【12502】
英会話学校 投稿者:Jackie 投稿 日:2008年 7月15日(火)15時19分23秒

英語畑から離れてい る間に進化してますね。
既存の英会話学校に通う人は不景気ゆえに減っている模様。
講師をわざわざ地域の学校に派遣しなくても、その場でできるオンライン。
飽き時間を無駄なく、人件費節約。


生徒としても家であいた時間に出来るレッスン。
口の動きもわかるネット電話。通うよりは安いレッスン料金。
増えて行きそうです。

インターネットプライベートレッスン
http://www.online-lesson.jp/internet/lesson/
イーオンオンライン学習
http://www.perapera.co.jp/

書き取りドットコム。
http://www.kakitori.com/sample/select_kyouzai.asp

いろんな手段で気分を変えてお勉強できる。

力をつけるには
キーボードより、手で書くことのほうがやはり定着しやすいし
声にだして一人練習が基本ですけどね。

【12503】
バイクで地域に配る予定のビラ、原稿 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 7月16日(水)03時32分19秒

小学生に英語?

Freeze, then unfreeze.

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小学生英語に関する、文部科学省の考えはひっくり返っている。

 それを父親も母親も知らずにいる。あるいは批判できずにいる。
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日常会話ができればいい? 文法はやらなくていい? 馬鹿な!

 日常会話ほど難しいものはない。アメリカで歯医者に行って、どう痛むんですかと聞かれて、「しくしく痛む」んですと言うときに、この「しくしく」を英語 で何と言うのか。何と言おうと、しょせん近似値しか言えはしない。近似値が言えればそれでいいのだが、どの近似値ならよくて、どんな近似値なら駄目なのか という見極めがいまだ日本という国では成立していない。しくしく痛むその痛みは、それをその通りに言うためには、どんな英語をもってきても言えない。「し くしく」と日本語で言うしかなく、しくしくは絶対的にしくしくでしかない。英語でどんな言い方をしても、しくしくはしくしくではなくなってしまう。どんな 言語のどんな一語にも絶対性があり、その間を結ぶのはイメージだけだ。こういう単純なことがわからないまま、母親たちは子供に幼児英語なんぞをやらせよう とするのだ。それこそが馬鹿みたいな風景だ。
------------------------------------------------------
 日常会話ほど難しいものはない。

 文部科学省の言う、「日常会話ができればいい」、「文法はやらなくていい」という理屈から生じるものは、決まり文句であいさつができる以上のことではな い。嘘だと思うなら、現在の計画どおり、学校でやってみるがいい。決まり文句であいさつができる範囲から出て、英語でものを考え、英語でものを言う人間が 出来るなら、この理論をひっこめてもいいが、まず10年もやれば、また国家によって日本人がだまされたことが証明されるだろう。そしてそれが証明された時 は、日本は今よりもまた一段と狂っているだろう。弱体化しているだろう。子供を駄目にしてしまい、その子供が大きくなって、問題をまき散らすだろう。
 日常会話? 文法軽視? だったら、日本国家の甘い汁を吸っている政治屋ども、学者どもが作りたいものが、戦後すぐに進駐軍の兵隊からチューインガムを もらいたくて Hello と言っていた当時の子供とどこが違うのか。当時のそういう子供は、戦後民主主義者になったりしたが、しょせんチューインガムが欲しくて、決まり文句を言っ て、アメリカ兵に近づいていっただけだ。決まり文句であいさつができる程度の子供をわざわざ作りたいのか。この日本というパンパン国家は。
 日本で日本語を使って生きている小学生が持つべき英語は、冷凍ものの英語だけだ。冷凍もの以外の英語、「生き生きだの」「生きている英語」だの、それが どれほど危険なものか、父親も母親も知らないままだ。自分が英語をものにしなかったからといって、自分が英語を錆び付かせたからといって、考えまでだらし ないものにして何が楽しいか。
 幼児英会話などやらせたり、小学生英語に冷凍もの以外を求めたりする者たちは、言語「磁場」の磁力というものをなめているのである。英語ネイティヴの元 に週一回一時間通わせることで「ペラペラ」になる? 文法はやらなくていい? 日常会話ができればいい? 馬鹿な。幼児英会話や小学生英語というイデオロ ギーの周りにむらがる者たちは、日本には日本語の磁場という強力な磁場があるのだということがわかっていないのである。日本語磁場にいては絶対に生じるは ずのないことが生じると妄想しているだけのことである。磁場でなければ生じないことがあるということがわからないのだ。
 幼児英会話などの流行の元にあるのはグローバル化という(またしても)アメリカ産のイデオロギーである。そんなイデオロギーに無批判に参加してしまう母 親たちは、自分で自分の子供に何をやらせているのかが自覚できないのである。当然、方法自体を長い時間をかけて自前で作ってきた素読舎の「冷凍もの」とい う考えは理解できない。愚かしい。

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日本で日本語で生きている小学生が持つべき英語

 文まるごとを体に蓄積していくこと自体は、「冷凍もの」を作っていくだけだから、小学生の子供に何の害もない。あるとしても、九九を覚えることと同じく らいの害しかない。私は今、原理的にものを言っているんだが、小さい頃から英語に触れていれば、自然に英語が身に付くみたいな「磁場」を無視した考えよ り、「冷凍もの」という考えのほうがよっぽど確かな考えなのだ。それがわからなかったら、さっさとこのビラを破り捨ててもらって、やみくもに先に突っ込ん でいくがいい。どんな馬鹿をみようが、全部自分のせいだということだけは忘れないでやってもらうに限る。

 文まるごとを体に蓄積していくということは、昔から、受験英語で「例文暗記」と言われてきたことと実質は同じだ。素読舎の方法が受験生のご苦労な「例文 暗記」と違うのは、受験英語ではいやでも無理にでも「暗記」するということが行われるのに対して、素読舎のレッスンでは、覚えようと思ったわけではないの にいつのまにか覚えてしまっているということが成り立つという点にある。それが素読という方法の功徳なのだ。この方法は絶対に国家に使わせてはならない が、自分で自分を鍛えるためになら、個人や家族の間でなら使ってもいいものだ。害のない効果がもたらされる。
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日本で作られる英語が冷凍ものなら、それはいつ解凍されるのか?

 解凍はいわゆる英語圏で。
 がちがちの氷と水との中間のシャーベット状の英語までなら日本にいて日本語を使って暮らしていても作れないことはない。しかし、解凍は英語圏でやるのが いい。そこには英語で暮らす自分の生活があるからだ。生活では、がちがちの英語やシャーベット状の英語だけであるより、水のように流れるものをもっていた 方が都合がいいからにすぎない。
 日本にいて日本語で暮らしていくのなら、がちがちの氷でいいし、シャーベット状で流れない英語(ごつごつした英語)でいい。それであたりまえであり、そ れで普通なのだということをもう日本人は認識すべきなのだ。それを認識できている父親も母親もあまりにも少ない。率先してひっくり返っている文部科学省の ひっくりかえりをなぞって「ぺらぺら」などを信仰している父親や母親は、自分で自分の子供に何をしているのかさえ自覚できない。
 解凍は英語圏で。昔とくらべれば、それははるかに容易に実現可能なのだから、それでいいではないか。日本で日本語で暮らしているのに、「ぺらぺら」なん かやろうとしたり、「ぺらぺら」なんかを子供にやらせようとすることで、考えが文部科学省同様に、ひっくり返ってしまう。なんというていたらくか。これは 恥ずかしいことなのだ。
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冷凍ものとさえ言えない英語

 学校英語は音を軽視しつづけてきた。現場の英語教師のほとんどが「音づくり」ができない。大学の教員養成課程の英語「音声学」なんかは、ほとんど全部が アメリカからの輸入物でしかない。日本語で育った日本人の口の動きを元にした、自前の「音声学」を持っている大学教師がいたら是非手をあげてもらいたいも んだ。私が見渡したかぎりでは、今のところ、一人だっていやしねえのだ。
 現場の教師たちは、日本の大学の教員養成課程の犠牲者たちなのだから、あんまり責める気はない。音の軽視は語学に対する犯罪だが、大学教師や文部科学省 の役人たちが真犯人なのだ。
 音を軽視したら、「冷凍もの」の英語は作れない。いや、音を軽視して作った「冷凍もの」は解凍できなくなってしまうのだ。
 別の場面で考えてみればいい。
 NOVAその他の英会話学校の教師をやっている英語ネイティヴ(外人)は自分がネイティヴ音が出せるだけで、日本語で作られた日本人の口をどう動かせば 英語の音になるかに関する知識は何も持っていない。その程度の英会話学校教師なら、商売柄何人も知っている。肝心な知識を持っている者に出会ったことは一 度もない。
 英語ネイティヴのいる英会話学校も、「音づくり」ができないという点で、学校英語と何の変わりもない。戦後の時空において、学校英語と英会話学校は、日 本人の英語を駄目にしてきた車の両輪なのだ。
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英語機関はほぼ100パーセントがにせもの

 にせものの代表は学校であり、英会話学校だが、それ以外でもにせものがほとんどなのだ。にせものとほんものをどこで見分けるのか。解凍さえすればすぐに 使える「冷凍もの」を作る方法を持っているかどうかだ。語学論として書けているかどうかだ。それを持っていないすべての英語機関はにせものだ。単純にそう 考えて間違うことはない。
 今の学校なんかに小学生の英語をいじらせたら、これまでの英会話学校が繰り広げてきたていたらくの再現があるだけだ。現に、現場の小学校教師たちが困り 果てているではないか。教師としての良心があれば、小学生を相手に語学としてでたらめなことはやりたくないと思うのが当然である。
 英会話学校に金を払って、英会話学校にまかせ、そのやり口を学校に導入してしまっている小学校もあるという記事をインターネットで読んだ。英会話学校が 役たたずだというのはすでに証明されている。英会話学校に通って英語をしゃべるようになった人なんか会ったことがない。なぜ父兄たちは、この学校の校長を つるしあげないのか。わけがわからない。

 こんな馬鹿みたいな事態に対抗するためには、もっと素読舎に注目してもらう以外にない。
 インターネットで「語学論」で検索してみてほしい。まともに「語学論」をやっているのは、日本では素読舎だけだということがおわかりになるだろう。

 ごらんの通り、書くものに衣着せぬ流儀で生きてきたため、現在素読舎は閑古鳥が鳴いている。なかなか美しい声だと思って、閑古鳥の声を聞いている日々 だ。閑古鳥が鳴きやんで、どんな鳥の声も聞こえなくなっても、素読舎塾長は、今まで通り歯に衣着せぬことでやっていく。素読舎ひとつなんか、いつつぶれて たっていいのだ。日本人の奴隷根性、文化的植民地根性がどうにも気に入らないだけだ。これらの根性は、戦後の日本国家を動かしてきた者どもの根性でもある のだが、なんで俺たちがそんなものをなぞる必要があるのか。方法を持たないままに小学生に英語を導入する? わけがわからないのだ。わけがわからないか ら、こうして金にならず、金を損するだけのビラなどを書いているのだ。

 お馬鹿さんたちは素読舎以外を使ってくれ。英語にどれほどの金を使って、どれほど空しい結果を得ても、私に文句はない。

【12505】
ビラ原稿について 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月17日(木)05時03分14秒    編集済

ビラ完成したら私も 配らせてもらいます。

「ゆとり教育」、聞こえはいいけれど、結局学力の低下を招いただけだった。
小学校の英語必修化は、聞こえさえ良くない。小学校で「英会話」などやる前に日本語の読み書きができるようにするのが先だろ、という意見は少なからずあ る。「必修化」の陰にある「グローバル化」「国際人(わけのわからんコトバだけれど)」という幻想が父兄・小学校の先生を脅迫する。
発音指導するのに困る先生たちのためにテキスト専用CD。これを教室で流して子どもにマネさせてください。そう文科省は言っている。
そんなの大多数の子たちには役に立たない。それでできちゃう子どもは、自分でやってく。ほんとに意味ない。
「ゆとり教育」は理念は立派だったかもしれないけれど、結果はひどいものだった。
「小学校英語必修化」は「ゆとり」に比べたら聞こえさえよくない。役に立たず、害をなすのは予想できる。

もしかして、新しい植民地の形の実験をしようとしている人たちがいるんだろうか?
そんなことを思いました。

【12506】
感想T 投稿者:巴里子 投稿日: 2008年 7月17日(木)13時35分24秒

 「暮らしの手帳」 とても読み応えがあり、面白かったです。
 扉の絵いいですね。一生懸命にお父さんを描いた娘さんの眼差し、この位置に娘さんの小さい頃の絵を使った根石さんの心情が伝わりホロリとさせられます。 もちろん笑いも誘われました。
 各エッセイの内容はもちろんですが、題名の付け方がうまいと思います。「戦前への遅刻」これは秀逸です。奇妙な題名としか思えないのに、読み終えると 「なるほど」とうなってしまいます。まるで小説を読んでいる様な錯覚をおぼえました。
 随所にカタカナ表記があり、強調、婉曲、揶揄など微妙なニュアンスを感じさせて心憎いと思いました。「ミヤザキ様、オワダ様、コウタイシデンカ様」あた りを「キミノメグミゾ」のジイ様たちに読ませたら卒倒するのでは、根石節炸裂です。
 エロを書いていますが、さっぱりしてます。「ジェンダー」にがんじがらめになっている私ごときにはなんとも羨ましい限りです。
 まだまだ書きたい事がありますので後日「感想U」を書くつもりです。
 ご著書を下さった事、改めて感謝いたします。

【12507】
国家主義者 ナショナリスト 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月18日(金)01時04分8秒

ナショナリスト(国 家主義者)

根石さんの定義では国家に自己同一化することで自己が形成されている者。わたしもそう思う。
日本で、中国で、韓国で、今、ナショナリストがブームらしい。
実際に戦争に行ったじいさん達の世代には、むしろナショナリストの割合は少ないと思う。
ナショナリストの行き着く先は外交の破綻→最終的な外交手段としての戦争しかないと思うのだけれど、リアルな戦闘を体験していない世代のナショナリストに とっては、戦争は所詮ファンタジーあるいは過剰なイメージなのではないだろうか。
中国・韓国の「反日」、日本の「嫌韓」「嫌中」は所詮、戦争を体験していない世代の、リアリティを欠いたイメージの暴走でしかないんじゃないのだろうか。 リアリティを欠いたイメージ=妄想だけに、これはタチが悪い。
国家に自己同一化し、近隣諸国に憎悪(たぶん、これは近親憎悪)する者が増えることによって、笑いが止まらない人々っていうのが確実に存在すると思う。ナ ショナリストは、こういう勢力にうまく煽られているだけなんじゃないかと思えてくる。

国家がなくても、人間は生きていける。
「戦後の闇市」がその例だ、と根石さんは言う。混沌の中でも、人は生きていけるのだ。

巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月18日(金)04時34分53秒
ご感想をありがとう ございます。
詩集の方は、コピーはとれていますが、百姓仕事が忙しく、なかなかクロネコヤマトへ行けません。もう少しお待ち下さい。
続けてご感想をお願い致します。

【12510】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月18日(金)17時16分41秒

 ビラ原稿、手直し しました。
 元のやつに手を入れ、上書きしてしまいました。

 元のやつと手直し後のやつを別々に掲載すればよかったかなと思っています。

【12511】
草野心平の詩 投稿者:馬の骨 投稿日: 2008年 7月19日(土)16時33分56秒

猛烈な天
血染めの天の。
はげしい放射にやられながら。
飛びあがるやうに自分はここまで歩いてきました。
帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。
仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
その突端にこそ自分はたちます。
半分なきながら立つてゐます。
ぎらつき注ぐ。
血染めの天。
三千年の突端の。
なんたるはげしいしづけさでせう。
(詩集『絶景』より)

【12512】
ビラ原稿 1号 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月20日(日)01時04分50秒

[投稿日時] 2008年 7月17日(木)02時56分53秒
[題名] バイクで地域に配る予定のビラ、原稿
[投稿者] 根石吉久

小学生に英語?

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小学生英語に関する、文部科学省の考えはひっくり返っている。

 それを父親も母親も知らずにいる。あるいは批判できずにいる。
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日常会話ができればいい? 文法はやらなくていい? 馬鹿な!

 日常会話ほど難しいものはない。アメリカで歯医者に行って、どう痛むんですかと聞かれているんだとわかって、「しくしく痛む」んですと言うときに、この 「しくしく」を英語で何と言うのか。何と言おうと、しょせん近似値しか言えはしない。近似値が言えればそれでいいという見極めがいまだ日本という国では成 立していない。しくしく痛むその痛みは、それをその通りに言うためには、どんな英語をもってきても言えない。「しくしく」と日本語で言うしかなく、しくし くは絶対的にしくしくだ。英語でどんな言い方をしても、しくしくはしくしくではなくなってしまう。そういう単純なことをわからないまま、馬鹿な父親も母親 も子供に英語なんぞをやらせようとするのだ。それこそが馬鹿みたいな風景だ。
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 日常会話ほど難しいものはない。

 文部科学省の言う、「日常会話ができればいい」、「文法はやらなくていい」という理屈から生じるものは、決まり文句であいさつができる以上のことではな い。嘘だと思うなら、現在の計画どおり、学校でやってみるがいい。決まり文句であいさつができる範囲から出て、英語でものを考え、英語でものを言う人間が 出来るなら、この理論をひっこめてもいいが、まず10年もやれば、また俺たちがだまされたことが証明されるだろう。そしてそれが証明された時は、日本は今 よりもまた一段と狂っているだろう。弱体化しているだろう。子供を駄目にしてしまい、その子供が大人になって、問題をまき散らすだろう。
 日常会話? 文法軽視? だったら、日本国家の甘い汁を吸っている政治屋ども、学者どもが作りたいものが、戦後すぐに進駐軍の兵隊からチューインガムを もらいたくて、Hello と言っていた当時の子供と違うのか。当時のそういう子供は、戦後民主主義者になったりしたが、しょせんチューインガムが欲しくて、決まり文句を言って、ア メリカ兵に近づいていっただけだ。決まり文句であいさつができる程度の子供をわざわざ作りたいのか。この日本というパンパン国家は。
 日本で日本語を使って生きている小学生が持つべき英語は、冷凍ものの英語だけだ。冷凍もの以外の英語、「生き生きだの」「生きている英語」だの、それが どれほど危険なものか、父親も母親も知らないままだ。自分が英語をものにしなかったからといって、自分が英語を錆び付かせたからといって、考えまでだらし ないものにして何が楽しいか。
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日本で日本語で生きている小学生が持つべき英語

 文まるごとを体に蓄積していくこと自体は、「冷凍もの」を作っていくだけだから、小学生の子供に何の害もない。あるとしても、九九を覚えることと同じく らいの害しかない。私は今、原理的にものを言っているんだが、小さい頃から英語に触れていれば、自然に英語が身に付くみたいな馬鹿な考えより、「冷凍も の」という考えのほうがよっぽど確かな考えなのだ。それがわからなかったら、さっさとこのビラを破り捨ててもらうがいい。

 文まるごとを体に蓄積していくということは、昔から、受験英語で「例文暗記」と言われてきたことと実質は同じだ。素読舎の方法が受験生のご苦労な「例文 暗記」と違うのは、受験英語ではいやでも無理にでも「暗記」するということが行われるのに対して、素読舎のレッスンでは、覚えようと思ったわけではないの にいつのまにか覚えてしまっているということが成り立つという点にある。それが素読という方法の功徳なのだ。この方法は絶対に国家に使わせるべきではない が、自分で自分を鍛えるためになら、個人や家族の間でなら使ってもいいものだ。害のない効果がもたらされる。
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日本で作られる英語が冷凍ものなら、それはいつ解凍されるのか?

 解凍はいわゆる英語圏で。
 がちがちの氷と水との中間のシャーベット状の英語までなら日本にいて日本語を使って暮らしていても作れないことはない。しかし、解凍は英語圏でやるのが いい。そこには英語で暮らす自分の生活があるからだ。生活では、がちがちの英語やシャーベット状の英語だけであるより、水のように流れるものをもっていた 方が都合がいいからにすぎない。
 日本にいて日本語で暮らしていくのなら、がちがちの氷でいいし、シャーベット状で流れない英語(ごつごつした英語)でいい。それであたりまえであり、そ れで普通なのだということをもう日本人は認識すべきなのだ。それを認識できている父親も母親もあまりにも少ない。率先してひっくり返っている文部科学省の ひっくりかえりをなぞっている父親や母親は、本当には自分で自分の子供に何をしているのかさえ自覚できないのだ。
 解凍は英語圏で。昔とくらべれば、それははるかに容易に実現可能なのだから、それでいいじゃないか。日本で日本語で暮らしているのに、「ぺらぺら」なん かやろうとしたり、「ぺらぺら」なんかを子供にやらせようとすることで、考えが文部科学省同様、ひっくり返ってしまう。なんというていたらくか。これは恥 ずかしいことなのだ。
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冷凍ものとさえ言えない英語

 学校英語は音を軽視しつづけてきた。現場の英語教師のほとんどが「音づくり」ができない。大学の教員養成課程の英語「音声学」なんかは、ほとんど全部が アメリカからの輸入物でしかない。日本語で育った日本人の口の動きを元にした、自前の「音声学」を持っている大学教師がいたら是非手をあげてもらいたいも んだ。私が見渡したかぎりでは、今のところ、一人だっていやしねえのだ。
 現場の教師たちは、日本の大学の教員養成課程の犠牲者たちなのだから、あんまり責める気はない。音の軽視は語学に対する犯罪だが、それをやってきた大学 教師や文部科学省こそが真犯人なのだ。
 別の場面で考えてみればいい。
 NOVAその他の英会話学校の教師をやっている英語ネイティヴ(外人)は自分がネイティヴ音が出せるだけで、日本語で作られた日本人の口をどう動かせば 英語の音になるかに関する知識は何も持っていない。その程度の英会話学校教師なら、商売柄何人も知っている。やつらは、肝心な知識を持っていない。
 英語ネイティヴのいる英会話学校も、「音づくり」ができないという点で、学校英語と何の変わりもない。戦後の時空において、学校英語と英会話学校は、日 本人の英語を駄目にしてきた車の両輪なのだ。
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英語機関はほぼ100パーセントがにせもの

 にせものの代表は学校であり、英会話学校だが、それ以外でもにせものがほとんどなのだ。にせものとほんものをどこで見分けるのか。解凍さえすればすぐに 使える冷凍ものを作る方法を持っているかどうかだ。語学論として書けているかどうかだ。それを持っていないすべての英語機関はにせものだ。単純にそう思っ ている。
 学校なんぞに小学生の英語をいじらせたら、これまでの英会話学校が繰り広げてきたていたらくの再現があるだけだ。現に、現場の小学校教師たちが困り果て ているではないか。教師としての良心があれば、小学生を相手に語学としてでたらめなことはやりたくないと思うのが当然である。
 英会話学校に金を払って、英会話学校にまかせ、そのやり口を学校に導入してしまっている小学校もあるという記事をインターネットで読んだ。なぜ父兄たち は、この学校の校長をつるしあげないのかがわからない。

 こんな馬鹿みたいな事態に対抗するためには、もっと素読舎に注目してもらう以外にない。
 インターネットで「語学論」で検索してみてほしい。まともに「語学論」をやっているのは、日本では素読舎だけだということがおわかりになるだろう。

 ごらんの通り、書くものには、歯に衣着せぬ流儀で生きてきたため、現在素読舎は閑古鳥が鳴いている。なかなか美しい声だと思って、閑古鳥の声を聞いてい る日々だ。閑古鳥が鳴きやんで、どんな鳥の声も聞こえなくなっても、素読舎塾長は、今まで通り歯に衣着せぬことでやっていく。素読舎ひとつなんか、いつつ ぶれてたっていいのだ。日本人の奴隷根性、文化的植民地根性がどうにも気に入らないだけだ。これらの根性は、戦後の日本国家を動かしてきた者どもの根性で もあるのだが、なんで俺らがそんなものをなぞる必要があるのか、わけがわからないのだ。わけがわからないから、こうしてゼニにならず、ゼニを損するだけの ビラなどを書いているのだ。

 お馬鹿さんたちは素読舎以外を使ってくれ。英語にどれほどの金を使って、どれほど空しい結果を得ても、私に文句はない。

【12513】
ビラ原稿2号 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月20日(日)02時38分56秒

に手をいれました。
今回はごく一部の書き直しですので、2号の原版をそのまま書き直しました。
(→村田君)2号の元ヴァージョンは転写不要です。

【12514】
小学生向け英文法教材 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月20日(日)03時28分32秒    編集済

 現在作成中の 「ABCD」という教材は、上記の名前とすることを考えています。
小学校で英語が始まって少したてば、どうして小学生だからって文法をやらなくていいのかという声は出てくるだろうと予想しています。
 自分である程度の英語を作ったことのある親だったら、自然に持つ疑問です。

 先日書いたビラ原稿に、受験英語で苦労して暗記するようなことをしなくても、素読を原理とした方法なら、英文をいつのまにか覚えてしまうことが起こると 書きました。この「いつのまにか」というところが肝心なところです。
 現在作成中の「小学生向け英文法教材」を使えば、「いつのまにか」わかっていたということが生じます。もともと「ABCD」という教材は、中学生向けに それをねらって作ったものでしたが、現在、全面的に書き直しているのは、それを生じさせる力を強力にするためです。
 小学生にも十分に英文法が理解できる教材です。
 ただし、いつもながら問題になるのは、これをどう売るかです。
 売るというと言葉は悪いですが、小学生がこれを使って成果を実証してくれないと、いくら教材を作っても意味がありません。
 ご協力下さい。

【12515】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月21日(月)03時32分37秒    編集済

 私がこの掲示板の 過去ログをほとんど読むことがないのは、実際はさまざまな事情に邪魔 されて亀の歩みでしかないとして も、いつも新しいところへ出たいと思っているからだとは言えると思います。しかし、もうひとつの理由は、過去ログを読みに行っても、結局全部読むしかない のかと思って閉じてしまうためです。ひとまずは、ナマのまま全部収録しておくことが基本ですが、それだけだと「労作」になっていかないと思います。

 なんとか語学論としての内的連関がたどれないものかと思っています。

 今日もちょっと読みに行って、Naima さんが書いていてくれた頃、Naima さんが引用してくれた過去ログの記事は掲載されているのに、らくださんが引用してくれたものは採録されていないのに気付きました。

 「まとめる」ということを自分でやろうとは思いませんが、過去ログ番号を頼りに500位の記事を読んで、語学論としてピックアップしてみたいものをピッ クアップするというような作業を自分でやってみるしかないのかとも思っています。その場合、気の向くまま、ランダムにやることになります。
 その程度でも、掲示板に話題を提供するくらいのことはできます。。

 素読舎が素読舎であるのは、自前で語学論を作ってきたからです。その語学論に見合う教材を自作してきたからです。教材の元に、語学論があります。教材は それを作るのにどれほど膨大な時間がかかろうと、元にある語学論の結果にすぎません。
 もっと語学論に即した仕事をしてもらいたいものです。

【12516】
(無題) 投稿者:ERI 投稿日: 2008年 7月21日(月)04時11分44秒

他国に侵略されても 防衛の必要はないのかあ。つまり強盗されても誘拐されても陵辱されて も無抵抗なのね。それでも自分さえ生きてりゃ良いと。究極のエゴですなあ。
居候が家主に悪態ついても放り出されない、幸せね。
無教養による批判と結果を得られない理論(むしろ妄想だな)は詐欺だ。
誰にも相手にしてもらえない文句を垂れ流しながら百姓してりゃ、脳内がお花畑になるのも
理解できるが・・・。

【12517】
詩は遠い 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月21日(月)05時48分28秒

 人間社会における 感性が決定的であり、先験的でないこと

 それはまるで自然がやるように決定的だ。
 だったら、社会を自然を見るように見ていていいのか。愚かしさは愚かしさのままであり、それは微点において(だけ)、改変可能であるのに。微点の改変だ けが、全体を動かすだけであるのに。

【12518】
(無題) 投稿者:WWWI 投稿日: 2008年 7月21日(月)06時01分23秒

英語教育を否定(え らそうに)してますが、生徒は去り、変人扱いされても何の実績も残せ せない。その現実を英語教育なり、社会に転嫁しています。学び手が(英語に囲まれる)環境にないからついてこれないのだと!
ある意味、引きこもりの言い分に近い。
こんなに優秀なのに誰もわかってくれないよー、的な。
苦労して作った教材だから傑作なんだ、的な。
その内、幸せになれるペンダントとか言い出しそうね。悪質な詐欺ね。
どうか被害者が増えませんように。

【12519】
(無題) 投稿者:ERI 投稿日: 2008年 7月21日(月)06時20分12秒

ひきこもりが何を誰 と話すんだ?WW
そりゃ一般会話が難しいだろう、引きこもりだから。語学論だの文法だのそれ以前の問題よ。
それでも、ありがたがる人がいるのかねえ。まあ、霊感商法や振り込め詐欺がなくならない
からね。

【12520】
(無題) 投稿者:WWWI 投稿日: 2008年 7月21日(月)06時41分53秒

引きこもり英語塾は こちらですかあ?
不満と批判と自己弁護も押し付けられるそうですが?
ああ、幸福のペンダントもね。

【12521】
(無題) 投稿者:WWWI 投稿日: 2008年 7月21日(月)17時42分16秒

日常会話優先がパン パン国家(!!!!)に繋がり、子供に英語を触れさせたい親を馬鹿と
言い放つなんて!!!!!
朝日新聞すら支持しないだろう。無知の寝言以下だな。自身の思想に賛同しない他人を批判
してばかりでは会話(日本語でも)は困難だろう。語学論よりも先に日常生活を見直すべき
だね。
 まともな人として。

【12522】
(無題) 投稿者:ERI 投稿日: 2008年 7月21日(月)19時04分29秒

単純だ。
自分の子供には良い教師に出会って欲しい。それだけだ。
至上の語学論より常識的、道徳的な教師に。自身以外をニセモノ、馬鹿呼ばわりしないまともな人に。自己中心でない人に。
 子供にはまともに育って欲しい。そんな人にならないように。

【12525】
根石さん(新しい英文法教材について) 投稿者:村田 投稿日:2008年 7月21日(月)23時06分38秒

先日電話でお話しし ましたが、分室の方には小学4年生の子がいます。現在、ABCDの隠 していない部分をすべて終えました。
この子に、新しい小学生向け文法教材をやってもらおうと思いますがいかがでしょうか。
ほんとに幼児から始める教室や、大手学習塾を渡り歩いて、素読舎にたどりついた子です。それまでのところはそれこそ、ネイティヴ相手に日常会話優先でやっ ていたりしたそうです。
最初の頃、それまでいた教室と比べて素読舎での練習を軽視しているそぶりがあったので、1度だけ「英語だけの会話」をその子とやったことがあります。結 局、決まり文句の組み合わせの域を出ていないように思えました。(同じ年頃の他の子と比べたら、確かに聞き取りなどはできてるんですけど)
今では、練習をきちんとやっています。
小さな頃から英語に触れさせるといっても、生活ぐるみでなかったら、あまり意味がありませんよね。その子の場合はむしろ、「中途半端に生の英語に触れてき たために」、生活ぐるみで英語を使っている家庭の子どもに対しての劣等感が育っていたように見えました。

「日常会話優先・ネイティヴと一緒にいればしゃべれるようになる」をかかげるところから、文法を扱うところ(素読舎)に来てくれた子と親御さんです。(こ の親御さんは、根石さんが以前に書いたパンフレットを書店で手にしてから、来てくれた方です。直接には広告を見てからですが)
上にも書いたように、ABCDは一通りやりましたが、Dが先日終わり、とりあえずスラスラ読めるという状態です。まだ身になっている状態ではありません。
その代わり、英語も日本語もスラスラ読むことができます。
今、新しい文法教材をやれば、時期的にも一番効果がわかりやすいと思うのですが、いかがでしょうか。

【12526】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月21日(月)23時56分45秒

 作りかけですが、 使いたいなら途中までの分を渡しますので、やってみて下さい。

【12527】
根石さん 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月22日(火)03時09分51秒
よろしくお願いしま す。

【12528】
ERI・WWWIさんへ 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月22日(火)03時10分51秒

WWWIさんと ERIさんのリモートホストが同じなので二人は同じ方だと見受けました。

2008/07/21 19:04:29 ERI (無題) d78.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.78)
2008/07/21 17:42:16 WWWI (無題) d78.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.78)
2008/07/21 06:41:53 WWWI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)
2008/07/21 06:20:12 ERI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)
2008/07/21 06:01:23 WWWI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)
2008/07/21 04:11:44 ERI (無題)d5.InaganoFL1.vectant.ne.jp(202.215.147.5)


まず、わたしは最初の投稿の意味がわからないんです。

>他国に侵略されても防衛の必要はないのかあ。つまり強盗されても誘拐されて
>も陵辱されても無抵抗なのね。それでも自分さえ生きてりゃ良いと。究極のエ
>ゴですなあ。
>居候が家主に悪態ついても放り出されない、幸せね。
>無教養による批判と結果を得られない理論(むしろ妄想だな)は詐欺だ。
>誰にも相手にしてもらえない文句を垂れ流しながら百姓してりゃ、脳内がお花畑になるのも
>理解できるが・・・。

これが投稿された意味がわからないんですよ。

>他国に侵略されても防衛の必要はないのかあ。つまり強盗されても誘拐されて
>も陵辱されても無抵抗なのね。それでも自分さえ生きてりゃ良いと。究極のエ
>ゴですなあ。

この掲示板のどこかに「無防備都市宣言支持!」とか「非暴力支持!」というようなこと書いてありましたか?どこにもないはずですよ。
なんでいきなりこんな記事が出てくるかなあと思うのですが…。

>居候が家主に悪態ついても放り出されない、幸せね。
これは全然意味がわかりません。
素読舎が居候なんですか?
家主って誰ですか?

>無教養による批判と結果を得られない理論(むしろ妄想だな)は詐欺だ。
何を根拠にこう言われるかわかりませんが、結果はとっくに出ていますよ。わかりやすいところで言えば大学入試実績ですね。旧帝大・私立の有名どころは軒並 み合格してます。
英検1級パスした方はじめ、各資格試験についても実績があります。
でもほんとうの「結果」は、塾生が日本人としての立ち位置を見失わずに、使える英語の基盤が自分の力で作れるようになっていくことだと私は思っています。

で、何を根拠に、結果が得られない理論と書かれるのですか?

【12529】
ERI・WWWIさんへ 2 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月22日(火)03時12分52秒    編集済

>英語教育を 否定(えらそうに)してますが、生徒は去り、変人扱いさ
>れても何の実績も残せせない。その現実を英語教育なり、社会に転嫁
>しています。学び手が(英語に囲まれる)環境にないからついてこれ
>ないのだと!
>ある意味、引きこもりの言い分に近い。
>こんなに優秀なのに誰もわかってくれないよー、的な。
>苦労して作った教材だから傑作なんだ、的な。
>その内、幸せになれるペンダントとか言い出しそうね。悪質な詐欺ね。
>どうか被害者が増えませんように。

素読舎が英語教育を否定してるわけないじゃないですか。
英語を教えている塾ですよ?

逆にお聞きしたいのですが、
・黒板に書いた訳をただ写させたり
・CDの音を聞かせて、たいした説明もなくマネしろと言ったり
・きちんとした音作りもせずに一斉に音読させたり
・たいしたインプットもせずにひたすら問題集を解かせたり
・…
まだまだありますが、このようなことをやっている学校教育から、いったいどれだけの人間が英語をモノにしたというのでしょうか。
わたしらが問題にしているのは、こういう、役に立たない場所のことです。「英語教育」自体は否定してませんよ。


>学び手が(英語に囲まれる)環境にないからついてこれないのだと!

どこからこういう物言いが出てくるのかわかりませんが、わたしたちはこんなことは一言も言ったことがありません。
こういうことを言うのは、むしろ学校とか英会話学校でしょう。
留学しちゃえば生きた英語が身に付きますよ!なんて言って。

わたしたちの考え方は、ERI・WWWIさんの言い方に即すならば、「(英語に囲まれる)環境」に直面した時のための準備をし続けるということです。

ERI・WWWIさん、もっと日本語をきちんと読みましょうよ。塾長の文章は長いけれど、論理はきちんとしているので、普通に読めば、少なくともERI・ WWWIさんのように逆の意味になるような読み方は、まずできないはずなんですが。

以降はERI・WWWIさんが自分で仮定したことに自分でツッコミ入れてるだけですね。ひとり相撲って言うんでしたっけ。

幸福のペンダントって、何ですか?

【12530】
ERI・WWWIさんへ 3 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月22日(火)03時14分38秒    編集済

>日常会話優 先がパンパン国家(!!!!)に繋がり、子供に英語を触れさせたい親 を馬鹿と
>言い放つなんて!!!!!
>朝日新聞すら支持しないだろう。無知の寝言以下だな。自身の思想に賛同しない他人を批判
>してばかりでは会話(日本語でも)は困難だろう。語学論よりも先に日常生活を見直すべき
>だね。
>まともな人として。

これはたぶん、次の文章についての投稿ですね。

>  日常会話ほど難しいものはない。
>
>  文部科学省の言う、「日常会話ができればいい」、「文法はやらなくていい」という理屈から生じるものは、決まり文句であいさつができる以上のことではな い。嘘だと思うなら、現在の計画どおり、学校でやってみるがいい。決まり文句であいさつができる範囲から出て、英語でものを考え、英語でものを言う人間が 出来るなら、この理論をひっこめてもいいが、まず10年もやれば、また俺たちがだまされたことが証明されるだろう。そしてそれが証明された時は、日本は今 よりもまた一段と狂っているだろう。弱体化しているだろう。子供を駄目にしてしまい、その子供が大人になって、問題をまき散らすだろう。
>  日常会話? 文法軽視? だったら、日本国家の甘い汁を吸っている政治屋ども、学者どもが作りたいものが、戦後すぐに進駐軍の兵隊からチューインガムを もらいたくて、Hello と言っていた当時の子供と違うのか。当時のそういう子供は、戦後民主主義者になったりしたが、しょせんチューインガムが欲しくて、決まり文句を言って、ア メリカ兵に近づいていっただけだ。決まり文句であいさつができる程度の子供をわざわざ作りたいのか。この日本というパンパン国家は。
>  日本で日本語を使って生きている小学生が持つべき英語は、冷凍ものの英語だけだ。冷凍もの以外の英語、「生き生きだの」「生きている英語」だの、それが どれほど危険なものか、父親も母親も知らないままだ。自分が英語をものにしなかったからといって、自分が英語を錆び付かせたからといって、考えまでだらし ないものにして何が楽しいか。

これを読んでどうして
>日常会話優先がパンパン国家(!!!!)に繋がり、子供に英語を触れさせたい親を馬鹿と
>言い放つなんて!!!!!
という読み方になるのか、さっぱりです。
塾長の文章を読んで、「もっとやわらかい書き方の方がいいのに」という人はいますが、ERI・WWWIさんのように論旨を捻じ曲げて受け取る人はなかなか お目にかかったことがありませんよ。

上の塾長の文章の論旨は、ざっくり言えば「日常会話ほど難しいものはない」ということですよ。
ERI・WWWIさんもリモートホストから推測して、おそらく日本在住の日本人だと思います。
日本人が日本語で日常会話をするのは当たり前のことですよね?また、イギリス人が英語で日常会話をするのもまた当たり前です。
じゃあ日本在住の日本人が、英語で日常会話をするのはどうか。これは難しいですよ。
なにしろ、英語で人生を体験してこなかった人が、英語で考え、英語で自分の気持ちを語るんですよ?
ありえないですよ。それでも「日常会話」をやるっていうなら、じゃあその「日常会話」の正体って何かっていうと、決まり文句の組み合わせってことになりま せんか?これが終戦直後のギブミーチョコレートとどこが違うかっていったら、違わないですよ。

それでも、まだ決まり文句の組み合わせならいいんですが、ほんとに日常会話ができてしまう場合はむしろ深刻な問題です。小学生のうちに、生活が英語に取り 囲まれているということだからです。
これがアメリカやイギリスなんかの英語圏ならいいですが、ここは日本です。その子の自我形成や思考の軸足は日本語なのか、英語なのか。どっちつかずの、あ やふやなものになってしまう場合が必ず出てきます。そして、うすっぺらな「英会話」だけぺらぺら口から出てくる…。たかが(あえてこう言いいます)外国語 のために、子どもの精神をぼろぼろにしていいんでしょうか。
小学校における「いきいきした英語」が本当にあるとしたら、こういう悲惨な状況になる危うさを知ってくださいということですよ。

>子供に英語を触れさせたい親を馬鹿と
>言い放つなんて!!!!!

こどもに英語を触れさせたい親御さんに馬鹿なんて言ってませんって。
「いきいきした」とか「いきている」とかいう言葉に反応して、それがどういうことか想像せず、手放しで肯定している人に対して馬鹿と言っているのです。

【12531】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月22日(火)03時52分6秒    編集済

 ご苦労様。
 できるなら、村田君の自分の語学論として育つような論争になることを願っています。
 一見、語学論に見えなくてもそんなことは気にする必要はありません。

 私は、陸稲が草にやられているので、今日も草を刈らないとなりません。申し訳ありませんが、孫悟空をやっていてくれると助かります。村田孫悟空が、村田 猪八戒になるところを目撃できるかもしれないと思って見学させてもらいます。

 一箇所、「見に付く」の誤植がありました。

 それと最近の村田君の投稿で、投稿者名が「根石さん」になっているものがありました。訂正をお願いします。

【12532】
ERIさんへ 投稿者:ちい 投稿日: 2008年 7月22日(火)07時45分36秒

私は根石さんを支持 していますよ。
もっとよく根石さんの文章を読んでみて下さい。

【12534】
過去ログの使い方 投稿者:らくだ 投稿日: 2008年 7月22日(火)17時19分38秒

過去ログを全部読ん で面白いところを抜き出してみようか..などと欲張った事を考えたこ とがありましたが、頭から読み始め て間もなく断念しました。この量を読み切るなど到底できそうにない..と腰がくだけてしまったからです。今は、思いついたキーワードで検索をかけ、関連す る記事を読むといった使い方をしております。

以前、根石さんがホームページではなく掲示板を使う意味合いについて説明されていたように思います。ホームページの方が「売る」という観点からは有効だ が、常に新味が出ることを大切にしたいから、といったお考えであったように記憶しています。

ホームページは確かに固定的なところがあります。しかし、両方を併用ということも意義あるのではないか、と最近感じております。たとえば、Yahooで 「素読」というキーワードで検索をかけますと、スポンサーサイトを除けば素読舎のホームページがずらりと上位に表示されるわけです。しかし、これらのペー ジには残念ながら古い情報が載ったままです。「古い日付の記述=価値が低い」とは申しませんが、やはりホームページにも新味が欲しいところではあります。 「素読」というキーワードからどの程度の人数がアクセスしているか分かりませんが、少々もったいない気がするのです。

ホームページの更新にたいへん手間がかかる事は承知しております。しかし、今後、なにがしかの手間をおかけになるのであれば、ホームページに手を入れられ る事も選択肢の一つではないかと感じますが、いかがでしょうか?それは散々検討された結果ということかもしれませんが。

【12535】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月23日(水)02時42分53秒

 貴重なご意見で す。
 もう一度、ホームページの可能性を考えてみます。
 実は、ホームページを新たに作ろうと思って、やりかけて放置したものがあります。
 こちらは、百姓仕事の記事を主体に作ろうとしたもので、動機がちょっと違います。
 語学論を主体としたホームページが必要かもしれません。

 過去ログをお読みになって、これは再録の価値ありと判断された記事がありましたら、遠慮なくこの掲示板に貼り付けていただき、現在時点に放り込んでいた だきたくお願いいたします。
 もし新しいホームページができれば、「らくださんによるピックアップ」というコーナーが作れるかもしれませんので。

【12536】
根石さん・らくださんへ 投稿者:村田 投稿日: 2008年 7月23日(水)06時30分10秒

どんなことになって いくかわかりませんが、やってみようと思います。
孫悟空と猪八戒…気をつけます。
誤植の件は、訂正させていただきました。
過去ログについては、過去ログ倉庫の外見も内部的にも、つぎはぎだらけでやりにくいので、HPの改装が先かと思っていて進みませんでした。
内容的に一区切りがついてから、改装していこうと思います。

らくださんへ
申し訳ない気持ちです。
そういう機能は過去ログ倉庫になくてはいけないんですよね。
500番台までが一区切り、10000番代からまた傾向が変わってきます。
そこらへんの見通しがよくなるようにしていきます。

【12537】
ホームページ 投稿者:らくだ 投稿日: 2008年 7月23日(水)08時24分7秒

私がホームページに ついてご意見申し上げた直接の理由は、根石さんが「小学生向け英文法 教材」について

>ただし、いつもながら問題になるのは、これをどう売るかです。

とお書きになっていたからです。

この場合の「売る」というのは、どういう方たちに対してどういう形で売ることなんだろう、と考えました。電話レッスンについては、既に枠がいっぱいで席が 空くのを待っている方がいらっしゃると聞いています。それとも、地元の教室に生徒を集めることなのだろうか...。

教材とレッスンとは不可分、と根石さんはお考えでしょうから、これは無い事だと思いますが、私は教材だけを売るという事があっても良いのではないだろう か...と考えてしまいます。

小学生も良いのですが、素読舎の方法論を必要としている方(昔の小学生)は、全国に散らばっているのではなかろうか。音作りの部分について教材化すること が難しい事はわかりますが、次善の策としての独習教材を作る事はできないことであろうか。それをネットで販売する事はできないだろうか。良い教材だったら 2〜3万でも買うな、俺は。

と、そんな事をつらつらと考えて、売るにはホームページだな。と思い至ったわけです。あんまり「売る、売る」と連発すると陳腐なもの言いになってしまいま すが。

ホームページと過去ログ倉庫とはイメージを分けてとらえております。ホームページの文は、ログをそのまま収録するのではなく、これまでの積み重ねのエッセ ンスを簡潔な文でテーマごとに説明するような感じです。一般的な塾や予備校が生徒集めのためにやっているような事です。「実績」云々という話が出ました が、実績ももっとアピールして良いと思いますし、塾生の体験談なんかも良いと思います。

デザインについて。Naimaさんのホームページ、美しいと思います。

http://www.geocities.jp/pillbugtwin2000/sudokuindex.html

http://www.geocities.jp/pillbugtwin2000/index.html

いや、男二人がやることですので、無骨でかまわないとは思いますが。

勝手な事を書き連ねました。

【12538】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月25日(金)03時10分6秒

 今日話したこと で、メモしなかったことをここに書いておきます。

・「小学生用文法教材」は、2万行程度のものとする。
・この教材は、中学の文法が身についていない大人が使ってもよい
・1行目から2万行目まで、繰り返しの回数を以下のルールに従って「素読」する
  日本語部分、説明部分 1回
  断片(単語・熟語など) 3回
  英文まるごと 5回
  不規則変化など 10回
・素読が2万行に届いたら、前半1万行と後半1万行に分割
・後半1万行分は、復習として再度1万1行目から素読する
・前半1万行は、ポイントを塗りつぶした教材を使って、塗りつぶしたところに語、
 文などを入れながら読む

 以上のメモは、ホームページを作った場合、教材の使い方の説明に使いますので、後でこの記事にアクセスできるように保存してもらうか、別のテキスト文書 にメモしておくかして下さい。

【12539】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月25日(金)04時40分26秒

>この場合の「売 る」というのは、どういう方たちに対してどういう形で売ることなんだろ う、と考えました。電話レッスンについては、既に枠がいっぱいで席が空くのを待っている方がいらっしゃると聞いています。それとも、地元の教室に生徒を集 めることなのだろうか...。

 私は週に3回レッスンをしています。それ以外の日は、自宅自作の続きをやったり、百姓をやったり、教材づくりをしたり、語学論を書いたりしています。妻 が体をいためたため、薬剤師の仕事をやめ、家にいますので、我が家の現金収入は現在、私の「電話でレッスン」から得られるお金がほぼすべてです。17万円 から18万円くらいでしょうか。これで一家4人が暮らしています。薪ストーブを焚いたり、野菜を自分で作ったり、下水処理を全部自分でしたり、タダでもら える材料を使って家づくりの続きをやったりしていますので、割とお金がかからない暮らしです。それでも17万から18万円というのはなんとかようやく生活 が成り立つレベルで、今年はお金がないから孫を海に連れていくのはやめとこうかなどと妻と話したりしています。こういう家計だと、空き枠が二つ三つできる と、実に気持ちの上できつくなります。
 で、現在空き枠が二つできてしまいました。
 一人の方は、家に一大事が生じてしまいレッスンを続けられなくなったという電話を妻が受けたのですが、そういうふうな電話だと、かえってこちらから事情 を聞きにくくて、少したってからお電話しようと思って、今はそのままにしてあります。今、電話すると何かの邪魔になるような気がして。もう一人の方は、実 家の方が病気になられて、付き添いなどで時間がとられるから、ひとまず中断されるということでした。家族や親族に病人が出て、レッスンが続けられないとい うケースは最近とみに多いです。
 席があくのを待っておられた方は、空き枠ができたときに入っていただき、結構長い間、空き枠なし、待っておられる方もなしというバランスがとれていたの ですが、ここにきてたて続けに二枠の空きができてしまいました。一挙に生活に響きますので、私としては、常時一人二人の方が空き枠を待っておられる状態が 一番安心して教材づくりなどやっていられる状態です。しかし、私一人で決められることではないので、なかなかそうはいきません。

 「売る」についてですが、私は無限定に多くの方にレッスンすることはできませんが、私の開発してきた方法に広がりをもたせたいという願いはあります。
 どういう方たちに対してどういう形で「売る」のかについては、やはり「電話でレッスン」や「スカイプを使ったレッスン」で売ることを考えています。具体 的に今考えているのは、小学生を相手に英語の教室をやりたいが、何をどうすればいいのか思案中であるとか、小学生を相手だからといっていいかげんなことは やりたくないと考えているような方々、つまり、簡単に言ってしまえば、まともな英語の塾をやりたいと考えているような方々に売りたいと考えています。独習 用の音声教材を作るような知識や設備がありませんので、その線は考えていません。あくまでも、私のレッスンをじかに受けていただき、何をどう扱うのかを学 んでいただいて、小学生や中学生を相手に塾をやっていただきたい。そういう形で、私は私の方法の広がりを作っていきたいと願っています。
 英語のコーチをやる方法は今後も磨いていきたいと思っていますが、そのことで得られるお金はレッスンで得られるお金(十数万円から二十万円程度)でいい と考えています。語学論は、一度小学館で文庫本を作ってくれた時を除けば、まるでお金にはなりません。ですので、妻が自分ちで作った野菜を使った定食屋を やることを考えていますが、これは今のところ計画だけで、しばらくは私の十数万円から二十万円程度で暮らしていくことになります。
 済みません。家計の話などしてしまって。
 生活形態のバランスを維持するためには、やたらに生徒を増やすことはできないし、かといって、年に一度くらいは孫を海に連れていってやりたいしというと ころで悩んでいるところです。これが語学論と何か関係があるかというと、結構関係があって、私は塾をやってきながら、生活が成り立つか成り立たないかとい う瀬戸際を何度も歩いたわけです。私の語学論はその瀬戸際で生まれたもので、日本人の英語がたいてい死んでしまうこと、生きていてもいつでも死を目の前に した瀬戸際にあるという認識と、私の生活が成り立つか成り立たないかの瀬戸際にあるという認識は、私の中では危機意識として同じ響きをたてています。
 「売る」に話を戻しますが、教材を「売る」なら無料で売りたい。ただし、自分で地域の生徒を集めて英語教室をやりたいという人たちに、じかに私からレッ スンを受けていただくことを条件に無料で売りたいと考えています。というか、自分でレッスンを受けていただけば、自然に教材は手に入るわけです。このやり 方なら、自分の英語力をつけながら、同時に何をどう扱えば子供に力をつけることができるのかをわかってもらえると考えています。

>教材とレッスンとは不可分、と根石さんはお考えでしょうから、これは無い事だと思いますが、私は教材だけを売るという事があっても良いのではないだろう か...と考えてしまいます。

 やはり、私が作る教材は、こうしてレッスンするというレッスンの形態を前提にして作っていますので、例えば書店で売るような汎用性はないと思っていま す。英語教材は種々様々溢れかえっていますが、書店などで売るような汎用性を持ったものの発行部数や販売部数に比べて、それらの教材から実質的な力を作っ た人がどれだけいるのかを考えたら、ほとんどスカンピンというくらいなものだと思うのです。
 優秀な編集者がついてくれて、例えば柴田さんみたいに音に関する知識が非常に豊富な方と組むことができ、共著の形で話が飛び込んでくるようなことがあれ ば、よく迷ってみるかもしれません・・・。
 それでもやはり、レッスンの二年間には二年間分の、三年間には三年間分の実質があり、これは独習教材では手に入らないものだと考えています。実際に生徒 の音を聴いて、「あ、もうちょっと口の両端に力を入れて」だとか、「口の両端が一番持ち上がっているときにアと言ってみて」とか「もうちょい狭い」とかい うアドバイスは、生のレッスン以外では不可能です。だけど、レッスンはお金がかかるので、レッスン代金を安くできないかと考え、今はスカイプを使って、同 時に二人とか三人の人を相手にレッスンすることをずっと考えています。

>小学生も良いのですが、素読舎の方法論を必要としている方(昔の小学生)は、全国に散らばっているのではなかろうか。音作りの部分について教材化するこ とが難しい事はわかりますが、次善の策としての独習教材を作る事はできないことであろうか。それをネットで販売する事はできないだろうか。良い教材だった ら2〜3万でも買うな、俺は。

 ネットやCDRに焼いた形で販売できるのは、私がやれる範囲では、やはり文字教材の部分だけだろうと考えています。贅沢な望みですが、優秀な編集者が現 れてくれないと無理だろうと思います。

>と、そんな事をつらつらと考えて、売るにはホームページだな。と思い至ったわけです。

 非常にいいタイミングで示唆していただいたと思っています。売るにはホームページの方がいいなとはずっと考えてきたことでしたので、ようやくふんぎりが つきそうです。今日、村田君とそのことで話をしました。

>ホームページと過去ログ倉庫とはイメージを分けてとらえております。ホームページの文は、ログをそのまま収録するのではなく、これまでの積み重ねのエッ センスを簡潔な文でテーマごとに説明するような感じです。一般的な塾や予備校が生徒集めのためにやっているような事です。「実績」云々という話が出ました が、実績ももっとアピールして良いと思いますし、塾生の体験談なんかも良いと思います。

 ログをそのまま収録するというのでなく、ログを引用して、現在時点からのコメントを書いたり、ログをプリントアウトしたものを間に置いて、村田君と話を してテープ起こしをして新しい記事を作ったりということを考えています。いずれにせよ、一般的な塾や予備校が生徒集めのためにやっているようなものにはな らないと思っています。あくまでも語学論を軸に据えて、論を読んで胸のつかえがおりたというような人がこちらにコンタクトをとってくれればいいなと願って 作っていこうと思っています。非常に広い意味では「広告」や「宣伝」かもしれませんが、語学論を軸にするという一点は崩さないで行きたいと思っています。

>デザインについて。Naimaさんのホームページ、美しいと思います。

 これは、私や村田君の力が及ぶところではありません。
 Naima さんが手伝ってくれれば鬼に金棒なんですが、Naima さんは、この掲示板に出入りしたせいかそうでないのか、どんどん英語から離れていってしまわれたようです。ときどき書いてくだされば、Naima さん、ページの色とタイトルの位置と大きさだけ決めてくださいというようなお願いもできるんですが・・・。

>いや、男二人がやることですので、無骨でかまわないとは思いますが。

 ひとまず無骨で始めます。
 適切なアドバイスいくつもいただき有り難く、感謝しています。
 巴里子さんからいただいた酒を飲みながら書きました。酒が入るとつい余計なことを書いてしまいます。この点、ご勘弁の程、よろしくお願いいたします。

【12542】
根石くん 投稿者:ERI 投稿日: 2008年 7月25日(金)23時35分19秒

大変そうですなあ。 諸物価値上がりのご時世ですから。
さて小生が申し上げたいことは語学論ではありませぬ。世に溢れる英語教材を否定出来るほど知識はありませんから。
ズバリ、人格です。
過去に生徒に厳格に接し恐怖を植え付け(認めないでしょうが)クレームに対しては開き直り圧力だと罵った。(思い出したくないでしょうが)
そして今、社会との繋がりを絶ち引きこもり状態のままで英語(手段としての)を売る、教えるのは、恥を知れ!と言いたい。

田村さん、貴殿とは意見交換するつもりはありません。
ああ、村田さんか。

【12544】
ERIなる者の投稿について 投稿者:村田(管理人) 投稿 日:2008年 7月26日(土)01時56分42秒    編集済

「大風呂敷」読者の 皆様へ。

ERIなる者の投稿がすぐ下にあります。
(わたしがリモートホストを晒したからか、わざわざ別の端末から書き込んでいます。)

この投稿について、根石さんと話してみました。
根石さんは、これまでにクレームを受けたことなど一回もないとのことでした。
ERIの書いていることは、事実無根の悪質なデマです。
だいたい、
>過去に生徒に厳格に接し恐怖を植え付け(認めないでしょうが)クレームに対しては開き直り圧力だと罵った。
というようなことはありえないのです。「クレームに対して開き直り圧力だと罵」るなんてことは、根石さんの書いていることを読んでいれば、それはしない、 とすぐわかるはずです。どこぞの民主主義をカサに着たような団体の人じゃないんだから、「圧力があった」なんてことはまず言わない。この文章はERIなる 者の自己投影でしょう。
また、ERIなる者は、「ズバリ、人格です。」とでも書けばダメージを受けるとでも思っているようですが、根石さんは常日頃、「俺は人格でなんか生きてき たんじゃない、職人として生きてきたんだ。」と言っています。英語職人にとっては、人格なんてものよりも、「腕」の方がずっと大事なのです。
腕はまったくしょぼいけれど、人あたりと人づきあいだけはいい大工がいたとして、そんな大工に誰が家を作るのを頼むでしょうか。同じく人あたりはいいけれ ど、腕のない医者に、体をあずけることができるでしょうか。
ERIなる者には、そういうことを理解する能力がないようです。

当初私は、少しは語学論にかするかもしれないと思い、最後までERIなる者の相手をしてみようと思っていました。
しかし今回、このERIなる者は、ただ誹謗中傷したいだけだということが判明しました。
こんな者は、こちらから御免蒙ります。


この掲示板の管理者は、根石さんではなく、村田です。
このERIなる者は、語学論の意見交換をするつもりがさらさらないことを自白しております。
また、ERIなる者の意図が誹謗中傷だということがわかっています。
この掲示板にとって、害なす者以外の何者でもありません。
わたしは管理者として、以後、ERI及びWWWIの投稿は自動的に削除することにします。

皆様、ご承知ください。

【12545】
ERI ちゃん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月26日(土)02時21分1秒

>ズバリ、人格で す。

 「ズバリ」って、カタカナが笑える。おう、「ズバリ」ばっかやってりゃいいじゃねえかよ。
 人格?人格なんか俺にあったんか?「人格」を(たかが)塾をやってる人間に要求する人々がたくさんいることは知っている。そんなものを押しつけられるの が嫌で、わざわざ非人格者としてふるまってきたという自覚ならある。
 俺は、国家資格を持つ教師じゃない。俺は、腕一本で生きてきた職人だ。おめえなんぞに人格をつべこべ言われてたまるか。職人の腕と人格はおんなじもん だ。

>過去に生徒に厳格に接し恐怖を植え付け(認めないでしょうが)クレームに対しては開き直り圧力だと罵った。(思い出したくないでしょうが)

 「生徒に厳格に接し」はまったくその通りだ。勉強するつもりで塾に来ている子が勉強するのを脇から邪魔するようなくだらない根性はさんざん見てきた。塾 を使って、英語が面白くなって、もっと知りたいという状態を邪魔するわけだ。ERI というちんぴらの根性と何の変わりもない。
 「恐怖を植え付け」に関しては思い出すことがひとつある。わがまま放題に育ってきた中学生の女の子をどなりつけたことが一度ある。その子は、その場で昏 倒した。俺は指一本触れたわけじゃないが、言葉だけで昏倒した。俺はびっくりした。そのことが俺の塾の歴史での最大の事件だった。そのことについて、親か らクレームはなかった。そもそも、はっきりと俺にクレームをつける親がこれまでいなかった。蔭でこそこそと悪口を言う人はかなりいるんだろう。それだけの ことだ。でたらめを並べても駄目なんだ。俺にクレームをつけて、開きなおられた親がいたっていうんなら、その親を連れてきてくれ。ああ、あれ、クレーム だったんですか?って思い出すかもしれねえから。

>そして今、社会との繋がりを絶ち引きこもり状態のままで英語(手段としての)を売る、教えるのは、恥を知れ!と言いたい。

 「社会との繋がりを絶ち」? アホか。「手段としての」? 金儲けの手段としての、という意味か? アホか。「引きこもり状態」? 俺がいつ引きこもっ ているんだ?(実はたまにひきこもるけど、おめえなんかの知ったことか) 俺は、毎日外に出かけなきゃならねえんだ。事実無根を並べても、ちんぴらは楽し いんだろう。恥を知れは、こっちの言うことだ。

 これで最初で最後だ。馬鹿らしくておめえなんぞ相手にしてられるか。
 村田君と話して、この掲示板におめえは出入りしなくていいってことにした。


【12547】
暑中お見舞い申し上げます 投稿者:Naima 投稿日: 2008年 7月26日(土)03時48分7秒    編集済

根石さん

>Naima さんは、この掲示板に出入りしたせいかそうでないのか、どんどん英語から離れていってしまわれたようです。

英語からどんどん離れて行ってしまっているのは事実ですが、大風呂敷に出入りしたせいではありません。英語はやればやるほど母国語との溝が深くなるばかり と言うか....失恋してしまったような感じですわ。

英語を教えていたころは、それでも仕事として勉強を続けねばという強い義務感みたなものがあったのですが、英語講師の仕事を辞めてしまうと、その気持ちも 萎えてしまいました。何よりも磁器上絵付けの勉強にのめり込むようになってしまい、今は絵付けの勉強で手一杯、頭一杯になっています。絵付けの勉強にあ たっては、ドイツ語がどうしても必要なので、このドイツ語で素読舎方式を試して、その経過をご報告しようと何度もお約束しておきながら、それも中途半端に 終わってしまっています。面目ないことばかりです。申し訳ありません。

さて、私のホームページですが、これは絵付け教室を始めるにあたって、友人が好意で作ってくれたものです。管理も友人がやってくれています。

ERIという投稿者、ERIOtさんの周辺の方ですかねぇ。いつれにしろ大風呂敷を長く「愛読」して来た方のように見受けられますが...

また書込みに来ます。

【12548】
Naima さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月26日(土)04時35分51秒

 午前3時過ぎに、 ネットなんかやってるのは、世間一般からすれば、奥様として不良です よ。
 不良とチンピラの差を昔から考えていますが、浪速ではどんなふうなんでしょうか。私の考えでは、不良は相手にして、俺が教えてもらえることがある、チン ピラは駄目。チンピラはアメリカのブッシュと同じで、「否定」に支配されてる。いや、チンピラと不良という語は入れ替えてもいいんです。生きて判断してる 者にはその差ははっきりあると思うのです。
 だが、割と ERIなんてお子は、チンピラ風の不良なんかもしれねえと思ったりして、迷うことしきりです。今のままだと、相手にする暇はねえよ、ってことです。
 で、ひとまずは「出入り禁止」です。

 なんにせよ、Naima さんが書いてくれたってことは、Naima さんが今でも「大風呂敷」を読んでいてくれるということなので、私としては、一度庭に出て、夜空を見て、ああ、浪速のおなご、と思ったことでした。
 ERIを名乗る者は、意外に私の家の近くに住んでいる者だと思っています。
 Eliot さんとは何の関係もない人です。

 英語をやればやるほど母国語との溝が深まる!
 その通りだと思います。
 だからやるんだと思います。溝を深めるために。コミュニケーション(笑)のために。

 失恋ですか。ううむ。私は最初から英語には振られていたと思っています。それは、私が存外に無垢だった時期で、その時期にさっさと振られていたと。アメ リカの文化も文明も、遠くのおとぎ話だったと。あこがれたことは一度もない、と。
 何のせいか、誰のせいかは知りませんが、私は守られていたのかもしれません。その守る力が(多分、「村」という共同体の力が)死んでしまって、それで、 今になって破れかぶれみたいになっているのかもしれません。

 Naima さんのホームページの色だけでいいからパクればいいじゃねえかと村田君に話しました。あれは、特別に作った色なんでしょうか? なんであんなにきれいなんでしょうか。

【12558】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月27日(日)03時17分19秒

もっとも汎用性の高 い言語・簡単に国境を越える言語

 私は英語塾をやってきました。だから英語をやったほうがいいよ、と日本人に言い続けてきました。しかし、英語という言語がアメリカ中心主義のようなもの と結びつくたびに、不快な思いを持ちました。決してアメリカが世界の中心ではない。一人一人の人間が世界の中心なのだ。例えば、アメリカ人とそんな議論を する場合の言葉も英語でしたが、言語が現世のリアルなパワーと結びつくことの不愉快は変わりませんでした。
 現在つきあっているオーストリア人は、もともとの言語はドイツ語ですが、私とは英語でつきあっています。英語は、すでにアメリカ、イギリス専用の言語で はなくなりました。英語圏の外の多くの国で、英語が使われるようになっています。
 例えば、私が韓国の人とつきあいが始まったとして、相互に英語で話すということは大いにありうることです。日本でつきあうのでも、韓国の中でつきあって いくのでも、英語が中に立つということは考えられますし、今後そんなケースは増えていくような気がします。
 英語という言語は、パソコンの「ローマ字入力」みたいなものかもしれません。(略)どんな会社のワープロにも使えるし、パソコンのソフトで「ローマ字入 力」を受けつけないものはまずありません。(略)一般的な使い方でもっとも汎用性が高いのが、「ローマ字入力」です。その点が英語と同じです。
 簡単に国境を越える言語、それが現在の英語です。空港、飛行機。港、船。そういうものをイメージしなくても、わが家の茶の間から、インターネットで、レ キシントンという町に住んでいる私の友達のところへメールが送れます。
 韓国の人と韓国の話をするには、話が細かいことになればなるほど、日本人が韓国語を知っているほうがいいし、日本のことを話すのなら韓国の人が日本語を 知っているほうがいい。話が細かいものになればなるほど、その土地の言葉を直接にわかるのがいいに決まっているのですが、逆に汎用性ということでは、英語 がもっとも汎用性をもっています。
 その土地固有の、なかなか外に理解されない性質も、英語が持つ汎用性も、両方大事にされるべきです。

【12564】
生徒の募集 投稿者:らくだ 投稿日: 2008年 7月27日(日)04時11分31秒

> で、現在空き枠 が二つできてしまいました。

そうでしたか。気がつきませんでした。

ホームページの有効性という話に繋げれば、こういうことは言えないでしょうか。ブログや掲示板はいわば動的なところがあり、現在、レッスンの空き状況がど うなっているか、ということが見えにくい面が弱点。ホームページは比較的静的なところがある分、設定されているレッスン枠の曜日と時間、空き状況や空席待 ち状況も常に明示できるかと思います。この掲示板を見て、レッスンを受けてみようかな..と思った方も、空席情報が見えづらいことで「どうせ一杯なんだろ うな...」と、問い合わせること自体をためらってしまう。多分に心理的なことではありますが、ありそうなことだと思います。

それにしても、貴重なレッスン枠が空いているなど、もったいない限りです。ビラの文面等の語気の強さから引いてしまう方もいるんでしょうかね。このごろは 何でもベタに受け取る方が多いですから、敢えてする「ケレン味やエクセントリックな物言い(過去ログ/61. 学校での音読の実践(1)」というものが通じにくいのかもしれません。

【12566】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月27日(日)04時46分54秒    編集済

 早起きですね。私 はこれから寝るところです。長野でも暑いので、昼間寝たりしますが、 夜寝ないとまた寝にくくて、一度起きてすぐに昼寝するみたいなことになります。
 空き枠の数は書く気になれば、すぐにこの掲示板にも書けることなのに、私はそういうところが間が抜けているんです。経営の感覚がほとんどないのが、素読 舎の最大の欠点だとは昔から思っているのですが、なかなか改まりません。
 空き枠ができたら、今後は掲示板に書き、村田君にホームページに反映させてもらおうかと自分に言い聞かせています。らくださんは的確に私の間抜けの抜け た間を指摘して下さるので、有り難いです。ありがとうございます。
 私はやたらに生徒の数を求めてはいませんので、通じにくい「ケレン味やエクセントリックな物言い」をやってきました。わかってくれる人はわかってくれる だろうという甘えであるのかもしれません。どの程度出し、どの程度ひっこめるのか、そのあたりは考えないわけではないのですが、レッスン後に掲示板に書く 時は、たいがい酒が入っておりますので、なかなか思うようにいきません。つい先ほど、階段を降りて、何度目になるのか、酒を汲みに行ってきたところです。 巴里子さんが詩集を読みたいとおっしゃったのでお送りしたら、送って下さった秋田の酒です。高清水っていうんですが、いい酒です。
 またしても、貴重なアドバイスありがとうございました。

【12567】
有機農業 投稿者:らくだ 投稿日: 2008年 7月27日(日)04時47分21秒

>実は、ホームペー ジを新たに作ろうと思って、やりかけて放置したものがあります。
>こちらは、百姓仕事の記事を主体に作ろうとしたもので、動機がちょっと違います。

根石さんの生活の両輪の片方について触れたことがありませんでした。関心が無いわけではないのですが。

農業に関する記事も少し入れてはどうかと。

村田さんも、あながち語学論とも無関係ではない、という感じをもたれたことがあるのでは?

以下、過去ログより
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【9406】
【タイトル】素読関係の本
【 日時 】04/11/20 16:24
【 発言者 】村田

「素読のすすめ」安達忠夫著・カナリア書房
本屋で偶然見かけたので衝動買いしてしまいました。
表紙見返しにこんなことが引用されていました。
「素読は有機農法における土づくりとおなじで、即効性を求めない。意味や内容など理知的な面については説明しないので、ことばの響きやリズムといった感性 的な面だけが、時間をかけてじっくり耕され、根がしっかり育つ。(中略)表面的な意味をせっかちに求めない。『わかった』つもりにならない」
音読ではなく素読と言っているところが目にとまった点です。10年前に絶版になって、最近再版されたそうです
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この本は現在は

http://www.amazon.co.jp/感性をきたえる素読のすす め―くりかえし声を出して古典を読むことの楽しさと価値-安達-忠夫/dp/4778200020/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s= books&qid=1217100495&sr=1-3

となっているようです。面白そうだと思いながら、私はまだ読んでいません。

いっそのこと、有機野菜の宅配販売ページもどうでしょう。これは以前おやりになった事があるかもしれませんね。本物の有機野菜は貴重で、今は会員制の宅配 システムで購入している方も多いですよね。ご存知かもしれませんが、東京に本拠を置く

大地を守る会

http://www.daichi.or.jp/?banner_id=a4&ysmwa=h61CfYZPY6-2-r5SyZD7zaglGvGSZDqBj-wRX_0phMXm8Fi1ug6NRJ-aBq7t9gYb

や、らでゅっしゅぼーや

http://www.radishbo-ya.co.jp/radish-lp20/index.html?utm_source=overture&utm_medium=cpc

などでは、生産者を募集しているかもしれません。私の学生時代の友人が、そういった仕事をしていますが、去年久しぶりに会った時に、生産者を発掘して全国 を飛び回っているというような話をしていました。そいつに言わせると、日本の農業は危機に瀕している、なんとかせにゃならん、のだそうです。確かに自給率 を見るだけでも、それは明らかですが。

【12573】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月28日(月)00時38分31秒

>農業に関する記事 も少し入れてはどうかと。

 そうですね。一度作りかけてあるホームページを素読舎のホームページへ統合すべきかどうか迷うところです。

>村田さんも、あながち語学論とも無関係ではない、という感じをもたれたことがあるのでは?

 いわゆる有機農法は、薬剤で汚染された畜糞を使っていても、有機農法は有機農法なわけです。今はもう、有機農法自体が汚染されてる段階になってしまって います。そうなると、有機農法を正確に定義しなくちゃならなくなってきて、今のところ、私の考えでは、「薬剤を土に入れない」「微生物が活発に動いてい る」「土の汚染が減っていく」の三つくらいが実現されたものじゃないと駄目だなあという感じです。私のやっている畑は、今のところこの三つは実現していま す。
 私の定義による「有機農法」が語学論と無関係でないというのは、無関係どころではないと言いたい気持ちがあります。私のレッスンでも、英語の知識は扱う のですが、私がずっと目を離さないのは、「英語が根を張れる土壌=土」です。そして、この場合の「土」は、日本では社会という広がりにはなくて、どこまで も個人の意識でしかないというのが、私の「磁場論」の骨格です。

>「素読のすすめ」安達忠夫著・カナリア書房
「素読は有機農法における土づくりとおなじで、即効性を ?求めない。意味や内容など理知的な面については説明しな ?いので、ことばの響きやリズムといった感性的な面だけが、 ?時間をかけてじっくり耕され、根がしっかり育つ。(中略) ?表面的な意味をせっかちに求めない。『わかった』つもり ?にならない」

 骨格においては、私はまったくこの安達さんが言うとおりだと思っています。
 ここに書かれたことは、日本語の素読に対して言えることであり、英語や語学で使う素読では、「意味や内容など理知的な面」を外せないという違いが生じま す。

>いっそのこと、有機野菜の宅配販売ページもどうでしょう。これは以前おやりになった事があるかもしれませんね。本物の有機野菜は貴重で、今は会員制の宅 配システムで購入している方も多いですよね。

 有機野菜は、今は我が家で食べているだけです。だけど、野菜は穫れるときは穫れすぎるっていう問題があって、多分、今年、うちで穫れすぎるのはトマトだ ろうと思っています。自分で種を蒔いて苗を作ったので、結構本数を植えてしまいました。庭先の雑貨屋に来るお客さんにあげたりとかしても、多分余ってしま うのではないかと思っています。
 私は百姓は下手で、今年もたくさん失敗しましたが、ものによっては穫れすぎるほど穫れるということが起こります。
 安定して一定量を収穫するというレベルに達していませんので、野菜を販売するのは無理だなと考えていますが、こういう穫れすぎの野菜を、らくださんちに お送りしたらご迷惑でしょうか。無料で結構です。送料はお知らせしますので、息子さんのレッスン代金に乗せて振り込んでいただければ結構です。私の魂胆 は、英語だけじゃなく、野菜の方でもご縁ができれば、年に一回くらいは、うちに遊びにきてもらえるのじゃないかということです。バーベキューをやったり、 畑仕事を手伝ってもらったり、近所を案内したりして一緒に遊べるんじゃないかと思っているのです。
 この野菜はいい、これなら金を払ってもいいと思われた場合は、金額は一切そちらにお任せしますので、適当に500円とか1000円の郵便小為替をお送り いただけるなら、それもまた結構です。今のところ、自分で野菜に値段をつける気はありませんので。

>大地を守る会
>らでゅっしゅぼーや

 紹介いただきありがとうございます。どちらも知りませんでした。女房に、アクセスして調べておいてくれと頼みました。

>私の学生時代の友人が、そういった仕事をしていますが、去年久しぶりに会った時に、生産者を発掘して全国を飛び回っているというような話をしていまし た。そいつに言わせると、日本の農業は危機に瀕している、なんとかせにゃならん、のだそうです。確かに自給率を見るだけでも、それは明らかですが。

 日本の官製英語教育もそうですが、農業政策もでたらめを続けてきています。
 国になんか頼ろうとしても、農業は滅びていくばかりです。
 百姓は、自給200円だか250円だかにしかならないという話です。
 汗をかくのが嫌いな人なら、誰もやりたがるわけがありません。
 たまたま百姓家に生まれて、汗をかくのが好きなので、私はやっているだけです。
 すでに書いたように、もっと都会の人たちが農業現場に来てくれるというのが、もしかしらた突破口になるかもしれないと思います。農村の人たちは、人見知 りが激しいですからなかなか難しいですが。観光とかレジャーとか体験とかと結びつけないと、日本の農業は確実に滅びると思っています。
 観光やレジャーじゃないですが、自分で作った野菜を使った定食屋っていうのは、計画だけはあります。いまだ、実現していません。なにしろ、台所の改造を またしても自分でやらなければなりませんので。私の一生は、こういうことから抜けられないのだろうと思っています。

【12574】
どんでんから抜粋 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月28日(月)01時45分55秒

(リンク。英語どん でん、語学論、素読舎の決まり文句から「先生根性ほど嫌いなものはな い」


 英語での喧嘩は、イギリス娘としたのが最初でした。(略)このイギリス娘は、日本に来て英会話の先生をしていました。家庭教師のようなこともやっていた らしく、ある日、私の家に来て次のようなことを言いました。
「子供が大きくなってしまった日本の家庭には、子供が幼かったときに買ってやった絵本がたくさん放置してある。誰も読まない絵本がたくさんあるので、これ を英語に翻訳し、アフリカの子供たちに送ってあげたい。私は日本語の読み書きができないから、あなたが日本語を英語に直し、その英語を私がさらに読みやす いものにしてアフリカに送ってあげるのだ。そういう仕事を考えついたから、あなたは私を手伝うべきだ」
 イギリス人の娘にそう言われ、私がやりたくないと答えたことから、言い合いになりました。
 「あんたは日本語の絵本を英語に直し、アフリカの子供たちに送ることで何か「いいこと」をするつもりらしい。しかし、どうしてアフリカの子供たちが英語 で絵本を読まなければいけないのだ。アフリカには、おじいさんやおばあさんがアフリカの言葉で子供たちに話したお話がいっぱいあったはずだ。自分たちの言 葉で子供たちに話していたお話があったはずだ。あんたらヨーロッパの国が、アフリカを植民地にし、金や銀を泥棒し、勝手に自分たちが支配して、好きなよう にいじりまわした。そして、そこの言語やお話を滅ぼした。だから、今ではアフリカの子供が英語で絵本を読むような変なことになっている。それは変なことな のだ。
 絵本を読むことは、語学をやることとは違う。語学のように、自分が自分に対して意識的に行うこととは違う。絵本を読むことは、一人の子供の『生活』なん だ。その『生活』の言葉を外から勝手に英語に置き換えることは野蛮なことだ。あんたは、その子供の『生活』の中に、まるであたりまえのことのように英語を 置こうとしている。俺は、あんたがやろうとしている『いいこと』を今は手伝うつもりはない。
 日本の家庭に放ってあるように見える絵本も、子供が大人になってから、もう一度抱きしめるようにそれを読みなおす可能性だってある。自分が子供の頃にそ れを読んだときの感情を、その絵本でもう一度抱きしめることだってありうるのだ。放ってあるように見えるものが、なぜ不要のものと決められるのか。日本語 の上に英語を書いた紙を貼りつけてアフリカに送ることなど、俺はやりたくない」
 すると、イギリス娘は、お前は「exchange of culture (文化の交流)」を否定するのか、それなら、なぜお前は英語を教えているのか」、と私に反論しました。英語で喧嘩をするのは初めてでしたから、私の脳味噌 は、そのときだくだくと汗をかいていたかもしれません。
 言いました。
 「俺が英語をやっているのは、お前のようなやつにはっきりとものを言うためだ。俺は、今、英語でお前と言い合っている。お前は、子供の頃からしゃべって きた言葉で俺と言い合っている。言葉の喧嘩でどっちが有利か、どっちが不利か、お前にもわかるだろう。俺がガキの頃からしゃべってきた日本語でお前をやっ つけるなら、お前を本当にうちのめしてやれる。英語は俺にとって、練習途中の言語だが、その練習途中の言語で、今、俺はお前と喧嘩しているのだ。不利な言 語でお前の相手をしているのだ。言語そのものが culture であり、culture の精髄だ。今、この場所で、それを本当に exchange しているのは誰だ。お前なのか、俺なのか。『いいこと』なんかする前に、日本に暮らしているお前は、日本語をまともにやって、exchange of culture をやるがいい。それをやらないことの免罪符に、アフリカなんか使うんじゃない」
 イギリス娘は、その場を蹴たて、どかどか歩き、玄関の戸を乱暴な音をたててあけ、行儀悪く出ていきました。喧嘩はどうしても後味が悪いものですが、それ でも私は英語をやっておいてよかったと思いました。

【12575】
記事候補、二つめ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月28日(月)01時59分22秒

同一化するんではな い、媒介にするんだ

(決まり文句、語学論、どんでん)

 日本語というものがあり、日本人が英語をやると、日本語に影響された英語をしゃべるようになります。その日本人の英語は、自己中心的「でない」欧米の人 にはとても参考になるはずです。そこに反映している日本人の考え方や感じ方、あるいは日本語での考え方や感じ方を知るためのいい素材になるはずです。自己 を見失い、英語でのものの考え方や感じ方に自分を同一化してしまう惨めな日本人はたくさんいます。英語は媒介すべき言語です。同一化すべきものではありま せん。英語をとことん媒介にし、もう一度日本語に出会い、日本語を再発見するためにも英語をやるべきです。

【12576】
記事候補、三つめ 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月28日(月)02時36分32秒    編集済

「電話でレッスン」 が生まれた経緯

(村田君、適当に判断して複数の文字列からリンクして下さい。)


 素読舎は根石吉久が、大学卒業後どこにも就職せずに始めた英語塾です。今、これを書いているのは、2008年7月28日ですが、さて、素読舎は何年やっ てきたんだろうと改めて考えると、かれこれ、33年か34年やってきたことになります。そろそろ、一応、「この道、ン十年の職人」をなのってもいいのかな と思っています。

 素読舎の歴史の後半は、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」です。

 素読舎での練習と学校の部活の練習を比べて、素読舎での練習を部活の練習の下に位置づける親などがいると、私の若い頃の強いプライドが破裂し、軋轢を生 じたりしました。一番文句を言われたのは、「時間がかかりすぎる」ということでした。「時間がかかる時期に時間をかけなくてどうするんだ。余計にやったか らって、その分の金を要求するわけじゃない。時間がかかる塾が嫌なら、他を使ってもらうしかない」などと言い続け、地域との間に軋轢や冷たい関係が生じま した。子供の頃から嫌いだった学校の下に素読舎が置かれることを我慢できなかったと言い直しても同じです。今でも我慢できません。

 妻は、現在も地域の子供たちを相手に塾を続けていますが、塾長の私が、「もう、地域は相手にしない」と宣言し、「電話でレッスン」に、自分のレッスンの 場所を移しました。

 こちらのレッスンは、週一回、一回30分が基本です。生徒さんのほとんど全員が、電話での声しか知らず、一度も顔を見たことがない人たちです。

 週一回、一回30分というふうに時間を小さく限っても、生徒に力をつけられるだけの教材を作る技術は、地域の子供たちを相手にして身につけました。この 点では、冷たい関係になった以後も、地域に感謝しています。

 「電話でレッスン」を開始したのは、10年以上前のことだったと記憶しています。

【12577】
ホームページ記事候補 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月28日(月)04時16分24秒

中学レベルの英文法 が身についていないという自覚のある人、大募集


 「大募集」の意味は、スカイプというパソコンソフトを使って、友達と一緒にそれぞれの家にいて、「スカイプでレッスン」を受けていただくことができる程 度の「小募集」ですが、これまでは一対一を基本にレッスンしてきましたので、「一対複数生徒」を基本にしていこうという現在の考えを反映させて、あえて 「大募集」にしました。要するに、募集してるってだけのことです。

 あたしら中学の頃はツッパッチャッテ、英語の文法なんか知らないよね、と友達と話が合っちゃうような3人までのグループを募集します。
 このレッスン形態は、お友達のそれぞれが家にいて、それぞれが自分ちのパソコンでスカイプというソフトを使ってできます。

 それとは別に、週に何度か合うような仲のいい友達だったら、一人の友達の家に週一回集まって、「手ぶらホン式」の電話を使って、一緒にレッスンを受ける こともできます。手ぶらホンというのは、確か所ジョージがコマーシャルに出ていた三洋の製品だったと覚えていますが、別に三洋のものでなくても、いくつか のメーカーから「手ぶらホン式」の製品は出ていると思います。受話器を耳にあててなくても電話ができる機種のことです。

 電話を使うのでもスカイプを使うのでも、中学レベルの文法が身についていない自覚のある人たちを相手にレッスンが可能です。ただし、一度にできるのは三 人までです。
 二人で使えば、レッスン代金は半分になります。三人で使えば、三分の一になります。

 素読舎の通信回線を使ったレッスンは、週1回、1回30分で、月額1万2千円です。二人で使えば一人6千円、三人で使えば4千円でレッスンが受けられま す。

 使う教材の名前は「小学生用英文法教材」です。
 あたしゃ、今、45歳だけど、「小学生用英文法教材」? 馬鹿にしてんのか? と思われるかもしれませんが、この教材は中学レベルの文法が小学生にもわかるように、素読舎が長年使い続けてきた「ABCD」という教材を、全面的に書き 直したものです。
 「小学生用」と名前にありますが、それにこだわらないで使っていただきたいものです。
 要するに、「小学生用」は、めちゃくちゃわかりやすいというくらいの意味にとっていただけば結構です。
 文法がわかるためには、おじさんもおばさんも小学生も区別する必要はないわけです。教材がわかりやすくて、英語がわかるようになればいいことです。

 スカイプの設定、手ぶらホンのマイクの指向性などの問題があります。
 スカイプは通信回線がADSLか光通信であることが条件になります。パソコンの基本ソフトはウインドウズXP以上です。スカイプを使えば、電話料金は一 切かかりません。
 手ぶらホンについては、あまり調べてないので、おすすめの機種が言えません。メーカーにご自身で問い合わせていただき、マイクの指向性があんまり狭くな い機種を選べば、何でも使えると思います。手ぶらホンの場合も、光電話、IP電話など、料金が全国一律の通信回線が必要です。(昔のNTTのぼったくり長 距離電話料金は今でも生きていると思いますので。)光電話などであれば、レッスンで使う電話代は月額で数百円です。お友達と分担して負担していただけば、 100円から400円くらいの料金で十分使えると思います。

 このレッスンを使われて、これはいけると思われた場合は、是非自分のお子さんに使わせてやって下さい。お子さんの場合でも、友達と一緒に、一度に二人、 三人のレッスンが可能です。

 あるいは、手ぶらホンを使って、お母さんと小学生二人の兄弟が同時にレッスンを始めるというような使い方もできます。

 私がアドバイスできる範囲はアドバイス致しますので、友達と二人で、あるいは三人で、あるいは家族で、中学レベルの英文法をやっつけようと計画された方 はお問い合わせ下さい。

 空き枠がない時もありますので、ひとまずはお問い合わせ下さい。

問い合わせ 掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
      携帯電話 090−4181−5912

【12580】
どんでん抜粋 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月30日(水)03時22分19秒    編集済

語学の英語と生活言 語としての英語は別物

(素読舎の決まり文句、語学論、英語どんでん返しのやっつけ方)


 語学をやることの意味は、イメージを鍛えていくことにあると私は考えてきました。コミュニケーションをやかましく言う前に、イメージを鍛えることが大事 なのだと言い続けてきました。
 国際化を言い、英語をコミュニケーションの道具ととらえてきた人たちの多くは、これまで、語学の対象としての言語と生活言語を地続きのものと考えてきま した。それは本当は地続きではありません。英語関係の本は非常に多いのですが、語学の言語と生活言語の違いに意識的な本はほとんど見あたりません。
 この二つの領域は本来まったく別のものであって、ひとまず生活言語から切り離された語学独特の領域というものがあります。
 日本人が日本に暮らしながら英語をやる場合は、あくまでも語学をやるのであり、語学の英語を生活言語と地続きだととらえないほうがいいのです。ひとまず は語学特有の領域で、意識的に激しく語学をやるべきです。そして、生活言語に渡ったときは、語学を忘れるべきであり、忘れなければなりません。生活言語で あるべき場面で、英語を語学の対象にすることは、相手にとって非常に失礼なことです。(略)
 語学の言語は、その「あふれ」として、生活言語に渡ることができますが、(略)本来別々のものを地続きに考えているコミュニケーション論者の声がやたら に大きい今は、その区別をはっきりさせることの必要も同時に大きいのです。

【12581】
どんでん抜粋 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月30日(水)03時40分9秒

知識は殺していい。 殺せば生き返ってくる。

(村田君、「学習論」という項目をトップページに加え、その下に「素読」という項目を置いて下さい。トップページの「素読」という項目は削除せずにそのま まにして下さい。トップページの「素読」からも、「学習論」の二段目の「素読」からも、それより下の階層の記事が同じようにたどれるようにして下さい。)

(どんでん、学習論)

 英語が苦手な人たちに、今度は逆に英語をやっつけてしまったらどうだ、と言いたいのです。勉強だとか学習だとか上品に考えず、英語と喧嘩するんだと思っ てもらいたい。むしろ、英語を殺すのだと思ったほうがいいかもしれない。語学では、自分の外によそよそしくあるものを殺したとき、自分の内にそれが生きは じめます。殺すんだ、みな殺しにするんだと思ってかまわない。紙の上に印刷された英語などはじめから死んでいるといえばその通りですが、それを二重に殺 す。殺しなおすのです。殺しなおせば、自分の内に生きかえってきます。

【12582】
どんでん抜粋 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 7月30日(水)03時52分51秒    編集済

中間、期末の試験に 飼われてはならない

(どんでん、決まり文句、学習論)

 学校の成績は、中間試験・期末試験によっておおよそ決まります。この中間試験・期末試験とはどういう性質のものでしょうか。これらの試験では、出題の範 囲が決まっています。教科書の何ページから何ページの範囲を試験するぞ、という性質の試験です。
 こういう試験では、要領のよい、はしこい人が余計に点をとります。これが落とし穴です。「余計に」とった点は、けっきょく実力ではありません。安いペン キを塗ったと同じことで、じきにはげ落ちてしまいます。
 中間試験や期末試験ではよくできるのに、実力テストや予備校等の模試になると、まるで点のとれない人がいます。安いペンキがはげ落ちたのです。要領はよ いが、実力のない人です。
 逆に、中間や期末ではあまり点がとれないが、実力テストや模試で偏差値のはねあがる人がいます。これは実力派です。私の塾にもこういう人がいます。中 間・期末の試験と実力テストでは、学年三百五十人の学校で、二百番くらい順位が違う高校生がいます。実力テストをすると、二百人をごぼう抜きするのです。
 それでよいのです。最後にものをいうのは実力であり、成績ではありません。だから、成績のよい人も大学入試でたくさん落ちるのです。だから、予備校が大 きくなるのです。
 成績は気にするな。
 実力を気にしろ。
 成績と実力とは一致しない。
 中間、期末の試験に飼われてはならない。

【12586】
東大に受かる程度の頭 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 2日(土)05時12分45秒    編集済

 (村田君、どこへ 収めればいいか迷います。ひとまずおまかせします。)

 世の中に頭が悪いという言い方がありますが、これは練習と鍛錬が不足していることと、それが原因で、自分で自分をあきらめる癖がついていることを意味す る場合がほとんどです。塾という仕事をやってきてわかったことですが、東大に受かる程度の頭は世の中にごろごろしています。さまざまな事情がからみ、それ らの頭が受験に特化されないだけです。

【12587】
二百五十人中二百三十九番 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 2日(土)05時32分10秒

 高校三年になって から大学へ行きたいと思ったのですが、成績は三流受験校の学年二百五 十人中二百三十九番でした。(略) 頭がよいにしろ、頭が悪いにしろ、頭というものだって鍛えれば変わるはずだから、鍛えてみることにしよう。一年かけて、ちゃんと実験し、実験結果を出して みようと決めたのです。
 学校の先生に「お前はどこを受けるのか」ときかれ、「どこも受けません。浪人します」と答え、卒業するとすぐに自宅浪人生活に入りました。(略)なにも ろくに考えたことのない家畜の頭が急に動き出したときの驚きというようなものを経験しました。むごたらしい場面もいくつかあったが、それでいいのだという 自信がありました。
 三流受験校二百五十人中二百三十九番が、およそ半年で、代々木ゼミナールの模試で二万五千人中三番になりました。自分でびっくりしました。

【12588】
「電圧装置」 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 2日(土)06時08分44秒

 これは機械の名前 ではありません。自分で作るものですが、材料費は安いです。ただし、 完全に使いこなすのに労力はおしまないで下さい。
 まず、文房具店に行って、レポート用紙とボールペンを買ってきます。材料はそれだけです。レポート用紙を縦に二つ折りにするだけで、「装置」になりま す。
 これを使い、英単語、熟語、単文、文法事項などをみな殺しにします。辞書をひいて調べたこと、これは覚えるべきだと思うもの、まだあやふやなものなど を、これに書き込みます。
 三十行くらいのレポート用紙に一行おきに書くと使いやすいでしょう。書き込み方は、いろいろに工夫できますが、左に日本語、右に英単語(単語、熟語な ど)という書き方をひとまず標準にします。発音を知ったばかりのものは発音も書き込みます。(略)
 くれぐれも注意してもらいたいことがあります。
 欲ばって、一度に何枚も作ることはしないことです。(略)「嫌気」が大敵なのです。「量より質」をこころがけて下さい。これが大切なコツです。まずは一 枚を確実にものにして下さい。
 自分用に記号(→、〜、各種括弧など)を決めて使いこなすと簡潔に作れます。スペリングなどは正確であること。もし間違って書き込むと、間違ったまま完 全に覚えてしまうことになります。
 さて、最初の一枚を作り終わったとします。どのくらい時間がかかってもいいから、この一枚に書かれたものを、一つ残らず殺します(覚えます)。左の日本 語を見たらただちに右の英単語が書けるようになるまで、レポート用紙を広げたまま、別の紙に何度も何度も書き、言いながら、強くイメージします。(略)
 手で書き、口で言い、想像力、直感力などを総動員して知識を殺します。知識を殺すとは、知識を単に文字で書かれた知識にしておかずに、自分の意識におけ るイメージに変えることです。
 こういう練習によって知識が殺されたとき、その単語・熟語は練習した人の内にイメージとして生きはじめます。(略)
 あくまでも体の動きによってとりこみます。初めから記憶力などというものをアテにしないで下さい。口で言い、手で書いて下さい。そして、強くイメージし て下さい。(略)
 ひとつずつ確実に殺し、一枚のレポート用紙に書かれたものをすべて殺し終わったと思ったら、紙を二つ折りにして、左半分に書かれているものだけが見える ように机に置きます。答が隠れ、問が見えているように置くことになります。
 一枚のレポート用紙に書かれたものを、完全に覚えるようになるまでに必要な時間は、慣れるにしたがって少しずつ短くなっていきます。初めはどれだけ時間 がかかるかなどは気にしないで下さい。量より質が大事です。

 さて、日本語を見ながら、つぎつぎに「解答」していきます。実際に手で書いて、別の紙に解答して下さい。
 非常に大切なポイントがあります。見たらすぐに手が動き、隠されている英単語等が書けるのでなければ駄目だということです。
 日本語を見たら、「ただちに」、ほんとうに「すぐに」、英単語が言えて書け、イメージが生じるようになっていなければいけません。それが最低限必要な質 です。思い出すということをしてはいけない。思い出すのに数秒必要な単語があったら、練習が足りません。もう一度、レポート用紙を広げて、練習しなおして 下さい。
 日本語を見て、「ただちに」英単語が書け、答え合わせをしたら間違いゼロだったというところまで仕上げることができたとします。これで、ひとまず一枚の レポート用紙にある知識をみな殺しにしたことになります。そうしたら、レポート用紙の上のほうの空白に通し番号のナンバーを「1」と書き込みます。
 一枚のレポート用紙に書き込める単語・熟語の数は十五程度です。しかし、十五ばっかしなどとバカにしてはいけません。十五ばっかりの単語も完全に殺すこ とができない人が、何千もの単語が殺せるはずはありません。十五ばっかしでいいから、完全みな殺し戦術にぬかりのないような質のいい練習を行ってくださ い。
 読書しているのではないので、使ってある日本語は、絵を見るように見て下さい。一目で見て、そのイメージ(煮詰められればイデア)をつかみ、ただちに英 単語(熟語・短文)に即応させます。
 塵も積もれば山となります。英語をやる場合に、これは真実です。

【12589】
こういうところで差がつく 投稿者:村田 投稿日: 2008年 8月 2日(土)23時01分20秒

塾生の一人(中3) が、長野高校の体験入学に行ってきました。
(長野高校は、長野県の進学校としては一応3本の指に入る学校です。)
英語の授業を1時間ばかり受けたそうです。
ジョン・レノンについての長文を読んで、先生に訊かれた問題に答えていくという授業だったらしいです。
(長野高校でもこんなことやってるんですね…当ててくの)
彼によれば、なんでこんな簡単な問題にみんなてこずるのか、わからないのか、という感じだったそうです。
まあ長野高校あたりを受ける人たちは、学習塾や家庭教師なんかについて、かなり勉強しているんでしょうけど、やっぱり問題集を解くことばっかりやってるか ら、長い文章にあたると、頭から読んでいくことができず、苦戦するのでしょう。
こういう根本のところで、素読舎の塾生との差が出るんですね。
学区外からの応募は、実技を含めた全科目の評価が満点でなければならないらしいので、志望校からは外したようですが、意外なところで自信がついたようで す。

【12590】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 3日(日)02時18分49秒    編集済

(昨夜書いたものの 続きに何行かあけて、以下のものをコメントとしてペーストして下さ い。)


 小学館文庫版へのコメント 08/08/03

 小学館文庫「英語どんでん返しのやっつけ方」は、2000年の発売ですので、約8年前のものへのコメントということになりますが、実は小学館文庫の「英 語のやっつけ方」のパートは、1983年に素読舎から発行された「けんか英語入門・英語のやっつけ方」という冊子を収録したものです。従って、このコメン トは25年前に自分で書いたものへのコメントということになります。
 コメントしたいのは、以下の部分です。

------------------------------------------------------
・左の日本語を見たらただちに右の英単語が書けるようになるまで、レポート用紙を広げたまま、別の紙に何度も何度も書き、言いながら、強くイメージしま す。(略)
 手で書き、口で言い、想像力、直感力などを総動員して知識を殺します。

・口で言い、手で書いて下さい。そして、強くイメージして下さい。

・非常に大切なポイントがあります。見たらすぐに手が動き、隠されている英単語等が書けるのでなければ駄目だということです。

・日本語を見たら、「ただちに」、ほんとうに「すぐに」、英単語が言えて書け、イメージが生じるようになっていなければいけません。それが最低限必要な質 です。
------------------------------------------------------

 日本語を見たら、「ただちに」、ほんとうに「すぐに」、英単語が言えて書け、イメージが生じるというレベルは、英単語を見たら、「ただちに」、「すぐ に」イメージが生じるというレベルでもあるわけです。ここは地続きです。
 日本語は、英単語を見たら、「ただちに」、「すぐに」イメージが生じることを始動させるための単なるきっかけのようなものになっているはずです。ここが 語学が、日本語(母語)に対して罰当たりなところです。

 このときの「ただちに」「すぐに」の自然性や自動性は、記憶力というものが作るものではありません。これは、言ったり書いたりする「繰り返し」が作るも のです。言ったり書いたりすることも、体の一部を動かしながらやっているわけで、「繰り返し」は体の動きの繰り返しであるわけです。
 「言いながら書きながら」というのは、一つの英単語なら英単語を「暗記すること」とは次元が違います。暗記は頭がやるのでしょうが、「言いながら書きな がら」は、頭がやることより以前に、あるいは頭がやることと同時に、英単語なら英単語を体になじませているのです。頭の次元だけでなく、体になじませて、 知識を体の次元に「降ろしてやる」ということをしているのです。言葉は悪いですが、これが「頭のいい馬鹿」が実体化することを防ぐ唯一の方法ではないかと 思っています。「頭のいい馬鹿」が量産されている時代ですから、「言いながら書きながら」ということは、重要な一項目となると思います。

 「言いながら書きながら」という場合、私の「電話でレッスン」の生徒さんたちなら、「言いながら」というところで苦労することはありません。「電話で レッスン」で使う教材は、「繰り返し」を原理として作ってありますので、特に覚えようと思ったわけではないのに、いつのまにか覚えてしまったということが 自然に起こります。これは、原理として、暗記とは違うものです。いつのまにか自然に覚えてしまった文に含まれる単語を、「言いながら書きながら」イメージ するときに、もう音として文をまるごと覚えてしまってあるので、「言いながら」について苦労することはありえません。

 レッスンとレッスンの間の一週間の間に「言いながら書きながら」の「書きながら」をやってくれと生徒さんに言うことがあります。これについても、最近よ く生徒さんに言うことを、ここにコメントとして書いておきたいと思います。

 「単語を書く場合に、何回書けばいいのかと聞かれることがあるんだけど、回数は決まってない。何十回かというくらいのおおざっぱなものだけど、一番参考 になるのは、そろばんの上手な人の指の動きだと思う。そろばんの上手な人は、そろばんの玉を動かすのに、今度は人差し指、次は親指、その次は薬指なんてこ とは全然意識していない。ある数字を耳で聞いたり、目で見たり、心で思うだけで、指が勝手に動く。英単語を書くことで言えば、その単語の音を言ったとき に、手首が勝手に動いて自然に自動的にその英単語が書けてしまうというレベルになればいいので、回数にとらわれる必要はない。「自然に自動的に」というレ ベルが実現するのは、多分何十回という回数にはなると思う」

 というようなことを、最近よく「電話でレッスン」の生徒さんに言っています。
 字を見れば、勝手に口が動いて、すらすらと自然に自動的に「読めてしまう」というレベルは「電話でレッスン」を受け続けていただけば、必ず実現します。
 生徒さんが自分でやってもらう必要のある練習は、単語の音を言ったときに、手首が勝手に動いて自然に自動的にその英単語が書けてしまうというレベルを実 現してもらうことです。これは、レッスンではできません。
 「言いながら書きながらイメージする」というときの、「言いながら」に関しては「電話でレッスン」は必ず責任をもって、「自然に自動的に」というレベル を実現しますが、「書きながら」に関しては、生徒さんが自分でやっていただく必要があります。その時に、一番参考になるのは、そろばんが上手な人の指の動 きだと言いたいのです。いちいち何かを考えなくても、手が勝手に動くというレベルが必要なレベルなのです。

 「言いながら書きながらイメージする」の「イメージする」ですが、これが一番説明に困ることなのです。人の意識にイメージが生じるということの正体が、 私にはよくわかっていないのです。いろんな関連の本を読むのですが、納得できたことがありません。正体はわからないままに、しかし、人間の中にイメージが 動くということは現実であり、日常的なことです。今、この日本語の文を書きながらも、私の中にイメージの気化したようなもの(イデアと名付けていますが) が動くわけです。その正体は、人間の精神というものの正体がわからないとわからないものだと思われます。あるいは、人間という生き物の正体がわからないと わからないものだと思われます。

 イメージの発生や、その動き自体を言葉で説明できないので、最近は生徒さんに次のように言っています。

 『言いながら書きながら、強くはっきり思うってことをするわけ。この単語は「こういうこと」ってのを強くはっきり思えばいい。「こういうこと」とか、 「こういう感じ」というものを強くはっきり思えば、イメージってのは、自然に勝手に生まれてくる。それが生まれてくれば、結果として、イメージを作れたっ てことになる』

 以上、「言いながら書きながらイメージする」について、今の段階でのコメントです。

【12591】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 3日(日)02時20分31秒

戸倉分室の生徒の記 事ですが、こういうのも、素読舎のホームページに残していくといいと 思います。
トップページに、戸倉分室という項目を置いてみて下さい。

【12592】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 3日(日)02時36分58秒

酔余記事。

「こういうところで差がつく」の「差がつく」ですが、こういう言葉を使うことを私は長年にわたって、躊躇し続けてきました。
強烈な羞恥心が腸捻転を起こすみたいになるのです。
で、ですが、

素読舎に欠けていたのは、こういう言葉なんですね。
だから、戸倉分室の記事には、この言葉を残して下さい。

【12593】
酔余二発目 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 3日(日)02時46分32秒    編集済

杉並病

日本の現代詩の第一人者は谷川俊太郎ということに、異論を唱えることはなかなか難しいことだろうと思う。
その谷川さんは、おやじさんの哲学者が残した杉並の家に住んでいるんだろうと思う。
その杉並の「田舎」にあたる井草だったか、畑が残っているあたりに東京都のプラスチックごみ圧縮用施設は建設され、有害なガスを発生させ、近くの住民を苦 しめた。
こうなりゃ、詩人も哲学者も糞もねえわな。
多分、谷川さんもガスを吸っているはずだ。
それで、谷川さんは、そのことには文句ひとつ言わない。言えば、ただちに政治の問題にかかずらうことになるから。それは一つの態度としてはいいものだと思 う。

詩人にプラスチック由来のガスをぶっかけるなよ。
日本国家めが。
アメリカ相手のパンパン国家めが。

【12594】
日本陸軍 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 3日(日)02時56分32秒    編集済

のナショナリズムの ぼんやりした根性は、鋳物師屋村に生き残っています。
今年後半あたりで、一発やります。

【12595】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 4日(月)02時32分35秒

(昨夜のコメントの 下に、次のものをまた置いて下さい)


さらにコメント 08/08/04

 25年前に書いたものを、今日になってもう一度眺めてみると、「電圧装置」を使ってやる練習と、「読みながら書きながらイメージする」という練習をうま く分離して書けてないなと思いました。自分ではよくわかっていることなのだが、この書き方だと、読者の中で、「電圧装置」を使う練習と、「読みながら書き ながらイメージする」ということの関係がはっきりしないのではないかと思ったのでした。
 老婆心なのかもしれませんが、再度、コメントを加えます。

 「言いながら書きながらイメージする」練習は、「電圧装置」を使う練習を下支えするものです。練習全体のもっとも大事な部分が、「読みながら書きながら イメージする」です。この下支えがなければ、「電圧装置」を使った練習はまったく成立しません。
 「過程」と「結果」という分け方をすれば、「言いながら書きながらイメージする」が「過程」であり、「電圧装置」を使った練習(「ただちに」「すぐ に」)は、「結果」です。

 順序としても、「言いながら書きながらイメージする」が先にあり、「電圧装置」を使った練習は、その後になります。(レポート用紙を二つ折りにして、 「電圧装置」を作ることは、これら二つの練習の準備にすぎません。)

 また、「英語のやっつけ方」を書いた当時は、「電圧装置」という名称で練習全体を呼んでいましたが、「過程」こそが大事なんだと思い直し、現在では、 「言いながら書きながらイメージする」という言葉をそのまま練習の名前と考えています。

・「言いながら書きながらイメージする」練習
・「電圧装置」を使う練習

 というように、二つとして考えています。根本にあるのは一つで、「記号を使って、イメージを瞬時化する」ということがあるだけです。練習としても連続し ています。

【12596】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 4日(月)03時14分49秒

よろしく。
------------------------------------------------------

電圧装置(2)

重ね方・はずし方

 一枚のレポート用紙に書き込んだ単語・熟語等をみな殺しにして完全に覚えてしまいました。これと同じことを二枚目のレポート用紙でもやります。いちいち を示せないので、ここでは一枚目のレポート用紙を<1>と表し、二枚目のを<2>と表します。
 さて、<2>もみな殺しにしたとします。次は<1>と<2>をひとまとめに殺します。二枚をたてつづけに解答し、間違いゼロの状態にします。この過程は 楽です。一枚ずつのときにていねいに殺してありますし、まだ殺したばかりだからあっけなく終わるでしょう。殺したばかりのものを殺しなおしておく作業で す。以上の順番をまとめると次のようになります。

<1>  →  <2> → <1><2>

 次に<3>をみな皆殺し。

<1> → <2> → <1><2> →<3>
 ×     ×       ○     ×

 やってみればわかりますが、×印をつけたところは苦労です。○印をつけたところは楽です。たった一枚のレポート用紙のほうが、いったん殺してある二枚の レポート用紙よりはるかに難物です。だからこそ、たった一枚のレポート用紙(単語数十五程度)をあなどってはいけないのです。どれほど時間がかかろうと、 そんなことは気にせず、完全に殺さなくてはいけません。
 <3>が殺し終わったら、<1><2><3>をひとまとめに殺します。これも楽ですが、殺したはずなのに生きかえっている(忘れかけている)ものがある かもしれません。よくとどめを刺しておいてください。
 次に<4>を殺します。はじめからの全過程を書くと、

<1> → <2> → <1><2> →<3> → <1><2><3> → <4>

 ここで初めて、<1><2><3>というレポート用紙三枚の連続番号の組み合わせができます。これを「三枚ワンパック」と名づけます。今後は、一枚をて いねいに殺す練習と「三枚ワンパック」を一度に殺す練習とが交互に行われます。
 「三枚ワンパック」は、新しい一枚が殺されるたびに、そのメンバーが一枚ずつ入れ替わります。新しい一枚が仕上がるたびに、「三枚ワンパック」のメン バーに加わるので、古い一枚がはずれます。
 実際の練習の順序とは異なりますが、「三枚ワンパック」だけをとりだすと次のようになります。

<1><2><3> → <2><3><4> → <3><4><5> → <4><5><6> → <5><6><7> .....

 重ね方とはずし方の法則は簡単ですから、しっかりつかんでおいて下さい。
 この「三枚ワンパック」を支える基礎工事は、一枚を確実に殺すという作業です。(略)

 では、実際の練習順序による全過程を示します。

<1> → <2> → <1><2> →<3> → <1><2><3> → <4> → <2><3><4> → <5> → <3><4><5>  → <6> → <4><5><6> → <7> → <5><6><7> .....

【12597】
小学生向け英文法教材 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 4日(月)14時37分1秒

小学生にも英文法が わかる

 小学生が英文法をやる場合、素読的方法が最良です。
 素読的方法の特徴は、以下の点にあります。

・その場で理解を求めない
・暗記をやらせない
・用語、理路に時間をかけてよくなじませる(準備に時間をかける)
・覚えようと思ったわけではないのに、覚えてしまったものが増えていく
・英文まるごとを少しずつ蓄積していく
・正しい理解は一瞬でいい(それで一生ものとして刻まれる)

 この方法以外に、小学生に無理がかからず、しかも必ず実を結ぶ方法はありません。
 江戸時代、素読は子供向けに大いに使われていました。その場で効果を求めない方法ですが、時期がくれば大きな実が実ります。子供が小さくても、害があり ません。

 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材作りを続けてきましたが、ようやく使えるだけの量ができました。お問い合わせ 下さい。

 お問い合わせ

   掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
   携帯電話 090−4181−5912

【12598】
無料お試し期間 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月 6日(水)01時03分4秒

素読舎「電話でレッ スン」「スカイプでレッスン」
 無料お試し期間三ヶ月

 「小学生用文法教材」を作った記念に、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の無料お試しが使えるようにしました。

 対象は小学生3年生以上です。
 小学生が三人集まってもらった場合に限ります。(学年が違っても構いません)
 父兄の中にパソコンがわかる人が一人いていただくと助かります。
 「手ぶらホン式電話」かパソコンソフトの「スカイプ」を使ってレッスンします。

------------------------------------------------------

小学生にも英文法がわかる

 文法なしの小学生英語は、あぶはちとらずです。
 文法なしの小学生英語をやっても、決まり文句しか言えるようになりません。
 小学生が英文法をやる場合、素読的方法が最良です。
 素読的方法の特徴は、以下の点にあります。

・その場で理解を求めない
・暗記をやらせない
・用語、理路に時間をかけてよくなじませる(準備に時間をかける)
・覚えようと思ったわけではないのに、覚えてしまったものが増えていく
・英文まるごとを少しずつ蓄積していく
・正しい理解は一瞬でいい(それで一生ものとして刻まれる)

 この方法以外に、小学生に無理がかからず、しかも必ず実を結ぶ方法はありません。
 江戸時代、素読は子供向けに大いに使われていました。その場で効果を求めない方法ですが、時期がくれば大きな実が実ります。子供が小さくても、害があり ません。

 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材作りを続けてきましたが、ようやく使えるだけの量ができました。お問い合わせ 下さい。

 お問い合わせ

   掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
   携帯電話 090−4181−5912

【12599】
いただいたメール転写 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月10日(日)03時32分55秒

 横浜のKさんから メールをいただいていたのを、どうやらジャンクメールと一緒に削除し てしまったらしく、Kさんからだいぶ前にメールを送ってありますと言われてあせりました。さいわいに、Kさんの手元にメールが残っていたので、もう一度 送っていただきました。
 Kさん、ありがとうございました。それから、よく見ないでジャンクメールと一緒に削除してしまったこと、大変失礼しました。
 お返事は、失礼ながら、この掲示板にさせていただきます。他の生徒さんにも参考になるだろうと考えてのことですので、ご容赦下さい。(根石)

------------------------------------------------------

根石さん

メールですがそのまま転送します。

根石様
お世話になっております。
横浜のKです。昨日のレッスンは準備が整ってなく
長い時間待たせてしまって本当に申し訳ありませんでした。
しかもレッスン時間もかなり延長していましたね。すみません。
ありがとうございました。

それから遅くなりましたがスカイプでのレッスンの感想です。
パソコンに詳しくないので新しいものを取り入れるのに(ダウンロードとか)
抵抗があったのですが、やってみるととても簡単で、
失敗なくすぐに使えるようになったのでうれしかったです。
電話がパソコンに変わっただけで通話料がかからないなんてすごいです。
これは分かっていたことですがやってみないと実感できなかったです。

レッスンですが根石さんのおっしゃったとおり1人も2人も内容には変わりはありませんでした。
夫の説明のときには客観的に聞くことができるし、落ち着いてメモをとることもできます。
夫の順番のときは声はださないで口だけは動かしています。
これが少しつらいです。手元に自分だけ音声を切るスイッチがあるといいなあ
なんて思ったりもします。
でも、声に出すことはレッスンが終わってからもできることですので。
レッスン代も半額にしていただいて本当にありがとうございます。
最近の変化ですが、洋画を見ているときに
意味はわからないのですが、何をいっているのか
わかるときがたまにあって自分で感動するときがあります。
それからはじめての文章に対して、目と口が
同時についていっていけてるようなときがふえてきたような気がします。
なるべく毎日少しでも口を動かすようにはしているのですが、
できない日もたくさんあります。それでも1週間に一度の
レッスンでここまでできるように
なったことには自分でもびっくりしています。

夫のほうはなかなかまだまだ緊張がとれないようで
終わったあとはかなりぐったりしています。
なかなか練習時間がとれてないようなのですが、
やる気はあるようです。

それから娘のことです。
私からは毎日少しでも読むようにとはいっているのですが、
声をかけたときは読んでいるのですが、
まだまだ自分から読むことは少ないようです。
ただ自分では意識していないようですが、
テキストをいつの間にか暗記してしまったようで
車にのっているときなど、後ろで声にだしてぶつぶつ暗唱しているときがあります。
それから単語のことですが、
kite の意味は?って聞くとわからないというのですが、
This is a nice kite.と聞くと、
これは素敵なたこです。と 答えます。
favorite もわからないというのですが、
This is my favorite picture.を聞くと
これは私の大好きな写真です。と答えます。
あっそうか、大好きなっていう意味だねっ、ていう感じです。
文章でならわかるなんて言っています。こういうことがいくつかあります。

先週、書くことも始めるように伝えられた事を言っていました。
ノートに同じ文を声に出しながら何回か書くようにしています。
これは単語一つ一つのほうがいいのでしょうか。
まだまだ書くことは時間がかかってしまうのですが、
少しずつ進めていくつもりです。
いつのまにか町の看板とか、お菓子のパッケージとかすこしずつ読めるようになってきています。
本人もうれしそうです。私もうれしいです。
あと、時々の根石さんの長野の方言?とかが聞けたりする事もうれしいようです。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
                                                      K

【12600】
生徒さんからのメールへのお返事 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 8月10日(日)04時52分24秒

>横浜のKです。昨 日のレッスンは準備が整ってなく
長い時間待たせてしまって本当に申し訳ありませんでした。

 レッスンの枠と枠の間に10分の休憩時間をとってあります。この時間は生徒さんへのアドバイスのために使ったりすることもあります。気にしないで下さ い。

>パソコンに詳しくないので新しいものを取り入れるのに(ダウンロードとか)
抵抗があったのですが、やってみるととても簡単で、
失敗なくすぐに使えるようになったのでうれしかったです。
電話がパソコンに変わっただけで通話料がかからないなんてすごいです。
これは分かっていたことですがやってみないと実感できなかったです。

 スカイプの導入はとても簡単で、私もダウンロードした時にびっくりしました。このソフトは使わないテはないなと思うくらいに役にたちます。私もよく村田 君と長話をするのに使っています。今、素読舎のホームページを作りかけているのですが、これの編集作業をやるのに、パソコンでできかけのホームページを見 ながら、スカイプで話をして作業を決めたりしています。

>夫の順番のときは声はださないで口だけは動かしています。
これが少しつらいです。手元に自分だけ音声を切るスイッチがあるといいなあ
なんて思ったりもします。

 私のIBMのパソコンには、音を切るスイッチがキーボートの上のほうにあります。これは機種に依存するのかと思います。

>最近の変化ですが、洋画を見ているときに
意味はわからないのですが、何をいっているのか
わかるときがたまにあって自分で感動するときがあります。

 これは私のレッスンを受け始めた方の多くが言われることです。口の動きが正確になっていくにつれて、耳がつかまえる音が増えていくためだと考えていま す。しばらくは口の動きのレッスンを続けますが、初めての文でも最初から正確に読め、初めから音の連続性が得られるようになったら、単語を書く練習を増や していただくといいと思います。

>それからはじめての文章に対して、目と口が
同時についていっていけてるようなときがふえてきたような気がします。

 これはうれしい報告です。だんだんと一つの文に含まれる単語数が増えていっても、一度で読めるようになっていきます。

>それでも1週間に一度のレッスンでここまでできるようになったことには自分でもびっくりしています。

 週に一回、30分程度のレッスンで何ができるのかと思われてしまうのか、近頃はレッスンへの問い合わせがあまりなくなりましたが、ポイントをきちんと 絞ってありますので、わずか30分、週一回でもはっきりと英語が変化します。これは、レッスンを始めた当初に、はっきりと感じられることで、音が安定して 以後は、割と退屈なレッスンになります。この退屈なトンネルが結構長いのです。これがいわば中級者がくぐるトンネルだと考えています。上級者はこのトンネ ルを抜けた人たちなのですが、ほとんどの上級者がこのトンネルの長さを忘れてしまいます。喉もと過ぎればなんとやら、が上級者たちの欠点です。

>夫のほうはなかなかまだまだ緊張がとれないようで
終わったあとはかなりぐったりしています。
なかなか練習時間がとれてないようなのですが、
やる気はあるようです。

 慣れていただけば、緊張は抜けますのでご心配なく。音はかなりよくなってきていますので、もう少しすれば緊張なさらないようになると思っています。
 私のレッスンは、英語力を作るのはゆっくりでいいと考えているレッスンです。学生や英語の先生にはかなりきついことをやらせますが、生活をかかえておら れる方や仕事が忙しい方にはゆっくり進んでいただきます。そのためにも、スカイプや「手ぶらフォン式電話」を使って、二人、三人同時にレッスンを受けてい ただき、一人あたりの料金が安くなるようにするのが一つの大事なポイントだとも考えています。
 英語力はそれを作るのも大変ですが、作ったもののレベルを落とさずに持ち続けることは、同様にあるいはそれ以上に困難です。私の語学論の骨子は「磁場 論」にありますが、日本語の磁場をしっかりと前提にしているレッスンです。おそらく、私に「磁場論」がなければ、このレッスンは成り立っていないと考えて います。
 手前味噌ながら、日本語の磁場にどう対処するかをはっきりと射程に入れたレッスンは、ほとんどないのが現状です。

>声をかけたときは読んでいるのですが、
まだまだ自分から読むことは少ないようです。

 もう少し面白くなると、自分でやりだすようになるのではないでしょうか。それを期待しています。

>ただ自分では意識していないようですが、
テキストをいつの間にか暗記してしまったようで
車にのっているときなど、後ろで声にだしてぶつぶつ暗唱しているときがあります。

 繰り返しにより、よくなじんだものが自然に定着してしまうことと、いわゆる「暗記」を区別しています。いわゆる暗記は、覚えようとして暗記をやるわけで す。私のレッスンでは、娘さんは、おそらく覚えようとしたことはないだろうと思います。自然に覚えてしまったと感じていると思います。これが、素読を原理 とした方法の最大の利点です。

>それから単語のことですが、
kite の意味は?って聞くとわからないというのですが、
This is a nice kite.と聞くと、
これは素敵なたこです。と 答えます。

 今はそれでいいと思います。この場合でしたら、kite を「言いながら書きながらイメージする」ということをやってもらうのがいいと思います。単語単位でそれをやってもらうのが、今の段階では一番いいと思いま す。
 「書きながら」に関しては、一番参考になるのが、そろばんの上手な人の指の動きだと、先日、娘さんに話してあります。そろばんの上手な人は、次はどの指 などといちいち意識することがなく、数を言うのを聞いたり、数を思うことで、指が勝手に動き、計算結果をはじき出すのですが、英単語を書く練習でも、この レベルを獲得するのがきわめて大事です。何度も同じ単語を繰り返し書き、いちいち次のアルファベットは何かなどと意識することがなく、手首が勝手に一つの 単語を紙の上に繰り出す(=勝手に書けてしまう)状態にすることです。
 study の過去形は、y を i に変えて ed をつけるなどと、理屈で覚えるのではなく、studied という一連の綴りを何度も書くことによって、「勝手に書けてしまう」状態を作るわけです。
 「言いながら書きながらイメージする」の「イメージする」は説明が困難ですが、コツはこの単語は「こういうこと」「こんな感じ」ということを強く思うこ とです。そのことによって、結果的にイメージが生じます。結果的に「イメージする」を実現したことになります。
 「言う」「書く」「イメージする」は三位一体のものととらえていただくのがいいと思います。これを実現することによって、「言う」「書く」と「イメー ジ」の間に瞬間化を実現することがきわめて肝心なことです。
 英語を「話す」にしろ「聴き取る」にしろ、「読書する」にしろ、「音」や「文字」と「イメージ」との間に瞬間化が成立していないとできません。
 まあ、しかし、娘さんはレッスンを始めたばかりだと考えていただくのがよく、これから徐々にアドバイスしていきますので、しばらくはゆったりとゆっくり とやってもらうのがいいだろうと思っています。

>先週、書くことも始めるように伝えられた事を言っていました。
ノートに同じ文を声に出しながら何回か書くようにしています。
これは単語一つ一つのほうがいいのでしょうか。

 慣れてきたら、ノートでなくても、裏の使える不要な紙でもいいです。
 先に書きました通り、今は単語一つ一つでやっていただくのがいいと思います。
 単語一つでいいから、手首が勝手に動いて、紙の上にその単語を書き出すレベルが大事だということも書いた通りです。

>いつのまにか町の看板とか、お菓子のパッケージとかすこしずつ読めるようになってきています。本人もうれしそうです。私もうれしいです。

 私もうれしく思いました。そういう楽しみが大事ですね。

>あと、時々の根石さんの長野の方言?とかが聞けたりする事もうれしいようです。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

 そうですね。文法の説明の時など、地元の普段の言葉がつい混じるようです。説明がわからなかったら聞き返してくれと娘さんにお伝え下さい。そういえば、 この間のレッスンの時、娘さんが英文を読みながら笑い出したことがありました。「何かおかしいかい?」と聞きましたが、教えてもらえませんでした。私の普 段の地元の言葉が説明に使われたせいかもしれません。

 ぶしつけながら、最後にお願いがあります。私のレッスンがいいものだという確信が持てる日が来ましたら、どうぞ周りに話していただけないでしょうか。
 やたらにレッスンの枠数を増やす気がなく、少なめに抑えてあります。そのため、空き枠が二つ三つできただけで、生活が苦しくなるような低レベルの経営状 態です。たまに他のアルバイトなどすることがありますが、本当は安心して教材を作り続けていたいという願いがあります。

 空き枠のある時は、小学生が3人集まってもらえれば、3ヶ月間、スカイプあるいは「手ぶらフォン式電話」で無料お試しができるようにしました。
 3人は、スカイプを使う場合は、それぞれの家のパソコンを使います。この場合は、お父さんがパソコン関係の面倒を見てくれるなどの補助が必要になりま す。スカイプの導入は簡単ですが、それでもまったくの初心者にはおっかなびっくりの作業かもしれませんので。
 「手ぶらフォン式電話」を使う場合は、近所の3人が一軒の家に集まってもらう必要があります。

 ていねいなご感想をありがとうございました。
 またしばらくレッスンを受けられて、新しい変化などご報告いただけたらうれしく思いますので、よろしくお願い致します。

根石吉久

【12601】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日: 2008年 8月10日(日)10時02分0秒

>こういう穫れすぎの野菜を、らくださんちにお送りしたらご迷惑でしょうか。

迷惑など、とんでもありません。着払いで結構ですし、レッスン代振込時方式でも良いかと思います。

>私の魂胆は、英語だけじゃなく、野菜の方でもご縁ができれば、年に一回くらいは、うちに遊びにきてもらえるのじゃないかということです。バーベキューを やったり、畑仕事を手伝ってもらったり、近所を案内したりして一緒に遊べるんじゃないかと思っているのです。

そうですね。お邪魔できればと思います。昨年は思い切って岩手に旅行して、そのあと金欠で苦しんでしまったので、今年は東京でじっとしておこうと思ってい ます。暑くてかないませんが。

たしか千曲川がそばを流れているのですね。千曲川というのは私にとっては懐かしい響きです。子供の頃、向かいに住んでいた幼なじみの田舎(たぶんお母さん のご実家)が長野で、千曲川の河原で拾ったという、めっぽう奇麗な小石をお土産にもらい、こんな奇麗な石がある川に一度行ってみたい、と思った記憶があり ます。

それから数年後に小諸に連れて行ってもらいました。懐古園で、どこかのおじさんが、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の草笛を上手に吹いていたのが印象的で した。

【12602】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月12日(火)00時31分7秒

>迷惑など、とんでもありません。着払いで結構ですし、レッスン代振込時方式でも良いか と思います。

 よかったです。着払いというテもありましたね。申し訳ありませんが、それでやらせて下さい。
 長年荒らしてあった畑を借りたばかり のせいで、あんまりトマトが甘くありません。去年より出来が悪いのですが、近いうちにお送りしますので食べてみて下さい。スーパーのものよりはうまいかも しれません。今年のトマトは自分で気に入らないので、お返しというようなことは考えないで下さい。
 アンデスレッドというジャガイモも少しお送りします。これは多分ジャガイモの原種に近いものだと思いますが、芽吹きが早いのが欠点なのか長所なのか。私 が掘るのが遅すぎたのか、昨日掘ったものはもう芽が吹いていました。梅雨の時期に掘ったのは大丈夫だったんですが・・・。芽が吹いて、味が落ちていなけれ ばいいのですが。料理するときは、必ず芽のついている部分を切り落として下さい。芽の部分には結構まともな毒がありますので。
 庭がおありでしたら、小粒のやつも一緒にお送りしようかと考えました。小粒のやつを、9月に入ってから土に埋めておけば、秋にもう一度穫れます。アンデ スは年に二度穫れるんです。秋にとれたやつを凍らせないように冷たい場所に置いておけば、春にまた植えられます。農林水産省の利権とはまるで関係がありま せん。農林水産省の作った種イモは、一年限りの品種ばかりです。
 もし、植えられるようなら、植える予定のところに生ごみを埋めて、10センチくらい土をかけておいて下さい。種イモを植える間隔は30センチもあればい いと思います。生ごみにヨーグルト(生きている乳酸菌)や納豆を刻んだものを少量混ぜて、盆明けに埋めておいていただけば、9月半ば過ぎには種イモを埋め られると思います。

>そうですね。お邪魔できればと思います。昨年は思い切って岩手に旅行して、そのあと金欠で苦しんでしまったので、今年は東京でじっとしておこうと思って います。暑くてかないませんが。

 来年に期待しています。今日、大池というところに孫を連れて遊びに行ってきましたが、一棟4000円でバンガローが借りられるのがわかりました。バンガ ローで泊まってバーベキューなどやりましょう。そのときのための野菜を想定して、今度の冬の間に育て方を考えます。今は肉は買うしかないですが、ニワトリ を飼う予定もあります。殺すのが嫌なのですが、今度ニワトリを飼うときは、殺すことを覚悟できなかったら飼わないと心に決めてあります。

>たしか千曲川がそばを流れているのですね。千曲川というのは私にとっては懐かしい響きです。子供の頃、向かいに住んでいた幼なじみの田舎(たぶんお母さ んのご実家)が長野で、千曲川の河原で拾ったという、めっぽう奇麗な小石をお土産にもらい、こんな奇麗な石がある川に一度行ってみたい、と思った記憶があ ります。

 私が自作した家の基礎の下には、ジープで千曲川から拾ってきた石がごろごろ入っています。直径20センチくらいの大きめの石です。その石を敷き詰める作 業をしていたとき、近くの現場でブロック積みをしていた職人が私の現場を見に来て、「おめえ、この石、どうしたんだ?」と言いました。「千曲川に行けばい くらでもあるじゃねえですか」と言ったら、「おめえ、これ、買えば、でけえゼニだぞ」とのこと。そうなのかと思いました。
 千曲川の石も利権がらみで、業者が重機でがんがん掘りあげ、大型トラックで運び出しているのをよく見ます。近くの住民が、梅漬けを作るのに平らな石ひと つ拾っても、河川パトロールの車に見つかれば怒られます。私は、川も河原も国土交通省のものではないと考えていますので、自家用に使う分は河原へ行って 拾ってきます。河川パトロールの公務員とやり合うのがめんどうなので、日曜日に拾いに行きます。公務員さんは、日曜日はパトロールしません。
 千曲川については旅情の詩とやらもあるようですが、私には旅情は関係なく、いつも生活と密着しています。うちで焚く薪ストーブの薪も千曲川に生えて外来 植物として嫌われているニセアカシアです。クヌギなどよりは劣りますが、冬中私の家の中を暖めてくれるありがたい木です。
 ナマズを釣ってきて、焼いて食べたりもします。ウナギが好きな人は、多分ナマズもおいしいと言うと思います。「ウナギの味と変わらねえよ」と言う人もい ます。蒲焼き用の調味料でなく、ショウガ焼き用の調味料を買ってきて焼くと、甘くなくおいしいです。
 ヨクトクで千曲川とつきあっているせいか、綺麗な小石にお目にかかれません。
 よく拾うのは、浅間山の噴火の後に流れてくる黒くて丸くて軽い石です。
 これは、庭の植物の間に転がしておくのに使っています。ただ転がしておくだけで、特に役に立たないし、黒くて目立たないのでいいと思っています。

>それから数年後に小諸に連れて行ってもらいました。懐古園で、どこかのおじさんが、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の草笛を上手に吹いていたのが印象的 でした。

 多分、非常にタイミングがよかったのではないでしょうか。懐古園で草笛を聞いたことはまだありません。懐古園は茶屋が古っぽいのがいいです。俗物のせい か、私は団子などかじって、うすらぼんやりして、ためいきをなどついています。

【12603】
大学合格対談 投稿者:村田 投稿日:2008 年 8月14日(木)02時36分29秒

以前、大学合格お祝い対談というパンフレットを出していました。
まだ電子テキスト化していなかったので、テキストに起こしてみました。
(対談時に、本人にも、webを含め、公開することを了承してあるものです。)

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長野南高校→名古屋大学工学部物理工学科 合格お祝い対談

素読舎で英語をやって突破口を作り、長野南高校から名古屋大学に合格した田中陽平君に、体験を語ってもらいました。(聞き手 村田晴彦)

村田 長野南高校から名古屋大学に合格したわけだけど、何学部?
田中 工学部の物理工学科です。
村田 素読舎で英語を始めたのはいつごろなのかな。
田中 高1の3月の終わりに入って、高2から本格的に始めました。
村田 そのときの英語は、どんな感じだったの?
田中 始めた時はぼろぼろです。かなり激しくやっても、高校卒業の時で、偏差値がやっと50に届くか届かないかぐらいだったんですよ。
   でも、浪人になってから、5月の模試でいきなり偏差値60くらいになって。12月に一番最後の記述模試があって、英語の偏差値が67でしたね。
村田 それはどこの模試?
田中 代ゼミです。そのときに、物理も69だったんですけど、化学があまり伸びなかった。だから、化学をカバーするために、英語と物理で柱を作っていまし た。
村田 英語と物理がよかったんだ。
田 中 名古屋大学の場合、英文自体はそれほど難しくはなかったんですけど、記述量が多くて、下線部和訳だけでも6〜8個くらいあった。それから説明問題とい うのがありまして、それが2問ありました。英文の内容を日本語で60字くらいにまとめろ、というものです。それから英作文、文法問題があって、全部で90 分。すっごくしんどかったけど、英語は一読した感じで、楽だと感じました。
   英語をやり始めた時は、読みながら日本語に訳していくような感じでしたけど、だんだんそんなことしなくてもわかるようになったので、本番では楽だと 感じました。
村田 英文を読んでいくときに、漢文みたいな「返り読み」をしないで、文の最初から読んでいくということ?
田中 そうですね。もし途中でこんがらがっても、前のパラグラフから読み返すだけで、単語をいちいち日本語訳したり、文の途中で目を右から左へ動かして読 むことはなくなりました。だから、名古屋大学みたいに英文の量が多い試験には、よかったと思います。
村田 高校在学中にも、そういう感じはあったのかな。
田中 ないですね。
村田 やっぱり浪人からなんだ。浪人の、いつぐらいからそういう感じになってきたの?
田中 5月6月頃でも、センター試験程度のものは、そういう読み方をしていました。小説なんかはきつかったけど。夏を過ぎたら、分野を問わず、返り読みを しないで読んでいました。
村田 高校2年からだから、2年くらいでそういう読み方ができるようになったんだね。俺、田中君を見てて思ったんだけど、進み方が早かったよね。
田中 現役の頃は、それほどでもなかったと思います。予習もあまりしていなかったし。卒業する頃に、「基礎問題集」の450くらいでしたし。
村田 じゃあ、「700選」に入ったのは浪人してからなんだ。高校の時には、素読舎の標準的な練習をやってたんだよね。それで、浪人になってから、「技法 グラウンド」に入ったんだよね。
田中 高3の終わりに、塾で受験休みみたいなのをもらったんですよ。それで、1月から2か月くらい塾には来ていなくて、3月の終わりに来てみたら、「技法 グラウンド」が始まっていた。
   初めて見る光景に、えー!と思っていると、『田中もやれよ』っておじさんに言われて、訳もわからずやって…という感じでしたね。
村田 最初にやったとき、「口のまわりが痛くなりましたよ」と言ってたけど、「技法グラウンド」を初めてやった時、どうだった?
田中 長くやっていると、ほんとに口がまわらなくなりましたね。口の筋肉がくたくたになる。月曜日の『無料パソコン教室』でキータッチの練習をしている時 の指みたいに。なにをどうしても舌をかんじゃう、みたいな状態になりました。
村田 最初の頃は相当苦労したね。
田中 秋頃でも、長い時間やってると、きつかったですね。ほんとに予習をきっちりやっておかないと、文を見ないで5回言うなんていうのはなかなかできな かったので、平日も練習できる時はできる限り練習したし、土日は午前もずっと練習している状態でした。
村田 浪人になってから素読舎の練習の予習を始めたみたいだけど、予習はどんな感じでやってたの?
田中 まず、英文を暗唱できるようにしてから、5回言えるようにする。練習の時に5回できたからって、本番の時にはダメなことはあるから、10回くらいは 回せるようにしてから塾に行っていました。
村田 時間はだいたいどのくらいかけてたのかな?
田中 集中力によりますね。夏だと、ダラダラしちゃって、集中しないで一日中やってる時もあったし…とにかく、そんなに簡単に片づけられることではありま せんでした。
   最初の頃、ちょっとしたところでつっかかっても「はい、だめ」って言われて、「これを続けていていいのだろうか。これを1年間続けていて果たして成 果が出るのだろうか」と悩んだ時期もあります。LとRの違いとか、Tが重なるところで、前のTは発音しない、とか、そういうところのいい間違いで練習全部 やりなおし、っていうことで。これを続けても駄目なんじゃないかって。
村田 悩んだ?
田中 「これはマズイんじゃないか」と(笑)。でも、一ヶ月過ぎたら、つっかかることもなくなったし、あんまり「だめ」って言われることもなかったような 気がします。で、いつの間にかそんなことも忘れて、ひたすら練習していました。
村田 根石さんは、「空っぽの電池を作る」っていう言い方をしてるんだけど、聞いたことある?
田中 はい。
村田 浪人の時はそういう感じでやっていたのかな。まずは意味は考えなくてもいいから、音作りをする。意味は考えちゃうと思うけど。
田中 どうやっても構文などの文法事項は頭を離れなかったけど、それは最初だけで、一度ちゃんと口が動いて読めるようになっちゃうと、意味をともなって文 として読めるようになったと思うんですけど。
村田 俺は「月曜インプット教室」の生徒でもあるけど、そこで練習しているときって、LとRの区別とか、Wは口をとんがらかすんだ、ということに気をつけ て読んでいると、文が頭に入るんだよね。正確に言うと、「こういうことに気をつけるんだ」と頭の中で思うんじゃなくて、文字を見たら条件反射みたいに口が 動くようにしちょうと、文が頭に入ってくる。
田中 ああ。僕の場合は、THの場合でも、発音に気をつけなかった時はwithを「うぃず」とかやってたんですけど、それをちゃんと発音するように直した ら、あとは何を読む場合でも正しく口を動かそうとしてました。反射的にそう読めるようにしました。注意されたポイントは何を読む場合でも使っていきまし た。
村田 田中君は、英文を見ないで「技法グラウンド」をやった最初の人なんだよね。あの時、俺、そばにいたけど、田中君、いつもの練習やってて、「それ じゃ、教材見ないでやってみるか」って言われたでしょ。あのときどうだったの。
田中 あのときも予習やってあって、暗唱ができるようになってたから、普通にできたって感じで、予習してなかったらまったくできなかったですね。
村田 最初から結構できてたよね。あれ、すごいな、と思ったよ。
   ところで、「長文読解」についてなんだけど、かなりのスピードで進めていたよね。1日でどのくらい進んでたの?
田中 始めて一ヶ月くらいで、1日3枚くらいどんどん回せるようにして、それから6枚くらいにしていた時期もありました。
村田 普通の人の2セット分ってことだね。
田中 はい。その頃は、センター試験まであと一ヶ月、という時だったんで、2、3週間くらい、2セットやってた時があります。
村田 長文も「技法グラウンド」みたいにやってたのかな。
田中 あのやり方ですごく練習しました。
村田 あれは一番最初が苦労すると思うけど?
田中 そう思います。


田中 宅浪してると、プライドみたいなものができちゃって、私大に行くなら早慶だな、と。でも自分は国公立一本で行こう、と思いました。
村田 宅浪のプライドってどういうの?
田中 予備校に行ってる友達の話を聞くと、「ここを受けたいんですけど…」と言うと、予備校の進路相談の先生みたいなのが、「だめだよ」と言うらしいんで すよ。宅浪だと、そういのが一切ないから、自分を過信できるというか(笑)、できるできる、と思って突っ走れるというか…。
村田 でも、そういのがまた、良かったかもしれないね。変にコンピュータでデータ検索して「模試の結果がこの位だから、この学校なら大丈夫だよ」とか言わ れるよりさ。試験ってミズモノだし。
田中 本当は、京大を目指していたんですよ。駿台とか河合の実戦オープン模試があって、入試即応の問題をやったりもしてたんですよ。誰にもそういう情報は 見せずに(笑)
   友達には最初の頃、「俺は京大に行く!」と言ってたんですけど、途中でこれはほんとに無理だと思いました。英語にしてもちっとも解けない。
村田 そう?
田中 そうなんですよ。英語は和訳と英作しか出ない。読む量もそんなに多くないけど、自分では難しく感じて。これはいけない、と。
村田 数学なんかも?
田中 そうですねぇ。難しいですよ。名古屋も、1問も完答はできなかったんですよ。4問で120分だから、全部手をつけようと思ったら30分づつ配分でき るんで、得意な人にとっては得点できるらしいんですけど、1個はまったくわからなくて、もう1個は限りなく完答に近いところまでいったんだけど、完答には ならなくて、他の2つも適当で、あ、こりゃやっちゃった、と思って、受験の後、名古屋は落ちたかな、と思ってました。

村田 根石さんが、受験が終わってから、模試の結果を見せられた、と言ってたけど…。
田中 ああ、そこで初めて見せました(笑)こんなんでしたよ、って(笑)
村田 終わってからなんで見せるんだ、と言われてたね(笑)
田中 代ゼミの最後の模試っていうのがあったんですが、それでも名古屋はB判定で、センターの点に、二次の点を足して合否を決めるんですが、記述だけで考 えるとB判定で、センターだけで考えるとB判定で、ドッキングすると、ぎりぎりBぐらいで…。
村田 判定って、そういうもんだよね。
田中 でもそこは、「いや、だいじょぶさ」と思って(笑)
   何かがあるんですよ。もし自分が予備校に行っていて、その時期にD判定が出ていたら、絶対に名古屋大学を受けていなかったろうし、もっと無難なとこ ろを受けていたかもしれない。
村田 物理はもともと得意だったわけ?
田中 いや、それは今年になってからですね。英語以外は全部独学です。
村田 孤独にやっていたんだ。
田中 孤独ですよ。孤独との闘いでしたね。
村田 宅浪はよかったですか?
田中 宅浪はいいですよ。最初はきついけど、後半は苦にならなくなりましたね。早起きが大変なだけでした。
村田 早起きしてたんだ。
田中 後半は全然ダメだったけど。生活のリズムを崩さないでどれだけできるか、とか、そういうところがポイントだと思います。あと夏の暑さとどう戦うか (笑)
   よく量より質っていうじゃないですか。自分も最初そう思っていたんですけど、だんだん甘えが出て来ちゃって、夏の間、勉強時間が2時間だった時が あったんです。さすがにこれはどこにも行けなくなる、と思い、とりあえず10時間を目標にしてやっていました。だから10時間は確実にやっていました。
   物理は、東大京大レベルの問題しか載っていないような問題集をやってました。
村田 それ、なんていう本?
田中 ニュートンプレスの『難問題の系統とその解き方』という本なんですけど。例題が115問あって、それを最初から最後まで何度もやっていました。 115問を4回かな。例題を1問解くのに1時間かかっちゃうような恐ろしい本で、4回やった後でも30分くらいかかっちゃいましたが。
   よくZ会は難しいっていうんですけど、友達がZ会に入っていて、その友達に問題を解かせてもらったんですけど、英語と物理は一番難しいコースの問題 が解けちゃったから、やらなくてもいいかな?と思いました。
   英語は、Z会の「速読英単語」っていう参考書を自分でやっていました。これは、1ページに200語くらいの英文があって、その隣のページに訳があっ て、その後に単語があるんですが、それを声に出して読んでましたね。とにかく英語は声を出して読んでいました。素読舎のやり方です。
   塾では、塾生で、現役の人いたじゃないですか。あの人が自分より練習が先に行っていそうで、そっちの方をチラ、チラ、とうかがっていたりとか、あ と、浪人始めた頃は荒井さんが自分より先に行ってて、「あ、まずいまずい」ってすごいあせって、それが危機感を感じさせましたね。
   だって荒井さんて、2、3年下じゃないですか。それでこんなに先に行かれていたら、ってすっごい焦ってましたよ。
   で、ペースを考えたら、絶対まずい、間に合わない、「700選」も終わらないかもしれない、と思って、必死でしたね。
村田 「700選」は終わらせたんだよね。
田中 はい、終わらせました。だから、「長文」に集中できて、1日で6枚進めることもできたんだと思います。でも、自分の中では「長文」は全部終わらせる はずでしたから、残念です。
村田 どの位いったんだっけ?
田中 150までは行ってました。入試直前になって、「復習がおろそかになっちゃうから、新しいのはやらないで復習だけやりたい」、と言ったら、おじさん に復習だけでまわすほど量はない、と言われて、ずっと、新しい長文を進めていきました。

村田 週に2回来ていたのがペースメーカーみたいになっていたっていうのもあるのかな。
田中 そうですね。この1年間で、勉強時間のうち、英語がかなり占めていると思いますよ。
村田 どのくらい占めてたの。
田中 4割くらい占めていると思いますよ。半分とは言わないけど。
   国語が自分にとって爆弾で、現役の頃も50点くらいで、浪人になってからもあまり上がらなかったんですよ。それで夏くらいになってから、おじさんに 相談してみたら、「(国語は)やめちまえ」と言われて、それでやめちまおう、と思って、ほんとに国語の勉強はやめちゃったんですよ。それから国語には一 切、手をつけませんでした。
   ただ、一ヶ月くらい前になってから、「さすがに全くやらないのもまずいだろう」と、それまでに受けた模試の問題を、読み返したんです。問題を解くわ けではなく、文章に慣れるためにただ読む。それで、本番では、平均点くらい取れて、なんとかしのげた、と。
   これについては、素読舎で、日本語の本を読む、っていう練習を浪人の最初の頃やったんです。
   これは、おじさんの前でつっかからないように読む、という練習なんですが、別に金をとるわけでもないし、終わらせなければ帰れないわけでもないか ら、ということでやったんだけど、自分は3回くらいでやらなくなってしまいました。
   この練習は、意味があったんだと思います。直前の一ヶ月、自分で読む練習をして、結果がちゃんと出たから、もっと続けていればもっと何か起こったん じゃないかと思ったりもします。


村田 これだけはしゃべっておきたい、っていうのはないかな。
田中 大学に合格してから、月曜日に素読舎のパソコン教室に行ってキータッチの練習したんですけど、月曜日は英会話もやってるじゃないですか。隣であの練 習の時の読み方とか声を聞いていて、驚きました。
   ああ、自分はこれに比べたら練習足りないな、全然まだだな、って痛感しましたね。ああ、これには遠いなって。とにかく、言葉のやりとりの速さにびっ くりしました。
村田 田中君は現役の頃も根石さんと対談やってたけど、あの頃はアルファベットの順番も知らなかったって言ってたじゃない。すごくがんばったと思う。
田中 おじさんも言ってたんだけど、今の自分の英語は、きれに積んであるんじゃなくて、どーんどーんって積んである知識だと思います。だから、メンテナン スが必要だと。これから細かく修理していかなくちゃいけないと思います。
   予備校へ行ってたやつでも、文系の人は1年やって英語が好きになる人はいたけど、理系の人は最初から捨ててかかっているから、素読舎を使ったのが、 その点よかったと思う。
   自分の中では、新しいものを取り込んでいこうという気持ちがあります。「電話でレッスン」をすぐやるか、といったらきついですが、いろんなことを続 けていきたいと思います。

【12604】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月17日(日)02時58分21秒

田中の記事の村田君の前書きに、田中がチョウナンから名古屋に入っただけでなく、京都大 学の大学院に行ったことも書き加えてもらうといいと思う。
チョウナンという高校は、日本に何百とある地味な高校だから、一流受験校以外の受験生を勇気づけるんじゃないかと思う。

【12605】
根石さん 投稿者:村田 投稿日:2008 年 8月19日(火)17時07分15秒

>京都大学の大学院
了解です。

>チョウナンという高校は、日本に何百とある地味な高校だから、一流受験校以外の受験生を勇気づけるんじゃないかと思う。

私が浪人している頃、素読舎に通っていたT君から、「どんでん」の前半部分のもとになった「英語のやっつけ方」を読ませてもらった時みたいに、受験生に勇 気がわくなら、すごくいいです。

【12606】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月19日(火)21時08分8秒

今日、野菜を少しお送りしました。
今年のは出来がよくありません。放っておいたのを借りた畑でとれたものです。
長年草だけ生えていた畑ですので、土は汚れていません。農薬もまったく使っていませんので、そのまま囓っていただいても大丈夫です。

【12607】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日: 2008年 8月21日(木)10時22分4秒

届きました、ありがとうございます。早速、昨日の晩と今日の朝にいただきました。

>お返しというようなことは考えないで

遠慮なくゴチになります。

キュウリやトマトはそのまま塩をつけて齧り、茄子は塩揉み、ピーマンは油炒めでシンプルに素材の味を楽しみました。おいしかったです。家内が北海 道出身ということもあり、ジャガイモは好物ですので、これも茹でて塩で食べるのが良いかな、と思っています。それとも子供の好物のカレーか、大人チームが 肉じゃがで一杯か...。オクラは我が家の定番アイテムです。子供たちには、いつも「野菜食え、野菜を!」と、自分が子供の頃に口うるさく言われたまんま を繰り返しています。

追伸:うちには庭がないので、ジャガは食べ切ろうと思います。

【12608】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月22日(金)00時54分47秒

無事届いてよかったです。
もう少し百姓が上手にできるようになろうと思っています。
理屈はいいますが、実際はまだ一年坊主です。

【12611】
根石さん 投稿者:巴里子 投稿日: 2008年 8月25日(月)23時46分46秒

 感想Tを書いている時点であれもこれも書きたいと思いながら、まとめられず、感想Uに 回そうなどと簡単に考えたのがいけ ませんでした。時間が経つにつれて、何を書くんだったかどんどん忘れていきます。いっその事、感想を書く約束自体をすっかり忘れてしまえればすましていら れるのですが、そこまで頭が病んでないようです。
 詩集と合わせて必ず書きますので、よろしくお願いいたします。

【12612】
巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月27日(水)00時04分11秒

よろしくお願いします。

【12613】
世界を知る一 冊。お薦めです。 投稿者:馬の骨  投稿日:2008年 8月28日(木)09時17分43秒

「富の独裁者 」(単行本)光文社 定価2300円+税
エイミー・チュア (著), 久保 恵美子 (翻訳)

副題「驕る経済の覇者・飢える民族の反乱」
帯文「わずか1パーセントの人間が豊かになるために、
   残りの人間が尊厳を失っていく。
   アメリカに支配された世界に未来はあるのか。」

古本で買いましたが、世界で起こっている様々な具体的な事実を知ることができました。その意味では、信頼にたる書物です。一読をお薦めいたします。
帯文の「残りの人間が尊厳を失っていく」の箇所は、まだ甘い。
貧困にあえぎ、迫害を受け殺されていく様が浮かんでしまいます。
まさに、そのとうりではないかとおもいました。

【12615】
沖縄 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月30日(土)02時24分21秒

嘉手苅林昌の歌は三味線に掻き消されそうに弱々しい。
だけど、声だけがふんばっている。
この弱々しさは、地元民謡歌手にはみられないものだ。
声だけが、「まだ」生きていることの証しのようだ。

【12616】
無題 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月30日(土)02時29分44秒

嘉手苅林昌はもう死んでしまいましたが。

【12617】
福岡正信様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月30日(土)02時32分58秒

ご冥福を祈ります。
大百姓としては頑張った方だと思っております。
こむずかしいことを言って、ケムにまいたところが気にいりませんが、あなたの中に居座っていたのは間違いのないタオです。
私は私なりに、踏み間違えて行こうと思っております。
どうぞ、やすらかに。

【12618】
馬の骨様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 8月30日(土)02時42分8秒    編集済

帯文の「残りの人間が尊厳を失っていく」の箇所は、まだ甘い。
貧困にあえぎ、迫害を受け殺されていく様が浮かんでしまいます。

白土三平の「カムイ伝」をおすすめします。
今に始まったことではありません。

【12621】
馬の骨様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月 1日(月)03時14分30秒

ご推奨くださった本、読みたいですが、高いですね。
古本で安くてに入った場合は、買って私に送っていただけたらありがたいです。送料はこちらで負担します。
私もブックオフで探してみます。
500円程度でみつかった場合は、090−4181−5912までご連絡下さい。

【12622】
ネットの古本屋 で 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年 9月 1日(月)11時00分17秒

日本の古本屋
https://www.kosho.or.jp/servlet/logout
で、いま検索したところ、800円というのがありました。
ここで購入されたら、いかがでしょう。
入会手続きがありますが、ただパスワードを設定するだけです。
ここの古本屋さんは、良心的だと聞いています。

【12623】
富の独裁者 投稿者:馬の骨 投稿日: 2008年 9月 1日(月)19時55分36秒

アマゾンの中古商品には、400円くらいから、ありました。
アマゾンの古本の状態は信用できない、という話は聞いたことがあります。
直接ひとが商品を見ていないのだろう、ということなんでしょう。
で、「日本の古本屋」が信用できるということになったのです。
全国の古本屋さんが集まって作っていて、各古本屋さんからの直送なのです。
普段から利用している人から聞いた話です。参考まで。

【12628】
社会の瞞着につ いて。 投稿者:英語嫌い人 投稿日:2008年 9月10日(水)15時14分15秒

戦う哲学者の異名を持つ中島義道さんのインタビュウです。
http://www.mammo.tv/interview/archives/no100.html

【12631】
2008年8月 21日テープ起こし分 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月12日(金)01時33分11秒    編集済

(3)

読書の言葉


村田 「能動性」とか「受動性」ってことで話していたことって、俺は、日本語のことを言ってるんだと思っていたんですが。
根石 いや、そうじゃねえかもしれねえよ。コーヒー哲学で話してたときは、語学の言語とネイティヴ言語との区別なんかなかったな。
村田 「聞き言葉」と「読み言葉」の世界ってのは、語学の世界じゃねえかって話だったという気がするんですが・・・。
根石 そんなこと言った覚えねえなあ。「読み言葉」なんていっても、何を「読み言葉」って言ってるんだっていう疑問はある。俺にとっては、「読み言葉」っ て のは読書の言葉だよな。読書の言葉って言ったって、とりとめがねえというか、どこに境界線があるんかわからねえけど。新聞読んでるのは読書じゃねえのかと かさ。新聞の折り込み広告読んでた場合、それは読書か、とか。まあ、普通そういうのを読書とは言わねえよな、とか。千曲市に溶融炉を作るってんで、建設地 検討委員会ってのができて、それの議事録持ってきて読んでる場合、まあ、そんなのは読書じゃねえよな、とか。じゃあ、どこから読書が始まるんだっていう問 題がある。娑婆とか世間とかに流通している観念として、「これが文学です」っていうのがある。新潮文庫ですとかさ。ある出版社のある出版部門に収録されて るものを読めば、読書してるっていう気持ちになれるとかさ。その辺がどうなんかね。新聞の折り込み広告読んでさ、黙って読んで、ポイと投げ捨てるってこと はしょっちゅうあるけど、それをある人が読んでさ、げらげら笑い出してさ、三分間笑いやまなかったとか、三分間考えこんでたとかいうことがあったとして、 その人は何を読んだのかとか、どんな読み方したのかとか考えると、もしかして、その人は読書しちゃったんじゃないかってって疑えるわけだ。
 逆にさ、文学のブの字もわかんねえ十代後半の女の子がいたとして、ブの字なんかわかんなくても、その時代の空気にはしっかり染まっていて、若さの特権で 好き勝手やることを謳歌してるとする。それがたとえば、夏目漱石の「道草」を読んだと。我慢に我慢を重ねて最後まで読み通したと。(笑)「なあんにもわか んない、なんのこと?」っていう読後感想を持ったと。「なんでこんなこと書く人いるの?こんなつまんないもの」って言ったと。これ、読書したことになるん かな。新聞広告の折り込みを読んでポイと投げ捨てた人と違うのは、我慢したことだ。なんで我慢するんかわかんねえけど。
村田 文学っていう・・・。
根石 そうだよ。漱石の書いたものが文学とされているからだ。「読み言葉」って言った場合に、俺の中でイメージされるのは読書の言葉だっていうのがあるけ ど、じゃあ、「読書」って何なんだっていうのがあるわけだ。新聞広告を読んだときの広告の言葉ってのは読書の言葉にはならねえのかよ、とかさ。漱石の「道 草」なのに、なんで「なにこれ?」とか言われちゃうんだ?とかさ。読書とそうじゃねえものとの境界が定めがたいってのがある。読書っていう場合に、俺が考 えるのは、読んでる言葉が生きてるとか、その言葉を人間が生きてるとか、そういうことが成り立てば読書だろうなと思う。その言葉で生かされているっていう 場合だってあるわけだ。まあ、あらかたの折り込み広告や建設地検討委員会の言葉なんか読んでも、その言葉を生きるなんてことはしない。頭の中で何か動くだ けで、それを心が受け止めるとかいうようなことはない。
 漱石の「道草」読んだミーハーねえちゃんが、「何これ?」と言った場合でも、字は読んでたわけだけど、多分、イメージが動かないのか、イメージが作れな いんじゃないか。文に沿って、イメージが動いていけば、「何これ?」って言わないんじゃないか。
村田 ああ、そういうことか。
根石 読書というものが成り立つ境界線は、それが決めるんじゃないのか。「読み言葉」が読書の言葉として成り立つのを決めるのは、イメージってものの動き がじゃないのか。話を元に戻すけど、「読み言葉」って言葉で俺が思うのは読書の言葉だってのは、俺の事情にすぎないわけだ。イメージなんか動かなくても、 読書なんかしてなくても、ただ字を拾って、それをぶつぶつ言ったり、はっきり声に出して言ったりしていても、それでも客観的には、「読み言葉」なわけだ。 その場合に、意味なんか何もとれていなかったり、心が動くなんてことはまるでなかったり、違うことを考えていたりしても、字を拾って、その通り口に出して 言っていたりすれば、字を読むってことは成立してるわけだから、「読み言葉」として成立してしまう。読書の言葉ではないけど、「読み言葉」としては成立す る。これが成立する地点が、「素読」ってものが成立する地点なんじゃないか。
 ミーハーねえちゃんは、多分「道草」を我慢に我慢を重ねて一人で黙読するんだと思う。それでイメージが動かなければ、一冊読み通すのはうんとつらいこと になる。だから、「何これ?」って悪態もつきたくなるんだろう。
 「素読」ってのは、基本的には一人でやるんじゃなくて、コーチがいて、コーチの真似をして子供や生徒が声に出して読むわけだ。その場合に、意味をとると か、イメージを動かすとかいうことは、素読では強制されないし、要請もされない。これ、何のためにそんなことをするのかって言えば、ひたすら「邪魔を取り 除く」ってことをやってるんだと思う。別の言い方をすれば、イメージが歩けるように道普請をやってるわけだ。素読がやることっていうのは、後でイメージが 動くようになるのに、邪魔な石ころを取り除くとか、でこぼこを平らにするとか、道を整えて準備してるんだ。
 素読を有効だと考えることは、ひとつの「準備論」なんだよ。それで、イメージを自分の中で動かすのは、素読したテキストそのものでなくてもいいわけだ よ。「すらすら能力」というか、ある一つのテキストをすらすら読める能力に厚みができれば、素読で扱ったものじゃないものを読んだってすらすら読める。そ の「他のもの」とか「他のテキスト」こそが、その人にとって本当に大事なテキストになったりすることも起こるわけだ。だけど、そのテキストに出会うために も「すらすら能力」は使ってるはずだ。その大事なテキストに出会うことを、素読が「準備」するってことは言えるはずだ。素読ってのは、どこまでも「準備」 なんだ。準備だってことが大事なんだと思う。素読がオールマイティにいろんなことができるって考える必要はない。だけど、「準備」だけはしっかりやってく れるととらえればいいと思う。いつも通りここで学校の悪口になるわけだけど(笑)、その「準備」を学校はやらない。
村田 それをやってないってことがひとつあって、もうひとつ、「準備」にどれだけ手間がかかるかってことを世間は評価しないですね。
根石 評価してないっていうか、そこに考えが及んでない。関心を向けさえもしない。だから、日本の近代以後、素読なんて言ったって、冷や飯食うだけだ。だ けど、俺の塾の生徒たちに学年トップの花盛りって時期があった。塾生がかわるがわるいくつもの学校の学年トップをとってきて、庭に種蒔いておけば、早春の 花、春の花、春の終わりの花、夏の花、秋の花っていう具合に、次から次ぎへと花が咲くみたいに、素読者の塾生がかわるがわる学年トップをとってきた時期が ある。あれは、どう考えても、素読の「準備」の力のせいだとしか思えない。その頃は俺も冷や飯食ってたわけじゃないけど、だけどなんで娑婆と俺が折り合わ ねえかっていうとさ、要するに何もわかっちゃもらえねえんだってのがあってさ、とにかく素読ってものをわかってもらえない。東洋的な方法って言ったらいい のかね、一種の道教的な方法だと思っているんだけど、いくら成果を出しても方法自体の価値をわかってもらえない。素読は、東洋的身体論だとも思うし、東洋 的学習法だとも思うけど、世間には方法自体はまるでわかってもらえない。それに対するいらだちってのがあったな。こんなのは医者の知識みたいに閉じたもん じゃなくて、眼目さえわかれば誰にでも使えるはずなのにって思っていたから、いらだちになったんだろうな。

【12632】
2008年9月 11日テープ起こし分 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月12日(金)01時51分59秒

境界線
 ジャズと道教

(4)

素読っていうのも、道教的な方法なんだろうと思うんだけど、道教というかタオってのは、けっこう日本に入っているんだろうと思うんだ。日本で 「道」って字がつくものは、日本人が道教的なもの、タオに根元を持つものだと認識したものじゃないのかな。剣道、柔道、弓道、華道、茶道みたいに、「道」 のつくものはいっぱいあるわけだ。素読道っていう言い方はないけど、俺は、素読も元はタオじゃねえかと思っている。もしかしたら、剣道、柔道、弓道、華 道、茶道よりも、もっとずっとタオに近いんじゃないかと思っているんだ。剣道、柔道、弓道、合気道は体を動かして汗をかく点で、直接的にタオの身体論と直 結するんだろうけど、華道や茶道は汗だくだくになってやるもんじゃない。華道や茶道がなぞるものは、やっぱり東洋的な自然だなと思う。茶道で茶室に活ける 花ってのは、元々は花屋から買う花じゃなくて、野から摘んできた花だ。雑草の花なんかよく使ってるんだと思う。華道は、ちょっとわからねえけど、枝ぶりみ たいなものをひんまげて、ひんまげたものがもっと自然なんだというイデオロギーなんじゃねえかな。このひんまげ方は、盆栽のひんまげ方とどこかでつながっ ている。茶道は自然界に咲いてる野草の花をちょいと一部分いただいてきて茶室に活けるけど、華道や盆栽はそこんとこがかなり不遜で、ひん曲げた後のものを 自然だとしてるんだと思う。
 で、なんだっけ?(笑)
 素読ってものがねらってるのも、こういうことだけやっとけば、後は自然に何かが生じるよっていうことなんだ。落ち葉拾ってきて水やって引っかき回しとけ ば、勝手に発酵して熱が出て、いい土になるっていうようなもんだろうと思う。だから、道やタオってのは、「人事を尽くして天命を待つ」みたいなこととつな がっていて、人間が何もしないわけじゃねえんだ。落ち葉は拾ってくるわけだ。無為自然なんて言うから、ほんとに人間のやることはゼロでいいみたいに思われ がちだけど、人間がやるべきことはやる。後は、勝手に自然がやってくれるから、自然にまかせとけばいいみたいな考え方だ。無為自然の無為ってのは、人間が やるべきことをやった後のことなんだろう。
 これ、結果から見れば、いつのまにかよくなってるっていうふうに見える。素読舎塾生連続学年トップの花盛りみたいなことはそういうことが起こっていたん だと思うんだ。
 道教の「道」ってのは、人の道じゃねえ。天然自然が歩む道なんだ。東洋では、その天然自然の道にならって、人の道ってのもできたんじゃないのかね。その 時に使われた方法の一つが素読じゃないかと思っているんだ。
 今や、茶道も華道も腐れどもばっかがやってるけどな。家元制度の中で世渡りしてるやつらは、みんな腐れどもだと言っていい。素読は日本の近代ではほとん ど死に体だったから、腐れをまぬがれたという点ではよかったんじゃないか。
村田 日本の武道一般に「型」ってのがありますよね。素読も原理はそうだと思うんです。
根石 「型」っていうけどさ、「型から入らなきゃいけない」っていうのか、「型から入ってもいいんだ」というのか。俺は、今となっては、「型から入ってい いんだ」という考えだな。アメリカ由来の考え方みたいなのがさ、現代の日本では標準というか準標準になってるよ。その中へ「型」っていう考え方を置くと さ、それに対してアメリカ人が反応するみたいに日本人が反応するようになっちまってるんだよ。「型」なんてのは、形式にすぎなくて、何かの形骸だ、とか 「生き生きとしてない」みたいな反応をする日本人はたくさんいるわけだ。もともと「死」を繰り込んである方法がさ、「生きてない」なんて言われたって、 「それ何ですか?」みたいなもんじゃねえか。(笑)そういうアメリカ人みたいなことを言いがちなのが、戦後民主主義者どもだよ。
村田 道教は中国のどのあたりで生まれたんでしょうね。
根石 中国も南と北があるからさ、それで、まるで文化の質が違う。その境目あたりに生まれたいいものが道教じゃねえかというふうに思ってきたんだけどさ、 まったくのあてずっぽうだけど。南だけでも駄目で、北だけでも駄目で、両方が出会わねえと、たおやかで引き締まってるっていう質は生まれないんじゃない か。
村田 そういう女っていいですね。(笑)
根石 そうだよ。(笑)
村田 女の話じゃないんですけど。(苦笑)
根石 ジャズだってそうじゃねえか。ジャズだって、ただ速けりゃいいってもんじゃねえだろ。速くてぎすぎすしてたんじゃ、てめえそれでもジャズかってこと になるし、ただぐたぐたしてりゃいいってもんでもねえ。ジャズは道教と関係あるのかねえのかってことになりゃ(笑)、たぶんねえだろ。(笑)だから、「境 界線」だよな。南と北の境界でもいいし、ヨーロッパ起源のアメリカ文化とアフリカの文化との境界でもいいし。いつも何かが生まれてくるって場所は「境界」 なんだろう。ジャズだって、境界線に咲いたもんだと思うんだ。
村田 そうですね。
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【12633】
いい言葉 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月12日(金)02時12分20秒

英語嫌い人さんに教えてもらったところを読んできました。いい言葉がありました。

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努力してもだめなことはある。それを切実に語ることがない。生きていてもあまりいいことない、そう思い自殺するのも仕方ない。美を求めることから こそ人は差別する。そうした考えをやめることはできない。人を愛することの大切さをよく耳にしますが、愛したのなら反面嫌いな人もうまれる。真理を求めれ ば求めない人を軽蔑したくなる。つまり哲学が危険だというのは、真・善・美を求める道は悪ともつながっているからです。

【12634】
日本オワタ 投稿者:日 本人全滅のお知らせ 投稿日:2008年 9月12日(金)14時35分17秒

【三笠フーズ殺人米】発ガン率100%汚染米 データ置き場
http://www20.atwiki.jp/aflatoxin/

自然界における 最 強 の 発 が ん 性 物 質 アフラトキシンB1
(0.0015ppm = 10億グラム中に1.5グラムの濃度で、 100% 発 癌 ) に汚染された毒米が *10年以上に渡って* 食用として転売されていました。

私たちの毎日口にする お米 にはもちろん、子供も食べるおかきやお煎餅、団子やういろう、 ご主人が晩酌に嗜む 焼酎・日本酒・発泡酒 などに加工され、広く流通していた恐れがあります。
具体的な流通経路は未だに公表されていません。

× カビ
○ カビ毒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%B3

[毒性]

アフラトキシンは地上最強の天然発癌物質であり、
その毒性はダイオキシンの10倍以上といわれる。
主に、肝細胞癌を引き起こす原因物質として知られている。

http://www.asahi.com/national/update/0907/TKY200809070156.html

米販売会社「三笠フーズ」(大阪市北区)が農林水産省に、
「事故米を2割ほど、正規米に混ぜて出荷していた」と説明
三笠フーズが正規米との混合を認めているのは、カビ毒の
アフラトキシンB1が検出されたり、水でぬれたりした分で、いずれも「うるち米」

【12635】
そうなんだな。 そうだろうなっていう感じは前からあったけど。 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月13日(土)01時27分3秒

三笠フーズ関係者は事故米の食用への転用について、「(同業者は)どこでもやっている」 と証言している。このため農水省は、過去に政府の事故米を購入した、ほかの16社についても、事故米をどのように販売したか詳しく調べる。(歌野清一郎、 宮崎勇作)

日本人全滅のお知らせ様

記事ありがとうございます。
ここはおおざっぱに英語・語学論関係の掲示板にしております。
汚染米・毒米については、できましたら、「住環境に文句のある人々の為の掲示板」に投稿していただけたらありがたく存じます。
よろしくお願い致します。

【12636】
英語教育との類 似点多い。 投稿者:パクパク 投稿日:2008年 9月13日(土)13時26分17秒

ご無沙汰しています。
三笠フーズの問題は、英語教育と類似点が多いとおもいます。
官が介在しています。
事故・英語学習法、農薬入り英語教育などが多いとおもいます。
糊として、工業的につかわれることのない事故米を非常に
高い価格で業者に払い下げしています。
業者の数は、無限ではなく、小数です。
しかし、被害者は、無限です。
因果関係がわからないので、訴えることができない。
三笠フーズの法的責任、賠償責任がどのように
決着されるかは、見ものです。

【12639】
パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月14日(日)01時21分14秒

>事故・英語学習法、農薬入り英語教育などが多いとおもいます。

 それに娑婆が気づいてくれないのか、気づいても素読舎をみつけるに至らないのか知りませんが、相変わらず私は貧乏しています。
 道 教だのタオだのと、村田君と話をして大風呂敷を広げました。素読を原理とする方法は、アメリカ由来の近代的な学習法ではありません。東洋の伝統に根ざした ものです。英語そのものはアメリカ伝来、イギリス伝来で結構だが、それを受け止め、消化し、こなす方法は、日本の文化の厚みの中からみつけ出さないと駄目 だと思っています。
 それが、日本人が英語をやって、毒まみれ、農薬まみれ、コミュニケーションまみれ、グローバルまみれにならないで済む唯一の方法ではないかと思っていま す。唯一などというと不遜なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、私はそのくらいなことを言って娑婆との間に軋轢を生じさせていく以外に、今 となっては生きていく方法がみつかりません。

>業者の数は、無限ではなく、小数です。
しかし、被害者は、無限です。
因果関係がわからないので、訴えることができない。
三笠フーズの法的責任、賠償責任がどのように
決着されるかは、見ものです。

 農林水産省はこの毒米の流通に責任があり、文部科学省は、毒英語(将来使い物にならない英語なのに受験生を苦しめている英語)の流通に責任があります。 まともな語学論から見れば、日本の民衆に対して、文部科学省にも、法的責任、賠償責任があると考えます。
 おっしゃる通り、(英語が使い物にならないものとしてできあがることの)「因果関係がわからない」ので、文部科学省が蛙のつらにしょんべんを続けていら れるだけなのです。

 小学3年生くらいからやっても害にならず、理解に導くことができ、将来、花の咲く生きた種を持たせる方法として素読は有効です。これを官製の小学生英語 教育に対置してみたいと思っています。そのために、このところずっと、小学生用文法教材を作りつづけてきました。

 蛙のつらにしょんべんと、馬の耳に念仏ばかりの世の中ですので、小学生用にこんな膨大な教材を作ってみても、またがっかりさせられて終わりなのかもしれ ませんが、教材作りは私には業病みたいなものです。文部科学省にも娑婆にも「それでいい」と言う気がいまだまったくありません。

【12645】
ビラ草案 投稿者:村田 投稿日:2008 年 9月20日(土)21時51分59秒

素読舎「電話でレッスン」 「スカイプでレッスン」
無料お試し期間三ヶ月


 「小学生用文法教材」を作った記念に、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の無料お試しが使えるようにしました。

 対象は小学生3年生以上です。
 小学生が三人集まってもらった場合に限ります。(学年が違っても構いません)
 父兄の中にパソコンがわかる人が一人いていただくと助かります。
 「手ぶらホン式電話」かパソコンソフトの「スカイプ」を使ってレッスンします。

------------------------------------------------------

◎小学生にも英文法がわかる

 文法なしの小学生英語は、あぶはちとらずです。
 文法なしの小学生英語をやっても、決まり文句しか言えるようになりません。
 小学生が英文法をやる場合、素読的方法が最良です。
 素読的方法の特徴は、以下の点にあります。

・その場で理解を求めない
・暗記をやらせない
・用語、理路に時間をかけてよくなじませる(準備に時間をかける)
・覚えようと思ったわけではないのに、覚えてしまったものが増えていく
・英文まるごとを少しずつ蓄積していく
・正しい理解は一瞬でいい(それで一生ものとして刻まれる)

 この方法以外に、小学生に無理がかからず、しかも必ず実を結ぶ方法はありません。
 江戸時代、素読は子供向けに大いに使われていました。その場で効果を求めない方法ですが、時期がくれば大きな実が実ります。子供が小さくても、害があり ません。

 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材作りを続けてきましたが、ようやく使えるだけの量ができました。お問い合わせ 下さい。


◎人の練習を見ることは、とてもよい練習
 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材を、塾の方でも使うようになりました。
 新しい小学生用の文法教材は、上に書いてある5つのポイントから、小学生にお勧めの教材です。
 塾の方では、テキストの使い方が少し違います。塾では、先に進んでいる塾生が、後から始めた塾生の練習を見ます。
 人の練習を見るには、まず、
 @間違っているところ、つまずいているところ
 に気付けなければなりません。これは塾できちんと自分の練習をやっていれば「違和感」として、気づくことができます。
 次に、
 A間違っているところを的確に指摘し、直すこと
 ができなければなりません。これは、塾のコーチに自分が言われてきたことを思い出して、言うことができれば良いのです。発音についての指導は標準化され ています。
 最終的なチェックは、塾のコーチがしますので、ご心配は無用です。

 人の練習の面倒を見ることによって、漫然とやってきた人は、自分の練習に足りないところを見つけるでしょう。
 また、今まで塾のコーチに言われて来たことを、自分で言葉にして人に伝えることによって、言われてきたことが実はどういうことなのかを、深く知ることに なるでしょう。
 人の練習を見ることによって、自分のやっている練習がどういうものかということを、とらえ返す機会にもなるでしょう。
 このように、練習を見るということは、英語の力がつくのはもちろん、他の場所では得ることのできない語学の経験となります。


 お問い合わせ

   掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
   携帯電話 090−4181−5912

【12647】
ビラ草案2 投稿者:村田 投稿日:2008 年 9月21日(日)01時48分5秒

根石さんへ

勢いを忘れないうちに書きました。
これをもとにまた書き直します。
前のビラ草案の「◎人の練習を見ることは、とてもよい練習」の部分と差し替えです。

========================
◎新しい教材について。

素読舎はこれまで、素読的方法のためのたくさんの教材を作ってきました。
世に「音読」用のテキストはたくさんありますが、文芸作品の断片を集めただけのものばかりです。
素読舎の教材は全く違います。
・素読的方法に最適化されている
・初心者用から上級者用まで体系化されている
生徒さんの中には英検1級保持者・高校の英語の先生・一流企業の海外営業の方もいます。今回、新しく作った「小学生用文法教材」は、そういった生徒さんが 使っている教材と同じ作り方で作ってあります。
有名大学に合格した塾生も、今にいたるまで大勢いますが、彼らの使っていた教材も、基本は同じです。
今回の新しい「小学生用文法教材」は、30年近くに渡る経験と実績に基づいた、素読舎の教材の集大成です。

【12649】
今日、生徒さん に話したこと 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月23日(火)01時34分20秒    編集済

 この掲示板で、小学生に英語をやらせることの是非が議論になったことがあった。これは どういう方法でやるかによって是に も非にもなる。一般論のレベルでの是か非かの論議には意味がない。英会話学校方式や、文法排除の小学生英語が失敗することは火を見るよりあきらかであるか ら、非であるとは言えるが、素読を根底に据えた方法ならどうなのか。
 私が今日レッスンしたOさんは、大手電機会社にお勤めで、毎月のように海外出張があるとお聞きしている。10日から2週間の出張が多いとのことだが、2 週間といえば、月の内の約半分を日本語でなく英語で生きることになる。Oさんは現在のS社に移る前は、富士通に勤めておられて、(富士通とファナックの資 本が同じであることから、)遠藤尚雄の社内英語教室を長く使われたそうである。
 富士通からS社に移り、私の「電話でレッスン」を使われるようになって1年ほど経った時、
 「なんだか不思議なんだけど、このレッスンを受けるようになってから、向こうへ行ってその日から仕事ができるようになったんだよね」
 と言われた。「どういうことですか」と私が聞くと、
 「遠藤さんの教室を使っていた間は、向こうの空港で飛行機を降りてから、2日や3日は仕事にならなかった。頭が英語の回路に切り替わるまでに、2日か3 日必要だった。不思議なんだけど、このレッスンを始めてしばらくたったら、飛行機を降りた当日から英語で仕事になるんだ」
 とのことだった。
 以上のことをお聞きしたのは、3年くらい前のことだったと思う。
 今日、Oさんにお話したのは、Oさんの小学3年生の娘さんに「電話でレッスン」を開始するのをお薦めするためだった。私が言ったのは次のようなことだっ た。
 「世の中一般がと言ってもいいし、学校一般がと言ってもいいが、英語の基礎力というものを根底的に誤解している。基本的な単語、熟語、語法、文法などを 「知っている」とか「理解している」ということを基礎力だと思っている人がたくさんいる。それも基礎力の一部なんだが、それ以前の基礎力というものがあ る。それを私は「すらすら能力」と言っている。たとえば、中学1年生で私の英語のレッスンを受け始めたとして、3語、4語程度の文(How are you? 3語、How are you doing? 4語)、あるいは5語程度までの文なら、単語を知らなくても、こっち(コーチ)が言ったものをすぐに音の連続性として生徒は復唱できる。つまり、すぐに 「すらすら」が成立する。これは中学1年生でなくて、小学3年生でも同じことが言える。3,4,5語程度の文を「すらすら」と即時に一連の音として成立さ せる能力は、中学1年生という年齢を待たなくても、小学3年ですでに備わっている。
 で、この初心者のレベルの人が最初にぶつかる「目に見えない壁」というものがあって、それが7語、8語からなる文を「すらすら」言うレベルになる。これ は長年、小学生中学生とつきあってきてわかっていることだ。7語、8語の「目に見えない壁」を越えた人は、次に10語、11語あたりで次の壁にぶつかる。 それを越えると、15,16語あたりに次の壁が現れる。「目に見えない壁」だが、レッスンをやっているとそれがはっきりとわかる。で、中学1年の終わりか ら2年にかけての頃に、15,16語程度の壁を越えているということが実は実際的なのだ。
 15,16語から成る文を10回から15回程度音読すれば、まともな音で「すらすら」読めるという習熟度の生徒に、その半分程度(7語、8語)で成る文 の語法や文法を説明すれば、難なくその場で理解する。「すらすら能力」が7、8語で壁になっている生徒に同じことをやっても、それはなかなかうまくいかな い。理解の成立が、「すらすら能力」の度合いに左右されるという蓋然性はある。
 (個人差はあるが、)7,8語の壁を乗り越え、10,11語の壁を乗り越え、15,16語の壁を乗り越えるまでには、実は非常に時間がかかる。7,8語 が壁になっている生徒に、15,16語から成る文を読ませると、途中でつっかかり、ぶつぶつと文が切れ、非常に不自然な読み方になる。それが自然につな がってリズムを備えた読みになるまでには、人が思っている以上に長い時間がかかる。それなのに、そこに直接にてこ入れするレッスンというものが世の中には ない。その点では、文部科学省が親分をやっている学校英語も、民間の英会話学校も、受験制度にぶらさがっている塾も同じだ。すらすら読めるまで読み込むこ とが大事だと生徒に言う教師はいるかもしれないが、「大事なので、自分でやっておきなさい」と言うだけで、「すらすら能力」自体を育てるために、音読や素 読そのものをレッスンの内容として、子供につきあう機関は世の中にはまず見当たらない。(それが日本の近代というものなのだ)素読舎はそれをやるが、他に 探してもらっても、まずそんなことをやっているところは見当たらないはずだ。(学校での柴田さんの教室は極端に珍しい例外だと言っていい)音読や素読を レッスン内容にしたら、冷や飯を食う。冷や飯を食うということは、下賤な言い方をすれば、ゼニにならないということだ。「ゼニにならない」ということこ そ、素読舎の輝かしい(?)伝統なのだ。
 で、ゼニの話はともかく、子供が「からっぽの文」を蓄積することは、意味もわからないまま歌を覚えるようなことなので子供に害にならない。そういうもの は始めるなら早い方がいい。ただ、日本語の素読ではないので、いくら早い方がいいと言っても、実際は小学3年生くらいからになる。それ以前だと、まだ日本 語が固まっていないので、説明に使われる日本語や英文の対訳として使われる日本語にさえ抵抗があるだろう。その段階にいる子供に英語をやらせるのはよくな い。小学校3年くらいが、「素読」で英語を扱ってうまくいく最初の年齢になるはずだ。娘さんに英語を始めてみるように話していただけないだろうか」
 以上が、Oさんに話したことだった。
 そのすぐ後に、キリピーと私の娘をスカイプで結んだレッスンをした。根本は同じことなのだが、違う話をした。
 「little の tt を (と) という感じで発音している。余計な母音がくっついている。これは実は「すらすら能力」と関係がある。短い文は「すらすら」言いやすいし、長い 文でも、ずいぶん前にやってその後何度も何度もレッスンで復習してきた文は「すらすら」言いやすい。そういう「すらすら」が成立している文を使って、「少 しだけ速く」「少しだけ(より)はっきり」を両立させる練習をしてみてくれ。急激に「速く」や「正確に」をやっては駄目だ。「少しだけ」「速く」、「少し だけ」「より正確に・はっきりと」を両立させるようにしてくれ。この「少しだけ」ってのが大事なことなんだ。
 語数とか、復習で何度ぶつかったかとかいうことで、「すらすら」の度合いが違う。その度合いは、自分でははっきりわかるはずだ。
 「ゆっくり言えばはっきり言える」というのは「ほったらかした練習」だし、「速く言えば、音が崩れたり、あいまいになる」っていうのも、「ほったらかし た練習」だ。
 練習は、二律背反の二律を両立させるところにある。
 少しでいいから、「より速く」「よりはっきり・正確に」を両立させるところにある。

 Oさんに言ったこととキリピーに言ったことは同じことだが、それが同じことだとわかってもらえる人がどれほどいるだろうか。

【12650】
時間がかかる が、それがよい 投稿者:らくだ 投稿日:2008年 9月23日(火)09時14分20秒

といっても英語の話ではありません。

息子はサッカー部ですが、中学に入って1ヶ月で鎖骨を骨折。3年生との競り合いで吹っ飛ばされての事でした。やっと直って夏の猛練習。両膝靭帯を 損傷して戦線離脱、今は練習を休んでいます。息子だけではなく、友達にも骨折、ねんざ、疲労の蓄積で、まともに練習できない子が出ています。

何かおかしい。昔は、小学生のころから一つのスポーツに取り組む子は、リトルリーグに入っている少数派で、ほとんどの子供は、そこらへんの空き地で走り 回っていただけでした。

今は、小学生でも、いろいろなスポーツにそれなりに真剣に取り組むようになっています。では、それによって体ができているかと言えばそうでもなく、意外と もろくて怪我をしやすくなっているのではないか、という気がします。

それに輪をかけて少子化ですので、中学の部活動の部員が少なく、1年坊主でもレギュラーチームに入れて公式戦に臨ませるべく、上級生と一緒に基礎練習より 実践練習。これで怪我の確率が高くなっているようにも見受けます。

親としては、ついつい、レギュラーチームに入って試合に出てほしい、という気持ちになってしまいますが、こうも怪我をされると、やはり間違った考え方だと 反省せざるを得ません。

将来にわたって大切なのは、基礎体力。それは、ゆっくり培うものですし、持って生まれた身体能力には個人差がありますから、同じメニュー、同じ進度の一斉 メニューでの練習では、合わない子供は怪我をしてしまいます。

小学生段階での素読っていうのは、空き地で走り回って体の地力をつけるようなものかな、と思います。


【12652】
英語塾を開きた い方へ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月24日(水)02時34分4秒

小学3年生から使える英語教材を鋭意作成中です。
この教材と、この教材をどのように使うかを学んでいただけば英語塾を開くことができます。

二人あるいは三人の間をスカイプでつないで「スカイプでレッスン」を受けて下さる生徒さんをご紹介下さい。ご自分でも、スカイプを使えるようにし ておいていただく必要があります。私のレッスンのやり方をスカイプで参観していただきます。後に、ご自分でレッスンしていただきます。
さらに後に、塾での教材の使い方と「スカイプでレッスン」での使い方の誤差は、千曲市までおいでいただいて素読舎を参観していただくことで埋めていただく ことができます。

現在、空き枠は二つのみです。
お問い合わせは、この掲示板にお願い致します。

【12653】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月24日(水)02時51分22秒    編集済

チラシの案です。

------------------------------------------------------

変貌する塾

 素読舎に根石吉久作成の新しい教材が誕生しました。
 小学三年生から使っていただくことができます。
 この教材によって、素読舎はこれまでとがらりと変わっています。
 「最低これだけやったら帰っていい」という方針から、「このくらいの練習ができるなら、このくらいまでやってもいい」という方針に切り替わっています。
 「やってもいい」のだから、やらなくてもいいのです。
 やりたくない日は漫画を読んでいてもいい。

 これまで、素読舎は練習をやらせてきました。
 これをやめました。

 塾の運営の基本方針をがらりと変えましたが、方法自体は何も変わっていません。
 元になっているものは素読です。

 10年後を見ていただけばはっきりします。
 小学校から英語をやらせるという文部科学省のプランは必ず失敗します。
 小学生だから文法は必要ないなどというのは、まったくの人だましです。

 素読を元に据えた練習は、小学生のうちに中学の文法を確実に理解できるようになります。
 それよりももっと大事なことは、「まともな音ですらすら読めるようになる」ことです。

 お子さんの英語を大事に考えるなら、「まともな音ですらすら読める」能力にじかにテコ入れする素読舎をお選び下さい。素読舎の方法なら、テスト 用の英語(受験英語)と「学校以後に生き残れる英語」が両立します。これを両立させる教材と方法を備えている英語教育機関は素読舎以外にはありません。 (もしあったら教えて下さい。私は知りません。)

 英語ばっかりは、塾を選び間違えたら取り返しがつきません。(実は取り返しがつくのですが、まず100パーセントの人が、「音づくり」からやり直さなけ ればなりません。同一人物の同一年齢において、まったくレベルの違う英語を持つことになります。同一人物の同一年齢は一年限りのことですので、実験によっ て証明できないのが残念ですが、「まったくレベルの違う英語」になることを断言します。)

素読舎 長野県千曲市鋳物師屋642−3
塾長 根石吉久

お問い合わせ
090−4181−5912

【12655】
小学生教材 投稿者:パクパク 投稿日:2008年 9月24日(水)22時21分11秒

従来の音読教材は、断片的な文章を集めたものでした。
素読舎の小学生用教材は、外販されるのでしょうか?
別に小学生でなくても、使えるとおもいます。
http://www.crell.jp



【12656】
パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月25日(木)00時31分46秒

私の作成した教材も断片的なものと言えば断片的なものを集めたものです。
この教材は単純に外販しても意味がないと思っています。
あくまでも素読を元に据えたレッスンを前提にして作ったものですから、素読に関する理解が広まらないとどうしようもないだろうと思います。
ひとまずは私や妻や村田君が塾の生徒や「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の生徒を相手に使うだけです。

しかし、広がりをもたせたいという考えはあります。
素読を元に据えた英語の塾をやりたいというような人になら、お渡ししても意味があるだろうと考えています。

【12658】
素読と意味 投稿者:パクパク 投稿日:2008年 9月27日(土)07時07分6秒

 右手に素読、左手に文法が、基本の英語学習スタイルと

 されているが、(斎藤孝+斉藤兆史)


 私の考える、素読の定義だけはっきりさせよう。



 音読:意味のわかる英文を読む。意味は、日本語で理解する。



 素読:意味のわからない英文を伴奏読みをする。このとき、文字は見る。



 ポイントは、日本語の意味を考えないで、
 音列だけを文字を見ながら口におぼえこませる。
 生徒には、苦痛感をあたえる。
 子供でも、大人でも、嫌がる。

 生徒と迎合すると、日本語の意味先わたしになる。
 ついでに、素読を封建的方法として、排除する。

 したがって、小学生向け英語素読教材の内容が興味あるところである。
http://www.crell.jp



【12660】
根石さんへ 投稿者:村田 投稿日:2008 年 9月28日(日)03時11分57秒

素読舎新聞の「塾のやり方が変わりました」の部分です。
===============
・塾のやり方が変わりました

 新しい教材を導入することによって、塾の運営の基本方針が変わりました。
 以前は、「最低これだけやったら帰っていい」という方針でしたが、「このくらいの練習ができるなら、このくらいまでやってもいい」という方針に切り替わ りました。方針は変わりましたが、素読をもとにした方法には変わりがありません。
  また、先に進んでいる塾生が、後から来る塾生の練習の面倒を見るという方式を始めました。コーチの私たちは常々感じていることですが、人の練習の面倒を見 るということは、実は一番自分の練習になるのです。一つには、人が同じ例文を何度も繰り返して読むのを聞いているうちに、よりよく例文を覚えてしまうとい うことがあります(もちろん、自分で練習してあることが前提ですが)。
また、音作りに関しては、他人の練習の面倒を見ている時は、間違いがあった時はまず違和感として感じ取りますが、それをいかに言葉で的確に指摘するかとい うことがあります。素読舎では、「あいうえおフォニックス」「発音のポイント」という音作りに関する説明がありますが、人の練習の面倒を見るときに、それ をきちんと言えるかどうか。
自分で人の練習を見ることによって、コーチが音作りに関して説明していた事が、初めてわかる時もあります。自分の発音について、より自覚的になることがで きます。
人の練習の面倒をたくさん見ることによって、自分の復習を分厚くすることができます。
 自分の練習を進めているか、人の練習もたくさん見る(=復習する)か、という両面から判断して、教材を「一日でどこまで進めていいか」を決めていきま す。自分の練習をたくさんやり、人の練習の面倒もたくさん見る人は、「無制限」に練習を進める資格ができます。

【12661】
「からっぽ」に ついての書き込み 投稿者:村田 投稿日:2008年 9月28日(日)23時59分40秒

(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月28日(日)01時28分52秒

村田 根石さんは「からっぽの文」という言い方をよくしますが、一般の人にはこの言い方はわかりにくいかもしれないですね。
根石 意味のわからない歌を覚えるように英語の文を覚えてしまった場合が、一番「からっぽ」だと思う。この「からっぽ」っていうのは、まったく否定的な意 味で言っているんじゃない。俺は、「からっぽ」を大きく肯定してるんだ。それが語学の本質だと思っているから。


(無題) 投稿者:村田 投稿日:2008年 9月28日(日)01時35分34秒

村田 普通、「からっぽ」なんて言われたら、マイナスなイメージを思い浮かべますよね。私も根石さんの言っている「からっぽ」の中身がわかっているような 気がしているだけで、ほんとはわかっちゃいないかもしれません。


(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月28日(日)01時43分2秒

根石 まずは、意味もわからない、文法もわからないまま、音だけはまともに言えるっていうのが、「からっぽ」のイメージをつかんでもらうのに一番 いいとおもう。まず最初に日本人が英語とつきあうときは、これを肯定するべきなんだ。大きく肯定すべきなんだ。これがネイティブ言語(日本人にとっての日 本語・アメリカ人にとっての英語)と、外国語の習得とが根底から違うところだ。
で、意味もわかる、文法もわかるって段階になったら、「からっぽ」じゃなくなったのかっていうことだが、俺はあいかわらず「からっぽ」だよと思ってる。


(無題) 投稿者:村田 投稿日:2008年 9月28日(日)01時51分14秒

村田 意味もわからず、文法もわからないまま、音だけはまともに言えるっていうのは世間では評価されないことですよね。普通は意味がわからなければ意味が ないじゃない、ってなる。
それから、意味もわかる文法もわかる、っていう段階は、普通は「できる」と言われますよね。それでもなお「からっぽ」だ、というところが語学をやっている ということなんでしょうか。


(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月28日(日)01時59分5秒

根石 世間も学校も「音だけはまともに」言えるっていうのを評価しない。だから、世間も学校も間違っているんだ。意味がわからなくて、文法がわからなく て、音だけまともっていうのが意味がないわけがない。だけど、それが評価されないっていうのは、まったくその通りだな。
 「できる」やつなんて、ほとんどみんな使いものにならない英語をつかまされたやつらばっかしなんだ。まあ、優等生とか言われる連中もみんな、学校や世間 がやってる認識不足の犠牲者だから責める気もないが、いずれ優等生や点だけはとれるやつらの英語は確実に滅びるんだ。そんなものは反吐が出るほど見てきた んだ。
 文法がわかっても、意味がわかっても、それでもやっぱり「からっぽ」なんだよっていうのが、素読舎が言い続けてきた理論なんだが、これはまったく娑婆か ら理解されていない。娑婆に生きている人々が悪いんじゃない。文部科学省でも、大学でも、まともに「語学論」と呼べるようなものをひとつも作ってきていな いことが最大の原因だ。


(無題) 投稿者:村田 投稿日:2008年 9月28日(日)02時38分48秒

村田 「点だけ取れるやつらの英語は確実に滅びる」っていうのは、試験でいい点をとるとか、資格試験を突破するとか、なにかの目的のための手段として英語 をやるからっていうことでいいでしょうか?


(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月28日(日)02時41分7秒

根石 何かの目的があっちゃいけねえってわけでもねえんだ。目的はあってもいいけど、そんな目的って空しくねえかっていうことがあるんだ。


(無題) 投稿者:村田 投稿日:2008年 9月28日(日)02時53分2秒

村田 長い時間と少なくない労力を使って、そんな目的を達成しただけでいいのかよ、ということですね。その空しさと根石さんが言う語学の「からっぽ」さっ ていうのはまったく別物ですよね。


(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年 9月28日(日)02時56分10秒

根石 俺が「からっぽ」って言ってるのは、優等生の英語力なんか「からっぽ」だという意味じゃねえんだ。実際に、優等生の英語力なんか「からっぽ」なんだ けど、そういうことを言いたいんじゃねえんだ。
肝心要は、「当事者性」ってもんだ。
だけど、この「当事者性」ってものほど、世間にわかってもらえないものはない。


(無題) 投稿者:村田 投稿日:2008年 9月28日(日)03時07分15秒

村田 日常生活でのっぴきならない関係性が当事者性であると思いますが、机の上で一人でやる語学の英語は、「当事者性」からは一見離れているようにみえま す。

【12662】
(無題) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月30日(火)01時31分37秒    編集済

素読舎名物否定広告

「からっぽ」論
「からっぽ」に二種類あり

素読舎を使った場合

@ 「理解がからっぽ」

素読・音読
  ||
                 「まともな音 で」      ・素読舎 「まともな 音ですらすら」
「音づくり」     →     すらすら読める      ・学校・進学塾「間違った音ですらすら」
  ||                  ↓
意味・文法(理解)が         ↓          ・教材を継続すれば、「理 解」のための準備が
ともなわない             ↓           よく整う
  ||                  ↓          ・わかるときは一挙に全部わかってくる
ひとまずOK!            ↓            (教材の威力)
(あくまでも「ひとまず」)       ↓
↓                                         ↓
↓                                          ↓
↓                                         ↓

 →→→→→            A

------------------------------------------------------


A 「当事者性がからっぽ」

素読継続 → 文法理解、意味がともない、イメージが強化され、瞬間化される


それでもなお

「当事者性」はからっぽ

・当事者性が「からっぽ」であることは語学の本質。
・当事者性が「からっぽ」であることは、素読舎を使う使わないにかかわらず起こる。
・日本語を主言語とする限り、いくら激しく多量に練習しても英語の当事者性は「からっぽ」。
・わかりやすい例。外がどしゃぶりの日に It's a fine day, today. (今日はよく晴れたいい天気だ)という文を机の上で練習していても何もおかしなことではない。机を離れて、外に出てそれを言えば、気違い扱いされる。ある いは嘘つきになる。
・どんな英語の上級者でも、机の上でどんなに高度な英語を扱っていても、それが語学であり練習である
限り、扱っている言葉に当事者性はない。(仮の言語=練習のための言語=語学の言語)
・当事者性の欠如=「からっぽ」は大きく肯定されなければならない。
(「ぺらぺらしゃべれない」などという余計な劣等感を持つ必要はない)







B

------------------------------------------------------

B 「からっぽ」が状況(的意味)で充電される。→ 磁場での当事者=生活(仕事)の言語

・このBの段階は、もはやすでに語学ではない。語学の外側(生活や仕事)。
・普通に日本語を主言語にしている生活では、この「状況による充電」は起こらない。
・「状況による充電」が起こるのは、「磁場」(言葉の当事者になる場)に渡った場合。
・英会話学校には、「練習用の状況」しかない。本当の「状況」はない。だから、充電は起こらない。
・この段階はすでに語学でもなければ練習でもないから、「充電」をやるもやらないも各自にまかせる。
・肝心なことは、@Aの段階で、「磁場」に渡りさえすれば「充電」が起こる質の英語力にすること。
・@Aの段階で、「当事者性」が欠如するのは当たり前だが、「まともな音」が欠如したら、「磁場」に渡っても「充電」が起こらない。(「充電」が起こるた めには、電導性の音=まともな音でなければ駄目)
・結論。学校英語、進学塾英語じゃ駄目。「まともな音ですらすら」でなければ駄目。
 だから、素読舎でなければ駄目。と、駄目押しするから、「否定広告」なわけだ。
 つまり、日本語磁場における、「状況」における、「これぞまともな言葉!」なわけだ。

【12664】
パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月30日(火)02時00分34秒    編集済

おっしゃっていることの意味がわかりません。
ご本人にはよくわかっているのだと思います。
あまりにも一語一語の意味があいまいなので、要請があれば、一語一語についてどこがどうあいまいなのか言うことができますが、今の私の生活状況では、 ちょっとご勘弁願います。
赤貧洗うがごとしの一歩手前を生きております。
あいまいな言葉につきあっている時間がありません。

【12666】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年 9月30日(火)02時21分28秒    編集済

>何かおかしい。昔は、小学生のころから一つのスポーツに取り組む子は、リトルリーグに 入っている少数派で、ほとんどの子供は、そこらへんの空き地で走り回っていただけでした。

 そうだと思います。「何かおかしい」のだと思います。何がおかしいんでしょうか。
 すぐに行動に移す移さないはともかく、日本人が権力に対峙しないことだと思っています。

>今は、小学生でも、いろいろなスポーツにそれなりに真剣に取り組むようになっています。では、それによって体ができているかと言えばそうでもなく、意外 ともろくて怪我をしやすくなっているのではないか、という気がします。

 その通りだと思います。基礎(体力)ができていない子供を相手に、馬鹿な大人があんまり真剣になりすぎるからいけないのです。(子供達の)怪我(の続 出)は人災です。

>それに輪をかけて少子化ですので、中学の部活動の部員が少なく、1年坊主でもレギュラーチームに入れて公式戦に臨ませるべく、上級生と一緒に基礎練習よ り実践練習。これで怪我の確率が高くなっているようにも見受けます。

すべて馬鹿げた話です。

>親としては、ついつい、レギュラーチームに入って試合に出てほしい、という気持ちになってしまいますが、こうも怪我をされると、やはり間違った考え方だ と反省せざるを得ません。

 間違っています。こういうものを相手にする場合、あんまり親も子供も本気にならないことが肝要です。

>将来にわたって大切なのは、基礎体力。それは、ゆっくり培うものですし、持って生まれた身体能力には個人差がありますから、同じメニュー、同じ進度の一 斉メニューでの練習では、合わない子供は怪我をしてしまいます。

ええ。そういうことだと思います。

>小学生段階での素読っていうのは、空き地で走り回って体の地力をつけるようなものかな、と思います。

それをやらせてやれる「場所」が、今の日本には払底しているかもしれません。
田舎はともかく、都会には払底しているかもしれません。
素読舎英語はともかく、学校英語、受験英語には払底していると思います。

【12667】
根石さんへ 投稿者:村田 投稿日:2008 年 9月30日(火)02時44分8秒

語学の
「からっぽ論」


◎素読舎を使った場合:3段階
@初心者
 「音づくり」する → 理解がしやすくするための「準備」
         →「ひとまず」その場で意味がわからなくてもいい
 「意味がからっぽ」の段階

A中級者以上
 「音づくり」に理解も伴っている → 実際に英語を使う(言葉の当事者となる)場面への「準備」
 「当事者性がからっぽ」の段階

  ・素読舎の教材と方法を使えば、自然と無理なくAの段階(理解)までいきます。
  ・語学は一人でやるものなので、「当事者性がからっぽ」です。
   語学をやっている時は、どんな上級者であろうと「当事者性がからっぽ」で、「からっぽ」のままでいいのです。

B実際に英語を使う状況
  「言葉の当事者」として英語を使う状況
  語学の領域を越えています。

========================
素読舎でAの段階まで進んだ人
 ・通用する音あり          英語を使う(言葉の当事者になる)現場へ
 ・音に意味・文法が備わっている ───────────────────────→ 通用する!
 ・当事者性なし



◎素読舎以外の場合(学校・進学塾・英会話学校など):2段階
@文法・意味を覚える
 ネイティヴに通用する「音づくり」をしない・文法・意味だけを暗記
 → いわゆる受験英語

A実際に英語を使う状況

========================
素読舎以外を使った人
 ・通用する音なし       英語を使う(言葉の当事者になる)現場へ
 ・意味・文法は覚えている ───────────────────────→ 通用しない!
 ・当事者性なし

【12668】
根石さんへ 投稿者:村田 投稿日:2008 年 9月30日(火)02時52分39秒

自分のを投稿してからすでに根石さんのが投稿されているのに気付きました。
やっぱり根石さんの方がいいです。

>結論。学校英語、進学塾英語じゃ駄目。「まともな音ですらすら」でなければ駄目。
>だから、素読舎でなければ駄目。と、駄目押しするから、「否定広告」なわけだ。
>つまり、日本語磁場における、「状況」における、「これぞまともな言葉!」なわけだ。

この部分いいですね。

【12669】
意味のわかる英 文を素読の対象にするのだろうか? 投稿者:パクパク 投稿日:2008年 9月30日(火)07時42分37秒

素読の定義は、人さまざまでしょうが、
意味がわかる英文を読み上げるのは、音読。
意味がわからない英文を読み上げるのは、素読の必須要件。

音と意味との連結は、別工程で行い、
素読工程のときは、意味は考えず、音と文字に集中する。
(コーチの音をきいて、文字をみながら、口にだす。)

以上が私の考える素読の定義です。

そこで、小学生向けの素読は、どのような英文を
対象にしているのかを興味をもったものです。

【12670】
パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月 1日(水)02時15分25秒    編集済

>ポイントは、日本語の意味を考えないで、
 音列だけを文字を見ながら口におぼえこませる。
 生徒には、苦痛感をあたえる。
 子供でも、大人でも、嫌がる。

 「日本語の意味を考えないで」についてですが、日本語の意味は考えていいのです。
 その後にどうするかが肝心なところで、日本語から得られた意味をどう分解し、どう配分し、英文の要素と混ぜ合わせ溶かすかということがポイントになりま す。
 私の作った教材をここに貼り付ければいいのですが、膨大なものなのでできません。代わりに、少しここで教材作成を演じてみます。
------------------------------------------------------
I play baseball. 私は野球をする。

遊ぶ play
スポーツなど「する」ときも play
野球 baseball
野球をする play baseball
------------------------------------------------------

 もういきなり、I play baseball. に対して「私は野球をする」という記述があるので、これは「訳先渡し」です。
 I play baseball. は、「英文まるごと」の部分ですが、この部分は、こちらが一度読んだら、生徒に5回以上繰り返し読ませています。「私は野球をする」の部分はコーチも生徒 も一度読むだけです。
「英 文まるごと」の部分を5回以上読ませる間に、「音づくり」(生徒の音を変える)の必要があるときは、それをやります。口の筋肉のどこをどうしろと言ったあ と、ある程度まで問題が解決すれば、再び生徒に5回以上読ませます。この「ある程度まで」のところは説明ができません。ひとつの音に半年程度の時間を平気 でかけることがあります。時間をかけてひとつの音を料理し、完全に解決するということをするのですが、まったくの初心者相手では、ひとまず「ある程度」変 われば、あるいは、問題点を生徒が自覚すれば、先へ進みます。
 「遊ぶ」と play を突き合わせた後に、スポーツなら「する」となるというふうな記述があります。これは文法とか語法とかしかつめらしく言うほどのものではないものですが、 ここで英語と日本語との間に一対一対応が成り立たないということを読み取る生徒はいるだろうと思います。そこまで読み取るか読み取らないかは生徒にまかせ ておきます。何も考えず、英単語を含んだ日本語の文を繰り返し言っているのでもひとまずはOKです。練習ではコーチは口で説明などすることはめったにあり ません。生徒はコーチと一緒に、記述されたものをあるルールに従って、どんどん先へ読んでいきます。そういうふうに使えるように教材を作ってあるわけで す。
 肝心なことは、初心者は、『スポーツなど「する」ときも play』という部分も5回程度繰り返し読むことです。
 これは日本語です。理路を含む日本語も、一定以上の長さのものは繰り返し読みます。それが5回なのか3回なのか1回なのかは、生徒の理解の進展度によっ て変わっていきます。これだけの長さの日本語でも、小学3年生くらいだと、途中で読みがとぎれたりします。その場合は、7回とか10回とか多く読ませるこ ともよくやります。練習が進んでいる生徒の場合は、こういう「解説部分」は0回としてしまうこともあります。黙読して理解すればそれでいい、という段階に いる生徒にはそうします。

 「音づくり」でもそうですが、理路の扱いでも、一人一人の生徒をよく見て、生徒の状態に応じていきます。ここが職人仕事と言える部分かと思っています。

>ポイントは、日本語の意味を考えないで、
 音列だけを文字を見ながら口におぼえこませる。

 私が作っている教材は、訳も解説もついているもので、英文の「音列」だけ扱うものではありません。

------------------------------------------------------
I play tennis. 私はテニスをする。

I play baseball.
スポーツなど「する」ときも play
テニスをする play tennis
------------------------------------------------------

I play tennis. という初出の英文の「説明部分」に、I play baseball. が「訳なし」で登場します。
教材を進めれば進めるほど、「訳なし」の(既習の)文がどんどん並ぶようになります。その段階では、日本語を介在させずに、play なら play のイメージが「瞬間化」されることをねらっています。

------------------------------------------------------

>生徒と迎合すると、日本語の意味先わたしになる。
 ついでに、素読を封建的方法として、排除する。

 「生徒と迎合する」というのは、「生徒に迎合する」ということをおっしゃりたいのでしょうか。
 「ついでに」というのは、「日本語の意味先わたし」をする人たちが、「ついでに」・・・「排除する」なのでしょうか。

 「誰が」そうしているのかがまったくわかりませんでした。
 「排除する」というのは、誰が排除するのでしょうか。斎藤孝と斉藤兆史がでしょうか。
 普通に読むと、「日本語の意味先わたし(?)」をしている人が「ついでに」やることのように読めます。それでいいなら、一般に「日本語の意味先わたし」 をやる人たちは、素読を封建的方法として排除しているのでしょうか。そんなことはないだろうと思っております。

 また、「意味先わたしになる」という時の、「意味」を渡すということの意味がよくわかりません。
 普通「訳先渡し」と言っていることでしょうか。「訳」を渡すことと「意味」を渡すことは違うことです。「訳」は具体的な言葉であり、解釈やうまい下手に より、さまざまな異形が生じますが、「意味」というものは、そういう雑多な具体性から抜け出して、人々の間に共有される無形のものだと考えています。共有 される無形のものがあるから、辞書というものが成立するのだろうと考えています。
 「意味」というものは無形ですから、「先わたし」だろうが、「後わたし」だろうが、言葉を介して渡すことはできないものだとも考えています。渡すことが できるものは、「訳」であり、「近似値」であろうと思います。辞書もそう出来ています。「説明」や「解説」が渡せるものは、概念という「近似値」であり、 「意味」そのものではありません。「意味」そのものは、言語使用によって、つまり「体験」によって無形のものとして意識に動くだけのものです。意識からみ た外在物(文字や音)「以前」の、あるいは外在物「以後」のものです。「意味そのもの」が外在物になることはないのです。だから「以心伝心」ならともか く、ブツとしては渡せないのです。
 「意味」という一語で、私の中にこれだけの混乱が生じ、これだけ考えて整理する必要が生じてしまいます。もう少し「あいまいさ」をどうにかしていただき たくお願いします。

>音読:意味のわかる英文を読む。意味は、日本語で理解する。

 「意味は、日本語で理解する」場合に、それが「意味のわかる英文」になるのでしょうか。
 そういうものは、「意味のわかる英文」とは言わないと思います。
 英文から「意味」が生じて意識に動く場合が、「意味のわかる英文」だろうと思いますが。

 と、こういうふうに重箱の隅をつっついている時間がとれないということです。
 今日は、ちょっと気が向いたので、やってみました。

【12671】
パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月 1日(水)02時30分51秒

 9月30日に書かれたものについても、先ほど書いたものでお答えになっていると思いま すが、もう少し。

>素読の定義は、人さまざまでしょうが、
意味がわかる英文を読み上げるのは、音読。
意味がわからない英文を読み上げるのは、素読の必須要件。

 素読は、「意味がわからない段階」も許容するということだと思います。
 「意味がわからないものを扱わなければいけない」ということではないと思います。
 意味がわかるものを扱うには音読がよく、意味がわからないものを扱うには素読が向いているというのはその通りだと思います。

>音と意味との連結は、別工程で行い、
素読工程のときは、意味は考えず、音と文字に集中する。
(コーチの音をきいて、文字をみながら、口にだす。)

 この「連結」がどう起こっているかは、コーチにはわからないのです。コーチにやれることは、これが「起こりやすくする」ということです。
 「連結」は生徒にまかせるしかないことです。
 「別工程」の場合も「同工程」の場合もあるでしょう。

【12672】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月 1日(水)02時46分46秒

>この部分いいですね。

「この部分」はかなり酒が入った状態で書いたので、要再考です。
村田君のやつと、俺のやつを木曜日に突き合わせたいので、プリントアウトして持ってきてくれませんか。

【12673】
素読を封建的と して排除 投稿者:パクパク 投稿日:2008年10月 1日(水)07時28分54秒

以前、齋藤孝氏の音読ブームがおきたとき、
彼の著書のなかでは、
素読を明確に否定していました。

それは、素読が意味のわからないものを読ませるので
封建的であるかのような記述を著書のなかでしていました。

私の大学時代の友人で、親から素読を受けたものが
いました。
「非常に苦痛だった」
と言っています。
素読にコーチがいるのは、音を与える機能と
子供に強制させる機能の2つがあるとおもいます。
意味の解説などはしないのです。

そもそも、四書五経などは、母語で考えたからといって内容がわからない。
素読の目的も、文章を暗記させることではない。(結果として暗記できるが
目的にない)

私は、この意味のわからない、比較的長文を年端もいかない子供に
やらせる意味があるとおもっています。
想像するに、英語圏では、まだ素読の文化がのこっており、
素読英語題材では、シェークスピアのシーザーの演説などを
読み上げさせるのでしょう。
(シーザーは、演説が非常にうまい。)

しかし、これを日本の現在でおこなっていては、誰も金を出してやりたくない。
(試験の成績があがるわけではない)

【12674】
化けの皮 投稿者:Jackie 投稿日:2008年10月 1日(水)16時20分38秒    編集済

アメリカの金融工学、実は金融詐欺だったと
やっと認知されるようになってきた。

やっとこさ・・。

日本の英会話幻想も、はがれてきている。

大枚をはたく大人の英会話、英会話学校は、
「いざなぎを超える大景気という不景気」になって影を潜めはじめ。

アメリカという国へ「憧れ」の幻想もなくなってきた。

それで、かわりにはびこる子供英会話幻想。

国民を大切にしない国の国力は落ちる。

そんな国の未来には言葉の植民地が待っている。

英語力、中国語力が、必要な時代になってくるのか。

やだなあ。

【12675】
意味と訳 投稿者:パクパク 投稿日: 2008年10月 1日(水)19時33分59秒

素読のわかりやすい解説ありがとうございました。
また、意味と訳の違いの考察も大変参考になりました。

【12677】
matsu さん、らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月 3日(金)21時55分51秒    編集済

 息子さんたちに、来年の新学期に、私が新しく作った教材でレッスンしたいという話をし てありましたが、教材が整ってきましたので、今の時点で切り替えたいと考えています。
 私の教材は、中学の教科書そのままの文が出てくるのではないので、学校の授業では、お子さんたちは、「ああ、レッスンのあれと同じもの(文法)だな」と いうような応用をすることになります。応用力がつくと思います。
  matsu さんのお子さんの場合で考えると、レッスン開始時に、学校の授業が扱っているところから始めたのですが、どうしても学校の方が進度が速く、私のレッスンが 後から追いかけている状態になっています。レッスンでの英文の扱い方はかなりていねいにやっていますので、今後、私のレッスンが学校よりも先のところをや るということにはならないだろうと思っています。らくださんのお子さんの場合も、このまま継続していった場合は、いずれ、私のレッスンが学校の後を追いか けるという形になるだろうと思います。
 新しい教材は、中学の文法の全体を先にざっとやってしまうという作り方をしてあります。この教材でレッスンした場合は、学校と前後することはしばらくあ りますが、大事なポイントだけざっとやってしまった後では、先ほど言ったように、お子さんが、「ああ、これはあれだな」と自分で応用できるようになると思 います。
 また、多分どこの中学でも同じだと思いますが、3年生になると、テスト問題が教科書べったりではなくなります。こういうタイプのテストには、教科書べっ たりのレッスンよりも、日常的に生徒に応用を要求している素読舎の自作教材の方が向いています。

 小学3年生くらいから使える教材を作りたいという考えと、4年ごとに教科書が変わってしまうという問題にわずらわされないで済むという考えがあって、自 分で新たに教材を作ってきたわけですが、今の時点で切り替えさせていただけたらと願っています。

 教材はCDRに焼いてお送りする予定です。
 最後の詰めの部分を作っており、まだ完成したわけではありませんので、いずれ完成しましたら、全体を再度お送りします。

 レッスンの30分を5分、15分、10分に分割します。
 最初の5分をこれまでやってきた教科書の範囲の復習にあてます。この復習では、日本語を扱わず、私が1回言った文を生徒が5回繰り返したら、すぐ次の文 に移ります。わずか5分ですが、結構進むと思います。
 次の15分を、私の自作教材の最初の方から使用します。中学1年の最初から扱うことになります。
 次の10分で、今学校がやっている文法事項を含むあたりから先をやります。これで、先にざっと中学全範囲を片付けて、だんだん肉付けしていくということ をねらいます。

 またご兄弟がいる場合、電話機をスピーカーフォン(てぶらフォン)に変えていただけば、弟さんあるいは妹さんも一緒にレッスンができます。弟さんや妹さ んは、5分、15分、10分に分割した15分のところに参加していただきます。小学3年生以上なら一緒にできますのでご検討下さい。レッスン代金は二人で 使ってもらっても変わりません。

 できたら、お子さんがコンピュータ画面を見ながら、レッスンを受けるのを許可していただけたらと願っています。コンピュータを使った場合、「検索」機能 だけ使えるようになれば、教材の中を自由に動き回れる利点があります。他のことはしていただく必要はありませんが、「検索」機能は非常に役に立ちますの で、できたら画面でテキストを見ながらレッスンを受けてもらえたらと願っています。

 急いで書いたものですので、漏れがあるかと思います。不明の点は、掲示板上でお問い合わせ下さい。(掲示板は毎日見ておりますが、メールはたまにチェッ クするだけになっていますので。)

 よろしくお願い致します。

【12678】
音の大切さ 投稿者:福岡Mです 投稿日: 2008年10月 3日(金)22時47分14秒

根石さんお久しぶりです。最近ひと段落しましたので、ホームページをのぞいてみました。 からっぽの意味、と当事者性の意味 について今いろいろと考えています。音の大切さにであってから、私の英語は格段に変わりました。今まで、点だったものが、立体にかわるというか、、、、語 彙が貧困でうまく表現できないのですが、、、でもまだ、抑揚に関してはつかめていません。根石さんに「何かの音声のコピーのような印象」と指摘をうけたの ですが、そこからの脱却が今のところの目標です。そして、根石さんのように音を大事にした指導をしていきたいと考えています。まだまだ未熟ですが、努力あ るのみです。根石さんもお忙しいと思いますがどうぞご自愛なさってください。

【12679】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日: 2008年10月 3日(金)23時34分20秒

本日もレッスンありがとうございました。

金曜の夜は、帰宅時に「レッスンどうだった?」と聞くのが息子への挨拶がわりになっています。中1のガキンチョの返事はご多分にもれず「普通。。」なの で、最近は「普通ってこたえんじゃねーぞ」と釘を刺してから聞くようになりました。

2週間ほど前に、復習がうまくいかず、書く練習をするようにアドバイスを受けたとのこと。夏休みには結構宿題が出ていたようで、部活+宿題でお腹 いっぱいといった風情でした。自主練習を全くサボっていましたが、後半には怪我の事もあって気が乗らないようでしたので、放っておきました。夏休み明けに 期末試験があり、それも終わりましたので、教科書の単語のおさらいを再開しています。

今日は復習のところはうまくいった、と言っていましたが、まあ話半分に聞いておく事にします。

ちょうど「来年からは新しい教材になると思うよ」「うん、そうみたいだね」「教材が変わっても、教科書は教科書で中3までちゃんとやれよ、せっかく練習の しかた教わったんだから」などと話していたところです。

新しい教材、楽しみです。教科書だけよりも勉強にぐんと厚みが増すのではないかと期待しています。

コンピュータ使用、考えてみます。自由にさせておくと、勝手に立ち上げて、ずーっとYouTubeで音楽とお笑い三昧になりますので、先日、起動時のパス ワードをかけて撃退してやったばかりです。

これでまた「根石先生の練習だよ」などといいかげんな事をいいながら、お笑いネタを仕込むのだろうと思います。

【12680】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月 4日(土)01時50分28秒

息子さんとの楽しいやりとりが目に浮かぶようです。
CDRに教材を焼いて明日お送りしようと思ったら、CDRがないのに気づきました。
明日買ってきて、焼きますのでよろしくお願いします。

【12681】
福岡Mさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月 4日(土)02時23分38秒    編集済

 お久しぶりですね。
 「からっぽ」には二種類あり、ひとまず「からっぽ」でいい「意味・文法」と、日本で机上で練習するかぎり、どこまで行っても「からっぽ」のままでいい 「当事者性」とがあります。
 意味・文法は「ひとまず」からっぽのまま「音づくり」をやってもいいが、いずれは音と合体させなければいけないものです。この合体は語学の地平でできま す。
  当事者性というものが「からっぽ」であることは、語学の本質であり、語学をやる限り、本質に逆らってもしょうがないと思います。「当事者性」は、語学の外 側で、「磁場」で備わる(強制される)ものだと考えています。ですから、語学は「磁場」に渡れるだけの準備を整えることができれば、すべての義理は果たせ ているわけだと思います。「磁場」で(だけ)備わるものを、語学で備えようとするのは迷妄だと思っています。これまで、私が出会った(いわゆる)「ぺらぺ ら信仰」の信者の方々には、例外なくこの認識が欠けていました。

「何かの音声のコピーのような印象」というようなことを言った記憶は確かにあります。つまり、あんまり一生懸命に複製音声をそっくりコピーしようとしない 方がいいんだという考えが私にあるから言ったことだと思います。
どの人のしゃべりにも個に閉じられた癖があります。あんまり一生懸命そっくりコピーしようとすると、個人の癖までコピーしてしまうだろうと思います。夫婦 は似てくるという具合に、似るのは自然ですが、複製音声に自分の音を似せるのは、私にはいつまでたっても抵抗があって、複製音声はいつも消極的に使ってい ます。積極的に使おうという気がありません。
 音のベースは、自分の声での読み込みで作ればいいと考えています。ベースを作っておいてから、複製音声を聞けば、感覚でその隙間が了解できます。百姓仕 事などやっているときに、なぜだか不意に口をついて「真似」が出てきて、隙間が埋まるっていうようなことがあり、調子っぱずれに歌っていた歌が、急に音程 がまともになるみたいな感じの時があります。真っ正直に真似=コピーをやる気にはどうしてもなれなくて、調子っぱずれや音程のずれを経た後に、コピーが 放っておいても成立した、っていう事情が好きなのです。
 これは二度手間ですが、こと、声に関しては、感情や思考の質と直結してしまう領域なので、「真似」や「コピー」には二度手間で臨むのだと決めています。

 これは、ネイティヴの音声は、素直に真似=コピーすべきものではなく、自分なりの自分の癖でベースを作ってから、「媒介」にすべきものだと考えているか らでしょうか。お手本として仰ぎ見るものではなく、あくまでも「媒介」にすべきブツだと考えています。

 「音」を大事にする授業を継続していただくことを切に願っております。
 福岡Mさんの場合は、私はレッスンしていて、あまりにも直すところが少なくて困った覚えがあります。スカイプを導入されて、私がスカイプで初心者にレッ スンするのを参観していただけば、ああ、こうやって音を直すのかと得心していただけるところがあるのではないかと思います。
 ちょっと忘れてしまったのですが、Mさんは、中学ではなく高校の先生だったのでしたっけ? 音に関しては、私がMさんにレッスンできることはもうほとん どないので、音をどう(授業で)扱うかを学んでいただく方がいいと思います。
 スカイプ導入をどうぞご検討下さい。
 参加(参観)していただくのは、Mさんにレッスンするわけではありませんから、お金はいただきません。間接的にでも結構ですので、素読舎を応援していた だければと思います。

【12683】
福岡Mさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月 4日(土)02時51分12秒

言い忘れました。
私の「音」という語には、抑揚も含まれています。

【12687】
ありがとうござ います 投稿者:福岡Mです 投稿日:2008年10月 4日(土)21時00分18秒

さっそく検討します。ありがとうございます。もう少し、磁場と当事者性について自分なり に考えてみます。

【12691】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月10日(金)23時40分47秒    編集済

パソコンの準備ありがとうございました。
息子さんに、今日のレッスンの終わったところに☆印を記入してもらってあります。
また、次回から始めるところ(今、学校が扱っている文法事項の記述があるところ)にも☆印を記入してもらってあります。(枠番号で言うと、21と238で す。)
一週間の間にワード(かメモ帳)の検索機能で、英単語、文法用語、☆印などを検索語に与えて検索する練習をしておいてもらうように息子さんに伝えてありま すので、手伝っていただけると有り難く思います。
特に☆印を検索することは毎回ありますので、よろしくお願いします。
☆印はレッスンの始めに消し、レッスンが終わったところに記入しておいてもらうようにします。こうしておけば、レッスンを始める場所を簡単に探せますの で、普段は教材の中を検索機能で動き回ることができます。
一回のレッスンで扱う場所が二箇所ありますので、プリントアウトしたものを使っていると混ざってしまい、前後がわかりにくくなると思います。できることな らパソコンの画面で使っていただくのが有り難いです。

 息子さんのテストの点が伸びたようでうれしいです。テストの点のためのレッスンではなく、学校以後に生き残れる英語力を作るレッスンですが、テストの点 が子供の心理に及ぼすものはあり、点が伸びるとやる気が出たりするものですので、私は軽視しておりません。
 そろそろ伸びてくるんじゃないかなと思っていたところでした。
 学校のテストの平均点が落ちているときに、息子さんの点が伸びたのであれば、間違いなく実力がついてきていると思います。平均点の動きと照らし合わせて いただけたらと思っています。

【12692】
ノンノン母さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月10日(金)23時55分32秒    編集済

matsu さん宛ての記事にありますように、娘さんにワードかメモ帳の検索機能に少し慣れておいてもらえたらと思っています。
私 の仕事は、レッスンをする以外に、教材を作ることです。教材がきちんとしていなければ、「電話でレッスン」も「スカイプでレッスン」も成り立ちません。娘 さんにお送りした教材は2万行ほどのものですが、ご夫婦で使っていただいている教材は10万行を越えています。このあたりからかなり高度な英語を扱ってい きます。
娘さんにお送りした教材を読んでいただけたようでうれしく思っています。
今度の小学生向けの教材は、いきなりわかるということが起こるようで、塾で使用していても子供が練習を嫌がりません。ようやくいい教材を作れるようになっ たのではないかと手前味噌で思っています。

【12695】
ジャンプ、始めました 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月11日(土)01時08分32秒    編集済

7回連続でレッスンを受けていただいた生徒さんは「ジャンプ」していただきます。
教材の1万行までの生徒さんでしたら、500行程度。
1万行を越えている生徒さんの場合は、1000行程度。

ただし。
教材をパソコンのワープロソフトで表示し、検索機能が使える生徒さんに限ります。
「ジャンプ」した後で、トバシタところを自習していただく必要があるからです。

すでに、I村さん、神奈川Tさんにはそうお伝えし、連続受講の回数を数え始めています。

【12699】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2008年10月14日(火)15時04分4秒    編集済

「素読舎新聞」用の記事を投稿します。署名入りで書いたので、そのまま使ってもらって結構です。村田君の書いた記事の最後には、それぞれ(村田晴彦)の署 名を入れてもらうのがいいと思います。
------------------------------------------------------
須坂高校学年トップ

 村田君に学年トップの記事を書いてくれと頼んでから、そういえば、「電話でレッスン」の生徒にも学年トップがあったなと思い出しました。
  今須坂高校3年生のKさんは、小学5年で素読舎を使い始め、高校生になってから二度学年トップになっています。「最近は学年トップはないのかな」と先日、 「電話でレッスン」のときにたずねたところ、最近のテストでは学年2番だったとのことでした。最初の学年トップは2006年、高校入学後すぐに行われたテ ストでした。二度目の学年トップは、去年の4月、進研模試(ベネッセ)の全国模試で、須坂高校2年生の学年トップになりました。その後は部活のスポーツの 大会などで県外に出かけたりして忙しく、現在は学年2番になっているということです。
 Kさんは二つ年上のお姉さんが素読舎を使って成績が伸びたことから、私のレッスンを受けてくれるようになりました。お姉さんは、中学の頃よく学年トップ になり、今は信州大学教育学部の一年生で松本にいます。英語が抜群にできます。信州大学在学中に、アメリカに留学を予定しています。大学生になってから も、松本から「スカイプでレッスン」で私のレッスンを継続してくれています。
 お姉さんが小学生の頃は、信州中野から毎週小島の素読舎まで通ってもらったのですが、Kさんが中学生になる頃、お母さんが人を集めてくださって、数人の 子供たちの英語を見るために、私のほうから週に一度、中野まで出かけていた期間がありました。村の神社に付属する建物の一室を借りて、3年ほど通いまし た。その後、私が「電話でレッスン」を始めたので、「電話でレッスン」に移ってもらうようにお願いして、中野まで通うことはやめました。それから6,7年 ほどたちます。その頃の生徒さんとその後の生徒さんとで合計5人の生徒さんが「電話でレッスン」や「スカイプでレッスン」を受けてくれました。今でも3人 が「電話でレッスン」か「スカイプのレッスン」の生徒としてレッスンを続けています。(根石吉久)

【12701】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月15日(水)00時47分13秒
手違いは私の方でした。
中学一年生ってのは、正直な子はものすごく正直です。

私の姪ッコが、中学1年の頃、母親から、
「ちょっとお風呂みてきて」
と言われ、
風呂場に行って、「見てきた」と言ったそうですが、
check it でなく、look at it をしてきたそうです。

【12703】
Jackie さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月15日(水)01時06分38秒
>日本の英会話幻想も、はがれてきている。

あやつらの化けの皮は、ほんとうに因幡の白ウサギくらいに剥がれて欲しいと願っています。ただ幻想だけを売ってきたのですから、そりゃもうかりまっさ。今 後はできるだけ素読舎があやつらの丸裸に塩を擦り込んでやろうと思っています。

>アメリカという国へ「憧れ」の幻想もなくなってきた。

わたくしごとですが、かつて一度もアメリカに憧れたことがありません。文化には「憧れ」ってものを持つのにやぶさかではありませんが、「文明」な んぞに憧れたことは一度もありません。だから、海を渡るんなら、ネパール、タイ、カンボジアに行きたい。その次はイギリスの田舎に行って、女の体の曲線み たいな丘をながめたい。最後の最後にアメリカですが、ニューヨークくらいしか行きたいところがありません。ケンタッキーの友達のところにももう一度行くか もしれませんが、ケンタッキーは無茶退屈なところです。

>それで、かわりにはびこる子供英会話幻想。

日本人はどこまでだまされたら満足するんでしょう?
馬鹿な母親どもは放っておいて、損してもらう以外にありません。

>国民を大切にしない国の国力は落ちる。
>そんな国の未来には言葉の植民地が待っている。

だけど、国家ってのは、国民なんか大事にしません。
日本というところの国力はもう十分に落ちているのではないでしょうか。
だけど、アメリカもいよいよいけなくなっていますから、日本はしばらくの間、さらにいけないでしょう。日本国家は、戦後ずっと従順なアメリカの妾をやって きましたから、いけなくなるのも自業自得ですが、俺たちに迷惑かけるんじゃねえよとは思っています。

大岡昇平の「俘虜記」を読み始めましたが、大岡もアタマの固い人で、読みにくいこと、読みにくいこと。

>英語力、中国語力が、必要な時代になってくるのか。
>やだなあ。

気が滅入ります。

【12707】
今朝考えたもののメモ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月16日(木)11時35分45秒
 先日、塾のチラシを作って、@、A、Bの三つの段階を作ったことがきっかけになってい ると思いますが、今日、久しぶりに 午前中に目をさまして、そのそれぞれの段階にわかりやすいイメージを与えることができるのではないかと思いつきました。まだ、メモですが、メモとして残し てみたいと思います。一応これでも、一つの語学論の骨格は備えることになるはずです。

@
 「まともな音ですらすら読める」段階。意味・文法理解がともなわなくても、ひとまずはOK(あくまでもひとまず)。
 ここで、「まともな音」が問題になる。「まともな音」=磁場における電導性をもつ音=有機物。「まともでない音」=磁場における電導性を持たない音=無 機物。この段階で、有機物と無機物に分かれる。(「まともな音」=「ネイティヴの複製音声を恣意的に真似した音」ではない。「Repeat after me.」や「CDを聴いて真似しろ」の否定)

A「音」に意味・文法理解がともなう段階=「発酵」の段階。音と意味・文法理解はバクテリアの餌。発酵の途中で、「イメージ」ができ、発酵の結果、「瞬間 化」が可能になる。自然界の発酵では、バクテリアは(法則が未発見でも)生物学的法則で生きている=条件さえ整えば発酵が進む=人間の意志は関係ない。人 間の意識におけるバクテリアは、(法則が未発見でも)語学的・言語学的法則で生きている=語学においては、「イメージ化する」「イメージ化を瞬間化する」 意志が眼目。初動は「意志」が与える。
 架空にイメージを放出することによって、「からっぽの電池」の性能があがる。
(「無数のからっぽの電池を作り出す」「からっぽの電池の性能をよくする=イメージ産出・放出の瞬間化」(という比喩)と、バクテリアによる「発酵」(と いう比喩)と、どちらがより実体に近く、どちらがより比喩に近いかを決定することは、今の段階ではできない。読書の言語体験や語学では「比喩」がそのまま 「実体」であるため?)

B 「磁場=胎内」。胎児の発生。「磁場」における「充電」と「放電」。@で「電導性の音」(へその緒)を作っておかないとこれが起こらない。Aで「瞬間 化」を作っておかないと、「充電」と「放電」の阻害因子になる。ヴォキャブラリーの増強の必要。ヴォキャブラリー(羊水)が豊富なほど、「電池」の向きを 変えやすい。(ネイティヴなシンタックス=胎児の骨ぐみ)

【12708】
メモについて 投稿者:村田 投稿日:2008年10月18日(土)00時49分2秒
>「まともな音」=磁場における電導性をもつ音=有機物。「まともでない音」=磁 場における電導性を持たない音=無 機物。この段階で、有機物と無機物に分かれる。(「まともな音」=「ネイティヴの複製音声を恣意的に真似した音」ではない。「Repeat after me.」や「CDを聴いて真似しろ」の否定)

「まともな音」
(1)ネイティヴに通用する
  →最低限、誤解されない音
(2)しかしネイティヴに同化しようとする方向性は持たない


>「磁場=胎内」。胎児の発生。「磁場」における「充電」と「放電」。

自分の意思の力で形づくった見えない身体の誕生?
胎児ということは、生まれる出る時がくる?

…『胎児の発生』というイメージがインパクトあって、なんかわかったような気がするけれども、まだよくわからないです。
でも@Aは自分なりに腑に落ちました。

【12709】
不遜広告 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月20日(月)01時38分8秒

村田君。
酔っぱらって、次のようなものを書きましたが、印刷すべきでしょうか。すべきではないでしょうか。ご意見をお願いします。

------------------------------------------------------

どこまでも傲慢な素読舎(タイトル)


 こちらから入塾をおすすめしても、入塾していただけなかった場合は、以後二度とお誘いしないことにしています。
 もし、英語を焦げ付かせてなんとかしてくれと言われた場合でもお断りする場合があることをご承知下さい。

 真っ黒に焦げ付かせた卵焼きかなんかを考えてみていただきたいものです。真っ黒になったものは食べられないので、新しい卵を使って卵焼きを焼くために、 焦げをこそぎ落とさなければなりません。この手間が馬鹿になりません。

 英語を焦げつかせた場合もまったく同じです。こちらの手間が何重にもかかり、しかも、なかなか生徒の力がついていきません。

 絶対に引き受けないということは言いませんが、一度お誘いしたにもかかわらず入塾していただけず、英語を焦げ付かせた後で入塾を希望される場合は、一言 で結構ですので、きちんとご自分の判断の間違いを認めていただきます。

 素読舎は塾ですが、そんじょそこらの英会話学校、CDやソニーのリピーターを使って、「真似しろ」で済ませているチェーン塾(全国展開の算数塾 が前身)、文部省が親分をやっている学校、受験制度にぶらさがってまともでない音で授業をする進学塾などと一緒にされたらたまったものではありません。

 素読舎には、日本で先端を行く語学論があるのです。

 他人の痛みというものは、自分の体でそれと同じものを感じることができないものですから、素読舎が語学論一つを備えるのにどれほどの痛みに耐えてきたか など、ことごとしく言っても仕方がありません。

 ひとまずここで言いたいことは、こちらから入塾をおすすめしても、入塾していただけなかった場合は、以後二度とお誘いしないということです。

素読舎塾長 根石吉久

【12710】
村田君   投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月20日(月)01時50分27秒
>>「まともな音」=磁場における電導性をもつ音=有機物。「まともでない音」= 磁場における電導性を持たない音= 無機物。この段階で、有機物と無機物に分かれる。(「まともな音」=「ネイティヴの複製音声を恣意的に真似した音」ではない。「Repeat after me.」や「CDを聴いて真似しろ」の否定)

>「まともな音」
(1)ネイティヴに通用する
  →最低限、誤解されない音
(2)しかしネイティヴに同化しようとする方向性は持たない

 「同化しようとする方向性」を持たないという面は確かにありますが、Repeat after me. や「CDを聴いて真似しろ」では、(音楽のセンスの優れた人以外は)自己流の音しか手に入らないので、結局「まともな音」が手に入らないからです。

>>「磁場=胎内」。胎児の発生。「磁場」における「充電」と「放電」。

>自分の意思の力で形づくった見えない身体の誕生?
胎児ということは、生まれる出る時がくる?

 まさに生きた語学力というのは「見えない身体」だと思います。
 胎内の胎児も、母親とへその緒でつながって養分をもらい、排泄物を排出しているので、「充電」と「放電」をやっているというイメージとつながると思いま す。

>『胎児の発生』というイメージがインパクトあって、なんかわかったような気がするけれども、まだよくわからないです。

 「磁場」に渡って、「充電」が起こっている間は、まだ日本語で育った人の体内における英語力の「胎児」だとイメージするのが正確だと思います。十分に充 電されてから、「磁場」に「誕生」するのだと思います。「誕生」してからが、本当に使える英語です。
 「胎児」というメタファは、「磁場」に渡った「当初」を言い当てるのに適当なイメージをもたらすと思って考えついたものです。

【12711】
慌てました。 投稿者:根石さんへ 投稿日:2008年10月22日(水)00時42分53秒

不遜広告をみて、慌てて書いています。
もしかして、私の事では??
焦げ付きを承知で誘って頂いていたのに、なかなかお返事が出来ずに
すみませんでした。。。
なんとか、これ以上焦げ付かないように努力しますので、あと1年後、
もう一度チャンスを下さいm(_ _)m
ハノイのちえより

【12712】
不遜広告について 投稿者:村田 投稿日:2008年10月22日(水)04時57分35秒
>こちらから入塾をおすすめしても、入塾していただけなかった場合は、以後二度と お誘いしないことにしています。
> もし、英語を焦げ付かせてなんとかしてくれと言われた場合でもお断りする場合があることをご承知下さい。
ある意味親切だと思いますが、塾生を集める広告(そうですよね?)としてはどうなんだろうなあと思います。
あとの方を読めば、塾を選ぶことの大切さということがわかると思うのですが、そこまで行かないんじゃないでしょうか。
否定広告はおかしみがあったと思うんですが、不遜広告はなんか違う感じがします。
「塾を選ぶことの大切さ」という方を前に出した方がよくないですか?

【12713】
根石さん 投稿者:村田 投稿日:2008年10月22日(水)05時05分27秒
>まさに生きた語学力というのは「見えない身体」だと思います。
思った通りでうれしいです。

>「磁場」に渡って、「充電」が起こっている間は、まだ日本語で育った人の体内における英語力
>の「胎児」だとイメージするのが正確だと思います。十分に充電されてから、「磁場」に「誕
>生」するのだと思います。「誕生」してからが、本当に使える英語です。
> 「胎児」というメタファは、「磁場」に渡った「当初」を言い当てるのに適当なイメージを
>もたらすと思って考えついたものです。

胎児というメタファについての解説ありがとうございます。
「磁場」に「誕生」のイメージ、すごくいいです。

また後ほど。

【12714】
学校の教科書 投稿者:らくだ 投稿日:2008年10月22日(水)19時57分0秒
新しい教材「小学生用文法教材」への切り替えで一つ疑問が出てきました。

これまでは、学校の教科書=素読舎のテキスト、の関係がありました。ですので、学校の予習として、復習として、また中間・期末の準備として教科書を使う際 も、常に素読舎のレッスンが下地にありました。たぶん、学校の英語の授業は下地にはなっていなかったと思います。

今後、英語の学習全体の中で学校の教科書をどう位置づければいいのだろうか、ということを考えています。今後も核になるのは素読舎レッスンという ことになると思いますが、どうも、教科書の存在が「浮いた存在」になってしまうような気がします。縁を切るわけにはいかず、かといって、有効に機能させる ことが難しい、といった印象です。

なぜ、そのように感じるかと言いますと「音」の問題があります。これまでは、教科書準拠のCDがあっても使わず(現段階では使わない方が良いという根石さ んのお考えに沿って)、レッスンで示される根石さんの「音」を頼りに学習を進めて来ています。

学校の先生の「音」は媒介にできそうにありません。先生の発音の善し悪しはともかく、授業形態からそう言えると思います。かといってCDをまねすることも 望ましくないとしますと、教科書の学習は何を手がかりに取り組めばいいでしょうか。

質問を変えるならば、自分で「音」が作れるようになり、CDを媒介とした学習をしても、それが邪魔にならず有効に機能するようになるまでに、一般的にどの 程度の期間(だいたいレッスン開始後何十カ月など)がかかるものでしょうか。個人差もあると思いますが。

また、たとえば、あと1年ぐらいだろう、と仮定した場合、それまでは教科書の読みについてはあまり深入りしない、ないし、現段階でレッスンを通して身に付 いている「音」プラス自己流の音(=学校英語的「音」)で行っておき、CDの音を使えるようになった時点で、その音を参照しつつ、まとめて復習(読み込 み)を行う、という考え方になるでしょうか。

【12716】
ハノイのちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月24日(金)01時25分39秒

>不遜広告をみて、慌てて書いています。
もしかして、私の事では??

 いやいや。たくさんいらっしゃるのです。

>焦げ付きを承知で誘って頂いていたのに、なかなかお返事が出来ずに
すみませんでした。。。

 これをメールでなく、掲示板に書いて下さったことに感謝しています。
 子供を産むのは大事業だとは、私なんかでもアタマではわかります。男であるため、腹でわかることができないのが残念です。生むのも大事業、育てるのも大 事業、ことに新生児の一年間は、というのも、やはりワタシナンカのアタマでもわかります。
 ですから、子育てに専念していただくのがいいと思います。
 残念だったのは、9月まで休ませてくれとご自分から言われ、10月になっても連絡がいただけなかったことでした。私の方は、10月から復帰されるとお聞 きしたので、ずっと枠を空けておいたのです。そのことをくやしいと思いました。

>なんとか、これ以上焦げ付かないように努力しますので、あと1年後、
もう一度チャンスを下さいm(_ _)m

 私の「電話でレッスン」も「スカイプでレッスン」も人気がありませんので、多分一年後でも空き枠があるのではなかろうかと予想しています。空き枠がな かった場合は、空き枠が生じたらすぐにお知らせすることでご承知下さい。

 ベトナムは過ごしやすくなってきたでしょうか。現在、金がないため、ベトナムに仕入れに行きたくても行かれません。ハノイ周辺を案内していただくという 計画も棚上げしなければなりません。
  昨日「花はどこへいった」という坂田雅子さんが監督した映画を見ました。多くのシーンをベトナムで撮影したもので、枯れ葉剤(ダイオキシン)による奇形児 が次々とスクリーンで苦しんでいました。それを抱きしめる親や兄弟が、猟奇になりかねない映像を救っていました。そちらで見ることができるようでしたら、 是非見ていただきたい映画です。

【12717】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月24日(金)01時45分32秒

 ご質問ありがとうございます。

 今後も、「電話でレッスン」が下地になると思います。音についても、文法についても、下地になる質は備えています。「電話でレッスン」が下地に なれば、おのずから教科書の位置づけもできると思っています。教科書のテキストが浮いたものになるかならないかは、息子さんが教科書をどれだけ使い込んで もらうかにかかっています。
 「電話でレッスン」で下地を作りますので、下地ができてきたら、「電話でレッスン」で手に入れた方法で、教科書の文をどんどんやってもらうことを期待し ています。まだ少し薄いですが、下地はできかけてきています。

>なぜ、そのように感じるかと言いますと「音」の問題があります。これまでは、教科書準拠のCDがあっても使わず(現段階では使わない方が良いという根石 さんのお考えに沿って)、レッスンで示される根石さんの「音」を頼りに学習を進めて来ています。

 息子さんの音はかなり自覚的になってきています。私のレッスンを二年くらいやってから、教科書準拠のCDを媒介にするのが通常ですが、息子さんはかなり 音楽的センスがいいです。だから、もうそろそろCDで練習してもらっても構わないかなと思っています。もう自分でどかどかやっても害にはならない(自己流 にならない)程度にはなっています。

>教科書の学習は何を手がかりに取り組めばいいでしょうか。

 私の自作教材から息子さんが得た感覚が手がかりになると思っています。

>また、たとえば、あと1年ぐらいだろう、と仮定した場合、それまでは教科書の読みについてはあまり深入りしない、ないし、現段階でレッスンを通して身に 付いている「音」プラス自己流の音(=学校英語的「音」)で行っておき、CDの音を使えるようになった時点で、その音を参照しつつ、まとめて復習(読み込 み)を行う、という考え方になるでしょうか。

 これを読んで、ああ、そろそろ「あいうえおフォニックス」を息子さんに伝授しようかなと思いました。「あいうえおフォニックス」を伝授した後では、音の 基盤はどの人もかなりしっかりしてきます。中学生には「あいうえおフォニックス」の全体について、二度、三度、同じことを言うつもりです。
 音の基盤がしっかりしてからは、CDを使ってもらっても、自己流にはなりません。ネイティヴ音との間にはかなり距離がありますが、「電導性の音」で言え るようになるでしょう。
 私がレッスンで扱った範囲の前半か、前半3分の2程度は、今のうちにやれば、字を見ずに音だけを聴いて、その音を自分の口から出すという練習ができま す。音だけに関してなら、それだけの分量でも、十分に鍛え込むことが可能です。
 教科書にどの程度喰らいつくかの基準は、字を見て繰り返し繰り返し読み、暗記したのではないのに、いつの間にか口がなめらかに動く程度まで読み込み、そ の後でCDを聴いて、字を見ずに媒介にするというやり方がおすすめです。これを、教科書の「電話でレッスン」で扱わないところに対してやっていただけば強 力です。
 その後で、「わざとゆっくり読み、その分だけイメージを濃くする」という練習をやって欲しいのですが、これについては今回は詳述しません。

 繰り返しますが、私のレッスンが下地になりますので、CD音を媒介にする際に、やたらな自己流の音にはなりません。
 「電話でレッスン」は私の自作教材で行い、教科書は自習ということで、全体としてこれまでより練習の立体性ができると思っています。そうするためのアド バイスは適宜息子さんに対してしていきます。

 息子さんの英語の練習の全体像としては、教科書を相手にしてやる練習は、「電話でレッスン」から生える太い枝の一本だと思っています。


 不明の点は再度お問い合わせ下さい。

【12718】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月24日(金)02時02分22秒

>否定広告はおかしみがあったと思うんですが、不遜広告はなんか違う感じがします。
「塾を選ぶことの大切さ」という方を前に出した方がよくないですか?

 今日も酒が入ってしまいましたが、今日は不遜ではなく謙遜の方をやってみようかな。
 貴重なアドバイスをありがとうございました。
 で、「という方を前に出した」ものを一本書いて下されば助かります。
 染みついた文体というものがあり、どうしても私が書くと、そういういいものにならないのです。締め切りは設けませんので、そのうちにお願いします。

【12719】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年10月24日(金)13時06分20秒
ありがとうございます。

>もう自分でどかどかやっても害にはならない(自己流にならない)にはなっています。

いや..どかどかどころか、放っておくと何もしないんです。せっかくレッスン受けているのに勿体ないなあと。そこで、少しはゲーム感覚を入れようかと思い まして、カードを買って来て単語カードを作らせ、ピンポン!ブブー!とかやっています。

思ったより教科書の単語は覚えているようで、学校でもクラス一番の優等生君と単語の意味当てでは互角みたいです。別に覚えようとして覚えたわけではなく、 レッスンで扱ったところは自然と定着しているようです。

ただ、教科書の最後の方はまったくで、そもそも読み方がわかりません。それこそ(some そめ?)という状態ですので、私がいい加減な発音で教えるよ り、単語の読み方ぐらいはCD聞かせてもいいかな、と思った次第です。

CDに関しては半分解禁と捉えて、最低限、必要を感じる場面で使うようにします。

【12720】
根石さん 投稿者:村田 投稿日:2008年10月25日(土)16時04分50秒

塾を選ぶ事の大切さについての文章、書かせてもらいます。
「いいもの」になるかどうかはわかりませんが、いいものになるようにやってみます。
来週くらいでまとめられたらいいかなと思います。

【12724】
「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の生徒さんたちへ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月26日(日)04時15分55秒

今日、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」をやめることを考え始めました。
私も歳をとってきましたので、出血大盤振る舞いはいつまでもやっていくことはできません。
ご協力を何度もお願いしてきましたが、強力に協力していただける人が現れません。
こんなものをいつまでもやっていくことはできませんので、もはや、という時がきましたらやめさせていただく所存です。

まだ考え始めたところですので、生徒さんたちの考えをお聞かせください。

【12725】
余生 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月26日(日)04時26分57秒

今後は、折口信夫を読みながら、ゆっくりと死んで行こうと思っています。

弟子にしようかと思っていた人が、先日一人死にました。

もう一人は、素読舎へ払う月謝をためて、ホンダのバイクに買い換えたのを覚えています。
今は、ハーレーです。

もう、いっぱい酒を飲んで、死んでいくに限ると思い始めてしまいました。

さようなら、さよなら
元気でいてね
若い二人はいつでも逢える
たとえ別れがつらくても
お嫁なんかにゃ行かないわ
待って、待って、待っているのよ
一人でいるわ
さようなら、さようなら
好きになった人

【12726】
疲れて横になっていて、思いついて起きあがって書いたもの 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月26日(日)16時28分35秒

 何がいけないのだろうか。本質的な語学論をやること自体では食えないことはわかってい る。しかし、それがあるから素読舎 の塾生は力をつける。成果は出ているが、それでも人は協力してはくれない。本質的な語学論をやっては駄目なのだろうか。本質的な力をもたらす教材など作っ ていては駄目なのだろうか。
もう長いこと、食えるか食えないかの境を歩いてきた。今も歩いているのはそこだ。

 カフェをやろうかと考えたことがあった。いや、今も考えていて、それに向けてごくわずかずつ大工仕事やコンクリ仕事は継続している。カフェはいずれやる のだろう。

@塾生がいなくなるまで、あるいは体が仕事ができなくなるまでやる。
Aカフェと両立させ、英語に注ぐエネルギー量を減らし、バランスをとる。
B一挙にやめて、英語に注ぐエネルギー量をカフェ開店に全部注ぐ。

 @からBの間を気持ちが揺れ動く。そのくせに、ふと気が付けば、教材のことを考えている。時間を作り出して、教材を作りたいと思う。頭で考えることと気 持ちの動きとがどこでどう食い違うのか、わけがわからなくなる。これは職業病なのだろうか。

 教材を作ってもそれほど多くの人が使うのではないのはわかっている。それなのに、しょっちゅう教材のことを考える。小学3年生くらいで使い始めることが でき、一本道をたどり続ければ、英検1級以上の人がさらに力をつけることのできるような教材。それが構想しているものである。
 小学生が使い始める教材の終端部分をゴーストの「イメージ核受肉教材」にジョイントするところまでやれば、再び英検一級該当、あるいはそれ以上の力を作 る部分の作成に戻るつもりでいる。生活が成り立つか成り立たないかという程度の生徒しかいないのに、こんなに膨大な教材を作ってどうするのか。自分の生活 のことを先立ててこんなものを作っていかれるものではない。何がやりたいのか。

 一本道を作りたいのである。白紙の初心者から英検1級以上まで、たどり続けさえすればたどれる道を作りたいのである。それができれば、英検の級なら級 で、人がどういうことをどれだけやればそこに至るのかの目安が作れる。そのことの意味がある。しかし、どうしても教材は膨大なものになってしまう。

 いずれフリーソフトのように世の中に開放してみようかとも思うが、自分の生活が成り立つか成り立たないような教材を開放することに何か意味があるのだろ うかとも疑う。

 「営業活動」をしなければならない。教材を作る時間を奪われる。泣き言を言いたくなる。
やめてどうするのだ。そう考えるときも、教材のことを考えるのである。やめたという行為の脇に、膨大な教材が残る。それは内的にはどんな風景なのだろう か。戦後の英語の虚妄というメタファにはなるのだろうか。

【12727】
しばらく「お願い」を継続致します 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月26日(日)17時16分27秒
 すでに何人かの「電話でレッスン」「スカイプ」でレッスンの生徒さんにお話したことの 概要を書いておきます。このお願いは今後も継続します。維持できるものなら、維持していきたい気持ちはありますが、全部枠が埋まっても15万円程度の収入 です。
 「電話・スカイプ」をやってきたことの最大の意味は、私にとっては教材を練ることができたということです。小学生・中学生用の教材が「ゴースト解析」に ジョイントされた時には、教材の全体像が立ち上がります。その先をどうするのか。まだ継続して作っていくのか。使う人もいないのに・・・。そう自問してい ます。
 以下、「お願い」の概要です。

 パソコンにスカイプを導入してもらってスカイプでレッスンをしている枠が3つある。そのうちの2つは、私(コーチ)が同時に2人の人を相手にレッスンす るものである。こうすることによって、一枠1万2千円のレッスンを一人あたり6千円の負担で使うことができるようになる。一枠を3人で使っていただくこと は、あまりおすすめできない。3人で使っていただく(一人4千円の)ケースも受け付けるが、あらかじめ効果が薄くなることをお断りしたうえで始めていただ くしかない。
 2人で使っていただくのは非常にいい。交替で文を読んでもらうこと(技法グラウンド)をするが、一人が読んでいるときにもう一人の生徒はそれを聞いてい ることになり、それがレッスン時間のほぼ半分を占める。これはバランスがよく、聞いている時間も聞いている人の力を作るのにうまく働く。料金は確実に半分 に減るが、効果が半分になるということはない。その意味で一番お得な使い方だと言える。実験的に継続してみたが、スカイプを使って、2人で1枠を使うこと を今後、レッスンの標準形にしていきたい。これにご協力を願いたい。
 英語の力を作ることは当然今後もやることだが、日本在住の人の英語は、それよりも「錆び付かせずに持ち続ける」ことにもっと気をつけなければならない。 私のレッスンは、「錆び付かせずに持ち続ける」ことをねらったレッスンなので、レッスンの代金は安い方がいい。2人(あるいは3人)で1枠を使っていただ いて、レッスン代金を安くし、その代わり長く使っていただくことを願っている。
 1万行あるいは2万行片付けた人と、新規に始める人が合流し一緒に1枠を使うことはできない。明らかな力の開きがあるためである。しかし、6万行片付け た人が、7万行片付けた人と合流することはできる。6万行の人に多少のストレスはかかるが、ストレスをバネにするくらいの地力はできているから、合流が可 能になる。
 私のレッスンは長く使って下さる人が多いから、すでに6万行台、7万行台をやっている人が何人もいる。今後は、この人たちに2人で1枠を使う形に移行し ていただくことを考えている。その形で、「錆び付かせずに持ち続ける」機能は十分にはたらく。
 しかし、空き枠があるのに、そういう動きはとれない。枠が全部埋まっても15万円程度の収入だが、そのうちの二つ三つが空き枠だと非常にきつい。私の方 でも努力はするが、生徒さんにも協力していただき、空き枠を埋めていただくことをお願いするしかない。
 枠が全部埋まっているときに、新たに「電話・スカイプでレッスン」を始めたいという方が現れた場合に、長く使ってこられた人同士で1枠を共同で使ってい ただく動きがとれる。今はその動きがとれない。
 空き枠が埋まっているときに、新たにレッスンを受けられる人が現れた場合、私の収入が増えるのでなく、生徒さんの負担が半分(あるいは3分の1)にな る。「電話・スカイプでレッスン」だけで生活して行こうと考えてやってきたわけではない。(実際は、腰をいためて妻が離職したため、ここ2年ほどは「電 話・スカイプ」だけがほとんど全収入の期間となった。ごく最近、妻がやってきた地元の子供のための塾の新規入塾が何人かあったため全体として少し楽になっ た)。「電話・スカイプでレッスン」は、英語職人としての腕を磨くための、あるいは教材を練るためのものと位置づけてきたので、「電話・スカイプ」からの 収入は空き枠が埋まった時点で頭打ちでいい。
 しかし、今は空き枠がなかなか埋まらず、「電話・スカイプでレッスン」を維持していくのがきつい状態になっている。重ねて、ご協力をお願いしたい。

【12728】
うろ覚え 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月27日(月)12時31分2秒

さようなら、さよなら
元気でいてね
若い二人はいつでも逢える
たとえ別れがつらくても
お嫁なんかにゃ行かないわ
待って、待って、待っているのよ
一人でいるわ
さようなら、さようなら
好きになった人

 先日、酒でぐらぐらしていたら、ふいにこの歌が口から飛び出したのだった。
 読み返してみると、「若い二人はいつでも逢える」というところが余計な一行だと思えてならない。いつでも逢えるなんて具合に、そんなに簡単に逢えるもん じゃねえよ、と思ったのだ。
 私の場合は、「好きになった人」っていう単純明快なことではなく、その人の中に形成された英語力の元、その形成過程そのものなのだ。あんなに小さかった の が、こんなに大きくなったと思い、しかしそんな理由で練習をやめてしまうのだったら、まず間違いなく墓場行きだと思い、「さようなら、さようなら」という 都はるみの高い声が胸に響くのだ。
 それはその度に身を切られるように痛い経験だった。「過程」を奪われることの痛さだった。死児を抱く哀しみとはそういうものだろうか。

 ついでながら、「お嫁なんかにゃ行かないわ」は、「磁場なんかにゃ行かないわ」となるのである。じゃあ、俺は、何を「待っているのよ」なのか。
 おそらくこれは理解されない単純な言葉だ。
 英語が日本語を幹とした枝の一本になる日を。磁場帰りのぺらぺらの元が「同化と信仰」である場合に、誰の目にもそれが醜いものと見えるようになる日を。

【12729】
酒 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月27日(月)12時47分8秒

 酒を飲んで掲示板に書くことが常態ですが、翌日になって後悔することが多い反面、そう かそういうことを言っていたのかと、自分の考えがはっきりすることもあります。
 先日書いた「大盤振る舞い」は、13万行という教材の行数と収入額の落差に愕然として生じたものです。この13万行の後半は使っている人が一人もいませ んが、作り続けてきました。
 日本の社会の成り立ちは、こういう仕事をする人間がなかなか食えないようにできているらしく思われます。
 パソコンのコピーとペーストを多用し、ところどころに自分の言葉で解析を加えていくのですが、コピー、ペーストを使ったところで、しょせん手作業です。 1万行作るのにどれだけへとへとになるかというのは、多分私の体が知っているだけです。
 泣き言はひとまずここらでやめておけと命じる声が自分の中にありますので、「大盤振る舞い」の解説にとどめ置きます。

【12730】
道具であり、力であるもの 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月27日(月)17時52分11秒
 教材を作った後、どこまで行こうが、生活が語学を媒介にするのがあるべき姿だということを考えていて、「着床力」という語を思いつきました。「磁場頼 み」というのは、語学が生活を媒介にする変態なのだということも考えていたのですが、こちらはひとまず棚にあげます。
 メモ書きですので、混乱が含まれますが、書き残しておきたいと思います。

 「着床」というのは、「受精卵が子宮粘膜に定着すること。妊娠のはじまり」(広辞苑)です。
 イメージ(形成)力は、日本に生まれて育つ子供は、日本語で養うことができます。
  文の中における単語というものは、文に「着床」している状態だと考えることができます。この状態が、あらゆる言語がその言語の中に生まれてくる子供にイ メージ形成力をもたらすものです。単語が文に「着床」しているから、子供はイメージを形成することができるのであり、個々の単語だけではその力がありませ ん。
 文と単語との間に相互関係があります。それが、単語の普通の生態です。この場合、単語は文から養分を受けていると同時に、文を構成する単位にもなってい ます。この単位だというところに目をつけると、単語を単語だけで扱うことが可能になります。辞書が成立するのも、「単位」というところに目をつけるからで す。これはどんな言語でも同じです。
 辞書を作るには、「単位」というところに目をつけるのでいいのですが、語学ではそこが違います。特に初心者のレベルでは、形式上だけであってもいいか ら、必ず文に「着床」している状態で単語を扱う必要があります。つまり、最初に文まるごとで扱うことです。文まるごとで扱い、次に単語として扱うという順 序が必要です。単語を扱うときに、そのへその緒(文法)ごと扱わなければ、後に文を形成する力ができてきません。
 最初はわかってもわからなくても、文まるごとで扱い、だんだんとわかってきたら、へその緒(文法)を見て、へその緒ごと動かさないと、単語というものは 新たな文に「着床」しません。
 日本語で感覚を形成された日本人が、最初に英語を単語として扱って、それらの英単語を集めて並べても、絶対に英文にはなりません。最初に英語を文として 扱うなら、文には文法が働いているのがわかってきます。単語が文から養分を受け取る場合のへその緒の存在がわかるということです。それがわかるから文が形 成されるというのが、語学における順序です。
 文構造というものは、社会構造、文化構造と照応関係があると言えるかどうかわかりませんが、少なくともそれらと連動しながら形成されたものであることは 言えるでしょう。「社会のシンタックス」「文化のシンタックス」という言い方をしたことがありますが、人間がそれらと相渡るときに、必ず通過する地点とし て文構造(文のシンタックス)を考えることができます。ネイティヴ言語の獲得過程では、人は絶えずこの地点を通過しています。数知れず通過する地点だと言 うことができます。絶えず通過する、数知れず通過する一点が、(総称としての)文構造だと言うことができます。

 以上は、言語的な「着床」ということがわかりやすかろうと思って書いてみたものですが、最初に「着床」という語を考えたときは、これとは違うことを考え ていました。
 単語というものが文構造に「着床」しているというのは、最小の「着床」を考えるにはいいでしょうが、私が最初に考えたのは、英語力形成過程では実際には 何が形成されるのか、その眼目になるものは何なのかということでした。
 考えながら書いた、メモ書きが手元にありますが、着床力、床、磁場ではない、文の床、しなやかなバネ、電導性、個々の音だけではない、などと書いてあり ます。

 「しなやかなバネ」という言い方はこれまでにも何度もしてきたものです。文まるごとで英語を扱うとき、読み(の音の連続性)が、「しなやかなバネ」にな るというような言い方で使ってきました。これは、音読や素読で同一の文を繰り返し読み込むことで、口の筋肉の動きを「やわらかくて強い」状態にする作業に よってもたらされるものです。筋肉の動きに「強さ」があるから、正確な音を獲得できるようになっていきます。「やわらかさ」があるから、「電導性」の音が 獲得できるようになっていきます。
 正確な音や「電導性」の音を獲得するためには、それ以前に、「強さ」と「やわらかさ」が必要です。私のレッスンが「なにがなんでも、とにかく口を動か す」ということから始めるのは、いきなり正確な音や「電導性の音」が手に入るものでは「ない」ということを前提にしているからです。多くの英語の教室がこ の前提をすっとばしてしまいます。それが、Repeat after me. 方式であり、「CDを聴いて真似しろ」方式です。これらは、語学の認識として間違っています。この迷妄を抜け出ている英語の教室はほとんどないと言ってい いでしょう。
 しなやかなバネにだけ「電導性」が備わります。「電導性」は単に個々の音だけを扱っても手に入らないというのは、個々の単語だけ扱っても文が手に入らな いというのと同じでしょう。単語について言った時のへその緒(文法)に該当するものが、音についてはどう言えばいいのか思いつきませんが、いずれにせよ、 しなやかなバネには「音の文法」が備わっているとは言えます。そこに「電導性」が生じます。
 素読舎で英語を鍛えたことのある人が、磁場に交わればただちに不器用ながら交流を始めることができるのは、「電導性」の音を持っているからに他なりませ ん。(音の連続性の方が、個々の音よりもはるかに重要だと考えていますが、ここでは触れません。)
 さて、「しなやかなバネ」というとき、あるいは「やわらかくて強い」というとき、その「やわらかさ」や「強さ」はどういうふうにすれば客体化できるかと いう問題があります。

 これに関しては、私は蓋然性で考えており、単純に「語数」で考えるのがいいと思っています。

 以前に塾のチラシにも書いたことがありますが、以後はひとまず、「かなり普遍的に言える」話だとして聞いていただきます。
 小学生や中学生が英語を始めたとき、3語、4語程度の文なら、すぐに「まるごと」を連続性として口に乗せることができます。3語、4語にはほとんど壁が ありません。これに関しては、小学生でも中学生でもほとんど変わりありません。個々の音には多少問題があっても、音の連続性という面では、3語、4語とい うレベルは壁にはなりません。
 初心者が最初にぶつかる壁は、6語、7語程度のところにあります。この語数だと、まったくの初心者だと、練習しないと越えられません。この壁を越える と、11語、12語あたりに次の壁が現れます。さらに、練習が進むと15語、16語あたりにかなり厚い壁が現れます。
 このそれぞれの壁を越えていくことが、「しなやかなバネ」を作り、「やわらかくて強い」音の連続性を獲得することに直結しています。「磁場」の外側で語 学をやることは、語数の壁を越えながら、音に強さとやわらかさを獲得し、ひとつのバネを鍛えていくことを意味しています。そして、コーチと生徒の双方で、 どうやら今は(たとえば)11語、12語あたりに壁があるねという合意が形成されたとき、「やわらかさ」や「強さ」が客体化できたことになります。
 個々の音を扱いながら、生徒にいくつも現れる壁を越えさせることが、私のレッスンの実質を形成しています。この実質部分は、学校のテストの点や高校・大 学合格のように外から見えるものではありません。学校のテストや入試問題が測る方法ではつかまらないような別の次元にあるものです。
 これは、(学校や進学塾の)「授業」などで作れるものではありません。「まともな音ですらすら」読むことにじかにてこ入れする「レッスン」でなければ作 れるものではありません。語学的なセンスのいい人は一人で作ってしまう場合もありますが、ごく「少数」です。しかし、ここで言っている意味での「レッス ン」があれば、「多数」の人に語学の扉が開くのです。(学校のテストの点がとれ、一流大学に合格したかどうかは、語学の扉が開いているか閉じているかと関 係ありません。閉じたままであるケースが圧倒的多数です。)

 「しなやかなバネ」は、英語力を獲得するときの「道具」になります。
 たとえば、6語7語のレベルを、すぐにまともな音ですらすら読める人は、目には見えないが、一つの道具を手に入れています。11語12語レベルを越えた 人は、それよりも一段と切れ味のいい道具を手に入れた(バネを鍛えた)と言えます。
 私の作る教材は、語数的にはランダムに文が並んでいます。語数から言っても、文法レベルから言っても、非常におおざっぱには、易しい文から難しい文へ並 べてありますが、局所的に見ればランダムです。そのそれぞれの文をある一定の品質で読めるようにしていきますが、生徒さんはいつも局所にいますので、難易 はかなりまちまちだと感じるかもしれません。
 ここで言っている「しなやかなバネ」の品質は、「すぐにまともな音ですらすら読める」という時の、「すぐに」というところに眼目があります。15語の文 を一つだけ「まともな音ですらすら読める」ようにした人が、15、16語の壁を越えたかというと、それはそういうわけにはいきません。10語、11語あた りの壁を越えるのに、15,16語くらいの文をかなり扱う必要があります。15、16語の文をかなり扱ったが、「すぐにまともにすらすら」が成立するの は、6、7語レベルであるという場合もあります。
 20語、25語程度の壁を越えている人は、英検1級レベルに通用する道具を手に入れています。
 以上の話からは「語彙の抽象度のレベル」が無視されていますが、語数が増えるに従って、抽象度のレベルがあがっていくように教材が並べられれば、語数だ けで考えて差し支えはないはずです。

 「しなやかなバネ」とは語学の道具であり、それは目には見えない。「しなやかなバネ」が、音の「強さ」(正確さ)「やわらかさ」(電導性)を作り出すだ けでなく、単語が文へ着床するときの「着床力」をも作ります。人様の書いた文では、はじめから単語が文に「着床」していますが、それを練習して、文を書け るようにするためには、自分の中に「着床力」を新たに作らなければなりません。

 文を読む音の連続性を「しなやかなバネ」にすることができたら、なじみのない単語を文から切り出して、単語単位でイメージ化する作業が必要になります。 このとき、英単語を日本語の単語に置換するのではなく、あくまでもイメージのレベルにとどめ置く必要があります。これは実は高度な意識作業なのですが、こ の場面で、「しなやかなバネ」の「強さ」や「やわらかさ」、とりわけ「やわらかさ」が必要になります。やわらかいバネを持っている人は、文構造から単語へ 養分をもらうための経路(へその緒)がやわらかいと考えていいでしょう。音の連続が、文法を備えやすいと考えていいでしょう。
 次に「強さ」が必要になりますが、これは、文構造からもらった養分を単語単位で「圧縮」し、その単語の「イメージの核」とするためです。
 それらのすべてが成り立って初めて、「着床している」と言えることになります。

 「しなやかなバネ」が作れれば、語学は成功したと言えます。それが作れなければ、語学は失敗です。学校のテストの点や高校・大学合格は、この本質とは何 の関係もありません。成功と失敗を決める肝心要のものが、「しなやかなバネ」であり、それが、単語やら音やら、文法やら語彙やら、個々ばらばらに考えられ るものを、語学力というひとつのものに「着床」させるための不可欠の「道具」になります。「道具」であると同時に、「へその緒」であり、そして、最終的に 語学力そのものにもなります。
 また、これがやはり、「磁場」への着床力を決めるものにもなります。
 心理的、精神的な障害を引き起こすことなく、「磁場」に渡った当初にスムーズに「電導」を起こすためにも、胎児(語学力)が、「磁場」に誕生して生活言 語になるためにも、日本人がいつまでも無視していてはならないものであるはずです。

【12731】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月28日(火)01時26分44秒

>いや..どかどかどころか、放っておくと何もしないんです。せっかくレッスン受けているのに勿体ないなあと。そこで、少しはゲーム感覚を入れようかと思 いまして、カードを買って来て単語カードを作らせ、ピンポン!ブブー!とかやっています。

 放っておくと何もしない場合は、放っておくのがいいのではないかと思っています。子供は「おやじがまた俺の世話を焼き始めたな」と思って、親につきあう ということをしますが、その程度で語学が成就することはないだろうと思います。
 要は、相撲で言う地力の問題だろうと考えています。地力がついてきて、ようやく子供に意欲が生じるのです。子供だけではありません、大人でも同じです。
 私の生徒にキリピーというあだ名の生徒がいますが、中学の文法もぼろぼろという状態で始めて、もう4,5年になります。この頃になって、ようやく自分の 英 語の力に不満を持つようになり、中学の文法にまともに喰らいつきたいという気持ちを持ってくれるようになりました。自分の英語の力に関して持つ不満が、 レッスンへの不満となりがちで、それでやめてしまう人もありますから、自分の英語に不満が生じているのはいいことなんだと、今日のレッスンで話しました。 始めた当初は、英文の構造がつかめないとか、イメージが瞬間化されないことに何の不満も持っていなかったはずだと言ったら、そうだと同意してくれました。 仕事を持ちながらのレッスンだと、その「初心」を抱くことが可能になるまでに、4年も5年もかかることはよくあることです。
 不満が生じているのは、喰らいつけば喰らいつけるようなきっかけというものができてきたからだと、今日キリピーに伝えました。
 地力ができてくれば、自然に自分の英語力に不満を持つようになります。不満は意欲の変形で、不満の元に意欲が生じています。それを待つのが得策だと私は 思っています。

 それともう一つ気になったのは、ゲーム感覚を入れようとして始めた単語カードの使用方法でした。
 カードを使って、「ピンポン!ブブー!」をやるとなると、英単語を言い、それに該当する日本語を言わせるという形になりがちだと思います。
 英単語を聞いて、その単語の「イメージの核」が生じ、さらにそれを日本語に換えるいう過程をたどっているのなら問題ありません。しかし、それは現段階で は非常に難しいと思います。英単語を聞き、イメージ核を経ることなく、英単語に対応する日本語を言う「反射運動」になる危険性は非常に大きいと思います。 この「反射運動」が非常にまずいのです。

 その逆なら比較的害は少ないと思います。日本語を言い、英単語を言わせる場合なら、どれほど薄いものであっても、日本語によってイメージが動きます。そ れは英単語の「イメージ核」とはずれています。意識されないほど薄くても、イメージが動いて、その後に(ほぼ同時にですが)、英単語を言うことになりま す。薄くてもずれていても、イメージ形成を経ていますから、害は少ないと思います。(英単語そのもののイメージの核から外れたところを思考が動くので、効 果はあまり期待できません。)
 やはり、おすすめしたいのは、英単語を言いながら書くことをいっぱいやることです。その過程で「こんな感じ」というものを感じる練習が最上だと思いま す。これは、一人でやる練習であり、親やコーチが介在しないものです。もしやりたがらなければ放っておかれるのが最良だと思います。地力ができて、不満 (意欲)が生じれば、自分でやり出すでしょう。地力ができても不満が生じない人は、語学に向かないだけのことです。しかし、語学は非常に大きな間口を備え ており、地力ができてくれば、ほとんどの人が自分の語学力に不満を持つようになります。つまり、意欲が生じてきます。

>思ったより教科書の単語は覚えているようで、学校でもクラス一番の優等生君と単語の意味当てでは互角みたいです。別に覚えようとして覚えたわけではな く、レッスンで扱ったところは自然と定着しているようです。

 私は、文全体の音づくりを絶えず行い、それを解析し、部分に分け、文法を媒介にして、生徒に総合させるということを繰り返しています。その過程で、単語 なら単語のイメージ核に近づいていくのだと思います。「自然に定着している」のは、方法がもたらしたものだと思います。
 カードを使って、英単語を言い、それに該当する日本語を反射的に言わせるようなことをやると、日本語を「媒介にして」、英単語のイメージを生じさせ、イ メージにとどめ置こうとする私のねらいが崩されてしまいます。英単語そのもののイメージができかけているときに、「反射運動」をやると、せっかくできかけ ているイメージが日本語に引き戻されて、無化されてしまいます。
 英単語から日本語でなく、日本語から英単語なら害は少ないと言いましたが、こちらでも効果は薄いものになると思います。こういう「反射」で作られる知識 量というものは、上級者では問題ありませんが、初心者のレベルでやると、後に害となることが多々あります。

>CDに関しては半分解禁と捉えて、最低限、必要を感じる場面で使うようにします。

 CDの音を「媒介」にするのは、もうどかどかやってもらって結構です。
 半分解禁でなく、解禁だとして下さい。これは息子さんが音の感覚がすぐれているから、早期に可能になったものだと思います。
 教科書掲載の文そのものでなく、私の自作教材の文を練習していくのでも、英語の力(地力)は徐々に形成されます。それが、自己流の読みを阻止しますの で、some がソメになるのはレッスンだけでも最終的に阻止できます。
 お父さんの「ソメじゃねえんだ、サムだ」というアドバイスは有効です。正確な音でなくても有効です。「俺の音は学校英語の音だからその点に気をつけろ」 と言っておけばいいと思います。学校英語の音は、息子さんは学校に行けば日常的に浴びてしまうわけですから、お父さんが「サム」と発音しても大した害には なりません。「ソメ」を阻止するには大いに有効です。
 「ソメじゃなくサム」と知ることは息子さんの英語力を培うのに有効です。息子さんの英語につきあうなら、こういう大雑把なところ、しかし、決定的に違う ものが違うとわかるようなところで力を貸していただければ有り難く思います。お父さんも息子さんも、気持ちがゆったりゆっくりしているのが今はいいと思い ます。

 学校の点が気になるかもしれませんが、いずれ点はとれるようになります。

【12732】
昔の塾生へ 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年10月28日(火)12時24分35秒

 「まともな音ですらすら読めるということ」という塾のチラシを郵便受けに入れさせても らった直後、携帯電話に連絡をも らったときはうれしく思いました。電話で二度、直接に会って一度、多くの時間を使い、現在の塾のことを説明しましたが、話が進展せず、結局、奥さんが反対 しているために、子供を入塾させるのをためらっているらしいことがわかりました。
 その理由というのが、千曲市に溶融炉が建設される計画に対して、私がビラを配っており、その内容が歯に衣着せず、環境部長や市長、市議会議員などを名指 しで批判しているためらしいということも、先日ようやくわかりました。貴君の家は、もし中区に溶融炉が建設されれば、そのすぐ風下になります。溶融炉に は、どんなごみがどんな順番で投げ込まれるのかがわからないのですから、どんなガスが生成されるのかわかりません。どんな偉い学者に聞いてもこれはわかり ません。長野広域連合でさえ、どんなガスが生成されるのかはわからないと言っています。「わからない」というのが正しいのですが、市の環境部は「安全だ」 と言っています。そういう問題点を突き、批判し反対しているのは、千曲市に育つ子供を守ろうとしているのです。私は自分の孫だけのことを考えているのでは ないのです。あの男は言いたいことを言うからやばいなどという判断で、入塾をためらわれたのであれば、入塾はこちらからお断りしたいと思います。子供を守 ろうとする行為に対して「やばい」だなどと言うのでしたら、市の行政のいいなりになって、子供にたんとガスを吸わせるがよろしい。何をとんちんかんなこと を言っているのでしょうか。

 英語に関しては、一つだけ言っておきます。
 貴君は冬季長野オリンピックの役員をやっていたとき、英語が使えたと言っていました。貴君は英語圏で暮らしたことはありませんから、その話を聞いたと き、そうか、そんな形で貴君のところにも生じていたのかと私は思いました。中学生くらいの感覚が柔らかい頃に、素読舎で英語を鍛えた人には、このことが起 こります。先日話したUの店というのは、当時、店の中に英語があふれかえっていたのですが、私はあるときふっと気がついたことがありました。「なんだ、英 語圏に住んだことがあるわけじゃなくて、日本だけに暮らしてきた人間の中で、英語を使っているのは素読舎で英語をやったやつらばかりじゃないか」と気づい たのです。
 貴君は、人当たりに如才なく、仕事柄すぐに人とうちとけて話をするとのことですが、その性質だけで英語が口から出てくるようになるということは絶対にあ りません。如才なさは英語をしゃべるようになるのに有利なのは間違いありませんが、長野オリンピックの時に英語が使えたことを、貴君の如才のなさに帰する ことはできません。いくら如才ない人でも、そんなものが口から出てくることはないのです。それが起こったのは、中学の時に貴君が素読舎を使ったからです。 素読舎の方法があったからです。どうもそれがわからないらしいので、私は説明するのに疲れました。
 もうこれ以上言葉を費やして説明するのはいやですので、言い残しておきます。どうぞ信学会でもどこでもいいから使って下さい。そして、10年後を見ても らうことです。父親のあなたに起こったことが、あなたの子供には決して起こりはしないと私はここに断言しておきます。英語圏に住むという経験なしに、つま り、「日本在住のままに英語を使えるようになる」ということが、あなたの身に起こったように子供の身にも起こるのだと考えているのでしたら、どうぞ試して みて下さい。是非子供に信学会を使わせて試してみて下さい。私はそんなことは起こりはしないと断言しておきます。それが起こらないことは、例えば、素読舎 を知らないあなたの奥さんにそれが起こらないということだけで、今でもすでに証明されていることですが、子供の身で改めて明らかにされるがよろしいでしょ う。塾を選び間違えたことが起こった場合は、その責任は貴君にあります。子供にはありません。
 貴君は、とにかく屋代高校くらいに入ってもらわなけりゃ、と言っていました。私の塾は人数が少ないですが、学年トップがよく出ます。昔も今も、素読舎は 子供にテストの点をとらせるのは得意です。しかし、そんなことよりも大事なことは、貴君の身に起こったことと同じことが、素読舎を使い込んだ塾生には他に も多く起こっていることです。この現象は、他の塾にはないのだということを貴君にわかってもらうことができませんでした。素読舎を使った人にそれがわから ないのかと思って、私は狐につつまれたような気がしたことを書いておきます。
 どんなに下手くそでもいいが、とにかく素読舎を使いこんだ人は、英語でいきなり人交わりができるのです。貴君のようにとりわけ如才ないわけではない人に もこのことは起こっています。
 我が身に起こったことが何なのかさえわからない人には、もうこれ以上言葉を費やしても仕方がありません。

 私は教材を準備し、貴君が教材をとりに来ると言っていた日、一日家にいて待っておりました。仕事が忙しいことはわかりますが、電話の一本もよこすべきで はないでしょうか。この如才ない人は、素読舎を軽んじているのだと私は考えました。
 そちらから携帯電話に連絡をもらって以後、説明をし、教材を取りに来るとまで話が進み、約束をほったらかされたところに至り、私は非常にくやしい気持ち になりました。この手紙は、掲示板「大風呂敷」にも掲載しますことをお断りしておきます。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs?BD=7&CH=5

 準備しておきました教材は、昨日問い合わせて下さった方が入塾を決められたら、そちらに回します。ご承知おき下さい。


08/10/28
素読舎 根石吉久

【12733】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2008年10月28日(火)14時05分53秒

こんにちは、ちえです。
メールではなく、掲示板へ書き込みする事にしました。

9月まで、待って頂いていたのに、連絡出来なくて、本当にすみませんでしたm(_ _)m
言い訳は、この前お話ししましたが、
正直に言いますと、もう、根石さんは私の事忘れていらっしゃるのでは??ぐらいの
気持ちでした。
多分、世間の先生方(英語以外の何でも)は、生徒との約束を根石さんの様に、
ちゃんと覚えていてはくれません。
少なくとも今まで会った先生方はそうでした。
だから、今回も普通に、連絡したら、「あー。。。お元気でしたか??」ぐらいの
返事が返ってくるのでは??と思っていました。
本当に失礼ですね。。。怒らないでくださいねm(_ _)m
だから、ちゃんと枠まで空けて、連絡を待って頂いたと知り、本当に申し訳ない気持ち
で、いっぱいでした。
根石さんってなんて素敵な先生(人間)なんだろう。。。と思っています。

今、3人の子育てで、いっぱいいっぱいの私ですが、英語を勉強したいという気持ち
は、とても強くあります。
全く英語力のない私をどうにかしてくれるのは、根石さんしかいないと思っています。
これは、大げさではなく、ほんの少し根石さんのレッスンを受けて、一年放置した状態の
今、理由はわからないけど、根石さんのレッスンは凄かったと思えるからです。

そして、根石さんの教材もすごいと思います。
超初心者の私にはどうする事も出来ませんが、根石さんに協力出来るくらいの
力があればいいのに、、、と根石さんの書き込みを読んで思いました。

前回、メールで尋ねたのですが、レッスンは夜だけなのでしょうか??

ベトナムは、1年前に比べ、物価がとても上がっていて、驚きました。
安いだけが取り柄だったのですが、1年前に比べ、何でも倍くらいに
なっています。雑貨の仕入れもあまり、楽しくないと思いますが。。。
また、機会があれば、ハノイへお越し下さいね。

大変失礼な投稿をお許し下さいませm(_ _)m

【12734】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年10月28日(火)20時50分56秒

コメントありがとうございます。

> カードを使って、英単語を言い、それに該当する日本語を反射的に言わせるようなことをやると、日本語を「媒介にして」、英単語のイメージを生じさせ、 イメージにとどめ置こうとする私のねらいが崩されてしまいます。

英語→日本語は意味がないのではないか、と以前から思っていましたので、それはやっておりません。日本語→英語です。ご説明を読んでまた質問が湧いて来た のですが、とりあえず英→日ではないことだけ、お伝えしておきます。

【12735】
保護者の気持ち 投稿者:らくだ 投稿日:2008年10月29日(水)09時35分46秒

ちえさんがお書きになっていることを読んで思ったのですが、普段、受講生の皆さんは根石 さんとメールでやりとりするのが一般的なのでしょうか?

特に、ご本人が受講されているのではなく、子供に受講させている保護者の方々は、子供にレッスンを受けさせている以上、その効果について関心を抱くのでは ないかと思うのですが。レッスンの様子や自分の子供の英語が今どういう状態にあるのか、学校の勉強や他に塾に行っている場合、その関係づくりについて。あ るいは、参考書を別に使っている場合のこと。その他、根石さんからの情報やアドバイスなどをメールで受けているのでしょうか。

それとも、英語の勉強は、学校の授業以外は週30分のレッスンの効果を信じてノーチェック、という感じでしょうか。あるいは、保護者の方の英語力が高いの で、子供に英語を読ませてみれば「うん、上達してるな。OK 」と容易に検証可能ということなのでしょうか。

このところ、ちょっと不思議に感じています。どなたかコメントをいただければ幸いです。

【12736】
らくださんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2008年10月29日(水)09時49分2秒

こんにちは、初めまして、ちえです。
レッスンの事について聞きたい事などは、掲示板を使っていましたが、
先日、個人的なこと、「子供が無事に産まれました」等をメールしました。
別に掲示板に書いてもいい内容だったのですが、久しぶりだったので、なんとなく
メールしました。
これからも、なるべく掲示板のほうに書き込みをしたいと思います。

【12737】
ちえさん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年10月29日(水)10時00分12秒

早速コメントいただき恐縮です。
個人的と言えば、息子の勉強についても本当は個人的なことなのですが。それでも、 語学というものに普遍的に存在する問題ではあるのかなと思い、すべて掲示板にさらしている次第です。将来、息子が読むようなことがあれば、オヤジぃー勘弁 しろよなー、と言われるかもしれません。

【12745】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 1日(土)00時31分4秒

 疲れたので、今日は薪をいじりませんでした。ようやく掲示板に向かう気力が生じまし た。

 検索語のアドバイスありがとうございます。

 カードを使ったやり方が、英単語から日本語を言うというやり方ではないとお聞きし、ひとまず安心しています。
 今日レッスンの時、息子さんに、どんなやり方なのかと聞いてみました。最初に私が、日本語の単語を二つか三つ言って、英単語を一つ言うというやり方がい いと言いましたとこ ろ、そういうふうにやっているとのことでした。カードを使ってやるやり方ではそれがベストだと思います。常時、二つ、三つの日本語に一つの英単語が対応し ていることで、日本語の単語と英単語が一対一対応ではないことがわかりますし、本当に一対一対応するのは、イメージとの間だけだということもだんだんわ かってくれると思います。
 クラスのよくできる人と単語を言い当てることをやって互角だとのことでしたので、その時に思い出す単語っていうのは、俺が「言いながらたくさん書いて、 こんな感じってのを感じる練習」をしてくれって言ったときに、その練習をして覚えたものじゃないかなと聞きましたところ、そうだとのことでした。
 放っておくと何もやらないとお父さんが言っていたけどと言ったところ、「そんなことを言っていたのですか」と聞き返されました。お父さんともカードを 使ってやってるけど、一人でもやってるとのことでした。
 カードを使うやり方では、日本語の単語を複数書いたものを目で見て、英単語を口で言うというやり方だそうですが、そして、それがベストだと思いますが、 このやり方では頭脳だけが働いて、「言いながら」とか「書きながら」というときの身体の動きが伴いません。
 身体の動きと共に、イメージ、音、綴りなどを渾然一体にしてしまう方が、意識に長く根を張ります。ですので、「俺の言ったやり方と、カードを使う今のや り方を両方やってくれ」と息子さんには話してあります。いったん、身体の動きとともにとりこんだものをカードで瞬間化するというのが一番いいと思っていま す。身体を動かしながらというやり方をやめないで続けてくれとも伝えてあります。

 実名ではないので、息子さんの様子をまた掲示板に書いていただくことをお願いしたいと思います。具体例を相手に考えることで、私の語学論は作られてきた ものです。大学の研究室などで、書物だけを相手にしてこねたものとはその点が違います。もし、私の語学論に普遍性のかけらでも宿ることがあるとすれば、具 体的な現場を経た普遍性です。素読という方法も、私の身体において実現したことが、果たして自分の身体以外の身体で実現するものかどうかを考えて選びとっ たものです。

 他の生徒さんやその父兄の方々があまり掲示板に書いて下さいません。私はどなたにも書いていただきたいとお願いしているのですが、なかなか登場して下さ いません。おっくうなのが一番の理由かなと推測しています。もっと登場して下さる方がいいのですが。

 息子さんと matsu さんの息子さんに、7回連続でレッスンを受けたときに、200行ジャンプを適用しようと思っています。英単語や文法用語で検索し、教材の中を動き回れるよ うになってもらえれば、それをやっても大丈夫だろうと考えています。検索機能を使って、教材の中を動き回れるようになったときも、「言いながらたくさん書 いて、こんな感じってのを感じる練習」を多用してもらいたいとも考えています。

 先行する部分へ、早く後続の部分をくっつけたいと思い、ジャンプの適用を考えたものです。自習を始めてくれることも期待しています。ご意見をお願い致し ます。

【12749】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 1日(土)01時39分16秒

>正直に言いますと、もう、根石さんは私の事忘れていらっしゃるのでは??ぐらいの
気持ちでした。

 片時も忘れたことはないと言うと嘘になってしまいますが、10月からレッスンを再開されるということは、レッスン専用のテキストファイルに記録してあり ましたので、連絡をお待ちしていました。

>多分、世間の先生方(英語以外の何でも)は、生徒との約束を根石さんの様に、
ちゃんと覚えていてはくれません。
少なくとも今まで会った先生方はそうでした。

 世間にはそういうことが多いということは私も承知しております。私もそういうことに何度も出会ってきました。ただ、それを自分の標準にしたくは ないと思っております。ほんとうにすっかり忘れていて、頭からすっとんでいたということは、私にも起こりうることですので、その場合は謝って許していただ くしかありませんが・・・。

>今、3人の子育てで、いっぱいいっぱいの私ですが、英語を勉強したいという気持ち
は、とても強くあります。
全く英語力のない私をどうにかしてくれるのは、根石さんしかいないと思っています。
これは、大げさではなく、ほんの少し根石さんのレッスンを受けて、一年放置した状態の
今、理由はわからないけど、根石さんのレッスンは凄かったと思えるからです。

 生まれたばかりのお子さんが少し手がかからなくなった頃、再開を考えてみて下さい。それまでの間でも、掲示板に書いて下さることを歓迎したいと思いま す。
 語学には、語学に対する認識も練って行くことが大事だと思っています。単に、目に見える語学力(=スキル)を手に入れるだけだったら、なにがなんでもア メリカなりカナダなりイギリスなりに渡って、しゃにむに人交わりをするに限ると思いますが、例えば世界一といっていいくらいの逆境(=日本在住)におい て、語学を手放さないためには、語学に対する認識を少しずつ深めていくのがいいと考えています。

>そして、根石さんの教材もすごいと思います。
超初心者の私にはどうする事も出来ませんが、根石さんに協力出来るくらいの
力があればいいのに、、、と根石さんの書き込みを読んで思いました。

 英語力なんかいくらあっても、協力しようという気がない方は、何もしては下さいません。
 ちえさんは、ベトナム在の日本人の方で、英語で苦労されている方がいたら、このレッスンのことを話していただくことで、協力していただくことができま す。ちえさんから見ると、達者な英語を使っていると見える方でも、ご本人は、けっこう苦労して英語を使っていると自覚しておられる方もいると思います。
 ちえさんが再開されるときに、ベトナム在のパソコン二台と、日本在のパソコン一台をつないだレッスンができたらいいなと思っています。それで私の収入は 増えませんが、生徒さんのレッスン代金は半額になります。効果はほとんど減りません。

>前回、メールで尋ねたのですが、レッスンは夜だけなのでしょうか??

 お返事が遅れて申し訳ありません。レッスンは夜だけやっています。
 昼間ならできるという方が何人も現れた場合は、昼間やることも検討したいと思っています。

>ベトナムは、1年前に比べ、物価がとても上がっていて、驚きました。
安いだけが取り柄だったのですが、1年前に比べ、何でも倍くらいに
なっています。雑貨の仕入れもあまり、楽しくないと思いますが。。。
また、機会があれば、ハノイへお越し下さいね。

 円高ですが、ベトナムの物価が倍になっているのなら、それには追いつきませんね。
 いつか、是非ベトナムに行きたいと思っていますが、その前に、インドに行きたいとも思っています。インドの綿製品がすごく好きなのです。

【12751】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月 1日(土)09時04分41秒

> 他の生徒さんやその父兄の方々があまり掲示板に書いて下さいません。私はどなたにも 書いていただきたいとお願いしているのですが、なかなか登場して下さいません。おっくうなのが一番の理由かなと推測しています

掲示板でread onlyの方が多いのは普通の事だと思います。皆さん、根石さんの書き込みを読むだけで得るべきものは得ているのでしょう。私が貪欲で特殊なのだと思いま す。私の貪欲さは、息子を思う愛の深さ、から来るというわけでもなさそうです。以前、書きましたが、私は長く英語教育に関わる職場におります。根石さんか ら見ると、“天敵”の部類に属するのかもしれません。そして、ご著書とwebで根石さんを知り、猛烈な関心を抱きました。これはすごいぞ、と。そして、そ のすごさを体感する事で、その直感を確信に変えることを考え、1年ほど前にレッスンを申し込んだわけです。その時、根石さんから小学6年だった息子への レッスンを提案されました。ちょうど、小学生に英語をやらせることの是非をめぐって、やり取りが活発に行われていた頃でした。私は、その問題への興味もあ り、また、英語に関してまっさらな状態にある者が、レッスンでどのように変わっていくのかを横で観察するのも悪くない、いや、自分が体験するより有意義だ と考えて、根石さんのご提案に乗る事にしたのでした。

私が可能な限りこの掲示板に息子の事を書き連ねる事も、それを通して根石さんにあれこれ細かい事を質問させていただくのも、半分は職業的な関心がもとに なっています。そんなわけで、お返事はゆっくりで結構ですので、これからもおつきあい願えればと思います。

【12752】
一円にもならない獲らぬ狸の皮算用 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 2日(日)02時55分38秒    編集済
 らくださんと matsu さんに向けて書きます。
 matsu さんは、近頃掲示板に登場して下さらないので、お忙しいのだろうと推測していますが、これをお読みいただけたら lucky、お読みいただけなかったら、息子さんに「お父さんに掲示板を読んでくれるように伝えてくれ」と伝えることにします。

 らくださんの息子さんは、金曜日夜8時ちょうどから、matsu さんの息子さんはその後、8時40分からレッスンをやらせていただいています。同日で隣接しています。
  これを元に考えたのですが、半年くらいすれば、らくださんの息子さんと matsu さんの息子さんで一枠の中に入ってもらうことができるようになると思っています。来年のゴールデン・ウィーク頃になるかと思いますが、うまく進展すれば、 4月の新学期からということになろうかと思います。
 何をたくらんでいるかと申しますと、らくださんと matsu さんとで、空いた一枠を使って、私のレッスンを受けていただけないかということをたくらんでいます。
 息子さんの方にかかるレッスン代金が半額になり、おやじさんたち(失礼)にかかるレッスン代金も同額になり、現在息子さんたちにかかるレッスン代金で、 おやじさんたちもレッスンができます。これは、息子たちに何らかのインパクトを与えるのではないかと思います。

 自分で勉強しないくせに、勉強しろと子供の尻を叩く親がほとんどすべての日本の親たちだと思っていますが、matsu さんもらくださんもそれぞれに勉強をされていることが、この掲示板に書かれたものからうかがえます。それはそのまま継続されるとして、私のレッスンがどう いうものかを本当に知っていただくために、ご自分でレッスンを受けていただくことがいいと考えたのです。掲示板だけだと、どうしても「知識的」にとどまり ますので。

 小学3年から始めることのできる新しい教材の終端は、「ゴースト・イメージ核受肉教材」の先端に接続されます。おやじさんたちのレッスンが実現した場合 は、「ゴースト・イメージ核受肉教材」の先端部分から開始します。おやじさんたちが、自分たちのやっているところの少し先をやっているというのは、息子た ちの意識にとって、なかなかいい状態ではないかと思います。

 私の収入は増えませんし、手元が多少忙しくなりますが、私にも、おやじさんたちにも、息子たちにもいい結果が生じるのではないかと、今日も酔っぱらった 頭で思ったのですが、どんなものでしょうか。

 息子さんたちの場合は、部活とのカチ合いが問題になり、親父さんたちの場合は、家に何時に帰ることができるかという問題があります。

 らくださんの息子さんの8時からの枠に、果たして matsu さんの息子さんが合流できるかどうか。それができる場合は、8時40分からの枠が空きますが、その枠におやじさんたちが合流できるかどうか。そのあたりが 問題になります。

 私としては、素読舎「電話・スカイプでレッスン」の父兄会を強力なものにするためにも、いい案だと思っているのですが、ご一考をお願いしたいと思いま す。

【12753】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月 2日(日)08時00分0秒

そのようなお金にならない皮算用をされるのではないか、と予想はしておりました。お誘い いただき、ありがとうございます。

matsuさんが乗り気だと申し訳ないのですが、らくだ家の方は難しいと思います。まず、早速息子に「どう?」と聞いてみたのですが、「う〜ん、 やだなー」でした。対面での友達作りにはめっぽう強い子ですが、顔が見えないと抵抗があるだろうと思います。根石さんとのレッスンもようやく慣れてきたと ころだと思います。むろん、根石さんのネッスン枠があふれて1レッスン2人が原則になった場合は、再度検討させていただきます。

ちなみにオヤジの方ですが、その時刻に帰宅できることが稀です。ということは息子のレッスンの様子を見られるのも稀だということなのですが。それと、自分 の英語の勉強についてご報告しておきますと、遅々として進まずという状態でありますが、それはそれで良いと思っています。仕事絡みになりますが、私の英語 とのつきあい方は、様々な出版社の書籍を概観し、時に自分で少し試してみる、というお味見方式が主になります。学習方法としては御法度なのでしょうが。

当然のことですが、すでに発音では息子に軽々と追い越されました。以前、初級者向けの例文集を居間で読んでいたら、隣で家内がニヤニヤしている。「ン?何 か?」「●●●(息子名前)の方がうまいんだなーって思ってさ」ときたものです。「この女!」と思ったですが、そこは冷静に「そりゃそうさ。だからレッス ン受けさせようって言ったんだから。良かっただろ?」と返しました。

息子の上達を実感するのは楽しいことですが、最初に、すぐに気づくのはやはり発音ですね。正しい発音をちゃんと判定できる力はありませんが、いわゆる 「ちょっと外人みたい」というやつです。よく言われるRとLなどは、まだできていませんが、おそらくそれはこれからかと思います。違いをどこで感じるのか といえば、たぶん母音なのだろうと思います。一般的に言われるのとは違って、英語で難しいのは母音でしょうし、なので根石さんのフォニックスは「あいうえ おフォニックス」と命名されているのだろうと認識しています。

【12762】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 4日(火)04時33分46秒

そうですか。残念です。
お父さんの夜の帰宅が遅いことは、私が口出しできることではありませんので、今回はあきらめることにします。
息子さんの「やだなー」は、今はそうでも、そのうちに変わるかもしれませんので、そちらに期待します。
私の企画はそんなに悪いもんじゃないだろうと思っていますので、実現の可能性を捨て切らないでおいていただけば結構です。
どうやら私は、理想的なものを夢見てしまうようです。

【12765】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2008年11月 5日(水)16時56分11秒

お返事を頂きありがとうございました。
実は、2番目の息子が喘息から肺炎になり入院、一緒に付き添っていた3番目の
息子も2日遅れて肺炎の為に入院で、合計5日間入院してきました。
今まで入院経験はなかったのですが、ベトナムで初入院を経験してきました。
子供が沢山いると色んな事があるんですね。
入院中も、看護婦さんとのコミュニケーションにかなり四苦八苦して参りました。
ベトナム人の英語の発音には慣れて来たのですが、英語力がもっとあれば。。。と
またまた苦い思いをしました。

今ではもうすっかり元気になりました。

子供達がもう少し大きくなったら、また、レッスンをお願いします。
それまでは、素読舎の宣伝をしたいと思います。

また、掲示板に書き込みさせて頂きますね。

【12766】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 6日(木)02時43分37秒

>子供達がもう少し大きくなったら、また、レッスンをお願いします。
それまでは、素読舎の宣伝をしたいと思います。

お子さんが無事でよかった。
肺炎で弱った後、インフルエンザの菌が悪性だと死ぬんじゃないかと思ってしまいました。日本では、鳥イン フルエンザこそが問題だと一部の人たちが騒ぎ始めています。私に伝わってくる情報はぼやぼやしていますが、合成化学物質の野放しやヨーロッパ由来の家畜化 思想が、この時代の問題を引き起こしていると考えてきました。それと、日本人の自然頼みですね。自然頼みは、多分ベトナムにもあると思いますが、それじゃ やっていけないので、アジアの人たちがよく話をしないと。

英語のレッスンの方は、今後、よろしくお願い致します。

それまでは、気軽なベトナム便りをお願いします。

【12767】
南原充士(なんばら・じゅうし)さんの日記 投稿者:馬の骨 投稿日:2008年11月 6日(木)16時51分56秒

2008年11月06日
15:53

パスバンド理論




 きょうの日経夕刊。福岡伸一。「あすへの話題」。

 オバマ当選のニュースが目に付く中で、ちょっと面白い話。

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 福岡によれば、言語のパスバンドというものがあるという。これは、フランスのトマティスという耳鼻咽喉科の医師が唱えた理論らしい。

 たとえば、イギリス英語なら、2,000〜16,000ヘルツ

       日本語なら、      100〜1,500ヘルツ

       が、パスバンドだという。

      この周波数帯を外れると、音が聴き取りにくいのだそうだ。

 パスバンドは、子供の頃に形成される。成人してからではなかなか広がらないという。

  どうやら、ロシア語は、きわめて広いパスバンドを持つ言葉らしいが、はたして、ロシア人は 、他言語習得に堪能だろうか?

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 ざっと以上のようなことだが、なるほど、外国語がなかなか上達しない理由のひとつとして、そんなこともあるのかと思った。

【12768】
迷いのままに書かせていただきます 投稿者:おちこぼれ母 投稿日:2008年11月 7日(金)20時52分28秒

以前から興味深く掲示板のやり取りを拝読しております。
英語に特に強い関心があるわけでもないのですが、
素読舎のレッスンに強い興味があります。
私自身は中高で普通に英語を習っただけ、発音は完璧にカタカナ読み、すでに三十路半ばの田舎ものです。
普段英語を話す機会もないわけで、何のために英語を?と自分に突っ込みを入れながら書き込みをしています。
でもこんな自分がもし本当に発音できるようになったら奇跡だな、と、不遜なことを考えてしまいます。
息子が2人おります。小三と5歳。
習い事等経験させておりません。
もともとまめな母親ではないのであれこれ習い事をさせるきもちもありません。
でもこちらを拝読していて、根石さんの英語を習わせてやりたいな〜、という気持ちが日に日に強くなっています。
小三の息子、英語に興味はあれど、こういう形のレッスンは想像も出来ないようです。
が・・・どうせなら本物を、と思う気持ちが強いです。
他の英会話教室などに通わせる気持ちは全くありません。

どうせなら小三の息子と一緒の枠で私も教えていただこうか・・・
ただ小三の兄と母親がレッスンしている横で、5歳の次男が大人しくしている可能性は低いです。
下の子が小三になるまで待つか・・・。

すみません、迷いのままに書き込みをしてしまいました。
失礼いたしました。

【12769】
教科書の自習 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月 7日(金)22時31分18秒

これから少し英語の自習について考えたり、根石さんに質問したりしたいと思っています。

今回は教科書の自習についてです。新しい教材に移行することで、学校の教科書については、既習部分の復習以外はレッスン対象から外れたと聞いています。そ こで、今後、教科書の学習についてはどうしようか、と考えています。

教科書の自習は復習に徹する、と考え、進度を学校の授業に合わせる。授業で一通り学習したレッスンについて、復習としてCDを聞いたり、回転読みをした り、回転書きをしたりする。それが良いかと考えました。

ところが、昨晩、こんなことがありました。息子が「教科書の読み合わせつき合ってよ」と言うのです。「オーケー、でどこやる?」「Open your textbook to page 78.」「ん?ここ、レッスンやってないし授業でもまだじゃないの?」そりゃ無理だろ、と思ったのですが意外とやるもんです。時々つっかえたり、読み方が 分からない単語があるものの、レッスン8から最後まで読み切りました。「へー、読めるんだ。でも意味は分かんないだろ?」「まあね、なんとなくって感じか な」

息子はレッスン8以降はレッスンでやっていないというのですが、本当でしょうか?もしそうだとすれば、意味の把握についてはともかく、読みについては既習 の部分の応用がそこそこできると考えて良いのかな、と思うのですが。

もしそうであれば、今後、学校の進度にとらわれずに、本人がやりたいなら前に進ませても良いのかなとも思ったのですが。どんなものでしょうか。

【12770】
おちこぼれ母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 8日(土)01時11分8秒

 掲示板へ書いていただいてありがとうございます。

 いろいろ習い事をさせておられないとのこと、心強く思います。
 「英会話教室などに通わせる気持ちは全くありません」というところを読んでとりわけ心強く思いました。
 そういう方が素読舎の「電話・スカイプでレッスン」に注目してくださったことを、ありがたいことだとも思います。気持ちが疲れ果てていましたが、ようや く少し元気が出てきました。

>小三の息子、英語に興味はあれど、こういう形のレッスンは想像も出来ないようです。

 掲示板を読まれている方でも、ほとんどの方が、実際にどんなことをやっているのかは、なかなか想像しにくいものと思います。言葉で説明しても、 ほとんどの場合うまく伝わりません。実際に試していただくしか方法がないので、「無料お試し」期間を一ヶ月設けることができるようにしました。空き枠があ るときにだけ、この「無料お試し」が使えるようにしてあります。
 週一回30分のレッスンでいったいどれほどのことができるのかと思われる方がほとんどだと思いますが、わずかこれだけの時間で効果がもたらされるのは、 「電話・スカイプでレッスン」の専用教材と方法が存在するからです。(この後、らくださんに向けて記事を書く予定ですが、週一回わずか30分のレッスンが もたらした効果のことを書かせていただくつもりです。)

 現在、「無料お試し」をやっていただいている方が2名います。時間枠は、月曜夜8時20分〜50分、もう一つは、同じく月曜夜11時から11時半、で す。このうち、11時からのものは、小学生が使うには遅すぎますので除外して考えます。
 8時20分からの枠が空くかどうかは、一ヶ月後にはっきりします。空いた場合はその枠を使っていただけます。

 もう一つ、同じく月曜日9時から9時半の枠が空いていますが、これは現在「お試しレッスン」をやるかやらないかの連絡待ちの状態ですので、埋めることが できません。しばらく待って、連絡がないようなら、こちらから連絡して確かめる予定です。空いたとしても、小学3年生には時間帯がちょっと遅すぎるかもし れません。

 さらに、同じく7時半から8時の枠が空いていますが、これは生徒さんが妊娠され、出産を終えて2ヶ月休養された後に、再開される予定で空けてあるもので す。11月いっぱいまで休まれ、12月から再開される予定になっていますので、これから「無料お試し」をされる場合は、本来の一ヶ月間を使っていただくこ とができません。2,3回でよろしければ、「無料お試し」を使っていただけます。この枠は臨時に空いている枠ですので、生徒さんが復帰される12月から、 別の枠を使っていただくか、もし別の枠が埋まっていた場合は、私が空き枠を作るために調整をする間、待っていただくことになると思います。(電話でレッス ンを受けておられる方2名が、スカイプというパソコンソフトを使って一枠分の中に入っていただくことで調整が可能です。)

 お宅の夕飯の時刻とぶつかるかもしれませんが、小学3年生のお子さんが使われるなら、7時半からの枠が最良ではないだろうかと推測しています。もし、こ の枠がよろしければ、この枠に復帰される予定の生徒さんと交渉いたします。12月に他の枠が空いて、7時半からの枠から移っていただければ、お宅のお子さ んに使っていただくことが可能になります。

>どうせなら小三の息子と一緒の枠で私も教えていただこうか・・・
ただ小三の兄と母親がレッスンしている横で、5歳の次男が大人しくしている可能性は低いです。
下の子が小三になるまで待つか・・・。

 お母さんが小学3年のお子さんと一緒にレッスンされるという案は非常にいい案だと思います。お母さんにとっては楽すぎるような文をやることになります が、音づくりはどんなやさしい文ででもできます。
 小学3年生から始められる教材を作ったばかりであり、小学3年生の生徒が欲しくて仕方がないので、私も熱が入ると思います。現在、8時20分からの枠で 「お試し」を始めてくれている生徒も小学3年生です。
 5歳のお子さんが乱入(?)したら、その時はお母さんがレッスンを抜けて、5歳のお子さんの相手をしてもらうということで始めることはできないでしょう か。実効はないかもしれませんが、乱入(?)してきた5歳児に真似ごとをしてもらって、レッスンに加わってもらうことも、もしかしたら可能かもしれませ ん。この場合は、字を見ていなくても大丈夫です。

 お母さんが小学3年のお子さんと一緒に始められるのが最良だと思いますが、もし近所に小学生のお子さんがいたら、その子を誘っていただいて、子供二人で レッスンを開始することも考えてみていただけるとありがたく思います。この場合は、てぶらフォン(スピーカーフォン)に二人で並んで座って向かってもらう ことになります。レッスン代金は、一枠1万2千円ですので、二人で使ってもらうと一人分は6千円になります。
 この形で始められて、効果があることを確かめられて、下のお子さんが小学3年になった頃に、お母さんと下のお子さんと一緒に別枠でレッスンを開始される こともできると思います。

 再度、掲示板にお書きいただき、不明の点をお問い合わせ下さい。

【12771】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 8日(土)02時30分44秒

>これから少し英語の自習について考えたり、根石さんに質問したりしたいと思っていま す。

 ええ、そんな話をしたいと思っていました。

>教科書の自習は復習に徹する、と考え、進度を学校の授業に合わせる。授業で一通り学習したレッスンについて、復習としてCDを聞いたり、回転読みをした り、回転書きをしたりする。それが良いかと考えました。

 教科書の自習は、復習だけでなく、学校がやっているところ、学校がまだやっていないところ、どちらもどんどんやっていただきたいと思っています。

>ところが、昨晩、こんなことがありました。息子が「教科書の読み合わせつき合ってよ」と言うのです。「オーケー、でどこやる?」「Open your textbook to page 78.」「ん?ここ、レッスンやってないし授業でもまだじゃないの?」そりゃ無理だろ、と思ったのですが意外とやるもんです。時々つっかえたり、読み方が 分からない単語があるものの、レッスン8から最後まで読み切りました。「へー、読めるんだ。でも意味は分かんないだろ?」「まあね、なんとなくって感じか な」

 本当に息子さんが、「Open your textbook to page 78.」という英語でお父さんに指示したのですか? もしもそうなら、この息子には期待していいです。
 このところ、不遜続きですが、ここで改めて不遜を言わせていただけば、「意外とやるもんです」を読んで、そうだろうなと思いました。わずか週1回30分 のレッスンが、先日書きました「しなやかなバネ」を少しずつ作ってきたのだと思っています。
 「最後まで読み切りました」んですから、学校の先をやってもらって結構なのですが、心配なのは、やはりお父さんの発音です。前からそう思っていましたの で、先日、matsu さんと組んでレッスンを受けていただけないかと提案させていただいたのでした。
 ですが、どちらからどちらへ輸入・輸出をしていただいてもいいので、お父さんがイントネーションだけは確保し、息子さんが発音を確保し、二人で二人三脚 をやっていただくことは有効だと思いますし、楽しいと思います。
 その形で、学校の先をやっていただくのでいいと思います。
 ただし、同一の文を5回(うまく言えなければ何回でも)、という「技法グラウンド」を是非使っていただくようお願い致します。「技法グラウンド」をどう やってやるのかは、息子さんがよく知っているので、息子さんから教えてもらうといいと思います。

>息子はレッスン8以降はレッスンでやっていないというのですが、本当でしょうか?

本当です。

>もしそうだとすれば、意味の把握についてはともかく、読みについては既習の部分の応用がそこそこできると考えて良いのかな、と思うのですが。

そうです。だから、もうCDの音をどんどん媒介にして大丈夫だと申し上げました。息子さんは、音のセンスがいいです。それが可能にしたことだと思います。 多くの場合、1年程度のレッスンで、誰にでもCDの音をどんどん媒介にしていいとは私は言いません。

>もしそうであれば、今後、学校の進度にとらわれずに、本人がやりたいなら前に進ませても良いのかなとも思ったのですが。どんなものでしょうか。

 先に進ませて大丈夫です。
 基底は、私の自作教材の方でやっていますから、おやじと息子の二人三脚は楽しくやって下さい。

【12773】
感謝です 投稿者:おちこぼれ母さん 投稿日:2008年11月 8日(土)07時18分41秒

根石さん、早速のお返事に感謝です。

>週一回30分のレッスンでいったいどれほどのことができるのかと思われる方がほとんどだと思いますが、わずかこれだけの時間で効果がもたらされ るのは、「電話・スカイプでレッスン」の専用教材と方法が存在するからです。(この後、らくださんに向けて記事を書く予定ですが、週一回わずか30分の レッスンがもたらした効果のことを書かせていただくつもりです。)

週一回30分でも、この素読舎のレッスンなら効果があるのだろう(なぜかという理屈はわかりませんが)、面白そうだな…と。
お試しが必要なのはむしろうちの息子たちと自分の素材の悪さ・お行儀の悪さの方で、そこが一番の不安の種です。

英会話教室という選択肢は私の中にはありません。素読舎と他の教室は比較対象ではないです。
息子に将来的に英語が必要だろう、という考えもありません。
ただ根石さんという方になんだか変わった(失礼ですが)教材で生でレッスンをしていただいた、という経験はすごいものだろうと思うだけです。
効果と値打ちがわかるのがいつのことであってもかまいません。

が、これは母親の私のかんがえであって、息子は全く頓着なく、のんびり・おっとりした子供です。他の小三のお子さんより幼いと思います。

>さらに、同じく7時半から8時の枠が空いていますが

ここで体験させていただけたらありがたいです。
はじめにも書きましたが、効果については疑っておりません。
でもうちの息子については・・・。今横で息子が不安そうな顔をしておりますし・・・。
怖い先生だったら嫌だな、とつぶやいております。

ただもし息子がドロップアウトしても、母親の私が小三用の教材ではじめたいな〜、と言う気持ちがあります。
お恥ずかしいですが、私の英語力はその程度で、それがこの掲示板に書き込むのを長くためらっていた理由でもあります。
他の皆さんのように見識もなく、教養もありませんので、身が縮むような思いなのです。
お相手いただき、大変ありがたかったです。

よろしくお願いします。

【12774】
緊張のあまり 投稿者:おちこぼれ母 投稿日:2008年11月 8日(土)09時48分22秒

すみません、先の投稿、変な箇所が満載です。
自分に「母さん」ってさんをつけてるし、
なんだかちょっと緊張しすぎの文ですね〜。

もっと気楽にかけないものか、と自分で思ってしまいました。

ふう、思い切って書いたのでちょっと気持ちが楽になりました。
気楽にお試し、という感覚で体験させていただけたらとてもありがたく思います。

自分のような発音だめ子がどの程度やれるのか、興味津々でもあります。

【12775】
失礼とは思いますが 投稿者:はじめまして 投稿日:2008年11月 8日(土)22時22分28秒

こんにちは。英語には興味をもっておりますが本屋さんに行っても教本の多さに立ち尽くしてしまいます。効果的な方法があれば是非と思っております。目標は 資格などではなく日常会話ができればと考えます。
そこで失礼かと思いますが先生の身近なご家族の方について質問させてください。学校名や勤務先ではなく、どのように英語を役立てていらっしゃるのか興味が あります。
通訳、翻訳、英語教師等のお仕事なのですか。差し支えのない範囲でお答え頂ければ幸いです。

【12783】
緊張しました 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月 9日(日)19時56分20秒

おちこぼれ母改め、ゆっくり母とさせていただきます。
先ほどは教材とスカイプの環境チェックをありがとうございます。

根石さんはお声も口調も私の想像通りで、あまりにイメージと同じだったので驚きました。

明日からよろしくお願いします。
マイクとスピーカー、整いましたらまた書きこみさせていただきます。

私と同じように勇気が出ないと思っていらっしゃる方があるかもしれませんので、
レッスンが始まりましたら出来るだけまめに書き込みさせていただこうと思います。

【12784】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 9日(日)22時10分18秒

 そうですね。初回はどうしても緊張します。

>おちこぼれ母改め、ゆっくり母とさせていただきます。

 ああ、その方がいいですね。私も書くときに、いつも違和感がありましたので、そうしていただければ書きやすいです。

>先ほどは教材とスカイプの環境チェックをありがとうございます。

 すんなりと教材が送れてよかったです。スカイプで使うマイクとスピーカーですが、スピーカーから出る音をマイクが拾い、私の方に送信してしまう と、ハウリングというようなことが生じる可能性があります。マイクより後ろの位置にスピーカーを置いていただく方がいいと思います。人間、マイク、スピー カーの順に位置するのがいいと思います。人間から見て、スピーカーが一番奥にあるようにしてみて下さい。マイクは人間の近くにある方がいいです。スピー カーはパソコン画面の後ろ側で大丈夫です。
 間に合わなければ、てぶらフォンでやればいいので、スピーカーを上手に選んで下さい。同じ値段でも、音質には大きな開きがある場合があります。一週間か けてゆっくり選んでいただくのでもいいと思います。

>根石さんはお声も口調も私の想像通りで、あまりにイメージと同じだったので驚きました。

 そうですか。多分、顔を見るとがっかりしますでしょう。

>私と同じように勇気が出ないと思っていらっしゃる方があるかもしれませんので、
レッスンが始まりましたら出来るだけまめに書き込みさせていただこうと思います。

 これを読んで心強く思いました。
 そういう記事をこそ長く望んできました。
 息子さんの反応なども是非お聞かせ下さい。

 昨夜、Pre-ABCD という教材を作り始めました。レッスンを始めてみて、少し無理がかかるようなところがあるようでしたら、こちらに切り替えます。

【12785】
はじめましてさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月 9日(日)22時40分35秒

>英語には興味をもっておりますが本屋さんに行っても教本の多さに立ち尽くしてしまいま す。効果的な方法があれば是非と思っております。目標は資格などではなく日常会話ができればと考えます。

 どの範囲を日常会話と言われているのかわかりませんが、日本語の日常会話を考えていただけばわかりますが、「挨拶圏」を外れた相当ディープな話 も日常会話です。気持ちがこじれた夫婦が、別れるか別れないかなどと話すときなどの会話も日常的にあるのなら、日常会話に違いありません。
 「磁場」を外れた語学の場(机上)の言語がいきなり使えるような場面ではありません。
 日常会話というものは、実は非常に難しいことなのではないでしょうか。
 用が足せる英語、あるいはサバイバル英語と言われている英語をさして日常会話と言われているのであれば、そのレベルは想定できます。

>そこで失礼かと思いますが先生の身近なご家族の方について質問させてください。

 いまのところ、身近な家族しかおりませんので、身近な家族のことは割と知っているつもりですが、なぜ私の身近な家族のことをお知りになりたいのか質問さ せてください。

>学校名や勤務先ではなく、どのように英語を役立てていらっしゃるのか興味があります。

 日本では、英語は伝承されません。この場合の「伝承」というのは、親が日本語をしゃべっていたから、私も日本語をしゃべるというような連続性を言いま す。
 私も妻もある程度の英語は使えますが、これは「伝承」したものではなく、各自がそれぞれに練習した結果です。
 英語は私らの生活においては、そんなに役には立ちません。人様に英語の力を持っていただくために、教材を作ってレッスンをし、お金をいただいていること においては大いに役に立っていますが、多分、はじめましてさんがお知りになりたいことはそんなことではないのだろうと推測しています。
 英語8割、日本語2割みたいな、アメリカから来た友達がいますので、こいつが遊びに来たりしたときに、日本語でどうにも用が足せないときに英語が役に立 つことはあります。ケンタッキーにいる友達にメールを送るのに役に立つことはあります。AET(ALT)をやりに日本に来ている英語圏の人が、比較的遊び に来やすい家だということもあります。企業研修で日本に来ているスリランカの人が、日本語を習いに我が家に来ていたときも、レッスン代金の代わりに、自宅 自作現場を手伝わせたりしましたが、基本的に日本語、バリアが立ち上がったら、英語に切り替えなどもして、ちゃんぽんをやるのにも役に立ちます。
 そんな程度でしょうか。ああ、あれもあるか。アジア雑貨が好きなので、アジアの国に仕入れに行く時にも役に立ちます。こういうことでは、私にも女房にも 役に立ちます。女房は、一昨年頃まで薬剤師としてドラッグに勤めていましたが、外国から来た人が店に来ると、全部女房が相手をしていたようです。

>通訳、翻訳、英語教師等のお仕事なのですか。差し支えのない範囲でお答え頂ければ幸いです。

 通訳、翻訳はしておりません。学校英語・受験英語と、いわゆる英会話の英語とを結びつける仕事はしています。これが、日本では肉離れを起こしており、そ れぞれ別のものとして扱われるような奇態な事態があります。学校英語、受験英語、英会話の英語もしょせんは英語であり、別のものであるわけがないのです が、日本では肉離れを起こしています。
 英語学校は世界中にありますが、英「会話」学校などという奇妙なものは日本にしかありません。これを病気だと思っていない人が多いのですが、病気です。

 何を何のためにお知りになりたいのか、イマイチよくわかりませんでした。
 再度おたずね下さい。

【12786】
子供のレッスンで思ったこと 投稿者:Monday2140 投稿日:2008年11月10日(月)00時07分8秒

先週はうちの子供のレッスンありがとうございました。子供もかなりとまどっていたようですがそんなに嫌ではないようです。うちの家内に覚えたての英語を無 理やり教えていたりしたらしいです。で思ったんですがやはり音から入るというのがはたからみてかなり自分がやってきた英語とは違いますよね。もし自分も音 から入れればもう少し違った英語の感どころというか理解の深まりというかニュアンスが違っていたような気がします。音から入るということは何が書いてある のかわからないところに音をかぶせていくのでわからない漢字を覚えていくような行為に似ていますよね。ちょうど子供の今の時期は漢字を覚えて日本語のある 程度の文章の意味がとれる時期なので英語をやっても勉強する過程として違和感がないかもしれないと思ってます。ただローマ字をこれからやっちゃうと書いて ある文字を見てローマ字読みしちゃうんで我々がやってきた英語とよく似た理解になってしまうのでは?と危惧しています。我々の世代では中一でまずローマ字 の復習をみっちりやりますから。よく考えるとあれって英語の先生が楽して英語を教えるようなもんじゃないですかね。カタカナ語もそうですよね。ローマ字読 みで英語読んでたら外人の話まったく理解不能なんと違いますか?
それ以前に英語の先生で英語をまともに読める先生なんてあたった経験ないですけどね。
今、英語音読とかいろんな本でてますけどローマ字読みで音読しててもほんまに英語できるようになるんかな?とか思います。この前のうちの会社の講習会でア ルクの人がTOEICの講義してて音読しないとリスニングできないよみたいなこというのでなかなかいい事いうなぁーと思ってたんですけど、最後に音読は CD聞いて物まねしてくださいとか言ってました。それができたら日本人みんな英語しゃべれてますやん?というつっこみもなくそのまま終わったんですけど ね。でも結局それってCD聞いて物まねを上手にできる人だけが英語しゃべれるゆーことですやん?そんなんものすごい限られた人たちですよね。多分不可能で すよ。普通の人には。大阪のNSCに入ったほうが意外とできたりしてね。うちの子供も全然発音できませんでしたもんね。子供で先生に教えてもらってあれや のに大人になってどうやって自力でやんの?って思いましたもん。ものすごくそんなんが得意な人はできるんですけど一般人は無理でしょうね。

【12787】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月10日(月)00時22分19秒
ありがとうございます。

>「Open your textbook to page 78.」という英語でお父さんに指示したのですか?

はい。少しですが英語を楽しむ感じを持ってきたのかもしれません。

>心配なのは、やはりお父さんの発音

「読み合わせ」と言うのは正確な表現ではなく、「読んでみるから聞いていて」が実際のリクエストでした。私が読むことはありませんので、悪影響はないだろ うと思います。先日書きましたように、ソメ(some)をサムと軌道修正するぐらいです。

>息子さんは、音のセンスがいいです。それが可能にしたこと

もしそうであれば、母方のご先祖に感謝しなければなりません。家内も北海道ののど自慢荒らしだった義父も、歌手になれたらどんなに幸せかー、と夢見ていた ようですので。息子もトイレで風呂で、四六時中歌を歌っています。

【12790】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月10日(月)02時32分24秒

>「読み合わせ」と言うのは正確な表現ではなく、「読んでみるから聞いていて」が実際のリクエストでした。

 はい。この場合もツボを外されていません。また安心しました。

>母方のご先祖に感謝しなければなりません。家内も北海道ののど自慢荒らしだった義父も、歌手になれたらどんなに幸せかー、と夢見ていたようですので。息 子もトイレで風呂で、四六時中歌を歌っています。

 いいですね。うちの孫もよく歌を歌っていますが、とてもオンチです。
 5歳くらいの子供って、普通オンチなんでしょうか?
 可愛くて仕方がないので、でっかい声でお前が歌っているのを聞くと、じいじはうれしいからなと言っています。
 歌いながら、踊り狂うみたいな時もあって、その時の体の動きにキレがあり、これはどういうもんなんだろうと思っています。

 すみません。つい、孫の話で。

【12791】
Monday2140 さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月10日(月)02時37分23秒

 お書きいただいたことは、日本の英語の駄目さかげんのツボです。
 以前、柴田さんが「音作りへの道」に書かれたことと同じツボを突かれています。
 CDを真似しろじゃ駄目なんです。

 日本の語学論の最重要な項目の一つを、ご自分の言葉で書いていただきました。

 私は、良い生徒を持ててしあわせです。
 掛け値なくそう思います。

【12793】
体験レッスン初回を終えて 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月11日(火)07時47分51秒

根石さん、昨日はお世話になりました。
ドキドキしながら次男を膝に抱えて長男とパソコンの前にかしこまっていました☆
次男ははじめだけマイクに向かってあーだのうーだの言っていましたが、後はずっと自分一人で遊んでくれていました。
今後乱入する可能性もありますが、巻き込んでしまおうと思います。

さて肝心の長男と私ですが、私は久々に長男の緊張した真面目な顔を見て愛おしく、小三は早いかな、と思っていたのですが、今ならまだ一緒に始めることを嫌 がらない年齢で良かったなとまず思いました。
最近普段はあまり頼ってきてくれないので、昨日は目で私にすがる顔が懐かしかったです。
でも私の発音を手本にされては困りますので、先生に「もう一度お願いします」といえるようになってほしいです。

やはり息子も母も口が動かず、予想通り苦戦しました。
これから変わっていくのかしら、とドキドキワクワク。

母は小三用で始めさせてもらって本当によかった〜〜〜、と(笑)。

初めてで要領がわからず、英文だけを繰り返すところを日本語までよんでしまって、失礼いたしました。
だんだん母子共にわかってくると思います。

レッスン後は何か爽快で、スポーツをやり終えたような気分でした。

あのあと本を持ち出して読んでいたので、横に行って「This is a book」と言ってみました。
「this is my book.」と返されました。

般若も一緒に検索して写真を見ました。
イメージが掴みやすかったようです。

もうやめたいとは言わなかったので、とりあえず一安心。
母親のほうは念願のレッスンを息子と一つのマイクで顔を寄せ合って受けられて、とても嬉しく、かけがえのない時間を楽しませていただきました。

本当に少しずつですが、復習もするようにします。

下の子が小三になる頃には、私も復習に付き合ってあげられるくらいになりたいものです。

亀の歩みになりますが、よろしくお願いいたします。

【12794】
Monday2140さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月11日(火)12時42分27秒

>うちの家内に覚えたての英語を無理やり教えていたりしたらしいです。

 可愛いですね。これからもっとお母さんに教えるようになるかもしれません。お母さんが「もう、つきまとって英語を教えないでよ」と言うようになるかもし れません。で、レッスンの時にもちょっと申し上げましたが、ゆっくり母さんのお宅のように、お子さんとお母さんとで一緒にレッスンを受けていただくのはお 奨めです。お子さんはつきまとわないようになるかもしれません。半分冗談ですが。
 ゆっくり母さんのお宅では、小学3年の息子さんとお母さんとで、今日初めてレッスンを受けてもらいましたが、この形はいいなと思いました。私が読むの を、次にお母さんが読み、次に息子さんが読むという順番でやるのも試してみましたが、だんだんうまく機能していくようになる気がします。ゆっくり母さんの お宅にはもう一人5歳のお子さんがいて、この子がそのうちに、小学3年生とお母さんのレッスンに乱入してくるだろうと予想しています。乱入してきた場合 は、私→お母さん→小学3年→5歳児の順に読むレッスンも試してみるつもりです。
 Monday2140さんのお宅でも、娘さんがレッスンする時間にお母さんが都合がつけば、一緒にレッスンを受けられるのはどうでしょうか。お母さんに とっては、めちゃくちゃ簡単な文を扱うことになりますが、その場合でも「音づくり」はできますし、お子さんとお母さんが共通のテキストで勉強していること で、共通の話題ができます。同じテキストで「学ぶ者どうし」という関係が生じるので、だんだん文法等の細かい話も共通の話題になっていきます。これはいい 親子関係に寄与するのではないかと思っています。
 レッスン代金は、枠単位ですので、お金が余計にかかることもありません。

>思ったんですがやはり音から入るというのがはたからみてかなり自分がやってきた英語とは違いますよね。もし自分も音から入れればもう少し違った英語の感 どころというか理解の深まりというかニュアンスが違っていたような気がします。

 「音から入る」と言うと、個々の単音を問題にしているレッスンなのかと思われがちですが、私はいつでもいきなり文まるごとの音で英語を扱ってもらいま す。文まるごとの音を音として、音から入ってもらっています。これは、ごらんいただいたように、小学3年生を相手にする場合でも何の変わりもありません し、うまく教材を作っておけば小学3年生でも始められます。もしかしたら、五歳からでも始められるのではないかと思い、実験を始めたばかりです。
 Monday2140 さんも私も、学校英語の犠牲者であるということは同じです。私は学校英語に対する深い怨みをさらに深めつつある途中です。駄目なのは大学(英語科教員養成 課程)と文部科学省なのです。
 アメリカ帰りの人たちとは違って、私は文部科学省英語の毒をたくさんかぶったので、その後長い間苦しみました。ようやくこの毒が体から抜けたと思えるよ うになった時は、四十代でした。文部科学省に対する怨みを口にすることは、今後も繰り返しやっていこうと思っています。

>音から入るということは何が書いてあるのかわからないところに音をかぶせていくのでわからない漢字を覚えていくような行為に似ていますよね。ちょうど子 供の今の時期は漢字を覚えて日本語のある程度の文章の意味がとれる時期なので英語をやっても勉強する過程として違和感がないかもしれないと思ってます。

 文まるごとに対して「音をかぶせる」というのが、日本語を扱うのでも英語を扱うのでも、幼い子供を相手にする場合に一番いい方法だと思っています。日本 語でも、それをやるときに「復習範囲を手放さない」原理を導入しておくと、ほんとうにすらすらと読めるようになる時が来ます。そうしておいて、「漢字練 習」をやると非常に効果があると思います。漢字に対してイメージを持つようになる時に、文まるごとから養分をもらうことができるからです。
 英語には、音の問題と文法の問題が別にあります。特に音の問題をどうするかは、斉藤孝史流の「音読」では手がつけられません。英語の音読における重要問 題を解決したのは、おそらく素読舎だけだと思っています。(柴田武史さんも、「音読における文法の問題」は解決されていないと思います。)

>ただローマ字をこれからやっちゃうと書いてある文字を見てローマ字読みしちゃうんで我々がやってきた英語とよく似た理解になってしまうのでは?と危惧し ています。我々の世代では中一でまずローマ字の復習をみっちりやりますから。よく考えるとあれって英語の先生が楽して英語を教えるようなもんじゃないです かね。カタカナ語もそうですよね。ローマ字読みで英語読んでたら外人の話まったく理解不能なんと違いますか?

 ローマ字は日本語の音をアルファベットを使って表す方法で、英語の音とは関係がないということを、一度ははっきりと子供に言っておく必要があると思いま す。ローマ字は国語の時間に扱うべきもので、英語の時間に扱うべきものではありません。ローマ字読みで英語を読ませる英語の先生がいたら、税金泥棒どころ でなく、方法論という分野では極悪人だと言っていいと思います。

>それ以前に英語の先生で英語をまともに読める先生なんてあたった経験ないですけどね。

 これが日本の英語の駄目さかげんの元凶なんですが、この総元締めというか親分が文部科学省と大学の教員養成課程です。英語の先生だけ責めるのはまずい。 先生たちの個人的な努力にまかせるべきことではなくて、これは語学の理論を自前で作らない大学教員たちに責任があります。語学論は借り物じゃ駄目なんです が、教員養成課程の教員たちは、主にアメリカの学説を比較検討するようなことしかやっていません。学説の羅列はあっても、理論がありません。本当の元凶は 大学なのです。それを放置しておく文部科学省なのです。

>この前のうちの会社の講習会でアルクの人がTOEICの講義してて音読しないとリスニングできないよみたいなこというのでなかなかいい事いうなぁーと 思ってたんですけど、最後に音読はCD聞いて物まねしてくださいとか言ってました。それができたら日本人みんな英語しゃべれてますやん?というつっこみも なくそのまま終わったんですけどね。でも結局それってCD聞いて物まねを上手にできる人だけが英語しゃべれるゆーことですやん?そんなんものすごい限られ た人たちですよね。多分不可能ですよ。普通の人には。大阪のNSCに入ったほうが意外とできたりしてね。うちの子供も全然発音できませんでしたもんね。子 供で先生に教えてもらってあれやのに大人になってどうやって自力でやんの?って思いましたもん。ものすごくそんなんが得意な人はできるんですけど一般人は 無理でしょうね。

 「最後に音読はCD聞いて物まねしてくださいとか言ってました」
 これが、アルクの限界でしょう。この程度の者が日本の一流企業で妄説を言って、講義のつもりをやれるのですから、文部科学省や大学のていたらくを笑えま せん。
 しかし、この「アルクの限界」を越えたところがどこかにあるのかと言えば、おそらくありません。この点は、「英語学習法業界」のらくださんが詳しいと思 いますので、らくださんにフッテおきたいと思います。(らくださん、どんなものでしょう?)
 「それができたら日本人みんな英語しゃべれてますやん?」
 これ、まったくその通りなんです。CDを生の人間に置き換えたものが英会話学校ですが、初心者・中級者の前半の方たちには何の効果もありません。
 子供英会話は、表面的には音の問題を解決するかもしれませんが、文法の問題は解決しないでしょう。子供英会話は、私のいう意味での「磁場」にはなりませ んので、その後「文法」理解不足が問題になります。
 学校英語で駄目だったから、英会話学校に行ってやっぱり駄目だったという大人たちの二重の「毟り取られ」がありますが、子供たちにはその逆過程が生じる でしょう。
 子供英会話に行って駄目だったから、さてどこへ行くかと言えば、受験塾に行くのです。そこですっかり「毟り取られ」ます。
 まことに、「地獄への道は善意で敷き詰められている」と思います。

 「最後に音読はCD聞いて物まねしてくださいとか言ってました」
 「それができたら日本人みんな英語しゃべれてますやん?」

 素読舎が言い、柴田武史さんが言ったことと同じものです。
 今回は素読舎の生徒さんが言って下さった。その意味が大きいと思います。
 素読舎の生徒の中には、語学論も育つのだということを意味していると思います。
 それが日本で英語をやっている人たちの中に欠けているものです。

【12795】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月12日(水)01時11分29秒

>次男ははじめだけマイクに向かってあーだのうーだの言っていましたが、後はずっと自分一人で遊んでくれていました。
今後乱入する可能性もありますが、巻き込んでしまおうと思います。

 巻き込み作戦がうまくいくといいですね。

>さて肝心の長男と私ですが、
私は久々に長男の緊張した真面目な顔を見て愛おしく、小三は早いかな、と思っていたのですが、今ならまだ一緒に始めることを嫌がらない年齢で良かったなと まず思いました。
最近普段はあまり頼ってきてくれないので、昨日は目で私にすがる顔が懐かしかったです。
でも私の発音を手本にされては困りますので、先生に「もう一度お願いします」といえるようになってほしいです。

 そうですね。息子さんは少し緊張していたようです。大人でも緊張しますから、小学三年生はなおさらです。会ったこともない人と電話で話すというだけでな く、エイゴをやるんだと思ったことで余計緊張してしまったかもしれません。2度目、3度目くらいで気が楽になってくれると思います。
 今は、荒削りのまま前に進んでいます。しばらくは息子さんの口の筋肉が混乱すると思います。お母さんの方は、よくこなれた音でした。日本人向けに特化し た発音のポイントがありますので、今後、それで直せばよく通じる音になります。最初のうちは、個々の音よりも、全体の調子(イントネーション)を大事にし ていきますので、お母さんと息子さんと一緒に口を動かすことをやって下さい。先日言ったのは、「一瞬般若」の音だけでしたので、その音にだけ気をつけてく だされば大丈夫です。

>これから変わっていくのかしら、とドキドキワクワク。

 今のうちにテープレコーダーに録音しておいていただくと、後で「へえっ、始めたばかりの頃はこんな感じだったのか」とわかります。

>母は小三用で始めさせてもらって本当によかった〜〜〜、と(笑)。

 いや、食い足りないと思っておられるんじゃないでしょうか。急遽、新しく作った教材をお送りしましたが、これは、最初にお送りしたものの最初の部分と記 述がかなり重なっています。後から送ったものが終わると、初めにお送りしたものを使いますが、2箇所同時進行になります。わかりにくいでしょうが、その時 になったらこちらで指示しますので大丈夫です。最初にお送りした教材の後半になると、お母さんがやってもやりがいのあるやつが出てきます。その頃、お子さ んが問題なく教材を先に進めるようであれば、中学へ入学して以後、英語は非常に簡単に感じるだろうと思います。その時期になると、必ず子供に言うことがあ ります。中学に入って、あんまり英語が楽なので、油断しないように。学校は急に難しいことをやらせるようになるから。そう言います。まだ先の話ですが。

>レッスン後は何か爽快で、スポーツをやり終えたような気分でした。

 なるほど。今のうちは、口の筋肉の運動がほとんどですから、そんな感じを持たれたのかもしれません。

>般若も一緒に検索して写真を見ました。
イメージが掴みやすかったようです。

 インターネットで般若の面を一度見ておいていただくだけでけっこうです。
 「般若」ということもありますが、「口の両端をななめ上に」とか、ただ「ななめ上」と言うこともあります。すべて「一瞬般若」の指示です。

>もうやめたいとは言わなかったので、とりあえず一安心。

 初日が最大の難関です。私もほっとしています。

>母親のほうは念願のレッスンを息子と一つのマイクで顔を寄せ合って受けられて、とても嬉しく、かけがえのない時間を楽しませていただきました。

 息子さんの声はよく聞こえたんですが、お母さんの声が少し小さくなっていました。マイクの位置を工夫してみていただけますでしょうか。割と、狭い範囲の 音を拾うような指向性の強いマイクなのかもしれません。

>下の子が小三になる頃には、私も復習に付き合ってあげられるくらいになりたいものです。

 提案があります。レッスンのやり方と発音のポイントを習得されたら、ご近所のお子さんを集めて塾をやられたらどうでしょうか。今は、そんなことを言われ ても、きょとんとされるかもしれませんが、続けてやってみられると、このやり方なら私にもできるかもと思われるかもしれません。これも先の話です が・・・。

【12796】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月12日(水)01時50分7秒

>あのあと本を持ち出して読んでいたので

 これを読んで、うれしかったです。
 二度、三度、読んでも、最初に読んだ時と同じようにうれしいです。
 子供っていいですね。

【12797】
おはようございます。 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月12日(水)07時41分38秒

>巻き込み作戦がうまくいくといいですね。

次男はなかなかにへそ曲がりです。長男とはやはり違いますね。
でも月曜日のレッスンの時は耳をそばだてていたようでした。

月曜日は夫がたいてい早い時間に家におりますので、それで大人しくしてくれたのかもしれません。
12月に入って曜日や時間が変わった頃が乱入時かな。
よろしくお願いします。

>そうですね。息子さんは少し緊張していたようです。大人でも緊張しますから、小学三年生はなおさらです。会ったこともない人と電話で話すというだけでな く、エイゴをやるんだと思ったことで余計緊張してしまったかもしれません。2度目、3度目くらいで気が楽になってくれると思います。
 今は、荒削りのまま前に進んでいます。しばらくは息子さんの口の筋肉が混乱すると思います。

そうですね、「あんなに緊張したのははじめてというくらい緊張した」と昨日申しておりました。
エイゴを口にするのも耳にするのもドキドキだったと思います。
すごくがんばったな〜、と、親ばか全開で、昨日はわれながらおかしいくらい優しい母でした。


>お母さんの方は、よくこなれた音でした。日本人向けに特化した発音のポイントがありますので、今後、それで直せばよく通じる音になります。最初のうち は、個々の音よりも、全体の調子(イントネーション)を大事にしていきますので、お母さんと息子さんと一緒に口を動かすことをやって下さい。先日言ったの は、「一瞬般若」の音だけでしたので、その音にだけ気をつけてくだされば大丈夫です。

通じる音になるというのが嬉しいです。実はずっとコンプレックスでした。
この話は後でまた書かせていただきます。


>今のうちにテープレコーダーに録音しておいていただくと、後で「へえっ、始めたばかりの頃はこんな感じだったのか」とわかります。

え〜〜〜!!そんなことは思いつきませんでした。
先生の発音を録音したいな、とは思っていましたが。
復習についての不安を、昨日過去ログを読んで解決していたところでした。
先輩のらくださんの書き込みを読ませていただいて、ほっと一安心したところです。
らくださん、ありがとうございます。

>いや、食い足りないと思っておられるんじゃないでしょうか。

文法的にわかるのはわかりますが、音作りということでいえばいっぱいいっぱいです。
でもすぐ好奇心がわいて、大人用の教材というのはどんなだろう、なんておもっていたりします。
息子と一緒にもう一度やり直せるので楽しみです。

>>レッスン後は何か爽快で、スポーツをやり終えたような気分でした。

>なるほど。今のうちは、口の筋肉の運動がほとんどですから、そんな感じを持たれたのかもしれません。

はい。筋肉だな〜、と実感いたしました。

>インターネットで般若の面を一度見ておいていただくだけでけっこうです。
 「般若」ということもありますが、「口の両端をななめ上に」とか、ただ「ななめ上」と言うこともあります。すべて「一瞬般若」の指示です。

了解です。
ただ息子が志村けん(ご存知ですか?)「あぃ〜ん」の顔だ、と言うのでなんとも・・・。
般若の面はあごがしゃくれた感じがしたからでしょうか?
あごつきだしちゃまずいんじゃないか、と、「違うよ」と言っていますが。



>息子さんの声はよく聞こえたんですが、お母さんの声が少し小さくなっていました。マイクの位置を工夫してみていただけますでしょうか。割と、狭い範囲の 音を拾うような指向性の強いマイクなのかもしれません。

わかりました。
調整します。

>提案があります。レッスンのやり方と発音のポイントを習得されたら、ご近所のお子さんを集めて塾をやられたらどうでしょうか。
今は、そんなことを言われても、きょとんとされるかもしれませんが、続けてやってみられると、
このやり方なら私にもできるかもと思われるかもしれません。これも先の話ですが・・・。

ひえ〜〜〜!
でも楽しそうですね!夢が持ててうれしいです♪やってみたいです。それまでご指導をよろしくお願いいたします。

【12798】
初歩的な質問でごめんなさい 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月12日(水)09時27分26秒

昨日の息子の様子です。

とりあえず(甘い母ですが)「復習しなさい」とか「一緒にやろう」とか言わず、まず自分が…と練習をやっていました。
やりながらお手本の音が鮮明に思い出せず、途方にくれることばかりです。
それを横で見ていて息子は「なんか違うよ」とか、「もっと口の端をあげるんじゃないの?」とか、心配そうに言って、自分もちょっと言ってみたりします。

「あれは〜です」はなんだったっけ?
という質問が息子から出たので、「That is 〜」と答えはしましたが、自分の発音が怪しいのに聞かせていいのか?とドキドキです。どんなものでしょ うか?

「ぼくのがmyでしょ?じゃあ、あなたの、はなんだったっけ?」
というので、「yourだけど、これは○○(息子)のほうが上手だったよ」というと、「This is your book.」と私に聞かせてくれまし た。

こんな感じでゆる〜くやっています。

それから息子はパソコンの画面を目で追うのがまだあまり上手ではなく、アルファベットですのでなおさらどこを目で追えばよいのかわからない様子です。
レッスンの時は私が画面を指差して「今ここ」というようにしましたが、慣れるまでしばらくの間テキストをプリントアウトしても差し支えないでしょうか?
手元(目の近く)にテキストがあるほうが多分楽だとおもうのです。
だんだん文字に慣れてきたら画面上で探せるようになると思います。

他に体験してみて感じたことは(すごく幼い感想でごめんなさい)、文で発音することと単語で発音することは全然ちがうな〜、と。
もちろん単語の発音も大事なのでしょうが、単語から単語にうつるときの筋肉の使い方が独特というか、一語一語の単語を発音できてもだめなんだわ〜、と、う まく表現できませんがわかりました。

英語圏に滞在したことはないのですが、英語圏でない国に40日ほどホームステイしたことがあります。
そのとき、ステイ先のご家族と(お互い「外国語」として英語を勉強した者同士)、文法にしたがってお互いの言いたいことを解釈するといいましょうか…変に 崩した会話でなかったので何とか意思疎通をすることはできた、という感じでした。
その国の文化の話や社会の話なども何とか辞書を片手に、または絵を描いたり…という具合でした。お互い文法に従っているので、それを頼りに理解、という感 じがありました。

文法も大事だな〜、でも発音をなんとかしたいな〜というのがそのとき思ったことです。
くだらない体験ですみません。

素読舎のレッスンは文法がしっかり入るところがありがたいです。

英会話教室などを考えなかったのは、それで英語が身につく子は本当に限られているだろうと思っていた(そういう子は偶然の産物というか本人の能力によるも ので、英会話教室のおかげではないと感じていた)ことと、文法がむちゃくちゃにされてしまうという危惧を抱いていたからです。

かといって文法だけやっていると私のように発音できないままです。
息子に間に合ってよかったな、と、嬉しく思います。

友達にも徐々に話を広げていくつもりです。
あまり交友関係が広くないので、ちょっと時間はかかると思いますが。

ガチガチの語学論…に参加できない私ですが、こういうゆるいのもいることで敷居が低くなるかもしれず、今後も書き込みさせていただきます。

【12800】
This is my book. 投稿者:1ファン 投稿日:2008年11月12日(水)10時07分33秒

ゆっくり母さんの投稿で、

あのあと本を持ち出して読んでいたので、横に行って「This is a book」と言ってみました。「This is my book.」と返されま した。

の部分を拝読し、うなってしまいました。使っておられる教材がどのようなもとかも知らず、最近の小学校の英語事情も把握せず、小3とのことで始めての英語 学習という仮定のもとに書いておりますので的外れはご容赦のほど。

"This is a book." に対して鸚鵡返しに"This is a book"と言われたのではなくて"This is my book.!" と発せられたことにいたく感動しています。

先日、アメリカで演じられた日本人による英語落語をテレビで見ました。その中で日本の英語教育を揶揄している部分がありました。「なぜ日本人は、こんなに 英語が下手なのか」「理由は教材が悪いから」「我々がまず最初に習う英語は"This is a pen."」「こんな英語使うことがありますか」とアメリカ人の聴衆に尋ね爆笑を誘うのです。

わたしも"This is a pen." が最初に学んだ英文です。そして、自分のペンであろうと他人とペンであろうと"This is a pen." "This is a pen."と言って喜んでいたような気がします。

英語の学習が初めての小3生に対して、初めてのたった30分の電話でのレッスン後に"This is a pen."に対し"This is my pen."という反応があったというのは、私にとっては大きな驚きです。優れた教授法なのだろうと感じながら掲示板を拝見しておりましたが、頭が理論的に できていないもので、理論的な説明は入ってきません。が、今回のゆっくり母さんの投稿で恐ろしい教授法(肯定的な意味です)なのだなとうなっています。

【12802】
1ファン様 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月12日(水)13時22分41秒

横レスになってしまいますが私の投稿に反応していただき、ほっとしております。

小三の息子は今回が本当に初めての英語です。
前知識は一切入れておりません。

学校には半年に一度くらい?ALTの先生がこられます。
息子の学校ではありがたいことにまだ英語学習は始まっていません。

余計なことかもしれませんが、学校のテストの点数はとても低いです。50点くらいかな。
これは自慢です(笑)
ゆっくりな子なので、テスト時間中に答案を書くことが出来ません(爆)。
いまだに鏡文字も多いです。
漢字もあまり覚えていません。
宿題もたいてい故意にわすれます(爆)。

落語は好きですね。
一度年長の時に東京旅行をしたのですが、そのときどこに行きたいかを聞くと「生で落語を聴きたい」と言いました(笑)。
いつもCDですから。

11月の川に入って大きな鯉を獲ろうと友達と奮闘しています。

こんな子にでも素読舎は効果がある、と、お伝えできて嬉しいです。
ふふふ。
あ、これからですね。

【12808】
1ファンさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月14日(金)00時24分25秒

>>あのあと本を持ち出して読んでいたので、横に行って「This is a  book」と言ってみました。「This is my book.」と返されました。

>の部分を拝読し、うなってしまいました。

 の部分を拝読し、私もうなってしまいました。ゆっくり母さんの息子さんは、「この本、俺にくれるって言ったじゃないか」「言ってないよ」「言ったよ、こ の本は俺んのだ」という状況において、This is my book. と言ったのでは「ない」のではないかと思いました。
 この状況において、This is my book. だったのなら、そこには「磁場」がありますが、日本人の親子が、単に誰の本かを問題にする状況でなく、日本語の磁場で英語で用を足しているという「違うレ ベルの状況」が生じていることになります。そんな「違うレベルの状況」はまず生じないものだと考えます。
 多分、息子さんは、This is a book. というお母さんの言った文に対して、This is my book. っていう文も習ったよね、という返しだったのではないかと思います。

>先日、アメリカで演じられた日本人による英語落語をテレビで見ました。その中で日本の英語教育を揶揄している部分がありました。「なぜ日本人は、こんな に英語が下手なのか」「理由は教材が悪いから」「我々がまず最初に習う英語は"This is a pen"」「こんな英語使うことがありますか」とアメリカ人の聴衆に尋ね爆笑を誘うのです。

 This is a pen. は使うと思います。そんなものがあるかどうか知りませんが、お箸を逆さに持って、上下に振るとペン先が出てくるようなものがあったとして、「これは普通は お箸で、ご飯を食べるのに使うことが多いんだけど、レストランでご飯食べてるときに、急にメモしとくべきことを思いついたときは、逆さにして振ると筆記具 になるんですよ」という意味でなら、This is a pen. はちっともおかしな英語ではありません。
 どんな文でも、すべては状況次第で、おかしなものになるのです。
 落語家が、「こんな英語使うことありますか」というのは、それを言っておかしくない状況になる頻度を言っているのだと思いますが、頻度を問題にするな ら、アメリカの税関(でしょうか?)で、What's the purpose of your visit? に対して、Studying French. と答える頻度はどんなものか。

What's the purpose of your visit?
Studying French.

これ、会話として何もおかしくないものです。もし、これがパリの空港だったら。
おかしな英語かどうかは、状況が決めるのであり、This is a pen. という文が決めるのではありません。

 この落語家の話よりもっと面白い話だと思ったものがあります。私の友達でひょうきんなやつがいて、ハワイに新婚旅行に行ったのです。飛行機の中で書かさ れる書類に sex とあったので、週二回と漢字で書いたというのは、シモがかっているので、喜ばない人は喜ばないです。
 こいつは、ホテルに入って荷物を降ろして、さて、せっかく英語が通じる場所に来たからには、俺も英語を使ってみなけりゃってんで、嫁さんに「英語使って みせるから来い」と言って嫁さんの手を引いて、ホテルの前の通りまで行って、胸のポケットから(ボール)ペンを抜いて、車を運転している人々に向けて、 This is a pen. This is a pen. と繰り返し呼び掛けたというのです。俺も英語習っといてよかったよ、と言うので、ゲラゲラ笑いました。馬鹿のふりばかりする野郎ですが、語学の空しさとい うものをよくわかっているやつだとも思いました。

>わたしも"This is a pen." が最初に学んだ英文です。そして、自分のペンであろうと他人のペンであろうと"This is a pen." "This is a pen."と言って喜んでいたような気がします。

 肯定されるべきです。

>英語の学習が初めての小3生に対して、初めてのたった30分の電話でのレッスン後に"This is a pen."に対し"This is my pen."という反応があったというのは、私にとっては大きな驚きです。優れた教授法なのだろうと感じながら掲示板を拝見しておりましたが、頭が理論的に できていないもので、理論的な説明は入ってきません。が、今回のゆっくり母さんの投稿で恐ろしい教授法(肯定的な意味です)なのだなとうなっています。

 恐ろしい教授法でもなんでもありません。ごくごく普通の教授法です。世間がこれを普通だと言ってくれないだけです。
 「汝の道を行け、そして人をして言うに任せよ」(ダンテ)

【12809】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月14日(金)01時14分47秒

> しかし、この「アルクの限界」を越えたところがどこかにあるのかと言えば、おそらくありません。この点は、「英語学習法業界」のらくださんが詳しいと 思いますので、らくださんにフッテおきたいと思います。(らくださん、どんなものでしょう?)

>胸元高めに150キロ以上のスピードボールを投げられて、思わずのけぞりました。しばしバッターボックスを外して息を整えさせていただきます

 まだ息は荒いでしょうか。
 自分で言っておいて、自分の言を翻すようですが、「アルクの限界」を越えた方法はすでに日本にもあります。柴田さんの教室であり、素読舎のレッスンであ り、女房の昔の生徒の津田さんが通っていたなんとかという音法だけをやる教室です。(村田君、フォローしておいて下さい。)
 これらはすべて、書籍で述べている方法ではなく、レッスンの場における実際のレッスンです。

 ここを大御所は外してしまうんですね。

 100回の繰り返しには100回の意味がある。500回の繰り返しには500回の意味がある。100回言ってすらすら言えるからカタが完成したと思うの がおおかたの人の落ちる落とし穴だ。完成に見えるものは、カタのカタチにすぎない。100回繰り返した人と、500回(をまともに)繰り返した人とでは、 カタの質が違う。同じように見えるが、質が違うということを言った功績は、國弘正雄の功績です。
 カタの質の違いは、ただちに意味の通路としての音のなめらかさの違いです。しなやかでバネがあるという場合の、しなやかさの違い、バネの強度の違いで す。しなやかでバネの強度が強いほど、意味はそこに流れやすい。意味を流す意志さえあれば、すぐに流れ始める質というものがある。100回では流れなかっ たものが、500回だと流れ始めるということがある。この場合の「意味」とは、語感、味わいまでも包含しているものだと考えています。

 しかし、國弘御大は、「レッスンの場においてのレッスン」、その過程に対してはほとんどめくらだと思っています。「只管朗読」という初心者用の方法を提 示した功績はどう打ち消しようもない國弘正雄の功績です。しかし、この大御所は、次の段階についてはほとんど何も言えていない。なぜかと言えば、次の段階 を語学「ではなく」、磁場体験に置き換えてしまった人だからです。そして、いきなり達人談義をやりだすのです。國弘が批判されなければならないのはそこで す。あんた、まんなかが抜けてるよ、です。磁場で何があったか、どんなふうに惨めだったか、それを語らなければいけないところで、達人談義かよ。まんなか が抜けてるんだよ!
 磁場体験をきちんと言葉にしないで達人談義などやらかすのは、あんた、それ、語学の地平では密輸入だよと批判されるべき大御所なのです。
 今はたまたま國弘正雄の名を出していますが、磁場帰りなんてのはそんなのばかりなのです。この人々は、向こうで何年か暮らして日本に帰ってきて英語ペラ ペラをやり、上等そうな顔をしている英語ミーハーと本質では変わりがない。

 書籍やCDなどの複製技術で伝えられるものと伝えられないものがあるということだと思います。「アルクの限界」は、複製技術で複製できるものを、生のも のと質的に同じに扱うことの限界かと思います。世の中の英語学習法の本というものは、その本性として、「アルクの限界」は越えられません。しょせん、複製 技術ですから。活字とCDのセットじゃどうにもならんものがある。複製技術の限界と言えばいいかもしれません。
 アルクはアルクとして、複製物を売らなければならないから、「アルクの限界」を臆面もなく口にするのですが、これは商売上の理由であり、語学上の理由で はありません。

 語学論として理論は言えますが、レッスンに固有の性質は、レッスンでしか伝えようがない。これは「磁場」における生な英語の「生」とはまるで違う次元に あるものですが、それが語学における「生」ということだと思います。そうでなければ、私は人様からお金をいただくことはできません。

 いつに変わらず、先走りまして申し訳ありません。
 自分の質問に自分で答えてみたくなりましたので、書いてしまいました。

 息が整いましたら、らくださんのご意見をおいおいお願い致します。

【12810】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月14日(金)02時24分58秒

 息子さんの様子をお伝えいただきありがとうございます。

>とりあえず(甘い母ですが)「復習しなさい」とか「一緒にやろう」とか言わず、
まず自分が…と練習をやっていました。

 それが一番いいです。

>やりながらお手本の音が鮮明に思い出せず、途方にくれることばかりです。

 いやいや、そんなに急に英語の音は口に宿りませんから、大丈夫です。

>それを横で見ていて息子は「なんか違うよ」とか、「もっと口の端をあげるんじゃないの?」とか、心配そうに言って、自分もちょっと言ってみたりします。

 「心配そうに」ってところが可愛いですね。いい子ですね。

>「あれは〜です」はなんだったっけ?
という質問が息子から出たので、「That is 〜」と答えはしましたが、自分の発音が怪しいのに聞かせていいのか?とドキドキです。どんなものでしょ うか?

 大丈夫です。だんだん私もずうずうしくなっていきまして、どかどか直すようになりますから。いつの段階において直るのでも、直るのですからいいのです。 今は、単に単音のことだけですから、ブレなんか気にしないで、お母さんの音を聞かせてあげて下さい。先日、ラクダさんに、イントネーションはお父さん、発 音は息子さんで二人三脚をやれば楽しいですと言ったことも、この問題に関してです。
 いずれ、日本人が出す英語の音として「まとも」になればいいので、ネイティブ音信仰は余計なものです。日本人が出す英語の音として「まとも」であるかな いかの基準は、次の二つだろうと思います。

1.自分の発音で、英語ネイティブに大きなストレスにならない
2.英語の音を聞き取ることに上達する過程で、阻害物とならない

 これを身につけるのに、普通は2年から3年はかかります。

>「ぼくのがmyでしょ?じゃあ、あなたの、はなんだったっけ?」
というので、「yourだけど、これは○○(息子)のほうが上手だったよ」というと、「This is your book.」と私に聞かせてくれまし た。

 いい風景だなと思っています。「私に聞かせてくれました」というところがいいですね。
 your の y の発音についてですが、「喉で出す」と言っています。これは説明が難しくて、「喉で出す」と言えば一発で出す人もいますし、なかなか出ない人もいます。村 田君は、「のどちんこがふるえる」というような微妙な言い方をしていたことがありますが、「喉」を使うことを指摘しているので、説明法としてはいい言い方 かもしれません。だけど、「のどちんこのふるわせ方」を言ってみろと村田君に迫れば、さてどう言うだろうか。ポイントは「喉」を使うというところにあっ て、たとえ「喉」であっても、「ちんこのふるわせ方」ではないのではないかと。いや、ポイントがずれたな。すいません、酔っぱらっちゃって。
 「これは○○(息子)のほうが上手だったよ」ということは今後も起こると思います。しばらく、二人三脚を楽しんで下さい。日本人が出す英語の音として 「まとも」な音はお二人に必ず持っていただきます。

>こんな感じでゆる〜くやっています。

 ゆっくりゆるーくで大丈夫です。それが小学3年から始めていただいた場合の、最大の利点です。

>レッスンの時は私が画面を指差して「今ここ」というようにしましたが、
慣れるまでしばらくの間テキストをプリントアウトしても差し支えないでしょうか?

 プリントアウトの方がいいかもしれません。

>文で発音することと単語で発音することは全然ちがうな〜、と。
もちろん単語の発音も大事なのでしょうが、単語から単語にうつるときの筋肉の使い方が独特というか、一語一語の単語を発音できてもだめなんだわ〜、と、う まく表現できませんがわかりました。

 お母さんの読みの音はかなりこなれた音だったので、あれだけ読める人でもこういう感想を持つのだろうかと、ちょっと不思議な気がしました。
 言われていることは、おっしゃる通りです。

>英語圏に滞在したことはないのですが、英語圏でない国に40日ほどホームステイしたことがあります。

 どこの国でしょうか。何歳頃だったでしょうか。さしつかえないなら教えて下さい。

>そのとき、ステイ先のご家族と(お互い「外国語」として英語を勉強した者同士)、文法にしたがってお互いの言いたいことを解釈するといいましょうか…変 に崩した会話でなかったので何とか意思疎通をすることはできた、という感じでした。

 これは大事なことを言っておられると思います。これは、日本在住のままでも、方法を間違わなければ、日本人が誰でも手に入れられる英語能力です。だか ら、ひとまずはこの英語能力が普及することが一番大事だと思いますが、Monday2140 さん宛てに書いたとおり、文部科学省というぼんくら集団が権力を持ち、大学のていたらくを放置している間は、「誰でも手に入れられる」という普通のことが 普通にならないだろうと思います。学校英語は、税金をどぶに流し込んでいるものです。

>文法も大事だな〜、でも発音をなんとかしたいな〜というのがそのとき思ったことです。
>素読舎のレッスンは文法がしっかり入るところがありがたいです。

 レッスンでは、文法も発音も両方ともやります。私のレッスンは「普通の」レッスンですので当然のことです。多数派か少数派かといえば、私のレッスンは圧 倒的に少数派ですが、「普通」です。学校や英会話学校や進学塾が「普通」でないのです。

>英会話教室などを考えなかったのは、それで英語が身につく子は本当に限られているだろうと思っていた(そういう子は偶然の産物というか本人の能力による もので、英会話教室のおかげではないと感じていた)ことと、文法がむちゃくちゃにされてしまうという危惧を抱いていたからです。

 偶然の産物や本人の能力ではなく、「磁場」の有無だと考えています。
 英会話教室では、文法がむちゃくちゃになるというのは、その通りです。

>友達にも徐々に話を広げていくつもりです。
あまり交友関係が広くないので、ちょっと時間はかかると思いますが。

 ありがとうございます。営業能力のなさが最大の素読舎の欠点なので、というか、言いたいことを言う友達によると、「お前がものを言うと、入塾しようと 思っていた人も入塾しなくなる」そうです。単に営業能力がないんじゃなくて、私が営業を壊しているということらしいです。そうかもしれません。今日も村田 君を相手に嘆いたのですが、「死んだ言語なんてことを言っても、誰も塾に来てくれねえもんな」と言いました。だけど、言いたいことはそれなんで、困ってし まいます。語学の言語は「死んだ言語」であり、「からっぽ」でいいということが私が言いたいことなのです。

>ガチガチの語学論…に参加できない私ですが、こういうゆるいのもいることで敷居が低くなるかもしれず、今後も書き込みさせていただきます。

 ええ。是非お願いします。

【12811】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月14日(金)03時06分11秒

>次男はなかなかにへそ曲がりです。長男とはやはり違いますね。

 そちらでも「長男のジンロク」って言いますでしょうか。
 ジンロクってよくわかりませんが、私も長男で、ジンロクだなあと、ジンロクのくせにせせこましい人間になっちまったなあと思うことがあります。
 下の子はどうしても揉まれますから、「へそ曲がり」にはなりますね。へそなんかいくら曲がっても、しょせんへそですから、なにほどのこともありません。 せせこましくならなければいいんで・・・。長男のくせに、へそが曲がっただけでなく、せせこましくなっちまった俺はどうすればいいんだあああ、と、 Clear Asahi とかいう安い酒を飲みながらうめいております。

>月曜日は夫がたいてい早い時間に家におりますので、それで大人しくしてくれたのかもしれません。

 旦那様のご協力をいただくことがあるかもしれません。よろしくお伝え下さい。

>12月に入って曜日や時間が変わった頃が乱入時かな。

 先日試しました 私→お母さん→小学3年生 という順番を今後も試してみたいと思います。うまくいくようなら、乱入は期待して待ちます。

>すごくがんばったな〜、と、親ばか全開で、昨日はわれながらおかしいくらい優しい母でした。

 30分でも、小学生はすごく疲れるようです。だんだんレッスンの進め方がわかってくると疲れは半減、慣れてくると疲れなくなってくれると思います。

>でもすぐ好奇心がわいて、大人用の教材というのはどんなだろう、なんておもっていたりします。

 小学生用の教材は、「ゴースト・イメージ核受肉教材」というのに接続しています。この「ゴースト・・・・」というのが大人用というか、高校生以後の教材 になっています。興味がおありでしたら、レッスンの時に、スカイプを使ってお送りします。

>ただ息子が志村けん(ご存知ですか?)「あぃ〜ん」の顔だ、と言うのでなんとも・・・。
般若の面はあごがしゃくれた感じがしたからでしょうか?
あごつきだしちゃまずいんじゃないか、と、「違うよ」と言っていますが。

 なるほど。「あぃ〜ん」でしばらくやってみていいよと息子さんに言って下さい。「あぃ〜ん」でも「般若」でもいいんです。「あぃ〜ん」だけど、顎を突き 出さないっていうのでいいんじゃないでしょうか。「一瞬般若」っていうのは、「あぃ〜ん」だけど、顎は突き出さないっていう認識が成り立てば、息子さんに とっての最短距離です。これは音に対する単なる「あだ名」なので、音そのものが備わればいいことです。で、高校の英語の先生とか、一流企業の優秀な社員の 生徒さんに、これは「あぃ〜ん」ですと私が言いにくいので、今後も私は「一瞬般若」で指示します。

>>提案があります。レッスンのやり方と発音のポイントを習得されたら、ご近所のお子さんを集めて塾をやられたらどうでしょうか。

>ひえ〜〜〜!
でも楽しそうですね!夢が持ててうれしいです♪やってみたいです。それまでご指導をよろしくお願いいたします。

 私は以前から、日本の英語を変えるには小さな塾が一番だと思ってきました。塾をやるのに、素読舎のレッスンを受けていただくのがいいとも言ってきまし た。結構本気でそう考えてきたのですが、この考えをまともに相手にしてくれる方がなかなか現れてくれませんでした。
 「やってみたいです。」の言葉に力づけられています。こちらこそ、よろしくお願いします。是非実現して欲しいと願っています。

【12812】
おはようございます 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月14日(金)07時00分11秒

今朝も親ばか全開のゆっくり母です。

掲示板の品位を落としているのではなかろうか、と思いつつ、懲りずに書き込みしております。

1ファンさんへの根石さんのレスを読みまして、落語の「この子は東西南だ」といわれて喜んだ母親の小話を思い出しました(笑)。
私の親ばかにつける薬はないですね。

昨日は教材をプリントアウトして、息子とちょっとだけ復習らしい復習をしてみました。
やはりプリントアウトでしばらくやらせてもらいます。
今日もやる、と今横で申しておりますので、あまり多すぎない程度にやろうと思います。

>いやいや、そんなに急に英語の音は口に宿りませんから、大丈夫です。

よかったです。

>大丈夫です。だんだん私もずうずうしくなっていきまして、どかどか直すようになりますから。いつの段階において直るのでも、直るのですからいいのです。 今は、単に単音のことだけですから、ブレなんか気にしないで、お母さんの音を聞かせてあげて下さい。先日、ラクダさんに、イントネーションはお父さん、発 音は息子さんで二人三脚をやれば楽しいですと言ったことも、この問題に関してです。

これを伺ったので、安心してやります。

>「ちんこのふるわせ方」ではないのではないかと。いや、ポイントがずれたな。すいません、酔っぱらっちゃって。

これはやはり息子の方が上手でしょう(爆)。

と書いている横で、いつもにもまして息子がのんびりしていました。
ので、「学校遅れるよ」と言いましたら「休みでしょ?」と。
いや、今日は金曜だというと慌ててパンツをはいて時間割をはじめました。
一日間違えていたそうです。

無事学校に登校したらまた続きをかきます。

【12813】
登校しました 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月14日(金)07時50分6秒

「母ちゃんがゆっくりパソコンしているから休みかと思ったんだ」と照れ隠しをしておりましたが、いつもより30分早く起きている時点で休みと勘違いしてい たことがばれてる、と返すとえへへ〜、と笑って登校しました。

落語は「枝雀の『饅頭怖い』と、志ん朝の『化け物使い』がすきだって、先生に伝えといて」と言っていました。

鯉はもう、さすがに来年まで川に入らないだろうとは思います。
一番私が悩んでいるのは、鯉を獲ってこられたらどう料理するんだい?ということで、ウロコがすごそうだし、髭があってなんだかおじいちゃんを料理するみた いな気がするし、泥を吐かせなきゃいけないというし…と、悶々としております(爆)。
ウロコの固さは前にスズキなら料理したことがあって、床がウロコだらけになって往生しましたが、あれと比べてどうなんだろう?と興味はあります。


>>英語圏に滞在したことはないのですが、英語圏でない国に40日ほどホームステイしたことがあります。

>どこの国でしょうか。何歳頃だったでしょうか。さしつかえないなら教えて下さい。

またまたとんちんかんなことを書いちゃったようなきがしています。
ドイツとオランダです。
高校三年生の夏休みです。
英語圏という言葉の使い方を間違えたかしら、とドキドキしています。
旅行者などで英語を話す機会は多いと思いましたが、ホストファミリーは日常は全部母国語(ドイツ語とオランダ語)でした。
お父さんたちはさすがに英語に自信がありげに話しておられましたが、ママさんたちは辞書を片手に、でした。
日常の話はお互いに何とかなるのですが、ちょっと込み入った話をしたいときには文法が役に立ったな、というのが強い印象だったのです。
私は当時別に英語科のようなクラスにいたわけでもなく、ただいくつかの偶然が重なってホームステイすることになり、一生懸命英語を勉強していた友達にブー ブー言われました。

本当、学のない人間ですし、見識もないので、頓珍漢な話だったらすみません。

今書いておもったのですが、ホームステイの時、ホストファミリーの方は私の発音がひどいので、「文法を頼りに」理解しようとしてくれた、というのが本当か もしれません(爆)。
ただ相手の話す英語ははじめからわりと文法どおりで、わかりやすいな、と思ったのも本当です。

すみません、毎日アホ全開で。
先輩のみなさま方ごめんなさい。

>これは大事なことを言っておられると思います。これは、日本在住のままでも、方法を間違わなければ、日本人が誰でも手に入れられる英語能力です。だか ら、ひとまずはこの英語能力が普及することが一番大事だと思いますが

でも発音が本当に「通じない」ので、往生しました。

>1.自分の発音で、英語ネイティブに大きなストレスにならない
>2.英語の音を聞き取ることに上達する過程で、阻害物とならない

>これを身につけるのに、普通は2年から3年はかかります。

2〜3年後が楽しみです。
中学〜高校6年、その後約15年抱えてきたコンプレックスが2〜3年で何とかなるって面白いな、と。

>レッスンでは、文法も発音も両方ともやります。私のレッスンは「普通の」レッスンですので当然のことです。多数派か少数派かといえば、私のレッスンは圧 倒的に少数派ですが、「普通」です。学校や英会話学校や進学塾が「普通」でないのです。

「普通」が小数派、ということが怖いです。いろんなところでそう感じます。

>偶然の産物や本人の能力ではなく、「磁場」の有無だと考えています。
 英会話教室では、文法がむちゃくちゃになるというのは、その通りです。

そういえばうまくいった子たちは「磁場」を意識的に作っていたな、と思いました。
ネイティブと話す機会を意識的にたくさん作っていました。
友達として家に行き来したり、留学したり。

本人に相当「モノにする」という意識があるような気がしていました。その本人の意識を「素質」と表現しましたが、本人次第で親も磁場体験?を応援してると 思っていました。


>ありがとうございます。営業能力のなさが最大の素読舎の欠点なので、というか、言いたいことを言う友達によると、「お前がものを言うと、入塾しようと 思っていた人も入塾しなくなる」そうです。単に営業能力がないんじゃなくて、私が営業を壊しているということらしいです。そうかもしれません。今日も村田 君を相手に嘆いたのですが、「死んだ言語なんてことを言っても、誰も塾に来てくれねえもんな」と言いました。だけど、言いたいことはそれなんで、困ってし まいます。語学の言語は「死んだ言語」であり、「からっぽ」でいいということが私が言いたいことなのです。

私も「あなたの話はジグゾーパズルだ」とよく言われるので、大してお役に立てない気がしますが、いいものを薦めたい気持ちは強いので、薦めます。
私がちったぁましになれば宣伝になるだろうと思いますが、時間が必要ですね〜。

『死んだ言語』でよい、という語学に惹かれているくせに、理解には程遠く、変な伝え方をしちゃいかんな〜、と。とはいえ哀しいかなあほなので、素で行きま す。

まだレッスンについてはどうなるかわかりませんが、一昨日話をした友達が興味を持ってくれて、今日その子のうちに行ってスカイプをダウンロードする手伝い をすることになりました。
お子さんは小二なので、春から、という気持ちかもしれませんが、ひょっとすると本人がお試しレッスンを受けてみたい、と言うかな〜(とらぬ狸のなんとやら です)。
確かまだ枠がありますよね?「一ヶ月無料なんよ」というとびっくりされました。
この友達が受ける受けないにかかわらず、口コミで広まるといいなと思います。

もう一方昨日お話した友達のお子さんも小二で、来春からかな〜、と言いながら聞いてくれました。
「どんな風にやるん?」といわれて、こんな感じ〜、と思いがけず電話でレッスンの再現…もとい、教材片手に説明しました。

どちらのお母さんも「そのテキストなら子供と一緒に私もできる気がする」と。みんな思うことは一緒、苦手意識も一緒だな、と思いました。


>私は以前から、日本の英語を変えるには小さな塾が一番だと思ってきました。塾をやるのに、素読舎のレッスンを受けていただくのがいいとも言ってきまし た。結構本気でそう考えてきたのですが、この考えをまともに相手にしてくれる方がなかなか現れてくれませんでした。

学校の先生方もたいていいきなり教える立場に立って、右往左往されているのだと思います。
泥縄式ですから。

昨日学習塾をやっている友達と話していて(自宅で小さな教室をされている)、「一緒にやろうよ」というような話が出ました。
息子たちが相手にしてくれなくなる頃には何か形にしたいな〜、と思いました。
でもこんなアホで大丈夫かな〜、とそこは不安ですが。
その頃にはもうちょっとこの掲示板にふさわしいことが書けるようになるかな・・・。

とまあ、妄想が膨らんでいます。

【12814】
状況 投稿者:1ファン 投稿日:2008年11月14日(金)10時15分3秒

>この状況において、This is my book. だったのなら、そこには「磁場」がありますが、日本人の親子が、単に誰の本かを問題にする状況でなく、日本語の磁場で英語で用を足しているという「違うレ ベルの状況」が生じていることになります。そんな「違うレベルの状況」はまず生じないものだと考えます。
 多分、息子さんは、This is a book. というお母さんの言った文に対して、This is my book. っていう文も習ったよね、という返しだったのではないかと思います。

そうですか。わたしの想像した状況はこうでした。

ご子息が本を読んで(眺めて)おられる。ゆっくり母さんがそばに来られて、その本を指して"This is a book."と、ご子息にとっては習いたての文を言ってみられた。ご子息は、「ぼくの本だよ」と反応された。

これだと、恐ろしすぎますね。根石さんのおっしゃるような状況なのでしょうね。このご説明で根石さんのよく使われる「磁場」の意味がモヤモヤと分かってき たような気もします。

昔、友人が冠詞の使い方が難しいのでネイティブの先生に尋ねたそうです。すると、先生は所有代名詞で用が足せるなら所有代名詞を使うと楽だというようなこ とを言われたとか。いまだに、"a"だの"the"などとうなっているのに、英語初めての小3生の反応に驚愕した次第です。

英語とは関係ないですが、最近親御さんの投稿が多く、昨今話題のモンスターペアレトなどとは違って、きちんとお子様を愛している親御さんたちを垣間見るこ とができほのぼのした気持ちになり嬉しいです。

【12815】
状況は 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月14日(金)10時58分31秒

営業活動に出かける前にHPをプリントアウトしています。
友達に見せます。

>1ファンさま

状況はほぼご想像通りです。
長男がウルトラマンの本を読んおり、次男も向かい合って別の本を読んでいましたので、私が長男の横に行っ て、次男に目を向けて(次男巻き込みの下準備&長男の様子見)「This is a book.」と言いました。そうすると長男は次男のと私の顔を順番にみて「This is my book.」と答えました。
下の子がとにかくおにいちゃんのものを欲しがるので、長男にとっては「それぼくの〜」という状況はたくさんあります。
なので夫と2人、まずその英語かい!と思わず笑ってしまいました。
が・・・、今回は「a」では不都合だ、というところまでは考えていないと思います。

過去ログに「a」と「the」の違いを根石さんが生徒さんに窓のたとえで説明されたエピソードがあり、これをうちの子が聞けるのはいつごろかな〜、と楽し みにしている私です。
そのときの反応が楽しみです。

モンスターペアレント…あまり好きな言葉ではないです。
こういう言葉があることで、逆に学校にとって「不都合な親」がこの名を付けられて発言の真意を汲み取ってもらえないことがあると感じていますので。

私はただの親ばかですが、1ファンさん、これからもよろしくお願いします。
ご縁が嬉しいです。

【12816】
打席に戻ります 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月14日(金)21時48分15秒

國弘正雄さんのことを私も考えていました。

>「只管朗読」という初心者用の方法を提示した功績はどう打ち消しようもない國弘正雄の功績です。しかし、この大御所は、次の段階についてはほとんど何も 言えていない。なぜかと言えば、次の段階を語学「ではなく」、磁場体験に置き換えてしまった人だからです。そして、いきなり達人談義をやりだすの です。國弘が批判されなければならないのはそこです。あんた、まんなかが抜けてるよ、です。

以前過去ログを読み、根石さんの國弘さんへの評価は存じておりました。たしか、上記に加えて、國弘さんはご自身の「只管朗読」の過程において、稽古をつけ てくれたネイティブ(確か米兵でしたか)が果たした機能について、つまびらかにしていない、という批判もされていたように思います。そうであれば、「只管 朗読」さえも初心者用としての限界を持っている可能性がある、ということになるかと思います。

私が注目したいのは、それでも根石さんが國弘さんの功績を評価されているということです。根石さんの語学論から見た場合、力点はむしろ批判の方にあるのだ とは思います。それでも功績は功績として評価されている、そこは大事なポイントと感じます。

「アルクの限界」を「CDを使った音読練習の限界」と一般化したいと思います。おそらくDVDを使っても同様の限界があると思います。限界があるという点 に関しては、それはそうなのだろうと思います。その上で私の現時点での考えを述べるなら、

限界があったとしても無益とは言えないのではなかろうか。

というところに落ち着きます。素読舎、柴田さんの教室...でレッスンを受ける事ができるごく少数の幸運な人々以外の圧倒的多数にとって、「CDを使った 音読」は、次善の策として推奨されて良い方法ではないかと考えます。

根石さんが素読舎をやめてしまおうか...と発言された時、ついにその時が来てしまったか、という思いとともに、今後の事をあれこれと考えました。レッス ンが終了した時、私が息子にしてやれることは何だろうか。英会話スクール?--NO、ネイティブの個人レッスン?--NO、地元の塾?--NO,NO, NO。やはり「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」、これ以外に考えつきません。その方法に限界があるとしても、採りうる方法としては最 善なのではないか、そのように思うのですが、いかがでしょうか。

【12817】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年11月14日(金)22時10分5秒

今日のレッスンで、昨年の11月の後半から始めた息子のレッスンも、丸一年となりました。この間、一回も欠かさずに受講できて、本人は英語はもちろん、勉 強全般に自信がもてるようになった様子で、本当に感謝しています。
新教材に移行してからは、教科書の回転読みは、もっぱら親子でおこなっていますが、そのために実質的に教科書を読みこむ時間は、以前より長くなったと思い ます。もっともその恩恵は、父親の方が多く受けているかもしれません。
親のほうは、近頃とみに記憶力の衰えを実感しているのですが、口の筋肉で覚えこむ、いわば「運動記憶」の持続力には、内心驚いています。
素読舎の方法は、中高年の語学学習にこそふさわしいものなのかもしれません。
最近の根石さんの書き込みには興味深いものが多く、「しなやかなバネ」という道具のことと、その目安が「語数」であるという指摘は、さっそくたどたどしい 自分の独習に役立てています。

【12818】
根石さん ゆっくり母さん 投稿者:村田 投稿日:2008年11月15日(土)03時08分26秒

ゆっくり母さん、初めまして。素読舎戸倉分室の村田です。

>「のどちんこのふるわせ方」を言ってみろと村田君に迫れば、さてどう言うだろうか。

「のどちんこがふるえる」っていうよりも、「のどちんこが喉の奥でつく」っていうような言い方し
てたと思います。その結果としてのどちんこが震えるという感じではないでしょうか。

ことに気づいたのはsbさんのおかげでした。その頃の私はyearとearの違いには意識的ではなかったです。

【12819】
トマティス 投稿者:村田 投稿日:2008年11月15日(土)03時17分25秒

津田さんの通っていた教室は、トマティスセンターです。

過去ログから引用します。

===============
340. トマティスセンターに通って 投稿者:津田 美鶴 投稿日: 7月16日(月)12時09分33秒

 根石先生へ
 STさまへ

 トマティスセンターでは、私は聴覚、発音訓練のみ受講しましたが、語学に限らず他にもたくさんの講座があるよ
うですね。
 料金については、24回(1回2H)でだいたい18万円程です。教育訓練給付金制度を利用すればだいたい4万円強で受講できます。

 受講前と受講後の変化は、自分の声で確認できました。入学後、日本語と英語の両方の声をテープに録音し、最終日に聞き比べましたが、英語の音に深さが出 せ、不思議と英語の方が発音しやすくなっていました。

 トマティスの活用法ですが、受講後は、音が取れて発音ができる状態ですので、その準備ができていない、又はその時間が持てない方に比べると、数 段イメージへの転換が早い!と思うのです。もちろんこういう機関に通わなくても英語の音をつくることは可能ですよね。ただ、発音訓練はどの語学教材も単調 でおもしろくありませんでしたので、おもいきって受講してみました。


 それまでの私の英語の発音についてですが、先生から誉められたこともなければ注意されたこともないという、「フツウの発音」だったと思います。抑揚がな かったんですね。きっと。トマティスのスタッフの方は、「もともと発音がきれいなので、あまり変化が感じられないかもしれませんね・・・。」とおっしゃっ ていましたが、自分では、発音がきれいだとは思ったことがありませんでした。学生時代は、sheをseeの音と同じだと思って発音していた事がありますか ら。これは誰か注意してほしかったですね(笑)英語をきちんと聴いていなかったんですね。

 日本の教育では、発音はあまり重要視されていないように思います。それは、指導できる方がまだまだ少ないということも問題かもしれません。そればかりに こだわることはありませんが、違う音で覚えてしまうと、その音を聞いた時に、せっかく意味がわかっていてもイメージが動かない様な気がします。音の認識が 行われない様に思うのです。
===============

【12820】
馬の骨さん 投稿者:村田 投稿日:2008年11月15日(土)04時38分23秒

・言語によって特有の周波数帯(パスバンド)があって、その周波数帯をはずれた音は聞き取りにくい。
・特有の周波数帯は子供の頃に形成される。

これはその通りなんだと思います。

>どうやら、ロシア語は、きわめて広いパスバンドを持つ言葉らしいが、はたして、ロシア人は、他言語習得に堪能だろうか?

南原充士さんのこの疑問、答えは「堪能とは限らない」ではないだろうかと思います。
聞き取ることができる音の幅が広いということは有利ではあるでしょう。
しかし他言語習得には、音と(語の持つ)イメージを強固に結びつけるという過程が不可欠です。
身を使った訓練なしにそれはありえません。これは聞こえやすいか聞こえにくいかとはまた別の話だと思います。

パスバンド理論というのが気になって、調べてみました。
そうしたらトマティスセンターにたどりつきました。
http://www.tomatis-japan.com/welcome/method/index.html

>トマティスの基本三法則
> 1. 耳で聴き取れない音は発音できない。
> 2. 聴覚の改善により発声にも変化が現れる。
> 3. 聴覚の改善後、発声の改善も定着させる事ができる。

「耳で聴き取れない音は発音できない。」
素読舎では「自分で言えない文は聞き取れない」ということを言います。
素読舎では日本語の音を足がかりにして素読を原理とした方法で訓練することにより、「通じる音」を手に入れていきます。その過程で、「聞こえる耳」も育て ていると思います。
確かに、「言語のパスバンド」は子供の頃に形成されて、大人になってから広げるのは難しいのかもしれませんが、訓練によってなんとでもなる、と思います。

パスバンド理論について興味深いサイトがありました。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9415/sikou/sikou31_081107_passband.htm
「日本語のネイティブは低周波音を聞き取りやすい。従って、低周波音被害に遭う可能性が非常に高い」

【12821】
村田君、馬の骨さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)01時49分59秒

・言語によって特有の周波数帯(パスバンド)があって、その周波数帯をはずれた音は聞き取りにくい。
・特有の周波数帯は子供の頃に形成される。

 日本語使用時と英語使用時で、脳の働く部位が違うことが映像化できるらしいですが、「特有の周波数帯」の問題は、「脳の部位が違う」こととどう関係する のかしないのか。

 私は、「脳の部位の違い」をもたらす最大の要因は、言語シンタックスの違いだと考えてきました。
 子供のネイティヴ言語習得過程では、言語(シンタックス)は外在物であり、子供は外在物としての言語(シンタックス)の中に白紙として生まれてくる。こ の場合、「白紙」というのは、言語習得の可能性(言語獲得能力)の先験性とは矛盾しません。
 新生児は、言語獲得能力を(なぜか)最初から持っていて、個別の具体的な言語に対しては「白紙」であるということです。新生児は、どんな言語であろう と、それが個別の具体的な言語であれば、習得してしまうという意味で「白紙」です。
 (この「言語獲得能力」が、チョムスキーの言う「普遍文法」ではないかと考えてもいます。生まれてきた赤ん坊には、能力としての(あるいは意欲として の)「文法」以外に他に文法らしきものは何も見当たりません。能力や意欲が「文法」だとしたら、そういう文法を誰が書いたのか。「神が」と考える人もいる し、「自然が」と考える人もいます。私は「自然が」と考えています。自然史の一齣である、と。)

 外在物を内在化させる過程に必ず作用しているのが「媒介物」であり、言語習得の場合は、それがまずは、「音」である以前に「声」だと考えてきました。 「音」ではなく「声」だと考えるのは、(あくまでも「言語獲得能力」にとっては)、(多くの場合)母親であり、親しさであり、まったく心を開ける相手だか らです。赤ん坊に聞こえているものが、「音」などという外在物であるわけがない。「母親」も客体であるわけがない。「言語獲得能力」にとっては、母親や親 しさや愛情の間に何の区別もなく、それらと「声」との間に何の区別もなく、おそらくその「声」と自分との間にも区別がない。しかもなお、それは「声」とし て「自分の中に」響くものです。自分のものです、というか、もしかしたら、その「声」こそが「自分」というものの原初です。
 「内在化」。それが原初にあるものです。
 物理学が客体として扱う「音」とか、生理学が耳が聴き取る客体だとするものは、赤ん坊にとっては(「言語獲得能力」にとっては)「声」として「自分の中 に響くもの=内在物」です。客体と愛情や感情の間に区別がないからこそ、それはきわめて容易に「内在物」になる。
 ネイティヴ言語習得の「媒介物」は「声」(愛情や感情)であり、語学(言語)習得過程の「媒介物」は「音」だと分けて考ればいい。「音」だったら、愛情 や感情はなくても成立します。それが語学の場面です。
 いずれにせよ、そこには「媒介」されるものがあります。「媒介」するという行為が、赤ん坊が人間の赤ん坊であるという自然がもたらすものであるか、人間 の個の意志がもたらすものであるかの違いがありますが。
 ネイティブ言語習得過程では、声が媒介にされ、「母語」が固定されます。音やシンタックスなどの外在物が内在化されて、固定されます。これはきわめて早 期に、子供が2歳3歳頃に固定が始まります。「音」だけに限って言えば、よく聞き取るべき周波数の範囲と、聞く必要のない周波数の範囲の区別が固定され始 める時期と言ってもいいと思います。
 幼年期の早期に固定される区別を相対化し、再度、「自分」を異質な音やシンタックスに向けて開くのが、語学という行為だととらえればいいと思います。語 学という行為は、本当は実にダイナミックな行為なのです。

>トマティスの基本三法則
> 1. 耳で聴き取れない音は発音できない。
> 2. 聴覚の改善により発声にも変化が現れる。
> 3. 聴覚の改善後、発声の改善も定着させる事ができる。

>素読舎では「自分で言えない文は聞き取れない」ということを言います。

 ここのところですが、トマティスは幼児のネイティヴ言語習得過程を語学の方法としてしまっているのが理論として錯誤を含みます。というか、逆立ちしてい ます。耳で聞き取れない音は発音できないというのは、耳で聞き取る音を発音するようになる幼児の言語的ふるまいをなぞったもの言いですが、語学において は、耳で聞き取れない音も人間はいくらでも発音できます。「口の両端を斜め上に」と私が指示し、生徒が出した音を、私が「そうだ、その音だ」と言ったと き、生徒の中に生じている感覚が肯定されます。この肯定された感覚が核になります。言ってみて、その時生じた感覚が肯定されたことにより、感覚的な核が生 まれ、耳が働き出すということは語学では常に生じていることです。
 トマティスの基本三法則は、「基本的な間違い」三法則と言うべきです。
 トマティスの三法則は、幼児のネイティブ言語習得過程にあてはまるものであり、語学はその全体を相対化する行為だというところが暗闇になっています。ト マティスは、こういう暗闇によってお金をもうけてはいけません。
 柴田さんの生徒たちは「おとなしい羊」であり、私の生徒たちは「泥だらけの山羊」だというようなことを、以前書いたことがあります。(なにしろ、「泥だ らけの山羊」をやっていた日には、中学受験なんかなかなか通過できません。)この言い方で言うなら、津田さんがトマティスを使って効果を実感できたのは、 津田さんが「おとなしい羊」だったからだと考えています。だから、「おとなしい羊」の方々はトマティスを使えばいいし、「泥だらけの山羊」の方々は素読舎 を使えばいいということが言えると思います。
 津田さんは、赤ちゃんの「白紙」を当時お持ちだったのであり、それは津田さんの美質だと思ったことをかすかに覚えています。普遍化はできないとも思いま した。

>しかし他言語習得には、音と(語の持つ)イメージを強固に結びつけるという過程が不可欠です。
身を使った訓練なしにそれはありえません。これは聞こえやすいか聞こえにくいかとはまた別の話だと思います。

 おおざっぱにはそういうことだと思いますが、これについてはまた後で書きたいと思います。「強固に結びつける」ということが「瞬間化」と同じことなのだ という観点を提示しておくだけにしますが、タイミングを見て、話題を再度提示してくれることを村田君に頼んでおきたいです。

【12822】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)03時01分0秒

>「のどちんこがふるえる」っていうよりも、「のどちんこが喉の奥でつく」っていうような言い方してたと思います。その結果としてのどちんこが震えるとい う感じではないでしょうか。

 「ふるえる」ではなかったんですね。いいかげんに解釈しておりまして済みません。
 「喉の奥でつく」でも、どこに着くのか。その部位は、一般的な用語にないです。まあ、のどちんこの近くの場所に着くのであるのは間違いありませんが。
 「つく(着く)」というより、「のどちんこのあたりで、息の通り道が狭くなる」ってのはどうでしょうか。

>ことに気づいたのはsbさんのおかげでした。その頃の私はyearとearの違いには意識的ではなかったです

 あれは、sbさんが我が家に遊びに来ていたときに、sbさん、村田君、私との間で出た話だったように覚えています。sbさんは、[J]音を、口蓋の中の 舌の位置で説明しようとされていて、私にはまるでピンとこなかったのでした。後で考えて、村田君に、舌の位置が本質ではない、「喉で出す」とか「喉の 音」っていうのが本質だと言ったことを覚えています。

 sbさん、今でもこの掲示板を読んでくれていますでしょうか。sbさんは「作戦・部長」(のローマ字表記)の頭文字からとってsbさんだったのですが、 その後なにか作戦はありましたでしょうか。

 音には個々にその本質があると考えています。
 私は、当然のことながら、英語ネイティブの人より「下手に」英語を発音します。しかし、音には個々にその本質があると考え、特に日本人にとって重要にな るいくつかの本質があると考え、それを言葉にできるという点で、英語ネイティブなどは私の足元にも及ばないと、強引に、思い切って考えてきました。
 英語ネイティヴが英語のネイティヴ音を出すのは、馬鹿らしいほどあたりまえのことです。日本人はそんな馬鹿らしいことをなんで崇めているのか、わけがわ かりません。ネイティブ音を出せることに価値があるなら、私が生徒の発音を変えることができることより、私が日本語のネイティブ音を出せることの方がよっ ぽど価値があるはずです。しかし、そんな「はず」では、語学職人がつとまりません。
 自分がネイティブ音を出せても何の価値もない。生徒の音を変えることができなければ駄目だというのは、アメリカ帰りのぺらぺらをやる日本人教師にも言え ることです。

 音の本質に関して、例えば、

 「一瞬般若」は、口の両端が動く音。口の両端が動くことが本質。
 「口の両端を斜め上に」は、一般的な発音の教科書とは説明法が違います。「エと言いながら、アと言う」などという馬鹿みたいな説明法が馬鹿みたいである のは、そんなことを言われれば、「二つのこと」をやるのかと普通の日本人が受け取ることを避けられないからです。そうじゃない。あくまでも一つのことをや ればいい。それは、「口の両端」さえちゃんと動けば出る。ズレがあるが、ひとまずは誤解が生じない音として出る。それをまず出させ、固定化することが肝心 なことです。
 口の両端だけを意識して、その音が簡単に出せるようになった生徒に、「顎を下げるともっと感じのいい音になる」と言えば、私の方で「おおっ!」と思うほ ど、簡単に品のいい音が出せるようになります。
 同時に「二つのこと」は不親切であるだけでなく、音の本質を見損なうのです。「一瞬般若」は「口の両端の音」であり、そこがちゃんと動けば誤解される心 配はない。この心配をなくしておいて、「顎を下げる」ということを追加するようにして、「二段階」でやるのがいい。本質は「口の両端」にあるのであり、 「顎の下げ」は付随的なものと位置づけていいからです。音の品なんかより、誤解されないことの方が重要だからです。

 [ar]は、顎だけが下に動く音。舌は持ち上がらず、息の通りが一番邪魔されない音。これは口の部位の名前で指示すると本質が言えません。本質は、「息 の通りが邪魔されない」ところにあるからです。でも、「顎だけが下に」という言い方で、ほとんどの人が出せるようになります。赤ん坊は上手に出す音です が、日本語で育った大人には結構難しい音です。私はいまでも苦手で、リハビリの最中です。

 ズレはあってもいい。個々の音の本質だけを見逃さなければいい。そうすると、英語ネイティヴの人たちが、どれほど摩り切れたジーパンをはいているかも測 定できるようになります。そんなものを崇めて、そっくり真似しようとするのは愚かなことです。

 私は、語学職人として、ネイティブ音を絶対化して崇めるようなことだけはしたくないと思っています。(聞く人の)ストレスが小さく、(自分の)聞き取る 能力が発達するのに邪魔にならない音。これが日本人が出す英語音として理想的な音です。ネイティヴ音絶対化の人たちとは、根底的に「音」に対する考え方が 違います。ネイティヴ音絶対化をやらかす人たちに、「音」に対する考えなどというものがあるのかどうかさえ疑っています。あの人たちにあるのは、崇拝だけ だろうと考えています。たかが英語音。何を崇拝する必要があるのかと、今後はあの人たちに面と向かって訊いてみることにします。

 大風呂敷を広げましたが、まあそんなことを考えてきました。

【12823】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)03時31分39秒

 なかなか登場して下さらないので、お待ちしておりました。

>今日のレッスンで、昨年の11月の後半から始めた息子のレッスンも、丸一年となりました。

 息子さんにレッスンをすすめて下さったこと、ありがたく思っています。

>この間、一回も欠かさずに受講できて、本人は英語はもちろん、勉強全般に自信がもてるようになった様子で、本当に感謝しています。

 いや、こちらこそ感謝しています。この一年で、息子さんはかなり変わったと思います。人に対して警戒心を持つような段階にも成長したような気がします。 電話に出たときに、おっと、なんだか冷たい声だなと思うこともあり、きわめて普通の成長をしていると思います。

>新教材に移行してからは、教科書の回転読みは、もっぱら親子でおこなっていますが、そのために実質的に教科書を読みこむ時間は、以前より長くなったと思 います。もっともその恩恵は、父親の方が多く受けているかもしれません。

 継続しておられるのですね。日本語の素読の方はどうなっているでしょうか。

>親のほうは、近頃とみに記憶力の衰えを実感しているのですが、口の筋肉で覚えこむ、いわば「運動記憶」の持続力には、内心驚いています。

 先日、國弘正雄について書きましたが、素読にせよ、國弘の「只管朗読」にせよ、「運動記憶」であると言えば、そういうことになります。その意味で、國弘 正雄は私の先達だと思っています。批判的に継承するのが、礼を失わないことだと思うものの、夜中に酒が入りますので、悪態をつくことになります。酒のせい にしようと思います。

>素読舎の方法は、中高年の語学学習にこそふさわしいものなのかもしれません。

 生きている人なら、年齢を問いません。死んだ人には向かないものだと思いますが。

>最近の根石さんの書き込みには興味深いものが多く、「しなやかなバネ」という道具のことと、その目安が「語数」であるという指摘は、さっそくたどたどし い自分の独習に役立てています。

 ありがとうございます。具体例を言っていただけると、さらにありがたいです。

 お忙しいこととは思いますが、なるべくこちらにおいで下さることを願っています。

【12824】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)05時29分6秒

>以前過去ログを読み、根石さんの國弘さんへの評価は存じておりました。たしか、上記に加えて、國弘さんはご自身の「只管朗読」の過程において、稽古をつ けてくれたネイティブ(確か米兵でしたか)が果たした機能について、つまびらかにしていない、という批判もされていたように思います。そうであれば、「只 管朗読」さえも初心者用としての限界を持っている可能性がある、ということになるかと思います。

 私の記憶が確かならば、國弘正雄さんは、後に自分で「只管朗読」と名付けた方法で独習し、相当の期間を経て、米兵に接したのだと覚えています。米兵が 「稽古をつけてくれた」という事実はなかったろうと思います。激しい「一人練習」で厚みを作り、米兵に接して、自分の英語が通じていくことに感動したとい うことだったと思います。語学が実用に渡ったことの感動だったのでしょう。
 (→村田君、らくださんが言及しておられる部分がみつかったら、引用をお願いします)

 國弘さんが、独習では発音がくらやみになることをはっきり言わないのはよろしくありません。著書の中で、発音がくらやみになるのではないかという質問に 対して、「それでも(只管朗読を)やらないよりはやった方がましだ」というような消極的な言い方をしていますが、これは「只管朗読」という方法に対して実 に失礼なもの言いだと思います。そんな程度のことを言ったのでは、せっかくの方法を自分でおとしめてしまうことになると思います。
 「只管朗読」は、発音の指示ができるコーチ法と組み合わされたとき、最強の方法になると思っています。そうでなければ半端なものです。しかし、それで も、英語の音を徹底的に連続させるだけで、(ある程度の音のセンスがあれば)誰に教わらなくても自然に立ち上がってくる抑揚というものがあり、これは個々 の音の音価よりもずっと大事なものですから、「只管朗読」だけでも「ぐらぐらしている確かな基礎」というものはできます。
 「ぐらぐらしている確かな基礎」をまともに「確かな基礎」にするためには、「只管朗読」を、発音の指示ができるコーチ法と組み合わせる必要があります。

 何年か前に、学校の英語の先生方の会の企画で、長野のホテルで國弘さんの講演会がありました。サピオという小学館の雑誌に、「國弘流・英語の話し方」と いう本の書評を書き、礼状をいただいたご縁で、國弘さんからじかに講演会に招待していただいたので、でかけてみました。講演会の後で、國弘さんに直言した ことがありました。

 「國弘さんが組んで仕事をすべき人は千田潤一ではないはずだ。CDを聴いて真似しろじゃ駄目だ。柴田武史さんという人がいる。私の掲示板を読んで欲し い。柴田さんとこそ組むべきだ」

 私は今もそう思っています。しかし、國弘さんはコンピュータやネットはやらないと言われ、ポイントを外されてしまいました。

>私が注目したいのは、それでも根石さんが國弘さんの功績を評価されているということです。根石さんの語学論から見た場合、力点はむしろ批判の方にあるの だとは思います。それでも功績は功績として評価されている、そこは大事なポイントと感じます。

 力点は、評価するときは評価することに置かれ、批判するときは批判に置かれます。私は、先の講演会でも感じたことですが、ただすごい人として國弘を崇め ている敬虔家(先生たち)よりも、國弘正雄を正当に評価していると思っています。
 功績は功績として評価するというより、國弘正雄こそ批判的に継承するにあたいする語学論を書いた人だと思っています。ですから、批判するときは、骨を切 るつもりでやります。

>限界があったとしても無益とは言えないのではなかろうか。

 主体を学習者に置けば、どんなやみくもな方法も無益ではありません。やみくもにやることは、自分で方法を見つけることに開かれていますから。その上で、 言わせていただけば、「アルクの限界」は、柴田さんの方法にせよ、素読舎の方法にせよ、すでに日本にコーチ法が存在するのに、「CDを聴いて真似しろ」と 言っている「商売人の限界」を言ったものです。
 学校の先生が「CDを聴いて真似しろ」と言うこともありますが、これを言うと、先生のくせに「商売人の限界」をさらしていることになります。繰り返しま すが、すでに日本には日本人のための音法があるのです。先生が言う「商売人の限界」は、先生の認識不足か、おさぼりを意味します。
 「CDを聴いて真似しろ」! それでいいのなら、先生商売、楽なもんです。
 英会話学校の Repeat after me. もまた「商売人の限界」です。
 日本人の口の動きは、指示の仕方を工夫すれば、英語用に動かせるのですが、「指示の仕方」が一般的には成立していません。それを成立させようとして、わ ずかな部分ながら、実際に手をつけて実践してきたのが素読舎だと思っています。
 このあたりをもう少しはっきりさせようと思い、先日村田君と話して「素読舎の教材の使い方」というタイトルで小冊子を作ろうと思っています。

>素読舎、柴田さんの教室...でレッスンを受ける事ができるごく少数の幸運な人々以外の圧倒的多数にとって、「CDを使った音読」は、次善の策として推 奨されて良い方法ではないかと考えます。

 「ごく少数の幸運な人々以外の圧倒的多数」が確かにあるのですが、素読舎の「スカイプ(電話)でレッスン」は、空きができてもなかなか埋まらないような ていたらくです。二つも三つも空きができていたときに、連絡をいただくべき人から連絡がなかったことなどが重なったり、昔の塾生がまるで語学の方法に対し て自覚というものがないことに落胆したりして、俺のやり方は何か根本的に駄目なんじゃないかと思い、いっそやめちまおうかと思ったのでした。
 素読舎の定員というのは小さなもので、ちょっと空き枠ができると生活が苦しくなるし、ちょっと動きがあるとすぐに埋まってしまいます。そういうぎりぎり の線でやっています。職人仕事というのは、この規模でないと荒れるとも思っています。現在、無料お試しレッスンを3人の方が受けて下さっており、ようやく 少し気持ちの不安的がおさまっています。

 「圧倒的多数」の人は、素読舎に注目してくれません。「死んだ言語」だとか「からっぽの電池」なんて言っていても駄目なんですね。

 ゆっくり母さんが、掲示板に登場して下さったことで、ようやく目の前が開けるような気持ちになれました。「死んだ言語」や「からっぽの電池」のことまで 承知の上で、小学3年生の息子さんにレッスンを奨めてくださったらしいとわかり、勇気づけていただきました。

>根石さんが素読舎をやめてしまおうか...と発言された時、ついにその時が来てしまったか、という思いとともに、今後の事をあれこれと考えました。レッ スンが終了した時、私が息子にしてやれることは何だろうか。英会話スクール?--NO、ネイティブの個人レッスン?--NO、地元の塾?--NO,NO, NO。やはり「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」、これ以外に考えつきません。その方法に限界があるとしても、採りうる方法としては最 善なのではないか、そのように思うのですが、いかがでしょうか。

 「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」は、学習者(息子さん)が自分に言う言葉ならそれでいいと思います。本人がやみくもにでも、何か を突破しようとする意志の言葉として自分に命じるのなら、この言葉に力がありますし、実際にそれで突破してしまうと思います。
 たとえ親から言われたのでも、自分から発した言葉や自分が考えた方法でない限り、息子さんにおいては、あまたある方法の一つとして外在化されますので、 肝心の核が備わらないことになることはあり得ることだと思います。
 また、「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」は、私のレッスンを1年ほど続けていただいた今なら、(息子さんの音に対するセンスが良 かったせいで、早めに音法の骨子をわかってもらえたので)現実的な言葉になっていると思います。
 音法というものなしで、息子さんがお父さんから、無媒介にそれを言われても、うまくいくかどうかはわかりません。ある水準までの英語を自分で作った親な ら、多くの人たちがこれと同じことを言うと思いますが、子供がそれを、カタチだけでなく(イメージと音、イメージと文字の連絡の瞬間化まで含めて)実現す ることはきわめて稀だと思います。もっとも、私のレッスンを受けていただいても、生徒さんの側で、「瞬間化」についてまともな練習が成立するかどうかにつ いては、かなり難しいものがあります。(絶えず、アドバイスはしておりますが。)
 CDの位置づけについては、トマティスの逆立ちについて書いた通り、最初に聴くべきものではないと思っています。自分の口をかなり動かして、自分なりの 近似値を作った後で、媒介にし、整序するために聴くものだろうと思っています。
 ネイティブ言語習得における順序が唯一の順序ではありません。語学には語学の順序というものがあります。語学というものを単なるスキルの獲得だとしない ならば、多くの場面でネイティブ言語習得の順序を転倒させることが必要になります。そのあたりをいつも考えています。

 気持ちがまったく疲れ果てておりましたが、なんとか持ち直しています。
 昨日、久しぶりに長時間、教材を作っておりました。

【12825】
ゆっくり母さん、1ファンさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)05時56分53秒

>営業活動に出かける前にHPをプリントアウトしています。
友達に見せます。

 涙が出そうになりました。
 ありがとうございます。

 朝になりそうなので、1ファンさんとゆっくり母さんには、改めて書かせていただきます。

【12826】
音読時の注意点 投稿者:パ クパク 投稿日:2008年11月16日(日)08時45分38秒

音読時の注意点

 1)発音とリズムの矯正はしたほうがいいのか?

 2)意味のわからない英文と、意味のわかる英文のどちらを音読すべきか?

 3)英語に頻発する冠詞(a,the)を、どのようなイメージで音読したらよいのか?



 以上を注意すると、ただひたすら音読するより、効果が得られるとおもいますが、

 皆様方のご意見をおまちしています。



 映画「奇跡の人」は、言語取得プロセスのドラマとしても
 みることができるとおもいます。

 圧倒的な不利な生徒(3重苦)に、言語を教えることができたわけですから。

 どうやって?

 非常にこういう疑問をもちながら、映画をみると、音読時の注意点がわかってくると

 おもいます。

【12828】
1ファン様 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月16日(日)15時33分52秒

昨日からうちの中がとても楽しいことになっています。

上の子は「This is my bed.」とか「That is my 目覚まし時計」など、
新しく手に入れた新兵器(エイゴ)で弟を説得?しておりました。
が、昨日から次男も「This is my book.」と言いながら反撃し始めました。
次男の場合、おもちゃだろうが食べ物だろうが「my book」です(爆)。

なるほど磁場じゃないわ、と母も納得。

良く考えたら、こういうフツーの?家庭で、「まともな音」「まともな英語」が手に入れられるとしたら素読舎だろうな、と考えてはじめたんでした。
すぐわからなくなる年食った新人です。

営業用のメモを書いていたら頭が少しまとまる反面、わからないことが一杯出てきたので、またあらためて質問させてください。

はじめに書き込んだものは自分でも混乱していたので削除しました。
失礼しました〜☆

【12829】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)16時10分1秒

>下の子がとにかくおにいちゃんのものを欲しがるので、長男にとっては「それぼくの〜」という状況はたくさんあります。
なので夫と2人、まずその英語かい!と思わず笑ってしまいました。

 そうすると、おにいちゃんの方は my という語を使ったときに言えることを言おうとしていたことになりますね。しかしまあ、それは「言ってみる」ということであり、日本語でものを奪い合うとき のように本気で主張するというのとは違う気もしました。日本語でものを奪いあうときには、語になんかはまったく注意が行っていないと思いますが、この場合 では、my という語にはっきりと注意が行っていると思います。
 「言ってみる」というのは、英語を「使ってみる」ということで、そこにゲーム性があります。このゲーム性というのが、英会話学校なんかが使っているもの です。
 めんどうな話をすると、これは「磁場」における「当事者性」とは違うものです。(英会話学校には「磁場」はないと言ってきましたが、ゆっくり母さんと1 ファンさんのやりとりから、そこにあるのは、「当事者性」ではなく「ゲーム性」なのだと言えばいいんだと思いつくことができました。)
 私のレッスンはまだ一度やらせていただいただけですが、レッスン自体はごく地味なものです。地味なレッスンで得た知識で、子供が自分で勝手にゲーム (性)を作り出して遊んでいる光景だと思います。英会話学校が策として使うようなゲーム性は、子供は勝手に自分で作り出してしまうのですから、ゲーム性な んかに金を払うことは馬鹿らしいことです。
 もっと地味なところにお金をつかってくれえ、と貧乏な素読舎は今日も叫んでおります。

 私としては、「文まるごと」でものを言っているところがうれしいです。自分で好きなように語を入れ替えているところもうれしいところです。どんどん遊ば せてやって下さい。そのうちに飽きるかもしれませんが、面白がっているときはどんどんやらせておけばいいと思います。いつまで面白がって遊んでくれるの か、私の方が逆に興味を持ち始めています。

【12830】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)16時17分22秒

 今投稿してから、3時半頃に書いていただいたものをその後に読みました。
 やっぱり「ゲーム性」ですね。

>次男の場合、おもちゃだろうが食べ物だろうが「my book」です(爆)。

 傑作です。

>営業用のメモを書いていたら頭が少しまとまる反面、わからないことが一杯出てきたので、またあらためて質問させてください。

 是非お願いします。

【12832】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月16日(日)18時24分42秒

>母ちゃんがゆっくりパソコンしているから休みかと思ったんだ」と照れ隠しをしておりま したが、いつもより30分早く起きている時点で休みと勘違いしていたことがばれてる、と返すとえへへ〜、と笑って登校しました。

 子も母もなかなかやりますね。これが言語の「磁場」というものだと思います。

>落語は「枝雀の『饅頭怖い』と、志ん朝の『化け物使い』がすきだって、先生に伝えといて」と言っていました。

 発売元も教えていただけたらと思います。しかし、面白いお子さんですね。小学3年で、落語が好きだとは。

>一番私が悩んでいるのは、鯉を獲ってこられたらどう料理するんだい?ということで、

 鯉はうろこがでかいので、料理は大変かなと思います。昔、千曲川で私が鯉を釣り、友達がその場で鯉こくを作ってくれたことがありましたが、これまでに 食った鯉こくであれが一番うまかったなあと思い出しました。沼の鯉は臭いらしいですが、川の鯉は臭くありません。

>ドイツとオランダです。
>高校三年生の夏休みです。

 それはいい経験だっただろうと思います。

>英語圏という言葉の使い方を間違えたかしら、とドキドキしています。

 英語圏ではないですが、オランダ語、ドイツ語は英語と同じゲルマン語圏ですから、言語的には親類みたいなところですね。ドイツ語より、オランダ語の方が 英語に近いと聞いたことがあったような気がします。ちょっとやるだけで、オランダ語なまりの英語をしゃべり出すようです。ドイツ人やオランダ人が英語をや るのは、日本人がやるのに較べて、何十倍も楽だと思います。

>日常の話はお互いに何とかなるのですが、ちょっと込み入った話をしたいときには文法が役に立ったな、というのが強い印象だったのです。

 「磁場」仕込みの即応性を駆使するというのでなく、日本で作った英語力で少しずつ確実に話していく場面だと思います。こういうときには、文法は頼りにな ります。
 子供英会話なんかだと、きまり文句に対する即応性はできるかもしれませんが、これは決まり文句に対する決まり文句でしかなく、自分の中に文法が形成され ません。知識としてすら形成されません。こういうふうにされてしまった子供が持たされる英語がもっとも中途半端なものです。見かけの即応性(きまり文句に 対するきまり文句)にだまされたら親も子も大損します。

>ただ相手の話す英語ははじめからわりと文法どおりで、わかりやすいな、と思ったのも本当です。

 英語ネイティヴの英語より、語学として習得された英語の方がわかりやすいという場面はよくあることです。ジーパンで言えば、摩り切れていない。しっかり した生地の英語であるといえると思います。日本人が持つべき英語もそういう英語だと思います。

>『死んだ言語』でよい、という語学に惹かれているくせに、理解には程遠く、変な伝え方をしちゃいかんな〜、と。とはいえ哀しいかなあほなので、素で行き ます。

 語学論も、語学をやるようなところがあり、少しずつ理解が深まっていきます。そのためには、遠慮せず書いていただくことがいいと思います。

>まだレッスンについてはどうなるかわかりませんが、一昨日話をした友達が興味を持ってくれて、今日その子のうちに行ってスカイプをダウンロードする手伝 いをすることになりました。
お子さんは小二なので、春から、という気持ちかもしれませんが、ひょっとすると本人がお試しレッスンを受けてみたい、と言うかな〜(とらぬ狸のなんとやら です)。

 ありがとうございます。スカイプはその後どうなりましたでしょうか。

>確かまだ枠がありますよね?「一ヶ月無料なんよ」というとびっくりされました。
この友達が受ける受けないにかかわらず、口コミで広まるといいなと思います。

 現在、ゆっくりさんののお子さんも含めて、無料お試しをやっていただいている枠が3つあります。これが埋まれば、空き枠がひとまずなくなります。また、 空き枠がない場合は、無料お試しをしていただくことができません。無料お試しはすでに空いている枠を使ってやります。
 ほぼ一ヶ月後に、枠が全部埋まらなければ、お友達のお子さんに無料お試しをやっていただくことができます。時間帯を調整しなければならないかもしれませ んが。
 無料お試しでなく、いきなり受講して下さる場合は、長くレッスンを使って下さっている生徒さん二人で一枠を使っていただくように調整して、空き枠を作り 出すということもやろうと思います。今のところ、このやり方で作り出せるのは一枠分です。
 スカイプを導入されてない生徒さんの方が多いので、まずはスカイプを使ってもらうことから始めなければなりません。いずれは、二人で一枠を標準にしてい こうと思っています。

>一方昨日お話した友達のお子さんも小二で、来春からかな〜、と言いながら聞いてくれました。
「どんな風にやるん?」といわれて、こんな感じ〜、と思いがけず電話でレッスンの再現…もとい、教材片手に説明しました。
どちらのお母さんも「そのテキストなら子供と一緒に私もできる気がする」と。みんな思うことは一緒、苦手意識も一緒だな、と思いました。

 まずはゆっくり母さんが試してみていただいて、確信していただくことがいいと思います。ゆっくり母さんよりも、私のレッスンの方がもっとゆっくり進みま すが、その途中に起こることをこの掲示板に書いていただくのが一番いいと思います。今やっていただいているようにしていただくのが一番いいと思います。

>昨日学習塾をやっている友達と話していて(自宅で小さな教室をされている)、「一緒にやろうよ」というような話が出ました。
息子たちが相手にしてくれなくなる頃には何か形にしたいな〜、と思いました。

 こちらの企画もゆっくり進めましょう。
 学習塾をやっておられる方が、私のレッスンを受けて下さるといいのですが・・・。

【12833】
こんばんは 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月16日(日)19時38分4秒

ちょっとだけ。
ひょっとしていつもの私ペースでこの掲示板の皆さんをびっくりさせてしまったかもしれないですね。
友人たちはもう慣れていて「あなたが面白そうなことはじめて、1年くらいどんな風か観察させてもらってからどうするか考えるわ〜」という感じです。
スカイプ導入手伝った友達は「英語やりたいと思っていたところ」ということだったんですが、マイクが使えず、どうにもその原因がわからないそうです。
どなたかわかる方いらっしゃらないかな〜。

学習塾をやっている友達は英語圏で日本語教師をされていた方なのです。
こちらの存在は知っています。ゆっくり考えてみられると思います。

白状すると私も実は数年前まで塾で働いていましたので、それを知っていて「手が足らないので手伝って」というのと、のちのち小学生の子を集めて寺子屋をや りたいから、そのときは一緒にやろう、という提案でした。
でも本当、まだ先のことなのです。
なのですが、勇気を出して飛び込んだタイミングで話が出て、ちょっとびっくりしました。

ひえ〜、と平伏する気持ちで白状するのですが、以前の塾でははじめ中学生に数学を教えていて、その後英語をやってといわれてギブアップしたのです。
方法論も何もなくて、ひやひやしながら綱渡りしていた経験が強烈で、今度はちゃんと自分の中身が出来てから、と心に決めていますので、焦ってはいません。

英語を教えていた時はすごくおぼろげに
>英語ネイティヴの英語より、語学として習得された英語の方がわかりやすいという場面はよくあることです。ジーパンで言えば、摩り切れていない。しっかり した生地の英語であるといえると思います。日本人が持つべき英語もそういう英語だと思います。

というような想いが(語学論のレベルでなく)あり、「私は発音指導は無理なので、それを求められるのでしたら、よそをあたってください」と言いながら、 じゃあ、文法をしっかり、と思ってはいました。
自分が「センテンスで覚える」ということを中高生のときにやっていて、効果を感じていたので、とにかく教科書の音読に力を入れました。
CDに頼って生徒と一緒に音読して、英語の語順のままで私が訳す(ノートを作っておいて渡す)→日本語訳を聞かせる、私が日本語訳→語順訳の順で言う→生 徒が英訳を言う…逆パターン、完全にいえるようになったら書く。書くときもまず文を暗唱してから書く、という…
二時間の授業でこれに大半の時間をさいて、その後文法やって、問題集は宿題で、というようなことでした。
定期テストはこれで大丈夫で、入塾時30点→1ヶ月後のテスト78点という子がいて大喜びしてもらいました。が、内心、冷や汗でした。

すみません、恥ずかしくていえませんでした。ごめんなさい。

なにとぞお見捨てなく。
1年くらいこの掲示板を見ていて、やっと勇気を出せたので、恥はたくさんかくつもりです。よろしくお願いします。

息子たちのエイゴ遊び(ゲーム性)については偶然にも同じことを友達に言いました。
「英会話教室はゲーム部分にエネルギー浪費と教材の工夫がされていて、素読舎はすごくシンプルで地味だと思うわ」と。
で、息子に試す前に思ったのは「地味なのを続けさせる根気が親にあるか?」ということでした。

【12834】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月16日(日)20時02分1秒

國弘さんの本を再読してみようと思っています。

とりあえず『國弘流 英語の話し方』たちばな出版(平成11年初版の新版)をパラパラとめくってみたところ、以下のくだりがありました。

「私の中学時代は何しろ戦争中でした。テープなんてものは当然ございません。教室での先生の朗読だけが、唯一のお手本だったのです。戦争が終わって、神戸 に進駐軍があふれるようになると、事情は一変しました。私は同じ中学のリーダーを二冊もち、若い兵士をつかまえては、その一冊を渡して朗読を頼み、また自 分でも読み、意見を求めたものです。
 区切りやイントネーションなどを教科書に書き込んだのは、言うまでもありません。ときには、五人、六人の兵士が順番にテキストを回して、私一人のために リーダーを朗読してくれました。私は耳だけでなく、目も動員して、英語を朗読する彼らの口元を、まるで子供が昆虫の生態を観察するように見つめました。英 国兵と米国兵ではもちろん音は違いますが、同じ米国兵といっても、その出身地によって、発音が微妙に異なるのです。今、振り返ってみれば、かなり贅沢な個 人教授をまったくの無料で受けたわけです。」

進駐軍の無料レッスンはあったようです。しかし、私の関心は冒頭の部分にあります。國弘さんの唯一のお手本となった英語の先生の発音がどうだったにせよ、 「國弘君、もっと唇の両端を上げて、あごを落として」などという指導がされたとは思えませんので、先生の発音を手がかりにひたすら音読を繰り返したのだろ うと推測されます。そして

>しかし、それでも、英語の音を徹底的に連続させるだけで、(ある程度の音のセンスがあれば)誰に教わらなくても自然に立ち上がってくる抑揚というものが あり、これは個々の音の音価よりもずっと大事なものですから、「只管朗読」だけでも「ぐらぐらしている確かな基礎」というものはできます。

と根石さんがおっしゃるところの「ぐらぐらしている確かな基礎」を國弘さんも手に入れられたのだと思います。この「ぐらぐらしている確かな基礎」というも のは、どの程度の実用性があるものなのでしょうか?もしそれが、中学3年間程度の英語で表現できる内容を、日本人の英語に慣れていないネイティブに話し て、なんとかコミュニケーションがとれるのであれば、それは圧倒的多数の「6年間学校で英語を習っても一言もしゃべれない」英語学習者にとって、お金をか けずに効果を上げる最善の方法ということができるのではないかと思います。

では、アルクの社員や学校の英語の先生が、「CDのネイティブの音をまねしてください」ではなく、もっとましな独習時の方法提示をするといたら、どういう 言葉になるでしょうか。それが問題だと思います。

國弘さんを批判的に継承する時、それを対面レッスンの不可欠性という方向につなげていくことが一つ、もう一つは「只管朗読」の方法を煮詰めることではない かと感じます。

パクパクさんが書き込まれたことは、そのあたりに関係すると感じました。


>音読時の注意点

 1)発音とリズムの矯正はしたほうがいいのか?

 2)意味のわからない英文と、意味のわかる英文のどちらを音読すべきか?

 3)英語に頻発する冠詞(a,the)を、どのようなイメージで音読したらよいのか?


 以上を注意すると、ただひたすら音読するように、効果が得られるとおもいますが、

 皆様方のご意見をおまちしています。


私の意見は改めて書きたいと思います。

【12835】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月17日(月)00時08分54秒

>「私の中学時代は何しろ戦争中でした。テープなんてものは当然ございません。教室での先生の朗読だけが、唯一のお手本だったのです。戦争が終わって、神 戸に進駐軍があふれるようになると、事情は一変しました。私は同じ中学のリーダーを二冊もち、若い兵士をつかまえては、その一冊を渡して朗読を頼み、また 自分でも読み、意見を求めたものです。
 区切りやイントネーションなどを教科書に書き込んだのは、言うまでもありません。ときには、五人、六人の兵士が順番にテキストを回して、私一人のために リーダーを朗読してくれました。私は耳だけでなく、目も動員して、英語を朗読する彼らの口元を、まるで子供が昆虫の生態を観察するように見つめました。英 国兵と米国兵ではもちろん音は違いますが、同じ米国兵といっても、その出身地によって、発音が微妙に異なるのです。今、振り返ってみれば、かなり贅沢な個 人教授をまったくの無料で受けたわけです。」

 この記述の近くに、進駐軍兵士に英語で話しかけて話のやりとりができたことのうれしさを書いたところがあったと記憶しています。

>進駐軍の無料レッスンはあったようです。

 戦争に負けた直後に、進駐軍の兵士をつかまえて、英語の朗読を頼み、実際にレッスンを受けているこのシーンを私は忘れていました。今、引用していただい たものを読むと、國弘正雄という人が相当変な人に思えてきました。こんなことをやった人は國弘の他には(皆無かどうかどうかわかりませんが)、まずいない はずだと思いました。英語の能力がないから話しかけることが「できない」というのが大多数でしょうが、たとえその能力があっても、こんなふうにものおじせ ずに、どんどん交わっていくことにはどこか変なところがあると思いました。(これを「只管朗読」が國弘をも米兵をも食っているシーンだと言えば、私にはよ く納得できるのですが、なかなか通じにくいものの言い方かと思います。「只管朗読」が國弘にこんな変なことをやらせているんだと言えばいいかもしれませ ん。)
 それはともかくとして、こんなシーンを成立可能にしたものが何だったかと考えれば、それこそが國弘が自身で名付けた「只管朗読」です。だから、「只管朗 読」は、進駐軍の無料レッスン「以前」のものだと思うわけです。(この無料レッスン以後も「只管朗読」は継続されたのでしょうが、たとえそうだとして も、)その方法の本質的な意味は、米兵とやりとりするこれらのシーンで確認されたのであり、確信になったということだと思います。「それ以前」があったか ら、この確認も確信もあったのだと思います。
 それは「一人練習」の持続の厚みとしてあったのであり、「只管朗読」が「成立するためには」、発音方法のてほどきのようなものは含まれていない、つまり 米兵のようなものはいなかった(必要なかった)わけです。米兵は「只管朗読」成立「以後」のもので、「只管朗読」の成立やその実践の過程に「米兵」はまる でいないという意味で、先日書きました。
 『「只管朗読」の過程において、稽古をつけてくれたネイティブ』というものはいない。「只管朗読」の過程というものは全面的に「一人練習」であり、この 米兵とのシーンに、読みの照らし合わせはあっても、「只管朗読」はないと考えています。「只管朗読」は、こういうシーン「以前」(あるいは「以後」)のも のだと思います。あくまでも「一人練習」だと考えています。『「只管朗読」の過程において、稽古をつけてくれたネイティブ』と考えると、「只管朗読」とい うことの本質が崩れてしまうと思います。
 この米兵とのシーンは、國弘がというより、「只管朗読が」米兵を媒介にしたシーンであり、「只管朗読」という主体は米兵なしに「それ以前に」成立してい ます。また「それ以後」の「只管朗読」が、米兵媒介後のものであるからには、音の面で質的な変化をともなったものであるのは確かでしょうが、それが「只管 朗読」であるかぎりは、一人練習があるだけで、そこにも米兵はいないと考えています。
 國弘自身にその自覚があるかどうかはともかく、米兵は「只管朗読が」媒介にした一項目であり、只管朗読自体は、米兵とのやりとりの以前に(その外側に) すでに立ち上がっていたととらえるのがいいと思います。
 簡単に言えば、とにかく絶対的に「一人練習」なのです。
 米兵「媒介」を中心に置いて考えると、その「媒介」行為「以前」と「以後」に「只管朗読」がある。「媒介」行為を準備するものとして、あるいは、「媒 介」後に媒介されたものを根付かせる行為として。
 私は些末なことにこだわっているのでしょうか。
 米兵は「只管朗読」の過程にいるのではない。「只管朗読」という方法が主体となって、米兵を媒介にしているのだと言わなければ、「只管朗読」の意味が崩 れてしまう。語学が「磁場」を媒介にするのだという言い方を成り立たせるべきだと考えていますが、そう考えないとみんな崩れてしまうと思います。
 「磁場頼み」や「CD音声頼み」がいやなのは、そこでは「語学」という主体があんまり虚弱なものになっているからです。それらを「媒介項」や「媒介物」 と見定めない限り、語学という主体は、文化的な信仰みたいなものに変質してしまいます。
 國弘自身は、その後アメリカに渡り十数年を通訳として過ごしたと記憶しています。語学が「磁場」を食い、「磁場」が語学を食うという相互性を激しく生き たはずですが、そこでいったい何があったのか、その相互作用をきちんと書かないかぎり、語学という主体がくらやみの中に閉ざされて見えないものになりま す。そこをくらやみにしておくのであれば、私が國弘をも「磁場頼み」の者の一人として批判することはやむを得ないのです。
 國弘は日本在住時の「只管朗読」を単なる方法以上のもの、主体と呼んだ方がいいようなものとして鮮やかに描きました。しかし、アメリカに渡って以後のこ と、語学が「磁場」を食い、「磁場」が語学を食うというなまなましい現場については何も言っていません。自分のスキルの少なくとも半分は「磁場」から食わ れることで得たものだということをはっきり言うべきなのです。國弘は自分のスキルの半身については語らない。
 それを語らないのであれば、英語フリークという病態を野放しにしている責任の一端は國弘正雄にもあるのです。「磁場」でしか得られないスキルが絶対にあ ると私が言うとき、それは、語学が「磁場」を食い、「磁場」が語学を食うことで、その相互性によってだけ得られるものが絶対にあると言っているのと同じで す。それがはっきりと書かれるなら、フリーク達の病気は止まるはずなのですが、國弘は達人づらをすることでそれを放置しました。
 日本在住のままの初心者や中級者にとって、「只管朗読」という確実な方法を提示したことの意味は少しも割り引く必要はないが、自分のスキルの半身が「自 分」や「個人」のもたらしたものではなく、「磁場」がもたらしたものだとはっきり言わないで、達人づらをしてことを済ませたのです。功罪の罪があるので す。

【12836】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月17日(月)00時46分45秒

遅くに長文のコメントありがとうございます。

> この記述の近くに、進駐軍兵士に英語で話しかけて話のやりとりができたことのうれしさを書いたところがあったと記憶しています。

今日、パラパラ見ていて目に留まったところに、こんなエピソードがありました。引用したところとは別の章で、いくつかの表現と言葉の入れ換えによる応用を 論じたところです。

What's your country?という表現が、國弘さんが中学二年生のときに初めて外国人に向かって発した英語だということです。それは、教室の先生の声だけを頼りに何 百回と音読した自分の英語が、本場の人間にどれほど通用するのか試してみたいという思いで、憲兵の目を盗み捕虜収容所の柵に近づいて捕虜の一人に声をかけ たのだそうです。Scotland.とひと言答えた相手の言葉が、今でも耳のそばで聞こえそうだ、と書かれています。

また、書かせていただきます。

【12837】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月17日(月)03時48分27秒

>しかし、私の関心は冒頭の部分にあります。國弘さんの唯一のお手本となった英語の先生の発音がどうだったにせよ、「國弘君、もっと唇の両端を上げて、あ ごを落として」などという指導がされたとは思えませんので、先生の発音を手がかりにひたすら音読を繰り返したのだろうと推測されます。

 そういうことだと思います。だから、らくださんはよくわかっているのだと思いますが、『「只管朗読」の過程において、稽古をつけてくれたネイティブ』と いう言い方をそのままにしておくと、「只管朗読」の意味をまるで違うものとして受け取る読者は必ずいるだろうなと思い、くだくだとしたものを先に書いてお きました。

 らくださんが引用して下さった以下の部分を無断で補足させていただきます。

>>しかし、それでも、英語の音を徹底的に連続させるだけで、(ある程度の音のセンスがあれば)誰に教わらなくても自然に立ち上がってくる抑揚というもの があります。(多分、スーパーで買い物をしていても、英語の歌が聞こえていたり、テレビをつければ字幕つきの映画をやっていたり、日本には気をつければ英 語の音があふれていることが「誰に教わらなくても自然に」の根拠だと思います。)一連の煮詰められた音、その抑揚は、個々の音の音価よりもずっと大事なも のですから、「只管朗読」だけでも「ぐらぐらしている確かな基礎」というものはできます。

>と根石さんがおっしゃるところの「ぐらぐらしている確かな基礎」を國弘さんも手に入れられたのだと思います。この「ぐらぐらしている確かな基礎」という ものは、どの程度の実用性があるものなのでしょうか?

 「ぐらぐらしている確かな基礎」を手に入れるということは、「回転読み」で私自身がやったことです。大学受験の自宅浪人の一年間でほとんどのことをやり ました。その後、鯉釣りなどに狂ったり、家を自作したりなどして、英語はかなりさぼりましたので、大学受験のときに得た「ぐらぐらしている確かな基礎」だ けを元にして、私は素読舎という塾を長いこと続けました。その間、まともな音法は半分程度しか私に備わっておらず、昔の塾生にはずいぶんと迷惑をかけまし た。インターネットが普及して、掲示板上で柴田さんやsbさんと話すことができて、私はようやく音法と呼んでいいものを持つことができました。長年疑問に して持ち続けたことがいくつもまたたく間に氷解したような感じがしました。柴田さんやsbさんには、学恩を感謝しています。
 文部科学省や大学に対して、怨みを深めているのは、中学、高校、大学を通じて、私はまともな音法を持つことができなかったからです。あってあたりまえの ものが、学校時代全部を通じて、どこにもなかったからです。それで、塾をやって塾生に迷惑をかけたからです。
 これで音法と呼んでいいものを持つことができたと思ったのは、四十代のなかばだったと覚えています。インターネットが普及してようやく私にそれが備わっ たのでした。しかし、四十代なかばまで、基本中の基本であるはずの音法が備わらないなんて、そんな馬鹿な話があるかと翻って思い、糞文部省、糞大学めがと 怨みを深めました。授業料はちゃんと払ったのに、と。
 church というのを charch と発音し、英語ネイティヴが church のことかと私に聞きなおし、そうだ charch だと返答していた時代が私にありました。それが、塾をやって人様からお金をいただいていた時間と重なったことが、くやしくてたまりませんし、恥ずかしいこ とだったと思っています。(こういう恥を私にもたらしたのが、文部省であり、大学の教員養成課程だったのです。)鯉釣りをやってもやらなくても、自宅自作 をやってもやらなくても、インターネットが普及するまでは、私の疑問は解けなかったと思います。
 その頃でも、英語ネイティヴと話はできました。charch という単語はありませんから、英語ネイティヴは church かと聞き返すのですが、そうだ、a building where people gather to worship a God だ、charch だと言い、相手は音の問題を外して話を先に進めてくれたのです。つまり、塾生の音のいくつかをまともに直せないと同時に、英語ネイティヴにストレスを与え ていたのでした。(しかし、冠詞なしの God でもなく、the God でもなく a God だと言うくらいの日本人根性は私にはありました。イスラムの人たちのためにも、アジアやアフリカの人たちのためにも、この日本人根性は大事だと思ってきま した。a God に過ぎないものを絶対化してんじゃねえよと思っていましたし、今でもそう思っています。だから、私の英文は、いくら間違いだと言われても、God に a がつくのです。)
 charch という単語はないから話は先に進むのですが、cup と cop を区別しないと、相手が非常に混乱したりします。場合によっては、大きな誤解を招くことも生じます。
 Give me a cup. を Give me a cop. と言うとおまわりが呼ばれて逮捕されかねません。
 話はできるが、英語ネイティヴにストレスを与えたり、わけがわからないうちに逮捕されたりしかねない段階をさして私の「ぐらぐらしている確かな基礎」の 時代と言っていいと思います。ぐらぐらしているが、「確かな基礎」と言っていいと思うのは、そんな英語でも用は「確かに」足せるからです。激しく音の連続 性を作ると、音のぶつかり合いの処理などは、半分以上が自然にできるようになることなどが作用していると思います。
 そんな基礎程度で、人様からお金をもらってはいけないと思いますが、用は足せる。英語ネイティヴが英語として受け取るものは作れます。國弘正雄が米兵と 交流した時点でも、そのレベルの英語だっただろうと推測しています。それで、「どの程度の実用性か」ということにお答えできたことになると思います。

>もしそれが、中学3年間程度の英語で表現できる内容を、日本人の英語に慣れていないネイティブに話して、なんとかコミュニケーションがとれるのであれ ば、それは圧倒的多数の「6年間学校で英語を習っても一言もしゃべれない」英語学習者にとって、お金をかけずに効果を上げる最善の方法ということができる のではないかと思います。

 それはそうですが、後に直す必要が生じるなら、二度手間、三度手間です。なにしろ、間違った癖を抜かなければならなくなりますから。
 二度、三度と手間の回数だけ数えていれば大したことはないと思われがちですが、多分6割から8割に及ぶ既知の全部の単語を直さなければならなくなりま す。手間は2倍や3倍では絶対におさまりません。これは、私の身に起こったことです。だから、文部科学省、大学に対する怨みが深いのです。
 そして、これからの若い人たちをそんなメに会わせる必要はないと考えています。不遜ながら言いますが、私が作った音法が普及しさえすればそれはカタがつ くのです。私の音法は柴田さんや鵜田のよりずっと荒削りですが、ひとまずはそれで必要十分な音になります。それ以上に音にこだわりたい人は、トマティスで も何でも使えばいいと思いますが、まずどの日本人にも必要なのは、私の音法だと思っています。発音のポイント数は発音について発言できるどの人よりも少な いはずです。(ポイント数は少ない方がいいと考えて、「発音10のポイント」というのを考えましたが、どうにも10個程度ではおさまらない。しかし15く らいにはおさまる。まずは、それを身につけることだと思います。)
 お金をかけずに効果をねらうのは結構なことですが、二度手間、三度手間に使われる労力を考えると、「最善の方法」とはとうてい言うことができません。
 だからこそ、塾をやっている人、塾をやろうとする人に私のレッスンを受けてもらいたいと思っているわけです。塾をやる人、世間一般の人に、ひとまず私が たどりついた「最善の方法」を知って欲しいのです。あるいは現在の生徒さんたちに、自分の音がどんなふうに変わったかを発表して欲しいのです。
 「なんとかコミュニケーションがとれる」程度の英語にするためにも、その後、それ以上の英語にするためにも、最初から音法を知る方がいい。「なんとかコ ミュニケーションがとれる」程度に達したときに、人は必ずそれ以上の英語が欲しくなるものですから、「ここで行き止まり」にならないためにその方がいい。 そうでないと、お金をかけてもかけなくても、まず大損しますよというくらいのお答えしか思いつきません。

>では、アルクの社員や学校の英語の先生が、「CDのネイティブの音をまねしてください」ではなく、もっとましな独習時の方法提示をするといたら、どうい う言葉になるでしょうか。それが問題だと思います。

 音を独習するのはきわめて困難だと思います。(音の感覚が非常にすぐれている人は除外します。)これは、先日 Monday2140 さんが書かれたことで言い尽くされていると思います。
 CDを聴いて真似して下さいでことが済むなら、日本人はみんな英語がしゃべれているはずだということです。(音とイメージの同致・瞬間化の問題を除外す れば・・・)
 私の生徒さんがコーチとして他の人の面倒を見てやれるようになることで、裾広がりが生じないと、日本の英語状況は今後も全然駄目なままだろうと、再度不 遜に言いたいです。ところが、生徒さんたちはそういう認識をなかなか持ってくれません。自分の英語のことだけ考えていればいいという人がほとんどです。お 金を払っているんだから、それでいいんだと言われれば、それまでですが・・・。私はオシャカになる覚悟はできています。やめるときはやめます。
 塾やコーチをやっているやつの商売根性だと受け取られるのを承知の上で言いますが、根底に「独学」や「独習」があるべきであると同時に、音に関しては 「独習」では難しいということです。「もっとましな独習時の方法」を求めるなら、私が柴田さんと音に関してこの掲示板で話していた頃の過去ログを読まれる といいと思います。要するに的を射ている知識を得れば、「もっとましな独習時の方法」になると思います。そのあたりは、いまだ整理されておらず、重要記事 のピックアップもされていないかと思います。

>國弘さんを批判的に継承する時、それを対面レッスンの不可欠性という方向につなげていくことが一つ、もう一つは「只管朗読」の方法を煮詰めることではな いかと感じます。

 レッスンというものが「なまもの」であるということで、複製音声のようなものからは絶対に手に入れられないものを手に入れることができます。「磁場」で しか手に入らないものが絶対にあるのと同じように、レッスンでしか手に入らないものも絶対にあります。つまり、その場その場で、扱っている当の文で、絶え ずチェックが入るという性質です。
 この方向は、すでに素読舎という塾があり、「スカイプ(電話)でレッスン」があることでたどりつつあります。柴田さんも、学校の教室で今でもこの方向を たどることをやってくれていると思います。源流のような小さな流れですが、これが主流になっていかないとどうしようもありません。多分、私が生きている間 には無理だろうかなと思っています。なにしろ、15程度の枠に空き枠ができても、なかなか埋まらないことが続いたりする国です。肝心な方法はほとんど認知 されていない国です。ここをぶち破りたいとは思ってきましたが、なにしろ私一人が食えるか食えないか程度では、感情的に真っ黒になり、疲れ果ててへたるこ とばかり繰り返してきました。

 もう一つの「只管朗読」の方法を煮詰めることは、これは、ひとえに生徒さんの認識力によります。私の「回転読み」の回転性の質、國弘正雄の「只管朗読」 のひたすらさの質と度合い、これはちょっと言うだけでわかる人はわかりますし、いくら言ってもわからない人はわかりません。「CD音を聴いて、言いまく り、書きまくる」のがいいとお父さんが言っても、息子がそれを「それも一つの方法か」と受け取ってしまうなら、そこにあるものの核を受け取らないなら、ま ず英語力と言えるほどのものは育たないだろうと先日申し上げた通りです。
 「只管朗読」のひたすらさ、「回転読み」の回転の激しさ、「言いまくる・書きまくる」ときの「〜しまくる」の肝心さ、そういうものはなかなか人に伝わら ないものです。親子でもなかなかそれが肝心要のものであるとは伝わらないのです。少なくとも、我が家では伝わりませんでした。
 であるならば、「スカイプ(電話)でレッスン」を習い事として持続するのが最善だと言いたいです。またしても、私の商売根性だと受け取られてもかまいま せん。これを続けることで、周到に準備がなされるなら、「ひたすらさ」「激しさ」「〜しまくる」という門に入門が容易になると思います。最善中の最善は、 自分で気づいてそういう質の練習に至ることですが、それはなかなかのことです。それに気づくためにも、國弘正雄並みの才能が必要になりますから。
 入門に向けて準備を整えてあげることが、親やコーチができることです。入門がその先の、英語圏という門への入門でも同じだと思います。(めちゃくちゃに されて、ぼろぼろになって「磁場」から帰ってくる人もたくさんいますので。)
 いくら準備を整えても、「ひたすらさ」「激しさ」「〜しまくる」に至らない人もいると思います。その人には、じゃあなんで英語なんてやったの?と聞きた いだけです。お金、労力、費やす時間を考えれば、やらないほうがずっと得だよと言いたくなります。
 コーチや親は準備さえよく整えてやれれば、すべての義理は果たせたものと考えていいとも思っています。

 パクパクさん関係は手短に述べます。

1)発音とリズムの矯正はしたほうがいいのか?

 コーチがいればしたほうがいいに決まっています。いなければ、「ひたすらさ」「激しさ」「〜しまくる」で突破すればいい。ただし、後で二度手間、三度手 間が生じる可能性は大きい。

 2)意味のわからない英文と、意味のわかる英文のどちらを音読すべきか?

 どちらもやっていいが、意味のわからないものは意味がわかるようになる必要があります。それは音読だけでは片づきません。文法もやらなければ駄目です。

 3)英語に頻発する冠詞(a,the)を、どのようなイメージで音読したらよいのか?

 これは、音の問題では、弱形の問題だと思います。量をこなさないと(國弘正雄的に言えば、500回1000回という回数を当たり前だと思うようにならな いと)弱形はなかなか口に宿ることはないと思います。
 この二つの冠詞に固有なイメージを、「どのようなイメージ」と言われても、まずどんぴしゃはやれないと思います。
 a の不特定性・不定性と、the の特定性・既定性を一応言葉や理屈で説明しておいて、後は学習者がどれだけの量をどれだけ深めるか、どう自分でイメージできるかにかかっていると思いま す。本質を言わせてもらうなら、言葉で説明することでカタがつくものではないと思います。冠詞だけでなく、実はあらゆる単語についてそれが言えると思って います。

 パクパクさんの言説の欠点については、以前から感じていましたが、定式を作れれば、語学の方法になると思っておられるところです。
 定式が出来れば方法になるのであれば、「CDを聴いて、言いまくり、書きまくる」でよろしいのです。これで立派な定式です。それでよろしいじゃないです か。それをやって、さっさと「磁場」に渡ることだと思います。それで、スキルだけのことなら、カタがつくでしょう。
 私が言い続けてきたことは、語学はそんな程度のものではないということです。語学には語学論が伴うから、まともな語学になるんだということを言ってきま した。
 そうじゃなければ、語学の「学」の字が泣くと思い、「学」の字に同情するしかありません。酔っぱらいついでに、不遜の最上級をやらかすなら、素読舎の方 法が放置されているほどに、この日本という国は駄目になったと、ええい、思ってしまおう。いや、思おうと思わなかろうと、事実そういうことになってしまっ たぞ、と、ええい、言ってしまおう。

【12838】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月17日(月)03時52分17秒

コメントいただいていることに気づかず、さらに長大なものを書いてしまいました。
國弘正雄について、今の時点で、ひとまずカタをつけたいと思ったためです。
あまりにも長いので、自分でもあきれていますが、お読みいただく方のご苦労を考えると、一言謝っておきたく思います。

【12839】
自己レス 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月17日(月)09時22分9秒

>学習塾をやっている友達は英語圏で日本語教師をされていた方なのです。
こちらの存在は知っています。ゆっくり考えてみられると思います。

検討中だということです。
いずれ英語圏に移住される予定だそうです。

>「英会話教室はゲーム部分にエネルギー浪費と教材の工夫がされていて、素読舎はすごくシンプルで地味だと思うわ」と。

わかりにくい書き方でした。
英会話教室→エイゴ遊びにすることにエネルギーを注いでいる。子供を飽きさせないことに主眼が置かれていて、肝心の英語習得に関して理論や教材・スキルが ある教室は少ないと思う。
というようなことを言いました。

らくださんへのレスの
>それはそうですが、後に直す必要が生じるなら、二度手間、三度手間です。なにしろ、間違った癖を抜かなければならなくなりますから。

これを思ったので、息子にレッスンを受けさせようと決めました。
多分英会話教室に通わせるお母さんたちの思いも一緒だとおもうのに、その目的のためにその手段では違うのでは、という感じを抱いていました。

HPをコピーして渡した友人から「口語訳をして」といわれてしまいました(爆)。

みんな(私も含めて)苦手意識が相当邪魔をするのですよね。

【12840】
ゆっくり母さん 投稿者:1ファン 投稿日:2008年11月17日(月)09時36分26秒

>私はただの親ばかですが、1ファンさん、これからもよろしくお願いします。
ご縁が嬉しいです。

こちらこそよろしくお願いします。イヤーなニュースの多い昨今、ゆっくり母さんのご投稿を読ませていただくと、ほのぼのした気分になります。

>良く考えたら、こういうフツーの?家庭で、「まともな音」「まともな英語」が手に入れられるとしたら素読舎だろうな、と考えてはじめたんでした。

「まともな音」、「通じる音」が獲得できるのは本当にすばらしいことだと思います。音の出し方を教授してくれるようなところはほとんどないのではないで しょうか。CDで習得できるものなら、どなたかがおっしゃってたようにだれも苦労しませんよね。

一度、ネイティブの先生にどんな単語だったかは忘れましたが、[ju]の音を何度も正されたのですが、先生と自分の発音している音の違いがわからないので すから(聞き取れていない)修正しようがない。何度やっても同じ。で、先生はあきらめて"I've been so hard on you."でおわり。「どこが違うねん?」と不満が残っただけ。いまも、[ju]恐怖症です。

ご子息は、いい先生につかれてラッキーだと思います。というより、ゆっくり母さんの選択眼が優れていたからですね。ご投稿を楽しみにしています。

【12841】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月17日(月)21時28分57秒

Monday2140さんの書き込みから始まった一連のやりとりですが、今回の根石さんの書き込みで、私を含め読んでいる方々が、自分の選択する道につい て考えるための材料がたくさん出たように思います。レッスンを受けようかどうしようか迷っている方、自分でやれる範囲でなんとかやるさ、と思っている方、 それぞれ自分で納得できる方向を考えるということで、ひとまずピリオドを打ちたいと思います。

一点だけ、今回の根石さんのコメントにレスをつけておきたいことがあります。

>「もっとましな独習時の方法」を求めるなら、私が柴田さんと音に関してこの掲示板で話していた頃の過去ログを読まれるといいと思います。要するに的を射 ている知識を得れば、「もっとましな独習時の方法」になると思います。そのあたりは、いまだ整理されておらず、重要記事のピックアップもされていないかと 思います。


私がこの間、一番申し上げたかった事は、実はこのことだったかもしれません。過去ログの整理ではなく、根石さんの理論と実践を、体系的に、わかりやすくま とめてご提供いただくことはできないでしょうか。

私は以前、掲示板も良いが、ホームページの充実も必要ではないかと進言いたしました。ホームページでの情報提供がもっともっと充実し、素読舎の理論と実践 が一望できるようになりますと、ページを訪れる者にとってとても有益だと思います。

むろんそれは素読舎のレッスン生を増やす事にも資するでしょうし、不幸にして!レッスンを受けられない多くの独習者の進む道に灯りをともすことにもなると 思います。

以上、おねだりオチになってしまいました。

続けて、この話に関連しそうな質問をさせてください。

昨日、息子が部屋で教科書を読んでいるので声をかけました。「頭から読んで聞かせてよ」「よっしゃー」というわけで、第1課から最後まで一気読み。フムフ ム。で「根石先生がCD聞いてOKって言ってたから聞いてみる?」と誘ってみたところ難色を示すのです。どうしてか聞いてみると理由は次のような事でし た。

「根石先生と●●先生(学校の先生)の発音が違うんだよなー。」「そりゃ、根石先生の発音でいいだろ。」「でもなー、みんなと違っちゃうんだよなー。」良 くあるパターンです。「そんなの気にすんなよ。普段練習してる根石先生の発音でいいだろ。」「そうなんだけどさ、ちょっとなー。」「どうしても嫌なら、学 校だけ●●先生の発音に合わしときゃいいじゃん。でも、気にする事ないよ、そんなの。」「う〜ん。それでCDって、それも根石先生と違うんじゃないの?発 音。3つかよー。頭こんがらがるよ。」

なるほどなあ、と思いました。一気読みをしている最中にも、一カ所、息子が頭を抱えた箇所があったのです。「あー、ここ、わかんない。この文、なぜか●● 先生の発音がよみがえってくるんだよね。根石先生の発音が思い出せないんだよ。●●先生の発音が頭から離れないんだよなー。パス。ここパス。」

些細な事かもしれませんが、息子には、どうにも気になるらしく、ただでさえ2つの発音でこんがらがりそうなのに、3つめかよ、というわけです。さて、どう しましょうか。今回のやりとりではありませんが、「CD音を媒介にする」と言っても「媒介に」という概念自体が難しいですね。私には説明不能だということ に気づきました。もう単純に「聞こえた通り、できるだけマネすればいいんだよ。」ぐらいしか言いようがありません。しかし、「CDのマネ」が有効かどう か、可能かどうか以前に、3つの発音のどれをどうすりゃいいのよ、こんがらがるよ、という訴えは予想外でした。

で、しばらくCDはやめておこうか、と思っているところです。おそらく、レッスンで扱っていない初見の文を読む時も、根石さんの発音をイメージしながら自 分なりに応用して?読んでいるようですので、それが良いのかな、と思い始めました。例によって、新出の単語の読み方の手がかりがつかめない時だけ、 some(ソメ)、place(プラス)をサム、プレイスと教える。これで、しばらくやってみようかと。

あるいは、根石さんが以前お書きになっていたことですが、聞くときは聞くだけ、読むときは読むだけ、にならい、CDは聞くだけ。その時にマネして読んだり しない、という方法もあるかと思っています。

【12842】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年11月17日(月)23時22分32秒

らくださんとのやりとり、興味深く拝読しました。
過去ログをきちっと読めば、読み取れることなのかもしれませんが、根石さんが現在の素読舎の指導法をつかむまで、大学受験時代の「嵐の一年」から、40代 半ばまで、実に30年にわたる迂回と研鑽の日々があったことを知って、驚きました。

>素読という方法も、私の身体において実現したことが、果たして自分の身体以外の身体で実現するものかどうかを考えて選びとったものです。

なるほどと納得できた、根石さんの少し前のコメントです。
私には、根石さんの語学論は、自分自身の身体を舞台にした試行錯誤(どたばた)を徹底して自覚し、主体化する方法であるように思えます。
そのことを学ぶことと、素読舎のレッスンを受けることの間には、どこか越えがたい溝があるような気もします。

>英語が日本語を幹とした枝の一本になる日を。磁場帰りのぺらぺらの元が「同化と信仰」である場合に、誰の目にもそれが醜いものと見えるようになる日を。

根石語学論の真骨頂ともいうべき名言ですが、根石さんのような試行錯誤を抜きに、教えられた効率的な方法としての素読を試みることのなかで、このような認 識が育つものなのか。
息子を介した準レッスン生として、考えていきたい部分です。

【12843】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月18日(火)02時05分37秒

>友人たちはもう慣れていて「あなたが面白そうなことはじめて、1年くらいどんな風か観察させてもらってからどうするか考えるわ〜」という感じです。

 そうですか。一年後を楽しみにしています。

>スカイプ導入手伝った友達は「英語やりたいと思っていたところ」ということだったんですが、マイクが使えず、どうにもその原因がわからないそうです。
どなたかわかる方いらっしゃらないかな〜。

 マイクが死んでる(壊れてる)かどうかは、ゆっくり母さんのお宅で借りているマイクを持参して差し込んでみるとわかります。(これは、私のレッスンで使 用して壊れていないことがはっきりしていますので。)
 あと、単純に、マイクを挿すところが間違っている可能性もあります。マイクのジャックが挿せるところに片っ端から挿してみるということを私はやります が、それでコンピュータがおかしくなったということはありません。(が、おすすめしていいのかどうか。多分、コンピュータメーカーはいけないと言うと思い ます。マニュアルがあれば、マイクの差し込み口を確認されるのがいいと思います。)
 マイクが死んでいなくて、ジャックを挿すところが間違っていない場合は、コンピュータ側の受け口内部の接触不良も考えられます。(可能性としては小さい 方だと思いますが。)
 それともう一つは、マイクの先端とコンピュータに接続している部分との間に、ヴォリュームがあって、それを絞ってしまってある場合です。
 以上のことを全部確認してみてもうまくいかないなら、ソフト的な問題だと思います。多分、個々のソフトのレベルでなく、ウインドウズレベルの問題ではな いかと思いますが。

>学習塾をやっている友達は英語圏で日本語教師をされていた方なのです。
こちらの存在は知っています。ゆっくり考えてみられると思います。

 何年くらい、英語圏で日本語を教えられたのか等、興味があります。
 本の名前を思い出せないのですが、「日本語に主語はない」だったか、「日本語に主語は要らない」だったかという本をご存知かどうか。一読の価値のある本 だと思っていますので、そうお伝え願えればうれしいです。著者は確か、金井なんとかさんという方だったような。
 英語圏で日本語を教えるというような高度な作業をこなされた経験をお持ちであれば、私のレッスンは用がないかもしれません。
 英語圏で日本語を教えるときに生じた問題、日本で英語を教えるときに生じた問題、自分にとって、どっちがどう大変だったか、というような記事をこの掲示 板に書いていただけたらなあと思っています。

>白状すると私も実は数年前まで塾で働いていましたので、それを知っていて「手が足らないので手伝って」というのと、のちのち小学生の子を集めて寺子屋を やりたいから、そのときは一緒にやろう、という提案でした。

 なるほど。その方はその方なりの考えがあると思いますが、多分、私のやり方とはまるで質の違うものだろうなと思います。
 村田君に、「なんで英語やるの?」の抜粋とそれに対する批評を頼んでありますが、どうなっているんだろう。もしかして、本がまだ俺の手元にあるんだろう か。
 英語圏で日本語を教えていた人が、日本で英語を教えるとなると、「なんで英語やるの?」の中に書いてあるようなことになるんだろうかと思ったせいで、も う一冊、別の本を思い出したのでした。

>ひえ〜、と平伏する気持ちで白状するのですが、以前の塾でははじめ中学生に数学を教えていて、その後英語をやってといわれてギブアップしたのです。

 そうでしたか。友達と組んでやるとか、自分で塾を持つとかでなく、塾に勤めるというのはお奨めできません。人を雇ってどうこうするという形の塾は、すで に塾だと考えないほうがいいです。塾というより企業だと考えた方がいいと思います。吉田松陰がやっていたのも塾なんだというような意味で、私は塾を企業だ とは思っていません。

>方法論も何もなくて、ひやひやしながら綱渡りしていた経験が強烈で、今度はちゃんと自分の中身が出来てから、と心に決めていますので、焦ってはいませ ん。

 ゆっくり母さんの面目躍如ですね。そうしていただきたいです。

>>英語ネイティヴの英語より、語学として習得された英語の方がわかりやすいという場面はよくあることです。ジーパンで言えば、摩り切れていない。しっか りした生地の英語であるといえると思います。日本人が持つべき英語もそういう英語だと思います。

>というような想いが(語学論のレベルでなく)あり、「私は発音指導は無理なので、それを求められるのでしたら、よそをあたってください」と言いながら、 じゃあ、文法をしっかり、と思ってはいました。

 こういうレベルの人が、わたしゃホントニ何もわかっていないのでよろしくお願いしますというようなことを言うのです。小学3年の息子と一緒に小学生用の テキストで始めてよかった、などと。日本人の謙遜というのは、ホントニ、油断も隙もあったものじゃないですね。
 私は私なりに、ゆっくり母さんを、「文法ならわかる。音に自信がなかった」というふうに簡単に言ってしまいたいですが、間違ってしまうでしょうか。

>自分が「センテンスで覚える」ということを中高生のときにやっていて、効果を感じていたので、とにかく教科書の音読に力を入れました。

 ええ。企業としての塾においては、これで最良だと思います。いつまでたっても企業としての塾になれない素読舎の塾長としては不満はありますもの の・・・。

>CDに頼って生徒と一緒に音読して、英語の語順のままで私が訳す(ノートを作っておいて渡す)→日本語訳を聞かせる、私が日本語訳→語順訳の順で言う→ 生徒が英訳を言う…逆パターン、完全にいえるようになったら書く。書くときもまず文を暗唱してから書く、という…
二時間の授業でこれに大半の時間をさいて、その後文法やって、問題集は宿題で、というようなことでした。
定期テストはこれで大丈夫で、入塾時30点→1ヶ月後のテスト78点という子がいて大喜びしてもらいました。が、内心、冷や汗でした。

 社員というか、勤め人というか、の仕事と考えるなら、十分な仕事だと思います。自分で塾をやると、思い切り自分の考えを展開できます。
 お書きになったことが、人の指示によるものでなく、ご自分で時代の先端部分を媒介にしてやられたものであれば、そこに私は良心というものを感じます。
 それでもしかし、日本語の介在を「少しずつ抜く」という動機がないなとは思いました。
 生徒が激しくやってくれれば、抜こうとしなくても自然に抜けるということは生じますが、教える側に、「抜く」という志向がないと、日本語にいったん置き 換えないと英語の練習が成り立たないという癖が残る生徒が生じるんじゃないかとは思いました。

>すみません、恥ずかしくていえませんでした。ごめんなさい。

 なにも恥ずかしいことはないと思います。私も塾の出です。言ってくださってありがたく思っています。

>1年くらいこの掲示板を見ていて、やっと勇気を出せたので、恥はたくさんかくつもりです。よろしくお願いします。

 こちらこそよろしくお願いいたします。私もやってみます。

>「英会話教室はゲーム部分にエネルギー浪費と教材の工夫がされていて、素読舎はすごくシンプルで地味だと思うわ」と。

 この地味だというところが味噌ですね。(この日本語も、英語圏で日本語を練習している人にはかなり難しいかも)
 「地味」に注目して下さったのは、大正解です。
 語学が派手なもんであるわけがないのです。単語をひとつずつ覚えていくような、地味で辛気くさい過程が語学ですから。「磁場」が覚えさせてくれるという 作用をまるであてにしないのが語学ですから。
 「地味」にからめてもう一つ言えば、生活ってのはたいがい「地味」なもんです。その「地味」な生地によくなじむようなものとして、私の「スカイプ(電 話)でレッスン」を考えていただくといいと思います。レッスン自体を生活の一齣にしていただくには、「地味」な方がよろしいと思っています。
 英語を話す時と、日本語を話すときでは、私は別人(別人格)になるんだと公言する人がいますが、いやはやと思います。こういう人には絶対にわからないこ とだと思いますが、英語は、(自分が日本在住である限りは)日本語をベースにした生活に生える一本の枝だとするのがいいと思います。「地味」でいいので す。(「根伏せ」っていいましたっけか、園芸に枝を土の中に伏せる技法があります。そうすると、枝から根が生えてしまうのです。自分の普段の「地味な」生 活を元に、英語という一本の枝を生やせば、状況によって、それが根になることがあります。私は私の生徒さんたちには、一定の力を養った後に、事情が許せ ば、英語の「磁場」で生活してみて欲しいと思っていますが、枝だったものが根に変わるってことがあるから、っていうのが理論的な根拠です。)
 子供英会話だの、外人頼みの個人レッスンだのは「派手」ですね。こんなのは、これまでの日本人の経済力の問題であって、本当は語学の問題じゃない。少し 時間が経ってみれば、誰にだってはっきりする問題だと思っています。

>で、息子に試す前に思ったのは「地味なのを続けさせる根気が親にあるか?」ということでした。

 お試し期間が終わって、継続していただけたなら、一年後に同じ問題でお書きいただけたらと思っています。私は、けっこう「続けさせる」自信があります。

【12844】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月18日(火)02時25分41秒

>HPをコピーして渡した友人から「口語訳をして」といわれてしまいました(爆)。

 口語訳、よろしくお願い致します。
 というより、私としては、俺の言葉はけっこう口語なんだけどなあと言いたいです。
 ただ、「磁場」だの「媒介」だのと、私が自分で勝手に定義した語があるんで、それが邪魔しているのだろうと思っています。そのあたりを納得してくださっ て、ゆっくり読んでいただけば、けっこうおもしろいことが書いてあるよ、とお伝え下さい。

【12847】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月19日(水)00時49分36秒

>過去ログをきちっと読めば、読み取れることなのかもしれませんが、根石さんが現在の素読舎の指導法をつかむまで、大学受験時代の「嵐の一年」から、40 代半ばまで、実に30年にわたる迂回と研鑽の日々があったことを知って、驚きました。

 素読舎は、学校の生徒にテストで点をとらせる塾だったんですが(手前味噌ですが、今でも、それをやらせると私はうまいと思っています)、大学に受かると 英語をやめちゃう人の数があまりにも多くて嫌気がさしたということがありました。そんなふうに扱っていいようなものとして、俺は生徒の中に英語力を作った んじゃないと思ったことが何度あるか知れません。
 音づくりから始めて、音の連続性(しなやかなバネ)を作り、その上で文法理解、イメージと音(文字)との同致(瞬間化)までやるような塾でしたので、直 接的にはテストの点にならない部分を多量に含む練習をさせました。このやり方の方が、テスト対策なんかやるより生徒に実力がつくので、結果的には、テスト で点をとらせることにおいても、テストのことばかりやってる塾よりも、素読舎の塾生の方が余計に点をとるようなことになりました。あちこちの学校で学年 トップが続出するようなことにもなりました。
 しかし、しなやかなバネを作ることを柱に据えて「音づくり」をやったことが、私の落胆の大きさの元にありました。そんなものをいくらちゃんとやっても、 テストの点には直接は関係ありません。(当時はリスニングの配点などもありませんでした)
 そういう練習によって作られた英語を、大学に受かった時点でほったらかされるのは、つらいことでした。確かにお金をもらってやった仕事ですが、大学に受 かったとたんに、そんなふうにほったらかしていいものか。素読舎で作った英語には、酵母が生きているんだ。その先をやれば、まっすぐ使える英語につながる んだ。そういうものとして英語力を作ってあるはずだ。なんで大学に受かった程度でぬか喜びしてほったらかすのか。
 そう思うので、落胆が大きく、それが嫌気になっていきました。嫌気がさすと、塾というものはどんどん小さくなるものです。そこで、社会人の方を相手にし た「電話でレッスン」を始めたのでした。しなやかなバネになるまでの「音づくり」の練習を、学校英語や受験英語に限る必要はまるでないと考えたのでした。

 最初から素読舎の方法は、学校英語・受験英語を越えていたところがあります。
 しなやかなバネを作るということは当初からありましたので、それが学校英語・受験英語を越えていた部分だと思います。
(しかし、それも今から考えると「音づくり」の6割、7割程度までしかカヴァーしてなかったなと思います。俺は「音づくり」をカヴァーできるようになった と思えたのは、先日書きました通り、インターネットが普及してからです。)

>私には、根石さんの語学論は、自分自身の身体を舞台にした試行錯誤(どたばた)を徹底して自覚し、主体化する方法であるように思えます。
そのことを学ぶことと、素読舎のレッスンを受けることの間には、どこか越えがたい溝があるような気もします。

 今でも、どたばたやじたばたをやっています。
 言われた意味の「越えがたい溝」は、私の中に今でもそのままあります。簡単に言ってしまえば、語学論と英語のスキルとの間の溝です。語学屋ですから、ま んざらスキルを持たないわけにはいきません。スキル崇拝は絶対にやりたくないだけであり、自分のスキルを錆び付かせないで、少しずつでも磨いていく作業は やらなければなりません。
 その作業と日本語で語学論を書くこととは直接に結びつくものではありません。(小学館文庫の「英語どんでん返しのやっつけ方」を書いた時に、ン十万円も らったという以外に、語学論がお金になったことはないですが、そういうお金関係のことだけを言いたいのではないのです。)
 英語のスキルを錆び付かせないで維持する。日本語で語学論を書く。生徒を得てレッスンをする。この全体の中で、お金になるのは、最後の「レッスンをす る」だけです。しかし、体力とかエネルギー配分で言えば、語学論を書くっていうのに、半分以上の体力を使っている感じがあります。
 スキル用の作業があるから、それをベースにして語学論を考えるという関係はありますし、語学論で考えた方法を自分の練習や生徒の練習に適用するという関 係はありますから、無関係では決してありませんが、「直接する」関係がありません。一方は英語のスキルだし、もう一方は日本語のスキルだということもある かもしれません。というか、私は語学論で使う日本語のスキルのレベルでは英語は使えないのです。アメリカの大学にでも行って苦しめばできるようになるのか もしれませんが、生活がそれを許してくれません。
 優秀な英語ネイティヴのアシスタントがいて、私が英語で語学論を書くなら、「直接する」関係ができるかもしれませんが、それも意味がありません。
 アシスタントを雇うようなお金がないだけでなく、もうおっくうでおっくうで、語学論は日本語でやろうと決めています。元々、日本人が欧米語をやる場合の 語学論として始めたものですから、日本語でなければしょうがないのです。それがこの掲示板の正体だと言えばいいと思います。

>>英語が日本語を幹とした枝の一本になる日を。磁場帰りのぺらぺらの元が「同化と信仰」である場合に、誰の目にもそれが醜いものと見えるようになる日 を。

>根石語学論の真骨頂ともいうべき名言ですが、根石さんのような試行錯誤を抜きに、教えられた効率的な方法としての素読を試みることのなかで、このような 認識が育つものなのか。
息子を介した準レッスン生として、考えていきたい部分です。

 レッスンは準備だと考えていただきたいです。準備さえ整えればいいのです。英語の「磁場」に入ってスキルを得るための準備だとしてもいいし、そこでスキ ル以外のもの、「認識」と呼ぶ方がいいものを得たなら、それは語学論にもなるでしょうし、文化論、文明論にもなるだろうと思います。準備を整えた後は、好 きなことを好きなように発展させてもらえばいいので、そのことによって「認識」を得るのだと思います。レッスンそのものによって「認識」まで全部育てるこ とができるとは考えていませんん。
 しかし、先日 Monday2140 さんが書いて下さったものに現れているように、私のレッスンを受けて考えたたことが、語学論と呼んでいいものになるということは、今後もあるだろうと思っ ています。それは私のレッスンが育てたものではなく、Monday2140 さんが自分で自分の中に育てたものであると思います。私のレッスンはそのきっかけにはなると思います。
 レッスンは「磁場」で得るべきスキルの受容器を作ることはします。「磁場」でスキルを受容してもいいし、日本在住のままでいてもいいし、それは生活や必 要が決めることです。いずれの場合でも、そこから「認識」が育つかどうかは、すべて生徒さんの地力と自力にかかっていることだと思います。
 私が生徒さんに対してやっていることは、あらゆる意味において「準備」なのです。
 さまざまなことを「媒介」にできるようになるトバ口までの「準備」です。
 らくださんに向けて書いたものの中に、『語学が「磁場」を媒介にする』というような言い方がありますが、これも「準備」が可能にすることの一つに過ぎま せん。
 俺は英語を激しくやったせいで、日本語が書けるようになったというようなもの言いを matsu さんが受け止めて下さったことがありました。この場面だと、英語の練習を媒介にして、それまで自分になかった日本語のレベルに出たということだったと思い ますので、英語の練習が「準備」になったと考えていいと思います。
 レッスンというのは、あらゆる意味で「準備」なのです。それだけはちゃんとやるから、後は地力と自力で、大きくはばたいてね、というのが私が生徒さんに 言えることです。

【12850】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月19日(水)02時52分6秒

>>「もっとましな独習時の方法」を求めるなら、私が柴田さんと音に関してこの掲示板で話していた頃の過去ログを読まれるといいと思います。要するに的を 射ている知識を得れば、「もっとましな独習時の方法」になると思います。そのあたりは、いまだ整理されておらず、重要記事のピックアップもされていないか と思います。

>私がこの間、一番申し上げたかった事は、実はこのことだったかもしれません。過去ログの整理ではなく、根石さんの理論と実践を、体系的に、わかりやすく まとめてご提供いただくことはできないでしょうか。

 「理論と実践を、体系的に、わかりやすく」ってのは難しい注文ですね。
 なにしろ、私に余裕がありません。
 やろうとは思いますが、お約束はできません。
 というか、私のやっていることの外側から、私の実践を把握していただく方がいいと思っています。
 らくださんがやっていただけたら、と思ってしまいました。どんなもんでしょうか。
 matsu さんと組んで、ものすごくゆっくりやっていただくのでいいのです。
 それで、素読舎「スカイプ(電話)でレッスン」の父兄会の実質的な活動がスタートすると思うのですが。
 後で誰かがやってくれるのでも構わないという考えもあります。
 その場合は、今の時点で私にどんどん語学論を書かせるように、質問や異論をぶつけて下さるのがありがたいです。

>私は以前、掲示板も良いが、ホームページの充実も必要ではないかと進言いたしました。ホームページでの情報提供がもっともっと充実し、素読舎の理論と実 践が一望できるようになりますと、ページを訪れる者にとってとても有益だと思います。

 おっしゃる通りです。らくださんのアドバイスにもとづいて、村田君の協力を得てやりはじめてみたのですが、私はどうしても語学論を書いてしまうのです。 ショウバイをほったらかして語学論をやり出すのです。これはどうしようもない。気が付くと、これ、ショウバイになってねえよってことをやっているのです。 まるで本能であるかのように始めてしまっています。
 「一望できるように」っていうのが、私がずっと希望してきたことです。一望するためのコンテンツはまんざらないわけじゃないと考えていますが、リアルポ リティクスの地平においては、素読舎なんて芥子粒みたいなもんで、吹けば飛ぶような将棋の駒のそのまた何倍も軽いものです。リアルポリティクスの作用に負 ける気はありませんので、言葉の力でこの時代を超えてやろうと思っていますが、それでもリアルポリティクスの地平は厳然としてあり、そこではまるで芥子粒 を続けております。

>むろんそれは素読舎のレッスン生を増やす事にも資するでしょうし、不幸にして!レッスンを受けられない多くの独習者の進む道に灯りをともすことにもなる と思います。

 そうですね。まったくその通りだと思います。しかし、余裕がないし、ショウバイそっちのけの本能があり、また、「発音10のポイント」「あいうえおフォ ニックス」というようなものはすでに公表してあります。「発音10のポイント」はあちこちの発音教科書に書いてあるようなものとそれほど違いませんが、 「あいうえおフォニックス」は私のオリジナルです。すでに公表してありますが、誰も注目してくれないだけです。吉さんという方が、「こんな、企業秘密みた いなものを公表してしまっていいのか」と心配してくれたことがありましたが、誰も注目してくれないのですから、何の心配も要りません。必要最小限のもの は、すでにみんな公表してあります。やはり、整理やピックアップの問題だと思っています。

>「根石先生がCD聞いてOKって言ってたから聞いてみる?」と誘ってみたところ難色を示すのです。どうしてか聞いてみると理由は次のような事でした。
「根石先生と●●先生(学校の先生)の発音が違うんだよなー。」「そりゃ、根石先生の発音でいいだろ。」「でもなー、みんなと違っちゃうんだよなー。」良 くあるパターンです。「そんなの気にすんなよ。普段練習してる根石先生の発音でいいだろ。」「そうなんだけどさ、ちょっとなー。」「どうしても嫌なら、学 校だけ●●先生の発音に合わしときゃいいじゃん。でも、気にする事ないよ、そんなの。」「う〜ん。それでCDって、それも根石先生と違うんじゃないの?発 音。3つかよー。頭こんがらがるよ。」
なるほどなあ、と思いました。一気読みをしている最中にも、一カ所、息子が頭を抱えた箇所があったのです。「あー、ここ、わかんない。この文、なぜか●● 先生の発音がよみがえってくるんだよね。根石先生の発音が思い出せないんだよ。●●先生の発音が頭から離れないんだよなー。パス。ここパス。」

 実に実にこういうことなのです。ここで私の文部省と大学の英語科教員養成課程に対する怨みを理解していただきたく思います。
 以前にもこの掲示板に書いたことですが、いくつかのエピソードを書いてみます。

 一人は、現在、名古屋工業大学の大学生(男)。
 中学3年から「電話でレッスン」を始めて、高校三年間(長野高校)も続けてレッスンを受けてくれました。現在は寮生活で、部屋に同居人がいるためレッス ンを中断しています。この子のお母さんも別枠で「電話でレッスン」を受けてくださっていますが、この子が中学生だったとき、お母さんが「どうも、二つの発 音を使いわけているみたいなんですね」とおっしゃったことがありました。「学校用の発音(カタカナ発音)を学校では使い、先生のレッスンの時は、先生に教 わった発音でやっているみたいなんです」ということでした。なんでこんな非効率的なことが起こるかというと、「そうなんだけどさ、ちょっとなー。」という らくださんの息子さんの言葉がすべてを語っているのです。それは、学校の教室でまともな発音をやると、大人しい子供に対しては、「なんだ、この野郎!」っ ていう反応が起こるからです。現在大学生の子は、非常におとなしい子で、(私なんかと違って)自分を主張しない子でした。私は、お母さんからその話をきい て、うーんとうなってしまいました。妥協せず、学校の教室でもまともな音でやればいいと言えなかったのです。「なんだ、この野郎!」が起こることがまざま ざと想像できたからです。「そのうちに学校ってのは終わりますから、学校が終わったら全面的にまともな音でやったらいい」というような、二度手間(妥協) に与するようなことを言いました。そうとしか言えないのです。私は生徒の生活には介入することができない者として、自分のスタンスを考えていますので。 「この野郎!」が目に見えるような時に、「妥協するな」と言えませんでした。自分で決めてくれとしか言えなかったです。
 一人は、現在、信州大学教育学部の学生(女)。
 これもお母さんから聞いた話です。中野高校(長野県立)に入学してまもなくの頃、AET(ALT)の外人教師が、授業を終えた直後、この子の席まで来 て、「あなたは小さい頃、外国で暮らしたことがあるのか」と言ったそうです。つまり、発音が他の子と全然違うということだったのです。「いいえ、発音は日 本人の先生から習いました」とその子はALTに答えたそうです。この子の場合は、他の生徒と発音が違うことに頓着せず、高校時代を通じて、「根石先生の発 音」で通したらしいです。特に他の生徒との間の軋轢の種になったこともないようです。今は、大学在学中に、アメリカの大学に留学したいという希望を持って います。
 一人はまだ信州大学付属中学(長野市)の中学生。
 近頃の英語の教室では音読というか朗読というか、テキスト(教科書)を声に出して読ませることがあるらしいですが、授業参観の日、この子が読んだ直後、 教室じゅうが拍手喝采をしたそうです。「すげえ、ガイジンみてえ!」という声があがったそうです。この子を他の子が疎外するというようなことは聞いていま せん。
 もう一人は、金沢大学(だったか?)の医学部だったかに行き、そろそろ卒業した頃。
 屋代高校(長野県立)の生徒だったとき、私が「学校の先生の中で、発音に問題のある先生っているか」と言ったところ、「います、M先生の発音がひどいで す」と具体的な名前が出ました。「その先生の電話番号わかるか?」「わかります」ってんで、電話番号を教わり、M先生に私から電話しました。「素読舎を やっている者で根石と申しますが、問題のある発音を直しながら、インプットを続けるレッスンをやっていますので、受講していただくことを考えていただけな いでしょうか。実は、うちの塾生から、M先生の発音に問題があると聞いたので、ぶしつけながら電話を差し上げています」と言い、「考えてみます」とのお返 事を得て一週間後、「やらせて下さい」との電話をいただきました。定年までの3年ほどレッスンをさせていただきました。当時、田中康夫が長野県知事だった せいで、県立高校の英語の先生がみんなTOEICのテストを受けなくてはならないことになり、私のレッスンの他に、きついリスニング(シャドウイング)の 練習をされ、そのせいで日本語も英語も「どもり」になりました。どうにかならないかと言われたので、遅読法(切断読み)を試してくれとアドバイスして、 「どもり」をなおしたこともありました。

 以上、発音関係で、私の塾生(の回り)に起こったエピソードです。
 最後の例のように、●●先生が私のレッスンを受けてくださるのが解決法の一つですが、これは息子さんより、らくださんの出番になると思います。こういう レッスンがあるから、考えてみてくれとお伝え願えればと思います。空き枠があればお受けします。

 3つの発音のうち、どれを採るべきかについては、明日以降書かせていただきます。
 なんだか猛烈に眠くなってきましたので、横になります。

【12851】
おはようございます 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月19日(水)10時27分48秒

らくださんとmatuさん、諸先輩のご意見は同じ親の立場としてとても興味深く、それに対して根石さんがどのようにお返事なさるのか興味津々でした。

感想はながくなりそうなので今度にします。
「塾」「寺子屋」が成り立つ要件について考えこんでしまいました。

ちなみに今回レッスンを申し込んだ動機は英語そのものももちろんですが、決め手は根石さんに「間に合わせたい」ということでした。
まあうちの息子が成人してからでも「間に合う」のかもしれませんが。年寄り扱いしてすみません。
落語では「○○さんに間に合った(存命中に生で噺を聞ける)」というような言い方をするそうです。
理論や形式を継承される方は増えていくでしょうが、根石さん本人とは違うので。

私の予想では息子は多分大人になりかけた頃にはこのレッスンの価値を正当に評価しないだろうと思います。
親離れするのには親が与えたものの価値を一旦地に落とすことをするだろうと思うからです。

でもそこを超えてくれたら「まともな音」を持っていることが財産になっているだろう。

そして…自分の子供を育てる時に思い出して本物を選んでくれるんじゃなかろうか、と。
とらぬ狸の皮算用です。


>>CDに頼って生徒と一緒に音読して、英語の語順のままで私が訳す(ノートを作っておいて渡す)→日本語訳を聞かせる、私が日本語訳→語順訳の順で言う →生徒が英訳を言う…逆パターン、完全にいえるようになったら書く。書くときもまず文を暗唱してから書く、という…

>お書きになったことが、人の指示によるものでなく、ご自分で時代の先端部分を媒介にしてやられたものであれば、そこに私は良心というものを感じます。

こう書いていただいて少し救われました。マニュアルはなかったので、全部自分流でした。こわ〜。
自分が受験を「国語力」(という言葉もあいまいですが)で乗り切ったので、受験英語は国語力だ〜、という程度の考えしかなかったわけです。
だから
>日本語の介在を「少しずつ抜く」という動機がないなとは思いました。

こういう発想はありえなかったです。
ナニモワカッテナイのです。
文法もきれいに忘れました。

>私は、けっこう「続けさせる」自信があります。

う〜ん、ごめんなさい、ここはまだ半信半疑です。
結構手ごわいやつですよ〜。

>お試し期間が終わって、継続していただけたなら、一年後に同じ問題でお書きいただけたらと思っています

そうさせていただきます。
でも根石さんがすごく「のせるのがうまい」かただというのはわかりました。

「下手になるのが早いからすごい」というような「認め方」にはびっくりしました!
夫が「落語の「子褒め」みたいだ」とあとで感想をいっていましたが、
三年生の長男はとってもうれしそうで、昨日も復習をしている母親に「そこはこうだ」と
お手本をやってくれました。
私が生徒で息子が先生です。

二回目にしてすでにかなりリラックス。
そりゃくつろぎすぎだよ!と言いたくなるほどでした。
焼肉のタレを口の周りにつけたままの髭面のクマ五郎みたいな顔で「エイゴ」を一生懸命発音していたのでこらえきれず噴出してしまいました。
レッスンの邪魔をしてすみません。

移動が1階から2階へ、だけなのもグーたらな母には有難いです。

ちなみに『英語どんでん返しのやっつけ方』の本の挿絵?を見せて、
「これが根石先生」と教えております。

この本、アマゾンで1000円でした。
他の本は見つけられません。在庫なしとでます。

>口語訳、よろしくお願い致します。
 というより、私としては、俺の言葉はけっこう口語なんだけどなあと言いたいです。
 ただ、「磁場」だの「媒介」だのと、私が自分で勝手に定義した語があるんで、それが邪魔しているのだろうと思っています。そのあたりを納得してくださっ て、ゆっくり読んでいただけば、けっこうおもしろいことが書いてあるよ、とお伝え下さい。

本当にそのとおりですね。
私が面白そうにしているのが一番だろうと思いますのでそうします。

【12853】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月20日(木)00時30分32秒

>些細な事かもしれませんが、息子には、どうにも気になるらしく、ただでさえ2つの発音 でこんがらがりそうなのに、3つめかよ、というわけです。さて、どうしましょうか。今回のやりとりではありませんが、「CD音を媒介にする」と言っても 「媒介に」という概念自体が難しいですね。私には説明不能だということに気づきました。もう単純に「聞こえた通り、できるだけマネすればいいんだよ。」ぐ らいしか言いようがありません。しかし、「CDのマネ」が有効かどうか、可能かどうか以前に、3つの発音のどれをどうすりゃいいのよ、こんがらがるよ、と いう訴えは予想外でした。

 「ただでさえ2つの発音でこんがらがりそう」というときの2つは、学校の●●先生の発音と私の発音ですね。●●先生の発音というものがどういうものか簡 単に決めてしまうわけにもいかないなと今日思い直しました。昨夜は、いわゆる「カタカナ発音」ではないかと思ったのですが、そうじゃない場合もあります。 最近は、英語圏の大学を出て、日本で教員の資格だけを追加して学校の先生をやっている人もいます。私のかつての塾生にもそういう人がいます。
 「カタカナ発音」である場合は、これは生徒がきわめて容易に得ることのできる発音です。これは、日本語に含まれる音だけで英語を読もう(言おう)とする 場合に実現するものです。この発音でも、f音、th音、t, d, l, n 音などはちゃんと出ている場合もあります。純然たる日本語音だけでできているとは限りません。これは、「カタカナ発音・子音OK型」とでも呼べばいいかも しれません。(「母音OK型」が日本にはほとんど見当たらないのです。) 「子音OK型」までは放置しておいても、割と容易に達することができます。f 音、th 音などは、どこかで一度歯の位置や舌の位置を知識として得る必要があるかもしれませんが・・・。
 英語圏の大学を出て、先生をやっている人の場合も各種あるでしょう。かつての私の塾生は、高校までは日本、大学だけアメリカというタイプです。このタイ プだと日本語音と英語音の混ざり具合が人によってまちまちになると思います。特徴的なのは、「磁場」育ちの音の性質として、「自然型」であることです。個 々の音というより、音と音の連絡が自然なのです。イメージ(観念)と音の連絡がスムーズであるということと根が同じだと思っています。
 昔、高校の先輩が同志社大学に入学し、夏休みに帰ったきたとき、長野の言葉に関西弁が混ざっているのを聞きましたが、まざっている関西弁の部分が、関西 弁として「自然だな」という感じを持ちました。(関西の人が聞いて自然だと思うかどうかは疑問があります。)
 英語の「磁場」で得た英語の質には、これと同じような「自然さ」があります。磁場だけがもたらすものの一つです。また、「音とイメージ(観念)」の連絡 がよく瞬間化されていることも特徴です。これは、「磁場」の強制力がもたらすスキルで、本人の功績はそれを受容することに耐えたところにあります。(日本 在住のままでも、「瞬間化」は意識的に行えばできますが、英語「磁場」には、それを強制する強制力があるのです。この強制力の「おかげ」をこうむって、 「瞬間化」が実現しているというところが、「磁場」帰りの英語の特徴です。みなさん、自分の手柄みたいな顔をしていますが、「磁場」の強制力なのです。 「受けたこと」「受容したこと」に本人の手柄があります。その次の段階のペラペラは派生物であり、そこには何の手柄もありはしないのです。(それが証拠に は、「磁場帰り英語」を日本語磁場に置いたとき、リスニング力はなかなか衰えないのに、スピーキングは日に日に衰えるではありませんか)
 中学生の英語の授業では、「カタカナ発音」あるいは「カタカナ発音・子音OK型」の先生だと、放置しておいても生徒が出せるようになる音との間に距離が ありません。その全体を放置するのは非常にまずいのですが、生徒は自分の音との間に距離がないので、その音を歓迎する傾向が生じるでしょう。生徒との関係 でいえば、「同質型」の音です。
 「磁場」帰りの先生だと、英語ネイティヴの先生(ALT)と同じように、生徒にとっては「異質型」になります。生徒の音との間の距離が非常に大きくなり ます。
 「同質型」の先生は、生徒の発音は不問に付します。そのことで教室に「同質」性が維持されてしまいます。この場合は、先生は自分の音も生徒の音も、直す 方法を持っていません。そして、先生個人が責められがちなのですが、この先生は、文部省、大学の英語科教員養成課程の犠牲者なのです。先生個人が責められ るだけであってはまずい。本当の責任は文部省、大学にあるのです。日本の学校英語が音に関して責められるべきときは、ほとんどすべてがこのタイプの音で す。
 「同質型」の先生は責められるとか陰口を言われるということが多いでしょうが、「異質型」に問題はないのかと言えば、大いに問題があります。「異質型」 の典型は、英語ネイティヴ(ALT)ですが、日本人の発音を直すことができません。先日来、「CDを聴いて真似ろじゃ駄目」、「Repeat after me. じゃ駄目」という指摘がこの掲示板上にありますが、ALTも「磁場帰り」の先生も、ほとんどすべての人が日本人の口の動きを英語型に変えることができませ ん。「Repeat after me.」というのは馬鹿のひとつ覚えに類することだと言っていいでしょう。
 ネイティヴ言語はドイツ語、英語圏在住10年以上を経て日本に来たUという人と組んで、英語の教室をやっていた期間が私にあります。生徒が私のところに 来て、「技法グラウンド」をやり音の連続性を作ります。荒削りな状態まで作り、「Uのところへ行って、通じるかどうかチェックしてもらって」と言って、生 徒をUに渡します。Uのところで何が生じるかを観察していたのですが、Uは生徒の音が違っていれば、違うことは即座にわかります。チェックは完璧にできま す。この単語がおかしいと言い、自分で発音してみせます。つまり、「Repeat after me.」をやり出すのです。先日、1ファンさんが[j]音に関して書かれたことと同じことが起こります。「Repeat after me.」を何度やっても同じなので、Uがギブアップします。「根石さんのところに行って、直してもらって来て」ってことになり、生徒は私のところに戻って きます。
 Uはドイツ語ネイティヴであり、英語ネイティヴではありませんが、英語はいわゆるぺらぺらです。音の折り目は、「磁場」帰りの日本人と同じように、比較 的しっかりしています。英語ネイティヴの摩り切れたジーパンみたいな音ではありません。でも、「磁場」で得た英語音の持ち主は、日本語磁場にいる日本人の 英語の音をなおせません。チェックは100パーセントできるが、なおすということになるとお手上げなのです。で、相変わらず、「Repeat after me.」しか方法を持ちません。相手の生徒は赤ん坊ではありません。「Repeat after me.」は赤ん坊には有効ですが、いったん日本語の音韻組織で口の動きが形づくられた後の日本人には、「Repeat after me.」がいくつかの特定の場所で、暗礁に乗り上げます。
 生徒が私のところに戻ってきてしまうというところから、口の筋肉のどこをどうすると具体的に指示する私の「発音決まり文句」が生まれたわけです。1ファ ンさんの、[j]音で言うなら、「喉の息の通り道を狭めるようにしながらイィを言ってみて」というような指示です。「口の両端斜め上」「顎の下げを加える ともっと感じがよくなるよ」「舌を中途半端に持ち上げて、口の中の空気の通り道をせばめる」「やりにくければ、唇の開きをせばめて、息の出口を狭くする」 「とにかくまずはそれで狭さの音の感覚をつかんで」というような指示は、そういう経緯から生まれたものです。
[j]音で言えば、使う筋肉は喉だけではありません。頬の筋肉も唇の筋肉も連動します。しかし、絶対にはずせないポイントはどこかと言えば、喉の筋肉で す。だから、「喉の音」というのがその音の本質になります。「自然音」というより、「音素」寄りに音を扱っているのです。
 荒削りのままでも、生徒がポイントを外していない音を出せば、Uは「OK」と大きな声でうれしそうに言っていました。荒削りでいいというのは、もうそれ こそものすごく多くの音のヴァリエーションが生じるからです。その場で100パーセントOKという音を出させるのは、(そもそも筋肉ができていないので) 「絶対に」できません。腕立て伏せ3回しかできない人に、その場で100回やれと命じても「絶対に」できないのと同じです。これが多分、CD音を聴いて真 似しろじゃ駄目なことの根拠です。
 荒削りにはいろいろな段階があります。それを「ネイティヴ音素含有率」というような言葉で言えば、わかりやすいと思います。それは英語職人としての私の 耳がとらえるものなので、測定機器のようなもので測ったものではありませんが、ネイティヴ音素50パーセントを越えているあたりからOKと私は言います。 本当に練習を始めたばかりの生徒では、50パーセント未満でもOKを言うこともあります。70パーセントくらいまでは比較的短期間に含有するようになりま す。音としては問題なく「通じる」音です。私のレッスンは、なにをおいても、まずこのレベルになって70パーセントを越えてもらいます。
 その先、70パーセントから80パーセントのところで時間がかかります。
 80パーセント台はCDを聴いてやってもいいし、90パーセント台は実際の言語使用によって実現していくのでもいい。語学がまず実現しなければならない レベルは70パーセントから80パーセントまでのところを固めることにあると考えています。70パーセントくらいまでにかかる時間よりも、70から80 パーセントまでの方が時間がかかることはよくあります。
 私は主言語が日本語ですから、口の筋肉を揉んでからレッスンするみたいなこともやりますが、たいがい80パーセント台後半の音でやっていると思います。
 90パーセント以上なんてやりたくないという人がいてもまるでOKです。というか、そういう人の方が感覚がまともだと考えています。音の根には声があ り、声の根には感情があるのに、「アメリカ人とそっくり同じようにしゃべりたい」と言い出すような者をさして、私はフリークと呼んできました。実はこの者 たちをはっきりと軽蔑しています。「磁場でやれ、磁場で」と思います。日本にいてやるべきことではない、と。
 練習で「ネイティヴ音の複製(CD音)」を「媒介」にするときは、らくださんが息子さんにおっしゃったことでいいのです。「聞こえた通り、できるだけマ ネすればいいんだよ」でいいのです。年齢にもよりますが、それで90パーセントを越えたり、100パーセントの瞬間値が出たりということはありうることで す。それはまるで構わない。練習ですから。
 実際の言語使用で90パーセントを越えないようにするとか、「磁場」には渡らないとかいうのは、私の「語学だましい」がやらせていることだと考えていま す。「磁場」体験なんかより、私にはずっと語学の方が大事なものですのでそうします。(しかし、まあ、事情が許せば、死ぬ前に一度だけ「磁場在住」をやっ て死ぬかなという迷いもあります。)

【12855】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月20日(木)02時22分9秒

>で、しばらくCDはやめておこうか、と思っているところです。おそらく、レッスンで扱っていない初見の文を読む時も、根石さんの発音をイメージしながら 自分なりに応用して?読んでいるようですので、それが良いのかな、と思い始めました。例によって、新出の単語の読み方の手がかりがつかめない時だけ、 some(ソメ)、place(プラス)をサム、プレイスと教える。これで、しばらくやってみようかと。

 日本にある英語音のいくつかのタイプを書いてみましたが、もうひとつ書きたいことがあります。
 うちの女房は、塾をやっています。英語塾・素読舎においては、私の弟子の一人です。
 で、Naima さんが以前に書かれましたが、私よりも私の女房の方が発音がいいのです。全般的には明らかに女房の方が発音がいい。そういう塾、素読舎においてどういうこ とが起こっているかというと、発音の悪い方の私が、発音のいい女房の音を直すということが起こります。
 これはどういうことかというと、音の本質をつかむときの握力の違いです。女房は英語音の「なぞり」は上手だが、音の本質をつかんでそれを言葉にすること は私より、(ずっと、((と言いたい)))、下手です。
 私より上手な発音をする女房が世話した生徒と、女房より下手な発音をする私が世話した生徒を比較すると、私が世話した生徒の方が、(ずっと((と言いた い)))短期間に上手になります。
 4、5年、女房が世話したキリピーという生徒がいます。塾に通ってきてくれて、練習しました。その後、私の「電話でレッスン」の生徒になりましたが、女 房が放っておいた音がいくつかあり、それを直して、現在で約一年くらいになりますでしょうか。見違えるほどキリピーの音がよくなりました。
 発音なんか、8割程度クリアしていれば大丈夫なのです。実用するにも、コーチをするにもそれでいい。問題は、8割までの音にするために、何をどう指示す るかにあるのです。だから、(女房より下手な)私の生徒の方が、(私より上手な)女房の生徒より、上手になります。

 なかなか、まともに問題にすべき問題として扱ってもらえませんが、私はまじめな顔をして、まじめな気持ちで、「俺よりも生徒の方が発音が上手なんだよ ね」とよく言います。これは、女房だけのことを言っているのではなく、「スカイプ(電話)でレッスン」の生徒さんについても「俺よりも上手なんだよね」と いうケースがあります。そう言うと、よく人に笑われます。せせら笑う人もいます。

 上手な人の音を下手な人が直すのはOKなんだろうか。OKなんです。
 うまいねえ、だけど今の段階だと、まだ根が張ってないから、もっとことさらに筋肉に力を入れたほうがいいよ、というようなアドバイスは、女房でなく私が しています。そこらへんの見極めができるできないというのは、発音が上手か下手かではなく、音の本質をつかめるか、それをつかんだ上で、言葉にできるかど うかにかかっているのです。
 多分、私は女房より耳がいいんだと思います。耳が上手で、(練習上では)口が下手なんだと思います。もう言っちゃいますが、女房は口先だけ、口の筋肉の 表層だけで、英語の音を出していると思います。柴田さんが生徒の中学卒業記念に作ったCDというのがあり、そこには、生徒たちの英語の朗読の吹き込みが 入っています。それを聞いたときの正直な感想は、「うまいなあ、上手だなあ、だけど、割と口の筋肉の表層だけ使ってるな」というものでした。柴田さんの教 室で育った音にして、そうなのです。

 で、らくださんちで、今、CDの音を媒介にすべきかどうかです。最近の過去ログを読んでみないと間違いないと言えないですが、多分私は、「CD音を媒介 にして大丈夫」という言い方をしていたと思います。「どんどんやって大丈夫」という言い方もした記憶があります。「CD音を媒介にしろ」とか「しなきゃ駄 目」という言い方はしていなかったと思います。
 「やってもいい」「やっても大丈夫」というのは、「やらなきゃ駄目」というのではありません。「やらなくても大丈夫」ではあります。
 息子さんが、CD音に興味があれば、やっていいよ、やるんならどんどんやっていいよ、ということです。息子さんが、「ちょっとなあ、今はパスかなあ」な ら、やらなくてもいいのです。

 いきなり「CD音を聴いて真似しろ」が駄目なのは、3回しか腕立て伏せができない人に100回やれと命じるのが駄目なのと同じです。
 私くらいの年寄りになると、15回できるが、翌日は13回に減ったとか、かろうじて16回できたというようなことがよくありますが、らくださんの息子さ んみたいに若いと、普段でも50回や60回はよくやるよ、ということがあり、息子さんも、まあ自分のレベルは50から60回だなと思っていたとして、ある ときひょいと急に85回もできたというようなことが起こります。その飛躍を準備していたものを自覚することも言葉にすることも難しい作業だと思います。
 外側から、普段50回60回はやっていたということを欠いていたら、それは起こらなかったということができるだけです。なぜ85回だったのかということ は言うことができないと思います。しかし、言えないだけで、実体はずっと潜んでいたのです。潜んでいたものがなければ、「あるときひょいと」はないわけで す。
 いずれにせよ、「CD音を聴いて真似しろ」や「Repeat after me.」は「いきなり」は駄目です。
 らくださんちの場合、「もうCD使っていいよ」は早かったですが、それでも一年程度、「根石先生の発音」を息子さんは「媒介」にしています。

>あるいは、根石さんが以前お書きになっていたことですが、聞くときは聞くだけ、読むときは読むだけ、にならい、CDは聞くだけ。その時にマネして読んだ りしない、という方法もあるかと思っています。

 私はその方法が基本だと思っています。「ひょいとできるようになる」というのが一番自然だと思っています。

 さて、3つの音の体系を、どうすりゃいいのさこの私状態の息子さんの話ですが、もし●●先生の発音が、「カタカナ発音」か「カタカナ発音・子音OK型」 である場合は、学校の教室では、文法を主体に授業を聞いていればいいとアドバイスして下さい。授業時間で言えば、圧倒的に私のレッスン時間の方が少ないで すが、私のレッスン時の音を大事にするようにとも言って下さい。
 CDは「やっていい」というのが原則ですが、「やった方がいいかもしれない」でもあります。●●先生と「根石先生」の間で分裂するよりは、「根石先生」 と「CD音」の間で分裂する方がはるかにましですから。

 ようやくアドバイスにたどりつきました。

【12856】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月20日(木)04時05分44秒

>「塾」「寺子屋」が成り立つ要件について考えこんでしまいました。

 考え込むことはいいことです。
 無責任なことを述べます。
 「塾」は、一人でやるのが最良です。仲間や弟子とやるのもいいのですが、一人、何事かを見極めた人がやるのが基本形だと思います。「無責任なこと」とい うのは、それで食えるか食えないかはまた別問題だからです。

>ちなみに今回レッスンを申し込んだ動機は英語そのものももちろんですが、決め手は根石さんに「間に合わせたい」ということでした。
まあうちの息子が成人してからでも「間に合う」のかもしれませんが。年寄り扱いしてすみません。
落語では「○○さんに間に合った(存命中に生で噺を聞ける)」というような言い方をするそうです。
理論や形式を継承される方は増えていくでしょうが、根石さん本人とは違うので。

 ありがとうございます。兼好法師が言い、健康法師が言わないのは、人はいつ死ぬかわからないということです。そこまで考慮して、「間に合う」ことを実現 して下さったことに本当に感謝しています。私はお調子もので、感謝した直後に要求したりもするのですが、レッスンの付き添いをやっていただきながら、レッ スンの様子を今後も言葉にしていただけたらと願っています。

>私の予想では息子は多分大人になりかけた頃にはこのレッスンの価値を正当に評価しないだろうと思います。
親離れするのには親が与えたものの価値を一旦地に落とすことをするだろうと思うからです。

 ふうむ。どうなりますか。予測がつきません。

>でもそこを超えてくれたら「まともな音」を持っていることが財産になっているだろう。

 「まともな音」そのものよりも、「まともな音」が、「まともであること」につながればいいな、と。つながれば、無量の価値であり、無形の財産です。それ が、この世がどれほど狂っても、この世を底から支える力になると思います。

>そして…自分の子供を育てる時に思い出して本物を選んでくれるんじゃなかろうか、と。
とらぬ狸の皮算用です。

 皮算用は避けようがありません。そんな余計なことをやらないのが、人間以外の正直な動物たちで、人間はやります。それが人間という動物だけが持つ煩悩と いう本質です。やべえなあ、俺はまたニセ坊主みたいなこと言い出してる。中原中也という男も、生きてる間はニセ牧師みたいなことをたくさん言ったらしいで す。(中也ファンの馬の骨さん、出番です!)それが回りにやたら軋轢を起こしたりしました。河上徹太郎という人が、文庫本の中也詩集の解説で書いていたと 覚えているものを、私の言葉で言いなおしてしまいますが、「中也の生身とつきあったことがなく、中也が死んで残したものを言葉として受け取るだけの読者は 幸せだ」というようなことを書いてます。

>マニュアルはなかったので、全部自分流でした。こわ〜。

 いや、塾をやるなら、この「こわ〜」の連続ですよ。ちょっと、下手を踏むとすぐに食えなくなります。

>自分が受験を「国語力」(という言葉もあいまいですが)で乗り切ったので、受験英語は国語力だ〜、という程度の考えしかなかったわけです。

 おっしゃっていることはわかります。国語力と呼ばれているものには、そのまた根底があると思います。「イメージ(形成)力」です。まざまざとイメージ化 できる力というのが、根底にあるものだと思います。
 これは「抜く」ことをしては駄目です。「抜く」と人間がふぬけになったり、場合によっては死んだりします。
 イメージ(形成)力こそ力です。これは、日本語とか英語とかの具体的な個別言語に養われながら、いったんそこから離れることができる力で、いったん離れ てしまえば、イメージが、逆に日本語や英語を駆動させるということが起こります。イメージが根底であり、具体的個別言語がその対象になるというようなこと が起こります。

>>日本語の介在を「少しずつ抜く」という動機がないなとは思いました。

 英語を練習する場合は、「イメージ(形成)力」を強めた分だけ、具体的な日本語を「抜いていく」ことが必要になります。日本在住の場合は、急激にやら ず、「少しずつ抜く」ことが肝要だと思います。
 それで日本語が滅びるわけではありません。むしろ、強化されます。いくら英語の練習をしても、私たちはただちに日本語に回帰できるからです。

>う〜ん、ごめんなさい、ここはまだ半信半疑です。
結構手ごわいやつですよ〜。

手ごわいやつですか。楽しみです。

>でも根石さんがすごく「のせるのがうまい」かただというのはわかりました。

 へっ? そんなこと言われたことありません。

>「下手になるのが早いからすごい」というような「認め方」にはびっくりしました!
夫が「落語の「子褒め」みたいだ」とあとで感想をいっていましたが、

 ええと、ちょっと解説が必要かもしれません。息子さんが、一回目は比較的素直に音を受容していたのに、二回目で急に下手になったような感じがあったの は、緊張がほどけたのが大きく作用していると思います。一回目は緊張していたので、口の筋肉の表層部分だけが動いていたのです。(ついでだから言います が、口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力で、そのことを盲信して子供英会話という幻想も成立しているのです。)
 二回目は、緊張がほどけて、息子さんの声に力がありました。途中、もう思い切り言ってみてやるぞという感じで声を使っていたのも覚えています。一挙に根 付かせてやろうという心意気を感じました。そうすると、私の指示通りやるのが、一挙に困難になるのです。だけど、それでいいのです。混乱が最短距離です。
 二回目で、息子さんの中に生じた「むむむ」という感覚がありますから、三回目はどう出てくるかなと、私がわくわくしています。
 やたら思い切り言ってみても言えないんだなというところから、今度は緊張ではなく、音に対して素直になってやろうということが生じるんじゃないだろう か。勢い余るというところがとれて、的を射てやろうというふうなことが生じるんじゃないだろうか。
 わずか、二回、三回で、この精神のダイナミズムです。なにしろ面白いですし、教えてもらうことが多いです。子供はいい。

>三年生の長男はとってもうれしそうで、昨日も復習をしている母親に「そこはこうだ」と
お手本をやってくれました。
私が生徒で息子が先生です。

 いい光景だと思います。こういう報告が、私には一番うれしいです。

>焼肉のタレを口の周りにつけたままの髭面のクマ五郎みたいな顔で「エイゴ」を一生懸命発音していたのでこらえきれず噴出してしまいました。

 これがOKなのが、「スカイプ(電話)でレッスン」のいいところですよ。絶対に内緒ですが、私の方でも、鼻くそをほじったりできます。内緒ですから!

>この本、アマゾンで1000円でした。
他の本は見つけられません。在庫なしとでます。

 そのくらいの値段なら、まあまあです。Naima さんが教えて下さったのですが、1万3千円くらいの値がついたことがあったらしいです。私はネットのそのページを見なかったのですが、そんな馬鹿なと思っ たのを覚えています。新刊本で読んで下さる方より、古本で読んで下さる方の方が本を大事にしてくれるというのは確信していますので、版元には悪いが、古本 が流通して欲しいです。そのためには、古本の値段が新刊本より少し安いくらいになってくれる必要があります。「他の本」というのは、ミッドナイトプレスが 出してくれた「根石吉久の暮らしの手帳」でしょうか。この本は、少し手元にありますので、掲示板の常連の方にさしあげて読んでいただこうかと・・・。常連 を自覚しておられる方は、ご希望があれば、「送れ」とお書き下さい。ゆっくり母さんは、もう常連を自覚していただいていいと思います。

>私が面白そうにしているのが一番だろうと思いますのでそうします。

 ありがとうございます。

【12857】
昨日書きかけて消したこと 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月20日(木)09時16分59秒

>「無責任なこと」というのは、それで食えるか食えないかはまた別問題だからです。

昨日書きかけて消したことは…

>自分で塾をやると、思い切り自分の考えを展開できます。

「そして食べていけなくなります(爆)」でした。
せっかく飲み込んだのに言っちゃった。

一昨日過去ログの抜粋部分だけを印刷して「ひえ〜」って思ったのに、
また魔が差してABCDのテキストを全部印刷しちゃいました。
広辞苑並みの厚さなのですが・・・。
合掌。

>らくださん
実はご紹介の写真、拝見したことがあります。
1年半くらいロム専でしたので(汗)。

でもあの挿絵の方が根石さんご本人より「感じが出てる」気がしているんですよ(爆)。
お相手してくださってありがとうございます。

村田さんにも声をかけていただいたのに、お返事しておりませんでした。
常連のゆっくり母です。よろしくお願いします。

>そこまで考慮して、「間に合う」ことを実現して下さったことに本当に感謝しています。

ひょっとしたら夫を説き伏せるための方便だったかも…。
ただ単に好奇心を抑え切れなかったのが本当かな>自分。

>いや、塾をやるなら、この「こわ〜」の連続ですよ。ちょっと、下手を踏むとすぐに食えなくなります。

そうだと思います。

>これがOKなのが、「スカイプ(電話)でレッスン」のいいところですよ。絶対に内緒ですが、私の方でも、鼻くそをほじったりできます。内緒ですから!

わかりました!裏庭に穴を掘って叫ぶことにします。
実はうちにももう一つ秘密がありますが…さすがに掲示板ではいえませんです。

>わずか、二回、三回で、この精神のダイナミズムです。なにしろ面白いですし、教えてもらうことが多いです。子供はいい。

え〜っと…その秘密がこのダイナミズムの元かも知れず…あ〜…怖くていえない。

雪が降りました〜。

>レッスンの様子を今後も言葉にしていただけたらと願っています。

これに甘えて質問してしたいことがあるのですが、長くなるのでまた後ほどにします。

【12859】
根石さん(狭い音のarの例) 投稿者:村田 投稿日:2008年11月21日(金)17時30分24秒

狭い音のarの例です。

sugar
beggar
scholar
calendar
binocular
articular

固有名詞は除きました。意外とたくさんありそうですね。

【12863】
放置されていた原稿? 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月22日(土)00時47分22秒

5歳児用の「英語発音教本」を書いて、村田君が「アクセントのない ar」の例を辞書から探してくれたので、それを追加して、スティック状のハードディスクのファイルを書き換え、コンピュータ本体のハードディスクにコピー しようとしているうちに、以前に書いた(村田君がテープ起こししてくれた?)記事がみつかりました。

 けっこう量がありますので、今日はその最初の部分だけ投稿します。
 順次、投稿していきます。

【12864】
音について(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月22日(土)00時55分28秒

「あいうえおフォニックス」原稿素材1  投稿者: 村田  投稿日:12月 9日(金)00時00分59秒
『放置された音』(仮称)

師「日本人が英語の勉強を始めて、英語の音を出そうとするとき、大方の人が出す音がある」
弟「はい?」
師「日本人と言っても、父親がアメリカ人とか、母親がドイツ人とか、そういう家庭もここらへんの田舎でも増えてきているけれども…。俺が言おうとしている のは、そういう、微細な「磁場」を持った人のことではなくて、日本語のみで生きてきた日本人が、英語を初心者の状態から始めて、ほぼ全員が出すだろうとい う音についてだ。」
弟「たとえばどんなものでしょうか?」
師「ひとつには、子音の後に母音が必ずついてまわるということがある。 I am a student. という文を日本人の初心者が言う場合、『アイ アム ア ステューデント』という感じになる。英語の側から聞くと、余計な母音が付く。」
弟「そうですね。」
師「これは日本語のみで育ってきた人にとっては、極めて自然な音なんだ。」
弟「子音だけの音は、日本語では出てきませんからね。」
師「日本人にとっては当たり前の音だけど、英語を学ぶ場合、いつまでもそのままでは困る。ただ、英語をめぐる業界ではこの音は単なるまがい物の音とされて きた。当然ながら学校教育も含めて。日本では、これまでずっと、ネイティヴが出す音と同じ音を出すのが正しいとされてきた。」
弟「そうですね。」
師「そして、日本人の英語初心者が出す音は、まがいものとしてずっと放置されてきた。英語ネイティヴの音に近づくことが正しいんなら、英語習得のための もっとも正しい道は、アメリカなりイギリスなりの英語圏に行って生活することになる。それしかないことになる。
 そうやって得る音と日本人の初心者が出す音の間には、連続性などどこにもない。そこには絶壁しかない。『英語を流暢にしゃべりたいなら英語圏で暮ら せ。』これが日本の英語をめぐる業界の本音だろう。それを言っちゃショウバイにならないから、誰も言わない。その一方で、大方の初心者が最初に出す音は、 放置され続けてきた。この音は、放置されてきたが、このまま放置しておいていいわけではない。」
弟「はい。」
師「日本人は、語学をやるのならば、この放置されてきた音を元にするしかないんだ。・・・・・・」
弟「どうしました?」
師「うーん…俺は、この、初心者が出す音に、『放置された音』と名づけてみたんだが…。何か他にいい名前はないか?」
弟「私はいい名前だと思いますが。」
師「まだ言い当てている感じではないんだなあ。」
弟「それにしても、これは今までの師の話には出てこなかった考え方ですね。お話を聞いていて思い出したのですが、師が以前、『盆踊り』と言っていたもの も、『放置された音』にあたりますか?」
師「ああ、それは今までの話を踏まえれば、『放置されたリズム』ということになるだろうな。」
弟「『放置された音』と『放置されたリズム』ですね。」
師「そうだな。とにかく、語学は、この自分の中の『放置された音』を元にしなければならない。なにしろ、『放置された音』は、それまで自分を育ててきたも のが集約している、いわば、自分自身でもあるわけだからな。日本人の語学の音は、そこからしか始まらないはずだ。これは、放置したら駄目だが、絶対に粗末 にすべき音ではない。
 こういった大前提となるところから話を始めてみようと思う。」

【12867】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月22日(土)21時35分11秒

まずは、たっぷりの語学論、ありがとうございます。非常に参考になりました。

やはり、営業色豊かなホームページでのプレゼンより、「がちがちの語学論」の方が素読舎のディープなお客様には向いているかもしれませんね。根石さんの 「語学だましい」の炸裂を前にして、軽々しく営業トークの奨めなんてできなくなってしまいます。

>学校の教室でまともな発音をやると、大人しい子供に対しては、「なんだ、この野郎!」っていう反応が起こる

息子は教室で「最も騒がしい子供」の部類ですので、そういう心配はあまり無いかもしれません。一人で教科書を読まされることはまだ無く、全員で読む時に目 立ち過ぎないように、声の大きさを適当にコントロールしているそうです。

CDのリスニングに関しては、適当な時期を見計らって水を向けてみる事にします。この間の教科書一気読みの時に、根石さんの音のイメージを思い出そうとし ていた、その感じを今は大事にしたいと思っています。

「ネイティヴ音素含有率」という言い方はおもしろいですね。息子は70%に到達するまで、どのくらいかかるものか...。時々いま何%ぐらいまで行ってい るか教えていただければと思います。この感じで50%か、とか上達の過程が観察できると楽しいと思いますので。

>しかし、まあ、事情が許せば、死ぬ前に一度だけ「磁場在住」をやって死ぬかなという迷いもあります。

確かに、磁場在住で身に起こることを体験されて、磁場論を検証するっていうのもありですね。それとも、そんなんじゃなくて、アラスカあたりでキングサーモ ン釣り三昧がお目当てだったりして。

【12868】
学校の先生のアリバイ作りなのか 投稿者:村田 投稿日:2008年11月23日(日)01時08分20秒

中三の塾生が学校の総合テストがあったというので、どんなもんだったか結果を聞いてみま した。
まだ答案が戻ってきていないということだったので、手応えはどうだったか聞いてみると、「あんまりよくない」、と落ち込み気味で言うのです。
この子は英語はいつも学年で三番以内くらいにいるので、気になりました。
どんな内容の試験だったか聞いてみると、リスニングが25分あって、あとの問題を解く時間がなかったそうです。リスニング25分ということは、残り25分 で長文問題を解かなければならない勘定です。この中学の3年の試験は、長文問題は長めのが複数あります。今回も長めのが二つあったとのこと。

「他の人はなんて言ってた?」
「全然時間がないって言ってました。」

「試験でそれだけリスニングに時間を割くってことは、学校の授業でリスニングに特別に力を入れてるのかな?」
「いえ、全然なんにもやってないです。」

なんだかなあ!

学校は学習指導要領でリスニング重視するというようなお達しがあるんだろうけれど、なんの訓練もなしにただテストでリスニングの配点だけあげればそれでい いのか。
この中学の英語のテストでは、高得点のグループと低得点のグループの二極化が起こっています。
これは埴生中学の現在の三学年に極端に起こっていることだけれど、多かれ少なかれどこでも似たようなことが起こっているのかもしれませんが、今回はちょっ とひどいと感じました。

この塾生には、平均点が下がっているはずだから気にするな、と言いましたが、塾なり予備校なりに行ってない子はどう思うだろうか。学校の先生は生徒になん て言うんだろうか。

【12869】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月23日(日)02時02分19秒

今回の記事はいいな。
だんだん娑婆に遠慮がなくなってきて、いいことだと思っています。
ただし、食えなくなるまでやると大変ですので、らくださんからバランス感覚を習って下さい。

【12870】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月23日(日)02時15分18秒

>まずは、たっぷりの語学論、ありがとうございます。非常に参考になりました。

 こちらこそありがたかったです。息子さんが3つの音体系を抱えるのに抵抗を示したことを書いていただいたので、ううん、ここは正念場だなと思って、性根 を据えて書くことができました。

>やはり、営業色豊かなホームページでのプレゼンより、「がちがちの語学論」の方が素読舎のディープなお客様には向いているかもしれませんね。根石さんの 「語学だましい」の炸裂を前にして、軽々しく営業トークの奨めなんてできなくなってしまいます。

 いや、食うや食わずは続けたくないので、営業色豊かも大事だと思っています。
 だけど、ついやっちまうのです。語学論を。

>息子は教室で「最も騒がしい子供」の部類ですので、そういう心配はあまり無いかもしれません。一人で教科書を読まされることはまだ無く、全員で読む時に 目立ち過ぎないように、声の大きさを適当にコントロールしているそうです。

 全員で読む時は、自分の音が一番大きく聞こえますから、そういう遠慮が生じるのだと思いますが、でかい声を出しても目立つようなことはないから、でかい 声でやっていいのだと息子さんに伝えて下さい。「騒がしい子供」の一人だと聞いて、安心しました。私のレッスンでは、かなりかしこまっているのかもしれま せん。まあ、しばらくはそれでいいか。

>CDのリスニングに関しては、適当な時期を見計らって水を向けてみる事にします。この間の教科書一気読みの時に、根石さんの音のイメージを思い出そうと していた、その感じを今は大事にしたいと思っています。

 はい。適当な時期は、息子さんとつきあっているとわかると思います。

>「ネイティヴ音素含有率」という言い方はおもしろいですね。息子は70%に到達するまで、どのくらいかかるものか...。時々いま何%ぐらいまで行って いるか教えていただければと思います。この感じで50%か、とか上達の過程が観察できると楽しいと思いますので。

 今は60パーセント台の後半かなと思っています。
 50パーセント超えるのなんて、日本人は受容力の大きい人たちですから、簡単にできます。70パーセントくらいまでは、比較的簡単です。70パーセント を越えたあたりから、胸突き八丁になってきます。

>>しかし、まあ、事情が許せば、死ぬ前に一度だけ「磁場在住」をやって死ぬかなという迷いもあります。

>確かに、磁場在住で身に起こることを体験されて、磁場論を検証するっていうのもありですね。

 事情や抒情が許せばやってみたいと思っています。そのときは、私が完全に隠居したときだと思います。磁場で「在住」をやったら、俺はレッスンはやめると 思っています。
 私のレッスンは、「磁場在住」がないからこそ成り立っているものです。

>それとも、そんなんじゃなくて、アラスカあたりでキングサーモン釣り三昧がお目当てだったりして。

 また千曲川で鯉を釣りたくなるではありませんか。
 アラスカあたりの清涼な空気の中に立ち、サーモンをばしゃばしゃさせるのは、多分なかろうと思います。
 住みたいところは、ニューヨークの場末です。
 やばいところが好きなんかもしれません。

【12871】
空手 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月23日(日)02時26分58秒

浜田さんという古くからの友達から空手を習い始めました。浜田さんは三段を持っていて、中断突きをやると空気が鳴ります。
空手を習い始めてから、南郷継正「増補 武道の理論」(三一書房)を読みました。
若書きの本ですが、理論としては、私の語学論と共通する部分がかなりあります。

いきなりCDを聴いて真似しろと言うのは、南郷さんを参照するなら、乱取りや試合ばかりさせて、ちゃんと型を鍛えないという「お気楽」です。
この「お気楽」のせいで、日本の武道は醜くなったし弱くなったのだというのが南郷さんが言っていることです。
オリンピックの柔道の判定結果なんか見ていると、醜くて目をそむけたくなります。どこにいったい柔道の「型=技」があるんだと思い、南郷命名の「ごりらの ダンス」が実にリアルな言葉だと思います。

【12873】
ニュース 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月23日(日)02時41分25秒

書き忘れるところでした。今日耳に入ったニュースです。

北信地方在住のKさんが、また学年トップになりました。現在須坂高校3年生です。

Kさんは、小学5年から素読舎の練習をしました。高校一年、入学直後のテストで学年トップ。二年の春の進研模試で学年トップ。今回、三年の秋、進研記述模 試で学年トップ。
これまでのところ、年に一回、全学年で学年トップになっています。

春から夏が終わる頃まで、スポーツの大会で県外に何度も遠征したりして、ちょっと勘が鈍っているかなと思っていましたが、どうやら回復したようです。

【12874】
村田さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月24日(月)01時46分12秒

素読舎の戸倉分室は、今、どんな感じでやっておられるのでしょうか?

根石さんの電話レッスンとはまた違った形の取り組みについて、ご紹介いただくと良いのではないかと思います。塾をやってみようと考えている方もいらっしゃ るようですし。

【12875】
分裂ということ 投稿者:matsu 投稿日:2008年11月24日(月)09時53分55秒

先日のらくださんの質問と根石さんのそれへの回答は、内容豊富で、同じ年代の子どもを レッスン生にもつ親としても興味深いものでした。
しばらく根石論を中断していたのですが、その再開のリハビリも兼ねて下手なつっこみを入れさせてもらいたいと思います。

> さて、3つの音の体系を、どうすりゃいいのさこの私状態の息子さんの話ですが、もし●●先生の発音が、「カタカナ発音」か「カタカナ発音・子音OK 型」である場合は、学校の教室では、文法を主体に授業を聞いていればいいとアドバイスして下さい。授業時間で言えば、圧倒的に私のレッスン時間の方 が少ないですが、私のレッスン時の音を大事にするようにとも言って下さい。
 CDは「やっていい」というのが原則ですが、「やった方がいいかもしれない」でもあります。●●先生と「根石先生」の間で分裂するよりは、「根石先生」 と「CD音」の間で分裂する方がはるかにましですから。

らくださんの関心が専門的な英語学習法にあって、それに対する根石さんのアドバイスが英語のコーチとしてのものですから、その点から言えばこのやり取りに は間然するところはないだろうと思います。
根石さんが、音作りのために明確な優先順位を指摘することで、「分裂」を取り除き、それを軽減するという方向で道筋を示すということも当然です。

ただ、この一年、わが身・家庭を振り返ってみると、もちろん息子には、(我が家の家計の事情から、父親の小遣いからレッスン料を捻出していることもあっ て)根石さんのレッスンからできるだけモトをとることを求めてもいますし、私もレッスンの様子を聞いたり、電話の録音機能でレッスンの様子をのぞかせても らってたりして学んでいるつもりですが、それ以外の親子の(英語)学習については、かなり我流や思いつきでやっていることが多い気もします。
肝心の音声面でも、ラジオ講座やCDの利用、技法グラウンドの真似事など、本来なら根石さんのアドバイスを受けた方がいいだろうという気持ちを持ちつつ、 勝手に行っていました。
もちろん、このことは私自身の不精さや天邪鬼さのせいだとは思いますが、今回の記事を読みながら、そういう自分の「無意識」について、別の言葉にしてみた い気がしました。

>そこらへんの見極めができるできないというのは、発音が上手か下手かではなく、音の本質をつかめるか、それをつかんだ上で、言葉にできるかどうかにか かっているのです。

根石さんは、自分が奥さんより発音が「下手」にもかかわらず、コーチとしてはるかに腕が上であることを、こう説明しています。
これは自分の身体の動きについて、どれほど自覚的で、主体的にそれをつかみ取っているか、ということの深度の違いのようなものだろうと推測できます。その ような意識化=主体化は、発音における口の筋肉の動きにとどまらず、日本在住で語学をやることのすべての振舞いにおいて徹底的に行われて、それが根石さん の語学論の輪郭を作っているのだろうと思います。
日本語を磁場とする環境の中で英語をやるという「分裂」や「矛盾」を、ごまかさずに正面から受け止めて、突き詰めることが、それを可能にしたのだと思いま す。

昨年、人間の思考力が12歳までで決まるというような「暴論」が、この掲示板で話題になったことがありましたが、思考力が、わが身をひきさく分裂の只中 で、それを自覚し、主体的につかみなおすという技法のことであるなら、むしろ12歳以降の経験の中にこそ、その母胎はあるはずです。
根石さんを「劣等生」から、詩人・文学者、語学論者へと変貌させる土台をつくった「嵐の一年」が19歳の経験だったように。

少し前に、根石さんが、昔の塾生に会って、素読舎のレッスンによってわが身に何が起きたのか自覚していないことを嘆いている記事がありました。
彼は、まともな音や、英語力を手に入れたのかもしれませんが、語学論(思考力)を手に入れることはできなかったのでしょう。

もちろん、私にも親子ともども、まともな音や英語力を身につけたいという希望はあるのですが、その準備期間中においても、「分裂」や「矛盾」を積極的に呼 び込んでいきたいという気分があって、そのために根石さんの指導からはみだすことにも(確信犯的に)手を出してしまっているような気がします。
それもまた、根石さんの語学論によって誘い出された気持ちだと言いたいところですが。

【12876】
(無題) 投稿者:murata 投稿日:2008年11月24日(月)10時40分0秒

おちこぼれ母さん 投稿者:根石吉久 投 稿日:2008年11月 9日(日)02時08分58秒
 わずか週一回30分のレッスンの効果について信用していただいけてうれしいです。気を引き締めてやろうと思います。

>英会話教室という選択肢は私の中にはありません。素読舎と他の教室は比較対象ではないです。

 ありがとうございます。いつもながらの不遜ながら、地元の大手進学塾と素読舎の名前を同じ話のなかで聞くと、おぞけが立ったことが何度もありま した。方法を持たない商売と、方法を探求して貧乏を続けてきた塾が較べられることに、アレルギーのような忌避反応が生じるような体になってしまいました。

>息子に将来的に英語が必要だろう、という考えもありません。

 これはまったく未知数としておくのがいいと思います。英語なんか俺には用がないと思っていたのに、こんなメに会わされるとは思わなかったという人に何度 も出会ってきました。2週間後に外国の支社に行かされることになったからなんとかしてくれと言われ、2週間でどうにもなりはしないので、練習の方法だけ言 うから、現地で練習してくれとアドバイスするような電話相談をしたこともあります。

>ただ根石さんという方になんだか変わった(失礼ですが)教材で生でレッスンをしていただいた、という経験はすごいものだろうと思うだけです。
効果と値打ちがわかるのがいつのことであってもかまいません。

 私は普段は淡々とレッスンを続けるだけです。教材は確かに他に類例がないだろうと思いますので、変わっているといえば変わっているかもしれません。

>息子は全く頓着なく、のんびり・おっとりした子供です。他の小三のお子さんより幼いと思います。

 今日、5歳の子を連れたお母さんが塾に来られ、子供に英語を教えてくれと言われました。英語は原則として小学3年生から受け付けているので、できたら日 本語の素読をやらせて欲しいと言ったのですが、やはり英語をやらせたいらしいので、実験的にやらせてもらおうかと思いました。私の教材には、日本語による 説明部分が比較的多く含まれているので、この部分を声を出して読んでもらうことで、「学力」の元は作れるなと思ったのでした。理科だろうが社会だろうが、 所詮、日本語による説明文を読むわけですので、5歳の子に英文法の日本語による説明文を読ませてみようかと思いました。元になっているのは素読ですので、 わけがわかってもわからなくても、ひとまずはかまわないのです。
 やることは、「字に音をかぶせる」ということです。その場で理解は求めないし、暗記を要求することも一切ありません。意味がわからなくても、ただすらす ら読めるようにするだけでひとまずはOKです。これは素読ならではのことです。
 で、5歳の子を引き受けるなら、その子の入塾を記念して、小学3年生で開始するのを想定して作ったものより、さらに一段とやさしい教材を作らなければな るまいと思いました。急遽、それにとりかかる予定です。これができれば、小学3年生にも使ってもらえます。既存の教材は小学4年生から使ってもらうように すればいいなと考えています。
 11月、月曜夜7時半からの枠でお試しをしていただくには教材作成が間に合いませんが、それ以降、レッスンを受けていただけることになったら、新しく 作ったばかりの教材を使っていただくことになるかもしれません。なんにせよ、実際にレッスンを数回やってみないことにはどちらの教材を使うのが適当か決め ることができませんので、準備が間に合いましたら、今度の月曜日から「無料お試し」を使ってみて下さい。
 ただ、7時半からのレッスン枠は、12月から生徒さんが復帰される予定の枠でしたので、調整の必要があります。11月の間、7時半からの「無料お試し」 をしていただいている間に調整しようと思います。

>でもうちの息子については・・・。今横で息子が不安そうな顔をしておりますし・・・。
怖い先生だったら嫌だな、とつぶやいております。

 掲示板で語学論でぶつかり合う時は、私は鬼になることがありますが、レッスンではなんていいますか、甘くもなくしょっぱくもなく、ふつうのおじさんで す。怖がらなくて大丈夫ですとお伝え下さい。

>ただもし息子がドロップアウトしても、母親の私が小三用の教材ではじめたいな〜、と言う気持ちがあります。

 ありがとうございます。多分ドロップアウトはないと思います。

>お恥ずかしいですが、私の英語力はその程度で、それがこの掲示板に書き込むのを長くためらっていた理由でもあります。

 どこから始めてもらっても、それは立派な語学です。それが語学のいいところだと思います。日本人は謙遜が激しいので、「その程度」がどの程度かは、レッ スンをやってみなければ本当のところはわかりません。

 ためらっておられて、思い切って書いて下さったことに感謝しています。

 早急にお返事いただきたいことは、お宅の電話にスピーカーフォン(てぶらフォン)として使える機能が備わっているかどうかです。

 「無料お試し」はあくまでも「無料」のものですのでお金はいただきません。ここを崩してしまうと、同じことをやっているのに、有料の方と無料の方ができ てしまい、私の気持ちが落ち着きませんので、無料でやらせて下さい。

 先ほどから何回か投稿しているのですが、メールアドレスを入れると投稿ができません。
 携帯の番号を書いておきますので、ご連絡いただけたらと思います。
 090−4181−5912(昼過ぎからでお願い致します)

 以上ですが、いつもより頻繁に掲示板を見るようにしますので、お返事をお願い致します。

【12879】
多読を広めた酒井さん 投稿者:パ クパク 投稿日:2008年11月25日(火)20時54分14秒

新刊がでました。

さよなら英文法!多読が育てる英語力
酒井邦秀著

この人の本が一番、正当であるとおもいます。
反文部省です。
国立大学の教員をそれにもかかわらず、続けています。

チェックポイント
1)冠詞
2)代名詞
を、学校英語のような教え方をしていない。

【12880】
中間テスト終了です 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月26日(水)00時55分12秒

先日行われた中間テスト返却。77/100と、「英語は得意科目だから」と日頃本人が豪語するほどの点数でもありませんでしたが合格としました。あっち こっちボロボロ間違えていますが、「リスニングは結構ラクに聞けた気がする」のひと言で合格を出しました。設問への正解不正解は、いずれ問題演習で慣れれ ば点はとれるようになるはず。リスニングへの苦手意識を持っていないというところに、日頃のレッスンの成果を見ました。

引き続き自主トレをするように言っていますが、この間試した教科書一気読みに手応えを感じている様子ですので、1日2回の一気読みを奨めています。教科書 なんて通しで読んでも、すらすらいけば1回に10分強程度しかかからないのですね。ですので2回読んでも30分弱です。1文を5回ずつ読んで30分経った らそこで今日は終わり、という方法とどちらがいいか選択させましたら、一気読み2回を選びました。そのうち回転読みも入れようと思っています。

【12882】
ありがとうございました 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月26日(水)11時50分17秒

体験レッスン、ありがとうございました。
とりあえず(こういう言い方でごめんなさい)「いやだ〜」と拒絶するような状態ではないので安心しました。
引き続きよろしくお願いします。

> ええと、ちょっと解説が必要かもしれません。息子さんが、一回目は比較的素直に音を受容していたのに、二回目で急に下手になったような感じが あったのは、緊張がほどけたのが大きく作用していると思います。一回目は緊張していたので、口の筋肉の表層部分だけが動いていたのです。(ついでだから言 いますが、口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力で、そのことを盲信して子供英会話という幻想も成立しているので す。)

母親の私がよくめでみても
>口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力
というのが他のお子さんに比べて低い…というのかなぁ…
次男の方が同じ年の頃の長男に比べてこの能力は高い気がします。
これは音痴な子とそうでない子、というレベルの話しで、あまり深い観察ではありませんが。大人と比べればはるかに高いのは間違いないと思います。

>そのことを盲信して子供英会話という幻想も成立しているのです。

私が子供英会話に突っ込もうと思わなかった理由の一つに、長男の音の受容能力の低さもあったかもしれません。
この子はそういう器用な子ではない、と思っていました。
だからこその素読舎との出会いで、有難いことです。

>二回目は、緊張がほどけて、息子さんの声に力がありました。途中、もう思い切り言ってみてやるぞという感じで声を使っていたのも覚えています。一挙に根 付かせてやろうという心意気を感じました。そうすると、私の指示通りやるのが、一挙に困難になるのです。だけど、それでいいのです。混乱が最短距離です。

これは本当、そういう感じがしました。
いや、力いっぱい言っても無理、って、ヒヤヒヤしちゃうのは母親の悪い癖ですね〜。
本人が答えを見つけるのを待たなくちゃ、とレスをいただいて思いました。
が、レッスンが始まるとついヒヤヒヤ。

>二回目で、息子さんの中に生じた「むむむ」という感覚がありますから、三回目はどう出てくるかなと、私がわくわくしています。

わかんなくなっているみたいです。
何だこりゃ?って思っている様子でした。
100回言う、というところの話し、どういうこと?と聞かれたので「何回も言うのは下手だからとかではなく、英語用の筋肉を作るためだよ」というのはレッ スンの後で伝えました。
噛み砕きすぎましたか?というよりあっているのかどうか??

>やたら思い切り言ってみても言えないんだなというところから、今度は緊張ではなく、音に対して素直になってやろうということが生じるんじゃないだろう か。勢い余るというところがとれて、的を射てやろうというふうなことが生じるんじゃないだろうか。

そうなるのか〜…大人しく観察することにします。

近所の中二の子3人に急にテスト勉強付き合って、と頼まれ、英語もどんな感じなのかみました。
一人は何とか独力で音読(カタカナ読みですが)していましたが、他の2人は「make」「マケ」と読むレベル。
「her」と「our」も「ヘア」「オウア」でした。

聞けば音読は授業のはじめに一回だけ、ということで、あとはほとんど文法の説明と小テストだそうです。
読めない2人のうち、一人はほとんど書けません。もう一人は半分くらい書けます。
たとえば「彼女の」と日本語があれば「her」と書けます。
が、このつづりで「へあ」と覚えているのであればリスニングは聞き取れないと思います。
らくださんの息子さんの状態は望めません。

ABCDの教材に一通り目を通しました。
これ、学校で中学生にやらせたいな〜、と思いました。
それにしてもらくださん、matuさんの息子さんは超ラッキーですね♪

【12884】
ゆっくり母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月27日(木)00時23分34秒

>引き続きよろしくお願いします。

 こちらこそよろしくお願いします。今のうちは、スカイプでのレッスンはもの珍しいですから、面白がってくれるかもしれませんが、ある程度時間が経つと、 生活の中に組み込まれてきて、「普段歩いている道を歩いているだけ」になってきます。珍しくもなんともなく、けっこう退屈したりもします。そこのところを 継続して下さると、力が蓄積されていきます。

>>口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力
>というのが他のお子さんに比べて低い…というのかなぁ…
次男の方が同じ年の頃の長男に比べてこの能力は高い気がします。

 人間の能力というのは、全体としてはほぼ同じ重量を示すんじゃないかと思っています。音の受容能力が低いことが、語感受容能力を高くしていたりするもの です。
 一般論として話を広げてしまえば、学校的知識というか黒板的知識の受容能力の高さが、(制度としての)学校を相対化する力を弱め、本来の独習の形成にさ しさわったりというようなこともあると思います。英語はこの「本来の独習」部分が弱いとどうしようもないものの一つです。学校の点はよくとれるが、英語力 が備わっていかないケースはよく目にしてきましたが、「音」の問題以外にも案外そんなことが作用しているかもしれません。
 私のレッスンは、子供が独習する気になってくれるように「準備」を続けるものだと考えていただくのがいいと思います。この場合の「独習」は、私はかなり 激しいものを想定しています。

>私が子供英会話に突っ込もうと思わなかった理由の一つに、長男の音の受容能力の低さもあったかもしれません。

 本当は、音の受容能力が高くても低くても、子供英会話なんていうのをやらせるべきではないと思っています。生活言語ではない言語は、あくまでも語学の対 象言語としてやらせるべきです。生活語として外国語をやらせても、磁場がそれを支えてくれませんから、身に付かないか、身に付いた場合は感覚が不安定にな るかどちらかです。
 言葉というものは、感覚、感情、思考に対して「なかだち」するものです。単なる知識ではありません。子供英会話に通わせている親たちは、「言葉というも のをなめている」と私は思っています。

>この子はそういう器用な子ではない、と思っていました。

 器用でないほうがいいと思います。日本在住の英語習得で、器用さはほとんど役に立ちません。器用な子は、子供英会話などやらせると、最初だけちょっとめ ざましい感じがありますが、最初だけです。亀の歩みのようなものが必要になるときが必ずあります。そこを歩ききるのは器用な子ではありません。

>>二回目で、息子さんの中に生じた「むむむ」という感覚がありますから、三回目はどう出てくるかなと、私がわくわくしています。

>わかんなくなっているみたいです。
何だこりゃ?って思っている様子でした。

 それで大丈夫です。日本語の音ですでに口の動きができてきていますので、口が混乱します。音は赤ん坊だけが持つ「普遍音(どんな言語の中に生まれてきて も赤ん坊が発する同じ音)」に根を持っていますが、小学3年生だと、いったんは、日本語音(生活言語の音)と人工音(レッスンの英語音)の間で混乱が生じ ます。根は「普遍音」であり、幹は日本語音(母語)です。そこに接ぎ木したようなものが、人工音です。
 「人工音」というのは、「生活語ではない音」という意味で、私は「生活」の方から規定しています。「人工音=語学の音」「自然音=生活言語の音」という ところを、私ははっきり区別しています。
 息子さんの場合、生活語は日本語ですから、日本語音が発達していきます。その幹に比べれば、人工音(英語音)は細くなりがちですが、細い枝は細い枝なり に少しずつ太くなっていきます。これで普通です。

>100回言う、というところの話し、どういうこと?と聞かれたので「何回も言うのは下手だからとかではなく、英語用の筋肉を作るためだよ」というのは レッスンの後で伝えました。
噛み砕きすぎましたか?というよりあっているのかどうか??

 「英語用の筋肉を作るため」で良質の説明です。私のレッスンでは、日本語の日常生活にまったく差し障りが生じないようにそれをやっていきます。
 どういう脈絡において、100回ということを言ったかを書いておきます。
 その場で該当音(音素)を絶対に出させようとすると、音によっては、100回やってもその場では出せないかもしれません。そういうことをやると、単に混 乱を深めるだけになりますし、子供もいやになります。これは、ご自分で塾をやられるときのためにも覚えておいて欲しいと思いますが、「技法グラウンド」 (コーチ一回、生徒五回以上)でやるのがいいのです。五回が七回や十回程度に増えることはありますが、その程度にとどめておくのがいい。
 単に文法的理解のためだけに、私の教材は「波状的復習」を組み込んであるわけではありません。あの「波状的繰り返し」によって、日本語の音と英語音との 「間」に混乱は生じますが、日本語の音そのものには混乱は生じません。その条件を確保した上で、音を少しずつ本来の英語の音に近づけていきます。「音」を 獲得するためにも、「波状的復習」の構造が必要です。
 続けているうちに「いつのまにかできている」ということが起こります。そこに至る過程を掲示板にご報告いただけたらと思っています。というか、ある日突 然、「あれ、出来てるわ」という感じかもしれませんが、それならそれで、それをご報告いただけるとありがたいです。
 今のうちにテープに録音されるのもいいかもしれません。一年後に聴いてみられると、きっとびっくりされますよ。
 國弘正雄さんの「只管朗読」は完全に独習用であり、もっとずっと上の年齢の子供に向いています。私のレッスンを継続されている間は、100回とか数百回 という数はやっていただく必要はありません。そういう数でどかどかやっていい年齢は、中学後半から高校生くらいではないかと思っています。
 今のところは、教材の英文の出現が波状的ですので、いつのまにか数百回やってしまったという結果になるのでいいと思います。

>>やたら思い切り言ってみても言えないんだなというところから、今度は緊張ではなく、音に対して素直になってやろうということが生じるんじゃないだろう か。勢い余るというところがとれて、的を射てやろうというふうなことが生じるんじゃないだろうか。

>そうなるのか〜…大人しく観察することにします。

 先日のレッスンは3回目でしたが、すでに「的を射てやろう」という感じで、息子さんに音の入出力のヴォリューム調整をしている感じがありました。子供は 実にダイナミックです。

>一人は何とか独力で音読(カタカナ読みですが)していましたが、他の2人は「make」「マケ」と読むレベル。「her」と「our」も「ヘア」「オウ ア」でした。
聞けば音読は授業のはじめに一回だけ、ということで、あとはほとんど文法の説明と小テストだそうです。

 「音読は授業のはじめに一回だけ」の音読も「音づくり」のレベルを無視したものだろうと思います。
 今も英語難民は量産されているのだということだと思います。こういう調子で、子供は授業につきあわされ、テストにつきあわされ、入試制度につきあわされ ていくのですが、可哀想といえば実に可哀想な光景です。トランプで言えば、まず間違いなくババを引かされるのです。なんで何十枚もあるカードの中からたっ た一枚のババを、「大多数が」引かされなければならないのか。学校とはそういうふうにババを引かせているところだと思ってきました。

>ABCDの教材に一通り目を通しました。

 恐れ入りました。あれを全部読まれたのですか。
 昨日、ABCD の部分をようやく全部書き上げ、「イメージ核受肉教材」と呼んできたものと接続させました。今度、スカイプでお送りしましょうか。ABCD がほぼ3万行、接続させた全体では、今のところ14万行ほどあります。全体の方はおそらく目読でも読み切れないと思います。
 雨滴が岩をうがつことを地でいくレッスンです。
 息子さんが一人でレッスンを受けられるようになった頃に、同じくらいの年齢の友達と二人でレッスンを受けてくれるようになればいいなと思っています。

 お母さんの方も、ABCD をやって「音づくり」の全体像を得られたら、お友達を誘って、「イメージ核受肉」の最初からやられるといいと思います。スカイプならそれが可能です。

>これ、学校で中学生にやらせたいな〜、と思いました。
それにしてもらくださん、matuさんの息子さんは超ラッキーですね♪

 学校では無理です。塾で使って下さるなら、使い方を伝えます。
 教科書を使うのではなく、私の教材一本槍でやっていただけるなら、使ってみて欲しいと思っています。もし、やられるなら、息子さんと一緒のレッスンの時 にも、それを前提としてレッスンします。ひとつの場所に通える地域の子供たちを相手に、塾をやっていただき、その地域の外側にお知り合いがあれば、私の 「スカイプ(電話)でレッスン」の営業をしていただくということで、「塾用に」教材をお渡ししようと思います。
 営業にノルマはありません。「できる範囲で、できるだけ」で結構です。

【12886】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月27日(木)01時19分21秒

>先日行われた中間テスト返却。77/100と、「英語は得意科目だから」と日頃本人が 豪語するほどの点数でもありませんでしたが合格としました。あっちこっちボロボロ間違えていますが、「リスニングは結構ラクに聞けた気がする」のひと言で 合格を出しました。設問への正解不正解は、いずれ問題演習で慣れれば点はとれるようになるはず。リスニングへの苦手意識を持っていないというところに、日 頃のレッスンの成果を見ました。

 平均点を教えていただけたらありがたいです。私は、「英語の点数は上がるときは急に上がる」と塾生に言ってきました。息子さんにもそれを期待していま す。リスニングへの苦手意識がないというところが、私もうれしく思うところです。

>引き続き自主トレをするように言っていますが、この間試した教科書一気読みに手応えを感じている様子ですので、1日2回の一気読みを奨めています。教科 書なんて通しで読んでも、すらすらいけば1回に10分強程度しかかからないのですね。ですので2回読んでも30分弱です。1文を5回ずつ読んで30分経っ たらそこで今日は終わり、という方法とどちらがいいか選択させましたら、一気読み2回を選びました。そのうち回転読みも入れようと思っています。

 1文を5回ずつというのは、レッスンで扱わなかった部分ではやっておいて欲しいと思っています。
 1課分を「通しで5回」というのもいいと思います。
 今のやり方もいいと思います。
 レッスンの他に、毎日30分程度続けてくれれば、確実に力になります。
 レッスンはレッスンの時に集中してもらえばそれでいいです。今のところ、レッスンのための予習、復習は要りません。

>教科書なんて通しで読んでも、すらすらいけば1回に10分強程度しかかからないのですね。

 これが味噌ですね。
 だけど、それができる生徒は息子さんの通っている学校に何人もいないと思います。

【12887】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月27日(木)02時26分47秒

>ただ、この一年、わが身・家庭を振り返ってみると、もちろん息子には、(我が家の家計 の事情から、父親の小遣いからレッスン料を捻出していることもあって)根石さんのレッスンからできるだけモトをとることを求めてもいますし、私もレッスン の様子を聞いたり、電話の録音機能でレッスンの様子をのぞかせてもらってたりして学んでいるつもりですが、それ以外の親子の(英語)学習については、かな り我流や思いつきでやっていること が多い気もします。

 我流でやっていただくのは結構ですが、具体的にどんなことをどんなふうにしているのかお書きいただけると、レッスンとの接点をみつけることができると思 います。
 モトをとれるかどうかは、息子さんが「いっちょう、やってやるか」と心に決めて、激しい英語の練習を始めてくれることが起こるかどうかにかかっていると 思います。それをやってくれれば、車一台買うくらいの金がかかっても、車一台以上に役に立つと思います。
 車一台でも、ただ見栄で持ってるだけの人もいます。そうじゃなくて実際に使ってみてほしいものだと願ってレッスンをさせていただいています。

>肝心の音声面でも、ラジオ講座やCDの利用、技法グラウンドの真似事など、本来なら根石さんのアドバイスを受けた方がいいだろうという気持ちを持ちつ つ、勝手に行っていました。

 息子さんのレッスンを始めさせていただいたとき、「間に合ったな」という感じがありました。学校がつける悪い癖がつき始めていたのです。英文の構造が把 握できていないまま、授業で聞いた日本語訳を覚えていて、日本語訳の全体を英文に対置しているものがかなりありました。ですので、しばらくの間は、「直 訳」をやらせました。「日本語訳まる覚え」を無効にするためでした。
 学校が植え付ける悪い「構造」を打ち砕くことが、最初期の頃のレッスンの内容となりました。
 ラジオ講座やCDの利用もやっていただいていいと思います。私としてはレッスン開始後二年くらいして音がしっかりしてからやってもらいたいというのが基 本ですが、中学生くらいの年齢の子はまだまだ感覚が柔軟ですから大丈夫だと思います。今の段階だと、レッスンが耕した深度以上には感覚の層に入らないだろ うと思っていますが、その場合でも、年齢的に感覚が柔らかいというのは絶対にありますから、ある時から「決まる」ようになるだろうと思います。その時を想 定した「準備」にはなります。
 「型をやれ」といくら言っても、「乱取り」をやりたがる人はいます。そういう場合は、後でもう一度「型」を認識していただけばいいのです。「型」と「乱 取り」の全体に対する「型」というものはないと思っています。ですから、「乱取り」はやっていただいて結構です。

 「技法グラウンド」はどんどんやって欲しいものです。
 CDで音の全体の調子をつかんでから、「技法グラウンド」をやるというのは有効です。

>>そこらへんの見極めができるできないというのは、発音が上手か下手かではなく、音の本質をつかめるか、それをつかんだ上で、言葉にできるかどうかにか かっているのです。
>根石さんは、自分が奥さんより発音が「下手」にもかかわらず、コーチとしてはるかに腕が上であることを、こう説明しています。

 本当は、女房ではなく、広く世間一般にいる「英語で食っている先生たち」について言いたいのですが、まあ、女房に泥をかぶせとく分には差し障りがねえ な、という(女房に対して)乱暴な考えで書いたものです。どうやら女房はこの掲示板を読んだらしいですが、普段から私がきついことを言っているせいか、文 句は出ませんでした。
 村田君と女房と私とで、週に一度、3台のコンピュータをスカイプでつないで、チョムスキーの「 Rogue States 」という論文を読んでいますが、村田君は客観的に私の音と女房の音を比較できる立場にあります。多分、「根石さんより、奥さんの方が上手だな」と言うと思 います。
 だけど、女房が生徒の世話をすると、私が世話した場合より、生徒の音が「直らない」のです。私が世話した方が「直る」のです。だから、「英語が上手」な んてのは、生徒の音が「直る・直らない」とは関係がないのです。だから、英語ネイティヴの先生なんてのは、日本人の英語発音獲得の場面では、ほとんどの場 合に、役立たずなのです。だから、中学・高校へALTを配置しても、税金の無駄づかいにしかならないのです。

>そのような意識化=主体化は、発音における口の筋肉の動きにとどまらず、日本在住で語学をやることのすべての振舞いにおいて徹底的に行われて、それが根 石さんの語学論の輪郭を作っているのだろうと思います。
日本語を磁場とする環境の中で英語をやるという「分裂」や「矛盾」を、ごまかさずに正面から受け止めて、突き詰めることが、それを可能にしたのだと思いま す。

 「分裂」や「矛盾」をごまかさないというのはやってきたと思いますし、英語回りのセンセイたちは、そこをごまかしている人が多いとも思ってきました。た だ、「すべての振る舞い」において、「意識化=主体化」をやってきたかどうかは自分ではわかりませんので、matsu さんに外側から指摘していただくことを願っています。

>昨年、人間の思考力が12歳までで決まるというような「暴論」が、この掲示板で話題になったことがありましたが、思考力が、わが身をひきさく分裂の只中 で、それを自覚し、主体的につかみなおすという技法のことであるなら、むしろ12歳以降の経験の中にこそ、その母胎はあるはずです。

 そう考えています。十代の後半に起こるなら起こるだろうと。

>根石さんを「劣等生」から、詩人・文学者、語学論者へと変貌させる土台をつくった「嵐の一年」が19歳の経験だったように。

 詩や文学にはもうずいぶんごぶさたです。好きですので、読むだけは続けています。立松和平のエッセイを最近初めて読んだのですが、「雄冬岬へ」「極上の もてなし」を読んで、北海道へ行きたくなりました。(「ヤポネシアの旅」・朝日文庫)

>もちろん、私にも親子ともども、まともな音や英語力を身につけたいという希望はあるのですが、その準備期間中においても、「分裂」や「矛盾」を積極的に 呼び込んでいきたいという気分があって、そのために根石さんの指導からはみだすことにも(確信犯的に)手を出してしまっているような気がします。
それもまた、根石さんの語学論によって誘い出された気持ちだと言いたいところですが。

 いろいろやってみていただきたく思います。せっかくですから、それを公開していただけると、参考にして下さる人もいると思います。
 ただ、息子さんが嫌がるようになった頃には手をひいていただくのも肝要かと考えています。「独学」「独習」には、親もコーチも手を出せません。繰り返し になりますが、なにしろ「準備」を提供できるだけです。
 「独学」「独習」というものが、変な言い方ですが、もっとも美しいものだと思っています。

【12888】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月27日(木)18時17分26秒

メルアド、ありがとうございます。先程、メールを差し上げましたのでご一読お願いいたし ます。

> 平均点を教えていただけたらありがたいです。

46点とのことでした。

> 1文を5回ずつというのは、レッスンで扱わなかった部分ではやっておいて欲しいと思っています。
 1課分を「通しで5回」というのもいいと思います。

今の方法でしばらくやったら取り組ませたいと思います。

>レッスンはレッスンの時に集中してもらえばそれでいいです。今のところ、レッスンのための予習、復習は要りません。


教科書の自習についての質問が一段落したら、お聞きしたいと思っていました。両方の自主トレのバランスをどうしたものかと思っていました。レッスンの方で 早くも比較級が出てきていることについて、すごくネエ?、と結構刺激を受けているように感じます。

【12889】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年11月27日(木)23時15分24秒

コメントありがとうございました。

根石言語思想の全貌をつかみたい、という妄念はあるのですが、とにかく語学が素人なので、遅々とした歩みでやっていこうと思います。
私には、それが英語学習法や狭義の語学論をこえた、言語と知と生活をめぐる普遍的な思想であるという確信とイメージがあります。

親子で現在たどりついた英語学習の方法は、こんな感じです。
(もともと、詩人根石吉久の現況を知ろうとして、この掲示板にたどり着いた人間ですので、英語について書くなどおこがましいのですが)
親は、出勤前、基礎英語1〜3を聞く。
息子は、基礎英語1,2を聞いて、いくつかのフレーズを選んで回転読みしておいて、夜、一緒に「技法グラウンド」の要領で復習する。
教科書は、学校の授業に先行する部分を、CD音声を媒介にして一緒に「技法グラウンド」で練習する。
根石さんのレッスンの後には、発音が直された点とその説明を、息子から教えてもらう。
親は、朝のラジオで「口に残った」フレーズを、通勤途中、ひたすら回転させる。
以前は少し長めの文をスムースに暗唱できることを目標にしていましたが、今は短い簡単な文章を繰り返すなかで、口の形や動きに集中したり、ゆっくり読んで イメージを煮詰めたりすることが面白くなっています。

子どもはやはり、親につき合っているという意識があると思います。
傍目にも、「回転書き」と「復習範囲を手放さない」という原則が伴わないと、実力にはならないだろうという気がしますが、そこまで強制はできないので、本 人のやる気まちにしてあります。

日本語の素読は、勤務が忙しくなったことなどの事情で、春先から中断しています。
なんとか再開したいところです。

らくださんが、村田さんの塾の様子を尋ねておられましたが、たしか以前の記事で、村田さんが教室での日本語の素読(たしか吉本の本)の授業について書かれ ていたと思います。
もしよかったら、その辺のことも具体的に教えていただけたら助かります。

【12892】
らくださんへ(分室での進め方) 投稿者:村田 投稿日:2008年11月28日(金)01時40分2秒

戸倉分室は、素読舎本部同様、新しい教材(文法素読)に移行しましたので、最近、やり方が変わりました。
まず、変わる前のやり方から書きます。

・塾生が学校で使っている教科書の技法グラウンド。
 1文づつを、通じる音でよどみなく5回以上読む。
 次にコーチが訳を言い、塾生が一回言う。
 もう一度、英文を5回以上読む。

  ・その日にやる新しい場所は、part単位で(たとえばLesson3のpart3など)。T(トップ)
   と呼ぶ。
  ・それをクリアしたら次は直近の復習(たとえばLesson3のpart1〜part3までの範囲を設定
   し、そのうちのどれかを選び、Tと同じやり方でやる。直近の復習はFN(feedback near)
   と呼ぶ。
  ・最初からの復習。(たとえばLesson1のpart1からLesson2のpart3まで範囲を設定して、
   そのうちのどれかを選び復習。最初からの復習はFF(feedback far)と呼ぶ。
   FFは、5回以上英文を読んだ後、塾生が訳を言う。
 T, FN, FF の3つで1セットとする。これは素読舎本部のやり方と同じ。

・旧ABCD
 進め方の基本は、教科書の技法グラウンドと同じく T, FN, FF で1セット。
 文法はこの教材が基本。
 高校生以降は「基礎問題集」「700選」「長文読解」の順で同じように進める。

・単語
 Z会「速読速聴・英単語 Basic 2200」
 →単語部分のみ単語を見て意味を即座に言う → T, FN, FF で1セット
 →単語を含んだ文を技法グラウンド →T, FN, FF で1セット

・日本語
 1文単位で技法グラウンド。T, FN, FF で1セット。


■新しい教材移行後
・新しい教材(文法素読)
 先に進んでいる塾生に、練習を見てもらう。
 塾生に見てもらった後、コーチにチェックを受ける。

・教科書の復習
 今までやった部分を、技法グラウンドで復習(訳は無し)
・単語は、例文の部分は新しく進めるのはストップし、今までやった例文部分は技法グラウンドで復習(訳は無し)
 単語自体は、新しい部分を進める。T, FN, FF で1セット。

・日本語
 今まで通り。

====================
このような感じです。

【12893】
matsuさんへ(日本語の素読の進め方) 投稿者:村田 投稿日:2008年11月28日(金)01時45分1秒

1つの文を、5回以上、はっきり、よどみなく読めたらOKです。
文章についての解説などは、こちら側からは特にしません。塾生の方から聞かれたら、私がわかる限りのことは説明します。
日本語については、今まで日本語を一番長くやっている塾生は、次のような感じで進めてきました。(小学5年生開始)
中島敦「名人伝」→永井均「ルサンチマンの哲学」のうち「星の金貨」→寺田寅彦随筆集から「どんぐり」→吉本隆明「中学生のための社会科」第一章(現在中 学3年生)
「名人伝」は固い文章に慣れるということと、修行ということについて書かれていたので選びました。当初はこれだけで終わろうと思ったんですが、塾生から もっとやりたいという要望もあり、その都度、自分が気になったものを選んできました。

現在は、古文にもなじんでおいた方がいいと思い、駿台の「古文読解教則本」を「例文5回→現代語訳1回→再び例文5回」のサンドイッチ構造で進め ています。できれば「大鏡」や「枕草子」あたりを最初から1文づつやっていきたいところですが…私には今のところそこまでの力がないのでこのやり方でやっ ています。

【12894】
らくださん、matsuさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月28日(金)01時51分0秒

書いていただいてありがとうございます。

 今日は寒くて下痢で、空手を習う日でした。
 空手の「型」を「決めた」と「同致」で、パンツを汚すのもはばかられたので、浜田さんに提言し、山登りに切り替えてもらいました。山登りなら、はばかる ことなく藪の中に入って行って、晩秋の冷たい風に尻をさらすこともOK。キリピーに見せるのはヤダけど、恐竜たちには見せてやってもいいよ。
 行ったところは、長野市篠ノ井の恐竜公園というところでした。。。。。ただで入れて、なかなか異様な風情のあるところです。この掲示板の常連の方たちが 我が家に遊びにおいでた(おいでになった)時にはご案内できます。
 あ、いいこと思いついた。プラスチックはリサイクルを繰り返すと、そのたびにプラスチックとして劣化していきます。もうここらまで劣化したらいいかげん リサイクルも終わりだという質のプラスチックは、恐竜にして固めてしまえばよかねえか。篠ノ井の恐竜たちは、ちょっと小さい。もっとでかい恐竜を作って、 姨捨山(冠着山)のボコ抱き岩の高さくらいのところに据えたらいいんじゃねえか。
 多分駄目。強清水の水が汚くなる。今でさえ汚いのに。

 駄目だあ。酔っちまったあ。

 とにかく皆さん、ここへどんどんお書きいただくことを願っております。
 失礼いたします。

【12895】
根石さん(発音について) 投稿者:村田 投稿日:2008年11月28日(金)01時57分27秒

> 村田君と女房と私とで、週に一度、3台のコンピュータをスカイプでつないで、 チョムスキーの「 Rogue States 」という論文を読んでいますが、村田君は客観的に私の音と女房の音を比較できる立場にあります。多分、「根石さんより、奥さんの方が上手だな」と言うと思 います。

以前だったら、そう言っていると思います。(「個別の音」を取り出せば、今でもそうかもしれませんけど)
ただし、リズムやイントネーション、アーティキュレーションといったトータルな見方だと、根石さんの方が断然上手(うわて)だと思います。
で、そう言っているわたしはどうかと言うと、どちらかと言えば奥さん寄りな読み方なんじゃないかと思います。

【12897】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月28日(金)02時07分1秒

 らくださんへの説明は、らくださんは英語学習法研究でプロですからわかってもらえるかもしれませんが、読んでいるだけの読者にはまず了解不可能だと思い ました。まあ、らくださんにわかってもらえればいいのですが、それでも、結構な骨折りだなと思いました。
 matsu さんへの記事はわかりやすいです。
 日本語素読の部分でけっこう面白いことをやってるんだなと思いました。

 「根石さん(発音について)」は、また難しいことを言い出したなと思いました。
 つまり、「音」っていうのは、「意味」と一緒にならねえと駄目なんだと言っているのかなと思いました。

 思いましたばっかりで済みません。

【12898】
チョムスキーのHP 投稿者:村田 投稿日:2008年11月28日(金)02時08分52秒

http://www.chomsky.info/

http://www.chomsky.info/articles/199804--.htm
にチョムスキーが雑誌に寄稿したRogue Statesという記事がありますが、より読みやすい感じがします。

【12899】
ほう 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月28日(金)02時15分1秒

>村田君

雑誌に最初に書いたものと本になったものはまるで印象が違うな。よっぱらいだから、印象しか言えないけど。
本のやつを最初に手がけたから、しばらく本をやって、雑誌初出のやつを後からやってみたら面白いかもしれない。

【12913】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月29日(土)02時27分55秒

>私には、それが英語学習法や狭義の語学論をこえた、言語と知と生活をめぐる普遍的な思想であるという確信とイメージがあります。

 単なるハウツウではないとは自分でも思っています。多くのハウツウが、「磁場」の問題や「音」の問題をすっとばしていることに対する批判があります し・・・。
 語学論は、やり方によっては思想になるんじゃないかとは長年考えてきました。

>親は、出勤前、基礎英語1〜3を聞く。
息子は、基礎英語1,2を聞いて、いくつかのフレーズを選んで回転読みしておいて、夜、一緒に「技法グラウンド」の要領で復習する。
教科書は、学校の授業に先行する部分を、CD音声を媒介にして一緒に「技法グラウンド」で練習する。
根石さんのレッスンの後には、発音が直された点とその説明を、息子から教えてもらう。

 だいたいわかりました。「技法グラウンド」を使っていただいているようでうれしく思います。しばらく、これでやられたらいいと思いました。
 今日のレッスンで息子さんに話しておきましたが、「言いながら、書きながら、思う」ということを単語単位でやることを組み込んでいただきたく思います。 学校の教科書、「基礎英語」、私のレッスンの教材のどれを相手に練習する場合でも、初出の(知らない・初めての)単語、なじみの薄い単語をみつけたら、す ぐに「言いながら、書きながら、思う」という練習をしていただくのがいいと思います。これは、親子が二人でやる練習ではなく、それぞれ一人ずつ自分でやる 練習になります。
 「言いながら、書きながら、思う」の「思う」というのは、「この単語はこういうことを言う単語だ」と、「こういうこと」=「こと」を思うことになりま す。「言いながら、書きながら、イメージする」は、「この単語はこういう感じだ」と「感じ」を感じてもらうことになります。
 「言いながら」をするのは、「音」とイメージを溶接する(一体化する)ためですし、「書きながら」をするのは、「文字」とイメージを溶接するためです。 「言いながら、書きながら」をするのは、「音」と「文字」を溶接するためです。「音」と「文字」が溶接され一体のものと感じられるようになったら、さらに それをイメージと溶接し一体化します。
 キリスト教ではありませんが、「音」「文字」「(こと・ものの)イメージ」の三位一体を作る方法が、「言いながら、書きながら、思う」です。これは語学 の方法として、ひとつの原形たりうるものです。言ってしまえば「なんだそんなこと」程度に扱われがちですが、これはやるとやらないでは、まるで違う結果を もたらします。
 これを組み込んでいただくと、「遅読法=切断読み」を導入できるようになります。

>根石さんのレッスンの後には、発音が直された点とその説明を、息子から教えてもらう。

 息子さんの「音」に関しては、だいぶ直す回数が少なくなりましたが、それでも、一回のレッスンで二つ三つ直すことは続いています。息子さんから matsu さんにうまく伝わるといいなと思います。

>親は、朝のラジオで「口に残った」フレーズを、通勤途中、ひたすら回転させる。

 これはいいやり方だと思います。その際、わざとゆっくり言い、「言いながら、思う(イメージする)」ことを強めにやられることも混ぜてみられたらどうで しょうか。
 「わざとゆっくり」をやるときは、文を言うのが途中で途切れてもかまいません。音にしっかりとイメージが充電されるのを確認して、次の単語を言うことが 肝心です。「充電」の強度を弱めずに、少しずつ言うスピードを早めていくやり方もできます。

>以前は少し長めの文をスムースに暗唱できることを目標にしていましたが、今は短い簡単な文章を繰り返すなかで、口の形や動きに集中したり、ゆっくり読ん でイメージを煮詰めたりすることが面白くなっています。

 「ゆっくり読んでイメージを煮詰めたりすることが面白くなっています。」ですから、今私が書いた「遅読法」はすでにやられているんですね。matsu さんには不要なのかもしれませんが、「遅読」は重要な練習ですので、他の人のために、書いたものをそのまま残させていただきます。

>傍目にも、「回転書き」と「復習範囲を手放さない」という原則が伴わないと、実力にはならないだろうという気がしますが、そこまで強制はできないので、 本人のやる気まちにしてあります。

 当人にとって、易しいと感じられる文を、どんどん「乱取り」に取り入れていただくのがいいと思います。多くのヴァリエーションに触れるということにはな りますので、それでいいと思います。私のレッスンの教材は、「復習範囲を手放さない」を原理の一つとして作ってありますから、同じ文を(結果的に数百回) 繰り返すことはレッスンの方にまかせておいていただけば結構です。「型」はレッスンの方で引き受けます。

【12915】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年11月29日(土)02時56分29秒

>> 平均点を教えていただけたらありがたいです。
>46点とのことでした。

 平均46で77なら、けっこういい線いってますね。

>>レッスンはレッスンの時に集中してもらえばそれでいいです。今のところ、レッスンのための予習、復習は要りません。

 こう書きましたが、ひとつだけやっていただきたいことがあります。matsu さんに書いた記事の中にある、「言いながら、書きながら、思う(イメージする)」です。
 matsu さんに向けた記事を参照していただけたらと思います。
 息子さんにはそれをやって欲しいと伝えてあります。

>レッスンの方で早くも比較級が出てきていることについて、すごくネエ?、と結構刺激を受けているように感じます。

 私の自作教材を使ったレッスンで、学校でやってないところが出てきているということだと思います。うまく刺激として作用してくれればいいと思っていま す。

【12917】
ももこさん、根石さん 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年11月29日(土)09時52分25秒

>ももこさん

可愛いお写真をありがとうございます!キャーーー、こんなに小さい時からこんなに可愛く笑ってくれるなんて♪
うちの息子たちは写真を撮るとき、なぜかしかめっ面でした(涙)。
赤ちゃんって命の塊ですね〜。うちの息子たちもこんな頃がありましたね〜〜。すごいわ。

>根石さん
>こちらこそよろしくお願いします。今のうちは、スカイプでのレッスンはもの珍しいですから、面白がってくれるかもしれませんが、
ある程度時間が経つと、生活の中に組み込まれてきて、「普段歩いている道を歩いているだけ」になってきます。
珍しくもなんともなく、けっこう退屈したりもします。そこのところを継続して下さると、力が蓄積されていきます。

とにかく地味に行こうともう一度心を決めました。

>>というのが他のお子さんに比べて低い…というのかなぁ…
次男の方が同じ年の頃の長男に比べてこの能力は高い気がします。

>人間の能力というのは、全体としてはほぼ同じ重量を示すんじゃないかと思っています。
音の受容能力が低いことが、語感受容能力を高くしていたりするものです。

なるほど〜〜〜!語感受容能力は親ばかですが、それなりにあると感じています。子供たちをみて、漠然と感じていたことを言葉にしていただいた感じがしま す。


>一般論として話を広げてしまえば、学校的知識というか黒板的知識の受容能力の高さが、(制度としての)学校を相対化する力を弱め、本来の独習の形成にさ しさわったりというようなこともあると思います。
英語はこの「本来の独習」部分が弱いとどうしようもないものの一つです。
学校の点はよくとれるが、英語力が備わっていかないケースはよく目にしてきましたが、「音」の問題以外にも案外そんなことが作用しているかもしれません。
私のレッスンは、子供が独習する気になってくれるように「準備」を続けるものだと考えていただくのがいいと思います。この場合の「独習」は、私はかなり激 しいものを想定しています。

「準備」、ですね。まだ私の中で「こういうことかな〜」と予想するだけで「(根石さんのおっしゃることは)こういうこと」という確信はないのですが、徐々 に作られていくだろうと思います。

>本当は、音の受容能力が高くても低くても、子供英会話なんていうのをやらせるべきではないと思っています。生活言語ではない言語は、あくまでも語学の対 象言語としてやらせるべきです。生活語として外国語をやらせても、磁場がそれを支えてくれませんから、身に付かないか、身に付いた場合は感覚が不安定にな るかどちらかです。
 言葉というものは、感覚、感情、思考に対して「なかだち」するものです。単なる知識ではありません。子供英会話に通わせている親たちは、「言葉というも のをなめている」と私は思っています。

はい、今はそう考えています。

>>わかんなくなっているみたいです。
何だこりゃ?って思っている様子でした。

>それで大丈夫です。日本語の音ですでに口の動きができてきていますので、口が混乱します。音は赤ん坊だけが持つ「普遍音(どんな言語の中に生まれてきて も赤ん坊が発する同じ音)」に根を持っていますが、小学3年生だと、いったんは、日本語音(生活言語の音)と人工音(レッスンの英語音)の間で混乱が生じ ます。根は「普遍音」であり、幹は日本語音(母語)です。そこに接ぎ木したようなものが、人工音です。
 「人工音」というのは、「生活語ではない音」という意味で、私は「生活」の方から規定しています。「人工音=語学の音」「自然音=生活言語の音」という ところを、私ははっきり区別しています。
 息子さんの場合、生活語は日本語ですから、日本語音が発達していきます。その幹に比べれば、人工音(英語音)は細くなりがちですが、細い枝は細い枝なり に少しずつ太くなっていきます。これで普通です。

バリバリの日本語ネイティブですからね☆ときどき落語調になる息子の喋りが好きなのです。
母親としてはこの幹を大事にしていけばいいんだなぁ、とあらためて思いました。
英語の枝の方は根石さんにお任せします。
ゆっくりやっていただけるのはとてもありがたいです。

>そういうことをやると、単に混乱を深めるだけになりますし、子供もいやになります。これは、ご自分で塾をやられるときのためにも覚えておいて欲しいと思 いますが、「技法グラウンド」(コーチ一回、生徒五回以上)でやるのがいいのです。五回が七回や十回程度に増えることはありますが、その程度にとどめてお くのがいい。
 単に文法的理解のためだけに、私の教材は「波状的復習」を組み込んであるわけではありません。あの「波状的繰り返し」によって、日本語の音と英語音との 「間」に混乱は生じますが、日本語の音そのものには混乱は生じません。
その条件を確保した上で、音を少しずつ本来の英語の音に近づけていきます。「音」を獲得するためにも、「波状的復習」の構造が必要です。

ここまで考えて組んでいただけるレッスンというのは他にはないもので、うちは運が良かったとニコニコ。


>先日のレッスンは3回目でしたが、すでに「的を射てやろう」という感じで、
息子さんに音の入出力のヴォリューム調整をしている感じがありました。子供は実にダイナミックです。

私も今回はおっしゃっていることが少しわかりました。息子、いろいろとためそうとしているんですね。いろいろ、今までの日本語を話すときのようにやってみ るんだけど、うまく行かない。わかんない、どうすりゃ良いんだ?これは何か違うぞって顔でした。
子供ってすごい。

>「音読は授業のはじめに一回だけ」の音読も「音づくり」のレベルを無視したものだろうと思います。
 今も英語難民は量産されているのだということだと思います。こういう調子で、子供は授業につきあわされ、
テストにつきあわされ、入試制度につきあわされていくのですが、可哀想といえば実に可哀想な光景です。
トランプで言えば、まず間違いなくババを引かされるのです。なんで何十枚もあるカードの中からたった一枚のババを、
「大多数が」引かされなければならないのか。学校とはそういうふうにババを引かせているところだと思ってきました。

いつもながら絶妙の文…。

>>ABCDの教材に一通り目を通しました。

>恐れ入りました。あれを全部読まれたのですか。
 昨日、ABCD の部分をようやく全部書き上げ、「イメージ核受肉教材」と呼んできたものと接続させました。
今度、スカイプでお送りしましょうか。ABCD がほぼ3万行、接続させた全体では、今のところ14万行ほどあります。
全体の方はおそらく目読でも読み切れないと思います。

まだ目がちかちかしています。教材頂けたらありがたいですが、読みきれませんね〜〜〜〜(汗)。
いつか自分がレッスンが受けられる日が来ると思います。

>雨滴が岩をうがつことを地でいくレッスンです。
 息子さんが一人でレッスンを受けられるようになった頃に、同じくらいの年齢の友達と二人でレッスンを受けてくれるようになればいいなと思っています。
お母さんの方も、ABCD をやって「音づくり」の全体像を得られたら、お友達を誘って、「イメージ核受肉」の最初からやられるといいと思います。スカイプならそれが可能です。

私もそうしたいなと考えています。

>学校では無理です。塾で使って下さるなら、使い方を伝えます。
 教科書を使うのではなく、私の教材一本槍でやっていただけるなら、使ってみて欲しいと思っています。もし、やられるなら、息子さんと一緒のレッスンの時 にも、それを前提としてレッスンします。
ひとつの場所に通える地域の子供たちを相手に、塾をやっていただき、その地域の外側にお知り合いがあれば、私の「スカイプ(電話)でレッスン」の営業をし ていただくということで、「塾用に」教材をお渡ししようと思います。
 営業にノルマはありません。「できる範囲で、できるだけ」で結構です。

うわ〜〜〜〜!すごく魅力的なお誘いをありがとうございます。
塾にいる頃、テストや学校の進度にさえぎられるのがなんとももったいないと感じていました。
教科書は4年ごとに変わるし。それに左右されないものを芯に出来るというのはすごいことだと思います。
それで理解してくださる方だけを相手にすることになりますが(爆)。
その営業の難しさも容易に想像できます。でも魅力的だ〜。お願いします、とのどまで出る…。エイ、出しちゃえ。
お願いします☆
営業はあまり上手ではありませんが、そっちもスキルを積んでいこうと思います。

【12918】
村田さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年11月29日(土)10時22分23秒

村田さん、ありがとうございます。

私が分室での活動に関心を持ったポイントの一つは、根石さんの「電話&スカイプでレッスン」との違いのようなことです。特に学校の成績アップ、受験への対 応といったところで、根石さんとは違った独自の工夫をされていらっしゃるのか、という点です。

技法グラウンドを使った練習を核としているところが共通しているのは当然として、市販の書籍を教材に取り入れていらっしゃる点が目につきました。これは主 に高校生向けということだと思いますが、「基本英文700選」(駿台文庫)を使われているのですね。この本は、先日パクパクさんが書き込まれていた酒井邦 秀さんの多読法との関係を含めて、過去に議論になっていますが、村田さんはそれなりの評価をされているということですね。私は伊藤和夫さんの晩年のご著 書、特に「ビジュアル英文解釈」上下(駿台文庫)は、読解用の本としては良い本なのではないか、と思っていることもあり興味を引かれました。

また、Z会は大学受験用の「速読英単語」系ではなく、一般向けの「速読速聴」系を使われているというのは何か理由がありますでしょうか?それから、「基礎 問題集」と「長文読解」は旺文社ですか?正式な書名を教えていただければと思います。先日の書き込みに

>リスニング25分ということは、残り25分で長文問題を解かなければならない勘定です。この中学の3年の試験は、長文問題は長めのが複数あります。今回 も長めのが二つあったとのこと。

とありましたが、技法グラウンドによってセンテンスに習熟するという取り組みを、受験で必須の長文読解にどうつなげていかれるのか、という点は興味深い テーマです。

【12923】
らくださん 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 1日(月)00時35分13秒

すいません、私の書き方が悪かったので、誤解が生じたようです。

「基礎問題集」「700選」「長文読解」とも、根石さんが作った素読舎の教材です。
(「700選」は駿台の「基本英文700選」がもとになっています。「基本英文700選」を根石さんが徹底的に解析したテキストなので、これは素読舎オリ ジナルテキストと考えていいと思います。そもそもそも、駿台の「700選」自体がそれ以前の古典的参考書から例文を引いているようですし)

市販のテキストはZ会の「速読速聴・英単語 Basic2200」のみなんですが、これは中学生向けに単語の習得用に使っています。受験用の範囲をカバー して、なおかつ日常生活に関する単語もそろっているのでいいかと考えています。


分室は根石さんのやり方と基本的に同じなんですが、実験的にサブテキストも作っていました。
例えば、今までは教科書を飽きるほど読みこなすというのがひとつの柱としてあったのですが、中学三年で入塾してきた塾生が、三年生の教科書をいきなり「技 法グラウンド」でやっていくのはかなりきついものがあるということがあります。
そこで、三年生用には補助教材として、次のようなものを作ってみました。

例)
One day my four little children will not be judged by the color of their skin...
という文があったとします。
これが一発でできればいいのですが、三年生の途中から入ってきた当初は、なかなかうまくいきません。

one day   いつの日か
my four little children   私の4人の小さな子供たち
will not be judged   判断されなくなるだろう
my four little children will not be judged   私の4人の小さな子供たちは判断されなくなるだろう
by the color   色によって
of their skin   彼らの皮膚の
by the color of their skin   彼らの皮膚の色によって
One day my four little children will not be judged by the color of their skin...

これを英語の部分のみ「技法グラウンド」でやりました。
なるべく大きなかたまりの方を選んで、それでもきつい場合はそれより細かく分かれた部分をやる、という具合です。
SIMのスラッシュ読みに似ていると思いますが、原理的には「語数別」と回転読み用なので、実質的には別物だと思います。
(余談ですが、塾生が小学生だけだった時に、クリスマス直前の1か月半ほど、上記のような教材を作ってWalking in the airという歌の技法グラウンドをやりました。Snowmanという短い無声アニメーションの中に出てくる歌です。クリスマス近辺の塾の日に、一緒に SnowmanのDVDを見ました。この歌だけが、作品中で唯一の言葉でして、歌が始まると塾生は「あ、これ、あれじゃん!」とすぐに気づいてくれまし て、えらく感激していました。)

>技法グラウンドによってセンテンスに習熟するという取り組みを、受験で必須の長文読解に
>どうつなげていかれるのか、という点は興味深いテーマです。

これはもう根石さんの言っているように「音と意味の同致」を起こすしかないのではないかと思います。具体的には「回転読み」「回転書き」の質を高めていく ということではないでしょうか。
文単位の技法グラウンドおよび回転書きに習熟したら、パラグラフ単位の技法グラウンドに移行するとさらに力がつくと思います。(ただし、ここまで行くのは かなり時間がかかりますが…)

【12926】
村田さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月 1日(月)22時35分11秒

教材についてのご説明、ありがとうございます。いろいろと工夫されているのですね。

Z会の「速読速聴Basic」はちょっと良さげだな、と思っていましたので詳しく見てみたいと思います。

>これはもう根石さんの言っているように「音と意味の同致」を起こすしかないのではないかと思います。具体的には「回転読み」「回転書き」の質を高めてい くということではないでしょうか。

長文読解対策に王道なし、ということですね。パラグラフリーディングとか速読とか色々言われますが、一文単位での読みに習熟していないで、その先は無い と。でも、例に挙げていただいたキング牧師の一節など見ますと、一文と言っても、このぐらいの長さになりますと簡単ではないですね。

教室では、どういう授業形態をとられているのでしょうか。江戸時代の寺子屋みたいに、使用教材や進度が異なる塾生が混在していて、おのおの自主練習し、適 宜師匠の前で発表して指導を受ける、という感じでしょうか。

【12927】
教科書一気読み続報 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月 1日(月)22時53分51秒

昨日、息子の教科書一気読みにつき合いました。「毎日やったら、そのうち教科書見なくても言えるようになるよ」と言ったところ、「よっしゃー」となって Lesson 1からソラでやり始めました。Lesson 5まではほぼOK、Lesson 6が8割方で、7に入ったところでガクンと落ちて、うろ覚えという感じでした。これはちょっと驚きました。読みの自習トレは始めたばかりですので、レッス ンのみで上記の状態まで来ているという事になります。

逆に、これからだな、と感じた事もあります。根石さんから今の「ネイティブ音素含有率」60%との判定をいただきましたが、当面の目標となる70%との差 はどの辺りになるのでしょうか。

母音関係はerなどを含めて、意識の中にあるように感じますが、子音関係でお決まりのf,v,th,r,lなどは、まだ意識にのぼっていないように見受け ます。音作りに関して現在はどこに力点が置かれ、今後、どういう感じで手が入っていくことになるのでしょうか。

【12929】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 2日(火)00時09分4秒

>例)
One day my four little children will not be judged by the color of their skin...
という文があったとします。
これが一発でできればいいのですが、三年生の途中から入ってきた当初は、なかなかうまくいきません。

one day   いつの日か
my four little children   私の4人の小さな子供たち
will not be judged   判断されなくなるだろう
my four little children will not be judged   私の4人の小さな子供たちは判断されなくなるだろう
by the color   色によって
of their skin   彼らの皮膚の
by the color of their skin   彼らの皮膚の色によって
One day my four little children will not be judged by the color of their skin...

これを英語の部分のみ「技法グラウンド」でやりました。


 これは非常にいいやり方だと思います。
 日本語を壊さないのがいい点だと思います。
 この後、文法理解はどうやったのでしょう?

【12930】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 2日(火)01時19分54秒

>昨日、息子の教科書一気読みにつき合いました。「毎日やったら、そのうち教科書見なくても言えるようになるよ」と言ったところ、「よっしゃー」となって Lesson 1からソラでやり始めました。Lesson 5まではほぼOK、Lesson 6が8割方で、7に入ったところでガクンと落ちて、うろ覚えという感じでした。これはちょっと驚きました。読みの自習トレは始めたばかりですので、レッス ンのみで上記の状態まで来ているという事になります。

 私のレッスンは、週に一回、わずか30分ですが、それが実質を形成しうるのだと報告していただいたのだと思います。うれしいです。
 「教科書見なくても言える」というのは、本人が「よっしゃー」ならやってもらっていいですが、決して強制にはしないで下さい。

>根石さんから今の「ネイティブ音素含有率」60%との判定をいただきましたが、当面の目標となる70%との差はどの辺りになるのでしょうか。

 60パーセントではなく、60パーセントの後半に来ていると思っています。今でも、母音関係ばかり直していますが、直す回数は一回のレッスンで2,3回 程度になっています。
 もう70パーセントに近いところにいると考えていただいていいですが、一回のレッスンで直すのが、2,3回から1,2回に減るまでに結構な時間がかかる ものです。たまに1回直す程度になれば、間違いなく70パーセント台だと思います。

>母音関係はerなどを含めて、意識の中にあるように感じますが、子音関係でお決まりのf,v,th,r,lなどは、まだ意識にのぼっていないように見受 けます。音作りに関して現在はどこに力点が置かれ、今後、どういう感じで手が入っていくことになるのでしょうか。

 f,v,th,r,l などのうち難物は r だと思います。それ以外は、比較的簡単に直ります。
 r の本質は、「舌がどこにも触らない」というところにあります。舌の位置は、歯に近い方にあったり、喉のほうにひっぱられていたり、まちまちです。本質は、 「舌がどこにも触らない」だと思っています。
 こういう報告をいただいて改めてわかることは、私のレッスンはいきなり母音を攻めるという特徴があるのです。「いきなりCD」は駄目だが、「いきなり母 音攻め」はいいと思っています。
 現在、村田君と協同で、発音用の教材を作っています。これができれば、息子さんにも使ってもらおうと思っています。f,v,th,l などは一発で直ると思っています。とてもじゃないが一発で直るってことがないのが母音です。
 これも言葉で言ってしまうと「なんだそんなことか」と言われることが多いので、言うのがいやなのですが、私の母音の扱いはほとんど「ア系列」だけです。
 「ア系列」は大きく言うと3つしかありません。a と e の合体(一瞬般若・口の両端斜め上)、顎の下がるa (歯医者)、狭いア(逆さe と逆さv)です。
 逆さ e と逆さ v は、ひとまずは区別せず、両方とも「狭いア」として扱っています。(単独の)逆さ e はアクセントのないところに現れ、逆さ v はアクセントのあるところに現われるだけで、口の「狭さ」は同じだと考えていいと思っています。「狭さ」が同じなら、アクセントの有無によって、息の勢い が変わり、「狭さを意識しアクセントさえ間違えていなければ」、ある程度までは自然に区別が備わる音です。ある程度まで備わってから、区別をするなら区別 をするのでいいと思っています。
 たった3つの区別かよ、そんなら楽ちんだと思う人は実際にやってみればいい。そんな楽ちんのもんじゃないとわかります。 He has got a gun. を初めて言う場合に、知識を介在させずに、感覚だけで3つをきちんと言い分けるようになるのが、日本人にとってどれほどの難事であることか。

 私の音の扱いはいつでも「中間」を大事にしています。「中間」にある「通じる音」こそが日本人にとって最も価値のある音です。この一点で、私はネイティ ヴ音崇拝の奴隷たちと違っています。彼らはネイティヴ音に「同化」したいのです。語学の態度としては、ネイティヴの性質に由来するものを「媒介」にするこ とがまともであり、ネイティヴの性質に「一元化」することに、私はとてつもなく醜いものを見ています。恥ずかしくないのかというのが、私が何十年もかみ殺 してきた言葉です。
 「一元化」をやってきた磁場帰りの者たちにも、磁場に渡って「一元化」をやりたがる者たちにも同じように醜いものを見ています。

アノヒトタチトハサイショニタモトヲワカチタイ、です。

 今後どういうところに手を入れていくかについてですが、私の自作教材を使ったレッスンは、今のところ、文法の基礎を固めているところですので、息子さん は音の方にはあまり注意が行かないかと思います。「音」に関しては、一休みの段階です。もちろん、「音」に関して問題があればその場で指摘していきます が、おおまかにはこれまでのレッスンで言ったことを熟成させている段階です。味噌を作ったり、酒を作ったりするのと同じで、注意を注ぎながら放置しておく 段階も必要になります。この段階では、私はどのくらいの語数のものがどのくらいの時間で口に乗ってくるかということに注視しています。これは、単音レベル ではなく、リズムに関係する「音」に注意しているということになると思います。単音の発音レベルは今の状態を維持し、口の乗せる語数を徐々に増やしていき ます。
 私の自作教材は、今、二箇所を同時進行で進めていますが、後から追いかけているものが先に進んでいるものに追いついた場合は、本格的に口に乗せる語数を 増やす段階になると思います。熟成が進んできた頃には、「もうCDの音をどんどん真似ていいよ」と再度言うことになります。「もうやれよ、やった方がいい よ」と言うかもしれません。

 コーチからうれしい報告をひとつ。
 [a:r](歯医者)の音を先日、息子さんがすごくきれいに出しました。明らかに「根石先生」由来の音ではなく、CD由来の音でした。おおっ、と声に出 そうになりました。
 私はとにかく、「顎を下げろ」とだけ言ってきたのです。ずっとそれだけを言ってきました。顎の下げが簡単に楽にできる口の動きが備わったときに、息子さ んはCD音を「媒介」にして100点満点の[a:r]を「自分で」実現しました。それもごく簡単に実現したと思っています。「磁場」でこの音を最初から聞 き分ける耳ができています。
 これが、「俺の生徒は俺よりも発音が上手なんだよね」が生じることの秘密です。
 秘密ですが、わかるひとにはすぐにわかるので、秘密でもなんでもない秘密です。

【12931】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 2日(火)02時02分1秒

>これはもう根石さんの言っているように「音と意味の同致」を起こすしかないのではないかと思います。具体的には「回転読み」「回転書き」の質を高めてい くということではないでしょうか。

 これまでもう10年にもわたって、この掲示板で「音」を問題にしてきました。
 もう、「音」について、それを主眼とすることはいいんじゃないかと思い始めました。
 過去ログが整理されれば、ほとんどのことは言い尽くされていると思います。

 今後は「言いながら、書きながら、思う」です。
 これまでの10年くらいは、そのうちの「言いながら」だけを扱ってきたことになります。
 「書きながら」についてのもっとも良質のお手本は、「算盤」だと思っています。
 「思う」が一番難しいのですが、今の時点で言い切れることは、「この単語が表すことは、こういうコト」の「コト」を思うことと、「この単語はこういう感 じ」と感じることです。
 言葉が読めるというのは、「コト」と「感じ」を同時に内在化することです。
 語学が頼っていいのは、「しゃべれる」じゃなくて、「読める」だと思うのです。
 もう、普段通り酒が入っていますから、後で読むといい加減なことを言っていることになる危険をいつも通り冒しています。

 もうずいぶん前ですが、英語嫌い人さんでしたかが教えてくれたことははっきり覚えています。ギリシアの人たちは、夜、大酒をくらいながら言いたいことを 言い、取り決めを決める、と。翌日、みんなで目をさましてから、是を是とし、非が含まれていたらそれを取り除くと。ソクラテスの時代のギリシアの人たちは そうして共同体の合意を作っていた、と。
 ずいぶん、自分なりの言い方になおしてしまいましたが、英語嫌い人さんが言っていたことと的は外れていないだろうと思います。

 今後は「言いながら、書きながら、思う」ににじり寄ります。
 こんな当たり前の日本語で言うと、馬鹿にされるのがオチですが、じゃあ、おめえさん、この三つをまともにやれるんならやってみろと、現代の日本人に言い たいです。というか、今後、言っていこうと思っています。

 村田君、「回転読み」「回転書き」の質を高めるだけじゃ駄目なんだな。
 「遅読法」を抜かすとどうしようもない。
 「遅読法」を抜かすと、日本にいて語学をやるだけで、重い軽いの別はさまざまだが、英語は神経症をもたらすぜ。
 「回転読み」「回転書き」は、もっと微分できる。
 微分してみつかる原形は「言いながら、書きながら、思う」だろうと思う。
 「言いながら、書きながら、思う」をしこたまやってもらうことだと思う。
 そうすればようやく「回転読み」「回転書き」ってことが広くわかってもらえるんだろうと思う。
 今日も思ってばかりいますが、酔っぱらいですので、ご容赦・・。

【12932】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月 2日(火)08時20分11秒

>「教科書見なくても言える」というのは、本人が「よっしゃー」ならやってもらっていいですが、決して強制にはしないで下さい。

はい。こういうハッキリした成果を差し出されると、ついつい「もっとやってみせろー」と言いたくなりますが、禁欲したいと思います。良いとこ見せようとし て「覚えよう」としはじめるとダメなんでしょうね。結果として自然と覚えてしまっていた、というところがミソかと思います。息子の場合、やはり学校で始ま る前、まっさらな状態から始めた事もプラスに働いているのかもしれません。

>[a:r](歯医者)の音を先日、息子さんがすごくきれいに出しました。明らかに「根石先生」由来の音ではなく、CD由来の音でした。

それはどうでしょうか。CDについては解禁されましたが、まだ全く使っていませんので。根石さんの音とCDの音とのこんがらがりを避けるために、CD練習 は先延ばしにしました。一昨日の一気読みを聞きながら、その思いはさらに強くなりました。まだレッスンを受けていない音があるな、と感じたからです。一通 りの指導を受けるまでCDはやめておこうと思いました。

>この段階では、私はどのくらいの語数のものがどのくらいの時間で口に乗ってくるかということに注視しています。これは、単音レベルではなく、リズムに関 係する「音」に注意しているということになると思います。

納得です。読んでいる様子を見て、発音の細かいところよりも別のところに意識の中心があるような、漠然とそんな感じを受けました。

>熟成が進んできた頃には、「もうCDの音をどんどん真似ていいよ」と再度言うことになります。「もうやれよ、やった方がいいよ」と言うかもしれません。

その時まで、読み練習プラス「言いながら、書きながら、思う」でいきたいと思います。「思う」は、やるのも説明するのも難しいわけですが、

>「この単語が表すことは、こういうコト」の「コト」を思うことと、「この単語はこういう感じ」と感じること

と簡潔に表現していただきましたので、これを合い言葉にしたいと思います。といっても、言うは易し、結構深いことですので、まあ、あまり強い「電圧」はか からないと思いますが。

【12935】
レッスンの感想 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月 4日(木)08時12分56秒

おはようございます。
根石さんに引き続き、村田さんもお風邪ですか(涙)。
どうぞお大事に。

>根石さん
月曜日はあわただしく体験レッスンをお願いしてしまいました。
ありがとうございます。

まずは息子の方のレッスンの感想から・・・

四回目のレッスンで、初めて友達と一緒、ということで、かなり楽しんでいました。
先輩面しているのがなんとも…。

でも今回、初めてのお子さんとご一緒してみて、初回の息子の様子を思い出し、
ああ、早くも変わってきているんだな、と確認できたことはとても有難かったです。
音がすでに良くなっている、とかそういうことではなく、もっと外側のこと…
うまくいえないのですが、ボリューム調整や、息、センテンスのリズムなどを「意識」し始めているのがよくわかりました。
復習はもっぱら私がやっていて、息子はときどき合流している感じです。
もちろん私から「こういう風にやるんだよ」ということもいえない(わからないから)ので言っていません。
だから息子本人がレッスンから学び取っているのだなぁ、とびっくりしました。
もう少しなれたら私が入らないほうが本人には良い影響になるなと感じました。
一度だけのお手本を聞いて、必死にまねをしていること…はじめから事細かに手取り足取りの指示でないこと、単語レベルではなく、センテンスで耳にし、口で 何度も言っていくこと…これらが全て必要不可欠なんだな〜、と納得。

☆大人向けのレッスンのほう、騒がしくてすみませんでした・・・(汗)。

感想は「難しいけど楽しかったです」←小学生の作文ですね〜。

○聞き取れない。
○強弱・リズムが聞き取れない・自分で再現できない。
○単語と単語の結びつきがスムーズにいえない

とまあ、初心者の当たり前の状態。

○適切な指導が入るので、「なるほど〜」と頭では思う。
思うけれど口の周りの筋肉がついていかない。
その自分の状態が面白い。

○英語を話すために必要なことってなんなのか、を実感できた。

○自分が日本語を話しているときのことを考えると、ある程度まとまった文をいくつも繋げて話しているわけで、それを維持できる地力をつけてもらえるレッス ンだな、と実感した。


すみません、おばかな感想でした。
またゆっくり書きます。
まずはお礼まで。

【12936】
テープ起こし(素読舎の教材の使い方)1 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 4日(木)14時40分12秒

11月27日(木)根石さん宅での録音です。
題して「素読舎の教材の使い方」。
今週は、素読舎の教材の成り立ちについて掲載します。
=========================

根石 俺の塾は最初は塾じゃなかったんだよ。家庭教師だったんだ。
村田 はあ。
根石 家庭教師って言っても、塾みたいな家庭教師でさ。
最初は一箇所に三人集まってもらってね。屋代駅前にあったんだけれど。近所の人に集まってもらって…近所でもないなあ。一人は杭瀬下、二人は小島か。
その時すでに「電圧装置」をやっていたと思うんだ。「英語どんでんがえしのやっつけ方」に書いてある。レポート用紙を二枚折にして、最も単純化した場合に は、左側に英語、右側に日本語、二つ折りにすれば最もシンプルな問題集になる。それを各自に対して作っていたような気がするな。
村田 三人いたらそれぞれ別のものを用意したんですね。
根石 そうじゃなかったかなあ。
村田 手書きで?
根石 手書きでな。その場で俺がどんどん書いて作っていってやるんだ。この子に対しては何を書くかということは、その子に何かやらせるとわかるわけだ。
そこで何を使っていたかなんだけれど、多分学校の教科書を使っていたと思うんだよな。
村田 最初から三人だったんですか?一軒一軒周っていたようなことを聞いたんですが。
根石 いやいや最初から三人。もう一軒やってくれって言って来た家も、二人同時でやったのかな。一人を相手にしてやったこともあるけれども、二人三人を相 手にしてやった方が多いくらいじゃないかな。そういう場所が何箇所もできて、一週間かけて周っていたわけだけれど、夜に見るわけだから、一日に見れるのは せいぜい二箇所か三箇所なんだよ。一箇所で二時間くらい見たんだと思う。
村田 夜えらく遅くなっちゃいますね。
根石 帰るのはだいたい夜中の11時12時になっていたな。高校生なんかだと夜遅くまで見たと思うんだけれど。高校生はあまり数を見なかったな。小学生の 方が多かったと思う。
それで、もう周りきれないので、一箇所に集まってくれと言って、塾ができたと思う。ほぼ自然発生的な感じにできた。
そこでやっていたのは主に、「電圧装置」作りだ。「電圧装置」を作っておいて、塾生に「一週間のうちにこれをできるようにしておけ。」というわけだ。次の 回の時にその「電圧装置」を目の前でやらせる。その場合、間違いが0でなければ駄目っていうやり方だから、間違いが含まれていれば、もう一回やりなおさせ るというやり方でやっていたんだ。
それで、一番最初にやってた場所で、二人が百点取ってきたんだ。まあ中学1年だったから取りやすかったのかもしれないけれど、三人のうちの二人が百点取っ てきて、評判になったんだよ。それで、「うちも見てくれ」というふうに、塾生が増えていったんだけれど。
それで、塾にするから、と言ったときには、M寺の酒寮の部屋を借りてやった時かな。M寺の娘が英語をやりたいって言って、その友達と一緒にやったんだけれ ど、その当時は篠高の生徒三人でやってたと思うな。初めは二、三人でやっていたんだけれども、五人くらいまで増えたんじゃなかったかな。
もう一箇所は杭瀬下の敬神館って言ったかな?杭瀬下のお宮の近くの建物だな。そこではすぐやめてしまった気がするな。なんでやめてしまったかは覚えてな い。
農家の離れみたいなところを借りていたこともある。そこは声がうるさいっていうことで追い出されたんだ。

【12937】
テープ起こし(素読舎の教材の使い方)2 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 4日(木)14時41分19秒

村田 そのエピソード読みました。
根石 そうやっていて、俺の生まれ育った中村のうちが空いていたんで、そこへ入ったんだよ。八畳二間の真中をとっぱらって十六畳の部屋でやっていた。そこ は結構人が来たんだ。何人ぐらい来たかなあ。十五、六人くらいまでは来ていたんじゃなかったかな。それでその頃、青焼きの機械を買ったんだ。湿式って言っ てたな。それで「電圧装置」を作ってた。初期の頃っていうのは「電圧装置」を作っていたんだよ。ただ塾の形になって、人が来るっていう形になると、塾生一 人に対してその人専用の「電圧装置」を作るという形ではなくなってくる。塾に来た子どもたちが、汎用のものっていうか、あらかじめ出来ているものを使うと いう形に変わったわけだ。
「電圧装置」を使っていたけれど、農家の離れでやっていた時に声がうるさいっていうことで追い出されたことからもわかるように、当初から声を出すというこ とはやっていたわけだ。
それで、「電圧装置」を作るのをやめた時点があるんだけれど、それはいつだかよくおぼえていない。
一番最初にやっていたことは、「電圧装置」と、声を出して読ませるっていう組み合わせだ。ただそれだけのシンプルな組み合わせだ。
汎用的な教材を作るようになって、もう教科書は使わないと決めて、例文集を作るようになった。これはホームプラザNでやっていた頃にはすでにやっていた な。
あちこちからピックアップしてきた文を集めて、塾専用の例文集を作った。右側に日本語、左側に英語という形にしていた。「電圧装置」みたいに切れっ端じゃ なくて、文まるごと載せた。
例えばこんな感じだ。B4の紙に「これは本です。 This is a book.」と書いてあるのを読ませる。口の動きが本当によくなると、英語を隠して、日本語を見て英語の文を言わせるっていう練習をやっていた。その頃の 例文集を使ってたのはN書店の娘二人だったな。
その二人はお盆になって帰省してきた時に、なんかのきっかけで言い出した例文集の例文が二十も三十も口をついて出てくるって言うんだよ。
村田 お経みたいに。
根石 その続きはこうだよ、って言い始めるとまた二十も三十もずらずらと出てくるっていうんだよ。そういう感じで文を身体に入れていた。そのうちの一人は アメリカへ行って帰って来て、今は長野県の県立高校の英語の先生をやってるんだな。
でもなあ、俺の中ではホームプラザNじゃなくて住んでいた家でやっていた気がするんだよなあ。住んでいた家の中で例文集をやらせていたっていうイメージは 残っているんだよ。
その後、ホームプラザNも追い出されて、W鉄工所でやるんだけれど、この頃は、家賃を二箇所に払うのが気持ちの上できつくて、いやになってな。W鉄工所を 引き払って、小島の住居で塾をやり始めた。でもN書店の子どもたちがやってた時期と照らし合わせると、どうも時期が合わないような気もするんだが…。とに かくあちこちに移動していたから、自分の中でも照合できない。
学校の教科書ではなく、塾の例文集を作って、それに基づいて「電圧装置」を作るっていう形でやっていた時があるはずなんだが、どの場所でやっていた時から どの場所でやっていた時までだったかはよくわからない。
あるいは中村でやっていた時にすでにその形でやっていたのかもしれないな。中村では湿式のコピー機を使っていたのは間違いないし、「電圧装置」をやってい たのも間違いないんだ。その時に塾専用の例文集ができていたかはわからない。
それで、W鉄工所の時だと思うんだけれど、自分で辞書を作り始めたんだ。五つの単語でできてる文があれば、五枚の紙に同じものを書き込むわけだ。それを繰 り返していくと、一つの紙の中に同じ単語を使ってある例文が集まってくるだろ。
村田 ああ。

【12938】
テープ起こし(素読舎の教材の使い方)3 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 4日(木)14時43分7秒

根石 ただそれだけの辞書なんだよ。それは新しい文を解析というか、説明する時に、もうすでに子どもが知っている文を参照するための辞書なんだ。ここまで やった子どもは何と何が身体に入っているなんていうのは、全部覚えきれないだろ?こういう辞書を作って、例文集の番号で管理していれば、この番号の練習を している子はこの文はもう知っている、っていう風に照らし合わせができるわけだ。それを作ろうとして、5〜6cmの厚さのバインダーを二十冊くらい作った んじゃなかったかな。自作の辞書を机の上に並べておいて、自分で歩いて手製の辞書を調べて、書きこんで、っていうことをやっていたんだけれど、ギブアップ したんだよ。書き込む手間がなまじじゃないし、同じ文を何箇所も書き込んでさ。確かに出来てはくるんだけれど、二十冊じゃおさまらない。まだどんどん増え そうな勢いだったからな。
辞書だけで机二つ分くらい占拠しちゃっていて、しかも辞書を全部開けるわけじゃない。積んでおいて、抜き出して、開いて、書き込んでということをやってい ると、広い場所を取ってしまうんだ。これは無理だぞ、とてもじゃないができない、と思ったんだ。
でも、こういうものを作りたいという構想だけはあった。学校の教科書を使っていると、四年に一回書き換えられてしまうから、学校の教科書をもとにして教材 を作ったら、四年経つと作った教材が全部使えなくなってしまうだろ?だからこんなものに付き合ってられないと思って、塾専用の例文集を作った。教材を固定 したわけだ。初出の文に子どもが出会う時、その子どもはすでにどういう文が身体に入っているかを参照したかったんだ。参照が自在にできれば、この種の教材 は作れる、という構想だけはあった。辞書を作り始めてから、ギブアップするまで、全部W鉄工所の建物の中で起こったことだ。
自宅で塾を始めた頃かW鉄工所でやっていたころかは覚えてないけれど、その頃、MS-DOSが登場したんだ。コンピュータがMS-DOSを使えば文書の処 理ができるというレベルになった。要するに実用レベルになった。そしてそのOSに応じたアプリケーションを作る会社が世の中に出てきた。その時に「友子の 情報」を買ったんだよ。
「友子の情報」については、コンピュータの雑誌の紹介記事を読んだんだけれど、何をやるソフトなのか、いまいちピンと来なかった。「一太郎」なんかと同じ ようなDTPソフトかと思っていたんだ。それは全くの見当違いだったんだけれどな。あれはテキストファイル管理のためのソフトなんだな。何百万何千万とあ るテキストファイルをみんなひとつのソフトの中にデータベースとして入れておいて、それぞれのテキストファイルに検索語を自分で与えておくわけだ。そこへ 検索語を入力して検索すると、その検索語を含んでいる複数の文章がピックアップできる。検索語は複数与えておくことができる。十個でも二十個でも。そのう ちのどれか一つにぶつかれば、その文章がひっぱり出されてくる。だから、カード型データベースみたいなものだよ。カードの一つの大きさが変幻自在という か、小さくても大きくてもいい。テキストファイルであればいい。
「友子の情報」を買った当初は、「ああ、こんなもの買っちゃったよ」と思ったんだな。俺はDTPソフトを買ったつもりだったんだから。あの頃は標準のフォ ントなんてものはなくて、ゴチックの字一つ出すにもえらく苦労したんだ。
でもいじっているうちに、「待てよ、これは使えるぞ」と思った。一旦ギブアップした自作辞書を作る作業をこれを使って電子化したらどうかと。それでできあ がったのが、例の「基礎問題集」だ。「基礎問題集」は本当に長いこと作っていたよ。三年だったか五年だったか。毎日、一日のうち平均して四時間や五時間は コンピュータの前へ座って作ってたんじゃないか。その続きが「700選」の解析だったな。
村田 「ABCD」を「基礎問題集」の後にやったと聞きましたが。
根石 そうか?
村田 「基礎問題集」はハードルが高くて、その前に来るものが必要だったと。
根石 ああ、それは富士通のオアシスっていうワープロ専用機で作った覚えがあるな。
それで、「友子の情報」を使って作り始めた教材が、今の、「WZエディタ」で作っている教材の原型だ。W鉄工所でやろうとしてできなかったことが、できる ようになった。それからたくさん教材を作ったな。「基礎問題集」を作り終わってその続きとして「700選」の解析、その後何やったっけなぁ…。

【12939】
テープ起こし(素読舎の教材の使い方)4 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 4日(木)14時53分3秒

村田 「1100」っていうのがあったんじゃないですか?

根石 「1100」っていうのもあったよな。要するにそれらは受験用の教材なんだ。「1100」の後は「長文読解」につながっている。全部合わせるとばか でかい教材だ。相当な時間を使ってあるよ。「基礎問題集」を作り始めてから「長文読解」を打ち止めにするまで。ここまでやればどこの大学でも受からないと ころはない、っていうものを作った。実際に全部使ったやつはいない。東大に受かったやつがいたけれど、その時はまだ「長文読解」はできていない。「基礎問 題集」すらできてなかったんじゃないかな。

村田 そうですか。

根石 そいつのことは個人的に見てたからな。市販の長文読解用のテキストを買ってきてさ。汎用の教材はできていなかった。「基礎問題集」を作り始めてから 「長文読解」を作り終えるまで、10年くらいかかったかねえ。そのくらいかけたと思うな。その後は家を作ったりしていて、あんまり教材は作っていなかった のかなあ。

村田 私が来たと時はMS-DOSで教材作りやってましたよ。多分「1100」だと思うんですが。

根石 そうか。まあこれだけ作っても全部使うやつはほとんどいないんだよ。後半部分なんか使うやつがいない。「基礎問題集」をやるやつはいるけれど、 「700」をやるやつが果たしてどれだけいるんだ。その後の「1100」なんか10年に一人出てくるかどうかのもんだ。でも教材だけはできているぜ、とい う体制は作ったわけ。
 それでやってみて、確かに大学は受かるんだ。でもおもしろくないのはさ、受かっちゃうと、みんな英語をやめちゃうんだな。続けるのもぽつぽつはいるけれ どな。いないわけじゃないんだけれど、多くの連中はやめてしまう。
 その頃だな、「電話でレッスン」を始めたのは。もう10年くらい経つんじゃないかな。
「電話でレッスン」の初めは、テキストを生徒に選ばせていたんだ。複数の映画のシナリオを使ってたんだよ。五冊も六冊も。これはとてもやりきれない、と 思って、「ゴースト」一冊にしぼった。学校の教科書を使うのをやめて例文集に固定したのと同じようにな。一冊にしぼってしまえば、そこで教材が作れるわけ だ。最初は「ゴースト文法解析」という名前だったけれど、その後「イメージ核受肉教材」という名前にした。これを作り始めたのがいつだったのか…覚えてな いなあ。小島の家で「電話でレッスン」をやっていたっていうのは覚えているんだが。

【12940】
テープ起こし(素読舎の教材の使い方)5 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 4日(木)14時56分8秒

根石 大学受験までの教材はひとまずこれ以上作らない。
「基礎問題集」「700選」「1100」「長文読解」とつながっていく大学受験までの教材の全体の量と、今「ゴースト」の文法解析から始めて、途中に大学 入試レベルのものを混ぜて、時事英語っていうか、取引英語っていうのかな、英字新聞の記事なんかをチャンポンに混ぜ込んであるレベルのところまで来ている けれども、その量を較べたら、どっちが大きくなっているのかっていうのはちょっとわからない。
 以上が今まで作ってきた教材のほぼ全体だな。それ以外にもうんとあるんだよ、いろいろ。一種の例文集みたいなものも別の形のものも作ってみたり、作って 捨てたものも相当あるんだ。作って試してみるっていうのは何回かやっている。これだったら使える、これだったらいける、というのは「友子の情報」を見つけ てからだな。例文集を内部に持っていて、教材を作れば作るほどデータベースのデータが増えていくということだ。そういう形で作ってきたものの大きな流れ が、「基礎問題集」から「長文読解」までで一つ。それと「ABCD」「ゴースト」「大学入試レベル」「七年目の浮気」「時事英語」がもう一つの流れだ。
「ゴースト」の解析から始めた流れっていうのは、もう大学入試にはとらわれてないわけだ。受験制度の枠の中で使う教材として作ってあるわけじゃない。受験 の外側にいる人、実際に英語を使って仕事をしている人だって使えるものにしてしまいたいというのがあって、だからそういう人が使っても手応えがあるんじゃ ないか。Naimaさんが使ってた頃は、「ゴースト」解析をやっていただけだから教材が簡単すぎたと思う。今だったら十分使えるんじゃないかと思うけれど も。
 ただ、例えば英検1級の人が「電話でレッスン」を10万行あたりから始めたとしても、初出の文ばかりで使いにくいと思う。途中で「ジャンプ」して飛ばす 場所があっても、初めから使っていくように作ってある。
今の教材は「ゴースト」から作り始めたけれども、その前の部分に新く作り直した「ABCD」をくっつけたから、これは小学校三年から使える。そこから実務 英語・時事英語というところまでつながる。一本道をずっと歩きつづければそこまでつながっているという教材の全体の骨格は現れてきている。全部仕上がった わけではないけれども。こちらの方は受験という風にして考えたんじゃない。受験を超えてしまっている。受験に対応はできるけれども受験専用じゃない。そう いう性質のものとしてできあがってきているものだ。

【12941】
テープ起こし(素読舎の教材の使い方)6 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 4日(木)14時57分48秒

根石 それをどう使うかの話だけど。
 例えば「ABCD」の部分だと、塾では日本語で文法的な説明なんかを書いてある部分を子どもがそのまま読むだろ?英文まるごとと日本語が対置してある場 合、日本語を一回読んで英文を五回繰り返すだろ。基本的なやり方は「電話でレッスン」でも変わりがない。「電話でレッスン」の場合はつっかかるところが あっても、一回すらすら読めればそれでOKを出して次から次へどんどん行くと。音もある程度仕上がっているというか、あるいは本人が出そうとして、その音 がはっきり意識されている、だけどうまく口が動かないっていうレベルでもOKを出す。教材を使っているうちに、波状的に何度も同じ文が繰り返し出てくるか ら、そのうちに段々音が仕上がっていく。最終的に仕上がればそれでいいんだというやり方でやってるから、かなり荒削りながらも進んでいく。
 「ABCD」も、まだできたばかりだから、塾の方でも「電話でレッスン」の方でも、初めの方を使っている人は一杯いるけれど、後半はまだ誰も使っていな い状態なんだよ。「ABCD」の後半が終われば「ゴースト」に接続していくわけだけれど、「ABCD」の残り三分の一くらいは「ゴースト」の文なんだよ。 また、「ゴースト」の方にも「ABCD」の初めの方の部分をからめてある。だから「ABCD」と新しい「ゴースト」をやった人が出てくれば、もとからある 「ゴースト」は「ジャンプ」をかけてしまえばいい。
 始めたばっかりの人っていうのはさっき言ったように、日本語も何も全部読んでいるわけだ。それも「ABCD」の後半になれば、もう日本語の部分は読まな くてもいい。英文丸ごとの部分だけ拾っていって、五回繰り返す。この使い方が「ゴースト」以後の使い方だ。

【12944】
こんにちは 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月 4日(木)23時05分22秒

こんにちは 村田さんの後輩で、以前上の子の通う小学校で英語教育が導入されそうだというネタで投稿させていただきましたものです。

あの時はまだまだ先の話と思っていたのですが、校長先生が英語教育に力をいれている先生に替わったこともあり、子供が小1から、ネイティブの先生がやって きて、自己紹介なんぞをやったりしていたようです。息子の話なので、あまりあてにならないのですが。

母国語もしっかり身についていない息子。「○○取ってください」も「○○」と体言止めだったり。挨拶もできないし。英語以外にもやってもらいたいことが〜 と憤っている母であります。

ちなみに「たくましくコミュニケーションするこども」の育成を目指して外国語活動に取り組みました。というのが校長からのコメントでした。

専門家の皆さんの目からみて、これから英語を習得するチャンスをもつ子どもにとって、小学校で行う英語遊び的授業の弊害のようなものがご指摘いただけた ら、と思うのですが、いかがでしょうか。

また、ゆっくり母さまは、小3のお子さんとお母さんで授業をうけてらっしゃるのですね。
そういうことも可能でしたら、私も授業を受けてみたいと思いました〜

息子(小2)、娘(3歳)で下の子が邪魔しそうなのですが。
12月4日のコメントを読んで、ますます、楽しそうだなっと(大変そうですが(汗))
どうぞよろしくお願いいたします。

【12946】
matsuさん(自己紹介) 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 5日(金)12時53分45秒

実を言いますと、私は学生のころは小学生から大学生まで素読舎の塾生であったことはありませんでした。
塾関係は、小学生の頃に、地元大手の信学会というところの英会話教室に遊びに行っていました。これはほんとに遊びっていう感じした。あいさつや月ごとの歌 とかをやるんですが、音づくりなんかほぼやっていなかったもんで、なんていうか、呪文のような感じでした。これは以前書いたことありますが、「あーびわー きおーざれーるろー おーざりぶろぐでー」と歌っていたのが、後に "I've been working on the railroad All the livelong day" だ、と気付いた時、なんだか笑っちゃいました。
幼稚園でやっていた教室なので、先生は幼稚園の保母さんでした。やさしく一生懸命に教えてくれてたのは覚えているんだけれど、5年生くらいまではこんな調 子だったと思います。

それでも、英語の単語や簡単な文はなんとなく覚えていたので、中学ではそれなりに点数取れてました。
そして、根石さんの言うところの地元の三流受験校に進んだのですが、一年のうちはそれなりでしたが、2年になるとだんだん英語がわからなくなってきまし た。それまでは、問題を解くにしても、雰囲気で解けていたんですが、だんだんそれができなくなってきました。今ならその理由がはっきりわかります。自分の 中に参照する文が圧倒的に少なく、新しく出会う英文が、それまでに無意識に参照していた文のレベルを超えていたからです。
ですが、その当時は、そんなことははっきりとわからず、具体的にどういう勉強をしたらいいかもわからず、ただ問題集を解いて、もがいていました。
その結果として浪人したわけですが、その頃、素読舎へ通っていた同級生から、「これ読んでみな。」と一冊の薄い本を手渡されました。それは「英語どんでん がえしのやっつけ方」の前身の「けんか英語入門 英語のやっつけ方」でした。

そこに書かれていたことは、当時の私にとって、目からウロコが落ちるようなことでした。
本自体は実践の書なんですが、今でもよく覚えているのが、
「頭がよいとか悪いとかはでっちあげだ。きたえてしまえばよい。」
「大丈夫だ、心は死にはしない。」
という文です。
後の方は、「どんでん」とは書かれ方が違っているので、「英語のやっつけ方」から引用します。
「単語を覚えるには、自分に対して強引なほどよい。イメージが強くはっきりしているほどよい。自分に対して、ひとつのことを完全に強制することは、少なく ともやってはいけないことではない。いや、語学においては、これはうんとやらなければどうしようもないことなのだ。大丈夫だ、心は死にはしない。」
このことばが、当時のわたしにとって、どれだけ支えになったか。わたしは書かれていることをできるだけやってみようと思いました。
駿台の「英文法頻出問題演習」第二部が、前置詞を入れる問題がずらりと並んでいて、これを「電圧装置」でみな殺しにしました。そして、「英頻」を最初から 解いて、全問正解した時、かなり自信がつきました。予備校のテキストも片っ端から「電圧装置」にかけていきました。勉強っていうのはこういう風にするもん なんだな、と思いました。
「回転読み」や「回転書き」もやりましたが、今思うと、回数に気を取られて、あまりうまくはいきませんでした。量としては、「回転読み」よりも「電圧装 置」をたくさんやりました。そして、なんとか大学にすべりこみました。
この浪人の時の体験は、忘れられないものです。根石さんは、会ったことこそありませんでしたが、わたしの先生になっていました。

=================
いったん切ります。

【12947】
江戸の母さま 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 5日(金)13時02分34秒

書きこみありがとうございます。

>専門家の皆さんの目からみて、これから英語を習得するチャンスをもつ
>子どもにとって、小学校で行う英語遊び的授業の弊害のようなものが
>ご指摘いただけたら、と思うのですが、いかがでしょうか。

英語遊び的なことは毒にも薬にもならないと思います。
だから直接的には弊害はないと思いますが、読み書きそろばんの時間が削られてしまうのは間接的な弊害かもしれませんよね。

【12948】
らくださん(塾の現場) 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 5日(金)13時07分47秒

>教室では、どういう授業形態をとられているのでしょうか。江戸時代の
>寺子屋みたいに、使用教材や進度が異なる塾生が混在していて、
>おのおの自主練習し、適宜師匠の前で発表して指導を受ける、という
>感じでしょうか。

英語に関しては、使用教材は統一されています。
その他はらくださんの書かれている通りです。
寺子屋の実際はよく知らないんですが、そういう感じなんですね。
わたしは、塾のイメージは空手の道場のイメージがあります。

【12949】
根石さん(補助教材の文法理解について) 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 5日(金)13時14分7秒

>  これは非常にいいやり方だと思います。
>  日本語を壊さないのがいい点だと思います。
>  この後、文法理解はどうやったのでしょう?

あの補助教材を使っていた時は、文法的なことは教科書ガイドでやっていました(本部の方でもそうだったと思います)。教科書ガイドを2冊用意して、一方の 教科書ガイドは重要事項をホワイトで塗りつぶしておいて、それを答えさせるという方法。
教科書・教科書ガイドともに最後まで終了した人は、「ABCD」へ入り、文法を体系化していくという順序でした。

【12954】
レッスン復帰1回目 投稿者:ももこ 投稿日:2008年12月 5日(金)22時51分45秒

みなさんこんばんは。ももこです。
産後復帰1回目のレッスンを受けました。緊張でドキドキして肘がガクガクしまいました。緊張すると口が走ってしまい、早口になるのを自分で抑えられなくな りながらなんとかついていってました。

一人で受けていたレッスンが3人のレッスンに変わったため、ず〜っと読みっぱなしにならないので口が筋肉痛にならなかったり、テキストに(ココは力の抜け た狭い音など)書き込みをしたりする時間が取れたので良かったです。他には自分以外の方のレッスンを聞くことができるので他の方の音が変わっていくのも聞 けたのがよかったです。

あと、とても個人的なことですが、子供がうまいこと寝ていてくれたのもよかったです。しばらくは子供を膝の上で寝かした状態でレッスンを受けようと思いま す。(気配がないとスグ起きてしまいますので・・・・)

ノンノン母さんとご主人様とご一緒できてよかったです。ありがとうございました。

【12955】
村田さん 投稿者:matsu 投稿日:2008年12月 5日(金)23時00分2秒

私のミーハーな希望に応えてくださってありがとうございます。
根石さんの「一番弟子」の村田さんが、実は学生時代素読舎の塾生でなかったというのは、意外な気がしますが、やはりそういうことなのか、という感じでもあ ります。
以前に根石さんが、英語はできるようになったけれど、根石さんの方法の意義をまるで理解していなかった素読舎の卒業生のことを書いていましたが、そのこと とどこか響きあうエピソードです。
根石さんの語学論の継承者は、根石さんの作った「一本道」を歩む者ではなくて、根石さんの言葉をヒントにし、それを自分で咀嚼した激しい独習者だった、と いうことだと理解しました。
続きを楽しみにしています。

【12956】
村田さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月 5日(金)23時20分9秒

江戸時代の寺子屋(手習塾)では、商家の子供、庄屋の子供とそれぞれにあった教材を先生 が選んで与えたと、何かで読みました。素読舎の場合は目的が同じですから、各人の進度の問題だけですね。

>わたしは、塾のイメージは空手の道場のイメージがあります。

いいですね。そういうスタイルの塾が増えるといいのですが。黒板使った一斉授業は古い、素読舎は古くて新しい。

【12957】
初心者です^^ 投稿者:江戸の母 投稿日:2008年12月 6日(土)06時12分23秒

ゆっくり母さん
はじめまして!お返事ありがとうございます〜
母ちゃんの会、是非是非お願いします〜

英語、だめだめ母さんデス。海外旅行の苦い経験を経て、英語教室通いましたが進歩せず、無駄な投資で終わってしまいました。そんな調子なので、耳も口周 りの筋肉も鍛えられたら面白いな!と思っています〜

スカイプのことなども初心者なのですが、同時に複数でも可能なのですね。
ただ、月曜9時は、子どもが寝てる時間なので、ちょっと難しいかと。

根石先生、どこかの時間でまだ枠がありましたら、お願いします。
(平日6時半〜8時)もしくは(土日)
息子のほうは、ゆっくり母さんの息子さんと同時枠にもしはいれるのでしたら
是非お願いしたいのですが、どうでしょうか。

村田さん、毒にも薬にもならない>村田さんの幼稚園での経験も参考になります!
ありがとうございます。

【12958】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 7日(日)02時57分14秒

 お書き下さりありがとうございます。
 昨夜、江戸の母さんにお返事するべきだと思いながら、レッスンを終えて、ひとまず連絡事項だけ書いたとたんに、だるくてどうしようもなくなり、横になり ました。

(→ゆっくり母さん。空き枠の状況など伝えていただいて、ありがとうございます。営業部の他、事務室まで引き受けてもらったわけです。重ね重ね御礼申し上 げます。)

>母ちゃんの会、是非是非お願いします〜

 ゆっくり母さん、江戸の母さん、ひとまずお二人で立ち上げていただき、ノンノン母さんも誘っていただけば、母三人の母集団ができます。母集団と言えばも のすごく強そうに聞こえますし、頼りがいがありそうなので、ももこさんも加わって下さるかもしれません。
 matsu さん会長、らくださん会員の父兄会はすでにあるのですが、現在までの活動は、各自、語学論を書いてくださることです。母集団の支部として、父兄会を抱き込 んじゃうってのは、なかなかよろしい構想だと思いますが、いかがでしょうか。
 あるいは、それぞれ別に「母ちゃんの会」「父ちゃんの会」というふうに二つあるのもいいかもしれません。
 「母ちゃんの会」の立ち上げ、私からも是非お願いします。立ち上げ、というか、ゆっくり母さんと江戸の母さんで、「母ちゃんの会」を作りましたって宣言 すれば、それでできちゃうんです。その後、ちんたら、会員を募集していけばいいと思います。よろしくお願い致します。

>海外旅行の苦い経験を経て、英語教室通いましたが進歩せず、無駄な投資で終わってしまいました。

 そういう人が日本に数知れずいると思います。どこに通ったのか、どんな授業をやっていたのか、なぜ無駄になったのかなど、具体的な学校名なども書いて、 きちんと言うべきことを言うことが大事なことだと思います。
 英会話学校などの逃げ道は、「個人の能力」です。私の考えでは、英会話学校に通って「無駄な投資」になるのは、「個人の能力」なんかのせいではありませ ん。英会話学校が語学論や方法論を持たないせいなのです。いや、語学論や方法論の占めるべき位置に、金儲け方法論を据えてあるせいです。英語ネイティヴを 売りにして、(英会話)幻想だけを売っているせいです。
 ああいうふうに幻想を売る商売をあんまり簡単に許してしまうのはよくないと思っています。非常にタチの悪い商売です。

>根石先生、どこかの時間でまだ枠がありましたら、お願いします。
(平日6時半〜8時)もしくは(土日)

 全体からお話しますと、私が「スカイプ(電話)でレッスン」をしているのは、金曜、土曜、月曜です。日曜は地元の生徒を相手の塾をやっています。この4 日が英語のレッスンをやる日です。
 木曜は、昼間、空手を習い、夜、村田君とごみ問題のビラやチラシを作ったり、塾のチラシを作ったりしてきました。今後は、市販されている本からダイジェ ストを作り、語学論のデータベースを作っていこうという計画があります。
 火曜、水曜のどちらかを休みにし、どちらかで自宅自作を継続しています。そのほか、百姓もやっていますので、百姓仕事はレッスンのある日の昼間など使っ てやっています。今の季節だと、冬越しのための薪集めなどでチェーンソーを振り回したりします。
 お金になることはあんまりしていませんが、けっこう忙しいです。

 スカイプというソフトをレッスンの道具にしてから、二人あるいは三人で一枠を使っていただくことができるようになりました。ただし、同じくらいの進度の 人同士で組んでいただく必要があります。レッスン開始時に、同時に二人三人で始めていただけば何の問題もないのですが、一人で始めていただいた人同士で一 枠分を使っていただく形を作るのは、なかなか難しくなります。
 現在考えられるのは、月曜6時10分から使っていただいている方が、土曜10時20分の方と合流していただくことです。土曜10時20分の方はすでにス カイプで練習されていますが、月曜6時10分の方は、電話で練習されています。スカイプを導入していただけないかというお話はしてありますが、パソコンの 調子が悪いため、スカイプをすぐに導入するわけにはいかないとのことでした。調整を継続しますので、今後もこの掲示板で相談させて下さい。

>息子のほうは、ゆっくり母さんの息子さんと同時枠にもしはいれるのでしたら
是非お願いしたいのですが、どうでしょうか。

 ゆっくり母さんの息子さんと、ゆっくり母さんの友達の息子さんと一緒のレッスンはまだ一回やったばかりです。まだちょっとレッスン自体が落ち着かないの でどうかな、と一度は考えたのですが、江戸の母さんの息子さんが参加するには、タイミングとしては今が一番いいかもしれません。もう一ヶ月後になると、合 流した当初ストレスが生じるかもしれません。そのへんが、数万行進めた生徒同士を合流させるのと違って、非常に微妙です。

 すぐに合流していただく場合ですが、スカイプはすでに導入されていますでしょうか。導入されていて使われているようでしたら、(スカイプで)教材をこち らからお送りすれば、今度の月曜に参加していただけます。一ヶ月無料でお試しいただけます。スカイプの導入・使用についての状況をお知らせ下さい。このソ フトは通信の環境さえあれば、使わないってテはないというくらいいいものです。

 まだ皆さんにお知らせしてありませんが、1月中旬から2週間、インドに行く予定です。
 一ヶ月お試しいただいてすぐに、私がお休みをいただくことになってしまいますが、あらかじめご承知いただきたくお願い致します。

 私のレッスンは月に4回が基本になっています。月に5回ある場合は、5回レッスンします。普段は曜日と時間だけ覚えておいていただけば結構です。どの曜 日の方も年間に4回くらい(だったように記憶していますが)、規定より多くレッスンします。この分を溜めておいて、後で「有給休暇」のように使わせていた だいています。
 去年は一回も「有給休暇」を使いませんでしたので、今年というか、来年当初に使わせていただく予定です。

 まだレッスンを始められたばかりの方からは、何が「有給休暇」かと怒られそうですが、一年分のレッスンの「有給休暇」を最初にいただくこととしてお許し いただきたくお願いいたします。

→皆様
 江戸の母さんに向けた記事が、皆様向けになってしまいましたが、よろしくお願い致します。インド行きについては、今後、生徒さん各位にレッスン時にお伝 えしていく予定です。

 江戸の母さん。以上のような事情です。再度の投稿をお願い致します。
 ゆっくり母さんに向けて書かれたものへの横槍を含みますが、お二方にお許しを願います。

【12959】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 7日(日)03時10分18秒

書いてくださってありがとうございます。
わずかな錆は感じましたが、すぐに落ちます。
ノンノン母さんご夫妻にとってもももこさんが参加してくれたことはいい効果に結びついていくと思っているのですが、ノンノン母さんご夫妻のご意見はいかが でしょうか。

【12960】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 7日(日)03時24分9秒

>あの補助教材を使っていた時は、文法的なことは教科書ガイドでやっていました(本部の 方でもそうだったと思います)。教科書ガイドを2冊用意して、一方の教科書ガイドは重要事項をホワイトで塗りつぶしておいて、それを答えさせるという方 法。

 ああ、そうだったな。ホワイトで塗り潰すと、石油系合成化学物質の臭いがたまらねえんだ。くせえ。こちとら、ショーバイで何時間も連続で塗りつぶすんだ ぞ、なんだこのくせえ臭いはと思いながらやりましたが、ガスをしこたま吸っただけで、結局、教科書ガイドを使うのはやめました。文法の扱い方が全然本質的 でないのです。石油系合成化学物質を俺が吸う価値があるような記述ではない。吸いながらそう思っていたのですが、やりかけてくやしいから3冊塗りつぶした んじゃなかったか。で、やっぱり駄目でした。記述が駄目なものは駄目なんですね。俺の教材作りはこんなことの連続です。
 ごみ問題とつながりますが、石油系合成化学物質のガスをしこたま吸ったことと、ABCD を全面的に書き換えることに着手したことには因果関係があります。
 冗談じゃねえ。こんな馬鹿なことはもうやりたくねえと思ったのでした。
 俺の方が、まともな文法記述ができるわ、とも思ったのでした。
 けっ、文科省、と。

【12961】
江戸の母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 7日(日)03時40分33秒

>ちなみに「たくましくコミュニケーションするこども」の育成を目指して外国語活動に取 り組みました。というのが校長からのコメントでした。

 この校長、馬鹿だぜ、っていう声はありませんでしたか?
 母さんたちの間にしっかりとそういう声が伝わっていくことが大事だと思います。

 「たくましくコミュニケーション」だあ? そんなもの、子供は誰だってやってる。おしゃべりの子供も無口な子供も。無口な子供は自分の内部とのコミュニ ケーションが濃くなってるだけだ。
 この校長のおかげで中学以降の英語に障碍が生じたら、しっかりと問題にすべきですが、語学論がなければならない。

 中公新書「文科省が英語を壊す」という本、おすすめです。

【12966】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 7日(日)23時52分44秒

以下、データベース用雛形です。

1------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
3,D,○

ネイティヴ,学力低下,

会話がダメなのは、ネイティブに接しないからだというわけで、昭和六二年(一九八七年)から、JETプログラム(語学指導などを行う外国青年の招致事業) がスタートした。今では、全国で六三〇〇人ものネイティブがAET(Assistant English teacher) として中学高校の英語授業を手伝っている。
 ではこの結果どのような効果が実際に出ているのかということである。最近の若い人は英語ができるようになった、と漠然と思っている人が随分いるようであ る。しかし、驚くべきことに事実はまったくその逆なのである! 若者の英語力ははっきり低下しているのである。下手になっているのである。その証拠がある。TOEFLという国際的な英語力のテストがあるが、一九九七/ 九八年に、日本はアジア最下位に転落したのである。もともと下位グループにいたのであるが、とうとう最下位となった。その後も同じような位置にいる。
 TOEFLが必ずしも各国の英語力水準を反映していないとか何とか言う前に、注目すべき絶対的に重要なポイントがある。それは日本の順位が次第に低落し てきて、ついに最下位に落ちたという傾向的な事実である。多くの人が期待をよせ、また文部科学省が公式に採用している会話重視英語教育法は、このような惨 憺たる結果をもたらしているということである。

2------------------------------------------------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
5, ,○

受験英語,

『国際派日本人養成講座』(http://come.to/jog) という週刊のメールマガジンを主宰されている伊勢雅臣さんは、その一九九号で拙著を紹介してくださったなかで、これは・・・・・・

【12967】
村田君、データ2 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 8日(月)00時01分53秒

2---------------------------------------- --------------
茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
5, ,△

受験英語,

『国際派日本人養成講座』(http://come.to/jog) という週刊のメールマガジンを主宰されている伊勢雅臣さんは、その一九九号で拙著を紹介してくださったなかで、これは自分の留学経験とも一致するとして、 次のような解釈を述べている。

「アメリカで夫の留学に同行してきた奥さん方を観察すると、大学入試で受験勉強をした奥さん達は短期間に比較的まっとうな英語を話せるようになるが、高卒 で受験勉強をしていない奥さん方は、いつまでもブロークンな英語しか話せなかった。この違いを生んでいるのは、頭の善し悪しではなく、受験勉強で一度は英 文法と格闘したことがあるかどうか、という事なのである」

【12968】
母の会入れて下さい 投稿者:ちえ 投稿日:2008年12月 8日(月)00時32分29秒

こんにちは、只今、素読舎お休み中のちえです。
ずっと掲示板を読んでいて、私も仲間に入れて欲しい〜。。。
と思っていました。
ももこさんが出産2ヶ月で復帰されたと聞いて、(ももこさん初めまして、
ご出産おめでとうございます)なんで、同じ3人も子供が居るのに
私には出来ないんだろう??もしかして出来る??週に15分だけでも
根石さんにお願いしてみようかな??と考えていた矢先に枠が全部うまったと
知り、平日の昼間になんとかお願いしてみようかと考えていたら、根石さんは
昼間は他の仕事で忙しくされていると知り。。。
やっぱり今の私には無理なのか。。。と落胆したり、復帰出来る時が来た時には
今以上に錆び付いた英語力の私を受け入れてもらえないのでは??と焦ったり。。。
そして、毎日、英語力さえあれば、もう少し駐在生活を楽しめるのに。。。と嘆いて
おります。

私が英語を勉強したい理由の一つに、将来子供に英語の勉強が必要になった時、
自分で教えてあげたい。と思っていたのです。
ゆっくり母さん(初めまして、ハノイのちえです)のお子さん達の様に、小学校
3年生くらいになったら、子供と一緒にスカイプレッスンをお願いするのもいいです
ね。。。

そんなこんなで、計画だけは立派なのですが、今の私は元々なかった英語力が錆び付いて
いくばかりです(^^;)

こんな私ですが、母の会(実はあまりよくわかっていません(^^;))に入れて下さい。
なんとなく、みなさんとつながっていたいのです。
よろしくお願いします(*^_^*)

【12969】
私もいれてくださ〜い♪ 投稿者:ももこ 投稿日:2008年12月 8日(月)01時07分13秒

ゆっくり母さん
母の会なんだか楽しそうですね。私も入りたいです〜。

母のレッスンを見て、自分もと国語の教科書の音読に励んでいる小1の娘は3年生になったらレッスンを受けたいようです。今後もお子さんの様子も伺えるとう れしいです。

ちえさん
はじめまして。お名前は掲示板で何回か拝見していました。よろしくお願いします。
2ヶ月で復帰しましたが、意外にいけました。今は首が完全にはすわっていないので(本人はすわっているつもりのようですが・・・)膝の上に寝かせた状態で レッスンを受けています。教材はプリントアウトして使っているので、ヘッドセットのケーブルが届けばどんな状態でも可能なのは本当にありがたいです。来月 からはオンブしてレッスンをうけようかなと思っています。

それと3人目なので結構大雑把に子育てをしているというのも「2ヶ月で復帰」には大いに関係あると思われます・・・。

錆びる英語力があるだけいいじゃないですか〜。磨けば戻るんですから。今回レッスンを受けて「今までより錆びついているかもしれないけど、0にはなってい ないな」と少し気が楽になりました。

コレを機に仲良くしてくださるとうれしいです。よろしくお願いします。

【12970】
文学へ渡る語学 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月 8日(月)01時30分39秒

matsuさんの久しぶりの投稿に触発され、『英語どんでんがえしのやっつけ方』根石吉 久・村田晴彦(小学館文庫)を読み返してみました。何度目になるか忘れましたが、やっぱり一番好きな一節のひとつはここでした。本の最終章、クライマック スの部分のネタバレで申し訳ありま せんが、引用させてください。この本は思想書ですね、やはり。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
俺は、むなしさに対抗できるものは、むなしい何かじゃないと駄目だと思っているんだ。むなしいからむなしくないものを求めるっていうふうに求めていった先 には、例えばオウムがあり、自己開発セミナーがありっていうことになる。むなしいものには、むなしいものを対置する。むなしくて激烈な何かだよ。むなしく て激烈な何かっていったら、俺は語学を思うな。

語学から生活言語へ渡ることは、語学の「あふれ」として実現できるよ。だけど、それが語学の最大の価値じゃない。語学をやることっていうのは、そのこと自 体は、むなしさをむなしさとして持ち続ける力だよ。その力自体の価値っていうのがあるんだということだ。そこが語学が思想に転じうるポイントだと思う。転 じ得るなら、そこから翻訳へでも、詩へでも、批評へでも出て行けばいいんだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【12971】
おお!すでに会員が! 投稿者:ゆっくり母 投稿日:2008年12月 8日(月)06時46分55秒

>ちえさん
お名前は拝見しておりました☆
ハノイで育児なさっているんですね〜。
知人の何人かは海外で育児をされていたのですが、そのストレスは最中にいるときははっきりわからないけれど、いざ日本に帰ってみると「あ〜、なんて楽なん だ〜」と思った。
天と地だわ、と口をそろえておっしゃっていました。
中には英語オタクを自称されている方もありましたが、それでもやはりストレスは強く感じられたようです。
私なんて実家から今すんでいる嫁ぎ先までわずか15分ですが、それでもとついでしばらくは環境が変わったストレスが一杯でした(汗)。いつも聞こえていた 物音が聞こえない(近所の犬の声とか)だけで結構ブルーになったりしました(私だけ?)。
あまりご自分を責めずに(それがさらにストレスの原因かも)、ぼちぼち〜、と、書き込みを拝読して思いました。私から見たら海外に住んでいらっしゃるだけ で「すごい!」ですよ。

>ももこさん
母の会にいらっしゃいませ〜。
ももこさんの産後2ヶ月の復帰は私も「すごい!」とびっくりしましたよ。
長男が小三になってようやく、「一個くらいはナライゴトできるかも」って踏み切った私にはこちらもすごい!としかいえないです。

さてさて、そういうすごい母たちが集まって何をしましょうかしら???
実は私が一番わかっていませんが…。
まずはお茶会からはじめたいところですね〜〜〜♪
女三人寄ればかしましい、と申しますところをすでに四人ですからね♪

とりあえず子供たちのレッスンについてや、自分のレッスンについて、学校の事情・教育界の事情についての質問など、遠慮なく出し合うことにしてみます。
あと親ばか談義も外せませんね♪
うちの子の可愛い写真も載せてみよう。
皆様、おみしりおきを〜、ってことで…(題名「おしりあい」・撮影者母)

【12977】
根石さん、ももこさん 投稿者:ノンノン母 投稿日:2008年12月 8日(月)16時21分2秒

ノンノン母です。遅くなりましたが、先日の3人でのスカイプの感想です。
ももこさんの参加によって私たちの効果がいい結果に結びつくのでは、という根石さんのお言葉だったのですが、まさにその通りでした。
ももこさんの突然のきれいな発音に私たちはすぐに刺激をうけてしまい、今までとは全くちがう緊張感でレッスンを受けることができました。
それから練習不足も改めて反省しましたし、やっぱり練習だね!って当たり前のことなのに再確認している私たちでした。

口を動かす回数ですが、一人のときから二人になったときは、とても実感したのですが、3人のときは不思議とそのことはあまり感じられませんでした。緊張感 のせいでしょうか。
音声に関してもなにも問題はありませんでした。
ももこさんの参加は私たちにとっては、とても励みになるありがたいレッスンになりました。逆にももこさんには申し訳ないような気もします。
なのでももこさんの感想を聞いて少しは安心しているところです。赤ちゃんが膝にいたなんてびっくりですね。そのうち声を聞くことができるのでしょうね。楽 しみです。このような感想ですが、又気付いたことがあれば報告したいと思います。

【12980】
データ3 投稿者:村田 投稿日:2008年12月 8日(月)22時30分21秒

3------------------------------------------------------
掲示板「反英語フリーク 大風呂敷」投稿者:根石吉久 2001.6.19
18, ,○

植民地, 苦手

Duffyさんの、「NHKラジオ英語講座でほとんどの番組のアメリカ人のイントネーションが異常にハイテンションで凄く変です。」という投稿に対しての 記事からの引用。

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 私は中学に入学した年、学校の先生に勧められてNHKの基礎英語を始め、すぐにやめました。英語のイントネーションのハイテンションがいやだったので す。「母音付きの単音」を単位にしている日本語の音になじんだ私の耳は、英語の子音の連続が作るテンションの高さに違和感を感じたのかもしれません。その 頃はまだテレビが普及しつつある時代で、世の中にやたらに英語の音が聞こえているということはありませんでしたので、とりわけ違和感は強かったです。田舎 でしたから、FENなども聞こえませんでしたし・・・。
 一般に、英語という言語の音韻構造がテンションの高い方に向かいがちであるということは言えると思います。そこへ、アメリカの文明の(例えば大量消費 の)「躁状態」なども中学生の私の耳は重ねて聞いていたのかもしれません。
 今や、文明のレベル自体は日本も「躁状態」となり、日本語のテンションが高くなりつつあるという感覚が私にはあります。昔の若者はこんな甲高いしゃべり 方はめったにしなかったなと、近頃の若者同士の日本語のイントネーションを聞いている時に感じます。「母音付きの単音」でそれをやるので、現代日本語には 音韻的なきしみが生じているという感じも持ちますが、古い日本語を保存している人間の耳がそう聞いているだけのことだと一蹴されるかもしれません。しか し、若い人でも、「躁状態」でなくて話しているときは、日本語の基本、「母音付きの単音」で話しています。ハイテンションの日本語を使う人が英語が使える というわけではないのですが、この背後には、英語という言語の浸透があるのではないかと考えています。日本語にこのハイテンションが現象しはじめたのは、 私の記憶では「帰国子女」たちが若い人の中に混ざり始めた頃からでした。
 わたくしごとに戻れば、中学一年生で英語のハイテンションに羞恥を感じた人間が、現在、日本人の英語の「音づくり」なんかをやって母音を削ったりなどし ているのですから、奇妙なもんです。
 私は「音」から英語に入った人間ですが、「耳」から入ったのではなく、「口」から入りました。自分の口を動かして音読し、その音を徐々に英語の音に近づ けるという過程によって、羞恥心をやわらげていくうちに英語が面白くなりました。これは初心者向きの方法として、誰にも勧められるものだと後で気づきまし た。羞恥心によって、英語から遠ざけられている人は意外に多いのではないでしょうか。特に大人の男たちに多い気がします。
 大人の男たちに、私の「電話でレッスン」はいいんじゃないかと思っておりますが、やはり女の人の方がためらいが少ないですね。異言語に対する羞恥心は女 の人の方が薄い。傾向としてそう言えると思っています。

【12982】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 9日(火)00時11分48秒

>私が英語を勉強したい理由の一つに、将来子供に英語の勉強が必要になった時、
自分で教えてあげたい。と思っていたのです。

 これ、なかなかうまくいかないですよ。親子ってのは、どうしてもお互いに遠慮がなくなり、つい親子喧嘩になってしまうケースが多いと思います。我が家で はうまくいきませんでした。子供が相手でなく、孫が相手だとうまくいきそうな気がします。発音用の教材を作りかけていますが、その最初の部分を孫を相手に 試しに使ってみていますが、孫が相手だとうまくいきそうな気配があります。

【12987】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 9日(火)00時59分25秒

 先日、I 村さんのレッスンをして、レッスンの後で、以下のような話をしました。

「最近、ずいぶんと音が立体的になってきたと思います。NHKの『英会話』だったか、このレッスンと並行してやられているとお聞きしたことがあるように覚 えているんですが、そのせいでしょうか。」
「NHKのほうは、やめてしまいました。」
「そうなんですか。このレッスンを幹にして、何かひとつ枝を生やして欲しいとは思っているので、NHKは続けられたらいいんですが・・・。英検とか TOEICを受けるんでもいいと思いますが。」
「三日坊主で続かないんですよ。」
「それにしては、このところずいぶんと音が立体的になっていると思うんですが・・・。」
「二、三カ月前に初心に帰ろうと思って、楽に流さないように練習し始めたせいだと思います。続けているのはこのレッスンだけです」

 そんな話をして、後で思ったことですが、I 村さんの音が格段によくなったのは、音を立体化させようと自覚して練習していることが最大の原因だとしても、今の I 村さんの発音には、NHKの英語番組を聞いていた頃に得た音がかなり入り込んでいるということでした。
 私のレッスンを継続しながら、I 村さんはラジオの英語番組の音をかなり媒介にできているなと思い、それで思い出したのが、らくださんの息子さんのことでした。

  [a:r] の音が非常にきれいに出ていたので、息子さんがCDの音を媒介にした成果だろうと書いたところ、CDは使っていないので、そんなことはなかろうというらく ださんからのお返事でした。
私は [a:r] については、とにかく「顎を下げろ」としか言いません。顎が下がることが最大のポイントだと考えていますので、とにかくそれだけを言います。
[a:r] のきれいな音は、顎を大きく下げて、口の両端をちょっと絞るようにすると出ますが、息子さんは私が一度もそんなことを言わなかったのに、その「絞り」を やっていたのです。私の指示だけからは出てくるはずがない音なのです。

 そんなわけで、息子さんは学校の教室で聞かされた音なのか、英語の歌を聞くことによってなのか、とにかくどこかで「複製音声」を見事に媒介にした瞬間が あるのだと考えています。
 私の指示だけからは出てくるはずのない見事な [a:r] でした。

 私はとにかく、最大のポイントや該当音の本質しか言いません。それで作れるのは、完成形の音ではないのです。しかし、最大のポイントと本質を外さないで 練習を継続し、口の動きに柔らかさができると、複製音声を容易に媒介にできる段階に達します。

 「いきなり」CDを聞いて真似しろが駄目なのは、多くの日本人が、「複製音声を媒介にできる段階」になっていないのに、ただ単に真似させようとするとこ ろです。

 I 村さんの例とらくださんの息子さんの例が逆にそのことを照らし出していると思っています。

【12988】
4 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 9日(火)01時20分35秒

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茂木弘道「文科省が英語を壊す」(中公新書ラクレ)2004.9.10
6, ,△

受験英語がそのまま使える英語でないなどというのは当たり前のことである。使える英語、というレベルからすると、よくて七合目、せいぜい5〜6合目程度の ものである。この程度の英語力が即使い物にならないからといって、これをけなすのはまったくの見当外れなのである。高校の普通の英語授業レベルでは、使え る英語の二合目、三合目程度にしか行かないのが現実である。(略)高校までの教科書に出てくる単語数が、二三〇〇語であることを指摘しただけで、なるほど そんなものかと分かっていただけるかと思う。一万語は知っていないと新聞を不自由なく読むことができないが、その二三%しか習わないのが普通の高校の英語 である。

【12992】
発音と聞き取り 投稿者:1ファン 投稿日:2008年12月 9日(火)15時39分51秒

突然ですが、発音と聞き取りの関係についてお教えください。

聞き取りができれば発音ができると考えます。しかし、発音ができても聞き取れないことがあります。

生徒3人とネイティブの先生のクラスでのこと。生徒の一人が[l]と[r]の発音に自信がないと言ったので、先生は教室にあった初歩レベルの英文を全員に 1パラグラフずつ読ませました。わたしは、[l]と[r]の発音に特に注意して読みました。すると"Perfect"と言われたので「ああ、区別はついて いるのか」と思って喜びました。しかし、聞いても全く区別がつきません。音の出し方はわかっていても聞き取れません。先生に、聞いたときの違いは何かと聞 いたのですが、よくわかりませんでした。わたしの場合は、読むときに[l]と[r]に注意すれば音は出せているのだと思います。

根石さんの指導で生徒さんは正しい音の出し方を獲得されていきますが、同時に聞き取りもできるようになるのでしょうか。例えば、[l]と[r]を正しく発 音される生徒さんは区別を聞き分けられるのでしょうか。

わたしが思うに、常時音が正確に出せれば聞き取りもできているのかなと・・。つまり、[l]と[r]を話すときにも常に正しく発音できている人は聞き取り もできるのかなと思うのですが。私の場合、読むときは[l]を発音するのか[r]を発音するのかはっきりわかりますので発音できても、話すときは[l]か [r]かうろ覚えのスペルだったりしますから、正しい音など出ていません。しょっちゅう出てくる単語については、話すときでも音がでているかも知れませ ん。

根石さんの生徒さんの場合は、きちんと音の出し方を指導されるので聞き取りも自然にできるようになるのでしょうか。正しい音の出し方を指導されても、個人 差があるかと思いますが、すぐに正しい音を獲得される方はまれだと思うのですが・・。正しい音が出たり、出なかったりを経て、定着していくものだと思いま す。正しい音が出たり出なかったりしている間は、聞き取りもあやふやで、正しい音が定着した時点で聞き取りもできるようになるのでしょうか。

あるクラスで、よくできる人が[th]の音が出たり出なかったりしていました。「どうしてこの人、音が出ているときもあるのに、出ないときもあるのだろ う」と思ったことがあるのですが、私の[l]と[r]もそうなのかなと思ったりしました。

くだらないことをお聞きしてすみません。いつまで経っても[l][r]その他聞き分けられない音があるので、私の耳が余程悪いのか、どういうときに聞き分 けられるようになるのかと思っています。いま、思い出しました。先生から[l]と[r]が完全に音が出ていると言われていた人に、聞き分けられるのか聞い たところ「できない」と言っていました。謙遜なのかと思ったのですが、本当ならば完全に発音できても聞き取れない?結論は発音より聞き取りのほうが難し い?

【12994】
1ファンさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2008年12月 9日(火)18時07分31秒

>聞き取りができれば発音ができると考えます。しかし、発音ができても聞き取れないこと があります。

 「聞きとりができれば発音ができる」も「発音ができれば聞きとりができる」も公式化できないと考えています。
 ここのところでは、ネイティヴ言語の習得過程と、語学の過程を混同しないのが大事だと思っています。
 ネイティヴ言語習得過程では、おおまかに「聞き取りができる」が「発音ができる」につながっていきます。大きな流れとしてそうなります。
 幼児の音だけが持つあの柔らかい性質を何と名付ければいいのかわかりませんが、ひとまず「不定音=普遍音」と名付けてみます。日本語の中に生まれてきた 幼児が言葉とも言えないほどの「アー」とか「オー」とかいう音をまず出しますが、よく聞いてみれば、日本語の「ア」の音や「オ」の音とは違います。「不定 音=普遍音」は、多分どんな言語の中に生まれてきても、赤ん坊が出す音でしょう。あらゆる個別言語(英語、日本語など)「以前」の音なので、「不定音=普 遍音」と名付けるのでいいだろうと思います。「不定音」というのは、その言語の中に生まれてくれば、それがどんな言語であろうと獲得していく過程の「元に ある」音ということです。一定の個別の言語の音ではありませんから「不定」な音だと言えます。これは、別に言えば、あらゆる個別言語に向けて開かれている 音ということです。
 発音レベルとしては「不定音=普遍音」しか持たない赤ん坊でも、「聞き取り」の方では絶えず個別言語の音を聞いています。赤ん坊がいつも聞くのは、お母 さんやお父さんや家族が話しかける言葉になります。そうなんですが、音声面だけでものを言えば、日本語の中に生まれてきた赤ん坊は、日本語という個別言語 に固有の音韻体系を聞いていることになります。
 赤ん坊が幼児になると、「不定音=普遍音」と個別言語の音が混じり始めます。混じっていく期間は、普通に考えられているよりも長く、おおざっぱに小学3 年か4年くらいまで続くと考えています。この頃までの年齢の子供が、「磁場」に入るとめざましく外国語を獲得していくのは、「不定音=普遍音」の残存比率 がまだ大きい期間だからでしょう。個人差がありますが、おおざっぱに小学校入学時点で、3分の1か4分の1くらいは「不定音=普遍音」が残存している感じ があります。
 少しずつ少しずつ、個別言語の音が「不定音=普遍音」を駆逐していきます。「混じっている期間」から「個別言語による駆逐の期間」に移行します。小学校 高学年から中学卒業頃まで、この個別言語による「不定音=普遍音」駆逐が続きます。これがほぼ完了すると、人は「不定音=普遍音」を発音できなくなりま す。あるいは、発音するのが難しくなります。
 「不定音=普遍音」の駆逐が完了した年齢と、「磁場」に入って(も)、外国語習得が難しくなる年齢はほぼ一致すると考えています。
 「聞き取りができれば発音できる」というのは、見方によれば非常に長い期間を経て、人間の個体に実現していくことです。ネイティヴ言語習得において(で さえ)、個別言語音が固定されるには15年くらいかかっているわけです。

 語学の場面を見てみましょう。

 ネイティヴ言語習得の過程をながめた後では、「聞き取りができれば発音ができる」ということが私には意味がわからない言葉になります。まず、3歳の子供 について言うのと、18歳の子供について言うのとでは、まるで事態が異なります。
 3歳の子供でしたら、「聞き取りができれば発音ができる」というのは、聞き取ったものを「不定音=普遍音」と個別言語音とが(ある比率で)混ざった音で 「発音できる」ということになります。個別言語音だけで「発音できる」ではないのです。個別言語音は混じりますが、部分にとどまります。そういう「発音で きる」です。
 (日本で、大人が、小学校低学年の子供が完璧に日本語の音で発音していると思っているのは、子供の発音の中から日本語という個別言語音だけを拾い出して 聞いているからです。もし子供の発音が個別言語音だけでできていたら、子供がしゃべる言葉があんなに可愛いはずはないのです。子供のしゃべりの可愛らしさ は、音声面だけで言うなら「不定音=普遍音」の残存によるものです。)
 さて、18歳の子供(?)ならどうなるでしょうか。「聞き取りができれば発音ができる」が全然成り立たなくなります。この年齢になれば、個別言語の音韻 体系が固定されているからです。中学生でも「ほぼ」同じことが言えます。個別言語の音韻体系が「ほぼ」固定されているからです。この年齢になると、「その 音そのもの」として聞き取れる能力を失い、すでに身体に固定された個別言語の音韻に置き換えて受け取ることを避けることができません。「不定音=普遍音」 を発する子供だけが持つ能力を失っているからです。「不定音=普遍音」を持っていることこそが、ネイティヴ言語習得において、源基であると思いますが、中 学生くらいの年齢は、その源基をほぼ失った年齢です。(個別言語を獲得する過程は、「不定音=普遍音」を失う過程です。)
 ですから、例えば18歳、19歳くらいの年齢では、「聞き取りができれば発音ができる」という時の、「聞き取りができれば」がまず成立しなくなっている のです。「その音そのもの」を、自分のネイティヴ言語の音に置き換えることが自然に起こってしまいます。

 ネイティヴ言語習得過程では、おおまかに「聞き取りができる」が「発音ができる」につながっていきます。大きな流れとしてそうなります。
 異言語(外国語)習得過程では、おおまかに「発音ができる」が「聞き取りができる」につながっていきます。大きな流れとしてそうなります。

 CDを聞けば、聞き取れるようになる? 聞き取れるようになれば、発音できるようになる? とてつもなく現実を無視した迷妄です。言語に対しては、大人 は子供の能力を喪失した存在なのだということを認識しないと、こういう迷妄のうちに閉じこめられたままになります。

 l音とr音については、稿を改めます。

【12997】
根石さん 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月 9日(火)20時53分39秒

> そんなわけで、息子さんは学校の教室で聞かされた音なのか、英語の歌を聞くことによってなのか、とにかくどこかで「複製音声」を見事に媒介にした瞬間 があるのだと考えています。

根石さんがおっしゃる通りのようです。息子によく聞いてみたところ、授業でCDを流すことがあるようです。また、息子に言わせると、「先生の発音はCDと おんなじだよ」とのことでした。

【12999】
英検受けたい 投稿者:らくだ 投稿日:2008年12月10日(水)09時55分10秒

昨日、息子が「俺、英検5級って受かる?」と言い出しました。聞くと、友達で4級を持っている子がいるらしく、自分もやってみたいということでした。意欲 を見せているのに水を差すのもなんですが、やめておけと答えました。英検に受かるには、それ用の準備をする必要があるでしょうし、ただでさえ学校の中間・ 期末試験があるのに加え、あまり細切れの“お勉強”をさせたくないと思っています。「持っておくと何かと有利らしいよ」などと言うので、英検に興味がある なら5、4級は飛ばして、3年で3級か、頑張って準2級(ちょっと無謀か)とればいい。今は教科書をだいぶ暗唱できていることの方がずっと価値がある、と 言いました。

【13000】
根石さん 投稿者:1ファン 投稿日:2008年12月10日(水)11時15分27秒

愚問にご丁寧にお答えいただきありがとうございます。

> ここのところでは、ネイティヴ言語の習得過程と、語学の過程を混同しないのが大事だと思っています。

そうですね。わたしは語学の過程を考えていました。

 >少しずつ少しずつ、個別言語の音が「不定音=普遍音」を駆逐していきます。「混じっている期間」から「個別言語による駆逐の期間」に移行します。小学 校高学年から中学卒業頃まで、この個別言語による「不定音=普遍音」駆逐が続きます。これがほぼ完了すると、人は「不定音=普遍音」を発音できなくなりま す。あるいは、発音するのが難しくなります。
 「不定音=普遍音」の駆逐が完了した年齢と、「磁場」に入って(も)、外国語習得が難しくなる年齢はほぼ一致すると考えています。

なるほど。不定音が完全に駆逐されない時期に、根石さんから指導を受けておられる生徒さんは非常に有利だとうらやましく思います。


>「聞き取りができれば発音できる」というのは、見方によれば非常に長い期間を経て、人間の個体に実現していくことです。ネイティヴ言語習得において(で さえ)、個別言語音が固定されるには15年くらいかかっているわけです。

>(日本で、大人が、小学校低学年の子供が完璧に日本語の音で発音していると思っているのは、子供の発音の中から日本語という個別言語音だけを拾い出して 聞いているからです。もし子供の発音が個別言語音だけでできていたら、子供がしゃべる言葉があんなに可愛いはずはないのです。子供のしゃべりの可愛らしさ は、音声面だけで言うなら「不定音=普遍音」の残存によるものです。)

なるほど。ここで、不定音の意味がはっきりとわかった気がします。

 さて、18歳の子供(?)ならどうなるでしょうか。「聞き取りができれば発音ができる」が全然成り立たなくなります。この年齢になれば、個別言語の音韻 体系が固定されているからです。中学生でも「ほぼ」同じことが言えます。個別言語の音韻体系が「ほぼ」固定されているからです。この年齢になると、「その 音そのもの」として聞き取れる能力を失い、すでに身体に固定された個別言語の音韻に置き換えて受け取ることを避けることができません。「不定音=普遍音」 を発する子供だけが持つ能力を失っているからです。「不定音=普遍音」を持っていることこそが、ネイティヴ言語習得において、源基であると思いますが、中 学生くらいの年齢は、その源基をほぼ失った年齢です。(個別言語を獲得する過程は、「不定音=普遍音」を失う過程です。)
>ですから、例えば18歳、19歳くらいの年齢では、「聞き取りができれば発音ができる」という時の、「聞き取りができれば」がまず成立しなくなっている のです。「その音そのもの」を、自分のネイティヴ言語の音に置き換えることが自然に起こってしまいます。

うーん、そういうことですか。

>異言語(外国語)習得過程では、おおまかに「発音ができる」が「聞き取りができる」につながっていきます。大きな流れとしてそうなります。

ずーっと疑問に感じていたのがそこらへんだったのですが、ここまでご説明いただいて納得いくような気がします。「発音ができる」から「聞き取りができる」 までに時差があっていいのだと少し安心しました。

>CDを聞けば、聞き取れるようになる?

これは、私でも絶対にウソだと確信しています。

>l音とr音については、稿を改めます。

ありがとうございます。