>ほんとうに可愛いです。ちょっと根石さんの雰囲気と???と思いました。すみません。
なにも謝ることはありません。「ほんとうに可愛い」のが「根石さんの雰囲気」なんですから、文脈から判断する限り問題はありません。ですが、Rosey
さんが言っているのは、例のうんこひりだしキーホルダーの豚だか羊だかの、うんこひりだしの様子のことなのではないかと邪推することも、ブツを知っているだけに、私には可能である。
うむ。見抜いておるのお。いやいや、我が家のお便所の中まで見抜いておるという意味ではございません。私の文章が、ああいううんこひりだしの行儀の悪さを備えているという意味です。「大風呂敷」の過去ログをお読みになれば、私がひりだしたうんこひと揃いが読めますが、げんなりもいたします。自分ではまるで読み返す気になれないながら、語学論をそのうちにまた再開しようと思っており、その際には過去ログは読まないとならないだろうと覚悟しています。
>天然の香りのするコースターなど、折からの香りブームもあり、すばらしい着眼だと、生意気にも感心してました。この植物名わかりますか?この香りに何らかの作用があれば、商品価値がさらに高まる。大阪人してしまいました。失礼!
あのコースターに香りがあったのですか? 私は知りませんでした。私はただ目で見て、うん、いいじゃんと思っただけの無骨な人間でございました。これは、Naima
さんが書いてくれた、タイの焼き物の写真が見られるURLから、リンクを辿って大分のバリ製品専門の雑貨屋にたどりつき、メールのやりとりをするようになって、そこからよりどりで送ってもらったものの中にあったものです。植物名などはわかりません。いい香りだと感じたなら、何らかの作用はあったものと思います。何の作用かはわかりませんが、いい香りだと感じ、いい気持ちになったことの作用だと思います。ううむ、どんな作用でしょうか。私が知りたい。
雑貨屋はまた正式に開店したわけではなく、今は商品を少しずつ溜めている段階です。今日も、店にするつもりの小屋の天井に断熱材を入れる工事をやりました。工事を進めながら、商品を溜めていって、オープンのあかつきには、一挙に展示してみたいと思っています。
昨夜、歯が痛いのに昇龍園へ行って、焼酎「中中」を飲んだ。ずきずきする痛みだったらとても酒など飲めないが、心臓の鼓動と関係なく持続する痛みであり、膿の溜まった口内の袋に舌で触りさえしなければ、気にしないでいられる。昇龍園の息子に、「中中」のキープ用の中サイズを用意しておくように言っておいたのに、用意してなかったので、一升瓶の封を切って、一升瓶に名前を書いてキープした。どの棚に置いておくつもりか、そんなことは俺は知らない。
しゃべらないで酒を飲み、シャンハイ・ラーメンというものを食う。シャンハイ・ラーメンはうまい。ラーメンを食うのでも、口の右側だけを使って熱いやつをふうふう食っている分には、歯は痛くない。口の中がラーメンで熱く苦しいので、歯の痛みはまるでまぎれてしまう。けっこうぐらぐらするくらい飲んだ。テレビがブッシュの演説をやっていた。48時間以内にフセインが亡命しなければ、攻撃すると言っている。あのブッシュのつらを見ると、酒を飲んでいようがラーメンを食っていようが、はっきりと俺の中に殺意が生まれる。アメリカの自己標準化という病の権化が、正義づらをしやがる。けっ。
妻の運転で帰宅し、ちょっとコンピュータに触って掲示板に書いてから寝る。布団の中に横になって、膿で腫れているところを舌で思い切り強く押し、同時に喉の方へ空気の抜き、梅干しを食ったような顔になったときに膿を包む薄皮が破れたらしく、膿で腫れている袋があったところに皺が寄った。ちょっと痛いがせいせいする。喉の奥へ吸い込む力が働いているので、膿はそのまま胃に行ったのだろう。何の味もしなかった。吐き出す手間が省けた。それで眠ったらしい。夢を見た。あんまりいい夢で文章に書くわけにはいかない。要点だけ記録するなら、俺が家族全員から監視されている視線から腰の小さな女が小さな腰でかくまってくれたという夢だ。あんまりいい夢なので、目がさめて眠れない。起き出して、水を飲む。水がうまい。その後、内田百間の「大貧帳」を読む。世間が明るくなってきてだいぶたった頃だが、電話が鳴る。湯原がなんとか言っているが、「おれんちへ午前中に電話するな」と言って、用件を聞かずに電話を切る。その後、「大貧帳」を読み続けているうちにまた眠った。
午後1時起きる。30分ほどぼうっとしてから、100円寿司を食いに出る。イカ、ビントロ、ウニ、アジ、貝(名前忘失)、カニのみそ汁。635円。帰宅したら妻がいたので、「やじろべえ」へ。俺はコーヒーのみ。妻は、やじろべえカレーとコーヒー。卒業式の後らしく、学校の先生の団体がいるが、ぎゃはぎゃはと笑いうるさいので早めに出る。一番いやなお客だとマスターが言った。その足で、Mさんちへ行く。先日、金をあずけてインドで買ってきてもらった品物を、Tさんがやじろべえで雑貨を売るに際し、一緒に扱ってもらえないか打診してもらうため。Tさんの店で売った分はTさんが3割取り、Mさんと私が3割ずつ取る。やじろべえで売れた分は、Mさんと俺が5割ずつ取る。そうやって、Mさんの分の飛行機代が俺に戻ればそれでいいことにする。売り上げで飛行機代に足りなければ、その後は売れ残った品物を俺の店が引き取り、飛行機代になるまで売り続ける。飛行機代を上回って品物が残れば、ようやくもうけが出る、という勘定をして、MさんからTさんに電話してもらったら、何の難もなくOKが出た。
帰宅。着替えて庭の小屋の天井に断熱材を入れる作業にかかる。ろくにやらないうちに、エイミーの日本語レッスンの時間になり、中断。
エイミーの日本語はだいぶ違ってきた。妻が「日本語を聞き取って理解するのが楽になったか」と聞いたら、すごく楽になったと言っている。エイミーの日本語レッスンで使っている方法は、「電話でレッスン」で英語を扱うのに採用しているものとほぼ同じだが、さすがに日本語の磁場に暮らしていることの作用が大きいのだろうと推測する。レッスン終了後、ロンドンの英語学校に2週間ほど通う義務があって通った経験を話す。フランス人やイタリア人が、音はまるでフランス語やイタリア語の音で、まことに流暢に英語を話すのを聞いて、俺がまるで英語だとは思えないでいるのに、先生はちゃんと聞き取っていたと言うと、それは英語ネイティヴには楽なのだと言う。それは単にアクセントの違いに過ぎないからだと言う。(これは、非常におおざっぱに言えば、「なまり」の違いに過ぎないという意味だと解しても誤解ではない。日本人が語学学習上で使っているアクセントという語のことではない。)欧米語同士でシンタックスの基本が同じことがどれほど大きな作用をするのかを、日本人の英語学習者は認識していない場合が多く、我が身を責めたり、神経症めいた修行に陥ったりする者が多いが、日本語を習っているエイミーには俺の基本的な認識はすんなりと通じる。
主語を作ると言われてきた助詞の「は」と「が」はまるで主語など作りはせず、「は」が大きな状況を提示し、「が」がその状況の中の小さな状況を限定するのだという説明を前回したが、「漢字はわかりません」と「漢字がわかりません」を通じて、同じことを再度説明しようとしたら、俺の話を引き受けて、俺よりもうまく説明しきった。頭のいい子だと改めて思う。書き言葉においてさえ、主格語が明示されなくても、動詞のきめの細かい選択によって、主体は判断されるのだという話になって、源氏物語の文体のことに及ぶ。高級そうな話をして、「俺も実は源氏物語はちゃんと読めないのだ」と言ったら、快活に笑った。
また酔っ払ってしまいました。
在米日本人の在米英語経験に関しての根ほり葉ほりは、明日以後に持ち越します。
よろしくご協力をお願いいたします。
5月のレッスン、緊張しながら楽しみにしています。
>「文法1000」は桐原書店 頻出英文法・語法問題1000
「挑戦編」は国弘 正雄 編 「英会話・ぜったい音読 挑戦編」
どちらも持っていません。ついでの時で結構ですので、よろしくお願いいたします。
具体物がないと、おおざっぱなことしか言えないので、隔靴掻痒の感がいたします。
>いまは、はやく「挑戦編」を終えて「アメリカ口語」に戻りたいと思っています。それとも、並
行してやれば、「これを早く終えて、あちらを」というジレンマが解消される???
並行してやることはお奨めしたくありません。一冊ずつ片づける方が精神衛生上いいと思います。
それよりも、片づけた一冊を終わったことにしないで、きちんと復習範囲に組み込んでおくことが
大事だと思います。T、FN、FFという用語で言えば、FFが実に大事です。
どっちから先にやってもいいので、復習範囲になったものをほったらかさないことが大事です。
おやすみなさい。
私は、Naimaさんは本当に英語教育について迷っておられると感じ、Naimaさんになら私のすべての知識を出してもいいと思っていました。
しかし、根石さんがこちらにも頻繁にこられるご様子なので、私はもう(大風呂敷に続いて)ここに来ることもありません。こちらが恐怖を感じても、その恐怖のせいで話をやめることを「大学教員の悪いところ」とこっちのせいにするような根石さんの人間性と接したくないのです。
さらに過去ログによると、大風呂敷では、多数決で悪いと判断されたひとの記事は削除されるとのことですので、とても安心して書き込める状況ではありません。
規則がない、というのは、相手の権利を踏みにじることがいつでもできる、ということなのです。そのような場所に私は居たくありません。私には自己防衛の権利があります。ですので、書き込まないことや根石さんのような人との接触を拒否することを逃げだとか中傷されるいわれもありません、念のため。
さて、KrashenとChomskyを読み進めると、英語学習は無意味なのだという結論に達するかもしれません。もともと彼らは英語学習(特に暗記・文法中心のもの)に疑問を持っていたのですから当然かもしれません。そのときは、Rod Ellis
という人の著書を読むことを最後にアドバイスいたします。彼は、私の理解する限りでは、英語学習は(自然な英語習得にはかなわないが)英語習得を助ける(効率よくする)ことはできると考えている人です。
Naimaさんががんばっていることを励みに私もがんばります。
山縣さん
>しかし、根石さんがこちらにも頻繁にこられるご様子なので、私はもう(大風呂敷に続いて)ここに来ることもありません。こちらが恐怖を感じても、その恐怖のせいで話をやめることを「大学教員の悪いところ」とこっちのせいにするような根石さんの人間性と接したくないのです。
恐怖?
山縣さんは 確か私にも恐怖を感じるとおっしゃっていました。
どうしてそう感じるのか また 感じさせてしまうのか わからない。
できましたら私の 過去のどの言葉が 山縣さんに恐怖をかんじさせてしまったのか教えてほしい。
今後の参考にしたいので。よろしく。
私が 中庭に書いた言葉のいくつかに 今の英語教育に対しての 「意見」がありました。
「批判」も入っています。が こうしたらどうなのかという「提案」「質問」も書きました。
それを 多くの(すべてのではありませんの教員の方は 教員全体もしくは 投稿者ご自身への 「非難」「罵倒」「糾弾」と受けとられていました。
受け取り方にびっくりしました。 罵倒したつもりも糾弾したつもりもなかったのですから。
私とは育ちがちがって 皆様言葉遣いがお上品?
私だって 巷で下品な言葉遣いをするほうではなく きちんとわきまえてつかっているし掲示板上でもそのつもりです。
中庭の人々は 言葉 言葉遣いにたいしてなんてナイーブなんだろう。 敏感なんだろう。
ちょっとの言葉がフレーミングになる。
奥歯にもののはさまった言い方しかしない。 いや お互いに差し障りのある言葉はいわない。
批判もうけとめ 反省 改善のないところに 切磋琢磨がないところに 向上はない。
中庭での フレーミング騒動。
これはやはり 教員のなかの 馴れ合い主義 事勿れ主義からきているのではないかと思うのです。
第三セクターがつぶれるわけと同じだ。
大学教員は私学がおおいけれど 教授に意見をしようものなら 上にあがれないから物言わなくなる。 それになれているので ちょっとの批判や意見を フレーミングととってしまう方が多いのだとおもう。
テレビで信濃鉄道の復活をやっていた。 民間の社長 (旅行会社のHIS)がきてから
サービスも向上したし 売上も赤字から黒字になったそうだ。
このままの体質だと学校英語はこのまま 永遠に赤字かもしれない。
先生方には。リストラないからねえ。権力って 一度握るとやめられないらしい。
力と葵のご紋で世論など 抑えこむことができるからね。
世論は間違ってるらしいし
中庭からみれば 大風呂敷は 間違いだらけなのかもね。
>さらに過去ログによると、大風呂敷では、多数決で悪いと判断されたひとの記事は削除されるとのことですので、とても安心して書き込める状況ではありません。
斎藤さんという方が 大風呂敷をかなりの間あらしました。
でも すぐに斎藤さんが出入り禁止になったわけではありません。
中庭で私の記事は一国の猶予もなく削除されました。(このことは もう水に流したつもりでいたので 蒸し返したくなかったのですが 削除に対する 大風呂敷の慎重さと あちらのすばやさを比べるためにだします。)
皆様 斎藤さんとまじめに向き合いました。 話し合いもしました。
Naimaさんは最後まで 思いをつたえました。
長居経緯があるのです。 どなたか説明してくださると嬉しいのですが。
ついでに一言
あたらしい取り極めをよんだとき 悲しかった。
一連のことを 水に流すことに賛成してくださったはずの柳瀬さん
NEW取決を読んだら ちっとも水に流してくれていなかったからだ。
>規則がない、というのは、相手の権利を踏みにじることがいつでもできる、ということなのです。
うーん
規則がないからといって 相手の権利を踏みにじることができるとは限らないし 踏みにじってよいわけではない。そんなことは あたりまえです。
違いますか?
規則がない=無法地帯ではないですよ。
大風呂敷は無法地帯ではありません。
投稿者の権利を踏みにじってはいませんよ、
オープンです。どんな批判非難にも 皆さん正面からむきあって議論します。
たくさんのたくさんの規則 禁止事項で がんじがらめにしておいて
「多様性こそが健全さを」(この数々の禁止条例の中からどこをどうやって多様性がうまれるんだい?)「さあ 自由に討論を!」っていわれても
これでは掲示板に参加する前から 権利を踏みにじられているという気が私はしますね。
議論しているのに論争と受けとられる。
わたしゃ 別にあらそっちゃいないし 相手をやり込めたいとはおもっていない。
人それぞれ受け取り方はそれぞれですから なんのもいえませんがね。
山縣さんとはもっと話してみたいことがあり こちらにもう投なさらないのなら残念です。
Naimaさんは どうですか?
あ、いま 引越し準備で忙しくて掲示板お休み中?ですか?
山縣さん
幼児からの英語教育 英語塾 そして英語保育(イマ―ジョン)についてどう思われますか?
今年は特に 0歳から幼児小学生の英会話 英語教室が増えました。毎日広告がはいってくる。
自分が親なら つい通わせてみようかとおもってしまうほどにうまいキャッチコピーとともに。外
外国人の先生と 日本人の先生ふたりで ペアティーチング。
英語で半日保育。これならいままでの週一回のクラスとは違いこれは 毎日だから継続性がある。
ただ 先生は外人で英語が旨い日本人がアシスタントとして付いて英語のちょい磁場ができても
生徒は皆日本人。
幼児は英語を英語として習得する力があるから問題ないのだろうか?
私は 幼児小学生を教えたことがないから なんとも言えない。
子供に英語を習わせたいという親に 「無駄ですよ。それより日本語と躾を先に」
などとはいわずに 「いいんじゃないですかあ」などと無責任なことをいっているもので、、。
また私立の小学校でも集に何時間かの英語教育がはじまったようです。
山縣さんの学術的な知識を元にした 意見がききたいです。
もちろん こちらの皆様の意見もききたいです。
よろしくお願いします。
Naimaさんの 小学生中学生の生徒さんは 成果をあげているので
それから考えると小学生からの英語も有効かともおもうのですが。
Jackieさんは、私が恐怖を感じたといったときに笑っていましたね。そのような人とは、人間としてお話したくないのです。
大風呂敷の過去ログを見て、Jackieさんについて思ったことを書きます。根石さんがJackieさんを「職員室の前で騒いでいる生徒」というような表現をしてかばっていたことがあります。もし、Jackieさんがこのような言葉に甘んじておられるのなら、おやめになったほうがいいと思います。
Jackieさんはもう学生ではない。それなのに、学生の特権を自分も感受しようとするのはただの開き直りです。学生は高い授業料を払っている。あなたが学生と同じ特権を得る権利はない。誰もあなたに教える義務はないのです。だから「ご自分で結論を探してください」と他人に言われることは当たり前です。あなたが憤る場面ではない。
KrashenにはUSCで教わりましたが、Rod Ellis は自分で探し出しました。最新の論文に引用されている人の本を読んだり、やみくもにヤフー検索をしたりして探し出すのです。
最後になりましたが、日本での英語のイマージョンは私は賛成です。そのことに興味がおありなら「加藤学園」(確か静岡)という学校にアクセスしてみてください。うまく行けば授業を見せてもらえるかもしれません。
ただ、日本で、日本語を禁止して24時間英語を強制することには反対です。それは生徒にidentity
crisis というストレスをかけてしまう可能性があるからです。
アメリカで昔、メキシカンの子供に家庭での母語(スペイン語)を禁じ、英語で話さないと罰を与えるという方針を採ったところ、彼らはじぶんは何人なのかわからくなり、英語にもアメリカにも敵意を抱き始めたという例があるのです。これを
identity crisis といいます。
だから、家庭で日本語を使うことまで禁ずるのは危険を感じるのです。
お元気でお過ごしください。
アドバイスありがとうございます。 根石さんと面識のある私としては、掲示板での印象が全てでは無いので、山縣さんの思っておられる様な方ではないと申し上げておきたいのですが、山縣さんがこちらには来たくないと思っておられるので、これ以上、私としてもどうしたら良いかわかりません。 私もせっかくいろいろアドバイス頂きましたのに残念に思います。
英語教育については、私などよりJackieさんや根石さんの方が真剣に考えて来られていますので、真剣に迷っていると書いて下さっているのを読み、恥じ入っいている所です。
いろいろ言葉面の事で行き違いもあったかと思いますが、いつかまたご投稿下さる事を願っております。 いろいろご親切にありがとうございました。 私も精進したいと思います。
Jackieさん、御無沙汰しています。 私のやっていた塾が効果を上げていたかどうかは何とも言えませんが、いろいろと思考錯誤しながらもそれなりにいいレッスンはしてきたと思います。 その中でどのくらいの子供達がしゃべれる様になったかと言うと、これも講師として申し訳ない限りです。 そういう反省もあり、何よりもまず自分自身の英語も真に心もとないので一から出直したいと思って、素読舎のメソッドに惹かれたわけですから、もともと私などが現役のプロ相手に偉そうな事を言うべきではなかったのかもしれません。 一学習者として素読舎の電話レッスンで出直したいと思っています。 その間に山縣さんのご紹介下さった書物なども読み、教育法についてもいろいろ考え直してみたいと思います。
アメリカのイラクへの最後通牒が出てから、当地の駐在社員の動きも慌ただしくなりました。 帰任予定を前倒しにして帰国させる企業があったりで、すこし緊迫した雰囲気です。 予定通り3月28日の便で帰国出来るのかどうかも怪しい雲行きになっています。
山縣さん
理由を書いてくださってありがとうございます。
>Jackieさんは、私が恐怖を感じたといったときに笑っていましたね。そのような人とは、人間としてお話したくないのです。
私は本当にショックです。
「そのような人とは話したくない。」頭にがんがんと響き渡っています。
>「お化けです」といいきってしまうのは学術的な論議をする人として、ふさわしい態度なのでしょうか。
と中庭にかかれていらっしゃいましたが 「そのような人とは話したくない」と言いきってしまうのは いいんですか?
なぜ「私に恐怖を感じた」 の 「どうして?(笑)」とかいたかというと 相手に恐怖をあたえるような文章は書いた記憶がないからです。
昔中庭に書いた「喧嘩を売りにきました。」という言葉は その前に長い経緯があってでたことばです。少なくとも山縣さんあてに そのような言葉をかいた記憶はありません、
掲示板でも人を罵倒するようなことは書いた記憶がありません。
だから なぜ恐怖をかんじたのかなあと不思議に思い 苦笑となったわけです。
>根石さんがJackieさんを「職員室の前で騒いでいる生徒」というような表現をしてかばっていたことがあります。もし、Jackieさんがこのような言葉に甘んじておられるのなら、おやめになったほうがいいと思います。
甘んじるもなにも どういう意味だろう?とは思っていましたが
さして重要におもわなかったので 意味をきこうとはおもいませんでした。
根石さん
どういうつもりで書かれたのか 教えていただけますか?
>Jackieさんはもう学生ではない。それなのに、学生の特権を自分も感受しようとするのはただの開き直りです。学生は高い授業料を払っている。あなたが学生と同じ特権を得る権利はない。誰もあなたに教える義務はないのです。だから「ご自分で結論を探してください」と他人に言われることは当たり前です。あなたが憤る場面ではない。
わからないことを いくつか たずねただけでしょう?高い授業料と同じだけのことを 教えてくれ!などといったつもりも しているつもりもありません。第一山縣さんのもっている知識 学校で教えている知識は掲示板上ではとても書ききれないでしょうし。
掲示板で英語教育について話したり
そして少ないが私がもっている知識 皆さんがもっている知識の交換 (企業秘密は別として)を
しようとしているだけです。
私だって少ない知識や経験は書いています。決して人からもらってばかりではありません。
あ、大風呂敷でかかれているぐらいの知識は すべてもっていらっしゃる すべてしっている。
知らなかったことはないと 前に書いていらっしゃいましたね。
私などがかいたことは すべてご存知だったのですから
あなたのお役にちっともたっていないわけだから 「タダでものをたずねようとしている
不埒なやつ」と思われるわけですか、、、。
大学で音読の授業の実践に取り組もうとされている方なので
あなたは「開いた扉」かなあとおもっていたのですが
私の 見当違いでしたか、、。
あなたをきちんと批判することにしました。
これから飯を食いに行き、その後にいたします。
場所は「大風呂敷」で行います。
また、あなたは私と話がしたくないのですから、あなたから返事をいただくことを期待しない文
にしたいと考えています。読みたければ「大風呂敷」の記事をお読みになればいいし、読みたく
なければ、放っておかれてよろしい。
何をうだうだぬかしているんだと思ったので、放置しないことにしました。
>英語で半日保育。これならいままでの週一回のクラスとは違いこれは 毎日だから継続性がある。
これからの日本には、神経症が頻発すると思います。
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
>だから、家庭で日本語を使うことまで禁ずるのは危険を感じるのです。
だから、もしも日本での話であるなら、こんなことを想定する野郎自体に恐怖を感じてこそ
普通の日本人だと思う。
>その中でどのくらいの子供達がしゃべれる様になったかと言うと、これも講師として申し訳ない
限りです。
違うと思う。
俺は、現在51歳だが、英語に触れたのは中学一年。まともにやってみるかと思って、「回転読
み」を編み出したのが、大学受験浪人の時。大学では英語はほったらかし、文学の本ばかり読んで、
卒業後、ふたたびおまんまを食うために英語を扱いはじめて、早、30年に近いのではないだろう
か。
そういう経歴の人間が日本在住のままで英語をしゃべり始めたのは、40歳を過ぎてからなので
す。私は、自分が語学や言語に対して大して鈍い人間だとも思っていないのですが、しゃべり出す
のにそのくらい時間がかかったのです。紋切り型でしたら、20代からしゃべっておりましたが、
言いたいことを曲がりなりにも言えるようになるまで、そのくらいの時間がかかりました。
まともな授業やコーチングに触れて、その後しゃべれるようにならないのは、授業やコーチング
のせいだとは思えません。本人が語学を継続しなかったためだと思います。
そういう塵芥の生徒は私の元からも続々と出てしまいました。
しかし、語学は自分でやり、自分で練り上げるものです。
まともなコーチがいた方が、有利だというだけの話です。
間
間抜けでした。抜かしてください。
>根石さんどういうつもりで書かれたのか 教えていただけますか?
だから、Jackie さんは、可愛いのだと言ったじゃありませんか。
職員室のまえで、「てめえら、おい」と言っている子供のように、「喧嘩を売りにきました」と
いうタイトルは可愛らしいものだったのです。
>Jackieさんはもう学生ではない。それなのに、学生の特権を自分も感受しようとするのはただ
の開き直りです。
死ななきゃなおらない。
Naima さん、すみません。
「鬼」でも行儀悪くなってしまいましたが、どうにも胸くそが悪い。
何が授業料だ。山縣は、知識だけを売っているだけだ。
山縣にどんな方法があるというのか。
知識はあるが、方法を持たない。
それで、「英語教育法」だとさ。
こういうやつをなんとかポンチというんじゃなかったっけ、正しい日本語では。
>あ、大風呂敷でかかれているぐらいの知識は すべてもっていらっしゃる すべてしっている。
知らなかったことはないと 前に書いていらっしゃいましたね。
無知の知を知らない馬鹿をまともに相手にする必要はないと思います。
いや、してもいいが、私の経験では単に疲れるだけです。
何が「知らなかったものはない」か。
山縣の知っている語学論や言語論で、「磁場」をまともに論じたものがあったなら、誰がきちん
とその問題を書いたか、山縣は豊富な知識の中から披瀝してみるがいい。
何もこんな野郎にへりくだる必要はないと思います。
自分が知らないことを知らないのは山縣なのです。
俺も、馬鹿をからかうのは嫌いじゃないから、これだけたくさん書きましたが、そろそろいいか
げんにしたいと思い始めました。
Jackie さん宛てでした。
では、皆さん、おやすみなさいませ。
世間が明るくなってしまいました。
朝の7時だ。
寝る寝る。
もう寝る。
山縣のせいで、「鬼」が「大風呂敷」化してしまいましたが、お許しください。
また、雑貨や英語体験談やうんこや実験の報告や練習の途中経過を書く板に戻ってくれることを
願っています。
山縣が、「大風呂敷」に書くべきことをこちらに書いてしまったのが発端だということは、誰の
目にもはっきり見えていることを信じて、さて、寝ます。
>山縣のせいで、「鬼」が「大風呂敷」化してしまいましたが、お許しください。
根石さん。そのように人を遠ざけてしまって一体何の益があるのでしょう?私は貴方が愛すべき人間性の持ち主であるという事を理解しているつもりですが、皆が同じように感じるわけではありません。ネットでは辛辣な言葉は何倍にも増幅されて相手に伝わる危険性があります。そのため、日常生活ではごく普通の人間が、掲示版でははサイコに出てくる変質者のような怪物=flamerと化してしまうというのはこの間の中等教員殿の例を引くまでもなくよくある事なのです。ここでは言葉使いに細心の注意を払い、相手によって慎重に発言しないと思わぬ落とし穴にはまってしまいます。私のサイバースペースでの生き残り戦略は、極力Low
Keyを保ち、決して相手を罵倒しない事です。少しぐらい頭に来るレスポンスが合っても、相手の言葉使いではなくなるべく内容に集中して返事するように心がけています。貴殿はご自分の掲示板を多くの人に開かれたものにしたいとお望みでしょうが、むしろ逆の結果になっているように感じるのは私だけでしょうか?
ご叱責とアドバイスをありがとうございます。
考え続けます。
>山縣のせいで、「鬼」が「大風呂敷」化してしまいましたが、お許しください。
山縣さんが、語学教育論についての書籍を紹介して下さった事は、それはそれで私にとっては有り難い事でした。 ご本人もここで議論するつもりはない、とはっきりおっしゃってたので、私もそれを尊重しました。 何といっても「鬼」は素読舎の部外活動みたいなもんなので、和気藹々とやって行きたかった事もあります。
しかし、山縣さんが掲示板の言葉面だけで根石さんやJackieさんを誤解されている様なのが、残念ではあります。 その件については、山縣さんに弁明したい事や反論したい事もありましたが、「鬼」では場違いの様に思えました。 腑甲斐無い奴だと思われていたかもしれませんね。 すみません。
>部外活動→部活動でした。
このごろ日本語もおかしくなって来ています。 磁場にいないと母国語だって忘れる事はあります。 私の夫の従姉は40年近くシアトルに暮していて、たま〜に里帰りすると、「みぞれ」を「みだれ」と言ったりしてます。
ぜったい(標準編)レッスン12(2時間6分)
「文法1000」
3月19日T No.671−680
3月20日T No.681−685
FN No.651−685
3月21日T No.685−690
FN No.661−690
FF No.571−630
3月22日T No.691−700
FF No.581−640
3月23日T No.701−710
FN No.671−710
FF No.591−650
3月24日T No.711−720
FN No.691−720
FF No.601−660
「挑戦編」なし。100回音読は終えているので全てFFですが、長らくご無沙汰のせいで、やる気が失せています。
「1000」のほうは、700台に乗せました。なんとなくうれしい。
こちらこそ5月のレッスンお手柔らかにお願いします。テキストはゴーストですか?
「挑戦編」はAmazonから根石さんのお宅に届くよう手配しました。「1000」のほうがAmazonでは、扱っていないようなので書店で探します。
>その件については、山縣さんに弁明したい事や反論したい事もありましたが、「鬼」では場違い
の様に思えました。
弁明や反論のために、「大風呂敷」があると考えていただいていいと思います。
私も「鬼」ではなるべく理屈っぽい理屈は言わないで、雑談まじりで語学を語りたかったのでし
た。山縣が無神経なのだと思います。
生身の人間を知っているかどうかによって、判断が違ってくるのは確かなことですが、私は言葉
を信じている人間です。山縣が私という生身の人間を知っていなくても、山縣が発言するに際して
山縣が使った言葉に、山縣は責任があります。
そう考えずに、言葉を生きることはできないと考えています。
という理屈はともかく、日本に帰り着けそうですか?
今の記事のタイトルは「Naima さんへ」です。
私は送っていただいたテキストを元にアドバイスをするだけですから、コピーでよかったのです。
新本をいただいてしまうと恐縮します。もっとも、コンビニあたりでコピーする手間を考えると
どっちが得なのかよくわかりません。私は収入が少ないので、私ならコピーしただろうと思いま
した。
いずれにせよ、恐縮しておりますが、送っていただいたものを元にアドバイスは続けたいと思い
ます。
>「挑戦編」なし。100回音読は終えているので全てFFですが、長らくご無沙汰のせいで、や
る気が失せています。
長らくご無沙汰したテキストには宝が埋まっています。
すべてFFのみとなったテキストこそ大事にして下さい。あほんだら、もうこんなもんやって
られるかと感じるものをなおもやって下さい。
おっとどっこいの発見があります。言葉にしようとしても言葉にならないような、微細な、し
かし、語学の質を変えるような発見があります。
大量の耕し直し。
少量の新規開拓。
英語の磁場を欠く日本では、これを基本として下さい。
4月から、また「電話でレッスン」でおつきあい下さい。
Naima さんも始められる予定ですので、「電話でレッスン」について、ここでお話いただけると
うれしく思います。
しかし、俺も命知らずと言えば命知らずな男だわな。
英検1級、TOEIC 高得点の Naima さんや、現役の高校の英語の先生を「電話でレッスン」の生
徒にして、レッスンをやっちまおうというのだから。
どうせ長生きはしねえな、俺は。
3月20日のあなたの記事を読んで、一種の感動を覚えています。
あなたと私の間には一切何の利害関係もなく、単純に語学論をめぐって出会ったのでしたが、こ
のスタンスは貴重なものだと私は思っています。
これからも、のびのびと書いてください。(なんて言わなくてもやってくれるものと思いますが)
Rosey さんへ。
テキストは「ゴースト」です。
「お試しレッスン」ですから、20枚程度をコピーしておいていただけば十分です。
Naima さんに渡す予定の本からコピーして下さい。
これ、その筋の人が読むとやばいですが・・・。
おっしゃんちでは、月曜日の20〜22時の大人向けの授業(?)のあと、「ごつごつ英語ごっこ」という英語会話ごっこの時間がもたれています。
毎週参加させていただいてるのですが、言いたいことがあっても上手く英語にならず、いつももごもご言って、終わります。インプットの絶対量がたりないからだと、落胆することもしばしば。
でも、今週はちょっと違った気がしました。
たまたまその日「電話でレッスン」を月曜日にしてもらったのですが、それがいいウォーミングアップになっていたと思わざるおえません。
なんちて。
やっぱり、素読は効くみたい。
「やっぱり素読は効くみたい」中、
思わざるおえません
思わざるをえません
根石さん
第1回目のレッスンの為の予習をしておく必要はありますか?
1日のうち何時間を英語の音読筆写に充てられるか。
それはひとえに「意識」「やる気」にかかっていると思います。
1日3時間(土日は5時間ずつでひと月の合計が100時間を目指します)の練習を20ヶ月も続ければ、総学習時間は2000時間になり、現在TOEIC730が2004年12月には860をクリアすることも可能だと信じています。せっかく千田さんに目標設定していただいたのだからクリアするべく焦点を絞りたいと思っております。700は30分のレッスンですべて技法グラウンドが終わるくらいの早さで当面はいきたいです。「ゴースト」については6月より再開したいと思います。
ぜったい音読(標準編)を読む「音読サークル」に通信会員として参加するようになりました。
各参加者のその1週間のあるレッスンの音読回数の自己申告→3レベルの授業→各人の2〜3分スピーチというのが流れのようです。大変興味があるサークルなのですが奈良なので通うとなると片道2時間はきついような気もします。でも生き返りの電車のなかでI
have a dream. One day my four children will not be judged by the color
of their skin.と繰り返し5回原稿なしでいえるまで練習しました。一つの文を単位とする勉強は私にとって「コロンブスのたまご」でした。
予習は必要ありませんが、映画「ゴースト」を借りてきて観ておいてください。
>700は30分のレッスンですべて技法グラウンドが終わるくらいの早さで当面はいきたい
です。「ゴースト」については6月より再開したいと思います。
この「30分のレッスンですべて技法グラウンドが終わる」というのは、テストがすべて終了
するという意味でしょうか。「技法グラウンド」という基本的な型は、復習範囲のテストにも、
新しい文を扱う時にも使っているものです。多分、テストが全部片が付くという意味だろうと読
みました。
「ゴースト」の再開、6月からとのこと、了解しました。
ところで、今はどこにいるのですか。ドイツですか、日本ですか。
「電話でレッスン」について、すでになんらかのイメージをお持ちであろうとは思いますが、言葉で説明できることについては概略を説明してみたいと思います。
テキスト選択についてですが、「七年目の浮気」でなく、「ゴースト」を選んだのは、私の側に、英語のレッスンというよりはコーチ法のレッスンとしてやりたいというこころづもりがあるためです。英語力自体を増強することは
私のレッスンなど受けていただかなくても、Naima さんは自分でやれる方だと思っています。あるいは、英語力自体の増強だけを考えてレッスンを始めるなら、Naima
さんには、「ゴースト」よりも「七年目の浮気」の方がテキストとして適している。
あえて「ゴースト」からやっていただくのは、私がいずれ Naima さんにコーチをやっていただきたいと願っているからです。
圧倒的に多くの生徒さんが、「七年目の浮気」を最初にてがけることは難しい。難しい大学受験を通ったような人でも、まずたいていは「ゴースト」が適しています。パズルのように文意をとるとか、文法的な知識獲得だけに終わるようなレッスンではなく、「音づくり=インプット → 熟成」という過程を実現するためのレッスンなので、多くの人にとって、「ゴースト」が適しています。
確約はできませんが、私はこれ以上「電話でレッスン」の枠を増やす予定はありませんので、もしもこの後も私の「電話でレッスン」を申し込んで下さる人がおられた場合は、予約しておいていただき、いずれ
Naima さんに Naima さんの生徒さんとして受けていただきたいと願っているのです。この点について、Naima
さんから「よっしゃ、その時が来たら引き受けようじゃないか」というお返事はいまだいただいていません。また、「その時」が確かに来るものかどうかもわかりません。しかし、私の希望の中にはそういうものがあります。
あらかじめ申し上げておきますが、疲れる割に「まうかりません」。仕込みをおやりになればわかりますが、これだけやってたったこれだけの収入?というような世界です。しかし、この仕込みによって、自分の力も生徒の力も伸びます。
Naima さんがどういう英語の発音をされるかが問題です。発音に直すべきところがたくさんあれば、コーチとしては仕事がやりやすい。Naima
さんの側に立てば、直すべきところをたくさん直していく途中で、どういうコーチングが成り立つのかをつかんでもらえる。
私の「電話でレッスン」をコーチングのレッスンとする場合には、発音の下手な人ほど得るところが多い。それで、「発音16のポイント」のすべてについて、生徒の音に即応し、その場で直すことができるようになれば、生徒の音の「直し方」が身に付く。現在は発音が下手な人の方が、コーチとしてはいいコーチになることは十分に考えられます。
発音の下手な先生ほど、それを直す途中経過がわかるので、いいコーチになる可能性が大きいと私は冗談ではなく本気でそう思っています。
ところが、Naima さんの方が私より発音がいいということも十分に考えられます。生徒の発音の方がコーチの発音よりいいとなると、直すべきところがないことになり、そうなると、「発音16のポイント」に基づいたコーチング法を伝えられなくなってしまう。
これが想定できる一つの大きな問題です。これは、sbさんのレッスンをした際にも生じた問題でした。具体的な文を相手にしてレッスンしている途中で、Naima
さんの発音に直すべきところがなかった場合は、この文だとこの場所で、多くの生徒がこう読むことが多いと、私の方から、一般的に生徒さんが多くやるカタカナ発音や、処理ができていない音のぶつかり合いなどを実演して、自分の発音をその場で直すという一種の自作自演をやろうかとも案を練っています。一般的に多発する日本人特有の発音現象を自作自演するものを
Naima さんに真似てもらって、それを直すという手順を踏もうかとも思っています。その辺はレッスンをしながら編み出したいと考えています。
「復習範囲を手放さない」という原理によって、もたらすべき「熟成過程」については、上級者の
Naima さんにも伝えられるものはあると思っています。
レッスンの成り立ちは非常にシンプルですから、1ヶ月もすればその成り立ち自体は Naima さんにはわかっていただけるものと思います。うまく説明できるかどうか、言葉で言えることはあらかじめ言っておきたいと思います。
具体的な文を相手に、私がその文を一回読みます。その後、生徒さんは、その文を何b回も繰り返し読みます。その途中で、直すべき音や音のぶつかりあいの必要な処理がみつかったら、生徒さんが繰り返し読むのを中断します。「ちょっと待ってください」とか、「えーと」と言って、生徒さんの読みを中断し、「ここのところは、こうこうではなく、こうしてください。口を・・の格好にして言ってみてください」というように、具体的に生徒さんがやるべきことを指示します。この時に、「一瞬、般若の顔」になってくださいとか、「カラスがカーと鳴くときのような音ですが、顎を下げながら出してみてください」などとなるべく具体的に指示します。そして、モデルの読みをコーチがして、再び、生徒さんが同じ文を繰り返し言い続ける過程に入ります。まだ問題点がみつかるようなら、再び、生徒さんの読みを中断し、直す過程に入り、コーチがモデルの読みをし、生徒が繰り返す過程に戻ります。すべての細かいところをその場ですべて直すのではなく、「うん、まあまあかな」というくらいの読みができるようになったら、生徒に5回から10回くらい繰り返し読ませてOKを出します。この「うん、まあまあかな」というレベルの音のことを私は「中間音」と言っています。CDなどの録音教材を媒介にして、ネイティヴの
音と生徒の意識の中で連絡がつけられるレベルの音です。録音教材が媒介物として、すぐに役にたつようなレベルの音です。私の音もそれに毛が生えたようなものだと自覚していますが、「発音16のポイント」と音のぶつかりあいの処理はコーチングの項目から外すことはありません。あとは、耳の良さ悪さの問題はからみますが、生徒は自分で録音教材などを媒介にして、自分でどんどん直していけるものと信じて、私は細部には触りません。柴田さんは、そういう細部にまで触っているようですが、私にはその力がありません。
「うん、まあまあかな」というレベルの音を生徒に要求し続け、直し続けていくと、だんだんと細かいことの指示もできるように生徒の音のレベルがあがっていきます。その頃には、こちらの指示は細かくはなるが指示の回数は非常に減っていきます。「発音16のポイント」は単音の処理に関するものですが、実際は柴田さんの言葉で言う「音のぶつかりあいの処理」の指示が結構多いです。
もっとも単純化すると、コーチが一回読んだものを生徒が5回から10回くらい読むというだけのことです。この過程を「技法グラウンド」と名付けています。「ground
・基礎を据える」というような ground の動詞の意味から名付けています。
当日は、いきなりコーチングに入り、こんなことをやったがそれはどういう理由によるのか等の質問に答える等の作業は、「鬼」でやりたいと思っています。
学校の教室で使える「5分技法グラウンド」という構想があるのですが、「大風呂敷」に学校の先生が(びびらずに)出てきてくれるような日がくれば、書いてみたいと思っています。その構想のためにも、「鬼」で行う説明などは随時「大風呂敷」に転写することをやっていこうと思っています。
レッスンについては、私はコーチの側にしか立ったことがないので、レッスン自体については
うまく書けないでいることが多いと思っています。
なんとか書こうとはしてきたのですが、灯台もと暗しは多々あると思っていますので、生徒の
側に立たれる Naima さんの客観化に大いに期待しています。
よろしくお願いいたします。
>一つの文を単位とする勉強は私にとって「コロンブスのたまご」でした。
「一つの文を単位とする」のは、「音づくり」と「音読」を噛み合わせるのに必要だと思いま
す。「コロンブスのたまご」と言っていただけてうれしく思います。
最近は、「一つの文を単位とする」だけでなく、「一つの文を単位とする」ことによって「こ
なれ」が生じた文に関しては、二つ三つとつなげて「技法グラウンド」をやることも始めていま
す。
生徒さんは、けっこうひいひい言っています。
六月から「ゴースト」のレッスンに復帰していただけば、こちらのひいひいを味わっていただ
けるものと存じます。
奈良の音読サークルの連絡先を教えて頂けませんか? 素読舎の電話レッスンだけでも手一杯になると思いますが、興味があります。 私の住いは奈良にあるので、一度見学に行く機会があれば行ってみたいです。
根石さん、
お忙しいのに電話レッスンについての詳しいお返事ありがとうございます。 私はまだハンブルクにいます。 明日(3月28日)午後2時の便で帰国します。 電話レッスンを楽しみにしています。 自分自身で体験して私でもコーチが出来る様であれば、将来、素読舎奈良分室を開くつもりでいます。 老いぼれて足腰が立たなくなっても、自前の達者な口があるのでやっていけるでしょう。 稼ぎは夫にまかせておきます。
根石さん、
音読サークルの件ですが、自分ではどんな素材でも回転読みをするつもりをしているので、私が音読を実践すると言う事でお伺いしたわけではありません。 音読サークルを経験してみれば、素読流との決定的な違いとかがわかるだろうし、生意気ですが後々に音読との違いを説明するのに役立つ様な気がしたので... どう言う説明をしたらいいんだろう、音読で十分ではないか、と言う質問に体験した立場で答えられると思ったりしたもんですから。
話が変りますが、素読についてお聞きしたい事があります。 ハンブルクにいる間、十分にドイツ語の回転読みも出来なかったくせに、ドイツ語の勉強も続けたいと思っているのです。 英語の片手間にならざるを得ないと思いますが、素読くらいはやってもいいですか? 回転読みは出来ないと思います。 頭が壊れて、ネジやバネなどの部品が飛び出すと思います。
もしドイツ語本の素読をやっていいのであれば、いくつか質問があります。
^ 買って帰った本は「モモ」を除いて、全部日本語でのストーリーを知っているものばかりです。 まったく前知識のない本でやった方がいいのですか?
_ 素読はとにかく暇をみつけて1冊の本を文字がいらない状態になるまで音読する、と言う事でいいのですか?
` 日に最低どのくらいの量をこなせばいいのでしょう?
電話レッスンだけに集中せ〜、と言われるかもしれへんな...
最近は、「一つの文を単位とする」だけでなく、「一つの文を単位とする」ことによって「こなれ」が生じた文に関しては、二つ三つとつなげて「技法グラウンド」をやることも始めています。
700選も10回くらい繰り返したでしょうか?かなりの練習力がついてきたと自分でも思います。その成果として「段落技法グラウンド」があります。根石さんの文にもありましたが、経験として私はすでにやってきましたが、とても効果のあがるやり方だと思います。
1→意味がわからなくとも音源を一応頼りに取りあえず1文を5回音読
2→1文がt5回連続で言えるように練習
3→それにイメージを溶かし込む
4→それを段落単位に増やす
5→それを中3程度の1レッスンごとで行う。
5までくると1レッスンですから、300ワード=2分としても5回連続で言うのに10分かかります。それをつっかえることなく言えるようになるためにはやはり1000〜2000回は読み込まないと駄目でしょう。でもTOEIC730を越える頃になると500〜1000回でいえるようになり、パターンプラクティス(部分の言い換えで少しずつ使いこなせるようになる)できるようになります。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/6539/main.html
上記が英語音読マラソン(奈良)です。
音読サークルの方も是非試してみて下さい。sbさんの書き込みから推測しているだけですが、これは千田さんかその回りの方が音頭をとっているサークルだと思います。私もNaima さんの経験の報告が楽しみです。私の方法と重なっている部分がある場合も、相互に異なる部分がある場合も、私としては楽しみです。出席してみて下さい。そして、私の方法と音読サークルの方法の相互の報告を是非お願いしたいと願っています。
音読と素読との相違点、そして「回転読み」との関連についてですが、私は以下のように考えてきました。あくまでも、私なりの勝手な定義です。
音読は、読んでその場で意味がとれるような文を相手に、声を出して読む方法。
素読は、一読で意味がとれないような文を相手に、コーチの読みを媒介にして、音声面だけをひとまず完成させてしまう方法。
ひとつの大きな違いは、コーチがいるかいないかです。
英語は外国語ですので、初心者や中級者では、一読してもその場で意味がとれない場面が多々あるので、コーチ付きの練習=素読が適していると思います。この理想的な条件は、一対一の練習となります。
もちろん、「音読」と呼ばれているものの中には、コーチ付きで一対一でやっているものもあるかと思いますが、それが一読で意味がとれないものを対象にしている場合は、むしろ「素読」と呼ぶ方が適当ではないかと思います。
現在の日本に本当に必要なのは、英語の素読よりも、むしろ日本語の素読だと思っています。現在、小学校の「国語」の授業はひどいものが多いですが、それに対する対症療法としても、素読が必要だと思っています。この場合は、対象が日本語ですから、素読と音読の厳密な区別はあまり必要ないかもしれません。
これまで日本人は「日本語なんか、放っておいても自然に身に付く」と考えていたのかどうか、本当にやりたいのは日本語だと私が考えていても、私の塾でも、日本語の素読に関してはまるで需要がありませんでした。しかし、この春、日本語の素読(音読)をやって欲しいという要望が一つあり、お受けすることにしました。小学3年生のお子さんをお持ちのお母さんからの要望です。うれしい兆候だと思っています。斉藤さんの「声に出して読みたい日本語」でしたっけ(正確なタイトル忘失)の功績であろうと思っています。(しかし、いまだ主な需要は日本語ではなく、英語です。こちらを相手にしていかないと私らおまんまにならない。)
素読と音読は、対象とする文が、「その場で意味がとれる」かどうかによって私は区別しています。
「回転読み」は、素読の場合でも音読の場合でも、口の動きの連続性に「こなれ」をもたらすために使えます。
素読も音読も、ある一定の分量(ヴォリューム)を相手にすることになりますが、文字を音に変換することに慣れていない生徒を相手にする場合には、sbさんが書かれた言葉に従えば、「一つの文を単位とする」練習を取り入れるのが有利です。
國弘さんの、「只管朗読」や、多くの音読の練習においては、例えば、英語の教科書の一頁分丸ごととか、ワンレッスンまるごとを繰り返し読むような練習方法をとる場合が多いだろうと思いますが、私の「回転読み」は、あくまでも一つの文にとどまり、その一つの文を対象に少なくとも数十回程度の読み込みを行うものです。
國弘さんは、あくまでもあらかじめ意味のわかっているものについて、あるまとまった分量を相手に数百回から千回声を出して読むものを「只管朗読」としておられると思いますが、千田さんなどの協力の元にいつの間にか「音読」という用語に移行されています。そして、あらかじめ意味のわかっているものだけを対象にするという点で、「只管朗読」を「音読」の方から眺めれば、これは音読の激化と見ていいように思います。
私の「回転読み」(技法グラウンド)は、コーチさえいれば、生徒が意味がとれないレベルのものまでも対象にできるというところが違います。ある程度の力が備わってくれば、「回転読み」をやっている途中で、どんどん意味が明らかになるということも生じます。意味が意識に動くようになる過程までも、「回転読み」は射程に入れることができます。
國弘さんの方法だと、最初に意味がわかっていなければならないので、意味がわからないものを対象にすることができません。「回転読み」(それに初動を与えるコーチングの「技法グラウンド」を含む)ですと、あくまでもコーチがいればの話ですが、意味がとれない文にまで対象を広げられ、ひとまず口の筋肉の動きの連続性となめらかさ、正確さだけに生徒は集中することができます。ここが大きな違いかと思います。
國弘さんの「只管朗読」(音読)の利点は、意味の連続性を味わうことができることにあります。あるまとまりのあるヴォリュームを、意味をともなって読んでいくので、興味が持続しやすい。これに対して、素読とその激化としての「回転読み」では、ただ単に、口が音声を発しているだけで、意識に意味が伴わないという事態が発生しやすくなるのが欠点です。これに対処するために、私は「英語どんでん返しのやっつけ方」(小学館文庫)でも書いたように、「切断読み」というものを提唱しています。
「回転読み」で、口の筋肉の動きは口の筋肉の動きとして、意味が伴おうと伴わなかろうと、ひとまず音声面だけで完成させてしまい、その後に、その完成形をわざと「切断」し、時間をわざと間延びさせて、音と意味を合体させるという二段構えとなっています。
音と意味は、語学では当初、まったく分離しています。それがどう合体していくのかについては、國弘さんはあまり意識的ではありません。
「只管朗読」には「只管朗読」の、「回転読み」には「回転読み」の、それぞれの利点と欠点があります。ですから、これらは、相互に補強しあうようなものとして、使いわけるのがいいだろうと考えています。
>もしドイツ語本の素読をやっていいのであれば、いくつか質問があります。
>^ 買って帰った本は「モモ」を除いて、全部日本語でのストーリーを知っているものばかりです。 まったく前知識のない本でやった方がいいのですか?
「素読」は意味を排除しようという方法ではなく、一読で意味がとれなくても「かまわない」というゆるやかな方法です。ですから、前知識がある本でもない本でも構いません。
英語とドイツ語を両方やられるようなら、英語に関してはコーチングの習得の方を主眼とし、ドイツ語の力を伸ばすというようにするのはどうでしょうか。
あくまでも、英語の力ももっと伸ばしたいと考えられるのでしたら、ドイツ語の方はFFだけにとどめおくということもいいと思います。この場合は、これまでやってきたドイツ語関連のテキストを、「素読」あるいは「回転読み」、あるいはまた私が日常的に使用しているような「ちょっと見 → 暗唱回転」だけにしておくというのが賢明かと思います。また、ドイツ語の磁場に渡る時のために、錆だけは寄せ付けないでおくというのが、こちらの主眼です。新しいテキストは、ごく少量ずつ進めるのがいいのではないでしょうか。
このあたりに関しては、Naima さんが日本での暮らしの中で、英語とドイツ語にどれだけの時間を振り分けられるかにかかっています。徐々にご自分で判断されて決めていかれるのがいいと思います。私はずぼらなくせに、やたらいろんなこと(自宅自作、雑貨屋準備など)をしており、英語一つでもなかなか思うように時間がとれないので、英語だけの「回転読み」と「ちょっと見 → 暗唱回転」をやるのが精一杯です。これは、語学にどれだけの時間が割けるかという問題です。
_ 素読はとにかく暇をみつけて1冊の本を文字がいらない状態になるまで音読する、と言う事でいいのですか?
文字がいらない状態になるまで音読するというのは、一冊の本まるごとを対象にすると生活が犠牲になるほどのものですので、気楽にすすめるわけにはいきません。文字を見ながら音読することとそれを終えたものを黙読することとを並行させるだけでいいと思います。
私は、お便所で用を足す間だけ、毎日やさしい英語の本を音読しているだけです。お便所を利用すると、毎日音読をすることになり、とにかく継続には具合がいい。これは、長糞の人に向き、早糞の人に向きません。(尾籠なお話失礼の程)。いずれにせよ、生活の中に組み込んでしまうのがよろしいかと存じます。英語とドイツ語のバランスということで言うなら、ドイツ語をお便所でやると限定されるのはいかがでしょうか。
ついでに書きますが、私はお便所ではやさしい英語の音読、車を運転するときは、映画の音声だけをMDで編集したもの(町の雑踏の音や列車が走るだけの音などを削除したもの)を運転しながら聴くような習慣にしています。糞で音読、車でリスニングと要約できますが、要は、生活の中に組み込むということです。
` 日に最低どのくらいの量をこなせばいいのでしょう?
これも、生活とのからみがあるので一概には言えません。
少量でも継続するのがいいと思っています。
さっそく音読マラソンのサークルのURLを教えて頂きありがとうございます。
西大和公民館へは車だと15分、電車とバスを乗り継いでも30分はかからないと思います。 さっそく帰ったら問い合わせてみます。 レギュラーで通えるかどうかは帰ってからでないと予定が立たないのですが、なるべく参加出来る様に調整するつもりでいます。
詳しい説明をありがとうございます。お蔭様で、素読、回転読み、技法グラウンドについては薄皮を剥ぐ様にだんだんわかってきました。
Naima あての^と_は、素読舎流の学習法と学習論紹介のページに、またも無断で載せてしまいます。
ご回答くださった文はファイルにいれましたので、飛行機の中でじっくり読んで帰国後の学習の配分を考えてみます。 3年間、息子と2人っきりでいたせいか、母が「ややボケ」になって来たので、私も仕事に出ず自宅で過ごす事が多くなると思います。 時間はたっぷり出来そうなので、しっかりお勉強したいと思います。
今日、夫とドライブをしながら昔小学校で習った唱歌をいろいろ歌いました。 ハンブルク郊外に菜の花がうわ〜っと黄色の絨毯みたいに咲く所があるのです。 そこを通った時に、「菜の花畑に入り日薄れ..」と言う歌を思い出したのがきっかけです。 こんなのを歌うのは何十年かぶりの事です。 (実は、私達、幼稚園と小学校の同級生です。 はは、照れくさ..)
「なつ〜はきぬ〜」は「夏は絹、冬はウールなのか」だとか、「ウサギおいしかの山」は「ウサギは美味しいんだろうか」とか、「たまの装いうらやまじ」は「たま〜に他所へ、裏山路」だとか、意味もわからず歌ってたもんだ、と話したりしました。 それがきっかけで素読についての蘊蓄を垂れたりしたんですが、飛行機の中でもう一回垂れなおしときます。 夫は、お便所で池波正太郎だとかの時代物を大声で朗読してる事があります。
しょ〜もない話になってしまいました。 ではでは、明日は奈良の田舎町から投稿しますね。
午後、起きてぼうっとしていたら、妻が勤めから帰ってきた。
「午後2時に、いったん勤めから家に戻り起こしてください」とお願いする文を紙に書き、リビングのテーブルに上に置いてから昨夜(というか、朝)寝たのだったが、2時になる前に目がさめて、ぼうっとしていたところに妻が帰り、仏頂面からにこやかな顔に瞬間変化して、「あれっ、起きてたの」と言った。うん。
「腹減ってる?」「減ってる!」という会話があり、「じゃあ、食いに行く?」「うん」という会話があり、花野菜へ行く。妻がたのんだ辛味噌ラーメンを少し食べてみたが、こちらはうまい。私がたのんだラーメンは、汁がしょっぱすぎるし、麺そのものがうまくない。餃子はまあまあ。花野菜はすっかりお客が減っている。私と妻が入って、食べ終わって出るまで、他に客は一人も来なかった。
稲荷山のなんとかという喫茶店へ行く。場所が明らかで、店の名前を覚えられない店。駐車場へ車を止めて、道を渡ろうとしているところにNさん来る。店に入り、わずかな世間話の後、いきなり語学の方法論の話に移る。Nさんは、高校の英語の先生をつとめた後、大学の先生になった人で、テストの方法に関しての研究をしているが、論文はテストの研究でも、大学での授業は学生に英語の力をつけるための授業であるらしい。最近出した共著と論文の抜き刷りをいただく。
Nさんは広島大学の柳瀬と話したことがあるという。
「ネット上の柳瀬さんはともかく、実際に話してみると、なかなか過激な人で面白いですよ」とNさんは言う。ちょっと、イメージが結ばない。
コーヒー400円で長いことシルキーにいた。ああ、シルキーだ、今、店の名前を思い出した。400円で、コーヒー一杯と、ほうじ茶10杯くらい飲む。ほうじ茶は無料で、店の人が何度も注いでくれる。小便は出るが、いい店である。
シルキーを出て、帰宅。Nさんに自作した家を見てもらう。二階からエッセイ集をとってきて、最新号の「ミッドナイト・プレス」と併せてNさんにさしあげる。家から(?)携帯電話に電話があり、Nさんは帰られる。入れ替わりに、荒井さん来る。資料館の人事異動で他に移る人に、4人の人がお金を出し合って何か贈りたいが、何かいいものがないかとのこと。予算は8千円だという。そんな高いものはねえよと言うが、ダンボール箱をさぐったら、4千2百円の布があった。二枚8千円にして買ってもらう。荒井さんは、やじろべえのレガリートの出店も見たいようなので、やじろべえに行き、コーヒー。妻と荒井さんは二階のレガリートの展示を見ている。途中で二階から呼ばれ、シルクのワンピースを買わされそうになるが、なんとかかわして、ドイツの焼き物を2000円で買う。
その後、自転車屋でピザ。妻と荒井さんはナスとトマトのパスタ。焼酎のお湯割りで酔っ払ったら、同じ酒で酔っ払ったじいさんにかなりからまれる。「おめえは、可愛くねえ」と何度も言われる。話しているうちに、屋代高校の8期生だとわかり、「軍国少年か」といったら、かなりの反発を食らう。なんの話の続きか、「先輩に向かってなんだ」というようなことを言うので、「じゃあ、今日から俺の後輩にしてやる」と言ったら、「お前は何を言っても可愛くねえ」とまた言われる。終始、げらげら笑いながらの話だが、加減しながらこのおやじは俺を何度か蹴った。まあ、蹴り返すことは今日はよしておくことにした。最後は握手して分かれ、妻の運転で帰宅。着の身着のままで、ベッドに横になったら眠ったが、朝4時頃眼が覚めたので、Naima
さんに向けて「鬼」に書く。
>素読とその激化としての「回転読み」では、ただ単に、口が音声を発しているだけで、意識に意味が伴わないという事態が発生しやすくなるのが欠点です。これに対処するために、私は「英語どんでん返しのやっつけ方」(小学館文庫)でも書いたように、「切断読み」というものを提唱しています。
ぜったい(標準編)のマーチンルーサーキング牧師のところを音読していますが、レッスン丸ごと技法グラウンドを今日はやっていました。そこで思ったのは切断読みした方がやはりイメージ化しやすいということです。
3月25日T No.721−750
FN No.701−730
FF No.611−670
3月26日T No.731−740
FN No.711−740
FF No.621−680
3月27日FF No.631−690
FF' No.498−554 翌日の勉強会の範囲
3月28日FF' No.498−530 勉強会直前音読
「挑戦編」できず
>新本をいただいてしまうと恐縮します。もっとも、コンビニあたりでコピーする手間を考えるとどっちが得なのかよくわかりません。
絶対にコピーより安上がりです。貴重なアドバイスをいただいておりますのに、恐縮などとんでもないです。
>送っていただいたものを元にアドバイスは続けたいと思います。
よろしくお願いします。「1000」のほう、本屋さんのそばを通りかかったのに、わすれてしまいました。しばらくお待ちください。
ゴーストは、Naimaのを★★しなくても、DVDもスクリプトも入手しています。勝手にNaimaの1番弟子になりますので・・・
>大量の耕し直し。
少量の新規開拓。
よく肝に銘じておきます。TよりFN、FN よりFFと反復すればするほど身につきつつあるなと実感しています。
アマゾンから送ってもらうように手配してくださった本、一昨日届いています。ですが、中身を見ていませんというか、中身を見ることができないような状態でした。
私の庭のポストは、古タイヤを積み重ねた上に臨時に置いてあります。まだまだ自宅自作でやらなくてはならないことが多く、ポストはアメリカに赴任して勤務を終えるときに友達が買ってきてくれた頑丈なブリキ製ですが、これを古タイヤを重ねた上に単に置いてあるのです。アマゾンからの本が入ったダンボールはこのポストに入らないので、配達した人が、ポストと並ぶ状態で古タイヤの上に置いていったものと思われます。本を置いた状態が古タイヤからはみ出していすぎたのではないかと推測しています。多分、風が吹いてバランスが崩れ、下に落ちたものと思いますが、下にはモルタルを手練りするのに使うプラスチックの容器があり、それに雨水が溜まっており、本は水の中に落ちていました。
アマゾンの配送センターのようなところに電話して事情を話したところ、再送してくれることになりました。再送の分はまだ届いていません。
そちらに連絡が行くとアマゾンの人は言っていましたが、電話かなにかありましたでしょうか。
Naima さんが私とやるレッスンがある程度進みましたら、Naima さんをお師匠さんにして、是非
「ゴースト」でやってみてください。それが始まりましたら、レッスンの様子の報告をこの掲示
板で是非お願いします。
>そこで思ったのは切断読みした方がやはりイメージ化しやすいということです。
sbさんは間違えることはないと思いますが、「切断読み」はあくまでも「回転読み」の完成
後に行ってください。「回転読み」と組み合わせた場合にもっとも効果があります。
買ったばかりは、妻に擦られるのが嫌で(妻が擦るのが得意なので)、ゴルフは運転させず、妻には軽トラックだけを運転させていたが、最近妻が車で勤めに出始めたので、軽トラックが使えないと困ることがよくある。だから、翌日軽トラックを使う予定があるときは、妻にゴルフのキーを渡しておき、ゴルフで勤めに行かせるようにした。妻はおっかなびっくり運転しているようだ。
午後起きて、山二へ。昨日、つぶしておいたアスパラ空輸用の空箱を軽トラックで運ぶため。その前に、カツ屋でヒレカツ丼を食う。490円なら安い。特にうまくはないが、決してまずくはない。起きて時間がたたないうちに、油を使った料理を食うと気持ち悪くなることがあるが、この安いヒレカツ丼はそんなこともない。こういう店ができてくると、脂身に衣をつけて油で揚げて、カツ丼と称して客に食わせていたような店のカツ丼は確実に注文がなくなっていくだろう。これ、カツ丼じゃねえよ、脂丼だと言いたくなるようなものを何度食わされたことか。山二で、軽トラックの荷台の両脇にコンパネを立てて、つぶした空き箱を放り込む。コンパネを二枚立てると、軽トラックでも結構な量が積める。昨日つぶしておいたものは全部積めた。
布の反物を保管するのに使えるのではないかと思ったので、つぶす前の空き箱を二つほど荷台に乗せて、松本さんちへ寄る。松本さんは、引っ越しを控えており、そんなものを集めている段階ではないとわかる。現在の大家とのもめごとの内容を聞く。もめごとの経緯を書いておくべきだと勧める。ものごとの前後関係とその間に交わされた言葉を記録し、一度自分の中で咀嚼しておけば、万が一裁判になったときに、落ち着いていられるからと言う。
帰宅。つぶした空き箱から釘とステイプルを抜き、厚み2センチほどの板だけを取り出す作業。屑の木が溜まるので、ときどきストーブに放り込む。「電話でレッスン」の仕込みの時間まで、板を取り出す作業を続ける。この板は、正しい台形をしているので、上下をひっくり返して突き合わせると、直線に並び、いくらでも長い材になる。これを使って、庭に作っている小屋の天井を張り、玄関回りの外壁を張る予定。松材だと思われるので、そのままだと雨風で傷みが早いだろうから、外壁材にする場合には、裏に床用のワックスを塗り、表をバーナーで焼いてからたわしで洗い、キシラデコールを塗って保護することにする。空き箱から釘を抜き、ステイプルを喰い切りで切る作業が非常に手間取るので、手間を考えればうまみはないが、暇をみつけてやっていれば、そのうちに建材は揃うだろう。2センチ厚の板というものは、ただストーブで燃やしてしまうには惜しい材である。
レッスンしているとき、久しぶりに賢ちゃんが遊びに来る。レッスンの間に話をする。委託でサボテンや多肉植物を売りたいと言うと、俺の店にも回してくれるとのこと。
最後の人のレッスンに入る前に、賢ちゃん帰る。
レッスン後、食事して、午前3時頃まで釘を抜き、ステイプルを切る作業を継続。
その後、掲示板を読み、少し書くが、指がくたびれていて、キーボードがうまく打てない。
100文程度、ちょっと見 → 暗唱回転。各5〜30回。
アマゾンから根石さんあて書籍配達不能との連絡がありました。以下の住所宛にしておりました。
〒387ー0015
長野県更埴市鋳物師屋642ー3
お手数ですが、間違っていましたらお知らせいただけますか?
きのう投稿したものが掲載されていないので、これもその可能性があるのじゃないかと不安です。
勘違いできのう投稿したものは、掲載されていました。
アマゾンの件
事情を知らずに、今朝アマゾンからのメールに気がつき開けたのですが、早合点し住所間違いの配達不能と思ってしまいました。27日に送信されたメールですが、私がジャンクメールと勘違いし見ていませんでした。申し訳ありません。アマゾンからの以下のように言ってきておりました。
「Amazon.co.jpをご利用いただき、誠にありがとうございます。
本日、配達業者よりお客様のご注文商品が事故に遭い配達不可能との連絡がございました。
Amazon.co.jpでは、代替品を新しい注文番号(#248-8758632-8598250)として発送す
るよう手配いたしました。今回のご注文に含まれる商品は以下のとおりです。
CDブック 英会話・ぜったい・音読・挑戦編―英語の上級回路を作る本
数量:1
現在のところ、この商品は24時間以内に当配送センターより発送される予定です。入荷
しだい発送手続きを開始し、発送時にはEメールでお知らせいたしますので、いましばらくお待
ちくださいますようお願い申し上げます。
このたびは、お客様に大変ご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。
Amazon.co.jpでは、お客様に満足していただけるサービスをご提供できるよう努力して参り
ますので、今後ともご愛顧いただきますようお願い申し上げます。」
27日16:14受信のメールで、24時間以内に発送予定となっており、発送時メール連絡となっていますが、その連絡がまだ届いていません。問い合わせてみます。
昨日の午後3時頃に関空に無事到着しました。 同じ日にハイジャックがあったとか聞きましたが..
さていよいよ英語の勉強に本腰を入れる事が出来ます。 しかし... 家の中に私の居場所がない... 勉強部屋も居間も息子と母に占拠されてしまってます。 じわじわと自分の所持品の置き場を広げ、奪還を計っている所です。
飛行機で移動するちょっとの間に、私が, Rosey「ゴースト」の代稽古をする事になってますが、まだコーチの卵でさえないのに勤まるかどうか。 でも勉強になると思うので、Roseyにモルモットになってもらって、習った事を伝える様にします。 不肖Naimaがんばりまっさ。
Naimaさん、お疲れさまでした。「鬼」でのご活躍いつも拝見しています。4月から根石さんの代稽古をされるとか、更なるご活躍を期待しています。4月5日より英会話サークルをわが町の公民館で再開しますが、またお暇の折にお越しください。お待ちしております。
http://toshiohamaya2002.hp.infoseek.co.jp
mailto:toshiohamaya2002@yahoo.co
アマゾンに私が問い合わせましたところ、本日発送した旨メールが以下の通り、15:23に入っておりました。
「お客様のご注文状況をお調べしたところ、この商品は発送手続きの段階で、遅れていることが確認されましたが、本日3月30日、当サイトより発送されましたことをお知らせいたします。大変お待たせすることとなり申し訳ございませんでした。」
アマゾンに電話していただいたりお手数をおかけいたしました。
長旅、そして長い異国での生活、お疲れ様でした。
荷解きなども含めて、日本での生活のペースを取り戻すには、少し時間がいるかと思います。
ご無理なさらないでね。
ぐるんぐるん回転読み頑張りましょう!あたいも、Naima姐さんについていきます!
また、長野に遊びにきてください(^^)d。
どうやら、Naima師匠が押しかけ弟子を受け入れざるを得なくなったようです。なるべく手のかからないよう努めますのでようろしゅうに。
根石さん、報告の件、みなさんのようにうまく表現できそうにないのですが、とつとつとやってみます。
なんか鬼は置き屋みたいになってまいりましたね。 電話レッスンでは大先輩ですので、こちらこそよろしくお願いします。
西大和公民館の音読サークルには、なんと私の長年の勉強仲間が2人参加しているそうです。 まさか奈良下までやって来ているとは思いませんでした。 土曜日の午前中がTIME講読クラスで塞がるので、彼女達に問い合わせた所、2人とも西大和に通っているのだそうです。 通信もあるみたいですが、毎週金曜日の勉強会でその内の1人と顔をあわせるので、様子を聞く事にしました。 音読までに手が回るかどうか、映画レッスンをやり始めてからにする事にしました。
またいろいろな情報を教えて下さい。
そうか、回転寿司として発足した「鬼」は芸者の置屋になったのか。
いいことだと思います。日本でやる英語ですから、「芸」だととらえるのがもっとも正確だと思います。それは、どこまでいっても、生な生活言語ではない。だから、「芸」だと思う。芸者の芸(語学論を備えた者の芸)なのか、猿回しの猿の芸(英語フリークの英語能力)なのか、そういう区別は必要ですが、やはり、「芸」だととらえるのが正しい。松本道弘さんみたいに格調高く、「道」なんて言いたくないと思ったとたんに、「芸道」という言葉があるのに気付きました。日本における英語が「芸」であるなら、その「芸」を極めたい人が出てきて、「芸道」をたどるなら、いよいよ、英語をやる人たちは「芸者」や歌舞伎役者や能役者に近い。学者に近いとは思わないのだが、どうも学者や学者めいた人たちの発言力が大きいのが弱ったことだ。
弱ったね、そんな結論が出るとは思わなかった。
要するに、落語家でも役者でも歌歌いでもいいが、日本で英語をやるような連中は芸人というカテゴリーに放り込んでしまうがいい、というそういう結論です。
この結論が出たとたんに、冗談じゃねえ、俺達は知識人のカテゴリーに属するんだという人たちも出てくるだろうと思います。特に大学関係者から出てくるだろうと思います。
いやはや、弱ったね。
えっ?
酔ってるよ。
昼頃、ラビンドラが両親を連れて遊びに来ることになっていたが、いつまで待っても来ない。出かけるわけにはいかないので、アスパラガスの空輸用の木枠の釘を抜き、ステイプルを切る作業をする。
荒井さん来る。先日の布とウッドクラフトの代金を持ってきてくれたのだが、プレゼントにした布が自分でも欲しくなったと言い、一枚新たに買ってくれた。これで、かなり仕入れに使える金ができた。有り難し、荒井さん。
おかしいな。俺が電話でラビンドラと日本語で話したとき、「根石さん、今度の水曜日はありがとうございました」とラビンドラが言ったから、「ああ、このあいだの水曜日は面白かったな」と俺が言った。「このあいだの水曜日ですか」と言ったから、「そうそう、last
Wednesday は、このあいだの水曜日。この前の水曜日。」と言った。「今度の水曜日」と「この前の水曜日」が混同されているようだから、「今度の日曜日に遊びに行ってもいいですか」と言われて、「ああいいよ」と交わした会話に何か誤解がはさまれていたのか。そういえば、「今度の日曜日に遊びに行ってもいいですか」とラビンドラは言ったのではなく、「今度の日曜日に遊びに来てもいいですか」と言っていた。Can
I come to you next Sunday? が頭にあって、日本語を言っているのだと思ったので、「うん、いいよ」と言ったが、どこかに誤解があったのか。いくら待ってもラビンドラは来ない。
エイミーにも、誤解の心配で、心配が生じるくらいの日本語を是非植え付けてみたいものだと心配ついでに思う。
なんだか、ブルマーとか提灯ブルマーの話が妻と荒井さんとで盛り上がっていた。なんでも、古いモンペをブルマーに仕立てたものを着ている同級生があったり、風呂敷を何枚か使って作ったものがあったりで、まるでブルマーはまちまちだったというような土佐の話に聞き耳を立てた。日が陰ってきた頃、四時頃か、ラビンドラと両親到着。挨拶の後、魚肉のカレーを差し出すので、一口喰うがこれがうまい。むちゃうまい。ラビンドラのお母さんが作ったのだそうだ。スパイスはスリランカから持ってきたという。魚肉は日本のスーパーで買ったそうだ。肉は多分、マグロの赤身だ。うまい。
そもそもアパートを出るのが遅かったらしい。それから、日曜日で道が混んでいたらしい。それから、お昼頃来ることが四時になったことはほとんど気にしていないらしい。ラビンドラにして、そうなのだ、と認識を改める。実に行儀正しく、誠実で、まじめを絵に描いたようなラビンドラにしてそうなのだ。スリランカもメキシコも、なんだか、暑いところの人たちはそうなのだ。時間が餅みたいに伸びるのだ。時間は大切だが、時刻なんかにほとんど意味はないという感覚。遠い理解が及ぶならば、俺も多少はそうなのだ。それが高じてこんな時間に文を書いたりするのだ。
「電話でレッスン」のような何時何分から何時何分までというような仕事をしているが、その時間の刻み方を果たして自分で信じているかどうか。回りに合わせているだけなのじゃないのか。
まあ、どうせ、遊ぶことにしていたのだ。遊ぶことには文句がない。そう決めて遊ぶ。つまり、遊ぶと決めないと遊べないのがあっしら日本人なのだ。それが俺なのだ。そして、だけど、ラビンドラは毎朝、仕事に行くには時間は守っているのだろうな、とまた余計な心配が顔を出すが、そんなことは顔に出さない。
娘の結婚式で、会場の壁に掛けるパネルに納める写真の候補を、妻が拾い出したものがテーブルの上にあった。俺も若い頃は若かったし、妻も若い頃は若かったのが、写真を見ているとわかる。つい欲情しそうなほど、若い頃は妻も若かった。
写真が語るものは、時間である。
テーブルの上の写真を、ラビンドラの両親が見る。俺の親父が戦争に行くときに、庭で撮った家族全員の写真もある。貧乏な百姓家の庭先である。father
and son and father and daughter and daghter and child というような哲学的なことをラビンドラのお母さんが言う。good
fate と言う。fate がわかるかというから、俺は fate はわかる、good fate か
not good fate かはわからないと言う。妻の戦後民主主義との闘いを思い出すなら、good
fate とは言えない。俺は、妻を通じて日本の戦後民主主義を信じることをやめたのだ。
だけどそんなことじゃないのかもしれない。ラビンドラのお母さんは、fate
がわかるかという言葉で、まるで違うことを言っていたのかもしれない。それまでは、俺の英語ではわからない。
夕方になる。妻は塾を始めるので、俺が両親が乗るラビンドラの車の先を走り、八幡の武水分神社へ行く。ブディズムの寺かときかれたので、ブディズムの寺ではない、神道のシュラインだと答える。おみくじを結びつけてある木は、特別な木だと思うが、その木の名前を知らないと答える。鳥居が二つあるが、向こうの大きな鳥居は濁世との境であり、この小さな方が本当に神聖な区域を区切るのだろうと答える。そう、彼らは考えるのだと答える。彼らとは、神主たちだろうか。
彼らとは誰か。やつらとは誰か。あいつらとは誰か。
秋山駿が昔、本の中にそんな言葉を書いていたことを思い出す。
あいつらとは誰か。
4月1日(火)のレッスン、私用のため、すみませんがお休みさせてください。
お帰りなさい。無事帰国されて何よりです。
Naimaさんのホームページ楽しいですね。
絵付け作品すばらしいです。うっとりしながら見ましたよ。
小物入れすてきですね。雪だるまさんもお話しているみたいでかわいかったです。
昔、英会話学校に勤めている時、プライベートレッスンの為に待機している外国人講師達を見ていて、あ〜置き屋みたいだ...と思った事があります。 「ゲイルさん、生徒さんですよ〜、203号教室ね」と教務からお呼びがかかると教室や派遣先に出て行く姿もそんな感じだな... お茶をひいている間に、お菓子を食べてだべってるだけのもいれば、教材開発などの芸を磨くのに熱心なのもいます。
芸道に励みまっさ。
素人の単なる「見せびらかしホームページ」なのに誉めて頂いて恐縮です。 絵付けのページはハンブルクの駐在員や駐在予備軍の奥さん達に紹介するつもりで作りました。 日本でも教室はあるみたいですが、授業料が高すぎるので、この「芸」はもうこれまで、だと思います...
とにかく「読め」ということに尽きる。素読だろうが、音読だろうが、そんなことはかまわない。とにかく読む。声に出して読む。意味がわかろうが、わかるまいが、とにかく、読む。その人にとってその時にその文章が分かるか分からないかは、その人にしか分からない。だからとにかく読む声に出して読む。それしかないと思うのですが。。。
根石さん、
3月28日の記事に登場させていただいた N です。「いつか BBS に書かせていただきます」
などと言いつつ、遅くなってしまい、申し訳ありません。職場にやってきたら、新年度の
準備でとんでもないことになっていました。
ご紹介いただいた、柴田さんの「音作りへの道」、さっそく読ませていただき、唸って
います。
いただいた発音要領 (素読舎オリジナル) を職場の本棚の前に貼っておいたら、同僚が見て、
「これはいいねぇ」と感心していました。彼女は、特に「殻をむいたゆで卵」という表現に
納得したようです。
なんやかやと怒濤の新学期となりそうなので、遅れがちになってしまうかと、最初に
イイワケをしてしいますが、「音作りへの道」について、改めて書かせていただきます。
その節は、よろしくお願いいたします。
根石さんや BBS の皆さんのご意見を拝見し、率直に「いっぱい怒っているなあ」との感想
を持ちました。すごいエネルギーですね。少し気おされていますが、たくさん刺激を受けて、
なんだか、少し熱くなりつつあります...。
ところで、28日の夕方、ご自宅で奥さんにお会いした時、「どこかでお見かけしたような
...」と言われて、「はて」と思っていましたが、いただいたエッセイの32ページを読ん
で、真実が判明いたしました。奥さんとは、根石さんよりもずうっと前にお会いしていて、
とてもお世話になっていたのでした。オレは「へびのおっしゃん」ではありませんが、
花粉症のクスリを処方してもらっていて、かなり頻繁にそこに出かけていたのです。
というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。
来週から始まる授業のために、これから、「ぜったい音読」のしこみを始めます。
mailto:youichi@avis.ne.jp
記事を読み過ごしておりまして、ただいま電話を鳴らしてしまいました。
ごめんなさい。
レッスンをお休みにされた後は、特によく読み込みをなさっていただきたくお願いいたします。
先日は、お忙しいところを時間を割いていただきありがとうございました。
柴田さんの「音作りへの道」は、なるべく多くの方に読んでいただきたいと願っている記事です。「大風呂敷」という掲示板を始めて以後の、最大の収穫だと思っています。現在の学校の教室がやれる最良の授業として、今後の学校の授業を考える際に、現在の中学・高校の授業が目指すべきモデルとしての意味を失うことはないと思っています。
さしあげた「発音要領(素読舎オリジナル)は、柴田さんから大きく示唆をいただいて作ったものです。不備がありましたら、お教えください。大学の授業で使ってみてくださるとのことですが、「技法グラウンド」というレッスン方法も参照していただけるとありがたく存じます。「技法グラウンド」の眼目は、「知識を動きの中に置く」というものです。学生にある一つの文を繰り返し読ませ、その読みの中に問題がみつかれば、読みを中断させ、「一瞬般若だ」とか「ゆで卵」だとかという知識を置き、その後、再びその同じ文を繰り返し読ませ(言わせ)、「これなら通じる」という質の読みが5〜10回ほど(できれば連続で)穫れたら、次の文に進むというものです。学校の教室で使う場合は、次の文に進む前に、教室の全員にそれぞれ音読する時間を与えるといいと思います。
「音作りへの道」に対する感想は是非書いていただけるよう願っておりますので、お時間ができたときにお願いいたします。
私の英語教育界への怒りは、素読舎という私塾の首を締め続けてきた者たちへの怒りなのであって、これは昨日や今日始まったものではありません。大学や文部省が「英語の磁場を欠く場所での英語学習」という条件をまともに授業方法に組み込むことがなかったこ
とに対する怨みは深いものがあります。その第一のものが「音づくり」を欠いた授業です。私自身がその種の授業の犠牲者ですが、大学や文部省のほったらかしのせいで、私自身が「音」の扱いを確立するまでに実に余計な時間がかかりました。
「音づくり」という基礎を欠いた上に知識の楼閣を作らせるのが、これまでの学校の授業であると言っていいと思いますが、その責任は、大学と文部科学省にあるだろうと思っています。
私の素読舎は、その創立時から「音づくり」をずっとやってきましたが、これをやっても、学校のテストの点にならないため、受験が近づくと塾生がやめてしまうようなことが多くありました。いくら生活が苦しくても、私は「音づくり」を手放しませんでしたが、ある種、地獄のような現体制との喧嘩を見続けて、私の娘は英語なんか大嫌いだと言いだし、英語は放棄するに至りました。私の不徳のいたすところも多々あるにせよ、素読舎の首を絞め続けている腐敗やていたらくの力に対する私の憎しみの激しさを見て、英語がそんな憎しみを伴うようなものであるなら大嫌いだと言い出したのです。これも大学や文部省のていたらくの反作用であると考えており、いよいよ私の憎しみは抜きがたいものとなりました。
Nさんとお会いして話したことの中で、もっとも記憶に残ったものは、「音読」をテスト自体に使っているということでした。実は、これは私が以前から主張していたものと同じだったのです。他の大学でも、あるいは中高でもこれはやるべきだと思っています。
NさんはO薬局のお客さんだったんですね。女房は数年前にO薬局をやめました。この春からまた勤めに出ています。今度の職場は屋代駅に近いH薬局です。
Nさんが「へびのおっしゃん」だったら、もっと面白かったのですが、蛇を見たらすぐにつかまえて喰ってしまう大学の先生というのは、文化人類学かなんかの先生にはいそうな気もしないではありませんが、英語の先生にはいない、まずいないだろうと思います。偏見かも。
この「鬼」という掲示板は、Naima さんという方が経営しておられる掲示板で、実は私の掲示板ではありません。
「大風呂敷」は以下のところにあります。
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
「大風呂敷」もよろしくお願いいたします。
便所で音読、ハリーポッター。4p。
約200文、ちょっと見、暗唱回転。各5〜30回。
まだ荷が届きません。
明日あたり届くのではないかと思っています。
Nさんは、大学の授業で同じものを使っているようです。
午後、起きる。飯の後、やじろべえへ。コーヒー。岡沢加代子のシルクスクリーンの展示会を見る。雑貨屋「子子子(こねこ)」の名刺をシルクスクリーンで作ってもらうことになる。
松本さんの家主との喧嘩は、中に立ったNさんという人の判断で、3月いっぱいで立ち退くことにし、3月31日に織物の生徒の協力を得て、荷物を片づけ、三軒の家に分散して預かってもらうことにしたという。松本さんは、半年の期限つきで小山さんの家に身を寄せることになったという。ということは、先日訪ねていった家の中は、すでにからっぽであるということで、ちょっと想像できない。まったく、この人がどう身を振るかは、明日のことも予想できない。
帰宅し、レッスンの仕込みに入るが、二人休みであることを忘れていて、全員のための仕込みをやってしまった。レッスン後、アスパラ空輸用の空き箱の解体作業。強い臭いがあり、接着剤の臭いかもしれないと思っていたが、松材の臭いである可能性もある。いずれにせよ、いやな臭いだ。日本の松の臭いとはまるで違う。ツーバイフォーも米松材がかなり混じっているはずだが、鋸で切ってもこんな臭いはしなかった。解体してとれた板材はリビングに積み上げてあるが、戸外に出すべきかもしれない。薪小屋の二階にでも積むか。
天井材を集める作業に手間どっており、小屋作りの作業になかなか戻れない。ひとまず、これまでに集めただけの材料で、天井を張ってみるかと思う。古いガソリンが残っているので、これに油性塗料を混ぜて、ステインを自作してみようかとも考える。ガソリンが揮発するまでの間、気をつけなければならないが、晴れた日に日向でやれば問題ないだろう。
明日は、西村の桃畑に剪定枝をもらいに行く予定なので、また小屋作りはできない。
いったいいつになったら店はできるのか。
「子子子」、いい名前ですね。
おほめにあずかり光栄です。
「子子子」は実は合作でして、この漢字の並びにしたのは、日録に書いた松本さんです。
奇妙奇天烈なおばさんでして、結構騒ぎを引き起こします。(昔はとびきりの美人!)
私は最初「子寝子」を考えていたのでした。何しろ、私が寝るのが趣味なもので。
いっそのこと、「ね」の字も「子」にしてみたら、と奇天烈なすぐれたアイディアを松
本さんが言いました。即座に採用させてもらいました。
夜中の3時半をすぎたか。
私はこれから、新聞のチラシを作成します。
文面を記録しておきます。
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日本在住のままの英語学習においては、「音読」だけがほとんど唯一の突破口です。しかし、
英語は外国語ですから、「音づくり」を兼ねた「音読」を行わないと、通じない音、通じない
イントネーションが固定するおそれがあります。コーチが必要です。
学校の英語、進学塾の英語は「死ぬ英語」です。日本には英語という巨大な死体が横たわっ
ています。これはもはや、誰の目にも明らかです。
素読舎は、音読ブームが訪れるより三十年近い以前から、素読という日本の音読法の精華に
よって英語力を作り続けてきました。ご検討下さい。
学校英語によっても、ガイジン信仰の英会話学校によっても、日本の英語は立ち上がること
はありません。
この掲示板の日録に登場する松本さんの息子が松本君です。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/1577/link.html
好き。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8536/mattuu.html
子の字ばっかりずら〜っと並べて、「この子猫の子小猫の子 この子は小猫猫の子」とか言うのあったですね。 ところで根石さんちの猫の名は、チビちゃんなんですか? ネネちゃんなんですか? 皆好き勝手に呼んでるみたいでした。 私がトイレに入る時にはたいてい、戸口でずっとニャーニャー言いながら待っててくれました。
うちの猫は私がお風呂に入ると心配してあわてて追っかけて来、ずっとドアの外で警戒の鳴き声をはりあげます。 うるさいのでドアを開けっ放しにして入ると、じ〜っと見張っています。 一度、試しに溺れた振りをしたら、
パニックを起して湯舟を覗き込んで、大騒ぎした事があります。 どうも私の事をわが子だと思ってる節があります。
Rosey からゴーストのスクリーンプレイが送られて来て、今手許にあるんですが、読んでおいてもいいですか?
今日、「絶対音読」の上級編届きました。
ありがとうございました。ちらっと読みましたが、いい本だと思いました。
しかし、イメージの正体を言い切れているとは思いませんでした。
私も言い切れていませんが、そこをちゃんと言わないと語学は論にならんと思っています。
しかし、しかし、おお、ここまで来たかという感慨はあります。
千田さんは私は応援したい。
何を読んでいいとか、いけないとかいうような決まりは私のレッスンには一切ありません。
できたら、いっぱい読んでおいてもらいたいと思います。