざすことはまるで構いません。
私は生徒さんには、そのことでつべこべ言いません。
しかし、幸いなことに、私のホームページを読んでから「電話でレッスン」を申し込んでくれるような人は、英語によって感覚が狂ってしまったような人では
なく、とてもまともな人たちです。じっくりと練習をしてくれます。そして、当初、「実用英語」だけを考えていた人たちが、語学そのものの面白さを見いだし
てくれています。
アメリカに行ってものすごくくやしい思いをした。だから、私のレッスンを始めてくれた。そういう人がいますが、その人も、今、言葉そのものの面白さに導
かれています。私が何も言わないのに、自分からペーパーバックスを読むことを始めました。
英語を「使う」ということが、どんな場面であれ「実用」です。
私は「実用」そのものを否定することはありません。
実用を「めざす」という考えが貧しいと思うだけです。
2490 根石さん 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月14日(日)02時19分24秒
--------------------------------------------------------
私が英語を勉強する目的?。
自分が幼年時に浸っていた言語とまるで違う言語に触り、理解することが面白いというだけのことではないかと思います。目的とかいうものはありません
--------------------------------------------------------
外国語を習得する上で一番大事なことは、強い動機付けだと思います。動機が無ければ、いくら良い方法で勉強しようとダメだと思います。
根石さんのおっしゃる、日本語とまったく違う言語に触り、理解することが面白いというのも、立派な動機と思います。
例えば、冗談で言うのですが、もし2年以内に英語に上達しなければ、自分の命が無くなるとなれば、大抵の人がその期間内に上達するのではないでしょうか?
私のことを言えば、単純にアメリカかぶれでした。物心がついたころには、テレビでアメリカのドラマを沢山やっていました。1960年代の始めでしたか
ら、日本は貧しかった。それに較べて、アメリカは輝いて見えました。初めて中学校で英語の教科書をもらった時の嬉しさを今でも覚えています。
結局、私の潜在意識には、アメリカに対する深いあこがれが有った(今でも
有る)のでしょう。これが、私の英語に対する動機だと思います。
さすがに、大人になった時には、アメリカおよびヨーロッパの非西欧に対する鼻持ちならない優越意識を認識するようになりましたが。
この辺は、心理的にかなり微妙です。アメリカに対しては愛憎半ばするといったところです。
今の若い人は何を動機とするのでしょうか?
アメリカに対するコンプレックスは有るにしても、私の世代と比較して遥かに少ないと思いますが。
------------------------------------------------------------
英語を「使う」ということが、どんな場面であれ「実用」です。
私は「実用」そのものを否定することはありません。
実用を「めざす」という考えが貧しいと思うだけです。
------------------------------------------------------------
実用を「めざす」という考えが何故貧しいのかよくわかりません
(すいません)。日本という立場を考えた場合、英語をまともに使える
日本人が大勢必要なのは、明らかだと思います。
2491 (無題) 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月14日(日)09時04分59秒
根石さんの"「英会話」について”のURLです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/eekaiwan.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/eekaiwan.htm
2492 ディズニーの英語教材 投稿者:パクパク 投稿日: 4月14日(日)11時21分27秒
本日の朝日新聞に、ディズニーのCD教材の全面広告が
あるとおもいます。
いまだにアメリカに幻想をもっている人が多いのだなぁ
という感じです。
英語は風邪でないからうつらないのを知らない人が
多いなぁという感じです。
この広告は、非常に良心的で、英語教材としては
明記していないのです。購入者がかってに思っているのです。
ディズニーはあくまでも、絵本CDとして売っています。
しかも、非常に安い値段です。
結局、アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます。
ひょっとして、世界で一番アメリカにあこがれをいまだに
抱きつづけている国家は、日本だけかも知れません。
アジアの諸国は、すでにアメリカに反旗をひるがえしています。
2493 パクパクさん こんにちは 投稿者:Ton 投稿日: 4月14日(日)18時05分15秒
パクパク さんの論は、興味深く呼んできていますが、下の見解(主観、
「アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家、」というバクバクさんのみの定義がなぜ、
いま、唐突に示されたのか、理解しがたいなぁ、とは感じます。
ここでは、結局、なにがいいたかったのでしょうか?
また、これと根石英語、と、なにか、関連があるのでしょうか。
多くの方がRomしている、このサイトであるだけに、以上につき、教えてください。
http://www.doujinsha.com
2494 P.S パクパクさん 投稿者:Ton 投稿日: 4月14日(日)18時16分30秒
字句訂正。
呼んで=読んで
留意点 キャラクター商品広告に関する見解
1、ディズニーのCD教材の全面広告がある(バクバクさんは、自ら教材とうたっているが)
↓
この広告は、非常に良心的で、英語教材としては明記していないのです。(と、説明し)
↓
2、いまだにアメリカに幻想をもっている人が多いのだなぁという感じです。(と感じた)
キャラクター商品にこの 見方をする、ところからの論の進め方は、どうか
どらえもん、などの商品をみると どう考えるのか?
銀行なども、こうしたキャラクターをキャンペーンで使うが、これも
アメリカ礼賛、アメリカ幻想、と、考えるのか、
最後に
アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます。と片付けているところ
誰が、と、いうと、バクバクさんは、という、ことで、読める。
http://www.doujinsha.com
2495 説明 投稿者:パクパク 投稿日: 4月14日(日)18時32分32秒
Tonさんへ
日本における英語教育の基底には、
舶来崇拝=西洋崇拝=あこがれ
があるとおもいます。
アメリカへの憧憬が、英語を学ぶ動機の
大きなひとつになるとおもいます。
(受験で良い得点をとることが第一義ですが
それ以外には)
根石英語は、そういうものではなく、語学だと
おもいます。
だから、アメリカにあこがれの心がなくても、
英語を学べて、通じる英語ができあがるので
あろうとおもいます。
多くの人は、あこがれがベースなので、
みずからの英語学習の方法の効果に幻想を抱いているだけです。
2496 英語の正しい学び方 投稿者:sb 投稿日: 4月14日(日)22時34分12秒
やはり700選だけでは駄目だ。でも700選をやる価値はある。そう思っている。
でも700選を早く突き抜けないと駄目だ。金魚鉢の中をグルグル回っているに過ぎない。
エリオットさんの生徒さんがたぶん今ごろやっているかもしれないあの外国の文法練習本をやってみたい。でも700選は手放さない。復習範囲は手放さないと
いうことは本当に大切なことだ。特に力の不足している人には必要なことだとこころから思う。
同僚がいろいろ英語教育に関して教えてくれた。ひとつ考え方が昇華した。でもその練習のプロセスには確かに根石さんの哲学が必要だ。そう心から思う。
「さくら」をご覧になりましたか?テレビもたまには役に立ちますよ。根石さん。エリオットさん。もちろん時間の無駄だ。他にやることがたくさんある。と
おっしゃらるかもしれませんが。
國弘さん。根石さん。エリオットさん。同僚のKさん。シュリーマンさん。
ありがとう。自分の中でひとつ構成しました。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
2497 なるほど 投稿者:Ton 投稿日: 4月14日(日)22時35分23秒
1、根石英語は、(そういうものではなく)、●語学だ とおもいます。
2、だから、(アメリカにあこがれの心がなくても、英語を学べて)通じる英語が
できあがる のであろう (とおもいます。)
3、多くの人は、(あこがれがベースなので)、みずからの英語学習の方法の効果に
幻想を抱いている だけ(です)
補足 *アメリカへの憧憬が、英語を学ぶ動機(の大きなひとつ)になる(とおもいます)。
拝見しました。
世界がものすごく狭くなっています。
EUとUSA、アジア圏域。商圏としても、いま、国際的といわれている圏域は、50年前の国際的、あるいは世界的、という感覚とは既に乖離し、さながら、
昔の沖縄と東京、といった近さになっています。読みこなすべきデータも英語が増えています。
ここでは、パクパクさんのおっしゃってるような、アメリカ幻想なんかあるかしら。
学際、あるいは 商社など ビジネスマンの方々も
このサイトをみていると思いますので、ちょっと気になりました。
バクバクさんの言わんとしたことは、ご説明で理解しました。
つまり、「根岸英語」と「日本における、これまでの英語教育一般」の基点の
ちがいを説明するに「アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます」
などの語がでてきたものですね。「相違点」ここだけ、とらえればいい、ものですね。
ありがとうございました。
http://www.doujinsha.com
2498 世界が迷うと言葉が増える 投稿者:sb 投稿日: 4月14日(日)22時42分18秒
>英語を「使う」ということが、どんな場面であれ「実用」です。私は「実用」そのものを否定することはありません。実用を「めざす」という考えが貧しいと
思うだけです。
「実用英語」という言葉がでてくるのは「実用」でない「英語」がうじゃうじゃしていることの裏返しということですね。
ただ「日本語」があり、ただ「英語」があり、その前にただ「イメージ」がある。
そして、
ただ「音法」があり、ただ「文法」がある。
2499 補足 投稿者:Ton 投稿日: 4月14日(日)22時48分12秒
下の点で、はじめのとっかかりとしては、アメリカに憧憬があって学んでいく人は多い。
さて、唐突ですが、
ピュアな根岸英語と、キャラクター、どっちを選ぶかは消費者です。
簡単な話が、根岸英語にキャラクターをくっつけて売るのも一手法です。
弟子筋は、食べやすくすることを考えてみてもいいかもしれませんね。
キャラクラーが不純であれば、アイドルはみんなそう。
あこがれがやる気を起す!、という否定できない部分も認めて、大きく取り入れて
ハイスタンダードを作り上げることも、いいのではないかな、と門外漢は考えます。
*最初からユダヤ商法だから、だからやめろ、というのもいかがかな〜っと考えます。
住んでみるとわかりますが、洗練されたしゃべり方に聞こえる、ああ、やっぱり、
ああいうふうにしゃべりたいな、という刺激を受ける人も多いようです。
時間が無いので散漫な書き方をしています。間違っていたら、ごめんなさい。
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