【11501】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2007年 5月22日(火)00時41分49秒
こんばんは、ちえです。
先ほどはレッスンありがとうございました。
回を追う毎に楽しくなっております。
もうすぐ千行を超えるにあたり、以前と変わった事と言えば。。。
毎日息子と観ているディズニーチャンネル(英語音声のみです)
でのドラマでの会話が、以前より、聞き取れるようになった気がします。
特に、レッスンで出てきた文章とよく似た文章の場合はハッキリと聞こえたりも
します。
日本では息子達にテレビを観せないようにしていましたが、今は、自分の為に
一緒に観てしまう悪い母親です。。。(^_^;)
まだ、日常生活に活用出来るまでの英語力にはほど遠いですが、こうやって少しずつ
きこえるようになっていくのかな〜??と今から楽しみにしています。
【11502】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 5月22日(火)01時34分51秒
レッスンの時に、ときどき英語の変化の様子をご報告いただくとありがたいと申しましたが、さっそく書いていただきありがとうございます。
テレビはかなり害毒がありますが、テレビ以外にも害毒はこの世に充満しておりますし、最大の害悪はアメリカの政治ですので、子どもさんにテレビくらいは
みせてやって下さい。テレビ以外に楽しみがないという種類の人間になってしまうと問題ですが、子どもにはある程度の害悪は必要ですので、この程度の「悪い
母親」はどしどしお続け下さい。「楽しいから私もちょっと観ちゃうね」でいいのではないかと思います。
余計なことを申したかもしれません。
耳が動き始めたようで、うれしく思います。
「あいうえおフォニックス」をマスターすると、よく聞こえるようになりますが、その後しばらくあんまり変化を感じなくなります。その期間に、「弱形」の
マスターへの準備ができていくと思います。
「日常生活に活用」は、せっかく英語で用を足す場所にいるのですから、どんどん「活用」して下さい。語弊があっても言いたいコツは、「下手でいい」と自
分を許すことです。
(しゃべることに)使えば使うほど、英語を口から出すことに慣れますから、思い切り下手にやるつもりで、しゃべりに使って下さい。
しゃべることは、自分の知っている言い回しだけを使うので、聴き取ることに比べれば、ずっと楽です。しゃべる速度も、自分で調整できますし。
聴き取ることの方が奥が深いと私は考えています。
ちえさんの場合では、相手の音がベトナム語に影響されていますし、英語ネイティヴでも地域差、個人差があります。日本語をしゃべるベトナム人の友達がお
られるようですが、英語をしゃべる友達ともおしゃべりするのがいいと思っています。
【11503】
日本・ベトナム間、スカイプの通信事情 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 5月22日(火)01時43分30秒
今日(昨日)は非常にクリアにやりとりできました。
前回もそうでしたが、実際にしゃべっている時と、相手の耳に聞こえる時の間に2秒程度の「ずれ」がありました。これは、地理的な距離があるからではないよ
うに思います。先日隣町の戸倉との間で、村田君とスカイプを使って、チョムスキーの「半学習・半読書」をやったときにも生じていたので、地理的な距離は関
係ないようです。
回線の状態さえ正常ならば、スカイプは実に役に立ちます。
語学的に準備せずにアメリカやカナダに渡ってしまったために、苦労している方がおられましたら、この掲示板にご連絡下さい。スカイプを使って、レッスン
が可能です。
【11513】
ROGUE States 第2回 投稿者:村田 投稿日:2007年 5月27日(日)01時11分51秒
今回は私ボロボロでした。
知ってるはずの単語の読みが違ってたり、字を読み間違ってたり。
長い文が多いので、難しいところがあります。
☆"flourish"の"o"はあごを下げるか。
「アクセントのある位置の"o"はアメリカ英語ではあごをさげる音になる確率が高い」ということを前回、根石さんから言われましたが、flourishの
"o"は狭い音です。
"our"あるいは"or"は例外でしょうか。
【11515】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 5月27日(日)01時33分34秒
flourish
ou で「逆さe」ととらえています。
これは意識して探してみたことがないので、今後気をつけて見ていきたい。
何か他の単語で ou が「逆さe」になるものを知っていたら書いてみて下さい。
【11516】
ou 投稿者:吉 投稿日:2007年 5月27日(日)22時26分15秒
flourish
私は「逆さまV」だと思ったので辞書でみたら両方ありましたね。
正月あたりだっけかな、、集中して英語をやった時に「cousin」が逆さまVである事に気付きました。 その後、たま〜にですけどね、注意してouが、
逆さまVになるかどうか検証していました。
flourish と、enough があります。
ou が、逆さまVになる単語も見つけたら教えてください。
o(u)rで、あいうえおフォニックスの仲間なのだと思いますが、「our」は、基本的に[au]か[逆C:]ですよね〜。
【11517】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 5月28日(月)08時55分46秒
> 大きく外れていたっていいのです。
そうなんだと思います。 ですが私は素読舎フアンなので、なるべく理念に近いところでフラフラしたいのです
``r(^^;)
根石さん、根石さんのレッスンを受けていなかったらあの文章を書けるようにはなっておりません。 今日は仕事はお休みなので、子供が学校に行っている間、
ゆったり気分で英語ができます。
【11519】
逆さ "e" 投稿者:Naima 投稿日:2007年 5月28日(月)23時41分43秒
nourish, tough, rough などはどうでしょうか。
意外に沢山ありそうですね。
【11522】
巴里子さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 5月29日(火)23時06分40秒
巴里子さん、、すみません、突然呼びかけたりしてしまいまして、、。 横浜の吉と申します。 根石さんの電話レッスンが検索に引っ掛かるキーワードを探し
ております。 もし差し支えなければ、巴里子さんがこの掲示板(根石さん)にたどり着いた経緯を教えて頂けませんでしょうか? 宜しくお願いいたします。
<(_ _)>
【11524】
吉さん 投稿者:巴里子 投稿日:2007年 5月31日(木)09時40分51秒
初めまして、吉さんの呼びかけ嬉しく思います。よく覚えていませんが、英語の勉強方法などを片っ端から検索している時、やけに大きな文字の文にぶつか
り、なんだろうと読んでいる内に根石ワールドに引き込まれてしまいました。
あまりにも長いので、何回かに分けて読んだ記憶があります。そこで、素読舎、電話レッスン、そして大風呂敷に辿り着きました。
【11525】
巴里子さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月 1日(金)00時28分50秒
巴里子さんが「呼びかけ嬉しく思います」と言ってくれた事に嬉しく思います。
ヽ(=´▽`=)ノ
ありがとうございました。「英語の勉強方法」を模索されていたのですね。
僕は子供への指導をどうしようか模索してたどり着きました。
似てますね。 「英語」がキーワードだとネットでは、ブラックホールみたいに深くて探し出すのが大変ですよね。 何か検索にかかりそうなキーワードを思い
ついたら教えてください。
今後とも宜しくお願いいたします。
あと、、この掲示板でレッスンの感想を書いたり、
質問を書いたりすることが、すごく良いんですよ。
掲示板を利用するとレッスンが立体的になります。
恐らく理解する速度も数段階アップします。
ヾ(▼ヘ▼;)オイコラ! ← こうい人はおりません。
怖くないので書き込んでくださいね。
【11526】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月 1日(金)00時34分31秒
明日の夜のレッスンは、お休みします。
振り替えは結構です。
レッスンを受けて、語学の高見へと導いてもらいました。 ありがとうございます。 今後とも宜しくお願いいたします。
この高さから見下ろすと「ダメダメ英語レッスン」「ダメダメ教育」が、よく見渡せます。
根石さんや糸山先生が「ダメだ、ダメだ、ダメだ、わかっていない」と、声を荒げるのがよくわかります。
いつもこんな調子の私でしたが → ヽ(=´▽`=)ノ
声を荒げてどなりたい気持ちが湧き上がっております。
(;`O´)oコラー!
日本語も英語も、言葉とイメージの同致を考えれば、非常にシンプルだとわかりました。
やるべき事も見えてきます。
読んでわかる = 文字にそってイメージ(イデア)が動いている。
つたえる = 言葉(音や文字)を媒介にしてイメージを伝える。
考える = 頭の中でイメージ(イデア)を変形させている。
イメージと言葉を何度も往復しながら同致させる。
根石さんが言った「眼目はイメージ核の獲得です」の言葉から、
私の中でゆっくり溶け始めた理解がここ最近一気にすすみました。
根石さんから受けたこの掲示板のレッスンのおかげです。
ありがとうございます。 今後とも宜しくお願いいたします。
【11529】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月 2日(土)00時10分3秒
>根石さんが言った「眼目はイメージ核の獲得です」の言葉から、
私の中でゆっくり溶け始めた理解がここ最近一気にすすみました。
吉さんの言葉は、私のものより柔らかくて浸透性がありますので、理解したところを吉さんなりの言葉で書いてくださると非常にありがたいです。その意味
で、吉さんのホームページが発展することを願っています。楽しみにしていますので、今後ともよろしくお願い致します。
【11531】
親の想い 投稿者:Jackie 投稿日:2007年 6月 2日(土)01時13分23秒
Teachers, parents at odds on early English
http://www.yomiuri.co.jp/dy/features/language/20070531TDY14002.htm
【11532】
まともな語学論に出会えません 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月 3日(日)06時33分56秒
根石さんの語学論、糸山先生の教育論、このお二人以外にもまともな「語学論」を語る人を探している。
学習指導などで「かすっている人」は沢山いるが、「イメージ核の獲得」を唱えたまともな「語学論」が見つかっていない。
先日『ほんとうの「国語力」が身につく教科書』というZ会から出版された本を購入した。
同書の134ページに『なぜ書いてあることがわかるのか』という小見出しがあった。
期待はずれの内容だった。 「文法」と「文脈」が語られていた。
「文法」理解と「文脈」を把握する力がつけば書いてあることがわかるのか?
それは違う、、。 言葉とイメージの同致が、最初に語られるべきなのに、、。
文法の理解が進めば「書いてあることがわかる」のなら、学校英語をで文法を6年もやってきた学生は「英語がかなり読める」はずである。
Z会の同タイトルの本に書いてある内容、数年前なら何も考えずに「そうなんだ!」と 受け入れていただろう。 この本に書かれて内容に、『語学を語る時
に一番大切な「イメージ」が欠けている!』と読み取れるようになった。 この読解力は、根石吉久さんから英語を「語学」として学んだからである。 糸山先
生の算数が、すべての学問を獲得する以前の「こやし」を作ってくれるからと気づいたからである。 Z会は所詮「大学受験システム」の中からはみ出して国語
を語ることができていなかった。 それが理解できた。
まともな「語学論」が無いから僕も書き始めた。 公開するかどうかわからないが、とりあえず書いてみる。
とりあえず「やってみる」で見えてくる世界がある。 やりたい事は「やってみる」が大切。 生理現象と同じである。 我慢にしていたら体に悪い。 乱文で
もこの気持ちが熱いうち「やってみる」が良い。 トライ&エラーから学んだ事は、学校で仕入れた知識以上に価値がある。 経験として獲得できるモノがある
から。 この「漠然としたモノ」を具体的なイメージに変換しストックしようとする試みも、実は「語学に生きる事なんだ」と理解できるようになった。
「やってみる」は、すべての学問に共通する「学習論」なのかもしれない。 「やってみる」から得た具体的なイメージの獲得(経験)は、国語にも数学にも物
理学にも英語にも、すべて学問の肥やしになるのだと思う。 他人が使用する「語学論」というキーワードから想起されるイメージが、もうすでに変化を始め
ました。 「語学論」という言葉のイメージ核を獲得しにいっている段階だからだ。 目に見えない「語学」というイメージの獲得は、一生得る事ができない
かもしれない。 そのつかみ所のない漠然した「語学論」とい概念のイメージを追及をする事を、「哲学」というのかもしれません。 しかし、私はこのイメー
ジ獲得の作業も「語学」と捉えています。
とりあえず「やってみる」で色濃くなるイメージがあるのです。 イメージが濃ければ濃いほどハッキリと「理解している」という事なのです。 今の私の理解
だと、それが「語学」という事なのです。 「イメージ核の獲得」を試みているのです。
語学について書いてみる、、とりあえず「やってみる」で「語学論」のイメージが濃くなるはずです。 書き始めてみれば具体的にもっと見えてくるのかもしれ
ません。
【11533】
Jackieさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月 3日(日)07時04分19秒
Jackieさん、「親の想い」の記事を読みました。
Jackieさんも深く読み取る力のある方だと思います。
英語でなく「語学」をやりませんか? 語学をやるのに「英語」を使うんですけどね、、(笑)。
根石さんがずっと以前Jackieさんに語りましたが、語学をやると「プロパガンダ」に振り回されなくなってくると思います。 最近は「世界規模」のプロ
パガンダなので、大変読みづらくなってきております。 池上彰さんは、良くわかっているなと感じます。 彼は文脈を読む力が凄く訓練されているのだと思い
ます。 遠い異国で起こった異変から、もっと世界規模でおこっている「異変の核」を読み取る力を池上彰さんは、獲得しているのだと思います。 これは数学
の推論する力であり、語学の文脈から読み取る力なのだと思います。
【11536】
素読舎はなぜ小学3年生から英語を始めていいと考えるに至ったのか 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月 5日(火)02時10分5秒
素読舎という塾が出来るまで、私は家庭教師をやっていました。家庭教師といっても、一対一ではなく、ある家に3人ほど集まってもらい、3人を同時に見る
というやり方でした。この3人が同時に英語のテストで90点以上(二人が100点)をとってきたので評判になり、同じ町の中で「うちでもやってくれ」とい
う人が現れ、少しずつ回る家が増えていきました。回りきれなくなってきたので、「塾をやるから一箇所に集まってくれ」と言い、素読舎が発足しました。家庭
教師の頃から、2,3人同時に見るという形だったので、塾の要素は最初からあったのですが、一つの塾に全員に集まってもらう形はほぼ自然発生的に生じまし
た。
私は、点をとらせるのがうまいということで評判になり塾を作ったのでした。
対象は中学生でした。
塾をやっているうちに、学校対策としては、小学校5,6年生からやると、小学生のうちに目がアルファベットという文字に慣れ、それを瞬時に音にすること
に慣れておけるので、中学生になってからは、文法の理解がすんなりいくケースが多いことに気づき、小学校5,6年生も受けつけるようになりました。
ぎりぎり小学校4年生からかな、という勘みたいなものがあり、小学校3年までの子どもに塾を使わせたいという希望があると、こちらから日本語の素読をや
らせてくれとお願いして、日本語の素読をやりました。
小学校5,6年生から、あるいはぎりぎり小学校4年生からという判断の元には、日本語の骨組みもまだ固まっていないうちから英語もないものだという考え
がありましたが、そもそもは中学校を想定した学校対策として小学生も見るということにすぎませんでした。
(余談ながら。大学生になって英語をやらなくなるケースが圧倒的に多かったために、学校英語や受験英語につきあうことに興味を失い、素読舎も小さくなり
ました。子どもに点をとらせることをやれば、今でも私はうまいはずだと思っています。ただし、以前よりもずっと遠回りさせますが・・・)
最近は、小学校3年からでもいいかもしれないと思うようになっています。
私の方法の原理は素読にありますので、最初から文字を媒介にします。文字を音にするというのが、そのもっとも基本の形ですので、3,4,5歳などの幼児
を対象にしたレッスンはまったく考えていません。
最初は小学5,6年生、次に4年生、最近になって3年生まで年齢を下げたということですが、小学校3年生でも始めていいと考えた根拠を書いておきたいと
思います。
根拠を一言で言えば、語学の対象としての言語は「死んでいる」からです。このことは、なかなか人にわかってもらえない基本事項の一つなのですが、これは
自分に対して明らかにして以後、一度も手放したことのない私の考えの一つです。
気の利いた言い回しなどをCDに吹き込んだものを「生きた英語」などと称している場合が世間には多いですが、原理的に言うならば、もしそれが語学の対象
となったとたんに「死んだ英語」になるのです。
語学とは、「死んだ英語」を死んだものとしてまっとうに扱うことです。例えば、同じ文を繰り返し何十回も言い続けるようなことは、それが語学だからこそ
許されることであり、生活言語では、お経を唱えるような特殊なケースを除いてはまずありえないことです。意味と語がバラバラの状態から、それがくっついた
状態に持ち込み、さらに熱を加えて、語とイメージが一体化するようにするというのも、語学の過程にのみ見られるもので、ネイティブ言語の獲得では、語とイ
メージが最初に合体します。その合体から時を経て、意味を人に説明できるようになるという順序があります。生活言語では、イメージが最初に発生し、その外
化されたものとして意味が生じます。
語学では、語と意味 → イメージ。
生活言語(ネイティヴ言語)では、語とイメージ → 意味。
意味とイメージの発生の順序が転倒しており、だから、語学的修得と生活言語の修得は成り立ちが根底から違っています。文法においても、これと同様のこと
が言えます。
生きた言語と死んだ言語とが違うのと同時に、語、意味、イメージの関係性がまるで違っています。
で、語学をやるのであれば、語学だからこそ許されることを思う存分にやることが肝要です。生活言語では決して許されないことを、徹底的にやるのが語学で
す。
生活言語では許されないこととは、言語の死体をいじりまわすことでしょうか。
「はいはい」
「はい、は一度でいいの」
この「一度でいい」という注意は、言語を死体とすることに対する非常に敏感な意識が発する声です。言語を死体とするもっとも簡単な方法は、同じ言い回し
を繰り返すことです。で、日本語磁場では、「はいはい」と二度繰り返すだけで、注意されます。
日本語磁場で、I've loved you all the time.
を千回繰り返しても、誰も注意などしません。「おお、熱心に英語やってるな」とは言われるかもしれません。
しかし、繰り返す以前に、すでに本性として、日本語磁場では英語は死んでいるのです。というより、それが語学の対象となったとたんに、英語は死んだもの
になります。それを「繰り返し」によって、さらに死なせる。死んでいるものをさらに死なせることによって、いったい何をしようというのでしょうか。私はこ
の過程を「逆葬式」と名付けたことがありますが、死んでいるものをことさらに自分の意識で死なせ続け、死んだものとして持ち続け、磁場において生き返らせ
るためです。
死んだ言語とか、言語の死体というと薄気味の悪いことのように感じるかもしれませんが、死んだ言語なら、小学校3年生がやっても害はないというのが現在
の私の考えです。死んだ言語だからこそ、子どもがいじっても害がないのです。
これに対して、現在の日本に蔓延している幼児英会話の英語は、幻想としては「生きた英語」ですが、実体としては「なま生き=なま死に」=「死に損ない」
です。
死んだ言語を死んだ言語として持ち続けるだけなら、幼児がやっても害はない。意味もよくわからないまま、歌を覚えて歌っても別に害はありません。切実な
言語としてでなく、当事者の言語としてでなく、歌を歌うように英語の文を唱えても別に害はありません。
小学校3年からという区切りがあるのは、それ以前は日本語の文字に目をなじませるべきであろうと考えるからで、あくまでも目と文字の問題から必要になっ
ている区切りです。もし、文字を介在させない方法が作れれば、あるいはそれ以上に大事なことですが、死んだ言語を死んだ状態のままに持ち続けるのであれ
ば、幼児がやっても害はありません。
ところが、死んだ言語を死んだ状態のまま持ち続けるということほど、世の幼児英会話などという世迷いごとで頭を支配されてしまった母親たちに理解されな
いことはありません。死んだ言語など、気味の悪いことを言わないでおくれ、うちの子には「生きた英語」だけが必要なんだから、というわけです。それが日本
語の磁場においては立派な世迷いごとだとはいつまでたっても気づくことはありません。ただのアメリカパワー信仰なのに。
英語という言語の磁場を欠如した場所(日本)では、英語はまず99パーセントまで、死んだ言語としてしかありえないという原理が、アメリカパワー信仰の
母親にはわからないのです。なにしろ、信仰ですから、その信仰の外側をはじく力はすごいものがあります。
先日、幼児英会話教室の先生をやっている女の人と話をしましたが、母親たちの間では、うちの子は5歳で What time is it?
に答えられたとか、うちの子は4歳で、How old are you?
に答えられるようになったとかの競争があるのだそうですが、子どもにしてみれば、ワッタイズィ とか言われたら、one から
twelveを1から12に対応させて、現時刻を英単語で言えば褒められる、ハオルダヨとか言われたら、自分の歳の英語名を覚えて、それを言えば褒められ
るという反射をやらされているだけのことです。
これは、英語で思考しているのではまったくなくて、反射をやらされているだけのことですから、原理的には「決まり文句をそのまま使う」という域を出てい
ないのですが、母親たちは子どもが英語で思考しているのだと勘違いしてうれしがるのです。
もし、私が小学3年生に英語をやらせるなら、日本語を主言語として日本で生活している子どもである限り、英語で思考することなどは一切求めません。その
代わりに、かなり高度な英文も、死んだ言語として死んだままに持ち続けるために、どんどん音声化し、音声化の完成としてインプットしていきます。
「生きた言語」幻想など持っていた場合は、実に退屈なレッスンばかりが続きます。英語のレッスンより、忍耐力のレッスンになっていくでしょう。構わず
に、退屈なことばかりを続けます。
剣道をやる人の素振りみたいなものです。
寺の坊さんの読経みたいなものです。
退屈だとか、同じことの繰り返しだとか、生き生きとしていないとか、そんなことはどうでもいいことです。
スタンダールの「恋愛論」というのを読んだことがないのですが、そこからの短い引用文をどこかで読んだことがあり、印象に残った文がありました。今、そ
の文を引用できませんが、私なりに書き直して概要だけ言えば、
どこかのなんとかという湖に木の枝を一本入れると、その枝に塩がびっしりと付き、枝の形の塩の固まりができる。
それだけのことです。剣道をやる人が毎朝素振りを続けるのも、寺の坊さんが毎朝読経を続けるのも、意識という場に木の枝を一本置くためです。実戦という
場で、実戦用に体が動かなければならないときに、普段の素振りが効いて、無駄な動きがなくなるとか、毎日唱えているお経を、さて改めて考えてみるときに、
お経の本文は一本の枝としてすでに存在するので、考えに集中できるとかという効果が生じます。
スタンダールは、まるで違うことを言うために、なんとかという湖とか木の枝とか言ったのだろうと思いますが、私はまるで簡潔な語学論=練習論を読んだよ
うに思ったことを覚えています。
で、剣道をやる人の素振りのようなもの、寺の坊さんの読経のようなものとして英語を始めるのであれば、小学校3年くらいからやってもまったく構わないと
考えるに至ったということです。
あらゆる幼児英語、小学生英語論議から欠けているのは、「原理としての素読」です。
死んだ言語を死んだ言語として持ち続ける「準備論」です。
一種の「百年の計」が欠けているのです。
花が枯れるとわかっている場所で、種をまいて芽を出させるべきではありません。
種を種のままに持ち続けさせるべきです。(=死んだ言語を死んだままに)
磁場に渡って、種を蒔き、植物体を育て、花を咲かせるべきです。
英語を使うようになるための準備を長い時間に渡って子どもにさせるのであれば、「原理としての素読」を外してはことごとく失敗するでしょう。
日本の幼児英語など、喩えるならば、切り花です。
やがてしおれるだけの、根のないものです。
実を結ぶこともありません。
【11537】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月 5日(火)04時52分8秒
ありがとうございました。
> 語学では、語と意味 → イメージ。
> 生活言語(ネイティヴ言語)では、語とイメージ → 意味。
> 意味とイメージの発生の順序が転倒しており、だから、語学的修得と生活言語の修得は成り立ちが根底から違っています。文法においても、これと同様のこ
とが言えます。
そして、日本語磁場には、「英語の音」が溢れてないので、まず「音ありき」なんですよね。 素読に限定されるなら小3からやっても良いと思います。ですが
普通の親は根石さんのような理論を持ちませんからね「小3からやって良い」だけに反応して「英会話教室」に行かせちゃうかもしれません。 私がホームペー
ジで「中学生から」と書いた根拠をまとめてこちらの掲示板に投稿しますね。
この掲示板は、本当にすごいです。
自分で書き込めるという事がすごいのですね。(当たり前なのですが、、、)
掲示板、ホームページ、ブログで発信するのは、自分の気持ち(イメージ)を確認する「語学的」なアプローチですね。
「コーチング」では、「オートクライン」という偉そうな名前がついております。
我々は自分の気持ちやアイデアなどの「イメージ」を、一度外にアウトプットしないとハッキリと認識できないのだと思います。 人に自分の考えを話したり、
文章にする事で、自分の中のイメージ核を掴みにいくのです。掲示板に書き込むという作業、手紙を書くという作業、ブログを書くという作業は、とても語学的
だという事が最近になってわかりました。
自分の気持ちの整理(イメージの確認)をやらせて頂いております。
自分で喋って自分で勝手に「気付く」です。(= オートクライン)
【11538】
今素読が流行っています。 投稿者:Jackie 投稿日:2007年 6月 5日(火)22時23分50秒
先日、深夜にNHKを見ていたら、孔子を平幹二朗さんを演じ、論語について放送していました。なかなか面白かったです。
途中たくさんの小学生が論語をいっせいに「素読」しているところがうつしだされ
アナウンサーが
「今、論語の素読が流行っています」と
「断言口調」でナレーションしていました。
断言口調できっぱり言われると、あせりました。
あーそうなんだ、ブームなんだ、流行ってるんだ〜。へー乗っかろう。と思う人が多いことでしょう。
小学生たちが「おもしろい。」「なんか、よくわかんないけど頭に入るかんじ」などと感想を話していました。(この画像で本当に流行してて、やらなきゃ
損!ってなあせり?)
斉藤孝さんの暗唱から素読がいつのまにかブームになっていたのでしょうか?
私はブームにうといのでわかりません(汗)
みんながやってるから自分もとブームに乗っかることもめったにない・・。
ノリが悪いともいえます(汗)
しかしブームにはのっかる日本人です。
つぎは根石さんの英語素読ブーム時代が到来する??
教育再生会議の陰山さんが。英語素読ブームを作りそうです・・。
ポイントは哲学。
やはり百ます計算思考は危ない。
陰山さんより根石さんの素読が根っこがある。
哲学のない素読をやるより哲学のある素読。
でも根っこより「うわっつら」にのっかるのが日本なんですよね。
だかラ英会話ブーム、そして今は幼児英語教育ブームというわけで。
小学生の英語はまたあとで書きます。
漢文バラエティ・カンゴロンゴ
今、書店では「漢文力」「困った時の論語」などの本が大人気。老若男女を問わず「漢文」への関心は高まる一方!2千年以上前の中国で書かれた人生観や世界
観は、現代に生きる私たちにとっても、けっして古いものではなくて、むしろ生き方のノウハウに満ちている!?
ストレスの多い職場での人間関係、なかなかうまくいかない男女の恋愛、そして誰もが多少なりとも感じている周囲のモラル・マナーの悪化。こうした日常生活
のお悩みや疑問に対して、漢文はナイスな処方箋を示しています!
徹底的にこの「漢文」を遊び尽くしちゃうのが、「カンゴロンゴ」!コントあり、恋愛必勝法あり、漢文ラップあり・・・「漢文の世界」を多面的に味わう、新
感覚のエンターテインメント番組です。今、漢文ブームはそこまでやって来ている!
http://www.nhk.or.jp/tamago/
【11539】
教育再生会議 投稿者:Jackie 投稿日:2007年 6月 5日(火)22時33分14秒
教育再生会議の委員は早寝早起き朝ごはん、百マス計算の陰山さんです。
毎朝の15分授業をとりいれるとか。
その小学校の授業のなかで
毎日素読、毎日英語・・そんな感じで英語がはいってくるかもしれません。
陰山英男&藤井弘之の 反復練習 英語暗唱ノート (大型本)
陰山 英男 (著), 藤井 弘之
陰山メソッド 英語への挑戦 (単行本)
藤井 弘之 (著)
【11540】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2007年 6月 6日(水)00時43分2秒
こんばんは、ちえです。昨夜は突然お休みしてしまいすみませんでしたm(_ _)m
振り替えのけん、了解しました。
最近、掲示板の英文や、マンションからのお知らせの手紙(英文)を以前より
抵抗なく、読めるようになりました。
ほんの少しの変化ですが、効果が出てきているのかな〜??とうれしく思っています。
質問ですが、欲張りな私は、ベトナム語も少し習ってみたいと思っています。
(市場での買い物は、やはりベトナム語が出来ないと値切れなくて、外国人値段で
買わされてしまいます(^_^;))
ただ、今は、英語を始めたばかりで、頭がこんがらがるのではないかと考えていますが、
根石さんの意見を教えて頂けますか??
【11541】
追伸です 投稿者:ちえ 投稿日:2007年 6月 6日(水)00時44分17秒
すみませんm(_ _)m
ややこしい書き方をしてしまいましたが、掲示板とはマンションの掲示板です。
【11542】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月 7日(木)02時20分51秒
>そして、日本語磁場には、「英語の音」が溢れてないので、まず「音ありき」なんですよね。
細かいことを言うようですが、日本語磁場にも「英語の音」は溢れています。ハリウッド製の映画やら、アメリカ製ポップスやらです。「音」は溢れている
が、日本語磁場では、それが「声」になることがないということだと思っています。先日の小論に重ねて言えば、「音」は死んだ言語のものであり、「声」は生
きている言葉(切実な、当事者としての)だと考えてきました。というか、そういう文脈において、「音」と「声」を区別してきました。
で、「音づくり」というのも、やはりまったく語学の領野のものだから、「音」づくりなわけで、「声づくり」は語学ではできません。ですから、「ゴース
ト」のシナリオを元に作った語学テキスト(=イメージ核獲得用教材)での、文のイントネーションも、語学というお座敷の床の間に飾るための標準的イント
ネーションを採用しています。映画を観てあるせいで、映画の俳優が出していたイントネーションがウツルことがありますが、自然にウツルのは構わないとし
て、映画通りにやれとか、感情を込めてやれとかは一度も生徒さんに言ったことがありません。標準や典型や一般例でいい。「声づくり」は磁場でやれ。「声づ
くり」は具体的な生きた相手との切実なあるいは楽しいやりとりにおいて、言葉の当事者として、自分でやれ。それが単純な原理です。やたらに感情を込めた読
み方は気持ち悪くて、自分ではできません。私ら語学をやっているんで、芝居をやっているんじゃないのだから。話が逸れました。
>素読に限定されるなら小3からやっても良いと思います。ですが普通の親は根石さんのような理論を持ちませんからね「小3からやって良い」だけに反応して
「英会話教室」に行かせちゃうかもしれません。
そうです。「小3から」は、原理としての素読を理解している場合に限ると思います。
素読を理解するとは、素読の危険性をも理解することでなければ駄目だと思っています。
Jackie
さんの記事では、NHKが素読がブームだなどとアオっているとのことですが、かつて教育勅語を子どもの体に植え付けたのも、原理としては素読を使っていた
のです。イデオロギーがからむ場合は、あくまでも個人対個人が使う場合に限るべきです。学校やら国家やらが素読を言い出したときは、絶対に警戒すべきで
す。金で国家とつながっているNHKが素読を言い出したとすれば、かなりやばいことだと思っています。阿倍みたいな生徒会長じみたハエヌキ総理=毛並みの
良さ(岸信介シラミ一家にも毛並みがあるとは知らなかった!)が言い出したときは、素読は否定されるべきだと考えています。兵隊を作るには強力な方法に
なってしまいます。
>私がホームページで「中学生から」と書いた根拠をまとめてこちらの掲示板に投稿しますね。
楽しみにしています。
【11543】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月 7日(木)03時01分8秒
ベトナム語というのは、SOV型言語でしょうか、SVO型言語でしょうか。
ベトナム語はかじったことがないので、見当がつきません。
「私がりんごを食べる」が日本語(朝鮮語・ヒンディ語・モンゴル語)語順で、SOV型です。
「I eat an apple」が英語(欧米語・タイ語・中国語)語順で、SVO型です。
あくまでも、欧米語圏からの解析方法によりますが、便宜なので私もこの区別の仕方を使っています。本当はまったく違う基底から、日本語は解析されなけれ
ばならないのだろうと思いますが、その基底がいまだありません。てがかりは、カナダの大学で教えている日本人が書いた「日本語に主語は要らない」という本
でしょうか。手元に本がないので、著者名を書くことができません。もしかしたら書名も違うかもしれません。手元に出てきたら、正確なところを書きますが、
古本屋で探さないとみつからないかもしれません。チョムスキー批判はよく理解できませんでしたが、私の日本語理解がこの本で変わった感じがあります。いま
だ「感じ」だけで、人様にわかるように言葉にすることができていません。
英語を練習するというのは、SVO型を練習しているわけで、ベトナム語が韓国語やモンゴル語のようにSOV型なら、せっかく日本語と英語との間で貴重な
分裂を始めたのに、この分裂の幅を狭める作用があるかもしれません。音の豊かさを味わうためだけなら、多言語を同時に習うのも楽しいはずですが、私ならや
りません。言葉の基底の一つに音がありますが、それは外的な基底です。それを内的な基底=声にするには、確実なイメージ核の獲得がなければならないので、
単に混乱するに終わる可能性は多分にあると考えています。
(しかし、ベトナムにいてベトナム語のイメージ核をつかむのが最も有利なんです。)
決まり文句をベトナム語で覚えるのはどんどんやっていただいていいと思います。「高いよ」とか、「私この店で買うの三度目だよ、安くしてよ」とか、「お
ばちゃん、今日はきれいね」とか、とにかく安く買うことに有効な言い回しに的を絞って覚えることをやって下さい。ガイジン価格で買っていると、現地価格を
だんだん引き上げることになるという説を聞いたことがあります。それが本当なら、現地では現地価格で買うべきです。そうでないと普通の人たちが困るように
なっていくはずですから。貧乏人が困るのはよくないことです。
俺の人生のこれからの課題は「貧乏」だなと考えているので偏った意見を申し上げているかもしれません。また話が逸れました。
参考意見としてお聞き下さい。
ベトナム語に強い魅力を感じるなら、あるいは今後もベトナムに住み続けることを選択する可能性があるなら、英語でなくベトナム語をやるべきだと思いま
す。
ベトナム以外の国にも行くとか、汎用性を求めるなら英語をやるべきだと思います。
ちょっとだけ、「英語どんでん返しのやっつけ方」で触れたのですが、英語という言語は汎用性というところからとらえるのがいいと考えています。汎用性が
柱であるなら、そんなに細かい話は英語でできなくてもいいはずですが、英会話ブームの中でアメリカパワーを信仰した人たちは、やたらアメリカ人やイギリス
人やカナダ人を標準にして、英語で細かい話をしたがります。
商売や政治に関わるのでなければ、細かい話は「できなくてもいい」という一つの見切りも大事です。ここを見切ることで、かえって英語に自在さが生まれる
ことだってありうると思っています。
またまた話が逸れました。
【11544】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2007年 6月 7日(木)03時12分0秒
こんばんは、早速のアドバイスありがとうございます。
ベトナムは、SVO式と聞いています。文法は似ている上に英語よりも
簡単だと聞いています。発音がとにかく難しいです
根石さんの言われたように、私も混乱するだけのような気がします。
どちらか一つに絞るのなら、やはり英語を選びたいですね。
と言うわけで、単語を中心に生活に有利なベトナム語だけ、少しずつ
メイドさんに教えてもらおうかなと思っています。
せっかく、ベトナム語の磁場にいて、もったいない気もしますが、
とにかく、私は、今英語がやりたいので。。。
丁寧なアドバイス、ありがとうございました。
【11545】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月 7日(木)03時20分38秒
>そして、日本語磁場には、「英語の音」が溢れてないので、まず「音ありき」なんですよね。
私が「まず音ありき」だとするのは、「音としてインプットする」ためです。
基底は素読にあります。
【11547】
「中学生のための社会科」 投稿者:村田 投稿日:2007年 6月 7日(木)14時24分38秒
「 人間を個人としてみれば、詩を作る人も読む人も好みだからというほかない。少なくとも読む人、作る人の自己慰安(自分だけに通ずる慰め)にしかならな
い。別言すれば自己慰安を第一義としている。これはすべての芸術に共通したものだ。それがたまたま他の人に慰安を与えたとしても偶然にすぎない。強制でも
ないし、読む読まないは自由だとしかいえない。詩など見向きもしなくても、生活に差支えるわけでもないし病気になるわけでもない。
逆なことも考えられる。他人を慰安するのを第一義とする芸能歌手の歌が聴く人の自己慰安に響いてくることがある。話芸でも自己慰安に響いてくる優れた芸
能家もいる(美空ひばりという歌手は日本語で歌っても、聴く人がどこの国の人であろうと自己慰安に響くことができるとわたしにはおもえた)。だから芸術は
高級で芸能は低級ということは絶対にない。これは詩人や歌手がそれぞれ誤解していることが多い。読者や聴き手もまた。
すべての「芸」と名のつくものは「永続」と「瞬間(その場かぎり)」のあいだに仕えている。だが人間を集団として形成される「社会」にたいしては「芸」
は無用であり、「芸」にたずさわる者は無用の長物である。これはまた愚か者を国の政治責任者に選んだりする理由でもあると思う。人間は個人としては自己慰
安を求める動物だが、「社会集団」の塊としては「有用さ」を求めるのを第一義とするからだ。」
中学生の塾生達には日本語の素読として、全員に「中学生のための社会科」(吉本隆明 著・市井文学 刊)を読んでもらっています。
引用した部分は、もう復習の段階になっていて、何度も読んでいるのを聞いたところなんだけれど、最近、気になるようになりました。
「詩など見向きもしなくても、生活に差支えるわけでもないし病気になるわけでもない。」ここでは、「歌など見向きもしなくても、生活に差支えるわけでも
ないし病気になるわけでもない。」と言われると、私にはよりわかりやすくなります。
例えば、ブルーハーツのライブ。例えば、新井英一のライブ。そこで、胸のうちからこみあげて熱くなるなにかを感じる時、「聴く人の自己慰安に響く」とい
うことだと思います。その時、私は「つぎはおまえの番だ」というバトンを渡されたような気がします。次の日になったら、忘れてしまっているかもしれないけ
れど、その時の気持ちはずうっと残っていて、なにかの折に、よみがえってきます。
ここで「自己慰安」と言われていることには、「イメージ」が深くかかわっていると思います。
「自己慰安」「イメージ」は「有用さ」「役に立つこと」から自由であるほど、「響く」ものなのかもしれない、と思いました。(口で言うのは簡単だけれ
ど、実際にやるのはすごくきついと思います)
「有用さ」が第一義とされる場所で、「自己慰安」「イメージ」は矮小化されてしまう(「アリとキリギリス」のキリギリスは、本当に、アリに物乞いしに
行ったのだろうか)。
「すべての「芸」と名のつくものは「永続」と「瞬間(その場かぎり)」のあいだに仕えている。だが人間を集団として形成される「社会」にたいしては「芸」
は無用であり、「芸」にたずさわる者は無用の長物である。これはまた愚か者を国の政治責任者に選んだりする理由でもあると思う。」
ここが、すごいと思ったところです。さらっと書かれているけれど。
【11548】
教育ぶっ壊し会議 投稿者:Jackie 投稿日:2007年 6月 8日(金)01時08分35秒
根石さん
>Jackie
さんの記事では、NHKが素読がブームだなどとアオっているとのことですが、かつて教育勅語を子どもの体に植え付けたのも、原理としては素読を使っていた
のです。イデオロギーがからむ場合は、あくまでも個人対個人が使う場合に限るべきです。学校やら国家やらが素読を言い出したときは、絶対に警戒すべきで
す。金で国家とつながっているNHKが素読を言い出したとすれば、かなりやばいことだと思っています。
うーん、ずばっと仰いますね。
今のテレビ各局、NHKも安倍正日放送とかしていますから・・ね。
教育再生会議・・・人選もめちゃくちゃ。
名前からは程遠いことをしようとしているのに
名前だけ聞くとよいことをしているように思ってしまう。
ボランティア(奉仕活動)の必修化・・
議事録をみると、まー国民コントロールする道を作ろうとしている。
しかし「再生会議」ときたもんで、だまされる〜。
改革を叫びながら改悪をしてきた小泉〜の政権ですが、
繰り返しの効用で催眠療法にかかっている。
素読ブーム。もろ手をあげて賛成とはいかないのですね。
ブームというのは作られるもんですよね・・
近頃エコ、エコロジーブーム。
電球を白熱電灯から蛍光灯にして、エコロジーをさけぶ。
スーパーのプラスティックレジ袋をもらわすにマイバック持参で環境にやさしく。
小さなことの積み重ねが環境改善につながる。
それもわからないではないが、
それを個人に要求する前にもっと政府がやるべきことがあるだろう、と。
反吐がでます。
と書いてから、根石さんはゴミ問題と格闘してるのでしたね。
私は分別収集はしていますし、財布のための節電はしますが、
環境意識はありません。
無知です。
ただゴミ焼却場が近くにできるとなると抗議することでしょう。
その分野について簡潔に教えていただければ幸いです。
【11549】
「中学生から」と書いた根拠 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月 8日(金)23時39分21秒
ホームページをやっていて、
読者の方の中に「小見出し」だけで内容を把握したつもりになる方がいるという事がわかってきました。
私のホームページを訪れる人には、「どんぐり倶楽部」をキーワードにこられる教育熱心なお母さん達も多くいます。
以前、「素読」でやらせるなら幼児からOKと書いて、本意が伝わらなかった人がいました。
「素読」という所がポイントである事が伝わりませんでした。
やらせるなら「理論」が必要です。
ネットの書き込みは不特定多数の方が読むためバッサリと「小学生にはやらせません」と書きました。
しっかりした理論があれば良いのですが、
大抵の人はそんなものは持っていません。
自分がやってきた学習方法で「良さそうだ」と思うことを、
大抵の親は子供にやらせるのです。
理論が見えずに子供にやらせるから問題です。
100ます計算は悪害があります。
その事を糸山先生が強く語っています。
私はその事に激しく同意しております。
ですが、私のホームページで公表するかどうかはわかりませんが、
実を言うと私は息子に「百ます」をやらせた事があります。
「どんぐり倶楽部」の算数の文章問題「崇拝者の私」がこれを書くと、きっと驚かれる読者もいると思います。
「そんなものはできなくて良いんだ!」と強く言い聞かせる事もできますが、私達夫婦は相談して、息子に「やらせました」。
息子の状態を考え、「100ます」ができる事で、
「他の児童と対等にやりあえる事」に自信を持ち、
学校で「オレもできる」と息子に少しでも自信がつけばと考えたからです。
当時の息子の状態を考えた結果、息子が「学校にもいきやすくなる」と考えたからです。
「100ますの悪害」より、息子に自信をつけさせる手段として利用しました。
指導する側(親)に、獲得させたいモノが明確であったからやらせたのです。
「やらせる理屈」があるから可能なのです。
糸山先生が言っていました。
問題を子供に合わせるのではなく、子供に問題を合わせてくださいと、、。
我が家ではもう「100ます計算」などやらせていませんが、
そういう理由で「やらせた」事がありました。
単純計算処理のスピードの獲得が目的ではありません。
指導者が理論や理屈を持つことは大切です。
それをもたない人が私のページに来て、書かれているうわべだけを読んで、「ああそうか!吉さんもやっぱりやらせているんだ」となる事を危惧いたしました。
普段の生活に必要のない英語を、
子供に「おしつける」人が出てくる方を危惧いたしました。
中学からは授業で英語は「必要」になります。
「中学から」と書けば、子供も「必要だからやる」と腹をくくれると思ったのです。
根石さんの理論なら(子供達が続くかどうかは別にして)
早期から始めても安全だと考えております。
一日5分程度の素読で良いとおもっています。
ですがあえて早期にこだわらず、中学から始めたとしても、
「正しい指導」の下でやれば、確実に獲得できるとも思っております。
大抵の場合、「子供がやりたい」というよりは、「親がやらせたい」のだと想像しております。
親の押し付けで小学校の頃の大切な子供の遊び時間が削られてしまうくらいなら、
(不特定多数の人が訪れる)ホームページでは、「やらせるな!」ぐらいハッキリいった方が、
害は少ないと思いました。
いろいろ思う所があっての「中学から」という理由付けでした。
【11550】
スッキリ! 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月 8日(金)23時47分11秒
今夜のレッスンは凄く勉強になりました。
家内が休みだったので、根石さんに私の「茶の本」の朗読を聴いてもらったのです。
「素読」で獲得するべき質が、ハッキリとイメージできました。
今日のレッスンから得たものは大きいです。
もう一度一章に戻って確実に読み上げていきます。
ありがとうございました。
【11553】
高村光太郎の詩の翻訳 投稿者:英語嫌い人 投稿日:2007年 6月11日(月)21時39分47秒
岡田幸文さんのブログより。
光太郎の翻訳論 [2007年06月10日(日)]
「詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の『詩』はやはり向うに残る。其を知りつつ
訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである」
これは、高村光太郎の訳詩集『明るい時』の序文の一部である。
「ただ出来るだけ意味と精神とに忠実にと志したまでである。原詩が其中に深く包まれてゐるリトムやモドレエは翻訳し得られるものではない。為し得ると信ず
る人が若しあらば、其は国語のリトムとモドレエとの深さを我知らず侮つてゐるのである。詩の翻訳は結局一種の親切に過ぎない」
「詩の翻訳」について書かれた文章として一級のものだと思われるが、「一人の近親者」が旧姓長沼智恵子であることを知るとき、この序文はさらに味わい深
いものとなる。
Posted by 岡田幸文 at 11:29 | 詩と詩人と | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
【11556】
語学論 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月14日(木)23時17分13秒
私のホームページで「語学論」をあつかいはじめました。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/eigodeyume/gogakuron-mokuji.html
と言っても、根石さんと糸山先生の引用だらけで、
素読舎とどんぐり倶楽部を、応援しております。
パクリばっかりです。 (^^;;
「この引用は禁止だろう」というのが、ありましたら教えてください。
下書きのような状態で公開しています。
勢いがないと書けなくなるので「書きたい時に書く」でやっています。
語学論なので、この掲示板に引用して議論が発展するのはかまいません。
【11559】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月16日(土)01時21分45秒
読ませてもらいました。感動しました。
おお、俺はこんなこと書いていたのか、と思い出させてもらいました。
遠い雷鳴を聞くように読みました。
もしかしたら、語学は学問かもしれないと途中で考えました。もしかしたら、そうかも知れない。
だけど、語学が学問だとしたら、それと同じ理由で、すべての真摯な民衆は学問しています。
この世とこすれあっても負けないこと。学問の定義をこういうことにすれば、学問は大学や学者のものではないということになります。あるいは、大学の学者
たちよ、真摯な民衆と同じだけの切れば血が出る学問をやってるか?ということになるとも思います。
書いてきたものをちゃんと読んでもらえたこと、深く感謝しております。
続きを読みたいので、よろしくお願いします。
【11560】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月16日(土)01時25分12秒
>「この引用は禁止だろう」というのが、ありましたら教えてください。
そういうものは何もありません。
公開されているものはすべて引用可能です。
【11562】
英語嫌い人さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月16日(土)01時43分16秒
岡田さんが引用した高村光太郎の言うこと、まったくその通りだと思います。
媒介論で申せば、外国語の詩の翻訳は、原詩を媒介にした翻訳者の創作です。
それでしかありえないし、翻訳者が優秀であれば、原詩よりいいものが作れてしまうかもしれない。
【11564】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月16日(土)01時53分18秒
>「中学生から」と書いた根拠
を読ませていただきました。私は、学校の存在は無視できないと思ってはおりますが、学校が何をどういじろうが、ネイティブ言語と語学の対象としての言語
との関係性だけで考えていいと思っておりますので、小学校3年くらいからレッスンを引き受けていこうと思います。
村田君のところに、幼児をお持ちのお母さんから、「電話でレッスン」の問い合わせがあったということで、村田君とスカイプで話しましたが、空き枠が一つ
あること、それが埋まって以後も受け皿はあること、しかし、もし小学校低学年で始めたい人が本当に現れたなら、新たに教材を作らなければならないこと、そ
の場合の教材は、決まり文句を語数別分類し、語数の少ない方から扱っていくことになること、などを問い合わせて下さったお母さんに伝えてもらうよう村田君
に依頼しました。
【11565】
Jackie さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月16日(土)02時09分27秒
>私は分別収集はしていますし、財布のための節電はしますが、
環境意識はありません。
分別も、行政が決めた分別方法によってやっているわけですが、この根拠がまるででたらめです。
>ただゴミ焼却場が近くにできるとなると抗議することでしょう。
それは「環境意識」だと思いますが。
私も「近く」に建設予定だと知って抗議し始めただけの者ですが、その後、本など読むうちに、近頃の溶融炉は近くにあっても人々は気づかないだろうと知り
ました。ほとんど煙が出ないのです。知らないうちに、重金属やニトロ多環芳香族などを吸い込まされていることは充分にありうることです。
行政は、住民が気づかず反対もしなければ、いつの間にか内緒でそっと施設を作ってしまいます。調べてみられることをおすすめします。もしかしたら、すで
に「近く」に溶融炉があるかもしれません。
>その分野について簡潔に教えていただければ幸いです。
住民に知らせないということが行政がやる肝心要の手法です。
その背後に企業と政治の癒着があります。
まさに「反吐が出る」と言われる通りのことがまかり通っています。
ごみ問題は、現代のもっとも先端的な問題だと考えるに至りました。
アメリカ流の文明がもたらす問題で、日本もその文明に汚染されています。焼却主義を疑わない点においては、アメリカよりもずっと野蛮なことをやっていま
す。
「住環境に文句のある人々のための掲示板」において下されば、ごみ問題について意見を交わせると思いますので、よろしければおいで下さい。
【11572】
根石さん 村田さん 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月17日(日)21時28分0秒
> 読ませてもらいました。感動しました。
酷評をもらわなかったので良かったです。 (o^∇^o)ノ 安心しました。
気に入ってもらえて良かったです。
自分では大分噛み砕いて読みやすい文章にしているつもりなのですが、
あれでも「チンプンカンプン」という感想を早速頂きます。
ちょっと困ってしまいます。
私が尊敬する池上彰さん(NHK週間子どもニュースの前お父さん役)は、
「不良債権に公的資金の投入」を説明するのに、
「戻ってこない借金の返済に、国民の税金、つまりみんなのお金を投入します」と、
テレビで言い換えていました。 すごい人です。
もしかしたら、池上さんくらい言葉を噛み砕かないと浸透しないのかもしれません。
> おお、俺はこんなこと書いていたのか、と思い出させてもらいました。
そうなんですよ。 根石さんの文章はすごいエネルギーがあるのです。
以前私の文章を浸透性があるとコメントしてくれましたが、
そういうテクニックを使って、根石さんの文章へ誘い込むようにしているつもりなんです。
うまく読ませる事ができれば良いのですが、、、。
_(^^;)ゞ 一応テクニックは使っているんです。 あれでも、、。
計画としては、根石さんが書いた語学論の文章を、
すべて私のHPでも読んでもらえるようにしたいな〜と考えております。
>私は、学校の存在は無視できないと思ってはおりますが、学校が何をどういじろうが、
>ネイティブ言語と語学の対象としての言語との関係性だけで考えていいと思っておりますので、
>小学校3年くらいからレッスンを引き受けていこうと思います。
よろしくおねがい致します。
生徒さんが素読舎に来てくれるなら安心です。
最近の親御さんがどんな教育を子供にしているのか、
いろんなブログや別の教育関係でのお母さん達の書き込みを読んで愕然としております。
早期からやらせれば「英語をものにできる」と思っている人が多いのです。
子どもに悪害がある可能性を考慮できるだけの語学論が必要だと思っています。
「素読舎」なら安心です。
よろしくおねがい致します。
幼児用の素読テキスト、
私は [An I Can Read Book]のシリーズを使っております。
(やっているのじゃないか!とは言わないで、、_(^^;)ゞ、、
欧米か?と言われて逃げられています。
「やっている」うちには入りません。
いつかは意味が氷解するとも思っていますので、
ちょこっとずつ気が向いた時にやっていこうとは思っています。
「英語の素読」を習慣にできたら良いなと考えております。)
[An I Can Read Book]のシリーズの
My First Readingのレベルであれば、語数の少ない文章が探せると思います。
(私は Beginning Reading Level 1 Little Bear by Else Holmelund Minarik
を使用していますが、、)
幼児5−10分、残りの20分をお母さんにレッスンとか、、
もしも電話でやるならそんな感じでも良いかもしれませんね。
【11577】
プロパガンダ 投稿者:Jackie 投稿日:2007年 6月18日(月)23時18分39秒
吉さん、
池上さん、子供ニュースのころはすごい人だなあと思っていました。
しかしNHKをでて民放に出始めたころから政府のプロパガンダをやることが多くなりました。知識人で有名になった人が発言すると、信頼しちゃいますからね
え。私も池上さんの言うことに嘘はないと思っていました、が・・。
2chから引用
>世界1うけたい授業でNHK子供ニュースで有名になった池上が「ニッポンほんとに格差社会?」 と思い込みはちがっているとプロパガンダ。
☆ニッポンは税金が高い○か×か
答え×。 ドイツやイギリス、欧米のほうが高い。ニッポンは37%。高いってのは思い込みなんですね。
ダウト 健康保険、介護保険、も形を変えた税金。所得税以外に住民税もある。
これが含まれていない。それに払った対価にたいしての受ける福祉は少ないのにもちろん話さなかった。ニッポンの税金は安いプロパガンダ。
ニッポンの学力低下している ○か×か 答え×
1981年は1位だったが それは20カ国しか参加してない統計であり
1999年は5位の学力だが、1981年には参加してない韓国香港などが参加している。 だから下がったとはいえない。
ダウト。あの昔の日本人学生と今の学生を同じ試験でくらべると明らかに下がっていますよ。学力。第一授業時間が減っているのに学力だけ下がらないなんてこ
とはない。
ゆとり教育は悪くないプロパガンダ。
☆国会議員の数が多い ○化×か 答え×。
各国に比べて少ないほうだ。 国会議員は減らすなプロパガンダ。
池上! ついでに公務員の数が多いか少ないかも統計発表してくれよ。
ニッポンは少ない公務員でかなり効率的な公務をやってるだろ!!!!
☆ ニッポンの借金は多い ○か×か。
答え ・・ニッポンの借金は多すぎる!と 借金時計を示して言う池上。
借金多い、でも税負担は少ない。 税金あがってもがまんしましょう、
でないと大変なことになりますよプロパガンダw
あのさ、国債として国民が借金をひきうけてんだぞ。他からかりいれてるわけじゃないんだぞ。
それにニッポンはアメリカ債権を引き受けている。債務引き受け国だ。これは財産だろ
引いて計算しろ。 それにここ6年で急激に借金ふえたんだぞ。小泉竹中が恣意的に株を下げ、
竹中が銀行会計基準をかえたので、基準がかわり不良債権がふやされた。
それで持ち合い解消をせまり株を損ねでうらされたからな。 損した人もおおいだろ。
緊縮財政景気悪化税収減。 ここ1年はもちなおしてきてるがね。
でも小泉の間に借金が300兆ぐらいふえてんだぞ。 そこを話さずに
借金が増えてる!だけ話すなよ;。原因は竹中小泉売国政権だろ。
小渕のときは景気回復してたのに。
【11578】
眠っ・・・ 投稿者:Jackie 投稿日:2007年 6月18日(月)23時35分9秒
吉さん、語学論、今日はなぜか眠いので、覚醒してるときにじっくり読ませてもらいますね。
さて小学生からの英語の是非について。
>中学からは授業で英語は「必要」になります。
「中学から」と書けば、子供も「必要だからやる」と腹をくくれると思ったのです。
根石さんの理論なら(子供達が続くかどうかは別にして)
早期から始めても安全だと考えております。
一日5分程度の素読で良いとおもっています。
ですがあえて早期にこだわらず、中学から始めたとしても、
「正しい指導」の下でやれば、確実に獲得できるとも思っております。
大抵の場合、「子供がやりたい」というよりは、「親がやらせたい」のだと想像しております。
同じ意見です。生活に必要のないものを小学生、幼児からやらせてること。
なにかの時間をけずらなければならない。テレビの時間なら削ってもよいが。
しかし動機が続くかどうか疑問。
必要ないのにやる必要あるの??
吉さんのおっしゃるとおり英語は中学生からしっかりやれば十分だと私も思います。
しかし、親の教育熱、英会話熱はすごそうですね・・。
国の方針も、その方向に向かうとなると、流れには逆らえきれるものでもない。
それならば流れにのって、なお一番害の少ない(笑)方法で進めていくことのほうが建設的か?
>池上は権力が欲しいんだよ
政府寄りの発言垂れ流した褒美に次の参議院か
どこかの知事選あたりに担いでもらうつもりだろ
まーほんとのところはわかりませんが、世界一受けたい授業に出てくる人々の半分はまとも半分は胡散臭いと思う今日この頃です。
【11579】
プロパガンダを見抜く「超読解力」 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月20日(水)22時33分26秒
Jackieさん
色々教えてくれてありがとうございます! (o^∇^o)ノ
う〜ん、恐るべし2チャンネル、、。
納得してしまいました。(自分で検証しないといけませんが、、)
このね、、プロパガンダを読み取る力、、
根石さんは「イメージ核を獲得する訓練で養われる」みたいなコメントを、
してくれていたと思います。 ほんとそうなんだと思います。
最近、super literacy 「超読解力」という言葉を作ってみました。
本当は、超読解力と超解答力を合わせた意味です。
リタラシー(読み書き計算ができる基本能力)という言葉ですが、
ユネスコの定義によるリタラシーは次のようなものです。
以下原文(英語のウィキより)
UNESCO has drafted the following definition:
"Literacy is the ability to identify, understand, interpret, create,
communicate and compute, using printed and written materials associated
with varying contexts. Literacy involves a continuum of learning to
enable an individual to achieve his or her goals, to develop his or her
knowledge and potential, and to participate fully in the wider society."
このユネスコの定義するリテラシーの獲得が大切なのだと思います。
根石さんの言うイメージ核を掴む訓練もそうですし、糸山先生の算数の文章問題を読み取り、読み取った内容(イメージ)から、推論し答えを導き出すのもリテ
ラシーの獲得に繋がるのだと思います。
super literacy を獲得しているのは、ノーム・チョムスキー氏みたいな人ですね。
ごみ問題で行動を起こしている根石さんもスーパーリタラシーを持っていると思います。
あとですね、、僕はJackieさんもこのスキルを獲得している人と思っているんですよ。
【11580】
募集 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月23日(土)00時23分5秒
私にとって英語は死ぬまで外国語。
母国語と外国語の違いは、片方はやらないとレベルが落ちるって事です。
そこで練習パートナー再び募集!
<<募集>>
英語の練習パートナーを募集いたします。
週に1回30分(初心者の人は15分位でも良いです。)
電話を使った「練習相手」になってください。
期間限定とかにしてやりませんか?
今月と来月は英語強化月間にしちゃうとか! o(*^▽^*)o ♪
内容:
・チャップリンの映画「独裁者」のスピーチ
・キング牧師のスピーチ「I have a dream」
・茶の本 (中級以上)
素読を基本として「ゆっくり」やります。
復習が基本のカメさんスピードですが、確実にウサギを追い抜くスピードです。
根石さんのゴーストには、復習が沢山でてきますね。
復習が出てくると「ほっとする」という経験を誰もがしていると思います。
同じです。
同じように復習を基本で読み込んでいきます。
復習ばかりだから「楽チン」です。 一緒にやりませんか!
「これを素読・音読したいんだ」という本がありましたらお知らせください。
やりたい本でお付き合いいたします。
<<条件>>
素読舎の塾生さんとコーチ、それとjackieさんと1038さん
このうちのどれかに(誰か)に該当する人が対象です。
掲示板で応答するのが嫌ならメールを送ってください。
内緒にしておきたい人は、非公開にいたします!
練習のスパーリングパートナーの募集でした! (o^∇^o)ノ
【11581】
紙に書いていただいたレッスンの感想を記録させていただきます。 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月23日(土)02時24分9秒
千曲市内の「電話でレッスン」の生徒さんが、レッスンの感想を紙に書いて持ってきて下さいました。
ありがたかったので、以下に入力し、記録に残します。
Kさん、ありがとうございました。
------------------------------------------------------
根石塾に惹かれたのは、何と言っても素読と発音の正確さですね。
外国人教師の塾にも通ってみましたが、結局はどこも同じ。例文を分解して教えられても、それなりの益しかない。理解できても覚えきれない。時が流れてゆ
くだけ。
しっかり自分の意思を伝えたり、相手の話すことだけでなく、思いを汲み取るまでになりたいと思うなら本当の英語を腰を据えて教えてくれる所を探さなくて
はなりません。
倖いにも根石先生と出会い、電話でレッスンを受けています。
娘がカナダ人と結婚し、度々カナダに行って英語を話さなくてはなりません。
元々素地のない私ですが、ほんの少しの英語を話しますと、発音がきれいとか、どこで習っているのか?と聞かれ思わずガッツポーズをしたくなる程嬉しく
なってしまいます。現地の方から発音がきちんとしていると敬意を示されると常に聞いていましたから。
現在60才でまだ学んで1年半程でしょうか。よく休みますし。
英語の映画をみても99.9%わからなくて落ち込みそうになる時もありますが、言語を学ぶとは深いものだと感じます。自分でマスターしたものしか理解で
きません。でも同じ文を何百回何千回も声に出して言うわけですから、確実に自然に、習った事は身につきます。
電話の向こうで聞こえる先生の声は、あの髭のお顔からは想像できない程かっこいい英語です。かっこよくて上品です。
こういう英語を私は話したいと心底思っています。
------------------------------------------------------
手書きの文字を入力しながら、いやあ穴があったら入りたいと思うのでした。お褒めの言葉満艦飾だと思ってしまいました。読み直したら、ん? そうでもな
いか?「あの髭のお顔からは想像できない程かっこいい英語」ってのは、ふうむ。ふうっ。そうか。お顔に関してはあんまりお褒めいただいてないんだなあとわ
かりました。
俺はどっちかというと、英語より顔の方がいいと思っていたので、反省したいものです。
Kさん、いろいろ教えていただき感謝するぞお、と心底思っています。
ありがとうございましたぁ。
【11582】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月23日(土)02時33分42秒
練習のパートナーみつかるといいですね。
どうしてもみつからなかったら、私がパートナーになります。
毎週きちんきちんとはやれないかもしれませんが・・・。
村田君と、チョムスキー読みを始めてしまったので。
村田君との練習も、先週はドワスレしてやりませんでした。
そのくらいテキトウでよければ、パートナーになります。
その際、吉さんがレッスンした友達も加わってもらえたらなあと思います。
スカイプでやりましょう。
こちらでも村田君を誘います。
Jackie さんはなかなかくどき落とせないみたいですね。
もう一踏ん張りかもしれないので、一寸先は光か闇かわからないので、くどき続けてみていただくことをお願い致します。
私の理屈はがちがちですが、レッスン自体はふんわりしていると思っているのですが。
【11592】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月25日(月)07時01分49秒
イデアという語から、プラトンを想起され、何かお読みになったというような記事があったと思いますが、この数日かけて、プラトンの「饗宴」を読みまし
た。前半はおもしろくないと思ったのですが、後半から終盤にかけては実にいいです。後半から終盤にかけてぐんぐん面白くなっていく本というのは、本当にめ
ずらしい。ギリシア語でプラトンの言葉そのものを読めないのがくやしいです。
で、さきほど読み終わったのですが、いよいよ最後というところで、突如、面白い言葉に出会いました。引用してみます。
実際、ソクラテスの言説を聴こうとする者には、それは最初はきっときわめて滑稽に見えるだろう。それはまさに、傲慢なサテュロスの毛皮にでも比較すべき
詞やいい廻しで外側から包まれている。たとえば、その常々口にするのは荷驢馬や、鍛冶屋や、靴屋や、製革匠(かわや)のことである。しかも始終同じ語句で
同じことを説いているように見える。それだから無経験で暗愚な者は皆彼の話を嘲笑せずにはいられない。
(岩波文庫「饗宴」 久保勉訳)
ここですぐに思い出したのが、茶の本でした。
They bagan by talking like fools and ended by making their hearers
wise. Laotse himself,
with his quaint humour, says, "If people of inferior intelligence hear
of the Tao, they
laugh immensely. It would not be the Tau unless they laughed at it."
ここでは、ひとまず対比(対置)だけしておきます。
後半から終盤にかけてどんどん面白くなっていく「饗宴」の構造そのものが、「それはまさに、傲慢なサテュロスの毛皮にでも比較すべき詞やいい廻しで外側
から包まれている。」ものなのでした。
それにしても、終盤に描かれたソクラテスはかっこいいです。惚れ惚れする。
Naima さんに、養命酒を飲んで酔っぱらっているとからかわれた私は、穴があったら、入れたい、いや、もとい、入りたい。
【11593】
「饗宴」 投稿者:Naima 投稿日:2007年 6月25日(月)13時30分45秒
ソクラテスの言説の行
「茶の本」も確かにそうですが、根石さんの語学論のことでもありますね。
【11594】
プラトンとか色々 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月25日(月)21時43分11秒
根石さん
プラトンの本を図書館から2冊借りてきましたが、
内容が難しく(なんであんな難しい日本語や言い回しになってしまうんでしょう)
二冊とも途中で玉砕。 シンプルな英語で書かれた本なら理解が進むかもと考えていた所です。
日曜に再び読み始めた本がプラトンです。(笑)
週末に借りてきた本は、竹田青嗣氏の書いた「プラトン入門」です。
入門とか言いながらも難しい解説書ですが、それでも多くの気付きを受けています。
プラトンを読み進めていくと「イデア」をはじめ、
「普遍性」「原理論」「規範」など、根石さんのエッセイを読み進めるのに、
重要なキーワードに出会えます。
ここに出会った最初の頃、根石さんの記事に「哲学を感じる」と書きましたが、
「原理」が語られているからなんだと改めて気づきました。
Naimaさんが書いたように、根石さんの「語学論」ではあるのですが、
「原理論」がポイントなんだと思います。 とてもシンプルです。
この原理論が美しいのだと思います。
僕が根石さんと糸山先生に惚れたのは「原理」を語っているからだと、
プラトンを読んでハッキリと気づきました。
************************
「茶の本」では、根石さんが引用した箇所に私も反応しました (o^∇^o)ノ
老子とお弟子さんのお話にそういう対話法が出てくるのか知りたかったので、
道教に関する本を借りて読みましたが、書いてある内容が難しく、やはり途中で挫折しました。
老子はこんな難しく解説はしないのだろうなという思いで読んでいました。
「茶の本」の影響を受けて、孔子の論語、儒教、禅などの入門書も読んでみました。
漢文などが難しく、どれも内容を深くよみとる事ができませんが、広く浅く手をつけて、
ゆったり気分で読んでみようと思います。
興味のある所が見つかったら、そこを深く掘り下げていけばいいやというスタンスです。
************************
> They bagan by talking like fools and ended by making their hearers
wise.
笑いの中に深いメッセージを隠して伝えるだけでなく、
相手に「ハテ?」と考えさせる事のできるテクニックを持っている人は、なかなかいません。
ちょっとズレたコメントになるかもしれませんが、
最近、チャップリンは天才だと思うようになりました。
コミカルにストーリーを進めていき、
最後にあれだけのメッセージを6分間「魅せる」「聴かせる」ができてしまうのですから、、。
チャップリンの映画「独裁者」のスピーチには、エネルギーを感じます。
あれを可能にしたのは、彼が映画に「原理論」を獲得していたからに違いありません。
> They bagan by talking like fools and ended by making their hearers
wise.
ここを読んで私がすぐに思い浮かべたのは、
私が最近とても注目している、イラン系アメリカ人のコメディアンMaz Jobrani氏なんです。
彼は、自分が中東系である事をジョークのネタにして、
「オレはテロリストかもしれない、、だってイラン系だから、、」と言って笑いをとっています。
笑いに混ぜてブッシュ政権を批判する人です。
このテクニックがすごいのです!、、、彼のトークショウを観ている観客は、みんな笑っていますが、
今までの米国意識が間違っている事に気づける人もいるはずです。
アメリカには彼のような存在が必要でした。
”Middle Easterners are just as scared of Al Qaeda as everybody else,
but we also have to be worried about being profiled as Al Qaeda. It's a
double whammy.''
by MAZ JOBRANI
下のURLから彼のトークショーを5分程みる事ができます。
http://www.youtube.com/watch?v=fYlaIxNX01Q&mode=related&search=
すみません、、今日の文章はあっちこっち飛んで読みにくいです。
【11597】
「茶の本」から引用 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月28日(木)22時03分23秒
「茶の本」の練習をやっていて、僕の中で育った「語学論」に反応した箇所があったので記録しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
The usefulness of a water pitcher dwelt in the emptiness where water
might be put,
not in the form of the pitcher or the material of which it was made.
ウォーターピッチャー(水差し)の実用性が存在するのは、水を入れる空洞の部分にあって、
水差しのデザインや材質にあるのではありません。
大意 by 吉
「茶の本」3章 パラグラフ10
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うまく書けないのですが、
英語という道具を机上で練習しておくということ、
まだ準備の段階で「役にたっていない準備状態の英語」を作っておく事。
この「机上の英語(準備段階の英語)」が、水差しの「空洞の部分」に通じるところがあるかもな〜と、
そう考えたのです。
と、、、、ここまで書いて、根石さんがこの文章の直後に出てくるVacuumという文章を、
以前引用していた事に気づきました。
【11598】
みつけました! 根石さんの引用 投稿者:吉 投稿日:2007年 6月28日(木)22時51分35秒
【11201】
【タイトル】「からっぽ」の三重構造
【 日時 】07/02/08 11:54
【 発言者 】根石吉久
過去ログを読んでいて、考えが整理されたものがありました。
この点で、村田君の整理がありがたい。
私の中で整理されたものは、「からっぽ」には構造があるということでした。
(文法的に)理解されていないまま、音だけで仕上げた状態の文も「からっぽ」ですが、
理解されていても「からっぽ」です。同じ「からっぽ」でも、段階があるわけです。
それを根底的に決めているのは、「当事者性」です。
音だけでしあげた段階の文も、理解がともなっている文も、イメージが気化してイデアとなって動く文も、
それが語学の机上におけるものであるかぎり、全部「からっぽ」です。すべて「当事者性」を欠くからです。
別に言うと、「からっぽ」を否定したら、語学の全行為を否定したことになります。
この「からっぽ」の内部を大きくわけて3つの段階として言うことができます。
「音だけ」「理解をともなう」「瞬間化されている」という3つの段階です。
これで初心者から上級者までの語学の内実を見渡すことができると思います。
しかし、いまだ、語学と生活言語の区別がなされないまま、初心者、中級者、
上級者の区別をきちんと立てないまま、各種ハウツウが言われているだけの貧しい語学論の
風景しか日本にはありません。語学と生活言語を区別し、語学の全体を貫く性質として
「からっぽ」がもっとはっきりと認識されなければ、混乱が続くだけでしょう。
--------------------------------------------------------------------------------
【11202】
【タイトル】後ほど
【 日時 】07/02/08 12:03
【 発言者 】根石吉久
このあたりに関係のあることが「茶の本」に書かれていたのを思い出しました。
確か、vacancy という語を使ってあったと思います。
時間がとれませんので、後ほど引用します。
私の「からっぽ」は、「茶の本」を読んで思いついたものではありませんことをお断りしておきますが、
道家の vacancy や禅の「空(くう)」に通じるものであるという自覚はあります。
そもそも素読が、道家や禅の方法に通じているものだったに違いありません。
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--------------------------------------------------------------------------------
【11207】
【タイトル】「茶の本」から引用
【 日時 】07/02/10 2:13
【 発言者 】根石吉久
済みません。 vacancy という単語はありませんでした。vacant はありました。
眼目は vacuum でした。以後引用です。
------------------------------------------------------
This Laotse illustrates by his favorite metaphor of the Vacuum.
He claimed that only in vacuum lay the truly essential. The
reality of a room, for instance, was to be found in the vacant
space enclosed by the roof and walls, not in the roof and walls
themselves. The usefulness of a water pitcher dwelt in the
emptiness where water might be put, not in the form of the
pitcher or the material of which it was made. Vacuum is all
potent because all containing.
------------------------------------------------------
このあたりに vacuum が頻出しています。
これ以前には見あたりません。
これ以後にも出てくるのかどうかは読み進めてみないとわかりません。
これは禅家の「空」のことだと考えています。
***************************************************************
過去記事からの引用終わり〜!
↑
根石さんの以前の書き込みを見つけてまいりました〜! (o^∇^o)ノ
「根石吉久 + Vacuum」で即発見!!
恐るべしグーグル先生の検索システム!
根石さんの引用箇所と、
私の引用箇所が重なっていたので、驚きました!
根石さんの引用は、私の引用箇所の前後に出てくる
Vacuumだけだと思っていました。
さすがにこの部分の日本語訳は自信が無いので、
以前、Naimaさんから教えてもらった関谷さんの和訳をネットから拝借して引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
老子は虚の内にのみ本質的なものが存在すると主張しました。
例えば一個の部屋の実在性は、屋根や壁によって囲まれた何もない空間にこそあるので、
屋根や壁にあるわけではないのです。
水注しの存在価値は、水を入れることのできる空間にあるのであって、
水注しのデザインや材料にあるわけではありません。
虚は全てを含みますから万能といえます。
虚、つまり何もない空間のみで”運動”が可能になります。
自分を無にして人を自由に立ち入らせることのできるものは、どんな状況をも支配することになります。
それは、全体は常に部分を支配できるからです。
「茶の本」3章 翻訳 by 関谷雄輔さん
http://www.sekiya.net/cha-no-hon/tensin/chaidx.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
語学の机上におけるものであるかぎり、全部「からっぽ」です。すべて「当事者性」を欠くからです。
by 根石さん
たぶん私も同じ事を言いたかったのだと思います。
根石さんの方が言葉が深いですけど、、、 (^^;;
それにしても、、、この関谷さんの訳は、すごいですね。
英語の原文より良いイメージが再生されちゃう事があります。 _(^^;)ゞ
まだ一章の翻訳部分しか読んでいません。
【11604】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月30日(土)01時50分14秒
>自分を無にして人を自由に立ち入らせることのできるものは、どんな状況をも支配することになります。
それは、全体は常に部分を支配できるからです。
純粋な理論としてはいいものだと思うのですが、これはこれで危険思想ですね。
こういう言い方が、実業家たちは大好きなのです。
「プレジデント」なんていう雑誌は、こういう言い方を実業家向けに(「全体」から「部分」を)切り出してきた雑誌ですが、引用したところは、以下のよう
な具合になってしまうだろうと思います。
「わしは社長だ。会社の「全体」に責任がある。全部を見渡しているのがわしだ。だから、「常に」、部長・課長、あらゆる個々の社員という「部分」を「支
配できる」。= 「支配して当然だ」
> それにしても、、、この関谷さんの訳は、すごいですね。
>英語の原文より良いイメージが再生されちゃう事があります。 _(^^;)ゞ
関谷さんの翻訳は、まったく上質なものです。私の場合、英文の原文より悪いイメージが再生されちゃう事があるのが、問題ですが。
講談社 Bilingual Books
の「茶の本」の翻訳は浅野晃という人ですが、この翻訳は「おめえ、わかって訳しているんか?」と言いたくなるようなところがいくつもあります。質を云々す
る以前の翻訳で、マンガ家の言葉を借りて言えば、「こまったちゃん」なのであります。
ダジャレー夫人の恋人さんが、昔、推理小説の翻訳をやってくれ、ひどい翻訳ばかりだから根石さんがやれば少しはよくなると言われたことがあるのですが、
あいにく私は推理小説に興味がないし(推理小説を書くつもりで、まあなんというか、エクリチュールの魔力に翻弄されて、推理小説の枠を自然に破ってしまっ
たものなら面白いだろうけど)、それよりなにより、私には翻訳の能力はないと思っていることがあって、「いやいや」とか「いやはや」とか応えた覚えがあり
ます。
このことに関連して言えば、プラトンの「饗宴」の翻訳も、「いやはや」なものです。久保勉さんという人が訳していますが、20年の寿命、よくて30年も
てば上出来みたいな翻訳です。これは、久保さんという人の言語感覚が(大学の)学者の感覚であることと大いに関係があるのですが、人によってはジンマシン
が出るようなものでしょう。
しかし、私はこういうものを読んでも文句を言う気になれないのです。
翻訳不可能だと承知したうえで、この人は訳しているのだとよくわかるからです。そして、アジアの東の果てで、くたびれ果てている私に、ソクラテスのかっ
こよさを伝えてくれただけでも感謝しなければいけないという気持ちになってしまうのです。(ソクラテスのかっこよさというのは、酒の飲みっぷりというよう
な下世話なことです。飲みっぷりのいい男が、夜があけて、話していた相手がみんな寝てしまってから、一人で帰宅する途中、立ち止まって考え始め、一昼夜も
立ちつづけた(考え続けた)というところがかっこいいと思うのです。)プラトンの原文の韻などは、全部すっとんでいても、ソクラテスがそうやって立ち続け
たことだけは、翻訳でもわかります。極論すれば、翻訳で伝えることができることは、それだけのことです。
しかし、それだけでもありがたい。
私はギリシア語がわかりませんから。
ついでに笑い話を付け加えておきます。
野田知佑というカヌーに乗ってマスコミに原稿を売っている人がいますが、この人は日本にいるときにギリシア語を学んだ人です。実際にギリシアに行き、
習ったギリシア語を話したところ、「お前のギリシア語は少し古い」と言われたそうです。「どのくらい古いんだ?」と訊いたところ、「お前のギリシア語はソ
クラテスの時代のギリシア語だ」と言われたそうです。
ありゃあ!そんなに古いんかあ?というのが野田さんの文章のオチですが、日本でギリシア語を習おうとしたら、ソクラテスの時代のギリシア語を覚えるしか
ない。本や辞書がそういうものしかないのだということでした。大いに問題です。
【11605】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月30日(土)02時21分53秒
>この「机上の英語(準備段階の英語)」が、水差しの「空洞の部分」に通じるところがあるかもな〜と、
そう考えたのです。
正解だと思います。
原理的に、語学は当事者性を欠いた行為ですので、当事者性が「からっぽ」なわけです。
「水差し」の周りの全空間が、当事者性に充ちているに場合にも、水差しの material や form
によって限られた「空洞の部分」は当事者性から免れているということだと思います。
「免れている」は「欠如している」ということと理論上は同じことですが、「免れている」「欠如している」ことを是とするのか、非とするのかです。
第二次大戦後、日本人はそれを非としてきました。
非として、いったいどうするのというのが私の疑問です。
非としてみたところで、もともと語学には当事者性なんかないんだもん!
ふんふん、鼻歌を歌いたくなります。「そんなものないんだもん!」
語学の本質に逆らっていったいどうしようっていうんだか、それがわからない。
幼児英会話しかりです。
人間というのは本当にお化けです。流通力のあるイメージ(言葉)に簡単にだまされてお化けになります。
もっとわかりやすい言い方をすれば、幼児英会話で英語がどうにかなると思うお母様たちは、要するに馬鹿ですね。
本質に逆らいたい人たちがたくさんいたので、戦後は英会話の花盛り。いまや、子供が「エーカイワ」というイデオロギーに食いものにされる時代なのです。
腹もたたないという日本語の言い回しをようやく理解できるようになりました。腹もたたないのです。是々非々なんかどうでもいい。私は「非」ではなく、
「否」を言い続けて死んでいこうと思います。
Nova
がオウム化したニュースをテレビで見ましたが、逆らってもしょうがないものは、政治でも行政でもなく本質なんだということがわからない人たちに大いに罪が
ある。だまされた人たちは、商行為にまつわる法律上はどうなるのか知りませんが、思想的な原則から言えば、彼らもまた犯罪者です。
あんなもの(Nova)に金を払っておいて、金を返せもないもんだ。
金を払った時点で間違っているんだということがわからないのだ。もともと無駄金なのだということがわからないのだ。
【11606】
Naima さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月30日(土)02時43分59秒
>今日、ご著書が届きました。
お友達に、忌憚のないところを、どかどかこの掲示板にお書きいただくようお願いして下さい。
ところで、私は今夜、養命酒で酔っぱらっているのではなく、秋田の酒「飛良泉」で酔っぱらっています。麹のにおいがする柔らかい酒です。ちゃんと酒の味
がします。冷やでも燗でもいい感じの酒ですが、今日は蒸し暑いので、冷やでやっています。ちびちびやっていて、結構飲んでしまいましたあぁ。
巴里子さんが、この上等の酒を一升瓶で二本も送ってくださったのですが、三度か四度台所に行き、コップに並々とさせて階段を上がり、またちびちびとやっ
ています。一升瓶の半分くらい飲んでしまいました。
どうです、なかなかやるでしょうと言いたいところですが、一人でちびちびといつまでも飲んでいるのが、ソクラテスとまるで違うところです。ギリシア的哄
笑がありません。
糞。ひんまがっているのは、俺なのか、時代なのか。
【11607】
チョシさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 6月30日(土)02時57分39秒
Naima さんにお届けしたものは、「帯」がありません。
申し訳ありません。手元にあるのはどういうわけか、みんな「帯」がありません。
Naima さんにもお願いするようお願いしましたが、チョシさんにも直接にお願いします。
ご批判をいただきたいのです。
あの本を書いて以後考えてきた場所は、この掲示板ですが、「その後考えたこと」を自分に照らし出すためにも、人様の批判が必要だと考えております。
【11608】
語学は 投稿者:sb 投稿日:2007年 7月 1日(日)11時25分46秒
まなぶこと と つかうこと が ちがう のが 語学
まなぶこと=語学
つかうこと=生活
【11609】
教材書き換え 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 7月 2日(月)14時38分13秒
先日、レッスン中に、「イメージ核受肉教材」の文法解析が間違っているところをみつけました。
教材の元版を書き換えましたので、「電話でレッスン」の生徒さんと、これまでに教材をお求めになった方々に、お手元の教材を書き換えていただくようお願
い致します。
ねぼけまなこを擦りながら、書いた部分だと思います。
お手数をおかけして申し訳ありません。
------------------------------------------------------
The check you said they would never know about?
O S V
S が V する O O S V(目的格関係代名詞省略)
say - said - said
said
I did everything I said I was gonna do and don't be following me 'cause
I'm finished.
And they always said I had it, but I never did.
I wanna know exactly what she said.
said
あんたが言った小切手 the check you said
would(ていねい)
助動詞の過去形は、ていねいさや遠慮を表すことができる
Would you stop rambling?
I'd never get over that, I'll tell you that.
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
would(ていねい)
彼らは〜するでしょうね(ていねい)。 They would 〜.
would が表すていねいさや遠慮は、会話で頻繁に使われることにより、会話での
普通の言い方になってしまい、薄められている場合が多々ある
never
I'd never get over that, I'll tell you that.
Hell, I'm never gonna get undressed again!
If you do this, they'll never bother you again, I promise.
never
彼らは決して〜しないでしょうね。(ていねい) They would never 〜.
know about
I know about the picture in Reno.
And, Molly, I know about the green underwear that you wrote your name
on.
She knew about a sweater I knitted, and songs we sang...our trip to
Montego Bay.
know - knew - known
know about
彼らはあなたが言った小切手については決して知らないはずではないでしょうか。
(遠慮) They would never know about the check you said.
普通文の途中やうしろにくる目的語・補語などを文頭に出して、その語(句)
を強調することがある。
あなたが言った小切手なんだけど、それについて彼らは決して知らないはずでは
ないでしょうか。(遠慮・助動詞過去形)
The check you said they would never know about?
The check you said they would never know about?
(書き換え後)----------------------------------------------------
The check you said they would never know about?
say S V
She said Sam wants me to go to the police.
She said Sam knew who killed him.
He said it was a setup.
He says he's holding your hand.
I had Rose move your three o'clock with Bob Kahan to four o'clock,
'cause
Gary Alan called at the end of the day yesterday and said he has to see
you about the final painting bids for the loft.
say SV = say that S V
あんたは S が V すると言った。 You said S V.
will →過去 would
She was listening for her name to be called wondering if her turn
would be next.
Didn't it ever occur to them that they would be punished?
never
If you do this, they'll never bother you again, I promise.
Never talk to me again.
Hell, I'm never gonna get undressed again!
know about
I know about the picture in Reno.
And, Molly, I know about the green underwear that you wrote your name
on.
She knows about the murder.
She knew about a sweater I knitted, and songs we sang...our trip to
Montego Bay.
彼らはその小切手について決して知らないだろう。(時制の一致による過去)
They would never know about the check.
あんたは彼らは決してその小切手について知らないだろうと言った。
You said they would never know about the check.
ある語を強調するために、文頭に置くことがある
You said they would never know about the check.
→ the check を強調
→ The check you said they would never know about?
The check you said they would never know about?
----------------------------------------------------
【11610】
再訂正 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 7月 2日(月)14時45分7秒
書き換えたものの最後の部分を訂正します。
訂正前------------------------------------------------------
You said they would never know about the check.
→ the check を強調
→ The check you said they would never know about?
以下訂正後------------------------------------------------------
You said they would never know about the check.
→ the check を強調
→ The check you said they would never know about.
平叙文の語順を変えずに尻上がりで言えば、そのまま疑問文になる
The check you said they would never know about.
→ 疑問文(語順そのまま)
The check you said they would never know about?
【11613】
帯 投稿者:Naima 投稿日:2007年 7月 3日(火)10時45分6秒
「どんでん」は帯がなくても、着物みたいに前がはだけたりしないから大丈夫です。この本は友人用なので、彼女にも感想を求めておきますね。
集中豪雨レッスン、ちょ〜〜〜〜厳しいです! 数年前にやったところまでは苦労しないのですが、新しいページを身体に叩き込むのは並大抵ではありません。
前回こんなにしんどかったかなぁ... 多分、歳を取ったせいだと思います。
以前は中途半端に練習していたところでも、根石さんが模範読みをされたものを反復することが出来たのですが、今回は無理です。良くこなれている箇所さえ、
塾長は今どこから読まれたんだったかなと思ったり。
ますます記憶に頼らず、身体に叩き込むことの大切さを痛感している次第です。
【11619】
本質を見抜くスキル 投稿者:吉 投稿日:2007年 7月 9日(月)22時47分19秒
> 逆らってもしょうがないものは、政治でも行政でもなく本質なんだということがわからない人たちに大いに罪がある。
「本質を読み取る」、まさにここなのだと思います。
先日私が書いた「超読解力」は、ここを読み取るスキルなのだと思います。
戦時中、大勢の人が狂いました。
しかし、、そんな狂った時代にも「人として生きる」を貫いた人がいるのですよね。
ドイツ人でユダヤ人をかくまった話は残っています。
日本人で「非国民」と呼ばれながらも戦争反対を唱えた人はいました。
世の中が狂っても、自分は「本質」を見失わないでいられるのだろうか?
上から与えられる学習を「こなすだけ」、、これを長い間やってきましたからね。
かなり毒されているかもしれないと不安になります。
「机上で語学のイメージ核を掴む練習が、本質を見抜くスキルの鍛錬になる」と、
たしか以前、根石さんがJackieさんのコメントにそのように返答していたと思いました。
そうなんだと心底思うようになりました。
ますます正しい方法で英語をやるしかありませんね。
(o^∇^o)ノ
【11626】
巴里子さんからファックスで送っていただいたもの。 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 7月15日(日)03時52分33秒
昨夜、ファックスの文面を入力し、コメントをかなり書き、投稿する寸前で、指が何かまずいところに触ったらしく、入力したものがすべて消えてしまい、ほぼ
1時間の労働がパー。
今日は、新しく作っているホームページに写真を載せるのに手間取り、コメントはできません。いずれ後日、書けたら書きます。以下、ファックスの文面の書き
写しです。
------------------------------------------------------
根石吉久様
ご著書読ませていただきました。
ファックスでお送りする事お許し下さいませ。
読んだら感想をというプレッシャーに、ここ2,3日落ち着きませんでした。「必殺仕事人」という時代劇をご存じと思いますが、このドラマを観終わったとき
のようなニヒル的な爽快感を味わいました。
悪しきアメリカ、この国の言いなりになっている日本政府、学校制度、英会話学校、カルチャーババアなどバッサバッサと斬り、溜飲が下がります。
物騒な言葉や言い回しがそこかしこにありますが、行間には、やさしさ、情、はにかみが漂っています。
対話にある「勉強することはたくらむこと」「泥臭さ」「あふれ」「社交性の強要」「心というものに対する犯罪」、これは村田さんの弁ですが、挙げればきり
がないくらい含蓄のある話ばかりです。
嬉しいことにニヤリとさせられるところもあり楽しませていただきました。ちょっとむずかしくて歯が立たない部分もありましたが、繰り返し読み消化したいな
と思っております。
「電圧装置のみな殺し」、すごい迫力です。今やったら体力持たないだろうなと思ったら「あとがき」で苦笑しました。
根石さんが十代の頃に実験なさった事、遅ればせながら「電圧装置もどき」でやってみようかなと思っております。
復習さぼっています。おてやわらかによろしくお願いいたします。
2007.7.13 巴里子
【11629】
巴里子さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 7月15日(日)06時14分53秒
巴里子さん
> 読んだら感想をというプレッシャーに、ここ2,3日落ち着きませんでした。
ここを読んで、僕と同じように真面目な方なんだなと思いました。 (o^∇^o)ノ
いや、、FAXでもなんでも実際に書いて送ちゃうのですから、僕なんかよりずっと真面目です。
僕は有言不実行の事が多いので、、。
根石さんが作ってくれたこの掲示板に実際に「書く」という事をやっていると、
ドンドン理解が深くなります。 これは巴里子さんだけに言うのではなく、
素読舎を使っている生徒さんに言いたいのですが、
とにかく「書く」という事をやってみてください。
コーチングに「オートクライン」というのがあります。
相手に自分の気持ちを説明しているうちに、
「ああ、、、オレはこういう事を言いたかったのか」と自分で勝手に気づいてしまう事です。
コメントだけでなく、「質問」でも良いんですよ。
質問する事で「わからないこと」が明確になります。
私も最初の頃、この掲示板を「読むだけ」をやっていた時期がありました。
難しい意見が飛び交う「敷居の高い掲示板」という印象を持ったこともあります。
ですが、、この掲示板は、初心者さんにこそ解放されるべきなのだと感じています。
素読舎の生徒さんは、「音作り」主体で練習されている人なのですから、
文法的な知識(イメージ)を確認するような質問でも良いと考えています。
「知らない事」を質問するのは恥ずかしい事ではないですね。
私は家内に「この時の『of』ってどんなイメージ?」などとたまに質問される事があり、
ドキドキしております。 正直、そんな事深く考えた事ありませんから(笑)。
渋いコメントをもらうのが嫌なら、投稿文章の最後に、
私(ぼく)は、気が小さいのでキツイコメントは勘弁ね (>< )
って書いとけば良いと思います。
【11634】
巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 7月17日(火)00時47分55秒
>物騒な言葉や言い回しがそこかしこにありますが、行間には、やさしさ、情、はにかみが漂っています。
はにかみ、ですか? うーむ。思わぬところを読んでおられます。虚をつかれた思いです。はにかみについては、自覚がありません。はにかみを演じた覚えは
ありますが・・・。
本を出すなどということをやる輩は、はにかみに関しては、ある一点でふっきれてしまっている輩です。
>嬉しいことにニヤリとさせられるところもあり楽しませていただきました。ちょっとむずかしくて歯が立たない部分もありましたが、繰り返し読み消化したい
なと思っております。
どこでニヤリとされたのか、その部分を引用して下さるとありがたく思います。
私がねらったところでニヤリとされたのであれば、私がうれしがりますので、よろしくお願い致します。
>「電圧装置のみな殺し」、すごい迫力です。今やったら体力持たないだろうなと思ったら「あとがき」で苦笑しました。
根石さんが十代の頃に実験なさった事、遅ればせながら「電圧装置もどき」でやってみようかなと思っております。
復習さぼっています。おてやわらかによろしくお願いいたします
是非、「電圧装置」を使った練習をやっていただきたくお願い致します。
お手元にお送りしてある教材から抜き出して作ると簡単です。
お手元の教材は、「電圧装置」を作るには最適化されていますので。
【11639】
(無題) 投稿者:チョシ 投稿日:2007年 7月21日(土)21時32分41秒
コンタクトをだすので 読書はもっぱら寝る前の30〜1時間くらいだから “どんでん英語”昨夜やっと読み終えました、、みなごろしや 死刑台のように電
圧装置など飛び交っている恐ろしいご本でしたが(?)おっしゃることはよく理解できました。実行、、というのがなかなか問題、、ですけど NAIMAさん
が教材に使われる「家庭画報インターナショナル」を注文したので まずこれで 電圧装置をつくってみようと 思います、、どこまで伸びてくれるわたしの英
語力かな、、もう遅いかな、、と思いつつ 思い立ったが吉日、、です、、まあちょびちょびやってみます、、又意欲を引き出していただき NAIMAさんと
根石さんに 感謝、、です
【11645】
私の近況報告 投稿者:吉 投稿日:2007年 7月25日(水)22時48分48秒
最近、永沢まことさんという絵描きさんのホームページを頻繁に訪れています。
永沢さんが「今月のひとこと」としてトップページで発言しているのですが、
そこに語学論を感じています。
http://www.makoart.com/
●他の誰のものでもない「自分の線」とは何か?
●他の誰のものでもない「自分の絵」とは何か?
●他の誰でもない「自分」とは何か?
by 永沢まこと さん
ここがね、、私の中で芽生えた英語の語学論に反応したのです。
イメージ核を獲得しに行くことに共通するような気がするのです。
与えられた知識ではダメなんだと思うのです。
【11646】
根石さん 投稿者:巴里子 投稿日:2007年 7月26日(木)00時11分26秒
「はにかみ」については、私の妄想が入ってるかも知れませんが、当たらずとも遠からずかなと思っております。
「ニヤリ」は結構ありますのでかいつまんで書かせて頂きます。
「〜攻撃〜うちの子はやった」「父親とか〜やらされる」「腹芸」「国語〜俺は〜」「俺に下品だなんて〜」「角がとれて〜」「〜袋たたき〜」など笑いをかみ
殺しながら読みました。「勉強なんて、一般に世の中の母親が思っているよりは、ずっと悪に近いものだ」ここ大好きです。
【11651】
巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 7月28日(土)02時24分17秒
>「勉強なんて、一般に世の中の母親が思っているよりは、ずっと悪に近いものだ」ここ大好きです。
ありがとうございます。
勉強も、制度(学校・受験・学歴)と関係がなく、自分が生きることに直結している場合はまったく悪にならないんですけども・・・。
ここから、日本語を日常語としながら英語を勉強することについて考えていただければと思います。自分が生きることと、どこでどう直結するのかということ
です。
【11664】
生きることに直結した学び 投稿者:吉 投稿日:2007年 7月31日(火)21時42分27秒
> 勉強も、制度(学校・受験・学歴)と関係がなく、自分が生きることに直結している場合はまったく悪にならないんですけども・・・。
これ、自分から喰いに行くから「悪にならない」って事ですね。
制度の中では、考える前に「やり方」を教えすぎてしまうから問題があるんじゃないのでしょうか。与えられた物をこなしていくだけでは、つまらないんですよ
ね。根石さんのような良い指導者は、ヒントだけ与えて後は自分で考えさせますが、自分で出した答えは格別ですね。 自分で問題を解くという愉しみがありま
す。 そこに自分の人生を「生きる」のヒントが隠れているような気がいたします。
【11666】
日本人の英語 2 投稿者:村田 投稿日:2007年 8月 2日(木)04時21分45秒
草稿やっとできました。
===============
小学校の英語
・「生活言語」と「語学の言語」がある。
素読舎では、「生活言語」と「語学の言語」というものを分けて考えています。
「生活言語」は、実際に生活する上で使う言語です。すなわち、話しかける相手がいます。一方、「語学の言語」は、外国語を学ぶ時の言語です。これは、自
分に向けた言語です。「生活言語」は、日本で生活している限り、日本語の場合が多いですが、外国語でも、例えどんなにへたくそでも、それが生活の一部なら
ば、それは「生活言語」と呼ぶべきです。例を挙げます。
空が晴れていて、出会った英語ネイティヴに、"It's a fine day, isn't it?"(いい天気だね)と言うのは、生活言語です。
語学の言語は、外がたとえ土砂降りであろうとも、一人で"It's a fine day, isn't
it?"と繰り返している時の言葉です。英語を身につけるためなので、たとえ外が雪が降っていようとも、"It's a fine day,
isn't it?"と繰り返してもまったく問題ないのです。
もしも、雨の日に出会った人に"It's a fine day, isn't
it?"と言ったりするのは、語学の英語と生活言語を混同しています。こんなことを言われたら相手はひきますね。これは極端な例です。しかし、「生活言
語」と「語学の言語」を混同した状況は、英会話学校などでいくらでもあることです。「語学の言語」をやるべきところで、「生活言語」を持ち出してくる。日
本語に囲まれた環境で英語を身につけようとする人がやることは、音と意味を一体化すること、つまり一人でやる「語学」なのに、その段階を飛ばして英語で話
をさせようとする。そこは英語ネイティヴと一緒にいれば話せるようになるんじゃないかという誤解のもとに成り立っている場です。
「語学の言語」を一人でやることによって、「生活言語」にわたることができます。その時に必要なことは、伝わる音作りと、それによる大量のインプットで
す。
・赤ん坊は自然と日本語を覚える。早いうちに「英会話」をすれば自然に外国語としての英語を話すようになるか?
「(日本で育つ)赤ん坊は自然と日本語を話すようになる。だから英語ネイティヴに会ったりしていれば、自然と赤ん坊みたいに英語がわかるようになるん
じゃないか。」と言う人がいます。外国語を学ぶにあたっての、大きな誤解です。
赤ん坊が言葉を獲得していく力は、大人が思っている以上に強いのです。母語を形成していく過程は生涯一回きりです。二度目はありません。大人が、赤ん坊
のように「自然」に外国語を話すようになることはありえません。
では、早いうちに、例えば小学生のうちに、「英会話」を始めれば、子どもは自然とネイティヴのように英語を話すようになるのでしょうか。
そんなことはありません。
日本語に囲まれた環境で、週に1回や2回、英語ネイティヴとゲームをしたり歌を歌ったりしたとしても、家に帰れば日本語で話すわけです。大人の「英会話
学校」と同じなのです。そのような状況で、例えば小学1年生の子どもが、生活言語としての日本語と同程度に英語を話せるわけがありません。
むしろ、そのようなことができてしまうなら、事態は深刻です。
小学生のうちは、まだ母語としての日本語を形作っている最中です。もしも、週に1回や2回の「英会話」が「自然」に話せるようになるほどの影響力がある
のなら、母語としての日本語も、外国語としての英語も、中途半端になってしまいます。なにより、母語がしっかりしないことが問題です。
・素読を原理とした方法が最も害が少ない。
素読舎では、素読を原理とした方法で語学をやります。
素読とは、意味はひとまず宙吊りにしてもいいから、声に出してテキストを読むことです。「思いだす」必要がなくなるまで、何度も何度も声に出して読むこ
とによって、テキストがいらなくなるまで、読み込みます。もう慣れてしまって、それが自分にとって当たり前になるまで読みます。
ここで大切なのは、通じる音で読むことです。ネイティヴと同じ発音で読むということではありません。そもそもそんなことはできません。
小学生のうちは、意味や文法などわからなかったとしても、音作りをしっかりして、こなれた音で読める文をたくさん持つことに力を注ぎます。意味はからっ
ぽでもいいから、音のこなれをたくさん持ち続けれることです。そうすれば、意味を受け入れる準備ができ、実際に使う準備ができます。
音作りもできていないうちに、音と意味の一体化なんてできるはずがありません。
・日本でやる英語はいつでも準備し続けること。
素読を原理とした方法は小学生だけがやるのではありません。素読舎では、中学生や高校生、そして英語を仕事に使う社会人もみんな、素読を原理とした方法
で英文をインプットし、英語を持ち続けています。日本語に囲まれた環境で英語をやるということは、常に「いつか使うその時」の準備をし続けることです。
「語学の言語」を「生活の言語」にわたらせる準備をし続けることなのです。
【11667】
吉さんへ/電話レッスン 投稿者:M 投稿日:2007年 8月 2日(木)10時05分6秒
はじめまして。兵庫のMと申します。英会話が苦手なので電話レッスンに興味を持ちました。口の筋肉を柔軟にすることが必要と思い、思い切ってお電話した次
第です。吉さん、連絡をお待ちしています。
【11677】
兵庫のMさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 8月 2日(木)20時39分33秒
兵庫のMさん
はじめまして、、横浜の吉と申します。
金曜以外の平日夜の8時半以降はどうでしょうか?
Mさんのご都合をお知らせください。
根石さんの素読舎をよく見つけられましたね〜! (o^∇^o)ノ
> 口の筋肉を柔軟にすることが必要と思い、思い切ってお電話した次第です。
身体イメージの獲得ですね! そこに気づいているとは、すごいです!!
私は声に出す事でストレス発散になっております (^○^)
根石さんから説明があったかと思いますが、レッスンでは「音作り」に徹します。
文法的な質問や意味の確認は、根石さんのこの掲示板をお使い頂くようになります。
(根石さんの自作テキストでだいたいつかめちゃいますけどね、、)
【11678】
吉さんへ 投稿者:M 投稿日:2007年 8月 2日(木)21時47分23秒
はじめまして。
どんぐり倶楽部>英語で夢をみるまで>の経路でこちらにやってきました。
電話レッスンは火曜日か水曜日の9時半以降が都合がいいです。
根石さんの「英語どんでんがえしのやっつけ方」以前に購入してまして、また、読んでいるところです。
よろしくお願いします。
【11684】
兵庫のMさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 8月 3日(金)23時42分11秒
火曜の夜10時とかは如何でしょうか?
中途半端かもしれませんが、夜9時45分スタートでもOKです!
え〜!! 私のHP経由なんですか!
それはメチャクチャ嬉しいでございます!
根石さんの「どんでん返し」を読まれているのですね!!
あれだけ英語がでてこない英語の本も珍しいですよね。
あの本、、英語の学習参考書というより「哲学書」に近いです、、、、。
メール送れるようにしておきます!
私の電話番号などはメールでお伝えいたします (o^∇^o)ノ
【11697】
ことばの力というもの 投稿者:村田 投稿日:2007年 8月 9日(木)23時43分52秒
本来は「住環境に文句ある人々の為の掲示板」 http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
の方へ書くべきことなのかもしれませんが、あえてこちらの方に書きます。
今日、ごみ問題関係のミーティングで根石さん宅へお邪魔してきました。
話は川口由一さんが実践している「自然農」のお話になりました。
(川口さんは「自然農」という表現はしていないということですが)
「自然農」自体については私がここでとやかく言っても誤解を招くだけかもしれませんので、今は触れませんが、私が話を聞いている時、もしも自然農だけで
やっていくとしたら、今の世界の人口を養うことはできないんじゃないかな…、という印象を持ちました。
根石さんもやっぱりそのことを考えていたようで、「いや、俺は大丈夫だと思うんだよ」と言いました。
「市場経済でいらないと判断された農作物や草を、砂漠の周辺に置いて、農地を少しづつ増やしていくんだ。人の手が入ることによって砂漠が広がってしまった
のなら、それを押し戻すこともできるはずじゃないか。」(大意)
私は、なんてことを考えつくんだろう!と一瞬あっけにとられましたが、その一瞬後に背筋がぞくぞくしました。本気だよ!って。
普通は誰もそんなこと考えもしない。市場原理とか効率とか、そんなことを理由にして「ありえない」と却下するもんだと思います。だけれども、それができ
る、と本気で信じるのなら、もしかしたらできるかもしれない。多くの人ができると思いはじめたら、ほんとに実現できるかもしれない。
少なくとも、私にとっては、もしかしたらできるかもしれない、と思わせる言葉でした。
「英語のやっつけ方」の中の「革命だでや」っていう言葉を思い出していました。
現在の状態がすべてだ、なんて認めたら、なんにも変わりはしない。
傍目からは荒唐無稽に思えたとしても、そんな言葉、そんな行いが、「現実」を変えていくんじゃないだろうか。…というか変えるんだと思います。
私もそんな力のある言葉を言えるようになりたい。
【11702】
最近、書いた詩です。。。 投稿者:足立和夫 投稿日:2007年 8月20日(月)10時25分54秒
1. 一瞬の宇宙
足立和夫
どんな辺境からみても
硬質な空は
暗い光をたたえていて
するどい罅割れが
網のように走っている
猛禽の目のような
その裂け目から
宇宙がもれつづけ
巨大な漆黒が
あらわれた
(在ることが在る)
身が裂ける驚愕
解決の柱とは無縁
手打ちはならず
あさましくも
頸を刈っている
縊死もたえない
ひとはつねに
閉じられたまま
途方に暮れ
みすぼらしい宇宙にむかって
祈ってばかりだ
枯れ草が燃え尽きるように
宇宙は
いずれ終わる
「repure(ル・ピュール)」5号(水仁舎) 2007年8月19日発行 より。
【11704】
根石さんへ お休みの件 投稿者:吉 投稿日:2007年 8月22日(水)07時23分51秒
根石さん、、
本日から我が家恒例のキャンプに行ってまいります。
電話でお伝えしておりましたが、今週金曜のレッスンはお休みさせて頂きます。
振り替えは結構です。
プラトンの対話篇を読み、、今は、ゲーテにたどり着いております。
私はゲーテなどを読むような人間ではございませんでした。
人も変わるものです。 自分で驚いております。
【11707】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 8月25日(土)23時18分26秒
お休みの件、承知しておりました。
キャンプは楽しかったですか。
ゲーテは私はまるで読んだことがありません。何か是非読めというものがありましたらお教え下さい。
【11709】
足立さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 8月25日(土)23時30分2秒
>枯れ草が燃え尽きるように
>宇宙は
>いずれ終わる
野暮なことを言うようですが、老子だったと思うのですが(もしかしたら、仏典かもしれません)、「(宇宙に)始めなく終わりなし」という考えがあったと
思うのです。この考え方が私にはしっくりきます。
「枯れ草が燃え尽きるように」というのは、あまりにも地球限定的な比喩(あまりにも地球的)で納得ができません。宇宙が終わった後に、空間はないので
しょうか。あるのでしょうか。もしもあったら、それは宇宙というものとは違うのでしょうか。
【11718】
認定一覧 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 1日(土)00時32分28秒
書式:
段 名前(県名) 昇段または認定の年月日
※レッスン開始時での外部テストの級や得点。学年。職業。英語の必要場面。英語圏
在住経験の有無。段獲得以後の外部テストの級や得点。その他。
初段 樋口静香(長野県)2005年6月26日昇段
※初段認定時高校2年。レッスン開始時中学3年2月(英検3級)。レッスン開始後、
5ヶ月目頃、英検準二級。
初段 大澤弘文(奈良県)2005年7月2日認定
※レッスン開始時、TOEIC 370点 大手電機企業勤務。海外出張多し。
初段 小川住江(奈良県)2005年7月2日認定
※レッスン開始時、英検一級、TOEIC 870点。英語圏在住経験なし。英会話学校教師
経験あり。
二段 M・U(長野県)2005年7月2日認定(06年4月中断)
※高校教諭(英語)英語圏在住経験なし。
二段 I・N(山形県)2005年7月11日認定
※公務員 レッスン開始約1年半後に、TOEIC 受験、425点。
二段 O・K(北海道)2005年7月11日認定(06年、中断)
※塾講師 中学2年時英検4級。以後、受験なし。36歳。英語圏在住経験なし。
初段 斎藤操(埼玉県)2005年7月11日認定
※外資系企業社員 レッスン開始時 TOEIC 660点。日々メールで英語を使う。英語
圏在住経験なし。07/02/26 現在中断。
初段 T・A(アメリカ)2005年7月25日認定。
※レッスン開始時は日本在住。開始時、英検準一級、TOEIC 790点。公務員。アメリ
カ在住のため、無料会議電話を使用。仕事で英語を、家庭で日本語を使っている。旅行、
買い物などにでかける時、英語にびっしりと囲まれる。
初段 F・U(長野県)2005年7月25日認定。
※レッスン開始時、英検二級(取得は大学在学中)。主婦。英文科卒。英語教員免許あ
り。父親のいとこが二世で、中学の時、発音を直してもらった経験あり。英語圏在住経
験なし。非常に発音がきれい。
二段 斎藤操(埼玉県)2005年10月30日認定
※外資系企業社員 レッスン開始時 TOEIC 660点。日々メールで英語を使う。英語圏
在住経験なし。07/02/26 現在中断。
初段 片原範子(長野県)2005年11月5日認定。
※高校二年生。小学6年生から素読舎に通塾。家が遠いため、中学途中から「電話でレ
ッスン」。高校入学と同時にゴーストの文法解析教材(イメージ受肉)を使用。初段認
定時まで、中学の教科書3冊の復習を継続。英検3級。英語圏への留学を希望している。
将来は小学校の先生をめざす。07/02/26 現在、1万数千行目から4万7千行台へジャン
プした後の教材を継続し、5万7千行台。「文法・語法問題1000」終了後、「ゴー
スト」の「どしゃぶり型レッスン」を予定。一挙に8段、9段の認定を予定。
初段 岩本幹夫(兵庫県)2006年2月3日認定。
※電機会社社員。英検などの資格なし。英字新聞を読め、英語でニュースが聴き取れる
ことを目指してレッスンを開始。出向で、英語の必要な会社に行く可能性がある。07/02
/26 現在中断。
三段 I・N(山形県)2006年3月25日認定
※公務員 レッスン開始約1年半後に、TOEIC 受験、425点。
二段 小川住江(奈良県)2006年4月10日認定
※レッスン開始時、英検一級、TOEIC 870点。英語圏在住経験なし。英会話学校教師
経験あり。07/09/01現在中断。
二段 F・U(長野県)2006年6月26日認定。
※レッスン開始時、英検二級(取得は大学在学中)。主婦。英文科卒。英語教員免許あ
り。父親のいとこが二世で、中学の時、発音を直してもらった経験あり。英語圏在住経
験なし。非常に発音がきれい。
四段 J・I(東京都)2006年6月26日認定。
※外資系企業勤務。日々英語を使う必要あり。途中中断、2006年、5月レッスンに
復帰。以前は、「集中豪雨型レッスン」だったが、レッスン復帰時に「アジアの大河型
レッスン」に切り替え。段に換算し、三段終盤。一ヶ月ほどで昇段。
二段 大澤弘文(奈良県)2006年10月9日認定
※レッスン開始時、TOEIC 370点 大手電機企業勤務。海外出張多し。
二段 T・A(神奈川県)2007年1月27日認定。
※レッスン開始時、英検準一級、TOEIC 790点。公務員。その後2年余り、家族とア
メリカ在住。主に仕事で英語を使う。アメリカ在住期間中は、無料会議電話、プララの
IP電話などを使用し、最終的に電話代を月額400円におさえる。帰国後もレッスン
を継続。アメリカ在住中のイントネーションの変化はめざましい。
初段 片原寛子(長野県)2007年2月24日認定。
※小学5年で素読舎の方法で練習開始。中学2年生のとき英検3級。中学3年生で、
「アジアの大河型レッスン」で「ゴースト」を開始。高校1年生の2月、一万行を超え
る。そこから4万7千行台にジャンプ。「英文法・語法問題1000」を元にしたイメ
ージ受肉用教材に着手。高校で学年2番まで伸びる。学年トップになったら知らせてく
れることになっている。片原範子の妹。
二段 N・A(東京都)2007年2月24日認定。
※編集者。41歳。趣味・トライアスロン。以前、イギリス人のデザイナーと一緒に仕
事をする機会があったが、今は年に二三度海外旅行で英語を使う機会がある程度。TOEIC
受験経験あり、650点くらいだったと記憶している。二段認定時、27828行。ま
もなく三段。(初段は「どしゃぶり型」で、二段は「大河型」で獲得。二段獲得時を根
石が記録せず、完全に根石のミス。お許しの程!)07/09/01現在中断。
二段 樋口静香(長野県)2007年3月4日昇段
※レッスン開始時中学3年2月(英検3級)。初段認定時高校2年。二段認定、高校3年。
レッスン開始後、5ヶ月目頃、英検準二級。初段時、「ゴースト」部分、14546行
までで、ジャンプ。47406行目以降の「英文法・語法問題1000」へ。07年3
月4日、54145行まで終了、52860行で二段に認定すべきところを根石が忘失、
遅れて07年3月4日の日付で認定。07/09/01現在中断。
四段 I・N(山形県) 2007年8月25日認定
※公務員 レッスン開始約1年半後に、TOEIC 受験、425点。レッスンの他、NHK の
英語番組を継続中。そろそろ TOEIC を受けてみて欲しい段階に来ている。
初段 小林(長野)2007年8月27日認定
※主婦。ニューヨークから来たアメリカ人に英語を習い続けたが上達がないことを実感
し、素読舎のチラシを見て素読舎月曜クラスに通い始めた。その後、よりレベルの高い
練習を求めて、「電話でレッスン」に切り替えた。娘さんがカナダ人と結婚し、孫がカ
ナダにいる。娘さんや孫に会いにしばしばカナダに行く。現地の人に発音がいいと言わ
れ、「電話でレッスン」で身につけた「発音10のポイント」や「あいうえおフォニッ
クス」が実際に「使える英語」を作り出すことを確かめた。
(根石吉久認定分)
【11726】
「英語のやっつけ方」の冊子について 投稿者:momoko 投稿日:2007年 9月 2日(日)20時08分40秒
はじめまして。
こちらの掲示板で吉様のwebページで根石様のページを知りました。(吉様ありがとうございます。)webページの「売店」にありました「英語のやっつけ
方」の冊子を分けていただきたくメールをお送りしたのですが、帰ってきてしまいました。
現在も分けていただけますでしょうか?また、その際はメールアドレスもお知らせいただけるとうれしいです。よろしくお願い申し上げます。
【11729】
momokoさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月 3日(月)20時55分10秒
momokoさん、、はじめまして!
私のホームページを経由されてこちらに到着されたようで、とても嬉しく思います。
> 「英語のやっつけ方」の冊子を分けていただきたくメールをお送りしたのですが、帰ってきてしまいました。
根石さんから返事の書き込みがあると思いますが、私にメールをくれれば根石さんに転送する事も可能ですよ。
「英語のやっつけ方」の冊子を、根石さんがまだ持っていると良いですね。
「音づくり」→「理解」の順序 でございますよ。 (o^∇^o)ノ
【11730】
存在の神秘とは。 投稿者:足立和夫 投稿日:2007年 9月 3日(月)23時10分35秒
じぶんの命日(それは誰にでも例外なく必ずある)を基点とすると、
きょう一日が終わることは、じぶんの命日に一日近づくことである。
一時間が過ぎれば、確実に一時間分、じぶんの命日に接近している。
身も蓋もない話ではあるが、こんな「構造」を誰が造ったのか?
不可思議な出来事である。
さて、その誰とは、何か?
おそらく何も無い。
根石さん。わたしの詩について的確な指摘をされました。すこし落ち込みましたが、
上記の駄文を書いておきます。
【11731】
足立さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 4日(火)01時48分56秒
私は足立さんが書くものでは、詩よりも散文の方がよくわかります。
詩を書くのなら、この世のあらゆる散文を蹴散らすくらいの気持ちでやらにゃならないと思いますので、私は詩はやめました。
>おそらく何も無い。
そしてその次がある。
------------------------------------------------------
今日、岡田さんが始めたあれは何というんでしょう、ブログの一種なんでしょうか、それに参加しました。
そろそろ遊びに来ませんか。
百姓をやっています。焼き芋屋を始める予定です。
【11732】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 4日(火)01時52分0秒
>根石さんから返事の書き込みがあると思いますが、私にメールをくれれば根石さんに転送する事も可能ですよ。
「英語のやっつけ方」の冊子を、根石さんがまだ持っていると良いですね。
お気遣いありがとうございます。これからmomokoさんにご返事します。
>「音づくり」→「理解」の順序 でございますよ。 (o^∇^o)ノ
この肝心なことを、「英語のやっつけ方」ではまだ書けていませんでした。
あえて言うなら、「音」→「理解」は書けていますが・・・。
【11741】
第一回電話レッスン 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年 9月 4日(火)22時40分40秒
根石さんへ・・こんばんは!先ほど第一回電話レッスンが終わりました。日ごろ使わない口の周りの筋肉を動かしたので結構大変でした。特に、オ(かア)の音
で口が開いてないのがよくわかりました。しっかり練習したいと思います。
吉さんへ・・発音の説明等ありがとうございました。次回もよろしくおねがいします。
【11742】
兵庫のMさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 4日(火)22時44分18秒
初回のレッスンが無事終わったようで、私も安心しました。
吉さんがやってくれるレッスンは、世間にはほとんど見当たらないものだと思います。
貴重です。
【11743】
兵庫のMさんとのレッスン初回 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月 4日(火)23時07分9秒
本日兵庫のMさんと初レッスンでした。
Mさんは「喋れません」と言っていましたが、私は疑っております。
そういう独特の自然な音をお持ちでした。 レベルの高い方なので妙に緊張してまいりました。
「Y(j)」の音はすでに会得しておりました。
今日は「あいうえおフォニックス」の説明はいたしませんでした。
終わったのは I had Rose 〜 が最初に出てくる場所でございます。
根石さん、、兵庫のMさんはスカイプが可能です。
ただし、、PCが不調なため途中で強制的にダウンしてしまう事もあるようですが、
根石さんに聞いてもらうのは問題ないようです。
来週もう一度電話でやって、再来週あたりにスカイプでやろうかと考えております。
その時に聞きにこられますか?
【11744】
お休み 投稿者:JR 投稿日:2007年 9月 5日(水)12時47分48秒
根石さん。
こんにちは。
急で申し訳ないですが、しばらくの間お休みをさせてください。
仕事がとても忙しくなってしまいました。
また少し落ち着いたら再開したいと思います。
そのときはまたご連絡させてください。
音読はとてもすぐれた勉強法だと思います。一人で続けることももちろん可能なのですが、やはり見張ってくれる人が必要で、ノルマをもって毎日続けることで
身になっていくものだと思います。
まだもちろん私は発展途上なので、また仕事が落ち着き次第再開させてください。
勝手に、急に、申し訳ないです…。
【11745】
「喋れる」について 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月 5日(水)12時53分50秒
「喋れる」を定義しようとすると難しいということを、
一晩ボンヤリと考えて再認識いたしました。
私の友人(複数)もよく「英語を喋れない」と言います。
「日本語のように英語が喋れない」という意味だと思います。
そういう意味で使うと私も「喋れない」のでございます。
僕が練習しているのも、指導しているのも「語学」なのでございました。
兵庫のMさんに、昨夜、
「喋れますね?」という質問というかコメントをいたしましたが、
よくよく考えて愚問だったと思いました。 すみません。
しかし、、Mさんの音には、瞬時にイメージ化されている音が響いておりました。
これはコーチの私に伝わります。 音でわかります。 区切りでわかります。
日本在住のままで英語の瞬時のイメージ化とシンタックスを獲得している人を、
私はとても尊敬いたします。
【11746】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 6日(木)01時31分22秒
>私の友人(複数)もよく「英語を喋れない」と言います。
「日本語のように英語が喋れない」という意味だと思います。
普通はその意味ですね。しかし、英語の磁場での生活を欠いては、誰も「日本語のように」は喋れないはずです。「日本語のように」とは、日本語の磁場にお
いて、(幼児期から)生活を通じて獲得した言語(日本語)のように、の意味であるはずだからです。結局、「磁場論」で解ける問題だと思っていますが、「日
本在住のままに英語ネイティヴのように話し聞くスキルを獲得した」というのを宣伝文句にした松本道弘という人がいます。
この場合のミソは、「仕事」だったのです。松本道弘氏の書いた本で確かに読んだ覚えがあるのですが、彼は商社に勤めて、日々仕事でキッタハッタの取引を
やっていたのです。そのキッタハッタのキッタが、「斬れる英語」の「斬れる」なのです。この場合は、キッタハッタの切実さが、言語における「当事者性」を
獲得させ、その「当事者性」が、言語を生活に渡らせることができたのであって、タネも仕掛けもあるのです。
松本道弘氏はサイデンステッカー氏と協力して、「日米口語辞典」(朝日出版社)という辞書を作ったほどの人であり、いい仕事をした人です。宣伝文句はお
そらく出版社の責ですが、読者(一般の学習者)は、「日本在住のままに」というようなうたい文句を一度は疑う必要があります。こういううたい文句を無限定
に使うことには重大な罪があります。
「日本在住のままに異言語の当事者性はどう獲得できるのか?」というような設問の方がはるかに意味があります。
>しかし、、Mさんの音には、瞬時にイメージ化されている音が響いておりました。
これはコーチの私に伝わります。 音でわかります。 区切りでわかります。
そうなんです。どうにも言葉で言えないが、コーチ側にわかるものというのはありますね。イメージが把握されていないとこの音にはならないというようにわ
かるものがあるということだと思います。ここから先は憶測になりますが、そういうレベルを獲得している人は、「繰り返し」に耐えるということが難しいとい
うケースも多いです。イメージがすでに獲得されているのになおも繰り返すというのは、とても馬鹿らしいことに感じられるはずだからです。しかし、私の考え
では、語学というのは「とても馬鹿らしいことを続けること」だとも言えます。松本道弘氏のように、直線的に「切実さ」や「当事者性」を獲得するのでなけれ
ば、「とても馬鹿らしいことを続けること」が持続・継続のポイントだとも思っています。
これはしかし、危険な言い方です。
「とても馬鹿らしいことを続けること」が死んだ種である場合もあれば、生きている種である場合もあるからです。
死んだ種の方面では、十年一日のごとくNHKの語学番組を聴き続けた結果、十年前とそれほど進歩がないという人をすぐに思い浮かべてしまいます。という
か、そういう人を知っています。こういう人も語学的進歩の外側では必ず何かを得ているのですが、本人が語学的進歩を獲得しようとしていたのであれば、本人
においてアテが外れています。この場合、まず間違いなく、「回転読み」のような動態を欠いた練習を続けてしまっているはずだとも思っています。「回転読
み」のような動態にイメージを噛み合わせること、ここに語学の生き死にがかかっていると思っています。これは、「磁場」を欠いて行われるものです。「日本
在住のまま」という条件下においては、「生きている種」は「練習の動態にイメージを噛み合わせる」ことで確保するのが最上であろうと考えています。
>日本在住のままで英語の瞬時のイメージ化とシンタックスを獲得している人を、
私はとても尊敬いたします。
同感です。
それと同時に、英語の磁場においても、なおも「語学」を継続した人を私は尊敬します。吉さんはそういう希有な人の一人だと思っています。そうでなけれ
ば、「ぺらぺら」をやって、「ネイティヴ並み」を演じて、「一丁あがり」をやって終わりになっていたはずだと思うのです。「大風呂敷」などを見つけて下さ
り、広報活動などして下さっているのは、ただの「ネイティヴ並み」ではない。英語磁場においては、生活言語と語学との間に厳密な区別が成り立たないこと、
またその必要が切実ではないこと、「日本在住のまま」においては、語学しかないこと、その上でなおも異言語のイメージの核をつかんでいくことを貴重なもの
と思うこと。このあたりが、吉さんの真骨頂だと考えています。
【11748】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 6日(木)01時48分39秒
>根石さん、、兵庫のMさんはスカイプが可能です。
ただし、、PCが不調なため途中で強制的にダウンしてしまう事もあるようですが、
根石さんに聞いてもらうのは問題ないようです。
来週もう一度電話でやって、再来週あたりにスカイプでやろうかと考えております。
その時に聞きにこられますか?
Mさんが、レッスンを始めたばかりだと緊張が大きいかもしれませんので、しばらく吉さんとMさんとだけで進めて下さい。一度も顔を合わさずに英語のレッ
スンをやっているだけでも、お互いにだんだん気心が知れてきて、一種の定型ができてきます。その頃に「レッスン参観」をさせて下さい。
【11750】
英語でしゃべる 投稿者:Naima 投稿日:2007年 9月 6日(木)21時06分31秒
「英語しゃべれるの?」と聞かれると、
しゃべれるとも言えないけれど、しゃべれないと言うわけでもないし...
一つだけ確実に言えることは、どこまで行っても「不自由感」がつきまとうことです。外国語を勉強するって、馬が鼻面にニンジンをぶら下げられて走るみたい
なもんじゃないでしょうか。
【11751】
Naimaさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月 6日(木)22時58分37秒
> どこまで行っても「不自由感」がつきまとうことです。外国語を勉強するって、馬が鼻面にニンジンをぶら下げられて走るみたいなもんじゃないでしょう
か。
うまい事言いますね〜。
にんじんも喰えたり喰えなかったりする事もありますね。
別の言い方をすると「もどかしさ」ってやつなんだと思います。
【11754】
吉さんへ、Naima さんへ 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年 9月 7日(金)12時20分57秒
そうなんですよ。中学生に英語を教えているので教科書程度は話せますが、それ以上の表現はあまり(ほとんど?)できません。英会話のレッスンでいつもこう
いいたいんだけど、なんていったらいいの?とそのたびにもどかしさを感じています。英検準1級を取得している友人は今も翻訳などして勉強しているせいか、
すらすら言葉が出ますので(私よりはかなり)、多分語彙力の差だと思います。
吉さんへ・・私の発音ができているということですが・・・習ったわけではなく、音声に興味があり、まねをしていたら結果的に出来ているということだと思い
ます。自分ではよくわかりません。確かに、繰り返しは大変だと思いますが、自分と中学生のために、がんばります。
【11755】
お別れ 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 7日(金)22時14分9秒
中学2年生の「電話でレッスン」の生徒がやめてしまいました。
生徒の練習から気が抜けると、私はそのまま放置します。放置しておいて、生徒が自分で気力を回復するまで待ちます。待ち続けている間に、生徒が放棄した
ら、そこでレッスンは終わりになります。自分で気力を回復する生徒の方が多いのは、手前味噌ながら、教科書の扱い方や私の自作教材が備えている「繰り返
し」の構造が生徒を励ますからだと思っています。方法自体が励ましているからだと・・・。
「繰り返し」を大前提にして教材を作ってあるからこそ、「繰り返し」を大前提にしてレッスンをするからこそ、一度気が抜けた練習にまた気を入れることが
可能になるのだと・・・。教材の構造とその扱いの方法が生徒を励ますのだと・・・。
だから、私が口で励ますということをしません。私は再び生徒の練習に気が入るのをひたすら待つだけです。私の塾もレッスンも普及しないのは、その一点に
原因があるものと考えています。
本筋の練習を成立させるときに邪魔になるものは確実にあり、学校はそれを放置しています。放置するどころか、学校は本筋の練習のための邪魔を作り出すこ
とさえします。音作りをほったらかしたまま、生徒を点取り虫に変えること。
私の教材づくりは、本筋の練習に至る道にある邪魔をとりのぞく作業です。それが練習する人への最大の励ましだと考えています。その上でなおも口で励ます
などということはやりたくない。やるのなら思う存分やれ、突き抜けるまでやれ。誰だって、気が抜ける時期があるが、抜けた気は自分で入れろ。
単に学校とおつきあいするための英語を扱っているのではない。相手は語学という魔物なのだ。私が口で励ますようなことをしたら、語学という魔物とつき
あっていくための力がつかない。魔物とつきあう力の元にあるのは、抜けた気を「自分で」入れるということだけなのだから。
【11756】
十代の英語の命運に触ること 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 8日(土)00時20分55秒
男なので妊娠したことがないが、中学生や高校生がレッスンをやめてしまったときに感じる淋しさは、妊娠して出産を心待ちにしていた女が流産してしまった
ときの淋しさと同じようなものではないかと思ったことが何度もあった。仏教によれば、心待ちにしたり、将来を楽しみに思っていたことがいけないのだ。心待
ちにすることも、将来を楽しみに思うことも、煩悩の一種であるには違いないのだから。
耐え難い淋しさというものも世の中にはあるのだと、何度も思い知らされた。十代の人を相手にレッスンするのをやめないのは、耐え難い淋しさに耐えること
だった。
金がダブついて、趣味で英語をやっているような人がやめてもこんな淋しさはない。
【11758】
記録すべき言葉・1 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 8日(土)01時55分24秒
いや、そもそも、この日本列島に住む人間が、自分のいる場所を日本だと思い、自分のことを日本人だと思うようになったのは、つい百年ほど前からなのだ。
・・・「怪獣使いと少年」切通理作(宝島社文庫)
【11759】
2 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月 8日(土)01時59分42秒
琉球を攻めた薩摩も、東北の人たちも、自分たちが関東や関西の人間と同じ民族だなんて夢にも思ってなかった。北海道にいたっては沖縄と同じで、日本なのか
外国なのか、はっきりしていなかった。
ところが明治維新で西欧から「国家」という近代の考え方が輸入されると、急に「ここからここまでが日本という国だ」と定められ、そこに住む人はみな同じ
日本国民ということになってしまった。曖昧なことやバラバラなことは許されなくなったのだ。
そして、明治政府の武力による「琉球処分」によって、ついに琉球王は廃され、沖縄も日本の天皇の下に組み入れられた。
・・・同
【11760】
兵庫のMさん 投稿者:Naima 投稿日:2007年 9月 8日(土)02時21分5秒
想像に過ぎませんが...準1級のお友達も、やっぱり英語で話す時には隔靴掻痒の感をお持ちだろうと思いますよ。吉さんも「もどかしさ」を感じられるとの
こと。いつまでたってもどんなに英語力がついても、その感はついてまわるのだろうと思います。だからいつまでも語学することから縁が切れない...
因果なこってす....
【11761】
兵庫のMさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月 8日(土)08時09分44秒
> すらすら言葉が出ますので(私よりはかなり)、多分語彙力の差だと思います。
私も学生の頃、英語は「語彙の差」だと考えていた事がありました。
それで、ひたすら単語を覚えましたが英語が喋れるようになった気がしませんでし
た。 もう少しつっこんで言うと、「(気持ちにハマル)言葉が瞬時に想起される語彙の差」って事なんだと思います。
> 確かに、繰り返しは大変だと思いますが、自分と中学生のために、がんばります
最初はゆっくりやらせてください。
「繰り返し」は、小さなパンチに感じるかもしれませんが、そういうパンチの連続がゆっくりとボディーに効いてきます。
【11762】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月 8日(土)08時40分53秒
昨夜のレッスンは休ませてもらいました。
台風でずぶ濡れになったままた冷房のきいた電車に乗って体が冷えました。
> 魔物とつきあう力の元にあるのは、抜けた気を「自分で」入れるということだけなのだから。
「主体的にとりくむ」という事ですね。
1038さんが以前書いてくれた「コツをつかむ」の理由もそこにあるのだと思います。
やはり最終的な答えはこれしかないのか、、、、。
すると指導者が本当に与える事ができるのは「キッカケ」でしかありませんね。
【11767】
さっそくレッスンでした。 投稿者:ももこ 投稿日:2007年 9月10日(月)20時37分48秒
今日ラッキーなことにレッスンを受けることができました。
はじめてのレッスン。実は緊張してしまって、どんどんあせって早口になってしまいました。(高校のと時、ブラスバンド部にいたのですが、そのときもよく音
が「走って」しまっていたのを思い出しました・・・。)
・文章を途切れなく、安定する
・あせらずに、ゆっくり、丁寧に
・言い間違えないですむスピードから音を崩さずに読む
・いい間違えをしないで言えるようにする(癖になる前に直す)
ということがコツだとアドバイスいただきました。
また、単語の発音では
incredible の曖昧母音
gotta の oの発音(単語によって発音が変わる)
that の発音(機能によって発音が変わる)
といったことをアドバイスいただきました。
頭から消えないうちに復習し、練習します。
レッスンありがとうございました。
【11768】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月10日(月)21時06分40秒
>はじめてのレッスン。実は緊張してしまって、どんどんあせって早口になってしまいました。
電話で(スカイプで)、会ったこともない人を相手にやるので、初回はどうしても緊張しがちになりますね。
個々の音に、少しずつ触れていきますが、私が問題にする音はそんなに数多くありません。また、同じことを何度でも言いますから、そのうちに余裕が出てき
ます。
個々の音と、文としての音の連続性とどっちを重要と考えるかと言いますと、文としての音の連続性の方がはるかに重要だと考えていますので、音がつながり
にくいものはよくつなげておいて下さい。
感想を書いていただいてありがとうございます。
何かありましたら、気軽にお書き下さい。
【11769】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月10日(月)21時11分27秒
「切断読み」の前に「電圧装置」で必要な知識をつぶしておくことは必要ですが、「回転書き」と「切断読み」の前後関係はどちらでも結構です。
「回転読み」と「電圧装置」はセットだと考えてしまうといいと思います。その後は、
「回転書き」→「切断読み」
でも結構ですし、
「切断読み」→「回転書き」
でも結構です。
「電圧装置」以後は、イメージをくっきりと意識に保持することが最大のポイントです。
【11771】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月10日(月)21時23分46秒
「素読」と「回転読み」の関係ですが、「回転読み」は「素読」を原理としているということになると思います。「回転読み」そのものは「素読」ではないで
すが、非常に素読的ではあります。その原理は、「意識的に無意識を作る」ということにあると思います。
【11772】
やはり、必要なのは「磁場論」ではないか 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月10日(月)21時34分48秒
>想像に過ぎませんが...準1級のお友達も、やっぱり英語で話す時には隔靴掻痒の感をお持ちだろうと思いますよ。
こういう発言が貴重だと思います。日本に在住のまま特殊な場所(基地・外資系企業など)で(準)英語磁場を持っている人以外は、英語圏在住経験者でも、
日本語の磁力により、放っておけば英語は錆びつきます。そのこと、つまり錆び付くこと、つまり、英語がぎくしゃくしたり、ねばっこい泥の中を歩いているよ
うな感じになったりすることは、日本語の磁場では当然なことであり、自然なことなのだということを上達者がはっきり言わないことは罪深いことだと思ってい
ます。初心者には、ぺらぺらに見える人の内部の感覚では、ぎくしゃくであったり、ごつごつであったりするのです。これを上達者がはっきり言わないと中級以
後の人が余計な神経をすり減らすことになります。
英検一級保持者の Naima さんがはっきり言ってくださったのが貴重です。
また、ここがそういうことをはっきり言える掲示板であることがいいことだとも思っています。
【11773】
ももこさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月10日(月)22時08分45秒
ももこさんは、ブラバンだったんですか? ちなみに楽器はなんですか?
私はトロンボーン吹きでございました。
>> その原理は、「意識的に無意識を作る」ということにあると思います。
根石さんのこういうヒントなんだか答えなんだかよくわからないコメントから(失礼)、
私はいつも考えるキッカケをもらっています。
今はこの言葉の意味がわかりますが、ついこの間まではチンプンカンプンでした。
電話レッスンのすごい所は、実は、この掲示板との立体的なやりとりだと思っています。
チャレンジして書き込む事をぜひやってください。
今後とも宜しくお願いいたします。
ヾ(@~▽~@)ノ
【11775】
村田さんへ 見つけました! 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月10日(月)22時50分20秒
【11487】
補足 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 5月19日(土)01時40分36秒
>この場合の「しゃべったことのあるもの」は「練習としてしゃべったことのあるもの」になります。
単語としては認識できているが、それが即「言葉として認識する」ことにならないのが語学です。
日本にいて英語をやっている場合は、「単語として認識できている」状態と「言葉として認識する」状態との間に、タイムラグが生じます。かなり上級者で
も、「知っているが、使用場面で始めて出会った単語」などでは、タイムラグが生じます。これをなくすには、やはり自分で使う(「練習したことのあるもの」
を「使ったことのあるもの」にする)必要があります
書いたものの最後について補足します。
>「練習したことのあるもの」を「使ったことのあるもの」にする
これは、主言語が日本語である場合、「使ったことのあるもの」にするのは通常ではできません。
ですが、ひとつだけ、語学と生活言語の「合金」となる行為があります。
英語で読書することです。
英語で読書することだけが、日本に暮らして「英語を普段から使う」ということのできる唯一の行為だと考えています。
読書は「単語として認識できている」では不可能であり、読書ができているならば、「練習したことのあるもの」を「使ったことのあるもの」にしているはず
ですから。
**********************************
(磁石に反応する)「合金」となる行為 = 「読書」でした!
「補足」にありました。 村田さん、、お騒がせしました。
村田さん、、この根石さんの発言を、抜き出して保存できますしょうか?
【11776】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月11日(火)01時45分26秒
>すると指導者が本当に与える事ができるのは「キッカケ」でしかありませんね。
指導者という言葉にひっかかりを感じています。まあ、コーチですね。レッスンではコーチをやり、掲示板では現代版の物書きをやっているつもりです。指導
者という言葉から、私は変なものを思い出すのです。毛沢東とかブッシュとか、若者に自爆テロをやらせている者どもとか。若い者に自爆をやらせるより自分で
やれ、と思います。
それはともかく。
レッスンでやるのは、きっかけ作りだけではなく、土方仕事が実質部分です。
生徒が本筋の練習に至る道の途中にある邪魔を取り除くというのは、結局土方仕事です。
ひとつひとつ取り除くのですから。
私の考案したレッスンはもうかりません。
それでもよかったら、なるべく多くの人のためにコーチとして立って下さい。
【11777】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2007年 9月12日(水)16時32分44秒
こんにちは、ちえです。
月曜日は、夜遅くまでレッスンして頂き、ありがとうございました。
下の息子の寝かしつけに失敗してしまい、前半は、膝の上で邪魔されながら、
後半は、おんぶでのレッスンでした。。。が、意外にも、集中して、レッスンを
受ける事が出来ました。。。
が、根石さんには、息子のおもちゃで遊ぶ音、泣き声、おんぶしながらの私の発音
等、聞き取りにくかったと思います。大変失礼しましたm(_ _)m
久々のレッスンで、私自身、練習をさぼっていた割には、なかなか出来てるかな??
なんて、勝手に思っていましたが、やはり、根石さんにはばれていたようですね。。。
「舌が固まりかけていますね」の一言に、反省致しました。
こんな私ですが、これからもよろしくご指導下さい。
【11778】
電話レッスン2回目 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年 9月12日(水)21時46分31秒
吉さんへ・・ 昨日は丁寧な説明をありがとうございました。とても勉強になります。
昨夜のレッスン・・・理解しにくい文章・いいにくいところは意識しながらゆっくり言ったほうが良いんだということ気づかされました。英語の言葉と、自分の
うちにあるイメージが一体になって初めて、自分の中に英語がしみこんでいくというのが体感として少しですがわかりました。同じ文章をまだまだ読み込む必要
があることも体感しました。
また次回もよろしくお願いします。
【11779】
兵庫のMさんレッスン2回目 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月12日(水)22時44分24秒
昨夜のレッスンでは、下記の説明をいたしました。
あいうえおフォニックスの説明
回転書き
切断読み
あいうえおフォニックスは、根石さんのレッスンのある意味、
「企業秘密」みたいなものだと(私は)考えております。
私のホームページで公開しようかと思っていましたが、その理由で実際にはやっておりません。
いつまでも「近日公開予定」のままでございます(笑)。(今思い出しました。)
「回転書き」が結構効き目あると私は感じております。
イメージの動きをゆっくりと意識できるのがポイントだと思っております。
> 理解しにくい文章・いいにくいところは意識しながらゆっくり言ったほうが
> 良いんだということ気づかされました。
> 英語の言葉と、自分のうちにあるイメージが一体になって初めて、
> 自分の中に英語がしみこんでいくというのが体感として少しですがわかりました。
音とイメージの合成は、学習者が自分でやらないといけないのだと思います。
コーチができるのは「音を持たせるお手伝い」でございます。
(根石さんは「土方仕事」とおっしゃっていますが、、、。)
文法や単語のイメージに関する質問にも、
この掲示板などを通じてヒントや答えでお答えします。
でも、音とイメージの「合成」は、兵庫のMさんご自身にしかできない作業なのでございます。
その合成の過程が楽しいと(私は)思うのですが、どうでしょう?
次回も宜しくお願いいたします。
【11780】
素読舎の宣伝 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月15日(土)00時29分57秒
英語塾「素読舎」の根石吉久さんのお手伝いをさせていただく事になりました。
素読舎の英語コーチの仲間入りをさせて頂きました。(2007年9月より)
根石さんのレッスン枠が手一杯になった時、生徒さんを私が一時預かり指導いたします。
根石さんのレッスンに空席ができたら、根石さんに生徒さんをお返しするというやり方です。
根石さんの理論と方法を、可能な限り再現できるように日々努力する事を誓います。
電話レッスン
・根石吉久さんの自作テキストで進めていきます。このテキストが凄いのです。
・中級以上のレベルをお持ちの方もこのテキストから始める事をお薦めいたします。
・英検1級レベルの方、英語教師の方には、
もっと噛み応えのある岡倉天心の「茶の本」で指導いたします。
素読舎の英語レッスン
週1回 30分 x4 (12,000円 / 月)
このレッスン料金は素読舎で設定されているものです。
割高と感じる方もいらっしゃるかと思います。
それを打ち破るために、私から以下の提案をしております。
#1.無料レッスン
正規のレッスンとは別枠で週に一度15分から30分の無料指導を私がいたします。
根石さんの教材を使ってレッスン範囲を復習をするのでもかまいません。
別のテキストを使ってもかまいません。
無料レッスンの指導法も、根石吉久さんの理論と方法に沿っておこないます。
(自分の勉強になりますので、可能なかぎり引き受けます。
生徒さんが増えちゃって時間が取れなくなったら大変ですが、
公言してもなかなか応募がないので、たぶん大丈夫です!)
#2. スカイプを使ってご友人と同時にレッスンを受ける事が可能です。
二人同時に受講した場合は、月謝を二人で割る事が可能です。
家庭電話機の子機などを使ってコーチとの三者通話が可能なら、
「ご夫婦」や「母親と子供」のペアなどで受ける事も可能です。
#3. 半額でなら指導を受けてみたいが、
一緒に受講してくれるパートナーが見つからないという方、
ご相談ください。 パートナーをお探しいたします。
<< 中学生のお子様をお持ちの保護者の方へ お願い >>
中学生の生徒さんに、英語をベースとした「語学」の指導を (私に)させてください。
自分のスキルアップが目的ですので、格安でやらせて頂きます。
スカイプを使って指導させて頂きたいと考えております。
とりあえずの募集は2名様のみ。 お一人様4000円でやらせて頂きます。
テキストは中学の教科書を使おうかと考えております。
最初は個別に指導いたしますが、
二人のレベルが安定してきた時点で同時に指導したいと考えております。
私の希望としましては、大学受験期くらいまで面倒をみたいと考えております。
スカイプを利用している場合(無料レッスンと中学生指導も含む)
根石吉久さんに(彼の時間が空いた時)、私のレッスンを聴講してもらい、
私の指導方法を確認してもらうこともあります。
予めご了承ください。
英語レッスンと書いてありますが、売っているのは「語学」です。
申し込み方法:
#1. 根石吉久さんに直接連絡
連絡先 090−4181−5912 (掲載許可取得済)
#2. 私にメールで申し込む
#3. 根石さんの運営する掲示板「大風呂敷」から呼びかける。
ちなみに掲示板での私のハンドルネームは「吉」です。
レッスンについて質問がありましたら「大風呂敷」に書き込んでください。
その他、英語の勉強方法などについて相談されるのも良いと思います。
【11781】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月16日(日)01時30分41秒
>前半は、膝の上で邪魔されながら、後半は、おんぶでのレッスンでした。。。が、意外にも、集中して、レッスンを受ける事が出来ました。。。
が、根石さんには、息子のおもちゃで遊ぶ音、泣き声、おんぶしながらの私の発音等、聞き取りにくかったと思います。大変失礼しましたm(_ _)m
下の子は息子さんでしたっけ? 私は、お子さんのぐずりを聞きながらレッスンするのは慣れていますので、気になさらずに。おんぶしたら、だんだん静かに
なって寝てくれたような感じでしたが、お母さんの英語の練習の声っていうのは、お子さんには子守歌になりますね。お母さんがいっしょうけんめい何かやって
るっていうのが、子供には安心なのかもしれませんね。
うちの塾は素読をやっているんですが、塾の空間では、子供は本当によく寝ます。わあわあという声の中でよく寝ます。
英語は日本語の磁場では本当にすぐに錆び付きます。
前にベトナム語がSVO系の言語だとお聞きしたように覚えていますが、多分、ベトナム語の中でよりもはるかにすみやかに錆び付きます。
じわじわと進めるので結構ですので、暇をみつけて練習をお願いします。
【11782】
兵庫のM さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月16日(日)01時42分28秒
>英語の言葉と、自分のうちにあるイメージが一体になって初めて、自分の中に英語がしみこんでいくというのが体感として少しですがわかりました。
これが肝心なことです。
イメージははっきりあるんだが、言語の物質面を軽視するために、イメージが具体的な言葉にならないということと、言語の物質面(音・文字)はものにして
るのに、それがイメージにならないということが両極端としてあります。日本語の磁場での英語では、そのどっちかにどうしても傾きがちになります。語学はそ
の中間を求め、獲得する行為だと思います。
【11783】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月16日(日)02時02分48秒
>あいうえおフォニックスは、根石さんのレッスンのある意味、
「企業秘密」みたいなものだと(私は)考えております。
私のホームページで公開しようかと思っていましたが、その理由で実際にはやっておりません。
「あいうえおフォニクス」は、私のオリジナルな考案ではありますが、企業秘密ではありません。いつ改訂して最新版にしたのか忘れてしまいましたが、いつ
でも引用して新しく公開していただいて構いません。すでに私が、不特定多数の人に向けて公開しているのですから、企業秘密になりえないと思います。
吉さんのホームページに載せていただけるなら光栄です。
ついでにコメント(批評)も書いていただけるとうれしく思います。
>「回転書き」が結構効き目あると私は感じております。
イメージの動きをゆっくりと意識できるのがポイントだと思っております。
そうなんです。が、日本の英語の現状の中では、口を酸っぱくして「回転読み」のことを言い続けてきました。「回転読み」なくして、「回転書き」は無意味
ですので。
>音とイメージの合成は、学習者が自分でやらないといけないのだと思います。
学習者が自分でやるしかないことというのは、絶対にあります。コーチがやれることは、そのための邪魔を取り除くことです。その作業の最大のものが「音づ
くり」です。平均して、「音づくり」は2年3年かかる作業です。「あいうえおフォニックス」は、知識としては微量なものですが、これが体に根付くには、
コーチの土方仕事と学習者が音とイメージを合体させる作業とが両方とも必要です。
【11784】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月16日(日)02時12分14秒
>・英検1級レベルの方、英語教師の方には、もっと噛み応えのある岡倉天心の「茶の本」で指導いたします。
うん、これいいですね。
SBさんが、離れてしまったので、私も「茶の本」から離れてしまいました。今は、村田君と 「Rogue
State」という別の本を読むのを始めました。
吉さんが「茶の本」を私より読んであるのをだいぶ前に知りましたので、上級者がレッスンを申し込まれたら、吉さんにお願いするのがいいと思っています。
今後も続けて、吉さんにおいて、「茶の本」の読み込みをお願いします。
【11785】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月16日(日)02時35分28秒
>素読舎の英語レッスン
週1回 30分 x4 (12,000円 / 月)
このレッスン料金は素読舎で設定されているものです。
割高と感じる方もいらっしゃるかと思います。
>#1.無料レッスン
正規のレッスンとは別枠で週に一度15分から30分の無料指導を私がいたします。
素読舎において、語学を成立させる繊維を明らかにしてあるという意味で、私のレッスンの料金を他のものと比較してもらっても意味がありません。「駅前留
学」なんぞを宣伝文句にしていたところを始め、ほとんど95パーセント以上の英語機関が、「語学を成立させる繊維」が何なのかわかっていません。
日本の国家公務員で、アメリカで2年ほど仕事をなさった方が、アメリカ在住中に、「素読舎のレッスンは高くない」と言ってくださった記事が過去ログにあ
ります。(帰国後もレッスンを継続して下さっています。)
是非、これ以上の安売りはやらないでいただきたいと思います。そんなことを続けると体を壊します。
>スカイプを使って指導させて頂きたいと考えております。
とりあえずの募集は2名様のみ。 お一人様4000円でやらせて頂きます。
テキストは中学の教科書を使おうかと考えております。
やはり、お一人6000円をいただいて欲しいです。金額を下げるのはよくないです。コーチとして立つためによくないと思います。
私は今後も教材を作り続けますので、吉さんの方では、この掲示板でのアドバイス、ホームページの充実などやっていただきたく思います。その上で、同じ
レッスン代金でやって欲しいです。
>最初は個別に指導いたしますが、
二人のレベルが安定してきた時点で同時に指導したいと考えております。
私の希望としましては、大学受験期くらいまで面倒をみたいと考えております。
中学の間は、中学の教科書を使うのに賛成です。
生徒によりますが、中学の間にみっちりやってあれば、高校1年から「イメージ核受肉教材(「ゴースト」の文法解析)を使ってやれます。
>英語レッスンと書いてありますが、売っているのは「語学」です。
ここでおっしゃりたいことがわかりませんでした。
私が売っているとしたら、土方仕事の労力と、語学に対する認識(語学論)でしょうか。労力は確かに売っている自覚がありますが、語学論は売れないです
ね。英語関係の出版社は寝ぼけているとしか思えません。日本の英語を駄目にしているのに出版社も一翼を担っています。
語学そのものは絶対にというか、原理的に、売れません。それはあらゆる人の「私」において勝手にやることであり、つまり、私において、生徒において、勝
手にやることであり、一切無料です。金は関係のないことです。
以上を叩き台にして、一緒に練ってくれませんか。
【11786】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月16日(日)07時42分9秒
根石さん
吉でございます。
他の商品と価格面で比べてしまった事をお許しください。
ですが、、友人達を誘っても、その素晴らしさを説明しても、
価格面でしり込みされてしまうという現実もありました。
そういう私もレッスンに踏み込むのに時間がかかりました。
自分がある程度英語を使えるという理由もありましたし、
価格面という理由もありました。
家内が半年限定という条件を飲んでくれて良かったです。
(アレ? もう半年以上経っていますね、、、笑)
根石さんの実際の指導と理論に触れると納得できる事もありますが、
知らない人は「英語のお勉強」と聞くと
駅前英会話スクールなどの価格などをイメージすると思います。
一人でも多くの人に根石さんの考え方を知ってもらいたい、、
その気持ちが私のHPであれらの記事を書かせております。
ですが 安売りはいたしません。 お約束いたします。
> 日本の国家公務員で、アメリカで2年ほど仕事をなさった方が、
> アメリカ在住中に、「素読舎のレッスンは高くない」と言ってくださった記事が過去ログにあります。
> (帰国後もレッスンを継続して下さっています。)
> 是非、これ以上の安売りはやらないでいただきたいと思います。そんなことを続けると体を壊します。
わかります。 そして、よく分かりました。 安売りはいたしません。
ですが、、以前の根石さんのチラシにも「スパーリングパートナー」という事で、
私の「手合わせ」は公開されております。
「日本人の英語を作る」という目的のためにも、
「素読舎生限定」という事で、
可能な限り「パートナーの募集」は呼びかけていきたいと思います。
これは自分の指導力を引き上げる自分への投資とも考えております。
>スカイプを使って指導させて頂きたいと考えております。
>テキストは中学の教科書を使おうかと考えております。
>> やはり、お一人6000円をいただいて欲しいです。
わかりました。 中学生を指導した事がないので、自分のスキル不足を差し引いた値段でした。
私には指導経験が圧倒的に不足しているのです。
あと、、こちらから「やらせて頂きたい」というお願いの意味もありました。
が、、、語学において 初心者を指導するのも 1級保持者を指導するのも変わりはありませんね。
一人6000円で募集いたします。
二人のレベルが上がったら、その時は、核受肉を使わせてください。
> 吉さんの方では、この掲示板でのアドバイス、ホームページの充実などやっていただきたく思います。
> その上で、同じレッスン代金でやって欲しいです。
わかりました。 ですが基本は根石さんでございます。
現在 兵庫のMさんをお預かりしていますが、
根石さんに空きがでれば本来は根石さんにお返しする生徒さんでございます。
私としては根石さんの理論と実際の方法に触れてくれる人が、
一人でも多く増えてくれる事が嬉しいのです。
> 中学の間は、中学の教科書を使うのに賛成です。
> 生徒によりますが、中学の間にみっちりやってあれば、
> 高校1年から「イメージ核受肉教材(「ゴースト」の文法解析)を使ってやれます。
僕もこれは考えました。
1年から核受肉でもできるんじゃないかとも考えました。
でもちょっと無理ですね。 高校からはゴーストで良いと思います。
生徒さんによっては中3からでも良いかもしれませんね。
>英語レッスンと書いてありますが、売っているのは「語学」です。
>> ここでおっしゃりたいことがわかりませんでした。
私は今までずっと「英語」を勉強してきました。
で、、随分前にレッスンの時、「こんなに英語が面白いと思いませんでした」と私が言ったら、、
根石さんが 「それは、、語学がおもしろい って事じゃないんですか?」 と言いました。
覚えていますでしょうか?
私はあの時に根石さんが言った言葉が忘れられません。
自分は英語をやっているつもりだったですが、
この時に「語学をやっている」と意識させれたのです。
それからずっと「語学」について考えておりました。
この一言が僕にHPの「語学論」を書かせたのかもしれません。
「英語をやる」 「英会話をやる」 と、
英語を学ぶためにスクールへ通っている人達が沢山おります。
ですが、、、机上でやるけっこう地味な英語がとても大切なのだと
素読舎に出会って 改めて思い知らされました。
で、、、英語が楽しいのじゃない、、語学が楽しいのだと言いたかったのだと思います。
>私が売っているとしたら、語学に対する認識(語学論)でしょうか。
まさにその通りでございます。
> それはあらゆる人の「私」において勝手にやることであり、つまり、私において、
> 生徒において、勝手にやることであり、一切無料です。 金は関係のないことです。
ここで根石さんが語られているのは、『主体性』ですね。
糸山先生に気づかせてもらった
私の中でもっとも重要なキーワードの一つでございます。
与えられたものをこなすだけの学校の宿題をこなすだけのような「受身」ではなく、
主体的にやる「音とイメージの合成」の事だと思います。
自ら獲得しにいく「イメージ核の獲得」の事を語られているのだと思います。
そうですね、、。 しかし、、根石さんが先日書いた NHKラジオ講座の話にもありましたが、
NHKラジオ講座をやっている人達も 「これをやっていれば大丈夫だろう」と主体的に
取り組んでいるのだと思います。 主体的にやっても「正しい方法」というものがあると思うのです。
根石さんの語学理論のエッセンスがレッスンの中に織り込まれております。
「やり方」に 正しい方法というものもあると思うのです。
それは、語学に対する認識(語学論)の違いからくるものでございますが、
こればかりは根石さんの実際のレッスンとテキストに触れてみないとわかりません。
「英語を勉強する」という意識から「語学をやっている」という認識への変化が必要なのだ思います。
>英語レッスンと書いてありますが、売っているのは「語学」です。
そういう気持ちが最後の文句を書かせました。
素読舎で見つけたのは「語学」でしたから、、、。
最後に話は変わりますが、
根石さん主体の「茶の本」というつもりだったのですが、
私でも良いですか?
これを「やりたい」という人が現われたら逆に驚きですが、、
これはシッカリ読み込んでおります。
【11790】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月18日(火)02時31分35秒
>ですが、、友人達を誘っても、その素晴らしさを説明しても、
価格面でしり込みされてしまうという現実もありました。
私のレッスンは、私にとって実にきついもので、少し生徒が増えると「これ以上見れない」となりますし、少し生徒が減ると「これじゃ生活が成り立たない」
になります。ぶっちゃけたことを言いますと、現在は月額20万円程度の収入です。現在空き枠が二つありますが、この程度が体にも無理がなく、ぎりぎりやっ
ていけるかなという線です。我が家では、この20万円と、1万5千円の家賃(庭先の雑貨屋の家賃)が、現金収入のすべてです。これで、大人3人と孫一人が
暮らしています。家賃を払わなくてよくなった(自宅を自作した)ことと、冬の暖房など、金を使わず体力を使う(薪ストーブの薪を作る)こと、食べるものを
自分で作ること(まだ米を作れていませんが、今年から麦を作ります)などで、なんとかしのいでいます。
月額1万2千円が、他と比較して高すぎると思う人には、絶対にレッスンを受けてもらいたくない。私はかつて本にも書き、ホームページにも書き、掲示板に
もこうして語学に関する考えをさらしています。それでもわからない人には、何をどうしてもわかってもらえることはないのです。そういう人は語学論を馬鹿に
して、スキルだけ信仰していてもらえばいい。私はそれだけはよくわかったのです。
生徒が減るのは困りますが、増えすぎても困ります。私の方法を理解してくれる人がそれほど多いはずはないのです。それでいいと思っています。
「価格」という言葉を使われています。私は一度もその言葉で自分のレッスンのことを考えたことがないのですが、その言葉で考えてみます。
私のやっている畑では、ここ20年以上一滴の農薬も、一粒の化学肥料も使っていません。今後、この畑から穫れるものを販売する予定もありますが、例えば
西友で売っているような野菜と(比較する気にもなりませんが)あえて比較するなら、「絶対に西友と同じ価格で売る気はない」という考えが、私においてただ
ちに成り立ちます。野菜の味がしない野菜と、ちゃんと野菜の味がする野菜を同じ価格で売るのは、「絶対に」いやです。私が作る野菜が西友の野菜と同じ価格
であって当然だと思う人には、西友の野菜を食べ続けてもらえばいいのです。厚生省を信じてもらって、農薬基準を信じてもらえばいいのです。私は両方とも信
じていないから、自分の野菜を作り続けます。
私が作る野菜と西友で売っている野菜は明らかに違いますが、しかし、絶対的に正当な価格というものは存在しません。英語のレッスンでも同じです。素読舎
のレッスンが月額1万2千円であることの根拠というものは、素読舎のレッスン自体の質にはないのです。月額2千円だと考えれば、そんなもんかなとも思う
し、月額2万円だと考えれば、やはりそんなもんかなとも思うのです。私の家族の生活が成り立つか成り立たないかとか、NOVAがいくらであるかとかという
ことをきれいに捨象してしまえば、月額50円でも50万円でも、私は別に驚きません。
ですから、他との比較によって私もそれを決めています。そのときどう考えるかですが、日本に行けば英語を教えるだけで楽に金になると聞いて日本にきたア
メリカ人より「絶対に安くはやらない」というふうに考えます。語学の何たるかを心得ないアメリカ人よりも安くレッスンをする気は毛頭ありません。私は語学
について考え続けてきましたし、その考えをさらして、娑婆から批評も受けてきました。日本語を日常言語とする人にとっての最良の教材はどんなものかと考え
続け、考えの及ぶ限りにおいて最良のものと自分が考えるものを作り続けてきました。そんなことをしてきて、日本に自分の英語を持ち込めば楽に金になると考
えたアメリカ人の個人レッスンより安くレッスンするなどという屈辱を自分からすすんでなめる気は私にまるでありません。
このあたりに関して、世の中の英語好きは本当に馬鹿ばっかしです。それと同程度のアメリカ人より安くレッスンするくらいなら、英語などすっかり放り出し
て、レッスンも放り出して、語学論も放り出して、いっさい言語などと関わることをやめようと思っています。本当に馬鹿らしいのです。この日本という国で、
まともに語学と関わることは実に実に馬鹿らしいことです。語学論など成立しようがしまいが、連中にとってはどうでもいいのです。語学論が何を決定するかが
わかる人はほとんどいません。
内田百間(「百間」はヒャッケンの俳号で、文章家のヒャッケンは百「間」の「間」の門構えの中の「日」が「月」です)の本には、日本でまともに語学に関
わることが馬鹿らしいことは全然書いてありませんが、語学教師をやりながら、自分が生まれ育った期間に作られた自然な感覚を維持しようとしたら、借金で火
の車になることはよく書かれています。いろんな本に書いていますが、「大貧帳」(内田百間集成5・ちくま文庫)あたりをお読みになられることをおすすめし
ます。
日本では英語がもてはやされていますが、語学(論)は本当に馬鹿にされているのです。
もっと書きたいのですが、今日は体力がありませんので、後日。
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月18日(火)23時08分23秒
> 私のやっている畑では、ここ20年以上一滴の農薬も、一粒の化学肥料も使っていません。今後、この畑から穫れるものを販売する予定もありますが、例え
ば西友で売っているような野菜と(比較する気にもなりませんが)あえて比較するなら、「絶対に西友と同じ価格で売る気はない」という考えが、私においてた
だちに成り立ちます。野菜の味がしない野菜と、ちゃんと野菜の味がする野菜を同じ価格で売るのは、「絶対に」いやです。
ここを読んで「やはり」と思った事があります。
私もテキストを自作してみないといけないなと前から感じておりました。
素読舎のコーチを名乗るのに、、どうしてもここは外せないのだと思います。
それをやらないと、実際に土をいじったことのない八百屋の店員と同じなのだと考え
ます。 「土方仕事」とありますが、自分の音作りの質の確保に加えて、このテキス
ト作りも「土方仕事」の一部なのだと思います。
根石さんは、私に「私のHPの充実や宣伝」をと言ってくれましたが、
どうしても獲得するべき語学のエッセンスがテキスト作りにあるのだと感じておりました。
ゆっくりやらせてください。
せめてチャップリンの演説の文法解析だけでも終わらせたい。
できましたら、根石さんのイメージ核受肉にある文法解析も
ベースに使わせて頂くことをお許しください。
なんちゃって「テキスト」でもとりあえず「やってみる」で、
見えてくる世界もあると思うのです。
本物を一度口にしたら違いがわかるのに〜と感じる事もあります。
どんなに美味い野菜でも「味見」をしてもらわないと、
どうしても「良さ」が伝わらない事もあると思います。
「味見させないで良さをわかってもらう」「味見させずに売る」っていう、、
ここが難しいところでございますね。
本当に美味いのか信じて買うしかないのでございますね。
そういう意味で、、きっかけになればと、、
私の「スパーリングパートナー」は、販売促進用の「オマケ」
みたいなつもりで書いたのでございます。
わざわざ「無料」とも書いたのです、、。
この事は根石さんもチラシで使ってくれました。
私はその程度で生徒さん獲得のお役に立てるならと思いました。
ですが、、根石さんの書き込みを読んで、宣伝に書くことは辞めにいたします。
そもそも、、この「スパーリングパートナー」は僕が考えたものですが、
「パートナーを使った練習」は、最初から素読舎の塾生さん全員のものであります。
塾生さん同士で活動が盛んになってくれれば一番ベストなわけでございます。
その時はコーチが口を出さなくても良い世界だと思っています。
スパーリングパートナーは、素読舎の仲間に(私が)今後も呼びかけていきますが、
あえてそれを宣伝文句に入れる事はやめました。
> 日本に自分の英語を持ち込めば楽に金になると考えたアメリカ人の個人レッスンより
安くレッスンするなどという屈辱を自分からすすんでなめる気は私にまるでありません。
ここを読んで、、ああ、と納得いきました。
中学生を指導するのに提示した自分の時給と彼らが取ると予想される時給を考えました。
僕の場合は中学生の指導経験を獲得したいと考えての特別価格のつもりだったのですが、
少なくとも「今の僕なら」彼らよりもずっと良いものを提供できると考えます。
指導経験などなくても「彼らにくらべたら」確実に良いものを提供できる気がいたします。
>「大貧帳」(内田百間集成5・ちくま文庫)あたりをお読みになられることをおすすめします。
図書の推薦ありがとうございます。
今読んでいる本がありますので、それが終わりましたが必ず、、。
素読舎の宣伝には、ありがちですが、
やはり「利用者の声」っていうのも有効活用させてもらおうかと考えてみました。
【11791】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)00時10分53秒
>私もテキストを自作してみないといけないなと前から感じておりました。
勤めながらこれをやると大変です。私は体力がないので、自分では勤めながらはまずできっこないと思っています。ひとまずは、吉さんの方で、先日もお願い
した通り、広報・宣伝活動をやっていただきたいと思っています。これなら、いつまでにこれをやってくれというような期限がありませんから、都合のつくとき
に少しずつやってもらうのでいいわけです。広報・宣伝とはいうものの、私が書いたものを媒介にして、自分なりの語学論を作っていってもらう作業にもなると
思っています。実は、これと同じことを村田君にも Naima さんにもお願いしたことがあります。
村田君は素読舎で自分の英語を練ること、私のスパーリングパートナー、手配り用チラシ文案作りなどやってもらっていますが、私同様、言葉が「がちがち」
になりがちで、実際の宣伝効果はあまりありません。この点で、吉さんには才能があります。言葉がやさしく浸透性があるのです。実際に最近私のところに問い
合わせてくれる人は、吉さんのホームページで素読舎を知ったという人が増えてきています。
吉さんの才能を、是非素読舎のためにお借りしたいと思います。
少しずつじわじわとやり、生徒さんが増えてきて、もしも吉さんが英語のコーチを主体にして生きて行こうと決断されるような日が来ましたら、教材づくりは
是非やって欲しいことです。「塾をやれるかどうかっていうのは、結局自分で教材を作れるかどうかってことだぜ」というようなことを、昔村田君に言ったこと
がありますが、今でもそう思っています。
ぼちぼちと進めるというのでいいと思います。ひとまずは、今やれることから手をつけるのがいいのではと考えました。
【11792】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)01時33分12秒
>「土方仕事」とありますが、自分の音作りの質の確保に加えて、このテキスト作りも「土方仕事」の一部なのだと思います。
英語関係では、教材作りが「土方仕事」の半分です。おっしゃる通りです。
レッスンでは、「自分の音作りの質の確保」ではなく、あくまでも「生徒における音づくりの確保」です。自分でいくら発音が上手でも、生徒の体にまともな
音を実現できなければ、宝の持ち腐れでしかありません。英語圏への留学を経験してある学校の英語の先生が増えているようですが、素読舎の生徒に聞いてみれ
ば、やはり宝の持ち腐れをやっている人が圧倒的に多いみたいです。
「自分の音作りの質の確保」は絶対に必要です。しかし、どの程度をやるべきなのかに関しては、こだわるべきポイントの数は少ないほどいいのだという考え
があります。(その考えに基づいて作ったのが、「あいうえおフォニックス」であり、「発音10のポイント」です。)ネイティヴ並みの音とかネイティヴと同
じ音とかいう幻想は私においてはばっさりと切って捨ててあります。聴き取りの上達に邪魔になるようなレベルの音では困るが、「ネイティヴと同じ」はたちの
悪い幻想でしかない。原理的に成り立ちっこないことをコーチが信じていたら、生徒にとって迷惑なだけです。日本語の音韻を口の筋肉の組織に獲得した後の日
本人は、そのことによって、英語ひとつしかしゃべらない(しゃべれない)英語ネイティヴの音と同じ音は出なくなります。「ネイティヴ並み」は「並み」の定
義次第ですが、「ネイティヴと同じ」は語学論から見れば、英語馬鹿を量産するたちの悪い幻想です。
こだわるべきポイントの数はせいぜい20くらいです。私は自分自身で、この20程度のポイントを外さずに音づくりをします。ネイティヴの複製音声はあく
までも「媒介物」であり、それを乳房としてぶらさがるべき「お手本」ではありません。ネイティヴ音を媒介にして、20程度のポイントを外さなければ、日本
人が発する英語の音としては上出来のものができます。
例として、ポイントの一つである「一瞬般若」で説明致しますが、私は「口の両端を斜め上にひっぱりあげる」と生徒さんに言います。この言い方は「どこを
どうする」でできています。「一瞬般若」というのは、一瞬般若の顔になってくれっていうことで、「どこをどうする」かというと、「口の両端を斜め上にひっ
ぱりあげる」のだと言います。
この言い方にいちゃもんをつけた人が過去にいて、そんなことを言わなくても、「私は蛙がつぶれたような音と言っているが生徒は音を作れるようになる」と
のことでした。この人は、結果オーライじゃないかと言ったわけです。「蛙がつぶれたような音」でも、生徒がある音素を異化し意識化するには役にたちます
が、やはりそんな言い方では駄目です。そんな言い方でも生徒が音を出せたのは、「蛙がつぶれたような」という言葉で「異化し意識化」することに加えて、そ
の音を実際にコーチが発音していたからです。「どこをどうする」がわかって出した音ではありません。コーチ自身も生徒も、「どこをどうする」ということが
わかって作った音ではないですから、英語ネイティヴと同じで、「どこをどうする」ことによって、その音の本質が獲得されるのかがちっとも言えていないし、
理解されてもいない。
そうすると、語学の才能はないが語学を必要としている人の役に立たないのです。語学の才能のある人に役にたつだけでは、コーチとしては三流です。専門分
野なり仕事の部門なりにおいてはまともな力があるが、「異言語の獲得はまるきし苦手でして」という人に異言語を獲得してもらうことができないならば、日本
の英語のコーチとして駄目なのだと思っています。語学が得意な人が語学の才能のある人を相手にコーチをしているだけなら、全国規模の英語熱という語学サー
クルの内側にいるだけのことです。実際に必要とされているものはそんな英語ではありません。「蛙がつぶれたような」じゃ駄目で、「口の両端を斜め上にひっ
ぱりあげる」でなければ駄目なのだというのはそういうことです。
で、どういうことになるかというと、私自身は英語が下手です。私はよく「俺よりも生徒の方が発音がいい」と言いますが、そうすると多くの人が笑います。
「俺よりも生徒の方が発音がいい」は掛け値なしで、私は何も自分を卑下していません。事実です。
逆説めきますが、生徒よりも下手なコーチだから、(「あいうえおフォニックス」や「発音10のポイント」が指示する範囲に自分自身がとどまるから、)生
徒の音を大きく変えることができるのです。私は下手ですが、音に鈍感なわけではなく、生徒の音を聞くと「どこをどうする」のかはただちに言えます。下手に
とどまり、「音を音としてとどめる」から、それが言えます。すぐに上手になる人は、逆にそれが言えないのです。音を音としてとどめなければいけないところ
で、すぐに「音を声にしてしまう」から、意識において「どこをどうする」という項目が成立しません。音をすぐに声にしていい場所は、まさに英語の「磁場」
です。英語「磁場」ではそれでいいでしょうが、日本語の「磁場」では駄目です。特にコーチにおいて、それでは駄目です。
自分だけ発音がよくて、生徒の音を変えられない「磁場」帰りの人というのはそういうところが認識できていない人たちです。このところに留意していただく
ことを吉さんにもお願いする必要があると思っています。
村田君にも言いましたが、「あいうえおフォニックス」や「発音10のポイント」の記述を練ることは一緒にやってもらいたいが、それぞれの時点でできた最
良の記述は「その通り」に使ってもらいたいと思っています。
現時点でできている「口の両端を斜め上にひっぱりあげる」なら、これをその通りに生徒さんに伝えていただきたいと思っています。
いや、そんな言い方でなくて、こう言った方がずっとよく生徒にわかるというのがありましたら、(その方が音の本質がつかまえやすいとうのがありました
ら、)、一切遠慮なく提言をお願いします。人様が関心をもってくれないので、このところ、「あいうえおフォニックス」や「発音10のポイント」を練ること
を放置してありますが、本当は練り続けなければいけないものだと思っています。村田君も加わって、一緒に練っていただければさいわいです。
先日書きましたが、何の企業秘密でもありません。私の方法は開かれているものだと思っています。土方仕事は、その日その時の労働として閉じがちですが、
方法自体は開かれています。
【11793】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)01時48分31秒
>せめてチャップリンの演説の文法解析だけでも終わらせたい。
私が今やっている教材づくりで、10万行くらいまで終わらせたら、チャップリンの映画の演説をやってみてくれませんか。その間、私は休むことができま
す。その後でまた、私が「7年目の浮気」の解析をやります。
手慣れたエディタを一つ持つことをお奨めします。私はWZエディタというのを使っています。
【11794】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)01時59分29秒
>本物を一度口にしたら違いがわかるのに〜と感じる事もあります。
どんなに美味い野菜でも「味見」をしてもらわないと、
どうしても「良さ」が伝わらない事もあると思います。
「味見させないで良さをわかってもらう」「味見させずに売る」っていう、、
ここが難しいところでございますね。
それは「お試し期間」でいいと思います。試してみてレッスンを開始した人に対して無料レッスンは不要だと思います。もしありうるなら、上達してもらっ
て、村田君、吉さん、私でいずれ形成するスパーリングに参加してもらえばいい、と。
生徒さんが上達するのは、生徒さんの自分においてやってもらいます。
繰り返すことになりますが、私どもがやれるのは、「邪魔を取り除く」という作業です。
>本当に美味いのか信じて買うしかないのでございますね。
そう決めてしまうこともありません。
無料で「お試し」をやってもらうことは構いません。「試食」は結構なのです。試食して買っていただいたお客さんを追いかけていって、やたらおまけをつけ
ることを常態にしたら、こちらが倒れてしまいますぜと言いたかっただけです。
私自身は、ごみ問題で、ちょっときついところにいるので、「お試し」を迎え入れる余力がありませんが、吉さんがやってくださるなら是非お願いしたいと思
います。
レッスン開始以前の人と開始以後の人を混同してしまうとまずいと思っています。生徒さんが自分でやるべきことにこちらが介入してしまうのはまずいので
す。
【11795】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)02時09分15秒
>この事は根石さんもチラシで使ってくれました。
私はその程度で生徒さん獲得のお役に立てるならと思いました。
ありがとうございます。
現在の生徒さんに向けてでなく、新しく素読舎の方法に関心を持ってくれるかもしれない不特定多数の方々に向けてやっていただけるなら、私も語学論を書き続
けていく力がもらえます。よろしくお願いいたします。
【11796】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)02時14分6秒
>塾生さん同士で活動が盛んになってくれれば一番ベストなわけでございます。
それが成立するためには、現在の生徒さんがコーチをやれるようになることが必要になると思います。
ですから、ひとまず、村田君、吉さん、私とで何かその祖形になるものを作ることから始めるのがいいかと思います。
「Rogue
State」は継続していきますが、吉さんの方で曜日の都合が合わないとのことでしたので、吉さんは吉さんで「茶の本」を継続して下さい。
いずれどちらかに合流できる日が来ることを願っています。
【11797】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)02時24分37秒
>僕の場合は中学生の指導経験を獲得したいと考えての特別価格のつもりだったのですが、
少なくとも「今の僕なら」彼らよりもずっと良いものを提供できると考えます。
指導経験などなくても「彼らにくらべたら」確実に良いものを提供できる気がいたします。
その通りです。
必要なのは「語学論」です。
「語学論」がなかったら、磁場帰りの人も、コーチとしてそのまま立ってもらうわけにはいかないと思います。
【11798】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月19日(水)02時35分18秒
>今読んでいる本がありますので、それが終わりましたら必ず、、。
百間は面白いですよ。むかむかするところもあるのですが、読んでいるとこの人の心の良さが剥き出しになるところがあって、霧が晴れるようにさっぱりしま
す。
>素読舎の宣伝には、ありがちですが、
やはり「利用者の声」っていうのも有効活用させてもらおうかと考えてみました。
賛成です。
これまでに掲示板に掲載されたものをまとめるだけでも、一定の力になると思います。
村田君にもこれを頼んだことがありますが、彼は彼で忙しく、まとまったものはまだありません。
いくこがやってくれればいいとも思いましたが、彼女には素読舎に貢献しようという気はなく、自分がとれるものをとるだけだということが彼女の口から出ま
したので、クビにしました。
いくこに英語力がないことによって、生徒の側に生じる混乱を防ぐために、ある種の教材を作ることを女房がいくこに依頼しました。そしたら、「金を出す気
があるのか」といくこが言いました。
いくこが英語力がないことによって生徒がこうむる迷惑を防ぐために、素読舎がいくこに金を払う?
あいた口がふさがらないという思いを久しぶりに味わうことができ、有り難くはないが、久しぶりの味わいでした。
この人の心の悪さが剥き出しになるところがあって、実に私がどんよりといたしましたでございます。
数ヶ月以上も前のことです。
【11800】
語数別幼児用テキスト 投稿者:村田 投稿日:2007年 9月19日(水)06時52分54秒
語数別幼児用テキスト(評価版)をアップロードしました。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/youjitext.html
みなさまに検討していただけたら幸いです。
根石さん、昨夜電話いただいたみたいですけど、医者からもらった薬がえらく効いていて、寝ていました。またお電話します。
吉さん、読書についての記事、のせますよ。過去ログのまとめ作業、頭(最初)の方と最近の方、両方からまとめようとしています。
レスすべきことがたくさんあるのですが、今日は頭いたくて全然かけません。
【11801】
3回目の電話レッスン 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年 9月19日(水)08時25分0秒
昨夜は3回目のレッスンでした。
発音しにくいところが結構あったのですが、中でも...all this....
のlとthが続くと非常に発音しにくかったところ、吉さんの的確な説明によって、ずいぶんいいやすくなりました。大きく口を開ける音はまだまだ練習が必要
ということも分かりました。
また、知らない表現を知ることが出来るのは楽しいですね。
来週もよろしくお願いします。
根石さんへ・・私は小さな畑で野菜作りを始めたのですが、安全なものを作るのは本当に大変なのが分かりました。家庭菜園では無農薬は出来ますが、肥料は買
わずに作るのは膨大な手間がかかると思いました。だから、スーパーと同じ価格で絶対に売る気はないというお気持ちがよく理解できます。
【11802】
兵庫のM さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月20日(木)11時27分40秒
>発音しにくいところが結構あったのですが、中でも...all this....
のlとthが続くと非常に発音しにくかったところ、吉さんの的確な説明によって、ずいぶんいいやすくなりました。
こういうふうに具体的に書いていただけると有り難いです。l と th
が続く場合に、「どこをどうする」という説明があったのか書いていただければさらに有り難いです。この辺は、結構言葉数を費やして説明するところなので、
コーチ間で説明が統一されていないかもしれません。「定型」を作りたいので、ご協力をお願いします。「定型」を作っていく時に、吉さんは最良の相手だと
思っていますが、コーチ側の説明を生徒さんがどう受けとるのかというのがわかると、私どもの作業に非常に役に立ちます。
>大きく口を開ける音はまだまだ練習が必要ということも分かりました。
これは発音記号で [a] または [a;]
の音のことかと思いますが、他のア系列の母音との区別としては、「顎が下がる」というのがポイントになると思います。
この音は、どの国でも赤ん坊が上手に出していると思います。日本語の音韻組織には、この音ほど大きく顎が下がる音がないので、日本語で育つと顎の動きが
固まり、この音を出すための筋肉が退化します。その結果、日本人の大人にとっては結構出しにくい音になります。私も苦手です。
>根石さんへ・・私は小さな畑で野菜作りを始めたのですが、安全なものを作るのは本当に大変なのが分かりました。家庭菜園では無農薬は出来ますが、肥料は
買わずに作るのは膨大な手間がかかると思いました。だから、スーパーと同じ価格で絶対に売る気はないというお気持ちがよく理解できます。
奈良の川口由一さんが書いた「妙なる畑に立ちて」という本を読んで、私は長いこと自分がやってきたことと共通するものがあることを発見すると同時に、こ
んなに草を生やしておいてもいいんだ!という驚きがありました。川口さんの畑の写真を見たときは、あっけにとられたのです。
この本は有機農業をやってきた人たちに衝撃を与えた本だったということを、川口さんに共鳴する人たちが書いた「自然農への道」という別の本で知りまし
た。
川口さんは、無農薬はもちろんですが、無肥料でやります。「肥料」という考えは川口さんにはなくて、「おぎない」と言っています。使うのは、米糠が多い
ようです。
無農薬・無肥料ということよりもさらに根本のところに、不耕起というものがあります。これは「理念」としてとらえるのがいいと思っています。全面的にす
ぐに実現しないとしても、目指すべき方向としては川口由一でよいと考えて、私は自分の畑を眺めています。(例えば、ネギですが、私はまだ「土寄せ」をして
います。「草寄せ」で作れることは知っているので、いずれそちらに移行していくつもりです。)
始めたばかりでは、安全な有機物を「浅く」土に混ぜて(私は手で混ぜられる程度の深さでやっています)、土が「息が出来る」状態にしてやることがいいと
も考えています。
川口さんの「理念」の一つに「持ち出さない・持ち込まない」というのがありますが、私は河原の葦や萱を刈ってチップにし畑に持ち込んでいます。
化学的に作られた農薬が駄目なのは前提にしていいと思います。これを使ってしまうと、生物の相互作用のバランスが崩れ、害虫の天敵が住み着けない畑に
なってしまいますから。
有機農法だから安全だという考えが成り立たない時代になってしまいました。家畜糞などを発酵させて「肥料」を作っても、その家畜糞が(抗生物質その他の
薬剤で)汚染されていたらどうするんだ、という問題があります。標準的な畜産農家の人たちなら、畜糞にどれほど薬剤が混ざっているかを知っているはずで
す。材料が有機物でも、汚染された「有機肥料」というものが出回ってしまいます。ホームセンターなどで売っている「有機肥料」というものを私は疑っていま
す。
農作業のホームページを作りかけてあるのですが、時間が見つけられず、なかなか前に進みません。そのホームページから枝が生えて、農作業の掲示板ができ
たら、畑の状態など教えていただきたいと思いました。まだこちらの準備ができていませんので、ひとまずこの場所をお借りして川口さんの紹介などさせていた
だきました。
【11805】
NOVA約200校の閉鎖検討 投稿者:外野。 投稿日:2007年 9月20日(木)15時10分45秒
2007年9月20日(木)
--------------------------------------------------------------------------------
約200校の閉鎖検討 再編で経営再建目指す
英会話学校最大手NOVA(統括本部・大阪市)が9月末を中心に、全国で200校前後の閉鎖を検討していることが20日、分かった。NOVA関係者が明
らかにした。不採算校の閉鎖を軸にした事業再編で経営を立て直したい考えだが、テナント料の支払いが滞って立ち退かざるを得なくなった拠点も多い。対象は
約900校ある教室の2割を超えることになる。
NOVAは誇大広告などを理由に6月中旬、経済産業省から一部業務停止命令を受けた。企業イメージの悪化から、ピーク時には48万人といわれた受講生の
減少が続いており、経営再建の行方は未知数だ。
NOVAは「現時点で(200校前後の教室閉鎖という)機関決定はない。開示すべき事実が出てくれば適時報告する」としている。
(共同通信社)
【11807】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月20日(木)23時37分54秒
<<テキスト自作について>>
>
勤めながらこれをやると大変です。私は体力がないので、自分では勤めながらはまずできっこないと思っています。ひとまずは、吉さんの方で、先日もお願いし
た通り、広報・宣伝活動をやっていただきたいと思っています。これなら、いつまでにこれをやってくれというような期限がありませんから、都合のつくときに
少しずつやってもらうのでいいわけです。
ありがとうございます。 (自分の勉強になるので)個人用として自分のペースでやらせてください。 私のホームページもじっくりと育てていきます。
<<お試しレッスンについて>>
> 無料で「お試し」をやってもらうことは構いません。「試食」は結構なのです。
これもまかせてください!!
何行目位(何週くらい)までなら核受肉を使っても良いとお考えですか?
どの位まで根石さんのメソッドを見せて良いか教えてください。
600行位まではOKですか? それとも1回のお試しレッスンのみですか?
考えをお聞かせください。
<<手合わせにかんして>>
> いずれどちらかに合流できる日が来ることを願っています。
ローグステイツ・・これに関しては本当にゴメンなさい。
月曜から金曜まで、私は(家族に)好き勝手やらせてもらっています。
今夜も仕事が終わった後、セミナーを聞いてきました。
明日も講義を聴きに行きます。 土曜と日曜は朝5時に起きて自分の「やるべきこと」をすまし、週末の朝7時以降は、、全力で一日中子供達の相手をいたしま
す。 (普段相手をしてませんので、、)
すると、、夜の本の読み聞かせを子供達にしている時に疲れて寝てしまうのです。
夜に何度かアラームを設定して起きようとしたのですが、知らない間にアラームを消しておりました。 「参加する!」とか言っておいてすみません、、。
糸山先生の「どんぐり倶楽部」の勉強もやってますので、目いっぱいでございます。
「茶の本」は、今は復習を基本にやっています。 先を急ぎすぎました。
ゆっくりやらせてください。
<<私の文章について>>
>> この点で、吉さんには才能があります。 言葉がやさしく浸透性があるのです。
こう書いていただいてとても嬉しいのですが、、私としては根石さんのような文章が書けるようになりたいのでございます。
自分に才能があったと思った事など一度もありません。だからメチャクチャ嬉しいでございます。
内容は基本的に根石さんのパクリばかりです。 引用を許可してくださいまして、ありがとうございます。
<<発音の注意点などについて>>
> l と th が続く場合に、「どこをどうする」という説明があったのか書いていただければさらに有り難いです。
私がどのように生徒さんに伝えたかは兵庫のMさんが伝えてもらえると助かりますが、
(Mさん負担になっちゃったらゴメンなさい。)
基本的には発音10のポイントに書いてあった事をそのまま伝えただけでございます。
根石さんが家内に指導していたような舌の動きを伝えただけでございます。
以前僕の友人の1038君(スーパー初心者さん)にいろいろ伝えすぎてしまって、
ちょっと失敗しちゃったと感じた事がありました。
すべて発音10のポイント以内の範囲ですが、それでも伝えすぎると初心者さんは混乱してしまいますね。
以来、、注意しすぎないように意識する必要がありました。
レベルが上がってくるとアドバイスをこなせるようになるので、
(相手のレベルによりますが、) 最初から伝えすぎないのはポイントだと思います。
アクセントの位置と「「ア」の音」、、ここをはずせないポイントとして意識して、
以前根石さんから聞いたように「最初は枝振りを大きく整えていく」ように心がけます。
「ア」の音と、アクセントをつかんでおくだけでも、充分通用する音にかわっちゃうんですよね。 「あいうえおフォニックス」は、最強でございます。
これを他人に無料で指導するのは、(自分的に)ちょっともったいない気がするのでございますよ。(たとえ紙面でも、、)
たぶん、、、私は(自分で思っていた以上に)ケチな人間なのでございますね。
【11811】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月21日(金)01時22分21秒
>先日家に帰ると家内が辞書を片手にハリーポッターを読んでいたのです。
そこで私が、「えらいね、、英語やってんの?」と言ったら、
妻は「う〜ん、、これは読書だよ、、ここに出てくる知らない単語全部覚える気ないし」みたいな事を言いました。
この家内のコメントを聞いて、、根石さんの以前のコメントを思い出したのです。
彼女は語学としての英文の読み方と、プレジャーリーディングを、きちんとわけておりました。
いいですねえ。こういうノロケ方は。
語学でノロケることができるのだと証明しちゃって、ふふんだ、という感じ。
英語磁場で生活しちゃった人には、そんなことができるんだ。
ふふんだ。
【11814】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月22日(土)00時19分30秒
>英語磁場で生活しちゃった人には、そんなことができるんだ。
昨夜はろれつの回らぬことを申しまして失礼しました。
英語磁場で生活云々は関係のないことです。
「えらいね、、英語やってんの?」というような仲のいい夫婦がうらやましかっただけです。うちは、英語は喧嘩の種でした。私は若いころから、世間が英語
に関して持っている幻想に敵対していたので、世間が持つ幻想に敵対心のない妻と話が合わず、私の方が、「なに言ってやんでえ」となり、喧嘩になったもので
す。最近では夫婦の間で、英語の話はほとんどしません。金にならないのに語学論を作らなきゃならんと思いながら、同時に金を得ることもやらなきゃならず、
その二つを統一させる(現在作っているような教材を作る)こともできなかったので、私はよく支離滅裂なことを口ばしったのです。英語という言語は、我が家
に傷をもたらした言語です。
【11815】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月22日(土)00時57分6秒
>すべて発音10のポイント以内の範囲ですが、それでも伝えすぎると初心者さんは混乱してしまいますね。
以来、、注意しすぎないように意識する必要がありました。
「発音10のポイント」と「あいうえおフォニックス」は知識としてはごくわずかなものです。しかし、これを体現するとなると結構大変です。以前、柴田さ
んが書いておられましたが、「音づくり」は普通2年、3年かかります。吉さんの奥さんは、Naima
さんや吉さんと同じで、例外に属します。吉さんがコーチをやったので、例外になってしまったのだと思います。
「あいうえおフォニックス」は私が作ったと言ってもいいかもしれませんが、「発音10のポイント」は多くの人の協力を得て作った項目です。これらを知識
として公開しても、実際に語学をやる人が、これらを知識にとどめず体現するのは独学では結構難しい。その問題は残ってしまうのです。つまり、レッスンその
ものの必要性は減じることがないと思います。
【11816】
外野。さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月22日(土)01時10分30秒
NOVAに関する読売の記事を教えていただきありがとうございます。
法律的にどうなのかとかいう観点では、NOVAの犯罪は明らかにならないと思いました。
NOVAは語学的に犯罪を犯しています。
だから、あんなものを頼ろうとした人たちにも、私は怒りを持っています。
【11817】
根石さんへ 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年 9月22日(土)19時39分23秒
吉さんから受けた”all this”の発音の仕方の説明です。
確か...all 時の舌の位置は上の歯の裏につけていますが、thを発音する時その舌で上の歯の歯先を触りにいく。
これで、よかったでしょうか?
野菜作りに関してのことは、非常に興味深かったです。
私の周りの畑は、雑草もなくきれいに耕されています。きっと、わたしの草だらけの畑が気になるでしょうね。わたしは、ただめんどくさいだけなんです
が・・・
【11818】
兵庫のMさん 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月22日(土)20時59分40秒
兵庫のMさん、、ありがとうございます〜。
と、、根石さん宛てなのに横槍、<(_ _)>
ちょっと補足させてもらっちゃうと、、、
all を単体で扱うと舌は上の歯の歯茎の裏でおわります。
「all」+「 the」 で 「黙音」 の説明をさせてもらいました。
all を「オー」と言った後、舌は、次の単語thを発音する準備をしにくい。
歯の裏は触らないで、thは、舌で上の歯の歯先を触りにいく。
と、、こんな感じでお伝えしたんじゃなかったかな〜。
どうでしょう?
<< 余談 >>
thは、「歯先を触りに行く」ってところがポイントなんですね。
シンプルで分かりやすいと思います。
僕が学生の頃の解説書には、「上と下の歯で舌を軽く噛む」と書いてありましたが、
僕はこの説明ではダメでした。
個人的に獲得したのは、舌が上の歯の裏を触る動きで発音するthです。
上の歯先でも歯の裏でも同じ音は出せますが、最初は「歯先を触る」で良いと思います。
「歯の裏」と言っても歯先に近い裏ですから、、。
僕はthの出てくる位置(単語の中の位置だったり文章の中の位置だったり)によって、
歯先や歯裏を使い分けています。 あ、、もちろん無意識にです。
【11819】
兵庫のMさん、吉さん、村田君へ 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月24日(月)01時09分24秒
Mさん>吉さんから受けた”all this”の発音の仕方の説明です。
確か...all 時の舌の位置は上の歯の裏につけていますが、thを発音する時その舌で上の歯の歯先を触りにいく。
吉さん>all を「オー」と言った後、舌は、次の単語thを発音する準備をしにくい。歯の裏は触らないで、thは、舌で上の歯の歯先を触りにいく。
やはり、具体的に書いていただくと助かります。
all this の l音と
th音の処理で、lを上の歯の裏につけるかつけないかですが、つけた方が丁寧な発音になると思います。いったん舌を上の歯の裏につけて
l音を出し、わずか移動し、舌を上の歯先につけて、こすってひっこめながら th音を出すというのが丁寧な発音だと思います。
l の本来の「上の歯茎」ではなく、上の歯の裏になるのは、
thの音を出しやすくするための、代用的位置になります。舌が楽をしたいためにそうなるのです。この省力化ということが、あらゆる音と音のぶつかりあい
(舌の動かしにくさ)の場面で見られると思っています。
この場合、l音のために舌を上の歯の裏につけるとはいうものの、もう歯先に近いところを使うので、舌先を移動するというより、舌を歯の裏につけている力を
強めるだけで、舌は歯先に触ります。その人の正面から唇の開きの中を覗くと舌が見えている状態になります。th音は「くっついているものがこすれながら離
れる」音なので、その位置でも充分に th
の音が作れます。そうなると、th音を出しているところが、歯の裏の歯先に近い部分なのか歯先なのかあいまいになり(その両方に触れていたりして)、厳密
に区別しなくていいようなことになります。これが常態として繰り返されていると、吉さんが言うように「オー」と言ったあと、舌をそのまま th
の本来の位置(舌を上の歯先)に置いてしまうというやり方も成り立ちます。私の説明でも、吉さんと同じになります。
つまり、「オー」を言ったらそのまま舌を th の位置(舌の上の歯先)につけ、lを言ったつもりで「黙音」にし、そのまま th
を実際に発音するということになります。これだと、舌は上の歯の裏にまったく触らないことになります。
これがこれまでの私と吉さんの共通理解だったと思いますが、今日、考え直してみました。
吉さんは、th を、歯の裏で出すことと歯先を使うことを使いわけておられるとのことですが、これは that
の発音などで使いわけることかと思いました。
指示語の that (「あれ・それ・あの・その」を意味する that = 形容詞・名詞の that)では、that の a
が「一瞬般若」の音になり、接続詞・関係代名詞の that では、同じ a
が「狭く弱く曖昧なア」(発音記号で[逆さe]になります。「一瞬般若」のはっきりした音と相性がいいのは、th
を本来の位置で発音する「歯先」、「狭く弱く曖昧なア」と相性がいいのは、省力化された th の位置(歯の裏)ということになるのではないでしょうか。
この点、私の考えでいいのかどうか吉さんにお聞きします。
今日考え直したことというのは、「歯先に近い上の歯の裏」というのが、t,d,l,n と th
のぶつかりあいでは万能ではないかということでした。これまで「歯先に近い上の歯の裏」という言い方は「発音10のポイント」にはなかったと思いますが、
これが一番簡単な説明になるのではないかと思ったのです。
「歯先に近い上の歯の裏」という言い方をして、生徒さんが「歯の裏ではなく歯先」に舌が行きますと言われたら、「それでも構わないですよ」ということで
いけるのではないか、と。
これは t, d, l, n
についても同じようなことが言えて、「上の歯の歯茎」というより、日本人には「上の歯の歯茎と歯の境目」と言ったほうが、舌が触るべきポイントがわかりや
すくなるということがあります。
t, d, l, n のとき、舌が歯の裏に触ってはいけないかというと、触っても音が損なわれることはありません。そうして、th
も歯先に近い歯の裏でもよいとなると、t, d, l, n も th も、全部舌の先が歯の裏につく音というふうにひとくくりにできます。
t, d, l, n は歯の裏の上の方、th は歯の裏の下の方(歯先に近い方)というわずかな位置の違いになります。
いずれどこかで、丁寧な音を出すための「本来の位置」を言う必要があるだろうとは思いますが、歯の裏をどんどん使えば、これらの音はみんな出せると言う
のが、日本人には楽だと思います。本来の位置を後回しにしてしまうというやり方です。これじゃまずいでしょうか。
このあたりについて、吉さんと共通理解を再度練ってみたいと思いました。村田君も参加してくれるとありがたい。
【11822】
兵庫のMさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月25日(火)01時25分3秒
>野菜作りに関してのことは、非常に興味深かったです。
私の周りの畑は、雑草もなくきれいに耕されています。きっと、わたしの草だらけの畑が気になるでしょうね。わたしは、ただめんどくさいだけなんです
が・・・
話題が散らばって申し訳ないですが、農作業は今私が一番興味があることなので、ここで書かせていただきます。
草だらけの畑をやっておられるということで、非常にうれしく思いました。
耕されて草一本もないような畑を見ると、私はどうにもこれは不自然だと思ってしまいます。川口由一さんを知る前からそうでした。どうして人々が草のない
砂漠のような畑にしてしまうかと言うと、草の種(と草の繁殖力)を恐れているからです。そのために、文芸批評的に言うと、「他者を排除する」ことになるの
です。ああいう小さな砂漠のようなよく耕されて草一本もないような畑というのは、野生(雑草の繁殖力)を恐怖することによってできているのです。この恐怖
を川口さんはてもなく相対化してくれました。川口さんの本を読んでから、私がどれほど気軽に百姓をやれるようになったかははかりしれません。百姓が草一本
もないよく耕された畑にしてしまうのと、現今の「いじめ問題」とは根が一緒だと思います。根は「恐怖」なのです。いじめる側に(もしかしたらいじめられる
側にも)「他者」を受け入れることができないのです。ここで、問題は語学につながるのです。「語学」というのは、まさに「他者」を受け入れようとする行為
ですから・・・。
実際の農作業では、草は退治するのではなく、草の勢いを抑えることでいいと思います。作物に陽が当たらなくなってきたら、草を半分とか3分の1くらいに
刈り込んでやる。あるいは、背丈の低い作物のための風通しが悪いようなことになったら、草を根元から刈ってやるというような作業は必要です。川口さんのセ
オリーの一つに、草は「刈ってその場に置く」というのがあります。正しいと思っています。コンバインだ、合成化学物質の農業資材だ、農薬だ、化学肥料だと
近代科学による技術に振り回され続けてきた日本の農業が正気に戻るためには、一度は川口由一を咀嚼する必要があると思っています。川口さんの農作業は、つ
つましく正しく、自然への敬意を回復しています。私は川口さんと個人的にはまるで接触がありませんが、農の理念をきちんと言葉にできた人、自然との感応に
優れた人として、貴重な人だと考えています。
「持ち出さない・持ち込まない」に関しては、一度だけ、「だったら出来た作物も持ち出すな」と嫌みを書いたことがありますが・・・。しかし、私が読みが
浅かっただけのことだと、今になっては思っています。
農作業のホームページ作成を進行させる力をいただけますので、また農作業のことを書いていただけたらありがたく思います。
私は今日、ノコギリ鎌を使って畑の草の根を切り、ニンニクを埋めました。
ジャガイモのアンデスが芽を出し始めました。このジャガイモは、春の終わりと秋の終わりに二度穫れます。しかも、自分が作った芋がそのまま種芋になるよ
うです。いずれも草と共生させています。
草だらけの畑がいい畑なのです。社会の通念と異なりますが、通念の方が病気なのです。
【11823】
2回目のレッスンでした。 投稿者:ももこ 投稿日:2007年 9月25日(火)02時18分18秒
みなさまこんばんは。ももこです。
2回目のレッスンでした。
1回目のときはつっかえつっかえだったのですが、前回とくらべるとスムーズにできる部分が増えていました。うれしいです。
実は前回のレッスンのあと、「なんでつっかえてしまうんだろう」と自分で振り返ってみて、ゆっくり読みながら、言葉をカタマリで追っかけるようにしてみた
のが、もしかしたらよかったのかなぁと感じています。
あと今回は「走っているな」というのを感じる余裕がちょっとだけありました^^;
今回は「あいうえおフォニックス」を教えていただきました。
テキストで該当する単語が出てくるたびにひとりで「おぉ〜」と楽しんでいます。
レッスンの余韻を楽しみながら、今週1週間をすごそうと思います。ありがとうございました。
吉さんへ
Naimaさんは、コルトレーンの奥様のNaimaさんから来ていたのですね。なるほどです。
もう手元に楽器もなくて、だいぶ吹いていないのですが、また吹きたいなぁと思うことがあります。
レッスンの感想についてですが、もうすこししてから感じたことを書いてみようと思います。みなさんの感想といっしょに載せていただけるとのこと、うれしい
です、お誘いありがとうございます。
【11824】
根石さんへ 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年 9月25日(火)19時26分37秒
こんばんは!
川口由一さんの「妙なる畑に立ちて」を読んでみたいと思います。ゆっくりと、時間をかけて。
草を刈って、畑に置くことを、やってみます。たまに草を抜いて置いていましたが。
>草だらけの畑がいい畑なのです。社会の通念と異なりますが、通念の方が病気なのです。
なるほど、草だらけの畑がいいのですね。草を抜くのは常識だと思っていました。みなさんやってるので・・・。常識が常識でないんですね。興味深いです!ま
た一つ重要なことを学びました。
【11830】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月26日(水)22時53分27秒
t, d, l, n は歯の裏の上の方、
th は歯の裏の下の方(歯先に近い方) (← 結局歯先に触ってしまいます)
これでOKだと思います。 とりあえずの音というか、
十分使える音がだせると思います。
ここ二日、TH の発音を意識しながら読み込みをしていました。
意識したら自分本来のもっていた舌の動きがわからなくなりました(笑)。
これをやっている途中で中学の頃、
先生に発音指導された記憶がハッとよみがりました。
すっかり忘れておりました。
その時の英語教科担任は、次のように言いました。
『that は、ザット(zat) って発音するよりも、
ダae(t) (dat) で発音するほうが、ザットより綺麗な音がでるんだよ。』
すっかり忘れておりました。
それで僕が、授業中にふざけて(先生をからかうように)
「だっと いず あ ぺん」とか言って、
クラスメイトと笑いあった記憶も一緒に思い出しました。
【11832】
4回目の電話レッスン 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年 9月27日(木)18時50分47秒
こんばんは。お世話になります。
昨夜のレッスンでいいにくかった箇所は What'd the....でした。
d とthe
を続けていうときは、dのときは少し詰まった感じで発音しないで止めておき、言ったつもりで、少し間を置いて、theを発音するだったと思います。
吉さんへ・・・詳しい説明をよろしくお願いします。
説明を聞いた後は、いいやすかったです。
また、what'd =what did ということを初めて知りました。
いつも、的確なアドバイスありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。
【11833】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月28日(金)01時26分9秒
>1回目のときはつっかえつっかえだったのですが、前回とくらべるとスムーズにできる部分が増えていました。うれしいです。
吉さんの奥さんのレッスンの時がそうでしたが、ももこさんも一回のレッスンで大きな変化が生じました。「あいうえおフォニックス」の説明も、一度ですと
んと胸におちたように受け止めていただけたと感じています。
こういう方は、じきに私から注意することがなくなると思います。そうなると、けっこう退屈なインプットを継続することになります。そこからが辛抱のしど
ころになります。
>レッスンの感想についてですが、もうすこししてから感じたことを書いてみようと思います。みなさんの感想といっしょに載せていただけるとのこと、うれし
いです、お誘いありがとうございます。
私からもよろしくお願い致します。
【11834】
兵庫のMさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月28日(金)02時18分54秒
>川口由一さんの「妙なる畑に立ちて」を読んでみたいと思います。ゆっくりと、時間をかけて。
草を刈って、畑に置くことを、やってみます。たまに草を抜いて置いていましたが。
川口さんの本は、新刊で手に入るのかどうかわかりません。私はネットの古書店で買いました。
http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon
川口さんによると、草は「抜かずに刈る」「刈ってその場に置く」がセオリーです。しかし、種から芽が出てきたばかりのとき、一緒に芽を出した草は抜きま
す。種を蒔くときも、夏草の種をどけるために、土の表層だけを鍬でそぐように取り除いて蒔きます。これは川口さんもやっています。土を大きく上下にひっく
り返すようなことをするなということだと思います。
いつも歩く通路を設け、作物と草を共生させるベッドは踏みません。これは川口さん以前に先駆者がいます。
大きな草を抜くと、根と一緒に大きく土が動いてしまいますが、それがいけないと言っているのだと思います。芽を出したばかりの草を抜いて、土が動いても
1センチそこそこです。この程度だと、住みついている微生物や小動物の環境を乱すことにならないということだろうと理解しています。また、大きくなった草
は、根と茎の境目(の根の側)を切ると、根も枯れます。そうすると、土の中に残った根が微生物に食べられ、土の通気性をよくしてくれるということがあるだ
ろうと思っています。その意味でもなるべく土は動かすなということだと・・・。
しかし、じゃがいもなどは収穫時にどうしても大きく土を動かすことになります。これもしかし、畑の土がどれだけ硬いか柔らかいかに大きく依存します。ほ
んとうに柔らかい土だと、芋の茎を持って持ち上げると、根に芋が全部くっついて空中に持ち上がるようになります。川口さんが芋が付いたままの全体を空中に
かざしている写真があります。そのくらい柔らかくなった土だと芋を抜いても土のダメージが少ないが、固い土だと犬が穴を掘るような感じに土を掘らなければ
ならなくなり、結局土をひっかきまわすことになり、土の上下がめちゃくちゃになってしまいます。普段からなるべく有機物を置いておき、土を裸にしないで、
柔らかくするしかないと思っています。指で耕した後は、またその上に刈った草などを敷き、なるべく畑を裸にしないというのでいいと思っています。じゃがい
もを収穫した後なども、なるべく早めに平らにして刈った草を敷いておくのがいいと思います。(私は今年これをさぼり、後悔しています。)
私のやっている畑は、これまで父親が耕してきた畑ですが、土が締まって固いので、これから柔らかくしていかなければなりません。
川口セオリーの根本は、畑のあるべき姿として私の中にはっきりとイメージがありますが、実際の私の畑はそれとはずいぶんとかけ離れています。有機物を土
の上に置くだけでなく、私は種を蒔くときや、収穫して空いたところなど両手の指で耕しています。置いておいた萱などが触ればすぐに折れるくらいになったも
のを、手の指で畑の土に混ぜ込んでいます。有機物を土に混ぜる時は、耕耘機はもちろん鍬も使いません。一年くらい土を裸にしないで有機物(草など)を置い
ておくと、指で土に混ぜられるくらいにはなります。ほとんど弥生式農法以前という感じです。縄文人が農をやっていたという説もありますが、やっていたとす
れば多分こんな感じじゃないかなと思ってやっています。
指で耕す場合でも、耕しているには違いないので、川口セオリーに反します。しかし、固い土を柔らかくしていくには、それでいいのだと考えてやっていま
す。指で耕せる深さは5センチ程度ですが、しばらくは5センチ程度は指で耕して、こなれた有機物を混ぜ込んでいくつもりです。5センチ程度までは好気性の
バクテリアが住んでいて、その下に嫌気性のバクテリアがいるだろうと思います。5センチ程度までなら、耕してもバクテリアの分布を大きく乱すことはないと
も考えています。これもできないとなると、じゃがいもやさつまいもは作ることができません。
川口さんのセオリーから外れたことをやってはおりますが、川口さんの説の根本は私の胸にいつもあります。川口さんの言う通りにやっているのではないけれ
ど、川口セオリー通りにやってやっていける畑になることを目指しています。いつの日か完全な不耕起がやれる日が来るのかどうか。その日まで生きていられる
のかどうか。それはわかりません。
【11835】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月28日(金)02時54分52秒
>>t, d, l, n は歯の裏の上の方、
th は歯の裏の下の方(歯先に近い方) (← 結局歯先に触ってしまいます)
>これでOKだと思います。 とりあえずの音というか、
十分使える音がだせると思います。
合意が成立してうれしいです。
ちょっと書き直してみました。
t, d, l, n は歯の裏の上の方(歯と歯茎の境目でもいい)、
th は歯の裏の下の方(歯先に近い方、あるいは歯先)
こうすることで、t, d, l, n と th を「歯裏の音」としてまとめることができます。
t, d, l, n と同じ位置だが、舌が歯裏(歯と歯茎の境)に密着しない音として s
があると考えていますが、これについてはどうお考えになりますか。「触るか触らないか程度にして、歯裏(歯と歯茎の境目)と舌の間に息を通す」と出ると思
います。sit を shit に近く発音される生徒さんがいたので、s音をどう説明しようかと思って困り、一応考えた案です。
この生徒さんは shit の
sh(ロングs)はよく出ていたのですが、コーチとしては、ロングsの方が説明に困る音です。これは今のところ妙案がありません。ロングsは唇の筋肉も結
構使うように思います。私の場合、舌は完全に「上の歯茎」に位置し、sと同じように「触るか触らないくらい」、唇に丸く力を入れて出します。これなんか
は、手短に核心をつく説明は無理なんだろうかと考えてしまいます。ひとまず思いつくのは、「唇に丸く力を入れて、シャ、シュ、ショというときの、前半の
音」というくらいのものです。
【11836】
巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月28日(金)04時00分37秒
練習してないということだけが理由でしたら、レッスンは受けていただきたく思います。私の生徒さんの中には、本当にお忙しい方が多いので、練習できてい
なくても、ひとまず英語に錆を寄せず、維持するためだけにレッスンを受ける方もいらっしゃいます。生活がかかっているのですから、それは仕方のないことで
す。私から絶対に必ず練習しておくように申し渡すなどということはできません。
ひとまず錆を寄せ付けず、維持するためにだけレッスンを受けている回があることをくやしさとともに自覚しておられる方は、時間がある週は必ず練習してお
いてくれます。また、仕事や病気などでどうにもレッスンが受けられないという時以外は、欠かさずレッスンを受けていただいています。巴里子さんにも、その
方たちと同じようにしていただきたく思います。
たとえ毎回練習してなくても、レッスンを受けていただけば、自覚できないほどわずかであっても、英語が必ず変化していきます。自分でやるべき練習をやる
気になれない期間はそれでも構いませんが、それだと、亀が子亀になるというお話を以下に致します。
兎と亀の喩え話で言えば、私のレッスンは亀の方法です。生徒さんの側が練習しないと、兎と亀ではなく、兎と子亀の子亀のスピードに落ちます。いつも毎回
練習していないと、兎と子亀の違いが固定してしまいます。人の寿命が300年くらいあるならこれでもいいわけです。
私は、ひとまず私の方法でやり始めた生徒さんに、兎と亀の亀になっていただきたいと願っています。巴里子さんのおっしゃることにあるのは、実際は子亀の
スピードだが、気持ちは兎になっているということだと思います。
私が異様な気持ちになったのは、練習しておいてもらえましたかとおたずねした時に、「まるでやってありません」と何度か答えられた口調にありました。何
回か同じ質問をしましたが、そのたびに、まるでかげりもなく、当然のことのような、むしろ、その方がいいことであるかのような口調で答えらました。
学校との間にトラウマなんかがおありなんでしょうか。
私のレッスンは、学校とのおつきあいとは違います。「行きたくなくても行くところ」とか、「やりたくなくてもやること」の外側に私のレッスンがありま
す。生徒さんの主体性によって開始されるレッスンです。
当然のことのように「まるでやってありません」と言われるのを聞いて、天真爛漫というのではなく、底に反抗のようなものを含んだものと私は受け取りまし
たが、見当外れでしょうか。私が何か反抗の対象にされなければならないことがあったのでしょうか。
まるで当たり前のことであるかのように、「まるでやってありません」とおっしゃられるのは、学校の授業に対してならともかく、私のレッスンに対しては意
味がないとも思ったことでした。
普通ならこのくらいの行数をこなすとこんな感じの質が穫れるはずだがという、なんとなくの職人の勘みたいなものが私にあります。巴里子さんにおいて、そ
れを成立させ難くしている邪魔がご自身の中にあるのでなければ、何か私が至らないために、「まるでやってありません」ということになっているのだと思いま
す。私には見当がつきませんので、私が至らないためにそうなっているのでしたらお教え下さい。
自分でやる練習をやらなかったことを理由にレッスンを休まれるのは、300年どころか、それ以上、数百年も数千年も生きることを決意されるのなら結構で
す。そういう決意は、しかし、空回りです。人間を超えた摂理によって空回りにされます。
私の方法は、兎と亀の亀のものです。亀は兎を追い越すと信じてやっています。実は語学には、兎になってもらう時期(どかんとやってもらう時期)が必要で
すが、今はまだその時期ではありません。また、子亀のスピードでいいのだと決めてもらうことも、人間に数百年の寿命があるのでないかぎり、やってほしくあ
りません。語学には語学の摂理がありますので。
私の方法は、兎と亀の亀の方法です。ひとまずそうです。しかし、私の方法が亀が兎を追い越すというお話を超えるのは、語学では、(体を使う技能の獲得=
職人の技能の獲得に似て、)亀が兎に変身する点にあります。本当に亀が兎になる時が来るのです。脱兎の如くにスピードが出せる日を信じて、今は亀になって
欲しく思います。今は、兎も子亀もやって欲しくありません。 語学をやるのであれば、今が本当に大事な時期です。
【11837】
兵庫のMさん、吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月28日(金)04時29分36秒
>昨夜のレッスンでいいにくかった箇所は What'd the....でした。
d とthe
を続けていうときは、dのときは少し詰まった感じで発音しないで止めておき、言ったつもりで、少し間を置いて、theを発音するだったと思います。
吉さん宛てのコメントですが、今度は私が横槍を入れますことお許し下さい。
What'd the ですが、これは極度に説明が困難です。一応やってみます。
短縮されたものをバラして全部書くと、What did the になります。このうち、what の最後の t から以後の音の動きだけ書くと
t did th
となります。t と did の最初の d がぶつかり合いますから、t を黙音として一拍使い、次の d が発音されるはずです。did の i
の音をどう扱うかをひとまず棚にあげて、次の音のぶつかり合いは、did の最後の d と th
にあります。これは、先日来、吉さんと検討してきたことをさっそく活かすなら、did の最後の d
を歯の裏(か歯先)に置いて、やはり黙音化し、歯の裏(か歯先)をこすってひっこめながら、th
音を発音するという順序になります。黙音をカッコの中に入れて書くと、
(t) di(d) th
となります。
この時、さっき棚にあげておいた did の i
の音の処理ですが、これは発音してもしなくてもいいとしておくのがいいと思います。言いやすい方でいい、と。
did の i のときに、ほんの瞬間ですが、舌が歯裏から離れるということが確保されれば、音は響いても響かなくてもいい、と。
i 音を発音するかしないかだけでなく、
(t) di(d) th
では、did の最初の d もかなり弱くなる気がします。
th
の前で、舌先が(瞬間的に)一度歯裏を離れていれば、音は出ても出なくてもいいというくらいのものではないでしょうか。舌がどんなにわずかでも一度離れて
いるかどうかは、英語ネイティヴの人は必ず聴き取ると思います。
What'd the という綴り(表記)と、(t) di(d) th という実際の音の動きは一致しないと考えていいものではないでしょうか。
吉さんのご意見をお願いします。
【11838】
根石さんへ 投稿者:巴里子 投稿日:2007年 9月28日(金)17時24分55秒
お詫びします。今晩のレッスンお願いします。
復習をおろそかにしていることの後ろめたさが常にあり、何か言われるんではと怯えていました。ご指摘のようにトラウマがあると思います。落ちこぼれだっ
たことも含めて、いろんな意味で屈折している部分があります。
根石さんに不快な思いを抱かせていたことお許しください。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
【11841】
巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月29日(土)00時25分55秒
レッスンを始める前にお話しさせてもらい、レッスンが終わったときにはお話する時間がとれなかったので言いませんでしたが、今日は単語と単語の間で大根
にスが入るように切れてしまうことはほとんどありませんでした。
先週とははっきり違っていました。昼間練習なさったものと思いました。練習すればはっきりと違うのですから、練習するようになさって下さい。
亀のようにゆっくりと進むレッスンですが、持続されると、相撲でいう地力がついてきます。レッスンの効能は、養命酒みたいなもんだと考えていただいてい
いと思います。急には効かないが、じわじわと改善していく作用があります。
地力がつくと何かやってみようかという気になりますので、それがチャンスです。私のレッスンの亀の歩みを維持されながら、いずれ、やってみようと思った
ことをやってみられるのがいいと思います。
英検を受けられるのでも、話す・聞くのスキルを磨くのでも、読書されるのでも、既得語彙数を一挙に拡張するのでもなんでもいいと思います。
【11842】
巴里子さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年 9月29日(土)00時43分1秒
>根石さんに不快な思いを抱かせていたことお許しください。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
不快な思いというんではなくて、わけがわからないという感じでした。外国語をやるんですから、練習するので「普通」なのです。練習しないことを「普通」
と考えておられるのかと思ったことがあり、それだとわけがわからないという感じでした。
練習することが「普通」のことだという一点だけわかっていただければ、すべて氷解すると思います。練習が出来なかったときは出来なかったでいいのです。
そのことが問題ではなく、練習しないことを「普通」のことにして欲しくなかっただけです。
こちらこそ、これからもよろしくお願い致します。
【11844】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月30日(日)16時41分32秒
金曜の夜は、matsuさんと巴里子さんの投稿があったので、書き込みを控えました。
What'd the doctor say?
これについての僕の意見を書かせて頂きます。
結論から書くと「tもdも黙音になる」という説明で良いと思っています。
> 舌がどんなにわずかでも一度離れているかどうかは、英語ネイティヴの人は必ず聴
き取ると思います。
はい、、聴き取れると思います。
で、、聞き取れているから、あえて「’d」という表記なのだと思うのですが、、。
#1.
このような会話の音を文字におこした場合、
(聞いた人)書く人によって、(この文章は)
What the doctor say?
このような表記で表すこともあると思うのです。
口語では文法などのお約束がよく崩れますから、、、。
我が家には映画のDVDが無いので、このセリフを言っているシーンの音を聞いて
検証できませんが、
もしも
What (di) the doctor say? こんな感じでも (di)が聞こえるのなら、
私なら What did the doctor say? と書きおこします。
我が家には映画のDVDが無いので、このセリフを言っているシーンの音を聞いて
検証できませんが、(すみません、繰り返しています)
短縮された「’d」の音が聞き取れるとしたら、
一瞬の「間」(黙音)から「d」の存在を感じるか、
薄くdi(舌の離れ)の音が聞こえるかだと思います。
#2.
根石さんが書かれているように、
What did the doctor say? だった場合の黙音は、
Wha(t) di(d) the doctor say? になると思います。
(di) の理屈は、根石さんの書いたとおりで良いと思います。
#3.
どちらにしても、これは「すりきれたジーンズ」の音の表記だと思っています。
この「’d」は崩れた音だと考えております。
この音は、磁場と絡めば自然と発声につながると考えております。
ここは、生徒さんには「tもdも黙音になる」という説明で良いと思っています。
コーチがその理屈を獲得しておく必要もあると思います。
ですが、実際の指導では、「tdlnthの黙音」で説明がついてしまうと思います。
私は「黙音」で兵庫のMさんに説明いたしました。
「黙音」で統一できないでしょうか? どうでしょう?
【11845】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年 9月30日(日)16時46分8秒
根石さん、、先日のお話を踏まえて下記のように変更してみました。
どうでしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
素読舎の英語コーチ
英語塾「素読舎」の根石吉久さんのお手伝いをさせていただく事になりました。
素読舎の英語コーチの仲間入りをさせて頂きました。
根石さんのレッスン枠が手一杯になった時、生徒さんを私が一時預かり指導いたします。
根石さんのレッスンに空席ができたら、根石さんにお返しするというやり方です。
2007年9月より、生徒さんを一人お預かりしています。
根石さんの理論と方法を、可能な限り再現できるように日々努力する事を誓います。
電話レッスン
・根石吉久さんの自作テキストで進めていきます。このテキストが凄いのです。
・中級以上のレベルをお持ちの方もこのテキストから始める事をお薦めいたします。
・英検1級レベルの方、英語教師の方には、
もっと噛み応えのある岡倉天心の「茶の本」で指導いたします。
素読舎の英語レッスン
週1回 30分 x4 (12,000円 / 月)
#1. スカイプを使ってご友人と同時にレッスンを受ける事も可能です。
二人同時に受講した場合は、月謝を二人で割る事が可能です。
家庭電話機の子機などを使ってコーチとの三者通話が可能なら、
「ご夫婦」や「母親と子供」のペアなどで受ける事も可能です。
私はこの方法で家内と一緒にレッスンを受けています。
#2.お試しレッスン
・ 興味はあるけれども、難しいのではないか。
・ まったくの英語初心者にも続くか不安。
・ レッスンの流れが知りたい。
上のような不安のある方のために、
私が1ヶ月程度のお試しレッスンをいたします。
レッスンの効果を実感できるようになるには、
最低でも3ヶ月は必要だと思いますが、
レッスンの大まかな流れは1ヶ月で掴めると思います。
#3.その他
英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)
正規のレッスンとは別枠で週に一度15分から30分、
塾生同士・塾生とコーチ・コーチ同士で英語の練習をやります。
これは語学を学ぶ者同士のスキルを磨くもので強制ではありません。
スパーリングパートナーを募集する場合、
コーチに相談するか、素読舎の掲示板から相手を募集してください。
根石さんの教材を使ってレッスン範囲の復習をするのでもかまいませんし、
別のテキストを使ってもかまいません。
ご希望があり、またスケジュールが合えば、私がお相手いたします。
【11846】
レッスンありがとうございました。&お休みのお願いです 投稿者:ももこ 投稿日:2007年10月 2日(火)02時33分52秒
3回目のレッスンありがとうございました。
実は風邪を引いていて、強引にレッスンを受けてしまいました。先週の半分くらいの練習量でした・・・。
Sam,〜〜〜のところの aの発音(一瞬般若)
Where'd you get those? の dとyouがくっつくところ。
「つづりで'u'聞こえる音で’あ’の場合」の逆さvと逆さe
Mustang の発音
のアドバイスを頂きました。
テキストは This is not brain surgery you're going into.
から I think you ought to pay off your Mustang first.までです。
逆さvと逆さe の違いでは、
狭い音で、アクセントの有無・息の強弱だけで元の発音はほぼ同じと考えてよいことにビックリしました。と同時に「これはいいこときいた〜♪」とも思いまし
た。
この逆さvと一瞬般若のポイントが同時に出てくる
Mustangは難しかったです。
また、Sam,〜〜〜のところの
aの発音が一瞬般若になるときに「〜〜〜だから」とおっしゃっていたと思うのですが、もし、よろしければ、もう一度伺いたいです。
また、
Where'd や他に今日でてきた文だと tell'em
などの発音が難しかったです。(分からない単語はオンライン辞書だと引けないのと=発音を聞けないので、どう読んでいいのかわからないです。)
30分のレッスン 時間だけ見ると短いようですが、終わると脳と口に心地よい疲労感が残ります笑。今私の頭の中ではMustangがリフレイン状態なの
で、ちょっとだけ口を動かしてみようと思います。今日はありがとうございました。
追伸:
最近私の周りでは結婚式ラッシュで、実は先週も結婚式からダッシュで帰ってきて、レッスンを受けていました。そして、来週も夜スタートの結婚式のため、お
休みさせていただこうと思います。
そしてさらに・・・・
夫が3年ぶりの夏休みが取れたので、15日(月)3泊4日でグァムの旅行を計画しています。私はレッスンがあることを主張したのですが、夫の頭には旅のこ
としかないようで・・・。
どちらも本来うれしいことなのですが、すべて月曜日なので、ものすごく残念ですが、2週お休みさせていただこうと思います。この調子だと振り替えがたまっ
てしまうので、振り替えなしでもかまいません。どうぞよろしくお願いします。
【11847】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 2日(火)03時28分23秒
文案、練っていただきありがとうございます。
気になるところだけ、コメントします。
>電話レッスン
・根石吉久さんの自作テキストで進めていきます。このテキストが凄いのです。
「このテキストが凄い」というのは、私から言っても我田引水にすぎませんので、どのあたりがどういいのか言っていただくとありがたいです。私にとって
は、作成で「凄い」疲れをもたらすテキストなんですが・・・。
(テキスト自体を評価して下さる他の生徒さんも、何か言っていただけたらありがたいです。)
>素読舎の英語レッスン
週1回 30分 x4 (12,000円 / 月)
月4回が基本ですが、月に5回ある場合は5回レッスンし、1回多くレッスンした分を溜めておき、後でコーチがお休みするときに使わせていただくというこ
とも併記しておいていただくとありがたく思います。
>#1. スカイプを使ってご友人と同時にレッスンを受ける事も可能です。
二人同時に受講した場合は、月謝を二人で割る事が可能です。
家庭電話機の子機などを使ってコーチとの三者通話が可能なら、
「ご夫婦」や「母親と子供」のペアなどで受ける事も可能です。
私はこの方法で家内と一緒にレッスンを受けています。
スカイプは比較的新しいコンピュータ(CPUの能力の大きいもの)でないと、声がとんだりしますので、普及にはもうしばらく時間が必要かと思っていま
す。とはいえ、スカイプは素読舎の「電話でレッスン」にとっては強い味方です。
スカイプを使うレッスンでは、日本であまり英語の練習をしないまま英語圏に渡ってしまい、苦しんでいる方に朗報になると思っています。
日本にいて英語を使う機会がない方より、英語圏にいて英語で苦しんでいる方の方が、素読舎のレッスンは即効性があります。吉さんは英語磁場での生活経験
がおありなので、今現在英語圏で苦しんでいる人の気持ちがよくおわかりになると思います。吉さん独自の見解を付して、この点を付け加えていただけるとあり
がたいです。
>#2.お試しレッスン
・ 興味はあるけれども、難しいのではないか。
・ まったくの英語初心者にも続くか不安。
・ レッスンの流れが知りたい。
上のような不安のある方のために、
私が1ヶ月程度のお試しレッスンをいたします。
「私が無料で1ヶ月程度のお試しレッスンをいたします。」とされたらいかがでしょうか。
>#3.その他
英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)
正規のレッスンとは別枠で週に一度15分から30分、
塾生同士・塾生とコーチ・コーチ同士で英語の練習をやります。
ここがやはり気になるのですが、吉さんや Naima
さんはともかく、初心者・中級者では、レッスンの後の一週間は復習のために結構やることがあります。「音づくり」の他に、レッスンで使用しているテキスト
を使って、「電圧装置」を作り、知識を殺すことをやってほしいと思っています。レッスンを始めたばかりの頃に、レッスン以外に枝を生やしていろんなことを
やると、レッスンのための復習の時間を奪ってしまうことになります。
初心者や中級者にやってほしいことは、「一人になること」なのです。日本において英語力を保ち続けるためには、「一人になること」がもっとも肝心なこと
だと思っています。日本語磁場で表に現れることもないままに保持される英語力というのは、「絶海の孤島」なのだと、以前、比喩で言ったことがありますが、
この宿命を生徒さんが「一人において」引き受けることが何よりも大事なことだと考えています。初心者・中級者の人には、英語の練習と同時に、「一人になる
こと」の練習が非常に大切なものです。
福沢諭吉の「学問の私立」というときの「私立」は、学校制度における私立学校(早稲田とか慶応とか)の意味ではありません。学問は一人で「私」において
行われるものだという意味だと私は理解しています。
ですから、「わたくしごと」とか「私立」とか「一人でやること」とかいうのは別に英語に限ったことではないのですが、特に日本でやる英語は、英語磁場か
らの「援助」がありません。この「援助」がないところでは、「一緒に勉強する」ことより先に、「一人になる」ことが大事です。
レッスンの復習は生徒さんに「一人で」自分でやっていただきたいと思っています。イメージの核をつかむ作業は、絶対に共同ではできません。たとえ共同で
やっても、「一人になる」というところでしか、実質は何も動きません。イメージの核をつかむことは、一人の意識で自分でやる他はないことに関して、吉さん
と私の間に共通理解は成立していると思いますが、その意味で、生徒さんの「一人で使う時間」をそのままにしておいてほしいと思っています。つまり、「一人
で使う時間」を減らして欲しくありません。
初心者・中級者に地力がつくことによって、もっと他にもやってみたいという気持ちになったら、レッスン以外に枝を生やして練習して欲しいとは以前から私
も願っていることです。(この段階の生徒さんは、もう中級の後半に達していると思います。ここで激しくやれば上級者の仲間入りもそれほど遠くないところに
いると思います。)
その場合は、「大風呂敷」で練習のパートナーを生徒さん自身が募集するのがいいと思っています。素読舎の「電話でレッスン」の生徒さん同士なら、「技法
グラウンド」についてはよくわかっていますから、それを大元に据えた練習の形が作りやすいだろうと・・・
「ここらで、ボキャブラリーを一挙に増やしたいが、一緒に練習してくれる人はいませんか」とか、生徒さんが自分から募集するのが一番いいと思います。そ
ういうふうに生徒同士がレッスンとは別の枝を生やして練習する場合に、コーチ側がこんなふうにしてみたらというアドバイスをしたり、生徒さん同士で練習し
たことを報告してもらって、さらにアドバイスをしたりという形が一番いいと思います。I 村さんとか、F
さんとか、ちょうど中級の後半にいるような生徒さん同士が何かテーマ(語彙を増やすとかいう目標)を共有して、始められれば効果は大きいと思っています。
中級後半に達しているとかどうかは、コーチ側がわかりますから、そういう生徒さんにレッスン時に個別に、「大風呂敷」でこういうテーマで一緒に練習する
人を募集してみたらどうですかというアドバイスはいつでも可能です。初級・中級前半・中級後半などを無視し、無限定にスパーリングをするのがいいとは思え
ません。
私は、中級後半でも可能だとは思いますが、コーチがやれるような段階に達した人同士がスパーリングをやるのが一番いいという考えです。
【11848】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 2日(火)04時29分56秒
>実は風邪を引いていて、強引にレッスンを受けてしまいました。先週の半分くらいの練習量でした・・・。
風邪をひいていることがわかりませんでした。先週の半分くらいの練習量でも、先週と同じくらいの質がとれていました。上達が早いですね。
>Sam,〜〜〜のところの aの発音(一瞬般若)
子音と子音にはさまれた a で、日本人の耳が「ア」と聞く音は、「一瞬般若」になることが多いです。
>Where'd you get those? の dとyouがくっつくところ。
これは分解すると、Where did you get those? です。
did you をひとつずつ読むと、「ディドゥ ユウ」ですが、普通に、「ディジュウ」という具合に音と音がくっつきます。
'd you
の音は「ディジュウ」のうちの、「ジュウ」だけが残ったと考えてくださいという説明をしたと思いますが、こうして書き言葉で書くと、えらく面倒なことを
言っているような感じです。レッスンで話し言葉で説明すると、実に簡単に言えるし、多分簡単に理解できたと思います。
「つづりで'u'聞こえる音で’あ’の場合」の逆さvと逆さe
これは誤解されています。
綴りの中の u で、日本人の耳に「ア」と聞こえる音は、発音記号で、逆さ e にはならず、逆さ v になります。例外はまずありません。
それを踏まえたうえで、その後の説明をしたつもりでしたが、混乱させてしまって済みませんでした。
他の方にも役に立ててほしいので、「その後の説明」を再度致します。
逆さ e と逆さ v は両方とも「狭い音」です。
これらは、素読舎の「電話でレッスン」ではひとまず区別しません。
なぜなら、単独の逆さ v はアクセントのあるところにあり、単独の逆さ e
はアクセントのないところに現れるだけで、口の狭さは同じだからです。ひとまずは、「狭い音」とだけおさえておけば、アクセントの有無によって息の強さが
異なるために、自然にそれぞれの音が備わるからです。
レッスンで触れなかったことを付け加えます。
[逆さ e
:r]という組み合わせの発音記号は、これ全体で一つの母音だと考えていただいていいのですが、この組み合わせにはアクセントが来る場合がよくあります。
「狭い音」という点では、単独の逆さ e 、単独の逆さ v と同じです。
つまり、単独の逆さ e にはアクセントが来ない。[逆さ e :r]にはアクセントが来ることがある。両方とも、「狭い音」である。
>逆さvと逆さe
の違いでは、狭い音で、アクセントの有無・息の強弱だけで元の発音はほぼ同じと考えてよいことにビックリしました。と同時に「これはいいこときいた〜♪」
とも思いました。
うれしいです。あえて細かいことを言えば、狭さは同じながら、逆さ v のときの方が唇に力が入っていると思います。
>この逆さvと一瞬般若のポイントが同時に出てくる Mustangは難しかったです。
tang のところに「一瞬般若」がありますが、アクセントは Mus
のところにあり、言いにくいです。レッスンの時に、混乱させるといけないと思って、言いかけてやめたことですが、「一瞬般若」はアクセントがある場合が多
いです。Mustang
のようにアクセントがないところにも現れることがたまにあります。この辺が統一されないのは、どんなわけがあってのことか、考えています。
>また、Sam,〜〜〜のところの
aの発音が一瞬般若になるときに「〜〜〜だから」とおっしゃっていたと思うのですが、もし、よろしければ、もう一度伺いたいです。
上に書きましたが、子音と子音に挟まれた a の場合に「一瞬般若」になります。h 音や w
音は「弱い子音」とか「柔らかい子音」と考えていただくと、a を挟むのが h や w の場合、「子音と子音に挟まれた
a」の例外(「一瞬般若」にならない例)がみつかります。硬い子音(子音らしい子音)に挟まれた a というのを意識してみてください。
>Where'd や他に今日でてきた文だと tell'em
などの発音が難しかったです。(分からない単語はオンライン辞書だと引けないのと=発音を聞けないので、どう読んでいいのかわからないです。)
実際にレッスンを受けるのと独習とではどうしても違ってしまいます。素読舎のレッスンの存在にもっと多くの人に気づいてほしいと願っています。
>どちらも本来うれしいことなのですが、すべて月曜日なので、ものすごく残念ですが、2週お休みさせていただこうと思います。この調子だと振り替えがた
まってしまうので、振り替えなしでもかまいません。どうぞよろしくお願いします。
楽しんできて下さい。振り替えは遠慮なさることはありません。お金がもったいないです。ひとまず勝手に振りかえておきます。(ただし、振り替え実施はか
なり先になります。)
【11849】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 2日(火)04時52分4秒
>What the doctor say?
このような表記で表すこともあると思うのです。
口語では文法などのお約束がよく崩れますから、、、。
こういうふうに表記した場合、表記通りに読むと、舌が一瞬歯の裏から離れるという動きが無視されると思います。
空気を振るわせる音があろうとなかろうと、一拍の「舌の離れ」が必要だと考えたのは、そのことによって「過去時制」が実現されるということです。
What the doctor say?
これだと、時制がすっとんでしまうので、「一瞬の舌の離れ」が必要だと思ったわけです。英語ネイティヴがそれをやっていないなら、英語ネイティヴもそれ
をやるべきだと・・・。
>我が家には映画のDVDが無いので、このセリフを言っているシーンの音を聞いて検証できませんが
我が家にはDVDがあるはずですが、手元に見当たらず、検証できません。エレベーターの中でのセリフだったと思いますが、吉さんの言われる通り、
What the doctor say?
で言っていたような気がします。
英語ネイティヴも「一瞬の舌の離れ」をやるべきだと誰も言わないのです。私がそれを言うのは、英語ネイティヴの発音をお手本にするつもりはない、それは
練習の媒介にするだけだという音に対する基本的な私の考えに基づきます。日本人が英語ネイティヴの音を直しても構わないのです。連中はやりっこないです
が・・・。
【11850】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 2日(火)05時02分21秒
>私は「黙音」で兵庫のMさんに説明いたしました。
「黙音」で統一できないでしょうか? どうでしょう?
つまり、di の音はなしでいいということだと思いますが、 di
の音がなくても、「舌の離れ」があった方がいいと考えています。つまり、黙音だけを連続させても、「舌の離れ」は可能だということです。
すべてを「黙音」で処理したとしても、t、d、th
と連続するときに、tとdの間にたとえ1ミリでもいいから、「舌の離れ」があるべきだと考えています。
【11852】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月 2日(火)19時38分35秒
根石さん 勉強させていただいております。
ありがとうございます。
>> 英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)について
根石さんがおっしゃっていること、とても良くわかりました。
本当によくわかりました。
「邪魔を取り除く」、ここに徹します。
> すべてを「黙音」で処理したとしても、t、d、th と連続するときに、
> tとdの間にたとえ1ミリでもいいから、「舌の離れ」があるべきだと考えています。
この理屈ならわかります。 わかりました。 これで統一させてください。
この時に弱い[di]の音がでてもかまわないという事で良いですね。
兵庫のMさん、、、明日のレッスンで最初にこの部分をやらせてください。
あ、、そうでした。 根石さん、、兵庫のMさんと話し合い、
レッスンの日を、水曜に変更しました。
開始時間は夜9時45分で変更ありません。
【11853】
「凄いテキスト」について 投稿者:吉 投稿日:2007年10月 2日(火)21時07分24秒
根石さんのテキストについて
私はこのテキストを凄い凄い、と人に言っています。
ホームページでも「凄い」と発信しています。
> どのあたりがどういいのか言っていただくとありがたいです。
根石さんにこのように言われて書いてみる事にいたしました。
上手く書けると良いのですが、、、。
根石さんのテキストには、
映画のシナリオから抜き出したセリフ一文がでてきます。
その新出の文章に出てくる単語の意味や、文法的な解説が後に続きます。
次にまた新しい文章(セリフ)が出てきます。
同じように単語の意味や、文法的な解説が続きます。
例文、、それについての文法的な解説。
これだけであれば、普通に市販されているテキストとあまり変わりないような気がいたします。
根石さんのテキストが凄いのは、この新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、
「復習」として再現されるところでございます。
・ 文法的に構造が同じ「文章」の再現
・ 同じ単語(名詞、動詞、前置詞)などのイメージ強化のための「文章」の再現
何回も何回も同じ文章が登場します。
「また君か!」と思うくらい、同じ文章が再現されます。
このテキストは、
シンタックスの獲得を、あまり学習者に意識させる事なく獲得できるように作られていると感じます。
「狙って」作成されているのがこのテキストの凄いところでございます。
根石さんが「結構退屈なインプット」と、以前この掲示板で発言していましたが、
この「インプット」が英語学習には、大切なポイントなのでございますね。
英語の学習には「コレ」が大切なのだと考えております。
根石さんが学習者に獲得してもらいたいと考えているインプットの量、
(それがどれだけの量か私は知りませんが)
これを学習者に「やれ」と言ってもなかなか実行「できない」と考えております。
このテキストを一冊覚えなさい(体にしみこませなさい)と言われても
その量に恐怖して「できない」と感じると思うのです。
(ちなみに私は高校の頃、「映画2本を丸暗記しなさい」と、当時の先生に言われました。)
このテキストは、そういう「恐怖感」を学習者に感じさせません。
ここがこのテキストのすごいところでございます。
もう一つ、、このテキストは「レッスン」と一緒になって高い効果を生み出します。
というか、、電話レッスンでは、コーチが学習者の音作りに関する悩みを取り除き、
学習者が自習する時、このテキストを使ってイメージ獲得に集中できるようサポートしてくれます。
以上の点が、私に「凄い」と言わせる大きな理由でございます。
まとめると
・ 新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、
「また君か!」と言いたくなるほど「復習」として再現される。
それにより「文法的なコアイメージ」「単語のコアイメージ」の獲得に繋がる。
・インプットするべき英語学習量に対する「恐怖感」を感じさせない。
・学習者が自習する時のイメージの補充をサポートしてくれる。
(電話レッスンにより音作りの迷いや遠回りを排除できるので、
自習の時に「音+イメージ充填」に学習者が集中できる。)
実際にレッスンを受けている人なら「そうそう」と共感してもらえるポイントだと
考えておりますが、私は今、自分で同じようなテキストを作り始めているので、
根石さんのテキストの凄さをもっと実感としております。
・・・・・・・・・ 話変わります ・・・・・・・・・・
<< なんちゃってテキストを作ってみて >>
先日ここの掲示板で「テキストを作ってみる」と公言し、
現在作成中でございます。
作り始めてみて、根石さんのテキストの凄さと、
その超大な量に愕然としております。
いったい何年作り続けているのでしょうか。
作成中にこうも考えました。
私の「なんちゃってテキスト」を使ってくれる学習者には、
音作りを「復習を基本にキッチリやってもらいたい」とお願いしたいです。
根石さんの理論を練りこんだテキスト作りは、
想像以上に大変でございます。
根石さんの解析をそのまま使わせてもらっても時間がかかります。
毎日数時間を使って作りますが、少ししかすすめません。
おかげさまで寝不足でございます。
そろそろペースダウンいたします。
架空の生徒さんを想定して作成しております。
いろいろ「狙って」作成しております。
毎日、毎日、違う内容の英文記事を扱う、他の英語の学習教材なんかに比べたら、
はるかに新出の文章は少ないです。
でも、、これらの少ない文章を「しゃぶりまくる」ところにポイントがあるのだと思います。
「しゃぶりまくる」と、、日本語を意識しなくても「なんとなく英語で理解している」
「なんとなくわかる」の状態になるのだと思います。
ポイントは、日本語を経由せずに、直接英語のイメージが動く状態の文章を、
何個も何個も獲得しておく(インプットしておく)という事が大切なんですね。
そういう英文を沢山確保しておく事が大切なんだと思うのです。
こういう状態でインプットされている英語の量が豊富であればあるほど、
初めての英語の文章でも「聞いて分かる」「読んで分かる」に通じるのだと思います。
根石さんから学び、私の中で育った語学論の肝心なポイントでございます。
(根石さん、、大きく違っていたらご指導ください)
音にイメージを注入し、
音と一緒にイメージを自分の中に保存するのでございます。
こういう英語を自分の中にどれだけ貯めておけるかが、
「聞いて分かる」「読んで分かる」に通じるのでございますね。
とりあえず「なんちゃってテキスト」を作ってみる。
そこから見えてきた世界のお話でございました。
【11854】
凄いテキスト 投稿者:ちえ 投稿日:2007年10月 4日(木)12時49分47秒
こんにちは、ちえです。
吉さんの、「凄いテキスト」に反応してしまいました。
私は、本当に英語がさっぱりわからなくて、ただ、英語関連の
本ばかり、買って、満足していました。
でも、どの本を読んでも長続きしなくって、そうじゃなくって、
もっとここを詳しく教えて欲しいな〜??って思う本ばかりでした。
それを理由に、最後まで読まない本(教材)ばかり。。。
でも、根石さんのレッスンに出会い、テキストに出会い、もう、英語の本
(教材)を買うのをやめました。
↑なんか、安っぽい宣伝文句みたいですみません(^_^;)
30分のレッスンは発音だけを重点において進める事が出来ますし、
初心者の私でも、次の日ゆっくりテキストを読めば、なんとな〜く、
文法の理解が出来てしまいます。
テキストを世の中に公表すれば、バカ売れするのに〜。。。
と最初思いました。
難しい事はよく判らないですが、私は根石さんのテキスト&レッスンは
素晴らしいと思っています。(超初心者の意見として、受け止めて下さい)
後は、私の努力だけです。。。(^_^;)
気長に頑張りますので、これからもよろしくお願いします。
【11856】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 5日(金)01時07分4秒
ありがとうございます。
>私は、本当に英語がさっぱりわからなくて、ただ、英語関連の
本ばかり、買って、満足していました。
「さっぱり」ってことはないと思いますが、本ばかり買って実際の英語文のインプットを続けない人はたくさんいます。いや、そんな人ばかりです。私のテキ
ストは生徒さんに対して非常に暴力をふるうテキストで、なにがなんでもインプットが継続されるようになっています。
>でも、根石さんのレッスンに出会い、テキストに出会い、もう、英語の本
(教材)を買うのをやめました。
英語関係の出版社はあらかたが へたれ ですので、日本中の人が必要以上に買わなくなれば、おさぼり出版社のいくつかはつぶれてくれるだろうと思いま
す。それは間違いなくいいことです。
>30分のレッスンは発音だけを重点において進める事が出来ますし、
初心者の私でも、次の日ゆっくりテキストを読めば、なんとな〜く、
文法の理解が出来てしまいます。
この場合の「文法の理解」は頭だけのものです。まあ、 文法の理解は頭だけでもいいですが、イメージ核を獲得するためには、「英語どんでん」の「電圧装
置」をお試し下さい。やるなら、セックスも「電圧装置」も若いうちですよ。恋せよ乙女、ですぞ。うんとやってください。(酒、入ってます。済みませ
ん。...なんで俺という君はあやまってるのかな。)
>テキストを世の中に公表すれば、バカ売れするのに〜。。。
と最初思いました。
そう思う人は他にもおられたようですが、私の作るテキストは私がやるレッスンと密着しています。どちらの片方が欠けてもほとんど意味がない。だから、バ
カ売れはありっこないし、そもそも、あのテキストのヴォリュームを書物で再現するなどは馬鹿げたことです。これからも継続して作るので、私が長く生きれ
ば、夏目漱石全集より厚くなるかもしれない。書物にすれば、厚さだけはそうなるかもしれない。
>難しい事はよく判らないですが、私は根石さんのテキスト&レッスンは
素晴らしいと思っています。(超初心者の意見として、受け止めて下さい)
難しいことは放り出さずに、ゆっくり読んでください。だんだんとわかってきます。抽象とか批評がめざす理念の高さというものは、読めるようになるまで、
ある一定の訓練期間が必要です。語学よりも私は語学論の方が面白く、皆さんに迷惑であろうとなかろうとやっていくつもりです。
ただ、私の理念は、低い。でも理念です。
骨の髄から理念の人は吉本隆明さんです。私は、松岡祥男さんの手引きで、少しずつ吉本隆明が読めるようになりました。
>後は、私の努力だけです。。。(^_^;)
気長に頑張りますので、これからもよろしくお願いします。
そうです。お金がかかることが問題ですが、その問題を外せば、大事なことは「継続」です。レッスンの「継続」を止めても、練習の「継続」を継続なさるこ
とができるなら、いつレッスンを離れていただいても結構です。レッスンを離れた時は、初心者や中級者に私のレッスンを継続して薦めてくださることをお願い
致します。私は初心者が一番好きです。というより、初心が好きです。ちえさんにも、巴里子さんにも、若芽のような初心をみつけています。
【11857】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 5日(金)01時50分34秒
>例文、、それについての文法的な解説。
これだけであれば、普通に市販されているテキストとあまり変わりないような気がいたします。
根石さんのテキストが凄いのは、この新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、「復習」として再現されるところでございます。
この話題と違うのですが、私は吉さんの「ございます」が気になります。「大風呂敷」はただでかいだけの風呂敷であり、座敷ではないのでございます。もう
少し日本語に戻ってきていただきたいと思った次第でございます。って具合に、「ございます」を書けば、気に障るでしょ?
話題に戻れば、昔の生徒から「波状的インプット」という言葉を頂戴したことがありましたが、この言葉が一番的を射ていると思っています。
私どもが生きている場所は日本語の磁場であり、英語の磁場ではありませんから、これでもかというくらいに「波状的」にやらなければ、英語で使われる言葉
が私どもの意識に根を伸ばすことはないのです。
>このテキストは、シンタックスの獲得を、あまり学習者に意識させる事なく獲得できるように作られていると感じます。
ありがとうございます。って、また「ございます」でございます。
いや、とにかく、ありがとうと言いたい。
独習するなら、「意識的に無意識を作る」がいいですが、私にお金をくださっている人たちには、「あまり学習者に意識させることなく」少しずつ無意識を
作っています。私はほとんど犯罪人ですね。悪人です。
英語学習界には、あまりにも悪人がいなさすぎます。
>根石さんが学習者に獲得してもらいたいと考えているインプットの量、
(それがどれだけの量か私は知りませんが)これを学習者に「やれ」と言ってもなかなか実行「できない」と考えております。
獲得してもらいたいインプットの量は、「無限」です。日本で英語をやるんなら、一生インプットを続けないと駄目です。私の教材作りだって、私のためには
それをやっているだけです。言葉で「やれ」と言っても、そんなものはただの言葉です。だから、うちの娘は英語をやらなかった。せめて、人様の子息令嬢に
は、ただの言葉で害が生じないようにしようと思って、教材は作り続けています。
「無限」ですから、私がくたばった後では、吉さんや村田君が続けて作ってもらいたいと思っています。人が一生やってもこなしきれないほどの量を作ること
がいいと思っています。ある程度まで生徒の力がつけば、途中で教材の質が変わるところまで、どんどんジャンプさせてやればいい。
>このテキストを一冊覚えなさい(体にしみこませなさい)と言われても
その量に恐怖して「できない」と感じると思うのです。
この恐怖があって、インプットにおじけづくのでしょうね。ただひたすら、少しずつインプットを継続すればいいだけのことなんですが、それが日常とつき
あっていると、インプットをやる空間は墓場の中のような空間ですから、まず普通の生活をしてると継続できない。30代、40代、50代になって、オタクを
継続するようなものですから。
暴力的にインプットをやっちまうテキストと私のレッスンの存在理由はそのあたりにあると思っています。
>まとめると
・ 新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、
「また君か!」と言いたくなるほど「復習」として再現される。
それにより「文法的なコアイメージ」「単語のコアイメージ」の獲得に繋がる。
この辺を生かして、吉さんのホームページにテキストのことを紹介していただけるとありがたいです。
>・インプットするべき英語学習量に対する「恐怖感」を感じさせない。
・学習者が自習する時のイメージの補充をサポートしてくれる。
(電話レッスンにより音作りの迷いや遠回りを排除できるので、
自習の時に「音+イメージ充填」に学習者が集中できる。)
この辺も生かしてください。
------------------------------------------------------
>作り始めてみて、根石さんのテキストの凄さと、
その超大な量に愕然としております。
いったい何年作り続けているのでしょうか。
10年くらいだと思います。
>私の「なんちゃってテキスト」を使ってくれる学習者には、
音作りを「復習を基本にキッチリやってもらいたい」とお願いしたいです。
試験的に作ってみるのはいいが、テキストを膨大なものとして作ることは、私はお奨めしません。
それよりも、跡継ぎをやってほしいと願っています。私がくたばったときに続きを作っていただきたい・・・。
あるいは、「電話でレッスン」のコーチで生活することを決意されるようなことがもしもあるのであれば、そのあたりに備えてテキストをゆっくり作り続けら
れることはお奨めします。
いろんなテキストがあった方が面白いですからね。
>毎日、毎日、違う内容の英文記事を扱う、他の英語の学習教材なんかに比べたら、はるかに新出の文章は少ないです。
この辺を秘密にしないで、公開してもらうことを要望したいです。あるいは、私がやっているように千円程度で人様にテキストを渡すことをやって欲しいで
す。どうせ英文なんぞは、磁場からの借り物ですから、CDRにコピーする手間賃プラスアルファでやってほしいものです。
生きるためには、比喩ではありますが、「土方仕事」が正しいと思っております。働かないことは悪いことではありませんが、近頃の若い人は働かなすぎると
思うことがあります。
ま、しかし、村田君は旅館業がありますし、吉さんは会社員の勤めがありますからしょうがない。本当に頭にきたのは、いくこでした。
>根石さんから学び、私の中で育った語学論の肝心なポイントでございます。
(根石さん、、大きく違っていたらご指導ください)
違っておりません。得難い人を得たと思っています。
ついでに言いますが、吉さんの会社に知れて問題がないなら、そろそろ本名で書いて欲しいと思っています。それと、アメリカでの学歴と専攻とを書いていた
だくのがいいと思います。ジャズの勉強だったといつか読みましたが、アメリカに音楽をやりに行った人は、語学の「音づくり」のコーチとして最適なのです。
その意味でも得難い人です。得難いし、有り難い。
【11858】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 5日(金)02時02分0秒
>> 英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)について
>根石さんがおっしゃっていること、とても良くわかりました。
本当によくわかりました。
「邪魔を取り除く」、ここに徹します。
わかってもらえてうれしいです。
>> すべてを「黙音」で処理したとしても、t、d、th と連続するときに、
>> tとdの間にたとえ1ミリでもいいから、「舌の離れ」があるべきだと考えています。
>この理屈ならわかります。 わかりました。 これで統一させてください。
この時に弱い[di]の音がでてもかまわないという事で良いですね。
それで構わないと思います。いきなり初心者の生徒に「摩り切れたジーバン」を穿かせるのはよくないと思っています。
>レッスンの日を、水曜に変更しました。
開始時間は夜9時45分で変更ありません。
水曜日は私の百姓仕事の日ですが、Mさんと相談して、そのうちにレッスンを参観させて下さい。うんと緊張して下さい、って、嘘です。
【11859】
テキストのお話に便乗〜 投稿者:ももこ 投稿日:2007年10月 5日(金)05時30分23秒
おはようございます。ももこです。
レッスンの解説&振り替えありがとうございます。振り替えに関してはお言葉に甘えようと思います。よろしくお願いします。
素読レッスンのテキストのお話。私も便乗します^^。
まだ3回しかレッスンを受けていないのですが、今感じることは「このテキストだとへこたれない」ことです。
今までの英語の勉強の仕方も悪かったのかもしれませんが、
・先に進めばこれから覚えることの多さに愕然とし
・後ろを振り返れば忘れてしまったことの多さにがっかりし・・・
といったことが多かったので、今回レッスンを受けることを決めるまで実はかなり時間がかかりました。
でも、今回レッスンを受けてみて
・「あっこれ知ってる〜。口も動く〜。覚えてるじゃない!」
・「おぉ〜これも同じリズム。出来るできる〜」
と今までのことからブチっと切れることがないので、根性ナシの私でもへこたれずにこれています。
また、レッスンでは「いままでよく分からなくて飛ばしていた」言葉の発音などもくまなくレッスンできるので、「あやふやで分からないことに追い詰められ
る」感とも無縁だなと感じます。レッスンも積み上げていっている感じがして、次のレッスンが楽しみになっています。
他には、このテキストは映画のシナリオだそうですので、DVDを購入(amazonのマーケットプレイスで1600円で購入しました。)したのですが、テ
キストが進むにしたがって「やっとSamが出勤するところまで来た」と密かに喜んでいます。実際にイメージできるととてもヤル気が出ます。私の大好きな
ウーピーゴールドバーグが演じるオダ・メイが出てくるのを楽しみにもしています。
なぜかはよく分からないのですが、(暗記してしまったからなのでしょうか?)レッスンした文章に関しては返り読みをしないんです。不思議です。
根石さんのテキストは「凄い」ではなく「すご〜い!(ひらがな表記)」に感覚は近いです。多分すすんでいくと「凄い」にかわるのかなと思っています。それ
くらい威圧感のないテキストだなと感じます。
これからもレッスンを楽しみに練習&電圧装置に励みたいと思います。よろしくお願いします。
【11860】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2007年10月 5日(金)15時03分41秒
私の書き込みへの返信ありがとうございました。
すみません、私の書き方が悪かったので、訂正します。
>難しい事は解りませんが、
の部分は、テキストに対してじゃなくて、
吉さんが言われているテキストの凄さの解説が、私には、難しかったのです(^_^;)
ややこしい書き方をしてすみません。
根石さんのテキストは、こんな私にもすっごく理解出来るテキストですので、
難しくないです。(何度も読み返すとちゃんと解ります)
素晴らしいテキスト&レッスンに出会っただけで満足しないで、若いうちに
頑張りたいと思います(^_^)v
【11861】
根石さんへ (凄いテキスト) 投稿者:吉 投稿日:2007年10月 6日(土)06時53分26秒
> 私は吉さんの「ございます」が気になります。
いやいや、、誰かに言われないと気付けないという事って沢山ありますね。
ハッキリ伝えてくれてありがとうございます。
>「波状的インプット」という言葉を頂戴したことがありましたが、この言葉が一番的を射ていると思っています。
「波状的」というのは、海の波のように何度も何度も寄せては引くものですね。
なるほど、これなら永久運動のイメージもあります。
>> 獲得してもらいたいインプットの量は、「無限」です。
ぬぬ、、やっぱり、、(汗)、、「英語は一生もの」と根石さんに言われて知ってはいるものの、
あらためて文章にすると冷や汗がたれてきます。
「無限」・・この言葉を見て意識が遠のきそうです。
> 「無限」ですから、私がくたばった後では、吉さんや村田君が続けて作ってもらいたいと思っています。
あはは、、僕はかまいませんけど、そういう事なら、なるべくくたばらないでください。
> 人が一生やってもこなしきれないほどの量を作ることがいいと思っています。
これも壮大ですね(笑)。 微力ながら協力させていただきたいと思います。
------------------------------------------------------
> 試験的に作ってみるのはいいが、テキストを膨大なものとして作ることは、私はお奨めしません。
自分の勉強のための試作テキストです。 チャップリンのスピーチで一度打ち切ります。
自分の中の「語学論」の獲得にどうしてもやっておく必要があると感じました。
自分用です(笑)。 これで家内に試してもらってみるとは思います。
仕事、HP、試作テキスト、けっこう大変になったのでちょっとペースダウンします。
> 毎日、毎日、違う内容の英文記事を扱う、他の英語の学習教材なんかに比べたら、はるかに新出の文章は少ないです。
> この辺を秘密にしないで、公開してもらうことを要望したいです。
あはは、、これも良いですよ。
でも語学論を持ってない人には扱えないテキストですね。
とりあえず完成したら、メールで申し込みのあった人に無料で配ってもいいです。
「ひとまずの完成」となりましたら、根石さんに送ります。
> 違っておりません。得難い人を得たと思っています。
ありがとうございます。
2006年に私は3人の師と呼べる人に出会いました。
根石さんはその中の一人です。
語学が「道」だと教えてもらいました。
> ついでに言いますが、吉さんの会社に知れて問題がないなら、そろそろ本名で書いて欲しいと思っています。
以前にもお願いされ、その時にも理由を書きましたが、こればかりはまだ無理です。
根石さんの気持ちはわかります。 お許しください。
「誰かのためになるだろう」と、
ホームページから私が発信している内容は、家族には関係のないことです。
特に息子が大きくなり「おやじのやっていることは世のためになる」
そのように「彼本人」が納得してくれないといけません。
「私」が特定される事によって、家族に繋がる事は避けなければなりません。
息子が「小学校」や「中学校」という教育機関とかかわりを持っている間は、
少なくとも無理とお考えください。
診断名などのラベルから人を判断するこの日本社会では、ここは一番慎重になる部分です。
私が管理するHPを辞めれば、今すぐにここで本名を公開してもかまいません。
> それと、アメリカでの学歴と専攻とを書いていただくのがいいと思います。
書かないとご飯が食えないというなら書きますが、
そうでないなら公表したくはないのですが、どうでしょう?
学歴は関係無しに「語学論」や「教育論」を持っているかどうかでやらせてください。
私の学歴や専攻は他人には意味のないことだと(私は)考えております。
私の英語力(英語歴)も他人には意味のないことだと(私は)考えております。
私がどんなにペラペラだったとしても、子供や家内に英語を持たせる事はできなかったでしょう。
根石さんから学んだ語学論のおかげで、(実績はありませんが、)今は自信を持っています。
必要なのは「語学論」だと感じております。
『学歴を公開しないと素読舎のコーチはまかせられない』ともしも言われたら、
私は困ってしまいます。
これは僕の中で育ちつつある考えなのですが、悪の根源「お受験」、「偏差値」、
「肩書き」、「学歴」など、こういうラベルから、僕達の目、人が人を判断する時の目が、
曇らされているんじゃないかな〜と考えはじめたのです。
(ビジネスでチャンスを広げる時にそういうラベルを使う事を、私もしますけど、、汗。)
せめて「素読舎」や「どんぐり倶楽部」でいる時は、私は自分の中からそういう部分を排除したいのです。
「素読舎」や「どんぐり」は、私が好きでやっている事です。 私の生きる道です。
私のすすむ道であり、「しゃば」とはズレた部分なのです。
私のすすむ道に学歴や肩書きのようなものは排除しておきたいのです。
これは私の気持ちです。
僕と仲良くなった人に「大学どこいったの?」「何勉強してきたの?」と聞かれれば、
答える事は別にかまわない事です。
> ジャズの勉強だったといつか読みましたが、アメリカに音楽をやりに行った人は、
> 語学の「音づくり」のコーチとして最適なのです。
これは根石さんのお考えですね。
自分でそこを強調することはできませんよ。
根石さんの気持ちですから、根石さんがそれを他人に伝えるのはかまいません。
>> 獲得してもらいたいインプットの量は、「無限」です。
う〜む、、やはりここに根石さんの視界の高さを感じます。
凄いです。 今後ともよろしくお願いいたします。
【11862】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 7日(日)01時42分18秒
>「波状的」というのは、海の波のように何度も何度も寄せては引くものですね。なるほど、これなら永久運動のイメージもあります。
「波状的インプット」という言い方が的を射ているといっても、それでレッスンの実際をわかってもらえるわけではありません。実際にレッスンを受けても
らっている生徒さんにはわかってもらえても、それ以外の人にはなかなかわかってもらえません。
で、今日思いついたのが、レッスンを録音してみるということでした。
初心者は二人ですが、仮に初心者A、初心者Bとすると、初心者Aは、村田君が作った語数別分類の小学生用テキストを使った練習を録音します。先日、小学
校3年生の親御さんから入塾の申し込みがありましたが、実際にはまだ練習が始まっていません。少し塾に慣れたら、録音させてもらおうと思っています。白紙
状態の初心者です。
初心者Bは長野市の中学2年生で、電話でレッスンの生徒です。確か小学5年生から始めたように覚えています。今は、学年相当の英語の教科書を使ってやっ
ています。
中級者が生徒の中で一番多く、力のある人もいるのですが、信州中野の高校生が私が作った教材でやっていて、須坂高校というところで(ベネッセの模試で)
学年トップになったそうなので、それを記念して、この子のレッスンを録音しようかと考えています。
上級者は、レッスンの途中で英検一級に合格した、佐賀県の高校の先生に対するレッスンを録音することを考えています。この方のレッスンは、「土砂降り型
レッスン」と名付けてありますが、30分にゴーストのシナリオ30ページ分の中からランダムに私が読むものを、「字を見ないで」技法グラウンド(私が一度
言うものを5回(以上)繰り返し言う)を行うものです。
これで、まっさらな初心者から、きつい練習をする上級者まで、一応網羅することができます。
30分を4人分ですので、60分のテープ二本で収録できます。これに全範囲でなくても、使ったテキストのコピーを添えて、練習に対する解説も添えて、定
型最大の封筒に入れて、人に手渡して聞いてもらうことを考えたということです。
この春、「電話でレッスン」のパンフレットを作りましたが、ほとんど反応はありませんでした。どう説明しようと、私の言葉では、私のやっているレッスン
はわかってもらえそうにないとあきらめています。語学論そのものを理解していただくことは、一般的には難事です。(吉さんの言葉だと違うのです。吉さんの
ホームページを読んで問い合わせて下さった方が何人もいます。)
テープ等作りましたら見本をお送りしますので、ご意見をお聞かせ下さい。
>ぬぬ、、やっぱり、、(汗)、、「英語は一生もの」と根石さんに言われて知ってはいるものの、あらためて文章にすると冷や汗がたれてきます。
「無限」・・この言葉を見て意識が遠のきそうです。
「無限」とはいうものの、実は「有限」です。私にせよ、生徒さんにせよ、その人の生きている間にしか練習はできませんので、どなたにも死がある限り、
「有限」になります。日本語だってそうです。私が読めない日本語は、古典や古文書などにたくさんあり、それらを読めるようになる練習には、とても手が回り
ません。
>あはは、、僕はかまいませんけど、そういう事なら、なるべくくたばらないでください。
なるべくくたばらないように努力します。
>自分の中の「語学論」の獲得にどうしてもやっておく必要があると感じました。自分用です(笑)。これで家内に試してもらってみるとは思います。
安心しました。そのくらいの規模がひとまずよろしいと思います。「波状的インプット」の構造はテキストに備わっているのでしょうか?それさえ備わってい
れば、私は安心できます。
>仕事、HP、試作テキスト、けっこう大変になったのでちょっとペースダウンします。
掲示板は、余力のあるときで結構です。
>>この辺を秘密にしないで、公開してもらうことを要望したいです。
>あはは、、これも良いですよ。
でも語学論を持ってない人には扱えないテキストですね。
そうです。語学論と実際のレッスンの運用がわからないとなんであのようにテキストが作ってあるのかがわからないと思います。しかし、勘のいい人もいるか
もしれないので、私が作る分は、最新版を千円でお頒けすることを続けていこうと思っています。
>とりあえず完成したら、メールで申し込みのあった人に無料で配ってもいいです。「ひとまずの完成」となりましたら、根石さんに送ります。
お待ちしています。私にもメールで送っていただくので結構です。
私の作ったものは、メールで送ることを何回かやってみたのですが、メールソフトのせいなのか、一部分しか送れないので、今はCDRに焼いて郵送していま
す。
>>ついでに言いますが、吉さんの会社に知れて問題がないなら、そろそろ本名で書いて欲しいと思っています。
>以前にもお願いされ、その時にも理由を書きましたが、こればかりはまだ無理です。根石さんの気持ちはわかります。 お許しください。
吉さんのホームページには、息子さんのことも書かれていたのが頭から抜けておりました。「電話でレッスン」のコーチとしての吉さんのことだけを考えてお
り、息子さんのことを思う父親としての吉さんが私の頭から抜けてしまいました。ごめんなさい。
人様からお金をいただいてレッスンのコーチをやる場合、責任の所在を明らかにした方がいいという考えは以前からあり、Naima
さんに生徒さんを預かっていただいたときも、本名で掲示板に書いていただく方がいいと言ったことがあります。
吉さんのままでいて下さい。
申し込みは、いったん私にしていただき、生徒さんを預かっていただく場合は、申し込んで下さった方に吉さんのメールアドレスを知らせるということにした
いと思います。
>>それと、アメリカでの学歴と専攻とを書いていただくのがいいと思います。
>学歴は関係無しに「語学論」や「教育論」を持っているかどうかでやらせてください。
まったくそれが本筋ですが、娑婆は本筋がなかなか通用しません。
これについては、メールで書いた方がいいものがありますので、メールをさしあげます。
>『学歴を公開しないと素読舎のコーチはまかせられない』ともしも言われたら、私は困ってしまいます。
実は私もネットでは学歴など書いておりません。(小学館文庫では編集者が勝手に書いてくれたので、そのままおまかせしました。)
でも、
なんとかかんとか大学卒業
なんとかかんとか専攻
なんとかかんとか号取得
こういうのは有効だと思います。吉さんの場合、それで英語の磁場での生活をした人だということが誰にでもわかるようになるからです。本当は、「英語磁場
で
○年生活」というのが、肝心なことなのですが、そう書いても世の中の人は了解しないと思います。吉さんの学歴を明示してしまうというのは、英語磁場で生き
たことのある人だということを言うメタファなのだということです。磁場論専攻の私が言うのですから、まず間違いないと思って下さい。私の場合でも、早稲田
大学文学部文芸学科卒業なんかはほとんど意味がなく、素読舎英語コーチ、ウン十年が本当の学歴だと思っていますが、世の中の人は認めてくれません。馬鹿ら
しいことですが、馬鹿にできません。
>これは僕の中で育ちつつある考えなのですが、悪の根源「お受験」、「偏差値」、「肩書き」、「学歴」など、こういうラベルから、僕達の目、人が人を判断
する時の目が、曇らされているんじゃないかな〜と考えはじめたのです。
まったくその通りです。でも、吉さんが以前に書いてくださったように、とにかくレッスンに触れてもらうことが大事なのだと思います。
>(ビジネスでチャンスを広げる時にそういうラベルを使う事を、私もしますけど、、汗。)
その意味です。
>>ジャズの勉強だったといつか読みましたが、アメリカに音楽をやりに行った人は、語学の「音づくり」のコーチとして最適なのです。
>これは根石さんのお考えですね。
自分でそこを強調することはできませんよ。
根石さんの気持ちですから、根石さんがそれを他人に伝えるのはかまいません。
私から強調して伝えます。ですが、音楽の勉強というのは私はまるでわからないので、そのうちに教えて下さい。ここに書いていただくのがありがたいです。
【11863】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 7日(日)02時12分22秒
>>難しい事は解りませんが、
の部分は、テキストに対してじゃなくて、
吉さんが言われているテキストの凄さの解説が、私には、難しかったのです(^_^;)
いや、そのことを踏まえて書いたものです。
テキストは、自分で書いておいてこんなことを言うのはいけないのかもしれないですけど、あんなものは多分レッスンを受けている人にはまったく難しいもの
ではありません。
吉さんが言われていることは結構難しい。でも、掲示板で何回かお話されるとだんだんわかってきますよ。
>素晴らしいテキスト&レッスンに出会っただけで満足しないで、若いうちに頑張りたいと思います(^_^)v
ええ。「電圧装置」ともう一つ、頑張って下さい。遠い日本の地から願っています。
【11864】
ももこさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 7日(日)02時36分25秒
>素読レッスンのテキストのお話。私も便乗します^^。
まだ3回しかレッスンを受けていないのですが、今感じることは「このテキストだとへこたれない」ことです。
吉さんが、あのテキストだと「恐怖感」を持たなくて済むと書いて下さいましたが、女の人より男の方が「恐怖感」を持ちがちなのかな。量に対して「恐怖
感」と言うか「へこたれない」と言うかは、やっぱり抽象のレベルが男と女で違っているのかもしれない。「へこたれない」という言葉が、実に生活密着的で女
の言葉だと思いました。どちらも大事だと思います。
>また、レッスンでは「いままでよく分からなくて飛ばしていた」言葉の発音などもくまなくレッスンできるので、「あやふやで分からないことに追い詰められ
る」感とも無縁だなと感じます。レッスンも積み上げていっている感じがして、次のレッスンが楽しみになっています。
「あやふやで分からないことに追い詰められる」という感覚が私にないのです。わかんねえや、で終わらせてしまい、追いつめられるというふうにはなりませ
ん。しかし、探求心は私にあるらしく、「あいうえおフォニックス」なんてものを作ってしまいました。
>「やっとSamが出勤するところまで来た」と密かに喜んでいます。
なにしろ亀のスピードで進むレッスンですのでお許しの程。
>私の大好きなウーピーゴールドバーグが演じるオダ・メイが出てくるのを楽しみにもしています。
ああ、ウーピーゴールドバーグが主演だと言っていいくらいの映画ですね。
私は、White, but cute. ってセリフが好きです。米国大統領をはじめ、White and ugly.
がでかいつらをしている世の中です。人々の生活が軟着陸できるという条件がありますが、私はアメリカの政治の凋落を歓迎している者です。
>なぜかはよく分からないのですが、(暗記してしまったからなのでしょうか?)レッスンした文章に関しては返り読みをしないんです。不思議です。
この辺をもう少し詳しく書いていただけないでしょうか。非常に興味があります。
>これからもレッスンを楽しみに練習&電圧装置に励みたいと思います。よろしくお願いします。
「回転読み」関係については、もうかなりこの掲示板に書きましたので、そろそろ「電圧装置」の方に移りたいなと私は思っています。「電圧装置」での成果
を感じられることがあったら、是非書いて下さることをお願い致します。
【11865】
5回目のレッスン 投稿者:兵庫のM 投稿日:2007年10月 8日(月)10時55分2秒
こんにちは!投稿が遅くなりました。
5回目のレッスンでの注意箇所は・・・・ I mean, I can't・・・のところです。
説明としては、丁寧に言うことと、tが聞こえにくいとcanに聞こえてしまうのでtを少し意識して言うことだったと思います。
それから、aとcの反対の発音のとき、あごを下げて言うというのは、とても分かりやすい表現だと思います。いままで、口を大きく開けるというふうに意識し
ていました。
何度も、同じ文章を練習するので、そのうちにきっと無知の周りの筋肉が鍛えられると期待しています。
吉さんへ・・今週水曜日の6回目の電話レッスンよろしくお願いします。
【11866】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月 8日(月)20時55分1秒
>「波状的インプット」という言い方が的を射ているといっても、それでレッスンの実際をわかってもらえるわけではありません。
> 実際にレッスンを受けてもらっている生徒さんにはわかってもらえても、それ以外の人にはなかなかわかってもらえません。
> で、今日思いついたのが、レッスンを録音してみるということでした。
・・・・・・・・・・
> 使ったテキストのコピーを添えて、練習に対する解説も添えて、定型最大の封筒に入れて、人に手渡して聞いてもらうことを考えたということです。
> テープ等作りましたら見本をお送りしますので、ご意見をお聞かせ下さい。
「練習に対する解説」 ・・・ ここの部分で協力させて頂けるのですね。
厳しい納期があるとプレッシャーですが、精一杯やらせて頂きます。
とは言いましても、まだ何をどのように解説すれば良いか見当がつきません、、。
(自分の考えるところがあって)小学生の音作りの解説は、遠慮させてください。
<< 試作テキストについて >>
> 「波状的インプット」の構造はテキストに備わっているのでしょうか?
> それさえ備わっていれば、私は安心できます。
途中のものでも、メールで送ります。
「波状的インプット」、これを外さないわけがありません。
行が増えると編集がかなり大変でした。
同じ文型のものを検索するのも一苦労でした。
以前 エディター?でしたか、、ソフトウェアを紹介してくださったと思いましたが、
ああ、、これで必要なんだな、、と、感じました。
あと文法など知識がかなり落ちていました。
10代最後だったか、二十歳前後の時は、
TOEFLの文法のセクションでは、毎回ほとんど満点に近かったのですが、
文法知識がすっかり抜けていて自分でも驚くくらい忘れています(笑)。
全体的な英語力としては絶対にアップしているはずなのですが、
試作テキストを作ってみて、そういう事を確かめる事もできました。
> 申し込みは、いったん私にしていただき、生徒さんを預かっていただく場合は、
> 申し込んで下さった方に吉さんのメールアドレスを知らせるということにしたいと思います。
それでお願いします。
私の方にメールなどで直接連絡される方があっても、
一度根石さん経由でお願いさせて頂きます。
> まったくそれが本筋ですが、娑婆は本筋がなかなか通用しません。
そうですね。 仕方がありません。
出かける予定があったので、
昨日の朝に雑な文章でメールを送ってしまいました。 すみません。
【11867】
兵庫のMさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月 8日(月)21時11分26秒
Mさん、書き込みありがとうございます!
> 説明としては、丁寧に言うことと、tが聞こえにくいとcanに聞こえてしまうのでtを少し意識して言うことだったと思います。
ああ、、ここをお話しましたね。
Mさんはとても自然な音をお持ちなのですが、この文章では音が転んでいた感じがしました。
> tが聞こえにくい
tの音がたとえ黙音となっても、上の歯の裏で舌がはねていれば「can't」と聞こえると思います。
tを意識してもらったらすぐに良くなりました。
丁寧に読み込む事を意識してみてください。
> あごを下げて言うというのは、とても分かりやすい表現だと思います。いままで、口を大きく開けるというふうに意識していました。
Mさんは、明るいa の音は、きちんと出ていたのであまり注意しませんでしたが、
「あごを下げて」は楽ですよね。
> c の反対の発音のとき
これは発音記号の「逆さまC」の事でしょうか?
前回はこの説明や注意はなかったと思いますが、「逆さまC」は「卵をくわえた形」です。
morning の[or] で説明したかと思います。 「あごが下がる」とは違いますが、、、。
「素読舎」のHPで「発音10のポイント」というのがあります。
以前、根石さんから許可をもらって私のHPでも公開しています。
コレです ↓
http://www007.upp.so-net.ne.jp/eigodeyume/hatsuon-10.html
こちらに目を通しておいてください。
根石さん、、838行目 On your genitals again.
クエッションマークが抜けていました。
⇒ On your genitals again?
イントネーションが変わるので、Mさんにはスクリーンプレイの表記に合わせて
「? マーク」を付けるように伝えました。
【11868】
吉さん, Mさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 9日(火)02時28分56秒
やはり、具体的に書いていただくと助かります。
Mさんにこういう説明を受けたと書いていただき、吉さんがそれに対するコメントをしてくださると、問題点が非常にはっきりします。
>tが聞こえにくい
tの音がたとえ黙音となっても、上の歯の裏で舌がはねていれば「can't」と聞こえると思います。tを意識してもらったらすぐに良くなりました。
t, d
の音の本質は、「舌がついているところから離れる瞬間の音」ということだと思います。生徒さんに真似して欲しくありませんが、上の歯の裏だろうが、上の歯
先だろうが、曲芸的に下の歯の歯先だろうが、歯裏だろうが、舌をつけているところから離れることがあれば、英語の t, d
に近い音が出ます。「離れる瞬間の音」というのが本質であり、舌の位置が(上の歯の)歯裏でも歯茎でもいいと思います。その動きさえきちんとしていれば、
吉さんの言う通り、「たとえ黙音となっても」誤解は生じないと思います。can と can't
では論理的にまったく逆の文を作りますので、can't
を言うとき、舌を離すことが肝要と思います。それが吉さんの言う、「舌がはねていれば」ということだと理解しています。
ダーティテクニックになるのかもしれませんが、 can'tを言うときは、can
を言うよりも音を延ばすということでも区別は作れます。しかし、こちらのやり方よりも、「舌を離す」ということが本来の音の作り方だと思います。
以上は吉さんのコーチによって、Mさんは解決していることなのですが、他の人の役に立つかもしれないと思って書きました。
>>あごを下げて言うというのは、とても分かりやすい表現だと思います。いままで、口を大きく開けるというふうに意識していました。
>Mさんは、明るいa の音は、きちんと出ていたのであまり注意しませんでしたが、「あごを下げて」は楽ですよね。
「歯医者」の「アーン」の「アー」ですが、口の開きの大きさではなく、顎の動きを意識してもらうのがいいと考えたのは、[逆さe][逆さv]と対照させ
ることができるからです。
[逆さe][逆さv]は、ともに狭い音で、顎が動かないと考えていいと思います。「発音10のポイント」で Eliot
さんが、[逆さv]に関して、あまり大きく顎を下げないという意味のことを書いておられますが、まったく顎を下げないのが本来だと思っています。
>逆さvは自然にポカンと開いた口のまま「ア」 顎を大きく下げないこと。
これが Eliot さんの[逆さ v] のとらえ方です。現象的にはまったくこうなるのでしょうが、本質は、[逆さ v]も「狭い」ということです。
>MondayのMonとlemonのmonは同じ音には聞こえないし、doneとLondonのdonもやはり同じ音には聞こえません。
Monday の mon にアクセントがあり、lemon の mon
にアクセントがないから「同じ音には聞こえません」ということになっているわけです。done と London の don に関しても同様です。
元々は同じ音なのですが、アクセントのないところの音は、おろそかにされやすくあいまいな音になる傾向ははっきりあります。これを私は「いいかげんな
音」と言って、Eliot
さんに叱られたことがあります。しかし、いいかげんに扱われている音は、「いいかげんな音」として厳然と存在するものです。[逆さv]の音がいいかげんに
扱われると、[逆さe]になるのです。
単独の[逆さe]
の本質は、「力が抜けている」ということにあります。ですから、逆から言うと、「力が抜けている」音のところにアクセントはこないということになります。
もともとは同じ音が、アクセントの有無によって、「逆さe」と「逆さv」の二つに枝別れしたのだととらえるのが、現象からではなく本質から考える考え方
だと思っています。
ともに顎が動かないと規定した方がいいのは、もともと同じくらいに狭い音だからです。
>>c の反対の発音のとき
これは発音記号の「逆さまC」の事でしょうか?
>前回はこの説明や注意はなかったと思いますが、「逆さまC」は「卵をくわえた形」です。morning の[or]
で説明したかと思います。 「あごが下がる」とは違いますが、、、。
morning の or
の音は、あだ名は「ゆで卵」です。ゆで卵を口にくわえて落とさないようにするくらいに唇に力が入る音です。卵は丸いですので、丸く力が入ります。日本語の
「オー」で代用ができないわけではありませんが、「ゆで卵」を唇でくわえる形を意識してもらうのがいいと思います。実際は、日本語の「オー」とはかなり差
の大きな音です。
この音は、「発音10のポイント」でも、「あいうえおフォニックス」でも扱えていません。どうしようかと迷っています。
「逆さまC」に関して。この辺は用語を統一した方がいいと思いました。「逆さe」や「逆さv」の「逆さ」は文字の上下がさかさまだということで「逆さ」
と言っています。「ゆで卵」の C
の「左右が逆」の表記については、「鏡文字c」と言っています。「上下」ではなく、「左右」が入れ替わっている場合に、「鏡文字」と言わないと生徒さんが
混乱するだろうという配慮です。
>根石さん、、838行目 On your genitals again.
クエッションマークが抜けていました。
ご指摘ありがとうございます。レッスン時に、生徒さんに伝えます。
【11869】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月 9日(火)03時10分33秒
>「練習に対する解説」 ・・・ ここの部分で協力させて頂けるのですね。
ええ、そうです。お願いします。
>厳しい納期があるとプレッシャーですが、精一杯やらせて頂きます。
納期はとてもゆるやかです。掲示板で村田君、私も加わって一緒に練るのでもいいです。
>とは言いましても、まだ何をどのように解説すれば良いか見当がつきません、、。
これは、まあ、テープの現物が出来れば、見当はすぐにつけて下さるでしょう。
>(自分の考えるところがあって)小学生の音作りの解説は、遠慮させてください。
先日、小学3年生の「音づくり」をやりましたが、40分だったか50分連続でやり、後半の15分くらいで、急に英語の音が立ち上がってくる感じがありま
した。村田君が傍で聞いていて、「おおっ」と驚いていました。
吉さんの「考えるところがあって」というのは、小学生に英語の音づくりなどすべきではないということかと推測しましたが、「音づくり」は「音」を作るだ
けですから、やってもいいのだと確信するようになりました。
小学生にまともな「音づくり」などは早すぎるというのは、文部科学省と同じ言い分になってしまいます。そのくせ、文部科学省は、教室の練習で、文を
「音」ではなく「声」にすることが実現可能だという馬鹿なおとぎ話を押しだそうとしています。昔からこの省庁が言うことは、馬鹿ばっかしです。
小学生にもしやらせるとしたら、やらせるべきことは、「声」ではなく、「音」として扱うことです。
一週間を日本語の「音・声」で暮らし、週に一回数十分、英語の「音」だけを練習する小学生が、日本語の「音・声」を侵害(侵略)されることは起こりませ
ん。
その辺のことを小学生にこう言いました。
「これでまた、一週間、家や学校で日本語だけで生活してから塾に来るから、今日やってできた音も来週は壊れてしまっているかもしれない。だけど、それで
いい。少しずつ英語の音ができてくるから、気にしなくていいから」
英文をいきなり「声」にさせようとする馬鹿なおとぎ話でなく、英文の「音」だけの練習をさせるなら、日本語の音も英語の音も、共存して育ちます。日本語
の磁場で「声」にするものは、もちろん日本語の文です。
じゃあ、なんでそんな小さい子に「英語の音だけ」を扱わせるのか。
いずれ、英語の磁場に交わる可能性があるからです。
「音」に関してだけなら、小学生から英語をやらせていいと確信することができました。それは、「音」だけなので、英語ですらないわけです。異言語を元に
した、一種の「音楽」の練習です。音とイメージを合体させることを要求しないので、いまだ語学ではありません。
>「波状的インプット」、これを外さないわけがありません。
これを「外すわけがありません」だと読みましたが、多分私の読みでいいと思います。それが外れていないなら、安心です。
>エディター?でしたか、、ソフトウェアを紹介してくださったと思いましたが、ああ、、これで必要なんだな、、と、感じました。
私はMS−DOSの頃から使っているので、WZ-editor
を使っていますが、Windows時代になって登場した「秀丸エディタ」というのが、一般に普及しているようです。秀丸については、私より村田君が詳しい
です。
>10代最後だったか、二十歳前後の時は、
TOEFLの文法のセクションでは、毎回ほとんど満点に近かったのですが、
文法知識がすっかり抜けていて自分でも驚くくらい忘れています(笑)。
英語が話せる人は、いったん身につけた文法(事項・用語)を忘れてしまうくらいに、文法が実際の語法の中に根付いているのだと思います。つまり、それが
磁場の御利益です。テキストを作る場合は、これから文法を媒介にする必要のある段階の人(生徒)のために作るのですから、いやでも文法(事項・用語)を使
わざるをえません。私は年がら年じゅうその仕事の中にいるため、話すときに頭の中で文法(事項・用語)がちらちらするのが、悩ましいし邪魔っけです。私は
まったく磁場を欠いているので、しょうがないのだというか、それでいいんだと考えてしゃべります。
>私の方にメールなどで直接連絡される方があっても、
一度根石さん経由でお願いさせて頂きます。
よろしくお願い致します。
【11871】
小学生の音作りに関して 投稿者:吉 投稿日:2007年10月10日(水)22時41分33秒
根石さんの方法なら問題ないと私も思っております。
これは本当にそう思っています。
小さな学習者の中で混乱もおきないだろうと考えています。
そこに関しては私は納得しまくりなのです。
つまり「語学論」の観点からは問題無しなのです。
「それなら良いではないか」と言われてしまいそうです。
私の中の気持ちとそり合わないのは、
私の中で育ち始めた「教育論」のためです。
『根石さんの語学論の中に「本質」を見つけるスキル』
小学生の内に、こういうスキルの種まきをしたいと(私は)考えています。
このスキルが育っていけば、学習者が根石さんを見つけた時に素通りしないだろうと
(私は)考えています。
大人になってからも「学び」に戻ってきてくれるだろうと(私は)考えています。
そこに私の気持ちはあります。
学習者の主体性、自分で工夫して考える力、文章から見る力、ねばり強さ、、、
小学生の頃に、こういう部分の種まきをしたいと(私は)考えております。
私が小学生の音作りに対する「解説」を書くことによって、
同じような世代のお子さんをお持ちの保護者に誤解を与える可能性を(私は)心配しております。
すべて私の気持ちです。
お許しください。
【11872】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月10日(水)22時53分48秒
沢山の事を学ばせて頂いております。
ありがとうございます。
> 納期はとてもゆるやかです。掲示板で村田君、私も加わって一緒に練るのでもいいです。
こう言って頂けて安心しました。 よろしくお願いいたします。
>「波状的インプット」、これを外さないわけがありません。
>> これを「外すわけがありません」だと読みましたが、多分私の読みでいいと思います。
>> それが外れていないなら、安心です。
あららら、、、。 (^^;; はずかしい、、。
この書き込みの後メールで送ります。
>「秀丸エディタ」というのが、一般に普及しているようです。秀丸については、私より村田君が詳しいです。
そうなんですね、、村田さんが使っているなら色々教えてもらえそうです。
これを入手して、とりあえず作ってみたお試しテキストを、
もう少し作りこんでみたいと考えています。
>「ゆで卵」の C の「左右が逆」の表記については、「鏡文字c」、、
はい、、今後、この呼び方でやらせてもらいます。
【11875】
散文も凄い 投稿者:matsu 投稿日:2007年10月13日(土)23時22分42秒
根石さん
「英語どんでん・・」読みました。
運よく、近所の古本屋で手に入りました。
自分の貧弱な外国語学習体験に照らしても、
腑に落ちるというか、目からウロコが落ちることばかりだったのですが、
語学を離れても、
言葉や生活や人間について、考えることを喚起するような
具体的な言葉・イメージに満ちていました。
根石さんは、自分の理念は低い、と書いていますが、
「低い」ゆえの強さ、広さを感じることができました。
(むしろ矜持の言葉だったのですね)
実は今日、ミッドナイトプレスから
「暮らしの手帳」が届きました。
ぺらぺらめくると、
懐かしい「人形のつめ」の根石さんが顔をのぞかせていて、
これから読むのが楽しみです。
根石さんは、(テキストだけでなく)
エッセイも批評も凄い!
【11876】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月14日(日)02時52分33秒
「英語どんでん」も読んで下さったのですか。ありがとうございます。英語で生活を成り立たせてきたので、英語に関して考えてきたものを世間に向けて書い
ておく義理があると自分で勝手に思っていました。友達が勤めている印刷所を使って自分で冊子を作ったのは、世間に義理があると考えたためでした。それが小
学館の編集者の目にとまり、文庫化の声がかかったときは、是非お願いしたいと返事をしました。
>運よく、近所の古本屋で手に入りました。
また古本屋でみかけたら、入手しておいていただけたらありがたいです。ネット上で1万円を超えるような馬鹿げた高値がついたことがあるらしく困っていま
した。手持ちの部数が少なくなってきていますので・・・。
>根石さんは、自分の理念は低い、と書いていますが、「低い」ゆえの強さ、広さを感じることができました。(むしろ矜持の言葉だったのですね)
うーん。矜持なのでしょうか。事実なんだと思っています。私には世界思想というようなパースペクティヴがないのです。
>実は今日、ミッドナイトプレスから「暮らしの手帳」が届きました。ぺらぺらめくると、懐かしい「人形のつめ」の根石さんが顔をのぞかせていて、これから
読むのが楽しみです。
こちらの本はまったく山本かずこさんと岡田幸文さんのおかげです。私は書いたものを大事にしないのですが、当時はたまたま本棚に書いた雑誌をまとめて置
いてあったために本にできました。あれ以降はまるで書き散らしのままで、書いたものをまとめて置いておくこともしないので、どこに何を書いたかなどわから
なくなっています。
というか、近頃はネット上で書くことが多くなっているということだと思います。
しかし、matsu さんがして下さるようにまとめて読んでもらうためには、本の方がはるかにすぐれていますね。
まあ、書けるだけは書いておきたいと思っています。散乱しようがどうしようが、それ以降は私の仕事ではないから、放ってあります。
読んでいただいた感想を直にお聞きできるのはうれしいことです。「暮らしの手帳」のご感想もお聞かせ下さい。
【11877】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月14日(日)03時50分29秒
>『根石さんの語学論の中に「本質」を見つけるスキル』
小学生の内に、こういうスキルの種まきをしたいと(私は)考えています。
このスキルが育っていけば、学習者が根石さんを見つけた時に素通りしないだろうと(私は)考えています。
大人になってからも「学び」に戻ってきてくれるだろうと(私は)考えています。学習者の主体性、自分で工夫して考える力、文章から見る力、ねばり強
さ、、、小学生の頃に、こういう部分の種まきをしたいと(私は)考えております。
学習者の主体性には、私は触ることはできないものと考えています。ですから、主体性については私には何も教育論めいたものはありません。
主体性は自発性だとも思うのですが、教育的に生徒の外側から与えられた条件によって生じるものは、すでに自発性ではないのではないかという疑いが私にあ
ります。
自発性とか主体性が生じるのは、怒りとか渇望とか欠如感のようなものからであり、それを外側から生徒に与えることはできない(それは教育以外のところか
らやってくる)と考えています。主体性は「生じる」ものであり、それを「生じさせる」ことはできないというか・・・。
見破る眼力のようなものは、スキルだとは思えないのです。眼力は眼力であり、コーチが作れるスキルというようなものではないと・・・。
ここでも、コーチは「邪魔を取り除く」ことができるだけだという考えです。コーチがやるべきことをすべてやった後に、生徒がそれをどこまで遠く持ち運ぶ
のかは、私はまったく生徒まかせです。逆に、レッスンを離れたとたんに、そこですべてが止まってしまうような場合、そのこと自体に私は触ることができな
い。それは、生徒の意志すらも超えたものによって決まるのだと思っています。
しかし、世間は広く、私が最初から手をつけようとしないことをやる人がいます。「ここって塾!?」を書かれた藤井東(ふじいはる)さんのような人を今
思っています。
藤井さんのやられたことには本当に頭が下がります。
「ここって塾!?」は春秋社から発行されました。
うまく本が見つかったので、今机の上に持ってきてありますが、本の帯にある吉本隆明さんの言葉が正確だと思いました。
「生徒に与えつづけている影響がどれほどのものか藤井先生自身に判るのは、もしかすると、ずっと後なのかもしれない」(吉本隆明)
藤井さんも、主体性や自発性を作れるとは考えてはいないと思います。藤井さんが凄いのは、怒りや渇望や欠如感を見守り、肯定するときのその肯定の力で
す。本当の教育者というのはこういう人のことだと思っています。その意味では、私はまったく教育者ではありません。
私は結構お構いなしに「練習はしてくれ」と言います。藤井さんは、「したくないときはしなくていいんだよ」と言うと思います。そこがすごく違うのです。
私は、今後もコーチを自称するしかありません。
教育ということは、私にはわかりません。
こうしようと思って意図することなどは、教育という場面では本当は無力で、子供に本当に根付くものは、人の立ち姿だけではないかとも思います。藤井さん
で言えば、藤井さんの立ち姿がいいのです。「子供は親の背中を見て育つ」というような言葉が言っているものと同じだと思います。
コーチは一種の職人ですね。その眼目は「邪魔を取り除く」ということに尽きると思います。教育については、私はまったく苦手です。ともかく、意図してや
れるようなものではないとは思っています。
【11879】
根石さんへ(教育とかいろいろ) 投稿者:吉 投稿日:2007年10月15日(月)20時02分27秒
> 私は結構お構いなしに「練習はしてくれ」と言います。
根石さん、、私も同じ事を言いますよ。 これはMさんがフォローしてくれると嬉しいのですが、
私も「練習する事を約束してください」とMさんに伝えています。
12歳以上の学習者には、語学論を持った素読舎のコーチとして、しっかりと伝えていきます。
「邪魔を取り除く」に徹します。 そして余計な事はいたしません。 お約束いたします。
> 藤井さんも、主体性や自発性を作れるとは考えてはいないと思います。
> ともかく、意図してやれるようなものではないとは思っています。
すると、、主体性や自発性が人の中に生まれるのは、偶然の産物とお考えなのでしょうか?
見えている教育者(親)なら、12歳までに狙って持たせる事ができると私は信じています。
幼年期には、「抱っこして」と言われたら「いいよ」と言って子供にやってやる。
そこから情緒の安定・安心感が育ちます。
安心感が育っている子は親から離れてチャレンジできるようになります。
子供がチャレンジして失敗しても「ほら、みなさい」と失敗をけなすのではなく、
子供が挑戦した行動を認めてあげるのです。
こういう小さな積み重ねで、自発性の種(チャレンジ精神のようなもの)が子供の中で育っていきます。
「ピアノを習いたい」と小2の子が言ったとします。
「いいよ」と言ってやらせたとします。
3ヵ月後に「やっぱりやめる」と言ってきた時に、
やはり「いいよ」と言ってあげられるかどうかという事だと思います。
鬼ごっこやりたい!、缶蹴りやりたい!
こういう子供の欲求を満たしてあげる事も大切だと考えています。
「一緒に遊んで!」、、ここで「疲れているからダメ」と毎回言い、
ずっと子供の要求に答えてあげていないと、
子供は「どうせお願いしてもダメといわれるから」と、
最初からあきらめモードになってしまうと思うのです。
子供は「やる気満々」なんです。
この遊びに対する「やる気」をきちんと育ててもらっているかどうかが、
12歳以降の学ぶ喜びや「やる気」に繋がるのだと思うのです。
子供の頃、どれだけのびのびと好きな事をやらされてもらえたかでどうかで、
いろいろと決まってくる事もあるようなのです。
教育者(親)が、子供が12歳までに育つまで、
ジックリと、しかし少ないタイミングを見極めて育てていけば良いのです。
<< 子供の主体性や考える力を殺すもの >>
主体性や自発性を「生じさせる」のは、一朝一夕にはできません。
教育者(親)が狙って満足回路を満たしていく必要があるのです。
ですが、、主体性を奪い取るような教育が今の社会には蔓延しているようなのです。
月曜はピアノ
火曜は公文
水曜は水泳
木曜は英会話
金曜は学習塾
こういう勘違いした「教育」で、子供の主体性は殺されていると思うのです。
親から人生のレールを「与えられている」お子様がいます。
「あたえられたものをこなしている」だけのお子様が本当にいます。
12歳までに「やらされている」「こなしているだけ」では、
子供の主体性や自主性が芽生える確立は下がると思います。
「やりたいから」という理由で与えてはいけないものもこの現代社会にはあります。
テレビゲームは、子供が自主的に「やりたい」というもののナンバーワンです。
ですが、テレビゲームは、「子供の考える力」を育てません。
主体的に遊んでいますが、あれは「ゲームに遊ばせてもらっている」のです。
やっている間は、頭を使わなくて良いから「楽」なのです。
有料の遊園地もそうです。
僕はディズニーランドは大好きですが、あそこも「遊ばせてくれる場所」です。
自分で考える必要はなく、「楽しみ」をすべて提供してくれる場所です。
私はこの理由から、車にのってわざわざ遠出して、何もない野原だけの公園に子供達を連れていきます。
私の子供達はそこで目いっぱい遊べますが、一度、子供の友達を連れていった事があります。
そのお友達は、「ここで何をするの?」「ここ何もないよ。」「ゲーム持ってくれば良かった」と言いました。
何も無い場所での遊び方を知らなかったのです。
テレビゲームのなかった時代、娯楽の少なかった時代、子供達は体を使って、
自分達で工夫して楽しい遊びを考え出していました。 頭を使っていました。
今の社会は、テレビゲームなどの遊びから、考えない頭を量産しています。
普段の生活の中で、考えない頭を作っています。
そして学校の宿題などや、多くの塾でも「考えない頭」を作っています。
> 見破る眼力のようなものは、スキルだとは思えないのです。
> コーチが作れるスキルというようなものではないと・・・。
根石さんがおっしゃる事は本当にその通りだと思います。
ですが、、語学の道を進むのには、音だけではなく、イメージする力や、
ジックリ粘って考える力、なども必要だと考えませんか?
今の子供達は、考えるよりも先に、口を開けば「わかんなーい、コレ足し算? 引き算?」です。
考えるのがメンドクサイのです。
与えられた物をこなしているだけの方がずっと楽だと考えている子が多いのです。
遊びでさえ「ゲームのように与えてくれるもの」が良いのです。
小学校程度の「考える力」なんて、本来は、
体を使った主体的な遊びの中からでも、ある程度、自然に獲得できるものなのだと思います。
ですが、、、今はあえて「スキル」として意識して獲得させていかないと、
身につかないのではないかと考えるようになりました。
基本的な「考える力」も身につけられないのです。 眼力なんてとても無理です。
せめて、、意識して12歳以下には、テレビゲームを制限するだとか、、
「あたえられたものをこなしているだけの子供になっていないか」とか、
そういう事を注意しなければいけないのです。
月曜ピアノ、火曜公文、水曜水泳、木曜英会話、、と、子供にやらせている教育者(親)がいます。
子供の主体性も、子供の考える力も奪い取っているのです。
そういう事を「教育」と信じきっている教育者(親)が、私のコメントを読んで、、
「吉さんが言っているのだから、小3から英語をやらせてもいいのね」と勘違いする事を避けたいのです。
私が12歳以下の英語教育についてコメントしたくないのは、そこにあります。
のびのびと好きな事をやらされてもらっているお子様であり、
「考える力」もきちんと育成させてもらっているお子様であり、
習い事などを他にやっていないような子供が根石さんの所で学ぶのなら、
私は「問題ないでしょう」と言います(笑)。
(それでも最低でも9歳以上だと思っていますが、、)
この辺りの教育理念を持たない教育者(親)が多いなかで、
子供の「主体性も考える力」も奪われているこの現代社会で、
私のコメントが誤解を与える事は絶対に避けたい事なのです。
これは、日本の子供の「考える力」を守るためでもあるのです。
言ってしまうと「小学生に英語なんて」ではないのです。
私の中では「小学生に必要以上の習い事なんて」なのです。
私の言いたい事が半分も伝わったかどうか分かりませんが、
私の気持ちはそこにあります。
前にも書きましたが、語学論の観点からの発言ではなく「教育論」からの発言です。
ご理解ください。
【11880】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月16日(火)02時03分11秒
>>私は結構お構いなしに「練習はしてくれ」と言います。
>根石さん、、私も同じ事を言いますよ。 これはMさんがフォローしてくれると嬉しいのですが、
私も「練習する事を約束してください」とMさんに伝えています。
私は子供に対してもそうだったのです。子供はやる気がある日もあれば、やりたくない日もありますが、「ここにいる間はやれ」と言い、やらせました。そこ
が藤井さんはまるで違うのです。藤井さんは「やりたくないときはやらなくていい」と言います。藤井さんは教育者であり、私はコーチ(語学屋)でしかないと
いうことです。
>12歳以上の学習者には、語学論を持った素読舎のコーチとして、しっかりと伝えていきます。
そうですね。年齢というものが重要だと思います。吉さんは12歳以前、12歳以後に大別されているということでしょうか。私は12歳というところにどう
いう根拠を見ればいいのかわかりません。学校制度上、小学生が中学生になる年齢だからというようなことは何の根拠にもならないと思っています。
私には、小学校3年、4年くらいの年齢にひとつの節目があるという感触があります。素読で英語の練習を開始可能な年齢として、小学4年生から受け付ける
という期間が長く続きました。いつからか正確なところは忘れてしまいましたが、おそらく20年くらいも続いたかと思います。素読舎は、20年かけて、4年
生から3年生に年齢を下げました。
小学校3年、4年くらいの年齢で、日本語のシンタックスが固まってくるというのが私がそこに節目を見る根拠です。
それ以前の節目は、2歳から3歳くらいにあると考えています。日本語のシンタックスの大枠ができる年齢です。それ以降、小学3,4年生くらいまで、少し
ずつ日本語のシンタックスがしっかりしていきます。この期間に、私は磁場を欠いて子供に英語をやらせることはしていません。日本語のシンタックスがよちよ
ち歩きから、しっかりした歩きに変わっていく期間ですから。
小学3、4年以後の節目は、十代の半ばから後半にあると考えています。これはもう、大人の段階に足をかける時期であり、しっかりした歩きどころか、走る
ことができる段階です。
日本語のシンタックスが本当にしっかりするまでに、15年以上かかるんじゃないかと考えています。
十代の後半では、英語の音とイメージを一体化させる作業はやっていいと思いますが、小学3,4年で始めた場合は、イメージ化は課する必要はない。音だけ
でいい。ここが、文部省の方針が根底から転倒しているところです。
小学生の間は音はいいかげんでいい、それよりも、ネイティヴと同じように簡単な言い回しを言えること、だというのです。いいぐさが馬鹿だとしか思えませ
ん。
10年くらい音だけでやっていてもいいというくらいに今では思っています。その場合に、小学3,4年生で始めるのが最適なのだとも思っています。
>> 藤井さんも、主体性や自発性を作れるとは考えてはいないと思います。
>> ともかく、意図してやれるようなものではないとは思っています。
>すると、、主体性や自発性が人の中に生まれるのは、偶然の産物とお考えなのでしょうか?
もう一度お読みいただきたく思います。
>>自発性とか主体性が生じるのは、怒りとか渇望とか欠如感のようなものからであり、それを外側から生徒に与えることはできない(それは教育以外のところ
からやってくる)と考えています。
2,3歳の節目までは、よく語りかけてやるだけでいいかもしれません。小学3,4年くらいまでは、ものを唱えることをいろいろやる程度でいいかもしれま
せん。それから以後、10年くらいが、子供にとって世の中と出会う準備の期間だと思います。行きつ戻りつがある期間です。内心の咀嚼が深まる期間です。十
代の後半の前半になるか後半になるかは人によると思いますが、この頃に子供は社会というものを考えの中に繰り込み始めると思います。社会をリアルなものと
して受け止め始めるのだろうと思います。
「怒りとか渇望とか欠如感」というものが、自発性や主体性に転じることが可能になる年齢です。
私のもの言いも、いくつもある節目を踏まえずに言ったもの言いでした。
再度疑問を呈したいのは、12歳という節目に何の根拠があるのかということです。小学生が中学に行くのは、確かに激変を体験することだと思いますが、そ
れは外的な環境の激変です。そこに心的な発達史の節目があるとする根拠はないだろうと考えています。心的な発達の節目は心的な発達そのものから生じるので
あり、学校制度などが作る節目に何の根拠もない、と。
>見えている教育者(親)なら、12歳までに狙って持たせる事ができると私は信じています。
それは弱いと思います。「背中を見て育つ」ときの背中の方がはるかに強いと思います。
>幼年期には、「抱っこして」と言われたら「いいよ」と言って子供にやってやる。そこから情緒の安定・安心感が育ちます。
安心感が育っている子は親から離れてチャレンジできるようになります。
子供がチャレンジして失敗しても「ほら、みなさい」と失敗をけなすのではなく、子供が挑戦した行動を認めてあげるのです。
こういう小さな積み重ねで、自発性の種(チャレンジ精神のようなもの)が子供の中で育っていきます。
このあたりにはまるで異論がありません。
ただ、この場合の自発性は、十代後半以前にだけ有効な概念だと考えます。それ以降は否定性をバネとした自発性や主体性になると思います。
>「一緒に遊んで!」、、ここで「疲れているからダメ」と毎回言い、
ずっと子供の要求に答えてあげていないと、
子供は「どうせお願いしてもダメといわれるから」と、
最初からあきらめモードになってしまうと思うのです。
これは考えさせられました。反省します。
【11881】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月16日(火)02時39分7秒
<< 子供の主体性や考える力を殺すもの >>
>教育者(親)が狙って満足回路を満たしていく必要があるのです。
よくわかりません。ただわがままな子供ができるだけになることもあると思います。「狙う」必要がなぜあるのかもわかりません。「たくらみ」は全部バレま
すよ。親子というのはそういうものです。
>主体性を奪い取るような教育が今の社会には蔓延しているようなのです。
月曜はピアノ
火曜は公文
水曜は水泳
木曜は英会話
金曜は学習塾
こういう勘違いした「教育」で、子供の主体性は殺されていると思うのです。
親から人生のレールを「与えられている」お子様がいます。
「あたえられたものをこなしている」だけのお子様が本当にいます。
ほんとうにそうですね。ピアノ、公文、水泳、英会話、学習塾のすべての首を絞めて殺した上で、素読舎を選び取ってくれる親がまったく払底しています。何
を偉そうに言っているのかと自分でも思うのですが、私が偉そうであろうとなかろうと、素読舎というものはそういうものだと思っています。それがしかし、食
えないのです。生活が成り立つか成り立たないかというところをずっと歩き続けてきました。馬鹿は恐ろしい。見えないのです。
>12歳までに「やらされている」「こなしているだけ」では、
子供の主体性や自主性が芽生える確立は下がると思います。
確率どころの話ではないと思います。これが子供を殺しています。
>「やりたいから」という理由で与えてはいけないものもこの現代社会にはあります。テレビゲームは、子供が自主的に「やりたい」というもののナンバーワン
です。ですが、テレビゲームは、「子供の考える力」を育てません。
この辺は私にはわかりません。
>主体的に遊んでいますが、あれは「ゲームに遊ばせてもらっている」のです。やっている間は、頭を使わなくて良いから「楽」なのです。
主体的に遊んでいるとは思えません。言葉の遊びになることを恐れますが、客体的に遊んでいると思います。多分、吉さんも同じことを言っておられます。
>私はこの理由から、車にのってわざわざ遠出して、何もない野原だけの公園に子供達を連れていきます。私の子供達はそこで目いっぱい遊べますが、一度、子
供の友達を連れていった事があります。そのお友達は、「ここで何をするの?」「ここ何もないよ。」「ゲーム持ってくれば良かった」と言いました。何も無い
場所での遊び方を知らなかったのです。
なるほど。何もない場所での遊び方自体を教えてしまっていないことを願っています。子供はよく見守ってほったらかしておけばいいのだというのが、現在の
私の基本的な考えです。
>普段の生活の中で、考えない頭を作っています。
>そして学校の宿題などや、多くの塾でも「考えない頭」を作っています。
これは本当にその通りです。
>語学の道を進むのには、音だけではなく、イメージする力や、ジックリ粘って考える力、なども必要だと考えませんか?
それは絶対に必要ですが、それをコーチが作ることはできません。作ることができるなどと考えるのは不遜なことだと思っています。コーチが邪魔を取り除く
ことをしても、イメージが発動しないこともあり得ると思っています。その場合、長く続けたコーチの努力は水の泡になります。仕方がないことだと思っていま
す。私は人間の自発性に触りたくありません。
>小学校程度の「考える力」なんて、本来は、体を使った主体的な遊びの中からでも、ある程度、自然に獲得できるものなのだと思います。
この辺もよくわかりません。考える力は、むしろ子供が一人で遊ぶことを、大人が邪魔しないことでできると思いますが。体を使うかどうかはポイントではな
いと思います。
>ですが、、、今はあえて「スキル」として意識して獲得させていかないと、
身につかないのではないかと考えるようになりました。
狭める必要はなかろうと思います。
>せめて、、意識して12歳以下には、テレビゲームを制限するだとか、、
「あたえられたものをこなしているだけの子供になっていないか」とか、
そういう事を注意しなければいけないのです。
注意したところで、「与えられたものをこなしているだけの子供」がみつかったら後の祭りですね。すでに、それ以前が間違っていたのです。子供は命に関わ
るとか、家の大黒柱をノコギリで挽く(私の女房がそれをやった)というようなことをしなければ、放っておくに限ります。一歩引いて、見守って、放っておく
のが最良だと思います。テレビゲームだって、そこから何を引きずり出すかは、子供によってまるで違うでしょう。「それ以前」がそれを決めることです。
>のびのびと好きな事をやらされてもらっているお子様であり、
「考える力」もきちんと育成させてもらっているお子様であり、
習い事などを他にやっていないような子供が根石さんの所で学ぶのなら、
私は「問題ないでしょう」と言います(笑)。
(それでも最低でも9歳以上だと思っていますが、、)
こういう「のびのび」を私は信じておりません。子供は、親の心を読み、「のびのび」を演じることすらします。「考える力」は、放っておくのが一番伸びる
と思っています。
>言ってしまうと「小学生に英語なんて」ではないのです。
私の中では「小学生に必要以上の習い事なんて」なのです。
すべての教科は、子供にとって「必要以上の習い事」です。
【11883】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月16日(火)03時11分48秒
とにかく、子供の邪魔をしないことだと思います。
よかれと思ってやっていることが、邪魔を取り除くことの正反対をやっていることはありうることだと思います。
子供は、見守りながら放っておくのが一番です。
狙うことは無効だとも思います。
その上でやってもよいことは、「冷凍された英語」「冷凍された知識」を唱える程度のことです。それは九九を唱えるようなこととまったく同じレベルのこと
です。
小学3年から始める素読舎の英語も、それと同じレベルのものです。
九九を唱えてあるかないかで、それ以後の算数・数学の命運が違ったものになるのと同様に、素読舎の英語を小学3年で始めるかどうかで、それ以後の英語の
命運ははっきりと違うと思っています。
「冷凍」であり、「干物」であり、「死んだ知識」であってまるで構わない。それはいずれ命を得て、動き始める。そういう不思議が人間には起こります。
直線的な「のびのび」だの、「個性」だの、「いきいき」だのを私が信じないのも、人間というものの不思議を信じているからです。否定性から身をもたげる
ものだけが、人間だと思っているからです。
【11884】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月16日(火)22時12分37秒
まずはお礼を言わせてください。
「大風呂敷」に書き込みをさせて頂く事で、私の頭の中も整理されていきます。
また根石さんのコメントには頭が下がりっぱなしです。
薪の乾燥小屋、畑、自宅など、ご多忙中のなか、とてもタメになる文章を読ませて頂いております。
matsuさんが、コメントを書いてくれていますが、私も根石さんの文章は「すばらしい」と思います。
また、私の書き込みが理由で、書き込みをしり込みされている素読舎の塾生さんや、
常連さんもたくさんいると想像しております。 お許しください。
>「たくらみ」は全部バレますよ。親子というのはそういうものです。
いやいや、、もうこれは、子育ての大先輩が言うのですから間違いないのでしょう。
わかりました。
でも僕は12歳で子育てを終えるつもりですから、「たくらみ」も残り2年だけです。
> 小学生の間は音はいいかげんでいい、それよりも、ネイティヴと同じように簡単な言い回しを言えること、だというのです。
> いいぐさが馬鹿だとしか思えません。
同感です。 これは根石さんに出会ってハッキリしています。
根石さんの語学論も指導法も日本で最高峰です。
> 私はコーチ(語学屋)でしかないということです。
しかし、、私は根石さんから多くの事を学ばせてもらっています。
最高の教育者だとも私は思っています。 私をここまで育ててくださいました。
2006年1月頃に素読舎に出会い。 そして初めて書き込みをしたのは、3月頃だったでしょうか、、。
わずか1年と半年ですよ。 この短期間に大きく育ててもらいました。
私の中では、根石さんは大きな存在です。 ありがとうございます。
> 吉さんは12歳以前、12歳以後に大別されているということでしょうか。
ハッキリした線引きをしています。理屈は糸山泰造先生から学びました。
スミマセン、、ここが、どうしても噛みあわない所ですね。 すみません、、。
昨日の根石さんのコメントを読んで、糸山泰造先生の教育論と大きくずれていない事がわかり、
私がお二人を見つけた「眼力」は雲ってなかったと確信しました。
根石さん、私は根石さんの語学論に本質を見つけたのと同じ感覚で、
糸山先生の教育論の中に同じものを見つけています。
根石さんの語学論と出会ってしまったのと同じですね。
英語の学習に関しては、譲れないものが私の中で確立してしまいました。
コレに対して異論を唱える人が現われたら守り抜きます。
> 私は12歳というところにどういう根拠を見ればいいのかわかりません。
> 学校制度上、小学生が中学生になる年齢だからというようなことは何の根拠にもならないと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・
> 再度疑問を呈したいのは、12歳という節目に何の根拠があるのかということです。
> 小学生が中学に行くのは、確かに激変を体験することだと思いますが、それは外的な環境の激変です。
そういう事ではありません。 私は詳しく説明できないのですが、脳内レベルの変化です。
一次的(脳)な変化です。 この脳内レベルのでの変化が12歳位におき、それまでに獲得できなかった思考回路は、
消滅されていくというような理論です。
使われなかった不要な回路は、邪魔な回路として脳回路から消去されるという理屈です。
私の獲得した「教育論」なので、これを根石さんに押し付けようとは考えていません。
糸山先生の理論をサポートするネイチャーの脳内研究の論文がありますので、
もし興味がありましたらお読みください。
http://homepage.mac.com/donguriclub/nature-vol440.html
私の「12歳という線引き」は、語学の上だけではありません。
私はこの理論を、子育てに関しても同じ気持ちでやっています。
私は、子供が12歳になったら子育てはお終いにしたいと考えています。
(実際は、息子の場合、脳に機能的な問題のある子なので、サポートは必要になってしまいます。
例えばジョブコーチを探すだとか、後見人を見つけるだとか、、)
でも、基本は、12歳以上に対しては、完全に見守る覚悟です。
学校も「おやじ、、俺、高校に行きたいんだけど、、」とお願いされたら「行かせてやる」という気持ちです。
本人が行きたくないのなら「それでいい」と言う覚悟です。
ですが、「行かないのなら、自分の食べる金は稼いでね」という事です。
12歳を過ぎてますから、、。
>「背中を見て育つ」ときの背中の方がはるかに強いと思います。
根石さん、これは正論です。 しかし、「根石さんのような父親の背中」なら見せても良いが、
私の背中はどうだろう? 「この背中は見せられないね」とは、良く家内と話しています(笑)。
見せてはいけない背中もあるのでは?
もしかしたら、世の中見せられない背中の方が多いかもしれませんよ。
どうでしょう?
> この場合の自発性は、十代後半以前にだけ有効な概念だと考えます。
> それ以降は否定性をバネとした自発性や主体性になると思います。
私も根石さんのこのコメントに同意いたします。
ですが、やはり10代前半までの「安定」が大切なのだと思います。
最初に「安定」があるから、それ以降の「不安定」がバネになるのだと思います。
この辺りは糸山先生も根石さんと同じような事をおっしゃていたような気がいたします。
> ただわがままな子供ができるだけになることもあると思います。
ここは私も心配していましたが、それはないと思います。
問題は子供の精神的な満足を早いうちに満たしてあげれば良いという事だと思います。
この辺りの理屈は、佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」に書いてあったと思います。
精神面で満たすのは良いのですが、勘違いして、
おもちゃなどを買い与えて満たそうとするケースがあります。
物欲を満たす(おもちゃを買い与える)では、満たされません。
この辺りを理解していないと「わがまま」に育つ可能性は高いと思います。
> 「狙う」必要がなぜあるのかもわかりません。
12歳までに獲得できないと消滅してしまう脳の回路があるからです。
> ピアノ、公文、水泳、英会話、学習塾のすべての首を絞めて殺した上で、
> 素読舎を選び取ってくれる親がまったく払底しています。
はい、本当にその通りだと思います。
> 何を偉そうに言っているのかと自分でも思うのですが、私が偉そうであろうとなかろうと、
> 素読舎というものはそういうものだと思っています。
> それがしかし、食えないのです。
素読舎は、「お受験」をチラつかせないですからね。(笑)
「お受験」の言葉をチラッと見せれば生徒さんは獲得できると思っています。
でも「お受験対策」は辞めたのですよね。 根石さんは、正義の味方ですよ!
> 馬鹿は恐ろしい。見えないのです。
さすが根石さん。 本当ですね。 見えないのです。
で、、この「見る力」の種(たね)を、12歳までにつけておかないといけないようなのです。
脳の中で書き換えの起こる前までにその回路の基礎を作っておく必要があると私は思っているのです。
そうしないと、13歳以降にその回路が必要な時に使えないのです。
育ててもらえていませんから、、。
必要な回路がなければ、答えを見せても、見えない大人になるだろうと私は考えているのです。
根石さんは、ゴミ問題でも声を荒げておりました。
でも多くの人が「見えない」のでは?
学校、塾、受験、行政、すべてが与えられたものであり、
それをこなすだけの受身な生き方をしている人が多いから疑問にも感じないのかも、。
問題点を見ることさえできない人達が増えているのかも知れません。
>12歳までに「やらされている」「こなしているだけ」では、
子供の主体性や自主性が芽生える確立は下がると思います。
>> 確率どころの話ではないと思います。これが子供を殺しています。
ここで共通理解が得られて良かったです。
根石さんならそうコメントしてくれるだろうと確信していました!
殺し方にもよりますが、12歳までに殺された子供の脳は、
後天的学習障害ALDという異常な発達をするケースもあるようですよ。
> 主体的に遊んでいますが、あれは「ゲームに遊ばせてもらっている」のです。
> やっている間は、頭を使わなくて良いから「楽」なのです。
>> 主体的に遊んでいるとは思えません。言葉の遊びになることを恐れますが、
>> 客体的に遊んでいると思います。多分、吉さんも同じことを言っておられます。
ああ、、ありがとうございます。
「自主的」と最初に書いて、、「主体的に遊んでいるように見えますが、」と書き直そうと思ったのでした。
ここでも共通理解ですね。 嬉しいです。
> なるほど。何もない場所での遊び方自体を教えてしまっていないことを願っています。
そうですね。 そこが難しい所なのです。
とりあえず、、
「よごれるでしょ」と言いません。
「あぶないでしょ」と言いません。
「よしなさい」と言いません。
「はやくしなさい」と言いません。
>普段の生活の中で、考えない頭を作っています。
>そして学校の宿題などや、多くの塾でも「考えない頭」を作っています。
>> これは本当にその通りです。
根石さん、、私も見守るだけに徹したいのですが、
ほったらかしておいたら、「考えない頭を作る勘違いした教育」、
「テレビゲームなどの客観的遊び」などに毒されてしまいます。
子供に対する悪害を意識して排除する必要があるのです。
教育者(親)ですから、、。
>語学の道を進むのには、音だけではなく、イメージする力や、ジックリ粘って考える力、なども必要だと考えませんか?
>> それは絶対に必要ですが、それをコーチが作ることはできません。
根石さん、、英語のコーチの私の考えからも、根石さんのコメントに異論はありません。
私も作ることはできないと考えています。
私も生徒さんには、「練習してください」と言う事しかできないのです。
> 考える力は、むしろ子供が一人で遊ぶことを、大人が邪魔しないことでできると思いますが。
> 体を使うかどうかはポイントではないと思います。
はい、、しかし、公園にポータブルテレビゲームを持ってきてやっている子供を見ていると不安になります。
体を使うのは、身体動作のイメージが脳の中にできていないと出来ません。
私の息子は身体の左側を使うのが非常に困難です。脳に身体バランスを困難にする何かがあるのです。
脳の問題は回復したり治癒したりする事はありません。
息子は、自分の身長などもイメージできていませんから、トンネルに入る時も頭をぶつけたりします。
こういう事は、いちいち教えなければいけません。 身体イメージを感覚統合でゆっくりと獲得させていきます。
普通の人が問題なく獲得できる身体イメージですから、大抵の人は殆ど「無意識」でこなします。
私達が何気なくやる動作は、身体動作イメージを無意識に獲得していたのだと息子から学びました。
普段の生活の中にはない動き、例えばキャッチボールなんかは、ものすごい頭を使う事なのです。
相手が幼稚園児ならゆるい球、相手との距離が離れていれば少し強めに投げるなど、、
相手の能力に合わせて取り易いボールを投げる、これらは当たり前のようですが、
いろいろとイメージ操作をして、それを身体運動で再現しているんですね。
主体的に体を動かす遊びから得るイメージ操作は、とても豊富なんです。
テレビゲームでは、身体操作イメージの再現はされません。
> すべての教科は、子供にとって「必要以上の習い事」です。
ありがとうございます。 このように言って頂けて嬉しく思います。
同感です。 悪の根源は「受験」。
それとそれを食い物にしている大手の進学塾だと考えています。
この受験制度が廃止されるか、受験内容の質が上がらない限り、
この日本の子供の考える力は奪われると思います。
> 否定性から身をもたげるものだけが、人間だと思っているからです。
そうですね。 12歳までの「安定」が大切なのだと思います。
その後で「否定性」でもなんでもありだと考えています。
言ってしまうと12歳を過ぎたらテレビゲームだって、私の中では「やっても良い」のです。
根石さんの理屈が通るのは、
12歳までに人間に育ててもらえているかどうかだと(私は)思っています。
> 馬鹿は恐ろしい。見えないのです。
このように根石さんも言いました。
私の解説を読めない(見えない)人達がきっといます。
人を人として育てていない人達がいます。
私は自分の書く解説が誤解を生み、
12歳以下の大切な時期に詰め込み学習をさせられる子供が増える事は避けたいのです。
ご理解ください。
【11885】
ゲーム禁止の理由 投稿者:吉 投稿日:2007年10月17日(水)23時11分52秒
連日の長文投稿をお許しください。
すみません、、、語学論の掲示板ですが、どうしても言いたいのです。
失礼いたします。
> 子供は命に関わるとか、家の大黒柱をノコギリで挽く(私の女房がそれをやった)というようなことをしなければ、放っておくに限ります。
> 一歩引いて、見守って、放っておくのが最良だと思います。
> テレビゲームだって、そこから何を引きずり出すかは、子供によってまるで違うでしょう。
子供はほっとけば好きな事に没頭すると思います。
それがテレビゲームやポータブルゲームだったらやり続けると思います。
箱根のロープウェイに乗った時、ゲームをやっている子供がいました。
親は何も言いません。
おばあちゃんが、「外を見てごらん綺麗だよ。なんだいあんた、こんなところでもゲームなんてやって」と言っていました。
私はその子が気になって景色を楽しむ事ができませんでした。
果たして「放っておけ」で良いのでしょうか?
子供を「殺す教育」が存在するという部分では、根石さんと共通理解だったと思います。
子供を「殺す遊び」もあると、考えてみた事はありますでしょうか?
<< 私がゲームを禁止する理由 >>
見せてはいけないものがあると思うのです。
最近のテレビゲームの妙なリアル感をご存知でしょうか?
血の噴出す殺人ゲームをご存知でしょうか?
命に関わらないという理由で、
これをお孫さんがやるのを根石さんが認めるとは到底思いません。
全年齢対象で、ヒーローが活躍するゲームがあります。
正義の名のもとに、敵をバッサバッサと殺しまくるのです。
このゲームが言っている事は、正義という大義名分があれば、殺戮・侵略はかまわないと言う事なのです。
ハッキリ言っていませんが、そういう事です。
どこかの大国も同じような大義名分をかかげて、正義の剣を振るいました。
ゲームで洗脳されていますし、垂れ流しの一方的な情報を「受け取る」だけしかしませんから、
「大国に都合の良い理由」に疑問のカケラも感じない人を作ると思ってしまいます。
このヒーローの活躍するゲームは、都合の良い事に、
ゲームの仮想世界に存在する協会へお布施のようなものを払うと死んだ仲間を生き返らせてくれるのです。
死んだ私の叔父が生き返る? それは嬉しい事ですが、現実にはありえません。
ゲームの中の蘇えりを、この不自然さを、不自然だと感じない人が多いのじゃないかと思うのです。
この私もつい最近までは、何も感じませんでした。 怖ろしいです。 毒されていたのです。
たかが、、ゲームの中の話ではないかと言う人がいるのですが、
それは、現実と仮想の区別をしっかりとできる「人」が語れる話であって、
脳がまだ未発達な子供では、この辺りの区別はできないようなのです。
糸山先生は、バイオフィードバックという理論を使って次のように語っています。
引用開始
バイオフィードバックとマッチングによって人は満足感を伴った
安定を得ることが出来る。
ところが、感覚を伴わない情報だけでは不満足な状態となり、不安定となる。
すると、必然的に本物を<見たい><したい><感じたい>となる。
不安定な自分を安定させるための自然現象である。
ところが、その不安定にしている情報が残酷な物である場合にはどうなるだろうか?
その人は自分を安定させる為に、その情報として持っている残酷なことをバイオ
フィードバックとマッチングで安定させようとする。
幼少時の満足回路、幼児・児童期のバイオフィードバックとマッチングによる学習、
12才までの<情緒-感情-思考-判断>教育が重要な理由である。
●「ボタン1発で敵を倒せる」と脳が判断してしまう。
理屈では違うと分かっていても基本回路作成時期に作られてしまった反射は無意識に
判断を下す。 だから、危険なのだ。
<し過ぎなければ:適度に>は通じない。
幼児・児童期に適度にアルコールを飲ませる人はいない。
ましてや、モルヒネを適度に投与するなんて考えられない。
●分かっても感じなければどうなる?→殺人はいけないけど殺しても何とも思わない
(感じる回路を消滅させられている)→勘違い教育が育てる子供である
感味力→深い理解
思考力→巧みな思考
判断力→人間らしい判断:言動の判断基準
引用終わり
糸山先生が上の文章を書いたずっと後に、次のような事件がありました。
<母親殺害:5月15日12時3分配信>「母を殺しました」。
15日朝、福島県立高校3年の少年(17)が、こう言って県警会津若松署に自首した。
持っていたバッグから、切断された頭部を取り出す。
調べには「誰でもよかった」と静かに話しているという。
この事件は、糸山先生のバイオフィードバック理論が具現化されたものです。
根石さん、、子供がやりたいからと言っても、
子供が見たいと言っても、見せてはいけないものはあると思うのです。
騙し絵というものがあります。
絵の中に人や動物が隠れている絵です。
一見みると少女にみえるのに、もう一つ顔が隠れていたりするような絵です。
影の中にカラスを見つけると、もう確実にそのカラスの存在に気付けます。
一度答えを見えてしまうと、
次からは、かならず絵の中に隠れている物を見つけられるようになります。
人間の脳は、一度見えてしまうと、
どんなに元の状態にしようと思っても見えてしまうのです。
削除できないのですね。
残酷なイメージや、ゲームでの繰り返しによるインプットで強烈に焼き付けられた視覚的イメージは、
子供の頭の中から削除しようと思っても無理なんです。
だって、見えてしまうのですから、、。
だから「見せてはいけない」ものが存在するのです。
ほっといてはダメだという理由はそこにあります。
そういうものを排除するのが教育者(親)の役目だと考えています。
【11886】
根石さん 投稿者:村田 投稿日:2007年10月18日(木)04時26分54秒
日曜日の語数別分類テキストを使った練習について報告です。
・まず先週の復習
→先週やったところを全部やりました。
先週てこずったところは、ちゃんとできていました。
(「もしかして家で復習やった?」と聞いたところやってないとのこと)
時間はだいたい20分くらいです。
・新しいところ
→「5−1」まで行きました。
「2語」〜「3語」の間を行きつ戻りつしていました。
「4語」あたりが今のところ壁のようです。
時間は30分でした。
============================================
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
の方に記事アップしました。
今日はスカイプでやりますか?
【11890】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月23日(火)00時19分29秒
>「4語」あたりが今のところ壁のようです。
先日レッスンの様子を見させてもらいましたが、ちょうどそんな感じでしたね。
小学生の場合は、とりわけ語数別分類が役に立つと思います。
【11891】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月23日(火)02時56分12秒
>子供はほっとけば好きな事に没頭すると思います。
それがテレビゲームやポータブルゲームだったらやり続けると思います。
なるほど。それを子供の nature
だと考えないことが大事だと思います。ゲームにひきずり込まれた子供は閉じこめられた場所で広い場所を求めたのだと思います。大人が子供を閉じこめたこと
が自覚できないだけです。
小さいものをどんどん生きにくくする性質が、近代以降の文明、とりわけアメリカ発の文明にあると考えてきましたが、いまや小さいものを生きにくくするこ
とにおいては、日本は世界一ではないでしょうか。ごみの溶融炉などはその最たるものですし、都会人たちは溶融炉の存在に気づいてさえいません。真綿で存在
の首を絞めてくるその力が、あまりにもゆっくりとじわじわであるために、忙しい都会人は気づく余力もないのでしょうか。
だけど、ゲームをやっている子供が、「こんな場面を作っているやつって大丈夫かいな。こんなゲームを作るやつの心が心配だ」って気づくことはあると思う
のです。誰にでも、批評の芽は立ちます。批評を奪われた子供や大人が犯罪に至ります。境界(中間)に立つことを奪われた者が・・・。
テレビゲームやポータブルゲームのせいではありません。
否定性(批評)がきちんと育つかどうかが眼目だと思います。
>箱根のロープウェイに乗った時、ゲームをやっている子供がいました。
親は何も言いません。
おばあちゃんが、「外を見てごらん綺麗だよ。なんだいあんた、こんなところでもゲームなんてやって」と言っていました。
私はその子が気になって景色を楽しむ事ができませんでした。
果たして「放っておけ」で良いのでしょうか?
子供を「殺す教育」が存在するという部分では、根石さんと共通理解だったと思います。
子供を「殺す遊び」もあると、考えてみた事はありますでしょうか?
「殺す」を形容詞とするなら、「遊び」だけでなく、いろんな名詞が結びつくと思います。子供を殺す考え方、子供を殺す空気、子供を殺す水、子供を殺す沈
黙、子供を殺すおしゃべり、子供を殺す交通、子供を殺す遮断、子供を殺す性急さ、子供を殺すのんきさ、子供を殺す叱り方、子供を殺す褒め方、子供を殺す親
の悪意、子供を殺す親の善意。
遊びに殺される子供なら、他のいろんなものに殺されると思います。
>最近のテレビゲームの妙なリアル感をご存知でしょうか?
血の噴出す殺人ゲームをご存知でしょうか?
私は実はテレビゲームというのをまるでやりませんので、「妙なリアル感」というのがどういうものか具体的にはわかりません。「血の吹き出す殺人ゲーム」
に関しては、血が吹き出さなければいいのかとも思いました。「血の吹き出さない殺人ゲーム」というものこそ、日本人の圧倒的多数が生きている会社員生活だ
と思います。子供はそんなことはわかってしまうのです。あんたらは「血の吹き出さない殺人ゲーム」を隠しているつもりだろうが、まあ言ってみれば、それを
リアルなイメージにすりゃ、これだろうがっ、って具合に、ゲームが提供するイメージを選択するのだと思います。
どういうゲームを子供が選択するかは、親の「血の吹き出さない殺人ゲーム」の隠し方・顕わし方によるのだと思いますが・・・。
>正義の名のもとに、敵をバッサバッサと殺しまくるのです。
このゲームが言っている事は、正義という大義名分があれば、殺戮・侵略はかまわないと言う事なのです。
ハッキリ言っていませんが、そういう事です。
それは架空の世界です。子供は架空の世界と現実の世界をきちんと区別します。そうでなければ、「ままごと」みたいな高度なゲームができるはずがありませ
ん。
>どこかの大国も同じような大義名分をかかげて、正義の剣を振るいました。
これは現実の世界のことです。だから許してはならないのです。ゲームにつべこべ言って、ブッシュにつべこべ言わないことが問題です。ゲームをとっちめる
以上の強度でブッシュをとっちめる言説が欲しいところです。
>ゲームで洗脳されていますし、垂れ流しの一方的な情報を「受け取る」だけしかしませんから、「大国に都合の良い理由」に疑問のカケラも感じない人を作る
と思ってしまいます。
人間がそれほど直線的なものだとは思えません。
>たかが、、ゲームの中の話ではないかと言う人がいるのですが、
それは、現実と仮想の区別をしっかりとできる「人」が語れる話であって、
脳がまだ未発達な子供では、この辺りの区別はできないようなのです。
子供は区別しますよ。もし子供がそれができない場合は、大人に問題があると思います。子供の脳が未発達であるはずがない。子供の脳は文明に徐々に慣れて
いくしかないだけであり、未発達だなどとはとうてい思えません。
>バイオフィードバックとマッチングによって人は満足感を伴った
安定を得ることが出来る。
ところが、感覚を伴わない情報だけでは不満足な状態となり、不安定となる。
すると、必然的に本物を<見たい><したい><感じたい>となる。
不安定な自分を安定させるための自然現象である。
ところが、その不安定にしている情報が残酷な物である場合にはどうなるだろうか?
その人は自分を安定させる為に、その情報として持っている残酷なことをバイオフィードバックとマッチングで安定させようとする。
幼少時の満足回路、幼児・児童期のバイオフィードバックとマッチングによる学習、12才までの<情緒-感情-思考-判断>教育が重要な理由である。
幼児というものは本性からして残酷さを持つものです。それは、人間の文明・文化から眺めるから残酷なのです。情報の残酷さよりも先に幼児の動物性(残酷
さ)があります。情報が残酷さを教えるなどというのはとんでもなく話が逆立ちしています。情報は残酷さのパターン(型)を教えるだけで、残酷さはそんなも
のを教えられる前から、幼児にきちんと備わっています。
肝心要は、批評が立ち上がるかどうかだと思います。つまり、否定性が立ち上がるかどうかだと・・・。
>糸山先生が上の文章を書いたずっと後に、次のような事件がありました。
糸山先生という人の書いたものを読む気は失いました。この人の思考は直線的であり、心というものがどういうふくらみ方をするのか、あるいはどういうしぼみ
方をするのか、その時間性にはまったく触れていない文章です。
文章の質がつまらないと思いました。
><母親殺害:5月15日12時3分配信>「母を殺しました」。
15日朝、福島県立高校3年の少年(17)が、こう言って県警会津若松署に自首した。持っていたバッグから、切断された頭部を取り出す。
調べには「誰でもよかった」と静かに話しているという。
この事件は、糸山先生のバイオフィードバック理論が具現化されたものです。
このあたりが、実に直線的です。
こんなことは、昔からごろごろあった事件です。現代では、それが逐一報道されるから、私どもは大騒ぎすることができます。
この程度の狂気とブッシュの狂気を比べてください。狂気に見えないものが実に狂気です。テレビゲームひとつが問題ではなく、文明そのもの、文明国そのも
のが狂気なのですから、人の道というのは狂気とどうつきあうかということだと思います。
>根石さん、、子供がやりたいからと言っても、
子供が見たいと言っても、見せてはいけないものはあると思うのです。
私も見せたくないものは見せません。ただそれだけのことです。「見せてはいけないもの」というふうには考えません。「見せたくないもの」と考えていま
す。「見せてはいけないもの」と考えた場合、いくら親が隠しても子供が友達の家で見たらもはやとりかえしがつきませんね。「見せたくないもの」と考えるな
ら、「見せたくないもの」「見て欲しくないもの」として持続できます。
>一度答えを見えてしまうと、
次からは、かならず絵の中に隠れている物を見つけられるようになります。
そんなことは、英単語のイメージ核ひとつでも同じです。当然ではないでしょうか。
>人間の脳は、一度見えてしまうと、
どんなに元の状態にしようと思っても見えてしまうのです。
削除できないのですね。
全文明はそのようにして進んできました。
【11892】
根石さんへ 投稿者:ちえ 投稿日:2007年10月23日(火)16時39分14秒
こんにちは、ちえです。昨晩は、回線の悪い中のレッスンありがとうございました。
あの状況の中で、ちゃんとレッスン出来て、少し、ホッとしています。
多分、昨日は、家の回線状態が悪かったんだと思います。次回は良い状態であることを
祈るばかりです。
根石さんと、吉さんの記事、とても興味深く読ませて頂きました。
少し、難しくて、判りませんが(いつもこれですみません(^_^;))
2歳と4歳の息子を持つ親として、これから、ゲームを欲しがる時期をどうするか
と、主人と話をしていたところだったのです。
私達夫婦は、ファミコン世代です。と言ってもまだ、初期だったので、クラスの全員が
持っていると言う状況ではありませんでした。また、男の子の方が持っている確率が高く、
女の子は男兄弟が居る家庭のみ、持っている状況でした。
私は、持っていませんでしたが、友達の家へわざわざゲームをさせてもらいに行った記憶があります。(スーパーマリオぐらいしか記憶にありません)
クラスの男の子でも、親の主義で持っていない子は何人かいましたが、なんとなく、友達の輪に入れず、可哀相だな〜。。。と遠巻きに見ていた記憶がありま
す。
そんな、単純な理由なのですが、私は、一日何分、〜をしてから、とか、ルールを決めて
なら、持たせてもいいのではないか??と思っています。
が、主人は、僕は絶対反対!!と言います。輪に入れないのなら、持ってない友達と遊べば
いいし、そんな理由で輪に入れないなんておかしい。。。と言うのです。
確かに理想論ですね。
ここ、ハノイでも、小学生は、日本から持ってきたゲームを持って、公園で集まっています。変な光景だな〜と見ています。
吉さんの言われる通り、旅行先でも親が景色を楽しんでいる横でゲームをしている子供が
居るのもよく見かけます。良くないな〜とは思うのですが。。。
でも、根石さんの文章を読んで、ゲームをさせても、させなくても、子供自身、親自身、の
問題なんだな〜と考えさせられました。(上手く言えませんがそう言う事ですよね)
もし、ゲームを持たせる事があったとしても、綺麗な景色を親と一緒に楽しめる子に
育てたいな〜。。。と思います。
それが、結構、難しかったりするんでしょうね〜。
子育ては、本当に難しいです。
根石さんと吉さんの子育て論、とっても勉強になります。ありがとうございました。
(少し難しいですが。。。(^_^;))
【11894】
ちえさんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月23日(火)23時16分11秒
すみません、、タイトルが「根石さんへ」となっていますが横槍です。
ちえさん、、私と根石さんの議論に対する反応ありがとうございます。
根石さんとの二人きりの意見のすり合わせがちょっとプレッシャーになっておりました(笑)。
ご主人の言われる事もわかりますし、ちえさんの気持ちもわかります。
DSやPSPを持っていないと友達の中に入れないというお子さんの気持ちもわかります。
実際に持っていないと仲間ができないので、今では必需品のようです。
ご主人もお子さんも含めて「あーでもない」「こーでもない」と話してみると良いと思います。
> 子育ては、本当に難しいです。
あははは、、私も最初はそうだと思っていましたが、
ま、、人間の「生きる力」を信じて「見守る」に徹していれば、
きっとなんとかなるんだと思います。
根石さんも糸山先生も、この発言には同意してくれると思います。
ちえさんありがとうございます。
【11895】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月23日(火)23時28分41秒
私の気持ちを書かせてください。
当初の論点からズレる事をお許しください。
> 先生という人の書いたものを読む気は失いました。
> この人の思考は直線的であり、心というものがどういうふくらみ方をするのか、
> あるいはどういうしぼみ方をするのか、その時間性にはまったく触れていない文章です。
> 文章の質がつまらないと思いました。
さて、、ここが弱りました。 これは根石さんの気持ちです。
根石さんの持たれた感想です。
これは根石さんの気持ちである以上、私は否定いたしません。
しかし、、正直キツイです。
私にとっては、根石さんも糸山先生もどちらも尊敬する人なんです。
私の尊敬する根石さんが、私の尊敬するもう一人の人物を公然と批判するのは見たくないのです。
これは私の正直な気持ちです。
私の気持ちを書きます。
自分の家族を、尊敬する人に公然と批判されたのと同様のショックを受けました。
この気持ち(ショック)には自分でも驚きました。
私がこの大風呂敷に頻繁に顔を出すのは、
根石さんと語学論で意見の一致、
共感できる部分が多いからだと思いました。
共感できる人の存在は気持ち良いのだと思います。
ですが、その逆に、自分が守りたいと思っているものや、
確立してきた信念のようなものを、
尊敬する人(根石さん)に断ち切られるというのは、かなりコタエます。
Eliotさんがどう感じたかわかりませんが、
「言って欲しくなかった」という気持ちがあったのではないかなと想像します。
今の私がそうですから、、。
私は修行が足りないなと感じました。
自分に対する批判よりも受け入れにくいです。
誤解されるような引用の仕方をした私が悪いのです。
引用させてもらったのは、糸山先生のメモ書きからです。
著書からではありません。
文章の質もなにもない単なる先生のメモ書きです。
糸山先生も「子どもの力を信じろ、見守れ」を一番に掲げているんですよ。
根石さんと同じです。
誤解を与えた発言をしたのならそれは私の文章力の無さです。
ああ、、ここで、私が子供の英語の解説を書くことを
「絶対に引き受けてはいけない」と確信しました。
私の文章を「浸透性がある」と言ってくれた根石さんですが、
それは、根石さんの中に共感できるポイントを含んだ文章を私が書いてきたにすぎないのだと思いました。
「私の文章力ではないんじゃねーか」って事です。
「根石さんにとって共感できる発言が多かっただけではないのかな」って事です。
根石さんの気持ちに共鳴する内容の「語学論」のエッセンスを含んだ文章だから
「浸透性がある」という根石さんの評価なのだと思いました。
この辺りはどう思いますか?
ご理解いただけるのなら、私の気持ちを汲み取ってください。
私の尊敬する根石さんが、
私の尊敬するもう一人の人物を公然と批判するのは見たくないのです。
私は「糸山先生の著書を読んでくれ」と根石さんにお願いした事は、一度もなかったと思います。
私の記述から先入観をもたれたのなら、それは私の責任です。
「私の中で確立されつつある理論です」とも先にお伝えしていたと思います。
私の中で育ちつつある語学論も教育論も私は守りたいのです。
私は何度も「ご理解ください」とお願いしてきました。
12歳という線引きを許して欲しいとお願いしてきました。
しかし、そこの部分の「私」を認めてくださらないでいます。
「根石さんが自分の気持ちを自由に述べる事を否定はしません」
「語学(人生)に正直でありたい」という根石さんの気持ちも尊重いたします。
そこの部分をハッキリお伝えしつつ、
今の自分の気持ちも正直にさらけ出して見せておきます。
当初の論点からズレた発言をお許しください。
この今の私の気持ちをどのように解決したら良いのかわかりません。
困りました。
【11896】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月27日(土)05時23分47秒
>私の気持ちを書かせてください。
>当初の論点からズレる事をお許しください。
当初の論点にいずれ戻りましょう。
>>この人の思考は直線的であり、心というものがどういうふくらみ方をするのか、あるいはどういうしぼみ方をするのか、その時間性にはまったく触れていな
い文章です。
>これは根石さんの気持ちである以上、私は否定いたしません。
気持ちであれ論理であれ、それが存在を続ける限り、誰がどう言葉で否定しても、存在自体を否定することはできません。ですから、吉さんが言葉の上で否定
しようがしまいが、それはどちらでも同じです。
「俺はいる。それは強さということだ」(ランボウ)
>私にとっては、根石さんも糸山先生もどちらも尊敬する人なんです。
私の尊敬する根石さんが、私の尊敬するもう一人の人物を公然と批判するのは見たくないのです。
糸山先生という人が何を言っている人なのか、実はよく知りません。私は吉さんが引用された糸山先生の文章だけを元にして批判しました。「公然と批判す
る」ということはごくあたりまえのことではないでしょうか。公然と批判するのでなければ、ただの陰口になりましょう。
>自分の家族を、尊敬する人に公然と批判されたのと同様のショックを受けました。この気持ち(ショック)には自分でも驚きました。
本当に家族を批判されたと同様であるのなら、混同があると思います。論理が論理を批判することは、ごくごく当たり前のことです。論理が論理を否定するレ
ベルは、家族や生活や気持ちが棲息するレベルとはまったく別のところにあるものです。混同されていると思います。
>私がこの大風呂敷に頻繁に顔を出すのは、根石さんと語学論で意見の一致、
共感できる部分が多いからだと思いました。共感できる人の存在は気持ち良いのだと思います。
「語学論」は「論」という字がついていますから、論理でやっていこうという志の元にやっています。「共感」というよりも、吉さんと私の間では、お互いの
考えを相互の論理に繰り込んでいけると(私が)思ったのです。そこに信頼が生まれました。
>ですが、その逆に、自分が守りたいと思っているものや、確立してきた信念のようなものを、尊敬する人(根石さん)に断ち切られるというのは、かなりコタ
エます。
私が批判しようが断ち切ろうが、吉さんの信念が切れなければいいのではないでしょうか。それは吉さんが、自分の言葉を練り上げたり、研ぎ澄ましたりして
いくことで決まることで、私の批判などで決まることではありません。
>Eliotさんがどう感じたかわかりませんが、「言って欲しくなかった」という気持ちがあったのではないかなと想像します。
「言って欲しくなかった」というのは、何を言って欲しくなかったのでしょうか。私が Eliot
さんに振るった暴力というものが一つあります。そのために、Eliot
さんはこの掲示板に書かれなくなったのだと私は受け止めています。暴力とは、Eliot
さんがいつまでも仮名で書かれていることに私がいらだち、何度か本名で書いて欲しいと要望したのに、Eliot
さんがぐずぐずし続けた後、私が柴田武史という Eliot
さんの本名を掲示板に明記したことです。「音作りへの道」を読まれればわかりますが、これは仮名で記述すべきものだとはとうてい思えないのです。誰はばか
ることなく本名で書くべき質のものです。それだけの実質を備え、それだけの重みのある実践です。そのことが認識されていないのであれば、自分を軽んじすぎ
ると思ったし、もし認識されているのであれば、一流高校の一流の先生が、素読舎なんぞという馬の骨である塾の掲示板にしきりに出入りすることを世間にはば
かられているのかとも思いました。後者であるなら、馬鹿にすんなよと、馬の骨は思ったのであります。前者であれ、後者であれ、暴力が必要だと判断したのは
私で、私は柴田さんの本名を明記しました。柴田さんの気持ちを害したとは思っておりますが、私は今でも自分のしたことに責任をとれると思っています。
論点がずれましたか?
>誤解されるような引用の仕方をした私が悪いのです。
それはあるかもしれません。引用だけでなく、高校生が母親の首を切った事件を、糸山という人の理論が現実化した事例だと書かれたことに、私が反応したの
でした。そんなはずはないのです。もし糸山という人の理論が現実化したのであれば、母親の首を切るような(それと同じくらいの奇妙な)事件は年にいくつか
で済むはずがない。理論は普遍性をもっているべきものですから、母親の首を切る(ような)事件が、少なくとも毎日数十件、数百件起こっているべきです。も
のごとがそんなふうに直線的に起こっていないのは、「気持ちがふくらみしぼみ、再度ふくらんでしぼむ。しぼんでからまたふくらむ」という時間性(自然性)
を人々がきちんと生きているからです。
>引用させてもらったのは、糸山先生のメモ書きからです。著書からではありません。文章の質もなにもない単なる先生のメモ書きです。
なんで吉さんは、そんなメモ書きを手に入れられるのですか?
秘書かなんかやっておられて、ご本人の許可なく、メモ書きを「大風呂敷」に公表しちゃったということですか?
糸山という人が自分で公表してあるのであれば、メモ書きも著書の文も何の区別も要らないと思います。公表してあるのであれば、公表するにあたいすると糸
山という人が判断したのであり、そういうものを批判することは万人に開かれています。的外れであるかないかという問題はありますが、公表された文というも
のは、誰がどのように批判してもいいものです。それがいやなら、机の引き出しにしまっておけばいいのです。出さないラブレターみたいなものとして・・・。
出してしまえば、好かれようが嫌われようが、それは覚悟の上でのことでしょう。私が好こうが嫌おうが、それを糸山という人にも吉さんにも決めることはで
きません。糸山さんが、出してしまってあるのですから。ブツが公開されているのですから。(「公開」という点では、ラブレターは違いますね。しかし、今時
は、嫌いなやつから来たラブレターは、ネットで公開しちまえというような非情を実行するやからはいるかもしれませんが・・・)
>私の文章を「浸透性がある」と言ってくれた根石さんですが、それは、根石さんの中に共感できるポイントを含んだ文章を私が書いてきたにすぎないのだと思
いました。
「共感できるポイント」に関しては、すでに書きました。私は何度も書いていますが、聞きしゃべるという場面の達者さを鼻にかけ、語学論のひとつも持たな
いおたんこなすばかりの「磁場帰り」の人たちの中に、吉さんのようにまともに「語学論」に反応する人もいるのだと知ったことが非常に「有り難い」ことだっ
たのです。語の本来の意味です。「ほぼあり得ないことがある」=「有り難いものがある(あった)」という意味です。
「浸透性」はそれとは別のことだと思います。これは世代的な差も作用していると思いますが、吉さんは一般の人の反応を(セールスのうまい人がわかってい
るように)よくわかっていて、それは私のごつごつして不親切きわまりないもの言いの対極にある文章だと思ったのです。そのことは、吉さんのホームページを
読んでから、私の掲示板を訪れてくれる人が何人もいたことで証明されていると思います。「浸透性」という言葉で言ったことは、そのことです。
>私は「糸山先生の著書を読んでくれ」と根石さんにお願いした事は、一度もなかったと思います。
糸山という人は「どんぐり倶楽部」とかいうのをやっている方でしたっけか?「どんぐり倶楽部」は別の人でしたっけか?
不特定多数の人に向けて書かれたのだったか、この掲示板に書かれたどなたか特定の人に向けて書かれたのだったか忘れましたが、多分糸山という人の著書を
あげて、吉さんは「是非お読みいただきたい」というようなことを書いておられました。そうか、吉さんがそんなふうに薦める本だったら、いつか読んでみよう
と、私が勝手に思ったことがありました。そして、先日、読む気を失ったということです。
>私は何度も「ご理解ください」とお願いしてきました。
12歳という線引きを許して欲しいとお願いしてきました。
しかし、そこの部分の「私」を認めてくださらないでいます。
「12歳という線引き」を許すも許さないもありません。根拠がわからないと言っているだけです。いまだにわかりません。
>この今の私の気持ちをどのように解決したら良いのかわかりません。
困りました。
そんなに困る必要はありません。批判というものは、誰もが自由に行っていいものです。私にとっては、批評や批判というものは、(日常生活の場面に持ち出
さなくても、言葉以前のものとして、つまり、一人の胸のうちに生起するものとして)、日々食べるご飯や味噌汁のようにごく当たり前のものとしてあります。
私の言ったことがまったく的外れである可能性はあるのですが、批判すべきでない、批評を公開すべきでない、「公然と」はよくない、というような言説はよ
ろしくないものだと思います。
再度言いますが、当初の論点に戻りましょう。
【11897】
ちえさん 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月27日(土)06時14分54秒
>あの状況の中で、ちゃんとレッスン出来て、少し、ホッとしています。
今度も回線の状態が悪かったときは、同じように私が何度も同じ文を読むことにしましょう。
>が、主人は、僕は絶対反対!!と言います。輪に入れないのなら、持ってない友達と遊べばいいし、そんな理由で輪に入れないなんておかしい。。。と言うの
です。確かに理想論ですね。
「そんな理由で輪に入れないなんておかしい」というのは、理想論ではなく、正論であり、現実的な論理です。この論理が通らないとしたら、それが通らない
「現実」がおかしいのです。ご主人に持論を持ち続けて欲しいとお伝え下さい。
>吉さんの言われる通り、旅行先でも親が景色を楽しんでいる横でゲームをしている子供が居るのもよく見かけます。良くないな〜とは思うのですが。。。
単純化して言いますが、「景色を楽しんでいる親」が正常で、「ゲームをしている子供」が異常なのではないと思います。「景色を楽しんでいる親」というも
のも、旅(先)というゲーム(様式)を楽しんでいるだけであり、そんなものに調子を合わせて(それがバレないように)よくつきあう子供なんてものの方が将
来がよろしくないと思います。
「良くないな〜」とは思わないのです。もし、私の孫が同じことをやった場合、「おめえ、つき合い悪いな」とは言うかもしれません。「おっ、すげえいい景
色」とか言って、ゲームの邪魔をするかもしれません。「うるせえなあ」と言って孫が怒れば、私の自業自得だと思ってそのままにするしかありません。孫が私
を遮断する程度に私が孫を遮断してきたということは、私が引き受けなければならないでしょう。「遮断」することも、子供は自分がやられるから覚えるので
す。
さあて、大人どもを「遮断」してやるぞ、と決意しながら生まれてくる子供なんかいません。
「景色を楽しんでいる親」も「ゲームをしている子供」も、ゲームを楽しんでいるという点では、どっちも同じなのだという観点が必要です。また、旅先でそ
んなふうに子供に現出しているものは、普段の生活で親が子供を「遮断」していることが多いからだとも思います。
コメントありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。
【11898】
NOVAが更生法申請 社長解任、負債439億円 投稿者:外野。 投稿日:2007年10月27日(土)21時47分15秒
英会話学校最大手のNOVA(大阪市)は26日、会社更生法の適用を大阪地裁に申請し、同地裁は財産の保全管理命令を出した。負債総額は7月末現在で約
439億円。全国の教室は一時、休講する。猿橋望社長(56)を除く取締役3人が25日深夜、臨時取締役会を開いて社長を解任し、更生法申請を決議した。
NOVAは「駅前留学」などのテレビCMで全国に教室を急拡大したが、受講生へのサービスが追いつかず、経営が行き詰まった。同社には3月末時点で約
42万人の受講生がいたが、授業の継続などを含め、影響が拡大するのは避けられない。
NOVAの保全管理人が26日午後、大阪市内で記者会見する。ジャスダック証券取引所はこの日、同社の上場廃止を決めた。
NOVAは社長解任の理由として「(経営難に伴う)資金調達や業務提携交渉に関し、猿橋氏から十分な説明がなく、業務執行を委ねるのは不適当」と説明し
ている。
NOVAは受講料返還をめぐって訴訟を起こされるなどトラブルが急増。受講生の減少で2007年3月期まで2年連続で連結純損失となるなど業績不振に
陥っていた。
(共同通信社)
【11899】
豪大使館などが講師支援 NOVA問題で異例の措置 投稿者:外野。 投稿日:2007年10月27日(土)21時51分14秒
英会話学校最大手NOVAが会社更生法の適用を申請した問題で、オーストラリアと英国の在日大使館は27日までにホームページ(HP)に関連情報を提供
する専用コーナーを設置、自国出身の講師らの支援に乗り出した。
日本企業の経営破たんを受け、在日大使館がこうした措置を取るのは極めて異例だ。オーストラリア大使館のHPには、講師が帰国する際の飛行機運賃を同国
のカンタス航空が割引することも記されている。
両大使館とも専用コーナーをHPの目立つ位置に設置し、講師に対するNOVAの賃金支払い状況などを「注視している」としている。さらに支援団体や弁護
士らの連絡先などを記し、緊急事態の際は大使館側に連絡するよう呼び掛けている。
(共同通信社)
【11900】
根石さんへ 投稿者:吉 投稿日:2007年10月28日(日)21時46分40秒
しかし、、今回は、弱りました。
とても苦しいのです。
特にEliotさんの事が辛いです。
実名公開は、ご本人が納得しての事だと考えていました。
> 暴力とは、Eliot さんがいつまでも仮名で書かれていることに私がいらだち、
> 何度か本名で書いて欲しいと要望したのに、Eliot さんがぐずぐずし続けた後、
> 私が Eliot さんの本名を掲示板に明記したことです。
これには驚きました。
これは根石さんの価値観で行動したという事ですね。
Eliotさんの価値観と「守っている生活」は、無視されたのですか?
私の実名を根石さんが明かすとなると、
私の本業どころか、私の家族の人生にまで影響がでる可能性があります。
そんな事をされたら私は根石さんを絶対許せないですよ。
Eliotさんの気持ちに同情いたします。
以前、、根石さんは、素読舎をクビにした方の個人名も出されていましたね。
私はその時、根石さんの語学論(哲学)に触れた書き込みと認識しましたが、
なぜ個人名を出す必要があるのかわかりませんでした。
ネットという不特定多数の目に触れる場所に、
個人名を出した理由が皆目見当つきませんでした。
根石さん、、相手は公の人ではなく、私人ですよ。
根石さん、、、私が宣伝して「生徒さん候補」がこの掲示板をのぞきに来ても、
根石さん自身が、こういう発言で素読舎の価値を下げる事に気付いた方が良いと思います。
これを異常事態だと見る人もいると思います。
たぶん、そっちの方が多数です。 私は正直言って驚きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 根石さんが12歳以下に英語を教える事に文句は言わない
・ その代わり、私は絶対に12歳以下の英語の解説は書きたくない
・ 12歳の線引きは自分の獲得した哲学で、根石さんに押し付けるものではない。
私は、このように根石さんの「小学生の英語指導」を認めた上で、
私の価値観を認めてくれとお願いしていたのです。
私の価値観を根石さんに押し付けたりしないことも伝えました。
何度もそのようにお願いしてきました。
譲れないものは譲れないのですから、
お互いにそこはさっさと認めて、折り合いのつく場所を最初から探そうとしました。
それでも、どちらにも利益はでるとにらんでいました。
私はそのように何度もお願いしていたのに、
根石さんは受け入れてくれませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっとお聞きしたい。
根石さんに裏切られたEliotさんの気持ちが想像できますか?
なぜ私のホームページのアクセス数が増えて素読舎の露出度が上がったのか見えてますか?
私が喜んで「今までどおり根石さんの素読舎を宣伝する」とお考えですか?
根石さん、、私の今の気持ちが想像つきますか?
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根石さんの語学論(哲学)は、非常に美しい。
これは、今までも言ってきた事です。
それは間違いないのでハッキリと言います。
日本一だと信じています。
そして、恐らくこれからも言い続けていきます。
英語学習でグダグダいうヤツがいたら、
根石さんの語学論から学べと言いつづけます。
やっているのは、私の中で獲得した哲学ですから、
この語学論は守ります。
英語もやり続けます。
語学論(哲学)ですから守ります。
そして、私の獲得した哲学ですから「12歳の線引き」も守ります。
根石さんの気にくわないものがあるのは当然です。
その根石さんの価値観を私は認めます。
根石さんの嫌いな人間がいるのも当然です。
私がその人を好きだとしても、根石さんが「嫌いな人」という事もあると思います。
人間ですからそういう価値観の違いがあるのは当然です。
そういう事も含めてすべて認めます。 根石さんの価値観ですから、、。
しかし、、私の価値観は、何度お願いしても認めてくださらなかった。
根石さん、YESかNOで答えてください。
根石さんは、自分の価値観を否定する人を応援できますか?
自分の尊敬する人を否定する人間を応援できますか?
私は自分の価値観を受け入れてくれない人の応援なんてできないですよ。
私は根石さんの語学論も価値観も認めますが、
自分を受け入れてくれない他人を応援するほど、
親切ではないですよ。
別にこんなのは、哲学でも何でもありません。
私という感情を持つ人間の言葉です。
家族を否定されたような気分になってどうして悪いのですか?
なんで私のその感情を否定するのですか?
根石さん以外の人にもお聞きしたい、
私は何か間違った事を言っていますでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
根石さん、私は辞めさせて頂く事にいたしました。
レッスンも辞めます。 コーチも辞めます。
残念で仕方がありません。
でも、、美しいのは作品(語学論)だったという事です。
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申しわけない気持ちで一杯なのが兵庫のMさんです。
兵庫のMさんには、コーチを継続できなくなりました旨をメールでお伝えしました。
10月31日は、最後の指導とさせて頂きます。
しかし、その後のレッスンについては、根石氏とご相談してくださいと、
このようにお話しております。 兵庫のMさんには、先に了解を頂きました。
Mさんと根石さんでその後の予定を調整してください。
Mさん、、お許しください。
この掲示板にはもう来ませんので、何か連絡事項がありましたら、
私にメールを送ってください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<< さいごに皆様へ >>
私のところへメールをくださった皆様、ありがとうございます。
心配して電話をくださった方もいらっしゃいました。
ありがとうございます。
私のホームページを経由して素読舎へたどり着いた皆様。
申し訳ございません。
私の中で確立した語学論(哲学)です。
根石さんの英語指導は、日本で一番だと(私は)思っています。
これは、ハッキリと自信を持って申し上げます。
そしてこれからもハッキリと言い続けると思います。
みなさんは、根石さんのところへ英語を学びに来たのです。
みなさんが受けているのは、日本一の英語指導です。
最高の英語指導が素読舎にあります。
私のこの発言に異論を唱える人があらわれたら全力で守ります。
しかし、皆さん、お許しください。
私は素読舎を辞める事にしました。
私の価値観や考えをみなさんに押し付けるような事はいたしません。
皆さんの読解力でキチンと読んでください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
根石さんお世話になりました。
多くの事を学ばせて頂きました。
村田さん、申し訳ございません。
ありがとうございました。
Naimaさん、、申し訳ございません。
お世話になりました。
Jackieさん、、外野さんの書き込みは、Jackieさんかなと勝手に想像しております。
以前は、しつこく呼びかけて申し訳ございませんでした。
ありがとうございました。
【11903】
30億融資、幻に NOVAの前社長 投稿者:外野。 投稿日:2007年10月28日(日)23時03分36秒
英会話学校最大手NOVA(大阪市)が会社更生法の適用を申請した前日、猿橋望前社長が東京都内の金融業者から30億円の融資を受ける契約をまとめてい
たことが28日、関係者の話で分かった。
融資の実行日は26日付だったが、25日深夜、ほかの取締役3人が猿橋氏抜きで取締役会を開き、社長を解任。経営破たんしたため、融資は実現しなかっ
た。
また、「不透明」と指摘され解任理由となった英領バージン諸島の法人から約64億円を調達する計画に、大阪地検特捜部が証券取引法違反(相場操縦)容疑
で摘発した大物仕手筋とされる西田晴夫容疑者(57)らのグループが関与していたことも判明した。
猿橋氏が独断で進めた計画とされ、30億円の融資も同様に決めたとみられる。融資条件は貸し手に有利な内容で、なりふり構わず金策に奔走する姿がうかが
われる。数日前には、社員や外国人講師の遅配給与を「25日ごろに支払う」との文書を送付していた。
(共同通信社)
【11904】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年10月29日(月)05時34分22秒
最初にお詫び致します。吉さんが作った教材についてコメントしなければならないとずっと思い続けてきましたが、どうしても時間がとれませんでした。お許
し下さい。一言で言えば、とてもシンプルで、中級の中盤以降の人にはいい教材になると思いました。中級序盤の人には対応できていないと思いました。
奥様の初段認定についても、早く処理しなければと思っていましたが、薪ストーブの煙突工事にかまけて、手をつけられませんでした。今後、早急にやるつも
りです。初段認定の直後に「中断」と書かなければならないことになり、なかなか切ないことですが。
以上、お詫びです。
以後、批評になります。
>特にEliotさんの事が辛いです。
実名公開は、ご本人が納得しての事だと考えていました。
「辛い」ですか。大したもんだと思います。
柴田さんは、ご自分の実践されたことの成果として、生徒たちが中学を卒業する時に、CDを作られました。そのCDとセットになっているノートには、学校
名も指導者の名前としての柴田武史さんの名前も印刷されていました。柴田さんがそれを私に送って下さったときに、これをテープにダビングして不特定の人に
手渡してもいいかと私は掲示板でだったか電話でだったかお聞きしました。私は是非多くの人に聞いてもらいたかったのです。その際に、柴田さんの名前や勤務
校が書かれたものを一緒に手渡したり郵送したりしたいがと伝え、了解をいただいたと覚えています。
その後の作業が大変でした。ただのCDプレーヤーとテープレコーダーをつないでダビングしたので、ひとまず送りたい人に送るだけでも大変な手間でした。
柴田さんが匿名でなく大風呂敷に書いてくだされば、つまり連絡先を書いてくだされば生じない手間でしたし、私がやるよりももっと多くの人の手に渡ったこと
と思っています。
この掲示板に書かれた記事から得た情報でしたが、柴田さんはどこかのテレビに家族で出演され、家の中の会話をすべて英語でやっている様子が放映されたそ
うです。(私はテレビを観ないせいでこの放送を観ていませんし、長野で放映されたのかどうかも知りません。)(日本人だけの家族で、日本語の磁場に囲まれ
た家庭において、普段の生活の言葉を英語に置き換えることの是非はここでは置いておいて、)家族と一緒にメディアに露出することをいとわないような人が、
「大風呂敷」に書かれる時だけ匿名であることの理由が私にはまったくわかりませんでした。「音作りへの道」を書かれたほどの人が匿名で書くんであれば、私
が本名でやっていることが馬鹿みたいだという感じもありました。
音そのものに関してなら、柴田さんの方が私より完全に上なんですからね。(日本人の「体」から英語の音をどうとらえるかという点でなら、私にも分があり
ますが・・・。)
柴田さんは、ご自分の教えている中・高一貫の学校の外側で、地元の短大で中・高の学校の先生を募って講演会をされたり、「音作り」そのものをコーチした
りしておられました。(現在でもやっておられると思います。)この場合の講演会などを知らせるチラシなどがあったとすれば、そこには Eliot
ではなく柴田武史という名前が印刷されているはずです。
柴田さんは柴田武史という名前で、講演、テレビ出演など、メディアに自分の活動や本名を出されている方だということです。それがなんで「大風呂敷」に書
く場合だけ、Eliot なんだろうと私としては思い続けていたのでした。
「音作りへの道」の連載が完成したときも、柴田さんの名前で公にされるべきだと私ははっきり判断しました。私の掲示板で育った論文だからではありませ
ん。どこに掲載されるにせよ、身元を明らかにし、責任の所在を存在させるべき客観的な価値があるものだと判断したからです。
>私の実名を根石さんが明かすとなると、
私の本業どころか、私の家族の人生にまで影響がでる可能性があります。
そんな事をされたら私は根石さんを絶対許せないですよ。
わかります。これは当然です。吉さんは、柴田さんがやったほどの仕事は英語に関してやっていません。その点に関してだけなら、当然ながら、私は吉さんの
名前を掲示板上に出しておりません。
それとは別に、Naima
さんについては、素読舎のコーチをやられるなら、その責任の所在を明らかにすべきだと考えたので、本名で掲示板に書いていただきたいと考え、そうお願い
し、Naima
さんはしばらくの間、・・さんという名前で掲示板に書かれました。(現在は、コーチをしていただいていませんので、・・さんという形でしか記述することが
できませんが)。
コーチをやる場合は実名でやる。原則としてはそれでいいのだと思っています。吉さんにコーチをしていただくことになったときも、原則通り実名を明らかに
してやって欲しいと思ったのでした。吉さんが事情を書かれ、それはよく納得できるものだったので、私の方で原則を曲げたのでした。
>以前、、根石さんは、素読舎をクビにした方の個人名も出されていましたね。私はその時、根石さんの語学論(哲学)に触れた書き込みと認識しましたが、な
ぜ個人名を出す必要があるのかわかりませんでした。
それは「いくこ」のことでしょうか。彼女は「いくこ」という名前ではありません。音はそうなりますが、表記が異なります。彼女が自分で自分の本名をその
まま書いたことがあったような気がしますが、私は彼女の名字も名前もそのままに書いたことはありませんし、住所、メールアドレス、電話番号など書いたこと
がありません。以前から、ネット上の名前として「いくこへ」と書いてきましたので、「いくこ」は書きました。
当時の事情はすでに書いてありますので、ここで「いくこ」がしたことへ私がどう対応したかの説明をする気はありません。実に馬鹿らしいことなのですが、
その馬鹿らしさを書く力が今の私にありません。その徹底的な馬鹿らしさを書く力が私にあれば、「いくこ」を使うかどうかはともかく、いつか書いてみたいと
思いますが、今は書く力がありません。
>ネットという不特定多数の目に触れる場所に、
個人名を出した理由が皆目見当つきませんでした。
根石さん、、相手は公の人ではなく、私人ですよ。
「いくこ」ではなく、他の人のことでしょうか。そうでしたら、どの方の何というお名前なのか、メールでお教え下さい。
「いくこ」なのであれば、吉さんは、彼女の個人情報がどれだけわかるのですか。「いくこ」が個人名だというのであれば、吉さんはその「私人」と連絡がと
れるはずです。とってください。もしとれたなら、それは「いくこ」本人から吉さんに知らされた情報によるものであり、私から吉さんに知らせた情報はひとつ
もないはずです。勘違いしないでいただきたい。「公の人」と「私人」の違いがおわかりにならないのは、吉さんではございませんか。
>根石さん、、、私が宣伝して「生徒さん候補」がこの掲示板をのぞきに来ても、根石さん自身が、こういう発言で素読舎の価値を下げる事に気付いた方が良い
と思います。
申し訳ありません。私は素読舎の価値はもうすでに充分に下げてきた男です。「論」の価値は信じてきましたが、学校制度につきあう素読舎そのものに関して
は、さっさとくたばれとさえ思ってきたのです。それが娑婆と素読舎の関係をはっきりさせる、と。素読舎が消え去ることが、娑婆の「学校のいいなり」、「行
政のいいなり」をはっきりさせることなのだ、と。
吉さんが「大風呂敷」に登場される前から、素読舎は娑婆とまともに喧嘩してすでにぼろぼろになっていたのです。だから、「語学論」の方へ、「電話でレッ
スン」の方へ、藁をもつかむようにして、私は手を伸ばしてきたのです。
日本に住んできただけで英語を話すような者をこの娑婆がどれほど憎むか、吉さんにおわかりになりますか?
吉さんなら、「ああ、アメリカに行っていた人か」で済むことが、まったくそれでは済まない。それが「アメリカに行っていた人」にはわからないのだと思い
ます。
語学論についても、書いてきたものは全部焼いて捨てたいと思うことがあります。これだけ語学論を書いてきて、月に15万程度、よくて20万程度にしかな
らないのですよ!私がののしるべきものを存分にののしってきたからです。自業自得であり、この自業自得を私は深いところで肯定しています。それは誰にも同
意を求める気がありません。そんなもの、私が英語ひとつでどれほどの気違いになったかを知っている私の家族以外にはわからないことです。
>これを異常事態だと見る人もいると思います。
たぶん、そっちの方が多数です。 私は正直言って驚きました。
私は異常事態だなどと思ってはおりません。冗談ではない。こんな「別れ」ばかりを繰り返してきたのです。もしそれが異常事態であるなら、私の生きてきた
時間のあらかたが異常事態でした。おわかりでないようですので、どうぞ正常事態の側にとどまって下さい。
何なのだ、この正義の振りかざし方は、とは思います。「多数」が何だというのですか。
それでも、こんなことは、私にとっては異常事態ではなく、普通のことです。もし「異常」だとしても、たかが「大風呂敷」上での、「異常」でしかない。そ
んな異常より、私は今自分の足元が揺れている(多分地震で)異常の方が気になります。(人が死ななければいい、家が壊れなければいい、温かい家は必要だ、
と思います。)
吉さん、私と吉さんの間で行き違いがあったことなど、「異常」でもなんでもありませんよ。
もしそれを「異常」だと見る人がいたなら、その人の信じる「正常」を疑うのがいいと思います。語学論では歩み寄れた人たちが、教育論では無理だったとい
うだけのことです。あるいは、「生活言語」を信じる人と、「論」を信じる人が、とことんぶつかった(ぶつかりあえた)ということだと思います。
>・ 根石さんが12歳以下に英語を教える事に文句は言わない
・ その代わり、私は絶対に12歳以下の英語の解説は書きたくない
・ 12歳の線引きは自分の獲得した哲学で、根石さんに押し付けるものではない。
12歳以下の英語の解説は「書きたくない」ことに対して、私が了解している旨のことを書かなかったかどうか記憶が確かではありません。書いてなかったと
したら申し訳ありませんでした。(薪ストーブの煙突工事(突貫工事)を続け、雨漏りと火事を防ぐために、考えがすべてそちらに行っていました。)
吉さんには(解説を)書いてもらえないものだと思っていたので、すぐにそう書くべきでした。書いてもらえないことは、それはそれでいいのです。書いても
らえないことは了解できているのです。
「12歳」の根拠がいまだにわからないと言っているだけです。
「書きたくないから書きたくないんだ」というだけの理由でも何でもいいですが、「書きたくない」ことは最初から納得できています。
どうも行き違いがあったようですね。申し訳ありませんでした。
>私はそのように何度もお願いしていたのに、
根石さんは受け入れてくれませんでした。
今でも、理論的な根拠が知りたいと思っています。
何度でも言いますが、書いてもらえないことは、すでに最初に吉さんが「小学生については書かない」と書かれたときに納得しています。私は是非書いてくれ
と言っていたのではありません。
根拠が知りたかったのですが、それについては、吉さんは「受け入れてくれませんでした」。
>根石さんに裏切られたEliotさんの気持ちが想像できますか?
私が柴田武史さんの名前を公にしたとき、Eliot
さんが「根石さん、私の名前を出しましたね。まあいいですけど。」と掲示板に書かれたことを、現在に至るまでの判断の根拠にしています。私がどう考えて柴
田さんの名前を出したのか、柴田さんはわかってくださったのだと思っています。
「まあいいですけど」は、私がそういうことをやりかねないと柴田さんの方でも勘づいていたからだと思っています。私なりの言い方で言えば、「機が熟して
いた」のだと思っています。その時間性には、吉さんはまったく触れ得ていません。吉本隆明の言葉では「対幻想」となりますが、娑婆の言葉では「犬も食わな
い」というような、外から見ていても見えない時間性というものはあるのです。吉さんは外から見て正義をふりかざしなさった、と思っています。
私はあきらめますので、それでいいです。私は私の(これからも)犯す悪を、ネット上でこれ以上弁明したくありません。柴田さんの名前を出したことについ
て、私もずっと考えてきましたが、その時間性は、吉さんにはどうでもいいことです。
どうぞ驚いていて下さい。
>なぜ私のホームページのアクセス数が増えて素読舎の露出度が上がったのか見えてますか?
見えていません。教えて下さい。糸山なにがしが根石吉久よりビッグネームだからですか?(と、もう書かないと言っている人に言っても無駄ですね。)
ただ、吉さんの文章については、「浸透性」という語で言ってきました。
まあ、私自身がやめたいと思っている塾ですので、露出度は上がってもありがたいし、下がってもありがたいのです。私の内心では、日本の英語状況につい
て、とうの昔にぶち切れておりますので。
>私が喜んで「今までどおり根石さんの素読舎を宣伝する」とお考えですか?
考えません。
>根石さん、、私の今の気持ちが想像つきますか?
かなり傷つけてしまったようです。
そんなつもりではありませんでしたし、論理を論理のレベルで突き合わせたかっただけでした。申し訳ありません。
>英語学習でグダグダいうヤツがいたら、
根石さんの語学論から学べと言いつづけます。
私自身がこんな馬鹿みたいなことをやっていても食えないのですから、語学論なんぞ、火の中に放り込めばいいのだと思うことがあるのです。みんな燃えてな
くなってしまえばいいのだと思うことがあります。抹殺すべきだと・・・。
「藁をもつかむ」とはよく言ったものです。
語学論は、私の小さな小さな希望だったのです。しかし、馬鹿らしくなりました。わかったようなツラをする者が、まるでわかっていないのだと、酔ったアタ
マで考え始めてしまいました。
>しかし、、私の価値観は、何度お願いしても認めてくださらなかった。
12歳という強い線引きの根拠を知りたかっただけでした。
私は、いまだに吉さんの価値観はよくわかりません。そんなに簡単にわかるものでもないだろうと思っています。よくわからないでいるものを、認めるも認め
ないもないだろうと思います。
>根石さん、YESかNOで答えてください。
何に関してでしょうか。
今後この掲示板に来られないとわかっている吉さんに対して、YES, NO が何に関してなのかがわからないのがとても困ります。
吉さんが「磁場帰り」であることについては、何度も書きましたが、「有り難い人」だと思いました。YES でも NO
でもありません。「磁場帰り」の人のほとんどが語学論を持とうとしない「おたんこなす」だとは思っており、これについてならいつでも NO
を言ってきました。
>根石さんは、自分の価値観を否定する人を応援できますか?
私は吉さんの価値観を否定した覚えがありません。
ですが、吉さんがそう受け取られたのであれば、それでもう終わりなのです。私はこじれさせるつもりはなかったのですが、現実にこじれてしまっているので
すから、もう終わりです。
>自分の尊敬する人を否定する人間を応援できますか?
それはできますね。論理ではなく、家族や感情や価値観というようなソフトなものが生きることや、その場所を否定されたのでなく、私が支持する論につべこ
べ言われたのであれば、そしてつべこべ言っている人がその人なりの仕事なり論なりをそれに対置しているのであれば・・・。つまり、表の論を裏切ってでも、
生きている体が具体的な仕事なり新たな論を作っているなら・・・、それなら、表も裏もない。カルチャーという銭取り場で、テイよく振る舞うだけの者ではな
い・・・。
お互いに支持する論(尊敬する人)について、何言ってやんでえ、ふざけんじゃねえと臓腑がひっくり返るような喧嘩をしながら、描いた絵を私が買い続けた
絵描きもいます。(ずいぶん絵が高くなったので、今は買えませんが・・・)
>私は根石さんの語学論も価値観も認めますが、
自分を受け入れてくれない他人を応援するほど、
親切ではないですよ。
それならそれで仕方がありません。これまでのご親切に感謝いたします。
私は糸山とかいう人の文章そのものをまないたに乗せたのであり、吉さんが糸山とかいう人が好きであることをまないたに乗せたのではありません。私は、
「この糸山とかいう人の書くものを読む気はなくなった」と言っただけです。人々が犯罪に至らずにいる間に、持ち耐えている気持ちのふくらみやしぼみの時間
性に、糸山という人の文章がまるで触れ得ていないと批判しただけです。こんな野郎に犯罪がわかるか、と思っただけでした。
>別にこんなのは、哲学でも何でもありません。
私という感情を持つ人間の言葉です。
私のも哲学でもなんでもありません。
哲学だと吉さんが言ってくださっただけのことです。
とてつもなくくだらないものなのかもしれない。
>家族を否定されたような気分になってどうして悪いのですか?
なんで私のその感情を否定するのですか?
論が生きる場所と、家族や自分や感情が生きる場所はまるで違うと言っているだけです。おわかりにならないようですから、もうこのことはこれまでにしま
しょう。ですから、当初の「論」に戻りましょうと言ったのでしたが、そのこともおわかりいただけなかったようです。
今夜は、語学論そのものがくだらないという気になってしまっておりますし、自分がやってきたことの全体がくだらないことだという気になっております
し・・・。済みませんね、言葉がなげやりで。余力がありません。
なんで公の場所に、「私の気持ち」なんてものを持ち出すのか、それがわかりませんでした。私は、この掲示板に批評や批判や論理は持ち出したかもしれませ
んが、「私の気持ち」なんてものを基調に据えて持ち出したことはなかったと思っています。私がこの掲示板に書いているとき、「私の気持ち」は場外にありま
す。「私の気持ち」が養った時間性(迷妄に対して否を叩きつけるための源基)だけ使うだけであり、「私の気持ち」自体は遠くに遠くにあります。
まあ、しかし、酒のせいにして、今夜は、自分のやってきたことの全体のくだらなさを噛みしめようと思います。(という程度には、「自分の気持ち」で書い
てしまいましょう。アサヒスーパードライ4本さん、ありがとうございます。)
>根石さん以外の人にもお聞きしたい、
私は何か間違った事を言っていますでしょうか?
私も是非皆さんで書いていただきたいとは思いますが、しかし、やはり、酒のせいか、しょうがねえもんだなという感想を持ってしまいました。誰が何を言お
うと関係ねえんですよ。自分の考えは自分の考えです。第三者の考えを求めて自分を安定させようなんてことはよろしくないです。ネット上のあてにならない人
々に向けて、「間違った事」かどうかなど聞くことが「間違った事」です。Naima
さんでも、ちえさんでも、Mさんでも、村田君でもいいですが、「ネット上の個人名」を特定して書くべきです。吉さんが、そのつもりだったのでしたらお許し
下さい。「つもり」はともかく、「論」に関しては、曖昧なままで放っておくのが私は嫌なのです。
>根石さん、私は辞めさせて頂く事にいたしました。
レッスンも辞めます。 コーチも辞めます。
わかりました。
>残念で仕方がありません。
でも、、美しいのは作品(語学論)だったという事です。
私も実に残念です。
ただ、書かれていることの意味がわかりません。作品とか語学論が美しかったのであり、根石吉久は醜かったということでしょうか。もしそうなら、その通り
だなと思います。醜く生きる生身の私に介入しないで下さい。いや、介入してもらってもいいが、英語回りで私が舐めたもの、生きられないと思ったことなど、
吉さんにその時間性をわかってもらえようとは思っていないということです。
語学論などやっても食えないのです。(スキルを売り物にするおたんこなすは食えるのです。)それをやってきて、この娑婆が嘘で固めたものだということは
わかったのです。わかった分だけ醜くなりました。やくざを担当する刑事がやくざに似てくるようなものでしょうか。しろうとさんに言ってもわかってもらえな
いことがわかっているので、あんまり口にしないだけであり、私が「やくざに似た刑事」であるのは多分本当のことです。私もいいかげん嫌になりました。「刑
事に似たやくざ」かもしんないもんねえ。わかんねえのです。「英語!糞くらえ」だけが、わかっている感情です。吉さんのネットずれした言い方にならえば、
あはは、ですわ。
あはは、「英語! 糞くらえ」。これがワタシノキモチです。
なるべく早く、英語のコーチからも語学論からも教材作りからも足を洗いたいとは、もうずいぶん前からの願いなのですが、いまだ願いがかないません。
(Naima さんがうらやましいです。)(やっている間は手を抜くことはありませんが、願いは願いとしてずっと持続しています。)
>申しわけない気持ちで一杯なのが兵庫のMさんです。
M
さんにも、吉さんと私のやりとりをお読みになって何か書いていただけたらと思いましたが、気持ちに負担をかけるのはいやですので、書きたいと思われた場合
にのみお願いします。
>しかし、その後のレッスンについては、根石氏とご相談してくださいと、
このようにお話しております。 兵庫のMさんには、先に了解を頂きました。
Mさんと根石さんでその後の予定を調整してください。
塾長の私が知る前に、コーチをやめると生徒から「先に了解を頂」いたことがよくわかりません。M
さんから連絡がありましたら、コーチからの塾長あての指示に従うしかありませんね。とほほ、ですかね。
やはり、どうも素読舎という「塾」は、「娑婆」の人からなめられるようですね。
>根石さんお世話になりました。
多くの事を学ばせて頂きました。
こちらこそありがとうございました。
【11907】
広告 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年10月29日(月)07時51分4秒
素読舎塾長は、「英語!糞くらえ」と思って、英語のコーチを続けています。また、そう思いながら、レッスンで使うための教材を8万8千行(一行半角で
70文字)ほど作り続け、これからも多分作っていくだろうと思います。
「英語!糞くらえ」と思っている人がコーチをやっているレッスンだから価値があると考えることのできる方はお問い合わせ下さい。
これまでに、これを理由に自分の子供を私にあずけて下さった方が一人だけおられます。
幼児英会話などに目がくらむ程度の人は、あらかじめご遠慮下さい。
眠い。
【11908】
私も・・・ 投稿者:ももこ 投稿日: 2007年10月29日(月)20時37分4秒
根石さん
本日はレッスンありがとうございました。レッスンの感想はまたゆっくり書き込みしたいとおもうのですが、忘れないうちに忘れそうなことを先に書き込みしま
す。
私もどんぐり倶楽部⇒吉さんのページ⇒根石さんのページとたどり着いたのですが、
書き込みを拝見していてふと「12歳ってなんだっけ?」と思ったので自分でもページをみてみました。
※これはあくまで「糸山先生のおっしゃる「12歳の根拠はこういうことなのかな」と私は思っています。」ということです。これが正しいのか正しくないのか
もよく分かっていません。
http://homepage.mac.com/donguriclub/introduction.html
糸山先生著「12歳までに『絶対学力』を育てる学習法」草思社2007.9/中旬発行ISBN:9784794216274
まえがき紹介より
(一部引用はじめ)
米国国立精神衛生研究所のデータでも明らかなように、脳の高次機能の進化(思考回路網作成)は、最長でも十二歳(早ければ七、八歳)までで、それまでに使
われなかった(使われることが少なかった)回路は不要だと判断され消滅させられてしまうのです。これは、環境に適応した脳を効率的に働かせる(エネルギー
を有効利用する)ための自然な現象(思考回路網の刈り込み現象)と考えられています。
生物学的にも、個体の完成は性的な成熟年齢(人間は十二歳)までに終わることから、人間は十二歳で思考機能の準備を完了させてしまうと考えるのはじつに
妥当です。
つまり、思考力の養成には臨界期(機能を稼働させる限界の時期)があり、それが十二歳であること、十二歳までに、人間らしい判断力を含む思考力を育てな
ければ、もはや「考える葦」である人間にはなれない、ということです。
ですから、十二歳までは、脳の進化(多様な思考回路の作成)のじゃまになるような刺激、とくに同一の単純な回路しか使わない徹底反復学習はできるだけや
らせないようにして、新しい複雑な思考回路の作成をうながすような環境をととのえてあげる必要があるのです。
「読み・書き・計算」が得意なのに、算数の文章題ができないのはなぜか?
国語の読解能力が低い原因は何か?
ご存じでしょうか。どちらも「視考力」││文字・言葉や数字などの記号から視覚イメージを再現し、それを操作する力││の不足です。
「視考力」とは、思考はもちろんのこと、運動や芸術も含めた、あらゆる分野で応用力を発揮する、万能の絶対基礎学力なのです。
ところがいま、多くの子どもたちは、このだれもがもっている「視考力」という絶対基礎学力を存分に活用できるようには育ててもらっていないのです。
幼稚で残忍な犯罪が後をたちません。
ヒトから人間に育ててもらえなかった「子ども大人」の特徴は、幼稚で残忍なことです。
十二歳までの教育の失敗なのではないでしょうか。
(引用終わり)
http://homepage.mac.com/donguriclub/period-omake.html
糸山先生著書「思考の臨界期」(e-books)紹介ページより
(一部引用はじめ)
人間の性成熟年齢(何才で子孫を残せるようになるのか)は12歳です。驚きに値しますが、1999年8月に英国イングランド北部のローザハムで12歳の少
女が男の赤ちゃんを産んでいます。性成熟年齢にはもう一つ重要な意味があります。子孫を残せるということは進化の証である最も発達した(最終的に獲得し
た)適応能力部分にあたる機能の発達が終わる年齢だということです。人間で言うと「人間的な判断力を含む思考する機能・思考力」の発達(組み立て)が終
わってしまう時期だということです。つまり、人間では12歳が機能的な思考力養成の臨界期だと言うことです。
料理の下ごしらえと調理が異なるように、頭の機能的な発達が完了する12歳の前と後では、教育方法は異なって当然ですし、異なっていなければ不自然です。
赤ちゃんにミルクではなく御飯をそのまま与える人を見て喜ぶ人がいるとは思えませんが、教育界ではお金と時間をかけて御飯を与えているような人がいます。
また、どんなに優れたスーパーコンピューターでも初期設定を間違えると電卓にも及ばないことは周知の事実です。
無事に12歳までに、人間としての証である「人間的な判断力を含む思考する機能・思考力」を始動させる(十分に機能するように設定する)ことができれ
ば、後は多少乱暴な教育でも大丈夫です。準備が整っていれば中学はスパルタでもいいということです。丁度、高校受験前の3年間となりますので絶好の知育期
間となります。知識とスピードはこの期間に付けるのです。「鉄は熱いうちに打て」といいますが、早すぎては砕け散ってしまいます。知育教育の最適期は中学
の3年間なのです。反対に、12歳までの教育では、どんなに素晴らしい目標を掲げていても、過程を重視しない学習指導のような、手法そのものが間違ってい
ては悪影響が大きく考えられない頭を育ててしまいますので要注意です。
(引用終わり)
この部分から、私は「12歳まで」ということなのかなぁと思っていました。
もし吉さんが戻ってきてくださるようでしたらご意見伺えるとうれしいです。
余談ですが、初期の頃の著書には「9歳の壁」というような文字を拝見したような気が・・・(うろおぼえです。)この図をみて思い出しました。
http://homepage.mac.com/donguriclub/scammon-1.gif
http://homepage.mac.com/donguriclub/scammon-2.gif
http://homepage.mac.com/donguriclub/scam-kaiseki.pdf
余談2
残忍な事件についてどこにかいてあったかなぁと思ったら
http://homepage.mac.com/donguriclub/column-01.html
http://homepage.mac.com/donguriclub/reason.html
このあたりにありました。
自分でも読み直してみようと思います。
(でも私家庭環境がとっても複雑でとても「いい環境でそだった」とはいえないので自分を振り返ると少し落ち込みます・・・。)
ながながとスミマセンでした。
【11909】
感想 投稿者:matsu 投稿日: 2007年10月29日(月)22時28分54秒
このところ大風呂敷を楽しみに読んでいる者として、一言いわせてください。
吉さんが持ち出した匿名、実名ということについて。
ネットのマナーとか個人情報保護とかいう理屈はひとまず置いときます。
「私の本業どころか、私の家族の人生にまで影響がでる可能性」どころか、実際にその影響をもろにかぶりながら、実生活でもネット上でも実名で踏ん張ってき
たのが、根石さんなんじゃないですか。
実名で責任をとっている人間に対して、ネット上の匿名の人間が、理屈を振り回して批判するという光景は、あんまり見てて気持ちのいいものじゃありません。
僕にも、特別支援学級(昔の特殊学級です)の3年に通う次男がいるのでいうのですが、その場合に「家族」を切り札のように使うのも、僕は嫌です。吉さんに
その気はなくとも、そういう効果を実際にもってしまいます。
この間のやりとりを読んできて、吉さんがいうように、根石さんが小学生の英語の解説を無理に書かせようとしている、とは読めませんでした。
吉さんの本音は、これだけ「応援」して「親切」にしてきた根石さんが、なぜ自分が敬愛して師と仰いでいるとわかっているはずの「糸山先生」をあしざまに言
うのか、その場合に相手(吉さん)の気持ちを思いやる程度の当然の配慮がなぜできないのか、ということのような気がします。
これはもっともな批判です。
吉さんと同じ立場なら、僕も同じような非難をするかもしれません。
しかし、そんな場合に世間並みの配慮をせずに、「論」に突き進むのが根石さんの真骨頂ではないのですか。そんな根石さんだから、様々な犠牲(吉さんとのト
ラブルもその一つかもしれません)の上に、底光りするような哲学(語学論)を鍛え上げることができたのだろうと思います。
もっとも、そんな事情は、通りがかりの僕などより、吉さんの方がずっとよくわかっているはずです。感情というのは難しいですよね。ただ、少なくとも前回の
メールまでは、百戦錬磨の根石さんに対して、吉さんは(他人や正義の力など借りずに)徒手空拳、十分いい勝負をしていました。その意味では、吉さんの退場
は残念です。
最後に根石さんへ。
一知半解の妄言、失礼しました。
【11910】
感じたこと 投稿者:外野2 投稿日: 2007年10月30日(火)13時16分20秒
この掲示板を愛読している一読者です。
このたびの根石さんと吉さんの一連のやりとりの結果、お二人が断絶ということになりそうで残念でなりません。
12歳に対する見解の違い、吉さんの尊敬する方への根石さんの批判等は決裂の大きな原因ではないと思います。見解の相違はあって当然だと思います。何もか
も同じ考えならかえって気持ち悪いです。
吉さんのもっとも危惧されたのは、Eliot
さんに対して了解を得ずに根石さんがEliotさんの実名を公開したということで、吉さんの実名も公開されてしまうのではないかという懸念だったのではな
いでしょうか。吉さんにとっては、そこが根石さんに対する不信の出発点ではないかと思えるのです。
根石さんも書かれているように、Eliotさんについては、表向きEliotさんは大風呂敷での実名の公表に同意はされなかったものの、公表されても「か
まいませんよ」というようなニュアンスのやり取りがあったものと推察いたします。
吉さんに関しては、よく覚えていますが、根石さんが「そろそろ実名を公開していただけないか?」という問いかけに「諸事情もあり、それは困ります」という
ようなご返答でした。それに対して、根石さんは全面的に了解され「公開しない」旨をはっきり表明されていたと思います。
ですから、吉さんの実名を根石さんが公表するなどとおいうことはあり得ないと確信しました。その前提で吉さんも以後も投稿されていたと思います。しかし、
今回のEliotさんの実名公開の件で心配になられてのではないかと思います。「投稿し続けたらいつ公表されるかもしれない。」「そんなことになったら大
変だ。」等々いろんな思いがよぎり、意見の対立も気になり始めたのではないかと思うのです。
吉さんは冷静な方だとお見受けするのですが、「Eloitさん本人の了解を得ずに実名公開」という字面に少し冷静さを失われたのではないかと感じました。
お二人の投稿を楽しみにしていた一読者として、残念に思い書いてしまいました。的外れ、気分を害されるようなことを書いたかもしれません。お許しくださ
い。
外野2
外野さんとは何ら関係はありません。外野さんになにかとばっちりでもあるといけませんので念のため。掲示板を読むのは好きですが、投稿はあまりしたくあり
ませんので今後はいたしません。
【11911】
実名公開について 投稿者:Naima 投稿日: 2007年10月30日(火)23時52分24秒
コーチや講師として教室を開設して生徒募集している限り、実名どころか連絡先まで公表するのは、まぁ、当たり前というか、常識というか...
私も絵付け教室のホームページには実名・住所・電話番号を記載しています。吉さんと根石さんの最近のやりとりをきちんと読んでいないので、余計な口出しは
すべきでないとは思うんですが...
コーチの代講をお引き受けした時点から、お預かりした生徒さんとの間では実名でやりとりしています。当然ですよね。電話しないといけませんから。吉さんと
の自習レッスンでも当然実名を明かしています。
ただ掲示板で実名を明かす明かさないは自由だと思いますし、根石さんも吉さんの要望を尊重されて実名を公表しないことを了承されているようです。いったい
何が問題で決裂してしまったのかな、と考えているところです。
吉さんは、根石さんは怒りに任せて実名を暴露してしまわれるんじゃないかと恐れて退散されたと?
根石さんが吉さんの尊敬されている糸山氏を批判されたからと言って、根石さんと決別する理由にはならないような気がします。そこからまた議論が始まればい
いわけで。吉さんは糸山氏を擁護されたら良いわけで。ご自分の尊敬する先生を、ご自分の尊敬する根石さんに批判されたことが心情的におつらいからと言うこ
とが、根石さんと決別する理由になるんでしょうか。吉さんはそんな了見の狭い方ではないように思います。吉さんがこの掲示板をご覧になっているかどうかわ
からないんですけど。
いったい、何が問題で決裂なんてことになってしまうんですか。私にはわかりません。
なぁなぁの議論でお茶を濁さないのが「大風呂敷」の売りということは吉さんも承知のはず。問題はどこかほかにあるようだと思うんですが。
とにかく残念です。吉さん、どうしても戻って来られないんですか?
いくこさんといい、Eliotさんといい、吉さんといい、高速回転する根石さんの遠心力にぶっとばされてネットの彼方に飛び出して行ってしまいはりました
ね...
根石さんのお話だけを聞いていると、いくこさんが一方的に悪者になってしまってますが、いくこさんが大好きな私としてはいくこさんの事情もおありだったん
だろうと思いますが、これも余計な口出しで。
皆さん、ここに踏みとどまって、束になって根石さんにかかって行かんかいっ、と思うんですけど。
【11912】
関連会社の全株売却 NOVA破たん前後に前社長 投稿者:外野。 投稿日:2007年10月31日(水)01時39分41秒
経営破たんした英会話学校大手NOVA(統括本部・大阪市)の猿橋望前社長(56)が、同社が会社更生法の適用を申請する前後に、自身が実質的に支配す
る関連会社2社の保有株すべてを売却していたことが30日、分かった。
うち1社は、NOVAへの機材販売をめぐり不透明な資金の流れがあることも判明した。保全管理人の東畠敏明弁護士が記者会見して明らかにした。特別背任
容疑などに当たる可能性もあるとみて今後も調査を進め、猿橋氏の刑事責任追及も含めて検討する方針。
また、東畠弁護士は支援を名乗り出ている複数の企業と交渉を始めたことを明らかにした。遅くとも来週中に決断したいとしている。
(共同通信社)
【11913】
糸山さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年10月31日(水)02時16分45秒
>米国国立精神衛生研究所のデータでも明らかなように、脳の高次機能の進化(思考回路網作成)は、最長でも十二歳(早ければ七、八歳)までで、それまでに
使われなかった(使われることが少なかった)回路は不要だと判断され消滅させられてしまうのです。
ももこさん有り難うございました。
吉さんの根拠も、糸山という人の根拠も「米国国立精神衛生研究所のデータ」とやらにあったということだとわかりました。
糸山という人の文章は、実に雑であると確認できました。
「・・・のデータでも明らかなように」というのは、自分で確認したものでなく、借り物だということだと私は読みました。またしてもアメリカからの借り物
かい。何が「明らか」なんだ。そんなもの一つの仮説にすぎない。
(思考回路網作成)と言う言葉を使いたければ、(体による思考回路網作成)と書くがいい。何が「作成」だね? こいつ、ちゃんと返事してみろよ。
アメリカからの借り物をふりかざしやがって、主語一つ明確にできない文章じゃねえか。文句があれば、糸山なんとかはこの掲示板で出てくるがいい。いつで
も相手してやる。
いちばん気にくわないのは、「消滅させられてしまう」です。
それがいけないことのように、「させられてしまう」と書いている。
思考回路がいっぱいある方が上等なのだという「価値観」なんだ、こいつのは。
サンプルとして単純化して言いますが、思考回路が三つしかないとして、A,B,Cという三つの思考回路のうち、Aだけが発達し、B,Cは使われなかった
ことが原因で、仮に「12歳」で消滅したとして、それのどこがマイナスであり、上等でなく、劣るというのか。返事しろよ、このやろ。
思考回路などいくつも持つより、一つだけでもそれが相手の気持ちを汲み取れるかどうかが肝心じゃないのかよ。
何が、「良質の文章問題」か。
てめえの文章と思考をもちっとしっかりさせたらどうだ。
>つまり、思考力の養成には臨界期(機能を稼働させる限界の時期)があり、それが十二歳であること、十二歳までに、人間らしい判断力を含む思考力を育てな
ければ、もはや「考える葦」である人間にはなれない、ということです。
これは脅しです。
脅しだと思ったので、私自身でホームページを読みに行きました。キーワードに一つに「視覚的イメージ」というのがありました。
何が「視覚的イメージ」だと思いました。ちゃんちゃらおかしいのです。言いたいことは、「視覚による残像イメージ」ではないか。夢の繊維は、「視覚によ
る残像イメージ」でできているのであり、「視覚的」でできているのではない。糸山という野郎は、考えが粗雑です。
これから吉さんが、「良質の文章問題」を買うためにいくらの金をつぎ込むのかは私にはわかりません。吉さんは、とにかく私に月額1万2千円をくださらな
いことにしました。語学論は日本一だと言いながら、そういうことです。語学論なんかやっていても、食えないのだということに力を与えて下さいました。何が
日本一か。馬鹿らしい。
糸山が月額何百万とるのか知りませんが、私は15万程度です。
馬鹿らしくてやってられるかと思うのも仕方ありません。
Jackie さんが何度も書かれたことですが、教育なんぞやった日には食えない。教育まがいをやるとでかく銭になる。
糸山はだましがうまいですね。
脅しもうまいですね。
正論と愚論を混ぜるバランスが抜群ですね。具体的には、公文にしてやられた人々を不安にするのが実に上手です。この男は、言うなれば、公文のコバンザメ
だ。公文がメジャーになり、テレビで広告するほどにならなければ、糸山の論も迫力半減というものです。これは私のいつに変わらぬ愚論の展開です。
商法上で Nova
がどういう犯罪を犯したか以前に、こんなものにだまされた奴らが駄目なんだと少し前に書きましたが、糸山の論を見ても同じ感想を持ちました。
だまされた程度のことで、「哲学」なんぞと言って欲しくありません。
何が「視考力」か。馬鹿らしい。ダジャレとしてもまるで出来が悪い。
何が「視覚的イメージ」か。あほくさい。単純に「イメージ」とか「イメージする力」と言えばいいものを、糞ダジャレを発明して人をだましてけつかる。
そもそも、イメージを絵図にできるとしていることが、イメージに対して不遜なのだ。絵図にできることが、一切の思考の基盤であるなどととんでもない迷信
である。そんなことで済むなら、俺も今頃、こんなふうに言葉数を費やさずに、絵図だけ描いていらあ。
絵図なんてものは、考えを整理するとか、対象を分類するとか、範囲を限るとかいう思考のごく一部に都合がいいものにすぎないのに、絵図を描くことによっ
て、上等な思考ができるようになると思ってけつかるのだ、このチンピラは。
まあいいや、疲れてしまっているので、今夜はこの程度にしておきます。
【11914】
吉さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年10月31日(水)02時23分23秒
多分、吉さんも私も疲れていたのが、こじれの本当の原因ですよ。
【11915】
吉さんからのメールへのお返事 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月31日(水)02時43分30秒
> 家内が「お世話になりました」と言っておりました。
よろしくお伝え下さい。持続期に入っておられたので、とても残念です。
家事、育児などで、どうにも英語を続けられないとなった場合は、旦那様の
付き添いなしで、再度私のレッスンをご検討下さい、ともお伝え下さい。
> 根石さんの英語指導は日本で一番です。
このばからしさについては、掲示板の方に書かせていただきました。
> 私がそう考える限り、私に素読舎の宣伝をさせて頂きたい。
私が食えるようになりましたら、宣伝に感謝いたします。
> 元吉本興業の女プロデューサーです。
横山やすしのプロデュースをされていた人はものすごい人だと思っていいと
思いました。
> 私のホームページの露出度があがれば、
> 根石さんや糸山先生に繋がります。
よろしくお願い致します。
> 根石さんの語学論を、私より深く読める人は絶対にいます。
> そういう人に届いて欲しいです。
ありがとうございます。
> 根石さんがくたばる前か、、
> 私がなんかの拍子にくたばる前に、
> もう一度、語学論で根石さんと語りたい。
遊びに来てください。お互いの顔がわからないので、こういうこじれにな
ったということもあると思いますので。
語学論は、書き言葉でやるのが私の原則なので、もし本当に「語りたい」
のであれば、心配して下さった皆さんにご挨拶して、掲示板に戻っていただ
きたいと願っています。
この点については、Naima さんが考えて下さったことと同じです。
遊びに来て下さったときは、語学論なんかなるべくやりたくありません。
千曲川の河原で火を焚いたりとか、魚をつかまえたりとか、そんなことをや
りたいです。
> 私は英語の勉強を辞めません。
そうです。ここは英語の磁場ではありませんから。維持するためにだけで
も、「勉強」は必要です。私の場合は、「勉強」というより、「喧嘩」です
けど。「英語!糞くらえ」と思いながら、英語と喧嘩しています。
> 私は、根石さんのテキスト作りの続きをやらせてもらう事を夢みました。
私は今でもやって欲しいと思っていますよ。
> あのテキストそのものと、根石さんのレッスンそのもが合わさって、
> 一つの完成された語学論だった事に気付きました。
うん。だから娑婆の人たちはわかってくれないのだとも思います。
書き言葉の語学論だけだと、なんじゃい、ちんぷんかんぷんだ、というふ
うに思われてしまうのです。書き言葉による論者の宿命ですかね。引き受け
るしかありません。
【11917】
今日思い出したこと 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年10月31日(水)03時16分22秒
matsu さんの書かれたものを読んで、思い出したことがありましたので、書いておきます。
私が柴田さんの名前をこの掲示板に書いた後、本名で書いたものとして「音作りへの道」を「大風呂敷」の過去ログに掲載するのであれば一部書き直したい、
と柴田さんから申し出があり、書き直していただきました。書き直したものをメールで受け取り、掲載する作業は村田君にやってもらいました。私の記憶が間
違っていないかどうか、村田君に確認してもらえると有り難いです。
柴田さんがこの掲示板に来られなくなった理由で思い当たるものをもう一つ思い出しました。白樺湖池の平ホテルにsbさんと一緒に柴田さんを訪ねたとき、
英語がわかっているかどうか、使えるかどうかは、音はもちろん、イントネーションや感情まで含めて、録音音声の通りに言えるかどうかで決まるという意味の
ことを柴田さんが言われたので、まあ、話し言葉でのやりとりでしたから、「それをやるのがとてつもなく恥ずかしいことに感じられてどうしてもできないや
つっているんですがね」ということを私は言いました。
柴田さんも「磁場帰り」の方ですが、わかっておられないのは、「語学的標準形」ということだと思いながらそう言いました。イントネーションなど、まった
く「語学的標準形」に照準を合わせればいいのであって、英語の磁場で使われた通りのものなどに合わせる必要はない。また、感情に関してはからっぽでもい
い。なんで日本人の英語を作っているのに、アメリカ人の感情などにならう必要があるのか。いくら語学が机上のものであり、生活の場面のものではないにせ
よ、なぜ感情まで、芝居としてやらなければならないのか。そういう異和を口で言ったつもりでした。
感情は語学の場面でなく、実際に英語という言語を使う場面で自分のものを込めればいい。それを込めることができるだけの器を作っておくことが肝心なので
あり、イントネーションや感情をネイティヴと同じにすることが肝心なことではないということを言いたかったのでした。
その後、柴田さんが掲示板に、感情やイントネーションまで含めて、アメリカ人(の録音音声)と同じにするのがいいのだと書かれたので、「あっしら語学を
やっているんであって、芝居をやっているんじゃない」という意味のことを書きました。馬鹿言うんじゃないというくらいに強い調子で書いたと覚えています。
柴田さんが、掲示板に書かれなくなったのは、その直後からだったなと思い出しました。こちらが原因だったかもしれません。
村田君の労により過去ログが残っていますので、その当時の関連の記事を引用して下さる労をとって下さる方がおられたら幸いです。
村田君。私がツインタワー崩落時、快哉を叫んだことなども含めて、過去ログをとっておくことは大事ですね。反省するためにもいいし、身の証を立てるため
にもいい。
【11918】
根石さんへ 投稿者:ひきこもり暦22年 投稿日:2007年10月31日(水)03時28分37秒
>>「良質の文章問題」を買うためにいくらの金をつぎ込むのかは私にはわかりません。
ここだけ読んでも明らかですが根石さんはどんぐり倶楽部のホームページをしっかり読んでませんよね?読みにくいホームページだけどしっかり読んでください
よ。
根石さんは「米国国立精神衛生研究所のデータ」が信用できないんですか?それともデーターから導き出された「理論」が信用できないんですか?
【11919】
うぅ、疲れたんだが、持病だから書くか 投稿者:根石吉久 投稿日:2007年10月31日(水)03時37分4秒
ひきこもり歴22年様
>>「良質の文章問題」を買うためにいくらの金をつぎ込むのかは私にはわかりません。
>ここだけ読んでも明らかですが根石さんはどんぐり倶楽部のホームページをしっかり読んでませんよね?読みにくいホームページだけどしっかり読んでくださ
いよ。
そうですか。私も忙しいので、そんなに多くの時間を使って読んだわけではありませんでした。「良質の文章問題」と書いてあったかどうか正確ではありませ
んし、また読みに行こうという気がありませんので、間違っていたらお許しいただくしかありませんが、「良質の文章問題」だか、「良質の練習問題」だかを手
に入れるのに金は要らないのですか?お教え下さい。
>根石さんは「米国国立精神衛生研究所のデータ」が信用できないんですか?それともデーターから導き出された「理論」が信用できないんですか?
「米国国立精神衛生研究所のデータ」については私は現物を読んでいるわけではありませんので、そういうものがあるんだなという程度の判断をしており、信
用することも信用しないこともしておりません。
糸山がそこから導いた「理論」は信用しておりません。
【11922】
「音作りの道」過去ログ掲載時の経緯 投稿者:村田 投稿日:2007年10月31日(水)06時23分51秒
>私が柴田さんの名前をこの掲示板に書いた後、本名で書いたものとして
>「音作りへの道」を「大風呂敷」の過去ログに掲載するのであれば一部
>書き直したい、と柴田さんから申し出があり、書き直していただきました。
>書き直したものをメールで受け取り、掲載する作業は村田君にやってもら
>いました。私の記憶が間違っていないかどうか、村田君に確認してもらえ
>ると有り難いです。
根石さんの記憶通りです。
(過去ログhttp://nagano.cool.ne.jp/ha98000/log/6401-6500.htmlの【6462】・【6485】・
【6487】─【6495】・【6497】─【6498】)
このときは何度も柴田さんに推敲してもらって、過去ログの中でも特に慎重に作業を進めていきました。
【11924】
吉さんからのメール 投稿者:ちえ 投稿日: 2007年10月31日(水)14時44分21秒
こんにちは、ちえです。
この度の事で、先日、今までのお礼の意味を込めて吉さんへメールを送りました。
吉さんから返信がありましたので、吉さんの了解を得、掲載します。
以下、吉さんからのメールです。
> 吉さんのお陰で素読舎と出会えたことに感謝しています。
ちえさん、、私の哲学ですから、これはハッキリ申し上げます。
ちえさんが受けているのは、日本で一番の英語の指導です。
最高の指導を受けているのだと誇りをもってください。
これを私が信じている限り、私のホームページを通じて、
そのように発信していきます。
これは、、この事だけは、、誰にも譲りません。
もしできたら、ちえさんの言葉で、
どんどん掲示板で発信してください。
(ちえさんが無理なら、私がそう言っていたと言ってもいいです)
根石さんの語学論が、ネットのブラックホールに沈んで良いわけがありません。
今までも、、これからも、、私は根石さんを応援します。
ちえさんも語学に励んでください。
私も英語の勉強をやめません。
根石さんの語学論は、完璧なまでに美しいのです。
そして、、彼の生き方は、彼の人生哲学そのものだと思っています。
彼の掲示板の発言は、彼の哲学そのものだと思っています。
レッスンとの優しい声の印象とはギャップがありますし、
掲示板の発言は、たまに取り返しのつかない程ダメージの大きい場合もありますが、、(苦笑)。
お互いに絶対譲れないものを確認できました。
それでも、私は根石さんの生き方を応援します。
私には「12歳の境界線」という守りたい理論があります。
私の立脚点です。
これを守り抜かなければ、素読舎をこのようなかたちで去った自分を、
ダメにしてしまいます。
そして、、根石さんの語学論も守ります。
私の立脚点ですから、、。
掲示板には、ああ書いちゃいましたし、
まあ、、まだまだ許せない部分はありますが、
でも、、根石さんが頑張る限り、応援します。
ちえさんが学び続ける努力も応援します。
ありがとうございました。
今回はこんな事になってゴメンなさい。
ちえさん以外にも心配されている方がいらっしゃると思います。
そういう皆様に申し訳ないと思っています。
ちえさんの言葉で、私がこんな感じの事をメールで言っていたと伝えてあげてください。
では、、
吉
【11925】
さよなら??ちょっと待ったあああ 投稿者:Jackie 投稿日:2007年10月31日(水)20時50分43秒
ちょっとご無沙汰していて、
バックアップとよみかえしているのですが・・
何があったのでしょう???
わけわかめですわ。
根石さんがどんぐりの糸山さんを批判したのを吉さんがうけいれることができなかったということでしょうか・・。
根石さんが信頼する吉さんが「よい」と言っている糸山さんの本を
根石さんには一読して欲しい。いや糸山さんについて語るには一読すべきかと。
吉さんが書き出した一部で論じて談じることはよくないと思いますよ。
吉さんは根石さんの著書も読み語学論やその他のことを受け止め、考え、論じてきた。
吉さんは本はかいていませんが、
その吉さんが「根石さんと共通するものがあります」といってらっしゃる糸山さんのことを
もうすこし知るために、一歩さがって、著書を読んでそこからモノをいってほしいです。
その上で意見の相違はぶつけあえばよいわけですし、
今の段階で勝手にジャッジして糸山さん食わず嫌いをしてしまうことは
もったいない。
頑固親父、ちょっと丸くなりましょう。一歩はゆずってみましょうよ。
とかいたのですが、ただいま編集してつけたし書きをしています。
いや、せっかちなものでさかのぼり読みをしながらおもったことをかいていまして(汗)
今かかないとかけなくなるとめちゃめチャ書きになっています。お許しを。
根石さんはHPにはいかれたのですね、そしてそれから書いてらっしゃいますね。
しかしもうちょっと読んでみましょう。著書を読んでみるのが一番系統だって糸山さんの考えかたがわかるかと思います。
糸山さんの著書は吉さんにおしえてもらったので
私も買いましたが、あまり深く考えて読んでなかったので
もう一度読み直してみようと思います。
そうでなきゃ糸山さんについても吉さんと根石さんの議論についてもはいっていくことはできません、わけわかめで。
吉さん、
信頼する人に同じものを好きになってほしいとか、同じことを信じて欲しいとか
そういうもんですが、そうならないことも多々あります。
それは個人の考え方や好みの相違。
それがいかに真理であっても、ある人にとっては違うことが真理とは思えない、または
そこまで深く受け止めないだけのこともあります。
すべて一致してしまったらそれこそ面白くも糞もなく、
そこには議論が生まれません。
意見の相違をぶつけあうことがら議論がはじまる。
戦わせることから、何かが生まれていく。
ま、たとえ夫婦でも意見はちがうことがあるかと。
とざざーと流しよみで書いている次第。
お前こそよく読んでからモノを書け!・・というわけですが、
また書きます。
ここのところ時間がとれないので、、おいおい。
吉さん、
残念!!
私は外野さんではありません〜
でも外野さんとおなじ投稿をしたいとおもってました
ノバ離れ。英会話幻想から解き放たれる人がふえたか??
大手英会話学校はどこも顧客離れが起こっている模様。
しかし大人の英会話幻想→やっぱり英語は子供からと
早期英語教育英語幻想へうつっていってるだけですね。
文部省が小学校からの英語教育と言ってますし、
親御さんが子供に習わせたい習い事のナンバー3にはいってますね、英会話。
んなもん無理無理!
というところで
対談
「根石、糸山、語学を語る〜。早期英語教育は必要か否か。」とか
この際いかがでしょうか????
素読者村田さん、児童英語教室をやられていたNaimaさんも加えて、吉さん進行役で。
で・・。ついでにEliotさんにも参加をお願いして。
私?私は外野観戦をw
【11926】
大風呂敷投稿の皆様 投稿者:Jackie 投稿日:2007年10月31日(水)21時10分39秒
まずは吉さんへ
外野2さんやNaimaさんがかいてらっしゃいましたが
根石さんは「吉さんの実名公表はしない」と書いていらしたと記憶しています。
その点は心配なさらなくても大丈夫かと。
またEliotさんの実名公表について
Eliotさんがとつぜんこちらにこられなくなったのでどうしたのかと思っていました。
そういう理由だったのでしょうかどうでしょうか?
これはエリオットさんしかわかりませんね。
根石さんが強引に実名を明かしてしまったのなら
それはやはりよくないと私も思います。
でも柴田さんも実名には半同意なさっていたし、
その後、自分から実名を名まえ欄にかいてらっしたこともあったかと。
重ねて、吉さんの場合は、「絶対実名はダメだ」とおっしゃってる。
だから実名公表を根石さんがすることはないと思います。
もしそれをやっちゃあおしめいよ。です。
まー私ことジャッキーも実名は公表してないチキンです♪。
>私には「12歳の境界線」という守りたい理論があります。
私の立脚点です。
守るものがある。守るもののために戦いましょう。
言葉で論じていきましょう。わかりあえるまで語りましょう。
分かり合えない可能性のほうが高い。
つかれたときにははぐらかして一服しましょう。
余所見も大事。
いや、一杯飲みましょう。
●●大風呂敷投稿&ROMの皆様へ。●●
Naimaさんの
>皆さん、ここに踏みとどまって、束になって根石さんにかかって行かんかいっ、と思うんですけど。
思わず噴出しました。姉さん元気ですねえ。
ひとりじゃかなわないから束になってかかっていきましょー。
というわけで子供英語教育論はつづくのでありました。
今は英語に携わっていない身ですが
それでよろしければこちらに参加討論いたしますので
皆様よろしうに。
吉さん、SBさん、エリオットさん、浜谷さん
、それから恋人ファンさん、もっこりさん、ミッフィーさん、
その他過去ログに登場の皆々様。
「子供英語教育討論」&語学論の時間ですよー。
起きてくださいー。
ROM専の皆様もはじめの一歩を。
大丈夫、こわくありませんって。
ところで今チラッと過去ログにいってみて発見。
【8067】
【タイトル】わからんじん
【 日時 】03/10/31 7:22
【 発言者 】Jackie
英語まわりは わからんじんだらけ。 私も含めて。
わからん人同士が わかりあうことは不可能なのかもしれない。
われながら名言。
だからこそ
大風呂敷ひろげ、ぼちぼちと、がちがちワイワイいきましょや。
養命酒でも飲みながら。
わたしゃ日本酒をいただきますが。
【11927】
吉さんへ 投稿者:matsu 投稿日: 2007年10月31日(水)23時27分34秒
前回は、素読舎にも大風呂敷にも、さらには英語にすら全くの部外者にもかかわらず、げすのかんぐりのようなコメントを書いてしまい、失礼しました。
おっちょこちょいついでに、もう少しだけ言わせてください。常連の方には、申し訳ありません。どうかそっくり読みとばしてください。
その後のコメントやメールで、吉さんと根石さんの真情がある程度わかった気がします。
一方、糸山さんへの根石さんの口撃は激しさを増して、どんぐり倶楽部との全面対決前夜という様相ですよね。このままでは、吉さんがいっそううんざりして、
思いを残しながら、根石さんと決別の気持ちを固める、という展開が見えています。
そうならない前に(もうそうなっているのかもしれませんが)、吉さんに呼びかけたいポイントがあります。
前に、根石さんが糸山さんをなじったことについて、論理優先の根石さんの無神経(失礼!)によるものと勝手におもっていました。ただ、根石さんの真情を知
ると、それだけではなくて、信頼する吉さんに「ほんもの」を示したい、という熱意によるものという気がしてきました。
そんな風にいうと、糸山さんが「にせもの」みたいで、吉さんの逆鱗にふれそうですが、そうではありません。
子育ての方法論を提供するのが「教育論」ならば、糸山さんはその分野で優れていて、成果をあげている方なのかもしれません。しかし、そういう教育論は、教
育成果をあげるという目的のための手段なのであって、たとえば、教育とは何か、子どもとは何か、人間とは何か、という問いをつきつめるものではありませ
ん。
根石さんのように「ほんもの」を求める人にとって、そういう問題をやり過ごしていること自体が、わかっちゃいねえ、にせものだ、ということになるのだと思
います。それは、糸山さんがすぐれた教育方法論を持っているか、ということとは別次元の、いわば思想の問題だと思います。
吉さんは、教育論を確立したい、守りたい、それを譲れない、ということをよく言われますよね。吉さんには、それを急ぎたい気持ちがあるのでしょう。ただそ
んな切迫した気持ちの求めるものが、教育方法論(たとえば、12歳の境界線論)であるとは、とても思えません。たとえて言えば、自分と家族のいる場所に根
拠を与えるような「ほんもの」をめぐる思想が、それなんじゃないでしょうか。
吉さんは英語の達人だから、根石さんの「語学論」のエッセンスを吸収して、自分で語学を継続することは十分可能なのでしょう。しかし、根石さんのすごさ
は、日本で語学をやり続けることを通じて、その娑婆との格闘を通じてつかみとってきた「思想」にあります。根石さんにとって、語学と思想(哲学とも、文学
ともいえるかもしれません)は、車の両輪であるような気がします。
具体的にいいましょう。少し前にこの掲示板で、大人が観光地で景色に興じているときに、子どもがテレビゲームに夢中になっていることが話題になりました。
普通の感覚で言えば、子どもの「異常な」振る舞いを問題にしたくなるところですよね。そのとき根石さんが、さりげなく、大人も子どもと同じように観光で自
然を楽しむというゲームをしているにすぎない、と指摘したのには驚きました。
考えてみれば、大人も自分の日常を取り囲む自然のあり様には目をふさぎ、観光名所の自然のみに感嘆しているなら、それは自然の断片を取り込んだ自閉的な
ゲームをしているにすぎないことになります。確かにこのような認識は、哲学や批評のお勉強の場所では語られることですが、この娑婆のやりとりの中でピタリ
と言い当てるところに、根石さんの比類のない眼力があると思います。
英語は風邪じゃないからうつらない、とは根石さんの名言ですが、思想(考えること)も風邪じゃないからうつらない、というのが、『英語どんでん』を読んで
の僕の感想でした。思想もまた、絶えざるインプットの努力と、生活の現場での鋳なおしを通じて形作られるものでしょう。短時間で手に入ったり確立できたり
するものではないはずです。
吉さんが、根石さんの語学論をあれほど高く評価するのも、語学の問題を通じて、根石さんの思想に強くひかれているからだろうと想像します。英語のコーチと
してと同様、いやそれ以上に思想(考えること)の師匠として、根石さんは本当に得がたい人だと思います。この掲示板で根石さんと議論を戦わせることの効用
を、吉さんは以前書いていましたが、根石さんといっしょに喧々諤々考え続けることの向こうにこそ、吉さんが求めるものがあるような気がします。そんな環境
をもっている吉さんを、遠くから(どんぐり倶楽部があるという福岡から)僕は指をくわえてうらやましく眺めています。根石さんとの関係を手放すのは、もっ
たいないですよ。
糸山さんの教育論が子育てに有効だと思うなら、根石さんのくだくだは適当に聞き流して、信奉して有効に使われたらいいのじゃないでしょうか。とにかく全共
闘世代のオヤジというのは、頑固でくちうるさいというのは相場がきまっているのですから・・・
最後に根石さんへ。重ね重ねの妄言のオンパレード、お許しを。
【11930】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 1日(木)05時35分54秒
>一方、糸山さんへの根石さんの口撃は激しさを増して、どんぐり倶楽部との全面対決前夜という様相ですよね。このままでは、吉さんがいっそううんざりし
て、思いを残しながら、根石さんと決別の気持ちを固める、という展開が見えています。
全面対決はないだろうと思います。あちら様は「おとな」でしょうから。
乗りかけた船なのかと思い、今日再び、どんぐり倶楽部の別のページを読んだら、なかなかいいじゃねえかというところを見つけました。それは、一言で言え
ば、「ゆっくりでいいんだ」「結果じゃなく過程が大事なんだ」というだけのことでした。それだけなら、私も同意できます。文部省の元における小学校批判
も、(名指ししていない)公文批判も、うんうん、それでいいでしょう、と思いました。
私の生徒さんのももこさんが、「ゆっくりやればいいんだというようなところは、糸山さんのいいところだと思うんですが、12歳に強い線引きをするところ
はどうなのかなあと思ってしまう」とレッスンの時に言われたのですが、ようやく「糸山さんのいいところ」というのが何を言っておられるのかがわかりまし
た。
高速計算なんか駄目だ、公文なんか駄目だ、というような点については、私に糸山に対する異論はありません。しかし、反復練習が駄目だという点にはまった
く同意できません。私の孫は、まさに日本語の基本的な構造を体に備えつつある段階(4歳)ですが、知らない言葉に出会うと、面白がって、ときどき自分で勝
手に「回転読み」みたいなことをやります。(字を使わないし、教室で学習するのでもないし、遊びみたいに独り言を言っているだけですが。)言葉を獲得する
途中では、「反復」というのが必要だから、孫は勝手に「反復」をやっているのでしょう。自分に向けて確認しているのでしょう。私も他の家族も、孫に反復の
必要性など一言も言ったことがありませんが、遊びみたいにして勝手にやっているのをたまに目にすることがあります。
言葉の習得には「反復」は必要です。必要だから、面白がって遊びみたいにして、私の孫はやっているのです。算数方面から、言葉方面で生じることの「絵
図」を描いても、そんなもの、まったく見当違いだよ、ということです。「良質の算数問題」からできる言葉の力なんかなんぼのもんじゃいとしか思えません。
そんなことじゃ、戦後日本の貧しさをさらに貧しくするだけじゃないか、とも。
糸山は、論はできる人ですが、言葉にろくに血が通っていない。それがあの、何というか、事項だけ次々と繰り出すだけの文体です。糸山に言いたいのは、
「足元を見ろ」です。文章に(言葉に)血を通わせることをしないで、何が「豊かな心」かよ。この点では、吉さんの方がよっぽどいい。異なる論の間で、引き
裂かれた生身の言葉を公開するだけ、ずっといい。吉さんが糸山を師にするなどは、もったいないのです。糸山が吉さんの引き裂かれ方を師にするがいいので
す。
そんなことを書こうかと思って掲示板を開き、matsu さんが書いて下さっているのをみつけました。
一読、ありがたく思いました。
>子育ての方法論を提供するのが「教育論」ならば、糸山さんはその分野で優れていて、成果をあげている方なのかもしれません。しかし、そういう教育論は、
教育成果をあげるという目的のための手段なのであって、たとえば、教育とは何か、子どもとは何か、人間とは何か、という問いをつきつめるものではありませ
ん。
糸山の論では、無差別殺人をやった永山則夫が、刑務所で字を覚え、言葉を覚え、人の気持ちがわかるようになっていった過程にはまるで触れることができな
いと思いました。糸山の論では、永山則夫は無差別殺人をやった時点で、「幼児期に育てるべき判断力を育てられていない状態で12歳をすぎてしまっている子
供大人」説を補強する格好の例にはなるでしょう。しかし、心というものが「12歳」という線引きなどで決定されるものではないということ、20代でも30
代でも40代でも、人間が生きている間、ボケルまでの間、あるいは死ぬまでの間、心は成長するということが無視されるだろうと思います。
永山が刑務所で自分の心を育てた過程は、「12歳」という線引きを完膚無きまでに否定するはずです。
「12歳」という強い線引きに対しては、私はこれにどうしても脅迫めいた臭いをかぐのです。アメリカから論拠を借りてきて、時代の荒れを自説の補強に
使って、これを売れば売れるわなとも思うのです。
そりゃ、幼児から子供時代を経て作られる「思考能力の祖型」ができあがる時期はどこかにはあるだろうと思います。しかし、それができていくのは「12
歳」で終わりであり、以後は別過程だとされるなら、60に近くなってきた年齢で、「子供大人」の一人をやって公開している私としては、ふざけんじゃねえぞ
この野郎、としか言いようがありません。「思考能力の祖型」ができるのは、7,8歳の場合もあるだろうし、12,3歳の場合もあるだろうし、16,7歳の
場合もあるだろうし、いずれどこかにあるだろう。しかし、それ以後にだって、それまでに存在しなかった思考回路に新たな血管が形成され、そこに血が通い始
めることはある。そうでなければ永山則夫が人の気持ちがわかるようになったということはどういうことになるのか、まったく説明がつかないではないか、と。
糸山はいいことをいっぱい言っている。駄目なのは、「12歳」論です。借り物だからです。
糸山の論は、アメリカの調査のデータを借り物にした決定論ですが、この決定論であるところがどうにも気に入りません。借り物である「12歳」論がアホく
さくて、鼻が曲がります。
吉本隆明は、「思考能力の祖型」ではなく、「心の祖型」という意味あいで、3歳くらいまでに決まるというようなことを言っています。それは幼児と母親の
関係で決まるとも言っています。「心の祖型」=「三つ児の魂」という意味で、これならよくわかります。糸山の論の「12歳」というのは、「心」ではなく
「思考」に関してだというふうに糸山は逃げることができるのでしょうが、糸山は「心」の形成と「思考」の形成を(わざとなのかどうか)混同させています。
こんな混同も決定論も両方とも要らないものです。
妊娠可能な年齢を、思考回路形成の、ええとなんだっけ、臨界期だっけか、それに同致させることにも何の根拠があるのかと思い、けっ、と思ってしまいま
す。
永山を持ち出さなくても、私自身が中学二年頃から19歳頃まで落ちこぼれだったことを持ち出すのでもいいのです。私が実質的に英語をやり始めたのが19
歳だったのですが、それまではただの落ちこぼれでした。19歳でそれまでの落ちこぼれの歴史をひっくり返すように急に激しく英語の「勉強=喧嘩」をやった
のでしたが、それは糸山の言う「豊かな心」なんぞというものより、はるかに永山則夫の無差別殺人に似ていました。相手が生身の人間ではなく、英単語や英語
の構造だっただけで、「勉強」などと呼ぶより「殺し」と呼ぶ方がはるかに実質に近いのです。そして、この「嵐としての一年間」の後に、私は日本語の詩が読
めるようになったし、批評が読めるようになり始めたのでした。それまでの生涯では味わったことのない味でした。つまり、(糸山からすれば)「こんな遅い年
齢」になってさえ、思考も心も変わるのです。人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれば、「12歳」も糞もない。
糸山は、私の19歳という年齢で生じたことをどう説明するのか。刑務所で永山則夫に生じたことをどう説明するのか。刑務所の中を無視するのと同じように
無視するのか。
「心の祖型」ができるのは三歳までだということには、何の違和も感じないのに、「思考回路形成臨界期=12歳」にどうして強い違和を感じるのかと言え
ば、私において、「思考の祖型」ができるのが、19歳頃まで続いたと思っているからです。それほど私はトロイ子供だったのです。
私の親は、3歳までの私の「心の祖型」を決定したかもしれません。しかし、「12歳まで」というところにはまったく無策で、意識的に何かをした形跡はま
るでありません。私はただ、見守られ、放っておかれただけです。「見守られた」ことも、「放っておかれた」ことも今は有り難く思っています。
糸山の言う「絶対学力」なんか、私の19歳に何の関係もなく、むしろ、この社会の成り立ちに対する怒りが大いに関係がある。そして、19歳で暴発するま
での思考を育ててくれたのは、「言葉」が最大のものです。「言葉さえ奪われなければ」という思いが今も私には強くあります。「学力」だの「視考力」など
は、「心」とは関係がありません。どちらかがどちらかを「媒介」にするという関係があるだけです。糸山はここを混ぜこぜにしています。混ぜこぜにして、直
線で結んでいます。
「学力」だの「視考力」だのと、「心」との間には、ねじれた複雑な相互関係があるのですが、糸山は直線で結んでいます。
糸山が単純に「心が育ちにくい時代だ」と言うだけのことなら私は同意できるのですが、「絶対学力」だの「12歳」だの言い出すと、脅迫じゃねえかと思
い、蹴散らしてやりたくなるのです。
今でも子供に本当に必要なことは、見守ることと放っておくことです。
有害なものを「見せない教育」ではなく、有害なものに対する抵抗素が育つかどうかです。テレビをつけておけば、子供は(幼児でも)(作られた)残忍な場
面を見るでしょうし、子供が勝手にテレビのスイッチを入れることを止める方法はありません。テレビを持たなければ、テレビ一つは解決するでしょうが、他か
らもいくらでも有害な視覚刺激は届くでしょう。
それに対する抵抗素を育てるのは、学力形成などと何の関係もない。「良質の文章問題」などと何の関係もない。大切なのは「親の背中」のようなものです。
これだけはごまかしがきかないところです。自分に見えないところを子供に見られているのですから、ごまかしがきくはずがない。
吉さんは、それをも「見せない」などと考えるからいけないのです。「見せない」といくら固く決意しても、どうしようもなく子供は見ているのです。ぶち切
れて「大風呂敷」に来ないなどということをやっていると、子供の抵抗素が育たなくなりませんか。
糸山の論が、戦後日本の市民社会の「学力をめぐる神経症」に乗じたものであり、学校という枠の中での「思考」を思考だとしていることが、私の中に激怒の
ような反応を生じさせるゆえんかと思います。あちら様はいまだ受験のプロであり、私はそこから降りた者であるということかもしれません。
>ただそんな切迫した気持ちの求めるものが、教育方法論(たとえば、12歳の境界線論)であるとは、とても思えません。たとえて言えば、自分と家族のいる
場所に根拠を与えるような「ほんもの」をめぐる思想が、それなんじゃないでしょうか。
同感です。吉さんは「哲学」という語を使われますが、必要なのは「思想」だと思います。例えば、語学論がらみで言えば、「磁場帰り」の人として、「磁
場」において生じたこと、内心にどんな血が流れたかということを、自分の言葉で語ってくれることだと思っています。それをやらなきゃ、まともな論にならね
えぞと、國弘正雄について考えたことがありますが、吉さんについても同様のことを考えました。(そういうことを考える場所としては、「大風呂敷」が最適な
場所なんじゃないですかね、吉さん。)
>根石さんにとって、語学と思想(哲学とも、文学ともいえるかもしれません)は、車の両輪であるような気がします。
先にも書きましたが、語学の「嵐の一年」の後に、詩や批評が(日本語で)読めるようになりました。語学には恩があります。糸山から語だけ借りれば、その
ための「絶対学力」は19歳の一年で結実したのであり、「12歳まで」にできていたものではありません。12歳を過ぎてからも、この世の成り立ちにとまど
い、迷子になっていたことが形成したものです。
詩や批評が読めるようになったのは、語学における、語のイメージ核を射抜く一年間の修練によるものであり、修練を面白がった意志によるものであり、その
前提としての(日本語から得た)イメージ形成能力は、19歳までの長い時間にゆっくりと形成されたものです。いまだに「12歳まで」に何の根拠も見いだせ
ません。
思考までアメリカの(データの)「家来の家来」になったんじゃどうしようもない。
もっとずっとゆっくりやればいいんだとも思います。正直なところを言いますが、私は吉さんの「磁場帰り」のリハビリをやっていたような気もするのです。
別に誰に頼まれたわけでもないのですが。
>普通の感覚で言えば、子どもの「異常な」振る舞いを問題にしたくなるところですよね。そのとき根石さんが、さりげなく、大人も子どもと同じように観光で
自然を楽しむというゲームをしているにすぎない、と指摘したのには驚きました。
ここをポイントとして読んでくださったのは有り難かった。うれしかったです。
>この掲示板で根石さんと議論を戦わせることの効用を、吉さんは以前書いていましたが、根石さんといっしょに喧々諤々考え続けることの向こうにこそ、吉さ
んが求めるものがあるような気がします。
私も吉さんも、一日が終わった「25時間目から」この掲示板に書いていたので、お互いに疲れがあったかと思っています。私の言葉が投げやりになりかけた
ところもあったし、吉さんが糸山という人の論にかたくなに固執するようなところもあったのですが、いきなり吉さんの方から断ちきられた時にはびっくりしま
した。信仰をめぐる論争じゃあるめえに。
吉さんの引用では糸山を読む気がなくなった私ですが、今日、糸山を読んだのは、この掲示板に書かれた何人もの人の記事のおかげでした。いまだ、吉さんが
私を許せないと同じように、私が糸山を許せないという問題は残っているにせよ、です。
ネット上のつき合いでは、疲れていても疲れたまま書きますし、書き直すとか考え直すとか見直すということをする前に、相手からお返事が来てしまうので、
書き直したり考え直したりする前に、相手からのお返事に応じてさらに書くことになくなります。そんなところからも行き違いが生じやすいのは、こりゃ、しょ
うがねえんだと思います。
ここがそういう場所だということをよく踏まえてちゃんとやってきたという気は私にないのすが、かえってそれがこの掲示板の「なまな感触」になっているか
と思います。「哲学や批評のお勉強の場所」(主に大学周りですかね)よりも、私は娑婆の方が好きなんだとも思います。Eliot
さんにせよ、吉さんにせよ、私が学校の勉強ができた人となかなかソリが合わないということとも関係があると思います。まして糸山なんかと合わないのは、至
極当然だとも思っています。matsu さんならわかってもらえるかもしれませんが、近いものほど憎み合うのです。近いが違う、からです。
「喧々諤々考え続けることの向こう」を、Eliot さんにも吉さんにも信じて欲しかったと思います。matsu
さんが書いてくださった通りだと思います。
>とにかく全共闘世代のオヤジというのは、頑固でくちうるさいというのは相場がきまっているのですから・・・
思わず、にやりとしてしまいました。一本とられました。
【11932】
横から失礼します。 投稿者:兵庫のM 投稿日: 2007年11月 1日(木)08時28分7秒
すみません。私個人の感じていることなので、読み飛ばしてくださって結構です。
最近、どんぐり倶楽部にオンライン教室などできて、お金を払って講義を聴いたり、、なんだかお金を払うことが多くなったような気がします。糸山さんのおっ
しゃることはもっともだし、文章題もとてもよく出来ていると思いますが、その辺のところちょっと疑問を持つようになりました。わたしの単なる感覚でしかあ
りませんが・・・どうなんでしょうか?
ある人が、「言っている事より、やっていることを見なさい」と言っていました。それを、考えると、どんぐり倶楽部はネット上なので、彼の言っていることを
素晴らしいと思うのであれば、実際に会い、直にお話を聞いたり、質問したりして確認すべきなんだろうなと思います。横から一言失礼しました。
【11935】
M さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 1日(木)23時29分24秒
じわじわとお金がかかるようになってきた!
なるほど。
知りたいことを知ることができました。
ありがとうございます。
【11937】
Mさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 1日(木)23時35分15秒
>彼の言っていることを素晴らしいと思うのであれば、実際に会い、直にお話を聞いたり、質問したりして確認すべきなんだろうなと思います。横から一言失礼
しました。
実際に会っても、くろうとは、「やっていること」を見せず、「言っていること」しか与えないことが多いです。
実際に会うよりも、文章が「言っていること」でなく、「やっていること」を読むのが一番いいと思います。
横やりですが。
【11938】
文章 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 1日(木)23時37分10秒
文章を書くのはとても苦手という人の方が、実際はいい文章を書く。
【11939】
根石さんへ 投稿者:ひきこもり暦22年 投稿日:2007年11月 2日(金)02時08分13秒
>良質の文章問題」だか、「良質の練習問題」だかを手に入れるのに金は要らないのですか?お教え下さい。
良質の文章問題は年長〜小6まであって1学年1000円です。ちなみにこの問題集は無料配布を条件に塾・学校での利用が許可されています。また、現在どん
ぐり倶楽部で売っているすべてのテキスト・問題集・添削例etcを買っても3万円です(期間限定だが今は1万円で買える)。そして子どもの学習相談や生活
相談は掲示板で行っています(もちろん無料)
つまりどんぐり倶楽部に惚れ込んでもそんなに金はかからないということです。
>「米国国立精神衛生研究所のデータ」
http://homepage.mac.com/donguriclub/nature-vol440.html ぜひこれを読んでいただきたいです。
>私の孫は、まさに日本語の基本的な構造を体に備えつつある段階(4歳)ですが、知らない言葉に出会うと、面白がって、ときどき自分で勝手に「回転読み」
みたいなことをやります。(字を使わないし、教室で学習するのでもないし、遊びみたいに独り言を言っているだけですが。)言葉を獲得する途中では、「反
復」というのが必要だから、孫は勝手に「反復」をやっているのでしょう。自分に向けて確認しているのでしょう。私も他の家族も、孫に反復の必要性など一言
も言ったことがありませんが、遊びみたいにして勝手にやっているのをたまに目にすることがあります。
(引用)
「学力とは何か〜理解力・思考力・判断力の育て方〜」
1.「学力」とは何か
・「分かる」と「解る」
・「分かる」から「考える」へ
・指導者の根本的な誤り:思考停止状態を「深く考えている」という保護者
※「悩んでいる」状態と「考えている」状態は全く違う
・考え方を教えなければ学力は育たない(子供任せになってしまう)
※教育の大誤算1:知識を与えて考え方を教えない先生は
「知識が増えれば考える力は自然に育つ」という根本的な間違いを平気で言う。
※肝心なのは考えるとはどうすることかを具体的に教えることである。
「全世界の言葉を全て知っていても考え方を知らなければ何も考えられない」
「一言も言葉を知らなくても考えることは出来る」
2.判断力の素は幼児期の安定した感情である。
・「分かる」から「判断する」まで
「分かる:理解するということ」→「考える:思考するということ」→「判断する:結論を出すということ」
「イメージ再現」→「イメージ操作(移動・変形・連想・比較:予測・類推)」→「イメージの選択・抽出」
・選択したものを信じる力はどこから生まれるのか
・教育の大誤算2:比較できれば選択できると思っている。
※選択はどれを抽出するかの決断である。決断するには自分を信じる力がいる。
自信(自分を信じる力)は自分の感情を信じることが出来る確かな体感イメージを必要とする。幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イ
メージが判断力を育てる。幼児にとって「遊び・友達」が重要な理由である。
3.長期教育が失敗するとき(学力を育てられない教育)
<幼児期の失敗:知的系統的学習の失敗:知識が思考に繋がるという根本的な勘違い>
・安定した感情をもたせないと異常な判断をしたり、判断できなかったりする。
→安定した感情の養成は幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イメージを必要とするので本当の学力を育てたいのであれば幼児期に感情が不
安定になることはさせない方がいい。
→幼児期の知的系統的学習は最も害になる(感情の不安定を招く)ストレスを増加させる。
<児童期の失敗:速さが頭の回転を良くする「頭が良くなる」という根本的な勘違い>
・「考える」とは「どうすること」かを具体的に説明して考える練習(イメージ操作練習)をしないとどんなに「読み・書き・計算」を強化しても思考力は育て
られない。
・イメージ再現しかしていない「分かる」までなら数をこなせば条件反射的にできるようになるが、肝心なイメージ操作は練習をしないと自然にはできない。様
々な体験の中から子供自身が考え方を発見して学力を自分で育てているのが現状である。全ての子供に学力を与えたのであれば学力そのものである考える力(イ
メージ操作力)を育てなければならない。
(引用終わり)
糸山さんは幼児期と児童期を分けて考えています。幼児期の自発的な反復は重要と言っています。
ちまちまで申し訳ないですがまた明日書きます(枝葉の部分の議論が主になってしまって申し訳ない)
【11940】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日: 2007年11月 2日(金)03時54分15秒
ていねいなコメント、ありがとうございます。
「思考の上級者」との言葉のやりとりは、実に気持ちのいいものだと久しぶりに感じました。
『英語どんでん』で紹介された塾生(岡田君)の事例の背後に、根石さん自身の「嵐の一年」というような経験があったとは、驚きでした。もっとも重要な経験
についてはあえて触れないというのも、批評の極意でしょうか。
全面対決か、などと無責任にあおってしまいましたが、ひきこもり22年さんのシンプルなコメントには好感がもてます。ただ、あげあしとりかもしれません
が、「一言も言葉を知らなくても考えることが出来る」というのが糸山さんの言葉であるとしたら、糸山さんの考えが教育の技術論、マニュアルであって、「思
想」ではないことの証左だと思います。それが、いいとか悪いとか言うわけではありませんが。
それでは、これからも時々はお手合わせください。ちなみに、根石さんの詩の中で一番好きなのは、「書店で礼服にくるまれて銀色に」です。
【11941】
債務超過、1千億円 NOVAの資産大幅目減り 投稿者:外野。 投稿日:2007年11月 2日(金)04時51分34秒
会社更生法の適用を申請した英会話学校最大手、NOVAが会社清算した場合の実質的な債務超過額が、1000億円近くに上ることが1日、分かった。資産
価値が帳簿上の評価の10分の1程度にとどまるためで、支援企業が見つからずNOVAが破産すれば、30万人を超える受講生への授業料返還は極めて困難に
なりそうだ。
NOVAが先月26日、大阪地裁に提出した会社更生手続き開始申立書などによると、7月末時点の帳簿上の資産は423億円で負債は439億円。負債が資
産を上回り、帳簿上の債務超過額は約16億円となっている。
しかし、会社清算して教科書や物品などを処分する際の価格は大幅に目減りし、事実上の資産総額は約42億円にとどまる。さらに、これまで帳簿外に多く分
類されてきた受講生の授業料や解約者への未払い返戻金などが約700億円で、NOVAの負債は金融機関への借入金などを含め実質的に約985億円になる。
このため、資産から負債を差し引いた実質的な債務超過額が少なくとも約940億円となっている。8月以降も講師や社員への給与、家賃の支払いが滞ってお
り、債務超過額はさらに膨らみ1000億円程度にも上る可能性がある。
(共同通信社)
【11942】
どんぐり倶楽部 投稿者:そらまめ 投稿日: 2007年11月 2日(金)07時44分26秒
根石さん、掲示板参加のみなさん、はじめまして。
どんぐり倶楽部に出会って一年半、自他共に認めるどんぐり大好き人間です。
小二と4歳の息子がおります。
どんぐり倶楽部について、少しだけ書かせてください。
まず教材ですが、一万円のCDですが、内容的にはかなり濃いものです。
良質の文章題全学年分、これだけ算数計算編(数えたことはありませんがプリントアウトすると2cmくらいの厚みがあります。これらはワード形式ともう一つ
形式が入ってます(すみません、パソコン音痴で)。
それから漢字塗り字一年分+漢字読本。
思考の臨界期という書籍。
講義録など、盛りだくさんです。
そして一度CDを買うと、次からは一万円引きで買うことができます。
1万円のCDの場合は千円になります。
漢字の塗り字帳というのは1年生のものしかないのですが、会員のお母さんたちが自分の子供のために作られたものを提供され、無料でダウンロードできるよう
になっています。
他にも会員の工夫が取り入れられたり、「草の根活動」のような感じです。
オンライン教室のほうはもともとのどんぐりファンのためというよりは新規層(生活レベルの高いお受験層や、たくさんの資料を読むのが苦手な方向け)の開拓
のためかな、という感じもあります。HPを読み込めばオンラインを無理に利用しなくてもお釣りが来る感じです。お金がかかるのは運営上の経費が必要だから
でしょうが、それ以前に糸山先生が無料でなさってきた活動はものすごい作業量だと思います。
で、私も友達に文章題をプリントアウトして配りまくり、本をプレゼントし…ある意味お金を使っていますが、これは私の趣味みたいなものです。
実は働いている塾でも文章題をとりいれてやっているのですが、「お母さんが理解されたら家で使われるほうがはるかにいいです」と言っちゃって、プリント渡
しちゃって…塾長からにらまれていますし、「できること」に意味はない、と言うような主張をしてしまうため、しょっちゅう塾長からダメだしをされていま
す。早晩首になりそうです。。。
それでも好きですので、やめさせられたら寺子屋やろうと思っています。
もう一つ、根石さんに申し上げたいことがあります。
糸山先生の「12歳が思考の臨界期」という理論は、アメリカの何チャラというデータに基づいているのではありません。
糸山先生ご自身が目の前のお子さんを見て・感じた結果たどり着かれたものです。
根拠は「目の前の子供」です。
データはその理論を裏付けする資料でしかありません。
私たちも「何かをさせなくては」という「させること」の誘惑に満ちた世の中にあって、目の前の子供の反応だけを見つめ・感じて、子供の「自然」を邪魔せぬ
ように修行中です。
決してアメリカの何チャラと言うデータを信じているのではありません。実際いくら見てもよくわからない私です。。。
だから他のお母さんに薦めても反応がいまいちだったりするんですよね。。。
またどんぐりは学校秀才を作るものではなく、うちの息子はテストは軒並み50点以下ですし、学校のテンポに全く着いていっていません。しっかり落ちこぼれ
ております(笑)。
漢字等、面白いくらい覚えません。
知り合いのうちの可愛がっていたワンちゃんが亡くなっても、友達が神妙に拝んでいる横でに「足が痛いなどと」愚図りまくる。。。「大人好み」の表現はして
くれませんね。
長くなり、すみませんでした。
今回、吉さんを通じてこの掲示板に出会うことができ、大変感動しました。
根石さんの言葉一つ一つが感動の塊だな、と。
ありがとうございました。
【11943】
学力と学ぶ力 投稿者:Jackie 投稿日:2007年11月 2日(金)08時58分20秒
根石さんは学力をそだてようとはしていない。
でも学ぶ力を育てようとはしている。
生きる力というと大げさすぎ〜!だが英語を通してその種のものをはぐくもうとしている。
ところで私は根石さんを信奉もしていなければ、信仰もしていない。
だからお布施もしていなければ、布教活動もしていない。
根石さんのレッスンをいつかは取りたいとおもいながらも、
一歩も踏み出してはいない。自分では時に真似事はやりつつもそれはあくまで真似事であり。
踏み出していないから、根石さんの語学のよいところも、体験していないから理解していないのであろう。
根石さんが真理だとはおもわないし、いいところは取り入れていこうとは思う。
「このおっさん頑固だなあ」とか「哲学だか思想だがしらないが、自分には理解不能」と思うこともままある。
それは根石さんの言葉が一般には難しすぎることもあるし、
私の知識不足理解力不足から来るものだったり両方だろう。
だから体験がひつようなのだろうが。
吉さんは、磁場帰りなのに机上を忘れない人だ。
根石さんの語学論をよく理解した。
だからHPでもその語学論を皆に広めようとした。
言葉の使い方が論理的ながら一般的にわかりやすく、いわば根石さんと娑婆の通訳もしていたこととなる。
返ってきて欲しいなと思う。
なぜ、吉さんが急にここを去ることをきめてしまったのか、
私は解せない。
その上、コーチングを実践している吉さんだ。
何故?
信奉するものを傷つけられたからか?
根石さんが理解しようとしなかったからあきらめたのか?
時に恋は盲目になるが、信仰も盲目となる。
寛容、そして話し合い、理解・・・その前に討論という名の、一種の喧嘩。
乗り越えてこそ生まれるものがある。
遮断からは何も生まれない。
ところで、「王禄」がうまいです。めったに飲めませんが。
【11944】
反復 投稿者:らくだ 投稿日: 2007年11月 2日(金)10時22分18秒
初めて書き込みます。
糸山さんは反復は否定していませんよね。彼はシュタイナーの影響を受けており、シュタイナーは反復を重視しています。なのに、糸山さんの文面から反復を否
定しているようなニュアンスを受け、矛盾しているのではないかな、と質問したことがあります。彼の回答は、体験の反復は良いと。彼の文章題において絵図を
描くことは実体験なんだと認識しています。そして、どんぐりの文章題では何回も同種の問題が反復されますね。これが私の息子には合いませんでした。切れ
ちゃうんですよね。またおんなじかよー、めんどくせー!オヤジの方も根気よく続けさせる気力体力無し。で、止めました。どんな方法論でも、つまるところ学
習者と、そのサポーターに合うか合わないかで決まってしまいます。今は、とにかく、毎日一定時間、何事か学習を継続させること。このことのみ考えていま
す。やっているのは小説の音読と書写のみ。これだけはやれ!最低限だから。最低限やるべきことをやらない者には、やりたいことをやる権利はない!と、なか
ば強制です。音読の習慣さえつけておけば、中学に上がって英語が入ってきてもつながるかなと思っています。今の親は本当に子育てに神経質ですよね。私もご
他聞にもれません。でも、それは仕方がないと思っています。時代状況ですので。めいっぱい神経質に楽観主義でいく、という感じでしょうか。
【11945】
NOVA株が大量流出 コンサルから投資会社に 投稿者:外野。 投稿日:2007年11月 2日(金)21時25分51秒
経営破たんした英会話学校最大手NOVA(大阪市)の猿橋望前社長(56)らが資金調達のため東京都内の経営コンサルティング会社に渡した大量の同社株
が、返還されないまま投資会社や一般の投資家に流出していることが2日、分かった。
猿橋氏代理人の弁護士は「預けただけなのに、約束だった10月末の期限が過ぎても返還されない」として詐欺容疑などでの刑事告訴も検討している。これに
対し、コンサル会社は「貸株契約書もあり、どういう根拠で法的措置を取れるのか」と反論している。
流出したのは、猿橋氏が7月末に渡した2200万株のうち800万株。発行済み株式の約12%に当たる。コンサル会社は運用のため一部を投資会社に譲渡
し、残りを市場で売却した。ところが9月に入り、猿橋氏が株の返還を請求、“消えた800万株”としてトラブルになった。
(共同通信社)
【11946】
根石さんへ 投稿者:ひきこもり暦22年 投稿日:2007年11月 3日(土)01時53分22秒
糸山さんは思考の臨界期以降の思考回路作成についてこう言っています。
(引用)
臨界期後の回路作成(実はコレは組み合わせによる回路作成なので基本回路の作成とは
本質的に異なります)は臨界期までに作られた(意識して作っていない場合は遊びや趣味などで偶然に作られた回路)を組み合わせて作る回路のことです。
※ですから、この根本的な仕組みが分かっていないと「大人だった考えられるようになるぞ」とか「思考回路は増えるジャン」とか「大人の方が入り入り考える
よ」という根本的な思考回路の認識のズレが生じたままの議論が生まれます。これは不毛な議論です。
(引用終わり)
また、こういう文もあります。僕はこの文のうまい位置づけができていませんがあえて書きます。
(引用)
子供のころ、算数の文章問題が苦手だった人は少なくないと思います。そして、それが原因で数学嫌いになった人も多いでしょう。ところが、あれほど手を焼い
た算数の文章問題も、大人になってからやってみると、意外にスラスラと解けてしまいます。なぜでしょうか?いつの間にか数学の力が身についたのでしょう
か。そんなわけはありません。私達はさまざまな経験を積み、いろんなものを見てきたために、子供のころにはできなかった文字の映像化(頭の中で文字を視覚
イメージとして再現すること)ができるようになったのです。長い文章もイメージ化すると単純に表せますから全体像が見えてきます。それで何を答えとして求
められているのかが分かってしまうのです。見えると分かるんです。子供のころは文章問題の字面を追っていただけですが、大人になると文章問題の全体像が見
えるようになるのは視覚イメージを使って考えることができるようになるからなのです。このように、視覚イメージを使って考える力を、私は「視考力」と呼ん
でいます。
(引用終わり)
また、そらまめさんの言うとおり糸山さんはこう言っています。
(引用)
私はできあいの理論を信じません。私は目の前の子供たちの反応だけを信じることにしているからです。
(引用終わり)
具体的に「思考の臨界期」の存在に気づくキッカケとなった子どもの反応とはどのようなものだったんでしょうか?との質問に糸山さんはこう答えています。
(引用)
●全く同じ時間、全く同じ説明をしても、全然反応が違う、吸収力が違う。そして、それは、学校での成績とは全く関係ない。しかも、それは小4-6で決定的
になる。こんなことは塾の先生なら誰もが経験します。ですが、どうしてなのかを深く考えないし、検証しようともしない。つまり、本当の意味では気付かな
い。それだけです。
●子供が奇蹟の塊だと気付かないことと同じです。●人間は二足歩行ロボットを作るのに莫大な時間と労力を掛けましたが、人は何の訓練もせずに出来ます。こ
れは奇蹟に値します。でも、気付いている人は少ないですね。
(引用終わり)
・「心の祖型」=「三つ児の魂」
・人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれば、「12歳」も糞もない。
根石さんこの二つの事柄をできるだけわかりやすく説明していただけませんか?
【11947】
ひきこもり暦22年 さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 3日(土)03時21分46秒
>つまりどんぐり倶楽部に惚れ込んでもそんなに金はかからないということです。
わかりました。私のレッスンの方がお金がかかりますね。データだけ売るのでないので、ごかんべんを。
>「米国国立精神衛生研究所のデータ」
http://homepage.mac.com/donguriclub/nature-vol440.html ぜひこれを読んでいただきたいです。
レッスンの後に、風呂に入り休んでから、どんぐり倶楽部をざっと読んだと同じ程度にざっと読みました。
これは、脳のどの部分がどの年齢に急激に(あるいはゆっくりと)発達するか、あるいは急激に(あるいはゆっくりと)下向きになるかとということと、IQ
との相関関係を研究したものだと思います。
仮説として、なかなか魅力のあるいい論文です。
しかし、しょせんIQ周りの研究であり、「豊かな心」とか「抵抗素」とか「思考の暴発」とは何の関係もないものでした。
そして、一応読んでみたところでは、「12歳=臨界期」などというものはこの論文にはありません。
糸山はこの論文を援用して、「12歳=臨界期」を言っています。真っ赤な嘘です。
グラフのいくつかに「12歳」のところに注意すべきだとしたのか、それが調査した年齢(7歳から18歳だったか?)の中央にあたるという意味なのか、年
齢を示す「12」という数字が赤い文字になっています。(丁寧に読む時間があり、赤い文字になっている理由がおわかりになった方は私にお教え下さい。)
提示されているグラフと論文の私の流し読み(私の辞書に載っていない脳科学や生理学の単語がいくつもあり、流し読みしかできませんでした)によると、
12歳のあたりに見当たる現象として、IQ的に超優秀な子供は、優秀児・普通児よりも、脳の発達が悪くなる=脳の特定の部位の濃さの(増加)において追い
越されるという現象は読み取れました。
つまり、糸山が言っている「12歳」は、超優秀児(アメリカの論文の言葉では、superior
intelligence)が、優秀児や普通児に追い越される年齢のことでした。
superior intelligence は中原中也やランボウのことを思えばわかるし、high intelligence
は小林秀雄あたりかもしれませんね。normal は私であり、low はうちの女房だと言えば、さしさわりがあるので、途中でやめときますが。
中原の詩にあったと思います。「下手な(わかっていない)大人に早く手を入れられたかなしさよ」というような意味の詩句が。
そういうと、糸山が言っていることと同じように聞こえるかもしれませんが、まるで違うと思います。糸山は「12歳」が臨界期だから、12歳になる前に
(早く)手を入れろと言っているのです。
中也の詩集を持っている方が引用して下さればありがたく思います。私も持っているのですが、引っ越し後7、8年経つのに、出てきません。日記だけ出てき
ました。
いやあ、糸山は実にずるいと思いましたね。
12歳の赤い字を、「赤信号」だとしているのです。
そりゃ、そのあたりで「優秀児」や「普通児」に(脳の発達において)「超優秀児」は追い越されるのですから、「超優秀児」にとってのみ、「赤信号」かも
しれません。「超優秀児」という一種のかたわにのみ当てはまることを、糸山は日本の子供のすべてに当てはまるかのように「12歳」を設定し、「臨界期」だ
などと嘘を言っています。詐欺です。
何が臨界期かよ。グラフはどれもゆるやかな弧を描いていらあ。「超優秀児」のグラフだけが、急激に下降線を描いているが・・・。
この研究が示しているのは、マザーグースの(歳をとればとるほど)「おいらますます馬鹿になる」(谷川俊太郎訳)ということでした。
このことは普遍的で、「超優秀児」も「優秀児」も「普通児」もみんなそろって馬鹿になるのです。(脳の部位のなんとかの濃度だけ見れば)
その場合、とりわけ「超優秀児」が馬鹿になるスピードは早いというだけのことでした。
これはまた、「子供の頃は天才。大人になればただの人」と娑婆が言っている現象と同致します。
この研究の欠点は、low intelligence の子供を対象にしていないことです。superior intelligence と
high intelligence と normal (だっけかな) intelligence だけが研究の対象です。まるで low
intelligence の子供はこの世にいないかのような研究です。抹殺するかのようです。
さすがに、中東の「子供」を、「生活」を平気で殺し潰す国の研究です。
>(引用)
「学力とは何か〜理解力・思考力・判断力の育て方〜」
1.「学力」とは何か
・「分かる」と「解る」
・「分かる」から「考える」へ
・指導者の根本的な誤り:思考停止状態を「深く考えている」という保護者
※「悩んでいる」状態と「考えている」状態は全く違う
・考え方を教えなければ学力は育たない(子供任せになってしまう)
※教育の大誤算1:知識を与えて考え方を教えない先生は
「知識が増えれば考える力は自然に育つ」という根本的な間違いを平気で言う。
※肝心なのは考えるとはどうすることかを具体的に教えることである。
「全世界の言葉を全て知っていても考え方を知らなければ何も考えられない」
「一言も言葉を知らなくても考えることは出来る」
2.判断力の素は幼児期の安定した感情である。
・「分かる」から「判断する」まで
「分かる:理解するということ」→「考える:思考するということ」→「判断する:結論を出すということ」
「イメージ再現」→「イメージ操作(移動・変形・連想・比較:予測・類推)」→「イメージの選択・抽出」
・選択したものを信じる力はどこから生まれるのか
・教育の大誤算2:比較できれば選択できると思っている。
※選択はどれを抽出するかの決断である。決断するには自分を信じる力がいる。
自信(自分を信じる力)は自分の感情を信じることが出来る確かな体感イメージを必要とする。幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イ
メージが判断力を育てる。幼児にとって「遊び・友達」が重要な理由である。
3.長期教育が失敗するとき(学力を育てられない教育)
<幼児期の失敗:知的系統的学習の失敗:知識が思考に繋がるという根本的な勘違い>
・安定した感情をもたせないと異常な判断をしたり、判断できなかったりする。
→安定した感情の養成は幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イメージを必要とするので本当の学力を育てたいのであれば幼児期に感情が不
安定になることはさせない方がいい。
→幼児期の知的系統的学習は最も害になる(感情の不安定を招く)ストレスを増加させる。
<児童期の失敗:速さが頭の回転を良くする「頭が良くなる」という根本的な勘違い>
・「考える」とは「どうすること」かを具体的に説明して考える練習(イメージ操作練習)をしないとどんなに「読み・書き・計算」を強化しても思考力は育て
られない。
・イメージ再現しかしていない「分かる」までなら数をこなせば条件反射的にできるようになるが、肝心なイメージ操作は練習をしないと自然にはできない。様
々な体験の中から子供自身が考え方を発見して学力を自分で育てているのが現状である。全ての子供に学力を与えたのであれば学力そのものである考える力(イ
メージ操作力)を育てなければならない。
(引用終わり)
こういうふうにずらずらと並べられると、脅迫だと感じないですか?
私はむかむかしてきます。
>糸山さんは幼児期と児童期を分けて考えています。幼児期の自発的な反復は重要と言っています。
私は今までのところ読むことができていませんが、そう言っているのなら結構です。
児童期に本当に必要なのは、私は素読だと思っています。それを無視し続けているから、日本はこれほどにもとち狂ってきたのだとも思っています。
明治時代の優秀な頭脳は、ほとんど例外なく江戸の末期に素読をほどこされています。それが現在に至るていたらくに導いたのは、大正デモクラシーに圧迫さ
れて、ルサンチマンを抱え込んだ農本主義や軍部であり、明治の優秀な頭脳ではありません。暴発したのは、竹下夢二と百姓的感覚の関係ですかね。
強制するのはいけませんが、子供が受け入れるなら、素読を施してあげるのが一番だと今も考えています。
「イメージの操作」なんかではない。
じんわりとイメージを持つことです。
じんわりとという意味では、「音読」(斎藤孝史)では駄目です。「素読」でなければ駄目だと思っています。
素読はいずれ大人になったときに触れざるを得ないものを、冷凍し、種とし、さなぎとするのです。だから、「抵抗素」を作れるのです。
【11948】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 3日(土)03時58分17秒
>『英語どんでん』で紹介された塾生(岡田君)の事例の背後に、根石さん自身の「嵐の一年」というような経験があったとは、驚きでした。もっとも重要な経
験についてはあえて触れないというのも、批評の極意でしょうか。
岡田ねえ。岡田は東京にいるんだろうか。ちっとも遊びにきやしねえ。どうしているんだろう。サチコに聞けばわかるかなあ。
岡田について書いたところは、私は割と好きなので、そのうちに引用したいですが、なるべくなら村田君にやってもらいたい。(負担かけてばかりですまねえ
がやってくれませんか、村田君〜)
>ただ、あげあしとりかもしれませんが、「一言も言葉を知らなくても考えることが出来る」というのが糸山さんの言葉であるとしたら、糸山さんの考えが教育
の技術論、マニュアルであって、「思想」ではないことの証左だと思います。それが、いいとか悪いとか言うわけではありませんが。
matsu
さんは、私とまったく同じところにひっかかるのだと知り、これまたうれしくなりました。「一言も言葉を知らなくても考えることが出来る」というのは、どう
いう考えを考えることができるのか。
糸山がなかなかいいなと思うのは、人間は言葉で考えるのではなく、イメージで考えるのだというところです。しかし、そのイメージ自体、言葉なしでありう
るのだと考えているところがとても馬鹿です。糸山が、「思考」というレベルで想定しているイメージは言葉なしでありうるはずがないのです。
私は糸山について、いいとか悪いとか言うわけですが、もし本当に「一言も言葉を知らなくても考えることが出来る」というのが糸山の言葉なのであれば、実
に悪いものだと思っています。
生まれたばかりの赤ん坊も、うんちやおしっこをして腰回りが不快だと泣きます。気持ちがいいとにこにこします。ウチの猫も、外で喧嘩をしてきた時など、
夢を見てうなされたり、うなったりします。しかし、これは糸山が言う意味での「思考」する時のイメージが動いているのではありません。
身体に基づいた直線的な「感覚」(の神経や苦痛の残像)が動いているだけです。
糸山がわかっていないものこそ、「イメージ」というものです。
それが言葉をきっかけとして生じる面しか見ることができず、それを言葉が育て養うのだという面を見ることができていない。そうでなければ、「一言も言葉
を知らなくても考えることが出来る」などというような馬鹿なことを言うはずはないのです。
>それでは、これからも時々はお手合わせください。
よろしくお願いします。
>ちなみに、根石さんの詩の中で一番好きなのは、「書店で礼服にくるまれて銀色に」です。
私は自分の詩集(というか一度書いたもの)はまず読まないので、matsu さん、ひとつこの掲示板に引用していただけませんでしょうか。
「嵐の一年」の10年後くらいに書いたものだったか。
うろ覚えです。
【11949】
そらまめさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 3日(土)04時51分3秒
>実は働いている塾でも文章題をとりいれてやっているのですが、「お母さんが理解されたら家で使われるほうがはるかにいいです」と言っちゃって、プリント
渡しちゃって…塾長からにらまれていますし、「できること」に意味はない、と言うような主張をしてしまうため、しょっちゅう塾長からダメだしをされていま
す。早晩首になりそうです。。。
それでも好きですので、やめさせられたら寺子屋やろうと思っています。
塾が首になりましたら、「寺子屋」の様子をお知らせいただきたくお願いします。私が原理に据えている素読というものは、まさに寺子屋の時代のものです。
「自分の塾」と書かれるのでなく、「寺子屋」と書かれたところに反応してしまう私です。
>もう一つ、根石さんに申し上げたいことがあります。
糸山先生の「12歳が思考の臨界期」という理論は、アメリカの何チャラというデータに基づいているのではありません。
糸山先生ご自身が目の前のお子さんを見て・感じた結果たどり着かれたものです。
根拠は「目の前の子供」です。
データはその理論を裏付けする資料でしかありません。
データの現物を読んでみましたが、とうていそうは思えないのです。
糸山が、「目の前の子供」だと受けのいいことを「言っている」だけです。
私も12歳を過ぎた直後の子供を見ていると、「こいつら、一生のうちで一番気違いの時期を生き始めたな」とは思うのです。
そこらに何か節目があるのは確かです。人間の成長の結節点のひとつがあるのだろうと思っています。あくまでも、結節点の「ひとつ」が、です。しかし、そ
のことで、「12歳」までに思考の回路を整えなければとんでもないことになる(犯罪に至る)などと考えたことはありません。
これを脅迫だと読めない人は鈍いとも思っています。
>子供の「自然」を邪魔せぬように修行中です。
子供の「自然」は、食物(に含まれる防腐剤など)で汚され、溶融炉から出るガス(プラスチック類を有機物と一緒に焼却・溶融するときに出るガス)で汚さ
れています。「良質の文章問題」よりも、親は自分たちが捨てているごみの問題をもっとちゃんと問題にすべきじゃないのかと思ってしまいます。産業廃棄物
は、産業廃棄物処理業者に渡った後は、その実際の処理方法は「闇の中」です。
「自然」という言葉から、そう思ってしまいました。
子供の体の自然が犯され、そのうえ、その子なりのペースを否定され急かされるなら、その子が犯罪に至った場合に、なんでその子だけ責めることができま
しょう。なんで親だけを責めることができましょう。
国というものがあることになっています。そんなものが幻想だとは、終戦時の闇市をうろついた人の感覚には残っているはずですが、私が生まれたのはその数
年後でした。
糸山が、現場の先生達にアドバイスをすることは悪いことだとは思いませんが、国家を、文部科学省を、正面から斬りつけることができないことが、糸山の本
質なのです。
「思考」を教えるだの、「良質の文章問題」を与えるだのでどうにかなる問題ではとうていありえません。
>学校のテンポに全く着いていっていません。しっかり落ちこぼれております(笑)。漢字等、面白いくらい覚えません。
ゆっくりでいいんです。親が学校の評価や、学校(制度)の中を貫く「階級制」を相対化(馬鹿にすること)ができていればいいんです。知性は学校で育つの
ではありません。「面白いくらい覚えません」というように、面白がっていることが大事です。
今日書いたことですが、小学生でしたら、素読がお勧めです。一度はすらすら読めるようになるまで、ある難度を含んだ文を繰り返し読ませること。あとは、
「書き取り」ではなく、その文に含まれている漢字を「漢字練習」させればいいと思います。(無機的に)(糞文部科学省が決めた)学年相当の漢字をやらせる
のではなく、すらすら読めるようにした文に含まれる漢字を(有機的に)練習させるのがいいと思います。反復の回数は、子供が決める回数の二倍程度ですか
ね。
>知り合いのうちの可愛がっていたワンちゃんが亡くなっても、友達が神妙に拝んでいる横でに「足が痛いなどと」愚図りまくる。。。「大人好み」の表現はし
てくれませんね。
神妙に拝んでいる友達というのが不気味ですね。その子、学校の勉強はよくできる子じゃないですか?
心に架空の血が通っているだけの子じゃないですか?
(もし、その子がそのワンちゃんと遊んだことのある子だったら、暴言となりますので、その場合はお許し下さい。)
これからもご登場下さい。
塾というものの可能性を一緒にさぐっていくのにご協力いただきたく思います。
【11950】
Jackieさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 3日(土)05時45分38秒
>ところで私は根石さんを信奉もしていなければ、信仰もしていない。
だからお布施もしていなければ、布教活動もしていない。
お布施は要りませんが、「不況活動」(字の打ち間違いではありません)はして下さい。素読舎は今、不況の風が吹き荒れているというか、風も吹かないとい
うか、風前の灯火というか、そんな状況です。嵐の前でしょうか。
>根石さんのレッスンをいつかは取りたいとおもいながらも、一歩も踏み出してはいない。自分では時に真似事はやりつつもそれはあくまで真似事であり。踏み
出していないから、根石さんの語学のよいところも、体験していないから理解していないのであろう。
軽い文章ばかり書かれるJackie
さんにしては、「理解していないのであろう」は、実に重たい感じです。誤字が少なくなったことは歓迎です。掲示板に登場して下さった当時は、本当に日本語
を粗末にしておられて、やはり「磁場帰り」の方は、何か大事なものをやられてしまうんだなと思ったことを覚えております。酒が入っておりますので(今夜は
ジョニクロです)、言っちゃいますが、それともなんですかね、男に「大事なものをやられてしまうんだな」ということだったのですかね。
「根石さんのレッスンをいつかは取りたい」についてですが、うちは総合大学ではありませんので、選択の余地はありません。いくつもあるものから、「取
る・取らない」を決めることはできません。
うちは、近頃、百姓ばかりやっています。どん百姓コースをとれなどと言うならば、選択の余地もあるのですが、いまんところ、Jackie
さんは不合格です。
お金はもったいですからね。使わないほうがいいと思います。
と言いながら、無駄づかいが止まらないわたくしです。
と言いながら、金なんかとりたくもないし、使いたくもないと、くだくだと、くだくだと、ああ、くだくだと。じゃ俳句にならんか。
>根石さんが真理だとはおもわないし、いいところは取り入れていこうとは思う。
生身の人間や、生身の人間が酒を食らって書くことには、心理も糞もあるが、真理や糞はない。いいところを取り入れていこうで、取り入れることができるも
のなら、取り入れて下さい。あっしは、どこがいいところでどこがいいところでなくて、どこが悪いところなのか、わかんねえのです。わかるやつは勝手にして
くれえ。
>「このおっさん頑固だなあ」とか「哲学だか思想だがしらないが、自分には理解不能」と思うこともままある。
頑固だなあはその通りです。理解不能は、理解が届かないのでしょう。自分を標準化してもらいたくないです。理解不能と言う人は、その「水準」にいるだけ
のことであり、そんなものが「標準」ではありません。というか、アメリカ帰りのくせに、そんな標準(以下)にいつまでいるつもりなのでしょうか。英語を媒
介にしたことのある人の発言とは思えない。惰眠をむさぼるという言葉もあります。別に非難してるわけではありませんが。
>吉さんは、磁場帰りなのに机上を忘れない人だ。
そうです。それが吉さんの価値です。だから、語学論に目をつけてくれたのだと思っています。
>言葉の使い方が論理的ながら一般的にわかりやすく、いわば根石さんと娑婆の通訳もしていたこととなる。
まさにその通りです。ほとんど誤訳はありませんでした。大したもんだと思いました。
>返ってきて欲しいなと思う。
その通りです。
>乗り越えてこそ生まれるものがある。
それでなければ、「にせもの」だと思います。
>遮断からは何も生まれない。
うちの女房によく言ってやって下さい。
>ところで、「王禄」がうまいです。めったに飲めませんが。
これは、メモに書き、レッスンの机の目の前に貼り付けました。
今夜はウイスキーです。ウイスキーはよく効きます。明日の昼は腹が痛くて、下痢しています。
【11951】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 3日(土)07時02分2秒
>糸山さんの文面から反復を否定しているようなニュアンスを受け、矛盾しているのではないかな、と質問したことがあります。彼の回答は、体験の反復は良い
と。彼の文章題において絵図を描くことは実体験なんだと認識しています。
「認識しています」の主語は、糸山さんなんでしょうか、らくださんなんでしょうか。
文章題において絵図を書くことが実体験であるなら、どんな文章に触発されたのであれ、自分で文章を書くことも全部、実体験です。私は、そんなふうに考え
ることにとてもエネルギーを必要とします。
書き言葉を介在させて一人でやることは、すべて架空の体験です。
詩を書く段になると、色即是空という虚実の互換性が生じますが(言葉を置くことが実体験になりますが)、まあ、たいていの人がこれを実行すると滅びます
ね。
糸山方式で良質の文章題をいくつ扱おうが、そんな危険はない代わり、それが実体験になることもありえません。
糸山方式で子供が文章題を読み、絵図を描くことも架空の体験であり、私が根石方式で「大風呂敷」に書くことも架空の体験です。そういう区別を失えば、生
きている人間のすることなすこと、100パーセント、ぴったり全部「実体験!」しかありません。夢を見ることまで「実体験」です。
そんな論理は、ただ「実体験」だけして生きている無知で無学な(例えば私の親みたいな)人々に対して失礼だとは思わないでしょうか。もし、糸山が本当に
「体験の反復は良い」とか、「絵図を描くことは実体験」だと言ったのだとしたら、いよいよもって私が殺意を抱くことになる雲行きなのでしょうか。
「体験の反復」?
体験など、やたら反復できるものだとは思えないのです。なめてんじゃねえのかと・・・。
例えばですが、初めて自転車に乗れるようになった体験を、どうやって反復するのですか。反復できるものなら、「初めて・・した体験」にならないという
か、「初めて・・した」が反復することで壊れてしまう・・。
そして、体験には「初めて・・した」ものが多いのです。
ふつうそういうものを「体験」と言っていると思います。
反復していいものは、「体験」ではありません。
糸山が本当にそんなことを言ったのなら、何もわかっていない野郎だと改めて思いました。
なぜだか、急に広島大学の柳瀬という野郎を思い出しました。
>そして、どんぐりの文章題では何回も同種の問題が反復されますね。これが私の息子には合いませんでした。切れちゃうんですよね。またおんなじかよー、め
んどくせー!オヤジの方も根気よく続けさせる気力体力無し。で、止めました。どんな方法論でも、つまるところ学習者と、そのサポーターに合うか合わないか
で決まってしまいます。今は、とにかく、毎日一定時間、何事か学習を継続させること。このことのみ考えています。やっているのは小説の音読と書写のみ。こ
れだけはやれ!最低限だから。最低限やるべきことをやらない者には、やりたいことをやる権利はない!と、なかば強制です。音読の習慣さえつけておけば、中
学に上がって英語が入ってきてもつながるかなと思っています。今の親は本当に子育てに神経質ですよね。私もご他聞にもれません。でも、それは仕方がないと
思っています。時代状況ですので。めいっぱい神経質に楽観主義でいく、という感じでしょうか。
音読の習慣とおっしゃいますが、「なかば強制」の「なかば」をとった「強制の習慣」とならないことを願っています。
なんで小説なんか音読の対象に選ばれたんでしょうか。「音読」をやるのなら、エッセイがいいと思います。
英語をやらせるなら、どうぞご自分でやらないでいただきたく思いました。ご自分でやられるとお金はかかりませんが、多分英語が嫌いになりますから、たい
てい取り返しはつきません、と「脅迫」しときます。
親はコーチとしては、非常に多くの場合に不適です。
言わなくてもいいことを言い、子供が傷つき、そのために親が傷つくケースが多いです。日本の多くの家庭で、非常に危険です。日本語が、「傷」を防ぐため
の論理性(感情に左右されない論理性)を備えにくい言語なのに、ひたひたとドラスティックにアメリカが押し寄せてきているからです。
医者の家の息子が親を刺しただったか、去年だったから一昨年だったか、ニュースで見たような覚えがありますが、まず間違いなく、言わなくてもいいことを
言い、子供が傷つき、親が傷ついた(刺された)のだと思っています。刺されて怪我したのだったか、刺されて死んだのだったか、それも忘れてしまいました
が、どっちでも同じです。(怪我したご本人、死んだご本人、あるいはまた、刺したご本人にはまったく違うことになるのですが・・・)
もちろん、この危険を免れるだけの実力を備えた家庭もあります。
それは、思想家がいる家庭です。もちろん、この場合の思想家は、文章を書けるとか、娑婆が思想家と呼ぶかどうかとはまったく無関係です。
感じることと考えることを両方とも手放さないこと、手放さないことを持続しうること、くらいの意味です。
【11953】
根石さん 投稿者:matsu 投稿日: 2007年11月 3日(土)09時55分7秒
もう睡眠中でしょうか。
九州では、さわやかな青空が広がっていますよ。
中也の詩は、「つみびとの歌」でしょうか。冒頭に
わが生は、下手な植木師らに
あまりにはやく、手をいれられた悲しさよ!
とあります。根石さんの詩の引用の方は、あまりに(性的な)刺激が強いので、女性読者がひいてしまうといけないので・・・ まあ、冗談です。じっくりやら
せてください。
糸山さんの、言葉なしに思考できる、という主張への批判は、まったくその通りだと思います。さらに言うと、「全世界の言葉を全て知っていても考え方を知ら
なければ何も考えられない」というのも、たとえ比喩としても、ちょっとひどい比喩ですね。
人間は、自分の理解しがたい制度(言語がその最たるものでしょうが)にぶちあたること(根石さん流にいうと、ぶち殺す)を通じてしか、考え始めることはで
きない存在だと思います。逆に言えば、複数の言語にひきさかれる経験のなかで、何も考えないということはありえない、ということです。根石さんが、「アメ
リカ帰り」のJackieさんに対して厳しく言うのも、その意味での期待があるからかもしれません。
僕も語学は素人ですが、娑婆の世界(保険屋、ピンサロの店員、塾講師を経て、今は根石さんの忌み嫌う教育委員会の事務屋をしています)と自分の言葉との
ギャップを絶えず意識せざるを得ませんでした。たとえほそぼそとでも考え続けることができたのだとしたら、その落差のおかげだったと思っています。
ところで、どんぐり倶楽部から来られた方たちは、みなさん穏やかですね。根石さんの暴言(暴力的な言葉、という意味です)にも、いきりたつことなく自分の
言葉を話されている。これは、みなさんが自分の子育てという目的のための方法論・技術論として、糸山さんの考えを実用的に使っているからだと思います。
この点でも、吉さんの糸山さんへのかかわり方というのは、ちょっと異質だなという印象があります。ないものねだり、といったら失礼でしょうが、何かを希求
するという意味では、それが吉さんの美質なんだろうと思います。
僕の長男はすでに12歳!(次男は、人よりずいぶん遅れたところを、とことこ歩いています)学習方法や問題集のことまで、親が口出しするなんて思いつきも
しませんでした。みなさんのコメントをよんで、正直なところ、少し反省しています。
【11954】
素読と音読 投稿者:らくだ 投稿日: 2007年11月 3日(土)10時17分34秒
>「認識しています」の主語は、糸山さんなんでしょうか、らくださんなんでしょうか。
失礼しました。主語は「私は」です。私は数年前にシュタイナーの人智学およびその人間観・教育観と、糸山さんの「算数文章問題」との関係について質問しま
した。その時の糸山さんの回答から、そのように認識しました。糸山さんは「算数文章問題」を体験そのものとは言っておらず、体験に<似ている>と表現して
いますが。その時の糸山さんの回答の主旨は以下の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・シュタイナーは体験の積み重ね(体で納得すること)を主軸に考えている。その点が教育に関する自分との共通理念。人間は体験で深く納得するから。
・シュタイナーのいう反復や暗唱の重要性は単に反復するということではなく体験を積み重ねることで深めるということ。単なる繰り返しを意味してはいない。
・「とことん考える」ために「算数文章問題」をするのではない。これは「目で考える」練習。
・「目で考える」ことと「体験の反復」は似ている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> 親はコーチとしては、非常に多くの場合に不適です。
それはおっしゃる通りだと思います。文科省がゆとり教育を打ち出し、今度はそれを否定する方向で右往左往していますが、ゆとりなど生ぬるいことを言わず
に、学校教育を1/3ぐらいに縮小し、その分、税金を返してくれるとよいのですが。そうなれば、
>英語をやらせるなら、どうぞご自分でやらないでいただきたく思いました。
英語は素読舎で、運動はサッカーのクラブチームで、音楽は地元の合唱団で...とでき、親が無理してコーチングなどする必要はなくなります。
> なんで小説なんか音読の対象に選ばれたんでしょうか。「音読」をやるのなら、エッセイがいいと思います。
アドバイスありがとうございます。そのあたりは深く考えませんでしたし、考えても適切な判断は無理だったと思います。総ルビ付きが良いと思い、市販で手頃
と思った教材を選びました。小説よりエッセイが良い理由を教えていただけますでしょうか。また、息子は小6なのですが、読ませると良いエッセイをいくつか
推薦していただけるとありがたいのですが。
それともう一点、素読は意味の分からない文章を読む、音読は意味の分かっている文章を読む、という区別でよいのでしょうか?
> じんわりとという意味では、「音読」(斎藤孝史)では駄目です。「素読」でなければ駄目だと思っています。
素読はいずれ大人になったときに触れざるを得ないものを、冷凍し、種とし、さなぎとするのです。だから、「抵抗素」を作れるのです。
音読はダメで素読が有効ということであれば、意味の分からない漢文とか古文とかの方が良い、のではないかと思ってしまうのですが。
>「なかば強制」の「なかば」をとった「強制の習慣」とならないことを願っています。
「なかば」を付けた理由は、最低限の自覚は持っている意思表示のつもりです。「強制」と言えば、「素読舎っていう面白い英語塾があるんだけど、レッスン受
けてみるか?」も「え?根石先生が厳しいから、もう嫌だって?おまえ、そんな簡単に辞めていいのかよ。もう少し考えてみろよ」も強制と考えています。
全くの放任はあり得ない、という意味での「強制」です。ニュースになった医師一家の話は痛ましい事件ですが、あの家庭は極端な例だ、という気持ちと、全く
の他人事と切り捨てることはできないぞ、という気持ちとがあります。
【11955】
磁場 投稿者:Naima 投稿日: 2007年11月 3日(土)10時56分41秒
根石さん
回転読みは本気でやると他のことは何も出来なくなるくらい大変です。そうでないと使える英語にならないということですね。私は他のことに興味が移ってしま
い、英語の仕事も辞めてしまったあたりから電話レッスンに身が入らなくなってしまいました。回転読み仲間と定期的に集まって、一緒に宿題を出来たらいいん
やけど...と何度思ったか知れません。それでも自分を見限ることが出来ず何度も頑張ってみようとしたんですが、とうとう何のお役にも立てないまま自分の
レッスンも中断してしまうことになり、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
磁場のないところで外国語を使えるようになるのは並大抵のことではありません。それこそ血尿が出るくらいの勉強をしなければなりません。そこまでやっても
自在に使えるようにはなりません。語学留学したとか磁場に居たという人たちのほとんどが、たいしたことのない英語を得々として喋っているのを見ると胸が悪
くなり、それを聞いている周囲の人たちが「やっぱり本場仕込みよね」と絶賛するのを耳にすると「ぺっ」とツバを吐きたい気持ちにすらなります。そう褒めら
れた英語の使い手が「英語はまず不自由ないです」というのを聞くと、喧嘩を売りたくなります。母国語でさえ意のままに使えないのに、英語に不自由しないな
んてなこと、あるわけがないです。
そんな気持ちにさせる英語って何なんでしょうかねぇ。精神病の一種なんだわ、きっと。磁場持ちでないという劣等感と、磁場持ちでなくても磁場持ち以上の英
語力は身に付くんだという優越感がグチャグチャになって、なのにそれが認めてもらえず語学留学組がもてはやされたりすると、もう英語なんかやりたくない
わっ、と何度やけっぱちを起こしたか数知れません。
それでも勉強を続けたのは、あんなに苦労したんやもの辞めてしまったらもったいない、その気持ちだけのような気がします。見苦しい未練です。もったいない
ほどの英語力なのか、と問われると、ゴミみたいな英語力でしかないんですが。使う機会もないくせに。
しかし磁場のない所で英語を身につけた(どういえばいいんでしょう。修得? 習得? ものにする?)人は、外国語習得の厳しさと勉強法を知っています。そ
ういう人に英語を教わるのがいいんです。NOVAなんかで働いているネイティブ・スピーカーに何が教えられるかと思います。英会話学校は教えてもらうとこ
ろではない。練習試合の場を与えてくれるところです。机上の練習が大事です。つくづくそう思います。それを知っていることが貴重だと、自分でも思います。
それで勉強法だけでも知りたいという人には伝えたいと思ったり。辞めるんだったらスッパリ辞めてしまえばいいのに、この踏ん切りの悪さ。これも英語が病気
の一種だからでしょうかね。
ドイツに住んで磁場のすごさを経験した今、ますます磁場持ち英語を羨望と嫉妬の目で見る様になった私です。私に英語磁場をくれ〜、と。今私に英語の磁場を
くれたらもっと飛躍できるのに!と。あんな人に磁場をあげても猫に小判だ、豚に真珠だ、今の私に磁場をくれっ! それが本音です。もう熱望というか渇望と
いうか、絶叫モードです。
英語を始めてからずっと磁場持ち英語に過剰反応していたなぁと思います。うらやましくて、うらやましくて、そして卑屈になってました。
今でもそう。
【11956】
誤字脱字 投稿者:Jackie 投稿日:2007年11月 3日(土)20時08分39秒
> 軽い文章ばかり書かれるJackie
さんにしては、「理解していないのであろう」は、実に重たい感じです。誤字が少なくなったことは歓迎です。掲示板に登場して下さった当時は、本当に日本語
を粗末にしておられて、やはり「磁場帰り」の方は、何か大事なものをやられてしまうんだなと思ったことを覚えております。
誤字脱字の多さ。多いですよね。(汗)過去ログを読み返してみると、不自然にスペースがあいているし、改行もうまくできていない。今でもそうですが。
これは磁場とはまったく関係はないでしょう。
吉さんのように磁場帰りでもきちんと日本語を使いこなす人はたくさんいます。
そのほうが多いでしょう。
私の場合は発達障害の一つADDという注意欠陥障害があるものと思います。診断は受けていませんが、多々ある症状から推測できます。
>>「このおっさん頑固だなあ」とか「哲学だか思想だがしらないが、自分には理解不能」と思うこともままある。
>頑固だなあはその通りです。理解不能は、理解が届かないのでしょう。自分を標準化してもらいたくないです。理解不能と言う人は、その「水準」にいるだ
けのことであり、そんなものが「標準」ではありません
理解が届かない。そうです。その通りだと思います。私は私の理解を標準にしているかもしれないが、でも根石さんも自分の理解を標準にしてませんか。
だいたいなにをもって標準というのか?
これでも回りからは物事を深く考えるほうだといわれています。 \(^ ^)/。
根石さんの思考と論理、言葉の使い方を標準とするならば、
その言葉は到底一般の人々には届かない。
素読舎が風前の灯というのなら、少しは娑婆に歩み寄ることもひつようなのではないでしょうか?
まー、譲れないものもありますけどね。私自身、英会話幻想と自分自身のゆずれないものの間で苦しみ、結果譲れない、歩み寄れなかったので、風前の灯のとも
し火も消してしまったわけですが。
しかし以前くすぶってます〜。
英語の病なんでしょうかね?なんなんでしょうね、ほんとに。
【11957】
岡田くんのエピソードの引用 1 投稿者:村田 投稿日:2007年11月 4日(日)00時37分23秒
英語どんでんがえしのやっつけ方p 260
===================
塾長
立教に受かって、報告にきてくれて、いろんな話を聞いたんだけど、岡田が言うには、英語をやって国語がわかるようになったと言うんだ。
弟子
国語のできる人は、英語にも有利ですが、国語から英語へ、っていう経路ではなくて、英語から国語へっていう経路なわけですね。
塾長
うん。あいつが言うには、中学の頃は割とよくできたんだけど、国語だけが駄目だったっていうんだよ。国語だけ駄目っていうタイプの子って、ときどきいるけ
ど、ほとんどいいやつだよな(笑)。
弟子
ああ、なるほど。あんまりいいやつは国語って科目で点がとれないかもしれませんね。
塾長
あれはさ、自分の思ったことを正直に書いたって点にならない。出題者が何を書かせたがっているのかを読みとらないと駄目だよ。もちろん、出題されてる文章
を読みとるっていうことは前提だけど、それを読みとった上で、出題者が書かせたがっているってことも読みとるようなことをするわけだろう。なんか、複雑な
不潔な感じのもんだ。単に読解力ってところにとどまらないところがある。腹を読むという別種の読解が要求されてる。
弟子
いいやつって、人の腹を読むっていうことが苦手なやつですからね。国語では点になりませんね。逆に、国語の点がよくとれるやつって、いやなやつが多い気が
しますが、おじさんは国語はどうでしたか。
塾長
俺は点がよくとれた(笑)。まあ、それでさ、岡田はうんといいやつなんだ。それで、国語だけは点がとれなかった(笑)。そいつが高校一年から俺の塾を使っ
たんだけど、割とよく練習したやつなんだ。英語をどんどんやったら、言葉ってのは面白いもんなんだなと思ったっていうんだ。そしたら、日本語で本を読むの
も面白いのがわかっったって、彼が言うわけ。
弟子
日本語の文章を読むのが面白くて、そこで読解力を身につけて、英語を語学としてやるときに、その読解力を使うっていうのが普通のたどり方だと思うんです
が、岡田君はまるで逆だったっていうことですね。
塾長
言葉を読むことが面白いことを英語で知ったっていう日本人(笑)。要するに、中学のときは字を読むのが嫌いだったんだな。字を読むなんて面倒くさいことを
どうして人間はするんだろうっていうくらいに思っていた子供だったんだと思う(笑)。そいつが英語をやって、言葉ってものが面白いと思って、高校生の頃は
自分で本屋へ行って本を買うようになった。日本語の本もどんどん面白がって読むようになって、それで国語ができるようになっちゃった。人の腹が読めるよう
になっちゃった(笑)。
弟子
英語を通して言葉の面白さを知ったというのは、珍しいかもしれないですね。
塾長
俺も日本語で培われたイメージ形成力を英語で使ってきたと思うけれど、そこが岡田はまるきり逆なんだ。
弟子
それ、イメージは英語にもなるし、日本語にもなれるっていうおじさんのテーゼを証明したようなことですね。
塾長
岡田にしてみれば、とにかく国語ばっかりはまったくわけがわからん、と。だけど、英語はうんとやってみたということだろう。そしたら、高校の後半で、国語
が得意科目になっていたっていうんだ。その間にあったことは、要するに言葉ってものが面白くなっったってことだけだ。俺はこの岡田のケースがすごく面白い
んだ。英語から言葉の力を逆輸入したケースだと言っていいと思う。英語から言葉の力を輸入して、日本語の力に変えたっていうことだ。岡田はうちへ来たとき
に、そこのところははっきり言っていたな。「僕は、言葉の力は英語で作った。中学のときはそれがなかったんだ」と言ってた。
弟子
面白いですね。
塾長
こういうタイプのやつだとさ、普通理系へ行っちゃうんだけど、岡田は文系へ行った。素読舎は一応英語塾ってことになってるけど、元のところにあるのは、言
葉ってのは面白いよって思ってるやつが、まあ、おまんまのために(笑)、英語塾をやってるってだけのことなんだよね。岡田は俺の塾で言葉が面白いってこと
を知ってくれたけど、そこいらの進学塾の英語なんて、点数を追っかけさせるだけで、言葉の面白さなんて二の次だ。岡田が進学塾の英語をやっちゃったら、受
験が終わった時点で英語は死んでたかもしれない。あいつは別に英語フリークじゃないから、ああいうタイプのやつは、鈴木孝夫のエリート選抜思想からは落と
されるだろう。だけど、俺の日本英語っていう理念からは最良の素質の一人だ。ああいうタイプのやつに英語ってものを継続してやってほしいと思ってる。
【11958】
岡田くんのエピソードの引用 2 投稿者:村田 投稿日:2007年11月 4日(日)00時39分36秒
英語どんでんがえしのやっつけ方 p263
===================
●奪われた言葉を奪いかえす
塾長
それで、俺もしばらく考えたよ。岡田のケースってのは特殊なケースなんだろうか、例外的なケースなんだろうかって考えて、案外今の子供には、こういうたど
り方をする子供っているのかもしれないと思った。
弟子
英語から日本語へたどる子供が大勢いるかもしれない、と。
塾長
いや、大勢いるとは思わないけど、言葉を奪われた子供が言葉に至る経路として、英語ってものが使えるんじゃないか。その可能性を考えたんだ。
弟子
言葉が奪われているっていうのは、どんな…。
塾長
今の子供って、しゃべらせるとすごく達者に口が動いて、しゃべることはすごくしゃべったりするのがいるけど、なんかテレビみたいにしゃべってるなあと思う
ことがあるわけだよ。
弟子
ああ、テレビみたいに…。
塾長
自分の中から言葉をつかみだしてくるっていうんじゃなくて、テレビから拝借してしゃべってる。これ、カルチャーババアなんかでもそうだけどね。戦後市民社
会が形成してる文脈にのっかると、まあよくしゃべるねっていうくらいに、カルチャーババアもしゃべるよね。うるせえよ、この糞ババアってくらいにしゃべる
(笑)。
弟子
それは言葉が奪われているんだということですか。
塾長
うん。言葉はあふれかえっている。あふれかえっているけど、自分で考えて、自分の中から言葉をつかみだしてくる力は奪われている。自分で考える人っていう
のはなかなかいないよ。戦後市民社会の最大のメディアはテレビだと思うけど、これは言葉を与えることによって、言葉を奪うってことをやってるような気がす
る。
弟子
ああ、なんとなくわかります。
塾長
そういう中へ岡田を置くとさ、すごく岡田のやったことってあざやかだなと思うんだ。
弟子
英語から国語へ、ですね。
塾長
奪われていた言葉の力を自分で奪いかえしたっていうことだと言っていいんじゃないか。その場合に、言葉の面白さってのを教えてくれたのが英語だったってい
うことだ。これは、案外、今の十代の子供たちにお勧めできることじゃないのかなあと思ったんだ。テレビで育っちゃった日本語は、一度英語をくぐれ、と。
(中略)
塾長
英語の効用もいろいろだなあと思ったね。岡田みたいなたどり方っていうのは、今の子供たちには割りとありうるかもしれない。言葉の力が、普段どういう場面
で出てくるかっていうとさ、一人で考えるときじゃないか。
弟子
考える力っていうことですか。
塾長
考える力ってさ、言葉の力と切り離せないよ。そういう力ってのは、言葉があふれかえっている現代では、むしろ奪われやすいんだと思う。みじめな自分が一人
いる、っていう思いはこの時代の中にいっぱいある。そういう場面で、言葉の力ってのは必要なんだけど。
【11959】
Jackie さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 4日(日)01時06分24秒
どうも。酔っぱらってから書いたので、やたらに私、からんでますね。ごめんなさい。古くからの常連さんだと思って甘えちゃったわけですが、ごかんべん
を。今日は、酔いがまわらないうちに書いておきます。この後、教材づくりもやる予定ですが、その間に酔いが回ってしまうでしょう。
(あ、これでバレてしまいましたが、私の作る英語の教材はアルコールに漬けてあります。)
書いていて新しい場所へ踏み出そうとするとき、新たに得た考えを言うのに、どうにも易しい言い回しで言えないということがよくあるのです。そういう場
合、ひとまず、現代批評用語というか、文芸批評用語を媒介にして書きますと、その時に言いたかったことのイメージがひとまず私の中に保存されます。それか
ら時間がたって、とぎれとぎれに百姓仕事や大工仕事をやりながら考えていると、ある時にひょいと、易しい言い回しで(保存しておいた)イメージを言えるよ
うになる時が来たりします。その間、イメージが発酵を続けて酵素を作り、その酵素が易しい言葉を呼ぶのかというような感じがしています。
ていねいに私の記事を読まれる方は、イメージが現代批評用語や文芸批評用語から日常語・易しい語に着替える場面を読むこともできるはずだがなあと思いま
す。Jackie さんが最初から易しい語でどうどうめぐりをやっているのとはちょいと違うのです。
考えが易しい言葉で言えるようになるまで、結構時間をかけて仕込んでいるんです。辺境のその先に出たいという気持ちがありますので。英語圏なんぞへ行く
より、抽象のレベルの辺境をまたいで、その先へ行きたいというのが、そこらの英語病と違うところです。それをやらなければ、語学論などと言ったところで、
「論」にはならないのです。(あ、またやってるわ。)
考えているものが、やまたのおろちで多岐にわたることが避けられないので、考えに濁りが生じたり、生硬なままの言葉でぶちまけただけになったりするもの
も多々あります。吉さんとのごたごたも、そのせいで生じたものの一つだと思っています。
できた料理だけでなく、仕込みの段階から料理まで見ていただいているのだと思っているのですが、どんなもんでしょう。
料理だけ出せと言われると、掲示板というものをやっている意味が半減すると思っています。それをやるのなら、ホームページでいいわけです。言いっぱなし
で、読んだ人がつべこべ言えない形でいいわけです。読んだ人がつべこべ言える双方向性を保つのであれば、仕込みの段階から、生のものの動きもそのまま読め
るようにしたいと考えて掲示板にしています。
ホームページだけにしようかなともときどき思います。私の「電話でレッスン」の初期の生徒さんたちは、ホームページに言いっぱなしの記事を読んで申し込
まれた方がほとんどです。その方が商売にはなるのです。それはわかっているのですが、わざわざ損なことをやるのが割と好きです。
掲示板なんぞやっていても、誰も「不況活動」はやってくれないですからね、やめましょうか、この掲示板?
ご意見をいただきたく思います。
>根石さんの思考と論理、言葉の使い方を標準とするならば、
その言葉は到底一般の人々には届かない。
素読舎が風前の灯というのなら、少しは娑婆に歩み寄ることもひつようなのではないでしょうか?
うん。力強いアドバイスだと勝手に受け取ります。
しかし、あのねえ、英語回りの人だって、現代批評用語なんかを媒介にできるようになるべきだと思いますよ。それができるようになるまでにも、一つの語学
をやるくらいに労力は必要なんです。
Jackie さんは「届かない」と断定されておられますが、いやあ、結構届くんだなあと自分でびっくりしていることがよくあるのですが・・・。
今日は酔いが回るのが早く、これを書いているうちに目がうるうるしてきてしまいました。なんとか間に合うか?
【11963】
生成文法は人生の最初に一度だけ…でしたね 投稿者:村田 投稿日:2007年11月 4日(日)01時33分14秒
> 「体験の反復」?
> 体験など、やたら反復できるものだとは思えないのです。なめてんじゃねえのかと・・・。
> 例えばですが、初めて自転車に乗れるようになった体験を、どうやって反復するのですか。反復できるものなら、「初めて・・した体験」にならない
というか、「初めて・・した」が反復することで壊れてしまう・・。
> そして、体験には「初めて・・した」ものが多いのです。
> ふつうそういうものを「体験」と言っていると思います。
> 反復していいものは、「体験」ではありません。
「体験の反復」…これ、ひっかからずに読んでました。
私のことばの感覚は鈍感だなと思います。
根石さんの書いたこの部分は、新鮮でした。
反復するのは「練習」ですね。
同じ例文を反復するごとに、それは練習するものにとっては常に新しい。
けれども、それは「体験」ではない。
…というようなことを考えていたら、「私は赤ちゃんが言葉を覚えるように外国語を覚える」と言った人がいて(それは本であったり、塾を見学に来た大人だっ
たり、と、複数)根石さんは「赤ん坊をなめるな。」と言っていたことを思い出しました。
根石さんが、柳瀬さんのことを思い出したっていうのは、この文脈と同じようなことですよね。
【11964】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 4日(日)01時35分8秒
>みなさんが自分の子育てという目的のための方法論・技術論として、糸山さんの考えを実用的に使っているからだと思います。
これはいいですね。そんなにお金がかからないようですから、どんどんやってもらっていいことです。糸山を「実用的」に使うのが一番いいと思います。
あの野郎のイデオロギーにアタマをやられさえしなければいいわけです。
【11967】
もしかして、22年さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 4日(日)02時06分24秒
ええと、どなたへのお答えなのかわからなくなってしまい、それを確認する時間もないのですが、ひきこもり歴22年さんでしたか?
ていねいにお答えできませんが、お許し下さい。
これだけはやってから教材作りに入らなければ、と私の心が言いましたので、私の心に従います。
・「心の祖型」=「三つ児の魂」
3歳という年齢で、「心の」祖形は決まるということです。
「思考の」祖形は「12歳で」というような脅しではありません。
事実そのままその通りだと思っています。
・人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれば、「12歳」も糞もない。
私がこの掲示板開設当初から言ってきたことは、一言で言ってわかってもらえるかどうかわかりませんが、「媒介論ということになります。
人は、言葉もイメージも磁場中生活も中也の詩も家族の怒りも酔った言葉もなんでもかんでも、「媒介」にできる生き物です。
外国語習得過程では、「心」までも媒介にするのです。
ご当人は自覚がありませんが、多くの場合、非常に罪深いことをやります。
なおさらわからなくなりましたか?
それとも、小さくてもいいから、何かわかったことがありましたか?
Jackie さんのために、お応えいただけたらと思います。
私はでかいつらをして生きることに決めました。
【11969】
matsuさんへ 投稿者:らくだ 投稿日: 2007年11月 4日(日)18時13分7秒
>ところで、どんぐり倶楽部から来られた方たちは、みなさん穏やかですね。
強烈な皮肉ですね(笑)。私も含みますか?
糸山さんについての発言で書き込みを始めましたが、私は「どんぐり倶楽部から来た方」ではありません。時系列で言えば、素読舎を知ったのが先であり、その
後、どんぐり、どちらも見ていない期間が長く続き、最近あるきっかけで吉さんのブログを知りました。そこで吉さんが根石さんと糸山さんのお二人を師と思わ
れている、ということを知ったという順序です。結果は吉さんが根石さんの元を去られるということになるわけですが。
>みなさんが自分の子育てという目的のための方法論・技術論として、糸山さんの考えを実用的に使っているからだと思います。
「思想」に対して「方法論・技術論」、「何かを希求する」に対して「実用的に使う」という二項対立の捉え方は有効でしょうか?「実用的に使っている」方達
も、その多くが糸山さんの「思想」に共感を持ったからこそ、「使ってみよう」と思ったのではないでしょうか。であるからこそ、糸山さんの「思想」を思想と
呼べる代物ではない、ないし、間違った思想だと考える根石さんが糸山さんを断罪するのだと思いますが、いかがでしょうか。違いがあるとすれば「思想」に対
する共感の質と深さの問題ではないかと思います。
>この点でも、吉さんの糸山さんへのかかわり方というのは、ちょっと異質だなという印象があります。
それだけに、この点に同感です。糸山さんの「思想」に対する吉さんの共感がとても深いので、根石さんと決別することになってしまったのでしょう。実名公開
云々という別の問題があったかどうかについては分かりませんが。残念なことは、これは根石さんがコメントされていましたが、「辛い」とか「気持ち」とか、
吉さんの、それこそお気持ちは分かりますが、もう少し論を交えてほしかった、ということです。
【11970】
らくださんへ 投稿者:matsu 投稿日: 2007年11月 4日(日)20時44分15秒
ご指摘、ありがとうございます。
もし皮肉があったとしたら、自分の気持ちとしては、根石さんに対するものの方が強かった気がします。そんなに激昂しないでほしい、と。
広い意味で「思想」という言葉を使うなら、らくださんのおっしゃるとおりだと思います。
ただ、僕が根石さんに対して使った「思想」とは、いいかえれば、本質論みたいなもののことです。根石さんの糸山さんに対する批判のポイントは、ここに言語
の本質論、ひいては人間の本質論が欠けている、ということだと思いました。
(僕自身は、本質論を欠いたすぐれた実用思想というものはあるし、それへの深い共感も当然ありうると考えます。)
あえて「本質論」対「方法論」という二項対立を持ち出して問題を整理しようとしたのは、吉さんが、根石さんの激昂の理由を了解して、根石さんの語学論と糸
山さんの教育論を自分のなかですみわけてもてるような理屈を、示唆できるかもしれないと思ったからです。そうすることで、根石さんの信頼厚いパートナーに
早く戻ってもらいたい、と。
なんともおせっかいで軽はずみなことですが、そんなことをしようと思ったのは、僕が根石吉久の文学のファンだからだと思います。村上春樹ファンにしろ、吉
本隆明ファンにしろ、ファン心理というものは身勝手でおっちょこちょいなものですから。
【11971】
村田君 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 4日(日)23時25分31秒
>「体験の反復」… これ、ひっかからずに読んでました。
私もアタマがはっきりしないまま書いていたなと思い直したところです。
「体験の反復」はありうる(多くの職人が「体験」を反復している)のですが、「体験」という語を無限定に使えば、なんでもかんでも「体験」になってしま
うではないかというのが言いたかったことでした。
自転車に初めて乗れるようになった体験、糸山作成の良質の問題集の問題を解く体験というように、「体験」という同じ語が使えてしまいます。で、どっちも
「体験」だとしてしまえるのが、この語が日本語としていまだ熟していないということだと思います。本当に熟した語を「・・」とすれば、「・・」という語
は、自転車に乗れるようになったことには使えるが、良質の問題を解くことに使ったら変だという具合に人々の間ですぐに了解が成り立つはずです。それを成り
立たたせるうまい語が日本語にない。ぴったりくる語がないことに糸山は乗じており、だからあんなあやふやなもの言いがまっとうなもの言いとして人々に受け
取られてしまうのだというのが、私の「激昂」の理由なのではないかと思っています。
そこからもう一つ言えるのが、本当に人々が「言葉ではなくイメージで考える」なら、糸山なんかにアタマをやられることは起こらないはずだということで
す。みんな詐術を含む「言葉」にやられてしまっているのです。
らくださんがシュタイナーのことを書いて下さっていますが、私はシュタイナーはまるで読んだことがなく、糸山がそれをどう援用しているのかよくわかりま
せん。もしとんちんかんなことを言っていたら指摘していただきたいとお断りしたうえで書くのですが、シュタイナーに「体感」を通じた教育のすすめというも
のがあるのかなと推察しています。それは簡単な例で言えば、手で使うドライバーについて、「時計の針が動くのと同じ方向に回せばネジが締まる」という言葉
として(知識として)教えるのではなく、実際にドライバーを子供に持たせてネジを締めさせたり緩めさせたりするのがいいのだということなら、私はこれに何
の異論もありません。ネジの成形によって、まったくその逆のことが起こることを知るにも、「逆になるネジもある」という知識の言葉ではなく、実際にそのネ
ジとドライバーを使って、右に左に回させる(体感させる)のが大事である、とか。それに異論はありません。どんどんやっていいことだと思います。
その場合にも、素読を元に据えている私から言わせれば、「ドライバーを時計回りに回せばネジが締まる」という言葉をすらすら言えるようになった子供に、
実際にドライバーを持たせて回させるというのがいいということです。ドライバーを使ってネジを回させてから、「ドライバーを時計回りに回せばネジが締ま
る」という言葉を素読させるという順序でもいいが、言葉による知識と「体感」を通じた「体験」の両方を子供に与えるのがいいということになります。「体
感」と「知識」がつながらないというのが、現代の教育の最大の問題点だということには異論がないし、私のようなものにでも、それへの処方箋の一枚や二枚は
あるのだということです。
こういう実用に役立つ方面では、「ドライバーを時計回りに回せばネジが締まる」というような言葉はすぐに不要になります。子供は「だって、体で覚えてる
もん」と言うはずです。「言葉なんかなくたって、間違えない」というはずです。実用方面の知識では、すぐにそうなるが、実用するために非実用をくぐる必要
がある算数数学、語学などでは、「言葉」はそんなにすぐに不要にはならない。
また、「体感」を欠いているのが、現在の学校の授業であるとか、「体感」欠如をさらに決定的なレベルに持ち込んでしまうのが、テレビゲームであるとかい
うことにも私はまるで異論はありません。
残酷なシーンがあるからテレビゲームをやらせたくないというよりも(それもありますが)、素朴なレベルでの「体感」を子供から奪うからやらせたくないと
思うのです。映像とイメージと刺激によって、素朴なレベルの「体感」が奪われるからであり、それが残酷なシーンを含むからではない。ぎりぎりの基底を求め
るなら、そういうことになります。
そこから、再度、今の学校の授業なんてものは、本質的にはテレビゲームみたいなもんじゃないかという批判が立ち上がるべきなのです。それを言わない。親
も言わないし、現場の教師も言わない。それが駄目なんだ。だから、糸山が医者づらをして登場するんだということです。
「体感」を通じたものを「体験」と言うのなら、糸山の文章問題を解くことを、それと同じレベルで「体験」ということはできるはずがありません。糸山は、
糸山作成の文章問題を解くことのどこに「体感」があるというのでしょうか。
らくださんが書かれていましたが、糸山が糸山作成の文章問題を解くことを、「体験に似たもの」と本当に言ったとしたら、これは実にたちの悪いもの言いだ
と思います。似て非なるもの、というより、本質的に違うものについて、「似たもの」などと言っているのです。米国国立精神衛生研究所でしたか、正確な名前
を忘れましたが、そこが出した論文を自説への援用に使う使い方がまったくの詐術であるのと同様の詐術がここにあるのです。
糸山が使う「体験」という語一つについて、これだけのことを考える人間がいるのだということについて、糸山はなめてかかっているのです。
それがどれほどよくできたものであれ、算数の文章問題を解くことが「体験」であるはずがない。それが体験であるとすれば、「問題を解くという体験」でし
かない。それなら、他の問題集の問題を解くことと何の違いもない。
糸山作成の文章問題を糸山が自分で「これはとても質のいい問題なんだ」と言っている分には別に目くじら立てることはないのですが、「体感」を通じた「体
験」と同じだとか、似たものだと言い出すから、そこから詐欺が始まるのです。
糸山は、多分、いい問題を作れる塾のセンセイなのです。だから、親は「実用」すればいいのです。それだけのことなのに、調子に乗って、「イメージ」だの
「体験」だのと、上等そうなことを言い、アメリカの論文なんかを自分の説の箔付けに使い、学力回りの神経症に脅しをかけるあたりから、私の「激昂」になっ
ていくのです。
【11972】
絵図 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 5日(月)00時08分58秒
糸山は「絵図」があるから、自分のやつは他の方法とは違うと言うでしょう。そんなもの、私の「電話でレッスン」には「音づくり」の方法があるから他の方
法とは違うというのと何の違いもありません。
絵図は、考えをはっきりさせたり、整理したり、範囲を限ったりするために有効な補助手段ではあるでしょうが、それが「体感」を通じた「体験」と「似たも
の」だなどと言い出すと詐術になるのです。
私の方法には「音づくり」だけではなく、「電圧装置」も「回転読み」も「切断読み」もあります。これらは、糸山の「絵図」と同じように、アタマの中で泥
みたいな考えをこねくり回すのを回避し、思考をより具体的にする方法だという意味でなら、ひとつひとつみんな具体化の方法です。
それを無限定に「体験」だとか、「体験に似たもの」だとかいうことを言ったことは私にはありません。そんな嘘はいやなのです。
【11973】
根石さんへ 投稿者:ひきこもり暦22年 投稿日:2007年11月 5日(月)00時32分25秒
>・人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれば、「12歳」も糞もない。
私がこの掲示板開設当初から言ってきたことは、一言で言ってわかってもらえるかどうかわかりませんが、「媒介論ということになります。
人は、言葉もイメージも磁場中生活も中也の詩も家族の怒りも酔った言葉もなんでもかんでも、「媒介」にできる生き物です。
外国語習得過程では、「心」までも媒介にするのです。
ご当人は自覚がありませんが、多くの場合、非常に罪深いことをやります。
なおさらわからなくなりましたか?
それとも、小さくてもいいから、何かわかったことがありましたか?
心=1.自らの意識や行動から1部分を推測することはできるが、全体を意識化することはできない。また意識(理性)が直接及ばない部分。2.意識(思考)
と相互に影響しあうもの。意識よりも複雑で変化し続ける。っていう定義でいいですか?
で、A→Cの関係にBを媒介するとA→B→Cですね。最初のAとBからでたAは違うものである。最初のAはBが複雑であればあるほど変化する。が、人間は
何かを媒介することが常なので最初のAとBからでたAを同じものだと思っている。
「人が心を駆使して考える」は、意識を思考錯誤する→心と相互に影響しあう(心を媒介とする)→新しい思考ってことですか?
しかし、「外国語習得過程では、「心」までも媒介にするのです。」は、よくわかりません。心は常に媒介されるものではないのですか? 人間はイメージや感
情を母国語を媒介にして表現することに慣れているから(最初のAとBからでたAを同じものだと思っているから)外国後習得過程で強く心を意識するというこ
とではないんですか?
[結論]
全然わかりません(笑)
【11975】
Naima さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 5日(月)03時19分17秒
>回転読みは本気でやると他のことは何も出来なくなるくらい大変です。そうでないと使える英語にならないということですね。私は他のことに興味が移ってし
まい、英語の仕事も辞めてしまったあたりから電話レッスンに身が入らなくなってしまいました。
「・・・あたりから」について一言。レッスンの当初から、「音に先に行かせる」という点について、理屈ではわかってもらえているのに、実践してもらえな
いという悩みが私にありました。これは、知識として大量のものを持っておられ(英検一級保持がそれを裏付けています)、「ゴースト」あたりの文だと即座に
楽にその場で意味になるということがわざわいしていたと思っています。楽な文でも、「音に先に行かせる」ことで、それまでに持っておられた知識とスキルが
徐々に変わるはずなんだと思っていましたが・・。
逆に考えれば、「音に先に行かせる」のでなければ、自分における既存の知識とスキルの範囲にとどまってしまうのではないでしょうか。「今だって使えば使
えるからいいもん」ということになってしまうのではないか、と。
Naima さんにとっては、「大河型レッスン」の知識は楽すぎたという意味では、私の教材づくりが Naima
さんに使ってもらえるところまで届いていなかったのです。それがくやしいです。
「どしゃぶり型」レッスンで、レッスンが要求しているレベルの練習をやられれば、たとえ「ゴースト」のような楽な教材を使ってでも、英語力の維持は可能
ですが、ここでも、「音に先に行かせる」につまずかれたと思っています。このタイプの生徒さんには、難度の高い文を多量に含む「大河型」がいいのですが、
教材作りがまったくそこに届かないのでした。
どうも年内に「英文法・語法問題1000」に「ゴースト」の文をからみつかせる分の教材作りが終わりそうにありませんが、それが終わって「七年目の浮
気」の解析に入っても、まだ Naima
さんには食い足りないものでしょう。私が生きている間に、これなら使ってもらえますよというところまで、教材作りが進むかどうかはわかりません。
Naima
さんには、どうにも教材作りが追いつかないという時点でレッスンを使ってもらったことになり、申し訳なかったと思っています。「大河型」の教材が、チョム
スキーを扱う程度になれば、Naima さんも食いついてきてくれただろうと思ったことがありましたが・・・。
>回転読み仲間と定期的に集まって、一緒に宿題を出来たらいいんやけど...と何度思ったか知れません。それでも自分を見限ることが出来ず何度も頑張って
みようとしたんですが、とうとう何のお役にも立てないまま自分のレッスンも中断してしまうことになり、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
忙しい方ほど、「電話でレッスン」が有効なんですけどね。(Naima
さん用の教材がないという点を棚に上げて言えば、です。「音に先に行かせる」で何が起こるかはまだわかってもらえないままだとも思っています。)
>磁場のないところで外国語を使えるようになるのは並大抵のことではありません。それこそ血尿が出るくらいの勉強をしなければなりません。そこまでやって
も自在に使えるようにはなりません。
まったくこの通りです。
>語学留学したとか磁場に居たという人たちのほとんどが、たいしたことのない英語を得々として喋っているのを見ると胸が悪くなり、それを聞いている周囲の
人たちが「やっぱり本場仕込みよね」と絶賛するのを耳にすると「ぺっ」とツバを吐きたい気持ちにすらなります。そう褒められた英語の使い手が「英語はまず
不自由ないです」というのを聞くと、喧嘩を売りたくなります。母国語でさえ意のままに使えないのに、英語に不自由しないなんてなこと、あるわけがないで
す。
どこかの掲示板の決まり文句で書きますが、「激しく同意!」です。
>そんな気持ちにさせる英語って何なんでしょうかねぇ。精神病の一種なんだわ、きっと。磁場持ちでないという劣等感と、磁場持ちでなくても磁場持ち以上の
英語力は身に付くんだという優越感がグチャグチャになって、なのにそれが認めてもらえず語学留学組がもてはやされたりすると、もう英語なんかやりたくない
わっ、と何度やけっぱちを起こしたか数知れません。
だからこそ、「語学論」が必要なんだと思って私はやってきました。特にこの場合は、語学論の中の「磁場論」が必要なんだと思います。「磁場帰り」の人も
「磁場無し」の人も、「磁場論」を追求していけば、ぐちゃぐちゃや余計な劣等感や優越感は要らなくなるんだと思っています。一円の金にもならないのに、な
んで「語学論」なんか立ち上げたかと言えば、余計な劣等感・優越感という「病気」を退治したかったから、という理由も一つあるのです。
「留学」を別として、後は全部、「生活の要請」です。Naima
さんがドイツにおられたことがそうであるように、生活が要請したものです。余計な劣等感も優越感も関係がない。
問題は「留学」です。これは、時代とか金とかの問題なのではないでしょうか。スキルの優劣の問題にはなりますが、語学力の優劣の問題にはならないし、方
法論の優劣の問題にはまるでならない。
方法論や語学論を持たないで、スキルだけ振り回している人たちも、仕事で使ってメシの種にしているだけなら文句はないのですが、えてして上等そうなツラ
をするんですね。これが気にくわないのは、私も Naima さんとまったく同様です。ここで、Naima
さんは顔に出さずに「激昂」されるわけです。私は何度か顔に出して激昂していますので、「磁場帰り」の者どもの間では、私を遠ざける気配があります。
スキルを持っているだけで、方法論や語学論を持たないのなら、そしてその状態で何か語学について言えるなどと思ったら、そのとたんに、おたんこなすにな
るだけのことです。
私はこの辺がはっきりしているせいか、「磁場帰り」の人に劣等感も優越感もありません。「このおたんこなす」と思うことはしばしばあります。それだけで
す。それは批評であり、優越感でも劣等感でもないと思っています。
>それでも勉強を続けたのは、あんなに苦労したんやもの辞めてしまったらもったいない、その気持ちだけのような気がします。見苦しい未練です。もったいな
いほどの英語力なのか、と問われると、ゴミみたいな英語力でしかないんですが。使う機会もないくせに。
見苦しい未練だなどと思いません。本当に滅びたらもったいないものです。「ゴミみたいな」などと書き言葉で書かれると、本当にそう思う人がたくさんいま
すから、やめて下さい。Naima さんの力はそんじょそこらにやたらみつかるものではありません。
>しかし磁場のない所で英語を身につけた(どういえばいいんでしょう。修得? 習得? ものにする?)人は、外国語習得の厳しさと勉強法を知っています。
そういう人に英語を教わるのがいいんです。
そういう人も、語学論を持っていないことが多いです。自分じゃよくできるのに、生徒に力をつけられないという人も多いです。「勉強法」を知っていても、
いつぞやの浜谷さんのように、自分が大きく伸びた時点の勉強法一つに固執してしまい、誰かれ構わず奨めてしまう方もいます。その点では、「磁場帰り」の学
校の先生なんかとそんなに違いはない。ポイントはやはり、「語学論」を持っているかどうかになると思っています。磁場のないところで英語を身につけたとし
ても、その人が生徒に力をつけられるかどうかは別問題なのだと思わざるをえません。
その意味で、私はいつも塾をやっておられる方を生徒にしたいと思ってきました。英語が下手なほどいいのです。それを私が直してしまいますから、そして、
直される過程が全部意識化できますから・・。最初から上手な人は、その過程を意識化するのが難しいです。直すところが少なかったり、まるでなかったりする
ので、自分の音がどう変わるかを意識化する機会がないということになりがちです。
英語が下手だけど、塾で扱う必要があるという人が私のレッスンを受けてくれると、いい塾がひとつ誕生するのです。ひとまずは、塾で英語を扱うスキルが手
に入れられます。その後はやはり、自分で語学論を書くかどうかだと思います。方法を展開させていくにはそれがどうしても必要です。
そういうところに本当の問題が横たわっていると考えることのできる人が少なすぎます。
それでも、可能性としては、学校よりも塾ですね。
>NOVAなんかで働いているネイティブ・スピーカーに何が教えられるかと思います。
まったくその通りです。娑婆にはだまされることが好きな人が多く、これはもうお手上げですね。一人や二人が吠えてみたところでどうにもならない。おめえ
らはだまされていろ!と悪態をついて気晴らしをするくらいしかありませんが、最近、長野から東京まで、新幹線を使って英会話学校に通っていた人が、私の生
徒になってくれました。もっと早く気づいてくれれば、私の貧乏も多少緩和されたのにと思う一方、その人が「今は英語をやるのが楽しいんです。このやり方な
ら劣等感なんか持たなくていいし」と言ってくれたのでなぐさめとしています。この人は、近い将来、留学を予定しています。
>ドイツに住んで磁場のすごさを経験した今、ますます磁場持ち英語を羨望と嫉妬の目で見る様になった私です。私に英語磁場をくれ〜、と。今私に英語の磁場
をくれたらもっと飛躍できるのに!と。あんな人に磁場をあげても猫に小判だ、豚に真珠だ、今の私に磁場をくれっ! それが本音です。もう熱望というか渇望
といくか、絶叫モードです。
よくわかります。私自身は、日本在住のまま語学をやるというのを、まあ、アイデンティティにしておりますので、磁場に出ることをやるつもりがありません
が、絶叫モードになっちゃったなら、旦那様にお願いして、留学させてもらったらどうでしょう。いろいろと生活の事情はおありだと思いますが、行かれたらど
うでしょう。
>英語を始めてからずっと磁場持ち英語に過剰反応していたなぁと思います。うらやましくて、うらやましくて、そして卑屈になってました。
今はただの卑屈ではないと思いますよ。そのことを記述できているんですから。過剰反応を表に出せるようになっているんですから。「大風呂敷」という語学
論の場がなかったら、過剰反応を隠したまま過剰反応を続けていたんじゃないでしょうか。
【11977】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 5日(月)06時31分14秒
>私は数年前にシュタイナーの人智学およびその人間観・教育観と、糸山さんの「算数文章問題」との関係について質問しました。
<似ている>については、村田君宛の記事で書かせていただきました。考えが動いている最中のものは、本来書くべき人に向けてでなくて、他の人に向けても
書いてしまいます。失礼しました。
>・シュタイナーのいう反復や暗唱の重要性は単に反復するということではなく体験を積み重ねることで深めるということ。単なる繰り返しを意味してはいな
い。
シュタイナーだろうが、糸山だろうが、根石だろうが、コーチ側からは、そんな区別は成り立たないと思います。「体験を積み重ねること」と「単なる繰り返
し」の区別を成り立たせるのは、生徒側にあります。
シュタイナーの反復はそんじょそこらの反復ではないなどということはない。反復は反復であり、シュタイナーだから特別な反復になるわけがない。あくまで
も生徒の興味がそれに向かうかどうかで決まるのだと思います。
コーチ側が、生徒に興味を持たせるように努力することは成り立ちますが、それでも興味が生じるかどうかは、あくまでも生徒側で決まります。興味があるな
ら、反復のたびに、微細な読みの違いを同じテキストに対して付加するようなことが生じます。
シュタイナーの反復だから特別な反復だなどということではなく、生徒が興味をもってやっていることだから、機械的な反復でなくなるわけです。百歩譲れ
ば、それが「体験を積み重ねること」だと思います。私はそんなふうに「体験」という語は使いませんが・・。
微細な読みの違いを重ねていくことで深まるものがあるはずです。それを名付けようもありませんが・・。国弘正雄の「只管朗読」の回数が、数十回やそこら
でなく、500回、1000回であることを指して、馬鹿げていると言った人が私の生徒にいましたが、馬鹿げているのはこの生徒の考えだと思います。
私が実験したところによれば、300回の反復には300回なりの習熟度があり、500回の反復にはやはりそれを上回る習熟度があります。機械には生じる
はずのない習熟が生じます。このあたりは、柳宗悦の民芸論がうまく説明できています。文章のタイトルをとっさに思い出せません。益子の土瓶絵を描くおばあ
さんについて書いた文章です。思い出しましたら、書きますが、(掲示板の読者の中で)すぐにおわかりになる方は書いていただくとありがたく思います。
そのおばあさんは、500回1000回どころではなく、同じ土瓶絵を何十万回も描いたのです。そこに、いかなる意図をも越えた美が生じているということ
に柳は着目しました。この美には、才能とか個性なんか何の関係もない、と。無心だけが生む美がある、と。
単なる反復は駄目だなどというのは、貧乏くさい考えです。機械ではないのだから、人間は単なる反復などやることはありません。無理にやらせるから、単な
る反復をやるようになるだけです。あるいは、50回だの100回だの、けちくさい回数だから単なる反復をやるのです。益子のおばあさんのように、数十万回
やるなら、単なる反復を続けられるものではありません。どうしたって、習熟し、洗練されて、美に至ります。
私は貧乏ですが、考えが貧乏くさいのがとても嫌いです。
糸山は貧乏くさいと思います。
「単なる反復」が、多くの人に意味があります。
「単なる反復」が本当に単なる繰り返しになった生徒が、私のかつての数百人の生徒の中に一人だけいました。からっぽのドラムカンをひっぱたいているよう
に、音自体がからっぽでした。非常に不気味な思いを持ちました。そのことは忘れられません。反復という方法にではなく、その子のそれまでの家庭での生活に
原因があるのだろうと思いましたが、それが何なのか今でもわかりません。
>・「とことん考える」ために「算数文章問題」をするのではない。これは「目で考える」練習。
・「目で考える」ことと「体験の反復」は似ている。
この辺のことがおわかりでしたら、ご説明願いたいのですが。「視考力」だの「目で考える」だのが、何のことかいまだまるでわかりません。それが絵図が描
ける能力のことを言っているのだとすれば、考えが転倒していると思います。イメージによって、ある論理がつかまるから、それが絵図に描けるようになるので
あり、目に見えるものになるのです。いきなり最初から目で考えているのではない。元になっているイメージの力は、目だけあっても動きはしません。言葉がそ
れを養うから動くようになるのです。初源は、言葉なのです。
不定形のイメージは犬や猫や生まれたばかりの赤ん坊の中にも動くでしょう。しかし、それが意識における一瞬の意味になり、絵図にしうるまでになるまで
に、言葉が無数のイメージを養う過程があります。具体的なイメージはその無数のイメージから養分を得ていますが、どこかで必ず言葉を媒介にしているはずで
す。
「視考力」などという言い方そのものが、「過程」をすっとばした言い方なのです。だから、その他の糸山の言葉がすべて空疎なものに響くのです。
>> 親はコーチとしては、非常に多くの場合に不適です。
>それはおっしゃる通りだと思います。文科省がゆとり教育を打ち出し、今度はそれを否定する方向で右往左往していますが、ゆとりなど生ぬるいことを言わず
に、学校教育を1/3ぐらいに縮小し、その分、税金を返してくれるとよいのですが。そうなれば、英語は素読舎で、運動はサッカーのクラブチームで、音楽は
地元の合唱団で...とでき、親が無理してコーチングなどする必要はなくなります。
まったく賛成です。空回りの無駄なところ(学校の「体感」を欠いた授業)に国民の税金が使われ、糸山の「絵図」や、根石の「音づくり」に金が回ってきま
せん。(糸山には回っているのかもしれませんが、要するにまともに方法を追求した塾に回ってこないということです)。
本論から外れますが、私は糸山の「絵図」を使う方法を否定するものではありません。糸山の「言葉」や「イメージ」や「繰り返し」に関する考えが偽物だと
言っているだけです。
>>なんで小説なんか音読の対象に選ばれたんでしょうか。「音読」をやるのなら、エッセイがいいと思います。
>小説よりエッセイが良い理由を教えていただけますでしょうか。また、息子は小6なのですが、読ませると良いエッセイをいくつか推薦していただけるとあり
がたいのですが。
うまく言えるかどうかわかりません。書き言葉で書いたものは、自分にも向けられており、相手にだけ向けられている話し言葉よりも、「作り物」です。書き
言葉であるだけで、話し言葉の一重が壊れ、二重になっています。(この二重性は、話し言葉では、「独り言」に現れます。自分に向けてというベクトルと誰か
特定(不特定)の人に向けてというベクトルの両方が現れます。話し言葉が二重性を持つので、「芝居」っぽくなります。)
小説は書き言葉という二重の言語を使って、さらに「彼」だとか「彼女」を動かし、構造体を作るわけで、二重のものがさらに二重化されるジャンルです。
エッセイは、二重の言語(書き言葉)を使って、言説、感想などを、「書いている者のもの」として、一重にとどめるジャンルだろうと思います。そこが、構
造として「素朴」です。
小説では、書いている人がどこにどんな思いをして生きている人かは、作品の世界とは直接の関係がありません。エッセイは、そこが直接的で、子供に入りや
すいと思います。(おしゃまな物語り・小説大好き少女なんかは、このあたりの構造を苦もなく越えてしまうでしょうが・・。)
で、人間は全員がおしゃまな少女なわけじゃないので、構造として「素朴」なものを手始めとするのがいいのでは、と思ったわけでした。
ふう。勢いにまかせて書いちゃうと、後で説明するのに、えらく苦労しますね。
具体的に何がいいのか。ちょっと思いついたのは、内田百間(間のモンガマエの中を、日ではなく月にするべきなのですが、パソコンが漢字変換しませんので
お許しを)でした。
昔、塾で「ノラや」を素読の素材にしたことがありました。
文章が、子供にとって難度を含むものがいいと思います。
難しすぎず易しすぎないのなら、何でもいいと思います。
テキストの選択は、親が好きなエッセイということでいいのじゃないでしょうか。
>それともう一点、素読は意味の分からない文章を読む、音読は意味の分かっている文章を読む、という区別でよいのでしょうか?
原則的にそう考えています。「意味の分かっているもの」というより、読めば(その子が)、すぐに意味が「わかるもの」が音読用のテキストなんだという区
別です。
>> じんわりとという意味では、「音読」(斎藤孝史)では駄目です。「素読」でなければ駄目だと思っています。
>音読はダメで素読が有効ということであれば、意味の分からない漢文とか古文とかの方が良い、のではないかと思ってしまうのですが。
漢文(の日本語化した読み)を子供に読ませるというのが江戸時代の素読の多くを占めていたと思いますが、現代の素読というか、私が考えている素読は、
「難度を含むもの」をテキストにするということです。もちろん、漢文や古文も難度を含むというか、難度ばかりでできているものですから、それをやっていけ
ないこともないのですが、最初にやるのは、「難しすぎず易しすぎず」がいいと思います。現代のものでもいいし、明治大正のものでもいいと思います。親が好
きなものがいいと思います。
どうして難度を含むものがいいかといいますと、例えば、わかる部分半分、わからない部分半分のテキストで考えますと、子供はわかる部分を使って、わから
ない部分をわかろうとするからです。「こういうことだろう」と思っていたものが、「反復」するうちに、「いや、ちがうみたいだな、こういうことなんじゃな
いか」と読みが重複化されるからです。それがイメージ形成力を作ります。
これは、素読のテキストではありませんが、「夕焼け小焼けの赤とんぼ、おわれてみたのはいつの日か」という歌の文句の「おわれてみた」というのを私は大
人になるまで、「追われてみた」と考えていました。大人になってから、ああ、そうじゃねえんだ、子守の背に「負われて見た」のだと気づきました。「追われ
てみた」じゃ、えらく余裕のある赤とんぼになるな、「おい、追いかけてきてみな、追われてみてやろうじゃないか」というこにくらしい赤とんぼという
か・・。そういうんじゃないんだ!
で、この歌が文語の作詞でできているのだということがわかり、その言葉の古さを味わうことに導かれたわけです。
私の友達は、「・・・、ああ、女学生」というような歌詞の、「女学生」が、「じょがぁくせー」と発音されるせいで、「じょ、っていったいなんだろう。ど
うして臭えんだろう。どんなに臭えんだろう。じょ、っていうのはとにかく臭えわけだな」と真剣に悩んだと言います。「じょが臭え」だと思っちゃったわけで
す。
素読でも、テキストが難度を含むため、子供が勝手な解釈を施すことがあります。放っておけばいいのです。要するに子供の意識を???でいっぱいにすれば
いい。そうすると、むむっ?と思って、読みの重複が往来します。正解なんか与える必要はない。そんなものはいずれ訪れてくる。(一生訪れて来ないなら来な
いでもいい!!!)
それよりも、子供の意識を???だらけにすると、イメージの誕生を促すことになるというところに注目すべきだと思います。それが、「難度を含む」ことの
功徳です。
すぐに正解に導きたがる学力回りの神経症の貧乏くささに比べたら、これはとても豊かなゆるやかな、たおやかと言ってもいいくらいの方法だと思います。
>>「なかば強制」の「なかば」をとった「強制の習慣」とならないことを願っています。
>「なかば」を付けた理由は、最低限の自覚は持っている意思表示のつもりです。「強制」と言えば、「素読舎っていう面白い英語塾があるんだけど、レッスン
受けてみるか?」も「え?根石先生が厳しいから、もう嫌だって?おまえ、そんな簡単に辞めていいのかよ。もう少し考えてみろよ」も強制と考えています。
全くの放任はあり得ない、という意味での「強制」です。
釈迦に説法でした。
>ニュースになった医師一家の話は痛ましい事件ですが、あの家庭は極端な例だ、という気持ちと、全くの他人事と切り捨てることはできないぞ、という気持ち
とがあります。
ほんとうにそうですね。現代に子供を持った人たちが持つ不安を正確に言い当ててくださったと思います。
【11984】
ひきこもり暦22年さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 6日(火)06時55分55秒
>>・人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれば、「12歳」も糞もない。
>> 私がこの掲示板開設当初から言ってきたことは、一言で言ってわかってもらえるかどうかわかりませんが、「媒介論」ということになります。
外国語習得過程では、「心」までも媒介にするのです。
「語学論」の名のもとに、「磁場論」と「媒介論」をやってきたと思っています。「論」というほどのもんかとつっこまれるときついですが、まあ一応、論だ
ろうと思っています。
「磁場論」の中に、純粋な語学は「磁場」を欠いて行う行為だという定義があります。この言い方をすると、(「磁場」で)生活語として使いながら修得した
言語のスキルは、語学によるものか、語学以外のもの(「磁場」そのものが持つ力)によるものか、その境が非常にわかりにくいものとして取り出すことができ
るようになります。
例えば、そういう英語を、「磁場帰りの英語」と呼ぶことができますが、語学本来の位置から見ると、不純物を多量に含む英語です。あるいは、現代日本で語
学力とされているものを「磁場」で密輸入した英語となります。これが、日本人における机上の英語の腰をくだくような悪い作用を及ぼしています。
戦後日本の学力をめぐる神経症というような言い方を私はしますが、受験回りだけでなく、英語回りにも神経症めいた症状が多発します。それに対する解毒剤
を用意しようとすると、「磁場」というような観点がないとどうにもなりません。
私は「磁場だけがもたらすものが絶対にある」とも言い続けてきましたが、それは単純化して言えば「スキル」と言ってきたものと重なります。ここから、
「スキル」そのものは語学力ではないと言うこともできますが、現代日本では、むしろ逆に、スキルこそが語学力だと考えられています。何かが根底から転倒さ
れてしまっています。
さらに、ここから、例えば人に向かって、「あなたは語学力が欲しいんですか、スキルが欲しいんですか」と一緒くたにされているものを腑分けして言うよう
な言い方が成り立ちます。あるいは、「語学力は心を養うことができるが、スキルが心を養うとは限らない」、「スキルは心を滅ぼすこともある」というような
言い方も成り立ちます。
「日本人の英語」では、語学が作る英語と「磁場帰り」の英語とをしっかり区別しないと駄目だと考えていますが、「英検」とか「TOEIC」のような試験
はそこを区別しません。私がこの種の試験を受ける気にならないのは、私の「磁場論」から来るものです。生徒さんには、レッスンでどれくらい力がついたか測
るには有効ですから受けてみて下さいと言いながら、自分ではその種の試験を受けないのです。「磁場論」を持ってしまうと、受けることができません。
純粋に机上で作った英語の力を語学力だとするなら、(「生活語」として使うことから得た)しゃべる・聞くのスキル、などを「点数化」して評価するという
のは、語学的な密輸入を語学力として「点数化」する犯罪だと言わざるを得ません。逆に、語学的犯罪だという自覚を失わないかぎりにおいて、アメリカに暮ら
している人に「日本に帰ってきたらすぐに TOEIC を受けてみて下さい」とアドバイスしたりすることすらあります。
勢力のある言語には「・・語圏」という言い方があります。英語なら英語圏、フランス語ならフランス語圏という言い方がありますが、「磁場」という考え方
をしないと、言語や語学について普遍的なもの言いが成立しにくくなりますので、あえて耳慣れない「磁場」という言い方をしています。
わずか数十の人がしゃべるだけの小さな言語だと、「・・語圏」という言い方から外されてしまうのですが、「磁場」という言い方なら、どんな小さな言語で
も、人々がそこで生活を営む場である限り、「磁場」としての条件に欠けるものはありません。これもまた、「磁場」という語を使う理由の一つです。
また、(a) foreign language
が「身に付く」という場合の「身に付き方」が、「磁場」でその言語を身に付けた場合と、「磁場」でないところで(机上で)身につけた場合で違ってくるとい
うことがあります。それによって、先日 Naima さんが書かれたような「優越感」だとか「劣等感」が生じたりします。
「磁場」という観点があると、そういう問題を言うのに、その言語の言語的な「磁力」が・・・という具合に、ものごとを少し微細に見ることができるように
なります。
というようなのが、「磁場論」ということになります。
「語学論」におけるもう一つの「媒介論」ですが、これは、Eliot
さんが掲示板上で、「語学において、ネイティヴスピーカーのイントネーションや感情までそのままそっくりに言えることが大事だ」という考えを書かれたとき
に、冗談じゃないと私が反発したことを例にできると思います。
「語学的標準型」を立てずに、ネイティヴの言い方をイントネーション、感情までそっくりそのままに真似るというのは、「媒介」という考えをすっとばして
しまうから生じている考え方です。イントネーションは「語学的標準型」で作り、それにネイティヴのイントネーションを突き合わせて「媒介」にし、「語学的
標準型」を少しずつ変容させていくんでいいんだという「ゆっくりした過程」を立てておかないと、やはりここでも「英語病」が出てきます。
今日、こうして書いていて気づきましたが、「磁場論」というもの「媒介論」というのも、一種の精神衛生学かもしれません。
以上、長くなりましたが、前置きです。
これを少し変容させることで、お答えできるかどうか。
>>・人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれば、「12歳」も糞もない。
この言い方では、「考えること」を「媒介」にするということになりますが、その後、私は「心まで媒介にする」とも言っています。アタマが疲れていていた
ので、混乱したまま書いたものです。お許し下さい。
いや、まてよ。「考えること」を媒介にするのと、「考えるということ」を媒介にするのとでは、違うか。上の文では、「考えるということ」と書いている。
「考えることを媒介にする」という言い方だと、考えることを媒介にして、行動の指針を決めるとか行動するとか、「生活という磁場」に直接しているものご
とについて言う言い方になる気がします。「考えること」と「生活という磁場」の関係で使うべき言い方である気がします。
「語学論」で、日本の机上における「語学」と英語の「磁場」との関係を考えてきたのですが、そこで考えてきたものを、日本人の日本語による生活に適応
し、「考えること」(脳・意識)におけるものと、「生活という磁場」・「生活」との関係にも使えないか、試みようとしているところですが、またしても混乱
してきています。
「考えるということ」を媒介にするだと、どうなるんでしょうね。「考えるということ」を媒介にしているのは、学校とか受験産業なんかそうではないでしょ
うか。「考えることそのもの」を媒介にしているんじゃないと思うんです。「考えるということ」を媒介にするから、糸山なら糸山の論が成立しているのです。
学校の勉強ができる(できない)とか、難関大学入試で点がとれる(とれない)とかいうのは、「考えること」ではなく、「考えるということ」において優秀
な(優秀でない)人なのではないでしょうか。「生活」という磁場から切れた場所で、「考えるこということ」をめぐって優劣をつべこべ言っている世界だと思
います。
「考えること」そのものとは世界が違います。
「考えること」の直接性を壊し、「考えるということ」というふうに仮の舞台を大きく広げ、劣等感や優越感を持たせることによって、戦後市民社会の学力を
めぐる神経症が作られてきた、というふうに言うことはできるような気がします。
「考えること」は、悩むとか、困るとか、生活上の問題をどう解決するかとか、そういうことと隣接したり、連動したりします。
それが「考えること」だとすれば、数学の問題を解くとか、糸山の良質の文章問題を解くとか、算数・数学の分野でなくても、英語の長文を読んで設問に答え
るとか、国語の解釈問題に答えるとかいうことは、「生活という磁場」の問題とは直接の関係がありません。人工的に時代的に社会的に作られた(仮の)舞台に
おける芝居みたいなことですので、「考えるということ」をやっているのだと考えています。
「考えること」は、「考えること」が「生活」に直接関係を持ち、「生活」を変えますが、「考えるということ」は「生活」に直接的な変化を与えません。だ
から、これは生活とはひとまず切れたところで行われる芝居です。直接的には、むしろ受験産業に金を流し込ませるような作用、人々を神経症にし、生活に亀裂
を入れたりする作用を持つと思います。この作用を行使するだけでなく、糸山はその作用を激化しています。しかも、それは非常に巧みです。
で、「12歳」ですが、私はいまだにこの「12歳臨界期」の根拠がわからないのです。根拠はわからないが、これはやはり「考えること」についてのもので
はなく、「考えるということ」についてのイデオロギーだと思います。
「考えるということ」をやるのであれば、糸山の言う「臨界期」はどこかにはあるだろうとは思っています。それは体が子供の柔らかさを失う時期、若者の骨
格を備え始める時期と重なるかもしれません。それは単に「臨界期」があるというだけのことであり、ただそれだけのことなら「臨界期」はあるでしょう。思考
においてでも、感覚によく浸された「子供の柔らかさ」を失うかわり、疑うことを繰り込んで複雑化された思考を持つようになっていく時期があるというだけの
ことです。それ自体は何の「赤信号」でもない。心が不安定になりがちな時期だという意味で「赤信号」がともる時期ではあるでしょうが、「思考回路の消滅」
などという意味の「赤信号」には何の意味もない。新しいものを得るときに、失うものがあるというだけのごく自然なことについて、糸山は「赤信号」だ「赤信
号」だと言い、人々に神経症をもたらしているのです。
新しいものを得る段階で、必ず失わなければならないものがあるというのなら、失うことが自然なのです。脳の部位のなんとかいうものの数が減るというよう
な生理は、自然に従っているだけのことです。それを、「臨界期」だ「臨界期」だと騒ぎ立て、「赤信号」だと言い立てているのが糸山です。
何を騒ぐことがあるのでしょう。
それが、体感や生活や感情から切れた思考、「考えるということ」(芝居としての思考)だけを本当の問題にしているから、こういうことになるのです。
「考えること」そのもので言うなら、芝居としての思考(考えるということをやること)なんかほったらかした人で、しっかり考える人がたくさんいます。
逆に、「考えるということ」=芝居としての思考をたくさんやったおかげで、「考えること」ができなくなるような人が量産されている時代が現代という時代
だと言うこともできます。
>>・人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれば、「12歳」も糞もない。
「考えるということ」(舞台上の思考=教科というような枠に限られた範囲内での思考)は、媒介にされるべきもの(媒介物)にすぎません。
媒介にする能力があるのは、心であり、脳ではありません。脳は舞台上の思考=限られた範囲内の思考に向いているのですが、それを心が媒介にしなければ、
本当には「考えること」は成立しないと思っています。(脳が心を媒介にしなければ、でもいいです。これは人のタイプによって違ってきます。)
ねぼけまなこで書いた一つの文をめぐって、考えてみましたが、ますますわけがわからなくなってきたでしょうか。もしそうなら、私が言葉(の組み合わせ)
を考えながら(発明しながら)でないと、よく考えられないせいです。私の言葉の組み合わせ方がなじみのないものであるせいだと思います。
>心=1.自らの意識や行動から1部分を推測することはできるが、全体を意識化することはできない。また意識(理性)が直接及ばない部分。2.意識(思
考)と相互に影響しあうもの。意識よりも複雑で変化し続ける。っていう定義でいいですか?
今度は私がわからなくなってしまいました。
心の全体を意識化することができないのはその通りだと思います。
「意識(理性)」と書かれていますが、意識というものは、私は「場」だと思っています。その「場」に顕在するものもあれば顕在しないものもある。そうい
う「場」だ、と。
「理性」というものは、頭脳的な判断を司るもので、意識を「場」だという意味の「場」ではない。人間に働く作用そのものの名だとしています。
「思考と相互に影響しあう」というときの、「相互に影響しあう」ということは、いろんなものについて言えるのではないでしょうか。
理性的・感情的と対照されるときの「感情」もそうだと思います。
頭脳的な思考、理性、感情、意識に顕在するものしないもの、あらゆる精神現象が媒介にされてできるエッセンスのようなもの、日本語で「精華」と言った方
がいいようなものとして、心があると思います。いろんな精神現象が作るエッセンスのみでできている総合的なものという気がします。
糸山が脅しているようなことが、実際に起こったって何の不都合もありません。一つの脳の回路が滅びても、別の回路によって補強され、心の総合性は崩れま
せん。むしろ、さらに別の第三の回路の誕生に不可欠だから、一つの脳の回路が滅びる必然(必要)があるのです。
米国精神衛生研究所の論文において、超優秀児の脳の部位の一部が、加齢とともに急激に衰えることを示すグラフもそのことを示しているのだと見ています。
脳の一部だけ見ていれば、「おいらますます馬鹿になる」はごく自然なことです。そして、あの研究は脳のごく一部の部位に関しての研究であることを見落とし
ては駄目だと思います。
ああいう研究を、糸山がイデオロギーのために援用するというのは、犯罪的です。「12歳までに・・しなければ」という神経症を作り出すのに使われていい
ような研究ではありません。あれはまともな研究です。
「12歳までに機械的反復はよくない」とかも、糸山のよくないイデオロギーです。
らくださんに向けた記事にもありますが、小学生時代でも、「反復」はどんどんやるべきです。文を素読するのであれば、すらすら読めるようになるまで「反
復」するのはいいことです。すらすら読めるようになっているのに、それ以上「反復」するのは、ネイティヴ言語の練習では害になりますので、要するにこれ
は、「やりすぎはよくない」という娑婆の言い方で解決するようなことです。セックスでも算数の問題でも同じです。
外国語学習に素読を使う場合は、すらすら読めるようになっても、なおもすらすら言い続ける「反復」が必要になります。こちらは、「磁場」を欠いているこ
とに根拠があります。
>で、A→Cの関係にBを媒介するとA→B→Cですね。最初のAとBからでたAは違うものである。最初のAはBが複雑であればあるほど変化する。が、人間
は何かを媒介することが常なので最初のAとBからでたAを同じものだと思っている。
「A→Cの関係にBを媒介するとA→B→C」であるなら、「最初のAとBからでたA」は「最初のAとBからでたC」ではないでしょうか。C なのに
A だと錯覚しているというようなことはよくあると思います。
「AはBが複雑であればあるほど変化する」かどうかはわかりません。「異質」であるほど変化するかもしれませんし。
>「人が心を駆使して考える」は、意識を思考錯誤する→心と相互に影響しあう(心を媒介とする)→新しい思考ってことですか?
心がさまざまな精神現象のエッセンスでできていると考えていることは書きましたが、考えることがある強度を超えると、総体であり同時にエッセンスでもあ
る心までも駆使してしまうのじゃないでしょうか。私は本当に考えるというのはそういうことだと思っています。新しい思考という言い方で言えば、新しい思考
はいつもそうだと思います。
>「外国語習得過程では、「心」までも媒介にするのです。」は、よくわかりません。
「磁場」を欠いてやるのが「語学」なのだと最初の方で書きました。「磁場」を欠いてやる場合、「心」を動かさないと(媒介にしないと)語学が成立しない
と思います。「磁場」においてなら、場と状況が決定するものも、語学においては、自分で想像することによって自分で決めるわけです。その時、心が「媒介」
にされています。
>心は常に媒介されるものではないのですか?
私の言った意味での心というものは、多くの人の精神活動の中ではあまり媒介にされていないと思います。状況がそれを強いる場合以外では、心は媒介にせ
ず、遊ばせておくのが、心に無理な力がかからない「いい生活」だと思います。私は職業柄、そいういう「いい生活」ができません。もっと、自然がすることに
従って、百姓仕事だけやっていたいのですが、今は小規模の百姓は食えませんから、英語のコーチから足が洗えません。
>人間はイメージや感情を母国語を媒介にして表現することに慣れているから(最初のAとBからでたAを同じものだと思っているから)外国後習得過程で強く
心を意識するということではないんですか?
外国語学習では、心を意識するというより、心を駆使して想像するというのが正確だと思います。
>[結論]
全然わかりません(笑)
依然同じでしょうか。
【11985】
matsuさん 投稿者:らくだ 投稿日: 2007年11月 6日(火)08時42分21秒
>もし皮肉があったとしたら、自分の気持ちとしては、根石さんに対するものの方が強かった気がします。そんなに激昂しないでほしい、と。
私の読み違いだったようです。失礼しました。
「どんぐり倶楽部から来た方」の「穏やかさ」に私自身がいくぶん違和感を持っているのでしょう、そのように読み取ってしまいました。
matsuさんは詩人・根石吉久のファンなのですね。私は文学とか詩とかが分からぬ不勉強な人間です。matsuさんが根石さんを初めて読まれたのは「同
時代批評」とのこと。なつかしい。私も一時期「同時代批評」は読んでいました。尤も、もっぱら興味の中心は政治向きの話でしたが。岡庭さんが主催されてい
た「同時代シンポ」はよく聞きに行っていました。すみません、思い出話になってしまいました。
【11988】
目で考える 投稿者:らくだ 投稿日: 2007年11月 7日(水)21時21分32秒
詳細なご説明ありがとうございます。何度も読み返して、なお理解不足の所が多いのですが、あまり「糸山問題」を引きずるのもよくないと思いますので、ひと
まず区切りの書き込みをさせていただきます。
まずシュタイナーについてです。糸山氏は、小学生はシュタイナーで、中学生になったらスパルタで。名付けて「シュパルタ教育」。これが日本には合ってい
る、という主旨のことをおっしゃっています。つまり、糸山理論の核にシュタイナーがあることは間違いないと思います。私は、シュタイナー教育を日本風にア
レンジして実践する取り組みと糸山方式を肯定的に捉えました。しかし、この考えは間もなく修正されることになります。たまたま私の知人がシュタイナーを深
く探求していることを知り、話を聞くほどに、シュタイナー思想の数あるつまみ食いの一つにすぎない、と思うに到りました。
では、シュタイナーは横に置いておくとして、実用面でどうかということですが、これは前に書きましたが、子供に合わなかった、ということになります。合う
子供もいるでしょうが、私の息子には合いませんでした。
まず、文章題の文を読みます。「わかんない!」。文の意味がわからないので、絵図を描くところまで行きません。文の意味が取れるように、あれこれ口を出し
て導きますと、「わかった」と言います。でも、絵図は描けません。しかし、これは、読み取った文の意味を絵図にするコツみたいなものがわからないだけだっ
たと思います。一度コツをつかむと、同種の問題の「反復」においては、文の意味を取りスラスラと絵図を描きました。ただし「また同じかよ!描けるっツー
の!」になります。
>生徒が興味をもってやっていることだから、機械的な反復でなくなるわけです。
興味が持てなかった、ということになります。単なる退屈なお絵書き。それで「文章題」からは離れることになりました。一つだけ後を引いていたのが、「目で
考える」ということ。これがどういうことなのか、わからずじまいで棚上げにしていたことです。
問題文の意味がわかって、コツがつかめれば絵図は描ける。考えてみれば、私が小学生の時も「わかりにくかったら数直線にしてみなさい」といったことは先生
に言われたものです。それとどう違うのか。
糸山氏は、読むのは1回だけ、「何度も読みなさい」は最低の指導、絵図を描いたら問題文は見ないで絵図だけで考えるといいます。要は絵図を見て適切な式が
立てられるかということでしょう。
しかし、1回読んで絵図が描けるのは1回で意味がわかるから、それだけ日本語に習熟しているからではないのか。そして、描かれた絵図を見て考える段階にお
いても、考える過程で言葉を排除することが可能なのか?これが私の疑問でした。
>「視考力」だの「目で考える」だのが、何のことかいまだまるでわかりません。それが絵図が描ける能力のことを言っているのだとすれば、考えが転倒してい
ると思います。イメージによって、ある論理がつかまるから、それが絵図に描けるようになるのであり、目に見えるものになるのです。いきなり最初から目で考
えているのではない。元になっているイメージの力は、目だけあっても動きはしません。言葉がそれを養うから動くようになるのです。初源は、言葉なのです。
>実用するために非実用をくぐる必要がある算数数学、語学などでは、「言葉」はそんなにすぐに不要にはならない。
腑に落ちました。
次の問題は、どうすれば「言葉」の力がつくのかですが、多くの方が「本を読ませておけばいい」と言い、多くの方が「どうすれば子供は本を読むようになるん
だろう」と言います。読む子は読むし、読まない子は読まない。我が息子は読まない。
いずれ必要になれば読むようになるだろう、と放っておいて良いのかもしれませんが、後々財産になるようなことを、何かしら与えてやりたいという気持ちもあ
ります。
そこで、古から連綿と行われていることなら、何がしか良いことがあるのだろうとの考えで音読を始めたわけです。音読より素読、小説よりエッセイ。ご説明良
く分かりました。
他にも「じょがぁくせー」で大笑いさせていただいたこと含め、折に触れて読み返してみようと思う言葉がたくさんありました。
>素読を元に据えている私から言わせれば、「ドライバーを時計回りに回せばネジが締まる」という言葉をすらすら言えるようになった子供に、実際にドライ
バーを持たせて回させるというのがいいということです。
ここは、知識と体感との関係について、月並みですが目から鱗が落ちました。
>要するに子供の意識を???でいっぱいにすればいい。
わからないことをわからないまま抱え続けることに耐えられるようになることも大切なことなのだと思います。「ゆっくりでいい」と言いながら、そのゆっくり
さ加減が「貧乏臭い」のはよろしくありませんね。
それから、『英語どんでんがえしのやっつけ方』を引用して下さった村田さん、ありがとうございます。ご著書は昔、拝読いたしましたが、どうやら読みが足り
なかったようです。
本箱から引っ張り出して、再読始めました。分からないことが出てきましたら、質問させていただくかもしれません。よろしくお願いいたします。
【11989】
らくださんへ 投稿者:しまりす 投稿日: 2007年11月 8日(木)00時25分7秒
こんばんは。はじめまして。吉さんのHPから来ました、しまりすと申します。小4生の母親です。先日から読ませていただいていたのですが、らくださんにど
うしてもひとこと申し上げたく書かせていただこうと思いました。(根石さんに御迷惑をおかけするつもりはありません。)こちらは語学論の掲示板ですので、
どんぐり倶楽部のことをこちらで論ずるのは、私の本意ではありません。以降の私との議論は、私のブログでしていただければと存じます。掲示板をお使いくだ
さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/clematis1010/
まず、お聞きしたいことは、らくださんは、どんぐり文章題を始められるにあたって、著書や過去ログをお読みになったのでしょうか?ということです。
>合う子供もいるでしょうが、私の息子には合いませんでした。
>まず、文章題の文を読みます。「わかんない!」。文の意味がわからないので、
>絵図を描くところまで行きません。文の意味が取れるように、あれこれ口を出して導きますと、
>「わかった」と言います。でも、絵図は描けません。
このようなことは、どんぐり文章題を初めてやったほとんどの子どもと親が経験することです。
合う合わないとは関係ないと思います。
>一度コツをつかむと、同種の問題の「反復」においては、
>文の意味を取りスラスラと絵図を描きました。
>ただし「また同じかよ!描けるっツーの!」になります。
どんぐり文章題、親が誘導してしまっては何の意味もありません。
正直申しまして、あの700問を本当に自分の力で描けるのであれば、
きちんと思考力の育ったお子さんですから、何も問題ないと思います。
書写や音読なども、必要ないのではないでしょうか。
>一つだけ後を引いていたのが、「目で考える」ということ。
>これがどういうことなのか、わからずじまいで棚上げにしていたことです。
目で考えることが、この文章題の核だと思うのですが、
これがわからなくても、文章題は描けると書かれているのがとても不思議です。
>問題文の意味がわかって、コツがつかめれば絵図は描ける。
らくださんは、どんぐり文章題を一緒に描かれたことがありますか?簡単でしたか?
>「わかりにくかったら数直線にしてみなさい」といったことは先生に言われたものです。
>それとどう違うのか。
数直線は、絵図のうちで一番最低な形だと思っています。
>糸山氏は、読むのは1回だけ、「何度も読みなさい」は最低の指導、
>絵図を描いたら問題文は見ないで絵図だけで考えるといいます。
ここが、目で考えるということです。
>要は絵図を見て適切な式が立てられるかということでしょう。
これは違います。絵図を自分で描くことが最大のポイントで、一番時間をかけるべきことです。
その絵図から立式するのは、最後の段階でできればいいことです。
>1回読んで絵図が描けるのは1回で意味がわかるから、
ではありません。全部を通し読みするのではなく、1文ずつ絵に変換していきます。
それが、言葉をイメージにかえて記録するということです。
>描かれた絵図を見て考える段階においても、考える過程で言葉を排除することが可能なのか?
言葉から絵図に変換してしまえば、あとは言葉なしで考えることができます。
くらげの問題、らくださんは御自分で描いて、してみられましたか?
あれをされていれば、言葉がいらないということがおわかりのはずなのですが。
>次の問題は、どうすれば「言葉」の力がつくのかですが、
>多くの方が「本を読ませておけばいい」と言い、
>多くの方が「どうすれば子供は本を読むようになるんだろう」と言います。
本を読みさえすれば読解力がつくというものではありません。
どんぐり文章題での言葉からイメージへの変換は、緻密な読解力養成になります。
0M(年長)の問題でも、言葉が難しくてできない子が多いのです。
中途半端な聞きかじりで、批判するのはやめてください。
初めにも書きましたが、私はここ(本来は語学論を議論されるべき場所)で、
どんぐりの議論はしたくありません。
ブログに来ていただければ、幸いです。
http://plaza.rakuten.co.jp/clematis1010/
【11991】
NOVA、清算へ 名古屋企業に一部営業譲渡 投稿者:外野。 投稿日:2007年11月 8日(木)07時11分4秒
会社更生法の適用を申請していた英会話学校最大手NOVA(統括本部・大阪市)の保全管理人は6日、同社の事業の一部を、外食事業などを展開するジー・
コミュニケーション(名古屋市)グループに営業譲渡し、残る事業は清算すると発表した。
同グループは当初、NOVAの約670ある教室のうち30を譲り受けて授業を再開し、その後、200教室規模を目指すという。前払い授業料は返還しない
方針。
保全管理人は、更生法申請後も外国人講師や日本人社員の離職が続くなどNOVAの企業価値の劣化が激しいとして、早期決着を目指していた。
ジー・コミュニケーショングループは、NOVAの受講生が通常の料金の25%で授業が受けられるようにするなど、支援にも努める。外国人講師らの雇用に
も最大限配慮し、NOVAの商標は継続して使用する。
(共同通信社)
【11992】
茶の本 投稿者:らくだ 投稿日: 2007年11月 8日(木)11時22分33秒
全く話題が変わります。
根石さんに英語学習について一つ質問があります。私は英語は全くできないのですが(30年ほど前の受験勉強の記憶がかすかに残っている程度)、そのような
初学者が岡倉天心の「茶の本」を再入門のテキストとして選ぶことは無謀なことでしょうか?
英文のレベルや古い著作である点などでです。古い英語という点に関しましては、『英語どんでん』の村田さんとの対話で受験英語に触れられ、古くても可と
おっしゃっていますが、それは新しい英語素材との併用学習を前提とされているかと思います。ここではメインテキストとすることの妥当性についておききした
いと思います。
実のところ、吉さんのブログに行き当たったのは、「茶の本」絡みの検索です。ここのところ岡倉を読んでいるのですが(日本語で)、吉さんが「茶の本」の英
語素読をブログにアップされているのを聞き、おもしろいことされてるなー、と感心したのです。
そして、その発信元が「素読舎」の根石さんと知り、二度ビックリでした。根石さんは英検1級レベルの方には「茶の本」を推奨されていますが、初学者ではや
はり無理無駄が多すぎるでしょうか?イメージ構築のハードルが高すぎるとかです。
なぜ「茶の本」かと申しますと、思い出話になってしまいます。ご容赦を。私が高校時代に第二外国語がありまして、英語が好きな者と、できるだけ労力を軽減
したいサボリ魔が英語を履修していました。
その授業で担当の先生がテキストに使用したのが「茶の本」でした。私を含めたサボリ魔たちの間では、このテキストはさんざんでした。「なんだよ、コリャ。
なんでこんなに難しいんだよ」「なんで茶なんだよ。茶だぜ、茶!」
まともに英語を読むなど、とんでもない。和訳を当てられる授業は岩波文庫の音読会と化しました。先生はふてぶてしく岩波を音読するサボリ魔どもに呆れてい
たと思いますが、何もおっしゃらず、捨て置かれました。
愚かだったのですね。岡倉がどのような人物であったか、先生がなぜ岡倉を選んだのか。そんなことは生意気で愚かな18歳の理解の外でありました。
吉さんのブログを見ながら、英語をもう一度やるなら「茶の本」でやってみたい。そんなことを、ふと考えました。尤も、英語を始めるのであれば、そのこと自
体にそれなりの覚悟が必要ですので、「茶の本」が適当かどうか以前の問題ではあるのですが。
【11993】
仙台、福岡など再開検討 NOVA支援のジー社 投稿者:外野。 投稿日:2007年11月 8日(木)15時35分32秒
経営破たんした英会話学校最大手NOVA(大阪市)から子会社を通じて一部事業の譲渡を受けるジー・コミュニケーション(名古屋市)が、再開する教室の
場所について、仙台、名古屋、福岡など地方の都市圏を有力な候補と考えていることが8日分かった。
ジー社は現在、月内にも再開する方針の30教室について、教室の賃貸料、利便性などで具体的な選定作業を進めている。早ければ来週初めにも数校を明らか
にし、週内にも授業を再開したいという。同社関係者は「候補を現在、約150教室に絞っている」と話しているが、決定には至っていないとしている。
ジー社の稲吉正樹社長はインタビューで、再開する教室について「経営合理性を考えると必ずしも都心部に集中することにはならない」と述べており、東京や
大阪だけに必ずしも集中しないという考えを示していた。
(共同通信社)
【11994】
受講生引き受け一斉表明へ 英会話大手、8000人規模 投稿者:外野。 投稿日:2007年11月 8日(木)15時38分18秒
会社更生法適用を申請した英会話学校NOVA(統括本部・大阪市)の受講生を支援するため、ジオスや英会話イーオンなど英会話大手各社が、入学金免除な
どの優遇条件で受講生を引き受ける方針を、近く一斉表明することが8日分かった。合計の受け入れ人数は8000人規模で、さらに拡大する可能性もある。
受講生受け入れは、経済産業省から協力要請を受けた2つの業界団体が中心となって進める。66社が加盟する全国外国語教育振興協会(東京)は、ECC外
語学院、ベルリッツ・ジャパン、イーオン、シェーン英会話、アメリカンランゲージスクールの大手5社を中心に5000人前後、21社加盟の民間語学教育事
業者協議会(同)はジオスを中心に3000人程度を引き受ける方向。業界団体が月内にも各社の受け入れ人数をまとめて公表する見通しだ。
(共同通信社)
【11995】
根石さんの詩 投稿者:matsu 投稿日: 2007年11月 8日(木)20時07分2秒
書店で礼服にくるまれて銀色に 根石吉久
レヂの横からひびが走りはじめている
店の呼吸が静かになる
雑誌に目をもどしたが目のすみでその人は三十センチ上下して
ぐにゃぐにゃ上下してぐにゃぐにゃ上下して
来て
私の右に立つ
すると私がぐにゃぐにゃと上下しそうだ
すると私が差別するのだ
右半身は黒いケロイド
毛がはえてくるのだ
私は詩の雑誌を開いていた
活字は黒いコロイド
もう読めない
隣の人の雑誌が見えた
銀色の赤の原色の薔薇の花か極彩の星か黒い文字「SMコレクター」
ここはどこか
女体が見える
縄がくいこんでくびれた女体
私は「現代詩手帖」のペーヂを変える
そこに開く深紅の女陰
毛がはえてきてぼろぼろこぼれる
奪われているんだ
ボードレエルの兄貴よ
「性交は民衆の抒情」であって
しかもなお奪われているんだ
もぬけのからなんだ
おお美しいおもちゃ
だから正確に「にせ絵」を買いにくるんだ
やわらかい女体
「幸福」がひきつるのをくいこむ縄に読みたいんだ
馬鹿やろう
心をぎらぎらにしてしまうんだ
(復讐のように)
私は雑誌を棚へもどす
背が痛みだす
「芸術生活」
「大学への数学」
「浮世絵」
「医学部進学」
あと三十分で友人の結婚式が始まる
(また
たかさごや
また
つるとかめ)
行こうと思ったときびっこの人も歩き出した
握られている雑誌もぐにゃぐにゃと上下した
早く行きたいのだろう
ひとりになりたいのだろう
呉服屋をひっくりかえしたような色彩の氾濫の中で苦痛に歪む女の顔に目をこらす
惨めな写真のカラーでそれだけのことはやれる
レヂを離れていちどぐにゃぐにゃと大きく沈み
転んだ
砂のあるコンクリートに雑誌が飛んだ
ひるがえるひるがえる数々の女体
転んでいた
立ち上がろうと必死で
コンクリートの床を転んでいた
笑った
私は 笑った
助け起こしたのは私だが 口を閉じていると
肋骨の中で何度も笑いが暴発するのだ
ひとりの部屋に
ペーヂをめくる独裁が
その 私 が
今日はみじめであるだろう
それゆえに
銀色に銀色に
さらに銀色に光り出すもの
礼服を着て町を歩いた
根石吉久詩集「人形のつめ」より
【11996】
matsu さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 9日(金)22時09分31秒
昔書いたきりで放りつけておいたものを、今になって読むと気恥ずかしいものです。
ああ、そうか、そうだ、そういうふうに書いたとは思い出します。
>口を閉じていると
肋骨の中で何度も笑いが暴発するのだ
これと同様の経験は、その後、ボストンでしました。1週間の短い旅行のうち2日だったか、ボストンにいたのでしたが、道ばたのベンチに腰を降ろして道往
く人を見ているうちに、もうなんだかやたら笑いがこみあげてきて苦しかったのを覚えています。
アングロサクソンの人たちが、男も女も立派に闊歩するのです。堂々として、胸を張って闊歩するその立派な姿が、もうなんだかわけもなくおかしくてたまら
ず、口を開かずに、胸の中で笑いが暴発するにまかせました。
奇妙な体験でした。
おさえようもないのでした。
【11997】
皆様 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月 9日(金)22時14分15秒
matsu
さんが私の昔の詩を引用して下さったのは、ブログ「なにぬねの?」で、私が足立さんに引用をお願いしたところ、足立さんの部屋がごみ屋敷状態で詩集が出て
こないとご返答いただき、それを matsu さんが読まれて、そういうことなら私が引用しますと言われてやって下さったものです。
【11998】
らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月10日(土)01時43分12秒
>私は英語は全くできないのですが(30年ほど前の受験勉強の記憶がかすかに残っている程度)、そのような初学者が岡倉天心の「茶の本」を再入門のテキス
トとして選ぶことは無謀なことでしょうか?
日本人の言う「英語はまったくできない」という言葉には、私はいつもまともに反応しないことにしています。語彙レベルではかなりなものを持っている人で
も、単に話せないというだけで「まったくできない」と言われるし、中学レベルの文法を終えているくらいの方でも、「まったくできない」と言われます。中級
序盤レベルの練習ができる場合、「まったくできない」は事実と違います。
このあたりで私は困ってしまうことがあるのです。と言いますのは、小学生のような本当の初心者には、「語数別分類」のテキストを使い、中学生にはその中
学生が使っている学校の教科書を使い、大人でも本当に基礎からやる必要のある人には、中学の教科書を使います。中学の文法がほぼできている方には、自作の
長大な教材を使ってレッスンを始めてもらいます。
(教材が長大なのは、初級レベルを抜けるのに要する時間・労力と比べて、中級レベルを抜けるまでの道のりは非常に長いものになるからです。一年生、二年
生の樹木なら、毎年幹が太るのが目に見えるのに、数十年たつと、一年でどのくらい太ったかがわからなくなります。大木になると4,5年の変化も注意しなけ
ればわからなくなります。人間は樹木ほど長生きしないのですが、それでも語学力において、中級・上級になるほど、大量の練習による語学力の変化がわからな
くなってくるのは同じです。変化しているのですが、それが目に見えなくなります。)
話を戻します。いろんなレベルの人が「まったくできない」と言われるので、私は教材の選択に困るのです。それで、私はひとまず私の自作教材で始めても
らっています。私の自作教材で始めてもらって、どうにも無理なら中学の教科書に変えるというようにするつもりなのですが、今までのところ「まったくできな
い」と言われたにもかかわらず、中学の教科書に変更した生徒さんはいません。
「茶の本」は私のレッスンでは、上級者向けです。
しかし、この本をどう扱うかによります。素読と「電圧装置」を両方使えば、中級者の人でも扱えると思います。中級者の場合は、「回転読み」を経た素読と
共に、「電圧装置」で、出てくる単語を片っ端からやっつけていくということが必要になります。ただ、この掲示板の過去ログを読んでいただけばおわかりにな
ると思いますが、「音づくり」をやらないと、英語力そのものが大きく欠けたところのあるものになってしまいますので、非常に損な結果になります。
岡倉天心が同じ「茶の本」を、日本語でどう書き、英語でどう書いたかを知るため「だけ」でしたら、つまり、岡倉天心研究のためであり、英語力をまともな
ものにするという意図はないのであれば、「音づくり」をやらないでも結構かも知れません。
「茶の本」再入門なのか、英語学習「再入門」なのか、どちらとも読めるので、お答えしにくいところです。
>英文のレベルや古い著作である点などでです。古い英語という点に関しましては、『英語どんでん』の村田さんとの対話で受験英語に触れられ、古くても可と
おっしゃっていますが、それは新しい英語素材との併用学習を前提とされているかと思います。ここではメインテキストとすることの妥当性についておききした
いと思います。
やはり一般的な英語力を養うことも考えておられるのかと、この部分を読んで思いました。岡倉の文は古い著作で、いかにも文語文語した文章です。それが味
になっていると思います。
「英語どんでん」の村田君との対話で、古い言い回しばかりじゃ困るが、古いのが少しくらい混在していたって気にすることはない。その後も英語をやり続け
ていけば、今の「普通の英語」がどんなものなのかはわかってくるはずだからということを言ったと思いますが、おっしゃる通り、大学入試以後現代英語に触れ
続けていくことを前提にしたもの言いです。
柴田さんのように、古色蒼然とした英語を平気で入試問題にする大学の先生達を批判することもいいのですが、実際に入試を受ける人には、入試以後、英語を
やり続け、現代英語に触れ続けることがいいと言うのが、ひとまず現実的なアドバイスになると思います。もし、生徒が大学に行って、英語の古典を読みたいの
だというのであれば、古色蒼然とした英文が必要になりますので、古色蒼然としたものが一部混じっているくらいのことに目くじらをたてることもないとも思い
ます。
「茶の本」をメインテキストにされた場合で、それ以外には何も英語をやらないというのであれば、「新しい英語」「現代の英語」に触れないことになってし
まうので、一種独特の英語力ができるでしょう。(それでも、「茶の本」の英語は非常に古いというわけではありません。むしろ、非常に文語的なのだと言うべ
きです。)
私の自作教材を使ってレッスンを受けてくれる中級者の人によく言うことに次のようなものがあります。
当初は私のレッスンの練習だけでもやることが多いので、私のレッスンに集中してほしい。その後、力がついてきて余力が生じた場合は、NHKの語学放送を
聞くのでもいいし、多読をやるのでもいいし、TOEICや英検を受験するための勉強をするのでも何でもいいが、レッスンで使っている方法を踏まえて(応用
して)レッスンで作った英語力という幹から枝を生やして欲しい(何か自分でやる練習を始めて欲しい)。そんなことを言います。
一人でやられる場合、道は紆余曲折すると思います。その前に、最初のペース作りで急がれて失敗する確率が高いです。最初のペース作りはプロにまかせてい
ただく方が失敗は少なくなります。また、「音づくり」が欠落するおそれがあります。お金の問題がありますので、言いにくいですが、私としては、岡倉天心を
やられるのであれば、私のレッスンで私が道をつけますので、ひとまずその道を歩いていただきたいと願っています。
「英語どんでん」を読んで「電圧装置」を併用していただけば、「余力」が生じる時がきます。その時から、レッスンで獲得した方法を使って、現代英語をご
自分でやられるのが最上かと思います。
「音づくり」と「電圧装置」の併用に慣れ、直す音がなくなった頃には、辞書、良質のCDなど使って、独習でやっていっていただけばいいと思います。
(「茶の本」を吹き込んだ市販のCDがあるかどうか知りません。あったら、どなたでも結構ですのでお教え下さい。)
早ければ1年くらい、時間がかかる人でも3年くらいで一応私が手離してもいいくらいの音になります。
とにかく1年と決めておいて、その一年で私のレッスンの質をよく吟味していただき、その後はご自身は独学に入られ、レッスン枠を息子さんに譲っていただ
くことが私が最も望むところです。私がもっとも手がけたい年齢の生徒さんに出会えるわけですから。質をよく吟味していただいて駄目だとなれば、いつでも即
刻やめていただけます。(レッスンのお代は前払いではありません。)
1ヶ月間(レッスン4〜5回分)を無料で試していただくこともできます。1ヶ月でも、「音づくり」の外科手術的な部分はわかっていただけます。だんだん
「音づくり」で直した音を熟成させる過程に移っていきますが、熟成過程を一ヶ月でわかっていただくことはできません。
吉さんと「茶の本」をやったのは、吉さんがまず読まれていないと思われる分野のものをやってみたいと思い開始したのだったか、吉さんがこの掲示板を読ま
れて勝手に始められたのだったか。ああ、思い出しました。Naima
さんと生徒同士で自習を始められたのでした。つまり、まあ、勝手に始められたのでした。
吉さんの奥様のレッスンが主体で、そのレッスンのオブザーバーとして吉さんに一緒に生徒さんをやっていただきましたが、Naima
さんとの自習を中断されて以後は、奥様が体調が悪く休まれたときなど、吉さんに「茶の本」の素読をやっていただきました。
>根石さんは英検1級レベルの方には「茶の本」を推奨されていますが、初学者ではやはり無理無駄が多すぎるでしょうか?イメージ構築のハードルが高すぎる
とかです。
お書きになる日本語の文章から判断して、多少ハードルは高いでしょうが、可能だと思っています。ただし、「電圧装置」併用と、少なくて1年のコーチ付き
で、です。
>まともに英語を読むなど、とんでもない。和訳を当てられる授業は岩波文庫の音読会と化しました。先生はふてぶてしく岩波を音読するサボリ魔どもに呆れて
いたと思いますが、何もおっしゃらず、捨て置かれました。
多分、いわゆる一流高校での出来事だと思います。高校生向けに「茶の本」を選んだのは、ちょっと無「茶」だと思います。しかも、「和」訳を当てるという
日本の悪しき「英」語教育をやっていたのも、大いに問題ありです。(私も中学生相手のレッスンでは「和訳」を使いますが、使い方がまるで違います。)
もしやるなら、素読をかませるべきです。しかし、大学で英語教育課程を履修しただけの先生にも、英語の「磁場」帰りの先生にも、高校の英語の授業で素読
はやりようがないでしょう。学校の授業という形態の中に素読そのものは置けないとしても、「素読的」な方法を置くことなら、私に腹案がひとつあります。
やってみせろと言うならどこかの学校に出向いてやってみることもできます。しかし、大学受験の予備校と化した高校ばかりになってしまっているようですか
ら、この腹案も墓場に持っていくことになるでしょう。
「何もおっしゃらず、捨て置かれました」というところから、その先生に対する敬意を失っておられないと読みましたが、つまり、英語教育にはなっていない
が、文学教育にはなっていたということではないでしょうか。
>吉さんのブログを見ながら、英語をもう一度やるなら「茶の本」でやってみたい。そんなことを、ふと考えました。尤も、英語を始めるのであれば、そのこと
自体にそれなりの覚悟が必要ですので、「茶の本」が適当かどうか以前の問題ではあるのですが。
やってみられるのはいいことだと思います。子供の勉強につきあって嫌われるのでなく、親が自分で何か一つ勉強を続けていくことがいいことです。子供に勉
強させたいなら、それが一番いい方法です。子供は「親の背を見て育つ」という意味で。
勉強を続ける親の背中を見て育った子供は、たとえ学校の勉強を放り出した場合でも、どこかで必ず勉強してくれると思います。
私の生徒にもそういう子供がいます。パン屋さんの息子で、中学生のくせに隣のじいちゃんと盆栽の話ばかりしていた変わった子供でした。高校の時に、学校
の勉強は放り出して専門学校に行き、ケーキ作りの職人になりましたが、ケーキの勉強をするのに英語を読む必要が生じ、素読舎に行ってたとき、まともにやっ
ときゃよかった、後悔してる、と言ってると、親御さんが伝えてくれました。ケーキ作りのかたわら、大人になってから英語学習に「再入門」したわけでした。
パン屋さんの親がパン作りの勉強を続けていたのだろう、その背中を見て育ったのだろうと推測しています。
【11999】
外野さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2007年11月10日(土)02時09分53秒
いつも、記事の引用をありがとうございます。
>会社更生法適用を申請した英会話学校NOVA(統括本部・大阪市)の受講生を支援するため、ジオスや英会話イーオンなど英会話大手各社が、入学金免除な
どの優遇条件で受講生を引き受ける方針を、近く一斉表明することが8日分かった。
ジオス、イーオンも本質は
NOVAと変わりはない。「磁場」のないところで、教室を「磁場めいたところ」として偽り、金もうけをするのがその正体である。これらは、NOVAという
ハイエナの死体に群がるハイエナどもに過ぎない。
教室は「磁場」にもならないし、「磁場めいたところ」にもならない。
「磁場」はネイティヴ話者が最低二人いなければ駄目だし、日本人がその場に加わる場合は、「生徒(お客様)」としてではなく、ネイティヴ話者と直接に渡
り合う「当事者」にならなければ「磁場めいたところ」にすらならない。
先生一人が「磁場」で育った人間の「磁力」を発しても、そこは「磁場」ではない。残りの生徒全員が、日本語で育った日本語による思考を伏在させている
「場」は、英語磁場にみせかけた「疑似日本語磁場」なのである。
なぜ英会話学校を頼りにしても英語をしゃべるようにならないかは、「磁場論」で解けるのである。
何が「入学金免除などの優遇条件」かよ。
素読舎の「電話でレッスン」は、最初から「入学金」なんかない。
ただし、8000人の世迷い人のうちから2,3人素読舎に申し込まれたら、それでもう満杯だ。
レッスン日を一日削って、百姓をする日としたので。