1901再度、英語の大局観養成 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)11時24分26秒 
>シンタックスに関するセンスみたいなものが育てば、それはどこへでも使えます

これが事実なれば、凄いことです。
日本語の磁場のなかで、英語のセンスを体に身につけるわけですから。


1902パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)11時34分17秒 
今さっき書いた記事はパクパクさん宛てでした。書き落としました。ごめんなさい。

>たしかに、10回、20回ぐらいでは、身につかない。

 学生には、500回・1000回(國弘レベル)を勧めたいが、社会人の方にはなかなかこの回数は難しい。参考になるのは、笹野さんという方が言っている50回です。50回・100回なら、社会人でもできる。
 私の「電話でレッスン」は、毎回「復習範囲」のテストがあります。私が一度言ったものを5〜10回程度繰り返し言ってもらうというレッスンの形式(技法グラウンド)が、そのままテストの形式でもあるのです。このテストを毎回すんなりとパスしてもらうために、50回・100回という回数をお勧めしたい。各文、50回・100回というのも、やってみた方にはわかりますが、仕事を持ちながらではなかなかきつい回数です。
 しかし、最低50回繰り返せば、英文が質的に変化すると笹野さんは言っています。これは充分に信じられるもの言いです。
 私は、「復習範囲を手放さない」という原理を一つ持っておりますので、生徒さんがテスト範囲を毎回50回繰り返してくれるなら、しまいには、500回・1000回という回数に持ち込むことができます。テストのために50回、「知っていても、覚えた文でも」絶えず口を回すという愚直さを信じてくれる生徒なら必ず大きく伸びます。
 「技法グラウンド」は自分で考えたものですが、私の方法は國弘さんの言うことと原理を同じくしています。


1903パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)11時42分33秒 
 「英語のセンス」という語は、よく言われていますが、これは磁場仕込みのものだと思っています。こういう言い方で問題にされているのは、ほとんどが「語感」の問題です。もし、磁場なしでやるなら、多読しかないと思います。
 私はあくまで一段階微分して、「シンタックスのセンス」として考えています。

1904英語のセンスの厳密定義 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)12時36分43秒 
英語のセンス:英語圏で修得
シンタックスのセンス:英語非磁場で修得
こうするとわかりやすくなります。つまり、シンタックスのセンスを修得したものの方が
格が上ということです。

1905素読舎基準値 投稿者:パクパク 投稿日: 2月27日(水)12時46分57秒 
英文は、単語数によって分類。
素読対象の英文数をN個とする。
素読回数をM個とする。

シンタックスの内在化=NxM

このNとMとを、明示する。
わたしは、Mは、1000とした方がいいとおもう。


1906SAIさん(1)浜谷さんのところから 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)15時14分11秒 
 夜は、へばっていると予想していますので、今書き始めました。まだ、寝起きの頭で多少ボケていることはごかんべん下さい。

>意味を考えていては音は聞こえません。それは(生半可な脳についての知識によれば)意味を考えるのは左脳だからです。論理的に考えるのも左脳です。音を聞くのは右脳です。見るのではなく観るというのによく似ています。意味にとらわれては音は聞こえません。

 重要なことを言っておられると思います。脳の左右はよく知りませんが、論理を分担している脳の部分と感覚を分担している部分が違うということは十分に信じられることです。しかし、それは脳にまかせておけばいいので、私が脳さんに言いたいことは、「じゃあ、まかせたからね」ということだけです。右脳さんがやってくれるんでも、左脳さんがやってくれるんでもいいや、だけど、俺は英語を聞き取って、その場でわかりたいんだからね、よろしくってことです。実質は脳さんがやってくれるんでも、実感レベルでは私の心がやってると思うことに何の差し支えもないと考えています。生理学的根拠は参考にしかならない。私の心に何が起こるかと思っていた方が実質的だと思っています。英語を使う場面でも、相手や自分の脳とつきあうというより、相手の心や自分の心とつきあうのだと思っています。
 心とつきあう場合は、総合体とつきあうのですから、右脳も左脳も交互にあるいは同時に動いてもらわないと困ります。「じゃあ、まかせたからね」というのは、二人ともちゃんと動いてね、信頼してるからね、ということです。
 それよりも、「意味を考えていては音は聞こえません」ということが大事なことを言っていると思うのです。このことに関しては逆も言えて、「音を気にしていては意味はつかめません」ともなります。
 音が瞬時に意味に変換される(聞き取り)、あるいは、意味が瞬時に音に変換される(しゃべり)ことが問題であって、いくら音が聞き取れてもそれだけではいつまでたっても意味に結びつきません。
 SAIさんは、基礎部分をすでにお持ちの方だから、基礎部分をどうやって形成したかを忘れてしまっておられるのだと思います。個人の(自分の)英語を今後どうするかというだけの話ならわかるのですが、まだ基礎部分を持っていない、あるいは基礎部分を作りつつある人には「音が音として聞き取れれば大丈夫」という考えはまったく見当はずれのものになります。
 英語音を「音として微細に聞き分けられる=音が音として聞き取れる」までになるには、日本人は結構曲がりくねった長い道を歩きます。SAIさんが言っているほど簡単なことだとは思えません。SAIさんは、自分がこれまでに作ってきた実力という前提の上に立って、ご自分の課題を言っておられる。だから、SAIさんと同じレベルにいる人には傾聴すべき意見だと思いますが、これはまったく一般化することはできないと思います。
 日本人の耳は(脳は)、英語音を日本語音に自動的に変換してしまうからです。多くの人の耳は間違いなくこれをやります。この変換を止めて、英語音が英語音として聞こえることを可能にするためには、ただ単に絶対音感のようなものをあてにして聴き続けることではどうにもなりません。文法のセンスやら、シンタックスのセンスやらが下支えしなければ、英語音を日本語音に自動変換してしまう日本人の耳(脳)のクセは直ることはないと思います。

 SAIさんの意見の弱点は、幼児がネイティヴ言語を習得する過程を語学の雛形にしているところだと思っていましたが、「意味を考えていては音は聞こえません」という言明は、まさに語学の本質の一つを言い当てた言葉だと思います。しかし、繰り返しますが、これを言うときは、「音を気にしていては意味はつかめません」も同時に言う必要があります。そうじゃないと、俺は右脳派だとか、いや俺は左脳派だとかというセクト主義になってしまい、右脳も左脳も両方動いてもらわにゃならんということを見失いかねません。


1907SAIさん(2)浜谷さんちから 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)15時17分29秒 
 ネイティヴ言語習得過程では、音も意味も、水と油をかき混ぜたような状態で混じり合います。激しく交互に入り組み合う。この時、音と意味を媒介にしているのはイメージというものだと思います。どういうわけか、人間という奇妙奇天烈な生物には、イメージの誕生は自然に起こるみたいです。しかし、これは、語学においては、絶対に「自然には」起こらない。ここを観るなら、ネイティヴ言語習得過程と、語学の言語習得過程は峻別されます。多々似ているところがあるにせよ、原理的にまるで違う過程だと思います。

 先日もめました「磁場」ですが、これが日本在住の英語学習(習得)では手に入らないという事実を軽く見ておられるように思いました。映画でもCD教材でも何でもいいですが、これらはあくまでも音声複製技術による複製物であり、磁場を形成することはありません。(文脈とか映画の中のフィクションとしての磁場は形成しますが、これは生の磁場に対して高次磁場だと思っています)。
 しょっぱな音声複製物を使って、リピーティングやシャドウイングをやることに私はとても違和感を持ちます。とても奴隷的なものを感じるのです。私は語学の原理的な部分では、國弘正雄さんと同じで、「音読が最高」主義者ですので、まず日本人がやるべきことは、「わかっているもの・覚えたもの」を声を出してなおも読み込むことだと思っています。今では教材がいくらでもあるのだから、最初からリピーティングでいいという意見を少し前にこの掲示板で読ませていただきましたが、語学をやることは英語ペラペラをやることではなく、語学的主体を作ることだと考えています。その観点を外さないで考えると、初期の「音づくり」(外科手術)を除外すれば、中心を成すべき方法はやはり「音読」だと思います。
 ネイティヴの複製音声は、それに「従い」自分の音を調整するものではなく、それを「媒介にして」自分の音に繰り込むべきものだという考えです。日本語しかしゃべってこなかった口の筋肉の慣性という実体があるのですから、オウム主義(宗教の方ではなく鳥の方です)によって、一挙に英語音に置き換えるよりも、日本語音から英語音に向かってグラデーションを濃くしていく過程で媒介にすべき参考物です。
 音というのは複製でも、音声は感情です。私はこれをコピーすることが嫌いなのです。芸人になりたいわけではないのですから。
 私は「音派」ではなく、「音読派」ですので、またしても音読方面から光を当てた記事になってしまいました。
 ヒアリングやリスニングについては今後考えますが、ひとまず発声練習(音作り・音読)に関してだけ考えました。繰り込むのならいいが、コピーはやりたくないという意見です。
 


1908 (長くなっちゃった、、、) 投稿者:Kさん 投稿日: 2月27日(水)20時25分29秒 
おじさん、こんにちわ!
 
 

>    なんか、思い出した。あんたも相当強情だったんじゃねえの?

わははは。 んー頑固でした。>って、今もです。
でも、遅刻欠席はちょっと違うんですが・・・。
 

>    これは覚えてねえな。すまんね、苦労させて。でも、苦労させるのが俺の仕事だってのは、昔も今も変わらない
>   な。いやな仕事だぜ。

ううん。 そんなことないですよ。 おじさんはさらっとしてたので、ほっとしてました。
塾を辞めた後に、道で会ったときも「おぅ」って笑顔で挨拶してくださいましたし。
それに仕事の上で真剣になっていたっていう話ですから気になさらないでくださいね。
逆にショックを受けさせてしまったからで・・・。
私みたいに、あのときは大変だったけど、あのときのおかげで少なくとも英語アレルギーにならずに
済んだ、って人は多いと思うなぁ。
 

>     今からもう一度やってみようとしてるんだから、昔やったことはあらかた息をふきかえすと思う。1時間でいいか

きゃー、、果たしてホントにできるのかなぁー、、、ふあ〜ん、こわぁ〜い!! って気持ちも抜けられませぇぇん・・・。
また挫折しちゃうんじゃないか・・・と、行きつ戻りつ、な気持ちです。
やってるときはホント半端じゃなく苦しかったから・・・・。 後で血や肉になるんだけど、そこまでのことが
できるかしら??とそれが1年もかけて悩んだ理由でした・・・。
お嬢さんも身近にいらしたこともあったし、、しかも、実は何回か、おじさんがトラックを運転してる姿さえ目撃もしてました・・・。
少しお太りになられましたね。
 

>   ら10年続けられたら天才だ。俺は仕事だから、天才でなくても続けられたが、英語は続けなけりゃどうにもなら

ううん。 おじさんは『日本に居ながら誰でもモノにできる英語作り』を開発された方と思ってます。
語学が得意な人は自然と身につけて感覚でわかってしまうのでしょうけど、
そうでない人はずっと苦手なままで・・・

細野真宏さんって方は『面白いほどわかる経済の本』や
他に受験数学の本も書いているのですが、

今までの専門家が書くのとは全く違った目線から書いていて、
苦手な人にとって理解しやすいものになっているんですよね。
でもそれは得意な人にとっては”当たり前”のことで・・・。
あえてそこをわかりやすくイラストにしたりとか。

おじさんの映画から掘り起こした英語解析がもしかしたら、斬新なものになるのではないかしら?
と思ったのでした。 英語のできる人向きの本ってロングセラーが多いのですけど、
苦手な人向きの本はなかなか無くて・・・。
だからびっくりしたのです。 映画というとりかかりやすいところに向けられた発想にも。

※700選にももう少し詳しい解析があると嬉しかったかも・・・。
 

>  ところで、聞き忘れたが、仕事で必要って、どんな仕事してるんですか。さしつかえなければ教えてください。

これからなんですが、輸入を始めようとしています。
うちは父が少しやっていたのですが、途中で途切れており、
仕事柄扱っているものを見ると、ほとんどが made in china とか made in korea とか
インドネシアものなんですよね。 あちらの国で生産している企業も多いですよね。
うちの場合は、そこまでの大きな規模はできませんので、少しづつ取引できることを目標にしています。

ただ、英語ができませんから、本当に最初から絵やマンガを描いて、英単語を並べて、な感じでないと
難しいのと、直接現地に出向く必要もあるので、少しは(英語が)わかってないと難しいな、と
思ってます。

時々、英文メールと英会話telが来るんですよ!
アクセサリー系ものとか、あ、パンフレットもだ!
おじさん、通訳してくださいますか?(笑) いえ、まじめな話なんですが。
お支払い可能な料金を見積もらなきゃ、、、
 

>   「どんでん・・・」で名前を出しちゃっているが、岡田ってやつ。英語をやって、言葉そのものが面白くなっちゃっ
>
>   れない。こいつは、でもあんたより、後の世代のやつかもしれない。今、26くらいかな。

そうですね。
私が高校ぐらいのときは小学校ぐらいなので、その時にはお目にかかってないですね。(笑)


1909 コーチング、外国人ではまず無理! 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)21時54分10秒 
>日本人のコーチは、ガイジンじゃ駄目なんです。

そーーーーーなんです。(「恋のぼんちシート」だったっけ。。。)
 


1910 楽しようという性格がでてしまった! 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時01分05秒 
>日本人のコーチは、ガイジンじゃ駄目なんです。

>日本人は「日本語で」口の動きが出来てしまっています。この口をどう動かせばどういう英語の音になるかを知っているのは、鍛え込んだ音を持つ日本人であり、子供の頃からその音だけでしゃべってきたガイジンではありません。ガイジンが役にたつのは、日本人が音を「許容範囲」のものとして確立し、ある程度英語のシンタックスを内在化させた後です。

すみません。後をよく読んでいませんでした。その通りだと思います。

「ガイジン」は私はあまり好きではありませんが。。。

伊藤和夫のネタですが。。。(ガイジン=「外人、害人」などという「音」の響きなどについて)


1911 うんうん。 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時03分31秒 
>「音づくり」もシンタックスの内在化も行わず、ガイジンのいる英会話学校に通うのは、金をドブに捨てる行為と何も変わりません。

まったく。。。そうですね。。。

 


1912 ウドさん、お元気? 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時08分54秒 
>シンタックスを内在化させた人は、英会話学校になんか行かなくても、ガイジンの友だちができてしまうので、結局、英会話学校というのは、最初から最後まで役に立たないものです。

これは個々人の性格にもよるのではないでしょうか?

もっとも、アウズワイル、ピッグアンドホイッスル、パブアフリカに行かない「素人集団」が、ほとんど、というのも情けない話であるとは思いますが。。。


1913 そーーーーーーー 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時12分02秒 
>順序としては、「音づくり」が優先されます。國弘さんの言葉で言う「許容範囲」の音ができれば、重要性という意味では、「シンタックス」の内在化がその後の重要課題だと思います。これはまた、「音とイメージの同致」と併行するものです。
 「音」を気にして、口の動きをいちいち意識していたら、「意味」はとれない。「意味」が伴わなければ、シンタックスは内在化されない。だから、「音」の問題を解決する(「許容範囲」におさめる)ことは、意味を考え、意味が伴う「音」を繰り返し、シンタックスを内在化させるために必要なのです。音も意味もシンタックスも練習の中では一体化していきます。これは、只管朗読(國弘正雄)の、「只管」という概念が暗示しているものだと考えています。

そーーーーーーーーーーーーーーーなんです。(もう、いいか。。。)

いくこさん、元気?


1914 sticking plaster? 投稿者:sb 投稿日: 2月27日(水)22時13分55秒 
>今日、「サピオ」が出ますので、こちらもよろしくお願いいたします。

何ですか?ばんそうこう?(今回はまじめです!)
 


1915 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)23時12分09秒 
小学館の雑誌です。今日出ました。
名前が間違っていて、根石久吉になっています。これから、久吉になろうかな。
校正語に編集の方が加えてくれた註釈(カッコの中)が、間違っていたりもします。
この雑誌に提出した素材は、もっときついものだったのですが、だいぶおとなしいものに書きかえ
ていただきました。あのままだったら、また英語界から一段と嫌われるものになっていたと思いま
す。でも、この素材は、そのうちにホームページに掲載します。

1916 サピオ 投稿者:浜谷 投稿日: 2月28日(木)00時11分39秒 
今日奈良の片田舎の本屋さんに行ってサビオって言ったらサピオじゃないかって言われました。 コンピューター関係の雑誌なんですってね。 田舎なんでしょう、「置いてない」って言うんです。今度の土曜日にでも大阪の本屋さんに行って購入するつもりです。もしコメントすることがあったらその後させていただこうと思っています。濁点のビとピの区別がマイクロソフトのワードではつけ難いですね。私の目が悪いのかな・・・。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1917 浜谷さん 投稿者:sb 投稿日: 2月28日(木)09時00分09秒 
「ひさきち」さん、お元気?

調子に乗りすぎ!

さぴおだったんですね。


1918 ポイント 投稿者:パクパク 投稿日: 2月28日(木)11時47分16秒 
浜谷さんの掲示板
SAIさんの意見

これは全く逆だと思います。シンタックスを考えるからいつまで経っても「音が聞けない」という現実に直面するのです。音が聞けるようになった人は、シンタックスなどを無視して、音だけを無心に聞き取っています。ある人が、キーボードの位置を暗記しsの横がdであるのは人間の手の構造から云々と考えている間に、もう一人の人はブラインドタッチをマスターしてしまいます。

ここが素読のポイントでしょう。
素とは、素うどんの素とは、言い得て妙なり。


1919 土曜カフェ 投稿者:パクパク 投稿日: 2月28日(木)14時00分05秒 
平安堂、長野駅前店で、土曜カフェゼミナールを
やりませんか?
サピオもでたことですし。

1920 久吉氏のこと 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)18時13分57秒 
sbさん

久吉氏はサピオの中では元気ですよ。

吉久氏はへばっています。


1921 人脈 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)18時14分56秒 
ぱくぱくさん

Hさんに推薦して下さい。


1922 nature 誌の記事おもしろい 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)18時38分09秒 
 
バイリンガルの意味に対する rejecting のことが書かれています。
これを可能にしているのが、pronunciation rules だとも書かれていたと思います。
素読で、「音づくり」を媒介にすれば有効なのだと考えてきたことと一致します。


1923 途中までですが。 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時09分35秒 
SAIさんに向けた記事を浜谷さんの掲示板から転載

----------------------------------------------------

>逆は論理的には言えませんが、仰ることは感覚的に分かります。もとの命題では偽となることもありますので、正確には「音が聞けるようになるためには、意味を考えないことが必要である」という意味です。

 前に提示されたのは、「おはようございま」まで聞けば、次は「す」だとわかるという例でしたっけ。次が「す」だとわかるのは、「おはようございます」という全体をあらかじめ知っているからです。あらかじめ全体を知っているから、全体がわかるのであって、「おはようございま」という「音そのもの」が次の「す」を決定しているのではありません。
 「おはようございま」まで聞けば、次が「す」だとわかるというのは、「おはようございます」という完結形を知っているということです。この完結形の推定が成り立つのは、言語に形式性があるためであり、「音そのもの」が聞き取れることに依存しているのではありません。
 全体を全体として「知っている」ことで聞き取れるのであって、これは「ん、ん、ん」が I don't know. だと聞き取れる例で示したことにも共通しています。「ん、ん、ん」の場合は、いくら「音そのもの」をよく聞き分けても、I don't know. と結びつくことはないでしょう。その場の状況と、イントネーションという言語の形式性が聞き取りを成り立たせています。
 「音そのもの」が、イントネーションなどの音の形式性まで含んでいるのであるとすれば、ひとまず意味を排除して、この形式性をマスターすることはいい練習になるとは思いますが、それでも、机上の語学の弱点は、この形式性への習熟がイメージの濃度とはまるで何の関係もないことです。
 これは、やはり職業とか必要とかいうことと深く関連したことがらだと思っています。通訳などでは、音の微細な聞き分けは必要です。しかし、自分が言いたいことをはっきり言うことに使うのであれば、イメージと音との連動性の方が重要です。どちらもやれるのがいいに決まっていますが、こういう点では、どなたの英語にも凸凹はあるだろうと思っています。
 こういうイメージではどうでしょうか。音の形式性に習熟すればするほど、意味の受け皿が大きくなるはずだという推定です。SAIさんは、受け皿を作っている最中なのだという考えです。そして、この受け皿の大きさは、イメージの受け皿の大きさにはなるが、イメージそのものを発生させるわけではない。

 例えば、音の崩れという現象があり、これにはこれの形式性があります。

I am going to → I'm going to → I'm gonna → I gonna

という具合に崩れていったとして、普段 I gonna ばかり使う人は、I gonnaの形が形式としてすでに成立しているということです。この人の話を聞き取るのは、I am going to という音のつながりの形しか知らない人には難しい。難しければ、慣れてしまえばいいわけで、語学の机上で、I gonna を含む文を自分の口で繰り返し言って慣れてしまえば、以後は苦もなく聞き取れます。自分の口で「近似値」を作ることによって「知る」ことが聴解を容易にします。私のやり方はこれです。「音そのもの」をいくら聴いても、「音そのもの」をいくら微細に聞き分けられても、「知る」ということがなければ、聴解は成立しないと考えています。
 受け皿を大きくするということでは、SAIさんの方法は有効だが、聴解を成立させるのはあくまで「近似値とイメージの同致」ではないかと考えています。
 音を鍛えること、耳を鍛えることの重要性は何一つ否定するものではありませんが、最初にも書きましたとおり、「聞き取る」ということは、相手の言っていることがわかるということだと私は考えており、こちらの考えでいくと、音の質やその微細な部分の聞き分けとまったく同等の価値をイメージの動きが持っていると思います。音にイメージという磁性をどう帯びさせるのかということは、これまでの語学論では手つかずだと考えています。


1924 SAIさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時21分51秒 
昨夜、眠れなくて書いた分がありますので、貼り付けます。

----------------------------------------------------

>意味をつかめるようになる頃には、音は無意識に聞こえているからです。それは、最初はキーボードの位置を気にしていたが、次第に無意識に打てるようになり、今では自分の考えをブラインドタッチで打てるようになった、というのに似ています。

 賛成です。このあたりは、知識が知識のままにとどまる学校英語や受験英語と、使える英語との対比として以前から考えてきたことです。使える英語というのは、キーボードに対してブラインドタッチでやれるようになる比喩でどんぴしゃりだと思います。ただ、私が「知る」という語で言っているのは、知識が知識のままにとどまる段階ではなく、ブラインドタッチが成立するように、知識を体の動きとして身体化した段階を含んでいるんだというところを理解していただきたいと考えています。

>日本人が海外に行ったとき、或いは、仕事で外国人とTV会議等を行うときに「全く聞き取れない」という現実に突き当たる原因がここにあると考えます。「音が音として聞き取れれば大丈夫」ではありませんが、多くの人は、難しい法律の文章や技術文献が読めても、「簡単な表現ですら聞き取れない」ことに困っているのです。

 これも、「身体化」という語で解ける問題だと思っています。難しい法律の文章や技術文献が読めても、簡単なものも聞き取れないのは、その人の語学に「身体化」が欠けているからであって、「音そのもの」が聞き取れないからではないのです。本当の問題は、知識が「身体化されていない=音とイメージが連動しない」ということです。むしろ、こういう人の方が、「音そのもの」は聞こえているのかもしれません。聞き取れない、つまり、わけがわからない、つまり、意味がわからないのですから、意味を欠いた「音そのもの」は聞こえているはずです。「音そのもの」をいくら聴いても、意味に結びつかないのは、身体化の欠如、音とイメージの連動性の欠如の問題です。音をよく聴かないからではないのです。

 私の友達に、やたらに外国語をラジオで聴くのが好きな人がいます。この人は全然語学はやらないのです。意味がわからないものを、音としてだけ聴くのが面白くて、やたらにいろいろな外国語を聴きます。この人は本当に言葉の響きや音が好きなんだなと思って感心したことがあります。私が「なんで語学やらないの」と聞いたら、「意味がわかるようになっちゃうと、つまんないじゃん。音がちゃんと聞こえなくなるから」とのことでした。言葉の音楽性だけを楽しんでいるんです。
 「仕事に使える」というようなすけべ心がないだけ、「音派」としては純粋であり、「音派幼稚園」のお子さまとしてもっとも良質な人です。これほど純粋な「音派」なのに、ラジオをいくら聞いても語学のたしになることは成立しません。「音」というものは、そういうものじゃないでしょうか。

 語学では「知る」ということ、あるいは、「知識を身体化」することが不可欠です。

 こういう人を目の前にすると、いやはや語学というのはすけべ心たっぷりなもんなんだなと思います。俺は「純粋音派」だというようなことを言われても、眉に唾をつけるのは、こういう人を知っているからでもあります。


1925 SAIさん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時35分28秒 
>これは全く逆だと思います。シンタックスを考えるからいつまで経っても「音が聞けない」という現実に直面するのです。音が聞けるようになった人は、シンタックスなどを無視して、音だけを無心に聞き取っています。

 いやはや、逆だと思いますよ。繰り返しますが、SAIさんは、シンタックスのセンスをもうかなりな程度でお持ちの方です。それで、そのセンスがどう成立してきたのかを忘れているだけです。上級者の最大の欠点は、初心者がたどる曲がりくねった経路を忘れてしまうことです。
 「シンタックスを考える」ということと、「シンタックスのセンスがある」ということはまったく別のことです。「シンタックスを考える」人は、知識が知識のままにとどまっている段階の人です。「シンタックスのセンスがある」人は、そのセンスを駆使できる人、つまり、知識が身体化されている人です。まったく別のことを言っているのです。

 私も「シンタックスをたどっちゃ駄目だ」とか、「文全体をまるづかみしろ」というようなことをよく言います。「知っているもの・わかっている」ものをもっと読み込めとか、「回転読み」とリスニングを交互にやれとか言うのも同じことを言っているのです。シンタックスのセンスを育てるためです。

 「音だけを無心に聞き取っています」に関しては、前述した私の友達には絶対にかなわないと思います。彼には、コミュニケーションしようというようなすけべ心がまったくなく、音に関してまことにまことに無心なのですから。

>確かに、右脳と左脳との2刀流で行くべきなのですが、まずは1本の刀(音)が満足に触れるようにならないと、もう1本(意味)は触れるようにはならないのです。そして、意味を考える方の刀を最初に振ると、音を聞き取る方の刀を振る事が非常に困難となります。しかし、音が聞き取れるようになってから、意味を理解しようとした場合は、音の聞き取りが障害になることはまずありません。

 これは、非常に素読の考え方に似ています。練習の順序に厳しいというところがまるで同じです。そして、この厳しさと順序にはまったく賛成します。
 しかし、実際の練習としては、「交互性」でいくというのでいいと思います。長い期間に渡って音だけをきわめてから、意味に移るというのではなく、聞き取りにくいものを探し出して、

   聞く → 音読の繰り返し → 聞く → 音読の繰り返し

が最善だろうと思っています。音だけをきわめてから意味に移ることを本当に厳密にやろうとすると、いつの時点が「きわめた」時点かが確定できません。100パーセント聞き取るということは原理的に不可能だから、いつまでたっても意味に移ることができないことになります。

   聞く → 音読の繰り返し → 聞く → 音読の繰り返し

 この過程で、それぞれの練習に意味もイメージも溶かし込んでしまうのがいいと考えています。イメージの濃度を高めるのです。一緒にやっちまっていいよという考えです。

>根石さんの弱点は考えが古いことです。音は聞き取れないもの、とんでもなく時間がかかるもの、という固定概念があります。

 固定概念というものは辞書に書いてあるものだと思います。おっしゃっているのは固定観念のことかと思いますが、私にはそういう固定観念はありません。単に原理的にちゃんと考えようとしているだけだと思っています。


1926 SAIさん(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月28日(木)19時42分39秒 
>映画でもCD教材でも何でもいいですが、これらはあくまでも音声複製技術による複製物であり、磁場を形成することはありません。

>>洋画ですら音としては「標準レベル」であり、現地の人とのTV会議は洋画よりも更に聞き取りにくいものとなります。

 音声複製技術による複製物では磁場は手には入らないことと、音声複製技術の技術レベルの問題は、それぞれまるで別の問題です。またいずれ教えて下さい。

>私は「現場で」困っている人をなんとかしたい(私自身も 困っています)と思っています。切羽詰った人に対する対処法です。本当に切実です。

 外資系ですか。外資系だったら、しょうがないですけど、そうでなければ、「日本にいる間は日本語を習って使え」が正統な言い分だと思います。
 なにはともあれ、英語が必要な人には、國弘正雄「英語の話しかた」(たちばな出版)がおすすめだと思います。
 初心者にK/Hシステムなどを勧めるのは絶対に反対です。これは、上級者が最後に使えばいいものだと思います。
 (また、知識の量ではなく、すでに述べた知識の身体化という意味で、本当に「音」の習得の初期段階にある方は、外科手術が必要ですから、私の「電話でレッスン」もおすすめです。コマーシャルでした。)

>語学の基本はコミュニケーションにあると思います。コミュニケーションでは「相手の話を聞くこと」ことが大切だと思います。

 語学の基本は、コミュニケーションではありません。生活言語の基本や仕事の英語の基本はコミュニケーションかもしれませんが、語学はそれとはまったく違うものです。コミュニケーションという語を持ち出すならば、語学はコミュニケーションのシミュレーションです。
 このあたりは実に込み入った話ですが、ネイティヴ言語の習得過程と語学による言語の習得過程を峻別すべきであるのと同様に、語学の対象としての言語と生活言語は同じ英語でも峻別すべきだと考えています。
 語学の基本はコミュニケーションであるというような考えは、20世紀あたりにはやった迷信です。あるいはESSあたりにはやった迷信です。このあたりの論議は、私の掲示板の過去ログにあったような気がします。いずれ、過去ログの索引をつくらないといけないと思っています。現在は探しにくいですが、よろしければ探して下さい。この考えは、私の「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館文庫)でも触れています。
 語学の基本は、口の動かし方です。あるいは、音とイメージの同致のさせ方です。また、知識の身体化です。すべて机上の世界です。

>音を聞き取るためには発音練習が効果的です。耳だけ、口だけではなく、耳と口とを両方鍛えないと、なかなか音は聞けるようにはなりません。

 この点で、私はSAIさんとも鵜田さんとも同意見です。

>感情を上手く表現するのも、音の学習のうちであり、相手の感情を聞き取るのも音の聞き取りに含まれます。

 これは違うと思います。感情をうまく表現するのは、すでに生活過程であり、語学ではないと思います。学習であるとしても、机上の学習ではなく、生活過程における学習です。語学は机上のものです。生活過程がなまものだとすれば、語学の机上では干物を相手にするのです。活字も干物ですし、複製音声教材も映画の音声も干物です。
 なまものの魚が一度干物になれば、干物は二度となまものになることはありませんが、語学と生活言語の間では、干物がなまものになることはあります。ミイラが踊り出すようなものです。


1927 Hさんのこと 投稿者:パクパク 投稿日: 2月28日(木)22時42分54秒 
話しをすすめます。技法グラウンドと回転読みの実演をしてください。
また、根石さんのスタッフに言って、セミナーの内容をビデオで収録してください。

1928 サピオ 投稿者:YASU 投稿日: 2月28日(木)23時47分33秒 
サピオは福岡では3/1発売ですね。

1929 助けてください!またはご笑読ください。 投稿者:浜谷 投稿日: 3月 1日(金)00時34分53秒 
助けてください! 現在下記にリンクしましたNaimaさんの掲示板(Guestbook)で幼児英語教育、小学校での英語教育で大論争になっています。このHPの読者は女性の英語達人で幼児英語教育推進の方が多く、多勢に無勢となっています。情けない話ですが、助けてください! もっともそんな火中に栗を拾おうとした私がバカだっただけかも知れませんが・・・。その場合はご笑読下さい。

http://www.19.u-page.so-net.ne.jp/kd6/naima/


1930 訂正 投稿者:浜谷 投稿日: 3月 1日(金)00時49分26秒 
リンク間違いました。正しくは下記の通りです。よろしくお願いします。

http://www19.u-page.so-net.ne.jp/kd6/naima/


1931 らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)04時37分25秒 
浜谷さんの掲示板から転載
----------------------------------------------------
>例えば先の質問で”磁場”とはどういう意味ですか,という質問をしました。それに対するお答えで,単なる”場”でしかないという解説をされましたが,これでは第3者には判らないのです。

 単なる場でしかない、というより、「磁場」というからには磁石の石そのものではなく「場」だと申し上げました。
 辞書的定義を言おうとするとあの程度のものしか言えません。
 それから、もう一つ、なぜ「磁場」などという語を使うのかというご質問に答えることをしていないことに気づいておりましたが、それに関しては、SAIさんとのやりとりで最初の頃の記事に書いた記憶がありますので、参照していただけるとありがたく思います。「ごつごつ英語」を救うためだと書きました。

 英語が使われている場所では、英語という言語の磁力が働くという言い方で納得していただけないでしょうか。
 同じく日本語が使われている場所では、日本語という磁力が働くと思っています。

 味もそっけもない話になりますが、脳の神経経路に流れる電流の走り方が、英語と日本語で違うというようなことがあるとすれば、英語の磁場と日本語の磁場では磁力の脳に対する作用が違っているということが言えてしまうだろうと思うのです。
 「磁場」というのは、物理学の用語の語学への転用です。ですから、比喩的な使い方ととらえていただいて結構ですが、脳の神経に流れる電流というものが実在するなら、あながちおかしな用語と用法だとも思えないのです。

http://www.nature.com/nsu/020225/020225-7.html

 上のものは、私の掲示板「大風呂敷」に書いて下さるパクパクさんが教えてくださった Nature 誌の記事のURLです。

But functional magnetic resonance imaging (fMRI) studies of brain activity
cannot distinguish between two small populations of nerves in the same general
area, explains Cathy Price who studies brain anatomy at University College
London.

The new study suggests that timing rather than space is important. As well as
fMRI, Munte's team measured the brain's electrical signals for a second after
people were shown a word. By tracking activity in space and time the group is
"taking a new perspective", says Price.

Different nerve circuits carrying the two languages will ultimately be found,
thinks David Green who investigates language processing at University College
London. The question will then be how they are controlled. "We're only at the
beginning," he says. Exercises that train these control regions might one day
be useful language lessons.

 functional magnetic resonance imaging (fMRI) というものがどんなものか私にはわからないのですが、ここに magnetic という語があることに注目しました。
 the brain's electrical signals という語もあります。
 nerve circuits という語もあります。この circuits は電流が流れる circuits だと思います。
 この記事とは直接の関係はありませんが、おおざっぱに言って、SVO文型の言語とSOV文型の言語とでは、電流の流れる場所が違うか、電流の流れる経路が違うのではないかと思っています。

 英語が言語的磁場を形成している場所では、その磁場の磁力を人間は浴びます。
 日本語が言語的磁場を形成している場所では、日本語の磁力を浴びます。
 この二つの磁力は性質が違うはずだ。

 以上のような用例でイメージできないでしょうか。


1932 らくださん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)04時44分46秒 
浜谷さんの掲示板から
----------------------------------------------------

>しかしながら,意図されている内容は伝わってないと思います。
私も根石さんと議論したい,と思うのですが,根石さんの意見の内容
が曖昧模糊としているので推測で意見するのが怖いのです。

 推測で書いていただいてかまいません。できましたら、私の掲示板の過去ログをお読みになっていただけるとありがたく思います。いくら読んでも、用例しか見つかりませんが・・・。
 推測で書いていただいても、議論を重ねていくうちに、わかってもらえるものは出てくるだろうと思っています。


1933 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)04時47分55秒 
平安堂のセミナーは土曜日でしたっけ。
土曜日は私は「電話でレッスン」を抱えていて、午後4時頃には家に戻らなければなりません。
セミナーの時間帯など、Hさんに聞いておいていただけませんでしょうか。
お手数をわずらわせ申し訳ありません。

1934 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)05時26分25秒 
>私みたいに、あのときは大変だったけど、あのときのおかげで少なくとも英語アレルギーにならずに済んだ、って人は多いと思うなぁ。

 その代わり、根石吉久アレルギー患者も増えたな。人に憎まれてでもそいつに英語を持たせるのも疲れる仕事だ。

>きゃー、、果たしてホントにできるのかなぁー、、、ふあ〜ん、こわぁ〜い!! って気持ちも抜けられませぇぇん・・・。

 何をカマトト言ってんだ。やれ!!!

>実は何回か、おじさんがトラックを運転してる姿さえ目撃もしてました・・・。
 少しお太りになられましたね。

 敬語を使って書いてもらうってのは気持ちいいもんなんだなと、改めて思いました。俺は、お太りになられましたよ。腹なんか、国民温泉で体を洗って立ち上がられたときに鏡に写るのをご覧になるとひでえもんだ。いやあ、見事に醜いなと、俺はお思いになるわけだよ。いやはやだよ。ウドってやつに、腹が出てしょうがねえと言ったら、お前は毎晩欠かさずビールを飲むから腹が出るのだと言われ、その腹の出は金がかかっているんだから大事にしろと言われました。軽トラックを自分で運転して建材を運んで自宅自作をやるようなやからなもんで、金はそんなにない。だけど、ビールを毎晩飲むだけの金はあったわけだ。
 正月に山に行って日の出を見るかわり、おれんちへ来て、俺の腹の出を見てみる?

>ううん。おじさんは『日本に居ながら誰でもモノにできる英語作り』を開発された方と思ってます。 語学が得意な人は自然と身につけて感覚でわかってしまうのでしょうけど、そうでない人はずっと苦手なままで・・・

 俺は中学や高校では、どっちかっていうと英語は好きではなかったんだ。平均点60、70のテストで、50点以下っていう点をいっぱいとっていた。だから、中学のときから英語が好きで好きでという人(英語フリークって俺は呼んでるけど)とは全然違う。大学受験の浪人のとき、「回転読み」ってのを考案してやってみたら、突然英語が面白くなっちゃった。おもしれえもんじゃん、語学って、って思ったんだ。おもしろかったから、どかどかやった。だから、俺の英語は、大学受験が要求している幅を大幅に踏み外しているけど、動機は大学受験なんだよ。踏み外した部分を、今、「音づくり」って呼んで、仕事にしている。
 俺の英語の出自が、英語フリークの「英語大好き」ってものではなかったから、語学が得意な人でない人のことがフリークの方々よりはわかるのかもしれない。

>おじさんの映画から掘り起こした英語解析がもしかしたら、斬新なものになるのではないかしら?と思ったのでした。

 たまに、続きを書いてるけど、今のところハードディスクに蓄積しているだけで、ホームページには載せてない。そのうちに載せるから待っていてください。

>これからなんですが、輸入を始めようとしています。

 嘘! 俺も同じことを考えていた。庭先でアジア雑貨の店をやろうかと思って。
 こりゃまたびっくりだ。輸入、教えてくれ。

>時々、英文メールと英会話telが来るんですよ! アクセサリー系ものとか、あ、パンフレットもだ! おじさん、通訳してくださいますか?(笑) いえ、まじめな話なんですが。 お支払い可能な料金を見積もらなきゃ、、、

 やだ。自分でやれ。通訳だの翻訳だの俺にやらせていたんじゃ、俺のレッスンの必要がなくなるじゃないか。レッスンを受けて、自分で辞書をひくべし。


1935 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 1日(金)05時26分25秒 
>私みたいに、あのときは大変だったけど、あのときのおかげで少なくとも英語アレルギーにならずに済んだ、って人は多いと思うなぁ。

 その代わり、根石吉久アレルギー患者も増えたな。人に憎まれてでもそいつに英語を持たせるのも疲れる仕事だ。

>きゃー、、果たしてホントにできるのかなぁー、、、ふあ〜ん、こわぁ〜い!! って気持ちも抜けられませぇぇん・・・。

 何をカマトト言ってんだ。やれ!!!

>実は何回か、おじさんがトラックを運転してる姿さえ目撃もしてました・・・。
 少しお太りになられましたね。

 敬語を使って書いてもらうってのは気持ちいいもんなんだなと、改めて思いました。俺は、お太りになられましたよ。腹なんか、国民温泉で体を洗って立ち上がられたときに鏡に写るのをご覧になるとひでえもんだ。いやあ、見事に醜いなと、俺はお思いになるわけだよ。いやはやだよ。ウドってやつに、腹が出てしょうがねえと言ったら、お前は毎晩欠かさずビールを飲むから腹が出るのだと言われ、その腹の出は金がかかっているんだから大事にしろと言われました。軽トラックを自分で運転して建材を運んで自宅自作をやるようなやからなもんで、金はそんなにない。だけど、ビールを毎晩飲むだけの金はあったわけだ。
 正月に山に行って日の出を見るかわり、おれんちへ来て、俺の腹の出を見てみる?

>ううん。おじさんは『日本に居ながら誰でもモノにできる英語作り』を開発された方と思ってます。 語学が得意な人は自然と身につけて感覚でわかってしまうのでしょうけど、そうでない人はずっと苦手なままで・・・

 俺は中学や高校では、どっちかっていうと英語は好きではなかったんだ。平均点60、70のテストで、50点以下っていう点をいっぱいとっていた。だから、中学のときから英語が好きで好きでという人(英語フリークって俺は呼んでるけど)とは全然違う。大学受験の浪人のとき、「回転読み」ってのを考案してやってみたら、突然英語が面白くなっちゃった。おもしれえもんじゃん、語学って、って思ったんだ。おもしろかったから、どかどかやった。だから、俺の英語は、大学受験が要求している幅を大幅に踏み外しているけど、動機は大学受験なんだよ。踏み外した部分を、今、「音づくり」って呼んで、仕事にしている。
 俺の英語の出自が、英語フリークの「英語大好き」ってものではなかったから、語学が得意な人でない人のことがフリークの方々よりはわかるのかもしれない。

>おじさんの映画から掘り起こした英語解析がもしかしたら、斬新なものになるのではないかしら?と思ったのでした。

 たまに、続きを書いてるけど、今のところハードディスクに蓄積しているだけで、ホームページには載せてない。そのうちに載せるから待っていてください。

>これからなんですが、輸入を始めようとしています。

 嘘! 俺も同じことを考えていた。庭先でアジア雑貨の店をやろうかと思って。
 こりゃまたびっくりだ。輸入、教えてくれ。

>時々、英文メールと英会話telが来るんですよ! アクセサリー系ものとか、あ、パンフレットもだ! おじさん、通訳してくださいますか?(笑) いえ、まじめな話なんですが。 お支払い可能な料金を見積もらなきゃ、、、

 やだ。自分でやれ。通訳だの翻訳だの俺にやらせていたんじゃ、俺のレッスンの必要がなくなるじゃないか。レッスンを受けて、自分で辞書をひくべし。


1936 セミナー 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 1日(金)07時23分30秒 
夜7時から8時30分までです。

1937 誤解!? 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 1日(金)09時18分02秒 
>
functional magnetic resonance imaging (fMRI) というものがどんなものか私にはわからないのですが、ここに magnetic という語があることに注目しました。

脳のなかに磁場があるので装置(MRI)で計測できるのです。
言語的磁場は、メタファーであり、物理計測はできないとおもいます。
この「注目」とは、誤解を生むとおもいます。


1938 (無題) 投稿者:Jackie 投稿日: 3月 1日(金)11時36分24秒 
>>親も 外人に教わっているということで 満足、また あまり上達しなくても
日本人講師のように 厳しく追及しません。 上達よりも雰囲気ということですか。

 >「厳しく追及しません」というのは、生徒が上達しなくても、そのガイジン教師を追求しないという意味ですね。

根石さん これは 二通りを意味しています。
まず 日本人講師の方が細かい間違いを訂正する、 外人は いちいち直すのが面倒なのか Good!の一言で かたづけてしまう人が割と多い。まずは コミュニケーション 話そうとする姿勢が第一だと。
間違うことを嫌う日本人には 恐れずに話すことも確かに必用ですが これで いつまでたっても片言英語 ということを助長してしまうこともいなめません

第二の意味は 親御 生徒ともに 外人講師には甘く 日本人には成果をきびしく求めます。
通って上達しないと 「やっぱり外国人講師じゃないから うまくならないのかしら」っていう あれです。  まったくもう自分の努力をたなにあげて よくいってくれます
少なくとも音読や筆写の課題をきちんとしていれば 確実に上達するはずなのに。
逆に外人講師だと 外人と話している自分もしくは子供に満足するのか(実際には話せてはいないが)
上達しなくても 外人講師の力量のせいにはしない ということです。

SVOの内在化 国広さんの本に 誰が どうした 何を さえ わかれば英語はわかる
とありましたね。
それを意識しつつ 中学の教科書のような 系統だてて文法がわかるものを 音読または 素読みする 無意識か 内在化するまで。 いろんな本に浮気せず。
これが できてから はじめて 多読 多リスニングが役に立つ。

SVOが内在化 できると 読むことが格段に楽になりますね。
英字新聞だって あたまから 読めるようになる。 ある面主語のあとに動詞がくるから
あと単語さえわかれば 日本語よりわかりやすかったりする。
英語がまったく苦手だった生徒が これができるようになると 教える冥利につきます。
  
とどのつまり 既存の英会話学校のほとんどは コミュニケーション主体としているがゆえ
無駄となります。SVOを確実にものにしていないのに 話せというのに無理がある
2歳の子供に文章を 話せといっているようなものですね

このごろは話す文法が重視され某大手でも日本人講師はそれをになっていますが
それを内在化 肉体化するまで トレーニングをつまないため また生徒にとっても
こんな文法中学でならったと ばかにしてしまうため もったいないことになっています。
残念
 

 


1939 干物&なまもの 投稿者:sb 投稿日: 3月 1日(金)12時08分12秒 
>>感情を上手く表現するのも、音の学習のうちであり、相手の感情を聞き取るのも音の聞き取りに含まれます。

>これは違うと思います。感情をうまく表現するのは、すでに生活過程であり、語学ではないと思います。学習であるとしても、机上の学習ではなく、生活過程における学習です。語学は机上のものです。生活過程がなまものだとすれば、語学の机上では干物を相手にするのです。活字も干物ですし、複製音声教材も映画の音声も干物です。
>なまものの魚が一度干物になれば、干物は二度となまものになることはありませんが、語学と生活言語の間では、干物がなまものになることはあります。ミイラが踊り出すようなものです。

前に同じ事をこの掲示板で読みましたが、今とてもよく分かります。「干物」が「なまもの」になることもあるが、「干物」は「干物」として、机上で「ひとり」で出来ますね。逆に「なまもの」にはオブジェクトが必要になる。それは日本語であろうと、英語であろうと、手話であろうと、なんであろうと、「イメージ」や「こころ」みたいなものが動いているという事ですね。

明日のレッスンもよろしくお願いします。


1940 素読 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 1日(金)16時35分24秒 
江戸時代、素読していて、漢文の文法など
説明していなかったとおもう。

1941 ピンポンダッシュ 投稿者:Naima 投稿日: 3月 2日(土)09時54分55秒 
漢文が中国語として定着せず、漢文になっちゃったのはどうしてなんですか?返り点だとか、レ点だとか言う記号がありましたね... 逐語訳の英語も漢文化してると言っていいんでしょうか...

難しい事は面倒臭いんですが、ふと思いついたもので

帰ります。


1942 私こそ助けてっ! 投稿者:Naima 投稿日: 3月 2日(土)10時14分38秒 
根石さん、浜谷さん、

もう本音を言ってしまいます。 急速に「大風呂敷」化していく私のかる〜い掲示板を見て、溜め息をつく毎日です。 もとはと言えば、私の勉強会の仲間が英検のスピーチテストやガイド試験のインタビューテストの為に、英語で模擬討論しよう、と言い出したのが発端です。 もしここに英語の上級者が参加して下されば、勉強になるだろうと彼女らは思ったわけです。
それで、浜谷さんに参加をお願いしたんですが、いかんせん、トピックが悪かった,,, 彼女らはもう怖じ気付いてしまい、断末魔の悲鳴を残して、去って行き、私はオロオロするばかりです。 浜谷さん、私の説明不足が一番の原因ですが、どうか助っ人を根石さんの所から募るなぞしないで下さい。 浜谷さんがお1人で議論されるとか、成りゆきに任せるっていうのなら、別なのですけど。 その後、浜谷さんに経緯をお話したはずなのですけれど。 掲示板をつくった時点で、もう私の手の届くところにはない、と言う事をわかっているべきでした。 浜谷さんと根石さんのお人柄を頼りに、わがまま勝手な愚痴を言ってしまいました。 ごめんなさい。 下手な英語で討論なんかやってたって意味ないだろが、等と言って、また議論を始めないで、ね?


1943 シンタックスのセンス(浜谷さんの掲示板から) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 2日(土)16時14分49秒 
らくださん

 どうもへばっておりまして、昨夜も書こうかなやめとこうかなと思っているうちに炬燵で寝てしまいました。女房に、寝床まで連れていってもらい、そのままへたりこみました。英語論議は結構疲れるもんですが、私が提出している問題は、これまで手つかずだったものもあるはずだと思い、継続する覚悟でおります。なにぶんにもじいさんであるのと、不摂生が生活習慣になっておるのとで、今後もへばってすぐにお返事できないことがあるかと思いますが、その点はお許し下さい。

 「シンタックスのセンス」について

 SAIさんに書いたことは、「シンタックスを考える」ということと、「シンタックスのセンスがある」ということとは別だということでした。
 「シンタックスを考える」ということは、受験生が長文読解などでよくやっていることです。目と頭脳だけを使うやり方です。音読の音が「通じる」レベルで確保できている人が、多読に入って目と頭脳だけ使って読むことはいくらでも可能ですが、音読もやらないで、音法も備わっていないまま、目と頭脳だけ使って英語をやる人が後を絶ちません。
 「シンタックスを考える」場合、シンタックスは意識にとっての外在物で、ここまでが主語だなとか、ここからここまでが目的語だなとか、外在物の内部構造を頭脳的に分析することが主な作業です。このやり方では、外在物はいつまでも外在物にとどまります。関係代名詞のあたりで、視線を「右から左へ」動かして意識を逆流させ、逆流によって「名詞←形容詞」の固まりをつかまえ、その上、さらに具体的な日本語に置き換え、その続きを読むようなことをやっています。これだと、視線を左から右へだけ動かすことによって意識が流れるということがいつまでたっても成立しません。逆流が逆流のままに放置されています。
 これを非常に多くの日本人がやっています。学校英語、受験英語の内実はほとんどこれです。
 ここに欠けているのが、國弘正雄さんの只管朗読に代表されるような、文まるごとの身体化の作業です。國弘さんは、わかっているもの・覚えてしまったものをなおも声を出して読み込めと言っています。これが、多くの人にとっての盲点となっていると思います。わかっているもの・覚えてしまったものは、もうそれ以上何かする必要のない文だと思ってしまうのだと思います。國弘さんの、わかっているもの・覚えているもの、の他に、「音づくり」が終わって、いちいち口の動きに気を取られないようになったものという項目を私は追加したいのですが、いずれにせよ、そういう条件が揃ったところで、「準備体操完了」と考え、陸上の選手が、そこからいよいよ「走り込む」という練習に入るのと同じように、「音読で読み込む」「ひたすら書く」という練習に入るべきなのです。
 ところが、テスト用の練習をする多くの人は、わかっているもの・覚えてしまったものは、その段階でその文の練習をやめてしまいます。その段階であっても、テストでは点がとれるからです。中間・期末のテストや、高校入試、大学入試のための英語の勉強というのは、年中「準備体操」だけやっているようなもので、練習として本格的でないのです。
 テストの問題の質が諸悪の根元です。
 わかっていてももっとやる、覚えてしまってもなおも読み込む(音読する)ということが、その文に含まれている個別の要素を有機的に関連づけ、この有機的な関連を使うセンスを養ってくれるのですが、これをやる人は今も少ないです。
 文に含まれる個別の要素、個別の理解、個別のイメージが有機的に関連づけられ、この関連が有機的なままに使えるセンスが育つかどうかが眼目だと思います。知識の身体化(音読・筆写)によって、イメージやセンスとして意識に動くようになったものは、知識が知識のままにとどまっているもの(受験英語)とは質的にまるで別のものです。
 日本人の使えない英語がどうしてできあがるかというと、知識が知識のままにとどまり、センスとならないからだと考えています。言いたいことの眼目は、「知識が知識としてとどまらず、センスとなっている」レベルにあります。これはあらゆることに言えるもので、単語には単語のセンス、熟語には熟語のセンス、文法には文法のセンス、シンタックスにはシンタックスのセンスというものがあると思います。これらは自在に動くところが知識にとどまった知識と違うところです。
 「センスと化した文法力」「センスと化したシンタックス把握」と言った方がわかりやすいでしょうか。


1944 磁場(浜谷さんの掲示板から) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 2日(土)16時34分40秒 
らくださん

誤解!? 投稿者:パクパク  投稿日: 3月 1日(金)09時18分02秒

>
functional magnetic resonance imaging (fMRI) というものがどんなものか私にはわからないのですが、ここに magnetic という語があることに注目しました。

   脳のなかに磁場があるので装置(MRI)で計測できるのです。
   言語的磁場は、メタファーであり、物理計測はできないとおもいます。
   この「注目」とは、誤解を生むとおもいます。

 以上は、私が Nature 誌の記事から引用して述べたことに対するパクパクさんからの指摘です。
 確かに、私の言っている「言語的磁場」は、メタファです。物理学での「磁場」ではありません。言語そのものは電気ではありませんので。

 また、脳の神経経路に流れる電流の正体は、ただの電気であり、日本語を使おうと英語を使おうとただの電気だと思います。それが流れる経路が違っていたりするだけだと思います。

 しかし、脳内に電気が流れることまでわかっても、音声に過ぎないものの刺激によって、なぜ脳内に電気が流れるのか。なぜ、英語と日本語とで流れ方が違うのか、と考えると、英語の磁場、日本語の磁場という言い方はあながちおかしな言い方ではないなと思っています。

 補足でした。


1945 中断します 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 2日(土)16時36分18秒 
レッスンの練習に入ります。
書かなければならないことがたまってしまいましたが、ひとまず中断します。

1946 今夜のレッスン 投稿者:もっこり 投稿日: 3月 2日(土)19時04分48秒 
こんにちは。
もっこり@福岡です。
熱出してヘロヘロになってしまっています。
すみませんがレッスン休ませてください。

1947 おすすめの映画 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 2日(土)21時33分14秒 
地獄の黙示録 特別完全版を見て、英語教育の世界もベトナム戦争と
同じ面が多々あるという感じを受けました。
コッポラの気持ちが、根石さんならよくわかるとおもいます。

1948 お大事に 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 2日(土)22時22分23秒 
もっこりさんは、風邪をひきやすい体質ですね。
お大事に。

1949 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 3日(日)01時02分15秒 
どうしましたか。
今日もレッスンができなくて、あたしゃ淋しい。

1950 漢文の素読 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 3日(日)01時06分12秒 
>江戸時代、素読していて、漢文の文法など説明していなかったとおもう。

漢文の素読はシンタックスが日本語。
シンタックスが日本語だと、語彙が耳慣れないものも日本語の語彙として扱えるようになる。

英語はシンタックスからして違う。だから文法をセンスに持ち込む過程は必要です。
英語の言語的磁場がない場所でなら、なおさらです。


1951 おじさん、英語できるからいいな。 投稿者:Kさん 投稿日: 3月 3日(日)01時49分55秒 
> その代わり、根石吉久アレルギー患者も増えたな。

おじさん、もったいないというか損してるかも。。
でも、怒られるほうが逆にそのことの記憶が頭に残るんだけど。。
 

> 何をカマトト言ってんだ。やれ!!!

わははは。 そこまで言ってもらわないと動かないのかも。(笑)
 

> 正月に山に行って日の出を見るかわり、おれんちへ来て、俺の腹の出を見てみる?

やだ。 腹いらない。(笑)
でも、金かかってる腹だから、ウドさんの言ってること正解かも。
 

> 俺は中学や高校では、どっちかっていうと英語は好きではなかったんだ。平均点60、70のテストで、50点以下っていう点をいっぱいとっていた。だから、中学のときから英語が好きで好きでという人(英語フリークって俺は呼んでるけど)とは全然違う。

意外でしたね。 知らなかった。 それが現在のお仕事になるなんてわからないものですね。
 

>大学受験の浪人のとき、「回転読み」ってのを考案してやってみたら、突然英語が面白くなっちゃった。おもしれえもんじゃん、語学って、って思ったんだ。

そうなんですか。 でも、おじさんってボキャブラリー豊富でついていけないですよ。
私が無さ過ぎるんですけど、ギロンになってるときの、コトバのつっつきあいには
私はただただボーゼン。。。
 

>おもしろかったから、どかどかやった。だから、俺の英語は、大学受験が要求している幅を大幅に踏み外しているけど、動機は大学受験なんだよ。踏み外した部分を、今、「音づくり」って呼んで、仕事にしている。

そこがすごいですね。 1年じっくり英語にかけるだけの価値があると思ってたりもしたけど、ガッコウの他の授業のこともあって、なかなか。。。まわりきれなかったかも、
なんて言い訳で、勉強すると眠くなる体質でした。。。
 

> 俺の英語の出自が、英語フリークの「英語大好き」ってものではなかったから、語学が得意な人でない人のことがフリークの方々よりはわかるのかもしれない。

今はスペシャル英語命に見えてるみたいです。(私の友人より)
でも、おじさんの説明ってわかりやす〜いんです。 当時も思ってた。
予備校や学校の先生でも詳しい説明のできる人もいたけど。。

自分が得意としてきたところを他人に説明するのは難しく、
自分が不得手で克服してきたものほど、他人にとってみれば水が流れるごとくあっけなく理解されてしまう。。。

おじさん、このページのどっか(いやいつでもどこでもですね(笑))
にあったけど、学校の先生って勉強を教える専門と、ホームルームティーチャーの2人
いたほうがいいな、って私は考えてます。 前者の言ってることに左右される1人もの
生徒の心のケアまで見ることのできる資質を持った人が後者で、後者は一旦社会に出たことのある人。 最近聞いて気付かされたことがあるんですが、順番をつけられてしまうのが
学校なわけでトップもいればビリもいる。 どちらにとっても不幸のように感じる。。
先生のほとんどが社会経験が無いわけで、そうした温室育ちの人が自分らの子供の教育を
するわけで。。。ちょっと怖いような感じもするのです。 いろんな経験くぐって、自分で
軌道修正していくんだけど。。。
 

> たまに、続きを書いてるけど、今のところハードディスクに蓄積しているだけで、ホームページには載せてない。そのうちに載せるから待っていてください。

全部載せたらもったいないかも。(笑)
載せてるところは、yahoo!でえっとお薦めマークついちゃって、それがきっかけに出版になったケースは多いですね!
 


 嘘! 俺も同じことを考えていた。庭先でアジア雑貨の店をやろうかと思って。
 こりゃまたびっくりだ。輸入、教えてくれ。

びっくりした。 否定されたかと思った。(笑)
ジェトロのHPを見たり、関連のミプロとか。
でも、おじさんなら、直接海外のHP見て現地買い付けで自分で持ってきちゃうのが
良さそう。 私も地理的と経済的に近隣諸国と考えてます。。。
最初に資料請求から始まるんですって。
私も未知な世界なのでこれから、です。
 


1952 国広氏の漢文素読体験(引用) 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)11時09分08秒 
『英語の話し方』を読んだ後、國弘氏にお目にかかった時、私はそんなことを言った。
「記憶なんて大袈裟なものではなく、ま、習慣みたいなもの、いってみれば惰性でしょうか」と國弘氏は謙遜して、次のような話をしてくれた。
「実は私は小さい時から、漢文の素読をやらされていたのです。返り点や送つ仮名のない漢文を朗々と音読するわけです。それは漢文の暗誦を意味することでもあります。当時は日本が中国と交戦中であったにもかかわらず、なぜか敵性語の扱いをされず、堂々と学ぶことも、素読をすることもできました。戦争が終わり、いよいよこれからは英語の時代だと気がついた途端、素読の対象を漢文から英語に切換えたのです。それだけのことです。漢文の素読に馴染んでいたので、英語の暗誦には実に素直に違和感なく、容易に入って行けました。端的にいえば漢文も外国語です。素読で鍛えた暗誦力は、直ちに英語にも適用できたのです」
 欧米の知識階級はギリシャ、ラテンの文物を吸収するためにも、ギリシャ語とラテン語の習得に努めるといわれる。日本の知識階級もまた中国文化の理解のために、漢文に馴れ親しんだのだった。ところが敗戦を分岐点として、漢支が学ばれなくなり、その結果、漢文は私たちにとって縁遠い存在になってしまった。これは日本人にとっで由々しき問題だと私は考えている。園弘氏はこのように、自著の『英語の話し方』に書き込んだことよりも踏み込んだ体験を話してくれた。


1953 国語教育の基本=弾圧注入丸暗記(引用) 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)11時30分57秒 
 
最重要科目は、国語である。
日本語である。

かつて漢文素読という教育法が有った。
先生が読み上げる。
「学びて時にこれを習う」
生徒が本を見ながら、真似をする
「まなびてときにこれをならう」
ちなみに本にはこうかいてある
「学而時習之」

このひたすら真似して読むだけの反復で、
生徒達は漢文をマスターしていた。
意味も自然と分かり、
語彙も自然と増える。
大岡信によれば、正岡子規はこれに加え、
意味の分からないまま源氏物語の一節なども、
覚えさせられていたらしい。
「歌詠みに与える書」を読んで欲しい。
内容はともかく、あの文章のリズムの見事さ、
あれは体に染み込んだ教養がものを言っているのである。

これを応用したのが、
鈴木慎一である。
スズキバイオリンの創始者である。
かれは音楽だけにあき足らず、
国語も楽器と同様に教育可能と考えた。
幼い子供たちに、
俳句を記憶させる。
テキストは小林一茶である。

これは鋭い。
日本語の芯は、和歌である。
が、和歌はほとんどが恋の歌であり、
幼い子供には、問題が無きにしも有らず。
俳句にしても、芭蕉、蕪村では難解である。
小林一茶の作品を記憶させる事によって、
子供たちは自然に、
日本語の精髄の中に身を浸す。

教育評論家どもが安易に、
「もっと自分で考える教育を」
などとほざいている。
間違っている。
教育の基本は、
特に国語教育の基本は、
弾圧注入式の丸暗記である


1954 コッポラと暗誦 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)11時44分15秒 
コッポラ家では、常日頃から子供達に
フランス語の詩を暗誦させることをしていた。
ところで、根石さんの素読の原体験はどこかに
あったのですか?

1955 念仏と素読 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)16時58分42秒 
やはり、原体験があったのですね。
ということは、念仏会なるものを考案した人は
相当なレベルが高い人ですね。
一見、何気なく、自然発生的に思いますが、
念仏の実際の効用を明確に認識していたと
おもわれます。
お坊さんの説教をただ聴くだけの場合と、言わせるのは
大きな効果の違いをもたらすとおもわれます。
そういえば、写経というのもあります。
これも、筆写ですね。
音読とか、手を動かすのは、何らかのメカニズムが
働き、脳力を強化するものと思われます。
丸暗記という非合理性のやり方が、じつは、見過ごされて
きた効果を生むとおもいます。


1956 在日性の英語学習法 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)17時10分35秒 
20年前の本「英会話私情」
富岡氏の結論は、「英会話」を、与えられる立場から、自分に有効な方法を要求する立場にまわること、すなわち、アメリカ人、イギリス人のつくる「英会話」から、もし必要ならば日本人の必要とする「英語を喋る学習方法」を作り出さねばならぬ。
 
 


1957 H 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 3日(日)19時22分31秒 
平安堂のセミナーは、時間調整可能でしょうか?

1958 Naimaさん、 投稿者:浜谷 投稿日: 3月 3日(日)19時40分07秒 
>・・・どうか助っ人を根石さんの所から募るなぞしないで下さい。 浜谷さんがお1人で議論されるとか、成りゆきに任せるっていうのなら、別なのですけど。 その後、浜谷さんに経緯をお話したはずなのですけれど。 掲示板をつくった時点で、もう私の手の届くところにはない、と言う事をわかっているべきでした。

そうですね。Naimaさんの掲示板でNaimaさんのご趣旨に従い「小学校への英語教育導入と児童英語教育の必要性についての議論」に、最初は英語で討論に加わわらせていただいたのですが、問題が重大すぎて、私の考えを正確に伝えられないと思い勝手に日本語に変えさせて貰いました。 そして次のように付け加えさせていただきました。 英語の勉強が主眼でお始めになった議論ということはNaimaさんからお聴きしていましたので・・・。

>英語で議論できなくてごめんなさい。 非常に重要な議論だと思われますので、できれば〇〇さんと〇〇さんも日本語でしていただけたら意思がもっとスムースに通じあえると思うのですが・・・。そして出来るだけ多くの方が議論に参加していただければ・・・。 もし、ご両名の方や管理人さんがどうしても英語でなければ、と仰るのでしたら私は議論から降りることにしたいと思います。 年甲斐も無く我儘を言って申し訳ありません。

その後管理人さんから掲示板上に特段のご指摘もなく、討論は日本語に移行して現在に至っています。そうこうしている中に英語で議論を始められた方の中のお一人が議論から降りられました。私は議論が日本語に移行した後に気付いたのですが、Naimaさんの掲示板には女性の英語の達人の方が多く、児童向け英語教育を実際になさっておられる方が多いことです。当然それらの方々の中には信念を持って児童英語教育をなさっておられる方もあり、私が一般的なそういう教育に携っておられる方達のことを念頭において話をしているのだと申し上げても聴いて貰えず日本語においても私の真意をお伝えすることに限界を感じたことが一つ、二つ目に少し前に大風呂敷で小学校への英語教育導入問題でConの立場からの書き込みが沢山あったことを思い出して応援を頼みました。その後Proサイドからは「小学校への英語教育はこの4月から始まることは確定しているので、議論せず協力して行くべし」というご意見までてくる有様でした。

もしNaimaさんがご自分の掲示板にはご自分の意向にそわない書き込みを許さないというのであれば掲示板上でそのようにはっきり仰ったらいいと思います。「その後、浜谷さんに経緯をお話したはずなのですけれど。」のご趣旨のメール頂いたことがあるような気がしますが、一度始まってしまった日本語による議論を英語のそれに戻すことを私だけにメールで言われても困ってしまいます。「掲示板をつくった時点で、もう私の手の届くところにはない、と言う事をわかっているべきでした。」とまで言われれば今後Naimaさんの掲示板への書き込みを控えるしかしようがないと、残念ですが思わざるをえません。

因みに私が私的な用事で書き込みが出来ないでいる間に大風呂敷の尊敬する大論客のお一人であるEliot先生がConの理由を明快にしかも英語でなさっていただきましたので大風呂敷に応援を求めてよかったなあと実感しています。私も私のHPに付随する形で造った掲示板が私の意のままにならないことを経験しております。私は1年という短い掲示板開設歴ですがそれでもいいと思うようになりました。どしどし自由に使って頂きたいと思っています。 私が好きな「最適英語学習法」掲示板管理人の古川さんからつい最近習った手法でもあります。でもこれを他人に押し付けようなんていう考えは毛頭ありません。

以上書きました原稿を眺めていて、私の気持ちを洗いざらい書き過ぎたかなあと危惧しています。もしお気に障る点がありましたらお許しください。何歳になっても思っていることを抑えることができなく、人との付き合いの拙さがなおらない自分に嫌気がさしております。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1959 Elliot様、浜谷様 投稿者:Naima 投稿日: 3月 3日(日)21時06分13秒 
英語での投稿、ありがとうございます。 かの女達が戻って来る事を祈ってます。 

浜谷様、お世話かけました。 無理ばかりお願いしまして申し訳ありませんでした。 


1960 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時45分00秒 
日本の bitch どもには、あなたの心の可愛らしさはおもちゃなのです。

お気をつけあそばせ。

女たちは、語学の上達が速いですが、言葉に対する節操は大したことはありません。


1961 俺は雑魚も相手にする 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時49分44秒 
らくだ様

 言語には道具としての面がありますので、「道具としての英語」をやることはけっこうです。しかし、言語というものは、道具だけにとどまるものではありません。もし言語が道具だけにとどまるものなら、日本の落語なんぞは何の道具なんでしょうか。詩のような言語芸術は何の道具なんでしょうか。

 きっちりお答えください。

 あなたが英語を道具として「身にいく」(ちゃんと日本語書け)ことを目的とすることに誰も文句を言っておりません。勝手にやればいいことです。私にそうしろということはあなたに言ってもらうことは、ちゃんちゃらおかしくて、必要はありません。(屁が出ちゃった、今。あまり力むのもよくねえな)
 私は英語でも、単なる道具だとは思っておりません。私にとっては、なるべく自分の気持ちにそぐうものとして気持ちに一致させたいと思っている言語です。だから「ごつごつ英語」になるのです。

 ああ、めんどくせ。

 「もどき」のことを言い出したのは、日本にいて英語の磁場を欠いたままで、バイリンガルになることが可能であるかのように、あなたが考えているのを見たので、そんなこたぁねえだろと言ったまでです。

 バイリンガルはバイリンガルだ。
 バイリンガルもどきはバイリンガルもどきだ。
 まるで違うものだ。

 「もどき」が「もどき」でないと思っていることこそが、ESSあたりに巣くうものどもの滑稽なところです。
 そう言ったまでです。ちゃんちゃらおかしいや、そう言ったまでです。

 日本で英語をやることが、バイリンガルもどきに近づくことでしかありえないなら、その「もどき」の自覚は必要です。言い放っておきます。

 アイデンティティというのは、英語のアイデンティティという意味で言っているのですよ。わからないのですか。

>   道具として英語を見た場合,
    ”通じるか”,”通じないか”
    ”使えるか”,”使えないか”
   という議論を行っているのです。

 勝手に決めるなよ。そうだったらそう言うがよかろう。あんたは、これから「通じるか・通じないか」「使えるか・使えないか」だけのレベルで話をするからと、どこで俺に断ったっていうんだ?

 だいたいが、「磁場」という語はひとりよがりの使い方で、それじゃ話が通じないみたいなことをあんたが言ったから、俺が説明したんだ。その説明じゃわからないというから、Nature の記事を引用したりして、さらに説明したんだ。パクパクさんの指摘もあったので、誤解がないように、「言語は電気じゃない」とまで補足したんだ。「磁場」という語がそれほど見当はずれじゃないということを言ったはずだ。
 人にそれだけの手間をわずらわせておいて、わかったのかわからないのかの返事もしやがらねえ。てめえ、何様のつもりだ。すっとぼけてんじゃねえよ。
 人に手間をかけさせといて、「・・・という議論を行っているんです」も糞もねえもんだ。
 あほんだら。


1962 雑魚おいで 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時51分41秒 
 俺の書き込みが言葉遊びの要素が強くて、議論の妨げになるんなら、どこがどう言葉遊びなんだか言ってみろ。俺は、

   言葉遊びは好きだが、

あんたに書いた長大な文で言葉遊びなんかやった覚えはねえ。日本で英語をやれば、「バイリンガルもどき」にしかなりゃしねえんだから、「もどき」の自覚をちゃんと持てという論理を言っているんだよ。わかんねえのか。

 あたしゃ、あんたより、日本語に対する態度がいい加減だとは思っておりません。あんたの日本語を百回読んでみてくれ。俺の日本語も百回読んでみてくれ。一目瞭然だろうが。

>もちろん日本語も道具です。しかし,いい加減な日本語を使うということは言葉に対する態度がいい加減だということに他なりません。日本語に対する態度がいい加減なのに英語の議論ができようはずがありません。そういうレベルで議論を展開しているのだということをご承知ください。

 おめえ、学校の先生か。お医者か。

 馬鹿か。

 言葉遊びをすると、どこでどう日本語に対する態度がいい加減だということになるのかきっちり説明しろ。俺は、おめえに対して言葉遊びなんぞやった覚えはねえけど、言葉遊び的要素が強ければ、なんで日本語に対する態度がいい加減だということになるんだよ。わけのわかんねえこと言ってるのはおめえだろうが。おめえみたいなやつを、言葉の貧乏人ていうんだよ。言葉の貧乏人は言葉を道具としていじってるがいい。

 俺は実際の貧乏人かもしれんけど、言葉はおめえほど貧乏じゃねえよ。

 議論なんかできようはずもなければ、できようはずもねえままで結構だ。だけど、「そういうレベル」ってのがどういうレベルだか、きっちり言ってみろ。おめえの文章を読んでると、ああ、日本も駄目になったと俺は思うんだよ。

>まず,根石さんのような考え方は日本の英語教育で長い間信じられてきたと思います。「ごつごつ英語」という表現を使ってるわけではありませんが,中学・高校の教師は発音教育はほったらかしにしてきました。
いわば,教師も「ごつごつ英語」を奨励してきたわけでもないでしょうが,何の努力もしなかったことは事実です。学生もまた何の文句も言わず「ごつごつ英語」の環境に甘んじてきたのです。

 ここを読んで、ああ、この人はまじめだなとは思いました。この辺にこの人の心があるんだということはわかりました。

 「いわば」って日本語の使い方が間違っておるけど・・・。

 しかし、俺はそれこそ、そんなレベルの話をしたんじゃねえよ。ごめんな、怒っちゃって。だけどね。あんたね、俺は発音教育はちゃんとやっているよ。学校はやってねえよ。日本の英語教師どもは「ごつごつ英語」という

   高級な英語

はしゃべれねえよ。あいつらの英語こそ糞英語。英語じゃねえ。英語もどき、英語みたいなもん。ガイジンが聞けば、なんか英語に似ているけど、それ何語? ってなレベルだよ。


1963 雑魚相手の続き 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時54分14秒 
 日本にもまともな教師がいないわけじゃない。そのまともな教師の一人は、俺に声をひそめて言ったもんだ。

 「日本の英語教師たちっていうのは、巨大なるしろうと集団ですよ。」

 って言ったのね。俺に言うのに、声をひそめる必要はないんだけど、この言葉は、絶対に職場では言えない言葉なのね。職員室のタブーなのね。

 タブー。馬鹿みたいだ。

 だから、 じゃあね、もう一回、「いわば」、講義しちゃうかんね。
 「ごつごつ」というのは、私の内心の感覚です。人様は、私のことを「英語ぺらぺら」だと言います。確かにしゃべらせれば、英語でまくしたてるようなこともやるのです。ウドなんぞとは、どれほど喧嘩こいたかわからねえほど喧嘩の数を重ねてきているのです。それで、ようやくお互いの気心が知れて、お互いに悪友になったのです。単なるお友達じゃありません。ウドは前世では、お前と俺は兄弟だったとまで言うのです。

 私はウドとコミュニケーションなんかやりません。日本語で言うところのコミュニケーションなんか、じぇんじぇんやりません。馬鹿みたいだ。コミュニケーション!!!。

 言葉は道具だなどと思っているレベルの人がつべこべ言ってもらうレベルのつきあいではありませんとも。

>また,現在の状況からすると”英語が読めない”状況にあるということも大きな問題として残っています。それはどういうことかと言いますと,今までの教育では”英語が読める”ということになっているからです。しかし実際は,みなさんご存知の通り,英語は読めません。

 これはあんたの言うとおり。間違いない。「英語が読める」ということになっているのは、そういうことになってるだけだ。真っ赤な大嘘。英語教育界のつらの皮の厚いこと厚いこと。ここは素直に読めたところです。

>これらの状況の中で”「ごつごつ英語」で仕方が無い”という言い方は,単なる開き直りにすぎません。

 だからね、俺の英語は周りから見るとぺらぺらに見えたりするわけ。だけど、俺の内心は「ごつごつ」なわけ。日本で日本語で生きてるんだから、あたりまえだろ。この内心の「ごつごつ」が俺の「英語のアイデンティテイ」だってんだ。この理屈はあんたにゃ、今のところ、高級すぎるんだ。

 ごめんな、高級で。

 俺ごときだって、アメリカで生活することになれば、アメリカ英語の人間になっちまうと思うよ。俺は本当に日本の「ごつごつ英語」を愛してるので、アメリカになんか行きたくねえよと思うだけだ。アメリカにアメリカ人の友達がいるから、ときどきは顔を見たくなって行ったりするけど、俺は日本で生き続ける人間だと決めているだけのことだ。日本で死ぬと決めているだけだ。

 俺は日本人の英語をどうにかしたいから、生活の場は日本を離れない。この理屈、わかるか? 根性の貧乏人はよくねえぞ、このやろ。実際に貧乏なのは何も間違ってないけど。


1964 雑魚雑魚雑魚 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時56分57秒 
 ごつごつ英語で「仕方が無い」という言葉は、これまで俺は一度たりとも使ったことがない。勝手に日本語を下手な日本語に翻訳するな。俺の掲示板の過去ログ、全部くまなく読んでもらって、「ごつごつ英語で仕方が無い」という言い回しを俺がしていたら、あんたに首をやるよ。
 「しょうがねえんだ」と言ったことはねえんだよ。「当然だろ」と言っているんだ。「ごつごつ英語」でがんがんしゃべればいいんだと言っているだけだ。

 あんたも、まじめだというのはいいが、理解力がねえぞ。

 あんたの頭の中心が麻痺しているから、本を一冊薦めておくよ。

 國弘正雄さんの「英語の話しかた」の「たちばな出版」から出ている「下手な英語の話し方」っていう本だ。この本は大笑いできる。
 とりわけ、202pの写真がお薦め。
 この写真、ラーメン屋でラーメン食いながら見て、ラーメン屋のテーブルにラーメン噴き出しちまったよ。
 その後、車で家に帰る途中で写真とそのキャプションを思い出して、大笑いして、事故をやりそうになったよ。
 わらかしてくれる本だ。あんたの脳の中心部にある毒を消してくれる作用があるかもしれんので、推薦するよ。是非読んでくれ。お願い!!!

>私も中学高校と比較的得意科目でしたが,日本にきて困っている外国人に話し掛けられてもモゴモゴ言ってるだけでした。

 あ、そう。
 俺は、ガイジンに話しかけられても、別にそんなこたなかったな。上野駅で、鴬谷に行くにはこの列車でいいんかと言われたんだけど、ぶっきらぼうに Yes. って言っただけだ。そのガイジン、俺を信じて俺と一緒の電車に乗った。そんで、鴬谷で、手を振って降りてった。
 ロンドンにわずか一ヶ月余りいたことがあるけど、ロンドンに着いた初日、ホテルの場所をたずねたら、今度はロンドンの若いやつが、俺を駅からホテルの見えるところまで連れていってくれた。
 その程度の英語は初めから通じたよ。

>そのため,社会人になってから英会話学校に通うはめになるのです。(かくいう私も大学生の頃,英会話学校に入ろうかと悩んだこともありました。)
 おめえ、おめえの方が、日本語、駄目だぜ。
 「かくいう私」という私は、いかなる私なのかな。教えて頂戴ませ。
 「社会人になってから英会話学校に通うはめになる」私なのかな。
 わけわかんねえ。

 しっかりしろよ、おい。

>根石さんの友達は,友達だから今の「ごつごつ英語」で通用するのです。こっちが良いと思っていても相手が駄目だと思うことの方が多いのです。
根石さんの考えにはこの点がごっそり抜けています。

 あんたの考えにごっそり抜けているのは、「こっちが良いと思っていても」のレベルが、あんたが信仰する「使える英語」のレベルではないということです。ウドと俺の間にある俺の英語は、友達だから通用するんじゃねえぞ。俺の英語が俺の英語のレベルじゃなかったら、ウドと友達になることもなかったんだと思うぜ。ウドは、俺の英語のレベルを通じて、俺と友達になれたんだと思うぜ。

(よかったな、ウド。俺の英語が日本の匂いのする英語で。日本に来て、アメリカ英語の匂いしかしねえ英語ばっかだったら、おめえ、日本いる甲斐がねえよ。そうだべ。)


1965 へーきのへーざでござんす 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)03時59分35秒 
>根石さんがいわゆる「ごつごつ英語」を使いたい,といのは勝手です。

 そうだよ、勝手だよ。勝手であるだけじゃなくて、俺は人にもそれをへーきのへーざで勧めてもいるんだよ。「ごつごつ英語」で行け。「ごつごつ英語」が日本の英語だ。あ、また、屁、出ちゃた。

 余計な話ですけど、俺の卒業論文じゃねえ、卒業制作のタイトルは「放屁学序説」っていうんです。日本語で書きました。早稲田はそれでも卒業できる。いい学校だ。

 なめらかぺらぺらESS英語なんざ、屁をかませとけばいいしろものだ。馬鹿、おめえなんか、アメリカへ行っちまえ、とはっきり言ってあげるのがESSどもへのちゃんとした挨拶だ。わかんねえ?このあたりのこと?

>多分根石さんのお友達は根石さんの人柄が好きなので「ごつごつ英語」でよい,という対応をされているのではないでしょうか?

 ところでさ、あんたに聞くの忘れてたんだけど、あんた日本にいるの、アメリカにいるの?
 俺は、あんたが日本にいるんだと想定してこれまでのことを書いているんだけど、ひょっとしてアメリカにいるの?
 もしもだよ、もしも、あんたが日本にいてこんなことを書いているんだったら、あんた腰抜けかよと俺は思うわけだよ。
 何が、「ごつごつ英語でよい,という対応をされている」だよ。

 俺らが日本という場所で英語を使ってやっているんだぜ。

 あんた、なんかとてつもなく勘違いしていると俺は思うぜ。
 俺らが日本という場所で英語を使ってやっているんだから、おめえらガイジンどもよ、深々と俺らに頭を下げろよ。そう思っているよ、俺は。

>友達付き合いも相手がOKだったら,良いのかもしれません。

 いいか。何度でも言っておく。おめえの日本語がいい加減なんだ。
 「友達付き合いも相手がOKだったら・・・」だと?
 相手がOKも糞もあるか。相手がOKだから、友達なんだよ。

 なめんじゃねえよ。

 おめえ、どこまでへりくだりゃ気が済むんだ。
 奴隷根性野郎が。

>しかし,英語学習指導者としては再考されることを希望いたします。

 俺は「最高に」「再考を」重ねてきてものを言っているんだ。
 顔を洗って出直して来い。

 今のところ、あんたは馬鹿だよ。
 失礼なことだと思うよ。
 
 


1966 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)04時15分03秒 
お宅のお座敷で大騒ぎした申し訳ありません。
これからもやらせていただきます。

浜谷さん、bitch に疲れたから、うちのお座敷にあがりたかったんじゃありませんか。
うちのお座敷は、どなたも土足で通行可能です。

俺、浜谷さんの掲示板のっとるから、浜谷さん、俺の掲示板のっとってくんない?


1967 のいまさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)04時17分11秒 
お宅の掲示板のURL紛失。

教えて下さい。

Eliot さんの記事を読みたいのです。


1968 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)04時20分03秒 
>以上書きました原稿を眺めていて、私の気持ちを洗いざらい書き過ぎたかなあと危惧していま
す。もしお気に障る点がありましたらお許しください。何歳になっても思っていることを抑える
ことができなく、人との付き合いの拙さがなおらない自分に嫌気がさしております。

 俺、浜谷さん好きになってきた。


1969 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)04時22分48秒 
あいつらは、「お気に障る」ことは平気なんだから、気にすることねえよ。

「他意はありません」ていう口癖はやめてもいいんです。

「自分に嫌気」なんざ、年がら年中。もし持て余したら、また長野くんだりまで遊びにおいで
下さい


1970 疲れたビ 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)04時24分13秒 
おねむします。

1971 違った、業務が残ってた 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 4日(月)04時28分34秒 
ぱくぱくさん

平安堂の件ですが、一日だけで終わるセミナーでしたら、平安堂さんの都合のいい日時でやれま
す。「電話でレッスン」の生徒さんたちには、基本的に月4回だが、月に5回ある場合は、いつ
かその分の休みを頂戴ね、って断ってありますから。
 まだそれを知らない生徒がいたら、この掲示板をよく読んでねえ生徒だな。お尻ペンペンです
な。でも、男の尻はペンペンするのはやだな。女の尻がいいな。
 ああ、ぐるぐるする。酒っておもしろい。


1972 本性 投稿者:Bitch (Sumie) 投稿日: 3月 4日(月)05時00分44秒 
 

...あいつらは、「お気に障る」ことは平気なんだから、気にすることねえよ。....

根石流、「おめぇら、頭がおかしいんじゃないの?!」の類いの発言だと、投稿者の女どもヒステリーを起こして面白いのかも...

のいま、って私の事ですか? 「ないま」なんですけど。
 

   


1973 議論はもういい 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 4日(月)09時30分42秒 
循環小数的な議論をするよりも
コーチ付き素読の普及にエネルギー
を使われたし。
もう、結論は出ている。
認めたくない馬鹿と、議論をすることほどの
馬鹿はいない。
まず、長野の乱を起こしてもらいたい。
信濃毎日を取材にこらせる。
そして、田中知事(すごく英語フリーク)と
面接されたし。


1974 Hゼミナール(1日限り) 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 4日(月)10時03分14秒 
カフェゼミナールの担当者に話をしました。
あとは、根石さんの熱いおもいを担当者に
語ってください。社内で検討するとのことです。
担当者名 長崎美知子さん(026ー224ー4550)
今日、明日はいるとのことです。
タイミングとしては、サピオがでた今がいいとおもいます。
著作がちょっと新刊とはいいにくいからです。


1975 Sumie さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)15時14分41秒 
 「大風呂敷」をご紹介いただきありがとうございました。

 掲示板などを開設すると、気が荒れます。これは確かにあります。でも、私は継続するつもりでいます。人様からお金をいただいて英語に触っているのですから、自分の英語に対する考えは練り上げていく必要があると考えており、戦後日本の英語回りの魑魅魍魎を斬る作業は今後も続ける所存です。

 Sumie さんのところの掲示板が消えるのは残念です。

>女を小馬鹿にしている様で、女に頭が上がらなさそうな所。

 なんでこう簡単に見抜くのですか。ううう。なんというか、ぐうの音も・・・。

 Sumie さん、陰ながらなんて言ってないで、「大風呂敷」へはご登場をお願いしますよ。リンク張ってくださったり、「大風呂敷」の紹介をしていただいて、「陰ながら」はないですよ。暇なときで結構ですから、おいで下さい。

 どへんこつ、が褒め言葉かどうかはともかく、けなしているのでないことは承知していました。私はどんな言葉でも、的を射ているならば、やたらに頭に血が登ることはありませんので、ご安心下さい。自分がとんちんかんなことを言っているくせに、何度も偉そうな駄文を書くやからを見ていると、バズーカ砲(もう古い?)を持ち出すだけです。


1976 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)16時02分47秒 
 平安堂Nさんに電話いたしました。
 ビデオに収録するのは、来ておられるお客様(聴講される方)の許可を得ないと後でクレームが来る可能性があるとのことで、やや難しそうです。
 もし、ビデオが必要でしたら、そのうちに「回転読み」と「技法グラウンド」を、素読舎ででも収録しようと思います。私は、ぼさぼさ頭、悪いめつき、熊のような髭があり、これをビデオに撮ると、それを見る人が、肝心の「回転読み」や「技法グラウンド」に注意がいかず、ぼさぼさ、めつき、熊状態などに目を奪われるのではないかと心配です。

 Nさんはセミナー自体はやってほしいとのことでしたが、やることを決めたらお客様を集める必要があるので、5月頃になるだろうとのことでした。一度、平安堂へうかがうことになっております。

 どうもありがとうございました。


1977 Ton 様 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)16時06分53秒 
申し訳ありません。喧嘩の種になった記事のURLを書き忘れました。

http://6415.teacup.com/toshiohamaya/bbs

浜谷さんという方の掲示板です。
相手は、「らくだ」という方です。

ご案内まで。


1978 パクパクさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)16時18分37秒 
>国広氏の漢文素読体験(引用) 投稿者:パクパク  投稿日: 3月 3日(日)11時09分08秒

 國弘さんが、小さいときから素読そのものをやっていたとは知りませんでした。さもありなんと思いました。これをいつごろお聞きになったのですか。


1979 根石吉久 様 投稿者:Ton 投稿日: 3月 5日(火)16時46分49秒 
ありがとうございます。
沢山の英語教師、塾教師の方々もご覧になっています。
早速、拝見させていただきます。

http://www.doujinsha.com


1980 Kさん(一通目) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)17時01分21秒 
 やたら理屈ばっか言ったり、文章で人をどなったりした後では、あなたにお返事を書くことで、オアシスにたどりついたような気持ちになります。お返事が遅くなり申し訳ありません。ふうっ。

>> 何をカマトト言ってんだ。やれ!!!

>わははは。 そこまで言ってもらわないと動かないのかも。(笑)

 いつからやる? 
 一応、空いている曜日と時間帯を書いておきます。

 火曜 9時40分〜10時10分
 金曜 9時20分〜9時50分
 土曜 8時50分〜9時20分

 火曜は、10時10分以降も空いています。
 都合を聞かせて下さい。

 テキストは、「ゴースト」(スクリーンプレイ出版)
 お友達を紹介していただいた場合は、レッスン時間を5分延長します。
 基本は月4回ですが、月5回同じ曜日がある場合は5回レッスンします。余計にやった分は、私に用事ができた場合に、サラリーマンの「有給休暇」と同じようにお休みさせていただきます。
 月額1万円です。
 「シャベリッチ」など、長距離電話を対象としたサービスを併用して下さい。
 最近は、非常に安いサービスも登場しているようです。「全国一律3分10円」というやつがあると聞いております。これだと、レッスンに必要な電話代が月額で4〜500円で済みます。
 

>そうなんですか。
 でも、おじさんってボキャブラリー豊富でついていけないですよ。
 私が無さ過ぎるんですけど、ギロンになってるときの、コトバのつっつきあいには
 私はただただボーゼン。。。

 英語回りってのは、魑魅魍魎や亡霊の多いところだから、気をつけな。
 あんたは日本語がしっかりしてるから、一応安心してるけど。

>なんて言い訳で、勉強すると眠くなる体質でした。。。

 そうかそうか。俺は国民温泉へ行って帰ってくると眠くなる。最近、月曜日は、国民温泉へ行って、帰ってきたらビール飲んで腹出して寝てる。金・土・日に「電話でレッスン」が集中してるもんで、月曜日は温泉ていうのが最近は多いな。
 国民温泉て知ってるよね?


1981 Kさん(2通目) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)17時02分01秒 
>今はスペシャル英語命に見えてるみたいです。(私の友人より)

 そうでもない。人様からお金をいただいているので、英語はやってる。だけど、俺は自分の英語の力をつけることではどうも完結しないんで、一番気になるのはどうやって自分以外の人の英語の力を変えられるかだな。
 私有物としての英語力ってものには、自分の持ち物としてはそんなに興味がない。
 他人の私有物をどう鍛え込むかってことばっかり考えてるよ。しょせん、日本では英語は私有物なんで・・・。

>でも、おじさんの説明ってわかりやす〜いんです。 当時も思ってた。

 ありがとね。「七年目の浮気」の文法解析を続けようと思います。

>学校の先生って勉強を教える専門と、ホームルームティーチャーの2人いたほうがいいな、って私は考えてます。

 これまでは保健室の先生が、心のケアをやっていたみたいだ。本当に、こういう役割は、学校以外の社会に出た人が学校に入ってやるのがいいと思う。

>先生のほとんどが社会経験が無いわけで、そうした温室育ちの人が自分らの子供の教育をするわけで。。。ちょっと怖いような感じもするのです。

 学校ってところは、きつい温室だ。学校の先生の定義ってのは、こういうことにならないか。

 「学校を出て、そのまま学校に入った人たち」
 怖いよな、この構図。

>全部載せたらもったいないかも。(笑)
 載せてるところは、yahoo!でえっとお薦めマークついちゃって、それがきっかけに出版になったケースは多いですね!

 文法解析は、全部載せる予定です。
 あんたが、出版社の編集者だったらよかったな。
 文法解析の記事じゃないけど、前に同人社さんというところから、出版の話があって書きかけたんだけど、挫折してる。掲示板の世話と「電話でレッスン」をやるだけでせいいっぱいになっちゃってる。掲示板の記事の過去ログなんかを読んでくれて、取捨選択、順番入れ替えをして、一冊自分で作ってくれるような編集者がいねえかなあと思っているんだ。本にするつもりで一冊分書くっていうようなことは、今は不可能だな。編集者にある程度まで形にしてもらって、最後に手を入れさせてもらうっていうくらいのことしかできない。

>  最初に資料請求から始まるんですって。
   私も未知な世界なのでこれから、です。

 俺は、春になったら、店にする小屋を作ることから始めるので、店をやるにしてももっと先の話になる。いよいよ始めるときになったら、教えてください。
 輸入って、雑貨の輸入ですか?


1982 Hセミナー 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 5日(火)17時09分45秒 
わたしは、Hセミナーに行ったことがあります。
そのときは、根石さん以上に個性の強い人(英語教育者)
でした。
その人は、東京が嫌になって、空気のきれいな
伊那市に家内の反対でも行った人です。

Hセミナーの日取りがわかれば、教えてください。
私も聞きに行きます。

あと、飯田市で、英語教育のティーチインも
できます。
千劇という映画館をつかいます。
こちらも検討ください。


1983 どへんくつ講義1 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)17時57分24秒 
 らくださんと議論(喧嘩)をやり、「もどき」と「まがい」について真剣に考えてみました。この機会を与えてくださった、らくださんに感謝します。

 「もどき」と「まがい」はまるで違うものです。
 「使える英語」と言われてきたものは、日本在住という条件下においては、すべて「もどき」の世界にあります。
 「使えない英語」は、「まがい」の世界のものです。

 「もどき」たりえないものが「まがい」です。

 学校英語・受験英語のほとんどすべては、「まがい」の世界で呻いて死んでいきます。この中から、少数の英語が、「もどき」の世界に入ります。
「もどき」の世界とは、語学の世界です。語学というものは、生活という過程に対して「もどき」の位置にある。まともな語学は、すべて「もどき」の世界を形成しますので、英語もまともに語学にした場合は、この「もどき」の本質に規定されます。

 そこそこ使えるというレベル以上の日本の英語はすべて、「もどき」です。自分の英語が「もどき」であるという自覚のない英語は、「のべたらもどき」と名づけようと思います。「のべたらもどき」の方々は実に多い。
 また、「もどき」の自覚のある英語を、「自覚的もどき」と名付けようと思います。「もどきコンシャス」の方がいいかとも思いましたが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。

 日本の英語というものは、単に日本に置かれた英語という意味ではありません。日本に置かれた英語という規定なら、アメリカで育ち(英語で育ち)、日本に来た人のネイティヴ英語も、日本に置かれた英語です。
 私が「日本の英語」という語で考えているのは、日本語で育った人が日本語に囲まれて作った英語です。また普段の生活が日本語で営まれている人の英語です。もっとも簡単な言い方をすれば、「日本語の磁場」の中で生きている英語です。たとえ、息絶え絶えであっても、その不利な場所で生きている英語のことです。

 「もどき英語」と「英語もどき」という語も考えました。「形容詞+名詞」の場合、日本語では物自体をさすのは後の語が担っていますので、「もどき英語」は英語です。「英語もどき」は「もどき」です。この両者の違いは、英語を使うことで意識があたふたするかしないかです。

 「英語もどき」はもどきですから、もどきの世界においては、実は「もどき英語」より偉いのです。これは、もどきの世界におけるもどきであり、もどきの中のもどきです。男の中の男のようなものです。


1984 どへんくつ講義2 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)18時00分43秒 
 英語を習って、初めてガイジンと話したとき、意識があたふたするレベルというものを、らくださんが提示してくれました。私はらくださんに、「俺の英語は最初から通じたよ」とデカイツラをしてみましたが、通じるというのとあたふたするということは、同時に成立しますので、私は実は「あたふた」のことはよくわかっているのです。このあたふたするレベルでは、ええと、とか、あの、とかいう日本語が英語に混じったりします。このレベルのものをさして、「英語もどき」ということにいたします。このレベルのものは、「まがい」に戻る可能性もあり、やらないでいれば、「英語」が死んでしまう可能性もあります。

 「もどき英語」は、日本在住のままに英語を使って、あたふたもしなくなったレベルです。これは、もどきである本質規定はそのままに、十分に使えるのだから英語です。

 何の形容詞もつかない英語というものは、英語の磁場の中に置かれた英語です。アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアなどにごろごろしています。これらも、アメリカンだのブリティッシュという形容詞がつくことがありますが、「もどき」の世界からはひとまず、英語と言っておけばよいでしょう。

 日本における英語の最大の問題は、「まがい」の世界から「もどき」の世界に移れる英語の数の少なさです。ほとんどの人の英語は、「音づくり」や音読をやらないために、「まがい」という本質規定から一歩も外へ出られないでいるというのが実状です。

 この「まがい」と「もどき」という概念で、日本在住の英語をきちんと分類できると考えています。「まがい」と「もどき」の語の組み合わせで、語学的意識の生態を言うことができます。
 
 例えば、「もどき」の世界で高度な英語力をつけているが、自分の英語が「もどき」であることの自覚がなく、「ホンモノの英語」だなどと思っていたとすれば、この人は「もどきまがい」だということになります。英語力は、ちゃんとした「もどき」なのに、自覚が「まがい」だからです。英語が「もどき」なのに、自覚が「まがい」であるということになります。

 以上、「まがい」と「もどき」についての考察に皆さんのご意見をお寄せ下さい。


1985 家内問題 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)18時19分44秒 
>わたしは、Hセミナーに行ったことがあります。
 そのときは、根石さん以上に個性の強い人(英語教育者)
 でした。
 その人は、東京が嫌になって、空気のきれいな
 伊那市に家内の反対でも行った人です。

 ぱくぱくさん、人の奥さんのことを「家内」っていうのはよくないと思いますよ。
 お気持ちはわかります。

 今、風呂に入ろうとして、パンツを脱ぎ、気になってコンピュータの前に戻ってきました。あ、パンツをはいてから戻ってきましたので、ご安心ください。


1986 英語学習における「もどき」考察 投稿者:浜谷 投稿日: 3月 5日(火)20時27分35秒 
根石先生、

興味深く拝見させていただきました。私は次のように理解致しました。合っているでしょうか?

> 例えば、「もどき」の世界で高度な英語力をつけているが、自分の英語が「もどき」であることの自覚がなく、「ホンモノの英語」だなどと思っていたとすれば、この人は「もどきまがい」だということになります。英語力は、ちゃんとした「もどき」なのに、自覚が「まがい」だからです。英語が「もどき」なのに、自覚が「まがい」であるということになります。

> そこそこ使えるというレベル以上の日本の英語はすべて、「もどき」です。自分の英語が「もどき」であるという自覚のない英語は、「のべたらもどき」と名づけようと思います。「のべたらもどき」の方々は実に多い。
 また、「もどき」の自覚のある英語を、「自覚的もどき」と名付けようと思います。「もどきコンシャス」の方がいいかとも思いましたが、皆さんのご意見はいかがでしょうか 

1.「もどきまがい英語」=「無自覚的もどき英語」(「のべたらもどき英語」)※
2.「英語もどき」   =「自覚的英語もどき」 (「英語もどきコンシャス」)

1.初期のころに「あたふた英語」となる。上達したら「ホンモノ英語」とカン違いする。
  ※「のべたら」という意味が分かりませんが、「自覚的」の対象語という観点から「無自覚   的」としてみました。 
2.当然こちらが本物の「日本の英語」です。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1987 浜谷さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 5日(火)21時56分06秒 
>1.「もどきまがい英語」=「無自覚的もどき英語」(「のべたらもどき英語」)※
 2.「英語もどき」   =「自覚的英語もどき」 (「英語もどきコンシャス」)

1.初期のころに「あたふた英語」となる。上達したら「ホンモノ英語」とカン違いする。
  ※「のべたら」という意味が分かりませんが、「自覚的」の対象語という観点から「無自覚的」としてみました。 
2.当然こちらが本物の「日本の英語」です。

 浜谷さんが書いて下さったものを読んでいたら、いよいよ頭のなかがぐちゃぐちゃになってきて、もはや何が何だかわからなくなってしまいましたぁー。

 いやあ、難しいですね。それぞれの用語に関して、一生懸命イメージしようとしているのですが、わけがわからなくなるばかりです。浜谷さんが、私の用語に「英語」を一つ追加しただけで、頭が破裂しそうになっています。

 「英語もどき」は、中級者の英語、「あたふた英語」と言っていいと思います。
 「もどき英語」は上級者の英語です。

 しかし、上級者でも、もどきとしてもどきの自覚を欠く人は、「もどきまがい」です。
 混乱を引き起こしているのは、私が英語のレベルや質をさす語と、英語を持つ人の意識のありようをさす語とを一挙に提示してしまったためだと思われます。そこに、英語の二文字を追加するだけで、これほどまでに難解な語が誕生するとは思ってもみませんでした。

 「のべたら」というのは、俗語で、「いつでも」「年がら年中」みたいな感じで使いますが、この命名も再考の余地があります。一緒に練り上げて下さいますか。

 再度、熟考してみます。


1988 おじさん、速攻レス。 投稿者:Kさん 投稿日: 3月 6日(水)00時17分23秒 
なにか空気がヘンになってきたので少し早めにレスしますね。

英語の議論って私にはホント全然わかんないから橋にも引っかからないんですよ。

ん〜、、、人間って頭の構造が違うから、勉強の吸収の仕方なんかも違うと思うので、
どれが正しくてどれが間違ってる、ってのは、どうなんだろ??

私に、その・・・音がどうとかこうとかいうのはサッパリわかりませんが・・・(笑) 

でも・・・議論って感情を超えてしまうことがあるから、思わぬ方向にも行っちゃう。

昔、日本人は議論のできない国民性なのかも、と考えたことがありました。
相手を立てて・・・でないと違った意見が言いにくい民族なんかも?って。

(なんか自分で自分の首絞めてるかも)

話の事情が見えてないし、読んでもチンプンカンプンなのでうまくは言えないんだけど、
私へのレスから感じることは、おじさんは相当弱っていて、いつもは言わない言葉を吐いて
なんだかかなり参ってる様子です。

一昨日、すごい女性蔑視の言葉を読んで、「へんなとこ来ちゃったなぁー」って思ってたら
そうでなかったので、、、どうも誤解みたいです。(どなたがどなたなのかも掴めてませんが・・・)
なので、来て下さるほうが、良さそうみたい? な気がします・・・。
 

おじさんの編み出した「誰でもモノにできる英語」.vs.「英語が得意で苦労したことの無い人々」
の論争はこの先も険しく続きそう・・・。

おじさん、実績どんどん作っていくしか無いかも。

数学でも同じことが言えるんだけど、

「細野さんの数学の本」 .vs. 「今までの常識の数学の本」

って雲泥の差なんですね。 でも細野さん自身がものすごい精密機械のようなパーフェクトな解答を示せた人
で、でも実は数学が苦手だったのかな? で、自分なりに編み出したものを本にしたためたのね。
そしたら、それが特に文系を中心とする数学苦手な人から大絶賛で、たぶん周りは何も言えなかったんじゃないかなぁ。

私は、素読舎が細野さんタイプだと思ってるんですよ。 お世辞じゃなくってね。
これでも、立てるタイプじゃないんですよ。(笑)

残りのレスはまたします。
 

よくわかんないけど、うまく議論がかみ合えばいいですね。(^-^)
おじさんに傷つけられたと思われる方々は、元気出してくださいませ。。。


1989 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)02時52分32秒 
疲れてはおりますが、そんなに「空気がヘン」にもなっておりませんよ。
俺の掲示板ではちょくちょく、こんな空気が流れます。

レッスンをどうするか、お返事下さい。
今日、新しく問い合わせがありましたので、枠がひとつ埋まるかもしれません。


1990 お問い合わせに対するお返事。 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)02時53分54秒 
 お問い合わせありがとうございます。

 「電話でレッスン」は、「英会話用シンタックス獲得」というものと、「映画でリスニング」というものが、社会人向けのものです。

 レッスンはほとんど「音づくり」に終始します。

 「英会話用シンタックス獲得」には、印刷物の文法の解説書があります。

 「映画でリスニング」は最初に「ゴースト」という映画のシナリオを一冊片づけ、二冊目に「七年目の浮気」をやりますが、二冊目の「七年目の浮気」を使って文法解析したものを、私のホームページに掲載する予定です。こちらは、まだやりかけです。

 普段、英語に触れる機会がある方なら、「映画でリスニング」の方がよろしいのではないかとも思います。こちらの方が費用も安いです。月額1万円です。多少のごり押しが必要です。

 「英会話用シンタックス獲得」は教材費込みで月額12000円です。
 このレッスンを受けておられた生徒さんが、最近終了され、「映画でリスニング」の方に移られましたが、8ヶ月ほどかかりました。

 地固めからやる方がいいと思われるなら、「英会話用シンタックス獲得」が向いています。

 ホームページをお読みになってご承知かとも思いますが、その他の要項は以下の通りです。

・週1回、毎回30分
・基本的に月4回。5回ある場合は5回行うが、私に用事ができて休む場合に、
 「有給休暇」のように使わせていただく。

 レッスンは私か妻が行います。

 私の現在の空枠は、

金曜 9時20分〜9時50分
土曜 8時50分〜9時20分

です。4月以降、火曜日も使えるようになる可能性があります。

 妻の現在の空枠は、

火曜 8時40分〜9時20分
同  9時30分〜10時

です。妻の枠としては、4月以降、金曜日が大幅に空きます。

 毎日の練習としては、レッスンを始めていただくと何をすべきかがおわかりいただけます。要するに、ひたすら口を動かすことがしばらくの間は主要な練習です。しっかりした音(アンダスタンダブルな近似値)ができ、いちいち口の動きに気をとられなくなったら、口で言い続けながらその文が言っていることを大づかみでイメージすることをしていただきます。この過程はレッスンでは行えません。意識におけるイメージがどう動いているかは本人以外に確かめようがないためです。テキストの簡単な訳を媒介にしてイメージして下さい。


1991 お問い合わせへのお返事(続き) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)02時54分36秒 
 簡単に言えば、とにかく口を動かすことです。理解しているもの、覚えてしまったものを相手に、さらにどんどん口を動かしてイメージすることで、ヒアリング能力が徐々に備わってきます。これが成立するのは、レッスンの「音づくり」による音の質にポイントがあります。ヒアリングは、じっと我慢することが必要な期間がありますが、時が来ると急に楽になります。

 急に楽になったあたりで、ビデオで映画を見るとか、ビデオの音声をMDなどに録音して、普段からよく聴く練習をして下さい。リスニングの練習がいやでなくなっていることに気がつかれると思います。

 語学の利口なやり方は馬鹿になることだと思っています。愚直にも思える方法ですが、わかっているもの、覚えたものを、こと新たにどんどん口を動かして口の動きの「こなれ」を作り続けることです。まずは、これを日々練習していただきたく思います。その具体的なやり方や、口の動かし方はレッスンで申し上げます。
 レッスンでは、同じ文を繰り返し読む動きの途中で、問題をみつけたら、発音上、リズム上のポイントを手短に言います。それを繰り込んで、再び、同じ文を繰り返し言い続けていただきます。

 國弘正雄さんの「英語の話しかた」(たちばな出版)を手に入れて、お読みになることをお薦めします。根本のところで、私の考えと一致しておりますので。また、小学館文庫の拙書「英語どんでんがえしのやっつけ方」もお読みいただければ、レッスンとレッスンの間にご自分でやられるべき「回転読み」という練習方法が書いてあります。

 以上ですが、他に疑問点がありましたら遠慮なくお問い合わせください。

 4月から始められるということでよろしいでしょうか。4月以降に空く枠でなければ、3月途中からでも始めていただくことはできます。

 ご都合をお聞かせ下さい。

---------------------------------------------
根石吉久
Email  ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL   http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
C phone 090(3316)4180
---------------------------------------------


1992 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)02時56分25秒 
あなたがレッスンを受けてくれる場合は、俺がやろうと思っています。
妻のレッスンを強くご希望であれば、妻でもいいですが、昔々、さんざ叱りつけたお詫びに、俺が
やろうと思っています。

1993 お問い合わせへの追伸 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)03時02分49秒 
 先ほどのメールでの空き枠についてですが、昔の私の塾生が、近くレッスンを始める
かもしれません。その人にも、同じ空き枠を提示して選んでいただくようにしてありま
すので、ご希望の枠が先に埋まっていた場合はどうかご容赦下さるようお願いいたしま
す。

 掲示板「大風呂敷」というのを開設しております。
 時に大喧嘩をやっておりますので、どうぞご覧ください。

 書き忘れたことがありました。
 レッスンを受けられて、しばらくたったら、掲示板に経過をご報告いただきたいとい
うことです。どんな小さな変化でも構いませんので、よろしくお願い致します。

---------------------------------------------
根石吉久
Email  ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL   http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
C phone 090(3316)4180
---------------------------------------------


1994 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)03時05分02秒 
その文系人間に支持されたという数学の本、今度俺の家に来るときに買ってきてください。
お金は払いますから。
俺がわからなくても、女房が喜んで読みそうです。

1995 sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)03時08分31秒 
どうしていますか。

1996 Kさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)03時10分25秒 
>おじさん、実績どんどん作っていくしか無いかも。

 そうだよ。だから、あんたが俺のレッスンを受けて、この掲示板に報告してくれることがとて
も大切だよ。


1997 風邪なおりました 投稿者:もっこり 投稿日: 3月 6日(水)03時39分11秒 
根石さん、先週は風邪でレッスンを休んでしまいスミマセン。
飲み会で徹夜したせいなので、言い訳できません。
1週休むと口の動かなくなり、回転させようとしてもすぐつっかえてしまいます。
まだまだ激しさが足りないなあと痛感。
ただ回転読みに専念している間に、耳の方は、ずいぶん進歩してくれた気がします。
NPRというアメリカのラジオ放送をインターネット経由でたまに聴いているのですが、
アナウンサーの話が3分の1ぐらいは聞き取れて、
ニュースの概要を理解できるようになってきました。
もうチョイ進歩すれば、いわゆる「多聴」が役に立つレベルになれるのでしょうか。

SAPIOの今月号を読みました。批評されている全ての本を読んだわけではありませんが、
國弘著「英語の話しかた」がもっとも真っ当で、本格的な指南書であるという根石さんの評に
同意します。私はこれと、「どんでんがえし」と、もう1冊、
吉ゆうそう著「英語超独学法」南雲堂
の3冊をいつも読み返して、英語学習のモチベーションをかき立てることにしています。
最後の本はあまり知られていませんが、
「日本を一歩も離れることなく、また英会話学校にも行かないで」英語をマスターすることを
決心した著者の気合いと楽天性に触れることができます。
同時に、独学のためのユニークなノウハウ、とりわけアウトプット練習のための方法が
いろいろと紹介されている点で、実用書としても役に立っています。

追伸
「電話でレッスン」4月からは火曜日に空きが出るとのことですが、
できればそっちに移りたいのですが、いかがでしょう?


1998 お尋ねしたいこと 投稿者:okada 投稿日: 3月 6日(水)05時22分17秒 
 根石様へ
 札幌の岡田です。電話でレッスンを始めてから、8ヶ月がたちました。まずは、報告をします。
 現在のところ、まだイメージをつかまえるところまではいたっておりません。しかし、今までやって来た部分は、テープでとった音を聞くとよみがえり、五回ぐらいまわしていると、すぐに滑らかに言えるようになります。
 二つの復習範囲のテストと、新しい範囲の難易度を比べてみると、復習範囲のテストの方が楽だと感じます。二度三度四度と練習した部分は、五回ぐらいの回転読みでよみがえってきます。よみがえらない場合もありますが、そこは、叫びの部分や、主要人物の台詞でなく、背景の音の部分で、普段聞いているテープからカットした部分です。だから読みの回数が少ないのです。
 新しい範囲は、冷や汗をかきながらやっています。回転読みをしながら、このままこの一文だけでレッスンが終わってしまうのではないかという不安におそわれます。あらかじめ、練習をしておけばいいのですが、そこまで手がまわりません。なんとか、予習できればいいなあと思います。

 ところで、相談したいことなのですが、現在私が教えている生徒たちに対する練習方法です。
 現在のところ、読みの練習を家庭でやってきてもらうことに成功していません。約50分の授業で、四人の生徒に対して、「電話でレッスン」のような緊張感があって、しかも復習しなければ始まっていかない形を作り上げるためにはどのようにしたらよいのでしょうか。素読舎では、どのような形で、多人数の生徒に対してレッスンを行っているのでしょうか。
 厚かましい質問ではありますが、ぜひともお教えください。
 
 
 


1999 もっこりさん 投稿者:パクパク 投稿日: 3月 6日(水)09時29分36秒 
はじめまして。
吉ゆうぞう は、国広さんの直系の弟子です。

2000 もっこりさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月 6日(水)13時25分15秒 
根石吉久は國弘さんの、傍系の弟子です。

日本の英語は本当に錆び付きが早いですから、錆を落としておいて下さい。
もう少し、口を大きく使われることをお願いします。
英語は発音記号の a 以外はそんなに口を大きく開いてしゃべる言語ではないのですが、口回りの
筋肉(舌の動きも含む)は、非常に立体的に激しく動く言語です。
机上では、実際には使わないような大きな口の動きでやっていただいてかまいません。
これで、動きの「こなれ」ができてくれば、口を大きく動かさなくても、立体的な音は出せるよう
になります。「こなれ」が備わるまでは強くはっきりした音を作る練習が大切です。

英語の進展の具合をお聞きして非常にうれしいです。ご報告ありがとうございます。

>吉ゆうそう著「英語超独学法」南雲堂

 読んでみようと思います。教えていただき感謝します。

 火曜日は4月からなら、OKです。
 9時〜9時30分の枠がすでに埋まっています。
 ご希望の時間帯をこの掲示板に書いていただけますか。