if anyone is interested in throwing their washbowls to hear them clang on a hard floor or down a flight of stairs. Nor do I care whether or not washbowls made of aluminum are better than those of plastic.
準2級リスニングテスト」読みました。陰ながら応援しています。やはり結果も出るものなのですね。
お返事が遅れ申し訳ありません。
この時間になってようやくパソコンに触る時間がとれました。
「大風呂敷」がメインタイトルの掲示板ですので、雑多な枝が生えるのはかまわないと考えて
いますが、サブタイトルは「英語に関する議論」です。サブタイトルを忘れているわけではあり
ません。どうでもいい記事がありましたら、読み流して下さるようお願いいたします。
自宅自作が大詰めに入っており、思うように時間がとれません。
レスポンスが遅くなることが頻発すると思いますが、お許し下さい。
書き込みありがとうございました。
同人社さんの掲示板は読みたいのはやまやまなんですが、どうにも時間がとれません。
こちらで書かせて下さい。私は実は歴史音痴でして、事の前後を取り違えているようなポカをやらかす可能性が大
の非立証的な人間ですので、よろしくご指導のほどお願いします。
脇田さんの該博な知識には驚いています。わからないことが出てきた時に、質問させて
いただいてよろしいでしょうか。「自由の女神」の原型がフランスにあることは知りませんでした。
「自由の女神」っていうのは、写真では何度も目にしていますが、ニューヨークに遊び
に行ったときも、ついに見に行きたいという気にはなれませんでした。ツインタワーやら
にも近づきもしませんでした。喫茶店の外の椅子に腰掛けて、道ゆく人を眺めているのが
一番楽しかったです。ニューヨークの黒人て、むちゃくちゃかっこいいですね。
「自由の女神」っていうのは、いったい正体は何なんでしょうか。あれは、キリスト教
と関係があるのでしょうか、ないのでしょうか。なんだかつかみどころのないしろものだ
と思っています。
近代の女神なんでしょうか。
根石様に「むっつり論」を御講義いただきわたしもその神髄を理解することができました。
またLee的が決して私のことではないことがわかり、ほっといたしました。(少しざんねん)
さて、今日伺ったのは、私「AHO同盟」と「せんめんき同盟」の会長を辞任いたしましたので、ご報告にあがりました。
どうも、「どうめ〜」や「れんめ〜」は私にはむつかしいようで、荷が勝ちすぎています。
私には一匹おおかみならぬ一匹ナメクジくらいが似合っております。今まで勝手におしかけご迷惑をかけたこともあろうかと思いますが、お許し下さい。
根石様の「アメリカ論」「自由の女神」ろん、おもしろく共感するところもおおかったです。
そんじゃ、失礼申し上げます。(深々と礼)
同人社様に書かれた九州の方言は楽しく読ませていただきました。
やっぱり、方言の徳というものがあると思いました。
こちらでは、私のような者を「だらっかす」と言います。
「やだあ、またこのおっしゃんはだらっかすなことばかり言って」
とか、
「あのおっしゃんはだらっかすだ」
というように使います。誤解が解けてうれしく思います。
本当に今は時間がありません。
いずれ、Lee 様の掲示板にも、Jさんの掲示板にもゆっくりおうかがいするつもりでおります。
その節はよろしくお願いします。
セーターについて、ご教示いただきありがとうございました。
どうも、着るものに頓着しないせいか、セーターのサイズのことなどはまるでわかりません。
ある決まった酒場で知り合ったアメリカ人が二人ほどいます。しかし、二人とも男で、あまり身なりにかまう様子もなく、セーターのサイズのことを聞いても、 Four sizes. が判明するかどうかはわかりません。聞いてみて、何かわかったらこの掲示板に書きます。
このアメリカ人には、ウドというオーストリア人がやっている酒場でよく会いますが、ウドの店にも顔を出す暇がとれないほど、せっぱつまった状態で体を動かしています。
あと一月ほどの間に引っ越しをやらないと、冬将軍とご対面になることになります。善光寺盆地は冷え込みがきついので、どうしてもあと一月ほどの間に、自作してきた自宅に引っ越さなければならないところに追い込まれています。
家庭の引っ越しと塾の引っ越しは避けられないとしても、薪の引っ越しはやりたくない。薪ストーブを焚きますので、薪をどちらに積み上げるかが大問題なのです。
まだ、台所もトイレも風呂もできていない状態ですが、あと一月以内に引っ越そうと決めてしまいました。
そんなわけで、すぐにお返事が書けるものかどうかわかりませんが、どうぞ、この掲示板にも時々はおいで下さるようにお願いします。原稿依頼についてすぐにお返事が書けず失礼しました。
Ton 様からメールをいただき、11月中に書くべきエッセイの原稿依頼を再度受けました。お手数をわずらわせ申し訳なく思っています。せっかくのご縁ですので、書かせていただくことに覚悟を決めました。将来、本になるかもしれないものは、この掲示板に書かせていただき、人様から意見をいただきながらゆっくり書いていきたいと願っています。こちらに関して、Kawakami 様に編集者として、アドバイスをいただきたいと思います。本の制作過程まで、あけっぴろげでやってしまおうという案ですがが、掲示板で不適当な場合はメールでいただけば結構です。
また、これまでにホームページに書いたものやこの掲示板に書いたものは、どこをどのように切り取り、どこをどの順番に組み合わせていただいてもかまいませんので、案がありましたら、メールなどで切り取り・組み合わせ後のものを見せていただけたらうれしく思います。それによって、どんな内容の本を想定されているかを私が知ることができますし、どの部分を書き込むべきかなども知ることができると思います。急がなくて結構ですから、そのうちにやっていただけませんでしょうか。掲示板に書いた英語関係の記事は、ほとんど小学館文庫以後のものです。この中から使えそうなものを拾い出していただけたら、というお願いです。その素案を見て、新たに書くべきものを書き、さらに最終的に手を入れて、本の形に持ち込みたいと思います。
私はまったく急ぎませんので、時間ができたときで結構です。
掲示板を使った著述に関しては、Ton 様宛のメールで書かせていただきました。Ton 様から、やりとりしたメールを掲示板に掲載することのご許可をいただきましたので、このあと、掲載させていただきます。どんなふうに掲示板を使うのか、どんなふうに本の形に持ち込むのかをおくみとりいただけたらと思います。
お聞きしたいと思っていたことがあります。
アメリカで育った方だそうですが、生まれたのもアメリカででしょうか。
何歳頃までアメリカにいらしたのでしょうか。
これはあくまで語学的な興味です。
その後日本に来られて、普段の言語はおそらく日本語だと思うのですが、英語が錆び付くということは起こらないでしょうか。
二十歳台で英語圏に渡り、数年後日本に帰ってきた人から、自分の中からどんどん英語が消滅していく感じがするということを聞いたことがあります。
Kawakami 様が英語圏で生まれて育った方であった場合、その錆び付き具合が違うのではないかと想像しています。
日本に生まれて育って、いったん英語圏に出て、また日本に帰ってきた人の場合は、日本で普段英語を使って生活するとか、英語を使って仕事をするんでなければ、ずっと放置し続ければ、錆つくだけでなく、英語という鉄がなくなってしまうことさえ考えられる。
英語圏で生まれて育った人の場合は、錆ついても、錆を落とせば必ず鉄が出てくるのではないか。いくら錆び付かせても、鉄がなくならないのではないか。そんなふうに想像しています。
このあたりに非常に興味があるのです。
さしつかえない範囲でお教えくださればうれしく思います。
イギリスへホームステイの修学旅行を計画されていたのですか。さすが私立の学校だと思いました。そんな話は、善光寺盆地のこのあたりではとんと聞きません。テロ騒ぎで、とりやめになったとのこと残念です。このホームステイ修学旅行は、これまでにも行われてきたものなのでしょうか。今回が初めての計画だったのでしょうか。発案はエリオットさんですか?Eliot さんの生徒のその後の英語力の進展についてのご報告、ありがとうございました。
今ようやく時間がとれましたので、再度読ませていただいています。以前にも書かせていただきましたが、現在の学校の中でできる最高の英語の授業をされていると思います。Eliot さんの実践の中に、今後の学校の英語がたどるべき道があります。これは、もっと広く知られるべき実践です。この実践は、学校のすべてが腐り果てているわけではないことの立証でもあると考えています。腐るも腐らないも、一人の教師で決まると思います。
とにかく、学校は「基礎」をやってほしい。「基礎」とは、「音づくり」そのものです。
>では、なぜ彼らは(たかだか英検の試験問題程度のことではありますが)
英語を聴き取れるのでしょうか。私が思いつく理由は次の三つです。@もしリスニング問題を目で見たとしたら十分に理解できるくらいの英語力
(語い、文法力)がある。A英語の音作りの練習を徹底的にやってきて英語の音(個々の音とつながっ
た時の変化した音)を自分でも出せるようになっており、自分で出せる音は聞
き取れる。B中2のときからNHKのラジオ講座(中2のときは基礎英語A、今は英会
話入門)をテキストなしで聞き、その日の対話や例文などを書き取る(ディク
テーション)練習をほぼ毎日のように続けてきたので、英語を聞き取るのに慣
れている。深くうなづくものがあります。Eliot さんの方法についての洞察力と全寮制の私立の学校であるということがうまくマッチしていると思いました。私は、更埴市立などという公立の中学の生徒を相手に泥の中でもがいています。
中学入試の選抜などのない、つまり学力に関して一切の前提のない人を相手にして英語をやらせる時、どんな泥が出現するかを眺めていて思うことは、公立の小学校の言葉に対する手抜きです。個性だの自由だの馬鹿なことを言っているだけで、現在の小学校は日本語を粗末に扱っています。小学校に6年間通って、特に難しい文でなくても、日本語のテキストの読みがまるでたどたどしく、日本語の文章をシンタックスとして捉えることのできない小学6年生、中学1年生にどれだけ出会ってきたかしれません。Eliot さんは、公立の学校の先生もされていたことがある方ですので、おわかりになるかと思いますが、日本語の力がない子供に英語をやらせることには非常な困難があります。日本語によって培われるべきイメージ形成力がないからです。英語をやる場合に、もっとも必要なのはイメージ形成力です。音に関しては、指導するとか教えるということが可能ですが、イメージ形成力は素読のような地味な方法以外では実質を養うことはできないと思っています。
私は乱暴な人間ですので、日本語と英語を両方やらせます。あまりにも味もそっけもない書物ですが、英語の「教科書ガイド」を素読させるのです。「教科書ガイド」は、日本語によって書かれているので、小学校の国語の授業の言葉に対する手抜きも補うわけです。>音を大切にした英語の指導を始めて2年半ですが、その成果がこの
ように目に見える形で現れて来ましたので、2年前に模試の成績が悪
いじゃないかとか、発音がよくてもそれが何だなどと言っていた一部
の管理職も文句を言わなくなりました。少し気分が晴れましたよ。私も、ST さんと同じように応援しています。
よかったですね。
近くに住んでいれば、お祝いに一緒に酒でも飲みたいところですが、今夜も一人で酔っぱらっています。本当にお祝いすべきことは、こういうことなのだがと思っています。
根石先生お世話になります。先ほど電話連絡いたしましたがいずれもお出になりませ
んでしたのでMailいたします。次の件をお願いします。
1、先生関連の書籍を購入いたします。
現在発行されている全書籍につき
113−0033
東京都文京区本郷6−3−2 (株)同人社Web編集部 K宛
お送りください。
事前振込みが必要の場合は、Mailで振込み先をお知らせください。2、先般の件、取次ぎコードは、全取次とございます。
但し、内容からすると、日教販で、ということになろうかと思います。3、今ひとつは、Webから申し込みます。この場合の発行は
同人社となり、全、書籍店から受付ます。書籍コードは当方で取ります。4、掲示板に書き込みましたが、エッセーをお願いします。
原稿料はきわめて安く恐縮ですが、1編****円。
3回で*****円です。11月25日までにお原稿をいただければ幸いです。
K様メールありがとうございました。
申し訳ありません。引っ越しをひかえ、自宅自作現場が最後の詰めに入っており、塗装、電気器具のとりつけ、水回りの処理など、これまでよりも細かい仕事がたてこんでおりまして、現在、言うところのしっちゃかめっちゃかです。
ひとつわからないことがあるのですが、掲示板上の Ton 様とK様は同一人物と考えてよろしいのでしょうか。
Ton 様には、いずれ私の本をさしあげ読んでいただきたいと考えておりましたので、自費で作ったものも含め近くお送り申し上げます。K様宛にお送りしますので、目を通していただけたら、Ton 様に渡していただくということはお願いできますでしょうか。K様とTon様が同一人物であられた場合は、手渡していただくまでもありません。Kawakami 様にもお送りした方がよろしいでしょうか。
代金は不要です。まるで急ぎませんので、読後感を私の掲示板にお寄せいただけたらと願っています。doujinsha> 2、先般の件、取次ぎコードは、全取次とございます。
doujinsha> 但し、内容からすると、日教販で、ということになろうかと思います。先般の件というのは、掲示板上でお話していただいた件のことでよろしいでしょうか。これに関しては、私はまるで急いでいません。今後掲示板に書いていきたい考えというのがありまして、雑多な記事にまみれますが、後で、語学論になっている部分を取り出してつなぎ合わせ、再度手を入れれば、書物の形になるんではないかというもくろみがあるということです。なにぶんにも作業がのろいので、ゆっくりやらせていただきたいと考えています。その場合、私のもくろみを承知していてくださる編集者の方が一人いて、ときどきアドバイスをいただくなどできれば、助かるのだが、というようなのんきな話です。そんなのろまにつきあっていられるかと言われれば、あきらめます。
私の掲示板上でおつきあいいただいて、いろんな話をしているうちに、語学論として一冊の書物が誕生したらおもしろいなというようなことでした。この方法ですと、こま切れの形で人の目にあらかじめさらすことになりますから、誤解の生じやすいところを知ることもでき、それに触発されて考えが進むということもあるかと考えています。本を書くということの中に世間が介入してくるので、これまでと違うことができるんじゃないかというもくろみです。本の形でなくて、同人社のホームページの記事としてまとまるのでもいいのですが、いまだコンピュータを使いこなす人の数は少数にとどまっておりますので、電子データが出来た場合は、それを印刷用に整形するなどして、私が印刷してもいいというところまで先走って考えてしまいました。友だちの詩集で私が作ったものがありますので、ご参考までに一部同封いたします。
doujinsha> 4、掲示板に書き込みましたが、エッセーをお願いします。
doujinsha> 原稿料はきわめて安く恐縮ですが、1編****円。
doujinsha> 3回で*****円です。Kawakami 様に掲示板上でご返事を書く予定でおりましたが、あくまで、英語関係の方がいいのでしょうか。英語関係は、先にも書きましたが、気長に掲示板で持続してみたいと考えています。
自宅自作関係など、生活がらみの方でしたら気が多少楽になります。
英語関係の方を書けとおっしゃるのでしたら、覚悟致します。
根石吉久様お世話になります。同人はK(HN/Ton)です。
>「今後掲示板に書いていきたい考えというのがありまして、
雑多な記事にまみれますが、後で、語学論になっている部分を
取り出してつなぎ合わせ、再度手を入れれば、書物の形になる
んではないかというもくろみがあるということです。了解です。
>なにぶんにも作業がのろいので、ゆっくりやらせていただき
たいと考えています。その場合、私のもくろみを承知していて
くださる編集者の方が一人いて、ときどきアドバイスをいただ
くなどできれば、助かるのだが、というようなのんきな話です。弊社KIを担当とさせていただきます。
>私の掲示板上でおつきあいいただいて、いろんな話をしてい
るうちに、語学論として一冊の書物が誕生したらおもしろいな
というようなことでした。この方法ですと、こま切れの形で人
の目にあらかじめさらすことになりますから、誤解の生じやす
いところを知ることもでき、それに触発されて考えが進むとい
うこともあるかと考えています。本を書くということの中に世
間が介入してくるので、これまでと違うことができるんじゃな
いかというもくろみです。仰る意味は理解できます。
>本の形でなくて、同人社のホームページの記事としてまとま
るのでもいいのですが、いまだコンピュータを使いこなす人の
数は少数にとどまっておりますので、電子データが出来た場合
は、それを印刷用に整形するなどして、私が印刷してもいいと
いうところまで先走って考えてしまいました。友だちの詩集で
私が作ったものがありますので、ご参考までに一部同封いたし
ます。了解です。いかなる方法にも対応できます。
>Kawakami 様に掲示板上でご返事を書く予定でおりましたが、
あくまで、英語関係の方がいいのでしょうか。英語関係は、先に
も書きましたが、気長に掲示板で持続してみたいと考えています。
自宅自作関係など、生活がらみの方でしたら気が多少楽になり
ます。
英語関係の方を書けとおっしゃるのでしたら、覚悟致します。これまでの出版の経緯、周囲の既存教育法との軋轢、戦い、などをおりまぜ、自分史の部分を入れて、「語学論」への事前PRにもつながる形で進めていただければ幸いです。ご多忙の中、きわめて納得のいくMailありがとうございました。よろしくお願い申し上げま
す。同人社 K/Ton
K様ありがとうございました。
すべて了解いたしました。"Editor,> 弊社KAを担当とさせていただきます。
本づくりの過程で世間にさらせる部分をさらしてよろしければ、Kawakamiさんのハンドルネー
ムでで私の掲示板にちょくちょく来ていただきたいとお伝えください。本にする予定があること
を公開して、人様につっこみを入れていただくよう掲示板でお願いしたいと思います。Eliot さ
んは、佐賀県の中高一貫の英語の先生で、非常にすばらしい授業をしておられます。英語の音に
関しては、すごい方です。また、ST さんは、京都府立の高校の英語の先生で、現在私の生徒さん
をやっていただいていますが、非常に方法について熱心に考えておられます。高校を卒業して銀
行に勤め、その間に通訳案内業国家試験にパスした方も書き込んでおられます。この方々につっ
こみをお願いしようと考えています。Eliot さんの実践については私のホームページの「大風呂敷 過去の記事」というところに
Eliot さん自身の文として記事があります。Kawakami さんにもお読みいただけたらありがたく
思います。日本に生まれて育った人には、英語の音づくりはけっこう大変な作業なのだというこ
とがおわかりいただける記事です。先生も生徒も大変なのです。同封いたします友だちの詩集は、印刷機は私のリソグラフではありません。信教出版
というところを使いました。リソグラフだとシャープさに欠ける、ぼやけた字の印刷に
なります。これはメールで原稿を受け取り、かつての塾生がレーザープリンタを持って
いたので版下にしてもらい、紙と印刷所を私が選び、確か400部で30万円で作った
ような記憶があります。そういえば、私の印刷機では、教材ばかり刷っており、まだ本
は作ってないことに気づきました。いずれ、何か自分の印刷機でも本を作ってみたいと
思っています。"Editor,> これまでの出版の経緯、周囲の既存教育法との軋轢、戦い、などをおりまぜ、自分史
の部分を入れて、「語学論」への事前PRにもつながる形で進めていただければ幸いです。承知しました。引っ越しを急ぎたいと思います。
なお、いただいたメールを私の掲示板に転載させていただいてよろしいでしょうか。
その方が、私の記事(語学論)につっこみを入れてくださる方が本気になってくれると思うの
で、ご許可いただけたらと思います。
根石吉久様同人社 Kです。
諸般、了解いたしました。BBS掲載などしかるべくお進めください。本日は、取材で
他出しております。
何かありましたらMailでご連絡ください。
nobu さんのご縁で、外務省の方が同人社の Ton 様に私のホームページを推薦して下さったお
かげで、本として実現するかどうかは未知数ながら、本になる程度の分量の「語学論」をやらせ
ていただくことになりました。nobu さんを初めとして、Ton 様にも Kawakami 様にもお目にか
かったことはなく、すべて掲示板とメールを媒介として話が進みました。「語学論」としてのタイトルは、「学校英語はどうにかなるのか」とか、「学校英語は役にた
つのか」とか、今のところは乱暴なものを考えていますが、実際のタイトルは Ton 様と相談し
て決めることになると思います。皆様にお願いがあります。
この掲示板に本になるだけの分量のものを書いていきますので、書いたものについて、ここが
意味不明だとか、ここは再考せよとか、ご意見がありましたら、どうぞこの掲示板に書いていた
だきたいのです。そのようにして意見をいただけば、それに触発されて、考えが進むことがある
と思います。貴重なご意見をいただけた場合は、本になったあかつきには、引用させていただく
ことがあるかとも思いますが、その点をご了承下さい。
Eliot さんの実践についての文章は、引用させていただくことが確実にあると思います。それ
に関して、ご許可いただけるかどうか、ここに書いていただくのでもメールででも結構ですから
ご意向を書いていただけるとありがたく思います。
Eliot さんの実践は、もっともっと広く世の中に伝わるべきものだと確信しています。ST さん、Eliot さん、浜谷さん、よろしくお願い致します。
お返事が遅れ申し訳ありません。遅れますが、今後も必ずお返事はいたしますので、どうぞお見捨てなきようお願いいたします。>さて、Tonが参りましたのは、「ここがちがう!、根石英語」
2千字前後、上、中、下。出来ましたら、お顔写真、簡単な略歴、
この電話塾とか、既存の本などのお写真各数点を添付文書でお送
りください。うっ。顔写真が出るのですか。まじい。昔、山梨日々新聞というところに記事を書かせてもらって、顔写真を出しました。新聞に掲載されたのを人に見せたら、人はいつまでも笑い止まないのでございました。ご依頼の様子では、多分、同人社のホームページに掲載予定の記事なのだと思いましたが、顔写真はどうしても必要でしょうか。必要なら、また人が笑い止まない事態を覚悟いたします。どこの山にいた熊なんだ、このおやじ、という人もいますし、今日などは、信州中野のお宮でやっている英語教室で、小学校6年生に、「せんせいの頭の毛に虫が住んでるんでしょ?」といわれました。天然パーマの毛に迷い込んで逃げられなくなっている虫が年に何匹かいる話を、前に子供にしたので、それを覚えていたらしいのですが、虫は「住んでいる」わけではありません。一時的に迷い込むだけです。でも、本気で反論するのもおとなげないので、「秋の虫が住んでるかもしれない。ときどきチンチロリンと鳴いているような気がする」と言ったら、聞いていないような顔をしていた他の子供まで爆笑しやがるのでした。
自分で写真をとるのはきわめて不得意ですので、本の写真はそちらでお願いできましたらありがたく思います。本自体は、お送り致します。メールに画像を添付した経験もないのです。どうやったらいいのかわかっておりません。
略歴などは、原稿の端に書いておきます。何かありましたら、掲示板かメールでお願い致します。
おいでいただきうれしく思います。
レスポンスがのろいのを申し訳なく思います。
是非またおいで下さい。
同人社様の掲示板に書かれたもの、いくつか読ませていただきました。
このに三日は、自分の掲示板もなかなか読めませんでした。ちゃぶだいの足がとれたもので、お母さんが蕎麦を打っていたとのこと。その蕎麦、うまそうで
すね。田舎はどちらでしょうか。またおいでください。
>王・マイ・ゴット!!!!王、I got!!!
の方がわかります。
王、my God!!!
だと、王権神授説となりましょうか。
お久しぶりです。
俺が Think Pad 使ってるのを知ってるってこと?
この掲示板の過去ログの作業はどうなっているでしょうか。
同人社さんとのご縁ができ、私を担当してくださる Kawakami さんに読んでいただいた方がいい
かと思っていますので、なるべく進めてください。
私の書いたものの引用をなさるのは一向にかまいません。私自身がホームページを作ったり、本を書くなりして英語教育の改革を叫べばもっといいのでしょうが、今のところそういう力量がありませんので、根石様に利用していただく形で私の実践をより多くの人に知ってもらえるのなら、大変ありがたいことだと思っております。さらにもっと何か資料として必要なことがありましたら、ご協力しますので、お知らせ下さい。イギリス旅行は管理職の発案で過去4回実施して、私の担当学年も行く予定だったのですが、中止になり、代替として国内のスキー研修に行くことになりました。その行先は・・・長野県です! 残念ながら宿が更埴市から離れたところですので、生徒を置いて私だけが素読舎に遊びに行くと言うわけにはいかないようですが。
国語力の弱い生徒の英語力の話ですが、おっしゃる通りだと思います。私は常々言うのですが、
「母語以上に外国語ができるようになるはずがない」
ですね。もちろん外国語ばかりやって母語の訓練を怠れば、母語の力も衰退しますが、それでも外国語の力が母語を超えることなどありえないことです。以前、高校生に教えていた頃の話ですが、
I bought the book there.「私はそこで本を買った」と
the book I bought there「私がそこで買った本」の
説明をしていたら、生徒の中にはその日本語の違いさえよくわからず、
「同じことやん」
と言う者がいて、当惑したことがあります。どちらの和訳を聞いても、自分がそこで本を買う姿が浮かぶだけだから、同じように思えたようです。こういう生徒達に I bought the book/the book I bought をわからせるのは至難の業です。
通りすがりのbeeです。
黒いものにとまります。根石様は、think padお使いでしたか。
ダジャレー夫人の恋人様レスからジャンプいたしまして、おさまでぃんらびん氏の肖像の、かじりかけのアップルの下をごらんあそばせ。
同人社 川上です。本日参りましたら、早くも沢山の書き込みが入っております。
本日は、すべてペーストして持ち帰らせていただきます。
また、脇田先生宛の書き込みがございましたので、こrは、同人社BBSに転載、脇田先生から回答をいただくように手配させていただきます。
至りませんがよろしくお願いします。
くたくたです。Eliot さん
引用のご許可ありがとうございました。書いていく途中で、またお世話になることと思います。
よろしくお願い致します。Kawakami 様
お手数をわずらわせ申し訳ありません。しばらくは、この掲示板にたどりつくのがせいいっぱい
ということになると思います。なるべく見るようにいたしますので、何かありましたら、この掲示
板の方にお願いできますか。皆様
おやすみなさい。私はこれから午後2時まで寝ます。
ところが当時の一般大衆はそんな政府の思惑などモノともせず、至る所にフリジア帽を被った共和国の像を勝手に建て始めます。この勢いはとどまるところを知らず、また1897年からのドレイフュス事件で共和派が最終的に勝利を収めたこともあって、次第に彫像のフリジア帽も復活していきました。今でもフランスの通貨や切手には共和制の象徴として、この帽子を被るマリアンヌと言う女性像が描かれていますが、ちょうど、このマリアンヌ像が仏で広がり始めたのが、第三共和制の安定し始めた19世紀末なのです。ドラクロワの女神もマリアンヌの先駆けとして見ることが出来るように、彼女は仏革命の歴史の記憶の中から生まれましたが、自由や、自由な共和制国家の理念実現のために闘うシンボルから、次第に仏国家そのものの表象へと位置付けも変わっていきました。ですから自由の女神は、贈ったフランス側の事情から眺めると、共和制に対するこの国の価値観の転換期の産物として捉えることができるのです。よって、キリスト教と関係あるか、と言う点では関係ありません。なんだかつかみどころのない
しろもの、近代の女神なんでしょうか。と言う部分も、おっしゃる通りでして、古代のルーツも併せ持ちながら、実に近代の、まさしく今ある近代国家システムを成立せしめた「近代」の歴史がその過程で生み出してきた作品と言えます。いずれにせよ、我々は仏大革命を契機に百年がかりの紆余曲折を経て出来上がってきた社会に今なお安穏と暮らしているからこそ、この像に関連して長々と語っても、まあ許されるか、な、と甘い判断も何とか勝手に下せる、と言った具合でした。
以上、よろしくお願い申し上げます。
像の製作者はアルザス出身の彫刻家バルトルディ(例の「アメリカは豆でもデカイ」と言った人。1834−1904)。像のモデルは妻、そして女神の顔は彼の母、と言われます。
1870年、ナポレオン3世がプロイセンの宰相ビスマルクの術中にハマって普仏戦争が勃発。
これによりバルトルディの故郷アルザスは、ドーデの「最後の授業」にもあるように、プロイセンに割譲されます。バルトルディは、凱旋門の浮彫も制作したパリ美術学校の教授などの教えを受け、彫刻家として既に活躍していましたが、36歳でこの戦争が始まるとすぐ軍に志願。故郷を守る戦いに入りましたが、それも虚しく終戦を迎える頃には、「アメリカの独立を讃える像」の計画の存在を人から聞かされ、その構想を練りながら、ひとまず渡米します。船がニューヨークの港に入りかけた時、傷心の彼の脳裏に突如、世界を照らす女神像のイメージがひらめきます。その話をしたためた手紙をラブレーに送ったことから、計画が本格化しました。「自由で世界を照らす」と言う当初の高貴なストーリーは、欧州で孤立を深めた仏が米国に擦り寄るための方策にとって代わり、像の制作も、故郷を奪われたアルザス人の胸の内で燃え盛る愛国心のはけ口、と言った状況にはなりましたが・・・。かくてアメリカに送られた女神像の構図は、ドラクロワの女神をアンチテーゼに、全てが決められました。好戦的な雰囲気や、民を統率して積極的に前に動き出す力を暗示するものは皆ナリを潜め、直立する「静」の美によってのみ、希望と恵みを感じさせる謹しみ深い女神へと「変身」を遂げました。この点、最初の案では彼女の左手に握られていた、圧制からの解放を示す引きちぎられた鎖も、法典を意味する石板に差し替えられ、鎖の方は、冒頭にも記した通り、辛うじて足元に残されるにとどまりました。全てがこんな調子ですから、三色旗はもちろん、1789年の仏大革命を象徴するフリジア帽も外された。これが普仏戦争敗北後、パリ・コミューンを経て成立した第三共和制の時代の空気でした。つまり軍部、カトリック、王党派など、様々な右派反動勢力との対立の
中で、共和制擁護派は政権の安定運営を第一に、日和見主義と非難されようが、あくまで穏健路線を貫いたため、急進的な改革を象徴するようなものは全て排除する傾向にあったのです。ですから、自由の女神像と並ぶ、この時期の代表的なモニュメントで、パリ万国博覧会(1889年)の共和国像にも、革命のシンボル=フリジア帽はありません。
自由の女神の正体を・・・ /Mail
とのメッセージを同人社Ms. Kawakami 経由で戴きました。ありがとうございます。
「お返事を」と彼女も仰せで、ちょっと長くなりますが以下に記させて頂きます。ニューヨークの自由の女神、正式名「世界を照らす自由の女神」の台座の四方には謂れなどを示した、言わばFAQに当たる説明文があリます。(しかし文面を見るに、恐らくご覧になっていないと思い、また、ここは本来どうも英語を論ずる場所らしいので)その一部を原文で記します。Liberty's Symbols (自由の女神が象徴するもの)
The Statue of Liberty conveys its message of freedom through a number of
dramatic symbols. The broken shackles at her feet signify escape from
tyranny. In her left arm she holds a tablet inscribed in Roman numerals with
the date of the American Declaration of Independence, July 4, 1776. Her
diadem's seven rays suggest the seven seas and continentes. Perhaps most
significant of all, however, her torch and flame symbolize the light of
truth and justice illuminating the world.<超意訳>
彼女が様々に伝える「自由のメッセージ」とは・・・
1)足元の壊れた鎖の足枷=元は奴隷だったことを示し、
暴政の足かせから解き放たれ、第一歩を踏み出そうとしていることを表わす
2)左腕に抱えた平板=米国の独立宣言日(1776年7月4日)が
ローマ数字で刻まれている
3)王冠の7つの光線=7つの海と7つの洲(くに)に自由が広がることのシンボル
4)右手の松明(たいまつ)と炎=世界を照らす真実と正義の光を象徴する特に4番目の松明に関しては、古代ギリシャにもトーチを掲げるヘリオス(=後に「アポロ」と一体化される太陽神)の青銅像などがあり、16世紀になってオランダ人が銅版画に描いたものから、自由の女神のモチーフが生まれたのでは、と言われています。なぜならローマ帝国時代にも、個人の自由、ひいてはローマ国家そのものを司ったズバリその名もリーベルタース(Libertas=Libertyの語源となるラテン語)、つまり「自由の女神」の話があった、にもかかわらず、ローマの貨幣にも多く描かれたその姿は、フェルトの頭巾(=解放される奴隷に被せられた)に月桂冠、槍を持っているのが定番で、松明は掲げていなかったからです。
被り物に槍、と来て思い出すのが、ニューヨークの像のほぼ半世紀前、1831年にドラクロワによって描かれた「民衆を導く自由の女神」です。彼女の「舞台」は、同じ革命でも仏大革命でなく、その後、ナポレオン時代を経て、王政復古で即位したシャルル10世の反動的政治に頭に来たパリの「市民」がまたもや蜂起した「7月革命」(1830年)の方ですが、大革命の時と同様、この女神もまた古代ローマ以来、自由を意味したフリジア(もしくはフリギア)帽と呼ばれる赤い帽子を蒙り槍を持つ革命の重要なシンボルとして描かれています。
ではニューヨークの「自由」の女神には、なぜフリジア帽や槍が無く、逆に松明を掲げているのでしょうか。そこに至る謎解きのセリフをご紹介します。「我々の考える自由とはアメリカ式であり、赤い帽子を被り、手に槍を持って屍の上を進んだりはしない。合衆国の人々の女神は、松明を扇情的に振りかざしたりせず、世を照らす炎として静かに掲げ続けるだろう。」これは自由の女神をアメリカに贈る運動の中心人物、エドゥアール・ド・ラブレと言うアメリカ大好きの立法学者のセリフ。この演説の後に像が米国に贈られたのは1876年ですが、彼が最初に思いついたのは更にその十年程前、米国ではリンカーンによる奴隷解放が進む頃でした。彼は、各国がこうして自由に向け、力強く歩み出しているにもかかわらず、片や大革命を通じ、理想としての「自由」を世界に先駆けて手に入れたはずのフランスがナポレオン三世の統治下、南北戦争でも保守的な南軍を支持し、世の中の流れに逆行するのが許せなかった。こんな頓珍漢ばかり繰り返す反動勢力に対しては自由(厳密には共和制)を象徴する記念碑を米国に贈る、と言う奇策で一発、見舞いを喰らわして気勢を上げたい、と言うのが当初の本音でした。
脇田先生からレスが参りましたのでお届けいたします。
こちらに必要なレスがありましたら、当方にてペースト、必要部分を同人社BBSで転載致します。
その場合、文章割愛などもあるかと存じますが、編集整理あり、の編集過程の一環として了解事項
とさせていただきますようお願い致します。なお、私は、日本に生まれ、幼児期、先ずNYで育ち、就学時、帰国、その時は日本語は全く話せませんでした。以後、高校、大学をUSAで過ごしています。
下のHNはkawakami
が一字抜けております。ご容のほどお願いします。
Kawakami 様ありがとうございます。
転写していただくと非常に助かります。おお、ちびっこの時はニューヨークにいたんですか。
ニューヨークのどの辺にいたんでしょうか。一軒家が間隔を置いて並んでいて、日曜日なんかには庭の芝刈りがよく見られるような郊外でしょうか。安普請のアパートの前に貧乏人ややばい人たちがたむろするようなところでしょうか。ご両親かお父さんの仕事の関係で、ニューヨークにいたんであれば、前者だろうとは思いますが・・・。私は金に不自由しておりますので、ニューヨークで暮らす自信はありませんが、もしも万が一住むようなことがあれば、貧乏人ややばい人のいるブルックリンみたいな場所で住むことになるだろうと思います。興味もそちらにあります。
ニューヨークは一度だけ行ったことがあるだですが、行く前にガイドブックを買ってきて読んでいたら、道で危なげなやつに話しかけられたら、無視してまっすぐすたすた歩けと書いてありました。ニューヨークで人に話しかけられたのは、喫茶店の店先のテーブルでコーヒーを飲んでいた時に、大学生がトイレに行こうとしたかなにかで、荷物を見ていてくれと言われたことくらいでした。その後、日本に荷物を送ろうと思って郵便局に行ったら、包装用のダンボールが品切れでしたので、町に出て、ダンボールを売ってるところを教えてくれと、道で人に話しかけたのでした。私に話しかけられたニューヨーカーは、私を無視してまっすぐすたすた歩きました。つまり、私が危なげなやつだったわけです。ガイドブックのアドバイスは、私は忘れてしまっていましたが、ニューヨーカーは忠実に守っていました。歩いているニューヨーカーは役に立たないので、適当な店に飛び込んで、店の奥まで行き、そこらに転がっていた商品の搬送に使ったダンボールを指さして、呉れと言ったら、100ドルだとか店の人が言いました。目が冗談を言っている目だったので、ニューヨークは物価が安いとか言いながら、タダでもらってきました。ニューヨークで、空のダンボール箱をかぶって歩いていた日本人は私です。だって、暑かったんだもん。
私の普段の風体を一見していただかないとこの話もよくわからない話なのですが、風体を想像していただくための一助として東京でのことを書きます。長野から上京し、娘と新宿の紀伊国屋の前で待ち合わせをしていたのです。あそこはいつも混んでいるのですが、私の回りだけ妙に人がいない。後で娘が言ったことによると、娘は私に声をかけるのをやめて、そのままそっとアパートへ帰ろうかと思ったとのことでした。どこからどう見ても、ホームレスのおじさんが紀伊国屋の前に立っているとしか見えなかったというのでした。そうなのか?
長野では、ウドというやつ(オーストリア人)がやってる酒場に時々行きますが、そこで、ニューヨークに住んでいたことがあるフレッドというやつに、ニューヨークでのダンボール探しを話したら、そりゃ、お前が単に危なげなやつに見えただけじゃない。ダンボールハウスを作るためにダンボールを探していると思われたからだと断言しました。
人を見る目がないやつらに囲まれて日々を送っています。就学時に日本に来て、小学校に入り、中学卒業まで日本。高校・大学はアメリカ。
ふうむ。
日本での小学校入学時と、アメリカでの高校入学時では、どちらがきつい経験でしたか。
そのあたりは、なかなか言葉にしにくいものがありますが、思い出したことなどありましたら、教えて下さい。
脇田泰子様とても面白かったです。ありがとうございました。
私はでかいものには興味がなく、自由の女神も奈良の大仏も、近くまで行く用事があっても、たいてい無視して帰ります。しかし、どういうわけか私の女房は私よりでかい。これは無視することが難しく、ただ単にその威圧感に抗するためだけでも相当のエネルギーを使います。せめて、亭主関白でも演じて虚勢を張らないと身が持ちません。いや、余計な話でした。自由の女神は、元は奴隷だったんですね!
途中で変容したり、毒を抜かれたりしたものの、起源をたどれば、古代ギリシャやローマ神話までたどれるのだというのも、非常に驚きました。そういえば、なるほど、ああいう感じの像というのは、ギリシャやローマのの彫刻と重なります。七福人などとは重なりません。なるほど。
彫刻ではなく、鉄骨に貼り付けたものだというところが、アメリカ的です。つまり、中ががらんどう・・・。中身はからっぽじゃねえかと言うと、美人の女神やアメリカに対して失礼にあたるのかもしれませんが、確か、中は階段になっていて、女神の女体の内部を上に昇ったり下に下がったりできると聞いたことがあるような気がします。体の中を人に行き来させるとは、さばけた女神だと思ったことがあります。
おっぱいを片方出して、後ろを振り向きながら、旗をかかげ持って前進していく女の人を描いた絵を覚えています。あれがドラクロアの「民衆を導く自由の女神」だったのかどうか。斜め後ろを振り向いているのは、自分が導いている民衆を見ていたのですね。私は、絵の中の民衆を見ずに、おっぱいを見ていました。それも、女神だとも思わず、なんで、この人はおっぱいを出しながら、前進するのか、変な人だなと思っていただけでした。私は中学生の頃から、すでにそんなところばかり見ていた人間でした。なさけなや。>ローマの貨幣にも多く描かれたその姿は、フェルトの頭巾(=解放される
奴隷に被せられた)に月桂冠、槍を持っているのが定番で、松明は掲げてい
なかったからです。ローマの自由の女神は槍を持っているが、ニューヨークの自由の女神は松明を持っている!
なるほど。リーダーですね。
フェルトの頭巾、月桂冠、槍の取り合わせの図柄は、覚えておいて、今度からそのつもりで絵とか彫刻の写真を見てみようと思います。フリジアというのは、花のフリージアと同じ言葉なのかなと変なことを思いました。フリージアというのがどんな花なのか忘れていますが、確かフリージアという花があったように思います。
>被り物に槍、と来て思い出すのが、ニューヨークの像のほぼ半世紀
前、1831年にドラクロワによって描かれた「民衆を導く自由の女神」
です。彼女の「舞台」は、同じ革命でも仏大革命でなく、その後、ナ
ポレオン時代を経て、王政復古で即位したシャルル10世の反動的政治
に頭に来たパリの「市民」がまたもや蜂起した「7月革命」(1830年)
の方ですが、大革命の時と同様、この女神もまた古代ローマ以来、自
由を意味したフリジア(もしくはフリギア)帽と呼ばれる赤い帽子を
蒙り槍を持つ革命の重要なシンボルとして描かれています。もう一度読んでみたら、あれっ、と思いました。そうでしたか。そうすると、私が覚えているのは、ドラクロアが描いたものとは違うような気がしてきました。私が覚えているのは、頭には何もかぶっていなくて、髪をただ後ろで束ねていたような気がします。記憶違いはちょくちょくやらかしますので、こちらの方も、今後気をつけて、もう一度よく見てみようと思います。
>「我々の考える自由とはアメリカ式であり、赤い帽子を被り、手に槍を持って屍の上を進んだりはしない。合衆国の人々の女神は、松明を扇情的に振りかざしたりせず、世を照らす炎として静かに掲げ続けるだろう。」
同じラブレーでも有名な方とはえらい違いですね。こういうソフト化は、戦後の日本のダブルバインドやパラドックス(自由であると信じたいのにアメリカ軍の元の自由でしかない。個性を唱えるところがもっとも没個性を強制している)にまで及んでいると思います。アメリカは独立のときに、反イギリスであったから、イギリスがもっとも強く刻印されているのかと思っていましたが、フランスの水割りみたいなところもあると改めて思いました。
>これが普仏戦争敗北後、パリ・コミューンを経て成立した第三共和制の時代
の空気でした。つまり軍部、カトリック、王党派など、様々な右派反動勢力と
の対立の中で、共和制擁護派は政権の安定運営を第一に、日和見主義と非難さ
れようが、あくまで穏健路線を貫いたため、急進的な改革を象徴するようなも
のは全て排除する傾向にあったのです。なぜだか、日本共産党を思い出しました。「政権の安定運営を第一に」というところが違うだけです。
>ところが当時の一般大衆はそんな政府の思惑などモノともせず、至る所にフリ
ジア帽を被った共和国の像を勝手に建て始めます。この勢いはとどまるところを
知らず、また1897年からのドレイフュス事件で共和派が最終的に勝利を収めたこ
ともあって、次第に彫像のフリジア帽も復活していきました。今でもフランスの
通貨や切手には共和制の象徴として、この帽子を被るマリアンヌと言う女性像が
描かれていますが、ちょうど、このマリアンヌ像が仏で広がり始めたのが、第三
共和制の安定し始めた19世紀末なのです。フリジア帽はどこかで売っていないでしょうか。欲しくなりました。
>いずれにせよ、我々は仏大革命を契機に百年がかりの紆余曲折を経て出来上がってきた社会に今なお安穏と暮らしているからこそ、この像に関連して長々と語っても、まあ許されるか、な、と甘い判断も何とか勝手に下せる、と言った具合でした。
まったくおっしゃる通りだと思います。自戒しつつ、言いたいことは言っていこうと思っております。
ありがとうございました。
今後、語学論を意識して書く場合、タイトルとして、<素材>
と記入します。
いずれ、「大風呂敷・過去の記事」としてまとまりますが、<素材>をキーワードに検索をかけて
いただくと、手元に今後書いていく「語学論」関係の記事がたぐり寄せられるようにするためです。私のホームページの方に書いたものも、自分で読み直してみようと思っています。これは、本に入
れたい部分だなというものがあったら、この掲示板でその部分を、<素材>というタイトルの元に
転写します。皆様(この場をお借りします)
この掲示板に書いたものや、ホームページで書いたもので、「語学論」として意味があると思われ
る記事ががありましたら、<素材>というタイトルをつけて、この掲示板に引用していただけると
助かります。よろしくお願いします。
<素材>1まえがき(学校英語という問題)
日本の学校英語が使い物にならないと言われて久しい。どこがどう使い物にならないかというと、話せるようにならないし、聞き取れるようにならないからだと言われてきた。また、一方で、日本人で英語をしっかりやった人は、話したり聞き取ったりはできないけれど、読んだり書いたりはできるとも言われてきた。
どちらもその通りなのかもしれないし、どちらも事の現象面しか言っていないのかもしれない。学校英語をいくらやっても、話せるようにならないし、聞き取れるようにもならないということに関して、現象はまるでその通りである。おじいちゃんも学校で英語をやった。でも英語を使えない。お父さんも学校で英語をやった。でも、使えない。お母さんもやった。でも駄目。私も学校で英語をやってる。使えるようになるのかな。
「私も学校で英語をやってる。使えるようになるのかな。」という中学生や高校生の疑問に対して、「普通」に学校でやってる英語や、「普通」に受験生がやってる英語の勉強をやっても、そのままでは使えるようにならないよと言うしかない。
日本では、普通が普通ではないからだ。英語をやったんだから、英語が使えるようになるのが普通というものだが、そんな普通はめったにあるものではない。めったにあるものではないことが、「普通」になってしまっている。
そのままでは使えるようにならないと思うよと言う時、私の顔は苦痛に歪んでいる。学校でこんなに英語をやってるんだから、ちゃんと学校の先生の言うことを聞いていれば、英語が使えるようになるだろうという子供たちの希望を目の前にすると、私の顔は苦痛に歪む。「使えるようになる」という一点に目をこらすなら、学校英語も受験英語も、子供たちの希望に対する裏切りでしかないだろう。以前からそうだったし、今もそうだ。
また、非常に難しい大学入試の問題で得点できるのだから、日本人は読んだり書いたりできるのだというのも、現象面ではその通りに見える。しかし、これも違うと思う。ここには、「音」の問題がすっかり抜け落ちている。これは、非常に言葉数を費やさないと輪郭をはっきりさせることのできない問題なので、後に詳述したい。全部が全部、文部省(現文部科学省)のでくのぼうのせいではない。日本の受験制度がすべての元凶だとも言うつもりはない。
日本には、英語という言語が作る「言語的磁場」がないのは、学校のせいでも文部科学省のせいでもない。そして、「磁場」だけが養いうる言語的能力が絶対にあるというのは、私の確信になりつつあるが、学校は英語の磁場ではないし、受験生も英語の磁場の中にいるのではないから、「磁場」だけが養いうる言語能力を持つことができないのは、学校のせいではないし、文部科学省のせいでもない。
それでも、文部科学省とそのお抱え学者はやはりでくのぼうである。日本に英語という「磁場」がないことは文部科学省やお抱え学者のせいではないが、その前提を踏まえて、有効な学習法や教授法を編み出してこなかったのは、はっきりと文部科学省とお抱え学者のせいである。
でくのぼうだ。
これまでの学校英語をそのままでいいとは口が裂けても言えない。
絶対に問題があるのだ。
<素材>2学校英語が駄目だというのは、もう言い古されて、ほとんど常識的な知識になっている。それなのに、学校英語は、相変わらず駄目な学校英語を続けている。
これまでに、問題が掘り下げられることがなかったこと、掘り下げる作業によって、語学の「原理」が見いだされることがなかったことが本当の原因である。英語をやる人の傾向として、現状追認型のタイプが多いとは思ってきたが、大学の教授なんぞやっていて、語学に特有の「原理」をきちんと掘り下げることをやらない者はただただ怠慢なだけである。放逐してよろしい種族だ。私は、自分のホームページからリンクしてある無料掲示板で、いくつか「語学論」を書いた。このねらいは、自分で語学という領野に特有の「原理」を見いだしたいということだったが、これに関して、私の掲示板に直接は書かず、他の掲示板で、「余計な理屈を言っているやつがいるが、そんなものを考えるより、単語を一つでも余計に覚えた方がましだ」と暗に私の記事に鞘当てしている記事を読んで暗い気持ちになったことを覚えている。
まあ、自分の英語力をつけるには、「原理」などどうでもいいというのは、功利性だけで言えばその通りである。要するに自分に力がつけばそれでいいのだから・・・。しかし、本当に力がついた場合は、その人の練習は「原理」を踏まえている。自分ではっきりと意識しないだけで、「原理」が働いているのだ。本当に物事の成果を決めているのは、実は「原理」なのだ。
単語を増やすには、一つでも余計に単語を覚えるのがいいに決まっている。その人の語学力は、その分だけ太るだろう。しかし、「原理」を軽視する人は、自分の英語力を太らせることはできても、決して自分以外の人の語学力を太らせることはできない。「原理」に踏み込むことができない人は、世にあふれかえるハウツウのレベルにとどまることしかできないだろう。学習指導要領などというものも、出来の悪いハウツウ本の一つにすぎないということに、学校の英語の先生たちは早く気づいてほしい。
既存のハウツウを使用して英語力は持てても、ハウツウを自分で発見したり、練り込む力を持てない人が多いのだ。そういう人に英語を教わったりした場合は悲劇である。その人は、単に自分が英語ができるだけだからだ。自分で英語ができるだけで、生徒に英語力をつける方法は知らないからだ。だから、その人は、指導要領みたいなものに従って、既存の学校の授業と踏襲するだろう。そして、生徒の側に起こる悲劇は、実はとてもありふれたものである。日本全国、津々浦々、どこにでもある「普通の」学校の授業である。とにかくやみくもにやって、自分なりの方法を見つけだすことが一番いいのだという意見も聞くことがある。その通りだと思うが、自分なりの方法を見つけだすことができた時とは、実は「原理」にぶち当たったときなのだ。
この本を書くことによって、私はあくまで「原理」を見つけたいと思っている。すでにみつけた原理を書くこともするだろうが、わずかであってもいいから、いくつか新たに発見してみたいと思っている。そして、それが「自分以外の人の英語力を太らせる」仕事をしている人たちに少しでも役立てばいいのだがと願っている。
学校の英語の先生、塾の英語の先生など、「自分以外の人の英語を太らせる」ことを仕事としている方々におつきあいを願いたい。「原理」を踏まえると踏まえないとでは、生徒の英語力として実現するものは天と地ほどに違ってしまうのだと是非知って欲しい。今後、記事は自分の掲示板に断続的に、細切れのまま掲載していきます。
すでにこの掲示板に書き込みをなされている方々の意見を聞きながら、書き進めていきます。
(2001年10月3日)
根石さん、ご無沙汰しております。 最近の根石さんの掲示板への
書き込み、興味深く読ませて頂いています。根石さんが同人社様への語学学習関係のご本の編纂をご依頼
なさることに関し、STさん、Elliotさん、と並んで、私も協力を、
というお話ですが、私に出来ることであれば何でも喜んでさせ
て頂きます。しかし、「学校英語」についてのご本になる予定とか、
私の出る幕はあまりないように思いますが・・・。取りあえず、メールでご連絡させていただきます。 掲示板へ
の転載が必要でしたら、なんら異存はありませんので、どうぞ
なさって下さい。浜谷俊雄
よろしくお願いいたします。
発言に番号を振り、整序する作業を村田君に依頼してありましたが、メールで作業結果を
受け取りました。一度目を通し、改行の乱れ、明らかな誤字などを直してから、ホームペ
ージhttp://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nisの方へ掲載する予定です。
しばらくお待ち下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
早速にレスを賜り、ありがとうございます。前回がメイル or 掲示板用には顰蹙モノの長さでしたので、ご質問の部分のみ手短に。> あれがドラクロアの「民衆を導く自由の女神」だったのかどうか。
> もう一度読んでみたら、あれっ、と思いました。その通りです。ドラクロワの自由の女神は、確かに書き手自身の興奮がこちらまで伝わるような熱気で、他のパーツの印象が強すぎますね。でも頭の部分をよーく見ると、「髪を後ろで束ね」、典型的なフリジア帽とはちょっと異なりますが、何やら被り物を乗せているのがわかります。
> フリジアというのは、花のフリージアと同じ言葉なのかなと変なことを思いまし
> た。フリージアいうのがどんな花なのか忘れていますが、確かフリージアとい
> う花があったように思います。カタカナで記すとわかりませんが、花の freesia とは異なり、フリジア帽はふち無しで、上端が前方に垂れた円錐型の帽子の事で、英語では Phrygian cap です。(アメリカ人はむしろ、Liberty Cap と言うように思います。) Phrygia とは、小アジア中西部アナトリアにあった古代王国で、世界史的日本語?では「フリギア」、もしくは、より専門的には「フリュギア」とも綴るようです。(ここが英語関連のBBSなのでひとつだけご紹介しますと、Gordian knot = ゴルディウスの結び目、の話に出てくるゴルディウスが、この Phrygia の王様でした。) この帽子、元はスキタイや匈奴(きょうど)といった遊牧民が被っていたものらしく、そこからバルカン半島のトラキア人や、小アジアの人も着用し始めたため、「東=フリギア」の観念でヨーロッパ人が勝手に「フリジア帽」と呼ぶようになった、と考えられます。しかし日本人にはむしろ三彩俑などにも見られるように、遥か昔、砂漠を越えて長安までやって来ていたソグド人の隊商などが被っていたとんがり帽子、と言った方がピンと来るかもしれません・・・。これも上が前に垂れ、砂が入って来ないよう、耳と首筋の部分まで長く覆うようになっているところまで、フリジア帽そっくりです。仏大革命が始まってすぐに出された人権宣言、あれを記した盾の版画でも、中央部分に立てかけられている槍の先端に、赤いフリジア帽がしっかり登場しています。
> フリジア帽はどこかで売っていないでしょうか。
1989年に革命200周年を記念する大イベントが行われた時には、仏政府公認オフィシャル・サプライヤーのロゴマークのついた様々なグッズと共に、確かこの帽子も売っていましたっけ。今はもちろん普段は誰も殆ど被らないけれど、時代劇の小道具には必ず備えられている、そんな代物です。以前、東京に遊びに来たスウェーデンの友人が「ヨーロッパには絶対にないから」と言って捜し求めたみやげ物の中に、レストランなどの店頭に並ぶ、ろう製のメニュー見本があって、東京の合羽橋までわざわざ連れて行ったことがありますが、このご質問には、当時のことを思い出すほどのユニークな突飛性があって、大いに「楽しませて」いただきました。多謝。
これまでもっこりさんの、復習を兼ねたテストは、復習全範囲移動分が10個、先端部分が5個でやらさせていただきましたが、ご本人にお勧めして、先端部分の復習5個を10個に増やしました。
「10+10」のテストで今後進めていきます。
昨日、Mちゃんのお母さんにも「10+10」を勧めたのですが、練習をする時間を今月は増やせないとのことで、激しい抵抗にあいました。来月から「10+10」でやっていただくことをしぶしぶながら承知していただきました。シナリオのテキスト5,60ページくらい進め、それまでの練習と同じレベルでやっていると、最初の方に錆が寄ります。これを放置しておかない方がいいので、「10+10」の復習体勢は早ければ5,60ページ進んだ時点で導入いたします。もっこりさんの場合は、60ページちょっと終わった時点で導入しました。
これをやると、テストに時間を余計とられる可能性がありますので、それに抗していただく必要があります。つまり、単位時間あたりのレッスンを濃いものにしていただく必要があります。同じ5分間でも、中に詰まっているものを多くしていただくということです。このためには、普段の練習の単位時間あたりの濃度を濃くしていただくことが必要になります。
一冊目のテキストに関しては、今後以下のような復習体勢になります。これまでより、きめの細かいものになります。
・初めの5ページ程度まで。 先端部分のテスト5問(ページ数と一致せず)
・初めの10ページ程度まで。 先端部分のテスト10問(ページ数と一致せず)
・5、60ページ程度まで。 先端部分5問(ページ数に一致)
復習全範囲移動10問(途中からページ数に一致)・以後、一冊目終了時まで。 先端部分10問(ページ数に一致)
復習全範囲移動10問(ページ数に一致)----------------------------------------------------
以上、これまでのテスト方法の一部変更のお知らせです。
仏教とは関係ありません。
昔、「O嬢の物語」というエッチな映画がありましたが、それのもじりです。
Oという英単語の中の一文字に往生した(苦労した)ということをひっかけてあります。英単語の中に出てくるOを「ア」系列(日本人が「ア」と感じる音の系列)で発音するばあいは、用心が必要だと改めて思いました。
Mちゃんのお母さんの「電話でレッスン」をやっていて、
cop
の真ん中のOを、口の両端を斜め上に吊り上げた時に出る[ae]音で発音なさるので、張りやつやのない音で、cup と同じだと言いました。文脈によってどちらであるかが判断されるだけだと言ってしまったのでした。レッスンが終わって、パソコン画面に表示されていた cop の発音記号を見て、目が点になりました。
間違ったことを言ってしまったのです。cop のOは [a]音だった。
cup の Uは逆さVだった。Oはくせものです。
Oは「ア」系列だけの中でもいくつかに変容します。私の発音記号を頼る知識が間違ってしまいました。[ae]にはならないはずだというところまでは合っていたのですが、これが「開く音」であることは知りませんでした。ちなみに、「開く音」と「狭い音」という概念は、鵜田さんという方が初めに言われた言い方で、非常にすぐれた着眼点だと思っています。この方のこの着眼ひとつによって、私は大きくおかげをこうむりました。日々の「電話でレッスン」でいつも使わせていただいています。
Mちゃんのお母さんは、[a]という音が「狭い音」ではないというところが合っていました。
私も、つやや張りはないというところまでは合っていました。ちょっとした言い合いになったのでしたが、Mちゃんのお母さんが言うのは、「高く抜けるような音」だということでした。私はその言い方で音のイメージがつかめなかったので、とにかく、艶や張りはない。金属音ぎみの音ではないと言い張りました。
正解は、赤ちゃんが初めに出す音。[a]音でした。
Mちゃんのお母さんは、「開いた音」を「高く抜けるような」と感じたのです。これは、アメリカ式の発音の傾向を示しているのではないかと思いました。アメリカ式は、[a] が[ae]の方に引っ張られる傾向があるかもしれないと・・・。
私と生徒さんとで、半分ずつ間違ったという具合でした。
Oはくせものです。
正解は、赤ちゃんが初めに出す音。[a] でした。「ア」系列に関しては、これも鵜田さんの考えに大きくおかげをこうむっている考えですが、私は3種類だけはきちんと区別すべきだと思っています。以下にその3種類を書きます。
[a] 歯と歯の間を開く。一番力が要らない音。赤ちゃんが最初に上手に出す音。
[ae] 口の両端を斜め上に吊り上げる。(ものの本では、口の両端を横に引き、あ
ごを下げるなど記されているが、これだと二段階のように意識される。実際
は一発で発音される方が多く、口の両端を斜め上に引っ張り上げるだけで、
一発で出る。[逆e] [逆v]
口をせばめて、喉から息を送り出す。せばまったところに息がぶつかり、こ
もったような音になる。洞窟の中の反響みたいなものが頭蓋骨の中で感じら
れることがある。これの区別がちゃんとできるようになるだけでも、日本人の英語は今よりもずっと通じるようになります。
----------------------------------------------------
以上、「ア系列」についてです。
Eliot さんにご意見をうかがいたいと願っています。
Kawakami さんはこんなことをいちいち意識しないと思いますが、どんなふうに思われましたで
しょうか。
<素材>3文全体としての「音」
小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」という本を書いて一年半ほどたったが、その間に考えたことはほとんど自分のホームページに書いた。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
文庫以後に考えたことには、「磁場」の問題がある。英語という言語的磁場が「ない」場所で、英語をやることこそがもっとも語学らしい語学なのだと考える一方で、「磁場」だけが養うことのできる言語能力が絶対にあるという考えも出てきた。これらに関しては、後で詳述したい。
「磁場」の問題の他に、考えたのは「音」の問題だった。
いきなり、「音」の問題を書くことにする。
自分の掲示板『大風呂敷』を開設してまもなく、Eliot というハンドルネームで書き込んでくださった方がおられ、この方は非常に英語の「音」に関して詳しい知識を持っておられた。そんなことは初めて聞くが、なるほど自分の口を動かして試してみると、Eliot さんが説かれる通りの舌の動きになったり、説かれる通りの音の連続になると納得することが何度もあった。
Eliot さんは単に英語の音に関する知識が豊富であるというだけの方ではない。この方は佐賀県の中高一貫の私立高校の英語の先生であり、現在(2001年10月)、中学三年生を指導しておられる。自分の知識を授業の中で存分に活用しておられる方である。
小学館文庫以後、「音づくり」という語を私は使用していたが、Eliot さんは、掲示板『大風呂敷』で、そのものずばり「音作りへの道」というタイトルの記事を連載してくださった。http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
この記事は完結し、現在、私のホームページの「大風呂敷の記事の倉庫」に格納されている。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/000.HTML
この Eliot さんの学校での実践は非常に注目すべきものである。ここに、今後の学校英語が蘇生するためにたどるべき道があると私は確信している。この本でも、Eliot さんの「音作りへの道」から引用させていただく部分が多くあるだろうと思う。読者の皆さんも、インターネットに接続されておられたら、是非読んでいただきたい。とりわけ、学校の英語の先生には首根っこをつかまえてでも読ませたい記事である。
掲示板上でこの方に出会って以後、私は「音」の問題を考えることが多くなった。
<素材>4
英語の「音」あるいは「発音」というと、単語を単独に発音して、音がきれいだとか正確だとか評価するようなやり方がある。例えば、NHKの語学番組では、ラジオ・テレビという一方通行のメディアの性質上、視聴者の発音がきれいだとか正確だとかの評価はなされないが、単語単位で発音練習をさせている。中学の教科書の文を吹き込んだCD教材などを聞いてみても、単語単位で発音練習をやるようになっている。こういう構成をとっている教材や番組では、文全体に関しては、ただ「ネイティヴの音をそのまま真似ろ」という考えが前提になっている。
口の筋肉や舌の位置のどこをどうすればネイティヴと同じ音が出てくるのかを説明することはまずない。
これらの教材や番組の構成の前提になっている考えは、単語単位で発音をクリアすれば、獲得された単語の音を組み合わせることで文全体も発音できるとする考えだろう。これは、とてつもなく甘い考えだというしかない。
日本語というどの単音にも母音がついている言語の音と、子音が立て続けに連続する英語の音とはその組成が元から違う。この巨大な距離を埋めるのは、音楽的な感覚が発達した人には難しくないかもしれない。しかし、多くの人には非常に難しい。一例を示せば、「舌を上の歯茎の裏につけたままにしている間だけ音を出して、舌を離したときは音を出さない。そうじゃないと、トとかトゥとかいう音になっちゃって余計な母音がくっついてしまうから」というような説明がないと、多くの人には英語の音の近似値すら出せないことが多々ある。こういう指導をやっているところは、星の数ほどもある英語教育機関の中でも非常に少ないはずだ。英語の音作りを激しく、厳しくやっている所は極めてまれだと思いま
す。実際、英語の教員の多くにとって英語の発音は、できれば避けて
通りたい弱点です。自分自身が通じるレベルの音が出せない教員がた
くさんいますし、そこそこ通じる音を出せる教員もその多くが英語の
音作り必要な知識を体系的にルール化して生徒に教えることができま
せん。例えば、根石さんが示しておられるような、音と音がぶつかり
合ったときの音の消失とかいうことも生徒に説明できるような知識と
しては持っていないのが現状です。
(Eliot 『音作りへの道』)例えば、ここにある「音と音がぶつかり合ったときの音の消失」という問題は、単語単位で発音練習をしていたのでは決して解決しない。ここにひとつの法則が導き出せるだろう。
<法則1> 英語の音を扱う場合は、いつも文全体で扱わなければならない。
文全体として「音」の問題を扱う時、次に必ず出てくる問題は、リズムとかイントネーションというものである。つまり、英語学習上での「音」というのは、単語の発音のことではなくて、リズムやイントネーションを備えた文全体をどう扱うかという問題なのである。
単語単位で扱うだけでなく、記号や番号で正解を答えさせるような学校のテストや入試の記述式「発音問題」(!)はまったく問題外である。音韻学者を育てているわけではあるまいに、中学生に向けたテストで発音を字で処理させているのだ。ただただ愚劣なだけである。
さっそくありがとうございました。
ただいまへろへろになって、頭の電池がからっぽです。
眠って少し充電し、明日以後にレスいたします。
ごめんなさい。
ペーストいたしました。先生、編集者を研究素材にしてはいけません♪
Kawakami 様ありがとうございます。
お手数をわずらわせて申し訳ありません。研究材料の件ですが、まあお堅いことを言わずに、研究材料になって下さい。
そうそう簡単に手に入る材料ではないので、貴重です。
根石様英語の音を教える(または学ぶ)際にまず決断せねばならぬことがあります。それはアメリカ英語とイギリス英語のいずれかを手本にするかということです。私は日本人学習者にはアメリカ英語でもイギリス英語でもない、かといっていわゆる日本語訛りではない「日本人用の標準英語発音」というべきものがあってしかるべきと考えており、その具体的な提案もできるのですが、如何せん、そういう発音で作られた教材が存在しませんので、一般的にはアメリカ英語かイギリス英語かの話者が吹き込んだ音声教材を利用して教える(勉強する)しか手はありません。そして現在日本で入手可能な音声教材の大部分がアメリカ人をモデルとして採用している以上、好むと好まざるにかかわらず、アメリカ英語を手本にして英語の音作りをするしかないと思います。中学校の教科書準拠の録音もすべてがアメリカ英語でしょう。また、NHKのラジオ講座である基礎英語@、基礎英語A、基礎英語B、英会話入門、英会話、やさしいビジネス英語のゲストの英語母語者(長たらしい「ネイティブスピーカー」の代わりに「母語者」と言うことにします)たちは全員アメリカ人です。NHKの他の英語講座(高校英語など)のゲストとしてたまにイギリス英語母語者が使われていることを除けば、まさにアメリカ英語一色という状況です。
まったく英語を知らない中学一年生から始めて2年半生徒達に英語を教えてみてわかったことは、音声の習得ということには極めて大きな個人差が生じるということです。ある生徒は何の説明も聞くこともなく、入学前の春休みに教科書準拠の録音教材を聞いていただけで、非常に上手に発音できるようになっていましたが、別の生徒は2年半私の授業を受けてもひどい日本語訛りのままで、母音の区別さえままならない状態です。後者の生徒達にとっては、録音教材がアメリカ英語だろうがイギリス英語だろうがまったく関係なく、モデルの発音を聞いても、細かい音の違いなどを聞き取ることができません。彼らにとっては Hurry, Harry.は「ハリー、ハリー」ですし、not は、いかにモデルがアメリカ英語で naht のように発音していても、頭の中で自動的に「ノッt」と訂正されてしまうので、彼らの口から出て来る音も当然「ノッt」となります。
ところが、非常に耳のいい生徒達は細かい点まで聞き取れますから、
前の書き込みは、作業中に誤って投稿してしまったものです。題名も間違っています。失礼しました。以下、続きです。・・・そういう生徒達は、もしモデルとして聞いているアメリカ英語の録音教材と指導者の発音が異なると、その違いに気付きます。指導者が日本人でその発音が悪いということもありますが、別の国の英語発音であることもあります。まったくの初心者である中学1年生の場合、録音はアメリカ英語、先生はイギリス英語では、不必要な混乱を招く恐れがあります。例えば、
Joe can't bear her laughter.
という文中で使われる母音は、アメリカ英語とイギリス英語では「全部」違います。学習者が、録音でアメリカ英語の音を聞き、教員のあとについてイギリス英語の音を真似するということの不合理さは、共通語の録音を聞きながら、東北訛りの先生の発音を真似するよう強請される日本語学習者を想像してみればわかるでしょう。初心者(一般的には中学1年生)に既存の教材で音作りをしようとする指導者はアメリカ英語の音に関する十分な知識を持ち、録音教材のアメリカ英語母語者の発音を生徒に解説しながら、生徒達にアメリカ英語の発音を徹底的に模倣することを奨励せねばならないと私は考えます。このことは、よく一般になされる「アメリカ英語の方がいいのか、それともイギリス英語の方がいいのか」という議論とは別の問題です。
さて、これから a/e/i/o/u の短母音の話です。大雑把に言うと、これら五つの母音のうち、アメリカ英語とイギリス英語で、同じ音だと言えるのは /i/ だけです。他の音はすべて異なります。ただし、ここで言う「アメリカ英語」はいわゆる「中西部の英語」のことであり、「イギリス英語」は Daniel Jones の発音辞典で「BBC英語」と呼ばれるもののことです。
まず /a/ ですが、アメリカ英語の音はあごを大きく落とし、舌先を下の前歯の裏側に付けたまま、唇を左右に大きく開いて発音される音です。一般的に「ア」と「エ」の中間と言われますが、そういう説明では、唇を左右に大きく開くという点が抜け落ちてしまいます。根石さんがおっしゃるように、一発で説明せよということであれば、私は
「般若の面の口」
と言っています。
イギリス英語ではこの音は20世紀の間に変化を遂げて、アメリカ英語と同じ音(これはシェークスピアの時代からの音と言われています)から
また途中でEnterキーを二回連続して叩いてしまい、意図せぬ投稿となりました。失礼しました。以下、続けます。・・・あまり口を左右に開かない音に変わっています。特に若い世代ではこの傾向が顕著です。日本語話者が日本語の「ア」を /a/ として使ってもあまり違和感を感じさせることはないでしょう。(続く)
チーフコーチ 根石吉久
担当 「逃亡者」「ゴースト」「ミッション・インポシブル」
「スピード」「ノッティングヒルの恋人」サブ・チーフコーチ 根石せい
担当 「E.T.」「ボディ・ガード」「逃亡者」「七年目の
浮気」サブ・コーチ 村田晴彦
担当 「フル・メタル・ジャケット」「不思議の国のアリス」サブ・コーチ 大友伸尚
担当 「スピード」
「電話でレッスン」の生徒さん、奈良・大友さんが、今日、映画のシナリオ「スピード」を一冊終了させました。おめでとうございます。皆さんでお祝いして下さい。また、以前に、「スピード」が終了したら、「スピード」をテキストにしたい生徒さんが申し込まれた場合に、コーチをやっていただけないかとお聞きし、承諾を得てありますので、素読舎「電話でレッスン」のコーチ陣に加わっていただきます。「スピード」をテキストに選ばれる方は、ひとまず、この掲示板に問い合わせていただくか、私にメールをお願いします。私の方から、大友さんに連絡します。あるいは、私のホームページの「リンク」から大友さんのホームページをたどり、連絡をとっていただいても結構ですが、レッスンを始めることが成立しましたら、私の方に連絡をいただくことと、途中でコーチ側であろうと、生徒さん側であろうと、問題が生じた場合に、この掲示板に問い合わせていただき解決していただきたく思っています。「電話でレッスン」に関しては、私と妻がお引き受けできる枠数はあまりありません。お引き受けできるだけはお引き受けしますが、その後は、現在の私の生徒さんにコーチをしていただいて、私の方法を広めていくことを考えています。
大友さんは、次回からは「ミッドナイト・ラン」に突入します。また、復習全範囲テスト10個、先端部分復習テスト10個でテストをいたします。
「ミッドナイト・ラン」が少し進んだあたりで、復習範囲テスト10個をもう一カ所増やしたいと考えていますが、新しいところをやる時間をテストが圧迫しまので、私の方法を回りに広めていただいて、どなたか生徒さんをご紹介いただきたくお願いいたします。紹介いただいた生徒さんが、レッスンを継続している期間は、レッスン時間を毎回5分延長させていただきます。私の方で引き受けることのできる枠は、夜の時間帯ではほとんどなくなっています。現在使えるのは土曜夜10時50分から11時20分という枠です。昼間の枠は今後設定する予定がありますが、引っ越しを予定しており、自宅自作の現場に時間をとられておりますので、引っ越し以後の設定となります。
これまでにシナリオを一本終了させた方々のご芳名をここに記録します。
(2001年11月上旬現在)(終了記録)
1.どこかの娘 「E.T.」 2000年?月
2.根石せい 「E.T.」 2000年?月
3.村田晴彦 「フルメタル・ジャケット」 2001年7月
4.戸倉町・Yさん 「E.T.」 2001年?月
5.Kお嬢 「ゴースト」 2001年?月
6.大友伸尚 「スピード」 2001年11月以上のうち、2,3,6番の方は素読舎「電話でレッスン」のコーチをしていただいています。
また、本名を明らかにしておられない方も、「音」のこなれに問題がなくなった時点で、本名を明かすことを条件に、コーチに加わっていただく予定です。
続きを楽しみにしています。
よろしくお願いいたします。
<素材>5.語学では、音と意味は分離する
音と意味の間に、本来は何の必然的な関係はない。音と意味の間に普遍的な必然があれば、こんなにもいろいろな言語がこの世界にあるはずはなく、少なくとも単語を羅列するだけのレベルにおいては世界のどこででも話は通じるはずである。しかし、現実はそうではない。音と意味の間に、普遍的な必然性はないからだ。
しかし、ある一定の時、ある一定の場所、そこに生じている状況においては、音と意味の間に緊密な必然性が生じる。英語という言語の磁場であろうと、日本語という言語の磁場であろうと、それぞれの言語の音が、具体的で限定された意味と緊密に結びつく。たとえ誤解が生じたとしても、誤解という形での関係性がリアルに形成される。
この過程は、具体的な言語の磁場にいる時はほとんど意識されることがない。音を音として意識することもないし、意味を意味として意識することもない。意識はほとんど、「相手の意図」に向けられている。
「馬鹿!」という単語一つでもそうだ。辞書通りの意味で、相手をけなす場合にももちろん使えるが、恥ずかしそうにうれしさをかくしながら、女の人がこれを発音するならば、事態はまったく別のことなのだ。具体的な事態については、読者各々の想像におまかせするとして。
意味のもっとも痩せたものは辞書で確認できる。しかし、言葉の意味は生きた状況で絶えず生成する。それは存在するのではなく、生成するのだ。だから、そのたびごとに、精密な意味あいは違っている。その小さな違いが、広く人々の間に浸透するならば、辞書はその浸透した違いを収録するだろう。文字として、説明として固定され、意味は痩せるだろう。
私の日常の言語は日本語だが、この言語を使いながら、日本語の音が意味と結びつく瞬間などを意識することはない。むしろ、日本語の音とその音と同時に成立する意味は一体のものだとさえ感じられる。
英語をネイティヴな言語とする人にとっての英語も、事情は同じに違いない。生活言語における、音と意味の一体化は、生活言語における自然である。しかし、語学においては事情は一変する。
語学においては、生活言語の自然はない。生活言語がオアシスであるならば、語学の言語は砂漠のようなものであり、また語学の言語をオアシスだとする人にとっては、生活言語は砂漠のようなものである。砂漠とオアシスは、接続してはいるが、質的な連続はない。質を言うならば、ウラハラのものだ。
非常に多くのハウツウ本が、ここを無視する。
私は、もっと簡便に、生活言語と語学の言語は別物だと言い切るのがいいのだと考えてきた。
世にはびこる英会話学校の多くは、生活言語と語学の言語という本来まったく性質を異にするものが、質的に連続するかのように幻想する人々の幻想を金儲けのバネとして使う商売に過ぎない。英会話学校の隆盛は語学的な現象ではなく、あくまで商売的な現象である。もしも、あれが語学的な現象であったら、愚かな現象であると言うしかない。(少数の語学の原理を踏まえた英会話学校を例外としたいが、それはすでに「英会話」学校ではなく、英語学校だろう。)
<素材>6音と意味に関しても、語学においては生活言語とは事情が一変する。
本来、音と意味の間に必然はないということが、語学という場ほどにあからさまに現れる場所はない。
語学をやり、apple はりんごであるという関係を信じている人は、すでに apple という単語に何度も出会い、いくつかの文脈の中で何度か apple に出会った経験を持つ人である。しかし、初めて apple に音として出会った人にとって、apple はりんごでもなんでもない。音として出会ったのであれば、見知らぬ変な音であり、字として出会ったのであれば、見知らぬ字の変な連続にすぎない。この経験は、いつでも誰にでも可能である。知らない単語に出会ったときに自分の中に生じている「見知らぬ変なもの」に対する感覚を思い出せばいい。
語学における「見知らぬ変なもの」は、ネイティヴの中にいる幼児にとってはそのまま、「未知のおもしろいもの」である。「未知のおもしろいもの」であるから、それに出会った幼児は何度も自分の口で繰り返し言い続ける。それを自分の口で真似て言い続けることの快感に酔っている顔をしている幼児さえいるくらいだ。酔いをもたらすほどに身体的な言語との交わり。それがネイティヴ言語というものだ。
しかし、青年や大人がやる語学においては言葉は幼児が面白がるほどに面白くはない。語学は生活過程ではないから、おもしろがることをやっているうちに自然に覚えてしまうというような過程ではない。語学において初めて出会った単語が「未知のおもしろいもの」であるということがあったとしても、語学では、あまりにやらなければならないことが多すぎるため、そのうちに初めて出会った単語は、「見知らぬ変なもの」あるいは、「覚えなければならないいやなもの」となってしまう。対象との間に距離が生じてしまうのだ。ネイティヴ言語の中にいる幼児が知らない距離が、語学においてはごく初期に生じる。
語学において、音と意味は分離する。あるいは、分離している。あるいは、分離してしまう。あるいは、分離していてかまわない。あるいは、あえて分離させる。あるいは、分離を統合する。
いずれにせよ、音と意味の分離こそが語学の言語に特有な顕著な性質である。
このことは抽象的な言いぐさだと受け取られ、簡単に無視されやすいが、しかし、ここにこそ語学に特有のバネが生じる根拠がある。<原理1> 語学では音と意味は分離する。
<素材>6までペースト完了いたしました。ありがとうございました。また明日もまいります。
お世話になります。この度は著書のご恵贈を賜りありがとうございます。
本日 以下の書籍小包が届きました。1、根石吉久+村田晴彦「英語どんでんがえしの やっいけ方」小学館文庫(価\552+税)
2、根石吉久「根岸吉久の暮らしの手帳」星雲社 (価\1854 税込)
3、同「けんか英語入門 英語のやっつけ方」素読社(長野県更科市小島3137 価\700)
4、同 ーSUDOKUSHA ENGLISH IN LONDONー
「たごさくえーご宣言 ロンドンで素読社英語を教える」めんがらや(私家版 価\1000)5、足立和夫 「詩集 空気の中の永遠は」編集工房向う河原(私家版 価\552+税)
*以前お願いしておりました顔写真、略歴は「素読社版」を参考にさせていただきます。
同人社Web編集部
スピード終了、おめでとうございます。1冊終わらせるのがどれだけたいへんなことか、よくわかっているつもりです。私はゴーストをやっていますが、遅々としてすすみません。今半分にいく手前なのですが、1週間に2ページ程度しか進まないのではしょうがないですね。でも完走できるまではぜったいにあきらめません。
/a/の音はアメリカ英語でも方言によって音価が異なりますが、今回は深入りしないことにします。ただ二つだけ、意外と知られていないことを書いておくことにします。hair, thereの母音は一般的には /e/ の音から始まると思われていますが、アメリカ英語でもイギリス英語でも、/a/+あいまい母音(逆さe)か /a/+/(e)r/ のように発音されることがよくあります。イギリス英語では /a/ の音の方が普通なくらいです。アメリカ英語でも parent や various などの強勢のある母音は /a/ であることも多いのです。
もう一つ、marry, carry, Harry, Paris, embarrass などのように /a/+r の組み合わせでは、アメリカ英語母語者は /e/+r で発音する人が非常に多くなってきています。そういう人の発音では marry/merry/Mary の三語の発音はまったく同じで、merry と発音されます。
/e/の短母音です。日本語の「エ」とアメリカ英語の/e/とイギリス英語の/e/を比べて見ますと、日本語の「エ」イギリス英語の/e/はほぼ同じと考えて差し支えないでしょう。アメリカ英語の/e/はそれよりももっと口を大きめに開き、やや「ア」に近い響きがある音です。アメリカ人が f や s を ess や eff と読むときの e の音は私たちの「エ」とは違うのです。
しかしながら、実用面では /e/ を「エ」で代用しても何の誤解も違和感もないはずです。イギリス英語では /e/ は「エ」とほぼ同じですし、オーストラリア英語ではもっと口を狭くして発音することも一般的ですから、日本人がアメリカ式の「開いた /e/」を習得しなくても問題はありません。
/i/ の音はその音だけを取り出せば、英米の差はありません。日本語の「イ」と「エ」の中間の響きを持つ音であり、日本語だけでなく、多くの言語には存在しない音ですから、この音をきちんと発音できずに外国語訛りが顕著に残る人がたくさんいます。発音の仕方の指示は、上下の前歯を数ミリ離して「イ」と「エ」の中間の響きを持つ音を出しなさい、とか、鉛筆(または小指の先)を噛んだまま「イ」と「エ」の間の音を出しなさいとか言えばいいと思います。
この音はアメリカ英語では語末には来ません。〜y で終わる単語に英和辞典の多くが[〜i]という発音を表示していますが、アメリカ英語では、語末の /i/ の音は日本語の「イ」と同じような音です。アメリカの辞典では[i:]の音と同じ記号を与えてあることもありますが、実際にはあまり長く発音されることはありません。語末の[i:]が「イ」のようになる現象はイギリス英語にも広まりつつあるようですが、city の二つの母音をまったく同じように発音するイギリス人は多いようです。アメリカ英語では /sit-ee/(ただし ee は短く)、日本語訛りでは /s(h)イティ(−)/ですね。
/i/ に関してアメリカ英語とイギリス英語の相違点はこの他にもあります。例えば、idea とか museum とかの中の ea とか eu の部分の発音ですが、イギリス英語では /i/+あいまい母音(=逆さe)ですが、アメリカ英語では /ee/+あいまい母音です。このように、イギリス英語では単語の途中で /i/+他の母音ということがありますが、アメリカ英語では、その場合、/ee/+他の母音となります。
もうひとつ /i/ の使い方でアメリカ英語とイギリス英語が違う点があります。それは強勢がない音節で、つづり字が、〜age, i, e, ai などのときにアメリカ英語はあいまい母音、イギリス英語は /i/ となることが多いということです。イギリス人が言う American は「アメリクン」に聞こえますが、アメリカ人が言うと「アメルクン」とか「アメラクン」のように聞こえます。(続く)
他の語、例えば、garbage, visit, rosesなどでも、強勢のないところの母音は、イギリス英語では /i/ で、アメリカ英語では逆さeであることが多いのですが、個人差、地方差があり、一律に線は引きにくいです。/o/の短母音はイギリス英語では唇を丸め、日本語の「オ」よりも口を開き、舌を低い位置に保って、口の奥の方から出てくるような音です。この音は通常かなり短い音です。日本語母語人の耳には「オ」に聞こえるのが普通ですが、「オ」よりも口腔内の空洞が大きいので、よく耳を澄ますと違いが聞き取れるでしょう。イギリス英語では強勢がある o の母音は、この音か /oh/(発音記号では[ou])という音になるのが普通です。実は、この /oh/ もアメリカ英語とイギリス英語では相当違う音なのですが、今回は触れません。
dog/off/gone/not/sorry の中の o はイギリス英語では全部同じ音です。すべて短い音です。しかし、アメリカ英語では事情が一変し、非常に複雑なことになります。(続く)
アメリカ英語では一般的に /o/ は口を大きく開いて、唇を丸めずに発音される音になります。発音記号では[α](本当はちょっと違う文字ですが、ここでは発音記号が使えませんので、これで代用します)となる音です。この音は、根石さんが言われる「赤ちゃんのa」のことです。私は、生徒に「発声練習のアー」だとか「診察室のアー」などと言っています。後者はもちろん、医者にのどをのぞかせるときに口を最大に空けて「アー」と言うときのあの音のことです。英語で一番口が大きく開く音であり、舌先は下の前歯に接触していて、舌は口の奥の方でも低い位置にあります。この音は ah というつづりで表される音と同じものです。アメリカ英語の /o/ はイギリス英語の /o/ と違い、しばしば大変長く発音されます。Longman社発行の外国人向けの英英辞典である Longman Dictionary of Contemporary English ではアメリカ英語の /o/ を[α:]で表しており、イギリス英語より長い音だということを示しています。特に、有声子音の直前で強勢のある o はかなり長く発音されます。例えば、god/lodge/rob/bother などではそうです。Botherとfatherは多くのアメリカ人にとって、単に /b/ と /f/ が違うだけであり、..other/..ather の部分の発音は同じです。また、balm とbomb は多くのアメリカ人にとっては同音異義語です。
ここで /o/ の話が終わりならば話は簡単ですが、実はまだ続きがあるのです。しかし、それは明日以降に書きこみます。(続く)
>私はゴーストをやっていますが、遅々としてすすみません。今半分にいく手前なの
ですが、1週間に2ページ程度しか進まないのではしょうがないですね。そんなことはないです。よく進む方で、皆さんそのくらいのペースです。ST さんは、別にもう
一冊やっておられ、復習テストが他の人より多いので、一回30分で新しいところが、2ページ、
3ページ進むというのは、いいペースです。私は、どれだけ先に進むかよりも、復習テストでの「技法グラウンド」で穫れる音のこなれの方
を余計に注目しています。復習テストの範囲に錆が寄らないように絶えず手入れを怠らないでいて
下さることを願っています。
「素材」(後で検索する時のために括弧の種類を変えてあります)、はその度にペーストしていた
だかなくても結構ですよ。まだ、あくまで素材であり、誤字なども多く、頭がもうろうとして書い
ていて首尾が整わないようなものをそのまま放り出してあるので、私の方で手を入れたり書きなお
したりする必要のあるものです。ただ、どんなことを私が書きたがっているかを知っていただくた
めには「素材」のまま放り出しておいた方がいいと思っているので、放り出しています。そのうちにある程度量がたまってきたら、一度手を入れたものをメールでお送りしますが、「素
材」を放り出している時点で、何かアドバイスなどいただけたらありがたく思っています。今回も
日頃の学校英語に対するうっぷん晴らしが作用しているようで、行儀が悪いのですが、この行儀の
悪さに関しては、どんなものでしょう。こんな調子で続けてやっていっていいものか、Ton 様のご
意見もうかがいたいと思っております。お聞きして、教えていただけますか。特にこのあたりが、言いたいことがよく伝わってこないというような部分がありましたら、どう
ぞ教えて下さい。
ありがとうございます。
続きをよろしくお願いいたします。
アメリカ英語で /o/ がどのように発音されるかということを詳しく知るためには次のことを理解している必要があります。イギリス英語
単語 発音記号 音価
※stock [cの鏡文字] 唇を少し丸め、日本語の「オ」よりもあごを落として発音する音
stalk [cの鏡文字+:] 唇をしっかりと丸め、やや突き出すくらいにして「オー」という音
アメリカ英語
単語 発音記号 音価
stock [α] 「診察室のアー」口を大きく開き、口の奥の方からア(−)と言う音
※stalk [cの鏡文字+:] イギリス英語のstockの母音と同じ音を長く発音する米印の付いた、イギリス英語の stock とアメリカ英語の stalk の母音は、アメリカ英語の stalk の方が長い音だという点を除けば、同じ音価の音なのです。この辺の事情は Longman Dictionary of Contemporary English を見れば、stock のイギリス発音と stalk のアメリカ発音に同じ記号([αの鏡文字])が使われていることで確認できます。むろん stalk の方には長い母音であることを示すための[:]が付いています。
さて、これからは便宜上、アメリカ英語の stock の母音[α]に /ah/ という表記を、アメリカ英語の stalk の母音(先ほど説明した、イギリス英語の stock の母音と同じ音価の母音)に /aw/ という表記を用いることにします。では、アメリカ英語の複雑な /o/ の説明に入ります。
基本的には、アメリカ英語では /o/ は /ah/ です。例えば、not, got, stop, box, pond, god, possible などの /o/ はすべて日本語母語人の耳には「ア」または「アー」のように聞こえます。この音にはアメリカ人の間でも地方差があり、北部のアメリカ人の発音の /ah/ は日本語の「ア(−)」に非常に似ていて、はっきりと「ア」と聞こえますが、他の地方の発音では日本語の「ア」よりも舌の位置が低く、もっと口の奥の方から出てくるような響きがあります。
いくつかのグループの語では /o/ が /ah/ ではなくて /aw/ になる場合があります。
@ ingか s(s)の前
song, long, strong, boss, Boston, lost
ただし、hospital, possible などでは /ah/ が普通です。
A r+母音の前
foreign, horrible, Oregon
ただし、sorry, borrow, sorrow, tomorrow は /ah/ の方が普通です。
その他の語も /ah/ で発音する人がいます。
B f(f)の前
off, often, cough, coffee, office, foster
ただし、/ah/ を使う人もいます。
C wa...
want, wash, watch, wander, Washington
ただし、/ah/ を使う人もいます。
D g の前
dog, fog, frog, log
ただし、dog を除いて /ahg/ もよく聞きますし、bog や jogg では /ahg/ の方が普通です。
E l(l) や lve の前
golf, doll, volcano, involve, solve, volleyball
ただし、dollar では /ah/ が普通です。また、その他の語も /ah/ という発音もあります。
F 前置詞の on
なぜだか /awn/ の方が圧倒的に多いのですが、/ahn/ という発音も使われています。
アメリカ英語は方言の差が少なく、例えば、教育のあるロサンゼルス出身者とシカゴ出身者の発音には私たちが聞き分けられるような違いはきわめて少ないのですが、/o/ の発音については、地方差と個人差があり、o の母音としての /ah/ と /aw/ の使い分けのはっきりとした線は引きにくいのです。それについて、ある学者は "Chaos prevails."と述べています。あるアメリカ人は次のように発音するかもしれもません。
I got a watch in Washington. /gaht/ /wahch/ /Wawshington/
またある人は次のように発音するかもしれません。
I got a watch in Washington. /gaht/ /wawtch/ /Wahshington/
またある人は /gaht/ /wahch/ /Wahshington/ のようにすべて /ah/ を使うかもしれません。要するに "Chaos prevails."なのです。他の例をあげてみましょう。/ /内の発音は一例にしかすぎず、/ah/ と /aw/ の使い分けは人によってばらばらです。
box on the desk /bahx/ /awn/
The doll cost Foster ten dollars. /dawl/ /cawst/ /Fahster/ /dahlers/
The dog ate the frog. /dawg/ /frahg/
実際には /ah/ と /aw/ の間に、/aw/ 寄りの /ah/ だとか、/aw/ 寄りの /ah/ だとか、微妙に音色が違う音を出すことが可能であり、それを /ah/ と /aw/ に加えて、地方により、個人により、この範囲内の音がいくつも入り乱れて使われています。さらに多くのアメリカ人の発音では stalk の母音(他に thought, law, walk, caught なども皆)も /aw/〜その間の音〜/ah/ の間を揺れ動き、例えば、law が lah と発音されるようなこともしばしばあるという事実も、事態をわかりにくいものにしています。というわけで、アメリカ英語の /o/ についての結論は、学習者の立場からすれば、
「/ah/ でも /aw/ でもいいから、あごを落として(鵜田さんの言う「開く音」ですね)発音すれば通じる」ということになります。指導者の立場からすれば、
「通常は /ah/ だが、ng/f/s/g/r+母音/の前では原則的に /aw/ となる。また wa...のときはいずれでもよい」くらいにまとめていたらいいのではないでしょうか。
/aw/ よりの /ah/ だとか /aw/ よりの /ah/ だとか
↓
/aw/ よりの /ah/ だとか /ah/ よりの /aw/ だとか
今回は /u/ の音です。アメリカ英語ではこの音は方言差が少なく、比較的「安定した」音価を持つ音と言えます。しかし、イギリス英語の方言では、びっくりするような音価を持つことがしばしばあります。例えば、イングランドの中部〜北部では luck の母音は look の母音とまったく同じです。そういう発音をする人にとっては、luck と look は同音異義語です。その場合、この母音は私たちの耳には「ウ」か「オ」のように聞こえます。一方、BBC英語においては通常、日本語の「ア」に非常に似た音になります。BBC英語を話す人が発音する cup はアメリカ人の耳には cop と言っているように聞こえます。アメリカ英語では cop の母音は唇を丸めない「赤ちゃんのアー」「診察室のアー」ですが、この音とBBC英語の /u/ の母音が非常に似ているのです。ただし、/u/ の母音は短く、アメリカ英語の /o/ の母音はしばしば長いという点は違います。ではアメリカ英語の /u/ はどんな音でしょうか。これはいわば「口呼吸のア」です。変な言い方ですが、とにかく、鼻詰まりのせいで口で息をしている様子を想像して下さい。このとき確かに口は開いていますが、あまり大きく開いているわけではありませんから、あごはわずかにしか下がっていません。その口の構えで短く「ア」と言えば、/u/ が出ます。次のペアーを発音してみてください。
cup / cop
stuck / stock
nut / notアメリカ英語では、これらのペアーの違いは、主に口の開きの差から生じます。別の言葉で言えば、あごの下がり方の差によって生まれるのです。鵜田さんの言う「開く音」と「狭い音」の差です。その他に、/u/ が短い音であるのに対し、/o/ は強勢のある音節では長めに発音されるという違いはありますが、この二つの音は、日本語母語人にとって、発音し分けるのも聞き分けるのもなかなかむずかしいものです。
/u/ の音は発音記号では[Λ](逆さv)で表されるものですが、つづりが u だとは限りません。次の三つのペアの左側の語はすべて[Λ]を含みます。右側の三語のうち Don は /dahn/ と発音され、wander と watt は /ah/ か /aw/ か(またはその中間の音)で発音されます。
done / Don
wonder / wander
what / wattしばしば o の文字が [Λ] で読まれます。
Monday, front, honeyときには o が二通りに読まれることがあります。
constable は /cun.../ とも /cahn.../ とも読まれます。
hover は /huv.../ とも /hahv.../ とも読まれます。アメリカ英語では what, was, wasn't はそれぞれ wut, wuz, wuznt と読むのが一般的です。イギリス英語では唇を丸めて wot, woz, woznt と言います。(続く)
a/e/i/o/u の短母音( /o/ を /aw/ で読む場合厳密には短母音と言わないのでしょうが)、の話は前回で終わりました。今回は[Λ]と[逆さe]=あいまい母音についての考察です。まず、次の単語を発音してみてください。about, lemon, animal, computer, American, today, China
では、次を発音して下さい。
bug, luck, come, hull
最初のグループにはあいまい母音が含まれています。アメリカ英語では次の個所があいまい母音です。
about: a
lemon: o
animal: i, a(二番目)
computer: o
American: e以外全部
today: o
China: aこれらの文字はあいまい母音になるのですが、皆さんはどのような音でお読みになったでしょうか。すべてまったく同じ音を出した人はいないのではないでしょうか。例えば、about の a と computer の o を完全に同じ音で読んだという人はいないでしょう。それは正しいことです。あいまい母音[逆さe]の記号は、他の母音と違って、何か一つの決まった母音を表しているのではないのですから。あいまい母音とは、強勢がない音節の母音が本来持つべき母音、言いかえれば、強勢があればこう読まれるはずだという母音の響きを残しながら、口をほんの少し動かして発音されるいくつもの母音の集合体のことだからです。では、実際にはどのように発音されるかを説明します。
あいまい母音は、通常あまり口を動かさずに、あいまいな音(極めて弱いウ、または弱いオに近い音)を発音します。ただし、語頭の a と語末の a は [Λ]と同じに発音します。ただし、ゆっくりした発音の場合、あいまい母音になっている母音文字が強勢のある時に持つべき母音の響きに近くなることがあります。(続く)
[Λ]と[逆さe]は同じ母音であり、区別する必要はなく、強勢があれば[Λ]、なければ[逆さe]になる、と考える人達がいますが、私はそれには反対です。少なくとも、指導する立場からすれば、この二つは別物とすべきであり、生徒にもそう教えねばならないと考えています。
(その8)の中の(続く)は最後に付けたつもりでした。失敬。
どうでしょうか?まだ新しいおうちが完成していなくとも塾の様子などぜひ見学させていただければと思っているのですが。もちろんその場合はもよりのビジネスホテルなどを借りるつもりです。
エリオット先生、とても面白かったです。シュワー(schwa?)の解説、私が今まで考えてきたことと全く同じだったので、感動しました。その7より以前も順次、楽しんで読んでいきたいと思います。
あいまい母音と[Λ]を区別するべきだと言う理由は、「この二つを同じに扱う理由がないから」です。先ほど示したbug, luck, come, hull
の中の母音はすべて[Λ]ですが、これらはすでに説明した「口呼吸のア」であり、何らあいまいなところはない、はっきりした音です。もちろん bug は bag や bog に比べると、口の開きが小さく、口腔内の容積が小さく、舌の位置が高い母音ですが、だからといって、この母音があいまい母音と同じであるということにはなりません。日本語母語人の耳にも「ア」に近い音として聞こえる音です。
この二つの母音を同じと主張する人たちは、同じ母音が、強勢があれば[Λ]になり、なければあいまい母音になるのだと言いますが、それでは次のことが説明できません。
experiment (動詞) → mentの母音は[e]で、第二アクセントがある。
experiment (名詞) → mentの母音は[逆さe]で、アクセントがない。
ここでは、強勢があれば [e]、強勢がなければ [逆さe] です。さらに、次の語中の二つの母音を同じだと言われても、初学者にはどういうことか理解しがたいと思います。
London
Lon の母音と don の母音は別物と教えた方がよいと思われませんでしょうか。
さらにもう一つ、[Λ]と[逆さe]は別物として扱った方がいいという根拠を示します。皆さんは次の単語をどう発音しますか。
hurry, worry, courage
英和辞典を見ると、これらの単語の強勢がある母音の発音は、イギリス英語では [Λ]、アメリカ英語では [逆さe+:] となっています。[Λ] と [逆さe] の区別をする必要がないと言われた学習者は、そんな発音表を見ると混乱するのではないでしょうか。(続く)
そんな発音表→そんな発音表記
Eliotさん
とっても面白いです。
a/e/i/o/u の話は一応終わりにして、今回は「母語で歌わぬ英国歌手たち」ということについて書きます。本当は「母語で歌わぬ非アメリカ人英語母語人歌手たち」という長たらしいことなのですが・・・アメリカ英語とイギリス英語の発音の違いはそのほとんどが母音の発音の違いです。子音の発音の違いの中で一番大きな違いは、後ろに母音を伴なわない /r/ を発音するかどうかということで、card の /r/ を発音するのがアメリカ英語で発音しないのがイギリス英語です。母音の違いはたくさんあるのですが、その中での特に顕著なのは二つの点で、一つが ask words と呼ばれるいくつかの語の中での /a/ の発音、もう一つが /o/ の発音です。
Ask words とはイギリス英語で /a/ を /ah/(fatherの中の a の発音)と読む語のことです。
例えば、ask, answer, pass, command, can't, cast, basket, aunt, rather, class, glass, laugh, half, dance, fast, gasp, last, vast などです。これらの中の a(aunt は au)はすべて /ah/=[α:] と読まれます。アメリカ英語ではこの /a/ は全部 back の中の /a/=[aとeがくっ付いた記号]と同じ音です。イギリス人が can't cast を発音すると「カーnt カーst」のように聞こえます。この現象は過去二百年くらいのうちにイングランド南東部に生まれたもののようで、アメリカ英語には広がらなかったのです。また、pass は ask word なのに、mass は違うとか、class は ask word なのに、classic も crass も ask words ではないとか、はたまた、grant は ask word で、grand は違う、というように /ah/=[α:] の出現が必ずしも規則的ではありません。
/o/ の発音の違いについてはa/e/i/o/u(その5)と(その6)で説明した通り、アメリカ英語では /ah/=[α] か /aw/=[Cの鏡文字+:] になり、イギリス英語では唇を丸める短い [Cの鏡文字] です。
さて、これからが本題です。「母語で歌わぬ英国歌手たち」とはどういうことでしょうか。ここでいう英国人歌手とはロックやポップスなどの流行歌を歌う人たちですが、彼らの母語はもちろんイギリス英語です。彼らにとっての標準語は can't を「カーnt」と発音し、stop を唇を丸めて発音する英語です。ですから、例えば、英国人歌手が Can't Stop Loving You というような歌のタイトルを発音すると「カーnt Sトッp 〜」のように言うはずですね。はい、確かにそう言います。ところが、それをメロディーに乗せて・・・♪♪Can't stop loving you♪♪と歌う時はそう言わないのです。(続く)
皆様掲示板を独り占めしているようで気が引けます。皆様もどうぞバンバン書き込みをお願いします。
Romだけしかしていないようですが、多分に教育関係者、地方新聞社の方にも読んでいただいております。
ある程度固まってまいりましたら、質問店などを整理したいと思っております。
↓質問店=質問点の誤字です。申し訳ありません。興味深く拝読しております。
非常に興味があるのですが、アタマが混乱しています。
私にフォニックスの素養がないためかとも思っています。>/a/ を /ah/のように・・・
と / / でくくられる場合、くくられているものが、アルファベットの表記なのか、音価なのか
が区別できないのです。
ひとえに、フォニックス知らずのせいかもしれません。
また、課題ができました。時間が欲しい。
12月上旬ですか。
軽トラックで、現場に通いながら、荷物を運び引っ越しを完了させる予定ですので、その頃に引っ
越しが完了しているかどうか自信がありません。最悪、今年中にということになるかもしれません。
まだ、現場をいじっています。今日も、床のワックスがけをやりました。明日もそれをやります。
年が明けてからじゃ駄目でしょうか。
せっかくおいでいただいたのに、あまりにこちらがじたばたしていたのでは、と心配なのです。
ありがとうございます。
ここに載せたものは、大きく書き直しました。
今日も少し続きを書きました。
この後、掲載します。
<素材>7
.語学的な犯罪
水と油は、同じ容器に入れて放置すれば自然に分離する。
語学でも、音と意味は、放置された状態では自然に分離している。
サラダのドレッシングを作るとき、水もの(醤油など)とサラダ油を混ぜるなら、容器に蓋をして激しく振るなり、棒でひっかきまわすなり、よく知らないが、何かしなければならないはずである。激しい動きを与えなければ、水と油は混じらない。混じっても、しばらく放置しておけばまた分離する。
語学の音と意味も同じである。
なんらかの激しい動きがなければ、音と意味は一緒にならない。この激しい動きの一種として、國弘正男さんという方が、「ひたすら朗読」を唱えられた。國弘さんの旧著が再版され、現在これを実践している人は多い。いいことである。國弘さんという方が、はるか以前に「ひたすら朗読」を唱えられていたことを京都の高校の英語の先生から教えていただいたとき、私は方法的な先達がいたのだということを知った。
私は、素読を原理として、「回転読み」というものを唱えた。(小学館文庫『英語どんでんがえしのやっつけ方』)
「回転読み」とは、一つの文にとどまり、同じ文を何回も、何十回も、場合によっては何百回も言い続ける方法である。
國弘さんの「朗読」、私の「素読」あるいは「回転読み」、言い方は違うが、根本に持つイメージは同じなのである。あるいは、もっと一般的に流布しはじめている「音読」とも共通するものがある。どれも、「音」をおろそかにしないこと。自分の声で実際に文を繰り返し読むこと。それが共通点である。あえて区別をするなら、もっともおだやかな方法が素読であり、「ひたすら朗読」や「回転読み」は激しい方法だ。
「ひたすら朗読」や「回転読み」は、水と油、音と意味を混ぜるのに有効な「激しい動き」なのだ。いや先走るまい。音の意味の統合(同致)は、まだまだ先の話としなければならない。
まだ、音と意味の「分離」にとどまって考える必要がある。意味と混ぜるための「音」の質が問題になるからだ。
音と意味を混ぜること(統合すること・同致させること)は、語学という作業の必然であるが、しかし、まずは、音と意味が分離している段階で、音と意味をそれぞれ別々に考える必要がある。<法則2> 語学の初期段階では、音と意味は分離しやすいが、それをことさらにはっきりと「分離させる必要がある」。
水と油のように分離している音と意味を混ぜて一体化するために、「激しい動き」を与えたとしても、「音」が「通じない音」のままであった場合にどんなことが起こるか。「通じない音」のまま意味と一体化してしまえば、「通じない英語」が成立する。そして、その「通じない英語」こそ、日本人の英語の圧倒的多数派なのである。
これは学校英語が「音」を粗末に扱ってきたことにが原因である。日本人の英語の圧倒的多数派とは、まず例外なく学校英語の犠牲者でもあるのだ。
ことは、語学である。語学において、学校や塾が「音」を粗末に扱い続けてきたことは、単なる怠慢にとどまらない。語学的に言うなら、これは犯罪である。
<素材>8
.お恨み申し上げますぜ
音と意味は分離しうるのであるから、それをわざわざ分離させ、まずは音だけに焦点を合わせた「音づくり」という過程が必要になる。なぜ、音の練習が、意味との合体(統合・同致)に先立たなければならないかの理由は後述するが、ともかく、「音づくり」という過程を、文部省(現文部科学省)が管轄するほとんどの学校の英語の授業は「すっとばしてきた」。
それを文部省は放置してきた。いや、放置してきたのではないかもしれない。中間・期末テストで生徒の点をはじき出すのに「間に合わせるための授業」しかできないように主導してきたのが文部省なのだ。「音づくり」の「すっとばし」を主導してきたのが、文部省だ。
一人の英語科の教師が、「音作り」の重要性に気づき、中間・期末のテストの年間スケジュールを無視して生徒の「音作り」に専念したとき、市や県や文部省や、それに寄り添った管理職(校長・教頭)が何も言わないだろうか。必ず横槍を入れてくるはずだ。横槍に対処するのはエネルギーが要るので、多くの英語科教師は、肝心なところを避けて通る。そして、「音づくり」のすっとばしという犯罪に荷担する。生徒たちが中1の頃、ある模試を受けさせられまして、フォニックス
の勉強の三ヶ月のせいで進度が遅れていたため、英語の平均偏差値が
30いくつかということがありました。その成績の検討会議で私は管
理職たちから相当非難されました。そうなるだろうと予想していまし
たから、私は生徒の音読の録音を用意して行っておりました。しかし、
それを聞かせても、管理職には何の効果もありませんでした。それど
ころか、英語のできない管理職の一人は「発音は上手になるかもしれ
ないが、それが何になる」と暴言を吐きました。まあ、多くの人のと
らえ方はこんなものなのでしょう。
(Eliot 「音作りへの道」)何度でも言う必要がある。語学において、「音作り」をないがしろにすることは犯罪なのである。そして、有名大学に何人入ったかを優劣の基準にしているような学校のほとんどすべてが、この犯罪を行っている。いや、大学合格を基準とするかどうかなど関係はない。日本中の圧倒的多数の英語の授業が犯罪をおかしているのだ。
このような犯罪が行われ続けてきたもう一つの原因に、大学の英語の教職課程というところが、「音づくり」の方法を持っていないということがある。アメリカやイギリスの音声学・音韻学の成果を輸入して、知識人づらをしている教授どもばかりだからである。日本語で育った日本人の口の筋肉が英語の音を獲得するための方法を確立するためには、日本語の音と英語の音の「比較学」は必ず必要なはずであり、この「比較学」によって、もう一度英語の音をとらえかえすことが必要である。そうでなければ、日本人の口の筋肉が英語の音をとらえるための学問にならない。それなのに、知識人や教授どもは欧米の「輸入」しかしてこなかった。輸入だけしていて、自分なりのものを編み出すことをしないのであれば、商社にでも勤めた方が人のためになる。大学教授などを気取っているのはやめてほしい。学問の世界での奴隷根性は英語という言語の回りには非常に多いのだ。
大学の教授どもがそういうていたらくであるから、多くの学校の英語の先生たちは、「音づくり」をしたくてもできない。どうやるのかがわからないからだ。
私も英語塾を続けてきて、曲がりなりにでも「音づくり」ができるようになったのは、塾を始めてから相当時間がたってからだった。それ以前の、長い学校とのつきあいの中で「音づくり」のための知識に出会うことはなかった。だから、自分で工夫して、「唇をせばめて喉から息を送り出す」などというようなオリジナルな言い方を発明して使ってきた。現在の「電話でレッスン」でも、このオリジナルな説明は常用している。
お恨み申し上げますぜ、教授ども。
<素材9><素材9>
.Eliot さんの「音作り」
さて、ここで Eliot さんの学校での「音作り」の実践の意味がはっきりする。Eliot さんは、初めて英語をやる中学一年生に、まず最初に「音作り」をさせたのだ。
この学校でも私は英語の音作りには腰が引けていました。英語不振者
に対する対処療法的な授業や取り組みは、ある程度やりましたが、し
ょせんその場限りのものにすぎないものでした。その後、現在の学校
に移ったのですが、そこで最初に受け持ったのは中学2年生でした。
彼らは中学1年生のときに音作りをしないまま、すでに中学2年の教
科書を終えており、私は先輩教員とコンビでその学年を教え始め、結
局、発音の徹底的な指導はできないまま、詰め込み+ハイスピードで
高校卒業までその学年の生徒たちを教えました。そして大きな悔いが残りました。
最初にかけちがえたボタンを止め直す勇気も知恵もなかったダメ英
語教員だった私は、高校3年生を卒業させた後の4月から中学1年生
の担当になりました。教員生活二十年にして初めてまったくの初心者
を教える機会を得たのです。このとき私は決心しました。「今までの
やり方でやっても今まで以上の成果を得られるはずはない。これから
は人がどう言おうが自分が正しいと思う方法でやっていこう。正しい
音を教えて、たくさんの英語を聞かせ、大量の音読をさせる。自分が
持っているものを生徒に力一杯ぶつけていこう。6年間あるのだから、
あせらずに、すべきことから着実にやっていくことだ。英語は面白い、
声を出すのが楽しい、英語の発音がもっと上手になりたいと言う生徒
をたくさん作ろう」
(Eliot 「音づくりへの道」)Eliot さんの教室の生徒は幸せ者である。先生が方法的な洞察力を備えていて、まず最初にやるべきことをまず最初に生徒にやらせているからだ。
私が素読を語学に適用したのは、語学に特有な「分離」とその「必要」を根拠としている。二十五年ほど、小さな小さな英語の私塾を続けてきて、まったく孤立を感じていたが、インターネット上に掲示板を作ったとたんに、塾と学校と生きる場所は違っていても、眼目になるところで方法的に一致する人に出会えたことは幸運なことだった。
いくら「音作り」をやっても、意識が「音」だけにとどまるならば、つまり、音と意味が一体化しないならば、やはり「使えない英語」ができるが、こちらはそれほど心配する必要はない。意味がともなわない音とは、音だけでできた「からっぽの文」であるが、これはからっぽの容器だと考えることもでき、後で一挙にそれを意味で満たすということは可能である。
<素材>10.素読
素読について少し書いておきたい。
素読は江戸時代に盛んに行われたらしい。私にとって、そのもっとも原型的なイメージは、孫がおじいさんの前に机をはさんで正座し、「論語」を声に出して読んでいる光景である。これは、実際に見たことがあるわけではないが、いつの間にか私の中に形成されている素読のイメージである。
このイメージについていくつかのことが指摘できるだろう。まず、一対一で向き合って行う練習であること。コーチ(おじいさん)がいること。実際に声を出して音読することが練習の主体を成すこと。
しかし、素読にもっとも特徴的なことは、孫がひとまず「論語」というテキストの意味を理解しなくても許容されることである。ただ正しく音読できさえすればそれでいいとされる。素読の効果を本当にわかっているおじいさんなら、テキストに関する自分の解釈を講釈することはしないだろう。
音として完成したテキストは、やがて発酵し、意味は自然に備わる。その意味が自然に備わる過程こそが人が生きるという過程なのだ。
少年の頃に、おじいさんの前で「論語」を素読させられた少年が、例えば二十歳の青年になり、「論語」の中の文を思い出し、これはこういう意味だったのかと何か納得したものがあったとする。少年時代には、意味のわからない文を「音読」させられ、音としてなめらかに正確に言えるようにしていただけであるから、その時点でのテキストは、文としては意味をともなわない「からっぽ」の文である。二十歳になってから思うことがあり、、その「からっぽ」に急に意味が充電されるということが生じたのだ。
しかし、その充電はそれで終わりではない。音として完成しているテキストは、その後も、一度充電された意味を洗い続ける。あるいは、今度は意味を媒介にしながら、発酵を続けると言ってもいい。
三十歳になって、また思うことがあり、二十歳の時に、自分はあの文についてこんなことを考えたが、まるで違っていたのかもしれないと思い返すことがあったとする。同一のテキストがまた違う顔を見せることになる。昔から知っているテキストが、まったく新しい表情で立ち上がるということを経験するかもしれない。
たまたま二十歳と三十歳という年齢を設定してみただけであり、この意味の更新はいつでも起こりうる可能性がある。三十五歳の時には三十五歳の読みがあり、四十歳では四十歳の読みがある。老人になっても、読みは新しく更新されていく可能性がある。
これとよく似た経験は、読書でもある。青年に頃に読んだドストエフスキーの小説を五十歳になってもう一度読んでみたら、同じ小説とは思えないような経験をするということはある。いったい、青年の頃は何を読んでいたのかとすら思うということがある。
たまたまこれもドストエフスキーの小説に登場してもらったのだが、
こちらは普通は黙読だろう。
この黙読(読書)と、素読の違いは、素読では音としてテキストが完成してしまうので、目の前にテキストがなくても読みが持続しうるし、テキストなしで、突然ひらめきのように、新しい読みが生じてくる可能性があることである。道を歩いていて、待てよ、あの文は、と思い、足を止めて深く思い、そうか、そういうことなのか、と思うというようなことは、音として完成したテキストが記憶に保持されている場合には起こりうるだろう。
これが、素読に独特な点なのである。
音として完成されたテキストは、テキスト(文字)を必要としないで読みを深めることを可能にする。
<素材>11.文字を不要とする方法
私が語学に素読を原理として据えたのは、この文字を必要としなくなるという点に着目したからだった。読みの深まりや意味の更新も意識しなかったわけではないが、語学では、読みの深度のようなものは、即応力のようなものとして育つ。
素読舎で英語をやり、その後、アメリカに渡り、しゃべり言葉において非常に闊達な即応力を備えて帰って来た子供が何人もいる。これは、半分は英語の「磁場」の力によるものだが、文まるごとを音として完成させるという素読舎の訓練が下地になったのではないかとも思っている。この子供たちは、素読舎なんか使ったことはないというような顔をする場合が多い。アメリカという英語の「磁場」の力が与えたものを、まるで自分の手柄であるかのような顔をし、下地なんかなかったような顔をするのである。下地に対して恩知らずと言えば恩知らずであり、得意げと言えば得意げな顔だ。英語回りには、この種の人間が多いのが、これは日本で英語をやり続けて、私の気持ちが複雑骨折を起こすことの大きな理由だ。英語ぺらぺらは、ある意味で、人間をお馬鹿さんにしてしまうのではないかという疑いすら持つようになった。
いや、話がそれた。
素読舎の訓練をやった子供が、磁場にさえ身を置けば、比較的簡単に英語の話し言葉を獲得していくのは、素読が、音としてテキストを完成させ、最終的に文字を不要とすることができるからに違いないと思っている。そのレベルでは、瞬間的なシンタックスの鷲掴みが成立するからである。
素読は、最初は文字を相手にする。解釈や意味を最初に置かず、まずは「音読」し、音として完成したテキストを作る。そして、それが完成すれば、文字は不要になる。
だから、これはテキストから「文字を不要にする方法」だと言ってもいい。Eliot さんの言う意味での「音作り」でも、それが文全体を対象にして行われるならば、「音作り」ができた時点で、文字は不要になるだろう。文字がなくても、文全体がまるごと、英語のイントネーションやリズムを備えて口から飛び出してくる状態になるだろう。ここには、素読と同じ原理が働いているのである。
<法則3> 音と意味を分離させ、「音づくり」の訓練を行う。ただただ音としてテキストを完成させることによって、文字を不要にする。
このことは、次のように言ってもいい。
<法則4>文字が不要になるまで文字につきあう。
混乱させて申し訳ありません。発音記号が打てないので苦労します。以下の区別をしております(と自信を持ってはいえませんが)。@単なる文字→ a e i o u
Aフォニックスによる発音表記→ /a/ /e/ /i/ /o/ /u/ /aw/ /ah/ /ou/
B発音記号→ [α][α:][Λ][逆さe][ou][cの鏡文字+:]AとBの対応を示すと
/a/=[aとeがくっ付いた記号]
/e/=[e]
/i/=[i]
/o/=[α]か[cの鏡文字+:](アメリカ英語) [cの鏡文字](イギリス英語)
/u/=[Λ]
/aw/=[cの鏡文字+:]
/ah/=[α:] またはアメリカ英語の /o/ の [cの鏡文字+:]
/oh/=[ou]
/ou/=[au]
/a/ を /ah/ のように=[aとeがくっ付いた記号] を [α:] のように
/ah/=[α:] またはアメリカ英語の /o/ の [α]
ちょっと古いですが、ビートルズのヒット曲に Can't Buy Me Love という歌があります。ステージでポール・マッカートニーがThe next number is called "カーn't Buy Me Love.
と曲名を告げたあとすぐに歌が始まります・・・
♪ キャn't buy me lo〜ve. キャn't buy me lo〜ve... ♪
話すときは カーn't だったのに、歌の中では キャn't になっています。これは一体どういうことでしょうか。答えは簡単です。英語でロックやポップスを歌う歌手たちはその出身国にかかわらず、皆アメリカ英語の発音で歌うのがしきたりだからです。ですから、アメリカ英語を母語とする歌手以外は皆自分の国(地域)の英語の発音では歌わないことになります。「母語で歌わぬ英国歌手」とはそういうことです。
なぜそんな習慣ができたのでしょうか。そしてそれはいつ頃から行なわれていたことなのでしょうか。英語の本家本元を自負し、アメリカ英語をさげすんだ目で見ることもある英国で歌手たちはアメリカ英語発音で歌うのでしょうか。私には詳しいことはわかりませんが、おそらく、20世紀の半ば頃に、アメリカで生まれた音楽が英国でも人気を得て、英国人のミュージシャンも同じような音楽を演奏するようになったときに、そういうジャンルの音楽とアメリカ発音がセットとしてとらえられて、切り離せないものになったのでしょう。以来、非アメリカ人の英語母語人歌手は「母語」では歌えず、えせアメリカ発音で歌い続けているのです。(続く)
英国歌手たちのえせアメリカ発音(pseudo-American pronunciation)の特徴を挙げてみましょう。@ask words の [α:] を [aとeがくっ付いた記号] に発音する。 e.g. ask, can't, dance
A o を [α] と発音する。 ただし、次の場合は英国音=[cの鏡文字]を保つ。
s/f/ng/g/l/の前の o e.g. lost, long, fog, solve (ただし dollar は [α])
r+母音の前の o e.g. sorry, tomorrow, forest
on, gone の母音
B[ou][cの鏡文字+:] をアメリカ風に発音する。 e.g. no, so, walk, saw
C母音が続かない r は発音しない。 e.g. car, store, here, park
D母音にはさまれる [t] をはじき音(ラ行の子音に似た音)として発音する。
e.g. better, it is, lot of
Ewhで始まる語は [w] のみを発音する。 e.g. why, what, white, whale
ただし、who/whose/whole は [h] のみを発音する。
Fアメリカ英語とイギリス英語で極端に発音が異なる語では、アメリカ英語の発音を選ぶ。
e.g. garage, either, tomato
Gn/t/dの後で [j] を脱落させない。
e.g. new, dew, stew →noo, doo, stoo とは言わない。すべての英国人歌手が@〜Gのすべてに該当するわけではなく、人によっては、Dはアメリカ風ではなくて、激しい破裂をともなうイギリス英語風の [t] のままであったり、Cの単語もアメリカ風に [r] をある程度発音する人もいます。ただ、ほぼ間違いなく not と got の二語は明らかに口を大きく開いた [α] の音で発音されます。(続く)
先日から、「大風呂敷」を少しずつ広げさせていただいています。発音記号が打てないとイライラしますね。検索の結果、「発音記号
普及会」というページを見つけました。申し込むと、ファイルが送
られてくるようです。ご参考までにURLを置いて帰りますね♪
英国のロックやポップスの歌手たちは話すときと歌うときの発音が違いますが、一般の英国人が流行歌を歌うときもやはり大なり小なり、アメリカ風に発音しようとします。少なくとも ask words の発音は [α:] ではなくて [aとeがくっ付いた記号] になります。ですから、流行歌を歌うときは一般の英国人も can't を「カーn't」と発音せず、「キャn't」というわけです。ですが、o の単語(例えば、not, got, stopなど)を [α] で発音するかどうかは人次第のようです。イギリスに英語の勉強をしに行った日本人がアメリカ風の発音を使って、英国人から「イギリスに勉強しにきたのだから、本場の正しい発音をすべきだよ。『キャn't』ではなくて『カーn't』だよ」などと言われることがよくあります。その際には「日本ではアメリカ英語が普通なんだ。教材もアメリカ英語だから仕方がない」などと言い訳する必要はありません。ビートルズの Can't Buy Me Love(でも何でもいいのですが、歌詞の中に can't が出てくる流行歌)を彼らと一緒に歌えばよいのです。彼ら英国人が can't を「キャn't」と歌ったら、
"See? You say 'キャn't' too!
と教えてあげましょう。
フォニックスはいつ頃日本に登場したのでしょうか。
私の語学の過程のどの時点でも、フォニックスに出会うということはありませんでした。Eliot さ
んに教わって初めて知ったのです。その後、浜谷さんの掲示板で、Noima さんという方が、フォニ
ックスはやるべきだと書いているのを読み、ものがわかっている英語使いは、結構知っているもの
なのかなとも思いました。泥縄式に、自己流フォニックスみたいなものの骨格は少しずつできてきましたが、これは、あくま
で日本語の音をベースにおき、そこから英語の音への距離を測っているような性質のもので、簡便
さとどの種の音からやっつけるべきかに眼目があります。
まずはこれだけはおさえろということからやります。発音記号での逆vと逆eを区別する必要がないというのは、鵜田さんの意見だったと思いますが
私はそれに賛成しています。辞書に、アメリカでは逆eだが、イギリスでは逆vと記載されている
のだから、区別はある、だから区別せよというのが Eliot さんのご意見と思いますが、むしろ、
同じ単語の母音が逆vにも逆eにもなるということが、区別する必要がないという意見の根拠になる
と思います。
Eliotさんの取り上げる例題、読者が興味を持ちそうなサンプルで進められていることは好評のようです。
発音記号にVizさんから、書き込みをいただきました。三田で学んで今塾の先生。きわめてまじめに英語とも向き合っておられます。同人社BBSでの彼女の書き込み2題転載しておきます。
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1、こんばんは 投稿者:び〜ず♪ 投稿日:11月 9日(金)01時00分19秒
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素読舎さんの掲示板、むずかし〜。私が受け持つはずだった6年生の英
語は、フォニックスを導入すべきかどうか迷っていて色々調べていたので、
昨日今日の書き込み、興味あります。5つしか母音を持たない日本語を母国語としてきた日本人が、あの長母音短母
音込みで十数個ある母音を使いこなすのは不可能に近いけれど、当然覚えなく
ては始まらないと思い込んでいた発音記号が、実は本場の英米人は知らないと
いうことをフォニックスの本で読んだ事があります。音と意味を分けて考えるということは少し疑問を感じるけれど、発音記号が英
語の読みを複雑にしてしまったということは常々感じていました。素読という
方法が、どういうものなのか、果たして画期的で有効な方法なのかどうか、も
う少し読んでみたいと思います。
http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/
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上記に対するTonのレスです↓
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Hi! Viz_san Howzit?
Long time no see. It sounds like you're working hard.
Since you are busy today, would you please call me tomorrow in the morning
before you leave for work? If that is about 7am your time,
なんてなことを書いてみたいくらいステキでした、今日の書き込み(会ったことはないけど)。Web上でははかりしれない、Vizさんの細かい検討。この書き込みを読んでいて
うれしくなりました。この先のあなたの感想をこころまちにしています。
Ton@この研究は「三田」も素読社さんも喜ぶ(かも知れない)
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■塾教師のび〜ず♪さんの『VIZ MAGIC』
日記風に残したび〜ず♪さんの野の花や夕日・・vizmajさんの画像はやわらかく
優しい。ここはメルヘンの世界です。http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/
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V、上記に対するVizさんの書き込みです
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根石さんの「大風呂敷」掲示板(タイトルがすごいですね)、しっかり広げもせず、失礼な事を書いてしまったような気がするのですが(^o^; ついでながら・・・中高と6年間も英語を習いながら、聞き取れない、しゃべれない 状態なのは何故かと考えると、やはり英語の母音の数の多さが、ネックの一つになっている事は否めないと思います。
初めて英語に触れる時の望ましい順番は、耳(聞く)→口(真似 する)→目(読む)→手(書く)だと私は確信しているのですが (音楽を使って音感に訴えていくのも効果的ですね)中途半端に氾濫してしまったカタカナ英語も、正確な発音を邪魔してきた大きな原因でしょう。「アジア」といっても海外では通じなくても、今さら急に国内で「エイジャ」でもないでしょうね。それらは、外来語として別の枠であって、英語とは切り離すべきだったということも強く感じていました。
根石さんの「素読」、画期的で斬新な何かを期待しつつ、これからゆっくり読ませ ていただきたいと思っています♪
☆t・o・n さん
では、明日の朝 callしてみますね。「お〜い♪」・・・おそまつでした。
http://sak2-1.tok2.com/home/vizmajo/
すみません。遅れに遅れたレスです。
その後、断続的に考えていたのですが、なぜ砂漠の民の帽子(フリジア帽)がヨーロッパの国に
おける「自由」の象徴になったのかという疑問が生じています。
砂漠の民は多くが「移動の民」なのですが、土地に縛られていないということなのかというよう
なところまでは考えました。
フリジア帽が「自由」の象徴になっていく経緯をご存知でしたらお教え下さい。生活に大きくかまけておりますので、今後もレスが遅れることはあると思いますが、必ずお返事
はいたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。
書き込みありがとうございます。私はその熱き柔肌に触れたことがないのですが、フォニック
スはどうやらいいみたいです。無責任のようですが、Eliot さんがきちんと実績として現実化し
ておられますので、いいものだろうと思っているのです。私は日本の英語に対する方法の歴史は、戦後のものの一部しか知らず、私自身の音は完全に発
音記号育ちです。「素材」はこれからちょいときついところにさしかかるので、今は一休みしています。
素読は画期的な方法どころか、江戸時代から日本にあります。もしかしたら、もっと以前から
根幹になる部分はあったのではないかと推測しています。琵琶法師が平家物語を暗唱できるよう
になるための方法としてどんなものがあったのか。これは、盲目の人のテキストの身体化ですか
ら、最初から目や字をあてにしていません。素読として実体化した方法の根を過去にさぐってい
けば、チベット仏教の仏典の扱いなどにまでつながっていくのではないかというような幻を追い
かけております。おそらく、仏教の寺院にあった方法ではないかと当てずっぽうに考えています。耳→口→目→手 の順序、ご指摘の通りだと思います。
「耳・口」に関しては、交互にやると効果的だと思います。聞いて聞いて聞きまくる難行(ディ
ープリスンング)より聞いては口を動かし、口を動かしては聞くのがいい。交互というのが大事だ
と思っています。その方がずっと楽です。
ディープリスニング派の方々が、英語の音という乳房にぶらさがっているだけで、口を動かさな
いならば、難行になります。日本における英語が難行になるのは、日本語とのシンタックスの根本
的な違いに根拠があるので、どうせ難行なのですが、「耳」だけの難行を続けるのはおすすめでき
ない。英語の音という乳房にぶらさがるのはいいことで、必要なことですが、口を動かして吸うと
いうことは、実際に口を動かしてやるのがいいのだと思います。その時点での方法として、素読と
それを激化した「回転読み」を提唱してきました。またご意見をお願い致します。「素材」を書き継いでいくのに、ヒントがもらえるだろうとい
うすけべ根性が私にはしっかりありますのでお願い致します。