根石さん、「先生」なんてな呼び方は気持ち悪がってません? で、勝手に「さん」つけで呼ぶ事にしちゃいましたが、文句の有る奴、かかってこんかいっ!
私は英語末期病患者ですので、いいと言われる事には何でも飛びつくのです。 (節操がない、ポリシーがない、アホ、ボケ、カス、何とでも言ッて下さい) 「どんでんがえし」は明日購入しますね。 (「著書名を勝手にはしょるなっ! 失敬だぞっ!」 どなたかに言われる前に自分で言っときます)
ごはんですよ〜
お読みになったら、ご感想を是非お聞かせください。
書店の店頭にみかけなくなっています。
送料をとられるのがしゃくですが、ネット上でお求め下さる方が確実かと思います。
お互い”英語嫌い人”さんの相手をするのをやめませんか?
なんか疲れるし、時間の無駄のような気がしてきました。
以下は彼の引用ですが・・・>>感情的には賛成しかねる】
理性では賛成している、と読めますね。
「理解できる」「理性では賛成している」けれども「感情的には賛成しかねる」という
ことになりますが、意味がわかりますか? 矛盾していますよ、これは。分裂です。このようにひねくれた物の見方をしている方と話すほど暇ではないでしょう。
余計な御世話でしたらごめんなさい。これからもよろしくお願い致します。
なんだか俺も疲れた。
こういうことではなかったのでしょうか。英語嫌い人さんは、自分のしゃべることが半分も人に伝わっているかどうかわからないとどこか
に書いておられた。これは、相手の言っていることの半分もわかっているかどうかわからないと
いうことにもなるのではないか。つまり、この方は、理解ということを、人の感情もなにもかも
含めて「わかる」ことと考えている。そうでなければ、彼は「聞き取れている」とは考えない。
人の気持ちを汲み取るというレベルまで含んでいなければ、「聞き取れる」とは考えない人なの
ではないでしょうか。一方、こうじさんに代表される「聞き取れる」は、ひとまず文が了解できれば了解できたと考え
る。文がどういう単語から成り、どういう語法から成り立つかがわかれば「聞き取れた」と考え
る。こちらは語学という領域を限れば、それはそれで成り立つ。シミュレーションの世界ですか
ら。つまり、違う問題をごっちゃにして論じていた、と。
だけど、私は英語嫌い人さんのいう意味での「聞き取れる」(気持ちがくみ取れる)は、外して
いい問題だとは思えない。語学が生活言語に渡ろうとするなら、生活言語の側で待っている問題
はまさに英語嫌い人さんが言っている困難であろう、と。英語嫌い人さんも、一目でそれとわかる「こにくたらしい」口調という背広をお脱ぎになられた
らどうでしょうか。暑くありませんか。
小川様
EIGHTBALL改め「十三番目の使徒(笑」 です。しかしてその実体は村田と申します。もしも引用される場合には、くれぐれも、「(笑」の部分をお忘れなきよう。>「先生」なんてな呼び方は気持ち悪がってません? で、勝手に「さん」つけで呼ぶ事にしち
> ゃいましたが、文句の有る奴、かかってこんかいっ!えー、根石さんは、「先生」なんて呼ばれるときっと尻のあたりがムズムズしてると思います。
文句のある奴はきっといないと思います(笑)ほんとは「おっしゃん」と呼ばれるととってもしっくりいくみたいです。でも、「おっさん」は不可(笑)
根石様「あーびわーきおんざれーるろーど おーざりぶろんぐでー」
いやあ、メロディがないとほんとに呪文みたいですね。
実際は多分、
I've been workin' on the railroad 〜
っていうアメリカの鉄道員の誇りを歌ったものだと思います。日本では「せーんろはつづくーよーどーこまーでーもー」ですね。でも、未だに「おーざりぶろんぐでー」はわかりません(笑)調べればすぐわかることだと思いますが。でもね、今、小学生に英語教育を必須にしよう!ということが言われているけれど、現状の公教育では、やっぱり「あーび〜」になるんじゃないかなあ、と思います。(全部が全部じゃないと思いますが)
中学生に英語で意見発表をさせる大会があるみたいですけど、そんな話を聞くと、私の頭には「あーびわーきおーざれーるろーど」が繰り返されています。
>>理性では賛成している、と読めますね。「理解できる」「理性では賛成している」けれども
「感情的には賛成しかねる」ということになりますが、意味がわかりますか? 矛盾していますよ、
これは。分裂です。>このようにひねくれた物の見方をしている方と話すほど暇ではないでしょう。
英語嫌い人さんは、ひねくれたもの言いをしますが、論理はきわめて率直です。
非常に面白いキャラクターの方だと思います。ひねくれた率直。矛盾していますが、
私には面白い。私も、矛盾も分裂も生きています。避けたいが避けられないので。
英語嫌い人さんがこだわっているのは、あくまでも論理だと思います。推理小説を貫く論理が首
尾一貫しなければならないように、論理が首尾一貫しなければならない?私は激情も論理だと考える者ですので、推理小説は退屈します。
語学の練習の材料にするのはためらいませんが・・・。
>でも、「おっさん」は不可(笑)くっそう。怒ったぞ。
>でも、未だに「おーざりぶろんぐでー」はわかりません(笑)調べればすぐわかることだと思い
ますが。それって、まだ信学会が終わってないってことか?
そろそろ調べてくれませんか。老い先も短いことだし。おーざり。ブロングデ〜より。
>えー、根石さんは、「先生」なんて呼ばれるときっと尻のあたりがムズムズしてると思いま
す。文句のある奴はきっといないと思います(笑)ほんとは「おっしゃん」と呼ばれるととって
もしっくりいくみたいです。でも、「おっさん」は不可(笑)「おっしゃん」は、長野県の北信地方の人以外が発音する場合は、イントネーションがむずか
しいです。字に書くとまるで同じですが、ここいら辺では、「おっしゃん」には全く異なる二
つの意味があります。・一つは、お寺のお坊さんを「おっしゃん」と言います。「和尚さん」から来たと思います。
・もう一つは、全国的に「おじさん」と呼ばれる年齢層の男を単数で扱う用法です。塾生が私を「おっしゃん」と呼ぶ場合は、もちろん、お寺の坊さんの意味では「ない」方で
す。最近の子は「おじさん」と呼んでくれますが、これも、むずむずとまでいかないまでも、
むずっ、っとはきますね。「おっしゃん」が一番好き。
全国的な「おじさん」から近代的臭いを削除すると「おっしゃんに」なる。ったって、わかるわけではないですね。
無料で、北信地方の「おっしゃん」の発音を「電話でレッスン」いたします。
090−3316−4180 へお電話ください。
電話代がかかりますが、レッスンは10秒で終わります。
ついでに、お寺の和尚さんの方の「おっしゃん」もレッスンしちゃいます。出血大サービス!俺が建築現場にいるときは、気が立っている場合がよくあり、電話に出ても機嫌が悪いことがよ
くあります。無視して下さい。
I've been working on the railroad all the live long day.Responsibilityやその他の件についてのレスはもう少しお待ち下さい。
今、ラブレターを書きました。
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つけめん食ったよ。味噌味の方。味噌ラーメンよりはるかにうまい。ずいぶんと長いことお目にかかっていませんが、先週お会いしましたね。
今度、俺と、おおぎやでデートしよう。
おおぎやでデート。つけめんでデート。美しい!
おい、デートしろよ。馬鹿たれ、デートくらい、俺とするもんだ。ウドんちへ行って、「今日はガールフレンドはどうした」って言われて、ほんとにほんとに淋
しかった。わかるう?----------------------------------------------------
根石吉久さんは、ここが公開の場であることを忘れてほしくないと思います。
お嬢! なんで登場しない?
そういえば、忘れてたわ。お蒸散は、先日、「ゴースト」を終わらせました。
ちゃんと掲示板に書いといてよ、と言いつけられていたのに、すっかりぼんぼん忘れてたわ。
お蒸散は、来年あたり、アメリカに蒸散します。これで、誰が何を終わらせたんだっけ。
この間は、村田君が「フルメタルジャケット」。
その後で、ミスズ(飴)戸倉が、「E.T.」。
このたびは、お嬢が「ゴースト」。おめでとうごわした。
>「先生」なんてな呼び方は気持ち悪がってません? で、勝手に「さん」つけで呼ぶ事にし
ちゃいましたが、文句の有る奴、かかってこんかいっ!文句はありませんが、かかっていいですか。
かかりたい。
女はもう、どの人もどの人もみんな好き。
会うとかかりたくなくなる人もいるのが不思議ですが・・・。
Eliot様ネットで検索している間に、すでにお答えいただいていたんですね。
もとの記憶がはるか彼方のいい加減なもんだったので、それだけでは再構築できませなんだ。おかげで、すっきりしました。ありがとうございます。
昨夜は泥酔し、醜態をさらしまして失礼しました。
根石先生>語学の言語が死んだ言語だということがどうしても納得できないということは、その人の語学に対する認識が閉じているためです。「生き生きとした表現」だのなんだのを信仰する人は、一見開明的に見えますが、実は認識を閉ざしてしまっています。*ここのところをもう少しわかりやすく具体例などを挙げて説明をお願いできませんか?
基本的なことを聞いているようで恥ずかしいのですが。。。あえてお聞きしたく思います。
先日のレッスンは電話が遅れてすみませんでした。次回のテストの範囲のことですが、26〜58まででお願いします。1見開きにつき1問出していただき、33問出してください。これを30分以内で終えられるように激しく練習したいと思います。以上よろしくお願いします。
今日は豪州の最終日だったので、語学の本を何か仕入れようと思い、メルボルンの外国語書籍の専門店へ行きました。IELTS(アイエルツ)=international English language testing system?の本とあと、今まで軽視してきた発音に関する本を仕入れようと思いましたが、結局送り賃が高くつくのでやめました。エリオット先生の紹介してくださった、「発音パーフェクト辞典?」のように単語と単語がどのように結びつくのかという解説をした本もありませんでしたので。 ところでエリオット先生はその「発音パーフェクト辞典」はお持ちなのでしょうか?もしお持ちか、内容について若干でもご存知なら、簡単で結構ですので教えていただけませんか?それから「フォニックス」は現勤務校のあるベテランの先生から教えてもらったのですが、「フォニックス」についての記述はありますか?発音の各項目はコントラストがしかっりしていますか?CDはついていたような気がするのですが、どのような構成なのでしょうか?もしわかれば教えていただければ幸いです。
ST 様多分、メルボルンのインターネットカフェから書き込んでもらったのだと思いますが、今後、タイでもインターネットカフェが簡単にみつかればいいが、と思っています。
次回のレッスンの範囲については承知しました。
語学の言語と生活言語をはっきり別のものとして認識すべきであるという私の主張は、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読まれた ST さんはすでにご存知です。
「死んだ言語」という言葉も、語学をやる人に、語学の言語と生活言語を混同すべきではない、はっきり区別すべきだと言いたいために使っています。「死んだ言語」であれば、元は生きていたわけです。それが、生活言語です。
語学では辞書をよく使うので、辞書というもので考えてみましょう。辞書は、標本集です。昆虫の標本集なら、標本になっているものの一つ一つは、元は、跳ねていたり、飛んでいたりしたものです。しかし、標本集の中では昆虫は死んでいます。辞書の一つ一つの単語も、採集される以前は、生活(や実用)の中で使われ、状況とともに動いていたものです。生きていたのですが、それが固定され、辞書に収められることで死にます。
辞書は、それぞれの標本に対して説明してあります。それが辞書のありがたいところですが、言葉の一つ一つ(標本の一つ一つ)はやはり死んでいます。生きている言葉は、あくまでも状況と共に状況を呼吸しながら動く言葉だからです。STさんが、今日までオーストラリアの人々と話してきた言葉を考えていただけばいいのです。語学から生活言語に渡った人(現在の ST さん)には、辞書で知った言葉にまったく新たな光があてられたという感覚が生じるのではないでしょうか。
机上の語学で扱う言語は、すべて辞書の中の言葉と同じ性質(死んでいるという性質)を持っています。それが英会話用のテキストであっても、この規定を逃れることはできません。語学の対象とされる言葉は必ず現実的な状況から切れており、「仮のもの」「仮定のもの」だからです。あるいは「架空のもの」だからです。
机上の言葉で、唯一生きている言葉は、読書で読まれる言葉でしょう。読書で読まれる言葉が英語であっても、読書は厳密には語学ではありません。想像されて生成する世界そのものが、(擬似的な)状況を作り出し、その状況の中に言葉が動きます。読書という行為は、想像によって、擬似的な状況を生きることです。一つの具体的な文は、その文以前の多数の文が形成した状況の中に置かれるので、擬似的ながら状況のまっただなかにあります。これは想像不要の状況に依存する(話し言葉の)生活言語や、状況から断絶した語学の言語のどちらにも属さない言語領域です。この領域にとことん立脚しているのが文学というものでしょう。
机上では、現実と異なること、現実とはうらはらのことを言うことはいくらでも可能です。
どしゃぶりの日に、机上で、It's very sunny, isn't it?
と言ってもまるでおかしなことではありません。その言葉を「回転読み」で何十回、何百回繰り返し言い続けることもおかしなことではありません。あくまで状況から断絶した語学の文だからです。
ところが、机上から顔をあげて、窓をあけ、窓の外のどしゃぶりの中を傘を握りしめて歩いて行く人に同じ文を言えば、いやみな皮肉と聞こえるか、頭のおかしな人と思われるでしょう。言っていることが現実の状況とまったくうらはらだからです。
腹が減っていないのに、 I'm hungry. を言い続けるとか、とろんとした眠い目をして、I killed hundreds of people this morning. と言うことも、語学ではやはり日常茶飯事です。語学が扱うものがひたすら「架空」のものであるということです。そうでなければ、映画のシナリオなんかおっかなくて扱えません。日常で出会うような状況ではないものが、映画では日常茶飯事ですから。以上の例示で、語学の対象になる言語と生活言語の断層はおわかりいただけるものと思います。
語学の言語と生活言語は、まるで地続きではありません。死と生が地続きでないのと同じです。
語学は、「死んだ言葉」を殺し直すことによって、それを生き返らせるような行為です。言語そのものに「復活」という契機があります。生活言語にはこれはありません。語学とは、言うなれば、骸骨に踊りを踊らせるような行為です。語学と生活言語が地続きだと幻想する人は、決してそうは思っていません。
それが生活過程で生活の言語として通用するなら、それはすごいことです。日本人が日本で(英語の磁場を欠いて)それがやれるようになるならば、それは本当にすごいことだと思います。タイでの英語体験を書いていただくことを、期待しています。
素読舎日録名古屋のK君(高校一年生)が、英語の勉強のやり方を教わりに来た。しかし、すぐに建築現場に連れていき、電動ドライバーでネジを打つやり方を教えた。薪ストーブ用の薪の蓄積場所のドアを作り、その上部に棚を作る。
8時過ぎから、「月曜インプット教室」。
今日、ミスズ(飴)戸倉さんが、「E.T.」を終わらせた。もう終わらせたと思っていたのは俺の勘違い。おめでとうごわす。今日、戸倉さんは「逃亡者」に突入。
つけめんの味噌味を食べたの? ばっかだねえ、醤油味がうまいんだよ、しろうとだねえとお嬢に言われる。くやしい。きいいいぃ。10時半頃から、名古屋K君に英語のやり方を言う。普段「電話でレッスン」をやっていてくれるので、話が通じやすくて助かる。
掲示板、チェック。「骸骨に踊りを踊らせる」書く。
いきなりタクシーでぼったくられそうになり、びっくりしました。市内まで600バーツだというのです。地球の歩き方には200バーツ程度と書いてある。実際に正規のカウンターで申し込むと」177バーツプラス手数料50ドルでした。有料道路に40バーツと30バーツかかったとしても約半額です。いきなり最初の買い物からぼったくってくるとは、、、気をつけようと思いました。これからの予定はバンコク4泊、チェンマイ7泊、チェンラーイ2泊、メーサロン3泊、バンコクにもどり2泊で29日の深夜にバンコクを出て、日本に30日の朝、関空に到着の予定です。
今回はたまたま書き込みも読むのもできるネットカフェがありましたが、掲示板にしばらく書き込みができなるかもしれません。でも電話でレッスンはなんとかやりたいと思っていますのでよろしくお願いします。
*レスありがとうございました。>机上の言葉で、唯一生きている言葉は、読書で読まれる言葉でしょう。読書で読まれる言葉が英語であっても、読書は厳密には語学ではありません。想像されて生成する世界そのものが、(擬似的な)状況を作り出し、その状況の中に言葉が動きます。読書という行為は、想像によって、擬似的な状況を生きることです。
*浜谷先生の「伴走読み」は根石先生の「電話でレッスン」の英語学習の間隙を埋めるものと思います。もっとも中級以上の人にむく場合が多いとは思いますが。人によっては初級のうちからトップダウン的な理解を得意とするひとには向くとも思います。
根石さん、夕べ「どんでん返し」の前半を読みました。
電圧装置、とはよくも名付けたり、と思います。(失礼な言い草でしたね。 すみません)
私は田舎者なので、殺虫電燈(この装置の名前知りませんので)で、「ジッ、ジッ」と次から次ぎへと虫がお焦げになっていく様を想像しました。電圧装置による攻略法は、英検1級受験勉強のおりに、私が友人達とやっていた方法に酷似しています。 私共は30桁の大学ノートを二つ折りにして、左に英語、右に意味、同義語、用法などを一行おきに記し、計15問を作り、日に数度チェックしました。 私共の場合にも、即座に解答できないものは、アウト、とみなしました。 左側を見て解答するだけでなく、右側を問題として解く事もしました。
翌日の朝にもう一度チェックして、それでも即解答出来ないものは赤字でノートの最上行に書き込むので、覚えきれていないものはいつまでも残って行く、と言う戦法です。 さぼりが続くとノートが真っ赤っかになってしまいます。
根石さんほどの徹底振りではありませんでしたが、この方法は短期間で功を奏しました。 電圧装置流にやれば、もっと短期間で合格したかもしれません。
受験勉強や初〜中級者には、必須、かつ非常に有効な攻略法だと思います。 根石さんは、イメージしながら声を出して覚える様に勧めておられるので、これも大切なポイントだと思いました。 地固めの為の作業として、盛り土をひたすら突き固める必要があります。 基礎体力づくり、としてはやってみる価値あり、と思います。
「回転読み」ですが、テープに吹き込んだものを聞きながら書く、というのがユニークです。 (「えっ、感想、たったそれだけかよ...」と言わないで下さい。)
中高生には、寺子屋風に、教室でこれらの準備運動をさせてやる必要があると思います。 道場で素振りさせる様に、です。 これを1人で出来る子はそうそういないと思うので。
実は今月は日本にいろのですが、現在ハンブルク住いなので、ドイツ語の勉強に追われています。 ここは思ったより英語が通用せず、日常の生活などはドイツ語でしなければなりません。 ドイツ語圏に住んでいても、ドイツ語は自然に身についたりなんかしないのです。 ドイツ語の勉強に「電圧装置」を使ってみようと思っているところです。
*無事バンコクにつきました。いまいる所は日本語で書き込みができるので少し体験談を。。。今日は、1日が長く感じられます。メルボルンからバンコクにきて3時間もらったのですから。
とっくに3時過ぎという感じなのに、まだお昼の12時過ぎです。今日はとりあえずバンコクの宿探しをしました。インターネットが近くにある所ということで「フレディーズ3」という所(エアコンつきでお湯が出るとこ)を地球の歩き方で探したのですが、そこが午前中で門に鍵がかかっている。うん?これは宿じゃないのかと思いつつも、重いバックパックを背負っては結構きつい。たまたま同じ経営者がやっているのかどうかわからないが似たような名前の「フレディーズ2」という所が近くにあったのでそこにした。ここは地球の歩き方に載っていない宿で、エアコンがない。そしてお湯がでない。1泊が100バーツ、日本円にして280円!安い!というかまだタイの物価に慣れていない私なのでした。(お湯が出てエアコンつきだと350〜400バーツ以上する)ちなみにバンコクの1日の最低賃金は165バーツ、時給になおすと20バーツ、日本円にして時給が60円弱 ということになります。 今日その宿でハムサンドを頼むと30バーツ(3を掛けるとだいたい円になります)紅茶を頼むと20バーツで、日本の5分の1といった感じでした。同じテーブルにオーストラリア人の夫婦がすわってきたので、少し今までのオーストラリア旅行のことを話していたらタイのこともいろいろと教えてくれたのでまたまた英語をやっていてよかったと感じました。今日は日本の書籍が恋しくなり、バンコクのワールドトレードセンター内の伊勢丹の紀伊国屋書店へいきます。そして写真の電池の充電のためのタイのコンセントも手に入れたいなと思っています。宿を出発して、屋台があったので焼き鳥を1本注文してました。5バーツでした。15円?やはり食べ物は5分の1くらいのようです。だからといって無駄にお金を使うことは旅行者として非常に恥ずかしいことです。スマートにお金を使いたいと思っています。今日空港でいきなりぼられかけました。空港内のタクシーカウンターは市内までの料金は600バーツだという。ガイドブックを見ていておかしいなあと感じたのでそこはパスして、空港の外のカウンターで申し込むとなんhと177バーツでした。タクシーのメーターが。通行料70バーツと手数料の50バーツを足しても600バーツの半額でした。なんかインドを旅したときのことを思い出しました。いろんな人が商売をしに私のところにきたのです。荷物持ちまではいいとしても靴磨き(ちなみに私はスニーカーをはいていた、磨いてもらったスニーカーはよけいにくたびれてしまった!!)、耳かきおじさん、体重はかりやさん(といっても家庭用のヘルスメーターを前においてあぐらをかいているだけのもの)。。。言い出したらきりがないほどです。人が基本的によい私はいいかもになっていました。サバイバル?貧しさ?そんなものではない。そこにあるのは生活であって、生身の人間です。だます人が多いのも生活がかかっているからで完全否定もできません。でも今日あらためて扇風機とお湯のでない部屋で思ったことは、日本人は特に若い世代は知らず知らずのうちに貴族なみの生活をみんながしているということです。オーストラリアでは物を大切にする人たちをみてきましたが、ここでも質素な生活、「足るを知る生活」がどんなに大切なものなのかということを改めて実感したのでした。
小川さんはじめてなのに失礼しました。あまりにもうまいと思ったものですから。
またいろいろとおしえていただければ幸いです。
ST様(^^;)
Naima
>
語学の学習者は「音をイメージにもっていく」のに対し、
生活言語では「イメージが音になる」
つまり矢印の方向が逆ということなのでしょうかまさに、本質的な質問だとおもいます。
周辺に英語磁場がない場合、
サウンドインプットをあびても
サウンドメモリーになりません。
口が裂けるくらい音読して、サウンドがおぼえられても
よほどの人でないとやらない。
長い英文を記憶に残す方法として、音読や筆写以外に
ないのでしょうか?
皆様、STさんからの下記書き込み関連の記事です。*浜谷先生の「伴走読み」は根石先生の「電話でレッスン」の英語学習の間隙を埋めるものと思います。もっとも中級以上の人にむく場合が多いとは思いますが。人によっては初級のうちからトップダウン的な理解を得意とするひとには向くとも思います。
浜谷です。根石さんからご許可いただいて、謹慎開け初めての書き込みをさせて頂きます。STさんが一応のご評価を頂いている「伴走読み」についてです。英語の語彙・構文のインプットには多読が有力な方法の一つということは皆さんもよくご存知だろうと思います。私は高校を出たばかりの40年前にある英会話サークルに出席し他の参加者が言っていることが殆ど聴き取れず、どうしたら聴き取れるようになるだろうと考えて思いついたのがこの方法でした。以来3年間必死に多読しガイドの試験に合格しました。勿論その間多読以外に発音面、スピーキング面等の勉強も相応にやったことは言うまでもありません。 そこで、この多読のスキルをコーチしたいと考えて試行中なのがこの「伴走読み」です。興味を持たれた方はぜひ下記リンクから私のHPのそのコーナーを覗いて見てください。分からないところをメールで随時訊いていただき学習者のペースで読み進んでいただくというものです。読み物は学習者が自由に選んでいただきます。多読と言っても黙読ではヒヤリング勉強としては不十分ですので、できるだけ音読することをお奨めしていますが、週に一回学習者の方から30分間お電話していただくことにより音読のコーチもしております。
ぱくぱくさん>サウンドインプットをあびても サウンドメモリーになりません。*そうなんですよね。とにかくそれがいいたかったのです。ところで「エントロピーのなんとか」って何のことですか?
なんで気持ちいいのか。なんでニューヨークのビルが崩壊するのをテレビで何度も何度も見ているのか。
あのビルはアメリカの思い上がりの象徴なのか。俺が世界で一番好きな場所は、女の寝ている布団。
それとニューヨーク。笑う女がいる everywhere.いい顔で笑う女と今日も飲んだ。
その間の数時間に、でかいビルが二つ、崩れていた。おお、ニューヨーク。ニューヘイブンから列車に乗って、ニューヨークが列車の窓から見えた
ときも、デトロイトから乗り継いで、下降を続ける飛行機の窓の下に夜景がどんどん間近に迫っ
てきたときも、体に血の流れるスピードがはっきりと変わるのがわかった。俺はニューヨークが
好きなんだと思った。それなのに、ニューヨークがもうもうと煙をあげるのが、なんでこんなに気持ちがいいのか。
それを何時間も何時間も見ていた。
なんでこんなにも気持ちがいいのか。
制度が隠しても隠しても、隠していたものがいつか必ず噴き出す町。
それが俺のニューヨークだからか。ニューヨークは
「内側から」
それが噴き出してくる町だったはずだ。普遍が制度になった途端に、別の普遍が現れる。
普遍はいつも、嫌われ者として現れる。ニューヨークよ。アメリカにやられてはならない。
ニューヨークよ、アメリカになるな。
もうもうと煙があがる。貧しいブッシュの声明。貧乏根性。
アメリカとアメリカンを守る。アメリカの自由と正しさを守る。
それだけのことなのだ。お前が考えることは。お前が言うことは。Wall Street の wall は何を何から守ってきたのか。
俺は知っている。
あの Wall Street でゼニを得ている者どもが street で俺を見た目つきで。お前らはワシントンの「地下」にもぐってとりまきに囲まれよ。
ワシントンを撃った者。
あれは明らかに蘇った特攻隊だ。
国籍なんか関係はない。That's Japanese spirit. とウドの店で俺はわめいた。
なんでお前がうれしそうな顔をするんだと俺はウドにわめいていた。
アメリカ本土の友だちに電話しているウドが、第三次世界大戦などと口走った。
目がいきいきとしていた。アメリカが「攻撃された」。その喜びが顔の表に出ていた。
嘘つきのアメリカが攻撃された!アメリカ「本土」が攻撃された。
ブルックリンじゃない。世界貿易ビルが破壊された。
ペンタゴンが攻撃された。
ジェリーの家の前の樅の木じゃない。世界の警察が攻撃された。
俺には見える気がする。
レキシントンのあの樅の枝の下の屋根のその下で、ジェリーの目だって生き生きしているのが。正しい顔をした「ずるさ」が攻撃されているのだ。
Remember Pearl Harbor.
Remember New York.
物事には、可逆過程と非可逆過程があります。
これを知らないと、無駄骨をおります。例)こぼれたミルクはもとに戻らない
われわれの努力は、こぼれたミルクをあつめれば、
ミルクになるかの幻想をもって努力しているのです。
商売人は、この幻想をもたせるのがうまいので
ひっかかってはいけません。
不謹慎!
理解できない感情を持つ人間が存在しうることは理解できるが、
Duffy氏に同感!
パレスチナの街角で人々が歓喜の声をあげていた。子供たちもはしゃぎまわっていた。南京陥落ののときもこうだったのだろうか。あのとき、私たちの祖父母世代は提灯行列に繰り出して、難攻不落の敵地の攻略を笑顔で祝った。彼らにも、戦闘に巻き込まれ、はかなくも命を落とした無数の異国の人たちの悲痛な声は聞こえなかったことだろう。午前1時。テレビを見ていた。信じられない光景があった。何十人もの乗客と乗員を乗せた旅客機が高層ビルに突っ込み、一瞬にして砕け散って爆発した。そしてビルがスローモーションを見ているように崩れ落ちた。多発テロ。恐ろしかった。戦争? そんなバカな。
妻を起こした。一人では見ていられなかったのだ。二人でテレビ画面を注視する。あの飛行機の中に人がいる。あの崩れていくビルの中に人がいる。何百人、何千人という人たちが死んでいく。胸塞がる思いがした。痛かっただろう。悲しかっただろう。悔しいことだろう。アメリカに生まれたことが彼らの罪か。世界貿易センターで仕事をしていたのが罰せられたというのか。アメリカの大統領やWall Streetがどうであれ、突然理不尽な死を強要された彼らに何の罪があるというのか。
二十四時間過ぎた今も多数の人が行方不明のまま。その中の一人の日本人銀行員は私の勤務校の同僚英語教員の友人である。悲しげな同僚の顔が浮かぶ。そして家族の人たちの気持ちを思うとやりきれない。
数千人の命の向こうに数万人の家族や友人の悲しみが連なる。私も人間の一人として、悲しい。
>アメリカに生まれたことが彼らの罪か。世界貿易センターで仕事をしていたのが罰せられたというのか。アメリカの大統領やWall Streetがどうであれ、突然理不尽な死を強要された彼らに何の罪があるというのか。今回なくなった方々には心からお悔やみ申し上げ、
その冥福を外国人としての節度を越えない範囲でお祈りしますが。
アメリカで生まれたこと、貿易センターで仕事をしていた事、
は当然彼らの罪でしょう。
>アメリカで生まれたこと、貿易センターで仕事をしていた事、
は当然彼らの罪でしょう。あなたがあなたとして生まれたこともあなたの罪ですか。
あなががあなたとして生まれたことは至福ですか。
訂正です。
>あなたがあなたとして生まれたこともあなたの罪ですか。当然でしょう、原罪ってご存知ですか?
先進資本主義国家の一員として安い石油で呑気に暮らしている時点で当然
「罪」はあるわけです。(つまり我々日本人も。)
別にテロが素晴らしいなどと言いたいんじゃないですよ。
罪はあるのか?と問われれば「ある」というだけの事です。もっと言えば「何の罪もない彼ら」というあなたの感想は
この様なテロルに際して、被害者にたいしても加害者にたいしても
あまりにナイーブすぎないか?
と思うのです。
良く分からないな。
原罪という言葉を知らないと何か問題があるのですか?
人間の命の尊厳に対する感想に対する評価が、言葉の知識の有無で揺れるのですか?
私はEliotさんの感覚を支持します。
ナイーブってなんですか?
ナイーブとは悪なのか?
当事者以外は、あなたも私もある意味皆評論家にならざるをえないですね。
原罪という単語を知らなくてもその感覚を知っているかどうか
は重要だと考えます。
原罪は国語辞典
ナイーブはこの場合英英で調べればどうでしょう。
で?
奥歯に物が挟まったような言い方をしないでちゃんと説明して欲しいですね。
ナイーブの何が悪いのですか?
この文脈の中でなぜ原罪の感覚を知らなくてはいけないのか理解できません。
げん‐ざい【原罪】(広辞苑より)
〔宗〕(original sin) アダムが神命に背いて犯した人類最初の罪(旧約聖書創世記)。人間は皆
アダムの子孫として生れながらに原罪を負うものと考えられる(原罪説)。宿罪。
naive (Oxford advanced learner's dictionary of current engligh)
natural and innocent in speech and behavior(e g because young or inexperienced);
amusingly simple
私は「何の罪もない彼ら」とは言っていません。「このような無残な死を強要される彼らに、そんな死に値するような何の罪があるのか」と問うたのです。犠牲者たちは、アメリカに生まれたという「罪」で今回の死の裁きを受けたのですか。安い石油でのんきに暮らし、世界貿易センターで働くという「罪」を犯したから、彼らはテロによる死という当然の報いを受けたのですか。彼らのような存在を「罪」と呼ぶのかどうかの議論に深入りするつもりはありません。ただ、彼らが「罪人」であったとして、今回の「罰」はその「罪」に対してあまりにもむごすぎると感じ、涙を流すことを「ナイーブ」だといわれるのなら、私は自分はナイーブでいいと思っています。
こちらタイ王国の英字紙のトップの見出しは「Kamikaze なんとか」でした。オーストラリアで見た映画「パールハーバー」を思い出しました。ただただ、第3次世界大戦がおこらないことを祈るのみです。犠牲者の方々には心からお悔やみを申し上げます。
原罪の意味を知ってると言う事になにか意味があるんでしょうか?
原罪って、辞書で引いて解る、なんてお手軽なもんなんでしょうか?
巨大なビルが崩落するのを見るのは、何度見ても気持ちがいい。
「ゴジラ」がビルをつぶすのを見ることの恐怖と開放感と酷似したものを自分の中に感じる。今日になって、地上の救出作業がテレビの映像となった。人の目の高さから、人の背丈をとらえる映像が流れ始めた。それを見ると、コメンテーターたちと同じように、テロが許されてはならないと思う。
人が逃げまどう高さでの映像と、遠景でとらえられたビル崩落の映像は、まったく異質の思いを俺の中にもたらす。
人の背丈の映像は、アメリカがベトナムに対して落とした爆弾の下にも必ずあったものであり、中東でアメリカが落とす爆弾の下にも必ずあったはずのものだ。
ニューヨークを逃げまどう人やニューヨークの人命救助活動は次々と多量の映像と化して、日本の報道の中を流れるのに対し、これまで、たとえば、アメリカ軍が中東で行ってきた「テロ」の元での人々の苦しみが、どれほどの量の映像として日本に届いていたか。アメリカの「テロ」の元に、必ず人々の苦しみがあったはずだ。
ニューヨークの地上でと同じように、パレスチナの地上でも、人々は必死に逃げ、あるいは逃げる間も与えられず殺されてきた。そして、こちらは闇に葬られてきたと言っていいほど、報道量として少量であり続けてきた。大国が自分の都合で、小国を思うようにしようとすること自体が犯罪である。そこにこそ、テロが育つと言うより、それこそがテロリズムなのだ。小国が大国に逆らえばテロであり、大国が小国に駐留したり、小国を攻撃することが正義であるなどと、そんな馬鹿な理屈があってたまるものか。
アジア、アフリカ、中東の悲しみの元に、大国が自分の都合で小国に手を出すということがあった。大国による、小国へのふみにじりがある。ヨーロッパの植民地主義の時代からそれは変わらない。それはいつも国家(その政治と経済)による犯罪である。人の背丈の映像に対しては思わず目をそむけたくなり、遠景としてビルの崩落を見るときはなんとも言えない爽快感を感じる。この二つは相容れない。
俺はおかしいのかと思うほど、この分裂は激しい。
この引き裂かれをもたらしているものは、即物的にはカメラの目線の高さの違いだろうが、かつてのソ連も含めて大国の思い上がりというものは、いつも人の背丈の高さの目線を欠くのだ。それが、国家・政治というものの本質だ。勝ったものが、いつも涼しい顔した正義づらとなって現象する。それだけだ。
自由、平等、アメリカ。笑わせるなと思う。
経済力に支えられた政治(アメリカの世界警察化)の正義づらのテロリズム。それが正義という仮面の下にアメリカが隠してきたテロリズムである。その昔、白人どもがインディアンに対して行ったテロリズムと何の変わりもない。アメリカという国がテロリズムによって成った国であることを忘れてはならないのだ。
やつらの正義とは、それまで平和に暮らしていたインディアンたちを追い、踏みにじり、殺すことの正義だった。その「正義」が世界規模になっただけであり、やつらがやっていることは同じことなのだ。白中の正義づらのテロリズム。正義づらのテロリズムの横つらを張った映像のせいだろうか。
巨大ビル崩落の映像が気持ちがいいのは、そのせいだろうか。
>パレスチナの街角で人々が歓喜の声をあげていた。子供たちもはしゃぎまわっていた。南京陥落のときもこうだったのだろうか。日本がヨーロッパに追いつこうとして、近代化という猿まねをし、後進地域を植民地化することまで猿まねした行為が、大東亜共栄圏という幻想の根拠だったと思います。その途中での、点景が南京陥落のときのお祭り騒ぎだったと思います。
「もどき」ということが、決して消極的な意味の行為ではないという質を日本の文化は持っていたはずですが、近代の「もどき」は「猿まね」になった。それが日本の近代化だった。
しかし、特攻隊の青年が死を胸にして飛行する心情を私は想像します。そこに言葉にならずに張り裂けそうになっていたものを想像します。南京陥落のお祭り騒ぎには、植民地主義の猿まねがしのびこむ余地はあっただろうが、特攻隊の青年の胸にあったものに、どんな「もどき」も、まして「猿まね」もしのび込める余地はない。
誰もそれを言葉にできるわけがない。
せめて、辞世の歌という形式として放つ以外に。パレスチナの街角の歓喜の声は、ソ連やアメリカという大国の都合でいじりまわされてきた土地の人々が、解放の幻に舞う姿であり、これは猿まね植民地主義が混ざり込んだ南京陥落のお祭り騒ぎとは別物ではないでしょうか。
犠牲者を悼む気持ちに、かわりはありません。けれども、事実は注意深く選り分けられていて、
米国政府にとって不都合な事実は、全く報道されていないような気がします。
湾岸戦争のとき、重油まみれの水鳥が繰り返しテレビで流れ、イラク非難の世論を喚起しました。
しかし、あれは実はイラクによるものではなく米軍の爆撃によるものだったはずです。
情報統制下の現在、似たような事実の歪曲や隠蔽がどれだけあるのか、明らかではありません。
もちろん、テロは許されるべきものではありませんが、
米国のメディアが唱える自由と正義と民主主義には、一定の留保が必要だと思います。
報道だけを鵜呑みにして、性急に事件を論評したり、誰かを一方的に非難したくはありません。ただ一つ疑いようのない事実、多くの人の命が失われたことを悲しみ、
犠牲者の方々の冥福をお祈りするばかりです。
Duffy 様不謹慎という言葉は、私の記事へのものと思います。
私は、自分の中にある「爽快感」のようなものをどうにもいつわることができません。
湾岸戦争の時にも思ったことでしたが、テレビの報道の映像を見ていると、それが何かのシュミレーションゲームの映像なのか、現実をとらえた映像なのか、まったくわからないという一瞬が訪れます。つまり、質的には映像に差がない、ということです。虚構なのか現実なのか、テレビの映像だけを見ていてもわからない。私はテレビゲームはやりませんが、テレビゲームをよくやる子供にとっては、湾岸戦争のテレビの映像は、よく出来たゲームの映像ほどのリアルさもないということだったでしょう。湾岸戦争の時の映像はやたらにうす暗いようなぼやけたものが多く、アメリカ軍の落とす爆弾の光が光る「そこで」、人が死んでいるのだということはひたすら「想像」することでしか、自分に結びついてきませんでした。
どこかの体育館のようなばかでかいところに泊まり込んで、何百人というプログラマの手で20日くらいの期間で一つのプログラムを作るのに、私の友だちの友だちが参加した話を聞いたことがあります。自衛隊からの注文を日立が受注したものだとか聞きました。つまり、軍用のプログラムなのですが、友だちがどんな感じかと聞いたところ、「別にゲーム作るのと変わりないよ」と言っていたそうです。プログラムの手続きだけのことを言っているのか、飛行機が自分で飛行している状態を表示するディスプレイの使用感のことを言っているのかはわかりませんでしたが・・・。飛行機を操縦する者に目視が不要になり、地上のことがディスプレーに表示される情報だけになれば、いよいよ、地上のことはシュミレーションゲームのディスプレーと何の質的な差もなくなるだろうと思ったことを覚えています。
飛行機の上から爆弾を落とす人間を描いた映画に「フルメタルジャケット」があります。果たして、本当のところ、飛行機から爆弾を落とす人間があのような者(残忍な喜びを隠さない者)であるかどうか知りません。実際は、もっと冷静に沈着に正確に爆弾を落としていくものではないかとも思いますが、いずれにせよ、飛行機を操縦し、爆撃していく者が、「絶対有利」という場所にいることは間違いありません。
これまで、アメリカはこの「絶対有利」というところにいたのです。経済的にも、政治的にも、「絶対有利」の場所から、飛行機の上からベトナムの土地を見るように世界を見下してきました。個々のアメリカ人のことを言っているのではありません。アメリカという国家の無意識には、世界への見下しがある、と思ってきたのです。それが世界の警察となって現象しています。
アメリカが世界を見下すその高さを横から串刺しにして崩落させた映像として、昨夜、私が見た映像は世界が決して忘れることがないだろうと確信しています。
私のやっているような、いつ倒れても不思議もないような小さな小さな私塾が、圧迫の元から声をあげるなら、学校英語がやっていることを横から串刺しにするしかありません。映像的には同じなのです。私は実際に人を殺さないだけです。思想的殺し自体は信じています。
普段の生活の中では、学校的価値が私塾の思想を窒息させることに有効に動いています。ここもまたパレスチナであり、ブルックリンです。
私がテロリズムを奉じている者だと思いたい者は思うがいい。めくらです。
テロリズムは近代の学校の中にこそ働いている。私が行使しているのは、自分への暴力、語学という暴力です。それだけの者です。
Duffy 様言葉を複合して考え始めるなら、人々の暮らしを思うなら、事はまるで別なのです。ビルの中に働く人々や、旅客機にたまたま乗り合わせてしまった人々のことを思うなら、事はまるで別なのです。人々の暮らしや生活の高さから見るなら、冗談じゃねえという思いや、怒りや、不安が、私にもリアルなものです。ビルに働く人々や飛行機に乗り合わせた人々を道づれにしたという一点では、テロリストの行為はどこまでも卑劣なものです。しかし、テロリストをここまで追いつめてきたのは、アメリカの涼しい顔した白中のテロリズムであることは間違いないと思っています。
卑劣なのは、大国です。
私も、暮らしの方から言葉を紡ぐなら、ST さんその他の方と同じように、亡くなった方々に哀悼を捧げます。しかし、それでも言いたい。ベトナム戦争の時、私たち日本人はベトナム人にちゃんと哀悼を捧げたのか、と。靖国神社などに「とられて」しまって、私たちは自国の戦死者にも、まだ本当には哀悼をささげていないのではないのか。殺されたことの意味を絶対に国になど「とられて」はならない。
チンピラがやくざをバックにするように、戦後の日本という国はアメリカをバックにしてきた。そのことで、普通の人々の普通の暮らしから、どれほどのものが「とられた」のか。アメリカが落とす爆弾の元には、ベトナムにもパレスチナにも、普通の人々の普通の生活があったのです。それが必ず血まみれになり、ごろごろ転がっているはずなのです。
世界貿易ビルに働く優秀な人々や、ペンタンゴンに働く優秀な人々や、圧倒的に報道量の多いニューヨークの人々のことに、優秀な日本の人々は反応します。
アメリカの爆弾の元にある普通の人々の普通の生活の中でごろごろ転がる死を想像すること。別に優秀でもなんでもない、普通の人々の普通の生活を踏みにじってきたのは、ソ連という大国であり、アメリカという大国でした。それが20世紀という世紀の後半でした。それ以前には、イギリスやフランスという bitch がいます。アメリカこそがテロリズムを奉ずる国であるということを、テレビは一言も言っていません。
私が即応したのは、ひたすら、映像の映像的意味だけです。
一枚の絵を見るように見たとき、あの絵は、アメリカという言葉が世界に対して持つ意味を変えるものだと思いました。
酒に酔っていた頭が見たからだというところへ逃げ込む気持ちは私にはありません。
その後も何度も何度も、朝まで見続けていたのですから・・・。
画面に釘付けになるように、食いつくようにずっとずっと見続けていたのですから・・・。
酔いがさめても、まだ見ていたのです。
くたびれ果てて、へたりこんでも、まだ、見ていたのです。
同意します。
> それなのに、ニューヨークがもうもうと煙をあげるのが、なんでこんなに気持ちがいいのか。
> それを何時間も何時間も見ていた。
> なんでこんなにも気持ちがいいのか。私は気持ち良くないです。
たとえ、気持ち良くても気持ち良いとは公言したくないです。
ただ、それだけです。
>私は気持ち良くないです。
たとえ、気持ち良くても気持ち良いとは公言したくないです。
ただ、それだけです。わかりました。
私は、気持ち良い時は、気持ち良いと書こうと思い決めた者です。
それが俺の壊れを晒し、俺の分裂を晒すものであっても、あるいはそれがさらに俺を壊し、俺
の分裂を深めるものであっても、気持ちいいときは気持ちいいと書こうと思い決めている者です。
爆撃用の飛行機から世界を見下すような視線を、私たちは茶の間のテレビの前で簡単に手に入れる
ことができます。>これまで、アメリカはこの「絶対有利」というところにいたのです。経済的にも、政治的にも、
「絶対有利」の場所から、飛行機の上からベトナムの土地を見るように世界を見下してきました。茶の間でテレビを見ている場所も、あるいはこの「絶対有利」という場所です。
本当はテレビの映像を見ている限り、誰もこの「絶対有利」からは逃れられないのではないで
しょうか。
私の母親はアメリカ軍の空襲にあったが、私自身はアメリカ軍の空襲にあっていない。私の父親はオランダ軍の捕虜になったが、私自身はオランダ軍の捕虜になっていない。
私にはビルの八十階に突入する信念はないし、七十階の窓から脱出する勇気もない。
ピッツバーグ近郊に墜落したユナイテッド航空九十三便についての、詳細な報道がない。
報道すると大国にとって、都合の悪い事情がないとは限らない。アメリカを旅行する日本人、アメリカで暮らす日本人、既にアメリカ人となった日本人は多いが、
パレスチナやアフガニスタンを旅行する日本人、パレスチナやアフガニスタンで暮らす日本人、
既にパレスチナ人やアフガニスタン人となった日本人は、さほど多くない。友人知人家族親族がニューヨークにかつていた、あるいは今いると云う話はよく聞くが、
友人知人家族親族がチェチェンにかつていた、あるいは今いると云う話はあまり聞かない。
http://page.freett.com/oku/
> それなのに、ニューヨークがもうもうと煙をあげるのが、なんでこんなに気持ちがいいのか。
> それを何時間も何時間も見ていた。
> なんでこんなにも気持ちがいいのか。私は、鳥肌がたちました。
>人々の暮らしを思うなら、事はまるで別なのです。
>ビルの中に働く人々や、旅客機にたまたま乗り合わせてしまった人々のことを思うなら、
>事はまるで別なのです。高層ビルに飛行機が突っ込んだら、
少なくても高層ビルには、多くの人々が働いているのですから、
そのことは、想像できるはずです。
瞬時にそれを読み取れず、しかも朝まで興奮なさっていたとは、
不謹慎といわれてもしかたないとおもいます。今までロムしておりましたが、
根石様の自己中心の本性が覗くことができ、失望しました。
こんにちは。私もほとんど茶の間で手に入るだけの情報(主にテレビから)のもので考えていて、ピッツバ
ーグに落ちた飛行機はどうして落ちたのかと思っていました。テロリストと乗客あるいは、旅客
機の乗組員が争って落ちたという情報と、アメリカ軍機が打ち落としたという情報があると、今
日、隣町の喫茶店で聞きました。しかし、人が飛行機の中でもみ合ったくらいで今の飛行機は落ちないという話も聞きました。
自動操縦装置が積んであるから、操縦桿で積極的に下に向かわないと落ちないという話でした。何が本当のところかわかりませんが、もしも米軍機が打ち落としたのであれば、打ち落とすこ
とを命じた人が必ずいたはずだと思います。
ペンタゴンやホワイトハウスに勤務する優秀な人間を守るために、一般乗客を殺すことを是と
する判断がここには含まれるはずです。アメリカ国家の本音というものがあるはずです。
国家の仕事に直接的に関わる人間を生かし、うぞうむぞうの一般人は殺すという判断です。
もしも、本当にもしもですが、これがこの通りであったら、アメリカ国家はアメリカ人だろう
が何だろうが殺すということです。本当は優秀な人間を守るのでもなんでもない。国家が国家で
あり続けるためには、人を殺すということであり、実はアメリカに限ったことではない。国家と
いうものの本音であろうと思います。
もしも、本当にもしもですが、あの飛行機が打ち落とされたものであったのであれば、そこに
国家というものの本音が露呈しています。あくまであの飛行機が打ち落とされたのであればという仮定の上で考えられるにすぎないこと
ですが・・・。
それは充分にありうることだと、私は日本の茶の間で考えています。
私は本当に気持ちよかったのです。あのビルの中に人がいるということが瞬時に想像できなかったのかということですが、まった
くそのことは瞬時に想像できませんでした。しかし、何度も見ているうちに、あの中に人がいる
んじゃないのかと思いました。だから、いつまでもテレビを見ていたのかもしれません。あれは、
本当のビルだとテレビが言っている。だったら、中に人がいるんじゃないのか。映像自体が、そ
れを否定しているような感覚が私にはありました。現実感がない。私の中の遠くの方で、異様な
感覚があったことは覚えています。現実感がないが現実のものなのだという考えはありましたが、
そう考えても、それが現実感になりません。すげえという思いと、遠くの方に持続する異様な感
覚。すげえという思いと、異様な感覚が混ざり、つまり、何なのか、これは何なのかと思ったか
ら、ずっと朝まで見ていたのだと思います。興奮していたというより、本当に本当のことなのか、
本当には納得できないから朝まで見ていたのだと思います。最初に私にきた、気持ちいいという感覚は、これまでに私がアメリカという国家に対して抱い
てきた思いが反映しています。
歳をとるにつれて、自由という観念と実際のアメリカ国家が行うテロとの食い違いをどんどん
憎むようになっていきました。何が自由か、それはアメリカに都合のいい自由、アメリカの好き
勝手をするための観念的つっかい棒じゃないか。普段からそう思っていましたので、このアメリ
カ国家に対する憎しみが瞬時に反応したと思います。その後、二日経ったのか、三日たったのか、いくつかの考えを書いてから、気持ちはすっかり
重くなってしまいました。しかし、最初にあの映像を見たとき、明らかに私の中には爽快感がありました。
湾岸戦争以後、誰もアメリカには逆らえないんだと、アメリカ国家自体が誇示してきたし、日
本の中にもその空気は潜在していました。風穴があいた、という感覚がありました。あなたは、本当にあの最初の映像だけで、あの中に人がいるとわかったのですか。
すごい人です。
私には、テレビが映す無機的なビルの映像にすぎませんでした。その無機的なビルが煙をあげる
のを見るのは気持ちよかったです。高い無機的なビルが世界を睥睨することに反感を感じるような
普段の私の感覚というものが伏線になっています。気持ちよかったのです。映画を見ているのと、
何の違いもありませんでした。ニューヨークのビルに飛行機がつっこんだのだと、テレビは繰り返
し言いましたが、私にはそれが納得できていなかったとも言えます。今でも、本当に納得できてい
るのかどうか、よくわかりません。そのとき、アメリカの世界睥睨の象徴としてのビルだけが見えていたのだろうと思います。
私が、それが本当に本当のことだと納得し始めたのは、翌日になって地上の救助活動の映像が
テレビに映り始めてからです。テレビの映像を見て、それを瞬時に現実と結びつける感覚は私の中に育っていないということ
です。そして、しかも、持続していた反米の感情が、私にあったということです。その組み合わ
せで、「すげえ」は生じたし、「気持ちいい」は生じました。あのビルが崩壊せずに立っている風景を見たことがありますが、記憶に残っていません。私に
はそれが立っている風景も信じられない風景だったからだと思います。
私がニューヨークで覚えているのは、暇な店で話した黒人たちとの冗談話と、ウォールストリ
ートに勤める白人の最初から蔑視を含んだ視線だけです。アメリカにこんなふうに逆らうやつがいるんだ、すげえという感覚は今でも持続しています。
今はすっかり気持ちが重くなっていますが、このテロに巻き込まれた一般の人を悼む気持ちが、
気持ちをだんだん重くしているのだろうと思います。俺は分裂している、と私は申し上げています。
最初の映像が私にもたらした爽快感を、私は決していつわることができません。
観念はすばやく、思いは遅い。
その分裂を私は晒したと思っています。
>根石さん
BBS時々覗いてました
マンハッタンの巨大ビルに旅客機が突っ込む映像
それを観てスペクタクルを感じる
そんな自分におぞましさを覚える
犠牲者の事を思い気持ちが重くなる
しかしひたすら中東をもてあそび続け、何万人のイラク人を殺し
正義づらする一人勝ち国家アメリカをテロをしかける連中には妙に爽快感を覚える
また犠牲者を思い気が滅入る
これ、全て一人の人間の中におこる自然な感情です。
人間てその程度の複雑さは持ってます。
もし被害者への追悼の感情やテロに対する怒りだけの人がいたら
その方が異常だと思いますよ。本当に怖いのはそういう人の方でしょ。
全然問題な〜し。
書き込んで下さりありがとうございました。だんだんと気が重くなって、胃も重くなって、夜になって胃が痛み出し、今日は「電話でレッスン」
の生徒さんに断って、ゆっくりレッスンをやらせてもらいました。
ラディンという人は享楽主義者ではないかという印象も私にはあります。
「リーヴィング ラスベガス」という映画で見た人間の目と、ラディンという人の目が私には同じ
質のものに感じられます。ラディンという人の目を見るたびに、「リーヴィング ラスベガス」を思い出します。
憎しみだけがはっきりとある。
アメリカに対するものだとも、アラブのテロリストに対するものだとも、日本の戦後市民社会の
感覚に対するものだとも、自分に対するものだとも、今はもういっさい何とも結びつけたくない。
どのような方向性ももたない憎しみだけがはっきりとある。
絶対に、今、ここにある。
ネットカフェは結構あるのですが、ゲストハウスに電話はなく、受け付けも貸してくれず、公衆電話はかからずという状態なので、今回はお休みさせてください。今現在はバンコクからチェンマイに移って来たところです。バンコク第2の都市らしいです。次回の範囲は同じで26〜58で1見開きから1つずつ出して下さい。以上よろしくお願いします。
電話をとった。
「根石様のお宅ですか」
「そうです」
「奥様いらっしゃる?」
やりとりがこの順番になる電話がよくあるが、このところ頻度が激しい。一月ほどの間に、4,5回あったのではないか。最初のうちは、妻に代わっていたが、最近は、
「何の用ですか」
と言うことにしている。ほとんどが、何かの商品の売り込みである。商品の売り込みの場合は、断って電話を切ることにしている。妻が出て、もうこの種の電話はしてくれるなと何度も何度も言っていることもよくある。
今日の電話は、「何の用ですか」と俺が言うと、一応何か会社名のようなものを言った後、「ご案内」だと言うから、「うちは電話での「ご案内」は要らない」と言ったら、「あらあ」と言う。
何が「あらあ」か。まさか、無自覚イスラムじゃあるまいな、このやりてばばあ。
この「あらあ」は何を意味するのか。「奥様いらっしゃる?」と言えば、奥様に電話を渡すのが当然なのに、それを渡さないから「あらあ」なのか。よそのお宅では、旦那という者はふぬけで、「奥様いらっしゃる?」ですぐに受話器は妻に渡るようになっているとでもいうのか。それで当然だとでも言うのか。蔓延する戦後市民社会のばばあ勢力が背後にあるのか。
「何のご案内ですか」
と言ってしまった。
「奥様、恥ずかしがるのよね」
「うるせえよ」
電話を叩き切った。奥様を選んで言え!私は、ほとんど午前中は寝ている。仕事が夜中の12時を過ぎて終わることがあり、神経が立っているので、すぐには眠れない。その後、掲示板の世話などしていると、じきに朝になる。従って、午前中は眠る。
今の借家は狭い。6畳と8畳が主な部屋で、この二つの部屋で塾もやる。塾が終われば、机を畳んで部屋の隅に重ね、8畳の方に布団を敷いてそこで眠る。貧乏人の住居は、パオ(ゲル?)みたいなもんだ。
電話もこの二つの部屋にある。どちらか片方で鳴っても、古い家だから音は筒抜けだが、両方の部屋に電話があるのは、塾をやるときに、両方にないと不都合だからだ。
一時は、夜中に電話線をひっこぬいておいて、午後起きたらつなぐということもやっていたが、つなぎ忘れることがあり、「お前んとこ電話かかんねえよ」と携帯にかかってくることもあったりして、最近はまたつないだままにしてある。親しい人たちは、私の生活パターンを知っているので、午前中には鳴らさない。電話が鳴る。
普段の睡眠の途中で鳴る。
商品の売り込みに電話を使われるのはただただ迷惑なだけである。普段、午前中に睡眠する人間がいるということを、この種の売り込みは無視する。多数の人の生活パターンが、少数の者の生活をさいなむのだ。やはり、物理的に電話線を引っこ抜かないと駄目か。
了解しました。
詳しい知識を知らないが、イスラエルという国が現在あの地にあるのは、イギリスの画策によるものだと聞いたことがある。アラブに紛争の種を置いたのはイギリスだったという。
England is a bitch.
という歌の文句を、ウドと大笑いして聴いていたことがある。私は英語塾をやっている。
私はイギリスもアメリカも嫌いだが、英語は好きだ。この立場はありうる。
この立場を書いた本にリービ秀雄(秀雄で合ってる?)の「日本語の勝利」がある。
日本も日本人も嫌いだが、日本語が好きだという本だ。アメリカも成績幻想もお受験も嫌いな英語塾というのは、なかなか経営が難しい。
ここにゃあ、石油も出ないし。
主にサラリーマン家庭の財布から直接に出る資金と援助物資で生き延びてきた。
お嬢、この間はぶどうをありがとね。
さて、
らくだでも飼うか。
現代の踏み絵(その1)「アメリカ」という国に対して、どういう態度、言動を取るかで
その人の評価を定める、という風潮が頑としてある。
さしたる証拠もなく「アメリカ」は悪い、という前提で論議が進んで
しまうことはよくあると思う。それゆえに発言を控える。沈黙する。「一体なにが悪いのか」疑問を
抱えたまま。そういう一群の人たちがいる。恐れている。「アメリカ」
はやることなすこと悪いのだと思い込んでいる人たちの頑な態度と恫喝。
憎悪。私も恐れを抱く者のひとりだ。むかしからある「持てるもの」に対する妬み、嫉み、嫉妬のたぐい。そう
いう臭いがする。あるいは、たんなる刷り込みか。前提を疑わないのか。
むろん「アメリカ」という超大国ゆえの、小国に対する無神経さ。これは
充分にあると思う。また来ます。
>足立さんアメリカについて多少なりとも興味を持ち学んでみれば、
米国文化のもつ明快さ、風通しの良い社会や個人のシステム、
社会のもつ厚みと豊かさに魅了されると同時に
アメリカが国家としてこれまで行ってきた、また現在行いつつある
恥知らずとしか思えない他国にたいする様々な横暴や圧迫、謀略の
数々は自明の事だと思います。
特にここ20年ほどの中東に対する介入の仕方の凄まじいばかりの
ひどさには言葉も無くしてしまいます(米国人内部でも同様の指摘
は勿論あります)。>むかしからある「持てるもの」に対する妬み、嫉み、嫉妬のたぐい。そう
いう臭いがする。
>あるいは、たんなる刷り込みか。前提を疑わないのか。>むろん「アメリカ」という超大国ゆえの、小国に対する無神経さ。これは
充分にあると思う。これを聞いて納得するのは、アメリカ市民の5分の4と
アフガニスタンの政治家ぐらいでは?と思います。
アフガニスタンじゃないや、イスラエルでした。
怒られちゃうよ、ごめんね。
足立さん私は若い頃は、アメリカは嫌いではありませんでした。特に好きでもありませんでしたが。
私はアメリカに友だちがいます。そいつのことはとても好きです。
frank という性質でしょうか。あのアメリカ人の質はとても好きです。しかし、ここ10年ほどで、アメリカという「国家」はすっかり嫌いになりました。
今、他の国々に踏み絵を踏ませようとしているのは、アメリカです。
今日のニューヨークタイムズには、アラブの国々に対して、どちらの側につくのか明確にしろと
要求するという記事がありました。これは踏み絵じゃないのでしょうか。アメリカ側につかないなら、攻撃されるのを覚悟しろと恫喝しているのです。
前提を疑わないのか、というのはどういう意味でしょうか。
足立さん、「アメリカ」は良い、正しい。何が何でも「アメリカ」はすばらしい。
という前提を疑わない人たちにも、多く出会ってきました。
その反動か、私自身の本心を探ってみると、足立さんの言われたような、
やることなすこと「アメリカ」悪い、嫌い、に近かったようです。最近は、どちらの態度も、つまらないと感じるようになりました。
嫌いと言ったって、音楽、映画、文学、ファッション・・・・
沢山の影響を受けていることは、疑いようがないのです。
「アメリカ」を嫌うと、「アメリカ」に影響を受けた自分も否定しなければなりません。
アホらしい。そこで、何かアメリカ発の情報に接するたびに、良いことも悪いことも、
心の中で十分の一くらいに縮小して受け止めるようにしています。
そして、大きな大きな米国発の情報量に対して、バランスをとるために、
他国や他地域からのニュースや文化に、たくさん触れるように心がけています。ちなみに、今回のテロ事件について感じていることは、
本当に気の毒だよ。
悔しいだろう。
俺たちの仲間も殺されたんだ。
お前の悔しい気持ちはよく分かる。
だからちょっと落ち着け。
俺もみんなもお前の味方だ。
普段は仲が悪い**も##もお前に味方すると言っているぞ。
だから早まるな。
だってお前は図体がでかいのだ。
暴れると後始末が大変なんだ。
頼むから落ち着いてくれ。といったところでしょうか。
今日久しぶりに散髪しました。こちらではいわゆる普通の散髪屋さんは50バーツでした。(3を掛けるとだいたい日本円になります)散髪してくれたお兄さんは日本ではどれくらいと聞くので安いところで400バーツ、高いところでその3倍くらいと答えました。タイでは高いところでも160〜180バーツだといっていました。オーストラリアでは10ドルが最低料金でした。1ドルが約60円ですから、600円程度です。日本の円がいかに高いかは本当に日々実感しています。
> 本当に気の毒だよ。
悔しいだろう。
俺たちの仲間も殺されたんだ。
お前の悔しい気持ちはよく分かる。
だからちょっと落ち着け。
俺もみんなもお前の味方だ。
普段は仲が悪い**も##もお前に味方すると言っているぞ。
だから早まるな。
だってお前は図体がでかいのだ。
暴れると後始末が大変なんだ。
頼むから落ち着いてくれ。ニューヨークタイムズも今日アメリカに対してそう言っていました。
とても不思議です。
もっこりさんのこれらの言葉を、まったく英語のイントネーションで読みました。
私は本当にあなたが好きです。
>「アメリカ」を嫌うと、「アメリカ」に影響を受けた自分も否定しなければなりません。私が嫌うのは、アメリカ「国家」です。
宣言します。
私が世界で一番好きな場所は、「女が寝ている布団」です。
眠って夢をみているその場所です。
>むかしからある「持てるもの」に対する妬み、嫉み、嫉妬のたぐい。そういう臭いがする。卑しい嗅覚と思いました。
ちなみに、
足立和夫さんは古くからの私の友だちです。ちなみに、
発行されたばかりの詩の雑誌、「midnight press」に足立さんの写真が載っています。
私も書かせてもらっています。
谷川俊太郎さんと正津勉さんがアーサー・ビナードさんと木坂涼さんを招いてやっている座談会
が英語と日本語を考えている人にはいい記事だと思います。ちなみに
足立和夫さんは詩人です。
最近詩集を出しました。発行人は確か俺だったんじゃないか。
確かめてみます。そうでした。
私の手元にたくさんあります。
皆様に読んでいただきたくご案内いたします。詩集は「空気のなかの永遠は」というタイトルです。
東京でも、ポエムパロウルとかいう店に行けばあるかもしれません。詩人は散文を書くと卑しくなるみたいだ。
足立さんの詩集からの無断引用です。----------------------------------------------------
脳の壊音がひびく
そのときから
青空は
いつまでも
不気味なものになった
(青空)
----------------------------------------------------
ちなみに、
この詩集の発行年月日は 2000年10月25日 です。詩人は予言はできる。
なんだか絨毯爆撃しているような気がしてきた。
英語なんぞやるからか。
アメリカの流す情報には一定の留保をつけるべきだというもっこりさんのご意見に同意します。
日本に住む私は、アメリカ発の情報を、アメリカという国家の目線や、イスラエルという国家の目線で見る必要は全然ないわけで。まあ、パレスチナの目線で見ることもできないんですが。「『特攻」直後の喜ぶパレスチナ人の映像』、私は見ていないんですが、ある掲示板で興味深い記事を見つけました。所詮、可能性でしかないのですが、「湾岸戦争の水鳥」を知った後では、意外とここらへんが本当かな、と思います。
「2ch軍事板」より転載
[航空機テロ情報集約スレ(分析、質問スレ)その3]
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=10002762597> 802 名前:名無し三等兵 投稿日:01/09/13 05:06 ID:6em04lI.
> 時差考えるとヨルダンはアメリカ東海岸時間+5時間なので、
> 1発目が9時だとすると4時くらい。
> そのネタが最初に出た頃は「ヨルダンは夜のはずだ」という
> ギャグ半分のツッコミや「明るさが真昼のようだ」って意見もあったが、
> 日本と違って緯度が低いので明るさに関しても問題無い。
>
> 報道が早いと言っても、あれだけの事件なんでCNNとかの
> 「早さをウリにする」放送局が対応して
> 中東の反応をリアルタイムで送ってきても不思議ではない。
>
> ただ、「アメリカでテロが起きましたが、どう思いますか?」という
> インタビューではなく、単に浮かれていた人達の映像であるんで
> 関係の無い映像を流した可能性はあるな。
先日、ダジャレー夫人と風呂にはいっていて思いついた。「国家の陰毛」。
「国家の陰部」。
「国歌の段尻(だんけつ)」。
根石さん、「どんでんがえし」後半読みました。 英語のシンタックスを「体得」する為のメソッドとしての「回転読み」は説得力があり、ドイツ語で応用しようとおもっていたところです。 ただ、ドイツ人が英語に渡る場合には必要ない、との事でしたが、これは違うと思います。
重箱の隅をつっつく様ですが、「回転読み」の証左にもなると思うので、あえて書きます。
ドイツ語のシンタックスは英語のそれと似ていますが、動詞はかならず2番目の位置に来なければならない、従属節では一番後ろに置かなければならない、など、基本的な所で違いがあります。 皆さん、とっくに御承知の通りです。 英語圏の生徒が苦労するのは、似ている分だけ紛らわしい、と言う点です。(日本語のまずさ、御容赦)
おまけに、ドイツ語の動詞変化、形容詞語尾変化のややこしさ、など、英語にはないものですから、「回転読み」は、英米人の性分にさえ合えば、大変有効だと思います。
要するに、シャドウボクシングみたいなものか、な、? 違いました? ここへ投稿するして下手な事を言うと、揚げ足をとられそうで、いつも神経使います。 はい。
退散
根石さん、さっきの私の投稿、支離滅裂でしたね。 ドイツ人が英語を習う時、という前提なのに、英語人(?)がドイツ語を習う時、にすりかわっちゃってました。 ま、逆も言える、と言う事でご容赦。
脱兎のごとく退散
2チャンネルに飛ぼうとしたが、「そんな板ない」というエラーでした。> 関係の無い映像を流した可能性はあるな。
これは、具体的には、湾岸戦争の時の映像を流した可能性がある ということでしょうか。
> 関係の無い映像を流した可能性はあるな。> これは、具体的には、湾岸戦争の時の映像を流した可能性がある ということでしょうか。
例えば、過去の祭りの時の映像かも、ということです。
>例えば、過去の祭りの時の映像かも、ということです。もしも、そんなことであったなら、人を馬鹿にした話です。
アメリカ国家はアメリカ人をも馬鹿にするという話です。
根石さん、「どんでんがえし」後半読みました。 英語のシンタックスを「体得」する為のメソッドとしての「回転読み」は説得力があり、ドイツ語で応用しようとおもっていたところです。 ただ、ドイツ人が英語に渡る場合には必要ない、との事でしたが、これは違うと思います。
重箱の隅をつっつく様ですが、「回転読み」の証左にもなると思うので、あえて書きます。
ドイツ語のシンタックスは英語のそれと似ていますが、動詞はかならず2番目の位置に来なければならない、従属節では一番後ろに置かなければならない、など、基本的な所で違いがあります。 皆さん、とっくに御承知の通りです。 英語圏の生徒が苦労するのは、似ている分だけ紛らわしい、と言う点です。(日本語のまずさ、御容赦)
おまけに、ドイツ語の動詞変化、形容詞語尾変化のややこしさ、など、英語にはないものですから、「回転読み」は、英米人の性分にさえ合えば、大変有効だと思います。
要するに、シャドウボクシングみたいなものか、な、? 違いました? ここへ投稿するして下手な事を言うと、揚げ足をとられそうで、いつも神経使います。 はい。
退散
国家の陰毛bush【bu∫】 [名]低木;茂み,やぶ;(通例 the 〜) 未開墾地.陰毛.
「国家の薮の中」。ううむ。
bush!!!!!!
ブッシュって、ブッシュ大統領。できすぎか!!
名は体を表すってか。
根石さん、現地のドイツ語学校ではビリの方なので、えらそ〜な事は言えませんが。
英語で "Yesterday it rained." を、ドイツ語流に並び変えると、"Yesterday rained it." となり動詞が倒置します。 これが英語のシンタックスがインプットされている生徒にはややこしくてかないません。 ドイツ人も英語を習うと同じ悩みをもつのではないでしょうか。 「回転読み」がドイツ人の性分にあうかどうか、ですが、やりはじめたら徹底的にやらずには気がすまない国民性の様な気もしますので、もしかしたら、あう、か、も。
それともう一つ気がついたのですが、英語がかなりできる人達でも、会話では、しょ〜もない文法的間違いをやらかす事がありますよね。 "He go to school." "I eat 5 apple."レベルの言い間違いです。 これも「電圧装置」と「回転読み」でリハビリ出来ると思うのですが、どうでしょうか? 「通じりゃいいのだ」と言う人もいますが、「どうせやったら、ちゃんとしたい」と言う気もしますし。 いろいろなレッスンに応用発展させる事が可能ではないでしょうか?
ハンブルクへは10月半ばには帰りたいと思ってますが、あっちでも大風呂敷は拝見してましたので、また投稿させて下さい。
ヘラクレイトスの言葉・田中美知太郎訳から
「性格こそ運命の導き手」
「きもちいい」発言についてその後も考えていますが、ますます気持ちが沈んでいくようです。人道的に許されない発言をしたから、気持ちが沈んでいくのかとも考えてみましたが、そういうことではないという気がしています。
ニューヨークに友だちがいるという Eliot さんの発言も充分に気持ちはわかります。私もアメリカ人の友だちに、家族は全員大丈夫かとメールを書きました。自分の感覚が、テレビの映像を現実のものとして受け止めないままであったこと。それをそうあらしめていたものが何であったのかと考えています。かなり酔っぱらって帰宅したということはありますが、酔いのせいにしたところで、あの「きもちいい」の明確さは消えません。
最初に見たときに、「きもちいい」と思ったことの背後に、アメリカの傲慢に対する普段の反米感情が伏在していたのは間違いないでしょう。この反米感情は、今もリアルです。反米感情というより、大国が行う小国の踏みにじりへの憎しみでしょう。かつてのソヴィエトに対しても、私には同じ感情がありました。私は国家というものが、とことん嫌いです。日本国国家も同様に嫌いです。これは、ちょっと度を越しているかと思うくらい、国家と国家の行動が嫌いです。世界の痛みの元凶は、国家と国家の行動にあると考えている者です。アメリカはなぜ中東に軍を置いたままにしてきたのか。イスラエルを守るためなのか。イスラエルがあそこにあるのは、イギリスの画策の結果だという私の持っている知識が確かなものであるなら、イスラエルはイギリスが守るがいい。なぜアメリカが軍を置き続けるのか。ヨーロッパの貴族という bitch どもが、アジア・アフリカを植民地にして、金銀を泥棒した恥ずべき行為の延長で、今度は、アメリカが中東の石油の利権を得たい、つまり泥棒したい。そういうこととは違うのか。インディアン(原アメリカ人)の土地を泥棒したことの延長と違うのか。人が暮らしているところに勝手に入ってきて、人を殺し、土地を泥棒する。これが現在のアメリカの建国というものだった。イギリスからの独立だの自由だので、建国記念日などを設けるが、その前にインディアン殺しがずっと続いただろう。インディアン殺し記念日は、アメリカには日々是好日のようなもので、設けきることはできないだろう。それの続きを夢見ているのか、アメリカは。今度は、生活するための土地を得たいというよりは、ひたすらゼニカネのためではないのか。
日本には日本の猿まねの恥ずべき行為があった。かつてロンドンにいたとき、街角で買った新聞に、日本は中国に対して謝罪すべきだというような記事を読んで、ほとんど逆上に近い感情を持ったことがある。恥知らずめが。ヨーロッパの貴族どもほどに恥知らずな者どもはいない。イギリスが中国に何をしたか。麻薬まで使用するテロリズムの御本家の新聞が何を言うのかと思ったのでした。日本は謝罪すべきです。しかし、イギリスがそれを言うなら、イギリスがイギリスとしてすべきことがあるはずだ。日本が百回土下座すべきなら、イギリスは何千回でも土下座すべきだ。ヨーロッパの貴族ども、聖職者どもに対して、その時、私は心情だけなら、アラブのテロリストと同じテンションにいました。
口をぬぐってのうのうとしているヨーロッパの貴族どもの感覚が、今、アメリカの感覚として蘇っています。
人がいいという形容詞そのままのようなJというアメリカ人の友だちがいます。こいつが私のところに遊びにきて、3ヶ月近くいたことがあります。まだソヴィエトが崩壊していなくて、内はめちゃくちゃ、外には強硬な顔をしていた時代だったと思います。私の友だちは、素朴に反共イデオロギーを信じていて、人となりという点では実に人がいいのに、ソヴィエト=悪というイデオロギーを信じていました。俺は、ソヴィエトは巨大な悪であると思う。しかし、それと同じ大きさでアメリカは悪である。お前の言うことはアメリカ国家という悪の宣伝に染まっていると、こいつに言ったことがありました。大した議論をしたわけではありません。私がこれを言って、双方で黙りました。こいつがアメリカに帰った後で手紙をくれ、お前の言ったことをよく考えてみた。今も考えていると、手紙にありました。何をどう考えたのかは聞きませんでした。こいつとは今も友だちです。
アメリカという国家が善悪の善であるなどと信じることはとうていできない。
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Your family are okay?
Your parents are okay?
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Yes, we are all fine; we are tired from worry, but well in body. Our
great concern is how Americans shall react as a country. What is your
reaction to the attacks?
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It's good to know you all are okay.
I like American people.
I want to live as a person, not a member of Japanese nation.
I was forced to live as a member, but in me, I am a person.
I resist against this forcing power of nation as much as I can.
I want American people to do the same.I do not like American politics.
As a country, America is too powerful and too arrogant.Of course, I hate terrorism.
As a country, America should rethink what it did to native people.
Wasn't that a terrorism to native people living peacefully in those days?To Vietnam. To Arabs.
America should know there's no western frontier.I care much about my friends in America.
I love my friends in America.
But I hate American politics.What do you think about this thought?
Cという友だちに書いたメールですが、At first, I felt it's so cool.
とはついに書くことができませんでした。しかし、今後やりとりが続けば、これは書くつもりで
います。
「回転読み」をやられての変化など、是非聞かせて下さい。ドイツ語について教えていただき、ありがとうございました。