1001 報復攻撃に反対するアメリカ市民の声 投稿者:Eliot 投稿日: 9月17日(月)02時47分11秒
ブッシュ大統領へ報復攻撃をしないようにとの嘆願書への賛同をつのっているサイトがあります。以下の英文はそこで見つけたものです。少数派でしょうが、ア
メリカ人の中にもアフガニスタンへの攻撃に反対し、なぜアメリカがこんなに嫌われるかということに目を向けようという意見もあるのですね。
I fear the blood of more innocent people wil be shed. Please know that
not all Americans are crying out for revenge. We desire peace and
justice, first and foremost.
Our country is in shock from horror of Tuesday's tragedy. An attack on
terrorists, or more specifically "the countries who harbor them" is
doomed to failure and will without doubt result in the same senseless
loss of lives...many times over. Let us stand in solidarity with the
many ethnic groups who will be targeted as a result of the ensuing
racial hatred and scapegoating. To prevent future acts of violence, it
is important--imperative--that we consider what has led to so much
hatred.
We must not do the same thing to innocent civilians that these
terrorists have done to our people. Only those directly responsible and
those who backed them should be brought to justice. We are a nation of
law abiding citizens, not vigilantes.
We need to counteract the emotional calls for violence and retaliation.
These will only result in more violence and further alienation of our
nation in many parts of the world. Let us channel our grief and sorrow
to reduce violence and deal with the underlying issues which lead to
strong anti-American feelings. Let us show that we are truely a nation
of law by using only legal means to bring to justice all those involved
in this tragic act of terrorism.
1002 訂正 投稿者:Eliot 投稿日: 9月17日(月)02時51分33秒
Our country is in shock from horror
↓
Our country is in shock from the horror
1003 訂正と報告 投稿者:Eliot 投稿日: 9月17日(月)02時59分18秒
wil be shed→will be shed
私もこの嘆願書にメッセージを付けて署名しました。ネット上で署名というのは変な気もしますが、賛同をつのる英文はsigniture求むとなっていまし
たので、署名したということでいいのでしょう。
1004 補足 投稿者:Eliot 投稿日: 9月17日(月)03時03分20秒
何度もすみません。
先ほどのアメリカ人の意見は一続きではなくて、四人分です。しつこいようですが、念のため。
1005 「報復するな」 投稿者:Eliot 投稿日: 9月17日(月)14時16分18秒
アメリカ政府に自制を求める嘆願書と賛同者のメッセージは以下のサイトの
CALL FOR PEACE AND JUSTICE
というところをクリックすれば見られます。
http://www.thepetitionsite.com/
1006 Cから 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月17日(月)15時53分57秒
I agree with your every thought.
When I think about this time, it is my hope
that Americans might learn about the world,
that we might learn about the suffering that Amrerican policies cause.
Yes, the terrorims in unforgivable, but
America supported these same terrorists and put them in power
during the Afganhi-Russian war in the 1980s.
Now, 4,000 people have been killed,
and I do not know if America be able to open its eyes
to the suffering of other people we help cause.
I fear we will drop bombs instead.
There is a great opporutnity now for Americans
to become worthy. This will be possible through
discussions like the one we are having now.
I admire your words. How do your friends in Japan react?
Do many agree with you?
1009 Cへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月18日(火)15時40分40秒
I sometimes think Japanese language is not good to distinguish or
declare
things. This character is based on the structure of the language.
In many cases, things are decided at the end of a sentence.
The structure of this language makes the structure of feeling way or
thinking
way or also living way of Japanese people.
So, many Japanese keep silent now.
It seems to me nothing happened in New York.
Only TV speaks loud.
This Japanese way has been misunderstood by almost all the western
countries.
I have been a black sheep in Japan.
(Because I learned Englush language or not, I don't know.)
Or only a funny man.
On the Tuesday, after drinking out, I came home, and watched TV.
A plane attacked into a tall building many times, because TV showed the
same
image again and again.
It didn't seem to be real at all.
I cried out. "It's so cool."
Also, I wrote on a bulletin board the same thing in Japanese.
Behind this writing, there has been my hatred towards American
politics, as
you already know.
I was attacked on the bulletin board.
After a while, I thought that there must be people in there, in that
building.
Then, I couldn't stop watching the image TV showed again and again.
I kept watching TV till morning.
After being exhausted, I still tried to keep watching.
The next day, I was sober. TV showed the rescue of people.
My mind bagan to sink into thinking.
It has sunk.
I feel heaviness now.
Maybe, I have sunk into where my Japanese friends are.
I do not speak much abouth the attack now, but am thinking.
I already showed this discussion between you and me on the bulletin
board
without your premission. I thought it's good these be shown to
everybody.
If you say it's not good, I'll delete them at once.
The bulletin board address: http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
(Many articles are in Japanese. This is run by me.)
1013 ネット検索して見ました(1) 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 9月18日(火)22時42分04秒
パレスティナ問題 Palestine
定義
ユダヤ教振興国家イスラエルと、周辺のイスラム教諸国との対立問題。宗教・民族問題。
歴史的因果関係・意義
ユダヤ人は1世紀に侵略によってパレスティナを失って以来、主としてヨーロッパを中心に世界中に拡
散、母国を持たない流浪の民族となった。そしてパレスティナの地はその後移り住んだアラブ人によって
イスラム化し、長い年月がたっていた。
長年弾圧・差別を受け続けてきたユダヤ人は聖書に記される「約束の地」である聖地パレスティナに戻
る運動を起こす。これが「シオニズム」と呼ばれるものである。シオンとはイェルサレムの別称。
第一次大戦当時、パレスティナを含むアラブ地方はイギリスの影響下にあった。イギリスは戦争遂行に
ユダヤ人、アラブ人を協力させるために俗に「二重外交(二枚舌外交)」と呼ばれる政策を採った。アラ
ブ側に対しては第一次大戦後にイギリス統治下のアラブ人に対して国家独立を認める協定を認める「フサ
イン−マクマホン協定」(1915)を締結した。しかし、この協定をイギリスは無視する一方、今度は
トルコ帝国を攻撃するための資金協力目的でユダヤ人に対してパレスティナにおける建国を支持する「バ
ルフォア宣言」(1917)を出した。パレスティナをめぐり、イギリスは相反する二つの確約を出した
ことになる。ここにおいて入植を始めるユダヤ人と独立を目指すアラブ人の対立、パレスティナ問題が始
まる。
イギリスの無責任外交はこれだけにとどまらず、実はアラブを英・仏・露三ヶ国で分割統治しようとい
う「サイクス・ピコ協定」(1916)が締結されていた。アラブ人にとってはバルフォア宣言とあわせ
て二重の裏切りであり、この三つを合わせて「三枚舌外交」とも呼ばれる。
第二次大戦中のナチスによるユダヤ人迫害などを経てパレスティナへの入植者は激増。パレスティナ問
題は抜き差しならないところまできた。パレスティナ問題は、領土問題、民族問題と共に、ユダヤ教・イ
スラム教両方の聖地イェルサレムをめぐる宗教問題も絡み、泥沼の様相を呈してくる。
第二次大戦後、パレスティナ問題の独自解決を拒否したイギリスはこの問題を国際連合に委任。194
7年に国連は「パレスティナ分割案」でアラブとイスラエルによるパレスティナの分割統治を提言する
が、これもイギリスなどが中心であったためアラブ側はこれを拒否。1948年5月にイスラエルが正式
に建国宣言。それと同時にアラブ側がイスラエルに宣戦布告。第一次中東戦争が始まる。その後、第二次
(56)、三次(67)、四次(73)の戦争を経てイスラエルは領土を拡大している。
アラブ側もまた意見の不統一などがあり、特にパレスティナ解放を目指す組織間での意見の不統一など
が存在し、このような組織間でのテロが行われている。イスラエル側でも穏健派と強硬派の対立が激化
し、パレスティナ問題の解決は非常に困難な状況にある。ラビン・イスラエル首相とアラファト・PLO
(パレスティナ解放機構)議長との歴史的和平合意でパレスチナ人に自治を認めたが、その後ラビン首相
はこれに反対する右派の青年によって暗殺。PLOも反対派がテロなどを行い、イスラエル・パレスティ
ナ両陣営とも態度を硬化させている。現在も難航しており、パレスティナ問題に光は見えていない。
1014 ネット検索して見ました(2) 投稿者:英語嫌い人 投稿日: 9月18日(火)22時43分37秒
影響
イスラエルを支持してきたのは、イギリスと共にアメリカである。ユダヤ系アメリカ人が多く住んでい
るという関係と、石油の産地であり、アジアとヨーロッパの接点である(スエズ運河もある)この地に影
響力を確保しようとする意図からだと思われる。
アラブ側もパレスティナ問題を自国の権益に使おうとしている。湾岸戦争当時、イラクがイスラエルを
ミサイル攻撃したのは、イスラエルを攻撃して参戦させることで、アラブ諸国の支持をイラクに向けさせ
る目的があった。
冷戦下の勢力争いもこの問題に色濃く影を落としている。冷戦下から今日までロシア(当時はソ連)の
武器輸出がアラブに行われていた。これはアメリカがイスラエル、サウジアラビアなどと友好関係にある
事への対抗手段でもあった。経済状況が悪化したロシアの外貨獲得手段がこの地方への武器輸出と原油取
引であり、この事からアメリカの行動をロシアが牽制するという構図ができあがっている。
この地方でこれから問題になってくるのが核戦争の危機である。イスラエルはすでに核兵器を保有して
いるとされているし、イラン・イラク・リビアなどは核兵器開発能力、B・C(科学・生物)兵器を持っ
ている。イスラム教国パキスタンの核武装と共に、この地域での核戦争の可能性は高まっているといえ
る。
1015 「その殺害者たちは卑怯者ではなかった 」( Feige waren die Moerder nicht ) 投稿者:小川 投稿日:
9月19日(水)00時00分10秒
9月15日のフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙に掲載されたSusan
Sontagの記事を主人が送って来てくれました。 もう一つのアメリカの声です。(訳のまずさはご容赦下さい)
ショックに沈むアメリカ : 論説の誤った一致性
驚きのあまり声もなく、悲しみに沈むアメリカ人であり、ニュ−ヨ−ク人でもあるこの私にとって、この前の火曜日という日ほど、巨大な現実がわれわれの頭上
から崩れ落ちてきたあの日ほど、アメリカという国がその現実の姿から、これほどまでに、大きく遠くかけ離れてしまったように感じられた日はなかった。
起こった出来事と、その出来事の受け止められ方と、理解のされ方の間におけるアンバランスは、すなわち一方では、ほどんど総ての政治家たちと( NY市長
のジュリア−ニを例外として )、他方においては、テレビ解説者たちが ( Peter Jennings
を例外として )まったくひとりよがりのナンセンスな言葉や、恥を知らずの欺瞞に満ちた発言ばかりに終始していたという状況は、私の心を不安に陥らせ、重
く憂鬱にさせるに十分過ぎるほどであった。 この出来事を解説する( ことができる権限を持った )声というものは、あるひとつのキャンペ−ンを展開させ
ようとひそかに示し合わせているのか、とさえ私には思えた。
彼らの目的とは: 世間一般を、これまで以上に愚民化することである。 今回の出来事は、”文明”や”自由”、”人間の尊厳性”または”自由社会”に対す
る”卑怯”な攻撃などではなく、アメリカ合衆国に、世界で唯一の、自称最強国に向けられた攻撃なのであるという自明の事実を、どうして認めないでのあろう
か? この攻撃は、アメリカという国がとった政治、国家利益の追求とその行動によって導かれた結果であることを、なぜ認めようとしないのであろうか ?
アメリカが、現在も、イラクへの爆撃を続けていることを、果たしてどれだけのアメリカ人が知っているのであろうか? もし、”卑怯”という言葉を口にする
のであれば、その言葉はむしろ、報復爆撃を空から行う者に向けられるべきであって、他の人間を殺すためには、自らの命をも断つことを覚悟した者に向けられ
るものではない。 もし、われわれが勇気について、この唯一の、道徳的な見地からみて中立である美徳について語るのならば、暗殺者たちを、− たとえ、彼
らをどのように呼ばわろうとしようとも −、彼らたちを卑怯であると非難することはできない。 (つづく)
1016 「その殺害者たちは卑怯者ではなかった 」つづき 投稿者:小川 投稿日: 9月19日(水)00時09分05秒
われわれの政治リ−ダ−たちは、声を揃えて、すべては正常な状態にあると信じ込ませようとしている。
いわく;アメリカは何も恐れてはいない。 われわれの精神は不屈、不変である。 ”彼ら”を探し出し、”彼ら”に罰を与えるであろう。 ( 誰がその”彼
ら”であろうとしても )
アメリカは、これまでと同じように真っ直ぐに、揺らぐこと無く立っていると、まるでロボットのように国民の前で、何度も、何度も、繰り返して述べる大統領
がこの国にはいる。
つい最近まで、ブッシュ政府の外交政策を激しく批判していた公務に携わる多くの人物からは、いまや、ただひとつだけの声が聞こえるだけである:
それは、彼らが、アメリカの全国民と一緒になって、全員一致して、恐れることなく大統領を支えていこうという声である。 テレビの解説者は、われわれが死
を悲しむ人々のために、心の支えとなるべく、懸命になっていると報じている。 当然のことながら、国際貿易センタ−の中で働いていた人々が、どのような変
わり果てた姿となってしまったかを伝える、戦慄を起させるような画像はわれわれの目には示されていない。 そのような画像は、われわれを意気阻喪させるだ
けであろう。
ようやく、2日が経過した後の木曜日になって( ここでもジュリア−ニ市長は例外であったが )、 初めて、犠牲者の数についての公式発表がなされた。
あの火曜日は卑劣な行為があった日として、歴史に記録されることになり、アメリカが再び戦争に直面した日とされているにもかかわらず、国民には、すべては
正常な状態にある、または、少なくとも、正常な状態に戻りつつある、とアナウンスされていたのである。
何がいったい正常な状態であったと言えるのであろうか? そして、今回の出来事は、あの真珠湾とは何ひとつとして共通するものなどありはしないのだ。
いま、最も真剣に反省され、考慮されなければならないことは、− おそらく、すでにもうワシントンやその他の場所で始まっていることではあろうが −、ア
メリカ諜報機関が露呈したとてつもない無能さぶりと、特に近東における、これからのアメリカの政策の在り方と、それと、この国におけるきちんとした軍事上
の防衛計画についてである。
しかしながら、はっきりと判ることは、この国の指導者たちは、− それは、いま現在職務についている者、その職務につこうとしている者、また、かってその
職務にあった者らを総てをふくめて −、唯々諾諾としたメディア、マスコミの力を借りて、一般大衆にはあまりに多くの事実は知らしめまいと、心に決めてい
ることである。
かって、われわれは、ソビエトの政党大会において聞かれたような全員がこぞって拍手賞賛し、自分たちだけが正しいとする月並みな発言を軽蔑し、さげすんで
いた。 ここ数日のメディア、マスコミにおける、ほとんど総ての政治家と解説者たちの口から出てきた、いかにも信心家ぶった、現実の姿をゆがめた美辞麗句
による画一的な一致は、民主主義にはふさわしくないものである。
またさらに、わが国の政治指導者たちは、彼らが彼らに与えられた仕事とは、世論を操作することであると理解していることが明らかになった。それは、国民の
信頼を得るための操作であり、死者への悲しみと苦痛を上手に処理するための手際である。
政治は、ひとつの民主主義におけるこの政治は、− 意見の不統一と、矛盾を結果としてもたらし、率直さを促進させながらも−、精神療法と取って替えられて
しまっている。 われわれを共にして、死者を悲しまさせんことを。しかし、われわれを共にして、愚行に身を任せることの無きことを。 ほんの僅かな歴史に
対する意識が、すでに起こった出来事とこれから起こるであろう出来事へのわれわれの理解を助けることであろう。
” わが国は強力である ”
この言葉は、すでに何度も、何度も繰り返し聞いた。 私には、この言葉はちっとも慰めにならない。 いったい誰が、アメリカは強力であることに疑いを持つ
というのであろうか?
しかし、現在、アメリカが示すべきものは、ただその強さばかりではあるまい。
*Susan
Sontagは、事件が起こった9月11日、アメリカン・アカデミ−の招待客としてベルリンに滞在。 NYへ帰るフライトを待つ間に、この寄稿を作成。
1020 Cから 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月19日(水)03時10分03秒
Sharing on the bullentin board is good. May I also share our
conversation with others? Would you like to me to foward other national
statements of Americans who disagree with America's reaction?
1021 Cへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月19日(水)03時11分27秒
Thank you for the approval.
Please share our conversation with other people in America.
There's no problem.
When you send the voices within America, I will up-load them on my
bulletin
board.
I want a voice from each person.
Not from organizations.
I don't know you got a job in some college or not.
If you have got students now, I also want to hear their voices.
What young Americans are thinking.
1022 戦後過程 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月20日(木)05時25分42秒
>もし、”卑怯”という言葉を口にするのであれば、その言葉はむしろ、報復爆撃を空
から行う者に向けられるべきであって、他の人間を殺すためには、自らの命をも断つこ
とを覚悟した者に向けられるものではない。(スーザン・ソンタグ)
日本人は、飛行機に乗る一般の乗客の身になることや、高層ビルにオフィスがある会社の一社員の身になってみることはできる。しかし、爆弾を落とされて死
ぬ者や、負傷し血を流す者の身になってみることは難しい。そんなことって本当にあるの?で事は片づけられる。
爆弾を落とされて死んだり、負傷する我が身よりも、旅行のためであれ、仕事のためであれ、飛行機に乗って(アメリカ国内を)移動したり、高層ビルのオ
フィスで働く我が身の方が近しいものとなった。それはそう「なった」だけであり、日本人の「我が身」とは実は関係がない。
どちらの想像が我が身と重ねやすく容易であるかというだけのことだ。
一方の想像を容易なものにし、一方の想像を困難なものにしているものは何か。高度資本主義と日米安保条約というものの他に何があるか。
アメリカに生まれたアメリカ人は、爆弾を落とされて逃げまどったことを経験した者はいない。そういうアメリカの特殊事情があるが、この特殊事情は、日本
の初老以下の年齢層にも重なる。(私もその特殊事情の下に育った者だ)
第二次世界大戦以後、爆弾や銃弾を浴びせられることをまぬかれ続けてきたのは、資本主義が高度資本主義の段階に突入した国の人々だけである。そういう特
殊事情があるだけだ。
世界の現実は、その特殊事情の外側にある。
特殊事情の内側にいる人々は、ソビエトや中国の洗脳、アラブのイスラム学校がやるような洗脳をまぬかれていると幻想しているが、幻想しているだけではな
いのか。日本人の「普通の生活」が飛行機に乗り移動することや高層ビルのオフィスで働くことのイメージに重なりつつあるということは幻想ではないのか。
(この幻想のために、日本やアメリカでは「成績幻想」が猛威をふるっているのではないのか。つまり、テストの点のことだ)
爆弾を落とされること、具体的に物理的に攻撃されることは、「自由で平和で上品な」この国で起こることはありえないとアメリカ人は思ってきたはずだ。移
民たちが住むニューヨークという反アメリカ的なところに住む人々はともかく、広大な田舎や点在する田舎町に住むアメリカ生まれのアメリカ人たちはそう思っ
て生きてきたはずだ。戦後生まれの日本人の多くもその幻想を自分の幻想として生きてきたはずだ。安保条約というねじれたへその緒を通じて流れる幻想の血に
よって生きてきたはずだ。
世界の現実は、この幻想の繭の外側にある。
その事実を高度資本主義がまき散らすたて続けのイメージや幻がかき消すだけだ。
現実は血を流して、今もある。
スーザン・ソンタグはそう言っているのではないか。
オックスフォード・ケンブリッジからアメリカに渡った二流学者とは違って、ニューヨークを呼吸し続けたスーザン・ソンタグは、血を流している世界の現実
から離れない。私は日本の戦後市民社会も信じないし、戦後民主主義も信じていない。しかし、スーザン・ソンタグの民主主義なら信じられる気がする。
アジア的農村に育った者が持ち続ける日本の高度資本主義との「関係のなさ」を、ソンタグは理解するだろうか。この「関係のなさ」が、現実との接点を失い
続けて、一つの接点もみつけられないところまで押し込められた時、日本の中高年の自殺が量として現象する。
彼らは日本の高度成長とその後を担った人たちだ。
おそらく、この自殺が体力を備えれば、若年層の精神の不安定、心の病になるのだ。
こんな馬鹿げた国が他にあるのか。
アメリカのいいなりを続けてきて、中高年の自殺を招来し、若年層の心の居所を失った国。
この国のヒューマニズムは底上げされたまんじゅうのようなものだ。
本当に心が良くてヒューマンであるのか。底上げされたからだけのことではないのか。
底にあるのは損得勘定以外の何かなのか。
その底のもっと底はあるのかないのか。
宮本常一「忘れられた日本人」は書店に届いているだろうか。
語学をやって語学力を持つだけなら、語学にやられる。
肝心なものは語学力ではない。語学論という思想だ。
1024 語学論という思想 投稿者:ST 投稿日: 9月20日(木)21時38分17秒
「語学論という思想」とは、以前おっしゃっていた言葉が世界の中心ではなく、ひとりひとりが中心なのだということと重なりますか?
1025 ST様 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月21日(金)15時25分44秒
日本語と英語の間で引き裂かれている場所。
そこは日本語と英語の間を激しく往来する場所でもありますが、同時にイメージが湧いている
場所、イメージが独在しはじめる場所でもあるはずだと思います。
イメージ自体は英語でも日本語でもありません。
イメージ自体が英語でも日本語でもないから、英語にもつながれるし日本語にもつながれるの
だと思います。
イメージの根は英語や日本語という具体的な言語にあります、いったんイメージとなり具体的
な言語からへその緒が切れると、それは「言葉以前のもの」となります。
この言葉以前の領域の動態を語学に繰り込んで自覚化しないと、語学というものは危ないもの
だと私は考えています。
「ひとりひとりが世界の中心なのだ」というのも、この「イメージの場=意識」が、世界から
いったんへその緒が切れた上で、再度世界とつながる場所なのだと考えるところから出てきたと
思っています。
そこは「へその緒」が切れた場所なのだということの自覚が、語学をやる人たちにとって、あ
いまいなままになっています。「日本には英語という言語が作る磁場はない」と言うことも、こ
の語学における「へその緒」の問題を言っています。
語学力を作ることと同時に、それらを考えることが、英語の在日性の自覚になると思います。
それは、呼ぶならば、語学論と呼ぶしかないだろうと・・・。
1026 テロ「芸術的」発言で、演奏会中止 投稿者:通りすがりのbee 投稿日: 9月21日(金)22時06分36秒
beeです。時期の過ぎた嫌な香りのするものにたかります。
【ハンブルグ20日=夕刊フジ特電】バッハ、ベートーベンの系譜に連なるドイツの著名な作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼン氏(73)が、米同
時テロを「芸術的な行為」と表現したことが大ひんしゅくとなり陳謝した。
シュトックハウゼン氏は16日、記者会見の席で、テロに関し「想像できる限り、最高の芸術的な行為」と語った。この発言がすぐに猛反発を呼び、同氏の作
品を上演する予定だったハンブルグの音楽祭関係者は、急きょ演奏会の中止を発表する騒ぎとなった。
その後、シュトックハウゼン氏は、ハンブルグの文化当局に、「米テロは悪魔の作品で、魔王の芸術行為だ」と慌てて言い直し、「もし私の発言で傷ついた人
がいるなら、許してほしい」と全面謝罪しているという。同氏はメシアンに師事、楽譜を使わない
“直感音楽”や電子楽器を駆使した現代音楽で世界的に知られる。(夕刊フジ)
1027 bee 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)00時35分43秒
芸術的だとは思いませんが、テロはアメリカ国家自体が析出したものだとは思います。
1028 米テロは米の作品 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)01時57分20秒
数日前(9月18日付)の毎日新聞からの引用。
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旅客機の撃墜命令出ていた
ペンシルバニア州に墜落したユナイテッド航空93便について国防総省は当初、空軍機の出動の有無をあいまいにしていたが、同省は「追尾する体勢にあっ
た」と認めた。
同機は、乗客がハイジャック犯に抵抗したことで墜落したといわれている。しかし、米メディアは事故当日から「ピッツバーグ南西約130キロで、空軍機が
撃墜した可能性がある」との推測を報道している。事故の翌日、一部報道機関は政府筋の情報として同機がホワイトハウスへの激突など、大統領暗殺を企ててい
たとの情報を流し始めた。
しかし、大統領が事件当日、フロリダ州にいたことは周知の事実だ。同機の本当の目的地はどこだったのか。政府側情報には不透明な点が多い。
チェイニー副大統領は16日、テレビのインタビューで、「大統領は空軍機のパイロットに対し、もし飛行機が方向を変えず、都市の上空から去るようにとの
指示を無視すれば、最後の手段として飛行機を撃墜する権限を与える、と決定した」と撃墜命令を認めた。
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ピッツバーグに落ちた飛行機は、米軍が撃ち落としたものか、乗客とハイジャック犯が機内でもみあって落ちたのかについては、ほとんど報道されていない。
どこからも断定は出ていない。
以上の新聞記事でわかることは、情報の交錯だけである。
ピッツバーグに落ちた飛行機に関しては、報道は最近になってはほとんど触れなくなっている。
なぜだ。
チェイニーという人が言ったことの中では、「飛行機が方向を変えず、都市の上空から去るようにとの命令を無視すれば」という部分がわからない。「方向を
変えず」とは、どこに向かう方向を変えないことなのか。国防総省なのか、ホワイトハウスなのか、大統領の山荘なのか。
ブッシュはフロリダにいたが、たとえ、ハイジャックされた飛行機がブッシュを狙ったものだったとしても、その飛行機は撃墜されるべきなのか。アメリカ大
統領の命が、その飛行機の中の数十人あるいは数百人の命より重いと誰が決定したのか。
「大統領は空軍機のパイロットに対し、もし飛行機が方向を変えず、都市の上空から去るようにとの指示を無視すれば、最後の手段として飛行機を撃墜する権
限を与える、と決定した」という文の主語が「大統領」であることによく注意してほしい。
「一部報道機関は政府筋の情報として同機がホワイトハウスへの激突など、大統領暗殺を企てていたとの情報を流し始めた」に含まれる「政府筋の情報とし
て」にも注意してほしい。
ここにあるのは、アメリカ大統領やホワイトハウスを守るためになら、数十人であろうと数百人であろうと殺していいという判断である。それがアメリカの国
家意志である。しかも、「飛行機を撃墜する権限」はアメリカ大統領自身が空軍機のパイロットに与えている。うぞうむぞうの輩が死んでも、俺の命の方が重い
という判断である。
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「その後、シュトックハウゼン氏は、ハンブルグの文化当局に、「米テロは悪魔の作品で、魔王の芸術行為だ」と慌てて言い直し、「もし私の発言で傷ついた人
がいるなら、許してほしい」と全面謝罪しているという。(夕刊フジからの、通りすがりの bee さんの引用)
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ブッシュこそ、「魔王」ではないのか。アメリカが強力な国家になって以後のアメリカ大統領の系譜とは、「魔王」の系譜ではないのか。
これから起こる戦争が、「善と悪の戦争」であるなら、アメリカこそが悪であり、その源流はソヴィエトの上流官吏どもやヨーロッパの上流階級どもにさかの
ぼる。アジア、アフリカ、アラブなど、非ヨーロッパ、非アメリカを見下してきた視線までさかのぼる。
非ヨーロッパ、非アメリカを見下す視線が作り出す世界の悲惨とは、大国の「芸術作品」ではないのか。
なぜ、シュトックハウゼンは、「米テロは米の作品だ」と言わないのか。成り上がった芸術家にありがちな腐れ根性なのか。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1029 なぜ英語をやるのか 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)02時14分03秒
やつらを知るためだ。
1030 N・Kさんからのメール(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)03時14分14秒
N・Kさんから、長文のメールが届きました。
以下にそれを転載します。
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根石さん
ごぶさたしています。
Yさんから根石さんのサイトに
スーザン・ソンタグの記事の訳が載っていると聞き
(アクセスしたのですがなぜか出てこなかったため)
ファクスで送ってもらい読みました。
大変興味深く読みました。根石さんのコメントも。
こういう意見がもっともっと公の場から聞こえてきて
いいはずなのに、なぜかちっとも聞こえない。
日本のマスコミは完全に自主規制していますね。
ところでソンタグの原文はドイツがからの訳ですか?
それとも英語からの訳ですか?
英語だとしたらどのサイトで原文が手に入るか
ご存じでしたら教えてください。
私からも二つの文書を送らせてください。
友人、知人から転送されてきたものです。
できるだけ多くの人に読んでもらいたい内容のものだと思いますので
内容の転送は自由です。
よろしくお願いいたします。
N・K
以下転送文************
Subject: アフガニスタンからの手紙*9月13日付
アフガニスタンからの手紙を転送します。一人でも多くの方に読んでいただきたいと
のことですので、紹介します。
***メルトモからの手紙です。はじまり***
国連難民高等弁務官カンダハール事務所で働いていらした方−千田悦子(ちだ・えつ
こ)さんという方の手記を紹介させてください。
千田さんは、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で仕事をしていましたが、オサ
マ・ビン・ラディン氏をかくまっているとされるタリバンの本拠地へのアメリカの軍
事行動などの危険性が出てくる中、一時的に勤務先をパキスタンに移転するという措
置で、「避難」をしていますが、その緊急避難の最中にしたためた手記です。
以下、千田さんの手記です。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1031 N・Kさんからのメール(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)03時18分15秒
***********
報道機関の煽る危機感
9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフガニスタン
の人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を読んで、一人でも多くの
人が アフガニスタンの人々が、(ごく普通の一人一人のアフガン人達が)、どんな
に不安な気持ちで9月11日(昨日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイ
ジャック襲撃事件を受け止めているか 少しでも考えていただきたいと思う。テレビ
のBBCニュースを見ていて心底感じるのは 今回の事件の報道の仕方自体が 政治的
駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道の仕方自体が根拠のない不安
を世界中にあおっている。
事件の発生直後(世界貿易センターに飛行機が2機突っ込んだ時点で)BBCは早く
も、未確認の情報源よりパレスチナのテログループが犯行声明を行ったと、テレビで
発表した。それ以後 事件の全貌が明らかになるにつれて オサマ.ビン.ラデンの
グループの犯行を示唆する報道が急増する。その時点でカンダハールにいる我々はア
メリカがいつ根拠のない報復襲撃を また始めるかと不安におびえ、明らかに不必要
に捏造された治安の危機にさらされる。何の捜査もしないうちから、一体何を根拠に
こんなにも簡単に パレスチナやオサマ・ビン・ラビンの名前を大々的に報道できる
のだろうか。そしてこの軽率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガ
ンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かし
ていることを全く考慮していない。
1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があった時、私は奇しく
も ケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィールドオフィサーとして働いてお
り、ブッシュネル米国在ケニヤ大使が爆破事件の2日前ダダブのキャンプを訪問して
いたという奇遇であった。その時も物的確証も無いまま オサマ・ビン・ラデンの事
件関与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスーダンとアフ
ガニスタンにミサイルを発射した。スーダンの場合は、製薬会社、アフガンの場合は
遊牧民や通りがかりの人々など 大部分のミサイルがもともとのターゲットと離れた
場所に落ち、罪の無い人々が生命を落としたのは周知の事実である。まして 標的で
あった軍部訓練所付近に落ちたミサイルも肝心のオサマ・ビン・ラデンに関与するグ
ループの被害はほぼ皆無だった。タリバンやこうした組織的グループのメンバーは発
達した情報網を携えているので、いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復
でも 結局 犠牲者の多くは 子供や女性だったと言う。
我々国連職員の大部分は 今日緊急避難される筈だったが天候上の理由として 国連
機がカンダハールに来なかった。ところがテレビの報道では「国連職員はアフガニス
タンから避難した。」と既に報道している。報道のたびに「アメリカはミサイルを既
に発射したのではないか。」という不安が募る。アフガニスタンに住む全市民は 毎
夜この爆撃の不安の中で日々を過ごしていかなくてはいけないのだ。更に、現ブッ
シュ大統領の父、前ブッシュ大統領は 1993年の6月に 同年4月にイラクが同
大統領の暗殺計画を企てた、というだけで 同国へのミサイル空爆を行っている。世
界史上初めて、「計画」(実際には何の行動も伴わなかった?)に対して実際に武力
行使の報復を行った大統領である。現ブッシュ大統領も今年(2001年)1月に就
任後 ほぼ最初に行ったのが イラクへのミサイル攻撃だった。これが単なる偶然で
ないことは 明確だ。
1032 N・Kさんからのメール(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)03時20分11秒
更にCNNやBBCは はじめからオサマ・ビン・ラデンの名を引き合いに出しているが
米国内でこれだけ高度に飛行システムを操りテロリスト事件を起こせるというのは
大変な技術である。なぜ アメリカ国内の勢力や、日本やヨーロッパのテロリストの
グループ名は一切あがらないのだろうか。他の団体の策略政策だという可能性は無い
のか?
国防長官は早々と 戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走らないことをただ祈
るのみである。
それでも 逃げる場所があり 明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。今
回の移動は 正式には 避難(Evacuation)と呼ばずに 暫定的勤務地変更
(Temporary Relocation)と呼ばれて言る。ところがアフガンの人々は一体どこに
逃げられるというのだろうか? アメリカは隣国のパキスタンも名指しの上、イラン
にも矛先を向けるかもしれない。前回のミサイル攻撃の時は オサマ・ビン・ラデン
が明確なターゲットであったが 今回の報道はオサマ・ビン・ラデンを擁護している
タリバンそのものも槍玉にあげている。タリバンの本拠地カンダハールはもちろん、
アフガニスタン全体が標的になることはありえないのか? アフガニスタンの人々も
タリバンに多少不満があっても 20年来の戦争に比べれば平和だと思って積極的
にタリバンを支持できないが 特に反対もしないという中間派が多いのだ。
世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック機、
ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死を悼み 無念の想いをやり場の無
い怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにも たくさんの一般市民が 今回
の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々がい
る。世界中で ただテロの“疑惑”があるという理由だけで、嫌疑があるというだけ
で、ミサイル攻撃を行っているのは アメリカだけだ。世界はなぜ こんな横暴を黙
認し続けるのか。このままでは テロリスト撲滅と言う正当化のもとに アメリカが
全世界の“テロリスト”地域と称する国に攻撃を開始することも可能ではないか。
この無差別攻撃や ミサイル攻撃後に 一体何が残るというのか。又 新たな報復、
そして 第2,第3のオサマ・ビン・ラデンが続出するだけで何の解決にもならない
のではないか。オサマ・ビン・ラデンがテロリストだからと言って、無垢な市民まで
巻き込む無差別なミサイル攻撃を 国際社会は何故 過去に黙認しつづけていたの
か。これ以上 世界が 危険な方向に暴走しないように、我々も もう少し 声を大
にしたほうが良いのではないか。
アフガンから脱出できる我々国連職員はラッキーだ。不運続きのアフガンの人々のこ
とを考えると 心が本当に痛む。どうか これ以上災難が続かないように 今はただ
祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。
千田悦子 2001年9月13日 筆
************.
「手記」はできるだけ広範囲の方々に読んでもらいたい、ということですので、他の
方に紹介してくださってけっこうです。
***以上、転送おわり***☆
1033 N・Kさんkらのメール(4) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)03時21分50秒
**************************************
Date: Mon, 17 Sep 2001 15:44:24 +0900 (JST)
Subject: [aml 23643] チョムスキーインタビュー(メキシコ、ラ・ホルナダ紙)
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メキシコの日刊紙「La Jornada」にチョムスキーとの独占(?)インタビューが掲載
されています。急遽訳しましたので流します。かなり荒いですので、誤訳があったら
ごめんなさい。http://www.jornada.unam.mx/006n1mun.html
「新しいタイプの戦争だ」:チョムスキー
Jim Cason and David Brooks, Washington and New York, 14/sep.
("Noam Chomsky: se inicia "un nuevo tipo de guerra"",
in La Jornada, 2001/sep/15)
火曜日に行われた攻撃は、新しいタイプの戦争の始まりだ。合衆国の強硬派と、そ
れに対する外国のテロリストの強硬派にとっては利益となり、その代償は貧しい人々、
なかでもパレスチナの貧しい人たちが払うことになるだろう。ノーム・チョムスキー
はラ・ホルナダとのインタビューでそう語った。
チョムスキーによれば、火曜日の攻撃はこの二世紀の間で初めての米国本土への攻
撃であり、合衆国の第三世界政策の伝統的「被害者」による初の帝国主義権力中枢へ
の武力攻撃だった。
攻撃の三日後、チョムスキーはラ・ホルナダとのインタビューに応じ、ブッシュ大
統領が21世紀最初の戦争と名づけたところの現在の事態について意見を述べた。M
IT教授、現代言語学創始者で、権力に対する厳しい批判者として知られる同氏は、
現在の状況を歴史的局面であると見ており、それについて意見を述べた。
「(合衆国に対する)テロ攻撃は、世界の貧しい人々、抑圧されし人々に対し大きな
打撃を与えるものとなる。パレスチナ人は特に大きな打撃を受けるだろう。他方、合
衆国とイスラエルの右翼強硬派にとってはプレゼントのようなものだ。予想される反
応もまた、ビンラデンにとってもプレゼントであろう... なぜならば、彼らはまさに
報復攻撃を求めているからだ。それはさらなる大規模な支援を集めることに役立ち、
結果的には、同様なあるいはさらにひどいテロ攻撃を繰り返すことにつながるだろう。
そうなれば、戦争はさらにエスカレートしてゆくことになる」
「たとえば北アイルランドで起こっていることを見てみよう。対立する双方には強硬
派がいて、彼らは、結果などお構いなく、自らの側の死者が多くなろうとも、過激な
行為を繰り返す。そして、それはさらなる殺戮を繰り返す口実を与えるのだ。これを、
スーパーパワーと食い止めようのない自殺攻撃との闘いに適応したらどうなるだろう
か。そこからは双方の強硬派のみが利益を得て、あとの者たちが苦しみを強いられる
ことになるのだ」
「現段階では、合衆国は西側諸国で一般的なタイプの戦争を準備している。これは、
敵に対して大規模な武力攻撃をくわえるというものだ。しかし問題は、おそらく今回
の戦争はこれまでとは異なる状況のものであるということだ。ビンラデンらが期待し
ているのは、こうした大規模攻撃だ。そして、おそらくはテロ攻撃で応ずるだろう。
火曜日に行われた攻撃など、止めようのないものだ」
「あの日、合衆国空軍の全兵力・能力を用いても、なす術は無かっただろう。(テロ
リストは)自殺爆弾であり、死ぬことに完全に満足しているからだ。1983年、自動車
爆弾による自殺攻撃のあと、リビア政府は全軍を展開して対策を取った。それなりの
意味はあった。しかし、この手の作戦を封じ込めることはできない。」
「考えてみればあまりにも簡単に実行できてしまうことで、口にしたくもないが、た
とえば、15リブラのプルトニウム爆弾をメキシコやカナダ国境から持ち込むことな
ど、そんなに難しいことだろうか? どんなに高度な技術をもったテロリストにもで
きないことだろうか?」
「火曜日に起こったことは、まったくもってひどい行為だ。疑問の余地はない。だ
が、こうした恐るべき事態に、世界のかなり地域が運命付けられているのだ。たとえ
ば、スーダンがもつ医療物資備蓄の半分が破壊された(ビンラデンによる攻撃への報
復として合衆国が行ったものだ)。貧しい国なのに... 備蓄医療物資の半分が破壊さ
れたらどうなるだろう? 西側ではだれもそんなことは気にかけないのだ。これによ
りどんな結果がもたらされたか。幾千もの人が死ぬかもしれない。だが、だれも気に
かけない。そうやって、歴史は進んでゆくのだ」
1034 N・Kさんからのメール(5) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)03時23分10秒
−これは新しいタイプの戦争なのでしょうか?
「新しい戦争というよりも... さまざまな手段によって遂行されるこれまでにない類
の戦争だ。まず、「われわれの味方なのか、それとも死と破壊の標的になりたいの
か?」と、そのようにして戦争が定義されてゆく。歴史上、そんな戦争がこれまでに
あっただろうか?ナチですらそこまではしなかった」
「歴史的に見ても、これは新しいタイプの戦争だ。歴史的事件であるという人々がい
る。そして、確かにその通りだ。1812年の戦争以来、合衆国の歴史上初めて領土が攻
撃を受けた。人々はパールハーバーを持ち出すが、それは間違っている。パールハー
バーの際、日本軍はフィリピンとハワイというふたつの米国植民地を攻撃したのだ。
植民地への攻撃は合衆国への攻撃ではない」
「合衆国は他国の領土を攻撃してきた。今もメキシコの領土の半分の上に居座りつづ
けているし、カナダを幾度も攻撃してきた。しかし、だれも合衆国を攻撃しない。
ヨーロッパも同様だ。ただし、ヨーロッパはかなり凄惨な内部での戦争を経験してい
る。第三世界と私たちがよぶ地域からの攻撃は受けてはおらず、むしろそうした地域
を攻撃する側だったとはいえ」
「歴史的事態だ。歴史上初めて、被害者たちが受けた攻撃を今、返しにきたのだ。
ヨーロッパや合衆国が前の植民地や、今支配しつづける地の人々の攻撃を受けたこと
がこれまであっただろうか? 歴史的に、それは極めて珍しいことだ」
「英国が世界の大半を征服した時、平和ではなかったが、英国が攻撃を受けることは
なかった。メキシコが合衆国に領土の半分を征服されたとき、合衆国に爆弾を仕掛け
たことなどあっただろうか? やろうと思えばできたことであったかもしれない。つ
まり、ニカラグアはワシントンに爆弾をしかけることはできた。だが、そんなことは
おきなかった。銃はどちらからどちらを向くのか。彼らは銃口の先にいるべき存在な
のだ」
「だからこそ、パレスチナ人がイスラエル内で行動を起こすと恐怖が巻き起こるのだ
(ヨーロッパと合衆国で)。すべては、軍事占領地域内で行われなければならない
と。ヨーロッパと合衆国では、それが歴史なのだ」
1035 N・Kさんからのメール(6) 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月22日(土)03時25分05秒
−この紛争にオルタナティブはないのでしょうか?
「もちろんある。オルタナティブは、問題の背景となっている事柄に目を向けること
だ。ニューヨークタイムズの論説を読もうということではない。「狂った連中が、わ
れわれがすばらしいからわれわれを襲っている」と。そんなことが起こっているので
はないのだから」
「テロリストは恐ろしく愚かで残虐な行為を、(合衆国が行い続ける)愚かで残虐な
行為への応えとして行っている。そして、合衆国が行う愚行については私たちに責任
があるのだ。中東の組織であるとすれば、この地域に対して行われてきた軍事行動は
いくらでもある。ここではどうでもよいことかもしれない。西側ではだれも気にかけ
ないことかもしれない。だが、被害を受けた人々にとってそれが同じであるとは限ら
ない」
「たとえば、最近十年間のイラクだ。アラブ世界でもっとも発展した国で、怪物のよ
うな男によって支配されたいた。だが、それは西側にはどうでもよかった。合衆国と
英国が最悪の愚行を重ねていた時、両国はイラクを支援した。だが、最近十年間、イ
ラクは痛めつけられ、世界でももっとも貧しい部類に入ってしまった」
「それはサダム・フセインに対する攻撃ではない。彼自身はさらに力を蓄えたのだ
....、痛めつけれたのは民衆だ。何人が死んだか? それすらわからない。何年か
前、オルブライトは、アメリカによる経済封鎖によって50万人の子供が死んだとい
う数値を認めて、こう言った。「高いコストだが、われわれはそれを払う用意があ
る」。だが、イラク人にあるいはその地域の人々に、その用意があるとは限らない。
現地では怒りがつのっている」
「リビアでは、合衆国に支援されたイスラエル軍によってここ二十年間に4〜5万人
が殺された。われわれは、だからなんだ?と言えるかもしれない。だが、そこで生き
る人々にとってはどうなのだ!」
「あるいは占領地で起こっていることだ。ヘリコプターやイスラエルのジェットが集
まった民衆を攻撃する。民衆は、そこで使われた兵器がまさにそのためにイスラエル
に贈られたものであることを知っている」
「政策の背後にはつねに合衆国がいて、国際的コンセンサスに沿った外国的合意がな
されることをつねに妨害しようとしている。合衆国は占領地からのイスラエルの撤退
を望んでいないということは、そこの民衆はひじょうによく知っている」
「あの地の人々はこれらすべてを知っている。そして、同じことが世界中で起こって
いることも知っている。現在、約100万人の人々がニカラグア北部とホンジュラス
南部で飢饉に直面している。この地域の人々は、さして遠くない過去に、ここで合衆
国が行ったことを覚えていることだろう」
−現在の事態は合衆国にどのような影響を与えるでしょうか?
「合衆国がこれから行う行動がオサマビンラデンにとってのプレゼントになるであろ
うことと同じく、火曜日に起こったことは合衆国内の強硬派にとってのプレゼント
だった。これは、規制を強化し、規律を導入し、空間を軍事化しといった具合にやり
たい放題に管理を進めてゆくための絶好の機会として利用されるだろう。ポールク
ルーグマンが今朝言ったように、企業への税金も軽減されて、完璧だね!」
「そして、失敗するかもしれないが、本国の反体制派を弱体化させるチャンスでもあ
るだろう。そんな状況だ。あらゆる愚かで残虐な行為とそれへの対応は、各層の暴力
的で抑圧的な部分にとって有利な事態なのだ。」
--------------------- Original Message Ends --------------------
1044 Cへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月23日(日)19時06分34秒
I think the United Nations should arrest the president Bush right away.
He is going to do terrorism on thinking field.
What do you think?
1045 もっこりさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月23日(日)19時57分11秒
先日のレッスンをやっている途中で、後で言おうと思っていて、レッスンが終わってしまいました。言い忘れたことを書いておきます。
そろそろ、口の筋肉を動かす範囲を広げていってください。
あくまで「机上」の練習なので、実際に英語を使うときは誰もそんなにはっきりとくどく言わないよ、というくらいの感じで、「口を大きく使う」「動かす範
囲を広げる」つもりでやってみて下さい。
以上です。
1047 Mission Impossible 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月24日(月)00時30分35秒
ハンドルネーム忘れちゃった。日曜日の夜11時40分から「ミッション・インポシブル」をや
ってるあなたですが・・・。
復習範囲(テスト範囲)で長い文をよく集中攻撃しておいて下さい。
練習が弱い文で、長いのが出題された場合、その一つの文をやるだけで、時間がどんどんなくな
ってしまいますので、長いのは特に練習の回数を増やして下さい。
以上
1048 ブッシュを逮捕せよ 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月24日(月)02時12分34秒
アメリカは、テロがビン・ラデンのしわざであるという証拠を持っているといいながら、その証拠を出さない。テロリストを利するからだという。
明確な証拠を提示しないまま、各国に対して、アメリカにつくのか、ラデンにつくのかはっきりしろと恫喝している。第三の立場や中立はありえない、逃げ場
はないぞという恫喝である。こんな国が民主国家であるわけがない。何が多様性の尊重だ。ブッシュよ、お前の政治屋根性が、お前の議会演説を反故にしてい
る。こんなもの、自由の国でも何でもない。嘘つきめ。馬脚を現わしたのだ。
アメリカがやろうとしていることは、法治国家自体を否定することだ。証拠がないままに、攻撃に荷担しろ? 何を馬鹿を言っているのか。
証拠が提出されないままであることは、アメリカにつこうにもアメリカにつけないということなのだ。詩じゃあるまいし、断定でことが済むと思っているの
か。
証拠がないままの攻撃に荷担させられることは、まっぴらごめんだとどうして多くの国ははっきり言わないのか。俺が信じてきたアメリカの良質な部分は、こ
ういうことをはっきり言う部分だった。今じゃ、アメリカ人でもないのに、俺がアメリカ的だということなのか。俺のアメリカはどこへ行ってしまったのか。
証拠が提出されないままで、アメリカにつき、実質的に一つの国を攻撃するのなら、どの国も愚行に突き進もうとしている。ヨーロッパは、これほどに愚か者
の集合体だったのか。
日本は、石油が入ってこなければ明日からすぐに困る。これは明白だ。明白なのは、これだけではないか。
テロリズムと匹敵する無法を実行に移そうとしているブッシュを国連はただちに逮捕せよ。
1050 日本はどこにいるのか 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月24日(月)02時23分13秒
日本がやるべきことは、頭に血が登ったアメリカを説得することだ。
アメリカに追従することではない。
小泉政権がやろうとしていることは、恥ずべきことだ。
1052 Cから 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月24日(月)03時33分28秒
I cannot speak about terrorism without a more exact defintions.
However, if all countries were held to the same standard of human rights
and dignity, then we would find that most national leaders should
immeadiately be indited. The facts of human transgression on the part
of American politicians--such as funding death squads in central
America--is well known. This is the reason that the current tribunal in
the Hague about war-crimes in Yugoslavia (as well as the prosectuion of
Pinochet) has so many politicans worried, but American politicans (as
with almost all world poltiicans) think they are beyond it. The
difference between America and the rest of the world is that America has
enconomic and military power. If justice was equal (which it sadly is
not), such power would not matter. Your thoughts?
1053 Cへ 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月24日(月)03時34分22秒
Thanks. But, sorry, I couldn't figure out the meaning of 'be indited'
in your
sentence. Poor learner of English, I am.
That it:
>then we would find that most national leaders should
immeadiately be indited.
Also, please show me the meaning of 'Pinochet'.
I am poor learner.
And I have only several poor dictionary.
These dictionaries don't have the word Ponochet in them.
>The difference between America and the rest of the world is that
America has
enconomic and military power. If justice was equal (which it sadly is
not), such power would not matter.
I completely agree with you on this point.
Your English is so far better than mine, so you can write what I want
to write in
English so far better than I. I am pleased.
My definition of terrorism is:
Killing people who do not belong to military or forces.
This was done by W.A.S.P people to American Native people (called
Indian).
I've been thinking that America was established by terrorism.
Killing thoughts of each country is also terrorism by America
figuratively.
Even if it's not actual, it's real.
Waiting for your mail.
1054 回帰 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月25日(火)05時04分14秒
新聞記事からの引用。
毎日新聞2001年9月24日。
----------------------------------------------------
(山田道子記者のインタビューに答えた名古屋大大学院 法学研究科 松井芳郎教授の発言)
私はアメリカの武力行使が自衛権の発動に当たるとは考えないので、国連決議なしにアメリカが武力行使をしたら国際法違反になる。国連安保理は、テロ非難決
議の中で「あらゆる必要な措置」を取る準備があるとしているが、措置をとれるのは国連であって個別国家ではない。
歯止めは国際世論しかないだろう。しかしアメリカの武力行使の構えに対して国際的な批判の声は少ない。今回のようなケースで武力行使をするという先例を作
り、これまで武力行使をできるだけしないことを最大の課題として発達してきた国際法の流れを逆転させるきっかけになったら恐ろしい。
----------------------------------------------------
(同じく山田道子記者のインタビューに対する関西大法学部 藤田久一教授の発言)
アメリカが報復で武力行使をすれば、テロリストと同じ立場に身を置くことになる。無差別的な攻撃をすれば、報復行為の正統性がどうであれアフガンの人から
見ればテロ行為に映るだろう。
----------------------------------------------------
以下、根石の文。
藤田教授は、「アメリカが報復で武力行使をすれば」としているが、アメリカはこれまでに何度も「テロリストと同じ立場に身を置く」ことを繰り返してきて
いる。アメリカが隠し持つ本性こそがテロリズムなのだ。イギリスからの独立がアメリカの「自由」なのだろうが、それ以前にネイティヴ・アメリカン(イン
ディアンと呼ばれた人々)を蹴散らしたり殺したりして建国した国であることを忘れてはならない。こういう自分勝手な「自由」もアメリカの根にはある。
今回のテロリズムもアメリカが誘発したものである。
アメリカがすべきことは、紛争が終わってからも、その地域に軍隊を置き続けるようなあつかましいことをやめることだ。出ていってもらいたいと思っている
人たちの土地にずうずうしく居続けて、よその国に爆弾を落とし、一般人を殺す行為がテロリズム以外の何なのか。インディアンにしたこととことの本質は何も
違わない。
このアメリカのずうずうしいでかいつらこそが、テロリズムを育てたものだ。
アメリカに発したテロリズムがアメリカに回帰していったのだとしか思われない。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1055 Cから 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月25日(火)14時34分33秒
Indict" means "To bring formal charges against." Of course, I
misspelled it earlier.
Pinochet was the dictator of Chile who took power in a coup in 1973, and
whom the British held for possible indictment a few years ago for the
thousands of people who were slain when he took power.
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1058 素読舎日録 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月27日(木)04時48分04秒
素読舎日録
昨日、西北の部屋の戸をとりつけることで、家の中が外気と連続している場所はほぼなくなった。便所の窓をどうするか決定して取り付け、西北の出入り口の
天井部分にスタイロフォームをはめ込めば、外気との連続はすべて切ることが成立する。小さい仕事を妻に任せて、明日からは薪ストーブを置く場所の煉瓦とコ
ンクリートの工事をする。ストーブを据え付けても、薪を作る仕事が待っている。
引っ越しが終了したら、英語はぼちぼちやる程度にしたいものだと強く願っている。去年の夏に「電話でレッスン」を始めたので、以後の一年は地獄の一年と
覚悟し、週に5,6本の映画のシナリオを扱ってきた。おかげで、ずいぶんと口から英語が飛び出すようになったが、来年からは、年に1,2冊にしたいと願っ
ている。
引っ越しが終われば、家賃、駐車場代の4万円がなくなる。自宅自作の現場と借家との往復がなくなるので、外食も減るだろう。外食で3,4万は使っている
だろうから、私のごときの収入の者には大きい。建材を買う分も減るだろう。おそらく10万円からの金はかせがなくてもよくなるはずだ。
英語はぼちぼちやることにする。この一年余りは地獄だったが、これで作ったシナリオのレパートリーを少しずつ増やすことがせいぜいだろう。ウドと喧嘩す
るときは、「うるせえ、馬鹿やろ」と日本語で言うようにするだろう。この辺の日本語は、しっかり教えてあるから大丈夫だ。
宮本常一「民間暦」(講談社学術文庫)読む。
少し引用しておく。
明治初年に日本へ来、東京大学に動物学を講じたモールス教授は、その著『日本その日その日』において、「日本人は米国人が米国の動物や植物を知っている
よりも遙かに多くの日本の動植物に馴染を持っているので、事実田舎の子供が花・きのこ・昆虫その他類似の物をよく知っている程度は、米国でこれらを蒐集
し、研究する人のそれと同じなのである。日本の田舎の子供は昆虫の数百の『種』に対する俗称を持っているが、米国の子供は十位しか持っていない。私は屡々
彼の昆虫の構造上の細部に関する知識に驚いた」といって、子供たちが米搗き虫の口辺の構造を知っていたことに驚嘆し、「私は日本の紙に日本の筆で蟾蜍・
バッタ・蜻蛉・蝸牛等の絵を書いたのであるが、子供達は私が線を一本か二本引くか引かぬに、私がどんな動物を描こうとしているかを当てるのであった」と、
日光での経験を述べている。
海外の人の目にも、かほどまでいちじるしい現象としてとまるほど、われわれの生活は自然に深く根ざしていた。それは単なる自然崇拝ではなく、自然を生活
していたのであって、日常の生活が自然のうつろいとともになされたことは当然といわねばならぬ。
(宮本常一「行事と風土」)
英単語一つ一つ、語法一つ一つのイメージをより鮮明にするような作業は、私の自身において、今後も継続するだろうが、私が子供の頃に持っていた自然に対
する知識を、今後は徐々に回帰していきたいと願っている。コンピュータは使うであろうし、車は運転するだろう。しかし、大人になって身につけたものから、
もうそろそろ子供の私が持っていた知識へ回帰していきたいと願っている。
多分、マザー・グースが言っていることが本当なのだ。
歳をとればとるほど、「おいらますます馬鹿になる」なのだ。
私の子供の頃の知識とは、「アジアの農村」の知識だ。その後、ずたずたにされた時間の流れ方を多分、私の体はまだ覚えている。どうにかしてそこへ帰って
いきたい。
いや、私が子供だった頃に、それらから私が疎外されていた知識に帰っていきたいのだ。「頭のいい子供」などと言われて、やってきたことと言えば、「ます
ます馬鹿になる」ことだけではないか。子供の頃、それから疎外されていても、その知識がどういうものであるかは、おぼろげであっていいなら知っているの
だ。おぼろげであっても知っているなら、そこへ帰ることはできる。今や、アジアの子供たちにそれを教えてもらうしかないなら、教えてもらう。
こういう時に、タナカマキコはもっと何かきちんと言える人だと思ってたのに、と妻が言った。その通りだと思った。コイズミジュンイチロウは、「自由」と
いう猿回しに回される猿(ブッシュ)に回される猿であることもはっきりした。私が愛する日本もアメリカも、こんな腑抜けたちと共にあるのではない。
1059 緊急アピールのお願いー1(転送) 投稿者:N.K. 投稿日: 9月27日(木)20時05分02秒
### 緊急アピールのお願い ###
はじめまして。
私たちは、日本の社会運動を中心に政治学や経済学を学んでいる大学院生や若手研究者の有志です。
連日の新聞報道でご承知の通り、アメリカでのテロ事件とそれに関連するアメリカの報復準備が進められていますが、これに関してのお願いです。
連日の報道にあるように、与党3党は9月13日には有事法制の成立を目指すことを確認し、9月19日にはアメリカの軍事報復に対する当面の支援策とし
て、国連安保理の決議を得たアメリカ軍の報復行動に対する自衛隊の後方支援や、情報収集のための自衛隊艦艇の派遣のために、所用の措置を講ずることを決定
しました。これは、人命にかかわる武力行使に日本がなんらかの形でかかわることを意味しており、人命にかかわる暴力・武力を認めないものにとっては、ある
いは、日本国憲法を擁護しようとするものにとっては、とうてい容認しがたい方針です。
そこで首相官邸および各政党宛に、日本政府が報復支援を行わないよう求めるアピールを提出しますので、ぜひご賛同ください。むろん、大学院関係者に限ら
ず、お知り合いなど周りの方にも賛同を呼びかけていただけると幸いです。
賛同していていただける場合、下記に署名をいただき返送してください。よろしければ、メッセージもお寄せ下さい。第一回集約は、9月30日(日)とした
いと思います。その後も国会審議の推移を見ながら随時集約し、首相官邸および各政党に提出していきます。
お忙しい中お手数ですが、ご協力をお願いいたします。
連絡・返送先(e-mail)
日本の革新・社会運動を考える若手研究者の会
大屋定晴(一橋大学大学院社会学研究科博士課程三年次在籍)
Email: aab51640@pop12.odn.ne.jp
ご希望される方にはfax番号もお教えしますのでご一報ください。
──────────────────────────────
あらゆるテロリズムと軍事報復、および日本の報復支援に反対するアピール
2001年9月12日、ニューヨークの世界貿易センタービルおよびワシントンの国防総省ビルにおいて、同時多発テロが発生した。人命を無差別に奪うテロ
は、いかなる理由によっても、正当化されない。まして、今回のテロは、民間航空機を衝突させるという前例を見ない非人間的な方法によって行われ、行方不明
者の数も一回のテロ事件としては前例のないものとなっている。これは単なる殺戮行為でしかない。われわれは、この事件を断固糾弾するとともに、事件の被害
者とそのご遺族・関係者の方々に哀悼とお見舞いの意を表するものである。そして、人類社会の一員として、このようなテロが二度と再発されぬよう世界の人々
に訴えるとともに、被害者への援助と法にもとづく事件の首謀者の裁きとを求める。(つづく)
1060 緊急アピールー2(転送) 投稿者:N.K. 投稿日: 9月27日(木)20時06分09秒
同時にわれわれは、アメリカ合州国政府はもとより、いかなる国の政府であっても、このテロ事件にたいして軍事力をもって報復することに反対する。この事件
を「新たな戦争」という言葉で理解してはならない。報復は、戦闘地域において人命を新たな危険にさらすことになる。これは、人命を奪う暴力の主体がテロの
首謀者から国家権力へと変わることでしかない。むしろ必要なのは、短期的には法にもとづく裁きであり、長期的には、テロの温床である社会的差別や政治的・
経済的格差の解消、すべての兵器の廃絶など、二度と殺戮行為を引き起こさない国際社会の構築である。憲法第九条のもとにある日本国の市民として、われわれ
は、無差別殺戮としてのテロのみならず、国家権力の武力行使に対しても断固反対し、平和的解決を求める世界の市民・労働者に連帯の意を表する。
最後に、報道によれば、日本の与党3党は9月13日、日本への武力攻撃を想定した有事法制について、来年の通常国会での成立を目指すことを確認した。ま
た、与党3党は9月19日、アメリカ合州国の報復に対する当面の支援策として、七項目の措置を決定したが、そこには、国連安保理の決議を得たアメリカ軍の
報復行動に対する自衛隊の後方支援や、情報収集のための自衛隊艦艇の派遣などが含まれている。しかし、これらの方針や決定は、国際法を無視したアメリカの
無法な軍事報復に一方的に加担するものであるのみならず、日本国憲法にうたわれる基本的人権の尊重や平和主義にも反するものである。われわれは、人命にか
かわるいかなる暴力・武力の行使も認めないという立場から、また日本国憲法を擁護する立場から、日本国内における戦争体制の整備、および、直接的間接的を
問わず日本国政府の武力行使への加担に、断固反対する。そして、国内への難民の受け入れ、あるいは中東和平の調停など、日本国政府が憲法第九条を活かした
世界市民的貢献を果たしていくよう、要求する。
2001年9月20日
呼びかけ人:大屋定晴(一橋大学大学院社会学研究科博士課程在籍)
森田成也(東京都立短期大学非常勤講師)
────────────────────────────
賛同人署名欄
お名前:
ご所属: (企業・団体・学校など、無くても可)
ご住所: (無くても可)
メッセージ: (無くても可)
1061 速報:NY世界貿易センターに飛行機突っ込む!!! 投稿者:ニュース [政治社会][ 投稿日: 9月27日(木)23時54分05秒
速報:NY世界貿易センターに飛行機突っ込む!!!
752 :名無しさん@1周年 :01/09/27 21:19
ニュース [政治社会][問題提起]
はじめまして、双葉と申します。
友人からアフガニスタンからの手紙を転送されてきました。
一人でも多くの方に読んでいただきたいとのことニュースネットにて
発信させていただきます。
国連難民高等弁務官カンダハール事務所で働いていらした方
−千田悦子(ちだ・えつこ)さんという方の手記です。
千田さんは、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で仕事を
していましたが、オサマ・ビン・ラディン氏をかくまっているとされる
タリバンの本拠地へのアメリカの軍事行動などの危険性が出てくる中、
一時的に勤務先をパキスタンに移転するという措置で、「避難」を
していますが、その緊急避難の最中に書かれたものです。
以下、千田さんの手記です。
753 :名無しさん@1周年 :01/09/27 21:20
報道機関の煽る危機感
9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフ
ガニスタンの人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を
読んで、一人でも多くの人が アフガニスタンの人々が、(ごく普通の
一人一人のアフガン人達が)、どんなに不安な気持ちで9月11日(昨
日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイジャック襲撃事件を受
け止めているか 少しでも考えていただきたいと思う。テレビのBBC
ニュースを見ていて心底感じるのは 今回の事件の報道の仕方自体
が 政治的駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道
の仕方自体が根拠のない不安を世界中にあおっている。
事件の発生直後(世界貿易センターに飛行機が2機突っ込んだ時
点で)BBCは早くも、未確認の情報源よりパレスチナのテログループ
が犯行声明を行ったと、テレビで発表した。それ以後 事件の全貌が
明らかになるにつれて オサマ.ビン.ラデンのグループの犯行を示
唆する報道が急増する。その時点でカンダハールにいる我々はアメ
リカがいつ根拠のない報復襲撃を また始めるかと不安におびえ、
明らかに不必要に捏造された治安の危機にさらされる。何の捜査も
しないうちから、一体何を根拠にこんなにも簡単に パレスチナやオ
サマ・ビン・ラビンの名前を大々的に報道できるのだろうか。そして
この軽率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガ
ンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国
連職員の生命を脅かしていることを全く考慮していない。
1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があ
った時、私は奇しくも ケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィー
ルドオフィサーとして働いており、ブッシュネル米国在ケニヤ大使が
爆破事件の2日前ダダブのキャンプを訪問していたという奇遇であ
った。その時も物的確証も無いまま オサマ・ビン・ラデンの事件関
与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスー
ダンとアフガニスタンにミサイルを発射した。スーダンの場合は、製
薬会社、アフガンの場合は遊牧民や通りがかりの人々など 大部
分のミサイルがもともとのターゲットと離れた場所に落ち、罪の無い
人々が生命を落としたのは周知の事実である。まして 標的であっ
た軍部訓練所付近に落ちたミサイルも肝心のオサマ・ビン・ラデン
に関与するグループの被害はほぼ皆無だった。タリバンやこうした
組織的グループのメンバーは発達した情報網を携えているので、
いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復でも 結局 犠
牲者の多くは 子供や女性だったと言う。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/english/1000214191/752-756n
1062 下の続き 投稿者:ニュース [政治社会][ 投稿日: 9月27日(木)23時55分32秒
我々国連職員の大部分は 今日緊急避難される筈だったが天候
上の理由として国連機がカンダハールに来なかった。ところがテレ
ビの報道では「国連職員はアフガニスタンから避難した。」と既に報
道している。
報道のたびに「アメリカはミサイルを既に発射したのではないか。」
という不安が募る。アフガニスタンに住む全市民は 毎夜この爆撃
の不安の中で日々を過ごしていかなくてはいけないのだ。更に、現
ブッシュ大統領の父、前ブッシュ大統領は 1993年の6月に 同
年4月にイラクが同大統領の暗殺計画を企てた、というだけで 同
国へのミサイル空爆を行っている。世界史上初めて、「計画」(実際
には何の行動も伴わなかった?)に対して実際に武力行使の報復
を行った大統領である。現ブッシュ大統領も今年(2001年)1月に
就任後 ほぼ最初に行ったのが イラクへのミサイル攻撃だった。
これが単なる偶然でないことは 明確だ。
更にCNNやBBCは はじめからオサマ・ビン・ラデンの名を引き合
いに出しているが米国内でこれだけ高度に飛行システムを操りテロ
リスト事件を起こせるというのは大変な技術である。なぜ アメリカ
国内の勢力や、日本やヨーロッパのテロリストのグループ名は一切
あがらないのだろうか。他の団体の策略政策だという可能性は無い
のか?
国防長官は早々と 戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走ら
ないことをただ祈るのみである。
それでも 逃げる場所があり 明日避難の見通しの立っている我々
外国人は良い。今回の移動は 正式には 避難(Evacuation)と呼
ばずに 暫定的勤務地変更(Temporary Relocation)と呼ばれてい
る。ところがアフガンの人々は一体どこに逃げられるというのだろう
か? アメリカは隣国のパキスタンも名指しの上、イランにも矛先を
向けるかもしれない。前回のミサイル攻撃の時は オサマ・ビン・ラ
デンが明確なターゲットであったが 今回の報道はオサマ・ビン・ラ
デンを擁護しているタリバンそのものも槍玉にあげている。
タリバンの本拠地カンダハールはもちろん、アフガニスタン全体が
標的になることはありえないのか? アフガニスタンの人々も タリ
バンに多少不満があっても 20年来の戦争に比べれば平和だと
思って積極的にタリバンを支持できないが 特に反対もしないとい
う中間派が多いのだ。
755 :名無しさん@1周年 :01/09/27 21:22
世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センター
やハイジャック機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から
死を悼み 無念の想いをやり場の無い怒りと共に抱いているように、
アフガニスタンにも たくさんの一般市民が今回の事件に心を砕き
ながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々が
いる。世界中で ただテロの“疑惑”があるという理由だけで、嫌疑
があるというだけで、ミサイル攻撃を行っているのは アメリカだけ
だ。世界はなぜ こんな横暴を黙認し続けるのか。このままでは
テロリスト撲滅と言う正当化のもとに アメリカが全世界の“テロリ
スト”地域と称する国に攻撃を開始することも可能ではないか。
この無差別攻撃や ミサイル攻撃後に 一体何が残るというのか。
又 新たな報復、そして 第2,第3のオサマ・ビン・ラデンが続出す
るだけで何の解決にもならないのではないか。オサマ・ビン・ラデン
がテロリストだからと言って、無垢な市民まで巻き込む無差別なミ
サイル攻撃を 国際社会は何故 過去に黙認しつづけていたのか。
これ以上 世界が 危険な方向に暴走しないように、我々も もう
少し 声を大にしたほうが良いのではないか。
アフガンから脱出できる我々国連職員はラッキーだ。不運続き
のアフガンの人々のことを考えると 心が本当に痛む。どうか
これ以上災難が続かないように 今はただ祈っている。そしてこ
うして募る不満をただ紙にぶつけている。
千田悦子 2001年9月13日 筆
756 :名無しさん@1周年 :01/09/27 21:22
「手記」はできるだけ広範囲の方々に読んでもらいたい、ということ
ですので、他の方に紹介してくださって構いません。
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1066 最高理念 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月28日(金)02時15分39秒
素読舎日録
ふあーい。くたびれた。コンクリート工事はくたびれる。
ストーブを置く床を作りかけて、それさえ仕上がらない。
小泉のやったことは、馬鹿のやったことである。
これまでのアメリカの非を言えないような日本の首相が馬鹿でなくて何であるか。
日本は卑劣にも、真珠湾の軍を攻撃した(というアメリカの物語だ。ルーズベルトは知らなかったという物語だ。最近は、ルーズベルトは知っていたという物
語もちらほら語られる。いずれにせよ、おのおのの歴史を突き合わせてみたら、まるで見解が違うのであれば、どちらもひとまずは物語でしかない)。
元々、アメリカでもなんでもなかった島をアメリカのものにして、軍を置いていたところを、日本は攻撃した。
日本は卑劣だったそうである。アメリカは、その数百倍なのか数千倍なのか、南無大なのか知らんが、卑劣さと傲慢さのアマルガムの原爆を広島と長崎に落と
した。
日本は軍を攻撃した。
アメリカは民を攻撃した。
アメリカという国はそういう国だ。
何が民主主義か。民を攻撃する国の民主主義とは何か。
アメリカ平民的自由。大嫌いだ。
いつも血が流れるニューヨーク、そこで生まれつつある自由以外に信じる気はない。
日本の馬鹿ども。自由は無料だと思っていやがる。金を払って無料にしていやがる。
日本の現在の憲法が世界の最高理念なのだ。
その理念を抱き取れなかったのが、日本人のつみとがである。
アメリカの憲法は日本の憲法に較べてはるかに遅れている。
日本の憲法の理念が失われるならば、世界にはさらに低く低く血が流れて止まらないであろう。
何度でも言う。小泉は猿だ。
1067 生徒募集 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月28日(金)03時04分20秒
素読舎「電話でレッスン」生徒募集
・ねらい 欧文シンタックス獲得
・テキスト 英語の映画シナリオ(「逃亡者」「ゴースト」「スピード」から選択)
難易度は、スピード、ゴースト、逃亡者(差はわずかずつ)
・開始時 素読舎引っ越し終了後(本年12月か?)
・レッスン 毎週日曜日 夜9時半〜10時
・回数 月4回(月5回ある場合は一回分をプール
→ まとめて休みをいただく時に使用)
・費用 月額1万円
・募集人数 1名
・予定 来春から、午後の時間帯にレッスンを設ける。
予約受付中(主婦歓迎)
1068 世の底 投稿者:根石吉久 投稿日: 9月30日(日)02時21分09秒
網走番外地
追われ追われこの身をふるさとで
かばってくれたかわいいこ娘
かけてやりたや やさなさけ
今のおいらにゃままならぬ
古里で、かばってくれた(かくまってくれた)女をも、アメリカは攻撃するという。
俺の思想の根本を逆撫でしたいのか、アメリカよ。
なぜ、人殺しをかくまうことが悪なのか。
この人はいい人だからと思うことは悪なのか。
アメリカは低いところで生き続ける人の暮らしを馬鹿にしている。
そこで生きる一人が一人をかくまうことの思想を馬鹿にしている。
1070 M・K君へ 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 1日(月)01時15分18秒
わざわざ名古屋から長野まで遊びにきてくれて、うれしく思いました。今度来てくれるときは、素読舎は引っ越しして新しい家で仕事をしているのではないか
と思います。そのうちに庭にバーベキューを焼く場所を作ろうかと計画していますが、肉は食べられないのでしたね。野菜をたくさん焼いて食べさせますので、
また遊びにきてください。
我が家で作っている野菜は、一切農薬を使っていません。
そのせいか、今年はトマトをカラスや椋鳥にやたらにつつかれて、我が家の人間どもは、鳥がつついた後のトマトを食べました。しかし、鳥のつついたトマト
は非常にうまいです。
高校になると、覚えるべき単語の数がぐんと増えるので大変です。
私の「技法グラウンド」という練習を継続してくれれば、文まるごと覚えてしまったものの数がだんだん増えていきます。文の中には新しい単語が含まれてい
ますから、知っている単語の数はこれだけでも増えていきます。単語は文の中に含まれたものとして覚えるのが最上の覚え方です。文まるごとを覚えてしまった
ものの数を愚直に増やし続けるのが最上の単語の覚え方だと考えています。
普段のレッスンのための練習を激しくやってくれるようにお願いします。
駅に近い町中で塾をやってきましたが、田んぼの中へ引っ越す予定で、塾をやる場所としてはこれまでより不利になります。「電話でレッスン」に力を注ごう
と考えていますので、これまでの「電話でレッスン」の生徒さんに、新しい生徒さんを紹介していただきたいと願っています。紹介していただけた場合は、(新
しい生徒さんがレッスンを継続してくれているかぎり)、毎回のレッスンの時間を5分延長することを考えています。
5分延長はわずかな時間ですが、5分増えるだけでも、復習の全範囲を移動する10問のテストが二カ所設定できるようになります。M・K君の場合も、復習
範囲(テスト範囲)が広くなってきていますので、10問のテストを二カ所設定することを考えてみて下さい。
大学受験英語に「音づくり」を合体させるとさせないとでは、大学入試以後の英語がたどる運命が大きく変わってしまいます。親戚の方や友だちに「電話で
レッスン」の話をしていただけるとうれしく思います。
半年後を楽しみにしています。
1071 リメンバー 広島・長崎 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 1日(月)03時47分00秒
なあにが、リメンバー パールハーバーか。
アメリカが一度、リメンバー パールハーバーと言うたびに、日本は百度、リメンバー 広島・長崎 を言うべきだ。
一方は軍に対する軍の攻撃。
一方は一般人・市民・生活に対する軍の攻撃。
どちらが卑劣なのか。
アメリカこそがとことん卑劣なのだ。
それでいて正義づらをしやがる。
アメリカが嫌われることにはちゃんと理由がある。
アメリカにおいて、広島と長崎に対してやったことが肯定され続けるかぎり、アメリカに対するテロは肯定されるべきだ。これは論理の必然だ。論理の必然を
なめてもらっては困る。
アメリカがインディアンに対してやったこと、広島・長崎に対してやったこと、ベトナムの農村に対してやったこと、アラブの国々に対してやったことは首尾
一貫している。テロリズムとして首尾一貫しているのだ。
余所の土地の生活を焼くこと。それがアメリカがやってきたことだ。
何が正義か。馬鹿も休み休み言うがいい。
1072 20世紀最大の犯罪 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 1日(月)04時18分17秒
20世紀最大の犯罪は、ナチスによって行われたと自由陣営の国の映画は教えてきた。
その後、それに匹敵するものがソ連とアメリカによって行われた。
極悪の名簿からアメリカを外すなら、それが間違っている。
21世紀になって、アメリカはその犯罪をまだ継続するつもりでいる。
アメリカの声ばかりが鳴り響くようでは話にならない。
アジア・アフリカ・アラブの声が世界の中にきちんと聞こえるようにならなければならない。
日本はその声を把握して、世界の中にきちんと置くことをやるべきなのに、いつまでたってもやれないらしい。
欧米の外側の声を把握するために、どうしたって必要なのが語学であるはずだ。
日本は語学力で立つ必要があるはずなのに、人々は語学をしょせん語学だとしか思っていない。
この観点から見ても、日本の学校英語、受験英語は絶望的である。
1073 米国への声 その1 投稿者:英語嫌い人 投稿日:10月 1日(月)19時51分58秒
ネット版朝日新聞 (2001.9.30.)から
『テロの背景にイスラム世界の根強い反米感情 米分析』
同時多発テロ事件の背景にイスラム世界の根強い反米感情があるという報道や分析
が、米メディアに現れ始めた。イスラエルに偏った中東 外交、唯一の超大国とな
ったことから来る「傲慢(ごうまん)さ」などが遠因だと指摘。テロを糾弾しつつ、
米国 が憎悪の対象にされる理由の分析なしにテロは根絶できないとの視点がある。
発生から約3週間。米国の論調は多面的な広がりを持ってきた。
「なぜ彼らは我々を憎むのか」。外交記事に定評のあるクリスチャン・サイエンス・
モニター紙は27日付で、ブッシュ大統領の議会演説の言葉を表題に特集を組んだ。
大統領演説は、テロリストを糾弾し「彼らは民主的に選挙された政府が憎いのだ。
我 々の自由が憎いのだ」と米国民に説明している。一方、同紙は、イスラムの人々
は米国の理念を嫌っているのではなく、米外交の実態が理念を裏切っていると見て、
それがテロリストの土壌になると指摘。「米国とは、私たちを殺し、家を破壊するF
16戦闘機、攻撃ヘリなどイスラエルが使っている道具のことだ」(パレスチナ難民)
「リビアへの報復爆撃で巻き添えになった娘への謝罪ひとつない。米国民は自分たち
の政府が世界で何をしているのか見て欲しい」(レバノン在住者)
1074 下のつづき 投稿者:英語嫌い人 投稿日:10月 1日(月)19時55分12秒
などの声を紹介する。特集はイスラム世界の声をこう総括する。「彼らはこの攻撃
が『文明』ではなく米国に対するものであると理解している」ニューヨーク・タイム
ズ紙も23日付で「(米国は)民主主義の理念を宣伝しながら、(サウジアラビアな
ど)権威主義的な政府を支えていることが裏切りと感じられている」。
ABCテレビの看板番組「ナイトライン」も、21日の放送で「軍事力による反撃
は過激派の力を強めるだけだ。注意深く正義を実行せねばならない」とまとめた。
政治専門誌「ナショナルジャーナル」の最新号。米国のアフガニスタン政策を振り返
って、冷戦時に侵攻したソ連に対抗させるため、米国はビンラディン氏らイスラム過
激派を援助したが、ソ連が敗退するや同国を混乱の中に放置、タリバーン政権を生ん
だとする。同誌は「原因を根絶しなければ過激派が繁殖する沼を放置することにな
る」と警告。イスラム世界の民主化や経済発展を助ける長期的な政策への取り組み
を提案する。 (22:20)
1075 Why do they hate us? 投稿者:Eliot 投稿日:10月 1日(月)23時08分48秒
You can read the article of the Christian Science Monitor 'Why do they
hate us?' mentioned in the Asahi's article at
http://www.csmonitor.com/2001/0927/p1s1-wogi.html
1076 Why do they hate us? 投稿者:Eliot 投稿日:10月 2日(火)18時06分45秒
There seems to be a word missing in the eighteenth paragraph of the
article of the Christian Science Monitor. The sentence would make more
sense with, say, "dominance" or "presence" between "cultural" and
"might.
1079 (無題) 投稿者:Eliot 投稿日:10月 3日(水)09時53分16秒
All those responsible for the terrorist attacks in the U.S. must be
brought to justice. There's no question about that. We must understand,
however, that what happened there was, first and foremost, an attack on
the U.S., not on the entire "civilization."
The Japanese people should not jump on the bandwagon and cry for
violence and retaliation. It was not Japan that was the target of the
attack! The U.S. and its allies should realize that the terrorists are
a sad result of the U.S. foreign policy in the past. If America starts
a military action and kill innocent people in Afghanistan, it will only
result in more violence on the part of the terrorists and further
alienation of the U.S. in many parts of the world.
I am very sorry for the victims and their families of the terrorism in
the U.S., but those 6,000 some people who perished are not the only
people who have suffered from violence. How many people have died
because of the wars and conflicts that the U.S. and other nations are
directly and indirectly responsible for? Have we cried for those people?
The Japanese government should do what they can to reduce violence and
deal with the underlying issues which lead to the strong anti-American
feelings which breed terrorists, instead of helping the U.S. forces to
kill more innocent citizens of the world. Violence does not lead to
peace. What did we learn for the last world war?
1080 Correction 投稿者:Eliot 投稿日:10月 3日(水)09時54分18秒
What did we learn for the last world war?
↓
What did we learn from the last world war?
1082 Correction 投稿者:Eliot 投稿日:10月 3日(水)17時22分25秒
If America starts a military action and kill
↓
If America starts military action and kills
1083 Yさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 4日(木)03時52分16秒
(Yさんからメールをいただいた。私一人が知っていればいいことではなく、英語を練習している初心者の方にも是非読んで欲しいことが含まれているので、個
人が特定できる要素を書き換えた上で、無断で一部を以下の記事の中に掲載させていただくことにする。なお、この掲示板をお読みの方にも申し上げますが、私
宛にいただいたメールは、いちいちお断りすることなく、この掲示板に転載する可能性があります。転載がまずい場合は、申し訳ありませんが、一言申し添えて
いただきたくお願いいたします。根石吉久)
----------------------------------------------------
Yさん、先日はウドのところから電話をいただきありがとうございました。また、黒板をありがとうございました。先日のクラスでお礼を言うべきところ、忘
失しておりまして失礼しました。建築現場のことでやたらに考えることがあり、ほとんど私の頭が許容できる分量を越えており、頭の中が蜂の巣をつついた状態
です。私の頭に耳を近づけていただけば、ぶんぶんと音をたてているのが聞こえます。ときどき、耳の穴から蜂が頭を出していたり、飛び立っていったりします
が、ご覧になったことありますか? もちろん、嘘ですが・・・。こういう嘘を言うと、えっ、本当ですか?って真顔で聞く人がたまにいますので、近頃は、嘘
を言う時は嘘だよって断ることにしています。恐ろしい世の中になったものです。
大きな黒板をいただいてしまいました。ウドのところに持っていき、要らないか?と聞いたら、ウドが根石さんなら使うんじゃないかと言ったということなの
でしょうか。そんなことがあったんじゃないだろうかと推測しております。
黒板というものは私には特別なもので、これまで激しく敵対してきた物体なのです。英語は黒板でどうこうしていたら絶対に駄目だ。全国の英語の教室からま
ずなくさなければならないものは黒板だ、というくらいに思っています。全国津々浦々の英語の教室からは、「音づくり」という肝心要の練習が欠けています。
「音づくり」をやったとたんに、英語の授業というものは一挙にたいへんなものになることは、 Eliot
さんの実践が語っている通りです。黒板という道具は、「音づくり」をやらないで済ませて、先生が涼しい顔をするために使われる悪い道具だと思ってきまし
た。
私は塾の練習に黒板を使ったことがありません。昔も人様から黒板をいただいたことがありますが、メモ帳代わりに使っていました。今回もそんな使い方にな
るかもしれません。ウドの女房のTは、かつて私の塾生だった時期があり、私が脱いだ靴下で黒板の字を拭いていたというくだらないことを覚えていました。私
は忘れてしまっていたのですが、「根石さんてさ、靴下で黒板拭いてたよね」とうれしそうに何度も私に言ったことがあります。ほんとうにくだらないことをよ
く覚えているやつです。
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さて、さて、
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>最近、根石先生のHPはちょっと入りづらいのでたまに読んでいるだけなのでここで
書かせていただきます。
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なんて言わずに、また書いて下さい。私は例のテロ事件以後、公言してしまいましたが、以前から、アメリカ(という国家)は嫌いでした。アメリカという国
家の政治から臭い立つ傲慢さが嫌いでした。そんな話が嫌なら嫌で、別にいっこうに構いませんので、そんな話とは別の話を、話の流れを無視して書き込んでく
ださい。私の掲示板はそれで結構です。
(続く)
1084 Yさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 4日(木)04時16分15秒
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>私がシナリオ「E.T」を終えて「逃亡者」に入ったときに、丁度、ニューヨークの事
故が起きました。私はたまに友達とメールを英語(知ってる限りを使った会話?!)
でふざけてやるのですが、この時、友達に「あなたはこの事件についてどう感じます
か?」と質問されました。
その時、頭に浮かんだのが、「逃亡者」の最初のレポーターのセリフでした。
そこを思い出し、文章をちょっと変えて友人に送ったのです。そしたらとっても驚い
ていました。「何かパクったんでしょう〜」と言われました。確かにパクっったけど、
でも、自分で言えるし、、、、「覚えてるよー」と反発しましたが、自分でもよくわ
からなくなりました。まぁ一応、「上達したねー」と感心されました。
そんな事を言われて「確かに前はこんな言葉思いつきもしなかったし長い文なんて思
い浮かばなかったなー」と感じました。
先生の言っていた「長文をやるとかなり上達する」と言うのがほんのちょっとだけど、
分かったような気がしました。そしてもっと分かりたいと思いました.
スタートラインがみんなよりもとっても下の方だったので他の人には分からないと思い
ますが、自分では何かがだいぶ変ったように思います。自分との戦いなので何処の塾よ
りも辛いと感じてますが、「もう少しがんばってみようかな」と思っています。
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英語の変化を実感してもらえているようでうれしいです。生徒さんが、この掲示板上に、それぞれの英語の変化を報告してくれるのが私は何よりもうれしいの
ですが、どなたもなかなかそれをしてくださいません。どこがどう変わったと書くこと自体が自慢話みたいに響くんじゃないかと警戒しているのかもしれませ
ん。まあ、日本人のこの種の警戒心は強烈です。この控えめな性質は、私は実は好きなのですが、レッスンによる英語の変化を聞きたい私にとっては淋しいもの
です。
学校やら塾やら英会話学校やら英語教材やら、各種ハウツウ書やら、世の中には英語関係のものがごまんとありますが、ガセとガセでないものとがあります。
そして、私の所見では、圧倒的にガセが多い。私の方法は、ガセでない方に分類されます。手前味噌と言われようと何と言われようと、あれらのガセの山の本物
づらを見ると、私は手前味噌を書くことの警戒心はまったく解いてしまうのです。
しかし、本当に疲れてしまっています。
私の方法を試してくれる人は何人も現れたのですが、皆さん、なかなか続かない。「継続こそ力なり」は語学には真ですが、なかなか継続してくれない。Yさ
んが、紹介してくださった方も何人もいましたが、ほとんどの人が続かなかった。(Yさんには本当に感謝しています。しかし、あの方々の今後を見ていていた
だきたい。ああいう努力の嫌いな方々は、「日本在住のまま」という条件の元では、一生、英語が使えるようにならない方々です。私は断言していいと思ってい
ます。)
自分の性格に適するようにいろいろな方法を編み出して応用してもらうのがいいのですが、しかし、語学には語学の根本原則みたいなものがあります。「文ま
るごとで扱え」とか、「文法的理解より先に音づくりをやれ」とか、「音づくりの過程で通じる音にしてしまえ」とか、いくつか外してはならない根本原則みた
いなものがあります。私はこれを言い続け、そして、へとへとになってしまっています。ほとんど絶望と呼んでいいような気持ちがあります。こんな仕事、やめ
てしまいたいと思うときが、月に2度3度はあります。いくら原則を言っても、それが実行されないならば、ただ虚しいだけです。
私が塾という仕事から教わったことは、巨大な虚しさでした。
1085 Yさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 4日(木)04時58分52秒
「逃亡者」のセリフの単語を入れ替えて使ったという部分、面白く読ませていただきました。初めの頃は誰でもそうするものです。語学とは真性の真似です。
どんどんやって下さい。
しかし、これがなぜ可能になったかを考えてみて下さい。
「文まるごとで扱え」という原則を踏み外していないからこそ、これが可能になるのです。
一度使った文構造は、何度でも何度でも使って、使い倒すくらいに使って下さい。
それをやりながら、単語・語法を増やすことです。
(単語・語法の増やし方については、最近よい本を読みました。集英社新書だったと思いますが、「おじさん、語学する」という本をみつけたら是非お読み下
さい。まともな方法が書いてあります。日本にも語学論が成立しつつあるんだと思うことのできた本でした。貸してあげてもいいんですが、私はいい本は買って
読んで手元に置いておくべきだと考えていますので、是非買われるようにおすすめします。いずれ、この掲示板にも、この本からの引用を掲載するつもりです
が、本をみつけたら、さっそくお読みいただきたくお願いいたします。ただし、この本でも「音づくり」の問題は解決しません)
「自分との戦いなので・・・」とのこと、実にその通りです。私の方法は、どなたにもすぐに「自分との戦い」の中に入ってもらうことになりますので、根性
なしはすぐにやめてしまうわけです。しかし、私が提示しているのは、「戦えば戦える戦い」です。「戦えば戦える戦い」を戦わないで、英語がものになると幻
想しているアホウがあまりにも多すぎます。お上品な習い事だとでも思っているのか。ドアホ、とどなりたくなるのをじっと我慢することが多いので、私の仕事
は実に体に悪いものだと思っています。だから、たまに、「ドアホ、ハルゥダンンジィィィィ」とカラオケでどなることになります。あれはまさに俺の物語です
ね。大阪ですね。ああ、大阪に行きたい。
Yさんは、一人、光っていました。私の生徒の中では、お嬢も同じように光っていたことがあります。どちらも、基礎からやる必要のある人ですが、やるべき
ことをやってくれる人たちです。こういう人たちがいるから、体に悪い仕事もなんとか継続してこれたのだと思っています。それだけがなぐさめでした。
(とにかくもうへとへと。気持ちも荒れてしまっています。たまに、誰かいい女になぐさめてもらいたいと思うことがありますが、いい女はなかなかいないし、
いても何もしてくれないし、もう踏んだり蹴ったりの人生です。先日も、へろへろに酔っぱらって、いい女に車で送ってもらったのですが、送り狼になってくれ
ないのですね。どうして、女は俺に何もしてくれないのだ。ちくしょう。その上、俺は、アニマルとか呼ばれて、もう踏んだり蹴ったりの人生ですね。ちくしょ
う。もう、アイスクリームでもぺろぺろするしかないのか。どうして女は送り狼にならないのだ。何のために靴下と女は強くなったのだ。ちくしょう。)
いや、失礼しました。ごほん。
週に一回程度のレッスンでは、平均的には、日本語に変換することを脱出して、(決まり文句以外の)英語の文が口に乗るようになるには、ほぼ五年くらいか
かります。大学を出た人でそのくらいかかると思います。(この五年という数字は、村田君の上達の過程を見てはじき出した数字です。)レッスンの回数を増や
せばもっと縮まるかもしれませんが、生徒さんの側にも私の側にも、経済的・時間的事情というものがあり、なかなか理想的なレッスンというものは成り立たな
いものです。
自分との戦いは、この世の仕組みとの戦いでもあります。
共に戦っていきましょう。
1086 感謝。& お帰りなさい。 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 4日(木)05時18分47秒
Eliot 様
ありがとうございました。さすがに端正な英語を書かれます。敬服しました。
ST 様
無事お帰りになれたこと、喜んでおります。
日本在住という条件下で作った英語を、英語の磁場につきまぜ、磁場から光を当ててみるという
ことをなさっているのが、掲示板に書かれる記事から想像できました。
いい経験をなされたと思います。
700選はだいぶこなれましたので、今後は「ゴースト」に注力していただくようお願いいたし
ます。(私は原理主義者ではないのですが、原則主義者ではありますので、700選も復習範囲か
ら外しません。ご承知おき下さい。)
さて、また、電話代をあまり気にせずレッスンができるようになりました。
ちなみに、オーストラリアから我が家にかけた電話代、タイから我が家にかけた電話代をみや
げ話にここに書いていただけるとうれしいです。
1087 Cへ 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 4日(木)05時43分42秒
I got a good article on my BBS.
The writer's name is Eliot who is a Japanese Junior-high, high school's
English teacher. Some months ago, he wrote about his English lesson and
his method in his class on my BBB But these articles are not in English,
I am sorry. He is a Japanese person.
I want you to read the new article in English.
And I also wish you to send my BBS's address to your friends by mail or
something.
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
Thank you for showing the meaning of [indict].
I figured out.
I didn't know about [Pinochet].
I've been lacking an effort to know about South America's affairs, but
it is
also true that getting information about South America is rather
difficult in
Japan.
The voices from America is too strong in Japan.
I haven't written my articles in my bad English on my BBS. But now I
have no
hesitation to write them in English.
The terrorists from Arab taught me this.
Don't you join my BBS to write your ideas?
I think there'd be some response in English language.
I think it'd be very interesting to know how Japanese people think in
English
language, and perhaps you would find some new expression influenced by
Japanese
thinking way.
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1088 あんたらあほか? 投稿者:アメリカ嫌い! 投稿日:10月 5日(金)02時54分32秒
Someone said in a newspaer today that the terrorist attack against the
U.S. is not a war but a crime. Therefore the terrorists should be
arrested
but it should not lead to opening war. I agree with him.
American people are too excited now. It's because their pride has been
hurt. It's just surprising that President Bush's approval rate is about
90%. I remember the Western media laughed at the extraordinary approval
rate of Prime Minister Koizumi some time ago. We cannot laugh at
American
people for this, because the situation is too tragic. But I cannot help
saying that Amerians are now quite out of mind.
If the terrorist attack were really a war as Bush claims it to be, then
the U.S. would have no reason for hesitating. It would not have to seek
for
approval or consent from its allies and other countries. But it is now
try-
ing hard to justify its military action.
If the war breaks out, the U.S. will pretend that it is worried about
the
safety of the civilians in Afganistan. But a great number of innocent
people are very likely to suffer or be killed because of the war. I am
very
worried about that.
American people may be satisfied with the result of the war, but the war
will only aggravate the ill feeling of Islamic people againg the U.S.
1090 正義はどこへ 投稿者:アメリカ嫌い! 投稿日:10月 6日(土)00時42分38秒
Justice must be done. Justice, for me, is a civilized way of saying
"revenge." Justice was done the other day from the viewpoint of the
Islam. Now justice is being done in near future from the other side.
Financial support, retaliation without use of force, humanitarian
approach, or "Article 9"-like action will never be able to solve this
problem. This is war of "Gods" that never ends until either God
perishes.
Many want to say "This is war against terrorists, not Islam," but I
think this is wrong. This is war against Islam, because it is Islam
that offers a spiritual basis for terror-happy fundamentalists. I never
say Christians are better persons because they are also followers of a
monotheistic sect of exclusive ideas that even now encourage catholic
and Protestant terrorists somewhere in the northern part of UK to bomb
civilians. In a nutshell, this is war between Christianity (and
Judaism) and Islam.
Nobody wants actual "evidence" that justifies "American justice."
Evidence is already there, in the heart of Americans by the name of God
and in the hand of the terrorists, probably Osama bin Laden and Taliban
and their accomplices and manipulators. It is quite naive if you really
want clear evidence about the NY attack to give the go-ahead to
American revenge.
When people say, "Go easy, Americans," they can say that because it is
"not in my back yard." If the same thing happens to a country, that
nimby attitude would instantly disappear and Americans would say "Joint
the club."
Justice is very arbitrary. Revenge is a very strong motive. And people
are still "animals" most heavily armed. You can't stop it.
1091 3段階 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 7日(日)17時29分47秒
先日の「電話でレッスン」で「音づくり」に関して、山口県のMちゃんのお母さんにしたアドバイスを書いておきます。Mちゃんのお母さんのテキストは「逃
亡者」ですが、どんなテキストを使っておられる方にも、以下の方法は使っていただけます。
----------------------------------------------------
1.一つの文を相手に、字を見ながら何度も言い続け、間違いやひっかかりがなく5回連続で
言えるようにする。(初心者では、これが成立するまでに同一の文につき、数十回の音読
が必要。)
2. なるべく少ない単語、単語の頭文字などを別の紙にヒントとして書き、連続性が壊れない
ように言い続け、間違い、ひっかかりがなく5回連続で言えるようにする。
(ヒントとして書き写すのは、and, but など文脈の流れを決定する語、
just, you know, I mean などの添え物、人名, you guys, honey, sir,
hey など呼びかけの語、oh, uh など感嘆詞に類するものや言いよどみに
使われる語などを主体にし、文(シンタックスそのもの)はなるべく書か
ない。単語のみ、あるいは単語の頭文字のみを基本とする。)
3.文字もヒントも見ないで、間違い、ひっかかりがなく5回連続で言えるようにする。
(できない場合は、1か2に戻る)
----------------------------------------------------
以上の、3段階を踏まえて練習しておいて、レッスンを受けてみて下さい。
私自身、生徒さんとレッスンをやるための準備に、この3段階の練習をやります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1093 順境・逆境 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 7日(日)18時25分27秒
つらつら考えてみるに、私が興味があるのは「日本在住のまま」の英語である。
磁場を欠いた英語。これこそが、語学としてはもっとも標準的な語学のひとつである。
これは私の英語が帯びている時代性でもあるのかもしれない。
磁場に身体を置いたままで獲得される「恵まれた英語」には大して興味がない。
これは順境の英語であるが、これに対して「日本在住のままの」英語は逆境の英語だとも言える。
順境に育ったものになど大した興味は抱けない。
面白いのは、逆境に育ったものだ。
つまりは、「日本在住のままの」英語である。
1094 語学の英語と生活言語の英語 投稿者:ST 投稿日:10月 7日(日)23時36分05秒
根石先生の言われる語学としての英語とは日本在住の英語ということだったのですね。
ある外国語大学の先生でも「磁場のある場所で恵まれた環境で英語を使うネイティブの子供に英語で負けたこと」を悔しがっておられました。そういうことは意
味のないことのようにも思えます。
語学の英語と生活言語としての英語を分けて考えることは大切なことだと思いますが(いらぬプレッシャーを感じる必要がないという点において)ですが、あえ
て日本在住のままの英語だけに固執する必要もない(外国語も媒介の1つだがネイティブ言語にひっぱられる度合いも強いのが言語の特徴であり必然だとも思う
ので)なと私は考えています。
根石先生、エリオット先生、いくこさん、浜谷先生、他の方、いかがですか?
1096 磁場における英語学習 投稿者:浜谷 投稿日:10月 8日(月)08時42分02秒
STさん、根石さん、お久しぶりです!
STさん>語学の英語と生活言語としての英語を分けて考えることは大切なことだと思いますが(いらぬプレッシャーを感じる必要がないという点において)で
すが、あえて日本在住のままの英語だけに固執する必要もない(外国語も媒介の1つだがネイティブ言語にひっぱられる度合いも強いのが言語の特徴であり必然
だとも思うので)なと私は考えています。
そうですね。根石さんも『磁場に身体を置いたままで獲得される「恵まれた英語」には大して興味がない。』と仰っていますが、ご自身アメリカでの体験を語ら
れることもおありですし、近くのご友人の英語をドイツ語から渡って喋られる方ともお話される機会も多いようにお聞きしていますので、磁場における英語学習
の必要性が全くないとお考えになっているのではないだろうと推測させていただいています。磁場における英語学習オンリーという語学には興味がないというこ
とだろうと思いますがいかがでしょうか?
STさんも最近しばらくオーストラリヤ等磁場のあるところで英語を学んでこられて語学の学習に大いに役に立ったということですね?
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
1097 母語スポイルの力・磁場(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 8日(月)16時54分38秒
ST さん、浜谷さん
「磁場を欠いた」英語に固執するというわけではなく、興味は「磁場を欠いた」英語にあるということです。これは、私の英語の運命というものを考えている
ということでもあります。
アメリカに友人がいるので、そいつのところを「訪れる」ことはあります。ウドのやってる酒場も「訪れる」ことはあります。磁場は私の英語にとって、「訪
れる」場所であり、そこで生活する場所ではない。私の英語は、生活の言語にはなりきることはありません。
磁場に「滞在しつづける」(磁場で「生活する」)ということと、磁場を「訪れる」ことの間に明確な境界線が引けるわけではありません。2、3ヶ月の旅行
ということになると、中間の性質みたいなものが生じてきますので・・・。
私にとっては、英語の磁場というものは、普段の「日本在住のまま」の英語がそれを訪れるという対象でしかありません。媒介物です。
次のようなことを考えることがあります。
「磁場の中の」(語学育ちの)英語は、磁場を形成している英語に同化していきます。日本人にとってなら日本語をスポイルされる(スポイルできる)場があ
るということです。磁場には、当該の言語以外の言語をスポイルする力が働いている。それは圧倒的な力だと思います。英語力をつけるという一点だけから見れ
ば、これ以上に「恵まれた」条件はありません。(我が身の言語にとってはこれ以上に苦しい場所はないということでもありますが、我が身の言語そのものをス
ポイルしてしまえば、別に苦しいわけでもないのでしょう。我が身の言語とここで言っているのは、いわゆるネイティヴな言語とほぼ同じもので、私にとっての
日本語です。)
磁場が我が身の言語をスポイルする力に対してどう処するかで、出来てくる英語がいやなものになったり、感じのいいものになったりすると思っています。私
がいやなものだなと思う英語に対して、人々が憧れみたいなものを持ったりするのを見ると、胸の中にいやな溶岩のようなものが流れるのを感じます。私のアメ
リカという国家に対する憎悪を形作ったのもこの溶岩のようなものかもしれません。
激しい言い方になりますが書き付けておきます。
日本語を駄目にしたやつの英語は信用できない。
私は、日本語をスポイルして身につけた英語は好きにはなれないということです。
英語の磁場に身を置いて、日本語をスポイルすることなく英語を身につけた人の英語に対しては、日本在住のままに英語を身につけた人の英語に払うのと同じ
ように敬意を払うことができますが、日本語をスポイルしてしまった人の英語に対してはどうにも嫌悪感が先に生じてきます。日本語の磁場に身を置いている私
の感覚は、この嫌悪感を避けることができません。
1098 母語スポイルの力・磁場(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:10月 8日(月)16時55分18秒
磁場に身を置き続けて日本語をスポイルするのが、異言語獲得方法としては、短期間に効果がある方法であるのは間違いないにしても、そうして獲得される英
語の質が自分で欲しいかと翻って考えると、欲しくないと思うのです。
なぜそうなのか。私は、日本語をスポイルして獲得した英語というものを目にすることがあります。そしてその度に、こいつはアメリカ人が日本を見るように
しか日本を見ることができなくなっていると思います。我が身の言語をスポイルした姿とはそういうものです。語学というのは、本当は恐ろしい行為なのだと思
うのもそういう時です。この恐ろしさに言及する人は少なくて、私の目に触れた限りでは、鈴木孝夫がこれを指摘していました。
「磁場の中の」(語学育ちの)英語は、磁場に同化し、使用言語は英語に一本化されていきます。この一本化が成立する場所に身体を置いて獲得される英語の
ことを、「磁場の中の英語」あるいは「恵まれた英語」と言っています。(この「恵まれた」という言葉は、あくまで日本にいて英語を問題にする場合から見た
言い方です。語学という領野を限って使っています。)
身体を磁場に置くならば、語学的には圧倒的に「恵まれる」ことになります。その磁場で生活しながら、「机上」をも確保するならば、単にしゃべり言葉だけ
でなく、読む・書く・話す・聞くのすべてに有利だと思います。その有利さが手に入る場になぜ身を置かないのかと自問したことは何度もあります。置きたくな
い。私が固執しているのは、「磁場を欠いた」英語などではなく、日本語そのものだからです。自分を育てた言語だからです。日本語を手放そうなどと一度も
思ったことがないので、私においては、英語が自然に「磁場を欠いた」英語になるだけです。この英語の運命は、これからも多くの日本人と共有することになる
と思います。
この「磁場を欠いた」英語に、「磁場が育てた」英語に対する劣等感みたいなのがあるのが、私には気に入らない。冗談ではない。逆境に育った英語が、順境
に育った英語に劣等感を持ち続けるみたいなことは、馬鹿なことだと考えています。
いろんなことをやってきて思うことですが、「話す・聞く」という能力は、日本語の磁場の中に生活しつづけている限り、英語ネイティヴと「同じ」にはなら
ない。練習を継続すれば、上達はしますが、「同じ」にはならない。しかし、「読む」という領域でなら、英語ネイティヴと「同じ」になることは可能だし、平
均的なネイティヴを越えることもできる。
日本在住のままで、「しゃべり」において英語ネイティヴの平均に達することはないと考えています。「しゃべり」でなら、外国語大学の教授も簡単に英語ネ
イティヴの子供に負けます。土俵を変えて、「読み」の土俵にあがれば、どっこい子供は教授に勝てるものではありません。言いたいのは勝ち負けのことではな
く、日本人がどの分野の能力を発達させるべきかという問題です。
日本人の英語能力は、「読む」領域をどんどん発達させるのがいいと私は考えています。時代の大合唱に逆らってでも、そう言いたい。時代に逆行していると
言いたいやつには言わせておくしかありません。コミュニケーション論者というものには、私は根底からの疑いを持っています。
その意味では、浜谷さんの、「あくまで話せるようになるための読み」は、再度、「もっと読めるようになるためのしゃべり」というふうに逆転させる必要が
あると思っています。
これは、日本人は話せないが読めるというふうに言われてきたことを、実は私が疑っているからです。目を右から左へ動かして、いったん自分の中で日本語を
動かして、再度左から右へ目を動かして読むような「読解」というものは、実は「読める」というほどのものではないのではないかと疑っています。
ここで「媒介」にすべきなのは、「音」であり、「イントネーション」であり、「リズム」であり、それらを媒介にして、それらの音、それらのイントネー
ション、それらのリズムで読めるようにすることだと考えています。
あくまでちゃんと読めるようになるために、しゃべりを媒介にすべきだという考えに至りました。
1099 読むためにしゃべるorしゃべるために読む? 投稿者:Duffy 投稿日:10月 8日(月)17時38分09秒
> その意味では、浜谷さんの、「あくまで話せるようになるための読み」は、再度、
>「もっと読めるようになるためのしゃべり」というふうに逆転させる必要があると思って
>います。
> これは、日本人は話せないが読めるというふうに言われてきたことを、実は私が疑って
>いるからです。目を右から左へ動かして、いったん自分の中で日本語を動かして、再度左
>から右へ目を動かして読むような「読解」というものは、実は「読める」というほどのも
>のではないのではないかと疑っています。
> ここで「媒介」にすべきなのは、「音」であり、「イントネーション」であり、「リズ
>ム」であり、それらを媒介にして、それらの音、それらのイントネーション、それらのリ
>ズムで読めるようにすることだと考えています。
久しぶりの発言です。
この考えは面白いですね。賛同します。
ただ、日本語でも思うのですが、本当に流れるように理解しながら日本語の本を読んでいるときは声を出すと却って邪魔をして理解力が低下します。
しかし、そのように滑らかに理解できないような自分の理解力よりレベルの高い本を読むときには声を出すほうが助けになるような気がします。
1100 目を右から左へ動かして? 投稿者:浜谷 投稿日:10月 8日(月)22時49分08秒
根石さん、
>目を右から左へ動かして、いったん自分の中で日本語を動かして、再度左から右へ目を動かして読むような「読解」・・・
英語を読む時のことを仰っておられると思いますが、「目を右から左へ動かして」ということは英語では不可能ではないでしょうか?
> その意味では、浜谷さんの、「あくまで話せるようになるための読み」は・・・
私はとにかく話せるようになるためには語彙・構文のインプットが必要で、その為には多読が適していると思っています。「あくまで話せるようになるための読
み」という引用をされていますが少し違うように思いますが? 根石さんと過去に何回かお話をしましたが、その中で申し上げたんでしょうか?
> ここで「媒介」にすべきなのは、「音」であり、「イントネーション」であり、「リズ
>ム」であり、それらを媒介にして、それらの音、それらのイントネーション、それらのリ
>ズムで読めるようにすることだと考えています。
音読の大切さのことを仰っていますが、私も賛同いたします。 私も多読の為の読書では成るべく音読していますし、電車の中などで周囲の人に聞かれたくない
時などの場合は内部音声で音を響かせながら黙読しています。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
1103 英文処理の方法 投稿者:ST 投稿日:10月 9日(火)01時56分45秒
本来左〜右へ処理していくはずの英文を右〜左へ処理していく、とは日本人が英語を学習していくプロセスでは誰もが通る道ではないでしょうか?いやそんなこ
とはない、という方はぜひ投稿していただけるとありがたいのですが。
1104 母語スポイル〜を読んで 投稿者:ST 投稿日:10月 9日(火)02時01分56秒
言語は心(イメージ)だ。心(イメージ)が言語なのだ。
根石先生が以前これに近いことを言っておられたと思います。
母国語も外国語もない、だたイメージが動いているのだと。
母国語や外国語にこだわらず、イメージを鍛えればいいのではないでしょうか?
でもよく考えてみるとイメージを動かすのは母国語である日本語の音が「あじのもと」になっているような気もするんですよね。いや、でもでもでも。。。なん
か、わからなくなってきました。
1105 話せないが読める!? 投稿者:ST 投稿日:10月 9日(火)02時21分58秒
>日本人は話せないが読めるというふうに言われてきたことを、実は私が疑っているからです。
*これに関してはすでにどなたかが指摘されていると思います。「読めないし話せない実態」があるのです。文法の大切さは昔も今も言われているとおりです
が、わざわざ文法説明を授業でやるところに時間の無駄があるのです。エリオット先生の実践はその無駄をできるだけ省いたものだと思います。音読をしっかり
やる。意味はついてくる。単語はもちろんしっかりやる。できるだけ早く意味をざっととったあとはひたすら音読することによって英語の基礎力はついてくる。
あとは少しでも多くの量の英文を読むことで基礎体力をつける。聞き取りはその際、音がしっかりしていれば非常に楽になる。語学の学習は「タイル張り」でな
く、「かべ塗り」ということをある先生が書いておられたのを読んだことがあります。とくに中級以上になると「タイル張り」より「かべ塗り」の割合が増える
と思います。
>目を右から左へ動かして、いったん自分の中で日本語を動かして、再度左から右へ目を動かして読むような「読解」というものは、実は「読める」というほど
のものではないのではないかと疑っています。
*読むという言葉の定義からしなければならなくなるかもしれません。でも実際に右から左へ目を動かす読みは分析的で役に立たないことも多いと思います。
>ここで「媒介」にすべきなのは、「音」であり、「イントネーション」であり、「リズム」であり、それらを媒介にして、それらの音、それらのイントネー
ション、それらのリズムで読めるようにすることだと考えています。
*これについては100%賛成です。
1107 それもやはりイデアか 投稿者:根石吉久 投稿日:10月11日(木)02時52分46秒
Duffy 様
>> ここで「媒介」にすべきなのは、「音」であり、「イントネーション」であり、「リズ
>>ム」であり、それらを媒介にして、それらの音、それらのイントネーション、それらのリ
>>ズムで読めるようにすることだと考えています。
>久しぶりの発言です。
>この考えは面白いですね。賛同します。
>ただ、日本語でも思うのですが、本当に流れるように理解しながら日本語の本を読んでいる
>ときは声を出すと却って邪魔をして理解力が低下します。
この御発言の後の浜谷さんの記事に含まれている「内部音声」というものにも、イントネー
ションやリズムは動くものです。私が考えていたものは素読という範囲をはみ出し、音読、黙
読、読書など、読むこと一般に対するものです。
声を出す出さないに関わらず、音読や素読なのか、黙読なのかに関わらず、日本人の英語の
読み(読書)には、英語のイントネーションとリズムが備わっていない場合が非常に多いので
はないでしょうか。その場合の「読める」は果たして「読める」というほどのレベルなのかと
いう疑いがあるということです。
音読でイントネーションとリズムが備わっていない人が黙読した場合に、「内部音声」が、
英語のイントネーションやリズムを備えることはありえません。
音読で「音づくり」をすることは、「しゃべり」へ至る一方通行ではなく、黙読の「内部音
声」にリズムを備えることにもなります。「音づくり」は、辻のようなものです。
「音づくり」は絶対に必要であり、前後関係を限定するなら、「音づくり」が必ず理解に先
立たなければ駄目だと疲れ果てながら言い続けてきたことも、辻がなくて交通が成り立つかと
言ってきたようなものです。辻がなければ、交通も市場も成り立たない。語学も成立しない。
そう言い続けてきたと思っています。
Duffy さんがおっしゃっている「本当に流れるように理解しながら日本語の本を読んでいる
とき」というのは、「内部音声」自体がもはや音声としては感じられないという高度なレベル
に達した読みだと思います。このレベルの読みを行う人間の中に動いているものを、音声とい
う観点から見て何と呼ぶべきか、何とか名付けてみたいものだと思うものの、いまだ適当な言
葉をみつけられません。学者が使うような言葉ではなく、普通の人にわかる言葉で名付けてみ
たいとずっと思ってきましたが、いまだ果たせずにいます。
ここでも、ひとまず「イデア」と呼んでみます。まずい命名だとは思いますが・・・。
ST さんとはイメージに関する話を掲示板でも電話でもよくしますが、「イデア」という語は、
私はこれまではイメージに関して使ってきました。
イメージは不純物を含む。重い。動きが遅い。
イデアはイメージの核。軽い。すばやく動く。
「話す・聞く」という行為ではイデアが動いている。イメージが重さを失ってイデアとなら
ないと「話す・聞く」という行為には至らない。読む場合でも、どんどん読み進めるという読
み方に至らない。
だいたいそんな把握の仕方をしてきました。
ぼんやりとした感じ → イメージ → イデア
この順にイメージ回りのものは抽象度が高くなります。
音声面で考えると、
音読 → 内部音声 → イデア
の順にやはり抽象度が高くなり、この抽象度の高度は両者で対応しているのかもしれません。
考えの途中ですが、中断させて下さい。
1108 nihonnjinnwahettyarayo 投稿者:根石吉久 投稿日:10月11日(木)03時09分16秒
>英語を読む時のことを仰っておられると思いますが、「目を右から左へ動かして」
ということは英語では不可能ではないでしょうか?
日本語で本を読んでいて、何か触発されることがあって、頭が何かを考え始めてしまい、
しかし、視線だけは字をたどっているというような経験はおありでしょうか。
その間、視線だけは字をたどっているのですが、ほとんど何も読みとってはいないという
現象が生じます。そういう時に、わたしらは、読みとってあるところの末尾に戻り、ふたた
び、(縦書きの日本語の場合)上から下へ視線を動かして、読み直します。
ところが、これとよく似ているがまったく違うものとして以下のようなものがあります。
受験生などがよくやることですが、そして、とりわけ関係代名詞のあたりでよくやること
ですが、目を右から左へ動かすのです。関係代名詞の後ろを読んで、それを一つの形容詞と
して扱い(これは間違いではありません)、先行詞に修飾させる時に、日本語に置き換えて
理解します。なんで、こんなに精密に受験生のやっていることがわかるかと言うと、私もそ
れをやっていた時期があるからですが、これは駄目なやり方だと思って、はっきりと自分の
中で否定しました。
「英語では不可能」なことが、この土地では圧倒的多数がへっちゃらでやっていることな
のです。
1111 血は通う 投稿者:根石吉久 投稿日:10月11日(木)03時23分50秒
ST さん
言語は心(イメージ)だ。心(イメージ)が言語なのだ。
根石先生が以前これに近いことを言っておられたと思います。
母国語も外国語もない、だたイメージが動いているのだと。
母国語や外国語にこだわらず、イメージを鍛えればいいのではないでしょうか?
「近いこと」は言ったと思いますが、言語は言語であり、心は心であり、イメージ
はイメージだと思います。そのそれぞれは繋がっていて、血が通っていると考えてい
るだけです。
母国語や外国語にこだわらずイメージだけを鍛え込むには、語学よりも、詩とか美
術がいいと思います。
1117 伴走読みとは? 投稿者:ST 投稿日:10月11日(木)18時21分28秒
テキスト(ペーパーバック等)を交代で音読した後、内容に関しての質問をするというものです。もちろん質問はメールででも出来ます。1回目のレッスンの結
果、発音はほぼ問題なしということで、2回目以降は、内容に関する自由会話をしてみましょうかということになりました。
よく考えてみると個々人のイメージやイデアは日本語で説明できるような簡単なものではありませんでした。またそれを期待していた自分が馬鹿でした。多読し
た人のみが知っている境地で、そんなものを「おいしく」いただけるなんて考えていた私は英会話学校に通うあまたの人々と同じということです。
しかし根石先生の回転読みや技法グラウンドには「文単位」という限界があります。その間隙を埋め、また多読のペースメーカーとなるのが伴走読みだと思って
います。
1118 「伴走読み」について 投稿者:浜谷 投稿日:10月11日(木)21時35分34秒
私は多読が英会話に必要な語彙・構文のインプットに効果があると信じていますが、どのような読み物でも読み始めて、難しいために途中で挫折することがよく
ありますが、そうゆうことがないように、最後まで読み通すためには、マラソンの練習などで、伴走することによって完走することや走り方をコーチするよう
に、伴走読みをすることによって、最後まで読み通すことや分からないところの質疑応答を随時メールですることによって、コーチしようというものです。ま
た、音読の重要性に鑑み、週に1回電話による音読のコーチもしています。詳しくは私の下記リンクのHPをご覧の上ぜひご利用ください。なお、ただ今試行中
ですので、伴走者の本代以外は無料でおこなっています。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
1121 ひたすら練習あるのみ! 投稿者:ST 投稿日:10月12日(金)15時32分54秒
>ぼんやりとした感じ → イメージ → イデア
この順にイメージ回りのものは抽象度が高くなります。
>音声面で考えると、
>音読 → 内部音声 → イデア
*「ぼんやりした感じ」「内部音声」からなかなか抜け出すことが出来ません!!
*でもこれはひたすら練習あるのみですよね。700選とDUOの音読筆写を重ねていきます。
1122 VIP待遇 投稿者:根石吉久 投稿日:10月12日(金)16時14分34秒
語学にはVIP待遇期間というものがある(べきだ)。
どういう人がVIPなのか。
・ほぼ初心者のレベルである。(やりなおし英語含む)
・英語をやっつけてやろうと心を決めている。(成績じゃなく実力を考えている)
この二つの条件にあてはまる人がVIPで、特別待遇が必要だと思っています。
中級・上級の人はVIPではありません。また、学校や資格試験のテストの点が
とりたいだけの人はVIPではありません。ご自分がVIPたりうるかどうかは、
各自厳正にご判断下さい。
VIP待遇とは、
・「音づくり」(「音づくり」による、文まるごとのインプット)
これです。
これを外してしまうと、これまでの日本の英語のていたらく(学校英語のていた
らく、受験英語のていたらく、英会話学校のていたらく)から抜け出すことはでき
ないでしょう。
私一人が変なことを言っているのではない。ST さんがおっしゃってくれたように、
英語をものにした人が必ず通っている練習です。英語をものにするのなら、
・「音づくり」(「音づくり」による、文まるごとのインプット)
をまぬがれる人は一人だっているはずはありません。
私はイスラム原理主義者ではないが、語学原理主義者だとは言えるかもしれませ
ん。
私が逆転させてあるのは、決して英語の上級者がVIPなのではないというところ
です。上級者は、放っておいても勝手に自分で力をつけることのできる人なのですか
ら、放っておいていいのです。放っておくと混迷を深めるばかりの人たち、つまり、
初心者というものがあります。この人たちは、VIP待遇を受ける必要があるにもか
かわらず、学校、受験塾、英会話学校のどこにもそんなものはありません。ほとんど
が安物ばかりです。(一対一で「音づくり」のコーチをやるところはめったにありま
せん。浜谷さんが、私の方法を参考にされて、始められたようです。うまく育ってく
れますように。経営としては非常に難しいですが、やってみる価値はあります。)
<<語学原理主義による、VIP待遇>>
・「音づくり」(「音づくり」による、文まるごとのインプット)
これを周りに広めていただきたくお願いいたします。
現在の「電話でレッスン」の生徒さんたちにもお願いいたします。
生徒さんをご紹介いただいた場合は、その生徒さんがレッスンを継続されている間
は、毎回のレッスンの時間を5分延長します。わずか5分ですが、これによって、よ
くこなれた範囲(復習範囲)のテスト10問をもう一カ所設定できるようになります。
興味をお持ちの方は、お問い合わせ下さい。
090−3316−4180
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1123 皆様 投稿者:根石吉久 投稿日:10月12日(金)16時23分30秒
Duffy 様
なるほど、「暗算」ですね。
音声という観点から見て、このレベルを名付けることはできないものかと悩んでいます。
浜谷さん、 ST さん
「伴走読み」、非常によくわかりました。中級者向けだと思います。
応援します。
ST さん
「文単位」という欠点は、特に「700選」に力を入れておられたから強く感じられたと
いうこともあると思います。「ゴースト」で、「復習範囲」のこなれが生じて、イメージが
イデアになって動くようになると、「文単位」でなく、(映画の)文脈をどんどんたどるよ
うになりますから、この欠点は感じなくなると思います。
1126 二つの磁場 投稿者:根石吉久 投稿日:10月13日(土)05時38分38秒
言語的「磁場」という概念だけでも、なかなか人に納得してもらうのが難しい段階ですが、この「磁場」を二つに分類したいと思います。
1.生の磁場(英語にとっての英米など、フランス語にとってのフランスなど、日本語にとって
の日本など、その言語が常時使われている言語の場。言語政策という暴力がなければ、自然
発生的であり、人が生きる場そのものでもある。制作物ではない。複製不可能。オタク、ひ
きこもりなどの行為以外ではそこから離れることは難しい)
2.仮の磁場(映画のシナリオ、小説、エッセイなど、文脈を備え、文脈自体が磁場を仮構して
いるもの。制作物。多くの場合、複製可能。読みや視聴を中断し離れることも可能)
「仮の磁場」と名づけたものを、これまでは「擬似的な磁場」とも呼んできました。こちらの
呼称も、本物・偽物という対立を際だたせる場合には、今後も使用します。(例えば、英語習得
をめざしてアメリカなりイギリスなりに渡ることは、「生の磁場」(本物の磁場)に入ることで
あるが、週に一度、英会話学校の教室でネイティヴと話すなどは、「擬似的な磁場」(回りじゅ
うがその言語であるわけではないので偽物の磁場)に触れることである、など。先生一人に生徒
が数人から数十人であれば、むしろ、英会話学校に形成される磁場は、日本語の磁場であろう。
たとえ、話される言語が英語であっても、支配的な感覚や思考法が日本語のものであれば、日本
語の磁場と言ってさしつかえない。)
「生の磁場」と「仮の磁場」は、本物・偽物の対立ではありません。自然発生的であるか仮構
物であるかの違いです。語学教材などは、どのような視聴覚教材ををどう組み合わせても「仮の
磁場」となります。映画のシナリオ、映画そのものも「仮の磁場」です。
私の考えでは、当該の「生の磁場」を欠いて行う行為が語学です。
アメリカに生まれて日本語をやること、日本に生まれて英語をやることなど、です。
しかし、シンタックスが基本的に異なる言語の磁場にいる場合は、「仮の磁場」の活用は重要
です。母語とシンタックスが同型である言語をやる場合は、「仮の磁場」を欠いて、文法をやり、
語彙を増やすだけでも上達が可能ですが、シンタックスが異なる言語をやる場合は、「仮の磁場」
の導入は不可欠ではないかと思います。これを導入しても、なかなかシンタックスは受肉化され
ません。継続によって、「なじみ」の度合いを深め、意識的に無意識化する以外はないと思われ
ます。(この場合に私が提示しているものが、「復習範囲を手放さない」という原則です。)
私は現在、映画と映画のシナリオを使用しています。
おそらく、今のところ、選択としてはベストではないかと考えています。
「電話でレッスン」では、「復習範囲を手放さない」ままで、シナリオは3冊程度までやって
いただき、その後は、小説、エッセイなどの導入を考えています。この試みの先行形として、現
在、村田君を相手に「不思議の国のアリス」で実験を開始しています。単語は易しいが、一つの
文が結構長く、意味の固まりを把握したり、その固まりを瞬間的にまる掴みする練習にはいいテ
キストです。
この小説・エッセイの扱いも、やはり、「技法グラウンド」です。村田君の基礎力は、素読舎
の自作教材によって、土台を備えていなかった受験英語を元から組み立て直しましたが、素読と
いう作業に限っては、素読舎の自作教材のすべてを終了してしまったので、「不思議の国のアリ
ス」の導入に踏み切りました。
村田君は、あまり愛嬌を振りまかないで、もう少しそっけない文章を書く練習をしてください。
きちんと人に手渡すことを練習して下さい。このくらい進めたら、こういう変化が生じたという
ような報告をしてもらえるとありがたく思います。(その前に、受験英語物語の連載を完結させ
て下さい。)
いずれ、引っ越し後に、「7年目の浮気」と「不思議の国のアリス」の文法解析のページを私
のホームページに掲載しようと考えています。この二冊は「電話でレッスン」の必修本とする予
定です。
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1130 電話料金を知る方法、どなたかご存知ありませんか? 投稿者:ST 投稿日:10月14日(日)09時48分12秒
回転読みを練習する時間帯が不規則なのが気になっていますが、確実に日常生活の中に「回転」が習慣として根付いてきています。昨日のレッスンの直前は友人
たちと鍋の買い出しにいったときもひとり車のなかで待たせてもらいひとりちまちまと「ゴースト」をやっていました。いまでもときどき空しくなるときもある
のですが、「これでーーいいのだーー(バカボン節)」と自分にいいきかせています。
結局友人宅の電話をかりてレッスンを受けることになりました。滋賀県の草津から長野県の更埴は普通の通話(しゃべりっちではなく)でいくらくらいかかるも
のなんでしょうかねえ。とりあえず3000円渡したら、2000円でいいといってくれたのでそれに甘えましたが、もっとかかっているような気もします。値
段を知るいいほうほうがあればどなたかぜひ教えていただけませんか?
1132 頭のお留守 投稿者:根石吉久 投稿日:10月14日(日)18時15分15秒
「ゴースト」というシナリオを使って、「音づくり(錆落とし)」をやっていて、
Mr.Reynolds told me to tell you hello. I broke into tears.
で口を回していたところ、頭の中が麻痺してきて、broke を bloke と発音しました。
「回転」や、繰り返しの欠点は、麻痺にあります。あるいは、飽きること、または、
空しいことです。この欠点は、「回転」というモメントを練習に導入される方には自覚
しておいていただきたい。
さて、例示した文では、Reynolds で一度 r 音が出て、後は、ずっと、l と t が続き、
再び文の終わり近くで、 broke の r が出てきます。日本人の口が、l, t の連続につら
れて、r をl に代置したのでしょう。目を閉じて、「回転読み」を続けて、broke の r
を特に強く意識してみました。1分で20回から30回程度の回転スピードですから、特
に速くもなく遅くもないスピードです。
r 音に意識を集中していましたから、意識は、意味、イメージ、内容などと言われるも
のをすっかりすっとばして、「音の回転」だけに占められていました。r 音が l 音に釣ら
れやすくなる時の、「釣られ加減」ばかりを意識したためです。
broke を言うのに、意識せずに r 音が出るようになれば、所期の練習は終わりですが、
「頭のお留守」と言いますか、「意味のすっとび」がはっきりわかり、ここから、当たり
前と言えば当たり前の結論が出てきました。
・意識が音を意識していれば、「意味」はすっとぶ。
そうなると、こうなります。
・語学的な読みには、少なくとも二つある。
1.「音づくり」のための、「音」を意識しつづける「読み」。(「意味」はすっとぶ)
2.意味をとる(理解する)ための「読み」
この二つは最終的に両立し、同時化されていなければなりませんが、同時化に至る過程で
は、別々でもかまわない。特に初心者では、別々にやるしかとりかかりようがありません。
大事なのは、順序です。ここには絶対性があります。1が2よりも先でなければならない。
つまり、いつも私が言っていることをくどく繰り返すことになります。
「理解」よりも「音づくり」が先だ。
ただ、これの根拠を明示できると思えたので書き始めたのです。
音を音として意識してしまうと(語学の宿命ですが)、意味はすっとぶ。それが根拠です。
「理解」よりも「音」が先という原則が確立できれば、後は、「音とイメージの同致」へ意
識的に持ち込むことができる。
というよりも、「音」というものは、「理解」が通るための道なのだと捉える方が正確かも
しれません。
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1133 水か氷か 投稿者:根石吉久 投稿日:10月14日(日)21時16分58秒
以前から、「英語で話したい」と思っている人に、「日本で作る英語は氷だから、大変だよ」というような言い方をしてきました。話し言葉を水に喩えるなら
ば、日本で作る英語は水ではなくて、氷なんだということです。
英語の「生の磁場」がない場所では、「仮の磁場」で作った英語はすべて氷になります。
氷は水になれます。しかし、「溶ける」という過程がなければ、水にはなりません。
また、自分の実感として、覚えたものの10分の1程度しか使えないなあという感触があります。つまり、100覚えて、10くらいが溶ける。100の量の
氷があって、ようやく10程度の水が得られるという感触がはっきりあります。
ですから、「これだけ覚えれば大丈夫・旅の英語100選」などという本があったとして、この本一冊やっつけて、口にうまく乗る文は10個程度のものだと
いうことです。100くらいのものを覚えると、「そのことによって」、10くらいのものは自然に溶けて氷が水に変わるということだと思います。
「旅の英語・100選」の100個の文が全部使えるようになるためには、これ一冊を片づけた後もインプットを継続し、合計で1000程度の文をインプッ
トしてしまわなければなりません。その過程で、最初の100の文が錆び付き始めます(水が再度凍り始める)ので、「復習範囲を手放さない」という原則に
よって、いつでも錆落とし(解氷)という作業を併行させる必要があります。
この損と言えば損な日本育ちの英語の性質は、やはり「磁場」の性質から来ると考えています。ここのところを言い切った本は今のところ読んだことがありま
せん。
「生の磁場」でインプットされたものは、その場で、すぐにその単語・語法・文をアウトプットし使ってみることが可能です。このインタラクティヴな言語的
交通を可能にする「生の磁場」が、単語や語法のリアリティを保証してくれますので、どんどんアウトプットして、誤差を修整し、完全に根付かせるもできま
す。単語・語法を根付かせる過程とは、実は「修整」の過程だと思います。
ネイティヴな言語を習得する過程で、子供は絶えずこれをやっています。この「場」というものが、語学には「ない」のだという認識は、いまだ日本で英語を
やる人たちの間に共通認識になっていませんが、これは決定的なことなのです。
「生の磁場」でインプットされる英語は、状況という磁力によってインプットされます。
これに対して、「机上」あるいは「仮の磁場」でインプットされる英語には、文構造、あるいは文脈という磁力があるだけです。
何が決定的に違うかと言えば、「切実さ」が違います。
「生の磁場」で起こることは、「我が身のこと」です。
「仮の磁場」で起こることは、どれほど手に汗握る映画を観ているのでも、しょせんはフィクションへの感情移入であり、「仮」のものであり、「仮」のもの
が作り出すリアルさにすぎません。
「生の磁場」でインプットされるものは、そのまま「状況」に根付いています。つまり、状況ごとインプットされるわけです。これが、「語学」では起こりま
せん。
「机上」で一つの文の背後に一つの状況を想像してみることはできます。つまり、「机上」で獲得可能なものは、想像された状況です。あるいは、文構造や文
脈という「磁場」から、より正確な語法を汲み取ることは可能です。この場合でも、想像的に状況を理解しています。
「生な磁場」では、状況を把握しようという心の動きはあっても、状況そのものを想像する必要はありません。想像するまでもなく、それは「ある」からで
す。
「生の磁場」では、状況そのものが言葉をリアルなものにします。言葉が根付く度合いが全身的であると言ってもいいと思います。この点では、ネイティヴな
言語の習得過程と類似します。
これに対して、「仮の磁場」での言葉は、頭脳的な理解と、仮の感情の生起となります。感情が人工物であり、切実さは想像的なものでしかありません。この
「仮の場」でのインプットは、薄いペンキを塗ったようなもので、じきに剥げてきます。
これが、私の方法に、「復習範囲を手放さない」という原則を置いてある根拠です。
1141 「回転読み」 投稿者:根石吉久 投稿日:10月21日(日)19時09分09秒
「回転読み」
・なぜ「回転」が必要か。
ただ一つの文を対象にして、回転数を増やし、読みになめらかさとバネ(イントネーション・リズム)を備えることで、「たった一つの文」をひとまず音に関
してだけは「確実に」獲得するためだ。
「確実に」獲得されたものがいくつあるかだけが問題である。
不確実に獲得されたものが大量にあっても意味をなさない。
塾をやってきたので、多くの人の英語の学習の様子を目撃した。放置すれば、中途半端に多数の文を扱うような練習をする人が非常に多い。
初心者の「へぼ筋」の練習に切り込んできたのが「回転読み」である。
初心者の「へぼ筋」は放置できない。最初にあるべき練習が「音」に関するものなのだから、「へぼ筋」を放置すれば、一生「へぼ筋」をたどるようになる人
の数が数えきれないという現状は変えられない。
「へぼ筋」の代表は、「点をとるための英語」「教科としての英語」である。
中級者や上級者は放置してもよい。この人たちは、放置しても自分で方法を工夫することができるからだ。英語の練習方法でもっとも大事なのは、初心者のた
めのものである。多くの良書は、中級以上向けのものであり、初心者のための良書が払底している。
1142 新聞記事から 投稿者:根石吉久 投稿日:10月21日(日)19時11分49秒
毎日新聞2001年10月21の記事に面白いものを見つけましたので引用します。
米国の大衆文化に典型的なシナリオは、外敵による平和
の破壊、傷ついた共同体の悲嘆、負け犬の団結と逆襲、正
義の勝利という筋立てになっているが、九月十一日以来の
米国メディアの物語作りもこのパターンを踏襲している。
これを読んで思ったのは、「外敵による平和の破壊」とは、前アメリカがインディアン(ネイティヴ・アメリカン)に対してやったことそのものではないかと
いうことだった。アメリカが作り出す物語は、建国以前を必ず切り捨てる。
「正義の勝利」は、「勝利の正義」のことなのだ。
外敵として「平和の破壊」をやって建国した国が、「勝利の正義」を「正義の勝利」といいくるめるのは自然なことである。口をぬぐって行きていくためには
自然なことであるという意味で、自然なことである。
マックワールドの名で総称される速くて便利で画一化さ
れた米国消費文化は世界のある地域では進歩の福音として
受容され、他の地域ではアメリカ帝国主義の傲慢のシンボ
ルとして激しい反発をよんでいる。
この「受容」と「反発」が私の中には二つともある。英語の塾をやってきたくらいであるから、「受容」がないはずはなく、私はマクドナルドのハンバーガー
もスーパーも利用する。しかし、自宅自作の過程でつきあった職人たちの職人文化のこの10年間の質の変化(低下)を眺めてきて、この背後に、「速くて便利
で画一化された」建材文化(?)の登場があることを見た。この道何十年の年取った職人が人生の終端で自信を失うような事態が生じている。職人というもの
は、自分の腕で生きていけなければ自信を持つわけにはいかないからだ。
職人文化は明らかに文化だが、米国消費文化を文化と呼ぶべきか。あれは、文化というよりは、文明のレベルに過ぎないのではないか。アメリカの文明が日本
の職人文化をつぶす事例はいくつも見てきたのだ。いまや壁塗り職人はほとんど生きていかれない。サイディングに駆逐されたのだ。思った一語は「野蛮」とい
うものだった。戦後の新興住宅街の建物を見ても、いつも「野蛮」という一語を思い浮かべる。あれらのサイディングの壁よりは、壁塗り職人が塗った土壁のほ
うがはるかにしっとりとしたものだ。しかし、土壁の建物は今は取り壊しの対象でしかない。そして、自分が自宅を自作するにもサイディングを使う以外に選択
肢がないことを再度思う。
「受容」と「反発」が二つとも私にはあるので、私というものは分裂する。体力の限界というような地点で、この分裂が破裂したとき、いつも被害にあったの
は、私の妻と子供だった。
また、私には仕事を「作りながら壊す」ようなことがあった。
英語に対する「受容」と「反発」のためだろう。これが、文化的に「受容し服従する」英語フリークどもへの「反発・拒絶」へと至ったのが、私の英語の歴史
だった。
前後するが、同じ記事からもう一カ所引用しておく。
米国民の多くが現在の異常事態を善対悪、文明対野蛮
の二元論でしか理解できない背景には第一に市民宗教と
してのキリスト教の世界観があるが、それと同程度に重
要な要因として外部世界に対する無知・無関心があげら
れる。
日本にいるアメリカ人が日本語がしゃべれないからといって馬鹿にされるだろうか。アメリカにいる日本人が英語をしゃべれなければ、はっきりと馬鹿にされ
る。おかしな話だ。ここにあるのは、アメリカ人の「外部世界に対する無知・無関心」というものである。アメリカが世界の標準だと思っているというレベルを
越えて、アメリカがそのまま世界だと思っているような無知がある。傲慢さと表裏を成す無知がアメリカの大衆に一貫している。これは、恐ろしいものだ。政治
家はこれを利用できるからだ。
1143 引用元 投稿者:根石吉久 投稿日:10月21日(日)19時13分25秒
先の記事で引用したのは、以下の記事からです。
21世紀の視点・「楽園」から不安の闇へ・テロで揺らぐ米国の自画像
能登路雅子(アメリカ地域文化論)
1148 素読舎 根石吉久 先生 投稿者:同人社 Ton 投稿日:10月22日(月)17時16分01秒
本日はようこそ弊社サイトにお越しくださいました。
書き込み、拝見していまして愉快 欣快、 宴会やってもいい、と思うくらい楽しくなりました。
いるんですよねぇ。。教育県長野。。信州人の気骨 県人気質ムンムンと感じました。こういう英語の先生、少なくなりましたぁ。。説かれているコンテンツ、
為になりました。
素読者さんの推薦者は外務省の通訳検定所JITSの方。この方が、同人社のお奨めリンクのnobuさんに興味を持ち、そのリンク先である先生のサイトを
Rom.それkら、このBBSで、リンクすべきである、とご示唆いただきました。
英語の素読、これは効くんです。ベルリッツでも早読みから教えています。先生の書かれていているもの、、小○館で眠らせておいてはいけない、と思いまし
た。
これから、よろしくお願いします
http://www.doujinsha.com
1153 起こしてください 投稿者:根石吉久 投稿日:10月24日(水)05時32分02秒
Ton 様
>英語の素読、これは効くんです。ベルリッツでも早読みから教えています。先生の書かれ
ていているもの、、小○館で眠らせておいてはいけない、と思いました。
英語の素読、これは効くんです、と一言で言われてしまい、拍子抜けしました。これは効く
んだよと、くどくくどく言えば言うほどうさんくさいものを見るような目で見られ続けてきた
私としては、人に百回言ってようやく一人くらい話を聞こうとする人が現れるくらいなもんだ
と思いこんでいました。具眼の士に一言で言い切られてしまって、拍子抜け。
まあ、人々が私の話を聞いてうさんくさいものを見る目をするのは、私の風体がうさんくさ
いせいもあります。私は人に会うのが苦手です。だって、私がうさんくさいんですから。
なにはともあれ、ありがたい拍子抜けというものがあるんだと知った次第です。
ベルリッツってのは、「おじさん語学する」っていう良書にあった名前
のような気が今したんですが、違っていたらごめんなさい。
「おじさん語学する」は、ようやく日本にも語学論が立ち上がりつつあ
るかと思わせてくれた本でした。集英社新書だったかな。なにしろ、じい
さまですので、なにごとも物覚えが悪く、まあ、当たらずと言えども遠か
らずで勘弁していただくことに決め込んでおります。
「おじさん語学する」は、でも、ちょっと話がうますぎるなあというと
ころもありました。フランス語が1年ちょっとだったかで、あそこまでう
まくなるというのは、何らかの前提がある。おそらく英語をやったことが
前提になっている。その前提との「からみ」をもうちょいと書いてもらい
たかった。
しかし、良書です。
私の語学論を、小学館に眠らせておかないで、同人社さんでたたき起こ
していただきたく切望する者です。
少し前に、素材だけ放り出したものを、語学に関心のある編集者さんに
編集して共著を作ってもらえないものかと虫のいいことを考えました。素
材を放り出す場所としては、今後はこの掲示板を主体にしようと思ってい
ます。
相も変わらず語学論をやっていくつもりですが、種々雑多な記事にまみ
れてもいきたいと思いますので、掲示板を場所としようと思います。種々
雑多な記事がインスパイアしてくれることがあるので、種々雑多にまみれ
てやっていきたいです。後で、語学論の部分だけを抽出して放り出せば、
素材は放り出せます。どなたか、語学に関心のある編集者さんはいらっし
ゃいませんでしょうか。
自作してきた自宅が居住可能に近づきつつつあります。(完成にはまる
で近づきつつありません。)引っ越しが終わりましたら、不愉快な思いを
(あまり)させずに人様をお泊めできる部屋もできると思いますので、そ
のうち遊びにおいで下さい。東京からなら、すごく近いです。
皆様へ
自宅が居住可能になりましたら、遊びにおいで下さい。
来年からは、庭先に店を作る予定です。
何を売るのかはまだ決めてありません。
6畳か8畳くらいの小さい店を考えています。
1157 乾杯! 投稿者:根石吉久 投稿日:10月25日(木)06時17分00秒
Ton 様
>
全面的に大賛成です。その方向でぜひ進めサテ参りましょう。語学に関心のある編集者はおります。投げ出し方などこちら(このBBS)で提起してください。
担当を決めておきます。
これが海外ですと、わんだふる!、グレイト!と、祝杯を上げているところでしょう。
ありがとうございます。
女房に、Ton
様の文章を音読して聞かせましたら、ワオと言いました。女房は、コンピュータはまるで音痴ですので、私が立ち上げた画面で読ませるか、音読して聞かせる必
要があります。
今、冷蔵庫まで行って、缶ビールを持ってきました。この時点で、右手に握ります。
乾杯!
ごくごくしました。時差は生じますが、そちらでお口にお酒が入るときに、合わせていただければ幸甚。
私には、村田君といくこという二人の「弟子」がおります。村田君の方はコンピュータをいじるのが好きで、この掲示板の記事を整序して、過去ログを作って
くれています。いくこは、個人の方が連載してくださった記事が完結した場合に、一連のものを抽出して、まとまった記事にする作業をしてくれています。
これまでに書いたものや今後書いていくものは、いずれ村田君が過去ログにしてくれますので、その中から、「語学論」関連のものだけをいくこにひっぱりだ
してもらえば、素材としては量がまとまっていくだろうと思います。それに目を通していただいたり、すでにホームページに独立した記事として書いたものから
部分的に切り取っていただいたりして、編集の方に、整序、つなぎ合わせなどをしていただけば、私が最終的に目を通させていただくための二次的な素材ができ
ます。
こうすると、私の塾が娑婆からいじくられて凝り固まってしまった私の考えを、第三者(編集者)の関心のありかによって、いったん「開く」ことをしていた
だくことができます。頭に血が昇ったまま書くことはままありますので、私が書くものは、第三者からの視点を媒介にすることは必須だと思っております。小学
館文庫の時は、書いたものがほとんどまるごと通過してしまったので、これでいいのかなあと思ったことを覚えております。
私が素材を放り出す。編集者は編集者の独自の視点で、切り取りとつなぎ合わせをしてほしい。そういう案を以前考えたのでした。この案については、私の
ホームページの「売文」というコーナーに基本的な考えを書いてあります。
担当して下さる方に、この掲示板に登場していただければうれしく思います。本ができていく過程を公開できるかぎり公開してしまうというのは、また別の種
類の案ですが、どんなものでしょうか。本ができてから、編集の方にお会いした方が、私の生身のうさんくささにまどわされずに済むため、好都合かとも存じま
す。なんだあ、生身はこんな程度のやつだったのかと、後でがっかりされる方がいい。そうでないと、私がかわいそうです。
と申しますのも、昔、一時、詩を書いていたことがありまして、ある詩人の出版記念会で、私のファンだとおっしゃる女性の詩人の方にお会いしたら、「本当
に根石さんですか、本当ですか」と何度も念を押されたことがあるのです。「こんな人だと思っていなかった」とその女性はおっしゃるのでした。「ハンサムな
方だと思っていた」「素敵な人だと思っていた」とおっしゃる。うるせえやと思いました。高踏な詩人たちの中で、耐えきれず、すけべ話を繰り広げ、女性差
別、セクハラまがいを繰り広げ、二次会に行く途中で、そこらの横町でげえげえやるし、ペッペッと唾は吐くし、どうしようもねえ、このおやじということだっ
たのでしょう。
書くものとご本人とは別物だってぇのに!!!
と、まあ、そんな次第です。
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1158 娘の大家さん 投稿者:根石吉久 投稿日:10月25日(木)06時55分09秒
奥村真様
お久しぶりです。
娘は、彼氏と白馬の方の旅館でバイトをしています。
ながらく、じゃじゃ馬娘の大家さんをやっていただきましてありがとうございました。
早稲田は中退することに価値がある。俺の果たせなかった夢をお前は果たすべきだとこんこんと言ってきかせたにもかかわらず、娘はまだ大学に未練があるら
しく思われます。親の言うことはとことん聞かないと腹をくくった娘らしく思われます。彼氏を使って、白馬のスキー場のバイトをやっているのも、来年東京に
戻るための、敷金・礼金を作るためらしく推測されます。娘のことはよくわかりません。女房のこともいまだわかりませんが・・・。それよりももっとわからな
いのは自分のことです。なんなんだこいつはと思うこと、しばし待てません。
すみません。杉原さんの記念誌お送りいただいたままお礼を申し上げてありません。
この場をお借りします。
なつかしかったです。未完ということはいいことかもしれません。杉原さんの駅のホームでの写真、その場にいたわけではないのに、なつかしかったです。
----------------------------------------------------
皆様。
奥村さんは、一部で高名な方です。詩人ということになっています。
この人には、すばらしいことはそう多くはないかもしれませんが、数多くないすばらしさのうちの特別にすばらしい一点は、この人の奥さんです。よくもま
あ、この人にこんないい奥さんがいたもんだと、世の中の人はみんな言います。
奥村さん、世の中の人ってうるさいよね。俺んちのデブをつかまえて、「よくもまあ、この人にこんないい奥さんがいたもんだ」ってなことをしゃあしゃあと
いう人って、世の中にはいるよ。うるせえんだよ、まったく。人の気も知らないで・・・、黙ってそばにいて、くれねえくせに。
奥村さんは、一部で高名な方でありますが、とりわけ人に知られていないことは、語学快楽主義者だということです。この方は、アイヌ語、朝鮮語、ロシア語
などやたらに語学をやりますが、意味がわからないまま発音したり、ヒアリングしたりしているうちが語学の花だというような不遜な考えを持っている人です。
意味のわからない外国語の音の面白さを知っている人です。面白いっていうことで言えば、意味がわからないうちが外国語ってのは詩のように面白い。
奥村さん、まだ生活が安定しないのですか?
ふむ。それに関しては、奥さんはどう言っているのですか。
「奥村君の会社ももうそろそろ駄目だし」とか言ってにこにこしているのですか。
それだと、「あんたのチ○コももうそろそろ駄目だし」とか言ってにこにこしているうちの女房みたいですけど、会社とチ○コでは同列に論じられませんよ
(ね)?どうでしょうか。
うまくいって一ヶ月後に引っ越しの段取りです。
是非、奥さんと一緒に遊びに来て下さい。
どうしてもうまく思い出せないのですが、杉原さんは、うちに遊びに来たことがあったでしょうか。奥村さんちで会って酒を飲んだのは覚えているのですが、
なんだか、うちにも一度来てくれたことがあったような気がして仕方がないのですが。幻でしょうか。
1159 ご令嬢の、元大家です。 投稿者:奥村真 投稿日:10月25日(木)13時58分00秒
拝復、たまに家に帰るとニュースばかり見ています。
あちこちチャンネルを回しているとパキスタンや
ロシアやイギリスやアメリカのアナウンサーが映り、
なかでもパキスタンの女性が一番綺麗でした。
アメリカの男は下品でしした。
字幕を見ると、めちゃくちゃなことを云ってました。
ところでタジキスタンやウズベニスタンやカフガニスタンや
パキスタンのことばはどのくらい異なっているのでしょうか
むかしポーランドの女性と呑んだことがあり、
意味がまったく解らないままの印象で云えば、
ロシア語の音とほとんど変わりませんでした。
が、ロシアはギリシャ文字でポーランドはローマ文字
だと云うことを教わりました。
ロシアの音とポーランドの音と
タジキスタンやウズベニスタンやカフガニスタンや
パキススタンの音とでは、
どのくらい異なっているのでしょうか。
とは云っても私の考えはせいぜい、
津軽弁とドイツ語が似ているような気もするし、
名古屋弁とロシア語が似ているような気もする
と云った程度のはなしなのです。
こんなくだらないはなしを続けつつ、
酒場の時間つぶしをしておりますると
私にはもったいない奥さんから電話がかかってまいります。
私と奥さんとはなにやらもうすっかり家族になってしまったので、
ちかごろはセックスが途絶えています。
とはいえ男であるところの私といたしましては
若干もよおすところもあり、酒場の女性に云う寄っておりましたのですが、
そういうわけで電話がかかってきてしまいますと、
私は猫と三人の家庭を撲滅する度胸はありませんと詫び
とぼとぼと酒場から引き揚げるのでした。
早々不一。奥村拝。
http://page.freett.com/oku/
1163 英語非方言論 投稿者:根石吉久 投稿日:10月27日(土)01時53分27秒
奥村さん
>ところでタジキスタンやウズベニスタンやカフガニスタンや
パキスタンのことばはどのくらい異なっているのでしょうか。
この辺のことは本当にわかりません。この辺の言葉をやる人も極端に少ないです。地理的な距離以上に、意識のくらがりが作っている距離の方が大きいのかも
しれません。
以前、鈴木孝夫という人の本で、アメリカの軍関係の組織(正確な名前は忘れました)で、アメリカ人にとってもっとも難しい言語は何かを研究した結果が
載っていました。アラビア語と日本語がもっとも難しい言語だと出ていたような記憶があります。どちらが一番でどちらが二番だったか忘れてしまいましたが、
欧米シンタックスの人々にとっての難物がアラビア語と日本語だったとあったように覚えています。アラビア語の仲間にどんな言語があり相互にどれだけ違って
いるかに関してはまるで無知ですが、日本語と朝鮮語、モンゴル語、ネパール語などの間には、シンタックス的には親戚関係があると思っています。これらの語
圏の人たちは、欧米とは異質な考え方を基本に持っているのではないかと思っています。
>むかしポーランドの女性と呑んだことがあり、
意味がまったく解らないままの印象で云えば、
ロシア語の音とほとんど変わりませんでした。
吉本隆明さんが、外国語は方言であると言ったとどなたかの文章で読みました。吉本さんの書いたもの自体を読んでないのですが、隣接する地域が言語的に少
しずつ差を作っていき、隣接の隣接のそのまた隣接の隣接地域くらいまで離れると、ほとんど外国語みたいに違う言葉になるというのはよくわかるような気がし
ます。これは青森弁と鹿児島弁の距離みたいなものではないでしょうか。きっすいの青森弁ときっすいの鹿児島弁の間で、相互に話が通じないということはあり
うることだと思います。こういう差の生じ方に、国境というものがからむと、外国語になるということはあると思います。
ポーランド語とロシア語がどこがどう違うのか同じなのかも、両方の言語をやってみないとわからないことですが、私はすでにじいさんですので、やるとした
ら韓国語かモンゴル語をやろうと思っています。私には期待しないで下さい。
先日、お互いにドイツ語で話をしている場に居合わせました。ドイツ人とオーストリア人がドイツ語で話をしていたのです。まるで話はわかりませんでした
が、イントネーションやリズムが英語とそっくりだと思いました。英語とドイツ語は本当に兄弟みたいなもんだなと英語で言ったら、一人はその通りだと言い、
もう一人はまるで違うと言いました。一人はシンタックスの観点を持っており、もう一人はそれを除外して、表面的なもの(音の方面)を言っているのだと思い
ました。この二人はどちらも英語が何のよどみもなく話せます。このよどみのなさもドイツ語・英語の兄弟関係を証していると思います。私は、イントネーショ
ン(リズム)の方から眺めて発言したので、英語でよどみながら、いどみました。
ポーランド語とロシア語、英語とドイツ語などの相互関係は、吉本さんの「外国語は方言である」という理論で片がつくのではないかと思います。
英語、アラビア語、日本語などの間の距離は「外国語は方言である」では片がつかないものがあると思っています。アラビア語がまるでわからないので、言及
しようがないのですが、英語・日本語は相互に方言たりえない。基本的に異質である。どこかでまったくぷっつんと関係が切れていると考えています。
> 私と奥さんとはなにやらもうすっかり家族になってしまったので、
ちかごろはセックスが途絶えています。
とはいえ男であるところの私といたしましては
若干もよおすところもあり、酒場の女性に云う寄っておりましたのですが、
そういうわけで電話がかかってきてしまいますと、
私は猫と三人の家庭を撲滅する度胸はありませんと詫び
とぼとぼと酒場から引き揚げるのでした。
目に見えるようであります。
私のところはセックスは途絶えていません。女房でもいいやと思ってことに及ぶわけでありますが、女房にしてみれば、失礼しちゃう話ではあります。と、こ
んなことを掲示板に書くと、誰かが女房に「こんなこと書いていたよ」と話すこともありうるのでやばいのでありますが・・・なにやら小沢昭一的こころであり
ますよ。
1165 転載 投稿者:根石吉久 投稿日:10月27日(土)04時02分08秒
同人社の掲示板に掲載したものを転載いたします。
----------------------------------------------------
しかし、それにしてもすごい掲示板ですね。回転がすごい。「回転読み」という英語攻略法の提唱者ですが、顔が青ざめました。量がいくら多くても無視する
というテはありますが、この掲示板は面白いのがいけない。時間は要らないから、暇が欲しい。時間なんかあっても無駄にするのがせいぜいですが、暇があれば
この掲示板を毎日読める。ああ、暇が欲しい。「お暇をいただきたい」と女房に言えば、それはあたしのセリフだよと言われるのがやはりせいぜい関の山。煙草
呑みとしては、ぜいぜいと咳をしながら体によくない量を読んでおります。
脇田泰子様
記事、非常に興味深く読ませていただきました。
私はフランス生まれの「自由・平等」はアメリカに行って変質したと考えていますが、頭でっかちの考えかもしれず、何もウラをとったわけでなく(研究した
わけでなく)、表から見ただけの印象です。しかし、表面的な印象に過ぎないものも言明するのをためらうことはしたくありません。それをためらっていたら、
新聞みたいに正しいことしか言えなくなってしまいますので。
で、アメリカ的「自由」というのは、インディアンを追っ払い、追っ払っても立ち退かない場合は殺す自由でもあったと思います。ヨーロッパを蹴立てて出て
きた新教徒の人たちは気性の激しい人たちだったと思うのですが、いくら気性が激しくても、元からそこに住んでいた人たちを追っ払うのはいかがかと思いま
す。「元からそこに住んでいた人たち」に迷惑をかける、迫害する、追っ払う、殺す、爆弾を落とすなどは、アメリカがやってきたことに一貫しています。ベト
ナム戦争しかり、湾岸戦争しかり、今回のアフガニスタン爆撃しかりです。
「蹴立てて出てきて追っ払う」。この性質がアメリカの古層にあり、その性質は今も生きており、ブッシュなどは紳士面をしていますが、イデオロギー的には
ヒステリーだと思います。
フランス発の「自由・平等」がイギリスを激震させ、「蹴立てて出て(現在アメリカと呼ばれている土地のネイティヴを)追っ払う」人々を産んだのかもしれ
ません。イデオロギーはいつの時代にも恐ろしい作用をすると思います。
とにもかくにも、アメリカ的「自由」などが何の標準なのかと思っています。
Ton様。Lee様。
とても詳しく AHO連盟の解説をしていただき、楽しく読みました。
ええっ、そうだったの、へええ、勉強になる、というのは毎度の私の言いぐさでもありますので、私も連盟に加盟する資格があると思うのですが、加えてくだ
さいませんか。私は AHO としては、ちょっと人様と張り合うことができるような自負があります。
Lee様のぶにすけしゃん宛の文章は、読みながら声をたてて笑いました。面白い。
Lee様から、AHO同盟加入の件で、Ton
様に私を推薦してくれませんか。このコネがあれば強いと思うのですが・・・。初対面でコネを使うというふとどきな輩がおり、それは私です。
投げつける洗面器はブリキですか。ブリキだといいな。
Ton様
小学館に眠らせておかないで、同人社で叩き起こしていただく案ですが、ネット上で同人社のお部屋に入れていただけるという意味だったのかもしれないと思
い返しました。その場合ですが、私の方で、書籍を制作するのは構わないでしょうか。私はリソグラフという簡易印刷機を持っておりますので、見栄えのいいも
のでないなら自分で制作することができます。そうして作ったものを、同人社様がお持ちの流通経路で流していただくことはできますでしょうか。版元は同人社
様で結構です。その場合の経費はおいくらくらいになるかお教え下さい。私の回りにはネットに接続していない人が多いので、印刷は必要かと考えています。
編集者さんがアメリカ育ちだと聞き、少しビビっています。アメリカ育ちの方には、日本に生まれ日本に育った人が英語をやる場合の本当の困難はわかりにく
いのではないかとも思いました。僭越なことを申し上げているのは承知していますが、日本語と英語の間の溝は決して浅いものではないという基本的な考えがあ
ります。
お考えをお聞かせ下さい。
私の掲示板の方でも結構です。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1168 アメリカのセーター 投稿者:根石吉久 投稿日:10月27日(土)19時16分21秒
どなたかご存知の方がいらしたらお教え下さい。
ST さんとシナリオ「ゴースト」のレッスンの時に質問され、わからなかったことです。
He just asked me to remind you of the sweater that's in the
closet that you knitted that's too big. Four sizes.
ここに含まれる、Four sizes. です。
セーターが大きすぎる。four sizes 分大きすぎると言っているように思うのですが、
four sizes 分大きいというのはどういうことなのでしょうか。S、M、L、LLなどと
いうような分類では four sizes 分も大きいと Sを基準にとった場合に、LLよりも大
きいことになってしまいます。
インチなどで、セーターのサイズを数値指定するなどということはありますでしょうか。
ご存知の方がいらしたらよろしくお願いいたします。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1169 根石様 投稿者:同人社 Ton 投稿日:10月28日(日)00時09分13秒
枕〕 しかし、それにしてもすごい掲示板ですね。回転がすごい。〜「お暇をいただき
たい」と女房に言えば、それはあたしのセリフだよと言われるのがやはりせいぜい
関の山。煙草呑みとしては、ぜいぜいと咳をしながら体によくない量を読んでおります。
〔本題〕
1、脇田泰子様
■先ほど ご本人からお返事の書き込みをいただきましたのでご覧下さい。
2、Ton様。Lee様。
>とても詳しく AHO連盟の解説をしていただき、楽しく読みました。
ええっ、そうだったの、へええ、勉強になる、というのは毎度の私の言いぐさでも
ありますので、私も連盟に加盟する資格があると思うのですが、加えてくださいませんか。
私は AHO としては、ちょっと人様と張り合うことができるような自負があります。
■さきほどLee様、J様 AHO連盟加盟組織 AHO洗面器同盟会長、理事長
何人理事がいるかは不知ですが)から既に参加確定の対応がありましたようです。
当然、強制的に先生の門下生nobuさんも参加ですねぇ(ボソッ)。
3、Ton様
■はいはい。
>小○館に眠らせておかないで、同人社で叩き起こしていただく案ですが、
ネット上で同人社のお部屋に入れていただけるという意味だったのかもしれないと
思い返しました。その場合ですが(以下略)、
■多用な方法があると存じます。諸般、対応に馴染むと存じます。
業務に亘りますので、一度担当者を交えて企画を練らせてください
4、編集者さんがアメリカ育ちだと聞き、少しビビっています。アメリカ育ちの方には、
日本に生まれ日本に育った人が英語をやる場合の本当の困難はわかりにくいのでは
ないかとも思いました。僭越なことを申し上げているのは承知していますが、日本語
と英語の間の溝は決して浅いものではないという基本的な考えがあります。
お考えをお聞かせ下さい。私の掲示板の方でも結構です。
■Tonの私見を試験的にに述べます。(爆)
基本的に同意見です。先生、Example,ネイティブとの話をする時に、一番意を尽く
して通訳を選ぶこと、それは逆に「どの程度、日本語の語彙を持っているか」という
ことです。Tonは採用試験時、「蛇の生殺しみたいなことをせんで、もう少し輸入問題
について理解してください、日本の現状を」というのを訳してみて下さい。などとぶつ
けます。「蛇の生殺し」。。日本のBusinessman、政治家に限らず高度な話の中にジョ
ーク、ユーモアが沢山入ります。
生きた英語。会話の速度、そうした方面にも配慮されたものは必要だ、と思うわけです。
ここにおいて、先生の”英語が作る英語の磁場が払底している場所=日本、で(ふりむけ
ば回りは全て日本語圏)の学習法、においては「まともな語学論」は教師のためにも最も
必要だ、と考えています。受験英語でも理系、文系外語大系で受験方法、音作りの要不要、
ニーズも変わってくる部分もあろうかと思います。
「まともな語学論」の定着。。これはノーベル賞ものでしょう。やる以上は、小学館さん
のご努力を踏まえ、よりハイスハイスタンダードを基準に(「笑学館」だと笑われぬよ
うに)進める根気の要る仕事になろうかと考えています。
5、結語
しかしながら、先生の書き込み。。枕もす〜っと決まっていまして、これでは
生徒さんも楽しく学習できる、と感嘆符。今後ともよろしくお願い申し上げます。
ton@期待と楽しさ100増倍@楽しいレスをさせていただきました。
http://www.doujinsha.com
1170 根石様 投稿者:脇田泰子 投稿日:10月28日(日)00時11分08秒
初めまして。
「自由」と言う言葉は、事件当夜(米国東部時間の9月11日夜)、ブッシュ大統領が
全米向けに出した声明にも大手を振って出てきます。
邪悪で卑劣なテロ攻撃により数千人の命が失われ、わが国は深い悲しみに覆われている。しかし、彼ら(テロリスト)は失敗した、ビルの土台を壊すことはでき
たが、米国の基礎に触れることはできなかったからだ・・・とした後で、「米国が狙われたのは、我々が自由の主導者だからだ。」と来ます。
アメリカ建国史まで遡り、「自由」がどう捉えられてきたか、を振り返ると、まず最初に登場するのが、宗教的な「自由」を求めて1620年プリマスに上陸し
たピルグリム・ファーザーズ。彼等は、自由な個人が契約によって政治団体(国家)を作ることを確認、この精神が後々、植民地における民主主義発展の基礎に
なっていきました。ルソー、ホッブズやロックが登場する以前から、既に社会契約説的な国家観を持って、それを実行しようとした精神は見上げたものながら、
なぜかこの中に、ネイティブであるインディアンの含まれていない点が、根石様ご指摘の「インディアンを追っ払い、追っ払っても立ち退かない場合は殺す」い
ささか以上にも手前勝手な「自由」と、当初からダイレクトに結びついていたことがよくわかります。
何分、当時の絶対主義ヨーロッパと一番大きく異なっていたのは、誰もがたやすく土地所有者になれて、自然と戦うフロンティア・スピリットに勝っていれば、
その自分の采配如何で、所有地をいくらでも拡大できた点でしょう。その過程で自分の自由を邪魔するものは、それが先住民のインディアンであっても、放逐し
てもいい、と解釈していたこの視点は、実はブルボン王朝のフランスでルイ14世が「朕は国家なり」と言い出すよりも前から、アメリカの原点に芽生えていた
のでした。
(そして、この様に経済的、政治的な自立・独立の精神と、自由平等の思想こそは当然のもの、と意気に感じていた人々を中心に、次は文化面でもその気運を、
と1636年に作られたのがハーバード大学でした・・・と、この先も書きたいことは、個人的には山ほどあるのですが、キリがないので、割愛して、)
ニューヨークの「自由の女神像」が、アメリカ合衆国の独立百周年を記念して仏政府から贈られたのは有名な話ですが、その原型は1795年、パリのチュイル
リー公園に建てら
れました。今も同じ場所(名前はリュクサンブール公園に変わっていて、仏・国会上院があります)で、ひっそり木立ちの中に、たたずんでいますが、高さは
170cmくらい。ですから、これを
拡大し、鉄骨とブロンズで作った像を米国に送った訳で、その時、制作に尽力した彫刻家の言
葉がふるっています。
「アメリカにあるものは何でも全て大きい...たとえ豆であっても」大きいことはいいことだ、と謳われた時代も遥か昔のことになり、世界唯一の超大国アメ
リカの存在を疎ましく思う人たちが、目下、世界一の大ニュースを作り出している。
これもある意味、歴史の皮肉、と言っていいのでしょうか。ありがとうございました。
http://www.doujinsha.com/sub2.htm
1171 根石様 投稿者:Lee 投稿日:10月28日(日)00時15分33秒
Leeです。
サイト拝見いたしました。
トップのアニメは元気がいい!
我が家は正反対。
根石様とは気が合うか合わないか・・。最初は意気投合、最後はお互い飯台をひっくりかえすというところでしょう。
掲示板も元気がいい。小沢昭一わたしもだいすき!(教員しとっていつ聴くんじゃ〜)
英語を教えておられるそうで、回転ずしとかなんとか・・・。ふ〜ん。
わたしも専門は英語ですが、今はすっからかんです。
かろうじて「Leeのきょうざいかん」のポイント教材にフラッシュカード効果を使っています。効果は多分ないでしょう・・・。
根石様の
「Lee様から、AHO同盟加入の件で、Ton
様に私を推薦してくれませんか。このコネがあれば強いと思うのですが・・・。初対面でコネを使うというふとどきな輩がおり、それは私です。」
私はコネはきらいです! いままで効果があったためしがない!(使ったんかい?)
それより、AHO同盟は根石様のようなへ〜きで本音を言う方のためにあるものです。
さいきん同盟への男性の参加がすくなくなって、奥方(あたし)はさみしい〜。
小沢昭一的こころで勝手においで下さ〜い。
せんめんきを持ってお待ちしてます!
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/1544/
1173 アメリカのセーター 投稿者:同人社 kawakami 投稿日:10月28日(日)08時02分49秒
根石吉久様 投稿者:" "投稿日:10月28日(日)08時01分28秒
「あなたが編んで、洋服ダンスにしまいっぱなしのあの大き過ぎるセーター、4サイズ分もね。」
と日本語で聞いて、違和感がありますか? 辞書を引いても出てるかと思いますが、
単に「S、M、L、LLなどというような分類」だけでなく、(因みにアメリカ人は
LLでなく、XLと言います。(逆にXSと言うのも存在します。)
日本にも9号、11号と言った号サイズがありますね。これはアメリカもそうで、主に女性用かもしれまんせんが、4とか6とか偶数表示で、ワンピース、ス
カート、ブラウス・・・
確かにセーターについては、この数字によるサイズ表示は見たことがないようにも思いますが、
話の流れとして、4サイズ分大きい、と言うことではないですか。この話し手が女性なら、まずそれでOKでしょう。(と殊更疑問も感じず、やり過ごしてしま
いそうですが。)
男性だったら・・・?厳密にはインチ・サイズもありますが、これは主にジーンズなどボトムス用で、確かにセーターには「フィット」しません。しかし会話の
調子と勢いでイケてれば、これまたOKって雰囲気かとも思いますが、どうしても不思議なら、やはりアメリカ人に聞くのが一番かと。
尚、Tonさんに急に言われて根岸さんの「英語の件」を担当することになりました、アメリカ育ちは私です(笑)。よろしくお願いします。
http://www.doujinsha.com
1174 英検準2級リスニングテスト 投稿者:Eliot 投稿日:10月28日(日)23時50分11秒
根石様、皆様、ごぶさたしています。
テロ、戦争、anthrax、狂牛病騒ぎなど、気が重くなることばかりで、英語の学習(指導)法について議論をかわすような元気な気分ではなく、しばら
く書きこみを控えておりました。また、担当している中学3年生は来春イギリスへ約一週間のホームステイ修学旅行に行く予定でしたが、残念ながら中止が決定
しました。これも私の気分をかなり落ちこませています。
しかし、元気が出るできごともありました。自慢話になるかもしれませんが、報告させてください。10月21日に英検の一次試験があり、勤務校も準会場で
したので、多くの生徒が受験しました。中学三年生は一人を除く全員が準2級の試験を受けました。事前に過去問を二回分(リスニング問題を含む)を授業で
やって解答解説を配った以外は特に英検受験対策というようなことはしませんでしたが、試験後の授業で正解を教えて自己採点させたところ、リスニングが私の
予想をはるかに越える高得点でした。
70点満点のうちの20点がリスニングの配点なのですが、中3生100数十人の成績は平均点が17点で、3人に1人が19点以上(うち満点は全体の
15%)、2人に1人が18点以上、全体の8割の生徒が16点以上という結果でした。勤務校の過去一年の受験記録を見ると、準2級のリスニングテストの平
均点は12点前後で、満点を取った者は皆無でしたから、今年の中3生の聞き取りの力はそれに比べると相当高いということになります。彼らの筆記テストの得
点率は63%なのに、リスニングテストのそれは85%だったのです。
では、なぜ彼らは(たかだか英検の試験問題程度のことではありますが)英語を聴き取れるのでしょうか。私が思いつく理由は次の三つです。
@もしリスニング問題を目で見たとしたら十分に理解できるくらいの英語力(語い、文法力)がある。
A英語の音作りの練習を徹底的にやってきて英語の音(個々の音とつながった時の変化した音)を自分でも出せるようになっており、自分で出せる音は聞き取
れる。
B中2のときからNHKのラジオ講座(中2のときは基礎英語A、今は英会話入門)をテキストなしで聞き、その日の対話や例文などを書き取る(ディクテー
ション)練習をほぼ毎日のように続けてきたので、英語を聞き取るのに慣れている。
音を大切にした英語の指導を始めて2年半ですが、その成果がこのように目に見える形で現れて来ましたので、2年前に模試の成績が悪いじゃないかとか、発
音がよくてもそれが何だなどと言っていた一部の管理職も文句を言わなくなりました。少し気分が晴れましたよ。
1176 終了記録 投稿者:根石吉久 投稿日:10月29日(月)01時20分19秒
これまでにシナリオを一本終了させた方々のご芳名をここに記録します。
(2001年10月下旬現在)
(終了記録)
1.根石千代 「E.T.」 2000年?月
2.根石せい 「E.T.」 2000年?月
3.Eightball 「フルメタル・ジャケット」 2001年7月
4.戸倉町・Yさん 「E.T.」 2001年?月
5.Kお嬢 「ゴースト」 2001年?月
多分これだけだ。寸前まで来てる人が、奈良・大友さん。この方は、nobu
というハンドルネームで同人社の掲示板にも登場なさっている。今回、同人社さんとのご縁は、外務省の通訳試験検定なんとかのなんとかにお勤めのなんという
方か判明しない方が、nobu さんのリンクから根石吉久のホームページへ伝って来てくださったこと、お読みいただいて同人社の Ton
様にリンクしたらどうかとアドバイスしてくださったことによって生じました。
外務省の方、本当にありがとうございました。お礼申し上げます。
nobu様、あと一回か二回で、「スピード」が終了になりますね。その先は、「ミッドナイト・ラン」で、現在これをやっているのは村田君一人です。あれ
はいい映画です。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1209 Kawakami 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 1日(木)04時20分19秒
お聞きしたいと思っていたことがあります。
アメリカで育った方だそうですが、生まれたのもアメリカででしょうか。
何歳頃までアメリカにいらしたのでしょうか。
これはあくまで語学的な興味です。
その後日本に来られて、普段の言語はおそらく日本語だと思うのですが、英語が錆び付くということは起こらないでしょうか。
二十歳台で英語圏に渡り、数年後日本に帰ってきた人から、自分の中からどんどん英語が消滅していく感じがするということを聞いたことがあります。
Kawakami 様が英語圏で生まれて育った方であった場合、その錆び付き具合が違うのではないかと想像しています。
日本に生まれて育って、いったん英語圏に出て、また日本に帰ってきた人の場合は、日本で普段英語を使って生活するとか、英語を使って仕事をするんでなけ
れば、ずっと放置し続ければ、錆つくだけでなく、英語という鉄がなくなってしまうことさえ考えられる。
英語圏で生まれて育った人の場合は、錆ついても、錆を落とせば必ず鉄が出てくるのではないか。いくら錆び付かせても、鉄がなくならないのではないか。そ
んなふうに想像しています。
このあたりに非常に興味があるのです。
さしつかえない範囲でお教えくださればうれしく思います。
1210 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 1日(木)04時53分26秒
イギリスへホームステイの修学旅行を計画されていたのですか。さすが私立の学校だと思いました。そんな話は、善光寺盆地のこのあたりではとんと聞きませ
ん。テロ騒ぎで、とりやめになったとのこと残念です。このホームステイ修学旅行は、これまでにも行われてきたものなのでしょうか。今回が初めての計画だっ
たのでしょうか。発案はエリオットさんですか?
Eliot さんの生徒のその後の英語力の進展についてのご報告、ありがとうございました。
今ようやく時間がとれましたので、再度読ませていただいています。
以前にも書かせていただきましたが、現在の学校の中でできる最高の英語の授業をされていると思います。Eliot
さんの実践の中に、今後の学校の英語がたどるべき道があります。これは、もっと広く知られるべき実践です。この実践は、学校のすべてが腐り果てているわけ
ではないことの立証でもあると考えています。腐るも腐らないも、一人の教師で決まると思います。
とにかく、学校は「基礎」をやってほしい。「基礎」とは、「音づくり」そのものです。
>では、なぜ彼らは(たかだか英検の試験問題程度のことではありますが)
英語を聴き取れるのでしょうか。私が思いつく理由は次の三つです。
@もしリスニング問題を目で見たとしたら十分に理解できるくらいの英語力
(語い、文法力)がある。
A英語の音作りの練習を徹底的にやってきて英語の音(個々の音とつながっ
た時の変化した音)を自分でも出せるようになっており、自分で出せる音は聞
き取れる。
B中2のときからNHKのラジオ講座(中2のときは基礎英語A、今は英会
話入門)をテキストなしで聞き、その日の対話や例文などを書き取る(ディク
テーション)練習をほぼ毎日のように続けてきたので、英語を聞き取るのに慣
れている。
深くうなづくものがあります。Eliot
さんの方法についての洞察力と全寮制の私立の学校であるということがうまくマッチしていると思いました。私は、更埴市立などという公立の中学の生徒を相手
に泥の中でもがいています。
中学入試の選抜などのない、つまり学力に関して一切の前提のない人を相手にして英語をやらせる時、どんな泥が出現するかを眺めていて思うことは、公立の
小学校の言葉に対する手抜きです。個性だの自由だの馬鹿なことを言っているだけで、現在の小学校は日本語を粗末に扱っています。小学校に6年間通って、特
に難しい文でなくても、日本語のテキストの読みがまるでたどたどしく、日本語の文章をシンタックスとして捉えることのできない小学6年生、中学1年生にど
れだけ出会ってきたかしれません。Eliot
さんは、公立の学校の先生もされていたことがある方ですので、おわかりになるかと思いますが、日本語の力がない子供に英語をやらせることには非常な困難が
あります。日本語によって培われるべきイメージ形成力がないからです。英語をやる場合に、もっとも必要なのはイメージ形成力です。音に関しては、指導する
とか教えるということが可能ですが、イメージ形成力は素読のような地味な方法以外では実質を養うことはできないと思っています。
私は乱暴な人間ですので、日本語と英語を両方やらせます。あまりにも味もそっけもない書物ですが、英語の「教科書ガイド」を素読させるのです。「教科書
ガイド」は、日本語によって書かれているので、小学校の国語の授業の言葉に対する手抜きも補うわけです。
>音を大切にした英語の指導を始めて2年半ですが、その成果がこの
ように目に見える形で現れて来ましたので、2年前に模試の成績が悪
いじゃないかとか、発音がよくてもそれが何だなどと言っていた一部
の管理職も文句を言わなくなりました。少し気分が晴れましたよ。
私も、ST さんと同じように応援しています。
よかったですね。
近くに住んでいれば、お祝いに一緒に酒でも飲みたいところですが、今夜も一人で酔っぱらっています。本当にお祝いすべきことは、こういうことなのだがと
思っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1223 根石様 投稿者:Eliot 投稿日:11月 1日(木)07時10分04秒
私の書いたものの引用をなさるのは一向にかまいません。私自身がホームページを作ったり、本を書くなりして英語教育の改革を叫べばもっといいのでしょう
が、今のところそういう力量がありませんので、根石様に利用していただく形で私の実践をより多くの人に知ってもらえるのなら、大変ありがたいことだと思っ
ております。さらにもっと何か資料として必要なことがありましたら、ご協力しますので、お知らせ下さい。
イギリス旅行は管理職の発案で過去4回実施して、私の担当学年も行く予定だったのですが、中止になり、代替として国内のスキー研修に行くことになりまし
た。その行先は・・・長野県です! 残念ながら宿が更埴市から離れたところですので、生徒を置いて私だけが素読舎に遊びに行くと言うわけにはいかないよう
ですが。
国語力の弱い生徒の英語力の話ですが、おっしゃる通りだと思います。私は常々言うのですが、
「母語以上に外国語ができるようになるはずがない」
ですね。もちろん外国語ばかりやって母語の訓練を怠れば、母語の力も衰退しますが、それでも外国語の力が母語を超えることなどありえないことです。
以前、高校生に教えていた頃の話ですが、
I bought the book there.「私はそこで本を買った」と
the book I bought there「私がそこで買った本」の
説明をしていたら、生徒の中にはその日本語の違いさえよくわからず、
「同じことやん」
と言う者がいて、当惑したことがあります。どちらの和訳を聞いても、自分がそこで本を買う姿が浮かぶだけだから、同じように思えたようです。こういう生徒
達に I bought the book/the book I bought をわからせるのは至難の業です。
1229 素読舎 根石吉久様 投稿者:脇田泰子 投稿日:11月 3日(土)00時24分11秒
自由の女神の正体を・・・ /Mail
とのメッセージを同人社Ms. Kawakami 経由で戴きました。ありがとうございます。
「お返事を」と彼女も仰せで、ちょっと長くなりますが以下に記させて頂きます。ニューヨークの自由の女神、正式名「世界を照らす自由の女神」の台座の四方
には謂れなどを示した、言わばFAQに当たる説明文があリます。(しかし文面を見るに、恐らくご覧になっていないと思い、また、ここは本来どうも英語を論
ずる場所らしいので)その一部を原文で記します。
Liberty's Symbols (自由の女神が象徴するもの)
The Statue of Liberty conveys its message of freedom through a number of
dramatic symbols. The broken shackles at her feet signify escape from
tyranny. In her left arm she holds a tablet inscribed in Roman numerals
with
the date of the American Declaration of Independence, July 4, 1776. Her
diadem's seven rays suggest the seven seas and continentes. Perhaps most
significant of all, however, her torch and flame symbolize the light of
truth and justice illuminating the world.
<超意訳>
彼女が様々に伝える「自由のメッセージ」とは・・・
1)足元の壊れた鎖の足枷=元は奴隷だったことを示し、
暴政の足かせから解き放たれ、第一歩を踏み出そうとしていることを表わす
2)左腕に抱えた平板=米国の独立宣言日(1776年7月4日)が
ローマ数字で刻まれている
3)王冠の7つの光線=7つの海と7つの洲(くに)に自由が広がることのシンボル
4)右手の松明(たいまつ)と炎=世界を照らす真実と正義の光を象徴する
特に4番目の松明に関しては、古代ギリシャにもトーチを掲げるヘリオス(=後に「アポロ」と一体化される太陽神)の青銅像などがあり、16世紀になってオ
ランダ人が銅版画に描いたものから、自由の女神のモチーフが生まれたのでは、と言われています。なぜならローマ帝国時代にも、個人の自由、ひいてはローマ
国家そのものを司ったズバリその名もリーベルタース(Libertas=Libertyの語源となるラテン語)、つまり「自由の女神」の話があった、にも
かかわらず、ローマの貨幣にも多く描かれたその姿は、フェルトの頭巾(=解放される奴隷に被せられた)に月桂冠、槍を持っているのが定番で、松明は掲げて
いなかったからです。
被り物に槍、と来て思い出すのが、ニューヨークの像のほぼ半世紀前、1831年にドラクロワによって描かれた「民衆を導く自由の女神」です。彼女の「舞
台」は、同じ革命でも仏大革命でなく、その後、ナポレオン時代を経て、王政復古で即位したシャルル10世の反動的政治に頭に来たパリの「市民」がまたもや
蜂起した「7月革命」(1830年)の方ですが、大革命の時と同様、この女神もまた古代ローマ以来、自由を意味したフリジア(もしくはフリギア)帽と呼ば
れる赤い帽子を蒙り槍を持つ革命の重要なシンボルとして描かれています。
ではニューヨークの「自由」の女神には、なぜフリジア帽や槍が無く、逆に松明を掲げているのでしょうか。そこに至る謎解きのセリフをご紹介します。「我々
の考える自由とはアメリカ式であり、赤い帽子を被り、手に槍を持って屍の上を進んだりはしない。合衆国の人々の女神は、松明を扇情的に振りかざしたりせ
ず、世を照らす炎として静かに掲げ続けるだろう。」これは自由の女神をアメリカに贈る運動の中心人物、エドゥアール・ド・ラブレと言うアメリカ大好きの立
法学者のセリフ。この演説の後に像が米国に贈られたのは1876年ですが、彼が最初に思いついたのは更にその十年程前、米国ではリンカーンによる奴隷解放
が進む頃でした。彼は、各国がこうして自由に向け、力強く歩み出しているにもかかわらず、片や大革命を通じ、理想としての「自由」を世界に先駆けて手に入
れたはずのフランスがナポレオン三世の統治下、南北戦争でも保守的な南軍を支持し、世の中の流れに逆行するのが許せなかった。こんな頓珍漢ばかり繰り返す
反動勢力に対しては自由(厳密には共和制)を象徴する記念碑を米国に贈る、と言う奇策で一発、見舞いを喰らわして気勢を上げたい、と言うのが当初の本音で
した。
http://www.doujinsha.com/sub2.htm
1228 素読舎 根石吉久様 (2) 投稿者:脇田泰子 投稿日:11月 3日(土)00時19分53秒
像の製作者はアルザス出身の彫刻家バルトルディ(例の「アメリカは豆でもデカイ」と言った人。1834−1904)。像のモデルは妻、そして女神の顔は彼
の母、と言われます。
1870年、ナポレオン3世がプロイセンの宰相ビスマルクの術中にハマって普仏戦争が勃発。
これによりバルトルディの故郷アルザスは、ドーデの「最後の授業」にもあるように、プロイセンに割譲されます。バルトルディは、凱旋門の浮彫も制作したパ
リ美術学校の教授などの教えを受け、彫刻家として既に活躍していましたが、36歳でこの戦争が始まるとすぐ軍に志願。故郷を守る戦いに入りましたが、それ
も虚しく終戦を迎える頃には、「アメリカの独立を讃える像」の計画の存在を人から聞かされ、その構想を練りながら、ひとまず渡米します。船がニューヨーク
の港に入りかけた時、傷心の彼の脳裏に突如、世界を照らす女神像のイメージがひらめきます。その話をしたためた手紙をラブレーに送ったことから、計画が本
格化しました。「自由で世界を照らす」と言う当初の高貴なストーリーは、欧州で孤立を深めた仏が米国に擦り寄るための方策にとって代わり、像の制作も、故
郷を奪われたアルザス人の胸の内で燃え盛る愛国心のはけ口、と言った状況にはなりましたが・・・。
かくてアメリカに送られた女神像の構図は、ドラクロワの女神をアンチテーゼに、全てが決められました。好戦的な雰囲気や、民を統率して積極的に前に動き出
す力を暗示するものは皆ナリを潜め、直立する「静」の美によってのみ、希望と恵みを感じさせる謹しみ深い女神へと「変身」を遂げました。この点、最初の案
では彼女の左手に握られていた、圧制からの解放を示す引きちぎられた鎖も、法典を意味する石板に差し替えられ、鎖の方は、冒頭にも記した通り、辛うじて足
元に残されるにとどまりました。全てがこんな調子ですから、三色旗はもちろん、1789年の仏大革命を象徴するフリジア帽も外された。これが普仏戦争敗北
後、パリ・コミューンを経て成立した第三共和制の時代の空気でした。つまり軍部、カトリック、王党派など、様々な右派反動勢力との対立の
中で、共和制擁護派は政権の安定運営を第一に、日和見主義と非難されようが、あくまで穏健路線を貫いたため、急進的な改革を象徴するようなものは全て排除
する傾向にあったのです。ですから、自由の女神像と並ぶ、この時期の代表的なモニュメントで、パリ万国博覧会(1889年)の共和国像にも、革命のシンボ
ル=フリジア帽はありません。
http://www.doujinsha.com/sub2.htm
1227 素読舎 根石吉久様 (3) 投稿者:脇田泰子 投稿日:11月 3日(土)00時16分12秒
ところが当時の一般大衆はそんな政府の思惑などモノともせず、至る所にフリジア帽を被った共和国の像を勝手に建て始めます。この勢いはとどまるところを知
らず、また1897年からのドレイフュス事件で共和派が最終的に勝利を収めたこともあって、次第に彫像のフリジア帽も復活していきました。今でもフランス
の通貨や切手には共和制の象徴として、この帽子を被るマリアンヌと言う女性像が描かれていますが、ちょうど、このマリアンヌ像が仏で広がり始めたのが、第
三共和制の安定し始めた19世紀末なのです。ドラクロワの女神もマリアンヌの先駆けとして見ることが出来るように、彼女は仏革命の歴史の記憶の中から生ま
れましたが、自由や、自由な共和制国家の理念実現のために闘うシンボルから、次第に仏国家そのものの表象へと位置付けも変わっていきました。ですから自由
の女神は、贈ったフランス側の事情から眺めると、共和制に対するこの国の価値観の転換期の産物として捉えることができるのです。
よって、キリスト教と関係あるか、と言う点では関係ありません。なんだかつかみどころのない
しろもの、近代の女神なんでしょうか。と言う部分も、おっしゃる通りでして、古代のルーツも併せ持ちながら、実に近代の、まさしく今ある近代国家システム
を成立せしめた「近代」の歴史がその過程で生み出してきた作品と言えます。いずれにせよ、我々は仏大革命を契機に百年がかりの紆余曲折を経て出来上がって
きた社会に今なお安穏と暮らしているからこそ、この像に関連して長々と語っても、まあ許されるか、な、と甘い判断も何とか勝手に下せる、と言った具合でし
た。
以上、よろしくお願い申し上げます。
http://www.doujinsha.com/sub2.htm
1232 感謝 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 3日(土)01時48分38秒
Kawakami 様
ありがとうございます。
転写していただくと非常に助かります。
おお、ちびっこの時はニューヨークにいたんですか。
ニューヨークのどの辺にいたんでしょうか。一軒家が間隔を置いて並んでいて、日曜日なんかには庭の芝刈りがよく見られるような郊外でしょうか。安普請の
アパートの前に貧乏人ややばい人たちがたむろするようなところでしょうか。ご両親かお父さんの仕事の関係で、ニューヨークにいたんであれば、前者だろうと
は思いますが・・・。私は金に不自由しておりますので、ニューヨークで暮らす自信はありませんが、もしも万が一住むようなことがあれば、貧乏人ややばい人
のいるブルックリンみたいな場所で住むことになるだろうと思います。興味もそちらにあります。
ニューヨークは一度だけ行ったことがあるだですが、行く前にガイドブックを買ってきて読んでいたら、道で危なげなやつに話しかけられたら、無視してまっ
すぐすたすた歩けと書いてありました。ニューヨークで人に話しかけられたのは、喫茶店の店先のテーブルでコーヒーを飲んでいた時に、大学生がトイレに行こ
うとしたかなにかで、荷物を見ていてくれと言われたことくらいでした。その後、日本に荷物を送ろうと思って郵便局に行ったら、包装用のダンボールが品切れ
でしたので、町に出て、ダンボールを売ってるところを教えてくれと、道で人に話しかけたのでした。私に話しかけられたニューヨーカーは、私を無視してまっ
すぐすたすた歩きました。つまり、私が危なげなやつだったわけです。ガイドブックのアドバイスは、私は忘れてしまっていましたが、ニューヨーカーは忠実に
守っていました。歩いているニューヨーカーは役に立たないので、適当な店に飛び込んで、店の奥まで行き、そこらに転がっていた商品の搬送に使ったダンボー
ルを指さして、呉れと言ったら、100ドルだとか店の人が言いました。目が冗談を言っている目だったので、ニューヨークは物価が安いとか言いながら、タダ
でもらってきました。ニューヨークで、空のダンボール箱をかぶって歩いていた日本人は私です。だって、暑かったんだもん。
私の普段の風体を一見していただかないとこの話もよくわからない話なのですが、風体を想像していただくための一助として東京でのことを書きます。長野か
ら上京し、娘と新宿の紀伊国屋の前で待ち合わせをしていたのです。あそこはいつも混んでいるのですが、私の回りだけ妙に人がいない。後で娘が言ったことに
よると、娘は私に声をかけるのをやめて、そのままそっとアパートへ帰ろうかと思ったとのことでした。どこからどう見ても、ホームレスのおじさんが紀伊国屋
の前に立っているとしか見えなかったというのでした。そうなのか?
長野では、ウドというやつ(オーストリア人)がやってる酒場に時々行きますが、そこで、ニューヨークに住んでいたことがあるフレッドというやつに、
ニューヨークでのダンボール探しを話したら、そりゃ、お前が単に危なげなやつに見えただけじゃない。ダンボールハウスを作るためにダンボールを探している
と思われたからだと断言しました。
人を見る目がないやつらに囲まれて日々を送っています。
就学時に日本に来て、小学校に入り、中学卒業まで日本。高校・大学はアメリカ。
ふうむ。
日本での小学校入学時と、アメリカでの高校入学時では、どちらがきつい経験でしたか。
そのあたりは、なかなか言葉にしにくいものがありますが、思い出したことなどありましたら、教えて下さい。
1233 知識は面白い。(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 3日(土)03時48分19秒
脇田泰子様
とても面白かったです。ありがとうございました。
私はでかいものには興味がなく、自由の女神も奈良の大仏も、近くまで行く用事があっても、たいてい無視して帰ります。しかし、どういうわけか私の女房は
私よりでかい。これは無視することが難しく、ただ単にその威圧感に抗するためだけでも相当のエネルギーを使います。せめて、亭主関白でも演じて虚勢を張ら
ないと身が持ちません。いや、余計な話でした。
自由の女神は、元は奴隷だったんですね!
途中で変容したり、毒を抜かれたりしたものの、起源をたどれば、古代ギリシャやローマ神話までたどれるのだというのも、非常に驚きました。そういえば、
なるほど、ああいう感じの像というのは、ギリシャやローマのの彫刻と重なります。七福人などとは重なりません。なるほど。
彫刻ではなく、鉄骨に貼り付けたものだというところが、アメリカ的です。つまり、中ががらんどう・・・。中身はからっぽじゃねえかと言うと、美人の女神
やアメリカに対して失礼にあたるのかもしれませんが、確か、中は階段になっていて、女神の女体の内部を上に昇ったり下に下がったりできると聞いたことがあ
るような気がします。体の中を人に行き来させるとは、さばけた女神だと思ったことがあります。
おっぱいを片方出して、後ろを振り向きながら、旗をかかげ持って前進していく女の人を描いた絵を覚えています。あれがドラクロアの「民衆を導く自由の女
神」だったのかどうか。斜め後ろを振り向いているのは、自分が導いている民衆を見ていたのですね。私は、絵の中の民衆を見ずに、おっぱいを見ていました。
それも、女神だとも思わず、なんで、この人はおっぱいを出しながら、前進するのか、変な人だなと思っていただけでした。私は中学生の頃から、すでにそんな
ところばかり見ていた人間でした。なさけなや。
>ローマの貨幣にも多く描かれたその姿は、フェルトの頭巾(=解放される
奴隷に被せられた)に月桂冠、槍を持っているのが定番で、松明は掲げてい
なかったからです。
ローマの自由の女神は槍を持っているが、ニューヨークの自由の女神は松明を持っている!
なるほど。リーダーですね。
フェルトの頭巾、月桂冠、槍の取り合わせの図柄は、覚えておいて、今度からそのつもりで絵とか彫刻の写真を見てみようと思います。
フリジアというのは、花のフリージアと同じ言葉なのかなと変なことを思いました。フリージアというのがどんな花なのか忘れていますが、確かフリージアと
いう花があったように思います。
1234 知識は面白い。(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 3日(土)03時49分20秒
>被り物に槍、と来て思い出すのが、ニューヨークの像のほぼ半世紀
前、1831年にドラクロワによって描かれた「民衆を導く自由の女神」
です。彼女の「舞台」は、同じ革命でも仏大革命でなく、その後、ナ
ポレオン時代を経て、王政復古で即位したシャルル10世の反動的政治
に頭に来たパリの「市民」がまたもや蜂起した「7月革命」(1830年)
の方ですが、大革命の時と同様、この女神もまた古代ローマ以来、自
由を意味したフリジア(もしくはフリギア)帽と呼ばれる赤い帽子を
蒙り槍を持つ革命の重要なシンボルとして描かれています。
もう一度読んでみたら、あれっ、と思いました。そうでしたか。そうすると、私が覚えているのは、ドラクロアが描いたものとは違うような気がしてきまし
た。私が覚えているのは、頭には何もかぶっていなくて、髪をただ後ろで束ねていたような気がします。記憶違いはちょくちょくやらかしますので、こちらの方
も、今後気をつけて、もう一度よく見てみようと思います。
>「我々の考える自由とはアメリカ式であり、赤い帽子を被り、手に槍を持って屍の上を進んだりはしない。合衆国の人々の女神は、松明を扇情的に振りかざし
たりせず、世を照らす炎として静かに掲げ続けるだろう。」
同じラブレーでも有名な方とはえらい違いですね。こういうソフト化は、戦後の日本のダブルバインドやパラドックス(自由であると信じたいのにアメリカ軍
の元の自由でしかない。個性を唱えるところがもっとも没個性を強制している)にまで及んでいると思います。アメリカは独立のときに、反イギリスであったか
ら、イギリスがもっとも強く刻印されているのかと思っていましたが、フランスの水割りみたいなところもあると改めて思いました。
>これが普仏戦争敗北後、パリ・コミューンを経て成立した第三共和制の時代
の空気でした。つまり軍部、カトリック、王党派など、様々な右派反動勢力と
の対立の中で、共和制擁護派は政権の安定運営を第一に、日和見主義と非難さ
れようが、あくまで穏健路線を貫いたため、急進的な改革を象徴するようなも
のは全て排除する傾向にあったのです。
なぜだか、日本共産党を思い出しました。「政権の安定運営を第一に」というところが違うだけです。
>ところが当時の一般大衆はそんな政府の思惑などモノともせず、至る所にフリ
ジア帽を被った共和国の像を勝手に建て始めます。この勢いはとどまるところを
知らず、また1897年からのドレイフュス事件で共和派が最終的に勝利を収めたこ
ともあって、次第に彫像のフリジア帽も復活していきました。今でもフランスの
通貨や切手には共和制の象徴として、この帽子を被るマリアンヌと言う女性像が
描かれていますが、ちょうど、このマリアンヌ像が仏で広がり始めたのが、第三
共和制の安定し始めた19世紀末なのです。
フリジア帽はどこかで売っていないでしょうか。欲しくなりました。
>いずれにせよ、我々は仏大革命を契機に百年がかりの紆余曲折を経て出来上がってきた社会に今なお安穏と暮らしているからこそ、この像に関連して長々と
語っても、まあ許されるか、な、と甘い判断も何とか勝手に下せる、と言った具合でした。
まったくおっしゃる通りだと思います。自戒しつつ、言いたいことは言っていこうと思っております。
ありがとうございました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1236 <素材>1 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 3日(土)05時44分37秒
<素材>1
まえがき(学校英語という問題)
日本の学校英語が使い物にならないと言われて久しい。どこがどう使い物にならないかというと、話せるようにならないし、聞き取れるようにならないからだ
と言われてきた。また、一方で、日本人で英語をしっかりやった人は、話したり聞き取ったりはできないけれど、読んだり書いたりはできるとも言われてきた。
どちらもその通りなのかもしれないし、どちらも事の現象面しか言っていないのかもしれない。学校英語をいくらやっても、話せるようにならないし、聞き取
れるようにもならないということに関して、現象はまるでその通りである。おじいちゃんも学校で英語をやった。でも英語を使えない。お父さんも学校で英語を
やった。でも、使えない。お母さんもやった。でも駄目。私も学校で英語をやってる。使えるようになるのかな。
「私も学校で英語をやってる。使えるようになるのかな。」という中学生や高校生の疑問に対して、「普通」に学校でやってる英語や、「普通」に受験生が
やってる英語の勉強をやっても、そのままでは使えるようにならないよと言うしかない。
日本では、普通が普通ではないからだ。英語をやったんだから、英語が使えるようになるのが普通というものだが、そんな普通はめったにあるものではない。
めったにあるものではないことが、「普通」になってしまっている。
そのままでは使えるようにならないと思うよと言う時、私の顔は苦痛に歪んでいる。学校でこんなに英語をやってるんだから、ちゃんと学校の先生の言うこと
を聞いていれば、英語が使えるようになるだろうという子供たちの希望を目の前にすると、私の顔は苦痛に歪む。「使えるようになる」という一点に目をこらす
なら、学校英語も受験英語も、子供たちの希望に対する裏切りでしかないだろう。以前からそうだったし、今もそうだ。
また、非常に難しい大学入試の問題で得点できるのだから、日本人は読んだり書いたりできるのだというのも、現象面ではその通りに見える。しかし、これも
違うと思う。ここには、「音」の問題がすっかり抜け落ちている。これは、非常に言葉数を費やさないと輪郭をはっきりさせることのできない問題なので、後に
詳述したい。
全部が全部、文部省(現文部科学省)のでくのぼうのせいではない。日本の受験制度がすべての元凶だとも言うつもりはない。
日本には、英語という言語が作る「言語的磁場」がないのは、学校のせいでも文部科学省のせいでもない。そして、「磁場」だけが養いうる言語的能力が絶対
にあるというのは、私の確信になりつつあるが、学校は英語の磁場ではないし、受験生も英語の磁場の中にいるのではないから、「磁場」だけが養いうる言語能
力を持つことができないのは、学校のせいではないし、文部科学省のせいでもない。
それでも、文部科学省とそのお抱え学者はやはりでくのぼうである。日本に英語という「磁場」がないことは文部科学省やお抱え学者のせいではないが、その
前提を踏まえて、有効な学習法や教授法を編み出してこなかったのは、はっきりと文部科学省とお抱え学者のせいである。
でくのぼうだ。
これまでの学校英語をそのままでいいとは口が裂けても言えない。
絶対に問題があるのだ。
1237 <素材>2 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 3日(土)05時45分49秒
<素材>2
学校英語が駄目だというのは、もう言い古されて、ほとんど常識的な知識になっている。それなのに、学校英語は、相変わらず駄目な学校英語を続けている。
これまでに、問題が掘り下げられることがなかったこと、掘り下げる作業によって、語学の「原理」が見いだされることがなかったことが本当の原因である。
英語をやる人の傾向として、現状追認型のタイプが多いとは思ってきたが、大学の教授なんぞやっていて、語学に特有の「原理」をきちんと掘り下げることをや
らない者はただただ怠慢なだけである。放逐してよろしい種族だ。
私は、自分のホームページからリンクしてある無料掲示板で、いくつか「語学論」を書いた。このねらいは、自分で語学という領野に特有の「原理」を見いだ
したいということだったが、これに関して、私の掲示板に直接は書かず、他の掲示板で、「余計な理屈を言っているやつがいるが、そんなものを考えるより、単
語を一つでも余計に覚えた方がましだ」と暗に私の記事に鞘当てしている記事を読んで暗い気持ちになったことを覚えている。
まあ、自分の英語力をつけるには、「原理」などどうでもいいというのは、功利性だけで言えばその通りである。要するに自分に力がつけばそれでいいのだか
ら・・・。しかし、本当に力がついた場合は、その人の練習は「原理」を踏まえている。自分ではっきりと意識しないだけで、「原理」が働いているのだ。本当
に物事の成果を決めているのは、実は「原理」なのだ。
単語を増やすには、一つでも余計に単語を覚えるのがいいに決まっている。その人の語学力は、その分だけ太るだろう。しかし、「原理」を軽視する人は、自
分の英語力を太らせることはできても、決して自分以外の人の語学力を太らせることはできない。「原理」に踏み込むことができない人は、世にあふれかえるハ
ウツウのレベルにとどまることしかできないだろう。学習指導要領などというものも、出来の悪いハウツウ本の一つにすぎないということに、学校の英語の先生
たちは早く気づいてほしい。
既存のハウツウを使用して英語力は持てても、ハウツウを自分で発見したり、練り込む力を持てない人が多いのだ。そういう人に英語を教わったりした場合は
悲劇である。その人は、単に自分が英語ができるだけだからだ。自分で英語ができるだけで、生徒に英語力をつける方法は知らないからだ。だから、その人は、
指導要領みたいなものに従って、既存の学校の授業と踏襲するだろう。そして、生徒の側に起こる悲劇は、実はとてもありふれたものである。日本全国、津々浦
々、どこにでもある「普通の」学校の授業である。
とにかくやみくもにやって、自分なりの方法を見つけだすことが一番いいのだという意見も聞くことがある。その通りだと思うが、自分なりの方法を見つけだ
すことができた時とは、実は「原理」にぶち当たったときなのだ。
この本を書くことによって、私はあくまで「原理」を見つけたいと思っている。すでにみつけた原理を書くこともするだろうが、わずかであってもいいから、
いくつか新たに発見してみたいと思っている。そして、それが「自分以外の人の英語力を太らせる」仕事をしている人たちに少しでも役立てばいいのだがと願っ
ている。
学校の英語の先生、塾の英語の先生など、「自分以外の人の英語を太らせる」ことを仕事としている方々におつきあいを願いたい。「原理」を踏まえると踏ま
えないとでは、生徒の英語力として実現するものは天と地ほどに違ってしまうのだと是非知って欲しい。
今後、記事は自分の掲示板に断続的に、細切れのまま掲載していきます。
すでにこの掲示板に書き込みをなされている方々の意見を聞きながら、書き進めていきます。
(2001年10月3日)
1242 お返事 投稿者:脇田 泰 子 投稿日:11月 3日(土)19時43分03秒
早速にレスを賜り、ありがとうございます。前回がメイル or 掲示板用には顰蹙モノの長さでしたので、ご質問の部分のみ手短に。
> あれがドラクロアの「民衆を導く自由の女神」だったのかどうか。
> もう一度読んでみたら、あれっ、と思いました。
その通りです。ドラクロワの自由の女神は、確かに書き手自身の興奮がこちらまで伝わるような熱気で、他のパーツの印象が強すぎますね。でも頭の部分をよー
く見ると、「髪を後ろで束ね」、典型的なフリジア帽とはちょっと異なりますが、何やら被り物を乗せているのがわかります。
> フリジアというのは、花のフリージアと同じ言葉なのかなと変なことを思いまし
> た。フリージアいうのがどんな花なのか忘れていますが、確かフリージアとい
> う花があったように思います。
カタカナで記すとわかりませんが、花の freesia とは異なり、フリジア帽はふち無しで、上端が前方に垂れた円錐型の帽子の事で、英語では
Phrygian cap です。(アメリカ人はむしろ、Liberty Cap と言うように思います。) Phrygia
とは、小アジア中西部アナトリアにあった古代王国で、世界史的日本語?では「フリギア」、もしくは、より専門的には「フリュギア」とも綴るようです。(こ
こが英語関連のBBSなのでひとつだけご紹介しますと、Gordian knot = ゴルディウスの結び目、の話に出てくるゴルディウスが、この
Phrygia
の王様でした。)この帽子、元はスキタイや匈奴(きょうど)といった遊牧民が被っていたものらしく、そこからバルカン半島のトラキア人や、小アジアの人も
着用し始めたため、「東=フリギア」の観念でヨーロッパ人が勝手に「フリジア帽」と呼ぶようになった、と考えられます。しかし日本人にはむしろ三彩俑など
にも見られるように、遥か昔、砂漠を越えて長安までやって来ていたソグド人の隊商などが被っていたとんがり帽子、と言った方がピンと来るかもしれませ
ん・・・。これも上が前に垂れ、砂が入って来ないよう、耳と首筋の部分まで長く覆うようになっているところまで、フリジア帽そっくりです。仏大革命が始
まってすぐに出された人権宣言、あれを記した盾の版画でも、中央部分に立てかけられている槍の先端に、赤いフリジア帽がしっかり登場しています。
> フリジア帽はどこかで売っていないでしょうか。
1989年に革命200周年を記念する大イベントが行われた時には、仏政府公認オフィシャル・サプライヤーのロゴマークのついた様々なグッズと共に、確か
この帽子も売っていましたっけ。今はもちろん普段は誰も殆ど被らないけれど、時代劇の小道具には必ず備えられている、そんな代物です。以前、東京に遊びに
来たスウェーデンの友人が「ヨーロッパには絶対にないから」と言って捜し求めたみやげ物の中に、レストランなどの店頭に並ぶ、ろう製のメニュー見本があっ
て、東京の合羽橋までわざわざ連れて行ったことがありますが、このご質問には、当時のことを思い出すほどのユニークな突飛性があって、大いに「楽しませ
て」いただきました。多謝。
http://www.doujinsha.com/sub2.htm
1243 10+10(「電話でレッスン」・テスト) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 4日(日)00時08分58秒
これまでもっこりさんの、復習を兼ねたテストは、復習全範囲移動分が10個、先端部分が5個でやらさせていただきましたが、ご本人にお勧めして、先端部
分の復習5個を10個に増やしました。
「10+10」のテストで今後進めていきます。
昨日、Mちゃんのお母さんにも「10+10」を勧めたのですが、練習をする時間を今月は増やせないとのことで、激しい抵抗にあいました。来月から「10
+10」でやっていただくことをしぶしぶながら承知していただきました。
シナリオのテキスト5,60ページくらい進め、それまでの練習と同じレベルでやっていると、最初の方に錆が寄ります。これを放置しておかない方がいいの
で、「10+10」の復習体勢は早ければ5,60ページ進んだ時点で導入いたします。もっこりさんの場合は、60ページちょっと終わった時点で導入しまし
た。
これをやると、テストに時間を余計とられる可能性がありますので、それに抗していただく必要があります。つまり、単位時間あたりのレッスンを濃いものに
していただく必要があります。同じ5分間でも、中に詰まっているものを多くしていただくということです。このためには、普段の練習の単位時間あたりの濃度
を濃くしていただくことが必要になります。
一冊目のテキストに関しては、今後以下のような復習体勢になります。これまでより、きめの細かいものになります。
・初めの5ページ程度まで。 先端部分のテスト5問(ページ数と一致せず)
・初めの10ページ程度まで。 先端部分のテスト10問(ページ数と一致せず)
・5、60ページ程度まで。 先端部分5問(ページ数に一致)
復習全範囲移動10問(途中からページ数に一致)
・以後、一冊目終了時まで。 先端部分10問(ページ数に一致)
復習全範囲移動10問(ページ数に一致)
----------------------------------------------------
以上、これまでのテスト方法の一部変更のお知らせです。
1244 往生の物語 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 4日(日)01時23分52秒
仏教とは関係ありません。
昔、「O嬢の物語」というエッチな映画がありましたが、それのもじりです。
Oという英単語の中の一文字に往生した(苦労した)ということをひっかけてあります。
英単語の中に出てくるOを「ア」系列(日本人が「ア」と感じる音の系列)で発音するばあいは、用心が必要だと改めて思いました。
Mちゃんのお母さんの「電話でレッスン」をやっていて、
cop
の真ん中のOを、口の両端を斜め上に吊り上げた時に出る[ae]音で発音なさるので、張りやつやのない音で、cup
と同じだと言いました。文脈によってどちらであるかが判断されるだけだと言ってしまったのでした。レッスンが終わって、パソコン画面に表示されていた
cop の発音記号を見て、目が点になりました。
間違ったことを言ってしまったのです。
cop のOは [a]音だった。
cup の Uは逆さVだった。
Oはくせものです。
Oは「ア」系列だけの中でもいくつかに変容します。
私の発音記号を頼る知識が間違ってしまいました。[ae]にはならないはずだというところまでは合っていたのですが、これが「開く音」であることは知り
ませんでした。ちなみに、「開く音」と「狭い音」という概念は、鵜田さんという方が初めに言われた言い方で、非常にすぐれた着眼点だと思っています。この
方のこの着眼ひとつによって、私は大きくおかげをこうむりました。日々の「電話でレッスン」でいつも使わせていただいています。
Mちゃんのお母さんは、[a]という音が「狭い音」ではないというところが合っていました。
私も、つやや張りはないというところまでは合っていました。
ちょっとした言い合いになったのでしたが、Mちゃんのお母さんが言うのは、「高く抜けるような音」だということでした。私はその言い方で音のイメージが
つかめなかったので、とにかく、艶や張りはない。金属音ぎみの音ではないと言い張りました。
正解は、赤ちゃんが初めに出す音。[a]音でした。
Mちゃんのお母さんは、「開いた音」を「高く抜けるような」と感じたのです。これは、アメリカ式の発音の傾向を示しているのではないかと思いました。ア
メリカ式は、[a] が[ae]の方に引っ張られる傾向があるかもしれないと・・・。
私と生徒さんとで、半分ずつ間違ったという具合でした。
Oはくせものです。
正解は、赤ちゃんが初めに出す音。[a] でした。
「ア」系列に関しては、これも鵜田さんの考えに大きくおかげをこうむっている考えですが、私は3種類だけはきちんと区別すべきだと思っています。以下に
その3種類を書きます。
[a] 歯と歯の間を開く。一番力が要らない音。赤ちゃんが最初に上手に出す音。
[ae] 口の両端を斜め上に吊り上げる。(ものの本では、口の両端を横に引き、あ
ごを下げるなど記されているが、これだと二段階のように意識される。実際
は一発で発音される方が多く、口の両端を斜め上に引っ張り上げるだけで、
一発で出る。
[逆e] [逆v]
口をせばめて、喉から息を送り出す。せばまったところに息がぶつかり、こ
もったような音になる。洞窟の中の反響みたいなものが頭蓋骨の中で感じら
れることがある。
これの区別がちゃんとできるようになるだけでも、日本人の英語は今よりもずっと通じるようになります。
----------------------------------------------------
以上、「ア系列」についてです。
Eliot さんにご意見をうかがいたいと願っています。
Kawakami さんはこんなことをいちいち意識しないと思いますが、どんなふうに思われましたで
しょうか。
1245 <素材>3 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 4日(日)05時17分20秒
<素材>3
文全体としての「音」
小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」という本を書いて一年半ほどたったが、その間に考えたことはほとんど自分のホームページに書いた。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
文庫以後に考えたことには、「磁場」の問題がある。英語という言語的磁場が「ない」場所で、英語をやることこそがもっとも語学らしい語学なのだと考える
一方で、「磁場」だけが養うことのできる言語能力が絶対にあるという考えも出てきた。これらに関しては、後で詳述したい。
「磁場」の問題の他に、考えたのは「音」の問題だった。
いきなり、「音」の問題を書くことにする。
自分の掲示板『大風呂敷』を開設してまもなく、Eliot
というハンドルネームで書き込んでくださった方がおられ、この方は非常に英語の「音」に関して詳しい知識を持っておられた。そんなことは初めて聞くが、な
るほど自分の口を動かして試してみると、Eliot
さんが説かれる通りの舌の動きになったり、説かれる通りの音の連続になると納得することが何度もあった。
Eliot
さんは単に英語の音に関する知識が豊富であるというだけの方ではない。この方は佐賀県の中高一貫の私立高校の英語の先生であり、現在(2001年10
月)、中学三年生を指導しておられる。自分の知識を授業の中で存分に活用しておられる方である。
小学館文庫以後、「音づくり」という語を私は使用していたが、Eliot
さんは、掲示板『大風呂敷』で、そのものずばり「音作りへの道」というタイトルの記事を連載してくださった。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
この記事は完結し、現在、私のホームページの「大風呂敷の記事の倉庫」に格納されている。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/000.HTML
この Eliot
さんの学校での実践は非常に注目すべきものである。ここに、今後の学校英語が蘇生するためにたどるべき道があると私は確信している。この本でも、
Eliot
さんの「音作りへの道」から引用させていただく部分が多くあるだろうと思う。読者の皆さんも、インターネットに接続されておられたら、是非読んでいただき
たい。とりわけ、学校の英語の先生には首根っこをつかまえてでも読ませたい記事である。
掲示板上でこの方に出会って以後、私は「音」の問題を考えることが多くなった。
1246 <素材>4 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 4日(日)05時18分22秒
<素材>4
英語の「音」あるいは「発音」というと、単語を単独に発音して、音がきれいだとか正確だとか評価するようなやり方がある。例えば、NHKの語学番組で
は、ラジオ・テレビという一方通行のメディアの性質上、視聴者の発音がきれいだとか正確だとかの評価はなされないが、単語単位で発音練習をさせている。中
学の教科書の文を吹き込んだCD教材などを聞いてみても、単語単位で発音練習をやるようになっている。こういう構成をとっている教材や番組では、文全体に
関しては、ただ「ネイティヴの音をそのまま真似ろ」という考えが前提になっている。
口の筋肉や舌の位置のどこをどうすればネイティヴと同じ音が出てくるのかを説明することはまずない。
これらの教材や番組の構成の前提になっている考えは、単語単位で発音をクリアすれば、獲得された単語の音を組み合わせることで文全体も発音できるとする
考えだろう。これは、とてつもなく甘い考えだというしかない。
日本語というどの単音にも母音がついている言語の音と、子音が立て続けに連続する英語の音とはその組成が元から違う。この巨大な距離を埋めるのは、音楽
的な感覚が発達した人には難しくないかもしれない。しかし、多くの人には非常に難しい。一例を示せば、「舌を上の歯茎の裏につけたままにしている間だけ音
を出して、舌を離したときは音を出さない。そうじゃないと、トとかトゥとかいう音になっちゃって余計な母音がくっついてしまうから」というような説明がな
いと、多くの人には英語の音の近似値すら出せないことが多々ある。こういう指導をやっているところは、星の数ほどもある英語教育機関の中でも非常に少ない
はずだ。
英語の音作りを激しく、厳しくやっている所は極めてまれだと思いま
す。実際、英語の教員の多くにとって英語の発音は、できれば避けて
通りたい弱点です。自分自身が通じるレベルの音が出せない教員がた
くさんいますし、そこそこ通じる音を出せる教員もその多くが英語の
音作り必要な知識を体系的にルール化して生徒に教えることができま
せん。例えば、根石さんが示しておられるような、音と音がぶつかり
合ったときの音の消失とかいうことも生徒に説明できるような知識と
しては持っていないのが現状です。
(Eliot 『音作りへの道』)
例えば、ここにある「音と音がぶつかり合ったときの音の消失」という問題は、単語単位で発音練習をしていたのでは決して解決しない。ここにひとつの法則
が導き出せるだろう。
<法則1> 英語の音を扱う場合は、いつも文全体で扱わなければならない。
文全体として「音」の問題を扱う時、次に必ず出てくる問題は、リズムとかイントネーションというものである。つまり、英語学習上での「音」というのは、
単語の発音のことではなくて、リズムやイントネーションを備えた文全体をどう扱うかという問題なのである。
単語単位で扱うだけでなく、記号や番号で正解を答えさせるような学校のテストや入試の記述式「発音問題」(!)はまったく問題外である。音韻学者を育て
ているわけではあるまいに、中学生に向けたテストで発音を字で処理させているのだ。ただただ愚劣なだけである。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1250 米音か英音か^/e/i/o/uの短母音 投稿者:Eliot 投稿日:11月 4日(日)22時46分45秒
根石様
英語の音を教える(または学ぶ)際にまず決断せねばならぬことがあります。それはアメリカ英語とイギリス英語のいずれかを手本にするかということです。
私は日本人学習者にはアメリカ英語でもイギリス英語でもない、かといっていわゆる日本語訛りではない「日本人用の標準英語発音」というべきものがあってし
かるべきと考えており、その具体的な提案もできるのですが、如何せん、そういう発音で作られた教材が存在しませんので、一般的にはアメリカ英語かイギリス
英語かの話者が吹き込んだ音声教材を利用して教える(勉強する)しか手はありません。そして現在日本で入手可能な音声教材の大部分がアメリカ人をモデルと
して採用している以上、好むと好まざるにかかわらず、アメリカ英語を手本にして英語の音作りをするしかないと思います。中学校の教科書準拠の録音もすべて
がアメリカ英語でしょう。また、NHKのラジオ講座である基礎英語@、基礎英語A、基礎英語B、英会話入門、英会話、やさしいビジネス英語のゲストの英語
母語者(長たらしい「ネイティブスピーカー」の代わりに「母語者」と言うことにします)たちは全員アメリカ人です。NHKの他の英語講座(高校英語など)
のゲストとしてたまにイギリス英語母語者が使われていることを除けば、まさにアメリカ英語一色という状況です。
まったく英語を知らない中学一年生から始めて2年半生徒達に英語を教えてみてわかったことは、音声の習得ということには極めて大きな個人差が生じるとい
うことです。ある生徒は何の説明も聞くこともなく、入学前の春休みに教科書準拠の録音教材を聞いていただけで、非常に上手に発音できるようになっていまし
たが、別の生徒は2年半私の授業を受けてもひどい日本語訛りのままで、母音の区別さえままならない状態です。後者の生徒達にとっては、録音教材がアメリカ
英語だろうがイギリス英語だろうがまったく関係なく、モデルの発音を聞いても、細かい音の違いなどを聞き取ることができません。彼らにとっては
Hurry, Harry.は「ハリー、ハリー」ですし、not は、いかにモデルがアメリカ英語で naht
のように発音していても、頭の中で自動的に「ノッt」と訂正されてしまうので、彼らの口から出て来る音も当然「ノッt」となります。
ところが、非常に耳のいい生徒達は細かい点まで聞き取れますから、
1251 米音か英音か(a/e/i/o/uの短母音の話の前に) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 4日(日)23時17分02秒
前の書き込みは、作業中に誤って投稿してしまったものです。題名も間違っています。失礼しました。以下、続きです。
・・・そういう生徒達は、もしモデルとして聞いているアメリカ英語の録音教材と指導者の発音が異なると、その違いに気付きます。指導者が日本人でその発音
が悪いということもありますが、別の国の英語発音であることもあります。まったくの初心者である中学1年生の場合、録音はアメリカ英語、先生はイギリス英
語では、不必要な混乱を招く恐れがあります。例えば、
Joe can't bear her laughter.
という文中で使われる母音は、アメリカ英語とイギリス英語では「全部」違います。学習者が、録音でアメリカ英語の音を聞き、教員のあとについてイギリス英
語の音を真似するということの不合理さは、共通語の録音を聞きながら、東北訛りの先生の発音を真似するよう強請される日本語学習者を想像してみればわかる
でしょう。
初心者(一般的には中学1年生)に既存の教材で音作りをしようとする指導者はアメリカ英語の音に関する十分な知識を持ち、録音教材のアメリカ英語母語者
の発音を生徒に解説しながら、生徒達にアメリカ英語の発音を徹底的に模倣することを奨励せねばならないと私は考えます。このことは、よく一般になされる
「アメリカ英語の方がいいのか、それともイギリス英語の方がいいのか」という議論とは別の問題です。
1252 a/e/i/o/u/ 投稿者:Eliot 投稿日:11月 4日(日)23時40分59秒
さて、これから a/e/i/o/u
の短母音の話です。大雑把に言うと、これら五つの母音のうち、アメリカ英語とイギリス英語で、同じ音だと言えるのは /i/
だけです。他の音はすべて異なります。ただし、ここで言う「アメリカ英語」はいわゆる「中西部の英語」のことであり、「イギリス英語」は Daniel
Jones の発音辞典で「BBC英語」と呼ばれるもののことです。
まず /a/
ですが、アメリカ英語の音はあごを大きく落とし、舌先を下の前歯の裏側に付けたまま、唇を左右に大きく開いて発音される音です。一般的に「ア」と「エ」の
中間と言われますが、そういう説明では、唇を左右に大きく開くという点が抜け落ちてしまいます。根石さんがおっしゃるように、一発で説明せよということで
あれば、私は
「般若の面の口」
と言っています。
イギリス英語ではこの音は20世紀の間に変化を遂げて、アメリカ英語と同じ音(これはシェークスピアの時代からの音と言われています)から
1253 訂正とお詫び 投稿者:Eliot 投稿日:11月 4日(日)23時52分07秒
また途中でEnterキーを二回連続して叩いてしまい、意図せぬ投稿となりました。失礼しました。以下、続けます。
・・・あまり口を左右に開かない音に変わっています。特に若い世代ではこの傾向が顕著です。日本語話者が日本語の「ア」を /a/
として使ってもあまり違和感を感じさせることはないでしょう。(続く)
1255 祝・「スピード」終了 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 5日(月)02時54分35秒
「電話でレッスン」の生徒さん、奈良・大友さんが、今日、映画のシナリオ「スピード」を一冊終了させました。おめでとうございます。皆さんでお祝いして
下さい。また、以前に、「スピード」が終了したら、「スピード」をテキストにしたい生徒さんが申し込まれた場合に、コーチをやっていただけないかとお聞き
し、承諾を得てありますので、素読舎「電話でレッスン」のコーチ陣に加わっていただきます。「スピード」をテキストに選ばれる方は、ひとまず、この掲示板
に問い合わせていただくか、私にメールをお願いします。私の方から、大友さんに連絡します。あるいは、私のホームページの「リンク」から大友さんのホーム
ページをたどり、連絡をとっていただいても結構ですが、レッスンを始めることが成立しましたら、私の方に連絡をいただくことと、途中でコーチ側であろう
と、生徒さん側であろうと、問題が生じた場合に、この掲示板に問い合わせていただき解決していただきたく思っています。
「電話でレッスン」に関しては、私と妻がお引き受けできる枠数はあまりありません。お引き受けできるだけはお引き受けしますが、その後は、現在の私の生
徒さんにコーチをしていただいて、私の方法を広めていくことを考えています。
大友さんは、次回からは「ミッドナイト・ラン」に突入します。また、復習全範囲テスト10個、先端部分復習テスト10個でテストをいたします。
「ミッドナイト・ラン」が少し進んだあたりで、復習範囲テスト10個をもう一カ所増やしたいと考えていますが、新しいところをやる時間をテストが圧迫し
まので、私の方法を回りに広めていただいて、どなたか生徒さんをご紹介いただきたくお願いいたします。紹介いただいた生徒さんが、レッスンを継続している
期間は、レッスン時間を毎回5分延長させていただきます。
私の方で引き受けることのできる枠は、夜の時間帯ではほとんどなくなっています。現在使えるのは土曜夜10時50分から11時20分という枠です。昼間
の枠は今後設定する予定がありますが、引っ越しを予定しており、自宅自作の現場に時間をとられておりますので、引っ越し以後の設定となります。
これまでにシナリオを一本終了させた方々のご芳名をここに記録します。
(2001年11月上旬現在)
(終了記録)
1.どこかの娘 「E.T.」 2000年?月
2.根石せい 「E.T.」 2000年?月
3.村田晴彦 「フルメタル・ジャケット」 2001年7月
4.戸倉町・Yさん 「E.T.」 2001年?月
5.Kお嬢 「ゴースト」 2001年?月
6.大友伸尚 「スピード」 2001年11月
以上のうち、2,3,6番の方は素読舎「電話でレッスン」のコーチをしていただいています。
また、本名を明らかにしておられない方も、「音」のこなれに問題がなくなった時点で、本名を明かすことを条件に、コーチに加わっていただく予定です。
1257 <素材>5 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 5日(月)04時49分11秒
<素材>5
.語学では、音と意味は分離する
音と意味の間に、本来は何の必然的な関係はない。音と意味の間に普遍的な必然があれば、こんなにもいろいろな言語がこの世界にあるはずはなく、少なくと
も単語を羅列するだけのレベルにおいては世界のどこででも話は通じるはずである。しかし、現実はそうではない。音と意味の間に、普遍的な必然性はないから
だ。
しかし、ある一定の時、ある一定の場所、そこに生じている状況においては、音と意味の間に緊密な必然性が生じる。英語という言語の磁場であろうと、日本
語という言語の磁場であろうと、それぞれの言語の音が、具体的で限定された意味と緊密に結びつく。たとえ誤解が生じたとしても、誤解という形での関係性が
リアルに形成される。
この過程は、具体的な言語の磁場にいる時はほとんど意識されることがない。音を音として意識することもないし、意味を意味として意識することもない。意
識はほとんど、「相手の意図」に向けられている。
「馬鹿!」という単語一つでもそうだ。辞書通りの意味で、相手をけなす場合にももちろん使えるが、恥ずかしそうにうれしさをかくしながら、女の人がこれ
を発音するならば、事態はまったく別のことなのだ。具体的な事態については、読者各々の想像におまかせするとして。
意味のもっとも痩せたものは辞書で確認できる。しかし、言葉の意味は生きた状況で絶えず生成する。それは存在するのではなく、生成するのだ。だから、そ
のたびごとに、精密な意味あいは違っている。その小さな違いが、広く人々の間に浸透するならば、辞書はその浸透した違いを収録するだろう。文字として、説
明として固定され、意味は痩せるだろう。
私の日常の言語は日本語だが、この言語を使いながら、日本語の音が意味と結びつく瞬間などを意識することはない。むしろ、日本語の音とその音と同時に成
立する意味は一体のものだとさえ感じられる。
英語をネイティヴな言語とする人にとっての英語も、事情は同じに違いない。生活言語における、音と意味の一体化は、生活言語における自然である。
しかし、語学においては事情は一変する。
語学においては、生活言語の自然はない。生活言語がオアシスであるならば、語学の言語は砂漠のようなものであり、また語学の言語をオアシスだとする人に
とっては、生活言語は砂漠のようなものである。砂漠とオアシスは、接続してはいるが、質的な連続はない。質を言うならば、ウラハラのものだ。
非常に多くのハウツウ本が、ここを無視する。
私は、もっと簡便に、生活言語と語学の言語は別物だと言い切るのがいいのだと考えてきた。
世にはびこる英会話学校の多くは、生活言語と語学の言語という本来まったく性質を異にするものが、質的に連続するかのように幻想する人々の幻想を金儲け
のバネとして使う商売に過ぎない。英会話学校の隆盛は語学的な現象ではなく、あくまで商売的な現象である。もしも、あれが語学的な現象であったら、愚かな
現象であると言うしかない。(少数の語学の原理を踏まえた英会話学校を例外としたいが、それはすでに「英会話」学校ではなく、英語学校だろう。)
1258 <素材>6 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 5日(月)04時54分20秒
<素材>6
音と意味に関しても、語学においては生活言語とは事情が一変する。
本来、音と意味の間に必然はないということが、語学という場ほどにあからさまに現れる場所はない。
語学をやり、apple はりんごであるという関係を信じている人は、すでに apple という単語に何度も出会い、いくつかの文脈の中で何度か
apple に出会った経験を持つ人である。しかし、初めて apple に音として出会った人にとって、apple
はりんごでもなんでもない。音として出会ったのであれば、見知らぬ変な音であり、字として出会ったのであれば、見知らぬ字の変な連続にすぎない。この経験
は、いつでも誰にでも可能である。知らない単語に出会ったときに自分の中に生じている「見知らぬ変なもの」に対する感覚を思い出せばいい。
語学における「見知らぬ変なもの」は、ネイティヴの中にいる幼児にとってはそのまま、「未知のおもしろいもの」である。「未知のおもしろいもの」である
から、それに出会った幼児は何度も自分の口で繰り返し言い続ける。それを自分の口で真似て言い続けることの快感に酔っている顔をしている幼児さえいるくら
いだ。酔いをもたらすほどに身体的な言語との交わり。それがネイティヴ言語というものだ。
しかし、青年や大人がやる語学においては言葉は幼児が面白がるほどに面白くはない。語学は生活過程ではないから、おもしろがることをやっているうちに自
然に覚えてしまうというような過程ではない。語学において初めて出会った単語が「未知のおもしろいもの」であるということがあったとしても、語学では、あ
まりにやらなければならないことが多すぎるため、そのうちに初めて出会った単語は、「見知らぬ変なもの」あるいは、「覚えなければならないいやなもの」と
なってしまう。対象との間に距離が生じてしまうのだ。ネイティヴ言語の中にいる幼児が知らない距離が、語学においてはごく初期に生じる。
語学において、音と意味は分離する。あるいは、分離している。あるいは、分離してしまう。あるいは、分離していてかまわない。あるいは、あえて分離させ
る。あるいは、分離を統合する。
いずれにせよ、音と意味の分離こそが語学の言語に特有な顕著な性質である。
このことは抽象的な言いぐさだと受け取られ、簡単に無視されやすいが、しかし、ここにこそ語学に特有のバネが生じる根拠がある。
<原理1> 語学では音と意味は分離する。
1262 a/e/i/o/u(その2) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 5日(月)14時26分03秒
/a/の音はアメリカ英語でも方言によって音価が異なりますが、今回は深入りしないことにします。ただ二つだけ、意外と知られていないことを書いておく
ことにします。
hair, thereの母音は一般的には /e/
の音から始まると思われていますが、アメリカ英語でもイギリス英語でも、/a/+あいまい母音(逆さe)か /a/+/(e)r/
のように発音されることがよくあります。イギリス英語では /a/ の音の方が普通なくらいです。アメリカ英語でも parent や various
などの強勢のある母音は /a/ であることも多いのです。
もう一つ、marry, carry, Harry, Paris, embarrass などのように /a/+r
の組み合わせでは、アメリカ英語母語者は /e/+r で発音する人が非常に多くなってきています。そういう人の発音では
marry/merry/Mary の三語の発音はまったく同じで、merry と発音されます。
/e/の短母音です。日本語の「エ」とアメリカ英語の/e/とイギリス英語の/e/を比べて見ますと、日本語の「エ」イギリス英語の/e/はほぼ同じと
考えて差し支えないでしょう。アメリカ英語の/e/はそれよりももっと口を大きめに開き、やや「ア」に近い響きがある音です。アメリカ人が f や s
を ess や eff と読むときの e の音は私たちの「エ」とは違うのです。
しかしながら、実用面では /e/ を「エ」で代用しても何の誤解も違和感もないはずです。イギリス英語では /e/
は「エ」とほぼ同じですし、オーストラリア英語ではもっと口を狭くして発音することも一般的ですから、日本人がアメリカ式の「開いた
/e/」を習得しなくても問題はありません。
/i/
の音はその音だけを取り出せば、英米の差はありません。日本語の「イ」と「エ」の中間の響きを持つ音であり、日本語だけでなく、多くの言語には存在しない
音ですから、この音をきちんと発音できずに外国語訛りが顕著に残る人がたくさんいます。発音の仕方の指示は、上下の前歯を数ミリ離して「イ」と「エ」の中
間の響きを持つ音を出しなさい、とか、鉛筆(または小指の先)を噛んだまま「イ」と「エ」の間の音を出しなさいとか言えばいいと思います。
この音はアメリカ英語では語末には来ません。〜y で終わる単語に英和辞典の多くが[〜i]という発音を表示していますが、アメリカ英語では、語末の
/i/
の音は日本語の「イ」と同じような音です。アメリカの辞典では[i:]の音と同じ記号を与えてあることもありますが、実際にはあまり長く発音されることは
ありません。語末の[i:]が「イ」のようになる現象はイギリス英語にも広まりつつあるようですが、city
の二つの母音をまったく同じように発音するイギリス人は多いようです。アメリカ英語では /sit-ee/(ただし ee は短く)、日本語訛りでは
/s(h)イティ(−)/ですね。
/i/ に関してアメリカ英語とイギリス英語の相違点はこの他にもあります。例えば、idea とか museum とかの中の ea とか eu
の部分の発音ですが、イギリス英語では /i/+あいまい母音(=逆さe)ですが、アメリカ英語では
/ee/+あいまい母音です。このように、イギリス英語では単語の途中で
/i/+他の母音ということがありますが、アメリカ英語では、その場合、/ee/+他の母音となります。
もうひとつ /i/ の使い方でアメリカ英語とイギリス英語が違う点があります。それは強勢がない音節で、つづり字が、〜age, i, e, ai
などのときにアメリカ英語はあいまい母音、イギリス英語は /i/ となることが多いということです。イギリス人が言う American
は「アメリクン」に聞こえますが、アメリカ人が言うと「アメルクン」とか「アメラクン」のように聞こえます。(続く)
1263 a/e/i/o/u(その3) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 5日(月)17時41分49秒
他の語、例えば、garbage, visit, rosesなどでも、強勢のないところの母音は、イギリス英語では /i/
で、アメリカ英語では逆さeであることが多いのですが、個人差、地方差があり、一律に線は引きにくいです。
/o/の短母音はイギリス英語では唇を丸め、日本語の「オ」よりも口を開き、舌を低い位置に保って、口の奥の方から出てくるような音です。この音は通常
かなり短い音です。日本語母語人の耳には「オ」に聞こえるのが普通ですが、「オ」よりも口腔内の空洞が大きいので、よく耳を澄ますと違いが聞き取れるで
しょう。イギリス英語では強勢がある o の母音は、この音か /oh/(発音記号では[ou])という音になるのが普通です。実は、この /oh/
もアメリカ英語とイギリス英語では相当違う音なのですが、今回は触れません。
dog/off/gone/not/sorry の中の o
はイギリス英語では全部同じ音です。すべて短い音です。しかし、アメリカ英語では事情が一変し、非常に複雑なことになります。(続く)
1264 a/e/i/o/u(その4) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 5日(月)21時53分48秒
アメリカ英語では一般的に /o/
は口を大きく開いて、唇を丸めずに発音される音になります。発音記号では[α](本当はちょっと違う文字ですが、ここでは発音記号が使えませんので、これ
で代用します)となる音です。この音は、根石さんが言われる「赤ちゃんのa」のことです。私は、生徒に「発声練習のアー」だとか「診察室のアー」などと
言っています。後者はもちろん、医者にのどをのぞかせるときに口を最大に空けて「アー」と言うときのあの音のことです。英語で一番口が大きく開く音であ
り、舌先は下の前歯に接触していて、舌は口の奥の方でも低い位置にあります。この音は ah というつづりで表される音と同じものです。
アメリカ英語の /o/ はイギリス英語の /o/ と違い、しばしば大変長く発音されます。Longman社発行の外国人向けの英英辞典である
Longman Dictionary of Contemporary English ではアメリカ英語の /o/
を[α:]で表しており、イギリス英語より長い音だということを示しています。特に、有声子音の直前で強勢のある o
はかなり長く発音されます。例えば、god/lodge/rob/bother
などではそうです。Botherとfatherは多くのアメリカ人にとって、単に /b/ と /f/
が違うだけであり、..other/..ather の部分の発音は同じです。また、balm とbomb
は多くのアメリカ人にとっては同音異義語です。
ここで /o/ の話が終わりならば話は簡単ですが、実はまだ続きがあるのです。しかし、それは明日以降に書きこみます。(続く)
1265 ST さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 5日(月)22時44分21秒
>私はゴーストをやっていますが、遅々としてすすみません。今半分にいく手前なの
ですが、1週間に2ページ程度しか進まないのではしょうがないですね。
そんなことはないです。よく進む方で、皆さんそのくらいのペースです。ST さんは、別にもう
一冊やっておられ、復習テストが他の人より多いので、一回30分で新しいところが、2ページ、
3ページ進むというのは、いいペースです。
私は、どれだけ先に進むかよりも、復習テストでの「技法グラウンド」で穫れる音のこなれの方
を余計に注目しています。復習テストの範囲に錆が寄らないように絶えず手入れを怠らないでいて
下さることを願っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1268 a/e/i/o/u(その5) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 6日(火)15時20分34秒
アメリカ英語で /o/ がどのように発音されるかということを詳しく知るためには次のことを理解している必要があります。
イギリス英語
単語 発音記号 音価
※stock [cの鏡文字] 唇を少し丸め、日本語の「オ」よりもあごを落として発音する音
stalk [cの鏡文字+:] 唇をしっかりと丸め、やや突き出すくらいにして「オー」という音
アメリカ英語
単語 発音記号 音価
stock [α] 「診察室のアー」口を大きく開き、口の奥の方からア(−)と言う音
※stalk [cの鏡文字+:] イギリス英語のstockの母音と同じ音を長く発音する
米印の付いた、イギリス英語の stock とアメリカ英語の stalk の母音は、アメリカ英語の stalk
の方が長い音だという点を除けば、同じ音価の音なのです。この辺の事情は Longman Dictionary of Contemporary
English を見れば、stock のイギリス発音と stalk
のアメリカ発音に同じ記号([αの鏡文字])が使われていることで確認できます。むろん stalk
の方には長い母音であることを示すための[:]が付いています。
さて、これからは便宜上、アメリカ英語の stock の母音[α]に /ah/ という表記を、アメリカ英語の stalk
の母音(先ほど説明した、イギリス英語の stock の母音と同じ音価の母音)に /aw/
という表記を用いることにします。では、アメリカ英語の複雑な /o/ の説明に入ります。
基本的には、アメリカ英語では /o/ は /ah/ です。例えば、not, got, stop, box, pond, god,
possible などの /o/
はすべて日本語母語人の耳には「ア」または「アー」のように聞こえます。この音にはアメリカ人の間でも地方差があり、北部のアメリカ人の発音の
/ah/
は日本語の「ア(−)」に非常に似ていて、はっきりと「ア」と聞こえますが、他の地方の発音では日本語の「ア」よりも舌の位置が低く、もっと口の奥の方か
ら出てくるような響きがあります。
いくつかのグループの語では /o/ が /ah/ ではなくて /aw/ になる場合があります。
@ ingか s(s)の前
song, long, strong, boss, Boston, lost
ただし、hospital, possible などでは /ah/ が普通です。
A r+母音の前
foreign, horrible, Oregon
ただし、sorry, borrow, sorrow, tomorrow は /ah/ の方が普通です。
その他の語も /ah/ で発音する人がいます。
B f(f)の前
off, often, cough, coffee, office, foster
ただし、/ah/ を使う人もいます。
C wa...
want, wash, watch, wander, Washington
ただし、/ah/ を使う人もいます。
D g の前
dog, fog, frog, log
ただし、dog を除いて /ahg/ もよく聞きますし、bog や jogg では /ahg/ の方が普通です。
E l(l) や lve の前
golf, doll, volcano, involve, solve, volleyball
ただし、dollar では /ah/ が普通です。また、その他の語も /ah/ という発音もあります。
F 前置詞の on
なぜだか /awn/ の方が圧倒的に多いのですが、/ahn/ という発音も使われています。
1269 a/e/i/o/u(その6) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 6日(火)15時22分16秒
アメリカ英語は方言の差が少なく、例えば、教育のあるロサンゼルス出身者とシカゴ出身者の発音には私たちが聞き分けられるような違いはきわめて少ないの
ですが、/o/ の発音については、地方差と個人差があり、o の母音としての /ah/ と /aw/
の使い分けのはっきりとした線は引きにくいのです。それについて、ある学者は "Chaos prevails."と述べています。
あるアメリカ人は次のように発音するかもしれもません。
I got a watch in Washington. /gaht/ /wahch/ /Wawshington/
またある人は次のように発音するかもしれません。
I got a watch in Washington. /gaht/ /wawtch/ /Wahshington/
またある人は /gaht/ /wahch/ /Wahshington/ のようにすべて /ah/ を使うかもしれません。要するに
"Chaos prevails."なのです。
他の例をあげてみましょう。/ /内の発音は一例にしかすぎず、/ah/ と /aw/ の使い分けは人によってばらばらです。
box on the desk /bahx/ /awn/
The doll cost Foster ten dollars. /dawl/ /cawst/ /Fahster/ /dahlers/
The dog ate the frog. /dawg/ /frahg/
実際には /ah/ と /aw/ の間に、/aw/ 寄りの /ah/ だとか、/aw/ 寄りの /ah/
だとか、微妙に音色が違う音を出すことが可能であり、それを /ah/ と /aw/
に加えて、地方により、個人により、この範囲内の音がいくつも入り乱れて使われています。さらに多くのアメリカ人の発音では stalk の母音(他に
thought, law, walk, caught なども皆)も /aw/〜その間の音〜/ah/ の間を揺れ動き、例えば、law が lah
と発音されるようなこともしばしばあるという事実も、事態をわかりにくいものにしています。
というわけで、アメリカ英語の /o/ についての結論は、学習者の立場からすれば、
「/ah/ でも /aw/ でもいいから、あごを落として(鵜田さんの言う「開く音」ですね)発音すれば通じる」ということになります。
指導者の立場からすれば、
「通常は /ah/ だが、ng/f/s/g/r+母音/の前では原則的に /aw/ となる。また
wa...のときはいずれでもよい」くらいにまとめていたらいいのではないでしょうか。
1270 (その6の訂正) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 6日(火)15時25分41秒
/aw/ よりの /ah/ だとか /aw/ よりの /ah/ だとか
↓
/aw/ よりの /ah/ だとか /ah/ よりの /aw/ だとか
1271 a/e/i/o/u(その7) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 6日(火)22時36分45秒
今回は /u/
の音です。アメリカ英語ではこの音は方言差が少なく、比較的「安定した」音価を持つ音と言えます。しかし、イギリス英語の方言では、びっくりするような音
価を持つことがしばしばあります。例えば、イングランドの中部〜北部では luck の母音は look
の母音とまったく同じです。そういう発音をする人にとっては、luck と look
は同音異義語です。その場合、この母音は私たちの耳には「ウ」か「オ」のように聞こえます。一方、BBC英語においては通常、日本語の「ア」に非常に似た
音になります。BBC英語を話す人が発音する cup はアメリカ人の耳には cop と言っているように聞こえます。アメリカ英語では cop
の母音は唇を丸めない「赤ちゃんのアー」「診察室のアー」ですが、この音とBBC英語の /u/ の母音が非常に似ているのです。ただし、/u/
の母音は短く、アメリカ英語の /o/ の母音はしばしば長いという点は違います。
ではアメリカ英語の /u/
はどんな音でしょうか。これはいわば「口呼吸のア」です。変な言い方ですが、とにかく、鼻詰まりのせいで口で息をしている様子を想像して下さい。このとき
確かに口は開いていますが、あまり大きく開いているわけではありませんから、あごはわずかにしか下がっていません。その口の構えで短く「ア」と言えば、
/u/ が出ます。次のペアーを発音してみてください。
cup / cop
stuck / stock
nut / not
アメリカ英語では、これらのペアーの違いは、主に口の開きの差から生じます。別の言葉で言えば、あごの下がり方の差によって生まれるのです。鵜田さんの
言う「開く音」と「狭い音」の差です。その他に、/u/ が短い音であるのに対し、/o/
は強勢のある音節では長めに発音されるという違いはありますが、この二つの音は、日本語母語人にとって、発音し分けるのも聞き分けるのもなかなかむずかし
いものです。
/u/ の音は発音記号では[Λ](逆さv)で表されるものですが、つづりが u
だとは限りません。次の三つのペアの左側の語はすべて[Λ]を含みます。右側の三語のうち Don は /dahn/ と発音され、wander と
watt は /ah/ か /aw/ か(またはその中間の音)で発音されます。
done / Don
wonder / wander
what / watt
しばしば o の文字が [Λ] で読まれます。
Monday, front, honey
ときには o が二通りに読まれることがあります。
constable は /cun.../ とも /cahn.../ とも読まれます。
hover は /huv.../ とも /hahv.../ とも読まれます。
アメリカ英語では what, was, wasn't はそれぞれ wut, wuz, wuznt
と読むのが一般的です。イギリス英語では唇を丸めて wot, woz, woznt と言います。(続く)
1272 a/e/i/o/u(その8) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 7日(水)07時00分42秒
a/e/i/o/u の短母音( /o/ を /aw/
で読む場合厳密には短母音と言わないのでしょうが)、の話は前回で終わりました。今回は[Λ]と[逆さe]=あいまい母音についての考察です。まず、次の
単語を発音してみてください。
about, lemon, animal, computer, American, today, China
では、次を発音して下さい。
bug, luck, come, hull
最初のグループにはあいまい母音が含まれています。アメリカ英語では次の個所があいまい母音です。
about: a
lemon: o
animal: i, a(二番目)
computer: o
American: e以外全部
today: o
China: a
これらの文字はあいまい母音になるのですが、皆さんはどのような音でお読みになったでしょうか。すべてまったく同じ音を出した人はいないのではないで
しょうか。例えば、about の a と computer の o
を完全に同じ音で読んだという人はいないでしょう。それは正しいことです。あいまい母音[逆さe]の記号は、他の母音と違って、何か一つの決まった母音を
表しているのではないのですから。あいまい母音とは、強勢がない音節の母音が本来持つべき母音、言いかえれば、強勢があればこう読まれるはずだという母音
の響きを残しながら、口をほんの少し動かして発音されるいくつもの母音の集合体のことだからです。では、実際にはどのように発音されるかを説明します。
あいまい母音は、通常あまり口を動かさずに、あいまいな音(極めて弱いウ、または弱いオに近い音)を発音します。ただし、語頭の a と語末の a
は
[Λ]と同じに発音します。ただし、ゆっくりした発音の場合、あいまい母音になっている母音文字が強勢のある時に持つべき母音の響きに近くなることがあり
ます。(続く)
[Λ]と[逆さe]は同じ母音であり、区別する必要はなく、強勢があれば[Λ]、なければ[逆さe]になる、と考える人達がいますが、私はそれには反対
です。少なくとも、指導する立場からすれば、この二つは別物とすべきであり、生徒にもそう教えねばならないと考えています。
1276 a/e/i/o/u(その9) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 7日(水)11時52分01秒
あいまい母音と[Λ]を区別するべきだと言う理由は、「この二つを同じに扱う理由がないから」です。先ほど示した
bug, luck, come, hull
の中の母音はすべて[Λ]ですが、これらはすでに説明した「口呼吸のア」であり、何らあいまいなところはない、はっきりした音です。もちろん bug
は bag や bog
に比べると、口の開きが小さく、口腔内の容積が小さく、舌の位置が高い母音ですが、だからといって、この母音があいまい母音と同じであるということにはな
りません。日本語母語人の耳にも「ア」に近い音として聞こえる音です。
この二つの母音を同じと主張する人たちは、同じ母音が、強勢があれば[Λ]になり、なければあいまい母音になるのだと言いますが、それでは次のことが説
明できません。
experiment (動詞) → mentの母音は[e]で、第二アクセントがある。
experiment (名詞) → mentの母音は[逆さe]で、アクセントがない。
ここでは、強勢があれば [e]、強勢がなければ [逆さe]
です。さらに、次の語中の二つの母音を同じだと言われても、初学者にはどういうことか理解しがたいと思います。
London
Lon の母音と don の母音は別物と教えた方がよいと思われませんでしょうか。
さらにもう一つ、[Λ]と[逆さe]は別物として扱った方がいいという根拠を示します。皆さんは次の単語をどう発音しますか。
hurry, worry, courage
英和辞典を見ると、これらの単語の強勢がある母音の発音は、イギリス英語では [Λ]、アメリカ英語では [逆さe+:] となっています。[Λ]
と [逆さe] の区別をする必要がないと言われた学習者は、そんな発音表を見ると混乱するのではないでしょうか。(続く)
1277 (その9の訂正) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 7日(水)11時53分23秒
そんな発音表→そんな発音表記
1279 a/e/i/o/u/番外編(母語で歌わぬ英国歌手たち)その1 投稿者:Eliot 投稿日:11月 7日(水)21時50分05秒
a/e/i/o/u
の話は一応終わりにして、今回は「母語で歌わぬ英国歌手たち」ということについて書きます。本当は「母語で歌わぬ非アメリカ人英語母語人歌手たち」という
長たらしいことなのですが・・・
アメリカ英語とイギリス英語の発音の違いはそのほとんどが母音の発音の違いです。子音の発音の違いの中で一番大きな違いは、後ろに母音を伴なわない
/r/ を発音するかどうかということで、card の /r/
を発音するのがアメリカ英語で発音しないのがイギリス英語です。母音の違いはたくさんあるのですが、その中での特に顕著なのは二つの点で、一つが
ask words と呼ばれるいくつかの語の中での /a/ の発音、もう一つが /o/ の発音です。
Ask words とはイギリス英語で /a/ を /ah/(fatherの中の a の発音)と読む語のことです。
例えば、ask, answer, pass, command, can't, cast, basket, aunt, rather,
class, glass, laugh, half, dance, fast, gasp, last, vast などです。これらの中の
a(aunt は au)はすべて /ah/=[α:] と読まれます。アメリカ英語ではこの /a/ は全部 back の中の
/a/=[aとeがくっ付いた記号]と同じ音です。イギリス人が can't cast を発音すると「カーnt カーst」のように聞こえます。
この現象は過去二百年くらいのうちにイングランド南東部に生まれたもののようで、アメリカ英語には広がらなかったのです。また、pass は ask
word なのに、mass は違うとか、class は ask word なのに、classic も crass も ask words
ではないとか、はたまた、grant は ask word で、grand は違う、というように /ah/=[α:]
の出現が必ずしも規則的ではありません。
/o/ の発音の違いについてはa/e/i/o/u(その5)と(その6)で説明した通り、アメリカ英語では /ah/=[α] か
/aw/=[Cの鏡文字+:] になり、イギリス英語では唇を丸める短い [Cの鏡文字] です。
さて、これからが本題です。「母語で歌わぬ英国歌手たち」とはどういうことでしょうか。ここでいう英国人歌手とはロックやポップスなどの流行歌を歌う人
たちですが、彼らの母語はもちろんイギリス英語です。彼らにとっての標準語は can't を「カーnt」と発音し、stop
を唇を丸めて発音する英語です。ですから、例えば、英国人歌手が Can't Stop Loving You
というような歌のタイトルを発音すると「カーnt Sトッp
〜」のように言うはずですね。はい、確かにそう言います。ところが、それをメロディーに乗せて・・・♪♪Can't stop loving
you♪♪と歌う時はそう言わないのです。(続く)
1286 <素材>7 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 8日(木)05時40分09秒
<素材>7
.語学的な犯罪
水と油は、同じ容器に入れて放置すれば自然に分離する。
語学でも、音と意味は、放置された状態では自然に分離している。
サラダのドレッシングを作るとき、水もの(醤油など)とサラダ油を混ぜるなら、容器に蓋をして激しく振るなり、棒でひっかきまわすなり、よく知らない
が、何かしなければならないはずである。激しい動きを与えなければ、水と油は混じらない。混じっても、しばらく放置しておけばまた分離する。
語学の音と意味も同じである。
なんらかの激しい動きがなければ、音と意味は一緒にならない。この激しい動きの一種として、國弘正男さんという方が、「ひたすら朗読」を唱えられた。國
弘さんの旧著が再版され、現在これを実践している人は多い。いいことである。國弘さんという方が、はるか以前に「ひたすら朗読」を唱えられていたことを京
都の高校の英語の先生から教えていただいたとき、私は方法的な先達がいたのだということを知った。
私は、素読を原理として、「回転読み」というものを唱えた。(小学館文庫『英語どんでんがえしのやっつけ方』)
「回転読み」とは、一つの文にとどまり、同じ文を何回も、何十回も、場合によっては何百回も言い続ける方法である。
國弘さんの「朗読」、私の「素読」あるいは「回転読み」、言い方は違うが、根本に持つイメージは同じなのである。あるいは、もっと一般的に流布しはじめ
ている「音読」とも共通するものがある。どれも、「音」をおろそかにしないこと。自分の声で実際に文を繰り返し読むこと。それが共通点である。あえて区別
をするなら、もっともおだやかな方法が素読であり、「ひたすら朗読」や「回転読み」は激しい方法だ。
「ひたすら朗読」や「回転読み」は、水と油、音と意味を混ぜるのに有効な「激しい動き」なのだ。
いや先走るまい。音の意味の統合(同致)は、まだまだ先の話としなければならない。
まだ、音と意味の「分離」にとどまって考える必要がある。意味と混ぜるための「音」の質が問題になるからだ。
音と意味を混ぜること(統合すること・同致させること)は、語学という作業の必然であるが、しかし、まずは、音と意味が分離している段階で、音と意味を
それぞれ別々に考える必要がある。
<法則2> 語学の初期段階では、音と意味は分離しやすいが、それをことさらにはっきりと「分離させる必要がある」。
水と油のように分離している音と意味を混ぜて一体化するために、「激しい動き」を与えたとしても、「音」が「通じない音」のままであった場合にどんなこ
とが起こるか。「通じない音」のまま意味と一体化してしまえば、「通じない英語」が成立する。そして、その「通じない英語」こそ、日本人の英語の圧倒的多
数派なのである。
これは学校英語が「音」を粗末に扱ってきたことにが原因である。日本人の英語の圧倒的多数派とは、まず例外なく学校英語の犠牲者でもあるのだ。
ことは、語学である。語学において、学校や塾が「音」を粗末に扱い続けてきたことは、単なる怠慢にとどまらない。語学的に言うなら、これは犯罪である。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1287 <素材>8 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 8日(木)05時41分14秒
<素材>8
.お恨み申し上げますぜ
音と意味は分離しうるのであるから、それをわざわざ分離させ、まずは音だけに焦点を合わせた「音づくり」という過程が必要になる。なぜ、音の練習が、意
味との合体(統合・同致)に先立たなければならないかの理由は後述するが、ともかく、「音づくり」という過程を、文部省(現文部科学省)が管轄するほとん
どの学校の英語の授業は「すっとばしてきた」。
それを文部省は放置してきた。いや、放置してきたのではないかもしれない。中間・期末テストで生徒の点をはじき出すのに「間に合わせるための授業」しか
できないように主導してきたのが文部省なのだ。「音づくり」の「すっとばし」を主導してきたのが、文部省だ。
一人の英語科の教師が、「音作り」の重要性に気づき、中間・期末のテストの年間スケジュールを無視して生徒の「音作り」に専念したとき、市や県や文部省
や、それに寄り添った管理職(校長・教頭)が何も言わないだろうか。必ず横槍を入れてくるはずだ。横槍に対処するのはエネルギーが要るので、多くの英語科
教師は、肝心なところを避けて通る。そして、「音づくり」のすっとばしという犯罪に荷担する。
生徒たちが中1の頃、ある模試を受けさせられまして、フォニックス
の勉強の三ヶ月のせいで進度が遅れていたため、英語の平均偏差値が
30いくつかということがありました。その成績の検討会議で私は管
理職たちから相当非難されました。そうなるだろうと予想していまし
たから、私は生徒の音読の録音を用意して行っておりました。しかし、
それを聞かせても、管理職には何の効果もありませんでした。それど
ころか、英語のできない管理職の一人は「発音は上手になるかもしれ
ないが、それが何になる」と暴言を吐きました。まあ、多くの人のと
らえ方はこんなものなのでしょう。
(Eliot 「音作りへの道」)
何度でも言う必要がある。語学において、「音作り」をないがしろにすることは犯罪なのである。そして、有名大学に何人入ったかを優劣の基準にしているよ
うな学校のほとんどすべてが、この犯罪を行っている。いや、大学合格を基準とするかどうかなど関係はない。日本中の圧倒的多数の英語の授業が犯罪をおかし
ているのだ。
このような犯罪が行われ続けてきたもう一つの原因に、大学の英語の教職課程というところが、「音づくり」の方法を持っていないということがある。アメリ
カやイギリスの音声学・音韻学の成果を輸入して、知識人づらをしている教授どもばかりだからである。日本語で育った日本人の口の筋肉が英語の音を獲得する
ための方法を確立するためには、日本語の音と英語の音の「比較学」は必ず必要なはずであり、この「比較学」によって、もう一度英語の音をとらえかえすこと
が必要である。そうでなければ、日本人の口の筋肉が英語の音をとらえるための学問にならない。それなのに、知識人や教授どもは欧米の「輸入」しかしてこな
かった。輸入だけしていて、自分なりのものを編み出すことをしないのであれば、商社にでも勤めた方が人のためになる。大学教授などを気取っているのはやめ
てほしい。学問の世界での奴隷根性は英語という言語の回りには非常に多いのだ。
大学の教授どもがそういうていたらくであるから、多くの学校の英語の先生たちは、「音づくり」をしたくてもできない。どうやるのかがわからないからだ。
私も英語塾を続けてきて、曲がりなりにでも「音づくり」ができるようになったのは、塾を始めてから相当時間がたってからだった。それ以前の、長い学校と
のつきあいの中で「音づくり」のための知識に出会うことはなかった。だから、自分で工夫して、「唇をせばめて喉から息を送り出す」などというようなオリジ
ナルな言い方を発明して使ってきた。現在の「電話でレッスン」でも、このオリジナルな説明は常用している。
お恨み申し上げますぜ、教授ども。
1288 <素材9> 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 8日(木)05時42分00秒
<素材9>
<素材9>
.Eliot さんの「音作り」
さて、ここで Eliot さんの学校での「音作り」の実践の意味がはっきりする。Eliot
さんは、初めて英語をやる中学一年生に、まず最初に「音作り」をさせたのだ。
この学校でも私は英語の音作りには腰が引けていました。英語不振者
に対する対処療法的な授業や取り組みは、ある程度やりましたが、し
ょせんその場限りのものにすぎないものでした。その後、現在の学校
に移ったのですが、そこで最初に受け持ったのは中学2年生でした。
彼らは中学1年生のときに音作りをしないまま、すでに中学2年の教
科書を終えており、私は先輩教員とコンビでその学年を教え始め、結
局、発音の徹底的な指導はできないまま、詰め込み+ハイスピードで
高校卒業までその学年の生徒たちを教えました。そして大きな悔いが残りました。
最初にかけちがえたボタンを止め直す勇気も知恵もなかったダメ英
語教員だった私は、高校3年生を卒業させた後の4月から中学1年生
の担当になりました。教員生活二十年にして初めてまったくの初心者
を教える機会を得たのです。このとき私は決心しました。「今までの
やり方でやっても今まで以上の成果を得られるはずはない。これから
は人がどう言おうが自分が正しいと思う方法でやっていこう。正しい
音を教えて、たくさんの英語を聞かせ、大量の音読をさせる。自分が
持っているものを生徒に力一杯ぶつけていこう。6年間あるのだから、
あせらずに、すべきことから着実にやっていくことだ。英語は面白い、
声を出すのが楽しい、英語の発音がもっと上手になりたいと言う生徒
をたくさん作ろう」
(Eliot 「音づくりへの道」)
Eliot さんの教室の生徒は幸せ者である。先生が方法的な洞察力を備えていて、まず最初にやるべきことをまず最初に生徒にやらせているからだ。
私が素読を語学に適用したのは、語学に特有な「分離」とその「必要」を根拠としている。二十五年ほど、小さな小さな英語の私塾を続けてきて、まったく孤
立を感じていたが、インターネット上に掲示板を作ったとたんに、塾と学校と生きる場所は違っていても、眼目になるところで方法的に一致する人に出会えたこ
とは幸運なことだった。
いくら「音作り」をやっても、意識が「音」だけにとどまるならば、つまり、音と意味が一体化しないならば、やはり「使えない英語」ができるが、こちらは
それほど心配する必要はない。意味がともなわない音とは、音だけでできた「からっぽの文」であるが、これはからっぽの容器だと考えることもでき、後で一挙
にそれを意味で満たすということは可能である。
1289 <素材>10 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 8日(木)05時43分57秒
<素材>10
.素読
素読について少し書いておきたい。
素読は江戸時代に盛んに行われたらしい。私にとって、そのもっとも原型的なイメージは、孫がおじいさんの前に机をはさんで正座し、「論語」を声に出して
読んでいる光景である。これは、実際に見たことがあるわけではないが、いつの間にか私の中に形成されている素読のイメージである。
このイメージについていくつかのことが指摘できるだろう。まず、一対一で向き合って行う練習であること。コーチ(おじいさん)がいること。実際に声を出
して音読することが練習の主体を成すこと。
しかし、素読にもっとも特徴的なことは、孫がひとまず「論語」というテキストの意味を理解しなくても許容されることである。ただ正しく音読できさえすれ
ばそれでいいとされる。素読の効果を本当にわかっているおじいさんなら、テキストに関する自分の解釈を講釈することはしないだろう。
音として完成したテキストは、やがて発酵し、意味は自然に備わる。その意味が自然に備わる過程こそが人が生きるという過程なのだ。
少年の頃に、おじいさんの前で「論語」を素読させられた少年が、例えば二十歳の青年になり、「論語」の中の文を思い出し、これはこういう意味だったのか
と何か納得したものがあったとする。少年時代には、意味のわからない文を「音読」させられ、音としてなめらかに正確に言えるようにしていただけであるか
ら、その時点でのテキストは、文としては意味をともなわない「からっぽ」の文である。二十歳になってから思うことがあり、、その「からっぽ」に急に意味が
充電されるということが生じたのだ。
しかし、その充電はそれで終わりではない。音として完成しているテキストは、その後も、一度充電された意味を洗い続ける。あるいは、今度は意味を媒介に
しながら、発酵を続けると言ってもいい。
三十歳になって、また思うことがあり、二十歳の時に、自分はあの文についてこんなことを考えたが、まるで違っていたのかもしれないと思い返すことがあっ
たとする。同一のテキストがまた違う顔を見せることになる。昔から知っているテキストが、まったく新しい表情で立ち上がるということを経験するかもしれな
い。
たまたま二十歳と三十歳という年齢を設定してみただけであり、この意味の更新はいつでも起こりうる可能性がある。三十五歳の時には三十五歳の読みがあ
り、四十歳では四十歳の読みがある。老人になっても、読みは新しく更新されていく可能性がある。
これとよく似た経験は、読書でもある。青年に頃に読んだドストエフスキーの小説を五十歳になってもう一度読んでみたら、同じ小説とは思えないような経験
をするということはある。いったい、青年の頃は何を読んでいたのかとすら思うということがある。
たまたまこれもドストエフスキーの小説に登場してもらったのだが、
こちらは普通は黙読だろう。
この黙読(読書)と、素読の違いは、素読では音としてテキストが完成してしまうので、目の前にテキストがなくても読みが持続しうるし、テキストなしで、
突然ひらめきのように、新しい読みが生じてくる可能性があることである。道を歩いていて、待てよ、あの文は、と思い、足を止めて深く思い、そうか、そうい
うことなのか、と思うというようなことは、音として完成したテキストが記憶に保持されている場合には起こりうるだろう。
これが、素読に独特な点なのである。
音として完成されたテキストは、テキスト(文字)を必要としないで読みを深めることを可能にする。
1290 <素材>11 投稿者:根石吉久 投稿日:11月 8日(木)05時44分50秒
<素材>11
.文字を不要とする方法
私が語学に素読を原理として据えたのは、この文字を必要としなくなるという点に着目したからだった。読みの深まりや意味の更新も意識しなかったわけでは
ないが、語学では、読みの深度のようなものは、即応力のようなものとして育つ。
素読舎で英語をやり、その後、アメリカに渡り、しゃべり言葉において非常に闊達な即応力を備えて帰って来た子供が何人もいる。これは、半分は英語の「磁
場」の力によるものだが、文まるごとを音として完成させるという素読舎の訓練が下地になったのではないかとも思っている。この子供たちは、素読舎なんか
使ったことはないというような顔をする場合が多い。アメリカという英語の「磁場」の力が与えたものを、まるで自分の手柄であるかのような顔をし、下地なん
かなかったような顔をするのである。下地に対して恩知らずと言えば恩知らずであり、得意げと言えば得意げな顔だ。英語回りには、この種の人間が多いのが、
これは日本で英語をやり続けて、私の気持ちが複雑骨折を起こすことの大きな理由だ。英語ぺらぺらは、ある意味で、人間をお馬鹿さんにしてしまうのではない
かという疑いすら持つようになった。
いや、話がそれた。
素読舎の訓練をやった子供が、磁場にさえ身を置けば、比較的簡単に英語の話し言葉を獲得していくのは、素読が、音としてテキストを完成させ、最終的に文
字を不要とすることができるからに違いないと思っている。そのレベルでは、瞬間的なシンタックスの鷲掴みが成立するからである。
素読は、最初は文字を相手にする。解釈や意味を最初に置かず、まずは「音読」し、音として完成したテキストを作る。そして、それが完成すれば、文字は不
要になる。
だから、これはテキストから「文字を不要にする方法」だと言ってもいい。
Eliot
さんの言う意味での「音作り」でも、それが文全体を対象にして行われるならば、「音作り」ができた時点で、文字は不要になるだろう。文字がなくても、文全
体がまるごと、英語のイントネーションやリズムを備えて口から飛び出してくる状態になるだろう。ここには、素読と同じ原理が働いているのである。
<法則3> 音と意味を分離させ、「音づくり」の訓練を行う。ただただ音としてテキストを完成させることによって、文字を不要にする。
このことは、次のように言ってもいい。
<法則4>文字が不要になるまで文字につきあう。
1291 根石様 投稿者:Eliot 投稿日:11月 8日(木)13時12分17秒
混乱させて申し訳ありません。発音記号が打てないので苦労します。以下の区別をしております(と自信を持ってはいえませんが)。
@単なる文字→ a e i o u
Aフォニックスによる発音表記→ /a/ /e/ /i/ /o/ /u/ /aw/ /ah/ /ou/
B発音記号→ [α][α:][Λ][逆さe][ou][cの鏡文字+:]
AとBの対応を示すと
/a/=[aとeがくっ付いた記号]
/e/=[e]
/i/=[i]
/o/=[α]か[cの鏡文字+:](アメリカ英語) [cの鏡文字](イギリス英語)
/u/=[Λ]
/aw/=[cの鏡文字+:]
/ah/=[α:] またはアメリカ英語の /o/ の [cの鏡文字+:]
/oh/=[ou]
/ou/=[au]
/a/ を /ah/ のように=[aとeがくっ付いた記号] を [α:] のように
1292 訂正 投稿者:Eliot 投稿日:11月 8日(木)15時30分41秒
/ah/=[α:] またはアメリカ英語の /o/ の [α]
1293 母語で歌わぬ英国歌手たち(その2) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 9日(金)21時03分05秒
ちょっと古いですが、ビートルズのヒット曲に Can't Buy Me Love という歌があります。ステージでポール・マッカートニーが
The next number is called "カーn't Buy Me Love.
と曲名を告げたあとすぐに歌が始まります・・・
♪ キャn't buy me lo〜ve. キャn't buy me lo〜ve... ♪
話すときは カーn't だったのに、歌の中では キャn't
になっています。これは一体どういうことでしょうか。答えは簡単です。英語でロックやポップスを歌う歌手たちはその出身国にかかわらず、皆アメリカ英語の
発音で歌うのがしきたりだからです。ですから、アメリカ英語を母語とする歌手以外は皆自分の国(地域)の英語の発音では歌わないことになります。「母語で
歌わぬ英国歌手」とはそういうことです。
なぜそんな習慣ができたのでしょうか。そしてそれはいつ頃から行なわれていたことなのでしょうか。英語の本家本元を自負し、アメリカ英語をさげすんだ目
で見ることもある英国で歌手たちはアメリカ英語発音で歌うのでしょうか。私には詳しいことはわかりませんが、おそらく、20世紀の半ば頃に、アメリカで生
まれた音楽が英国でも人気を得て、英国人のミュージシャンも同じような音楽を演奏するようになったときに、そういうジャンルの音楽とアメリカ発音がセット
としてとらえられて、切り離せないものになったのでしょう。以来、非アメリカ人の英語母語人歌手は「母語」では歌えず、えせアメリカ発音で歌い続けている
のです。(続く)
1294 母語で歌わぬ英国歌手たち(その3) 投稿者:Eliot 投稿日:11月 9日(金)23時11分58秒
英国歌手たちのえせアメリカ発音(pseudo-American pronunciation)の特徴を挙げてみましょう。
@ask words の [α:] を [aとeがくっ付いた記号] に発音する。 e.g. ask, can't, dance
A o を [α] と発音する。 ただし、次の場合は英国音=[cの鏡文字]を保つ。
s/f/ng/g/l/の前の o e.g. lost, long, fog, solve (ただし dollar は [α])
r+母音の前の o e.g. sorry, tomorrow, forest
on, gone の母音
B[ou][cの鏡文字+:] をアメリカ風に発音する。 e.g. no, so, walk, saw
C母音が続かない r は発音しない。 e.g. car, store, here, park
D母音にはさまれる [t] をはじき音(ラ行の子音に似た音)として発音する。
e.g. better, it is, lot of
Ewhで始まる語は [w] のみを発音する。 e.g. why, what, white, whale
ただし、who/whose/whole は [h] のみを発音する。
Fアメリカ英語とイギリス英語で極端に発音が異なる語では、アメリカ英語の発音を選ぶ。
e.g. garage, either, tomato
Gn/t/dの後で [j] を脱落させない。
e.g. new, dew, stew →noo, doo, stoo とは言わない。
すべての英国人歌手が@〜Gのすべてに該当するわけではなく、人によっては、Dはアメリカ風ではなくて、激しい破裂をともなうイギリス英語風の
[t] のままであったり、Cの単語もアメリカ風に [r] をある程度発音する人もいます。ただ、ほぼ間違いなく not と got
の二語は明らかに口を大きく開いた [α] の音で発音されます。(続く)
1295 発音記号の表記について 投稿者:び〜ず♪ 投稿日:11月10日(土)09時06分31秒
先日から、「大風呂敷」を少しずつ広げさせていただいています。
発音記号が打てないとイライラしますね。検索の結果、「発音記号
普及会」というページを見つけました。申し込むと、ファイルが送
られてくるようです。ご参考までにURLを置いて帰りますね♪
http://isweb16.infoseek.co.jp/computer/hatsuon/
http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/
1296 母語で歌わぬ英国歌手たち(最終回) 投稿者:Eliot 投稿日:11月10日(土)09時18分38秒
英国のロックやポップスの歌手たちは話すときと歌うときの発音が違いますが、一般の英国人が流行歌を歌うときもやはり大なり小なり、アメリカ風に発音し
ようとします。少なくとも ask words の発音は [α:] ではなくて [aとeがくっ付いた記号]
になります。ですから、流行歌を歌うときは一般の英国人も can't を「カーn't」と発音せず、「キャn't」というわけです。ですが、o
の単語(例えば、not, got, stopなど)を [α] で発音するかどうかは人次第のようです。
イギリスに英語の勉強をしに行った日本人がアメリカ風の発音を使って、英国人から「イギリスに勉強しにきたのだから、本場の正しい発音をすべきだよ。
『キャn't』ではなくて『カーn't』だよ」などと言われることがよくあります。その際には「日本ではアメリカ英語が普通なんだ。教材もアメリカ英語だ
から仕方がない」などと言い訳する必要はありません。ビートルズの Can't Buy Me Love(でも何でもいいのですが、歌詞の中に
can't が出てくる流行歌)を彼らと一緒に歌えばよいのです。彼ら英国人が can't を「キャn't」と歌ったら、
"See? You say 'キャn't' too!
と教えてあげましょう。
1297 Eliot さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月10日(土)10時06分21秒
フォニックスはいつ頃日本に登場したのでしょうか。
私の語学の過程のどの時点でも、フォニックスに出会うということはありませんでした。Eliot さ
んに教わって初めて知ったのです。その後、浜谷さんの掲示板で、Noima さんという方が、フォニ
ックスはやるべきだと書いているのを読み、ものがわかっている英語使いは、結構知っているもの
なのかなとも思いました。
泥縄式に、自己流フォニックスみたいなものの骨格は少しずつできてきましたが、これは、あくま
で日本語の音をベースにおき、そこから英語の音への距離を測っているような性質のもので、簡便
さとどの種の音からやっつけるべきかに眼目があります。
まずはこれだけはおさえろということからやります。
発音記号での逆vと逆eを区別する必要がないというのは、鵜田さんの意見だったと思いますが
私はそれに賛成しています。辞書に、アメリカでは逆eだが、イギリスでは逆vと記載されている
のだから、区別はある、だから区別せよというのが Eliot さんのご意見と思いますが、むしろ、
同じ単語の母音が逆vにも逆eにもなるということが、区別する必要がないという意見の根拠になる
と思います。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1298 こんにちは 投稿者:Kawakami 投稿日:11月10日(土)10時11分37秒
Eliotさんの取り上げる例題、読者が興味を持ちそうなサンプルで進められていることは好評のようです。
発音記号にVizさんから、書き込みをいただきました。三田で学んで今塾の先生。きわめてまじめに英語とも向き合っておられます。同人社BBSでの彼女の
書き込み2題転載しておきます。
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1、こんばんは 投稿者:び〜ず♪ 投稿日:11月 9日(金)01時00分19秒
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素読舎さんの掲示板、むずかし〜。私が受け持つはずだった6年生の英
語は、フォニックスを導入すべきかどうか迷っていて色々調べていたので、
昨日今日の書き込み、興味あります。
5つしか母音を持たない日本語を母国語としてきた日本人が、あの長母音短母
音込みで十数個ある母音を使いこなすのは不可能に近いけれど、当然覚えなく
ては始まらないと思い込んでいた発音記号が、実は本場の英米人は知らないと
いうことをフォニックスの本で読んだ事があります。
音と意味を分けて考えるということは少し疑問を感じるけれど、発音記号が英
語の読みを複雑にしてしまったということは常々感じていました。素読という
方法が、どういうものなのか、果たして画期的で有効な方法なのかどうか、も
う少し読んでみたいと思います。
http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/
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上記に対するTonのレスです↓
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Hi! Viz_san Howzit?
Long time no see. It sounds like you're working hard.
Since you are busy today, would you please call me tomorrow in the
morning
before you leave for work? If that is about 7am your time,
なんてなことを書いてみたいくらいステキでした、今日の書き込み(会ったことはないけど)。
Web上でははかりしれない、Vizさんの細かい検討。この書き込みを読んでいて
うれしくなりました。この先のあなたの感想をこころまちにしています。
Ton@この研究は「三田」も素読社さんも喜ぶ(かも知れない)
ーーーーー
■塾教師のび〜ず♪さんの『VIZ MAGIC』
日記風に残したび〜ず♪さんの野の花や夕日・・vizmajさんの画像はやわらかく
優しい。ここはメルヘンの世界です。http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/
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V、上記に対するVizさんの書き込みです
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根石さんの「大風呂敷」掲示板(タイトルがすごいですね)、しっかり広げもせず、失礼な事を書いてしまったような気がするのですが(^o^;ついでなが
ら・・・
中高と6年間も英語を習いながら、聞き取れない、しゃべれない状態なのは何故かと考えると、やはり英語の母音の数の多さが、ネックの一つになっている事は
否めないと思います。
初めて英語に触れる時の望ましい順番は、耳(聞く)→口(真似する)→目(読む)→手(書く)だと私は確信しているのですが(音楽を使って音感に訴えてい
くのも効果的ですね)中途半端に氾濫してしまったカタカナ英語も、正確な発音を邪魔してきた大きな原因でしょう。「アジア」といっても海外では通じなくて
も、今さら急に国内で「エイジャ」でもないでしょうね。それらは、外来語として別の枠であって、英語とは切り離すべきだったということも強く感じていまし
た。
根石さんの「素読」、画期的で斬新な何かを期待しつつ、これからゆっくり読ませていただきたいと思っています♪
☆t・o・n さん
では、明日の朝 callしてみますね。「お〜い♪」・・・おそまつでした。
http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/
1299 脇田泰子様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月10日(土)10時17分25秒
すみません。遅れに遅れたレスです。
その後、断続的に考えていたのですが、なぜ砂漠の民の帽子(フリジア帽)がヨーロッパの国に
おける「自由」の象徴になったのかという疑問が生じています。
砂漠の民は多くが「移動の民」なのですが、土地に縛られていないということなのかというよう
なところまでは考えました。
フリジア帽が「自由」の象徴になっていく経緯をご存知でしたらお教え下さい。
生活に大きくかまけておりますので、今後もレスが遅れることはあると思いますが、必ずお返事
はいたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1300 び〜ず♪ さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月10日(土)10時48分50秒
書き込みありがとうございます。私はその熱き柔肌に触れたことがないのですが、フォニック
スはどうやらいいみたいです。無責任のようですが、Eliot さんがきちんと実績として現実化し
ておられますので、いいものだろうと思っているのです。
私は日本の英語に対する方法の歴史は、戦後のものの一部しか知らず、私自身の音は完全に発
音記号育ちです。
「素材」はこれからちょいときついところにさしかかるので、今は一休みしています。
素読は画期的な方法どころか、江戸時代から日本にあります。もしかしたら、もっと以前から
根幹になる部分はあったのではないかと推測しています。琵琶法師が平家物語を暗唱できるよう
になるための方法としてどんなものがあったのか。これは、盲目の人のテキストの身体化ですか
ら、最初から目や字をあてにしていません。素読として実体化した方法の根を過去にさぐってい
けば、チベット仏教の仏典の扱いなどにまでつながっていくのではないかというような幻を追い
かけております。おそらく、仏教の寺院にあった方法ではないかと当てずっぽうに考えています。
耳→口→目→手 の順序、ご指摘の通りだと思います。
「耳・口」に関しては、交互にやると効果的だと思います。聞いて聞いて聞きまくる難行(ディ
ープリスンング)より聞いては口を動かし、口を動かしては聞くのがいい。交互というのが大事だ
と思っています。その方がずっと楽です。
ディープリスニング派の方々が、英語の音という乳房にぶらさがっているだけで、口を動かさな
いならば、難行になります。日本における英語が難行になるのは、日本語とのシンタックスの根本
的な違いに根拠があるので、どうせ難行なのですが、「耳」だけの難行を続けるのはおすすめでき
ない。英語の音という乳房にぶらさがるのはいいことで、必要なことですが、口を動かして吸うと
いうことは、実際に口を動かしてやるのがいいのだと思います。その時点での方法として、素読と
それを激化した「回転読み」を提唱してきました。
またご意見をお願い致します。「素材」を書き継いでいくのに、ヒントがもらえるだろうとい
うすけべ根性が私にはしっかりありますのでお願い致します。
1303 [Λ]と[逆さe]=あいまい母音=schwa [∫wα:] 投稿者:Eliot 投稿日:11月10日(土)11時29分04秒
根石様
「イギリス英語の発音は
[Λ」で示してあるのに、アメリカ英語では[逆さe]で示してあるから、この二つを区別する必要はない」ということには賛成できません。その論理で言う
と、
「イギリス英語では can't
の母音は[α:]で示してあるが、アメリカ英語では[aとeがくっ付いた記号]で示してあるので、[α:]と[aとeがくっ付いた記号]は区別する必要は
ない」
⇒結論⇒ backは[bα:k]でも[baek](aeをくっ付けて読んで下さい)でもよいし、calmは[kα:m]でも[kaem]でもよい???
ということになりませんか。
イギリス英語では
/u/=[Λ]と[逆さe]は明らかに別物として扱われます。イギリス英語の教本でこの二つを区別する必要がないと主張するものはありません。イギリス英
語の[Λ]は日本語の「ア」に近い音なので、明らかに[逆さe]とは異なると考えられています。一方、アメリカ英語の[Λ]は中舌母音であり、その音価が
[逆さe]に近いため、「同じ音であり、強勢があると[Λ]になり、強勢がないと[逆さe]になる」と主張する音声学者がいるわけです。アメリカ英語だけ
を考えると、その主張も理解できないわけではありません。
しかし、英語では強勢があると[○○]になり、強勢がないと[逆さe]になるのは何も[Λ]に限ったことではなく、大半の母音にも当てはまる現象なので
す。例えば、前に例に挙げた experiment
の最後の音節の母音は、強勢があれば[e]で、なければschwa(これからは[逆さe]ではなく、schwaと書きます)になります。また、San
Franciscoの Franの母音は強勢がないために通常schwaですが、♪I left my heart in Sa〜n
Fra〜ncisco〜♪ と歌うときには Fran は[ae]で発音されてます。
あるアメリカ映画の中で単語のつづりを覚えられない小学生の息子に父親が police
をつづらせようとしてしてヒントを出すシーンがありました。父親は息子に "Watch my mouth. Poe-lees.
Poe-lees."と言いました。Poeの部分は強くはっきり[pou]と発音しておりました。
私が[Λ]とschwaを別物として考えたほうがいいと言うのは、もっぱら、教育的な観点からの判断です。そう教えた方が生徒にとって理解しやすいし、
私も説明しやすいからです。
なお worry, hurryなどの発音の英米差については別の機会に書き込みたいと思っております。
1304 訂正のお願い 投稿者:Eliot 投稿日:11月10日(土)11時50分29秒
米音か英音か(a/e/i/o/uの短母音の話の前に)の中の
の発音を真似するよう強請される
↓
の発音を真似するよう強制される
a/e/i/o/u(その5)の中の
@ ingか
↓
@ ngか
何でいまさらと思われるかもしれませんが、私の一連の書き込みをまとめていただくのなら、その際に訂正をお願いできませんでしょうか。
1306 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月10日(土)12時13分21秒
いやあ、Eliot さんは、原理主義者ですね。
私もそうなんですが、見ているところが違うと思いました。
私改め俺は、[ae]の音は、アメリカにつきあっていくのなら、大事だと思います。
そうじゃなければ、大事だとは思いません。
これが音原理主義者にわかっていただけるかどうかわかりませんが、[ae]音はアメリカの不安の
音だと思っています。
俺改めあたしゃ、どの国の発音もモデルやお手本にする気はありません。
ただ媒介にするだけです。媒介にして、日本の英語を作りたいだけです。
Eliot さんに対する私の最大の興味は、日本人のための感じのいい英語の音を提唱することがで
きる人だという点です。まだ、Eliot さんは本音を言ってねえなという感じがあるんです。
本当に、Eliot さんの音に関する原理主義と、私のシンタックス原理主義はいつか一緒に仕事を
する必要があると思います。
私は、あんまり細かいことは、飽きます。
学問と女につきあうには、微に入り細に入りがいいのだとは思うものの、まあ、通じるっての
が肝心だというのが、私の原理です。
以前にも議論しましたが、「完璧な発音」という理念、ヴァーサス、「通じりゃいい」でした。
「通じりゃいい」は、「完璧な発音」の下位概念ではなく、上位概念だということをその時も申
しあげたと思います。
冗談じゃねえ。言葉は音じゃねえ、そう思っています。
音はとことん大事だということを踏まえた上での意見です。
1308 逆さe私見 投稿者:根石吉久 投稿日:11月10日(土)12時22分45秒
逆さeは、おざなりな音、どうでもいい音、気が抜けちゃった音だと思っています。
大まじめに問題にする音だとは思えません。
アメリカ的いいかげんさの音です。
1309 わかりません。 投稿者:E 投稿日:11月10日(土)14時11分30秒
>どの国の発音もモデルやお手本にする気はありません。ただ媒介にするだけです。
>[ae]音はアメリカの不安の音だと思っています。
>大まじめに問題にする音だとは思えません。アメリカ的いいかげんさの音です。
>言葉は音じゃねえ、そう思っています。
ちっともわかりません。私の感覚とはまったく違うようです。
1310 E→Eliot 投稿者:Eliot 投稿日:11月10日(土)14時13分40秒
この数日間たくさん書いたので、しばらくお休みします。
1311 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月11日(日)01時29分21秒
ある国の言葉をお手本にする意識と、媒介にする意識はまるで違います。この両者は、実際の練習では厳密に区別できるものではなく、両者が混ざり合ってい
るのが普通です。そうであっても、やはり、「お手本にする」という意識と「媒介にする」という意識はとことん別のものです。
お手本にする意識は、ある国の音のネイティヴな音の質が上等であるかのように錯覚します。その意識は一般的には、日本語の音より、英語の音の方が上等で
上位にあるかのような錯覚を蔓延させます。その蔓延はすでにあります。私は私の回りに、考えの転倒した英語フリークをたくさん知っています。余所の国の言
葉の音を上等だと感じるなどは、単に個人の好みにとどまる分には、はあそうですかで、放置しておきますが、「自分以外の人の英語」に触る人は、「媒介」と
いう概念は確実に理解しているべきだと思っています。
私がEliot
さんの存在を貴重だと思うのは、この「媒介」に必要な知識を備えた方だと思うからです。「日本人に合う感じのいい英語の音」というのに私は非常に興味があ
り、いつかそれを全面的にここ(掲示板)で繰り広げていただきたいと思っています。それは、アメリカ音そのものでもイギリス音そのものでもなく、両者から
養分をとりながら日本独自の音の確立をめざす作業になると思います。それが実際にどういうものか、言葉で書けるものかどうか、難関はありますが、是非提示
していただきたいと願っています。それが姿を現した時に、実現しているものは、それはやはり、「媒介」という行為の果実であろうと考えています。
私にお送りいただいた生徒とEliot さんの英語の読みの録音テープにある Eliot
さんの読みがそれを実現しているのではないかとも思っています。私はあの英語音が実に好きです。ああいう音をどう日本人の口に実現するか、どうアメリカ音
やイギリス音を媒介にするか、それが Eliot さんの教室「以外」の場所でも成立しうるように、理論的に日本語として言葉にすることにこそ
Eliot
さんのお仕事がたどるべき道があると思っています。それが、徹底的にアメリカ音やイギリス音を「媒介」にした場合に、日本人の口の筋肉の動きが自然に作り
出す質なのかどうか、その辺は私にはよくわかりませんが、Eliot
さんの実践にある芽は、一教室の中だけにとどまっていてもらっては困る、もっと、広く認識されなければならないものだと信じています。実践としては、初学
者に対するEliot
さんの実践は学校という場においては画期的なものです。しかし、私の懸念は、同人社さんに使ってもらおうと思って書いている「素材」でも今後はっきり書こ
うと思っていますが、次の言い方に要約されます。
音は絶対に大事だ。音は大事にされなければならないが、音をいくら純粋に突き詰めても、言葉にはならない。日本人にとって、英語の最大の眼目は、シン
タックスを瞬間的に鷲掴みにすることが成立するかどうかであって、そのためにこそ音がとことん大事にされる必要がある。
シンタックスを瞬間的に鷲掴みにすることが成立するかどうかは、実はほとんど生徒一人の机上の練習にかかっています。音の質に関しては教えることはでき
ますが、イメージの濃度や、シンタックス鷲掴みが成立しているかどうかは、直接にはどんな優秀な教師にも知ることはできないのです。教室という場は、これ
に対してはかなり無力なものだと考えています。しかし、音作りに「復習範囲を手放さない」という原理を一つ導入すると、生徒の机上を相当に応援することは
できると思っています。
1312 Eliot 様(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月11日(日)01時30分32秒
これまでの Eliot
さんの実践も、まさに日本語で育った日本人の口の動きに、英語という言語の口の動きを実現するということであり、実質は「媒介」ということの実践だったと
思います。生徒の口の動きとして実現したものは、どれだけアメリカ音に似ていても、それは「媒介」後の日本人の英語音であり、アメリカ音ではないはずで
す。ここがアメリカではないからです。
「媒介」するという行為の主体を抜いてしまうと、教室で生徒が発する音は、完璧をめざすべき、不完全な(アメリカ)音というものになってしまいます。い
ずれ生徒は卒業し、一人で自分の英語を鍛えていく過程に入ります。それ以後、アメリカ音やイギリス音を「お手本」にする意識で語学をやっていき、とことん
「媒介」にしてやるんだという意識が育っていないと、英語をやる日本人という主体がすっとんじゃいませんか。これがすっとんじゃっていて、アメリカ音とい
う乳房にぶらさがって、ちゃんと口を動かして乳を吸うことをやらない者のことを私は英語フリークと呼んで馬鹿にしてきましたが、「お手本」という考え方か
ら脱却しないと、英語フリークを作ることになってしまいませんか。
日本では、アメリカ音はできません。非常によく似たものはできますが、それは非常によく似たものであって、アメリカ音ではありません。アメリカ音という
のは、アメリカの生活感覚が育てるものであり、アメリカの生活感覚と一体化したものです。「よく似たもの」は、その持ち主の感覚がアメリカの生活感覚では
「ない」のですから、どこまでいってもアメリカ音ではありません。音素や音価をどれだけ細分化し、総合しても、アメリカならアメリカの生活感覚には至りま
せん。ちょっと「アメリカ人」になったみたいな気がするだけです。それはチイチイパッパであり、語学のご愛嬌です。
日本でアメリカ音が作れると思っているのは、錯覚です。元から無理なのですから、「お手本」にして床の間に置いておくような意識は破り捨て、さっさと
「媒介」にし、しかもとことん「媒介」にして、自分の音を鍛え込めばいい。そのことで、「日本人向けの英語の音」は育てられるのではないでしょうか。
「磁場」だけが作りうる言語能力が絶対にあると私が考えているのも、まさにこの問題です。
過去ログが整っていませんので、過去の記事を参照できませんが、ネイティヴ言語と語学の対象としての言語の間の、「感情込み」の有無の違いとして言及
し、Eliot
さんからは、考えているので待ってくれと言われ、その後、私はずっとその問題に関しての書き込みをお待ちしていました。議論は尻切れとんぼのままになって
おります。音の微細な問題に深入りする前に、私は「磁場」あるいは「生な感情」だけが作りうる言語能力に関する Eliot
さんのお考えをお聞きしたかったと思いました。
知識の開陳はいつでも歓迎いたしますが、尻切れとんぼはなんとかしていただきたい。これを放置するのは知識人のずるい癖だと思います。
また、私の泥に対しては、的を射抜いていただきたい。泥とまぎれて生きていかなければならない身の上として、それが知識人に対する願いです。
Eliot
さんの知識には舌をまいておりますが、舌をまいてものごとが終わりにならないので、私の仕事というものがあります。問題は「音」そのものにとどまるもので
はなく、音とシンタックスの瞬間的な結合をどう成立させるかにあります。それが成立した時は、文法がどう学習者に働くのか、意味がどこから沸き立つのかの
問題はクリアされているのかもしれませんが、それをどうクリアするのかが、音の問題自体にもあります。「正確な音」「きれいな音」「完璧な音」でどうにか
なるものではありません。この問題に一応の解答として私が与えたものが、素読であり回転読みです。問題は音自体ではない。音とシンタックスの瞬間的な統
合・合体だと考えています。
1313 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月11日(日)01時31分30秒
>[ae]音はアメリカの不安の音だと思っています。
これは、[ae]音がどうにも行儀のよくない大げさな音と感じる私の日本育ちの感覚が作用していると思いますが、なぜこの大げさな音がアメリカに育った
のかと考えると、私はインディアン殺しにまでつながると思っています。弓に対する鉄砲の音、金属的な音と感じます。
これは私の勝手な思いこみとして扱われ、日本の戦後市民社会の住人様には相手にされないのだろうとも思っておりますが、それならそれでいい。私は、自分
の感覚をいつわりたくはないと思うだけのことです。私の自分の感覚とは、アジアの農村育ちの感覚です。
アメリカはこの大げさな音を「なぜ」必要としたのか。
私はそのように考える者です。
Eliot さんにはこの「なぜ」がない。それが不満と言えば不満です。
>>どの国の発音もモデルやお手本にする気はありません。ただ媒介にするだけです。
酔っぱらって書いた文章ではありますが、何も訂正の必要がないと思っています。
日本人がやるべきことは、「媒介にする」ということであり、「モデル」や「お手本」としてあがめることではありません。「お手本」か? けっ、と思いま
す。
>>大まじめに問題にする音だとは思えません。アメリカ的いいかげんさの音です。
これもまったく訂正の必要がありません。多くの母音が、アメリカで曖昧母音になるのは、それが「おざなり」に扱われるからです。アクセントのない場所の
母音の多くがアメリカでは、曖昧母音となる傾向があり、これは「適当に言っとけばいい音」なわけで、prevail した chaos
とともにまともに相手にする価値があるとは思えません。なんで、私らが chaos
やおざなり扱いを大まじめにモデルなんぞにする必要があるでしょうか。馬鹿らしくてやってらんねえや、っていうのが正解ではないでしょうか。アメリカの画
一性というものがあり、これは文明レベル(決して文化レベルではない)がもたらす画一性ですが、その画一性の枠の中にいる人たちの「崩れとしての標準音」
なんぞ、俺はやる気はねえよ(基準とする気はねえよ)という根性が私にはあります。だけど、媒介にする場面では、とことん媒介にしてやろうじゃねえかと
思っているだけです。私は、アメリカ映画を教材に使うような人間ですから、媒介にする場面ではなんでもござれなのです。かまうこたねえ、やってやろうじゃ
ねえかっていうのも私の方針の一つです。
>言葉は音じゃねえ、そう思っています。
言葉は音ではありません。言葉は現象の根元であり、人が生き死にすることに直接に触れているものです。
音というものは、本来的に、誰とつきあうか、どこで暮らすのかという問題です。アメリカ音を「媒介にする」ことにはまったく異論はありませんが、それ
は、アメリカ音を媒介にしとくと、経済的にあるいは政治的に都合がいいというだけの話です。アメリカが経済的に政治的にパワーがあるというだけのことで
す。だけど、語学が経済的な事情や政治的な事情に振り回されているのは醜い光景です。インド人とつきあっていくのであれば、私はインド英語の音を媒介にし
て練習しますし、ネパール人とつきあっていくのであればネパール英語を媒介にします。アメリカ英語の音を媒介にするということを私がやるのは、どこまで
いっても「ひとまず」の話です。
語学の音というのは、音楽の音とは違うのです。語学では、純粋音は絶えず馬鹿にされて当然です。純粋音を奉じる人は、馬鹿にされることをも奉じるべきで
す。生活言語に渡る時も、音は絶対に重要ですが、それは「生活言語」ですから、あくまでも誰とつきあうか、どこで生きていくかの問題であり、自分の英語音
がどう扱われるかの問題です。語学はこの不純に絶えず触れている領域です。純粋化することは必要であるが、絶えず不純に立ち返る必要がある。それが語学で
あると思っています。
1314 Eliot 様(4) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月11日(日)01時32分50秒
>ちっともわかりません。私の感覚とはまったく違うようです。
そう思います。私の感覚は Eliot
さんにはちょいとわからないだろうと思います。でもわかることができるなら、わかってほしいと思っています。わかってもらえないなら私はあきらめることも
知っています。Eliot
さんが教えた生徒のうち、ちっとも上達しない生徒の中にあるものを私は思っています。畳屋の息子、板金屋の息子、大工の息子、私はその息子たちの中に起こ
る英語音との激しい葛藤を想像します。すぐに上達するような「優秀な」生徒には大した興味はありません。脳味噌の濃度が薄いのは、葛藤の少ない「優秀」な
やつらの方です。今の娑婆が今後も今の娑婆であるなら、この「優秀な」やつらの方が有利だというだけのことで、人間の優劣はいつでもひっくり返るものだと
私は信じています。
Eliot
さんの感覚と私の感覚は本当に違います。私は娑婆と直接に肌身をすり合わせて生きてきました。方法的に間違えば、私は食い詰めるのです。私が生きてきた場
所は、「塾」です。制度の外です。その場所から、学校という聖域が作り出す「娑婆との間接性」を理解はしています。だけど、そんなもん、語学という暴力を
奉じる者として破り捨てることは可能だということも信じています。学校という聖域の中でその間接性を破り捨てる先生がいたなら、その先生の存在は美しい。
また、そうでなければ醜いのです。その程度の厳しい視線は、学校の先生は当然のこととして覚悟していただきたい。
私は今も泥にまみれて生きていきます。今後も泥とのおつきあいです。これを避けて生きようとは思っておりません。音の問題一つにも、それが現れてしまう
ということです。
1315 英語アメリカ舌足らず(いきなり最終回) 投稿者:いくこ 投稿日:11月11日(日)13時38分22秒
朝起きると、もうYさん一家は、出発していました。どこへかと言うと、日本です。1年に一度の里帰りです。
御主人のDさんは、おいてきぼり、いやいや仕事で、いつものようにもう出社しています。
Uさんと私は、昨日のうちにYさんに言われたものを、冷蔵庫からとりだし、朝食をとりました。我々も、今日がアメリカ最後の日です。外はうららか晴天で
す。
食事を終えて、お皿を洗い、そして3階のお泊りさせていただいた部屋に戻りました。鞄に荷物をつめます。こころなしか来たときより荷物が重く感じます。そ
れほどたくさんお土産を買ったつもりはないのですが、それでも荷物をつめるのに一苦労しました。
布団をたたみ、はずしたシーツをきちんとたたみます。
そして、部屋をあとにしました。
我々も出発です。トークンひとつと三十五セントをもって。
アメリカというところは、はまると、とっても好きになるということをよく聞いていました。
行ってみて、ほんのひとかじりでしたが、確かにわかる気がしました。
これを自由というのか分かりませんが、好きなかっこをしていても、だれもとがめないということです。上品に着飾ることも、ラフすぎる身なりや、太っていた
にしても、許されます。
身の安全が守られていれば、とても気持ちよいところだと思いました。
さて肝心の英語修行については、というと、う〜む、激しく英語が必要とされる状況はありませんでした。でも、英語を使うのに躊躇というのはあまりなかった
ように思います。それから、米国の発音になれてきたせいか、耳がいくぶん達者になった(あくまでいくぶんですが)ように思いました。
アメリカから帰って4ヶ月あまりになります。たった4ヶ月です。なのに、とても遠いことのように思えます。その間に、NYでのテロ事件にはじまって世情は
一変しています。
これから世の中はどう変わっていくのでしょうか。身近になったアメリカ、身近になったテロ。アメリカの報復措置で、もしもアメリカ側が負けることがあれ
ば、これがアメリカの弱体化につながるかもしれない。そうしたら、世界共通語が、英語から違う言葉になることも場合によってはあるかもしれません。EUに
しても、基軸とする言葉が英語にならない可能性もあります。
そんな中でも、英語にかりたてられるこの気持ちはなんなんでしょう。断末魔のさけびがまだ聞こえてこないからでしょうか。
それでも、私は、つたない英語をもちながら、せっせと英語塾に通います。
(おわり)
1318 nothing personal(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月12日(月)03時00分17秒
Eliot様
>語学の音というのは、音楽の音とは違うのです。語学では、純粋音は絶えず
馬鹿にされて当然です。純粋音を奉じる人は、馬鹿にされることをも奉じるべ
きです。生活言語に渡る時も、音は絶対に重要ですが、それは「生活言語」で
すから、あくまでも誰とつきあうか、どこで生きていくかの問題であり・・・
やべえ、ここは誤解されるかも知れないなと自分の文章を眺めていて思いました。「馬鹿にされて当然」というのは、「日本では馬鹿にされて当然」とお読み
下さい。私が「音づくり」をやる先生を馬鹿にしているということではありません。しかし、純粋音を奉じる先生を馬鹿にする生徒たちがいたとすれば(顔に出
すか出さないかを別にすれば、私はいっぱいいると思っています)、その生徒の感覚も私にはよくわかるのです。「磁場」を欠いた場所で純粋音を問題にしてい
ることに対して、生徒が腹で思うことには正統な感覚があると思っています。
「馬鹿にされて当然」とはその正統な感覚を私は支持するという意味です。だけど、そいつらに「音づくり」はやらせるということです。
音がシンタックスと一体化し、意味の通路になり、文まるごとの意味を瞬間的に成立させることを目撃するまでは、生徒は「音」だけを問題にすることに対す
る疑いを捨てないでしょう。しかし、語学には、「音」だけを問題にすべき時期があり、最初は音と意味は一体ではありません。その間、馬鹿にされながらやり
続けるということを私自身もやっています。
「音づくり」はとことん大事であるが、純粋音の方へ傾いたり、英米音を「お手本」化して安心するのに賛成できないと私が思うのは、この日本人の中に伏在
する「純粋音を馬鹿にする気持ち」を決して過小評価してはならないと思うからです。また、その気持ちはしごく当然であり、よくわかるものだとも思っている
のです。
私が相手にしているのは、中学入試を経たような羊たちではなく、うぞうむぞうの泥だらけの山羊みたいな連中なので、この純粋音を馬鹿にする感覚も強いの
です。そして、私はこの連中が示す英語音への抵抗感が好きなのです。日本人の感覚としてとても自然だということです。
やはり、この辺でも、Eliot さんと私とでは、羊飼いと山羊飼いの違いが出てきます。
もしも本当に英語をしゃべるようになるなら、おとなしい羊たちより、この泥だらけの山羊みたいな連中の方が絶対に面白いと思っています。こいつらに英語
をしゃべらせたいとはしばしば思うことです。実に皮肉なことながら、英語をしゃべらせたいと私が思うのが、すぐに英語に上達し、英語になじみがいいような
連中ではなく、英語に対して大きな抵抗を示す連中なのです。しかし、山羊はなかなか英語をやりません。だから、私の仕事も失敗続きです。それでもやはり、
泥だらけの山羊の方が、おとなしい羊たちよりずっと面白いという感覚は私の正直な感覚です。私自身が、羊の皮をかぶった狼ならぬ、羊の皮をかぶった山羊で
すので、山羊たちの感覚はよくわかるのです。
私が泥をかぶった山羊であるというのは、学校の英語のお世話になった覚えがまるでないことを取り上げてもそうです。中学の頃は、私はまだ今ほどにくたら
しい人間ではありませんでしたので、テスト勉強などもやったことがあります。(ひゃあ、恥ずかし。)その頃に自分で読んで納得した文法の基礎の基礎など
は、果たして学校のお世話になったといえるのかどうか。とにかく、授業などというものから何かを教わった覚えが私にはまるでありません。高校に入ってから
は、私はテスト勉強などやったことがなく、テストが近づくと遊びに行こうぜと友だちを誘っては嫌がられておりました。高校在学の後半では、一切の勉強をや
らないくらいにへそはしっかり曲がっておりました。学校は本当に嫌いなのです。
1319 nothing personal(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月12日(月)03時03分10秒
また、私は英語科の教師というものがあらかた嫌いで、教師の側にもそれがわかるのか、ある教師などは、前の方から順に当ててきて、私の前の席のやつまで
当て、私を飛び越して、私の後ろの席のやつを当てました。あっはっは、だったので、以後、そいつの授業の時間は、文学かなんかの本を読むことにあて、授業
は一切聞かなくなりました。
英語の授業ではありませんが、授業中に花札をやっていて、花札を取り上げられ、友だちから借りた花札だったので職員室まで取りに行き、「お前は俺の授業
をなんだと思っているのか」と言われ、「だけど、先生の授業、誰も聞いてるやつはいねえよ」と言い、教師を激怒させたのも私です。文系のクラスの物理の授
業は、実際聞いているやつは誰もいなくて、生徒はおとなしく別のお勉強の本など机に広げていたのです。それを黙認していた教師が「俺の授業をなんだと思っ
ているのか」も糞もねえや。私の言葉に激怒した物理の教師は、私をとっちめるために、休み時間が終わっても、2年生の授業に出ていきませんでした。2年生
の週番が、「先生、授業に来て下さい」と迎えにきても、よっぽど私が腹に据えかねたのか授業に行かず、一時間私を怒り続けました。当時の屋代高校の2年生
のどこかのクラスの皆さん、ごめんなさい、あなたがたの物理の授業を潰したのは私です。まあ、当時は屋代高校にとっても、いい時代でした。今の屋代高校の
やつらは、とても後輩だと思うことができないほどに、概して感覚が痩せぎすです。ああ、やだやだ、勉強のできるやつはろくでもねえ。
当時の屋代高校には、私のことを好いてくれる先生もごく少数いて、化学の先生は、「根石、謝れ。根石、とにかくいいから謝れ」と物理の先生の前でおろお
ろしていました。M先生は、私のためにおろおろしてくれました。M先生、物理の教師と私の間で先生がおろおろして、私を職員会議にかけないようにしてくれ
ていたことを思い出すと、私は今でも涙がこぼれそうになります。
今、一滴こぼれちゃいましたよ。
しかし、まあ、私はそんな生徒でした。学校とはとことん相性が悪いのです。
英語科の教師という人たちとも、どうにも相性がよくないのです。そんな人間が、現在英語でおまんまを食っているのは、いったいどうしたことかと、我なが
ら我が身を眺めなおすことがしばしばです。
再度申し上げますが、「音づくり」をやる先生を、私が馬鹿にしているということではありません。私がそれを馬鹿にするのであれば、私は私を馬鹿にしなけ
ればならなくなります。私も下手くそながら、「音づくり」はやっているわけで、「音づくり」は絶対に大事だと考えている人間であることは、Eliot
さんにはわかっていただいていると思います。
この話の背後には、私の妻の学校の話が下敷きになっています。
妻の学校は、中高一貫の私立(土佐高校)ですが、妻が中学1年のとき、アメリカ帰りの先生が、生徒の音のいちいちを直し、正確にはこうしろと口の動かし
方を指導したそうです。1年間で、生徒はかなり上手に英語を発音できるようになったそうです。しかし、中学2年のときに英語の先生が変わり、2年生からの
先生は音のことについては何も言わない人だったとのことで、生徒の音は急激に日本式発音に戻ったそうです。一挙に戻るという感じで戻ったそうです。
Eliot さんは中学1年生から続けて同じ生徒を見ておられるので、この問題が噴き出していません。
1320 nothing personal(3) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月12日(月)03時04分07秒
このことに関しても、英米の音を「お手本」ととらえている限り、いずれ日本式の音に英語音を戻してしまう生徒は出てくるだろうと私は考えています。「お
手本」というようなお上品なものに据えておいては駄目だ。手当たりしだいに、媒介にするための媒介物として扱う態度を育てなければ駄目だ。そうでないかぎ
り、英米の音に「対する主体」が立つ場所がない。そう考えています。泥だらけの山羊たちが無言のまま私に教えていることです。
まあ、中学入試をパスして中学生になるような羊たちはそうでもないのかもしれません。私の山羊たちの多くは、よほど何か思うことがなければ、間違いなく
日本式に戻してしまいますね。
「媒介にする」という「主体の行為」にしなければ駄目なんじゃないか。そう考えて、私は現在、苦闘しております。「お手本」にするのと、「媒介にする」
のとでは、実際は混ざることがあっても、原理的には別のことです。そこまでは私の中ではっきりしています。
英米音は、生徒一人一人の自分の「音づくり」の場面での「媒介物」である。そうはっきりと位置づける必要がある。「仰げば尊し、我が英米音」から媒介物
にまで引きずり降ろす必要が絶対にあると思います。やかましわ。床の間に置いておくような「お手本」にしておいてやるもんか。
それが私の流儀です。
ところが、多くの英語の先生は、相変わらず「お手本」意識から抜け出さない。自分では生徒に対して「音づくり」をやらないくせに、英米音を「お手本」と
することから抜けられない。そういう先生がうじゃうじゃいます。
これが実に、語学としては転倒した態度だと思っているのです。
Eliot さんはそういう人ではない。実践として「音づくり」をやられた方です。
Eliot さんの実践が語っているのは、私から見ると、語学の初期段階での英米音の見事な「媒介」だと思います。
ただ、それを Eliot
さん自身が、「お手本にならう」から、「媒介」という行為の主体を成立させる方向にひっぱる必要があることを自覚しておられないのではないかという懸念が
あるのだということです。純粋音に近づけることを眼目とするのではなく、媒介にする主体の意志を育てることを眼目とするならば、どんな上達の遅い生徒も、
いや、そういう生徒こそ、本当の宝を秘めた生徒なのだということです。英語に対する抵抗素の強い生徒です。本当に大事にすべきなのはそういう生徒です。
私が言いたいのは、語学はもっともっと行儀が悪くてかまわないのだということです。
片っ端からくらいついてやるというどう猛さが必要だということでもあります。
行儀悪く言いますが、くらいついて噛み砕き呑み込もうとする動きを「媒介」と呼んでいるわけです。
これは、「お手本にする」というお嬢ちゃんお坊ちゃん流儀とは別物です。
私の考えでは、語学はその程度に行儀が悪くて当然なのです。
泥かぶりの山羊どもの方が、うまく火がつけば、はるかに大輪の花火を開かせます。ほとんどが、種々のこの娑婆の事情によって、火薬が湿けってしまうだけ
のことで、行儀の悪い山羊どもが花火を開かせるなら、開いたときの花火は見事です。
中上健次みたいなもんです。
Eliot
さんの初学者の英語への導入は見事である。しかし、この見事な実践が広がりを持つためには、そして、そのことによって日本の英語を変えるためには、「語学
論」として理論化する作業が必須だと考えています。Eliot
さんの実践は、一教室の中に封じておいてよい実践だとは思えません。原理をみつけ、それを公開していく作業はどうしても必要ではないかと思っています。
お暇がとれましたら、お考えをお聞かせください。
1323 お奨め 投稿者:根石吉久 投稿日:11月12日(月)03時50分09秒
「ニューヨークで暮らすということ」
PHP選書166
お奨めします。
1324 「電話でレッスン」の波及 投稿者:根石吉久 投稿日:11月12日(月)04時10分47秒
札幌のOさんの「電話でレッスン」を今日(正確には昨日)やりました。
先週のOさんのレッスンで、私の「技法グラウンド」を塾の授業で使ってもらっていますかとおた
ずねしたところ、実は古文の授業で使っているが、効果があるとのことでうれしく思いました。
素読を原理とした方法は、実は語学だけでなく、古典を味わうための基礎づくりにも使えます。
私の方法を英語以外の科目に応用して下さっているのはありがたいが、私は、その報告をこの掲示
板でやって欲しいと願っています。皆さんまるで、自分の英語力さえつけばそれでいいやと思って
おられるのかどうか、私のレッスンで自分の英語がどう変わってきたかの報告をしてくださいませ
ん。それって、ケチくさくありませんでしょうか。
そりゃ、生徒さんから見れば、一回30分の授業が月に4回から5回。総計2時間か2時間半の
レッスン。それで月額1万円をふんだくられる。高い。その上、報告の義務など負わされてたまる
かと思われるかもしれません。しかし、私の方の事情を申し上げますと、私の方では、一人の生徒
さんのレッスンをするために、実際のレッスンにかかる時間よりも多い時間を準備に使っておるの
です。
生徒さんからは高い。私からは安い。それが月額1万円です。
私はあくまで、報告をしていただきたく要求いたします。
自分の英語だけを考えて、報告はやりたくないという生徒ばかりだとしっかりわかった日が来ま
したら、私は「電話でレッスン」を一切やめます。その日は来るなら突然来ると思います。ツイン
タワーが昨日まではあったが、今日はないというように、「電話でレッスン」が突然なくなること
はありうることをご承知おき下さい。
私は現在、英語以外で食っていくことを考えております。
新しい家に移ったら、庭先で店をやることを考えております。
百姓に戻りたい。百姓の作物を庭先で自分で売ることをやってみたい。
もしもその時にも英語をやっているのであれば、私は余技でやりたいと思っています。
英語職人からはそろそろ降りたいと考えています。
自分の英語の変化は、生徒さんの中で、目に見えないほどにゆっくりと確実に進行していると
思います。そこのところに目を凝らしていただきたい。そして、それを言葉にして欲しい。これ
はとても書きにくい種類のものですが、是非書いていただきたい。そう願っています。
1325 Mちゃんのお母さんが褒められました 投稿者:根石吉久 投稿日:11月12日(月)04時25分24秒
2日前に、Mちゃんのお母さんのレッスンをしました。
Mちゃんのお母さんは、レッスンの数日前にアメリカ人に会って話をしたそうです。
そのアメリカ人にすごく英語を褒められたそうです。
どこで習っているんだと聞かれたので、長野で習っていると言ったそうです。
そりゃ、電話でやってるんだと言わないとわけわかんねえよ、と私は言いました。
Mちゃんのお母さんは山口県に住んでいるのです。
私のレッスンを受けて下さる前から、Mちゃんのお母さんはすごくいい音を持っていた方ですか
ら、音に関しては私のレッスンがやったことは小さい。しかし、日本在住の英語としては、確実
に変わりつつあると思っています。
これも、生徒さんが報告して下さらないので、私が報告します。
1327 「ae」音他 投稿者:浜谷 投稿日:11月12日(月)22時02分42秒
>[ae]音はアメリカの不安の音だと思っています
>アメリカはこの大げさな音を「なぜ」必要としたのか。
私はそのように考える者です。
Eliot さんにはこの「なぜ」がない。それが不満と言えば不満です。
このことについて、ネイティブ(カナダ人)と話をしたりして、考えてみました。結局私なりに結論に達したのは「ae」音は方言(dialect)ではない
かということです。 方言というのは必要性があって生まれてくるのではないと思います。 その土地土地で、自然発生的に生まれるのではないでしょうか?
「ae]音もおそらく、元は英国の片田舎の方言だったのではないでしょうか?そこからのアメリカへの移民の一部が使い始め、開拓者精神の溌剌さにもマッチ
して定着した、ということではないでしょうか? オーストラリアで「ei」が「ai」と発音されるのも方言ではないかと思いますが、詳しいことをご存知の
方がいらっしゃればお教え願えないでしょうか?
「逆v」と「逆e」の違いは前者が強く発音され、後者が弱く発音される違いのみで、口の開け具合は同じではないでしょうか?
私も「通じればよい」発音に賛成ですが、Eliotさんのように生徒に基本を教える立場ではそれは言えないのではないかと思います。それから、英米語を
「お手本に・・・」というのは屈辱的で、心情的には受け入れたくないというのが日本人としての当たり前の感情だと思います。その意味で英米語を「媒介
に・・・」というのは「主体性を保持しようとする」上でベターだろうと思います。以上私の感想を述べさせて頂きました。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
1329 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月12日(月)23時34分36秒
お久しぶりです。なかなかお宅の掲示板を読みにいく時間もとれないでいます。
[ae]音、イギリスの方言の音ではないかとの推測、ありうることだとは思います。
しかし、アメリカで、「おおげさな音」として発達したのではないかとも考えています。
[a] と [e] を合体させて一挙に発音してしまう(簡略化・簡便化)というのも、アメリカ気質
によく似合いますが、それと、ヤンキー気質が化合した音じゃないかなあと感じます。
どちらかというと私は嫌いな音です。
1330 あくまで素案ですが 投稿者:根石吉久 投稿日:11月13日(火)06時45分18秒
「電話でレッスン」の生徒さんを2種類に分けようかと考えています。
1.自分の英語力だけが問題であり、自分の英語力がつけばそれでいいと考える生徒さん。
2.自分の英語力をつけることと同時進行で、方法について考え、考えたことを公表して下さる
生徒さん。(日本の英語を変えることに力を貸して下さる生徒さん)
「2」の生徒さんは、「電話でレッスン」による自分の英語の変化もこの掲示板に報告して下さることを義務化したいと思います。月に一度程度、報告をお願
いします。
素読を原理とした「技法グラウンド」という方法が、「電話でレッスン」の練習の主体となります。新しいところをやる場合も、復習テストをやる場合も、
「技法グラウンド」で行っています。これに「復習範囲を手放さない」という原理を噛ませることで、じわじわと英語力を変化させることをねらっています。こ
の方法は、これまでいろんな英語機関を使ってみたが効果がなかったという人の英語をも変えました。この方法は普遍性を備えていると私は考えています。しか
し、私がそう考えたところで、世の中からはひとりよがりの方法だとして扱われることが多く、多くの人にはなかなか具体的にイメージしていただくことができ
ないままでいます。
実際にレッスンを受けて下さっている方に、どこがどう変わったかなどのご報告をいただくと、私の方で、その変化の元にある原理に照明を当てることができ
ます。あるいは、それを考えることができます。それらの過程を公表していくことで、レッスンの実質部分が、多くの方にある程度立体的にイメージできるので
はないかと思います。
妻の協力を得てやってきましたが、現在、村田君と大友さんがそれぞれシナリオを一冊ずつ片づけ、レッスンの受け皿となってくれています。
私と妻がお受けできるレッスンの駒数などはしょせん知れています。私と妻とで受けられる数のレッスンをお引き受けして、おまんまを食うことの一助になれ
ばそれでいいと考えるのであれば、私は生徒さんに、自分の英語の変化を言葉にして報告して欲しいなどと要求しません。
私は「技法グラウンド」が日本の英語のこれまでのていたらくを変えるための起爆力を持っていると思っているのです。ですから、この方法を世の中に広めて
みたいと願っています。そのためには、実際に使っていただいた方には、自分の英語の変化をみつめていただき、それを言葉にしていただく必要があります。ハ
ンドルネームを使っての公表でかまいません。
私がやれるレッスンの枠は、現在でもほぼいっぱいに埋まっており、空いている枠は一つしかありません。妻に二つか三つの枠が空いていますが、しょせんそ
の程度の空き枠です。ですから、今後は、現在の生徒さんのうち、「2」を選択なさる生徒さんに育っていただいて、もし新しい生徒さんが申し込まれてきたと
きに、新しい生徒さんを相手に「レッスンする」ことを引き受けていただきたいと考えています。これは、実は、日本在住のままに英語を維持するには現実的な
案ではないでしょうか。
自分の英語力をつけるだけでなく、レッスンの方法自体を私から受け継いでいただき、その方法を自分の生徒さんに施していただきたいのです。自分が片づけ
たテキストに、「こなれ」が生じれば、そのテキストに関してならレッスン「する側」に立っていただくことができます。もちろん、レッスンの代金は、実際に
レッスンする方に受け取っていただきます。この時点で、素読舎の「電話でレッスン・コーチ陣」に実名を連ねていただきます。自分の生徒さんに対する責任が
生じるからです。
自分がやったテキスト(多くは映画のシナリオ)の「こなれ」を維持し、錆を寄せ付けないでおくことが「レッスンする」側に立った人にとっての最大の利点
ですが、私から受けるレッスンの代金が無料になるのも利点です。実際は、私にはお払いいただくわけですが、自分の生徒さんからいただくレッスン料があるの
で、実質的に無料化します。同じシナリオで、生徒さんが二人になると、わずかながら収入が生じます。
週に一回、レッスンを受け、週に一回は、「技法グラウンド」における初心者の「レッスンをする」。これは、自分の英語を維持していくのに、非常に現実的
な方法だと考えています。私の経験からも言えることですが、自分の英語を錆び付かせないためには、「自分以外」の人の英語の面倒をみてあげるのが最良で
す。生徒さんに対する責任がありますから、自分が片づけたシナリオをさらに読み込む必要が生じます。それがそのまま、自分の英語を錆び付かせないための作
業になります。
1331 あくまで素案ですが(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月13日(火)07時09分47秒
現在の私の生徒さんに、新しい生徒さんを引き受けていただく場合、新しい生徒さんは、私からは間接的な存在になってしまいます。私のところに申し込まれ
た方が、私から間接的な存在になってしまい、私が責任を負えなくなってしまうということが考えられます。
ですから、私から間接的な生徒さんには、この掲示板に月に一度くらいはレッスンの様子を報告していただくことを最初に約束していただく予定です。また、
コーチをやってくださる方にも、月に一度程度の報告をお願いしたいと思っています。すべては陽の元であけっぴろげにやりましょうやということです。
以上の案を実現していくに際して、料金を改定したいと思います。
1.自分の英語力だけが問題であり、自分の英語力がつけばそれでいいと考える生徒さん。
2.自分の英語力をつけることと同時進行で、方法について考え、考えたことを公表して下さる
生徒さん。(日本の英語を変えることに力を貸して下さる生徒さん)
「1」を選択なさる生徒さんは、現在の月額1万円を1万1千円にさせていただきます。
「2」を選択なさる生徒さんは、現在の月額1万円のままでお使いいただきます。
「2」を選択なさる生徒さんは、将来、自分で生徒を引き受ける心づもりでいて下さるようにお願いいたします。必ず私が生徒さんを紹介できるという保証は
できませんが、私の方に空き枠がなくなっており、新たに申し込まれた生徒さんが、私の生徒さん自身がやられたシナリオ(テキスト)を選択することを承知し
て下さった場合は、必ず紹介いたします。
生徒さんが、別の生徒さんを紹介して下さったような場合は、紹介して下さった生徒さんのレッスン時間を毎回5分延長するようなお礼は、私と同様にして下
さるようにお願いします。
私の生徒さんの生徒さんが、「1」を選択なさる場合は、私の直接の生徒さんから私に月額千円をお恵みいただきたく思います。この掲示板への記事の原稿料
と考えていただければと思います。
私の直接の生徒さんの生徒さんが、「2」を選択なさる場合は、シナリオの2冊目を私が直接にレッスン致します。その場合は、私の直接の生徒さんに、いっ
たん私の手を離れ、高度なレッスンのできる方のレッスンを受けていただき、私に空き枠が生じるように、調整させていただくことをお許し下さい。
以上のようなものは、ずっと長いことあたためてきた考えです。
まだ実施はいたしませんが、一応、素案として提示だけしておきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1337 電話でレッスンご報告 投稿者:okada 投稿日:11月14日(水)04時09分48秒
7月からレッスンを受けているものです。経過を報告したいとは思っておりました。しかし、このような掲示板に投稿したことがありません。また、文章を作
ることが苦手でもあります。ずるずると、忙しさにかまけてきました。
根石さんが、経過を知りたく思うこと、本当に当然です。電話だけでのつながりで、顔を見ながらレッスンしていただいているわけではありません。少なくと
も、レッスンの感想、報告、成果は知らせるべきだと思いましたので、書きます。
レッスンの成果はまだ未知です。自分のが英語力がどれだけ上がっているのかわからないというのが本当のところです。発音は当然上達しました。英語に対す
る関心も高まっています。でも、やはり、初発の英語の音が聞き分けられる、書いてある文章の読み取りが素早くなるなどの具体的な成果はわかりません。
ただ、今の私にとってこのレッスンは「楽しい」のです。くり返し発音して、音になれていくと、滑らかになっていきます。なれると、テープの音が聞き取れ
るようになります。レッスンのときのテストで、根石さんの音を聞いて、すぐに場面を思い浮かべられると、結構すらりと音が出てきて楽しい気持ちになりま
す。
とりあえず、ここまでご報告します。まだ、書きたいことがあります。また書きます。
1339 okada さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月14日(水)10時20分53秒
>でも、やはり、初発の英語の音が聞き分けられる、書いてある文章の読み取りが素早くなるな
どの具体的な成果はわかりません。
これは、インプットの絶対量の問題だと思います。
非常におおざっぱなことを言いますが、最低量で千の文章はインプットしていただきたいと思
います。もちろん、「音づくり」を経た千の文章です。
一概に千の文章と言いますが、Hello! やら、Nice! やらも一つの文と言えば文です。Good
idea! とか、Good morning! とか、それでも文と言えば文です。
私が言っている千の文というのは、語数で10語を越える程度の文で千をインプットする必要
があるということだとお考え下さい。
まずはひとまず、目をつむってでも、それを実現していただきたくお願いします。
一つの節目は必ずできます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1343 お返事@[ae]とschwa 投稿者:Eliot 投稿日:11月14日(水)18時40分58秒
根石様、浜谷様。
シェークスピアの発音がどういうものだったかお聞きになったことがありますか。私はあります。もちろんシェークスピア本人の録音も17世紀のイギリス人
の録音もあるわけではありませんので、私が聞いたのは、学者が種々の資料を元に研究して、このようなものであっただろうと考えた、17世紀のイングランド
の発音です。シェークスピアの戯曲の台詞の一部を発音記号で書いたものを見たこともあります。それはどのような発音だったと思われますか。
アメリカ英語の発音の起源がどこの英語かとか、どのようにして現代アメリカ英語の発音が成立していったかとかいうことをどれくらいご存知ですか。アメリ
カ英語の起源は17世紀のイングランド英語です。それが大西洋を渡って、新しい事物に対応するために新しい語彙を多く獲得しましたが、この英語は、イング
ランド英語がその後に経験した変化の圏外にいたために、語法や発音の面では、古いイングランド英語の特徴をたくさん残しているということをご存知でしょう
か。
一般的なアメリカ英語とBBC英語の発音上の大きな差のなかに次の点があります。
@母音が続かない r を発音するのが米、しないのが英。e.g. car, port, here
A o の短母音を唇を丸めないで[α]と発音するのが米、丸めるのが英。e.g. not, box, god
B第二アクセントがある..ary/..ery/..uryを[eri:]と発音し、..oryを[o:ri:]と発音するのが米、いずれも[(逆さe)
ri]と発音するのが英。 e.g. dictionary, stationery, Danbury,
dormitory
C ask words の a の発音が[ae]なのが米、[α:]となるのが英。 e.g. ask, can't, last
これらの違いのうち現代アメリカ英語の特徴とされる方の発音はすべてシェークスピアの時代のイングランド南部の英語の特徴です。現代イギリス英語の特徴
とされる方の発音はすべて18世紀以降イングランドで生じた発音なのです。ですから、学者の言うことを信じれば、シェークスピア劇の俳優たちは not
を[nαt]と発音し、cast を[kaest]と発音し、star を大げさな[r]の音を響かせて
[stα:r]と発音していたらしいということになります。
[ae]の発音はイングランドの片田舎の細々とした方言の中にあったのが、アメリカ英語の中でアメリカ原住民を蹂躙しながら発達していったという説は、
話としては面白いかもしれませんが、根拠のない話です。[ae]の音は何百年も昔のイングランド英語の生き残りです。
[逆さe]が[Λ]と同じものかどうかという議論はもういたしません。見解の相違ということにしておきたいと思います。ただし、この音が「アメリカ的い
いかげんさ」の音というご意見はおかしいと思います。[逆さe]も17世紀の英語にはたくさん使われていましたし、アメリカへよりも遅く18世紀末以降に
移住が始まった(ゆえに現代イギリス英語に非常に似ている)オーストラリア英語にもたくさん使われているからです。
私は、○○人はこういう国民性を持つが故にこういう「音」を出すようになっただとか、こういう「音」を発する民族だから、こういう性格になっただとかい
う議論にはまったく興味がありません。言葉としてどういう「音」を発していようが、どの民族も残酷な争いはしてきたし、すぐれた民族文化もそれぞれに生み
出してきたのです。「音」のせいでも、「音」が結果でもありません。
>[a] と [e] を合体させて一挙に発音してしまう(簡略化・簡便化)というのも、アメリカ気質
によく似合いますが、それと、ヤンキー気質が化合した音じゃないかなあと感じます。
これは単なる言いがかりだと思います。
>どちらかというと私は嫌いな音です。
これは好みの問題ですから、お好きなように。私は別に好きでも嫌いでもありませんが・・・。
>アメリカはこの大げさな音を「なぜ」必要としたのか。
私はそのように考える者です。
Eliot さんにはこの「なぜ」がない。それが不満と言えば不満です
私が「なぜアメリカがこの大げさな音を必要にしたのか」と思わないかといえば、私にとってはそのような疑問が意味のないものだからです。
>逆さeは、おざなりな音、どうでもいい音、気が抜けちゃった音だと思っています。
大まじめに問題にする音だとは思えません。
これが根石さんが生徒さんにschwaのことを話すときになさる説明でしょうか。私は生徒に質問されて「どうでもいい音」というような説明はいたしませ
ん。また、掲示板をお読みになっている英語学習者のためにと思って詳しく書いたつもりなのですが、「大まじめに問題にする音だとは思えない」のようにあし
らわれてしまったのは残念です。
>いやあ、Eliot さんは、原理主義者ですね。
他意のないことはわかっていても、アメリカのテロ事件の後ではこのように言われるのは愉快な気持ちはいたしません。
1346 Eliot 様(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月15日(木)06時35分49秒
ありがとうございました。
シェイクスピアの時代の発音は、現代アメリカの発音に似ているということでしょうか。
>アメリカ英語の発音の起源がどこの英語かとか、どのようにして現代アメリ
カ英語の発音が成立していったかとかいうことをどれくらいご存知ですか。
ほとんど知らないです。「イングランド英語がその後に経験した変化の圏外にいたために、語法や発音の面で、古いイングランド英語の特徴をたくさん残して
いる」ということは、知識としては知っていました。それが果たしてどの程度のものかは、 Eliot
さんが言われる通り、当時の音が録音されていないので、聴きくらべられず、感覚では納得できておりません。だから、本当には納得できておりません。私はも
のごとを納得するのに、時間がかかるタイプですので、その点、お許し下さい。学者が再構成したシェイクスピア劇の音を聴いてみたいと思いました。
私が現代アメリカ英語で「大げさな」と感じるのは、特に[ae]音です。[r]音も、昔、「大げさ」だと思ったことがありますが、今は感覚が麻痺したの
か感じなくなりました。[ae]音に関しては、今でも、うっと思うくらい嫌な感じを持つことがあります。特に、それを感じたのが、ニュークラウンだった
か、ニューホライズンだったかの中学の教科書の本文を吹き込んだCD教材ででした。なんで、そんなに「でかい口の般若」をやるかなあと思い、辟易しまし
た。教科書会社の作るCDは、多くの人にとっての「お手本」、私の方法からは「媒介物」の音になりますが、たとえ媒介物でも、こんな音はいやだと思うよう
な音でした。全部がそういう[ae]であったわけでなく、吹き込んだ一人がとりわけいやな[ae]音を出すのです。これは現代アメリカ英語の音として一般
化できるものではないのかもしれず、一部の傾向なのかもしれません。その辺が私にはわかりません。
私は普段、映画のシナリオを教材にして「電話でレッスン」をやってる関係上、映画の英語音を聴くのですが、[ae]音が嫌でたまらんという感じになるこ
とは「あまり」ありません。私の知り合いのアメリカ人と話をしていてもそういうことはほとんどありません。
中学の教科書のCD音は、初学者用にきわめてゆっくりと吹き込んであります。教材が、純粋音を意識させようという作り方になっています。その場合に、
[ae]音が実に嫌な音だと思ったのでした。生活の中で普通に使われるアメリカ音は、むしろ「崩れた音」を多量に含むのでしょうが、むしろ、こちらの方が
「感じがいい」。これは、教材音と普通音(生活音)の比較となります。
「感じがいい」比べですと、映画の音を聴きくらべていると、古い映画(「七年目の浮気」が私が扱っているシナリオでは比較的古い)と新しい映画の音の違
いを意識させられることがあります。そして、古い映画の音の方が「感じがいい」と私は感じます。新しい映画の音は、chaos prevailed
でしたっけ、やたらに崩れが多い。これは、アメリカ音の音の新旧の比較です。
映画の作り方の作法も作用しているかもしれません。「七年目の浮気」は、作法としては劇の作法の尻尾をもっております。こっちの方がいい感じです。私の
好みを人に押しつけるつもりはありませんが、好みははっきりさせておきたいとは思っています。
発音記号で[ae]と表される音にも、「大げさ」なものから、そう感じないものまでグラデーションを成していくつもあるのではないかと新しく考えていま
す。自分で発音していても、「嫌な音を出しちゃったぜ」と思う時と、「おっ、これなら割といいんじゃないか」と思う時とがあるので、偏差はあると思ってい
ます。
イングランド南部の古い英語が保存されているアメリカ音というのは、私が知っているものでは、「七年目の浮気」の音に近いのかなと思います。古いと言っ
てもばかに古いわけではないです。(モンローの可愛いことは日に日に新しいが、いかんせん歴史音痴で、数字でいつの映画と言えないのが苦しい。1950年
代の映画みたいな気がします)
しょせん映画ですから、シェイクスピアを持ち出せば、ついこの間作られたばかりと言えば言えるほどの距離しか「現代」との間にはありませんが、それで
も、「現代」アメリカ音との間には莫大な開きがあり、現代アメリカ音はどんどん嫌な音になりつつあるんじゃないかという感覚ははっきりあるのです。特に映
画の英語の音がそうだと思います。音楽はほとんど知りません。
「傲慢さと無知の音」と私の耳が聞いているときがあります。
傲慢で無知を持ち味としている私ですら、そう聞いているのですから、「現代」アメリカの傲慢さと無知は、「現代」アメリカの音と連動していると私は思い
ます。
1347 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月15日(木)06時41分14秒
>[ae]の音は何百年も昔のイングランド英語の生き残りです。
おそらく、いやだぜこの音はと思って私の耳が聞いている[ae]音は、ここで Eliot
さんが言われている「何百年も昔のイングランド英語」の質と同じではないと思っています。おそらく、「現代」アメリカだけが出している音だろうと見当をつ
けています。
> [逆さe]が[Λ]と同じものかどうかという議論はもういたしません。見解の相違ということにしておきたいと思います。
私は、まずこれだけは最初にやった方がいいという、発音指導上の順序を確立すべきだという考えです。初学者にとっては、[逆e]と[逆v]の区別より
も、th, r, l
[a],[ae],[逆さe]など、これをやらないと「ひとまず通じる」というレベルさえ確保しがたいという基本の区別があります。これはそんなに数は多
くないと思います。まず、最初にそれをやり、それらが綴りの目視と連動するように口の動きとして身体化したなら、[逆e],[逆v]の区別もやればいい。
私の感覚では、「逆v」の方が唇に力が入るという感じがしますが、違いますでしょうか。
発音記号として別扱いされているのだから、音の違いは存在するとは思いますが、百科事典的に音の現象を羅列するのではなく、音の扱いに順序を立てること
が緊急の必要だと思っています。これに関しても、現在の学校英語は何もやっていないと同然です。(今回も、Eliot
さんのクラスのようなものを例外とします)
私みたいなおおざっぱな人間が、音の訓練の順序を今更考えなくてはならないのですから、文部科学省とやら、いやはやです。
順序を立てる作業としては、日本語で育った日本人の口の筋肉の研究(すなわち日本語の音組織の研究)がベースになるはずです。英語の音韻学など、英米の
輸入にとどまって、日本人の口の筋肉という現実をすっとばしてきた英語学者どもの怠慢があるとは思われませんか。この怠慢のおかげで、私なんかもいいかげ
んな歳なのに、英語の音で子供や社会人相手に苦労しているのだと思います。日本人の英語発音用のものなのだから、日本語で育った口の筋肉がどういうものか
ということを踏まえなければ、日本人用には使えない。
私は、これに関しては、きわめて簡単に考えており、「余計な母音の削除作業」だととらえています。 student の最後の t
を「ト」または「トゥ」などのように母音付きで発音するのが、日本語に影響された初学者の英語発音としては自然ですが、英語耳には耳ざわりであったり、ア
メリカ人やイギリス人の頭が混乱するということになります。だから、「余計な母音の削除作業」はやる必要があると考えていますが、これは Eliot
さんにはおわかりいただけると思いますが、けっこう時間のかかる作業です。(私の塾は中・高校生は週二回ですが、3年くらいかかるのではないでしょうか)
日本語で育った日本人の口の筋肉の研究というほど大げさなものを言わなくても、実際の発音指導では、「余計な母音の削除作業」をやるだけで、英語として
受け取られる音がかなりできてくると思っています。
数を限って簡便化する、日本人の口の動きに有効な順序を確立する。この二つは大事だと思っていましたので、この掲示板が立ち上がった頃、「英語学習法憲
法」を作るのにご協力いただけませんかと提案し、Eliot
さんからは賛成していただいた記憶があります。この提案の背後に、以上のような考えがあったわけです。
1348 Eliot 様(3) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月15日(木)06時42分07秒
>ただし、この音が「アメリカ的いいかげんさ」の音というご意見はおかしいと思い
ます。[逆さe]も17世紀の英語にはたくさん使われていましたし、アメリカへより
も遅く18世紀末以降に移住が始まった(ゆえに現代イギリス英語に非常に似てい
る)オーストラリア英語にもたくさん使われているからです。
私がおおざっぱに感じていたのは、イギリス英語は比較的スペリングに忠実だが、アメリカ英語には崩れが多いというものでした。これは間違った見方でしょ
うか。
[逆さe]が17世紀の英語になかったとか、オーストラリア英語にないと言っているのではありません。もちろんたくさん使われていると思います。しか
し、(アクセントのない位置の)多くの母音の発音を[逆さe]にしてしまうアメリカ英語の傾向というものがあると思っておりました。
この傾向をさして、「いいかげんさの音」と言ったものです。
これは、あくまで言語現象をさして言ったのです。アメリカ人を「おおざっぱ」だとか「いいかげん」だと言いたくて言ったことではありません。(実は言い
たいところもあります。ブリヂストンのタイヤ問題などになると、言いたくなります・・・)
合理的でフランクである。この性質は実に私なんかもアメリカから学んだ貴重なものだと思っていますが(身についていませんが)、これが悲しいことに、現
代アメリカでは「ひとりよがりで傲慢なもの」になっている。特にそれが政治に現れている。そういう普段の考えは、英語の音の問題を考えていてもどうしても
顔を出してきます。その辺で、今度は私が「学問的」に「ひとりよがりで傲慢」になることはどうしてもあると思いますので、今後も Eliot
さんに正していただく必要があります。よろしくお願いします。学問上では師と仰いでおりますので。昔から、私は師に対して行儀が悪いのです。これは、ひね
くれて曲がりに曲がったおかげでまっすぐになったような本性ですので、この点、ひとつ、お含みおきの程、お願い致します。
まあ、しかし、新聞のように「正しいことしか言えない」ような掲示板にはする予定がありません。このあたりのバランスは本当に難しいです。
音に戻ります。
アクセントのあるところでははっきりと区別される母音が、特に語尾近くのアクセントのないところでは「おざなり」に扱われて、[逆さe」になると考えて
きました。これは、英語の音の性質に元々備わっている傾向ではないかと思うのですが、それが特にアメリカで「いいかげんさ」「おざなり」なものとして発達
したと考えてきました。
この「いいかげん」は、アメリカ的というより、口語的と言った方がいいかとも思います。普段、私なんぞも日本語を意識しないで使っているときは、実に
「いいかげん」に発音しています。おそらく、どこの言葉をしゃべっている人も普段はそうです。ですから、今回の「いいかげん」発言は、普段の私のアメリカ
(政治)への反感とは切り離すべきことです。
英語をやりながらも、私の中でアメリカ(政治)への反感は持続します。英語をやってる人が、アメリカは何もかもいい、というような幻想を持って生きてい
く余地はなくなった時代になりました。ここでも誤解が生じるといけないので、お断りしますが、私の生徒の中にいるある種のタイプの人たちを頭に浮かべて
言っているのです。
1349 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月15日(木)06時43分00秒
>これが根石さんが生徒さんにschwaのことを話すときになさる説明でしょう
か。私は生徒に質問されて「どうでもいい音」というような説明はいたしませ
ん。また、掲示板をお読みになっている英語学習者のためにと思って詳しく
書いたつもりなのですが、「大まじめに問題にする音だとは思えない」のよう
にあしらわれてしまったのは残念です。
schwa っていうのは、どんなものでしょうか。ST さんが書かれたときもわかりませんでした。曖昧母音と言われているもののことでしょうか。
「どうでもいい音」というのは、ネイティヴがそう扱っている音という意味です。
それを大まじめにお手本にしたりモデルにしたりするのが、語学に特有の滑稽な性質だとは思っています。もちろん、私はこの滑稽をまともに生きてしまった
男です。個人攻撃をしたいんではなくて、語学の nature
を言いたかったのです。語学というのは、滑稽という点では、文学と双璧を成すくらいのものだという認識があります。
私は、ネイティヴがいいかげんに扱っている音だと思えば、そう生徒に言います。それは必要な知識だと思っています。「どうでもいい音」というのは、学問
的には実にいいかげんな言い方で、「ネイティヴがいいかげんに扱っている音」という言い方に訂正させて下さい。
酔っぱらわないで書けばいいのですが、掲示板の維持は今は仕事ではないので、酔っぱらわないでやっていけません。「大風呂敷=酔っぱらい掲示板」と思っ
ていただいていいくらいに酔って書きます。最近、酔っぱらいの言うことは信用できないという鮎川信夫の昔の発言を読みましたが、(松岡祥男という人が、吉
本隆明の単行本未収録の対談・座談を刊行しており、その最新号で読みました)、やはり酔っぱらいの言うことは、腹八分目じゃねえか、話半分に聞いておくく
らいにお願いしちゃいます。今も酔っぱらいです。
>>いやあ、Eliot さんは、原理主義者ですね。
>他意のないことはわかっていても、アメリカのテロ事件の後ではこのように言われるのは愉快な気持ちはいたしません。
これもごめんなさい。
酔っぱらって書くとろくなことを書きませんね。
でも、私は原理主義者です。語学の原理が、まったく無視されてきた学校英語という私の天敵がおります。英語として受け取られる音を作ってから(音づくり
をしてから)、文法の説明をするならしろ、という原理を私はどうにもいいかげんにすることができません。ものごとには順序があるのですが、学校英語という
無原理主義は、実に実にでたらめに、ものごとの順序を踏みにじってきました。恨み骨髄なのです。
Eliot
さんに向けた、「音・原理主義者」は、褒め言葉の一種だと受け取っていただくことはできないでしょうか。音を純粋音の方へいくら突き詰めても、言葉にはな
らないという批判はそのままに置いておきますが、「音・原理主義者」という言い方には私の尊敬の念がこもっております。
その伝でいきますと、私は「シンタックス・原理主義者」であると思っていますが、誰も尊敬してくれないので、妻に尊敬しろと強要してます。
今後ともよろしくお願い致します。
1352 schwa のこと 投稿者:根石吉久 投稿日:11月15日(木)15時37分23秒
Eliot 様、ST 様
なんじゃこれは?と思っていたのですが、辞書をひいてみたら、なんのことはないただの英単語でした。音声学上の用語ですね。「あいまい母音」と訳されて
いました。
「あいまい母音」という日本語単語なら知っておりました。それで事足りていたのでした。
この英単語を私が知らなかった一事が、私がいかに目の前にある日本人学習者の口の動きばかり見てきて、音声学等の学問など何一つしてこなかったかを証明
しています。そして、それを恥じる気が私にありません。ものを知らないことは、恥じる必要はないが、自慢する必要もない。知らなかったら知ればいい。それ
だけのことだ。これは、私が死ぬ当日まで持ち続けるであろう語学の原理の一つでもあります。
Eliot 様、ST 様、schwa に関してきっかけをいただいたこと、感謝します。
1354 素材 投稿者:根石吉久 投稿日:11月17日(土)01時32分29秒
<素材>12
.繰り返し
文字が不要になるまで文字とつきあうということをやるのに、どうしても欠かせないことは、「繰り返し」である。語学から、この「繰り返し」ということを
外してしまうと、語学自体が成立しないほど、「繰り返し」は語学にとって重要な柱なのだが、これが、語学と生活言語をはっきりとへだてる。
Nice to meet you.
という言い回しを、口になじませるために、何度も繰り返し言い続けることは、語学ではきわめて当たり前の行為だが、生活の中でこれを繰り返して相手に言っ
たら、絶対に変な奴だと思われるだろう。
Nice to meet you. Nice to meet you. Nice to meet you. Nice to meet
you. Nice to meet you. Nice to meet you. ・・・・
実際に使ってみるのは危険を伴うので、お勧めしないが、もしも実際に初めて会った人にそう言い続けたら、少なくとも頭のおかしなやつだと思われる。場合
によっては、殴られる。生活言語では、話の相手との関係はいつも切実なものであり、同じことを繰り返し言い続けることは、相手へのおちょくりなどを意味す
る場合が多々あるからである。
しかし、この「頭のおかしな」やつだと思われるようなことを、語学という机上の世界で繰り広げることは、まるで当然で普通のことである。何のおちょくり
でもない。おちょくりどころか、語学では絶対に必要なことなのである。語学で「絶対に必要なこと」が生活過程ではタブーとなる。人生いろいろ、であるが、
語学はうらはら、なのである。人生全体に対してうらはらなのである。
生活言語から見れば、語学の言語は滑稽であり、語学の言語から見れば、生活言語は痩せた意味が支配する貧しい世界である。
Nice to meet you.
で言うならば、意味などすっとんだままで、ひたすら口の筋肉の運動をやり、筋肉を鍛えたり、筋肉の動きをなめらかにするだけのために、この Nice
to meet you. を使用することだって、語学ではきわめて普通のことである。
この一点をもってしても、語学の言語と生活言語とは、根底から別の性質の言語であるということが言える。語学の言語と生活言語ははっきり分けて考えた方
がいいと、私は長いことずっと思ってきた。語学では、意味などすっとんだままで、口の筋肉の運動だけしていることは可能だが、生活言語では、まずそんなこ
とは許されない。不動産の契約場面で、口の筋肉の運動のためだけに文を繰り返し言い続けていると殺されるかもしれない。生活過程で、そんな「遊び」が許さ
れているのは、2歳程度の幼児にだけである。生活言語には「遊び」の要素がきわめて少ないのである。語学となれば、その全体を「遊び」にしてしまうことす
ら可能であるのに。
1355 素材 投稿者:根石吉久 投稿日:11月17日(土)01時33分09秒
<素材>13
語学の言語と生活言語の関係は、虚と実の関係である。どちらが虚でどちらが実であるかは、実はひっくり返ることもありうる。言葉を語学で扱うように、
「言葉だけのもの」として扱う場所から、生活言語を眺めると、実に虚であるという感覚が成立することも充分にありうることなのだ。詩から見た生活が虚であ
るようなものである。
生活に戻ろう、じゃなかった、「繰り返し」の問題を繰り返そう。
私の「大風呂敷」という掲示板に書いてくださる ST
さんという方に教わったことだが、國弘さんは「只管朗読」を唱えられ、しかも、千回の「繰り返し」を唱えられているそうである。千回?。千という数字にど
んな根拠があるのだろうと思ったが、その後、考えてきて、これにはどうやら根拠があると信じるようになった。
百回の朗読(私の言い方なら素読、あるいは「回転読み」)を十回繰り返せば千回になる。五十回の朗読を二十回繰り返しても千回になる。私の「技法グラウ
ンド」なら、二百回繰り返せば千回になる。どんな数字と数字の組み合わせであろうと、千回程度繰り返した文が、本当に使い物になる文なのだという意味でな
ら、私はこれは実に根拠のある数字だと思うようになった。
千回繰り返し言い続けた文というのは、「もうつくづくいやんなった」「飽き飽きした」「もういいよ」というように感覚される文である。そういう文だけが
使い物になる。語学から生活言語に渡れる文というのはそういうものだのだ。國弘さんはすごい。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスなど、どこでもいいが、英語が生活言語である場所に渡り、そこで英語の能力を獲得することは、生活言語の場
で生活言語を獲得することである。この点では、世界のどんな場所でも人がいるところでは必ず行われている言語の獲得過程(ネイティヴ言語の獲得)と同じで
ある。
ここが語学ではまったく違う。とことん違う。
語学は絶対に生活言語の場で生活言語を獲得するような行為ではない。虚から実に渡ることだ。このダイナミクスは、語学だけが持つもので、生活言語の場で
生活言語を獲得した人の知らないものである。
1358 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月18日(日)02時00分44秒
私はいらついていたのだと思います。
日本の英語の現状に対しては、広汎な知識よりも、順序立ての方が大事だと思っていました。
順序立てというのも、それほど大した話ではなくて、 th, l, r の子音、3種類の「ア系列」
の母音などのごくごくわずかなものです。[s]と[縦長s]もありますか。これらに順序を与え、
その後はしばらく「余計な母音の削除作業」が続くだろうというのが私の考えていたものです。
おそらく Eliot さんは、それだけじゃ少なすぎると言われるかもしれません。しかし、私の
考えでは、「完璧な音」よりも「通じる音」の方が上位にあるものです。「通じる音」をひとま
ず確保するために、以上のポイントは必須のものになります。
それ以上の細分化は、これらのポイントが確実に身体化されて以後のものだと思っています。
エリートにとってはどうだか知りませんが、「通じる音」の方が、人々にとって緊急に必要な
ものです。その点について、以前の議論が中断されていたことが、私のいらつきになっていたと
思います。
最低の数のポイント、それらの順序、それらの身体化の方法(「般若面」「診察室」など)の
定式化を私はまずやりたいと思っています。
お考えをお聞かせ下さい。
実現するかどうかはともかく、私は本当に日本の英語の現状をひっくり返してやりたいと考え
てはいるのです。
oというアルファベットがどんなに変移するかについての詳しい講義は、これは絶対に読み返
す必要があると思ったので、いくこに過去ログから独立させてまとめてくれと頼みました。書い
ていただいたことに感謝いたします。
しかし、読んでいるうちに、これより先にやらなくてはならないことがある。緊急の必要事項
ですら、日本ではいまだ常識になっていない。そういういらだちがつのってしまったということ
だったと思います。失礼の段はお許しください。
本当の初心者のための、しかし、「通じる」という質は確保できるだけの最低限のポイントの
数を定めることにご協力下さいませんか。日本人の英語の非常に多くに今すぐにでも必要なもの
です。
1359 素材7(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月18日(日)03時20分52秒
素材7(2)
.音づくり」が語学のすべてを準備する
学校がいいかげんに扱ってきた「音づくり」というものは、どれほど口が酸っぱくなっても言わなければならないほど大事なものである。これがなくては語学
が成立しないからだ。これは原理の名に値するだろう。
<原理> 「音づくり」が語学のすべてを準備する。
この原理から派生する練習方法は、学校や塾で行われるのと、一人の机上とでは別のものになる。
まず学校の場合を考えてみると、Eliot
さんが行ったものがほぼ理想型であり完成形だと言えるだろう。初学者に対する学校の教室での「音づくり」についてはすでに、Eliot
さんの実践で新たな地平は切り開かれている。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/series/otomichi.htm
Eliot さんの実践においても、意味から音だけを切り離して、音だけの訓練を行う期間を最初に設けている。この期間の後に、Eliot
さんは管理職から生徒の点が低いことをとがめられている。これについては、後に Eliot さん自身の文を引用する。
私は初学者に対してやる音の訓練というものは限られたものであるべきだと考える。初学者が最初にやたらに詳しい音の区別をやられると混乱が起こるだけで
ある。日本人にとって最重要なものからやっていくのがいい。それは、 l, r の区別。th
の舌の位置。[ae][a][逆e]の発音の仕分け。[s]と[縦長s]の区別くらいのものではないかと思う。この程度は最初からやるべきであり、これだ
けのものにはまったくの初心者の段階で習熟させるべきだ。l の舌の位置が確実なものになったら、t, d, n
などが同じ位置で発音されることに気づかせ、身体化する。そして、これらのほんのわずかなポイントが身体化されるだけで、日本人の英語は、音として英語と
して扱われるようなものになる。シンタックスという難題がこの後にひかえているが、音だけなら、「通じる音」になるのである。
これらは単独の音の仕分けであるが、この他に日本人にとって練習が必要なものに「余計な母音の削除」というものがある。これは、一月やふた月でできるも
のではない。私の塾は、中学生・高校生は週二回通ってくるが、「余計な母音」がきれいにとれるまでには、二、三年はかかる。指摘すれば、その場でとれると
いうものではなく、英語用に普段から口を回し続けて、二、三年後にようやく余計な母音がとれてくる。つまり、子音を子音だけで発音できるようになってく
る。日本語の癖が英語の音の中から抜けるだけでも、若い人で二年も三年もかかる。日本語という磁場の中での英語音の訓練とはそういうものである。
1360 素材7(3) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月18日(日)03時21分42秒
素材7(3)
「余計な母音」がきれいにとれた頃から、生徒は日本語の音と英語の音の二つを持つようになったと言っていいのではないか。そこ頃には、単独の音もきれい
に出るようになっている。これくらいまでの訓練は、私にもできる。これ以後の訓練になると、Eliot さんのような専門性が必要になる。
私はその種の専門的知識はないので、これ以後の段階に関しては、映画のシナリオをテキストに選び、英語で映画を観てもらうような訓練をしている。
口をどう動かすのか、舌の位置がどこにあるのか、息の使い方をどうするのか、それらを指摘するものは、単独の音では、本当にわずかな数の音に関してだけ
である。それに関しては、生徒が間違うたびに必ず直す。直させて最低五回は繰り返し正しく言わせる。単独の音の区別や発音の数を最低限におさえてあるの
は、「通じる音」が確保できればいいと考えているからである。その先に、どれだけ音を練りこむか、どれだけ細かく発音しわけるかは生徒各自が自分でやるべ
きであり、いつまでもこちらが口を出すことではない。それから先は、「もっと泳げるようになるには、水の中で泳げ」しかないからだ。最低のポイントだけき
ちんと押さえておけば、英語として受け取られる音は作れる。その先は、複製音声教材が世にあふれているので、各自の意欲によってどこまでも音を細分化して
いけばいい。
学校や塾がやれることは、最低限のポイントだけはきちんと押さえるということである。そして、どんなに辟易されても言わなければならないことは、これを
ほとんどの学校や塾はこれまでやってきていないということである。
私は、これらの訓練を行う場合でも、必ず文全体を扱いながら行う。イントネーションやリズムを文に備えることを行いながら、個々の発音のポイントを訓練
する。
語学では、音と意味は分離するので、これらのポイントを訓練している時は、生徒は意味など考えている余裕はないだろう。それが、コーチが訓練する場合の
訓練の性質になる。
これに対して、「一人の机上」というものがある。ランボウという詩人に「架空のオペラ」という言葉があるが、語学は「机上のオペラ」だと言ってもいい。
生活言語と語学の言語が根本からして違うものだという論議は後に行うが、語学はどこまでいってもあくまで仮のものであり、生活過程ではない。語学とは、
「机上のオペラ」の激化に他ならないのだ。
そうして、「机上」という語学の場が確保されたなら、英語をやる一人にとって、「一人の机上」が成立する。語学の肝心要のところは一人でやるしかないも
のなのだ。コーチの要・不要を言えば、コーチは必要なものだが、コーチから指摘されたものを本当に身体化するのは、あくまでも「一人の机上」である。一人
になって、新しく得た知識を身体化することをやらないならば、いくらいいコーチについても実りはない。
音の細かい問題に関しては、これは「一生もの」だと考えておいた方がいいのかもしれない。普通、「一生もの」というのは、買った品物の品質がいいので一
生使えるというような意味で使われる言葉だろうが、ここで言っている「一生もの」はまるで違う意味である。英語の音につきあうならば、一生かけて、徐々に
徐々に細分化し、区別できるようにしていくようなゆるやかな過程が必要になるという意味である。きりがないのだ。改善をめざせばどこまでも改善の余地はあ
る。
いくつかの最低限のポイントは、英語をやり始めた最初の場面でやるのがいい。それ以降は、時間をかけて音に関する感覚を磨いていく作業に入る。語学教材
のCDを使うのか、映画を使うのか、生きたネイティヴを先生にするのか、それは生徒が自分で工夫すればいい。最低限のポイントさえ、身体化されていれば、
以後は生徒の意欲によってどうにでも発展はありうる。
しかし、この発展の芽を摘んでいるのが学校英語である。最低限のポイントが確保されていないので、生徒はそれ以後の過程に入ることができない。つまり、
学校英語は障碍になっているのだ。
素読舎の仕事は、半分以上がこの障碍を取り除くことだった。
まともに「音づくり」をやらせること。それだけで、仕事の半分以上であった。しかし、これをやると、後の発展が可能になる。
また、現在は社会人を相手に「電話でレッスン」というものをやっているが、これの眼目も、学校英語の犠牲者たちに「音づくり」をやってもらうことであ
る。点数や、受験の合格・不合格の問題はないが、やっている仕事は、素読舎で中学生や高校生に対してやっていることと本質的には何の変わりもない。従っ
て、生徒の側には、「一人の机上」が必要になることも変わりはない。
1361 <素材>10(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月18日(日)13時02分42秒
.小学校で英語をやるなら素読にとどめよ
小学校に英語が導入されようとしている。あるいは、この本が出版された時にはすでに導入されてしまっているのかもしれない。
How do you do? をやるのだそうだ。How are you? をやって、Fine, thank you.
をやるのだそうだ。そんで、Nice to meet
you. をやるのだそうである。つまり、現在の中学一年生の教科書の初めに載っているような文をやるということだ。
国際的なコミュニケーション能力を育てるとかいう話である。
すげえ話だ。馬っ鹿でぇ、である。
ここでも何一つ磁場のことは考えられていない。英語をやる場合に、最初の大原則になる「日本には英語が作る磁場はない」という条件が何も考えられていな
い。磁場のないところでの、擬似的なあいさつの修得。なるほど、戦後市民社会に照応した疑似語学的な光景ではあるだろう。
これは、実に子供と語学を馬鹿にした話でもあるのだ。
磁場に置きさえすれば、言語習得のスピードは大人は絶対に子供にかなわない。しかし、英語の磁場のないところで、早期に英語を始めたところで、子供だか
らって、英語のシンタックスが身に付くわけではない。
子供は大人より若い。たいがいそんなもんである。しかし若いということは絶対条件ではないのだ。語学は若ければどうにかなるってなものではない。
子供が言語の習得が速いのは、磁場としての言語が、子供にとっての切実な生活の条件だからである。友だちになりたい。言い返してやりたい。仲直りした
い。すべて、子供にとっての切実な生活に直接に結びついている。だから、磁場としての言語を子供はまたたくまに覚えていくし、それを磁場が支え養っている
のである。英語に限ったことではない。それがどんな言語であっても、子供は本物の磁場に置かれるなら、大人が及びもつかないスピードでその磁場を作ってい
る言語を身につける。
磁場があるということは、絶対的なことなのである。等しく、磁場がないということも絶対的なことなのである。
このことを、小学生に英語をやらせるという案はひとつも勘案していない。どう見たって、馬っ鹿でぇ、である。
すでに書いたことだが、学校英語というのは、ものごとの順序をとことん踏みにじったでたらめなものだ。小学校の英語は、このでたらめを始めさせる年齢を
早めるか、疑似英会話学校みたいなものを持ち込むかどっちかになるだろう。
学校英語に対する風当たりが強いせいか(当たり前だ!)、これまでの学校英語をそのまま小学校へ持ち込むのではないというような言い訳が用意されている
ようである。だったら、疑似英会話学校が持ち込まれるに決まっている。
それ以外に日本に何があるというのだ。いや、実はある。素読である。しかし、素読舎のような存在を、これまでの制度や戦後市民社会がどう遇してきたのか
を思い返せば、またどうせ、疑似英会話学校が持ち込まれるのだろうと暗澹とした気持ちになって、いつものことだと思うだけのことである。日本の英語の未来
は暗い。見ているがいい。必ず結果が出る。相変わらず暗いという結果が。
1362 <素材>10(3) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月18日(日)13時03分43秒
<素材>10(3)
私はよく大人の人にたとえ話をする。
しゃべるための英語は水みたいなもんです。アメリカで身につけた英語は水です。初めから水です。ところが、日本で作る英語は氷なんです。氷だって、
H2Oにゃ変わりないけど、水と氷じゃ使う場面じゃ同じに使えない。水が張ってあるからってスケートを始めるやつはいないし、氷の固まりに突撃して水泳を
するやつもいない。氷でごろごろ洗濯する主婦は、よく言って変わり者だし、悪く言えば馬鹿だ。水と氷じゃ使い勝手が違う。で、しゃべるための英語は水なん
ですね。アメリカじゃ水がざぶざぶしてる。アメリカで英語を身につけるっていうのは、ざぶざぶしてるところでざぶざぶしてきたということなんですが、日本
で作る英語は氷にしかならない。本当にこれはそうなんだ。氷だから、それが融けた分だけが水になる。どれだけ融けてどれだけ水になるかは、それは熱がどれ
だけあるかだ。つまり、あなたの熱意がどれほどのものかだ。つまり、練習がどれほどのものであるかだ。ざぶざぶなんてありゃしねえんだ、ここでは、ざぶざ
ぶなんて。
だけどよく考えてごらんなさいよ。日本じゃ、とにかく最初は氷しか手に入らないんだから、水が欲しければでかい氷を作るしかないんだ。英会話学校で習う
決まり文句なんか、冷蔵庫の製氷皿の氷程度の大きさしかないが、それで英語をしゃべろうったって、あくまで決まり文句をしゃべるしかできない。氷河を作る
んですよ。氷河を。氷河の下なら、水が川になって流れてる。
えっ、あんた氷河を持ってるのかって。そりゃ、むにゃむにゃでさ、池の氷程度のもんだけどさ、それにしたって、製氷皿程度じゃだめだよ。学校だって、英
会話学校だって、製氷皿だ。実際に作れるかどうかはともかく、理念だね、語学の理念としては氷河を作るって、もう、雄叫びをあげちゃっていいんだ。「一人
の机上」で氷河を作る。それが語学だよ。
そんな話をよくする。氷河をめざせっていうまともな語学の理念から見ると、小学校への英語導入というのは、ああ、また製氷皿ごっこか、としか見えないの
である。やってみろ。それで英語が使えるようになるんなら、こちとらこんな苦労はしねえよ。まったく泣きたくなるぜってなもんだ、おばちゃん。
小学生に英語で下手な芝居をやらせて何がおもしろいのか。何がコミュニケーションか。コミュニケーションとは下手な芝居のことではない。
素読である。素読なら氷河が作れる。素読は、初めから磁場の存在を当てにしていない。語学そのものというより、語学を準備する方法だととらえるなら、素
読は準備を整えるのに使える。「日本の」小学生にやらせるなら、語学の準備でいいではないか。準備が整っていると整っていないとでは、その先は大違いであ
る。
しかし、問題がある。小学生の先生に、英語の「音づくり」ができる人がいないという問題だ。つまり、コーチの質が悪いというより、コーチと呼べるほどの
人がいないという大問題である。素読を原理として、英語の「音づくり」をやるにも、コーチができる人がいないのでは絵に描いた餅であった。
文部科学省よ。俺にちゃんと金を払え。そして、インターネット上で、素読を原理とした「音づくり」の方法を学校の先生に習わせろ。あるいは、民間の英語
のリズムと音を身につけている人をどんどん学校に登用して、雀の涙程度じゃないだけのものを払え。この人たちに、「技法グラウンド」を修得させろ。
Eliot
さんの「音づくり」に関する記事を小学生に英語を触らせようとする人々に素読させよ。などと叫びをあげてみたところで、どうにもなりはしないのだ。どう
せ、疑似英会話学校の導入と、製氷皿ごっこなのだ。
駄目だこりゃ。
1364 祝賀 投稿者:根石吉久 投稿日:11月19日(月)00時41分29秒
長野・Bさんが、シナリオ「ボディ・ガード」を終わらせました。
おめでとうございます。
Bさんは妻の生徒さんですが、妻に現在の様子を聞いてみました。
「ボディ・ガード」一冊の最初の方から3分の1程度の分量は、「こなれ」ができているとのこ
とです。一冊全部こなれたころになって、新しい生徒さんが「ボディ・ガード」を希望する場合
はコーチをお願いしたいのですが、覚悟を固める覚悟を固めに入っていただけませんでしょうか。
コーチをお願いする場合は、「素読舎電話でレッスン・コーチ陣」に実名でお名前を連ねていた
だくことになります。
お金を払うのではなく、お金をいただく側に回ることは、日本在住のまま英語を維持するには、
非常に現実的な選択です。責任が生じ、生徒さんとのレッスンの前に、自分でやるべき準備が生
じます。この準備は、自分がすでに片づけたシナリオに関して行うのですが、これをやることで、
一段と「こなれ」ができてきます。
同一のシナリオを扱う生徒さんが二人、三人いると、國弘正男さんの言われる「只管朗読」千回
を、生徒さんのレッスンの準備を行うことで達成することができるかもしれません。これは、つ
らいと言えばつらい作業ですが、その後に使い物になる文がぐんと増えるという意味で実質があ
ります。おこずかいができるという以上の利があります。
実は、それが私がやっていることでもあるのです。
しかし、私は、自分の英語のことだけ考えているのではないので、Bさんにもシナリオ一冊片
づけた時点での、「電話でレッスン」の感想を書いていただきたい。強く要望します。
私は英語学習者のネットワークを「電話でレッスン」を通じて作りたいと願っています。
是非ご協力ください。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1365 長野・Bさんの二冊目 投稿者:根石吉久 投稿日:11月19日(月)00時51分43秒
Bさんは、二冊目は「七年目の浮気」をやります。
このシナリオは語学的には非常にお得です。
リチャードの妄想が激しく、それを全部口に出してひとりごとを言うので、台詞がやたらに多い。
だからお得です。
Bさん。健闘を祈っています。
うちの女房、生徒を怒らないけど、生徒を甘やかさないんじゃないでしょうか。
どうも、私は甘やかされた覚えがかつてないので、なんとなくそんな感じがするんですが。
その辺の感想でも結構ですから書いて下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1368 操作間違い 投稿者:根石吉久 投稿日:11月19日(月)02時00分00秒
書いてる途中で、「投稿」ボタンを押してしまいました。
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また酔っぱらって塾の広告のコピーが出来たのでお披露目します。
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がっはっは。
学校の英語じゃ駄目だよ。
使えるようにはなりゃせん。
俺は学校の英語のお世話になったことはない。
更埴市に素読舎という塾がある。
突破口。それが、すぐ側にあるのに、気づかないのは、俺のせいじゃない。
見学はいつでもできる。だけど、俺が迷惑そうな顔をしても、気にしないでね。
気にしない覚悟ができたら、見に来てね。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1369 英語の在日性(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月19日(月)09時41分43秒
「在日英語」あるいは、英語の「在日性」という言葉で考えていたことがある。
「在日」という語を冠した言葉で、もっともよく使われたのは「在日朝鮮人」あるいは「在日朝鮮人問題」というものだった。この場合の「在日」というの
が、日本人側からの視線なのか、朝鮮人側の自覚としての視線なのかがわからない。
「在日」とは、日本に仮にいるという意識のありかなのか。日本で日々の暮らしを暮らしすでにそれになじんでいる事実を言っているのか。いや、どうもそう
いう感じはない。ことさらに「在日」というからには、そこに何らかの違和がある。
何も調べたことがないので、根拠はないが、「在日」というのは、自分がどこに帰属するのかを問うときに出てきた言葉ではないだろうか。これは、行政的な
処理におけるもの、つまり国籍やらというものの問題ではない。
しかし、それでもなおわからない。これは、何を自然と感じ、何に異物感を持つかというような意識の自然性や、意識の疎外感のありかを指し示している言葉
なのか。自分という意識の組成(意識の自然性)を異物として孤立させていく日本という社会に動く別の自然性の力学のありかを指し示している言葉なのか。つ
まり、個の意識の検証の問題なのか、社会に働く力学の問題なのか。
私は中学・高校の頃を通じて、学校そのものに対してはいつも折り合いが悪かったが、学校英語というものに対してとりわけよく考えたわけではなかった。高
校が終わって、浪人している一年の間に、英語が面白くなり、語学というものは面白いものだと思ってどんどんやっているうちに、大学受験の一科目であること
を忘れるようなことがあった。しょせんは、大学受験の一科目として始めたにすぎないが、語学そのものの面白さをみつけてしまったということである。
その時も、単に語学を面白がっていただけのことであり、なぜ英語かなどということは考えもしなかった。別に英語でなくてもよかったのかもしれない。大学
受験の一科目にフランス語が課されていれば、フランス語を語学として面白がるということであったのかもしれない。私が英語をやったのは、たまたまそれが大
学受験の一科目であったからだ。動機としては、まったくそれ以外のものではない。やらなきゃならないからやったのであり、やってみたら面白かったからどん
どんやっただけである。
生活のために家庭教師から始めて、塾をやり始めるまでの経緯は「根石吉久の暮らしの手帳」という本に書いた。(ミッドナイト・プレス刊)
1370 英語の在日性(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月19日(月)09時42分35秒
英語についていろいろ考え出したのは、塾という仕事を始めてからのことである。語学そのものとして英語を面白がるという経験は浪人の一年でしたが、とり
わけ英語について考えるということをした覚えはない。塾を始めてしまうと、考えなければならないことが続出してきたのだ。
今は五十歳を過ぎたが、五十になる手前で、英語の「在日性」という言葉が私の中に出てきた。
「在日朝鮮人」という語でも、上記のようにわからないことはいくつもあるが、この語が響かせている響きに孤立の深さというものがひとつある。孤立の深さ
という響きを「在日英語」という語は響かせうるのかどうか。私自身は、その響きを響かせたいと思って、こんな語の組み合わせを使用しているが、ただ変なこ
とを言っていると扱われるだけで終わることが多い。
「クレオール」という語の正確な意味合いを知らないので、使い方を間違えるかもしれないが、日本の英語がクレオール化することはなかった。親から子へネ
イティヴな言語の一つとして伝わることはないということである。放置しておいても自然に伝わるということがないということである。文明的な浸食の度合いは
ともかく、日本が政体として植民地になることをなんとかまぬがれてきたことが、日本が今日、日本語の磁場できているということの根拠である。それは本当に
そうではないか。そう思った頃から、「日本の英語」ということをまともに考えるようになった。中年になって腹が出てから、ようやく「外部」の存在が肌身で
感じられたのだ。別に出た腹の肌身で感じているわけではないが、「外部」がはっきり存在するようになるまでに、けっこう長い時間がかかったということであ
る。「磁場」という考え方自体も、日本の英語の非クレオール性を考えることから出てきた。それが順序だっただろう。
孤立する。深く孤立する。それが日本の英語である。この英語は、一種奇妙な性質を持っていて、この奇妙さは英語をやった者どうしでもなかなかお互いに認
めたがらないような閉じた構造をしている。この閉じた構造は、日本に暮らしているかぎりは、ついに生活言語の方へ開かれることはないのではないか。意志の
疎通をはかるとか、用を足すとかで、日本の中で英語を使うことはよくある。しかし、英語で二時間も三時間も時を忘れて話し続けるというようなことはない。
そういうものとして私の英語は育っていない。もっともこれは、日本語でもないから、私の言語は、生活言語の方へ開かれていかない種類のものだということな
のかもしれない。生活言語が面白いとはどうしても思えないような何かが私の中には持続するのだ。逆に、だから、英語の「在日性」に強く照応するものが私に
あるのだと言えるのかもしれない。生活言語の方に開かれない言語(文学の言葉はこの性質を強く持っている)に働く光学が、英語の「在日性」をみつけたのか
もしれない。
しかし、時に私は語学の好きな人たちに、あなたが語学をやったのは、あなたの中のなんらかの「在日性」のゆえではなかったのかと聞きたい強い衝動にから
れることがある。みんな、敗戦国が仰ぎ見たアメリカの輝かしさのせいで英語をやったのか。そんな人ばかりなのか。孤心が、言葉そのものを相手にする語学と
いう領域へあなたを導いたのではなかったのかと聞きたくなることがある。
この歳になって、なおも生煮えの疑問が持続するのだ。生活言語の方へ開かれることがない言語を、日本の中で持ち続けるということはどういうことなのか。
英語の「在日性」はこのまま閉じられて、どんな普遍性へもつながることはないのか。
「なにかあるだろう」とこの掲示板でいくこが言っていたが、いくこはこの疑問の端緒に立ったのだと言ってもいい。なにかあるだろうと私も思っている。
1377 素読舎 根石様 投稿者:脇 田 泰 子 投稿日:11月24日(土)12時39分06秒
2本ほど原稿にかまけているうちに、
遅れに遅れたレスになりまして、申し訳ありません。
ご質問は、なぜ砂漠の民の帽子(フリジア帽)がヨーロッパの国における「自由」の
象徴になったのか、とのご趣旨でした。
共和国を象徴するマリアンヌも頭にかぶっている、フリジア帽と言われる赤い帽子は、以前にN.Y.の自由の女神の話の中でも触れた、古代ローマ時代の「自
由の女神」も被っていた頭巾(=解放された奴隷の頭にかぶせられたフェルト製の物)に由来し、文化によって継承されてきた「自由のシンボル」でありまし
た。これがたまたま東方の砂漠の民の被っていた帽子と形がよく似ていたのです。昔のヨーロッパ人にとって、多少なりとも訳のわかっている東方(オリエン
ト)とは、フリギア辺りが殆ど限界であったことから、彼らは、その自由のシンボルである帽子を勝手に「フリギア(人の)帽子」と呼び始めたのが発端であっ
たようです。
砂漠の民が移動の自由をもっていたことに憧れて、なんて思いはさらさらなく、あくまで自分たちから見た世界観に基づいた名前です。
例えば日本で薩摩の芋と思われている「さつまいも」を、当の薩摩(鹿児島)では「カライモ(=唐イモ)」…昔の中国「唐」から伝来したことから、こう呼ん
でいることにも似ております。しかし一般に日本人が、珍しい文物は何でもある、と言う憧れも込めて、「唐」の名を戴いたのに比べ、フリギアの方は、むしろ
よくわからぬ東の果て、と言ったニュアンスだった訳ですから、やっぱり昨今、問題となっている「グローバリゼーション」のセンスともどこか通じる中華思想
的な発想の一端を感じる名前ではあります。
そんなネーミングの帽子だけ被って自由だ、何だと主張してみても、どこか根本に「辺境」の思いを置き忘れていたんだ、と言った事の意味合いに最近のフラン
スは政治的にも大変、神経質になってきたようです。こうしたグローバル化の権化たるアメリカのナイーブさを部分的なりとも、浮き彫りにする狙いもあったで
しょう。
その効用に気付いたからこそ、植民地アルジェリアが独立して40年近くたつまで「内戦」としか認めてこなかったそのアルジェリア戦争を、3年前になって漸
く初めて「独立戦争」だった、と国会で謳った訳です。アメリカの独立戦争はあれほどおおっぴらに賞賛してた同じ国が・・・です。ただ、「頭隠して尻隠さ
ず」は、同時に「いずこも同じ秋の夕暮れ」でして、9月11日以降、更に多くが指摘されるようになってきているのが世界的トレンド、でもあります。以上、
誠に遅くなりましたが、時間がたって拍子抜けされないことを願いつつ、今後もよろしくお願い申し上げます。
http://www.doujinsha.com/sub2.htm
1378 多読で学ぶ「SSS英語学習法」 投稿者:浜谷 投稿日:11月24日(土)15時45分04秒
根石さん、お久しぶりです、
さて、「迷いを断ち切れ! 最適英語学習法」の掲示板でお話をし始めてからもうかなりの時間が経過しています。その中で、私の多読による英語(英会話)学
習法が初学者には不向きであることを度々仰られていたと思います。2,3日前にその同じ掲示板でやはり多読による学習法を実践している方のHPを読む機会
を得ました。SSS英語学習法と言います。URLはhttp://www.seg.co.jp/sss/
です。中一終了程度の初歩の文法と基本単語200〜300語程度を知っている人が対象の下限ということです。Penguin, Oxford,
Cambridge等のGraded
Readersを使って、グレード別、段階的に大量に読むことを主眼にしているということです。私はこの半年ほど英会話サークル(相談室)主宰してきて、
自分がしてきたと同じ方法での多読(普通のペーパーバックにより最初のうちは20−30の理解度でもいいんだという・・・非常な難行)を奨めてきました
が、その愚かさに気が付きました。これからは、そのような方法は中級以上の人に奨め、初級者にはSSS方式で行こうと思っています。 上記サイトを読んで
みていただけば分かることですが、SSS英語学習法は古川昭夫さんという高校生対象の塾を経営されておられる方が編み出されたもので、使える英語修得と受
験英語学習との両立可能な新しい英語教育を求めて行き着いた結果だそうです。 根石さんと古川氏はどちらも塾をやっておられるうちに「新しい英語教育」の
手法を編み出されたのだと思いますが、どちらも貴重な手法だと思います。出来ればその2手法が相まって「新しい英語教育」になって行ってくれることを願っ
ています。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
1380 Fさんから 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)00時25分43秒
福岡県の方からメールをいただいたものを掲載します。これに対するお返事は、別の記事として独立させます。
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根石吉久様
はじめまして
私は福岡県で医者をやっておりますFという者です。
年齢は35歳です。
あなたのホームページを拝見し,非常に興味を持ちました。
英語を使う機会は,専門文献をたまに読むくらいで,英文を書いたり,会話をしたりということとは無縁でした。
もちろん本当は読み書きについては勉強する必要性があるんですが国内にいる限り差し迫って必要が無かったものでさぼっておりました(お恥ずかしい話で
す)。
しかし,来年の春から急遽アメリカに留学することになり,現在,遅まきながら勉強を始めているところです。
つまり,あと5ヶ月程度しか無い状況ですが,その場合,あなたの提唱されておられる音作りやシンタックスの構築は,行う意味がありますでしょうか(数ヶ月
学習することが後の自習時に役立つかという意味)?
また,素読舎の生徒の方々にはこのやり方で英語を習得された方も多数おられるかと思いますが,毎日,どのくらいの時間を勉強に割いておられるのか,もし,
お分かりでしたら教えてください。
私の今のレベルはおそらく中学生レベル以下で,しかも会話に関しては自分の言いたい事は,ほとんど伝えられません。現在,中学生の教科書の復習,研究社の
英会話教本,ラジオの教材(日本人向けにスピードを遅くしたもの)をちょこちょこと勉強し,英会話学校にも通っております。
1381 Fさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)00時26分37秒
メールありがとうございました。また、ホームページをお読みいただいたこと、うれしく思いました。
5ヶ月程度で、一挙に英語をものにするのは、お仕事を持ちながらではなかなか難しいと思います。5ヶ月のうちに是非お持ちになっていただきたいのは、英
語力そのものよりも、「方法」です。突破口を切り開くことのできる「方法」が肝心だと思います。
それを確立して、アメリカに渡られてからも継続なさるのが最良かと思います。
言語の磁場で、その言語をどんどん獲得していく能力は、幼児だけのものであり、日本で大人になった人は、アメリカに滞在される場合でも、何らかの方法を
確立し、継続する必要があります。
10代くらいまでの人だと、身体への日本語の食い込みがまだ浅いので、アメリカにいて友だちができるだけで英語が使えるようになるということがありま
す。幼児の言語獲得と似た過程がまだ成立する年齢だということです。(当然、日本語が弱体化しますが・・・)
Fさんの場合、35歳という年齢を考えると、継続するための方法をつかむことが必ず必要になると思います。
「音づくり」は、英会話学校などやめて、ただちに突入していただきたい基礎の基礎です。これこそが、日本の学校英語、受験英語からすっぽり欠け落ちてい
るものです。学校も予備校もNHKの語学番組も英会話学校も、この絶対に必要な訓練をしていません。最近は、アルクの音読講座(イングリッシュ・キング)
を受講している方の英語を手ほどきしましたが、元からやりなおす必要があるのがわかり、元からやっています。複製可能な音声教材ではできない訓練がありま
す。コーチが直に指示するしかないことがあるのですが、日本ではこれをやれる人が極端に少ないのです。
これは、本当は日本人が日本人に対して行うのが最良です。英語ネイティヴは、日本語で育った日本人の口の筋肉のどこをどうすれば英語の音(として通用す
る音)が出るのかを知りません。ネイティヴに習うのがいいというのは、大人の初心者にはまったく間違った方法だと思っています。
1382 Fさんへ(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)00時27分35秒
シンタックスに関しては、「シンタックスの構築」というより、私は「シンタックスの鷲掴み」と言っております。「音づくり」ができ、音が本当にこなれて
くると、この「鷲掴み」が成立するようになります。日本にいてやるより、アメリカに渡られてやられると、語学と生活言語を往復することが日々頻繁に起こり
ますので、語学の机上での「鷲掴み」もはるかに成立しやすくなります。
それにしても、「音づくり」の基礎は日本でやっておかれるのがいいと思います。アメリカに行けばなんとかなるというようなことではありません。口のどこ
をどうするのかを、ある程度体得しておかないと、真似しようとしても真似しようがない事態におちいることはありえます。
私の「電話でレッスン」を是非ご検討下さい。日本におられる5ヶ月間これを受けられるだけでも違いますが、経済的に許すならば、アメリカから国際電話を
使ってレッスンを継続なさることもできます。電話代以外に月額1万円が必要になります。
どのくらいの時間が必要かということですが、日本在住という条件下では膨大な時間が必要です。きりがないのです。どこまでやってもその先があります。し
かし、話す・聞くことに関しては、アメリカ在住の方がはるかに有利なのは絶対的です。ある一定のレベルに達するには、はるかに短い時間で済むはずです。
英語の上達に必要な時間というものは、一定の時間を想定してみても、その中における練習の密度や意識の集中力によって変わります。日本在住かアメリか在
住かによっても変わります。それらの要素の組み合わせの関数になってしまいます。
語学的には有利な条件下に入られるわけですから、方法的に間違わなければ、また、語学と生活言語の間を臆さず頻繁に往復なさるなら、上達は日本在住より
はるかに早いと思います。どのくらい時間がかかるかということを心配するより、日本にいる間は、やれるだけやる、できるかぎり多くやるということをこころ
がけていただきたいと思います。それにしても、「音づくり」はまず必須のものです。
以上ですが、不明の点は再度おたずねください。
1383 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)01時34分57秒
SSS のホームページ見てきました。概要はつかんだつもりです。
やはり、この方法に関しても、基本的には浜谷さんの方法に関して考えていたことと
同じことを考えざるをえませんでした。英語をある程度のレベルまで持ち込んだ人に対
して有効な方法だという感想です。
「意味の塊として読む」とありますが、「意味の塊」が塊としてわかるのは、何の前
提もなく成立するはずはないのです。本当の初心者は、どこからどこまでが塊なのかが
わからないので、200語やそこらの語彙数しか持たない人が、意味の塊を自力でとら
えるのは至難の業です。いちいちカンマでも付してあれば別ですが・・・。文法に関し
ては中学一年程度の文法力ということですが、さてどんなものかと思います。
この方法は、中級以上の方には間違いなく効果があると思います。しかし、初心者に
本当に必要なのはコーチつきの音読だという考えは変わりません。Eliot さんがやられ
た方法です。この SSS では音読は補助的な方法として位置づけられていますが、そこは
違うと思います。
浜谷さんが、生徒のレベルに応じて、思い切り易しい読み物から始められるのは賛成
です。それがいいと思います。しかし、その場合でも、音読のコーチは浜谷さんがやっ
てあげてほしいと思います。易しすぎるんじゃないかというくらいに易しいものをやり、
その代わり、音読はとことん鍛え込む。そのことによって、英語のリズムが身体化され
ます。その過程で、同一テキストで、ネイティヴスピーカの吹き込みによる複製音声が
併用できれば、日本在住のままの練習方法としてベストです。私の用語ではネイティブ
な英語の「媒介」です。
しかし、これは結局個別指導ということになります。一人一人の生徒のレベルに応じ
るにはそれしかありません。
私の映画のシナリオを使った「電話でレッスン」は実はこの方法にきわめて近いので
す。思い切り易しいテキストを選択するということはありませんが、映画という疑似磁
場(仮構された磁場)が状況をあらかじめ準備してくれるので、音読さえまともにやれ
ば、「意味の塊」はとてもつかまえやすいのです。
映画のシナリオを2,3冊片づけてから、SSS の方法を採用するのがいいんじゃない
かと思いました。
わけがわからんままでの多読は、一般的にはおすすめできません。しかし、コーチつ
きの音読ならわけがわからんままで、それにリズムを備えてしまうことができます。ま
ず音を完成させて、意味は後からおいで、ということが成立します。そのときに、易し
いテキストなら、意味は音読の直後に追いついてくれると思います。
私は映画を利用しますが、映画を使わないなら、思い切り易しいテキストを選択して
多読するというのは充分に成果のあがる方法だと思います。
その場合でも、眼目は音読のコーチが「音作り」をやることだと考えています。
世の中に「音読」の有効性は知られるようになってきましたが、コーチつきの音読な
らずっと早道だということはまだまだ知られるに至っておりません。私はもちろん、や
れる間はこれをやりますが、浜谷さんにもやってみてほしいと思います。
思い切り易しいテキスト。コーチつきの音読。ネイティヴ音声の媒介。
これで英語になじみが生じた時点で、文法をやればいいと思います。
1386 脇田泰子様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)01時58分04秒
ありがとうございました。私は人格に問題がある男ですが、お見捨てなきよう。
また、諸般に渡り、行動がのろいのですが、その点は斟酌頂きたくお願い致します。
フリジア帽は、砂漠の民の移動の自由という自由ではなかったのですか。
残念です。
私は、なぜだか知りませんが、小学生の頃からモンゴルが大好きでした。多分、「怪
傑ハリマオ」というテレビが登場した頃の番組のせいかとも思います。
「ハリマオ、馬鹿みたいだ」というのが、私の妻の意見ですが、そういう醒めたもの
の見方でどれほどのものが見れるのかと憤慨しております。うるせえ、バーろ。ハリマ
オは絶対にいいんだぞ、と言い返すと、女房はへらへら笑っております。女房というも
のは本当にどうしようもねえしろものです。
今回思ったのは、SVO vs. SOV というものでした。
小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」という本で書いた問題ですが、どう
も、SVO シンタックスの国には中華思想が育つと思っておるのです。ヨーロッパ、アメ
リカ、中国が SVO シンタックスの「地方」です。
モンゴル、朝鮮、ネパール、日本、南アジアのいくつもの国が、 SOV シンタックスの
「地方」です。こういう場所には強力な中華思想は育たなかったと思っています。
言語のシンタックスが、思想をかなり決めているんじゃないかという妄想を私は持っ
ています。
フランスあたりの中華思想について書いていただいたので、SVO vs. SOV を思い出し
ました。
お暇がとれましたら、また是非おいで下さい。
P.S
Ton 様が、脇田さんはカンヅメになっているとおっしゃっておりましたが、何を書い
ていらしたのですか。
1388 Fさんから 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)03時17分48秒
根石吉久様
ぜひ,<電話でレッスン>を受講したいと思いますが,
具体的な申し込み方法の詳細を教えてください。
1389 Fさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)03時19分15秒
さっそくお返事いただきありがとうございます。びっくりしました。
申し込みの意志は、今いただいたメールにありますので、手続き終了です。
問題は、空き枠ですが、毎週土曜日夜10時50分から30分間が空いているだけです。
これでよろしいでしょうか。なるべく飲み会を断って、土曜日の夜は、10時50分に
はご帰宅願いたいと思います。
妻もレッスンをしておりますが、月曜、火曜に空き枠がひとつずつあったと思います。
だいたい同じような時間帯だったと思います。時間帯は、確認しますが、現在妻は就寝し
ておりますので、明日以降になります。
もう一つの問題は、テキストの選択です。映画のシナリオを使用します。最初にいただ
いたメールの英語力の自己診断がその通りであれば、「E.T.」が最適かと思います。
あくまで、自己診断が当たっていた場合です。
現在、レッスンで使用しているシナリオは以下の通りです。
----------------------------------------------------
E.t.
七年目の浮気
ボディ・ガード
----------------------------------------------------
ゴースト
スピード
逃亡者
ミッド・ナイト・ラン
フルメタル・ジャケット
ミッション・インポシブル
----------------------------------------------------
上の段が妻が扱っているものです。下の段が私がやっているものです。下の段のものを
選んでいただく場合は、土曜日夜10時50分からです。上の段のものを選んでいただく
場合は、月曜か火曜です。
いわゆる読解力を持っておられる方なら、「ゴースト」がお薦めです。
「逃亡者」もだいたい同じレベルです。
「七年目の浮気」は、リチャードという男がやたら妄想が激しく、妄想を全部言葉にし
てしゃべるので、やたらセリフが多く、語学的には非常にお得ですが、初心者にはおすす
めできません。「フルメタル・ジャケット」は強烈に下品な英語のオンパレードですので、
これも一部の方にしかお薦めできません。「ミッション・インポシブル」は、スパイの隠
語が多く、これも初心者にはどうかと思います。
最初のメールの自己診断は、多分に謙遜があるとにらんでおりますので、「ゴースト」
がいいんじゃないかというのが、私の判断です。私の空き枠を使っていただけるなら、土
曜日は、「ゴースト」をやる方が多いので、私も助かります。「ゴースト」は学校英語を
やったが、その犠牲になってしまった方には入門用に最適だと思います。
「スピード」をやられる場合は、奈良県の大友さんという方がコーチをしてくださいま
す。「フルメタル・ジャケット」をやられる場合は、小学館文庫「英語どんでんがえしの
やっつけ方」の共著者である村田君がコーチをします。この二つを選ばれる場合は、私の方で曜日と時間帯を調整いたします。
1390 Fさんへ(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)03時20分16秒
お薦めは以下の通りとなります。
「E.T.」「ゴースト」「逃亡者」
テキストを決めていただけば、すぐにこちらからテキストをお送りします。そのシナリ
オの映画は、ビデオ屋で借りて準備してください。字幕部分に紙をセロテープで止めて使
用します。そちらでビデオが手に入らない場合は、ご連絡ください。
夜分ゆえ、お電話は差し控えます。
こちらにお電話でお問い合わせいただく場合は、
026-272-4330
またレッスン代金の振り込み先は以下の通りです。申し訳ありませんが、振り込み料金
をご負担いただきたくお願い申し上げます。入会金のようなものはありません。
(電話でレッスン用)
・郵便貯金総合通帳
記号 11180
番号 21641261
名前 根石吉久
午前中から午後にかけて寝ております。また事情あり、午後3時過ぎには自宅を留守に
することが多いので、午後2時から3時頃にお電話いただけるなら、ほとんど確実にヒッ
トいたします。
以上です。不明の点はお問い合わせ下さい。
---------------------------------------------
根石吉久
Email ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
C phone 090(3316)4180
---------------------------------------------
1391 軽トラ!!! 投稿者:田中荘 投稿日:11月25日(日)03時26分04秒
俺的にも英語は錆付かせたくないし、
錆を感して相当焦ってるし、
でもいつかは意思疎通の手段として使えるレベルにしたいし、
唯其れだけ…
現場ですが、
残念ながらあの前を軽トラで通っただけです。
しかも俺が運転してたから、
全部が全部見れたわけでもないし、
でもタダタダ、
『きれいになったなぁ、』
と思って、
中も見たいものです。
次の機会にでも立ち寄るかも!?
http://www.media.nagoya-u.ac.jp/people/h002102b/
1392 田中荘へ 投稿者:根石吉久 投稿日:11月25日(日)17時08分59秒
とにかく英語を錆び付かせるな。
錆び付かせたら、俺が頭にくる。
「いつかは」なんて思って錆を進行させていたら、「いつかは」使い物にならなくなるまで錆び
る。それが日本という言語の磁場だ。
やるんなら、今やれ。
大学生の身分のうちにやるべし。勤めに出てからの方がはるかにずっと不利だ。
大学にいる間に新しい力を付け加えるのと、錆を進行させてしまうのとでは、その後は大違いだ。
今やらないなら、「いつかは」なんて時は来ないと考えた方がいいのではないのか。
一人でやるんなら一人でやるのでいいから、今やるべし。
1393 シュリーマンの学習法(1) 投稿者:eliot 投稿日:11月26日(月)00時23分18秒
19世紀にトロイの遺跡を発掘したドイツ人貿易商ハインリッヒ・シュリーマンは外国語習得の天才だったとしても知られています。英語を始めとして、最終
的には18の言語を使えるようになったそうです。彼の自伝の翻訳がいくつもの出版社から出ていますが、その中に彼の外国語学習法のエッセンスを述べた部分
があります。そこを岩波文庫の「古代への情熱」から引用します。
「この簡単な方法とはまず次のことにある。非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること、つねに興味ある対象について作文を
書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦することである」
私は、シュリーマンの外国語習得法に興味を持って、入手できた、シュリーマンの自伝の四冊の和訳本を読み比べていたところ、不可解なことに気づき、1年
くらい前に出版社に問い合わせたことがあるのですが、その謎はまだ完全には解けていません。そのことについてお話します。
四冊はいずれもドイツ語で書かれた同じ本を邦訳したものです。「岩波文庫」「新潮文庫」「角川文庫」「小学館」から出ています。題はみんな「古代への情
熱」となっていたと思います。上記の、シュリーマンの言語学習法の最初の三点は
1.大量の音読
2.翻訳をしない
3.毎日1時間をあてる
となっていますが、このうち、2と3の部分が四冊の訳本の記述が一致しないのです。どの会社の本にどう書いてあるかは正確には覚えていませんが、2につい
ては
2.決して翻訳をしない
2.ちょっとした翻訳をする
2.短文の訳をする
と、まるで正反対のことが書いてあります。3は
3.毎日1時間をあてる
3.1日に1時間は勉強する
3.毎日授業を受ける
と書いてあるものに分かれます。
これはいったいどういうことなのでしょうか。この部分はシュリーマンの外国語学習法の根幹の部分であり、英語学習法の本の中に引用されていることもあり
ます。例えば、井上一馬氏の「英語できますか」(新潮文庫)のp.176に角川文庫の訳文が載っていますし、國弘正雄氏の「英語の話し方」(たちばな出
版)のp.130に岩波文庫からの引用があります。個人のサイトでもこの学習法を話題にしているものがあります。http:
//www.nagano.com/journal/miura/980814.html
(余談ですが、このページの記事はなかなか面白かったです)
そんなに注目されるこの一節の翻訳がなぜこんなに違っているのでしょうか。それを知りたくて、私は四つの出版社に問い合わせたところ、岩波文庫からだけは
2回も手紙を出したのに無視されましたが、他の三社からは翻訳者の返事をいただきました。
そのおかげで面白いことがわかりました。2の点、すなわち「訳すか、訳さないか」というまるで正反対のことになったのは、ドイツ語の原書の中の一つの単
語が原因でした。
「keine か kleine か、それが問題だ!」
1394 シュリーマンの学習法(2) 投稿者:eliot 投稿日:11月26日(月)00時24分44秒
私はドイツ語がわかりませんが、keineは「無の」という意味で、kleineは「小さい」という意味らしいのです。返事をくれた3人の翻訳者たちが
使った原書には kleine
〜〜(〜〜は「翻訳」という意味のドイツ語単語)と書いてあったので、「小さい翻訳→ちょっとした翻訳/短文を訳す」となったわけです。ところが、小学館
の本の訳者は「小さい翻訳をする」ではシュリーマンが他のところで述べている学習法と矛盾するから、英語版(後述)を参考にして、kleineは
keineの誤植であると判断し、「訳をしない」と訳したと回答をくれました。
本当に誤植なのかどうかは私にはわかりません。しかし、この謎を解くために私も古本でこの本の原書の英語版を入手して調べてみました。岩波文庫の注釈の
中で訳者はシュリーマン自身が同じ本をドイツ語でも英語でも書いたと述べ、この英語版を参照したことを明らかにしています。しかし、今回返事をもらった訳
者たちの中には、この英語版はシュリーマンが書いたドイツ語版をだれか別の人が英訳した翻訳本だと言っている人もいて、この点の真偽も私にはわかりませ
ん。ただ、この英語版はシュリーマンが著者であることしか出ておらず、訳本であるということをうかがわせるような記述(訳者名など)が一切ありません。
ではこの本には何と書いてあったのでしょうか。以下、引用します。
Necessity taught me a method which greatly facilitates the study of a
language. This method consists in reading a great deal aloud, without
making a translation, taking a lesson every day, constantly writing
essays upon subjects of interest, correcting these under the
supervision of a teacher, learning them by heart, and repeating in the
next lesson what was corrected on the previous day.
いかがでしょう。「翻訳をせずに大量に音読をする」と「毎日(1)授業を受ける」となっていますね。この英語版に従うとシュリーマンの言う理想的外国語学
習法は
1翻訳をしない大量の音読をする。
2常に興味のあることについて作文を書く。
3毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、
それを翌日の授業で暗誦する。
となりませんでしょうか。
なお、英語版の taking a lesson every day
が「1時間をあてる・1時間勉強する・授業を受ける」と分かれた原因は、翻訳者の回答によって、ドイツ語版の
eine Stunde nimmt
の解釈の相違だったとわかりましたが、ドイツ語がわからない私にはどちらが正しいのか判断のしようがありません。しかし、英語版の taking a
lesson には複数の解釈は不可能ですね。
残る謎は「英語版はだれが書いたか」「kleine は keine
の誤植か。誤植であるとすれば、いつ生じた誤植か(ドイツ語版は1961年までに9版を数えているそうです)。もしかしたら初版から
kleineとなっていたのかも」「eine Stunde nimmtの意味は何か」です。
1396 シュリーマンの学習法(3)(ちょっと手直し) 投稿者:eliot 投稿日:11月26日(月)00時54分25秒
私はシュリーマンの学習法(reading a great deal aloud, without making a translation,
taking a lesson every day, constantly writing essays upon subjects of
interest, correcting these under the supervision of a teacher, learning
them by heart, and repeating in the next lesson what was corrected on
the previous
day)は大変よい方法だと思いますが、國弘氏が「英語の話し方」のp.130〜p.137で詳しく述べているように、日本人が英語を学習する際には文法
の学習は絶対に必要だと思います。また、
http://www.nagano.com/journal/miura/980814.html
で三浦氏が言うように、音声の指導(=音作りの指導)は絶対に欠かせないものだと信じています。ドイツ人であり、オランダで働いていたシュリーマンにとっ
て英語の文法と発音は非常に習得しやすかったはずですが、日本人にとっては事情が違います。
私は、学校での指導で、文法と音作りというこの二点を補いながら、生徒たちに、意味のわかった英文の大量の音読と暗唱をさせています。さらに、週に4回
英語日記(20語以上の英文)を提出させ、できるだけ毎回添削し(ようと努力し)ています。ただし、今のところ日記の暗記はさせていません。しかし、将来
は毎日の分というわけにはいかないでしょうが、ある程度は日記文の暗記も強いようかと計画しているところです。
1401 もっこりさん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月26日(月)02時29分08秒
先日のレッスンでお聞きしましたが、テキストの初めの方は、音と意味が同時に動くようになって
いるということに関してです。
これを成立させるのが、「復習範囲を手離さない」という原理です。
ただいま、「ウンコに学べ!」(ちくま新書)を読んでいますが、語学も、日本で欧米シンタック
スの言語をやる場合は、「発酵」ということがキーワードになると思いました。「発酵」という過
程がないと日本では英語はなかなかものにならないと思いました。
この本は面白いです。近いうちに、この掲示板へ面白かった部分を引用しようかとも思っています。
もっこりさんの専門の心理学から見て、私の方法がどう見えるのか、ここへ書いていただきたいと
願っております。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1404 sさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日:11月26日(月)03時34分12秒
メールをいただき、返事を書いたが、語学論に触れる部分があるので、その部分だけ転写
----------------------------------------------------
日本でやる英語は、なんだかんだ言ったところで「発酵過程」を繰り込む必要があります。
一挙にやっつけてやろうというのは、十代の後半でだったら奨めることもやぶさかではあ
りませんが、年齢を加えたら、じっくりやるというのがいいと思います。
もっこりさんに向けて、「発酵過程」のことを掲示板に書きましたので、覗いてみてくだ
さい。
「回転読み」はもちろん続けていただきたいと思いますが、私の「電話でレッスン」の眼
目のひとつは「復習範囲を手離さない」です。これをなかなか皆さん、自力でやろうとし
ません。次から次へと新しいことをやろうとなさいます。これは、ひとつの盲点になって
いると思います。「復習範囲を手離さない」をやると、また同じところをやるなんて馬鹿
くさいと思う人が多いのですが、同じところに繰り返し繰り返し回帰することで、語学の
「発酵過程」が実現します。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1405 Sさんへ(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月26日(月)03時37分58秒
正月は、引っ越しを終了している予定です。正月あたり、遊びにおいでになりませんか。
Eliot さんが、1月の末に生徒を連れて、長野にスキー合宿に来られるので、お会いする
予定です。掲示板では、結構きついことを言い合っておりますが、お会いするのを楽しみ
にしています。sさんも、正月あたり、あるいはそれ以降でもいいですので、是非新築
の拙宅においで下さい。
私の方でも、そのうち京都へ出かけて、案内をお願いするかもしれませんが、その時は
よろしく。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1411 根石様 投稿者:Eliot 投稿日:11月26日(月)10時43分57秒
1.「完璧な音」VS「通じる音」論議について
過去ログ整理ありがとうございました。読み返して続きを書き込みたいと思いますが、もうしばらくお待ちください。
2.最低限の音のポイントとその順序だてについて
日本人英語学習者にとっての「お勧め発音」というべき発音体系の提案と一緒に考えをお示ししたいと今考えているところです。これも今しばらくお待ちくだ
さい。
3.「日本在住英語学習憲法(?)」制定について
「ぜひやりましょう」と申しましたが、「憲法」というようなたいそうな名前のものを作り上げる論議ができるかどうか、今は自信がありません。とりあえず
は2.の点の提案でお役に立てればと願っております。
4.学校嫌いと学校勤め
根石さんが学校嫌いなのは「筋金入り」だということはよくわかりました。また、塾経営をなさる中で出会った生徒さんたちを大事に思われるお気持ちも私な
りには理解しております。しかし、学校での経験は人それぞれ各人各様であろうかと思います。学校に行ってよかった、いい先生、いい学校に出会って感謝して
いるというような人もいるはずですから、根石さんの学校、学校教師への思いを共有できない人がいることもご理解ください。
私が学校勤めをしていることで根石さんから鋭い批判の目で見られ、下手をすると「醜い姿」と言われるかもしれないと恐れねばならない道理はないと思って
います。私は公立学校の教員ではありませんから、公務員ではなく、直接的に日本国民に公僕としての責任を持っている立場ではないのです。もちろん、教育と
いう、広い意味では社会的に責任ある仕事をしているのだという意識は持っておりますが、私が第一に責任を果たさねばならない相手は、勤務校を信頼して通っ
てくれる生徒たちとその保護者たちであると思っております。であれば、私にとって大切なことはその期待に応える仕事をするということです。私の英語教育で
の取り組みはその一環です。そうであっても、私の実践が、もっと広く世の中に出て、他の学校やその他の場所で行われている英語教育に役立てば大変光栄でう
れしいことだと思い、根石さんのサイトのお世話になっております。その意味では、私の書いたものをご自身のサイトにわざわざページを設けて発信してくだ
さっていることに深い感謝の念を持っております。
1412 シュリーマンの学習法(4) 投稿者:Eliot 投稿日:11月26日(月)14時15分19秒
シュリーマンの言う理想的外国語学習法の
1.翻訳をしない大量の音読をする。
2.常に興味のあることについて作文を書く。
3.毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、
それを翌日の授業で暗誦する。
の三点に出ていないことを、彼の自伝の他の記述から考えて補足すると
1.翻訳をしない大量の音読をする。+音読したものを完全に暗記する。
2.常に興味のあることについて作文を書く。
3.毎日授業を受ける。+文法の説明など、必要な指導を受ける。
その際に教師にその作文を添削してもらい、それを翌日の授業で暗誦する。
になるだろうと思います。1.については彼の自伝からそれは明らかです。3.については私の推測ですが、授業を受けるのだから単に作文の添削だけではな
かったでしょうし、添削してもらう際になぜ間違いなのかなどの説明は受けたと考えてもよいと思います。
英文の暗記について彼は自伝に次のように書いています。前に引用した個所にすぐ引き続いて、
My memory was bad, since from my childhood it had not been exercised
upon any object; but I made use of every moment, and even stole time
for study. In order to acquire a good pronunciation quickly, I went
twice every Sunday to the English church, and repeated to myself in a
low voice, every word of the clergyman's sermon. I never went on my
errands, even in the rain, without having my book in my hand and
learning something by heart; and I never waited at the post-office
without reading. By such methods I gradually strengthened my memory,
and in three months' time found no difficulty in reciting from memory
to my teacher, Mr. Taylor, in each day's lesson, word by word, twenty
printed pages, after having read them over three times attentively. In
this way I committed to memory the whole of Goldsmith's Vicar of
Wakefield and Sir Walter Scott's Ivanhoe. From over-excitement I slept
but little, and employed my sleepless hours at night in going over in
my mind what I had read on the preceding evening. The memory being
always much more concentrated at night than in the day-time, I found
these repetitions at night of paramount use. Thus I succeeded in
acquring in half a year a thorough knowledge of the English language.
このあと、同じ方法でフランス語を勉強して、6ヶ月で仕上げたと述べています。その際にも小説を二冊暗記したということです。1年間英語とフランス語の
勉強を絶え間なく行った結果、記憶力が鍛えられ、オランダ語、スペイン語、イタリヤ語、ポルトガル語を流暢に書いたり話したりできるようになるのにそれぞ
れ6週間しか要さなかったとも述べています。
後に仕事上の必要からロシア語を勉強することにしたのですが、この際にはロシア語の先生がどうしても見つからず、まったくの独学でした。彼は文法書と辞
書とフランス語の勉強のときに暗記した小説のロシア語の訳本しかなかったので、まず数日文法書を勉強して文字と発音を覚え、それから小説を音読して丸暗記
し、さらに作文を書いてそれを暗記しました。以下、引用します。
Then, following my old method, I began to write short stories of my
own composition, and to learn them by heart. As I had no one to correct
my work, it was, no doubt, extremely bad; but I tried at the same time
to correct my mistakes by the practical exercise of learning the
Russian Aventures de Telemaque by heart. It occurred to me that I
should make more progress if I had some one to whom I could relate the
adventures of Telemachus; so I hired a poor Jew for four francs a week,
who had to come every evening for two hours to listen to my Russian
recitations, of which he did not understand a syllable.
1413 シュリーマンの学習法(5) 投稿者:Eliot 投稿日:11月26日(月)14時27分30秒
シュリーマンのロシア語の小説の音読を聞いていたユダヤ人はロシア語が一言もわからなかったのですが、シュリーマンは彼に向かって毎日2時間音読を続け
たというわけです。
As the ceilings of the rooms of the common houses in Holland consist
of single boards, people on the ground-floor can hear what is said in
the third storey. My recitations therefore, delivered in a loud voice,
annoyed the other tennants, who complained to the landlord, and twice
while studying the Russian language I was forced to change my lodgings.
声高の音読のせいで下宿を二回も変わらねばならなかったほどの熱心さで音読と暗記に努めた様子が述べられています。
6週間の勉強でロシア語で手紙を書いたり会話をしたりすることができるようになったシュリーマンはその後ロシアに行き、ロシア語の力を生かして取引に成
功します。彼はまた、ロシア語の勉強をしたのちにそれまで学んだ諸外国語の文学作品を真剣に読むようになったと述べています。
1416 SSS英語学習法の生みの親 投稿者:eliot 投稿日:11月26日(月)22時32分32秒
根石様
お気づきになっていますか? SSS英語学習法の提唱者は「酒井邦秀」氏です。「どうして英語が使えない」の著者で「基本英文700選」を批判した人で
す。根石さんは以前の書き込みで酒井さんのことをボロクソに言っていましたよね。あの人ですよ。「どうして英語が使えない」の中で主張していたことを
SSS英語学習法という形で提唱して古川さんという賛同者とともに実践しようとしているわけですね。あの本はお読みになりましたか?
1417 電話でレッスンご報告 投稿者:okada 投稿日:11月27日(火)02時25分12秒
根石様へ
今年の7月から「電話でレッスン」を受けている岡田です。私の練習方法をお伝えします。私は来るまで仕事に通っているので、その車の中では必ず練習しよ
うと思いました。映画の音声をテープにとり、それを必ず聞くようにしました。そして、車の中で、根石さんのレッスンの方法を行うようにしました。つまり、
テープの文章を聞き、そこでテープを一時止めて、その文章をひたすら滑らかに言えるまでくり返すのです。そのためには、ある程度例文を暗記していなくては
なりません。だから、家を出る前に、前回習ったところの一文でも二文でもいいから暗記するように心がけ、それを車の中でいいまくります。車の中は大体30
分弱です。新しい文章は大体二つか三つぐらいしかできません。それで終わってしまうこともあります。車に乗る前に予習できなければ、前に習って覚えている
文章をさらに滑らかに言えるようにひたすら言い続けます。こんな感じですので、復習範囲はかなり押さえることができます。毎日、行き帰りの50分ほどが練
習時間です。
現在のところこの練習の他はやっておりません。少し前に電圧装置を試してみましたが、続けられませんでした。何かお気づきの点がありましたらお知らせく
ださい。
1418 okada さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(水)01時58分47秒
ご報告ありがとうございました。
車に乗られるなら、車の中は練習にいいと言ったのは私でしたっけ?
私も、車のエンジンをかけると映画の英語が鳴り出すようにしてあります。私の場合は、口を動かすことはしていません。聴くだけです。不器用で古い人間で
すから、車を運転しながらいちいち音を止めたりなどしていると、事故をやらかすおそれがありますので、車の中は聴くだけにしています。
くれぐれも交通事故にならないようにお願いします。事故になるおそれさえなければ、いい練習方法だと思います。
私は言葉というものと距離感をとることができない人間でもありますので、今後も聴くだけにしようと思っています。
車の中ではテキストは使えないわけですから、テープを聞いて、その文を「言いまくる」ためには、その前提が必要です。その前提がなければ、多くの日本人
の口は「音だけを」わけもわからず真似てみることはできますが、「文を言いまくる」ことはできません。岡田さんは、「文を」言いまくっているわけですか
ら、レッスンが活きているとうれしく思いました。この方法は是非続けて下さい。
細かいことを言います。「ある程度例文を暗記していなくてはならない」に関してです。「暗記」ととらえていただいても構わないとも思いますが、テープの
音をきっかけにして、それが「文として」繰り返し言い続けられるのは、文が「口の動き」としてなじんでいることで可能になっています。「電話でレッスン」
の「音づくり」は、要するにこの「動きとしてのなじみ」を作ることばかりやっているわけです。
口の動きとしてなじんでいるということが起こるのは、あくまで身体(の一部)によって文を内部に繰り込むことによってです。これに対して、「暗記」とい
うのは、頭脳をあてにしています。結果的に同じものが得られれば、暗記ととらえていただいても、口の動きのなじみととらえていただいてもひとまずは構わな
いのですが、私の方法の根本にあるのは、「暗記」とは違っています。あくまで、口を動かして、動きとしてなじみを作り、結果的に暗記できてしまうというも
のです。「結果的に」、それが成立するだけです。
これはやかましい理屈ですから、ひとまずは、現在の方法をともかくお続け下さい。あてにできるのは、頭脳ではなく、身体の動きだというポイントだけ押さ
えていただくだけgでいいと思います。
方法の理論化をやるには、やかましい理屈が必要になってきますが、この理屈も「体得」したものでいずれわかっていただけると思っております。
現在の生徒さんの中では、岡田さんがもっともよく練習をしておいてくれる生徒さんです。ほとんど、練習の質にむらがないのがすごいと思っています。いい
生徒さんが持てて
うれしく思っています。
私は、そちらの塾での私の方法の応用に非常に興味があります。私の方法を採用してみて、そちらの生徒さんがどんなふうに変わったかなどのご報告もいずれ
お願いしたいと思っています。古典への応用では、かなり即効性があったようですが、こちらのご報告もお願いしたいと思います。
1419 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(水)02時56分52秒
> お気づきになっていますか? SSS英語学習法の提唱者は「酒井邦秀」氏です。
気づきませんでした。SSS
英語学習法に関しては、浜谷さんへ向けた記事でも書きましたが、「前提」となるものへの自覚が弱いという批判を持っています。これは、「英語という磁場を
欠いた場所」に対する自覚の弱さへの批判でもあります。
では、「前提」とは何かということになると、Eliot さんが実践してこられ、私もやみくもながらやってきた「音づくり」そのものです。
絶対に必要な「前提」なのに、SSS
では「音読」や「音づくり」は脇役として扱われているように思いました。これを脇役扱いするのは間違いだと思います。
日本という日本語の磁場では、國弘さんが提唱された「只管朗読」(私の言い方では、「素読」あるいは「回転読み」)が、主役であるべきだと考えていま
す。
あまたある方法のそれぞれのいいところをとり、つぎはぎすれば方法ができるなどという考えは俗論です。そんなことは、多くの人がやっており、しかもそれ
で挫折する人が多くいます。
順序だてが絶対に必要であり、最初に来るべきものは、多読ではなくコーチつきの音読だという信念は強まるばかりです。
Eliot
さんは、この順序立てにおいて、まったく正しい実践をされてきました。深く頭が下がります。この一点に曇りはありません。これは、Eliot
さんが順序立ての意味がわかっておられる方だということです。しかし、多くの学習者も教師も「つぎはぎ」をやっています。なんとか生徒に力をつけてやりた
いという良心によって、「つぎはぎ」をやり、大枠では指導要領に従い、中間・期末のテストに間に合うように授業する。日本は暗い国です。
いくつか新しいまともな方法の芽は出てきていますが、どれを信じるかの信仰の対象みたいになっており、日本の英語教育界が批評や批判を封じる土壌の上に
あることは、以前から何の変わりもありません。私のようなものに対しては、ひたすらな無視あるのみです。
文部省主導の英語の駄目さ加減をとことんえぐってから、死んでいってやろうと思っています。
批判や批評というものは、ものごとを一歩前に進めるために不可欠なものです。日本人は、批判や批評そのものが悪いもののように思いなすところがあります
が、その日本人の思想の体質をそのままにしておいて、英語なんぞやってみて、さてそれで何がどうなるのかという疑いはいつも私の胸にあります。
酒井という人の著書はいまだ読んでいません。
Eliot さんは、以前、酒井の文を引用されたのでしたっけ? それとも、Eliot
さんが要約されたのでしたっけ? いずれ過去ログが整えば、読めると思っています。
私が腹をたてていたのは、「700選」への批判があるからではなく、なぜ、日本の受験生が「700選」のようなものを必要としているのかということに対
する着眼がないことに対してでした。「700選」に載っている文がおかしな文だというような指摘より先にやるべきことがある。文部省主導の学校英語批判で
す。これをやらないで、「700選」などやり玉にあげたところで、生徒も受験生も救われることはないのです。日本全土に英語の死屍累々という現状にとどめ
をさすためには、学校英語批判、あるいはその親玉の文部省批判は不可欠です。学者どもは、これをやらず、学校英語の犠牲者たちが使う参考書などをやり玉に
あげているのです。受験参考書(と言うほどのものでもないが)を書いた伊藤和夫より、僕の方が英語を知ってるんだもんね、と言いたいだけのことじゃねえ
か。それがなんぼのもんじゃいと、あほくせえ、と酒井に言いたかったのです。制度批判はやらず、受験参考書なんぞにつべこべ言ってる。いかにも度胸がな
い。それに腹がたったのです。
もっとも、酒井の著書は読んでないので、この通りかどうかは自信がありません。
少なくとも、Eliot さんの記事を読んで思ったのは、以上のことでした。
SSS に関しては、浜谷さんに申し上げた通り、中級以上の人にはいい方法だと思っています。そのことと、学者根性への批判とは別問題です。
1420 Eliot 様 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(水)03時50分23秒
お返事の順序が前後しますがお許し下さい。
> 2.最低限の音のポイントとその順序だてについて日本人英語学
習者にとっての「お勧め発音」というべき発音体系の提案と一緒に考え
をお示ししたいと今考えているところです。これも今しばらくお待ち
ください。
是非お願い致します。気長に待ちます。
>3.「日本在住英語学習憲法(?)」制定について
「ぜひやりましょう」と申しましたが、「憲法」というようなたい
そうな名前のものを作り上げる論議ができるかどうか、今は自信があ
りません。とりあえずは2.の点の提案でお役に立てればと願ってお
ります。
「憲法」という言葉自体は、もちろん、ふざけ半分です。しかし、先の記事でも書きましたように、「多読より先に音づくりだ」というような順序だてを、成
文化することには意味があると考えています。私はそれの一点張りですが、それだと憲法が第一章しかないことになってしまうので、Eliot
さんと議論して、順序だてというものを作りたいと考えたということです。しかし、まあ、「2.の点」に関してのみでも結構です。なにしろ、最初にやるべき
「音づくり」に役立つ知識ですから。
>根石さんの学校、学校教師への思いを共有できない人がいることもご理解ください。
もちろんです。私は我が身に起こったことを書き付けておきたいだけです。誰に何の強要もいたしません。学校(制度)への憎しみを書くことを、私はためら
わないだけのことです。
学校勤めをしているからとか先生だからというより、例えば英語の先生で、訳読だの、正解を言う生徒が現れるまでアテルだのをやり、こんなことをやってい
ても駄目だと思いながら、その元締めの文部省などを批判することもなく、流されていくだけの姿勢を「醜い姿」だと思うわけです。我が身の保身を先立てる行
動様式は、別に学校や役場だけでなく、会社などにもごろごろしているものと思います。やはり、醜いものです。
学校の先生は、こういう批判の矢面に立つことが多い。
私のようにたかが小さな私塾をやっている者でも、「人格」など要求されることがあります。「教育者」だからだそうです。私は、「教育者」なんぞというも
のではなく、しがない英語職人ですが、世の中の人は、「人格」なぞを要求します。そうすると、「うるせえ、馬鹿やろが、おめえが他人に人格なんかを要求で
きるだけのジンブツかよ」と平気で口走ってきたおかげで、町の中で、PTAばばあどもにピーチクパーチクをやられました。よく生きてこれたと思うことがし
ばしばあります。私と私の塾を支えてくれたのは、ものごとを見ていてくれる少ない「目あき」あるいは「目きき」の人々のおかげです。
日本国民に公僕としての責任を持っている立場ではないとのこと、よくわかりました。
1421 Eliot 様(3) 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(水)03時51分15秒
>もちろん、教育という、広い意味では社会的に責任ある仕事をし
ているのだという意識は持っておりますが、私が第一に責任を果た
さねばならない相手は、勤務校を信頼して通ってくれる生徒たちと
その保護者たちであると思っております。
これは、共有できる観点です。私も、私の塾を信頼して通ってくれる生徒たちとその保護者たちに対してだけは責任を果たさなければならないと思っていま
す。「私立」ということの意味をはっきりさせてくれる文だと思いました。私は、日本の近代における「私立」の根は塾にあると思っています。偏差値狂いを助
長する大手チェーン塾のようなものまでが塾という名前で呼ばれているのは、塾の名折れですが・・・。
偏差値狂いを助長する学習塾の看板を町で見かけるたびに、私は変な気持ちになります。これが塾なら、俺は塾などやめてしまいたいと思うのです。英語一つ
を扱いながら、大学に受かるように手伝うことはやっておりますが、その後に生き残れる英語の基を持たせること(音づくり)も同時にやっているという一点
で、私の塾はあれらの学習塾と違っています。
町で塾の看板を見るたびに、あれが塾なら俺んのは塾じゃない、俺んのが塾なら、あれは塾じゃない、というような変な気持ちが生じます。
まあ、しかし、これを言っても、誰もまともに相手にしてくれないので、塾だと言って、仕事をしてきました。
>私の実践が、もっと広く世の中に出て、他の学校やその他の場所で
行われている英語教育に役立てば大変光栄でうれしいことだと思い、
根石さんのサイトのお世話になっております。その意味では、私の書
いたものをご自身のサイトにわざわざページを設けて発信してくださ
っていることに深い感謝の念を持っております。
こちらこそ、ありがたく思っています。
私は思ったことを、腹にいちもつとして keep
することがなかなかできない未熟者ですので、この欠点を活かして、鉄火場としての掲示板をやっていきたいと思います。そんな場所ですが、御見捨てなきよ
う、今後もどんどんお書きください。
1422 Fさんへ 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(水)04時44分51秒
Fさんから「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館文庫)の記述へのお問い合わせがあり
ました。お返事を掲載します。
----------------------------------------------------
拙書お読みいただき、ありがとうございます。
猛烈な勉強法とおっしゃいますが、英語は面白くなってしまえば、いくらでも
どんどんやるようになります。それを第三者から見ると、猛烈に見えるだけのこ
とで、本人はけっこう楽しんでいたりします。
面白くなってしまうというのが、もっとも大事なコツなのですが、私の「音づ
くり」をやっていただき、「面白い」と言って下さる人はけっこうたくさんいま
す。レッスンを楽しみにしていていただきたく思います。
>ひとつお聞きしたいんですが、この回転読みをするの
にMDは使ってありますか?ポータブルMDにマイクをつけ
れば聞けるみたいですが、テープに比べて何か不都合は
ありますでしょうか?
「回転読み」自体は、テープもMDも必要なく、ひたすら自分の口の筋肉を動
かし続け、具体的に一つの文で口の動きに「なじみ」を作ってしまう方法です。
おっしゃられているのは、「回転書き」あるいは「宝物テープ」作成に使用す
る音声複製機器のことかと推測します。
これは、テープでもMDでもかまいません。録音でき、再生できれば何でも結
構です。MDに「繰り返し再生」という機能があれば、まともに作れた音を一度
吹き込んでおき、「回転書き」に使用するのはグッドアイディアかもしれません。
私が育った時代(中学・高校時代)は録音機器にはテープレコーダーしかありま
せんでしたので、「回転書き」に必要なだけの時間を、テープに同じ文を吹き込
みました。これも悪くありません。吹き込みの間も同じ文を繰り返し言い続ける
わけで、吹き込み自体が練習にもなるからです。
テープでもMDでも何でもかまいません。録音機器は語学にはなかなか役にた
つものですので、活用して下さい。
お問い合わせは、他の方の役にたつことがありうることを考え、私の掲示板に
個人情報をすべて伏せた上で掲載させていただくことがあります。この点、ご了
承下さい。
掲示板のアドレスは以下の通りです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
レッスンを始められて以後に、感想や質問など書いていただきたくお願いいた
します。また、レッスンの途中経過の報告は是非お願いしたいと思っております。
以上です。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1426 禁煙の愉しみ・素読の愉しみ 投稿者:根石吉久 投稿日:11月29日(木)06時16分53秒
さて、もう寝ようと思って布団にもぐって、「禁煙の愉しみ」(山村修 新潮OH文庫)を読み始めたら、素読および「復習範囲を手離さない」に通じること
が書いてあったので、起き出して、コンピュータの電源を入れた。以下、引用。
----------------------------------------------------
口ずさむうち、とりわけ最後の一行「牧童遙かに指さす、杏花の村」のところでは、おそらく杏の実を特産としていた農村の春景色のおだやかなたたずまいが
思い浮かんで胸がなごむ。どうやら私にとってトランキライザーのような働きをもたらす漢詩なのだ。
煙草を吸った夢を見たら、この「清明」をとなえてみる。わずかばかりの悲哀感などは、窓から杏の花がいっぱいに見える酒家の中で、蒸発してしまうような
気がする。こうしたとき、私はつくづく、この詩をただ読んだだけでなく、記憶ということをしていてよかったと思う。記憶して胸におさめていればこそ、いつ
でも取り出したいときに取り出せるのだ。忘れた言葉は役に立たない。
----------------------------------------------------
語調は、まるで慶応と早稲田ほどに違うが、私も最近似たようなことを書いた。以下、引用。
----------------------------------------------------
少年の頃に、おじいさんの前で「論語」を素読させられた少年が、例えば二十歳の青年になり、「論語」の中の文を思い出し、これはこういう意味だったのか
と何か納得したものがあったとする。少年時代には、意味のわからない文を「音読」させられ、音としてなめらかに正確に言えるようにしていただけであるか
ら、その時点でのテキストは、文としては意味をともなわない「からっぽ」の文である。二十歳になってから思うことがあり、、その「からっぽ」に急に意味が
充電されるということが生じたということなのだ。
しかし、その充電はそれで終わりではない。音として完成しているテキストは、その後も、一度充電された意味を洗い続ける。あるいは、今度は意味を媒介に
しながら、発酵を続けると言ってもいい。
三十歳になって、また思うことがあり、二十歳の時に、自分はあの文についてこんなことを考えたが、まるで違っていたのかもしれないと思い返すことがあっ
たとする。同一のテキストがまた違う顔を見せることになる。昔から知っているテキストが、まったく新しい表情で立ち上がるということを経験するかもしれな
い。
たまたま二十歳と三十歳という年齢を設定してみただけであり、この意味の更新はいつでも起こりうる可能性がある。三十五歳の時には三十五歳の読みがあ
り、四十歳では四十歳の読みがある。老人になっても、読みは新しく更新されていく可能性がある。
これとよく似た経験は、読書でもある。例えば、青年に頃に読んだドストエフスキーの小説を五十歳になってもう一度読んでみたら、同じ小説とは思えないよ
うな経験をするということはある。いったい、青年の頃は何を読んでいたのかとすら思うということがある。こちらは普通は黙読だろう。
この黙読(読書)と、素読の違いは、素読では音としてテキストが完成してしまうので、目の前にテキストがなくても読みが持続しうるし、文字としてのテキ
ストなしで、突然ひらめきのように、新しい読みが生じてくる可能性があることである。道を歩いていて、待てよ、あの文は、と思い、足を止めて深く思い、そ
うか、そういうことなのか、と思うというようなことは、音として完成したテキストが体に保持されていればこそ起こりうることである。
これが、素読に独特な点である。
音として完成されたテキストは、テキスト(文字)を必要としないで読みを深めることを可能にする。身一つで移動しても、音としてのテキストは読める。読
んで深めることができる。
1427 ついでに自慢しようかな 投稿者:根石吉久 投稿日:11月29日(木)06時39分38秒
信州中野の神社の庭にある公民館で、中学生と小学生を相手に英語のクラスを持っています。
中学生4人、小学生12人です。ねこむすめさんが、小学生の「音づくり」を手伝ってくれていま
す。
中学生4人が、最近学校のテスト(期末だろうと思う)を受けたそうなので、点数を聞きました。
私は学校のテストの点は、あまり問題にしないのですが、平均点と突き合わせると、私がやってい
るレッスンによって、生徒にどんなことが起こりつつあるのかを知ることができますので、自分の
点とクラスの点を聞きます。
Kちゃん、得点94点 クラス平均68点
H、得点80点、クラス平均忘れました
Aちゃん、得点84点、クラス平均40点台、正確なところは忘れた。(中学1年の平均点で40
点台かよ!)
S、90点、クラス平均? 50点台じゃなかったかなあ。
しかし、平均点と私の生徒の点の開きが本当の問題じゃない。
平均点をとっている中学生たちが、おそらく「音づくり」のレッスンに触れずに英語をやってい
るのが悲しい悲しい日本の学校英語だということが問題なのだ。
「音づくり」をやって、塾生が塾にいる時間が長引くと、PTA根性の母親が、この塾は時間がかか
りすぎるとか、文句を言ったことが数知れない。時間がかかるときに時間をかけないでどうするんだ。
余計に金を出せと言ってるんじゃねえんだぞ。アホか。そんなに学校の部活が心配なら、おめえの
息子には英語をやめさせて、部活だけやらせとけ。そんなことを、元気がよいが語学についてはド
素人の母親どもにヘーキノヘーザでもの申してきたおかげで、あたしゃ塾をやってきたけどもうから
なかったね。
唾棄すべきものは、唾棄するのでいいのだと、現在も私は思っており、反省のこころが足りませ
ん。糞ばばあども。ちゃんと、おめえらの息子どもの英語は、現在ただいまきちんと滅びているじ
ゃねえか。糞ばばあどもは、糞であるから、あんたら一族の英語は糞のままでよろしいのだ。
1429 戦後市民社会の偏差値狂い 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 1日(土)01時18分13秒
ひとつ前の自分の文章を読み返した。
酔っぱらって、眠気混じりでもうろうとして書いた文ではあるが、自分で読み返してみても、さすがに品が悪い。私にも品がないわけではないが、「下」のつ
く品なので仕方がない。私から見てさえ、さらに一段と下品だと思うのが、偏差値狂いの母親というものである。戦後日本の市民社会の成立とともに立ち現れた
母親どもの偏差値狂いは、学校制度の内にあくまでもとどまる。制度に従順な、もぬけのからの思想なのだが、戦後市民社会の母親どもは、元気がよくて、わけ
もわからず文句を言うので辟易する。
塾をやってきて、母親どもに何度も言われた文句は、練習に時間がかかりすぎるというものだった。あんたの息子の時間は貴重だろうが、私の時間だって貴重
なのだ。時間をかけずに「音づくり」ができるものなら、そうしたいのだが、どうにも「音づくり」には時間がかかるのだ。
偏差値狂いの母親どもは、私の塾の練習を単に学校のテストの点だけに奉仕させようとした。いつでも、目先の点のことで文句を言うのが、戦後市民社会の偏
差値狂いの母親どもだった。あいつらは、狂っとる。
私が、その度に、すぐに糞婆あ呼ばわりをしていたわけではない。時間がかかるけれど、今やっている練習は「音づくり」であって、本当に大事な練習なの
だ。時間がかかるときに、きちんと時間をかけないと駄目なんだとおとなしく説明するのだが、目先の点しか見えなくなった母親どもは、「音づくり」なんぞが
何の価値があるのかという顔をする。点にならないものは価値はないというわけである。
私の塾生が点がとれないわけではない。それどころか、学年トップが続出するようなことは、過去に何度もあった。
私の塾での練習が時間がかかるのは点をとらせんがためではない。あくまでも、「音づくり」という「余計なこと」をやっているからである。点だけを考えれ
ば無駄なことをやっているからである。母親どもは、いつもこの無駄なことに文句を言うのだ。利口そうな馬鹿には、点だけが大事なのだ。その結果、点のとれ
る馬鹿ができる。点のとれる馬鹿。これも実に下品なものである。
この母親どもには、「必要な無駄」というものがあるということがわからない。
どかどかと土足で踏み込んでくるような口調で私に文句をたれる。俺の塾で育つ英語がまともなんであって、学校英語がとことんおかしなものなのだが、この
馬鹿母たちは、学校英語が標準だと思っている。この「標準」の世界において、余計に点がとれることが価値だと思っている。まっすぐに墓場に向かう英語の行
進において、元気に歩くこと(点がとれること)がいいのだと思っている。
わかろうとしない者に、いくら丁寧に説明しても無駄である。そう思った時に、私は「勝手にしろ」と言った。塾をやっていくには、まったく不利なことなの
だが、それをいつも言明してきた。
息子を愛して息子を駄目にする。それが、母親どもがやっている愚行である。この愛に偏差値が食い込み、愚行の中に制度への盲目が潜む。愛は不純であり、
愚行は猿の行いに等しい。
戦後、女は元気になったそうだが、同じ程度に馬鹿にもなった。
市民社会に取り殺されてでも、食い詰めてでも、これは言うべき必要がある。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1432 Fさん、皆様へ 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 2日(日)00時04分32秒
Fさん
初日のレッスンごくろうさまでした。
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
に含まれる語法について、レッスン中に質問していただきましたが、今後、レッスン
はなるべく「音づくり」に集中していただく予定ですので、語法、意味の区切り、文法
などに関しては、この掲示板で質問していただくとありがたく思います。
「ゴースト」は他にも3人の方がやっておられますので、先輩が教えてくれるかもし
れませんし、私が説明するかもしれません。いずれにせよ、はっきりさせることができ
ると思います。また、私が説明できないものが出てきた場合でも、この掲示板を読んで
いて下さる方に英語の強者が何人もおられますので、教えていただけるかもしれません。
高校・大学をアメリカで過ごし、現在日本の出版社で働いておられる Kawakami さんと
いう方も読まれていますので、アメリカの生活習慣にからんだ語法などは、説明をいた
だけるかもしれません。
基本的には私が考えてここに書きます。
私が間違っている場合は、強者たちからチェックが入るだろうと思います。
質問を歓迎いたします。
----------------------------------------------------
強者の方々へ
というわけで、「電話でレッスン」の語法、文法などをこの掲示板でお受けすること
にしました。私が四苦八苦している場合、とんちんかんなことを言っている場合があり
ましたら、チェックを入れていただけたら有り難く存じます。
よろしくお願いいたします。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1438 968電話回線に寄せて 投稿者:か 投稿日:12月 2日(日)10時02分03秒
恐怖のメモリぐい飲み。
詩的展開に見えるけれど、詩ではないのですか?
それはわからないのです。
だって、今となっては、
かよさんが言われる現実世界も、
夢の世界も、詩の世界も、わたしにとっては
区別が無くなってしまったからです。
午前六時過ぎの川沿いの道を駅に向かえば
カワウが手を振るし、
通勤電車を待つホームでは
彼女が光っているし
会社のPC は良く来たなと腹を抱えるし、
駅で買った昼ごはんのサンドイッチは
昼まで鼻歌を歌っている
時々鳴り響く電話に出れば
何処で探したか、なんで俺の名前を知っているのか
「Kei ちゃんですね。
わたくし、ぺこぺこ投資商会のどたまんです。
実は、Kei ちゃん、投資の話を聞いて下さいますか」と奏でるから、
「全然興味が無いと」吹くと、
「そんなことないでしょ」といいやがる
「いやいや、今忙しいから、電話を切るよ」と応えると、
「じゃあ、ご自宅に電話をします」とぬかしやがる。
「興味無いよと言っただろう!」と怒鳴ると、
「金に興味が無いなんて嘘だ」と向こうも叫ぶ、
こんちくしょー、「ガチャン!」と電話を切る。
暫く怒りがおさまらない。
そんなときはもう、詩が消えて、肉体の振動が
体を支配して、
俺何を書いているのだろう、。。。という具合に詩と現実は
渾然一体となって、演奏を奏でる今。
根石さんご無沙汰してます。私、最近では文部省認定工業英検一級試験などの相談役を
HPでやってます。’工業英検’とはあまり世に知られていない英検ですが、最近では
厳しい世の中になってきたので、こういうものも資格として皆見直しているのかもしれ
ません、受験者が増加しつつあるようです。英検は英検ですが語学試験というより、むしろ
その目指すところは如何にして他人に自分の想いを明確に正確に端的に伝えるか?という
ことを勉強させる。詩とはある意味で180度異なる術−テクニカル・コミュニケーションの検査。
詩なら読む人毎に解釈が異なるわけです−−ほんとかな?という人あり。
ところで最近のTIME誌、アフガン攻撃の世相を反映して毎週タリバンやイスラムのヴェール
の話題、アルキダの洞穴陣地の記事(詳細イラスト付き)などが満載です。そのイスラムの
国にあってトルコは、女性を開放している点では、先進国だとあります。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6256/index.html
1441 制度批判 投稿者:浜谷 投稿日:12月 2日(日)22時26分13秒
>「700選」に載っている文がおかしな文だというような指摘より先にやるべきことがある。文部省主導の学校英語批判です。これをやらないで、
「700選」などやり玉にあげたところで、生徒も受験生も救われることはないのです。日本全土に英語の死屍累々という現状にとどめをさすためには、学校英
語批判、あるいはその親玉の文部省批判は不可欠です。学者どもは、これをやらず、学校英語の犠牲者たちが使う参考書などをやり玉にあげているのです。受験
参考書(と言うほどのものでもないが)を書いた伊藤和夫より、僕の方が英語を知ってるんだもんね、と言いたいだけのことじゃねえか。それがなんぼのもん
じゃいと、あほくせえ、と酒井に言いたかったのです。制度批判はやらず、受験参考書なんぞにつべこべ言ってる。いかにも度胸がない。それに腹がたったので
す。
もっとも、酒井の著書は読んでないので、この通りかどうかは自信がありません
酒井氏の著書を読んでみました。そして制度批判をしているのが分かりました。次の文がその一部の抜粋です。
英語教育を本当に変える権威(機会)と力(道具)を持っているのは文部省だけ。したがって、いま改善されていない原因はそうした機会と道具を生かしていな
い文部省にある。それがここまでの結論でした。
しかし動機はどうなのでしょう。文部省には変える意志が本当にないのでしょうか。指導要領では変える方向を示しているので、やる気があるかに見えます。け
れども、予算という道具を使ってないところを見ると、やはり本気とは思えません。先生の数をふやすにも、古い教育を受けた先生に本格的な研修をさせるに
も、莫大な投資が必要です。
そういう根本的な問題に目をつぶって指導要領だけ出し、あとは教科書会社と先生を責めて平気な顔をしていられるとしたら、本気で英語教育を変える意志はな
いものと判断されても文句はいえますまい。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
1445 長野・Bさん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 3日(月)01時44分53秒
Bさんは、先日「ボディ・ガード」を一冊終わらせました。長野方面で「電話でレッスン」を受けてくれているねこむすめさん、(ハンドル・ネーム忘れた)
お目目の大きいお嬢さん達と、Bさんのお祝いを計画しています。忘年会で忙しくなる時期に重なりますが、Bさんがシナリオ一冊終了させたお祝いのお酒を飲
もうと思います。
Bさんは妻の生徒です。STさんが「電話でレッスン」を申し込まれたとき、高校の英語の先生だったので、妻の手にはおえないだろうと思い、私がSTさん
のレッスンをお受けし、Bさんには曜日と時間帯を譲っていただき、妻の生徒になっていただきました。
私がやるレッスンでも、妻がやるレッスンでも、復習範囲のテストはとても山を張るのが楽です。たいがい、長い文からテストに出します。傾向ははっきりあ
り、対策を立てるのは非常に簡単です。長い文をがんがんやっとけばいいのです。
「ボディ・ガード」の終わりの方に、宗教用語みたいなのがちりばめられた長いセリフがあるそうです。それをやった日に、妻がBさんに、「Bさん、傾向は
わかっていますよね。めんどうなのはテストに出ますよ」と言ったら、Bさんは、「やめましょうよ」と言ったそうです。そんなことを言ったところで、うちの
妻は方針を変えるような女ではないので、あきらめて下さい。
また、「七年目の浮気」に突入してから、やはり、長くてめんどうな文から妻がテストをしたそうです。そしたら、Bさんは、「来ましたね、やはり、そう来
ましたか」と言ったそうです。
将棋打ってるんじゃねえんだから、Bさん!
1446 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 3日(月)02時18分02秒
そうですか。酒井は制度批判をやっていたんですか。だったら、本を探して読んでみようと思いました。伊藤より、僕は英語知ってるんだもんね、というだけ
の人だったら読む気もしないと思っていました。
>けれども、予算という道具を使ってないところを見ると、
やはり本気とは思えません。先生の数をふやすにも、古い教
育を受けた先生に本格的な研修をさせるにも、莫大な投資が
必要です。そういう根本的な問題に目をつぶって指導要領だ
け出し、あとは教科書会社と先生を責めて平気な顔をしてい
られるとしたら、本気で英語教育を変える意志はないものと
判断されても文句はいえますまい。
まあ、育ちのいい人はこんな調子でものを言います。文部省などは、日本に住んでいる人々がどれほど口ぎたなくののしってもいいしろものですが、紳士は
しょせん紳士です。
紳士や学者の全部が嫌いなわけではないので、ともかく読んでみようと思いました。
「古い教育を受けた先生」の駄目なことは、その先生の責任ではありません。これは
文部省の責任ですから、文部省の金で研修をまかなって当然です。酒井は「新しい」の
かも知れませんが、文部省に対する批判が文部省を「えぐる」のでなければ、批判の名
に値しません。文部省は腐っているんだとなぜ言えないのかと思いました。
私が学校や文部省をののしると、「あなたは、学校制度によって現在の学力や知力を得たにもかかわらず学校を悪く言うのですか」などと言われることがあり
ます。よく考えてみるのですが、私の学力や知力というものが、学校や学校制度のおかげであるという気が全然しないのです。この書物は読む価値があるという
ようなアドバイスをしてくれる人があり、その書物が手に入り、それを読む時間があるのであれば、私は学校なんぞの世話にならなくても現在の私と同等のレベ
ルまではたどりついていたであろうと思います。
大工になったらなったで、大工として、現在の英語職人のレベルにまでは達していただろうと思います。職業が何であれ、その職域でのレベルというものはあ
ると思います。大
工になりたいという気持ちが高校の頃、心のどこかにありましたが、大工にはなりません
でした。しかし、大工になっていたら、現在の語学屋あるいは英語職人のレベルにはたど
りついていただろうと思っています。
制度が学力や知力を作るのではない。一人の人間が自分に対して行う暴力によって、それらは実現するだけだ。学校や学校制度がやれることは、そういう一人
の人間の自己実現を邪魔しないことだと思います。
現在の文部省はその消極性によって、積極的にそれを邪魔しているのです。
「本気で英語教育を変える意志はない」どころの話ではないのです。そんな程度に酒井は見ているのか。「変える意志はない」のではなく、「邪魔している」
というのが実情です。そこまで言わないと、批判にはならんと思いました。
ねぼけまなこの学者が大勢いて困ります。
と、以上は、Eliot さんの引用して下さった分と、浜谷さんが引用して下さった分とから思ったことです。
1449 反感 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 3日(月)03時20分24秒
同人社さんから、いつか本にしてもらえる予定の記事をこの掲示板に書き継いでいたが、現在、逼迫している事情があり、続きが書けないでいる。その記事の
中で、私は、國弘さんの「只管朗読」について触れ、またSTさんが、國弘さんの本に朗読「千回」ということが書かれていると教えて下さったことを考え続け
てきて、この「千回」には根拠があると考えるに至ったことを書いた。
この「千回」について、「電話でレッスン」の生徒さんの一人から、非常なる反感とでもいうべきものをお聞きした。「宗教みたいだ」というのである。
「宗教みたいだ」という言い方が、「宗教みたいだ」と私は思った。
近代主義という宗教があり、戦後民主主義という宗教がある。ソヴィエトという宗教もあったし、自由・平等という宗教もある。自由・平等という宗教は、女
を抑圧するアフガンに現在、爆弾を落とし続けている。
俺のやってることは暴力だ、俺のやってることはとことんおかしい、俺のやってることは、滑稽でしかないし、この世に対してはその根底の質からしてうらは
らである。それが文学であり、語学である。それくらいのことしか私にはわからない。
國弘さんの「千回」には、はっきりと根拠がある。「発酵過程」という根拠がある。
笹野という中途半端な人は(最低)50回だと言っている。(40歳からの英語独学法・講談社)。何も間違っていない。回数に間違いや正しいはない。
しかし、さすがに國弘さんだと思ったのだ。科学的に証明などできはしないのは初めからわかっている。しかし、「千回」と言ったことの価値は私は絶対的だ
と思う。
50回と千回。やってみるがいい。それがどれほど違う世界であるかを体で知るがいい。
多分「千回」が気持ち悪かったのだろう。そういう感覚があることはわかるが、そんな感覚はまるで信じてはいない。戦後民主主義や戦後市民社会以外にどれ
ほどの根拠があるというのか。米軍という傘の他に。
ことは「語学」なのだ。英語の磁場が働かない場所で本当に英語をものにしようという滑稽さ(語学の本質)を私は深く信じているので、その「気持ち悪さ」
を感じる人の気持ち悪さを日干しにする用意はいつでもできている。
語学は呪的な行為である。
語学のできるやつが、涼しげな顔をしていたら、ペテンだと思ってよろしい。
そういうやつは、語学が呪的な泥臭い世界であることを人の目にごまかしているだけだ。
学者は涼しい顔をする。しかし、学問そのものは呪的な世界であり、泥臭く地べたを這う行為から成る。西田幾太郎と南方熊楠とどっちがまともか。
呪的な行為が宗教的に見えて何かおかしいのでしょうかね。そんな浅薄なことを言うならば、あらゆる音楽は宗教に見えるはずだが、誰もそうは言わない。し
かし、語学はその本質において、音楽と同様に呪的な行為である。宗教的だと言いたければ、語学の内実に関しては何の間違いもない指摘である。「宗教的」だ
といういいぐさが、否定のいいぐさであるのが、浅薄なだけである。
宗教より先に、「呪」は人間にあり、それがむしろ宗教を成立させてきたのだ。浅はかなことを言わず、「只管朗読」は「宗教以前に見える」と言って欲し
かった。
俺が腹が立つのは、利口な人にではない。「利口そうな人」にだ。いつでもそうだ。この世で食い詰める覚悟で、それらの心臓を射抜くことはいつだって覚悟
して生きてきた。
お上品なことを言ってんじゃねえよ。
私の方法は、悪く塗り込めようとするならば、オウムの個室閉じこめにも似ているし、過激イスラム学校の体を揺すりながらの「コーラン繰り返し読み」にも
似ているのだ。それでなんだと言うのか。ご清潔な、上澄み思想がそれについて何が言えるのか。「お澄ましニッポン」だけじゃねえか。言えるのなら、その先
を言ってみるがいい。
私は語学の本質を言い当ててみたい。
つべこべ言いたければ、自分で自分なりに別個に言い当ててみるがよろしい。
1451 書評紹介 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 3日(月)03時55分43秒
投稿操作を間違えました。全文を再度投稿します。
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毎日新聞12月2日
池澤夏樹評
ノーム・チョムスキー著「アメリカに報復する資格はない!」
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(略)
その質はさまざまだが、今になって振り返ってみると、質を決めたのは、あの日の時点で評者にどれほどの準備があったかだったようだ。
テロはいけないとか、文明社会への攻撃とか言ったのは、普段からアメリカ(ならびに先進国)の視点からのみものを見てきた人である。
(略)
例えば彼(チョムスキー)は、IRAの爆弾がロンドンで爆発したからと言って、イギリス政府は西ベルファストを爆撃はしなかった、と言う。また、オクラ
ホマ・シティで連邦ビルが爆破された後でも、その犯人がモンタナ州ないしアイダホ州に潜んでいるからと言って、この両州を殲滅はしなかった。ではなぜアフ
ガニスタンは爆撃されなくてはならないのか。
(略)
本書で最もスリリングなのは、アメリカ合衆国が今の世界で最大のテロ国家であると論証する部分だ。アメリカの公式文書によるテロリズムの定義に従って判
断しても、アメリカが世界各地で行ってきた行為は間違いなくテロである。
(略)
一九八〇年代のニカラグアに対するアメリカの攻撃でこの国は壊滅状態に陥った。彼らはテロでは報復せず、国際司法裁判所に訴えるという理性的な方法を
採った。裁判所はアメリカに攻撃を中止した上で賠償金を払うように命じた。アメリカはこれを冷笑と共に無視し、攻撃を強化した。
(略)
本書は、われわれが見ずに済ませてきたアメリカの醜い一面についての、まことに具体的な肖像である。
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(以下、根石)
アメリカこそが、テロを行っている国家だということは、何度もこの掲示板に書いたが、チョムスキーという人が、(多分)在ニューヨークでアメリカの心臓
を貫こうとしていることを知った。
再度言う。ニューヨークはどこにでもある。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1452 Kさん(1) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 3日(月)06時34分47秒
本当にお久しぶりです。
Kさんは確かボイラーを作っている会社にお勤めだったと聴いたような記憶があります。ツインタワー崩落以後、アメリカへの輸出ががたがたになったという
ようなことは、私の地元でも聞きますが、お勤めの会社の製品への影響は大きなものがありましたでしょうか。
過去ログ、読んでいただきありがとうございました。
以前、「ミッドナイト・プレス」が縁でメールのやりとりをして、英語談義をやり、ホームページの記事にさせていただきました。当時、社員教育として、社
内の英語のレッスンを任されたとお聞きしたと思います。その後どうなりましたでしょうか。その後の進展をお聞かせくださるとうれしいです。私は、この種の
ものごとに非常に興味があります。
Kさんにお聞きしてなかったのですが、アメリカに留学されたのは何年くらい行ってらしたのでしょうか。私はメールのやりとりをして以後、「磁場」という
言葉で、日本の英語の生態を考えてきました。この一項目は、日本において欧米シンタックス言語を語学として扱うときには、決して外してはならないものだと
考えるに至っています。当該の言語がつくる磁場だけが養うことのできる言語能力(主にレスポンス能力です)が絶対にあると考えるようになりました。
当時、スクリーンプレイ社の「ゴースト」のシナリオとビデオのセットを購入されたという文に刺激され、私も「ゴースト」のシナリオだけ買いました。日本
語字幕つきのビデオはごろごろしていましたので、それを借りてきて、字幕にセロテープで紙を貼り、語学に転用したりしているうちに、「電話でレッスン」を
始めることになり、今では、「ゴースト」をやっている生徒さんが4人います。
アメリカという英語の磁場で英語のレスポンス能力を獲得された方でも、日本に住み、日常の言語が日本語になると、英語が錆びるのではないかと考えていま
す。この点に関して、Kさんのお考えをお聞かせいただけたらと思います。どんなふうに錆の進行をくいとめておられるかを知りたく思います。
1453 Kさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 3日(月)06時35分27秒
私の生徒さんが英語関係の試験を受けてみようかと言うと、おお、受けてみろ、とどんどん薦めるのですが、私自身は試験というものが大嫌いなせいで、何の
資格もありません。運転免許試験と大学入試で受けた試験以後、一度も試験というものは受けたことがありません。大学の単位をとるための試験みたいなのは受
けたはずですが、あんなものは試験だとは思っておりません。いいかげんなものです。
工業英語というものに、私はとりかかるつもりはありませんが、長野のBさんなどには向いているのかもしれないと思いました。Bさんは、プログラマです。
コンピュータ関係にとても強く、私はお世話になることが多いです。今度、BさんにKさんのホームページをお薦めしてみるつもりです。Bさんは、東京に本社
がある会社の長野支社では偉い人なのです。学生の頃、自分には英語は用がないと思っていたのに、プログラマになってみたら、サンフランシスコだかシリコン
バレーだかにやたら行く必要が生じて、私のレッスンを選んで下さった方です。3年ほどのつきあいになりますが、英語がすごく変わりました。40歳前後の方
だと思いますが、この年齢の方ではこんなに英語が変わるのは珍しいと思うほどに変わりました。
「ミッドナイト・プレス」はその後もお読みいただいていますでしょうか。私はボルテージの低い文章を書いていますが、谷川俊太郎さんと正津勉さんがゲス
トを迎えてやる座談会がだんだん調子が出てきているように思います。井上輝夫さんの「那由多亭・イン・ホワイト、プレインズ」の連載も毎回楽しみにしてい
ます。
私は足立和夫さんの「空気の中の永遠は」という詩集を制作しました。足立さんは、最近すごくいい詩を書きます。
詩は今も書いておられますか。
今回の、この掲示板に書かれた文は、これまでの文章から一歩外へ出た感じがありますが、私の行儀の悪さが影響したのでなければいいがと思っています。で
も、私は今回の文章のような文体が好きです。生活感のある文章の方が好きなのです。あくまで個人的な好みですが・・・。
私は、語学によって、ミイラ取りがミイラになった状態ですが、ここではいつくばって終わりにする気はなく、日本における英語は、日本の戦後状況を照射す
る一項目たりうると考るようになりました。語学が語学の意味にきちんと立ち戻るならば、うぞうむぞうの英語馬鹿を蹴散らすことができると考えるようになっ
たのです。英語が使える人間が英語馬鹿ばかりであるようなら、日本という国は淋しすぎます。語学の問題は、思想たりうると思うようになりました。
メールでやりとりしていた当時、鈴木孝夫を教えていただき、この男は現状の指摘はいいが、そこから出てくる結論がでたらめだと思ったことなど、小学館文
庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」を書くときに媒介にさせていただきました。恩を感じています。ありがとうございました。
今後、もっとこの掲示板にご登場下さるようお願いします。
1462 (無題) 投稿者:Yasu 投稿日:12月 4日(火)01時27分43秒
初日のレッスンの感想を述べさせていただきます。
1.舌がなかなか動かないこと
2.発音を気にするとなめらかに読めないこと
今回はとりあえずこれくらいです。とりあえず今やるべきは,英語らしく読めるようになって回転読みや電圧装置を使って文を頭にたたきこむことだと考えてお
ります。ためしに200回くらい1つの文を発音に注意して読んでみましたがそう簡単にトップスピードでなめらかには読めないもんですね。口が自然に動くぐ
らいじゃないと。とりあえずできるようにがんばってみます。それと
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
ですが,I'd say というのは良く使われる言い方なんですか?
1463 Yasu様 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 4日(火)02時25分37秒
レッスンの感想をありがとうございました。
舌がなかなか動かないのは、次第に動くようになりますので、楽しみにしていて下さい。
発音を気にするとなめらかに読めないという二律背反みたいなものは、語学をやっている間にいく
つも出会います。これは、語学に宿命的なものです。発音をよくしていきながら、なめらかに読め
るようになってから出会う二律背反は、発音を気にすると意味がすっとんでしまうというものです。
これが本命の二律背反です。音と意味(イメージ)を一致させ、同時に動くようにするというのが、
おそらく語学の本命です。
しかし、来年は、アメリカにおられるのですから、アメリカ在住のまま、しっかりと語学の机上を
確保なされるなら、上達は早いと思います。
「回転読み」のサンプルテープは、今日妻に送付を依頼しました。近日中にお手元に届くと思いま
す。
I'd say S V. に関して、どのくらいの頻度で人が口にするものかは、かつて英語圏に暮らしたこ
とのない私にはわかりません。これは、人によっても違うのではないかとは思います。I'd say を
常時使う人もいれば、そんな言い方は好みじゃない、気持ちにぴったりこないという人もいると思
います。私が、話し言葉においても、書き言葉においても、行儀が悪い言い方でないと気持ちが落
ち着かないようなものではないかと考えています。
私の担当をしてくださっている同人社さんの編集者さんがいらっしゃいます。この方は、アメリ
カで生まれ、小中学校を日本で過ごし、アメリカで高校・大学を卒業され、現在は日本で編集者を
されています。この方なら、I'd say の頻度やどんなクラス(階級)の人がこの言い方を使うのか
の知識をお持ちだと思いますので、Kawakami さんに振ってしまいます。
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Kawakami 様
近頃、この掲示板にお見えになりませんね。風邪でもひいているのでなければいいがと思ってい
ます。
I'd say についてお願いできますか。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1468 まだくたびれる予定 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 4日(火)02時59分08秒
「電話でレッスン」を受けられておられる方で、文法をやりたい方のために、「七年目の浮気」の
シナリオの文法解析をやる予定です。
一冊目のシナリオは「音づくり」用。
文法をやりたい方は、二冊目のシナリオに「七年目の浮気」を選んでいただき、音づくりと並行さ
せて文法を学んでいただこうという計画です。
私の文法は、日本の学校でやっている文法とそれほどの違いはありません。
日本の学校の文法は、考え方が根本的に間違っているという主張をしているホームページを読んだ
ことがありますが、私の文法はばい菌だらけの学校文法とそんなに違いません。
語学でやるべき文法は、文法の知識がセンスとして動くようになるかどうかというところにポイン
トがあります。厳密な文法論には、今のところ入る予定がありませんので、後世の批判にゆだねる
予定で、「七年目の浮気」を解析してみるつもりです。
1469 着手してみました 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 4日(火)04時40分11秒
「七年目の浮気」の解析に着手してみました。冒頭部分を切り取って、掲載します。
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「七年目の浮気」語法・文法解析
この解析は、どなたにも自由に使っていただいてかまいませんが、「音づくり」と並行させた「電話でレッスン」の生徒さんが使った場合に最大の効果が生じ
るように作成されています。「電話でレッスン」に関しては、090−3316−4180 までお電話でお問い合わせ下さい。
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1.
The island of Manhattan derives its name from its earliest inhabitants,
the
Manhattan Indians.
マンハッタン島 the island of Manhattan
A を B から引き出す(A を B から入手する) derive A from B
その名前を B から入手する derive its name from B
早期の・早い early →比較級 earlier
early →最上級 earliest
it →所有格 its
最上級の形容詞に修飾された名詞には通常 the がつく
early inhabitants → 最上級 the earliest inhabitants
最上級の形容詞の前に代名詞の所有格がくれば、the は不要
その(そこの)もっとも早期の住人たち its earliest inhabitants
カンマで、同格関係を表すことがある
そこの最も早期の住人達、つまりマンハッタンインディアンたち
its earliest inhabitants, the Manhattan Indians
The island of Manhattan derives its name from its earliest inhabitants,
the
Manhattan Indians.
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2.
They were a peaceful tribe, setting traps, fishing, hunting.
彼らは〜だった。 They were 〜.
are →過去 were
they は複数の(代)名詞
a peaceful tribe は単数の名詞
they という複数の名詞が使われるのは、マンハッタンインディアンに属する人々を人々と
して意識するため
補語として、a peaceful tribe という単数名詞が使われるのは、tribe としては一つの
tribe でしかないため
部族・種族 tribe
平和 peace
平和に満ちた・平和な peaceful
彼らは平和な種族だった。 They were a peaceful tribe.
set →現在分詞 setting
fish →現在分詞 fishing
hunt →現在分詞 hunting
現在分詞は動詞の原形に ing をつける
現在分詞はものごとの進行が「途中」であることを表せる
現在分詞は、何かに伴っている「状況」「状態」を表せる
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1471 Yasu 様 投稿者:kawakami 投稿日:12月 4日(火)20時20分52秒
I'd say の頻度やどんなクラス(階級)の人がこの言い方を使うのか,というご質問に関する件
これは婉曲話法です。婉曲話法を頭に使いたい人、たとえば商人などは比較的
抵抗無く使います。
断定的な話法の好きな人は、直接的表現をします。
シチュエーションがわからないので、詳細には触れられませんが、
客と絶えず接する商売人であれば当然こういう婉曲話法が専らです。
「明日、沢山売れてくれればいいですね」などの言い方です。
この点は日本の商人と一緒と考えてよいとおもいます。
一般の方でも、その場の状況、相手の地位などを勘案して、ことばを選び
自然に使いたいときはこういう表現をしています。この点、根石先生のご指導のとおりです。
http://www.doujinsha.com
1473 Kawakami様 根石先生へ 投稿者:Yasu 投稿日:12月 4日(火)23時55分59秒
Kawakami様 根石先生ありがとうございました。
この会話が映画ゴーストでなされた状況は,冒頭の空き家みたいなところで
主人公たちが,新しい部屋を作っているところです。
そこで,ほかの人は<最高じゃない>などと感動しているのに
一人だけ金に汚い男が言います。
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
つまり,ここは,<この部屋を明日にでも売れば,お金が2倍になって戻ってくるね>
という軽い冗談みたいなものととらえればよろしいですか?
1474 なるほど 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 5日(水)03時13分32秒
Kawakami 様 Yasu 様
ここは頻繁につきあいのある友だちどうしの間で使われた I'd say なので、Yasu さんが言わ
れる「金に汚い男」が、自分がしゃべることの露骨さをやわらげるのに使われた用法かと考えま
した。
Kawakami さんが言われるように、商人が多用するというのも、露骨な話題をやわらげる作用が
この語法にあるからと考えていいように思いました。
Yasu 様、また何かありましたら、ご質問下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1475 Kawakami 様 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 5日(水)03時17分48秒
商人がよく使うというのは、なるほどと思いました。
こういうことは、日本にいて文法書を読んでいてもなかなかわかりません。
ありがとうございました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
1485 Yasuさんへ 投稿者:ST 投稿日:12月 6日(木)22時13分02秒
はじめまして。STと申します。根石先生の電話でレッスンを受けている者です。最近休みがちですが、久しぶりにこの掲示板を見て、学んでいらっしゃる方の
感想を楽しく読ませていただいています。またひとりお仲間が増えたと喜んでもいます。
「(無題)初日のレッスンの感想を述べさせていただきます。」で始まるものを読んで、自分自身のことを思い出しました。特に英語を学び始めたころ、音読に
興味があった私は最初は意味がわからなくてもただひたすら音読を続けていました。しかし、Yasuさんのように英語らしく、口が自然に動くように、努めて
いましたが、なかなかうまくいきません。激しく練習していても、どんどん英語らしい発音から遠のいていくばかりでした。でも実際は少しずつでも上達してい
たのかもしれません。あるとき、自分の声をカセットテープに録音してみると、ネイティブとのあまりの違いに愕然としたことがあります。それはネイティブと
違うというよりは、宇宙人の言葉のようでした。日本語でもなく、英語でもないような感じだったのです。でもそのショックは私にとって大きな発展へとつな
がったような気が今ではしています。これは私が学生時代の話しです。もう学生をやめてから10年以上経ちますが、自分の声を自分で録音してみたことは大き
な発音の大きな飛躍の前触れだったのかもしれません。
もちろん流暢できれいな発音ができるにこしたことはありませんが、それはあくまでも根石先生のおっしゃる「音とイメージの同致」を目指すための道具だと考
えています。
この投稿に関するご質問ご意見などを、もしよければ、この掲示板に書いていただけるとうれしいです。
1487 レッスン、再開します! 投稿者:ST 投稿日:12月 6日(木)22時34分10秒
また、よろしくお願いします。ところで、今月分12月分の授業料は入れましたか?
話しは変わって、今日、面白い本を見つけました。「どんでん返し」の中の記述と非常に似ている箇所があったので、少し引用してみます。(大島保彦、講談社
現代新書bP546)
(引用その1)
大切なのは口で音を出すこと。そして、ときにはそれを手で書くことだ。
これは、会話表現に限らない。新聞記事や論文を読むときでも、自分で文章を書いたりするときにもいえる。身体感覚でとらえなおすことがつねに必要だ。音
楽家になりたいと思ったら、譜面を目でおっているだけ、演奏を聴いているだけでは無理だろう。ワールドカップのサッカーをどれほど観戦してもサッカー選手
にはなれない。何かの技能を身につけようと思ったら、聴衆になるのではなく、観客になるのでもなく、自分がプレーヤーにならなくてはいけないのだ。
実は誰だってそうしてきた経験がある。たとえばかけ算九九。あれは口が覚えているのだ。手や頭はあとからついてくる。それがどれほど役に立っていること
か。
(引用2に続く)
1488 さきほどの続きです! 投稿者:ST 投稿日:12月 6日(木)23時02分06秒
さきほどの続きです。大島保彦(哲学関係の著作もある予備校の講師)さんの文章です。
(引用その2)
口が覚えていることで開けてくる世界
英語の勉強に突然つまずき始めた高校二年生の男の子がいた。どうやら原因は学校の先生との相性にあるらしかった。なんとなく合わないのである。成績は確
実に下がっていった。相談する相手がいるわけでもなく、塾や予備校に通っているわけでもない。
ふと、あるとき、思いついた。学校の教科書の試験範囲の部分を音読してみることを。ただ闇雲(やみくも)に音読した。発音がいいかげんな単語は調べなお
した。慣れてきたら教科書を伏せて口に出していってみた。新聞の広告の裏が白紙のものをためておいて、そこに書き写してみた。最低100回はやってみた。
それ以来、中間・期末試験で95点未満を取った記憶がない。その後、大学入試後もいろいろな語学に挑戦したが、いつも同じようにやってきた。うまくいっ
た。
これ、実は私(=大島保彦)のことです。すみません。でも次の話は私の話ではありません。
現役・一浪と、東北大学に落ちた男子学生がいた。予備校で英語の教師からこのような話を聞いて、ふと、思った。「それって英語だけの話ではないかもしれ
ない」。そこで、自分の不得意科目である世界史でやってみた。何度も何度も教科書を音読した。自分の先生が語学でやったおとを自分は世界史でやってみるの
だ。成績が上がった。上がっただけではなく、上位で安定した。翌年、一橋大学に合格した。その年、一年間だけで世界史の偏差値が20くらい上がったことが
大きな原因だった。
あとから考えてみれば当然のことだ。もち、眠い目をこすりながら勉強したとしても、使っている感覚は視覚だけ。それに対して、音読しながら、ときには手
で写したりしていれば、自分の声を聞き(聴覚)、文字を見つめ(視覚)、口を使い手を使って(運動機能)勉強しているのだから、マルチ感覚で勉強している
ことになる。
(以上引用1と2は大島保彦、講談社新書bP546、14〜16ページから)
1489 吉本隆明資料集19から 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 7日(金)05時13分38秒
吉本 ぼくね、寺田さんにさっき、永遠に詩ってものを信じてるみたいに思えるって言
ったでしょ。永遠というのを別な言葉で言うと、空間的に言うとね、一種の普遍
性なんですよね。世界普遍性なんですよね。ぼくはこの頃全然詩を信用しなくな
って・・・、ちがうことを言いたくなってきたんですよ。つまり、人類ってのは、
人間てのは全然ちがうんだっていう、たとえば白人、ヨーロッパ人でもいいです
よ、それと黒人というのと、また東洋人みたいなのと、あれ、人類1号、2号、
3号っていうぐらいにちがうもんだっていう、この頃そう思いたくてしようがな
いんですよ。
(略)
そうすると言葉ってのは、日本語でもなんでもいいですけど、インド=ヨーロッ
パ語というのと何々語というのとは全然ちがうものだって理解したいんですね。
普遍性っていうのはまるでないんだっていう、人間ていうのも全然普遍性がない
んだっていう、人類1号と2号とはほんとは理解することは何もないと、つまり
犬と猫ぐらい何にもないんだという、ただ生物学的に同じ属とか類とか種とかね。
それに属するっているだけで、他には何もない、共通性もないんだって。だから
まるでちがうものだと考えたほうがいいんだっていうふうに、ぼくは思いたくな
ってきてるんですよ。
(略)
小林秀雄の時に感じたんですけど、本居宣長でもそうなんですけど、『古事記』
の読み方がちがうと思うんですよ。何がちがうかってい言うと、あれを歴史の書
であり、同時に神話の書でもありみたいに見てるでしょ。だけどほんとはそうじ
ゃなくて、神話の書ということと歴史の書ということとのあいだには、一般的に
言えば、ヨーロッパ的に言えばでもいいですよ、歴史的な時間が大変にあるんだ
と思うんですよ。
(略)
だから、全部誤解してると思うんですよ。宣長も誤解したと思うし、小林秀雄も
その真似をしたんだから誤解してる。それは天皇制の中に自然が体現されている
と思っているところがあるんですよ。つまり、日本の神話的な歴史の中に自然が
体現されてるっていうところですね。
(略)
やまと言葉的、あるいはやまと文化的っていうふうに言われているものは、じつ
は中国的な言葉と文化によって意識させられちゃったものを日本的って言ってる
んだとぼくは思ってるわけなんです。だからそれは非常に人為的なものだと思っ
てます。
(略)
もう少し遡ると中国というのは、ぼくはヨーロッパだと思ってるわけですよ。だ
からこれはまるでちがうと思ってる。それこそ人類1号2号じゃないけど。
(座談会・詩歌への感応 普遍性と日本語の抒情との軋みから
寺田透・大岡信・吉本隆明 『現代詩手帖』一九七八年四月)
1490 中華思想の根、SVO 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 7日(金)06時40分04秒
寺田透と吉本隆明がやりあっているところから、吉本の言い分だけを引用した。
寺田と吉本はほとんど話がかみあっていない。それで、吉本がやたらに面白いことを言
いつのっている感じがある。本居的「やまと言葉」というものが、中国というヨーロッパ
的世界から照射されて生じた自意識だというところを読んでいて、非常に興奮を覚えた。
村田君には話したことがあったように覚えているが、私は中国と日本の距離は中国とヨ
ーロッパの距離よりも大きいと思っていた。それが、吉本の言い分を読んで興奮したこと
の元にあったのかもしれない。地理的には中国はアジアだし、地理的な距離は日本と中国
の方が近い。しかし、意識はとても日本から遠いという感じがする。
私の論拠は単純で、言語のシンタックスにある。
SVO シンタックスの言語からは種々の中華思想が生まれると思ってきた。
それは、万世一系なんぞの架空の糸とは違って、非常に骨太の腰のでかいものだ。
アジアの言語には中国語の他には SVO シンタックスの言語はないのではないか。
アジアとは、SOV シンタックスのことではないか。
中国はアジアではなく、ヨーロッパなのではないか。
そんなことをとぎれとぎれに考えてきた。
中国の中華思想。
大英帝国の「大英」。
現在で言えば、アメリカの「標準」という傲慢さ。自己中心性。「標準」の外に対する
無知。
ヨーロッパの言語は基本的に SVO であるから、ヨーロッパを一皮むけば必ず中華思想
が現れるとも思っている。ヒトラーも中華思想の一つである。ヨーロッパがヒトラーを異
物扱いするが、ヒトラーほどにヨーロッパ的なものがあるだろうか。あれは、ヨーロッパ
のエッセンスみたいなところがある。
SVO と SOV とでは、O に対する扱いがまるで根本的に異なる。
吉本の言い分が成立するのであれば、本来「やまと言葉」は強烈な対外意識によって成
立したのであり、その元には、「異和」がある。「異和」から照射されて生まれたものが「やまと言葉」の初発だったのであれば、「異和」と「やまと言葉」は
へその緒がつなが
っていたはずだ。
「やまと言葉」の初発から、江戸の本居まで来れば、こなれて寄りかかれるほどに安心
できる「やまと言葉」があった。あると幻想できた。その「やまと言葉」からは「異和」
が洗い流されていた。だからこそ「本居的」やまと言葉がそこで成立した。
本居はカラゴコロ(唐心)を忌み嫌った。ヤマトゴコロがある。それは純粋なものだと
言いたかった。カラゴコロを一段低く置き、ヤマトゴコロを一段高く置く。それ自体が、
カラゴコロを強く意識しなければ成立しないことなので、本居には本居の「やまと言葉」
の初発はあっただろう。(鎖国の中であったから、ハイパーというか、シュールというか
、観念の闘いとしての初発だった?)
1491 本居さん逆立ちして、ESS 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 7日(金)06時41分33秒
欧米の方を向いて生きてきた英語好きなどは、意識がとても「やまと心」なのではない
か。この人たちは、逆立ちした本居宣長なのだ。英語感覚を一段高く置き、日本語感覚を一段低く置くその作法において。しかし、この人たちに、低く置く方の
日本語に対するど
れほどの意識があっただろうか。
言語というものは、特に SVO シンタックスと SOV シンタックスの言語同士は、根っか
らとことん異質なものでありながら、言語同士にすぎないことにおいては(現世のリアル
なパワー・政治、経済のパワーを外せば)、これまたとことん even なものであることの
認識は戦後の英語好きにはめったに見ることができない。あの人たちは、はっきりと言わ
ないだけである。あの人たちが、日本語を一段低く見ているのは、言ってることから匂っ
てはくるが、あの人たちはそれをはっきりとは言わない。
この人たちを私は「英語フリーク」と呼んできたが、この人たちに、英語をやること
から「異和」をとり込み、この現代において、「やまと言葉」の初発(異和)を立ち上が
らせるような気配はまるでない。
本居が古来からの(と幻想できる)「やまと言葉」に安心して寄りかかろうとしたよう
に、英語フリークたちは、アメリカ英語に安心して寄りかかろうとした。なにしろ、戦争
に勝った国の言葉だし、「自由」や「平等」の国の言葉であるんだもんね。
最近読んだ本の中の、日系アメリカ人へのインタヴュー記事。
アメリカは実力社会とか言われているけど、嘘ね。
どこの大学を卒業したか、それとコネ、要するに親
の階級や人種、それが決定的ね。
(ニューヨークで暮らすということ 堀川哲 PHP新書)
「異和」であることが当然であるものをすら、「あこがれ」なんぞにしてきたのが、戦
後の英語フリークたちだった。ESSがその代表である。こいつらは、子犬のように尻尾
を振っていただけだ。
「異和」が言語の富を産む。それは胆汁のように苦いものだ。
1492 ST さん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 7日(金)07時18分07秒
書き込みありがとうございます。
「音読」は、私の塾でも、英語以外にも使ったことがあります。
いずれの場合にも、大きな効果が認められました。
古典、世界史などに効果がありました。
ちょっと、他へ振ります。
もときくの若大将、世界史で突然学年トップだったかになったこと、読んでいたら証言して
ください。
レッスンへの復帰おめでとうございます。ゆっくりと、地道にやってください。復習範囲が先
に進むだけでも、進展しているのだと思っていただいていいと思います。機が熟せば、激しい練
習もいいのですが、早期に激しいことをやると無理がかかります。
兎と亀の喩え話でなら、亀になることをお薦めします。
亀が兎を抜くのは、私の塾でも、いくつもいくつも事例を見てきました。
「回転読み」などは、決して「速さ」を否定しているわけではありませんが、原理にある素読
という方法は、むしろ「遅読法」と言っていいくらいの方法です。
ですから、「回転読み」は遅さという大前提の中で「速さ」を求めたものです。
前提に、「遅さ」があります。
意識的に遅くすれば、結果的に早くなるというのは、その通りのことが起きます。私は、これを
自宅自作現場で何度も実感しました。ゆっくりやろうと思って仕事をした日の方が、仕事がはかど
っていたりしたのです。しかし、今でも、なかなか自分に基づくペースがつかめませんが・・・。
なかなか難しいのですが、追求する価値があるとは思っています。
アメリカ的スピードは、もういいかげんいやになりました。
私は今後、老後という時間に入ろうと思っておりますが、最大のテーマは「速度」だと思ってい
ます。この娑婆から、「ゆっくり」というものをもぎとってやろうと、復讐心のように思っており
ます。
1498 英語発音は日本語でできる 投稿者:もっこり 投稿日:12月 9日(日)01時45分22秒
「英語発音は日本語でできる」斎藤厚見 ちくま新書 という本を買いました。
カタカナにいくつかの記号を追加することで、RとLの区別ができるし、
子音単独の音も表記できるぞ、という「新カナ」を提案している本で、
メチャメチャ面白かったです。こういう独創的で分かりやすい説明はありがたい。
著者によると、現実の日本語には英語に必要な音はほとんど存在しているのに、カナ表記を
平安カナ(50音)に限定しているために、私たちはそれを意識できないでいるそうです。
たとえば、春先(ハルサキ)のルは/r/の音で、昼間(ヒルマ)のルは/l/の音だそうです。
さらに、「ん」は実に4種類(/m/ /n/ /N/ /ng/)の違う音をひとまとめにしているとか。
また、それから、英語の発音教則本に書いてある、「日本語の子音には必ず母音がつく」
という常識も、会話に関する限りは誤りだということがわかります。
たとえば、濯ぎ(ススギ)のススは/susu/だが、芒(ススキ)は/ss/ だし、
鶴(ツル)のツは/tsu/だが月(ツキ)は/ts/。
他にも、日本人が苦手、区別が困難だとされている音が、
実は日本語の中に隠されているのだということが、本を読むと分かります。
以前から、英語の下にカナでふりがなを書くと、英語の先生にこっぴどく叱られるのが、
不思議でなりませんでした。日本語でさえ、読めない漢字にルビをふるのはあたりまえなのに、
どうやって発音するのかそもそも分からない発音記号を使って発音を覚えろという理不尽。
この本の著者は音楽家(フルート奏者)だそうです。
タイトルだけ見るとアヤシサ爆発ですが、実はとても真っ当な指摘、でも、多分、
「本家思想」が染みついている英語学者や教育者にとっては盲点だったのだろうな、
という感想を持ちました。
1499 アリス1 投稿者:村田 投稿日:12月 9日(日)01時49分31秒
「不思議の国のアリス」の技法グランドの感想 (1)
私は現在、「不思議の国のアリス」の技法グラウンドをやっています。
この練習をやりはじめてしばらく経ったので、感想を書きます。
私は素読舎に入門してから、アリスをやる前に、次のものをやってきました。
・A・B・C・D(中学1年〜中学3年)
・基礎問題集(中学3年〜高校程度)
・700選(大学受験基礎)
・長文読解
・各種単語集3冊
・中学生用NEW CROWN、NEW HORIZON
[※( )内は私がやっていて持った印象です。]
======以上、塾用教材=====
・話体抽出(現在88)
・FULL METAL JACKET のシナリオ(終了)
・MIDNIGHT RUN のシナリオ(進行中)
このうち、技法グラウンドとしてやったのは、700選・話体・シナリオ群です。
「アリス」と今までやってきた技法グラウンドはどこが違うかといいますと、一言で言えば長さが違うということです。
今までやってきた技法グラウンドは、「1文を5回言う」だったのですが、「アリス」の場合は、基本的に「1段落を5回言う」なのです。最低130語位あ
ります。長い場合は300語を超えていると思います。ただし、字は見てもよいことになっています。
以下、私の場合、文章が長くなるとどうなるのか、ということを書いてみます。
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技法グラウンドをやる前には、「回転読み」を完成させておかなければなりません。家で練習しておきます。
「アリス」の場合は、1つの課題がとにかく長いので、ちょっと時間がかかります。
回転読みを始めるとき、私は最初はあまり意味をとらないで読み始めています。「長いなあ」と思っても、何回も声を出して読んでいるうちに、だんだんと文章
がひとかたまりとして意識できるようになってきます。さらに続けると、その塊がますます「ぎゅうっ」、と圧縮されていきます。そう思えてきた頃には、だい
たい10回連続で言う事ができています。テキスト自体も全部を目で追うわけではなく、一つの目印として見ている感じになります。
次は、本番です。素読舎へ行って、もう一度ざっと声を出して読んで準備運動をしてから師匠の前に座ります。
(1)その日新しくやる部分3箇所(T) (2)最近やった部分6箇所(FN) (3)最初の方から連続している復習6箇所×2(FF1・FF2) を
いっぺんにやります。
私は自信満々で読み始めるのですが、これがなかなかうまくいかない。
どうしてか?と考えてみると、周りの音に意識が向いてしまうからだと思います。これも、課題が長いからこそ、だと思います。素読舎は、塾生が大きな声を
出してテキストを読んでいます。長い文章の場合、一瞬でも周りに意識がいくと、そこで、とちってしまう。
ですが、周りの音に左右されるようなヤワな読みなんて駄目です。なんといっても、自分で塾生に偉そうなこと言ってるんですから。
だから、自分の発声に意識を集中しようとすると、いやでも声が大きくなり、様々な動作が大きくなっていきます。私はいつしか前傾姿勢になって、机をド
ン!とたたき、脇の下から脂汗をダラダラ流してテキストを読んでいます。
さらに集中して読んでいくと、ふっ、と軽く言えるようになります。かたまりと意識していたものが、今度は「見えない粒」になったように感じられます。
こうして、やっと、チェックをパスできます。ああ、まだまだ練習が足りなかったなあ、と思います。
(以上は最悪な状態の時を書いてみました)
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(続く)
1500 アリス2 投稿者:村田 投稿日:12月 9日(日)01時51分07秒
「不思議の国のアリス」の技法グランドの感想 (2)
チェックを受けている時は、頭はからっぽです。
チェックが終わった直後、改めて文章を読んでみると、意味がかたまりとしてわかっている場合が多いです。(うまく書けないんですが、日本語訳として捉え
ているのではない、ということです。師匠の言う、「イメージ」のかたまりかな?)
これだけやっても、復習をやると、思いもかけず自分の口周辺の筋肉に裏切られる場合があります。自分で完成させたと思っても、すぐに錆びは取り付くんで
すね。
しかし、この筋肉の裏切りは、自分で気付いていなかった音の省略の仕方などに気付く契機となる時もあります。
例えば、1番最初に出てくる文に、
Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister on tha
bank, and of having nothing to do:
という部分があるのですが、ある時、ここはもう何回もやったから大丈夫、と思って何にもやらないで復習の本番をやったら(それまでに体力が消耗してしまっ
たということもあるんですが)、"and of having nothing"
のところでどうしてもつっかかってしまうことがありました。自分ではSやTHの音が連続するのは苦手だというのはわかっているのですが、得意と思っていた
「ア」系とか「オ」系の音の連続ができなかったのはかなりショックでした。
ところが、言えないながらも、自分の口が、「これは『アノブハビンナシン(←当然ながら、カタカナで書くと余計な母音がついてしまったりして全然違うん
ですが、これを0.5秒で言う感じです)』と言え」と言っているんです。どこかで聞いたことのある響きが、内発的に自分の口から出て来る予感…。このとき
は、読めないショックもありましたが、ハッとした瞬間でもありました。
アリスの技法グラウンドは、「比較的簡単だが長い文章を徹底的に練習する」ことだと思います。これはとっても簡単そうでいて、実は骨が折れるが、栄養は
たくさんつまっているものだとと思います。大学受験が終わって、やれやれ、と一息ついている人には特にお勧めです。
まだまだ書くべきことはあるのですが、今日はひとまずここまで。