根石さん、こんばんは!先ほど6時頃奈良に帰ってまいりました。昨日は大変お世話になり有難うございました。根石さんとはこれまで掲示板でお話をしてまいりまして、英語(英会話)の学習方法論でなかなか折り合わないなあという感想を持っていまして、一度じかにお目にかかり、お話がしたいと思っていたのですが、盆休みを利用してお伺いし、積もるお話が出来ましたことを大変嬉しく思っています。先日shima様がやはり素読舎を見学なさってその感想を書き込まれていましたように塾の授業風景は凄いの一言です。熱気むんむんとしていました。皆さんがめいめい違う文章の回転読みを、ある生徒さんは先生に教わりながら、またある生徒さんは先生が他の生徒さんを教えてらっしゃる間に自習の形でやってらっしゃるので騒然とした中、整然と授業が進行しているという、いうならば、剣道や柔道の練習風景を彷彿とさせるような授業風景でありました。英語の音作りの大切さをモットーに掲げられている素読舎のこの授業形態はなかなか他では真似ができないのではないかとも思いました。先生としての奥様とお二人で自宅を塾と結合させ、電話でレッスンの時間を含め授業を終えるのが12時を超える日もあるという授業風景をつぶさに見学させていただき、すごく参考になりました。熱血先生とは根石さんご夫妻のような方たちのことをいうのでは、というのがお世辞抜きで私の率直な感想です。なお本日付の素読舎日録で根石さんが(私が)「塾にはあまり興味がなく・・・」と仰っていますが、そうではありませんでした。皆さんの勉強のお邪魔にならないように席を外させて頂いただけです。そのように前もって申し上げた筈だったのですが、舌足らずだったかも知れません。ご不快に思われたのでしたらお詫びいたします。
その後一献傾けながらのひと時を手配していただき、根石さんお話のはしばしに登場されているウドさんやその奥さんともお逢いでき、楽しいひと時(といっても深夜5時近くまで)を過ごすことが出来幸せの一語につきました。たまたまウドさんのお友達のアメリカ人の英会話教師の方も加わり、根石さんは流暢な英語で常に場を盛り上げ、たまたまその英会話教師が日本語を習いたがっていることもあり、積極的に日本語も交えた懇親のひと時をリードしていかれたお力にはただただ感服するばかりでした。
その他、現在8分どおり出来上がっている、ご自分で建設中のご自宅にも案内していただき極めて近い将来に完成するだろう素読舎の新教室を指し示される根石さんの楽しそうなお顔が印象的でした。予定通り早く完成されることと、素読舎塾の運営をやりながらのご自宅の自作いうハードなスケジュールでお体を壊されないよう心よりお祈りしながら現場を後にしました。
最後に常に陰にいていろいろお世話をいただきました、お奥様に心よりお礼を申し上げたいとおもいます。本当にありがとうございました。
何週間か前、Mちゃんのお母さん(山口県)とのレッスンのとき、ペーパーバックスをどんどん読み進めていく感覚が戻ってきたよ、とお聞きしうれしく思いました。アメリカにいたころ、結構ペーパーバックスを読んでいたんだけど、どんどん読み進めていく感じが日本に帰ってきてなくなっていたのだそうです。「電話でレッスン」の「技法グラウンド」で練習を続けていただいて一年余りになると思いますが、アメリカにいたときみたいにペーパーバックスがどんどん読める感覚が戻ってきたのでうれしいというお話でした。このやり方はやっぱり効果があると思うとその時におっしゃってくださいました。Mちゃんのお母さんの旦那様は大学の先生で、アメリカの大学におられた時期があり、その間、Mちゃんのお母さんもMちゃんも家族ぐるみでアメリカに滞在されたと聞いております。アメリカの大学に付属の機関だったかどうかはお聞きしませんでしたが、大学人およびその家族のために正しい(とされる)アメリカ英語の調音を訓練してくれる機関に通って、発音の訓練を受けたこともお聞きしました。
日本に帰ってこられてからは、Mちゃんのお母さんはNHKの語学番組などを聞き続けておられたようです。
二年ほど前でしたか、Mちゃんが最初にレッスンを受けてくれることになりました。Mちゃんは幼い頃にアメリカで英語の音が耳に入っていたせいか、イントネーションのバネはすぐに備わる感じがありました。レッスンを始めて、それほど時間がたっていない頃、電話をいただき、学校のテストの点が急激に伸びたのでびっくりしたとお聞きしました。その時、「何、これ?」と言われたことをはっきり覚えています。なんで、こんなに急に点があがるの? という疑問だったと思います。
私は特に学校のテスト用に何かをしたことはなく、ただ学校の授業で扱う前に教科書の「音づくり」を済ませておくということをしただけでした。「音づくり」が終わっているので、急に授業の吸収がよくなったからだろうと思います。点を余計にとらせようとしてやったことではなく、「音読」のてほどきをして、知識以前の基盤を確かなものにしたのでした。基盤ができていたので、そこに受肉された知識が活性化し、結果としてテストの点があがったのだろうと推測しています。
一年ほどの間、Mちゃんがレッスンを受ける様子を見ていてくださり、「これはいいと思うから私もやってみる」とおっしゃって、ご自分でも「逃亡者」をテキストに「電話でレッスン」を受けてくださるようになりました。Mちゃんのお母さんは私よりも発音がよく、発音の面では私が直すべきことはほとんどありませんでした。私がねらったのは、シンタックスの錆落としでした。日々、日本語に囲まれている生活の中で、一度確立した英語の「音」は錆びつかなくても、「シンタックス」の錆は徐々に進行すると私は考えています。
日本在住のままにやる英語は、技能としては自転車に乗れるようになるというようなこととは違います。自転車なら一度乗れるようになれば、その後は特に練習など必要とせず、乗ることを続けられます。
日本在住のままでの英語は、楽器を練習するのと同じようなところがあります。ピアノであれ、ギターであれ、しばらく練習しなければすぐに指の動きに錆が寄ります。だから、錆を寄せ付けず、あらたな自由度を開くためには、英語の練習を日常の中に組み込む必要があります。その練習が、シンタックスに寄る錆をしっかり意識したものでなければなりません。Mちゃんのお母さんはNHKの番組を聞き続けておられたのですが、「音」は維持できても、シンタックスに寄る錆は防ぎきれなかったということではなかったかと私は推測しています。
「電話でレッスン」でほぼ一年、錆がとれ、新しい自由度に向かって開かれている英語ができてきたときに、「ペーパーバックスがどんどん読み進められる」という感覚が戻ってきたのだと思っています。なかなか皆さんに注目していただけませんが、これを成り立たせている原則が、「復習範囲を手放さない」です。「電話でレッスン」で毎回行われるテストのテスト範囲がそのまま「復習範囲」となっています。ここをその度に新たに練習しなおすことをきちんとやってくれれば、英語の感覚が「醸される」と考えています。非常に有機的な方法です。
Mちゃんのお母さんへ。
この一年ほどの練習の効果をお聞きし、是非詳しいことを書いていただきたいとお願いしてあったのですが、なかなか書いてくださらないので、私が書きました。訂正すべきことなどありましたら、ご登場いただき訂正をお願いいたします。
皆様Eliot さんがこの掲示板に連載された「音作りへの道」を整序し、一つのページにまとめました。お読み下さい。整序はいくこの助力によります。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/series/otomichi.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/series/otomichi.htm
無事お帰りでよかったです。
「青春18」切符で、鈍行を乗り継いで来られるとは思ってもみませんでした。
また遊びにおいで下さい。
村田さん、いくこさん、おはよううございます!一昨日は遅くまでお疲れさまでした。お二人に会えて、おまけにお酒まで一緒に飲めて楽しいときを過ごせて、嬉しかったです。村田さんには、塾で教えられているところを拝見させいただき、また確かな音を聞かせていただき「英語どんでんがえしの・・・」村田さんだあ、と感激でした。いくこさんはアメリカ紀行を連載されていますので、てっきりまだ帰ってこられてないのかな、と思っていたので驚きました。素読舎のある屋代はしっとりとした雰囲気の町のように感じました。酒席には入れ替わり立ち代わり町のかたが見えられて屋代がいっぺんに好きになりました。素読舎の新教室は来年には完成するようですね。 来年また行ってみたいと思っています。またお会いできるのを楽しみにしています。
先日は楽しい席に同席させていただきありがとうございました。私のこともさっそくこの掲示板にのっているようで早くて驚きました。英語力はサッパリの私ですが今後ともよろしくお願いします。
初心者向けの電話でレッスンの教材として、「話体・抽出」を使用しています。
まだ始めたばかりですが、現時点での感想と練習方法を記述します。電話でレッスンの時は、抽出テキストのみ使用して音づくりの指導を受けています。
回転読みの練習時に話体を使用しています。
素読舎見学の際に、生徒さんたちが英文だけではなく、日本文も素読をしていたので、同じように話体テキストを読んでいます。日本文の回転読みはしませんが、「おぉ、そういう意味だったのか」と思う部分は数回繰り返します。受験英語の学習経験が無いので、基礎の無い私には向いていると感じています。
文節や単語毎に意味が繰り返し書いてあるので、単語から文節へ、文節から一文へと意味が広がるように理解できます。
一文の訳だけ記述されているテキストだと、単語を辞書で調べても、訳の種類が多かったり、一文の中でこの単語の働きが理解できないことが多かったです。
話体テキストは、その単語が一文の中での働きや意味をとても丁寧に説明されているので分かりやすいです。さらに今まで出てきた文で同様の使い方や単語が繰り返し出てきます。
単語のイメージが広がり、厚みを増してくる感じです。
イメージとしてこびりつきやすくなっている教材だと思います。私にとってはありがたいです。音づくりに関して、私の勝手な思い込みで練習をして、電話でレッスン時に指摘を受けます。
現状のやり方でよいのでしょうか? それとも法則などをあらかじめ書籍などで学んだ方がよいのでしょうか? 少し練習時に迷いが出てきています。
関口仁様いらっしゃい。音楽の好きな人のレッスンはやったことがありますが、音楽家のレッスンはや
ったことがありません。英語をやろうと思った時は、素読舎を思い出していただきたく思います。
下のホームページもお暇な時にのぞいていただけるとうれしいです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis皆様
仁さんは、山深い小川村というというところに住んでおられて、音楽をやっておられます。
以前に一度顔を見たことはあったのですが、先日、浜谷さんがいらしたとき、ウドのやってい
るワイズアウルという店で話を交わしました。ときどきは、ここに来ていただけるとうれしく思
います。
Shima 様ありがとうございました。しばらく使ってみて、また何か自分の英語の変化に気づかれたら、
書いていただきたくお願いしておきます。
音に関しては、市販の本を使われて法則をみつけられるのもいいと思います。Eliot さんが本
を薦めておられたと思います。
すでに倉庫に入れた記事からちょっと探してみます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/000.HTML65,74,113、117,177番あたりに発音のことが結構たくさん書かれています。
133番の記事が書籍の推薦です。
「英語の発音パーフェクト学習事典」(アルク)をこちらと Shima 様の両方で揃えましょう
か? 女房の発音の方が、私の発音よりいいと先日ウドの店で湯原という感覚のおかしなやつに
言われましたが、それでも私は女房の発音を直しています。しかし、Eliot さんのようにまとも
に知識として発音を学んだことはなく、自分が「通じる音」を作ったときに、口の中をどうした
かを自覚して、簡潔な説明の言い回しを作り、それを使ってきました。
しかし、Eliot さんとこの掲示板で話をしていて、このアルクの本は買ってみようかという気
になっています。この本の説明の順序を、私が大事だと思う順に並べ替えたうえで、「簡潔な説
明の言い回し」を作れるなら、それをこの掲示板上で発表し、後でまとめれば、発音に関する私
のホームページ上の記事が作れます。媒介にして「簡潔な説明の言い回し」を作れる本かどうか
がこの本の私にとっての価値になるのですが、とにかく実物を見てみないことには。
ド田舎なため、本は買ってしまわないと実物がなかなか見れません。
買ってみようと思っています。
ちょっと見てきました。
http://homepage1.nifty.com/jinmusic/gazo-kitahara/hase0011.jpg
ヤフーで「英語どんでん」という検索語を入力して遊んでいたら、大東文化大学の大学院で教えて
いる通訳の方の日録にぶつかりました。どなたでしょう。http://akasaka.cool.ne.jp/kakeru3/new10.html
(以下、引用です)
■またまた資料探しに神保町へ行く。今月から始まる「国際情報セミナー」のためのベーシック
な資料はないかと探したのだが、あんまりいいのがない。細谷千博・監修 (1999)『国際政治経
済資料集』(有信堂)を買ったが、もっと分厚くしてくれないと役に立たない。あとは江畑謙介
(1999)『世界の紛争 日本の防衛』(PHP)他数冊。ついでにこの前探して見つからなかった『GUN
用語事典』(1999)(国際出版)があったので買っておく。ムックなので見逃していた。経済書の
売場で伊東光晴(2000)『日本経済の変容』(岩波書店)を買う。■根石吉久・村田晴彦『英語どんでんがえしのやっつけ方』(小学館文庫)。塾の先生の本。学
校(受験)英語と会話学校の英語の狭間で格闘しているらしい。まあ初心者向けだからあまり内
容を云々しても仕方がない。でもこんなところはなかなか面白い。著者の自由人としての体験が
にじみ出ている。「アメリカ人みたいに話す日本人というのにすごく嫌悪感がある。ESSって、今でもあるのかどう
か知らないが、ああいうのに属しているやつらの英語って胸糞悪くなる。」「鈴木(孝夫)っていう人は現状指摘はいいんだ。だけど、そこから出てくる結論というのが、
とんでもないアホ理屈(笑)。あの岩波新書(『日本人はなぜ英語ができないか』のこと)、読
んでみてくれよ。本当にくだらない。(笑)・・・あの本に書いてあるもので判断すると、慶応
でやってるのは、「自己開発セミナー」っぽい訓練だと思う。こんなやつが、例えば文部省かな
んかに発言権を持って、日本の英語教育を決めるようになった日には、おっかねえよ。」でも、こんなところだけ引用するのはアンフェアかな。文脈がありますので読んでみてください。
著者のホームページも面白い。「英語の良書・愚書」、大手学習塾に乗り込んで抗議する話など。■そんなこんなで、通訳・翻訳研究の方はなかなかアップできません。
8月22日(水)に長野駅東口の”弧狸庵”という飲み屋さんで、ゆいまある校
生徒の暑気払いをやります。つきまして、この掲示板をご覧の一般の方でも興味の
ある方がおられましたらふるって御参加ください。
事前に、根石さんにメールでお知らせいただければありがたいですよね、根石さん。
長野市界隈で、どのくらいの人達がココを見に来てるかわかりませんが、来ていただ
ければ歓迎します。
夏休み 夏風邪と共に 去りぬけり
浜谷様
先日はお疲れ様でした。
実は私は、大先輩である浜谷さんの前で、恐縮していました。
いや、とてもそうは思えない、とおっしゃられるかもしれま
せんが…。「賢い梟」に行く前に、ビール1杯入っていたの
で、すでに情念パワー全開でして。うーん、『U.S.Aで「じす・
いず・あ・ぺん」と大真面目に言ってみたい!』なんて…、
あ、思いだしたらすごく恥ずかしい!
EIGHTBALLの生意気な話をお聞きいただき、ありがとうござい
ました。
またお会いできる日を楽しみにしています。
以下のところへ「逝った」ことありますか。
お盆で遊んでいてみつけました。
やっぱり受験生ってのは、根性がきつくて、俺は好きですね。
「受験英語で音作りをやるべし」っていうスレッドを、俺、今日立てました。
ご登場下さい。
「どんでん」、書店に見あたらなかったら、以下でお求めになれると思います。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094173617/4094173617/249-1912396-7769963
映画 プリティウーマンより、I would've paid it for her.
これが、実際の音声では、
a w pai fr
カタカナで書くと、アウ ペイ フォア になります。
これは、英語の発音規則から、このようになってもいいというものです。
日本の英語教科書では、子音と子音とが、衝突したときの発音規則が
じつに少数例しか提示されていません。耳が悪いというよりも、知識がないということが、リスニングの苦手の
原因であるとおもわれます。
購入してみました。
CD3枚付きで結構英文の量があります。
リズム、イントネーション、連結、同化、短縮形、破裂、脱落、子音連続、母音・子音の各章立てとなっています。
日本の英語教育は音声教育の欠落が問題だとの提起コラムもあります。
抽出、話体とともに少しずつ読んで聞いていきます。さらりと目を通した所感として、初めて知る内容ばかりでぜんぜん分かっていない自分を再認識しました。
根石さんが常日頃おっしゃっていることに通じる記事を見つけました。一部を抜粋します。
>しかし残念なことに、日本のインテリは(多くの場合)、精神的に弱い。自国をバカにし、外国か
>ぶれになってしまうのを見ればわかります。
...
>外国かぶれで日本をバカにし、現場の意見を聞こうともしません。全文はリンクをたどって下さい。
人生とは、決して理屈ではないのである。
人生とは、詰めてみれば、これみな屁理屈なのだ。おならの理屈。屁のような理屈。
おならをする本人は、やはり快感であるが、おならを嗅ぐ人たちは
とても迷惑このうえない。不快である。
言語道断。つまりことばの道を断つ。早い話が、われわれはみんなおならの人生を送っているのである。
パクパクさんへ。書き込み拝見しました。そのような発音規則が載った本で
お勧めは有りますでしょうか? I would've が aw に
なるとかは、なかなか本で発見できないので、そのような
かゆいところを説明してある本を探してますので、ご教示
下さい。お願いします。
夕食のあとは、Mちゃんがピアノで上手く弾けないところがある、というので、Uさんがお手本を弾いてみせたりしていました。私もそれを聞きながら、ソファーでくつろいでいます。すると、一家がみなリビングに集まったので、お土産大会を開くことにしました。例の、美術館でのお土産です。D父さんには、ネクタイをプレゼントしました。
「毎日、ビジネススーツを着ていますか」
と私は尋ねました。
すると、Tシャツをひっぱって、すまなさそうに笑いながら、
「これが私の仕事着」
と言いました。
「ネクタイは、1年に1回か2回するかな。でも、ありがとう」
D父さんは、本当にものしずかで、温かい人です。
だからでしょう、KくんにもMちゃんにも、心根の底にどしんとしたものがある感じがします。リビングに一家の開放的で、柔らかい居心地の良さが広がっていました。
こうして、ボストン3日目の夜過ぎていったのでした。
《4日目》
今日は、Uさんの大学時代の先輩Kご夫婦のお宅に、くっついて行ってしまいました。
もともとはバーベキューの予定だったのが、雨で中止となり、Kさんのお宅で過ごすこととなったのです。そのまえに時間が余ってしまったので、小さな歴史博物館に行くことにしました。
中に入ってちょっと驚いたことといえば、博物館の一角を借り切ってパーティーをしていたことです。でも、こういうことは、アメリカではよくあるらしいのです。
博物館は、アメリカ独立戦争の古戦場にあるため、そのころの歴史についてのブース、開拓時代のアメリカの様子を展示しているブース、アメリカやボストン近郊での技術の発展を展示したブース、写真のブースなどがありました。
いわば、アメリカてんこもりといったかんじです。
もう一つ、驚いたのは、Kさんちの娘さんEちゃんです。博物館には体験学習みたいな部屋があって、パソコンやちょっとしたゲームなどが置いてあります。そこで、アメリカの形をしたジグソーパズルがあり、もう真剣、熱中してます。ちなみにEちゃんは、4つです。
その時です。雷の音がしています。
みごと1つめを完成させたEちゃんは、2つめのジグソーパズルに入ろうとしています。
「E、今日はこれぐらいにしておかない?」
奥様がEちゃんに話しかけます。でも、聞く耳もたずで、Eちゃんはパズルを続行です。彼女がまだ小さいので、ちょっとばかり私の方が早くピースを見つけられます。
「あ、発見した。これじゃない?」
なんて言っていると、
「あんまり、発見しないで!」
とお返事。りっぱなものです。
一方、屋根をたたく雨の音が本格的になってきました。(つづく)
はじめまして。
どんでんがえし おもしろく拝読いたしました。
元英語・英会話を教えていました。。 大手英会話学校で講師をし そこで あまりにも大人を子供扱いするのに嫌気がさし あと自分で教えはじめましたが力尽きてやめました。
コンセプトは
1 初心に戻って基礎からstudy- 思いきって中一英語から
2 日本人が丁寧にコーチ −ガイコクジンに習っても雰囲気だけでできた気分になりがち。
3 英語はリズム 歌と チャントで 楽しくレッスン。 1年後には12曲のレパートリー
4 あなたも MOVIE STAR! 台本をみながら なりきって 英会話でした。
生徒は高校生以上から 大人一般でした。はじめは Interchange と教科書を同時にしていましたが 多くの生徒の基礎力不足を感じ いつのまにか 中学教科書を聞いて リピート 理解 音読 シャドー 日から英にする 筆写と 歌と発音 がメインになってました。 あと生徒のニーズに合わせて旅行英会話。
音読 音作り 地道ですよね。 何人かの生徒は 退屈におもったのか それともこの練習法なら 私でも独学でできると思ったか、 やっぱりネイティブに 習わないとうまくならないと おもったのか やめていきました。
「絶対音読」などうりだされていますが 独学でこれをやるのは至難のわざだとおもいます。
英語はトレーニングで適切なコーチが必要におもいます。日本人が教えるとなるとがっかりされて 入会しない人もおおかったですね。
体験レッスンで中学の教科書をリスニング シャドー そして 日本語から英語へとの変換をしてもらうのですが 中学2年のそれをできる人はほとんどいませんでした。
大学生でもです。 そこで 基礎の必要性を実感してもらうのですがやはり 外人に習いたいひとが多いですね。
まあ 往々にして 私の実力不足もありますが。少数ながらも続けた生徒は 結果をだしてくれたので それを喜びに 終わりとしました。うれしいことに 彼らは90分からときには 2時間にのびちゃう授業を あっという間と感じてくれたことでした。
でも なかなか生徒は集まらず もうからないし つかれちゃいました。根石さん それから 学校の授業で実践されている方 すごいですね。 感服です。
先日知人が 外国人の夫と日本に帰り英会話塾をはじめたところ 2ヶ月もたたないうちに生徒が20人もあつまったそうです。
それをきいて 生徒集めに苦労していたわたしは びっくりしました。
大人もいますが多くが近頃の英語熱からか 子供だそうです。けっこう芋ずるしきに生徒が集まってるらしいです。
ちなみに 幼稚園や小学校へも教えにいっているそうです。
彼は英語を教えた経験もないたんなるガイコクジンなんですが よっぽど 教え方が美味いんでしょうかねえ。これをきいて わたしはやめて正解だったとおもいました。
親御さんで 英語じゃなくて 英会話が習いたいというかたが 何人かいらっしゃいました。
英語と英会話は同じで その基礎は中学英語の音読と活用ですと説明しましたが 親がめんどうなので 小学生と中学生はおしえませんでした。こんな私ですがまだ 英語 教育?に熱意がくすぶっています。
掲示板に参加させてください。
Jackie様>英語はトレーニングで適切なコーチが必要におもいます。
私も同じ考えを持っています。 私はずーっと語学は喋れるようにならなければ意味がない、と独学で英会話を勉強してきて、その経験を生かして、4年前に英会話を教えようとしましたが、うまく行きませんでした。始めは初級、中級だけをやっていたのですが、欲を出して、外人に頼んできて貰い上級をやりはじめたのですが、すると中級の人がみんな上級に行ってしまたのです。中級を教えていた私の仕事は無くなってしまいました。ちょうど私が体を壊したのを言い訳代わりにしてやめましたが、この4月から非営利で「英会話学習相談室」を細々とやりはじめました。しかしそういう名称では人は集まりません。田舎ですが、一応人が集まり易いところとして、駅近くのビルの一室を借りてやり始めたのですが、これまでずーっと赤字でなけなしのポケットマネーでやり繰りし、最近やっと会費からチラシ代ぐらいの費用が捻出出来るようになりました。今は「英会話サークル」という名称で、「相談室」としての仕事(主に語彙や構文のインプットをどうするか、といった硬派の相談というか、アドバイスが主な仕事と考えて)をサイド・ビジネス的にやっています。名目程度の相談料をテープの吹き込みなどからとっています。私自身の経験から多読で語彙・構文をインプットするのがいいと考えていますので、今相談室の仕事として考えているのは「伴走読み」レッスンです。ペーパーバックなど生徒が読みたいと思う読み物を一緒に読んであげ、質疑応答と音声面の指導を電話でやろうと思っています。「素読舎」の電話でレッスンにヒントを得ました。ご興味がおありでしたらぜひリンクしてある私のHPをご覧ください。よろしくお願い致します。
浜谷俊雄
本にはなっていませんが、ネット上で、メルマガ形式で
やっています。
いままで、万巻の英語学習本があります。
そのうち、発音関係は少数です。
音づくりの本などまず皆無でみたことがありません。
発音関係の本は、発音記号を説明しただけで、
どのようにすれば、そういう音がでるのか
明示していません。
典型例は、あいまい母音です。
一番頻繁にあらわれる英語母音を、じつに
あいまいにしか表現していません。
日本人の大半は、あいまい母音をローマ字カタカナ発音すると
おもいます。
例)
camere カメラ メ
family ファミリー ミ
Jackie様 浜谷様>英語はトレーニングで適切なコーチが必要におもいます。
そして、ただ単に英語がしゃべれるだけの外人ではトレーニングコーチはできないという認識
が広まらないと駄目です。Jackie 様
いらっしゃいませ。ホームページの方は、最近書き換えがありませんが、そちらもお読みいた
だけるとうれしく思います。
http://www.uda30.com/cgi-bin1/pwman/PWVoice/Q158.mp3たぶん、gazelleさんなら、聞き取れるとおもいます。
むつかしい単語は一切なし。
でも、大半の日本人は、聞き取れないとおもいます。
何回聞いても、耳は慣れません。
風邪は、うつりません。
しかし、発音規則を頭にいれてきくと、結構即座に
わかります。
パクパクさんへ。あのリスニングクイズは、最近から参戦してます。パクパクさんの示したURLは、Q158ではなくてQ151の間違いでしょうか?あれって、正解は I would have paid it four. となっていましたけど、たまたまパクパクさんの書き込みをみて、あれっと思ったものですから。私は前半の部分がどうしても I would have と聴き取れず、そういうふうに聞こうと意識しても聞こえないので、こりゃ無理だとあきらめていました。今まで、I would have を aw と発音することがどの本にも載ってなかったので、そんな参考書があればと思って聞いた次第なのです。
ここ、10年英語はお休みしていましたが、あのクイズ面白いので、できるだけ参加しようと思ってます。発音規則は、約10年前にアルクの「話せる聞ける英語の音(リズム)」と、大修館書店の「イングリッシュリダンダンシー」(この本は答えがないので苦労しました。外国人を捕まえて手伝ってもらったもんです)で多少学びました。10年前なので、もうその本もテープもどこかに行ってしまいました。
でも、耳から入ると英語学習ってホントにラクになるでしょうね。
混同すると、いけないので、awタイプのものも、URLを書いておきます。
>
http://www.uda30.com/cgi-bin1/pwman/PWVoice/Q151.mp3大半の日本人は、I would have アイウッドハブで発音するとおもいます。
アウと言っているのですから、聞こえなくて当たり前です。
耳が悪いとか、音感がないとかとではなく、
英語発音規則の知識がないのが、リスニング苦手の原因だとおもいます。
お盆も終わりました。さてさて、再び、過去の発言へコメントを加える作業に戻ります。
皆様Amazon.com で本を買われた経験のある方におたずねします。
クレジットカードの番号を入力して支払うのが基本になっていますが、これは入力しても問題な
いのでしょうか。入力データは暗号化されるとは書いてありますが、どの程度安全なのかと思い、
買いたい本をいくつか選んだ後でしたが中断してしまいました。
どんなものなのでしょうね。
以前、紀伊国屋で買ったときは、着払いでしたので、こちらを使おうかとも思っていますが、留
守がちなことが多く、クレジットカードでの支払いが安全ならば、こちらの方が利便性はあります。
逡巡しています。
浜谷様>激しく多読をやり、何度も同じ語彙、同じ構文に遭遇しその結果それらをイメージ化(少なくとも日本語でなく英語で)インプットすることは可能だと確信しています。
それが可能であることに異論があるのではありません。
それが可能になるための「前提」があるということを申し上げてきました。
いわゆる基礎力ですが、基礎力自体をペーパーバックスの多読で養成することは難しいだろうと思います。ですから、浜谷さんの方法は、すでに基礎力を持っている人向けのものだと思うのです。
それに対して、私の方法は、基礎力そのものを養うためのものです。
この違いが、これまでの意見の食い違いの元にあったものだろうと思います。>根石さんの電圧装置以下の方法は特に学生に向いていると考えています。それに対し私のペーパーバック多読の方法は社会人に(全部ではないにしてもかなりの割合の人々に、つまり、私のように大学にも行ってないような勉強嫌いの人々に)向いているのではないかと考えています。
「全部ではないにしてもかなりの割合の人々」は、基礎力を持っていません。浜谷さんは、ご自分が中学・高校の頃に英語がよくできた方であることは、この掲示板に書かれたことでわかりましたが、それはつまり、高校卒業の時点で基礎ができていたということです。とりわけ、音読をやられたことが、後に「使える英語」を鍛え上げるために役に立っていると思います。
「私のように大学にも行ってないような勉強嫌いの人々」とおっしゃいますが、浜谷さんが本当に勉強嫌いであるなら、とうていガイド資格をとれたはずはありません。「大学に行ってない」ということと「勉強嫌い」ということとは違います。大学になど行っても、ろくに勉強しない人はたくさんいます。私がそうでした。私は大学にいた間は、まるで英語はやっておりません。文学の本ばかり読んでおりました。文学というのは本当のところ、勉強ではありません。むしろ、勉強の世界での落ちこぼれが文学には向いています。
早稲田に行ったと言えば、勉強が好きだったんだろうと言われますが、早稲田に行ったことは「やっつけ仕事」でした。地道な勉強はしていません。なにしろ、とびきりの学校嫌いですから。
私の定義では、学校英語で基礎力を作り、社会人になってから「話すための英語」としてそれを鍛えあげた浜谷さんは「勉強好き」な人です。少なくとも、「英語好き」な人です。
私はそうではないのです。とりわけ英語が好きだというのではなく、たまたま家庭教師をやり、塾を始め、それで生活を成り立たせることになったので、英語を続けることは娑婆に対する義理でした。義理でやっていて、徐々に深入りし、ミイラ取りがミイラになったと思っています。私の主張は、「音の問題」を未解決のまま文法や点取り英語をやっても、本当の基礎力ができないということに尽きます。
浜谷さんが、私は基礎力なんか作るつもりはない、基礎力のある人だけを相手にするのだから、とおっしゃるのなら別に異論はないのです。どのレベルの人にとっても、多読によるインプットが有効であるかのように書かれているように思ったので、疑問を呈してきたのでした。
浜谷様>ところで「この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。」と仰っていますが、特に「日本の何か」とはどういうことなんでしょうか?
その後、考えておりました。戸隠神社のお宮の三層構造とデパートの包装の馬鹿丁寧なこととは関係あるのかないのか、と。江戸以後のことなのかなとも思いますが、丁寧に包むことが日本の文化の一項目になっていると思います。現在でも、デパートで何か買うと丁寧に包むのではないでしょうか。デパートでものを買わないのでよくは知りませんが・・・。
すでに薄いビニールで包装されているものを買うと、紙で丁寧に包装してくれ、その上、紙のバッグに入れてくれたりします。これは日本独特のものなのか、どこかよそでもやっているのか。
この何重かに包装することの元に、戸隠神社の三層構造みたいなものがあると思います。戸隠神社は三越より先に存在を始めましたから。
これは西洋流に、あるいは悪く解釈すると、「もったいづけ」となります。または、「資源の無駄」という考えになります。
しかし、日本人の慎ましやかな性質は、この包装文化に通じていると思っています。そして、その根底にあるものは、日本語のシンタックスだと思っています。英語の構造は「主張型」です。「誰がどうする」をまず言います。「何を」は後回しです。
日本語の構造は「受け入れ型」です。「誰が何を」をまず言います。「どうする」は実は英文法における「動詞」ではなく、「関係づけ語」だと思っています。
「誰が何を」をまず言う言語(日本語)では、「誰が」が場を作り、「何を」でその場に対象をすぐに迎え入れてしまうのです。「どうする」は「誰が」と「何を」の関係づけです。つまり、場における関係づけが最後に来て、文が成立します。
疑問文を成立させる「か?」、否定文を成立させる「ない」など、論理的には最重要な語が最後の最後に来る言語という点で、日本語は英語や他のヨーロッパ語ととことん違います。ドイツ語では、否定語は最後に来るようですが、それ以外は基本的にヨーロッパ語と共通しているのではないでしょうか。ヨーロッパ系の言語では英語しか知らないので、ドイツ語をやった人からの受け売りです。I eat an apple.
I は意志を持った主体です。eat はその主体の意志的行為です。an apple は意志的行為の対象物です。
私は りんごを 食べる。
「私は」で場を形成します。「りんごを」で場に対象を呼び込みます(迎えいれます)。「食べる」で、「私は」という場と「りんご」という対象の関係を決めます。
英語を「意志を言う言語」、日本語を「関係を言う言語」と言うこともできると思います。
デパートの包装では、紙袋から出し、紙の包装をほどき、ビニール包装を破いて、ようやく「対象」が手でじかに触れるようになります。戸隠神社では、宝光社、中社、奥社と歩いて、ようやく神のいるところに行きます。それはもしかして、戸隠山そのもので、奥社の建物ではないかもしれませんが・・・。日本語でも、うだらうだらといろいろ言った果てに、「ない」とか「か?」とか言えばようやく最後に文が決定されます。
ワンピースなんか脱がせるより、十二単を脱がせる方が快楽は大きいように思います。さんざ苦労して十二単を脱がせてみたら、皺だらけのご老体が現れたら、失望も大いに大きいでしょうが、私は私の私生活のことは言いたくありません。包装文化のことを述べておるのですのですから・・・。
このあたりのことを「日本の何か」と言ったのではなかったかと思い返しています。
以下で、大学受験生たちにこの掲示板の宣伝をしています。
最近、やたらにウイルス付きのメールが来るようになりました。
今のところは防戦していますが、やられたら、ハードディスクをフォーマットして、ウインドウ
ズやらネットスケープやらを全部入れ直すためのスタンド・アロンのPCが一台必要だなと思い
ました。http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kouri&key=997883730
うぞうむぞうの雑多でまじめですけべな受験生の巣窟。
読むだけなら害はないと思いますので、皆さんも「逝って」みてください。
上のところに行き、「掲示板に戻る」という意味のタグをクリックすれば、うぞうむぞうが現れ
ます。
皆様以下の本をおすすめします。本に書かれているコンピュータ用語は私には難しいのですが、コンピュータにつきあっていくための心構えを教えてくれます。
「ウイルス、伝染るんです」(中村正三郎・廣済堂出版)
私がミッドナイト・プレスから出してもらった一冊だけのエッセイ集(「根石吉久の暮らしの手帳」)で、中村さんの「電脳騒乱節」に言及して以後、中村さんは本を出すたびに私に恵んでくださっています。とてつもなく遠くまで連れていってくれるのですが、骨太の文章で、基本に絶えず戻ってきます。とてつもなく遠くに来たと思っていると、ほら、これが基本だよと指さしてくれるような文章です。私は、コンピュータ技術に関してはずぶのしろうとですが、中村さんの本はその文章の味を味わうだけでも楽しい本です。
文章の味を離れて、記事そのものが言及しているものは、背筋が寒くなるような事柄です。
なお、私の「根石吉久の暮らしの手帳」は、すでに版元になく、私の手元に何十冊かあるのみとなりました。(1800円)週間ポストの書評欄で扱われ、再版されて以後、動きが鈍くなって、社主の岡田さんが、残部を私にプレゼントしてくださった分です。印税をちゃんといただいた上、残部をプレゼントしてくださったのです。このご恩返しはまだできていません。
ミッドナイト・プレス社主の岡田さんの奥様(高名な詩人です)が、今日、私に私信を下さいました。「根石様 BBSも英語も、根石さんのかかわり方、すごいですね。でも、私としては、根石さんの「ふつう」の文章をとても楽しみにしています。(後略)」
私は襟を正そうとしましたが、襟がくたくたであることに気づきました。
ミイラ取りがミイラになってしまったのです。
「ふつう」の文章が荒れてしまっている。
そのことをやわらかく、Yさんは指し示している。Yさん、私は今はとても余裕がありません。このうぞうむぞうの場所で、しばらくは荒れているしかないと思っています。荒れてそのまま死んでしまうのなら、それも一生だと思っています。
8月24日から9月5日まで、ながの東急シェルシェ5Fホールで「マリリン・モンロー写真展」があります。これは絶対に見に行きたいと思っています。私はモンローがとても好きです。私がYさんが好きな気持ちはモンローが好きな気持ちと同じ大きさだと思っています。
長野という文化果つる地にも、モンローの遺影が来ます。
私というすけべには、とても大事な写真展です。
正誤(誤)
印税をちゃんといただいた上、残部をプレゼントしてくださったのです。(正)
印税をちゃんといただいた上、残部をプレゼントしていただいたのです。
人生は短い。短すぎる。
老いをわきまえないうちに終わる。はたして、「勉強」などしていてもいいのだろうか。
短すぎる人生に、長過ぎる学習を当てはめていいものか。なんのためか目的があれば耐えられるのだろうが、よく
わからなく学習するのは、人生の浪費であろう。命みじかし、恋せよ乙女。
お気楽の人生。なにもしない人生。それができれば最高だろう。
なかなかそうはいかない。人が集まれば、侃々諤々。もうしょうがない。
貧乏性で狭量なのだろう。
ダジャレー夫人の恋人>なんのためか目的があれば耐えられるのだろうが、よく
わからなく学習するのは、人生の浪費であろう。英語を学習している人にそういう風に見える人は確かにいますね。しかし、いいんじゃないですか、それでも。誰でもその短く見える人生を好きなように生きれば。違います?
>貧乏性で狭量なのだろう。
英語を学習している人がですか? してない人にはそう見えるかも知れませんね。ところでダジャレー夫人の恋人さんの正体を教えて下さいませんか? 禅問答がお好きなところをみるとお坊さんのような気もしますが・・・? 逆に英語の超達人の方のようにもお見受けするのですが・・・?
ST 様>実験の結果です!
「18語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約6回」
「12語の文を3分で」「回転読み56回」「回転書き約7回」
「12語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約7回」
(ただし5%程度のスペルミスが散見されます。まだまだですね。)
これでわかったことは私の場合、回転書きは回転読みの6分の1程度になるということです。次にはじめて実際にやってみて思ったことを書きます。1:始めはゆっくり読んだ方がよい。回転書きするときもそのほうが好都合。
(始めから早く読んだ文は書き取りに苦労した。発音の崩れなどで)
2:回転書きをする時も始めはゆっくり書くとよい。
(字も始めから飛ばして書くと崩れがち)
3:書いている文の途中でテープが次の文に移ったら、途中でも次のへ移る方がよい。
(このことは「どんでんがえし」にもあったかも)
4:回転書きの時その前に書いているものを移してもよいのか、移さないように努力し
たほうがよいのか?
5:回転書きの時、声を出してやったほうがよいのか?
6:「どんでんがえし」にもあったと思うが、機械的作業にならないように注意する!
(例えば。。。'Stop making a fuss. It really gets on my nerves,' she shouted.
という文でreallyをrarelyと間違えたままで3回も書いてしまっていた!)
以上、報告でした。報告ありがとうございました。「回転書き」の回数が「回転読み」の回数の6分の1程度になるということは初めて知りました。読みの回数より書きの回数の方がはるかに少ないということは知っておりましたが、そんなに少ないのかと思いました。
4.についてですが、「移す」というのは、「書き写す」という意味だと読みました。
これは、「なるべく書き写さない」のがいいです。書くときは、「なるべくボールペンの先だけ見ている」のが正しい「回転書き」です。ボールペンの先だけ見ていても、単語全体は見えるものです。すでに書いた単語を見ないようにするのがポイントになります。簡単に言えば、自分の手から生まれてくる単語ひとつだけを見ているのがいいです。2.の「回転書き」で初めはゆっくり書く段階では、すでに書いたものを見てもしょうがないですが、その前に「電圧装置」で手首を単語に馴らしておくなら、「回転書き」を始めても、いきなりボールペンの先だけ見てやる練習が可能です。
5.については、内部音声だけ響かせるのがいいと思います。「音づくり(回転読み)」でしっかりと立体的に音が作れていれば、「回転書き」に入ったら内部音声を強めるといいでしょう。これによって、ペーパーバックスの黙読などで、内部音声を速めに使う準備ができます。
以上のこと以外は、すべて問題ありません。どんどんやって下さい。
ところで、タスマニア島からそろそろ帰ってきたのではないでしょうか。音沙汰がないので、無事なのかどうか心配し始めています。
元気でしたらご登場下さい。
ST 様>「どんでんがえし」の再販はないとか、確か根石先生は言われて
いたように思うのですが、本当なのでしょうか?もし本当なら帰国
後100冊程度は買って必要な人に配ります。小学館の私を担当した編集者が言うには、文庫の新刊の場合、K国屋系列の書店の一週間の売り上げだけを見ているのだそうです。一週間の間にどれだけ売れたかだけを見て、後でじわじば売れ始めている場合は無視されるそうです。私の文庫は最初の一週間ではろくに売れなかったようです。
一ヶ月後の集計では、同じ月に出た文庫20点の中で4位につけましたが、4位でも再版はないようです。
初版が出たのが去年の4月だったでしょうか。現在、1年4ヶ月ほどたっています。お盆で遊んでいて、アマゾン・コムで「英語どんでんがえしのやっつけ方」の売り上げ順位を見たら、「英語学習法」の4百何十点の中で140位につけていました。1年4ヶ月たってそのくらいなら、じわじわとは売れているのだと思いますが、再版はないでしょう。そのうちに品薄になることも考えられますが、たとえ品物があっても、東販・日販というずうたいだけでかくて全然本の流通に役立たない大手流通は、書店からの文庫一冊だけの注文は、「現在絶版。再版の予定はない」と嘘を言って注文を流産させることをやります。私も100冊ほど確保しておこうかとも思っています。
ST さんには入れ込んでいただいて、本当に感謝しています。
どうぞ、今後も例のいくつかのやり方で練習を続けて下さい。
生徒募集 投稿者:根石吉久 投稿日: 8月 4日(土)01時44分37秒
皆様
村田晴彦君が、「フルメタル・ジャケット」のシナリオを終わらせました。
「フルメタル・ジャケット」を使った「電話でレッスン」を村田晴彦君が行います。ご希望がありましたら、ひとま
ず私宛にメールを下さるようにお願いします。村田君に転送します。
村田君は普段、素読舎を手伝ってくれていて、練習レベルはかなり手堅いところに来ていますので、シナリオ一本
終了直後でレッスンを引き受けても大丈夫だと判断しています。
何曜日と何曜日に可能なのか聞いて、メモしておいた紙を紛失してしまいました。
火曜と金曜の午後2時〜3時だったような気がしますが、違っていたら、訂正してくれるよう、村田君にお願いし
ておきます。
ax9y-nis@asahi-net.or.jp
タスマニア(より正確にはタズメイニア<アクセントは「メイ」>)からは日曜日の晩に帰ってきていました。ある国立公園のユースホステルで同室となった25才の男性(オランダ人、銀行がいやになってどうやらやめたらしい)と一緒に登った山がたいへん険しく午前中は楽勝だったのですが、午後に登ったところがまるでロッククライミングのような感じのところもありまた前日の雨のせいで足元はぬかるんでおり靴は足首までつかり、冷えからかのどをいためその日以来体調を崩してしまい、投稿が今日までおくれました。すみません。
ここWONTHAGGIでは私の旅行中にたいへんな暴風雨がありました。タスマニアにいたときにテレビで知ったほどです。友人の勤務校の向かいの家は屋根がふっとんでいました。友人宅は幸い被害もなかったのでほっとしています。でもやはりwonthaggi。アボリジニの言葉で「風と雨」とはよくいったもんだ。今日はやっとのどのたんもましになり少し元気が出てきたので午前中は散髪にいってきました。ちなみに10ドル(650円、安い!)でもカットのみ。顔剃りはおろか洗髪も一切無し。今日は2回目だったので、リクエストしてみましたが、やってないと言われました。ショック!
今週末(金曜)に友人が同じ町ここWONTHAGGI内で引っ越しをします。その関係でしばらくコンピューターが使えないかもしれません。9月は前半がメルボルン、後半がタイのバンコクに滞在の予定です。タスマニアの旅行についてもいずれ投稿したいと思っています。とにかく元気でやっています。また10月ごろから激しく投稿すると思いますのでよろしくお願いします。
この旅行で一番悲しかったのはほとんど本文が読めないくらいに書き込みをした「どんでんがえし」をなくしてしまったことです。あと「ゴースト」のテキストもどこかにいってしまったようです。うーーーん。「色は空なり、空は色なり」ですね。
>5.については、内部音声だけ響かせるのがいいと思います。「音づくり(回転読み)」でしっかりと立体的に音が作れていれば、「回転書き」に入ったら内部音声を強めるといいでしょう。これによって、ペーパーバックスの黙読などで、内部音声を速めに使う準備ができます。*「内部音声」とは何ですか?
友達に借りているこのコンピュータ、とっても「人間的」です。ラムは16なので動作が遅いのはわかったいましたが、また借り始めと同じような状況が起こっています。人を選んでいるんでしょうかねえ。症状は1。この大風呂敷の2ページ目をみることができない。 2。投稿直後文字化けするので再読み込みしないと投稿できたかが確認できない。 3。徐々に1ページ目が現われる。(ここのところがとっても「人間的」に思えるですが犬が知らない人ならほえるが、だんだんご主人の仲間だとしると少しずつPERSONAL DISTANCEを縮めるように大風呂敷の1ページ目がみえてくるのです。本当に不思議です。人間的です。こういうこともコンピュータの世界にあるのですね。納得できたような納得できないような。。。
PC使い込めば、使い込む程に味が出てきますね。例え同じ機種といえども内部に使われている部品のメーカは別だったり、固体にクセがあります。私は、気が付くとソフマップなどのマザーボード陳列棚で数時間使って、マザーボードの美しさにぼうぜんとすることがしばしば。毎週、ダストブロアーでPC内部のホコリを払う私は異常でしょうか?
浜谷さん。どうやら、お気に障ったようですね。
>いいんじゃないですか、それでも。
>人生を好きなように生きれば。まったく言われることに異存はございません。が、
「好きなように生きる人生」というものが、本当に存在するものか
とても疑わしい。そうは思われませんか。「貧乏性で狭量」なのは、わたし自身のことを言ったのです。
悪しからず。とりあえずご返事まで。
『カラマルゾの兄弟』
ダジャレー夫人の恋人様>どうやら、お気に障ったようですね
全然気に触っていませんよー。
「好きなように生きる人生」というものが、本当に存在するものか
とても疑わしい。そうは思われませんか。「好きなように生きる人生」というものが、本当に存在するものか
とても疑わしい。そうは思われませんか。>「好きなように生きる人生」というものが、本当に存在するものか
とても疑わしい。そうは思われませんか。また、禅問答ですか、いい加減に正体をあらわしてくださいよ! 貴方はさぞ崇高な人生を送ってらっしゃるのでしょうね。いったいご自分がどんな人生を送っておられるのか、それを言ってから他人の人生を愚弄するようなことが言うのが筋だとおもいますが? 私は愚直に語学に人生を賭けています。あなたのご発言はそのような人生を送っている私や他の同じような人生を送っている人を馬鹿にしていると思います。 違いますか? それとも酔狂でそういうことをいってらっしゃるのですか? それなら今後貴方の書き込みは他の方がそうしておられるように私も無視しますが?
ラジオ英会話について どうおもわれますか?
わたしは 毎日聞こうとおもいつつ 3日坊主をくりかえしています。
入門などは とっつきやすい。 日常語がおおいですね。欧米人とのコミュニケーションを 想定している。 日本にいても ガイコクジンの友人がいないかぎり 使わないなあ。アメリカで 生活していく上ではこの上なく便利だとおもいますが日本にいる限りは、、、
それに コミュニケーションの仕方が 欧米っぽくなるのに 抵抗を覚える今日この頃です。
ちなみに昔は 外人ミーハーでした。と ひたすら 教科書音読,頭だし理解、 筆写しています。 中学レベルを復習するだけで、 実際の読むスピードが 速くなったと確信しています。
Jackie様>ラジオ英会話について どうおもわれますか?
わたしは 毎日聞こうとおもいつつ 3日坊主をくりかえしています。ご自分で分析されている通りだと思います。私も英会話を習い始めた時同じ状態でした。ネイティブの講師の喋りは役に立つと思います。だから、録音しておいて、その部分だけを聴くとかした方が効率的ではないでしょうか? そうすれば「コミュニケーションの仕方が 欧米っぽくなるのに抵抗を覚え・・・」なくても済むのではないでしょうか? そのような部分は「こういう言い方もあるんだなあ」ぐらいに聴きとめて、ヒヤリングの参考にするぐらいの気持ちの方がいいのではないでしょうか? 要するに英語(英会話)についてはいろんな人や機関(ラジオ、TV講座、英会話学校)やハウトゥ本、HPなどでこの学習の仕方を説いていますが、それらの一部を鵜呑みにするのではなく、それらのいいところを取り入れて、自分が納得する学習の方法を各自が考え出して、その方法に沿って学習することが大切だと考えています。私はそのようにして、独自の方法(多読でインプットを中心に据える)を考え出して一応の結果を出すことが出来たと思っています。(3年がかりで・・ちょっと長すぎるかな?・・ガイドの試験に合格出来ました。)リンクしてある私のHPをご一覧ください。
以下のコンセプトを含むページを私のホームページに独立したページとして仕立てました。
ご覧下さい。タイトルは「Eliotさんへのご返事」です。「中間・期末に間に合わせるための授業」
「税金泥棒の巣」
「受験制度・成績主義にたかる蛆虫」
「世界的に有名になりつつある日本の駄目な英語教育」
「学校英語の犠牲者」
「文部省とその御用学者ども」
「英語科教員養成課程がまるで役立たずであること」
「外人を鍛え込むこと」
「日本の音読法の精華=素読」
「制度の外=文化の厚み」
「学校の勉強のよく出来たやつに感覚が不全なやつが多いこと」
「発音 手短な説明の『決まり文句』」
「絶対的な順序」
「学校が隠し持つ暴力」
「私立だけが持つ可能性」
「私立の根は塾にある」
「英語科の先生たちへ」http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/series/toEliot.htm
浜谷さんダジャレーはダレジャー???
わたしに「真面目な会話」を求めることが変なことであると
気づかないとは。それって、とってもヘンですよ。
「ダジャレー夫人の恋人」って名乗っているんですよ。わたしは。
真面目な人間にお見えでしょうか。なんかマジになってしもうた。クソマジメぇー。
「崇高な人生」っていう皮肉は、インパクトないなぁー。
抽象的すぎて、相手を抉れないわけですよね。>馬鹿にしていると思います。
そういうことですね。まあ、おちょくっている、と言ってほしいですね。
そのまんまじゃないですか。
おちょくり返すとか、そんなやり方を思いつかないのかな???普通は黙殺しますよ。それが出来ない人なんだなぁー。
>私も無視しますが?
お願いですから、その言葉を実行に移してくださいね。
とりあえず、ご返事まで。
お久しぶりです。お盆にちょっと台湾に出かけてきました。
かの地は、英語以上に日本語が通じる土地柄なので、あまり英語は喋りませんでした。
「電話でレッスン」のテキストも持っていったのですが、遊びの旅だった上に、
飲んで食って歩いて、の繰り返しだったので、ほとんど練習せずじまいでした。わはは。ところで、根石さんが以前書かれていたオンライン書店の件ですが、
http://www.hon-michi.net/
で、いろんなオンライン書店の紹介、比較をやっています。
紀伊国屋も、カードオンリーに変更になってしまったみたいですが、
カード以外の支払い方法が選べる書店も結構あります。
ただ、洋書を扱っているところ、という条件を含めると、選択肢が限られてきますね。
bk1、bol、skysoftぐらいでしょうか?
利用したことがないので、利便性などは分かりませんが、bolは後払い可なので良さそうです。
ちなみに、「英語どんでんがえしのやっつけ方」を検索したら、
<約24−48時間で出荷>
だそうです。
Eliot 様>私が「完璧な発音」ということばで指しているものは、根石様がいわれる「その時
点でのベストな音」と同じものです。わかりました。
私が nervous だったのだと思います。
私はとにかく小学校の頃から、学校や教壇とは相性が悪く、とにかく学校に行きたくなくて、家を出て、一時間も二時間も家の近くの川で魚を獲っていて、母親に「学校へいけえっ」って、石を投げられたものです。小学校の頃は、特に自覚的に勉強に反抗的であったわけではありませんが、中学、高校では、自覚的に勉強を馬鹿にしておりました。中学の成績は中の上。高校の成績は下の上、大学では下の下です。
高校三年のとき、ちょっと思うことがあり、周りを見回して、これらの勉強家たちとちょっと張り合ってみようかと思いました。どこも受けずに浪人したら、英語がおもしろくなり、おもしろいのでがんがんやって、早稲田に受かってしまいました。国語だけは勉強しなくても点がとれたので、英語ひとつをなんとかすれば受かったのです。
ですから、根は学校嫌いです。勉強自体は、自分のペースで面白いことをやれるだけやっているのなら好きです。私は中学・高校の期間には本当の意味では英語に出会っていません。出会ったのは、大学受験の一年でだったと思っています。だから、私は英語に関しては学校のおかげをこうむったという覚えがまるでありません。そういう私の勉強の生い立ちというものが、Eliot さんの「完璧」という言葉に反応したのだろうと思います。教育的物言いに対して、わりと激しく反応するのです。
>指導者は、学習者が通常規範とするアメリカ英語やイギリス英語の話者が「アジア・
アフリカを蹂躙した大英帝国が発した音であり、世界の警察・アメリカ国家が発する音
でもある」発音をしているということは、とりあえずおいといて、学習者が音に集中し
て、激しく音作りに精を出すよう指導すべきだと思います。これも、そう思います。「とりあえずおいといて」ということが語学に踏みとどまることですから、賛成です。しかし、語学をやって、ガイジンと話していると、どうしても「アジア・アフリカを蹂躙したものども」、「世界の警察」の感覚に出会いますね。そうじゃない謙虚なガイジンもいますが・・・。
Eliot さんの生徒さんたちも、将来、これらに出会うことは大いにありうると思います。出会ってから先は、要するに思想のぶつかりあいの問題ですから、「ひとまずは」語学教師、あるいは語学屋の出る幕ではないのかもしれませんが、私としては自分の旗色をはっきりさせておくことをためらわない方針です。
>「通じる音であればよい」というのはあくまで結果としてであり、この姿勢を音作り
の練習過程にストレートに持ちこむのには疑問を感じます。何語であれ、ネイティブス
ピーカーは育って行く中で自分の周りに聞こえる音をほぼ「完璧に」身に付けるからこ
そ、お国訛りも備えた「通じる音」を習得するのではありませんか。「あくまで結果として」ということ、納得しました。
しかし、ここには難問が潜んでいるように思えてなりません。
ネイティヴスピーカーが自分の周りに聞こえる音を「完璧に」身につけることができるのは、やはり言語の磁場のせいだと思うのです。音声学的に抽出した音素とそれに対応した口の動きの練習によって音を「完璧」に身につけるのではありません。ネイティヴ言語習得過程で最初に出会う言語の音が、すでに genuine な「感情込み」のものです。音素の組み合わせやその抑揚が、いつも言語の磁場での感情の生起から(生起と同時に)生じてきます。感情の生起、利害関係での主張など、生なものがいつもあり、それら感情や利害関係が、規範として内在化されている言語の体系に同致して発語があります。あるいは、その規範の内在化を絶えず促しているのも、生な感情や利害関係だと思います。これがネイティヴな言語です。ネイティヴスピーカーが「完璧」に音を身につけるのは、音声学的な「音」というよりは、感情と一体化した声の調子から析出される音によるものであり、のっぴきならぬ、あるいは、切実な関係における発語の調子によるものです。「音」は「声の調子」によって媒介されたり、「声の調子」から析出されているだけです。人が本当に聞いているのは、音というよりは「声の調子」であり、この経験の積み重ねが、そのネイティヴ言語の音に即応する感覚の層を作るのだと思います。
ある言語から音声学的に音素を取り出すことができますが、それはネイティヴの言語スキルには大して意味のあることではなく、ネイティヴはただ身体的に音素を自然化し駆使するだけです。
この点で、まったく別のベクトルを持つものが語学の言語です。こちらは根っから、artificial な性質の言語です。
語学では、「音」から入り、次に感情がそれに同致するという順序はおかしなことではありません。これは、まず感情や主張や利害があり、それが声の調子となるネイティヴ言語に対してまったく逆立ちしています。
つまり、語学はネイティヴ言語に対して逆立ちしているのです。感情と音の間に成立するベクトルが逆です。このことに、これまでの語学論はほとんど言及していないと思っています。私が無知なだけなのかもしれませんが・・・。
いずれにせよ、ネイティヴスピーカーの「音」の修得過程は、語学にはまったく適応不可能です。
私は日本語での「完璧な発音」を親からも兄弟からも求められたことがありません。社会的にも求められたことがありません。私たちにとって、日本語が語学ではないからです。通じさえすれば、親を怒らせることも、親からどなられることもできたからです。「っせえ」という生活の発語が、「うるさい」という語学テキスト的発語に劣るとは私にはとうてい考えられません。「せぇ」だけでも通じます。これは、「音」ではなく、「声」であり、同時に調子であり、勢いだから通じるのであり、おそらく、「せっ」だけでも通じます。
「通じる音」は実在です。これに対して「完璧な音」は理念であり、あるいは階級的なプライドに結びついた生活言語の語学化です。アメリカでもイギリスでも、上流階級は、「完璧な音」という理念を信じているだろうと思います。だから、子供に正しい英語を教えようとすると思います。それが成功すれば、生活言語の語学化に成功してしまいますから、時に人と人をへだてます。
私は語学の「着地点」は、「通じる音」でいいということを言いたかったのであり、基準はこちらにあると思っています。基準ということで言うなら、「完璧な発音」が基準だとは思えないということです。「完璧な発音」が基準たりうるとすれば、あくまでも語学の中だけです。言葉を使うという場面でではありません。
もちろん、Eliot さんは教室での指導の課程だけを問題にされているのですから、「完璧な発音」ということでいいのです。私は、その「音」がどこへどう出ていきどう揉まれるのか、つまり、語学の外側が気になるのです。私も、語学の内側にいるときは、(「完璧な発音」とは言いませんが)、「今の時点でのベストの音」を作れとは言っています。音をおろそかにしているわけではありません。私はあくまで語学の外側が気になるだけです。英語というのは、とりわけ語学の外側が気になる言語だということはわかっていただけると思います。
テキストを読ませるとすごく発音がうまい(「完璧」かどうかはともかく)のに、人を相手に話せない人は大勢います。これは私に言わせれば、「通じる音」に至っていないということです。つまり、私の言う意味での、「音とイメージの同致」が自分の中でまだ信じられていない人です。まだ語学内部にいて、「ずれ」を「同致」に持ち込めないでいるわけです。
ですから、「完璧な音」や「じょうずな発音」は、私にとっては、「通じる音」以前のものです。「通じる音」が「完璧な音」の下位概念では決してありません。
「完璧」と言うと、その先はないように思えますが、実はその先にあるのが「通じる音」だと思っています。そうでなければ、語学の言語は語学の外へ出ることができなくなってしまいます。まだお答えすべき問題が残っていますが、今日はここまでとして、また後日書かせていただきます。
悪名高き2チャンネルの受験生向け掲示板に書いたものを以下に転載します。
アドレスは以下の通りです。
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kouri&key=998021877&ls=50----------------------------------------------------
527様
基本的に賛成です。
しかし、英語で読書するレベルには、必ずその下地(基礎)があります。
ここで議論されているのは、その下地をどう作るかだと思います。
私は解析は本当は教えることができないと思っています。ある人がある参考書を使
って力をつけるのは、参考書の良し悪し以上に、それを使う人の食らいつき方であ
り、使い方です。先日問題になっていた、例の英文が言う通りだと思います。
No one can tell another person in any definite way how he should
think.日本語は媒介にしていい。しかし、最後は脱ぎ捨てなければいけない。
(単語レベルで媒介にし、イメージを作れ。文を読むときは、イメージを動かせ。
日本語を動かすな)文法は媒介にすべきだ。しかし、最後はセンスだけが動き、文法用語は不要になら
なければいけない。意味の固まり(節、句)は自力で決定できなければ意味がない。
以上をすべて解決するために私は「回転」という方法を提示しています。
この「回転」は、同時に「音づくり」の方法にもなります。
この場合でも、本人のイマジネーションの力は必須ですが・・・。
ただいま、2チャンネル受験板が、壊れているようで、お書きになったものをコピーできずに
います。
これで仕事に入りますので、深夜になりますが必ずお返事を書かせていただきます。
2チャンネルの板が直っていればいいのですが・・・。
小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」で書いた「回転読み」
を実演したテープを作成しました。わずかしか吹き込んでありませんが、
「回転読み」の概要はつかめます。これをお申し込みの方にさしあげま
す。80円切手2枚同封の上、下記にお申し込み下さい。387−0013
長野県更埴市小島3137 根石吉久テキストは以下の通りです。
Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister
on the bank, and of having nothing to do: once or twice she had
peeped into the book her sister was reading, but it had no
pictures or conversations in it, 'and what is the use of a book'
thought Alice, 'without pictures or conversation?'
(不思議の国のアリス冒頭)
根石さん、こんばんは>小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」で書いた「回転読み」
>を実演したテープを作成しました。わずかしか吹き込んでありませんが、
>「回転読み」の概要はつかめます。これをお申し込みの方にさしあげま
>す。
この手の音教材サンプルもWEBで配信したらいかがでしょう?
そうすれば、テープのコピーや発送の手間が省けますよね。
大介に相談すれば、簡単にデジタルデータに変換してくれると思いますよ。では、
小池昌代『屋上への誘惑』から
<てっちゃん>「男の子は頭を下げ・・・と言った。
言葉は何も聞こえなかったけれど、こんにちは、初めまして
と言ったのだと思った。それがてっちゃんだった。」
「とにかく言葉の出ないひとだった。」
「言葉を出すことが恥ずかしいのだ、と思った。それ以前に、ど
んなふうに言葉を使ったらいいのか、わからないのだ、と思っ
た。日本に生まれて日本語が理解できるからといって、誰でも
自分の言葉で思ったことを話せるというわけではない。
私もまた、言葉の出ない、無口な子供だったから、てっちゃ
んのことは、わかるつもりだった。私自身、何もしゃべらなく
ても苦痛でなかったし、それは今でも、少しそうかもしれない」
「私も子供だから当たり前のことなのだが、世間話というものを
どうやってしたらよいか、わからなかった。それは今でも、少
しそうかもしれない」
「てっちゃんのことは、ずっと忘れて生きてきたが、・・・ふい
に、あの暗い目を思い出した」
「黒い小さな目は何を見ていたのか。
ただならぬ、存在の暗さを持った男の子であった。」
ひげおやじ様なるほどねえ。普段パソコンで音を鳴らさないものですから、思いつきませんでした。
この音声データは、私のホームページに置くことになると思いますが、例えば60分
テープ一本で何メガくらい食うものでしょうか。大介ちゃん、出ておいで。相談がある。
英語嫌い人様。感謝します。これからも珠玉の断章をお願いします。
近頃はとんと読書する時間がとれませんので・・・。
2チャンネルが壊滅状態です。
ひでえことになってる。
せっかくスレッドを立て、少し育ち始めたところなのに。
バックアップはとっとくもんだ。
とりあえずの危機は、有志の働きによって回避されそうですよ。
ただ、大本の問題は、あれだけの規模の掲示板群を、
ひとりの管理者とボランティア、サーバ会社の好意だけで、
今まで通り維持していけるのかということなので、あまり楽観はできませんが。
かねてからお願いのありました掲示板を設置しました。↓掲示板「れんらくちょう」
http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/mimic.cgi
↓imode(NTTDocomo)/jsky(J-phone)用掲示板
http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/imodebbs.cgi
です。どちらから書いても閲覧しても、同じログを共有していますので
同じ内容のものを見ることが出来る優れものです♪
ただ、モバイルの方はいじくったので少し不具合がありますけど。(--;塾関係の連絡帳としてどうぞ♪
< この音声データは、私のホームページに置くことになると思いますが、例えば60分
< テープ一本で何メガくらい食うものでしょうか。ビットレートによりますが、30〜40MBもあればいいのかなと思います。
個人的にはひげおやじサマの言うように、WEBで配信して頂けると
めちゃめちゃ助かります。2ちゃんねるのサーバダウンは年中行事です。(^^;
< 大介に相談すれば、簡単にデジタルデータに変換してくれると思いますよ。試してみました。
結構簡単に出来そうです。
ビットレートをもっと下げれば、10〜20MB/60分ぐらいまでいけそうです。
お考えを書いていただき感謝します。
ただいま、2チャンネルが壊滅状態ですので、不完全な形でコピーしておいたものを元に書きますがお許し下さい。2チャンネル復旧するでしょうかねえ。あれだけのデータが灰燼に帰するとしたら、大きな損失です。なんとかこちらにおいでになることができればいいが、と思っていますが、2チャンネルが潰れてしまっていれば、リンクのたどりようもありませんね。そちらの手元にここのURLがコピーしてあれば幸いですが・・・。>内容>日本語>英語、の速度が非常に速くなった状態を比喩的に述べたものに
すぎない。と考えています。この「内容>日本語>英語」ということは、順番を「→」で書けば、「英語→日本語→内容」ということでよろしいでしょうか。英語を読む場合について、私が「日本語を介在させるな」と言っていることが、「英語→日本語→内容」という過程が高速化したものだろうというご意見と思います。
自分の読み方を振り返ってみて、やはり、日本語は介在していないと思います。非常にわかりにくい英文を読んでいるとき、瞬間的に日本語を介在させることはありますが、日本語が介在しない読み方は成立します。ここで、私が「日本語」と言っているのは、具体的な日本語の単語のことです。具体的な英単語を見て、具体的な日本語の単語を意識に浮かべることです。それをやるなと言ったわけです。
英文を読むのに上達した人においては、英語→イメージ(センス)→内容(意味)ということが成り立ちます。この場合の「イメージ(センス)」の土壌が日本語であるなら、イメージやセンスも日本語だというご意見なのかもしれないとも思いました。
この点に関しては、イメージはあくまでもイメージであり、日本語でも英語でもないという考えです。たとえ日本語を土壌として育ったイメージでも、いったんイメージとして独在し始めれば、それはあくまでもイメージであり、すでに日本語ではありません。日本語からへその緒が切れたものだと思います。
日本語からへその緒が切れて、イメージとして独在し始めたものは、日本語と英語との間を自由に往来します。日本語と英語という二つの項の他に、第三の項があり、それがイメージです。これこそが、英文を読む場合に動いているものです。英文を読む場合には、英文とイメージとの間の高速化された往来があります。日本語(の具体的な単語等)は動きません。私が「イメージ」という語で言っているものは、「思考」「概念」「イデア」「語感」とも言える場合がありますが、すでに具体的な日本語の単語ではないということが眼目です。
>言語は文化そのものであり、思考の根本です。思考が言語(母国語)なのか、言語が思考なのかという程密接な関係にあるわけです。これを読んで非常にうれしく思いました。英語=道具論という俗流言語観がはびこっている中で、こういうまともな考えに出会えるのは非常に稀なことです。考えが一瞬先にあって言葉になったり、言葉が動き出して考えが先に進んだりというように、言語と思考はくんずほぐれつ、あるいは二人三脚をやっています。
日本語を読んでいるときのことを考えてみて下さい。日本語を読んでいる時、私たちはそのいちいちの単語や語句を別の具体的な単語や語句に置き換えたりはしていないと思います。単語や語句からイメージ、考えそのもの、感覚などを動かしているはずです。つまり、実際に意識に動くものは、すでに言語ではなく、考えやイメージや概念です。
英語を読むときも同じことです。>例えば、いかに自分で英語で思考していると考えても I=私、You=あなたと
いう日本文化内部での理解ではこれは日本語で考えてるに他ならないんじゃない
でしょうか?読書をするのは翻訳をすることとは違いますから、I を「私」「俺」「あたし」 you を「あなた」「君」「お前」などと置き換えることはありません。I を読んだときは I という英単語のイメージ(概念)が動くだけであり、「私」「俺」「あたし」などはまるで動きません。
最初は日本語から得たイメージを独在させ、英単語に充電して以後は、英単語を見ればイメージ(概念、イデア、語感)だけが浮かぶようになります。初めは日本語の土壌から得たイメージであっても、イメージが独在して以後、何度もいろいろな文脈で、同じ単語に出会っていると、英単語そのもののイメージ(概念、イデア、語感)が育ちます。つまり、日本語という土壌から得られたイメージは変容し、英単語の核となるイメージになります。これが動いて、日本語が介在しない読みが成立するのです。>つまり母国語の概念の中で理解してる限りそれは日本語を介してるでしょという事です。
母国語の概念であったものを、英単語そのものが持つ概念に変容させる過程があるわけです。近代の毒を吸った頭脳派の人々に嫌われる言い方ですが、あえて言いますと、イメージは霊的なものです。それこそ比喩的にいうならば、この霊が化学変化を起こし、英単語の核のイメージに変わることはあります。それは本物の核なのかという疑問はあくまでありえますが、英語をネイティヴ言語として育った人が持つ核に対しては亜種であり、変異種であるが、それでも英単語の核のイメージであることには変わりがないという考えです。亜種であり、変異種であるというところが、日本の英語というアイデンティティです。
以上の考え方でおわかりのように、私は霊というものは生きている人間の意識に動くものであると考えています。死後から来るものだとは思っていません。
英語をやって、一種の言霊思想に至ったと言ってもいいかもしれません。>英語で考える、日本語を介さずにというのはあくまで比喩、種と仕掛けは「高速での翻訳」というのが私の意見であり自分自身の経験からの理解です。
繰り返しになりますが、英語で考えるというのは、読書という場に限れば、まさに文字通り「英語で考える」ということは成立します。これは、書物というものが、一つの世界(磁場)を形成しているためだと思います。
一方、普段日本語で暮らしている人にとっては(私もそうです)、「話す・聞く」はどうしてもぎくしゃくします。これは、英語の話し言葉が形成する磁場が日本にはないためです。当然の現象だと考えています。
大介ちゃんが、素読舎連絡帳を作ってくれました。
この「大風呂敷」は、やたら長大な議論が渦巻いていて、もっと小振りな話をしたいときに、書
きにくいとは、長野周辺の生徒さんから言われていました。遠慮しないで書いてくれよ、と言っ
ていたのですが、やはり書きにくいらしい。
大介ちゃんありがとう。http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/imodebbs.cgi
素読舎の塾生は、「ゆいまある」「月曜」「本拠地」「電話でレッスン」の別を問わず、上のも
のを「ブックマーク」へ入れておいていただくようお願いいたします。http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/imodebbs.cgi
私は今、本文以外では自分のHPのURLを記入しただけなのに、素読舎連絡帳へのリンクが自
動的に表示された(ような気がする)。こんな機能をくっつけるのはすごい。だけど、どこをど
ういじったのだろう。説明されてもわからんような気がするが・・・。
もう一度やってみよう。
今度はできなかった。
残念。
ここですよね。受験英語で「音づくり」をちゃんとやるべし
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kouri&key=997883730&ls=50でも、いつまた読めなくなるかわからないので、
Logを保管しておいたほうがいいかもしれません。
(いちおう、私のところにもダウンロードしてあります)今回のは、サーバを無料で提供してきたサーバ会社が、増え続ける流量にネを上げて、
キチンと料金(700万円/月)を払うか、転送量を3分の1程度に減らすかしてほしい、
と通告してきたことが発端だったようです。有志のプログラマさんたちがよってたかって
スクリプトを改良して、どうやら転送量を減らすことに成功しつつあるらしい、ってな状況を、
レッスンの復習をサボって眺めていました。
有志プログラマ達、すごいですね。
無料から月700万というのはまたひどい。
電話でレッスン、月1万円を7千万円にするくらいひどいですね。http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/imodebbs.cgi
丁寧なお返事をありがとうございます。
なにしろ、現場で教えている方のご意見ですから、それだけですでに、
他人の学習過程をみる事の無い私には、説得力の点で圧倒され気味ですが・・・。もう少し具体的に考えてみました。
日本語を母国語としつつ英語で考えられる人、例えばジョン万次郎なんかは
恐らく英語で直接考えてたんだと思います。これに類する人というと帰国子女
の一部の様などっちが母国語かわかんない人達ですよね。あとは松本道弘だとか、私なんかに言わせれば
ちょっとあちらへ行っちゃってる感じの人々も、あるいは
英語で直接考えてるのかな〜という感じがあります(但しこの辺から私の中では疑問符
が付き始めるのですが)。私の感覚ではネイティブの12〜13歳ぐらいの子供達に匹敵する程度の時間英語に暴露され+それを大人としての経験と知識で補った人達が直接英語で考えられる人達なのかな?などと思いますが、どうでしょう?いずれにしても日本で普通に英語を学んでる感覚からすると想像を絶する量です。少なくとも受験生やら、それを終えた大学生レベルの人達が直読直解をやってるからといって英語で考えてるといわれてもな〜というのがまず一歩です(この辺は根石さんも同じだと思いますが・・・。)
その先の言語とイメージや言霊論についての議論は勉強不足ゆえ、まだまだ私の手に余ります。
推測だらけの粗雑な議論になりそうで、とても現場での経験をふまえた根石さんとやりあえそうにはありません。ただこの辺(言語認知)についての有効な論文なり実験なり、あったら根石さん、あるいはこのBBSでご存知の方ご教示いただきたいところです。後は思いつきの感想を少し
「読書と磁場」については、なるほどなと大変参考になりました。
「私」と「I]については日本語の、私達と私の中間にあるような、時には何も指さないような微妙な使われ方をする「私」とまさに私個人としての私commitmentという言葉も一緒に連想させるような西洋的「I」との違いという意味です。
長文で場所をとりました。2ちゃんすれがどんどん育つとよいですね。
ちょっと続き。
私の考える日本人の英語の理想について書いてみます。
英米人とまちがわれるほど流暢なのは非常に困難なだけでなく
不利だと考えます。
むしろこいつはセカンド・ラングエッジとしての英語を今喋ってるんだな
という事をどこかで常に相手(ネイティブ)に意識させる、つまり別の文化を背負ってるん
だなという圧迫をあたえられる英語という事が戦略としても必要かと思っています。
具体的にはどうなんだ、といわれればとりあえず「ゆっくり喋る」「文法的にできるだけ正確に喋る」ぐらいしか今は浮かびません。私の現在の英語力は以上の点だけでみても「落第」ですが
頑張ってお勉強を続けたいと思います(笑)。
英語太郎様、始めまして。根石さん、今晩は!太郎様>英語で考える、日本語を介さずにというのはあくまで比喩、種と仕掛けは「高速での翻訳」というのが私の意見であり自分自身の経験からの理解です。
根石さん> 繰り返しになりますが、英語で考えるというのは、読書という場に限れば、まさに文字通り「英語で考える」ということは成立します。これは、書物というものが、一つの世界(磁場)を形成しているためだと思います。
一方、普段日本語で暮らしている人にとっては(私もそうです)、「話す・聞く」はどうしてもぎくしゃくします。これは、英語の話し言葉が形成する磁場が日本にはないためです。当然の現象だと考えています。このお二人の議論は大変納得させて頂くものがあります。根石さんはよくご存知のように私は多読で英会話に必要な語彙・構文のインプットをすることを現在英会話学習中の方たちにお奨めしていますが、ガイドの試験に合格した私も聞くほうはともかく、しゃべるほうは「高速で翻訳」している感覚は否めないと感じています。勿論よくインプットされた簡単な語彙・構文は英語で考えてというか、思いついているんだと考えています。故にこの場合はどうしてもぎくしゃくします。これは根石さんの仰る「英語の話し言葉が形成する磁場が日本にはないため」だと考えています。
太郎様>英米人とまちがわれるほど流暢なのは非常に困難なだけでなく不利だと考えます。
むしろこいつはセカンド・ラングエッジとしての英語を今喋ってるんだな
という事をどこかで常に相手(ネイティブ)に意識させる、つまり別の文化を背負ってるん
だなという圧迫をあたえられる英語という事が戦略としても必要かと思っています日本人が英語を喋る場合の態度として、また、戦略として重要なことだと思います。この点については根石さんが常に仰っていることですね。こういう風に具体的に、戦略という言葉までは使われていませんが・・・。 私もそういう風に考えてやってみたいのですが、もともと喋れればいい、という調子でやってますので残念ながら地のままでそういう風になっています。
英語太郎様、私は下にリンクを入れていますが、「英会話学習法フォーラム」という大そうな名称を勝手につけてHPを開いています。お暇な折にご一覧ください。
浜谷さんレスをありがとうございます。(浜谷さんも根岸さんも私よりもかなり年長の方なのですが、さん付けで呼ぶ失礼をお許し下さい、ネット上ではどなたにもこれで通してしまっています。またお二人とも御本名なのに私だけ匿名という腰の座らなさもご容赦下さい)現在、急な仕事でヘロヘロ状態です。これが一段落したら是非、浜谷さんのHPそして根岸さんのHPもきちんと拝見させて頂きます。
またつまらないカキコをするかもしれませんが、その時はまたいろいろご教授下さい。
英語太郎様根岸さんは大勢いらっしゃいますが、私はマイノリティの根石です。
長野県在住ですが、結構珍しい名字です。
満照寺という寺の墓には、「根石氏の墓」と彫られたやつがありました。
元は「ねい」ではなかったかと思っています。
「ねい」→「ねい氏(根石)」→「根石氏」と変移したのではなかったか。うちの娘が子供のころ、「チガが出た」と言っていました。
「血が」「血が」と聞いているうちに、「チガ」という名詞だと思ったわけです。
だから、「血が出た」が「血がが出た」になった。これと同じだったんじゃないだろうか。
元は「根井」とか「婦負」とかじゃなかったんじゃないか。
あてずっぽうですが・・・。ぜひまたここへおいで下さい。
2チャンネルのスレッドのバックアップありがとうございました。
自分でも保存しましたが、そのままでは私のホームページに載せる途中でエラーになるので、
現在、編集中です。
ありがとうございました。
ホームページに掲載できましたら、そちらのハードディスクからは削除して下さい。
お礼まで。
激しい雨と雷の音が、いっそう激しくなっています。
雨が小ぶりになるまで、売店のあたりで、休んでいました。
ミュージアムショップの横に、ルート66のブースがあって、ほんとにアメリカの夢の道路だったなと思いました。
ところで、ミュージアムショップで、かねてから欲しかったTシャツを買いました。すると、ひどい雷が鳴っていて、近くに落ちたようでした。
カードで買おうと思って、カードを品のいい売店のおばちゃんがしかめつらしていたので、私に何かあったのかなと思って心配していたら、
「大丈夫。機械のせいだから、安心して」
とにっこり言ってくれました。ほっとしました。
さて、屋根にあたる音から、雨は多少小降りになったように思いました。
夫kさんは、車を入り口に寄せてくると言って出て行きました。お父さんっていうのはこんな時大変ですね。なんとか車が玄関に横付けできたので、博物館から出てきたのですが、これがまた水がたまっちゃって、大変。やっとこ、皆がのりこみました。
雨水管がすぐあふれちゃうようです。
そして、一同は夫kさんご夫妻宅におじゃますることとなりました。ところで、kさんご夫妻の宝物Eちゃんは自称お姫さまと言ってました。そのくったくのないこと! ピンク色が好きで、お土産のこんぺいに入っているピンク色の飴ばかり選んで食べてしまうという徹底ぶりです。それからパソコンをがんがん使っています。とくに教えたりしないで、うごかせるようになったというからすごいものです。使っていらなくなったアイコンをちゃんとごみ箱(デスクトップにあるごみ箱です)に捨てたり。おどろきです。
「今の子はみんな結構つかえるのよ」
と夫人が言ってました。さて、どうなんでしょう。しかし、うむ、かしこい。さて、Eちゃんは遊んでくれる人が来ると大喜びだそうです。というわけで、私はEちゃんとパソコンであそんだり、お人形で遊んだり、Eちゃんの部屋でたくさんのおもちゃを見せてもらいました。
というわけで、kさんご夫妻とUさんはゆっくりお話ができたようです。
なごやかで、とっても穏やかなご夫婦でした。
お別れの時間になって、Eちゃんにメールするね、と約束しました。そして、我々は一路、ビーコンズフィールドに向けて、どしゃ降りのなかはしりながら、地下鉄に向かいました。(つづく)
質問があります。英語の音作りにはないようなので、わかる方がいれば
教えてください。manyは、
1. man,y
2. ma,nyのように区切られますが、英語の辞書では、1のタイプ。
日本人の読み方としては、2のタイプ。
英米人からすれば、1の区切りと2の区切りでは、読み方(発音の仕方)が
異なるのでしょうか?
根石様>繰り返しになりますが、英語で考えるというのは、読書という場に限れば、まさに文字通り「英語で考える」ということは成立します。これは、書物というものが、一つの世界(磁場)を形成しているためだと思います。
ある本で次の一節を見つけました。
「わたしが外国語学習においてこうも読書を重視するのは、≪言語的小風土≫を造り出すのに、これが最も効果的までは言えないものの、最も手軽で簡単な方法だからです。≪言語的小風土≫(microclimate)という表現は、専門書類の中でも出会ったことのない用語ではありますが、その意味するところは極めて明白であり、わたしの造語ではないと確信します。わたしたちが現在住んでいる国の言語を指す≪大風土≫(macroclimate)からの類推でわたしが≪小風土≫というのは、わたしたちを直接取りまく言語環境のことで、これはわたしたち自身である程度創り出すことのできるものです。その昔、公爵たちの城やハンガリーの商家の子供部屋には≪フロイライン≫や≪マドモアゼル≫たちによって彼女らに託された子供たちのために、このような言語的小世界が作り出されたものです。さて、このような小世界を作り出すのにわたしたちの配下にあるのは、このわたしたちというのは現代の平均的学習者のことですが、はるかに民主的な手段だけです。すなわち、本と人。(ロンブ・カトー著、米原万里訳「わたしの外国語学習法」ちくま学芸文庫)
ちなみに私も英語の本を読んでいるときに「英語⇒理解」の過程に通常日本語は介在しません。もし私が英語を黙読する速度で英語から日本語への「高速の翻訳」ができれば、それこそ同時通訳者並みの離れ業でしょう。
翻訳できないから英語のまま読むのです。
根石様大変示唆に富んだお返事をいただき、ありがとうございます。ご意見を読んで以来色々と考えています。特に、母語における感情込みの音の習得と語学での音作りのベクトルが逆向きだというご指摘は非常に重要だと思います。近いうちに私が考えたことをまとめてから書き込みをさせていただきます。
最近あった高校1年生の全国規模の模試の発音・アクセント問題です。A 次の文中の1〜3の三つの下線部と発音が同じものを、それぞれ下のア〜エのうちから一つずつ選び、記号で答えよ。
The weather report says that it will be cloudy tomorrow.
1 2 31.ア smooth イ thirsty ウ through エ worth
2.ア bike イ dead ウ great エ mail
3.ア allow イ country ウ daughter エ roadB 次の1〜3の各組で、最も強いアクセント(第1強勢)のある位置が他の三つと異なるものを、それぞれ下のア〜エのうちから一つずつ選び、記号で答えよ。
1 ア bas-ket イ cof-fee ウ home-work エ suc-cess
2 ア bet-ween イ for-ward ウ po-lice エ sur-prise
3.ア av-er-age イ i-de-a ウ mu-se-um エ po-ta-to先日私の勤務校の中学3年生がこのテストを受けました。発音・アクセント問題の配点は6点で、私の生徒たちのこの問題の平均得点率は82%でした。この模試の受験者は全国の高校1年生で、約42万人もおり、その出来不出来を観察すると「日本人の高校1年生の英語力の実態」を垣間見ることができます。(42万人の中に少なくとも数千人以上の中高一貫校の中学3年生も混じっていますが)
受験者が正しく発音できるかどうかをペーパーテストで測ることはできませんが、逆に「正しく発音できない人」であるかどうかはわかります。この問題の全国平均の得点率は40%でした。四択の問題ですから、あてずっぽうでも25%の確率で正解に当たります。出題されている単語は基本的なものばかりであるということから考えても、40%という成績は極めて悪いと言えると思います。すなわち、高校1年生はこれくらいの単語も正しく発音できない人たちばかりだということがわかります。
情けないのが、いわゆる進学校の実態です。この模試の全国平均点はかろうじて30点を上回る程度なのですが、受験校の中には平均点が60点だの70点だのというすごい学校もあります。そういうところの生徒たちの得点源は「語法・文法」問題と、いわゆる「長文」問題です。しかし、そんな生徒たちの、この発音・アクセント問題のできはほとんど6割以下なのです。例えば、ある県の一番の進学校の生徒たちは、語法・文法問題の正答率が80%近くなのに、発音・アクセント問題は40数%しかできないのです。
私の生徒たちは、英語の体力作りとして、過去2年間に音作り、暗唱、和文英訳を中心に勉強してきましたので、語法・文法と長文問題の点は高くありませんでした。これは当然のことであり、今までに身に付けたことを基礎にして、これから多読へと進んで行くのですから、今の時点で心配することはないと思っています。しかし、成績優秀校の高校1年生がこれから英語の音作りに向かうことはほぼありえないことですから、英語の音を無視した彼らの英語学習もどきはこれからもそのまま続いていくはずです。その行き着く先は「使い物にならない英語」ですね。
この模試の受験校は二千校以上。しかし、発音・アクセント問題の正解率が70%を上回る学校は数えるほどしかなく、80%を超える学校はわずか2校で、勤務校の中3生徒の正解率82%は全受験校中、上から2番のできでした。
英語人がmanyをma/nyと区切ることはありません。英語では[e]という母音は音節末に来ることができず、必ず後ろに子音を伴なわねばなりませんから、[me]+[ni]のようには切れません。このことはhappyなどでも同様で、音節の区切りはhap/pyです。[ae](aとeをくっ付けて読んでください)は後ろに子音を伴なって使われるので、ha/ppyという切り方は不可です。もし、ha/ppyと切れば、最初の音節はhaになりますね。しかし、haは[hI±:]ですよね。だから、ha/ppyと区切ると、このhappyは[hI±:pi]と発音される単語だよ、と主張することになります。Manyをma/nyと切ると、ma+nyとなりますが、maというつづりは[mI±:]と発音されますから、これも具合が悪いですよね。
では一つ問題を。次の単語の音節の区切りはどうなるでしょうか。答えは辞書で確認して下さい。
1.gather 2. fatherさらにもう一つ問題です。
英語ではsakeやkarateやkaraokeのようなeで終わる日本語からの借用語が本来の母音の「え」ではなくて[i:]で発音されて、サーキー、カラーティー、キャリオウキー(またはカロウキー)のようになります。なぜでしょうか。
Eliotさんmanyの件、よくわかりました。
英語の辞書の区切りかたはわからなかったのですが、
読みに影響を与えるようです。ついでに、質問をあまえさせてします。
ンです。
Q1 singer,finger
どちらも、語尾が ガァ に聞こえます。singerの場合、明瞭にngの場合でも、gの音が
つぎが、母音ですと生まれてくるようです。(発音記号上はgは無い)
このng+母音の発音はどのようなことを心がければいいのでしょうか?Q2 nの発音の仕方はよくわかりますが、ngの発音の仕方は、指導書によって
ばらばらです。ある書は、鼻音といっています。しかし、別の書では、ngは
息は、鼻から出さず、口からですと明瞭に書いています。
どちらが、正しいのでしょうか?Q3 日本語のンは、英語のnとngとで違う音だとも言われていますが、
明瞭に定義されていないようにおもいます。
tenを、テンとカタカナ発音する場合のンは、英語のnでもngでも
ないと言う書物もあります。
要は、日本人の学習者は、ン、n、ngの3者間で多いに混同して
いるとおもいますが、この解決策というのはあるのでしょうか?
なに、話せば
わからない!!
『パール・バァーバァー』
人は人、自分は
ダレジャー??
『屁ぇー・i』
パクパク様([I・]をngの音を表す発音記号の代用とします)
質問1について
日本語で「シンガー」と言うときの「ガ」の子音は[g]ですが、英語のsingerを[siI・g]+erと発音するのは一般的ではありません。普通は[siI・]+erと発音します。[I・]+母音は日本語でも一部の話者に使われていますが、若者の間では急速に消滅していっているようです。以前は、共通語の基となった、東京方言では、ガ行の発音が、語頭では[g]となり、その他のところでは[I・]となるのが普通でした。ただし、助詞の「が」は[I・]を使い、数字とカタカナ語ではすべて[g]を用いました。パクパクさんは「十五」と「銃後」を同じに発音しますか。それとも「ご」の部分、もっと正確に言えば、「ご」の子音に異なる音を使いますか。NHKのアナウンサーの多くは「十五」を「じゅうgお」、「銃後」を「じゅうI・お」と発音し分けています。
長野県出身の根石さんも発音し分けられるのではないでしょうか。
このような[I・]+母音で発音されるがぎぐげごのことを「鼻濁音」といい、アナウンサーは鼻濁音をきちんと発音するよう訓練を受けます。しかし、最近の若いアナウンサーは普段の生活では鼻濁音なしの日本語を話す人が多いため、ニュースを読んでいても鼻濁音の使い方が下手な人が多くなっているようです。中にはまったく鼻濁音を使わないアナウンサーも出てきています
鼻濁音を使わない日本語話者も[I・]は使います。「ん」の後にカ行かガ行が続くときの「ん」は[I・]です。「参加、音楽、インク、ギャング」などでは私達は皆[I・]を使っています。ただ、鼻濁音を使わない人は[I・]+母音の連続は不得意かもしれません。こつは、[I・]は破裂音ではなく、鼻音ですから[g]の破裂を伴なわないソフトな発音を目指すことです。
ルール
@〜ngで終わる動詞に母音で始まる接尾辞(er,ingなど)が付いても[g]の音は出しません。
singer/singingなど
A〜ngで終わる形容詞に比較級と最上級のer/estが付いたら[I・]のあとに原形にはなかった[g]の音が生じます。
young/younger/youngestなど
B〜ngerで終わる名詞(=erを取った形では意味をなさない語)は[I・g]です。
finger (fingの派生語ではない)
anger (angの派生語ではない)質問2について
[I・]は[n][m]と同様、鼻音ですから、口から「息」が出るはずがありません。口を閉じて[m]を発音しながら息を口から出すことができましょうか。それと同じことです。質問3について
「ん」の発音には4種類あるということとそのことが日本人の英語の発音にどんな影響を与えるかということについては以前にこの掲示板に詳しい書き込みをしたことがあります。根石さんのサイトで「大風呂敷の過去の記事」の300番以降が見られるようになりましたら、探してお読みください。
この世に、正論をとうして、住むことは
たいへん難しいことです。
教育の現場ばかりではないとおもいます。
天動説のなかで、ひとり、地動説を主張する
ようなものです。
t、d、l、n、w、r、y、th、ngを
正確な知見をもとに発音をすれば、
1年、2年もかかるのではなく、
これらの単独子音の音だしは瞬時に解決する問題とおもっています。
上記子音の単独音と、組み合わせのマトリックス音(例、tn、nt、dlなど)と
マトリックス音のなかにあいまい母音が混入した場合のトリオ音(例、wel,withなど)を
自在に発音できれば、ものごとの進展、
英語の音づくりが現実のものとなるとおもっています。
70日滞在した、人口7000人のワンサギを後にして、大都会人口300万人のメルボルンにやってきました。ここのユースホステルは3つ星表示をふりきって4つ星という非常に珍しくきれいでまた設備の整っている所で、何ヶ月ぶりかで日本語の打ち込みのできるコンピュータにお目にかかりました。8泊するのでしばらくは大風呂敷に参加できそうです。皆さんの書き込みを楽しみに読ませていただきます。
私もみましたよ。パールハーバー。オーストラリアのビクトリア州の片田舎のワンサギという町で。字幕が無かったので聞き取りが難しかったです。以上。
エリオット先生、お久しぶりです。それにしても実践の結果を見事に出しておられることは本当にすごい事だと思います。中高一貫校であろうが、公立のいわゆる普通の高校であろうが、すべての学校で発音の基礎が充実しなければならないと思っています。中学1年から担当されているその生徒さんは今は中学3年生なのですか?それとももう高校1年生になっているのでしょうか?文法語法や読解についても結果がでることを待ち望んでいます。陰ながら応援させていただきたく思います。ありがとうございました。
母語における感情込みの音の習得と語学での音作りのベクトルが逆向きだというご指摘」とはどういうことなのでしょうか?9月7日まで久しぶりに日本語で打ち込みの出来るコンピューターに出会ったので議論にぜひ参加したいと思いましたので。
先ほどの質問の答えが見つかりましたので、回答は結構です。お騒がせしました。*つまり、語学はネイティヴ言語に対して逆立ちしているのです。感情と音の間に成立するベクトルが逆です。このことに、これまでの語学論はほとんど言及していないと思っています。
これの事ですね。すみません。
*英語ネイティヴを本家本元とする意識から抜けないと日本の英語は作れない。この根石先生のお言葉、正しいようで正しくないような気もするのです。
国際語となった英語に本家本元という言葉は当然似合いません。日本の英語をつくることはとても大切なことですし、必要なことだと思います。しかし、同時に、根石先生も書かれていたように出来るだけ一発で相手の言っている事を理解するためにはネイティブの英語にあわせていく部分も必要なのではないでしょうか?以前の浜谷先生とのご議論はこの辺りだったのでしょうか?エリオット先生もおっしゃっているように小説を読む時はだたイメージが動いていて翻訳という高度な作業は入る余地がないという方、また高速の翻訳と言われる根石先生。。。まだ私が音とイメージの同致がしっかりできていないから、このようなとんちかんな発言になるのかもしれません。ここのところ(つまりネイティブの英語をインプットすることも大切という部分)が根石先生の方式で弱い部分なのではないでしょうか?まだ私の理解不足なのかもしれません。ご教示頂ければ幸いです。