1502 感謝 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 9日(日)02時34分00秒

村田君の報告は非常にいい。
もしも、読まれた方がわかりにくいと感じられたとしても、それは「技法グラウンド」が何なのか
がわからないためのわかりにくさです。
「電話でレッスン」をやられている方は「技法グラウンド」には触れておられるわけですから、お
わかりになるんじゃないかと思います。
村田君の特色として、肉感的に感じないと感じたような気がしないというものがあると思っていま
す。今度の文章にもそれがよく現れていると思いました。これは、遠慮しないで、どんどん公開し
ていってほしい特色だと思っています。

大学を出て、素読舎を手伝い、自分の塾をやっているちゃんとした大人が、いまさら「不思議の国
のアリス」かよと思うかもしれないことなど、まるでおかまいなしに、私は村田君に「不思議の国
のアリス」を「技法グラウンド」でやるように薦めました。単語力や文法力はあっても、シンタッ
クス力に不足があると思ったためです。「シンタックス力」などという語は、日本語において、ま
だ熟しておりませんが、日本における英語の力において、眼目となり問題とすべきものは「シンタ
ックス力」だという考えは、私の確信となりつつあります。
 アメリカに何年いたかなどということは、実は問題じゃない。
 何年いようが、「シンタックス力」はどんどん錆び付く。
 日本語は英語に対する強力な酸であり、英語は日本語に対する強力な酸である。
 これを、さらに抽象するなら、SOV は SVO に対する強力な酸であり、その逆もまた真だという
ことになります。
 村田君は、この強力な酸を現在実感し始めています。
 実は、これが日本にいながら英語をやることで知るべきことの大事な一つだと思っていまうす。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis



1503 もっこりさん(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 9日(日)04時27分51秒

 いやあ、面白かったです。
 読みたくなりました。見つけたら買います。

 日本語には英語に必要な音が多数存在しているというのは、そうなんだろうなと思いま
す。英語の音と「同じ幻想」を捨てて、あるいはお手本幻想を捨てて、日本語の音を英語
に流用するのは、何も間違っていないと思っています。問題は、それで通じるか通じない
かだと思います。なんで、日本人が英語のネイティヴとしても音的に立派であるなどとい
う擬態を演じる必要があるでしょうか。きわめて、馬鹿くさい。馬鹿くさいだけでなく、
屈辱的おてもやんです。
 私も机上では擬態をやります。どんなおてもやんでもやります。レッスンもおてもやん
です。役者が自分に振られた役の人物の好き嫌いをやたら言うわけにはいかないのと同じ
事情によります。しかし、机上以外では、おてもやんはまっぴらごめんです。

 机上とは、「ピーチクパーチク雲雀の子」の世界だと思っています。

>たとえば、春先(ハルサキ)のルは/r/の音で、昼間
(ヒルマ)のルは/l/の音だそうです。

 これは、やってみて、あれ、ほんとだ、と思いました。これは、鋭い指摘ですね。
 まあ、ハルサキの r にはほとんど厚みがありませんし、日本人がハルサキの r を意識
にきちんと取り出して単独に発音できるかどうかも問題です。
 ハルサキの r は舌をべったりと下に置いたままの発音の仕方の r で、この舌の位置の
r は確かに英語でも使うと思います。しかし、英語の r は舌を喉の方にキュッと引っ張
って、小さく丸めて、口蓋に付かないようにするようにすることが多いと思います。
そして、この音は日本語の中に見つからないと思います。

>さらに、「ん」は実に4種類(/m/ /n/ /N/ /ng/)の
違う音をひとまとめにしているとか。

 これは、すでに Eliot さんから教わっていました。しかし、Eliot さんが先に指摘した
ことか、それとも、この本が先に指摘したことかは、Eliot さんに明記してほしかったと
思いました。あるいは、それとも、大学の英語科あたりに行った人には、常識的な知識な
のでしょうか。私にはとても目新しい知識でした。



1504 もっこりさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 9日(日)04時28分47秒


>また、それから、英語の発音教則本に書いてある、「日
本語の子音には必ず母音がつく」という常識も、会話に関
する限りは誤りだということがわかります。たとえば、濯
ぎ(ススギ)のススは/susu/だが、芒(ススキ)は/ss/ だ
し、鶴(ツル)のツは/tsu/だが月(ツキ)は/ts/。

 この辺には異論があります。基本的には、日本語の子音には母音がつくのだと思ってい
ます。susuki と発音しても、日本人は sski のことだとわかります。これがわかるという
ことは、susuki が基本として感覚に織り込まれているということなのではないかと思いま
す。
 しかし、ss という子音の連続は、日本人の口の筋肉に慣用として実現していることの
指摘自体は非常に面白いです。ちなみに、私は「濯ぎ」も ss で発音する傾向があります。
これが英語をやったせいかどうかわからなくなってしまっています。
 あるいはまた、sski という場合でも最初の s にはごく小さな u の母音が付いているよ
うな気もします。

 日本人が子音の連続を発音している根拠として、ss を言ったとして、今度は逆に英語に
は ss という連続音が見あたらないという問題があります。st, sk などの連続音はよく
見られますが・・・。
 日本人の口の動きとして、現実に実現しているものは、英語の音の修得時にあまり問題
にしなくてもいい。問題にすべきなのは、やはり、日本人の口がうまく動かない音の連続
だと思っています。つまり、日本語の音韻組織から見た英語の音韻組織だと思っています。
これは、大学の英語科教員養成課程にすら、いまだ成立していない観点です。

 私が疑問に思ったのは、なぜ Jerry が「鶴」を発音できなかったのかということでした。
私には、ケンタッキーで生まれて育った Jerry という友だちがいますが、こいつが日本に
遊びに来ていたときに、どうしても日本語の「鶴」が発音できませんでした。
 true と発音してしまうのです。
 /tsu/ が発音できなかったということです。
 /ts/ に u という母音をつける音が英語に存在しないためなのかと、今思っているとこ
ろです。日本人が two を 「ツー」と言ってしまうのと逆の関係なのか、と・・・。



1505 もっこりさん(3) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 9日(日)04時29分42秒

 これらの問題と、英語の下にカナを振ると先生に怒られることの理不尽は、微妙にくい
違うと思います。日本語の慣用的な音の中に、英語に流用できる音が潜んでいても、カタ
カナで英語の音がつかまるわけではないと思っているのです。
 カタカナにいくつかの記号を付することで、英語の音がつかまるのであれば、付加する
記号がいくつ必要なのかを知りたいと思っているところです。
 少なければ大いに意味がある。多ければ、発音記号を覚えるのと、めんどうくささにお
いて変わりがなくなってしまう。しょせん、実体は音価にあるわけですので・・・。音価
に迫ろうとすればするほど、カタカナに付する記号が多くなってしまうのではないでしょ
うか。
 カタカナに少数の記号を付することで、英語の音価が表せるのであれば、それは面白い。
しかし、それがどういうものなのか、今はイメージできません。フォニックス、発音記号、
カタカナ応用というように、いくつもの発音表記があっていいが、カタカナ応用で果たし
てどれほど英語音がつかまるのかというのが、記事を読ませていただいて抱いた疑問です。

 実は、多分この本だと思うのですが、以前に、sese さんという方から教わっていました。
しかし、その時は、しょせんカタカナで英語の音はつかまらないと思っておりましたので、
いまだ読んでいませんでした。もっこりさんもおもしろいというのであれば、これは読ま
ないわけにはいかないと思った次第です。

 読めない漢字にルビを振るのが問題ないのは、その漢字の音がそのルビの音と(日本語
としては)一致しているからであり、英単語にカタカナでルビを振った場合に問題が生じ
るのは、それがまるで英語の音と同一物とは思えないほどの距離を作ってしまうためです。
 もっとも、日本が現在のアメリカにとって代わり、政治的・経済的に世界を睥睨するよ
うな実力があるのであれば、英単語にカタカナでルビを振ることが通用するかもしれませ
ん。なぜなら、カタカナ発音にアメリカ人やイギリス人が従えばいいことになるからです。
ちょっと、実現するとは思えないような仮想の事態ですが、そういうことが実現すること
自体は私は大好きです。現世の秩序が嫌いだという理由によります。
 もっともそんなことが実現した時は、アメリカ人やイギリス人がカタカナ英語を馬鹿に
しながらそれに従うということよりも、日本語を習う人の数が急増するということになる
と思いますが・・・。

 現実はそうではありませんから、困難は続くと思います。
 紹介して下さった本が、「政治的・経済的に世界を睥睨する実力」と関係なく、カタカ
ナ音が英語に使えると言ってるのであれば、根拠がないという疑いはまだ残っています。
日本語音の慣用音で英語に流用できるものがたくさんあるということと、カタカナ音で英
語音がつかまるという想定とはまったく別の問題だと思います。

 音自体を標本的に問題にしてもしょうがないという問題も残っています。
 リズムが英語と日本語とでは、どうしようもないほど違っています。
 英語のリズムをカタカナ応用でどう始末をつけるのか。

 もっとも、これは、フォニックスでも発音記号でも、とにかく文字表記では解決できて
いません。だから、カタカナ応用で始末がつく問題だとは思えません。それを望んでは、
あまりに高望みということになるとは思っています。

 私は近頃は、「音読」という言い方をやめて、「コーチ付き音読」がいいのだと言うよ
うにしようと思っています。「コーチ付き音読」と言えば、そのまま「素読」がイメージ
されます。「素読」というのは、「コーチ付き」というのも、大事なポイントなんだろう
なと思い始めたところです。
 現在の「電話でレッスン」も「コーチ付き音読」です。

 なにはともあれ読んでみてからまた書きます。
 多分、引っ越し騒ぎの後になると思います。



1506 こんなコトバ見つけました 投稿者:英語嫌い人 投稿日:12月 9日(日)21時34分07秒

前回のつづき、アメリカインディアンの言葉から

「少しずつ
 少しずつ
 行けるところまで
 進む」 ーーーーーー クロー族の格言

「生きている間に
 よく生きろ」 ーーー アパッチ族の格言

「死はつねに
 季節はずれに
 やってくる」 ーーー パウニー族の格言

「自然から離れれば
 こころが頑になる」ー ラコタ族の格言



1507 私の英語力 投稿者:M.K 投稿日:12月 9日(日)22時20分54秒

最近、学校の英語の授業で頭を使わなくても分かるようになってきた。(ほんの一部のみだが) とても大きな進歩だと私は思った。英語も日本語のように何も 考えなくても分かるようになれたらいいなあ。



1508 ふー 投稿者:Yasu 投稿日:12月 9日(日)23時37分30秒

昨日のレッスンは体調が悪くもうろうとしていました。
やっと起き上がれるようになったので今,映画のシナリオを見返しています。
何とか指摘された点は紙に書きとめておりましたが,どこまでやったかを正確に
覚えておりません。確か11ページのMorning,Carl,Sam.までだったと思ったんですが・・・
それとこのレッスンって基本的に予習というかあらかじめやるところの発音とか単語の
意味および読みも自分で練習しとくべきですかね?
確か昨日20ページまではまとめてやるようなことを言われたと記憶しているのですが,
だんだん復習で手一杯になるような気がしたもので。



1509 素読舎日録 投稿者:根石吉久 投稿日:12月10日(月)03時10分40秒

 冷蔵庫一つだけ引っ越し。宮崎進太郎とむっつりした中学生に手伝ってもらう。
 夜、電話でレッスン。4つはさすがにきつい。
 ビデオで向田邦子の「あ うん」観る。
 日本映画はいい。
 緻密だ。
 この緻密さは、アメリカ人も感覚ではわかるだろう。
 しかし、ない。
 アメリカには、この種類の緻密さはない。




1510 おお、mk 投稿者:根石吉久 投稿日:12月10日(月)03時13分45秒

ありがとな。
お母さんにもよろしく言ってくれ。

数学頭は、英語で狂わせるのがいいだろう。
数学頭だけだと、人生淋しいぞ。



1511 Yasu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月10日(月)03時17分11秒

私のレッスンは学校と違って、最初がきついです。
学校は、皆さん、英語って楽しいね、みたいに中学一年生に思わせといて、お化けが出るんです。
私の英語はお化けが出ません。
ただ、最初がきついだけです。

英語をやって、誤診だけはなさらないように。



1513 埼玉県・Oさんから 投稿者:根石吉久 投稿日:12月10日(月)03時40分40秒

 さきほど、Oさんという方からメールをいただきました。
 「電話でレッスン」の問い合わせです。
 こんな調子でお問い合わせいただきたく、転載させていただきます。
----------------------------------------------------
根石様、

はじめまして。
埼玉県で小学校の教員をしているOと申します。
HPを拝見し、電話でレッスンの申し込みを考えています。

掲示板を見たところ、現在空いている枠が2つあるようです。
なるべく夜(できれば遅く)を希望しているのですが、
それにあった空き枠はあるでしょうか。

よろしくお願いします。



1514 Oさんへお返事 投稿者:根石吉久 投稿日:12月10日(月)03時41分51秒

お問い合わせいただきありがとうございます。
現在の空き枠は二つありますが、二つとも妻の枠です。
月曜と火曜の夜が空いています。
申し訳ありませんが、私の枠は埋まっています。
夜遅いのは、我が家は構いません。
ご希望の時間帯をお教え下さい。

---------------------------------------------
根石吉久
Email  ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL   http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
C phone 090(3316)4180
---------------------------------------------



1518 気になる本 投稿者:ST 投稿日:12月10日(月)14時54分55秒

以前、紹介した本からのまたまた抜粋です。なんかただ人の書いたものを紹介してるだけなんていわれそうだが、「気になる本」なのです。


講談社現代新書bP546 17ページ〜より  大島 保彦著

野村萬斎(若き狂言師にしてマルチ役者)の次の言葉をかみしめてほしい。
「小さいころは個性を否定され、型にはめられることが嫌で、父を恨んだ時期もありました。しかし、お陰で絶対的な自信を持てるだけの技術を身につけられ た。洗練された型の制約があってこそ、その中で工夫や奥行きが生まれるのです。」(朝日新聞2000・5・15)

 英語の勉強は、まず型をしっかり身体で身につけることが出発点にある。それを抜きにして、頭で問題解決法を理解して吐き出すだけでは、やがて英語が忘却 の彼方へと消えていく。

 マスコミなどでは「受験英語は役に立つのか」とか「学校で教える英語は時代遅れか」というタイトルがつけられることが多い。しかし、こういう問題提起を すること自体が責任逃れなのだ。これでは勉強は、まるで他人事。理解しただけで勉強の世界を通過し、きれいさっぱり忘れたことの責任を他人のせいにしてい る。なんて身勝手な問いの立て方だろう。

勉強とは、素材をとおして自分が変身していくことなのに。

正しい問いは次のように立てられなければならない。「役に立つような勉強をしているのか」あるいは「卒業して以来、学校でやったことを役立てるように生き ているのか」というように。



とくに気になったのはこの箇所です。

「勉強=素材をとおして自分が変身していくこと」

これを根石先生は英語を通して実践されている!と感じたのです。



1519 気になる本(2) 投稿者:ST 投稿日:12月10日(月)15時16分13秒

さらに気になる箇所をとりあげます。*以下は講談社現代新書bP546からの抜き書きです。

*学問も芸術も、さらには技術革新も、政治改革も、この爆発的な力の「タメ」があってこそ成り立つということが。前にでてきた野村萬斎の言葉をもう一度、 この文脈で思い出しておこう。

この「タメ」をつくるために今「回転読み」をしているのだと自分に言い聞かせている。

*人間は単純であり強情である。文章なら一つの主張、音楽なら一つの旋律を、相手の心の中へたたき込むためには、広い意味での「繰り返し」が必要なのであ る。

だから「回転読み」が必要になる。

*物事を身につけるときには、人から習った法則よりも「自分で気づく規則性」の方が、はるかに大切〜

これを英語教育で実践されているのが根石先生なのではないでしょうか。

*「覚える」は可逆的な過程だ。反作用として「忘れる」ことが待っている。それに対して「わかった」は不可逆的な過程だ。反意語は存在しない。

学校教育は「覚えさせる」を繰り返していることがあまりに多いのではないか。

*現実世界がもっている無限の色と音と匂いを可能な限り味わいたい。そしてそれを表現したい。そういう根本的な願い、希求の延長線上に、一つの作業とし て、勉強があり、語学学習がある。

根石先生のとらえかたと非常に似ている感じがするのですが。。。「どんでん返し」中の「自分が世界なのだ」あたりはこのことをいっているような気もしま す。


*もっともっと感覚を研ぎ澄ませれば、〜新しい自分が生まれてくる。

「感覚を研ぎ澄ます」ために「復習範囲を手放さない」ということがあるのではないでしょうか?



1520 Oさんへ(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月11日(火)03時13分13秒

 ご希望の時間帯をお知らせいただきありがとうございました。

 火曜日は夜7時25分から10時45分まで、妻のレッスンが埋まっております
が、第2希望の夜11時以降ならお受けできます。

 火曜夜11時から11時30分ということでよろしいでしょうか。

 テキストに映画のシナリオを使用し、電話でのレッスンで「音づくり」を行いま
すので、シナリオを決定する必要があります。
 火曜日にお受けできるシナリオは、「E.T.」「ボディ・ガード」「七年目の
浮気」のどれかになります。
 「E.T.」は、初心者向け、あるいは長いこと英語から離れていた方に使って
いただいています。まったく、英語から離れてしまっていたわけではなく、NHK
の語学番組をやっていた方とか、断続的ながら、英語の練習をやってこられた方に
は、「ボディ・ガード」が向いています。普段から、英語の練習を継続してやって
こられた方には、「七年目の浮気」がいいと思います。

 最初の一冊は、「音づくり」用。
 二冊目か、三冊目に「七年目の浮気」を使い、文法や語法を音に受肉させます。
 普段から、英語をやっておられる方には一冊目に「七年目の浮気」を使っていた
だくこともできます。

 小学校の先生をなさっておられるということですが、このたび「電話でレッスン」
を使っていただくことになったことと、来年から小学校に英語が導入されるように
なることとには関連がありますでしょうか。
 まったく無関係であるのか、自分の英語を「音」の方面で鍛えて、学校の授業に
も反映させたいという意向をお持ちであるのかどうかは、レッスンをやらせていた
だく上で知っておきたいことの一つです。
 文部省というでくのぼうのずうたいが動くことは当分考えられませんので、小学
生に英語をやらせるのであれば、小学校の先生が、自腹を切って自分の英語の音を
作らなければならないような事態は、今後も続くと思います。もしこれに該当する
レッスンでしたら、私どもも心してやらせていただこうと思っています。



1521 Oさんへ(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月11日(火)03時14分03秒

 レッスンは、いわゆる学校英語、受験英語、英会話学校のいずれでもやっていな
い種類のものです。日本の英語の練習にもっとも欠け落ちているものをやっていた
だくことになります。最初は端的に「音づくり」であり、次第に「音」と「意味」
の同致をねらっていきます。「音」と「意味」の同致は、「復習範囲を手放さない」
という原理一つによって実現します。途中で媒介にすべき文法や語法的知識は、私
のホームページ上で、「七年目の浮気」を使って文法解析を公開していきますので、
ご利用下さい。

 お名前は明かしていただく必要はありませんが、レッスンの感想、ご自分の英語
の変化など、どんな小さなことでも結構ですので、私の掲示板「大風呂敷」にご報
告をいただきたいとあらかじめお願いしておきます。
 私どもはこのレッスンによって、生活を成り立たせることの補助にもしているわ
けですが、学校英語、受験英語、英会話学校英語の劣等感養成に風穴をあけてやり
たいという思いもはっきり持っています。英語の練習をわたくしごとにとどめず、
掲示板に変化をご報告いただくことで、私どもが練習者のネットワークを作ってい
くことを助けていただくことができます。
 現在は、妻の空き枠が少し残っていますが、今後このネットワーク作りが進展を
見せてくれるなら、すでにシナリオの2冊目、3冊目を手がけておかれる方に新し
い生徒さんを受けていただくこともお願いしてあります。

 現在、私どもは引っ越しを控えており、なんとか年内に引っ越しを完了したいと
思っています。レッスンは来年、年明けからでよければそうしていただけるとあり
がたく思います。しばらくごたごたしますので。
 12月28日から1月6日までは、普段の仕事は一切中断させていただきます。
 年明けから始められるとすれば、1月8日が初日となります。

 以上です。お返事をお待ちしております。




1524 ST さん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月11日(火)03時31分27秒

本のご紹介ありがとうございます。
「どんでん返し」で「自分が世界なのだ」と書いた覚えがなかったので、びっくりしたのですが、
何ページあたりの記述でしょうか。お教えいただけるとありがたく思います。

「わかる」ということ、理解するということが不可逆的なことだという記述は非常に面白いと思い
ました。不可逆的なので、「智恵の悲しみ」というものもあると思いました。

「電話でレッスン」その他の、「復習範囲を手放さない」は、感覚を研ぎ澄ます作用もあるかもし
れませんが、私は、「発酵過程」という語で考えています。知識として生であるレベルのものが発
酵を続けると、解析や分析によってわかるというのと逆のベクトルの理解が成立するようになりま
す。総合です。私はこのことを「瞬間的鷲掴み」という語で言おうとしてきました。
 解析や分析のによってわかるレベルは意識の表面で行われる作業であり、頭脳が働く分が大きい。
これに対して、総合あるいは「瞬間的鷲掴み」では、内的感覚が大きく働きます。無意識が協同し
ています。
 わかりにくいでしょうか。



1525 よろしければどうぞ 投稿者:代表世話人 投稿日:12月11日(火)10時52分09秒

初めて書き込みます。
 皆さん、とても熱心で真面目なので驚きました。松本先生のことをとても
興味をもって見ているのですね。へんなこと書いている人も、純粋だからそ
のような書きぶりになってしまうのでしょう。
 私は先生公認英語道場(東京)の代表世話人をしています中島といいます。
さて、このスレッドでは松本先生の説かれる方法を検証しているようですが、
英語道場をやっている私たちとしましては、いいか悪いかを考えながらやっ
たりはしていません。むしろすべていいとこどりです。何しろ斬れる英語
(communicativeな英語)、実践主義、内容のある英語、をモットーとして
いますので、実践あるのみです。私たちは松本先生のような超人ではないの
で、できることとできないことがあることをよく心得ていまして、また難し
いものは易しく理解し、実践可能な形にしてやっています。
 ディベートでも即興スピーチでも、英検1級以上でないとできない、と思
っている方がいるようですが、とんでもないです。特に即興スピーチなど、
英語が問題なのではなく、内容が問題なのですから、高校1年レベルでもス
ピーチはできます。完璧主義的に「内容とは」と考えると、なおさら知的
レベルが高くないと話せない、と思ってしまう人も多いようですが。
 英語道場は楽しいところです。つらく苦しい英語の訓練も、仲間がいれば
楽しいものです。互いが「先生」であり「生徒」であり「ライバル」でもあ
り、「失敗大歓迎」の雰囲気ですから、励まし合い切磋琢磨しあうことがで
きます。これはみな、英語道の精神から来るものです。それにいろいろな
立場から問題を考えるので(discussion, debate, role-play, why-because
game)、決して「自己中」にはなりません。本来、そういった性格の人もあ
まりいません。英語道は「柔軟性」が特徴ともいえますから。
 ここに書いただけでは状況が把握できないでしょうけれど、論より証拠
で見学においでください。
 HPもできたばかりですので、もしよければ見てください。

http://203.174.72.113/dojo2001/



1527 映画のレッスン:現在の状況 投稿者:Yasu 投稿日:12月12日(水)00時27分56秒


読み方は具体的に教えてもらっているので,練習も以前よりは英語らしく言えているような気がする。自分で読み込んだ文章は,小さい声でぼそぼそしゃべって いて絶対聞き取れないと思っていた登場人物のせりふも少し聞こえるというか理解できる。文を覚えてるので当然かとも思うが,少しうれしい。英会話学校も 通っていたが,中途解約。どんなものかためしに入ってみたもののあまり効果は無し。ある程度しゃべれる人が会話を忘れないために行くことのみにしか存在価 値はないと思う。



1528 遅くなりました 投稿者:田中荘 投稿日:12月12日(水)07時42分04秒

村田さん久し振りっす!
定期的に見れなくて、書きっ放しで、
あと、此処うちと違って盛ってて、
書き込みがあっという間に消えてましたが、
やっと返信です。

アリスおもしろそうですねぇ、
どんなんですか??
非常に申し訳なくてこんなとこでは云い難いんですが、
ワタクシの英語は腐ってしまっています。
いや、
常に焦って、やり直したいと思ってはいるんですが・・・
新年からTIMEの購読でもしようかなんて思ってみたりもしたりしなかったり、
そんな状況です。
よかったら打ちのHPにも来てみてください、
今は全然コンテンツというか、
HP自体に内容が無いんですが、
暇が出来たら、
宇宙、
脳、
あと、
自分の受験記みたいな事を書こうなんて思ったりしています。
いや、
絶対実行しようとは思ってんですがねぇ・・・
でもいつになることやら・・・
そしたら此処にもリンクとか貼っちゃったりしちゃったりしようかなんて思ったりしたり、
そんな今日この頃、
今も学校の宿題でA4二枚くらいの英文の全訳してんですが、
何時間かかってんだかって感じで困っています・・・
あぁ、
無常・・・・、

では又来ます。

あ、
それとマスマティカは計算ソフトの名前のようです。
fortranとかcと違って、
フツーに使う計算式と大分近い形で、
手におえないものまで、
色々やってくれるみたいなモノ、
みたいです。



1531 海賊行為のお詫び 投稿者:中島邦明 投稿日:12月14日(金)09時57分32秒


 初めて書き込みます。英語道場の代表世話人をしている中島と申します。
 私は「代表世話人」という名前で「よろしければどうぞ」のコメントを書い
た本人です。あのコメントは2チャンネル「それでも松本道弘が好き」という
スレッドに書き込んだものです。
 そうです、誰かがそのコメントをこちらに無断で転載したのです。
 そのため、コメントの内容が的はずれであり、皆さんにご迷惑をおかけしま
した。
 こうした海賊的行為をした人は、素直に申し出てほしいですね。
 しかし英語道場もHPを作成し、公になったため、こうした問題が出てきたん
でしょう。公共性に海賊行為は避けられないリスクでしょうか。

 さて、もうそのことはおいといて、このサイトを知ったのは、実はその無断
転載コメントを読んで、浜谷さんという方が英語道場HPに書き込みをしていた
だいたからです。
 英語関係のサイトはごまんとありますが、この素読舎は正直言って、私とし
てはとても素晴らしいと思います。とくに「XX語でなる文」などの例文ですね。
あれはリズムも覚えられて、「そうか、こんなのがあったのか」を目から鱗が落
ちる思いでした。
 私たちは松本先生の訓練方法にもとづいて自主的に英語を学んでいるのです
が、松本方法(という確立したものはまったくありませんが、あえて言えば)
には具体的な細かい方法はあまり説いていないのです。何しろ「実践」と「固
定は死」で「皆が先生」という考えを持っているため、私なりに勝手に解釈す
ると、「なんでもあり」なのです。良いところはどんどん取り入れればいいので
す。英語もバランスが必要ですから、井の中の蛙になってはいけないと思います。
 ということで、ここでもたくさん学ばせていただいています。
 英語道場については、ニセ代表世話人のところでも書いていましたが、そこ
のURLにアクセスしてください。
 今後ともよろしくお願いします。

http://203.174.72.113/dojo2001/



1533 Yasu 様 投稿者:根石吉久 投稿日:12月15日(土)00時55分11秒

 経過報告ありがとうございます。このように、レッスンによって生じる変化をご報告
いただくのが、私にとっては最大の励みになります。
 英語を聴きとることには、非常に単純な原理が成立すると考えてきました。

 「知っているものは聴きとれる。知らないものは聴きとれない。」

 決まり文句のように丸ごとを知っているものは、瞬間的に聴き取りが成立するように
なりますが、すでに知っている要素ばかりでできているが、その文自体は初めて出会う
というものが聴き取れるようになると、ちょっとした快感があります。
 英会話学校は解約されることを私がおすすめしたと思いますが、解約されて正解だと
思います。よほど、明確に方法を打ち出せているところ以外は、ただ金をドブに捨てる
ような結果に終わります。そんな例が多すぎます。私の生徒さんにも、かつて英会話学
校に通って何も得るものがなく、何十万円も使ってしまったという方がおられます。そ
の話を始めると、その生徒さんは、興奮して、「金返せー」と叫んだりします。

 とてもうれしい報告でした。今後ともよろしくお願いいたします。



1534 田中荘へ 投稿者:根石吉久 投稿日:12月15日(土)01時03分19秒

 英語を錆び付かせたら、俺は腹を立てるからな。

 あんたは、長野南高校から名古屋大学工学部へ合格するという前代未聞の快挙をなし
とげた男だが、俺はそんなことより、大学以後に生き残れる酵母を仕込んでおいた英語
を錆びつかせかけていることが悲しい。
 あんたが錆びつかせている英語は、信学会あたりの知識英語じゃねえんだぞ。
 ちゃんと「音づくり」を経た英語なんだぞ。

 バイトをして、月一万円は「電話でレッスン」に使うべし。
 村田君の「不思議の国のアリス」はいいレッスンになると思う。
 俺のレッスンは、現在空き枠がないが、来年の春に新しい枠を設置するかもしれない。
 我が家では、現在は、妻の枠があと一つだけある。

 焦ったってどうなるものでもない。
 着手せよ。



1535 中島様 投稿者:根石吉久 投稿日:12月15日(土)01時23分21秒

 書き込みありがとうございました。
 そうですか。最初のものが、なんかとんちんかんな感じがあったので、松本道弘論
をやんなくちゃならんか、気が重いなと思っていたのでした。ただいま、引っ越しの
最中のため、気が重いなと思っていました。
 この掲示板でも、松本道弘に触れた記事は過去にいくつかあったと思います。私も
「磁場」の問題にからめて書いた覚えがあります。現在、記事番号を明らかにする時
間がとれませんが、過去ログを探っていただけると有り難く存じます。

 海賊さんが一人いたために、中島さんが登場してくださったので、私としては、海
賊さんに感謝したいところですが、海賊をやるときは、自分が海賊であることを断っ
て欲しいと思いました。
 海賊さん、めっ、です。

 この場をお借りして。
 浜谷さん、英語道場への書き込みありがとうございました。感謝いたします。

 英語の文の語数別分類は現在ストップしておりますが、いずれ気長になりたいと思
っています。道場で利用できるようでしたら、どうぞご利用下さい。
 語数別分類について言及していただいたのは、掲示板では初めてです。うれしく思
いました。

 日本在住のまま、英語を「話す・聴く」の能力を獲得したところが、松本道弘の最
大の意味だと思います。商社に勤めて、仕事で英語を日常的に使うというポジション
が大きく作用しているとは思いますが、それでも、仕事の定型文以外に自在さを広げ
ていくことはなまじなことではないことを私はよく承知しているつもりです。
 「日本在住のまま」というところが、私の語学論においても、眼目です。
 アメリカ等、英語の磁場において英語の駆使能力を身につけた場合、どう少なくみ
つもっても、その能力の半分以上は、磁場そのものが支え育てたものだと考えていま
す。
 独断を申し上げれば以下の如くです。
 「世界で一番偉い英語は、日本で作った英語である。なぜなら、世界で一番不利な
場所で作った英語だからだ。」

 現在は独断を独断として断言するだけにとどめます。根拠を言えと言われれば、言
えると思っています。

 是非またこの掲示板にご登場下さい。



1537 「電話でレッスン」のお問い合わせへのご返事 投稿者:根石吉久 投稿日:12月15日(土)01時35分16秒

Oさんから、お問い合わせいただき、返事を書きましたので、転載いたします。
「電話でレッスン」のお問い合わせや申し込みに対しては、こんな調子でことが運びます、という
見本です。
----------------------------------------------------

 お返事が遅れまして申し訳ありません。
 現在、引っ越しの最中で、新しい家の方に寝泊まりしており、今日は、ようやく借家に
戻り、コンピュータに電源を入れました。軽トラック一台で何回にもわけて、何日もかけ
て引っ越しをしています。薪ストープを焚くので、薪の引っ越しがあり、生活のために荷
物の他に、塾の引っ越しもあり、なかなか大変です。今月中になんとか完了させようと思
っております。

 お返事が遅れることがあっても、必ずお返事はいたしますので、悪しからずご了承くだ
さい。

> テキストの件ですが、「ボディ・ガード」が良いかと思っています。

 ひとまず、「ボディ・ガード」で始めてみて下さい。
 まだ時間がありますので、テキストを書店から入手なさっておいて下さるようにお願い
いたします。出版社は、スクリーン・プレイ社です。

> また、開始日のことですが、1月8日(火)からで構いません。

 1月8日、妻がそちらの電話を2,3回鳴らし、いったん電話を切ります。
 そちらから、こちらにお電話をいただくことで、レッスンが開始になります。
 その場合に使用するこちらの電話番号は、

 026−272−4330

 です。また、NTT回線をお使いでしたら、「しゃべりっち」などのサービスを使われ
ることを是非お薦めします。二つ登録できるうちの一つに上の番号を登録していただくこ
とで、料金が40パーセント割引になります。

 仕事とレッスンの関係についてお書きいただきありがとうございました。
 参考にさせていただきます。
 このレッスンは、シンタックス獲得と獲得したシンタックスに錆を寄せないことが主眼
です。発音に関しては、妻が直す場合もあると思いますが、途中から映画のビデオで役者
たちの発音を媒介にしていただくことができるのが、シナリオを使ったレッスンの利点で
す。また、語学用に整えられた文でないことも、基礎をお持ちの方にはかえっていいと思
います。

 レッスンが始まる前までにやっておいていただくことは、ビデオを通してみておいてい
ただくことくらいです。初めてやる文について、語学的標準形の読みを作れる方であると
思いますので、テキストを読んで口慣らしをしておいていただいてもかまいません。



1538 (続き) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月15日(土)01時36分04秒

> そういったことを考えたときに、今まで多少なりとも英語をやって
> きた中で、自分に足りないものは何だろうと考えたときに、
> 「英語どんでんがえしのやっつけ方」や素読舎のHPを読んで、
> そこに書かかれていたことだと思ったわけです。

 「英語どんでん・・・」、HPをお読みいただきありがとうございます。
 それらのどのあたりの記述をお読みになって、レッスンを受けてみようとお思いになっ
たのか、具体的にお教えいただけると有り難く存じます。

> 結論としては、「関係は少なからずある」という方向で捉えていただいて
> 結構です。

 心してやらせていただきます。

> ちなみにご存じかと思いますが、正確に言うと、来年度から
> 小学校に英語(という教科)が導入されるわけではありません。
> 「総合的な学習の時間」の中の国際理解教育の一環として
> 外国語会話などを取り扱うことができるといったレベルです。

 教科として導入されるわけでないことは承知しておりましたが、英語を扱う学校がけっ
こう多くあるんじゃないかというような噂を聞いておりました。何の準備も整っていない
のに、どうやってやるんだろうとも思っておりました。

> 一部マスコミの報道では、多くの学校で英語が取り入れられるかの
> ように言われていますが、私の知る限り来年度から国際理解教育
> の一環として英語学習に本格的に取り組むという学校は、
> あまり多くない(というかほとんどない)のではないかと思います。

 「音づくり」の方法を知らない先生が、小学生に英語のてほどきなどして、変な癖をつ
けちゃうと困るなと思っておりました。かえってやらないでもらった方が、中学生の塾生
を持つようになる私としては助かるんだがと思っていたのでした。本格的に取り組むとこ
ろが少ないというのは、私にとっては good news です。

 やるんなら、現在の小学校の先生の再訓練が絶対に必要なはずだと思っておりました。



1541 酒井さん 投稿者:パクパク 投稿日:12月17日(月)13時27分44秒

下記転載
ベクトルのながれを変える。
いままで、コトバからイメージへ。
これから、イメージからコトバへ。

このベクトルの形成のために
何をするか?
とくに、英語の磁場のない日本において
何をするか?

*ここでの結論
 で、ちょっと先走りして、じゃどうするの、っていう
方向だけ書いておくと、要するに英語を(別に
フランス語でもズールー語でもいいんだけど)
状況と共にいっぱい体の中にためこもうと・・・
その際日本語はできるだけ排除すると・・・

ぼくの授業の学生が言った至言「訳せないけど、
分かる」というのを、眼からも耳からも積み上げて
いこうというわけです。

先走りたい人はぜひぼくのすすめる多読の原点

http://www.seg.co.jp/sss/

をのぞいてみてください。



1542 お願い 投稿者:中島邦明 投稿日:12月17日(月)20時54分25秒

 根石さん、海賊行為の件ですが、以下の文章(またはその一部)を英語道場のHP掲示板に転載してよろしいでしょうか。海賊がうちの掲示板を見ていたら、 あのおかげで大変な誤解を生むところだったことを知らしめたいのです。
 「書き込みありがとうございました。
 そうですか。最初のものが、なんかとんちんかんな感じがあったので、松本道弘論をやんなくちゃならんか、気が重いなと思っていたのでした。ただいま、 引っ越しの最中のため、気が重いなと思っていました。
 この掲示板でも、松本道弘に触れた記事は過去にいくつかあったと思います。私も「磁場」の問題にからめて書いた覚えがあります。現在、記事番号を明らか にする時間がとれませんが、過去ログを探っていただけると有り難く存じます。
 海賊さんが一人いたために、中島さんが登場してくださったので、私としては、海賊さんに感謝したいところですが、海賊をやるときは、自分が海賊であるこ とを断って欲しいと思いました。
 海賊さん、めっ、です。」

 さて、こちらのサイトをいろいろ見させていただいていますが(まだ全部は拝見できていませんが)、一つの家を構え守っていくのは非常に大変ですね(特に 信学社とか)。私たちなんかただの有志団体で(ましてや松本先生でもないので)その点ずっと気楽ですが、2チャンネルの「それでも松本道弘が好き2」に飛 び込んでいったら、滅多刺しです。何せ脅しあり、相手は根拠なし言いたい放題ですからね。それにHP をいたずらされたり悪さをされたりする恐れがあるため、強く出られません。もとよりこちらは正体を明かしていますが、あちらは複数で匿名ですから、最初か ら同じ土俵で相撲を取ってはいません。まあそれを承知で入ったのですが。
 世の中、コミュニケーションの基本ルールさえ守られない場所があるのが、よく理解できました。あの手この手で言い方を変えて、相手とコミュニケーション を試みようとしましたが、言葉をいくら尽くしてもだめなものはだめ。世の中広いですね。ほんと、疲れます。

http://203.174.72.113/dojo2001/



1543 ゴーストについて 投稿者:Yasu 投稿日:12月21日(金)16時43分54秒

ゴーストのシナリオについて根石先生にお尋ねします。
10ページのWhere'd you get those?(どこで買った?)
     What'd the doctor say?(医者は何だって?)
は共にwouldがありますが、どういう意味にとったら良いでしょうか?
それと14ページのSaved your life.は主語のIが抜けたと考えていい
ですか?これは助けたということを強く言いたいときにこういう言い方
をよくするんですか?



1544 Yasu 様 投稿者:根石吉久 投稿日:12月21日(金)18時18分19秒

Where'd you get those?(どこで買った?)
What'd the doctor say?(医者は何だって?)

これはどちらも、 where would, what would の短縮形ではなく、
where did, what did の短縮形です。過去時制の疑問文を作る did です。

Saved your life. は I が抜けた形と考えていただいていいと思います。助けたぞ、と強く
言いたいためというのではなく、主語を言わなくても状況から主語が何であるかが明白である
ために省略される現象だと思います。しゃべり言葉によく見られる現象です。



1545 中島さん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月21日(金)18時49分09秒

お返事が遅れ、申し訳ありません。
この掲示板の私の記事は、転載していただいて構いません。
転載していただいた場合は、転載元(この掲示板)URLを明記していただけたらと思います。

よろしくお願いします。

近頃、日本の英語学習にもっとも欠けているのは、「偽物の自覚」だと思っております。
「本物」を目指すことをいくらやっても、「偽物」が本物になるはずはない。生活言語に
対して偽物であることこそが、語学の本質なのだから。
偽物が本物の世界に渡るということは可能だと思っています。そこには、「渡る」という
行為があります。そのことで、言語の質をまるで変えてしまうということはありえます。
つまり、語学の言語から生活言語に渡ってしまうということです。

生活過程で生活言語として受け取られれば、それは生活言語です。
それは、もはや語学の言語ではありません。まったく別の世界に属しています。

この「渡る」という行為以前は、すべて偽物の世界です。すなわち語学の言語の
世界です。この偽の世界には、偽の世界固有の法則があり、それは生活言語に働
く法則と切れた独立した領域です。

語学の偽であるという本質の自覚が、語学をやる多くの人に弱い。
みんな本物にあこがれるだけで、自分のやっている言語が「似せもの」であるこ
とをしっかりと抱きとめる人がほとんどいない。
これは、じつは重大問題だと思っています。

 「偽物」であるということで、私は価値の上下を言いたいのではありません。
 語学の言語は、生活言語を「似せる」のですから、「似せもの」だと言いたい。
 そのことによって、むしろ、生活言語から独立した語学特有の領域を確保した
いのです。あるいは、語学に固有の法則をとりだすために、この「似せもの」の
自覚は不可欠なものだとさえ考えています。

 そんなこと当然じゃないかと言われて片づけられがちな問題ですが、そんなふう
に簡単に片づけてしまう人と話をしてみると、まるで当然でもなんでもない。生活
言語と語学の言語が地続きであるという幻想にとらわれたままであることがわかっ
たりします。非常に優秀な学校の先生でさえそうです。

 語学の醍醐味は、「偽物」と「本物」の世界を往来することです。しかも、自在
に往来することです。本物にあこがれつづけて、いつか本物になろうなどと幻想す
ることとは違うと思っております。
 生活言語と語学の言語とは生と死ほどに違うのだという私の基本認識は、なかな
か人に理解してもらえません。この莫大な距離を測り間違えるから、英語のまわり
には妄説がうずまいているのだとしか私には思えないのですが。

 このあたりの問題に、松本道弘を介在させれば、何かが言えるだろうと思ってい
ますが、今は時間がとれません。

 またおいでください。



1546 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月22日(土)00時45分03秒

>いままで、コトバからイメージへ。
>これから、イメージからコトバへ。

 これがやっかいです。語学では、コトバからイメージへというベクトルも、イメージか
らコトバへというベクトルも共に必要です。「いままでは・・・、これからは・・・」と
いう問題ではないと思いました。
 読む場合、あるいは聴く場合では、やはり「コトバからイメージへ」であり、書く場合、
あるいは話す場合では、「イメージからコトバへ」というベクトルが必要です。
 また、イメージというものも多くはコトバが養うものなので、コトバからイメージへ、
というベクトルも本質的なものです。

>とくに、英語の磁場のない日本において
>何をするか?

 これが本当の問題だと思います。英語の磁場がないということは、イメージや意味が絶
えず希薄化するということです。言葉は、語学という仮の場でしか動かないので、切実さ
が伴わない。生の利害関係や感情のぶつかりあいの中にいるのではなく、語学という仮の
場ではイメージも意味も希薄化します。この自覚をはっきりさせると、それは「似せもの」の自覚になると考え始めました。

>状況と共にいっぱい体の中にためこもうと・・・
>その際日本語はできるだけ排除すると・・・

 日本語を排除するという語の使用がなじめません。英語をじかに感じられるように、イ
メージを強く意識するとか、理解に日本語を介在させないように努めるという言い方なら
よくわかるのですが・・・。この人の日本語の使用法に違和感が残ります。
 「状況と共に」といったところで、語学での「状況」とは、あくまでも「仮の状況」で
あることの自覚がこの人にはほとんどない。こんな言い方が平気で通用してしまうなら、
本物の状況(磁場における抜き差しならない現実)のことをこの人は何と呼ぶつもりなの
か。限定語句を置かずに「状況」と言う場合は、それは現実の状況のことであって、語学
における文が暗示する状況は、あくまで「仮の状況」でしかない。日本語が実におろそか
に使われていると思いました。酒井という人の文かと思いますが、頭のはっきりしないや
つです。

>ぼくの授業の学生が言った至言「訳せないけど、
>分かる」というのを、眼からも耳からも積み上げて
>いこうというわけです。

 学生の言葉はよくわかります。先生の言葉がわからない。「眼からも耳からも積み上げ
ていこう」というのは、多分、「活字を媒介にする練習でも、音を媒介にする練習でも、
どんどんインプット量を増やしていこう」という程度のことを言っているのだと思います。
「眼から(〜を)積み上げていく」というようなものは、英語をやりすぎて日本語が雑に
なった見本と思いました。こんな日本語を使うやつはあんまり信用できないとも思いまし
た。相変わらずこの程度の日本語使いが、英語(教育)の回りでは大手を振っているので
す。あんた、今、日本にいるんだろう?日本語をちゃんと使えよ、と言いたくなりました。



1548 アメリカ的スピード 投稿者:ST 投稿日:12月22日(土)11時19分45秒

>アメリカ的スピードは、もういいかげんいやになりました。

私もこころから今、いやだと感じています。




1551 素読社 根石吉久 様 投稿者:V i z 投稿日:12月23日(日)10時57分41秒

>めったやたらにちゃぶ台をひっくり返しているわけではありません。

は、はい。そう思いますけれども、根石さんのHPの扉が(笑)。

今回のお話は、青年、根石さんが何故、文学部を英語を選んでいかれたかという「素読舎以前」の導入部だったのですが、い い意味で破天荒そのものの根石さんの勢いのある文章、面白く
拝見しました。

おっしゃるように、時間や労力を費やする割りに役にたたないと定評(笑)の日本人の英語ですが、私は、赤ん坊が言葉を覚 えていく過程と同じように、言語を身につける過程で「聞く→
言う→見る→書く」という鉄則は守られるべきだと思います。

意味はもちろんですが、発音の分からない単語のスペルを覚えることは無駄が多いと感じていたのですが、先日から根石さん の「コンピュータ活用英単語『回転書き』」を読ませていただ
いて、「イメージを保持しながら、言いながら、書く」、これをパソコンでキーを打ちながら覚えていく方法、まさに体験に 基づいた合理的な方法だと思いました。

それから、ポッタリアンというのは、一世風靡しているハリー・ポッター愛好家のことのようです。私は、ちょこっと興味があ るので読み始めたばかりという段階なので未満でした。^o^;

そこで第一巻のサブタイトルがイギリス版とアメリカ版で違うことに気がついたので、ある人に理由を聞いたのですが、 その方が調べて下さったところによると、「イギリス版では『賢者の石』は Philosopher's Stoneです が、Philosopher と聞くとアメリカ人は『哲学者』を連想する らしいので『魔法使い』という Sorcerer にしたそうです。」 ということでした。私としては、哲学者=賢者のほうが違和感
がなくて、逆に Sourcerer って何?だったのですが、それを教えてくれて、「コレ、塾で教材にしたいな」とおっしゃるの は、なんと根石さんの教え子でもあり、現在、奈良で塾講師をしておられる nobu さんなのです。

その nobu さん、根石さんのことを「言いたい放題やネ、このオヤジ!でも言いたい事はむっちゃ解る!」と言い放ったこと は、根石さんのHPで初めて知った事実ですが。

大丈夫なんでしょうか?私、こんなこと書いて・・・。^o^;
http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/



1552 Viz 様 投稿者:根石吉久 投稿日:12月24日(月)01時23分37秒

 いらっしゃいませ。

>「聞く→言う→見る→書く」という鉄則は守られるべきだと思います。

 小学生や中学生はこの鉄則を守るのが、もっとも効果がある年齢層だと考えています。
一方、口の筋肉が日本語で固まってしまっている人の場合、あるいは、耳が日本語音でしか働かな
い傾向が強い人の場合、(ともに、日本で成人した、あるいは中年になった人に多いです)最初に
ネイティヴの音を聴き、それを言おうとしても、耳も口も思うように働かなかったり、動かないと
いう例がほとんどです。
 この場合には、日本人のコーチがいるのが最上の練習になるだろうと考えています。
 あるいは、コーチは不可欠ではないかとも思います。
 そして、最初の二つの項目の順序は逆転させるべきだとも考えています。

 コーチの英語の音は鍛えた音であるべきですが、コーチが舌の位置はどこか、唇の形はどうか、
息の使い方はこんな感じというように、生徒に何度か言わせる途中で、問題点に即応しうるなら、

耳→口

の順序は

口→耳

として、逆転させた方がいい場合の方が多いと考えています。
 とりわけ、リズム面で、自分の口がよく動くようにしてからネイティヴの音を聴いてみると、聴
こえてくるということがよくあります。私のやっている「電話でレッスン」での、生徒さんの側の
最初の楽しみはそれです。

 ネイティヴ言語の獲得過程と順序が同じであるのが、もっとも語学としても素直な順序です。
これが難行苦行にならない年齢層というものが確かにあります。その人たちにはこの順序が向いて
います。しかし、多くのいわゆる「やり直し英語」の方には、この順序は福音とはなりません。
また、語学がネイティヴ言語の獲得がたどる過程(順序)をなぞらなければならないという根拠は
まるでありません。

 このあたりは、ネイティヴ言語の獲得と語学の言語の獲得とはその内実がまるで別のものであ
るという私の基本的な認識から出てくる考えです。ネイティヴ言語と語学の言語では、内実が異
なることに関しては、この掲示板でも何度か書いております。お暇なときに、過去ログをのぞい
ていただけると有り難く存じます。

 手短に言うと、「聞く→言う→見る→書く」が適しているのは、年齢が低い場合と音楽的なセン
スがいい大人ではないかと思っています。また、英語の磁場にいる場合は、大人でもこの順序がも
っとも上達が早いと思います。

 私は、語学をやるのに、語学的センスや音楽的センスなどを要求されたら、多くの日本の大人た
ちは半分以上入り口を閉ざされたように感じるのではないかとも思います。私の方法はやたら間口
が広いのです。熱心でありさえすれば、多少時間は余計にかかりますが、特に語学的なセンスのい
い方でなくても、年齢の高い方でも途中からどんどん上達します。はっきりと上達が見えたあたり
から、(聞く→言う→見る→書く)のネイティヴ言語の獲得順序に戻るのでいいと思っています。
 つまり、「前段階」というものが必要だということです。
 この「前段階」は「口→耳(言う→聞く)」という逆転を必要としているということです。

 語学での言語の獲得過程が、ネイティヴ言語の獲得過程(聞く→言う→見る→書く)と同じであ
るのは理想的ですが、私の生徒には四十歳から本気になって英語を始めたような方もおられ、こう
いう人の場合には、ネイティヴ言語の獲得過程(順序)の最初の二つは絶対に逆転させた方がいい
と思っています。

 「コンピュータ活用英単語『回転書き』」のページをお読みいただきありがとうございました。
 ご感想をいただきうれしく思っています。
 もし試してみられるようなことがありましたら、練習しての感想をお聞きできればとも思ってい
ます。

 では。
 是非またおいで下さい。




1557 知恵市場より転載 投稿者:パクパク 投稿日:12月25日(火)09時35分10秒

最終的な狙いは「正しい英語の学習法が日本中に広まる」ということなんですが、
そのやり方として、
 (1)ちゃんと英語のできる人を出す
 (2)楽しくやる
 (3)なるべく小さくやる
 (4)必要がなくなったらやめられるようにしておく
というようにしたいと思っています。

なんかすごく及び腰のように見えるかもしれないけど、ある意味実際そう。まず
極端な話、学校の英語教育が正しい方向に変わってしまえばこんなビジネスは必
要なくなるはずですよね。また、触れている人がいたような気がするけど、どう
いう本を読んだらよいか指導するだけだったらできる人たちはたくさんいると思
います。もちろん、日本語でも「よりよく使う」教育があるくらいだから、英語
でもそういうニーズは残ると思うけど、それがやりたいわけじゃない。だから、
このビジネスがなくなっても困らないようにやっていきたい。

と同時になるべく早く広めたい、というのがあります。たとえばビジネス・パー
スンを見ていると、英語ができるかどうかでキャリアの幅を狭められている人が
けっこういる。あんなに勉強してきたのに。テロの話でも、国際的に日本人の存
在感が薄いと言われるけど、英語の力の問題は無縁ではないでしょう。だから早
くやりたい。でも必要がなくなったらやめられるように、ということと両立した
い、つまり自分たちがまだ小さくしか活動していないうちに多くの人(売る人も
買う人も)が気がつき始めて広まるといい、と思っています。でももちろん、貢
献はしたいんですよ。その場合、細かい違いにはこだわっていません。酒井さん
と同じように「英語を浴びる」方法を採用する人がどんどん出ればいいんじゃな
いか。今の受験英語の方法とはいずれにしても大きく違いますからね。

で、上のように「かせぐため」にやっていないこともあり、楽しくやりたい。た
とえば英語学校や学校の門をたたきまくって断られながら切り開いていく、とい
うのは楽しくない。たくさん固定費かけて「これをカバーできるかなー」と心配
しながら進めるのも楽しくない。特許だとか商標だとかで戦うのもできれば避け
たい。逆に、今回教室で見ていても思ったんですが、人が何かを学んでいる場に
立ち会うのって楽しいですね。「英語に対する感覚がだいぶ変わってきた」と言
われるのも。これで本当にできるようになった、という人が次々と出てきたら、
すごくうれしいだろう。

そんなふうに考えています。



1558 同感出来ることが沢山あります。 投稿者:浜谷 投稿日:12月26日(水)00時23分26秒

バクバクさん、

「知恵市場」ってなんでしょうか? そういうサイトがあるのでしたら教えてください。

同感できることが沢山盛られています。

その@ 「最終的な狙いは「正しい英語の学習法が日本中に広まる」ということなんですが、そのやり方として、(1)ちゃんと英語のできる人を出す(2)楽 しくやる」 ですが、(3)と(4)が分かりません。

そのA 「どういう本を読んだらよいか指導するだけだったらできる人たちはたくさんいると思
います。」 賛成です。 私の下記リンクのHPにそういう人たちへのそういう機関の立ち上げを呼びかけさせていただいています。

そのB 「・・・と同時になるべく早く広めたい、というのがあります。たとえばビジネス・パー
スンを見ていると、英語ができるかどうかでキャリアの幅を狭められている人がけっこういる。あんなに勉強してきたのに。テロの話でも、国際的に日本人の存 在感が薄いと言われるけど、英語の力の問題は無縁ではないでしょう。」 同感です。 インターネットを通じそのようにみんなに呼びかければ何とかならない ものでしょうか?

そのC 「細かい違いにはこだわっていません。酒井さんと同じように「英語を浴びる」方法を採用する人がどんどん出ればいいんじゃないか。今の受験英語の 方法とはいずれにしても大きく違いますからね。」 同感です。 そしてここのHPの運営者の根石さんのように「音」から「英語を浴びる」方法(酒井さんの は語彙と構文の多読によるインプット面でのそれ)

最後に二つ質問させてください。
その@ 冒頭の質問にも関連しますが、「今回教室で見ていても思ったんですが、・・・」は何のことでしょうか?
そのA 「・・・でも必要がなくなったらやめられるように、ということと両立したい、つまり自分たちがまだ小さくしか活動していないうちに多くの人(売る 人も買う人も)が気がつき始めて広まるといい、と思っています。」 とはどういうことでしょうか?

他にもお聞きしたいことがあるのですが、上記の投稿者欄をクリックしてメールでご連絡願えたら嬉しいんですが・・・。




1559 浜谷さんこんにちは。 投稿者:パクパク 投稿日:12月26日(水)09時43分00秒

ここは、管理主が、酒井さんと
喧嘩しているところですが、
酒井さんが、いま、日本の英語教育を
変えようとしています。
それで、予備校で有名なところ(古川さん)とくみ、
また、知恵市場という、あたらしいメルマガ
システムを採用しています。
以下、酒井さんのメルマガより、転載。

一言で言えば、授業を多読とシャドウイングだけで
運営しているところがこれまでの Extensive Reading
と大きく違うところです。そこがSSSのやり方の独自な
点でしょう。

これまで古川があたれる限りのE.R.実践者と接触して
きましたが、授業をE.R.だけで運営している人は
いません。(ベニコさんも含めて)どの人も多読を
教室外の活動として推進されています。

これで答えになりましたか?



1561 もっと大きなレベルで 投稿者:浜谷 投稿日:12月27日(木)00時37分40秒

>ばくばくさん

>ここは、管理主が、酒井さんと
喧嘩しているところですが、
酒井さんが、いま、日本の英語教育を
変えようとしています。

「喧嘩している」ってそういう言い方はしないようにしません? 酒井さんが日本の英語教育に批判的なのは根石さんと同じなのですよ。 酒井さんが大学の授 業で実践されているのは大いに評価できますが、根石さんが塾で実践されているのとどれほどの違いがあるのでしょう? もっと大きなレベルで考えませんか?

もう一つの質問の方、出来ましたらご回答ねがえませんでしょうか? 下記の質問です。

そのA 「・・・でも必要がなくなったらやめられるように、ということと両立したい、つまり自分たちがまだ小さくしか活動していないうちに多くの人(売る 人も買う人も)が気がつき始めて広まるといい、と思っています。」 とはどういうことでしょうか

基本的にばくばく様のご意見には同感です。 ぜひ掲示板外でお話したいのですが・・・。



1562 浜谷さんへ 投稿者:パクパク 投稿日:12月27日(木)09時30分18秒

ここの管理主は、酒井さんをけして高く評価していないとおもいます。
酒井さんは、実践する人ですから、SSS式をいま広めようとしています。
このSSS式のプロモーターの人たちは、さまざまな戦略を考え、
マーケティング(金の取り方、商売)を実行しています。
物事を広めるには、時間と金(広告宣伝など)がかかります。
現在のところは、費用をかけず小さく行こうということでしょう。
12回の講義で、参加費5万円をあつめています。
売り文句は、3ヶ月で、ハリーポッターが読めるです。



1563 これからの英語学習法 投稿者:パクパク 投稿日:12月27日(木)15時42分39秒

従来型
 ガソリンを毎日、買っているようなもの。
 ガソリンを毎日、買っても、エンジンはできない。

これからの方式
 英語学習のまえに、エンジンをつくる。
 この英語エンジンをつくる期間は、4日間とする。
 あとは、このエンジンに、ガソリンを食わせ、慣らし運転をする。
 英語のエンジンは、サウンド&シンタックス S&S。



1564 手を携えて 投稿者:浜谷 投稿日:12月27日(木)23時29分48秒

バクバクさん、

>12回の講義で、参加費5万円をあつめています。
売り文句は、3ヶ月で、ハリーポッターが読めるです。

graded readersから入ることを奨めているのがSSS学習法ですよね。3ケ月でハリーポッターが読めるようになるなんてことあるんですか?

>英語学習のまえに、エンジンをつくる。

エンジンをつくる方法が多読だけということはないと思います。
現にSSS学習法でもシャドーリーディングを多読と平行して学習法
の柱にしていますね。 シャドーリーディングは根石さんが奨めて
いる「音」から入る学習法だと思います。 だからSSS学習法と根石
式学習法を折衷すれば、素晴らしい学習法になると心底思っています。

日本の英語教育が何時までたっても良くならないのは、百家争鳴である
こともあるのではないでしょうか? 「国際的に日本人の存
在感が薄いと言われるけど、英語の力の問題は無縁ではないでしょう。だから早
くやりたい。」と仰っておられますね。SSS式を固執していては仰っている目的
を達成することが出来るとは私は思いません。ここは小を捨てて大につくことが
必要なのではないでしょうか? 折角文部科学省批判で一致しているのですから
酒井さんと根石さんが手を携えて英語教育改革に取り組んで欲しいと思いますが
いかがでしょうか?



1571 「お知らせ」 投稿者:同人社Web編集部/kawakami 投稿日:12月30日(日)10時34分43秒

根石吉久 「素 読 舎」 ー素読舎の誕生 ー 只今UPです。

大学を出て、就職するにも人より遅刻 「素読」の徹底指導
語学と半生を共にし 今なお アカデミックな教育法に真っ向から
反骨し、戦い続ける英語の神様 根石吉久 の半世紀です。

執筆 根石吉久
写真 治村 義孝(PUU太郎のphotoレポート)


http://www.doujinsha.com/zuihitsu19[2].htm



1572 浜谷さんへ 投稿者:パクパク 投稿日:12月30日(日)19時51分22秒

英語の音づくりが、SSS方式は弱いとおもいます。
弱肉強食とチャーチルマーティニですよね。
これでは、英語の音がつくれないとおもいます。
問題
マリリンモンローの7年目の浮気

 この映画で、はじめて、マリリンモンローがでてくる
 シーンがあります。
 スクリーンプレイのp16です。
 このシナリオ本の音と、実際の映画で聞こえてくる音の
 ギャップ感をわたしは、問題にしているのです。
 受験英語やTOEICの英語の音ではなく、映画の音です。
 多くの日本の学習法は、こうした映画の音を問題にしていません。
 受験用の英語の音も、実は、商業化された音です。
 ナチュラルにすると、売れないからです。
 酒井さんは、映画をつかって授業をしますが、
 しょせんは、聴けば慣れる式です。
 英語は風邪ではないから、いくら聞いてもうつらないのです。
 いくら聴いても、英語が聞こえるエンジンはできてきません。
 やはり、外部から、コーチが教えてやるといいのです。
 この教え方がいままでなかったため、生徒を突き放していたと
 おもいます。



1573 SSS方式 投稿者:浜谷 投稿日:12月30日(日)21時19分13秒

バクバクさん、

@>ここは、管理主が、酒井さんと
喧嘩しているところですが、
酒井さんが、いま、日本の英語教育を
変えようとしています。

A>一言で言えば、授業を多読とシャドウイングだけで
運営しているところがこれまでの Extensive Reading
と大きく違うところです。そこがSSSのやり方の独自な
点でしょう。

B>これまで古川があたれる限りのE.R.実践者と接触して
きましたが、授業をE.R.だけで運営している人は
いません。(ベニコさんも含めて)どの人も多読を
教室外の活動として推進されています。

C>英語の音づくりが、SSS方式は弱いとおもいます。
弱肉強食とチャーチルマーティニですよね。
これでは、英語の音がつくれないとおもいます。

上の4つの書き込みはすべてバクバクさんのものですが、BまではSSS方式礼賛のご意見と観させていただいていましたが、最新のご意見であるCはそうでは ないようですね。私も全く同意見です。音に関しては根石方式の方がはるかにいいと思います。ただ、SSS方式も多読と並んでシャドーリーディングを音作り の柱にしていますので、根石方式よりは弱いかも知れませんが、音を決して疎かにしているのではないと思います。 もう一つ言わせて頂ければ、音作りは初歩 の段階、つまりシャドーリーディングが必要な段階では極めて重要だと思いますが、それから上は、むしろ語彙、構文を多読などで大量にインプットする方が大 切ではないでしょうか? 映画の会話が分かるようにするほど、高度な英語を身につける必要がある人は別ですが・・・。そういう観点からSSS式の方が基礎 的な使える英語を習得する上で優れていると思います。中学から大学まで10年間も英語をやってきて喋れない人が沢山いる現状を打開出来るのはSSS方式だ と考えています。もっとも根石方式でも映画英語の手前の基本文型回転読みでの構文インプット訓練はシャドーリーディングに劣らず音作りの上で効果があると 思います。 ところで「弱肉強食とチャーチルマーティニですよね。」とありますが、どういう意味なんでしょうか?



1574 「完璧な音」VS「通じる音」(その1) 投稿者:Eliot 投稿日:12月31日(月)00時59分19秒

根石さん、ご無沙汰しております。長らくお待たせしました。懸案の「完璧な音」VS「通じる音」の問題について色々と考えたことをこれから数回に分けて書 き込むことにします。

>私は語学の場面でも、規範を決して「目標物」にすることはありません。規範はあくまでも規範に過ぎません。アメリカ英語やイギリス英語は「あくまでも語 学的に」「あくまでも机上で」どんどん真似して媒介にすべきだと思いますが、それは「目標物」ではなく、あくまでも「媒介物」です。その媒介の主体は日本 語を主言語とする私にあります。媒介の度合いが薄ければ「通じない」音になってしまうし、媒介の度合いが強ければ「通じる音」が作れる。それだけのことだ と思っています。

ここで根石さんがおっしゃっている「媒介の度合いが強ければ『通じる音』が作れる」というのは発音レベルに限った話だと思っていました。ところが、

> テキストを読ませるとすごく発音がうまい(「完璧」かどうかはともかく)のに、人を相手に話せない人は大勢います。これは私に言わせれば、「通じる 音」に至っていないということです。つまり、私の言う意味での、「音とイメージの同致」が自分の中でまだ信じられていない人です。まだ語学内部にいて、 「ずれ」を「同致」に持ち込めないでいるわけです。
 ですから、「完璧な音」や「じょうずな発音」は、私にとっては、「通じる音」以前のものです。「通じる音」が「完璧な音」の下位概念では決してありませ ん。
 「完璧」と言うと、その先はないように思えますが、実はその先にあるのが「通じる音」だと思っています。そうでなければ、語学の言語は語学の外へ出るこ とができなくなってしまいます。

 ここであれっと思いました。私はそれまで私たちが「通じる音」ということを発音の問題としてとらえて話しているのだと思っていたのに、ここで根石さんが おっしゃっている「通じる音」は、発音がすごくうまい上に(=音レベルでは英語になっている)さらに「音とイメージでの同致」を自分の中で信じられるよう になっている人の英語のことを指していますよね。
 そういう人の英語は「通じる音」よりも「通じる英語」とか「斬れる英語」とか「使える英語」とでも呼んだ方が適当ではありませんか。そして「通じる音」 という語句は、あくまで発音の問題に限定して使わないと話がかみ合わないと思います。
「通じる音」を「通じる英語」と読み替えれば、おっしゃっていることに異論はありません。生徒の中にも発音だけは上手にできるが、英語が使えるとはとても 言えない人が何人もいます。中学入学直前に家で教科書準拠の録音教材を聞いていただけで相当上手に発音できるようになった生徒もいましたし、入学後にフォ ニックスを少々勉強しただけで多くの生徒が「音」は英語のようになりました。しかし、そのときは音とイメージが結びつくということなど全然ない段階でした から、音はできても英語を話すことはできませんでした。

>「通じる音」は実在です。これに対して「完璧な音」は理念であり、あるいは階級的なプライドに結びついた生活言語の語学化です。
 私は語学の「着地点」は、「通じる音」でいいということを言いたかったのであり、基準はこちらにあると思っています。基準ということで言うなら、「完璧 な発音」が基準だとは思えないということです。「完璧な発音」が基準たりうるとすれば、あくまでも語学の中だけです。言葉を使うという場面でではありませ ん。

 私が言う「完璧な音」とは、モデルとする英語話者たちの出す音のことですから、理念ではなくあくまで実在です。そんな音を出すアメリカ人やイギリス人の 階級がどうのこうのという話は、英語の基礎作りをする段階の生徒たちにとってはほとんど意味のないことです。生徒たちは国際的な意思疎通の手段としての英 語を習得するために勉強を始めたのですから、当然その目的に合致した英語をモデルにせねばなりません。これは発音だけの話ではなくて、彼らが勉強する英語 のすべての面にかかわることです。すなわち、日本人の中高生は、発音も語法も現代の英語でアメリカやイギリスの標準的な英語を学ぶべきだということになり ます。そのような標準的な英語は、当然ある種の社会階級と結びついたものでしょうが、それが困ったことでしょうか。



1575 「完璧な音」VS「通じる音」(その2) 投稿者:Eliot 投稿日:12月31日(月)01時03分38秒

 例えば、いくら英語国民の中に使う人がいるといっても、日本の英語教育の場で We is… を容認することはできません。これは標準語法とはみなされないからです。また、I cannot but laugh. や There is no mother but loves her children. も中高の英語教材から除かれるべきものです。なぜなら、これらは現代の英米人によって使われることがない表現だからです。つまり廃用(obsolete) となった語法だからです。特に、There is no mother but loves…の方はほとんどの英語母語者たちにとってはまったく理解不能の文です。一方、I can’t help laughing / I can’t help but laugh. や There is no mother who doesn’t love her children. は現代英語の標準形です。生徒はこれらを学ぶべきなのです。
 I cannot but laugh / no mother but loves her children などを覚えるということは、さきほど述べた英語学習の目的に合致せず、学習者にとって障害となります。日本語を学習する外国人が使う教材に「拙者は雪隠に 行かんとするのであるが、よござんすか」などと書いてあるのを見れば、私たちは笑うでしょう。同時にそんなものを教えられる日本語学習者たちに同情するで しょう。私が「英語例文700選」の類を唾棄すべき本だと考えるのは、まったく同じ理由によるものです。私は、日本の英語学習環境に散在する、「(障)害 になる本」「邪魔をする本」「うそを教える本」の一掃を強く願っています。
 話を「音」に戻せば、国際的に一番よく通用する英語の発音で、教材も豊富にあって、日本人の学習者がモデルとして勉強しやすいものは一般的にアメリカ英 語といわれるものとBBC英語に代表されるイギリス英語の発音でしょう。CNNのアナウンサーたちの発音がそのいい例です。「道義的に正しい」英語の発音 などというものは存在しません。ただ、「よく通じる英米語の音体系」は存在しますから、私は、英語学習者はそれをできるだけ上手に自分の英語の音として複 製できるよう練習すべきだと言っているのです。また、このことを一言で言えば「完璧な音を目指せ」となるわけです。

>規範を定立したとして、しかし、それに基づく音を「完璧な音」という目標物にすることは、ただただ語学という領域だけてかろうじて「許される」だけで す。ひとたび「机上」を離れて、生活言語の領域に入った場合は、「通じさえすればなんでもあり」、が本来の意味で標準であり、他に標準というものはありえ ません。快・不快はありますが、それはまるで語学の問題ではなく、人間の生まれ育ちの問題だと思います。あるいは、生まれ育ちが持っている階級性の問題だ と思います。

 STさんが引用なさった野村萬斎(若き狂言師にしてマルチ役者)のことばです。
「小さいころは個性を否定され、型にはめられることが嫌で、父を恨んだ時期もありました。しかし、お陰で絶対的な自信を持てるだけの技術を身につけられ た。洗練された型の制約があってこそ、その中で工夫や奥行きが生まれるのです」
 英語の勉強によくあてはまることばだと思います。特に、発音の習得についてはこの通りだと思います。私は自分の経験からも「絶対的な自信を持てるだけの 発音を身につけられた。完璧な音という型の制約があってこそ、その中で工夫や奥行きが生まれる」と信じていますし、生徒たちにもこのことを理解させたいと 願って、彼らの英語発音の「個性を否定し、型にはめこむ」ことに力を注いできました。
 「通じさえすればなんでもあり」はある意味では傲慢な態度です。「ひとたび『稽古場』を離れて、舞台に立った場合は『演じられさえすればなんでもあり』 が本来の意味で標準であり、他に標準というものはありません。快・不快はありますが、それはまるで芸の問題ではなく、観客の生まれ育ちの問題だと思いま す。あるいは、生まれ育ちが持っている階級性の問題だと思います」などという狂言師が世間に受け入れてもらえるでしょうか。




1576 「完璧な音」VS「通じる音」(その3) 投稿者:Eliot 投稿日:12月31日(月)01時07分36秒

 次のようなことを言う人がいます。「話の内容が大切であって、発音は下手でもいいのだ。アナン国連事務総長を見ろ。マンデラ大統領を見ろ。ノーベル賞の 授賞式での日本人受賞者のスピーチだってそうだ。彼らの発音は上手ではないかもしれないが、人はその話を熱心に聴くではないか」と。
 それはそうでしょう。なぜなら、そのような著名人はみんなが聞きたいメッセージを持った人だということが明白だから、発音がどうであれ、人は彼らに耳を 傾けるのです。しかし、私たちのような凡人について能天気に同じことを言えるでしょうか。「どんなに俺の発音が悪くてわかりにくくても、俺の発言を熱心に 聞いてくれるよね」と他のすべての人に期待できるでしょうか。私たちは人に話を聞いてもらうためには自分の側が努力せねばならないことがいくつもあるはず で、わかりやすい発音というのもその努力の中に含まれるのではないでしょうか。
 相手に自分のメッセージを効率よく伝えるためには、メッセージ以外に相手の注意がそれないよう、適切な文法、語彙、表現、そして発音を用いるよう努力す べきであり、「通じればなんでもあり」ではいけないと思います。意思伝達の手段として英語を身につけようとしている日本人学習者が目指す発音の目標は単に 「通じればよし」ではなくて、その人の教育程度や立場から大きくはずれた印象を与えることなく、さらに、相手に多大な負担や不快感を強いることなく理解し てもらえるような発音であるべきです。言いかえれば、「相手が発音に特に注意を払うことがないような発音」です。
 そういう音を身に付けて、その基礎の上に「音とイメージの同致」でも何でも必要な勉強を続けて、「通じる英語」を獲得し、その英語で人が聞きたくなるよ うな内容を発信すればよいと思います。その際に、その日本人英語話者の口から出る音がアメリカ英語あるいはBBC英語にそっくりなものであったとしても、 それはその人が「アジア・アフリカを蹂躙した大英帝国と警察国家アメリカの英語支配」に対してどのような思想を持っているのかということとはまったく別問 題です。アメリカ英語で反アメリカのメッセージを発信したり、BBC英語でイギリスを糾弾するメッセージを語ることは珍しいことではありません。今世界で 一番通用するのはCNNやBBCのキャスターたちの発音だから、それを採用するのが一番効率がいいのです。その意味では、私は根石さんが

>語学では、規範を定立させる必要があり、規範はどうしても必要です。この規範として、イギリスの上流階級の音や、アメリカで優勢を占める人たちの発する 「音」が採用されるということは単に「仕方のないこと」であるにすぎないと考えています。いくら私でも、インド英語を規範にせよとか、カタカナ発音英語を 規範にせよと言い出すことはありません。アメリカ英語やイギリス英語でいいよ、と思っています。

とおっしゃっていることに賛成しません。「仕方のないこと」どころか「当然のこと」なのですから。

>アメリカ英語やイギリス英語は、日本語の音によって形成された口の動き(英語として通じない音)を変容させていく場合の媒介物であり、出来てくる音はあ くまでも「通じる・通じない」が判断の基準になるべきだと考えています。アメリカやイギリスの音と「同じかどうか」あるいは「どれだけ近いか」が基準にな るべきだとはどうしても思えません。「通じる・通じない」という基準以外のものを設定すると、必ず抑圧に転じると考えています。

 私は、出てくる音を判断する基準は「聞き手に大きな負担をかけることなく通じるか、そうでないか」であるべきだと考えます。モデルの発音とほぼ同じであ れば当然この基準をクリアーしますが、どれくらいモデルから離れたら基準をクリアーできなくなるのかを語学の教室で判断するのは不可能です。というのも、 実際に英語を使う場面では「通じる、通じない」は音そのものだけで決まるのではなく、文脈や声の調子を始めとする多くの要素に左右されるからです。そうで あれば、語学の教室では、指導者は学習者にモデルの音そっくりになるよう練習する努力を強いるしかないと考えています。その練習の成果が生活言語としての 英語の中で通じるか通じないかは実際に使ってみるまでわからないのですから、教室ではただひたすら「完璧な音」を目指して練習させるしかないでしょう。私 はこれが「抑圧」に通じるとは思いません。




1577 「完璧な音」VS「通じる音」(その4) 投稿者:Eliot 投稿日:12月31日(月)01時09分29秒

 「通じる音」ということを唯一の基準として教室で発音の指導はできません。なぜなら、例えば、th の音の出し方は絶対的な基準として示せますが、生徒が発する th あるいは th もどきの音が通じる音であるかどうかについては絶対的な基準が立てられないからです。具体的に言えば、六人の生徒たちが third を saado(サード) / saad (サーd) / sird / thaad / thard / third と六通りに発音した場合、教室では最後の third 以外は不可とせざるをえません。なぜなら、saado から thard までの五つの発音のうちのどれが実際の英語使用の場面で third として通じるかを教室で判断することができないからです。



1578 「完璧な音」VS「通じる音」(その5) 投稿者:Eliot 投稿日:12月31日(月)02時47分32秒

ネイティヴ言語習得過程で最初に出会う言語の音が、すでに genuine な「感情込み」のものです。音素の組み合わせやその抑揚が、いつも言語の磁場での感情の生起から(生起と同時に)生じてきます。感情の生起、利害関係での 主張など、生なものがいつもあり、それら感情や利害関係が、規範として内在化されている言語の体系に同致して発語があります。あるいは、その規範の内在化 を絶えず促しているのも、生な感情や利害関係だと思います。これがネイティヴな言語です。ネイティヴスピーカーが「完璧」に音を身につけるのは、音声学的 な「音」というよりは、感情と一体化した声の調子から析出される音によるものであり、のっぴきならぬ、あるいは、切実な関係における発語の調子によるもの です。「音」は「声の調子」によって媒介されたり、「声の調子」から析出されているだけです。人が本当に聞いているのは、音というよりは「声の調子」であ り、この経験の積み重ねが、そのネイティヴ言語の音に即応する感覚の層を作るのだと思います。
 この点で、まったく別のベクトルを持つものが語学の言語です。こちらは根っから、artificial な性質の言語です。
 語学では、「音」から入り、次に感情がそれに同致するという順序はおかしなことではありません。これは、まず感情や主張や利害があり、それが声の調子と なるネイティヴ言語に対してまったく逆立ちしています。
 つまり、語学はネイティヴ言語に対して逆立ちしているのです。感情と音の間に成立するベクトルが逆です。このことに、これまでの語学論はほとんど言及し ていないと思っています。私が無知なだけなのかもしれませんが・・・。
 いずれにせよ、ネイティヴスピーカーの「音」の修得過程は、語学にはまったく適応不可能です。

 根石さんのこの指摘は大変重要なものだと思います。おっしゃるとおり、母語習得の過程では音は常にイメージと共起します。通常の言葉の使用の場面では発 信側であろうと受信側であろうと、音を単に音として出したり聞いたりすることはありません。さらに、私たちはその言葉が使用される必然性を持った場面に身 を置いています。このように、母語の習得プロセスにおいては、言葉は常に「場面+イメージ(意味と言ってもいいでしょう)+音+感情」という四つの要素の セットとなっています。一方、教室で外国語を学習する際には、このセットがほとんど成立しません。

 教室以外の場面を得ることはできませんので、学習者が、使われる言葉にふさわしい場面に身を置くことはできません。さらに、イメージも伴わない音だけを 取り扱うこともしばしばです。例えば、th の音を練習するために th / th / th と発音練習しているときは、あるのは音だけであり、場面もイメージも感情もありません。生徒が授業中に居眠りをしているのをとがめて、英語で説教を すれば、「場面+イメージ+音+感情」がそろいますが、そういうことをする英語教員は非常に少ないでしょう。また、たとえまれに実際にそういう場面で英語 が使われたとしても、それで学習者の英語力が大きく向上するということは期待できません。

 最近、コミュニケーション、コミュニケーションという声が大きくなり、コミュニケーション活動なるものが教室で行なわれることがありますが、音作りが まったくできていない生徒たちが、ゲームや何らかのタスク活動をやったとしても、これまた彼らの英語力の大きな助けにはならず、単なるお遊び、コミュニ ケーションごっこに終わってしまうことが多いでしょう。来年度から中学校の英語の教科書が変わり、さらに「実践的コミュニケーション」の能力をつけさせる という目標が前面に出てきますが、いかほどのことができるのか、私は極めて懐疑的です。教室の中で、生徒たちと教員だけで「場面+イメージ+音+感情」を どれくらい確保できるというのでしょうか。




1579 「完璧な音」VS「通じる音」(その5)訂正 投稿者:Eliot 投稿日:12月31日(月)02時51分05秒

>ネイティヴ言語習得過程で最初に出会う言語の音が、すでに genuine な「感情込み」のものです。音素の組み合わせやその抑揚が、いつも言語の磁場での感情の生起から(生起と同時に)生じてきます。感情の生起、利害関係での 主張など、生なものがいつもあり、それら感情や利害関係が、規範として内在化されている言語の体系に同致して発語があります。あるいは、その規範の内在化 を絶えず促しているのも、生な感情や利害関係だと思います。これがネイティヴな言語です。ネイティヴスピーカーが「完璧」に音を身につけるのは、音声学的 な「音」というよりは、感情と一体化した声の調子から析出される音によるものであり、のっぴきならぬ、あるいは、切実な関係における発語の調子によるもの です。「音」は「声の調子」によって媒介されたり、「声の調子」から析出されているだけです。人が本当に聞いているのは、音というよりは「声の調子」であ り、この経験の積み重ねが、そのネイティヴ言語の音に即応する感覚の層を作るのだと思います。
 この点で、まったく別のベクトルを持つものが語学の言語です。こちらは根っから、artificial な性質の言語です。
 語学では、「音」から入り、次に感情がそれに同致するという順序はおかしなことではありません。これは、まず感情や主張や利害があり、それが声の調子と なるネイティヴ言語に対してまったく逆立ちしています。
 つまり、語学はネイティヴ言語に対して逆立ちしているのです。感情と音の間に成立するベクトルが逆です。このことに、これまでの語学論はほとんど言及し ていないと思っています。私が無知なだけなのかもしれませんが・・・。
 いずれにせよ、ネイティヴスピーカーの「音」の修得過程は、語学にはまったく適応不可能です。

 根石さんのこの指摘は大変重要なものだと思います。おっしゃるとおり、母語習得の過程では音は常にイメージと共起します。通常の言葉の使用の場面では発 信側であろうと受信側であろうと、音を単に音として出したり聞いたりすることはありません。さらに、私たちはその言葉が使用される必然性を持った場面に身 を置いています。このように、母語の習得プロセスにおいては、言葉は常に「場面+イメージ(意味と言ってもいいでしょう)+音+感情」という四つの要素の セットとなっています。一方、教室で外国語を学習する際には、このセットがほとんど成立しません。
 教室以外の場面を得ることはできませんので、学習者が、使われる言葉にふさわしい場面に身を置くことはできません。さらに、イメージも伴わない音だけを 取り扱うこともしばしばです。例えば、th の音を練習するために th / th / th と発音練習しているときは、あるのは音だけであり、場面もイメージも感情もありません。生徒が授業中に居眠りをしているのをとがめて、英語で説教を すれば、「場面+イメージ+音+感情」がそろいますが、そういうことをする英語教員は非常に少ないでしょう。また、たとえまれに実際にそういう場面で英語 が使われたとしても、それで学習者の英語力が大きく向上するということは期待できません。
 最近、コミュニケーション、コミュニケーションという声が大きくなり、コミュニケーション活動なるものが教室で行なわれることがありますが、音作りが まったくできていない生徒たちが、ゲームや何らかのタスク活動をやったとしても、これまた彼らの英語力の大きな助けにはならず、単なるお遊び、コミュニ ケーションごっこに終わってしまうことが多いでしょう。来年度から中学校の英語の教科書が変わり、さらに「実践的コミュニケーション」の能力をつけさせる という目標が前面に出てきますが、いかほどのことができるのか、私は極めて懐疑的です。教室の中で、生徒たちと教員だけで「場面+イメージ+音+感情」を どれくらい確保できるというのでしょうか。




1580 浜谷さんへ 投稿者:パクパク 投稿日:12月31日(月)15時15分05秒

酒井さんの著書(どうして英語が使えない?)のなかに
 チャーチルマティーニの法則
  頭のなかで言っているが、言語音になっていない音
   例)work orderと聞こえるが、実際は、a work orderと言っているつもり

 マクドナルドの法則(弱肉強食の法則)
  MacDonald--->McDonald  あいまい母音は弱い音、もしくは消える。

 とあります。
 酒井さんは、たった2つの法則しか言っていませんが、ここをどう評価するかです。
 少ないとみるのか、少ない方のほうがいいかです。

 発音の教科書のなかで、あいまい母音を一番重要と教えているのは極めて少ないです。
 さらに、あいまい母音の発声の仕方となると、皆無に近いのが現状です。
 英語の音で、一番頻出する音声現象が、その習得方法がいままでなかったとおもいます。
 30音の鵜田さんは、いとも簡単にここをブレークスルーしたとおもいます。



1582SSS方式 投稿者:浜谷 "投稿日: 1月 1日(火)16時46分33秒

みなさん、明けましておめでとうございます。

バクバクさん、

@>ここは、管理主が、酒井さんと
喧嘩しているところですが、
酒井さんが、いま、日本の英語教育を
変えようとしています。

A>一言で言えば、授業を多読とシャドウイングだけで
運営しているところがこれまでの Extensive Reading
と大きく違うところです。そこがSSSのやり方の独自な
点でしょう。

B>これまで古川があたれる限りのE.R.実践者と接触して
きましたが、授業をE.R.だけで運営している人は
いません。(ベニコさんも含めて)どの人も多読を
教室外の活動として推進されています。

C>英語の音づくりが、SSS方式は弱いとおもいます。
弱肉強食とチャーチルマーティニですよね。
これでは、英語の音がつくれないとおもいます。

D>酒井さんの著書(どうして英語が使えない?)のなかに
 チャーチルマティーニの法則
  頭のなかで言っているが、言語音になっていない音
   例)work orderと聞こえるが、実際は、a work orderと言っているつもり

 マクドナルドの法則(弱肉強食の法則)
  MacDonald--->McDonald  あいまい母音は弱い音、もしくは消える。
 とあります。
 酒井さんは、たった2つの法則しか言っていませんが、ここをどう評価するかです。
 少ないとみるのか、少ない方のほうがいいかです。


上の5つの書き込みはすべてバクバクさんのものですが、BまではSSS方式礼賛のご意見と観させていただいていましたが、最新のご意見であるCDではその 方式の音作りにおける欠点を指摘されているものとみましたが合ってますでしょうか?私も同意見ですが、 SSS方式も多読と並んでシャドーリーディングを音作りの柱にしていますので、根石方式よりは弱いかも知れませんが、音作りを決して疎かにしているのでは ないと思います。 もう一つ言わせて頂ければ、音作りは初歩の段階、つまりシャドーリーディングが必要な段階では極めて重要だと思いますが、その後は、む しろ語彙、構文を多読などで大量にインプットする方が大切ではないでしょうか? 映画の会話が分かるようにするほど、高度な英語を身につける必要がある人 は別ですが・・・。そういう観点からSSS式の方が基礎的な使える英語を習得する上で優れていると思います。中学から大学まで10年間も英語をやってきて 喋れない人が沢山いる現状を打開出来るのはSSS方式だと考えています。



1584「完璧な音」VS「通じる音」(その7) 投稿者:Eliot "投稿日: 1月 2日(水)12時38分28秒

(5)の訂正です。
おっしゃるとおり、母語習得の過程では音は常にイメージと共起します⇒・・・音は常に感情とイメージと共起します
------------------------------------

私は、教室で「音+イメージ+感情+場面」の融合をはかるための練習として効果的なのは

大量のリスニングと音読と暗唱、それに多読と自由作文
(ここではリスニングということばを単に英語に耳を傾けることという意味で使っています。テスト形式の listening comprehension とは区別しています)

だと考えています。教室外での生徒の自学の時間もこれらの活動が中心になるようにしなければならないと思います。教科書の課の文を意味がわからないまま ノートに書き写したのちに英和辞典を引きながら和訳を書いてくるという予習⇒文法説明と和訳の添削に終始する授業⇒ほとんど音読を伴わない、和訳と文法事 項の確認の復習、というサイクルの中には、暗唱も多読も自由作文もないし、音読は形式的に数回行なう程度だけで、リスニングもわずかしか含まれません。こ れではだめですね。
リスニング、音読、暗唱、多読、自由作文のそれぞれについて、さらに私の考えを述べたり、学校での実践の報告などもしたいのですが、それは「完璧な音」 VS「通じる音」の論議からは離れてしまいますので、今回はここまでにしておきたいと思います。



1585生徒の英語(英検準2級)について 投稿者:Eliot "投稿日: 1月 2日(水)13時43分59秒

 「完璧な音」か「通じる音」かの議論は議論として、私は現実に学校で生徒に教える立場にありますから、私の考えに基づいて日々授業を進めねばなりませ ん。現在中3の生徒たちに3年近く英語の指導をしてきましたが、それなりに成果は上がっていると考えています。中3の2学期に全員で受検した英検準2級の 結果は次の通りです。

 一次試験(筆記と聞き取り)の合格率・・・90%
   聞き取り(20点分)の平均点  ・・・17点
             (8割の者が16点以上、3人に一人が19点か20点)
 二次試験(面接)の合格率     ・・・96%
   パッセージの音読の点(5点満点)・・・5点の者が23%、4点の者が45%、
                     3点の者が31%、2点の者が2%

 二次試験で短い英語の一節を音読し、それを5・4・3・2・1の五段階で採点されるという問題がありますが、一般の中高生の場合たいていが3で、「ま あ、なんとか英語の音読に聞こえる」というレベルです。私は10年以上英検の面接委員をやっておりますが、3以外の評点を付けることはまれで、たまに4点 を付けることがあっても、5点をやれるような受験者はほとんどいません。ですから、私の生徒たちの音読の得点は、ある程度予想していたこととはいえ、非常 にうれしい結果でした。生徒の中には自分の試験官の発音のまずさを指摘する者もいて、例えば「ぼくの試験官は learn を run のように発音していました」などと、具体的に指摘してくれた人もいました。
 勤務校には高校から入学してくる生徒もいて、その高校1年生の数十名が同じときに準2級の面接試験を受けましたが、その中で音読の評点で「5」をもらっ た人は1%未満でした。彼らのほとんどは公立中学校の出身で、中学時代に英語の音声面の指導をきちんと受けたような人は皆無に近いと思われます。




1586根石様 投稿者:Eliot "投稿日: 1月 2日(水)13時59分31秒

 思いの丈をすべて書くのは膨大な時間と労力がかかります。とりあえずはここまでにして、コメントをお待ちします。
 根石さんから厳しい反論が来るだろうなあと思いながら、(1)〜(7)を書きました。私としては、たとえ意見が一致しない点があっても、私は私のやり 方、根石さんは根石さんのやり方でやっていくしかなかろうと思っております。とはいえ、建設的な論議を否定するつもりはさらさらありませんので、容赦なく ご批判ください。


]

1587おめでとうございます 投稿者:nobu "投稿日: 1月 2日(水)16時41分19秒

あけましておめでとうございます

昨年は、遂に1冊目のシナリオを終える事ができました!
毎週、毎週、忙しくて練習が足りてませんが、今後とも頑張ります。
本年もよろしくお願い致します。



1588nobuさんへ 投稿者:Yasu "投稿日: 1月 2日(水)23時18分42秒

nobuさん はじめまして
私,最近映画のレッスン受けている者です。
一冊終わられて何が変わったか,もしよろしければ教えていただけないでしょうか?



1591エリオット先生の投稿を読んで 投稿者:ST "投稿日: 1月 3日(木)00時16分49秒

>生徒たちは国際的な意思疎通の手段としての英語を習得するために勉強を始めたのですから、当然その目的に合致した英語をモデルにせねばなりません。これ は発音だけの話ではなくて、彼らが勉強する英語のすべての面にかかわることです。すなわち、日本人の中高生は、発音も語法も現代の英語でアメリカやイギリ スの標準的な英語を学ぶべきだということになります。そのような標準的な英語は、当然ある種の社会階級と結びついたものでしょうが、それが困ったことで しょうか。


ここが難しいところだと思います。困ったことであるとも言えるし、困ったことではないとも言える。なんか禅問答ですが、本当に難しいと思います。

青山学院大学の本名信行(ほんなのぶゆき)先生のある著書(アルクの本だったように思います)によると、「英語はアメーバー」であるというようなことを 言っておられました。「標準的な英語(イングリッシュの方が適切か!?)」も時の流れの中で変化していくと思います。また、「社会階級」なるものも、時の 流れの中で変化していくと思います。アメーバーというのはそういう意味で本名先生は使っておられるのではないかと思っています。つまり、韓国人、日本人、 インド人がイングリッシュを使えば使うほど、国際語としてのイングリッシュはアメーバーのように変化していくものだということです。例えば国際会議など で、日本語の「しゃれ」や「ことわざ」などをイングリッシュに直訳したもので、異文化理解の溝を埋め、説得力を高めるなどはその一例です。もっともレベル がある程度の人しか言えないような気もしますが。。。

「型の制約=英語や米語を真似る」があってこそ、「工夫や奥行=日本人の話す立派なイングリッシュ」が生まれるのではと思うのですが。。。

英語(イングリッシュ?)はアメーバーなのか、アメーバーでないのかという問いは無駄だと思うのですが。。。



1593根石様(返事が二つと質問が一つ) 投稿者:Eliot "投稿日: 1月 3日(木)08時33分09秒

過去ログを読んでいて二つの質問にお答えしないままになっているのに気づきました。
@accept responsibility for...とthe responsibilities of...の件
  He would accept full responsibility for the act of violence.
  She took over the responsibilities of being head of the family.
 についての根石さんの解析は正しいと思います。ついでに付け加えると being head of the family は being the head of the family でも可です。ここで冠詞が抜けることがあるのは「一人しかいない役職や地位」を表す語は補語の位置で無冠詞でもいいからです。
They elected him (the) president of the club.
He is (the) president of the club.

A回転読みの教材の録音の件
録音教材を私の発音で作ってみたいが、協力できるかというご質問でした。はい、いたします。いつでもお声をかけてください。

B次の投稿はどうも私のことを批判されているように思われますが、よくわかりませんので、解説をお願いできませんでしょうか。

850 ありがとう。 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 6日(木)02時16分04秒
>「アホ」「糞」言ってるのは根石さんだけですよ。Eliotさんは至極紳士的。「罵倒」してい
ませんよ。

 客観的に論理的にそうですそうです。
 それが Eliot さんに対して、私が物足りなく思うところであったと、仮に、そうだとしても、それは人間それぞれの限界というものがありますから、駱駝の背中に藁一本乗せ ただけで足が折れるという世界は確実にありますから、私は重さのある藁は乗せないでおこうと思う。
 言葉というものをなめないでね、言葉が学校的な正しさの中に納まっておとなしくしているだけのものだとは思わないでね、という重さのない抽象の藁一本を 置くだけです。



1594通じる音(1) 投稿者:根石吉久 "投稿日: 1月 3日(木)21時25分16秒

Eliot 様

 書き込みありがとうございました。
 年末年始の時間をこの掲示板の記事のために割いていただいたこと感謝いたします。

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>私はそれまで私たちが「通じる音」ということを発音
の問題としてとらえて話しているのだと思っていたのに、
ここで根石さんがおっしゃっている「通じる音」は、発
音がすごくうまい上に(=音レベルでは英語になってい
る)さらに「音とイメージでの同致」を自分の中で信じ
られるようになっている人の英語のことを指しています
よね。
 そういう人の英語は「通じる音」よりも「通じる英語」
とか「斬れる英語」とか「使える英語」とでも呼んだ方
が適当ではありませんか。そして「通じる音」という語
句は、あくまで発音の問題に限定して使わないと話がか
み合わないと思います。

 「通じる音」という語の使用に際して、純粋に音の質の問題として扱うべきだとお考えになっているのかと思います。「教室内」で純粋に音だけを扱うことは できますので、確かに、「通じる音」というものを、音の側面だけで扱うことはできます。また、そうする必要もあります。
 私と Eliot さんとで、ほぼ共通の概念で使っている用語としては、「音作り」(私はしばしば「音づくり」という表記をします)というものがありますが、「音づくり」と いうものが成立する根拠は、英語の音を純粋に音の側面だけで扱うことができる(言語から「音」だけを取り出すことができる)ことと、音を練習する者には、 そのように音を音の側面だけから扱うことが「必要である」ということにあります。
 「音づくり」がまともに行われないことが、日本の学校英語、受験英語、あるいは英会話学校英語ですら、まともに英語として育たないのことの最大の原因で あるということは、これまでの私と Eliot さんとのやりとりの中で共通認識として成立していると思います。
 ですから、ここでの話は、その先の話になります。
 「教室」という場所で、もっともやりやすく、もっとも効果があり、生徒のためになる最初の訓練が「音づくり」であるということは間違いないと思っており ますが、その次には「音とイメージ(意味)の同致」の問題が待っています。これを実現させるのは、実は学校の「教室」という場所は不向きな場所です。学校 だろうが、塾だろうが、いわゆる「教室」という場所ではそれはできない。あるいは非常に難しい。
 「音とイメージの同致」は、「理解」を媒介にし、イメージを発生させるのですが、これが起こる場所は、教室ではなく、語学の「机上」です。「教室」のよ うに複数の者がいる場所ではなく、自分の語学の「机上」、つまり「一人の場所」です。さらに精密に言うならば、「音とイメージの同致」は、学習者の意識に のみ生起します。厳密な場所としては「意識」しかありません。この場所に関して、語学のコーチ、学校の先生というものは、非常に無力なものです。原則を言 えば、学習者が一人で勝手にやるしかないものだからです。
 音を音としてのみ扱うことは、口の動き、空気の震え、鼓膜の震えとして顕在化させうるものを扱うのですから、「教室」でもできます。これに対して、「音 とイメージの同致」が起こる本当の場所は、厳密には一人の学習者の意識だけであり、この「同致」は物質的に顕在化させて「同致」しているかどうかをいちい ち確認することができません。これが確認できるのは、学習者本人だけです。学習者本人にはわかります。
 以上で、私は、三つの場所というものを想定しました。
 「教室」「一人の机上」「意識」の三つです。



1595通じる音(2) 投稿者:根石吉久 "投稿日: 1月 3日(木)21時26分03秒

 この三つの場所は、「語学内部」にあります。あるいは、「語学用」の場所です。
 しかし、語学というものがしばしば相手にしなければならない場所は、これらの外側にあります。「磁場」「生活言語」などと私が言ってきた場所であり、 「語学の外側」とも言える場所です。特に「話す」という語学の枝の一本においては、語学は語学の内側から外側に「渡る」ことになります。「渡る」ことで 「生活言語」として脱皮する必要があります。あるいは、「語学の言語」から「生活言語」へジャンプする必要があります。さらに、「からっぽの電池」が「充 電済みの電池」になる必要があります。
 私が「通じる音」と言っている音は、あくまでも、この「渡る」行為や「ジャンプ」と共にあるものであり、教室内で純粋に音の側面だけで測定する発音レベ ルを包み込んでいる概念です。教室内の発音レベルを包み込んだ上で、教室や語学そのものの外側に「渡る」のでなければ、「通じる」という言い方は意味のな い言い方になります。
 純粋に音の質だけを問題にして「通じる音」という言い方をすることは私にもありますが、厳密にはこの言い方は成立しません。「通じる音」とは、「イメー ジの動きと同致しうる音」以外のものではないからです。「通じる」ということの正体はそれであり、決して「音」の質そのものに本質があるのではないからで す。
 私は、「通じる音」という語を、音の質だけをさして使うつもりはありません。「通じる音」が「通じる音」であるためには、必ず「イメージの同致」が伴う はずであり、それがなければ、「通じる」という語が意味を失うからです。
 「通じる音」とは、「通じる」という質をもった音のことですから、語学が語学の外側に渡れる質を備えた音のことであるはずだと考えています。つまり、 「イメージの同致」が生じる音のことです。
 そして、これもやはり「音」の問題ではあるわけです。あるいは、「音」の問題の眼目がここにあるのです。
 Eliot さんはあくまでも音の質を問題にしておられる。しかし、「通じる」ということの眼目は音の質にはありません。音の質の問題はあくまでも大事な問題ですが、 「イメージの同致」が起こるかどうかの方がはるかに大事な問題であり、ここを外してしまうと、どんなに質のいい音を作ったところで、「そんなもの床の間に でも飾っておけ」と言うしかないのです。使えないからです。つまり、通じないのです。
 なぜ使えないか。なぜ通じないか。「イメージの同致」が伴わないのが最大の原因です。もしも、単に発音上の問題だけが原因で通じないのであれば、「イ メージの同致」を伴うことのできる音を持っている者なら、いくらでも他の言い回しを繰り出して、「通じる」という状態を作り出すことができます。私はそう しています。
 「通じる音」とは、音の質の問題であるよりは、「イメージの同致」の問題であるというのはそういうことです。それでも「通じる音」という言い方をする限 りは、それもやはり、音の問題ではあるのです。
 Eliot さんの「音」は物質的であり、顕在的です。音をそのように扱って正当な場所は「教室」だけです。「音」は教室で訓練することができますが、言葉は、教室に あるのではなく、人々の生活と共に生きています。あるいは、生活から発生します。決して、教室からは発生しません。

>ここで根石さんがおっしゃっている「通じる音」は、発
音がすごくうまい上に(=音レベルでは英語になってい
る)さらに「音とイメージでの同致」を自分の中で信じ
られるようになっている人の英語のことを指しています
よね。

 ここには誤解があると思います。「発音がすごくうまい上に」ではないのです。発音なんか大して「うまくないのに」、「通じる音」はある、というのが私の 見解です。この事実の外に問題にすべきものがあるなら、それは感性の階級制の問題だと思っているのです。



1599ヒアリング 投稿者:根石吉久 "投稿日: 1月 3日(木)22時21分20秒

ヒアリングの成立とは、

「イメージと同致しうる音」なのか。
そんなはずはない。
相手がこちらの想定のまったく外側から、ものを言うことが多々ある。
多々あるどころか、ほとんどそんな事態ばかりで、この世はできている。
では、
「音と同致しうるイメージ」
でこと足りるのか。
足りないと思う。
ベクトルがまったく逆な二つの行為をもってしても追いつかないのが「生活言語」だということ
だろう。
それに追いつく方途はあるのか。
私はあると思っている。
それを探り出すのでなければ、語学は毒になるとも思っている。



1601なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 4日(金)20時09分44秒

 私の考えていることは、少しわかりにくいと思いますので、同じようなことを再度書いてみます。

> そういう人の英語は「通じる音」よりも「通じる英語」
とか「斬れる英語」とか「使える英語」とでも呼んだ方が適
当ではありませんか。そして「通じる音」という語句は、あ
くまで発音の問題に限定して使わないと話がかみ合わないと
思います。
 「通じる音」を「通じる英語」と読み替えれば、おっしゃ
っていることに異論はありません。

 確かに、私が言っていることは「通じる英語」と言った方が、わかりやすいと思いました。英語で話をしている人の話として顕在しているものは、単なる 「音」ではなく、「英語」ではないかと言えるからです。
 なぜ私が「通じる英語」とわかりやすく言えばよさそうなものを、「通じる音」と言っているのかと考えてみると、日本に住んで「語学として」英語をやる人 の場所からものを言っているからだと思います。つまり練習者の場所からものを言っているからだと思います。あるいは、その場所を離れずに考えてきたからで す。
 語学をやらない人にはあまり意味のない言い方でしょうが、語学として英語をやる人にとっては、「通じる音」という概念の中に、「音とイメージの同致」ま でを含めてしまった方が実際的だし、役に立つと考えるのです。そうすれば、「イメージと同致する音を作れ」という方針が引き出せるからです。あるいは、 「音づくりの過程で、同時にイメージも作れ=イメージせよ」という方針です。
 語学とは、まったく語学の中にいて、純粋に語学をやること(机上の練習)でもありますが、「渡る」行為によって、語学の言語を脱皮させ、「生活言語にす る」ところまで含めていいのではないか。
 生活過程で生活言語を使うことは、語学ではなく生活です。ここを私は峻別しますが、生活言語として生きたものを、再び「机上」に持ち帰り、再度、語学の 言語に化かして鍛えるならば、語学には、語学の言語と生活言語を往復することの全体まで含めてしまっていいのではないか。往復行為自体も語学ではないか。 そう考えています。
 この「往復」を可能にする音(イメージが同致して動く音)をさして、私は「通じる音」と言っています。実際、「通じる」とはそういうことではないでしょ うか。化けて生活言語に「なる」ことのできる英語が、「通じる音」であるならば、「音とイメージの同致」は必須条件ですから、「通じる音」という概念に 「音とイメージの同致」も含めてしまっています。
 語学から「出る」とか、語学から生活言語に「渡る」とか、語学を「脱皮」して生活言語にするとか、あるいは、生活言語から語学の言語に「帰る」とか、語 学の言語と生活言語の間を「往復・往来する」行為全体をも語学の行為と呼ぶならば、そして、その行為総体の内側で考えるなら、あらゆる語学の練習とそれに よって動く意識の動きのすべてが、「音(声)」として顕在化します。
 すべての理解、センス、イメージの動きは、音に集約されて外在化されるので、音(声)こそが、語学という行為から生活言語に血を通わせるときのへその緒 みたいなものであり、同時に、もっとも主要なインターフェイスだと思います。「音(声)」とは、理解・情動・イメージなどが瞬時に集約されるほどの集約点 なので、語学の内側から「話す」という行為を見るならば、そこにあるのは私が言う意味での「通じる音」なのです。「通じる音」という質が成立しているなら ば、語学の外からそれを眺めてもやはり「通じる音」だと言えないことはないと思います。しかし、練習者の立場を離れて、それを呼ぶならば、「通じる英語」 でもいいと思います。私はあくまでも練習者の立場からものを言い続けたいと考えているだけです。



1602なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 4日(金)20時11分13秒

 「通じる英語」というものは、身振りや手振り目つき顔つきで、言葉をしゃべらなくても通じるということではなく、発語によって通じる英語ということです から、その実体は、意識の動きそのものによって動かされ、その反作用によって意識を動かす音(声)です。
 「通じる英語」と一般に言われているものは、少し微分するなら、実体は「通じる音として集約されている意識の動きの総体」だということになります。「通 じる」という語を、「意識の動きを反映しうる」という意味に解すれば、「通じる音」という言い方が語学という立場からは実際的ではないでしょうか。
 それが意識の動きの集約点だぞ、という意味で、また、そういう言い方をした方が、語学の内に立ち、語学という行為を続けようとする人のために実際的であ ると考えるので、私は「通じる音」という語を使用しています。「イメージと同致する音を作れ」=「意識の動きを反映しうる音を作れ」=「通じる音を作れ」 です。
 良質の音というような音の質の概念をも、「通じる音」は含みます。しかし、あくまでも、それは「通じる音」の一部分です。「通じる」とは、音の質だけの 問題ではないことは自明のことではないでしょうか。

 付随する問題を書きます。この問題は、私の考えの中でももっとも込み入っているものですが、書いてみます。
 私は語学(の対象として)の言語と、生活言語(多くはネイティヴ言語)を峻別しています。そのそれぞれの成立過程(習得過程)はまったく別のものだと考 えています。ここでは、その習得過程についてではなく、語学をやる人にとって、そのそれぞれがどんな位置にあるのかについて書きます。
 語学の言語は、意識のシミュレーション行為によって身に付くものであり、仮のものであり、(生活言語に対しては)偽のものです。
 「空がどんよりとたれ込めている日に」、It's a beautiful day today, isn't it? という文を、「聞く相手もいないのに」、「繰り返し言い続けて」、f 音や l 音など「音を正確に出せるようにするためだけに」使用することも、語学ではおかしな行為ではありませんが、生活過程ではこんな行為は置き場所がありませ ん。語学の「机上」で、It's a beautiful day, isn't it? と言い続けている人は、嘘を言おうとしているわけではないが、言葉本来の使用法ではなく、あくまでも語学用の使用法をしているわけです。これは、生活言語 の「生もの」の性質に対してなら、「干物」。言語が生き、生成する生活言語(という場)に対しては、偽物になります。どれほど立派な英語の格言でも、それ が語学の対象として、語学練習用に使われるなら、「言語として」偽物です。
 偽物=似せもの、です。
 これに対して、生活言語は生きる過程そのものによって身に付くものであり、嘘をどれほど大量に含んでも偽物ではありません。嘘として本物ですから。
 以上のことを踏まえて、以下のように考えています。
 語学の言語は生活言語に「渡る」。渡ってしまえば、それは生活上切実な言語になるので、語学の言語ではない。すでに生活言語である。また、生活言語は 「帰る」ことによって、語学の言語に戻りうる。帰ってしまえば、すでに生活言語ではなく、語学の言語というまったくの別物である。生活言語に対して偽物に 変わる。語学とは偽物と本物の間の往復行為だ。



1603なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 4日(金)20時12分08秒

 語学の言語は、生活言語になることができるし、そこから語学の言語に帰ることもできる。絶えず往復することもできる。そしてなお、語学の言語と生活言語 はその本来の性質が「うらはら」のものである。この「うらはら」のものの間を往復すること、「生もの」と「干物」を往復する、本物と偽物の間を往復する、 その総体を語学だと私は考えています。日本在住のままでは、往復しようにもそのチャンスがあまりにも少ないことは問題ですし、語学の言語は語学の言語、生 活言語は生活言語と峻別する必要があるにもかかわらず、それでも、語学という行為は語学の言語から生活言語に「渡る」あるいは「往復する」行為までを含 む。
 生活言語を生きることは、語学ではないが、生活言語に「渡る」行為までは語学という行為ではないか。そういうふうに考えています。
 偽の言語をたずさえて、「渡る」こともまた語学である。渡ってしまったところにあるものは、語学ではなく生活過程であり、そこで使われるのは本物の生活 言語だ。しかし、そこから「机上」に「帰る」ことはまた語学である。本物から偽物に帰る行為だ。こんなふうにしちめんどうくさく考えています。わざわざし ちめんどうにしているわけではなくて、このあたりの込み入ったところに筋道を立てないと、コミュニケーションやら、エーカイワやら、語学と生活言語がまる で地続きであるかのような妄想観念によって汚されきってしまった英語という言語から、汚れを洗い流し、「語学としての英語」というすっきりしたものとして 立ち上がらせることができないと考えているためです。

 「通じる音」は、「渡る」「脱皮する」「帰る」「往復する」などの動態とともにあり、「音とイメージの同致」という意識の動態とともにあるものだと考え ています。

 英語を話すということについて、語学の外から眺めるのではなく、語学の内にいて、そこに働いている法則をみつけようとするなら、文法や理解がセンスとな り、シンタックスの瞬間的鷲掴みが無意識化されて働き、イメージ(意味)が音と合体して動くというようなことが総体としてほぼ同時に成立していることで す。これが成立しているときに、顕在化しているものが「通じる音」です。逆に「通じる音」があるところには、必ず、意識において、上記のいくつものことが ほぼ同時に動いています。現象する一連の音の背後に(発話者の意識)にこれらのいくつもの動きがあり、それらは目に見えません。「通じる音」は、これらの 目に見えないものの動きを必ず伴っています。
 時として、単に発音上の音の質をさして「通じる音」ということもないではありませんが、厳密には、「通じる音」は「通じさせる場」に置かなければ、そし て、「イメージの同致」などの意識の動きの総体を同時に成立させていなければ、実体となりえません。

 音が明確であるとか、正しいとか間違っているとかいうことは、「教室」や「語学の机上」においては成立します。しかし、そこで確認できるのは、音の質だ けであり、「音とイメージ」の同致は確認できません。だから、「通じる」かどうかは、「教室」や「語学の机上」では確認できません。「通じる音」かどうか は、「通じさせる場」で、その音を使う本人にしかわからない。本人にはすぐにわかる。そして、その場所は、語学の外側、生活過程にあるはずです。
 「通じる音」というものが語学で作るべき音の基準ではあるのですが、その基準自体がある場所は、語学の外側、生活過程、あるいは英語の「磁場」です。

 くどく同じ事を繰り返し書いたような感触がありますが、このあたりは日本で英語をやっている人たちの中で、まことに筋道が立っていないあたりだと思って います。口がすっぱくなっても言わなければならないことだと思っています。

 単に音の質をさして、あるいは発音上の語としてのみ、「通じる音」という語を使用することは、今後もあると思います。これは、語学の練習項目を作成する などの目的がある時に、便宜的に使用するものですので、お含みおき下さい。



1604理念か実在か(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 5日(土)12時24分05秒


 これらの長文の記事は、以前に私と Eliot さんの間で、やりとりしたものから派生しているものです。元になった記事は過去ログにありますので、ご参照下さい。

 いくこへ
 また、関連記事を串刺しにしてピックアップしてもらえるとありがたい。急がせませんので、やってもらえないでしょうか。

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> 私が言う「完璧な音」とは、モデルとする英語話者たちの出す音のこ
とですから、理念ではなくあくまで実在です。

 Eliot さんは、ご自分が日本で生活されていて、完璧な音で日本語をしゃべっていると思っておられますか。私は自分に関して言うと、どうしてもそうは思えません。 字に書いてしまうと、言葉の表情がほとんどそがれてしまいますが、例えば、私が昨夜遊びに来た昔の塾生に話したのは以下のようなものです。

 何言ってやがる。そんなはずねえだろ。間にあるのは哲学の問題じゃねえんだ、ボールベアリングっていう具体的な「もの」じゃねえか。えっ、ああ、そりゃ そうだ。そりゃ、資本を出しといて、人事権を全部イギリス人に渡しちまうお前の会社の経営上層部が馬鹿なんだよ。人事権を全部連中に渡しちまえば、品質管 理に響いてくるのは当然だよ。ブリジストンの問題と同じじゃねえか。日本製品というもんは、品質を崩したらそれで終わりだよ。

 英語教室というものがあれば、教室英語というものができます。日本語教室というものがあれば、教室日本語というものができます。私がしゃべっているの は、教室日本語ではなく、一種のべらんめえです。私と塾生の間では、私は普段からべらんめえを標準にしております。
 このべらんめえは、日本語教室では教えません。「何言ってやがる」は、教室では、「何を言っているんですか」あるいは「何を言っているのですか」とな り、「哲学の問題じゃねえんだ」は、「哲学の問題ではないんだ」あるいは「哲学の問題ではないのです」となるでしょう。
 しかし、私のべらんめえは、私の普段の普通の言葉です。
 音の表記は、日本語用に発音記号というものがないので困るのですが、どうも、標準的なひらがな一つずつの音をちゃんと出しているという気がしません。 「何言ってやがる」は、語法的には「何を言っていやがる」の崩れでしょうが、音だけだと「な てやn」程度の更なる崩れは常時起こります。
 また、近所に住むウド(オーストリア生まれ)は日本語を覚えようとしていますが、私はウドの前で日本語を話すときも、このべらんめえを変えません。ウド の前で使うときは、日本語の相手がウドの女房であることが多く、この女房が昔の私の塾生であるためです。
 ウドは日本語を習うのに、NHKのアナウンサーの出す標準語音で習うのがいいのかもしれませんが、ウドが私とつきあっていくのであれば、私のべらんめえ もヒアリング可能にならなければなりません。それまでは、しょうがないので私が英語でしゃべってやってやるだけです。



1605理念か実在か(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 5日(土)15時03分08秒

> 私が言う「完璧な音」とは、モデルとする英語話者たちの出す音のこ
とですから、理念ではなくあくまで実在です。

 べらんめえの普段使っている私の日本語の音が、とうてい「完璧な音」でないにもかかわらず、私は「日本語話者」です。NHK的、東京的な日本語も使うこ とがありますので、私の日本語の音は、二重化しています。そして、NHK的、東京的な私の日本語の音も、決して「完璧な音」とは思えません。つまり、私は 日本語の「完璧な音」をもっていません。「完璧な音」は成り立たせれば成り立たせることの可能な「理念」です。それを成り立たせようとすれば、私は「完璧 な日本語の音をめざす」ために、それ用の教室に通うかもしれませんが、そんなつもりはまったくありません。まっぴらごめんだと思っております。そんな人工 的な、おためごかしの音は要らねえやと思っています。
 私は自分のことを、普通の「日本語話者」だとは思っております。教室用あるいは放送用の「完璧な音」をしゃべる日本語話者がいたとしたら、その人と比べ て、私は自分の日本語の方が普通だと思っています。人工的でなく、自分の感情の動きに沿っており、それで普段のひとづきあいに支障が生じないからです。
 「日本語話者」である私においても、日本語の「完璧な音」は理念にすぎません。「通じる音」は日々使用しており、実在しています。
 例えば、青森県に生まれて育ったばあちゃんに向かって、あんたの日本語は普通ではない、あるいは、きれいな日本語ではない、あるいは、完璧な日本語では ない、とでも言ったとしたら、実に傲慢で失礼なことです。
 「通じればいい」という言い方には傲慢さはない。むしろ、「完璧な音」という言い方に傲慢さがあるのです。
 英語のニュースのアナウンサーに、「あなたは完璧な英語音で話していますか」と聞いても、傲慢なやつは Yes というでしょうが、「いや、それをめざして努力は続けていますが、完璧とは言えない」と答える人も多くいると思っています。この努力していると答えた人の 発音も、日本の英語の教室から見れば、「完璧」に見えます。
 ご本人が「完璧ではない」と思っていても、日本の英語の教室という特殊な場所から見れば、「完璧」に見えるということです。何の実在でもありません。 「そう見える」もの、すなわち幻影です。あるいは、教室における理念です。
 そのアナウンサーは、放送でニュースを伝えて生活を成り立たせているのですから、「通じる音」を持っていることは間違いありません。「あなたは通じる英 語の音で話していますか」という質問には、ほとんどのアナウンサーはむっとすると思います。むっとするのは、「通じる音」が実在だからです。質問が実在を 疑う質問だからです。
 日本の英語の教室という場所も特殊ですが、「ニュース英語」というものも放送用の特殊なものです。それを組み合わせていけないことは何もありませんが、 日本の英語の教室で、教材としてアメリカのニュース英語を採用した場合は、特殊な場所で特殊な教材を組み合わせているのだという自覚は必要です。



1606理念か実在か(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 5日(土)15時04分03秒

 ここにあるのも、実は「磁場」の問題です。
 「完璧な音」という言い方をするだけで、私には虫酸が走るような感覚が生じますので、私はかつてどの塾生にも「完璧な音」をめざせと言ったことはありま せん。いつもその時点でのベストの音を求めろと言ったことは何度もあります。これは以前にも書きました。
 「完璧な音」というものは、教室、訓練所などで初めてリアルなものとなる理念です。それ以外の場所、つまり生活言語(磁場を形成し、磁場に置かれる言 語)では、「完璧な音」などはありえません。感じのいい音、感じの悪い音、明確な音、不明確な音などがあるだけであり、完璧な音などというものはありませ ん。私はかつて誰からも、「完璧な音」で日本語を話せなどと要求されたことはありませんし、私自身も、「完璧な音」で日本語を話そうなどと思ったことはあ りません。もしも、私に「完璧な音」で日本語を話せなどと命じるやつがいたら、その場で蹴飛ばしてやります。傲慢なやつだからです。
 生な言語の「磁場」というものと、教室というところはとことん別なものです。教室や訓練所というところは、人工的に、あるいは外科手術的に「音づくり」 をやって当然の場所だからです。私の塾や「電話でレッスン」でも「音づくり」はやっています。そこでは、「完璧な音」をめざせという理念が成立します。私 は決してその言い方はしませんが、理念としてそれが成立するということならわかります。
 生な「磁場」に持ち込んだとたんに、「完璧な音」という言い方は実に傲慢なものになります。しかし、「通じる音」なら、「音づくり」の場面で使っても、 生な磁場に持ち込んでも傲慢にはなりません。単に、発音上の問題に限って、その語を使っても傲慢にはなりません。



1607完璧に近い音 投稿者:浜谷 投稿日: 1月 5日(土)16時32分43秒

>英語のニュースのアナウンサーに、「あなたは完璧な英語音で話していますか」と聞いても、傲慢なやつは Yes というでしょうが、「いや、それをめざして努力は続けていますが、完璧とは言えない」と答える人も多くいると思っています。この努力していると答えた人の 発音も、日本の英語の教室から見れば、「完璧」に見えます。

「完璧な音」VS「通じればいい音」のご議論を興味深く読ませていただいております。上記の仮想インタビューは現実に行ったとして、そのとうりの答えが 返ってくると思います。ご議論の接点がみえたのではないでしょうか? つまり「完璧に近い音」のことを Eliotさんは仰っていると思いますがいかがでしょうか?

>「完璧な音」という言い方をするだけで、私には虫酸が走るような感覚が生じますので、私はかつてどの塾生にも「完璧な音」をめざせと言ったことはありま せん。いつもその時点でのベストの音を求めろと言ったことは何度もあります。

以前ここの書き込みにネイティブの話す英語を「100%理解出来る」と仰った方がいました。それも「100%近く理解出来る」と仰るべきだと感じました。 ちなみに私は「通じればいい音」という言い方の方を使いたいと思っています。「完璧に近い音」は特に今後国際社会に羽ばたく人たち(中学生ー大学生)に是 非ガイドラインとして教えて行って欲しいと思っていますが、そのような良質の音の獲得と併せて「イメージとの同致」を当然最終目標にして教えていって欲し いと思います。その点「通じればいい音」を念頭にすれば、「イメージとの同致」が明確な最終目標とされているわけですから、上記の人たちは勿論これから英 語をやり直そうとしている人たちにも有益なガイドラインになると思います。



1608根石先生の話は難しい。。。(いつも?、ときどき?) 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)16時38分18秒

>語学の言語は生活言語に「渡る」。渡ってしまえば、それは生活上切実な言語になるので、語学の言語ではない。すでに生活言語である。また、生活言 語は「帰る」ことによって、語学の言語に戻りうる。帰ってしまえば、すでに生活言語ではなく、語学の言語というまったくの別物である。生活言語に対して偽 物に変わる。語学とは偽物と本物の間の往復行為だ。

「コミュニケーション論者」に対するわかりやすい定義だと思いました。



1610感性の階級性? 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)16時50分40秒

>ここには誤解があると思います。「発音がすごくうまい上に」ではないのです。発音なんか大して「うまくないのに」、「通じる音」はある、というのが私の 見解です。この事実の外に問題にすべきものがあるなら、それは感性の階級制の問題だと思っているのです。

「感性の階級性」とはどういう意味ですか?具体例を挙げてくださればうれしいのですが。。。




1611ひとりになる 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)16時55分13秒

>「音とイメージの同致」は、学習者の意識にのみ生起します。厳密な場所としては「意識」しかありません。この場所に関して、語学のコーチ、学校の先生と いうものは、非常に無力なものです。原則を言えば、学習者が一人で勝手にやるしかないものだからです。
 音を音としてのみ扱うことは、口の動き、空気の震え、鼓膜の震えとして顕在化させうるものを扱うのですから、「教室」でもできます。これに対して、「音 とイメージの同致」が起こる本当の場所は、厳密には一人の学習者の意識だけであり、この「同致」は物質的に顕在化させて「同致」しているかどうかをいちい ち確認することができません。これが確認できるのは、学習者本人だけです。学習者本人にはわかります。

意識や「音とイメージの同致」が本人の中でおこるというのは分かるのですが、なぜ、教室でそれが可能にならない(なりにくい?)のでしょうか?物理的に教 室の中にいても、意識的に一人になれるような気もするのですが。。。



1613根石様 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 5日(土)20時42分39秒

議論がすれ違っています。私の側の定義を整理してみます。

「完璧な音」
モデルとする英語話者(の録音などの教材)とそっくりに英語を発音できるようになった学習者の発音、あるいは学習者がモデルとする英語話者の発音見本のこ と

 私はいわゆる標準的な英語を話す英米人そのものが完璧だとか、彼らの発音が他の社会階級の英米人の発音との比較において完璧なものだとか言っているので はないのです。彼ら以外の英米人の発音が完璧ではないなどとも思っていません。

 学習者が発音の練習をしようと思って、モデルとするための教材を買ってきたとしましょう。それにはアメリカ人の発音が録音してあって、学習者がそれを 「完璧に」真似しようと頑張って、彼の発音はほぼモデルそっくりになったとします。そうやって習得したその学習者の発音を

「(目標とするモデルの発音を)完璧(に復元できる、十分に上手)な発音」

と言っているに過ぎないのです。

 発音の練習は端的に言えば「物真似」です。物真似であれば、できるだけ物真似される人そっくりになるように練習せねばなりません。物真似の対象となって いる人が歌手であって、その人の歌を真似するのであれば、真似する人は、その歌手の声と歌い方を忠実に再現しようとするでしょう。そしてそっくりに歌えれ ば、物真似としては「完璧」です。むろん、この「完璧」は物真似として完璧という意味でしかありません。真似される歌手の歌唱力はお粗末なものかもしれま せんが、物真似のモデルであれば、真似る側の人はその下手な歌をそっくりに真似できれば、物真似としては「完璧」です。

「私が言う「完璧な音」とは、モデルとする英語話者たちの出す音のことですから、理念ではなくあくまで実在です」と書いたのも、今述べてきたことと同じこ とです。「モデルとする英語話者たちの出す音」はそれを真似しようとする学習者にとって、あくまで彼らにとってのみ、練習のお手本としてのみ、「完璧な 音」なのです。そしてモデルの発音を可能な限りそっくりに復元できるようになった学習者のその発音も、物真似としては「完璧な音」だと言っているのです。

「通じる音」
th[θ]を発音して、聞き手に他の音と誤解されず、[θ]に聞こえれば、それを通じる音という。

根石さんがおっしゃる「通じる音」とは違いますね、これは。

>「イメージと同致する音を作れ」=「意識の動きを反映しうる音を作れ」=「通じる音を作れ」です。
 良質の音というような音の質の概念をも、「通じる音」は含みます。しかし、あくまでも、それは「通じる音」の一部分です。「通じる」とは、音の質だけの 問題ではないことは自明のことではないでしょうか。

 確かに、「通じる」とは、音の質だけの問題ではないことは自明のことです。でも、「通じる音」と言えば、音だけの問題に絞って話を進めてもよいのでは? そうでないと話がややこしくなります。

>単に音の質をさして、あるいは発音上の語としてのみ、「通じる音」という語を使用することは、今後もあると思います。これは、語学の練習項目を作成する などの目的がある時に、便宜的に使用するものですので、お含みおき下さい。

と、根石さんご自身もおっしゃっているではありませんか。




1614根石様(2) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 5日(土)23時37分23秒

>「完璧な音」というものは、教室、訓練所などで初めてリアルなものとなる理念です。それ以外の場所、つまり生活言語(磁場を形成し、磁場に置かれる言 語)では、「完璧な音」などはありえません。感じのいい音、感じの悪い音、明確な音、不明確な音などがあるだけであり、完璧な音などというものはありませ ん。

その通りだと思います。

>教室や訓練所というところは、人工的に、あるいは外科手術的に「音づくり」をやって当然の場所だからです。私の塾や「電話でレッスン」でも「音づくり」 はやっています。そこでは、「完璧な音」をめざせという理念が成立します。私は決してその言い方はしませんが、理念としてそれが成立するということならわ かります。

 私が言っている「完璧な音」はまさにこのことです。ここでは根石さんと私の間に意見の相違はありません。ただ「完璧な音」という「用語」を用いるかそう でないかの差だけです。

>生な「磁場」に持ち込んだとたんに、「完璧な音」という言い方は実に傲慢なものになります。

 私もだれからも「完璧な音」で英語を話せと言われたこともないし、誰かにそんなことを言ったこともありません。今後も言うつもりはありません。ですが、 モデルとする録音教材そっくりになるよう練習せよと、教室で生徒に向かって言ったことはありますし、今後も言うでしょう。
 10年近く前のことですが、とある英語の講習会でアメリカ人講師による発音クリニックなるものがあり、何十個かの単語を発音して、英語のすべての子音と 母音のチェックをしてもらい、アドバイスを受けるという機会を持ちましたが、私は全部の単語がOKで、"Perfect!"とコメントを書かれただけでお しまいでした。Perfectを訳せば、普通「完全」か「完璧」ですが、あのときのコメントの意味は「直すほどの問題点はない」という意味でしょう。
 私は、日本人学習者はだれもが「直すほどの問題点はない」というレベルの発音に到達すべきだと思っており、自分の生徒たちにはそういうレベルの発音を目 指して練習させてきました。その際に言うのが「(モデルそっくりに言えるよう)完璧を目指せ」なのです。そういう指導で3年近くやってきた結果、何人もの 生徒がそれに近いレベルにまで上達しました。
 「直すほどの問題点はない」レベルを達成した英語学習者であれば、実際の英語の使用の場面では、少なくとも発音の面で困ったり、相手を困らせたりするこ とはまずないはずですから、そういう彼らに向かってだれも「完璧な音」で話せなどというはずがありません。




1615根石様(3) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 5日(土)23時38分38秒

>しかし、「通じる音」なら、「音づくり」の場面で使っても、生な磁場に持ち込んでも傲慢にはなりません。単に、発音上の問題に限って、その語を使っても 傲慢にはなりません。

 「通じる音でいい」という言葉は、発音の練習を軽視する日本人学習者の言い訳としてしばしば使われてきました。「通じりゃいいのさ=発音なんて適当でい い」という主張をする人たちがたくさんいます。きちんと練習した結果としての「通じる音」(←「音」に限っての話です)であればいいのですが、最初から 「通じればなんでもあり」という姿勢は上達の障害になります。それに私は「通じる音」が傲慢だと書いたわけではなく、「通じればなんでもあり」という姿勢 は傲慢だと書いたのです。なぜ「通じればなんでもあり」が傲慢かと言うと、それが聞き手の側のことを考慮に入れてない姿勢だからです。できるだけわかりや すい、不愉快でない発音で相手に聞いてもらいたいという姿勢が見えないからです。

>音が明確であるとか、正しいとか間違っているとかいうことは、「教室」や「語学の机上」においては成立します。しかし、そこで確認できるのは、音の質だ けであり、「音とイメージ」の同致は確認できません。だから、「通じる」かどうかは、「教室」や「語学の机上」では確認できません。「通じる音」かどうか は、「通じさせる場」で、その音を使う本人にしかわからない。本人にはすぐにわかる。そして、その場所は、語学の外側、生活過程にあるはずです。
>「通じる音」というものが語学で作るべき音の基準ではあるのですが、その基準自体がある場所は、語学の外側、生活過程、あるいは英語の「磁場」です。

 だからこそ、教室では「通じる音」を基準にしては、発音の指導はできないと考えるのです。教室という練習の場で生徒たちに目指させるのはあくまで「モデ ルそっくりの音」でいいと思います。私は、モデルを「完璧に」真似るよう練習せよと言い続け、生徒の手助けしてきたつもりです。それと同じことを根石さん も「ベストの音を出せ」という言い方で生徒さんたちに要求してこられたのではないのですか。私たちは似たようなことをしながら、生徒たちの英語の音を改善 しようとしているのに、私が「完璧な音」という言葉を使ったがために、話がややこしくなっただけのように思いますが、いかかでしょうか。




1616浜谷様 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)00時08分37秒

>英語のニュースのアナウンサーに、「あなたは完璧な英語音で話していますか」と聞いても、傲慢なやつは Yes というでしょうが、「いや、それをめざして努力は続けていますが、完璧とは言えない」と答える人も多くいると思っています。この努力していると答えた人の 発音も、日本の英語の教室から見れば、「完璧」に見えます。

 このアナウンサーが教科書を読んだ録音があれば、それを教材にして英語の発音を練習している学習者たちにとっては、この人の発音は「完璧」に真似るよう 努力する目標となります。私は、その場面では、その録音がモデルとしては「完璧な発音」だと言っているにすぎません。このアナウンサーの英語が他の英語話 者の発音との比較において完璧な発音かそうでないかなどということとは話が違います。

>「完璧な音」VS「通じればいい音」のご議論を興味深く読ませていただいております。上記の仮想インタビューは現実に行ったとして、そのとうりの答えが 返ってくると思います。ご議論の接点がみえたのではないでしょうか? つまり「完璧に近い音」のことをEliotさんは仰っていると思いますがいかがで しょうか?

 私はそのアナウンサーの発音を「完璧に近い音」だとは思いません。私がそういう意味で「完璧」という語を使ったのではないということをご理解願います。 私は、英語のニュースアナウンサーの発音を聞いて、「モデルにするのにふさわしい発音」だとか「よく通じる発音」だとかのように形容することはあっても、 何か英語圏に「完璧な発音」というものが実際に、あるいは理念として存在すると考え、そのアナウンサーの発音がそれに近いとか遠いとかいうようなことを言 うようなことはありません。そもそもそんな「完璧な発音」など存在しないことを知っていますから。よって、私が英語アナウンサーに"Do you use perfect English pronunciation?"などとばかげたことを聞くことはありません。




1618「同致」 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)02時09分48秒

 今まで何気なく読んできた「同致」という語ですが、これは普通の日本語でしょうか。それとも根石さんの造語でしょうか。手元の辞書を見ても載っていない し、googleでサーチをかけても出てきません。もちろん根石さんがお使いになっている「同致」の意味はわかるのですが、音とイメージが共起し、それら が「同時」に「一致」するということですよね。でも気になります。この掲示板や「どんでんがえしのやっつけ方」の読者以外の人にすんなり通じる語なのだろ うかしらと思ってしまうのです・・・。




1619Eliot様 投稿者:浜谷 投稿日: 1月 6日(日)06時58分53秒

> 私はそのアナウンサーの発音を「完璧に近い音」だとは思いません。私がそういう意味で「完璧」という語を使ったのではないということをご理解願 います。私は、英語のニュースアナウンサーの発音を聞いて、「モデルにするのにふさわしい発音」だとか「よく通じる発音」だとかのように形容することは あっても、何か英語圏に「完璧な発音」というものが実際に、あるいは理念として存在すると考え、そのアナウンサーの発音がそれに近いとか遠いとかいうよう なことを言うようなことはありません。そもそもそんな「完璧な発音」など存在しないことを知っていますから・・・。

>・・・この人の発音は「完璧」に真似るよう努力する目標となります。私は、その場面では、その録音がモデルとしては「完璧な発音」だと言っているにすぎ ません。・・・

>それと同じことを根石さんも「ベストの音を出せ」という言い方で生徒さんたちに要求してこられたのではないのですか。私たちは似たようなことをしなが ら、生徒たちの英語の音を改善しようとしているのに、私が「完璧な音」という言葉を使ったがために、話がややこしくなっただけのように思いますが、いかか でしょうか。

上記の最後のコメントでこの議論は決着したように思いますがいかがでしょうか?それにしても言葉というのは使い方が難しいと改めて感じさせられました。と ころで、

>・・・私は全部の単語がOKで、"Perfect!"とコメントを書かれただけでおしまいでした。Perfectを訳せば、普通「完全」か「完璧」です が、あのときのコメントの意味は「直すほどの問題点はない」という意味でしょう。

というお話ですが、ネイティブがPerfectという言葉を会話の中で使うことはよくありますが、それは仰っているように上記のあとの方の意味で使われる ことが殆どですよね。「完全」とか「完璧」という意味で使ってないですよね。つまりgreatが会話の中で使われているのと同じように誇張する時によく使 われていると思います。 何が言いたいかと言えば、一連の議論の中で使われた「完璧」という言葉は時によっては誤解を招く言葉ではないか、慎重に扱う必要 があるのではないかということです。



1620根石さん 投稿者:浜谷 投稿日: 1月 6日(日)07時25分33秒

>それと同じことを根石さんも「ベストの音を出せ」という言い方で生徒さんたちに要求してこられたのではないのですか。私たちは似たようなことをしなが ら、生徒たちの英語の音を改善しようとしているのに、私が「完璧な音」という言葉を使ったがために、話がややこしくなっただけのように思いますが、いかか でしょうか。

と言うEliot様のこのコメントで一連の議論は決着したように思いますが、いかがでしょうか?



1621「通じる音」「通じる英語」「上手な英語」(1) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)13時11分15秒

根石様

>「通じる音」という概念の中に、「音とイメージの同致」までを含めてしまった方が実際的だし、役に立つと考えるのです。そうすれば、「イメージと同致す る音を作れ」という方針が引き出せるからです。あるいは、「音づくりの過程で、同時にイメージも作れ=イメージせよ」という方針です。

 私はあくまで「通じる音」という語句を純粋に音の問題に限って使って、「音とイメージの同致」したものは「通じる音」でも「通じる英語」でもなく、「上 手な英語」とでも呼びたいと思います。もっとも「音づくりの過程で、同時にイメージも作れ=イメージせよ」ということに異論はありません。今回の議論で私 が言ってきたことは単に「英語の音を発生させることができる口作り」のことだけですが、実際にはその練習の中には徹底した音読やリスニング(「聞き込 み」?)、さらには暗唱発表などが含まれており、それらは英語の音にシンタックス+イメージ+感情+場面という要素を溶け込ませていく作業ですから、私の 生徒たちは、「通じる音」(←音だけのこと)」を作りながら、「上手な英語」を獲得するための練習もやっていると考えています。

「完璧な音」VS「通じる音」(その7)の中で私は、リスニング、音読、暗唱、多読、自由作文のそれぞれについて、さらに私の考えを述べたり、学校での実 践の報告などもしたいと書きました。今後機会を見つけてこれらの活動について書き込みをさせていただきたいと思っています。



1622「通じる音」「通じる英語」「上手な英語」(2) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)13時12分48秒

>なぜ使えないか。なぜ通じないか。「イメージの同致」が伴わないのが最大の原因です。もしも、単に発音上の問題だけが原因で通じないのであれば、「イ メージの同致」を伴うことのできる音を持っている者なら、いくらでも他の言い回しを繰り出して、「通じる」という状態を作り出すことができます。私はそう しています。

 ここが理解できません。発音上の問題だけが原因で通じないというのはいわゆる「発音が悪い」人のことですね。そういう人が「イメージの同致」を伴うこと のできる音を持っているというのはどういうことでしょうか。
 「イメージの同致」を伴っていようが、アイスクリームを買いに来た日本人の発音が「バニラ」であれば絶対通じないだろうと私は想像しますが、英語を知ら ない人に “vuh-NIL-uh”と言えるように練習させてから買いに行かせたら、バニラアイスクリームを手に入れることができるのではないでしょうか。でもその 人に「音とイメージの同致」があるとは言えないでしょう。しかし、その英語は通じてアイスクリームを買うことができたのですから「通じる英語」ではあった と言えませんか。もっともこの人が「上手な英語」の持ち主であるとは言えません。
 今、私の頭の中には次のような区別が浮かんでいます。
  「通じる音」・・・純粋に音レベルで、英語の音に聞こえる発音
  「通じる英語」・・相手に理解してもらえる英語
  「上手な英語」・・いわゆる上手な英語

 どうも私は根石さんの主張をよく理解しないまま、とんちんかんなことを言っているような気もするのですが、いかがでしょうか。

 何年か前にNHKで山崎豊子原作の小説をテレビドラマ化した「大地の子」という日中合作のシリーズが製作され、評判になりました。中国残留日本人孤児の 陸一心という男性が主人公のドラマで、主役の陸一心を演じたのは上川隆也という俳優さんでした。彼は中国語はまったくできないのに、中国語ネイティブを演 じたのです。雑誌の記事に書いてあったのですが、彼の中国語の台詞(膨大な量ありました)は中国の視聴者にも好評だったそうです。また、中国での撮影の際 には上川氏の台詞を聞いていた現地のスタッフたちは、彼が中国語ぺらぺらだと思い込んで話しかけてもさっぱり通じなかったので驚いたそうです。
上川氏自身が後日テレビのインタビューで語っていたところによると、彼は中国人の発音コーチに徹底的にしごかれて台詞の練習をしたそうです。その際に使っ た大学ノートも見せてくれたのですが、中国語の台詞の漢字の上下や行間に発音の注意がびっしりと書き込んでありました。中国語母語者の役をやるのですか ら、いいかげんな発音では通りませんよね。必死に練習したに違いありません。
 彼の場合、中国語の台詞を中国人のような発音で言えるようになった上で、それを暗記し、さらに感情を込めてそれを言いながら演技をするということを要求 されたわけですが、まったくの中国語のしろうとである演劇のくろうとが中国語の音を身につけて演技すれば、中国人にも「通じる音」、かつ「通じる中国語」 としてドラマの中で通用し、中国人をも泣かせる力を持ちえたということは、やはり彼が身につけた「正確な音」(もう完璧な音という用語は使いません!)が あればこそできたことではありませんか。
上川氏がそれまで舞台俳優で、テレビや映画では無名の人だったため、私はこのドラマを見たとき、彼のことを知りませんでした。それで私は最初のうちは、こ の人は日中バイリンガルの俳優じゃなかろうかと思っていました。それくらい自然な中国語に聞こえたのです。
 私は中国語の発音もかなりできます。リンガフォンで勉強したとき、テープによる発音添削課題を提出して「直すところはない」というコメントをもらいまし た。(すみません、また自慢になりました) 中国語の手紙も書いたことがありますし、中国旅行で中国語を使って話したこともあります。私は、自分のことを 中国語に関して「通じる音」を持ち、「通じる中国語」をある程度使えるが、「上手な中国語」の持ち主ではないと思っています。こういう区分が間違っていま しょうか?
 蛇足ですが、上川氏はこのドラマが放映された翌年にNHKのテレビの中国語講座に毎回顔を見せ、中国語の早口言葉のコーナーで特別講師として早口言葉の 模範読みを披露しておりました。



1623上川隆也 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 7日(月)00時05分51秒

蛇足ついでにさらにみっつエピソードを。
@大地の子の撮影はほとんどが中国でのロケでした。その撮影が終わりに近づいた頃、
 上川隆也は中国に残って(中国語で)俳優を続けないかという誘いを受けました。
Aある人がどこかの掲示板に書いていたものです。
 「以前、日本に留学してきている中国人留学生にこのドラマを見せた。
  陸一心の中国語があまりに上手なので始めは上川が日本人だと
  判らなかったらしい。その留学生は毎回涙ボロボロ流しながら見てたよ」
B陸一心の台詞の7、8割が中国語。それを上川隆也は撮影開始の1、2ヶ月前に
 まったくのゼロから練習を始めた。




1624「音とイメージの一致」によって「通じる音」自体は進化するか否か? 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)03時12分21秒

問を自分なりに立てて考えています。

うーーーん。難しい。眠れない。。。羊がいっぴき、にひき。。。




1626「通じる音」 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)04時13分48秒

根石先生が投稿された「通じる音(2)」に関して思いました。
これは、「通じる音」を「通じる」と「音」に分けたほうがいいのではないかと。

「通じる」はあくまでも「生活言語」に関すること。
「音」は「語学」の中の初歩の段階を指す音(音A<=物真似的な音>)のこともあれば、「イメージとの同致」の後の「音(音B<=一見物真似しているよう でその人にしか出せない固有の音(声?)」の2種類があるということです。

音A(例えば北島三郎の歌は北島三郎の物真似をするかのごとくカラオケで歌う)が好きな人もいます。
音B(例えば北島三郎の歌を、カラオケで歌っている人の声らしさを前面に出して歌う)が好きな人もいます。

なんか、STの頭は「うに」状態です。。。

ひょっとしたらこのことは、「コミュニケーション論者」つまり「語学と生活を一続きと考えている人」と、「語学と生活言語を全く別物と考えた方が外国語学 習にはよいのではないかとする根石先生の一貫した主張(間違っていたらすみません!)」の違いを考えるよい機会なのかもしれません。

また学習形態の嗜好性(指向性といってもいいかもしれません)により意見が分かれる部分もあるのかもしれないとも考えています。分かりにくいと思います が、演繹的学習と帰納的学習とか、構造重視主義か内容重視主義とかそんな感じです。なんか余計、はなしを複雑にしてしまっているのかもしれません。すみま せん。あくまで議論の「おかず」にしてもらえたらうれしいです。





1627生活言語はあくまで生活の中で 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)04時23分42秒

「生活言語はあくまで生活の中で」ということですね?

生活の中でひとりごとを言っている場合と、教室内でひとりの世界に入って激しく語学(例えば技法グラウンドをやっている)を練習している場合とは区別をす るということでしょうか?

逆に生活の中では、ひとりごとであろうと、対話であろうと生活場面で使われている言語は生活言語ということでしょうか?

以上、根石先生に質問です!



1628少し解決しました。 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)04時31分57秒

なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(1) 、を読んで今日の投稿の問題点がいくつか解決しました。ありがとうございました。



1638バニラが通じたのはイメージ獲得と言えるか? 投稿者:ST 投稿日: 1月11日(金)18時22分04秒

ST>「通じる音」を「通じる」と「音」に分けたほうがいいのではないかと。

ST>「通じる」はあくまでも「生活言語」に関すること。
「音」は「語学」の中の初歩の段階を指す音(音A<=物真似的な音>)のこともあれば、「イメージとの同致」の後の「音(音B<=一見物真似しているよう でその人にしか出せない固有の音(声?)」の2種類があるということです。

音A(例えば北島三郎の歌は北島三郎の物真似をするかのごとくカラオケで歌う)が好きな人もいます。
音B(例えば北島三郎の歌を、カラオケで歌っている人の声らしさを前面に出して歌う)が好きな人もいます。

ST>音Aにはイメージは入っておらず、
音Bにはイメージが入っている、言い換えるとその人の「たましい」(なんとあやしい言葉の使い方!?)でも「言霊(ことだま)という単語もあるなあ、とも 考えました。)が入っている、と言えますか?

書きながら考えています。例えば、takeという単語を見たとします。もちろん前後の単語や状況からどんな意味かを推測します。浪人生のころ、take= get+will(意志)と書いてある参考書を見つけました。なるほどと思いました。英和辞典を見てみました。すると、みるみるうちにそのtakeという 単語のイメージが自分の身体に定着していく感じました。しかし、それは人が書いた「借り物」です。自分自身が苦労して英文を大量に読みこなし、獲得した知 識ではありません。それでは
自分でイメージを獲得したとは言えません。イメージを獲得したというのは「自分自身の経験」がからんでいるのでしょうか?
例えば先のエリオット先生の「バニラ」のアクセントは発音をマスターして、通じた(つまり自分の希望したバニラが出てきた!)ことは単語レベルにおいて は、イメージを獲得できた(自分の経験と音が一致した<同致した?>ということにはならないでしょうか?



1642バニラがでたついでに 投稿者:パクパク 投稿日: 1月13日(日)12時40分07秒

個別の母音や子音が完璧にできても
英語のリズムとイントネーションが
できていないと通じない音になります。
逆に、個別の母音と子音が完璧でなく
ても、英語のリズムとイントネーションが
できていれば、通じる音になります。
とすれば、英語の磁場にいない日本人が
この英語のリズムとイントネーションを
どうやって、獲得するかが問題となります。
当然、微小ながら、さまざまな試みが
なされていますが、成果はこれからでしょう。
英語学習で、教材として
映画をつかうと、この問題にぶつかります。
シナリオを見れば、簡単な英文でも
聞き取れないのは、発音の問題よりも
英語のリズムとイントネーションが
大きいからです。
正月に、通じる音vs完璧な音の論争が
あったのですが、この英語のリズムと
イントネーションにからめての議論が
ないので、バニラでおもいだしたので
アップしておきます。



1643Eliot さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 1月13日(日)14時52分06秒

 昨夜、ST さんのレッスンの時にお話して、レッスンが終わったら掲示板に書きますと
言っておきながら、うとうとしたらそのまま眠ってしまいました。昼間、薪割りをしたの
で、適度に体が疲れてぐっすり寝てしまったようです。ごめんなさい。
 ST さんは、早めに来られて、池ノ平ホテルへ数泊される。私は31日、午後か夕方、
行きます。夜、一杯やるような場所はホテル内にあるでしょうか。テーマを決めて議論し
たらどうかというような提案が、ST さんからありますが、議論は掲示板でやることにし
て、のんべんだらりんと飲みませんか。私はその方がありがたい。
 議論というのはなかなか噛み合いませんが、忌憚なく行うことが大事だと思っています。
日本の英語をめぐって、忌憚のない議論というものが、あまりにも行われてきませんでし
た。この年末・年始にやった Eliot さんと私の議論でも、Eliot さんが考えを書いてくだ
さり、私がそれについて書くことで、私は自分の考えをより明確にしていくことができま
す。そのことで、日本の英語に潜む問題点をひとつでも多く明らかにできるなら、日本の
英語の状況にとって収穫になるはずです。問題点が明らかになれば、それにどう対処する
かを考える出発点が定まるからです。過去ログを整理して、いずれホームページの記事と
して独立させるなどの作業を行えば、今後、掲示板を読みにきてくれる方の参考になると
思います。
 議論がどんなに激しいものになってもいい。それで、日本の英語に潜む問題点が新たに
ひとつみつかるならば、収穫があるならば、私たちは議論を継続すべきだと思っています。
 最近は、私も酒を飲まずに書いています。酔っぱらいのくだにしてしまっては、日本の
英語の今後を考えている人たちに対して失礼であると反省しましたので、正座まではしな
いまでも、酒を飲まないで書くことに努力しています。
 と、普段はそんなふうにやらせていただき、たまに会う機会があったら、議題なんぞな
いままに、のんべんだらりんとやりませんか。ちびちびでもぐいぐいでも、作法を問わず、
お酒を飲んでしまいましょう。それがありがたい。私は人見知りが激しいので、とにかく
飲ませていただきたい。
 2月1日、金曜日は、夕方から仕事がありますので、31日に池の平ホテルに泊まり、
1日に ST さんを乗せて自宅に戻ります。
 今、白樺湖の方の冬の道路事情を知っている人にたずねてみましたが、夜はチェーンが
ないと登らないそうです。昼間は、塩カルを撒いて雪を溶かすそうですので、31日、午後3時
頃までには白樺湖まで登ってしまおうと思います。
 ということで、31日、私の分の宿泊の予約を池の平ホテルの方に入れておいていただ
きたくお願いいたします。ST さんの予定も決まったようですので、そちらと一緒にお願い
致します。




1646練習の成果 投稿者:okada  投稿日: 1月14日(月)12時03分49秒

 札幌の岡田です。「電話でレッスン」をやり始めてから、既に六ヶ月が過ぎました。テキストは「ゴースト」を使っています。現在49ページまで進みまし た。レッスンは、相変わらず緊張感があり、すらすら読めるようにしていく作業を楽しく感じています。
 初発の英文を読む際に、リズムを作るのは、なかなか難しいと感じます。一度、レッスンを受けてから練習すると、読みやすくなります。どこで切るのか、ど こにアクセントを置くのか。自分ではなかなかうまくとらえられません。だから、回転読みがうまくつながっていかない。やはり、コーチの存在が重要だと感じ ています。
 もう一つ、レッスンを受けて感じたことがあります。復習テストを受けるとき、どこの場面かを把握しないと、うまく読めないということです。



1647okadaさんへ 投稿者:ST  投稿日: 1月14日(月)19時02分25秒

>復習テストを受けるとき、どこの場面かを把握しないと、うまく読めないということです。

STと申します。はじめまして。「練習の成果」を読ませていただいています。実は私も「ゴースト」で電話でレッスンを受けています。okadaさんの「場 面を把握しないと」の部分を読んで、私も全く同じだと思いました。「どんでん返し」にあるように、「文全体のイメージ」が鷲づかみしていると「回転読み」 はスムーズにいくと思いました。これからも、同じランナーとして、よろしくお願いします。




1648パクパクさんへ 投稿者:ST  投稿日: 1月14日(月)19時06分55秒

「音」の問題に限って言えば、個々の音素の問題より、リズムやイントネーションなどの方が、大切だと、私も思います。




1649根石先生 投稿者:ST  投稿日: 1月14日(月)22時38分18秒

投稿ありがとうございます。
議論はかみ合わないから、楽しいのだと私も思います。
流れにまかせて話をするのも面白いと思います。
私がぜひエリオット先生と根石先生にお聞きしたいことは、
「初心者がおさえておいたらよい音声のポイント」
「電圧装置(=単語の覚え方)の効果的な作り方」日本語から英語、英語から日本語など
「語学の英語と生活英語について」
などです。しかし、もちろん、これらの話題にこだわりません。

とりとめもなく話をしている中でこんな話ができたらいいなあと思っています。




1650okadaさん STさんへ 投稿者:YASU  投稿日: 1月14日(月)22時41分03秒

私もゴーストのレッスン受けてます。今,始めて一ヶ月あまりの新参者です。よろしくお願いします。自己学習の内容は,レッスンを受けた部分の意味を調べ て,全ての文章の回転読みをやっています。当初,ただ読むだけだから楽勝と思っていましたが,レッスン時に文章がすぐ出るようになるためには結構な練習が 必要です。こうやって文章を自分のものとして貯えていけば,少しずつ会話ができるようになるのかなと期待してやっています。




1651YASUさんへ 投稿者:ST  投稿日: 1月15日(火)07時56分22秒

ゴーストで学習している仲間が増えてうれしいです。

私は最近2ヶ月ほど休んでいましたが、また復活しました。今50ページまでいっていますが、復習をこれからしっかりやらなければと、思っています。

回転読みにまさる基礎基本英語の学習はないと確信しています。これを基本に自分なりの学習方法をプラスして、今後も精進していきたいです。よろしくお願い します。




1652アメリカ口語教本 投稿者:パクパク  投稿日: 1月15日(火)09時45分56秒

リズムとイントネーションを
これでやろうとおもっています。
SSS方式でも指摘していますが
どんなに英語ができる人も
入門編から入り、過去の毒を
洗い流すのがいいそうです。
回転読みは、このために
非常にいい方法だとおもいます。


アメリカ口語教本 入門用 新訂版
ISBN:4327440388
・ウィリアム・ロ−レンス・クラ−ク
研究社
1984/04出版
161p 21cm A5




1653話体1000をしゃぶり尽くす! 投稿者:ST 投稿日: 1月18日(金)17時40分14秒

<話体の文章を千個頭に叩き込め。話はそれからだ!>みたいなことが書いてあったように思うんですが。。。

これは「どんでん返し」の中ですか?



1654回転読みの回数 投稿者:ST 投稿日: 1月18日(金)17時54分09秒

>これまでの標準的な英語学習法は、「繰り返し」の回数があまりにも少なすぎると思います。國弘さんの「只管朗読」も、「朗読千回」も、「音読」として光 を当てると同時に、「繰り返し」という力点を押さえて捉え返す必要があると考えています。

回転読みの回数は技法グラウンドで電話でレッスンでは5回連続ですが、
国広先生は「1回読めば1回の効果、1000回読めば(音読すれば)1000回の効果」という言い回しでおっしゃっていたと思います。

私は5回という回数は根石先生の永年の実践の中で巧みにうみだされたものだと思いますが、
この掲示板に参加されている皆様は何回が適当とお考えですか?




1655英語の上達について 投稿者:berangkat 投稿日: 1月18日(金)19時52分18秒

こんばんわっ!私の英語の歴史をひもときますと、高校までは塾の受験英語、大学時代は、大学院を受験しようと考えたので、某英会話教室に3ヶ月くらい英会 話を習った後、少し、プライベートレッスンを習いました。大学の単位をさっさととっていたため、3、4年生にもなると授業が暇になり、時間があったのと、 ちょうど4時ぐらいは、生徒がいなかったので、英会話のレッスンも高校生2名と私の 3名でわいわい愉しくグループレッスン!そしてプライベートレッスンでは、大学の図書館から探してきた英語の専門書のリーディング等それはそれで愉しく過 ごしておりました。
大学時代、アメリカには、研修でロスやサンフランシスコ、卒業旅行にニューヨーク、ワシントン、計2回訪れておりましたので、そのころから「留学したい」 と思っていました。
しかし、実際にはお金もなかったので、すぐ就職するのも嫌だったという単純な理由から大学院を受験することとし、見事「さくらちる・・」で、結局就職する ことにしました。その頃から就職氷河期といわれてましたが、160分の1の確率で合格したときは、素直に喜びました。そんな喜びもつかの間、とにかく忙し い会社で、全国を飛びまわったり、時間に追われている生活を送っています。初めの3年間は、とにかく無我夢中で仕事を覚えておりましたが、なんか、急に虚 脱感を感じ、そんな時、「素読舎」と出合いました。
入社後、私は、何かをしたい、いや、何かをしている自分が欲しくて、高いお金を出し、「英会話教室」にはたまた通っておりました。
キャッチフレーズは、「フリータイムレッスンなので、忙しい方でも無理なく通える」「ネイティブな外人と時下に接することにより驚くほど英語が話せる」
こんな、魅力的!?なキャッチフレーズがその頃の私にはたまらないもで、「頑張るぞ」のわけのわからない意気込みとともに、英会話学校の門を叩くこととな りました。
大学時代に通っていたときは、午後4時に行ってたので、このキャッチフレーズのとおりとはいいませんが、無理なく、少人数制で愉しく通っていましたが、今 度は、そのときとは状況は違います。まず、「楽しさ」だけを求めているわけではない、そして、時間がない・・・・・
私の正規のレッスン時間は7時から8時!しかーし、仕事をしていると、とにかく時間がないので、結局8時頃のクラスに振り替える日もあります。
「振り替えられるならいいじゃん」とここで一瞬思ったあなた、そこが大きな落とし穴なのですよ。世の中には、不況とはいえ、私のように忙しい人間が多数お ります。その方たちが私と同じことを考えてごらんなさい!「少人数制」が「大人数制」に替わり、「無理なくレッスンが受けられる」が「無理してでも受けさ せろこの野郎!」に変わるのです。
授業は、低学年が持っているような大きな活字の教科書を見て、発音練習、紙芝居のような絵をみせられて、描いているものが何かを当てる、唄をうたう等‥
確かに、クラスの方との出会いもあり、愉しくないとはいいませんが、無駄が多いのです。
本当に勉強したい、覚えたいという方は、よほど自分に信念がなければ、大規模で、綺麗な英会話学校をのっとるぐるあいの気持ちがなければ、気持ちがあって も、実力がなければ、多額の授業料
がとても、もったいないものとなってしまう気がします。
大きな英会話学校にだって、メリットはあります。最新の機器に触れ、直にネイティブスピーカーと接することができ、綺麗な教科書、綺麗な本、数々の教材、 そして、色んな方との出会い・・・
その時の出会いにより、今も交流のある友人もいるので、全てを否定するわけではありませんが、私が、「もっと英語を効率よく勉強したい!」という気持ちが 強くなったから、疑問を感じたのかもしれません。

長くなったので、続きは、また来週!来週は「素読舎」との出会いについて書きます。

文章が下手ですいません・・・




1656答え 投稿者:YASU 投稿日: 1月18日(金)22時19分01秒

<これは「どんでん返し」の中ですか?

いや,素読舎で発行されたコテンパンという小冊子です。



1657Obsolete usageと受験英語(1) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時08分19秒

根石様

>obsolete なものの扱いに関しては、その扱う順序が肝心だという判断はあります。先に現代英語をやるべきであり、それが使えるレベルになって、 必要があれば、obsolete なものを扱うのがいい。その順序が大事だという考えです。

おっしゃる通りだと思います。

>obsolete な英語が「700選」などに見つかるのは、受験英語に古い英語が出題されるということが根本の原因です。ですから、単に「700選」などを槍玉にあげて、 受験英語、あるいは受験体制そのものの批判に及ばないのであれば、解決にはならないと考えています。日本の英語を変えるための的が外れてしまいます。

 私は、受験英語、あるいは受験体制そのものの批判を私のできる範囲でやっております。その一環として、私の授業の中でも生徒が受験英語の毒に冒されるこ とをできるだけ少なくするように努力しているつもりです。一方、「700選」の著者たちは受験英語、受験体制を批判するどころか、その問題を拡大再生産し ているのですから、批判されて当然だと考えています。つまり、受験英語の批判は批判として行い、妙な参考書や問題集の類も気づいた人が批判の声をあげてい かねばならないということです。

>大学受験の英語に obsolete なものが混ざるのは構わないと私は思っています。日本の中学・高校の標準的な学校が、現代英語さえちゃんと生徒のものにしていないことが大問題なのであっ て、もし、中学・高校で現代英語の感覚ができているならば、大学受験の英語に obsolete なものがあるのは構わない。なぜなら、大学では、歴史も文学も宗教も扱うのだし、その中には中世史もあるし、中世の文学もあるし、さまざまな宗教文献もあ るからです。

 この意見には賛成できません。テストとは「やったこと」の成果を問うものであるはずでしょう? 現代文しか勉強していない受験生に「現代国語」の試験だ よといって、古文や漢文の問題を出すのが許されることでしょうか。「中学・高校で現代英語の感覚ができているならば、大学入学後に学ぶ英語に obsolete なものがあるのは構わない」とは思いますが、中高で現代英語をしか学ばない(そして日本人の中高生はそれを学ぶべきです!)受験生が受ける試験の中に古い 英語や間違い英語があってはならないはずです。




1658Obsolete usageと受験英語(2)  投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時10分42秒

>大学が、obsolete なものを扱うということは大事なことです。多分、だから大学入試にobsolete なものが出る傾向がある。

 医者になるために必要だからといって、医学部の入試に大学で勉強する専門的な知識を問う問題がありますか。

>大学用の受験英語は、それまでに出題された英語の問題を蓄積したものに基づいて、参考書や問題集が作られますから、その中に当然 obsolete なものが混ざる。

 それは事実です。英語力が不十分な大学の入試問題作成担当者と、同様に現代英語の知識が不十分な参考書・問題集の著者と編集者たちが19世紀の用法をい つまでも再生産しているのです。「入試に出るから参考書・問題集に出る→参考書・問題集にあるから入試に出る→入試に出るから・・・→参考書・問題集に出 るから・・・→」という悪循環を断ち切る力がないのです。
 例えば関係代名詞としての but を含む There is no rule but has some exceptions.という文が受験用の参考書の類には出ていますが、この but=that…not…は完全にすたれた用法であり、先ほどの英文は英語圏の大学教育を受けた人の大半にとって理解不能な英語です。インターネットの google searchを使ってこの文を検索すると、この文を含むウェブページは、一つを除いてすべて日本語・韓国語・中国語のいずれかで書かれた英語学習者用のも のです。この文を学習すべき例文として載せてあるわけです。ひとつだけ英語で書かれたページにずばり There is no rule bust has some exceptions.という文が使われていますが、それは200年前に生まれたイギリス人の著作の中にあるものでした。
 この but がどうして日本の大学入試にも参考書・問題集にもあるのか。その理由はただ一つです。これが廃用であると知らない人と、知っていながらそれを捨てる勇気が ない人たちが日本の英語教育に多すぎるからです。
 理科や社会の分野で10年前にはこう教えていたが、新しい理論や発見があったので、今では教えることが違っているということは特段珍しいことではないで しょう。受験英語だけは時代がどう変わろうと英語がどう変わろうと先ほど述べた「悪循環」をグルグル回っているという困った状態にあるのです。「フランス 革命は1789年に起きたが、入試では昔から1798年に起きたと答えねば×をもらうことになっているので、入試のためには『フランス革命は1798年』 と覚えておきなさい。入試が終わったらそんなの忘れなさい」という歴史の教師がいるでしょうか。多少なりとも受験英語の古臭さと珍妙さを知る英語教師は日 々そのようなことを生徒に向かって言わねばならないのが現実です。





1659Obsolete usageと受験英語(3)   投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時13分43秒

>先にやるべきことは、現在の中学・高校の英語の扱いの批判になります。それが変わるまでは批判をゆるめてはならないと思います。「700選」のケ チをつけることなど、その後でいい。それよりもはるかに大きな問題が、中学英語、高校英語、総じて文部省管轄英語にあるのです。

 確かに中学英語の教科書の内容は文科省が決めています。実践的コミュニケーションをキーワードにしてますます英語教育を迷路に引き込もうとしているのも あの役所です。しかし、多くの高校で英語の授業の内容を実質的に決めているのは、検定済みの教科書でもなく、文科省でもなく、大学入試問題です。「大学入 試に出るから授業でする」という至極単純な図式なのです。現に私の勤務校では通常、高校2、3年の授業では検定済み教科書を一切使わず、受験参考書・問題 集を使って勉強させています。文部省は高校で教える英語の中身については教科書を検定する以外にはほとんど影響力はないと考えています。

 中学高校の授業で現代英語しか教えない授業が実現するためには、大学入試問題に現代英語しか出ないという状況が不可欠です。「試験に出るから勉強する」 というのはすなわち「試験に出ないことは勉強しない」と同じことだからです。そうすると今一番悪い奴は、入試過去問や市販の問題集を参考にしながら、すで に廃用となった英語を試験問題として性懲りもなくまた出題する、実力のない大学教官ということになります。
大学入試の内容についても文科省は大学センター試験以外にはまったくと言っていいほど影響力も指導力も持ちません。各大学は勝手気ままに問題作成をしてお り、どんな不適切な問題を出そうが、こと英語の問題に限っては社会的に糾弾されることもまずありませんから、気楽なものです。他の科目では入試問題で間 違ったことを問うと新聞沙汰になったりしますが、たとえ、関係代名詞のbut を知らない、英語圏育ちのバイリンガル受験生が but を問う問題で得点できなくて憤慨しても、そんな問題を出した大学が釈明するということなど聞いたことがありません。
 もっとも、不適切な入試問題を批判する動きがまったくないわけではなく、最近予備校の河合塾が入試問題批判ブックレットを作っていましたし、河上道生著 「これでいいのか大学入試英語(上・下)」(大修館)というような力作も出版されています。河上氏は「英語参考書の誤りとその原因をつく」(大修館)とい う非常に参考になる本も出しています。しかし、中高の英語教師の多くは、英語力不足のために、今日も疑うことなく、19世紀の用語、用法を自分の生徒に覚 えこませようとしているのです。「入試によく出るよ」と言いながら。
 根石さんと私は塾と学校という違う環境で英語を教えていますから、問題点のとらえ方が異なるのも仕方がないかもしれませんが、私が思うに、日本の英語教 育で一番悪いのは不適切な入試問題を作る大学教官たちであり、次に悪いのが英語の力がたいしてないくせに英語の勉強をせず、生徒に不適切なことを教えてい ることに気づかない中高の英語教師です。文科省(こいつも相当のワルですが)はそのあとに来ます。


1660Obsolete usageと受験英語(4) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時51分54秒

 おっと忘れるところでした。妙な英語をまきちらしている参考書・問題集の著者たちも日本人の英語習得に対し大きな害を与えているので、よくありません。 あまたの出版物に散在する妙な英語に気づいた人はそれをびしばし指摘し、著者と出版社の自覚を促すべきです。私は今主婦の友社から出された「英語は英語で 勉強するな」という本の中のたくさんの間違い英語を訂正させようと編集者と著者に問い合わせをしているところです。その件については古川さんの掲示板↓を ご覧下さい。Rayさんの回答も見てください。
 英語教師自らが日本の間違った英語教育の犠牲者ともいえますので、彼らの英語力が不足しているとしても、彼らだけを責めることはできません。しかし、そ うであっても私は言いたい。
「英語教師よ、もっと英語の実力をつけるよう勉強せよ」
それだけでも日本の英語教育はいい方向に向かうはずだと私は信じています。

私も自分の英語力を高めるために勉強を続けています。この掲示板を見る若い方たちのために、私がどういう勉強をしてきたか、今どうやって勉強しているかに ついてそのうちに書き込みをしたいと思っています。

http://www.tk.airnet.ne.jp/furukawa/english/bbs/



1661古くさいbut 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)18時27分25秒

陳腐なbutの話をさらに少々。

×I cannnot but laugh.(古くさい)
○I can't but laugh.
○I can't help laughing.
○I can't help but laugh.

○It never rains but it pours.(ことわざ)
×No man is so old but he may learn.(古くさい)
○No one is too old to learn.




1662訂正↓ 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)18時28分40秒

○I can't but laugh.を削除。





1663the foot of the hill 投稿者:パクパク 投稿日: 1月21日(月)14時43分00秒

音とイメージの同致

音とイメージをむすびつける接着剤があるようである。
例)
 the foot of the hill これを「丘の足」と翻訳してきたのがいままでの
 学習法。
 これを、1000回繰り返しても、苦痛。
 5回の繰り返しで、同致するには、何が必要だろうか?
 やはり、英語の語順規則原理を知っていた方がいいようにおもう。
 なぜ、英語では、footが先に来るのか?
 それがわかれば、なぜ、ofが、あとに来るのかもわかる。



1664修行 投稿者:YASU 投稿日: 1月21日(月)21時58分28秒

バクバクさん:音とイメージの接着剤って文章の内容をひとつひとつ吟味しながら読むってこと?それなら普通やってる様な気が...じゃなくてある一定の決 まった語順規則原理を知る必要があるってこと?

STさん:回転読みって一文につき100〜200は最低やらないとなんか口に乗らないような気がします。映画のレッスンやってると新しいとこだけでなく結 局最初から全部やらないと忘れるから,最初のほうの文は相当の回数読んでます。まあこれがいつまで続けられるかな?回転書きもやったほうがさらに定着する んかな?書きはでもつらいっすよね?




1665高校英語はむずかしすぎる。 投稿者:Jackie 投稿日: 1月21日(月)22時46分54秒

こんばんわ。 夏に一度投稿したことがある、Jackieともうします。

高校英語ってむずかしいですね。 中学3年ぐらいから ぐぐっとむずかしくなる英語。
なにがって 文法用語(日本語)が 難しくてつまずき
 私はそれで 高校のとき英語の成績が2でした。
かっこをうめる問題も わけがわかりませんでした。

二年ほど前 中学の授業参観にいったのですが 英語を楽しそうに勉強しているのは 1年生。2年生もまあまあ 三年生の教室は とても静かで机にふせって いる生徒もいました。先生が文法説明をしていたけれど
わかりにくかった。

高校へいくともっと音読が 少なくなって むずかしい 演習なのでしょうか?
テキストの音読やリスニング 筆写 基礎文型の声だし練習や 言い換え、それを日本語から英語に訳すなど のトレーニングが 英語上達への近道だとおもう のです。



16665回と1000回の間 投稿者:いくこ 投稿日: 1月21日(月)23時05分23秒

素読舎での素読をとりあげるとき、「(その例文を)5回言えればよい」ということが取り上げられます。では、本当に素読舎では、例文を5回きり言えればよ いというのでしょうか。

それには、少々トリッキーな裏話があります。
というのも、素読舎はまったくの「自習塾」ではないということです。

素読舎の塾生は例文のできをチェックする人間(おじさんとかおばさんとか、最近では先生とか呼ばれている人達です)の前で、5回フレーズを繰り返します。 そのゲートを通って次の例文に進むのです。
しかしながら、この5回の連続を達成するにあたって、ほとんどの人間は5回きり回転読みの自習をしただけでチェックを通ることはありません。塾生達は 100回200回、場合によっては1000回ぐらいも回転読みをして、チェックに臨んでいるわけです。
こうして、素読舎の塾生の当面の目標は「5回くりかえして言える」ということのようにみえます。しかし、実際は、英文が体に定着するまで膨大な素読をして いるのです。

この掲示板にいらしている方には、英語を素読などを用いて独学してらっしゃる方もいらっしゃるのではないかと思います。定着するまでおそらく膨大な素読を していらっしゃるのではないでしょうか。素読舎の場合でいえば、この膨大な自習をチェックする機関ともなっていると思います。

さて、パクパクさんの「丘の足」の件ですが、「5回の繰り返し」だけで音とイメージを同致させるのには、少々無理があります。
膨大な回転読みの中で、全体の意味をわしづかみにとらえることと、単語のもつイデアを抽出して文章をとらえることは、回転読みをしながら同時に行うのがい いかと思います。私の場合は、回転読みで音をつくってから、徐々に捉えていく方が合っているようなので、極力、文章を作文しながらの回転読みをしないよう にしています。

英語の語順規則原理を知ることは、英語のフレーズが体の中に溜まってからでよいのではないでしょうか。特に初学者には、有効のように思えます。

それから、
>the foot of the hill これを「丘の足」と翻訳、
については、直訳なら問題はないのではないでしょうか。これは、単語の持つニュアンスを秘めているように思えます。日本語への翻訳には意訳というステップ が必ず伴うものだと思いますから、直訳の段階、あるいは頭の中で大意をつかむ段階では、問題とならないと思います。
むしろ、footという単語のイデアを捉える事の方が、英語を身につける上で有効ではないか、と思いました。




1667Eliot 投稿者:nobu 投稿日: 1月22日(火)03時02分44秒

はじめまして。
お名前は以前からお見かけしております。
私も根石先生と同業者で、奈良で恩師と2人で英語塾を開いております。

で、下のカキコ読ませていただきました。
Eliotさんが仰せの通り、大学入試には「何でこんな古臭い英語を?」というのを
度々見かけることがあります。
で、ご指摘の通り、大学側と参考書側でのくだらん悪循環が未だに断ち切られぬままに
続いております。
僕もこれには頭を悩ませております。こんな英語を何時まで出題し続けるのか?
無能な大学入試作成者はいい加減に気付いてもらいたいです。
それと、大学入試に出題されるからといって、古臭い英語を「古臭い、使うな」と言わずに
教えている、無能な高校教師にもホトホト困っております。
実際、私どもの塾で、生徒に聞いてみると、高校教師は受験英語に振り回されているようです。

「英語教師よ、もっと英語の実力をつけるよう勉強せよ」

この言葉は、僕自信にも常に言い聞かせておくべき言葉なのですが、今の英語教育者にもっとも当てはまる言葉だと思いました。




1668暗記法 投稿者:パクパク 投稿日: 1月22日(火)10時33分39秒

○I can't but laugh.
○I can't help laughing.
○I can't help but laugh.

似たような文章を、1000回も暗唱で
おぼえるよりも、記憶法に頼った法が
いいのではないでしょうか?
日本語でも、瓜と爪のおぼえかたがあります。
文章の覚え方を、いままでの英語教師は指導
していないとおもいます。
ちなみに、上記の3つの英文のストレスの
入れ方も、教師は説明した方がいいとおもいます。
棒読みでは、イメージと音の合致は生まれません。




1669イギリス人に尋ねてみたところ・・・ 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)16時28分33秒

nobuさん、コメントありがとうございます。

 今日勤務校のALT(assistant English teacher)であるイギリス人青年(昨年来日)に次の三つの文を見せて、どう思うか尋ねてみました。
 1.There is no rule but has some exceptions.
 2.No man is so old but he may learn.
 3.I cannot but laugh.
彼のコメントです。
「1は意味がわかりません。2もよくわかりませんが、おそらくNo man is too old to learn.という意味でしょうね。3は意味はわかりますが、だれも使わない表現です」

 今日も日本のどこかで高校生・大学受験生が but=that...not/cannot but+原形動詞=can't help 〜ing と一生懸命に覚えようとしていることでしょう。What a waste!




1670わかりません。 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)16時35分05秒

パクパクさん

>記憶法に頼った方がいいのではないでしょうか?

「記憶法」とは何ですか。

>瓜と爪のおぼえかたがあります。

???


訂正↓ 投稿者:Eliot  投稿日: 1月19日(土)18時28分40秒
○I can't but laugh.を削除。




1671SVOシンタックスを内在化させる 投稿者:ST 投稿日: 1月22日(火)16時41分57秒

>英語の語順規則原理を知ることは、英語のフレーズが体の中に溜まってからでよいのではないでしょうか。特に初学者には、有効のように思えます。

まったく同感です。これが根石先生の言われる「からっぽの電池作り」ということなのでしょうか?シンタックスをある程度獲得した初学者は、量、英文に接す ることによって、「各単語に充電することで各単語から放電される」状態になっていくということですね。



1672I agree. 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)16時44分17秒

>テキストの音読やリスニング 筆写 基礎文型の声だし練習や 言い換え、それを日本語から英語に訳すなど のトレーニングが 英語上達への近道だとおも うのです。

私もその通りだと思います。

>英語の語順規則原理を知ることは、英語のフレーズが体の中に溜まってからでよいのではないでしょうか。特に初学者には、有効のように思えます。

これにも賛成です。




1673YASUさん 投稿者:ST 投稿日: 1月22日(火)16時50分41秒

STさん:回転読みって一文につき100〜200は最低やらないとなんか口に乗らないような気がします。映画のレッスンやってると新しいとこだけでなく結 局最初から全部やらないと忘れるから,最初のほうの文は相当の回数読んでます。まあこれがいつまで続けられるかな?回転書きもやったほうがさらに定着する んかな?書きはでもつらいっすよね?

私も数えたことはないけれど、もちろん文の長さにもよりますが、100回、200回は読んでいると思います。最低でも。これは初めて接する文です。もちろ ん復習範囲となると、いつのまにか、500回1000回になっていることもあるかもしれません。それから「回転書き」はいつかやってみた実験では、私の場 合、回転読みの回数の約6分の1回転書きできるということがわかりました。人にもよると思いますが、音読したり、ひたすら書いたりするなかで、聞けたり読 めたりする人はこの方法はとてもよいとおもいます。でも逆のパターンの人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。つまり、聞いたり、黙読したりする中 で、話したり、書いたり出来る人もいるんですよね。もちろん綴りは初学者は必須ですが。学習パターンは人によっていろいろあると思います。




1674なまもの英語と受験英語 投稿者:ST 投稿日: 1月22日(火)17時05分39秒

エリオット先生>私も自分の英語力を高めるために勉強を続けています。この掲示板を見る若い方たちのために、私がどういう勉強をしてきたか、今どうやって 勉強しているかについてそのうちに書き込みをしたいと思っています。

「Obsolete usage と受験英語」のシリーズを読みました。日々研鑚する必要を改めて感じています。イングリッシュを媒介にしていないと、いつのまにか、とんでもない方向に自 分自身がいってしまい、はては生徒にもとんでもないことを教えてしまう。反省しきりです。

エリオット先生の書き込みをいつも楽しみにしている一人です。




1675現代英語と古い英語 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)18時40分27秒

>無条件に現代英語が偉いわけではないが、「ひとまず」、現代英語からやる方がいい。話す・聞くという場面では、死んだ人と話をするわけではなく、生きて いる人(現代人)と話をするわけですから、現代英語からやるのがいい。あるいは、産業界から要請される英語の質が、現代英語であるということもあるでしょ う。しかし、聖書などをよく読んでみたいとか、教会で読まれる英語を理解したいとか、ことわざに含まれる語法を知りたいというのであれば、あるいは現代に おいても、obsolete な語法は必要となります。

 これに異論はありません。その通りだと思います。ところが、日本の学校英語・受験英語では「これは古い英語ですよ」と但し書きも何もない古い英語が教え られるため、生徒たちは古い英語と現代英語の区別ができない状態です。実際にはほとんどの生徒が自分たちは今使われている普通の英語を習いたいはずです し、そういう英語を習っていると思っていることでしょう。ところが、学校で、塾で、参考書や問題集で、さらには入試問題や英和辞典からも、古色蒼然とした 英語が生徒たちの頭に流れ込んでいるのです。このことを端的に言えば「生徒たちはだまされている」のです。ここが問題なのです。イギリス人が、現代英語と 判断しなかった次の文を私の同僚の年配の日本人英語教師に見せて、ALTのコメントを伝えたら、同僚は「へえそうなの? There is not rule but...の文は今までに何度黒板に書いて教えてきたかわからないくらいだよ」と言いました。もちろん2も3も特に変な英語だとは思っていませんでし た。
 1.There is no rule but has some exceptions.
 2.No man is so old but he may learn.
 3.I cannot but laugh.

 これが現状なのです。もちろん私など足元にも及ばぬ英語の達人がたくさん英語教師として学校や塾などで教えていることは知っていますが、そういう人たち は全体から見ればまだまだ少数派です。大多数の英語教師は自分が生徒として学校で習った英語を自分の生徒たちに伝えていくのです。そういう先生たちは長年 古い不自然な英語が含まれた参考書、問題集、英和辞典などに囲まれていますから、その珍妙さに鈍感になってしまっています。「大学入試⇔参考書・問題集」 の持ちつ持たれつの関係の中に自らもどっぷりつかってしまって、ほとんどその外に出ることがない英語教師も少なくありません。

 私が「700選」や桐原書店の「即戦ゼミ」(通称「英頻」)などを批判するのは、これらの中の間違い英語や不自然英語が生徒のみならず、英語教師をも汚 染しているからです。英語教師が、学生時代に古い英語と知らずに身に付けたものに早く気づき、努力して現代の普通の語法を学び直し、次世代の生徒にはきち んと今の英語と古い英語を区別して適切に教えることができるようになることが必要なのに、それを邪魔する大きな障害となっているのが、これらの書物だから です。聞くところによると、即戦ゼミの編者はこの本で何億円も稼いだそうですが、あの本は700選の問題点などかすんでしまうほどの不自然英語が満載で す。そんな本が何百万人の受験生と英語教師に使われているのです。考えるだけで憂鬱になります。





1676700選の毒 投稿者:もっこり 投稿日: 1月23日(水)00時38分19秒

Eliotさん、お久しぶりです。

「700選」とは懐かしい。私は2ページ目ぐらいで挫折しました。
「試験に出る英単語」も「英文解釈教室」も私は駄目でした。

Eliotさんや酒井邦秀さんの指摘は重要ですし、
参考書や構文集の筆者や版元には、古くなった文例や奇妙な日本語訳を修正し、
改訂する責任があるのは当然のことです。

ただ、学習者の立場で考えると、「700選」なり「即戦ゼミ」なりの文例の中で、
どれが古くさく奇妙な文なのかをよりわけて、まともな文と区別することができれば、
それ以上の「毒」を、これらの文例集や問題集から受けることはないと思います。
また、もし仮に両者をよりわけられないまま、一緒くたにして覚えてしまったとしても、
将来、生の英語と大量に接する機会を得たとしたならば、
不自然な文はいつの間にか淘汰されていくでしょう。

間違いのない適切な英語を教えるべきだというEliotさんの良心、信念は、
すばらしいですし、教える側にはそれだけの厳しさが要求されると思います。
しかし、日本の英語教育の最大の問題点は、
理解し暗記した単語や構文や文法を血肉化させるステップに欠けていることであり、
受験参考書の古くささや誤りは、周辺に属する問題ではないでしょうか。




1677Eliotさんへ 投稿者:nobu 投稿日: 1月23日(水)01時10分40秒

桐原の「即ゼミ」の功罪は、日頃から生徒にさんざん言いきかしてます。
なのに、高校が一向に変えようとしない…
一方的に買い与えては、小テストで憶えさそうとしている。
しかし、教師の解説もなければ、付属の解答冊子もお粗末で…あれはイケマセンよね。
おそらく、無能な英語教師が、世間の風評に騙され、自分の目で確かめる事無く、生徒に
与えているのでしょう。
こうして何冊もの問題集・参考書を与えっぱなしで、生徒に英語の学力向上を求めるのは
間違いですよね。
うちの塾は、高校生向きのマトモな参考書・問題集があまりにも少ないので、テキスト類は
全てオリジナルで作っています。

しかし、前回も書きましたが、大学入試にでる古臭い英語が出題されなくならない限り
大学受験のために、教えなければならないのも現実です。
(ハッキリ言って辛いです。教える時はキッチリ、これは大学入試でジジイが使う
古い英語だから、大学入試の時だけでイイですよ、後は忘れてください、と言います。)
ちなみに、先生が以前、書かれたbutに関する該当テキストを掲載してみたいと思います。

---------------------------------------------
(3)私は笑わずにはいられなかった。
1) I couldn't help laughing.
*2) I couldn't but laugh.
3) I couldn't help but laugh.
4) I couldn't keep from laughing.
5) I couldn't resist (or avoid) laughing.
(*は古風な英語。読めるだけで良い。決して英作文では使わない事。)

[以下は解説です]

使い方さえ注意すれば、1) と 4) が英作では使いやすい。

1) cannot help doing : 〜せざるを得ない
この表現はニュアンスが難しい。
一般的には 「感情を抑えきれずに〜せざるを得ない、〜だと思わずにはいられない」
という場合に使われる。
行為や決定の選択が問題になるときには普通使えない。
例えば、「雨が激しく降っていたので、タクシーに乗らざるを得なかった」と言う場合に、
It was raining heavily, so I couldn’t help taking a taxi. は不自然。
〜, so I had to take a taxi. が自然な表現。
ただし、この「感情を抑えきれずに」というニュアンスは薄れる場合もあるようで、
We cannot help excluding several items from our discussion.
(いくつかの項目を議題から除かざるを得ない)や
I cannot help being poor.
(自分の貧乏はどうすることもできない)という例も見られる。
(これらは「新編英和活用大辞典 on CD-ROM(大修館書店)」から)
このような例外の指摘はやや曖昧な説明ではあるが、
「英語教育97年5月号(大修館書店)」のp.72にある。
また、「感情を抑えきれずに」というニュアンスを含まないものを不可としているのは、
「続英誤を診る(進学研究社または河合出版)」の p.45 にその指摘と例文がある。
さらに、「英語・この一言が難しい(洋販出版)」の p.93 では、
この表現を使うのが「一人前の大人」や「かなりの年齢の者」である場合は不自然
ではないが、子供が使うのは不自然だという指摘がある。
要するに、「感情を抑えきれずに、あるいは、そう思わざるを得ない」という
ニュアンスがある場合に使うのがよく、それ以外の場合に使うべきではない、
と覚えておくのが無難である。
なお、この helpは「避ける」という意味。

2) cannot but do : 〜せざるを得ない
非常に堅苦しく、ぎこちない表現で、日常的に使われることはまずない。
なお、この but は「〜以外」という意味。

3) cannot help but do : 〜せざるを得ない
やや口語的な表現。1) と 2)の混交表現。1) と同じく、
「感情を抑えきれずに、そう思わざるを得ない」というニュアンスを含む。

4) cannot keep from doing : 〜することを控えることができない
普通の表現。
特に「それをすると、不都合なことが起こるにもかかわらず」というニュアンスがある。

5) cannot resist doing : 〜するのをこらえられない
resist =「こらえる、我慢する」こと。
「そうしたくてたまらない」というニュアンスがある。
cannot resist が慣用的な表現。
cannot avoid doing : 〜するのを避けられない
avoid =「(意識して)〜しないようにする」こと。

---------------------------------------------------

皆様、長くなってしまって、すみません m(_ _)m




1678素振りの材料 投稿者:ST 投稿日: 1月23日(水)12時03分03秒

>大多数の英語教師は自分が生徒として学校で習った英語を自分の生徒たちに伝えていくのです。

私のことだと思いました。狭い世界の中で泳ぐ魚のようなものですね。イングリッシュを媒介としつづける中で、自分に対する激しい仮構力(根石先生はこのよ うな言葉を使っておられたと思いますが。。間違っていたらすみません!)を常に生み出していないとダメで、よほどこころしてかからないと英語教師は続けて はいけないと改めて感じました。今日も回転読み回転書きをして「いつかあのイチロー選手が言っていた素振り」をやります。

エリオット先生は常日頃ご自分の素振りとしてどんな基本例文を内在化されていますか?それから生徒さんにどのような素振りの材料を提供されていますか?中 学生では?高校生では?ぜひ知りたいです。それはセンテンスレベルですか?パッセージレベルですか?よろしくお願いします!



1679具体的に 投稿者:パクパク 投稿日: 1月23日(水)13時46分19秒

宮本武蔵 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とする。

さいきん、型にはめる教育、暗唱をすすめる教育の重要性を
となえる教育者が登場し、ベストセラー本になっています。
その人の本のなかで、サモアの英語教育の実態調査が
あります。
ある決まった数の英文を、決まった数だけ音読します。
これを小学校でやっているようです。
教室が知識伝授ではなく、トレーニングの場という
ところに特徴があります。
上記の数の研究もしています。
武道の場合は、量質転換するポイントは
1万回ということです。
素振り1万回で、イメージと運動が合致するようです。



1681知の移転 投稿者:パクパク 投稿日: 1月24日(木)10時45分50秒

知識には、2つある
身体知:体や経験をとうして得た知識、言語化できない場合が多い。
観念知:言語や文字を通して得た知識、いわゆるお勉強

この観念知を身体知へ、変換することを、知の移転という。
この具体的な方法論が、いま研究されているわけです。

話はちがいますが、昨日 ベンハーを、大画面映画館で見てきました。
殆どが実写。
これに対して、グラディエィターは、CGでつくったもの。
映像は、どちらも、観念知であるが、知の移転力が、ベンハーの
方がおおきい。
優秀な芸術作品というのも、知の移転力が大きいといえる。

日本語の磁場のなかで、英語を獲得するには、身体知が
必要であり、そういう教師が必要ということになる。



1684文法書 参考書さがし 投稿者:Jackie 投稿日: 1月24日(木)16時21分57秒

>うちの塾は、高校生向きのマトモな参考書・問題集があまりにも少ないので、テキスト類は
全てオリジナルで作っています。

  オリジナルですか いいですね。
先日 東京の大手書店の参考書コーナーに 文法書と問題集をさがしにいきました。でも 難しい。 高校生はこれをみて理解できるんですかねー。大手予備校 講師の書いた本もみてみましたが パッとくるもの わかりやすいものが みつかりませんでした。
文法書参考書問題集 おすすめありますか?

構文のドリルなど 中学用では TOTALの文型スタディーが 気にいってますが 高校用のドリルがみつからない。
あえていうなら  井上一馬さんの 英語できますか の構文が まあ 基礎文型をカバー 東後幸生さんの英作文の本もよい。

英会話書コーナーでは 目がまわるほど の会話集。
 [Are you free this weekend?] から 映画の感想をのべる、その他の生活用語 スラングまで いろいろありました。
 英会話への興味はこういう会話から はじまります。〔私もそうでした)でもあえて
このような 会話は日本国内にいるかぎり つかいませんね。
が これらを使う環境がある人など どのくらい日本にいるのでしょうか?
 それよりもなによりも どんでんかえしでもかいてある SVOの語順を身につけるほうが
よほど あとになって生きてくるとおもうのです。

音読の本〔中学教科書抜粋)もいっぱいありましたが あれをかって 独習してどれだけの人がはなせるようになるのか 疑問です。 訳ものってなければ 文 法説明もない。ドリルもない。
 なにせ コーチが いないのですから。


牧野様
  もう四ヶ月 ? まだ 四ヶ月ですよ。
20代のはじめはたとえば浪人して友人に一年おくれても あせりますよね。
でも人生 一年や二年ひきこもってもたいしたことありません。若いときには とてつもなく人生を無駄にすごしたように感じてあせるかもしれませんが。

 医学部に入る頭脳〔羨ましい!)が あるのです。
 思いきって海外に とびだして 1、2年あそんでくる なんて どうですか?
 ヨーロッパ  アジア インド 中国 南の島々 カナダ 語学をならってくるのもよし
 遊んでくるだけでもよし、ホームステイでもよし。

 あなたは 海外向きかもしれない。 と文章を読んでいておもいました。



1686エリオット先生ありがとう! 投稿者:ST   投稿日: 1月24日(木)20時20分19秒

前に買っていた「英語発音パーフェクト学習事典」をはじめて読みました。
今まで積読状態でした。せっかくエリオット先生に勧めていただいたのに。。。
とりあえず今日は「はじめに」「資料編」「コラム」などだけ読みました。

今まで保留されていたことがどんどん解決していくのでうれしくなりました。
明日以降少しずつ疑問点、自分なりに思ったことを書いていくつもりです。

エリオット先生、ありがとうございました!
音法(おんぽう=文法のように音に関するルール)に関心のある方は必見だと思います。



1687根石先生「素読について」 投稿者:ST   投稿日: 1月24日(木)21時08分23秒

素読(そどく)。
読む素(もと)。
なぜ、「読む」「素(もと)」なのか?

日本語の「読む」には2つある。音読と黙読。
音読で英語学習・・・アウトプット(声を出して読む)してインプット(体に入れる)する。
黙読で英語学習・・・インプット(声を出さずに読む)してインプット(体に入れる)する。

コミュニケーションの成立(ここでコミュニケーションという言葉の解釈はとりあえず。。。)
=@内容+A音法+B文法(+C実体験)<Cを入れると、根石先生の論理は成り立たない!)

回転読み=@+A+B        最初のうちは@も一緒に欲張ると難しいが。。。
回転書き=@+B          ※回転読み・書き:?の人はこの掲示板で質問して!
電圧装置=@+Bの構成要素     ※電圧装置:単語の暗記など

上の丸で囲まれた数字を見てみる。Aは一つしかない!
いかに音法(リズムや個々の発音など)に関する学習ができていないか!
教師も知らないことを生徒が知りえようか?これが日本の英語教育の問題点。
(と、発音パーフェクト学習事典に書いてあった!)

初級:「音」と「文字」の同致(どうち)          ※同致:一致のような意味?
中級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」の同致
上級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」と「体験」の同致(生活言語としての言葉)

「初級」「中級」・・・学校ではここをしっかりおさえるべき。
「上級」を考えてしまうから英会話学校やコミュニケーション論が存在する。(根石先生?)

だから「素読」はすごーーーーーーい!!!
根石先生、最初は「音読」と「素読」の違いもよくわからなかったです。
でも自分なりにかなり見えてきたような気がします!また、書きます。



1689英会話学習 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)09時28分56秒

Jackie様、はじめまして、少し前の貴方様の書き込みを興味深く拝見いたしました。牧野様への暖かいご意見は、現在大学に入っても全く行けないでいる 私の娘にも聞かしてやりたいと、身につまされております。さて、

>英会話書コーナーでは 目がまわるほど の会話集。
 [Are you free this weekend?] から 映画の感想をのべる、その他の生活用語 スラングまで いろいろありました。
 英会話への興味はこういう会話から はじまります。〔私もそうでした)でもあえて
このような 会話は日本国内にいるかぎり つかいませんね。
が これらを使う環境がある人など どのくらい日本にいるのでしょうか?
 それよりもなによりも どんでんかえしでもかいてある SVOの語順を身につけるほうが
よほど あとになって生きてくるとおもうのです。

[英会話書コーナーでは 目がまわるほど の会話集。]いわゆる英会話のハウトゥ本ですよね。どの本がまともなことを言っているのか一般の英会話学習者に 分かり難くなっているのが実情だと思います。 また、ここのHPがまともなことを言っているHP であることは間違いないと思うのですが、星の数ほど(と言えば大袈裟かも・・・)あるサイトの中でどのサイトがまともなことを言っているのかということも やはりそれらの人々に分かりにくくなっているように思います。この現状を打破する方法をみんなで考えて行くことが学校英語教育の抜本的改善と並んで喫緊の 重要課題だと思います。 私は下記リンクのHPを開き、昨年より近所で英会話サークルを主宰し、良いハウトゥ本や良いサイト紹介しながら、まともな英会話 学習の指導を暗中模索しながらやっています。 私は英語(英会話)教育が商業主義になると悪弊が出ると思っています。 根石さんのような良心的な塾や電話 レッスンは数少ないと思います。私も過去に英会話の有料レッスンをしたことがありますが、学習者の意向に悪い意味で迎合してしまったことを反省していま す。 大部分の商業主義的英語(英会話)学校・塾・教室は大なり小なりこのような矛盾を抱えながら運営されているのではないでしょうか?  英語(英会 話)の学習はかなりの部分で、「独学」という「苦い薬」が必要だと思います。それが商業主義の犠牲になって学習者に正しく伝わっていないと思っています。  「独学」が必要であると言えば学習者は尻込みしてしまうか、「独学」なら別に英語(英会話)学校等に行く必要がない、ということになって商売はなりたち ません。そこで、@「英語は絶対勉強するな」という本がベストセラーになるのだと思います。これは『楽しみながら「独学」しなさい』と言っている内容の本 だと思います。また、A酒井邦秀氏が「どうして英語が使えない?」で提唱し、SSS式英語学習法のSEG英語塾が実践しているgraded readers から始めるペーパーバックの「頭のすすぎ洗い」的多読手法も同じく『楽しみながら「独学」しなさい』と言っているのだと思います。(URLは http: //www.seg.co.jp/sss/) また、B根石さんが提唱、実践されている映画スクリプトの回転読みによる訓練も「映画スクリプト」版の「英語は絶対勉強するな」的学習手法だと思います。 以上あげた3手法が英語(英会話)学習のためにはまともな手法だと思っています。勿論これら3手法以前に発音という基礎をしっかりやっておくことが必要な ことはいうまでもありません。

また、「・・・英会話への興味はこういう会話から はじまります。〔私もそうでした)でもあえてこのような 会話は日本国内にいるかぎり つかいません ね。
が これらを使う環境がある人など どのくらい日本にいるのでしょうか?」
ということですが、英会話を学習する際誰もが持つ感想だと思います。しかし翻って考えてみると、会話なんてものは何がトピックになるか分からないものでは ないでしょうか?日本にいてもネイティブと話す機会は必ずあると思います。その際どんなトピックにも対応出来るように(喋れなくて聞くだけでも)しておく ことが必要なのではないでしょうか?
上記Aの多読で十分な量の語彙・構文をインプットすべきではないでしょうか? 英語(英会話)の学習はそれほどしんどいものだということを学習者はまず認 識すべきだと思っています。 海外留学をうたい文句にしている語学学校が沢山あり、事実沢山の人が語学留学をしていますが、どれだけの人が、成功している でしょうか? やはり上記のようなまともな手法での学習を主として「独学」で地道に積み重ねることがまず大切だと思っています。



1690リンクURLの掲載し直し 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)09時46分30秒

前の書き込みで引用したリンクSSS式英語学習法のURLは不完全でしたので、掲載し直させていただきたいと思います。

http://www.seg.co.jp/sss/



1691音作り 投稿者:パクパク   投稿日: 1月26日(土)16時39分57秒

浜谷さん

 3つの方法以外にも、鵜田さんの30音もいいとおもいます。



1692音作り手法 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)18時43分23秒

バクバクさん、

音作りに関してはいろいろの手法があるようですが、私はあまり詳しくはありません。根石さんの素読の手法とか鵜田氏の30音などが、私が伺っている中で最 も良いものと感じでおります。前の書き込みで「勿論これら3手法以前に発音という基礎をしっかりやっておくことが必要なことはいうまでもありません。」と 言及いたしました。



1693努力 投稿者:パクパク   投稿日: 1月26日(土)19時07分24秒

浜谷さん

 音作り  これは訓練がいるとおもっていたのですが
      鵜田式でそんな難題ではないとおもいました。

 多読   これはsss式です。
      sss式は、快楽原則がつらぬかれているとおもいます。
      酒井さんは、1000回音読のような訓練を嫌っているとおもいます。
      しかし、快楽原則にたてば、1000回楽しむことになります。

 とすれば、音作り+多読 でひとつの正解ではないでしょうか?



1694楽しんで勉強する 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)23時16分43秒

バクバクさん、

>音作り  これは訓練がいるとおもっていたのですが
      鵜田式でそんな難題ではないとおもいました。

音作りは初期の段階で誰もが通らなければならない関門だと思います。 繰り返しになりますが、私はあまり詳しくはありません。 しかし、私は文法同様この 関門は早くさらりと通過し、次のステップ(メイン)で、復習範囲(サブ)として学習すべきだと思っています。

「次のステップ」とは前に言及させていただいた3手法のようなものが最も適当ではないかと思っています。つまり、多読(速読)、多聴(速聴)のいづれか若 しくは両方が提唱されている手法がそうではないかと思っています。

>sss式は、快楽原則がつらぬかれているとおもいます。
      酒井さんは、1000回音読のような訓練を嫌っているとおもいます。

「英語は絶対勉強するな」も同じような発想での学習法を提唱していると思います。根石さんの映画スクリプトを使った学習法も同様ではないか考えています。 最近同じく映画スクリプトを使った学習法を提唱しているサイトを見つけました。 それは
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/8638/
です。結論として、「楽しんで勉強する」がこれらの手法のキーワードで、これからの英語(英会話)学習法の主流になるものではないかと感じています。



1695100% 投稿者:パクパク   投稿日: 1月27日(日)10時03分37秒

浜谷さん

 映画を100%聞き取るとは、こうじさんみたいですね。



1696根石吉久 「素読社」第3回ーばたばたと英語が死ぬのだー只今UPです     投稿者:同人社Web編集部 木村 投稿日: 1月27日(日)21時35分57秒

音づくりをし、知識や理解を媒介にし、理解を伴った音として保存する。これが素読舎の方法である。知識や理解は音にサンドイッチされなければ使える英語に はならない。釣りは鮒に始まり鮒に終わると言うが、語学は音に始まり音に終わると言っていいほどに、音づくりは肝心なものだ
が、これを学校がまともにやらない。肝心要のものをやっていないのだ。何ヶ月以内かに、なんらかの結果を示さないと、つまり、子供に点をとらせないと、人 々はわかろうとしない。音づくりに手間がかかる子供に、音づくりをさせている途中で、子供が塾をやめてしまうことが繰り返される。身を切られる思いだっ た。そして、芯が疲れるのだった。

いくら音をしっかりさせても、学校はテストで点をよこさない。本音のところでは、ほとんどの人たちが学校のテストの点というものになびくのである。あるい は、学校のテストの点になびく人たちの後押しをするのが塾の仕事だと思っている親が圧倒的多数なのである。ここのところで、首を縦に振らない素読舎は、経 営的にはいつも崖っぷちを歩き続けた。(本文より)

執筆 根石吉久
写真 治村 義孝(PUU太郎のphotoレポート)
音楽 菅谷 正清 (SUGATANI Masakiyo)
   使用MIDI バッハソナタ第2番 第2楽章

同人社 お奨めサイト オーナーの横顔 第3回 「ばたばたと英語が死ぬのだ」
じっくりご覧下さい。http://www.doujinsha.com/zuihitsu19[3].htm




1697素読(そどく) 投稿者:ST 投稿日: 1月28日(月)00時34分39秒

素読(そどく)。
読む素(もと)。
なぜ、「読む」「素(もと)」なのか?

日本語の「読む」には2つある。音読と黙読。
音読で英語学習・・・アウトプット(声を出して読む)してインプット(体に入れる)する。
黙読で英語学習・・・インプット(声を出さずに読む)してインプット(体に入れる)する。

音読も黙読も、目的はインプット。つまり、体に入れるのだ!
「インプットする素(もと=元、源)」=「自分自身の体」なのだ!(父がヒントをくれた!)
自分の体に入っていないものは他人から発せられたメッセージを受けることはできない!

コミュニケーションの成立(ここでコミュニケーションという言葉の解釈はとりあえず。。。)
=@内容+A音法+B文法(+C実体験)<Cを入れると、根石先生の論理は成り立たない!)

回転読み=@内容+A音法+B文法    最初のうちは@も一緒に欲張ると難しいが。。。
回転書き=@内容+B文法        ※回転読み・書き:?の人はこの掲示板で質問して!
電圧装置=@内容+B文法        ※電圧装置:単語の暗記など

上の丸で囲まれた数字を見てみる。
A音法は一つしかない!
いかに音法(リズムや個々の発音など)に関する学習ができていないか!

教師も知らないことを生徒が知りえようか?これが日本の英語教育の問題点。
(と、発音パーフェクト学習事典に書いてあった!)

@初級:「音」と「文字」の同致(どうち)          ※同致:一致のような意味?
A中級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」の同致
B上級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」と「体験」の同致(生活言語としての言葉)

@初級とA中級=塾や学校の役割!
B上級を、その上に考えるから英会話学校(△)やコミュニケーション論(△)が存在する。
 根石氏は△を×を考えておられる!(と思います)

だから「素読」はすごーーーーーーい!!!
素読の「素(もと)」は「自分自身」なのだ!

語学はことごとく個性を否定される所から始まる(椅子がデスクでもいいわけだ、と根石氏)
語学は最後には、個性を肯定する。(自分の言いたいことを記号化していくのだ、と根石氏)
素読(自分自身(もと)でイメージをふくらませる行為)なのだ!




1698素読 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月28日(月)03時06分45秒

STさん

 素読の「素」は味の素の「素」でもありますが、「素うどん」の「素」でもあります。
 素材の「素」でもあります。
 「そ」や「す」は、飾りっけのないもの、生のもの、原料、原鉱石、みたいなことです。
 飾りっけのない原鉱石が、そもそも「もと」にあるじゃないか。
 そうでなくて、何の宝石哉。

 昨日のレッスンの後で思ったこと。
 私は宗教的人間ですが、宗教をやる気はありません。
 今は、アニミズムが好きです。
 八百万の神を信仰したいと思います。つまり、「何でもあり」です。
 正しさや、学校が嫌いです。

 間違うことを恐れる人間は根性が狭い。



1699素読 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月28日(月)03時09分07秒

「読む素」ではないと思います。
「そっけない読み方」だと思います。
 これは英語に当てはめると、<語学的標準形>になると思います。



1700複製? 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月28日(月)03時13分03秒

そんなはずはない。
芸能でもあるまいに、ネイティヴをそっくり真似してどうするというのか。
あっしら、芸人をやりたいのではない。
感情込みのものをそっくり真似してしまうなら、何かの奴隷となる。
やりたかねえ。
<語学的標準形>でたくさんだ。

つくづく、ネイティヴ感覚天下りは飽き飽きである。
いかにもニホンジンであるにせよ。



1701うつらない 投稿者:パクパク 投稿日: 1月28日(月)15時57分06秒

日本語でも人のモノマネはできません。
英語でも、何回言っても、そっくり
にはなりません。(例、rとl)
コーチがいて、生徒の音づくりを手伝う
必要がいります。
独学で、発音練習したり、
理論もなく、ネィティブがフォローミーと
言っても、うつりません。




1702自然と人間、般若心経 投稿者:ST 投稿日: 1月28日(月)23時24分29秒

般若心経の266文字?から自分なりに15文字を抽出して常に引き出せるようにしています。

仏・・・・・すべてよし。(これが仏のものさし)
空・・・・・こだわるな。(目に映るものは自分も含めていつかは消えてなくなる存在である)
中道・・・・よいかげん。(モノ・ヒトによってちょうどよい加減がある)
礼拝行・・・ありがとう。(神仏に願いことをするのは本当は間違っている。ただ在る事に感謝)
一切衆生悉有仏性・・・・・すべての森羅万象には仏のこころが備わっているのだから。

上ほど重要だと思っています。

アニミズムや八百万の神々というのはなんとなくわかります。
昨年NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」を見ていて沖縄のファンになりました。
沖縄には何か不思議な力があるような気がします。
自然に対する畏敬の念を巧みに人間社会に融合しているという印象を沖縄周辺にみています。




1703ひとりとふたり 投稿者:ST 投稿日: 1月28日(月)23時32分52秒

ひとり激しく回転読みや回転書きで語学をやる。
しかし、ふたり以上いるとそこには無数のイメージのやりとり(キャッチボール)はある。
その関係はどうなっているのだろう?



1704英語の音 投稿者:パクパク 投稿日: 1月29日(火)11時07分28秒

戦力=戦略x戦術 とすると

英語の音力=プロソディx個別音

      プロソディ=リズムxイントネーション
      個別音=母音x子音

音とイメージの合致には、プロソディが媒介になっている。
このプロソディの修得には、素読が、音読より適す。
なぜなら、素読は、なにも考えないから。
しかし、コーチが必ず、そばにいる。

従来の日本の英語教育の限界を具体的に
やぶるのは、素読ということになる。



1705(無題) 投稿者:村田 投稿日: 1月31日(木)01時36分20秒

ST様

>ひとり激しく回転読みや回転書きで語学をやる。
>しかし、ふたり以上いるとそこには無数のイメージのやりとり(キャッチボール)はある。
>その関係はどうなっているのだろう?

「ふたり以上いるとそこには無数のイメージのやりとりはある」
というのは、コーチがついて練習をしている状況のことでしょうか?
それとも英語で会話をしている状況のことでしょうか?

前者であれば、「そこ」にはイメージのやり取りはないと思うのです。
なぜなら「練習中の『コーチ』と『練習者』」がしていることは、会
話ではないからです。(練習の合間に入る日本語による会話は別です)

しかし、「コーチ」と「練習者」の1対1の練習の「場」は、別のレ
ベルの「コミュニケーション」を生み出していると思います。

私は素読舎で、自分の練習をしながら塾生の練習を見させてもらって
います。
練習を始めて間もない小学生や中学生は、英語という異物を声に出し
て言わなければならない。意味もわからないし、筋肉の使い方もまる
で違う。「それ」をいったん受け入れなければならないが、そのため
には自分の身体の拒絶反応と格闘しなければなりません。

英語に関する知識なら、私の方が小学生や中学生より多少はあります
が、このように格闘する彼・彼女たちの意識の集中力は、私にビンビ
ン響いてきます。そして、その意識の強度に、畏れを感じるのです。
そして私は「おまえ、そんなにやるなら、俺、自分の持ってるもの全
部あげるよ」と、ありったけの体力・気力で練習に向き合います。
こちらの強度も、相手に確実にフィードバックし、またそれが私に帰っ
てくるような気がします。(…勘違いかもしれませんが)

何が言いたいかというと、すなわち、意識の強度の相互作用があるの
ではないか、ということなんです。1人でやる時より、1対1でやる
時の方が、意識の強度がはるかに高まるのではないかと。

そしてその中で、「コーチ」は「イメージ」の輪郭をさらに明瞭にし、
「練習者」は自分の「イメージ」を掴み取るのではないでしょうか。1
人でやる練習よりも、さらに激しく。それは「やりとり」ではなく、例
え対面していても、個別のものなんだと思います。

1706長めの引用 投稿者:パクパク 投稿日: 1月31日(木)09時30分49秒

ある人のサイトからです。
日本人がなぜ読むことが必要かということをプロソディの獲得の視点で記述しています。

>学習の初期の段階では、読みのスピードを上げることよりも、一連の文字情報に内包されて
>いるプロソディを感知し、これを正確に再現できる能力のほうがはるかに重要だからです。

このため、コーチが絶対必要であり、独学では、プロソディの獲得が困難とおもわれます。
逆に言えば、日本語の磁場と日本語の酸のなかで、日本人は、英語のプロソディを獲得する
練習をおこたってきたとおもわれます。


サイレントスピーチと「プロソディ」の再現

スラッシュ・リーディングしながら英文を読む時にはいわゆる黙読をすることになるわけですが、黙読といっても、みなさん普通は無意識のうちに頭の中で声を 出しながら読んでいると思います。いわゆるサイレントスピーチですね。ネイティブスピーカーの場合は読みのスピードを上げるためにこのような内言化を意識 的に避けることがあります。いちいち頭の中で声を出して読んでいたのではリーディングのスピードが上がらないというわけです。まあ、これも一理あるんです が、このときのリーディングスピードというのは1分間に300語とか500語、場合によっては 800語から1000語を超えるような、とんでもない速さを目標にしているわけです。しかし、われわれにとって英語はしょせん外国語ですから、いくら速く 読むといったって限度があります。また、普通、このスピードで読むとなるといわゆるスキミング(skimming)とかスキャニング(scanning) と呼ばれる、いわば全体の要旨をすくいとるような読み方になるわけですが、こういう読み方ですと、それぞれの英文が本来持っている抑揚、強弱、緩急、間の 取り方、あるいはセンスグループ内の語連結や子音吸収に伴う音声変化を含むさまざまな音声要素、これを一括してプロソディ(prosody)と呼びます が、これを一切無視することになります。

ネイティブスピーカーの場合にはこのプロソディ感覚というものが自然に身に備わっていますからあまり問題ないんですが、英語を外国語として学んでいるわれ われの場合は、当面このプロソディ感覚を身に付けるというのが大きな課題でして、この感覚が身に付いていないと話したり聴いたりという実際のコミュニケー ション活動に重大な支障をきたすことになります。英文を読むときに、むしろ積極的に頭の中で声を出しながら読むべきだというのはそれによってこのプロソ ディ感覚も同時に強化していこうということなんです。ただし、ひとつひとつの単語を追う逐語読みや、メリハリのない機械的な棒読みは禁物です。これでは全 く意味がありません。あくまでもセンスグループを単位としながら、それぞれのセンテンスが本来持っているさまざまプロソディ要素を頭の中でできるだけ忠実 に再現するように読むわけです。いわば「聴くように読む」と言ってもいい。

このように英文のプロソディを意識しながら読むと、最初のうちは読みの速度がいくらか遅くなりますが、これはあまり気にする必要はありません。学習の初期 の段階では、読みのスピードを上げることよりも、一連の文字情報に内包されているプロソディを感知し、これを正確に再現できる能力のほうがはるかに重要だ からです。



1707プロソディの意味? 投稿者:浜谷 投稿日: 2月 1日(金)06時21分57秒

バクバクさん、

>ある人のサイトからです。
日本人がなぜ読むことが必要かということをプロソディの獲得の視点で記述しています。

大変興味のある事柄です。 しかし肝心のプロソディという言葉が分かりません。その言葉の意味とサイトのURLを教えていただけないでしょうか?

>・・・あくまでもセンスグループを単位としながら、それぞれのセンテンスが本来持っているさまざまプロソディ要素を頭の中でできるだけ忠実に再現するよ うに読むわけです。いわば「聴くように読む」と言ってもいい。

「聴くように読む」というのはヒヤリングの学習方法の中で最も重要な手法だと考えています。



1708プロソディ 投稿者:パクパク 投稿日: 2月 1日(金)09時04分17秒

文中で説明されていますが、抜き出すと


  それぞれの英文が本来持っている抑揚、強弱、緩急、間の取り方、あるいはセンスグループ内の語連結や子音吸収に伴う音声変化を含むさまざまな音声要素、こ れを一括してプロソディ(prosody)と呼びます



1709素読 投稿者:berangkat 投稿日: 2月 2日(土)12時01分33秒

こんにちは。自分の英語の失敗談を確か10日〜2週間前に掲示板に載せましたberangkatです。
素読舎に入門した時は、本当にびっくりしました。とにかく、何度も何度も繰り返し言う。それこそ「回転読み」・・・始めは、正直いって「そんなことしたっ て覚えないんじゃないの!?」と思っていました。レッスンというと、それまでの体験から、教科書が与えられ、外人がいて、グループ分けされて、課題が与え られて・・・・みたいなものだと信じ込んでいたんでしょうね。

素読舎でのレッスンは、とにかく「自分との闘い」です。自分のやる気がなければ、絶対長くは続けられないと思います。他の英会話学校のように、多少だらけ ても続けていけるものではありません。練習を怠れば、おもしろいほど、自分にそのツケが帰ってくるのです。
最初は、本当につらかったです。抽出も話体も、簡単な文章でさえもすらすらでてきませんでした。少し進むと、テストがありますが、「復習を決して手放さな い!」教えに背くと、大変なことになってしまします。

私は、素読舎にお世話にあって数年たちますが、自分の英語がどのように変わったかと聞かれると、まだまだ未熟なのでえらそうなことはいえませんが、「рナ レッスン」等で新しい文章を読む時、なめらかに読めることが多くなりました。
以前は、発音もわからない、文章の区切りもわからない、すべてのTを「ト」と発音し(例:AT=アット)たりと、とにかくひどいものでした。

また、掲示板に書きます。!今日はこれまで!



1710素読の効用 投稿者:パクパク 投稿日: 2月 4日(月)13時05分03秒

素読 潜在意識に訴える。意味を考えない。文字をみない。
音読 顕在意識に訴える。意味を考える。 文字をみる。

昔の素読は、白文(返り点もない、ただ漢字だけの文)を、読んだという。
書き下し文ではない。白文をみながら、読んだという。
では、子供がどうして、音をおぼえたのか?
私は、いままで、書き下し文をひらがなでルビをふってあり、それを
読んでいたとおもっていた。これでは、音読で、素読でないという。



1711斎藤兆史の書評 投稿者:パクパク 投稿日: 2月 4日(月)23時57分48秒

下記は引用。
幕末の英語エリートは、例外なく素読をしていたようだ。

著者は「英語文体論」を専門とする学者。本書は、幕末と明治時代を中心に、日本人がどのように英語を学習してきたかを振り返る本である。
 著者の立場は、いわゆる「コミュニケーション中心主義」とは反対の、「素読派」とでも言うべきものなのだが、これにエリート教育の議論が入り込んできて いるため、論旨がおかしくなっている。著者は、素読を中心とする学習法が効果的なのは、過去の語学の達人を見ればわかると言うが、彼らが語学のエリートで あったともいう。ならば、エリート育成を目的にしない公教育ではコミュニケーション中心主義の教育をやってもいいじゃないかと思うんだが、著者はこれには 反対である。その理由としては、「それをやるとエリートの芽が摘まれてしまう」ということしかありえないと思うのだが、著者はどちらにせよエリートを分離 しての教育を主張している。



1712素読の一般にあたえるイメージ 投稿者:パクパク 投稿日: 2月 5日(火)11時34分26秒

あるサイトからの引用
こういう素読のイメージが、素読の普及を阻害していたのであろう。

自分自身を振り返ってみる時、子供の頃には、素読という行為が大嫌いでした。素読は歴史年表の暗記と同列の、くだらない行為と断じていたのです。意味の解 らない言葉を繰り返し音読することになんの意味があるのだ?と。当サイト掲載のエッセイを読み、意味が解らない状態で音読みするからこそ効果があるのだ、 という事がよく解りましたが、今後、自分の周りの子供たちに素読を薦める折りには(自信をもって薦めようと思っています)、きちんと彼らに解る言葉で『ど うして素読が君たちにとって良いのか?』という理由を説明してやりたいものだ、と思いました。以上、僭越ながら、私の感想です。素晴らしいサイトを用意し て下さって、有り難うございます。



1713無と素読 投稿者:パクパク 投稿日: 2月 5日(火)15時03分44秒

顕在意識を無に帰すのが、素読。

この顕在意識の考えを無にすることは、普通は仲々できない。しかし顕在意
 識を通過させずに、直接潜在意識に浸透させる方法はできる。
顕在意識の考えを無にして、何回も、何回も素読することにより、同じ効果が
えられる。ただし簡単に内容を把握するだけでただ素読することである。
余り意味,内容が解らないことが顕在意識を無にする方法である。



1714CD-ROMで回転読み 投稿者:marinezumi 投稿日: 2月 6日(水)02時21分02秒

みなさん、はじめまして。
アルクの『CD-ROM PowerWords Level 1』(\1980)を今日買ってきたのですが、これは、素晴らしいです!
単語をクリックするだけで、(見えない)例文を発音してくれます。始めは聴き取れないのが、何度もクリックして真似しているうちに聴き取れるようになり、 いつのまにか激しく回転読みしている自分に気付きました。興奮しました。



1715素読教材 投稿者:パクパク 投稿日: 2月 7日(木)10時52分34秒

いい教材が発売されていました。
そして、実際に効果をだしています。
この教材については前から知っていたが、
素読効果(音読とちがう)を考慮している。
もちろん、この教材の宣伝文句には、素読とは書いていない。
私は、この教材を使ったことがないので、購入してみることにします。



1717シュリーマンの外国語学習法 投稿者:Eliot 投稿日: 2月 8日(金)23時12分51秒

STさん

I'm glad you had a good time visiting Mr. Neishi and me. I really enjoyed your company, too. My wife likes you and says you can come and stay with us again any time you like. I shall never forget the wonton-pot dinner we had together. I hope to see you again soon.

お話したシュリーマンの学習法と彼の自伝の翻訳本にまつわる話が出ている掲示板のURLをお知らせします。そこで78番の書き込みを読んでみてください。

Have a good time with your friends at the spa!

http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb.cgi?b=sss



1718ゴースト 投稿者:YASU 投稿日: 2月 9日(土)01時34分50秒

ゴーストのp15のYou wanna help me lift this up?
は私がこれを上げるのを手伝いたい?という意味になるような
気がしたんですが,訳は単に,<〜を手伝って>となってます。
こういう頼み方は通常よくするものなんでしょうか?



1719Yasu 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)04時34分57秒

これは、ごく親しい人の間のやりとりなら問題ない言い方じゃないかと思います。
親しくない人に言えば、不遜な言い方と受け取られるように思います。
が、私も英語ネイティヴではなく、確信はありません。

皆様のお考えはいかがでしょうか。




1720流行りだしてる? 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)04時38分13秒

なんだか、素読が流行り出してるような気がします。
新聞の投稿欄に、素読はいいと書いてある記事を、先日、妻がみつけたので読みました。
素読なんて文字自体を、つい最近まで新聞で見かけることなどありませんでしたので、少し
びっくりしています。



1721ST さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)05時11分54秒

英語方法論行脚ごくろう様でした。
白樺湖 → 素読舎 → Eliot さんの授業 と行脚されたのでした。
そのうちに、ご報告を読ませてくださることを楽しみにしています。

私の家におられたときは、小屋の解体を手伝わせてしまい申し訳なく思いますが、非常に
助かりました。今度来られるときは、引っ越しの後始末も終わっていることと思いますの
でこき使うことはなかろうと思いますので、懲りずにまた遊びにおいで下さい。

作戦部長に任命しましたので、そちらの線もよろしくお願いします。



1724初期の「音づくり」 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)12時54分21秒

marinezumi さん

 書き込みありがとうございます。
 『CD-ROM PowerWords Level 1』(\1980) は、タイトルからして単語修得用のよう
ですが、単語をクリックすると見えない例文を発音してくれるというアイディアは卓
抜です。こういう教材は、語学的標準形として、ある程度イントネーションを自己決
定できるようになったレベルの人が使うと急激に伸びるだろうと想像しています。

 それ以前の人にはコーチが必要だと思います。

 初期の「音づくり」のコーチがあまりにも日本に払底しているので、私のように下
手くそな英語しかしゃべれない者でも、「音づくり」をやっています。本当は、Eliot
さんのように、音に詳しい人が増えてくれて、コーチによる「音づくり」が日本の英
語の教室で常識とならなければ駄目だと考えています。
 コーチによる「音づくり」の最大の眼目は、生徒の激しい口の動きを作り出すこと
と、その練習の最中に、手短なコツをぽんと言ってあげ、「その場」でモデル音を発
音することです。また、この場合、絶えず文全体で「音」を扱うことが肝心だと思っ
ています。「音」という概念に、イントネーション、リズムと呼ばれているものを含
めることが大事で、単語単位の発音練習は文全体を扱う中でのみ扱うべきだと考えて
います。
 この点でも、単語をクリックすると見えない「例文」を発音してくれるというアル
クの教材のコンセプトは正しいと思いました。これを使って、そのままレベルアップ
につなげられる人は、どんどんやってほしい。
 問題は、初期の「音づくり」です。
 私はこれを仕事としてきましたが、初期の「音づくり」の大切さをわかってくれる
人が少なく、経営的(経済的)には非常に苦しいところを歩いてきました。
 そのあたりの詳しいことは、同人社様のホームページにエッセイを書かせていただ
いたものがありますので、お読みいただければ幸いです。

http://www.doujinsha.com/zuihitsu19[3].htm



1725エリオットさんへ 投稿者:ST 投稿日: 2月 9日(土)12時57分20秒

>1翻訳をしない大量の音読をする。
2常に興味のあることについて作文を書く。
3毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、それを翌日の授業で暗誦する。
http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb.cgi?b=sss の78番の書きこみより(エリオットさんの)

1の翻訳をしない大量の音読において「回転読み」が必要なのだということですね。ただし、量を追いかけることをしないで、質を確保する。復習範囲は手放さ ない。多くのいわゆる「丸写し」受験参考書などには常に目を光らせておく。そして、とにかく時間をかけて激しく音読する。これが私の今後の課題です。

2興味のあることについて常に作文をかく
これも自分でどんどんやっていかなければなりません。質は「1」の回転読み及び回転書きをどれだけ効果的にやるかにかかっていると思います。
「回転書き」「回転読み」は「守り」だから、守備範囲は広げない。
「自分で興味のある作文」は「攻め」だから、守備範囲は限定する必要はない。
  というか、これは「回転」をやればやるほど(定着すればするほど)質がよくなる。

3毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、
  それを翌日の授業で暗誦する。

この3では「添削」の時間は中学高校の英語の授業では無理、学習者自身が自分でやるか、英語教師が強制的に学習者に日記などを提出させ(エリオット先生の 実践に含まれている)そして、翌日暗誦する。これは自分でまた回転読みなどを自分でやればいいのですね。

78番のご紹介ありがとうございました。



1726木村様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)12時58分51秒

 ありがとうございました。
 今回は、ついきつい内容となり、禁句もちらほらとのご指摘ですが、私としては、日本の英語
教育の世界では、この程度のことさえ禁句になってしまうのかという思いです。
 書いたものをそのまま載せていただいたこと、感謝しています。

http://www.doujinsha.com/zuihitsu19[3].htm



1728黒板を使わない 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)13時10分46秒

 白樺湖畔のホテルで深夜お聞きした Eliot さんのお話の中に、授業で黒板は使わないという
ものがあり、深く共鳴するところがあった。
 「音づくり」をまともに考えたら、黒板で説明しているような暇はないはずだ。
 絶対に黒板を使ってはならないということではないが、絶対に崩してはならないものごとの順
序というものはある。
 「音づくり」と「文法理解」の順序で言えば、「音づくり」が絶対に先立つべきであり、生徒
の体に「音づくり」が成立していない文に関して文法の説明をするのは、根底的に錯誤である。
 あるいは、「音づくり」が徹底されれば、文法の項目でも自然にわかってしまうようなものす
らある。そのレベルの「音づくり」をやれば、生徒の体は疑問だらけになり、質問も飛び出す。
そういう時に、手短に文法の要点を言ってやればいい。ただちにその場で理解してくれること
が多い。ST さんの言い方を借りれば、生徒の顔が「ほっこり」する。

 英語の授業において、黒板は敵なのだということを、日本の英語教師たちは知る必要がある。
黒板がどれほど、「音づくり」を崩してしまっていることか。これが認識になっても、次に現
れる敵がある。中間・期末のテストという敵だ。本当はこれを倒さなければ、日本の英語は救
われることはないだろう。



1729パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)13時38分13秒

>この顕在意識の考えを無にすることは、普通は仲々できない。
しかし顕在意識を通過させずに、直接潜在意識に浸透させる方法
はできる。顕在意識の考えを無にして、何回も、何回も素読する
ことにより、同じ効果がえられる。ただし簡単に内容を把握する
だけでただ素読することである。余り意味,内容が解らないこと
が顕在意識を無にする方法である。

 おっしゃることは、ぼんやりとわかります。
 「意味、内容が解らないことが顕在意識を無にする」というより、素読は「意味、内容
をその場で理解することを強いない」ということだと思います。
 顕在意識を無にするとかしないとかよりも、素読的方法で激しく「音づくり」をやれば、
意識は音の変化に奪われますから、意味や内容が意識からすっとんでしまいます。そして、
「ひとまずは」それでいい。「ひとまずはそれでいい」というのが素読です。
 「音づくり」ができて、口が自動回転するほどになれば、口を自動回転させながら、イ
メージし、考えることができます。意識が意味や内容に憑くことができます。そして、最
後に音とイメージが同致します。
 以上の過程を長い時間のスパンで生じさせるのが、私の「電話でレッスン」の「復習範
囲を手放さない」という原理です。
 投網を投げて魚をとるのに、一回投げて一匹ずつとるというのではなく、99回投げて
すべて空振りであっても、100回目に100匹以上とれればいい。この空振りの期間を
生徒さんたちはなかなか耐えてくれません。素読を原理として、塾の経営を成り立たせる
のは、非常に大変です。以下の記事をご参照下さい。

http://www.doujinsha.com/zuihitsu19[3].htm



1730素読・音読 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)13時45分38秒

パクパクさん

>素読 潜在意識に訴える。意味を考えない。文字をみない。
 音読 顕在意識に訴える。意味を考える。文字をみる。

 この定義は間違っています。
 素読は字を見て読んでもいいのです。
 素読と音読は対立するものではありません。非常によく似た近い方法だと考えています。



1731教えてください。 投稿者:森 茂夫 投稿日: 2月 9日(土)15時22分30秒

私、小学校の教員をしていまして、「総合的な学習の時間」で英語活動を来年度から取り入れます。ところで、先進校に行きましても時間をかけている割合に、 効率よく英会話ができていない印象を持ちました。「英語活動は英会話学習でなく、楽しくゲームをしながら英語に親しむということでよい」との返答ももらう のですが、何かもの足りません。もちろん、その学校では本場のアメリカ人講師が付き添いますので、イントネーションなどの配慮も行われてはいます。そんな わけで、素読による英会話上達へのよりベターな戦術が知りたかったのです。私、英会話は「a little」なのですが、幸い本校にもAETという立場のイギリス人女性講師がいますので、イントネーションなどでのネックもクリアできると思います。 根石さんにお尋ねしますと、「ペーパーバックスの多読」を奨めておられる浜谷さんという方に教示いただいたらと教えてくださいました。何もわからない小学 校教師なのですが、よいテキストとよい方法があれば是非お教えください。



1732小学生の英語 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月 9日(土)18時07分40秒

森さん

 中学・高校は、英語教育に失敗してきています。「音づくり」をいいかげんにして
理解や知識だけで点をとらせるテストを繰り返してきたことが、中学・高校の英語の
犯罪的なところです。あれは、英語ではなく、英語みたいなもの、疑似英語です。そ
れを英語と詐称してきたのです。
 小学生に英語をやらせるなら、素読だけでいいのではないでしょうか。これなら、
もっとも害がないと思います。決まり文句だけをしゃべるだけなら、決まり文句の丸
暗記でいいのですが、最大の困難は、日本語で育った人にはなかなか英語のシンタッ
クスが身体化されないというところにあります。挨拶の決まり文句を数十丸暗記する
ようなことでは、シンタックスの身体化は不可能です。
 素読だけをやり、その過程で「音づくり」をやるなら、生徒の財産になると思いま
す。しかし、「復習範囲を手放さない」という原理は、学校ではなかなか成立させ難
いとも思います。素読を活かすには、これは必要な原理ですが、小学生の時、素読で
扱ったテキストを中学が「復習範囲」として引き受けるような連携プレーは期待でき
ません。
 また、「音づくり」をどうやるかという技術を小学校の先生が持っていないと、こ
れまでの中学・高校のように、「公害」としての英語教育に陥るおそれがあると考え
ています。
 日本語と英語を比べたときに際だつ英語の音を、最低10のポイントとして決めよ
うという話を、この掲示板に書いてくださる Eliot さん ST さんと先日お会いしたと
きにしました。ST さんは、その話のメモを手元にお持ちだと思いますので、ひとまず
ST さんにお願いして、10のポイントを掲示板上に提示していただこうと考えました。

 日本人は謙遜が激しく、英会話は a little が、どのくらい a little なのかがわか
りませんが、私の「電話でレッスン」をご検討いただけませんでしょうか。現在では、
このレッスンに学校が予算が割くことは考えられませんが、ご自分の英語を鍛え続け、
維持されるのに有効です。「復習範囲を手放さない」という原理がどう働くのかを知
っていただき、それを素読を原理とする授業に活かしていただきたいと願っています。
 自腹を切っていただくことになりますが、是非検討してみていただきたくお願いい
たします。

 AET が英語のイントネーションを備えていることと、生徒の口の動きとして英語の
イントネーションが成立するかどうかはまったく別問題です。生徒の口の動きを激し
いものにすることで、英語にとって「余計な音」を、遠心力で振り飛ばすときに、AET
を媒介にするなら使えますが、日本人の先生の側に AET を媒介として使う主体が確立
されないと、生徒の口にイントネーションを備えた音を成立させるのは非常に難しい
と思います。これまで、英会話学校が繰り返してきた失敗を、学校でやることになる
こともありえます。

 この掲示板で、皆さんと智恵を絞って問題を検討していかれてはいかがでしょうか。

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ST さん

 先日話した10のポイントを掲示板にまとめていただけたらありがたく思います。

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Eliot さん

 小学校での英語導入に反対だと書かれたことがあったような覚えがあります。
 再度、お考えをお聞かせいただければ幸いです。

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浜谷さん

 小学生が素読するのに適当な英語のテキストにはどんなものがありますでしょうか。




1733小学生の英語学習用テキスト 投稿者:浜谷 投稿日: 2月 9日(土)18時25分27秒

森さま、はじめまして、浜谷と申します。

>根石さんにお尋ねしますと、「ペーパーバックスの多読」を奨めておられる浜谷さんという方に教示いただいたらと教えてくださいました。何もわからない小 学校教師なのですが、よいテキストとよい方法があれば是非お教えください。

そうですか、新聞等でそのようなことが始まるということを読んでいましたが、ついに実施されることになったのですか。 私は小学校から英語を教えるという ことについては反対です。というのは算数とか国語とか基礎的なことを沢山学ばねばならない小学校でこの上さらに英語までというのはどんなものかと常日頃 思っています。よく幼児のころから馴染ませれば良いといって、国語も満足に出来ない幼児に英語を教えようとしている方達がいますが、私には理解出来ませ ん。今度先生が教えようとされているのは5−6年生ですか? 私はローマ字さえ面食らった方ですから、これから英語をやらなければいけない生徒や先生方は さぞ当惑されているものと思います。

さて、いいテキストをということですが、考えられるのはアメリカやイギリスの幼児が読む絵本などがいいのではないでしょうか? それをAET講師のネイ ティブに発音を指導してもらってやられたらいいように思いますが・・・。兎に角興味を持たせるようにやればいいと思います。 私がペーパーバックの多読で 英会話を学習した理由の主なものがその「興味を持って」学習することにありましたから。因みに中学生以上の方にお奨めなのはSSS英語学習研究所が奨めて いるgraded reader(ネイティブの小学生から高校生までを対象にした段階別の易しいペーパーバック)の多読です。下記にそのHPのURLをリンクしておきます。



1734小学生の英語の素読 投稿者:浜谷 投稿日: 2月 9日(土)19時33分18秒

根石さん、

>小学生が素読するのに適当な英語のテキストにはどんなものがありますでしょうか。

森さま宛レスの文章を掲示板に揚げたところで、根石さんの投稿に気がつきました。森さまは「何もわからない小学校教師なのですが、・・・」と仰っています ので、中高の英語の先生と違い英語教育については失礼な表現かもしれませんが、素人の方達だろうと思います。(大学で当然相応の勉強はされているとは思い ますが)従って、AETの先生がいてもいなくても「総合的な学習」を担当される先生は根石さんがお誘いになっているような発音に関する訓練をまずされるべ きだろうと思います。もしその過程を経ないで、素読をやるというようなことは無茶なことだと思います。その場合は私が直前の投稿で言いましたような素材で 遊び的に英語に馴れてもらうようなことが適当だろうと考えます。もし関係の先生達が適切な発音の訓練を経てからというのであれば、素読の教材としては、ア メリカやイギリスの小学校1、2年生の英語(彼等の国語)の教科書が良いのではないでしょうか? 私は実際そのような教科書の内容を知りませんが、わが国 の国語の教科書から想像してそう申し上げています。



1735「指導力」と生徒数は比例しない。@ 投稿者:柳沢 投稿日: 2月10日(日)00時20分46秒

根石さん、はじめまして。
ここ、3ヶ月ほど、掲示板とすべての素読舎のすべてのコンテンツを
とても興味深く、というより、尊敬の念をもって読んでおります。
英語学習革命とも言うべき、素読という手法は、もっとひろく普及すべきです。

もし、根石さんが十分経営的に成功しているのに謙遜して、塾経営が苦しいと言っ
ているなら、私が書いている内容は的外れに終わりますので、無視してください。

しかし、もし、先生ほどのすぐれた英語教授法の実践者が、思うように世の中に
受け入れられないと言う、ジレンマをお持ちでしたら、以下の内容は、多少役に立
つと思います。
はっきり言って、教授法(学習法)の優秀さと、収益はまったく比例しません。
消費者センターに最も苦情の多い、家庭教師派遣会社さえ、数億単位の利益をあげています。

根石さんの提唱する、英語指導法のニーズは、実際、数百万人に存在するでしょう。
ニーズはありあまるほどあります。なぜなら、ほとんどすべての英語学習者が、正し
い英語学習について知らないからです。ほとんどの子供たちは、英語に関する正しい
学習方法を知らず、無意味な学習を強いられているからです。
しかし、ニーズがあっても、残念ながら、直接の集客にはつながりません。
民間教育である以上、自社(教室の)の集客、つまり、マーケティングが重要です。
マーケティングとは、市場の創出であり、潜在的な顧客を多数作り出すことです。
ニーズのあるサービスを、顧客につなげていく行為です。

では、どうしたら、つながるのか?
それは、WANTSつまりサービスの購買欲求を高めるコミュニケーション(広告等)
が、不可欠です。
一般庶民の支持を得るには、誠実さが大前提としても、これだけ、情報があふれている
現代では、ビジネスレベルでの「表現」を変えていかないと、集客は困難を極めます。
自分の正しさをいくら大きな声で訴えても、顧客には届きません。(専門家は別です)
「顧客の悩み」に思いをめぐらせ、顧客の視点で広報物を作成しないと、大きな展開は
難しいでしょう。顧客は理屈では動かないからです。




1736電話でレッスンの感想 投稿者:inu 投稿日: 2月10日(日)01時00分05秒

1月から「ボディガード」で「電話でレッスン」をはじめている、
inuと申します。根石さんにはOという名前でこの掲示板に
転載して頂いたことがあるようです。

まだ数えるほどしかレッスンをおこなっていませんが、
レッスンをはじめてみての私なりの感想のようなものを
書き込んでみたいと思います。

レッスンでやった内容が次回のはじめに行われる復習テストの
範囲になるわけですが、自分では「十分」と思っていた復習の量でも、
実際にテストで出されると、その理解が十分ではなかったことに
気づくことが多いです。

多分、現在の復習の段階では、それぞれの文に対する多面的な
理解ができていないんだろうと思っています。
これがレッスンを受けてみて、予想とは大きく違った点の
一つです。
文の構造的な面での理解はもちろん必要ですが、それとともに、
その文を誰がどのような状況で話していたかということにも
注目した方が読みやすい(テストの時に言いやすい)ということを
感じています。(当たり前のことなのかもしれませんが)

それと、圧倒的な復習時間の不足。
レッスンを受けていらっしゃる他の方が、どれくらい復習している
のか分からないので、正直、こんなことを書くのは恥ずかしいのですが、
私は火曜日にレッスンを受けて、金曜日あたりに1回(長い文を
一応空で言えるようになるくらい10〜20分)と火曜日当日の
レッスンがはじまる前の40〜50分ぐらいしか復習してません。

これでは、根石さんが言っている、素読の効果にはほど遠いの
だろうなと思いながらも、つい忙しさにかまけて・・・。

現在のところ、こんなところです。
まだ始めたばかりですし、レッスンの効果はよく分かりませんが、
地道に続けていきたいと思っています。




1737絶対矛盾 投稿者:パクパク 投稿日: 2月10日(日)08時50分07秒

柳沢さん

はっきり言って、教授法(学習法)の優秀さと、収益はまったく比例しません。

 これは、英語教育業界に限らないことです。
 まずいラーメン屋がテレビにでて、ビルがたち
 うまいラーメン屋が2,3年で消えていきます。
 しかし、仮に広告で、集客するとなると
 膨大な費用がかかります。




1738斬りつけるということ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月10日(日)12時15分45秒

柳沢さん

 書き込みありがとうございます。

>ほとんどすべての英語学習者が、正しい英語学習について知らない
からです。ほとんどの子供たちは、英語に関する正しい学習方法を知
らず、無意味な学習を強いられているからです。

 まったくこの通りだと思います。英語をものにするごく少数の人たちは、いろんな方
法を自分で試し、もがきながら、効果のあるものをつかみとった人たちですが、非常に
多くの人たちが、いろんな方法を試し、もがくだけで終わるのが実態だと思っています。
 絶えず文全体を扱い、「音づくり」を通じてシンタックスを内在化する。「音づくり」
の過程で、イメージづくりを行う。イメージと理解が溶け合ったものを音として保存す
る。
 これらの全過程のうちで、日本の英語学習にもっとも欠けているものが、「音づくり」
です。音はイメージの容器であり、意味の通路であり、保存のための基材なのですが、
日本人の英語の音の非常に多くが、英語の音としてでたらめなので、英語の総体が崩れ
てしまっています。(私が言うのは、ネイティヴと同じ音を出せるようにしろというこ
とではありません。ネイティヴ音のリスニングが可能になる程度までの、学習者の口の
動きの訓練が不可欠だという意味です。)
 「音づくり」が欠けているということは、そのまま「音づくり」のコーチがいないと
いうことです。学校の先生の多くが学校英語の犠牲者であり、ある人の言葉を借りるな
ら、「巨大なるしろうと集団」に過ぎません。
 この「巨大なるしろうと集団」が、中間・期末のテスト体制に従い、テストのための
英語などを扱っているため、そうして扱われる英語(実は英語まがい)が標準化してお
り、私の塾の経営の首を絞めてきます。また、英語まがいのまがい性を補強する大手進
学塾などの広告力も、やはり同じ力を及ぼしてきます。

>ビジネスレベルでの「表現」を変えていかないと、集客は困難を極めます。自分の正
しさをいくら大きな声で訴えても、顧客には届きません。

 これもまったくその通りだと思います。
 「めくら千人、めあき千人」と言いますが、実際のところは、英語に関してなら、「
めくら千人、めあき五人」くらいのものだと思っています。この五人という数字は、英
語を語学として原理的におさえることができる人の数字であり、単にアメリカからアメ
リカ英語を持ち帰り、ぺらぺらしゃべっている人などは含めてありません。
 私は、塾という形で生き残ろうという気持ちは弱くなっています。続けられるかぎり
は続けますが、これは、英語学習を語学として理論化してやろうと考えているためで、
単におまんまを食うためなら、私はさっさと別のことをやっているだろうと思います。
 「表現」に関してですが、英語回りの迷信の分厚い層に斬りつけることを今後もやめ
る予定はありません。この批判に耳を傾けてくださる方が、生徒さんになってくれるだ
けでいいと思っています。実際は、インターネットを通じた発信と、「電話でレッスン」
を今後の活動の幹に育てたいと考えています。こちらはこちらで非常に体力の要る仕事
ですが、それで生きていけなければ、転職を考えます。今もそれを考えています。




1740「指導力」と生徒数は比例しない。A 投稿者:柳沢 投稿日: 2月10日(日)12時37分38秒

ここで、誤解のないように言いますが、私は広告代理店の回し者ではありません。

自分も、私塾に15年ほどかかわってきた人間として、私塾の経営基盤というもの
について真剣に向き合っております。

英語の素読はある意味、非常識な指導法です。
しかし、優れた常識破壊です。
パクパクさんの投稿にありましたが、膨大なお金をかけないと集客できないという
「常識」についても、疑ってかかる必要があります。

優れた商品やサービスが、ブランド化できないのは、将来の顧客となる人の気持ちを
理解していないことが原因です。
多くの大衆の心をつかむのは多額の広告費では無く「まず相手を理解してから、自分を
理解してもらう」という、普遍的な道理です。
現代は、かなり田舎と思える場所でも、都市化が進み、人間同士のコミュニケーションが
難しくなっています。「理解される」ことの難しさを克服するのが重要です。
マーケティングの真髄は、小が大を制し、弱者が強者に逆転勝利することです。

コンテンツ(情報内容)の多量の蓄積がある、素読舎なら、ほとんどお金をかけずに
集客する方法が、私にはスグ浮かびますが、なんとなく、場違いな投稿になってしま
いそうですので、実践的な手法についてはここに記述しません。

ただ、英語教育をイノベートする息吹を感じるこのサイトに興奮して、キーボードを
たたいたまでです。

失礼がありましたら、ご容赦ください。それではまた。




1741うねり 投稿者:浜谷 投稿日: 2月10日(日)14時22分06秒

柳沢さま、 はじめまして。

>ここ、3ヶ月ほど、掲示板とすべての素読舎のすべてのコンテンツを
とても興味深く、というより、尊敬の念をもって読んでおります。
英語学習革命とも言うべき、素読という手法は、もっとひろく普及すべきです。

貴方さまの書き込みを拝見して、根石さんのHP及び掲示板は英語学習者及び教育者にとって非常に有意義なものとの認識がインターネットを通じて徐々に広 がっていっているものと思います。私も根石さんの英語教育の手法は優れたもので、著書も著されていますし、今後さらに広められて行くことを期待している一 人です。英語学習法については、いろんな方がいろんなことを著書やインターネットで言っておられますが、ほって置けば悪貨は良貨を駆逐するの喩え通り、貴 方の仰るように消え去りかねません。なにせ、学校や進学塾、英会話学校、同教室及び多くの著書で実際に指導されている方法にまがい物が多すぎる現状だから です。根石さんのように本当のことを教えていては、学習者を容易に寄り付かせられないからです。私は英語教育界でも、構造改革が必要だと思っています。幸 いインターネットを通じて、本当に役に立つ英語学習法を確立することが必要だと思います。つまり、この掲示板もそうですが、そういう志を持っている人々を 結集し、ネットで全国的に討論する場を作る必要があると思います。 そのような場で討論された結果は必然的に学校教育関係者も巻き込むことになると思いま す。そこから構造改革のうねりが沸き起こることが期待出来ると思いますがいかがでしょうか? 私は諸悪の根源は大学入試にあると見ています。 中高生の非 行、多くの若者達のひきこもりなどがその最たるものですが、入試英語問題の拙劣さが原因で使える英語が6年間、いや10年間の学習で身に着けられない現在 の英語教育の荒廃をこれ以上放置はできないと思っています。

>コンテンツ(情報内容)の多量の蓄積がある、素読舎なら、ほとんどお金をかけずに集客する方法が、私にはスグ浮かびますが、なんとなく、場違いな投に なってしまいそうですので、実践的な手法についてはここに記述しません。
ただ、英語教育をイノベートする息吹を感じるこのサイトに興奮して、キーボードをたたいたまでです。

ここまで貴方の書き込み@に刺激されて書いてきて、Aがアップされ、更に強い感銘を受けております。特に引用させていただいた個所ですが、ぜひ教えていた だきたいと思います。根石さんも同じ思いではないでしょうか? 私も上記のようなうねりを起すことが出来るとすれば、微力の上老体ではありますがそのうね りに、ぜひ一身を投じたいと思っております。当然そのうねりは根石さんの素読舎が母体の一翼を担うべきものと思っています。



1742素読の時間 投稿者:ST 投稿日: 2月10日(日)21時10分03秒

inuさん>レッスンを受けていらっしゃる他の方が、どれくらい復習している
のか分からないので、正直、こんなことを書くのは恥ずかしいのですが、
は火曜日にレッスンを受けて、金曜日あたりに1回(長い文を
一応空で言えるようになるくらい10〜20分)と火曜日当日の
レッスンがはじまる前の40〜50分ぐらいしか復習してません。

私の練習時間も1週間にせいぜい1時間〜2時間(特に最近)しかないことを告白します。
根石さんのお宅に訪問したばかりですが、根石さんは毎日5時間程度は素読されていたような気がします。




1743取り急ぎ・・・ 投稿者:柳沢 投稿日: 2月10日(日)21時27分09秒

浜谷先生へ
レスを読んで緊張しました。うれしくもありました。
私は何ほどのものでもありません。正直、浜谷先生の情熱にぜんぜんかないません。
しかし、自分から投稿した以上、いくらつたない内容でも、「弱者勝利の戦略」につ
いて数回に分けて、私の「仮説」と「経験」を投稿するつもりです。取り急ぎご挨拶まで。

My favorite saying is "Teaching is learning.

*語法にまちがいありましたら誰か教えて



1744小学校の先生、森さんへ 投稿者:ST 投稿日: 2月10日(日)21時54分44秒

小学校の英語教育は「普通にやれば」「百害あって一利なし」の可能性が大きいと思います。

私はこの1月〜2月の約1週間の間に根石さん(塾の先生)とエリオットさん(私学の中高一貫校の先生)の授業を見せていただいたり、いろいろとお話を伺っ てきました。

根石さんの素読については
小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」にポイントが書いてあります。

エリオットさんの「音作り」の授業の実践内容については、このページの一番下の「ホームページへ」に行っていただいて、「大風呂敷の記事の倉庫」から「音 作りへの道」へ行っていただくといいと思います。

私が思うのは、まず「音作り」を指導者が習得することが最も大切だと思います。
勉強するのとは違います。
剣道の技術に関する本を読んでも剣道ができるようにはなりません。
実際に素振りをするところからスタートして、コーチする人が必要です。
コーチができるようになるためには、まず指導者が実際にできるようにならなければなりません。
「音作り」はある程度の段階(10+α)を押さえていれば、小学校段階の指導については取りあえずでは日本人で十分だと思います。
しかし、せっかく外国人の先生もおられるのですから、「フォニックス」なども取り入れて日本人の先生も協力して毎日ちょっとずつでもいいので、「音作り」 をするのが「楽しい」と児童生徒自身が思えるような指導に時間を注ぐべきではないかと思います。

そこでお勧めなのは今日実は本屋さんで見つけたのですが、「くもんのはじめての英会話じてん」というものです。ひとつの項目には英語、カタカナの読み仮名 (これについてはいろいろ賛否両論がありますが。。。この本ではすぐ下にカタカナはふってありません!)、日本語訳、単語などの表現、そしてこれがとても 大切だと思いますが「カラーのイラスト」が必ず入れてあります。以上のことがA4横の見開きだからA5?の上半分に載っています。文字で説明するには限界 もあると思いますので、ぜひ一度書店などでご覧ください。もちろん音声CDはついています。

教材を検討される時にチェックしていただきたいことは
@英語の音声のCDがついている。
A英語の音読が奨励されている。
B日本語の訳は英語のすぐ下書かれていない。(日本語の学習をしているのではない!)
Cカタカナで置き換えてある発音も英語のすぐ下に書かれていない。

などをチェックしていただければと思います。

この後、根石さんがかかれていた発音のポイントのことを書き込みたいと思います。

小学校の外国語教育はとても大切ですが、その功罪も大きいと思います。
小学校でならったことを中学校でそのまま同じテキストで復習できると一番よいのですが。。。
高等学校も大学も同じだと思います。また、教科書の改訂もしなければそれだけで日本の英語教育は数段あがると思うのですが。。。(もちろん音作りをきちん とやってそれを一人一人が自分もやった場合ですが)これはとても大切なことだと思います。

根石さんやエリオットさんが補足訂正してくださることを期待しています。




1745発音のポイント 投稿者:ST 投稿日: 2月10日(日)22時11分17秒

根石さんのお宅に訪問した時、発音に関することをちょっと考えました。

日本人がはじめて英語を学ぶときにまず押さえておくと良い発音のポイントです。

もちろん未完成ですが、そりあえずこの場に公開していろんな方のご意見をいただくといいものができると思います。

この手のものはいろんな本にも書かれていますが、やはり実際に発音のコーチをやっている人にまとめていただくのが一番いいとも思います。

そのだいたい10個とは

th(ユウセイオン・ムセイオン)/f/v/l/r/s(ロング・ショート)/子音のあとに母音をいれないものはいれない!

などです。




1746母音がぬけてますね! 投稿者:ST 投稿日: 2月10日(日)22時18分33秒

母音はどうでしょうか?

エリオットさんの文章から学んだのは。。。

hut/hat/hot/heart/hurt/の母音部分が区別できる!
ar/er=ur=ir/ae(アとエの中間音といわれているあれです)

などの区別などがとりあえず重要はないでしょうか?



1747黒板はいらない!(とりあえずは) 投稿者:ST 投稿日: 2月10日(日)22時37分47秒

根石さん>英語の授業において、黒板は敵なのだということを、日本の英語教師たちは知る必要がある。黒板がどれほど、「音づくり」を崩してしまっているこ とか。

「巨大なる素人集団」なる日本の英語教師たち。「中間テスト期末テスト」の半分を音読にすることになればほとんどの日本の英語教師たちはあわてふためき 「発音」を学び始めるだろう。「高校入試大学入試など」の半分を音読(とりあえずはリスニングにするだけでもかなりよい、本当はTOEICやTOEIC  BRIDGEのスコアで英語はじゅうぶんである。各都道府県や各大学短大で独自に作っている入試問題をやめればいいのである)にすれば「巨大な素人集団」 なる英語教師たちはその対応に動き出す。もちろん発音だけだはだめである。しかしまず発音はきちんと最低限のことは押さえておかなければ、その先に進めな いのである。



1748英語教育界でも、構造改革が必要だ 投稿者:ST 投稿日: 2月10日(日)23時01分17秒

すでに始まっていると思います。英語教育の構造改革は。

小泉内閣も医師会にほんの少しですがメスを入れられたようです。

この掲示板では少しずつメスが入れられていると思います。

英語教育審議会のメンバーの約過半数が根石さんやエリオットさん、そして浜谷さんなどになっていただき、定期考査や入試問題の半分を音声に関する問題にし て、それに対策ができない英語教師は首にするか、期限付きで資格試験などに合格させ、車の免許みたいに3年なり5年なり書き換え式にすればいいのです。 真っ先に首になるのは私ですが。。。お金は関係ありません。日本の将来を担う人が「本当に正しい方法で迷わずにある程度楽しんで自覚的に学習すること」な のです。もちろん国際会議などで直接外国の要人と渡り合うエリートは細かいところまでしっかりやってもらう必要もありますが、それにしても最初は音作りな のです。




1749わが国の英語教育構造改革元年! 投稿者:浜谷 投稿日: 2月11日(月)00時17分22秒

STさん、

根石先生からSTさんへ>作戦部長に任命しましたので、そちらの線もよろしくお願いします(私の中では、これからは根石さんでもなくおっしゃんでも なく根石先生が最もふさわしいと思っています)
STさん>すでに始まっていると思います。英語教育の構造改革は。

柳沢さん>レスを読んで緊張しました。うれしくもありました。
〃>しかし、自分から投稿した以上、いくらつたない内容でも、「弱者勝利の戦略」につ
いて数回に分けて、私の「仮説」と「経験」を投稿するつもりです。取り急ぎご挨拶まで。

嬉しいです。興奮しています。 みなさん、この「うねり」をぜひ本物にしようではありませんか! 2002年がわが国の英語教育構造改革元年になることを 祈念しつつ、

浜谷俊雄



1750緊張する英語というもの 投稿者:いくこ 投稿日: 2月11日(月)01時24分14秒

先日STさんが、根石おっしゃんの塾を訪れました。STさんは、塾での様子を、こと細かく見ていらっしゃいました。

その時に思ったことです。

私は、自分の素読の音をSTさんに聞かれることに、少なからず緊張していました。それを塾の後STさんも含めて村田君やおっしゃん、おばちゃん達とくつろ ぎながら歓談しました。
「英語の音読を聞かれて緊張するのは、単なる緊張と違う。なにか日本とアメリカとの関係性のなかに原因があるんじゃないか」
という話がでました。

それについて、ちょっと関連があるのではないか、ということを思いつきました。
「日本人のもつ英語を一番厳しい視線で見ているのは、日本人ではないか。」

日本人は日本人同士、監視でもしているかのように、日本人の英語になかなか及第点をだしてくれない、なにか粗がないか探しているような気がします(あくま で気がする、です)。
しかし、英語っぽい発音ができたりぺらぺら喋れたりしている様子をみると、急にお手上げになって、崇め奉るように、「あの人は、英語使いだ」と手放しでひ れ伏してしまう傾向があるのではないか、と思ったのです。

なぜ日本人は、日本人の英語に厳しくなったのでしょうか。いつの段階で、そうなったのでしょうか。

その一方で、私の中学・高校の頃のことですが、教室の中では英語の発音が恥ずかしくて、わざと日本語英語風にして発音していました。

「集団」が「監視」する、日本の英語。



1751ナルシシストの私 投稿者:ST 投稿日: 2月11日(月)20時29分33秒

いくこさん>日本人は日本人同士、監視でもしているかのように、日本人の英語になかなか及第点をだしてくれない、なにか粗がないか探しているような気がし ます(あくまで気がする、です)。
しかし、英語っぽい発音ができたりぺらぺら喋れたりしている様子をみると、急にお手上げになって、崇め奉るように、「あの人は、英語使いだ」と手放しでひ れ伏してしまう傾向があるのではないか、と思ったのです。

優越感と劣等感、その根っこは実は同じものだとはよく言われることです。要するに自分自身に気が向きすぎているのです。私がそうです。

素読舎で私も塾生の方々と一緒に素読したことがありました。その時に汗が吹き出てきてたいへんでした。徐々にその汗はひいてきたのですが、これは一つの自 分にとっての訓練だと思っていました。つまり自分自身に目が向きすぎないようにするための訓練ということです。

いくこさん>なぜ日本人は、日本人の英語に厳しくなったのでしょうか。いつの段階で、そうなったのでしょうか。

いくこさん>その一方で、私の中学・高校の頃のことですが、教室の中では英語の発音が恥ずかしくて、わざと日本語英語風にして発音していました。

私は逆でした。私自身が中学の時、英語の時間になると先生が音読発表の時間を毎時間とってくれていました。そのたびに手を挙げていた私は得意になっていま した。「すごーーーい」といわれたくて頑張っていたように思います。

「くらべる」。それは、人間が伸びていくのに必要なことでもあります。しかし、優越感や劣等感の素(もと)になり、向上の妨げになることも多いと思いま す。英語は個人に深く入り込んでいく営みという部分もあると思います。いくこさんはそれができる人だと感じました。




1752ときどきいくこも考える 投稿者:いくこ 投稿日: 2月12日(火)01時01分22秒

浜谷さん、お久しぶりです。お元気ですか。
そして、STさん、長旅ご苦労様でした。お疲れでしょう。

浜谷さん>いくこさんが上記に仰っておられるのは、単に気が散っているということではないでしょうか?だれでも自分の素顔をみられるのはいやなもの です。それが正直な気持ちだと思います。万国共通の人間の感情だとおもいます。

おそらく、英語の素読を聞かれているとき、確かに気は散っていたのだとろうと思います。
ただ私が言いたいのは、「単に」気が散っていただけでない何かがそこにあると思ったのです。また、そこには「万国」共通の感情だけでなく、「日本特有の」 共通の感情も含まれている、この点が私には非常に気になっているのです。

日本には、その人の英語のできに対して「ケチ」をつけるか、さもなくば「おてあげして崇拝」するかのオール・オア・ナッシングの一面があるように思いま す。まるで集団で日本人の英語を監視しているかのようです。そして、この「集団」とは、外国人ではない、日本人自身だと私は思っています。

一方、教室の中で多くの生徒達は、長らく、自分の英語の実力(特に発音)に「ケチ」をつけられるくらいなら、日本語風英語を喋ることで、お茶を濁してきた のではないかと思います。そして、教室は長い間、英語を育てない空気を充満させてきたように思います。

これから、英語を日本で根付かせていくには、多くの日本人が抱えている英語に対する「日本特有の感情」を軟化させていかなければならないのではないでしょ うか。
英語学習の初期段階から卓越して英語を獲得してきた方には、もしかするとこの日本特有の空気を体験せずにきた方もいらっしゃるのではないかと、私は思いま す。

また長野にいらした際には、ぜひ塾の方を見学していってください。見学者にちょっとぐらい気が散っても、素読舎は大丈夫です(^^)。英語を醸成するため に、アホのように高らかに英語を唱え、ときに大声で間違うことをいとわない空間があります。

ちなみに、わたしはまったくもって鷹ではありません(^^;)。


1753英語に対する思い入れ 投稿者:浜谷 投稿日: 2月12日(火)06時38分10秒

STさん、

>「くらべる」。それは、人間が伸びていくのに必要なことでもあります。しかし、優越感や劣等感の素(もと)になり、向上の妨げになることも多いと思いま す。英語は個人に深く入り込んでいく営みという部分もあると思います。いくこさんはそれができる人だと感じました。

STさんもいくこさんも英語にたいする思いが非常に強いと今回のお二人の投稿で感じました。私は英語が他の一般的生活要素と変わらないと思ってその観点か ら考えてみたのでした。そういう意味ではSTさんの「優越感、劣等感」という要素からの考察はうなづけるところです。しかし分からないところがありますの で、教えてください。上記の中での「英語は個人に深く・・・」からの文章とSTさんがご自分のことを「ナルシスト」と言われていますが、その文章と関わり があるような気がしますが、分かりません。非常に個人的なことになるかとも思います。もしそうでしたら、特にレスいただかなくても結構です。

いくこさん、

いくこさんの英語に対する思い入れの深さに感心しています。仰っていることはよく分かりました。やはり「鷹」は私の狭量さの精でした。ごめんなさい。


1754日本の。。。 投稿者:ST 投稿日: 2月12日(火)11時23分56秒

いくこさん>「日本特有の」共通の感情

いったいなんなんでしょうか?でもたしかにあるような気がする。

「日本特有の共通の感情」

うーーーん。



1755浜谷さん、こんにちは! 投稿者:ST 投稿日: 2月12日(火)11時40分20秒

>「英語は個人に深く・・・」からの文章とSTさんがご自分のことを「ナルシスト」と言われていますが、その文章と関わりがあるような気がしますが、分か りません。非常に個人的なことになるかとも思います。もしそうでしたら、特にレスいただかなくても結構です。

個人に深く入り込んでくる英語(ここでは言葉といったほうが適切でしょうか?)というのはこういうことです。根石さんの「英語どんでんがえしのやっつけ 方」にも書いてあったと思います。つまり、我々が使っている日本語でも別に「りんご」が「うんこ」でもいいわけだということです。もっというなら「うん ち」でも「あんず」でも「こねが」でもいいわけです。最初は無理やり自分自身の中に深く入り込んでくるのが言葉だということです。それは無理やりです。野 村まんさいさんの言葉を借りれば「ことごとく個性を否定される」ものです。

@最初はことごとく個性を否定される言語習得。
Aその後は個性からの限りない脱却が求められる言語習得。

新しい言語を習得すればするほど、「自分の中のイメージ力」は、より大きくなっていきます。
それを元手に自分の新しいイメージを表出していくのが発話なのでしょうか?言葉は面白いですね。

「@=回転読み・書き?」はAに至る過程で「万人に」「特に学習の入り口で必要な」「非常に分かりやすい」「どうしても必要な」方法だと思います。

一人でも多くの「日本国内で英語を学習している方々」がこの方法を理解し実践する日がくることを身体で思っています。




1756all or nothing 投稿者:ST 投稿日: 2月12日(火)11時52分09秒

いくこさん>日本には、その人の英語のできに対して「ケチ」をつけるか、さもなくば「おてあげして崇拝」するかのオール・オア・ナッシングの一面があるよ うに思います。

昨日、京都国際会議場のアネックスというところで、河合隼雄さんと大平光代さん(弁護士)の対談を聞きにいってきました。面白かったです。これはその河合 さんのある本からの引用ですが、風見鶏の話があります。つまり、風見鶏は180度向きを変えるのが得意だということです。いいか悪いか。飲むか飲まない か。払うか払わないか。とるかとらないか。行くか行かないか。。。。。
そういうことはたくさんあります。もちろん人生などAに行くかBに行くかで、どちらの道しかとりようがないような気もするのですが。(この話はエリオット さんもしてくださいました。)で、河合さんの話ですが、例えば親父が大酒のみで子供は「しばかれてばかり(殴られてばかり)いる」とします。そうすると、 その子供は同じように大酒をくらうか全く飲まないか、そのどちらかがとても多いと、河合さんは臨床の経験からかそうおっしゃるわけです。親父は大酒をくら うが子供はちょうどいいように飲んでいます、という人は結構すくない。なるほどと思いました。これはいくこさんの書かれた"all or nothing"のことだと思ったのです。




1757情報 投稿者:浜谷 投稿日: 2月13日(水)06時42分45秒

みなさん、

「最適英語学習法」の掲示板へ次のような書き込みがありました。ご参考までに転載させていただきました。

フォーラム「日本の英語教育を考える」事務局
Tuesday, February 12, 2002 at 21:30:52 (JST)

英会話スクールの生徒数が急増し、「第三次英会話ブーム」がやってきたと言われています。
また来年度から小学校の「総合的な学習の時間」に英語が導入され、
早い段階から異文化に興味をもち、さらに進むであろう国際化社会で
活躍する人材が育成される可能性が期待されています。
このフォーラムでは日本の教育を振り返り、異文化交流を可能にし、
本当にコミュニケーションのとれる英語教育とはどんなものなのか、
またいかにあるべきかを考えていきます。

期 日: 2002年3月3日(日)
会 場: 新宿NSホール
入場料: 無料
主催:財団法人異文化コミュニケーション財団
後援:外務省/文部科学省
★プログラム****************************************************
13:00 開場
13:30 開演
パネルディスカッション
「日本の英語教育を考える」
〜現在の英語教育で異文化交流はできるのか〜

【コーディネーター】
●平野 次郎(NHK解説委員)
【パネリスト】
●中嶋 嶺雄(元東京外国語大学学長、国際社会学者)
●東後 勝明(早稲田大学教育学部教授)
●猿橋 望 (財団法人異文化コミュニケーション財団 理事長)
●ジェームス・ワグナー(ニューズウィーク日本版 副編集長)
●服部真湖(タレント)

16:00 終了予定
*************************************************************
★お申込み方法
・住所、氏名、年齢、電話番号、参加希望人数を明記の上、
Eメール、FAX、お電話のいずれかの方法で左記宛お申込みください。
フォーラム「日本の英語教育を考える」事務局
〒107-0062
東京都港区南青山5-9-15
共同ビル新青山8F
TEL:03-5468-3030
FAX:03-5468-0557
Eメールアドレス:eigo@mpc−inc.co.jp


-------------------------------------------------------------




1758浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)11時03分25秒

 転写、ありがとうございました。

>パネルディスカッション
   「日本の英語教育を考える」
   〜現在の英語教育で異文化交流はできるのか〜

 のんきなことを言っていますね。「できるのか」ではない。「できないに決まっ
てる」です。

>パネルディスカッション
   「日本の英語教育を考える」
   〜現在の英語教育で異文化交流はできないに決まってる〜

 「できないに決まってる」。これがスタート地点であるはずです。

>パネルディスカッション
   「日本の英語教育を考える」
   〜『音づくり』をどうするか〜

 これなら興味があります。Eliot さんがパネリストに加わるべきです。

>パネルディスカッション
   「日本の英語教育を考える」
   〜教室で『音読』は可能か〜

 これも興味があります。



1759STさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)12時12分35秒

>根石さんの「英語どんでんがえしのやっつけ方」にも
書いてあったと思います。つまり、我々が使っている日
本語でも別に「りんご」が「うんこ」でもいいわけだと
いうことです。もっというなら「うんち」でも「あんず」
でも「こねが」でもいいわけです。最初は無理やり自分
自身の中に深く入り込んでくるのが言葉だということで
す。それは無理やりです。野村まんさいさんの言葉を借
りれば「ことごとく個性を否定される」ものです。

 いやあ、話がよくわかんない。「りんご」が「うんこ」でもよいなら、すぐに肛門
が亀裂だらけになってたまらんことだし、そうなりゃ、「うんこ」が「りんご」でも
いいわけだから、そんなものを食べることは敬して遠ざけたい。
 「りんご」は「りんご」でいてくれなくては困る。同じく、「うんこ」は「うんこ」
でいてくれなくては困る。浜谷さんも、返事に、困る。
 日本人が「りんご」という語に出会う時、見たり、撫でたり、転がしたり、囓った
りして出会う。アメリカの子供も、見たり、撫でたり、転がしたり、囓ったりして
apple に出会う。生の経験として出会う。あるいは、一度もその「赤くて丸いもの」
を、見ることも、撫でることも、転がすことも、囓ることもしたことがなくて、だけ
ど毎日お母さんが読んでくれるお話のなかに出てくるので、いつか食べてみたいなあ
と思っているのでも、これは言葉の経験としては「生の経験」です。意識に直接届く
言葉は、子供にとって「経験」となります。

 「りんご」は 「 apple 」だ。これを覚えなきゃテストで点がとれない。これはま
ったく別の状況です。すでに「りんご」という語を通じての、「生の経験」は積み重
ねてきているが、apple には初めて出会ったという場面です。これは、生活の場面で
はなく語学の場面であって、強引に「りんご = apple 」という図式を自分に強制し
なければならない。「 apple 」という語そのものの生な経験ではなく、この場面で
は、生な経験はテスト勉強というものになっています。

 ST さんが言ってるのは、この「強制」や「強引」のことなのでしょうか。

 それとも、おぎゃあと生まれたばかりのいまだ言葉を知らない赤ん坊の体にとって
は、「りんご」という言葉一つが根付くのでも「強制」であり、「強引」なことだと
いうことでしょうか。でも、赤ん坊は、これを「強制」だとも「強引」だとも思わず、
智恵熱を出して真っ赤な顔をしながら、「りんごぉー」なんて叫んでうれしそうにに
こにこしたりして、「経験」していきます。人間というのは実に不思議な怪物だと思
うのです。

 あるいはまた、「りんご」なら「りんご」という語の発生において、同時に生成す
る概念と音との間には何の必然もないということでしょうか。ある概念と結びつく音
が「りんご」なら「りんご」である必然性は何もないということなら、「どんでん」
で書いた覚えがあります。少なくとも、もともとあったかもしれない必然は、見えな
くなっているということは言えると思います。概念と音との間には、一つの language
の中での共通認知以外に何の必然もないということです。

 さて、遅くなりましたが、用件に入りたいと思います。申し上げにくいことは何も
ないので、申し上げますが、やはり、私としては、「りんご」は「りんご」のままで
いてほしいし、「うんこ」は「うんこ」のままでいてほしい。そうじゃないと、私、
困るんです。

 追伸。
 「こねが」って何ですか。なんだか、小金持ちが挫折しているようなイメージを抱
いてしまいましたが・・・。




1760國弘正雄の弟子になります 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)12時26分35秒

機会があって、國弘正雄さんの本を初めてまとめて一冊読みました。

「國弘流・英語のはなしかた」(たちばな出版)です。深くうなずくことばかりで、やはり、この
人が私の先達なのだと思います。もちろん、一度もお会いしたことはなく、今後もお会いすること
はないでしょうが、私は勝手に弟子になることにいたしました。

まだ読まれていない方がおられましたら、是非お読みになることをお薦めします。

この本を読む機会を与えて下さったのは、ある雑誌の編集者の方です。この雑誌に英語本の批評
を書けと言われ、お引き受けした9冊の中に國弘さんの本がありました。素材の形で書いたもの
を、編集者の方が取捨選択、アレンジして記事になる予定です。記事になることが本決まりにな
りましたら、雑誌名をこの掲示板に書きますので、お読みになっていただきたくお願いいたしま
す。



1761「電話でレッスン」ジュニア・コース 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)12時34分23秒

「電話でレッスン」の実際を知っていただくために、「毎週1回30分・月額1万円」の
これまでのコースの他に、「月2回・月額5千円」のジュニア・コースを設けます。設置
の曜日、枠数などは今後決定いたします。現在、土曜日か日曜日に根石吉久分の枠を一つ
設置することが可能です。4月以降、水曜日に大幅に増設することができるようになるか
もしれませんが、そうなった場合は、設置数4ほどのうち、1つか2つをこのジュニア・
コースとする予定です。

何をどうするのかは、この掲示板にお問い合わせいただくのがもっとも簡便です。
または、090−3316−4180へお電話いただくのでも結構です。




1762いくこへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)12時37分21秒

英語回りの優越感・劣等感というのは、敗戦後の日米関係における安保条約というものの性質を
外しては解けない問題だと思う。



1763いくこへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)12時55分14秒

>日本には、その人の英語のできに対して「ケチ」をつけ
るか、さもなくば「おてあげして崇拝」するかのオール・
オア・ナッシングの一面があるように思います。まるで集
団で日本人の英語を監視しているかのようです。そして、
この「集団」とは、外国人ではない、日本人自身だと私は
思っています。

 韓国は、英語排斥論が、国粋主義と結びついているみたいです。
 日本の右翼は、街宣車で「踊るぽんぽこりん」を流したりもしたことがあるみたいで、
小田嶋隆が怒っておりました。話が関係ないですけど、今日は私はだいぶアタマが悪いの
でお許し下さい。

 「日本人による英語監視」に対しては、「うるせえ、馬鹿やろ」という心を堅持するの
がよろしいと思っています。だいたい、監視するやつは多少英語のわかるやつなので、私
は、自宅を自作する途中でつきあった板金屋や大工や型枠大工達から、私の英語を監視さ
れた覚えは一度もありません。まあ、監視するのは、たいがいが大学出ですな。
 何を隠そう、私自身が、英語をしゃべり始めた頃は、こいつどの程度の英語なのかなど
と人の英語に聞き耳をたてて監視したことがあるのです。でも、「うるせえ、馬鹿やろ」
という貴重な心を持つようになったため、今はそれもなくなったように思います。
 もっと、ウドの店へ行って、英語をさらしてみたらどうでしょうか。
 さらしものになったり、さらしものにされるということをやっているうちに、誰もさら
しものとしては相手にしてくれなくなり、ただ英語でしゃべってるだけになります。そう
いう機能を持つ店としては、ウドの店はいい。
 ただ、こちらがどれほどのブロークンをやらかしても、ウドはまるで気にせず、単に言
いたい用件を受け取るだけですから、英語がよくなることはない。英語をよくするには、
机上でやるのが一番です。
 要するに、ウドの店へ行って、酔っぱらって英語でくだをまくだけでも、「日本人によ
る英語監視」の外に出ることはできるということです。
 いくこが、酔っぱらってくだをまくと、あまりの迫力というものになりますので、ウド
の店に行くときに俺を誘わないでね。




1764いくこへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)13時07分35秒

>これから、英語を日本で根付かせていくには、多くの日本人が抱えてい
る英語に対する「日本特有の感情」を軟化させていかなければならないの
ではないでしょうか。

 誰がやる?
 感情を軟化させるっていったって、誰がどうやるんだ?
 俺はやはり、「うるせえ馬鹿やろ」が大事だと思うよ。
 本当の突破口は、徹底した「音づくり」で、通じる英語を作ることしかない。
 この「日本特有の感情」が生じるのは、日本人の英語が通じないからだよ。

 監視する側は、「もしかして、こいつの英語、通じるんじゃないか?」なんて
思っていたりするんですね。監視される側は、「日本式のへたな発音だなんて思
われちゃっているかも」なんて思っていたりするんですね。

 「うるせえ、馬鹿やろ」は本当に大事だと思いますよ。
 「あっち行け」も大事です。

 「音づくり」しかない。あるいは、「音読=音づくり」しかない。
 後は、日本語の本でも英語の本でもいいが、よく本を読んで心を耕すことだよ。
 日本語の本もろくに読めねえで、英語なんぞぺらぺらしゃべったって、ろくな
もんじゃねえ。

 「英語好きには馬鹿が多い」っていう公式も一つ覚えておくといいと思うよ。



1765STさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月14日(木)13時29分44秒

>素読舎で私も塾生の方々と一緒に素読したことがありまし
た。その時に汗が吹き出てきてたいへんでした。徐々にその
汗はひいてきたのですが、これは一つの自分にとっての訓練
だと思っていました。つまり自分自身に目が向きすぎないよ
うにするための訓練ということです。

 うそぉ。ST さん、そんなに緊張していたんですか。村田君も、やたら汗をかいたらし
いし、やっぱ、英語って、そういうふうに日本人に緊張を強いるところがあるようです
ね。俺は、「うるせえ馬鹿やろ」流儀です。これは、STさんにも是非お薦めしたい。

 國弘さんは言葉にはしませんが、私の読むところでは、やはり「うるせえ馬鹿やろ」
流儀ですね。「あっち行け」は、國弘さんの本の中にあります。



1766パネルディスカッション 投稿者:浜谷 投稿日: 2月14日(木)22時32分49秒

根石先生、

>パネルディスカッション
   「日本の英語教育を考える」
   〜現在の英語教育で異文化交流はできるのか〜
 のんきなことを言っていますね。「できるのか」ではない。「できないに決まっ
てる」です。

先日英語教育の構造改革をと叫びましたが、このパネルディスカッションの顔ぶれを見て暗澹たる思いがしました。また3月3日実施の広告をなぜ押し迫った今 頃民間の英語学習サイトに掲載して来たのか? 来年度(この4月からですよね)始まる小学校での英語教育に関する根回し的な催しとしては、余りにもおざな り且つ泥縄式なのにあいた口がふさがりません。仰るようにEliotさんは別格としても、少なくとも現場の英語の先生をパネリストに入れるべきですし、更 に言えば、最近の塾に擦り寄った教育政策との整合性から考えれば塾の先生をも加えるべきでしょう。もっと開催までの時間があるのであれば、根石先生をパネ リストに推薦させていただきたいと思ったことでした。



1767顔ぶれ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)00時21分16秒

>【コーディネーター】
   ●平野 次郎(NHK解説委員)
   【パネリスト】
   ●中嶋 嶺雄(元東京外国語大学学長、国際社会学者)
   ●東後 勝明(早稲田大学教育学部教授)
   ●猿橋 望 (財団法人異文化コミュニケーション財団 理事長)
   ●ジェームス・ワグナー(ニューズウィーク日本版 副編集長)
   ●服部真湖(タレント)

 顔ぶれについてですが、私には何の判断もできません。
 この中で私が名前を知っているのは、東後 勝明さんだけです。
 東後さんは、私は好きです。他の人については一切わかりません。
 人脈や勢力には興味がないせいでしょうか。
 その人が何を言っているかにしか興味がなく、そういう興味の持ち方で知った人は東後さん
しかいません。
 私がただの世間知らずなのかもしれません。



1768ボツにはならなかった 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)00時25分03秒

3日ほどかけて作った、雑誌記事のための資料がボツにならなかったので、ほっとしています。

雑誌は、小学館「サピオ」です。今月の27日に発売になるそうです。
最近よく売れた英語本を、好きなように評価・批判してくれという注文でした。
この仕事の中で、國弘さんの本を読むことができたことがうれしいことでした。



1769浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)00時45分12秒

>私も去年の夏根石先生の塾を見学させていただきまして、いくこさ
んや先生、村田さん、奥さん、その他塾生のみなさんが喧騒の中でそ
れぞれ音読(素読)されているのを拝聴させていただいたことがあり
ますので、仰っていることはよく分かります。途中夕方の電話でレッ
スンの見学までの間席を外させていただきましたが、みなさんの気が
散らないようにという思いからでしたが、後で先生に熱心さが足りな
いかのように言われました。

 浜谷さんが遠慮して塾を見なかったのだとは知らず、ぶしつけなことを申しましたこと
お許し下さい。私としては、遠慮はるばる、いや、もとい、遠路はるばるいらっしゃった
のだから、遠慮せずに見て欲しかっただけです。うちの塾生は、塾の中で声を出して練習
するのは当たり前のことと思っておりますので、見知らぬ人がいても多少緊張するくらい
で、英語の読みを聞かれること自体は平気です。
 また、小谷の方へ来られた折にでもお寄り下さい。




1770食えなくなったら 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)00時51分46秒

>昨夜はつっこみを入れすぎたきらいがあります。もしそうでしたら御
免なさい。柳沢さんそして先生の次の書き込みを拝見していても立ても
おれず、ついつっこみ過ぎたかもしれません。

 全然そんなふうには思いませんでしたのでご安心の程。
 まあ、しかし、私は商売が下手で困っています。
 柳沢さんは、その後書いてくださいませんね。
 商売を教わりたいのですが・・・。
 私は食えなくなったら英語はやめます。そうなると現場を離れることになりますから、
語学論も一切書かないでいたいと思っています。



1771いくこは、「うるせえ馬鹿やろう」でいく 投稿者:いくこ 投稿日: 2月15日(金)01時09分08秒

> 要するに、ウドの店へ行って、酔っぱらって英語でくだをまくだけでも、「日本人によ
る英語監視」の外に出ることはできるということです。

今日、ウドさんの店にいってきました。ちょっと英語を風にさらしてみました。
たしかに思ったのは、本を読むなり、心を耕しておくことの方が大切だなと思いました。

> いくこが、酔っぱらってくだをまくと、あまりの迫力というものになりますので、ウド
の店に行くときに俺を誘わないでね。

かなり荒れますぜ(とかいうと、本当だと思うじゃないですかぁ、師匠!)
今年は「うるせえ馬鹿野郎」道をまい進いたしますわ(^^)ほほ。




1772日本人のための最初の10のポイント 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)01時45分43秒

STさん、皆様

>th(ユウセイオン・ムセイオン)/f/v/l/r/s(ロング・ショート)/子音のあとに母音をいれないものはいれない!
>hut/hat/hot/heart/hurt/の母音部分が区別できる!
>ar/er=ur=ir/ae(アとエの中間音といわれているあれです)

 STさん、覚えていてくれてありがとう。
 私なりに、書き直してみます。

th    舌の先を歯で挟み、引っ込めながら息を出す。
f, v   上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあて、離す。
t,d,l,n  舌の先が上の歯茎の裏。t と d は舌を歯茎から離すときに。
r     舌を喉の方にひっぱり、上の方に触らない。
s     舌の先は歯と歯茎の境目あたり、触るか触らないかくらい。唇の開きは平ら。
☆S (long s) 舌の位置は s と同じ。唇を丸めて突き出す。
☆逆さe   唇の形は狭い。唇に力を入れないで、「ア」を言う。
☆a    下顎を下げる。歯と歯の間を開く。
☆ae   口の両端を斜め上にひっぱり上げる。
黙音・連結・母音削除

 以上で、日本人が最初に外科手術的にやるべき、「音づくり」の10項目です。
 ☆印は発音記号で表されるもの、その他は、綴りがそのまま発音要領として使えるもの
です。発音要領の記述は、「音づくり」の過程で、生徒に手短に言う場合に使用するためのものです。ですから、これらは、コーチの存在が前提になっていま す。コーチがいて、
モデルの発音をその場で提示できるなら、この程度の簡単な言い回しで済むということで
す。コーチがいなければ、もっとくだくだしい記述になります。
 10番目の「黙音・連結・母音削除」は、総体として英語のリズム形成にかかわる
ものです。

 以上の私の記述で正しいのかどうか、Eliot さん、浜谷さん、ST さんに検討していた
だきたく思います。この10のポイントが制定できたら、私のホームページに1ページを
割いて掲載し、どなたでもアクセスできるようにしたいと思います。
 どうぞご協力をお願い致します。
 なお、この10項目をどう呼ぶか。名前を募集したいと思います。
 「初心者のための発音のコツ10」というような名前を思いつきますが、皆さんの智恵
でもっといいものが決まればいいと思います。
 こちらもよろしくお願い致します。



1774STさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)02時04分05秒

>すでに始まっていると思います。英語教育の構造改革は。

 私にはとてもそうは思えないのですが・・・。



1775STさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)02時22分26秒

>私の練習時間も1週間にせいぜい1時間〜2時間(特に最近)しかな
いことを告白します。根石さんのお宅に訪問したばかりですが、根石さ
んは毎日5時間程度は素読されていたような気がします。

 一日5時間は私はやれておりません。ST さんが見えた日は、「電話でレッスン」をや
る日だったので、5時間や6時間はやりましたが、平均すると一日1時間から2時間程度
だと思います。この程度はやらないと、すぐに英語に錆が寄ります。
 一週間に1時間〜2時間というのは、あまりにも少なすぎます。とにもかくにも、レッ
スンで毎回新しいところへ出ることは心がけていて下さい。それができれば、徐々に加速
度がついてきます。加速度がついてきた人の復習範囲のテストは徐々にきつくしていきま
す。今のところ、10+10でしばらく継続なさるのがいいと思います。なにはともあれ、
毎回新しいところへ出ることをねらってください。少なくとも、復習範囲のテストが30
分で終わることは確保して下さい。テストの範囲が進むだけでも、練習は先に進んでいま
す。錆が寄らないだけでも、「わかっていること・覚えていること」を繰り返す回数は増
えているので、自分の中で英語は変化していきます。
 何時間やれというようなことは私は言いませんが、ともかく新しいところへ出ることを
こころがけて下さるようお願い致します。



177610のポイント 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)02時45分26秒

>AETの先生がいてもいなくても「総合的な学習」を担当される先生は根石
さんがお誘いになっているような発音に関する訓練をまずされるべきだろう
と思います。もしその過程を経ないで、素読をやるというようなことは無茶
なことだと思います。

 「音づくり」ができない先生が、小学生の英語をいじることは是非やめていただきたいと私も思っています。先ほど書いた「10のポイント」程度のことだけ は、絶対に踏まえ
て欲しいです。「音づくり」のできない先生が小学生に英語をやらせるなら、教師集団と
しては、「巨大なるしろうと集団」がさらに巨大化するだけで、これまでの中・高の英語
教師たちがばらまいてきた公害がさらにひどくなるだけだと考えています。
 ところが、公教育の教員が塾をやってるやつのレッスンを受けるなどプライドが許さな
いとでも思うのか、今は小学校の先生で私の生徒さんになってくれた人は二人いるだけで
す。(一人は妻の生徒さんで、妻よりも発音がいい)
 学校の先生たちは、教員免許を持っているだけで、ほとんどが「しろうと」にすぎない
ことに一度はしっかりと謙虚になって欲しいものだと願っています。先生の自分の発音が
いいことは大事なことですが、もしも、発音が悪くても、先の「10のポイント」をきち
んと踏まえ、それだけは確実に生徒に対して「音づくり」ができるなら、小学生の英語に
触る資格があると思います。教員免許という資格よりも、はるかに大事な資格です。
 いくら自分の発音がよくても、生徒に「10のポイント」を備えた音を持たせられない
なら、小学生の英語に絶対に触ってほしくない。自分の発音がいいかどうかが本当の問題
ではなく、「10のポイント」を生徒の口の動きとして実現できるかどうかが問題なので
す。

 もっとも、私どものレッスンに大勢申し込まれてもお受けできないので、民間でちゃん
とした音を持っている人(たいがい私より「音」の質自体はいい)に、私の「技法グラウ
ンド」という技術を持ってもらう方が先決問題かもしれないとも思っています。
 こちらでは、塾の先生が二人、私の生徒さんになってくれています。

 公教育で二人、塾で二人。この方々に私は敬意を持っています。



1777お嬢へ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)02時58分17秒

わりい。
あんたが書いたのは二つとも読んだけど、俺があんまり書きすぎるので、すでに過去ログ状態だ。
コメントしようとしてるけど、記事がみつからない。

アメリカへ行く前に、國弘さんの本は読むべし。
今度のレッスンの時に、本を教える。

続きを書き継いでくれるように。
英会話学校に金をふんだくられて、何十万も使ったのに、何も力がつかなかったことをもっと
きっちり書いてくれ。だって、あんたの学校英語の犠牲になった音を、元から作り直したのは
俺なんだからさ。音に関しては、学校も英会話学校も何の役にも立ってなかったと思うよ。特
にイントネーションに関しては、3年前はまるで「盆踊り」だったと思う。
 今は、すごくよくなった。少し褒めると、「私って、エライィー」と大声で叫ぶやつだから
あんまりほめないでおくけど、でも、すごく変わったな。

 風邪はなおったのか。今度のレッスンまでになおしておいて、俺に風邪をうつさないように
気をつけること。



1778英語音修得の為の必須10ポイント 投稿者:浜谷 投稿日: 2月15日(金)06時41分46秒

根石先生、

@>s 舌の先は歯と歯茎の境目あたり、触るか触らないかくらい。唇の開きは平ら。
☆S (long s) 舌の位置は s と同じ。唇を丸めて突き出す。

A>th(ユウセイオン・ムセイオン)/f/v/l/r/s(ロング・ショート)/子音のあとに母音をいれないものはいれない!
>hut/hat/hot/heart/hurt/の母音部分が区別できる!
>ar/er=ur=ir/ae(アとエの中間音といわれているあれです)

他の方の発音指導に関する記事を少し読んだことがありますが、先生の今回の記事は、小学校の英語を教える先生方に是非必須として周知して欲しいと思いまし た。先生もそういう意図で改めて指導方法(再録)を今回アップされたのだと拝察しました。私も今回の分はコピーさせてもらい私が英会話サークルなどで初心 者に教える場合に使わさせていただきたいと思います。

ところで、お教えいただきたいのですが、
@ 最初の例:seed, sat, sun 2番目の例:soon として、確かに結果的に仰るような口の形になりますが、それは後にくる母音の口の形に影響されるだけで、s の発音自体は 同じだと思いますが・・・? (つまり最初の s の形です。)

Aこれらの項目を入れると13ポイントになりますが?



1779浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)12時53分31秒


ご指摘ありがとうございます。

なるほど、soon だと、「唇の開きは平ら」ではありません。s のときの唇の開きは、その後の母音で決まるというのは、その通りだとわかりました。「唇の開きは平ら」を削除します。

>s  舌の先は歯と歯茎の境目あたりに、触るか触らないかくらい。狭い隙間に息を強く通す。

 以上のように書き換えます。ありがとうございました。

 その他の項目に関してもそうですが、記述自体がきわめて部分的なものです。10という数字が音法全体に対して部分的だという意味ではなくて、一つの音に 関する記述自体が、そのひとつの音の音法全体に対して部分的だということです。

 コツの言い方は手短な方がいいので、本当は俳句みたいに「五・七・五」くらいで言えればいいのですが、なかなかそうもいきません。

 s に関して私の記述は明らかに間違いです。他にも間違いがあればすぐに修整しますので、他の方にもご協力をお願いしたいと思います。最終的には Eliot さんにチェックを入れていただくことを願っています。昨夜掲載したものは、STさんと話したときにSTさんがメモをとっておられたので、それをこの掲示板 に掲載していただき、それを元に、私が素案として急遽書いた記述です。まだ間違いを含んでいるかもしれません。是非、皆様のご協力をお願いいたします。

 一つの音の音法に対しても部分的であるのは、10のポイントは「技法グラウンド」というコーチ付きの方法のために考案したためです。「技法グラウンド」 は、コーチが1回言った文を生徒が5〜7回繰り返すという単純な練習です。(5〜7回を、10回にしてもいいと思い始めています。)これには「動態」があ ります。生徒が5〜7回繰り返すという繰り返しの「動き」です。この「動態」の中へ、コツとしてポンと置いてやるならば、そのコツの言い方がどれほど部分 的なものでしかなくても、音はその場ですぐに直ることがよくあります。例えば、今回の10のポイントには ar が含まれておりませんが、これは、a で「歯と歯を開く」コツを覚え、rで「奥の方、上に触らない」コツを覚えると、できると思っています。その場合、コツとして私がよく使うのは、「カラスの カー」です。生徒は、k音の後の ar を、「カラスのカー」でよく把握してくれます。(Eliot さんの
「診察室のアーン」と同じようなコツの言い方です。)

國弘さんは、朗読五百回、朗読千回ということを言っておられます。これはコーチ付きの練習ではなく独学でやるべきことです。私は國弘さんの、朗読五百回、 朗読千回によるイメージの純化、基礎項目の活用力獲得を深く信じております。國弘さんを知る前に、私は自分で名付けた「回転読み」により、朗読五百回・千 回を通っていたため、著書を一読、深くうなずくことができました。

この朗読五百回・千回の入り口に、「10のポイント」を備えた「技法グラウンド」という技術が置かれれば、日本の英語の全体が変わると思っております。音 の感覚のいい人は、朗読五百回・千回の過程で、自然につかんでしまうものも多いでしょうが、多くの人には、入り口のところに「10のポイント」があるとな いとでは大きな違いとなります。動態によって自然につかんでしまうということでは、「10のポイント」をクリアした後の人に大いに期待がもてます。

「10のポイント」の習熟があると、もっと細かな「聞き分け」や「言い分け」も可能になってきます。その多くは、「自然にわかってくる」にまかせていいも のだとも思っています。「10のポイント」以後は、國弘さんのやり方がいい。しかし、もし、この「10のポイント」もクリアされていないという場合は、通 じる英語にはなるまいとも思います。いつまでも、英語が「盆踊り」を踊っている人はたくさんいますので。



178010のポイント 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)13時06分20秒

浜谷さんのご指摘の後、全体をもう一度眺め、いくつか書き換えました。特に断ってない場合は、舌の動きだということにすれば、さらに簡単な言い方になると 思い、「舌の先を」などの語句を削りました。

th    歯で挟み、引っ込めながら息を出す。
f, v   上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあて、息で離す。
t,d,l,n  上の歯茎の裏。t と d は舌を歯茎から離すときに。
r     喉の方にひっぱり、上の方に触らない。
s     歯と歯茎の境目あたり。触るか触らないかくらい。狭い隙間に息を通す。
☆S (long s) s と同じ。唇を丸めて突き出す。
☆逆さe・逆さv  唇を狭く、力を入れないで、「ア」を言う。
☆a    歯と歯を開く。(下顎を下げる)
☆ae   口の両端を斜め上にひっぱり上げる。
黙音・連結・母音削除

皆さんのご協力をお願いします。



1783STさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月15日(金)20時42分53秒

発音の「10のポイント」の出来はどうでしょうか。

逆さe と逆さvのところは間違っているなと自分で気づきました。

今日、レッスンが終わったら書き直します。

Eliot さんもお時間がとれましたら、「10のポイント」の記述のチェックをお願いします。



1784再度改訂 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月16日(土)00時12分25秒

th    歯で挟み、引っ込めながら息を出す。
   f, v   上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあて、息で離す。
   t,d,l,n  上の歯茎の裏。t と d は舌を歯茎から離すときに。
   r     喉の方にひっぱり、上の方に触らない。
   s     歯と歯茎の境目あたり。触るか触らないかくらい。狭い隙間に息を通す。
   ☆S (long s) s と同じ。唇を丸めて突き出す。
   ☆逆さe・逆さv  唇を狭く。(逆さe は息に力を入れない)
   ☆a    歯と歯を開く。(下顎を下げる)
   ☆ae   口の両端を斜め上にひっぱり上げる。
   黙音・連結・母音削除



1785「10のポイントの特質」 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月16日(土)12時57分17秒

 英語音が日本語音と比べて「異質さ」を際だたせる音、あるいは「日本語にない音」に焦点を合わせてあります。まず最低これだけは押さえるべきだというも のであり、これが押さえられるなら、その後の音の意識化において、細分化の展望が開けるだろうと考えています。
 音法の要点を、手短かな説明にしてあります。これはその一音の音法に関して、部分的なものですが、「異質さ」「日本語にない音」を獲得していく人が、練 習の「動態」の途中で説明された時に、その場ですぐに音が作れる可能性のもっとも高い部分、つまり、一音の音法の核になる部分を言い当てているものでなけ ればなりません。
 これは、「技法グラウンド」のように、生徒の練習の「動態」があって始めて意味を持つものです。単に、目で読んで、頭で理解するための羅列ではありませ ん。
 「10のポイント」の使い方は、練習という「動態」の中に「モデル音とともに」、「ポンと置いてやる」というものです。ですから、コーチの側は、この 10の日本語の言い回しが、ただちに口に出せるのでなければ使えません。メモとして参照するのではなく、必要なときに「ただちに口に乗る」必要があります から、「10のポイント」自体が「音読」され、身体化されている必要があります。
 この「10のポイント」が皆さんのご協力を得て、これで問題はないという質のものになりましたら、今後、「電話でレッスン」の生徒さんとのレッスンの始 めに、生徒さんにも音読してもらう予定です。何も強制するものではありませんが、私としては「電話でレッスン」の生徒さんの英語が育った時には、他の人に 対してレッスンができる質も備えていて欲しいと願っています。そういう人が増えていかないと日本の英語はどこまでいっても、英語フリークだけの専有物に終 わるでしょう。
 日本にいて英語をやることの不利を踏まえた上で考えると、日本にいて英語をやることの最大の利点は、方法論をも同時に練り上げていく必要があるという点 にあると思っています。この必要は、実は利点です。英語の力とともに方法論が手に入るからです。これは英語の力をつけるということの副産物のように思われ るかもしれませんが、副産物にしておくにはあまりにももったいない。あるいはまた、「日本語と英語の間に」走るイメージのスパークというものも、「日本に いて英語をやる」のでなければ得ることができないものです。できてくる英語がどれほどごつごつしたものであっても、使える英語を手に入れた人には、方法論 (戦略性)と、「日本語と英語の間」という思考の空間がもたらされます。アメリカ帰りのアメリカ英語がよく披瀝するアメリカ的戦略性ではなく、日本語の方 から英語に向いた矢印を持つ方法論であり、戦略性であり、思考空間です。イメージそのものも、最初、「日本語と英語の間」に立ち上がり、、その後、英語か らのみ発するようになり、さらに日々の生活の中で日本語に揉まれるという過程を持ちます。これが日本で作る英語の特質であり、ネイティヴ感覚天下り英語や アメリカ帰りのアメリカ英語が絶対に手にすることのできないものです。実は、これこそが語学の富でしょう。

 話が逸れました。



1786教室でどうするか 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月16日(土)13時38分02秒

 「10のポイント」を学校の英語の授業でどう使うかという問題があります。果たして使えるのか使えないのか。
 この点では、すでに Eliot さんが最上のモデルを作っておられます。中高一貫の私立学校の先生です。「音づくり」に関しては、現在の日本でこれ以上のものはありません。Eliot さんの授業が理想的なものです。
 「10のポイント」は私が考えてみたものですが、Eliot さんの実践は、ポイント数がおよそ10ばかりの数にはおさまりません。もっと、微細な音法にも及んでいることは、私のホームページの「音作りへの道」とい う Eliot さんの記事をお読みいただければおわかりになります。現在の日本の学校の教室で行われている「音づくり」の最高の事例を読むことができます。

 Eliot さんは非常に高度なレベルの音法を備えておられる人ですから、Eliot さんの授業が成立します。しかし、日本の一般的な英語の先生は、Eliot さんのような音法は持ち合わせていません。自分で発音できても、それをどうやって生徒の口の動きとして実現するのかの方法を持っていない人がほとんどで す。日本の英語というものは、非常に悲しいものですが、この悲しさは、学校の先生が「日本人としての音法」を備えていないことからたちのぼるものです。
 「10のポイント」を考えたのは、もちろん自分で使うためでもあります。しかし、その背後には、学校英語の「悲しさ」が大きく横たわっています。

 「10のポイント」は中間・期末テストというもののない小学校でなら実行可能だと考えています。
 生徒に、「技法グラウンド」で同じ文を5〜7回言わせる。その音は先生だけでなく、他の生徒も耳にします。その途中で問題がみつかれば、読みを中断さ せ、「10のポイント」のうちの一つを生徒に言ってあげます。その後、再び5〜7回、「繰り返し読み」をさせます。こうして助言を媒介にした一人の生徒の 「動態」を教室全体に提示したら、時間を決めて全員にその同じ文を繰り返し読み込む練習をさせます。
 教室を、英語の音の「運動場」にするわけです。
 こうすれば、「10のポイント」は教室で使えるでしょう。
 AET が役に立つなんていうことはありません。やってごらんになるがいい。AET というものは、英語の「点」にすぎず、磁場を形成することはできません。磁場さえあれば、小学生くらいの年齢なら、比較的早く英語を獲得しますが、「点」 でしかない AET ではどうにもなりません。

 小学校で最初にすべきものは、このような音法の練習以外ではありません。
 その次に来るべきものは、國弘さんの只管朗読でしょう。
 英語の音法の練習とともに、國弘さんの本の日本語の素読も練習に組み入れていけば、方法意識を育てることができます。英語力は総合力ですから、日本語の 素読だろうが何だろうが、どんどん取り入れていけばいいのです。

 Eliot さんは、教室というものがどうしても一人一人にていねいにつきあいきれる規模のものではないことを踏まえて方法を考案されました。
 「一人に言わせ、音を直し、全員に言わせる」。これを繰り返していけば、日本人の英語の音は確実によくなる。
 教室ででも、「10のポイント」は使えると思います。






1787こんにちは 投稿者:Fian 投稿日: 2月16日(土)15時39分19秒

根石さん、質問があります。
これは Mainichi Shimbun からの引用です。

Takako Morita, one of a notorious group of accused killers, was Friday sentenced to 12 years jail after being found guilty of two counts of murder.

ここでの count の意味がわからず、英和で調べると、「訴因項目」とありました。つまり、teo counts of murder は、"殺人罪"ということで訴えられている事柄が2つ、ということですね?
guilty of two counts...は正しいのでしょうか?
guilty on two counts...が正しいのではないでしょうか?
それとも、どちらでもOKなのでしょうか?

英英辞書の例文は on です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
Analie Sato Kawamura, a Filipina and former hostess accused of the same charges as Morita, will be handed a verdict in her trial on Friday afternoon.

動詞の hand はよく、「手渡す」で使われますね。「評決を手渡される」は変ですから、「評決を言い渡される」でいいですか?
hand の後に verdict のような語が来るのか調べましたが、そのように hand が使われる意味がありませんでした。
でも、hand でもいいのでしょうが、ここでの hand に代わる語はありますか。

よろしくお願いします。




1788少しお待ちください 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月16日(土)17時14分50秒

Fianさん

レッスンの準備に入るところで時間がとれません。夜中の12時から人と酒を飲む約束になってお
り、深夜はへべれけの可能性あり、です。少しお待ち下さい。

>英英辞書の例文は on です。

guilty のコロケーションは guilty of 〜 をよく目にします。
guilty on 〜 はあまり見ないような気がします。
英英辞典の例文に興味があります。

1790僭越ですが・・・ 投稿者:浜谷 投稿日: 2月16日(土)19時59分19秒

根石先生、

> 浜谷さんが遠慮して塾を見なかったのだとは知らず、ぶしつけなことを申しましたこと
お許し下さい。私としては、遠慮はるばる、いや、もとい、遠路はるばるいらっしゃった
のだから、遠慮せずに見て欲しかっただけです。うちの塾生は、塾の中で声を出して練習
するのは当たり前のことと思っておりますので、見知らぬ人がいても多少緊張するくらい
で、英語の読みを聞かれること自体は平気です。
 また、小谷の方へ来られた折にでもお寄り下さい。

私は素読舎のみなさんが一生懸命音読をされている雰囲気の中で遠慮したこともありますが、じんじんと伝わってくる気迫に圧倒されていたというのが正直なと ころです。 私は近所で英会話サークルをやっていますが、(現在は私自身のヒヤリング力向上のため休会させてもらっています・・・イージーゴーイングな主 宰者でお恥ずかしいです)有料と無料の差はあるにしても、先生との意気込みの差は歴然としています。お誘いに甘えて、これからも「気」をいただきに、ちょ くちょくお邪魔させていただきたいと思っていますのでよろしくお願い致します。

>私は商売が下手で困っています。
 柳沢さんは、その後書いてくださいませんね。
 商売を教わりたいのですが・・・。
 私は食えなくなったら英語はやめます。そうなると現場を離れることになりますから、
語学論も一切書かないでいたいと思っています。

ご謙遜からそう仰っていることと拝察しています。 私は上記の通りイージーゴーイングな姿勢且つ微力ながらわが国の英語教育環境の改革に、老体に鞭打って 一身を捧げる覚悟です。 私は根石先生がその先頭を走っていらっしゃる方だと確信していますが、他の多くの方も同じではないかと思っています。

さて、私は上記のように私自身のヒヤリング力の飛躍的向上を計画しています。それはSAIさんと仰る方のHP(下記にリンクしておきます)の中で先生と同 じく、スクリーンプレイ社の映画スクリプトを使って独学でヒヤリング能力を伸ばすことが出来るという提言をされています。先生のようにコーチ付きの練習で はないですが、上級者については可能ではないかと思っています。 先生がそのようなコーチ養成を企画されている書き込みを以前拝見した記憶がありますが、 コーチ養成の方法として、希望者が上級者の場合、いちいち先生が指導するのではなく、SAI方式のように自主的に練習をしてもらい、先生はテストだけを担 当する。(現在のように先生自らコーチをなさっておられるのは、コーチを養成の為になさっているという部分も相当おありと思いますが、かなりのご負担に なっていると思います。そのご負担の軽減もこの方法で出来るのではと考えています。)当然そのテストは有料とする。というようなことではどうでしょうか?    柳沢さんがどういう企画を提案されるか期待されるところですが、先生の考案なさった、電話でレッスンを、そのようにして養成し素読舎のお墨付きを与 えた多くのコーチにさせるという先生の企画(?)の早期実現が期待できるような気がしますが・・・。 先生が以前コーチ養成の企画を提言されたことを思い 出し、先生の任命された作戦部長のSTさんを差し置いて僭越ながら私なりにプランを練ってみました。どんなものでしょうか? (私も全く商売下手だと思い ますが、プランを立てるというのは昔から好きです。 残念ながらこれまで、それが活かされた、又は活かした経験又は記憶はあまりないですが・・・。これか らはその能力を信じて、 活用出来る又は活用して貰えるプラン作りに励みたいと思っています。) 叩き台としてお読みいただければ幸いに思います。また、 この書き込みに僭越な部分があるのではと危惧しております。もしそうでしたらお許しください。先生の「・・・私は食えなくなったら・・・」というお言葉に 驚いて余計な心配をしたかも知れません。他意は全くありません。


http://www.geocities.co./jp/SiliconValley-Bay/8638/




1792お答えします(爆) 投稿者:Ton 投稿日: 2月16日(土)20時50分47秒

1)guilty of two counts...
 正しい、と言うか、通常、of には原因の意味合いもありますから、全く疑問に感じず、
 さらっと読めましたが、どこが問題でしょうか?
 He is guilty of a murder  彼は殺人罪を犯している。
 これがごく自然な言い方です。
 on と言う言葉は、まずここでは使わないように思います。
 例えば、He died of cancer 彼は癌で亡くなった。
 但し、
 前置詞マニアの方向けにもう少し踏み込んで説明すると
 die of の後は病気、飢え、老衰などの原因要素が来ることが多い。
 それに対して die from なら怪我や不注意、不慮の事故など。
 なぜなら from には、同じ原因でも、「結果=〜が元で」と言うニュアンスを
 強調する意味合いがあるからです。
(もっと言えば本当は死ななくても良かったような原因で、と言うことですね。)

 英英辞書の例文は on です。とありますが、
 それがどんな文なのか、記載がないので、コメントできません。

2)hand = to give or pass with one's hand(s) or otherwise.
  ( The Oxford Paperback Dictionary )

  hand の後に verdict のような語が来るのか調べましたが、
  そのように hand が使われる意味がありませんでした。

  とありますが、これについては全体を読んでいないので、推測ですが、
  新聞報道では同じ語句を何度も繰り返して使うのは基本的に、駄文、と見なされます。
  よって、最も単純な give だの、 判りやすい語句は記事の前の方で散々使った後で、
  まだ同じ意味のことを書きたかったので、他に使える動詞をひねり出してきた結果、
  ではないでしょうか。一度目でも何の疑問もなく、スラッと読めましたので、
  語彙としては問題ないと思います。 以上




1793根石吉久様  投稿者:Ton 投稿日: 2月16日(土)20時52分20秒

 >小学館の雑誌「サピオ」、今月27日発売の号のために英語本の批評の資料を作りました。
  最近よく売れた英語本を好きなように批評してくれという注文でした。
  この仕事をしている途中で、國弘正雄さんの本「英語のはなしかた」(たちばな出版)
  を読み、深く頭が下がりました。
  皆様にも是非お読みいただきたくご紹介します。

 Tonは 根石吉久「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館文庫)
 の種本、「英語のやっつけ方」1000円を推奨したいと思います。
  http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/baiten.htm
次号、Mailでご連絡させていただきます。

http://www.doujinsha.com




1794Fianさんの質問に関して 投稿者:Eliot 投稿日: 2月16日(土)23時18分22秒

検索エンジンのGoogleで(http://www.google.co.jp/)の検索オプションを使って、
フレーズサーチをしてみましたらfound guilty on...もfound guilty of...も
handed a verdictもたくさんの実例がありました。さらに、given a verdictというのも
見つかりました。

"found guilty of two counts of murder"の実例(30例)
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=10&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&as_epq=found+guilty+of+two+counts+of+murder&as_oq=&as_eq=&lr=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=

"found guilty on two counts of murder"の実例(21例)
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=10&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&as_epq=found+guilty+on+two+counts+of+murder&as_oq=&as_eq=&lr=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=

"handed a verdict"の実例(16例)
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=10&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&as_epq=handed+a+verdict&as_oq=&as_eq=&lr=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=

"given a verdict"の実例(401例)
http://www.google.co.jp/search?as_q=&num=10&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&as_epq=given+a+verdict&as_oq=&as_eq=&lr=&as_qdr=all&as_occt=any&as_dt=i&as_sitesearch=





1795國弘先生の弟子 投稿者:Eliot 投稿日: 2月16日(土)23時39分25秒

>「國弘流・英語のはなしかた」(たちばな出版)です。深くうなずくことばかりで、
>やはり、この人が私の先達なのだと思います。もちろん、一度もお会いしたことは
>なく、今後もお会いすることはないでしょうが、私は勝手に弟子になることにいたし
>ました。
>まだ読まれていない方がおられましたら、是非お読みになることをお薦めします。

根石さん、私はずっと昔から國弘先生の弟子に勝手になっていますよ。↓この投稿が
証拠です!?

>音作りへの道(12) 投稿者:Eliot  投稿日: 7月11日(水)23時49分39秒
>英語音読マラソン(English Read-Aloud Marathons)
>「國弘流英語の話し方」(國弘正雄著 たちばな出版)という本があります。英語学習>者にとって非常にためになる本です。この本の中で國弘氏は自らの経 験として、中学校>の英語の教科書を何百回も音読したと書いています。

私もこの本はすばらしいと思っています。英語を志す人はぜひ読んでほしい本です。
(私は國弘先生に会ったことがあります。大学時代所属していたESSが講演者として
お呼びしたことがあり、その後のレセプション会場で先生を近くで見ました。頭の大きい
方だなあと思ったことを覚えています)

「音の10のポイント」についてのコメントはもう少しお待ちください。今私の考えを
整理しているところです。やはり10では納まらないなあ・・・とちょっと心配です。

STさんが拙宅に来られたときに「暮らしの手帳」を一冊いただきました。ありがとう
ございました。とても面白く読ませていただきました。




1798浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月17日(日)03時03分29秒

いや、実際のところ、食えなくなる可能性はいくらでもあります。
「音づくり」なんぞ、誰もまともに相手にしないのです。この日本では。

寝る前の一言。

私は雑貨屋をやるべく、春になったら庭に小屋を造ります。




1799STさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月17日(日)03時05分02秒

俺も理論は好きだけど、理論だけで英語はどうにもならんから、考え過ぎるのもよくねえよ。



1800寝ようと思ったのに 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月17日(日)03時06分29秒

STさん。
俺は先週、すごく喜んだんだよ。久しぶりにテキストの新しいところに出られたから。
あせらないで、何度も何度も同じ文に戻っていくのが大事だと思うよ。



1801SAIさんの名言 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月17日(日)03時13分06秒

>ですから、赤ん坊の時にただ寝転んでるだけで日本語を学習したのではありません。

名言です。しかし、大人の目から見ると、赤ん坊は学習していますが、赤ん坊自体は全然学習
している自覚がありません。この自覚がないことが、ネイティヴ言語の特質です。



1803Eliot さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月17日(日)03時20分23秒

STさんに持っていっていただいた本、「根石吉久の暮らしの手帳」は、
誠実な詩の出版社、midnight press から出してもらったエッセイ集で
す。
詩に関わる出版社の常として、midnight press は、「音づくり」に関
わる塾同様、もうかっていません。ほとんど、持ち出しじゃねえのか、
と、私は心配しておりますが、社長も専務もそのことは一言もしゃべり
ません。

皆さん、どうかご贔屓にお願いいたします。



1806国広さんの本 投稿者:パクパク 投稿日: 2月17日(日)14時43分32秒

この、たちばな出版の本は、復刻版だとおもいます。
つまり、長い間、絶版だったわけです。
はじめは、TBSブリタニカから出ていたはずです。
この復刻版で気になったのは、「音の化学変化」の
ところが、スッポと落ちていることです。
英語の音づくりの観点からすると、気になるところです。




1807どうでしょうか? 投稿者:Fian 投稿日: 2月17日(日)14時45分45秒

お返事ありがとうございます。下の文は正しいかどうかチェックしてください。

Regardless of the result of the placement test I took, I was placed in a lower level class probably because someone was mistaken in deciding my class.

訂正すべき個所はありますか?
result を「(成績の)結果」の意味で使うときは必ず複数にしなければいけませんか?
「クラスを決める」は decide one's class でいいですか?
decide + 名詞
decide on + 名詞
この2つの違いは何ですか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
前回の質問についてです。下の文が英英辞典に載っている例文です。
They were found guilty on all counts.
She appeared in court on three counts of fraud.




1808こうでしょうか 投稿者:Ton 投稿日: 2月17日(日)17時40分22秒

1) 訂正すべき個所はありますか?

まず、大前提としてお答えする私が外野(英語教育を専門とする人間自身でない)以上、
ネット上の責任は負いかねますので、この英文が文法的に完璧かどうかについては、
もっと他に和文英訳に関する知識の豊富な方が答えてくれると思います。
それをお許しいただくとして、思いつくことのみ記します。

2)result を「(成績の)結果」の意味で使うときは必ず複数にしなければいけま
せんか?

語学と言うのは、生きているものだと思っていただきたい。
ここで、必ず複数です、と言ったら
何が何でも複数だと覚え込んでしまうでしょう、
でも考えて下さい、
この文章に出てくるテストって、何種類かあるんですかね、
それなら、結果も複数の場合はあり得るでしょう。
でも、そのテスト全体の結果として考えれば、単数もあり、でしょう。
書かれたシチュエーションが決めることなので、
ここでは、これだけでは、何とも言えません。

3)decide + 名詞   decide on + 名詞
  この2つの違いは何ですか?

 これについても上記2)と似たようなことが言えます。
 〜を決める
 〜について決める
 の二者についてのニュアンスの差は日本語でも
 それぞれ、固有の例文があれば、判るかと思います。
 例:日程を決める
   将来について決める
   明日の日程、と言ったな単純なものは目的語で結構ですが、
   会社の将来、のような影響の及ぶ範囲の大きい、重要事項の場合は、
   日本語でもやはり、〜について、とするのではないですか。

「クラスを決める」は decide one's class でいいですか?

良いとも言えますし、しかしながら、他にも単語はあるでしょう。
(categorize なんて単語も、場合によっては可でしょうか。)
それが語彙が豊富かどうか、と言うことで、
貧弱だから間違いとか、伝わらない、と言うことでもない。
それはこの英語を書くあなたの目的が決めることです。

但し、この文章、後半部分で、
クラスを決める人が誰なのか、主語が明確でない。
someone was mistaken in deciding my class
someone = 責任の所在もわからない誰か、が
自分のクラスを決めてしまう、なんて
そんな、それこそ無責任な話は英語では成立しません。
それにmistaken の部分も非常に不自然で
(なぜ過去分詞なんでしょう?
 思い込みだった、とか言ったニュアンスなのかもしれない、と
推測しますが)何が言いたいか、よくわからない部分です。

書きたいことの意味が
今の英語だけでは判断できないところがあるので、
これ以上はコメントできません。

4) 上記のdecide on でも触れたように
   on 〜について

 on all counts 全ての点について
 =詐欺罪を構成する要件3つ、
  その全部について、と言う意味であって、
  明らかに guilty on と続いている訳ではありません。 以上

http://www.doujinsha.com



1809復刻版? 投稿者:Eliot 投稿日: 2月17日(日)22時36分59秒

>この、たちばな出版の本は、復刻版だとおもいます。
>つまり、長い間、絶版だったわけです。

そうでしょうか? 私の持っているのには「平成11年12月25日初版第一刷」と書いて
ありますよ。それに内容を見ても、英語第二公用語化論とかインターネットの利用とか
(「ここに記されたウェッブページとアドレスは1999年11月22日時点のもの」とp.304
に出ています)についても書かれていますから、「長い間絶版だった」本だとは思われ
ませんが・・・。

確かに國弘先生は30年前に「英語の話し方」という本をサイマル出版から出しましたが、
それは今回の本とは別物です。



1810英語質問のサイト 投稿者:Eliot 投稿日: 2月17日(日)22時45分37秒

Fianさん

英語についての質問、特に「この英文は正しいですか」という質問なら、アメリカ人の
英語の先生に尋ねましょう。↓
http://cctc2.commnet.edu/forms/grammar_request.htm
このページの書式に簡単な必要事項(メールアドレス必須)を記入して質問を
書きましょう。例えば、今回の文ならこのように書いたらどうでしょうか。

Hello, Professor Darling.

Is this sentence correct?

Regardless of the result of the placement test I took, I was placed in a lower level class probably because someone was mistaken in deciding my class.

One more thing. Can you replace "deciding my class" in the sentence with
"deciding on my class"?

Thank you very much for your help.

質問の答えは非常に簡潔なものしか期待できませんが、たいてい2、3日以内に
メールが届きますよ。



1811英語質問のサイト(その2) 投稿者:Eliot 投稿日: 2月17日(日)22時48分38秒

こういうのもありますよ↓
http://www.eslcafe.com/help/index.cgi

ここでも質問できますが、必ず答えがもらえるとは限らないのが玉にきずです。



1812失礼しました 投稿者:パクパク 投稿日: 2月17日(日)23時19分07秒

先回、投稿した国広さんの本は、復刻版ではなく、新版でした。
出版社もサイマルでした。訂正しておきます。



1813英語を学ぶ目的は? 投稿者:パクパク 投稿日: 2月18日(月)12時39分52秒

海外勤務も海外留学もせず、日本にいても
そばにネィティブがいない状況が大半の
日本人だとおもいます。
その場合、英語を学ぶ目的は、戦略性の
構築能力を第1義におくという考えは
独創的です。
いままで、誰も指摘しなかったこととおもいます。


(あるサイトより引用)
 最近、東北大学教授、脳科学者、川島隆太氏の実験により、黙読以上に音読している時の脳
 が、活発に働くことが立証されました。
 また英文を読んでいる時のほうが、母語である日本語を読んでいる時より、脳の活動部分が幅
 広いこともわかりました。
 英語のほうが、言葉の意味や文のしくみを考えながら読むため、その分脳をたくさん使うことに
 なるのだと思います。



1814パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月18日(月)20時15分04秒

>その場合、英語を学ぶ目的は、戦略性の構築能力を第1義に
おくという考えは独創的です。いままで、誰も指摘しなかった
こととおもいます。

 第一義に置くというわけではなく、英語をやる目的はあくまでも英語の能力を獲得することだと思いますが、「日本にいて」英語をやる、というふうに、「日 本にいて」というところにアクセントを置いて考えると、例えばアメリカでやるのより、はるかに方法的にやることになると思います。方法的になるということ は副産物ではありますが、副産物にしておくにはもったいないほどのものだと考えています。
 評価していただいてうれしいです。



1815SAIさんの名言 投稿者:浜谷 投稿日: 2月18日(月)21時05分12秒

>SAIさんの名言>ですから、赤ん坊の時にただ寝転んでるだけで日本語を学習したのではありません。
根石先生>名言です。しかし、大人の目から見ると、赤ん坊は学習していますが、赤ん坊自体は全然学習している自覚がありません。この自覚がないこと が、ネイティヴ言語の特質です。

SAIさんは「しばらく休止します。私の実力ではHPの管理者はまだ早かった。修行して、大きくなって帰ってきます。実力が伴ったら再開します。」とのお 言葉を残してHPを閉じられましたが、根石先生の理論と合い通じるところがあり且つ私にもびんびん共鳴するところがあっただけに残念です。早く「大きく なって」帰ってこられるのをお待ちしたいと思います。ところで、上記名言の続きは下記ようなものでした。HP閉鎖される前にコピーさせていただいたもので すが、上記名言だけでは分かりづらいと思いますので引用させて頂きたいと思います。SAIさん、ご覧になっておられたらご私の掲示板へでもご連絡下さい。 そして勝手に引用させて頂いたことをお許し下さい。
「引用文」
・・・赤ん坊の時にただ寝転んでるだけで日本語を学習したのではありません。積極的に外との関わって、『何度も間違えながら』日本語を覚えたのです。この 学習なしには語学の習得はありえません。
・・・ 話を英語学習の話に戻しますと、英語学習でも音の学習が必要になります。英語と日本語では音が大きく異なるからです(具体的には周波数、強弱、リ ズム等が異なる)。そのために、日本人が英語を学ぶ時には、新しい音を学習する事が必要になります。これまでの話から、分からない英語を聞きつづけても効 果が少ないことが分かると思います。もちろん英語を聞くだけでも、背景知識や語彙・文法等から音を推測して聞き取れないところを補えるので、学習効果はゼ ロだとは思いません。しかし、学習効率が下がります。
 これは英語のスクリプトで音を確認することによって解決できます。スクリプトを見ることによって、どの音が聞き取れないかが分かり、音と文字の対応が取 れるようになってきます。このようにTry & Errorで、音を聞き取っては文字で確認して、聞き取れない音を学習するのです。英語を聞くだけではなかなか音の学習は出来ません。何年経っても洋画が 聞き取れないというのは、間違った音の学習方法を取っているからです。



1816「電話でレッスン」テキスト限定 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)10時07分01秒

 これまで、「電話でレッスン」で、映画のシナリオを選択する場合、生徒さんにいくつかのテキストの中から好きなものを選んでいただいてやってきました が、今後は、こちらで決めたテキストで始めていただくことにします。

一冊目「ゴースト」。
二冊目「七年目の浮気」。

 この二冊を終了したら、映画のシナリオを使った「電話でレッスン」はひとまず完了します。これだけのレッスンを終えられた方には、修了証として國弘さん の「英語の話しかた」(たちばな出版)をお渡しします。この後の生徒さんの練習方法は、國弘正雄さんの「只管朗読」であるべきであり、これを三年ほど、ご 自分の独学でやっていただきます。
 この「只管朗読」の期間、同時に、映画の音を使って、「ゴースト」「七年目の浮気」のリスニングの訓練をご自分で続けていただきたく思います。レッスン で、私(妻)が一回言ったものを、生徒さんが5〜7回繰り返す練習を「技法グラウンド」と名付けていますが、映画の音をMDに録音し、MDから再生される 10〜20語程度の文を使って、「技法グラウンド」を続けていていただきます。つまり、レッスンの私(妻)の音声を、映画俳優、女優の音声に置き換えて、 「復習範囲を手放さない」を継続していただくことになります。口の動きに関して言えば、レッスンよりもかなり高い「圧縮度」が必要になると思います。
 20語を越える文については、途中の意味の切れ目で切って練習していただいてもかまいませんし、30語40語の文を一挙に扱ってもかまいません。練習が 進んだら、一挙に扱って下さい。
 この独学の期間は非常に重要であり、リスニングの練習で映画俳優、映画女優の声を使った「技法グラウンド」を手放さないことが、そのまま「復習範囲」を 手放さないことになります。また、この「復習範囲」を使って、國弘さんの「只管筆写」をやっていただくことも必要です。MDで、同じ文を繰り返し再生させ ながら、やっていただくのがいいと思います。この場合は、音声のヴォリュームは絞り気味でいいと思います。

 「復習範囲を手放さない」で、「只管朗読」をしていただくことでねらうことは、「イントネーションの自己決定力」です。
 「イントネーションの自己決定力」を養うためには、文法も語法理解も構文把握もすべて必要です。意味のとれない文のイントネーションを自分で決めること はできないからです。この局面において、ようやく学校英語的なものが活きてきます。また、私の方でも、ホームページ上で「七年目の浮気」の文法解析を充実 させ、「音に文法・イメージを溶解させる」ためのお手伝いをいたします。「七年目の浮気」の文法は、大学入試をカバーする程度のもので、「使うための文 法」としてはこれで十分です。「ゴースト」の文法、イメージについては、「七年目の浮気」で扱うもので照射できます。ここを通れば、一挙に広い範囲のもの の理解が深まるということが生じます。

 以上のものは、「日本で英語でやる」場合に、たどるべき理想型の一部です。この理想型の雛形はほぼできているので、この後、公表します。



1817(無題) 投稿者:パクパク 投稿日: 2月19日(火)11時26分50秒

>國弘正雄さんの「只管朗読」であるべきであり、これを三年ほど、ご自分の独学

 もう少し定量的に言った方がいいとおもいます。

 ひとくちに3年といっても、一日どのくらいの時間やるかによって
 トータル学習量がことなります。



1819パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)12時39分57秒

量を言っても、質は規定できません。

その両方を言っている言葉として、國弘さんの「只管」があります。



18201時間を提言 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)12時46分19秒

長く続けるためには、極端なことをやっても駄目ですから、一日一時間程度は必要だと思います。
量は1時間で扱える限りのもの、となります。
しかし、これでも練習の質はまったく規定できません。
質に関しては、心構えというものが必要で、「絶えず質のいい練習を求めよ」ということができ
るだけです。



1821訂正 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)12時48分05秒

日本語の首尾がおかしいので訂正します。

長く続けるためには、極端なことをやっても駄目ですから、一日一時間程度は必要だと思います。



長く続けるためには、極端なことをやっても駄目です。一日一時間程度が必要だと思います。





1822Eliot さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)12時50分45秒

 先に書いた、「音づくり」の基本10項目ですが、

ir, or, ear, er の「あいまい母音+r」

が抜けています。

 これを、「逆さv,逆さe」のところに差し替えようかと思います。

 私としては、基本のコンセプトとして「10」という数におさめたいのです。これで十分という意味ではなく、やりたい人はこの後もどんどん細分化させた練 習が可能ですが、「ひとまず」のものとしては「10」程度が適当でしょう。これだけで、「ひとまず」通じる音は成立すると思っています。

以前、議論がありました「通じる音」というのは、私においては、この10項目をクリアした程度の音のことです。状況や文脈に頼りすぎたり、話し相手に過剰 な負担をかける音は、いくらたまたま通じたところで「通じる音」と呼ぶわけにはいくまいと考えています。

以上の私の考えを踏まえていただいた上で、10項目に関して、特に、「コツを伝えるための決まり文句」の記述にチェックを入れていただけたらと願っていま す。

よろしくお願いいたします。




1823日本での英語攻略の順序 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)12時52分49秒

 わざわざ「日本での」とするのは、日本という場所が、英語をやるのに、特別な困難をもたらす場所であるという認識が私にあるためです。
 また、「英語攻略法」ではなく、「英語攻略の順序」であるのは、日本で英語をやっている人達は、攻略の順序を間違えている場合が多々あるためです。とり わけ馬鹿な大間違いをやっているのが学校です。

 「すらすら読めるようにする」 → 「語法・文法の説明をする」

 この順序は絶対的なものです。これを学校という馬鹿な大間違いの巣窟では平気でひっくり返してしまう。ひっくりかえしてしまうというより、いつまでたっ ても、「すらすら読めるようにする」ということに手をつけない。
 この標準的学校英語というものは、くたばる以外にないものです。

 日本的標準的学校的英語をいくらののしっても、馬の耳に念仏というか、たぬき腹の管理職に念仏というか、悪の枢軸・文部科学省に念仏なので、ひとまず現 時点で私が考えている、英語攻略の「順序」をまとめてみます。今後、さらに練り込んんで、各局面での練習のディテールを述べることは可能ですが、現時点で は、おおざっぱに「順序」を記しておく必要があると考えています。

1.  技法グラウンド(コーチ付き)
2.  「回転読み」
3.  技法グラウンド(ネイティヴの複製音)
4.  只管朗読・只管筆写
5.  音のこなれた文の文法・構文の解析・総合
6.  多読
7.  シャドウイング
8.  リスニング(努力の伴う聴解)
9.  ヒアリング(流し聞き)
10. 英語使用

 この10の順序の1.2.3を併行してやることはできます。4は独立させて専念する価値のある練習です。5.6.7あたりも併行させられます。8と9は 混同されていますが、性質の違う練習ですので、意識的にそれぞれの期間を設けた方がいいでしょう。10はすでに語学ではありませんが、順序としてはここに 来るという性質のものです。
 また、「音がこなれる」→「文法・構文理解」の順序は絶対的であり、崩すことはできませんが、それ以外のものは、かなり自由に順番を入れ替えることがで きます。すでに通ってきた過程のものを、各自の現段階に併行させることは勧められる方法です。例えば、7のシャドウイングをやっている人が、1〜6までの 練習を同時に取り入れることはどんどんやるべきです。
 10の段階に至った人が、日本在住のまま英語の練習をやめることは考えられません。10の段階にいる人は、日本に住み続けているかぎり、練習を止めるこ とはできないということをよく承知している人であると思います。
 ですから、2〜9の練習は、いつでも絶えず必要に応じて立ち戻るべき練習項目です。
 私どもの「電話でレッスン」による「技法グラウンド」は、この10の段階に「初動を与える」ためのものです。

 國弘さんは、只管朗読をやっただけで、進駐軍の兵士に話しかけたらそのまま英語が通じたと本に書かれています。このことは、只管朗読の「音読の質」にか かわることです。ここに大きく作用するのは、個人の音のセンスです。國弘さんは、この音のセンスがずば抜けた人だと思っています。このセンスがある人は、 最初から只管朗読に突入しても大丈夫だが、多くの人達には、1〜3の「地固め」は必要だと考えています。ここに、私の仕事があるのだと考えているわけで す。

 最初の導入部分以外は、ほとんどが独学となります。学生の場合は、1〜4の過程で使うテキストに学校の教科書を使うと、学校の授業や受験を5の練習とす ることができます。このことによっても、学校の授業や受験というものがごくごく部分的なものにすぎないことがおわかりいただけるでしょう。

 この10段階(10項目の順序)について、皆さんのご意見をお聞きしたいと願っています。




1824順序入れ替え 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)12時57分39秒

自分で書いたものを眺めてみて、7の位置を変えたいと思いました。

7.  シャドウイング
8.  リスニング(努力の伴う聴解)
9.  ヒアリング(流し聞き)

これを以下のように変えます。

7.  リスニング(努力の伴う聴解)
8.  ヒアリング(流し聞き)
9.  シャドウイング



1825訂正後の全体 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)13時02分22秒

1.  技法グラウンド(コーチ付き)
2.  「回転読み」
3.  技法グラウンド(ネイティヴの複製音)
4.  只管朗読・只管筆写
5.  音のこなれた文の文法・構文の解析・総合
6.  多読
7.  リスニング(努力の伴う聴解)
8.  ヒアリング(流し聞き)
9.  シャドウイング
10. 英語使用



1826学校英語を変えるために 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)13時14分01秒

1.  技法グラウンド(コーチ付き)
2.  「回転読み」
3.  技法グラウンド(ネイティヴの複製音)

 このうち、1を学校の授業で行い、2,3を家庭学習で行うようにすれば、学校の授業に応用することができます。教師が音読の「コーチ」をやるわけです。
 これの理想型はすでに日本に成立しています。「回転読み」や「技法グラウンド」という名前で呼ばれていないだけで、Eliot さんの「音作りへの道」で書かれたものは、まさにこれからの学校の授業のあるべき姿を提示しています。
 このあるべき授業の成立を妨げているのが、入試制度と、中間・期末のテストというものです。これが今のままでかいつらをさらしている限り、教師が音読の 「コーチ」をやることを邪魔し続けるでしょう。
 可能性としては、小学校に英語を導入する場面です。意味や構文解析などを扱わず、まともに「音づくり」だけをやることが、もっとも安全で確実な道です。
 「コミュニケーション」などは、お題目にすぎず、おもちゃにすぎません。
 正道は「音読」にあります。

 「電話でレッスン」へ、小学校の先生をお招きしたいと考えています。

 文部科学省は、「電話でレッスン」の費用を負担せよ。馬鹿たれが。



1827浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)14時12分14秒

 SAIさんに、「大風呂敷」に書くように勧めていただけませんでしょうか。私は井戸端会議はやるつもりがないので、この掲示板では議論が激しくなること もありえます。それは構わない。日本の英語のていたらくを切開するためには避けて通れない道だと思っています。そのことを承知していて下さるなら、是非ご 登場願いたいものだと思います。

>・・・赤ん坊の時にただ寝転んでるだけで日本語を学習したのではありません。積極的に外との関わって、『何度も間違えながら』日本語を覚えたのです。こ の学習なしには語学の習得はありえません。

 私は、ネイティヴ言語の修得過程と、語学としての言語の修得過程を重ねる考えはとりません。これはまったく質の違うものだと考えています。
 「積極的に外と関わって」ではないと思います。赤ん坊がやっているのは、事物を通じて、言葉を通じて、その両者の境界のあいまいさを通じて、無自覚的 に、しかし全的に外(世界)と「交わっている」ということだと思います。
 「学習」というより、「直接的な交わり」です。

 この直接性が語学にはありません。

 「間違えること」自体も、机上のことがらではなく、赤ん坊にとっては、直接的な言葉との交わりを通じて、世界と交わり、「間違え、直す」過程がありま す。これに対して、語学はとことん机上の世界です。間接的な世界です。語学の間接性に関して、多くの英語論は無自覚です。

 SAIさんが、音の学習の重要性を説かれるところはすべて賛成です。

 一点、聞き取れなかったらスクリプトを見て確認するという方法にはちょっと異議があります。このやり方では、スクリプトを見て確認し、再び聞き取る練習 に戻ってしまうのだと思うのですが、これではあまりにももったいないと思うのです。
 聞き取れなかった文があったら、とことん自分の口を「回し切る」ということをするのがいいと思います。この時点で、「音の10のポイント」をしっかりク リアします。

リスニング → 自分の口を回しきる → リスニング → 自分の口を回し切る

というように、交互にやるのがいいと思います。この過程に自然に導入するのが、私の「電話でレッスン」であり、ネイティヴ音「天下り」ではなく、日本人の 日本語に慣れた口の動きによる、英語音の「媒介」です。
 天下り理論は駄目、媒介理論でなくちゃ、と思っています。
 私の「10の順序」で、シャドウイングを練習の最後に持っていったのもこの「媒介理論」のためです。シャドウイングという媒介の仕方は、最後の最後にや るのがいいと考えたのです。

 以前、この掲示板に体の器官名を使って、英語学習の順序を書かれた方がおられました。「耳 →  口 → 目 → 手」という順序です。つまり、聴く、リピーティング → 読書 → 書く というような順序だと思います。大枠で正しいと思いますが、 最初の導入部分が問題です。ここでも、

 聴く → 口を回す → 聴く → 口を回す → 聴く ・・・

というような、交互性が不可欠だと思ったことを覚えています。

 私は受験英語育ちの人間であり、その後の塾の仕事は東大や早稲田に塾生を合格させるような仕事でした。しかし、大学生になった連中が英語をほったらかす のを見て、急激にこの塾の仕事がいやになり、現在は社会人になっても英語を続けている人を主体にした「電話でレッスン」に移行しつつあります。この移行が 失敗したら、私は英語の仕事はやめます。
 この過程で、私がリスニングの成立を真剣に考え始めたのは、四十七歳くらいの頃ではなかったかと思います。現在五十歳ですから、三年前くらいです。自分 で考案した、「技法グラウンド」と「回転読み」で、映画のシナリオを扱い、車を運転するときにいつでも映画の音を録音したものを聴くということを交互に やっています。
 車の中で映画を聴くことを始めてからは、まだ1年半くらいしかたっていません。そして、この1年半で、急激に英語を聞き取るのが楽になりました。それ以 前に長く英語塾をやってきたという前提がありますので、これはどなたにもあてはめることができる図式だとは思いませんが、

聴く → 口を回す → 聴く → 口を回す → 聴く ・・・

の交互練習がはっきりと効果があるのは確かです。いわゆる「耳が立つ」ということを実感しています。

 SAIさんがこの記事を読んでいて下さるといいのですが・・・。



1828わざと下手に言ってもらう 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月19日(火)14時33分55秒

 プロ、セミプロ相手の私の「電話でレッスン」では、わざと下手に発音してもらうということをやろうと思っています。
 私より発音がうまい人というのはいくらでもいるわけです。
 特に、英語圏に長く住んだ人などは、私より当然発音がうまかったりします。
 この人たちが、「日本語の音しか持っていない」人たちに、どう英語の音を持たせるか。その技術がまるで日本には成立していません。実にもったいない話で す。

 これに対処するには、私より発音がうまい人に、一般的な日本人の英語音の癖を知ってもらう必要があるので、「わざと下手に読め」と言おうと思っているの です。
 私がレッスンするのは、英語音そのものではなく、英語音を「自分以外の人に持たせる方法」なので、「わざと下手に」読んでもらい、それを私が直すこと で、レッスンのやり方自体を習ってもらうことになります。



1831SAIさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月20日(水)12時16分30秒

(浜谷さんの掲示板に書いたものの転載です)

 突然の呼びかけをお許しください。
 浜谷さんが私の掲示板「大風呂敷」に書いてくださったことを読み、その後、浜谷さんの掲示板でSAIさんの書かれたものを読んで、いくつか気になってい ることがあるので、ここに書かせていただきます。

 私は、言語の磁場だけがもたらしうる言語能力は厳然とあると考えています。

 この掲示板で、鵜田さんの方法でやってみたが中断されたことを読みました。
 SAIさんほどの人が、鵜田さんの方法を中断されたことが、鵜田さんの方法のほころびのありかを示していると私は考えています。鵜田さんの方法は、私の 方法と同じく、学習の入り口に置かれるべきものです。入り口に置かれ、その後も、「絶えずベストの音を求める」ことで、練習の全体に貫かれるべきもので す。その意味で非常に大事なものですが、「音」というものは、語学的には「意味」に媒介されて初めて意味を持ちます。何を当たり前のことを言っているかと おっしゃられるかもしれませんが、この「意味」というやつほどやっかいなものはないと私は考えています。

 意味はシンタックスの上に載って初めて意味になる。
 こう言う場合の、シンタックスですが、私は非常に広い意味でとらえています。単に文構造としてのシンタックスだけでなく、その文構造を載せている状況も シンタックスであり、その状況を載せているのも、文化的シンタックスという総体だろうととらえています。この文化的シンタックス総体のことを私は「磁場」 という語でとらえてきました。
 この「磁場の有無」の問題を外して、「発音さえよくなれば・・・」と考えた場合、音だけが「きれい」であり、「上手」であるが、「音」と一緒に「イメー ジ」が動かないという事態がもたらされます。私の「電話でレッスン」の生徒さんには、むしろそういう人が多い。実は、英語好きの人たちの中に非常に多いの ではないか。そう思っています。
 私自身の英語の力を問われると忸怩たるものがあり、齢50にして練習途上にある者です。体力のことを考えると、今後どれほどのこともできまいと思います が、問題の在処を見破る目だけは失うまいと思っています。

 「映画の英語を100パーセント」聞き取るということは、磁場だけがもたらしうる言語能力を磁場なしで獲得しようとすることではないでしょうか。私もそ の険しい道を歩き始めてはいるのですが、「不可能性」というものを胸に一つ置いたうえで、この道を歩いています。
 「お前はどのくらい聞き取れるのだ」と言われると、「さあてね、映画によるが、50パーセントから80パーセントの間を行ったり来たりだな」とでも言う しかありません。10パーセント20パーセント程度から、ここまでの数値の間を私はほぼ1年半で歩いたと思います。
 しかし、たとえ行ったり来たりだとしても、その平均値というものは想定できます。この平均値を1パーセント上げるだけでも、なまじな練習ではないと思い ます。特に、平均値80パーセント以上の人にとっては、道はもはや道とも言えない崖のようなものになり、90パーセント以上の数字を求めると、厳冬のヒマ ラヤ登山に匹敵すると思っています。

 「なぜ山に登るのか」
 「そこに山があるからだ」

 「なぜ磁場だけがもたらしうるものを、磁場を欠いて実現しようとするのか」
 「そこに磁場がないからだ」

 もしも、そこに磁場がないからだ、とお考えであって、「映画を100パーセント聞き取る」ことをめざされるのであれば、私は強く応援します。これが語学 の極北の姿だと思う者です。アメリカ帰りのアメリカ英語がまったく知ることのできないものです。
 それ以外の理由でやられることは、やめた方がいいと思っています。
 神経症になります。「磁場がないからこそ」という自覚的な理由がないのであれば、磁場を求める方がいい。語学から見れば、単なる移住の問題にすぎないの です。



1832JIJIRO 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月20日(水)12時38分32秒

(浜谷さんの掲示板への投稿の転載です)

   初めまして。

   K/Hシステムというのは、教室の名前ではなく(教室もあるようですが)、本に書かれている
   方法です。

   「究極の英語学習法(入門編)」というのが私の手元にあります。

   これは、中級も半ばを過ぎて、上級を目指す人にはいいかもしれません。
   しかし、これは語学的主体を育てるような種類のものではありません。
   アメリカ感覚天下り本の一種です。

   「英語は絶対勉強するな」も読んでみましたが、あまりピンとくるものがありませんでした。
   この掲示板では、國弘正雄さんの「英語の話しかた」(たちばな出版)があまり話題になりません
   が、こちらの方がはるかに優れた書物だと思います。



1833SAIさんの中断 投稿者:パクパク 投稿日: 2月20日(水)13時55分36秒

根石さんへ

鵜田さんの方法でやってみたが中断されたこと

 浜谷さんの掲示板で探してみましたが、SAIさんの何月何日の発言ですか?
 ちょっと見当たらなかったものですから。




1834質問 投稿者:パクパク 投稿日: 2月20日(水)14時06分24秒

根石さんの10の順序に関して

音読するとき、意味をわからずとも音読するやり方。 音は先、意味は後。
意味をわかって、それから、音読する。意味は先、音は後。

2つの順序があるとおもいます。
この辺は、明確に順序にこだわりますか?



1835真似ぶ〜英語教育革新へ先鞭を!(その1) 投稿者:浜谷 投稿日: 2月20日(水)22時34分40秒

根石先生、

SAIさんの名言>ですから、赤ん坊の時にただ寝転んでるだけで日本語を学習したのではありません。
根石先生(以下同じ)>名言です。しかし、大人の目から見ると、赤ん坊は学習していますが、赤ん坊自体は全然学習している自覚がありません。この自 覚がないことが、ネイティヴ言語の特質です。

根石先生>私は、ネイティヴ言語の修得過程と、語学としての言語の修得過程を重ねる考えはとりません。これはまったく質の違うものだと考えています。
 「積極的に外と関わって」ではないと思います。赤ん坊がやっているのは、事物を通じて、言葉を通じて、その両者の境界のあいまいさを通じて、無自覚的 に、しかし全的に外(世界)と「交わっている」ということだと思います。
 「学習」というより、「直接的な交わり」です。
 この直接性が語学にはありません。

先生は以前「学ぶ」というのは「真似ぶ」が語源だと仰ったことがあると思うのですが・・・。そうすると「直接的な交わり」であろうと「学習」であろうと 「真似ぶ」ことに変わりはないと思いますがいかがでしょう? 私は世の中の習い事=学問はすべて真似ることから始まると思います。言い換えれば、「ネイ ティブ言語の修得過程」にこそ「真似る」すなわち「学ぶ」鍵が潜んでいると思われるのです。すなわち「学ぶ」際の要諦は限りなく「ネイティブ言語の修得過 程」に近づけることこそ必要だと思いますがいかがでしょうか?

>先生の書き込みの一部
1.  技法グラウンド(コーチ付き)
2.  「回転読み」
3.  技法グラウンド(ネイティヴの複製音)
4.  只管朗読・只管筆写
5.  音のこなれた文の文法・構文の解析・総合
6.  多読
7.  リスニング(努力の伴う聴解)
8.  ヒアリング(流し聞き)
9.  シャドウイング
10. 英語使用

その意味で先生のこの「10の順序」は「ネイティブ言語の修得過程」に最も近づいたものと思っています。赤ん坊が寝っころがって「無自覚に」やっているの は1−3ではないでしょうか?幼児期にやっているのが4、小学校以上でやっているのが5−8だと思います。
>先生の書き込みの一部
1.  技法グラウンド(コーチ付き)
2.  「回転読み」
3.  技法グラウンド(ネイティヴの複製音)

>このうち、1を学校の授業で行い、2,3を家庭学習で行うようにすれば、学校の授業に応用することができます。教師が音読の「コーチ」をやるわけです。
 これの理想型はすでに日本に成立しています。「回転読み」や「技法グラウンド」という名前で呼ばれていないだけで、Eliot さんの「音作りへの道」で書かれたものは、まさにこれからの学校の授業のあるべき姿を提示しています。

これを実行に移す素地は現在の学校や家庭にはないと思います。やはりこの際、誰かが又はどこかの団体が立ち上がって草の根的に実行に移し徐々に広げて行く しかないと思います。それをやれるのは素読舎しかないように思います。柳沢さんはそのような活動が商業的に出来る手法の素案の一部を内々に先生に提示され たとお聴きしております。私自身残念ながら近くでやっていた英会話サークルを当分の間休止し SAIさん同様上記7−9までに没頭し、私自身のレベルアップを図っておりますが、もしこのような活動が動きだせば、手を上げて、私が住んでいる地域でそ の1支部として参加したいと思っています。 勿論そのような資格が私にあればの話です。



1836英語教育革新へ先鞭を!(その2) 投稿者:浜谷 投稿日: 2月20日(水)22時45分32秒

根石先生、

>プロ、セミプロ相手の私の「電話でレッスン」では、わざと下手に発音してもらうということをやろうと思っています。
 私より発音がうまい人というのはいくらでもいるわけです。
 特に、英語圏に長く住んだ人などは、私より当然発音がうまかったりします。
 この人たちが、「日本語の音しか持っていない」人たちに、どう英語の音を持たせるか。その技術がまるで日本には成立していません。実にもったいない話で す。

本当にもったいない話です。このような方は現在日本に沢山いらっしゃると思います。帰国子女の方々の中特に女性の方々で堪能な英語力を持ちながら使う場の ない方がわんさかおられるのではないかと推察しています。前述の「活動」の一環として「10の順序」の1−3のコーチをやってもらえばどうでしょうか?  商業的に可能であるとすれば、それらの女性達、あるいは私を含めある程度英語力はあるが宝の持ち腐れ的な老齢者の社会貢献への朗報になるとも思っています が・・・。ところで、『プロ、セミプロ相手の私の「電話でレッスン」では、わざと下手に発音してもらうということをやろうと思っています。』とのことです が、それ程にこのコーチの仕事を理解して貰うのが大変だということだろうと思います。 それはそのやり方でもいいですが、コーチを委嘱する際に書類審査 (インターネット上での審査)のうえ、どこか(素読舎でも可)に集まって貰い先生から直にコーチ法を伝授して頂くということでどうでしょうか?
いろいろ僭越且つ差し出がましいことを申し上げましたが、大胆な英語教育の構造改革は誰かがいつか先陣を切って始めなければとの強い思いから敢えて書き込 みさせていただきました。私は素読舎とは現在無関係ですから、本当に余計で、ご迷惑な書き込みだった惧れがあります。もしそうであればお許し下さい。他意 はありませんので。




1837SAIさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月21日(木)00時09分36秒

(浜谷さんの掲示板からの転載)

 お返事いただけてうれしく思っています。
 私が使っている「磁場」という語は、物理学で使う意味の喩であると受け取っていただいてかまいません。「磁場」には「磁力」が働いています。言うところ の「英語圏」には、英語という言語の「磁力」が働いている。だから、「磁場」と言っているのであって、あてずっぽうな比喩としてこの語を用いているのでは ありません。
 「文化的背景」という語では、私が言いたいことは言えないと思っています。「文化的背景」であるなら、それは知識を増やせば増やすほど接近可能なもので はないでしょうか。学問的なアプローチでかなりな部分が処理できるものではないでしょうか。語学はいくら知識を増やしたところで、センスとして血肉になら ないならしょうがないのですが、この血肉になる場面で、生な磁力を浴びるのと浴びないのとでは、まるで違う英語ができると思っているのです。
 私は、磁力を浴びていないのにそこそこ使えるだけになっている日本の英語を非常に愛しています。生な磁力を浴びてぺらぺらと使える英語よりすごい英語だ と思っています。比べものにならないほど、日本で作った英語の方が偉いと思うので、日本のごつごつした、あるいは木訥な、あるいは不器用な英語に軍配をあ げます。本当に本当に比べものにならないほど、日本で作った英語は苦労しているのです。
 このあたりの認識がESSなどに属していた方々は弱いと思いつづけてきました。

 鵜田さんの方法を中断されたわけではないということについて、誤解しておりましたことはお許し下さい。私は鵜田さんはすごい人だと思っているのですが、 鵜田さんの掲示板を読んで辟易したことがあります。そんなふうに「音」を扱ってことが済むと思っているんなら、そんなもの「床の間にでも飾っとけ」と思っ たことがあるのです。鵜田さんの周りに集まっている人々は、本当に鵜田さんの独創を理解しているのかと疑ったことがあるのです。その有象無象の「音派」た ちの「床の間主義」を斬れないことが、あえて言うならば私の鵜田さんへの不満です。

 斬っていいものは斬ると決めている私は、だんだんこの娑婆で食えなくなってきており、ただいま転職を考えているところです。余計な話ではあります が・・・。

 意味がわからなくて困るのではなく、音が聞き取れなくて困るとおっしゃいますが、音が聞き取れなければ意味はわからないのではないのでしょうか。私には 理解のできないことなので、考え込んでいます。




1838パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月21日(木)00時12分02秒

SAIさんが鵜田さんの方法を中断したというのは、私の誤解であると、浜谷さんの掲示板でSAIさ
んから指摘されました。

ごめんなさい。




1839パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月21日(木)00時22分01秒

素読は、音が先、意味が後です。
國弘さんの只管朗読は、意味が先、音が後です。
この順序にはこだわりません。
それよりも、只管朗読よりも、「技法グラウンド」や「回転読み」が先だというふうに現在は
「明確にこだわ」っています。
「音」をちゃんと作るから、「意味」の通り道ができる。通り道に意味が通ったら、すぐに「音」に
もどって、意味のともなった「音」とする。
國弘さんの言うように、他人の解釈でもいいから、意味がわかった上で朗読せよ、でもいいと思い
ます。どっちを先にしても、「同一の文」を扱って、

音 → 意味 → 音 → 意味 → 音 ・・・

の往復過程が成立しさえすれば、融合という同じ場所に出ると思っています。



1840補足 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月21日(木)00時29分45秒

只管朗読よりも、「技法グラウンド」や「回転読み」が先だというのは、音のセンスの問題だと
思います。音のセンスのいい人は、只管朗読から始めて何の問題もない。多くの盆踊り英語をや
ってしまう人たちは、語学的な意味に限れば、音のセンスが少し鈍い。この少し鈍いところがそ
の人たちの最大の長所です。こういう人たちは、語学をやらせれば、まごまごしながら、長くや
ってくれます。そして、兎と亀の亀のように、はしこい人たちや、単に音のセンスのいい人を抜
いていきます。名指しするのは気がひけますが、私の生徒の中では、もっこりさんや長野のBさ
んはそういう人です。私はこの人たちを信頼しています。
 音のセンスがいいだけで、じきにへばる人は本当は語学には向いていません。
 こういう人も生徒の中にはいますが、じきにへばるので、長続きしません。
 これらを全部考えた後で思うことは、つくづく國弘さんという人はすごいということです。
 音のセンスもよく、達人の域に達して、なお初心者のことがよくわかっている人というのはすご
い人です。



1842残念 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月21日(木)00時59分54秒


Tさん

 お返事が遅くなり申し訳ありません。
 メール読ませていただきました。
 とても残念です。

 お仕事がお忙しいのに、レッスンを続けていかれる姿勢に感動のようなものを覚えており、妻とすごい人だとよく話しておりました。発音上は妻から習うよう なものはほとんどなく、何のためにこんなレッスンを続けなければならないのかと思われたかも知れません。
 正直なことを申し上げますと、世の中には発音の上手な人はたくさんおりますが、音とイメージが同時に動く人はあまりいないと思っております。私の直接の 生徒さんにも、「イメージ」と「音」の同致をねらうべき方は何人もおられます。だから、この方々に学んでいただくことは発音ではありません。15語から 20語の文で同致に慣れていただき、20語を越える文に関して、イメージが音と一緒に「動き続ける」ことを狙っていただくことです。これは、妻のような下 手なコーチでも、「復習範囲を手放さない」という原理によって可能になります。
 もちろん、独学で「復習範囲を手放さない」ということがやれるなら何も問題はないのですが、お仕事のお忙しい方は、むしろ私どものレッスンを継続される 方が現実的ではないかとも考えています。軽自動車を一台維持する程度のお金はかかってしまいますが・・・。

 「復習範囲を手放さない」ことは、言葉の発酵を維持させるためのものです。
 実は人々はランダムにこれをやっているだけのことであり、めきめき力がついた人というのは、新しい文そのものでさえ、「復習範囲」にしてしまう人です。 新しい文の新しい要素以外は、全部復習範囲としてこと新たに強く復習をやってしまう人です。

 レッスンを中断されても、「掲示板」の方にはときどき登場していただき、その後の英語の進展や停滞をお話いただければうれしく思います。どうも、私には アメリカ感覚天下りの日本人の英語の感覚を受け付けない体質があるようで、ときに、きつい記事の載る掲示板になっておりますが、Tさんのようなほんわかし てて芯のある方に来ていただくと、やらなくてもいい喧嘩はやらないですませることができるかもしれません。

 書きにくい掲示板ですが、よろしくお願いいたします。

 レッスンを始める前と中断された時点とを比べてみて、何か気づかれたことがありましたら、是非掲示板の方によろしくお願いいたします。

 また、私どものレッスンが必要だと再び考えることがありましたら、いつでもメールで声をかけていただきたく思っております。

 長いこと、ありがとうございました。



1843意味の注入は? 投稿者:パクパク 投稿日: 2月21日(木)07時31分28秒

音ーー>意味ーー>音ーー>意味のサイクルで、意味の
注入は、誰が、どの時点で行なうのがベストなのでしょうか?

(ex)

  I can't help but laugh. この文の音は、繰り返せば身につくと

  思うのですが、この文の意味はどうやればわかるのでしょうか?

  100回読んでいるうちに、自然にわかってくるとは思えません。



1844アメリカのCM 投稿者:パクパク 投稿日: 2月21日(木)10時03分23秒

スクリーン、サウンド、ストレッチ

日本のなかで、3重苦(ゼロ留学、ゼロ勤務、ゼロ外人)のなかで、スルメをかじりながら、
生身のイカと同等品質の味わいをするには?

映画は、長いので、アメリカのCMサイトがあります。
ここをインターネットで見れば、動画音声がわかります。
そして、このCMに対するコメントを書き込むことも
できますし、他のコメントを聞くこともできます。
コーチは、このCMのディクテーション結果を
生徒にしらせます。



1845鶏が先か、卵が先か 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月21日(木)12時31分45秒

ぱくぱくさん

 私の方法は素読そのものではなく、「素読的」なものです。
 現在は漢文を扱っていませんが、もし、漢文の素読を扱うならば、意味が自分でわかるまで意味を扱いません。いわゆる漢文の素読というものは、「音」と 「シンタックス」が日本語ですので、待っていれば自然にわかってくるということが起こるからです。
 「読書百遍、意おのずから通ず」が起こるわけです。
 これは、「音」と「シンタックス」が日本語であるからです。
 語法や語彙は繰り返しの過程で「なじみ」が生じます。難しいのは、解釈的意味でなく、人生的意味です。

 今、仮に解釈的意味と人生的意味としましたが、一口に意味と言っても、この両者はまったく違うものです。解釈的意味は、机上で頭脳的に「わかる」という ことで成立しますが、人生的意味は「生きて知る」種類のものです。語学の言語と生活言語がもつのと同じような質の違いがあります。「読書百遍」がもたらす ものが、このどちらなのか私には決めかねますが、「たてつづけに百遍」読んでその場でわかったというのなら解釈的意味だろうし、何年にもわたって、時をお いて「百遍」読み、何かの経験がきっかけになって、意味がわかったというのであれば、人生的意味が生まれているだろうと思います。

 語学はどこまでも「机上の世界」です。ここでは、「ひとまず」解釈的意味を成立させます。
 英語は、日本語の「音」も「シンタックス」もあてにできない。語法、語彙も別物です。こうなると、「読書百遍、意おのずから通ず」は無理です。

 語学においての、「音」と「意味」の間には、「鶏が先か卵が先か」ということとまったく同じ問題があります。
 「音」ができているから、文全体の意味が、瞬間的につかまるということは言えます。これは、「音」ができていない学校英語や受験英語では生じません。 「音」ができていない英語では、個々の要素(単語、熟語等)の意味を「組み立て」て、全体の意味に至ろうとするだけで、全体のわしづかみが瞬間化されませ ん。
 語学的標準形としての「音」ができているということが、全体の意味をわしづかみするための基盤となります。この場合は、「音が先」です。
 しかし、意味がわかるからこそイントネーションが決定できる、ということも間違いありません。意味がわからなければ、語学的標準形としてのイントネー ションは成立しません。この場合では、「意味が先」になります。

 ここにも、初心者の問題があります。まったくの初心者を前にした場合は、コーチが意味を与えてしまうことは構わないと考えています。「技法グラウンド」 の場面でも、初心者を相手にする場合は、コーチが意味を先に言ってしまうのでいいのだと思います。意味を先に言うか言わないかよりも、繰り返しの回数の方 がはるかに大事なことだということです。



1846瞬間化・双方向化 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月21日(木)12時32分30秒

ぱくぱくさん

 意味の「注入」については、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」で、私は「電圧装置」というものを提唱しています。
 小学館文庫の種本は大学受験生を念頭に置いて書いたものでしたので、まったくの初心者向けではありません。学校英語や受験英語に風穴をあけるための方法 で、すでにかなり学校英語・受験英語に触ってしまっている人たちに向けて書いたものです。やりなおし英語の人にも向いていると思っています。
 「電圧装置」を使う上での眼目はイメージです。二つ折りにしたレポート用紙だけで練習するわけではなく、別の紙の上で、國弘さんの言われる「只管筆写」 と同じ作業が行われます。イメージを発生させ、強化し、スペリングや音と融け合わす作業です。ここで、イメージがしなやかに軽く速く動くレベルを獲得すれ ば、瞬間的に「イメージが音を呼び出す」ということも、「音がイメージを呼び出す」ということもできるようになる。「音」と「イメージ」の「同致」あるい は「瞬間化」が、双方向で可能になります。単語や熟語レベルで、これを成立させておくことが、文全体の意味をわしづかみし、文全体の意味をも瞬間化してし まうために必要だと考えています。この瞬間化を成立させるのは、イメージを求める意識の強度です。

 誰がやるか、ですが、本当の初級レベル以後は自分がやるべきです。人に考えてもらっても、イメージは自分のものになりません。



1847意味の注入時期と方法(右脳に注入) 投稿者:パクパク 投稿日: 2月21日(木)14時13分25秒

サウンドのストレッチをしながら、口がほぐれてきたら
それに応じて、意味(日本語)をアバウトに注入して
いく方がいいとおもいます。
いまの、7年目の浮気 のように、解析的な説明ではなく
もっと、おおまかな、意味。それは、絵や動作で表す。
たとえば、
I can't help but laugh.と口に回るようになったら、
面白い絵を見せて、実際に笑い、I can't help but laugh.と
言ってみる。
こうすると、絵と、気持ちと、ジェスチャー(笑いの表情)が
フュージョンするとおもいます。
つまり、右脳だけが、活性化し、左脳が、介在しない。
映画やCMの利用は、右脳だけですむ世界が多いです。

電圧装置だと、文字ベース(日本語、英語)になると
おもいます。これだと、左脳が活性化されるとおもいます。
スルメをかじりながら、生身のイカ刺しの味を想起するのは
至難の技というより、無理です。

つまり、インターネット時代の素読というものがあり、
それが、実は、英語の酸に、有効に対抗できるのではないでしょうか?

素読:コーチがそばにいる。文を読む。一つのテーマが20分。(論語、大学)
   音をストレッチして、身につける。
   この時間は、長い(1ヶ月から3ヶ月)ので、コーチが必ず、そばにいる。
   意味は、音がスラスラ言えるようになるまで、注入しない。
   しかし、20分全体のテーマについては、アバウトにはじめに日本語で言っておく。
   20分というのがひとつの区切り。
   これは、インターネットで、映像、音をつけて提供できる。



1848ぱくぱくさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月22日(金)13時03分09秒

>映画やCMの利用は、右脳だけですむ世界が多いです。

 とうていそうは思えません。
 そんなものは「聞き取れている」ことだと考えない方がいいと思います。
 右脳・左脳のことはよく知りませんが、「音」と「イメージ」の同致と私が言っているものは、多分、右脳と左脳が同時に動く事態ではないかと思います。理 知と感覚の同時性です。

 多くの人が、「只管朗読」の「朗読」の重要性ばかり言いますが、國弘さんが「只管」という語に込めてあるものをあまり考えてみることがないと思っていま す。うまい方法ばかり追い求めている利口な人には英語は無理です。

 意味の注入時期に関しては、すでに私の考えは書きました。
 「注入」という語は好きにはなれませんが・・・。

 「意味をアバウトに注入」でことが済むのは、英語の磁場においてだけです。英語の磁場を欠いた日本で、コーチがやれることは、「訳」を与えるということ であり、本当は「意味」は誰にも与えることはできません。「意味」は磁場の中の言葉が与えることができるだけです。「注入」という語は人間の意識に対して 実に不遜な言い方だと思っています。本当にそんなことができると思っておいでですか。人間は、他人からヒントをもらって、「自分で気づく・自分でわかる」 ことしかできないのです。そうでなければ、そこにあるのは教祖と信者の関係であって、語学という意識の動態とは何の関係もありません。

>I can't help but laugh.と口に回るようになったら、
 面白い絵を見せて、実際に笑い、I can't help but laugh.と
 言ってみる。

 日本語が変だと思います。「面白い絵を見せて、実際に笑い」というからには、「見せる」人も「笑う」人も同一人物です。それだったら、生徒は、「先生は 自分が絵を見せたことがおかしくて笑ったんだ」と思うかもしれないですね。そういうことを言っておられるのですか。
 この場面では、生徒の意識に I can't help but laugh. という文が持つ一般的な意味を気づかせるためなのだから、「絵を見せて、実際に笑わせる」でなくてはおかしいと思います。そして、そう書いてみればはっき りしてくるのですが、そんな絵なんか見ても、生徒が面白いともなんとも思わなければどうなんでしょうか。生徒というものは、先生の顔色一つで、同じ絵を見 ても笑ったり笑わなかったりするのです。
 あるいは、笑おうと思わないのに、笑うことを「避けられない」という肝心なことは、こんな「アバウトさ」でどうなるのでしょうか。それが、理解されない ならば、「アバウト」どころの話ではない。 I can't help but laugh. なんか持ち出す必然は何もなく、単に I laugh. でいいではないですか。

 だけど、こういう馬鹿げたことは幼児英語教室なんかではすでにやっているんだろうと思います。幼児というのは、この場面で大人が自分に笑って欲しいんだ なと思えば笑います。幼児というのは実に義理がたいのです。それを手玉にとって金もうけをしているやつらに金を出す馬鹿母がいっぱいいるのが、日本の末期 症状のひとつです。その全体がポンチ絵でしかありません。
 I can't help but laugh. というのは「絵を見て笑う」どころか、絶望の表現にでも使えるのです。それを規定するのは感情であり、声の調子です。

I can't help but laugh.



1850JIJIRO さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月22日(金)14時10分43秒

(浜谷さんの掲示板からコピー)
 私も JIJIRO さんと呼ばせていただきましたが、その時々で、「様」をつけたくなったり、「さん」で呼びかけたくなったりして、使い分けがまだら模様になる可能性があり ます。今後、まだらになりましたらご容赦下さい。

>ぼくの言っていた教室は marinezumi さんの発音に関してでした。
 今度この本を読んでみたいと思っています。ありがとうございました。

 投稿者の欄と署名の欄を間違えるような粗忽ものですので、JIJIRO さんに向けて書いたものにも勘違いで書いたものがあったようです。ごめんなさい。K/Hシステムは、やるなら最後の最後でいいのではないでしょうか。手元 にはありますが、私はまだ手をつける気がありません。
 「どこに住んで何をするのか」ということによって、必要になったりならなかったりする本だろうと思います。この本によって、「向こう岸」へ行けるかもし れないにしても、私がやるとねぼけ浦島太郎みたいになる可能性があると思っています。気がついたら、やっぱり「こちら岸」だったという事態です。やっぱ り、仕事などで、本当に「向こう岸」(英語圏)に行く必要のある方に向く本だと思っています。
 私は英語を扱って生活を成り立たせてもらっていますが、「向こう岸」に行くことはないだろうと考えています。「向こう岸」の人たちがわからないこと、あ るいはわからなくなることは、「こちら岸」にいて英語をやることの困難です。私はこれを見失いたくないのです。英語をやるのに、「世界で一番きつい場所」 にいること。それが、私が日本で英語をやり続ける人たちと共に持ち続けるべき条件です。
 「こちら岸」にいて、必要な時はこちらから向こうへ橋がかけられればいいと願っています。それが、たとえぐらぐらするような弱い橋であっても仕方がない と思っています。

>あの先生が、本当ならもっと「ぶって」難しそうなことを吐露されても、それはそれ
 でありがたがる人たちもたくさんいるだろうに、愚直なまでに一番基本的な音読を
 薦めておられる姿勢に、ぼくはうたれるのです。

 同感です。しかし、私は不思議でしょうがないのです。なぜ、國弘さんは只管朗読が持続できたのだろうと思っているのです。國弘さんが中学生だった時は、 周りが英語を敵性言語として扱っていた時代でした。強い思想性を感じるのです。しかも、只管朗読というツボのツボとでも言うべき方法をなぜ持続できたの か。学校の先生に薦められたというのですが、薦められたのは國弘さんだけではない。なぜ國弘さんは、ご本人の言葉で言えば、「愚直に」それができたのか。 ここにあるのは、単なる言語的センスというものではなく、強い思想性だろうと思っています。
 國弘さんの中学生時代に、CDだのMDだのという教材はありませんでした。リピーティングなどやらずに、只管朗読だけやって、進駐軍の兵士を相手に突然 英語が通じたし、相手の言っていることも聞き取れたということは、「繰り返し」ということの中に、英語の音を作り、日本語の余計な音を飛ばす作用があるこ とを証明しています。
 私は、英語の活字としての文の中には、イントネーションも潜んでいるという仮説を立てています。意味がわかっている文であれば、「繰り返し」という作業 で、イントネーションは掘り起こせるものだと思っています。英語のネイティヴ音の複製教材があふれている時代にはかえってそれが見えにくくなっているので はないのかと考えています。
 すみません。また「ぶって」しまいました。

 車の中で練習されているのですか。私もやっています。ヒアリングとかリスニングというのは、なかなか机に向かってやる気になれないタチですので、車のエ ンジンをかければMDが鳴り出すようにしています。車を語学の道具に使うのは、事故さえやらかさなければなかなかいいと思っています。JIJIRO さんもやっとるぞと思って、これからも継続します。

>  あの本の中に、音読を続けて得られるものは、自分にしかわからない感覚の変化で
   あって、とりあえずの褒美はそれだけである、という意味のことが書いてあります
   が、漂流者にとってこれほど力強い応援があるでしょうか。

 本当にこの通りだと思います。



1851(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月22日(金)14時18分34秒

>電圧装置だと、文字ベース(日本語、英語)になると
 おもいます。これだと、左脳が活性化されるとおもいます。
 スルメをかじりながら、生身のイカ刺しの味を想起するのは
 至難の技というより、無理です。

やはり、イメージというものがおわかりになっていないと思います。
スルメも生身のイカもない場所で、生起するのがイメージです。
単なる言葉の切れっ端をきっかけにでも、イメージは生起します。
そうでなくて、なんで読書なんぞができるでしょうか。



1852SAIさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月22日(金)15時10分09秒

(浜谷さんの掲示板から)
>上記のまま解釈すれば、言語は電子からなり、その電子が動くことによって磁力が発生すると解されると思います。

 「私が使っている「磁場」という語は、物理学で使う意味の喩であると受け取っていただいてかまいません。」と書きました。「喩である」ということはおわ かりにならないでしょうか。「上記のまま解釈」していただけなかったと思います。

>ただ訪れるだけで問題意識がなければ、読書派に負けてしまうかもしれませんけど。

 これはまったくその通りだと思います。
 この「問題意識」が、「日本にいて」英語をやることの最大の副産物だと考えています。副産物ではあるが、副産物にしておくにはもったいないほどのものだ と思います。私がぺらぺら英語より、日本で育ったごつごつした英語に軍配をあげるのは、英語の磁場の磁力をあびて日本に帰ってきてぺらぺらやってる英語に は、「方法意識」や「問題意識」などの持ち合わせがないものが多いことによります。もちろんすべての人がそうではないが、薄っぺらなことをぺらぺら言って るだけの「アメリカ帰りのアメリカ英語」は多いと思っています。そして、こちらにあがる軍配の多さに辟易しています。日本人民のジャッジは間違っておると いう判断です。
 「ぺらぺら度」の勝ち負けでは、日本で作った英語は初めから負けるに決まっています。(どの世界にも怪物はいて、松本道弘みたいな人はいますが・・)

>私はESSに属していましたが、ESSでは英語はほとんど勉強しません。何をやるのかというと、社会問題について本を読んで議論します。

 知りませんでした。

>UDAさんには直接会っていますので、誤解されているところが多いと思いました。UDAさんが音だけを扱っているのは、読者に合わせているからで、本当 は英語学習全般について独自の方法論を持っています。

 鵜田さん自身は、アメリカに渡ってアメリカ語の音を身につけて来られた方です。私が鵜田さんについて関心があるのは、そのアメリカ語の音ではなく、日本 在住のままの人たちに、どのようにシンタックスの齟齬を克服させるつもりなのかという点です。
 これは、鵜田さんにおうかがいすべきことかと思いますので、最大の疑問点を書くだけにとどめたいと思います。

>音が聞き取れなくても意味は分かることがあります。それは推測によって可能となります。英語が 100%聞けなくても推測によって意味が分かります。例えば、日本語では「おはようございま」まで聞けば、次は聞き取れなくても「す」であろうと推測でき ます。しかし、音が100%聞けたときと違って、誤解も当然ながら多くなります。

 ありがとうございます。疑問が氷解しました。
 日本語でも普通は、こういう推測を働かせて話をしているのだから、英語を使う時も原則的にそれでいいんじゃないでしょうか。
 映画の「聞き取り100パーセント」を「めざす」のは、上級者にはいい練習だと思いますが、これは「めざす」ことに意味があるのであって、「100パー セント聞き取れる」は実現しないものだと思っています。昨日、日本映画を見ながら、俺は何パーセント聞き取れているんだろうと意識してみましたが、自覚で はせいぜい80〜90パーセントでした。日本語でも意識して聞いてみればそんなものではないでしょうか。それとも、うちのテレビがおんぼろのせいでしょう か。(それとも機械音を聞き取るときの俺の耳がおかしいのか?)
 私は「映画の英語」に関しては、実に簡単な原則を持っています。「知らないものは聞き取れない」です。「単語」にしても、「語法」にしても、「知らない ものは聞き取れない」と思っています。ですから、知らなかったら、それを「回転読み」というやつで、自分の口を「回し切る」ことをやって、英語音の近似値 を作り、知らなかったことを知っておきますと、突然、全体がすっきりと聞こえてきます。そうやって「しらみつぶし」をしていく他になかろうと思っていま す。この「しらみつぶし」にはきりがない。なぜなら、「しらみ」は今でも発生しているからです。



1853SAIさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月23日(土)14時24分29秒

お返事ありがとうございます。

>イメージが似ているということでよろしいですね。

 私が「磁場」という語を持ち出したのは、「磁力が働く場」というような言い方で、英語圏にいる人に起こることをより正確に言えるという利点があるからで すが、その他に、日本の「ごつごつ英語」の「ごつごつ」は「磁場」を欠いて作った英語だから当然なのだというように、「ごつごつ」に根拠を与えられるから でもあります。
 「ぺらぺら」には根拠がある。「ごつごつ」にも根拠がある。それは、生の磁力を浴びているかいないかの違いだ、というように、「ぺらぺら」や「ごつご つ」にきちんと根拠を与えることがないかぎり、「ごつごつ」側から「ぺらぺら」側を見た場合の、「いじいじ」は往生しない。「ぺらぺら」側から「ごつご つ」を見た場合の余計な「えっへん」も往生しない。どっちも要らねえや、余計なもんだというのが私が考えてきたことです。
 ちょっと他の言語学習には見られないような、「余計なもの」にまみれているのが日本の英語というものだという観点があるのです。
 「ごつごつでも構わない」どころではない。「ごつごつで当然だ」です。それをはっきり言わないと、語学に余計な邪魔が入る。あるいは、日本育ちの「ごつ ごつ英語」が浮かばれない。私は日本育ちの「ごつごつ英語」を救い出してやりたいと思って、「磁場」という語を使っています。

>問題意識は日本にいようが海外にいようがほとんど関係がないと思います。海外に留学する人は問題意識があって学問を修めに行くのでしょうし、問題意識が なくただ漠然と英語を日本で学習している人もたくさんいます。

 SAIさんが、問題意識という語を用いられたので、私もその語で考えてみたのですが、私が言いたいのは、語学の方法論が、磁場を欠いた日本で英語をやる 場合の方が、英語の磁力を浴びる場(英語圏)でやる場合よりも鍛えられるだろうということです。磁場を欠いた場でやる方が、方法意識は強くなると思ってい ます。英語の磁場の中で英語を身につける人は、「磁場がない場所で、どう知識レベルを感覚レベルに持ち込むか」などという問題意識は必要ない。磁場がある んですから、語学の言語と生活言語の境界があいまいなままやってられます。日本じゃそれはそうはいかない。
 私が言いたかったのは、問題意識があるから外国に学問しにいくというような意味での問題意識ではなく、語学の方法意識という意味です。「問題意識がなく ただ漠然と英語を日本で学習している人もたくさんいます」とSAIさんがおっしゃる通りで、そういう人たちに向けて、英語の磁場を欠いて英語をやるという 語学の場所は、強い問題意識(方法意識)を育てられる場所なんだぞと言いたいわけです。その意味では、非常に有利な場所です。

>私は仕事で英語を使っていますが、仕事においては、役に立つかそうでないかが最重要です。いくら崇高な哲学を掲げて英語を学んでいても、仕事で全く使え ない英語は無力です。

 ここまでは、まったく賛成です。

>まずは仕事に生かせる英語を最優先すべきだと思います。これは声を大にして主張したいです。

 これはSAIさんが、ご自分に言い聞かせる分にはそれで結構ですが、一般化するわけにはいかないと思います。外資系の企業に勤めていて、会社内は英語の 磁場と化しているというような場合は、「仕事に生かせる英語」を最優先することをやられるのも無理はない。しかし、それが日本の英語全体の最優先課題だと はとても思えない。私なんぞは、「うまい酒が飲める英語」を最優先しています。金は出ていくので、何の仕事でもないし、何の仕事にしたくもない。ただ悪友 になったオーストリア生まれのアメリカ英語くっちゃべり野郎(ドイツ語ネイティヴ)が、いつまでたっても日本語が上達しないので、しょうがねえから英語で しゃべってやるときに、妙に気が合うところもあって、酒がうまくなることがあるんです。「仕事に生かせる英語か、ああ、やりたくねえな」という感じです。



1854SAIさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月23日(土)14時30分50秒

(先ほどのものもこれも、浜谷さんの掲示板からの転写です)

>私も同様に考えていますが、最初からできないとは考えていない
点で少し異なります。万策が尽きるまでは最善を尽くします。

 私は「最初からできないと考えている」というわけではなく、「不可能性というものを胸に一つ置いた上でとことんやってやる」と思っているのです。SAI さんと非常に近い場所にいると思っています。英語が必要な場面で、なるべく相手に過大な負担が生じないようにするためのヒアリング力をつけてやろうという のと、一発で相手の言っていることがわかるというのは一種の快感であることとが、これをやる理由ですが、「磁場だけがもたらしうるものを磁場を欠いて手に 入れる」ということが、どういうことかを知ってやろうという気もあるのです。日本では英語学習が英語道になっちまう。その根拠はいったい何なんだと思って いるのです。だけど、私はもうじいさんなので、ゆっくりやろうと思っています。上達の前に死んでしまえば、まあ、そりゃそれでしょうがねえやとするしかあ りません。

>この原則は恐らく誤りだと思います。なぜならば、知らないものも聞き取れるからです。もし知らないものが聞き取れないのであれば、耳学問というものは存 在せず、ただ文字による学問だけが役立つということになります。文字が使われたのは人間の歴史から言えば、つい最近のことです。それまで長い間人間は音を 使って意思疎通し、新しい知識を口伝してきました。現在でも、文字がある言語の数よりも、音だけの言語の数の方が多いです。音が略100%聞き取れれば、 知らないことも聞き取れ、それは何だろうと人に聞いたり、調べたりして新しい知識が身に付けられると思います。端的には、名前があります。初めて聞く名前 でも聞き取れて、○○さんとは変わった名前ですね、という会話が成り立ちます。

 このあたりが一番お話したかったところです。おそらく「聞き取れる」という語に込めているものが、私とSAIさんとで違っているのです。私は「聞き取れ る」というのは、相手の言っていることがわかるということだと思っているのですが、SAIさんは、音の細部がわかり把握できることだと考えておられるので す。
 私の悪友の英語くっちゃべり野郎は、行儀が悪く、私が何か聞くと、口にいっぱいものを入れて食べながら、「ん、ん、ん」と言いますが、私はこれが聞き取 れるのです。野郎は I don't know. と言ってるなというのが、どんぶりに顔をつっこんで上目づかいで私を見ている顔でわかるのです。ところが、このどんぶりから上目づかいの野郎の「ん、ん、 ん」をテープレコーダーに録音してSAIさんに聞かせても、おそらく「聞き取れない」だろうと思います。ここんところは、修行してもしょうがねえなと思う ところです。
 「ん、ん、ん」が I don't know. だとわかるのは、私があらかじめ I don't know. という言い回しを知っているからです。
 まあ、こういう行儀の悪い野郎はほっといて、映画俳優や映画女優の上等な顔や上等な声を媒介にして英語をやる場合は、SAIさんの「音の微細な部分に感 応できる耳を作る」というのは正道だと思います。私もこれはやろうと思っていますが、あくまでも自分の英語の一部分にしておこうと思っています。



1855JIJIRO さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月23日(土)15時36分58秒

 こんにちは。

>根石さんの文章を読ませていただいていると、根石さんには失礼かもわかりませんが、ぼくには「宮本武蔵」に代表される求道者か修行僧の姿が想像されてき ます。

 今日から、俺のことを「武蔵と呼べ」と女房に言ったところ、「なに馬鹿言ってんだか」とのことでした。そんなことを言ってくれるのは、JIJIRO さんだけです。

>ぼくは以前に浜谷さんから、根石さんのホームページを紹介されて感想を聞かれた際に、ずいぶんと無礼なことを書いてしまいました。どうかお許し下さい。

 いや、無礼なことなんか、私なんか、しょっちゅう書いちゃうので、そのことを言われると、穴があったら入りたくなり、ついきょろきょろしてしまいます。 粗忽者はなかなか直りそうもないので、その点をお含み置きの上、よろしくおつきあいをお願いいたします。

>ぼく自身一応は外国語で有名なJ大の外国語学部に4年間在籍していて、中退後(学園紛争最盛期でした)もそれなりに英語だけはやってたつもりなんです が、それでもアメリカの子供たちのアニメやドラマがさっぱり聴き取れないという事実に心底情け無さを感じています。

 アニメ、ドラマ、歌詞、映画っていうものは、本当に馬鹿にできないです。日本に住んで英語をやる場合に技法的に攻め込むべき最後の場所がそういうものだ ろうなと思っています。真底情けねえのは、私も同じですが、この巨大な落差は面白いなとも思っています。英語でおまんまを食ってる人間が、アニメが聞き取 れないってんですから面白い。おう、やったろうじゃねえか、っていうのが一つあるだけですが、それにしても手強い。ときどきへこたれたくなります。

>(自分自身の名誉のために言っておきますと、最近の特訓によって以前とは桁違い
に聴き取りや音読はできるようになってきてはいます。もとが低かったと言われれば
それまでなんだけど(^_^;)。ただ、それでもアメリカ人同士の地の会話にはついて
いけません)

 地の会話っていうのは、日本語でもなかなかついていけません。話している人たち同士の「仲良し度」っていうのがあると、第三者として話の輪の中にいて も、何を言っているのかちっともわからないということもあります。英語の場合は、私の語学力不足に、連中の「仲良し度」が輪をかけて難しくしていると思い ます。

>というわけで、根石さんのおっしゃる「向こう岸」や「こちら岸」や、根石さんは
書いておられませんがその間の「三途の川」の有り様も、普通の人よりは理解でき
るつもりでおります。

 三途の川!この看破力には脱帽しました。すばらしいです。私がうろついていたのは、三途の川であったのか。三途の川を渡ると閻魔様がいるんでしたっけ。 私は、よろよろの橋でも橋をかけて渡ろうかと思っていたのですが、それでも閻魔様に会ってしまうでしょうか。閻魔様に舌を抜かれたら語学ができない。それ が心配です。

>そんなぼくが自分の体験を通じて感じるのは、言語の習得には方法論や教材よりも、
 圧倒的にその言語に対する飢餓感の方が重要であるということです。

 ふうむ。私は飢餓感より、危機感が強いです。「電話でレッスン」なんかやってると、私より発音の上手な生徒が現れて、「やべえよ、こりゃ」って感じにな ります。肝心なのは「音」じゃねえよとは思うものの、自分の音のレベルを放っておくわけにはいかない。じいさんになってから、こんな危機感を持たされると は思いませんでした。でも、レッスンをやって、自分が若い頃考えた「回転読み」という技法を若い人が使ってくれるのを見ているのは楽しいです。



1856皆様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月24日(日)01時04分14秒

私は最近、この自分の掲示板に飽きちゃって、近頃、人様の掲示板にあがりこんで、ごたくを言っ
てます。

しろうと衆がちゃんとものを言わないのがいけないと思っています。くろうとなんぞのしちめんど
うな理屈におじけづいちゃ駄目だし、理屈を馬鹿にするのも駄目です。どっちかをやっちゃうのが
しろうと衆だけれども、「書きにくい場所に書く」というのは、大事なことだと思います。

あたしゃ、くろうとの割に、銭がもうからん。
どうしてだ?

とにかく、書いてにぎやかにしてくれや。
わしゃ、ね、英語という言語には本当に冷たい心を持っているけど、英語が好きな人たちの心の温
度が、わしの香辛料じゃけん。

頼むわ。



1857浜谷さん、申し訳ない 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月24日(日)01時07分24秒

また酔っちゃいました。

作戦のことは考えていますので、もう少しお待ち下さい。



1858昔の塾生からのメール 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)01時28分28秒

昨日、昔の塾生からうれしいメールがありました。掲示板に転載していいかと聞いたら、いいよということでしたので、転載させていただきます。
----------------------------------------------------
根石吉久様

十何年と御無沙汰しております。
高校の頃、大変お世話になりました、Kです。
昨年から実はもう一度お世話になろうかと考えていたのですが、Webの英語解析を拝見させて戴いて、語学の苦手な私にとっては、これほどまでの優良テキス トがあるならばと思い、続けられるかどうか、ためらいながら迷いつつ、でもこれからは嫌でも英語と関わっていかなければならない必要性から、メールを送信 することに決めました。

実はお嬢さんには昨年、自動車学校で思いがけずお目にかかり、お声かけさせていただきました。そのときに話したことは既に伺っているかもしれませんけれ ど、私は高校2年の冬に塾をやめてしまったのですが、あれから十何年たった今でも、当時培わせて戴きました英語力が落ちていないことは驚くべき事実で、素 読舎の底力を痛感しております。途中で苦しくても続けていれば、もっと人生が変わったことでしょう。もったいなかったです。

当時の若い年代の記憶力や暗記力は全く持ち合わせておりませんのと、仕事中心になってしまいますので、どこまで出来得るのかわかりませんが、何卒御指導を 仰ぎたいと思います。

よろしくお願い致します。

現在は度々実家の会社に来ております。

アパートは東京です。





1859昔の塾生へのお返事 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)01時32分58秒

 うれしいメールでした。
 ここんとこ、ろくなことが続かなかったので、久しぶりにうれしい思いをしました。

 Kさんは、西沢書店で、黄色くて薄い「英語のやっつけ方」を買って塾を使ってくれ
た人として強く記憶に残っています。あの本は、2,3年前に、小学館文庫「英語どん
でんがえしのやっつけ方」として出た本の種本となりましたが、お読みになっておられ
るでしょうか。是非読んでみて欲しいと願っています。

 ときどき、実家に帰っておられるとのことで電話してみましたが、帰っていないとの
ことでしたので、メールで返事を書いています。

 私は、自分で自宅を自作し、現在は小島にいません。

 更埴市鋳物師屋642−3

 が現住所です。実家に帰られたら、寄って下さい。

 現在は、映画のシナリオを使った「電話でレッスン」というのをやっています。最初
に「ゴースト」を扱い、イントネーションの語学的標準形に慣れてもらい、二冊目に「
七年目の浮気」を扱うあたりから、ホームページ上にあるような文法解析を媒介にして、
音と一体化することで、イントネーションの自己決定力をつけてもらうというものです。
 最終的には映画の英語の聞き取りに迫るものです。
 私の英語の音もずいぶん変わりました。

 これを是非検討してみて下さい。
 レッスンは毎週1回30分です。月額で1万円が必要になります。

 メールをもらってあまりにもうれしかったもので、掲示板「大風呂敷」にご披露した
くなりました。名前、メールなど個人情報を一切削除した上で、是非引用させてもらい
たいと願っています。お返事をお待ちしています。



1860追伸 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)01時40分42秒

 書き落としましたので、追記します。

 小学館の「サピオ」という雑誌に、最近売れた英語本を9冊取り上げ、好きなよう
に批評してくれと頼まれ、記事を書きました。27日に発売だそうです。こちらも読
んで下さい。



1861昔々の塾生からお返事 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)01時46分06秒

大変、お叱りを戴いた塾生でしたので、恐縮です。

でも、本当に、おそらくたぶん皆様がそう思っていらっしゃるのではないでしょうか。
少なくとも、自分の英語はそこで終わったのですが、現在も当時のレベルを読むこと
は可能です。数学英語は一度伸びたらなかなか落ちないという話は本当かもしれませ
ん。
当時はもっと難易度の高いもの700選とかその他ありましたが、私には難しかった
です。

> あの本は、2,3年前に、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」として
出た本の種本となりましたが、お読みになっておられるでしょうか。是非読んでみて
欲しいと願っています。

早速、東京八重洲ブックセンターで買わせていただきました。
友人知人にも「面白いページだよ/でもほんとに力ついたよ/近くにあったからよかっ
たんだよね」などと話しており、色濃いHPには2人ほど大笑いしたようで、そのうち
1人は本を購入されたようです。 他の英語攻略本にも同じ内容が書かれてあったと
も話していました。(どの本かまでは聞いておりませんが。。。)


> 実家に帰られたら、寄って下さい。

こちらこそよろしくお願いします。
でもできるかどうかが一番心配です。。。

>  現在は、映画のシナリオを使った「電話でレッスン」というのをやっています。最初
> に「ゴースト」を扱い、イントネーションの語学的標準形に慣れてもらい、二冊目に「
> 七年目の浮気」を扱うあたりから、ホームページ上にあるような文法解析を媒介にして、
> 音と一体化することで、イントネーションの自己決定力をつけてもらうというものです

>  最終的には映画の英語の聞き取りに迫るものです。
>  私の英語の音もずいぶん変わりました。
>  これを是非検討してみて下さい。
>  レッスンは毎週1回30分です。月額で1万円が必要になります。


すごいですね。 ストーリーの楽しみと両方できてしまうのですね。
福島瑞穂さんが高校の頃に源氏物語の英訳を読まれたそうで、それが自分にもサポートを
戴きながら生の英語を理解させてもらえるのですね。

。。。って、私にできるかどうか。。。ですが、、。
時間と月謝は大丈夫です。 お願い致します。

>  メールをもらってあまりにもうれしかったもので、掲示板「大風呂敷」にご披露した
> くなりました。名前、メールなど個人情報を一切削除した上で、是非引用させてもらい
> たいと願っています。お返事をお待ちしています。

どうぞ、そのまま御活用ください。
正真正銘の事実ですし、私のような理系人間は語学も分解されたほうが理解しやすく、
特に詳しい解析ものはすごく頭に残るような気がします。 このままテキストが世に
埋もれてしまうのがもったいないくらいです。

本当は名前を出すほうが説得力があるのですが、今は少し事情がありますので
それは後々公表しても良い段階になるまでお待ちください。

小学館の「サピオ」という雑誌は英語コーナーでしょうか?
27日以降、探してみてみます。



1862昔昔の塾生へ返事 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)01時52分21秒

メールのタイトルが「タイトルを入れるのを忘れてしまいました。申し訳ありませんでした、とい
うようなタイトルでした。(根石吉久記)
----------------------------------------------------
 タイトルなんざどうでもいいです。
 根石さん、好きです、ってタイトルだったらどうでもいいこたぁなく、目を点にし
て読みますが・・・。
 俺、酔ってます。酒を飲みながら人様の掲示板にやたら書いていたら、いつの間に
か酒がすすみ、不覚にも酔ってしまいました。

"T> 大変、お叱りを戴いた塾生でしたので、恐縮です。

 そうでした。昔は、私も短気でした。ほんの少し気が長くなりました。これからは、
少しずつ日も長くなるので、頑張りましょう。何のことかわからぬにせよ。

"T> 。。。って、私にできるかどうか。。。ですが、、。
"T> 時間と月謝は大丈夫です。 お願い致します。

よかったぜ。時間は大丈夫だけど、月謝が払えないのでよろしくと言われるのがと
ても怖かったが、よかった。なにはともあれ、よかった。東京で、元気でやっている
ということだ。よかった、よかった。

"T> どうぞ、そのまま御活用ください。
"T> 正真正銘の事実ですし、私のような理系人間は語学も分解されたほうが理解しやすく、特に詳しい解析ものはすごく頭に残るような気がします。 このままテキ ストが世に埋もれてしまうのがもったいないくらいです。

 ありがとう。明日、やろうと思います。
 ちょっと待ってくれ。このままテキストが世に埋もれてしまうのがもったいないくらい
ってのは、読みようによっては、もう埋もれてしまう運命が決まってるみたいにも読める。
そんな切ないことを言わんでおくれな。たとえ、そういうことになる可能性が高いにせよ
だ。

"T> 小学館の「サピオ」という雑誌は英語コーナーでしょうか?

 英語コーナーでなく、雑誌コーナーだと思うのでよろしくお願いします。

 乱文、失礼。酔漢、失礼。

追伸。

 今度、俺の家へ遊びにきたら、俺の悪友のオーストリア人が始めたワイズアウルっ
ていう店に連れていってあげるから、楽しみにしていて下さい。俺の塾を使ったくせ
に、俺に何の恩義も感じてないトミコって女が、アメリカで結婚して連れてきた、も
のすごく頑固なガイジンがやってる店です。この店のアイリッシュコーヒーとやらが
気に入っています。



1863ああ、返事が来ない 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)02時18分00秒

さっきのメールを酔っぱらったまま出したんだけど、Kさんから返事が来ねえんだよ。
あーあ、酔っぱらってメールとか書くとろくなことない。
掲示板も酔っぱらって書くとろくなことない。
どうしよう。



1864急に思い出した 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)02時32分52秒

隣町の若奥さんが私の月曜「インプット教室」を使ってくれていて、この人はとても熱心な人で、
英語をやって、やりすぎて、くたびれて、熱を出して寝込んだりします。この人がくれたメール
も、私にはとてもうれしいものでした。内緒にしといてね、とメールにありましたが、そんなの
内緒にすることじゃねえから、公開させろよ、と強く迫り、公開してもいいという許諾を得まし
た。公開します。ジャジャン(若いやつらにはわかんねえだろうな、このジャジャンの響きは。
ただ昔はやったってだけのことだけんど。。。)
----------------------------------------------------
根石先生
こんにちは久しぶりにメールしてみました。

というのも、ここの所、私にとっていい事があって、是非先生に聞いてもらいたかったのです。
私は先生の所へ通う前から、英語クラブに所属していると話したと思いますが、そこのおじさん達が、「最近とっても進歩した。」と行ってくれたのです。特に リスニングだと言ってくれました。

今まで、「いつになったら本気でやるんだ?」なんてからかわれていた私達だったのです。
顔は笑ってましたがいつも心では「本気でやりたいけどどうやったらいいのか、わからない。」とくやしい思いをしてました。
しかも先生の所で、私と少しやっていたMさんも「私は3ヶ月で辞めてしまったけど、その間に、天と地の差が出来てしまった。」と嘆いていました。

私は本当にうれしいくて、家に帰って旦那だけに話しちゃいました。
それと、先生にもこの喜びを知ってほしかったのです。
誰かが気づいてくれたりすると、うれしいものですね。
先生の生徒の中では劣等生ですが、私の中では何かが変って来たような気がします。
あ、そうそう、くれぐれもHPには載せないようにお願いしますよ。

真面目臭くなりましたごめんなさい。(;゜ー゜)

また、月曜日よろしくおねがいします。



1871ゴーストをやっていて思ったこと 投稿者:sb 投稿日: 2月25日(月)10時29分52秒

今日大阪へ向かう電車の中でゴーストを少しだけやりました。
それから家に帰り、ゴーストのノンスーパー版を見て前半だけはいつもと違うと感じました。
英語が分かる。
当たり前か。。。
でもその当たり前が実はとてもすごいことなのだということも感じました。

すでにやったところでも「復習範囲」をきちんと練習していかなければならいことも感じました。
何度やっても「イメージ」の一致がなされていない個所はききとれない。

それからやはり私には8語あたりを越えた時点から急に雲にまかれたみたいに英語が頭が真っ白になって入ってこないところがあることにも改めて気が付きまし た。
これが根石さんがおっしゃっている語数別文のコレクションなんだということを思ったのです。

そういえば、最近の大風呂敷に15語〜20語?とも書かれていましたっけ。。。
「かたまり(=チャンク)」というのは以外にポイントですね。



1873浜谷さんの掲示板から転載 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)12時16分37秒

こんちわ 投稿者:根石吉久  投稿日: 2月25日(月)12時10分52秒

あっ、どうも。
確かハンブルグでしたね。お天気はどうですか。その後、ツインタワー事件以後のアメリカに動きに対するチョムスキーの本が日本語に翻訳されて出版されまし た。確保はしてありますが、時間がなくて読んでありません。

また、ひっかきまわしに来てくれませんか。
書いてるの俺ばっかし、みたいになっています。

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SAIさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 2月25日(月)12時13分16秒

>音が略100%聞き取れれば、AFN、洋画と耳から英語を吸収できるので、殊更勉強が必要でなくなります。音が略100%聞き取れれば、根石様の「表現 を覚える」というのも耳から行うことができるようになります。聞き取って覚えたものは即使えます。そういう効能がありますので、まずば音を略100%聞き 取る事が先決だと思っています。

 このあたりのことについて、考えています。
 しばらくお待ち下さい。



1875sb さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月25日(月)12時46分12秒

どうも。
メールからの転載ありがとうございました。

>そういえば、最近の大風呂敷に15語〜20語?とも書かれていましたっけ。。。
 「かたまり(=チャンク)」というのは意外にポイントですね。

 「以外に」を「意外に」に直しておきました。
 意外にというより、私は、最大のポイントじゃないかと思っています。外科手術が可能な部分にばかり目がいってしまう「音派」の方々に、これからなぐり込 みをかけようと思っているのですが、私は明らかに「シンタックス派」です。
 難しいのは「音」じゃない。いや、「音」も難しいですが、それよりも「シンタックス」の内在化が難しい。これは磁場を欠いて一挙にやろうとすると、人間 が壊れてしまうような何かです。



1876英会話幻想 投稿者:Jackie 投稿日: 2月25日(月)13時45分02秒

ピアノのレッスンの場合 もし生徒が一年通ってぜんぜん上達しないとしても
それはめったに 先生のせいにはなりません。 毎日の練習をしなかったからいけないということになるのです。 それにレッスンは週一回 30分=2000 円が 初心舎クラスの相場です。
英語のプライベート 一時間4000円とると(日本人講師) 高いといわれますね、きっと。ピアノ講師と英語コーチどっちが体力つかうかは明白。(外人に なら不埒な奴でも これくらい払う?)

ピアノと同じで英語も自分での練習がかかせない。でも皆楽して 話せるようになりたい。
通っているだけで上達する幻想を いだかせたのは 大手英会話学校のCMも大きいとおもいます。むかし某校で 講師をしていましたが 営業の口車にのせら れて
かなりの人が 週2回45分 6ヶ月の小人数クラスと 半年のぐるーぷレッスンに40万ぐらいのクレジット契約をむすぶのをみました。それだけ私に払って くれれば 中学英語のテキストを基礎に 週三日 プライベート30分のコーチで 一年で特訓してあげるのになあ。

前にも かきましたが その後自分で教えはじめて 金にならないので やめてしまいました。
知り合いの外人は 来日してすぐ 英語を教えはじめ 白人青い目ハンサム で 生徒がわんさかあつまってます。 親も 外人に教わっているということで  満足、また あまり上達しなくても
日本人講師のように 厳しく追及しません。 上達よりも雰囲気ということですか。

やめてよかった。 でも 辞めたくありませんでした。
だって まじめにトレーニングすれば 確実に 効果がでるのですから。英語をあたまから読み下し ブッシュのスピーチに怒りを覚えたり するレベルの生徒 が何人か生まれたのが 救いです。




1877音優先?シンタックス優先? 投稿者:パクパク 投稿日: 2月25日(月)13時55分34秒

>難しいのは「音」じゃない。いや、「音」も難しいですが、それよりも「シンタックス」の内在化が難しい


これは、見物です。てっきりいままで、音づくりということで音がまず優先される
とおもっていました。しかし、さらに、シンタックスが優先となると、この
シンタックスの内在化を行うための具体的手段とは何かになります。
もっと、結論を急いで言えば、素読とは、音づくりに目的があったのではなく、
シンタックスの内在化に最大の狙いがあった。だから、外科的なパーフェクトな
音でなくても、通じる音であれば、いいということになる。



1879Jackieさん:英会話学校 投稿者:YASU 投稿日: 2月25日(月)21時17分01秒

>知り合いの外人は 来日してすぐ 英語を教えはじめ 白人青い目ハンサム で 生徒がわんさかあつまってます。 親も 外人に教わっているということで  満足、また あまり上達しなくても日本人講師のように 厳しく追及しません。 上達よりも雰囲気ということですか。
だって まじめにトレーニングすれば 確実に 効果がでるのですから。英語をあたまから読み下し ブッシュのスピーチに怒りを覚えたり するレベルの生徒 が何人か生まれたのが 救いです。

私も英会話学校に通ってましたが,あまり意味がなく根石先生の勧めもあり,すぐやめました。
確かに彼らはこっちの上達度とかは関係なくテキストに沿って,あるいは雑談をゆっくり
こちらにわかるようにゆっくり話して時間が過ぎるのを待っているような感じでした。また発音やこちらの話した内容がおかしくてもほとんど注意しません。ア メリカ人は外国人のそういう間違いに鷹揚であるからという理由でした。何が良くて何が悪いのかさっぱりわからず無意味な時間となります。

今,私は映画のレッスンをやってます。最初は読むのに夢中で,根石先生の文章の発音(外人講師がゆっく〜り話す言葉しか聞いてなかったので聞き取るのが結 構難しい)や言われる注意の内容をよく聞く余裕がなかったんですが,最近,少し余裕が出てきてレッスン内容がかみくだけるようになりおもしろくなってきま した。かなりばくぜんとしてますが,今,シンタックスをつかむという意味がなんとなくわかるような気がします。仕事をしながらの英語の勉強はこれだけでも 結構,大変なので,ほかのものに手を出すことなくやってみようかと思います。




1880パクパクさん 投稿者:sb 投稿日: 2月25日(月)21時55分18秒

素読が「音作り」よりも「シンタックス内在化」に最大の狙いがあったというのは、そのとおりだと思います。正しい順序で学習した時、「音のみ」より「音と イメージの一致」の方がはるかに難しいのは明らかだと思います。

「通じる音」で十分だと思います。「通じる音」さえもかなりのコーチ自身が身に付けていないことが問題だと思います。また、最低限の発音を仮にコーチが押 さえている場合でも、学習者にわかりやすく説明できるに十分な理論はもある程度は押さえておくべきだと思います。

さらに大切なのは「音とイメージの一致」だと思います。これはとても時間のかかることではあるとは思いますし、キリのないことかもしれませんが、やりつづ けた人しか分からない世界があると私は信じて「電話でレッスン」を受けています。



1882sbさん 投稿者:パクパク 投稿日: 2月25日(月)23時27分32秒


大切なのは「音とイメージの一致」だと思います。これはとても時間のかかる

 どの程度の時間がかかるものでしょうか?
 やはり、コーチがいないと、効果がでていることがわからないので、
 一人では途中であきらめるとおもいます。
 ですから、一応の目安が必要ではないでしょうか?
 とりあえず、単語10個の英文1つで、最低1000回読みではないでしょうか?
 これは、相当時間がかかるので、受験体制のなかでは受け入れられにくいとおもいます。



1883英語の大局観養成 投稿者:パクパク 投稿日: 2月26日(火)09時02分53秒

物事の情報伝達には、
1)ホルモン系
2)神経系
というのがある。
ホルモン系=右脳=潜在脳=勘、血肉=容易に忘れない
神経系=左脳=顕在脳=知識=すぐ忘れる

素読とは、ただひたすら読むので、知識操作の暇がない。
また、読むだけだから、英語の語順をひっくりかえさないで
語順のまま、眼が動くことになる。

素読が廃れたのは、即時効果がないことと、封建的なイメージ。
ブロードバンドインターネットが、素読を復活させるとおもう。



神経系=左脳=顕在脳=知識




1886実験 LとRの聞き分け 投稿者:パクパク 投稿日: 2月26日(火)17時04分50秒

minimal pairs でトレーニングする。
例)climb と crimbの聞き分け実験

  それぞれを100回ぐらい聞いても、違いがわからない。
  自分で発音したところで違いはわからない。
  しかし、これも、それぞれを1000回近く聞くと
  わかるようになる。聞くだけでわかるようになる。
  しかし、応用は聞かない。
  blew と brewの違いはわからない。
  語学とは、暗記ではなく、根気だ。
  週1時間の練習量では、どうにもならない。
  知識を詰め込む場合には、暗記法があって
  短縮できるが、音の修得には、一定の時間、
  それも途方もないくらいの練習量がいるとおもう。
  練習時間を不問にして、音の修得を議論しても
  無意味だろう。



1888パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)02時26分46秒

>ブロードバンドインターネットが、素読を復活させるとおもう。

私は金がないので、技術はいつも枯れたものを使います。
パクパクさんの人脈で、私の技術を「まうけ」につなげられる人はいらっしゃいませんでしょうか。
かつて、I忠商事の社員の方が、iモードがはやる寸前に、私の技法グラウンドをiモードに載せ
られないか調べるために、素読舎を使われました。結局、生身のコーチが必要であるということを
認識され、諦められたようです。
うまい企画があれば、協力はできますが、私には商才がないため、自分ではやる気がありません。
金も出せません。
インターネット電話が実用化して、国内でも海外でも同一の料金で電話が使えるようにならんもの
かと思っています。例えば、アメリカ在住の日本人の方が、私の「電話でレッスン」をやれば、日
本でやっているより、何倍も上達が早いと思っています。
ブロードバンドよ、早く枯れてくれ、と思っていますが、枯れた頃には、私も枯れてしまっていて
使い物にならなくなっているかもしれません。

1889メールマガジンから転載 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)02時31分15秒

     ■□■  メールマガジン「 裸の学校」 ■□■

  親も知らない今どきの学校、行政の被害者としての教師、
  教育改革の朗報などについて報告します。
  投稿も歓迎です。

   第40号〈 子どもからの叫び 〉  (H.14.2.26)

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 文部省が反省
    (99年度版「わが国の文教政策」、副題「進む教育改革」より)

 「思考力や豊かな人間性を育む教育や活動がおろそかになってきている」
 「子どもたち一人ひとりの個性や能力に応じた教育を行うという点が
  配慮されてこなかった」
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


  中3の男子です。
  僕の学年の生徒たちは皆教師の家畜です。
  見せしめや動物的なやり方で精神を画一化し、
  全体主義に合わないものは、狂人扱いです。
  憲法なんて全く無視です。
  僕はどうしても、その中にはいり、教師に服従することはできません。
  親までもぼくのことをわかってくれません。
  助けてください。


発行者てらもと:今号は、私からの報告は後回しにします。
  当会に送られてきたメール原文です。HPトップにも掲載しました。

  個性を殺し、感性をつぶし、人格を破壊する日本の学校教育という
  目前の大量殺人を、我々は決して見逃すことはできません。

ホームページ:  ≪ 緊急!子どもが学校につぶされる ≫
   URL:  http://www.gld.mmtr.or.jp/~school/

1890Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)02時47分30秒

>  そうなんですか?? 昔は、必ず「訂正」が入っていたのですが・・・。
   素読舎の様子が変わったことなのでしょうか・・・?

 昔は、「先生」と言われるたびに、何と呼んでも構わないが「先生」だけはよしとくれと「訂正」を入れていたものです。近頃は、訂正の必要がなくなったの です。放っておいても、直るようになりました。

>でも考えてみれば30代前半で「おじさん」と呼ばせていらしてたのですから、すごいことです。 「お兄さん」でなかったわけで・・・。

 あなたのいた頃は30台前半だったのか。若かったね、俺も。だけど、俺は20代後半から、塾生に「おじさん」と呼ばれていたよ。

>小泉さんも私は好きです。 今は非難されてる感じが強いんですけど・・。

 小泉は最近、顔がよくなったなと思っています。みんなが支持しているときの顔はまぬけづらでよくなかったな。

>私もおじさんと同じで、蚤の心臓の割に強気で言いたいことを言うような人間になってしまいました・・・。

 いいことだ。

>あ、そうだ。「化けの皮がはがれた」とか、なんとか、いろんな事言われて苦痛になっちゃったからだったなぁ。(笑)その前から遅刻欠席が非常に多くて、 月謝が高くなっておじさんを困らせていました。(当時は休むとペナルティーでした)なんだか変でしたね。 お金はいると嬉しいはずなのに困らせてしまって いたなんて。

 なんか、思い出した。あんたも相当強情だったんじゃねえの?

>でもね、おじさんにwhatの意味でものすごく怒られて、私も「こと」としか判らなくて答えが見えなくて、後で思い悩んで近所に実家のあるTさんに聞い たら「もの」って教えて貰ったんですよ。そしたら、それがおじさんの求める答えだったんです。

 これは覚えてねえな。すまんね、苦労させて。でも、苦労させるのが俺の仕事だってのは、昔も今も変わらないな。いやな仕事だぜ。

>塾を辞めて、英語から足を洗うぐらいなほど離れてるのに、十何年になっても生きてる・・・・・・。スパルタ式だったけれど、一生の財産です。ほんと良 かったです。辞めなければよかった。(笑)

 今からもう一度やってみようとしてるんだから、昔やったことはあらかた息をふきかえすと思う。1時間でいいから10年続けられたら天才だ。俺は仕事だか ら、天才でなくても続けられたが、英語は続けなけりゃどうにもならん。だから、仕事で使うというのが一番いい。そうでもなけりゃ、なかなか続けられるもん じゃない。
 ところで、聞き忘れたが、仕事で必要って、どんな仕事してるんですか。さしつかえなければ教えてください。

>  私のときには居ましたっけ?
   皆さんがおとなしかったような・・・

 いや、おとなしいやつで、絶対に口には出さんが、「なにくそ」って思っていたやつは何人かいたんだよ。文庫「どんでん・・・」で名前を出しちゃっている が、岡田ってやつ。英語をやって、言葉そのものが面白くなっちゃって、全然点がとれなかった国語の点の取り方がわかっちゃったやつ。こいつは面白いたどり 方をしたやつで、忘れられない。こいつは、でもあんたより、後の世代のやつかもしれない。今、26くらいかな。



1891YASUさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)03時16分14秒

>今,私は映画のレッスンをやってます。最初は読むのに夢中で,根石先生の文章の発音(外人講師がゆっく〜り話す言葉しか聞いてなかったので聞き取るのが 結構難しい)や言われる注意の内容をよく聞く余裕がなかったんですが,最近,少し余裕が出てきてレッスン内容がかみくだけるようになりおもしろくなってき ました。かなりばくぜんとしてますが,今,シンタックスをつかむという意味がなんとなくわかるような気がします。仕事をしながらの英語の勉強はこれだけで も結構,大変なので,ほかのものに手を出すことなくやってみようかと思います。

 ご報告ありがとうございます。
 YASU さんと、札幌のOさんの変化にはびっくりしています。レッスンの時に注意したことが、一週間の間の練習によって、血肉化されていて、同じ注意をすることが きわめて少ないのが、このお二人の特徴です。非常に短い間に音が大きく変わりました。YASU さんは、アメリカ行きが決まっていることもあるのでしょうか。気迫を感じます。
 私は、以前から、英語の磁場の中にいる人にレッスンしてみたいと思ってきました。日本でやっているのとまったく違う結果が出ると思っています。インプッ トしたものを、外から引っぱり出してくれる磁力が働いている場所なので、レッスンが非常に活きると考えています。
 アメリカからこちらに電話する場合の電話料金は、安いものを選んで、どのくらいかかるものなのでしょうか。週1,毎回30分、電話料金の月額が、 5000円以下くらいの経路はないもんでしょうかねえ。是非、アメリカに行かれても、レッスンを継続して欲しいと思っているのですが、やたら電話料金がか かるようだと難しくなります。
 もう一人、今年アメリカに留学される生徒がいますが、この人のレッスンを今日やりました。その時にも同じ話をしたんですが、電話料金がどの程度なのかわ からないのです。

 皆様

 アメリカから日本に電話して、一回30分、月4,5回でいくらくらいかかるかご存知の方がおられましたら、お教え下さい。

1894順序? 重要性? 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)03時38分29秒

パクパクさん

>これは、見物です。てっきりいままで、音づくりということで音がまず優先されるとおもっていました。しかし、さらに、シンタックスが優先となると、この シンタックスの内在化を行うための具体的手段とは何かになります。もっと、結論を急いで言えば、素読とは、音づくりに目的があったのではなく、シンタック スの内在化に最大の狙いがあった。だから、外科的なパーフェクトな音でなくても、通じる音であれば、いいということになる。

 順序としては、「音づくり」が優先されます。國弘さんの言葉で言う「許容範囲」の音ができれば、重要性という意味では、「シンタックス」の内在化がその 後の重要課題だと思います。これはまた、「音とイメージの同致」と併行するものです。
 「音」を気にして、口の動きをいちいち意識していたら、「意味」はとれない。「意味」が伴わなければ、シンタックスは内在化されない。だから、「音」の 問題を解決する(「許容範囲」におさめる)ことは、意味を考え、意味が伴う「音」を繰り返し、シンタックスを内在化させるために必要なのです。音も意味も シンタックスも練習の中では一体化していきます。これは、只管朗読(國弘正雄)の、「只管」という概念が暗示しているものだと考えています。



1895Jackie さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)04時07分16秒

>前にも かきましたが その後自分で教えはじめて 金にならないので やめてしまいました。
知り合いの外人は 来日してすぐ 英語を教えはじめ 白人青い目ハンサム で 生徒がわんさかあつまってます。
 親も 外人に教わっているということで 満足、また あまり上達しなくても
日本人講師のように 厳しく追及しません。 上達よりも雰囲気ということですか。

 「厳しく追及しません」というのは、生徒が上達しなくても、そのガイジン教師を追求しないという意味ですね。
 もうはっきり言っていい時期だと思います。

 日本人のコーチは、ガイジンじゃ駄目なんです。

 日本人は「日本語で」口の動きが出来てしまっています。この口をどう動かせばどういう英語の音になるかを知っているのは、鍛え込んだ音を持つ日本人であ り、子供の頃からその音だけでしゃべってきたガイジンではありません。
 ガイジンが役にたつのは、日本人が音を「許容範囲」のものとして確立し、ある程度英語のシンタックスを内在化させた後です。シンタックスを内在化させた 人は、英会話学校になんか行かなくても、ガイジンの友だちができてしまうので、結局、英会話学校というのは、最初から最後まで役に立たないものです。根拠 のあるメソッドを開発している個人や学校は別ですが、これはすでに英会話学校ではなく、英語学校です。
 日本中の公立の学校の英語教師たちは、「巨大なるしろうと集団」なのですが、英会話学校のガイジンたちは、それよりももっと「しろうと」です。日本にい る日本人はほとんどが日本語を話していますが、この人たちが日本人以外の人を相手に誰もが日本語を教えることができるわけではない。何らかのメソッドがな ければ、教えられないはずです。英会話学校のガイジン教師だって同じことです。ところが、英語という言語の回りにはお馬鹿さんが多いのか、何のメソッドも 持たない英語圏育ちの人間をセンセイ扱いしているのです。国に帰れば、ただのあんちゃんやねえちゃんが、日本じゃすぐにセンセイだ。やはり、英語回りの日 本人には馬鹿が多いのだろうと思わざるをえません。

 「音づくり」もシンタックスの内在化も行わず、ガイジンのいる英会話学校に通うのは、金をドブに捨てる行為と何も変わりません。

 初心者は、まずは日本人で「音づくり」のできるコーチを求めるべきです。その方がよっぽど実質的です。これが常識化するのはまだまだ遠い未来のことなの でしょうか。しかし、私どもはもうそれを言葉にしていかなくてはいけないと思っています。




1898音、イメージ、意味、シンタックス 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)09時30分57秒

この四者の相互関係は?
同じようでもあるし、ちがうとも言える。
ただこういうことを考えずに、ひたすら、素読する。
コーチが、発音のきづきや意味(日本語)を徐々に注入する。
1000回も読めば、音とイメージが一致し、意味もわかり
シンタックスが内在化する。
しかし、この内在化したシンタックスは、その英文一個限りと
おもわれる。



1899臨界回数を重要概念とする 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)10時05分02秒

1000回聞き、1000回しゃべる。
1000回が、ひとつの臨界、クリティカルポイント。
たしかに、10回、20回ぐらいでは、身につかない。



1900内在化ということ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)11時09分21秒

>しかし、この内在化したシンタックスは、その英文一個限りとおもわれる。

 そんなことはありません。もしそうだったら、とてもじゃないが、私は英語はやりません。シンタックスに関するセンスみたいなものが育てば、それはどこへ でも使えます。文型という意識は、あくまで分析にとどまる意識ですが、シンタックスに関するセンスは生きて動きます。読んだり話したりするときに、自分の 中に動いているものを名付けるなら、シンタックスのセンスとでも言うしかないのですが、この言い方で人にうまく伝わるものかどうかは不安です。
 シンタックスの内在化は、このセンスが生きて動くようにするまでの過程です。



1901再度、英語の大局観養成 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)11時24分26秒

>シンタックスに関するセンスみたいなものが育てば、それはどこへでも使えます

これが事実なれば、凄いことです。
日本語の磁場のなかで、英語のセンスを体に身につけるわけですから。




1902パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)11時34分17秒

今さっき書いた記事はパクパクさん宛てでした。書き落としました。ごめんなさい。

>たしかに、10回、20回ぐらいでは、身につかない。

 学生には、500回・1000回(國弘レベル)を勧めたいが、社会人の方にはなかなかこの回数は難しい。参考になるのは、笹野さんという方が言っている 50回です。50回・100回なら、社会人でもできる。
 私の「電話でレッスン」は、毎回「復習範囲」のテストがあります。私が一度言ったものを5〜10回程度繰り返し言ってもらうというレッスンの形式(技法 グラウンド)が、そのままテストの形式でもあるのです。このテストを毎回すんなりとパスしてもらうために、50回・100回という回数をお勧めしたい。各 文、50回・100回というのも、やってみた方にはわかりますが、仕事を持ちながらではなかなかきつい回数です。
 しかし、最低50回繰り返せば、英文が質的に変化すると笹野さんは言っています。これは充分に信じられるもの言いです。
 私は、「復習範囲を手放さない」という原理を一つ持っておりますので、生徒さんがテスト範囲を毎回50回繰り返してくれるなら、しまいには、500回・ 1000回という回数に持ち込むことができます。テストのために50回、「知っていても、覚えた文でも」絶えず口を回すという愚直さを信じてくれる生徒な ら必ず大きく伸びます。
 「技法グラウンド」は自分で考えたものですが、私の方法は國弘さんの言うことと原理を同じくしています。




1903パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)11時42分33秒

 「英語のセンス」という語は、よく言われていますが、これは磁場仕込みのものだと思っています。こういう言い方で問題にされているのは、ほとんどが「語 感」の問題です。もし、磁場なしでやるなら、多読しかないと思います。
 私はあくまで一段階微分して、「シンタックスのセンス」として考えています。



1904英語のセンスの厳密定義 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)12時36分43秒

英語のセンス:英語圏で修得
シンタックスのセンス:英語非磁場で修得
こうするとわかりやすくなります。つまり、シンタックスのセンスを修得したものの方が
格が上ということです。




1905素読舎基準値 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)12時46分57秒

英文は、単語数によって分類。
素読対象の英文数をN個とする。
素読回数をM個とする。

シンタックスの内在化=NxM

このNとMとを、明示する。
わたしは、Mは、1000とした方がいいとおもう。



1906SAIさん(1)浜谷さんのところから 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)15時14分11秒

 夜は、へばっていると予想していますので、今書き始めました。まだ、寝起きの頭で多少ボケていることはごかんべん下さい。

>意味を考えていては音は聞こえません。それは(生半可な脳についての知識によれば)意味を考えるのは左脳だからです。論理的に考えるのも左脳です。音を 聞くのは右脳です。見るのではなく観るというのによく似ています。意味にとらわれては音は聞こえません。

 重要なことを言っておられると思います。脳の左右はよく知りませんが、論理を分担している脳の部分と感覚を分担している部分が違うということは十分に信 じられることです。しかし、それは脳にまかせておけばいいので、私が脳さんに言いたいことは、「じゃあ、まかせたからね」ということだけです。右脳さんが やってくれるんでも、左脳さんがやってくれるんでもいいや、だけど、俺は英語を聞き取って、その場でわかりたいんだからね、よろしくってことです。実質は 脳さんがやってくれるんでも、実感レベルでは私の心がやってると思うことに何の差し支えもないと考えています。生理学的根拠は参考にしかならない。私の心 に何が起こるかと思っていた方が実質的だと思っています。英語を使う場面でも、相手や自分の脳とつきあうというより、相手の心や自分の心とつきあうのだと 思っています。
 心とつきあう場合は、総合体とつきあうのですから、右脳も左脳も交互にあるいは同時に動いてもらわないと困ります。「じゃあ、まかせたからね」というの は、二人ともちゃんと動いてね、信頼してるからね、ということです。
 それよりも、「意味を考えていては音は聞こえません」ということが大事なことを言っていると思うのです。このことに関しては逆も言えて、「音を気にして いては意味はつかめません」ともなります。
 音が瞬時に意味に変換される(聞き取り)、あるいは、意味が瞬時に音に変換される(しゃべり)ことが問題であって、いくら音が聞き取れてもそれだけでは いつまでたっても意味に結びつきません。
 SAIさんは、基礎部分をすでにお持ちの方だから、基礎部分をどうやって形成したかを忘れてしまっておられるのだと思います。個人の(自分の)英語を今 後どうするかというだけの話ならわかるのですが、まだ基礎部分を持っていない、あるいは基礎部分を作りつつある人には「音が音として聞き取れれば大丈夫」 という考えはまったく見当はずれのものになります。
 英語音を「音として微細に聞き分けられる=音が音として聞き取れる」までになるには、日本人は結構曲がりくねった長い道を歩きます。SAIさんが言って いるほど簡単なことだとは思えません。SAIさんは、自分がこれまでに作ってきた実力という前提の上に立って、ご自分の課題を言っておられる。だから、 SAIさんと同じレベルにいる人には傾聴すべき意見だと思いますが、これはまったく一般化することはできないと思います。
 日本人の耳は(脳は)、英語音を日本語音に自動的に変換してしまうからです。多くの人の耳は間違いなくこれをやります。この変換を止めて、英語音が英語 音として聞こえることを可能にするためには、ただ単に絶対音感のようなものをあてにして聴き続けることではどうにもなりません。文法のセンスやら、シン タックスのセンスやらが下支えしなければ、英語音を日本語音に自動変換してしまう日本人の耳(脳)のクセは直ることはないと思います。

 SAIさんの意見の弱点は、幼児がネイティヴ言語を習得する過程を語学の雛形にしているところだと思っていましたが、「意味を考えていては音は聞こえま せん」という言明は、まさに語学の本質の一つを言い当てた言葉だと思います。しかし、繰り返しますが、これを言うときは、「音を気にしていては意味はつか めません」も同時に言う必要があります。そうじゃないと、俺は右脳派だとか、いや俺は左脳派だとかというセクト主義になってしまい、右脳も左脳も両方動い てもらわにゃならんということを見失いかねません。



1907SAIさん(2)浜谷さんちから 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)15時17分29秒

 ネイティヴ言語習得過程では、音も意味も、水と油をかき混ぜたような状態で混じり合います。激しく交互に入り組み合う。この時、音と意味を媒介にしてい るのはイメージというものだと思います。どういうわけか、人間という奇妙奇天烈な生物には、イメージの誕生は自然に起こるみたいです。しかし、これは、語 学においては、絶対に「自然には」起こらない。ここを観るなら、ネイティヴ言語習得過程と、語学の言語習得過程は峻別されます。多々似ているところがある にせよ、原理的にまるで違う過程だと思います。

 先日もめました「磁場」ですが、これが日本在住の英語学習(習得)では手に入らないという事実を軽く見ておられるように思いました。映画でもCD教材で も何でもいいですが、これらはあくまでも音声複製技術による複製物であり、磁場を形成することはありません。(文脈とか映画の中のフィクションとしての磁 場は形成しますが、これは生の磁場に対して高次磁場だと思っています)。
 しょっぱな音声複製物を使って、リピーティングやシャドウイングをやることに私はとても違和感を持ちます。とても奴隷的なものを感じるのです。私は語学 の原理的な部分では、國弘正雄さんと同じで、「音読が最高」主義者ですので、まず日本人がやるべきことは、「わかっているもの・覚えたもの」を声を出して なおも読み込むことだと思っています。今では教材がいくらでもあるのだから、最初からリピーティングでいいという意見を少し前にこの掲示板で読ませていた だきましたが、語学をやることは英語ペラペラをやることではなく、語学的主体を作ることだと考えています。その観点を外さないで考えると、初期の「音づく り」(外科手術)を除外すれば、中心を成すべき方法はやはり「音読」だと思います。
 ネイティヴの複製音声は、それに「従い」自分の音を調整するものではなく、それを「媒介にして」自分の音に繰り込むべきものだという考えです。日本語し かしゃべってこなかった口の筋肉の慣性という実体があるのですから、オウム主義(宗教の方ではなく鳥の方です)によって、一挙に英語音に置き換えるより も、日本語音から英語音に向かってグラデーションを濃くしていく過程で媒介にすべき参考物です。
 音というのは複製でも、音声は感情です。私はこれをコピーすることが嫌いなのです。芸人になりたいわけではないのですから。
 私は「音派」ではなく、「音読派」ですので、またしても音読方面から光を当てた記事になってしまいました。
 ヒアリングやリスニングについては今後考えますが、ひとまず発声練習(音作り・音読)に関してだけ考えました。繰り込むのならいいが、コピーはやりたく ないという意見です。




1908 (長くなっちゃった、、、) 投稿者:Kさん 投稿日: 2月27日(水)20時25分29秒

おじさん、こんにちわ!



>    なんか、思い出した。あんたも相当強情だったんじゃねえの?

わははは。 んー頑固でした。>って、今もです。
でも、遅刻欠席はちょっと違うんですが・・・。


>    これは覚えてねえな。すまんね、苦労させて。でも、苦労させるのが俺の仕事だってのは、昔も今も変わらない
>   な。いやな仕事だぜ。

ううん。 そんなことないですよ。 おじさんはさらっとしてたので、ほっとしてました。
塾を辞めた後に、道で会ったときも「おぅ」って笑顔で挨拶してくださいましたし。
それに仕事の上で真剣になっていたっていう話ですから気になさらないでくださいね。
逆にショックを受けさせてしまったからで・・・。
私みたいに、あのときは大変だったけど、あのときのおかげで少なくとも英語アレルギーにならずに
済んだ、って人は多いと思うなぁ。


>     今からもう一度やってみようとしてるんだから、昔やったことはあらかた息をふきかえすと思う。1時間でいいか

きゃー、、果たしてホントにできるのかなぁー、、、ふあ〜ん、こわぁ〜い!! って気持ちも抜けられませぇぇん・・・。
また挫折しちゃうんじゃないか・・・と、行きつ戻りつ、な気持ちです。
やってるときはホント半端じゃなく苦しかったから・・・・。 後で血や肉になるんだけど、そこまでのことが
できるかしら??とそれが1年もかけて悩んだ理由でした・・・。
お嬢さんも身近にいらしたこともあったし、、しかも、実は何回か、おじさんがトラックを運転してる姿さえ目撃もしてました・・・。
少しお太りになられましたね。


>   ら10年続けられたら天才だ。俺は仕事だから、天才でなくても続けられたが、英語は続けなけりゃどうにもなら

ううん。 おじさんは『日本に居ながら誰でもモノにできる英語作り』を開発された方と思ってます。
語学が得意な人は自然と身につけて感覚でわかってしまうのでしょうけど、
そうでない人はずっと苦手なままで・・・

細野真宏さんって方は『面白いほどわかる経済の本』や
他に受験数学の本も書いているのですが、

今までの専門家が書くのとは全く違った目線から書いていて、
苦手な人にとって理解しやすいものになっているんですよね。
でもそれは得意な人にとっては”当たり前”のことで・・・。
あえてそこをわかりやすくイラストにしたりとか。

おじさんの映画から掘り起こした英語解析がもしかしたら、斬新なものになるのではないかしら?
と思ったのでした。 英語のできる人向きの本ってロングセラーが多いのですけど、
苦手な人向きの本はなかなか無くて・・・。
だからびっくりしたのです。 映画というとりかかりやすいところに向けられた発想にも。

※700選にももう少し詳しい解析があると嬉しかったかも・・・。


>  ところで、聞き忘れたが、仕事で必要って、どんな仕事してるんですか。さしつかえなければ教えてください。

これからなんですが、輸入を始めようとしています。
うちは父が少しやっていたのですが、途中で途切れており、
仕事柄扱っているものを見ると、ほとんどが made in china とか made in korea とか
インドネシアものなんですよね。 あちらの国で生産している企業も多いですよね。
うちの場合は、そこまでの大きな規模はできませんので、少しづつ取引できることを目標にしています。

ただ、英語ができませんから、本当に最初から絵やマンガを描いて、英単語を並べて、な感じでないと
難しいのと、直接現地に出向く必要もあるので、少しは(英語が)わかってないと難しいな、と
思ってます。

時々、英文メールと英会話telが来るんですよ!
アクセサリー系ものとか、あ、パンフレットもだ!
おじさん、通訳してくださいますか?(笑) いえ、まじめな話なんですが。
お支払い可能な料金を見積もらなきゃ、、、


>   「どんでん・・・」で名前を出しちゃっているが、岡田ってやつ。英語をやって、言葉そのものが面白くなっちゃっ
>
>   れない。こいつは、でもあんたより、後の世代のやつかもしれない。今、26くらいかな。

そうですね。
私が高校ぐらいのときは小学校ぐらいなので、その時にはお目にかかってないですね。(笑)



1909 コーチング、外国人ではまず無理! 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)21時54分10秒

>日本人のコーチは、ガイジンじゃ駄目なんです。

そーーーーーなんです。(「恋のぼんちシート」だったっけ。。。)




1910 楽しようという性格がでてしまった! 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時01分05秒

>日本人のコーチは、ガイジンじゃ駄目なんです。

>日本人は「日本語で」口の動きが出来てしまっています。この口をどう動かせばどういう英語の音になるかを知っているのは、鍛え込んだ音を持つ日本人であ り、子供の頃からその音だけでしゃべってきたガイジンではありません。ガイジンが役にたつのは、日本人が音を「許容範囲」のものとして確立し、ある程度英 語のシンタックスを内在化させた後です。

すみません。後をよく読んでいませんでした。その通りだと思います。

「ガイジン」は私はあまり好きではありませんが。。。

伊藤和夫のネタですが。。。(ガイジン=「外人、害人」などという「音」の響きなどについて)



1911 うんうん。 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時03分31秒

>「音づくり」もシンタックスの内在化も行わず、ガイジンのいる英会話学校に通うのは、金をドブに捨てる行為と何も変わりません。

まったく。。。そうですね。。。





1912 ウドさん、お元気? 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時08分54秒

>シンタックスを内在化させた人は、英会話学校になんか行かなくても、ガイジンの友だちができてしまうので、結局、英会話学校というのは、最初から最後ま で役に立たないものです。

これは個々人の性格にもよるのではないでしょうか?

もっとも、アウズワイル、ピッグアンドホイッスル、パブアフリカに行かない「素人集団」が、ほとんど、というのも情けない話であるとは思いますが。。。



1913 そーーーーーーー 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時12分02秒

>順序としては、「音づくり」が優先されます。國弘さんの言葉で言う「許容範囲」の音ができれば、重要性という意味では、「シンタックス」の内在化がその 後の重要課題だと思います。これはまた、「音とイメージの同致」と併行するものです。
 「音」を気にして、口の動きをいちいち意識していたら、「意味」はとれない。「意味」が伴わなければ、シンタックスは内在化されない。だから、「音」の 問題を解決する(「許容範囲」におさめる)ことは、意味を考え、意味が伴う「音」を繰り返し、シンタックスを内在化させるために必要なのです。音も意味も シンタックスも練習の中では一体化していきます。これは、只管朗読(國弘正雄)の、「只管」という概念が暗示しているものだと考えています。

そーーーーーーーーーーーーーーーなんです。(もう、いいか。。。)

いくこさん、元気?



1918 ポイント 投稿者:パクパク 投稿日: 2月28日(木)11時47分16秒

浜谷さんの掲示板
SAIさんの意見

これは全く逆だと思います。シンタックスを考えるからいつまで経っても「音が聞けない」という現実に直面するのです。音が聞けるようになった人は、シン タックスなどを無視して、音だけを無心に聞き取っています。ある人が、キーボードの位置を暗記しsの横がdであるのは人間の手の構造から云々と考えている 間に、もう一人の人はブラインドタッチをマスターしてしまいます。

ここが素読のポイントでしょう。
素とは、素うどんの素とは、言い得て妙なり。



1922 nature 誌の記事おもしろい 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)18時38分09秒


バイリンガルの意味に対する rejecting のことが書かれています。
これを可能にしているのが、pronunciation rules だとも書かれていたと思います。
素読で、「音づくり」を媒介にすれば有効なのだと考えてきたことと一致します。




1923 途中までですが。 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時09分35秒

SAIさんに向けた記事を浜谷さんの掲示板から転載

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>逆は論理的には言えませんが、仰ることは感覚的に分かります。もとの命題では偽となることもありますので、正確には「音が聞けるようになるためには、意 味を考えないことが必要である」という意味です。

 前に提示されたのは、「おはようございま」まで聞けば、次は「す」だとわかるという例でしたっけ。次が「す」だとわかるのは、「おはようございます」と いう全体をあらかじめ知っているからです。あらかじめ全体を知っているから、全体がわかるのであって、「おはようございま」という「音そのもの」が次の 「す」を決定しているのではありません。
 「おはようございま」まで聞けば、次が「す」だとわかるというのは、「おはようございます」という完結形を知っているということです。この完結形の推定 が成り立つのは、言語に形式性があるためであり、「音そのもの」が聞き取れることに依存しているのではありません。
 全体を全体として「知っている」ことで聞き取れるのであって、これは「ん、ん、ん」が I don't know. だと聞き取れる例で示したことにも共通しています。「ん、ん、ん」の場合は、いくら「音そのもの」をよく聞き分けても、I don't know. と結びつくことはないでしょう。その場の状況と、イントネーションという言語の形式性が聞き取りを成り立たせています。
 「音そのもの」が、イントネーションなどの音の形式性まで含んでいるのであるとすれば、ひとまず意味を排除して、この形式性をマスターすることはいい練 習になるとは思いますが、それでも、机上の語学の弱点は、この形式性への習熟がイメージの濃度とはまるで何の関係もないことです。
 これは、やはり職業とか必要とかいうことと深く関連したことがらだと思っています。通訳などでは、音の微細な聞き分けは必要です。しかし、自分が言いた いことをはっきり言うことに使うのであれば、イメージと音との連動性の方が重要です。どちらもやれるのがいいに決まっていますが、こういう点では、どなた の英語にも凸凹はあるだろうと思っています。
 こういうイメージではどうでしょうか。音の形式性に習熟すればするほど、意味の受け皿が大きくなるはずだという推定です。SAIさんは、受け皿を作って いる最中なのだという考えです。そして、この受け皿の大きさは、イメージの受け皿の大きさにはなるが、イメージそのものを発生させるわけではない。

 例えば、音の崩れという現象があり、これにはこれの形式性があります。

I am going to → I'm going to → I'm gonna → I gonna

という具合に崩れていったとして、普段 I gonna ばかり使う人は、I gonnaの形が形式としてすでに成立しているということです。この人の話を聞き取るのは、I am going to という音のつながりの形しか知らない人には難しい。難しければ、慣れてしまえばいいわけで、語学の机上で、I gonna を含む文を自分の口で繰り返し言って慣れてしまえば、以後は苦もなく聞き取れます。自分の口で「近似値」を作ることによって「知る」ことが聴解を容易にし ます。私のやり方はこれです。「音そのもの」をいくら聴いても、「音そのもの」をいくら微細に聞き分けられても、「知る」ということがなければ、聴解は成 立しないと考えています。
 受け皿を大きくするということでは、SAIさんの方法は有効だが、聴解を成立させるのはあくまで「近似値とイメージの同致」ではないかと考えています。
 音を鍛えること、耳を鍛えることの重要性は何一つ否定するものではありませんが、最初にも書きましたとおり、「聞き取る」ということは、相手の言ってい ることがわかるということだと私は考えており、こちらの考えでいくと、音の質やその微細な部分の聞き分けとまったく同等の価値をイメージの動きが持ってい ると思います。音にイメージという磁性をどう帯びさせるのかということは、これまでの語学論では手つかずだと考えています。




1924 SAIさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時21分51秒

昨夜、眠れなくて書いた分がありますので、貼り付けます。

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>意味をつかめるようになる頃には、音は無意識に聞こえているからです。それは、最初はキーボードの位置を気にしていたが、次第に無意識に打てるようにな り、今では自分の考えをブラインドタッチで打てるようになった、というのに似ています。

 賛成です。このあたりは、知識が知識のままにとどまる学校英語や受験英語と、使える英語との対比として以前から考えてきたことです。使える英語というの は、キーボードに対してブラインドタッチでやれるようになる比喩でどんぴしゃりだと思います。ただ、私が「知る」という語で言っているのは、知識が知識の ままにとどまる段階ではなく、ブラインドタッチが成立するように、知識を体の動きとして身体化した段階を含んでいるんだというところを理解していただきた いと考えています。

>日本人が海外に行ったとき、或いは、仕事で外国人とTV会議等を行うときに「全く聞き取れない」という現実に突き当たる原因がここにあると考えます。 「音が音として聞き取れれば大丈夫」ではありませんが、多くの人は、難しい法律の文章や技術文献が読めても、「簡単な表現ですら聞き取れない」ことに困っ ているのです。

 これも、「身体化」という語で解ける問題だと思っています。難しい法律の文章や技術文献が読めても、簡単なものも聞き取れないのは、その人の語学に「身 体化」が欠けているからであって、「音そのもの」が聞き取れないからではないのです。本当の問題は、知識が「身体化されていない=音とイメージが連動しな い」ということです。むしろ、こういう人の方が、「音そのもの」は聞こえているのかもしれません。聞き取れない、つまり、わけがわからない、つまり、意味 がわからないのですから、意味を欠いた「音そのもの」は聞こえているはずです。「音そのもの」をいくら聴いても、意味に結びつかないのは、身体化の欠如、 音とイメージの連動性の欠如の問題です。音をよく聴かないからではないのです。

 私の友達に、やたらに外国語をラジオで聴くのが好きな人がいます。この人は全然語学はやらないのです。意味がわからないものを、音としてだけ聴くのが面 白くて、やたらにいろいろな外国語を聴きます。この人は本当に言葉の響きや音が好きなんだなと思って感心したことがあります。私が「なんで語学やらない の」と聞いたら、「意味がわかるようになっちゃうと、つまんないじゃん。音がちゃんと聞こえなくなるから」とのことでした。言葉の音楽性だけを楽しんでい るんです。
 「仕事に使える」というようなすけべ心がないだけ、「音派」としては純粋であり、「音派幼稚園」のお子さまとしてもっとも良質な人です。これほど純粋な 「音派」なのに、ラジオをいくら聞いても語学のたしになることは成立しません。「音」というものは、そういうものじゃないでしょうか。

 語学では「知る」ということ、あるいは、「知識を身体化」することが不可欠です。

 こういう人を目の前にすると、いやはや語学というのはすけべ心たっぷりなもんなんだなと思います。俺は「純粋音派」だというようなことを言われても、眉 に唾をつけるのは、こういう人を知っているからでもあります。



1925 SAIさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時35分28秒

>これは全く逆だと思います。シンタックスを考えるからいつまで経っても「音が聞けない」という現実に直面するのです。音が聞けるようになった人は、シン タックスなどを無視して、音だけを無心に聞き取っています。

 いやはや、逆だと思いますよ。繰り返しますが、SAIさんは、シンタックスのセンスをもうかなりな程度でお持ちの方です。それで、そのセンスがどう成立 してきたのかを忘れているだけです。上級者の最大の欠点は、初心者がたどる曲がりくねった経路を忘れてしまうことです。
 「シンタックスを考える」ということと、「シンタックスのセンスがある」ということはまったく別のことです。「シンタックスを考える」人は、知識が知識 のままにとどまっている段階の人です。「シンタックスのセンスがある」人は、そのセンスを駆使できる人、つまり、知識が身体化されている人です。まったく 別のことを言っているのです。

 私も「シンタックスをたどっちゃ駄目だ」とか、「文全体をまるづかみしろ」というようなことをよく言います。「知っているもの・わかっている」ものを もっと読み込めとか、「回転読み」とリスニングを交互にやれとか言うのも同じことを言っているのです。シンタックスのセンスを育てるためです。

 「音だけを無心に聞き取っています」に関しては、前述した私の友達には絶対にかなわないと思います。彼には、コミュニケーションしようというようなすけ べ心がまったくなく、音に関してまことにまことに無心なのですから。

>確かに、右脳と左脳との2刀流で行くべきなのですが、まずは1本の刀(音)が満足に触れるようにならないと、もう1本(意味)は触れるようにはならない のです。そして、意味を考える方の刀を最初に振ると、音を聞き取る方の刀を振る事が非常に困難となります。しかし、音が聞き取れるようになってから、意味 を理解しようとした場合は、音の聞き取りが障害になることはまずありません。

 これは、非常に素読の考え方に似ています。練習の順序に厳しいというところがまるで同じです。そして、この厳しさと順序にはまったく賛成します。
 しかし、実際の練習としては、「交互性」でいくというのでいいと思います。長い期間に渡って音だけをきわめてから、意味に移るというのではなく、聞き取 りにくいものを探し出して、

   聞く → 音読の繰り返し → 聞く → 音読の繰り返し

が最善だろうと思っています。音だけをきわめてから意味に移ることを本当に厳密にやろうとすると、いつの時点が「きわめた」時点かが確定できません。 100パーセント聞き取るということは原理的に不可能だから、いつまでたっても意味に移ることができないことになります。

   聞く → 音読の繰り返し → 聞く → 音読の繰り返し

 この過程で、それぞれの練習に意味もイメージも溶かし込んでしまうのがいいと考えています。イメージの濃度を高めるのです。一緒にやっちまっていいよと いう考えです。

>根石さんの弱点は考えが古いことです。音は聞き取れないもの、とんでもなく時間がかかるもの、という固定概念があります。

 固定概念というものは辞書に書いてあるものだと思います。おっしゃっているのは固定観念のことかと思いますが、私にはそういう固定観念はありません。単 に原理的にちゃんと考えようとしているだけだと思っています。




1926 SAIさん(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時42分39秒

>映画でもCD教材でも何でもいいですが、これらはあくまでも音声複製技術による複製物であり、磁場を形成することはありません。

>>洋画ですら音としては「標準レベル」であり、現地の人とのTV会議は洋画よりも更に聞き取りにくいものとなります。

 音声複製技術による複製物では磁場は手には入らないことと、音声複製技術の技術レベルの問題は、それぞれまるで別の問題です。またいずれ教えて下さい。

>私は「現場で」困っている人をなんとかしたい(私自身も困っています)と思っています。切羽詰った人に対する対処法です。本当に切実です。

 外資系ですか。外資系だったら、しょうがないですけど、そうでなければ、「日本にいる間は日本語を習って使え」が正統な言い分だと思います。
 なにはともあれ、英語が必要な人には、國弘正雄「英語の話しかた」(たちばな出版)がおすすめだと思います。
 初心者にK/Hシステムなどを勧めるのは絶対に反対です。これは、上級者が最後に使えばいいものだと思います。
 (また、知識の量ではなく、すでに述べた知識の身体化という意味で、本当に「音」の習得の初期段階にある方は、外科手術が必要ですから、私の「電話で レッスン」もおすすめです。コマーシャルでした。)

>語学の基本はコミュニケーションにあると思います。コミュニケーションでは「相手の話を聞くこと」ことが大切だと思います。

 語学の基本は、コミュニケーションではありません。生活言語の基本や仕事の英語の基本はコミュニケーションかもしれませんが、語学はそれとはまったく違 うものです。コミュニケーションという語を持ち出すならば、語学はコミュニケーションのシミュレーションです。
 このあたりは実に込み入った話ですが、ネイティヴ言語の習得過程と語学による言語の習得過程を峻別すべきであるのと同様に、語学の対象としての言語と生 活言語は同じ英語でも峻別すべきだと考えています。
 語学の基本はコミュニケーションであるというような考えは、20世紀あたりにはやった迷信です。あるいはESSあたりにはやった迷信です。このあたりの 論議は、私の掲示板の過去ログにあったような気がします。いずれ、過去ログの索引をつくらないといけないと思っています。現在は探しにくいですが、よろし ければ探して下さい。この考えは、私の「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館文庫)でも触れています。
 語学の基本は、口の動かし方です。あるいは、音とイメージの同致のさせ方です。また、知識の身体化です。すべて机上の世界です。

>音を聞き取るためには発音練習が効果的です。耳だけ、口だけではなく、耳と口とを両方鍛えないと、なかなか音は聞けるようにはなりません。

 この点で、私はSAIさんとも鵜田さんとも同意見です。

>感情を上手く表現するのも、音の学習のうちであり、相手の感情を聞き取るのも音の聞き取りに含まれます。

 これは違うと思います。感情をうまく表現するのは、すでに生活過程であり、語学ではないと思います。学習であるとしても、机上の学習ではなく、生活過程 における学習です。語学は机上のものです。生活過程がなまものだとすれば、語学の机上では干物を相手にするのです。活字も干物ですし、複製音声教材も映画 の音声も干物です。
 なまものの魚が一度干物になれば、干物は二度となまものになることはありませんが、語学と生活言語の間では、干物がなまものになることはあります。ミイ ラが踊り出すようなものです。




1931 らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)04時37分25秒

浜谷さんの掲示板から転載
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>例えば先の質問で”磁場”とはどういう意味ですか,という質問をしました。それに対するお答えで,単なる”場”でしかないという解説をされましたが,こ れでは第3者には判らないのです。

 単なる場でしかない、というより、「磁場」というからには磁石の石そのものではなく「場」だと申し上げました。
 辞書的定義を言おうとするとあの程度のものしか言えません。
 それから、もう一つ、なぜ「磁場」などという語を使うのかというご質問に答えることをしていないことに気づいておりましたが、それに関しては、SAIさ んとのやりとりで最初の頃の記事に書いた記憶がありますので、参照していただけるとありがたく思います。「ごつごつ英語」を救うためだと書きました。

 英語が使われている場所では、英語という言語の磁力が働くという言い方で納得していただけないでしょうか。
 同じく日本語が使われている場所では、日本語という磁力が働くと思っています。

 味もそっけもない話になりますが、脳の神経経路に流れる電流の走り方が、英語と日本語で違うというようなことがあるとすれば、英語の磁場と日本語の磁場 では磁力の脳に対する作用が違っているということが言えてしまうだろうと思うのです。
 「磁場」というのは、物理学の用語の語学への転用です。ですから、比喩的な使い方ととらえていただいて結構ですが、脳の神経に流れる電流というものが実 在するなら、あながちおかしな用語と用法だとも思えないのです。

http://www.nature.com/nsu/020225/020225-7.html

 上のものは、私の掲示板「大風呂敷」に書いて下さるパクパクさんが教えてくださった Nature 誌の記事のURLです。

But functional magnetic resonance imaging (fMRI) studies of brain activity
cannot distinguish between two small populations of nerves in the same general
area, explains Cathy Price who studies brain anatomy at University College
London.

The new study suggests that timing rather than space is important. As well as
fMRI, Munte's team measured the brain's electrical signals for a second after
people were shown a word. By tracking activity in space and time the group is
"taking a new perspective", says Price.

Different nerve circuits carrying the two languages will ultimately be found,
thinks David Green who investigates language processing at University College
London. The question will then be how they are controlled. "We're only at the
beginning," he says. Exercises that train these control regions might one day
be useful language lessons.

 functional magnetic resonance imaging (fMRI) というものがどんなものか私にはわからないのですが、ここに magnetic という語があることに注目しました。
 the brain's electrical signals という語もあります。
 nerve circuits という語もあります。この circuits は電流が流れる circuits だと思います。
 この記事とは直接の関係はありませんが、おおざっぱに言って、SVO文型の言語とSOV文型の言語とでは、電流の流れる場所が違うか、電流の流れる経路 が違うのではないかと思っています。

 英語が言語的磁場を形成している場所では、その磁場の磁力を人間は浴びます。
 日本語が言語的磁場を形成している場所では、日本語の磁力を浴びます。
 この二つの磁力は性質が違うはずだ。

 以上のような用例でイメージできないでしょうか。



1932 らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)04時44分46秒

浜谷さんの掲示板から
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>しかしながら,意図されている内容は伝わってないと思います。
私も根石さんと議論したい,と思うのですが,根石さんの意見の内容
が曖昧模糊としているので推測で意見するのが怖いのです。

 推測で書いていただいてかまいません。できましたら、私の掲示板の過去ログをお読みになっていただけるとありがたく思います。いくら読んでも、用例しか 見つかりませんが・・・。
 推測で書いていただいても、議論を重ねていくうちに、わかってもらえるものは出てくるだろうと思っています。




1934 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)05時26分25秒

>私みたいに、あのときは大変だったけど、あのときのおかげで少なくとも英語アレルギーにならずに済んだ、って人は多いと思うなぁ。

 その代わり、根石吉久アレルギー患者も増えたな。人に憎まれてでもそいつに英語を持たせるのも疲れる仕事だ。

>きゃー、、果たしてホントにできるのかなぁー、、、ふあ〜ん、こわぁ〜い!! って気持ちも抜けられませぇぇん・・・。

 何をカマトト言ってんだ。やれ!!!

>実は何回か、おじさんがトラックを運転してる姿さえ目撃もしてました・・・。
 少しお太りになられましたね。

 敬語を使って書いてもらうってのは気持ちいいもんなんだなと、改めて思いました。俺は、お太りになられましたよ。腹なんか、国民温泉で体を洗って立ち上 がられたときに鏡に写るのをご覧になるとひでえもんだ。いやあ、見事に醜いなと、俺はお思いになるわけだよ。いやはやだよ。ウドってやつに、腹が出てしょ うがねえと言ったら、お前は毎晩欠かさずビールを飲むから腹が出るのだと言われ、その腹の出は金がかかっているんだから大事にしろと言われました。軽ト ラックを自分で運転して建材を運んで自宅自作をやるようなやからなもんで、金はそんなにない。だけど、ビールを毎晩飲むだけの金はあったわけだ。
 正月に山に行って日の出を見るかわり、おれんちへ来て、俺の腹の出を見てみる?

>ううん。おじさんは『日本に居ながら誰でもモノにできる英語作り』を開発された方と思ってます。語学が得意な人は自然と身につけて感覚でわかってしまう のでしょうけど、そうでない人はずっと苦手なままで・・・

 俺は中学や高校では、どっちかっていうと英語は好きではなかったんだ。平均点60、70のテストで、50点以下っていう点をいっぱいとっていた。だか ら、中学のときから英語が好きで好きでという人(英語フリークって俺は呼んでるけど)とは全然違う。大学受験の浪人のとき、「回転読み」ってのを考案して やってみたら、突然英語が面白くなっちゃった。おもしれえもんじゃん、語学って、って思ったんだ。おもしろかったから、どかどかやった。だから、俺の英語 は、大学受験が要求している幅を大幅に踏み外しているけど、動機は大学受験なんだよ。踏み外した部分を、今、「音づくり」って呼んで、仕事にしている。
 俺の英語の出自が、英語フリークの「英語大好き」ってものではなかったから、語学が得意な人でない人のことがフリークの方々よりはわかるのかもしれな い。

>おじさんの映画から掘り起こした英語解析がもしかしたら、斬新なものになるのではないかしら?と思ったのでした。

 たまに、続きを書いてるけど、今のところハードディスクに蓄積しているだけで、ホームページには載せてない。そのうちに載せるから待っていてください。

>これからなんですが、輸入を始めようとしています。

 嘘! 俺も同じことを考えていた。庭先でアジア雑貨の店をやろうかと思って。
 こりゃまたびっくりだ。輸入、教えてくれ。

>時々、英文メールと英会話telが来るんですよ! アクセサリー系ものとか、あ、パンフレットもだ! おじさん、通訳してくださいますか?(笑) い え、まじめな話なんですが。 お支払い可能な料金を見積もらなきゃ、、、

 やだ。自分でやれ。通訳だの翻訳だの俺にやらせていたんじゃ、俺のレッスンの必要がなくなるじゃないか。レッスンを受けて、自分で辞書をひくべし。




1937 誤解!? 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 1日(金)09時18分02秒

>
functional magnetic resonance imaging (fMRI) というものがどんなものか私にはわからないのですが、ここに magnetic という語があることに注目しました。

脳のなかに磁場があるので装置(MRI)で計測できるのです。
言語的磁場は、メタファーであり、物理計測はできないとおもいます。
この「注目」とは、誤解を生むとおもいます。




1938 (無題) 投稿者:Jackie 投稿日: 3月 1日(金)11時36分24秒

>>親も 外人に教わっているということで 満足、また あまり上達しなくても
日本人講師のように 厳しく追及しません。 上達よりも雰囲気ということですか。

 >「厳しく追及しません」というのは、生徒が上達しなくても、そのガイジン教師を追求しないという意味ですね。

根石さん これは 二通りを意味しています。
まず 日本人講師の方が細かい間違いを訂正する、 外人は いちいち直すのが面倒なのか Good!の一言で かたづけてしまう人が割と多い。まずは コ ミュニケーション 話そうとする姿勢が第一だと。
間違うことを嫌う日本人には 恐れずに話すことも確かに必用ですが これで いつまでたっても片言英語 ということを助長してしまうこともいなめません

第二の意味は 親御 生徒ともに 外人講師には甘く 日本人には成果をきびしく求めます。
通って上達しないと 「やっぱり外国人講師じゃないから うまくならないのかしら」っていう あれです。  まったくもう自分の努力をたなにあげて よく いってくれます
少なくとも音読や筆写の課題をきちんとしていれば 確実に上達するはずなのに。
逆に外人講師だと 外人と話している自分もしくは子供に満足するのか(実際には話せてはいないが)
上達しなくても 外人講師の力量のせいにはしない ということです。

SVOの内在化 国広さんの本に 誰が どうした 何を さえ わかれば英語はわかる
とありましたね。
それを意識しつつ 中学の教科書のような 系統だてて文法がわかるものを 音読または 素読みする 無意識か 内在化するまで。 いろんな本に浮気せず。
これが できてから はじめて 多読 多リスニングが役に立つ。

SVOが内在化 できると 読むことが格段に楽になりますね。
英字新聞だって あたまから 読めるようになる。 ある面主語のあとに動詞がくるから
あと単語さえわかれば 日本語よりわかりやすかったりする。
英語がまったく苦手だった生徒が これができるようになると 教える冥利につきます。

とどのつまり 既存の英会話学校のほとんどは コミュニケーション主体としているがゆえ
無駄となります。SVOを確実にものにしていないのに 話せというのに無理がある
2歳の子供に文章を 話せといっているようなものですね

このごろは話す文法が重視され某大手でも日本人講師はそれをになっていますが
それを内在化 肉体化するまで トレーニングをつまないため また生徒にとっても
こんな文法中学でならったと ばかにしてしまうため もったいないことになっています。
残念







1939 干物&なまもの 投稿者:sb 投稿日: 3月 1日(金)12時08分12秒

>>感情を上手く表現するのも、音の学習のうちであり、相手の感情を聞き取るのも音の聞き取りに含まれます。

>これは違うと思います。感情をうまく表現するのは、すでに生活過程であり、語学ではないと思います。学習であるとしても、机上の学習ではなく、生活過程 における学習です。語学は机上のものです。生活過程がなまものだとすれば、語学の机上では干物を相手にするのです。活字も干物ですし、複製音声教材も映画 の音声も干物です。
>なまものの魚が一度干物になれば、干物は二度となまものになることはありませんが、語学と生活言語の間では、干物がなまものになることはあります。ミイ ラが踊り出すようなものです。

前に同じ事をこの掲示板で読みましたが、今とてもよく分かります。「干物」が「なまもの」になることもあるが、「干物」は「干物」として、机上で「ひと り」で出来ますね。逆に「なまもの」にはオブジェクトが必要になる。それは日本語であろうと、英語であろうと、手話であろうと、なんであろうと、「イメー ジ」や「こころ」みたいなものが動いているという事ですね。

明日のレッスンもよろしくお願いします。



1940 素読 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 1日(金)16時35分24秒

江戸時代、素読していて、漢文の文法など
説明していなかったとおもう。



1941 ピンポンダッシュ 投稿者:Naima 投稿日: 3月 2日(土)09時54分55秒

漢文が中国語として定着せず、漢文になっちゃったのはどうしてなんですか?返り点だとか、レ点だとか言う記号がありましたね... 逐語訳の英語も漢文化してると言っていいんでしょうか...

難しい事は面倒臭いんですが、ふと思いついたもので

帰ります。




1942 私こそ助けてっ! 投稿者:Naima 投稿日: 3月 2日(土)10時14分38秒

根石さん、浜谷さん、

もう本音を言ってしまいます。 急速に「大風呂敷」化していく私のかる〜い掲示板を見て、溜め息をつく毎日です。 もとはと言えば、私の勉強会の仲間が英 検のスピーチテストやガイド試験のインタビューテストの為に、英語で模擬討論しよう、と言い出したのが発端です。 もしここに英語の上級者が参加して下さ れば、勉強になるだろうと彼女らは思ったわけです。
それで、浜谷さんに参加をお願いしたんですが、いかんせん、トピックが悪かった,,, 彼女らはもう怖じ気付いてしまい、断末魔の悲鳴を残して、去って行 き、私はオロオロするばかりです。 浜谷さん、私の説明不足が一番の原因ですが、どうか助っ人を根石さんの所から募るなぞしないで下さい。 浜谷さんがお 1人で議論されるとか、成りゆきに任せるっていうのなら、別なのですけど。 その後、浜谷さんに経緯をお話したはずなのですけれど。 掲示板をつくった時 点で、もう私の手の届くところにはない、と言う事をわかっているべきでした。 浜谷さんと根石さんのお人柄を頼りに、わがまま勝手な愚痴を言ってしまいま した。 ごめんなさい。 下手な英語で討論なんかやってたって意味ないだろが、等と言って、また議論を始めないで、ね?




1943 シンタックスのセンス(浜谷さんの掲示板から) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 2日(土)16時14分49秒

らくださん

 どうもへばっておりまして、昨夜も書こうかなやめとこうかなと思っているうちに炬燵で寝てしまいました。女房に、寝床まで連れていってもらい、そのまま へたりこみました。英語論議は結構疲れるもんですが、私が提出している問題は、これまで手つかずだったものもあるはずだと思い、継続する覚悟でおります。 なにぶんにもじいさんであるのと、不摂生が生活習慣になっておるのとで、今後もへばってすぐにお返事できないことがあるかと思いますが、その点はお許し下 さい。

 「シンタックスのセンス」について

 SAIさんに書いたことは、「シンタックスを考える」ということと、「シンタックスのセンスがある」ということとは別だということでした。
 「シンタックスを考える」ということは、受験生が長文読解などでよくやっていることです。目と頭脳だけを使うやり方です。音読の音が「通じる」レベルで 確保できている人が、多読に入って目と頭脳だけ使って読むことはいくらでも可能ですが、音読もやらないで、音法も備わっていないまま、目と頭脳だけ使って 英語をやる人が後を絶ちません。
 「シンタックスを考える」場合、シンタックスは意識にとっての外在物で、ここまでが主語だなとか、ここからここまでが目的語だなとか、外在物の内部構造 を頭脳的に分析することが主な作業です。このやり方では、外在物はいつまでも外在物にとどまります。関係代名詞のあたりで、視線を「右から左へ」動かして 意識を逆流させ、逆流によって「名詞←形容詞」の固まりをつかまえ、その上、さらに具体的な日本語に置き換え、その続きを読むようなことをやっています。 これだと、視線を左から右へだけ動かすことによって意識が流れるということがいつまでたっても成立しません。逆流が逆流のままに放置されています。
 これを非常に多くの日本人がやっています。学校英語、受験英語の内実はほとんどこれです。
 ここに欠けているのが、國弘正雄さんの只管朗読に代表されるような、文まるごとの身体化の作業です。國弘さんは、わかっているもの・覚えてしまったもの をなおも声を出して読み込めと言っています。これが、多くの人にとっての盲点となっていると思います。わかっているもの・覚えてしまったものは、もうそれ 以上何かする必要のない文だと思ってしまうのだと思います。國弘さんの、わかっているもの・覚えているもの、の他に、「音づくり」が終わって、いちいち口 の動きに気を取られないようになったものという項目を私は追加したいのですが、いずれにせよ、そういう条件が揃ったところで、「準備体操完了」と考え、陸 上の選手が、そこからいよいよ「走り込む」という練習に入るのと同じように、「音読で読み込む」「ひたすら書く」という練習に入るべきなのです。
 ところが、テスト用の練習をする多くの人は、わかっているもの・覚えてしまったものは、その段階でその文の練習をやめてしまいます。その段階であって も、テストでは点がとれるからです。中間・期末のテストや、高校入試、大学入試のための英語の勉強というのは、年中「準備体操」だけやっているようなもの で、練習として本格的でないのです。
 テストの問題の質が諸悪の根元です。
 わかっていてももっとやる、覚えてしまってもなおも読み込む(音読する)ということが、その文に含まれている個別の要素を有機的に関連づけ、この有機的 な関連を使うセンスを養ってくれるのですが、これをやる人は今も少ないです。
 文に含まれる個別の要素、個別の理解、個別のイメージが有機的に関連づけられ、この関連が有機的なままに使えるセンスが育つかどうかが眼目だと思いま す。知識の身体化(音読・筆写)によって、イメージやセンスとして意識に動くようになったものは、知識が知識のままにとどまっているもの(受験英語)とは 質的にまるで別のものです。
 日本人の使えない英語がどうしてできあがるかというと、知識が知識のままにとどまり、センスとならないからだと考えています。言いたいことの眼目は、 「知識が知識としてとどまらず、センスとなっている」レベルにあります。これはあらゆることに言えるもので、単語には単語のセンス、熟語には熟語のセン ス、文法には文法のセンス、シンタックスにはシンタックスのセンスというものがあると思います。これらは自在に動くところが知識にとどまった知識と違うと ころです。
 「センスと化した文法力」「センスと化したシンタックス把握」と言った方がわかりやすいでしょうか。




1944 磁場(浜谷さんの掲示板から) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 2日(土)16時34分40秒

らくださん

誤解!? 投稿者:パクパク  投稿日: 3月 1日(金)09時18分02秒

>
functional magnetic resonance imaging (fMRI) というものがどんなものか私にはわからないのですが、ここに magnetic という語があることに注目しました。

   脳のなかに磁場があるので装置(MRI)で計測できるのです。
   言語的磁場は、メタファーであり、物理計測はできないとおもいます。
   この「注目」とは、誤解を生むとおもいます。

 以上は、私が Nature 誌の記事から引用して述べたことに対するパクパクさんからの指摘です。
 確かに、私の言っている「言語的磁場」は、メタファです。物理学での「磁場」ではありません。言語そのものは電気ではありませんので。

 また、脳の神経経路に流れる電流の正体は、ただの電気であり、日本語を使おうと英語を使おうとただの電気だと思います。それが流れる経路が違っていたり するだけだと思います。

 しかし、脳内に電気が流れることまでわかっても、音声に過ぎないものの刺激によって、なぜ脳内に電気が流れるのか。なぜ、英語と日本語とで流れ方が違う のか、と考えると、英語の磁場、日本語の磁場という言い方はあながちおかしな言い方ではないなと思っています。

 補足でした。



1947 おすすめの映画 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 2日(土)21時33分14秒

地獄の黙示録 特別完全版を見て、英語教育の世界もベトナム戦争と
同じ面が多々あるという感じを受けました。
コッポラの気持ちが、根石さんならよくわかるとおもいます。



1950 漢文の素読 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 3日(日)01時06分12秒

>江戸時代、素読していて、漢文の文法など説明していなかったとおもう。

漢文の素読はシンタックスが日本語。
シンタックスが日本語だと、語彙が耳慣れないものも日本語の語彙として扱えるようになる。

英語はシンタックスからして違う。だから文法をセンスに持ち込む過程は必要です。
英語の言語的磁場がない場所でなら、なおさらです。




1951 おじさん、英語できるからいいな。 投稿者:Kさん 投稿日: 3月 3日(日)01時49分55秒

> その代わり、根石吉久アレルギー患者も増えたな。

おじさん、もったいないというか損してるかも。。
でも、怒られるほうが逆にそのことの記憶が頭に残るんだけど。。


> 何をカマトト言ってんだ。やれ!!!

わははは。 そこまで言ってもらわないと動かないのかも。(笑)


> 正月に山に行って日の出を見るかわり、おれんちへ来て、俺の腹の出を見てみる?

やだ。 腹いらない。(笑)
でも、金かかってる腹だから、ウドさんの言ってること正解かも。


> 俺は中学や高校では、どっちかっていうと英語は好きではなかったんだ。平均点60、70のテストで、50点以下っていう点をいっぱいとっていた。だか ら、中学のときから英語が好きで好きでという人(英語フリークって俺は呼んでるけど)とは全然違う。

意外でしたね。 知らなかった。 それが現在のお仕事になるなんてわからないものですね。


>大学受験の浪人のとき、「回転読み」ってのを考案してやってみたら、突然英語が面白くなっちゃった。おもしれえもんじゃん、語学って、って思ったんだ。

そうなんですか。 でも、おじさんってボキャブラリー豊富でついていけないですよ。
私が無さ過ぎるんですけど、ギロンになってるときの、コトバのつっつきあいには
私はただただボーゼン。。。


>おもしろかったから、どかどかやった。だから、俺の英語は、大学受験が要求している幅を大幅に踏み外しているけど、動機は大学受験なんだよ。踏み外した 部分を、今、「音づくり」って呼んで、仕事にしている。

そこがすごいですね。 1年じっくり英語にかけるだけの価値があると思ってたりもしたけど、ガッコウの他の授業のこともあって、なかなか。。。まわりきれ なかったかも、
なんて言い訳で、勉強すると眠くなる体質でした。。。


> 俺の英語の出自が、英語フリークの「英語大好き」ってものではなかったから、語学が得意な人でない人のことがフリークの方々よりはわかるのかもしれな い。

今はスペシャル英語命に見えてるみたいです。(私の友人より)
でも、おじさんの説明ってわかりやす〜いんです。 当時も思ってた。
予備校や学校の先生でも詳しい説明のできる人もいたけど。。

自分が得意としてきたところを他人に説明するのは難しく、
自分が不得手で克服してきたものほど、他人にとってみれば水が流れるごとくあっけなく理解されてしまう。。。

おじさん、このページのどっか(いやいつでもどこでもですね(笑))
にあったけど、学校の先生って勉強を教える専門と、ホームルームティーチャーの2人
いたほうがいいな、って私は考えてます。 前者の言ってることに左右される1人もの
生徒の心のケアまで見ることのできる資質を持った人が後者で、後者は一旦社会に出たことのある人。 最近聞いて気付かされたことがあるんですが、順番をつ けられてしまうのが
学校なわけでトップもいればビリもいる。 どちらにとっても不幸のように感じる。。
先生のほとんどが社会経験が無いわけで、そうした温室育ちの人が自分らの子供の教育を
するわけで。。。ちょっと怖いような感じもするのです。 いろんな経験くぐって、自分で
軌道修正していくんだけど。。。


> たまに、続きを書いてるけど、今のところハードディスクに蓄積しているだけで、ホームページには載せてない。そのうちに載せるから待っていてくださ い。

全部載せたらもったいないかも。(笑)
載せてるところは、yahoo!でえっとお薦めマークついちゃって、それがきっかけに出版になったケースは多いですね!



 嘘! 俺も同じことを考えていた。庭先でアジア雑貨の店をやろうかと思って。
 こりゃまたびっくりだ。輸入、教えてくれ。

びっくりした。 否定されたかと思った。(笑)
ジェトロのHPを見たり、関連のミプロとか。
でも、おじさんなら、直接海外のHP見て現地買い付けで自分で持ってきちゃうのが
良さそう。 私も地理的と経済的に近隣諸国と考えてます。。。
最初に資料請求から始まるんですって。
私も未知な世界なのでこれから、です。



1952 国広氏の漢文素読体験(引用) 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)11時09分08秒

『英語の話し方』を読んだ後、國弘氏にお目にかかった時、私はそんなことを言った。
「記憶なんて大袈裟なものではなく、ま、習慣みたいなもの、いってみれば惰性でしょうか」と國弘氏は謙遜して、次のような話をしてくれた。
「実は私は小さい時から、漢文の素読をやらされていたのです。返り点や送つ仮名のない漢文を朗々と音読するわけです。それは漢文の暗誦を意味することでも あります。当時は日本が中国と交戦中であったにもかかわらず、なぜか敵性語の扱いをされず、堂々と学ぶことも、素読をすることもできました。戦争が終わ り、いよいよこれからは英語の時代だと気がついた途端、素読の対象を漢文から英語に切換えたのです。それだけのことです。漢文の素読に馴染んでいたので、 英語の暗誦には実に素直に違和感なく、容易に入って行けました。端的にいえば漢文も外国語です。素読で鍛えた暗誦力は、直ちに英語にも適用できたのです」
 欧米の知識階級はギリシャ、ラテンの文物を吸収するためにも、ギリシャ語とラテン語の習得に努めるといわれる。日本の知識階級もまた中国文化の理解のた めに、漢文に馴れ親しんだのだった。ところが敗戦を分岐点として、漢支が学ばれなくなり、その結果、漢文は私たちにとって縁遠い存在になってしまった。こ れは日本人にとっで由々しき問題だと私は考えている。園弘氏はこのように、自著の『英語の話し方』に書き込んだことよりも踏み込んだ体験を話してくれた。



1953 国語教育の基本=弾圧注入丸暗記(引用) 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)11時30分57秒


最重要科目は、国語である。
日本語である。

かつて漢文素読という教育法が有った。
先生が読み上げる。
「学びて時にこれを習う」
生徒が本を見ながら、真似をする
「まなびてときにこれをならう」
ちなみに本にはこうかいてある
「学而時習之」

このひたすら真似して読むだけの反復で、
生徒達は漢文をマスターしていた。
意味も自然と分かり、
語彙も自然と増える。
大岡信によれば、正岡子規はこれに加え、
意味の分からないまま源氏物語の一節なども、
覚えさせられていたらしい。
「歌詠みに与える書」を読んで欲しい。
内容はともかく、あの文章のリズムの見事さ、
あれは体に染み込んだ教養がものを言っているのである。

これを応用したのが、
鈴木慎一である。
スズキバイオリンの創始者である。
かれは音楽だけにあき足らず、
国語も楽器と同様に教育可能と考えた。
幼い子供たちに、
俳句を記憶させる。
テキストは小林一茶である。

これは鋭い。
日本語の芯は、和歌である。
が、和歌はほとんどが恋の歌であり、
幼い子供には、問題が無きにしも有らず。
俳句にしても、芭蕉、蕪村では難解である。
小林一茶の作品を記憶させる事によって、
子供たちは自然に、
日本語の精髄の中に身を浸す。

教育評論家どもが安易に、
「もっと自分で考える教育を」
などとほざいている。
間違っている。
教育の基本は、
特に国語教育の基本は、
弾圧注入式の丸暗記である



1954 コッポラと暗誦 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)11時44分15秒

コッポラ家では、常日頃から子供達に
フランス語の詩を暗誦させることをしていた。
ところで、根石さんの素読の原体験はどこかに
あったのですか?




1955 念仏と素読 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)16時58分42秒

やはり、原体験があったのですね。
ということは、念仏会なるものを考案した人は
相当なレベルが高い人ですね。
一見、何気なく、自然発生的に思いますが、
念仏の実際の効用を明確に認識していたと
おもわれます。
お坊さんの説教をただ聴くだけの場合と、言わせるのは
大きな効果の違いをもたらすとおもわれます。
そういえば、写経というのもあります。
これも、筆写ですね。
音読とか、手を動かすのは、何らかのメカニズムが
働き、脳力を強化するものと思われます。
丸暗記という非合理性のやり方が、じつは、見過ごされて
きた効果を生むとおもいます。



1956 在日性の英語学習法 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)17時10分35秒

20年前の本「英会話私情」
富岡氏の結論は、「英会話」を、与えられる立場から、自分に有効な方法を要求する立場にまわること、すなわち、アメリカ人、イギリス人のつくる「英会話」 から、もし必要ならば日本人の必要とする「英語を喋る学習方法」を作り出さねばならぬ。




1958 Naimaさん、 投稿者:浜谷 投稿日: 3月 3日(日)19時40分07秒

>・・・どうか助っ人を根石さんの所から募るなぞしないで下さい。 浜谷さんがお1人で議論されるとか、成りゆきに任せるっていうのなら、別なのですけ ど。 その後、浜谷さんに経緯をお話したはずなのですけれど。 掲示板をつくった時点で、もう私の手の届くところにはない、と言う事をわかっているべきで した。

そうですね。Naimaさんの掲示板でNaimaさんのご趣旨に従い「小学校への英語教育導入と児童英語教育の必要性についての議論」に、最初は英語で討 論に加わわらせていただいたのですが、問題が重大すぎて、私の考えを正確に伝えられないと思い勝手に日本語に変えさせて貰いました。 そして次のように付 け加えさせていただきました。 英語の勉強が主眼でお始めになった議論ということはNaimaさんからお聴きしていましたので・・・。

>英語で議論できなくてごめんなさい。 非常に重要な議論だと思われますので、できれば〇〇さんと〇〇さんも日本語でしていただけたら意思がもっとスムー スに通じあえると思うのですが・・・。そして出来るだけ多くの方が議論に参加していただければ・・・。 もし、ご両名の方や管理人さんがどうしても英語で なければ、と仰るのでしたら私は議論から降りることにしたいと思います。 年甲斐も無く我儘を言って申し訳ありません。

その後管理人さんから掲示板上に特段のご指摘もなく、討論は日本語に移行して現在に至っています。そうこうしている中に英語で議論を始められた方の中のお 一人が議論から降りられました。私は議論が日本語に移行した後に気付いたのですが、Naima さんの掲示板には女性の英語の達人の方が多く、児童向け英語教育を実際になさっておられる方が多いことです。当然それらの方々の中には信念を持って児童英 語教育をなさっておられる方もあり、私が一般的なそういう教育に携っておられる方達のことを念頭において話をしているのだと申し上げても聴いて貰えず日本 語においても私の真意をお伝えすることに限界を感じたことが一つ、二つ目に少し前に大風呂敷で小学校への英語教育導入問題でConの立場からの書き込みが 沢山あったことを思い出して応援を頼みました。その後Proサイドからは「小学校への英語教育はこの4月から始まることは確定しているので、議論せず協力 して行くべし」というご意見までてくる有様でした。

もしNaimaさんがご自分の掲示板にはご自分の意向にそわない書き込みを許さないというのであれば掲示板上でそのようにはっきり仰ったらいいと思いま す。「その後、浜谷さんに経緯をお話したはずなのですけれど。」のご趣旨のメール頂いたことがあるような気がしますが、一度始まってしまった日本語による 議論を英語のそれに戻すことを私だけにメールで言われても困ってしまいます。「掲示板をつくった時点で、もう私の手の届くところにはない、と言う事をわ かっているべきでした。」とまで言われれば今後Naimaさんの掲示板への書き込みを控えるしかしようがないと、残念ですが思わざるをえません。

因みに私が私的な用事で書き込みが出来ないでいる間に大風呂敷の尊敬する大論客のお一人である Eliot先生がConの理由を明快にしかも英語でなさっていただきましたので大風呂敷に応援を求めてよかったなあと実感しています。私も私のHPに付随 する形で造った掲示板が私の意のままにならないことを経験しております。私は1年という短い掲示板開設歴ですがそれでもいいと思うようになりました。どし どし自由に使って頂きたいと思っています。 私が好きな「最適英語学習法」掲示板管理人の古川さんからつい最近習った手法でもあります。でもこれを他人に 押し付けようなんていう考えは毛頭ありません。

以上書きました原稿を眺めていて、私の気持ちを洗いざらい書き過ぎたかなあと危惧しています。もしお気に障る点がありましたらお許しください。何歳になっ ても思っていることを抑えることができなく、人との付き合いの拙さがなおらない自分に嫌気がさしております。




1960 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時45分00秒

日本の bitch どもには、あなたの心の可愛らしさはおもちゃなのです。

お気をつけあそばせ。

女たちは、語学の上達が速いですが、言葉に対する節操は大したことはありません。




1961 俺は雑魚も相手にする 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時49分44秒

らくだ様

 言語には道具としての面がありますので、「道具としての英語」をやることはけっこうです。しかし、言語というものは、道具だけにとどまるものではありま せん。もし言語が道具だけにとどまるものなら、日本の落語なんぞは何の道具なんでしょうか。詩のような言語芸術は何の道具なんでしょうか。

 きっちりお答えください。

 あなたが英語を道具として「身にいく」(ちゃんと日本語書け)ことを目的とすることに誰も文句を言っておりません。勝手にやればいいことです。私にそう しろということはあなたに言ってもらうことは、ちゃんちゃらおかしくて、必要はありません。(屁が出ちゃった、今。あまり力むのもよくねえな)
 私は英語でも、単なる道具だとは思っておりません。私にとっては、なるべく自分の気持ちにそぐうものとして気持ちに一致させたいと思っている言語です。 だから「ごつごつ英語」になるのです。

 ああ、めんどくせ。

 「もどき」のことを言い出したのは、日本にいて英語の磁場を欠いたままで、バイリンガルになることが可能であるかのように、あなたが考えているのを見た ので、そんなこたぁねえだろと言ったまでです。

 バイリンガルはバイリンガルだ。
 バイリンガルもどきはバイリンガルもどきだ。
 まるで違うものだ。

 「もどき」が「もどき」でないと思っていることこそが、ESSあたりに巣くうものどもの滑稽なところです。
 そう言ったまでです。ちゃんちゃらおかしいや、そう言ったまでです。

 日本で英語をやることが、バイリンガルもどきに近づくことでしかありえないなら、その「もどき」の自覚は必要です。言い放っておきます。

 アイデンティティというのは、英語のアイデンティティという意味で言っているのですよ。わからないのですか。

>   道具として英語を見た場合,
    ”通じるか”,”通じないか”
    ”使えるか”,”使えないか”
   という議論を行っているのです。

 勝手に決めるなよ。そうだったらそう言うがよかろう。あんたは、これから「通じるか・通じないか」「使えるか・使えないか」だけのレベルで話をするから と、どこで俺に断ったっていうんだ?

 だいたいが、「磁場」という語はひとりよがりの使い方で、それじゃ話が通じないみたいなことをあんたが言ったから、俺が説明したんだ。その説明じゃわか らないというから、Nature の記事を引用したりして、さらに説明したんだ。パクパクさんの指摘もあったので、誤解がないように、「言語は電気じゃない」とまで補足したんだ。「磁場」 という語がそれほど見当はずれじゃないということを言ったはずだ。
 人にそれだけの手間をわずらわせておいて、わかったのかわからないのかの返事もしやがらねえ。てめえ、何様のつもりだ。すっとぼけてんじゃねえよ。
 人に手間をかけさせといて、「・・・という議論を行っているんです」も糞もねえもんだ。
 あほんだら。




1962 雑魚おいで 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時51分41秒

 俺の書き込みが言葉遊びの要素が強くて、議論の妨げになるんなら、どこがどう言葉遊びなんだか言ってみろ。俺は、

   言葉遊びは好きだが、

あんたに書いた長大な文で言葉遊びなんかやった覚えはねえ。日本で英語をやれば、「バイリンガルもどき」にしかなりゃしねえんだから、「もどき」の自覚を ちゃんと持てという論理を言っているんだよ。わかんねえのか。

 あたしゃ、あんたより、日本語に対する態度がいい加減だとは思っておりません。あんたの日本語を百回読んでみてくれ。俺の日本語も百回読んでみてくれ。 一目瞭然だろうが。

>もちろん日本語も道具です。しかし,いい加減な日本語を使うということは言葉に対する態度がいい加減だということに他なりません。日本語に対する態度が いい加減なのに英語の議論ができようはずがありません。そういうレベルで議論を展開しているのだということをご承知ください。

 おめえ、学校の先生か。お医者か。

 馬鹿か。

 言葉遊びをすると、どこでどう日本語に対する態度がいい加減だということになるのかきっちり説明しろ。俺は、おめえに対して言葉遊びなんぞやった覚えは ねえけど、言葉遊び的要素が強ければ、なんで日本語に対する態度がいい加減だということになるんだよ。わけのわかんねえこと言ってるのはおめえだろうが。 おめえみたいなやつを、言葉の貧乏人ていうんだよ。言葉の貧乏人は言葉を道具としていじってるがいい。

 俺は実際の貧乏人かもしれんけど、言葉はおめえほど貧乏じゃねえよ。

 議論なんかできようはずもなければ、できようはずもねえままで結構だ。だけど、「そういうレベル」ってのがどういうレベルだか、きっちり言ってみろ。お めえの文章を読んでると、ああ、日本も駄目になったと俺は思うんだよ。

>まず,根石さんのような考え方は日本の英語教育で長い間信じられてきたと思います。「ごつごつ英語」という表現を使ってるわけではありませんが,中学・ 高校の教師は発音教育はほったらかしにしてきました。
いわば,教師も「ごつごつ英語」を奨励してきたわけでもないでしょうが,何の努力もしなかったことは事実です。学生もまた何の文句も言わず「ごつごつ英 語」の環境に甘んじてきたのです。

 ここを読んで、ああ、この人はまじめだなとは思いました。この辺にこの人の心があるんだということはわかりました。

 「いわば」って日本語の使い方が間違っておるけど・・・。

 しかし、俺はそれこそ、そんなレベルの話をしたんじゃねえよ。ごめんな、怒っちゃって。だけどね。あんたね、俺は発音教育はちゃんとやっているよ。学校 はやってねえよ。日本の英語教師どもは「ごつごつ英語」という

   高級な英語

はしゃべれねえよ。あいつらの英語こそ糞英語。英語じゃねえ。英語もどき、英語みたいなもん。ガイジンが聞けば、なんか英語に似ているけど、それ何語?  ってなレベルだよ。




1963 雑魚相手の続き 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時54分14秒

 日本にもまともな教師がいないわけじゃない。そのまともな教師の一人は、俺に声をひそめて言ったもんだ。

 「日本の英語教師たちっていうのは、巨大なるしろうと集団ですよ。」

 って言ったのね。俺に言うのに、声をひそめる必要はないんだけど、この言葉は、絶対に職場では言えない言葉なのね。職員室のタブーなのね。

 タブー。馬鹿みたいだ。

 だから、 じゃあね、もう一回、「いわば」、講義しちゃうかんね。
 「ごつごつ」というのは、私の内心の感覚です。人様は、私のことを「英語ぺらぺら」だと言います。確かにしゃべらせれば、英語でまくしたてるようなこと もやるのです。ウドなんぞとは、どれほど喧嘩こいたかわからねえほど喧嘩の数を重ねてきているのです。それで、ようやくお互いの気心が知れて、お互いに悪 友になったのです。単なるお友達じゃありません。ウドは前世では、お前と俺は兄弟だったとまで言うのです。

 私はウドとコミュニケーションなんかやりません。日本語で言うところのコミュニケーションなんか、じぇんじぇんやりません。馬鹿みたいだ。コミュニケー ション!!!。

 言葉は道具だなどと思っているレベルの人がつべこべ言ってもらうレベルのつきあいではありませんとも。

>また,現在の状況からすると”英語が読めない”状況にあるということも大きな問題として残っています。それはどういうことかと言いますと,今までの教育 では”英語が読める”ということになっているからです。しかし実際は,みなさんご存知の通り,英語は読めません。

 これはあんたの言うとおり。間違いない。「英語が読める」ということになっているのは、そういうことになってるだけだ。真っ赤な大嘘。英語教育界のつら の皮の厚いこと厚いこと。ここは素直に読めたところです。

>これらの状況の中で”「ごつごつ英語」で仕方が無い”という言い方は,単なる開き直りにすぎません。

 だからね、俺の英語は周りから見るとぺらぺらに見えたりするわけ。だけど、俺の内心は「ごつごつ」なわけ。日本で日本語で生きてるんだから、あたりまえ だろ。この内心の「ごつごつ」が俺の「英語のアイデンティテイ」だってんだ。この理屈はあんたにゃ、今のところ、高級すぎるんだ。

 ごめんな、高級で。

 俺ごときだって、アメリカで生活することになれば、アメリカ英語の人間になっちまうと思うよ。俺は本当に日本の「ごつごつ英語」を愛してるので、アメリ カになんか行きたくねえよと思うだけだ。アメリカにアメリカ人の友達がいるから、ときどきは顔を見たくなって行ったりするけど、俺は日本で生き続ける人間 だと決めているだけのことだ。日本で死ぬと決めているだけだ。

 俺は日本人の英語をどうにかしたいから、生活の場は日本を離れない。この理屈、わかるか? 根性の貧乏人はよくねえぞ、このやろ。実際に貧乏なのは何も 間違ってないけど。




1964 雑魚雑魚雑魚 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時56分57秒

 ごつごつ英語で「仕方が無い」という言葉は、これまで俺は一度たりとも使ったことがない。勝手に日本語を下手な日本語に翻訳するな。俺の掲示板の過去ロ グ、全部くまなく読んでもらって、「ごつごつ英語で仕方が無い」という言い回しを俺がしていたら、あんたに首をやるよ。
 「しょうがねえんだ」と言ったことはねえんだよ。「当然だろ」と言っているんだ。「ごつごつ英語」でがんがんしゃべればいいんだと言っているだけだ。

 あんたも、まじめだというのはいいが、理解力がねえぞ。

 あんたの頭の中心が麻痺しているから、本を一冊薦めておくよ。

 國弘正雄さんの「英語の話しかた」の「たちばな出版」から出ている「下手な英語の話し方」っていう本だ。この本は大笑いできる。
 とりわけ、202pの写真がお薦め。
 この写真、ラーメン屋でラーメン食いながら見て、ラーメン屋のテーブルにラーメン噴き出しちまったよ。
 その後、車で家に帰る途中で写真とそのキャプションを思い出して、大笑いして、事故をやりそうになったよ。
 わらかしてくれる本だ。あんたの脳の中心部にある毒を消してくれる作用があるかもしれんので、推薦するよ。是非読んでくれ。お願い!!!

>私も中学高校と比較的得意科目でしたが,日本にきて困っている外国人に話し掛けられてもモゴモゴ言ってるだけでした。

 あ、そう。
 俺は、ガイジンに話しかけられても、別にそんなこたなかったな。上野駅で、鴬谷に行くにはこの列車でいいんかと言われたんだけど、ぶっきらぼうに Yes. って言っただけだ。そのガイジン、俺を信じて俺と一緒の電車に乗った。そんで、鴬谷で、手を振って降りてった。
 ロンドンにわずか一ヶ月余りいたことがあるけど、ロンドンに着いた初日、ホテルの場所をたずねたら、今度はロンドンの若いやつが、俺を駅からホテルの見 えるところまで連れていってくれた。
 その程度の英語は初めから通じたよ。

>そのため,社会人になってから英会話学校に通うはめになるのです。(かくいう私も大学生の頃,英会話学校に入ろうかと悩んだこともありました。)
 おめえ、おめえの方が、日本語、駄目だぜ。
 「かくいう私」という私は、いかなる私なのかな。教えて頂戴ませ。
 「社会人になってから英会話学校に通うはめになる」私なのかな。
 わけわかんねえ。

 しっかりしろよ、おい。

>根石さんの友達は,友達だから今の「ごつごつ英語」で通用するのです。こっちが良いと思っていても相手が駄目だと思うことの方が多いのです。
根石さんの考えにはこの点がごっそり抜けています。

 あんたの考えにごっそり抜けているのは、「こっちが良いと思っていても」のレベルが、あんたが信仰する「使える英語」のレベルではないということです。 ウドと俺の間にある俺の英語は、友達だから通用するんじゃねえぞ。俺の英語が俺の英語のレベルじゃなかったら、ウドと友達になることもなかったんだと思う ぜ。ウドは、俺の英語のレベルを通じて、俺と友達になれたんだと思うぜ。

(よかったな、ウド。俺の英語が日本の匂いのする英語で。日本に来て、アメリカ英語の匂いしかしねえ英語ばっかだったら、おめえ、日本いる甲斐がねえよ。 そうだべ。)




1965 へーきのへーざでござんす 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時59分35秒

>根石さんがいわゆる「ごつごつ英語」を使いたい,といのは勝手です。

 そうだよ、勝手だよ。勝手であるだけじゃなくて、俺は人にもそれをへーきのへーざで勧めてもいるんだよ。「ごつごつ英語」で行け。「ごつごつ英語」が日 本の英語だ。あ、また、屁、出ちゃた。

 余計な話ですけど、俺の卒業論文じゃねえ、卒業制作のタイトルは「放屁学序説」っていうんです。日本語で書きました。早稲田はそれでも卒業できる。いい 学校だ。

 なめらかぺらぺらESS英語なんざ、屁をかませとけばいいしろものだ。馬鹿、おめえなんか、アメリカへ行っちまえ、とはっきり言ってあげるのがESSど もへのちゃんとした挨拶だ。わかんねえ?このあたりのこと?

>多分根石さんのお友達は根石さんの人柄が好きなので「ごつごつ英語」でよい,という対応をされているのではないでしょうか?

 ところでさ、あんたに聞くの忘れてたんだけど、あんた日本にいるの、アメリカにいるの?
 俺は、あんたが日本にいるんだと想定してこれまでのことを書いているんだけど、ひょっとしてアメリカにいるの?
 もしもだよ、もしも、あんたが日本にいてこんなことを書いているんだったら、あんた腰抜けかよと俺は思うわけだよ。
 何が、「ごつごつ英語でよい,という対応をされている」だよ。

 俺らが日本という場所で英語を使ってやっているんだぜ。

 あんた、なんかとてつもなく勘違いしていると俺は思うぜ。
 俺らが日本という場所で英語を使ってやっているんだから、おめえらガイジンどもよ、深々と俺らに頭を下げろよ。そう思っているよ、俺は。

>友達付き合いも相手がOKだったら,良いのかもしれません。

 いいか。何度でも言っておく。おめえの日本語がいい加減なんだ。
 「友達付き合いも相手がOKだったら・・・」だと?
 相手がOKも糞もあるか。相手がOKだから、友達なんだよ。

 なめんじゃねえよ。

 おめえ、どこまでへりくだりゃ気が済むんだ。
 奴隷根性野郎が。

>しかし,英語学習指導者としては再考されることを希望いたします。

 俺は「最高に」「再考を」重ねてきてものを言っているんだ。
 顔を洗って出直して来い。

 今のところ、あんたは馬鹿だよ。
 失礼なことだと思うよ。




1973 議論はもういい 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 4日(月)09時30分42秒

循環小数的な議論をするよりも
コーチ付き素読の普及にエネルギー
を使われたし。
もう、結論は出ている。
認めたくない馬鹿と、議論をすることほどの
馬鹿はいない。
まず、長野の乱を起こしてもらいたい。
信濃毎日を取材にこらせる。
そして、田中知事(すごく英語フリーク)と
面接されたし。



1978 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)16時18分37秒

>国広氏の漢文素読体験(引用) 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)11時09分08秒

 國弘さんが、小さいときから素読そのものをやっていたとは知りませんでした。さもありなんと思いました。これをいつごろお聞きになったのですか。



1980 Kさん(一通目) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)17時01分21秒

 やたら理屈ばっか言ったり、文章で人をどなったりした後では、あなたにお返事を書くことで、オアシスにたどりついたような気持ちになります。お返事が遅 くなり申し訳ありません。ふうっ。

>> 何をカマトト言ってんだ。やれ!!!

>わははは。 そこまで言ってもらわないと動かないのかも。(笑)

 いつからやる?
 一応、空いている曜日と時間帯を書いておきます。

 火曜 9時40分〜10時10分
 金曜 9時20分〜9時50分
 土曜 8時50分〜9時20分

 火曜は、10時10分以降も空いています。
 都合を聞かせて下さい。

 テキストは、「ゴースト」(スクリーンプレイ出版)
 お友達を紹介していただいた場合は、レッスン時間を5分延長します。
 基本は月4回ですが、月5回同じ曜日がある場合は5回レッスンします。余計にやった分は、私に用事ができた場合に、サラリーマンの「有給休暇」と同じよ うにお休みさせていただきます。
 月額1万円です。
 「シャベリッチ」など、長距離電話を対象としたサービスを併用して下さい。
 最近は、非常に安いサービスも登場しているようです。「全国一律3分10円」というやつがあると聞いております。これだと、レッスンに必要な電話代が月 額で4〜500円で済みます。


>そうなんですか。
 でも、おじさんってボキャブラリー豊富でついていけないですよ。
 私が無さ過ぎるんですけど、ギロンになってるときの、コトバのつっつきあいには
 私はただただボーゼン。。。

 英語回りってのは、魑魅魍魎や亡霊の多いところだから、気をつけな。
 あんたは日本語がしっかりしてるから、一応安心してるけど。

>なんて言い訳で、勉強すると眠くなる体質でした。。。

 そうかそうか。俺は国民温泉へ行って帰ってくると眠くなる。最近、月曜日は、国民温泉へ行って、帰ってきたらビール飲んで腹出して寝てる。金・土・日に 「電話でレッスン」が集中してるもんで、月曜日は温泉ていうのが最近は多いな。
 国民温泉て知ってるよね?



1981 Kさん(2通目) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)17時02分01秒

>今はスペシャル英語命に見えてるみたいです。(私の友人より)

 そうでもない。人様からお金をいただいているので、英語はやってる。だけど、俺は自分の英語の力をつけることではどうも完結しないんで、一番気になるの はどうやって自分以外の人の英語の力を変えられるかだな。
 私有物としての英語力ってものには、自分の持ち物としてはそんなに興味がない。
 他人の私有物をどう鍛え込むかってことばっかり考えてるよ。しょせん、日本では英語は私有物なんで・・・。

>でも、おじさんの説明ってわかりやす〜いんです。 当時も思ってた。

 ありがとね。「七年目の浮気」の文法解析を続けようと思います。

>学校の先生って勉強を教える専門と、ホームルームティーチャーの2人いたほうがいいな、って私は考えてます。

 これまでは保健室の先生が、心のケアをやっていたみたいだ。本当に、こういう役割は、学校以外の社会に出た人が学校に入ってやるのがいいと思う。

>先生のほとんどが社会経験が無いわけで、そうした温室育ちの人が自分らの子供の教育をするわけで。。。ちょっと怖いような感じもするのです。

 学校ってところは、きつい温室だ。学校の先生の定義ってのは、こういうことにならないか。

 「学校を出て、そのまま学校に入った人たち」
 怖いよな、この構図。

>全部載せたらもったいないかも。(笑)
 載せてるところは、yahoo!でえっとお薦めマークついちゃって、それがきっかけに出版になったケースは多いですね!

 文法解析は、全部載せる予定です。
 あんたが、出版社の編集者だったらよかったな。
 文法解析の記事じゃないけど、前に同人社さんというところから、出版の話があって書きかけたんだけど、挫折してる。掲示板の世話と「電話でレッスン」を やるだけでせいいっぱいになっちゃってる。掲示板の記事の過去ログなんかを読んでくれて、取捨選択、順番入れ替えをして、一冊自分で作ってくれるような編 集者がいねえかなあと思っているんだ。本にするつもりで一冊分書くっていうようなことは、今は不可能だな。編集者にある程度まで形にしてもらって、最後に 手を入れさせてもらうっていうくらいのことしかできない。

>  最初に資料請求から始まるんですって。
   私も未知な世界なのでこれから、です。

 俺は、春になったら、店にする小屋を作ることから始めるので、店をやるにしてももっと先の話になる。いよいよ始めるときになったら、教えてください。
 輸入って、雑貨の輸入ですか?




1983 どへんくつ講義1 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)17時57分24秒

 らくださんと議論(喧嘩)をやり、「もどき」と「まがい」について真剣に考えてみました。この機会を与えてくださった、らくださんに感謝します。

 「もどき」と「まがい」はまるで違うものです。
 「使える英語」と言われてきたものは、日本在住という条件下においては、すべて「もどき」の世界にあります。
 「使えない英語」は、「まがい」の世界のものです。

 「もどき」たりえないものが「まがい」です。

 学校英語・受験英語のほとんどすべては、「まがい」の世界で呻いて死んでいきます。この中から、少数の英語が、「もどき」の世界に入ります。
「もどき」の世界とは、語学の世界です。語学というものは、生活という過程に対して「もどき」の位置にある。まともな語学は、すべて「もどき」の世界を形 成しますので、英語もまともに語学にした場合は、この「もどき」の本質に規定されます。

 そこそこ使えるというレベル以上の日本の英語はすべて、「もどき」です。自分の英語が「もどき」であるという自覚のない英語は、「のべたらもどき」と名 づけようと思います。「のべたらもどき」の方々は実に多い。
 また、「もどき」の自覚のある英語を、「自覚的もどき」と名付けようと思います。「もどきコンシャス」の方がいいかとも思いましたが、皆さんのご意見は いかがでしょうか。

 日本の英語というものは、単に日本に置かれた英語という意味ではありません。日本に置かれた英語という規定なら、アメリカで育ち(英語で育ち)、日本に 来た人のネイティヴ英語も、日本に置かれた英語です。
 私が「日本の英語」という語で考えているのは、日本語で育った人が日本語に囲まれて作った英語です。また普段の生活が日本語で営まれている人の英語で す。もっとも簡単な言い方をすれば、「日本語の磁場」の中で生きている英語です。たとえ、息絶え絶えであっても、その不利な場所で生きている英語のことで す。

 「もどき英語」と「英語もどき」という語も考えました。「形容詞+名詞」の場合、日本語では物自体をさすのは後の語が担っていますので、「もどき英語」 は英語です。「英語もどき」は「もどき」です。この両者の違いは、英語を使うことで意識があたふたするかしないかです。

 「英語もどき」はもどきですから、もどきの世界においては、実は「もどき英語」より偉いのです。これは、もどきの世界におけるもどきであり、もどきの中 のもどきです。男の中の男のようなものです。



1984 どへんくつ講義2 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)18時00分43秒

 英語を習って、初めてガイジンと話したとき、意識があたふたするレベルというものを、らくださんが提示してくれました。私はらくださんに、「俺の英語は 最初から通じたよ」とデカイツラをしてみましたが、通じるというのとあたふたするということは、同時に成立しますので、私は実は「あたふた」のことはよく わかっているのです。このあたふたするレベルでは、ええと、とか、あの、とかいう日本語が英語に混じったりします。このレベルのものをさして、「英語もど き」ということにいたします。このレベルのものは、「まがい」に戻る可能性もあり、やらないでいれば、「英語」が死んでしまう可能性もあります。

 「もどき英語」は、日本在住のままに英語を使って、あたふたもしなくなったレベルです。これは、もどきである本質規定はそのままに、十分に使えるのだか ら英語です。

 何の形容詞もつかない英語というものは、英語の磁場の中に置かれた英語です。アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアなどにごろごろしています。こ れらも、アメリカンだのブリティッシュという形容詞がつくことがありますが、「もどき」の世界からはひとまず、英語と言っておけばよいでしょう。

 日本における英語の最大の問題は、「まがい」の世界から「もどき」の世界に移れる英語の数の少なさです。ほとんどの人の英語は、「音づくり」や音読をや らないために、「まがい」という本質規定から一歩も外へ出られないでいるというのが実状です。

 この「まがい」と「もどき」という概念で、日本在住の英語をきちんと分類できると考えています。「まがい」と「もどき」の語の組み合わせで、語学的意識 の生態を言うことができます。

 例えば、「もどき」の世界で高度な英語力をつけているが、自分の英語が「もどき」であることの自覚がなく、「ホンモノの英語」だなどと思っていたとすれ ば、この人は「もどきまがい」だということになります。英語力は、ちゃんとした「もどき」なのに、自覚が「まがい」だからです。英語が「もどき」なのに、 自覚が「まがい」であるということになります。

 以上、「まがい」と「もどき」についての考察に皆さんのご意見をお寄せ下さい。



1986 英語学習における「もどき」考察 投稿者:浜谷 投稿日: 3月 5日(火)20時27分35秒

根石先生、

興味深く拝見させていただきました。私は次のように理解致しました。合っているでしょうか?

> 例えば、「もどき」の世界で高度な英語力をつけているが、自分の英語が「もどき」であることの自覚がなく、「ホンモノの英語」だなどと思ってい たとすれば、この人は「もどきまがい」だということになります。英語力は、ちゃんとした「もどき」なのに、自覚が「まがい」だからです。英語が「もどき」 なのに、自覚が「まがい」であるということになります。

> そこそこ使えるというレベル以上の日本の英語はすべて、「もどき」です。自分の英語が「もどき」であるという自覚のない英語は、「のべたらもど き」と名づけようと思います。「のべたらもどき」の方々は実に多い。
 また、「もどき」の自覚のある英語を、「自覚的もどき」と名付けようと思います。「もどきコンシャス」の方がいいかとも思いましたが、皆さんのご意見は いかがでしょうか

1.「もどきまがい英語」=「無自覚的もどき英語」(「のべたらもどき英語」)※
2.「英語もどき」   =「自覚的英語もどき」 (「英語もどきコンシャス」)

1.初期のころに「あたふた英語」となる。上達したら「ホンモノ英語」とカン違いする。
  ※「のべたら」という意味が分かりませんが、「自覚的」の対象語という観点から「無自覚   的」としてみました。
2.当然こちらが本物の「日本の英語」です。



1987 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)21時56分06秒

>1.「もどきまがい英語」=「無自覚的もどき英語」(「のべたらもどき英語」)※
 2.「英語もどき」   =「自覚的英語もどき」 (「英語もどきコンシャス」)

1.初期のころに「あたふた英語」となる。上達したら「ホンモノ英語」とカン違いする。
  ※「のべたら」という意味が分かりませんが、「自覚的」の対象語という観点から「無自覚的」としてみました。
2.当然こちらが本物の「日本の英語」です。

 浜谷さんが書いて下さったものを読んでいたら、いよいよ頭のなかがぐちゃぐちゃになってきて、もはや何が何だかわからなくなってしまいましたぁー。

 いやあ、難しいですね。それぞれの用語に関して、一生懸命イメージしようとしているのですが、わけがわからなくなるばかりです。浜谷さんが、私の用語に 「英語」を一つ追加しただけで、頭が破裂しそうになっています。

 「英語もどき」は、中級者の英語、「あたふた英語」と言っていいと思います。
 「もどき英語」は上級者の英語です。

 しかし、上級者でも、もどきとしてもどきの自覚を欠く人は、「もどきまがい」です。
 混乱を引き起こしているのは、私が英語のレベルや質をさす語と、英語を持つ人の意識のありようをさす語とを一挙に提示してしまったためだと思われます。 そこに、英語の二文字を追加するだけで、これほどまでに難解な語が誕生するとは思ってもみませんでした。

 「のべたら」というのは、俗語で、「いつでも」「年がら年中」みたいな感じで使いますが、この命名も再考の余地があります。一緒に練り上げて下さいます か。

 再度、熟考してみます。




1988 おじさん、速攻レス。 投稿者:Kさん 投稿日: 3月 6日(水)00時17分23秒

なにか空気がヘンになってきたので少し早めにレスしますね。

英語の議論って私にはホント全然わかんないから橋にも引っかからないんですよ。

ん〜、、、人間って頭の構造が違うから、勉強の吸収の仕方なんかも違うと思うので、
どれが正しくてどれが間違ってる、ってのは、どうなんだろ??

私に、その・・・音がどうとかこうとかいうのはサッパリわかりませんが・・・(笑)

でも・・・議論って感情を超えてしまうことがあるから、思わぬ方向にも行っちゃう。

昔、日本人は議論のできない国民性なのかも、と考えたことがありました。
相手を立てて・・・でないと違った意見が言いにくい民族なんかも?って。

(なんか自分で自分の首絞めてるかも)

話の事情が見えてないし、読んでもチンプンカンプンなのでうまくは言えないんだけど、
私へのレスから感じることは、おじさんは相当弱っていて、いつもは言わない言葉を吐いて
なんだかかなり参ってる様子です。

一昨日、すごい女性蔑視の言葉を読んで、「へんなとこ来ちゃったなぁー」って思ってたら
そうでなかったので、、、どうも誤解みたいです。(どなたがどなたなのかも掴めてませんが・・・)
なので、来て下さるほうが、良さそうみたい? な気がします・・・。


おじさんの編み出した「誰でもモノにできる英語」.vs.「英語が得意で苦労したことの無い人々」
の論争はこの先も険しく続きそう・・・。

おじさん、実績どんどん作っていくしか無いかも。

数学でも同じことが言えるんだけど、

「細野さんの数学の本」 .vs. 「今までの常識の数学の本」

って雲泥の差なんですね。 でも細野さん自身がものすごい精密機械のようなパーフェクトな解答を示せた人
で、でも実は数学が苦手だったのかな? で、自分なりに編み出したものを本にしたためたのね。
そしたら、それが特に文系を中心とする数学苦手な人から大絶賛で、たぶん周りは何も言えなかったんじゃないかなぁ。

私は、素読舎が細野さんタイプだと思ってるんですよ。 お世辞じゃなくってね。
これでも、立てるタイプじゃないんですよ。(笑)

残りのレスはまたします。


よくわかんないけど、うまく議論がかみ合えばいいですね。(^-^)
おじさんに傷つけられたと思われる方々は、元気出してくださいませ。。。




1990 お問い合わせに対するお返事。 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)02時53分54秒

 お問い合わせありがとうございます。

 「電話でレッスン」は、「英会話用シンタックス獲得」というものと、「映画でリスニング」というものが、社会人向けのものです。

 レッスンはほとんど「音づくり」に終始します。

 「英会話用シンタックス獲得」には、印刷物の文法の解説書があります。

 「映画でリスニング」は最初に「ゴースト」という映画のシナリオを一冊片づけ、二冊目に「七年目の浮気」をやりますが、二冊目の「七年目の浮気」を使っ て文法解析したものを、私のホームページに掲載する予定です。こちらは、まだやりかけです。

 普段、英語に触れる機会がある方なら、「映画でリスニング」の方がよろしいのではないかとも思います。こちらの方が費用も安いです。月額1万円です。多 少のごり押しが必要です。

 「英会話用シンタックス獲得」は教材費込みで月額12000円です。
 このレッスンを受けておられた生徒さんが、最近終了され、「映画でリスニング」の方に移られましたが、8ヶ月ほどかかりました。

 地固めからやる方がいいと思われるなら、「英会話用シンタックス獲得」が向いています。

 ホームページをお読みになってご承知かとも思いますが、その他の要項は以下の通りです。

・週1回、毎回30分
・基本的に月4回。5回ある場合は5回行うが、私に用事ができて休む場合に、
 「有給休暇」のように使わせていただく。

 レッスンは私か妻が行います。

 私の現在の空枠は、

金曜 9時20分〜9時50分
土曜 8時50分〜9時20分

です。4月以降、火曜日も使えるようになる可能性があります。

 妻の現在の空枠は、

火曜 8時40分〜9時20分
同  9時30分〜10時

です。妻の枠としては、4月以降、金曜日が大幅に空きます。

 毎日の練習としては、レッスンを始めていただくと何をすべきかがおわかりいただけます。要するに、ひたすら口を動かすことがしばらくの間は主要な練習で す。しっかりした音(アンダスタンダブルな近似値)ができ、いちいち口の動きに気をとられなくなったら、口で言い続けながらその文が言っていることを大づ かみでイメージすることをしていただきます。この過程はレッスンでは行えません。意識におけるイメージがどう動いているかは本人以外に確かめようがないた めです。テキストの簡単な訳を媒介にしてイメージして下さい。



1991 お問い合わせへのお返事(続き) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)02時54分36秒

 簡単に言えば、とにかく口を動かすことです。理解しているもの、覚えてしまったものを相手に、さらにどんどん口を動かしてイメージすることで、ヒアリン グ能力が徐々に備わってきます。これが成立するのは、レッスンの「音づくり」による音の質にポイントがあります。ヒアリングは、じっと我慢することが必要 な期間がありますが、時が来ると急に楽になります。

 急に楽になったあたりで、ビデオで映画を見るとか、ビデオの音声をMDなどに録音して、普段からよく聴く練習をして下さい。リスニングの練習がいやでな くなっていることに気がつかれると思います。

 語学の利口なやり方は馬鹿になることだと思っています。愚直にも思える方法ですが、わかっているもの、覚えたものを、こと新たにどんどん口を動かして口 の動きの「こなれ」を作り続けることです。まずは、これを日々練習していただきたく思います。その具体的なやり方や、口の動かし方はレッスンで申し上げま す。
 レッスンでは、同じ文を繰り返し読む動きの途中で、問題をみつけたら、発音上、リズム上のポイントを手短に言います。それを繰り込んで、再び、同じ文を 繰り返し言い続けていただきます。

 國弘正雄さんの「英語の話しかた」(たちばな出版)を手に入れて、お読みになることをお薦めします。根本のところで、私の考えと一致しておりますので。 また、小学館文庫の拙書「英語どんでんがえしのやっつけ方」もお読みいただければ、レッスンとレッスンの間にご自分でやられるべき「回転読み」という練習 方法が書いてあります。

 以上ですが、他に疑問点がありましたら遠慮なくお問い合わせください。

 4月から始められるということでよろしいでしょうか。4月以降に空く枠でなければ、3月途中からでも始めていただくことはできます。

 ご都合をお聞かせ下さい。

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根石吉久
Email  ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL   http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
C phone 090(3316)4180
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1993 お問い合わせへの追伸 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)03時02分49秒

 先ほどのメールでの空き枠についてですが、昔の私の塾生が、近くレッスンを始める
かもしれません。その人にも、同じ空き枠を提示して選んでいただくようにしてありま
すので、ご希望の枠が先に埋まっていた場合はどうかご容赦下さるようお願いいたしま
す。

 掲示板「大風呂敷」というのを開設しております。
 時に大喧嘩をやっておりますので、どうぞご覧ください。

 書き忘れたことがありました。
 レッスンを受けられて、しばらくたったら、掲示板に経過をご報告いただきたいとい
うことです。どんな小さな変化でも構いませんので、よろしくお願い致します。

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根石吉久
Email  ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL   http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
C phone 090(3316)4180
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1996 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)03時10分25秒

>おじさん、実績どんどん作っていくしか無いかも。

 そうだよ。だから、あんたが俺のレッスンを受けて、この掲示板に報告してくれることがとて
も大切だよ。



1997 風邪なおりました 投稿者:もっこり 投稿日: 3月 6日(水)03時39分11秒

根石さん、先週は風邪でレッスンを休んでしまいスミマセン。
飲み会で徹夜したせいなので、言い訳できません。
1週休むと口の動かなくなり、回転させようとしてもすぐつっかえてしまいます。
まだまだ激しさが足りないなあと痛感。
ただ回転読みに専念している間に、耳の方は、ずいぶん進歩してくれた気がします。
NPRというアメリカのラジオ放送をインターネット経由でたまに聴いているのですが、
アナウンサーの話が3分の1ぐらいは聞き取れて、
ニュースの概要を理解できるようになってきました。
もうチョイ進歩すれば、いわゆる「多聴」が役に立つレベルになれるのでしょうか。

SAPIOの今月号を読みました。批評されている全ての本を読んだわけではありませんが、
國弘著「英語の話しかた」がもっとも真っ当で、本格的な指南書であるという根石さんの評に
同意します。私はこれと、「どんでんがえし」と、もう1冊、
吉ゆうそう著「英語超独学法」南雲堂
の3冊をいつも読み返して、英語学習のモチベーションをかき立てることにしています。
最後の本はあまり知られていませんが、
「日本を一歩も離れることなく、また英会話学校にも行かないで」英語をマスターすることを
決心した著者の気合いと楽天性に触れることができます。
同時に、独学のためのユニークなノウハウ、とりわけアウトプット練習のための方法が
いろいろと紹介されている点で、実用書としても役に立っています。

追伸
「電話でレッスン」4月からは火曜日に空きが出るとのことですが、
できればそっちに移りたいのですが、いかがでしょう?



1998 お尋ねしたいこと 投稿者:okada 投稿日: 3月 6日(水)05時22分17秒

 根石様へ
 札幌の岡田です。電話でレッスンを始めてから、8ヶ月がたちました。まずは、報告をします。
 現在のところ、まだイメージをつかまえるところまではいたっておりません。しかし、今までやって来た部分は、テープでとった音を聞くとよみがえり、五回 ぐらいまわしていると、すぐに滑らかに言えるようになります。
 二つの復習範囲のテストと、新しい範囲の難易度を比べてみると、復習範囲のテストの方が楽だと感じます。二度三度四度と練習した部分は、五回ぐらいの回 転読みでよみがえってきます。よみがえらない場合もありますが、そこは、叫びの部分や、主要人物の台詞でなく、背景の音の部分で、普段聞いているテープか らカットした部分です。だから読みの回数が少ないのです。
 新しい範囲は、冷や汗をかきながらやっています。回転読みをしながら、このままこの一文だけでレッスンが終わってしまうのではないかという不安におそわ れます。あらかじめ、練習をしておけばいいのですが、そこまで手がまわりません。なんとか、予習できればいいなあと思います。

 ところで、相談したいことなのですが、現在私が教えている生徒たちに対する練習方法です。
 現在のところ、読みの練習を家庭でやってきてもらうことに成功していません。約50分の授業で、四人の生徒に対して、「電話でレッスン」のような緊張感 があって、しかも復習しなければ始まっていかない形を作り上げるためにはどのようにしたらよいのでしょうか。素読舎では、どのような形で、多人数の生徒に 対してレッスンを行っているのでしょうか。
 厚かましい質問ではありますが、ぜひともお教えください。





2000 もっこりさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)13時25分15秒

根石吉久は國弘さんの、傍系の弟子です。

日本の英語は本当に錆び付きが早いですから、錆を落としておいて下さい。
もう少し、口を大きく使われることをお願いします。
英語は発音記号の a 以外はそんなに口を大きく開いてしゃべる言語ではないのですが、口回りの
筋肉(舌の動きも含む)は、非常に立体的に激しく動く言語です。
机上では、実際には使わないような大きな口の動きでやっていただいてかまいません。
これで、動きの「こなれ」ができてくれば、口を大きく動かさなくても、立体的な音は出せるよう
になります。「こなれ」が備わるまでは強くはっきりした音を作る練習が大切です。

英語の進展の具合をお聞きして非常にうれしいです。ご報告ありがとうございます。

>吉ゆうそう著「英語超独学法」南雲堂

 読んでみようと思います。教えていただき感謝します。

 火曜日は4月からなら、OKです。
 9時〜9時30分の枠がすでに埋まっています。
 ご希望の時間帯をこの掲示板に書いていただけますか。