【13003】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2008年12月10日(水)13時52分17秒
子供に英語を教えるのは、やはり難しいですよね。
今、5歳の息子と将棋をしていても、本気でケンカになる私には
やはり無理だなと思いました。
前に掲示板に書いてあったと思ったのですが、何年生くらいから始めれる
んでしょう??3年生くらいですか??
その時は、息子の指導もお願いしたいです。
少しずつ、ゴーストの復習をしてみようかと思っているところですが、
DVD(ゴースト)をみながら、発音をチェックするというのはどうですか??
それよりも、自分ひとりでブツブツ発音してみた方がいいのでしょうか??
【13005】
ももこさん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月10日(水)16時00分59秒
ありがとうございます。
多分、ファイアーウォールの設定ですね。書いていただいた事項を参考にさせていただきます!状況は、ダウンロードしてアイコンがディスクトップにあるので
すが、パスワードや氏名を入力していると、途中で消えてしまうのです。
お母さん仲間で、よろしくお願いします。英語はダメダメです。お母ちゃん仲間のみなさん、そうでない方(?)もどうぞよろしくお願いします。トピ乱雑です
みません。
小学校の英語教育にあせって息子に「大風呂敷」にたどり着きましたが、自分のためにも習いたいところです。小学校英語教育には、根石さんより頼もしいご意
見かいていただきましたが、私の周りでは、早期英語教育に疑問を持つお母さんって、残念ながら出会ったことありません。今度保育園でも導入されることにな
り、私は反対と思っているのですが、かなり異端児のようです。地域ではお母さん同士仲良くしたいのが大前提でもあり、信念貫くのは難しい状況でもありま
す。んならば、いっそのこと”筋肉を鍛えてホンモノの英語を!”とね、密かに燃えております。
【13007】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月10日(水)23時44分53秒
>また、息子に言わせると、「先生の発音はCDとおんなじだよ」とのことでした。
この「先生の発音」というのは、「根石先生の発音」ということでしょうか。●●先生の発音ではなさそうなので、「根石先生の発音」だとして受け取りまし
た。
もしそうなら、「おんなじ」ってことはありません。●●先生の発音がカタカナ発音であるなら、CDの発音と大きくかけ離れているということはあると思い
ます。「根石先生の発音」は、カタカナ発音の範囲を脱してはいますが、CDの発音とは本質的な違いがあります。
「根石先生」の音は、ベースの音が日本語にあるということで本質的な違いを形成します。●●先生の音より、「根石先生の発音」の方がCDの音に「近い」
というのであれば、それはそうだろうなと思っています。
私には、英語の音に至るために日本人に必要な媒介項になろうという覚悟があります。CDを吹き込んだ英語ネイティヴにも、AETとして日本に在住する英
語ネイティヴにもこの覚悟はありません。それが本質的な違いになります。
英語ネイティヴは、ガキの頃からしゃべっていた音をしゃべるだけですから、媒介項になろうとしてもなることができません。日本人の初心者の音と英語ネイ
ティヴの音の中間項(媒介項)なんかやれっこないのです。
英会話重視の文科省方針により、AETが数千人日本にいるようですが、子供がガイジン慣れするのに多少役立つだけで、語学的にはやはりゴミ問題(税金の
無駄使い)です。うちに遊びに来るAETなんかの話を聞いていると、文科省は完全にナメられています。連中は、「金をもらって、長期観光ができるんだか
ら、こんなうまい話はないと思って応募した」と言っています。
日本に何万枚の英語学習用のCDがあるのか知りませんが、その95パーセント以上が無駄になっていると思っています。これも、ほとんど語学問題ではな
く、ゴミ問題だと言っていいくらい無駄になっていると思います。
AET招致の日本の手柄は、ガイジンの生身を役に立たないCD扱いしているところにしかみつけられません。連中は「金をもらって長期観光」なんだから、
痛くも痒くもないのかもしれませんが、うちへ来ると多少痒そうな顔をします。
日本語の音が「こちら岸」の音だとすれば、英語の音は「向こう岸」の音です。「根石先生の音」というのは、その間を結ぶ橋とか、渡し舟みたいなもので
す。
渡し舟の喩えがいいかもしれませんので、それで書いてみます。
「いきなり」CDを聴いて真似しろが駄目なのは、こちら岸から向こう岸に行くのに、「とにかく泳げ」と言っているようなことです。音楽的センスのいい子
供や、英語を「神様語」扱いするフリーク達は、「やみくも」に泳いで川を渡ってしまうかもしれませんが、中学生くらいの年齢の子供の多くが溺れて流されま
す。
「いきなり」CDを聴いて真似しろという先生は、普通の子供達に(語学的に)「溺れ死ね」と言っているのと同じです。
「いきなりCD=川流れ」です。どれほどの中学生が語学的に「川流れ」させられていることか。
私が船頭をやっている舟は、完全に向こう岸に横付けにするのではなく、浅瀬まで舟を進めて、「後は自分で歩け」方式です。多少は自分のズボンも濡らせ方
式です。アメリカだって浅瀬くらいは用意してくれています。ネイティヴ音素含有率80パーセント台はCDをどんどん媒介にしろ、90パーセント台は、実際
の言語使用でいけと言っているのは、そういう(不)親切です。
本当はすべての中学生に媒介項が必要なのです。日本の学校の英語の授業で、先生たちが、媒介項になれないのが大問題なのです。語学の先生というものは、
自分が上手に発音するだけでも駄目、自分のカタカナ発音を放置するのでも駄目です。子供がCD音(複製音声)を媒介にできるようになるまでの媒介項になる
ことが語学を扱う先生の本当の役目です。
これには、「発音用決まり文句」がないと駄目だと考えています。
「一瞬、般若の顔になってくれ」「どうすんの?」「口の両端を斜め上にひっぱりあげる」という時の、「口の両端斜め上」が私の決まり文句です。「上の歯
で下唇を押さえて息で離せ」なんかは多少説明的です。
決まり文句が作れるものは、片っ端から決まり文句を作り、決まり文句でどうにもならないものは、説明的に長ったらしいことも言います。媒介項(根石吉
久)がやる作業の実質部分がそういうものです。
媒介項(根石吉久)を媒介にすれば、子供は容易にCD音を媒介にできるようになります。そうして「通用する自分の音」を作っていけばいいのだと考えてい
ます。激しい練習をするのはヤダっていう子供は「通用する自分の音」を獲得できないかもしれませんが、向こう岸の浅瀬まで舟で連れていけばコーチ(船頭)
の役目は果たせたものと考えさせてもらっています。
日本語の音と英語の音の間には、媒介項が必要なだけの大きな距離があります。
【13008】
根石吉久と柄谷行人 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月10日(水)23時53分6秒
>語学をやることっていうのは、そのこと自体は、むなしさをむなしさとして持ち続ける力だよ。その力自体の価値っていうのがあるんだということだ。
らくださんが、根石語学論の要ともいうべき言葉を引用してくださったので、私も一年前に考えていたことを思い出しました。あの時は、根石さんと吉本隆明の
差異を際立たせることで、むしろ根石さんの思想と柄谷行人との親近性を指摘しようと思っていました。
>私はこう思っている。「外国文学」をやらねばならぬ。というより、一ヶ国語でも「外国語」をやらねばならぬ。文学とか文化の差異などというのは、あるい
は「他者」などというのは、体裁のいい概念にすぎない。リアルなものは言語だけである。相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして
「制度」というものはわからない。
思想にかぶれた学生時代を終えて、砂をかむような実社会での格闘を余儀なくされたとき、自分を励ましてくれたのは、柄谷のこんな言葉でした。
村田さんが、根石さんの「心は死にはしない」という言葉に感じたのと同じ励ましを、その時感じていたのだろうと思います。
>自分に対して、ひとつのことを完全に強制することは、少なくともやってはいけないことではない。いや、語学においては、これはうんとやらなければどうし
ようもないことなのだ。大丈夫だ、心は死にはしない。
これは、今ある心がそのまま強く鍛えられるということではなく、むなしさと完全に向き合うことで初めて取り出せる心の形がある、ということだろうと思いま
す。
このむなしさへの特異な向き合い方において、根石さんと柄谷には通底するものがあると考えています。
【13009】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月10日(水)23時58分4秒
「ホンモノの英語」と、「ホンモノ」の部分をカタカナで書かれたのは非常に正確だと思いました。頼もしく思います。
日本人の英語は、「ホンモノ」でいいのです。
漢字で書かなきゃいけない「偽物」が多すぎることの元凶は文科省です。
【13010】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月11日(木)00時32分24秒
柄谷行人さんには、高橋敏夫が企画した(?)東京理科大での講演会の後で、向かい合いに座って話したことがあります。
当時私は、早稲田鶴巻町の安アパートに住んでいましたが、柄谷センセイが言うことにゃ、
(柄谷センセイ)「君はこの近所に住んでいるんだろう」
なんでこのセンセイはそんなことわかるんだ?
理科大からすると、早稲田鶴巻町は「この近所」なのか?
(根石センセイ)「なんで、そう思うんですか」
(柄谷センセイ)「だって、そういうもん着てるから」
私はオフクロが作った「綿入り」の半纏を着ていました。「綿入り」なら、八王子からでも、国立からでも、風邪をひかずに理科大にたどりつけます。柄谷セ
ンセイは、「綿入り半纏」を着て電車に乗るやつはいないのだろうと思っていたらしく思われます。
「話した」といっても、そんなことを「会話した」だけです。
「畏怖する人間」でしたっけ、「畏怖するなんとか」という柄谷センセイの本を読んだら、わけがわからなかったので、その後は柄谷センセイの本を読むのを
やめました。
吉本隆明センセイは、読むと喉に小骨がひっかかってとれないような感情になりますので、大学を出てから読みました。あのセンセイは柄谷センセイと比べる
と、格段に不良だと思います。
読んだ吉本センセイの本は、自分で買ったのもありますが、松岡祥男さんにもらったものが多いです。松岡さんが自分で買ったあと、「吉本さんからもらった
から一冊あげる」って言って郵送してくれたので読めました。(感謝→松岡さん)
お返事になっていませんが、引用して下さった柄谷センセイの文は、「ナマ」な声でよろしいと思いました。村田君は、私と出会う前は柄谷センセイが好き
だったようなので、今後は村田君から借りて読んでみようかなと思っているところです。
それにしても吉本さんも松岡さんも偉い人だと思います。柄谷センセイの著書をきちんと読んで、罵詈雑言雨霰です。
私はほんとに柄谷センセイは放置してしまいました。
読むことはやぶさかではないので、村田君、柄谷センセイの本はブックオフに売らないでね。
【13011】
1ファンさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月11日(木)01時38分43秒
r音とl音
r音とl音に関しては、面白い話があります。
ロンドン短期滞在中に、ホテルの部屋をシェアしたアメリカ人でジェリーという友達がいます。一週間くらい同じ部屋にいてスケベ話ばかりした覚えがありま
す。先日、久しぶりにメールを書いたら、生きていたのでほっとしました。
ジェリーってやつは、ものすごおく、ゆっくりしゃべるやつです。
私の家に3ヶ月ほど遊びに来ていた間、ものすごおおく、ゆっくりしゃべるので、ああ、これは、俺や女房が英語が下手なので、ものすごおおおく、ゆっくり
「しゃべってくれてる」んだなと思っていました。
それから10年近くたって、ケンタッキーのジェリーのうちに遊びに行ったところが、ジェリーの、ものすごおおおおく、はうちにいた時と何の変わりもな
かったです。そのことを話したら、家族の人たちが「Jerry's way」だか、「Jerry's
speaking」だかいうようなことをみんなで言っていました。Jerrie's way って書くのかな? もう酔っぱらいなので、文法はご勘弁!
ジェリーにはクリスという息子がいます。まったく売れない詩人で、その点でだけ(当時の)私と共通項がありました。クリスは自分が書いた詩を持ち出して
読めと言うのでしたが、まったく何のことやらわかりませんでした。何が書いてあるのか全然わからん、と言ったところ、その時遊びに来ていたクリスの叔母さ
ん(?)が、わたしらアメリカ人にも、まったくわからんよと言いました。ああ、現代詩!
それで何の話のついでだったか忘れましたが、「日本人にとってはrの音とlの音が難しい。日本語では、そんなもの区別されない」ということを(私が?女
房が?)、言ったところ、クリスはプライマリースクール(小学校相当)の低学年の頃、「自分もrとlが区別できなくて、放課後残されて訓練された」と言っ
たのでした。
嘘!
アメリカ人でもrとlの区別のできない子供がいるのか!
ほんとかよ、と思いました。
だとすると、日本語の「らりるれろ」ってのはなんだよ?
日本語の「らりるれろ」は、rでもlでもないけど、日本人にはrにもlにもなってしまう。ひょっとして、日本の近代が他のアジアの人々からは「成功」に
見えているのは、アメリカ人の少数の子供が迷う「らりるれろ」分岐を分岐させずにを保持したせいじゃねえか?
日本近代らりるれろ。
何を言ってんだか、自分でもわからなくなってしまいましたあ。
私はもちろんそうしますが、1ファンさんにおかれましても、このていたらくは安いくせに比較的うまい Clear Asahi
っていう酒のせいにしていただければ、根石吉久に幸あれ、でございます。
英単語の綴りにおける 0 はくせ者だぞ。これは、辞書をひかねえと綴りから割り出せねえと生徒たちに言ってきましたが、rもくせものです。
lは舌を上の歯茎に押しつければいいのですが、これもちょいと癖があり、他の音との兼ね合いで、歯茎から舌を離すときに出す時と、歯茎にくっつけっぱな
しで出すときとあります。
rはlよりタチが悪い。この音は、単語の最初にあるときは、舌の筋肉もりもりで明瞭に「タチ」ます。red, reading
など、舌が喉の方にひっぱられるようなもりもり筋肉になります。
train, transport, drug, drag など子音と連続すると、t なら t、d なら d
の音が発音される口内部位の近くで発音されます。舌が喉の方にひっぱられることがなく、歯(茎)に近いあたりで「どこにも触らない」で発音されます。
rの変化はこれにとどまりません。
[a:r] など、母音の後では、発音してもしなくてもいいくらいな扱いです。
サンフランシスコのあたりでは発音し、ニューヨークのあたりでは発音しないことが多いというような噂も聞いています。
rは母音と一緒になると、とたんにへなちょこになるということです。
ですが、rにはrの本質があり、それは、「口の中で舌がどこにも触らない」ということです。
lとrの区別が大変というのは、それももちろんありますが、rひとつが、七変化とまではいかないにせよ、最低でも三変化するという問題とからんでいると
思います。単語の最初のrと母音がらみのrは、日本人の耳には、とうてい同じrだとは受け取れません。
解決法は、このところずっとらくださんに向けて書いている記事が参考になると思います。
CD音やAETの音が「媒介にできるようになるまで」、日本語の音と英語の音の「間」を埋めることだと思っています。それも、自分の口でやるだけでな
く、生徒の口を使ってやることだと思います。
精神衛生上は、r(l)は、最後に仕上がればいいくらいに思っているのが大事です。お書き下さったように「時差」を大きく肯定することです。
コツは、「高速化」にあります。l(歯茎に舌)とr(どこにも触らない)という本質を踏み外さず、口の筋肉をいじめて、徐々に(が大事!)発音を「高速
化」することです。
文部省(当時)のおさぼりや、文科省(現代)のお馬鹿のおかげで、私のように40代になって英語音の本質をつかみ始めたような者にとっては、コーチをや
りながら、うさぎ跳びや腕立て伏せをやって基礎体力を作るようなはめになります。脳溢血後、リハビリをやってる人の気持ちがよくわかるような気がします。
人様からお金をいただいてコーチをやっていても、rとlの「高速化」はまだ途中です。
芋を作ったり、麦をつくったりしているので、体力不足限りなしです。
「こうやれ」と何をどうするのかを言葉でアドバイスするのが、学校におかれましても一番生徒のためになると思います。
音の本質さえつかんでいれば、よぼよぼのコーチでも、選手(生徒)にプレイさせることはできると考えています。
【13014】
根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月11日(木)05時42分34秒
>無口な子供は自分の内部とのコミュニケーションが濃くなってるだけだ
なるほど〜と思いました。おとなしい子は、つい私も「なに考えてるかわからない」と敬遠しがちですが、そんなことないんですね。こういう見方があるんだな
と発見させられました。
ただ、小学生、挨拶しませんよ〜。校長は英語教育を自慢としてる方なので、正面きっては批判しづらいですが、まず朝の挨拶ですよね。とアンケートに書いて
みました。
他にも就学前からの英語教育に力を入れるお母さんも多いです。(実際に親が普段使っている家庭もあるようですが)また、今後、小1プロブレムに対応すべく
「黙って人の話を聞ける身体」づくりも今後、就学前に徹底されそうです。「自分の意見を人に伝えられる」ことも徹底してほしいと思いますが。
matsuさんへの柄谷センセイの話も興味深く読ませてもらいました。
柄谷が花田清輝を紹介していたのをきっかけで、花田ファンになった私です。
「真実はデマゴーグにある」とか、「虚偽以上の虚偽に視野を限る」とか
よくわからないところもあるのですが、私はわくわくしてしまいます。
そんなわけでして、花田ファンの私としては
根石さんの花田批評を聞いてみたいような、聞きたくないような、微妙な気持ちです。
どうぞ、お手柔らかにお願いいたします。
【13015】
根石さん 投稿者:1ファン 投稿日:2008年12月11日(木)11時26分21秒
l音とr音に関して興味深いお話ありがとうございました。
> ジェリーってやつは、ものすごおく、ゆっくりしゃべるやつです。
ジェリーさんはかなりの年輩のかたですか?年輩の方でゆっくり話す人が多いような気がするので、年輩の方と話すと練習になるのじゃないかと思ったことがあ
ります。
>クリスはプライマリースクール(小学校相当)の低学年の頃、「自分もrとlが区別できなくて、放課後残されて訓練された」と言ったのでした。
「へぇー!」って感じです。日本人で日本語の音を小学校で直されるなんてことないような気がしますが。
あー、ちょっと状況が違いますが思い出しました。あるネイティブの先生も子供のころ
lとrの区別ができなかったと言っていたのを思い出しました。その先生の場合は、上顎の部分だったと思いますが、何か欠陥があって手術をし、その後は問題
なく発音できるようになったと言っていましたのでクリスさんの場合とは違うかもしれません。
> だとすると、日本語の「らりるれろ」ってのはなんだよ?
わたしも日本語の「らりるれろ」はどっちに近いのだろうと思っていました。自分で「らりるれろ」と言ってみると、舌先が歯茎かその後ろあたりにいつも触れ
ているのでlに近いのだと思っていました。今年、NHKのラジオ番組でネイティブのゲストが、日本語の「らりるれろ」はlに近い、rは日本語には全くない
音なので難しいだろうと言っていました。だとすれば、なぜ「らりるれろ」のローマ字表記をra,ri,ru,re,roとしているのかと疑問に感じていま
した。la,li,lu,le,lo とするほうが誤解を招きにくいと思います。
わたしは、l音とr音の出し方がなんとなくわかるまでは「らりるれろ」はrに近いからrでローマ字表記をするのかと思っていましたから。
>日本語の「らりるれろ」は、rでもlでもないけど、日本人にはrにもlにもなってしまう。
うーん。先にも書きましたが「らりるれろ」という時、舌先が口蓋のどこかに必ずついているので、l音に近くr音ではないと思うのですが、根石さんはrにも
lにもなってしまうというお考えですね。わたしは、とにかく音の区別ができないのでわかりません。
> 英単語の綴りにおける 0 はくせ者だぞ。これは、辞書をひかねえと綴りから割り出せねえと生徒たちに言ってきました
そこまでの指導が、中学生くらいまでの間に受けられるなんてうらやましい限りです。
> lは舌を上の歯茎に押しつければいいのですが、これもちょいと癖があり、他の音との兼ね合いで、歯茎から舌を離すときに出す時と、歯茎にくっつけっぱ
なしで出すときとあります。
他の音との兼ね合いというのがまた難しいですね。語尾にlがあるときなど、歯茎にくっつけっぱなしということはないですか?
> rはlよりタチが悪い。この音は、単語の最初にあるときは、舌の筋肉もりもりで明瞭に「タチ」ます。red, reading
など、舌が喉の方にひっぱられるようなもりもり筋肉になります。
昔、単語の最初にあるときのrの音を出すのは簡単だ。前に「う」という音を出すつもりで発音せよみたいなことを聞いたことがあります。極端に言えば、
readingは「ウリーディング」みたいな・・・
> [a:r] など、母音の後では、発音してもしなくてもいいくらいな扱いです。
サンフランシスコのあたりでは発音し、ニューヨークのあたりでは発音しないことが多いというような噂も聞いています。
そうですか、安心というか納得というか・・・。わたしは[a:r]の「r」など無視状態ですが、それでトラブルになったことがないように思うのは発音しな
い人もいるからですね。
>lとrの区別が大変というのは、それももちろんありますが、rひとつが、七変化とまではいかないにせよ、最低でも三変化するという問題とからんでいると
思います。単語の最初のrと母音がらみのrは、日本人の耳には、とうてい同じrだとは受け取れません。
はー、やはり道は険しいです。
> 解決法は、このところずっとらくださんに向けて書いている記事が参考になると思います。
タフそうですが、拝見させていただきます。ありがとうございます。
> 精神衛生上は、r(l)は、最後に仕上がればいいくらいに思っているのが大事です。お書き下さったように「時差」を大きく肯定することです。
永遠にダメなのかなと思っていたのですが、めげないでやってみます。
> コツは、「高速化」にあります。l(歯茎に舌)とr(どこにも触らない)という本質を踏み外さず、口の筋肉をいじめて、徐々に(が大事!)発音を「高
速化」することです。
肝に銘じます。ヤル気満々です。
> 文部省(当時)のおさぼりや、文科省(現代)のお馬鹿のおかげで、
ゆっくり母さんだったと思いますが、ご投稿で中学2年で her
を「ヘル」でしたっけ、そういう読み方をしたとか。その他ローマ字読みしているような状況を知り、仰天しました。英語を習い始めた時点で、ローマ字読みと
英語は違うという認識がないのかと思いました。昔より、お金を使っているはずなのに英語教育は後退しているのかとも思いました。
> 人様からお金をいただいてコーチをやっていても、rとlの「高速化」はまだ途中です。
そうですか。発音のきれいな人をつかまえて、[l]と[r]が聞き分けられるのか聞いてもみんな「できない」と言うので、不思議な気がしていました。
>音の本質さえつかんでいれば、よぼよぼのコーチでも、選手(生徒)にプレイさせることはできると考えています。
ご謙遜でしょうが、まさにコーチですね。
【13023】
お知恵拝借 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月12日(金)14時17分42秒
ある人から、私がやっているレッスンを「通信教育」方式にしたらどうかというアドバイスをいただきました。
携帯電話の「録音機能」というものを使って、ネット上に音声を蓄積するということは可能なんでしょうか。携帯電話は、私はインターネット接続したことが
なく、電話とメールしか使ったことがありません。
例えば、発音関係で、生徒さんから月に一度ネットに音声を送っていただき、私がチェックするということをアドバイスしていただいたのですが、何をどうす
ればそういうことができるのか、まるでわからないのです。
分かる方に教えていただけたらと思っています。
【13025】
通信教育案 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月12日(金)15時33分50秒
はい。「ある人」です。
根石さんと個人的な相談ごとに関してのメールでのやり取りの中で提案いたしました。根石さん、先ほど、infoseekの方にお返事メール2通と、私の携
帯で録った音声添付のメールの都合3通をお送りしておきました。
音声の方、パソコンで再生できますでしょうか。
【13032】
通信教育案その2 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月13日(土)00時40分11秒
二つお断りしておかなければならないことがあります。第一は、そもそもニーズがあるのか全く自信がないということです。この掲示板をご覧になっている方が
どのくらいいらっしゃって、その中で、素読舎のレッスンを受けたいと思いつつ様々な事情で受けられない方がどのぐらいい
らっしゃるのか。また、通信でやってみたいと思われる方が、早くも名乗りをあげられたちえさん以外にいらっしゃるものか...。
それから、仮にこの通信教育が世の中に受け入れられたとしても、そんなに大儲けはできないであろうことです。数多の通信教育は、レッスンを追うごとに提出
者がどんどん減っていくことを見越したコスト計算をしており、また、添削者も安い時給の学生を使っているケースも多いでしょう。しかし、根石さんご自身が
すべての指導をされるとすれば、やはり受け入れられる受講者数は限られるでしょうし、戸倉分室の村田さんや、かつての奈良分室のnaimaさんのように、
根石さんをサポートできる方が一部を担当されたとしても、大量の受講者を抱えることはできないかと思います。
それでも、現在の15ほどのレッスン枠に比べれば、より多くの方が素読舎の指導を受けられるようになることは確かだと思います。
私の講座イメージは、以下のようなものです。
まず、教材は、受講者のレベルに合わせて、現在使用しているもので良いと思います。素読舎の教材で私が目にしたものは、現在、息子が使用している文法教材
と、その上に位置づけられるゴーストですが、これらは本当にトンデモない教材だと思います。先日、根石さんのコメントに登場した吉さん、この方は留学経験
者で、根石さんの指導を非常に高く評価されていた方ですが(今でもそのようで。下記は吉さんのHP)
http://www007.upp.so-net.ne.jp/eigodeyume/yume-top.html
この方などは、口を開かれると、教材がスゴい!と連発されていました。私は、以前書きましたように、英語教材の開発に関わっているのですが、こんなスゴい
教材にお目にかかったことがありません。この教材が、通信教育の場合も心臓部になると思います。
一部分だけでも公開されると良、その良さを多くの方に実感していただけるのではないかと思います。
それに加え、通信教育生用には音声教材が用意されることが望ましいと思います。録音スタジオなどで収録する必要は無いと思います。ちょっと性能の良いマイ
クを買って、根石さんのパソコンで音声編集ソフトを使用して録音、編集すればOKだと思います。もちろん、吹き込みは根石さん。ネイティブ音でないところ
が素読舎の教材の真骨頂ということになると思います。
また、スターターキットとして、最初に取り組む教材が新作されるとベストだと思います。UDA式30音のような感じで、発音の基礎についてまとめて集中的
に取り組めるものをイメージします。
受講生は、もちろん、しっかりと自習することが前提となります。テキストと音声教材を使い、回転読みを中心とした自主トレーニングを行い、一ヶ月に一回、
その成果を試すことになります。提出用の課題が用意されており、それを携帯で録音して素読舎に送信。素読舎では、送られてきた音声に対して、適切なアドバ
イスを文面、または音声で返却。次の課題は、前回の復習と、新たな課題文、という感じです。
とりあえず思いつくままに書いてみました。
【13041】
.「携帯電話で発音レッスン」試案 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月13日(土)11時44分27秒
------------------------------------------------------
以下の記事は、まだ試案段階ですので、実行しないようお願い致します。
らくださん、これはたたき台になるでしょうか。
------------------------------------------------------
・自分の発音が「カタカナ発音」であると自覚があり、どうすれば英語用の口の動きが作れるのかと迷っておられる方に、携帯電話を使って、基本的な英語の発
音を身につけていただくためのレッスンです。
・最初にしていただくこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・で「携帯電話で発音レッスン」をクリックし、「発音矯正用テキスト」が読めることをご確認下さい。
・「発音矯正用テキスト」の最初にある指示に従って、練習して下さい。
音声ファイルで音声を聞きながら練習することもできます。
・チェックを受けてもいいと思ったら、以下に5000円の郵便小為替を郵送して下さい。
387−0015 長野県千曲市鋳物師屋642−3 根石吉久
・郵便小為替を送るときに、住所・氏名・(携帯かパソコンの)メールアドレスを同封して下さい。また、・・・・・・・・・・・・・・
(infoseek
メールアドレス)へ送金した旨、お知らせ下さい。こちらにも住所・氏名・メールアドレスを併記して下さい。また、毎回のレッスンで、ご自分が何秒間録音す
るか、携帯電話の機能を調べてお知らせ下さい。(録音時間により、チェック範囲が異なります)
・こちらで送金通知のメールと郵便小為替を受け取ってから、こちらの住所・氏名・メールアドレスをまとめてお送りします。
・チェックする範囲を、こちらからメールで指示しますので、よく練習してから、チェック範囲を「ボイスメモ」などの機能を使って、携帯電話に録音して下さ
い。携帯電話の中に「音声ファイル」が作られますので、これをメールに添付し、お知らせしてあるこちらのメールアドレスにお送り下さい。念のため、メール
に何秒吹き込んだかをお書き下さい。
・5000円で合計10分の録音(吹き込み)をお受けします。複数回に分けて、メールでお送り下さい。一回10秒以上の録音時間で吹き込んで下さい。吹き
込みの途中で途切れていても問題ありません。一回10秒の録音時間でしたら、合計60回のレッスンが受けられます。
・音声ファイルを添付したメールは、infoseek フリーメールアドレスではなく、携帯電話のメールアドレスにお送り下さい。
・質問等は、掲示板「大風呂敷」にお書き下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・お送りいただいた、音声ファイル(添付ファイル)は、こちらの携帯電話で直接聞き取ります。発音上のアドバイスは、infoseek
フリーメールアドレスから、そちらの携帯(あるいはパソコン)のメールアドレスに文書にしてお送りします。その際、規定の録音時間10分のうち、どのくら
い使用したかその都度お知らせします。
・アドバイスは、録音された音声を聞き取った後、なるべく早めに送信しますが、数日お待ちいただく場合もあります。あらかじめご承知下さい。
・こちらの携帯にお送りいただいた音声ファイルとメールは、聞き取りを行った後、削除します。保存が必要な場合は、ご自身で行って下さい。
・録音可能時間は合計でわずか10分ですが、「発音矯正用テキスト」と音声ファイルであらかじめ練習しておいていただくことで、基本的な発音はすべて身に
つけられます。
---------------------------------
皆様。
以上、ひとまず考えたものです。
実際に船出させるかどうかはともかく、案としてお受け取り下さい。
遺漏などありましたら、お教え下さい。
アドバイスもお願い致します。
【13046】
そうですね 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月13日(土)13時21分52秒
>らくださん
出血大大サービスだと私も思います。
通信、良いなあ、と思います。
5000円という価格は受ける側から考えたら手ごろだけれど、根石さんの労を考えるとどうなの?と。
携帯電話のほうが気楽な感じでやれそうですね。
思い立ったが吉日、という風に始められますし。
自分のゆとりのある時間に出来るのも良いですね。でも私は「だんだん提出しなくなる」典型なので怖いですが。
対象としては昨日らくださんが書かれたように「素読舎を知っていてやってみたいと思っているけどレッスンの枠が開いてない」「レッスンの時間が取れない」
方という感じですね。
そういう方には朗報だと思いました。
レッスンに踏み切る前にこういう方法があったら、息子はともかく自分はやってみたかもしれません。恥ずかしさが生レッスンより少し緩和される感じがしま
す。とっつきやすいかな、と。
発音矯正テキストってどんなのかまた好奇心がうずうず。
らくださんのおっしゃっている論点とずれるのですが…。
企画を公開にしちゃうのもそうなんですが、あの教材がただというのがすごすぎる。
友達にフランチャイズ方式の塾を自宅でやっている主婦が数名いるのですが、彼女たちがフランチャイズを選ぶのは「教材」がしっかり(一見しっかり、という
教材もありますが)しているという理由も大きいです。
また母親の立場で子どもを預けようと思うとき、ある程度教育熱心な親だと「教材」にうるさいものです。
選ぶ側から言えば教材のすごさを見れば(私が印刷してみたのも営業のためでもあります)「これはすごい」と納得できると思います。私はもう、なんだか大船
に乗った気持ちであとは安心して練習すればいいのね、って感じました。
息子は練習するかどうか知らないけど(汗)。
公開された教材を見てもディズニーのかわいらしいイラストの入ったテキストのほうを選ぶ方もあるでしょうが、(そういう方の期待する)サービスがない、と
理解したうえではじめる、という方のほうが続くんじゃないかという気がしますので、公開はレッスンを受ける立場からは有難いな、とも思います。
ただ指導用に教材を探している人が悪用しようと(たとえば自分の名前でなんとかメソッドみたいに売り始めるなど)した場合、ファンの立場としてムカつきま
す(汗)。
教材公開のときに「複製禁止」みたいなロゴ?を入れて、根石さんの利益が守られるようにしていただきたいな〜、と。自分はただで受け取っておいてなんなの
ですが・・・。
特に子供相手の場合、根石さんという方があっての指導だと思っていて、同じ教材を使って「子供を壊す」指導も可能だと思いますから、その点は子供を守る意
味でも大事じゃないかと母親の勝手で考えます。
【13049】
ゆっくり母さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月13日(土)16時56分52秒
営業部長、早速のコメントご苦労さまです。
>恥ずかしさが生レッスンより少し緩和される感じがします。とっつきやすいかな、と。
これは結構、大事なポイントかと思います。
>あの教材がただというのがすごすぎる。
ただで配布という事ではなく、通信教育は、あのスゴイ教材費込み、という考え方が良いと思っています。教材を適正な価格で売るということがあっても良いの
ではないか、というのが通信教育案の骨子の一部と思っています。ただし、教材だけを販売して「あとはご随意に」という考え方を根石さんは良しとされません
ので、携帯レッスンとセットで、ということになるわけです。ご指摘の通り、真剣な方は教材の善し悪しに厳しいですね。そして、最近は英語のできる方も多い
ので、より見る目が厳しくなっていると思います。
良い教材を作るのは、本当にたいへんです。ですので、教材を安売りする事はすべきではないと思います。素読舎の教材に派手さは皆無ですね、確かに。でも、
この掲示板から受講を検討される方には、そういった本質的でない事は無用と考えてよいかと思っています。
教材の公開ですが、公開するのはあくまでサンプルですので、分量は少なくて良いと思います。要は、教材の構成、「復習範囲を手放さない」という素読舎の基
本方針が教材にどのような形で実現されているかがわかれば良いと思います、それは一見してわかるでしょう。根石さんに送っていただいた教材(「ゴースト」
でした)は、単なるテキストファイル1つでしたが、ダブルクリックで開いた瞬間に「こりゃスゲー」と唖然としたものです。
公開する教材には、説明として分量を記載しておけば良いと思います。こんな感じで何万行あります、と。それと、セキュリティに関してですが、できればテキ
ストファイルをそのままアップするのではなく、セキュリティを効かせたpdfにしておくと良いと思います。印刷不可、テキストのコピー不可、紙面には、
おっしゃるような「素読舎」の文字を透かしで入れておくのも一案です。
村田さん、よろしければpdf化のお手伝いいたします。
【13050】
通信教育について 投稿者:ちえ 投稿日:2008年12月13日(土)17時32分26秒
なんだか、すごく盛り上がっていますね。
機械音痴の私には何がなんだか、わからなくてすみません。
。。。が、とにかく、私の様に、毎週決まったレッスン時間を作れない
人、枠がなくなってしまったけど、素読舎のレッスンを受けたい人には、
早く実現して欲しいですね。
もし、私が素読舎の通信教育を受けるなら、こんな形がいい!!と言うのを
書いてもいいですか??
まず、根石さんに音を吹き込んでもらいます。
それを、1ヶ月(もしくは2週間)自分なりに練習。
1ヶ月(もしくは2週間)に一度、テキスト通りに読んだ音を根石さん
(あらかじめ範囲を課題として出してもらう)に提出。
その後、出来れば、根石さんの音声で、訂正&アドバイスをお願いしたいです。
そのほかわからないことは、普通のレッスンと同じように掲示板で質問する。
何ヶ月かに1回は、生レッスンも付けて欲しいです(*^_^*)
お月謝は、スカイプレッスンと同じでいいと思います。
こんな感じで、お願い出来ませんか??
というか、個人的にお願いしたいくらいです。
しかし、ハノイからでは、携帯рヘ使えないので、日本へ
帰国してからになってしまいますね(^^;)
ゆっくり母さんがおっしゃっていた、ソフトを使ったりして出来れば
いいのですが、、、
スカイプレッスン第1号だったので、(違ったかな??)通信教育も
第1号を狙いたいのですが。。。
そうそう、ゆっくり母さんの書き込みを見て思ったのですが、私も
今までのレッスンを録音しておけば良かったと思いました。
いつか、根石さんのスカイプレッスンを受けれる日が来た時は、是非、
録音したい。と思いました。
いつも、KY(死語ですか?)な書き込みですみません(^^;)
【13051】
ちえさん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月13日(土)17時42分28秒
改めて書くつもりですが、私のイメージに近いです。特に
>お月謝は、スカイプレッスンと同じでいいと思います。
というところが。基本的に「電話&スカイプでレッスン」と同等のもの、という考え方が良いと私は思っています。
>何ヶ月かに1回は、生レッスンも付けて欲しいです(*^_^*)
これも良いですよね。常設の枠でなければ工面できないですかね、根石さん。
携帯を使うのは、あくまで、多くの人にとってパソコンで音声を録音する、ということのハードルが高いと思われるからです。スカイプが使える方なら、パソコ
ンでの録音、送信は問題ないかと。
それと、これは根石さんに対しての質問になりますが、基本的な確認をしていませんでした。携帯で録音した音を携帯で聞いて(イヤホン使用という最善の環境
で聞いたとして)、指導に耐える音質を確保できていますでしょうか?ここが確認されませんと、携帯使用は絵に書いた餅、になってしまいますので。
【13052】
えいぎょうぶちょーって誰? 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月13日(土)21時40分56秒
>らくだ兄さん、
そらちょっと冗談がすぎまっせ、と、ふざけてる場合ではないですね。
>>あの教材がただというのがすごすぎる。
>ただで配布という事ではなく、通信教育は、あのスゴイ教材費込み、という考え方が良いと思っています。教材を適正な価格で売るということがあっても良い
のではないか、というのが通信教育案の骨子の一部と思っています。ただし、教材だけを販売して「あとはご随意に」という考え方を根石さんは良しとされませ
んので、携帯レッスンとセットで、ということになるわけです。ご指摘の通り、真剣な方は教材の善し悪しに厳しいですね。そして、最近は英語のできる方も多
いので、より見る目が厳しくなっていると思います。
賛成です。他なら絶対教材費を取られるのが当たり前ですよね。ただあの根石さんの教材に本来の値打ちどおりの値段がついたら・・・高嶺の花ですが(冷や
汗)。
>教材の公開ですが、公開するのはあくまでサンプルですので、分量は少なくて良いと思います。要は、教材の構成、「復習範囲を手放さない」という素読舎の
基本方針が教材にどのような形で実現されているかがわかれば良いと思います、それは一見してわかるでしょう。根石さんに送っていただいた教材(「ゴース
ト」でした)は、単なるテキストファイル1つでしたが、ダブルクリックで開いた瞬間に「こりゃスゲー」と唖然としたものです。
これも賛成です。受講者だけがネットで調べているわけではないですから。横取りされるのは嫌でおじゃる。
この通信の対象と想定されているのが自分でここにたどり着いて、「こいつはすごそうだ」と思った方だとすれば、随喜の涙の提案で、らくだ兄さんには礼状が
たくさん届きそうですね。
スカイプを使える方であるなら、パソコンの録音ソフトで対応した方が返信メールを打つ手間よりも根石さんの負担が軽くてすむように思いますが、いかがなも
のでしょう?直接声でアドバイスを録音できますから。
この掲示板を読んで、素読舎に惚れて、という受講者を想定されるなら、今回の江戸の母さんのように何がなんでも録音ソフトくらい手に入れてやるって、気合
が入りそうな気がします。って、自分を基準にしちゃだめかな?
選択肢が携帯と両方というのは難しいですか?
【13053】
ゆっくり母さん、こんばんは 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月13日(土)22時37分33秒
>ただあの根石さんの教材に本来の値打ちどおりの値段がついたら・・・
なにしろ規格外ですからね。値段はつかないと思います、本来は。
>この掲示板を読んで、素読舎に惚れて、という受講者を想定されるなら、今回の江戸の母さんのように何がなんでも録音ソフトくらい手に入れてやるって、気
合が入りそうな気がします。
そうですね。そういうことは言えると思います。ただ、誰でも気軽に申し込めることを重視する場合は、音声録音のハードルは下げておく方が良いのではないか
と思います。できる方が想像する以上に、パソコンって意外となじみにくい代物だと思いますよ。ともかく、携帯に関しては音質に関する検証が必要と思いま
す。音質がOKなら、受講生側の選択肢は2つで良いとは思います。
問題は素読舎側ですね。指導をテキストベースで行うか音声で行うか。ちえさんから音声希望の声がありましたが、私も音声の方が魅力的、かつ結果的に楽に多
くの情報を発信できるような気がします。ここは根石さんのお考え次第というところですが。
【13054】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月13日(土)23時22分49秒
ゆっくり母さん、ちえさんとのやり取りで書いたことと重複しますが、根石さんの試案に関して思うところを整理しておきたいと思います。
まず、一般論から入りますが、通信教育の場合、期間、回数、分量の3つの点で枠を設定するのが定石と思います。それは、コストと利益のバランスという点か
らだけでなく、受講者と認識を共有し、無用な行き違いを防ぐという意味もあります。
その点で言いますと、根石さんの試案ですと枠がゆるすぎますので、あまりに受講者側の利益に偏っていると思われます。5,000円という受講料に対する
サービスとして、たとえば有効期間は3カ月、指導回数は1回、分量に関しては課題文の分量で設定する、というようにしておくのが良いと思います。
ただ、私は通信教育と「電話&スカイプでレッスン」とは同等であるという位置づけが良いと考えています。通信教育には、その場で発音を直していく良さはあ
りませんが、逆に「電話&スカイプでレッスン」では得られない利便性があります。そういう意味で、どちらもそれぞれの特徴と価値があると考えて良いと思い
ます。
私の当初イメージは、1回5,000円で行われる「発音クリニック」的なものというより、発音指導付きの「英語力強化総合コース」という感じのもので、受
講期間6カ月、指導回数6回、受講料72,000円(教材料含む)といった感じです。
1回5,000円方式は、独習指向が強く、それがうまくいっている方の場合、非常に魅力的だと思います。5,000円でいつでも発音のチェックができるわ
けですので。しかし、多くの「挫折組」の場合、やはり、ゆっくり母さんが述べられているように「この教材とこの指導法、私の英語は素読舎に任せてついてい
けば何とかなる」感があるほうが良いのではないかと思います。
当初は上記のような、一括先払い方式のよくある通信講座のイメージを持っていたのですが、ちえさんのご意見を読んで、月謝制の方が良いかもしれないと感じ
ました。教材は一度に提供するのではなく、あらかじめ小分けにしておいて、進度に合わせて提供していく形が良いだろうと思います。
受講者第一号の予約が入っているわけですので、まずは、ちえさんにパイロットユーザーになっていただいて、始めてみるのも手かと思います。
【13060】
(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月14日(日)03時26分1秒
らくださん
>やり取りしていてふと思ったのですが、何か妙な気分ですね。通信講座の企画を公開でやっているなんて。普通こういうことは企業秘密に属する事なわけです
が。
そうなんでしょうね。ということは、やはり、素読舎は「企業」ではないというお墨付きをいただいたような気がします。経営じゃなくて、職人仕事をやって
いきたいのです。いや、経営もやらなくちゃいけないのですが、経営が職人仕事の質に障る場合は、経営を蹴飛ばして大損したりしてきました。馬鹿は死なな
きゃ直らないっていうことだと思います。
らくださん
>公開で始めてしまったのですから、他の方もご意見やご要望を寄せられてはいかがでしょうか。
他の方のご意見・ご要望をお聞きしたくて、公開にしました。いろいろアドバイスいただけたこと、ありがたく思っています。続けて、忌憚のないところをお
書きいただきたく思います。
ゆっくり母さん
>5000円という価格は受ける側から考えたら手ごろだけれど、根石さんの労を考えるとどうなの?と。携帯電話のほうが気楽な感じでやれそうですね。
携帯を使って「手軽」、じゃあ、値段も「手頃」ってのがいいと思って、5000円という額を考えたのでした。やってみなければわかりませんが、やってや
れないことはないような気がしています。どうしても駄目なら、値上げさせてもらうことは可能だと思います。若くて貧乏だけど真剣な人が使えるような内容と
値段にしなくてはいけないとも思っています。
「根石さんの労」についてですが、「スカイプ(電話)でレッスン」をやってきて、発音上で生徒がぶつかる問題というのは、だいたい同じだということがわ
かっています。例えば、「一瞬般若」を例にとれば、「もうちょっと口の両端をひっぱり上げて」「口の両端が一番上がっているときにタイミングを合わせて
『あ』と言って」「もう十分いい音が出ているから、顎の下げを加えて」くらいのヴァリエーションがあるだけです。ということは、これを定型文にしてテキス
トファイルに書いておけば、生徒さんに送るメールには、定型文をコピー・ペーストすることで、アドバイスができます。
>発音矯正テキストってどんなのかまた好奇心がうずうず。
これは五歳の子に英語をやらせたいという要望があって作り始めたものです。途中まで作って、これ、中学生に使わせても役に立つぞと思いました。もちろん
大人の人にも役にたちます。ある程度できたら、スカイプでお送りします。
>教材公開のときに「複製禁止」みたいなロゴ?を入れて、根石さんの利益が守られるようにしていただきたいな〜、と。自分はただで受け取っておいてなんな
のですが・・・。
いや、複製なんかしてもらっていいと思っています。複製したはいいが、これ、どうやって使うんだ? ということになるに決まっています。
>特に子供相手の場合、根石さんという方があっての指導だと思っていて、同じ教材を使って「子供を壊す」指導も可能だと思いますから、その点は子供を守る
意味でも大事じゃないかと母親の勝手で考えます。
あの教材は、素読ということが理解できていないと使えません。使えないので、子供に害は及ばないと思います。素読がわからない人には、あの教材がなんで
あんなふうにできているのかもわからないはずです。
逆に、素読を理解できる方には、どんどん使ってもらいたいと思っています。
ただし、あれを作ったのが素読舎だということを伏せて使われるのはいやです。それをはっきりさせてくれるなら、どなたにも使っていただきたいと思ってい
るのです。貧乏なので、フリー・ソフト扱いはできませんが、せいぜいシェア・ウェア程度のものにとどめておきたいと思っています。ゆっくり母さんは、じか
に私のレッスンを受けてくださり、シェア・ウェアの代金を払って下さっているのです。これはこう使えると思われたなら、お好きなようにお使い下さい。私の
方は、基本的にはこう使うっていうのを提示させてもらっています。
らくださん
Infoseek へいただいたメール読んではおります。お返事は少しお待ち下さい。
>良い教材を作るのは、本当にたいへんです。ですので、教材を安売りする事はすべきではないと思います。
ええ。ありがとうございます。私も安売りするつもりはありません。ですので、「ただ」です。「ただほど高いものはない」と申しますから、たぶん私の教材
は最高値がついています。
あれを流用して、自分の金もうけに使いたい人はやってみたらいいとも思っています。金なんかもうかりゃせんから、とも思っています。
>教材の公開ですが、公開するのはあくまでサンプルですので、分量は少なくて良いと思います。要は、教材の構成、「復習範囲を手放さない」という素読舎の
基本方針が教材にどのような形で実現されているかがわかれば良いと思います、それは一見してわかるでしょう。
はい。サンプルとして提示するつもりです。「それは一見してわかる」かどうか。これまでに何人もの人に、手数料などの実費(千円)をいただいてお送りし
てきましたが、何の反応もありませんでした。「一見してわかる」のは、らくださんが、英語教材作りの業界にいるプロだからではないでしょうか。
>印刷不可、テキストのコピー不可、紙面には、おっしゃるような「素読舎」の文字を透かしで入れておくのも一案です。
いや、公開するのはサンプルだけですから、pdf化等のお手数をわずらわせるまでもないと思います。14万行のうち、3万行を公開しても、それだけでは
どうにも使いようがありません。ただ、こういう教材の作り方があるのかと思ってくれる人がいてくれればいいなと思います。そう思ってくれたなら、そう思っ
た人にご自分で作ってもらうことになります。
丸裸のテキストファイルを掲載するのでいいと思っています。
【13069】
(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月14日(日)14時39分15秒
>村田さん、よろしければpdf化のお手伝いいたします。
実務より、アイディアをいただくのが有り難いです。そのうちにこちらからお願いするようなことがあるかもしれません。重複しますが、今はpdfは考えて
おりません。
ちえさん
>何ヶ月かに1回は、生レッスンも付けて欲しいです(*^_^*)
携帯を使って仕事でやる場合は、「生レッスン」は考えていません。ある程度、作業を定型化せざるをえません。「なまもの」はあくまでも「スカイプ(電
話)でレッスン」だけのものとしたいと思っています。
>お月謝は、スカイプレッスンと同じでいいと思います。
「なまもの」でなく、定型作業になりますので、スカイプや電話でのレッスンよりは安く使えるようにしようと思っています。メールがありがたいのは、何日
の何時何分にはスカイプを立ち上げて机の前にいなくてはならないというふうに「体の動きを縛られる」ことがないことです。体が空いているときに、机の前に
座り、立て続けに数人の方にメールを送るというふうなことができます。気が滅入って何もする気になれない時は、翌日にまとめて仕事するというふうな繰り回
しができます。その辺が私には魅力があります。
「スカイプ(電話)でレッスン」とは基本的にまるで違うものとして考えています。
らくださん
>>何ヶ月かに1回は、生レッスンも付けて欲しいです(*^_^*)
>これも良いですよね。常設の枠でなければ工面できないですかね、根石さん。
「なまもの」は携帯からアクセスされる方にはやるつもりがありません。携帯からアクセスしてこれはいいと思った方は、「スカイプ(電話)でレッスン」を
検討していただきたいと思っています。また、私一人で対応できなくなったときは、生徒さんを引き受けて下さる人が誕生してくれることが以前からの切なる望
みです。しかし、いまだ生徒さんを預けるべき人が育ちません。
>携帯を使うのは、あくまで、多くの人にとってパソコンで音声を録音する、ということのハードルが高いと思われるからです。スカイプが使える方なら、パソ
コンでの録音、送信は問題ないかと。
音声ファイルは携帯間で有効な形式のものをメールに添付してもらって、私の携帯電話だけで受けようと思っています。音声ファイルについては、携帯とパソ
コンの間に「敷居」があるのがわかりましたので、やる場合は、あくまでも「敷居の低い」携帯同士でやっていくつもりです。らくださんが最初に提示して下
さった考えも、携帯を使えば「敷居を低くできる」というのが最大のポイントだと思っています。これは、非常に有り難いアイディアでした。
携帯で聞く場合の「音質」ですが、多分、イヤホンを使えば大丈夫だと思います。携帯のスピーカーではちょっと無理があるかなという感じです。
今日、村田君が自分で He has got a gun.
を回転読みした音声ファイルを私の携帯に送ってくれたようです。これを、明日以降、イヤホンで聞いてみるつもりです。
ゆっくり母さん
>らくだ兄さん、
そらちょっと冗談がすぎまっせ、と、ふざけてる場合ではないですね。
いやいや。「営業部長」に任命したいと思っているのは、らくださんだけではありません。以前にも書きましたが、素読舎の最大の欠点は「営業」ができる人
がいないことです。私駄目、私の女房駄目、娘駄目、孫はもちろん駄目、村田君も、うむむ、待てよ、村田君は江戸の母さんに営業してくれたのかも。(そう
だったら有り難う!)まあ、でも、村田君もそんなに「営業」向きではないですね。
「営業」に向いているのは、「営業」なんか意識しないで、「いいよ、これ!」と言明して下さる「母さんたち」ですね。もう、清水の舞台から舞い上がるつ
もりで(どういうつもりなのか?)、営業部長を引き受けてしまって下さい。「どんとこい」と一言、言って頂けるのを願っております。
そうすると、私は今後、「ゆっくり母さん」と呼び掛ける代わりに、「部長!」と呼びかけることができます。やってみたいもんです、部長!
>スカイプを使える方であるなら、パソコンの録音ソフトで対応した方が返信メールを打つ手間よりも根石さんの負担が軽くてすむように思いますが、いかがな
ものでしょう?直接声でアドバイスを録音できますから。
「直接声で」よりもメールで対応する方が私は楽です。定型文を100〜200程度用意しておけばたいがいの発音問題に対応できると思います。「直接声
で」というのは、あくまでも「スカイプ(電話)でレッスン」だけのものとさせていただく所存です。
>今回の江戸の母さんのように何がなんでも録音ソフトくらい手に入れてやるって、気合が入りそうな気がします。
必要なことに気合いが入るのはいいんです。パソコンで音声をいじれるようになるようにというようなことを、こちらから生徒さんに要請することはしないで
やっていこうと思います。江戸の母さんには、スカイプを導入して下さっただけでも有り難いことだと思っています。(村田君、ももこさん、ありがとう)
今の段階では、携帯から携帯に音声ファイルを送る。それを私が携帯で聞くっていう程度の携帯回り、パソコン回りの技術のレベルだと思います。数年すれば
がらっと変わっているかもしれませんが、今はそんなレベルです。MS−DOSの頃からパソコンをいじってきて、「あの努力と労力は何だったんだ?」という
ような思いを何度も味わいましたので、生徒さんには低い敷居をまたいでもらうのがいいと思っています。
【13071】
(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月14日(日)14時44分7秒
>選択肢が携帯と両方というのは難しいですか?
難しいです。携帯同士でやりたいと思っています。
らくださん
>問題は素読舎側ですね。指導をテキストベースで行うか音声で行うか。ちえさんから音声希望の声がありましたが、私も音声の方が魅力的、かつ結果的に楽に
多くの情報を発信できるような気がします。ここは根石さんのお考え次第というところですが。
音声をホームページに掲載した場合、その上、携帯で音声を送るような手間はかけられません。多くの情報を発信できるかどうかより、的を射た情報が発信で
きるかどうかの方が重要だと考えています。定型化した指示(決まり文句)の方が、的を射た情報になると思っています。この生徒には、定型化した指示をメー
ルに貼り付けるよりは、じかに電話した方がいいと思ったときは、電話代こちら持ちで電話するようなことはすると思います。
>通信教育の場合、期間、回数、分量の3つの点で枠を設定するのが定石と思います。それは、コストと利益のバランスという点からだけでなく、受講者と認識
を共有し、無用な行き違いを防ぐという意味もあります。
期間3ヶ月というのがいいと思いました。5000円で3ヶ月っていうのはいいなあ、と。なんらかの効果があるんなら、俺もやってみたいなと。回数は、
10秒録音なら60回です。10秒でひとつのポイントを扱うっていうのが、「分量」に対する考えになるでしょうか。
「発音矯正用テキスト」を60項目で作ることを考えています。
コストはほとんどかかりません。かかるのは、教材作成の手間と、音声ファイルを作るなどの労力だけです。家の薪ストーブの薪づくりみたいなもんです。利
益は、そうですね、数万円あればいいかな、と。受講者と認識を共有するのは、絶対に必要だと思いますが、「大風呂敷」を読んで申し込まれる方だと、かなり
の確率で認識は共有できると思っています。この掲示板は、フリークを常時蹴飛ばしているような掲示板ですから。
>通信教育には、その場で発音を直していく良さはありませんが、逆に「電話&スカイプでレッスン」では得られない利便性があります。そういう意味で、どち
らもそれぞれの特徴と価値があると考えて良いと思います。
利便性をとる方は利便性で使っていただけばいいのですが、「なまもの」で得られるものは得ることができません。私のレッスンの「なまもの」の質の方が、
利便性から得られる質よりも「上」だと思っていますので、同じ価値として秤が釣り合うものとは考えられません。従って、携帯を使ったレッスンの方が安くな
ります。
>私の当初イメージは、1回5,000円で行われる「発音クリニック」的なものというより、発音指導付きの「英語力強化総合コース」という感じのもので、
受講期間6カ月、指導回数6回、受講料72,000円(教材料含む)といった感じです。
1回5000円ではなく、10秒録音でしたら、60回で5000円です。
これは「発音クリニック」的なものです。
「英語力強化」は、6ヶ月では無理です。
6ヶ月でも十分なのは、腹を据えた「独習」だけです。これにはお金が要りません。十代後半の最高に体力のあるときに、「英語を殺す」つもりでやるといい
と思います。その場合に、5000円使ってあるかないかで、その後の英語の生き死にが大きく左右されることはあると思います。そういう5000円レッスン
をやりたいのです。
6ヶ月という期間を設けないなら、「abcd」「ゴースト」などの教材を使った「携帯レッスン」を別に考えたいと思います。それは、「発音レッスン」が
もしも軌道に乗ったら、ということになると思います。
「受講期間6カ月、指導回数6回、受講料72,000円(教材料含む)」という感じのものは世の中にあるのは感覚でわかります。しかし、自分がこれをや
ると考えると、目の玉が飛び出ます。気が弱いので、精神衛生上よくありません。
>しかし、多くの「挫折組」の場合、やはり、ゆっくり母さんが述べられているように「この教材とこの指導法、私の英語は素読舎に任せてついていけば何とか
なる」感があるほうが良いのではないかと思います。
それはすでに実現していると思います。それをやっているのが、「スカイプ(電話)でレッスン」です。どこかで「激しい練習=独習」を組み込めれば、「ス
カイプ(電話)でレッスン」は元がとれます。
>教材は一度に提供するのではなく、あらかじめ小分けにしておいて、進度に合わせて提供していく形が良いだろうと思います。
発音のレッスンの場合は、教材はホームページにあらかじめ掲載しておきたいです。個々の生徒さんにこちらから、メール一通ずつで渡すことはする予定があ
りません。
「英語力強化総合コース」の場合は、教材はホームページに掲載しません。スカイプでファイルを送るか、CDRに焼いて郵送することになると思います。
「ABCD」「ゴースト文法解析=イメージ核受肉用教材」を使ったレッスンは、まだ構想ができません。発音レッスンがもしも軌道に乗れば、その後考えた
いと思っています。
ももこさん
>留守番電話っていう手段はいかがでしょうか?
さすが、頭が柔らかいと息を深く吸い込みました。
スカイプのヴァージョン・ダウンを提示されたときに、おおっと、これは考えつかなかったぞと思いましたが、今回も同じ思いを持ちました。(ヴァージョ
ン・ダウンは江戸の母さんと村田君で採用し、うまくいったようです。ももこさんは、頭がやわらかいよなと、今日村田君とスカイプで話しました。ありがとう
ございました。)
さて、留守番電話ですが、生徒さんが留守番電話に吹き込むつもりで電話しても、うちの者が電話をとってしまうことを避ける方法がありません。孫が電話を
とり、「えっ? 何? なんでそんなこと言ってるの?」としゃべり、生徒さんの気迫がそがれるといけません。
留守番電話機能を使うなら、それ専用の電話回線が必要になります。悲しいですが、専用の電話回線を引くお金がありませんので、こちらはひとまずパスか
な・・・・、と。
いろいろと皆さんに考えていただきありがとうございます。
引き続きお願い致します。
【13076】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2008年12月14日(日)15時11分50秒
本当に何もわかっていなくてすみません。
通信講座の件、了解しました。
スカイプでレッスンの時も、やってみて初めて、レッスンの良さが
わかったので、通信講座も素読舎にお任せしておけば、間違いないと思います。
春に本帰国が決定しましたので、日本で、根石さんのレッスンを(通信講座)再開出来る事
を楽しみにしています。
【13080】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月14日(日)17時21分52秒
>期間3ヶ月というのがいいと思いました。5000円で3ヶ月っていうのはいいなあ、と。なんらかの効果があるんなら、俺もやってみたいなと。回数は、
10秒録音なら60回です。10秒でひとつのポイントを扱うっていうのが、「分量」に対する考えになるでしょうか。
「発音矯正用テキスト」を60項目で作ることを考えています。
このテキストのボリュームはどのくらいのものになるのだろうか、と思いました。英文本数が何本あって、すべてを読んだ場合に何分ぐらいになるか、というこ
とです。
英文を10分読むというのは結構な分量になると思いますが、10分以内で読み切れる分量の教材が1つということだとしますと、この講座を受ける受講者の英
語学習のイメージはこういう感じになるかと思います。
普段の学習は、書籍など自分で選んだものを中心に学習する。発音のチェックと向上に関してのみ、素読舎の講座を使用する。まずはホームページに公開されて
いるテキストと音声で独習。おそらく、それで満足してしまう方もいると思われます。チェックしてみたいという方は、5000円を支払って指導を受ける。受
講期間が3ヶ月あるので、たとえば、2週間ごとにチェックを受けることを計画。10分を6回に分けることにし、隔週で2分弱ずつ録音して提出する。3ヶ月
で根石さんの「卒業証書」が得られれば、あとは、また独習に戻る。得られなければ継続して、あるいは、しばらく独習をしてから再チャレンジ。
これは、やる気のある独習者には、ありがたいシステムだと思います。ただ、やってみて効果を実感したら、やはり、継続して受講できるものが欲しくなるよう
な気がします。
私の案の6ヶ月コースというのは便宜的な期間設定であり、将来的には、ちえさんご提案の月謝方式が良いと思っています。
>のレッスンの「なまもの」の質の方が、利便性から得られる質よりも「上」だと思っていますので、同じ価値として秤が釣り合うものとは考えられません。
従って、携帯を使ったレッスンの方が安くなります。
であれば、月謝をその分安く設定するということになるかと思います。この携帯レッスン本格版の場合、「電話&スカイプでレッスン」のように、週に1回、根
石さんの音を手本にするということができませんので、ちえさんがおっしゃるように、教材の音声版が欲しくなるだろうと思います。
この音声の作成がたいへんであれば、どうなんでしょう。「ゴースト」なら、まずは手本なしでスタートして根石さんの指導を受けつつ、「CD使ってOK」が
出たところで映画のDVDないし、スクリーンプレイ社から発売されている別録りのシナリオCDを購入して、それを媒介に練習しつつレッスンを続ける、とい
う感じか、と思いました。
【13081】
語学場 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月14日(日)20時04分15秒
掲示板が、建設的な話で盛り上がっていますね。
もし発音チェックが、今話題になっているような低料金で、期間限定で受けられるなら、ぜひ自分も受講してみたいと思います。
そういう形で、とりあえず素読舎を体験して、そのあと電話・スカイプでレッスンを受けるなり、掲示板等を読みながら自分で素読を試みるなり、そこからいろ
いろなかかわりが広がっていくといいですね。
自分が体験せずに言うのもなんですが、素読舎の電話やインターネット回線を使ったレッスンは、ある意味とても不思議な空間であるような気がします。
通常、そういう双方向的な通信手段を導入して試みようとするのは、英語を使ったコミュニケーション、つまり、擬似的な「磁場」空間、「磁場」のものまねだ
ろうと思います。
ところが、素読舎では、どのような上級者のレッスンでも、そこで行われるのは「素読」であり、あくまで「語学」の場であることが貫かれています。
だから、根石さんが豪語されるとおり、素読舎のテキストも「語学」という場を離れては、つまり素読ということを理解しない限り、使用不能なものなのでしょ
う。
そう考えると、素読舎のレッスンの中心はあくまで素読(技法グラウンド)であり、素読舎の音作りがどんなにすぐれたものであっても、その副産物であるとい
う気がします。
音作りの部分を切り離して、とりあえず低価格で提供するというのは、その意味でも理にかなったやり方のように思えます。
【13082】
素読の会 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月14日(日)21時30分43秒
前の記事を書きながら思いついたことを書きとめてみます。
これは、今検討されている通信教育とは別の、将来的な方向性の話になりますが。
今は、レッスン生やその父母の間で新しいネットワークが出来つつあるように思えます。
これは、私にも意外だったのですが、根石さんの考え方が、そのこわもてや、商売下手の外見?を取り去ってしまえば、かなりの訴求力、浸透性があるというこ
とだろうと思います。
彼ら・彼女ら(もちろん私も含めてですが)の間で、素読という方法が充分咀嚼され、各人が使いこなせるようになった場合には、スカイプ等を通じて自主練習
の場所が設定できるようになるだろうと思います。
そういうものは、以前にもあった(ある)ようですが、Naimaさんや吉さんなど、上級者の英語の練習に限られている感じがありました。
そうではなくて、レベルも年齢も様々で、英語に限らず、他の言語や日本語やその古文の素読も含むような、素読の場所のネットワークができたらいいと思いま
す。
日本語の素読であれば、学習のための子どもの素読に、親でも先生でもない大人がつきあうといったおもしろい関係が生まれそうです。
たとえば、江戸の母さんは花田清輝がお好きということですが、花田の文を素読するような場所があれば、ぜひ私も参加してみたいです。
素読舎のHPや掲示板を舞台にして、素読の募集や情報交換が頻繁に行われるようになれば、それらを利用し学ぶ見返りとして、低額の会費をとって、会員制に
できたらと思います。年額3千円とか5千円であっても、会員の裾野が広がれば、根石さんにとってもある程度の経済的な支援になるだろうと思います。
根石さんの絶品エッセイが、メルマガで読める特典もあればいいですね。
電話でレッスンの初期の頃に、根石さんは、これは、教える側にとっても教えられる側にとっても、「語学」を継続するためにものであり、学校英語を転倒さ
せ、語学の方法を普及させるための、一種の思想運動的なものであるというようなことをどこかに書いていたと思います。
「素読」普及、実践のための、素読の会がいずれできればいいなと、ふと考えました。
【13087】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月14日(日)23時05分29秒
ご意見ありがとうございます。
>もし発音チェックが、今話題になっているような低料金で、期間限定で受けられるなら、ぜひ自分も受講してみたいと思います。
今は気が重いですが、まずはテキストを作ることから手をつけようと思っています。
【13088】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2008年12月14日(日)23時28分22秒
ありがとうございます。通信教育、第1号。。。実現すると嬉しいです。
根石さんのレッスンを受ける前だったら、無料レッスンに飛びついた事
だろうと思いますが、知ってしまった今、無料でお願いするのは図々しいかと
思います。せめて、半額で。。。(それも図々しいですね(^^;))
春から、帰国しますが、実は、主人はまだベトナムに残ります。
家族は一緒に生活する方がいいとベトナムへ付いて来ましたが、
主人がとても忙しく、ベトナムに居ても、主人が居ない生活が
多い事や、次男の喘息の発作がベトナムでのみ起こる事など。。。
その他もろもろ。。。主人の帰任まで、別々に暮らすことになりました。
私は、ベトナムの生活を結構楽しんでいたので、このまま居てもいいかな??
と思ったりしましたが、夫婦で話し会い、そう決めました。
子供達もいつも忙しくしているパパよりも、いつでも遊んでくれる日本の
おじいちゃんおばあちゃんの側に居たいようです。
駐在妻ではなくなりますが、英語を勉強したい気持ちに変わりはありませんので、
これからもよろしくご指導下さい。
【13089】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月15日(月)06時36分52秒
>>「発音矯正用テキスト」を60項目で作ることを考えています。
>このテキストのボリュームはどのくらいのものになるのだろうか、と思いました。英文本数が何本あって、すべてを読んだ場合に何分ぐらいになるか、という
ことです。
テキストの分量は大したことありません。現在までの30項目くらい作ってあるのですが、A4で10枚になりません。60項目で十数枚程度です。すべてを
読んだ場合、10分程度に収めたいと思っています。
>普段の学習は、書籍など自分で選んだものを中心に学習する。発音のチェックと向上に関してのみ、素読舎の講座を使用する。まずはホームページに公開され
ているテキストと音声で独習。おそらく、それで満足してしまう方もいると思われます。チェックしてみたいという方は、5000円を支払って指導を受ける。
受講期間が3ヶ月あるので、たとえば、2週間ごとにチェックを受けることを計画。10分を6回に分けることにし、隔週で2分弱ずつ録音して提出する。3ヶ
月で根石さんの「卒業証書」が得られれば、あとは、また独習に戻る。得られなければ継続して、あるいは、しばらく独習をしてから再チャレンジ。
そうですね。「通信教育」の場合は、「普段の学習」が必須のものになります。
「スカイプ(電話)でレッスン」は、やる気になったらどかんとやるが、普段はレッスンだけ継続していくという使い方ができます。どんどん力をつけるとい
うことは、レッスンとは別にどかんとやってもらい、レッスン自体は英語を「錆び付かせない」ために、「守り」、「保守」のために使うことができるというこ
とです。
どかんとやる[↑]、保守する[→]、放置する[↓] というふうに、矢印で簡略に示せば、放置する[↓]
人が、それを継続すると、どかんとやる[↑]が「できなくなる」か、保守する[→]べきものまで「失ってしまう」。普段、保守する[→]を継続していれ
ば、地力ができてくるので、どかんとやる[↑]可能性が生まれてくる。どかんとやる[↑]は、「スカイプ(電話)でレッスン」でも本人の独習・独学にまか
されています。
「スカイプ(電話)でレッスン」は、どかんとやる[↑]可能性へ向かって普段から歩きつづけているためのものです。
「通信教育」の場合は、このあたりは自分で自覚してもらう必要が出てきます。
ホームページに公開されているテキストと音声で独習し、発音チェックを受けないという使い方は歓迎しようと思います。お金もかからないし、この独習だけ
で大きく自分の発音を変えてしまう方がたくさん出てくれば一番いいことです。
期間3ヶ月のうちに、60項目のチェックを受けるというというふうに、項目の数で数えたいと思い始めました。1項目の録音が「およそ10秒」になるよう
に、吹き込み箇所を設けます。1項目の録音を60回のメールに添付するのでもいいし、2項目の録音を30回のメールで送るのでもいい。3項目の録音を20
回でもいい。いや、この3種類のどれかで送ってもらうと決めた方がいい、と今思いました。
項目には1番から60番までの番号をつけます。1〜3項目程度を録音し、1回のメールに添付して送ってもらい、1番から始めて60番まで終えたら終了で
す。私がOKを出すかどうかに関わりなく、60番まで終えたら自動的に終了になります。私からのメール返信は、問題がなければOKを出しますが、主体は、
注文をつけることにあります。「もっとここをこうしろ」という指示を定型文で返信します。
鵜田さんは30音を提示されていますが、私もだいたいそんな程度のポイント数になります。60項目の後半は、一種の「乱取り」であり、具体的な「英文ま
るごと」を読んでもらうことになります。
アフターケアは、レッスン修了後、再度ホームページのテキストと音声ファイルで独習してもらい、「大風呂敷」で質問してもらうことで行います。その頃
に、過去の修了生が新たな修了生にアドバイスできるようになっていてくれれば、「通信教育」用の掲示板を新たに設置すればいいと思います。普段は、修了生
が話す場所として使ってもらい、私が出向く必要がある場合は、「大風呂敷」で呼び出してもらうというような掲示板の使い方になります。
>この携帯レッスン本格版の場合、「電話&スカイプでレッスン」のように、週に1回、根石さんの音を手本にするということができませんので、ちえさんが
おっしゃるように、教材の音声版が欲しくなるだろうと思います。
本格版の方は、発音版がうまくいってから考えたいと思います。
語学の過程では、ネイティヴの発音じゃ駄目という(一見)乱暴な考えが私にありますので、本格版を作る場合にも、私が吹き込みをやろうと思っています。
英語ネイティヴの発音は、「語学の(発音の)過程」を経て、ネイティヴ音を媒介にできるようになってから扱うべきものです。これは私のいつもながらの言
い分で、多分らくださんには了解していただけているものと思っています。
【13091】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月15日(月)07時12分45秒
素読の会、是非立ち上がって欲しいものだと思っています。
ひとつのグループで花田を素読し、もうひとつのグループが吉本を素読し、掲示板で激論になったりすれば、吉本や花田が喧嘩した意味があります。「戦後」
が継承されることになりますから。
matsu さん、是非、素読の会の幹事をやって下さい。
「スカイプ」は使えます。
>日本語の素読であれば、学習のための子どもの素読に、親でも先生でもない大人がつきあうといったおもしろい関係が生まれそうです。
そうです。先生なんかやったことはないけど、昔から好きでこの古典を何度も読んできたんだというような人が、子供達とグループになってもらい、素読の
コーチをやってもらうことなどが成り立てば最高です。
「知的グループ員ども(大学教員その他)」のものでなく、国家のプロパガンダのためのものでなく、人々(民衆)の武器として素読をつかみなおすことがい
いと思います。
素読の会の規約はひとつあり、「素読を国家に使わせない」という項目になります。
>たとえば、江戸の母さんは花田清輝がお好きということですが、花田の文を素読するような場所があれば、ぜひ私も参加してみたいです。
双方に時間がとれるようなら、さっそく江戸の母さんとスカイプで始められたらどうですか。いいと思いますよ。
>素読舎のHPや掲示板を舞台にして、素読の募集や情報交換が頻繁に行われるようになれば、それらを利用し学ぶ見返りとして、低額の会費をとって、会員制
にできたらと思います。年額3千円とか5千円であっても、会員の裾野が広がれば、根石さんにとってもある程度の経済的な支援になるだろうと思います。
ありがとうございます。会費というのは思いつきませんでした。500円とか1000円くらいがいいと思います。
>根石さんの絶品エッセイが、メルマガで読める特典もあればいいですね。
インターネットが普及するまでは、同人誌などに書いていたので、その頃のものも電子データにできればいいがとは以前から考えていたのです。生活にかまけ
て、まるで手をつけられません。入力のヴォランティアのようなことをしてくれる人が一人いないと実現はしないだろうと思っています。
どうですか。素読の会、第一号分派、花田を素読する会。
江戸の母さんが時間をとってくれれば、すぐに始められます。
素読は最低二人いればすぐに始められるのがいいところです。
【13093】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月15日(月)08時49分20秒
だいぶ骨格が見えてきたように思います。
期間:3ヶ月
分量:60項目を一通り(通しで10分程度の英文量)
回数:最少20回、最大60回
これで私が気になることを挙げるなら、やはり回数でしょうか。1回の提出の量が少ないといっても、一人の受講者とのやりとりの最大値が60回というのは、
多い気がします。
週1回チェックを受けるとしても12回ですし、1ヶ月練習して20項目を3回でチェックしたいという方もいるような気がします。であれば、「原則として
12回まで」という感じにしておき、携帯の機能の制限上、それが無理な場合は「応相談」ぐらいが適当ではないか、と感じました。
音質について自分でイヤホンでやってみたのですが、ややクリアさに欠けると思いました。私には判断できませんが、この点が心配です。
アフターケアの体制はすばらしいと思います。加えて、また5,000円支払えば再度チェックが受けられると良いと思いました。
>語学の過程では、ネイティヴの発音じゃ駄目という(一見)乱暴な考えが私にありますので、本格版を作る場合にも、私が吹き込みをやろうと思っています。
これは朗報です。他に無い魅力的な通信教育になると思います。
> 英語ネイティヴの発音は、「語学の(発音の)過程」を経て、ネイティヴ音を媒介にできるようになってから扱うべきものです。
それだけに、「発音レッスン」が成功し、本格版の立ち上げが早期に実現すれば良いと思います。
【13094】
根石さん、matsuさん 第一号分派 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月15日(月)11時54分13秒
まだ、レッスンを受けていない状態ですのに「花田話」がでていて、びっくりするやら、嬉
しいやら、私、本当にただの「ミーハー」です。花田をどこまで理解してるんだろうか?よく花田について書いた論文とかを読むのですが、さっぱり理解できま
せん。でも、面白いんですよ。(引用文献が豊富すぎてついていけないこともありますが)
参考ということで、文庫をみてみましたが、講談社文庫でかなり濃厚なものを発行していたのですが、絶版のようです。こんなことなら、全部買っておけばよ
かったです。柄谷センセイがまとめたものが岩波からでていますが、今朝ながめてきましたが「違う、この編集ではおもしろさが伝わない!」とナマイキにも
思ってしまいました(^^)戦時中の行動(新聞記者や芸術の会活動など)面白いな〜と思っています。書籍はいろいろとあるのですが「日本のルネッサンス
人」「アヴァンギャルド芸術」等、覚えています!
花田吉本論争(吉本花田論争でしょうか?)私は花田追悼本の記事や、「ノーチラス号反応あり」でしか、読んでいないので、根石さんのおっしゃるようせっか
くの喧嘩の結果を、検討することができたら本望でごじゃります。
matsuさんは、どうして花田に興味をもったのでしょう?よかったら教えてください。
シロウト質問ですみませんが、素読というのは、ただ音読するということでしょうか?
それとも、質問事項を皆で検討するようなものなのでしょうか?
また、根石さんの原稿の入力ボランティア、少しでもよかったら私引き受けたいです。
急ぐようでしたら、無理ですが。
【13095】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月15日(月)13時08分30秒
もう一つ思ったのですが、根石さんのメール指導を読み、復習した成果を再度提出できるよ うになっていると理想的だと思います。
【13099】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月16日(火)01時21分36秒
素読の会の幹事、お引き受けしたいところですが、未だ、素読については全くの駆け出し
で、その理論も覚悟もなく、もう少し勉強、充電の期間をいただきたいところです。
らくださんを中心に、素読舎の新展開を一生懸命考えておられる姿に刺激を受けて、素読舎にお世話になっている者として、自分なりの未来図を想像してみたわ
けです。
通信教育案は、根石さんの「語学論」と「英語職人」としての技術の普及を図る意味で、中心となる電話・スカイプでレッスンとうまく連動するような、強力な
武器となるような気がします。
ただ、そこでは、どうしても根石さん一極集中型の取り組みとならざるをえません。英語職人の後継者を育てることは容易ではないようですし。
一方、根石さんの「素読論」を展開させていけば、もう少し自由で、互いに教え教えられるような関係を素読舎の周辺に作っていくことが可能でしょう。
素読者の育成は、英語職人の育成ほどには難しくはないだろうと思います。
素読舎のコアとなるレッスンや通信教育の周りに、層の厚い素読の実践の多様なネットワークが取り巻いていており、会費という形で素読舎を支える、というの
があるべきイメージのような気もします。
私についていえば、地味に素読について考え、実践していこうという気持ちはあるのですが、ようやく一歩踏み出せたかどうかというくらいです。
【13100】
江戸の母さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月16日(火)01時44分17秒
よくもわかっていないことを、もっともらしく書くのが悪いくせで、実は私にも、日本語、しかも現代文を大人同士が素読をするやり方は、よくイメージできま
せん。
村田さんは、学生には、英語と同じような一文ずつの技法グラウンドを使っているようですが。
花田についても、拾い読みしているくらいで、江戸の母さんのようにほれ込んで読んでいるわけではありませんが、いつか、江戸の母さんに素読向きの花田のテ
キストを選定していただいて、素読の相手をしていただけたらと思います。
ひたすら音読することで、黙読では得られないような文体の意味やリズムが感得できる、ということにでもなればいいのですが。
【13102】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月16日(火)02時21分7秒
>参考ということで、文庫をみてみましたが、講談社文庫でかなり濃厚なものを発行していたのですが、絶版のようです。こんなことなら、全部買っておけばよ
かったです。柄谷センセイがまとめたものが岩波からでていますが、今朝ながめてきましたが「違う、この編集ではおもしろさが伝わない!」とナマイキにも
思ってしまいました(^^)戦時中の行動(新聞記者や芸術の会活動など)面白いな〜と思っています。書籍はいろいろとあるのですが「日本のルネッサンス
人」「アヴァンギャルド芸術」等、覚えています!
文庫で探すんじゃなくて、図書館へ行けばいいわけだなと思いました。
図書館に行く時間が持てるようになりたいです。
>シロウト質問ですみませんが、素読というのは、ただ音読するということでしょうか?
それとも、質問事項を皆で検討するようなものなのでしょうか?
目で見て頭で理解するというレベルから、文を身体のレベルに降ろしてやることだと言えばいいのですが、よけいわかりにくいでしょうか。理解が訪れるまで
にタイムラグがあっていいという方法です。「身体のレベル」といっても、ほとんど口の筋肉、喉、肺の動き程度ですが。
教材をお送りしたときにもお話しましたが、素読は「読んだものをその場で理解すること」を一切要求しない方法です。なんのこっちゃか、ちっともわから
ん、という状態で読んでいていいのです。
「ただ音読する」という場合の「ただ」が、「その場で理解を要求しない」ということなら、その言い方でもいいと思います。
「質問事項を皆で検討する」というのがどういうことを言われているのかはわかりませんでした。
>また、根石さんの原稿の入力ボランティア、少しでもよかったら私引き受けたいです。
急ぐようでしたら、無理ですが。
実は引っ越しして、今の家に住み始めてから7,8年たつのですが、本が片づかず、昔書いたものがどこにあるのかもわからない状態です。出てきましたら、
お願いすることになるかもしれません。全然急ぎません。入力していただけた分を、逐次この掲示板に掲載していただけば、こちらでその関係のものだけを集め
ます。
【13103】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月16日(火)02時28分18秒
>素読の会の幹事、お引き受けしたいところですが、未だ、素読については全くの駆け出しで、その理論も覚悟もなく、もう少し勉強、充電の期間をいただきた
いところです。
素読っていうのは、理論的に把握できてからやるんじゃなくて、やりながら理論をつかんでいけばいいんだと考えています。matsu
さんが「回転読み」を英語で試されて、確か、運動記憶という言葉で言われていたことも、やってみて理論化されているのだと思います。
>実は私にも、日本語、しかも現代文を大人同士が素読をするやり方は、よくイメージできません。
そうですね。現代文は目で見てそのまま読んでしまえるので、素読にはあまり向いていないかもしれません。目で読んだだけじゃ隔靴掻痒というようなもの
が、素読の対象としてはいいのかと思います。
まあ、そのうちに気が向いたら幹事をお願いします。
【13105】
1から復習 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月16日(火)08時21分58秒
>根石さん、江戸の母さん
レッスンを20分、10分に分ける件了解です。
私も「え〜、ここからスタートするのか〜」とちょっと思っていたのです。
息子も復習範囲はおにいちゃんぶって言えるし、喜ぶと思います。
それにしても復習範囲を手放さない、というこの教材は味がありますね〜!
昨日自分のレッスンの時、驚いたことがありました。
まだ三回目で、英語の音も何もなくて、新しい文はとても言いにくくて、ひえ〜、と思いながら必死にやっていたのです。
口がこわばって言いにくい、と思いつつレッスンが進んでいて、途中で復習範囲の文が出てきました。
それはやはり新しいものより言いやすいな〜(それでも四苦八苦ですが)と口を動かして、次また新出の文。
するとさっきよりはるかに口が楽に動くのです。
あくまでも自分の感じ方のレベルで、外にでている音は全然なのですが(爆)。
おお!すごい!と実感しました。
>ももこさん
スカイプの月額プラン、私も使っています。
友達に長電話するのに便利です。
オンライン番号、うまく使えていませんが(汗)。
スカイプ、いろいろすごいですね。
【13106】
ラジオマシーン 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月16日(火)12時16分18秒
>根石さん、ゆっくり母さん
昨晩は遅くまでありがとうございました。レッスン、ドタバタしていましたが、息子も楽しかったみたいで、いい刺激になりました。私の感想は「ラジオマシー
ン」デス。身体が機械になっちゃう。ただひたすらマネル。ランニングにも似てるような気がしました。ちっちゃい子がべったりくっつていて、運動不足なの
でこのトレーニングは面白い。
そして、通信教育もいいなと思ったのですが、やはり根石さんとのなにげない雑談とかも、スカイプレッスンの良さですよね。日本語の発音のなかに、聞き慣れ
ない子音とかがあって「おお!」と思いました。私もレッスン受けたいですが、ちびっこから手が離れないので、とりあえず、息子と一緒に地道に続けたいで
す。とりあえず、外付けマイクを探します(汗)
テキスト、20分と10分のことも了解しました。ご配慮ありがとうございます。
続きを書きにまた参ります。
【13107】
matsuさん、根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月16日(火)12時54分58秒
過去に読書会のようなものを、好きでよくやっていたのですが、今はその機会がなくなり、残念です。そこでは「読み合わせ」のようなタイプや、誰かが順番に
レジュメを書いてきて発表したりなんてことを遊びでやってました。明治〜大正〜昭和初期の文献もあたったのですが、そういうときこそ「素読」が向いていた
のかもしれません。日本語につまづきました。
>「質問事項を皆で検討する」
わかりづらくてすみません。個人が読んできて疑問に思ったことを、会合の場で話して意見を交わすというようなことなんですが、時として知識の多いものが優
位にたって独演会となることもありえますね。
花田素読は実現するかはおいておいて、matsuさん 花田の何をお読みになりましたんでしょうか?でも、花田の文章を声に出して読んだことがないので、
面白い発見があるかもしれません。ちょっとやってみようかな?
【13108】
らくださん、ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月16日(火)15時16分44秒
おもしろいことを考えついてしまいました。
ももこさんがスカイプで携帯電話からの音声を留守電として蓄積できると報告して下さった文字を眺めていて、まてよ、と思ったのです。
それができるんなら、携帯で録音したものを音声ファイルとしてメールに添付するという生徒側の作業もなくなります。
スカイプで「生レッスン」中に、届いた電話(固定、携帯、スカイプから)のものを、レッスン中に留守電に蓄積することが可能なら、「通信教育」も「本格
通信教育」も、現在の「生レッスン」も全部スカイプでできてしまうことになります。
ももこさんに再度おたずねしたいことがあります。すでに私がスカイプで通話している時に、別枠の生徒からスカイプ同士の通話希望が届いた場合でも、後か
ら届いた通話希望を、留守電に「飛ばす」ことができるのでしょうか。あるいは、生徒さんの側で、あらかじめ私のスカイプに留守電として蓄積させるよう設定
することになるのでしょうか。
まだ解決したわけではないのですが、もしも解決すればですが、これまでやってきた「スカイプ(電話)でレッスン」と、新しく構想している「通信教育」と
が統合できます。
申し込んでくれる生徒がいなければどうしようもないことですが、「発音用通信教育」が携帯で使えるようにまず「敷居を低くする」。その後、希望があれ
ば、「イメージ核受肉教材」を使った「スカイプ(電話)でレッスン=生レッスン」を使っていただく。その場合、枠が埋まっていた場合は、一番(教材が)進
んでいる生徒さんから、「本格通信教育」の生徒さんになっていただき、枠を空けていただく。
「生レッスン」は、(あくまでも希望があればですが、)「発音用通信教育」を終了した生徒さんを受け付けるのを基本とする。(空き枠があるときは、これ
までのように「いきなり生レッスン受講」も可能とする。)
「発音用通信教育」を終了した生徒さんも、「生レッスン」を経た生徒さんも、「本格通信教育」へ移行できることとする。
こうした場合、「本格通信教育」が時間経過的には最後尾に位置することになります。
さきほどから、スカイプの「留守番電話機能」について調べているのですが、みつかりません。ももこさん、どのあたりを読めばいいのか、URLをお教え下
されば有り難く存じます。
私のスカイプのヴァージョンが古いせいかもしれませんが、スカイプを立ち上げて留守電機能に相当するものも探してみたのですが、どれがそうなのかわから
ないでいます。
やはりすぐに実現できるものかどうかわからないですが、それにしても、そのための教材がなければどうしようもないので、やりかけの「発音用通信教育」用
教材をひとまずは作ってしまおうと思っています。
→村田君
俺、だんだん機械オンチになりつつあるようなので、金は俺持ち(「俺は金持ち」ではないのでお間違えなく!)でいいから、一ヶ月おたくのスカイプを固
定、携帯の電話との間に通路を開いてみてくれませんか。そうすればいろいろ実験できると思います。
その間に、「発音用通信教育」の教材を作ってしまおうと思います。なにしろ、コンピュータ回りのことに時間をとられると、教材を作る時間がなくなってし
まいます。しばらく教材作りを継続したいのです。
【13121】
江戸の母さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月18日(木)00時25分1秒
花田清輝は、学生の頃「復興期の精神」をよくわからないながら、読みました。
岩波文庫の評論選(粉川哲夫さんの編集ですよね)は手ごろで、私にはおもしろかったです。
花田の有名なテーゼに、「前近代を媒介にして近代を超える」というのがありますが、前近代の「素読」を媒介にして、それを電子的な環境のもとによみがえら
せるという根石さんの荒業は、思いのほか、花田の発想に近い感じがします。
媒介や中間を重んじる弁証法を思考の武器にしているところも共通しますね。
戦中期の凝縮された文体が音読には向いているような気がしますが、今日、晩年の短いエッセイ「箱の話」を声を出して読んでみました。派手さはないけれど、
イメージと思考が切り結ぶ文体はなかなかよかったです。
【13123】
matsuさん、根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月18日(木)05時42分49秒
>岩波文庫の評論選(粉川哲夫さんの編集ですよね)
岩波文庫の編集は柄谷センセイじゃなくて、粉川さんでしたね!すみません。
>根石さんの荒業は、思いのほか、花田の発想に近い感じがします。
私も、そこにピンときました。「視聴覚文化」と「活字文化」を考える点でも共通するかなとも思いました。「近代以前の視聴覚文化から近代の活字文化がうま
れた。さらに、その活字文化を止揚することによって、近代を超える視聴覚文化が生まれる」文に閉じ込められた活字をみなの口に戻し、口承文化のエッセンス
を復活させる、ようなことが実践できるんじゃないか?とか、花田のいう「連歌の精神」「共同制作」これにつながるかな〜とも、感じました。
「復興期の精神」花田清輝>私も、現代文学史の教科書に載っていたのがきっかけで、今もミーハーが続いているわけですが^^ よくもまあ、花田はあれだけ
の文献を読んでいますよね。映画も見てますよね〜私も理解しきれてませんけれども。おもしろいですよね文庫見つけてきました。講談社学術文庫、これも絶版
かな?線や付箋がいっぱいついているんですが今見てもおもしろいなあ。
粉川氏が書いた「吉本隆明と花田清輝」はお読みでしょうか?
二人の論争が紹介されていて、花田よりなので、おかしいぞって思う方はいるかもしれませんが、「花田のテキストは読者に対して肯定したり、否定したりする
ことよりも、それを読者自身が読みかえ、生産的にのりこえることをうながす傾向にある」「花田読者には無責任な”つまみ食い”や”カフカ解釈にまさるとも
おとらない勝手なレクチュールが許される」なんて書いています。レクチュールってなんやねんですが^^
花田の言葉は、断片的に覚えてて、「あ、これだ!」と思うことや、いまだに「あれはこのことだろうか」「いや、まだわからん」なんてものがたくさんありま
す。読書会と違って素読が、理解する前の段階で他人の声をも手がかりとして体にインプットしていく作業でよいのだとしたら、花田本でも素読をやってもいい
のかな〜なんて、思いました。こうして花田の言葉をやりとりできるだけで、とても嬉しいです。
【13125】
花田と吉本と根石吉久と 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月18日(木)21時50分45秒
吉本隆明の文体は、読み手に書き手への同一化を迫るような力をもっています。
たとえば、共同幻想をめぐるテーゼなどは、読み手を一つの姿勢に追い込むようなところがあります。吉本に信奉者が多いのは、そのためでしょうが、本家とく
らべてあまりおもしろくはありません。
一方、花田のテーゼは、「前近代を媒介にして近代を超える」とか「対立物を対立物のまま統一する」(あやふやな記憶ですが)とか、今から見れば、少しとぼ
けたような、ゆるい感じがするものですが、意外に使い勝手のいいものなのかもしれません。
昨年、私が根石さんに議論を仕掛けたのは、根石思想を吉本の用語系で了解しようとすると、大事な部分を取り逃がすように感じたからでした。
江戸の母さんの記事をきっかけに、根石思想を理解するのに使えるのは、むしろ花田清輝の「楕円」の思想ではないか、と気づきました。
根石さんの立ち位置は、英語学習における、英語圏の「磁場」の圧倒的な同一化の圧力に抗して、「語学」の孤塁を守る、というところにあります。
対立物を対立物のままに、二つの中心を持ち続ける「楕円」のイメージは、日本語と英語の狭間で、「磁場への同一化はみにくい」と言い切り、あくまでその中
間者(媒介者)たろうとする根石さんにこそ、ふさわしいという気がします。
【13126】
皆さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月18日(木)23時44分9秒
スカイプのオンライン電話番号を取得しました。以下の番号が私のスカイプ宛の番号になります。
050−5809−6341
私がコンピュータの電源を切ってあるとき、他の方とスカイプで通話しているときは、「留守電でお受けしています。そのままお話し下さい」という声が流れま
す。
音声の質を調べたいので、携帯、固定電話、スカイプなどから上記電話番号にかけて少し声を残していただき、ご協力いただければと思います。お名前、携帯か
らか固定電話からか、そちらのお天気などお話し下さい。
固定電話からは市内電話料金程度、携帯からはその機種の契約による通話料金がかかってしまいますので、1分未満でお話下さい。電話料金は、素読舎への喜捨
ということでお願い致します。
スカイプの有料サービスの説明の質は非常に悪いです。
しかし、サービスの質自体は悪くありません。
【13127】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月18日(木)23時51分43秒
今度お書きいただいたものは、非常によくわかりました。
花田を読みたくなりましたが、その「前近代を媒介にして近代を超える」というテーゼを一番うまく言っている著書名は何になるのでしょうか。是非読んでみた
いと思います。
【13128】
matsuさん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月19日(金)00時19分44秒
大人の現代文素読、根石さんとやっていたことがあります。
タイトルは失念してしまったのですが、吉本隆明が学生時代にリンゴ泥棒していた話で始まる本です。
段落ごとに番号つけて、回転読みではなく、普通に音読していました。
途中で気になったところがあれば討論みたいな感じで。
でも、わたし相手だとなんか食い足りないみたいな感じだったのかな。自然消滅しました。
花田清輝の素読会、私も参加させてください。
【13129】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月19日(金)00時28分48秒
自分でやってみないことにはわからないと思って、今日村田君と自宅でやってみました。クレジットを1500円購入して、ボイスメールが使えるようにし
て、700円を使い、その後、2200円くらいクレジットカードから支払って、オンライン番号というのを取得しました。そしたら、オンライン番号にボイス
メール機能が無料でついてきたので、最初に払った700円を丸損しました。こういうことが起こることは、スカイプのホーム
ページの説明を読んでもわからないようになっています。あるいは、非常にわかりにくいようになっています。ある意味で悪質です。
こういうことが起こった場合は、クレジット分でいいから700円を私に戻すべきです。
十全な説明があったのにこういうことが生じたというのではなく、質の悪い説明と説明不足から生じていることです。
ボイスメール機能だけ買おうと思っている人には、「ボイスメール機能だけでは、スカイプ同士で通話する以外には使えない」ということをどこかに明示して
おくべきです。電話、携帯から人に(自分の)スカイプにつなげてるもらう場合は、ボイスメール機能だけを買う必要はなく、(自分の)オンライン番号を取得
すれば、ボイスメール機能は無料でついてくるということの全体を明記すべきです。そうでないと、ユーザーが無駄な金を使うことを誘導しているようなもので
す。
スカイプを運営している会社に言うべきことをももこさんに言ってもしょうがないですが。
先日おたずねしたことは、今日自分でやってみて判明しました。
固定電話、携帯電話、スカイプのどれからスカイプにつなげようとした場合でも、スカイプの留守番電話(ボイスメール)に蓄積されます。
ご協力ありがとうございました。感謝しています。
【13130】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月19日(金)00時39分0秒
本、お送りいただきありがとうございました。ここからお礼するのは失礼かもしれませんが、例のよっぱらいですので、ご勘弁下さい。薄い方のやつを読み始め
ています。
今日村田君とスカイプの有料の機能をいくつか試しました。機能にはほぼ満足しています。固定電話からの留守電の方が音質がいいように思いますが、携帯から
の音声でも語学レッスンには十分使えると思います。
【13131】
根石さん(柄谷行人について) 投稿者:村田 投稿日:2008年12月19日(金)00時45分42秒
いつでも柄谷本持っていきますよ〜。
と言っても、「日本近代文学の起源」と「マルクスその可能性の中心」「探究I」「内省と遡行」「言葉と悲劇」「終焉をめぐって」しかないですね。
でもこうして見ると、覚えているのは「日本近代文学の起源」と「マルクス〜」かな。「日本近代文学〜」は、明治時代の歴史の断絶をキリスト教との関係でえ
ぐりだしているところが学生だった自分にはえらくインパクトがありました。「風景」「児童」なんていう言葉が実は結構新しいものだったとか。自分が当たり
前だと思っていたものが、たかだか明治時代にしか遡らないということとか…。「告白という制度」という章なんかは今読んでもおもしろいです。分析だけだ、
と言ったらそれまでなんですけど。
「マルクス〜」は、「命がけの跳躍」っていう文が飛び込み営業してた頃に心の支えになっていたと思っていたんだけれど、今読みかえして見ると、あんまりピ
ンと来ないかな…。きっと背伸びしてたんだと思います。
matsuさんの引用していた
>私はこう思っている。「外国文学」をやらねばならぬ。というより、一ヶ国語でも「外国語」をやらねばならぬ。文学とか文化の差異などというのは、あるい
は「他者」などというのは、体裁のいい概念にすぎない。リアルなものは言語だけである。相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして
「制度」というものはわからない。
っていうのには出会わなかったのは、わたしの読み方が浅かったのか思います。
本棚見返してみたら花田清輝の「新編映画的思考」っていうのがありました。でもこれ、買ったまま、まだ読んでませんね。今晩読んでみようと思います。
そういえば中村雄二郎の身体論とか栗本はよく覚えています。
【13132】
根石さん 投稿者:ももこ 投稿日:2008年12月19日(金)01時42分1秒
すみません。ムダになっちゃいましたか・・・。
月極め定額サービスに入ればご希望のものが全部入っているということをシッカリ書いておけばよかったです。(といいつつ私もボイスメールを先に購入してし
まったのですが・・・)
これからXPの別ユーザでスカイプをダウンロードして夫のアカウントを作成してからアクセスして留守録になるか実験してみようかと思っていたところだった
のですが、解決なさったのですね。
ひとまず良かったです。
スカイプのように日本語の解説ページが頓珍漢なものは英語に切り替えたら分かるのかなぁと思ったりしていて、もっと自由に読み書きできたら便利に使えるも
のがふえるんだろうなぁと感じています。
スカイプのサイトは分かりにくくてしょうがないです。
【13133】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月19日(金)14時23分9秒
> ライブドアはスカイプを日本語化し、ポータルサイトで無償提供する。まずは Windows版から提供開始し、順次Mac OS
X、Linspire、Turbolinux、Pocket PC 2003版をリリースする。
> スカイプは既に有志によって日本語化されており「skype.com」から無料ダウンロードが可能。ライブドアが配布するスカイプは、翻訳の質を高め
たほかは、skype.comでダウンロードできるものと同じだ。
ネットで過去の新聞(?)記事を読んで、ネットを閉じてしまってから書いています。引用したのは、2004年頃の記事だったような・・。
スカイプ自体の機能がよくて、日本語の説明が駄目なのは、ライブドアの体質のせいじゃないかと思いました。あちこちに「だまし」っぽい日本語がありま
す。どこが「翻訳の質を高めた」んだか。日本でのスカイプとの提携は、今もライブドアがやっているんだろうか。
日本語の説明文を読んだ後、ライブドアの作った文なのかと思ったら、なんだかずいぶん納得できたような気がします。
【13134】
語学論データベース・5 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月19日(金)15時06分39秒
5---------------------------------------- --------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
7, ,○
今一番感じていることは「英会話幻想」は「使える英語」習得の敵である、ということである。この幻想から自由になることが、まともな英語教育、効果的な英
語学習を考えていくためには絶対に必要な前提である。おかしなものを取り除けば道は見えてくるはずである、というのが私の考えである。
【13137】
スカイプのヘルプ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月19日(金)23時36分35秒
スカイプのヘルプから呼び出すネット上のURLは skype.com
だから、あのわけのわからない説明の文はライブドアが作ったものではないのかもしれない。
しかし、ライブドアが提携したという記事を読んだとき、ああいかにもという感じがあったのは否めない。勧誘文にはなっているが説明文になっておらず、粉
飾決算なんかと同質のものを感じたのだった。
【13138】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月20日(土)00時47分25秒
matsuさんの引用していた
>私はこう思っている。「外国文学」をやらねばならぬ。というより、一ヶ国語でも「外国語」をやらねばならぬ。文学とか文化の差異などというのは、あるい
は「他者」などというのは、体裁のいい概念にすぎない。リアルなものは言語だけである。相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして
「制度」というものはわからない。
っていうのには出会わなかったのは、わたしの読み方が浅かったのか思います。
「リアルなものは言語だけである」って言ってますが、このとき柄谷の中に反響していたのは、アメリカの「英語磁場経験」ではないだろうかと想像します。
「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」ということの中身を柄谷はどこかに書いているのでしょうか。ただこう言ってみただけで、それ
を書いてなかったらこけおどしだと思っています。「磁場経験」を概念で言うのではなく、「リアルな言葉」にしていないということを、これまで國弘正雄批判
で言ってきたのでしたが、柄谷にも同じことが言えると思っています。
(日本で)「自分が住む場所の、コード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験なくして『制度』」というものはわからない。」という方がよほど納得
できます。
柄谷が「磁場経験」を元にこれを書いているのであれば、「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」でわかるのは、どこまでいっても異
文化の「異質さ」であって「制度」なんかじゃなかろうとも思います。こんな程度のことを言うのであれば、江藤淳の「他者」の方がずっと内実があるではない
か。もっとも、江藤も「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」の中身は書いていません(私が読んだかぎりでは・・)。
「コード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」という言い方で、私は自分が生まれて育った土地からはじかれながら塾をやってきたことを思いま
す。学校英語・受験英語というコード、茂木弘道「文科省が英語を壊す」にならって言えば、「英会話幻想」というコードなどは、すっきりとした語学を汚す
(戦後)制度的な産物であり、塾を始めた当初から私はこれに従いませんでした。(子供にテストの点をとらせるのはうまかったのですが、学校制度や受験制度
は汚物だという観点は失ったことがありません。私には、自分が大学を出たことを汚物だと見る観点があります。)
学校制度や受験制度に観念的に従わないと、塾なんかやってもなかなか食えない。食えるか食えないかの境界をずっと歩いてきたのでした。柄谷なんぞから
「制度」などとお説教される必要はまるでない。
磁場帰りで、大学教師なんかやっていることで、柄谷は「自分が住む場所の」制度にしっかりと「従っている」ではないかと思うことを抑えられません。お
坊っちゃんが、なにをこけおどし言ってんだよ、と思うのです。
大学教師なんかっていう「制度内」の商売を抜けて、直に娑婆を相手にする塾をやってみたらどうなんだ。この思想お坊ちゃんの顔がどう歪むか、それを書い
てみるがいいのだ。それが書けないことと、「相手のコード・規則に容赦なくさらされヘトヘトになる経験」ということの中身が書けないことは同じことなん
だ。
【13139】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月20日(土)00時55分11秒
とは言うものの、読むのはやぶさかではないので、本を貸して下さい。
俺はとにかく、英語磁場帰りがでかいつらをこくだけでむかつくのです。
【13140】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月20日(土)01時03分49秒
いただいた本を読んでいますが、あまりにも発音の規則が多すぎると思いました。
発音の仕方で口の筋肉や舌の動かし方についての説明が、外在的です。こんな言い方でコツや音の本質がわかるもんかというものが多いです。
うん、これはいいというのもあり、f、vの下唇を上の歯にあてるときのコツの言い方で、「ほおずきを鳴らすように」というのがありました。これは秀逸で
す。
これ、発音を身につけるべき段階のための本ではなく、すでにある程度英語音を発音できる人が、自分の音に自覚的になるために確認するための本だなという
のが、端的な感想でした。という意味では、私はこの本は、何度か読み返すことになると思います。役にたつところがあるのですが、一般性が欠けています。
この著者も「一般」ということがわかっていないんだなと思いました。
らくださんが編集された御本をいただいておいて、好き勝手なことを言い、申し訳ありません。このあたりで、私はいつもあまりにぶしつけであり、あちこち
から嫌われてきました。しかし、語学論に関わる範囲では、やはり言いたいように言っていきたいと思っていますので、どうか悪く思わないでいただきたくお願
い致します。
直近の記事でおわかりいただけますが、ハード面では「通信教育」用の準備ができました。紆余曲折を経て、なんとかここまでやることができました。今後も
アドバイスをお願い致します。
【13142】
根石さん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月20日(土)12時39分50秒
matsuさんが引用されてた部分は、私は本では読んでないんです。たぶんその本を持ってないです。
引用された部分を読んで、柄谷は語学に関係することも言っていたんだ、と思い、自分はたいして読んでないんだなあと思ったのでした。
> 「リアルなものは言語だけである」って言ってますが、このとき柄谷の中に
>反響していたのは、アメリカの「英語磁場経験」ではないだろうかと想像しま
>す。
根石さんの書いている通りじゃないかと思います。
確か、栗本慎一郎が学生に対して、「柄谷が今アメリカへ行っているが、帰ってきたらまた何か新しいこと言い出すぞ。」とどこかで書いていました。また目新
しい文物を輸入してくるぞ、と。(ただ、目利きではある、と書いていましたが)
持っている本は日曜日に持っていきますね。
【13143】
語学論データベース・6 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月20日(土)13時41分50秒
6---------------------------------------- --------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
17, △
この表ははなはだショッキングな事実を教えてくれる。読解力はあるが、会話ができないというのが日本人の英語力であると一般的には思われている。しかし
それはとんでもない大錯覚であることがわかるからである。会話力に近い聴き取り能力では、韓国とはまったく同じ、中国とは若干差があるがそれほどの開きは
ない。(略)さらに読解力では日本五〇に対して、韓国五四、中国五七とさらに差が広がっている。ちょっとやそっとの差ではなく、完全な有意差が存在してい
る。要するに、日本の学生が決定的に劣っているのは読解力である、という事実である。
どうしてこれほど重要な事実を英語教育者、そして文部科学省は認識しないのであろうか。不思議で仕方がない。(略)ある英文学の教授は「他の国に比べ
TOEFLの成績が悪いのも、しっかりした発音の基礎、とりわけ聴解能力ができていないことに主な原因があると思われる」(西村和雄編『教育が危ない3』
(略)日本経済新聞社、77頁)などと現実とは正反対のことをはっきりと書いているありさまである。それを誰も怪しまない。
(略)多くの学者がそうだが、私が直接説明した文部科学省の担当官も、まともな反応を示さなかったのである。日本にはびこっている「常識のウソ」「英会
話幻想」「誤れる英語教育改革幻想」の根強さにはほとほと呆れかえったものである。
【13144】
語学論データベース7 投稿者:村田 投稿日:2008年12月20日(土)20時22分18秒
7------------------------------------------------------
掲示板「反英語フリーク 大風呂敷」投稿者:根石吉久 2001.6.23
32, ,○
初心者の定義一つでも難渋しますね。
私>私が初心者と思っているのは学校を出て(中
学、高校、大学どこでもいいです)それから何か
の必要性を感じて英会話(ここが根本的に根石さ
んと違うと思います)学習を再開しようとしてい
らっしゃる方です。私は早稲田大学教授の矢野安
剛先生の「やり直しの英語上達法」での提案をそ
ういう人々に奨めています。(後略)
「学校を出て」ですが、これに大した意味はないと思います。中学の文法が知識段階でなく、センスとして動くようになっているというような言い方なら、一
つのレベルを確定します。一流大学を出ても、先日私が書いた「初心者」のレベルをクリアしてない人はたくさんいます。
本当に、英語に関しては、「学校を出た」などということは意味がありません。学校は多くの人が避けられないので、学校へ行くならしょうがないが、文法で
も発音でもいいが、どれだけまともに身についているかだけが問題です。知識が知識のままにとどまっている間は、「身についている」とは決して言うわけにい
きません。
浜谷さんはあくまで「英会話の初心者」を初心者としておられますが、英語の磁場のない場所(日本)では、「英会話の初心者」は結構ハイレベルな読みの力
を持っているような人になると私は考えています。日本という土地では、フリー・トーキングなんぞはほとんど意味がない。フリー・トーキングが多少なりとも
意味を持つのは、下地を持っている人の場合だけです。
日本では「英会話」をやりたいと思うなら、結局、語学をやることになります。あるいは、語学で下地を作り一定のレベルに達することが必要になります。こ
この認識は、日本人に深く染み込んだ英会話という迷信によって、いまだ一般的には英語学習者が踏まえるに至っておりません。日本の英語がなさけないのはそ
こです。
学校英語、受験英語はまるで語学たりえていない。
浜谷さんは、浜谷さんご自身がなんと言おうと語学をやった方です。
以上のことを踏まえて、「初心者」を定義したかったわけです。
【13145】
語学論データベース8 投稿者:村田 投稿日:2008年12月20日(土)20時29分34秒
8---------------------------------------- --------------
掲示板「反英語フリーク 大風呂敷」投稿者:根石吉久 2001.6.27
61, ,○
若かろうが年をとっていようが、保身を先だてる先生は、中間・期末のテストに間に合わせるための授業をします。中間・期末に間に合わせる授業をしている
だけで、保身ができて、食いっぱぐれがないのが、現在の学校の教師という職業です。とりわけ、公立の学校は税金泥棒の巣です。点数をはじきだして、順位づ
けなどやってるが、そんなことで生徒に力がつくわけではない。しかし、そんな仕事でも忙しくやっていれば、めでたくも麻痺できて、なにか実質のある仕事だ
と思いこむことができるのかもしれません。「学校」などというものの外側に位置していたおかげで、私は「そんなものに実質はねえよ」と言い続けることがで
きましたが、しかしまあ、放言を続けるのも疲れる。
保身をやる者が先生の多数であるというような事情は、国家資格のあるなしの違いだけで、塾の世界も同じです。
塾のほとんどが受験制度・成績主義にたかる蛆虫です。学校の内でも外でも、受験制度と成績主義にたかっていれば、蛆虫としてなら生きていかれます。決まり
事の「処理」をやり、肝心なことは生徒の「家庭学習」に押しつけるのが、蛆虫たちの特徴です。この根本にあるのは、個々の生徒の能力はあらかじめ決まって
いるという許し難い思想です。そんなことは絶対にありません。こちらがやること次第で同じ生徒がまるで違う展開をみせたりみせなかったりします。
【13150】
村田さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月21日(日)21時12分2秒
>「マルクス〜」は、「命がけの跳躍」っていう文が飛び込み営業してた頃に心の支えになっていたと思っていたんだけれど、今読みかえして見ると、あんまり
ピンと来ないかな…。きっと背伸びしてたんだと思います。
これには、ちょっとびっくりしました。私もまったくおなじ経験をしていたからです。柄谷をこんな風に読んだという話を、ほかの人から聞いたことはありませ
ん。意外と同世代の共通の経験なのかな、と思いました。
ただ、これは「マルクスその可能性の中心」ではなくて、「探求T」のマルクス論ですね。「探求T」を読み返せば、きっと(その時以上に)ピンとくると思い
ます。
>「リアルなものは言語だけである」って言ってますが、このとき柄谷の中に反響していたのは、アメリカの「英語磁場経験」ではないだろうかと想像します。
これは、根石さんの言葉の引用ですが、村田さんも同意されていましたね。
柄谷の片言隻句の解釈で争う気はありませんが、ここで柄谷が問題にしているのは、あえて根石用語で言えば、「磁場」体験ではなくて、「語学」体験だろうと
思います。「語学」体験だからこそ、リアルなものが「言語」だけだと言い切れるわけでしょう。
>ただこう言ってみただけで、それを書いてなかったらこけおどしだと思っています。
これまた、根石さんからの引用で恐縮ですが、私には、柄谷がほとんどそれのみ、つまり根石用語でいう「語学」という体験についてのみ書き、それを理論的に
彫琢してきた批評家であるように思えます。
【13151】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月21日(日)21時45分31秒
花田については、ほとんど読んでいませんし、自分でもよくわかったという気がしません。
ただ、岩波文庫の評論集は、今でも簡単に手に入って、花田の思考スタイルがよくわかるアンソロジーだと思います。
ごく最近、勤務場所の近くの路地(いつもその脇を歩いて通勤しているのですが)に、花田の生家があったことを知りました。
来年の3月29日で生誕100年になるというのも、感慨深いです。
【13152】
高校学習指導要領 投稿者:Jackie 投稿日:2008年12月22日(月)20時12分46秒
英語で授業、単語500増=脱ゆとり踏襲、理数前倒し−高校新指導要領案・文科省
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008122200585
「英語の授業は英語で」、現場は戸惑い
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4023434.html
>「英語の授業は基本的には英語で」。文部科学省は10年ぶりに改定される高校の学習指導要領の案を公表しましたが、英語の授業のあり方がをこのように示
されました。本当に出来るのでしょうか?
22日に公表された高校の学習指導要領案。小中学校の指導要領で打ち出した「脱ゆとり教育」を踏襲し、理数教育の充実などが盛り込まれましたが中でも、
注目は英語。
学ぶべき単語の数をこれまでの1300から1800に増やすとしたほか、新たに「英語の授業は英語で行うことを基本とする」との内容が盛り込まれまし
た。
文部科学省が作った小学校用の英語教材。3年後には小学校でも英語を教えるよう、今年春に発表された小学校用の指導要領に初めて盛り込まれましたが、英
語教育の充実を高校でも、という方針なのです。しかし・・・
「(授業に)遅れる人は増えるのでは。日本語で教えてもらっても、分からないことが多い」
「無理があると思う」
「(英語の授業は)全然分からないと思う」(高校生)
と、高校生には評判はいまひとつ。さらに、教える側は・・・
「現場に戸惑いはあると思う。授業の準備に時間がかかるし」(東京都立新宿高校 保坂英文教諭)
文部科学省では「日本語の使用をすべて禁じるわけではない」としたうえで、「討論などを通じて生徒が積極的に発言するようになること」を、狙っていると
いうことですが・・・
「大学入試が今までどおり読解・文法中心であれば、生徒は(『発言』ではなく)そちらに目を向ける」(東京都立新宿高校 保坂英文教諭)
新しい指導要領は5年後、2013年度の新入生から適用されますが、これで“英語嫌い”は減るのでしょうか。(22日17:
【13153】
matsuさん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月22日(月)20時39分6秒
「探究 I」の方でしたか。昨日、「マルクスその可能性の中心」をざっと見てみたけれど、どうりで見つからないわけですね。いい加減だなあ、自分。
確かに、こういう読み方してた人は周りにはいませんでした。でもバブルがはじけた後、同じようなことを思っていた人は他にもいたのかもしれませんね。
「命がけの跳躍」についてですけど、昨日、根石さんのところに柄谷本を全部持っていってしまったんで、今細かいところは覚えていませんが…。物と価値の間
に等号関係を作るのは論理ではなくて飛躍なのだということでしたっけ(間違ってたらすいません)。あらかじめ売れる見込みがないと判断されているものを売
らなければならない部隊の営業に配属された自分にとっては、拠り所になったんだと思います。
でもそういう点では、「ナニワ金融道」の方がリアルかな、と今は思います。
【13154】
反動 投稿者:村田 投稿日:2008年12月22日(月)20時58分5秒
Jackieさんの投稿を読んで、なんでこうも極端から極端へ振れるんだろうかと思いました。英語の教科書がマンガになってしまった後は、いきなり「英語
の授業は英語」で、って!
じゃあ中学ではペーパーテストなしで、きちんと訓練に時間をかけるんでしょうね。そうじゃなければ高校で英語で討論はありえない。
ところで、アメリカの高校生で外国語に日本語を選択した人は、全部日本語で授業を進めるんだろうか。
【13155】
子どもの反応 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月22日(月)23時17分34秒
2回目のレッスンでした。マイクとスピーカーの位置がイマイチ悪くて、ご迷惑おかけしました。まずは「環境整備」ですね!事前によく伝えておけばよかった
です。次回はうまくいくと思います。
途中下の子のトイレ介助なども入って母は中座したりしましたが、そのせいで息子も自律を迫られて、まあよかったかな。ゆっくり母さん、そして息子さんが一
緒にやってくれるのも、支えになってると思います。助かっています。(ものすご〜く引っ込み思案なので)
それにしても、小学校の英語授業ではものの名前だけを教えているようなので、日本語にはない「不定冠詞」のことを今後どうやって教えていくんだろう??と
不安に思いました。
負担になるようならやめるつもりでいますが、思いのほかやる気の息子です。☆がかけるようになったので、テキストに☆を書くのも楽しそうです。
【13156】
文部科学省=馬鹿の巣窟 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月23日(火)00時19分50秒
こんなもの、できっこない。やれば実にみっともないことをやるだけになる。こんなことをやったら、日本人の英語は今よりもはるかにぼろぼろになる、とム
キになって言うこともないか。
これまで学校が何をやってきたのかと思えば、文部科学省が今後、学校の何をどういじろうと、そんなものは生徒一人の英語力の実質とはほとんど何の関係も
ないのだ。文部科学省が英語に関してやったことで、実効性のあったものなんかありはしない。すべては失敗の連続だった。
力をつける生徒は、学校なんかとは関係なく、昔だって今だって一人で力をつけたのだ。これからだってそうだ。
しかし、それにしてもひどいもんだ。初めからできっこないとわかっていることを、あたかもできるかのように、よくもまあしゃあしゃあと言えるものだ。文
部科学省には恥のかけらもない。厚顔無恥省と名を改めるがいい。
「電話でレッスン」で私は高校の英語の先生を何人もコーチしてきた。英語で授業する? できっこない。できっこないのは目に見えている。しかし、たとえ
できたとしても、3000や4000程度の単語しか知らない生徒(実際はもっとずっと知らない)に英語で説明して何がどうなるんだか、それ一つだけでいい
から文部科学省はきちんと説明するがいい。このこと一つを説明しないのなら、文部科学厚顔無恥省は税金をドブに流すと公言しただけのことである。今後もさ
らにいっそう学校をただの「お飾り」にしていくと言っただけである。
文部科学省=「馬鹿の巣窟」は決して大げさでもなんでもない。事実そのまま、実質そのままだ。
これまでも無策であり、無知であり、形だけであり、空文句のお題目を唱えてきただけだったのだ。これからもその路線で行くと公言したのである。とにか
く、この省庁に恥というものはかけらもない。
【13157】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月23日(火)00時30分45秒
>ゆっくり母さん、そして息子さんが一緒にやってくれるのも、支えになってると思います。助かっています。(ものすご〜く引っ込み思案なので)
ゆっくり母さん親子が大きく支えてくださっているのはその通りですね。名乗らないだけで、ちゃんと「営業部長」をやってくださっています。
「営業部長」! そのうち、芋送りますから。
>それにしても、小学校の英語授業ではものの名前だけを教えているようなので、日本語にはない「不定冠詞」のことを今後どうやって教えていくんだろう??
と不安に思いました。
そうですね。それ以前に、ものの名前を教えているときの音がおそらくでたらめなので、子供の負担を増やすだけだと思います。
>負担になるようならやめるつもりでいますが、思いのほかやる気の息子です。☆がかけるようになったので、テキストに☆を書くのも楽しそうです。
今が一番大変です。先週よりはずっと口が動いていました。二三ヶ月すれば、どうってことなく進めてくれるようになると思っています。
【13159】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月23日(火)02時10分55秒
>ここで柄谷が問題にしているのは、あえて根石用語で言えば、「磁場」体験ではなくて、「語学」体験だろうと思います。「語学」体験だからこそ、リアルな
ものが「言語」だけだと言い切れるわけでしょう。
「磁場体験」か「語学体験」かについてですが、柄谷がはっきり書かないにもかかわらず、言説の背後にあるのは、「磁場体験」だと思います。柄谷が言って
いる「言語」っていうのは、語学で扱う言語のことではない。「磁場」のコードに自分が容赦なくさらされるときの身体をつらぬく「言語」のことです。
村田君から借りて、「探求1」というのを読み始めました。
「命がけの跳躍」という言い方も、柄谷の変貌に即して言えば、「語学体験」から「磁場体験」への「跳躍」なんだと読めます。(「畏怖する人間」一冊の半
分程度までしか読まなかった者が、「探求1」を読むと、明らかに言葉の質が違い、「変貌」があります。)この変貌の背後にあるのは、「語学体験」から「磁
場体験」への「跳躍」です。間違いないと思います。それが「命がけ」であるのは、まるでおおげさではなくそうなんですが、柄谷はその「磁場体験」を概念的
にしか書かない。いや、そもそも肝心の「磁場体験」そのものを書かない。この密輸入ってのを、日本の知識人たちはやるんです。「磁場体験」を伏せること
で、密輸入になってしまうんです。
こういう者と高村光太郎のパリ体験を比べるとはっきりします。高村光太郎も俺なんかと比べれば美男子だが、高村はパリの下宿の鏡にうつる自分の顔を
「猿」だと見たのです。西洋人が東洋人を見るときの視線そのままで、自分を見てしまったのです。柄谷は顔が美男子だから、アメリカで自分を「猿」だと思わ
なかったのか。そんなはずはねえだろと思うのです。柄谷だって、アメリカに行けば、自分の中に「猿」を感じちゃうんです。鏡を見れば「猿」を見るのです。
日本人の共同主観なんです。(なんちゃって)
柄谷は、自分の「猿」を書かないのです。國弘もそうです。「磁場帰り」が駄目なのはそこです。
これまで読んだところでも、その「猿の」「命がけの跳躍」を「貨幣」なんぞにやらせていて、自分の「語学体験」から「磁場体験」への「跳躍」は一行も書
いていない。駄目なんですね、こういう概念屋。
どこまでも、概念を概念で切るときの切れ味がいい。利口なお坊ちゃんだという思いを新たにしました。分析の切れ味はいいんです。メスみたいによく切れる
ときがあるんです。
吉本が鈍刀でぶったぎるときの鈍く重い音みたいなのが、柄谷にはまったくないですね。おめえは思想のデパートかよと思って、読んでいる途中でげらげら笑
い出したくなったのでした。いやはや、たったこれだけのページで西欧の思想家・哲学者の名前を20も30も繰り出して、お見事!っていう調子で、スパスパ
と分析してみせてくれる。こちとら教養がねえから、こうも次から次へと繰り出されると、頭だけが忙しくて、苦痛のあまり愉快になって、笑い出したくなるん
だ。。。。。。
ヘーゲル、マルクス、スピノザ、チョムスキー、プラトン、ドストエフスキー、ウィトゲンシュタイン、デカルト、スピノザ、フッサール、ヤコブソン、レ
ヴィー・ストロース、カント、ソシュール、バフチン、デリダ、クリステヴァ、クルプキ、ロラン・バルト、ドゥルーズ・ガタリ、デュルケム、まだまだまだま
だ、あるよお、柄谷デパート、安いよお。
うるせえんだよ、馬鹿野郎って思いませんか?
今日読んだ数十頁の中から拾い出しただけで、こんなにも多くの思想家・哲学者を身軽に手軽にちょこまかと分析してみせてくれるんです。それで、読むほう
は頭だけが忙しくなりました。分析の切れ味ってのはところどころで「お見事」で、何ひとつ胸に響くものがない。それで笑い出したくなっちゃったのは仕方あ
りません。アホかよ、おめえ、西洋思想家の名前を次から次へと繰り出し、ちょこまかと軽いメスさばきで分析なんかこいてる身軽さこそ、バフチンに言わせれ
ば、大学生相手の知的グループ(大学教員ども)の「内部」にだけ響く「モノローグ」なんだわ。そう思うことを避けることができませんでした。柄谷ご本人は
おおまじめに思想しているつもりなんですが、どうにも笑い出したくなって仕方がなかったのです。
このまじめで利口なお坊ちゃんを読むと、バフチンの「ポリフォニー=哄笑」は無理ですね。なにしろ明るい暗さですから。気持ちがつまんなくなっちゃう。
柄谷につつしんでささげたいのは、ただ単に「笑い」ですね。柄谷の文章にはどこにも「笑い」なんかなくて、明るい暗さしかないが、俺が笑っていけないは
ずがない。だって、俺は「他者」なんだもん。了解なんかしないまま笑うってことをする俺も、柄谷にとっての「他者」の資格あり、ですよね?
柄谷にとっての俺という「他者」を、柄谷は「動物」とか「精神分裂病」とかという「他者」として扱ってもらっていいが、ご本人は単なる「神経症」なんだ
わ。いつもの「磁場帰り」の病気なんだわ。
知的グループ(教員ども)あるいは大学生の間だけだわ、こんなもんが笑われずに通用するのは。そう思います。吉本や松岡さんが、柄谷を浅田彰なんかと同
一視するのがようやく納得できました。
「語学」には本質的な他者に出会う契機はありません。コードにさらされるってこともありません。ただ単に、コードを学ぶだけです。個人の意識に閉じてい
るのが「語学」です。それが「語学」の天地です。
そこから俺は「跳躍」しちゃった、と柄谷は言いたいんです。じゃあ、いいから、それでいいから、それを概念でなく言うがいい。この身軽で利口なお坊ちゃ
んがやれないことはそれです。
柄谷は、多分、「語学体験」と「磁場体験」の区別ができていません。
それができないもんだから、「磁場」にいじめられたウサ晴らしを日本に帰ってきてやってけつかるのです。そんな程度のことがバレないとでも思っているん
ですね。利口なお坊ちゃんは油断が大きすぎる。
やたらと西洋哲学者の名前を繰り出して、身軽に切れ味よく、ちっこいメスで分析するんです。(そんなちっこいメスじゃ切れないんだってば。)
お前さんに欠けてるのは、「磁場」って用語なんだ。「他者」なんか、「知的グループ」の外側で、民衆は誰だって血を流しながら知っている。
このお説教臭さ。たまらんぜ。
【13160】
命がけの跳躍 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月23日(火)02時24分59秒
俺には、「命がけの跳躍」は日本在住だけで目が回るほどあるな。
だから、「命がけの跳躍」って言葉じゃなくて、演歌の切れっ端でなぐさめられたりするんだな。
「赤いツッポのヤンシュが騒ぐぅ。雪に埋もれた番屋の隅で、あたぁしゃ夜通し、飯を炊くぅ」
【13164】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月23日(火)22時20分4秒
よくわかりました。
ただ、私から見ると、根石さんの柄谷の読みは、ほとんど的を外しているように思えますが、それも仕方がないと思います。
誰も嫌いな人間のことをまともに読もうとはしないものですから。
また、私が根石さんの語学論を過剰に読み込んで曲解していたことも良くわかりました。
柄谷についてはもちろん、吉本や花田にからめて書いたことも、おそらく見当違いだったと思います。撤回させてください。
【13165】
小学校英語教育 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月23日(火)22時34分59秒
わわわわわ、私も知的会話についていけず、恐縮しきりですが・・・
ゆっくり母さん息子さん、百面相^^ ほんと顔が見えていたらうちもたぶんダメでしょう!声だけの交流、ゆっくり継続できたらいいですね〜
根石さん、精神年齢が実年齢より2歳は下回ってると親は覚悟してる(?いえいえ、時にイライラしてしまいます)息子ですが、どうぞよろしくお願いします。
こないだNHKで「公立教育の現場」を検証する番組で牧野剛氏(河合塾講師)が最初に今の子どもは「まともな日本語がしゃべれない」「単語をならべるだけ
で、文章にできない」というようなことを言ってまして、うちもまさに、同感!でございます。気持ちを言葉で伝えることが苦手。我が家では英語よりも日本語
を勉強させろ〜と一致していますが、たぶん珍しい家庭なのだと思います。仲間が見つかればいいのですが。
息子はガッコで「しーゆーあげいん」を帰りの挨拶に言わされていたり
どこで覚えたのか「お〜まいごっど」なんて口走ってるのを見聞きすると、ぞぞぞっとします。
ところで先日うちの自治体で「日本語学級増設」の陳情が全会派一致の一発採択されました。
それだけニーズがあるということは、この地に外国人も増えていて日本語圏で生活するのに困っているとのことなのでしょう。小学校教師からの授業よりか、日
本語学級に通う生徒との交流とか、生徒のご両親を講師に招く授業はどうかな〜な〜んて思いつきました。どう思われますか?
【13166】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月24日(水)05時36分12秒
>また、私が根石さんの語学論を過剰に読み込んで曲解していたことも良くわかりました。
柄谷についてはもちろん、吉本や花田にからめて書いたことも、おそらく見当違いだったと思います。撤回させてください。
撤回なさるのは結構ですが、私の方は読まないでいた柄谷を読み始めてしまったので、勝手に書くことにします。前回は、酔いが回って、後半がしまりがな
かったので、もう一度やってみたいと思います。また飲み始めているので、今回も後半は前回同様になるおそれがありますが、やってみるしかありません。
>ウィトゲンシュタインは、「われわれの言語を理解しない者、外国人や子供」を、いつも思考の前提としている。彼にとって、それが他者のイメージである。
(略)
ウィトゲンシュタインにとって、他者とは、「われわれの言語を理解しない者」、つまり言語ゲームを共有しない者にほかならない。そして、コミュニケー
ションは、「直接的伝達」(キルケゴール)ではなく、それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)のレベルにおいて考えられなければならな
い。「直接的伝達」は、言語ゲームを共有する者同士では可能である。また、その場合、その伝達を可能にする社会的規則・コード(超越者)を取り出すことが
できるだろう。しかし、それらは言語ゲームが共有化されたあとでの事後的な説明にすぎない。それらは、コミュニケーションの基礎づけたり得ない。むろん、
私は、他者(言語ゲームを異にする者)とのコミュニケーションが不可能だといいたいのではない。その逆に、コミュニケーションが合理的には不可能であり基
礎づけることができないにもかかわらず、現実にそれがなされている事実性に驚くべきだといいたいだけである。
(「探求1」キルケゴールとウィトゲンシュタイン)
柄谷も、ウィトゲンシュタインと同じように、「われわれの言語を理解しない者、外国人や子供」を「他者」だと言いたいのです。その意味で、この本の前半
を読んだ時点では、私はまったく柄谷が言う意味での「他者」でした。ところどころ切れ味のいいところがあるとは思うものの、何を言ってるのかまるでわから
んというところが圧倒的に多かったからです。matsu
さんは、こんなものを読んですんなりわかるのだろうかと、読みながら思ったことも書いておきたいと思います。
上に引用したものを読んだあたりで、ようやく少しは言いたいことがわかってきたのですが、それは柄谷が「それを可能にするものそのものの伝達(規則を教
えること)」をしたからではありません。私が我慢して読んだからです。私が、この本一冊を途中まで読む過程で(まだ読み終わっていません)、「それを可能
にするものそのものの伝達」など柄谷は何ひとつしていません。
さて、「コミュニケーションは、「直接的伝達」ではなく、それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)のレベルにおいて考えられなければな
らない」についてですが、私が日本在住の「外国人」とつきあうときにしてきたのはまさにこのことでした。しかし、それは「英語によって日本語を教える」こ
とによってだったのです。
(日本人の)「子供」ならともかく、「外国人」に「日本語」で「それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)」が成立するとでも柄谷は考え
ているのでしょうか。こいつは筆のすべりはいいが、考えが粗雑だと思うのはこういうところです。筆のすべりがいいとか切れ味がいいってことと、考えが粗雑
だということとは両立するんですね。
この柄谷の考えでいいのなら、先日発表された厚顔無恥文部科学省の英語教育に関する考えもあれでいいことになります。「レベル」だけで言えば、「それを
可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)のレベル」で厚顔無恥省もものを言っているのですから。
私は「できっこない」と言っているのです。ですから、厚顔無恥文部科学官僚どもに言う言葉も柄谷に言う言葉も同じものになります。「空文句だけ唱えてん
じゃねえよ」です。
柄谷はウィトゲンシュタインを借りて、「外国人」を問題にしているんだから、私のいいがかりも筋の通らないものではないと思いますがいかがでしょうか。
柄谷の言うこととは違って、「直接的伝達」も「それを可能にするするものそのものの伝達(規則を教えること)」も、両方とも、「言語ゲーム」を同じくす
る者の間でしか成り立たないのです。
柄谷はアメリカに渡る前に、日本でしこたま英語をやった人間です。「東京大学経済学部卒。同大学院英文科修士課程修了」です。
「現実にそれがなされている事実性に驚くべきだといいたいだけである」というときの、「現実にそれがなされている」場所を柄谷は具体的に書きません。私
はその「場所」をアメリカだと考えていますし、「磁場体験」だと考えています。語学の内部では、柄谷の言う意味での「コミュニケーション」などどこにも成
立しません。それは語学の外側(=磁場体験)においてあるだけです。この一点に関して言うなら、matsu
さんが柄谷を読めていないのだと思っています。
「東京大学経済学部卒。同大学院英文科修士課程修了」の頃に柄谷がやった「語学」があったからこそ、「現実にそれがなされている事実性」があったので
す。柄谷は、「前提」を伏せるのです。
柄谷が具体的に書かない「場所」がアメリカでなく日本であるなら、「語学」ではなく「読書」によって、私が柄谷の言うことを曲がりなりにも受け取り、
「現実にそれがなされている事実性」に、柄谷が驚くべきです。私と柄谷では、「言語ゲーム」をまったく異にするのですから。
柄谷は「日本でしこたま英語をやった」語学体験も伏せ、アメリカでの(猿としての?)「磁場体験」も伏せるのです。それで、日本に帰ってきてから、西洋
哲学者たちの説をちょこまかと持ち出し、メスで切ってみせるのです。そのしぐさの下から、シミチョロ(死語で申し訳ありません)としてちょろちょろと見え
るのが、「語学体験」であり、「磁場体験」なのです。
「磁場」の問題を捨象して、「それを可能にするものそのものの伝達(規則を教えること)」などと言ってもしょうがねえんです。そんなことを言うことが、
柄谷が自分で繰り返し繰り返し批判する「モノローグ」にしかならねえのです。
「それを可能にするするものそのものの伝達(規則を教えること)」だあ?
それをやってきたのは俺だよ。柄谷よ、お前なんぞじゃねえよ、と言いたい。
だいぶ酔いがまわってきましたが、もうひとつ引用してみます。
>柳田国男は、「学ぶ」は「まねぶ」であり(「習う」はいうまでもなく「倣う」である)といい、それを「おぼえる」(覚える)に対比させている。そのよう
にいうことで、柳田は、一般に、学ぶこと(学問)を、おぼえることの上に置く位階を転倒させた。ただ、柳田の区別は、別の意味で重要である。泳ぎを教える
とき、われわれは、さしあたって、相手にフォーム(形)を真似させるほかない。泳げるようになる一瞬の悟り(覚り)を、待っていなければならない。
曹洞禅(道元)の場合も、各種芸道の場合も、各々「形から入る」。つまりまねぶところからはじめる。しかし、これは一般に「教える」過程についていえ
る。ウィトゲンシュタインが、言語の習得を訓練とよんだのは、この意味である。
子供はまねばないならば、言語をおぼえないだろう。人間の子供は、特別な障害がないかぎり、話しかけられると、言葉をまねぶ。これは自然史的な能力であ
る。しかし、それは、人間が特別な障害がないかぎり泳ぐ能力がそなわっているということとちがいはない。つまり「教える---習う」という関係のレベルか
らはなれたところで、ピアジェやチョムスキーのように「生得能力」から学習を説明することは、本当の意味で「習う」ことに迫ることではない。それは事後的
な説明にすぎない。
頭の回転の速い馬鹿っていうのはこういう者のことだ。文章が絶えず横滑りする。
柳田国男が、これこれこう言ったと言い、「学ぶこと(学問)を、おぼえることの上に置く位階を転倒させた」と言う。そうなのかと思うが、「学ぶ・まね
ぶ」を「覚える・悟る」と対比させることによって、柳田がどう「位階を転倒させた」のかはちっともわからない。
柄谷の書くものの中に柳田国男という名前が出てきたからといって、柳田国男についてわかるわけではまるでない。柄谷のモノローグに都合のいいように、柳
田が引っ張り出されているだけのことなのである。
>曹洞禅(道元)の場合も、各種芸道の場合も、各々「形から入る」。つまりまねぶところからはじめる。しかし、これは一般に「教える」過程についていえ
る。ウィトゲンシュタインが、言語の習得を訓練とよんだのは、この意味である。
曹洞禅がどうなのか私は知らないが、「形から入る」についてなら、私にもわかっていることがある。それが「まねぶ」ところからはじめることもわかる。し
かし、その直後で、「しかし、これは一般に「教える」過程についていえる」と気楽に続けるんじゃねえよと思う。どこでどうそれが「教える」について「いえ
る」のか。ここでもやはり、柄谷は筆のすべりがよく、ただ単に雑なのである。思考が雑なのだ。
>子供はまねばないならば、言語をおぼえないだろう。人間の子供は、特別な障害がないかぎり、話しかけられると、言葉をまねぶ。これは自然史的な能力であ
る。しかし、それは、人間が特別な障害がないかぎり泳ぐ能力がそなわっているということとちがいはない。つまり「教える---習う」という関係のレベルか
らはなれたところで、ピアジェやチョムスキーのように「生得能力」から学習を説明することは、本当の意味で「習う」ことに迫ることではない。それは事後的
な説明にすぎない。
「しかし、それは、人間が特別な障害がないかぎり泳ぐ能力がそなわっているということとちがいはない。」だとさ。「能力がそなわっている」という一点は
同じだろうが、子供にとって「言語」は避けようがないという一点はまるで無視されている。
水泳を習い始めてすぐに、「泳ぎたくない」と子供が拒絶するなら、「能力がそなわって」いても子供は泳がないだろう。しかし、「泳ぎたい」でも「泳ぎた
くない」でもいいが、そういう言葉を「持つこと」を子供は拒絶できない。泳ぐことは拒絶できても、言葉を拒絶することはできない。
「能力がそなわっているということとちがいはない」などと言うことで、いったい柄谷は何を言ったのか。ボクは頭がいいように見えるでしょ、と言った以外
にいったい何を言ったのか。私には本当にわからない。
チョムスキーの言う「生得能力」のせいで、子供は言葉を持つことを拒絶できないのだ。チョムスキーが「習う」ことに迫ることなどしたかどうか知らない。
チョムスキーは、「生得能力」が「ある」と言っただけだ。
だから、子供は「教える---習う」などという「関係のレベル」でなく、「愛する---習う」のレベルで、「勝手に」「習う」のだ。そこにあるのは、
「教える」なんかではなく、「愛」だ。「人間の子供は、特別な障害がないかぎり、話しかけられると、言葉をまねぶ」ことの根底にあるのはそれだよ。「教え
る」などということがなくても、「愛」のせいで、子供は勝手に「習う」。それがチョムスキーの言う「生得能力」であり、幼児に関してなら、それだけで「本
当の意味で」、「習う」ことが全部言えてしまうのだ。
事後的な説明をしてるのは、柄谷、おめえさんじゃねえかよ。
しかも、事後的なだけじゃなく、間違ってるじゃねえかよ。
matsu
さんは、私が柄谷が読めていないとおっしゃっていますが、私はそう思っておりません。正直に言って、私が読めていないのは吉本です。吉本には、本質的な難
解性があります。柄谷にはそんなものはありません。柄谷は、頭の回転が速くて、そのスピードに従って書くから、読みにくいだけです。というか、話があちゃ
こちゃして読みにくいんです。
「探求I」に関して言えば、最初の3分の1くらいはほんとうにあちゃこちゃしていて読めたもんじゃない。後半に入って、ようやく少し落ち着いてきていま
すので、柄谷が書いた文章そのものにつっかかってやろうという気になったのです。
最初の3分の1を読んだ時点で、私から悪態しか出てこなかったのは、柄谷のせいです。私のせいじゃありません、と、柄谷にとっての「他者」として言い
放っておきます。
私が、こういう種類の「アタマノヨサ」が嫌いなのは、matsu さんが納得して下さった通りで間違いありません。
また、私の語学論を深読みしすぎたのであれば、本来の深さ(浅さ)で読んでいただきたく思います。
【13170】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月25日(木)01時27分14秒
根石さんが、誰に向かって何のために書いているのか、測りかねます。
私はただ、柄谷が根石語学論の展開のために、「媒介」になるのではないか、ということでポイントをしぼって指摘しただけです。
根石さんがそれについて、違うと考えて、私に向けて書いているというなら、論点を明確にして書いてくれないと応接のしようがありません。
連夜にわたる記事を見てみると、私に対して書いているのではなく、ただ柄谷を批判したくてたまらない、という情熱にかられて書いているだけのように思えま
す。
枝葉末節ではなく、本筋の部分で一点、指摘させてください。
根石さんは「命がけの跳躍」ということを、誤解しているようです。
何か具体的な場所から場所への跳躍としてイメージしていて、積極的で価値ある行為と考えているようです。語学から磁場へ跳躍した、などと書いていますか
ら。
そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に隠
されている、ということです。
そうした人間の原理的なあり方を把握するために、極限概念として「外国人」や「貨幣」を出しているのであって、根石さんのいう「磁場体験」や外国生活とは
何の関係もありません。
柄谷の根本モチーフすらつかめないままに、罵詈雑言を繰り返す根石さんの姿勢は全く理解できません。
私は別に柄谷信者でありませんし、柄谷へのまともな批判はあってしかるべきです。
しかし、根石さんの態度は、言葉や思想に対して不誠実だし、まじめに議論しようとしている相手をこばかにした態度だと思います。
【13171】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)01時45分44秒
>根石さん、精神年齢が実年齢より2歳は下回ってると親は覚悟してる(?いえいえ、時にイライラしてしまいます)息子ですが、どうぞよろしくお願いしま
す。
うらやましいです。今の子供は、実年齢より上回って、その分空滑りしている子供が多いです。
うちの孫は、ませていて、実年齢より上の言い回しを繰り出します。こいつは、多分、十代のどこかで「ひきこもり」をやるんじゃないかなと「覚悟」してい
ます。下回っても、上回っても、大変です。でも、どっちも大丈夫なんだと思っています。
>こないだNHKで「公立教育の現場」を検証する番組で牧野剛氏(河合塾講師)が最初に今の子どもは「まともな日本語がしゃべれない」「単語をならべるだ
けで、文章にできない」というようなことを言ってまして、うちもまさに、同感!でございます。
そんなこと、心配せず、放っておいて大丈夫だと思います。旦那さんが心配されましたが、私のレッスンで、息子さんは、意味もわからないちんぷんかんぷん
な日本語を「文章」として読まされています。素読が効いてくると思っています。
手前味噌で言いますが、小学生の間は、素読と算数の計算だけできれば、他は全部放っておいても大丈夫です。(その気になれば、後からみんな取り戻せま
す。)
>息子はガッコで「しーゆーあげいん」を帰りの挨拶に言わされていたり
どこで覚えたのか「お〜まいごっど」なんて口走ってるのを見聞きすると、ぞぞぞっとします。
アホな光景ですね。学校はこういう馬鹿な真似をさっさとやめてもらいたい。みっともないと思わないのでしょうかね。ぞぞぞっって感覚がまともです。子供
さんに、「馬鹿な真似」とか「みっともない」とか一度でいいから言っておくことは必要ですね。
>ところで先日うちの自治体で「日本語学級増設」の陳情が全会派一致の一発採択されました。
それだけニーズがあるということは、この地に外国人も増えていて日本語圏で生活するのに困っているとのことなのでしょう。小学校教師からの授業よりか、日
本語学級に通う生徒との交流とか、生徒のご両親を講師に招く授業はどうかな〜な〜んて思いつきました。どう思われますか?
日本語学級に通う生徒の家族と家族ぐるみのつきあいが一番いいと思います。親を「講師」にするのは賛成できません。「講師」でなく、円座でみんなで一緒
にものを食うみたいなのがいいと思います。それでも日本人の数家族が、日本在住の外国人の一家族を囲むみたいになると、圧迫感ができてしまうので、まず
は、一家族と一家族でつきあうのがいいのではないでしょうか。
【13172】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)02時08分19秒
>根石さんが、誰に向かって何のために書いているのか、測りかねます。
概念のいじり方に向けて書いていると思います。
>私はただ、柄谷が根石語学論の展開のために、「媒介」になるのではないか、ということでポイントをしぼって指摘しただけです。
「媒介」になると思います。すでに私は「媒介」にしています。
>根石さんがそれについて、違うと考えて、私に向けて書いているというなら、論点を明確にして書いてくれないと応接のしようがありません。
私はこの掲示板では、具体的な匿名の人に向けて、「宛名」を書きますので、matsu さんに向けて、柄谷批判を提示しています。
>連夜にわたる記事を見てみると、私に対して書いているのではなく、ただ柄谷を批判したくてたまらない、という情熱にかられて書いているだけのように思え
ます。
私に柄谷を批判したい「情熱」なんてものはありません。私は柄谷を馬鹿にしているだけです。
>根石さんは「命がけの跳躍」ということを、誤解しているようです。
誤解する以前に、マルクスなんかを引用して、貨幣に「命がけの跳躍」なんかをやらせているところがまったく理解できません。実物をみせてくれと思いま
す。恐慌は貨幣が引き起こすのか、「信用」が引き起こすのか、人間の欲が引き起こすのか、もうちょっとわかる言葉で書けばいいのだ。柄谷という馬鹿は。
>何か具体的な場所から場所への跳躍としてイメージしていて、積極的で価値ある行為と考えているようです。語学から磁場へ跳躍した、などと書いていますか
ら。
matsu さんは私の語学論を誤解していると思います。これは matsu さん批判としてここに書いています。
私の「跳躍」も、場所から場所への「跳躍」ではありません。「異質」からもう一つの「異質」への「跳躍」です。「語学から磁場」への「跳躍」も、「異
質」からもう一つの「異質」への「跳躍」です。「場所」のことを言っているんではありせん。
読めていないのはどちらでしょうか。
>そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に
隠されている、ということです。
>日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、
これはよくわかります。
>それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に隠されている
これを説明していただけますか。
>そうした人間の原理的なあり方を把握するために、極限概念として「外国人」や「貨幣」を出しているのであって、根石さんのいう「磁場体験」や外国生活と
は何の関係もありません。
柄谷の根本モチーフすらつかめないままに、罵詈雑言を繰り返す根石さんの姿勢は全く理解できません。
そうだと思います。そんなに簡単に理解して欲しくありません。
過去ログをお読みになれば、私が何に対して罵詈雑言を繰り返すのかはおわかりいただけるものと思います。
>しかし、根石さんの態度は、言葉や思想に対して不誠実だし、まじめに議論しようとしている相手をこばかにした態度だと思います。
「まじめに議論しようとしている」は matsu
さんのことを言っているのでしょうか。柄谷のことを言っているのでしょうか。私が言葉や思想に対して不誠実なら、不誠実で結構です。私は柄谷を「こばか」
にしているのではありません。馬鹿にしているのです。
【13173】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月25日(木)02時25分4秒
失礼な記事を書いて申し訳ありませんでした。
しかし、まぎれもない本心なので、歯に衣着せぬ根石流に敬意を表して、あえてそのまま投稿しました。
それへの反論も読ませていただきましたが、やはりもう接点は何もないかんじですね。
私に根石さんの語学論を理解する力はないでしょうが、根石さんも柄谷を媒介にするには全くの力不足だろうと思います。
「馬鹿」なんて、子どものけんかで使う言葉ですよ。
こんなタイミングでなんですが、レッスンは今月までとしてください。
明後日の分はお休みとさせてください。
子どもとも話し合って決めたことです。
一年間お世話になり、学ぶところが多かったことを感謝します。
【13174】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)02時47分6秒
ありがとうございました。
【13175】
空き枠ができました 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)02時54分28秒
金曜日夜、8時40分から。
月曜日(夕方・夜)、6時10分から。
「他者」の皆様、よろしくお願い致します。
どちらも2月からやります。
【13176】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)02時59分8秒
「一時的な感情にかられて」は読んでおります。
それを削除したことも「読んで」おります。
【13177】
歴史 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)03時00分58秒
>「馬鹿」なんて、子どものけんかで使う言葉ですよ。
私はこの掲示板を始めた当初から、「馬鹿」を言うだけでやってきたのでした。
【13178】
前口上ができましたので、アップします。 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)03時42分26秒
アップアップ。
ですが、「思想」は無視して下さい。
------------------------------------------------------
ダーク・テニクックでいこう!
英語発音「通信講座」
.使用法------------------------------------------------------
・ホームページのテキストと音声で練習してから、ご自分の携帯電話や固定電話から素読舎の留守番電話へ音声を吹き込んで下さい。いつ吹き込んでいただいて
も結構です。
・毎回、受講番号と氏名を言って下さい。「??番、山田太郎です」というふうに吹き込んでから、レッスン用のものを吹き込んで下さい。「です」を言うだけ
が、軍隊と違います。
・ホームページのテキストで、★印のついているところの日本語と、英単語、英文を読んで下さい。これは、ホームページの録音音声で読んでいるところと同じ
です。日本語1回、英単語2回、英文3回等、回数もホームページの録音音声と同じです。
・一回の録音で、3項目分吹き込んで下さい。(1と2と3、次に、4と5と6など)
・一回録音(吹き込み)したら、メールでアドバイスが送られるのをお待ち下さい。アドバイスを受け取ったら、それに従って練習して下さい。それをちゃんと
やってから、次の3項目分を練習し録音(吹き込み)をして下さい。(3ヶ月以内に全部をやらなきゃならないことを計算して下さい。)
・9031oiurekjfdsm@infoseek.jp
にレッスン申し込みのメールをいただき、郵便小為替を受け取りましたら、素読舎の留守番電話の番号と受講番号をお知らせします。
・留守番電話に録音された音声を聞き、メールでアドバイスをします。それが基本であり、その後、スカイプでお会いすることがあれば、それは付録だとご承知
下さい。
・一通り終了した人たち5人くらい一組で、スカイプの会議電話を使って「生レッスン」を行いますので、できたらパソコンにスカイプを導入して下さることを
希望します。(人数がまとまるまでお待ちいただく場合があります。)
・ご質問は、掲示板『大風呂敷』にお願い致します。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs?BD=7&CH=5
.申し込み方法------------------------------------------------------
・以下の住所に、郵便小為替(ゆうびんこがわせ)で5000円分をお送り下さい。
〒387−0015
長野県千曲市鋳物師屋642−3 素読舎(根石吉久)
・9031oiurekjfdsm@infoseek.jp
にレッスン申し込みと、郵便小為替による送金済みを知らせるメールをお送り下さい。その際、住所、氏名、携帯またはパソコンのメールアドレス、電話番
号、送金済みであること等をお書き下さい。
こちらで、郵便小為替を受け取りましたら、素読舎の留守番電話の番号と受講番号をお知らせします。
・ご質問は、掲示板『大風呂敷』にお願い致します。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs?BD=7&CH=5
【13179】
根石さん、ゆっくり母さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月25日(木)04時01分46秒
根石さん
お返事ありがとうございます。しかと読ませていただきました。
私にとっては、もうそろそろ「サンタ」に変身する時間&仮眠時間です^^
子どもは「まさに水を吸うスポンジ」のごとく、日々いろんなことを吸収していき、興味を持っています。1年前はできなかったことができるようになったり、
友達との関係が広がったり、その成長ぶりは、ほんとフットした時にわかることで、親としてじわ〜〜とくるものですね。
英語の吸収力も大人より、早いのでしょうね。
親としては、根石さんからの音を子どもの耳に残していきたいです。
外国人親子との家族ぐるみの交流ということで、ご助言いただきましたが、ほんと、理想ですね〜しかしDSを無制限にあたえるかどうか、食事についても炭酸
やスナック菓子をあたえるかどうか、ある程度、同じような考え方の家庭かどうかを手探りしながら、交流するということもしています。(相手の家庭の方針
に、口出しするのはなかなかできませんもので)近所にお母さんがフィリピンの方もおり、家族ぐるみを想定してみたのですが、お父さんは話ずらそうな雰囲気
なこととか、DS、お菓子は無制限のようなので、ちょっと抵抗を感じてしまいました。他にも検討してみます。ありがとうございます。
空き枠、金曜8時40分、
子どもたちが眠たくなる時間なので、大人レッスンで入りたいのはやまやまなのですが、今は子どもたちと添い寝が必須なので、難しいです。残念ですが。
ゆっくり母さん
息子君の元気な声が聞こえるたび、おお!と圧倒されます^^一緒に進めることができて感謝です。このご縁にも感謝。
さて、ゆっくり母さんがご紹介されていたAudacityもDLしてみました。これが使えるといいですね!スカイプ導入に続き、がんばります。
今のところ表示に録音ボタンがグレーになっているのが気になります。ボタンを押すことができません。都合がついた時間にスカイプで録音テストをさせてくだ
さい〜
全然突拍子も無くてすみませんが、
花田清輝>
「ユートピア社会ってのは資本制社会の枠内で単純再生産を実現できれば、できるんだ」
今、新自由主義と福祉ということを考えていて、花田のこの言葉が何か疑問を解決するキーワードになるかなと思いました。語学論、貨幣論という視点とは、全
然違うし、幼稚な私の独り言ですが、花田は(モンゴル)を理想としていたということもうつろな記憶にあります。ビジョンが見えれば、どう歩くべきか、道筋
が見えてきますよね。こちらも、少しづつ検討していければいいなと思っています。突然でスミマセン(汗)
【13182】
発明 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)05時52分15秒
人間は自分がもっとも必要とするものをキリストるものである。
柄谷も同じだ。
語学という「前提」を持っていることを伏せて、「他者」を語るところが、ズール教なのだ。
ドストエフスキーの小説が体現してるように、「基底」などどこにもないと疑うことができるが、柄谷は「前提」を伏せて大口叩いてんじゃねえ。
「無限としての他者」(第十一章)はおもしろかった。
ほめてつかわす。
しかしなんだな。本の終盤3分の1くらいになって、ようやく言いてえことを言い出すんだから、おめえもグズってもんだ。
シャキッとしろよ、「磁場帰り」!
【13183】
お知らせ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月25日(木)05時55分23秒
柄谷を借りただけ読んだら、花田を読んで、「カラマーゾフの兄弟」を読もうと思いました。
【13186】
落語 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月25日(木)08時25分23秒
息子は多分「こ〜れからこ〜のな〜かで(これからこの中で)狐の化けたあの女とあの男が・・・な〜にをするのやろぉぉ」といっていると思います。
罠にひっかかった狐がまっつぁんに、「わなから逃がしてもらうお礼に、化けるところを見せます」美女に化け、さらに「あの男をだましてごらんにいれます」
と言って、とおりがかりの男を納屋に誘う、という場面でのまっつぁんの台詞です。
息子に「何するんだろうね?」と聞いてみたら、長男は「さぁ…」と意味深に笑っていました(う〜ん…母としては複雑)。
次男は「神経衰弱か積み木かブロック」と答えました。
多分、いや、きっと神経衰弱ですね。
長男はレッスンにずいぶんなじんでくれて、はじめの頃のような緊張はなくなり、ふつうに「そういう日」と思ってくれつつあるようです。
昨日は何の話だったか「せんべいは英語でなに?ジャパニーズ・スナック?」と言い、「ジャパニーズは一瞬般若がないんじゃない?」と言いました。辞書で調
べて「はじめの『ジャ』のところが般若みたい(あっていますか?)」というとふ〜ん、と納得したような、してないような顔をしておりました。
こんな調子です(どんな調子?)。根石さん、江戸の母さん、どうぞよろしくお願いします。
【13188】
小学校の英語教育(続) 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月25日(木)10時37分8秒
今朝小学校に用事があり、クラスを覗いてみたら、思ったよりひどいことになっていました。クラスの後ろの掲示板に英語コーナーがあって、そこに体の絵とそ
の英語がアルファベットとひらがなで書かれていたり、色紙がはってあって同じように英語とひらがな、このほか、挨拶も書かれていました。
息子は帰りの挨拶が「しーゆーあげいん」と言わされることに違和感をもってるようです。
「だって、うちのクラスだけなんだもん」とのこと。
隣のクラスは、クラスにはいるとき「グッドモーニング」と言いましょうと貼ってありました。どっちもどっちですが、本当にひどいです。
でたらめな発音
私はイギリスで写真を求められたとき、写真は「ふぉとくらふ」だよなと思っていたので何を求められているかわからず、大変な思いをしました。(飛行機で
「オレンジジュースが通じないことが、最初のショックでしたが><)
どこから手を打っていったらいいのだろう。小学校校長は英語教育が自慢の校長です。
自尊心を壊したら息子に危害が加えられそう。
しかし、小学校の階段には綿埃がたまっていて、汚いです。
まず、掃除。自分の勉強する場所をきれいにしてほしい。
【13194】
会長就任のご挨拶 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月25日(木)23時37分1秒
昨晩は、なんだか風邪のひきかけでダルく、泥のように眠っていました。眠りこけている間に一雨降って、matsuさんが去っていったのでした。
matsuさんは私と同時期に息子さんを預けられ、「父母の会」の会長でした。ちなみに私が「副会長」。自称であることに加えて、肩書きだけで何もしませ
んので、どっちも「 」付きだったのですが。matsuさんに「会長」を押し付けたのは私、ゆっくり母さんに「営業部長」を押し付けたのも私。ゆっくり母
さんには悪いことしちゃいました。ごめんなさい。
matsuさんが「退会」されてしまいましたので、不肖私めが「会長」に自分で昇格させていただきます。引き続き「 」付きですので何もやりませんが、あ
しからず。ご異存のある方はご遠慮なく、おっしゃってください。あっさり席をお譲りいたします。
取り急ぎ、就任のご挨拶まで。
【13195】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月26日(金)00時46分14秒
テストうまくいきましたですね。音のとぎれもなく、安定していました。
「会長」に就任いただきありがとうございました。
いやいや、「会長」にはお世話になっております。「通信教育」も「会長」のご提言があって、試行錯誤が始まったのでした。やぼ用が続き、教材作りが中断
しておりますが、時間をみつけてやっていきますので、今後ともよろしくお願い致します。
【13196】
たびたびすみません 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月26日(金)02時27分30秒
小学校英語教育についてですが、
子どもの冬休みの宿題のひとつに「英語 進んで習った英語を使ってみましょう」
というのがあり、ぐらっとしてしまいました。さらに、子どもはなにか歌を歌いながら体を動かして、「おーるおばーみー、じょいじょいじょいじょい〜♪」な
どと、全然英語として通じない発音で言っています。「遊び感覚」で遊びながら、英語を身につけようという魂胆でしょうか。果たしてこの音が誰かが聞いて理
解できる音なんだろうか?日本人にしか通じない音のような気がしてきました。こんな変な文化がすりこまれている状態に、どうしようかと模索中です。
【13197】
ひとりごと(モノローグってか) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月26日(金)03時03分2秒
>そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があっ
て、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に隠されている、ということです。
>日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、
これはよくわかります。
>それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に隠されている
これを説明していただけますか。
matsu さんは、こちらが聞いていることには何も答えてくれませんでした。
「事後的に隠されている」っていうのは何のことかと思ったので、それはいったい何のことかとお聞きしたのだが、答えてはくれない。それで、こちらが「ま
じめに」議論することなどを押しつけられる義理はなかろうもん。昔から、こういう「まじめに」が苦手だった。誠実だの、不誠実だのと、何のつもりで
matsu
さんは言っているのだろうか。わからないから聞いていることに答えるということが、「議論」というものの基底を形成するはずの まじめさ なのに、
matsu
さんはその基底自体を無視して(壊して)、誠実だの不誠実だのと言うのである。いったいこういう誠実や不誠実にどんなナイヨウがあるのか。ナイヨウはナイ
ヨウ。すみません。
matsu
さんの「事後的」は「命がけの飛躍」という「事」の「後」にということを言っているのだろうか。わざわざ「事後的に」という語で言うのはなぜなのかがわか
らない。「命がけの飛躍」が外からは人の目に見えないという、単にそれだけのことを言ってるのではないらしい。「事後的に」というからには、「事」の「前
後」が何か関係あって言っているのだろう。どうしてこんな言い方をするのか本当にわからないので聞いたのだが、そういうポイントには何も答えてはくれない
のだ。
柄谷の本の中にもところどころに「事後的に」という言い回しが出てくる。そんなところから言い回しを拾ってきて真似ているだけのことなんだろうか。
柄谷の言説はこちらは書籍で読むわけだから、柄谷は言いっぱなしができる。それに対して、こちらも言いっぱなしができる。あんまり言いっぱなしばかり
じゃいけなかろうと思い、柄谷の文を具体的に引用して、ここがこうだと批判したが、それに対しても matsu
さんは、高みから「読めていない」というご託宣を垂れただけだな。どこが具体的にどう読めていないのかは教えてくれない。言葉はおとなしそうなのだが、な
かなかどっこい。この人はあらかじめ高みにいるのである。なんであらかじめそんな「高み」にいられるのかがまったくわからない。偉い人なのだ。よっ、雲上
人!
こういうのはたいがい何かの「まじめな」信仰のせいなのだ。そんな信仰のせいで、俺が「どやしつけ」を「演じる」ことも matsu
さんは読んではくれなかったようだ。「どやしつけ」を「演じる」かたわらで、論点を噛み合わせようとしている努力は見えないようだ。「日常の滑らかなコ
ミュニケーションの見かけ」がわかる人も、「どやしつけ」の「見かけ」はわからないらしい。
こちらが聞いていることを無視し、議論の基底を壊し、「読めてない」とご託宣を垂れる。いったい何がどれだけ偉くてそんなことができるのか。「どやしつ
け」を「演じる」演技も読めず、「どやしつけ」は不誠実だなどと、文学・思想信仰の「まじめ」さを押しつけてくることの方が、よっぽど不誠実じゃねえか。
文学には「どやしつけ」もありなんだよ。この程度の「演技」も読めなくて、何が「文学」かよ。いい年こいていつまで文学青年やってんだろう。一度しっかり
と「まじめ」ってことを説明してもらいたい。
まるで「根石君、ふまじめだよ」って説教する学校の先生みたい。ああ、何度それを言われて育ったことか。ボクは苦しんじゃった。柄谷とおんなじでうるせ
えんだよ。セックスの後で、「こないだはバツだったけど、根石君、今日はマル!うふん」って言う女の方がよっぽどいいや。「こないだはバツだったけど」く
らい言われたからって、俺は「ちくしょう、このスキモノ」って言うけど、「断絶」はしねえな。
「文学」だの「思想」などにもう俺は何の信仰も持ってはいない。こちらからはあちらの信仰がふまじめ(不誠実?)に見えるのだ。
>そうではなくて、日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に、常に断絶があって、それを飛び越える「命がけの飛躍」がある、しかしそれは事後的に
隠されている、ということです。
そういうことですか。やっぱわかんねえな。俺の「誤読」を指摘した後で、matsu
さんはこう書くが、そんなことは俺が読んだ限りでは、柄谷はどこにも言っていない。まあ、これから読むところに書いてあるかもしれないから保留しておく
が、ひとまずこれまでのところ、「日常の滑らかなコミュニケーションの見かけの下に」なんていうレベルのことを柄谷は言っているわけではない。matsu
さんの自分の言説としてなら、「よくわかる」のだが、俺の柄谷の読み方を訂正して、こんなことを言われてもなあ。少なくとも、「探求・1」に書いてある
「命がけの跳躍」ってことはそんなことを言っているんじゃない。「言葉が通じない者=外国人・異質・異物・異人」と「向き合う」ことを言っているだけだ。
「教える・習う」の関係に入ることを言ってるだけだ。
先生だか公務員だか知らねえが、「偉人」にゃ「異人」はわからんわ。「極限概念」なんぞという「まじめ」なレベルでなく、単に「他者」の具体例として、
柄谷はそう言ってるだけじゃねえか。なあにがキョクゲンガイネン。へっ!
問題はやっぱり、「概念」の「いじり方」なんだ。
「命がけの飛躍」は、「語学から磁場への跳躍」には関係があるが、「日常の滑らかなコミュニケーション」の見かけの下の「断絶」なんかとはよっぽど関係
がない。「断絶があって、」って、いったいなんだよ。それがあれば、そこに「他者」が立ち上がるとでもいうのかよ。「断絶があって、」だけのことなら、そ
れこそがモノローグじゃないか。とぼとぼと道を歩きながらのぼやきとどれほど違うっていうんだ。それが柄谷の言う意味での「他者」と何の関係があるってい
うんだ。
いや、matsu
さんがそう読むんなら、関係はあるんだろう。なにしろ「断絶」だからな。きのうの俺との別れ方なんぞは、見事なもんだ。なにしろ「断絶」だ。それはそれで
いいんだというだけのことだ。
柄谷はこんな「断絶」程度のことを言っているんじゃないんだ。「他者」ってことで言ってるのは、「断絶」なら「断絶」でいいが、言葉が通じないなら通じ
ないでいいが、それを踏まえて、その者と「向き合う」ことを言っているんだ。matsu
さんは、モノローグから出ることができないまま、「断絶」をやっただけのことだった。文学信仰者はそれをやってればいい。別に出てこいなどと呼び出さねえ
よ。そもそもあんたが勝手にこの掲示板に出てきただけのことじゃねえか。それで、手前勝手に出て行っただけのことじゃねえか。モノローグの闇がどこまで深
いんだか、俺は知らない。
matsu
さんが本当にわかっていないのは、柄谷の言い方を借りれば、「言語ゲームを異にする者=他者」だろう。柄谷読みの柄谷知らずと言う他はないんだ。思想信仰
はやっかいなもんだ。俺が柄谷に似ているなんかって言い出すんだから。迷惑だ。
まあいいか。
【13198】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月26日(金)03時17分32秒
>小学校英語教育についてですが、
子どもの冬休みの宿題のひとつに「英語 進んで習った英語を使ってみましょう」
というのがあり、ぐらっとしてしまいました。さらに、子どもはなにか歌を歌いながら体を動かして、「おーるおばーみー、じょいじょいじょいじょい〜♪」な
どと、全然英語として通じない発音で言っています。「遊び感覚」で遊びながら、英語を身につけようという魂胆でしょうか。果たしてこの音が誰かが聞いて理
解できる音なんだろうか?日本人にしか通じない音のような気がしてきました。こんな変な文化がすりこまれている状態に、どうしようかと模索中です。
「おーるおばーみー、じょいじょいじょいじょい〜♪」!
ウツクシイーーー! これ、誰でしたっけ。昔、男の裏声で、ウツクシーーーーって叫ぶ芸人いましたが。
まあ、遊ばせておけばいいんじゃないでしょうか。
子供はすごいです。どうでもいいことをきっかけにしてここまで遊ぶかって。大人にはなかなか。
私は「子供のけんかですよ」とか、お説教をいただいてしまいましたが、遊んで何が悪い!と言い返すことを回避できません。俺のお遊戯にめくじらたてる人
がいて、迷惑でした。
俺は、私は、わたくし、罪深い大人であるため、レッスンでは遊べないのですが、掲示板では遊ばせてもらっています。
>こんな変な文化がすりこまれている状態に、どうしようかと模索中です。
子供というものは、こういう間違ったものをすりこまれて育つことを避けられない存在です。「変だよ」とか「馬鹿らしいよ」とあきらめずに言い続けるしか
ないんじゃないでしょうか。学びながら、言い続けるしかないと思います。
【13199】
根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月26日(金)04時23分4秒
忙しい中、お返事ありがとうございます!
>子供というものは、こういう間違ったものをすりこまれて育つことを避けられない存在です。
とてもわかります。子どもの頃、「合成着色料」とかがついた駄菓子がものすごい魅力的でした。あまりに「合成着色料」とかから縁を切った生活をしていると
抵抗力がなくなってしまいますよね。
英語遊びの中で、またあたらしい遊びを見つける可能性もあるかもしれませんしね。様子をみてみます。「お〜まいごっど」はむかっとしてしまいますが^^
【13201】
通信講座 投稿者:ちえ 投稿日:2008年12月26日(金)16時52分20秒
こんにちは、ちえです。
子供達が次々に熱を出し、やっと元気になり、久々にパソコンに向かう事が出来ました☆
通信講座に、空き枠が二つも出来ていて、目が輝きました。
考えた結果、スカイプレッスンも魅力的ですが、今の自分には、通信講座
がいいと思いますので、是非、受けさせて下さい。
もう受付け開始されているのですよね。
近いうちにメールさせてもらいます。
一つお願いしたいのですが、郵便為替ではなく、前回のレッスン同様、
銀行振り込みにして頂けますか??
メールした方が良かったのでしょうか??
取りあえず、掲示板で手を挙げさせてもらいました。
根石さんの通信講座、とっても楽しみです。
よろしくお願いしますm(_ _)m
【13204】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月26日(金)21時38分9秒
>通信講座に、空き枠が二つも出来ていて、目が輝きました。
空き枠ができたのは、「スカイプ(電話)でレッスン」の方です。
>考えた結果、スカイプレッスンも魅力的ですが、今の自分には、通信講座
がいいと思いますので、是非、受けさせて下さい。
「通信講座」として始めようとしているのは、発音に関してだけです。先日、ここへ書いたのは、「要項」の素案です。まだ教材が完成していませんので、受
け付けは開始していません。2月に開講したいと思っていますが、果たして可能かどうか。もしかしたら3月以降になってしまうかもしれません。
>一つお願いしたいのですが、郵便為替ではなく、前回のレッスン同様、
銀行振り込みにして頂けますか??
「スカイプ(電話)でレッスン」は郵便振替、「通信講座」の方は、郵便小為替でお願いしようと思っています。それ以外の形をとると、事務が繁雑になって
しまいますので、よろしくお願い致します。確か、ちえさんは3月に日本に戻られるとお聞きしていたような気がしますが、記憶違いでしたっけ?
もし3月から日本におられるなら、3月か4月から試してみていただけたらと思います。
あれ?
ちえさんは、「通信講座」の整備につきあってもらうことになるので、無料でやると申し上げたのではなかったでしたっけ?
>メールした方が良かったのでしょうか??
ちえさんの方が、この掲示板での連絡で構わなければ、私は掲示板に書いていただく方が助かります。掲示板は比較的頻繁に見ていますが、メールは数日に一
回程度開くだけのことが多くなっています。
>根石さんの通信講座、とっても楽しみです。
よろしくお願いしますm(_ _)m
こちらこそよろしくお願い致します。
【13208】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月26日(金)22時05分45秒
>子どもの頃、「合成着色料」とかがついた駄菓子がものすごい魅力的でした。あまりに
「合成着色料」とかから縁を切った生活をしていると抵抗力がなくなってしまいますよね。
食品に添加されている化学物質の作用については、「わからない」とするのがいいと思っています。「合成着色料」が「抵抗力」をつけるかどうかは「わから
ない」と思います。
「合成着色料」に毒性があるとして、「抵抗力」というのは、その毒性に対しての「抵抗力」と考えておられるのかと思いますが、人間の体がそういう抵抗力
を備えるのは、細菌が抵抗力を備えるようになるのと比べるとはるかにずっと長い時間がかかるんじゃないでしょうか。
鳥インフルエンザのウイルスの変異(進化?)は、鳥の餌に抗生物質を常用するために生じたことだという説を最近会った人から聞きました。よく納得できた
説明でした。細菌やウイルス菌は、割と短期間に化学物質に対する抵抗力を備えてしまうのではないかと思います。人間の体や鳥の体は、そんなふうに短時間に
は、化学物質や薬に対応できないのではないでしょうか。
「わからない」ものについては、避けるのがいいんじゃないでしょうか。
>英語遊びの中で、またあたらしい遊びを見つける可能性もあるかもしれませんしね。様子をみてみます。「お〜まいごっど」はむかっとしてしまいますが^^
学校がやらせている英語遊びは英語だなどと思わないでつきあうしかありませんね。意味をなさない音を遊ぶ遊びでしかありません。そんなものに、本来子供
がつきあわされる必要はないのです。ですが、現実に学校が馬鹿げたことを始めてしまっているのであれば、英語だなどと思わず、単なる遊びにしてしまうしか
ありません。
なんらかの形で抗議はすべきだと思いますが、直接に校長や担任に言うのはやりにくいのであれば、「江戸の母」の名で、ここに馬鹿げた「小学校英語」の実
態を書き続けられるといいと思います。
「お〜まいごっど」に対するむかつきはむかつきとして顔に出されるのがいいと思っています。日本人の子供が日本の学校から帰宅して、「お〜まいごっど」
を言う!
非常に馬鹿げたくだらない光景です。「くだらない」と声をあげることを「継続」されるしかないと思います。私もやっていくつもりですが、江戸の母さんも
「継続」されることをお願いします。
【13217】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月27日(土)01時09分24秒
>息子は多分「こ〜れからこ〜のな〜かで(これからこの中で)狐の化けたあの女とあの男 が・・・な〜にをするのやろぉぉ」といっていると思います。
そんなあぶないことを言っていたのですか。電話→スカイプで、音質が悪くて聞き取れなくてよかった。爺が心臓麻痺で死ぬかもしれません。留守電もけっこ
う危険ですね。
>息子に「何するんだろうね?」と聞いてみたら、長男は「さぁ…」と意味深に笑っていました(う〜ん…母としては複雑)。
ふうむ。「意味深」ですか。「意味深」は意味深だなあ。
>次男は「神経衰弱か積み木かブロック」と答えました。
多分、いや、きっと神経衰弱ですね。
私にはわかりません。多分、「積み木」か、と。ブロックはガチッと組み合わされてしまいますが、積み木は、へっへっへっ、と言うだけで、がらがらと崩れ
落ちます。
>長男はレッスンにずいぶんなじんでくれて、はじめの頃のような緊張はなくなり、ふつうに「そういう日」と思ってくれつつあるようです。
そうです。いっぱしの生徒になってくれました。頼もしいです。
>昨日は何の話だったか「せんべいは英語でなに?ジャパニーズ・スナック?」と言い、「ジャパニーズは一瞬般若がないんじゃない?」と言いました。辞書で
調べて「はじめの『ジャ』のところが般若みたい(あっていますか?)」というとふ〜ん、と納得したような、してないような顔をしておりました。
小学生のうちに辞書がひけるようになるのは、武器になります。「あいうえおかきくけこ・・・」が言えるようになったら、「abcdefg・・・」が言え
るようになるのも、単に歌を一つ余計に覚える程度の労力ですから、やっても構わないと思います。
辞書がひけるってのは、原理的には、「abcdefg・・・」が言えるってだけのことでできます。それで、[ae]
みたいな発音記号を見せるのはいいと思います。「ええっーーーー」?
ひらがなを習って、カタカナも習って、漢字だって、おらあ書けるんるん。abdって何のことだ、ふざけんなと思って逆らったけど、実は俺、abcも言え
るようになっちゃって、るんるん。なんだぁ?これはなんだよお?
[ae]
どこまで行けば底があるんだよ?
そんなふうに、子供は不安定になるかもしれません。だけど、子供にとっては、ひらがなもカタカナも漢字も、abcdも、そもそも「底」なんかじゃないん
ですね。それぞれ、一つの「歌」みたいなもんです。歌っちゃえば、へ、こっちのもん、てなもんです。
そういう「並列」には、子供は強い。
やたらに習い事をさせると、事項の「並列」に疲れるんじゃなくて、子供は人間の魂胆に疲れてしまうんですね。
まあ、ゆっくりいきましょう。
【13218】
29日のレッスン 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月27日(土)08時44分25秒
先生、おはようございます。
インド旅行、素敵ですね☆良い旅を♪
江戸の母さん、江戸っ子君と自主練習する・・・予定です。
ところで来週の月曜日はレッスンはお休みでしょうか?
ふつうなら御用納めですが、素読舎の御用納めと御用始はいつでしょう?
>そんなあぶないことを言っていたのですか。電話→スカイプで、音質が悪くて聞き取れなくてよかった。爺が心臓麻痺で死ぬかもしれません。留守電もけっこ
う危険ですね。
>私にはわかりません。多分、「積み木」か、と。ブロックはガチッと組み合わされてしまいますが、積み木は、へっへっへっ、と言うだけで、がらがらと崩れ
落ちます。
この二箇所に矛盾がありんす。
積み木で心臓麻痺起こしていたら危険でお孫さんと暮らせないのでは。
カマトトぶるのはやめてよね、と、いただいたお言葉をそのままおかえししちゃいます。
>そういう「並列」には、子供は強い。
やたらに習い事をさせると、事項の「並列」に疲れるんじゃなくて、子供は人間の魂胆に疲れてしまうんですね。
なるほど!ありがとうございます。
わかりました☆
>まあ、ゆっくりいきましょう。
はい。
【13223】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月28日(日)02時25分42秒
>先生、おはようございます。
今晩は。
>インド旅行、素敵ですね☆良い旅を♪
私がインドに行くと、インドを嫌いになるかもしれません。好きになるか嫌いになるか、行ってみないとわかりません。
>江戸の母さん、江戸っ子君と自主練習する・・・予定です。
それは絶対にいいと思います。根石吉久→ゆっくり母→ゆ・息子→江戸の母→江・息子のうちから、最初の根石吉久を削除してやっておいていただけるなら、
最高の営業部長です。
こういう自主的な動きが、これまで生徒さんの間にありませんでした。これを可能にしているのも、スカイプ等の技術かもしれません。私のレッスンとスカイ
プは相性がいいと思っています。
>ところで来週の月曜日はレッスンはお休みでしょうか?
ふつうなら御用納めですが、素読舎の御用納めと御用始はいつでしょう?
連絡してなくて申し訳ありません。私のレッスンはそのちょうど29日までやります。お休みをいただくのは、新年最初の月曜日です。盆と正月にそれぞれ一
週間のお休みを(無条件で)いただいています。
その後、「有給休暇」(ゆっくり母さん、江戸の母さんの場合は「有給休暇」の先取りになるかもしれません)を、19、26日といただきます。
この掲示板に何度か書いているので、レッスン開始のときに申し上げるのをさぼったかもしれませんので申し上げます。私のレッスンは月に4回が基本です。
レッスンの曜日が月に5回あるときは5回やります。普段はいちいち覚えておいていただかなくても結構です。どの曜日の人も、年間に4回か5回、「5回レッ
スンする月」があります。「5回レッスンする月」に一回分余計にレッスンした分を溜めておいて、後でレッスンのお休みをいただくことにしております。去年
の分と一昨年の分の中から、来年の1月の15日〜28日の間にいただくことにしました。どの生徒さんにも、実質2回のお休みを連続でいただくことになりま
す。
>この二箇所に矛盾がありんす。
積み木で心臓麻痺起こしていたら危険でお孫さんと暮らせないのでは。
ありんすか? また今日も酔っぱらいですので、よくわからなくなってしまいました。
5歳の孫は本気で真空跳び膝蹴りをやるので、ほんとに危険です。ベッドの上に登ってきて、立ったと思ったらいきなり跳び膝蹴りです。腹をかかえて、何度
か呻きました。
孫の寝顔と甘える猫以上に可愛いものはこの世にはないと思います。どんな女もこれ以上に可愛くはない。まだいい女に出会ってねえんだろうか。
>カマトトぶるのはやめてよね、と、いただいたお言葉をそのままおかえししちゃいます。
ふっふっふ。積み木はどんどん崩れますね。
【13224】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月28日(日)03時06分26秒
>しかしDSを無制限にあたるかどうか、食事についても炭酸やスナック菓子をあたるかどうか、ある程度、同じような考え方の家庭かどうかを手探りしなが
ら、交流するということもしています。
すみません。教えていただけますか。文中にある DS
って何のことでしょう。どうも世の中の速い流れについていけなくなっていますので、お手数でしょうが、よろしくお願いします。
【13225】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月28日(日)05時21分34秒
遅くなりましたが、まずは本へのコメントありがとうございます。
詳しい内容に触れませんと、読んでいる方には何のことかわからないと思いますが、あまり詳細に入り込みますと人物が特定されますので、ごく一般的な話にと
どめますがご容赦ください。詳細については必要に応じてメールで書かせていただきます。
> らくださんが編集された御本をいただいておいて、好き勝手なことを言い、申し訳ありません。
正確に言えば、私は編集作業には関与しておりません。ただ、内容についての責任は持っておりますので、まあ、同じことかもしれませんが。
>このあたりで、私はいつもあまりにぶしつけであり、あちこちから嫌われてきました。しかし、語学論に関わる範囲では、やはり言いたいように言っていきた
いと思っていますので、どうか悪く思わないでいただきたくお願い致します。
職人さんの「ぶしつけ」には日頃から免疫ができていますので、ご心配にはおよびません。
> これ、発音を身につけるべき段階のための本ではなく、すでにある程度英語音を発音できる人が、自分の音に自覚的になるために確認するための本だなとい
うのが、端的な感想
これは、おっしゃる通りだと思います。はじめは初学者向けということで始めたのですが、どうしても著者のイメージと一致しないため、途中で方針を変更しま
した。
>これはいいというのもあり、f、vの下唇を上の歯にあてるときのコツの言い方で、「ほおずきを鳴らすように」というのがありました。これは秀逸
改めてご指摘を受け、う〜ん、それはどうかな、と思いました。根石さんのお歳がわかりますねー。ほおずきって、最近は見たことない方も多いんじゃないで
しょうか。般若はいいんです。見たことなくても、ネットで般若のお面を探してみれば、一発でわかりますので。ほおずきは見てもダメですね。鳴らし方はわか
りませんから。私は子供の頃、近所の兄ちゃんに習いましたが、うまくできずにあきらめた記憶があります。
> この著者も「一般」ということがわかっていないんだなと思いました。
「一般」というのはいろいろな点で難しいと思います。それができる方は希有だと思っています。「一般化」というのは「単純化」と紙一重のところがあるよう
に思われます。そして、「まじめな」英語の先生は、この「単純化」に対する嫌悪感が非常に強い気がします。それは、自戒を込めて言えば、語学教材を作って
売る者たちが、あまりに「売らんかな」の単純化をこれでもか、と繰り返すからでしょうか。曰く「この方法でやれば、3ヶ月でペラペラ」とか、「聞き流すだ
けでOK」とか。
しかし、「単純化」に嫌悪感を示す方の多くが、実は「一般化」への取り組みを充分にしていない面がある、ということもまた言えるのではないかと感じていま
す。
【13226】
語学論データベース用 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月28日(日)13時28分19秒
9------------------------------------------------------
柄谷行人「日本近代文学の起源」(講談社)1980.8.21初版
79(80),素材,?
内面が内面として存在するということは、自分自身の声をきくという現前性が確立するということである。ジャック・デリダの考えでは、それが西洋における音
声中心主義であり、その根底には音声的文字(アルファベット)がある。プラトン以来、文字はたんに音声を写すものとしておとしめられてきたのであり、意識
にとっての現前性すなわち「音声」の優位こそ西欧の形而上学を特徴づけているというのである。
(根石メモ)自分自身の声をきくとき、文字は見ていない。素読は、「文字を見ながら」。子供、文字と音声の一致以前。
【13227】
根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月29日(月)02時43分9秒
>「合成着色料」が「抵抗力」をつけるかどうかは「わからない」と思います。
そうですね。「合成着色料」に限らず、「食品添加物」一般についても注意してるんですが、これが「抵抗力」をつけることとなるかどうかは結びつきません
ね。失礼しました。
「添加物」が人体に及ぼす影響は、まだ私たち(カップラーメンが出回った世代です)が老齢になったとき、同じような体の不調が出た時に検証されていくかも
しれませんね。
鳥の餌に抗生物質を入れているのは、怖いですね。
>細菌やウイルス菌は、割と短期間に化学物質に対する抵抗力を備えてしまうのではないかと思います。
人間は抗生物質をたくさん飲み続けると薬が効かなくなってしまうのに対して、菌類のほうがはるかに柔軟性があるということでしょうか。
>学校がやらせている英語遊びは英語だなどと思わないでつきあうしかありませんね。
なるほど〜わかりました。今は我が家で一人、たまにへんな英語をいう子どもがいるという状態ですが、これが友達が遊びに来て複数で会話しだしたら気持ち悪
い光景です。そうなったら、子どもに罪は無いので教育を考えている大人たちに、なんとか発信することも考えますね。またここで報告させていただきます!
>DS
これは任天堂のゲームです。テレビゲームは室内でしか遊べないのに対して、これは持ち運び可能な携帯型ゲームで、赤外線通信によって、複数人と同一ソフト
で対戦したり遊べるようです。正式名称は「Dobble Screen」公園でもよく子どもたちが座って遊んでいるのをみかけますよ。通勤電車でも大人が
シューティングゲームやゴルフ、英語の勉強をしてるのをみかけます。って、私もまだやったことがないので、感覚がわからないのですが。本体の金額は1万7
千円くらいします。ゲームのソフトは3〜5千円。子どもがこんな高額のおもちゃを持っていることが個人的にむかつきます。(保育園児、幼稚園児でも、持っ
ている子どもがざらにいます。)一銭も働いたことがない子どもが合計2万円ものおもちゃを所有してるってどうも腹が立ちます。
でも子どもの世界ではゲームが「共通文化」になってるところもあり、仲間に入れないと疎外感を感じストレスが見受けられたので、うちは任天堂のテレビにつ
なぐゲーム機Wiiというのを購入して週末だけ、家族がいるときに遊ぶという方式にしました。
明日、7時半 今年最終のレッスンですね。よろしくお願いいたします。
【13228】
素読を試す 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月29日(月)04時57分7秒
よく眠れないため、柄谷を読んでは眠り、読んでは眠りを繰り返して、夜中の3時に目が覚めて眠れなくなりました。その状態で、考えついたことのメモを以
下に書きます。スカイプと掲示板(大風呂敷の外側に専用のもの)で、素読を試すことをやれたら面白いだろうという提言です。
ひとまず提言だけします。主催者は、ひとまず村田君にやってもらえないかと考えています。というのは、私がイメージしている素読というものを、今のとこ
ろ、多分、村田君が一番わかっているのではないかと思うからです。(私は、なるべく語学論に引き寄せて一参加者と参加したいと思います。)江戸の母さん
や、ゆっくり母さんが、補助・協力してくださればできると思います。
おかしな批評言語の相手をして疲れ果てたということが契機になっています。
スカイプと掲示板を使った素読が立ち上がったらおもしろいだろうと考えています。
・批評言語獲得のため(「批評」という語をなるべく広義でとらえる)
・多型的であること
・リニアな体系を作らないこと
・テキスト持ち寄り
・テキスト電子化(数行から十数行)
・テキストデータベース化
・データベースから各自取捨。 → テキスト自作
・「素読」と「おしゃべり・談話」はスカイプで。
・自分の都合のいい時間でのおしゃべりは掲示板で。
【13229】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月29日(月)05時30分1秒
>>細菌やウイルス菌は、割と短期間に化学物質に対する抵抗力を備えてしまうのではないかと思います。
>人間は抗生物質をたくさん飲み続けると薬が効かなくなってしまうのに対して、菌類のほうがはるかに柔軟性があるということでしょうか。
そうだと思います。人間の体は「薬が効かなくなってしまう」程度にしか変わらないのに対して、細菌やウイルスは、化学物質を媒介にして、別種として生ま
れ変わることが比較的簡単に起こるのではないかと想像しています。子供が好きな「変身」は、実は(テレビ等の)映像としてリアルなだけでなく、自然界で事
実性のレベルで起こっているのだと思っています。新しいウイルスができるっていうことです。
>今は我が家で一人、たまにへんな英語をいう子どもがいるという状態ですが、これが友達が遊びに来て複数で会話しだしたら気持ち悪い光景です。
複数で会話しだすってことは起こらないと思います。学校でやらされるニセエイゴは、子供たちはギャグにしか使わないと思います。
>これは任天堂のゲームです。
わかりました。ありがとうございます。
頭の痛いところですね。我が家では、体を動かす「お手伝い」がけっこういっぱいあって、孫はストープの薪を薪小屋に運ぶのが(いまのところは)好きで
す。それをやった日は、こちらの裁量でおこづかいをあげます。(こちらの裁量に文句を言うことがありますが、一人なので孫は労働組合を作れず、私に言い負
かされています。)
このおこづかいで、孫はおもちゃを買っています。大人が買い与えることもありますが、今のところ数百円のおもちゃで跳ね上がって喜びます。この間も、外
から車で帰ってきたら、孫が全速力でこちらに向かって走ってきて、「サンタさんが、ウルトラマンをくれたよ」って叫びました。
今は数百円で済みますが、そのうちに任天堂を欲しがるようになるでしょうね。今は、数十円から百円程度のおこづかいですが、孫も体力ができてくれば、少
しずつ仕事らしくなっていくでしょうから、おこづかいを一回数百円まで増額することになるでしょう。基本的に孫が自分のお金で買うというのを崩さないでい
きたいと思いました。
【13230】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月29日(月)05時41分18秒
>職人さんの「ぶしつけ」には日頃から免疫ができていますので、ご心配にはおよびません。
これを女房が読んだらしく、えらく喜んでいました。
>「一般化」というのは「単純化」と紙一重のところがあるように思われます。そして、「まじめな」英語の先生は、この「単純化」に対する嫌悪感が非常に強
い気がします。それは、自戒を込めて言えば、語学教材を作って売る者たちが、あまりに「売らんかな」の単純化をこれでもか、と繰り返すからでしょうか。曰
く「この方法でやれば、3ヶ月でペラペラ」とか、「聞き流すだけでOK」とか。
しかし、「単純化」に嫌悪感を示す方の多くが、実は「一般化」への取り組みを充分にしていない面がある、ということもまた言えるのではないかと感じていま
す。
この通りだと思います。
お書きいただいたことは、先生サイドについてのことですが、そのサイドから「一般化」をやろうとしても、一般の人たちが、「この方法でやれば、3ヶ月で
ペラペラ」とか、「聞き流すだけでOK」をあらかじめ信仰していて、こちらの努力が水の泡になることもよくあります。
【13231】
語学論データベース用 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月29日(月)06時18分0秒
10------------------------------------------------------
らくだ「掲示板・大風呂敷」(teacup) 2008年12月28日
>「一般化」というのは「単純化」と紙一重のところがあるように思われます。そして、「まじめな」英語の先生は、この「単純化」に対する嫌悪感が非常に強
い気がします。それは、自戒を込めて言えば、語学教材を作って売る者たちが、あまりに「売らんかな」の単純化をこれでもか、と繰り返すからでしょうか。曰
く「この方法でやれば、3ヶ月でペラペラ」とか、「聞き流すだけでOK」とか。
しかし、「単純化」に嫌悪感を示す方の多くが、実は「一般化」への取り組みを充分にしていない面がある、ということもまた言えるのではないかと感じていま
す。
【13237】
根石さん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月30日(火)00時20分18秒
スカイプで素読、やってみましょう!
面白そうです。
わたしにとっては、日本語を書くための訓練になるかと思います。
> ・批評言語獲得のため(「批評」という語をなるべく広義でとらえる)
> ・多型的であること
> ・リニアな体系を作らないこと
> ・テキスト持ち寄り
> ・テキスト電子化(数行から十数行)
> ・テキストデータベース化
> ・データベースから各自取捨。 → テキスト自作
> ・「素読」と「おしゃべり・談話」はスカイプで。
> ・自分の都合のいい時間でのおしゃべりは掲示板で。
「リニアな体系を作らないこと」っていうのがよくわからないけれど、テキストの作り方から察すると、ある一つの思想にとらわれずに、いろいろなテーマを網
羅するっていうことでしょうか。
参加メンバーがそれぞれ面白いと感じた文章を、専用掲示板に抜き書きして、それをもとに素読テキストを作っていく。
テキストをスカイプで各自が素読する時、「それまでに読んだ部分の復習」「新しい部分」という形で繰り返し読んでいく。
素読をしながら、気付いたこと・考えたことを言うのもありだが、基本は読むこと優先。おしゃべりの時間は別に作る。
気づいたこと・考えたことを専用掲示板に書いていく。
こんな感じで進めることを想像しました。
遠く離れた人同士が同テキストを素読して話すって、なんか面白そうです。
年末年始はおそらくほとんど作業できないと思います。実際の作業は1月の第2週あたりからになると思います。
【13238】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月30日(火)03時05分11秒
>スカイプで素読、やってみましょう!
木曜に家へ来てもらうのを(基本的には)なしにして、スカイプで全部の作業(「素読普及作業」「ごみ問題関係の作業」「塾のチラシ作りの作業」)を、や
れないもんかと考えています。
最近、「大風呂敷」の teacup の動きがまともなので、ひとまず引っ越しは考えないでおきましょう。
避難所として作ってもらった掲示板が、「スカイプで素読」のメンバーが使う掲示板に使えるでしょう。
>「リニアな体系を作らないこと」っていうのがよくわからないけれど、テキストの作り方から察すると、ある一つの思想にとらわれずに、いろいろなテーマを
網羅するっていうことでしょうか。
素読的な方法ってのは、イデオロギーの注入に使われた場合は強力です。教育勅語を学校の生徒に覚えさせるときなどに使われたと聞いています。「リニアな
体系を作らない」っていうことと、「多型的」っていうことで同じことを言ったつもりです。村田君の理解でOKです。
>参加メンバーがそれぞれ面白いと感じた文章を、専用掲示板に抜き書きして、それをもとに素読テキストを作っていく。
テキストをスカイプで各自が素読する時、「それまでに読んだ部分の復習」「新しい部分」という形で繰り返し読んでいく。
素読をしながら、気付いたこと・考えたことを言うのもありだが、基本は読むこと優先。おしゃべりの時間は別に作る。
気づいたこと・考えたことを専用掲示板に書いていく。
こんな感じで進めることを想像しました。
そんな感じです。
江戸の母さんが花田の著書から好きなところを抜粋してくれたりすれば、すぐに稼働し始めると思います。
ゆっくり母さんが、ひとまず『ミスエデュケーション』(デイヴィッド・エルキンド)にあたって同様にしていただけることも望んでいます。
村田君は、大風呂敷の過去ログから抜粋して、「語学論データベース」のデータを作っていく作業と兼ねることもできると思います。私は、基本的にはオブ
ザーバーとして参加させて下さい。春になって百姓仕事が始まったり、教材づくりが逼迫していたりすると、参加できない日もあるかと思いますので。
>年末年始はおそらくほとんど作業できないと思います。実際の作業は1月の第2週あたりからになると思います。
こちらはインドから帰った頃からになると思います。
インドにいる間も、ネットカフェがみつかったら、「大風呂敷」を読むつもりでいますので、大風呂敷で皆さんと相談してみて下さい。
【13242】
素読 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月30日(火)08時39分52秒
先生おはようございます。
みなさんおはようございます。←小学生みたい。
根石さん、昨日もレッスンありがとうございました☆
今年は思い切ってレッスンを始めることが出来、嬉しい年になりました。感謝です。
江戸の母さんと子供たちが眠ったあと、スカイプでおしゃべりしました。
素読の話も出ました。
私は皆さんと違って教養がないのですが、理解を求められない素読なら出来るかなぁ、なんて話をしていました。
『ミスエデュケーション』でもいいんですか?どのくらいの長さを抜粋刷ればよろしいですか?また教えてください。
根石さんのお孫さんの「真空跳び膝蹴り」の話、わかります!
猫と孫は危険ですね〜〜〜!
根石さんの書き込みを読んで、町田康の『猫にかまけて』を思い出し、
昨日の夜は寝る前に子供たちに読みました。猫たちの得意技に恐々とする町田さんです。
なにとぞお気をつけてお暮らしくださいませ。
それではみなさん、良い年の瀬を♪
【13247】
多分初日はここ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月31日(水)00時28分41秒
Hello, Yoshihisa Neishi
Yes , you reserve here room for you.I can pick you up from the airport
at any time.Its cost is Rs 470 including all taxes.If you wish to book
an airport pickup,I need all information related to your flight,
including your flight #, flight from which city,airline company and
arrival date and time in Delhi airport. If I get all this information
than my man will be at the airport holding a sign board which will have
written on it your name and our hotel name. You just have to look him
near the exit gate. He will pick you up from there.
Have a nice time
NARENDER
AJAY GUEST HOUSE 5084-A, MAIN BAZAR PAHAR GANJ NEW DELHI 110055 TEL:-
0091-11-41541226/23583125 www.anupamhoteliersltd.com > Date: Tue, 30
Dec 2008 06:15:56 +0900> From: yoshihisa-n@wave.plala.or.jp> To:
ajay5084@hotmail.com> Subject: > > > Hello.> > Can I
make a reservation for 15th January?> I need a single room.> I'll
arrive at Delhi airport at 22:45.> Please let me know how long it
takes from the airport to you?> And what is the best way to go to
you? By taxi or by bus or.....?> > I'm waiting for your
information.> > 387-0015> Mr. Yoshihisa Neishi> 642-3
Imojiya Chikuma-shi Nagano-ken Japan> > tel: ・・・-・・・-・・30
(Japan)>
【13248】
根石さん、村田さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月31日(水)03時14分6秒
メール転送していただきました。ありがとうございます。お手数おかけしました!
素読>
>素読的な方法ってのは、イデオロギーの注入に使われた場合は強力です
「洗脳」に近いってことなんでしょうか?
昨日、ゆっくり母さんとも「リニア」ってなんでしょうね?
って、話していたんですけど、もうすこし説明していただいてもよいでしょうか?
花田の文章は、今でも少しづつ覚えていることが多いので、引用は可能だと思います。
本にも付箋とかついているので、参加できますヨ
ただ、前にも書きましたが「公立保育園民営化」対応の作業があるので反応が遅いかもしれません。ご了承ください。でも、楽しみです。民営化対応の課題にも
繋がるものがあると期待しています。よろしくお願いします。
根石さん
>細菌やウイルスは、化学物質を媒介にして、別種として生まれ変わることが比較的簡単に起こるのではないかと想像しています。
なるほど。そうかもしれませんね。自然界に存在しない物質を人間が作り上げている限り、この連鎖は続くのかもしれませんね。見当違いかもしれませんが宮崎
駿の『ナウシカ』を読みたくなりました。
「間抜け」合戦では私も負けません。エントリーします^^
インド旅行 私としては今年のテロの余韻も覚めやりませんが、どぞみなさん
お気をつけて。良いお年を。
【13249】
ゆっくり母さん 江戸の母さん みなさん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月31日(水)23時02分59秒
ゆっくり母さん
>『ミスエデュケーション』でもいいんですか?どのくらいの長さを抜粋刷ればよろしいですか?また教えてください。
タイトルが興味をひきますね。引用する部分は、おもしろいと思った1行でもいいし、段落でもいいです。でも数ページにわたるよう引用だと、ちょっと長すぎ
ると思います。順番に同じものを読んでいくので。
引用の仕方等は、年が明けたらおいおい決めていきましょう。
よろしくお願いします。
江戸の母さん
「リニアな体系を作らない」について。
私の理解ですが、ひとつには「〜主義」にはしない、ではないかと思いました。
だから思いもよらない本からの引用がありうる。
また、教育勅語の暗唱などは素読をリニアな体系に組み込まれた姿であると言えるのではないかと思います。
決して国家権力に取り込まれない形の素読のモデルの提案ではないかと。
もう酒が入っているので、ぐだぐだですが、リニアな体系についてはそういうふうに考えました。
最後に、みなさん、よいお年を!
【13251】
あけましておめでとうございます 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2009年 1月 1日(木)10時35分16秒
根石さん、みなさん、よろしくお願いいたします。
>村田さん
ご説明ありがとうございました。
ちょこちょこ準備をしておこうと思います。
素読って初めてなので、新鮮です。
字が読めればわけがわからなくてもいいのだろう、と、勝手な解釈で自分を励ましております。よろしくお導きください。
>根石さん
前回のレッスンの時、息子を見ていて「あれ?」と思うことがありました。
たいしたことではないのですが、「a」の文字を認識したと思います。
先生の発音を聞いていて、「?」という顔になり、テキストを自分で見て、「a」の文字があるのを確認して「a」を意識的に発音しなおした様子が見えまし
た。
本当にわかったのか、あとで確かめてみよう、と思いつつ、年末の忙しさにまぎれてしまっていますが…。
すごく小さな一歩ですが、母は親ばかで感動しました。
間抜けは私の専売特許と自負しております。頼りない「営業部長」(らくださんに習って「」つき)ですが、今年もよろしくお願いします。
【13254】
てこずる 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 4日(日)23時27分36秒
Hello, Roni sa
Roni> I have another cheap hotel next to ajay the price is 300Rs
with hot shower also
Roni> that hotel? name is aYES SIR GUEST HOUSE.
Do you mean that Ajay hotel has no hot shower?
OK. Now I don't care Ajay hotel has hot shower or not.
Let me know the price of a single room in Ajay hotel for one night.
I still want a quiet room. If the room is quiet, that's enough.
I understand a single room in Yes Sir Guest House is 300Rs.
But, I still want to know how much a single room in Ajay Hotel is.
Roni> I HAVE JAPNESE NOTE BOOK ( JOHO NOTO ) GUIDE BOOK ALSO AND
Roni> MANGA
I don't need Manga. I need exact information about Ajay or Yes Sir.
Yes Sir's 300Rs includes air-port picking up?
If no, I don't think Yes Sir is cheap.
My guide book says a single room in Ajay Hotel is 200Rs.
Is this correct?
First of all, I want to know this is correct or not.
Yoshihisa Neishi
【13255】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 4日(日)23時52分30秒
>先生の発音を聞いていて、「?」という顔になり、テキストを自分で見て、
「a」の文字があるのを確認して「a」を意識的に発音しなおした様子が見えました。
これは、少しずつ目を字になじませていく途中での一コマだと思います。今は、a
という字があるのとないのとで、音がどう違ってくるかを意識したということですが、
そのうちに他の文字についてもどかどかと意識し始めます。a を意識したかどうかを
いちいちお子さんに聞いて確認していただく必要はありません。全体を見ていていた
だけば結構です。
お子さんに a を意識したのかどうか確かめるより、今はひとまず、文の中の不定
冠詞 a の有無に気づいたということを覚えておいていただくだけで結構です。
それを覚えておいていただいて、一年後にどれくらいの文字を認識し、それを音に
起こせるようになっているかをご報告いただくことを願っています。
小学校低学年の子供をレッスンするのは初めてですが、小学校高学年の子供をレッ
スンしてきた経験に照らして、一年後にはこうなるだろうなという予測はあります。
それがどう当たり、どう外れるのかに私は意識的でありたいと思っています。
小学校低学年のレッスンはしないという禁をみずから破ったわけですので、私はそ
のあたりに徹底的に自覚的である必要があります。
【13256】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 4日(日)23時57分57秒
>また、教育勅語の暗唱などは素読をリニアな体系に組み込まれた姿であると言えるのでは ないかと思います。
決して国家権力に取り込まれない形の素読のモデルの提案ではないかと。
「素読を」を「素読が」に直せば、この理解でいいと思います。
【13257】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 5日(月)00時01分0秒
>おもしろいと思った1行でもいいし、段落でもいいです。でも数ページにわたるよう引用だと、ちょっと長すぎると思います。
一行だと、ことわざみたいになるので、数行から十数行がいいと思います。
語学論用のデータベースの記事一つ分が参考になると思います。
【13258】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 5日(月)00時21分59秒
>「洗脳」に近いってことなんでしょうか?
そうです。
>昨日、ゆっくり母さんとも「リニア」ってなんでしょうね?
って、話していたんですけど、もうすこし説明していただいてもよいでしょうか?
リニアってのは、「直線的な」っていう風に訳すことが多いと思いますが、日本語で「直線的な」と言えばわかりやすくなるかというとどうもそうではないの
が困るところです。
「万世一系」だの「大東亜共栄圏」だのというイデオロギーを子供に注入するのに素読が使われた場合、それを「直線的な」と言ってみたところでどうにも通
じない。しかし、これらのイデオロギーの注入には、その元に「だまし」があります。若者が喜んで死ぬ心的状態を作るための「だまし」があります。権力はな
んとでも言います。要するに「だまし」が成功すればいいだけのことです。そのことだけをねらっていたと思います。「そのことだけをねらっていた」というこ
とにおいて「直線的」なのですが、単に「直線的な」と言ってもほとんどまるで通じないだろうと思い、「リニアな」と言い、異和を提示しました。
スカイプと掲示板でやる素読の会は、「多元的」でやりたい。
ひとりひとりの自分の関心にじかに響くものを素読の材料にすればいい。
例えば、江戸の母さんが花田の書いたものの中から好きなものを電子データ化した場合、それは花田が書いた文そのものであると同時に、江戸の母さんの関心
に響いた文でもあるわけです。どこをどう切り抜くかに江戸の母さんの関心が現れるだろうと思います。他の人が同じことをやれば、まったく違う著者のテキス
トをまったく違う角度から切り抜くことが生じると思います。
そうして形成される素読材料のテキストに含まれるものは、当初個々ばらばらのままです。しかし、他の人が切り抜いたものに自分の関心が強く反応を起こす
ということはありうることでしょう。そこから何か一つが始まると思っています。
【13259】
業を煮やす 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 5日(月)11時54分48秒
ロニ様
>出迎え+一泊ホテルトイレシャワーつきでお一人様2000円です。
OK. I take this room in Ajay for the first night in Delhi.
I have many things to do before going to India.
I don't have much time to talk about a hotel room now.
Informations related to my flight is as follow.
arrival date: 15th, January
arrival time: 22:45
airline company: TG
flight #: TG315
from which city: Bangkok(from Tokyo to Delhi via. Bangkok)
Please reserve my room for 15th, January.
And please pick me up at the airport showing my name in
'hiragana' or 'katakana'.
You have a good skill in Japanese writing. So I think you
understand 'hiragana' or 'katakana'.
I appreciate your Japanese skill very much.
Please let me know when my reservation is finished.
---------------------------------
よしひさ ねいし様
?
お問い合わせのメールありがとうございます。
?
1月15日デリー到着ですねその日に運転手がお客様のお名前を日本語で書いた
?
プラカードを持って空港でお待ちしております。
?
出迎え+一泊ホテルトイレシャワーつきでお一人様2000円です。
?
もし良かったらお返事お待ちしております。
?
ロニ
?
連絡先携帯電話番号+919811061822
?
PS 空港で両替すると時間と手数料が掛かります。
?
うちは手数料なしで両替できます。ご利用ください。
?
?
--- On Sat, 3/1/09, Ajay Guest House wrote:
From: Ajay Guest House
Subject: FW:
To: "roni sa"
Date: Saturday, 3 January, 2009, 10:43 AM
【13260】
as follow 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 5日(月)12時22分23秒
間違ってますね、私の英語。
as follow は as follows です。
もう送信してしまったので、直せません。
この部分で誤解が生じることはないので、まあいいか。
インド人と一般化してはさらに間違うだろうが、ホテルの受け付けの人の英語も間違いだらけです。それは気にならない。気になるのは、こちらが問い合わせて
いることにまるで答えないことです。ホテルの受け付けの人がすでにこんな調子です。「一般」の人の英語はおよそ想像がつきます。ポイントずらしと、間違い
英語と、強烈なインドなまりの合体を相手にすることになるでしょう。(東南)アジア人は英語ができるなんて言われていますが、その実物を相手にすれば「お
い、こんなもんかよ」と思うことが多い。常にはっきりと伝わってくるのは、むきだしのタイ根性、インド根性なので、旅はそれが楽しい。アジアの国に行くと
きは、日本で隠蔽されているものがむきだしになっている場所に行くんだと思って、いつも楽しみにします。
メールでわざわざ、I don't want an air-conditioned room. とは書かずに、I want
no air-conditioned room.
と書いたり気をつかっています。誤解を生じないようにするには、文構造で否定形にするより、なんでもかんでも名詞に no
をくっつけた方がよかったりします。これはタイで覚えた英語のアジア語法でした。
【13261】
リニア 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月 5日(月)16時10分50秒
根石さん
リニアの説明ありがとうございます。「直線的」という言葉をもらって、イメージがわきました。
>例えば、江戸の母さんが花田の書いたものの中から好きなものを電子データ化した場合、それは花田が書いた文そのものであると同時に、江戸の母さんの関心
に響いた文でもあるわけです。
なんとなく「コラージュ」の作り方にも、似てるのかなと思いました。楽しみです。
小学校に英語教育は必要ないという論点の「岩波ブックレット」(タイトル忘れました!)
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)を熟読中です。とりいそぎ
【13262】
Ajay に予約したはずなのに 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 5日(月)21時27分50秒
ロニsama
OK.
But I'm confused.
I asked you to reserve my roon in Ajay Hotel.
Why should I stay in Yes Sir Hotel?
Why don't you say "Yes, sir. I reserved your roon in Ajay Hotel "?
So confused am I.
OK. OK. Either will do.
I should must certainly have to stay in Yes Sir Hotel. I know.
I don't like the name of the hotel. No, sir!
OK. OK. OK.
I stay in Yes Sir Hotel for 2000yen with your picking up. Yes, sir.
Is this OK?
I like India.
See you at the airport.
--------------
Roni> I reserved your room in first? night in Yes Sir Guest House
Roni> ?
Roni> kuko de kono pura kado wo sagashite kudasai
Roni> ?
Roni> 根石吉久 様
Roni> ?
Roni> 1月15日 2009年TG315 22:45
Roni> ?
Roni> ロニシゲタトラベル
Roni> ?
Roni> お返事お待ちしております。
Roni> ?
Roni> ロニ
Roni> ?
Roni> PS 空港で両替すると時間と手数料が掛かります。
Roni> ?
Roni> うちは手数料なしで両替できます。ご利用ください。
Roni>
-------------------
Roni> --- On Mon, 5/1/09, 根石吉久
wrote:
Roni>
Roni> From: 根石吉久
Roni> Subject: Re: ONLINE YOYAKU FOR 15JAN 2009 TG 22:45:
Roni> To: ronishigeta@yahoo.com
Roni> Date: Monday, 5 January, 2009, 8:22 AM
Roni>
Roni> ロニ様
Roni>
Roni> >出迎え+一泊ホテルトイレシャワーつきでお一人様2000円です。
Roni>
Roni> OK. I take this room in Ajay for the first night in Delhi.
Roni> I have many things to do before going to India.
Roni> I don't have much time to talk about a hotel room now.
Roni>
Roni> Informations related to my flight is as follow.
Roni>
Roni> arrival date: 15th, January
Roni> arrival time: 22:45
Roni> airline company: TG
Roni> flight #: TG315
Roni> from which city: Bangkok(from Tokyo to Delhi via. Bangkok)
Roni>
Roni> Please reserve my room for 15th, January.
Roni> And please pick me up at the airport showing my name in
Roni> 'hiragana' or 'katakana'.
Roni> You have a good skill in Japanese writing. So I think you
Roni> understand 'hiragana' or 'katakana'.
Roni> I appreciate your Japanese skill very much.
Roni>
Roni> Please let me know when my reservation is finished.
Roni>
【13263】
おはようございます 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2009年 1月 6日(火)08時28分6秒
根石さん、おはようございます。
>これは、少しずつ目を字になじませていく途中での一コマだと思います。今は、a
という字があるのとないのとで、音がどう違ってくるかを意識したということですが、
そのうちに他の文字についてもどかどかと意識し始めます。a を意識したかどうかを
いちいちお子さんに聞いて確認していただく必要はありません。全体を見ていていた
だけば結構です。
お子さんに a を意識したのかどうか確かめるより、今はひとまず、文の中の不定
冠詞 a の有無に気づいたということを覚えておいていただくだけで結構です。
それを覚えておいていただいて、一年後にどれくらいの文字を認識し、それを音に
起こせるようになっているかをご報告いただくことを願っています。
はい、確認すると嫌がるのは目に見えているので、確認していないのです。
ただ私がこんな小さなことに感動しているのは、塾にいた頃、中一の後半や中二で入ってくる中学生たちで、「a」と「are」を見分けられないという状態の
子を毎年みていたからです。
息子と彼らの何が違うのか?私も見極めたいと思うのです。
>小学校低学年の子供をレッスンするのは初めてですが、小学校高学年の子供をレッ
スンしてきた経験に照らして、一年後にはこうなるだろうなという予測はあります。
それがどう当たり、どう外れるのかに私は意識的でありたいと思っています。
小学校低学年のレッスンはしないという禁をみずから破ったわけですので、私はそ
のあたりに徹底的に自覚的である必要があります。
こういう方だからこそお願いしたかったのです。
一年後、どんな風になっているか…亀の歩みでしょうが報告させていただきます。
インド旅行、なんだかこちらがドキドキしてきました。
ロニ氏、しっかりしておくれ!
【13264】
ふざけたら通じなかったのでまじめに書く 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 6日(火)14時25分31秒
Roni san
I will stay in Yes Sir Guest House on 15th this month.
You will pick me up at the airport.
Information for picking up is
15JAN 2009 TG 22:45
Total cost is 2000 YEN.
OK?
Please keep a quiet room as much as possible.
Yoshihisa Neishi
-----------------------------
Roni> 根石吉久sama
Roni> ?
Roni> thanks for a mail
Roni> ?
Roni> this time you stay yes sir guest house
Roni> ?
Roni> or next day you can stay ajay aslo
Roni> ?
Roni> because Ajay guest house is room with shower toilet
Roni> ?
Roni> 400Rs kara hajimatemsu sir? is? respectabale meanning
Roni> ?
Roni> when you come delhi you can ask many thing?
Roni> ?
Roni> Roni
Roni> ?
Roni> Roni
------------------------------------------------------
どうも、インドからのメールはピリオドがクエスチョンマークに変換されてしまうらしく、まじめに読むと混乱する。
【13265】
根石さん(スカイプ素読会について) 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月 6日(火)16時21分28秒
>「素読を」を「素読が」に直せば、この理解でいいと思います。
了解です。ありがとうございました。
>一行だと、ことわざみたいになるので、数行から十数行がいいと思います。
そうですね。語学論データベースを切り貼りします。
インド行き、出発前から難儀ですね。
でもこのメールのやりとり、おもしろいです。(スイマセン)
Yes Sirホテル、変わった名前ですね。
【13266】
「スカイプで素読」用データ 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)00時49分10秒
1------------------------------------------------------
ニーチェ,「哲学者の本」,「マルクスその可能性の中心」(柄谷行人・講談社学術文庫
900710第一刷)からの孫引き,p.20,090107,根石吉久
すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実である
ように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々の相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであっ
て、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得るような何かが存在するかのような観念
を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうよ
うな、何かある原形というものが存在するかのような観念を与えるのである。(「哲学者の本」)
------------------------------------------------------
【13267】
「スカイプで素読」参加検討中の皆様 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)02時01分41秒
ひとまずデータの例を提示してみました。
柄谷行人の本からの孫引きです。
1------------------------------------------------------
の 1 はデータ番号です。「語学論用データベース」と同じように、全角の算用数字を採用しています。波線の長さは適当です。
引用は「順不同」(同じ本の後半から引用した後、前半から引用するなど)で構わないと思います。引用者が複数ですから、「雑多」というのもこのデータ
ベースの性質になるでしょう。
ニーチェ,「哲学者の本」
というのが元の本ですが、翻訳者の名前は明記されていませんので書いてありません。翻訳者の名前があれば、それも併記したほうがよい。
(柄谷行人・講談社学術文庫 900710第一刷)
の 900710 は1990年7月10日の意味です。西暦の後半二桁、月日については、一桁のものにはゼロをつける(7 →
07)。文庫本だと初版・第一刷にあまり意味はなくなりますが、それでも書いておいた方がいい。
西暦の後半二桁については後で問題が生じるかもしれません。( 45 が 1945 なのか 2045
なのかわからなくなる等)。どうしても調べたい人は、著者の生きていた年代を調べれば、100年の差ははっきりすると思います。私の死後に生じるような問
題ですので、老婆心が強すぎるかもしれません。そもそもデータベースが育つかどうかも未知数ですし・・・)
元の本からの引用なのか、孫引きなのかも明記する。今回は、
「からの孫引き」
としました。
p.20
は講談社学術文庫のページ。引用は20ページから21ページにわたっていますが、引用が始まるページだけ明記。
090107
は、引用を行った日付。
各項目は、半角カンマで区切ってあります。これは、将来、本格的なデータベース構造を与えるときに役に立つでしょう。(comma
separated 形式)
ひとまずは波線でデータ一個と別の一個を区切る程度の、単純なテキストファイルでいいと思います。私の使っているエディタ(WZエディタ)は、編集可能
領域が「無限大」ですので、データが大きくなったら、私がつないで一つのテキストファイルとして育てることはできます。(今時は、どんなワープロやエディ
タでもそれは可能なのかもしれません・・・)
今回の引用では、「差異性」「原形」という語に傍点がふってありますが、この掲示板での表記が無理そうなので、傍点は無視しました。(今回の引用におけ
る傍点は柄谷が自分の論述に都合がいいように勝手につけたものらしく思われます。)
あ、そうだ、引用した人の名前も書いておいた方がいいか。これは、普段この掲示板で使っている名前(江戸の母、ゆっくり母等)でいいと思います。
この後、さっき提示した例を編集して、私の名前を追記します。
本文の引用になるべく間違いがないようにすることの他、引用に関する以上のようなデータを併記しておくと、この本面白そうだから読んでみるかとアタリを
つけた人が、本を探すのに役に立てることがあると思います。(今回の引用では、柄谷の論述からはまったく切り離して読めるように引用してありますので、
ニーチェの「哲学者の本」を探す人が出るかもしれません。私はまだこの本を見たことがありません。)
最初のうちは、comma separated
形式を整えるに際して、村田君から各種注文が出るでしょう。村田君は遠慮せずにやっておいた方がいい。もしかしたら、面白いデータベースができてくるかも
しれないので。
→村田君
今回の引用が、データベースの最初の項目として使えるようならそのまま使ってもらって構いません。comma separated
の部分について、追加すべき項目などあったら言って下さい。
引用の本文中に出てくる語をコンピュータで検索することは簡単にできますが、その他にも検索語として使える語を追記できるようになっていると具合がいい
と思います。今回の引用では、「概念の形成」というようなものがそれにあたります。考えてみてくれませんか。
【13268】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)02時20分53秒
>こういう方だからこそお願いしたかったのです。
ありがとうございます。
>一年後、どんな風になっているか…亀の歩みでしょうが報告させていただきます。
お願いします。
>インド旅行、なんだかこちらがドキドキしてきました。
ロニ氏、しっかりしておくれ!
あはは。面白いですね。
【13269】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)02時31分8秒
>茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)を熟読中です。とりいそぎ
これは他の人にも読ませたいというところがあったら、引用してこの掲示板に掲載していただくことをお願いします。
「語学論用データベース」の一データとして使わせていただくかもしれません。
【13272】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)03時03分26秒
>「公立保育園民営化」対応の作業があるので反応が遅いかもしれません。
素読用データベースには、「公立保育園民営化」対応で読んだ本から引用していただくのでもいいんです。雑多が基本です。
【13273】
植民地英語 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月 7日(水)03時39分57秒
>茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)
を、読み進めています。面白いですね。「われわれは奴隷ではない。」の一文で、はっとしました。
大学受験英語を否定していたのですが、文法を詰め込んできたのも無駄ではないというのも新鮮でした。読めば読むほど、小学校での英語教育は、不要と感じま
す。
小学校の柔軟な子どもの頭にへんなものが詰め込まれていないか?大切な学びの時間をもっとやるべき教育に費やすべきじゃないか?悶々としています。
これをネタに気軽に直接、話ができる同志を見つけたいです。
>「公立保育園民営化」
これにあったって読んだ本は多いのですが、講演会の引用
つまり”誰かがどこかでしゃべった言葉が文章になっているもの”でもよいのでしょうか?
【13274】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)04時47分22秒
>つまり”誰かがどこかでしゃべった言葉が文章になっているもの”でもよいのでしょうか?
まるで構わないと思います。数行から十数行(数十行ではない)という分量で切り抜くことができ、講演者の名前、講演のタイトル、主催者、年月日などわか
るものは明示していただくといいと思います。
【13275】
柄谷 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)04時50分2秒
柄谷の本を読んでいると、柄谷本人の文章を引用する気になるのはなかなか難しいが、引用されている文は面白い。
【13276】
スカイプ素読用データ 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)05時00分37秒
2---------------------------------------- --------------
マルクス,「資本論」(第一版序文),「マルクスその可能性の中心」(柄谷行人・講談社学術文庫
900710第一刷)からの孫引き,p.22,090107,根石吉久
価値形態、その完成した姿である貨幣形態は、はなはだ無内容かつ単純である。にもかかわらず人間の頭脳は、二千年以上も前からこれを解明しようとつとめ
てはたさず、しかも他方、これよりはるかに内容ゆたかで複雑な形態の分析には、少なくともほぼ成功している。なぜだろう? 成体は、体細胞よりも研究しや
すいからである。しかも、経済的形態の分析においては、顕微鏡も、化学試薬も、役にたたない。抽象力が、両者にとってかわらねばならない。そしてブルジョ
ア社会にとっては、労働生産物の商品形態ないし商品の価値形態が、経済の細胞形態なのである。素養のない人にとっては、これの分析は、いたずらに細かいせ
んさくをやっているようにみえる。じっさい、このばあい、細かいせんさくが肝要なのだが、しかし、これは、顕微鏡的解剖でそういう細かいせんさくが肝要な
のと異なるところはない。
【13277】
スカイプ素読用データ 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 7日(水)05時12分57秒
3------------------------------------------------------
小林秀雄,「様々なる意匠」,「マルクスその可能性の中心」(柄谷行人・講談社学術文庫
900710第一刷)からの孫引き,p.27,090107,根石吉久
商品は世を支配するとマルクス主義者は語る。だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌
は、人に商品は世を支配するといふ平凡な事実を忘れさせる力をもつものなのである。
【13279】
スカイプ素読データ案その(1) 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月 7日(水)23時49分12秒
4---------------------------------------- --------------
永井均, 「ルサンチマンの哲学」(永井均・河出書房新社, 1997.05.23第1刷)p.16, , 2009.01.07, 村田晴彦,
道徳・民主主義
狐と葡萄の寓話でいうとこうなります。狐は葡萄に手が届かなかったわけですが、このとき、狐が葡萄をどんなに恨んだとしても、ニーチェ的な意味でのルサ
ンチマンとは関係ありません。ここまでは当然のことなのですが、重要なことは「あれは酸っぱい葡萄だったのだ」と自分に言い聞かせて自分をごまかしたとし
ても、それでもまだニーチェ的な意味でのルサンチマンとは言えない、ということです。狐の中に「甘いものを食べない生き方こそが{よい}生き方だ」と言っ
た、自己を正当化するための転倒した価値意識が生まれた時、狐ははじめて、ニーチェが問題にする意味でルサンチマンに陥ったといえます。
【13280】
スカイプ素読データ案その(2) 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月 7日(水)23時56分49秒
根石さんの案をもとにしたテンプレート案(===はテンプレートには含まれません)
============================
全角番号------------------------------------------------------
引用されている文章の著者, 引用されている文章の書籍名(著者・出版社 発行年月日 第○刷)引用ページ, (あれば)孫引きの出典, 引用年月日,
引用者, キーワード1・キーワード2
============================
*1:年月日は西暦4桁、月・日は各2桁づつがよくはないか。もしかしたら1800年代のものを引用する場合もあるかもしれません。例)
1865.08.09
*2:傍点がある場合は、傍点がふってある部分を{}(半角)で括るのはどうでしょうか。普通は文章中にあまり出てこない記号だと思います。
*3:キーワード(引用文中には出てこないけれども検索の際には必要な言葉)は、全角中黒でわかち書き
(普通は半角カンマで羅列する場合が多いと思いますが、すでに半角カンマが使用されているため)
*4:該当する部分がない場合、半角カンマと半角カンマの間に半角スペース
データ案(1)の場合、孫引きではないので、孫引きの部分が半角カンマの間に半角スペースが入っています。
参加を検討されている方、ご意見をお寄せください。
江戸の母さん、csvで論文のデータ入力はどんな感じでしょうか。
根石さんが入力してくださったデータは、テンプレートが確定した時に、私がフォーマットし直して加えさせてもらいます。
【13282】
素読データ 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月 8日(木)00時33分42秒
5---------------------------------------- --------------
永井均, 「ルサンチマンの哲学」(永井均・河出書房新社, 1997.05.23第1刷)p.18, , 2009.01.07, 村田晴彦,
言ってみれば、前人未踏の偉業を為しつつある人が誇大妄想に陥って発した言葉とか、その重圧に耐えきれずに苦し紛れに飛ばした大ぼらとか、自分にはっぱ
をかけるための大言壮語のたぐいが、世の中でかつぎまわられていて、しかも適当に都合よく割引して人生訓にされている。『PHP』や『ビッグ・トゥモロ
ウ』みたいなニーチェが蔓延しています。実をいえば、ほとんどすべてのニーチェ担ぎにこの傾向があって、しかも自分の個人的なルサンチマンの傷を、ニー
チェのロマンチックで威勢のいい言葉で慰めるという傾向が広く認められます。
【13283】
素読用データ 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月 8日(木)01時09分42秒
6---------------------------------------- --------------
永井均, 「ルサンチマンの哲学」(永井均・河出書房新社, 1997.05.23第1刷)p.36, , 2009.01.07, 村田晴彦,
単純にいえばこうです。かつて、ぎりぎりの事情の下で、手向かいできないほど強い悪い奴を「可哀そう」と思い、同情し愛することによって勝利をおさめる
という高度な技法が発明された。今ではその出来上がった技法を利用して、本当は自分のほうが強大で、それゆえすでに勝利をおさめているにもかかわらず、さ
らにそのうえ可哀そうに思い、同情し愛することによって、もう一度勝ってしまう、ということができるようになった。さっきのいじめられっ子の例なんかも、
ほかにどうしようもない、ぎりぎりの場合ですが、まさにそれと形式上まったく同じ技法が、全然ぎりぎりでも何でもないときに、ずる賢く利用できるように
なったのです。
【13287】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 9日(金)04時45分16秒
>『PHP』や『ビッグ・トゥモロウ』みたいなニーチェ
これはいい。
柄谷の本からニーチェを孫引きしようと思ってパソコンを立ち上げたら、この引用に出会いました。私が孫引きするニーチェは良質のものだと思います。
【13289】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 9日(金)05時04分23秒
>全角番号------------------------------------ ------------------
引用されている文章の著者, 引用されている文章の書籍名(著者・出版社 発行年月日 第○刷)引用ページ, (あれば)孫引きの出典, 引用年月日,
引用者, キーワード1・キーワード2
<引用されている文章の書籍名>という言い方は非常に不明瞭です。柄谷の本から小林秀雄の文章を孫引きした場合、その<文章の書籍名>に、柄谷の本の名前
を入れるのか、小林の本の名前を入れるのかがわからない人が出てくると思います。<引用に使用している書籍名>の方がいいんじゃないだろうか。
>*1:年月日は西暦4桁、月・日は各2桁づつがよくはないか。もしかしたら1800年代のものを引用する場合もあるかもしれません。例)
1865.08.09
賛成です。
>*2:傍点がある場合は、傍点がふってある部分を{}(半角)で括るのはどうでしょうか。普通は文章中にあまり出てこない記号だと思います。
賛成です。
>*3:キーワード(引用文中には出てこないけれども検索の際には必要な言葉)は、全角中黒でわかち書き
(普通は半角カンマで羅列する場合が多いと思いますが、すでに半角カンマが使用されているため)
名案です。
>*4:該当する部分がない場合、半角カンマと半角カンマの間に半角スペース
データ案(1)の場合、孫引きではないので、孫引きの部分が半角カンマの間に半角スペースが入っています。
賛成です。入力する人が間違えやすいところだとは思いますが。
【13290】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 9日(金)05時27分23秒
<(あれば)孫引きの出典>
これもわかりにくいです。孫引きの「出典」はなんらかの形で「ある」んです。
孫引きの「原典」ていうのは、なかなかわからない。同じエッセイや論文がいくつもの本に載っている場合が多いはずです。「原典」というのは雑誌初出のも
のになるかというとそうでもない。単行本に載せるときに、著者が手を入れて書き直したりすることが多々あり、引用する人は単行本から引用することが多い。
<孫引きの文の著者による書籍名(またはタイトル)>はどうでしょうか。
【13291】
試案 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 9日(金)05時33分55秒
全角番号------------------------------------- -----------------
引用されている文章の著者名, 孫引きの場合は引用文の著者による書籍名(またはタイトル),
引用に使用している書籍名(著者・出版社 発行年月日 第○刷)引用ページ, 引用年月日, 引用者, キーワード1・キーワード2
【13292】
素読用データ 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月 9日(金)06時02分44秒
7------------------------------------------------------
ニーチェ,善悪の彼岸(竹山道雄訳),「マルクスその可能性の中心」(柄谷行人・講談社学術文庫
19900710第一刷)140,20090109,根石吉久,共通の文法・インド・ゲルマン・ウラル・アルタイ・主語
インド・ギリシャ・ドイツのすべての哲学的思考に通ずるおどろくべき血縁の類似は、簡単に説明される。ここには言葉の類縁がある。されば、文法の共通の哲
学によって----すなわち、同じ文法的機能による無意識の支配と指導によって----はじめから、哲学大系が同質の展開と順列をなすべき定めをもってい
ることは、避けがたいことである。同時に、世界解釈の他の可能性への道がとざされてあることも、さけがたいことである。ウラル=アルタイ語においては、主
語の概念がはなはだしく発達していないが、この語圏内の哲学者たちが、インドゲルマン族や回教徒とは異なった目で「世界を眺め」、異なった途を歩きつつあ
ることは、非常にありうべきことである。
【13303】
根石さん 江戸の母さん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月10日(土)06時25分30秒
> <(あれば)孫引きの出典>
> これもわかりにくいです。孫引きの「出典」はなんらかの形で「ある」んです。
> 孫引きの「原典」ていうのは、なかなかわからない。同じエッセイや論文がいくつもの本に
>載っている場合が多いはずです。「原典」というのは雑誌初出のものになるかというとそうで
>もない。単行本に載せるときに、著者が手を入れて書き直したりすることが多々あり、引用する
>人は単行本から引用することが多い。
><孫引きの文の著者による書籍名(またはタイトル)>はどうでしょうか。
「孫引きの出典」と書いた部分は、
>3------------------------------------------------------
>小林秀雄,「様々なる意匠」,「マルクスその可能性の中心」(柄谷行人・講談社学術文庫
900710第一刷)からの孫引き,p.27,090107,根石吉久
だと「マルクスその可能性の中心」の部分のつもりで書いたのでした。引用している人が引用している本だとかになるのか?というようなことを考えていて、よ
くわからなくなってきて「孫引きの出典」という書き方になったんですが、「孫引き」の意味が違ってますね。
データのテンプレートはこんな根石さんの提案された
>全角番号------------------------------------------------------
>引用されている文章の著者名, 孫引きの場合は引用文の著者による書籍名(またはタイトル),
引用に使用している書籍名(著者・出版社 発行年月日 第○刷)引用ページ, 引用年月日, 引用者, キーワード1・キーワード2
の形でいいと思います。
年月日の書き方は、2009年1月10日→20090110でいいと思います。ピリオドを打つのは入力者にとって手間になりますもんね。
この形で以後入力していくといいと思いますがどうでしょうか。
江戸の母さん
コメントありがとうございます。
半角カンマをきちんと打ってもらうのが大事なところですね。慣れるまで面倒かもしれませんが。
【13318】
お知らせ 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月11日(日)15時09分18秒
月曜6時10分、金曜8時40分の二つの空き枠があります。
「会議通話」方式を利用したレッスンが普通の電話でできるようになりました。最初から二人で一枠を使っていただくと、スカイプを導入しなくても、レッス
ン代金を半額にすることができます。これまでより格段と使いやすくなっていると思いますので、空き枠が埋まるよう、皆さんのご協力をいただきたくお願い致
します。
インドから帰りましたら、電話でレッスンを受けておられる生徒さんの電話代をこちら持ちに設定する予定です。これが済むと、スカイプをお使いの生徒さん
はもちろん、電話でレッスンを受けられている生徒さんにも電話代が発生しなくなります。
二人で一枠を使うというやり方は、初心者の途中からの合流が難しいものです。わずか3千行程度でも進めてしまうと、その枠に、1行目から始める生徒を合
流させるのが非常に難しいものになります。後から始めた生徒に時間がかかり、なかなか二人用のレッスンとして成立しません。
ですので、初心者の場合は、最初から二人で始めていただくことを希望しています。この場合のレッスン代金は月額6千円になります。
長くレッスンを継続されて、教材の5万行台、6万行台、7万行台を使っておられる生徒さんたちは、1万行程度進度に違いがあっても、合流していただくこ
とができます。多少のストレスを乗り越える地力がついているからです。今後、その形の合流を作っていく予定です。
その場合の条件は、以下の通りとなります
1. 空き枠が埋まっていること。
2. 新たに一枠分を必要とするレッスン申し込みがあること。
以上です。よろしくお願い致します。
【13324】
お知らせ 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月13日(火)00時21分21秒
月曜6時10分の枠が埋まりました。
現在、空き枠は、金曜8時40分の一つだけになりました。
これが埋まりますと、教材を数万行進めておられる方同士で、ひとつの枠に合流していただくことを進めていく予定です。
「二人で一枠使用」が今後の標準形として育っていきますよう、引き続き皆様のご協力をお願い致します。「二人で一枠使用」ですと、一枠12000円を二
人で負担していただくことになり、一人分6000円でレッスンが可能になります。これなら、使いやすいレッスンにすることができます。
今日から、電話を使っておられる生徒さんに対して、こちらから生徒さんの電話に(スカイプから)電話することを始めました。インドから帰った頃から、
レッスンの電話代はすべて素読舎側でもつことに切り替えていく予定です。
【13325】
お知らせ 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月13日(火)00時28分11秒
今後、「電話でレッスン」の電話代を生徒さんが負担していただく必要はなくなります。
【13326】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月13日(火)00時34分0秒
お知り合いに声をかけていただく場合、小学5年生くらいが一番いいかと思っています。
先に始めたのが小学3年生でも、すでに2ヶ月くらいやっていますと、まったく初めてやる子とは口の動きが違っています。(個人差はありますが、一般的
に)このギャップに比較的簡単に耐えられるのは、小学5年生くらいの子だと思っています。あくまでも職人の勘でものを言っているのですか・・・。
いろいろ注文をつけるようで申し訳ないですが、なんとか二人一組のレッスンを成立させたいと願っておりますので、よろしくお願い致します。
【13328】
ゆっくり母さん 根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月13日(火)04時50分21秒
昨晩は失礼致しました。私の早合点で、皆さんにご迷惑おかけして、新年早々すみません (汗)
私ほんとだめですね〜〜ダメダメ母さんと改名です(><)ほんとにすみません。
以後気をつけます!
そして、昨日の息子、見違えるようでびっくりしました。ゆっくり母さんの息子さんと2回体験してきたので、3回目でしたが、初回の子どもと比べるとかなり
の差!子どもの吸収力って驚きますね。子ども二人とも「小学校の英語と違う」って肌で(体で?)感じてると思います。長く続けて欲しいです。
Hさんに根石さんのコメント、送りますね。
ゆっくり母さんとの『自主練』来週から2週間、月曜夜、お願いします!目標は2ヶ月でゆっくり母さんの息子さんに追いつく!との作戦ですが、もっと早く合
流できそうな気もします。(だめかな?)
【13329】
さむいっす! 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2009年 1月13日(火)15時08分35秒
大雪でごんす(涙)。
>江戸の母さん
大丈夫ですよ〜、少なくとも私には迷惑かかってないです☆
息子さんのレッスンの様子を根石さんから伺い、よかった〜♪って思っています。
息子はまた江戸っ子君と一緒にレッスンしたいみたいですが、
根石さんによくみていただいて、合流できるかどうかは判断していただくのがいちばんかもしれないですね。
>根石さん
息子、昨日は難しくてちょっと涙がでちゃいました。
でも乗り切ったときの本人、すごくかっこよかったです(親ばか)。
いつまでも赤ちゃんじゃないんだな、って、あらためて感じています。
発音はもう、息子の方がうまいです(涙)。
一瞬般若、どうしてこんなに口が動かないんだろう>自分。
練習します。
息子の口はうにょうにょ動いている感じがしました。
毎回側で聞いている夫もびっくりしていました。
声かけは少し慎重にやらせてもらいます。
やはりこの掲示板を見て、親が良いと思ってはじめるのでないとなかなか説明でわかってもらうのは難しいです。ゆるゆる広めていこうと思っています。
息子には二回期待させて残念な思いをさせてしまったので。もともとは親子で受けるつもりで申し込んだレッスンですし、倹約してレッスン料を捻出する方に力
を入れます♪
夫が理解してくれているのが一番有難いですね。感謝。
夫は何気に根石さんのファンになっているようです。
【13330】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月14日(水)00時25分26秒
>根石さんによくみていただいて、合流できるかどうかは判断していただくのがいちばんかもしれないですね。
そんなに遠くない将来、なんていうか、一枠のメンバーがちょくちょく入れ替わるなんてことができるようになると面白いなと思っています。マンネリを防ぐ
効果があると思います。一枠分のメンバー(といってもわずか二人ですが)を作るのが、小学生が開始したばかりの時が一番難しいと思っています。最初から同
時に二人というのが一番楽です。
合流可能かどうかは私にわかると思いますので、合流できるときはお知らせします。
>一瞬般若、どうしてこんなに口が動かないんだろう>自分。
日本人にとっては、もっとも不自然な感じがする音の一つであるせいじゃないでしょうか。そのうちに出ますよ。
>夫は何気に根石さんのファンになっているようです。
もしそうならうれしいです。よろしくお伝え下さい。
【13331】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月14日(水)00時36分44秒
>昨晩は失礼致しました。私の早合点で、
空き枠が埋まったので私はうれしかったです。ちょっとあわてましたが。
>Hさんに根石さんのコメント、送りますね。
おねがいします。
>ゆっくり母さんとの『自主練』来週から2週間、月曜夜、お願いします!目標は2ヶ月でゆっくり母さんの息子さんに追いつく!との作戦ですが、もっと早く
合流できそうな気もします。(だめかな?)
自主練習は、最初にゆっくり母さんが読むことで進めていただければいい練習になると思います。Hさんのお子さんは参加するのでしょうか。参加する場合
は、教材の練習箇所の組み立てが難しいと思います。
江戸の母さんの息子さんと、Hさんのお子さんが最初から進めた分がありますが、その続きだけをやっていただくのが一番ありがたい練習になります。この二
人にとっては新しいところをやることになり、ゆっくり母さんの息子さんにとっては復習だけやることになりますが、それが一番いいと思います。
ゆっくり母さんには、将来コーチをやるための練習になるとも思います。
自習の間は、個々の音についてはこだわらないで進めて下さい。文まるごとがイントネーションを備えた一連の音として成立するかどうかだけに注意していて
いただけば結構です。個々の音にこだわらないでやっても、2週間程度だと音が固まることはありませんから安心してやって下さい。
ゆっくり母さんの息子さんとの合流については、もうすこし時間をみていただくのがいいと思います。しばらくの間、Hさんのお子さんと進められるのが最善
だと思います。
【13332】
皆様 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月14日(水)00時49分18秒
14日は、一日インド行きの準備をしますので、掲示板に書けないと思います。
日が改まって、15日午前3時前、乗り合いタクシーで成田に行きます。
その後は、ネットカフェを見つけて旅行記を書けたら書くつもりです。
自宅で書くのは、ひとまず、これが最後の記事になります。
【13334】
根石さん ゆっくり母さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月14日(水)09時46分16秒
ご迷惑おかけしてすみませんでした。根石さん、ゆっくり母さん、ゆっくり母さんのお子さん。そしてHさん親子にもご迷惑お
かけしまして申し訳ないです。「コミュニケーション」について語りながら一番わかってない私。「連絡事項をきちんと伝える」は今年の目標とします。はぁ、
まったく。小学生以下って言ったら未就学児にも失礼カナ
根石さんの下記のご助言のように、自主練 2週間がんばります。
ゆっくり母さん、ご指導よろしくお願いします(*^_^*)
Hさん親子は、ひどい風邪で体調を崩されているようですので、メールも打てない状態だと思います。私、Hさん母さんに、大事なことを伝えるのを忘れていま
した!
「素読は、その場での理解を求めない」ってことです。
こんな難しい中学レベルの英語を、覚えなくちゃイケナイのね!と焦らせてしまっていないかと心配しています。今度顔をあわせた時に、説明します。
根石さん
お気を付けて、楽しいご旅行になりますよう〜旅行記楽しみにしております。
【13335】
江戸の母さん、気にしないでくださいね 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2009年 1月16日(金)10時19分8秒
根石さんはネットカフェみつからないのかなぁ。。。ちょっと寂しいです。
>江戸の母さん
気になさらず〜。別に迷惑はかかってないですよ。
子供たちのことも大丈夫ですよ。根石さんにお任せしましょう。
>らくださん
寒いでっせ〜〜〜。今日も通学路の雪ふみにでておりました。
でも結構好きなんですよ、冬も。奥様のお気持ち少しわかるかもしれないです。
とはいえこちらは道産子の方からみれば「ふん」とはなで笑っちゃうくらいの雪です。
東京に雪が降ると必ずニュースで「東京に積雪」って伝えてくれるわけですが、革靴を履いたおしゃれな都会人の皆様がコテンコテンと転ぶ姿を見て…ふふん、
と笑うのが雪国の民の楽しみです←私だけ?皆そんなに性格悪くないか…。
ではでは〜
【13336】
音読 素読 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月16日(金)11時42分34秒
ゆっくり母さん
ありがとうございます。月曜日、またよろしくお願いします!”ゆっくり母さん先生”と3人のこどもたちレッスン、録音しちゃいますね♪
図書館で ”子どもを伸ばす音読革命―ぐんぐん国語力がついてくる驚異の「日本語一音一音法」 (単行本)”(松永
暢史著)という本を借りました。この本に実際に音読してるCDもついていたらしいのですが時間がなくて、結構ですと言っちゃったんですが、今後借りてみま
す。
面白い本でした。寺子屋や謡曲も一つ一つの音を延ばすというのをやってたらしいですね。この発生方法について、すごくひっかかります。今まできいたこと無
いからかもしれないです。子供の学校でも「音読」が宿題になってるんですが、もっとゆっくりひとつひとつの音をゆっくり発音したほうがいいのかなと思いま
した。声に出すことの重要さをかみしめました。音読と素読って、違いはあるんですかね?素人質問ですみません。
それにしても、まず公立小学校で重用視してほしいのは”日本語”と思うのは変わりませんけど、文科省も英語教育進める政策だし、なかなかそれを止めるのは
難しいですね。
去年2月に東京も大雪〜子らは大喜び♪こちらはなかなか雪が積もらないので、溶けた雪とどろんこでグシャグシャ^^ ちなみに私はチャリコですっころびま
した><
【13337】
江戸の母さん(音読 素読) 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月16日(金)12時53分16秒
「音読」と言う場合、あらかじめ意味がわかっていることを前提としていると思います。
小学校では「気持ちをこめて読んでみよう。」とか指導されたりすると思いますが、それは子供が意味がわかっているからでることです。
「素読」は、意味は宙づりにしたまま、きちんと声に出して読むことです(必ず意味を宙づりにする、じゃなくて宙づりにしてもいい、ということです)。『論
語』というような古典(あ、これも外国語のようなものかも)を、意味はわからなくてもとにかく声に出して読む。「気持ちをこめて読む」は求めない。
こうして、何度も繰り返して読むうちに、必ずいつか一気に意味がわかる時がきます。これが「素読」です。
江戸の母さんが紹介している読み方は、ちょうど昨日やってた歌会始めの読み方と同じだと思いました。
ああいう読み方の起源はなんなんですかね?中国の詩の読み方の日本流アレンジなのか。日本語は一文字一母音だから、音楽的に読むとああいう感じになるの
か。
まあそれはともかく…。
音を延ばすのがいいかどうかはわかりませんが、ゆっくりはっきり読むのはいいことだと思います。
普通は読んでいるうちに、勝手に速度が増してしまう傾向があるからです。また、早く読むことがかっこいいというような傾向もあるようです。ただ速度が増す
だけならまだいいですが、速度が口の動きを越えてしまうと、これはよくありません。音をすっとばして読んでいることになるからです。音を飛ばして読んでい
ると、いつか必ずわかる日が来る、ということが言えません。読んでいる人が、音を意識の外に追いやり、その人にとって、ほんとに意味のないただの音になる
からです。
小学生の人には、日本語の素読の時にはあえてゆっくり読むようにしてもらっています。
何回も読んで、読み方がこなれたところに関しては、速度が増しても注意はしません。
【13338】
朴訥 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月16日(金)13時17分7秒
今、江戸の母さんへの記事を書いている時に、空手の先生がおっしゃっていた言葉を思い出しました。
空手には「千は錬 万は鍛」という言葉があるそうです。
武道の心構えについての言葉で、語学にも通じていると思いました。
先生によれば、空手から入って武道に至った人は、一生続けていくのだそうです。
それはもうすでに生活なのだそうです。
「そうです」ばかりですみません。
また、昨日里山を登っているとき、空手の先生から、COCCOという歌い手を教えてもらいました。
私は最近は「元ちとせ」が好きです、という話をしたら、元ちとせは「音楽」にとどまっているけれど、COCCOはシャーマンのような、神がかりのような域
にいっている、とのことでした。こころに鎧をつけずに無防備に生きているから、きっときついだろう、とも。
http://jp.youtube.com/watch?v=xAsfuji-gSE&feature=related
ペラペラしゃべりの対極だと思いました。
【13339】
江戸の母さん 投稿者:らくだ 投稿日:2009年 1月16日(金)13時17分45秒
母の会の掲示板を読ませていただきながら、教育関連でネット探索している方って、同じようなところに行き着くのかなあ、と感じています。
たとえばシュタイナーであったり、糸山泰造さんの「どんぐり倶楽部」だったり。「どんぐり倶楽部」については、私も一時期、息子にやらせていたことがあり
ます。糸山さんの「思考の臨界期」とか「視考力」をめぐっては、この掲示板が熱くなった事がありました。
今回は松永暢史さんの「V-Net」ですね。私、この松永さんは大注目している方のお一人です。ブログでは、かなり厳しい文科省批判、教師批判を展開され
ていますね。松永さんのご著書は何冊か読みました。
実のところ、日本語音読の話が盛り上がっている状況化で、松永さんについてコメントするかどうか迷ったんです。私、実を言いますと、機会があれば松永さん
に息子を見てもらおうと思ったりしてるんですよ。でも、スゴくお忙しいらしく、指導を断念せざるを得ないかも、といった主旨のご発言を先日ブログにお書き
になっていました。
ちなみに音読と素読との違いについてですが、私は、素読と音読とは概念の次元が違うように感じています。集合図的に言えば、素読は音読に含まれる、という
イメージです。素読のキモは、意味の理解の先行ないし同時を求めない考え方。意味が分からなくても声を出して読んで良いのだ、読む事に意義があるのだ、と
いう構えのことではないかと思っています。
この事は結構、本質的だと思います。私の周りの英語の先生で、英語の素読を良しとする方はまず少ないですね。かなりの確率で、「意味を充分に理解した文章
を音読すること!」とおっしゃいます。例外的に、意味を脇においておいても良い、とおっしゃる場合は、ほぼシャドーイングについて奨励する時だと思いま
す。
過去ログを見ますと、シャドーイングが初学者には果的かどうか、についても、過去にこの掲示板で熱めの議論になっているようです。
【13340】
ニューデリーにいます 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月16日(金)20時05分15秒
家を出てから、ニューデリーの安宿に入るまで、24時間以上もかかるとは知らなかった。各空港の出発時刻、到着時刻はそれぞれ現地時間になっているので、
所要時間にそれぞれ時差が加算される。チケットを手配した旅行会社の旅程表は、成田を午前10時45分に出て、ニューデリーに同日夜着くことになっていた
から、朝出て夜着く程度のことと思っていたが、実際は家を出たのが、午前2時半。空港で時差が加算され、ニューデリー空
港に着いてからも税関通過に時間がかかり、預けた荷物を受け取るのも最後になり、空港から宿まで小一時間。宿に着いたのが午前1時頃だが、日本の現地時間
では朝方か朝だろう。27、8時間かかっているのではなかろうか。こうなると、格安チケットというものも考えものだ。飛行機の乗り換えだけでも4時間くら
いかかっているし。
皆様。
頭が全然語学論に行こうとしないので、語学論は帰国後にさせていただきます。
村田君によろしく頼んでしまいますので、よろしく。
【13343】
シャドウイングについて 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月17日(土)00時23分38秒
らくださんが指摘されていますが、シャドウイングについては何度か「大風呂敷」でも議論 されています。
まずは過去ログ6287番の記事を参照してください。
【13344】
江戸の母さん らくださん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月17日(土)00時27分59秒
松永暢史さんのブログ、ちょっと読んできました。おもしろいですね。
http://blog.livedoor.jp/vnetkyouikusoudanjimusho/archives/52232445.html
ひとつ、「音読革命」を読んでみようと思います。
【13345】
らくださん 村田さん 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月17日(土)07時05分2秒
「臨界期」「視考力」とか、「シャドーイング」など
私にとって、新しい言葉がたくさん出てきて、過去ログ読んでみなさんに追いつきます(汗)
松永さんのブログにも、まだたどり着いていなかったので、ご紹介ありがとうございます。私が読んだ本の冒頭部分「だめだめ子ども(子どものせいというより
親が与える環境がひどかったから親のせい)」を偶然に音読させたら、おやすごい!子どもは学ぶ力を身につけてったよってな話でしたが、メガホンを使って音
読させた姿を想像して、おかしかったです。
音読と素読の違い、説明していただいてありがとうございます。
絵本の読み聞かせでも、「ゆっくり」が基本ですね。ついつい早くなっちゃいます。(病院の待合とかで他の方が読んでる姿をみても早口)読み聞かせのやり方
で「抑揚をつけず、淡々と」というのがあります。私もなるべく感情移入しないようにしてるんですが、程度が難しいです。自分の姿をビデオにとってもらいた
いです。話ずれましたが、
「意味は宙ぶらりんでもいい。意味の理解を同時進行で求めなくていい。」のが、素読ですね。了解です。
村田さんの言葉を借りると「音を飛ばして読まなければ、いつか必ずわかる日が来る」ということでもありますよね。音が体や頭にしみこむことの作用と、いつ
かわかる日が来るという点について、他の人に説明する言葉がもてれば、私も知人友人に、素読のよさというのをもっと説明できそうなんですが、「いつかわか
る日が来る」という体験を自分がしたことがないので、「そうらしいよ」って伝言になっちゃうんですよね。「いつかわかる日」ここもひっかかってます。
>私の周りの英語の先生で、英語の素読を良しとする方はまず少ないですね。かなりの確率で、「意味を充分に理解した文章を音読すること!」とおっしゃいま
す。
へ〜〜そうなんですかぁ。英語の素読って、少数派なんですかね。このあたりの専門家の意見も、過去ログで見られるのでしょうか。
【13346】
村田さん 投稿者:らくだ 投稿日:2009年 1月17日(土)10時03分0秒
松永さんのブログ、リンクされたのはライブドア版の方ですね。主宰されている「V- Net」のトップは
http://www.vnet-consul.com/index.html
ここからV-Net版のブログに入れます。内容はライブドア版と同一ですが。松永さんの音読法について村田さんは「歌会始めの読み方と同じだ」とコメント
されましたが、まさに松永さんご自身がそのことに気づかれ、日本語は昔、1音1音に意味があり、それを1音ずつ発音していたのではないか、と考えるに到っ
たという事をご著書で述べられています。
【13347】
らくださん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月18日(日)00時03分37秒
私もそのトップページからブログにたどりついたはずなんですが、なぜだかライブドア版の方に行っていたみたいです。
>日本語は昔、1音1音に意味があり、それを1音ずつ発音していたのではないか、と考えるに到ったという事をご著書で述べられています。
漢語が入ってくる以前のことなんでしょうかね。こういう話、かなり興味があります。民俗学の方にもからんできそうですね。
素読データの出典として、民俗学方面からもひっぱってこようと思いました。
松永さんの音読革命を昨日アマゾンで注文したので、届くのが楽しみです。
【13350】
自主練 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月19日(月)22時02分35秒
ゆっくり母さんの指導のもと、無事に1回目の自主練を終えました。Hさん親子(1週間ぶりに体調復帰!!)にも来てもらい
ました。スカイプの調子も良好。子どもたちも集中してできました。(外野のちびっこ選手たちがうるさいですが)ゆっくり母さん、ゆっくり母さんの息子さ
ん、ありがとうございます。また来週もお願いします〜
さて、公立小学校の英語教育ですが、子どもの話によると、ますます”時間の無駄”としか思えない授業なんですけど、実際どうなんでしょう。公開授業がある
ので見学してきます。保育園での英語教育も「遊び程度ですけどね」というノリで積極的に導入されています。なんなんだろう、この地域は英語植民地状態?ど
うして英語でコミュニケーションしなくちゃいけないのか?母国語をしゃべっちゃいけないのか?もしかしたら、なにかの因縁として日本がやってきた戦中の植
民地化政策(日本語をしゃべるように強要させた同化政策ですか?)を追体験しなくてはならないのかもしれません。なんて、モウソウですが。
意地でも英語を学ばないフランスってすごいなとも思いました。
【13351】
公開授業 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月20日(火)19時11分9秒
公立小学校での英語導入について、中間発表という形で、2年生、4年生、5年生の授業が公開されたのを見てきました。廊下や教室の壁にもイラストと英単語
が貼ってあって(発音記号がありませんよ)どこかの英語教室のようです。
2年生は担任とネイティブの組み合わせ、4年生は英語が堪能な外部からの教師お二人、5年生は担任とネイティブの組み合わせでした。2年生は、果物のカー
ドで読み方をリピートしたり、カードの場所を当てたり、歌を歌いながら手遊び、伝言ゲーム、絵本の読み聞かせ(先生の発音をリピート)等。4年生は、箱の
中に入ったオレンジやペンをWhat is this?This is〜対話の練習。5年生は道に迷って困っている外国人に「May I help
you?」と問いかけて、地図を見ながらいくつめのブロックを右にとか、案内する練習でした。一番役に立ちそうで役に立たないのが、現実にそんなニュー
ヨークや京都のように四角で整理された道路がないのに、道案内のシュミレーションをする5年生の授業でしょうか。
発音、1対複数のリピートなので、音づくりがされてません。しかも、担任の先生もがんばってらっしゃいますが、ネイティブとは全然違う音だし。それでも、
視察にきているおえらい方々は笑顔で、温かく見守っているのにもびっくりしました。顔見知りの議員が来ていたので挨拶したのですが、英語教育賞賛というか
んじだったり、異国文化になれるのはいいことですよね。といった反応。公立小学校(しかも低学年)に遊びや挨拶、会話、単語など中心の英語教育導入につい
て危惧を感じる人、異端なんだろうか。私たち、地域で生活、周りの住人たちとコミュニケーションとれて慣れているし、学校を転校するのはしごく厳しい選択
である。でも、このままこの調子で加速する英語教育は怖い。感想、長くなりすみません。
せめて今子どもにできることとして、「ホンモノ」の英語を身につけさせてあげたいです。
【13352】
江戸の母さん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月21日(水)08時19分33秒
小学校の公開授業の様子、いずれ「大風呂敷」で公開してください。
よろしく。
>保育園での英語教育も「遊び程度ですけどね」というノリで積極的に導入されています。なんなんだろう、この地域は英語植民地状態?どうして英語で
コミュニケーションしなくちゃいけないのか?母国語をしゃべっちゃいけないのか?
どうせやるなら身に付くことやれと思いますね。
昨日、小学3年生の塾生のお母さんにお話を聞いたのですが、お子さんが幼稚園の時に一回英語教室に行っていたとのことでした。当人に「どんなことやってた
の?」と聞いたら、「カードに猫の絵が書いてあって、それ見て『きゃっと』とか言ってた。あんなもん、くだらねえからすぐやめちまった。」と言ってまし
た。そう思う子はいっぱいいるでしょうね。
>戦中の植民地化政策(日本語をしゃべるように強要させた同化政策ですか?)を追体験
以前、Jackieさんが書いてましたけれど、中国語を強要されるようになったら、と妄想するとこわいです。
中国語自体、あるいは一般の人民はきらいじゃないんですが。
【13354】
子供の直感 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月21日(水)09時29分53秒
「オバマ演説集」私も調べてみます。
説得力を持つには、どうしたらいいのか?学びたいです。
公立小学校の英語教育についてですが、同級生(低学年)にも「英語ってどう?」と感想を聞いてみたところ、う〜んとず〜っと首をかしげていました。「楽し
い!」という大人にとって理想的な子供もいるのでしょうが「言葉に出来ない違和感」をもっている子供もいるということ。教育関係者の方々にわかって欲しい
です。
【13355】
ふとおもったことですが・・・ 投稿者:ももこ 投稿日:2009年 1月21日(水)11時16分57秒
英語教育。外国語を母国語と同じ方法で学ぶのはなかなか難しいと思うのと、母国語で過ごす環境と同じ環境を外国語で再現するのは難しいので、あまりにも小
さいころから外国語教育をするのは我が家では難しいなと考えています。
掲示板を拝見していて分からなくなったのでどなたかおしえていただきたいのですが、「ホンモノ」の英語っていったいどのようなものでしょうか。私は違う国
の言葉を話す方が集まったときに使うことが多そうだなと思っているのと、読みたいジャンルの本はおそらく英語が多いであろうということから今英語を勉強し
ているのですが、意思疎通が充分にできれば「ホンモノ」でなくても「ニセモノ(?)」でも構わないなって思っています。要は使えればいいのです。(志が低
くてスミマセン。実はもうすぐ三十路なのに「ホンモノ」の日本語も分かりません・・・・。とりあえず大筋の意味は通じる日本語を使っているはずです。)
私の娘が通っている小学校は、漢字と計算に力を入れているようで気持ち悪くなりそうなくらいの量の計算プリントの宿題を持って帰ってきたりしますが、適度
に様子を見ながら親が調節してやればいいかなと思っています。
でも、英語の場合そういったことは不可能なのでしょうか。小学校での英語教育ってそんなに怖いものなのでしょうか。イマイチ実感がつかめないもの
で・・・。小学校の英語教育に関してくらだらないなぁとは思います。
娘が通っていた幼稚園でも米国の教会付属の園と姉妹校になったのを機に、英語教育をという話がでました。そのときに私や仲の良いお母様の間では「まだ日本
語も流暢に話せないのに英語で実のある会話をできるのかしら?」とか「あの詳細なおままごとのシュチュエーション設定の時間を削ってまでやることなのかし
ら?」という笑い話をするとともに、子供には「外国の方はみんなが米国の方ではない」「言葉もいろんなことばがあるし、**(娘の名前)は日本に住んでい
て日本語を話している」「アナタは日本人って呼ばれる。」「まずは自分のことや、自分の話している言葉を知らないとね。」なんていう会話をするいいきっか
けをもらいました。
たしかに英語教育は良くないという考え方もあると思いますし、私も先送りできるなら先送りしてほしいと考える一人ですが、英語教育が導入されたらそれを何
とか活用する方法はないのでしょうか。仮に早期英語教育を「毒」とするならば、うまく加工して「薬」にできるといいなぁ・・・薬にならないまでも、くだら
ない時間をうまくやり過ごす術を教えたいなぁなんておもったもので。新カリキュラムだと娘も5年になったら英語の授業が行われるので、対岸の火事ではない
なぁと思っています。
余談:我が家の子供たちが知っている(と主張する)英語
「バイバイキーン」
(旅行先のグアムでホテルの売店のお兄さんが毎日そうやって声をかけてくれました)
「スポンジバブ」
(旅行会社の現地スタッフの人がスポンジボブの塗り絵を下さって「スポンジバブ」と子供たちに教えてくださいました。)
楽しそうです。「バイバイキーンは多分日本語だと思ってお兄さんは話しているんだよ」とは伝えたものの。とりあえず害にはならなそうなのでまぁいいかなと
思っています。
【13358】
江戸の母さん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月22日(木)12時22分24秒
小学生の時、年に1度くらい、クラシック音楽の生演奏を聴く会とか演劇を見る会なんかがありまして…。
今思うと、クラシック音楽の生演奏なんて、その時聞かなければ生涯一度も聞いてなかったかもしれないなあ、なんて思います。(実際、ライブハウスは行った
けれど、コンサートホールは行ったことありません)小学校では一通りのことに触れる機会を作ってくれていて、それはいいことだと思いました。
小学校の英語の話も、この年に一度のクラシック音楽を聴く会みたいな印象を受けました。
一度くらい英語ネイティヴと接しておくのもいいんじゃないの、くらいな。でも、一度じゃないんですよね。ずっと続いていくという。
私が小学生で、そういう授業があったとしたら、かなり劣等感を持っていたんじゃないかなあ、と思います。遊び、といいつつ、一緒に遊んでいるグループの
中には、環境的に英語を使って育っている子もいるわけで、どうしても比べちゃうでしょうね。むしろ「勉強」としてやってくれた方いいんじゃないかなあ。
「体育」や「音楽」のような科目としてやっていけばいいのに、と思うのです。
【13359】
ももこさん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月22日(木)12時24分26秒
よく聞く「ホンモノの英語」は、「イギリスの植民地だった地域の白人がしゃべる英語」くらいの意味しかないんじゃないですかね。
だから、わたしらがいくら英語やっても、英語ネイティヴから見たら、どこまでいっても「ニセモノ」です。
でも、生活の場で使われている英語は全部「ホンモノの英語」ではないでしょうか。どんなに訛りが強くても、文法的に破綻していても、生活の場で使われて
いる英語は「生きている」。これを生きていると言わずに何を生きているというだろうか、っていうくらいなものじゃないでしょうか。フィリピンで、香港で、
インドで…他の多くの地域で。
もちろん、語学の場では、誤解を生じない音・正しいとされる文法をやるべきですが。
【13360】
ホンモノの英語 投稿者:らくだ 投稿日:2009年 1月22日(木)21時03分29秒
「ホンモノの英語」という言葉が使われる文脈はいろいろあると思いますが、私の頭に浮か
んだのは、いわゆる「学校英語(受験英語)」との対比です。「受験英語」=間違いだらけ=使えない。「受験英語」=音声軽視=使えない。といった文脈で
す。この掲示板でも、以前、駿台の故・伊藤和夫さんの『基本英文700選』をめぐる議論になっているように思います。『基本英文700選』をご著書「どう
して英語が使えない?―「学校英 語」につける薬
」(ちくま学芸文庫)で批判された酒井邦秀さんが、洋書の多読とシャドーイングを中心としたSSS学習法を立ち上げられたわけですが、「日本語を介さず」
「文法はいらない」「多読と多聴」といった考え方・方法が、「ホンモノの英語」の習得につながる道として、旧来の文法訳読式に対するアンチとして提示され
たと思います。
【13361】
ホンモノの英語・役に立つ授業 投稿者:Naima 投稿日:2009年 1月23日(金)03時05分16秒
久しぶりに私も参加出来そうな話題なので....
「江戸の母」様
初めまして。
""What is this?" "It is a pen" 、って「見ればわかるやん!」という突っ込みをする人が良くいますね。
このばかばかしい会話を出来るだけ自然な形で学ばせようと、英会話のコースブックなどでは誕生日プレゼントとして包装されたものを指さして、「これ何?」
「ペンよっ!」という風にイラストをつけています。苦肉の策です。
でも私はこれでいいんだ、と思ってます。"What is this?" "It is a pen."
という会話が成り立つシチュエーションは確かに現実にあるのだし、それにモデル・ダイアローグは身体に叩き込まないといけない「型」ですから、シチュエー
ションの自然さを追求することもないのではないでしょうか?
第一、日本語圏での机上の英語に自然な状況を与えるということが出来るとも思えません。
>一番役に立ちそうで役に立たないのが、現実にそんなニューヨークや京都のように四角で整理された道路がないのに、道案内のシュミレーションをする5年生
の授業でしょうか。
「道を尋ねる」というダイアローグ。おっしゃるとおり、確かに京都や奈良なら辛うじて碁盤の目に整然と並んだ道がもあるでしょうが、そんなにきっちり右の
左のと教えられるものでもありませんね。しかしそれでも、基本の型は覚えておかなければなりません。英語の入門者をひきつれて、実際の街中で「道を尋ね
る」ダイアローグを実践したところで、かえってややこしいだけです。
最初は最もシンプルな形を叩き込む方が実用的です。その後の教え方ひとつで応用力もつきます。私は十分使えると思います。
要は、"What is this?" でも" Turn left." でも"Are you a girl"
でも、口をついてスラスラ出て来るように「仕込む」ことが大切です。「型」が完全に身に付いていなければ応用編には進めません。
久々すぎて、どうもうまく説明できませんが....
さてホンモノの英語について....本物の日本語とは何か、と考えてみました。
お国訛りがあっても、子供のたどたどしい日本語であっても、私達はホンモノの日本語と認識するのではないでしょうか。デイブ・スペクターはかなりの日本語
の使い手ですが、彼の日本語はどうでしょうか。私は彼がネイティブ・スピーカー並みの英語の使い手だとは思いますが、ホンモノの日本語だとは思えないんで
す。皆さんはいかがですか?
ギザ可愛い、だとか、わけの判らぬ造語を使う若い人達の文法も語法も間違いだらけの日本語でも、私はホンモノの日本語だと思うんですが。こういう流行言葉
でもいづれ日本語として定着し、広辞苑なんかに掲載されたりすることもありますもの。
そこで「母国語としての英語がホンモノの英語」という定義はどうでしょう?
私達のような英語学習者にとって「ホンモノの英語」なんてなものは絵に描いた餅のような気がします。私は外国語を「マスターする」ということなどあり得な
いと思ってます。どこまで行っても不自由感がつきまとい、隔靴掻痒、言葉そのものに手応えも実感もありません。
だからこそいつまでも勉強をやってるわけですが.... 腐れ縁か、アリ地獄か...
久々の投稿なのに、議論に水を差す様なことになってしまいました。申し訳ありません。
【13362】
「ホンモノ」と「本物」 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月23日(金)10時03分13秒
私のへんてこな発言のせいでみなさんに混乱させてしまいスミマセン(> _<)
私もうちの母も長らく「学校(文科省)でやっていることは正しい」、学校というものに絶対的な信頼を寄せていました。んでも、どうやら国だって間違えるぞ
という見方を身につけてから、疑問を持つようになってしまいました。
最初に直感的に学校がやろうとしている英語授業を「本物」と捉えることに、すごく抵抗がありまして、でも、ももこさんが書いているように「意思疎通が充分
にできれば」というのは私も求める「本物」であります。
そして私もたびたびみなさんにご迷惑おかけしておりますが「本物」の日本語すらも使えていないと、反省〜〜汗しつつ掲示板に向かっております(^_^;)
意思疎通>これが言語の目的であり、目標ですよね。
村田さんの引用ですが、
>生活の場で使われている英語は「生きている」。
これは、いい表現ですね。
「生きている英語」を身につける為には、使われている場に身を置くのが一番なのかな?
Naimaさん
はじめまして。よろしくお願いします。
"What is this?" "IT is a pen" を否定はしていません!
(息子が素読のレッスンを受けて、まんず"This is
Japan"すら難しいんだ〜〜って思いました。発音の話ですけどね。テキストも、私自身、身につけたいな〜と思ってます(*^_^*))
>モデル・ダイアローグは身体に叩き込まないといけない「型」
そこから応用ができるわけですね。基本の「型」の大切さ、わかってきました。
私も、もうなんでこんなに小学校低学年で加速しているのか、という視点しか持ち得ていなかったので、偏っていたと思います。もっとおおらかにな気持ちに
なって、行政(教育委員会)の方針を信頼すべきかもしれないです。というのも、息子に混乱を与えるからですが。
でも、やっぱり、村田さんの書いているように、
「遊びながらの英語」で「英語に触れさせよう」という方針よりは、きちんと一つの科目として音づくりと文法をやってほしいという思いもふつふつとわいてき
ています。
NHK「英語であそぼ」という番組も、多くの支持を集めているようですが、小学校の英語もその延長なのかな。「踊りや歌と共に英語の音に慣れましょう」
(ただし、一つ一つの音のリピートの時間を取っているのに対して、小学校は1対複数なので、講師が一人ひとりの生徒の音を作れているかは大きな懸念事項で
す)
Naimaさんの
>ギザ可愛い、だとか、わけの判らぬ造語を使う若い人達の文法も語法も間違いだらけの日本語でも、私はホンモノの日本語だと思うんですが。こういう流行言
葉でもいづれ日本語として定着し、広辞苑なんかに掲載されたりすることもありますもの。
すごくよくわかります。私も同じ英語でも流行語として共通項目となっている場合、それは(「本物」か「ホンモノ」かは置いておいて)もう日本人のものだろ
うな〜なんて考えていました。
うだうだとすみません。ただ小学校でも「ゆとり」教育が見直され「つめこみ」になってきていますよね。その中であれもこれもとこどもに「たくさんの情報」
を与えられると子供の処理能力は追いつくのかなとか、そこに単純に『感動』という心は育つのかななんて、思っています。書道も墨を擦るのを簡略化するため
に、ステンレス製の硯が使用されているようで、軽くて簡単、子供への負担も少なく、時間も早い。確かにお得なのですが、墨を擦るという時間と動作、墨の匂
いが好きだった私は、残念です。まあ、自宅でやらせればいいんですけどね。ながながすみません。
【13363】
江戸の母様 投稿者:Naima 投稿日:2009年 1月23日(金)21時16分43秒
>「遊びながらの英語」で「英語に触れさせよう」という方針よりは、きちんと一つの科目
として音づくりと文法をやってほしいという思いもふつふつとわいてきています。
これについては私も全く同意見です。歌や手踊りやゲーム仕立てで英語を教えてもあまり効果はあがりませんよね。
【13364】
遊びながら自然に英語 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月24日(土)07時44分14秒
今の学校のやり方が、正しいのかどうか、私にもわかりません。たぶん研究段階なので、10年後に結果が検証されることとも思います。
でも、学校からのコメントによると
「教室から元気のよい英語の挨拶が聞こえます。」「ゲームをすると「じゃんけんぽん」ではなくて「rock scissors
papar」と自然に口から出る子どもたちがいます。子どもたちは確実に英語を楽しんでいます。」また「挨拶や遊びの中で英語が自然に口から出る子どもた
ち、確実に英語を楽しんでいる子どもたちの姿」があることを喜んでいます。
じゃんけんぽんこそ、言葉が通じなくても、世界共通の遊びなんじゃないかなと思いますが。日本人が多くを占めるこの地区の小学校で子供同士が英語で遊んだ
り挨拶しあうのって、なんだかやはり違和感を感じます。説明がつかないのですが、どっと体から力が抜けてしまいます。
また、村田さんが指摘していたように、公開授業では、すでに英会話学校で英語を習っている生徒とそうでない生徒の差も明らかで、周りの子ども指導していた
りしました。
余談ですが、息子は正月に学童で百人一首で坊主めくりをしたのが楽しかったらしく、百人一週全集という図鑑を借りてきました。絵にかいてある生活用品や人
についてこれはなんだ?どういうこと?と質問攻めです^^「流刑」にも興味津々のようですが、私自身も詳しくないので、応答に困ってます。助けて
wikipedia〜
【13365】
ニューデリーに戻りました 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月26日(月)00時04分57秒
ジャイプールからニューデリーに戻りました。
ジャイプールでは、宿の近くに日本語の使えるインターネットカフェが見つからず、何も書けませんでした。
下痢がひどいので帰る日までになんとか直さないと、飛行機の中でトイレ通いをしなければなりません。
旅行記めいたものは、紙のノートに書いています。
【13366】
700選をめぐる議論について 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月26日(月)06時04分41秒
らくださんの書かれている700選をめぐる議論については、過去ログ815以降を参照してください。
【13367】
Naimaさん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月26日(月)06時08分9秒
「母国語としての英語がホンモノの英語」そうかもしれない、と思いました。
でも、なにかひっかかるなあ、とも思うのでした。
「ギザ可愛い」というような造語や文法的に間違っているような言い回しも「ホンモノの日本語」ということには同意です。言語は変化するものですからね。
ではデイブスペクターと「ギザ可愛い」という人たちは違うのか、違わないのか。私は「日本語」という視点から見ると、違いはないのではないかと思うので
す。デイブスペクターの発想や言い回しも、「ギザ可愛い」も、それまでの日本語にとっては違和感をもたらすものだと思います。「ギザ可愛い」がおもしろい
表現として、広く世間に広まり、後に古典的な言い回しになったとしたら、新たな日本語の資産になったということになりますね。デイブスペクターの苦しいダ
ジャレも、もしかしたら受け入れられるかもしれない。そうしたら、それもまた、日本語の資産になる。
一方、話している方に目を向けて見ると、「ギザ可愛い」と言う方は、一定のグループで交わされる言い方であり、一方、デイブスペクターの言い回しは彼一人
である、ということが言えるのではないかと思うのです。ただ、両方とも日本語の「磁場」にいるとは言える。
英語の場合は、アメリカの英語、オーストラリアの英語、インドの英語のように、世界各地でそれぞれ育ってきた「英語」があります。これ、それぞれホンモノ
の英語ですよね。でも、もともとイギリスの英語がもとになってるわけです。イギリス英語から見たら、オーストラリア英語も、インドの英語も、違和感がある
んじゃないだろうか。でも、相互に通じるし、それぞれが「磁場」を持つ言葉です。
日本語の場合は、方言はあるものの、英語のように世界各地で発達した「○○国英語」みたいなものはありません(戦時中の韓国や台湾で強制された日本語は独
自に発達したものとは言えないのではないかと思います)。だから、英語になぞらえて日本語を考えると、違和感だけが強調されてしまうのではないでしょう
か。「母国語としての英語がホンモノの英語」であるといった時、どの国がホンモノか、という話も出てくるんじゃないでしょうか。
デイブスペクターの日本語は、日本語ネイティヴから見たらニセモノ。でも現代の生きた日本語の一部。
…ああそうか、母国語としての英語がホンモノの英語っていう定義でいいんだ。
ただし、ホンモノがなんぼのもんかってことで。
【13369】
"Long time, no see!" 投稿者:Naima 投稿日:2009年 1月26日(月)16時09分27秒
歳を取ったいせか、どうも議論がめんどくさくなっています。「あんたがそう思うんやたら、それでええやん」という投げやりな態度が目につきます、って自分
のことですが....
ただ...磁場のないところでの外国語の勉強、はなから「ほんもの」など見当たりません。私の場合は「借り物」やら「偽物」でなんとか遣繰りする以外に術
はなかったように思います。
言葉面だけ本物くさい、というのは沢山ありそうですが、言葉の厚みや深みや奥行きや歴史的文化的背景が違います。英語をしゃべってる自分に嫌気が差す時が
あります。言葉につられるというか...自分の言ってることが嘘くさくって...
日本語でしゃべる自分と違う自分がいるような...日本語だとためらわれるような言葉でも、英語だと実感がないのでシレッと口から出たりします。
インド人の英語やシンガポール人の英語とじっくりつきあってみたい気がします。彼らは生活実感のある英語をしゃべってるんだろうか。きっとしゃべってるん
でしょうね。
英語、いらんなぁ.... しんどいです。サバイバル英語っていうのは好きですけど。出来たら日本に来る外国人には日本語を勉強して来てもらいたい。
【13370】
江戸の母様 投稿者:Naima 投稿日:2009年 1月26日(月)16時40分40秒
なんだか水を差す様な書込みになってしまいました。ごめんなさい。
なんじゃかんじゃ言っても英語は国際語になってしまいましたもんね、やっぱり勉強しとかんといけません。
老婆退場 m(__)m
【13371】
でもどうして英語なのか? 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月26日(月)21時08分37秒
Naimaさん
いえいえ、私こそ、トピックについていけません。すみません。全然お話かみ合ってませんですかね?
今日保護者会で英語の取組について、子どもたちは楽しんで英語に親しんでいる様子との説明がありました。学校の取り組みに文句を言う(口に出していえませ
んよ〜)なんて、つくづく私は「非国民」かもしれません。他のお母さんから異論もあがりません。
クラスでの帰りの挨拶は英語なんですか?と質問したらやはり、月〜木は「see you tomorrow」金は「see you
again」朝の挨拶は日直に、日本語がいいか?英語がいいか?聞いて好きなほうに任せているそうです。
なんで、日本人同士なのに、英語で挨拶するんだろう?という疑問は、解決しません。
遊び(歌や手遊び)や挨拶を通して「自然に」英語に慣れるというのが目的のようですが、この「自然に」というところにも、違和感を感じます。(感じてるの
は私だけか・・・)
とにかく、英語の教材というのが決まっていないらしいです。ということは、いまや企業は大きな市場を確保すべくあの手この手で売り込み中ですね。フルーツ
の絵のカードと、「バナナではなくバナ~ナ」というCD、大型英字絵本、このあたりは採用されるのかな。
第二言語として英語を必須科目としている外国での英語の授業について、ご存知の方おられたら教えてください!(特に低学年で)
【13372】
語学習得って 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月26日(月)21時41分47秒
たびたびすみません。
語学習得って、「楽に、楽しく」モノに出来れば最高ですけど、
現実は厳しいと思うのですよね。
話は飛びますが、
根石さん>次回インド渡航の際は、”ストッパ”という薬をオススメします!?
どうぞ、無事にご帰国されますように。
【13373】
江戸の母様 投稿者:Naima 投稿日:2009年 1月26日(月)23時24分50秒
再び、浪速の婆ぁです A(^^;;
話がかみ合っていないわけではなく、私が噛み合わせようとしてなかったんですね。グチグチ言うだけで。すみません。
昔、Jackieさんと2人で児童英語教育についていろいろ語り合ったことがあったんですが、過去ログを探して来ますね。
【13374】
児童英語 投稿者:Naima 投稿日:2009年 1月27日(火)00時06分39秒
江戸の母様
過去ログから引っぱり出して来ました。
【10098】
【タイトル】小学校英語について
【 日時 】05/11/01 17:28
【 発言者 】Naima
いくこ先輩、ご無沙汰してます。
Jackie
さんのおっしゃるように、オックスフォードなどの出版社主催の英語教授法のワークショップやフォニックス研究所のワークショップでは、私もやはりオーバー
なアクションつきのレッスンに思わずひいてしまった1人です。参加者が各自テーマを決めて指導法をデモンストレーションすることもあるのですが、ちょっと
した扮装や小道具など工夫して使いながら、テレビの子供番組なさがらの演技力を発揮されている先生達がほとんどで、ひたすら子供達の気を惹き、気をそらさ
ないことに腐心されているような気がました。それにダイレクト・メソッドです。英語漬けにするって、所詮狭い教室で週1時間ですから、ほとんど先生の自己
満足に終わってします。
私も児童を教えていた頃は、沢山の小道具を作ってゲーム仕立てにして教えたりもしましたが、結局、使いでのあったのは単語のフラッシュカードだけでした。
フラッシュカードは基本文を体得させた後に、パターン・プラクティスの為に使いました。
やはり、いくこ先輩のおっしゃるように、基本は「あくまでも、素読により擬似的な言語体験を大量につみ、感覚として英語的言い回しのパターンを体得するこ
と」に尽きるだろうと思います。小学生低学年だからといって、ゲームや歌やお遊戯を交えて楽しく覚えさせようというのは安直にすぎると思います。実際のと
ころ、たいして覚えはしません。巷の児童英語教室からどれほどの英語の使い手が出たと言うのでしょう。「英語って楽しい」という気持ちを刷り込むのが関の
山ではないでしょうか。そしてこの刷り込みが弊害を引き起こすのです。いつまでたっても、「英語って楽しい」でも「あんまり身に着かない」ままで終わって
しまいます。
いくこ先輩の中学の教科書をべらべら読み、私も賛成です。素読舎流の指導法でやっつければ、中学1年生程度のうすっぺらな教科書なら半年とはかからないで
しょう。派手派手しいレッスンをしなくても、音読や素読に楽しさを見いだす子供達はいます。
フォニックスなどは、補助的に教えておく程度ならいいと思います。p,o,t と個々の音を教えたからと言って、それだけで pot
と言う単語を読める日本人の子は少ないです。結局、pot と発音して聞かせないといけないんです。磁場にある子達なら、p, o, t
と音をつなげて聞き知ったpotという単語として認識出来るんでしょうが。それにイントネーションや音の同化や脱落なども教えられませんし。素読と回転読
みの中で音作りをし、電圧装置を使うのが一番ですよね。
【13375】
スカイプ素読用データ 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月27日(火)00時15分18秒
8------------------------------------------------------
永井均, , 「ルサンチマンの哲学」(永井均・河出書房新社 1997513 第一刷)61, 20090126, 村田晴彦 ,
われわれは、今、もはや自分が誰であるかを認知できない。それは、自分が誰であるかを知らないヨーロッパが、世界に拡散したからである。ヨーロッパとし
て認知されるヨーロッパは、今なお地球上の一地方にすぎない。しかし、ヨーロッパとして認知されないヨーロッパ、見えないヨーロッパが存在し、それは今
や、{すべて}である。だから、今、ヨーロッパ以外のものは存在しない。なぜなら、すべてとしてのヨーロッパは、存在と非在を定める基準そのものとなり、
その外部、その他者は、したがってそれ自体も、もはやわれわれの眼には見えなくなったからである。
【13376】
語学論データベース 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月27日(火)00時36分2秒
11------------------------------------------------------
根石吉久「掲示板・大風呂敷」(teacup)2001.7.30
517, ,○
日本人が dual
であることが不得意だとは信じられない。しかし、英語に関しては不得意だった。それが続いてきた。続いてきたというものの、それは、戦後に強く現象してい
るだけではないのか。敗戦のトラウマが、向日性の英語好きをその上に乗せている。「なんとなく民主主義」の人たちなのか。時代は変わった? 信じられな
い。みんなトラウマの子や孫だ。
日本在住のまま英語(あるいはヨーロッパ語)の思考回路と日本語の思考回路をふたつとも維持することがどれだけの労力を必要とすることなのか、その労力
に対する敬意がこの国には欠けている。足し算も引き算も不要だ。その労力が小さなものでないことが確かなことだ。この労力の絶対量をこの国はいまだ知らな
い。
英語が達者で、日本語が駄目な亡者ならいくらでもいる。俺が言い張りたいのは、両方を持ち続ける労力のことだ。労力を費やして両方を持ち続けることは危
ない道だ。この道を歩く者がどれほどいるのか。
【13377】
語学論データベース 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月27日(火)00時40分58秒
12------------------------------------------------------
根石吉久「掲示板・大風呂敷」(teacup)2001.7.31
525, , ○
Eliot 様
>結果として各人が獲得した音が「通じるレベル」であればよいという
考え方には賛成しますが、そこに至る過程ではあくまで完璧な発音を目
標にさせるべきだと私は思います。日本の中学生には最低でも2年、も
しかしたら3年、完璧な発音を目指して練習させることが必要です。
私は「完璧な発音」という考え方が理解できません。私は「その時点でのベストの音をいつも求めよ」という考えです。「その時点でのベストの音」をたどり
続けた場合に、その道の先に「完璧な発音」があるというふうには考えられません。「完璧な発音」というものは、完璧な人間というものが存在しないと同様に
存在しないと思っています。あるいは、逆に、通じる音であれば、それで現実的には完璧な発音なのだとも思っています。その音が聞く者にとって、快であるの
か不快であるのかは、階級的感性によるものです。
例えば、ボストンで私が突然家に転がり込んで、一週間ほども世話になったフレッドという黒人は、アラバマ生まれだと言っていました。田舎に一年に一度く
らい帰るそうですが、田舎の人にお前の英語は立派な英語だと言われるそうです。ボストンの英語の影響を受けた英語を、アラバマの知人たちは立派な英語だと
受け取るらしい。田舎の人の素朴な劣等感がそう言わせるのだと思いますが、私はそれがいくら素朴であっても、考えとしてはまるで転倒していると思っていま
す。
フレッドは実に自覚的な男で、田舎の人たちは俺の英語をほめてくれるが、ボストンに帰ってくれば、俺の英語は black English
なんだと言っていました。この black English
のどこがどう白人たちの英語と違うのかは、私には知識がありませんが、例えばフレッドの音が、英語の発音の教則本が示す舌の位置と違っていたとしても、生
活言語としては完璧な音なのだと思っています。それで生活しているんですから。
歯抜け婆さんのもごもご英語も、それで生活が成り立っているのなら、生活言語としては完璧です。「完璧」なんぞどこ吹く風であって、磁場を欠く日本で
作ったきれいな英語音にない、ネイティブの語感とリズムがある。それが、どれほど語学の教則本からみて、とてつもないおかしな音であってもです。
ここでもやはり、生活言語としての「音」と語学の言語としての「音」を区別する必要がどうしてもあるように思います。生活言語としての「音」に語学の標
準(規範)を押しつけることは、必ず抑圧になると思っています。日本国家が沖縄の人やアイヌの人たちに対してやったことと通じていく問題です。日本国家は
「完璧な音」とは言いませんでしたが、「標準語」とは言ったはずであり、これは「完璧な音」と同じように、外から押しつけた規範です。
【13378】
語学論データベース 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月27日(火)00時43分49秒
13------------------------------------------------------
根石吉久「掲示板・大風呂敷」(teacup)2001.7.31
526, , ○
一方、語学では、規範を定立させる必要があり、規範はどうしても必要です。この規範として、イギリスの上流階級の音や、アメリカで優勢を占める人たちの
発する「音」が採用されるということは単に「仕方のないこと」であるにすぎないと考えています。いくら私でも、インド英語を規範にせよとか、カタカナ発音
英語を規範にせよと言い出すことはありません。アメリカ英語やイギリス英語でいいよ、と思っています。
私は、語学においては絶対に規範は必要だと考えている者ですし、規範としては、イギリス英語やアメリカ英語がよいとも思っています。その点で、個々の具
体例な発音例などになると、Eliotさんのような方から教えていただきたいことはたくさんあるのですが、語学の規範となる「音」が実に現世的な支配・被
支配の構造を反映したものであることに、語学者はきちんと自覚的であるべきだとも考えています。その規範の音は、アジア・アフリカを蹂躙した大英帝国が発
した音であり、世界の警察・アメリカ国家が発する音でもあるのですから。
規範を定立したとして、しかし、それに基づく音を「完璧な音」という目標物にすることは、ただただ語学という領域だけてかろうじて「許される」だけで
す。ひとたび「机上」を離れて、生活言語の領域に入った場合は、「通じさえすればなんでもあり」、が本来の意味で標準であり、他に標準というものはありえ
ません。快・不快はありますが、それはまるで語学の問題ではなく、人間の生まれ育ちの問題だと思います。あるいは、生まれ育ちが持っている階級性の問題だ
と思います。
私は語学の場面でも、規範を決して「目標物」にすることはありません。規範はあくまでも規範に過ぎません。アメリカ英語やイギリス英語は「あくまでも語
学的に」「あくまでも机上で」どんどん真似して媒介にすべきだと思いますが、それは「目標物」ではなく、あくまでも「媒介物」です。その媒介の主体は日本
語を主言語とする私にあります。媒介の度合いが薄ければ「通じない」音になってしまうし、媒介の度合いが強ければ「通じる音」が作れる。それだけのことだ
と思っています。
アメリカ英語やイギリス英語は、日本語の音によって形成された口の動き(英語として通じない音)を変容させていく場合の媒介物であり、出来てくる音はあ
くまでも「通じる・通じない」が判断の基準になるべきだと考えています。アメリカやイギリスの音と「同じかどうか」あるいは「どれだけ近いか」が基準にな
るべきだとはどうしても思えません。「通じる・通じない」という基準以外のものを設定すると、必ず抑圧に転じると考えています。
磁場を欠く場所で穫れる最上の音は、「鍛えこまれたにせもの」だとも思っています。TOP-
DOWN の方法を主体にする人に欠けているのはこの「にせもの」に関する思想です。この掲示板でこうじなどという人が吹聴した「ほんもの英語幻想」を私
は本当に嫌っておりますが、その理由は、彼の盲目的に欧米を上位に置くワールドワイドの階級的感性、つまり劣等感(笑)にあります。(語学の成果を得るた
めに、キリスト教に改宗するなど・・・。馬鹿か。イギリス人の女房を持って、それに屈しただけじゃねえか。理由は宗教でも語学でもなく、おまんこなんだ。
それを正直に言えたなら、俺はこうじは評価したけど・・・。すいません、またまた行儀が悪くて)
TOP-DOWN の方法は必要だが、一方でそれに BOTTOM-UP
(「回転読み」などの動態)を対置しないと、ミイラ取りがミイラになる。動態を対置しないと、日本語と英語が本当にこすれ合って出す熱が穫れない。あるい
は、日本語にはね返る活力が穫れない。私は、わけのわからない日本語を平気で書く英語好きは、TOP-DOWN
ばかりやった人じゃないかと疑っています。
「音づくり」の基本を生徒に持たせるだけで、2年も3年もかかるのだということ、その大変な仕事を見事に実践なさってこられたことには頭が下がります。
時間がかかる仕事なんだということは、私の実践においてもまったくその通りであり、私の実感とまったく重なります。その意味では、遠い地に同じ苦労を味
わっている人を知ったことをうれしく思っています。
お送りいただいたテープを聞かせていただいて、その成果に敬意をいだいていることも変わりありません。(大阪の津田さんが、テープを聞いてみたいとおっ
しゃったので先日お送りしました。津田さんには、感想をこの掲示板に書いていただくようお願いするつもりです。)
「音」に関する考えのもっとも基本的なところで、私の考えとの相違点を浮かび上がらせてみたくあえて書かせていただきましたが、お考えをお聞かせ下さ
い。
【13379】
語学論データベース 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月27日(火)00時46分40秒
13------------------------------------------------------
根石吉久「掲示板・大風呂敷」(teacup)2001.8.1
540, , ○
> >「多読」をやる前に「音読」をやるべきだと考えています。
> その第一の理由と根石先生が考えておられることはなんでしょうか?
「音」が英語のインターフェイスだからです。
【13380】
スカイプ素読用データ 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月27日(火)01時01分34秒
9------------------------------------------------------
永井均, , 「ルサンチマンの哲学」(永井均・河出書房新社 1997513 第一刷)63, 20090127, 村田晴彦 ,
ある種の犯罪者──たとえばあのM君のような──には、しばしば精神鑑定というものが為される。善悪の判断ができない者を善悪の判断の対象としないため
である。だがなぜ、善悪の判断ができない者は、端的に悪人であることはできないのか。ここには意志と理性に関するひとつの神話がある。道徳的世界解釈がく
まなく行き渡ったとき、狂人というジャンルが成立した。道徳的尺度による世界解釈の一元化とともに「狂気」という概念がはじき出された。狂人とは、道徳の
相の下に見られることのできない者{のこと}である。狂気だからはじき出されたのではなく、はじき出されたから狂気なのである。近代理性とは、その根底に
おいては、道徳的善悪にほかならない。それは、安んじて狂気を最下層に置くことができる自信と同じものである。
狂気は病気となった。だがそれは、道徳的観点からつくられた病気、つまり道徳的な病気である。だから狂人は、道徳外の者として、しかし道徳的に、最下層に
おかれたのである。それは排除であると同時にひとつの取り込み、つまり隠喩的な意味におけるある種の監禁である。そこにはおそらく「有罪性の交換」運動が
生起する。対象を有罪化する視線の側を有罪化することによる対象の無罪化。その結果としての道徳的視線の側の無罪化。これは今日われわれが日々体験してい
る現実そのものだ。
【13381】
Naimaさん 投稿者:村田 投稿日:2009年 1月27日(火)01時03分24秒
わたしがぐだぐだ書いたことは、結局"long time no see"のことでした。
【13382】
Naimaさん 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月27日(火)09時50分57秒
いえいえ、私こそ、上の空というか、論点絞り込めず、だらだら愚痴ばかりで、すみません。
過去ログ、ありがとうございます。
Naimaさんと基本的に思いは通じていると思いまスタ!
ゲームや歌仕立て、日常の挨拶から「自然に」英語 という導入方法は、こどもたちに抵抗無く英語に親しみを持たせるには成功しているかもしれませんが、同
時に母語「混乱」も与えていないか、研究成果検証の際には、調査してもらいたいです。あと、日本の文化がこの世代でとぎれないか、大げさでしょうが、心配
してしまいます。「かごめかごめ」「とおりゃんせ」の歌の意味って奥が深いんですよね。
>ひたすら子供達の気を惹き、気をそらさないことに腐心されているような気
私も英語授業中の教師陣にそんなことを感じました。常に「楽しく」「明るく」。
先生はよく息切れしないよな〜と感心していました。
確かに、特別支援(障害児童)学級では、リズミカルな音楽にあわせて踊るこどもたちは実にのびのびしてました。(日本の歌では出せない雰囲気かもしれませ
んね♪)
【13383】
江戸の母様 投稿者:Naima 投稿日:2009年 1月27日(火)17時38分47秒
お手間をとらせまスタ!
歌やゲームはなくても、忍耐して勉強した後の達成感を味わう喜びも知って欲しいですよね。
児童英語の講師をしている内に、幼児期に外国語を教えることに疑問を持つ様になりました。そして個人的には小学校に英語を導入することも大反対でした。外
国語の勉強は大人になってからで十分です。まずしっかりと母国語の根を張ってからで良いと思ってます。
【13384】
根石吉久様 投稿者:Piggy 投稿日:2009年 1月27日(火)23時22分54秒
根石吉久様
はじめて書き込みます。九州の40代の女性です(名前に迷いましたが、Piggyとでもお呼び下さい)。インドへ行っていらっしゃるようですので、お帰り
になってから書き込もうかとも思いましたが、待っている間にレッスンの枠が先に埋まってしまったら残念なので、こうして書いています。日本にお帰りになっ
て落ち着かれたら、お返事をいただけるとうれしいです。
今日、根石様のHPと掲示板をかなりの時間をかけて読みました(もちろん全てではありませんが)。そしてレッスンを是非受けたいと思いました。今、空いて
いる枠はあるでしょうか。Skypeは使ったことがありませんが、私の環境で使えるかを調べてみるつもりです。
英語に関わる、私の現在の状況をいくつかあげてみます。
1. 私には外国語(英語)で話すという感覚がどうしてもわかりません。
私にとっては学校での英語はパズルでした。しかし、パズルでは英語は話せませんでした。外国語で話すとはどういう感覚なのか、死ぬまでに知ってみたいとい
う気持ちがあります。
2. 私は現在英語を話さなければならない状況から、できるかぎり逃げています。
職場に外国人を迎える状況が年に数回はありますが、ただただ逃げています。劣等感があります。そして逃げることによってエネルギーを消耗してしまいます。
今後次第に逃げていられなくなる状況が多くなるのではないか、という不安もあります。
3. 私はDVDを英語音声で観たり、英語の本を読むのが好きです。
上記のように英語から逃げているにもかかわらず、一方では英語が好きらしいのです。2年くらい前から、DVDの英語音声をぼんやりと、時には一生懸命きい
て、いつかもっと理解できるようになりたいものだと思っていました。また昨年の春から、Oxford
Bookwormsなどのレベル別読本や、昔読んだ絵本や児童書の原書を読む楽しみにも目覚めました。
以上が私の今の状況です。
日本にお帰りになった直後はお疲れもありましょうから、急いで返事を書いてくださる必要はありません。今日、是非レッスンを受けたいと思い、思い立ったが
吉日とばかりに、今日書き込みました。お許しください。
【13385】
Piggy さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月30日(金)11時52分35秒
すぐにお返事が書けなくて申し訳ありませんでした。
28日、帰国しておりますが、まったく下痢がよくならず、今日、医者に行く予定です。
ホームページや過去ログをお読みいただけてうれしく思います。
スカイプの機能を調べているうちに、スカイプ同士でなくても、無料通話ができることが判明しましたので、今後は電話代を生徒さんに負担していただく必要
はなくなります。私がスカイプでお宅の電話を呼び出すことによって、いろいろな準備をしていただかなくても、レッスンは開始できます。スカイプには、独特
の利点がいくつかありますが、通話品質は通信環境やコンピュータのCPUに依存しているようですので、スカイプの導入は少しずつ実験していただくのがいい
と思います。
そちらの電話番号を教えていただく必要がありますので、
9031oiurekjfdsm@infoseek.jp
宛て、お知らせ下さい。電話番号がわかったら、こちらからスカイプでそちらの電話を呼び出すことで、お話させていただこうと思っています。
金曜、8時40分からの枠が空いていますが、以前レッスンを受けられて、中断されていた方から復帰したいという連絡をいただいています。こちらには、ま
だ帰国後連絡しておりません。
空き枠は現在一つですが、長くレッスンを使って下さっている生徒さん二人で一枠を使っていただくように調整すれば、空き枠を作ることができます。
レッスンは一枠12000円でやらせていただいています。
私は今後、二人で一枠を使うことをレッスンの標準形にしていこうと考えております。ひとまずは一人で一枠を使って始めていただき、数ヶ月後、こちらで判
断し合流できる方と合流していただく予定です。
レッスンを初めて使われる方に、合流の相手をみつけるのが難しいです。数年使われている方同士だと、比較的簡単に合流が可能になります。ひとまずは、金
曜8時40分からの枠を一人で使用していただけると有り難く存じます。あるいは、どなたかお知り合いの方を誘っていただき、最初から二人で一枠を使ってい
ただけると非常にうまくいきます。
復帰される方の枠をどう作ろうかと思案中です。
Piggy さんにとって、金曜8時40分からという枠が都合がいいといいのですが、ひとまず、前記のメールアドレスに電話番号をお知らせ下さい。
【13391】
村田さん、Naimaさん、江戸の母さん 投稿者:ももこ 投稿日:2009年 1月31日(土)08時10分34秒
夫、長女、次女が揃って熱をだし、寝不足で頭が働かないままこちらにも書き込めずにいました。
ログを拝見して、磁場のないところでの外国語の勉強にはなから「ほんもの」など見当たらないというコメントを拝見して、スッキリしました。「そっか!ない
のか!」と^^。私にとってはどこまで行っても英語は外国語なので、借り物でも偽者でもやりくりして必要なコミュニケーションがとれればいいなと思いま
す。でも道のりは長そうです・・・。
小学校での英語はどうなるか分かりませんが、音読や文法など教えてほしいなと思いますが、どうなることか・・・。私自身は中学でまっさらな状態でabcか
ら教わりました。既に英語を教わっている友人もいましたが「カリキュラムはみんな一緒にココからスタートなんだからシッカリついていけば落ちこぼれるとい
うことはないだろう」という低い目標設定のお蔭で英語嫌いにはならずにすんだばかりか、好きな科目の一つになりました。
また、中学時代の英語の先生がとってもよい方で、
ノートチェックと音読テストを新しいレッスンに入るごとにしてくださり
this と Thursday と birdを例に出してカタカナで読み仮名はつけられないからつけないほうがいいと最初の頃に教えてくださりました。
また2年のときにスピーチコンテストの暗唱部門に出させていただくことになり(たしか出たいといえば誰でも出れるようなコンテストだったはずです)、教科
書のハーメルンの笛吹きの読み物を暗唱したのですが、そのときは音のつながりとかリズムとかイントネーションとか丁寧に教えていただきました。そのときの
名残か今でも読めない単語は覚えられませんし、読めない文章をムリに読もうとすると息継ぎができなくなります。
とってもいい先生だったのに3年のときに違う学校へ行かれてしまい、代わりに来られた帰国子女の先生は、音読テストもノートチェックもせずに、市販品
(?)のリスニングテストのドリルをして、みんなでテキストを読んで訳して文法解説ということばかりだったように覚えています。そのあたりからボロボロ英
語が出来なくなっていったんだと思います。いきなり出来なくなったわけではないので、当時は気づきませんでしたが・・・。
だから出来ればせめて音だけはシッカリみてくださるといいなぁと願っていますが、子供の通っている小学校の現状を見る限りではあまり学校に期待してはいけ
ないなと思っているところもあり、学校で英語の授業が始まる前には根石さんに子供たちのレッスンをお願いしたいなぁと思っています。
【13393】
磁場 投稿者:江戸の母 投稿日:2009年 1月31日(土)17時28分49秒
ももこさん ご家族、大丈夫ですか?うちも、インフルエンザ到来で、下の子が寝てます。私も、そろりそろりと悪寒が走り、月曜日のレッスンは大丈夫かなと
心配しています。
が、根石さんこそ、大丈夫でしょうか?
ももこさんが書かれていた「磁場」について、私もひっかかって、過去ログを拝見していました。前に柄谷のやり取りがあった時も「磁場」という言葉が出てま
したよね。
「磁場がない」というのは、民主党が「Yes、We Can」と言うとき、空々しく感じるというようなことでしょか?話がそれたらすみません。(特定の政
党を支持する者ではないのですが)
319によると
>磁場というのは「生活言語が使われる場」
ですね。
ももこさんの英語体験を読ませていただいて、つくづく英語教師の教え方で、差が出るものだな〜と思いました。小学校での英語教育(楽しく、自然に、子ども
に負担がないようにという理念)が、どんな作用をもたらすのか、まだわかりませんが、音づくりと文法が大切なことはだんだんわかってきました。
茂木弘道氏の「小学校に英語は必要ない」を入手しました。2001年の著作と見て、びっくり!
【13394】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月31日(土)19時12分55秒
ご心配をおかけして申し訳ありません。
昨日、一時間ほど点滴(多分栄養剤)を受けている間に、血液検査の結果、炎症を起こしていることが判明し、点滴の液の中に看護婦さんが抗生剤を加えてく
れました。日本の抗生剤とインドの菌が私の身体の中で闘っているところだと思いますが、今のところインドの菌が優勢で、何を食べても一切を下痢していま
す。
最初に抗生剤を身体が受け入れてから、24時間以上経つのですが、抗生剤が勝っているという感じがありません。
ただ、腹がぐるぐると音をたてるのは減ってきているし、腹が痛くなることも減ってきているので、インドの菌は弱りつつあるのかもしれません。今日は、少
し空腹感が生じましたので、抗生剤の援軍によって、身体が立ち直ろうとしているのかもしれません。
小便が出ないのにはまいりました。水分が全部下痢に奪われ、みんな尻から出てしまうのです。インドから帰ってきて、まだ前から小便したのは一回きりだと
思います。歩けばふらつくほど衰弱して帰ってきたので、前は全然何の役にも立ちません。前がこれほど無用の長物になったのは初めてのことで、少しショック
を受けています。
【13395】
ほんもの・にせもの 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月31日(土)19時25分42秒
ネイティヴな言語と語学によって習得される言語に、それぞれ「ほんもの」「にせもの」という語を与えることは「ひとまず」それでいいとして、「磁場帰
り」のペラペラ英語というものを目の前にしたとき、「語学として」どっちが「ほんもの」でどっちが「にせもの」なのかという観点がどこからも提示されない
のが淋しいことでした。
「ほんものがなんぼのもんか」程度の言い方では、何も斬れない。
それじゃ、「磁場帰り」のぺらぺらを、「ほんもの」としてしまう。あれこそが「にせもの」なのだという観点が消えてしまう。あれは「ほんもの」なんか
じゃなく、ただのぺらぺらにすぎないのに。
【13396】
語学として 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月31日(土)19時36分29秒
語学として、何が「ほんもの」であり、何が「にせもの」であるかという観点から見ないかぎり、文部科学省が導入しようとしている小学校英語が「にせも
の」であることも見えては来ないと思います。
ああいう「にせもの」が導入されようとしているから、素読を原理とした方法が必要になるのです。これは、中学から英語が科目になっていたこれまでの時間
の中でもまったく同じことでした。
中学から英語が科目になっていた場合でも、語学の大元になる「音」の扱いがまったくでたらめであったために、学校英語は「にせもの」だったのです。それ
に一切手をつけずに、何の解決もしないまま、今度は小学生に別種の「にせもの」が押しつけられようとしている。
これまで、中学生以上の人たちに素読舎が必要であったと同じように、小学生にまで素読舎が必要になったというだけのことだと考えています。
【13398】
メール転載 投稿者:根石吉久 投稿日:2009年 1月31日(土)22時20分20秒
一枠二人の使い方は私からも積極的にお薦めしているのですが、一枠三人は一人あたりの口の動きの量を考えて、あまりおすすめできないと思ってきました。
やってできないことはないのですが、その場合は、私と子供達だけでやらせてもらうことになると思います。とにかく子供たちにいっぱい口を動かさせたいので
す。一枠三人は、無理ではないですが、一枠二人の使い方の方がいいとは言えます。
スカイプを使って一人一枠で使っている他の生徒さん(奈良県・女の子・小学3年)がいます。私は、将来的にはこの生徒との合流がいいなと考えていまし
た。まあ、しかし、生徒と生徒の相性もありますから、難しいところです。
奈良県の子と合流してもらうのでも、東京の二人に合流してもらうのでも、空き枠ができてしまうのがつらいところです。私のレッスンは、収入的には枠が埋
まっていてようやく継続できる程度のことでやっていますので、空き枠があると非常につらいのです。
これまでも、電話等でレッスンを使ってくださっている生徒さんに、新しい生徒さんを紹介していただくことをお願いしてきました。私の方でも、スカイプな
ど利用して一枠二人で使えるようにし、一人あたりのレッスン代を半額にするような努力もしてきましたが、なかなか空き枠を気にして下さる方は現れませんで
した。生徒さんの方に、空き枠を埋めるような動きがあれば、私の方でも数年使っている方同士で合流してもらい、積極的に空き枠を作る動きがとれるのです
が、今はそれができません。
私のレッスンを実際に使ってみていただき、それが的はずれなものでないことを掲示板などに書いていただくことが一番ありがたいことです。もっともぜいた
くな使い方として一人一枠がありますが、これが一番効果があります。一番効果があるので、一番伸ばせると思っています。
それでも、I
君が東京の人たちとの合流がいいと言う場合は、合流して三人一枠でやってみるのがいいでしょう。その場合、小学五年くらいになったら、また二人一枠にした
いと考えています。生徒一人あたりが実際に口を動かす量を確保するためには、二人一枠くらいがやはり適していますので。
ここに書きましたことは、他の生徒さんにもわかっておいていただきたいことなので、掲示板「大風呂敷」の方に転載させていただきたくお願い致します。
【13401】
大人になってからで十分 投稿者:らくだ 投稿日: 2009年 2月 1日(日)09時38分34秒
Naimaさんの
>外国語の勉強は大人になってからで十分です。
というコメントが頭に残っています。
「学校英語菌」にしてやられないようにすることを考え、実行するという視点がどうしても必要になるわけですが、一方で、「どうぞ、お好きにカリキュラムを
組み立ててくださいな」と文科省が放り出してくれたと想定した時に、どう考えるのが妥当なのか、という視点も持っておく必要があると思っています。
今は、前者の視点がどうしても避けられない現実を前にして、後者の視点を深く考えないで済んでいる、ということが言えるような気もしています。
【13403】
根石さん 投稿者:村田 投稿日: 2009年 2月 1日(日)16時28分25秒
>「ほんもの がなんぼのもんか」程度の言い方では、何も斬れない。
> それじゃ、「磁場帰り」のぺらぺらを、「ほんもの」としてしまう。あれこそが「にせもの」なのだという観点が消えてしまう。
「語学としてどちらが『ほんもの』か『にせもの』か」
これを言っているかいないかで全然違ってくるのですね。
「ほんものの英語」について語る先に、いつも「語学」が見えているかどうか。
自分の英語が「磁場帰り」のぺらぺら英語とはまったくの別物であることを言えてるかどうか。
覚えておきます。
【13404】
メール転載 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 1日(日)18時20分39秒
私がスカイプを使って普通の電話二台につなげれば、3人で「会議電話」ができることがわかり、現在、一枠二人を標準形のレッスンにしようとしています。
(生徒さん二人がスカイプ同士でも、スカイプと電話が混在していてもやれます。)長年レッスンを使って下さっている生徒さん二人に合流していただき、空き
枠を作り、Tさんにその空き枠へ入っていただこうと考えています。
ご希望の時間より少し遅く終了しますが、土曜日夜、10時20分(あるいは10時10分)開始の時間帯はどうでしょうか。これでやっていただけば、長く
レッスンを使って下さっている生徒さん二人が合流可能になります。土曜夜の10時過ぎての枠は、通常10分のところ20分の休みを設けてありますので、こ
れまで10時20分からやっていたものを、10時10分に変えることは可能です。終了が10時40分になりますので、ご希望の時間帯より10分ほどはみだ
すことになりますが、これでやらせていただけるとありがたく存じます。
ひとまずご都合をお聞かせ下さい。
現時点でのレッスン枠の状況を他の生徒さんにも知っておいていただきたく、このメールの枠関連の部分だけ、「大風呂敷」に転載させていただくことをご了
承下さい。
【13405】
音が壊れる? 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月 1日(日)22時49分53秒
「英語どんでん返しのやっつけ方」(小学館文庫)根石さん+村田さん 2000年発行 を引っ張り出してきて読んでいます。
この中で
>しゃべれないよりはしゃべれるほうがいいが、やたらペラペラやる必要などまるでありません。自分の英語を作り、自分の英語をしゃべればいいのです。〜
>通じない音では困る。しかし、通じさえすればいいのです。基本は「通じること」というものが一つあるだけです。〜
「音」がインターフェイスって、どこかで読んだのですが(検索できませんでした!スミマセン)
それにつながるかな〜と思いました。
あと、この著作のP81に(要約させてもらいます。)
「アメリカ英語、イギリス英語は日本人が媒介にすべきものだが、媒介にとどめるべき、それらの音を自分の筋肉に一元化してしまえば、日本語の音が壊れま
す。」という一文があって、日本語の音が壊れるって、イメージがわかないのですが、どういうことなのでしょう?
語学のことを考えていたら、なんとなく明治時代の「言文一致」が思い起こされて、日本文学史で確認しちゃいました。二葉亭四迷「浮雲」が明治20年
(1887年) 高校で珍しく日本文学史を教えてくれた先生が「言文一致ってとにかくすごいことだったのよ〜」と言っていたのが印象的なんですが、書き言
葉と話し言葉のズレが正されたということかな?私に、イマイチ大変だった時代が想像できません。120年程前って、結構あっという間なような気もします。
その当時の方の感想とか、聞いてみたいです。と、またまた脱線スイマセン
【13406】
江戸の母さん 投稿者:村田 投稿日: 2009年 2月 2日(月)02時33分50秒
ひとまず、音とイン ターフェイスについて、過去ログから引用。
過去ログ1601より
=========================
語学とは、まったく語学の中にいて、純粋に語学をやること(机上の練習)でもありますが、「渡る」行為によって、語学の言語を脱皮させ、「生活言語にす
る」ところまで含めていいのではないか。
生活過程で生活言語を使うことは、語学ではなく生活です。ここを私は峻別しますが、生活言語として生きたものを、再び「机上」に持ち帰り、再度、語学の
言語に化かして鍛えるならば、語学には、語学の言語と生活言語を往復することの全体まで含めてしまっていいのではないか。往復行為自体も語学ではないか。
そう考えています。
この「往復」を可能にする音(イメージが同致して動く音)をさして、私は「通じる音」と言っています。実際、「通じる」とはそういうことではないでしょ
うか。化けて生活言語に「なる」ことのできる英語が、「通じる音」であるならば、「音とイメージの同致」は必須条件ですから、「通じる音」という概念に
「音とイメージの同致」も含めてしまっています。
語学から「出る」とか、語学から生活言語に「渡る」とか、語学を「脱皮」して生活言語にするとか、あるいは、生活言語から語学の言語に「帰る」とか、語
学の言語と生活言語の間を「往復・往来する」行為全体をも語学の行為と呼ぶならば、そして、その行為総体の内側で考えるなら、あらゆる語学の練習とそれに
よって動く意識の動きのすべてが、「音(声)」として顕在化します。
すべての理解、センス、イメージの動きは、音に集約されて外在化されるので、音(声)こそが、語学という行為から生活言語に血を通わせるときのへその緒
みたいなものであり、同時に、もっとも主要なインターフェイスだと思います。「音(声)」とは、理解・情動・イメージなどが瞬時に集約されるほどの集約点
なので、語学の内側から「話す」という行為を見るならば、そこにあるのは私が言う意味での「通じる音」なのです。「通じる音」という質が成立しているなら
ば、語学の外からそれを眺めてもやはり「通じる音」だと言えないことはないと思います。しかし、練習者の立場を離れて、それを呼ぶならば、「通じる英語」
でもいいと思います。私はあくまでも練習者の立場からものを言い続けたいと考えているだけです。
===========================
【13407】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 2日(月)13時58分30秒
村田君が過去ログ
から引用してくれましたが、あまり適当なものではないような気がしました。もっとわかりやすい「インターフェース」の説明があったかどうかわかりませんの
で、ここに書いてみたいと思います。
言語使用者がその言語の当事者となる生活言語では、黙ってふくれっつらをする、にこにこ笑って首を縦に振るなど、音や文字を使用しないで不満とか賛意を
表すこともあるのですが、語学の対象としての言語を考えれば、「インターフェース」は音と文字の二つであろうと思います。だから、語学において「インター
フェース」を鍛えるとすれば、この二つを情報(思考・感情・意志)の出入り口として機能するように鍛えればいいことになります。
音と文字のうち、特に日本人が気をつけなければならないものが音です。学校まかせにしておけば、多くの日本人がでたらめな音を持ってしまうのが現状で
す。
鍛えることの内実としては、まともな音と語学的標準形のイントネーションで、「すらすら読める」ようにするということになります。しかし、これは「音を
めぐる問題」の半分を扱っているだけです。「イメージと音を合体させる」という問題が残ります。「イメージと音を合体させる」ということがなされなけれ
ば、「仏造って魂入れず」になります。「仏造って」の仏は、仏像の意味だと思います。
仏造って、魂も入ったとします。そのとき、仏がでたらめな形をしていたら、仏として通用しないわけです。日本人の英語の問題では、仏の形(音)が人々が
仏だとして受け取る形をしていないという問題です。ミジンコやゾウリムシのような形だというような突飛なことではないにしても、仏像には頭があるべきなの
に頭がなく、手や胴体しかないというようなことではないでしょうか。だけど、学校、塾、英会話学校、幼児英会話、ネイティヴの個人教授にいたるまで、「日
本語の音をすでに持っている練習者」を前提にするのでなければ、「頭部のない仏像」(通じない英語音)を作ってしまいます。結果的にそうなりますが、実際
は、これらの語学機関は日本人が「自然に」作り出す音をただ単に放置しているだけです。
この「放置」が問題なのだと言い続けてきたのです。
仏造って、魂も入った段階のことを言っているのですから、仏像はすでにあるのです。しかし、それに頭部がなかったら、誰も仏だなんて思わない。そんなふ
うに形(=音)を放置するのは、魂というものをあまりに粗末にすることになる。いいかげんにしろ。頭部のないような仏像をこれでいいとは言えない。それは
生徒たちの練習(魂)をも馬鹿にしていることになるのだ。私はそう言ってきたのだと思います。
「形=インターフェース」ということなのですが、余計わかりにくいでしょうか。
interface
の英単語の語義としては、「異質な2つの組織などの接点・境界面」というようなことですが、そこを広い意味での情報が出入りするわけです。逆に言うと、そ
こを通らないと情報が出入りできないわけです。ふくれっつらがふくれっつらのままで情報として通用しない場面です。「同質な一つの組織」で通用するものが
通用しない場面です。なぜなら、接触しているのが「異質な」2つの組織だからです。この場合は、「2つの組織」を「2人の人」として読んでも問題はないと
思います。
語学とは、音(文字)にイメージを合体させ、情報の出入り口として機能するようにするという作業だと思います。このときに、イメージが合体されなけれ
ば、「魂入れず」になってしまうし、「音づくり」がなされないなら、「頭の欠けた仏像」になってしまうということです。
頭の欠けた仏像からは、仏としての魂が出ることができない。それが、人々はそれを仏としては受け取らないということです。「形=インターフェース」が壊
れているというか、なっちゃいないというか、でたらめというか、そういうものだからです。音に関する日本人向けの方法論を持たない学校や塾や幼児英会話教
室などにまかせておけば、日本人の英語音の多くが、「自然に」でたらめな音になってしまうという問題は、ほとんど手つかずのまま残っていると考えていま
す。
【13408】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 2日(月)14時56分42秒
>「アメリカ英語、イギリス英語は日本人が媒介にすべきものだが、媒介にとどめるべき、それらの音を自分の筋肉に一元化してしまえば、日本語の音が壊れま
す。」という一文があって、日本語の音が壊れるって、イメージがわかないのですが、どういうことなのでしょう?
これは、私は実物を見ており、それを念頭に置いて書いたものです。
大学の英語音声学の日本人の教授が、日本語で講義していたのですが、日本語の音として変なのです。長いこと、ミシガン大学だったかで英語音声学の勉強を
して学位をとり、日本に帰り、大学で教えていた人だったと思います。
端的に言って、日本語の音が壊れていたのです。その元にあるのが、英語音への一元化です。自分の言語音を英語音へ一元化してしまうような人が「音声学」
なんか教えていていいんだろうかと思ったことを覚えています。
すでに日本語音を持っている学生が、英語音声を身につけるときは、音の二元化になるはずなのに、この先生は自分の音を英語音に一元化してしまっている。
これ、駄目なんじゃないかと思いました。
その教授の日本語のどの音がどうだったかというふうには覚えていません。簡単に言ってしまえば、日本語の音を英語の音で代置していたということだったと
思います。
【13408】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 2日(月)14時56分42秒
>「アメリカ英語、イギリス英語は日本人が媒介にすべきものだが、媒介にとどめるべき、それらの音を自分の筋肉に一元化してしまえば、日本語の音が壊れま
す。」という一文があって、日本語の音が壊れるって、イメージがわかないのですが、どういうことなのでしょう?
これは、私は実物を見ており、それを念頭に置いて書いたものです。
大学の英語音声学の日本人の教授が、日本語で講義していたのですが、日本語の音として変なのです。長いこと、ミシガン大学だったかで英語音声学の勉強を
して学位をとり、日本に帰り、大学で教えていた人だったと思います。
端的に言って、日本語の音が壊れていたのです。その元にあるのが、英語音への一元化です。自分の言語音を英語音へ一元化してしまうような人が「音声学」
なんか教えていていいんだろうかと思ったことを覚えています。
すでに日本語音を持っている学生が、英語音声を身につけるときは、音の二元化になるはずなのに、この先生は自分の音を英語音に一元化してしまっている。
これ、駄目なんじゃないかと思いました。
その教授の日本語のどの音がどうだったかというふうには覚えていません。簡単に言ってしまえば、日本語の音を英語の音で代置していたということだったと
思います。
【13409】
根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月 2日(月)15時53分30秒
インターフェイス、 日本語が壊れるの点について、ありがとうございます。
日本語が壊れるについては、英語にしかない発音を日常の日本語で使って訓練したらどうか?と大雑把母さんとしては考えていたのですが、それこそ「日本語を
壊す」ことになりますよね。まったくそんな私が何が日本の伝統文化を語れる?がさつで、ずぼらでたまに自分がイヤになります。(>_<)
「音の二元化」これもわかりやすいです。
言葉とイメージ、どんでんを読み返しながら、このつながりについても考えさせられています。掲示板では「リニア」について、説明もらったことで、イメージ
と共にしっくりと入ってきましたからね。
仏像については、後ほど、熟読します。
【13410】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 2日(月)16時39分8秒
>Naimaさんの
>>外国語の勉強は大人になってからで十分です。
というコメントが頭に残っています。
私もこれに大いにひっかかります。「大人になってから」というときの「大人」というのが何歳くらいを想定しているのかがまるでわかりません。
仮に「大人になってから」っていうのが、二十歳になってからだと想定してみます。その人が二十三歳くらいから英語を使いたいと思っていた場合(おかしな
想定ではないと思います)、「大人になってからで十分」と言うからには、三年で外国語を使えるようにする筋道を明らかにしてからでなければ、「十分」だと
は言えないはずです。それも、自分一人ができただけでなく、他の人がやってみることができるような形を提示した後でなければ言えないはずです。
Naima
さんは、以前この掲示板に自分が中学や高校の頃はこんなふうに英語をやっていたという記事を書かれていました。自分で中学や高校の頃に英語をやっていた人
が、今になって「大人になってからで十分」というのは、いったいどうしたことなのか。
語学というのは準備です。Naima さんは、大人になってから準備すれば十分だと言ったことになります。
先ほどは二十三歳で使いたいという人を想定しましたが、二十歳で使いたい人を想定した場合はどうなるのでしょうか。二十歳で使いたい人が二十歳で勉強を
始めればいいということになってしまいます。無理です。語学を本気でやった人が、こんなことを言い出すのですから、語学というものはどこまでも馬鹿にしや
すいものなんだなと改めて思ったことでした。Naima
さんはこんなことを言うことで、ご自分がやられてきた語学を馬鹿にしてしまったなという思いを避けられません。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なのかなあ、
と。
>「学校英語菌」にしてやられないようにすることを考え、実行するという視点がどうしても必要になるわけですが、一方で、「どうぞ、お好きにカリキュラム
を組み立ててくださいな」と文科省が放り出してくれたと想定した時に、どう考えるのが妥当なのか、という視点も持っておく必要があると思っています。
一般論として言うなら、小学生から英語をやらせなければならないという理由はありません。特に、英会話学校系のやり方(といっても、英語ネイティヴを売
り物にするだけ)や、ゲームやお遊戯に混ぜ込んだ「英語ごっこ」など、どうでもいいしろものです。
音をないがしろにしてきたこれまでの「中学から」の英語も、「にせもの」ですが、これがなぜ「にせもの」になったのかの根本の原因には何ひとつ手をつけ
ず、小学生に「英語ごっこ」をやらせるのであれば、「学校英語菌」ははびこるばかりです。「にせもの」がはびこるばかりです。
「学校英語菌」とはよくぞ言っていただいたと思います。この菌がなければ、素読を元にした抗生剤も早急には必要ないわけです。(かといって、素読舎は学
校制度の補完物に成り下がるつもりもまったくありません。学校の科目から英語がまったく姿を消したって、英語をやりたい人に素読舎は有効だと考えていま
す。)
「どうぞ、お好きにカリキュラムを組み立ててくださいな」は、実際問題としてそうなっていくと思います。何のまともな方策もないまま、ただ早く始めた方
がいいというだけの考えしか、文部科学省にはないと思います。「にせもの菌」がはびこる面積が広がるだけでしょう。
私は自分の孫を実験台に五歳から英語をやらせ始めました。五歳から英語をやらせたいというお母さんが来られたので、孫も巻き込んで始めています。
あらゆる幼児英語教室は駄目だ、やらせるんならこのやり方しかあるまいと考えたものをやらせています。「早く始めた方がいい」っていうんなら、素読舎が
早く始めた場合にどうなるか実験しています。
うちの孫はこれまで字を覚える気がなく、他の子より遅れています。私が読んだ音を真似して、字に音をかぶせるという作業を続けているだけですが、それだ
けでも孫には我慢が生じて、そわそわと落ち着きがなくなります。この子はあんまり字や言葉には向いていないんじゃないかなと思いながら始めましたが、私が
インドに行っている間に急にいっぱい字を覚え始めたらしく、帰ってきて驚きました。
英語をやらせているというものの、実際は半分以上が日本語の素読です。現在小学3年生くらいの生徒さんがスカイプや電話でレッスンを受けてくれています
が、その人たちも、実際は半分くらいが日本語の素読になっています。小学生でも語法や文法を扱うので、自然にそういうことになっています。英語という言語
の「磁場」を欠いた場所でやるのだから、当然なことだと思っていますが、観念的に英語をとらえ、「ほんもの」なんぞを信仰している世の中の多くの人々に理
解できないことであるのは、以前と何の変わりもありません。
学校英語が「にせもの」だと言うことにためらいはありませんし、ネイティヴ言語が「ほんもの」だと言うことにも異存はありませんが、素読舎が作ろうとし
ている英語力の基底はこの「ほんもの・にせもの」のどちらにも属さないと思っています。
それは「元になるもの」というだけのものだと考えています。
ネイティヴ言語だけが「ほんもの」であり、それ以外はすべて「にせもの」だという区分けをした場合は、素読舎の英語も「にせもの」になるでしょう。それ
は、語学の対象となった言語は、ネイティヴ言語から見れば「にせもの」であるというにすぎません。それはしごく当然のことです。それは語学というものを改
めて明らかにしたというだけのことです。
その場合は、この「にせもの」は化けて出るぜ、というだけのことです。化けて、「ほんもの」に交わるものになるぜと言いたいと思っています。
私事にわたりますが、雑貨屋の商品にするために、私はインドで布を仕入れてきました。一般の店ではなく、サンガネール染めの工場が持つビジネス用の店に
踏み込んで買ってきました。煮ても焼いても食えないようなインドの商売人を相手に、一応取引をやってきたのですから、私の英語も化けて「ほんもの(のイン
ド英語)」に交わってきたとは言えると思っています。
「学校菌」にやられた英語は、「化けて出る」ということができないのです。それができないので、これまで別種の「英会話菌」がはびこっていたわけです
が、これも発酵菌ではなく腐敗菌でした。「小学英語菌」はこの「英会話菌」と類似の菌です。
>日本人が「自然に」作り出す音
この危機感は、肌から伝わってきます。こどもたちに発音の訂正をするとき、一人ひとりの音を聞いてまではやってませんもの。
とりいそぎ
今日の連絡ですが、6時10分〜ですが、私が家につくのがちょうど10分ぎりぎりになってしまいます。それからPC立ち上げてとなると、15分には、つな
がると思うのですが、5分程遅れてしまいそうなことをご了承お願いいたします。
【13411】
大人になってからの語学 投稿者:Naima 投稿日: 2009年 2月 2日(月)19時55分33秒
根石さん、らくださん
語学論の場で、「大人」と言う言葉の定義について深く考えもせず書いたことなので、いろいろ突っ込み所を残してしまいました。
確かに私たちは中学・高校で英語の基礎を習っているわけで、私の「大人」になってから「喉元過ぎれば」的発言ですね。「大人になってからでも十分」と書け
ば、まだ良かったのかもしれません。いや、これも根拠がないですね。
かつてこの大風呂敷で浜谷さんと、初級者の定義について議論した時のことを思い出しました。
これを書いた時に私の頭の中にあったのは、幼児英語や小学校英語のことでした。私の周囲には40歳を過ぎてから英語を再びやり直し、通訳ガイドや会議通訳
者として働いている人達がゴロゴロいるので、何も幼児期から英語をやらなくても、と簡単に言い放ってしまったんですが、確かに私達は中学・高校の頃の勉強
がありますね。
>Naima さんはこんなことを言うことで、ご自分がやられてきた語学を馬鹿にしてしまったなという思いを避けられません。
これはそうかも知れません。すみません。私はいったい何をしゃかりきにやって来たんだと、自嘲気味に思うこともあります。生徒のお手本にならねばとか、英
語圏で勉強したことがなくてもここまで行けるぞとか、意地で勉強していたことも確かです。かと言って苦しいばかりだったかというと、これが結構楽しい作業
でもありました。「どっちやねん」と言われそうですが。
ただ英語の勉強をあれだけやって来て、今の私には実際に使う場がないんです。まったくと言っていいほど。英語なんぞすっぱり辞めたといいながら、睡眠不足
でぶっ倒れそうな毎日の勉強の成果を残したいというような気持ちも心の片隅にあり、通訳案内業でもやって老後ほそぼそと働いてみるか、と思ったり。
話が飛んでしまいました。
ともあれ、「大人」の定義についてあいまいなままの放言でした。ご容赦下さい。
【13412】
Naimaさん 投稿者:らくだ 投稿日: 2009年 2月 2日(月)20時05分14秒
>Naima
さんはこんなことを言うことで、ご自分がやられてきた語学を馬鹿にしてしまったなという思いを避けられません。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なのかなあ、
と。
私の書き込みでNaimaさんに根石節炸裂させてしまったようで、すみません。私のトーンとしては、Naimaさんは語学に深く真摯に取り組まれただけ
あって、さすがに重要な論点をお忘れにならないのだな、という敬意を込めて書きました。
そもそも英語を「準備」として中学生から始めるのが良い、と考えてきたことが、今後も合理的であり続けるのかな..という問いを持ち続けることは意義があ
る、それを考えなくなったら、単なる制度の僕に成り下がってしまうのではないのか、という気持ちがあるわけです。
この掲示板でも論じられた気がしますが(それとも、「どんでん」だったか)、言語学者の鈴木孝夫さんは英語を全国民の必修にする必要はないという、英語帝
国主義批判とエリーティズムがないまぜになったような論を展開されていらしたかと思いますが、「カリキュラムはご勝手に」となった時に、どうするかと考え
た場合どうでしょう。「準備は早ければ早いほど良い」と考えるか、恣意的にどこかにスタートラインを設けるか、ということになるわけで。
と、そんなことを考えての発言でした。
【13413】
4回目 レッスンの感想 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月 2日(月)22時35分43秒
今日で4回目のレッスン。根石さんありがとうございました。
児童の人数に応じて、子どもがしゃべれる時間が増えますが、子どもは根石さんの発音を1回しか聞けないで「さあ、行け!まねるんだ!」という状態になるの
で、発音しだすのに躊躇することがあるかなと感じました。お手本になる方がいると、2回聞けることになりますよね。まあ、これは傍らの親が感じた感想です
が。
子どもたちが、楽しそうにしかも真剣に音と格闘しているのが、なんともいえません。
語学を習得する現場に立ち会える痛さというか、怖さというか、快感というか、言葉にならないものを感じます。(struggleという単語は私の中でイ
メージがなんとなく定着してる単語なのですが、これに近いかも)声を出さずに応援してます。
茂木弘道氏の本にマラソン選手が人の二倍もの練習をして、苦しみを楽しみに変えたという話を引用し、英語を学ぶ時の絶対条件としての「楽しい英語」を否定
しているところが面白いです。私も、今の小学校での楽しみながら学ぶ方法で、英語が習得できるとは、思えないです。
英語取得も「楽で簡単」の楽しいじゃなくて、「身についていく変化」が楽しいの、楽しいはありますよね。子供たちも、素読を楽しみにしているようです。
ただ、息子いわく「最初のほうがもっとほめてもらったのにな」・・・オイオイ、それは声が出せたことをほめてるというレベルじゃないか?
Naimaさん
40歳の手習い〜是非是非私に英語を教えてください!ナンテ〜〜
根石さん、4回の体験が終わりましたので、正式にお願いしたいと思います。
個別メッセージを送ります。
【13414】
電圧装置についての質問 投稿者:らくだ 投稿日: 2009年 2月 3日(火)21時05分40秒
素読(音読)の練習 をする際の、日本語の介在のさせ方について質問させてください。
電圧装置の使い方をネタに質問してみます。質問の趣旨を煎じ詰めてひと言にするなら「日→英の変換テストは必要(有効)ですか?」ということになります。
電圧装置の標準形は、左に日本語(単語や短文など)、右に英語。日本語を見て瞬時に英語が言えればクリア。こういことだと思います。つまり、習得の度合い
を日→英の変換テストによって測るということになります。テストへの過程としての練習は、右の英語を「言いながら、イメージながら、書く」などを主とする
わけで、その練習中には日本語が介在することはないと思います。習熟度を測る段階で、日→英変換が必要となり、ここで日本語が介在してくることになりま
す。ここに日本語を介在させる意義はあるのでしょうか?言い換えれば、習熟度の確認のためであれ、日→英変換を廃し、最初に日本語訳でイメージを作った
ら、ただひたすら英語を回転読みし、ある一定の基準を設けてそれをクリアすればその教材は終了、ということでも良いと考えられますでしょうか?条件という
のはたとえば、
●(自分の実力相応と思われる)1冊の例文集に対して、5回転×20回=100回転させたら終わり、という風に回数を決める。回数を決めないとキリが無い
ので、習熟の度合いが怪しいものが残っても、回数の基準が満たされれば別の教材へ。
とか、
●回数の決めごとを設けつつ、それをクリアしても自分が納得できる滑らかさが得られないものについては別の紙に書き写して次の教材へ。
など、電話装置でクリアの基準とされている「日→英変換を瞬時にできること」とは別の決めごと、ということです。その意味は、練習において日本語の介在を
できるだけ廃するということです。日本語は、あくまで、最初に英文のイメージを自分なりに作るために使い、後は、作ったイメージと英語との往復だけを練習
の素材とする。
もしも、それが良いということであれば、電圧装置の考え方に修正が必要になるのではないかと感じたのですが、いかがでしょうか。
【13415】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 4日(水)02時07分10秒
ようやく「電圧装置」についての本格的な質問を出していただき、ありがたく思っています。
最初にホームページを作り、次に掲示板を作り、何度か掲示板を引っ越してきた間、私はただ「音」の問題(『どんでん・・』に即せば「回転読み」関連)ば
かりを書いてきたような気がします。日本の英語状況を見れば、「音」の問題が片づいたとはとうてい思えませんが、「音」に関しては、かなりのことがこの掲
示板の過去ログに書かれたように思います。現実は、相変わらず「音」を問題にし続けなければならない状況ですが、私としてはもうそろそろ「イメージの問
題」「イメージをどう扱うかの問題」に移りたいという気持ちが生じています。
過去ログは膨大なものになっていて、これは整理しなければ使いものにならないため、何年も前から、村田君には過去ログの整理を頼んであります。村田君
も、用事がたくさんあるためか、整理の結果はいまだ使いものになるようなものになっていません。村田君が自分で自分の語学論を作っていこうというのであれ
ば、とうてい整理など頼める筋ではないのですが、そういう志があるわけではないらしいと思って頼んだ仕事でした。あるいは、過去ログのどれを残し、どれを
捨てるかによって、つまり「引用」によって、村田君は村田君なりの語学論(あるいはその元になるもの)を作れるかもしれないとも思ったのでした。村田君は
引き受けてくれたはずでした。
村田君が今後、整理をやりきってくれることに期待すべきなのか、いつか誰かが整理してくれるかもしれないと思うべきなのか、それとも「イメージの扱い」
を主題として書くときに、自分で過去ログを読んで絶えず引用しながら、自分なりに自分の中で整理していくべきなのか、などいろいろ迷います。
整理の場合、期限を設けなくても、少しずつでも、絶えず継続してもらうことで、新しい記事が書かれていくスピードを超えることは簡単だろうと思って頼ん
だ仕事でした。
インドから帰ったら、インドでメモしたものを元に何か書いておきたいとも思い、それが片づいたら、らくださんが提案して下さった通信講座用のテキストを
仕上げ、音の吹き込みをやろうなどと考えていたのですが、「イメージの問題」「イメージをどう扱うか」の問題に入る前に、どうしても「音」に関して整理さ
れた過去ログのピックアップが欲しいという気持ちになりました。何からどう手をつけていこうか、たまにわからなくなります。
たまに、何か書いた後、過去ログを読んでみたりすると、何ださっき書いたことはとっくに書いてあったのかと思い、がっかりすることもあります。使いやす
い過去ログの整理があれば、すでに書いたものを引用し欠けているものを補えばいいので、空回りに似た思いはしなくて済むのですが、同じことをそっくり同じ
ような言い方で書いた後などは、がっかりしたりげっそりしたりします。まあ、それでも、そうしていくことで、自分の考えが緻密になることがあるはずだと自
分に言い聞かせてやってきました。
そんなときに、らくださんから「電圧装置」について質問をいただいたわけです。こういう誘いがあれば、過去ログを参照して過去ログから誘発される形で書
かなくても済むわけで、その意味でもありがたいことでした。
いつまでも本題に入れませんが、次の記事から本題に入らせて下さい。
【13416】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 4日(水)06時19分13秒
最初に、「回転読 み」と「電圧装置」の位置づけについて書きます。
「回転読み」の祖形は、レッスンで絶えず使用している「技法グラウンド」にあります。つまり、「コーチが一回読んだ文を生徒が五回(以上)繰り返し読
む」という場合の、「五回(以上)繰り返し読む」が「回転読み」の祖形になります。これはあくまでも祖形であり、これが「回転読み」になるときに、「五回
(以上)」が何十回になるか何百回になるかは決めてありません。自分が「できたな」と思うまでやればいいというふうにしてあります。
レッスンを始めたばかりの生徒さんに、予習はやらなくていい、復習をやっておいてくれと言うのは、レッスンで「祖形」を与えておいて、それを生徒が自分
で「回転読み」に育ててくれと言っているのだと考えてもらっていいのです。
「回転読み」は、生活言語から切り抜いてきたサンプルを語学用に壊しているのです。激化された「回転読み」では、同一の文の尾と頭をくっつけて言って構
わないとしてあります。それを実際にやってもらえばわかりますが、こんな言語使用法は念仏を唱えるとか題目を唱えるというような宗教的な場面にしか見当た
りません。「回転読み」も念仏も題目も、すでに「生活」ではありません。語学というのは、いったんは「生活」から切れる作業なのだとも考えています。「回
転読み」が念仏や題目と違うのは、念仏や題目がナムアミダブツやナンミョウホウレンゲキョウどいう同一文を繰り返すだけであるのに対して、「回転読み」で
は、数百、数千、数万という数の雑多な生活用(仕事用)の文を対象にするというところです。そこに違いがありますが、いったん「生活」から切れるという点
は同じです。「生活」から切れた場所で、生活用の文を生活用ではなく語学用に据え直して、「回転」させてしまうのが「回転読み」です。生活用の文に対して
はかなり罰当たりな扱いだと思います。生活用の文を「いったんは」生活では使えないようなものにしてしまう(=壊してしまう)ものだからです。
一回の読みの中に(文としての)イントネーションを備えたものの尾と頭をくっつけて、(例えば)何十回と言い続けることで、一定の音の連続の「型」がで
きます。練習者のその時点での最高の音と最高の速度で言えるところまで持ち込むことで、(ひとまずの)「型」の完成とすることができます。「回転読み」を
完成させることで、生活言語を壊してしまう(実際には使えないものにする)ことになります。
なんでそんな奇妙なことをするのかと言えば、それをさらにもう一度壊すためです。
「回転読み」では、単語と単語をひとつずつ区切って読むことはありません。文全体が音の連続体となり、さらに尾と頭がくっついて、連続体の長さは「息が
続く限り」となります。多分、こうすることで呼吸は腹式呼吸に近づいていくと思います。
さて、「息が続く限り」の一連のなめらかな音の連続体ができたとします。これを壊すのが「切断読み」です。もっとおだやかに「ゆっくり読み」と言っても
いいと思います。ゆっくり読んだり、切って読んだりするのは、単語の一つ一つに「イメージ」を込めるためです。このことをイメージを「充電する」とも言っ
てきました。
ただ単に「回転読み」だけだと、空文句になり、空っぽのドラムカンをひっぱたいているだけみたいなことになりかねません。「イメージ」を込めるのは、ド
ラムカンに内容物を注ぐ作業だと言えるかと思います。
昨日でしたか、江戸の母さんに向けて、まともでない英語音を放置するのは、「仏作って魂入れず」でなく、「仏作らず魂入れる」になると言いました。「仏
作らず」というのは、例えば、頭のない仏像を作ってこれで仏の形だと言うようなもんだと言いました。そんなものは人々に通用しないと言いました。
「仏作って魂入れず」も通用しなければ、「仏作らず魂入れる」も通用しないのです。例えば、Naima
さんが通用する英語を持ったのは、やみくもにやることで「仏作って魂入れる」をやれたということだと考えています。それに敬意をはらうことに対しては、私
は何もらくださんと変わりはありませんが、「やみくも」を抜けた方が「語学は大人になってからで十分」などと言い出すからには、語学論はいまだ持ち得てい
ない方だと思っています。
Naima
さんは非常に貴重な方ですが、語学論として書き言葉で書き記さないのであれば、「直伝」しかやれないはずです。それで悪いことはないのですが、もったいな
い話です。つまり、語学論にならないのです。村田君にも言っておきたいと思います。
戻ります。
「回転読み」は、「まともな音で同一文を繰り返す」ことでもあるのですが、「回転読み」を完成させるだけで放置してしまえば、今度は、「仏作って魂入れ
ず」そのものが実現してしまいます。音はできているのだが、「イメージ」が動かないということになります。
だから、「切断読み」が必要になります。
「切断読み」で文を単語ごとにぶつぶつ切って読むのは、単語のひとつひとつをしっかりイメージするためです。(空っぽのドラムカンに内容物を注ぐためで
す。)そのためには、「充電する」(あるいは「込める」、あるいは「注ぐ」)ためのイメージが自分の意識に「なければならない」。あるいは、イメージを
「生じさせなければならない」。
この場面で、ようやく「電圧装置」が必要になるわけです。
最初に「回転読み」があります。その時は、音にばかり注意が行っていて構いません。その後に「切断読み」があり、単語に「イメージ」を込めます(充電し
ます)。その時、込める(充電する)ための「イメージ」が「すでになければならない」ので、その「イメージ」を「切断読み」の前に用意しておかなければな
りません。「切断読み」のための、仕込みとか下準備の作業になります。そのとき使われるのが、「電圧装置」です。
一つの文に一つしか未知の単語がない場合、他の既知の単語が援軍になってくれて、未知の単語の意味(イメージ)を推定することが可能になります。こうい
うことは、おおざっぱに、上級者向けのやり方だと言うことができます。
英語の上級者でなくても、知らない単語を含む英語の本を読書しながら、楽しんで読んでいける場合なら、人々は自然にそうしています。そういう場合は、
「その本に対して」、読者が(比較的)上級者なのだと言えばいいと思います。
(おおざっぱに)初級者の場合は、ひとつの文に三つも四つも未知の単語が含まれていることが多いので、その場合は、「電圧装置」で仕込みや下準備をする
ことになります。
以上で、「回転読み」「電圧装置」「切断読み」の相互関係の素描になるかと思いますが、以下は、らくださんのご質問にある「日本語の介在のさせ方」につ
いてです。
>電圧装置の使い方をネタに質問してみます。質問の趣旨を煎じ詰めてひと言にするなら「日→英の変換テストは必要(有効)ですか?」ということになりま
す。
「電圧装置」は「切断読み」の下準備ですが、実は「電圧装置」にも下準備があります。「言いながら書きながらイメージする」という作業がそれです。この
作業では、日本語の単語を媒介にして、日本語の単語からイメージを抜き出し、そのイメージを英単語の中に溶かし込むことをやります。「イメージ」と
「音」、「イメージ」と「文字」が同一物と感じられるようになるまで、「言いながら書きながらイメージする」わけです。この練習のレベルが上がると、最初
きっかけとして(媒介物として)必要だった日本語の(複数の)単語が脱ぎ捨てられます。日本語の単語と「イメージ」の関係で言えば、具体的な日本語(の単
語)が脱ぎ捨てられ、「イメージ」が独在し、独在した「イメージ」が英単語と合体することになります。このときに、しっかりと「イメージ」を独在させてあ
れば、その後、英単語からは「イメージ」だけが取り出せることになります。意識に日本語の単語は浮かばなくなります。
「言いながら書きながらイメージする」という作業は、日本語を意識に思い浮かべなくても、英単語を聞けば(見れば)「イメージ」が生じるという状態を作
る作業だとも言えます。
「切断読み」の下準備が「電圧装置」であり、さらに「電圧装置」の下準備が「言いながら書きながらイメージする」ですから、下準備の段階で、実はイメー
ジの独在は成されているわけです。
「電圧装置」が、「日→英」の構造を含むのは、「イメージそのもの」は言葉ではないからです。「イメージそのもの」は表記できないからです。「英→英」
の構造で書いても、「イメージそのもの」は表記できません。「イメージ」はイメージするしかないからです。
らくださんがおっしゃるのは、「日→英」の「日」が含まれているのはまずくないかと言うことだと思いますが、「言いながら書きながらイメージする」とき
に、「イメージの独在」が成立していれば構わないことだと考えています。
肝心要のことは、「言いながら書きながらイメージする」ときに、イメージの独在を成立させうるかどうかです。
私たちは、(「生活」から切れた)語学から出れば、日本語に回帰するわけです。日本語で暮らしながら語学をやる人は、誰でもそうするわけです。もし、
「イメージそのもの」の表記が可能だと仮定すれば、語学の場で、「日→英」の構造は廃することができますが、語学で作った「イメージ」も、生活に回帰すれ
ば(日本語に回帰すれば)、(対象が英語の場合)、日本語という「酸性雨」に絶えずさらされます。その「酸性度」が強力な日本語での暮らしでは、語学の一
部で「日→英」の構造を廃したところで、効果は知れたものだと思われます。そういうところに目くじらをたてるより、「言いながら書きながらイメージする」
ときに、「イメージの独在」ということを外さないということが肝心要のことだと考えています。
(根本のところを言えば、「イメージそのもの」は表記できないということが理由です。)
「切断読み」の下準備として「電圧装置」があり、「電圧装置」の下準備として「言いながら書きながらイメージする」があるのですが、「電圧装置」そのも
のを廃してしまうことはできないかどうか。これは可能だと思います。意識のしっかりした人はそれをやっても構わないと思います。あるいは、中級や中級後半
の人はやるべきだと言えます。つまり、(未知の単語を辞書で調べた後)、「言いながら書きながらイメージする」ことで「イメージ」を独在させ、独在した
「イメージ」を、「切断読み」でじかに文に込める(充電する)ということが可能です。
(文を)「回転読み」→(単語等の要素を)「言いながら書きながらイメージする」→(文を)「切断読み」という順序は可能です。この方がすっきりしま
す。
「言いながら書きながらイメージする」で、しっかりと「イメージ」の独在がなされていれば、「日→英」の構造そのものを排除することができます。やれる
人はやるのがいいと思います。私が忘れたくないのは、いつも初心者です。
「電圧装置」という項目を設けると複雑になりますが、これをなぜ設けてあるかというと、「電圧装置」というのは、「記憶装置」「記憶保持装置」でもある
からです。「10枚ワンパック」などを使用すれば、手短に短時間にいったん覚えた単語の記憶のリフレッシュができるからです。初心者には「電圧装置」を設
けておいた方が親切だと考えています。
中級後半にさしかかった頃には、「電圧装置」はやめてもらっていいわけです。その方がいいのです。
「回転読み」「切断読み」で扱う文をコレクションにして、「記憶装置」にしてしまうことはできます。その方がいいわけですが、あくまでも初心者のことを
考えて「電圧装置」という項目が設けられています。(蓋然的にですが)初心者が扱う文の方が、一つの文に含まれる未知の単語が多くなりがちなので、初心者
には、文そのもののコレクションがなかなか「記憶装置」として成立しないのではないでしょうか。初心者の場合は、「日→英」の構造を含む装置があってもい
いという考えは、初心者にいきなり英英辞典を使えと言ったって無理だよというのと同じ理由によります。
Naima
さんに向けて書いたことにも通じますが、上級者の最大の欠点は、自分が初心者の頃にやっていたことが易しい簡単なことだったかのように錯覚することです。
そりゃ、現在から見れば、馬鹿みたいに易しいことかもしれませんが、当の初心者の頃、それがそんなものであったはずはないのです。現在から見れば、あんま
り簡単なので、初心者の頃にも、自分が簡単にそれを身につけたかのように錯覚するのです。その結果、それが短時間にやっつけることができるものであるかの
ように錯覚するのです。短時間にやっつけることができるかのように錯覚する結果、「語学は大人になってからで十分」などという妄説が出て来るのです。自分
でやってきた語学を自分で馬鹿にしていると私が言うのはその意味です。
ついでに言っておきますが、何歳から語学をやるのがいいのかというのは、何歳で語学の成果を使いたいか、使えるようになるには何年くらいかかるのかの概
算の数字がなければ、はっきりしたことは何も言えないはずなのです。
その意味では、「中学から」にも何の根拠もないし、「小学生から」にも何の根拠もないし、まして「大人になってから」にも何の根拠もありません。何年か
かるのか、何歳で使いたいのか、ということにしか根拠は見いだせないはずです。
さらについでに言えば、小学生にやらせるなら、素読を原理としている方法以外は全部イカモノだと言い切りたいと思います。素読は「生の英語」だの「ほん
もの」だのを笑います。「冷凍もの」でいいんだ。「冷凍もの」を冷凍したまま保持し、「磁場」で解凍すればいい。あるいは、「後で」解凍すればいい。そい
う原理を見失わない限り、幼児や小学生にやらせても大丈夫なのです。素読を原理とする方法以外のもので、「生の英語」だの「ほんもの」だのの尻尾が切れて
いるものが果たしてあるのか。私は深く疑いましたが、ないと言い切りたいと思っています。
Naima さんも「生」だの「ほんもの」だのの尻尾が切れていないのだと思います。
>(「電圧装置」の練習において・根石註)習熟度を測る段階で、日→英変換が必要となり、ここで日本語が介在してくることになります。ここに日本語を介在
させる意義はあるのでしょうか?言い換えれば、習熟度の確認のためであれ、日→英変換を廃し、最初に日本語訳でイメージを作ったら、ただひたすら英語を回
転読みし、ある一定の基準を設けてそれをクリアすればその教材は終了、ということでも良いと考えられますでしょうか?条件というのはたとえば、
「日→英」の構造をどう考えるかはすでに書きました。
ここで、「最初に日本語訳でイメージを作ったら」というのも、単語を相手に、「言いながら書きながらイメージする」という作業で「イメージ」の独在を確
かなものにすれば必要なくなります。(また、「最初に日本語訳」を作ることで、「イメージ」が独在するようになるという保証はどこにもありません。)
ついこの間までやっていた私のレッスンで、「訳先渡し」をやっていました。
本当の初心者は、「イメージ」するも何も、日本語とは音も違えば文構造も違うような言語を相手にするわけですから、「イメージ」のきっかけすらないわけ
です。辞書もまだ上手に使えない段階で、「訳」を廃するわけにはいかないのでやっていたものです。
「訳先渡し」をやることで、個々の単語の「イメージ」が独在するようになるなどとは私自身はまるで信じておりません。理想を言えば、「訳」というもの
は、翻訳書を作る以外では邪魔なものなのですが、生徒が自分で考え、「イメージ」を独在させるような練習に入るための「きっかけ」として「訳」というもの
を位置づけています。日本で暮らしている本当の初心者を相手にする場合は、「訳」を全部廃するわけにはいかないのです。
現在使っている自作教材をよく読んでいただけば、この部分の日本語は、「媒介」にして「言いながら書きながらイメージする」ために置いてあるんだなと
か、この部分の英文が日本語と併記されていないのは、「イメージ」の独在を経た後の「記憶装置」として働かせるためだなとか、教材の複層構造が見えてくる
と思います。ただ、またしても初心者の場合ですが、いきなり教材の成り立ちの全部を説明することは避けています。中級以後に教材の構造を見破ってもらえ
ば、「イメージの独在」を成立させるためにも、記憶装置として使うにも、うまく機能するように作ってあるはずです。
>(自分の実力相応と思われる)1冊の例文集に対して、5回転×20回=100回転させたら終わり、という風に回数を決める。回数を決めないとキリが無い
ので、習熟の度合いが怪しいものが残っても、回数の基準が満たされれば別の教材へ。
この一定の回数というのもあまりいい考えだとは思えません。「気の済むまで」「できたと思うまで」「自分にとっての最高レベルが実現するまで」でいいと
思っています。
回数を決めると、その回数だけやればいいんだという考えに陥ります。回数だけ実現し、中身のないものができます。「回転読み」だけやって、「切断読み」
をやらないような質の練習に陥ります。
レッスンに即して言えば、「習熟の度合いが怪しいもの」の扱いもすべて考慮されています。何度も何度も繰り返しテキストの中に同じ文が登場するのは、そ
の点を考慮したものです。「習熟の度合いが怪しいもの」を怪しいままに次の文へ移っても、最終的にはどうしても習熟が避けられないようにテキストを作って
あります。ここを理解するのが多くの方に難しいかと思いますが、それは別に言えば、「邪魔を取り除く」作業をレッスンで絶えず行っているということです。
これはまた別に述べるしかないかと思います。
また、今日書いたことは、「独習法」の理想型が多いです。それの肝を理解して、独習のできる人は独習してもらえばいいが、初心者や中級者の頃に私のレッ
スンがあれば、この人は英語を放り出すことはなかったはずだというような人は多くいます。あれだけの時間と労力を使って、結局使えない英語を持っちまった
のかという人を見るときは、こっちが悲惨な思いを持ちます。そういう人の方が圧倒的に多いと思います。生のレッスンをしているのは、私の語学論を鍛えるた
めだとか、生活費を得るためだとかいうこともありますが、初心者にはレッスンがあったほうが絶対的にいいと考えているからです。
>その意味は、練習において日本語の介在をできるだけ廃するということです。
賛成です。原理としては私もそう考えています。語学で、初心者相手に、原理を原理のまま使えないだけです。
>日本語は、あくまで、最初に英文のイメージを自分なりに作るために使い、後は、作ったイメージと英語との往復だけを練習の素材とする。
最初に「英文のイメージ」を自分なりに作るという場合、何をどうすればそれが実現するとお考えでしょうか。私はイメージは単語ごとに作らなければならな
いと考えています。単語を相手に「言いながら書きながらイメージしろ」と言ってきました。この基礎作業がない限り、「英文」そのもののイメージなどは成立
しようがありません。しかし、初心者はこの基礎作業さえできないのです。それが初心者です。
先日、Piggy さんが「パズル」ということをおっしゃっていましたが、初心者の多くは放っておけば、まず90パーセント以上がパズルを始めます。
「英文のイメージ」という言葉から私が連想するのは、らくださんには突拍子もない考えかもしれませんが、「訳先渡し」です。
そうでなく、日本語の「磁場」で、初心者がどうすれば、「英文」の正確なイメージを「日本語を廃して」持ちうるのか、もしも万が一、方法がありましたら
お教え下さい。これまで、いろいろさまざまに考えましたが、私は思いつきません。
【13417】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日: 2009年 2月 4日(水)09時36分55秒
ご回答ありがとうございます。
過去ログは情報の宝庫です。しかし、この広大なログを渉猟して体系としてまとめあげることは、相当の時間とエネルギーを必要とする力技だと思います。村田
さんに限らず、お一人にそれを期待されるのは酷では?と感じます。
ログは動的なので、どんどん増えますし、ダブりも多く生じていると思います。ですので、ホームページに重要項目を立て、書き下ろすのがいちばん早いと思い
ます。過去ログや新たに発生した質疑応答をそこに加味して更新していくのが作る方も早いですし、読む方にも有意義かと思います。
今回の根石さんのコメントには、改めて心を動かされるものがありました。この掲示板を読んでいる、自己を「初心者」と位置づけている多くの「大人」の独習
者にとって、極めて有益なコメントと思います。詳しい感想は後日書かせていただきます。
【13418】
根石さん関連本2冊。 投稿者:Jackie 投稿 日:2009年 2月 4日(水)14時16分58秒
ゴーゴーインド→改 訂して、新ゴーゴー・インド(単行本)
蔵前仁一(著)
内容(「BOOK」データベースより)
インド行の本で、これほどおもしろい本はないと読者が絶賛。
旅人たちに熱く支持され、影響を与え続けてきた伝説のロングセラー本『ゴーゴー・インド』。その全面リニューアル版。
もうかなり以前に出版された「ゴーゴーインド」。
それを「新ゴーゴーインド」として2001年に改訂した本。。
それからまた10年あまりたちそうですが、今のインドとの違いはどうなんでしょうか。
旧ゴーゴーインドは会社に持っていったところ、あちこちを回覧。
ぼろぼろになるほどでした。
セルフビルド―家をつくる自由(単行本)
矢津田義則(著), 渡邉義孝(著), 蔵前仁一(編集)
内容(「BOOK」データベースより)
人には自分の住みかをつくる自由がある。素人が建てたセルフビルドのおもしろ物件30軒を紹介。
根石さんのように自宅をセルフビルドした、パワフルな人たち。
陶芸家、画家、サラリーマンなど。建築写真入り。見ごたえ、読み応えあり。
【13419】
小学校に英語は必要ない 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月 4日(水)22時40分21秒
またしても小学校校長より、自信に満ちた英語教育導入について(文法や単語暗記よりコミュニケーション英語を教えます!子どもたちは楽しんでいます!)と
いった内容のお手紙が配布されており、ぐんなりとしてしまいました。この悪気の無い善意が一番やっかいです。どうせやるなら「発音」「文法」きちんとし
た”語学力”を習得させてくださいっと、理論武装して学校に訴えに行きたいです・・・が、相手は巨大組織ですし、子どもは人質。ものすごーく抵抗がありま
す。が、小学校での貴重な授業時間に主要4教科の授業時間を減らされ、ただ楽しいだけで毒にも薬にもならない「英語遊び」に費やされるのは、大損害だと
「小学校に英語は必要ない」の著者 茂木弘道氏が書いておりました。今、学校で身につけるものは、なんなんだろうかとすべての教師に聞いてみたいです。
以下、ここだけ読んだだけでは、全体の意図が伝わらないかもしれないのですが、引用です。私がひっかかっていた”言文一致運動”のことも触れていたので、
是非とも引用したいと思いました。ある見方からすると「極端だよ」「思い込みすぎ」って思われるかもしれませんが、いかがでしょう。
私は校長先生の英語に対する明るい希望に満ちた文章を拝見する度に、下記の言葉がずしりときます。
>教育も、大学もほとんど大部分は日本語でできます。高等教育や研究が母国語でできるということは、実は大変ありがたいことなのです。第二次世界大戦後に
独立した国々ではこうもいきません。日本は羨むべき状況にあるのです。
>桜美林大学国際学部の光田明正教授からの手紙として(英語公用語説についてです)
「英語公用化論者には、シンガポールの例を模範としている人々がいるとか。最も悲しいあり方をよしとするのは、不勉強もはなはだしいと思います。シンガ
ポールの中国人は大多数が福建語を母語としています。この言葉は、原文一致運動を歴史上してこなかったので、現代文明を語り、書くという機能を備えていな
い言葉です。私の両親、祖父母の言葉です。悲しくも寂しくもありますが、多分消える運命にあると言えます。台湾の私以上の年配者は日本語、大陸の福建人は
北京語、シンガポールの人々は英語と、他国語を借りないと現代社会の万象を語れないのです。
明治の人々ががんばり、現代日本語を確立したのに対し、平成の人々は、英語公用語と。第二といっても、英語はただでさえ強い言葉ですから、そちらに第一の
場を奪われる恐れが多分にあります。極端に言えば一般的に使用を禁ずるくらいでも負けかねない情勢にあります。」
【13420】
根石さん 投稿者:村田 投稿日: 2009年 2月 5日(木)01時11分59秒
>「イメージ の問題」「イメージをどう扱うか」の問題に入る前に、どうしても
「音」に関して整理された過去ログのピックアップが欲しいという気持ちになりました。
過去ログのまとめ、「音」「音作り」に関連したものに集中していきたいと思います。これひとつだけでも、根石さんの求めている水準にはいたらないかもしれ
ませんが、とにかく一度、現在15000近くある記事を越えてみようと思います。
【13421】
根石さんへ<現行ログのまとめについて> 投稿者:ももこ 投稿日:2009年 2月 5日(木)16時27分12秒
現行ログ(この掲示
板だと1000レス)の一番古い分から900レスを(すみません中途半端で。)スクラップブックのように、「だいたいこのジャンルの話題で話をしている
な」という分け方でテキストファイルに振り分けてまとめたものを作ってみました。
今日思いつきで半日くらいで作ったものなので役に立たない可能性も大きいのですが、村田さんの作業の間の間に合わせにでもなればうれしいです。
明日のレッスンの際にお渡ししてもよろしいでしょうか。
【13423】
ももこさん 投稿者:村田 投稿日: 2009年 2月 6日(金)13時24分55秒
一気に900ものログの分類、すごいです。
みなさんがそれぞれこういう作業をやるためにも、まず業務連絡などや、語学論としてはあまり意味がないと思える投稿をまずざっくりと腑わけしてしまう作業
を早く終わらせてしまおうと思います。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/pickup/pickup1-500.html (この作業の続きです)
最終的には過去ログ倉庫の 「目次」のような形でひとまずの形としたいと思っています。
(語学論という視点からすると、今のわずかな「目次」でも余計な部分がありますが…)
ざっくりした腑わけが済んだあと、キーワード付けなどやっていきます。
その都度、過去ログ倉庫の方にアップしていきます。
過去ログ倉庫の「永劫回帰」という部分に、かつてNaimaさんやJackieさんがそれぞれの視点で記事をピックアップされています。こういう感じで、
いろいろな視点でまとめてある「作品」がたくさんあると、いいと思います。
【13430】
村田さん 投稿者:ももこ 投稿日: 2009年 2月 7日(土)01時12分38秒
過去ログですが、お渡ししたような分類(スピードを上げるためどれを残すかということを考えずにただ分けるという作業をしています。)したものを村田さん
に削除していただきながらログにしていただくのが早いのかなと思っています。
お渡ししたファイルは根石さんがインドに行かれる直前までログを拾ってますので、この状態で続けていいのであれば、現行ログを追っかけていくのが個人的に
はやりやすいです。
(というのも、タブブラウザで一気に一つのレスを一つのブラウザに表示してコピー&ペーストしているんです。)
古いものはどういう形になっているのか分からないですが、できる範囲でご協力できればと思います。
ウィキは確かに核というものがなければ進まないかもしれないですね・・・。
【13433】
根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月 8日(日)03時17分30秒
連絡です。
2月2日にplalaのアドレスへメールを送ってしまったのですが、廃棄してください。
子どもの集中力は驚くべきもので、息子は素読することに慣れてきている様子です。
振込みをしたいと思いますが、月初払いでよいのでしょうか?
【13434】
斉藤 孝+斉藤 兆史 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月 8日(日)03時35分17秒
タイトルの2名による『「日本語力」と「英語力」』(中公新書ラクレ)を速読(?)中です。どのページにもうなづき、ふるえています。日本人だから日本語
がマスターできるということも幻想だと指摘され、日本語習得の努力をしていかないと日本語は壊れていくというあたりがガツーンと来ました。また、日本語圏
で生活しているのだから、子どもだとはいえ容赦せずに漢字や単語を教えていっていいのかと、改めました。今まで「この漢字は難しいから」と遠慮していたも
のもありましたが、素読のレッスンでも結構覚えていってるし、年齢に関係ないんですね。
逆に、仕事を通じて、大人なのに漢字の読めない人、単語を知らない人を結構見受けます。あと、文章を読んでも理解できない人。確実に日本人の日本語力も落
ちているんだろうと思います。その一方で、英語導入も「文法、単語、発音」を度外視したやり方。「愚民化政策」とはよく言ったものだと思ってます。
もう大風呂敷でも話題になっているかもしれませんが、とにかくこの本のp7に紹介されているのですが、今の中学教科書英語(コミュニケーション、ハンバー
ガー英語)に恐ろしくなりました。息子の進学の際にはその学校の英語教育がどうなってるかチェックしなくては!
私も海外旅行に行く時、どうして今まで会話を教えてくれなかったんだ!と怒っていた庶民でした。でも、「旅行英会話」なる本を買って、眺めて「ああ、これ
でいいんだ」と理解できたのは、中学高校としっかり文法を教え込まれた賜物だったのかと、今になって感謝した次第です。
斉藤 孝は「声に出したい日本語」で有名なあの方ですが、
斉藤 兆史は「よし、私も英語がんばろ」とNHKを眺めていたところ偶然、講師をされていたのですが、その後この対談の本を読み、同一の方と知りました。
ものすごく引用したい言葉がたくさんあります。後々あげさせていただきます。(掲示板で重複するネタになっていたらすみません)
【13435】
電圧装置について 投稿者:らくだ 投稿日: 2009年 2月 8日(日)13時17分38秒
私の書き方が不十分
だったために、根石さんとの間に2つの点でズレが出てしまいました。一つは話の対象となっている学習者のレベル(「初心者(初級者)」とは?)であり、も
う一つは「電圧装置」の定義と言いますか、主たる機能についてです。ズレを含みつつもそれが問題とならない内容のご回答をいただきました。もう少しおつき
合いいただければと思います。
まず、改めて「初心者(初級者)」の定義をしておきたいと思います。根石さんが「初心者」と表現される場合、それは端的に言えば入学直後の中学1年生だと
思います。This is a
pen.のthisもisもaもpenも何のことやら分からない。そういう存在です。それに対して私が想定したのは「初心者ならざる初心者」です。混乱を
避けるために「やり直し派」と呼ぶことにします。
・中学の教科書は読めばわかる
・知らない単語はほとんどない
・すらすら音読することはできない
・聞いて間違えずにディクテーションできない
・日本語を与えられて間違えずに英文を書けない
・同等レベルの英語での会話はできない
といった感じであり、非常に多くの「大人」が該当すると思います。
次に「電圧装置」についてですが、『英語どんでんがえしのやっつけ方』(小学館文庫)で、「電圧装置」は主として単語の練習方法として扱われているわけで
すが、ここに放り込む素材として、単語だけでなく、短文でも文法問題でも、場合によっては英語に限定する必要もない、とされています。私は、この一節をネ
タに、左側に短文の日本語訳、右側に英文というものを「電圧装置」と表現しました。
なぜそう考えたかと言いますと、「やり直し派」がまず取り組むべき学習として、中学レベルの短文の音読・暗唱が挙げられることが多く、また、実際そのよう
な教材が非常に良く買われているからです。
根石さんが
> 「電圧装置」という項目を設けると複雑になりますが、これをなぜ設けてあるかというと、「電圧装置」というのは、「記憶装置」「記憶保持装置」でもあ
るからです。「10枚ワンパック」などを使用すれば、手短に短時間にいったん覚えた単語の記憶のリフレッシュができるからです。初心者には「電圧装置」を
設けておいた方が親切だと考えています。
中級後半にさしかかった頃には、「電圧装置」はやめてもらっていいわけです。その方がいいのです。
「回転読み」「切断読み」で扱う文をコレクションにして、「記憶装置」にしてしまうことはできます。その方がいいわけですが、あくまでも初心者のことを
考えて「電圧装置」という項目が設けられています。(蓋然的にですが)初心者が扱う文の方が、一つの文に含まれる未知の単語が多くなりがちなので、初心者
には、文そのもののコレクションがなかなか「記憶装置」として成立しないのではないでしょうか。初心者の場合は、「日→英」の構造を含む装置があってもい
いという考えは、初心者にいきなり英英辞典を使えと言ったって無理だよというのと同じ理由によります。
とお書きになった、文のコレクションの「記憶装置」は、英文のみでしょうか?「記憶装置」だとするなら、やはり訳文とセットのような気がしますが、そうだ
とするならば、私が「電圧装置」としたものそのものになります。そして、それは中級後半で有効というということですと、中学レベルの短文に対して「やり直
し派」は、中級後半と同等ということが言えると考えました。つまり、「絶対評価」上での「初心者」「中級者」「上級者」という観点とは別に、その学習者が
使用するテキストレベルと自分の実力との距離が問題になるという点です。
ここまで話を進めて来て、「やり直し派」にとって適切な教材はどんなものか、という問題が出て来ます。中学レベルの教材を選択することが良いか、それと
も、「未知の単語」を含み、単語記憶装置としての「電圧装置」が有効となるような、ある程度の長さと難度の英文を選択するのが有効か、です。
【13436】
1回目のレッスンの感想 投稿者:Piggy 投稿日: 2009年 2月 8日(日)16時24分37秒
1回目のレッスンが終わりました。はじめは少し緊張しましたが、同じ文章を何回も繰り返すうちに余計なことはあまり考えなくなりました。ただ、比較的長い
文章で意味がよくとれない場合は、口に出しながら「これはどういう文の構造だろう、どんな意味だろう」と頭の片隅で考えていて、口がお留守になってひっか
かることがありました。それから、私にとって発音しにくい単語があると、そこでもひっかかりました。日常とは違う口や舌の動かし方をすること、そして何度
も同じことを繰り返して言うことが、心地よく感じられました。
Skypeでの通話は快適でした。前回はじめてSkypeで根石さんとお話した時は内蔵マイクと内蔵スピーカーを使いましたが、今回はヘッドセットを使用
しました。前回もはっきりときこえましたが、ヘッドセットの方が集中できる気がしました。ただ、内蔵マイクと内蔵スピーカーを使う場合はレッスンを録音で
きますが、ヘッドセットを使うとなると私の環境では自分の声しか記録できませんので、録音するのはやめました。また、自分のあいづちの声が1秒ほど遅れて
ごくごくかすかにヘッドホンからきこえてきましたが、通信に少し時間がかかっているのでしょうか。時間差が生じているとしても、私の方では何の違和感もな
くレッスンをうけることができました。
図書館で借りて「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読んだ後、回転読みをこの一週間、自分でやってみました。そして、自分の口になじませた文章を何回も
繰り返すことの楽しさを知りました。なぜ今まで、一つの文章を何回も繰り返すことをしなかったかを考えると、私の中では二つ理由があったように思います。
1.
「音読」とは、文章単位でなく段落単位、ページ単位、まとまりのあるお話の単位で、何度も繰り返すものだと思っていた(短いお話の単位での繰り返し音読を
数年前に始めたが、すぐに挫折した)。
2.
1つの文章に時間をかけると、あるいは時間をかけることを考えると、次第に絶望的な気分になってきた。英語という森を前にして、一本の木の一枝をみつめて
いるような、そんな気持ち。それでその一枝すらきちんとみることなく、投げ捨てていた。
この一週間で「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読み、掲示板も読みましたので、復習をする中での「イメージ化」が大切だということをわかっているつも
りです。特に私は「パズルとしての英語」から脱却したいので、工夫しながら自分なりの「イメージ化」をしてみたいと思います。それから恥ずかしながら英語
学習については挫折の連続でしたので、根気づよく続けていくことをまず第一に考えたいと思います。
【13440】
Piggy さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月 9日(月)23時38分22秒
レッスンの感想を ありがとうございました。
Piggy
さんの場合は、これまでも英語の練習を自分なりに継続されてきたのではないかと思っています。読み方を聞いていてそんな感じがしました。レッスン時にも申
しましたが、癖のない音なので、上達が早いと思っています。
>1回目のレッスンが終わりました。はじめは少し緊張しましたが、同じ文章を何回も繰り返すうちに余計なことはあまり考えなくなりました。
初めての時は、どなたも緊張されます。数回レッスンを受けていただくうちに、緊張しなくなりますので、しばらくの辛抱です。
>ただ、比較的長い文章で意味がよくとれない場合は、口に出しながら「これはどういう文の構造だろう、どんな意味だろう」と頭の片隅で考えていて、口がお
留守になってひっかかることがありました。それから、私にとって発音しにくい単語があると、そこでもひっかかりました。
「音と意味の二律背反」という言葉で、この現象を言ったことがあります。音に注意を奪われると、意味がすっとんでしまう。意味を考えていると、音がおろ
そかになる。両立しがたい。この両立しがたいものを両立させるのが語学です。ひとまず重要なことは、繰り返しを馬鹿にしないことです。
>ただ、内蔵マイクと内蔵スピーカーを使う場合はレッスンを録音できますが、ヘッドセットを使うとなると私の環境では自分の声しか記録できませんので、録
音するのはやめました。
今のうちに、自分の読みだけでも録音しておかれて、一年後、二年後の読みと比較するとどこがどう変わったのかがわかると思います。普段のレッスンを毎回
録音する必要はないと思います。
>また、自分のあいづちの声が1秒ほど遅れてごくごくかすかにヘッドホンからきこえてきましたが、通信に少し時間がかかっているのでしょうか。時間差が生
じているとしても、私の方では何の違和感もなくレッスンをうけることができました。
これは、私の方で内蔵マイクと外付けのスピーカーを使っているせいでしょう。ヘッドセットを買ったのですが、じきに壊れてしまったので、そのようにして
います。外付けのスピーカーの音を内蔵マイクが拾っているのだと思います。気になるようになったら言って下さい。またヘッドセットを買ってきますので。
>図書館で借りて「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読んだ後、回転読みをこの一週間、自分でやってみました。
しばらく続けられることをお願い致します。特にレッスンの復習に使われるといいと思います。しばらく続けられて、思ったことなど書いていただけたらうれ
しく思います。
>1.
「音読」とは、文章単位でなく段落単位、ページ単位、まとまりのあるお話の単位で、何度も繰り返すものだと思っていた(短いお話の単位での繰り返し音読を
数年前に始めたが、すぐに挫折した)。
普通、「音読」という場合は、文単位ではなく、段落単位やページ単位だと思います。私の方法はそこが違うので、あえてわざわざ「回転読み」と名付けてあ
ります。
>2.
1つの文章に時間をかけると、あるいは時間をかけることを考えると、次第に絶望的な気分になってきた。英語という森を前にして、一本の木の一枝をみつめて
いるような、そんな気持ち。それでその一枝すらきちんとみることなく、投げ捨てていた。
大学の理系の先生だとお聞きしましたが、それとどこかで関係があるかもしれません。理系の要(かなめ)に数学というものがあります。数学の解法が各種あ
る場合には、最短距離をたどるスマートな解き方が評価が高くなるのだと思っていますが、違いますでしょうか。
私は因数分解をやっていて、非常に長い理路をたどり、けっきょく元の式に戻ったことがありまして、自分で笑ってしまったことがあります。数学のセンスが
ないんですね。
語学の場合では、一つ一つにつきあうことが最短距離になります。文どころか、単語を覚えるのにも、一つ一つ覚えるしかないわけです。理系の人が語学を持
ち続けるっていうのは、結構大事なことじゃないかと考えています。
>この一週間で「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読み、掲示板も読みましたので、復習をする中での「イメージ化」が大切だということをわかっているつ
もりです。特に私は「パズルとしての英語」から脱却したいので、工夫しながら自分なりの「イメージ化」をしてみたいと思います。それから恥ずかしながら英
語学習については挫折の連続でしたので、根気づよく続けていくことをまず第一に考えたいと思います。
先日らくださん宛てに書いたものに、「パズル」のことについて触れましたが、「切断読み」も一種の「パズル」だと言えないことはありません。ただ、英語
なら英語の語順で動かす「パズル」なのです。英語をかなりやったのに使えない人の場合、日本語の語順で「パズル」をやってしまってある場合が多いはずで
す。つまり、英語を日本語に置き換える癖がついてしまっているわけです。
あるときひょいとできるようになる技法なので、コツというのは言葉にしがたいものがありますが、具体的な日本語(の単語)を意識が脱いでしまうことが必
要です。
「イメージ化」というとなんだか難しいことのように思われるかもしれませんが、この英単語は「こういう感じ」「こういうこと」っていうのをはっきりと意
識することがコツです。それがうまくできているときは、意識に英単語とイメージだけがあって、日本語(の単語)が「ない」状態になります。
理屈はそういうことですが、まずは「こういう感じ」「こういうこと」っていうのをはっきりと意識されることをやってみてください。それがはっきりと意識
にある場合、自然に日本語(の単語)は脱いでしまっているはずです。結果的に実現すればいいことです。
【13441】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月10日(火)00時18分58秒
>まず、改めて「初心者(初級者)」の定義をしておきたいと思います。根石さんが「初心者」と表現される場合、それは端的に言えば入学直後の中学1年生だ
と思います。This is a
pen.のthisもisもaもpenも何のことやら分からない。そういう存在です。それに対して私が想定したのは「初心者ならざる初心者」です。混乱を
避けるために「やり直し派」と呼ぶことにします。
・中学の教科書は読めばわかる
・知らない単語はほとんどない
・すらすら音読することはできない
・聞いて間違えずにディクテーションできない
・日本語を与えられて間違えずに英文を書けない
・同等レベルの英語での会話はできない
といった感じであり、非常に多くの「大人」が該当すると思います。
らくださんの「初心者(初級者)」の定義はわかりました。この6項目のうち、最後の2項目を私は「使えない」と言ってきたと思います。
この6項目を自覚している人は、初心者なのか中級者なのか、難しいところがあります。もしかしたら、学校英語のせいで、「初心者」にすらさせてもらえな
かった人なのかもしれません。知っている語彙数から言えば、とうてい初心者どころではなく、中級も後半に相当するような人(人が狙ってはいる大学に入った
ような人)でも、私の定義によれば、「初心者以前」になってしまう場合があります。
もし非常に多くの大人が挙げられた6項目に該当するのであれば、非常に多くの大人が「初心者以前」なのです。私の定義ではそうなります。
>次に「電圧装置」についてですが、『英語どんでんがえしのやっつけ方』(小学館文庫)で、「電圧装置」は主として単語の練習方法として扱われているわけ
ですが、ここに放り込む素材として、単語だけでなく、短文でも文法問題でも、場合によっては英語に限定する必要もない、とされています。私は、この一節を
ネタに、左側に短文の日本語訳、右側に英文というものを「電圧装置」と表現しました。
「電圧装置」は、語学用には私の造語ですので、私の定義で使っていただきたくお願い致します。単文だけが「電圧装置」の素材ではありません。「電圧装
置」の素材はなんでもござれなので、単文だけでも「電圧装置」は作れますが、単文だけのものは特殊な「電圧装置」になります。
「左側に短文の日本語訳、右側に英文」は、それを使って意識が動くのでなければ、ただの例文集です。もちろんブツ(二つ折りにしたレポート用紙)として
の、「電圧装置」も、それを使って意識が動くのでなければ、ただの単語集であったりします。肝心要は、意識が動くかどうかです。イメージが動くかどうかで
す。
>なぜそう考えたかと言いますと、「やり直し派」がまず取り組むべき学習として、中学レベルの短文の音読・暗唱が挙げられることが多く、また、実際そのよ
うな教材が非常に良く買われているからです。
事情はわかります。
>文のコレクションの「記憶装置」は、英文のみでしょうか?
私はあれを書いていたとき、英文のみを考えていました。だから、「中級後半以後」の人に向いているとも書いたと思います。英文のみで「記憶装置」になら
ないようなら、「言いながら書きながら思う(イメージする)」の練習レベルが低レベルなのだと思います。それが低レベルであるならば、「中級後半以後」と
も言えないと思います。
>「記憶装置」だとするなら、やはり訳文とセットのような気がしますが、そうだとするならば、
私は「そうだとする」ことができません。訳文とセットでなければ「記憶装置」として機能しないものは、初心者向けです。
英文そのもの、英文だけのものが「記憶装置」にならないのは、個々の語のイメージが本当にはできていないからです。
>中学レベルの短文に対して「やり直し派」は、中級後半と同等ということが言えると考えました。
私が「中級後半」として考えている人たちは、まったくレベルが違います。私は自分のことを、「中級後半」かなと思うことがあります。「音」と「イメー
ジ」について語学論が言える程度の者は「中級後半」程度だろうなと思います。「上級者」というのは、それに加えて、「高速化」がやれる人のことだと思って
います。私は自分で語学職人としては資質があるかもしれないと思っているのは、この「高速化」が嫌いだからです。嫌いだから、なるべくやりません。私の英
語っていうのは、そんな程度のものです。そんな程度のものに私は誇りを持っています。これは職人としての誇りです。英語使いとしての誇りではありません。
だって、英語使いなんかを見てると、語学の職人としてはまるで駄目っていうような人が圧倒的に多いですから。
>つまり、「絶対評価」上での「初心者」「中級者」「上級者」という観点とは別に、その学習者が使用するテキストレベルと自分の実力との距離が問題になる
という点です。
「距離」ということで言うなら、どのレベルの人にとっても、「易しすぎず難しすぎない」というテキストを選べば、すべて解決すると思っています。
【13442】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月10日(火)00時28分55秒
斉藤孝は、日本語に関してならいいことを言っていますが、英語に関してはまるで駄目だ と考えています。あの人に「音づくり」の観点はありません。
【13444】
「日本語力と英語力」 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月10日(火)05時10分40秒
根石さん
そうですね。孝は「「型」の身体化が大切」だとは言ってますが、音作りについては踏み込みがない。後半は英語の専門家の兆史の発言が少なくなり、日本の教
育について語られて英語から脱線してるのが残念です。でも、そうそう!と思える文がたくさんありました。
兆史は文科省の英語教育改革について、専門家の視点で、そして「英語業界のはしくれ」として警鐘をならしている、いわば”異端児”かもしれません。即効、
小学校での英語教育「英語ごっこ」をやめるべき、と書いています。嬉しいです。「コミュニケーション」連呼をやめるとともに「文法、読解、素読、暗誦」な
どを含めた「型」の訓練項目を盛り込め、と。
兆史は、ネイティヴ発音塾という番組でも地味に「英語発音の徹底」を指導されてる方なので、もちろん発音を重要視してると思いますが、この本では「音作り
の徹底」という点が弱いかも。
明治時代の長崎の通詞が語学のプロとして訓練される過程でネイティブに一人ひとり発音を治してもらったり文法解釈をしてもらったと触れています。
本当に必要な力を、必要な人たちに、効果的な方法で与えていくという作業が成功したから今があるんだろうなと思いました。
本日、息子5回目のレッスンでした。正しい音を出すのは、難しいですが、子どもたちは思いのほか「楽しそう」です。学校の英語授業で見たのは大人が「ほ
ら、楽しいでしょ!一緒にやろうよ♪」という雰囲気からくる「楽しさ」の押し売りみたいなもんでしたが。(楽しくないとあの場には居づらい)
また「回転読み」が楽しいようです。以前ゆっくり母さんに教えてもらった録音ソフトで録音していて自分の声を聞いたり、グラフで自分の声の音を「見たり」
するのも面白いようです。先生にほめられるのも嬉しいかもしれないけど、「自分ができた」ってプロセスが面白いのかなと、見ていて思います。長く細く続け
ていきたいです。よろしくお願いします。
【13449】
根石さん 投稿者:Piggy 投稿日: 2009年 2月13日(金)19時50分38秒
1回目のレッスンの感想に対するお返事をありがとうございました。また振込先の番号も手元に控えました。
おすすめに従って、自分の読みを記録しておくつもりです。
それからSkypeでのあいづちの音の時間差についての理由、そういうことでしたらもう気にしません。
回転読みの感想は、もう少し続けた後で書きたいと思います。
私の専門が理系であることと、私の語学に対する態度との関連を考えたことは今までありませんでしたが、自分にとって合理的と思える手段で最短距離をたどる
ことを求めて、いたずらにさまよっていたかもしれません。「語学の場合では、一つ一つにつきあうことが最短距離になります」、ということを肝に銘じておき
たいと思います。
【13451】
根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月16日(月)15時56分34秒
ももこさんが整理してくださった掲示板ピックアップ版のおかげで小学校英語教育のビラをバイクで配達していたという記事も拝見することができました。
まさに!私も手配で配りたいくらいです(が、現実には、難しいですが)
私が日記を書いているSNSにおいて、素読舎の紹介という形で根石さんの小学校教育導入についての文章を紹介してもよいでしょうか?
現在『英語を子供に教えるな』(市川力)を読書中です。
【13452】
語学論データベース用14 投稿者:村田 投稿日: 2009年 2月17日(火)02時31分53秒
14------------------------------------------------------
根石吉久「掲示板・大風呂敷」(teacup)2001.9.20
1022, , ○
>もし、”卑怯”という言葉を口にするのであれば、その言葉はむしろ、報復爆撃を空
から行う者に向けられるべきであって、他の人間を殺すためには、自らの命をも断つこ
とを覚悟した者に向けられるものではない。(スーザン・ソンタグ)
日本人は、飛行機に乗る一般の乗客の身になることや、高層ビルにオフィスがある会社の一社員の身になってみることはできる。しかし、爆弾を落とされて死
ぬ者や、負傷し血を流す者の身になってみることは難しい。そんなことって本当にあるの?で事は片づけられる。
爆弾を落とされて死んだり、負傷する我が身よりも、旅行のためであれ、仕事のためであれ、飛行機に乗って(アメリカ国内を)移動したり、高層ビルのオ
フィスで働く我が身の方が近しいものとなった。それはそう「なった」だけであり、日本人の「我が身」とは実は関係がない。
どちらの想像が我が身と重ねやすく容易であるかというだけのことだ。
一方の想像を容易なものにし、一方の想像を困難なものにしているものは何か。高度資本主義と日米安保条約というものの他に何があるか。
アメリカに生まれたアメリカ人は、爆弾を落とされて逃げまどったことを経験した者はいない。そういうアメリカの特殊事情があるが、この特殊事情は、日本
の初老以下の年齢層にも重なる。(私もその特殊事情の下に育った者だ)
第二次世界大戦以後、爆弾や銃弾を浴びせられることをまぬかれ続けてきたのは、資本主義が高度資本主義の段階に突入した国の人々だけである。そういう特
殊事情があるだけだ。
世界の現実は、その特殊事情の外側にある。
特殊事情の内側にいる人々は、ソビエトや中国の洗脳、アラブのイスラム学校がやるような洗脳をまぬかれていると幻想しているが、幻想しているだけではな
いのか。日本人の「普通の生活」が飛行機に乗り移動することや高層ビルのオフィスで働くことのイメージに重なりつつあるということは幻想ではないのか。
(この幻想のために、日本やアメリカでは「成績幻想」が猛威をふるっているのではないのか。つまり、テストの点のことだ)
爆弾を落とされること、具体的に物理的に攻撃されることは、「自由で平和で上品な」この国で起こることはありえないとアメリカ人は思ってきたはずだ。移
民たちが住むニューヨークという反アメリカ的なところに住む人々はともかく、広大な田舎や点在する田舎町に住むアメリカ生まれのアメリカ人たちはそう思っ
て生きてきたはずだ。戦後生まれの日本人の多くもその幻想を自分の幻想として生きてきたはずだ。安保条約というねじれたへその緒を通じて流れる幻想の血に
よって生きてきたはずだ。
世界の現実は、この幻想の繭の外側にある。
その事実を高度資本主義がまき散らすたて続けのイメージや幻がかき消すだけだ。
現実は血を流して、今もある。
スーザン・ソンタグはそう言っているのではないか。
オックスフォード・ケンブリッジからアメリカに渡った二流学者とは違って、ニューヨークを呼吸し続けたスーザン・ソンタグは、血を流している世界の現実
から離れない。私は日本の戦後市民社会も信じないし、戦後民主主義も信じていない。しかし、スーザン・ソンタグの民主主義なら信じられる気がする。
アジア的農村に育った者が持ち続ける日本の高度資本主義との「関係のなさ」を、ソンタグは理解するだろうか。この「関係のなさ」が、現実との接点を失い
続けて、一つの接点もみつけられないところまで押し込められた時、日本の中高年の自殺が量として現象する。
彼らは日本の高度成長とその後を担った人たちだ。
おそらく、この自殺が体力を備えれば、若年層の精神の不安定、心の病になるのだ。
こんな馬鹿げた国が他にあるのか。
アメリカのいいなりを続けてきて、中高年の自殺を招来し、若年層の心の居所を失った国。
この国のヒューマニズムは底上げされたまんじゅうのようなものだ。
本当に心が良くてヒューマンであるのか。底上げされたからだけのことではないのか。
底にあるのは損得勘定以外の何かなのか。
その底のもっと底はあるのかないのか。
宮本常一「忘れられた日本人」は書店に届いているだろうか。
語学をやって語学力を持つだけなら、語学にやられる。
肝心なものは語学力ではない。語学論という思想だ。
【13453】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月19日(木)00時00分56秒
遅くなり申し訳ありません。このところ連日、薪を切っており、夜になると疲れ果て、やっとレッスンするくらいで、掲示板に書く力が残りませんでした。
>私が日記を書いているSNSにおいて、素読舎の紹介という形で根石さんの小学校教育導入についての文章を紹介してもよいでしょうか?
どうぞお使い下さい。出所だけ明記していただけばどのように切り取って使っていただいても結構です。引用した場合は、掲載のページのURLを大風呂敷に
書いておいていただければありがたいです。
【13455】
根石さん 投稿者:江戸の母 投稿日: 2009年 2月19日(木)10時57分31秒
お返事ありがとうございます。了解しました。ご多忙の様子についても、了承しました。
私はものすごい勢いでいろんなことを吸収し、また、発散(?)しつづけなくてはいけないことを感じ毎日が刺激的です。
自分の伝えたいことを伝え、説得させるための「論法」というものを身につけている真っ最中かもしれません。1年後には少しでもレベルアップしていたいで
す。根石さんの「同じ事を言い続ける姿勢」(信念ですね)と「直喩の多用によるわかりやすさ」(説得力) とても勉強になります。
【13456】
根石さん 投稿者:ノンノン母 投稿日: 2009年 2月19日(木)12時56分11秒
根石さん 娘のレッスンではお世話になっております。ニュークラウンのCDですが、早速購入しました。リスニングCDとなっておりますが、会話と会話の少
しの間に声を出して練習することができます。これは日頃のレッスンの成果だと思いますが、CDのスピードに余裕でついていけてるような気がしました。
今家では、根石さんの教材を使って書く練習をしています。「言いながら、書きながら、思う」ということを意識するようには伝えているのですが、口にだしな
がらというのがなかなか慣れないようです。文を書いたあとに読んで、間違いに気付くことはあるようです。
教材の音読ですが、娘は私たちとちがって毎日続けることをすっかり習慣にしてしまいました。主人も私もときどき恥ずかしくなることがあります。
それからももこさんが、分類してくださった電圧装置のところがとても助かっています。
イメージする、思う、ということ、を分からなくなるたびに読んでは納得しています。
どうぞよろしくお願いいたします。
【13467】
ノンノン母さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月28日(土)00時23分15秒
>根石さん 娘のレッスンではお世話になっております。ニュークラウンのCDですが、早速購入しました。リスニングCDとなっておりますが、会話と会話の
少しの間に声を出して練習することができます。これは日頃のレッスンの成果だと思いますが、CDのスピードに余裕でついていけてるような気がしました。
出費ありがとうございます。
中一のCDはかなりゆっくりめに吹き込んであるので、普段私のレッスンを受けてくれている小学生には余裕でついていけると思います。
>今家では、根石さんの教材を使って書く練習をしています。「言いながら、書きながら、思う」ということを意識するようには伝えているのですが、口にだし
ながらというのがなかなか慣れないようです。文を書いたあとに読んで、間違いに気付くことはあるようです。
「言いながら」が難しいなら、「書きながら、思う」だけでも大丈夫です。
「言う」ことに関してなら、普段のレッスンで言えるようになっていますから、「書きながら、思う」をよくやるように伝えて下さい。
>教材の音読ですが、娘は私たちとちがって毎日続けることをすっかり習慣にしてしまいました。主人も私もときどき恥ずかしくなることがあります。
ここを読んで、一番うれしく思いました。娘さんが、英語を面白いと思ってくれたのだと思っています。
>それからももこさんが、分類してくださった電圧装置のところがとても助かっています。
私も助かっています。ももこさん、ありがとうございます。
「電圧装置」をやるための元になる練習が、「言いながら、書きながら、思う」です。レッスンを受けてくれている生徒さんは、「書きながら、思う」です。
これをよくやるように娘さんに伝えて下さい。必ず力がつきます。
【13468】
無題 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 2月28日(土)00時30分13秒
インドから帰ってからだったという記憶がありますが、らくださんに向けて書いたものの中に「初心者以前」という言葉を使いました。これについて、このと
ころ考えています。
また、p子さんを相手にレッスンしてきて、最近苦情を言うことが多くなりました。これについても考えてきましたが、p子さんが「技法グラウンド」と「回
転読み」の関係が理解できていなかったのだと思いました。これをまず理解していただいて、実践していただいてからでないと、「切断読み」の説明ができない
のですが、すでにp子さんに「切断読み」の説明をしてしまいました。
まあ、いいか、とも思っています。
まずは混乱していただけば、少しずつ理解が整序されていくはずですから。
「初心者以前」についてと、「技法グラウンド」と「回転読み」、「回転読み」と「切断読み」の関係について、今後少しずつ書いていく予定です。
【13481】
「言いながら書きながら思う」 投稿者:村田 投稿日:2009年 3月 4日(水)22時35分9秒
分室でも「言いながら書きながら思う」練習をするように言ってきました。
何度も何度も復習して、音づくりができた文について、言いながら、書きながら、音と意味をひとかたまりに結びつけ(イメージ化し)、瞬時に意味を言えるよ
うにするように言ってきました。中学生が三人いますが、三人とも自分で実践していました。そのうちの一人からこんなことを聞きました。
脳科学者の茂木健一郎さん出がているテレビ番組で、英単語を声を出さずに書いて覚えるのと、英単語を声を出して読みながら書いて覚えるのはどちらがよく覚
えるか、という実験をしていたそうです(被験者は高校生とのこと)。声を出さずに書いて覚えた人は、5個しか英単語を覚えられなかったのに対し、声を出し
ながら書いて覚えた人は20個覚えられたそうです。
その番組を見て、彼は茂木健一郎の「脳を活かす勉強法」という本を読み、その中に「言いながら書きながら思う」ことに似た方法に科学的な裏付けがあるのを
知り、一層「言いながら書きながら思う」に身を入れるようになったということでした。
私は茂木さんの本は未読なのですが、その塾生の話を聞いていると、「言いながら書く」までのことは書いてあるらしいのですが、「思う」については書いてい
ないようでした。
「言いながら書きながら思う」…こう書くと「なんだ、当たり前のことじゃないか」と言う人が大勢いると思います。でも、「言いながら書く」までは頭で考え
ても納得行くかもしれませんが、その後に「思う」がつくのはただ頭で考えてもわからないと思います。音と文字と意味を結びつけ、一瞬にして取り出せる「イ
メージ」を形作ること。これがあるのとないのでは大違いです。語学の内側に入り込んで考えた人にしか言葉にできないリアリティ、それが「思う」の部分だと
思います。
塾生には、これからは「思う」ことも、もっとやってね、と言いました。
【13488】
メール転写 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 3月 9日(月)01時36分14秒
H様
丁寧なメールをいただきありがとうございました。
小学2年3年くらいの子供は、テキストに書いてあることがよくわからない
まま、私の読みを拾って、そのまま字の上にかぶせていきます。この過程で、
学校の学年相当の漢字配分などとまるで関係なく、字と音との間にゆるい関係
が形成されます。しばらくの間は、ただ「かぶせる」ということを続けます。
そのことで、字が少しずつ目になじんでいきます。よくなじめば、字から音を
起こすことができるようになりますが、そのことを決して急がせる必要はあり
ません。
漢字がいくら難しかろうと、「かぶせる」ことをやるだけなら何の問題も生
じません。字を見ながら声を出して読むということに慣れていない子供は、ご
く初期に困難を覚えるかもしれませんが、もうそろそろ慣れてきていますので、
そんなにご心配は要らないと思います。
漢字に音を「かぶせる」のとまったく同じで、英単語にも音を「かぶせる」
ことができます。人々が思うほど、子供にとっては大したことではありません。
ごく初期にとまどうだけです。
>ウチに帰ると、さっきやったことを何度も何度も口に出しています。(その日だけ
なのですが 笑)
私にはこれはすごくうれしいことです。
いやがっていないだけでなく、おもしろがってくれているということなので、
私が勇気づけられます。これからもやってくれるようにと私が希望していること
をお子さんに伝えていただけたらと思います。
>先生のご本もお借りして、空いてる時間を利用して、興味深く読ませていただいて
おります。
多少書きにくい掲示板でしょうが、「大風呂敷」の方に感想などお書きいた
だけたらうれしく思います。
今後ともよろしくお願い致します。
p。s。 素読を使ったレッスンの様子が多少わかってもらえると思いますので、
私のメールを個人情報を伏せて「大風呂敷」に転写させて下さい。
素読舎
根石吉久
09/03/09
【13493】
だます人だまされる人・グッドモーニン、えぶりばでー。 投稿者:Jackie 投稿日:2009年 3月11日(水)20時20分20秒
だまされない人が「おかしい人」というレッテルをはられる。
ちょっと恐ろしい世の中です。
小学校の英語ごっこ、教育に「それはおかしい」といっても、
周りが「子どもに英会話を!」という保護者が多ければ
「それはおかしい」という人のほうが「おかしい人」にされてしまう。
私は非国民ですから、
自殺者が年間4万人近くでていて、それを政府が助けようともしていないのに、
拉致被害者数人の命には必死になる政府、そして大々的に報道するマスコミに辟易しています。でもそんな私は少数派でしょう。日本のみなさんは心やさしいで
すから。
不法滞在の家庭のフィリピン人の女の子を強制送還するな!募金を!との報道に
女の子に同情し、または募金もする人もいるだろう世の人々が、
親のリストラなどで高校中退せざるえなくなった、子ども達に手をさしのべるだろうかというと???
ブラジル人労働者の失業で、中学にいけなくなった児童には、手厚い保護をするらしいのに、親の失業などで、高校中退する日本人の学生には、なんの保護もな
い。疑問でしょ?疑問。
でも心やさしい日本人の人々は、それに疑問をもたないのです。
小沢にだけ、捜査がはいって、自民党には二階ぐらいにしか操作が入らない不思議。自民のドン森は捜査されない不思議。
さすがにこれ、皆さんすこしはおかしいと思ってはいるようですが、怒涛なる小沢献金疑惑報道に小沢だけが悪者にされていく。
「やっぱり小沢さんは古い自民だからだめだね、モットクリーンなひとを」と洗脳されてしまう。
竹中は宮内は?かんぽの宿はどうなった?
これこそカイカク利権。
「カイカク改革」実は改悪なのに、カイカク改革といいことのようにいわれて、
カイカクされた、生活破壊された今でさえも「それでもカイカクは必要」と思ってる人がいる。言葉にだまされてしまう。
マンゴー宣伝の知事、テレビでずっぱりのマンゴー売りが、「立派な知事」ともてはやされる不思議。支持率が高い不思議。地道でがんばってる知事にはすぽっ
とらいとは当たらない。
地道な英語にはスポットライトが当たらない。
「おかしいよ、おおさまは裸だ!」
といっても「王様が裸なんて、この人おかしいんじゃないのw」と、
目を覚まさない人々、目を覚ませない人々が多すぎる。
ではシーユー。
【13494】
こんなコトバ見つけました。 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 2009年 3月12日(木)00時11分24秒
マハトマ・ガンジー「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」
【13498】
Jackie さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 3月13日(金)03時07分4秒
いい記事をありがとうございました。
誤植が気になったところがありました。
>小沢にだけ、操作がはいって、自民党には二階ぐらいにしか操作が入らない不思議。
自民のドン森は操作されない不思議。
「操作」→「捜査」だと思います。
>でも心やさしい日本人の人々は、それに疑問をもたないのです。
「心やさしい日本人の人々」は皮肉が効いていて、なかなかいいのですが、そういう人たちも、記事にあんまり誤植が多いと、それについては疑問を持つと思
います。
【13499】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2009年 3月13日(金)03時15分4秒
以下、スカイプ素読会用データです。追加しておいて下さい。処理が違っていたら、直しておいていただけるとありがたい。
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マハトマ・ガンジー, こんな言葉みつけました,掲示板「大風呂敷」,20090312, 英語嫌い人, ガンジー
明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ
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