1601なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 4日(金)20時09分44秒 
 私の考えていることは、少しわかりにくいと思いますので、同じようなことを再度書いてみます。

> そういう人の英語は「通じる音」よりも「通じる英語」
とか「斬れる英語」とか「使える英語」とでも呼んだ方が適
当ではありませんか。そして「通じる音」という語句は、あ
くまで発音の問題に限定して使わないと話がかみ合わないと
思います。
 「通じる音」を「通じる英語」と読み替えれば、おっしゃ
っていることに異論はありません。

 確かに、私が言っていることは「通じる英語」と言った方が、わかりやすいと思いました。英語で話をしている人の話として顕在しているものは、単なる「音」ではなく、「英語」ではないかと言えるからです。
 なぜ私が「通じる英語」とわかりやすく言えばよさそうなものを、「通じる音」と言っているのかと考えてみると、日本に住んで「語学として」英語をやる人の場所からものを言っているからだと思います。つまり練習者の場所からものを言っているからだと思います。あるいは、その場所を離れずに考えてきたからです。
 語学をやらない人にはあまり意味のない言い方でしょうが、語学として英語をやる人にとっては、「通じる音」という概念の中に、「音とイメージの同致」までを含めてしまった方が実際的だし、役に立つと考えるのです。そうすれば、「イメージと同致する音を作れ」という方針が引き出せるからです。あるいは、「音づくりの過程で、同時にイメージも作れ=イメージせよ」という方針です。
 語学とは、まったく語学の中にいて、純粋に語学をやること(机上の練習)でもありますが、「渡る」行為によって、語学の言語を脱皮させ、「生活言語にする」ところまで含めていいのではないか。
 生活過程で生活言語を使うことは、語学ではなく生活です。ここを私は峻別しますが、生活言語として生きたものを、再び「机上」に持ち帰り、再度、語学の言語に化かして鍛えるならば、語学には、語学の言語と生活言語を往復することの全体まで含めてしまっていいのではないか。往復行為自体も語学ではないか。そう考えています。
 この「往復」を可能にする音(イメージが同致して動く音)をさして、私は「通じる音」と言っています。実際、「通じる」とはそういうことではないでしょうか。化けて生活言語に「なる」ことのできる英語が、「通じる音」であるならば、「音とイメージの同致」は必須条件ですから、「通じる音」という概念に「音とイメージの同致」も含めてしまっています。
 語学から「出る」とか、語学から生活言語に「渡る」とか、語学を「脱皮」して生活言語にするとか、あるいは、生活言語から語学の言語に「帰る」とか、語学の言語と生活言語の間を「往復・往来する」行為全体をも語学の行為と呼ぶならば、そして、その行為総体の内側で考えるなら、あらゆる語学の練習とそれによって動く意識の動きのすべてが、「音(声)」として顕在化します。
 すべての理解、センス、イメージの動きは、音に集約されて外在化されるので、音(声)こそが、語学という行為から生活言語に血を通わせるときのへその緒みたいなものであり、同時に、もっとも主要なインターフェイスだと思います。「音(声)」とは、理解・情動・イメージなどが瞬時に集約されるほどの集約点なので、語学の内側から「話す」という行為を見るならば、そこにあるのは私が言う意味での「通じる音」なのです。「通じる音」という質が成立しているならば、語学の外からそれを眺めてもやはり「通じる音」だと言えないことはないと思います。しかし、練習者の立場を離れて、それを呼ぶならば、「通じる英語」でもいいと思います。私はあくまでも練習者の立場からものを言い続けたいと考えているだけです。

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1602なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 4日(金)20時11分13秒 
 「通じる英語」というものは、身振りや手振り目つき顔つきで、言葉をしゃべらなくても通じるということではなく、発語によって通じる英語ということですから、その実体は、意識の動きそのものによって動かされ、その反作用によって意識を動かす音(声)です。
 「通じる英語」と一般に言われているものは、少し微分するなら、実体は「通じる音として集約されている意識の動きの総体」だということになります。「通じる」という語を、「意識の動きを反映しうる」という意味に解すれば、「通じる音」という言い方が語学という立場からは実際的ではないでしょうか。
 それが意識の動きの集約点だぞ、という意味で、また、そういう言い方をした方が、語学の内に立ち、語学という行為を続けようとする人のために実際的であると考えるので、私は「通じる音」という語を使用しています。「イメージと同致する音を作れ」=「意識の動きを反映しうる音を作れ」=「通じる音を作れ」です。
 良質の音というような音の質の概念をも、「通じる音」は含みます。しかし、あくまでも、それは「通じる音」の一部分です。「通じる」とは、音の質だけの問題ではないことは自明のことではないでしょうか。

 付随する問題を書きます。この問題は、私の考えの中でももっとも込み入っているものですが、書いてみます。
 私は語学(の対象として)の言語と、生活言語(多くはネイティヴ言語)を峻別しています。そのそれぞれの成立過程(習得過程)はまったく別のものだと考えています。ここでは、その習得過程についてではなく、語学をやる人にとって、そのそれぞれがどんな位置にあるのかについて書きます。
 語学の言語は、意識のシミュレーション行為によって身に付くものであり、仮のものであり、(生活言語に対しては)偽のものです。
 「空がどんよりとたれ込めている日に」、It's a beautiful day today, isn't it? という文を、「聞く相手もいないのに」、「繰り返し言い続けて」、f 音や l 音など「音を正確に出せるようにするためだけに」使用することも、語学ではおかしな行為ではありませんが、生活過程ではこんな行為は置き場所がありません。語学の「机上」で、It's a beautiful day, isn't it? と言い続けている人は、嘘を言おうとしているわけではないが、言葉本来の使用法ではなく、あくまでも語学用の使用法をしているわけです。これは、生活言語の「生もの」の性質に対してなら、「干物」。言語が生き、生成する生活言語(という場)に対しては、偽物になります。どれほど立派な英語の格言でも、それが語学の対象として、語学練習用に使われるなら、「言語として」偽物です。
 偽物=似せもの、です。
 これに対して、生活言語は生きる過程そのものによって身に付くものであり、嘘をどれほど大量に含んでも偽物ではありません。嘘として本物ですから。
 以上のことを踏まえて、以下のように考えています。
 語学の言語は生活言語に「渡る」。渡ってしまえば、それは生活上切実な言語になるので、語学の言語ではない。すでに生活言語である。また、生活言語は「帰る」ことによって、語学の言語に戻りうる。帰ってしまえば、すでに生活言語ではなく、語学の言語というまったくの別物である。生活言語に対して偽物に変わる。語学とは偽物と本物の間の往復行為だ。

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1603なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 4日(金)20時12分08秒 
 語学の言語は、生活言語になることができるし、そこから語学の言語に帰ることもできる。絶えず往復することもできる。そしてなお、語学の言語と生活言語はその本来の性質が「うらはら」のものである。この「うらはら」のものの間を往復すること、「生もの」と「干物」を往復する、本物と偽物の間を往復する、その総体を語学だと私は考えています。日本在住のままでは、往復しようにもそのチャンスがあまりにも少ないことは問題ですし、語学の言語は語学の言語、生活言語は生活言語と峻別する必要があるにもかかわらず、それでも、語学という行為は語学の言語から生活言語に「渡る」あるいは「往復する」行為までを含む。
 生活言語を生きることは、語学ではないが、生活言語に「渡る」行為までは語学という行為ではないか。そういうふうに考えています。
 偽の言語をたずさえて、「渡る」こともまた語学である。渡ってしまったところにあるものは、語学ではなく生活過程であり、そこで使われるのは本物の生活言語だ。しかし、そこから「机上」に「帰る」ことはまた語学である。本物から偽物に帰る行為だ。こんなふうにしちめんどうくさく考えています。わざわざしちめんどうにしているわけではなくて、このあたりの込み入ったところに筋道を立てないと、コミュニケーションやら、エーカイワやら、語学と生活言語がまるで地続きであるかのような妄想観念によって汚されきってしまった英語という言語から、汚れを洗い流し、「語学としての英語」というすっきりしたものとして立ち上がらせることができないと考えているためです。

 「通じる音」は、「渡る」「脱皮する」「帰る」「往復する」などの動態とともにあり、「音とイメージの同致」という意識の動態とともにあるものだと考えています。

 英語を話すということについて、語学の外から眺めるのではなく、語学の内にいて、そこに働いている法則をみつけようとするなら、文法や理解がセンスとなり、シンタックスの瞬間的鷲掴みが無意識化されて働き、イメージ(意味)が音と合体して動くというようなことが総体としてほぼ同時に成立していることです。これが成立しているときに、顕在化しているものが「通じる音」です。逆に「通じる音」があるところには、必ず、意識において、上記のいくつものことがほぼ同時に動いています。現象する一連の音の背後に(発話者の意識)にこれらのいくつもの動きがあり、それらは目に見えません。「通じる音」は、これらの目に見えないものの動きを必ず伴っています。
 時として、単に発音上の音の質をさして「通じる音」ということもないではありませんが、厳密には、「通じる音」は「通じさせる場」に置かなければ、そして、「イメージの同致」などの意識の動きの総体を同時に成立させていなければ、実体となりえません。

 音が明確であるとか、正しいとか間違っているとかいうことは、「教室」や「語学の机上」においては成立します。しかし、そこで確認できるのは、音の質だけであり、「音とイメージ」の同致は確認できません。だから、「通じる」かどうかは、「教室」や「語学の机上」では確認できません。「通じる音」かどうかは、「通じさせる場」で、その音を使う本人にしかわからない。本人にはすぐにわかる。そして、その場所は、語学の外側、生活過程にあるはずです。
 「通じる音」というものが語学で作るべき音の基準ではあるのですが、その基準自体がある場所は、語学の外側、生活過程、あるいは英語の「磁場」です。

 くどく同じ事を繰り返し書いたような感触がありますが、このあたりは日本で英語をやっている人たちの中で、まことに筋道が立っていないあたりだと思っています。口がすっぱくなっても言わなければならないことだと思っています。

 単に音の質をさして、あるいは発音上の語としてのみ、「通じる音」という語を使用することは、今後もあると思います。これは、語学の練習項目を作成するなどの目的がある時に、便宜的に使用するものですので、お含みおき下さい。

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1604理念か実在か(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 5日(土)12時24分05秒 
 
 これらの長文の記事は、以前に私と Eliot さんの間で、やりとりしたものから派生しているものです。元になった記事は過去ログにありますので、ご参照下さい。

 いくこへ
 また、関連記事を串刺しにしてピックアップしてもらえるとありがたい。急がせませんので、やってもらえないでしょうか。

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> 私が言う「完璧な音」とは、モデルとする英語話者たちの出す音のこ
とですから、理念ではなくあくまで実在です。

 Eliot さんは、ご自分が日本で生活されていて、完璧な音で日本語をしゃべっていると思っておられますか。私は自分に関して言うと、どうしてもそうは思えません。字に書いてしまうと、言葉の表情がほとんどそがれてしまいますが、例えば、私が昨夜遊びに来た昔の塾生に話したのは以下のようなものです。

 何言ってやがる。そんなはずねえだろ。間にあるのは哲学の問題じゃねえんだ、ボールベアリングっていう具体的な「もの」じゃねえか。えっ、ああ、そりゃそうだ。そりゃ、資本を出しといて、人事権を全部イギリス人に渡しちまうお前の会社の経営上層部が馬鹿なんだよ。人事権を全部連中に渡しちまえば、品質管理に響いてくるのは当然だよ。ブリジストンの問題と同じじゃねえか。日本製品というもんは、品質を崩したらそれで終わりだよ。

 英語教室というものがあれば、教室英語というものができます。日本語教室というものがあれば、教室日本語というものができます。私がしゃべっているのは、教室日本語ではなく、一種のべらんめえです。私と塾生の間では、私は普段からべらんめえを標準にしております。
 このべらんめえは、日本語教室では教えません。「何言ってやがる」は、教室では、「何を言っているんですか」あるいは「何を言っているのですか」となり、「哲学の問題じゃねえんだ」は、「哲学の問題ではないんだ」あるいは「哲学の問題ではないのです」となるでしょう。
 しかし、私のべらんめえは、私の普段の普通の言葉です。
 音の表記は、日本語用に発音記号というものがないので困るのですが、どうも、標準的なひらがな一つずつの音をちゃんと出しているという気がしません。「何言ってやがる」は、語法的には「何を言っていやがる」の崩れでしょうが、音だけだと「な てやn」程度の更なる崩れは常時起こります。
 また、近所に住むウド(オーストリア生まれ)は日本語を覚えようとしていますが、私はウドの前で日本語を話すときも、このべらんめえを変えません。ウドの前で使うときは、日本語の相手がウドの女房であることが多く、この女房が昔の私の塾生であるためです。
 ウドは日本語を習うのに、NHKのアナウンサーの出す標準語音で習うのがいいのかもしれませんが、ウドが私とつきあっていくのであれば、私のべらんめえもヒアリング可能にならなければなりません。それまでは、しょうがないので私が英語でしゃべってやってやるだけです。

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1605理念か実在か(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 5日(土)15時03分08秒 
> 私が言う「完璧な音」とは、モデルとする英語話者たちの出す音のこ
とですから、理念ではなくあくまで実在です。

 べらんめえの普段使っている私の日本語の音が、とうてい「完璧な音」でないにもかかわらず、私は「日本語話者」です。NHK的、東京的な日本語も使うことがありますので、私の日本語の音は、二重化しています。そして、NHK的、東京的な私の日本語の音も、決して「完璧な音」とは思えません。つまり、私は日本語の「完璧な音」をもっていません。「完璧な音」は成り立たせれば成り立たせることの可能な「理念」です。それを成り立たせようとすれば、私は「完璧な日本語の音をめざす」ために、それ用の教室に通うかもしれませんが、そんなつもりはまったくありません。まっぴらごめんだと思っております。そんな人工的な、おためごかしの音は要らねえやと思っています。
 私は自分のことを、普通の「日本語話者」だとは思っております。教室用あるいは放送用の「完璧な音」をしゃべる日本語話者がいたとしたら、その人と比べて、私は自分の日本語の方が普通だと思っています。人工的でなく、自分の感情の動きに沿っており、それで普段のひとづきあいに支障が生じないからです。
 「日本語話者」である私においても、日本語の「完璧な音」は理念にすぎません。「通じる音」は日々使用しており、実在しています。
 例えば、青森県に生まれて育ったばあちゃんに向かって、あんたの日本語は普通ではない、あるいは、きれいな日本語ではない、あるいは、完璧な日本語ではない、とでも言ったとしたら、実に傲慢で失礼なことです。
 「通じればいい」という言い方には傲慢さはない。むしろ、「完璧な音」という言い方に傲慢さがあるのです。
 英語のニュースのアナウンサーに、「あなたは完璧な英語音で話していますか」と聞いても、傲慢なやつは Yes というでしょうが、「いや、それをめざして努力は続けていますが、完璧とは言えない」と答える人も多くいると思っています。この努力していると答えた人の発音も、日本の英語の教室から見れば、「完璧」に見えます。
 ご本人が「完璧ではない」と思っていても、日本の英語の教室という特殊な場所から見れば、「完璧」に見えるということです。何の実在でもありません。「そう見える」もの、すなわち幻影です。あるいは、教室における理念です。
 そのアナウンサーは、放送でニュースを伝えて生活を成り立たせているのですから、「通じる音」を持っていることは間違いありません。「あなたは通じる英語の音で話していますか」という質問には、ほとんどのアナウンサーはむっとすると思います。むっとするのは、「通じる音」が実在だからです。質問が実在を疑う質問だからです。
 日本の英語の教室という場所も特殊ですが、「ニュース英語」というものも放送用の特殊なものです。それを組み合わせていけないことは何もありませんが、日本の英語の教室で、教材としてアメリカのニュース英語を採用した場合は、特殊な場所で特殊な教材を組み合わせているのだという自覚は必要です。

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1606理念か実在か(3) 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 5日(土)15時04分03秒 
 ここにあるのも、実は「磁場」の問題です。
 「完璧な音」という言い方をするだけで、私には虫酸が走るような感覚が生じますので、私はかつてどの塾生にも「完璧な音」をめざせと言ったことはありません。いつもその時点でのベストの音を求めろと言ったことは何度もあります。これは以前にも書きました。
 「完璧な音」というものは、教室、訓練所などで初めてリアルなものとなる理念です。それ以外の場所、つまり生活言語(磁場を形成し、磁場に置かれる言語)では、「完璧な音」などはありえません。感じのいい音、感じの悪い音、明確な音、不明確な音などがあるだけであり、完璧な音などというものはありません。私はかつて誰からも、「完璧な音」で日本語を話せなどと要求されたことはありませんし、私自身も、「完璧な音」で日本語を話そうなどと思ったことはありません。もしも、私に「完璧な音」で日本語を話せなどと命じるやつがいたら、その場で蹴飛ばしてやります。傲慢なやつだからです。
 生な言語の「磁場」というものと、教室というところはとことん別なものです。教室や訓練所というところは、人工的に、あるいは外科手術的に「音づくり」をやって当然の場所だからです。私の塾や「電話でレッスン」でも「音づくり」はやっています。そこでは、「完璧な音」をめざせという理念が成立します。私は決してその言い方はしませんが、理念としてそれが成立するということならわかります。
 生な「磁場」に持ち込んだとたんに、「完璧な音」という言い方は実に傲慢なものになります。しかし、「通じる音」なら、「音づくり」の場面で使っても、生な磁場に持ち込んでも傲慢にはなりません。単に、発音上の問題に限って、その語を使っても傲慢にはなりません。

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1607完璧に近い音 投稿者:浜谷 投稿日: 1月 5日(土)16時32分43秒 
>英語のニュースのアナウンサーに、「あなたは完璧な英語音で話していますか」と聞いても、傲慢なやつは Yes というでしょうが、「いや、それをめざして努力は続けていますが、完璧とは言えない」と答える人も多くいると思っています。この努力していると答えた人の発音も、日本の英語の教室から見れば、「完璧」に見えます。

「完璧な音」VS「通じればいい音」のご議論を興味深く読ませていただいております。上記の仮想インタビューは現実に行ったとして、そのとうりの答えが返ってくると思います。ご議論の接点がみえたのではないでしょうか? つまり「完璧に近い音」のことをEliotさんは仰っていると思いますがいかがでしょうか? 

>「完璧な音」という言い方をするだけで、私には虫酸が走るような感覚が生じますので、私はかつてどの塾生にも「完璧な音」をめざせと言ったことはありません。いつもその時点でのベストの音を求めろと言ったことは何度もあります。 

以前ここの書き込みにネイティブの話す英語を「100%理解出来る」と仰った方がいました。それも「100%近く理解出来る」と仰るべきだと感じました。ちなみに私は「通じればいい音」という言い方の方を使いたいと思っています。「完璧に近い音」は特に今後国際社会に羽ばたく人たち(中学生ー大学生)に是非ガイドラインとして教えて行って欲しいと思っていますが、そのような良質の音の獲得と併せて「イメージとの同致」を当然最終目標にして教えていって欲しいと思います。その点「通じればいい音」を念頭にすれば、「イメージとの同致」が明確な最終目標とされているわけですから、上記の人たちは勿論これから英語をやり直そうとしている人たちにも有益なガイドラインになると思います。 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1608根石先生の話は難しい。。。(いつも?、ときどき?) 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)16時38分18秒 
>語学の言語は生活言語に「渡る」。渡ってしまえば、それは生活上切実な言語になるので、語学の言語ではない。すでに生活言語である。また、生活言語は「帰る」ことによって、語学の言語に戻りうる。帰ってしまえば、すでに生活言語ではなく、語学の言語というまったくの別物である。生活言語に対して偽物に変わる。語学とは偽物と本物の間の往復行為だ。

「コミュニケーション論者」に対するわかりやすい定義だと思いました。
 
 


1609浜谷先生お久しぶりです! 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)16時41分08秒 
このまえTOEICの結果が帰ってきてびっくりしたのは、リーディングの点が異常に低かったことです。リスニング375に対して、260しかありませんでした。ショック!!!また浜谷先生にお世話にならなければならないこと確実です。その節はよろしくお願いします。。。
 
 

1610感性の階級性? 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)16時50分40秒 
>ここには誤解があると思います。「発音がすごくうまい上に」ではないのです。発音なんか大して「うまくないのに」、「通じる音」はある、というのが私の見解です。この事実の外に問題にすべきものがあるなら、それは感性の階級制の問題だと思っているのです。

「感性の階級性」とはどういう意味ですか?具体例を挙げてくださればうれしいのですが。。。
 
 


1611ひとりになる 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)16時55分13秒 
>「音とイメージの同致」は、学習者の意識にのみ生起します。厳密な場所としては「意識」しかありません。この場所に関して、語学のコーチ、学校の先生というものは、非常に無力なものです。原則を言えば、学習者が一人で勝手にやるしかないものだからです。
 音を音としてのみ扱うことは、口の動き、空気の震え、鼓膜の震えとして顕在化させうるものを扱うのですから、「教室」でもできます。これに対して、「音とイメージの同致」が起こる本当の場所は、厳密には一人の学習者の意識だけであり、この「同致」は物質的に顕在化させて「同致」しているかどうかをいちいち確認することができません。これが確認できるのは、学習者本人だけです。学習者本人にはわかります。

意識や「音とイメージの同致」が本人の中でおこるというのは分かるのですが、なぜ、教室でそれが可能にならない(なりにくい?)のでしょうか?物理的に教室の中にいても、意識的に一人になれるような気もするのですが。。。
 
 


1612おじゃましまーーーす! 投稿者:ST 投稿日: 1月 5日(土)19時35分54秒 
1月17日(木)辺りから1週間〜10日程度おじゃまできればありがたいのですが。。。
 
 

1613根石様 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 5日(土)20時42分39秒 
議論がすれ違っています。私の側の定義を整理してみます。

「完璧な音」
モデルとする英語話者(の録音などの教材)とそっくりに英語を発音できるようになった学習者の発音、あるいは学習者がモデルとする英語話者の発音見本のこと

 私はいわゆる標準的な英語を話す英米人そのものが完璧だとか、彼らの発音が他の社会階級の英米人の発音との比較において完璧なものだとか言っているのではないのです。彼ら以外の英米人の発音が完璧ではないなどとも思っていません。

 学習者が発音の練習をしようと思って、モデルとするための教材を買ってきたとしましょう。それにはアメリカ人の発音が録音してあって、学習者がそれを「完璧に」真似しようと頑張って、彼の発音はほぼモデルそっくりになったとします。そうやって習得したその学習者の発音を

「(目標とするモデルの発音を)完璧(に復元できる、十分に上手)な発音

と言っているに過ぎないのです。

 発音の練習は端的に言えば「物真似」です。物真似であれば、できるだけ物真似される人そっくりになるように練習せねばなりません。物真似の対象となっている人が歌手であって、その人の歌を真似するのであれば、真似する人は、その歌手の声と歌い方を忠実に再現しようとするでしょう。そしてそっくりに歌えれば、物真似としては「完璧」です。むろん、この「完璧」は物真似として完璧という意味でしかありません。真似される歌手の歌唱力はお粗末なものかもしれませんが、物真似のモデルであれば、真似る側の人はその下手な歌をそっくりに真似できれば、物真似としては「完璧」です。

「私が言う「完璧な音」とは、モデルとする英語話者たちの出す音のことですから、理念ではなくあくまで実在です」と書いたのも、今述べてきたことと同じことです。「モデルとする英語話者たちの出す音」はそれを真似しようとする学習者にとって、あくまで彼らにとってのみ、練習のお手本としてのみ、「完璧な音」なのです。そしてモデルの発音を可能な限りそっくりに復元できるようになった学習者のその発音も、物真似としては「完璧な音」だと言っているのです。

「通じる音」
th[θ]を発音して、聞き手に他の音と誤解されず、[θ]に聞こえれば、それを通じる音という。

根石さんがおっしゃる「通じる音」とは違いますね、これは。

>「イメージと同致する音を作れ」=「意識の動きを反映しうる音を作れ」=「通じる音を作れ」です。
 良質の音というような音の質の概念をも、「通じる音」は含みます。しかし、あくまでも、それは「通じる音」の一部分です。「通じる」とは、音の質だけの問題ではないことは自明のことではないでしょうか。

 確かに、「通じる」とは、音の質だけの問題ではないことは自明のことです。でも、「通じる」と言えば、音だけの問題に絞って話を進めてもよいのでは? そうでないと話がややこしくなります。

>単に音の質をさして、あるいは発音上の語としてのみ、「通じる音」という語を使用することは、今後もあると思います。これは、語学の練習項目を作成するなどの目的がある時に、便宜的に使用するものですので、お含みおき下さい。

と、根石さんご自身もおっしゃっているではありませんか。
 


 
 


1614根石様(2) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 5日(土)23時37分23秒 
>「完璧な音」というものは、教室、訓練所などで初めてリアルなものとなる理念です。それ以外の場所、つまり生活言語(磁場を形成し、磁場に置かれる言語)では、「完璧な音」などはありえません。感じのいい音、感じの悪い音、明確な音、不明確な音などがあるだけであり、完璧な音などというものはありません。

その通りだと思います。

>教室や訓練所というところは、人工的に、あるいは外科手術的に「音づくり」をやって当然の場所だからです。私の塾や「電話でレッスン」でも「音づくり」はやっています。そこでは、「完璧な音」をめざせという理念が成立します。私は決してその言い方はしませんが、理念としてそれが成立するということならわかります。

 私が言っている「完璧な音」はまさにこのことです。ここでは根石さんと私の間に意見の相違はありません。ただ「完璧な音」という「用語」を用いるかそうでないかの差だけです。

>生な「磁場」に持ち込んだとたんに、「完璧な音」という言い方は実に傲慢なものになります。

 私もだれからも「完璧な音」で英語を話せと言われたこともないし、誰かにそんなことを言ったこともありません。今後も言うつもりはありません。ですが、モデルとする録音教材そっくりになるよう練習せよと、教室で生徒に向かって言ったことはありますし、今後も言うでしょう。
 10年近く前のことですが、とある英語の講習会でアメリカ人講師による発音クリニックなるものがあり、何十個かの単語を発音して、英語のすべての子音と母音のチェックをしてもらい、アドバイスを受けるという機会を持ちましたが、私は全部の単語がOKで、"Perfect!"とコメントを書かれただけでおしまいでした。Perfectを訳せば、普通「完全」か「完璧」ですが、あのときのコメントの意味は「直すほどの問題点はない」という意味でしょう。
 私は、日本人学習者はだれもが「直すほどの問題点はない」というレベルの発音に到達すべきだと思っており、自分の生徒たちにはそういうレベルの発音を目指して練習させてきました。その際に言うのが「(モデルそっくりに言えるよう)完璧を目指せ」なのです。そういう指導で3年近くやってきた結果、何人もの生徒がそれに近いレベルにまで上達しました。
 「直すほどの問題点はない」レベルを達成した英語学習者であれば、実際の英語の使用の場面では、少なくとも発音の面で困ったり、相手を困らせたりすることはまずないはずですから、そういう彼らに向かってだれも「完璧な音」で話せなどというはずがありません。
 


 
 


1615根石様(3) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 5日(土)23時38分38秒 
>しかし、「通じる音」なら、「音づくり」の場面で使っても、生な磁場に持ち込んでも傲慢にはなりません。単に、発音上の問題に限って、その語を使っても傲慢にはなりません。

 「通じる音でいい」という言葉は、発音の練習を軽視する日本人学習者の言い訳としてしばしば使われてきました。「通じりゃいいのさ=発音なんて適当でいい」という主張をする人たちがたくさんいます。きちんと練習した結果としての「通じる音」(←「音」に限っての話です)であればいいのですが、最初から「通じればなんでもあり」という姿勢は上達の障害になります。それに私は「通じる音」が傲慢だと書いたわけではなく、「通じればなんでもあり」という姿勢は傲慢だと書いたのです。なぜ「通じればなんでもあり」が傲慢かと言うと、それが聞き手の側のことを考慮に入れてない姿勢だからです。できるだけわかりやすい、不愉快でない発音で相手に聞いてもらいたいという姿勢が見えないからです。

>音が明確であるとか、正しいとか間違っているとかいうことは、「教室」や「語学の机上」においては成立します。しかし、そこで確認できるのは、音の質だけであり、「音とイメージ」の同致は確認できません。だから、「通じる」かどうかは、「教室」や「語学の机上」では確認できません。「通じる音」かどうかは、「通じさせる場」で、その音を使う本人にしかわからない。本人にはすぐにわかる。そして、その場所は、語学の外側、生活過程にあるはずです。
>「通じる音」というものが語学で作るべき音の基準ではあるのですが、その基準自体がある場所は、語学の外側、生活過程、あるいは英語の「磁場」です。

 だからこそ、教室では「通じる音」を基準にしては、発音の指導はできないと考えるのです。教室という練習の場で生徒たちに目指させるのはあくまで「モデルそっくりの音」でいいと思います。私は、モデルを「完璧に」真似るよう練習せよと言い続け、生徒の手助けしてきたつもりです。それと同じことを根石さんも「ベストの音を出せ」という言い方で生徒さんたちに要求してこられたのではないのですか。私たちは似たようなことをしながら、生徒たちの英語の音を改善しようとしているのに、私が「完璧な音」という言葉を使ったがために、話がややこしくなっただけのように思いますが、いかかでしょうか。

 
 


1616浜谷様 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)00時08分37秒 
>英語のニュースのアナウンサーに、「あなたは完璧な英語音で話していますか」と聞いても、傲慢なやつは Yes というでしょうが、「いや、それをめざして努力は続けていますが、完璧とは言えない」と答える人も多くいると思っています。この努力していると答えた人の発音も、日本の英語の教室から見れば、「完璧」に見えます。

 このアナウンサーが教科書を読んだ録音があれば、それを教材にして英語の発音を練習している学習者たちにとっては、この人の発音は「完璧」に真似るよう努力する目標となります。私は、その場面では、その録音がモデルとしては「完璧な発音」だと言っているにすぎません。このアナウンサーの英語が他の英語話者の発音との比較において完璧な発音かそうでないかなどということとは話が違います。

>「完璧な音」VS「通じればいい音」のご議論を興味深く読ませていただいております。上記の仮想インタビューは現実に行ったとして、そのとうりの答えが返ってくると思います。ご議論の接点がみえたのではないでしょうか? つまり「完璧に近い音」のことをEliotさんは仰っていると思いますがいかがでしょうか? 

 私はそのアナウンサーの発音を「完璧に近い音」だとは思いません。私がそういう意味で「完璧」という語を使ったのではないということをご理解願います。私は、英語のニュースアナウンサーの発音を聞いて、「モデルにするのにふさわしい発音」だとか「よく通じる発音」だとかのように形容することはあっても、何か英語圏に「完璧な発音」というものが実際に、あるいは理念として存在すると考え、そのアナウンサーの発音がそれに近いとか遠いとかいうようなことを言うようなことはありません。そもそもそんな「完璧な発音」など存在しないことを知っていますから。よって、私が英語アナウンサーに"Do you use perfect English pronunciation?"などとばかげたことを聞くことはありません。
 
 
 


 
 


1617STさんへ 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)00時21分32秒 
 以前いただいたメールとSTさんのメールアドレスが前に使っていたコンピュータが壊れた際に一緒に消滅してしまい、困っています。私のメールアドレスをお持ちでしたら、ぜひメールを出してSTさんのアドレスをまた教えていただけませんか。お願いします。
 
 

1618「同致」 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)02時09分48秒 
 今まで何気なく読んできた「同致」という語ですが、これは普通の日本語でしょうか。それとも根石さんの造語でしょうか。手元の辞書を見ても載っていないし、googleでサーチをかけても出てきません。もちろん根石さんがお使いになっている「同致」の意味はわかるのですが、音とイメージが共起し、それらが「同時」に「一致」するということですよね。でも気になります。この掲示板や「どんでんがえしのやっつけ方」の読者以外の人にすんなり通じる語なのだろうかしらと思ってしまうのです・・・。
 
 

1619Eliot様 投稿者:浜谷 投稿日: 1月 6日(日)06時58分53秒 
> 私はそのアナウンサーの発音を「完璧に近い音」だとは思いません。私がそういう意味で「完璧」という語を使ったのではないということをご理解願います。私は、英語のニュースアナウンサーの発音を聞いて、「モデルにするのにふさわしい発音」だとか「よく通じる発音」だとかのように形容することはあっても、何か英語圏に「完璧な発音」というものが実際に、あるいは理念として存在すると考え、そのアナウンサーの発音がそれに近いとか遠いとかいうようなことを言うようなことはありません。そもそもそんな「完璧な発音」など存在しないことを知っていますから・・・。

>・・・この人の発音は「完璧」に真似るよう努力する目標となります。私は、その場面では、その録音がモデルとしては「完璧な発音」だと言っているにすぎません。・・・

>それと同じことを根石さんも「ベストの音を出せ」という言い方で生徒さんたちに要求してこられたのではないのですか。私たちは似たようなことをしながら、生徒たちの英語の音を改善しようとしているのに、私が「完璧な音」という言葉を使ったがために、話がややこしくなっただけのように思いますが、いかかでしょうか。

上記の最後のコメントでこの議論は決着したように思いますがいかがでしょうか?それにしても言葉というのは使い方が難しいと改めて感じさせられました。ところで、

>・・・私は全部の単語がOKで、"Perfect!"とコメントを書かれただけでおしまいでした。Perfectを訳せば、普通「完全」か「完璧」ですが、あのときのコメントの意味は「直すほどの問題点はない」という意味でしょう。
 
というお話ですが、ネイティブがPerfectという言葉を会話の中で使うことはよくありますが、それは仰っているように上記のあとの方の意味で使われることが殆どですよね。「完全」とか「完璧」という意味で使ってないですよね。つまりgreatが会話の中で使われているのと同じように誇張する時によく使われていると思います。 何が言いたいかと言えば、一連の議論の中で使われた「完璧」という言葉は時によっては誤解を招く言葉ではないか、慎重に扱う必要があるのではないかということです。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1620根石さん 投稿者:浜谷 投稿日: 1月 6日(日)07時25分33秒 
>それと同じことを根石さんも「ベストの音を出せ」という言い方で生徒さんたちに要求してこられたのではないのですか。私たちは似たようなことをしながら、生徒たちの英語の音を改善しようとしているのに、私が「完璧な音」という言葉を使ったがために、話がややこしくなっただけのように思いますが、いかかでしょうか。

と言うEliot様のこのコメントで一連の議論は決着したように思いますが、いかがでしょうか? 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1621「通じる音」「通じる英語」「上手な英語」(1) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)13時11分15秒 
根石様

>「通じる音」という概念の中に、「音とイメージの同致」までを含めてしまった方が実際的だし、役に立つと考えるのです。そうすれば、「イメージと同致する音を作れ」という方針が引き出せるからです。あるいは、「音づくりの過程で、同時にイメージも作れ=イメージせよ」という方針です。

 私はあくまで「通じる音」という語句を純粋に音の問題に限って使って、「音とイメージの同致」したものは「通じる音」でも「通じる英語」でもなく、「上手な英語」とでも呼びたいと思います。もっとも「音づくりの過程で、同時にイメージも作れ=イメージせよ」ということに異論はありません。今回の議論で私が言ってきたことは単に「英語の音を発生させることができる口作り」のことだけですが、実際にはその練習の中には徹底した音読やリスニング(「聞き込み」?)、さらには暗唱発表などが含まれており、それらは英語の音にシンタックス+イメージ+感情+場面という要素を溶け込ませていく作業ですから、私の生徒たちは、「通じる音」(←音だけのこと)」を作りながら、「上手な英語」を獲得するための練習もやっていると考えています。

「完璧な音」VS「通じる音」(その7)の中で私は、リスニング、音読、暗唱、多読、自由作文のそれぞれについて、さらに私の考えを述べたり、学校での実践の報告などもしたいと書きました。今後機会を見つけてこれらの活動について書き込みをさせていただきたいと思っています。
 


 
 


1622「通じる音」「通じる英語」「上手な英語」(2) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 6日(日)13時12分48秒 
>なぜ使えないか。なぜ通じないか。「イメージの同致」が伴わないのが最大の原因です。もしも、単に発音上の問題だけが原因で通じないのであれば、「イメージの同致」を伴うことのできる音を持っている者なら、いくらでも他の言い回しを繰り出して、「通じる」という状態を作り出すことができます。私はそうしています。

 ここが理解できません。発音上の問題だけが原因で通じないというのはいわゆる「発音が悪い」人のことですね。そういう人が「イメージの同致」を伴うことのできる音を持っているというのはどういうことでしょうか。
 「イメージの同致」を伴っていようが、アイスクリームを買いに来た日本人の発音が「ニラ」であれば絶対通じないだろうと私は想像しますが、英語を知らない人に “vuh-NIL-uh”と言えるように練習させてから買いに行かせたら、バニラアイスクリームを手に入れることができるのではないでしょうか。でもその人に「音とイメージの同致」があるとは言えないでしょう。しかし、その英語は通じてアイスクリームを買うことができたのですから「通じる英語」ではあったと言えませんか。もっともこの人が「上手な英語」の持ち主であるとは言えません。
 今、私の頭の中には次のような区別が浮かんでいます。
  「通じる音」・・・純粋に音レベルで、英語の音に聞こえる発音
  「通じる英語」・・相手に理解してもらえる英語
  「上手な英語」・・いわゆる上手な英語
 
 どうも私は根石さんの主張をよく理解しないまま、とんちんかんなことを言っているような気もするのですが、いかがでしょうか。

 何年か前にNHKで山崎豊子原作の小説をテレビドラマ化した「大地の子」という日中合作のシリーズが製作され、評判になりました。中国残留日本人孤児の陸一心という男性が主人公のドラマで、主役の陸一心を演じたのは上川隆也という俳優さんでした。彼は中国語はまったくできないのに、中国語ネイティブを演じたのです。雑誌の記事に書いてあったのですが、彼の中国語の台詞(膨大な量ありました)は中国の視聴者にも好評だったそうです。また、中国での撮影の際には上川氏の台詞を聞いていた現地のスタッフたちは、彼が中国語ぺらぺらだと思い込んで話しかけてもさっぱり通じなかったので驚いたそうです。
上川氏自身が後日テレビのインタビューで語っていたところによると、彼は中国人の発音コーチに徹底的にしごかれて台詞の練習をしたそうです。その際に使った大学ノートも見せてくれたのですが、中国語の台詞の漢字の上下や行間に発音の注意がびっしりと書き込んでありました。中国語母語者の役をやるのですから、いいかげんな発音では通りませんよね。必死に練習したに違いありません。
 彼の場合、中国語の台詞を中国人のような発音で言えるようになった上で、それを暗記し、さらに感情を込めてそれを言いながら演技をするということを要求されたわけですが、まったくの中国語のしろうとである演劇のくろうとが中国語の音を身につけて演技すれば、中国人にも「通じる音」、かつ「通じる中国語」としてドラマの中で通用し、中国人をも泣かせる力を持ちえたということは、やはり彼が身につけた「正確な音」(もう完璧な音という用語は使いません!)があればこそできたことではありませんか。
上川氏がそれまで舞台俳優で、テレビや映画では無名の人だったため、私はこのドラマを見たとき、彼のことを知りませんでした。それで私は最初のうちは、この人は日中バイリンガルの俳優じゃなかろうかと思っていました。それくらい自然な中国語に聞こえたのです。
 私は中国語の発音もかなりできます。リンガフォンで勉強したとき、テープによる発音添削課題を提出して「直すところはない」というコメントをもらいました。(すみません、また自慢になりました) 中国語の手紙も書いたことがありますし、中国旅行で中国語を使って話したこともあります。私は、自分のことを中国語に関して「通じる音」を持ち、「通じる中国語」をある程度使えるが、「上手な中国語」の持ち主ではないと思っています。こういう区分が間違っていましょうか?
 蛇足ですが、上川氏はこのドラマが放映された翌年にNHKのテレビの中国語講座に毎回顔を見せ、中国語の早口言葉のコーナーで特別講師として早口言葉の模範読みを披露しておりました。

 
 


1623上川隆也 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 7日(月)00時05分51秒 
蛇足ついでにさらにみっつエピソードを。
@大地の子の撮影はほとんどが中国でのロケでした。その撮影が終わりに近づいた頃、
 上川隆也は中国に残って(中国語で)俳優を続けないかという誘いを受けました。
Aある人がどこかの掲示板に書いていたものです。
 「以前、日本に留学してきている中国人留学生にこのドラマを見せた。
  陸一心の中国語があまりに上手なので始めは上川が日本人だと
  判らなかったらしい。その留学生は毎回涙ボロボロ流しながら見てたよ」
B陸一心の台詞の7、8割が中国語。それを上川隆也は撮影開始の1、2ヶ月前に
 まったくのゼロから練習を始めた。
 


 
 


1624「音とイメージの一致」によって「通じる音」自体は進化するか否か? 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)03時12分21秒 
問を自分なりに立てて考えています。

うーーーん。難しい。眠れない。。。羊がいっぴき、にひき。。。
 
 


1625エリオット先生へ 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)03時19分38秒 
豪州訪問時にエリオット先生の住所を知りました。その時のノートにメールアドレスがあるはずです。近日中に直接メールします。ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

教えていただきたいことがたくさんあります。

今もう一度教えていただきたいことは、訳読における教室内の弊害についてで、以前こんなことを書かれていたと思います。間違っていたらごめんなさい。
「分かっている生徒については、なになにうんぬん。。。」
「日本語に訳しても分からない生徒については、なんとかなんとか。。。」
というくだりです。

またメールします。
 
 


1626「通じる音」 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)04時13分48秒 
根石先生が投稿された「通じる音(2)」に関して思いました。
これは、「通じる音」を「通じる」と「音」に分けたほうがいいのではないかと。

「通じる」はあくまでも「生活言語」に関すること。
「音」は「語学」の中の初歩の段階を指す音(音A<=物真似的な音>)のこともあれば、「イメージとの同致」の後の「音(音B<=一見物真似しているようでその人にしか出せない固有の音(声?)」の2種類があるということです。

音A(例えば北島三郎の歌は北島三郎の物真似をするかのごとくカラオケで歌う)が好きな人もいます。
音B(例えば北島三郎の歌を、カラオケで歌っている人の声らしさを前面に出して歌う)が好きな人もいます。

なんか、STの頭は「うに」状態です。。。

ひょっとしたらこのことは、「コミュニケーション論者」つまり「語学と生活を一続きと考えている人」と、「語学と生活言語を全く別物と考えた方が外国語学習にはよいのではないかとする根石先生の一貫した主張(間違っていたらすみません!)」の違いを考えるよい機会なのかもしれません。

また学習形態の嗜好性(指向性といってもいいかもしれません)により意見が分かれる部分もあるのかもしれないとも考えています。分かりにくいと思いますが、演繹的学習と帰納的学習とか、構造重視主義か内容重視主義とかそんな感じです。なんか余計、はなしを複雑にしてしまっているのかもしれません。すみません。あくまで議論の「おかず」にしてもらえたらうれしいです。
 
 


 
 


1627生活言語はあくまで生活の中で 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)04時23分42秒 
「生活言語はあくまで生活の中で」ということですね?

生活の中でひとりごとを言っている場合と、教室内でひとりの世界に入って激しく語学(例えば技法グラウンドをやっている)を練習している場合とは区別をするということでしょうか?

逆に生活の中では、ひとりごとであろうと、対話であろうと生活場面で使われている言語は生活言語ということでしょうか?

以上、根石先生に質問です!
 
 


1628少し解決しました。 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)04時31分57秒 
なぜ「通じる英語」のことを「通じる音」と言うのか(1) 、を読んで今日の投稿の問題点がいくつか解決しました。ありがとうございました。
 
 

1629少し進みました!、根石先生 投稿者:ST 投稿日: 1月 7日(月)04時38分38秒 
やっと、うらはら、乾物、なまもの、似せもの、あたりまでたどることができるようになりました、まだ理解度は20パーセントくらいかな?

今度おじゃまするのが本当に楽しみです。ではおやすみなさい。。。
 
 


1630少しお時間をください 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月 7日(月)04時58分06秒 
 まだ Eliot さんが書かれたことに対して、半分くらいしかお答えしてない感じがしますが、す
でに、それに対してまた議論がいくつか生じそうないきおいになっています。

 最初に、年末年始に連続して Eliot さんが書いて下さったことに、すべて応じてみたいと思い
ます。その後、浜谷さん、ST さんが書いて下さったことを考えます。

 明日は、新しい塾の部屋に、これまで使ってきた汚れたカーペットをそのまま敷いてから、庭の
隅に積んである丸太をチェーンソーでたんころにする(輪切りにする)仕事があります。今年は、
引っ越し騒ぎのせいで、冬を越すのに必要なだけの薪が準備できていませんので、急がなければな
らない仕事が山積みです。
 明日、書けるかどうかわかりません。
 少しお時間を下さい。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


1631あけましておめでとうございます! 投稿者:たかあき 投稿日: 1月 8日(火)14時28分37秒 
今年もよろしくお願いします!
 

http://accessplus.jp/


1632STさん・根石さん 投稿者:Eliot 投稿日: 1月 8日(火)23時12分32秒 
STさん
 素読舎の見学を17日あたりから1週間〜10日ほどなさるという件は決定ですか。実は私は28日(月)から31日(木)まで長野県茅野市の白樺湖(更埴市の南、直線距離で50キロたらず)のリゾート温泉ホテルに四連泊します。スキー修学旅行で中3生を連れていくのです。よろしかったらおいでになりませんか。ホテルは空室が十分ありますから、おっしゃっていただければ私が割引き料金の交渉をいたしますが。
 私の滞在中に根石さんもホテルに来てくださることになっています。

根石さん
 以前使っていたコンピューターが死んでしまったので、メールの控えがなくなって、お会いする約束の日がいつだったかはっきりわからなくなりました。メールか掲示板でお知らせくださるようお願いします。29日(火)か31日(木)のどちらかでしたよね。
 

 
 


1633根石さん、STさん 投稿者:Eliot 投稿日: 1月10日(木)13時25分24秒 
29日 午後4時〜6時・午後7時から9時
30日 午後4時〜6時・午後7時から9時
31日 午後4時〜6時 

以上の時間帯であればいつでも結構です。
 
 


1634エリオット先生と根石先生へ 投稿者:ST 投稿日: 1月10日(木)20時04分51秒 
1月29日(火)の午後4時〜6時と7時〜9時の時間帯にエリオット先生の滞在先でお会いして、その後、一緒に根石先生宅へお連れしていただくことは可能でしょうか?
素読塾に生徒さんがこられ、実際に授業されるのは、週の後半と伺っていますが、31日(木)〜2月2日(土)あたりに授業の見学は可能でしょうか?3日には京都に帰る予定です。
勝手なお願いで申し訳ありません。でも私にとって、せっかくのチャンス、ぜひご両人の御大にこの機会にお会いしたいと思っています。

 
 

1635訂正 投稿者:ST 投稿日: 1月10日(木)20時11分14秒 
直前の投稿(日本語力がないもので。。。)
誤:お連れしていただく
正:連れていっていただく

追加事項
その日(29日)は9時過ぎまでになる可能性が高いと思います。根石先生のご都合を伺った後、エリオット先生の滞在先に一泊以上することも考慮に入れています。
 
 


1636エリオット先生へ 投稿者:ST 投稿日: 1月10日(木)20時13分34秒 
メールアドレス、今のところでてきません。すみません。

こちらにお送りくだされば、折り返しご連絡させていただきたいと思います。
millennium2000@hkg.odn.ne.jp

 
 


1637どんな展開になるのか、楽しみです! 投稿者:ST 投稿日: 1月11日(金)17時54分40秒 
今度、お会いする時になにかテーマというか、話題というか、話をしたいことを予め決めておくのもいいのではないかと思いました。もちろん、話の流れにまかせるから、話が面白くなる部分もあると思います。実際それが話の面白さではないかと思います。しかし、話が煮詰まったときや、話題が途切れたときなどは、各人が話をしたいことが予め決まっているとよいのではないかと思いました。根石先生、エリオット先生、どうですか?
 
 

1638バニラが通じたのはイメージ獲得と言えるか? 投稿者:ST 投稿日: 1月11日(金)18時22分04秒 
ST>「通じる音」を「通じる」と「音」に分けたほうがいいのではないかと。

ST>「通じる」はあくまでも「生活言語」に関すること。
「音」は「語学」の中の初歩の段階を指す音(音A<=物真似的な音>)のこともあれば、「イメージとの同致」の後の「音(音B<=一見物真似しているようでその人にしか出せない固有の音(声?)」の2種類があるということです。

音A(例えば北島三郎の歌は北島三郎の物真似をするかのごとくカラオケで歌う)が好きな人もいます。
音B(例えば北島三郎の歌を、カラオケで歌っている人の声らしさを前面に出して歌う)が好きな人もいます。

ST>音Aにはイメージは入っておらず、
音Bにはイメージが入っている、言い換えるとその人の「たましい」(なんとあやしい言葉の使い方!?)でも「言霊(ことだま)という単語もあるなあ、とも考えました。)が入っている、と言えますか?

書きながら考えています。例えば、takeという単語を見たとします。もちろん前後の単語や状況からどんな意味かを推測します。浪人生のころ、take=get+will(意志)と書いてある参考書を見つけました。なるほどと思いました。英和辞典を見てみました。すると、みるみるうちにそのtakeという単語のイメージが自分の身体に定着していく感じました。しかし、それは人が書いた「借り物」です。自分自身が苦労して英文を大量に読みこなし、獲得した知識ではありません。それでは
自分でイメージを獲得したとは言えません。イメージを獲得したというのは「自分自身の経験」がからんでいるのでしょうか?
例えば先のエリオット先生の「バニラ」のアクセントは発音をマスターして、通じた(つまり自分の希望したバニラが出てきた!)ことは単語レベルにおいては、イメージを獲得できた(自分の経験と音が一致した<同致した?>ということにはならないでしょうか?

 
 


1639エリオット先生と根石先生 投稿者:ST 投稿日: 1月12日(土)22時28分19秒 
1月29日(火)30日(水)はSTが、31日(木)は根石先生とSTが、
エリオット先生の滞在先ホテルに宿泊します。
先ほどの電話でレッスンで、根石先生とSTが確認しました。
エリオット先生、予約をよろしくお願いします。
根石先生も今一度ご確認ください。
 
 

1640長野訪問について 投稿者:ST 投稿日: 1月13日(日)00時33分56秒 
一応、決まりました。エリオット先生、根石先生、情報、ありがとうございました!
STは1月29日(火)に長野へ移動、池の平ホテルに宿泊(3泊<1月29・30・31日>)、
2月1日(金)に根石先生宅へ移動、根石先生宅に宿泊(とりあえず2泊<2月1・2日>)、
都合で、さらに根石先生宅に宿泊<2月3日4日5日6日>
2月7日(木)には京都に帰る予定です。

根石先生の「どんでん返し」やエリオット先生の「音読指導への道?」を読み返したいと思います。
 
 


1641なかなか 投稿者:Ton 投稿日: 1月13日(日)11時58分09秒 
この掲示板に入り込むのは勇気がいる雰囲気ですが(爆)

根石様

次のお原稿20日くらいまでにご出稿いただきますようお願いします。

http://www.doujinsha.com


1642バニラがでたついでに 投稿者:パクパク 投稿日: 1月13日(日)12時40分07秒 
個別の母音や子音が完璧にできても
英語のリズムとイントネーションが
できていないと通じない音になります。
逆に、個別の母音と子音が完璧でなく
ても、英語のリズムとイントネーションが
できていれば、通じる音になります。
とすれば、英語の磁場にいない日本人が
この英語のリズムとイントネーションを
どうやって、獲得するかが問題となります。
当然、微小ながら、さまざまな試みが
なされていますが、成果はこれからでしょう。
英語学習で、教材として
映画をつかうと、この問題にぶつかります。
シナリオを見れば、簡単な英文でも
聞き取れないのは、発音の問題よりも
英語のリズムとイントネーションが
大きいからです。
正月に、通じる音vs完璧な音の論争が
あったのですが、この英語のリズムと
イントネーションにからめての議論が
ないので、バニラでおもいだしたので
アップしておきます。

 
 

1643Eliot さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 1月13日(日)14時52分06秒 
 昨夜、ST さんのレッスンの時にお話して、レッスンが終わったら掲示板に書きますと
言っておきながら、うとうとしたらそのまま眠ってしまいました。昼間、薪割りをしたの
で、適度に体が疲れてぐっすり寝てしまったようです。ごめんなさい。
 ST さんは、早めに来られて、池ノ平ホテルへ数泊される。私は31日、午後か夕方、
行きます。夜、一杯やるような場所はホテル内にあるでしょうか。テーマを決めて議論し
たらどうかというような提案が、ST さんからありますが、議論は掲示板でやることにし
て、のんべんだらりんと飲みませんか。私はその方がありがたい。
 議論というのはなかなか噛み合いませんが、忌憚なく行うことが大事だと思っています。
日本の英語をめぐって、忌憚のない議論というものが、あまりにも行われてきませんでし
た。この年末・年始にやった Eliot さんと私の議論でも、Eliot さんが考えを書いてくだ
さり、私がそれについて書くことで、私は自分の考えをより明確にしていくことができま
す。そのことで、日本の英語に潜む問題点をひとつでも多く明らかにできるなら、日本の
英語の状況にとって収穫になるはずです。問題点が明らかになれば、それにどう対処する
かを考える出発点が定まるからです。過去ログを整理して、いずれホームページの記事と
して独立させるなどの作業を行えば、今後、掲示板を読みにきてくれる方の参考になると
思います。
 議論がどんなに激しいものになってもいい。それで、日本の英語に潜む問題点が新たに
ひとつみつかるならば、収穫があるならば、私たちは議論を継続すべきだと思っています。
 最近は、私も酒を飲まずに書いています。酔っぱらいのくだにしてしまっては、日本の
英語の今後を考えている人たちに対して失礼であると反省しましたので、正座まではしな
いまでも、酒を飲まないで書くことに努力しています。
 と、普段はそんなふうにやらせていただき、たまに会う機会があったら、議題なんぞな
いままに、のんべんだらりんとやりませんか。ちびちびでもぐいぐいでも、作法を問わず、
お酒を飲んでしまいましょう。それがありがたい。私は人見知りが激しいので、とにかく
飲ませていただきたい。
 2月1日、金曜日は、夕方から仕事がありますので、31日に池の平ホテルに泊まり、
1日に ST さんを乗せて自宅に戻ります。
 今、白樺湖の方の冬の道路事情を知っている人にたずねてみましたが、夜はチェーンが
ないと登らないそうです。昼間は、塩カルを撒いて雪を溶かすそうですので、31日、午後3時頃までには白樺湖まで登ってしまおうと思います。
 ということで、31日、私の分の宿泊の予約を池の平ホテルの方に入れておいていただ
きたくお願いいたします。ST さんの予定も決まったようですので、そちらと一緒にお願い
致します。


 
 


1644Ton 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 1月14日(月)00時40分28秒 
他の原稿の締切がちょうど20日で、二本書かなければなりません。
一日、二日ずらしていただけますでしょうか。

まだ、お礼を申し上げてありませんでした。
連載二回目の掲載、ありがとうございました。
その後、1,2カ所、校正箇所をみつけましたが、もう一度読んでみて、ここに書くということで
よろしいでしょうか。

Kawakami さんは元気にしておられますか?
 


 
 


1645おはようございます 投稿者:Ton  投稿日: 1月14日(月)05時12分54秒 
了解です。どうぞ、おっしゃってください。
Kawakamiは、毎日、こちらをRomしておりますので、変化があれば連絡が参ります。

よろしくお願いします。

http://www.doujinsha.com/


1646練習の成果 投稿者:okada  投稿日: 1月14日(月)12時03分49秒 
 札幌の岡田です。「電話でレッスン」をやり始めてから、既に六ヶ月が過ぎました。テキストは「ゴースト」を使っています。現在49ページまで進みました。レッスンは、相変わらず緊張感があり、すらすら読めるようにしていく作業を楽しく感じています。
 初発の英文を読む際に、リズムを作るのは、なかなか難しいと感じます。一度、レッスンを受けてから練習すると、読みやすくなります。どこで切るのか、どこにアクセントを置くのか。自分ではなかなかうまくとらえられません。だから、回転読みがうまくつながっていかない。やはり、コーチの存在が重要だと感じています。
 もう一つ、レッスンを受けて感じたことがあります。復習テストを受けるとき、どこの場面かを把握しないと、うまく読めないということです。

 
 

1647okadaさんへ 投稿者:ST  投稿日: 1月14日(月)19時02分25秒 
>復習テストを受けるとき、どこの場面かを把握しないと、うまく読めないということです。

STと申します。はじめまして。「練習の成果」を読ませていただいています。実は私も「ゴースト」で電話でレッスンを受けています。okadaさんの「場面を把握しないと」の部分を読んで、私も全く同じだと思いました。「どんでん返し」にあるように、「文全体のイメージ」が鷲づかみしていると「回転読み」はスムーズにいくと思いました。これからも、同じランナーとして、よろしくお願いします。
 
 
 
 

 
 
 


1648パクパクさんへ 投稿者:ST  投稿日: 1月14日(月)19時06分55秒 
「音」の問題に限って言えば、個々の音素の問題より、リズムやイントネーションなどの方が、大切だと、私も思います。
 
 

1649根石先生 投稿者:ST  投稿日: 1月14日(月)22時38分18秒 
投稿ありがとうございます。
議論はかみ合わないから、楽しいのだと私も思います。
流れにまかせて話をするのも面白いと思います。
私がぜひエリオット先生と根石先生にお聞きしたいことは、
「初心者がおさえておいたらよい音声のポイント」
「電圧装置(=単語の覚え方)の効果的な作り方」日本語から英語、英語から日本語など
「語学の英語と生活英語について」
などです。しかし、もちろん、これらの話題にこだわりません。

とりとめもなく話をしている中でこんな話ができたらいいなあと思っています。


 
 


1650okadaさん STさんへ 投稿者:YASU  投稿日: 1月14日(月)22時41分03秒 
私もゴーストのレッスン受けてます。今,始めて一ヶ月あまりの新参者です。よろしくお願いします。自己学習の内容は,レッスンを受けた部分の意味を調べて,全ての文章の回転読みをやっています。当初,ただ読むだけだから楽勝と思っていましたが,レッスン時に文章がすぐ出るようになるためには結構な練習が必要です。こうやって文章を自分のものとして貯えていけば,少しずつ会話ができるようになるのかなと期待してやっています。
 
 

1651YASUさんへ 投稿者:ST  投稿日: 1月15日(火)07時56分22秒 
ゴーストで学習している仲間が増えてうれしいです。

私は最近2ヶ月ほど休んでいましたが、また復活しました。今50ページまでいっていますが、復習をこれからしっかりやらなければと、思っています。

回転読みにまさる基礎基本英語の学習はないと確信しています。これを基本に自分なりの学習方法をプラスして、今後も精進していきたいです。よろしくお願いします。
 
 


1652アメリカ口語教本 投稿者:パクパク  投稿日: 1月15日(火)09時45分56秒 
リズムとイントネーションを
これでやろうとおもっています。
SSS方式でも指摘していますが
どんなに英語ができる人も
入門編から入り、過去の毒を
洗い流すのがいいそうです。
回転読みは、このために
非常にいい方法だとおもいます。


アメリカ口語教本 入門用 新訂版
ISBN:4327440388
・ウィリアム・ロ−レンス・クラ−ク
研究社
1984/04出版
161p 21cm A5

 
 


1653話体1000をしゃぶり尽くす! 投稿者:ST 投稿日: 1月18日(金)17時40分14秒 
<話体の文章を千個頭に叩き込め。話はそれからだ!>みたいなことが書いてあったように思うんですが。。。

これは「どんでん返し」の中ですか?
 
 


1654回転読みの回数 投稿者:ST 投稿日: 1月18日(金)17時54分09秒 
>これまでの標準的な英語学習法は、「繰り返し」の回数があまりにも少なすぎると思います。國弘さんの「只管朗読」も、「朗読千回」も、「音読」として光を当てると同時に、「繰り返し」という力点を押さえて捉え返す必要があると考えています。

回転読みの回数は技法グラウンドで電話でレッスンでは5回連続ですが、
国広先生は「1回読めば1回の効果、1000回読めば(音読すれば)1000回の効果」という言い回しでおっしゃっていたと思います。

私は5回という回数は根石先生の永年の実践の中で巧みにうみだされたものだと思いますが、
この掲示板に参加されている皆様は何回が適当とお考えですか?
 
 


1655英語の上達について 投稿者:berangkat 投稿日: 1月18日(金)19時52分18秒 
こんばんわっ!私の英語の歴史をひもときますと、高校までは塾の受験英語、大学時代は、大学院を受験しようと考えたので、某英会話教室に3ヶ月くらい英会話を習った後、少し、プライベートレッスンを習いました。大学の単位をさっさととっていたため、3、4年生にもなると授業が暇になり、時間があったのと、ちょうど4時ぐらいは、生徒がいなかったので、英会話のレッスンも高校生2名と私の3名でわいわい愉しくグループレッスン!そしてプライベートレッスンでは、大学の図書館から探してきた英語の専門書のリーディング等それはそれで愉しく過ごしておりました。
大学時代、アメリカには、研修でロスやサンフランシスコ、卒業旅行にニューヨーク、ワシントン、計2回訪れておりましたので、そのころから「留学したい」と思っていました。
しかし、実際にはお金もなかったので、すぐ就職するのも嫌だったという単純な理由から大学院を受験することとし、見事「さくらちる・・」で、結局就職することにしました。その頃から就職氷河期といわれてましたが、160分の1の確率で合格したときは、素直に喜びました。そんな喜びもつかの間、とにかく忙しい会社で、全国を飛びまわったり、時間に追われている生活を送っています。初めの3年間は、とにかく無我夢中で仕事を覚えておりましたが、なんか、急に虚脱感を感じ、そんな時、「素読舎」と出合いました。
入社後、私は、何かをしたい、いや、何かをしている自分が欲しくて、高いお金を出し、「英会話教室」にはたまた通っておりました。
キャッチフレーズは、「フリータイムレッスンなので、忙しい方でも無理なく通える」「ネイティブな外人と時下に接することにより驚くほど英語が話せる」
こんな、魅力的!?なキャッチフレーズがその頃の私にはたまらないもで、「頑張るぞ」のわけのわからない意気込みとともに、英会話学校の門を叩くこととなりました。
大学時代に通っていたときは、午後4時に行ってたので、このキャッチフレーズのとおりとはいいませんが、無理なく、少人数制で愉しく通っていましたが、今度は、そのときとは状況は違います。まず、「楽しさ」だけを求めているわけではない、そして、時間がない・・・・・
私の正規のレッスン時間は7時から8時!しかーし、仕事をしていると、とにかく時間がないので、結局8時頃のクラスに振り替える日もあります。
「振り替えられるならいいじゃん」とここで一瞬思ったあなた、そこが大きな落とし穴なのですよ。世の中には、不況とはいえ、私のように忙しい人間が多数おります。その方たちが私と同じことを考えてごらんなさい!「少人数制」が「大人数制」に替わり、「無理なくレッスンが受けられる」が「無理してでも受けさせろこの野郎!」に変わるのです。
授業は、低学年が持っているような大きな活字の教科書を見て、発音練習、紙芝居のような絵をみせられて、描いているものが何かを当てる、唄をうたう等‥
確かに、クラスの方との出会いもあり、愉しくないとはいいませんが、無駄が多いのです。
本当に勉強したい、覚えたいという方は、よほど自分に信念がなければ、大規模で、綺麗な英会話学校をのっとるぐるあいの気持ちがなければ、気持ちがあっても、実力がなければ、多額の授業料
がとても、もったいないものとなってしまう気がします。
大きな英会話学校にだって、メリットはあります。最新の機器に触れ、直にネイティブスピーカーと接することができ、綺麗な教科書、綺麗な本、数々の教材、そして、色んな方との出会い・・・
その時の出会いにより、今も交流のある友人もいるので、全てを否定するわけではありませんが、私が、「もっと英語を効率よく勉強したい!」という気持ちが強くなったから、疑問を感じたのかもしれません。

長くなったので、続きは、また来週!来週は「素読舎」との出会いについて書きます。

文章が下手ですいません・・・
 
 


1656答え 投稿者:YASU 投稿日: 1月18日(金)22時19分01秒 
<これは「どんでん返し」の中ですか?

いや,素読舎で発行されたコテンパンという小冊子です。
 
 


1657Obsolete usageと受験英語(1) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時08分19秒 
根石様

>obsolete なものの扱いに関しては、その扱う順序が肝心だという判断はあります。先に現代英語をやるべきであり、それが使えるレベルになって、必要があれば、obsolete なものを扱うのがいい。その順序が大事だという考えです。

おっしゃる通りだと思います。

>obsolete な英語が「700選」などに見つかるのは、受験英語に古い英語が出題されるということが根本の原因です。ですから、単に「700選」などを槍玉にあげて、受験英語、あるいは受験体制そのものの批判に及ばないのであれば、解決にはならないと考えています。日本の英語を変えるための的が外れてしまいます。

 私は、受験英語、あるいは受験体制そのものの批判を私のできる範囲でやっております。その一環として、私の授業の中でも生徒が受験英語の毒に冒されることをできるだけ少なくするように努力しているつもりです。一方、「700選」の著者たちは受験英語、受験体制を批判するどころか、その問題を拡大再生産しているのですから、批判されて当然だと考えています。つまり、受験英語の批判は批判として行い、妙な参考書や問題集の類も気づいた人が批判の声をあげていかねばならないということです。

>大学受験の英語に obsolete なものが混ざるのは構わないと私は思っています。日本の中学・高校の標準的な学校が、現代英語さえちゃんと生徒のものにしていないことが大問題なのであって、もし、中学・高校で現代英語の感覚ができているならば、大学受験の英語に obsolete なものがあるのは構わない。なぜなら、大学では、歴史も文学も宗教も扱うのだし、その中には中世史もあるし、中世の文学もあるし、さまざまな宗教文献もあるからです。

 この意見には賛成できません。テストとは「やったこと」の成果を問うものであるはずでしょう? 現代文しか勉強していない受験生に「現代国語」の試験だよといって、古文や漢文の問題を出すのが許されることでしょうか。「中学・高校で現代英語の感覚ができているならば、大学入学後に学ぶ英語に obsolete なものがあるのは構わない」とは思いますが、中高で現代英語をしか学ばない(そして日本人の中高生はそれを学ぶべきです!)受験生が受ける試験の中に古い英語や間違い英語があってはならないはずです。
 


 
 


1658Obsolete usageと受験英語(2)  投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時10分42秒 
>大学が、obsolete なものを扱うということは大事なことです。多分、だから大学入試にobsolete なものが出る傾向がある。

 医者になるために必要だからといって、医学部の入試に大学で勉強する専門的な知識を問う問題がありますか。

>大学用の受験英語は、それまでに出題された英語の問題を蓄積したものに基づいて、参考書や問題集が作られますから、その中に 当然 obsolete なものが混ざる。

 それは事実です。英語力が不十分な大学の入試問題作成担当者と、同様に現代英語の知識が不十分な参考書・問題集の著者と編集者たちが19世紀の用法をいつまでも再生産しているのです。「入試に出るから参考書・問題集に出る→参考書・問題集にあるから入試に出る→入試に出るから・・・→参考書・問題集に出るから・・・→」という悪循環を断ち切る力がないのです。
 例えば関係代名詞としての but を含む There is no rule but has some exceptions.という文が受験用の参考書の類には出ていますが、この but=that…not…は完全にすたれた用法であり、先ほどの英文は英語圏の大学教育を受けた人の大半にとって理解不能な英語です。インターネットのgoogle searchを使ってこの文を検索すると、この文を含むウェブページは、一つを除いてすべて日本語・韓国語・中国語のいずれかで書かれた英語学習者用のものです。この文を学習すべき例文として載せてあるわけです。ひとつだけ英語で書かれたページにずばり There is no rule bust has some exceptions.という文が使われていますが、それは200年前に生まれたイギリス人の著作の中にあるものでした。
 この but がどうして日本の大学入試にも参考書・問題集にもあるのか。その理由はただ一つです。これが廃用であると知らない人と、知っていながらそれを捨てる勇気がない人たちが日本の英語教育に多すぎるからです。
 理科や社会の分野で10年前にはこう教えていたが、新しい理論や発見があったので、今では教えることが違っているということは特段珍しいことではないでしょう。受験英語だけは時代がどう変わろうと英語がどう変わろうと先ほど述べた「悪循環」をグルグル回っているという困った状態にあるのです。「フランス革命は1789年に起きたが、入試では昔から1798年に起きたと答えねば×をもらうことになっているので、入試のためには『フランス革命は1798年』と覚えておきなさい。入試が終わったらそんなの忘れなさい」という歴史の教師がいるでしょうか。多少なりとも受験英語の古臭さと珍妙さを知る英語教師は日々そのようなことを生徒に向かって言わねばならないのが現実です。
 


 
 


1659Obsolete usageと受験英語(3)   投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時13分43秒 
>先にやるべきことは、現在の中学・高校の英語の扱いの批判になります。それが変わるまでは批判をゆるめてはならないと思います。「700選」のケチをつけることなど、その後でいい。それよりもはるかに大きな問題が、中学英語、高校英語、総じて文部省管轄英語にあるのです。

 確かに中学英語の教科書の内容は文科省が決めています。実践的コミュニケーションをキーワードにしてますます英語教育を迷路に引き込もうとしているのもあの役所です。しかし、多くの高校で英語の授業の内容を実質的に決めているのは、検定済みの教科書でもなく、文科省でもなく、大学入試問題です。「大学入試に出るから授業でする」という至極単純な図式なのです。現に私の勤務校では通常、高校2、3年の授業では検定済み教科書を一切使わず、受験参考書・問題集を使って勉強させています。文部省は高校で教える英語の中身については教科書を検定する以外にはほとんど影響力はないと考えています。

 中学高校の授業で現代英語しか教えない授業が実現するためには、大学入試問題に現代英語しか出ないという状況が不可欠です。「試験に出るから勉強する」というのはすなわち「試験に出ないことは勉強しない」と同じことだからです。そうすると今一番悪い奴は、入試過去問や市販の問題集を参考にしながら、すでに廃用となった英語を試験問題として性懲りもなくまた出題する、実力のない大学教官ということになります。
大学入試の内容についても文科省は大学センター試験以外にはまったくと言っていいほど影響力も指導力も持ちません。各大学は勝手気ままに問題作成をしており、どんな不適切な問題を出そうが、こと英語の問題に限っては社会的に糾弾されることもまずありませんから、気楽なものです。他の科目では入試問題で間違ったことを問うと新聞沙汰になったりしますが、たとえ、関係代名詞のbut を知らない、英語圏育ちのバイリンガル受験生が but を問う問題で得点できなくて憤慨しても、そんな問題を出した大学が釈明するということなど聞いたことがありません。
 もっとも、不適切な入試問題を批判する動きがまったくないわけではなく、最近予備校の河合塾が入試問題批判ブックレットを作っていましたし、河上道生著「これでいいのか大学入試英語(上・下)」(大修館)というような力作も出版されています。河上氏は「英語参考書の誤りとその原因をつく」(大修館)という非常に参考になる本も出しています。しかし、中高の英語教師の多くは、英語力不足のために、今日も疑うことなく、19世紀の用語、用法を自分の生徒に覚えこませようとしているのです。「入試によく出るよ」と言いながら。
 根石さんと私は塾と学校という違う環境で英語を教えていますから、問題点のとらえ方が異なるのも仕方がないかもしれませんが、私が思うに、日本の英語教育で一番悪いのは不適切な入試問題を作る大学教官たちであり、次に悪いのが英語の力がたいしてないくせに英語の勉強をせず、生徒に不適切なことを教えていることに気づかない中高の英語教師です。文科省(こいつも相当のワルですが)はそのあとに来ます。

 
 


1660Obsolete usageと受験英語(4) 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)14時51分54秒 
 おっと忘れるところでした。妙な英語をまきちらしている参考書・問題集の著者たちも日本人の英語習得に対し大きな害を与えているので、よくありません。あまたの出版物に散在する妙な英語に気づいた人はそれをびしばし指摘し、著者と出版社の自覚を促すべきです。私は今主婦の友社から出された「英語は英語で勉強するな」という本の中のたくさんの間違い英語を訂正させようと編集者と著者に問い合わせをしているところです。その件については古川さんの掲示板↓をご覧下さい。Rayさんの回答も見てください。
 英語教師自らが日本の間違った英語教育の犠牲者ともいえますので、彼らの英語力が不足しているとしても、彼らだけを責めることはできません。しかし、そうであっても私は言いたい。
「英語教師よ、もっと英語の実力をつけるよう勉強せよ」
それだけでも日本の英語教育はいい方向に向かうはずだと私は信じています。

私も自分の英語力を高めるために勉強を続けています。この掲示板を見る若い方たちのために、私がどういう勉強をしてきたか、今どうやって勉強しているかについてそのうちに書き込みをしたいと思っています。

http://www.tk.airnet.ne.jp/furukawa/english/bbs/


1661古くさいbut 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)18時27分25秒 
陳腐なbutの話をさらに少々。

×I cannnot but laugh.(古くさい)
○I can't but laugh.
○I can't help laughing.
○I can't help but laugh.

○It never rains but it pours.(ことわざ)
×No man is so old but he may learn.(古くさい)
○No one is too old to learn.


 
 


1662訂正↓ 投稿者:Eliot 投稿日: 1月19日(土)18時28分40秒 
○I can't but laugh.を削除。
 
 

1663the foot of the hill 投稿者:パクパク 投稿日: 1月21日(月)14時43分00秒 
音とイメージの同致

音とイメージをむすびつける接着剤があるようである。
例)
 the foot of the hill これを「丘の足」と翻訳してきたのがいままでの
 学習法。
 これを、1000回繰り返しても、苦痛。
 5回の繰り返しで、同致するには、何が必要だろうか?
 やはり、英語の語順規則原理を知っていた方がいいようにおもう。
 なぜ、英語では、footが先に来るのか?
 それがわかれば、なぜ、ofが、あとに来るのかもわかる。

 
 


1664修行 投稿者:YASU 投稿日: 1月21日(月)21時58分28秒 
バクバクさん:音とイメージの接着剤って文章の内容をひとつひとつ吟味しながら読むってこと?それなら普通やってる様な気が...じゃなくてある一定の決まった語順規則原理を知る必要があるってこと?

STさん:回転読みって一文につき100〜200は最低やらないとなんか口に乗らないような気がします。映画のレッスンやってると新しいとこだけでなく結局最初から全部やらないと忘れるから,最初のほうの文は相当の回数読んでます。まあこれがいつまで続けられるかな?回転書きもやったほうがさらに定着するんかな?書きはでもつらいっすよね?
 
 


1665高校英語はむずかしすぎる。 投稿者:Jackie 投稿日: 1月21日(月)22時46分54秒 
こんばんわ。 夏に一度投稿したことがある、Jackieともうします。

高校英語ってむずかしいですね。 中学3年ぐらいから ぐぐっとむずかしくなる英語。
なにがって 文法用語(日本語)が 難しくてつまずき
 私はそれで 高校のとき英語の成績が2でした。
かっこをうめる問題も わけがわかりませんでした。

二年ほど前 中学の授業参観にいったのですが 英語を楽しそうに勉強しているのは 1年生。2年生もまあまあ 三年生の教室は とても静かで机にふせっている生徒もいました。先生が文法説明をしていたけれど
わかりにくかった。 

高校へいくともっと音読が 少なくなって むずかしい 演習なのでしょうか?
テキストの音読やリスニング 筆写 基礎文型の声だし練習や 言い換え、それを日本語から英語に訳すなど のトレーニングが 英語上達への近道だとおもうのです。
 

 
 
 


16665回と1000回の間 投稿者:いくこ 投稿日: 1月21日(月)23時05分23秒 
素読舎での素読をとりあげるとき、「(その例文を)5回言えればよい」ということが取り上げられます。では、本当に素読舎では、例文を5回きり言えればよいというのでしょうか。

それには、少々トリッキーな裏話があります。
というのも、素読舎はまったくの「自習塾」ではないということです。

素読舎の塾生は例文のできをチェックする人間(おじさんとかおばさんとか、最近では先生とか呼ばれている人達です)の前で、5回フレーズを繰り返します。そのゲートを通って次の例文に進むのです。
しかしながら、この5回の連続を達成するにあたって、ほとんどの人間は5回きり回転読みの自習をしただけでチェックを通ることはありません。塾生達は100回200回、場合によっては1000回ぐらいも回転読みをして、チェックに臨んでいるわけです。
こうして、素読舎の塾生の当面の目標は「5回くりかえして言える」ということのようにみえます。しかし、実際は、英文が体に定着するまで膨大な素読をしているのです。

この掲示板にいらしている方には、英語を素読などを用いて独学してらっしゃる方もいらっしゃるのではないかと思います。定着するまでおそらく膨大な素読をしていらっしゃるのではないでしょうか。素読舎の場合でいえば、この膨大な自習をチェックする機関ともなっていると思います。

さて、パクパクさんの「丘の足」の件ですが、「5回の繰り返し」だけで音とイメージを同致させるのには、少々無理があります。
膨大な回転読みの中で、全体の意味をわしづかみにとらえることと、単語のもつイデアを抽出して文章をとらえることは、回転読みをしながら同時に行うのがいいかと思います。私の場合は、回転読みで音をつくってから、徐々に捉えていく方が合っているようなので、極力、文章を作文しながらの回転読みをしないようにしています。

英語の語順規則原理を知ることは、英語のフレーズが体の中に溜まってからでよいのではないでしょうか。特に初学者には、有効のように思えます。

それから、
>the foot of the hill これを「丘の足」と翻訳、
については、直訳なら問題はないのではないでしょうか。これは、単語の持つニュアンスを秘めているように思えます。日本語への翻訳には意訳というステップが必ず伴うものだと思いますから、直訳の段階、あるいは頭の中で大意をつかむ段階では、問題とならないと思います。
むしろ、footという単語のイデアを捉える事の方が、英語を身につける上で有効ではないか、と思いました。
 
 


1667Eliot 投稿者:nobu 投稿日: 1月22日(火)03時02分44秒 
はじめまして。
お名前は以前からお見かけしております。
私も根石先生と同業者で、奈良で恩師と2人で英語塾を開いております。

で、下のカキコ読ませていただきました。
Eliotさんが仰せの通り、大学入試には「何でこんな古臭い英語を?」というのを
度々見かけることがあります。
で、ご指摘の通り、大学側と参考書側でのくだらん悪循環が未だに断ち切られぬままに
続いております。
僕もこれには頭を悩ませております。こんな英語を何時まで出題し続けるのか?
無能な大学入試作成者はいい加減に気付いてもらいたいです。
それと、大学入試に出題されるからといって、古臭い英語を「古臭い、使うな」と言わずに
教えている、無能な高校教師にもホトホト困っております。
実際、私どもの塾で、生徒に聞いてみると、高校教師は受験英語に振り回されているようです。

「英語教師よ、もっと英語の実力をつけるよう勉強せよ」

この言葉は、僕自信にも常に言い聞かせておくべき言葉なのですが、今の英語教育者にもっとも当てはまる言葉だと思いました。
 
 


1668暗記法 投稿者:パクパク 投稿日: 1月22日(火)10時33分39秒 
○I can't but laugh.
○I can't help laughing.
○I can't help but laugh.

似たような文章を、1000回も暗唱で
おぼえるよりも、記憶法に頼った法が
いいのではないでしょうか?
日本語でも、瓜と爪のおぼえかたがあります。
文章の覚え方を、いままでの英語教師は指導
していないとおもいます。
ちなみに、上記の3つの英文のストレスの
入れ方も、教師は説明した方がいいとおもいます。
棒読みでは、イメージと音の合致は生まれません。


 
 


1669イギリス人に尋ねてみたところ・・・ 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)16時28分33秒 
nobuさん、コメントありがとうございます。

 今日勤務校のALT(assistant English teacher)であるイギリス人青年(昨年来日)に次の三つの文を見せて、どう思うか尋ねてみました。
 1.There is no rule but has some exceptions.
 2.No man is so old but he may learn.
 3.I cannot but laugh.
彼のコメントです。
「1は意味がわかりません。2もよくわかりませんが、おそらくNo man is too old to learn.という意味でしょうね。3は意味はわかりますが、だれも使わない表現です」

 今日も日本のどこかで高校生・大学受験生が but=that...not/cannot but+原形動詞=can't help 〜ing と一生懸命に覚えようとしていることでしょう。What a waste!
 
 
 
 


 
 


1670わかりません。 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)16時35分05秒 
パクパクさん

>記憶法に頼った方がいいのではないでしょうか?

「記憶法」とは何ですか。

>瓜と爪のおぼえかたがあります。

???
 

訂正↓ 投稿者:Eliot  投稿日: 1月19日(土)18時28分40秒
○I can't but laugh.を削除。


 
 


1671SVOシンタックスを内在化させる 投稿者:ST 投稿日: 1月22日(火)16時41分57秒 
>英語の語順規則原理を知ることは、英語のフレーズが体の中に溜まってからでよいのではないでしょうか。特に初学者には、有効のように思えます。

まったく同感です。これが根石先生の言われる「からっぽの電池作り」ということなのでしょうか?シンタックスをある程度獲得した初学者は、量、英文に接することによって、「各単語に充電することで各単語から放電される」状態になっていくということですね。
 
 


1672I agree. 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)16時44分17秒 
>テキストの音読やリスニング 筆写 基礎文型の声だし練習や 言い換え、それを日本語から英語に訳すなど のトレーニングが 英語上達への近道だとおもうのです。

私もその通りだと思います。

>英語の語順規則原理を知ることは、英語のフレーズが体の中に溜まってからでよいのではないでしょうか。特に初学者には、有効のように思えます。

これにも賛成です。


 
 


1673YASUさん 投稿者:ST 投稿日: 1月22日(火)16時50分41秒 
STさん:回転読みって一文につき100〜200は最低やらないとなんか口に乗らないような気がします。映画のレッスンやってると新しいとこだけでなく結局最初から全部やらないと忘れるから,最初のほうの文は相当の回数読んでます。まあこれがいつまで続けられるかな?回転書きもやったほうがさらに定着するんかな?書きはでもつらいっすよね?

私も数えたことはないけれど、もちろん文の長さにもよりますが、100回、200回は読んでいると思います。最低でも。これは初めて接する文です。もちろん復習範囲となると、いつのまにか、500回1000回になっていることもあるかもしれません。それから「回転書き」はいつかやってみた実験では、私の場合、回転読みの回数の約6分の1回転書きできるということがわかりました。人にもよると思いますが、音読したり、ひたすら書いたりするなかで、聞けたり読めたりする人はこの方法はとてもよいとおもいます。でも逆のパターンの人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。つまり、聞いたり、黙読したりする中で、話したり、書いたり出来る人もいるんですよね。もちろん綴りは初学者は必須ですが。学習パターンは人によっていろいろあると思います。
 
 


1674なまもの英語と受験英語 投稿者:ST 投稿日: 1月22日(火)17時05分39秒 
エリオット先生>私も自分の英語力を高めるために勉強を続けています。この掲示板を見る若い方たちのために、私がどういう勉強をしてきたか、今どうやって勉強しているかについてそのうちに書き込みをしたいと思っています。

「Obsolete usage と受験英語」のシリーズを読みました。日々研鑚する必要を改めて感じています。イングリッシュを媒介にしていないと、いつのまにか、とんでもない方向に自分自身がいってしまい、はては生徒にもとんでもないことを教えてしまう。反省しきりです。

エリオット先生の書き込みをいつも楽しみにしている一人です。
 
 


1675現代英語と古い英語 投稿者:Eliot 投稿日: 1月22日(火)18時40分27秒 
>無条件に現代英語が偉いわけではないが、「ひとまず」、現代英語からやる方がいい。話す・聞くという場面では、死んだ人と話をするわけではなく、生きている人(現代人)と話をするわけですから、現代英語からやるのがいい。あるいは、産業界から要請される英語の質が、現代英語であるということもあるでしょう。しかし、聖書などをよく読んでみたいとか、教会で読まれる英語を理解したいとか、ことわざに含まれる語法を知りたいというのであれば、あるいは現代においても、obsolete な語法は必要となります。

 これに異論はありません。その通りだと思います。ところが、日本の学校英語・受験英語では「これは古い英語ですよ」と但し書きも何もない古い英語が教えられるため、生徒たちは古い英語と現代英語の区別ができない状態です。実際にはほとんどの生徒が自分たちは今使われている普通の英語を習いたいはずですし、そういう英語を習っていると思っていることでしょう。ところが、学校で、塾で、参考書や問題集で、さらには入試問題や英和辞典からも、古色蒼然とした英語が生徒たちの頭に流れ込んでいるのです。このことを端的に言えば「生徒たちはだまされている」のです。ここが問題なのです。イギリス人が、現代英語と判断しなかった次の文を私の同僚の年配の日本人英語教師に見せて、ALTのコメントを伝えたら、同僚は「へえそうなの? There is not rule but...の文は今までに何度黒板に書いて教えてきたかわからないくらいだよ」と言いました。もちろん2も3も特に変な英語だとは思っていませんでした。
 1.There is no rule but has some exceptions.
 2.No man is so old but he may learn.
 3.I cannot but laugh.

 これが現状なのです。もちろん私など足元にも及ばぬ英語の達人がたくさん英語教師として学校や塾などで教えていることは知っていますが、そういう人たちは全体から見ればまだまだ少数派です。大多数の英語教師は自分が生徒として学校で習った英語を自分の生徒たちに伝えていくのです。そういう先生たちは長年古い不自然な英語が含まれた参考書、問題集、英和辞典などに囲まれていますから、その珍妙さに鈍感になってしまっています。「大学入試⇔参考書・問題集」の持ちつ持たれつの関係の中に自らもどっぷりつかってしまって、ほとんどその外に出ることがない英語教師も少なくありません。

 私が「700選」や桐原書店の「即戦ゼミ」(通称「英頻」)などを批判するのは、これらの中の間違い英語や不自然英語が生徒のみならず、英語教師をも汚染しているからです。英語教師が、学生時代に古い英語と知らずに身に付けたものに早く気づき、努力して現代の普通の語法を学び直し、次世代の生徒にはきちんと今の英語と古い英語を区別して適切に教えることができるようになることが必要なのに、それを邪魔する大きな障害となっているのが、これらの書物だからです。聞くところによると、即戦ゼミの編者はこの本で何億円も稼いだそうですが、あの本は700選の問題点などかすんでしまうほどの不自然英語が満載です。そんな本が何百万人の受験生と英語教師に使われているのです。考えるだけで憂鬱になります。

 
 
 


 
 


1676700選の毒 投稿者:もっこり 投稿日: 1月23日(水)00時38分19秒 
Eliotさん、お久しぶりです。

「700選」とは懐かしい。私は2ページ目ぐらいで挫折しました。
「試験に出る英単語」も「英文解釈教室」も私は駄目でした。

Eliotさんや酒井邦秀さんの指摘は重要ですし、
参考書や構文集の筆者や版元には、古くなった文例や奇妙な日本語訳を修正し、
改訂する責任があるのは当然のことです。

ただ、学習者の立場で考えると、「700選」なり「即戦ゼミ」なりの文例の中で、
どれが古くさく奇妙な文なのかをよりわけて、まともな文と区別することができれば、
それ以上の「毒」を、これらの文例集や問題集から受けることはないと思います。
また、もし仮に両者をよりわけられないまま、一緒くたにして覚えてしまったとしても、
将来、生の英語と大量に接する機会を得たとしたならば、
不自然な文はいつの間にか淘汰されていくでしょう。

間違いのない適切な英語を教えるべきだというEliotさんの良心、信念は、
すばらしいですし、教える側にはそれだけの厳しさが要求されると思います。
しかし、日本の英語教育の最大の問題点は、
理解し暗記した単語や構文や文法を血肉化させるステップに欠けていることであり、
受験参考書の古くささや誤りは、周辺に属する問題ではないでしょうか。
 
 


1677Eliotさんへ 投稿者:nobu 投稿日: 1月23日(水)01時10分40秒 
桐原の「即ゼミ」の功罪は、日頃から生徒にさんざん言いきかしてます。
なのに、高校が一向に変えようとしない…
一方的に買い与えては、小テストで憶えさそうとしている。
しかし、教師の解説もなければ、付属の解答冊子もお粗末で…あれはイケマセンよね。
おそらく、無能な英語教師が、世間の風評に騙され、自分の目で確かめる事無く、生徒に
与えているのでしょう。
こうして何冊もの問題集・参考書を与えっぱなしで、生徒に英語の学力向上を求めるのは
間違いですよね。
うちの塾は、高校生向きのマトモな参考書・問題集があまりにも少ないので、テキスト類は
全てオリジナルで作っています。

しかし、前回も書きましたが、大学入試にでる古臭い英語が出題されなくならない限り
大学受験のために、教えなければならないのも現実です。
(ハッキリ言って辛いです。教える時はキッチリ、これは大学入試でジジイが使う
古い英語だから、大学入試の時だけでイイですよ、後は忘れてください、と言います。)
ちなみに、先生が以前、書かれたbutに関する該当テキストを掲載してみたいと思います。

---------------------------------------------
(3)私は笑わずにはいられなかった。
1) I couldn't help laughing.
*2) I couldn't but laugh.
3) I couldn't help but laugh.
4) I couldn't keep from laughing.
5) I couldn't resist (or avoid) laughing.
(*は古風な英語。読めるだけで良い。決して英作文では使わない事。)

[以下は解説です]

使い方さえ注意すれば、1) と 4) が英作では使いやすい。

1) cannot help doing : 〜せざるを得ない
この表現はニュアンスが難しい。
一般的には 「感情を抑えきれずに〜せざるを得ない、〜だと思わずにはいられない」
という場合に使われる。
行為や決定の選択が問題になるときには普通使えない。
例えば、「雨が激しく降っていたので、タクシーに乗らざるを得なかった」と言う場合に、
It was raining heavily, so I couldn’t help taking a taxi. は不自然。
〜, so I had to take a taxi. が自然な表現。
ただし、この「感情を抑えきれずに」というニュアンスは薄れる場合もあるようで、
We cannot help excluding several items from our discussion.
(いくつかの項目を議題から除かざるを得ない)や
I cannot help being poor.
(自分の貧乏はどうすることもできない)という例も見られる。
(これらは「新編英和活用大辞典 on CD-ROM(大修館書店)」から)
このような例外の指摘はやや曖昧な説明ではあるが、
「英語教育97年5月号(大修館書店)」のp.72にある。
また、「感情を抑えきれずに」というニュアンスを含まないものを不可としているのは、
「続英誤を診る(進学研究社または河合出版)」の p.45 にその指摘と例文がある。
さらに、「英語・この一言が難しい(洋販出版)」の p.93 では、
この表現を使うのが「一人前の大人」や「かなりの年齢の者」である場合は不自然
ではないが、子供が使うのは不自然だという指摘がある。
要するに、「感情を抑えきれずに、あるいは、そう思わざるを得ない」という
ニュアンスがある場合に使うのがよく、それ以外の場合に使うべきではない、
と覚えておくのが無難である。
なお、この helpは「避ける」という意味。

2) cannot but do : 〜せざるを得ない
非常に堅苦しく、ぎこちない表現で、日常的に使われることはまずない。
なお、この but は「〜以外」という意味。

3) cannot help but do : 〜せざるを得ない
やや口語的な表現。1) と 2)の混交表現。1) と同じく、
「感情を抑えきれずに、そう思わざるを得ない」というニュアンスを含む。

4) cannot keep from doing : 〜することを控えることができない
普通の表現。
特に「それをすると、不都合なことが起こるにもかかわらず」というニュアンスがある。

5) cannot resist doing : 〜するのをこらえられない
resist =「こらえる、我慢する」こと。
「そうしたくてたまらない」というニュアンスがある。
cannot resist が慣用的な表現。
cannot avoid doing : 〜するのを避けられない
avoid =「(意識して)〜しないようにする」こと。

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皆様、長くなってしまって、すみません m(_ _)m
 
 


1678素振りの材料 投稿者:ST 投稿日: 1月23日(水)12時03分03秒 
>大多数の英語教師は自分が生徒として学校で習った英語を自分の生徒たちに伝えていくのです。

私のことだと思いました。狭い世界の中で泳ぐ魚のようなものですね。イングリッシュを媒介としつづける中で、自分に対する激しい仮構力(根石先生はこのような言葉を使っておられたと思いますが。。間違っていたらすみません!)を常に生み出していないとダメで、よほどこころしてかからないと英語教師は続けてはいけないと改めて感じました。今日も回転読み回転書きをして「いつかあのイチロー選手が言っていた素振り」をやります。

エリオット先生は常日頃ご自分の素振りとしてどんな基本例文を内在化されていますか?それから生徒さんにどのような素振りの材料を提供されていますか?中学生では?高校生では?ぜひ知りたいです。それはセンテンスレベルですか?パッセージレベルですか?よろしくお願いします!
 
 


1679具体的に 投稿者:パクパク 投稿日: 1月23日(水)13時46分19秒 
宮本武蔵 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とする。

さいきん、型にはめる教育、暗唱をすすめる教育の重要性を
となえる教育者が登場し、ベストセラー本になっています。
その人の本のなかで、サモアの英語教育の実態調査が
あります。
ある決まった数の英文を、決まった数だけ音読します。
これを小学校でやっているようです。
教室が知識伝授ではなく、トレーニングの場という
ところに特徴があります。
上記の数の研究もしています。
武道の場合は、量質転換するポイントは
1万回ということです。
素振り1万回で、イメージと運動が合致するようです。

 
 


1680素読による読書案内 投稿者:ST 投稿日: 1月23日(水)21時51分09秒 
今日、根石先生の素読の英語以外のページを発見しました!
どこかのショールームのパソコンで素読舎か根石吉久で検索していたら、
「素読による読書案内」のページにぶちあたったのでした。
まだまだ読んでいないページがあります。興味のあるところからちょっとずつ読んでいきます。
 
 

1681知の移転 投稿者:パクパク 投稿日: 1月24日(木)10時45分50秒 
知識には、2つある
身体知:体や経験をとうして得た知識、言語化できない場合が多い。
観念知:言語や文字を通して得た知識、いわゆるお勉強

この観念知を身体知へ、変換することを、知の移転という。
この具体的な方法論が、いま研究されているわけです。

話はちがいますが、昨日 ベンハーを、大画面映画館で見てきました。
殆どが実写。
これに対して、グラディエィターは、CGでつくったもの。
映像は、どちらも、観念知であるが、知の移転力が、ベンハーの
方がおおきい。
優秀な芸術作品というのも、知の移転力が大きいといえる。

日本語の磁場のなかで、英語を獲得するには、身体知が
必要であり、そういう教師が必要ということになる。

 
 


1682がんばれ! 革命家外山恒一 応援スレッド 投稿者:M 投稿日: 1月24日(木)11時07分15秒 
http://plus1.home7.dk3.com/soc/index.html
 

はじめまして。
Mと申します。
ただいま、鹿児島大学医学部医学科二年に(一応)在籍している21才です。
そして、今、世間で問題になっている「引きこもり」です。

今、僕の置かれている状況を正直にお話ししますと、鹿児島市内のアパートでの
引きこもりがちの生活が始まって、約四ヶ月経ちます。特にここ一ヶ月くらいは、
酷くなって、ほとんど外出していません。鹿児島大学医学部から何度も授業に出席
するように電話連絡を受けていますが、そちらもほとんど出席していません。
原因は、生まれつきの内向的な性格と中学・高校時代に受けた教師や同級生達による
イジメのせいです。
元々、人より勉強や仕事が遅い方だったのですが、いよいよ、行き詰まってしまった
のかもしれません。内向的な性格と過去の担任教師や同級生達のイジメによるトラウマに
よって、本当に引きこもりが始まってしまいました。
鹿児島の自宅には、二つ年下の妹がいますが、僕のような不出来な兄と違い、妹は、
活発なせいか、もう一年ぐらい、まともに口をきいてくれません。
時々、自宅に遊びに来る妹の同級生達にも、不出来な兄の僕のことは、知れ渡っている
ようで、口をきいてくれません。

過去、三年間、何度も左手首を工作カッターで切断する傷害自殺を考えました。
(その時、左手首に工作カッターで傷つけた傷痕が、今でも残っています)。
でも、結局、死ぬのが怖いのと、中学・高校時代に自分をさんざん虐めた担任の
教師達や同級生達の笑い顔が、次々に浮かんできて、毎回、死ぬ寸前で思いとどまり、
臆病な自分の情けなさにとても惨めな思いを味わっています。

http://plus1.home7.dk3.com/soc/index.html


1683M 様 投稿者:Ton 投稿日: 1月24日(木)12時15分11秒 
根石様
  横レスです。まずければ削除してください。
  *そろそろお原稿をお願いします。

M 様
 21世紀の成人病、まがいもなく「精神医療」です。
 イマまで、タブーとされていた、この問題、みんなが、糖尿病や心臓疾患を語る様に
 おおっぴらに話し合う時代になってきています。

 加治木っこがカギっことならぬよう、新しい展開を試みてもいいかもしれません。

 精神病ははずかしい病気ではありません
 「三谷純子の精神医療地域最前線」 がんばっているサイトがあります。
  開かれた精神病院 「石越病院」。
 そこにBBSもあります。↓
 http://www.ishikoshi-hp.or.jp/

 引きこもりについては下にURLを入れておきます。
 過去ログから読んでみるといいかもしれません。

 斯くて「ガンバレ!! 革命家外山恒一 応援スレッド」は

 「ガンバレ!!M 応援スレッド」と書いておきたい(チェスト)

http://www.doujinsha.com/zuihitsu14_bk.htm


1684文法書 参考書さがし 投稿者:Jackie 投稿日: 1月24日(木)16時21分57秒 
>うちの塾は、高校生向きのマトモな参考書・問題集があまりにも少ないので、テキスト類は
全てオリジナルで作っています。

  オリジナルですか いいですね。
先日 東京の大手書店の参考書コーナーに 文法書と問題集をさがしにいきました。でも 難しい。 高校生はこれをみて理解できるんですかねー。大手予備校講師の書いた本もみてみましたが パッとくるもの わかりやすいものが みつかりませんでした。
文法書参考書問題集 おすすめありますか?

構文のドリルなど 中学用では TOTALの文型スタディーが 気にいってますが 高校用のドリルがみつからない。 
あえていうなら  井上一馬さんの 英語できますか の構文が まあ 基礎文型をカバー 東後幸生さんの英作文の本もよい。

英会話書コーナーでは 目がまわるほど の会話集。
 [Are you free this weekend?] から 映画の感想をのべる、その他の生活用語 スラングまで いろいろありました。
 英会話への興味はこういう会話から はじまります。〔私もそうでした)でもあえて
このような 会話は日本国内にいるかぎり つかいませんね。
が これらを使う環境がある人など どのくらい日本にいるのでしょうか?
 それよりもなによりも どんでんかえしでもかいてある SVOの語順を身につけるほうが
よほど あとになって生きてくるとおもうのです。

音読の本〔中学教科書抜粋)もいっぱいありましたが あれをかって 独習してどれだけの人がはなせるようになるのか 疑問です。 訳ものってなければ 文法説明もない。ドリルもない。
 なにせ コーチが いないのですから。
 

M様
  もう四ヶ月 ? まだ 四ヶ月ですよ。 
20代のはじめはたとえば浪人して友人に一年おくれても あせりますよね。
でも人生 一年や二年ひきこもってもたいしたことありません。若いときには とてつもなく人生を無駄にすごしたように感じてあせるかもしれませんが。

 医学部に入る頭脳〔羨ましい!)が あるのです。
 思いきって海外に とびだして 1、2年あそんでくる なんて どうですか?
 ヨーロッパ  アジア インド 中国 南の島々 カナダ 語学をならってくるのもよし
 遊んでくるだけでもよし、ホームステイでもよし。

 あなたは 海外向きかもしれない。 と文章を読んでいておもいました。
 
 


1685Mさんへ 投稿者:ST 投稿日: 1月24日(木)19時57分14秒 
私は現在34歳です。
この掲示板はすごく気に入っていてちょくちょく立ち寄っています。
私は音楽や英語に興味があります。

掲示板を眺めていてある作家の言葉を思い出しました。
「ひきこもるくらいでちょうどいい」(吉本隆明だったか?)

私もいろいろあって、仕事を休ませてもらってもう1年7ヶ月余り経ちました。
1年5ヶ月ほど経ったある日(自分ではその日ははっきり覚えています!)吹っ切れました。

冒頭のある作家の言葉について。
「ひきこもりは自分探しの旅の途中下車みたいなもの」と私はとらえています。


 
 


1686エリオット先生ありがとう! 投稿者:ST   投稿日: 1月24日(木)20時20分19秒 
前に買っていた「英語発音パーフェクト学習事典」をはじめて読みました。
今まで積読状態でした。せっかくエリオット先生に勧めていただいたのに。。。
とりあえず今日は「はじめに」「資料編」「コラム」などだけ読みました。

今まで保留されていたことがどんどん解決していくのでうれしくなりました。
明日以降少しずつ疑問点、自分なりに思ったことを書いていくつもりです。

エリオット先生、ありがとうございました!
音法(おんぽう=文法のように音に関するルール)に関心のある方は必見だと思います。

 
 


1687根石先生「素読について」 投稿者:ST   投稿日: 1月24日(木)21時08分23秒 
素読(そどく)。
読む素(もと)。
なぜ、「読む」「素(もと)」なのか?

日本語の「読む」には2つある。音読と黙読。
音読で英語学習・・・アウトプット(声を出して読む)してインプット(体に入れる)する。
黙読で英語学習・・・インプット(声を出さずに読む)してインプット(体に入れる)する。

コミュニケーションの成立(ここでコミュニケーションという言葉の解釈はとりあえず。。。)
=@内容+A音法+B文法(+C実体験)<Cを入れると、根石先生の論理は成り立たない!)

回転読み=@+A+B        最初のうちは@も一緒に欲張ると難しいが。。。
回転書き=@+B          ※回転読み・書き:?の人はこの掲示板で質問して!
電圧装置=@+Bの構成要素     ※電圧装置:単語の暗記など

上の丸で囲まれた数字を見てみる。Aは一つしかない!
いかに音法(リズムや個々の発音など)に関する学習ができていないか!
教師も知らないことを生徒が知りえようか?これが日本の英語教育の問題点。
(と、発音パーフェクト学習事典に書いてあった!)

初級:「音」と「文字」の同致(どうち)          ※同致:一致のような意味?
中級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」の同致
上級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」と「体験」の同致(生活言語としての言葉)

「初級」「中級」・・・学校ではここをしっかりおさえるべき。
「上級」を考えてしまうから英会話学校やコミュニケーション論が存在する。(根石先生?)

だから「素読」はすごーーーーーーい!!!
根石先生、最初は「音読」と「素読」の違いもよくわからなかったです。
でも自分なりにかなり見えてきたような気がします!また、書きます。


 
 


1688読んではいます。 投稿者:根石吉久  投稿日: 1月26日(土)00時28分37秒 
皆様、ご無沙汰しております。
読んではおりますが、書く時間がみつけられません。
しばらくお待ち下さい。

Ton 様

 なんとか七転八倒して、二つの原稿を書き終えました。
 ようやく、同人社様のにとりかかれます。
 もう少しお待ち下さい。

 
 


1689英会話学習 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)09時28分56秒 
Jackie様、はじめまして、少し前の貴方様の書き込みを興味深く拝見いたしました。M様への暖かいご意見は、現在大学に入っても全く行けないでいる私の娘にも聞かしてやりたいと、身につまされております。さて、

>英会話書コーナーでは 目がまわるほど の会話集。
 [Are you free this weekend?] から 映画の感想をのべる、その他の生活用語 スラングまで いろいろありました。
 英会話への興味はこういう会話から はじまります。〔私もそうでした)でもあえて
このような 会話は日本国内にいるかぎり つかいませんね。
が これらを使う環境がある人など どのくらい日本にいるのでしょうか?
 それよりもなによりも どんでんかえしでもかいてある SVOの語順を身につけるほうが
よほど あとになって生きてくるとおもうのです。

[英会話書コーナーでは 目がまわるほど の会話集。]いわゆる英会話のハウトゥ本ですよね。どの本がまともなことを言っているのか一般の英会話学習者に分かり難くなっているのが実情だと思います。 また、ここのHPがまともなことを言っているHPであることは間違いないと思うのですが、星の数ほど(と言えば大袈裟かも・・・)あるサイトの中でどのサイトがまともなことを言っているのかということもやはりそれらの人々に分かりにくくなっているように思います。この現状を打破する方法をみんなで考えて行くことが学校英語教育の抜本的改善と並んで喫緊の重要課題だと思います。 私は下記リンクのHPを開き、昨年より近所で英会話サークルを主宰し、良いハウトゥ本や良いサイト紹介しながら、まともな英会話学習の指導を暗中模索しながらやっています。 私は英語(英会話)教育が商業主義になると悪弊が出ると思っています。 根石さんのような良心的な塾や電話レッスンは数少ないと思います。私も過去に英会話の有料レッスンをしたことがありますが、学習者の意向に悪い意味で迎合してしまったことを反省しています。 大部分の商業主義的英語(英会話)学校・塾・教室は大なり小なりこのような矛盾を抱えながら運営されているのではないでしょうか?  英語(英会話)の学習はかなりの部分で、「独学」という「苦い薬」が必要だと思います。それが商業主義の犠牲になって学習者に正しく伝わっていないと思っています。 「独学」が必要であると言えば学習者は尻込みしてしまうか、「独学」なら別に英語(英会話)学校等に行く必要がない、ということになって商売はなりたちません。そこで、@「英語は絶対勉強するな」という本がベストセラーになるのだと思います。これは『楽しみながら「独学」しなさい』と言っている内容の本だと思います。また、A酒井邦秀氏が「どうして英語が使えない?」で提唱し、SSS式英語学習法のSEG英語塾が実践しているgraded readers から始めるペーパーバックの「頭のすすぎ洗い」的多読手法も同じく『楽しみながら「独学」しなさい』と言っているのだと思います。(URLは http://www.seg.co.jp/sss/) また、B根石さんが提唱、実践されている映画スクリプトの回転読みによる訓練も「映画スクリプト」版の「英語は絶対勉強するな」的学習手法だと思います。以上あげた3手法が英語(英会話)学習のためにはまともな手法だと思っています。勿論これら3手法以前に発音という基礎をしっかりやっておくことが必要なことはいうまでもありません。

また、「・・・英会話への興味はこういう会話から はじまります。〔私もそうでした)でもあえてこのような 会話は日本国内にいるかぎり つかいませんね。
が これらを使う環境がある人など どのくらい日本にいるのでしょうか?」
ということですが、英会話を学習する際誰もが持つ感想だと思います。しかし翻って考えてみると、会話なんてものは何がトピックになるか分からないものではないでしょうか?日本にいてもネイティブと話す機会は必ずあると思います。その際どんなトピックにも対応出来るように(喋れなくて聞くだけでも)しておくことが必要なのではないでしょうか?
上記Aの多読で十分な量の語彙・構文をインプットすべきではないでしょうか? 英語(英会話)の学習はそれほどしんどいものだということを学習者はまず認識すべきだと思っています。 海外留学をうたい文句にしている語学学校が沢山あり、事実沢山の人が語学留学をしていますが、どれだけの人が、成功しているでしょうか? やはり上記のようなまともな手法での学習を主として「独学」で地道に積み重ねることがまず大切だと思っています。

 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1690リンクURLの掲載し直し 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)09時46分30秒 
前の書き込みで引用したリンクSSS式英語学習法のURLは不完全でしたので、掲載し直させていただきたいと思います。

http://www.seg.co.jp/sss/

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1691音作り 投稿者:パクパク   投稿日: 1月26日(土)16時39分57秒 
浜谷さん

 3つの方法以外にも、鵜田さんの30音もいいとおもいます。

 
 


1692音作り手法 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)18時43分23秒 
バクバクさん、

音作りに関してはいろいろの手法があるようですが、私はあまり詳しくはありません。根石さんの素読の手法とか鵜田氏の30音などが、私が伺っている中で最も良いものと感じでおります。前の書き込みで「勿論これら3手法以前に発音という基礎をしっかりやっておくことが必要なことはいうまでもありません。」と言及いたしました。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1693努力 投稿者:パクパク   投稿日: 1月26日(土)19時07分24秒 
浜谷さん

 音作り  これは訓練がいるとおもっていたのですが
      鵜田式でそんな難題ではないとおもいました。

 多読   これはsss式です。
      sss式は、快楽原則がつらぬかれているとおもいます。
      酒井さんは、1000回音読のような訓練を嫌っているとおもいます。
      しかし、快楽原則にたてば、1000回楽しむことになります。

 とすれば、音作り+多読 でひとつの正解ではないでしょうか?

  
 
 


1694楽しんで勉強する 投稿者:浜谷  投稿日: 1月26日(土)23時16分43秒 
バクバクさん、

>音作り  これは訓練がいるとおもっていたのですが
      鵜田式でそんな難題ではないとおもいました。

音作りは初期の段階で誰もが通らなければならない関門だと思います。 繰り返しになりますが、私はあまり詳しくはありません。 しかし、私は文法同様この関門は早くさらりと通過し、次のステップ(メイン)で、復習範囲(サブ)として学習すべきだと思っています。

「次のステップ」とは前に言及させていただいた3手法のようなものが最も適当ではないかと思っています。つまり、多読(速読)、多聴(速聴)のいづれか若しくは両方が提唱されている手法がそうではないかと思っています。 

>sss式は、快楽原則がつらぬかれているとおもいます。
      酒井さんは、1000回音読のような訓練を嫌っているとおもいます。
      
「英語は絶対勉強するな」も同じような発想での学習法を提唱していると思います。根石さんの映画スクリプトを使った学習法も同様ではないか考えています。最近同じく映画スクリプトを使った学習法を提唱しているサイトを見つけました。 それは
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/8638/
です。結論として、「楽しんで勉強する」がこれらの手法のキーワードで、これからの英語(英会話)学習法の主流になるものではないかと感じています。 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


1695100% 投稿者:パクパク   投稿日: 1月27日(日)10時03分37秒 
浜谷さん

 映画を100%聞き取るとは、こうじさんみたいですね。
 
 


1696根石吉久 「素読社」第3回ー ばたばたと英語が死ぬのだー只今UPです     投稿者:同人社Web編集部 木村 投稿日: 1月27日(日)21時35分57秒 
音づくりをし、知識や理解を媒介にし、理解を伴った音として保存する。これが素読舎の方法である。知識や理解は音にサンドイッチされなければ使える英語にはならない。釣りは鮒に始まり鮒に終わると言うが、語学は音に始まり音に終わると言っていいほどに、音づくりは肝心なものだ
が、これを学校がまともにやらない。肝心要のものをやっていないのだ。何ヶ月以内かに、なんらかの結果を示さないと、つまり、子供に点をとらせないと、人々はわかろうとしない。音づくりに手間がかかる子供に、音づくりをさせている途中で、子供が塾をやめてしまうことが繰り返される。身を切られる思いだった。そして、芯が疲れるのだった。

いくら音をしっかりさせても、学校はテストで点をよこさない。本音のところでは、ほとんどの人たちが学校のテストの点というものになびくのである。あるいは、学校のテストの点になびく人たちの後押しをするのが塾の仕事だと思っている親が圧倒的多数なのである。ここのところで、首を縦に振らない素読舎は、経営的にはいつも崖っぷちを歩き続けた。(本文より)

執筆 根石吉久
写真 治村 義孝(PUU太郎のphotoレポート)
音楽 菅谷 正清 (SUGATANI Masakiyo)
   使用MIDI バッハソナタ第2番 第2楽章

同人社 お奨めサイト オーナーの横顔 第3回 「ばたばたと英語が死ぬのだ 」
じっくりご覧下さい。http://www.doujinsha.com/zuihitsu19[3].htm
 
 


1697素読(そどく) 投稿者:ST 投稿日: 1月28日(月)00時34分39秒 
素読(そどく)。
読む素(もと)。
なぜ、「読む」「素(もと)」なのか?

日本語の「読む」には2つある。音読と黙読。
音読で英語学習・・・アウトプット(声を出して読む)してインプット(体に入れる)する。
黙読で英語学習・・・インプット(声を出さずに読む)してインプット(体に入れる)する。

音読も黙読も、目的はインプット。つまり、体に入れるのだ!
「インプットする素(もと=元、源)」=「自分自身の体」なのだ!(父がヒントをくれた!)
自分の体に入っていないものは他人から発せられたメッセージを受けることはできない!

コミュニケーションの成立(ここでコミュニケーションという言葉の解釈はとりあえず。。。)
=@内容+A音法+B文法(+C実体験)<Cを入れると、根石先生の論理は成り立たない!)

回転読み=@内容+A音法+B文法    最初のうちは@も一緒に欲張ると難しいが。。。
回転書き=@内容+B文法        ※回転読み・書き:?の人はこの掲示板で質問して!
電圧装置=@内容+B文法        ※電圧装置:単語の暗記など

上の丸で囲まれた数字を見てみる。
A音法は一つしかない!
いかに音法(リズムや個々の発音など)に関する学習ができていないか!

教師も知らないことを生徒が知りえようか?これが日本の英語教育の問題点。
(と、発音パーフェクト学習事典に書いてあった!)

@初級:「音」と「文字」の同致(どうち)          ※同致:一致のような意味?
A中級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」の同致
B上級:「音」と「文字」と「内容(イメージ)」と「体験」の同致(生活言語としての言葉)

@初級とA中級=塾や学校の役割!
B上級を、その上に考えるから英会話学校(△)やコミュニケーション論(△)が存在する。
 根石氏は△を×を考えておられる!(と思います)

だから「素読」はすごーーーーーーい!!!
素読の「素(もと)」は「自分自身」なのだ!
 
語学はことごとく個性を否定される所から始まる(椅子がデスクでもいいわけだ、と根石氏)
語学は最後には、個性を肯定する。(自分の言いたいことを記号化していくのだ、と根石氏)
素読(自分自身(もと)でイメージをふくらませる行為)なのだ!
 
 


1698素読 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月28日(月)03時06分45秒 
STさん

 素読の「素」は味の素の「素」でもありますが、「素うどん」の「素」でもあります。
 素材の「素」でもあります。
 「そ」や「す」は、飾りっけのないもの、生のもの、原料、原鉱石、みたいなことです。
 飾りっけのない原鉱石が、そもそも「もと」にあるじゃないか。
 そうでなくて、何の宝石哉。

 昨日のレッスンの後で思ったこと。
 私は宗教的人間ですが、宗教をやる気はありません。
 今は、アニミズムが好きです。
 八百万の神を信仰したいと思います。つまり、「何でもあり」です。
 正しさや、学校が嫌いです。

 間違うことを恐れる人間は根性が狭い。
 
 
 


1699素読 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月28日(月)03時09分07秒 
「読む素」ではないと思います。
「そっけない読み方」だと思います。
 これは英語に当てはめると、<語学的標準形>になると思います。

 
 

1700複製? 投稿者:根石吉久 投稿日: 1月28日(月)03時13分03秒 
そんなはずはない。
芸能でもあるまいに、ネイティヴをそっくり真似してどうするというのか。
あっしら、芸人をやりたいのではない。
感情込みのものをそっくり真似してしまうなら、何かの奴隷となる。
やりたかねえ。
<語学的標準形>でたくさんだ。

つくづく、ネイティヴ感覚天下りは飽き飽きである。
いかにもニホンジンであるにせよ。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis