>どうも私の事をわが子だと思ってる節があります。
多分、メス猫だと思いますが、メス猫は本当にそうです。
節があるのではなく、本当に彼女にとって Naima さんはわが子なんです。
メス猫は娑婆のことを根本的に勘違いしているので、人間に対してとてもとても愛情にあふれ
た猫です。うちの猫もメス猫ですが、わしゃたまらん。いとしくていとしくて。
うちの猫を見ていると、猫のやることなら、なんでも許す気持ちになれる。
起きてすぐ、ねぼけた声のまま、西村に電話。薪にするリンゴとプルーンの剪定枝をとりにいくつもりだがいいかと聞く。枝はチェーンソー作業をしなくても、そのまま軽トラックに積めるように切ってあると言う。ありがたし。
脱糞。
西村の家に向かう途中の千曲川の土手の上から、河川敷の畑を見たら、切り倒した大量の桃の木がある畑に人がいるので、土手の上に車を止めて土手を降り、積み上げてある幹や枝をもらえないかと言ったら、即座に持っていってくれと言われる。近いうちにもらいにくると言い、西村の家へ。
西村はちょうど庭の柿の枝を切ったものを軽トラックに積み終わったところ。畑で焼くつもりで積んだのだろう。そのまま畑に直行。合板のアオリを立てて、畑の隅に積み上げてあるものを全部軽トラックに放り込む。まだあるが要るか、と言われたので、あれば全部もらうと言い、別の畑に行く。あちこちの木の根本に分散して積んであるものを、道に近いところまで放り投げ、道に沿って軽トラックをところどころに止め、枝や幹を拾う。
終日小雨の日。春の小雨はいやではない。
西村と近くの珈琲哲学とやらの喫茶店に入る。畑から歩いて1分。今日の最初の飯が、ここのパスタで、固くうまいのだが、消化はよくなさそう。案の定、後で胃が痛くなる。西村とは久しぶりに会ったので、相互のその後の変化を話す。近々、俺の自作の家を見にくることになる。
畑に戻り、軽トラックを畑から道に出す途中で、タイヤが橋を踏み外す。ハンドブレーキを引いたまま、エンジンをふかして脱出する。ハンドブレーキを引いておかないと、エンジンをふかした勢いで車を反対側の田圃に落としそうなくらい道が狭いのだ。なんとかうまく車のタイヤが全部道に乗った。
「よかった、おい」と言い、西村と別れる。
家について、荷台の木を庭の隅に降ろすだけで一汗かく。女房が国民温泉に行きたいと言って家から出てきたときが、ちょうど軽トラックから全部荷を降ろし終わったときだったので、俺も温泉に入りたくなり、一緒に行くが、国民温泉の月に一度の休みの日にぶつかっていた。仕方なく、観世温泉に行く。
観世温泉から家に戻る途中で、エイミーのアパートに寄り、エイミーを乗せる。家に向かう途中で、ラビンドラから携帯に電話。日本語のレッスンに来るとのことなので、エイミーにラビンドラも日本語をやりたいので今日から来ると言うと、エイミーが黙り込む。車を止めてから、エイミーはいつものようにすぐには車から降りて来なかった。家に入って、ラビンドラと一緒のレッスンはいやだと言い出す。なんでかと聞くと、日本語の練習が進まないのでエンバラシングだと言う。
なるほど、ラビンドラはスリランカの大学で日本語をやってきており、日本の暮らしの中でかなりしゃべるようになっている。エイミーは日本に来るまで日本語にはほとんど触れたことがない。現在の実力の差は歴然としている。気にするなとエイミーに言うが、気になるとエイミーが言う。イギリスで高校生だった頃、友達が行っていた習い事の教室にエイミーが通い出したら、その友達がエイミーがいかに下手であるかを、エイミーに隠れて回りに言いふらしたことがあるそうだ。それが、軽いトラウマのようになっているという事情だと思ったので、ラビンドラはそんな種類の人物ではないと言う。が、まあ、とにかく今日のところは一緒にやれそうもないと見て、だったら、お前の専任の先生をつけてやると言い、妻を指さす。ラビンドラが来たら、妻とエイミーとで日本語のレッスンをすることにして、ひとまず俺がレッスンをやる。テストがほぼ終わりに近くなって、ラビンドラとお父さんが到着。やっぱり、気にするかとエイミーにきいたら、やっぱり気にするようなので、エイミーを妻にあずけ、ラビンドラのレッスンに入る。テキストは、「根石吉久の暮らしの手帳」。自分が書いた文章を語学の対象にして、他人の文章を扱うように著者の意図など説明する。文学やら詩の領域で書かれたものが、語学の対象になったときに、初めてテキストは他人の目にさらされることになるのではないかと思う。それで、読み続けられるか、途中で放り出されるかは、これからの問題だ。
レッスンの途中で、松本さん来る。実に複雑な問題を持ち込んできた。ラビンドラ父子とエイミーの相手を女房にまかせ、松本さんに「田舎暮らし」について、田舎の裏側を描きながら講義する。お前さんが、織物か織物教室でまがりなりにも食えるようにならないなら、俺は信用しないと言う。ボランティアめいた行動には田舎の人間はまちがいなくつけ込むと言う。松本さんをとことんやっつけたら、松本さんに少し元気が出てきたように見えた。
明日は、松本さんが蓄えた薪を処分するために、旧松本邸に行くことになる。
明日も薪に触ることになった。
くたびれた。
Naima さん、電話番号を紛失してしまいました。
メールでお知らせください。
Rosey さん、ご覧になっていたら、Naima さんに連絡をとっていただけませんでしょうか。
みつかりました。お騒がせして申しわけありません。
3月29日T No.741−745
FN No.721−745
FF No.641−700
3月30日FN 721−745
3月31日T No.745−755
FN No.731−755
FF No.651−710
4月1日 T No.756−762
FN No.741−770
FF No.661−720
4月2日 T No.763−770
FN No.741−770
FF No.671−730
4月3日 FN No.741−770
FF No.671−730
4月4日 T No.771−780
FN No.751−780
FF の。681−740
やっとお手元に届きましたか、よかったです。
>ちらっと読みましたが、いい本だと思いました。しかし、イメージの正体を言い切れているとは思いませんでした
「挑戦編」よりも、同じシリーズで「標準編」というsbさんもお使いになってるテキストのほうが、いいのかなあと思ったりします。勉強仲間のおっしょはんも使っています。でも、これでいきます。
気になるのですが、イメージの正体を言い切れているものが市販されているのでしょうか?あるいは理想に近いもの?あれば、ぜひ知りたいです。
お返事が遅くなり申しわけありません。やぼ用で忙殺されております。
「挑戦編」で練習が成立しているなら、迷わず今のものを使い続けることをおすすめします。
送っていただいたもの、なかなか通して読めずにいますが、必ず読みますのでお待ちください。
イメージに関して、正体を言い切れたなどとはとても思いませんが、私は以前に「大風呂敷」で
かなり書いた記憶があります。お時間がとれた時にお読みいただけるとありがたく存じます。
語学に関しては、イメージの「位置づけ」が大事なのだと思います。ちらっと読んだところによ
ると、千田さんは、本書43pで、
「(CDを)聞く時は、頭の中の白紙に、聞こえてくる音を絵にするようなつもりで聞いて
ください。聞くということはあまたの中にイメージを作る作業ですから、それを意識してや
ってみるのです。慣れるとそれほど意識しなくても、頭の中に絵(=イメージ)が浮かんで
くるようになります。」
と書かれています。ここには、媒介し、脱ぎ捨てるべきものとしての日本語という項目が抜けて
いるように思うのです。音がそのまま絵になるのは、「音読筆写」の過程で日本語を媒介にして、
日本語によるイメージを発生させ、それを煮詰めるようにして英単語(語句群)のイメージを発生
させている過程があります。最後は英単語(語句群)のイメージだけが動くようになり、日本語に
依存したイメージは脱ぎ捨てられてかえりみられなくなりますが、途中でそれを媒介にしています。
これを否定してしまうと、初心者はイメージに関して何のとっかかりもなくなってしまうのが、日
本語に磁場です。日本語の磁場での英語の学習、あるいは日本語で育った人の英語の学習に特有の
過程なのですが、千田さんの記述はこの過程をすっとばした記述ではないかと思っているのです。
どうも、言いたいことがうまく伝わりますかどうか。
千田さんの方法論は、語学論としてはともかく、学習法としては、現時点ではもっともすぐれた
ものだと考えています。
時間がとれましたら、千田さんの方法についてもっと書いてみたいと思っていますが、いくつか
原理的に私の方法と重なるところがあり、少し驚いています。
もっとも異なるところは、「切断読み」に含まれる原理を欠いているところかとも思います。
「音と意味の合体=イメージ化」に関して、千田さんには「遅読法」はありません。
ここのところで、私は「遅読法」を強くいいたいのです。
>音がそのまま絵になるのは、「音読筆写」の過程で日本語を媒介にして、日本語によるイメージ
>を発生させ、それを煮詰めるようにして英単語(語句群)のイメージを発生させている過程があ
>ります。
→
音がそのまま絵になるのは、「音読筆写」の過程で日本語を媒介にして、日本語によるイメージ
を発生させ、それを煮詰めるようにして英単語(語句群)のイメージを発生させている過程があ
るからです。
----------------------------------------------------
以下の文は、書こうとした論旨と違うものを書いたために残ってしまったものです。削除してく
ださい。
>語学に関しては、イメージの「位置づけ」が大事なのだと思います。
読みにくいものを書いてしまって申しわけありません。
いつもおせわになっております。
最近、回転読みにリズムを取り入れてみました。
やり方は簡単で、感情をこめるかのように、お腹から口に空気を送り出すように手てふし回しをしながら回転読みをしています。
それの何がいいかといえば、それまで単語の羅列を声に出してよんでいたのが、単語の塊をとらえやすくなった点です。
この身振り手振りが、Chemistryという歌手の歌うときのしぐさに似ているので、
Chemistry(ケミストリー)効果と名づけました。
また報告します(^^)。ではでは。
ご多忙中、質問にお答えいただきありがとうございました。
>日本語によるイメージを発生させ、それを煮詰めるようにして英単語(語句群)のイメ>ージを発生させている過程があるからです。
いままさに、わたしはその過程にいるような気がします。千田さんの書いておられることで、なにかモヤモヤしていたのはそこなのだという気がします。根石さんのおっしゃることを実感しています。日本語を媒介している過程があっていいのだと思うと気が楽になりました。
>最後は英単語(語句群)のイメージだけが動ようになり、日本語に依存したイメージは>脱ぎ捨てられてかえりみられなくなりますが
この段階を目指して、飽きかけていた「挑戦編」ですが、気合を入れて再出発したいとおもいます。
つい最近まで、無意識に「覚えてやろう」「今日のノルマを達成しよう」等、なかなかリラックスして音読できなかったのですが、やっとそういう意識を払拭できそうになりました。リラックス音読を目指したいと思います。
根石さんの日本語介在論で、よりリラックスできそうです。いままで、何回音読してもイメージなんて浮かばないしこれでいいのかなという思いがありました。千田さんによると、それはまだまだ音読が足りないということで、自分を叱咤するのですが・・・。なにか、光明がさしかような気分、ルン。
「大風呂敷」拝見させていただきます。
ありがとうございました。
初めてのレッスンの感想をお聞きしたいのですが、荷物の整理等でお忙しいでしょうか。
「あいうえお」をローマ字で間をあけて書いて、それぞれに r をくっつけて、ar
だけを仲間外れにするというやり方は、日本製の一種のフォニックスだと思っています。これに関しては、以前「大風呂敷」に書きましたが、反応はありませんでした。
予想通り、単音の発音に関しては、直すところがほとんどないので困っています。しばらくの間は、レッスンの成り立ちをつかんでもらうためにどんどん進めてもらって、だんだんとわざと日本式のカタカナ発音をして、自分で自分の発音を直す一人芝居をやろうかと思っています。
気持ちを入れて読むと文が言いやすいと言われました。下に、いくこもそれに関連したことを書いています。私は感情を込めた読みというものをほとんどやることががないので、さてと思っています。
私は、ここに関しても二段階方式で、ほとんどの場合、自分の場面解釈によって、勝手に「語学的標準形」としての読み(イントネーション)を作ってしまいます。それをひとまず作ってしまいます。それで、CDなどの録音教材を使うときは、それを聞くだけに使います。「語学的標準形」の自作過程と、CDなどの録音教材を流して聞く過程を別々に離してあります。これは、私はかなり意識的にやっているような気がしています。机の上で、ネイティヴの録音教材を最初にお手本にするのがいやなのです。なぜか、非常にいやです。自分なりのものを作っておいてから、ネイティヴの読みというか発話を「媒介」にして、自分の中でマッチさせるということはまるでいやではありません。語学の主体としての、日本人(日本語の磁場で日本語を使う者としての意味に限定した意味での日本人です)というものを意識的に保持しようとしています。
自分なりの読みを最初に作り、ネイティヴの読みを「媒介」にするという順序は崩そうという気がありません。語学の上達が遅れることなんか構わない。これは崩さないのだと決めています。もちろん、これを継続しているうちに、最初に作る自分なりの読みが、CDを聞いてみたら、ほぼネイティヴの読みを媒介にする必要がない程度になっているということはあります。
絶えず、日本に暮らしているのだという現実から出発するのだということでしょうか。
感情に関しても、「語学的標準形」というものしか使用する気がありません。私が芝居や映画が嫌いであることと関係あるのかもしれません。
実際に英語をしゃべるときは、その場その場における自分の感情が乗った英語をしゃべるのは当然ですが、机上では「語学的標準形」としての感情しか使用しません。自分なりの読みを作ることと、CDなどを流して聞くということを別々にやり、それが自然に自分の中でマッチして、CDの読みの感情に統一されていくことは別にかまわないが、日々、日本に暮らしているという現実から出発するのだと覚悟しています。
Rosey さんに、英語(英単語(群))」のイメージに関して、途中で「媒介」にするためのイメージがあり、それは日本語によって発生させるイメージなのだ、それは「媒介」にして、脱ぎ捨てるためのものとして必要なのだという二段階論を書きましたが、感情やイントネーションに関しても、いったんは日本人としての自分の読みを作り、それを媒介にすることで、ネイティヴの読みを媒介にして、自分なりに作った読みを脱いで捨てるということを繰り返しています。
ネイティヴ音コピー方式が嫌いです。
日本人には、二段階方式がいいのだということを少しずつ書いていきたいと思っています。私の語学論とは媒介論なのだと思っています。
「英会話・ぜったい・音読・挑戦編」を昨夜読みました。
言っていることの肌理が荒いという印象がありますが、これは、「挑戦編」のせいかもしれません。
「入門編」や「標準編」を読んでいませんので、なんとも言えませんが、イメージの問題に関しては、上級編を読んだ限りの千田さんの言葉では言えないだろうと思っています。非常に戦略的に優れた方法を提示されていますが、語学の過程そのものを言葉にできる方ではないと思っています。
本当の初心者というものは、例えば、I am a bad boy. という文の I も知らないし、am も知らないし、a も知らないし、bad も知らないし、boy も知らない人のことです。初心者の定義として、I am a bad boy. に含まれるひとつひとつを知らない人としなければ、初心者の定義にはなりません。(昔、浜谷さんという方と、「初心者」の定義をめぐって議論しました。)
初心レベル後半あたりで、たまたま bad という単語を知らなかったとします。bad
を除いた、I am a boy. は理解できているとします。bad を知るためには、二つの途があります。
bad を辞書で調べるなり、人に意味を聞くなりして、日本語の「悪い」という語が持つイメージを
bad にかぶせる方法が一つ。これは、「媒介論」による方法です。私は、初心者に限れば、これしかなかろうと考えています。
もうひとつは、I am a bad boy. という文が現れるまでの文脈によって、bad
の意味を類推する方法です。それまでの部分は読みとれており、友達をだましたというような「悪い」ことが書かれていて、少年が反省モードに入っているところに、I
am a bad boy. が現れているとするなら、文脈と、I am a boy. の理解済みという条件によって、bad
が日本語によるイメージを媒介にしないで理解できてしまうということはありえます。多読派の人々はもっぱらこちらをあてにしているのです。この多読派の欠点は、初心者のことがわかっていないというところです。
千田さんは、多読派ではないのですが、千田さんに欠けているのは、「音づくり」と「媒介論」だろうと思います。もし、私と論争することがあるならば、語学における「イメージ」をめぐってのものになるはずだと思っています。
感想を投稿するのを怠っていて申し訳ありません。 久々の奈良大阪なので、夫と遊び惚けていました。 夫は今朝またHamburgに戻りました。
>「あいうえお」をローマ字で間をあけて書いて、それぞれに r をくっつけて、ar だけを仲間外れにするというやり方は、日本製の一種のフォニックスだと思っています。
従来の撥音指導だと、いきなり ar, ir, er, ur, orなどの撥音を先生がやって見せてまねさせる、と言う手順でした。 根石さんの方法はまったくの初心者にも撥音のコツがわかりやすいと思いました。 短母音(a,
e, i, o, u)の撥音のコツを先に教わっている生徒だと、arだけが仲間はずれになると言う説明がもっと理解されやすい事だろうと思いました。 まったくの初心者の立場に立ったうまい撥音指導だと思います。 自分が生徒の立場でコーチを受けてみてはじめて腑に落ちると言う事もあるので、大風呂敷で反応がなかったのは仕方のない事かもしれません。 レッスンを受けずに、ただ説明を聞いただけではピンと来なかったと思います。
>自分の場面解釈によって、勝手に「語学的標準形」としての読み(イントネーション)を作ってしまいます。それをひとまず作ってしまいます。それで、CDなどの録音教材を使うときは、それを聞くだけに使います。
私の場合、録音教材があっても、20〜30回も読むと、勝手に場面設定して感情移入して読んでしまう様になっています。 初級者と中級者以上の学習者では、この辺りが違って来るのかもしれません。 テーマのメロディーにアドリブを利かせる感じ、と言うと生意気かもしれませんが...
中級者以上だと映画や海外ドラマなどで半生英語に触れる機会が多い事から文のイメージの在庫が沢山あるので、個々の撥音や連音に捕われがちな全くの初級者とは違い、感情移入して読む方が頭に入りやすいし音も出しやすいと言う事なのかな...と思ったりしています。 中級者以上の学習者だと、文章の意味がすんなりわかると言う事も手伝っているかもしれません。
回転読みをしていると、女優が台詞を覚える為に台本を読んでいるかの様な気分になります。 台詞をただ読むのではなく、文にスラスラ感が出て来ると、台詞を「演じ」始めている様に思います。 回転読みがあながち苦しい修行ではないな、と思ったのは、少なくとも私の場合、そういう楽しさが伴うからです。
音声を聞き込んで真似するのは、あまり好きではありません。 ただ、自分の好きな女優や俳優だと言い方を真似してみたくて、何度もテープを聞いて練習する事もありますが、私も音声教材は聞くだけにしておく事にします。
>短母音(a, e, i, o, u)の撥音のコツを先に教わっている生徒だと、arだけが仲間はずれになると言う説明がもっと理解されやすい事だろうと思いました。
これはちょっとスカタンな感想だったと反省しています。 すみません。 撤回します。
>「英会話・ぜったい・音読・挑戦編」を昨夜読みました。
お時間をさいていただき、ありがとうございます。
> 言っていることの肌理が荒いという印象がありますが、これは、「挑戦編」のせいかも>しれません。
気になって、「標準編」を書店で立ち読みしかけたのですが、頭が働かず中止。ご助言通り音読は「挑戦編」を継続しますが、「標準編」をまた覗いてみようと思います。
>非常に戦略的に優れた方法を提示されていますが、語学の過程そのものを言葉にできる方>ではないと思っています。
本当に過程の説明はよくわかりません。音読と筆写を組み合わせて続けてます。ずっと、さぼっているのですが・・・。
「文法1000」
4月5日 T No.781−790
FN No.761−790
FF No.691−750
6日 T No.791−795
FN No.771−795
FF No.691−750
7日 T No.796−800
FN No.771−800
FF No.701−760
8日 T No.801−809
FN なし
FF No.7111−770
9日 T No.810
FN No.781−809
FF No.721−780
Tは50回音読Fは10回音読 800台に突入!
ゴーストのMD本日到着しました。ありがとうございました。すぐにでも聞きたいのですが、MDプレイヤーがない!
Naimaに頼んでCDに録音してもらいます。あす、勉強会で会うのでタイミングが良かったです。
忘れてました。先日、いま気合を入れてやっている「文法1000」をお送りしました。文法をきちんと習得したい気持ちもあり、この文法書の回転読みをしています。
>予想通り、単音の発音に関しては、直すところがほとんどないので
Naimaおっしょすごいー。わたしは、母音もむちゃくちゃ、子音も・・・で、Naimaの空きを埋めるのがはずかしい。
意味不明の雄叫びですが。
久々に、しかもドイツ語ではなく英語の回転報告が出来るので感無量です。 マジで英語をやるのは3年ぶりだと思いますで。
4月10日(木)
Ghost p.10 l.3 復習回転読み
NHK Let's Speak! T:4/10 FN: 4/7, 4/8/, 4/9
4月9日(水)
Ghost p.10 l.3 復習回転読み
NHK Let's Speak! T:4/9 FN: 4/7, 4/8/
4月8日(火)
Ghost p.10 l.3 復習回転読み
NHK Let's Speak! T:4/8 FN: 4/7
4月7日(月)
Ghost p.10 l.3 復習回転読み
NHK Let's Speak! T:4/7
今、「どんでん」を読み返しています。 私の留守中にRoseyがVocabulary
Builder を3冊買ってくれたので、新出単語の用例を電圧装置で皆殺しにしようかと野望を抱いていますが、手が回るかな... 出来たらこれも報告します。
誰かの声がしたので、誰か来たのかと思い起きる。
階段を降りかけたら、松本さんが庭で作業をしているのが見えた。メキシコからアスパラガスを空輸した後の空き箱を解体し、厚めの板をとりだす作業を手伝ってくれることになっていたのを思い出す。パジャマのまま庭に出て、松本さんとダイスケ君に寝起きの挨拶をし、家に入って着替え、解体作業に加わる。3時頃、妻が勤めから帰り、お茶にする。
薄い板はストーブの焚き付けにしようと思っていたが、このメキシコの松の脂はとてもいやなにおいがするので、家の中に入れたくない。畑へ持っていって焚いてしまうことにし、軽トラックに積む。畑にいくつか置いてあるドラム缶に溜まっている水を捨て、薄い板をどんどん放り込み、ドラム缶の上の縁の高さより上に出ない程度で火をつける。風下に枯れたススキが群生しているので、箱のラベルになっていた紙をドラムカンへ入れないように気をつかう。風が強く、煙はほぼ水平に流れる。こういう状態で紙を燃やすと、紙は燃えながら風に乗る。それが枯れ草に着地し、燃え広がったら後は手をつけられない。5、6メートルの高さの火が燃え広がるのだ。昔は、子供だけで野火をやった。中学生くらいの人たちは、野火の火の燃え広がり方と、どこで火が止まるかをちゃんと予測できた。野火には小さい子供も加わって、大きい子供がでかい火を燃やし、余計なところに燃え広がらないように、小さい子供は小さい火を棒で叩いて足裏で揉んで火を消す作業をやった。大きい子供から小さい子供へ、火のコントロールの技術は伝えられていった。俺が小学生の頃、そういう作業に加わってわくわくしながら、どうすれば火が消えるかを知った覚えがある。野火に大人が加わっていなかったことも覚えている。今は、大人でさえ火を焚くと消防署から怒られる。さいわい、農作業で出る枯れ草や枯れ枝は畑や畑の近くの土手で燃やしていいことになっている。
ドラムカンで松を燃やした後、松本さんとダイスケ君は帰る。畑に、おやじが剪定した梅の枝が放置してあるので、松を燃やした熾で梅の枝を燃やす。夕方、風が弱くなってきたので、去年の花の枯れた茎や葉も燃やす。暗くなってきたので、作業中断。枯れた茎や葉の処理は後日とする。
ペンペン草の親類だと思うが、背丈が小さく黄色い花をつける野草が畑に多い。イヌナズナと言ったか? これと、ホトケノザが混成している。両方とも背丈が低く、これを木製の自作のプランターに植えれば、花の時期が同じなので見られると思う。春先の雑草を鉢で見るには、雪が消えた直後くらいに、鉢の大きさに地面を切り取って、乗せればいいのではないか。来年はやってみようと思う。
暗くなりかけて帰宅。板を、薪小屋の二階に積む。軽トラックを薪小屋のすぐそばまでバックで寄せ、荷台と薪小屋の二階をアルミに足場板で斜めに結ぶ。こうすれば、薪小屋の二階に梯子や脚立なしでアクセスできる。工事用の照明をつけて、8時半頃までやる。8時頃から、村田君、いくこ、松本さん、浜田さん来る。雑誌「鰐る」の製本の日。みんなは作業を始めていたが、板を積み上げることを続け、積み終えてからあわててシャワーを浴びる。
10時近く、ノンタン来る。10時過ぎ、ラビンドラが貸すことになっていたビデオデッキをお父さんと一緒にとりにくる。雑誌の製本を終えて、おにぎりとお茶。ラビンドラとお父さんが帰る。浜田さんも明日仕事が早いとのことで帰る。松本さんは、朝6時から動き回っていたとのことで、寝たいからと帰る。残ったメンバーで、「鰐る」のホームページと掲示板を作ることを計画する。日が改まってまもなく全員帰る。少し寒いので薪ストーブを焚く。
Naima さん
やってますね。
ヴォキャブラリー増強用の本だということですが、例文は何語程度のものが多いですか。
まあ、何語でもいいですが、知らない単語を含む文を「回転読み」の坩堝、「回転書き」
の坩堝に叩き込んで処理した後、単語単位で記憶強化と記憶保存用に「電圧装置」をやる
ことをお奨めします。「電圧装置」だけをついやりたくなりますが、「回転読み」「回転
書き」と有機的に結びつけるのがいいと思います。
4月に空いた枠が埋まりましたので、5月以降、再び予約の継続をお願いします。
特に手続きをしていただく必要はありません。
以前にしていただいた予約は生きておりますので、1番目の予約者として、こちらで認識してお
りますから、その点はご安心下さい。
Naima さんの「電話でレッスン」の初日に、Rosey さんがMD付きの機械を持っているだろうと
いうことだったので、その機械でテープにダビングしたものを、Naima さんに渡していただくた
めにお送りしたのでしたが、MD付きの機械はありませんか。
弱りましたな。
ダビングができるようでしたら、テープ二本にダビングし、一本をご自分用にし、一本を
Naima
さんにお渡しいただきたく思います。
駄目でしたら、こちらに返送ください。
私がMD付きの機械を買って、テープにダビングします。
こうすれば、他の生徒さんにもお送りできるので・・・。
お送りしたMDは、ビデオの音声だけを録音し、会話部分だけを残し、余計な音を削除して編集
したものですが、自分用に作ったので、あまり丁寧な編集はしてなく、結構余計な音が残ってい
ます。まあ、しかし、実用に耐えるだろうと思います。
もう一つの本をお送りいただいたようでありがとうございます。
「英会話・ぜったい・音読、挑戦編」の英語のテキスト部分をながめています。CDはすでに聞きました。
ひとまず、お奨めの使い方を書いておきます。この本には、千田さんのお奨めの方法が書いてありますが、私のお薦めの方法も試してみて下さい。
トラック2は『「ルーレイルパス」とは何の略称ですか』というタイトルがついています。分量的には少ない。トラック3はトラック2の三倍量くらいあります。全体に、分量の多いものと少ないものが散在しています。
一日分の練習用に、トラック2程度の分量かトラック3の半分程度か、適当に自分で決めてください。トラック3全体くらいの分量でもこなせるなら、それくらいを一日分にしていただいても結構です。
一つの文を基本単位として、「回転読み」に叩き込んでください。初めはゆっくりと、丁寧に間違えないように読みます。ここで、間違えると、けっこう練習が長引きます。
一つの文を繰り返し繰り返し読んで下さい。その文の音の連続の型が安定してきたら、徐々に読むスピードを速めてください。この時のコツは、急に速く言わないことです。徐々に徐々に速めます。スピードが増すと、音が崩れやすくなりますので、「よりはっきりと、より速く」を心がけてください。
自分の口の筋肉にとっての最高速度というものがあります。その速度で読め、音の型が安定していると確認できたら、ひとまず「回転読み」の完成です。間違いなしで、10回程度繰り返せるくらいが目安です。指を折って数え、間違えたら指を開いてご破算にして、最初から数えなおし、10回繰り返せることを確認してください。
「回転読み」は、50回とか100回という回数で読んでも構いませんが、この中には途中でつっかかってしまうところとか、読み違えるものも回数に含まれていると思います。
これまで、あまり書いてきておりませんが、回数という量で判断するより、「間違わず10回繰り返せる」という質で判断する方が本当は確かです。
私の練習でも、総回数で何回かということは気にしていません。「間違わず繰り返し10回」が成立するかしないかで、次の文の処理に移るかどうかを判断しています。
一日分として自分で決めた量に含まれている各文を、文単位でひとつづつ「回転読み」をやったら、それを「T」として扱います。「T」「FN」「FF」の相互関係については、すでに把握されているものと判断していますので、ここでは詳述しません。
FNでは、一文ずつでなく、一日分を単位として、國弘さんの「只管朗読」をやられることをお奨めしますが、その途中でつっかかったり間違えたりするところがあれば、その文を対象に「回転読み」をなさることをお奨めします。ここでも「間違わずに10回繰り返せる」ことを目安にしてください。FNの総量としては3日分です。
FFでも、「只管朗読」をやります。まちがえたりつっかかる文を対象に、1文単位で「回転読み」をする場合、「間違わずに5回繰り返せる」程度が目安になります。FFの総量は6日分です。
FFは量が多いですから、Tの量を欲張ると、いずれ練習が非常にきついものになります。その辺は適量をご自分で判断してください。
FNやFFをどこで切り上げるかですが、「回転読み」をする必要があった回を回数に加えず、一日分全体を間違いなく読めた回数だけ数えて、3回も成立すればいいだろうと思います。
FFが、Tに追いついたら、FFは最初(トラック2)に戻って再び最初から復習になります。一冊全部、TやFNをやる部分がなくなったら、しばらくの間は、FFだけでがんがんやって下さい。この場合は、6日分という分量にこだわらず、10日分でも15日分でも結構です。あるいは、一日のうちで練習に割ける時間の分だけとしてもいいと思います。
不明の点はおたずね下さい。
「ルーレイルパス」
→
「ユーレイルパス」
先に書きました練習を継続しながら、机の上でなくて結構ですから(家事をしながら、車を運転
しながら、等)CDの全体を絶えず聴いてください。
「回転書き」の時は、必ず、自分の手先から生まれてくる字が形成する英単語(群)のイメージ
を意識に保持して下さい。書くスピードは読むスピードより、ずっと遅いので、イメージを生じ
させることがやりやすいので、これは是非やってください。
日本語は媒介にしてかまいません。
日本語を媒介にして、イメージを発生させることを意識して下さい。
イメージが確かなものであれば、繰り返し練習している途中で、具体的な日本語は不必要になり、
イメージと英単語だけが動くだけになります。これは、イメージの変容過程を生きることと同じ
です。イメージ自体から見れば、独在しようとするイメージが、に既成の(日本語を媒介にした)
イメージを脱皮していく過程です。
英単語から直接にイメージが生じるようにする過程です。
今般ご用命ありがとうございます。しかし、チラシの表現に若干問題がありますので、このままではお入れできません。悪しからずご了承ください。なお、あくまでも表現の問題ですので、表現を変えていただければ構いません。
貴塾のご発展を祈念申し上げます。長野オリコミ部長 石田勇
Roseyにもらったタンゴ増強本の例文は15〜20語文です。 まだやってはいないのですが、この長さの例文だと、きびしそうですね...
地元の更埴市にバラまくつもりで作ったチラシが、信毎販売センターから拒否されました。
信毎販売センターは馬鹿ばっかりなのかどうか、自分で折り込みチラシを新聞に入れるべきかどう
か判断できず、「長野オリコミ」という会社の石田勇さんという人に判断を仰いだらしいです。
石田さんの判断は、「拒否せよ」というものだったらしく、信毎販売センターから、今日、拒絶の
電話が来ました。近頃、松本対大家問題で、けっこう煮詰まった感覚を持っていたせいで、
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
石田さんに電話をしたときは、非常に失礼な態度に出て、私は最初から怒鳴っているような口調で
した。石田さんには非常に失礼なことをしたと思いますが、信毎販売センターの親会社が長野オリ
コミなのか、長野オリコミが信毎販売センターの何なのか、まったく私にはわからず、信毎販売セ
ンターの宮下和幸という人が、私の主張に何もまともに答えられず、長野オリコミの石田勇に電話してく
れと、サジを投げたのでした。それで、私の頭の中には、宮下和幸さんより、上等な判断を下せる
人として石田勇さんという人がいて、その人が私の折り込みチラシの文全体を却下するように判断
したのだと判断したので、私は最初から喧嘩腰でした。
最初から喧嘩腰というところに問題はあるものの、私は、電話でやりあったことに対して一切妥協
するつもりはありません。書き直して、チラシとして信濃毎日新聞にはさんでもらおうなどという
気はまるでありません。
まあ、現在酔っ払っておりますので、後日、きっちりやりたいと思います。
場所は、http://8246.teacup.com/nessy/bbs
です。
失礼しました。
この北信地方で起こっている、資本論理による、少数意見の潰し方は、しかし、この地方だけの
問題だとはとうてい思えません。
世界規模でも、イラクの潰し方として、現れてきています。
石田さんは、我が身がかわいいので、この娑婆に置かれるべき意見を潰したわけです。
石田さんは言いました。
「わたしどもも、人気商売です」
これは何を意味するかというと、でかい部数の折り込みをやる Nova や信学会という組織体の
ご機嫌を損ねたくないということです。吹けば飛ぶような素読者のチラシを新聞にはさんで、
信学会や Nova のごきげんを損ねれば、金にならんということです。
言っていることはそれだけのことです。
私は「それだけのこと」の範囲にとどまるつもりがないことを言明したくて、チラシを作りま
したが、資本に言いなりの長野チラシは少数意見を抹殺する挙に出ました。石田さんは、はっ
きりと言いました。大多数の人々が正しいと考えている意見を書いた意見広告なら、チラシと
して入れる。少数意見はつぶしていいということかと私が言いましたら、その通りだと言った
のです。多分、石田さんはそんなことは言った覚えがないと言うかもしれませんが、石田さん
は確かにそう言いました。
まあ、とにかく、後日に致します。
長野オリコミという会社の、そのあり方を考えてみたいと思っています。
優先
二回目のレッスンを受けられての感想をよろしくお願いいたします。
「皆様」というタイトルの記事の最終行はゴミです。お許しのほどを。
長野オリコミという会社の石田勇さんという方が、新聞折り込みを拒否せよと信毎販売センターにアドバイスだか指示だかをした私の文章は以下のようなものです。
皆様の判断の資料として、掲示いたします。
できたら、なるべく多くのご意見をお聞きしたいと思っています。
以下、チラシからの引用です。
----------------------------------------------------
日本在住のままの英語学習においては、「音読」だけがほとんど唯一の突破口です。しかし、英語は外国語ですから、「音づくり」を兼ねた「音読」を行わないと、通じない音、通じないイントネーションが固定するおそれがあります。コーチが必要です。
学校の英語、進学塾の英語は「死ぬ英語」です。
日本には英語という巨大な死体が横たわっています。
これはもはや、誰の目にも明らかです。
素読舎は、現在の音読ブームが訪れるより三十年近い以前から、素読という日本の音読法の精華によって英語力を作り続けてきました。
ご検討下さい。
学校英語によっても、ガイジン信仰の英会話学校によっても、日本の英語が立ち上がることはありえません。
素読舎 更埴市鋳物師屋642−3
電話026−272−4330 携帯 090−3316−4180
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
----------------------------------------------------
(お断り)
学校の英語、進学塾の英語は「死ぬ英語」です。
日本には英語という巨大な死体が横たわっています。
ガイジン信仰の英会話学校によっても、
以上の文は、フォントを変えて、大きな字体で印刷されています。
現物をご覧になりたい方は、ご住所を、
387−0015
長野県更埴市鋳物師屋642−3 根石吉久
までお知らせ下さい。ゴミの山とされる運命をたどりつつあるかもしれないチラシの現物をお送り致します。
詳しく「挑戦編」の音読のしかたを、詳細にご教示しただきありがとうございます。
「挑戦編」はこれまでに、千田さんの方法を2クールと100回音読は終えていました。けれども、根石さんのお薦めの方法を拝読し、いかに雑な音読をしていたことかと恥じ入ってしまいます。回数に固執し、質が非常におろそかになっていました。
>これまで、あまり書いてきておりませんが、回数という量で判断するより、「間違わず>10回繰り返せる」という質で判断する方が本当は確かです。
目からうろこです。気を引き締めて、根石さんのお勧めに忠実に守って再出発したいと思います。早くしたいのですが、「文法1000」が途中でどうするかな。「文法100」と「挑戦編」を両方は厳しい。でも、早くやりたい。よく考えてみます。
根石さんのお勧め法、頭ではわかったと思います。実際にやってみてわからないときは、質問させていただきます。よろしくお願いいたします。
>Roseyにもらったタンゴ増強本の例文は15〜20語文です。 まだやってはいないの
ですが、この長さの例文だと、きびしそうですね...
Naima さんにはちょうどいいような気もしましたが、どんなもんでしょうか。
問題は、生活の中にどれだけ時間がとれるかというところにあると思います。
長野オリコミ、石田勇の書き込み以後の関連の記事は、「大風呂敷」に転写しました。
一部、校正してあります。
以後、チラシ関係のコメントがありましたら、「大風呂敷」の方でお願いいたします。
----------------------------------------------------
石田勇さんへ
書くべきことがおありでしたら、「大風呂敷」
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
にお願いいたします。
「頻出英文法・語法問題1000」(桐原書店)届いています。
昼に蕎麦を食いに出て、食い終わって、そば湯を飲みながらパラパラを眺めました。
気になったのは、昔、「大風呂敷」で Eliot さんが指摘した、obsolete な語法がどれほど含まれているかでした。とはいうものの、私には英語の文に含まれる語法のどれがどの程度に obsolete であるか、判断できません。なんとなく、勘で現代英語か、昔の英語かわかる程度です。
で、大学受験生によく使われている「基本英文700選」よりは、はるかにましな本だという判断です。これからの受験生は「700選」を捨てて、この本を使う方がいいと思いました。「700選」のメリットは、抽象的な内容の文を多く含むというところにとどまり、本の出来では「頻出1000」の方がはるかにいい。
この本を Rosey さんは、どういう風に使われているのでしょうか。
一つの文を相手に、100回というような回数を読み込まれているのでしょうか。
もしそうであるなら、「音読」というよりは、「回転読み」に近いと思います。
これまでの「鬼」への練習の報告から判断して、おそらく「回転読み」をやられているのだと思います。「回転読み」については、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」をご参照ください。Naima
さんがお持ちなので、借りることができると思います。
この本に関してなら、私のお奨めの練習手順は以下のようになります。
1.「回転読み」(間違わず10回連続で言えるレベルの確保)
2.「解答・解説編」で、文法的な理解。
3.「切断読み」で、英単語(群)にイメージ(意味)の充電。(徐々に読みを速める)
4.「回転書き」で、日本語を媒介にせずにイメージを独在させる。
5.「回転読み」で記憶保存。
この一連の練習を「一つの文」に対して施し、それを「T]とするのがいいと思います。
「FN」「FF」に関しては、「2」「3」をやらなくてもいいと思います。やらなくてもいい程度の質の練習を「T」をやるときに確保して下さい。
練習は一冊ずつやるのがいいと思います。
現在「1000」の方をやられているのでしたら、それをお続けください。
あぶはちとらず、という言葉がありますから。
実は蕎麦屋で蕎麦湯を飲みながら、もう一つのことを考えておりました。
この「頻出英文法・語法問題1000」を「電話でレッスン」のテキストにできないものかということでした。この本を「音づくりによるインプット」のレッスンのテキストにすれば、大学受験と使える英語を結びつけることができるんじゃないかという構想です。
同じ文で時制を様々に変化させる、平叙文←→疑問文←→否定文の変化をパターンプラクティスで生徒にやらせ、同じ作業をやる時間を短縮させるということは別に必要になると思います。それは、Jackie
さんがやっておられ、「大風呂敷」に報告して下さっています。
ひとまず、この本に出ている英文を語数別に分類すると、結構協力な教材ができると思いました。ただ単に語数別に並べなおすだけです。昔、Naima
さんに語数別分類をやってくれないかなあとお願いしたことがありましたが、手分けしてやっていただけると非常にありがたいです。できた教材は、どなたでも使えるように、私のホームページあたりに掲載したいと思います。
なぜ語数別分類などという作業が必要かというと、文法理解や内容理解(意味的理解)の難易度と、「音づくり」の難易度がまったく別物であるという理由によります。
私は素読を原理としておりますので、意味のわからない文を意味がわからないままに音だけで完成させてしまうことにはちゃんと意味があると考えています。この点が、國弘正雄ともっとも対立するところです。國弘の方法は独学法であり、私の方法はやはり素読を原理としているため、コーチ付きの方法です。
ちゃんとしたコーチさえいれば、素読を原理とすることができる。それは凡百の「音読」をはるかに超えると思っています。
さて、素読を元にしたコーチ付きのレッスンをやる場合に、音の完成は、文法的な理解や意味的な理解とはまったく関係なく、語数(文の長さ)が大いに難易度を左右しています。必然性はありませんが、蓋然的にははっきりとそれが言えます。
この「1000」を語数別に分類してしまえば、「音づくり」のために、易から難に向かう配列ができます。そうすると、「音づくりによるインプット」のレッスンに最適な教材ができます。この教材によって、この本に含まれる1200の文を全部インプットしてしまえば、後は、この本の配列通りに読み進めてもいいし、ランダムに読んで理解することを楽しむことができる。
問題は、こういうよく出来た本に、「音づくり」を噛ませることです。
この本の語数別分類が出来、私の「電話でレッスン」が普及してくれれば、闇の中にいる受験生に大いなる福音になると考えます。また、そのことで、大学受験の英語と使える英語が合体するようになるとも考えています。それが、日本人にとっての英語の最短距離だという信念は揺るぎません。
ご意見をお聞かせください。
結構協力な
→
結構強力な
金曜日に長居でやっている勉強会で、誰からともなく「中学高校の基礎が身に着いていない」と言う意見が出たので、相談の上、これともう一つ英語標準問題1100を選び中学高校の復習から勉強しなおす事になりました。 やりなおして見ると忘れてしまっている語法やうろ覚えの構文などがボロボロと出て来て、なかなか手強いものがありました。 進学塾の英語の先生が学習会に来られた事がありましたが、さすがにこの方は正解率も高く文法的説明も明解にして下さいました。 けれど運用力と言う事になると、話は変わって来ました。 進学塾の先生でさえ基礎が知識としてしか身についていない事を痛感しました。 それで Rosey と私はこの教材で回転読みをする事に決めました。
同じ文で時制を様々に変化させる、平叙文←→疑問文←→否定文の変化をパターンプラクティスなどは、私だってやってみたいくらいです。 紙の上で解答出来るのと、口答で即座に答えられるまでの間には大きなギャップがあります。 まして大学受験者には必須だと思いますし、これを、「即座に、自在に」変換出来る様になれば、彼等の長文読解や作文力の向上にも繋がると思います。
4月10日FF'No.555−620
これは翌日の勉強会のためのおさらい
11日なし
12日 FN No.781−801
FF No.731−790
13日 T No.811−815
FN なし
FF No.731−790
12日まで、従来通り Tは50回回転読み、 Fは 10回回転読み
13日 T 根石さんお奨めの方法
F 10回回転読み
「文法1000」の練習手順をお教えいただきありがとうございました。
早速、昨日やってみました。昨日はTだけ試しました。本日より、TもFも根石さん方式で、その配分も調整できそうです。いままで、Tを10題平均でやっていましたが、厳しいので5題に減らしました。これでもきついかなと思っています。
「切断読み」Naimaに借りた「どんでん返し」に確か方法が載っていたと思うのですが、手元にないので、金曜日また見せてもらいます。とりあえず、一語一語読んで、スピードを上げました。
4.「回転書き」で日本語を媒介にせずというのができているのか、確信がもてません。千田さんは筆写のとき声を出しながら書くことを奨めておられましたが、根石さんもそう思われますか?声を出すと、どうしても書く早さが追いつかず、声の方が待つようになり、待ってる間に流れが途切れて、違うことを口走ってしまいます。私には、音なしのほうが合ってるような気がします。
いままで、単にTは50回転、Fは10回転と回数にのみこだわっていました。根石さんの方法でやってみて、機械的に数をこなしていたときと異なり、イメージの充電を意識したり、速度を早めたりと、いろいろ考えながら読むようになりました。変化を持たせることができ、おもしろくなりました。数だけこなしてたのじゃ、おもしろくもなんともないです。
根石さんのご計画素晴らしいと思います。ぜひ協力させていただきたいのですが、もうNaimaおっしょは、さっさと取り掛かっているようです。とてもじゃないけど、Naimaのスピードとパワーにはついて行けません。相談してみます。
基本の文を変化させるパターンプラクティスは素晴らしいと思います。昔々、初めて英会話の学校に通ったときに出会いました。英語の基礎はできているが話せないという初級クラスでした。教室でほどんと黙ることはなく声を出していたように思います。ダイアローグの音読。ロールプレイ。基本文型のパターンプラクティス。1パラグラフ文の文章の音読を何回かして、次は本を伏せて講師の読むのをリピート。このときに、長い文になると、バックビルド方式とか言ってたと思うのですが、フレーズごとに文章の後ろからリピートさせて、1文を完成させる。これも効きました。
こんないい方法をなぜ中学や高校でしないのかと不思議でした。パターンプラクティスのようなことを、若いうちにやっておけば、楽に英語を習得できるだろうにと思います。
根石さんのアイデアすばらしいと思います。
語数は数え終えて、5語文から整理に掛かっています。 明日、日本語検定1級のGET
のNoel先生に奇妙な文があるかどうかざっと見てもらう作業をやって来ます。
>このときに、長い文になると、バックビルド方式とか言ってたと思うのですが、フレーズごとに文章の後ろからリピートさせて、1文を完成させる。
それ、金曜日に詳しいやり方教えて。 語数別分類の作業手順、金曜日に相談。
>語数は数え終えて、5語文から整理に掛かっています。
お手数をおかけします。
5語文をやってから6語文をやるという手順だと、やたらにページをめくることになるし、遺漏が生じる可能性も高くなります。
通し番号の1〜100,101〜200というように100文ずつを単位にしてこなしていく方が、遺漏がみつけやすいと思いましたが、余計な口出しでしょうか。
100文を単位としてやる場合は、一つのテキストファイルに、「5語」「6語」「7語」・・等の見出しを先に配置し、該当語数の文を該当見出しの元に写していくというふうにやるといいと思いました。「5語」「6語」「7語」等の見出しをみつけるのは、ワープロ、エディタで文章内を検索するか、アウトライン編集の機能を使うと楽です。
余計な口出しになることを恐れつつ・・・。
Rosey さんとご検討下さい。
どうか、Naima さんにご協力いただきたくお願いいたします。
>バックビルド方式とか言ってたと思うのですが、フレーズごとに文章の後ろからリピートさせて、1文を完成させる。これも効きました。
これは私はやったことがありませんが、なんとなく想像できます。
また、根拠もあると思います。
日本人は、おおざっぱな状況を言うことから始めて、だんだん細かい部分に入っていくように思考が(日本語によって)できています。日本人が最初に思うものは、英語では、時を表す副詞(句・節)や場所を表す副詞(句・節)などになります。日本語の思考では最初に来るものです。
細かいことで、いくらでも例外は提示できても、基本的な思考順序において、日本語で育った人には、副詞的要素が最初に頭に浮かぶのであり、決して英文における主語なんかではありません。
ここのところをクリアするために、バックビルド方式は有効だと思います。英文を準日本語的に読もうとする方式で、恐らく漢文の返り点などのような工夫に匹敵すると思います。だからこれは和製の技法だと思います。
これはいっとき媒介にするにはいいが、あまりやらない方がいいようにも思います。癖になるとまずいのです。
今は、「切断読み」を強くお薦めします。
「切断読み」はなにがなんでも、英語の語順の通りにイメージを生起させる方法です。また、読むための速度は緩急自在にとれます。この緩急自在を活かして、意識に逆流を生じさせ、英語における思考順序に慣れるのがいいと思います。
逆流をきちんと生じさせるところがポイントです。
ワープロ、エディタで文章内を検索するか、
→
ワープロ、エディタで文書内を検索するか、
>4.「回転書き」で日本語を媒介にせずというのができているのか、確信がもてません。
ここのところが、語学を語ろうとするともっとも難しい問題なのだと思います。
私なりに考えてきたことを言いますと、具体的な言葉、すなわち、単語、イディオム等は記録可能です。文も記録可能です。文字に記録でき、録音音声にもできます。標準的な意味も記録可能でしょう。(だから、辞書というものがあります。)
これら記録可能なものの総体に対して、イメージは記録できない。動きやまないので、映像にも文字にも録音にも固定できない。微細なことを言うならば、意識が同一の単語に出会っているのでも、その度に、実はイメージは違っている。微細に違っている。話し手の声の調子によってでも、その度にイメージは変容する。
いちいちのイメージの変容を意識していたら生活が成り立たないので、イメージの変容は日常的には基本的に意識されません。しかし、体調によって同じ詩を読んでもまるで違う詩を読んでいるような気になったりするのは、イメージというものの変幻自在と融通無碍の性質によります。体調によって、イメージが左右されるなどは、文学に限らず、語学においてもあることだと思います。
なんにせよ、イメージは意識されないが、生きている人間とともにある。生きている人間の中で変容を繰り返したり、先祖帰りをやったりするものがイメージである、と、いうことであれば、イメージとは、人間が現に生きていることの、論証不要の証でもあると思います。
つまり、イメージの絶対性などない。瞬間では絶対が成り立つが、イメージの本性は、変幻自在そのものであり融通無碍そのものである、と。一人の人間と同じように「不定」なのだと思います。
だからこそ、語学などという変態行為も成立するのです。誰もこれを変態行為だと思っていないだけで、これは変態行為です。あっしら、語学に魅入られた者どもは、自覚するしないに関わらず、ネイティヴな言語だけによる生活過程に対して変態なのです。
もとい。
記録可能であるから記録されてしまったものは、実は言葉の死体です。
この死体に踊りを踊らせるのが、語学です。ミイラの踊りです。
その踊りの姿態が、真であるか偽であるかは、語学をやっている当人にしかわかりません。いや、当人にもわかりません。それは、読書して「面白いかどうか」、人と話して、「まともに通じるかどうか」というところでしかわかりません。語学の真偽は、語学を出て、語学の対象とした言語を生活言語にしてみないとわからないのです。
私は、イギリス人(日本語の生徒)を、日本人を笑わせるのと同等に笑わせることができるかどうかを近頃の目標にしていますが、うまくいったりうまくいかなかったり、道遠しの感は否めません。同じことをスリランカ人に対してもやっていますが、同じアジア人のせいか、スリランカの人はよく笑ってくれる。
使って見なければ、自分がたった一つの英単語に込めたイメージでさえ、それが真であるか偽であるかがわからない。その意味で、語学は自分を他に対して開く行為であると思っています。蛮勇と繊細さが必要なのが語学です。
練習の途中で、イメージが日本語(具体的な日本語の単語など)を脱皮しているかどうかは、意識的になれば確認できます。それは、瞬時に当人にしかわからない形で確認できます。あるいはまた、普通、生活過程では意識しないイメージの変容を、いちいち意識することが語学だとも言えます。
イメージは、私の中では、あらゆる言語、あらゆる言語のあらゆる記録可能なボディよりも上位にあります。これは、文盲の人の中にも、気が違ってしまった人の中にも、ボケ老人の中にも動くものです。そして、私はそれを具体的な記録可能な、あるいは可視的な言語要素の上位に置きます。
たった一つの単語でも、抱きしめるように感じとること。
そうすると、イメージが動きます。
そうすることを繰り返すことで、徐々に真に核となるイメージが結晶します。
語学の宝とは、その結晶のことだと思います。
コツは、強く思うということです。
>千田さんは筆写のとき声を出しながら書くことを奨めておられましたが、根石さんもそう思われますか?声を出すと、どうしても書く早さが追いつかず、声の方が待つようになり、待ってる間に流れが途切れて、違うことを口走ってしまいます。私には、音なしのほうが合ってるような気がします。
「待ってる間に流れが途切れて、違うことを口走ってしまいます」というところがよく理解できません。「違うこと」とはどんなことでしょうか。
先に、イメージを意識に現前させることを書きましたが、ぶつぶつととぎれとぎれにつぶやく単語(群)と現前しているイメージを合体させるように意識を行使するなら、声に出して単語(群)を言うことは非常にいいと思います。
「切断読み」と「回転書き」は原理的には同じものです。
対象が活字であるか、自分の指が生み出す英単語の綴りであるかが違いますが、原理的には、イメージを生じさせるためのものです。
國弘は、「只管筆写」とイメージの関係をいまだ言えていない。千田さんもだと思っています。もちろん、國弘も千田さんもイメージは人並み外れて英語という言語の核に迫っておられるのですが、推奨する方法がどうイメージと関連するのかは、ほとんど何も言えていないと思っています。
肝心なことを書き忘れました。
イメージは、日本語でもなければ英語でもありません。
「思い」そのものであり、「思考」そのものです。
イメージこそが、あらゆる言語を越え、あらゆる国境を越えるものです。
語学の本体、語学の本当の対象はイメージだと思います。
>「待ってる間に流れが途切れて、違うことを口走ってしまいます」というところがよく理解できません。「違うこと」とはどんなことでしょうか。
>「切断読み」と「回転書き」は原理的には同じものです。
わかりまた。テキストを見ながら「切断読み」で「回転書き」ですね。
わたしは、「回転書き」をするとき、「切断読み」をしながらというより、一文単位でしかも記憶できたものはテキストを見ずに声を出しながた「回転書き」をしていました。文を日本語で認識しているため、手が追いつかないと、より自分が慣れ親しんだほうの同意表現が口から出たりしました。
まず、「イメージ」「強く思う」を意識しながら、回転してみます。
今日、GETのNeolに400文ほどチェックしてもらいましたが、20文に1文くらいは、「ウ〜ん?」と首をかしげるものがありました。 通じるが不自然、フォーマルすぎる、などの文、状況を限定すればこう言う言い方も出来る、明らかに古臭い言い方のものもありました。 しかし古臭い言い方でも、ディケンズなどを読むと出てくると言う事もあるので、切り捨てるわけにもいかないのかな、とか思っています。 一応金曜日に残る全文をチェックしてもらうつもりです。
もし会話に応用させると言う事であれば、なるべく自然な文にしておいた方がいいのでしょうが、大学受験用だと言う事を考慮に入れれば、あきらかに間違っているもの以外は残しておかざるを得ない様にも思います。
>Neol → Noel
>通じるが不自然、フォーマルすぎる、などの文、状況を限定すればこう言う言い方も出来る、
明らかに古臭い言い方のものもありました。
そうですか。「700選」などと比べるとずいぶんましに見えたのですが。
私は、英語ネイティヴの感覚で英語をしゃべろうなんていう気がまるでなく、日本人の英語は
不自然であることが自然なのだと思っているのですが、それでも、テキストはなるべくネイティ
ヴの感覚を反映したものがいいと思っています。しゃべる英語のためではなく、聞き取る英語の
ために、です。
この種の本で、まともな現代英語のみを例文としているものっていうのはないのでしょうかね
え。おかしな文だというものも、そのまま残して、ノエルさんの指摘を併記するというのがいい
ように思います。
受験英語で使う本についても、例文はネイティヴによるチェックを通すのが常識化するといい
と思うのですが。例文を大学入試問題から拾っている限り、この問題は解決する日はこないと思
います。
例文の質は「まあまあ」程度ということだったのですが、本の構成の仕方は悪くない。
困りましたね。どうしますか。
それが、全体の1割や2割程度なら排除すべきではないと思います。
注釈で、obsolete であると断りを入れて残すべきだと思います。
>>「切断読み」と「回転書き」は原理的には同じものです。
これは誤解されやすい言い方だと気付きました。
「切断読み」と「回転書き」は、もちろん名前の通り別物です。一方は「読み」であり、一方は「書き」です。しかし、どちらも意識にイメージを喚起するために有効であるという意味で、その作用は共通しているという意味で、原理を共有するということです。
>テキストを見ながら「切断読み」で「回転書き」ですね。
ええと、そうじゃないです。「切断読み」はテキストを見ながらやります。
「回転書き」は、そうじゃなくて、自分の手元から出てくる英単語(群)だけを見てやるのです。そうすると、別の同意表現が口から出てしまうという問題をどうクリアするのか。
おそらくですが、暗記とか意識的に記憶しようという癖があるのではないでしょうか。
國弘正雄がうまく説明していたのですが、今日も酔っ払っているので、面倒だから、國弘の本から引用しないで、私なりに解釈したことを書きます。
記憶しようとか、覚えようとか思う必要はないです。その必要がないのです。
ただただひたすら声に出して読み、その「読み」がこなれて、口の動きが柔らかく連続し、バネが備わるようになるまで、バカになって読み続けることが最大ののコツだと思います。この過程は、「音づくり」でもあるので、音に自信が持てない場合は、コーチを獲得されるのが得策です。Naima
おっしょに、いずれコーチをやるように念を押しておいてください。
もし、口の動きが一連の音の型を獲得してしまっていれば、意味的に似た別の表現が顔を出す余地はなくなります。音が先導するので、別の表現が混ざり込んでくるということはなくなるはずです。しかし、私ども、まだ生きている者が、長い文を扱うことになると、そうそう一連の音で覚えているわけにはいかない。國弘はそれをやった人ですが、國弘は音だけでなく、意味の継起によって覚えたと思います。意味の継起によって、音を連続させることも、音の連続によって意味を継起させることもできるようなレベルのことを日本にいてやってしまったので、アメリカに渡ってからは同時通訳の能力として花が開いたのだと解釈しています。在アメリカで花が開いたのだということをはっきりと言わずに、在日本で「只管朗読」をやれば、國弘と同じような能力が備わるかのような幻想を、在日日本人に与え続けているところが、國弘の罪深いところだと思っています。このあたりには、私は國弘の浅さを感じます。しかし、しかし、この人が、在日本において初心者・中級者のために本当にためになる方法を初めて提示したのですから、このことの意味は決してなくなることはありません。功罪半ばする人です。
えーと、何の話だったか。
えーとですね、素読の考え方では、意味よりも音を先だたせます。
ですが、長い文になると、意味よりも音を先立たせることの難度が増します。
これに関しての工夫は、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」に書いてあります。日本語を介在させて意味的な継起を覚えているから、意味的に近いすでになじんでいる語法が顔を出すのですから、機械を使って音に先に行かせることで解決ができます。
すでに「間違わずに連続10回程度回転可能」な質に関しては、理解していただきました。この質が獲得できたら、テープレコーダーを用意して、この質の読みで50回程度をテープに吹き込んで下さい。
90分テープくらいが適すると思いますが、そのテープに「間違わずに連続10回程度回転可能」な質で、同一文を50回くらい吹き込み、テープ一本に入るだけの複数の文を吹き込んでしまいます。このテープを再生して、聞こえてくる文を「回転書き」します。その時、イヤホン、ヘッドホンのたぐいは使わず、音量も絞り気味にして再生させておきます。「回転書き」という練習のBGM程度のものとして使用します。
この状況の下に、「言いながら書く」ということを繰り返し「回転書き」をやります。
言うのは瞬時。書くには時間がかかる。だから、書くスピートと言うスピードにはかなりの「ずれ」が生じます。言うスピードを書くスピードに合わせます。一つの単語を書き始める前に言うのでも、書いている途中で言うのでも、書き終わったと同時に言うのでも構いませんから、とぎれとぎれにぶつぶつと言いながら「回転書き」で書き続けます。そして、肝心なことは、イメージすることです。なるべく、日本語を介在させずにイメージします。
途中で、あれっ? となり、書いている手が止まることがあります。ど忘れです。そしたら、BGMを聴いて下さい。次に書くべき単語(群)が何であるかをBGMが教えてくれます。
先日の手順に書いてありませんが、「回転書き」の前に「電圧装置」で単語一つ一つがすらすらと書けるようにしてあると、「回転書き」では、イメージを生起させることに集中できます。「回転書き」に入る前に、ひとつひとつの単語を各数十回書いて、その単語をつぶやけば、手が勝手にそれが書ける程度の練習をしておくのがいいということです。
「回転読み」「電圧装置」「回転書き」「切断読み」などは相互に有機的に血が通うものです。「英語どんでん・・」は、一見突拍子もないようなことが書いてあるように見えるかもしれませんが、意外にそれぞれの練習は緊密に結びついています。
文庫本を読んで、実験してみて下さい。
やってみてくれるなら、手元に置いてもらうために一冊プレゼントします。
世間では品薄ですが、私の手元にはあります。
友達の手元にも、10冊近くあります。
本当にやってみてくれる人には、プレゼントし続けるつもりです。
この掲示板「鬼」で、ああ、この人はやる気だなと判断でき、ご本人が希望してくだされば、他の方にも喜んでプレゼントしたいと思います。
是非一度、基本通りにやってみていただきたく願っております。
O嬢 投稿者:根石吉久の ホームページ 投稿日:2003/4/16(水)03:46
申し訳ない。
こちらから半年か1年休まれることをお奨めした方が、レッスン継続の意
志があることをメールで言明されました。
もう少し、レッスン再開をお待ちください。
いつも、お時間を割いて、ご丁寧にご説明いただきありがとうございます。
>おそらくですが、暗記とか意識的に記憶しようという癖があるのではないでしょうか。
そうなんです。最近やっと、それを払拭できそうかなと思えるようになってきたのですが、まだできていません。>バカになって読み続けること」を念頭に置いておきます。
>口の動きが一連の音の型を獲得してしまっていれば、意味的に似た別の表現が顔を出す余地はなくなります
うーん。そうか。
おかげで、なんとのくモヤモヤしていたものが、わかりかけたような気がします。テープの回転書きおもしろそうです。さっそく試してみます。
5題づつTをやってみようと思ったのですが、昨日やってみて、3題でもきついかなと思いました。題数にはこだわらず、まずは根石さんの方法を叩き込むことを目標にやってみます。
>注釈で、obsolete であると断りを入れて残すべきだと思います。
700選の内容を知らないので1000と比べる事が出来ないのですが、8〜9割方の文章は間違っているわけではないので、使えると思います。 あきらかに間違っているものは省かずにそのまま残し訂正したものを並記して、解説つきでこれを使うのがいいかも知れないと思っています。 また、古臭くて現代では死語になってしまっている表現でも、古〜い昔話をする時などには必要かもしれず、非常に堅い表現でも皇室主催の園遊会(!)なんかで使えるかもしれないので、そのまま残して解説をつけてあげる方がかえって勉強になると思います。
Noelが「おかしいから変えた方がいい」と言った文章の例をあげてみます。 彼は大学受験問題である事を心得ているので、解答の選択肢そのものを変えないで文章を訂正してくれています。
8. She has worn the same hat for a month. → She has been wearing the same hat for a month.
22. I've never heard you are in this town. How long have been here? → I never knew you are in this town. How long have you been here?
38. My mother has been dead these three years. → My mother has been dead for three years.
39. He must be a good walker to have walked such a long distance. → He must have been very fit to have walked such a lond distance.
41. It was only an informal party - you didn't have to dress.→ It was only an informal party - you didn't have to dress up.
こんな具合です。
今まで、ヤンヤン(中国系カナダ人)のお別れパーティをやっていました。
酒のせいかやたら眠いので、今日はお休みします。
昨日、私の英会話教室を正式に友人に譲る手続きをして来た。 Rosey、ごめんな。 でも名義変更したら家賃が下がるって言う理由だけなので、長居教室は皆のもの、金曜日の学習会は、全員が死に絶えるまで続けるよ。
「生徒が思う様に集まらない」と言う話になった。 もう1人の友人の英会話教室は順調に生徒が集まっていると言う。 「外国人講師が教える」という宣伝文句が「効くよ〜」と言ってたとの事。 そういう姿勢は好かん。
私が教室を譲った友人は資格においても実力においてもまごう事ない上級者。 日本人の生徒に英語を教える術も心得ている人である。 彼女とそんじょそこらのネイティブスピーカーの「にわか講師」とを一緒にされたくない、と言うのが私の気持ち。
外国人講師を餌に生徒を釣る様な真似、させとうない。 ふみちゃん、あ、名前出してもた... 生徒集まらへんかったら、皆でタコ焼き屋でもやるか?「英語の出来るたこやき屋」ってのもオツやない? 「ドイツ語でもご注文承ります」って看板に書こうか。
だんだん根石化してくる自分に苦笑。
4月11日(金)
Ghost
(FN) P.7〜P.10 L.3
(T) P.10 L.4〜P.12
4月12日(土)
Ghost
(FN) P.7〜P.10 L.3
(T) P.10 L.4〜P.12
NHK Let's Speak!
(FN) 4/7, 4/8/, 4/9, 4/10
(T) 4/12
4月13日(日)
休み
4月14日(月)
Ghost
(FN) P.7〜P.10 L.3
(T) P.10 L.4〜P.12
NHK Let's Speak!
(FF) 4/7, 4/8/,
(FN) 4/9, 4/10, 4/12
(T) 4/14
4月15日(火)
Ghost
(FN) P.7〜P.10 L.3
(T) P.10 L.4〜P.12
NHK Let's Speak!
(FF) 4/7, 4/8/, 4/9,
(FN) 4/10, 4/12, 4/14、
(T) 4/15
4月16日(水)
Ghost
(FN) P.7〜P.10 L.3
(T) P.10 L.4〜P.12
NHK Let's Speak!
(FF) 4/7, 4/8/, 4/9, 4/10,
(FN) 4/12, 4/14、4/15
(T) 4/16
NHK 英会話 Let's Speak! は長居の金曜勉強会の教材。 回転読みは私が勝手にやっている。 一日分のダイアローグを100回転するのに要する時間は40分程度。 Ghostも大体40〜50分かかると思います。 以前は「これはノルマだから回転しないと...」と義務感でやっている事が往々にしてあったのですが、何故か目につく英文すべてを回転読みしたくなって来ている自分を発見。 流石にTIMEの宿題は回転出来ませんが、それでも3〜5回程度は音読します。 声に出して読むのは、楽しい、です。 カウンターで数を数えていますが、カチャカチャと指を動かすのが面白いらしく猫が時々ちょっかい出して来ます。
猫といえば、
またしても、うち猫がせっせとお土産を持って帰って来る様になりました。 メス猫です。 春夏はいつもこうなのです。 私や息子の枕元に、ほどほどに生かしておいたトカゲ、スズメ、カエル、ハタネズミ(? 白くて小さいネズミ)などを置いて、私が目を醒すまで顔を覗き込んでいたりします。 時々、「ささ、生きてる内に遊ばないと、ほれ」と催促する様に、布団から出ている私のおでこを前足で叩いて起したりもするのです。 一番、すごかったのは半殺しの鳩を息子の枕元に置いて、じっと彼の顔を覗き込んでいた事でした。 昼間だと私の勉強部屋の椅子の上に置いてある事もあります。
目が醒めて枕元のトカゲの無表情な顔と御対面したりすると、ゴッドファーザーで馬の生首がベッドの中に入れてあったシーンを思い出します。 私が「ギィ〜エ〜っ!」などと声をあげると、猫は私が大喜びしてると思うみたいです。 目を輝かし喉をゴロゴロ言わせ、瀕死の獲物にか〜るくネコパンチを喰らわせ動かしてみせてくれます。
夕べはとらえて来たヤモリをくわえたまま逃げまどう私を追っかけまわしてくれました。 こっちが息切れして立ち止まると、足下にそいつを置いて前足で私の方へちょっと押しやってくれるのです。「まだ生きてるからさ、ちょっとパンチしてみな?」てな調子です。 御親切はまことに有り難いんですが、うち、恐いねんて!
4月14日 T 816−820
FN なし
FF 741−775
4月15日 T 821−823
FN 814−823
FF 746−764
4月16日 T 824−825
> 日本語を介在させて意味的な継起を覚えているから、意味的に近いすでになじんでいる語法が顔を出すのですから、機械を使って音に先に行かせることで解決ができます。
効果覿面です。またテープに吹き込むときは、全く暗記しようという意識は起こりません。ひたすら、できる限り正確に発音しようとするだけです。
テープをBGMに「回転書き」、まだ慣れずにあわてたりするのですが、慣れてくると思います。
むむむ... やっとるな〜
4月17日(木)
Ghost
(FN) P.7〜P.10 L.3 50回転
(T) P.10 L.4〜P.12 50回転
金曜日の勉強会とディスカッションクラス、土曜日のTIMEとライティングクラスの宿題であたふた。
>8. She has worn the same hat for a month.
→ She has been wearing the same hat for a month.
>22. I've never heard you are in this town. How long have you been
here?
→ I never knew you are in this town. How long have you been here?
>38. My mother has been dead these three years.
→ My mother has been dead for three years.
>39. He must be a good walker to have walked such a long distance.
→ He must have been very fit to have walked such a long distance.
>41. It was only an informal party - you didn't have to dress.
→ It was only an informal party - you didn't have to dress up.
>こんな具合です。
なるほどなあと思いました。
大学入試の問題は、大学の先生が頭脳的な英語の理解によって書くので、感覚的には変な文になるということだと思います。これは、日本在住で作った英語には避けられない性質であり、私はそういう頭脳的であり、(ネイテティヴの)感覚において奇妙な文は、いったん机上を離れたならば、どんどん使っていいという考えです。机上を離れればどんな奇妙な英語でも、それで人と人が話ができて、ものごとが先に進めばそれで構わない。
しかし、そういう奇妙な英語が大学入試に出ていたり、問題集が大学入試に出た英語をそのまま収録して作られたりするのは、問題だと思っています。それらは、あくまでも「机上」で扱われる文だからです。それが模範文のようになって机上で練習されてしまうからです。質として模範文たりえないものが模範文となってしまうこのおかしな構造は、煎じ詰めれば「大学の権威」から発しています。この権威が「おかしなもの」が再生産され続ける場合の源流です。こと、英語に関しては、日本の大学の権威は地べたに引きずり降ろす必要があると思われてなりません。
これが、今後も続くのだとしたら、日本人はいったん自分の中に作った英語を、ネイティヴや英語シンタックスを日常的に使用する人たちからの抵抗にこすりつけて、徐々に大学教師発の「おかしな英語」を洗濯し、使わないものを洗い流すしかないと思います。
これは、根本的には、英語を理解するのに、初心者の段階で日本語から発するイメージを媒介にすることと同じ問題です。そして、私はこの「媒介」を肯定しています。日本語から発したイメージを練り直し、夾雑物を払い落とし、英単語が本来持っているイメージの核が残るに至るまで練り込む過程が、日本にいてやる英語の語学だと思っているのですが、脱ぎ捨てるべき夾雑物が、日本では大学入試英語に蛙のしっぽみたいに残っているわけです。
そうすると、大学入試を経た英語というものは、夾雑物の多い初心者段階の英語と比喩的には同等品だと言っていいのではないでしょうか。初心者段階だから、夾雑物が多いのは当然です。外在的に(入試問題として)、内在的に(日本語に発するイメージの残滓として)、夾雑物が非常に多い。それが、大学合格を果たしたくらいの人の英語でしょう。振り返るなら、私の英語もそういうものでした。原因ははっきりしている。日本語にとって、英語が根本的に異質な言語であること。日本の日常生活は英語を必要とせず営むことが十分に可能であること。これが、日本人の英語が大学合格者であっても、まともな初心者段階にとどまる根本の原因だと思います。ちゃんと原因はあるのです。いいとか悪いとかの問題ではなく、原因があるのかないのかという問題で言えば、ちゃんと原因はある。
夾雑物を洗い流し、大学教師発のものではない、まともな英語にこすりつけて、洗濯しなおす作業を続けないと、ほとんどの日本人の英語は初心者段階を抜けることはないと言えるのではないでしょうか。日本人がまともな英語に自分の英語をこすりつけることができるような機能は、日本の大学が持つべき機能だと思います。この機能一つ果たせないような大学は英文科も英語学科も廃棄すべきです。
日本人が日本語を媒介にせずに英語をじかに理解する日がくるとしたら、日本人が、日常の中で英語を使う生活をする日が来たということと同じことを意味するはずです。現在は、ほとんどの日本人の日常生活は日本語だけで営まれています。どれほど英会話学校が繁盛しようと、どれほど英語ブームが盛んであろうと、日本人は「日常の中に英語がある」生活をしているわけではない。そうであるかぎり、日本人は今後も日本語によるイメージを練り込んで、英単語のイメージの核をつかむような回りくどい道を通るしかないだろうと思っています。長い時間をかけて、「まともな初心者」になるという回りくどい道です。
Noel さんが、ことさらな説明を受けなくても、その英文を現代的なネイティヴな感覚の英語に書き直せるということは、それが一応「通じる英語」であることを証明しています。大学教師発の「おかしな英語」も通じる英語ではあるわけです。問題は、これを悪として排除すると、大学を受験する人たちは、受験勉強が一切できなくなるというところにあります。なにしろ、どの本にどれだけの「おかしな英語」が混じっているかは、受験生に判断することができません。金縛りにあって、参考書一冊、問題集一冊買ってくることもできなくなる。また、参考書や問題集の善し悪しを言う場合に、ネイティヴのチェックを通してあるかどうかなどの項目は、いまだ真剣に考えられておらず、参考書や問題集に対して歯に衣着せぬ批評の地平も開かれておりません。この地平を切り開くことなんかは、本当は、アメリカ人やアメリカ帰りの人たちなんかが、一番力を発揮して欲しい分野ですが、権威主義者が多いのか、なかなか誰も大学教師のバイキン英語に手を着けない。
Eliot さんによると「700選」はやり玉にあがったようですが、一冊や二冊ではない。これを本当に問題にするならば、ダイレクトに大学教師発の日本英語を入試に出すなということになるはずであり、問題の根はネイティヴにチェックさせないで問題を作成している大学と大学教師にあるはずです。そこを批判せずに、よく売れている「700選」などをやり玉に挙げていてもどうにもなりはしない。大学と大学教師を撃てないような批評は駄目だということです。
大学教師発の「おかしな英語」はなくなる方がいいに決まっていますが、少しくらいバイキンが入っていたって構うもんか、喰ってやる、という態度が現実的ではないのかと思っています。毒喰わば皿まで、というと違うことを言ってしまうのかもしれませんが、大学入試の英語なんかは、自分が触れた英語の総体においては、ほんの数パーセントを占めるに過ぎないというところまで、英語に触れ続けてしまえば、大学教師発の毒やバイキンは、かなり薄められてしまい毒というほどの力は失い、バイキンは弱まるだろうと・・・。
というか、英単語の核となるイメージをつかまえたときが、日本語に発するイメージを脱ぎ捨てる時であるのと同じように、多くの人が使い普通に「通用する」語法をつかまえたときが、大学教師に発するバイキン語法を脱ぎ捨てる時であるというような、「段階論」「媒介論」が現実的ではないかと思っています。「段階論」「媒介論」が必要であることの原因は、大学教師や大学入試問題にあるのではありません。
学生が大学入試に受かって英語を止めてしまうようだと、自分の英語の中で毒やバイキンが占める割合が非常に多くなる、ということも意味すると思います。この場合では、いとも簡単に英語は死んでいきます。これの本当の原因も、日本に英語の磁場がないということであって、大学教師発のバイキン英語が本当の原因ではありません。バイキン英語も小さな原因の一つではあるというくらいな作用です。
日本人の場合は、大学入試合格時点くらいで、ようやく「いっぱしの初心者」というくらいなものです。その後は、このバイキンを多く含む英語を実際に使って、洗濯をしなければならない。その意味でも、ALTやAETは大学に配置されるべきであると思っています。中学や高校に配置しても、外国人になじむ作用は期待できても、語学的にはほとんど何ほどの効果もないでしょう。
実際は、誰とつきあうのかによって、この洗濯で洗われるものが変わります。私が現在、もっともよく英語を使って話をするのはスリランカ人であり、次にイギリス人です。この人たちと話して、「通用する語法」として私の中に残るものは、標準アメリカ語法と重なるものもあれば重ならないものもある。私が必要としているのは、今現につきあっている人との間での「通用する語法」であり、標準的アメリカ語法なんかではないと思います。タイに雑貨の仕入れに行った場合ですと、あくまでも私が理解しなければならないのはタイ人の英語であって、アメリカ標準語法ではありません。しかし、それでも、その根として、アメリカ標準英語やイギリス標準語法を媒介にする必要は認めなければならないだろうと認識しています。
机上で私が使用するテキストは、標準的アメリカ語法と標準的イギリス語法が多いです。
それでいいのではないかと思っています。アメリカ標準語法やイギリス標準語法は、私にとって、お手本というようなものではない。必要な媒介物です。この二つが私の中で混ざるようなことはまるで気にしません。当然のことです。これらを媒介にして、自分なりの英語を作って、そこにさらに様々な英語を媒介にしていくのだと思っています。
英語圏のネイティヴと同等になろうなどという気は毛頭ありません。英語ネイティヴと同等になろうなどと思っている人たちは、自覚なき英語病にすぎないのだと思っています。
現在では、イギリス英語でさえ、アメリカ標準語法を媒介にしているのではないでしょうか。取り入れるとか、取り入れないというレベルではなく、媒介にするしないという観点から見れば、それは媒介にせざるを得ない。アメリカ英語を理解できないイギリス人がいたならば、そのイギリス人はアメリカ英語を媒介にしていないと言えるでしょうけれど、テレビやビデオなどのメディアがどんどんそういう人を少なくしてしまっていると思います。
媒介にするしないという問題は、それを取り入れてそのまま使うか使わないかという問題ではありません。媒介にしたって、使わない語法なんかは山ほどあります。使う場面で必要が生じないから使わないということもありますし、使おうとしてもしっくりこないから使わないとも言えます。自分で使わないだけで、理解はできる。これが、語学をやる者のとても普通の態度だと思っています。(まあ、相対的な話で、英語強者に対しての私の知識はとても貧しいのですが)
英語のことを、私は goddamn language と別称することはあり、goddamn
は使うのですが、Oh, my God! なんていう言い方は実際には一度も使ったことはない。なじまないのです。goddamn
は私になじむが、Oh, my God! はなじまない。同じく God に発する語法でもなじむものとなじまないものがある。I'm
fucking sorry. は本当にこう言うしかないなと思って使ったことがあり、How
do you do? なんかは一度も使ったことはない。How do you do? が必要な場所なんかに出入りすることはないのです。
媒介にするならば、相手が言うこと(書くこと)が理解できる。それが、「媒介論」の眼目です。これはまた、自分で話す(書く)ときは、自分なりの英語でいっこうに構わないのだということです。私にとっての英語は、「要が足せる」ための言語であって、それ以上のものでは決してありません。それ以上のものにするつもりはありません。それ以上のものとしたとたんに、日本語の磁場では、英語病の発病となると考えております。これは、英語を語学の対象以上のものとして、あがめる態度に通じていきます。
要が足せる → 用が足せる
いつものように午後早く起きるが、体がだるい。ゆうべ、ヤンヤンのお別れパーティをやって、酒をいっぱい飲んだのと、サカモトさんの旦那が芸達者で、大笑いしすぎて、くたびれ果てたのが原因である。腹がよじれたのでくたびれた。一昨日、久しぶりにセックスなどいたしたのも、疲れの遠因であろうか。
しかし、昨夜はよく笑った。久しぶりに、腹から笑った。
愛すべし、サカモトの旦那! 「ダンナーズ」も結成されたことだし、是非また毎回人が寄るときは来てほしい。缶ビールで5本も飲ませると、このダンナーの芸は佳境に入る。
で、くたびれているのである。だるい。しょんべんをしても勢いがない。そろそろ小野内科にかかろうか。
半分寝た頭で、もうろうと勤め先にいる妻に電話。寿司おんどで100円寿司を食っているから、と言ったら、じゃあ、そこへ行くと言う。くたびれて寿司おんどに入り、くたびれて、はあ、と言いながら、まずはカニのみそ汁。それから、何を喰ったかみんな忘れてしまったが、途中で妻が来たことは一応覚えている。これ、忘れると後がこわい。アジは結構うまかったし、ウニも前回よりうまかった。ボタンエビは、最初のやつがしなびていてまずかったが、二回目のやつはプリプリしていて、若い女のエビだっただろう。それを、くたびれて、妻と、喰う。
なんでか知らないが、寿司を食うとやじろべえのコーヒーが飲みたくなる。コーヒー行くか、と妻に言うと行くと言う。で、家に戻り、車を一台置いて、やじろべえへ。あくびばかりして、また人に笑われる。妻が昨夜見たNHK「プロジェクトX」のトロンの話を熱心にしていた。
帰宅。小屋の天井をやるつもりでいたが、チェーンソーで木を切りたくなって、チェーンソーにガソリンを入れ、桃の木をぶったぎる。春先はぽかぽかする陽を浴びて、チェーンソーを振り回す。それをもう何年続けてきただろう。春にチェンソーで木を切ることの楽しみは、少なくともここ数年は絶対的な感覚である。
ざっくりと汗をかいたので、シャワー。再度、緊張をゆるめてぐったりし、緑茶など飲む。養命酒も飲む。
夕方、国民温泉に行く予定だったが、ラビンドラのおやじさんと約束した時間が迫ってきたので、国民温泉はとりやめ、妻と長野へでかける。タカギでおみやげにする缶ビール6本買う。西沢書店で、ニューホライズン3冊受け取る。旧長野市の手前で、腹が減ったので、「カツ屋」に入る。先日喰ったカツ丼はポークの匂いがしなかったのに、今日のヒレカツ定食は臭い。カツ丼は490円だったか。ヒレカツ定食は760円だったか。高いやつの方が臭いので、損した気分。
腹がこなれていないが、約束の時間が来ているので、妻に運転させてラビンドラのアパートへ。今日もラビンドラのお袋さんが、カレーを作っておいてくれた。ナンにはさんで喰う比較的しょっぱいカレーで、魚の干し肉が入っている。かなり固い肉。しかし、申し訳ないが、腹がいっぱいであまり食えない。妻は、あれだけ喰った直後で、ばくばく喰っている。I'm
full. But she can eat forever. She is empty. Especially around here. と言って、妻の頭のあたりを指さしたら、皆様笑っておられた。妻は、こういう発言には必ず反論するタチなので、That's
the reason I can live with him. と言っていた。
一理、あるかも。
ラビンドラのおやじさんと、まあ一種の商談をやった。レザー製品がスリランカには非常に多いらしい。国に戻ったら、レザー製品を私の手元に送るから、私が作りつつある店ができたら売ったらどうだという話。ちなみにこれはいくらかとカバンを指さすと2500円だという。これが安いのか高いのか、私にわからない。本物の皮製品は、普段着ている革ジャンだけだが、これはリサイクルショップで1500円で買ったものなので、レザーの新品なんか、20数年前に妻に買ってやったバッグだけだ。俺は忘れていたが、妻は値段を覚えていた。あの当時、本当に貧乏だったが、1万円するレザー製品を、上野で買って俺は妻にプレゼントしていたのだった。ふむ。いいやつじゃん、俺。
あまり遅くなるとまずいので、11時近くになっておいとまする。
帰宅してしまってから、キリピーなら、あのレザーのかばんが高いのか安いのか判断できるだろうと思い、・・オフに行く。しかし、店にキリピーがいない。しょうがないので、100円の単行本を4冊買って帰る。中島らも「その辺の問題」、荻野アンナ「私の愛毒書」、呉智英「サルの正義」、宮崎学「不逞者」。どうも、やはり、俺はろくでもない人たちが好きなようだ。
キリピー、カワピーに会えなかったので残念。どうせ、また会えるさ。
やけ酒で、缶ビール(小)を1本飲む。
その後、さらに2本飲む。さらに一本飲む。
夜が明ける。
なんで、今日もぐったりしているのかわからない。
なにはともあれ、飯を食って、やじろべえへ。
Hさんいた。俺と熱海へ行かないと言ったら、熱海いいですねえ、と言う。
口ばっかし。俺だって、口ばっかしだけど、真実のかけらはあるようなないような。
一人、22だか24だかの若者がいて、やたら勤め先で上司と喧嘩こいて、どこもかしこも首になったという。上司を力いっぱい殴ったそうだ。よろしい。組織がちょっとでかくなれば、おめえみたいなのは、どうせすぐに上司に食いつくのだから、おめえみたいなのは、自分で仕事を始めるしかねえんだと言うが、焼き肉屋のウェイターと型枠大工をやっただけらしい。俺が作った家を見せるから、俺んちへ行くかと言ったら行くと言うから家へ連れてくる。大将に、俺がやってきたことがわかったのかどうか。30分で我慢が効かなくなって、ご自宅に帰られた。
その後、「電話でレッスン」。
不愉快なことがあり、二人生徒を失う。
荒井さん、夜11時過ぎに来てくれて、娘の結婚のお祝いの品をいただく。
荒井さんが、自分で織った布。「千代ちゃんに使ってもらいたくて」と荒井さんは言う。
荒井さんは、ものごとを決してあからさまに言わないが、この人の判断はものすごくあからさまなので、俺は信頼している。
写文集「ナイル」を見せて、エチオピアの女がいかに美人かを講釈する。
エチオピアには、一生一緒にいてもいいような美人がいる。少し黒いが、すごく美人。
エチオピアに、原始キリスト教が生きていることとどういう関係があるのかわからないが、俺がはっきりとわかっていることは、エチオピアには血の葛藤が作った美人がいるということだ。
エチオピアのキリスト教が、まともに評価されれば、ヨーロッパのキリスト教は、原始キリスト教の一分派にすぎなくなるのではないか。この本だけではよくわからないが。
Noelにも同席してもらって「1000」でチェックした不自然な英語についてアメリカ人講師に再度チェックしてもらったのですが、アメリカではdress up の意味でdressも使うと言う事でした。 She has been dead these three years. については少し古いけれども、つかっても問題ないらしいです。 しかしfor three years の方が一般的だと言う事で、なかなかチェックの基準も難しいなと思いました。
やはり英米の文法書を元にするのが無難だろうと思います。 文法書はPractical
English Usage - Michael Swan 著(Oxford Univ. Press) とEnglish Grammar in
Use のシリーズが良いが 回転用にはEnglish Grammar In Use の方が使いやすいのではないかとも言ってました。 2人とも日本語がかなり出来るので日本の文法書も読んでいますので、参考までに何を使っているか聞いてみたのですが、English
Grammar (数研出版)を使っているとの事です。 全部の例文をあたったわけではないとの但書きつきですが、今までの所、不自然な例文にはお目にかからなかったそうです。
今日は早く寝る必要があるので、寝ます。
明日の夜くたびれて帰る予定ですので、ここへ来るのはあさってになるかと思います。
よろしくお願いいたします。
4月17日 T 826−828
FF 750−768
4月18日 FF'619−679 勉強会に行く前に10回回転 これで復習問題は完璧
4月19日 T 829−831
FF 753−771
「回転書き」や「切断読み」等が加わり、以前より練習に時間がかかるようになったと同時に、「1000」に不自然な表現が散見されるとのことで、やる気が萎えて、大幅にペースが落ちています。
同じやるなら、自然な表現のほうが・・・・わたしごときが使うには、この程度の不自然さは、たいした問題じゃない・・・
もし大学受験にも役立つ回転と言う事になると、やっぱり「1000」も捨てがたいよね。 別に大学受験するわけじゃないけどさ。
NoelとWilliam にチェックしてもらったものをせっかくだから勉強会では使う様にしたいと思うねんけど。 これはこれで使えるやろうと思う。
>やっぱり「1000」も捨てがたいよね。 別に大学受験するわけじゃないけどさ。
そうそう。受験するわけじゃないけどねえ。
各例文に文法説明がついているけれど、不自然だと思われると言われた表現は、文法説明上必要な部分じゃなかったような気がするけど・・・。文法説明に直接かかわりのない部分を直すのなら、影響も微々たるものだし、チェックしてもらえたら非常にうれしい。
それに日本語の対訳があるので安心。「だから日本語でなんなのさ?」といらつくこともない。
おっしょはん、頼りにしてまっせ。
そうそう、sbさんの暗礁、素晴らしかったらしい。
sbさんの暗礁 > 暗唱
>媒介にするならば、相手が言うこと(書くこと)が理解できる。それが、「媒介論」の眼目です。これはまた、自分で話す(書く)ときは、自分なりの英語でいっこうに構わないのだということです。私にとっての英語は、「要が足せる」ための言語であって、それ以上のものでは決してありません。それ以上のものにするつもりはありません。それ以上のものとしたとたんに、日本語の磁場では、英語病の発病となると考えております。
英語病の発病とはどういうものでしょうか?
Noelは漢字検定2級の過去問題集を持ち歩いて、暇を見つけては勉強している。 Williamも日本語と漢字検定の勉強に余念がない。 漢字検定2級の問題を解きあいしてみて、Noelには負けるかもしれない、と思った。 読みでは勝つ自信があるが、書く段になるとワープロばっかり使っていたツケが来ていて、思い出せない漢字がある。 「うちは外国語ばっかりやってる場合ではない」と反省。 漢字検定2級でNoelに勝負を掛ける事に決めた。
6月初旬のテストだから、お尻に火がつきはじめているが、日本人がんばるわ。
百姓をやって、疲れてしまった。
夜は夜で、人と雑談して、この時間になってしまった。
sbさん。
連休中、土日で来ていただくとあまりお話はできないかもしれませんが、昼間は時間があります
ので、ゆっくりできます。おいで下さい。
「英語病」の発病は、初心者や中級者にはほとんど見られなくて、上級者に見られます。これの
病状は、「ネイティヴ並」とか、「ネイティヴと同じ」という観念がヴールスになっているもの
と思います。
ネイティヴと違うことの自覚こそを強めるべき時期に、ネイティヴ並などをいう観念にとりつ
かれて、上級者は「英語病」の症状を悪化させる場合が多々ある。
この種の観念に関しては、國弘にも千田さんにも抵抗感を感じられず、いま一つ信頼できない
理由になっています。
日本人の英語はアメリカ人の英語と大きく違っていていいのだということが、おかしな考え方
だと受け取られるような、馬鹿な文化状況が続いています。
本当に、私はこれについては、馬鹿らしいと思ってきました。
アメリカ英語やイギリス英語が、お手本や模範ではなく、必要な媒介物にすぎないことを言え
ない論者は全部駄目なのだと、私は考えています。
起きてじきに腹がへる。珍しい。篠ノ井の中華料理屋へ行き、マーボ豆腐定食。570円の値段が偉いが、味はそれほどでもない。やじろべえへ行く途中で、おまわりに捕まり、シートベルトをしていなかった咎で、また一点減った。中野で一時停止違反で捕まってから、1年経っていないのではないか。それだと、減点が加算される。累積で、何点加算されているのか知りたいので、今度中華料理屋へ行ったら隣の交通安全センターで聞いてみることにする。
やじろべえでコーヒー。Hさんを誘って畑へ行く。去年の草ものの枯れたものを集め、ドラムカンで焚く。冷たい風が吹くので、Hさんは畑の近所を散歩してから、軽トラックの中に戻り、本を読む。1時間ほどで、畑がかなりきれいになった。Hさんに「飽きた?」と口の形だけで言ったら、うんとうなずいたので、作業を中断し、荒れた河原の道と石だけの河原を軽トラックで走り、きゃあきゃあ言わせる。Hさんが止めてあった車まで戻り、じゃあまたねと言って、畑に戻る。相変わらず、枯れ草を集めて焚く。
今年は、鎌で草を刈って、草丈を5センチ以下に抑えることを方針とする。草を抜くことはやめる。やりきれたものではない。草を生やしておき、伸びたら刈る。そうすれば、地面は裸にならないから、砂だらけの畑の土も乾燥しにくいはずだ。草がすでに密集していれば、新しい草が生えにくいだろうとも思う。つまり、畑は基本的に草を栽培する。草丈を5センチ以下に揃えるだけだ。低く揃えた草の中に穴を掘って、近々ジャガイモを埋めることにする。もう少し遅いかもしれないが、6月か7月には新ジャガが食えるだろうと思う。
英語をやって、人様からお金をいただくことを生活の基本にすることをやめたいと思う。なんとかして百姓をやることを生活の基本にしたいと思う。英語はアルバイト程度に抑えたい。草丈と英語中心の生活は是非抑えたいと願う。
やじろべえと畑の間に、ニセアカシアの小さな林がある。誰が切ったのかわからないが、ニセアカシアが何本か倒されている。ずっとそのままになっているし、去年切った幹もそのまま放置されている。多分、畑に陽がささなくなるので、誰かが切り倒したもので、幹や枝は要らないのだろうと判断し、先日からそこを通るたびに少しずつ木の枝から小枝をを鉈で落として軽トラックで運んでいる。今日も少し拾って、枝はすべて片づけた。残っているのは、太い幹二本とそれから生えている枝なので、鉈では始末がつけられない。明日あたり、チェーンソーを持っていって、幹を何本かに切って持ってこようと思う。それで、今度の冬のための木はほぼ足りるのではないか。
畑から帰り、シャワーを使う暇もなく、「電話でレッスン」の仕込みに突入。今日は一人休みで、レッスンは3人。小学生が中学生になって、気が忙しいのか、小学生の時より練習しなくなっている。
「電話でレッスン」を終えて、「ごつごつ英語ごっこ」。このごっこはいつも楽しい。
朝3時頃まで、話がはずんでしまう。
回転読みをしていて調子が出てくると、音読だけを機械的にやっている事がありました。 それで根石さんの指導に従って強くイメージしながら読む様に心掛けると、ダイアローグが血肉化しやすい事に気がつきました。 日本語訳を見なくても、あ〜そういう状況か...と腑に落ちる時があります。
例えば、"I had Rose move your three o'clock with Bob Kahan to four
o'clock...です。 I had Rose move / your three o'clock with Bob Kahan /
to four o'clock.... と意味の切れ目で言葉の意味をイメージする様にすると、これが
Rose に言って移動させる/ 君の Bob Kahan との3時(の約束)を/ 4時に...と言う事なんだと分かってきます。 ここでは日本語にして書いていますが、私の中では言葉ではなくイメージでとらえています。 それから全体を通して読むと、「Rose
に君のBob Kahan との3時のアポイントメントを4時に変えさせたよ」と言う状況がイメージとして捕らえる事ができました。 これは、スラッシュリーディング(正しい名称かどうかは知りませんが)に似てはいますが、イメージで捕らえる所が大きく違う様です。 スラッシュリーディングは頭から訳して行く為の訓練によく使われていますが、私なりの理解ですが、回転読みには「翻訳」作業が介在しないのです。
まったくの初心者だと意味の切れ目を見つける事も難しいかもしれません。 初心者の場合、根石さんはこれをもっと細かく分解して、I
/ had /Rose / move...と強くイメージする様にさせるとおっしゃっていました。 私は、まったくの初心者ではないのでこれで全文をイメージする事が出来るかどうかは、体験する事が出来ないのですが、言葉ではなくイメージで捕らえる事には一理も二理もあるんではないかと思っています。
私はer, ir, or, ur の撥音が下手なので、これは丁寧に撥音矯正したいと思います。
_______
訂正:撥音→発音
>そうそう、sbさんの暗唱、素晴らしかったらしい。
って事は、Shokoちゃんから聞いたの? Shokoちゃん、暗唱大会に行くと言うてたから。
私も聞いてみたかったな。。。 sbさんも通信生らしいから、私も通信で受講しようかと思ったんやけど、漢検にも首つっこんでしまったので、これ以上やると頭からバネがボヨヨ〜ンと出そうなので、漢字検定がおわってからにする。
「1000」は使える、と言うのが結論です。
今日、Williamに720までチェックしてもらって来ました。 細かいニュアンスや文の堅苦しさなどがある例文は多少あるものの、obsolete なものは殆どありませんでした。 「日本人が会話に使って違和感がない程度のニュアンスのずれなのか」と言う私の質問に対しても、「問題はない」との事です。
Noelは微妙にニュアンスのずれを感じる物も省いている様でした。 Williamによればイギリス英語の方がアメリカ英語より許容範囲が狭いからかもしれない、との事です。
440. Don't you think that the taxes are too heavy in Japan?
the taxes are high を使う方が自然だとの事です。 彼の生徒がよくheavy
taxes と言う言い方をするので、原因を考えた所、これは日本語の「重税」を直訳したものであろうと言う事です。 しかしyahooやgoogleで検索すれば何百件もヒットするので問題ないとの事。
465. Have you ever been to Canada in your life?
Have you ever been to 〜と言う構文を使う時に in your life をつけるのは奇異な漢字がするそうですが、これも取り立てて言うほどの問題はないとの事。
499. She is not so young as she looks.
すこし堅く古い言い回しの様で、She is not as young as she looks. の方が自然だと言う事です。
けれどこれも、英語学習者が会話に使ったとしても問題ないと思うと言う事です。
「構文を身につけるための例文として、音読して覚えたりするのに使えるか。 」と質問した所、彼の見解では「95%は会話や作文の為のテンプレートとして覚える価値はある」との事です。
問題の残る5%ですが、構文自体の問題と言うより周辺の単語の使い方に問題のある文がほとんどで、致命的な間違いのあるものはあまりなさそうです。
5月末に残りの280文をチェックしてもらいます。 大学受験者の勉強用であれば、英米の文法書を使うより、この本を使う方がいいかもしれません。
御検討下さい。
今から息子と息子の彼女と3人でラーメンを食べに行ってきま〜す。
>奇異な漢字 → 感じ
何年かぶりにインスタントでない本当のラーメンを食べ満足。 ほんとはラーメンはあんまり好きではないのですが、ハンブルクにいると何故か恋しくなったのです。
さて「1000」ですが、Williamのチェック基準は根石さんのチェック基準に近いのではないかと思います。 「多少堅苦しかったり、古い言い方だったりするとしても、英語学習者として立派に通用する」と言う主旨の事を言ってました。 最終的には、念の為にチェックをいれた文について、他の講師にも目を通してもらっておきます。
「1000」は回転読みの教材として残すのがいいと思いますが、いかがでしょうか?
根石さんの「Go!」サインが出次第、分類を始めます。
日本の英語として、そんなにおかしな本だとは思いません。
もう、へつらいは沢山だという気持ちは、沢山持っています。
やりましょうや。「1000」を日本英語の発信源にしたっていいんですから。
馬鹿どもを尻目にやるべきだと思います。
Go!
let's go, gosuubetu-bunnrui!
Hey, guys, We needyour help!
「1000」
4月20日 FN No. 822−831
FF No. 756−774
4月21日 FF No. 759−777
4月22日 T No. 832−836
FN No. 825−836
FF No.762−780
NHK 圭南先生のThree liner2002 4月第一週分。これは、文法例文と違い、感情の入れ甲斐がある。勉強会でするので、これを回転に加える。
だんだん、「暗記してやろう」意識から脱却しつつある。切断読みもちょっとわかったような気がする。Naimaの切断読み例文は秀逸。「回転書き」に時間がかかり、遅々として進まないけれど、気にしない。
がってん、でがす。
「ゴースト」のMDありがとうございました。月曜日に郵便で送らせていただきましたので、今日あたり着くのではないかと思います。
あっという間に、4月も後半。来週から電話レッスン受講させていただくことになりますがよろしくお願いいたします。ir、or、er、ur が全部同じ音だと思っていた私。てこずると思いますが平にご容赦下さりませ。
>「生徒が思う様に集まらない」と言う話になった。 もう1人の友人の英会話教室は順調に生徒が集まっていると言う。 「外国人講師が教える」という宣伝文句が「効くよ〜」と言ってたとの事。 そういう姿勢は好かん。
私が教室を譲った友人は資格においても実力においてもまごう事ない上級者。 日本人の生徒に英語を教える術も心得ている人である。 彼女とそんじょそこらのネイティブスピーカーの「にわか講師」とを一緒にされたくない、と言うのが私の気持ち。
外国人講師を餌に生徒を釣る様な真似、させとうない。
今朝のテレビで子供の英会話特集をくんでいました。
T歳〜の子供が親と一緒にネイティブの先生と英語の歌やリズムで遊ぶ。
胎児クラスなどというわけのわからないものもある。
そしてはやりの英語保育。東京のお金持ちどころでは 一日5時間の英語保育で
年間百万とか。
外国に住んでいるのならバイリンガル教育もよいだろうが ここは日本。ちといきすぎの感。
シンガポールやアジアの国ではバイリンガル教育が行われているではないかって?
だから日本でも?
はあ?
小学生の習い事で親がさせたいもので英語は二位 約30%もの子供が通っているようです。
私の市でも3月には毎日のように新聞広告がありました。
ネイティブの授業をうたい文句にしたもので 「自然に英語に慣れ親しむ。」
「きれいな発音が身につく。」
やはり英語保育もありました。 受験塾のひとつは英語で算数理科を教える生徒を募集していました。どう考えても日本語でが 先 のはずなのに。
親戚の幼稚園でも今年からネイティブで英語授業をはじめるようです。
「そんなものより 外でしっかりあそばせたり 絵を書かせたり 楽器にふれさせたりしたほうがいいんじゃないの?」と歯に衣をきせずにいったところ
「そうだよねえ。そう思う。でも他の幼稚園もやっているから 親からの要求にはこたえなくてはならなくて。」
だそうです。
どこぞの小学校の前にでも場所を借りて 白人ハンサム(お母さん対策) ネイティブをやとってエイカイワさせる。
授業内容などテキトーでよい。エイゴでゲームでもさせておきばよい。割高な授業料ふっかけても「ネイティブ」の魅力で親は金を出す。
でわたしは マネージャー。
「家の子、なかなか伸びなくて」とでも親がいったら
「一年、じゃ結果はでません。つづけましょう。○○君 ガイコクジンの先生の言ってることがわかるようになったじゃないですかあ?発音もネイティブみたいですよお。
すごいことですよお。 これを六年までつづければ 違いは歴然です。」とごまかしておけばよい。こうやって六年間生徒獲得。
英会話学校の上司の営業マネジャーと組むかな?
口車は天下一品。
Shobai Shobai.
魂売って乗らなきゃ損損?
地道にしっかり そして通いやすい金額で(じゃないとこない。)やるのがばからしくなります。
と自分の実力のなさを棚にあげての発言をまたもや
失礼したしました。
お久しぶりです。 4〜5日前、ある中学だか高校だかの名物英語教師の授業をテレビでやってましたが、学校現場としては画期的なんだろうけど、ちゃんとした(と言う但書をつけないといけないのが難)英会話教室のいい先生だったら普通にやってる事ばかりなので、「どうよ」と思ってしまいました。 この手の授業が必ずしもいいとは思えないけれど。
あっちこっち音読や回転をしすぎか...とも思うのですが、回転は面白くて止められませんわ。 ラジオ講座のLet's Speakの(T)は50回転です。 ゴーストは100回転。
電圧装置は金曜長居勉強会の語彙例文についてだけやろうと思いながら、まだ出来ていません。 今日あたりやってみます。
勉強会の仲間の1人がTOEIC 985と言う快挙(?) でもspeaking と言う面から見れば、まだまだ1000の構文だって使いこなせない。 彼女が「ライティングに弱い」と言っていたのは基礎のインプットがまだまだ足りないからか... 等と、ちょこざいな事を言ってしまっていいのかな。 急がば回れ、ですわ。 私は回転と音読、素読にかけてみるわさ。
私はロックとかジャズの歌をいつもブツブツ口ずさんでいますが、音読と回転読みを意識して、英語口つくりの為にでっか〜い声で歌う事にしました。 ミミズもカエルもごめんなさい、です。
4月21日(月)
ラジオ英会話 Let's Speak!
(FF) 4/7, 4/8, 4/9, 4/10 , 4/12, 4/14 (10回転)
(FN) 4/15, 4/16, 4/17
(T) 4/21
やさしいビジネス英語
(T) A-4 〜23 5回転
Ghost
(FN)- P.12までー10回
(T) P.12〜P.16 L15
4月22日(火)
ラジオ英会話 Let's Speak!
(FF) 4/7, 4/8, 4/9, 4/10 , 4/12, 4/14, 4/15 2回転
(FN) 4/16,4/17, 4/21
(T) 4/22
やさしいビジネス英語
(FF) A-4 〜A-23
(T) A-4 〜B1 5回転
Ghost
(FN)- P.12までー10回
(T) P.12〜P.16 L15
4月23日(水)
ラジオ英会話 Let's Speak!
(FF) 4/7, 4/8, 4/9, 4/10 , 4/12, 4/14, 4/15-2回読み
(FN) 4/16,4/17, 4/21
(T) 4/22
やさしいビジネス英語
(FF) A-4 〜B-5 2回
(T) B-6 5回
Ghost
(FN)- P.12までー10回
(T) P.12〜P.16 L15
4月24日(木)
ラジオ英会話 Let's Speak!
(FF) 4/7, 4/8, 4/9, 4/10 , 4/12, 4/14, 4/15, 4/16 -2回
(FN)4/17, 4/21, 4/22
(T) 4/23
やさしいビジネス英語
(FF) A-4 〜B-5 2回
(T) B-6 5回
Ghost
(FN)- P.12までー10回
(T) P.12〜P.16 L15
4月23日「1000」
T 837−839
FF 765−783
以降、「1000」は、例文チェックが終わるまで、Tは中止。チェックが入ったところまでの例文で、問題なしのものだけ、回転します。
圭南先生 Three Liners 2002 FN 4月第1週
Nimaおっしょの激しい回転に唖然!呆然!電圧装置できたら、どんなのか見せて?
MD戻っています。
テープは、Naima おっしょのレッスンを受けられるようになったら、絶えず「流して」お聞きくだ
さい。
最初はむちゃくちゃ速く感じますが、レッスンの終わった範囲だけは妙にくっきりと聞き取れるよ
うな感じが生じます。楽に聞き取れるところと、聞き取りにくいところとが混在するようになりま
すが、「連続して10回回転」(復習)の質を維持する練習の途中で、普段からテープを聞いてい
ると、口の動きが俳優・女優の口の動きのリズムや強弱を獲得すべく「にじり寄る」ようになりま
す。「媒介」過程です。この練習の「質」を確保できたら、後は、「量」です。
まずは、「質」の確保が大事です。