浜谷さん浜谷>要するに中学、高校での和文英訳はなるべくなら避けるべきだと思うのです。それよりも英文の読み込みにさらに重点を置く、つまり 「インプット」に重点を置くべきだと考えますがどうでしょうか。
全面的に賛成です。
ここでまた私の定式を書かせていただきます。
「音づくり(音読)によるインプット=基礎づくり」です。
これは暗記というインプットとは別種のものだと思っています。
身体化による基礎づくりと言っていいと思います。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Duffy様Duffy>私は小学校で英語を教えるのは大反対なのですが、中止できな
いのであれば、せめて小学校で英語を教える予定の先生に根石方式のト
レーニングを受けさせなくてはいけないと思います。私は語学の英語と生活言語としての英語を別のものだと考えています。その本質が違うと思っています。
また、学校的知識と生活的知識もその本質が違うと考えています。語学の言語を生活言語に渡らせることが、「音読によるインプット」で 実現できるのであれば、学校的知識と生活的知識も「音読(素読)」は結ぶことができるのではないかと考えています。
本当に日本人に英語を根付かせる気があるなら、理科や数学の授業は英語「で」やってもかまわんのかも知れないと、以前もっこりさんと やりとりしたメールの中で考えたことがあります。これに関しては、実は今も???のままです。
学校的知識はしょせん学校的知識ですから、それらを英語で扱っても、生活言語としての日本語さえ冒されることがなければ・・・、とは思うの です。英語による学校的知識がもしも実現したとして、最後の砦は生活言語としての日本語だと思っています。およそ、英語で飯を食ってきたもののものとも思 えないもの言いですが、そう思っています。ではその日本語ですが、小学校の教室でやっている「国語」という授業の日本語の扱いかたは相当でたらめなものだと思います。私は中学 1年生に、「ニュー・クラウン」とか「ニュー・ホライズン」という英語の教科書の「教科書ガイド」を音読させることがありますが、中学1年生になって、日 本語が読めない子供がたくさんいます。生活言語としての日本語に渡る質を学校の「国語」は持っていません。それっぽい解釈なんぞを押しつけているだけで す。
「音読」という一項目が抜けています。小学生にちゃんと日本語の「音読」をさせれば、彼らは日本語の磁場の中に生きていますから、音読がこなれた文は自然に充電されます。 生活言語からの充電、生活言語への放電が交互に自然に起こるのが、日本人の日本語の素読だと思います。
きわめて乱暴なことを言えば、分析的な文法知識(しかも基底のあやふやなニセ文法)を放置して、まずはさまざまな(古典も含めた)日本語に 対して「音読」「素読」をちゃんとやるべきです。再度乱暴に言えば、小学生の間はそれで十分だと考えています。英語「を」やるのか。英語「で」やるのか。
英語「で」やるのなら、どの教科を英語「で」やるのか。やるなら、小学校教師の失業者が大量に出るでしょう。
英語「で」やれる先生などほとんどいないのですから、英語圏の教師を雇うしかないでしょう。
しかし、そんなものが実現すれば、日本の子供の学力ががたがたになることは間違いないと思っています。私が見るかぎり、公立の小学校の子供 の学力は、本来の学力ということから見れば、今もがたがたです。それが一段と取り返しのつかないものになるでしょう。こんな現状を横目に見るならば、日本語の「音読」(素読)は小学校の授業の眼目となるべきだと思います。それさえきちんと確保される なら、それが確保されていると確認できた生徒に対して英語「で」授業をするということは一部で導入されてもいいのかもしれない。しかし、日本語の「音読」 (素読)を放置したまま、英語「で」の授業など導入した日には、がたがたがとりかえしのつかない惨状を呈すると思います。
英語「で」やるのではなく、英語「を」やらせるのであれば、「音読」や「素読」にとどめておくのが一番害がないと思います。素読はな にしろ、意味的には「からっぽ」のまま音声(表層)だけを完成させてしまうような、ラディカルなところがあります。これは子供に異言語をやらせるにはもっ とも害のないものであり、将来、意味的に充電されることがあれば、それに確実に備える機能を果たします。意味を迎えるための「受け皿」だけをちゃんと作っ て
おくというようなことになります。子供は面白がらないかもしれませんが、原理としては、これが一番害がありません。今後の小学校での英語は単なる「外人慣れ」を作り出すだけで、効果がないから実害もないというようなものになるのかもしれません。し かし、実際は、実害は生じるでしょう。もしも、「音読」や「素読」だけにとどめるにせよ、しろうと同然の現在の小学校の先生が英語なんぞ扱った日には、日 本の英語にまた一段と悪い癖がつくことは間違いありません。これまで文部省のやってきたことは、どこまでも祟るわけです。
小学校の先生たちのための「音読による音づくり」が習える「先生たちの英語の学校」が早急に必要なのですが、ぼんくら文部科学省は何もしな いで、いよいよ日本人の英語をたちの悪いものにしていくのでしょう。先は暗いです。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
ひげおやじ>根石さんお気に入りのニコチンガムは6月から処方箋
が不要になりました。例のニコレットは秋頃から薬局で買えるよう
ですよ。しかし、私はタバコより高いニコチンガムを買うくらいな
らタバコを買いそうです。私は7月もニコレットを噛む予定です。
6月から処方箋不要であり、秋から薬局で買えるとして、7月はどうすればいいでしょうか。
私の場合は、ニコレットに切り替えると、あきらかに咳の量が減り、胸が痛いことがなくな
ります。でも、ニコレットを噛んでいると淋しくて淋しくて、誰かいい女になぐさめて欲し
くなります。煙草やめると淋しいですよぉ。いい女もいないし。ああ、胸が痛い。
どっちにしても胸は痛いんです。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
だいすけ様ひげおやじさんに、「今日は英語の日ですから」という日本語をしゃべってみてください。なかなか通じないとは思いますが、真剣に言え ば通じるということも、ないか?。
会社が忙しいということは、英語習得にとっては諸悪の根元です。
ろくに忙しくもない会社でも、仕事のできない部下の失敗を自分で後始末するとなるとやたらに忙しくなり・・・
って、こちらはお嬢の会社だった。
ゆいまある教室は妻がやってるわけですが、彼女は一人の生徒を見終わると、次の生徒をすぐに呼びます。つまり、何人の生徒さんを相手にして いても、彼女自身の労働量はほぼ一定なのです。
だいすけさんが「どぶに捨てた」と考えたお金は、「どぶから拾った」と自覚しておられなくても、どなたかが拾っておられます。ご安心下さ い。
どうしてもあんまり仕事が忙しいようでしたら、将来は「電話でレッスン」をご検討下さい。これはちゃんと受けられると、お得です。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
ときどき、この掲示板をコピーして記事を蓄積しておりますが、事故等で紛失することも考えられないわけではありません。ご自分の記事等、ご自 分のハードディスクなどにも保存されるようにおすすめします。
この掲示板は無料ですので、70記事で順次消去されます。
奇特な方がおられましたら、蓄積の作業をしていただけるとありがたく思います。
万が一、私のハードディスクがオシャカになったら、と思ったわけです。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
なる程日本語の素読とは良い考えですね。
うちの子にもやらせてみようかな。
ところで寺子屋で行われていた「素読」とは
「意味の説明をせずにひたすら何度も音読をする」
ということなのでしょうか。
実は私は辞書の説明ではそこら辺が分からなくてwebをさまよっていたら
根石さんのホームページにたどりついたのです。私のホームページが引っ越しましたのでお知らせします。
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ga2/miyoshi/
私は中学3年生のときから高校3年生まで海外文通をしていました。何人もの人と手紙をやり取りしたのですが、3年間続けたのはただ一人、ミネ ソタ州に住む同い年のPatricia Sindt嬢でした。ハイスクール卒業直後に結婚するという彼女の手紙を受け取って文通をやめるまでの3年間、英語で何通も手紙を書いたことが私の英語力 向上に大きな
貢献をしたことは間違いありません。手紙を書く際に日本語で下書きを書いてから英訳するということは一度もしませんでした。高校二年生のときにとある全国規模の高校生英語弁論大会で二位になったことがあります。自分で書いた原稿をだれにも添削してもらわずに 使いました。もちろんいま考えると不自然な英語も含まれていましたが、それでもその原稿で二位になったのですから、高校生二年生としてはかなり英語が書け ていたという証明でしょう。このスピーチの原稿を作るときも日本語の下書きなしで英訳をしました。
私が中高を通じてやった勉強は主に発音練習、音読、聞き取りでした。学校の英語の成績はよかったですが、英文和訳や和文英訳を一生懸命 にやったという記憶はありません。しかし、教科書の英文の意味を「考える」ことはしておりましたし、英文の構造を考えることもしておりました。教科書の中 の英文を見る際は「ほう、こういう表現があるのか」とか「うん、この表現は手紙で使えるぞ。よし、いただき!」という姿勢でした。大学生になるまで、等位 接接続詞と従位接続詞の違いを説明することはできませんでしたが、soとbecauseの使い分けを間違えることはありま
せんでした。高校三年生のときのテストで「彼は一言も言わなかった」という和訳の問題に He didn't say a simple word.と書いて×をもらったことがありました。何となくそう言うのが正しいような気がしたのです。He didn't say a single word.という表現が不完全な形で頭に浮かんだわけです。一語一語の英訳をしようとしていたわけではなかったわけです。
英語を話したり書いたりするためには、日本語を直訳するのではなく、「こういうこと内容のことがこういう英語で表される」という知識を 多読と多聴と大量の音読で体に蓄積していくことが必要です。そのストックの中から適切な表現を引き出して使うという作業が英語力向上の鍵だと思います。そ のために英語の音を作ることは不可欠です。音ができていないと多読、多聴、音読のすべてに重大な支障が生じます。
このスピーチの原稿を作るときも日本語の下書きなしで英語を書きました。
ねこむすめ様頭で組み立てるというのではなく、音読(回転読み)の回転の質をあげて、一連の「音で覚える」ようにして下さい。
覚えることより、しっかりと音を作ることを心がけてください。しっかり音が作れたので、「結果として」覚えてしまったということでいいので す。
nobu さん、M(東京都)さんにも申し上げたことがありますが、自分で練習するときは、「途中で壊れずに10回転」を確保するようにしてみて下さい。
これを実現するのに何回くらいの「回転読み」が必要になるかは、語数が大いに関係してきます。また、その練習者の現在の実力も関係してきま す。練習に必要な回数は、それらの関数になり、実際には千差万別の値になります。ですから、それぞれの文について、「途中で壊れずに10回転」というような言い方がもっとも現実的です。
初めてやる文は、初めはゆっくりでもいいから「なるべく正確に」をこころがけ、口の動きのウォーミングアップをします。「連続」状態 が壊れないように気をつけて、少しずつ「回転」自体のなめらかさを実現して下さい。この状態で、「途中で壊れずに10回転」を実現してください。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Eliot様今先生の連載の最終近く(と勝手に思ったのですが・・・、そうでなかったらお許しください)で先生が実際に英語を勉強なさった様子を読 ませて頂きなるほどなあと一人頷いておりました。
>高校三年生のときのテストで「彼は一言も言わなかった」という和訳の問題に He didn't say a simple word.と書いて×をもらったことがありました。何となくそう言うのが正しいような気がしたのです。He didn't say a single word.という表現が不完全な形で頭に浮かんだわけです。一語一語の英訳をしようとしていたわけではなかったわけです
これが本当の和文英訳だと思いました。英会話の際しょっちゅうこういうことをやっているなあと、思い当たったのです。 相手がネイティ ブの場合これぐらいの誤りは話の流れの中できっと理解してくれるでしょう。外国人が日本語を喋っている際常に聞く誤りです。それは外国語を学習する際に避 けて通れない関門です。もうちょっとの学習でクリアー出来る、しかしその「ちょっと」にかなりの労力と時間を要するということだと思います。
>英語を話したり書いたりするためには、日本語を直訳するのではなく、「こういうこと内容のことがこういう英語で表される」という知識 を多読と多聴と大量の音読で体に蓄積していくことが必要です。そのストックの中から適切な表現を引き出して使うという作業が英語力向上の鍵だと思います。 そのために英語の音を作ることは不可欠です。
音ができていないと多読、多聴、音読のすべてに重大な支障が生じますそして先生の極め付きの「英語力向上の鍵」がここに集約されていると思いました。先生の連載の結論と言ってもいいような貴重なご意見だ と思いました。このご意見は英語を教育する人も学習する人も肝に銘ずるべきだと思いました。ありがとうございました。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
Eliot 様1.日本語の下書きなしで英訳をしました。
2.日本語の下書きなしで英語を書きました。おそらく「英訳」は「和文英訳」と読まれるおそれがあると思われ、1を2に訂正されたのだと思いますが、1の言い方も私は語学的には 変ではないと思います。
「英訳」が、日本語を英語にするという意味ではなく、「考え」を英語にするという意味でなら、それもやはり「英訳」だと思うからです。
細かいことを言えば、ここでこうして私が日本語を書いていることも、「考え」の「日本語訳」をやっているのだと言えないこともありません。
「考え」自体は、日本語でも英語でもなく、しかも、日本語にも英語にもなれるものです。これは、「考え」が「情報」に近い性質のものである ほど容易です。
しかし、しっくりする日本語とかぴったりの英語というものとして、実現してしまった後のものを見ていると、実に日本語でしか言えないことが あるし、実に英語でしか言えないことがあるなあとも思います。
「考え」から「具体的な言語」へというベクトルと逆のベクトルが存在すると思います。「具体的な言語」から「考え」や「考え方」へ、という ベクトル。日本人が日本語で日本的な考え方を身につけるのはこのベクトルによります。私が言っている「磁場」というものの繊維はこのベクトルだと思いま す。「もちろんいま考えると不自然な英語も含まれていましたが・・・」ということに関してですが、私は日本人が繰り出すこれらの「不自然な 英語」のファンです。かまわん、どんどん繰り出せと思います。そこにこそ日本人がいるのだと思うからです。欧米の人は、この種の「不自然さ」を通じてし か、本当には日本に出会うことができないはずだとさえ思います。この「不自然さ」は、謙虚さを持つ欧米人にとっては本当に貴重な質であり、日本で自然な英 語を話すことこそとことんおかしな転倒だという考えは、私に抜きがたくあります。だって、ここは英語の磁場じゃないんだから・・・。英語が「自然」であれ ばあるほど「不自然」になる磁場、それが日本語の磁場です。こっちの「不自然」の方がよっぽどほんとに「不自然」だと思うのです。
こんな考え方のおかげで、私の英語は「アメリカの英語」でも「イギリスの英語」でもなく「俺の英語」です。上達するための道を歩きつづけな がらも、不自然な英語で「かまうもんか」というこの気持ちは日本人に大切です。私が英語教育界とかいうご清潔な世界で、「悪たれガキ」であるのは、この転倒を転倒とする視線のせいです。このおかげで、私はこの世 で金を得ることに関しても、きわめて不器用なことを続けてきました。転倒だよ、などと指摘していてもお金は入って来ないわけです。悲しい人生です。
Eliot さんの生徒さんが作った、「不自然な」どころか「荒唐無稽な」英語に関しては、使っちゃまずいと思うレベルのものだと思いますが、私はこの種のものも大好 きです。愛しています。この「荒唐無稽英語」は、コレクションして集大成して欲しいです。私の塾では、ひたすら音づくりとインプットだけやるので、この種 の荒唐無稽英語が採れません。ときどき、報告して下さいませんか。こちらも連載でお願いします。
全国の英語の先生、これらの愛すべき言語現象が多発しているのが学校だと思います。どうぞ、この掲示板にご報告下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
授業中に和訳をしないということは、テストにも和訳の宿題は一切出さないということにつながります。定期考査では教科書の課文そのままの和文 英訳や、課文によく似た英語が答えになるような和文英訳問題をたくさん出します。自分で書ける英文と同じ程度の英文の意味がわからない人はまずいないけれど、英文の意味を言える人がその英文程度のことを英語で書ける とは限らない、ということを考えれば、テスト問題として授業で扱った英文の和訳を求めるより、その英文の和訳を示して英訳問題として出した方がいいと昔か ら思っています。
(3)文法の説明は最小限にしかしない。
人が考えた説明を聞くより自分の頭で考えた説明の方がずっと効果があります。それはわかっていても、一般に教員はよく説明をします。私は何年 か前に、教師の仕事は説明することではなく、生徒が自分の頭で考えるようにしむけることだと強く主張する塾経営者が書いた本を読んだことがあります。それ は「英語これならドンドンわかる」(鵜沢戸久子 明日香出版社)という本で、著者の鵜沢氏は独特の英語教育観を展開しており、私はこの本から多くの示唆を 得ました。いかにコーチが泳ぎ方を黒板を使って長時間くどくどと説明しても泳げない生徒が泳げるようになることはないでしょう。泳げるようになる には水の中で練習するしかないのです。同様に、英文法のある項目について教員が説明しても、生徒がその文法ポイントを自分の頭で納得することができるよう な体験をさせないと、その説明はまったくのむだになる可能性があります。生徒一人一人の知識や理解力には差があるのですから、一斉に全員に向けた説明で は、ある者にはわかりきったことで、まったく無意味であり、ある者には的外れで、これまた無意味であるということが起こり得ます。よしんば「ほうなるほど そうか」と思う生徒がいても、実は単にその瞬間にわかったつもりになっているだけということもしばしばです。
私が授業中に説明した主な文法項目は、名詞の可算と不可算と特定と不特定の考え方とそれに伴う冠詞の用法と、be動詞と一般動詞の違い とそれぞれの否定文と疑問文の作り方、それに関係代名詞の用法、分詞の用法くらいで、他のことは、教科書の実例を通しての生徒の「気付き」を促すよう努め ています。
例えば現在完了のことを教えるのには、教科書の課文の実例を通して、まず意味を理解させ、その後、その課文の音読と暗唱をさせ、それか ら、練習用の和文英訳をいくつもさせて、徐々に定着させるよう持っていきます。その間に生徒たちは教科書ガイドや教科書ワークブックの説明を読み、自分の 頭で現在完了時制とは何かを考えるわけです。
私が一方的に黒板を使って現在完了時制の説明などはしないのです。一方、動詞の活用のように機械的に覚えるべきものは、淡々と繰り返して定着をはかります。高校中級程度までに出てくる不規則動詞の一覧 表を作って、生徒に配り、年に数回「強化期間」を設定し、そのときに徹底的にテストを繰り返して覚えさせます。これを2年間くらい継続すれば、たいていの 動詞の活用は忘れにくくなると思います。この作業は現在継続指導中です。(その7に続く)
(4)音読の時間を最大限にとる。
(5)発音は細かいところまで説明し、練習させる。
50分の授業時間の10分〜15分程度で単語テストなどの小テストをやって、その後15分〜20分を使って教科書の録音を聞き、残りの時間を 音読に当てるというのが、中1〜中2の基本的な授業のやり方でした。せいぜい、20分×4回=80分程度が一週間の音読時間ということになります。自宅か ら通う生徒ならば、家で声を出して読めますが、全寮制の勤務校では生徒たちは寮の集団学習室で一斉学習をしますので、自習時間に大声で音読することができ せん。そこで、授業中にできるだけ声を出して練習することを奨励したのです。音読練習はほとんど私の後について読む、というものです。回転読みや技法グラウンドは使っていません。教員の後について読む一斉読みで すから、各人がどのような音を出しているかは分かりにくいのですが、一クラス40名では個別にというわけにもいきません。しかし、フォニックスで個々の英 語の音は相当練習した生徒たちですから、私が出している英語の音をカタカナに置き換えて処理するのではなく、そのまま英語の音として自分の口から出せるこ とができていることが多く、中1の頃からかなり英語らしく読めていました。それでも、単語レベルから文章の音読への進化は一朝一夕で上達するものではあり ません。絶え間ない音読だけがそれを可能にしてくれます。
録音を何度も聞いたことがある課文の音読ですから、生徒たちはイントネーションとリズムは自然とモデル録音のように言おうとする傾向が あり、この面の指導は最小限で済みました。しかし、勢力を注いだのは、個々の音の正確さと単語と単語のつながり方でした。単語と単語のつながり方は別の言 い方をすれば、音と音のぶつかり合いのルールということになります。例えば
He stops Betty.
I stop Betty.
I stopped Betty.
のstops / stop / stopped の読み方について、細かく説明し、練習をさせます。この三語にそれぞれ含まれる/p/の発音はすべて違います。これは英語ではまったく普通のことなのです が、それを知っている日本人英語学習者はほとんどいないでしょう。まず、stopsは/ps/のところは息を強く、鋭く吐き出して、pとsの音をそれぞれはっきりと発音します。しかし、I stop Betty.では、破裂音/p/の直後に破裂音/b/が来て、「破裂音+破裂音」のぶつかり合いが生じますから、ルールに従って、前の方の破裂音は「破裂 の構えをして、黙っているだけ」で処理されます。すなわち、stoまで発音した直後に唇を合わせ、声と息を遮断し、一瞬無音状態を作り、その直後に/b/ の音を破裂させてBettyと言います。
さらに、stopped Bettyでは/ptb/という「破裂音+破裂音+破裂音」というぶつかり合いが生じます。この場合は「破裂音の構えで音と息を遮断する⇒そのままの状態 で無音を継続する⇒三番めの破裂音を発音する」という流れで処理されます。 I stoまで言った後に、唇を閉じて、音と息を絶ち、/ed/のところの[t]の音は完全に消滅し、「唇を閉じた無音状態」に置き換えられてしまい、その無 音状態が作る一瞬の沈黙の後にBettyという発音が続きます。
書くとなにやらむずかしげですが、実際に手本をやって見せれば、だれでも真似できることです。/ptb/のすべてを破裂を伴う発音でやっても、通じることは間違いありませんが、そういう発音しかできない人は、聞き取りに苦労する ことになります。
このような音の変化のルールはそれほどたくさんあるわけではないので、音読するたびに、生徒の注意を喚起して練習させていると、自然に できるようになってきます。私は、文法の説明はあまりしませんが、発音の細かいところにはこだわりと言えるほどの指示を出しながら練習させます。それには わけがあります。
発音が上達には極めて大きな個人差が生じます。小さなことまで何度も何度も教え、録音を何度も聞かせて音読練習をさせていると、二年間 ぐらいで生徒の中にほとんど直す必要がないレベルまで達する者が現れる一方、いまだにrの音も不確かな者もおります。教えてやればやるほど上達し、高い水 準の音を獲得する者がいるのであれば、どんな瑣細なことであっても私が教えられることは教えてやりたいと思うのです。そして、あまり上手でない生徒たち も、英語の音に関して私が教えてきたことを、不十分な形であっても彼らなりに身に付けた結果として、この程度の水準を獲得することができたのであり、もし も私が大雑把なことしか教えていなかったら、彼らの音はもっと低いところで停滞していたと思うのです。(その8に続く)
音ができていないと多聴、多読、音読の全てに重大なる支障が生じます。というところを読んで全くその通りだと思いました。1時間の授業にどれ だけ音読の時間がとれるのか、15分から20分もとれるとは驚きです。しかし、それが一番の近道であることを先生自身が体験なさっているから、実際にでき るのだと思います。あと、授業で説明と音読をして、家でどれだけ生徒が練習するかだと思います。練習シートなるものを例えばつくってできないかと考えてい ます。生徒自身が自己管理の練習にもなり、それぞれのレベルや興味において、れんしゅうの質や量を調節できると思います。あとは教師と生徒のあいだの信頼 関係に基づく自己評価を学校内のさまざまな制限の中で、どれだけ実現できるかで音読の成果はあるていど計れるのではないかと今、エリオットさんの原稿を読 みながら考えているところです。
ST 様
Eliot 様Eliot>音ができていないと多聴、多読、音読の全てに重大なる支障が生じます。
I agree.
ですが、ST さんの「(音読の時間が)15分から20分もとれるとは驚きです」は私には驚きでした。
たった15分から20分。絶対に必要な時間が15分から20分。それさえもとれないとは、テストが授業を律する公立の学校に通う生徒の惨め な学校英語体験は続くのでしょう。
本当に学校というところは、音読のための「場」にはなっていないのだと思います。
Eliot さんの授業も、語学の本質を把握されているからできるので、多くの先生はテストに律せられているだけでしょう。
古川さんの掲示板に書いたものの転載です。
----------------------------------------------------akira 様
akira>根石さんのおっしゃっている「音づくり」と同様の意味ととらえて良いかちょっと分かりかねますが、語学学習のできるだけ早 い段階で、発音、リズム、イントネーションといったものに目を向けておくと、あとで余計な壁にぶつからなくて良いばかりか、上達の仕方がまるで違うのでは ないかと思います。
私の「音づくり」は、まさにこの意味です。
私は30音という規定は持ちません。発音(リズム、イントネーションを含めた概念です)では、日本人向けには10余りのポイントが大事だと 思っています。それ以外のポイントに関しては、説明するより、「水に入って泳いでもらう」ことで解決すると思っています。(ですから、私はあくまで一対一 でレッスンするのが基本です。)akira>発音は話すときだけに関係していると思っている人が多いので
すが、それは大きな間違いだと思います。実際発音が上達するにしたが
って、英語の聞こえ方が変化しましたし、耳から言葉を覚えるっていう
ことをやりだすようになりました。私は小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」を書いてから、ある人に鵜田さんのホームページを紹介されて読みにいきました。鵜 田さんのおっしゃっていることのもっともすばらしいところは、akira さんがここに書かれているまさにこの考えです。「きれいな発音」というような、あるいは「本物の発音」というような考え方が私は大嫌いですが、発音(イン トネーション・リズムを含む)が上達しないと耳が動くようにならないということはまぎれもないことだと思っています。自分の口をとことん動かした文は、聞 き取る場合に、「一挙に丸づかみ」が成立することを私は自分の体験から知りました。鵜田さんを知る前に私は文庫で次のように書いており、鵜田さんのホーム ページを読んだとき、うむ、いるんだな、世の中には、と思ったことをはっきり覚えています。鵜田さんは、私と一脈通じることを考えておられた方だったので す。
文庫>どうしても聞き取れなかったところは、字を見て調べても
かまいません。その後に「回転読み」に叩き込むことがポイント
です。苦手な部分を、自分の口を動かしてインプットしてしまう
のです。リスリングのコツは、やたらに長時間聞くことにありま
せん。苦手な部分を見つけ、「回転読み」でインプットしてしま
うことにあります。私は、これはコロンブスの卵の一つだと思っ
ています。自分で書いたものを書き写していて、註釈が必要だと思いました。
私の「回転読み」というものは、「音づくり」、「インプット」と一体のものです。
同一の文を言い続けることで「音づくり」をすることが「回転読み」です。このやり方で、音が完成すれば、覚えようとなど思わなくても覚えて しまいます。つまり、インプットが自然に達成されます。「回転」が必要だということの根拠は、日本には英語が形成する言語的磁場が存在しないということに あります。「回転読み」に関しては、詳しくは、小学館文庫をご参照下さい。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
akira>また、音声は「聞く」「話す」のみならず、「読む」
「書く」にも大切なことだと思っています。私たちが日本語の
文を読んだり書いたりしているとき、意識してみると頭の中に
日本語の音声が響いているはずです。やはり言葉は音声第一な
のです。語学において、初心者に言う場合に、「音声第一」で100パーセント正しいと思います。
しかし、「言葉」そのものに関しては異議があります。
「言葉」そのものについて言うなら、「イメージ第一」だ「とも」言えるのです。
「音」と「イメージ」の同時化(同致)こそが問題です。
ここで、私は鵜田さんと別れます。
鵜田さんは、現在の日本の英語状況にとっては絶対に必要な方です。もっともっと広く知られなければいけない方法を持っている方です。しか し、鵜田さんのお弟子さんたちが、あまりに「音」にのみ傾斜されるのは、私は横目で見ています。おいおい、「音」は盆栽じゃねえぞ、と思うことがあるので す。
入れ歯をなくしてしまったが、金がなくて入れ歯が買えず、ふがふがと英語を言っているイギリス人がいたとして、発音はまるで質がよくない が、この駄目な発音でもイントネーションやリズムは何一つ損なわれていないでしょう。正真正銘の骨の髄からの英語です。とりわけ、「音とイメージの同致」 において正真正銘です。
「きれいな発音」だの、「本物の発音」だのは、信仰の対象にすぎません。
また、「音」がいくら良くなっても、イメージが同時に動くようにならないと、やはりどうにもなりません。これは鵜田さんに対する批判ではあ りません。鵜田さんの方法で練習する場合にこの穴に陥る人は多いかもしれないという懸念です。akira>「俺は新聞だってTIMEだって読めるぞ。それでも出来
てないっていうのか。」みたいなことを言われました。学校英語、受験英語の犠牲者です。かわいそうな人です。
ずれています。
再度、でも、音が駄目でも、「本当に読みとれる」なら、それはそれでいいのです。その人一人にとってならそれでもいいのです。生身の人間な んかに興味はない、俺はこれまでに書かれた最良の英語を読み続けたいだけだというなら、これはこれでいいのです。まったくいいのですが、音が駄目だと、英 語を読むリズムが「盆踊り」だと思います。そうすっと、もしかしたら、「本当には読めない」かもしれない。
とにかくこういう人が、生徒を持って、人に英語を教えることだけは「やめて欲しい」と願うだけです。長野県の私の住むあたりでは、このこと を「やめてむらいたい」と言います。そうすっと、全国の英語の先生の中には「やめてむらいたい」人がうじゃうじゃいて、これは本当に問題です。
私は塾をやっていますが、私の掲示板「大風呂敷」で、まともな授業をしておられる学校の先生が非常に興味深いことを書かれています。是非お 読みいただきたく思います。私のホームページから「大風呂敷」にリンクされています。akira>気をつけなければいけないのは、個々の文字の発音だけ
上手くなっても、リズムやイントネーションがガタガタでは宝の
持ち腐れになります。まったく賛同します。
この後です。
同じことを繰り返して言うことになりますが、リズムやイントネーションがそなわっても、イメージの動きが同致しないとやはり駄目です。日本 人の英語の最後の課題は、「音」ではなく、「イメージの動きの同致」だと考えています。これは、しかし、本当には「机上」でしか実現しないのではないで しょうか。日本の英語の「かまいたち」あるいは「肉離れ」は、何も恥じるべきものではないと思います。日本語の磁場の中での単独者の英語だということを意 味しているだけで、これを恥じたら日本の英語はいつまでもできません。
だから、私の考えは、「ごつごつした、あるいはとつとつとした英語でかまわん」というものです。私はこれを実践しています。あるいは人にも 薦めています。日本の英語というものはそういうものだと思っているのです。日本でアメリカ英語なんぞしゃべるのはとことん馬鹿げたことだとも思っていま す。(アメリカ帰りは得意そうにこれをやりますが、アホかと思っています)
アメリカ英語(イギリス英語その他)は、「机上で」とことん媒介にすべきものですが、媒介物だという自覚が日本人に必要だと思っています。 「机上」と「生活」を混同している人、あるいはこの二つを分けることができない人が多すぎます。英語をしゃべることは、「机上」と「生活」をスパークさせ ることなので、地続きだと考えるのは間違いだと考えます。「地続き幻想」によってエーカイワガッコーが繁盛しています。アホか。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
今日、昼間、塾をやりながら、書いた、もの、日本語として、駄目。
恥をさらしておくために、削除しません。
削除の権限が私にあり、駄目日本語を書いて、自分で削除してたんじゃ、そりゃ駄目じゃ。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Duffy 様江戸時代の素読というのは、想像するしかありません。
絶対に解釈を施さなかったかどうか、それは塾によっていろいろだったと思うのですが、眼目は、解釈をするならするで、その前に必ず「音読と しての読みの完成形を作る」ということだと思います。
素読自体は、解釈なしで成立します。
そして、素読(音読としての読みの完成形)ができたら、後は百家争鳴でよろしいのではないでしょうか。それが文化の活力だと思います。
この掲示板も、百家争鳴めいてきて、あたしゃ、へとへと。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
ELIOTさんへ説明>
He stops Betty.
I stop Betty.
I stopped Betty.この例は、フォニクッスの世界でしょうか?
それとも、ELIOTさんの観察結果でしょうか?90%以上の人は、発音記号[p]がすべて同じに発音されると
おもっているとおもいます。
ELIOTさんへ。
>
勢力を注いだのは、個々の音の正確さと単語と単語のつながり方でした。単語と単語のつながり方は別の言い方をすれば、音と音のぶつかり合いの ルールということになります。まさにポイントはここだとおもいます。
このルール化があれば、中学校の大人数でも、英語の発音教育は十分可能とおもいます。例)
I don't know.こんな簡単な英語も、映画ではまず聞き取れません。
映画の音と、シナリオの文字には、すごい乖離があります。
学校英語教材では、この乖離がありません。この乖離を瞬時に溶かすのが、音声ぶつかりあいのルール化の開示だと
おもいます。
Uさんは、「地球の歩き方」をかなり読み込んでいました。というわけで、イメージトレーニングはバッチリできているようです。
それに、自力でYさんち(Uさんのアメリカに永住している従姉妹。今回のホストファミリーの奥様)にたどり着くことはアメリカでの死活問題 (?)なので、これまでYさんと取り交わしたメールとメモをたよりに、Uさんはひたすら攻略法を練っています。
ところが、一方わたしときたら、とるものもとりあえず出発したもので、せっかく買ったガイドブックも目が泳いじゃっててよく目を通せず、も うしわけない、「Uさんに一生ついて行こう」モードに入っていました。
まあ、とりあえず、Yさんのお宅の最寄りの駅まで行ってみようということになりました。私は、Uさんに引きづられるようにして、地下鉄に向 かいました。ボストンでは、地下鉄を「T」と呼ぶようです。1ドルでトークンという地下鉄に乗るためのコインを買い、いざ地下鉄に乗りました。この路線 は、青で表示されているので、勝手に東西線と呼ぶことにします。
この東西線で、ひとまずGovermment Ctr.まで行きました。ここで、千代田線(緑)に乗り換えです。
ところが千代田線のホームに行ったものの、どれに乗ればいいのかわかりません。なんせ、途中で路線が四方に分岐しているのです。
「この本の地下鉄マップに、最寄り駅が乗ってないよ」
「え?」
「最寄り駅なんだっけ、Berconsfield?」
あたふたしながら、
「執着駅がRiversideというのに乗ればいいんじゃない?」
きょろきょろしながら、私。
ということでなんとか見つけ出して、私達は、飛び乗りました。
ほっとひといき。地下鉄はやがて地上にでます。
そして、BERCONSFIELDへ。
なんとか最寄り駅までたどり着きました。あとはお迎えに来てもらうだけです。公衆電話を探し、いざコールとUさん。
ところが。
「あれ、おかしいなあ」
Uさんがつぶやきました。
「電話がかからないの」
「へ!?」アメリカで大きな迷子ふたり、さてさて。
(つづく)
悪い意味での学校英語の魔法に教える側自身がかかっていたことに気付きました。まず、私自身が、激しく激しく回転することしかないのですね。 ありがとうございました。
根石様あのあとwebで素読について書いてあるページを見つけました。
ここに書いてある長島先生というのはとても骨太で根石さんを
彷彿とさせました。
早速小六ぐらい向けに書かれた今昔物語で次男坊に素読をやらせてみました。
自分も子供の時に(日本語の)素読をやってれば良かったのにと思います。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5868/new_page_18.htm
http://www2.famille.ne.jp/~sai-hsj/taikai/ha022kan.html
多くの日本の英語教育の現場で仕事をされている先生方は本当に分かっているのでしょうか?
私は独学でネイティブの英語を100%聞き取れるようになりました.
「英会話ができるようになるには、読み書きよりも聞く話す」が重要だとお考えですか?
私もある程度、「日常会話」のレベルにあがるまではそう考えていました.
しかし、それから上を目指すとなるとどうしてもその理屈だけではネイティブの英語を聞き取ることができないということを実感しました.
「耳からは確かに聞こえているはずなのに、相手の言いたいことがわからない。」
何年も思考錯誤を重ね、「これはいいぞ!聞ける聞ける!」とある方法を思いつきました.
それは「相手を信頼する」という簡単な理屈でした.
「英語を聞き取ろう」とするのではなく、「相手を信頼しよう」とすればいいのです.
リスニングで頭がついていかなくなったらまず相手の顔を真直ぐみて、相手を信頼する。
そうするとどういうわけか、それまで機関銃のように聞こえていた相手の英語が突然ゆっくり聞こえ始める.日本人には一番聞き取りにくい西海岸 やテキサスのアクセントでもはっきり聞こえる。不思議なくらい。「相手を信頼すること」、「人を信頼すること」を子供達に教えなければ彼らの英語でのコ ミュニケーション能力はいつまでたっても
身につきません.
もう一度言います。
「読み書きより聞く話すを優先」させたところで、子供達の英語コミュニケーション能力は成人して「日常会話」に何とかついていけるものにしか なりません。コミュニケーションは「相手を信頼する」ことから始まります.リピートアフターミー方式の授業で自分の言いたいことが喋れるようになっても、 TOEFLで満点を取れるほど単語帳を100冊丸暗記しても、それは「自分の言いたいことを英語で言える」様になっただけであって、「相手が何を言いたい のか分かる」ようになったのではありません。現場の先生方へ、子供達の英語教育に今本当に必要なのは、読む、書く、聞く、話す、といったものではなく、「相手を信頼」することで す。
たとえば授業の始めに、生徒の一人が落ち込んでいるような顔をしていたら、
「Mr.○○, Are you happy?」
「So. you don't feel happy...why?」
と聞いてみましょう。
必ず、「Because....」
という答えが返ってくる筈です.
これで、小さなコミュニケーションが成り立つのです.どうでしょう?
中学校一年生の頃、不思議な英語の先生がいました。
授業時間中は英語を一切教えず、自分が外国に行ったときの体験を刻々と生徒に聞かせるのです。毎時間、毎時間。
終了のベルがなる7分くらい前になってからようやくその日覚えなければならない単語を生徒達に読ませ、テキストの意味を説明して終わりです.
家に帰って英語の復習をするときに思い出すのは英語の単語ではなく、先生が話してくれた外国のお話ばかり。でも次の授業では前回やった単語や テキストの分など、ほぼ完璧に思い出せるのです。不思議な先生でした。ある日、学校の先生のストライキで授業が無いから今日は下校との放送が流れた時、こ の先生が教室に入ってきて、ストライキしていた文法の先生の代わりをしてくれました。何があったか事情がよく分からないまま、英語の授業が始まりました が、この先生、とっても好きだったなぁ。
こうじ さん。相手を信頼する。
たった、これだけで速い英語が聞き取れてくる。
このことは、いままで誰も指摘していません。
質問があります。
カセットテープで学習する者にとっては、
相手が生身の体ではないのですが、
「信頼する」ということは、やはり、有効でしょうか?
「文章棒読み方」で感情が込められていないテープ教材の場合、おそらく役には立たないでしょう。非常に分かりやすい例をあげます.テレビの地 上波で時折流れる同時通訳を思い出してください。民放のニュースや天気予報の英語同時通訳です.どんなに短い内容であっても、TVを観ている側からは、通 訳者が文章を棒読みしていている場合、内容を十分に理解せずに言葉だけを訳している場合には、何を言っているのかさっぱりわかりません。これはネイティブ が見ているときでも同じです.もうひとつ分かりやすい例をあげます。非常に分かりやすい例です.
ウインドウズ系のコンピュータにはテキスト形式で入力した文章を音声で読み上げるソフトが設定されている場合があります。これにTIMEや NEWSWEEK、または日常会話のテキストを読み込ませ、発音させてみます。コンピュータですので発音記号は正確に発音できます。しかもコンピュータボ イス様に開発された発音記号を使用しているので、読み込ませる文章により、抑揚やイントネーションが自然に聞こえるように自動的に変化します。でも聞い
てみると?まず何を言っているのかわかりません。このコンピュータボイスにはソフトによって人間が感情をこめて話すのと同じ様に発音できる細 かなプロパティの設定ができるものがあります。「こういう文章の時は、この部分を強調して、最後は滑らかな調子で終わる」というような人間の気持ちに近い 設定をしてやります。そうすると、下手な同時通訳者の英語を聞くよりは、非常によく聞こえるのです.テープ教材で学習するなら、内容がドラマ仕立てのもの。ネイティブの俳優をキャスティングしているものを選んでください。なぜなら、俳 優が文章を読むときには、それがたとえテープ教材という目的でも、「自分の気持ちを相手に伝える」ことを第一に考えるからです。こういうテープは聞いてい るだけでもその人の心、気持ちが伝わるように作成されています.相手の顔が心で見えるようになれば、信頼することができます。
値段が高いか安いかは問題ではありません。
こうじさん。
早速のご回答ありがとうございます。
映画の英語は感情がこもっていると
おもいます。
しかし、学校英語教材音の世界から
みると、猛烈にはやくてあいまい音が多いです。
映画のセリフを真似てみることは、いかがでしょうか?
ではスピーキングは?
リスニングができたらあとは自分の意見を言うトレーニングということになりますが、
これは簡単、「とにかく喋って口に覚えさせる」ことだと思います。相手がいなければ独り言でも構いません。良く頭では分かっているのに言えな いという人がいます。そういう人に限って文章を書かせるとべらぼうに上手かったりします。(書く練習ができているので、手が覚えているんですね^-^)
ここで面白い実験をしてみましょう。
まずは次の文章を覚えてください."There are 100 bottles of beer on the wall.
There are 100 bottles of beer on the wall.
If one the bottles of beer drops from the wall,
there are 99 bottles of beer left on the wall."では思いっきり息を吸い込んで一息でこれを(見ないで)喋ってください.
(スピードはパンパンパンと手で拍子をうって10〜12拍くらいで文の最後まで言えるくらい。)
言えましたか?では99本のビールが一本棚から落ちると98本残っているという風に一本づつ減らしていってください.でもこれも一息で挑戦.
ボイストレーニングを受けた声量のあるネイティブの俳優であれば、92,1本ぐらいまでは残せます.私の場合は97本まで言えます.
早口言葉のお遊びですが、これは如何にちゃんと自分の気持ちを相手に伝えることができるのかという訓練になります。この文章をただ覚えただけ で内容が良く分かっていないまま言おうとすると途中でつっかかってしまいます。またビール瓶を一本落とすといくつ残るという計算も必要なので、「自分が何 を言いたいのかはっきりわかっている」、「相手に何を言いたいのかがはっきり分かっている」訓練ができていなければこれもまたつっかかってしまいます。
ちなみに私が97本よりビール瓶を落とせないのは、ただ単に息が切れてしまうから。^-^"みなさんは?
英語のクラスで生徒にやらせてみるのも盛り上がって面白いと思いますよ.
映画の台詞を真似るのが一番ベストです。
でも時間がたつと台詞数の少ない映画では物足りなく感じるようになるはずです.
そうなればTVドラマに転向して台詞数を増やし、レベルアップできます。学校教材に利用するのであれば先生がテープに録音した映画を授業の最後5〜7分生徒に聞かせるのが良いかと思われます.(カリキュラム の邪魔にならない程度に)
確かに学校のLLテープなどと比較すると映画はスピードは速いです。
でも、「速いから聞き取れるはずがない」という思い込みで聞き取れない部分も多いんですよ。
分かりやすくまた例をあげます。
「セサミストリート」は中学英語のレベルで100%聞き取れるものです。
実際台詞を見てみるとそうなっています。
でも多くの中学生は「はやくて分からない」と思い込んでいます.
「ネイティブの英語は速いから分からない」という思い込みです.
でも実際セサミストリートの速さは中学のLLテープとかわらないか遅いくらいです。また、あいまいな音をパターン分けして覚えようとすると逆効果になります。
正確な音に「感情」が入ることでひとつの単語でも何百通りの音に聞こえます.
やはり「何を言っているかではなく」、「何が言いたいのか」気持ちを読み取る訓練が必要だと思います.気持ちが読み取れればあいまい音でも無 声音でもはっきりと聞き取れるようになります。たとえば「水曜日」を意味する「Wednesday」。教科書発音では「ウエンズディ」ですが、ネイティブ は中間のd,n,eをはっきり発音します。発音しないのではなく、発音記号では表現できない音になってしまうので書くことができないのです。どんなもんでしょうか?
>
「ネイティブの英語は速いから分からない」という思い込みです.
でも実際セサミストリートの速さは中学のLLテープとかわらないか遅いくらいです。多くの人が、セサミストリートにアタックして
はねのけられたのが、あの速さです。
これを聞き取るのは至難の技です。しかし、これは、じつは、錯覚であったのかも
しれません。
手品にかかっていたのですね。
種明かしすれば、なぜ、こんな遅いスピードだったんだ!
ということになるやもしれません。
中級以上の英語学習者が、音と音とがぶつかり合ったときの変化を学ぶための教材として次の二点をお勧めします。
@英語の発音パーフェクト学習事典(深澤俊昭 アルク)
ABetter English Pronunciation (J.D.O'Connor Cambridge University Press)
@はCD付きの本で、英語の発音について相当詳しい知識と練習が得られます。Aは英語で書かれていますので、高校中級程度以上の英文読解力が 必要ですが、音の変化について詳しい解説があります。イギリス英語の本ですが、音の変化に関する記述は何式英語であってもあてはまることがほとんどです。 同じ本が成美堂からも出ていると思います。音と音とのぶつかり合いについてフォニックスは何も教えてくれません。上記の二冊の本のように発音の変化を教えてくれる本が初級者用に はほとんど何も存在しないという事実が、音作り不在の日本の英語教育の証拠です。
教員の方が現場でいろいろな試行錯誤されているのだなぁという意気込みが過去の書込みを読むと感じられます.
(拍手!)でもひとつだけ気になった部分があります。
He stops Betty.
I stop Betty.
I stopped Betty.はネイティブが発音すると確かにpの音はどれも異なって聞こえるはずです。
それを「異なる音で聞こえるのだ」と生徒に説明するのは正しいと思います.
でもそれをルール化してしまうのはどうでしょうか?
大まかなレベルでのルールなら説明されるべきですが、子供達の体力の限界まで叩き込む必要は無いと思います.なぜなら、ネイティブの会話はこ のルールに沿っていないからです。
私の少し前の書込みを見ていただければお分かりのとおり、ネイティブの会話は、単語ひとつの発音でもその時の感情や気持ちで100通りにもそ れ以上にも聞こえます.音のぶつかり合いをルール化することでLL教室や受験のために作られたヒアリングテープは聞き取れるようになるでしょう。なぜな ら、学校授業用に作成されたテープはルール化された英語の発音を聞き取ることを目的に作成されているからです.ではここで質問です.音のぶつかり合いを十 分に理解している先生が1000本の映画やTVドラマを見たとき、実際にどれだけの会話を聞き取れているでしょう?なんとなく意味がわかる?大体何をいっ ているのか分かる?では言葉を変えて同じ質問をします。聞き取れない単語はどれとどれでしたか? ただしくヒアリングできていれば「なんとなく」ではな く、「あの単語がわからなかった」と答えられるはずです.また例で説明します.主要5教科テストをうけてどれだけできた?と生徒に聞くと、本当にできてい る生徒は、あの問題とこの問題がわからなかったとちゃんと答えられます。あてずっぽうや良く理解できていない生徒は「だいたいできた」と答えるだけではな いでしょうか?英語のコミュニケーションを学習する正しい方法があるとすれば、「ネイティブが生まれた土地で身に付けた方法を如何に期間短縮して身に つけたらいいか?」を模索することになります。
私は実際いろいろな教材を試してみました。英会話学校にも通いました.無料で英会話を教えてくれるアメリカ人の教会があると聞けばそこで洗礼 をうけてクリスチャンにもなりました。TVドラマの英語をカセットにとって発音の練習をすること8年間。気が付くと巻き取り軸の折れた20台以上のウオー クマンが部屋にころがっていました。
でもただひとつ私の英語のヒアリング能力を飛躍的にのばしたもの、それはFOXニュースのアンカーマン達の英語でした.彼らのニュース原稿を 読み上げるときの目は瞬きせず、しっかりと私の目をみつめていました。 CNNやCBSのキャスターとは全く違う発音。それでいて体全体から自信をもった (まるで食ってかかるような)でかい声。「言葉よりも気持ちが先に伝わる英語」これを見れば誰でも最初は圧倒されるに違いありません.まさに目から鱗が落 ちる瞬間です。討論会では誰かが発言している最中でも自分が違うと感じたらでかい声ではっきり発言する。
自分の意見を通す。何故これほどまでに他局を見ている場合と比べてヒアリングが上達するのか?FOXニュースのコマーシャルでこういう場面が あります。
A:討論すればいろんな人が何を考えているかがはっきりわかるんですね。
B:違うよ。そんなのどんな局だってやってることさ。討論なんかで誰も本当に何を考えてるかなんて分からないよ。大切なのは口論することさ。 そうすればみんな本当の感情がでて本当の気持ちがお互いにわかるんだよ。
A:口論なんかやったら番組の収集つかなくなるよ。
B:じゃあこの昼飯が終わったら君が代金はらってね。
A:ちょっと待って、なんで僕が払うのさ?
B:そう、そう言うことで君の今の気持ちが僕にちゃんと伝わったんだ。ルールも大切ですが、「感情の受け渡しの訓練」をすることのほうが大切だと実感しているのですが。。。
どうでしょう。
音作りへの道(6)の最初の行の「テストにも和訳の宿題」という部分を「テストにも和訳の問題」に訂正します。(6)教科書ガイドを全員に購入させる。
公立中学校の生徒の英語の勉強の相談に乗ったことがあります。その男子生徒は中学二年生を終了したところでしたので、二年生の教科書の最後の 課を音読させてみたのですが、ほとんどまともに読むことができませんでした。英語の音がまったくできていない上、読めない単語の続出で、何度も立ち往生す るというありさまでした。そこで、彼の教科書を取り上げ、その課のあちこちの文や語句を私が日本語で言って、英語で言ってみろと命じたところ、これも何一 つまともに言えません。彼の英語の成績は4だというし、予習もちゃんとしている、塾にも通っているとのことでしたが、さっぱり英語の力がない。予習は何をするのかと聞くと、「教科書の課文をノートに書き写し、教科書の最後にある単語欄を見ながら和訳をノートに書く」との答えで した。そして、授業では先生に当てられた生徒が和訳を言い、先生が説明を加えがら和訳を言い直すので、それを聞いて自分の和訳を訂正する、これが授業の時 間の大半を費やす作業だと言うのです。録音を聞いて読むことも少しするが、みんなあまり声を出していない、塾では文法問題をやっていて、発音練習はまった くない。そして復習は全然しないとのこと。
和訳を作らせるだけに時間の大半を費やす授業を英語の授業と言えるはずがありません。教員は、二千円で買える教科書ガイドに載っている ことを授業と称して生徒のノートに移しかえることの愚かさに気付かないのでしょうか。いや、和訳だけではないのだ、生徒がよくわかるように説明もしてやっ ているのだと言うかもしれませんが、いかに授業中に教員が色々な説明を加えながら和訳をしても、生徒がそのありがたい説明を全部理解したり、即座に記憶で きるはずがないのだから、そんな授業は結局は教員の自己満足に終わります。
私は自分の生徒たち全員に教科書ガイドを購入させ、課文の和訳と説明は原則として各自が教科書ガイドを読んで理解するよう努めよ、と指 示しています。教科書ガイドの説明や和訳が素晴らしいとはとても言えませんが、他の文法参考書や一般的な教室での教員による説明と大差はないと思います。 授業中にできるだけ録音を聞き、音読をする時間を確保するためです。
(8)教科書の課文を覚えさせる。
(9)必ず読めるようにしてから書かせる。
各課の授業はまず「読み方プリント」の練習から入ります。単語の一覧と教科書の課文のプリントですが、単語の一部には発音をフォニックスの ルールを利用したつづりで示しており、課文には音と音がぶつかって変化が生じる箇所に+サインと下線が付けてあります。脱落することが多い音は( )に 入っています。生徒たちはこれを見ながら私の後を付けて一斉読みで練習をします。ほとんどの生徒たちが大きな声で読みます。
I told+(h)im that+Mary had+a dog.
授業中に聞かせる録音は今やっている課のものだけではなく、その課を含む前後いくつかを一緒に聞かせていますから、生徒は新しい課の読み練習 に入るときにはすでにその課の録音は何度も聞いたことがあります。頭の中におぼろげながらもその新課の音読の残像がある状態から読み練習に入るわけです。 (その9に続く)
こうじさん、はじめまして。
「電話でレッスン」を2ヶ月ほど続けているもっこりという者です。記事をとても興味深く拝見しました。私なりに、「話者が伝えようとする感情を、イントネーションや音のぶつかり合いの変化から汲み取ろ うと努めることが、英語のリスニングを向上させる重要なポイントである」と理解しました。
これは、「電話でレッスン」のために、映画のセリフを繰り返し聞く中で、おぼろげながら実感しつつあることです。登場人物の立場に立ったつも りになって頭の中でセリフを反芻していると、声の大きさやスピード、イントネーションなどは、話者の気持ちと切り離せないものなのだなあ、と感じられるよ うになってきました。ただ、こうじさんの記事では、「相手を信頼すること」を教える、「感情の受け渡しの訓練」をする、といった表現を、「アメリカ文化で の」「(アメリカ人の)英語での」という限定付きではなく、「コミュニケーション全般の態度や技能として英語教育のなかで教えるべきだ」というニュアンス で使われているように感じられて、そこだけ違和感を感じました。(誤読ならば、申し訳ありません)
私は、「相手を信頼すること」や「感情の受け渡しの訓練」は、まず母語による育児や教育のなかで形成されるものだと考えています。そし て、外国語を学ぶことによって得られるのは、「相手を信頼」していることをお互いに伝え合う「手段」が、国や文化によって異なることを知る、という点だと 思っています。
音のぶつかり合いのルール化は例外が多すぎて困難であるというこうじさんの指摘が正しいとするならば、聞き手は、場面ごとにそれらの違 いを聞き分け、相手の感情を推測しなければなりません。そのためには、外国語教育を受けるずっと前、母語や母語文化にどっぷり浸かる幼少期から学齢期に、 「相手を信頼すること」や「感情の受け渡しの訓練」の経験を通して、他者に共感し、他者の感情を理解するための基盤を作る以外にないと思うのですが、いか がでしょうか。
根石様
>頭で組み立てるというのではなく、音読(回転読み)の回転の質をあげて、一連の「音で覚える」ようにして下さい。
泥縄作りにも限界がありますね。こればかりじゃ身にならないし。
それにしても、30語以上の文章の回転読みは非常にきついです。
飲み会が続いたり、違う映画見ちゃったりするとついつい練習を怠ってしまいます。
それでも皆さん時間を作って毎日やってらっしゃるんでしょうね。
実は2週続けて電話でレッスンのテスト落第してしまいました。
つまり2週間一個も前に進んでいないんです。トホホ・・・
これじゃ100年かかってもだめですよってまたお叱りを受けますね。
今日はこれからちょっとやりまーす。
こうじさん。この映像はどうすれば見れるのですか?
一般地上波でこの番組はありますか?
FOXニュースだけというのもおもしろいですね。
おおくの人は、CNN,ABC,CBS、BBCとかで
学習しているわけですから、外れ籤ということになります。
こうじさん。ルール化もだいじだとおもいます。
ただ、駄目ルールが多いのです。
例外のないルールをおぼえておくと
非常に役たつとおもいます。
英語音のばあい、tとdとが想像以上に
変化します。よく、ラ行の音になるといわれます。
これは、駄目ルールでしょう。
そうではなく、tとdとに関するしっかりしたルールを
知れば、いいことです。
音読は、物理訓練なら
ルールは、化学変化です。
知識が入った瞬間にやくたちます。
未知の言語の音をキャッチする能力について。子供は、生活の場で、自然にキャッチしますが
大人は、文字を見ながら、音をキャッチしようとするので
母国語音韻の干渉が避けられません。
良い方法はありませんか?
わたしには、子音は4タイプの
発音があるようにおもいます。例)
Why don't you
I don't
などのdは、特別のdでむしろ
耳に聞こえない。
ただ、舌先のプレスのみがあり
破裂(リリース)がなく、
つぎの母音Oが省略されて、dからnの方に
発声がいくようにおもいます。ですから、ワイドンチューやアイドントにきこえず
ワニ、アノのような聞こえになると
おもいます。もちろん、学校教材の英語音では
このようにならず、映画などの
自然音のばあいです。
貴重なご意見ありがとうございます。ぱくぱくさん>
駄目ルールを除いた基本的なルール(例外がないorほとんど例外がないもの)をカリキュラムの基本レベルで設定するというのは私も同意 見です。
Why don't you.. I don't が アニ、ワノと聞こえる。
確かにそうですね。
そしてもうひとつ、音のパターン分析をせずに アニ、ワノと発音できる(聞こえる)方法があります。
それは「音に言葉をのせる」方法です.
欧米人はセンテンスを話す場合、「音に言葉をのせて」います。
日本人が日本語を話す場合、実際は「言葉に音をのせて」いるのです。
ここで簡単な実験をしてみます。たとえば、「んー」という一本の長い音に Why don't you..と「言葉」をのせると
見事にdの音は(ちゃんと発音しているのに)nに聞こえます.
でも「言葉(単語)に音をのせて」発音すると、どんなに頑張ってもdはdにしか聞こえません。私は中学一年生の頃から英語とはそういう風に「音に言葉をのせて」発音するものだと思いこんでいたので、中学2年にあがって先生が音の パターン分けの大きな表を黒板に書いて説明しているのをみて、「あ、そういえばそうだな。でもそんなややこしいこと覚えなくってもいいのに。」と思ってい ました.「音に言葉をのせるとどう聞こえるか」という実践理論には「しかしこういう場合は違って聞こえる」という例外が存在しません。私が今まで8年か かって得たものすべて(学校のLLテープ、映画、TVドラマ、ネィティブとのやり取り)に適用されます。
FOXニュースは現在、スカイパーフェクトTVの741チャンネルで(24時間放送)見られます.地上波では見ることができません。で も英語のヒアリング学習としては最高のものです。
他のニュース局と違うところは、やはり放送でどのように映るかを意識せず、自然な英語で自然体で番組が構成されていることです。カメラを意識 した気取った言い回しは全く見られません。「視聴者を決して退屈させてはならない」「他局のどんな報道よりも明確、迅速、かつバランスのとれた説得力のあ るソースを提供する」チューナーと専用アンテナはデパートの電気売り場でセットで売り出されているのを買えば3〜4万くらい。取り付け費用と加入料でプラ ス一万円前後、あとは月額500円くらいでFOXニュースが見られます.すべての金額を合
計しても一般の英語、英会話学校よりははるかに安いと思います.>大人は、文字を見ながら、音をキャッチしようとするので母国語音韻の干渉が避けられません。良い方法は?
TVで映画やドラマを見ているとき、字幕を隠してしまえばいいのです。(とても簡単です.お金もただです.でも効果は絶対です.)
母国語音韻の干渉はさけるのではなく、頭の中に二つの領域をつくって切り替えるようにしたらベストだと思います.日本語を話すときはこっちで 英語を聞き取る時はあっちでという風に.
もっこりさん>>「アメリカ文化での」「(アメリカ人の)英語での」という限定付きではなく、「コミュニケーション全般の態度や技能として英語教育の なかで教えるべきだ」というニュアンスで使われているように感じられて、そこだけ違和感を感じました。(誤読ならば、申し訳ありません)
私は今まで様々な国を見て回りましたが、英語を母国語とする人々でも両親が異なる国というのはそれほど珍しいことではありません。アメ リカに限らずシンガポールや韓国、香港、ヨーロッパの国々でもそれは同じです.母国が異なる人々が生活する国はアメリカも含めて「言葉」はコミニュケー ションの手段以外の何者でもありません。現在の英語の発音はそういうものの上に成り立っています.私があえてアメリカと言わなかったのはそういう理由で す.コ
ミニュケーションができなければ、いくら言葉を話したところで相手には何を言っているかが通じていないのです.>外国語教育を受けるずっと前、母語や母語文化にどっぷり浸かる幼少期から学齢期に、「相手を信頼すること」や「感情の受け渡しの訓 練」の経験を通して、他者に共感し、他者の感情を理解するための基盤を作る以外にないと思うのですが、いかがでしょうか。
はい、全く同感です。私達が英語を学ぶのは中学からで既に幼児期も過ぎ学齢期の真中に達しています.でも中学から高校までの英語教育の 期間にたとえ1週間に1時限でもコミュニケーションとして英語を教える時間を作るのなら、子供達のレベルはかなり上がると思います.
>外国語を学ぶことによって得られるのは、「相手を信頼」していることをお互いに伝え合う「手段」が、国や文化によって異なることを知 る、という点だと思っています。
「外国語と異国文化を学ぶ」のが目的なのか「外国語を使って将来何かしようとする」のかではそれを成し遂げようとする人の勉強の仕方が 異なります.前者は「知」に興味を抱き、後者は「成」に興味を抱きます.前者は「知る」ことで満足を得ますが、後者はたとえ千の「知」を得たところで満足 はしません。おそらく私がコミュニケーション教育が必要と考えているのは、後者の部類の人間だからでしょう。^-^
何回も授業中に読み練習をしていると生徒たちは新出単語の発音も覚え、英文をある程度スムーズに音読できるようになります。その段階で授業中 に行なう小テストの予告をします。まず一回目は新出単語のテスト。私が読み上げる単語を書き取りなさいというテストです。次の時間は文の書き取りテスト で、私が読む文を書き取れというテストをします。その頃までに「英文復活練習用プリント」を配布しておきます。これは課文をフレーズごとに英語の語順に
日本語にしたものを印刷したプリントです。例えば、The boy who came to see you asked where you were.という文なら少年は/彼は来た/君に会いに/尋ねた/どこに君がいるのかを。
トなります。生徒はこのプリントを読んで、英文の各部分がどんな意味で、相互にどうつながっているのかを確認します。英文の音読を繰り 返してスラスラ読めるようになったら、今度は各自がこのプリントを見ながら、英文を言う練習をして、さらにそれを書く練習をします。これが英文復活練習で す。この練習は原則として各自が自分の時間を使ってやらねばなりません。課の仕上げの小テストには、このプリントから日本語の文を出題し、元の英文を書か せ
ます。10文程度を出題し、8割できれば合格で、不合格者は放課後や昼休みに呼び出されて、音読練習をした上、一人ずつ私の前で英文復活プリ ントを見ながら、まるで英文を見ながら言っているようにつまらずにその課を英語で言えればオーケー、言えなければ、再度呼び出しされて同じことをさせられ ます。高校の教科書に入ってから、プリントの種類を一つ増やして、次の三つにしました。
@読み方プリント
A同時通訳プリント
B英文復活練習用プリント
Aの同時通訳プリントは音読練習用でもあり、英文の意味の確認用でもあります。When I was in London,・・ I lived・・ in an apartment・・
ぼくがロンドンにいたとき ぼくは住んでいた アパートに
with a Spanish student.
あるスペイン人の学生と。というようなものです。このプリントを使えば、英語を音読するのと同時に英文の意味の確認をすることができます。英文が中学の教科書よ りも複雑になってきているので、文の構造と意味に今まで以上に注意を払わせたいと思って作りました。生徒にはこのプリントを使って音読の練習を最低20回 はするようにと指示しているのですが、成績不振者に限ってサボろうとします。しかし、音読を十分にせずに英文復活小テストの成績が悪いと、結局は呼び出さ れて無理やりに読まされる羽目になります。なお、このプリントの最後には1から40までの数字が書かれた音読回数記録欄があって、生徒にはきちんと記録を するようにと指示しています。
こうじさん、お返事ありがとうございます。
でも、うーん、ちょっと話が噛み合っていないかもしれません。私が言いたかったのは、「コミュニケーションとしての英語」以前に、
「コミュニケーションとしての日本語」の意味が大きいのではないか、ということです。
特に、こうじさんの英語習得の体験をお聞きして、その感を強くしました。日本で、日本人の両親から育てられていれば、
「感情の受け渡しの訓練」は、日本語でやっているはずです。
隣の部屋の母親が「もっこりー」と呼びかける声が、楽しそうなのか、
怒っているのか、元気そうなのか、不機嫌なのか、を聞き分けてて、
ケーキが出てくるか、学校でのスカートめくりがばれて叱られるか、を予測する、
といった訓練を毎日積みつつ、私たちは成長していきます。そのように、感情を聞き分けることや使い分けることを、
日本語で習得できるようになっているからこそ、
英語のイントネーションや音の変化から、話し手の気持ちを読みとり、その違いを聞き分け、
自分でも使いこなす道が開けているのではないでしょうか?
その際、Eliotさんがおっしゃるようにルールとして学ぶのか、
こうじさん流に相手を信頼して気持ちを汲み取ろうとする中で身につけるのか、
という違いがあるのかもしれません。
後者のやり方だと、より柔軟で繊細な母語における感情読みとり能力が
要求されるような気がします。
すみません。一部分、訂正します。>日本で、日本人の両親から育てられていれば、
という部分は、
「日本で、日本語を母語とする両親から育てられていれば」と読みかえてください。
浜谷さんからいただいたメールを掲示板に転載することを許可していただいてあったのですが、転載する時間がとれませんでした。以前、浜谷さ んに宛てたメールを転載したような覚えがあります。それと、ここに掲載するものの前後関係が自分でもつかめないほどに手元の仕事が混乱しています。議論の 素材になればと思い、ひとまず掲載だけいたします。
----------------------------------------------------
以下、浜谷さんから
----------------------------------------------------根石さん
「初心者の定義」についてとりあえずお返事させていただきましたが、あらためてレスさせて頂きたいと思います。
根石さん>そうです。一流大学を出ているとかいうようなこと
は英語の運用能力に関してはほ とんど意味はなく、私が定義
した「初心者」は日本中にいっぱいいます。英語の知識量は、
私なんぞをはるかに越える人がいると思いますが、それでいて
使えないという場合は多々あります。そして、「使えないので」
そのまま英語をやめてしまう人がど れほど多いことでしょうか。
私の「音読による音づくり」、あるいは「音づくりによ る音
読」、あるいは「音づくりによるインプット」、そしてまた、
「イントネーショ ン(リズム)」を備えることによる「理解の
瞬間化」という練習をやってくれれば、 息をふきかえしうる受
験英語の層はぶあついものがあると考えています。
私も頑固者なので、何度でも言いますが、日本の英語の教育機
関はどんなものであ れ、「音読の場」というものを備えないと、
なさけない日本の英語は変わっていくことはないと思っていま
す。これまでのなさけない日本の英語の状況をさして、「日本
全土に英語の死屍累々」だと私は言ってきました。浜谷>よく分ります。 私の「英会話学習相談室」もその方向でやっていくつもりです。
根石さん> 浜谷さんはあくまで「英会話の初心者」 を初心者
としておられますが、英語の磁場のない場所 (日本)では、「英
会話の初心者」は結構ハイレベルな読みの力を持っているような人
になると私は考えて います。日本という土地では、フリー・トー
キングな んぞはほとんど意味がない。フリー・トーキングが多少
なりとも意味を持つのは、下地を持っている人の場合だけです。
日本では「英会話」をやりたいと思うなら、結局、 語学をやる
ことになります。あるいは、語学で下地を作り一定のレベルに達す
ることが必要になります。浜谷>そのとおりだと思います。しかし、フリートーキングという遊びごころも必要だと考えます。私が多読で英語の語彙と構文のインプッ トを図ったのはなるべく勉強「ごころ」を避け、遊び「ごころ」で興味の持続をはかったことがあると考えています。勿論、根石さんの「音づくり」にも映画の スクリプトを利用するという「遊び心」を充分取り入れられているとみています。今私の相談室にはとにかく喋る場が欲しいという人が殆どで、いわば「日本人 に
深く染み込んだ英会話という迷信」にとらわれた人々ですが、その「迷信」と思われるものの中には「正しい考え方」すなわち「恥かしがらずに喋 る」という考え方が混在しているように思います。その考え方を肯定してあげると同時に、「音作り」の大切さも認識しなおすように指導したいと考えていま す。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
>> 浜谷>結局根石さんと私の間では「初心者の定義」に
大きな差はないと考えますがどうでしょうか?根石さん> ううむ。
「学校を出ている」とかということは要件として必要ないと思いま
した。「学校を出ているにもかかわらずなお」というなら状況的に
は正確ですが、私は小学生だろうが、大学卒業生だろうが、おかま
いなしです。定義は言葉でなされるわけですから、「気持ちはわか
る」ということではないと思うのです。私の先日の定義も、音の問
題にしか触れておらず、不完全だとは思うものの、音の問題に関し
てなら、「こういう人が初心者」ということを確定できるのではな
いかと思い、提示させていただいたわけです。初級を細分して、初
級の「初・中・上」というものを作れば、初級の「上」あたりで、
「文法が知識ではなくセンスになっている」というようなものも確
定されるべきだとも考えています。この辺に関して、いろんな方に
討議に加わってもらえればと思っているのですが、これで英語に関
する掲示板なのかというくらいに皆さん黙ってしまわれます。日本
ですね。まあ、私がやたらにアクが強いのがいけないということも
あります。浜谷>確かに学校を出てる出てないの問題ではないのですが、学校を出ていて、喋れない人が多すぎる、ということを問題にしたいと思った のです。そして、そういう人が、今実際に海外旅行から帰ってきて勉強しなおしたいと思っている。そういう人々のうち、いわゆる「下地づくり」が必要なひと を「初心者」と考えています。仰るように「初心者」のなかにもレベルがあり、そのレベルに合わせた指導方法を練り上げたいと根石さんはお考えなのですね?
私は現状の学校英語改善に失望していますので、(改善されるのはこの何十年先と思われ、恐らく私が生きているうちは無理でしょう。)根石さん の地道な地ならし(学生に学校外で地道に「音作り」を指導するという)作業はその何十年先の学校英語改善に先鞭をつけるものと尊敬の念を禁じえません。 「なおいろんな方に討議に加わってもらえればと思っているのですが、これで英語に関する掲示板なのかというくらいに皆さん黙ってしまわれます。日本です
ね。」と仰っているのは全く同感です。私もその後古川さんの掲示板にいってみているのですが、全くの音なしにはがっかりしています。もっとも 私が早く根石さんへのレスを掲示板にしていないということに責任は感じています。
2−3日見ていないので今から確認のために見に行って、近日中には何らかの書き込みをしたいと思っています。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
根石さん> 浜谷さんのお気持ちは私は推察できると思っています。
しかし、これまでになかった語学論をぶち立てるためには、原理、
法則とでもいうべきものを踏みしめなければならないとも思っていま
す。それを提示しないと、学校英語のていたらくはどうにもならない
し、受験英語のインポテンツもどうにもならないし、それらのていた
らくやインポテンツを食い物にする英会話学校のハイエナどももどう
にもできない。これらのハイエナ学校に通う人の受講料を、たとえ失
業者に対してでも、日本の国家の税金が負担するなどということは、
「ていたらく、インポテンツ、ハイエナ」の三拍子が揃っている現状
ではまったくの犯罪だと考えています。なんで、ハイエナに人々の税
金を渡すのか。この税金の使い方は馬鹿が考えたものとしか思ってい
ません。
なんで、「音読(音づくり)」の可能性を探求するところは、生き
延びることにこれだけ苦労してこなければならなかったのか。私はこ
の国の英語の扱いに対しては許し難いものを持っています。いつでも
言葉にできるだけのものが、今でも胸に煮えたぎっています。浜谷> 上に書いたとおりです。私は学校英語の改善は何十年先とみていますが、根石さんの掲示板に出てきた現役教師による批判お よび、ご自分ができる範囲での勇気ある改善努力、こういう輪が根石さんが投じられた水面への一石から広がっていって改善までの期間が少しでも短くなればい いなと祈念しています。
根石さん> 英語の駆使能力については、浜谷さんはただちに私の先生
になっていただける人 だと思うのですが、生徒に(初心者に)英語を
持たせる方法に関してなら、私が何か言わせていただけることもあると
思い、先日、ぶしつけなことを申しました。浜谷さんのご都合がついた
時には、私のレッスン枠が埋まっている場合でも、なんとか工面して
(女房に仕事を押しつけるなどして)浜谷さんのレッスンはお受けした
いと思っています。浜谷>ご配慮重ね重ねあり難いことと感謝しています。先日のメールの通り、私の「相談室」が曲りなりに軌道にのったらぜひお願いしたい と思っていますので、その節はよろしくお願いします。
なお、昨日申し上げましたが一連のメールやりとりの根石さんのHPへの掲載は全く異存ありません。 念のために付け加えさせて頂きま す。昨日で「相談室」今週の例会が終わり、今メールを書き終わりこれから、古川さん、根石さんの掲示板へいってみようと思っています。
浜谷俊雄http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Duffy 様素読の効用を説くホームページ、一部読んできました。
まったくわが意を得たりという記事があります。
以下の論は、まったく私が方法の基本としているものと一致しています。・速読術などが重要視されるようになってきている。素読は、逆で遅読術である。
・素読しているうちに意味が身体で解かってきて、潜在意識に伝わり顕在意識に通じてくるのである。
私は生活の資を得る必要から、素読的方法を英語に適用してきましたが、素読そのものを復活させたいという願いは以前から持っておりま した。
確かに素読は潜在意識に働きかけます。
このことに関して、ネイティヴ言語と語学の言語を区別する際に、・ネイティヴ言語 = 無意識的に意識を作る
・語学の言語 = 意識的に無意識を作ると区別して考えたことがあります。
この方法が怖いのは、国家権力がイデオロギー注入に使った場合です。
非常に強力な方法なので、使い方次第ではとてつもなく危険な方法でもあるとも思っています。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
こうじ様>私は独学でネイティブの英語を100%聞き取れるようになりました.
私は、日本に生まれ、日本語で育ち、日々日本語を使って生きておりますが、日本語ネイティヴの人々の話が、80%から90%しか聞き 取れません。とりわけ耳に機能的な欠陥があるとも思っておりませんが、話し言葉というもの、とりわけ生な話し言葉というものはそういうものだと思っており ます。仮構物の場合では、初めて観る日本映画なんかで、筋をまったく知らないものは、60%くらいに落ちるものもあります。観ることが二度目以降だと、た いてい一挙に95%以上程度に改善されます。
これは私の独断に属するものですが、日本語ネイティヴでありながら、普段の生の会話で、日本語が80%から90%しか聞き取れない私が、英 語をその半分の40%から45%聞き取れれば、まあ一応意味がないわけではないくらいに考えております。残り半分ちょっとは、わからなければ聞き返して確 かめます。それで、ひとまずこれまでの生活では支障は生じておりません。わからなければ聞き返して確かめるということは、日本語を使っているときでも、英 語を使っているときでも私はやります。もっこりさんとのメールのやりとりで、もっこりさんが「聞き取ることは100%をめざしたい。話すことは、自分流でいきたい」と言わ れ、私はこの考え方がすごく好きだと思ったことを覚えています。聞き取ることに関しては、私も100%を「めざして」います。この「100%」は、英語を やる上での理念としてまったく正しいと思います。しかし、100%聞き取ることは日本語においても、英語においてもいまだ実現していません。
「英語を100%聞き取れる」とは、いったいどういうことを言っておられるのでしょうか。歯抜け婆さんのふがふが英語も100%聞き 取れるのでしょうか。このふがふが英語を英語でないとは言わせません。私が100%をめざすときは、このふがふが英語も射程に入ります。
もっと現代風な意地悪を言えば、英語を100%聞き取れるということは、最低でも、英語の単語を100%知っているということになります。 日々新たに生まれつつあるスラングもすべて知っていることになります。それらすべてで何万語なのか、何十万語なのか、何百万語なのか。100%ということ になると、その数字が確定される必要があります。ところが、一瞬、一瞬に新たなスラングは生まれており、この数字はその本性からして、確定できないも
のです。それが言葉というものの生態です。
再度申し上げますが、語法等を除いて、単語だけで考えても、その数字が確定されないと「100%」という日本語が馬鹿げたものになりません でしょうか。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
私は、英語の「音の繊維」という言葉で考えることがあります。(カタカナ読みや、単語ひとつづつを明確に発音する、のべたらで平坦な学校英語と違って、)肝心な言葉だけがくっきりとしていて、他 の語は薄闇の中にぼけるような言い方が、話がもっとも通じやすい言い方であること、それが英語リズム(イントネーション)で話されること、しかし、英語の シンタックスそのものは、その薄闇にこそ横たわることなどは、日本語と英語の「音の繊維」の違いとからまってこんぐらがり、日本人の英語のリスニングを困 難
なものにしています。こうじさんがおっしゃっているのは、単に「音の繊維」のことだと考えました。ただそれだけのことだとしか考えられません。書きぶりか ら考えて、ああ、この人は英語の音の繊維については俺なんかよりずっと細分化された感覚を持っている人だなとは思いました。
英語の音の繊維に対して細分化された感覚の持ち主であるということは、日本語という言語の磁場を生きる日本人にはきわめて珍しい方だとは思 います。ご苦労様ですというのが感想でした。なんで、日本なんかに居続けてご苦労しておられるのですか。>「英語を聞き取ろう」とするのではなく、「相手を信頼しよう」
とすればいいのです.困っちゃうんですね。こういう道徳めいた言い方は。
相手が、初めからだますつもりで英語で話しかけてきている場合も、「相手を信頼しよう」とすればいいのですか。私の娑婆で汚れた感覚は、冗 談じゃねえよ、と思ったのです。
例えばの話だと思っていただいていいのですが、私はアメリカで、「全然学校で勉強なんかしてなくたって、日本へ行けばすぐに英語の先生にな れる」というようなことを日本体験者が得々としゃべる現場に居合わせたことがあります。そいつの子分格の連中は、真顔で聞いていました。アメリカなんぞで 下積みを繰り返しているより、日本へ行って先生(実際はウゾウムゾウの英会話学校の雇われ教師)をした方がいい金になるかも・・・、という顔をしていまし た。どいつもこいつも大した悪気はないのですが、ふざけんじゃねえよ、なめやがってという気持ちははっきりと私の中に形をとりました。こいつらの誰一人と して、「信頼しよう」という気持ちにはなれないと思ったのです。
冗談じゃねえですよ。何が「信頼」ですか。
もう少し、日本語に気をつけて下さい。
語学の姿勢としては、音にせよ単語にせよ語法にせよ、「受け入れる」という心の姿勢を欠いたらまるで上達しないという基本ならわかります。 それはその通りです。そこからはみ出して、こんな道徳的一般論を言われると、ああ、英語が欲しくてクリスチャンになるような人だから、とため息が出るだけ です。
思想も宗教も切れば血が出る生ものだということがわからないような人が、英語が100%聞き取れたからって、それで何がどうしたというので しょうか。
私は信頼しません。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
こうじさん。やっぱり、地上波で見られないのですね。
残念です。
このFOXニュースには、英語字幕キャプションは
ついているのでしょうか?
というのも、正解の音がわからないと、何度聞いても
わからないから、嫌になってしまいます。
こうじさん。
例外のない規則をさがし、
それを徹底的におぼえ
活用する。>
たとえば、「んー」という一本の長い音に Why don't you..と「言葉」をのせると
見事にdの音は(ちゃんと発音しているのに)nに聞こえます.
でも「言葉(単語)に音をのせて」発音すると、どんなに頑張ってもdはdにしか聞こえません。私は中学一年生の頃から英語とはそういう風に「音に言葉をのせて」発音するものだと思いこんでいたので、中学2年にあがって先生が音の パターン分けの大きな表を黒板に書いて説明しているのをみて、「あ、そういえばそうだな。でもそんなややこしいこと覚えなくってもいいのに。」と思ってい ました.「音に言葉をのせるとどう聞こえるか」という実践理論には「しかしこういう場合は違って聞こえる」という例外が存在しません。私が今まで8年か かって得たものすべて(学校のLLテープ、映画、TVドラマ、ネィティブとのやり取り)に適用されます。
こうじさん。われわれは、100%、コトバに音をのせ、それを高速化、
円滑化しようとしています。
これは、間違いですね。
つまり、コトバに、音はのらない。どんなに練習しても。
ところが、音にコトバをのせれば、一発でのる。
もう少し、事例を3つぐらいあげていただくと助かります。
長続きしません。
やはり、わからないことが続くといやになります。
これを、こうじさんは乗り切るには
どんな精神面が必要と考えますか?
>
>大人は、文字を見ながら、音をキャッチしようとするので母国語音韻の干渉が避けられません。良い方法は?TVで映画やドラマを見ているとき、字幕を隠してしまえばいいのです。(とても簡単です.お金もただです.でも効果は絶対です.)
母国語音韻の干渉はさけるのではなく、頭の中に二つの領域をつくって切り替えるようにしたらベストだと思います.日本語を話すときはこっちで 英語を聞き取る時はあっちでという風に.
(10)教科書の各課の最後についているコミュニケーションごっこは無視する私は職業柄、時々英語教育研究大会という催しに参加する機会があります。全国規模のものや地方レベルのものにもしばしば公開授業と呼ば れる時間があり、会場の○○ホールまで中学や高校の1クラスを連れてきて、舞台の上に机を並べ、授業をするのです。私が見た範囲では、公開授業の最近の傾 向は次の四つです。
(1)ALT(assistant English teacher)とのteam teachingで、
日本人教師とALTが英語を多用する。
(2)日本人の英語教師だけの授業でも教師は極力英語を多用する。
(3)コミュニケーション活動と言われる作業を多く取り入れ、
生徒が英語を口から発するよう仕向ける。
(4)担当日本人教師は英語が上手に話せる。私はこれら四つには何も文句はありません。すべて結構なことだと思っています。しかし、そういう授業で生徒の口から発せられる音はほと んどすべてカタカナ英語なのです。英語の音作りがまったくできていない生徒たちばかりなのです。これは大問題です。
授業の後に引き続き合評会があり、授業をした中学校の先生が「この中二の生徒たちは中一のときから私がずっと教えてきました」などと言 うのを聞くと、私は「先生、あなた一人だけそんなに発音が上手でどうする。生徒にちゃんと教えてやれよ」と叫びたくなります。確かに生徒たちは舞台の上で 元気に発表したり、寸劇を演じたりと、一生懸命なのはわかります。にこやかな笑顔で大きな声を出し、カタカナ発音をしています。見ているとかわいそうにな ります。
度胸(愛嬌?)を付ける訓練をしたり、「アメリカ人のように相手の目をしっかり見て英語を話しましょう」と、植民地精神を植えつけたり するのが、コミュニケーション能力を養成する英語教育だなどと言われても、私はそんなのはまっぴらごめんです。
私は、コミュニケーションごっこにうつつをぬかし、音作りを放棄した授業より、音作りに精を出し、そのための時間を確保するため、どう でもいいようなコミュニケーション遊びは捨てるという道を選んでやってきました。勤務校は私学のため、中学生は週6時間の授業以外に1時間英会話という時 間があります。生徒たちはこの時間にALTと一緒に歌を歌ったり、ゲームをしたり、ペアワークをしたりと、楽しく英語を使って遊んでいます。遊びならコ ミュニケーションごっこも害はありません。
(12)NHKのラジオ講座「基礎英語1」を聞かせない。
理由ははっきりしています。音作りに役立たないからです。この講座は音作りに関する内容はほぼゼロです。中学生に説明、指導なしで英語を少々 聞かせてていてもまず絶対に英語の音を出すように葉なりません。ラジオの講座を中学の時から何年間も熱心に聞いても、それだけで英語の音があふれるように なることはないのです。現在(2001年)担当の日本人講師の発音は一見(一聞?)上手ですが、実は変です。私が耳にした範囲ですが、
この講師は
songをsorng
baseballをbasebore
dogをdug
beautifulをbeautifore
ideaをidear
と発音します。また、誇張した、わざとらしい発音が聞き苦しい人です。ついでに言うと、基礎英語2の講師の発音はまあまあですが、ときどき複合語のアクセントを間違えます。基礎英語3の講師は、絶対、根石 さんの「電話でレッスン」を受けるべきです。(その11に続く)
暗唱発表教科書の中の適当な課(対話ではない読み物の課)を指定し、暗唱発表をいくつもさせてきました。最初は中1の教科書の最後にあった 180語程度の読み物を課題文にして始めました。普通の課と同様に、読みのプリントの練習をへて英文復活練習用プリントへ進み、日本語を見ながら英文を書 くことができるよう練習させます。課の仕上げのテストでは普通の課のテストの倍以上の20文以上の英文を、その和訳文を見ながら書かせます。それからその テストの点を使ってクラスごとに発表順を決めます。点数の一番低い者が最初の発表者、一番いい者が最後に来ることにしています。
暗唱発表は授業の最初に原則として二人ずつさせますが、もし失敗者が出れば、その次の人まで順番が回ってきます。発表者は教壇に立ち、 覚えた英文を教室の後ろまで聞こえる声で暗唱せねばなりません。私は発表を聞きながら、発音のおかしいところをメモします。生徒が忘れて立ち往生しても、 一切助け舟は出しません。10秒::以上くらい沈黙が続くと、私が "Time's up."と声をかけます。これは「暗唱失敗」の宣告です。失敗者は発表順の一番最後
に回され、再度挑戦せねばなりません。また、失敗した日の放課後は教室に残って練習するよう命ぜられます。放課後はまず私の前で課題を音読 し、発音の指導を受けます。その後は指示された回数だけ音読をするまで帰れません。成功裏に暗唱発表が終わると、私が発音が悪かった個所を指摘して、発表者とクラス全体に確認させます。私は同じことを何度も言わねばな らないことがあります。何人もの生徒が同じ間違いをするので、その都度指摘するのです。
これは相当効果があり、徐々に生徒たちの発音が正確になっていくのがわかります。数週間かけてクラス全員に発表させますから、生徒たちは同じ パッセージを何十回も聞かされます。そして自らも練習して正しい発音でクラスメートに暗唱を披露せねばなりません。上手な発表をすると大きな拍手をもらえ ますが、失敗すると恥ずかしい思いをすることになりますから、生徒たちは真剣に取り組みます。「英語を上手に発音できることはいいことだ」ということが生 徒たちの間の常識になっていますので、教壇に立ってでたらめな音を出す者はいません。皆それぞれに一生懸命です。中学一年生の教科書の約180語の課題から始まった暗唱ですが、現在継続中なのは中学3年生の最後の方の読み物で、語数は500を越え るまでになりました。これが八番目の暗唱課題です。クラスメートの前で500語を6分の制限時間内に暗唱するのはなかなか大変で、失敗する者も多いです が、感情込めて上手に発表できる者、練習した成果を発表するのを楽しんでいる者もおります。(その12に続く)
Eliot様音作りへの道(11)拝見、すごいの一語です。このような指導がすべての中学でされるべきだと思いました。
>成功裏に暗唱発表が終わると、私が発音が悪かった個所を指摘して、発表者とクラス全体に確認させます。私は同じことを何度も言わねば ならないことがあります。何人もの生徒が同じ間違いをするので、その都度指摘するのです。これは相当効果があり、徐々に生徒たちの発音が正確になっていく のがわかります。
特にこの過程がいいと思いました。根石さんの電話でレッスンをクラスでやっている感覚ではないかと観ています。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
Eliotさん。>
中学生に説明、指導なしで英語を少々聞かせてていてもまず絶対に英語の音を出すようにはなりません。音作りこそ、最初にすることであり、これは、外科的にするのが
語学だとおもいます。
日本語の磁場のなかで、英語の音づくりが指導なくできるように
なるはずがありません。
ここに、指導が必要なのです。
そして、これは、集団で行えるべきであり、
発音訓練とはちがいます。
日本語の音を注意深く観察し、そのなかから
英語音を取り出せばいいのです。外国語を修得するには、まず対象となる
外国語の音づくりをすることです。
Eliot 様
授業で生徒に吹き込ませたテープお送りいただきありがとうございました。
さきほど聞いてみました。
すごいうまい生徒が3人いますね。
生徒全員の音の全体で、90パーセントくらいがアンダスタンダブルな音です。これを学校の教室で実現したことはすごいことだと思います。お そらく、現在の日本で最高レベルの授業だと思います。現在の日本の学校では、このレベルの授業をやっているところは、1パーセントあるかないかでしょう。
Eliot さん自身の音を聞いて、この音で語学教材を日本人用に作るべきだと思いました。
アメリカの派手で崩れた音より、Eliot さんの音で語学教材を作る方が日本人ははるかに英語の音がよくなると思います。私は鍛え込まれた日本人の英語の音の方が、アメリカンネイティヴの音よりずっと好きです。アメリカ英語の音を聞いていると、おいお い、どこまで崩してどこまで標準づらをするつもりだい?と言いたくなるときがあるのです。
ここまで崩して、ここまで標準づらをするか?と思うのです。Eliot さんは、崩れたアメリカ英語しかしゃべれないアメリカ人に、発音指導をすべきだと思いました。
お送りいただいたテキストを自分で読んで、女房に聞いてもらいました。
Eliot さんの音の方が、「抜けてる」という感想がありました。
「抜けてる」というのは、例えばトランペットなどを練習する場合、初めは濁った音しか出せないが、練習があるレベルに達すると、音が 急に澄んできます。このことを音が「抜ける」と言います。私は学生の頃、皆さんご存知の村上春樹さんとジャズ喫茶でバイトをしていたことがあります。その 当時は、私は年がら年中不機嫌で、村上さんは早稲田の先輩なのに、村上さんに何か話しかけられても、たいていはふてぶてしくもぶっちょうづらをしていまし た。村上さんは、小太りの背の高くない人ですが、すらりとしたきれいな女の人が、あっしらがバイトしていると店によく来て、それが村上さんの彼女だったの です。それがあっしには面白くなかった。村上さんの奥さんという人が写真をとりますが、写真の感じから推測するだけですが、あのすらりとした人と村上さん は結婚したんじゃないかと思います。当時は、後にあんな偉い小説家になるとは思ってもみませんでしたが、このジャズ喫茶でときどきやるライブで、スイン グ・ジャズを聴いていたとき、村上さんが、
「あの人のサックスの音は抜けてる」
と言ったことがありました。その「抜けてる」です。
「だいたいが、お父さん(私のことです)の音は、日本語をしゃべってももごもごしていて聞き取りにくいんだけど、お父さんの英語の聞 き取りにくさは、お父さんの日本語の聞き取りにくさと同じくらいだよ」
それが女房が言ったことです。ほめられているんだか、けなされているんだか。
唇の厚い黒人の英語は、妙にもったりとした感じになります。白人でも、太った人の英語はもったりします。たぶん、私の英語ももったり しています。私は南洋の血が絶対に混じっていて、頭は天然パーマで、唇は厚くて柔らかいです。英語のように破裂音が多い言語では、唇が厚くて柔らかいのは 発音上不利です。練習すれば、アンダスタンダブルな音は作れますが、作れるんですが、作れて、その上、チビです。(これは発音には関係ないか?)
くやしかったから、唇が厚くて柔らかいのは、英語の音づくりには多少不利だろうが、S・Xのときはいいんじゃないかと酔っぱらったつ いでに女房に言ってみました。
女房はもじもじしていました。ああ、くやし。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Eliot>私は何年か前に、教師の仕事は説明することではなく、生徒が自分の頭で考えるよう
にしむけることだと強く主張する塾経営者が書いた本を読んだことがあります。それは「英語
これならドンドンわかる」(鵜沢戸久子 明日香出版社)という本で、著者の鵜沢氏は独特の
英語教育観を展開しており、私はこの本から多くの示唆を得ました
この本は私はまだ読んでありませんが、主張にまったく賛同します。
説明がどれほど無力なものかを全国の全学校の全教科の全先生は一度は真剣に考えてほしいものだと思っています。学校が一部のオリコウ な生徒のためだけのものでいいのなら、あっしらの税金は使わないでね。一部のオリコウな生徒だけが価値があるとでも思っている日本のイチリュウキギョウか らとりたてた税金だけで学校をまかなってね。
私は本当に説明というものをしません。質問されると、説明というより、自分で考え込んでしまいます。一度、中学一年生に I は「なぜ」いつも大文字で書くのかと聞かれ、ふうむ、と考え始めてしまいました。これは、キリスト教の God と I との関係からくるんじゃねえかなあ、とかよたよたと言い始めました。神と「私」は、ヨーロッパでは、絶対的な関係をとりむすぶ。直に向き合う絶対的な関係 をとりむすぶ。大文字で書かれる God と絶対的な関係ととりむすぶ人称が I だからじゃねえかなあ、などとぶつぶつ言っておりました。
塾生は真剣な顔で聞いてくれましたが、納得したようなしなかったような顔をしていました。その後、じゃあ、
「なんで」God は大文字で書くのとは質問されませんでした。
そりゃあ、おめえ、偉いからだよ。校長や大統領やなんかも、大文字で書くことがあるのは、そりゃあ、おめえ、あの手の人物が偉いと人々が 思っているからだよ。
だいたいが、日本には八百万(やおよろず)の神がいるのに、ヨーロッパには、神は一人しかいなくて、日本の八百万の神は、あちらじゃ神とし て認定されず、sprit というものに格下げされるらしいや。ひとりっきりのそのテの神が偉いと思っているのがヨーロッパ人なんで、こりゃあ、俺らとはえらい違いだ。
そんなふうに、よたつきながらその場で考えながら塾生に話をするということはたまにあります。文法の説明を塾生にすることはありません。説 明(無力な手段)でわからせるのではなく、生徒が考えるための素材をきちんと持たせることをしています。素読というお江戸の技法を駆使しているのはそのた めです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Eliot 様連載が完結したら、掲示板上でお教え下さい。
私としては、私の方法との共通点を拾い出し、相互に確認してみたいと思っています。
また、塾でしかやれないこと、学校でやる場合の利点など、相互に異なる点も一緒に洗い出していただけたらと思います。一度、浜谷さんと「初心者」の定義をやろうとして、とん挫していますが、そんな議論も再開してみたいと思っています。その種の論議に 加わっていただくことを願っています。
全国の英語の先生たちが、素読すべき日本語テキストをこの掲示板を利用して作りたいという野望もあります。英語学習法の憲法みたいな ものを作りたいと思っているのです。その第一条をひとまず提案させていただきます。あくまで素案です。
1.「音づくり」と「音読」を直結すべし。
連載が終了しましたら、是非この企画に加わっていただきたく重ねてお願いいたします。
これは今は単なる提案です。議論を重ねた上で決定されていくのがいいと思います。
仮題も提案させていただきます。
「日本在住英語学習法憲法」です。もっといいのがありましたら、どなたでもいいですから、ご投稿下さい。
第一条、第二条という具合に、ゆっくりゆっくり定めていきましょう。私の生徒さんたちも、是非この議論に加わっていただきたい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Eliot 様
浜谷 様
Eliot>成功裏に暗唱発表が終わると、私が発音が悪かった個所を指摘して、
発表者とクラス全体に確認させます。私は同じことを何度も言わねばならな
いことがあります。何人もの生徒が同じ間違いをするので、その都度指摘す
るのです。これは相当効果があり、徐々に生徒たちの発音が正確になってい
くのがわかります。浜谷>特にこの過程がいいと思いました。根石さんの電話でレッ
スンをクラスでやっている感覚ではないかと観ています。同じ感想を私も持ちました。
同じ注意を何度もしなければならないこと、同じような間違いを何度も何人もの人がすること、ここにこそ、日本語と英語の音韻構造の違いを法 則として取り出すための基底があります。
生徒たちの「間違い」を音韻構造の違いを法則として取り出すための基底だと見ずに、これまでの英語教育界は、「駄目な間違った日本人発音」 としてしか扱ってきませんでした。それは、確かに鍛えられなければならない生の素材ですが、この素材が発する差異こそが、日本人のために日本人が法則を取 り出すための基底なのです。大事に扱わなければならないものです。同じ注意を何度でもして、模範の読みを提示し、実際に生徒に口を動かさせる。
これは、まったく私の方法と Eliot さんの方法で共通しているものです。こんなことはやって当たり前で、やるのが当然です。
しかし、ほとんどの学校の授業は、これをやりません。
先生たちが、生徒の口をどう動かせばいいのかを説明できないからです。
私は文法の説明はしませんが、口をどう動かすのかは絶えず説明します。
同じことを飽きもせず何度でも言います。Eliot さん、浜谷さん。私が生徒さんにする説明は、ごくわずかなものです。
送っていただいたテープを聞くと、Eliot さんはもっと詳しい説明をなさっているものと推察しました。
私の方でも、私が常用している説明の仕方を公開しますが、Eliot さんのものも公開していただくことはできませんでしょうか。
もちろん、実際には「音づくり」の場で使用し、その場で指摘し、その場で模範を示し、その場で生徒の口を動かすのでなければ、それらの説明 用の言葉もあまり意味はないのですが、この掲示板をお読みになる方で、その「説明の仕方」を活用できる方が現れることは十分に考えられます。簡潔で的を射た個々の「説明の仕方」が公開されるなら、それを使う力量をお持ちの方々には福音となるでしょう。それは、日本の英語の ていたらくを切り開く福音ともなります。
以上の提案について、お考えをお聞かせ下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
まずは、「音づくり」から議論したいと考えておりますが、「音づくり」はインターフェイスづくりにとどまるということも確かです。インター フェイスづくりであるということは、城内への通路を作る作業であり、つまりは、「外堀を埋める」ということです。
城内には、本丸があり、本丸は、「音とイメージの同時化」だと思います。
これは、磁場の有無がもっとも大きく作用する問題であり、法則化がきわめて困難な問題でもあります。この「同時化」をうながすのは、生活上 の「切実さ」であり、磁場を欠いた場所ではこの「切実さ」があまり切実ではありません。
しかし、いずれはこの問題に攻め込まなければならないと考えています。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
訂正前>God と絶対的な関係ととりむすぶ人称訂正後>God と絶対的な関係をとりむすぶ人称
他にもあるかもしれませんが、ひとまず・・・。
浜谷さん今日、名古屋の高校一年生との「電話でレッスン」があり、レッスンの途中で、あっ、急に思い出したけどさ、と私が言い、このレッスン さ、いつか録音させてくんねえかなあ、と言いました。
名古屋の高校一年生は、「えっ、いいですけど」と言いました。
「いいですけど」っていうのは、「いいのか」「いけないのか」が日本語では明確ではありませんので、確認し、「いい」っていうことと判断し ました。
そのうちに録音します。電話の録音ていうのはどうやってやればいいのかが今後の課題です。
受話器に吸盤をつけて録音するためのマイクというのがあるのは知っているのですが、私は、なんていうんでしょう、頭にかぶって、マイクとイ ヤー・セットというんでしょうか、昔、電話交換手が使っていたようなものを使っています。両手が使えるようにしてあるわけです。
この文明の利器から、どうやって文明の利器で録音するのかをこれから探求します。
録音できたらお送りします。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
T(大阪)さんへ。
ずっと、何か書いてくださるのを待っています。普段、ワープロとかお使いですか。
コピーしてペーストするという一連の作業はおできになりますか。上の二つがおできになれば、この画面を出して、ワープロ画面からコピー・ペーストして下さい。この画面はすでにお読みいただけている ようですから、それだけの作業で書き込みはできると思います。
伏せておきたい情報は伏せることができると思います。
「投稿者」「メール」「題名」「URL」のどれを伏せてもOKかは、普段全部に入力している私はよく知りません。
「内容」というところに書くべきものを全部伏せたらどうなるかもわかりません。
とにかく、やってみて下さい。
皆様。
T(大阪)さんは、もうめっちゃんこ可愛いんです。
首を長くして、涎を垂らして待ちましょう。
携帯のメールアドレスは書かなくていいのだから、懲りずに書いてね。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
F様に、この掲示板に書いていただけないかとお願いしたメールに、以下のお返事をいただきました。この方は、
できる方です。----------------------------------------------------
拝啓。
お返事痛み入ります。掲示板のご盛況うれしく思います。私はまだ「修行中の身」
(?)ですので、それこそ血腥い迷妄の巷には寄り付くことも出来ないだろうと思いま
すが、時々はお師匠様の目を盗んで紛れ込もうかとも思います(笑)。実は私も語学に
は興味がありますので(ただしうまい下手とはまた別ですが・・・)今のサンスクリット
習得の経験を生かして『50歳からのサンスクリット入門』などという原稿を書こう
かとも思っております。さて、そんなことはともかく、大兄の強みは実践的な英語学
習法を「論理化」して、「システム化」したことでしょう。おそらくは掲示板に登場
される方々の多くが観念的・経験主義的な学習法を声高に述べられるだけで、大兄に
勝負を挑まれることでしょうが、返り討ちにあって最期は何と言って「死んでいく」
(笑)のか・・・。論理の持つ強さを彼らもわかってくれればいいのですがね。(まず
無理でしょうが)--まあ、私の楽しみは彼らの負け惜しみを聞くことでしょうか。ど
うぞ、ご健闘を祈っております。よい好敵手が現れることを祈っております。敬具。----------------------------------------------------
F様
こんな場所から失礼します。
私は少しですが、モンゴル語に興味があります。昔、「怪傑ハリマオ」というテレビの番組が好きで好きで胸躍らせたことがあります。平原の言 語、砂漠を背にした言語が、日本語とシンタックスが同型であると噂に聞いております。
今月、私は齢50を迎えます。煙草をやめる準備をしています。
煙草をやめて、言語をやるとしたら、朝鮮語かモンゴル語だなとはずっと思ってきました。(それも、自宅自作が一段落したらの話です が・・・。)是非、この掲示板へおいで下さい。
現在 Eliot さんが活躍されております。F様とは話が合うのではないかと勝手に推測しているのですが・・・http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
最近議論が盛り上がっているので私も。以前自分のHPに書いたことを転載します。
文中の「フランス語」は適宜「英語」に読み替えて
頂けば良いかと思います。その1
1. はじめに
最近英語を第2公用語にという議論が新聞紙上をにぎわしています。当然これに対立する議論として日本人には英語不要論というものがあります。 このページはフランス語の学習のページなので英語はフランス語と置き換えて議論したいところですが、さすがにフランス語を第2公用語というのは無茶苦茶す ぎて議論になりません。とにかく日本人にとって外国語がなぜ必要なのかという議論はいろんなところで議論しつくされているとは思いますが、解決したという 話はとんと聞いたことがありません。
ここでは私なりの切り口であえて議論して見たいと思います。まず、最初の疑問なのですが、日本人はなぜ外国語(英語)がへたなのか。本当はそ のまえに「日本人は本当に外国語(英語)が下手なのかという疑問があります。」私の周りにいる人は英語の上手な人がたくさんいます。しかし、その議論はこ の文のテーマに直接関わりがないのでまた別の機会に譲ることにします。なぜ下手なのかに戻ります。私はそれは日本がかつてどこの国の植民地にもなったこと が
ないからだと思います。アジア諸国でどこの国の植民地にもなったことのない日本以外の国の一つはタイだそうですが、タイの国民が外国語が堪能 かどうかについては良く知りません。http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ga2/miyoshi/
ビーコンズフィールド(BERCONSFIELD)は、住宅地で穏やかなところでした。
人気もありません。そのときでした。
老婦人が、カートを押して通りかかりました。日本でも最近では乳母車みたいなカートを押して買い物をする方が多いので、へえ、アメリカも日本 もかわらないなあと思ったものです。カゴにはスーパーの袋が入っていました。一方で、私達は相変わらず右往左往しています。
そこへ、
「電話がかからないの?」
と声をかけてくれたのです。
「35セント入れないとかからないのよ」
そういって受話器をあげ、
「電話番号を見せてくれる?」
そいうので、Uさんがメールをプリントアウトしたメモを見せます。
「ケタがたりないわね」
といいながら、何度か電話をしてくれました。我々の手持ちのコインがなくなると、今度は老婦人が自分のお財布か
らコインをだし、電話をかけてくれたのです。
しかし、かかりません。
おまけに、違う家にかかってしまい、35セントは電話に吸い取られてしまいました。
「それじゃ、家に来て電話してみましょうか。来なさいな」え!?
我々は、ちょっと驚いていました。
しかし、ここにいてもらちがあきません。善良な老婦人は、「いらっしゃいな」と強く言ってくれているのです。
それで、彼女の家について行くことに決めたのです。
「すみせん」
我々は、ほかに言葉がなく、そういいながら彼女の後を追いました。さて、踏み切りの先の細い通りを抜けていった時です。生け垣の向こうに一人のおじいさんがいました。
彼女はおじいさんとちょこっとした世間話の後に、私達が途方に暮れていることを話しました。
そして、思い付いたように、おじいさんのところから電話できないか、ともちかけました。
「いいよ」
とおじいさんがうなづきました。
おばあさんは、帰りしなに、
「私の家は、ここからちょっと遠いから、彼の家から電話させてもらうといいわよ。彼はちょっと変わっているけど、とってもいい人だから、安心 して」
そういって帰っていきました。
「おいで、おいで」
おじいさんは、気さくに家の中に入ってと、言ってくれたのでした。
おじいさんが家に入ると、奥から奥様らしい声がし、それに答えるように、何か言っていました。
多分、「道に迷ったひとがいて、電話を使わせてあげようと思っているのだ」というようなことだったと思います。
おじいさんは改めて電話番号を見ました。
「3ケタたりないんだよ」
ああ、3ケタ足りないのかぁ。まだ日が明るいからいいけど、分からなかったらどうしたらいいのかなあ。
「住所はわかるかね」
おじいさんが言いました。
「ああ」とばかりに、Uさんがガイドブックになぐりがきした簡単な住所があることを思い出しました。そのページを開きます。
「これは、(おじいさんの)家の前の道を、左に歩いていったところだよ。道路の左側にあるから。近いよ」
そう言ってから、
「もしかして、奥さんが日本人で、旦那さんがユダヤ人の家かね? 小さい子供もいただろう?」
「そうです(ちいさな子供はいないけど^^;)!」
Uさんが飛び跳ねるように言いました。
すると、おじいさんが、町内会の住所録のような冊子を持ってきて、Yさんの住所をさがしてくれたのです。
「ああ、載ってるね。これだろ?」
これだ、と我々はうなずきました。
本当にどうもありがとう、ほかに言葉がうかばないほど、なんどもなんどもお礼を言い、我々はおじいさんの家を後にしました。アメリカの人の、庶民的な気さくさを目の当たりにした思いでした。
アメリカという国にはとってもよいところもあるのだ、と強く感じました。(つづく)
こうじ様>私は独学でネイティブの英語を100%聞き取れるようになりました.
素晴らしいことだと思います。今までの書き込みをすべて見させていただいて、貴方様の英語修得に対する熱意と努力、そしてその結果とし てのこの記述には敬服するばかりです。ただ、私も根石さん同様100%云々というのは信じられません。ネイティブの英語が「不自由なく」聴けるということ ではないでしようか? 不躾な質問でお気に触ったらお許しください。
>「英語を聞き取ろう」とするのではなく、「相手を信頼しよう」
とすればいいのです.
についてですが、どのぐらいのレベルの人がこの姿勢をとることによりどれぐらい聴けるようになるのでしょうか?
例えばTOEIC、TOEFL、英検で言えばです。あまりレベルの低い人がいくら相手を信頼しても極端に言って100%聞けるようにはならな いと思いますが?
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
浜谷さん私はこうじ様の記述にはまるで敬服しません。
日本語として何を言っているのかわからないようなところが多分にあるためです。
英語に上達する前に、日本語をちゃんとしてほしいです。
あるいは英語に上達することで日本語が虫食いになっていることを自覚してほしいです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Eliot 様
「電話でレッスン」の途中で急いで書きます。乱文失礼します。
And they always said ...
というところをやるとき、and の d にわずかに母音がくっつくのを注意した後、
An(d) they
と d 音が「黙音化」する旨を言いました。その場合に、And の d を「言ったつもりで音を出さない」という指示の仕方をしました。
その「言ったつもり」の時の舌の位置ですが、次に続く they の th の位置(歯と歯の間)で、d 音の黙音化をやってしまってよいと言いました。
本来の位置ではないのですが、これで d 音の黙音化ができるので、他の生徒さんにもこのような指示をしてきました。
私は自分流に言葉を発明して「黙音化」と考えてきました。
Eliot さんは、ここのところは d 音の「脱落」ととらえられるのでしょうか。
また、舌の位置を th にして d 音の「黙音」を作るということはこれでいいでしょうか。お教え願えれば幸いです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
根石様まず結論から申します。
@/th/の直前の/t//d/さらに/l//n/はすべて舌先を本来の位置である前歯の根元の歯茎ではなく、上の前歯の裏側に当てて 発音するのが普通です。
AAnd they always saidのandの発音はanでもandでも構いません。ただし、andと発音しても、/d/は根石さんが生徒さんに説明なさった通りになります。通常の 速度の発話ではこの/d/は脱落させる方が普通だと思います。私が持っている本に次の記述があります。
In Spoken English, the alveolar consonant sounds /t/ and /d/ are usually made with the tip of the tongue touching the gum ridge directly BEHIND the upper front teeth. However, when one of the sounds is followed by /th/, either within a word or in the next word of a phrase, it becomes DENTALIZED and is made with the tip of the tongue touching the back of the upper front teeth.
In Good Speech, dentalization occurs ONLY when /t/, /d/, /n/ or /l/ is followed by /th/.さらに次のようにも書いてあります。実際は/and//an/の中のaの文字は本の中では逆eになっています。
"And" in its weak form should be spoken as /and/ when followed by a vowel or diphthong sound, and as /an/ when followed by a consonant sound
/and/ /an/
apples and oranges apples and pearsこの本は Speak With Distinction (Edith Skinner著 Applause Theatre Book Publishers刊)というもので、アメリカの俳優のための発音訓練用の指南書です。(こんな本を持っている日本人はめったにいないでしょうね)
著者のEdith Skinner女史はすでに故人ですが、この方面の第一人者だったようで、本の中で彼女がGood Speechと名づけた、アメリカ人の俳優が身につけるべきニュートラルな発音を詳しく解説しています。Good Speechは簡単に言えば、アメリカ英語とイギリス英語の中間のような発音で、テープでお聞きになった私の音読の発音に近いものです。Spread the tablecloth.
Get the ball.
Ten thieves came.
Kill those cows.
これらの文中のd,t,n,lは舌先を上の前歯の裏につけて発音すればよいのです。
根石さん根石さんから私>私はこうじ様の記述にはまるで敬服しません。
日本語として何を言っているのかわからないようなところが多分にあるためです私からこうじ様>今までの書き込みをすべて見させていただいて、貴方様の英語修得に対する熱意と努力、そしてその結果としてのこの記述 には敬服するばかりです
私は、こうじ様の「英語修得に対する熱意と努力、そしてその結果としての」「ネイティブの英語を100%聞き取れるようになりました」 という記述を指して申し上げましたのですが・・・。私のHPにも書き込んでいただいておりまして、その書き込みについて分らないところがあり、こうじ様に ただ今紹介中ですが、そこでも同じ旨の記述がしてありまして、深く感銘を受けたのでした。
記述の仕方(日本語で)については私もあまり上手な方ではありませんので、ご批評する立場にありませんのでご了解願えませんでしょうか?http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
根石様音作りのために生徒に何をどう説明するかということを公開しあおうというご提案と日本在住英語学習法憲法(仮称)を制定しようとのご提 案のいずれにも賛同いたします。「音作りへの道」の連載を終わりましたら意見を交換いたしましょう。連載はあと2、3回で終了させる予定です。
根石様「舌先を上の前歯の裏につける」は「舌先を前歯の間にはさむ」と同じことです。/th/の出し方をいずれの説明でするかの違いに過ぎま せん。
Duffy様>なぜ下手なのかに戻ります。私はそれは日本がかつてどこの国の植民地にもなったことがないからだと思います。
アジア諸国でどこの国の植民地にもなったことのない日本以外の国の一つはタイだそうですが、タイの国民が外国語が堪能かどうかについては良く 知りません。
植民地になった為にその国の国民がその後英語が堪能になった、というのは真理です。では、日本は植民地になったことがないことだけが国民が英 語が堪能にならない理由なのでしょうか?勿論別の理由もありますよね? 上の書き込みは「その1」となっているのでその他の理由を早く御聞きしたいと思い ます。すみません、せかせまして。初めての方への不躾、重々お詫びします。「議論が盛り上がっているので・・・」と仰ってますので、お許し願えると勝手に 考えました。http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
Duffy 様今日の毎日新聞を読んでいて、やたらになんだかむしゃくしゃしました。
沖縄で、女の人が米兵に暴行された事件に関してですが、その暴行の場が駐車場としか記述されておらず、それが米軍基地内なのか、米軍基地外 なのかが記述されていなかったように覚えています。
米軍基地内でのことなら、なんでその女性はふらふらとそんなところに入っていったのかがわかりません。
それが米軍基地外でのことであるなら、身柄引き渡しも糞もない。さっさとこの米兵を「しょっぴく」のが当然だと思います。日本の警察は、米 軍基地の中へどかどかと入っていって、この男を「しょっぴいて」くるべきです。そうなると、日本の警察の機動隊は米軍とつばぜりあいをやることになるので しょうか。日本の機動隊は学生をぶんなぐり、不具にすることはできても、米軍という印籠を出されて、「ひかえおろう」と言われれば、ハハアッってな具合の ものなのでしょうか。それなら、日本のことを真剣に考えた学生をぶんなぐって不具者を出したことの落とし前はどこでどうつけるのでしょうか。
日本で女に暴行をした米兵の身柄引き渡しなどをいちいちアメリカにおうかがいをたてなければ「しょっぴけない」ような安保条約だったら要り ません。この男を「しょっぴく」ことができないのであれば、日本の主権などは張り子の虎です。
なんでフェミニズムの論客たちは、騒がないかね。米兵になら犯されても気持ちいいってのが、ニッポンのフェミニズムかね。馬鹿フェミども が、やってらんねえよ。英語が100%聞き取れるなんてことを麗々しく言い、それも自慢げに言う若いもんが現れるのは、日本という張り子の虎がやらせている ことだとも思っています。(英語が聞き取れる? そんなもの、「それがどうした」で終わりだってこともわからねえのかよ)
「アメリカ軍の元での平和」なんてものはそういうあんちゃんも作り出してしまいます。しょせん、この平和を保証するのは「軍」なんですが、 基地外(キチガイ)の暴行は日本での暴行なんですから、日本はそれを絶対に「しょっぴく」べきです。日本が「しょっぴいた」後の米兵の身柄をアメリカが要 求するというのなら話がわかります。
「しょっぴく」ことにアメリカの許可が必要なら、そんなものはまるで「しょっぴいた」ことにはなりません。
こんなことがまかり通るならば、日本の一部に(日本から切断されて)米軍基地があるということではなく、米軍基地の延長が日本だということ になります。冗談じゃねえ、俺はやだよ、と思う次第です。
「安保」というのは「安全保障」ということらしいですが、沖縄の人たちにとっては、「安全保障条約」は「危険保障条約」です。それは、本当 は沖縄の人に限定されたことではなく、私たち日本人一人一人の「危険保障条約」なのです。日本がアメリカの巻き添えになることを保証している条約です。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
日本人は、わけのわかるアメリカ人と共に、アメリカに言うべきです。アメリカの憲法が軍隊を放棄すると書けないのは、とことん遅れているん だ、と。日本の憲法はアメリカ人の手助けによってできた憲法だが、現にあるアメリカの憲法なんぞは足元にも及ばない。なあにが自由。なあにが平等。そんな ものは国を単位に言うようなことじゃない。国を単位に言うなら、まずは軍の放棄に言及せよ。アメリカは軍を放棄してみるがいい。日本の憲法は理念的には、 軍の放棄によって、この地上のどの憲法をも上回る水準を獲得したのだ、と。抱き取った理念というものが、どれほどのくやしさを噛みしめているものかを、日本の戦後民主主義者たちは素通りしています。(ちなみ に私は昭和26年生まれです。)
Duffy さんが提示された問題はこのことに結びつく性質のものだと考えます。
日本の主権が本当に確立しているならば(すでに見たようにこれはあいまいなものだと思います)、英語第二公用語もおもしろいと私は思ってい ます。この場合の英語は(安保条約によって優位を確保している国の言語=)アメリカ語という意味ではなく、(アジア・アフリカをも迎えとるための言語=) 世界語として設定するということになります。きなくさい話で申し訳ないのですが、日本における英語というものを考えるとこのことにどうしてもぶつかってしまいます。
日本人が英語が下手なのは、日本が植民地になったことがないからだということはその通りだと思います。いくらシンタックスが日本語と 英語では水と油のように異なるとしても、植民地化されて政治的な言語政策をやられれば(そんな場合の媒体はいつも学校です)、日本人は英語をしゃべるよう になっていたでしょう。私は今の私ではないでしょう。
政治的な言語政策によってではなく、日本人が自主的に判断して英語を公用語にするのであれば、これは世界史上でまったく新しい事態と なるでしょうが、すでに書いたように、婦女暴行の基地外米兵を日本がアメリカの許可以前に「しょっぴけない」のであれば、英語は日本人にとって屈辱言語で あるという一面をぬぐうことが、いまだかなわないということです。「世界語としての英語」というものは、日本ではまだ理念の段階にあり、コミュニケーショ ンなど気楽に信じている人々が思っているのとはまるで逆に、私は英語は血腥くもリアルな言語だと思っています。
以上の言説は、沖縄での暴行が基地外であったことを想定しています。
この想定が事実と反する場合は、もう一度考えます。----------------------------------------------------
いくこへ。アメリカ人の親切さのおかげをこうむって助けられたことは私にも何度も覚えのあることです。私には善良なアメリカ人の友達(といえ ば、誰のことかすぐにいくこにはわかると思いますが)もいます。しかし、世界を睥睨するアメリカ国家というものもまた一方にあります。それを笠に着て、我 が物顔をするアメリカ人というものも確実にいるのです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
浜谷さん浜谷>植民地になった為にその国の国民がその後英語が堪能になった、というのは真理です。
それは「真理」ではなく、惨めな「事実」です。
シンガポールに誰かいないか。
シンガポールに惨めさをきちんと語れるやつはいないか。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
浜谷さん引用文と自分の文の間を一行空けていただくと読みやすくなると思います。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
根石さん私からDuffy様>植民地になった為にその国の国民がその後英語が堪能になった、というのは真理です。
根石さんから私>それは「真理」ではなく、惨めな「事実」です。
分りました。「真理」「事実」と訂正させてください。
Duffy様
上記の訂正に賛成していただけますでしょうか? 「その2」でのその他の理由をお聞かせ頂けることを心待ちに願っています。
根石様
>こんなことがまかり通るならば、日本の一部に(日本から切断されて)米軍基地があるということではなく、米軍
基地の延長が日本だということになります。冗談じゃねえ、俺はやだよ、と思う次第です。
「安保」というのは「安全保障」ということらしいですが、沖縄の人たちにとっては、「安全保障条約」は「危険保障条約」です。それは、本当 は沖縄の人に限定されたことではなく、私たち日本人一人一人の「危険保障条約」なのです。日本がアメリカの巻き添えになることを保証している条約です。全くその通りです。 我々日本国民はすべて平和ボケしてしまって、、『「安全保障条約」は「危険保障条約」です。』ことに気がついてい ないとしか考えられません。または気がついていてもマスコミ(文化人と称するTVの各種番組パネリストの方々の多く、いや殆ど)は口を拭って、平然として いる有様は第2次世界大戦前夜のわが国がこうあったのでは、と疑わせます。一面では日本人の人の良さ及び単一民族国民(アイヌの皆様には申し訳ありません が、私はあなた方が既に純粋に帰化されたものと考えています。)として多民族を疑うことのないことがこういう状
態を招いていると考えざるを得ません。 今回は参議院選挙でまたまた平和ボケの極みとしか考えようのない事態になっていると肌寒さを感じてい るのは、私だけでしょうか? 比例代表区の議員選出方法でタレントがうじゃうじゃ立候補しています。 中には真面目な候補者もいらっしゃると思いますが、 大半は比例区自党票集めにかりあつめられた方たちではないでしょうか? こんな人達に我々の国家を任せられるとビュウアーの見なさん方は思われますか? この掲示板は英語学習の為の掲示板ですが、管理人の根石さん自ら先頭にたって、故国の悲惨な状況を憂いて
おられます。みなさん、英語を一時忘れて真面目にわが国の惨状を語りあいましょう。そして、この掲示板からわが国の本当の変革の一石が投じら れるよう念じようではありませんか?http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
先ほどの書き込みのなかで一箇所次のように訂正させてください。『「真実」「事実」と訂正・・・』を『「真実」を「事実」と訂正・・・』に訂正。
まことにカッコの悪いことで済みませんでした。http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
浜谷さん
こんにちは、私の発言に注目して頂いてどうもありがとうございます。
浜谷さんの発言
>上記の訂正に賛成していただけますでしょうか? 「その2」でのその他の理由をお聞かせ頂け
>ることを心待ちに願っています。
「真理」であるような気はしますが、真理だと証明を要しますので大変そうです。
「事実」かどうかは私はそれだけの情報収集をおらず、半ば直感で申し上げておりますので、「事実だと思う」ぐらいしか言えません。
まあ、あまり細かい話はこれぐらいにして、その2を紹介させて頂きますが、その他の理由はすぐには出てこないみたいです。ということで外国語が上手ということはある意味「屈従」を意味するのでしょうか。日本は遠い昔の歴史を振り返ってみるとまず、漢字とい うものを中国から輸入しました。日本にはそれまでは文字がなかったとされるのですが、漢字の伝来とともに日本語が中国語で置き換わってしまうということは 決してなく、万葉仮名から始まって平かな、片仮名の発明に見られるように見事に中国のものを完全に吸収して日本オリジナルのものを作り上げてしまいまし た。
そして遣隋使などは「もう、中国から学ぶべきものは何もない」ということで廃止してしまいました。これは屈従からは遥かに遠い行動であると考 えます。
現代で考えてみますと日本は海外から技術を導入するとき、正確なフレーズは良くは覚えていないのですが、「1号機は輸入、2号機はライセンス 生産で、3号機以降は輸出」というような言葉を聞いたことがあります。これにせよ、古代や平安時代にせよ、日本人がいかに海外の文化や技術をうまく吸収 し、自己流に発展する能力を持ち合わせているということの証だと思います。
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ga2/miyoshi/
浜谷さんやたらにつっこみばかり入れていると、「大風呂敷」は「漫才掲示板」になってしまいそうでこわいですが・・・
浜谷>この掲示板は英語学習の為の掲示板ですが、管理人の根石さん
自ら先頭にたって、故国の悲惨な状況を憂いておられます。「故国の悲惨な状況」ってことになると、私は難民か何かってことになるのでしょうか。メタファとしてなら、私が日本在住のまま難民で あるというのは「真理」ですが、メタファとして「故国」という語を使われているような感じもしないので・・・。
英語をやって日本語に対する語感を薄めてしまうことこそ、亡国への第一歩ではないかとも思うのですが・・・。
日本が「故国」になってしまいます。
英語的語感を日本語の方に逆流させ、日本語の語感を強める方向に使用すべきだと思います。英語を強めることが、日本語も強めることになる方 法はあると思っています。私には、英語という語学をやることが、自分の日本語を鍛えることに大いに作用したという自覚があるものですから・・・。
そうしないと、英語という親鳥に向かって、大口開いてピーピー鳴くだけの雛になってしまいます。そんな雛が英語が「100%聞き取れるー」 などと、無邪気そうに言い、餌をもらって目をくりくりさせています。まことに日本の英語フリークはラブリーなピープルです。(これでも、英語塾経営者の発 言です)浜谷>みなさん、英語を一時忘れて真面目にわが国の惨状を語りあいましょう。
いやいや、みなさん、誘惑に負けずに、英語をやって下さい。
基本的には、この掲示板は英語をやっつけるためものです。
管理人が酔っぱらいであるのが問題ですが、真剣に解決に向かおうとはしません。
今後も脱線はありえますが、基本は基本です。
英語をやってください。がんがんと過激な「机上」を確立して下さい。----------------------------------------------------
Eliot 様
お教えいただきありがとうございました。
この種の細かな話は、私の生徒さんたちにも非常にためになると思います。
今後もよろしくお願いいたします。
現在、酔っぱらって脱線しておりますが、まもなく本来の論議に戻ります。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
根石さん>いやいや、みなさん、誘惑に負けずに、英語をやって下さい。
基本的には、この掲示板は英語をやっつけるためものです。
どうも済みませんでした。早合点してしまいましたようです。沖縄の少女暴行事件で政府の対応のまずさ、その基底にある私を含めた国民の無力感 にいらだちを覚えていたところで、とんだ脱線をして、貴掲示板を汚してしまいました。私のあの書き込みは抹消して頂きますようお願いします。今後は英語関係のことだけに限って書き込みいたします。
浜谷俊雄
浜谷さん
いや、あんまり気にしないで下さい。
「いやいや、みなさん、誘惑に負けずに」というのは冗談です。
実際に誘惑に負ける人が続出し、英語をやらずに掲示板に書き込むことばかりするような生徒が出てきたら、その時に、私はきちんと叱ります。 誘惑に負けるどころか、私の生徒さんはなかなか書いてくれないので、もっと書いてくれえ、と思っているというのが実際のところです。浜谷さんがこの国の政治的な状況について書きたくてこの掲示板を使われるなら、それはそれでいいのです。私の話も枝ばかり生えてしま い、余計な話といえば余計な話が多くなりがちです。自分でやたらに話に枝を生やしながら、人様に余計なことを書くななどとは、私は申しません。第一、たい てい実際に酔っぱらって書いているんです。
浜谷さんが提示された話に興味を持たれた方が応じられ、話が続いていくなら、それは継続していただいてかまいません。いろんな話が入り乱れ るような掲示板の方が活気があっていいと思っています。何の話をしてもらってもいいんです。英語という言語をやっている私たちに、沖縄で生じていることなどが無関係であるはずはないと考えています。それらを考えながら、英語 をやっていくことがいいと考えています。本来は政治や安全保障条約などは、語学そのも
の、言語そのものとは無関係だと思いますが、しかし、それにもかかわらず、英語という言語は非常に政治的な言語となる場合があります。
英語がしゃべれたらステキ!などと言っている方々は、この辺にはまるで触らないようにしているようです。私は、触ります。私は政治的状況な どに触るより女に触る方が好きですが、英語で人様からお金をいただいて生きている身としては、触りたくないものに触らなければならないこともあると思うの です。
実際の植民地ではないにしても、日本人の英語人口の中に「植民地根性」は結構広く行き渡っていると思うからです。「英語がしゃべれたらステ キ!」なんかも、一皮むいてみると植民地根性であったりします。Duffy さんが提示された植民地と言語の問題なども、議論が深まることを願っています。
記事の削除に関してですが、一応の方針を書いておきます。
単独の記事で、それに対するコメントがついていないものについて、書いた本人から削除の申し込みがあった場合は削除します。すでにコメント がついているものに関しては、コメントだけ残っても読む人が何のことかわからないという場合が生じるだろうと思うので基本的には削除しないことにします。また、議論が喧嘩になった場合でも、基本的には削除しません。
相当程度の罵倒語が羅列され、同じような罵倒語ばかり読んでても退屈であくびが出るというくらいの沸騰点に達しましたら、以後は削除しま す。浜谷さん、あまり遠慮なさらずにこの掲示板を使って下さい。
つっこみを入れたくなったときは、私はまたつっこみを入れます。
私も自分の書くものにつっこみが入ることは覚悟して書いていきます。
おかしなことを言っているなと思ったらどうぞつっこんで下さい。ざっくばらん、ということでやっていきたいのです。
「貴掲示板を汚してしまいました」などと思っていただく必要はまったくありません。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
こんにちは、はじめましてTackchanといいます。
浜谷様とのやりとりを見せていただきました、とても共感させていただくところも
多かったのですが反面??と感じたところもありました。
1、やりとりの中で「松本道弘」のことが上げられていたがあなたは「松本道弘」
の英語をきちんと聞いた上であの発言をしているのでしょうか?
2.SPEED何とかと言う人に対するコメントについて「お前アホか!」などの
言葉を使用していたが成人してた大人の態度としては如何なものか?
余計な事かもしれないけれど万人が見れる場所なのであえて書かせていただき
ました。
あなたの本は1度きちんと目を通させていただいた上で今度は本に対する質問
をさせていただくつもりでおります
根石先生へ 投稿者:津田 美鶴 投稿日: 7月 9日(月)01時06分49秒
早速、掲示板へ挑戦?してみました。「電話でレッスン」を始めて4ヶ月目に入りました。最初は、レッ
スンの変更につぐ変更をお願いすることになり、自分でもどうな
ることかと思いましたが、その後は何とかテストにも合格できて
リズムがつかめてきたかな?と思う今日この頃です。この掲示板
へは何を記入してもいいとの事でしたので、私の練習方法をいく
つかあげてみたいと思います。と言ってもひたすらテスト範囲を
声に出して読んでいるだけです(笑)本当は、音を使って練習し
たいのですが、ビデオを借りて見る時間が取れずに、今は自己流
の音で練習しています。
まず、一度だけ日本語を読んで内容を頭に入れてから、後は英文
を最後まで声に出して読みます。次に、各区切りごとに英文をみ
ながらと、はずしての両方を好きなだけ練習します。レッスン当
日は、英文を見ながら自分の声を録音して(客観的に、まだまだ
だなっていつも思います)後は、時間までひたすら英文をみなが
ら声に出して、とにかく早く何度も言える様にを目標に練習して
います。どうしてもうまく言えない英文は、(テスト当日しかし
ていないのですが)紙に書きます。先生の本の中にもありました
が、私の場合「イメージをつくる」には書く方法もいいかなと思
います。
英語の勉強には、その人となりと言いますか、性格もかなり影響
してくると思っています。何らかの目的があって英語を勉強され
ている方がほとんどだとは思いますが、やはり、その必要性に
よっては途中であきらめてしまわれる方も多いのではないでしょ
うか?!私の場合は、目的が単純で、ただきれいな発音で英語が
話したい!の一点集中型なので、音声重視の「電話でレッスン」
は私のお気に入りです。夜10時10分〜というのもいいですね。当
日何とか間に合わすといいますか(笑)教材が一つというのも嬉
しい限りです。なぜって、あれもこれもと手を出しすぎた結果が
現在の私自身だからです(笑)。私は、先生の奥様に英語を教え
ていただいていて、最近は「主役のリチャードがちょっとおしゃ
べりですよね・・・」なんて雑談を交えながら、テスト勉強は大
変ですが毎週楽しみにしています。奥様は大変明るくておおらか
な方で、いつも「あまり頑張り過ぎずに無理しないでね!」の一
言に救われています。では、また投稿します!----------------------------------------------------
津田さんへ
メールをさしあげてからやはり心配になり、お断りせずに、記事をすべてコピーし、私の手で投稿しなおします。
例えばこの記事の近くにある、「Tackchan」 という方の投稿者名は青い字になっていません。
これはメールの欄にメールアドレスを記入しなかった場合にこうなります。
私の投稿者名、「根石吉久」は青い字になっています。この場合には、それを使ってメールが送れるということだと思います。
津田さんは多分初めて書かれて、メールアドレスが公開されてしまっていることを知らないのではないかと危惧したのでした。
メールアドレスを公開した上で書きたかったのであったら余計なことをしたことになります。
その場合はお許し下さい。皆様
津田さんの記事は全文をそのままコピー、ペーストしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
Tackchan 様
初めまして。
浜谷さんとのやりとりというのは、私のホームページの記事のことだと思います。それとも、古川さんの掲示板での記事でしょうか。松本 道弘のことは、古川さんの掲示板へ書いたように覚えていますが、私のホームページの記事にも重複していたかもしれません。そのあたり、記憶が確かではあり ません。
松本道弘という方の英語が駄目だというようなことは私はまるで書いた覚えがないのですが・・・。英語だけを見れば、むちゃくちゃうま い人だろうと思います。
松本道弘さんという人が日本在住のままに(英語用に)口と耳を鍛えあげてしまったことは、この人の著書に、「一度も英語圏に住まずに NHKなんとかなんとかという講座の講師になった」という謳い文句があり、それで知りました。
私は、この方の外人ハントに秘密があると思っています。外人ハントを繰り返したことはこの人の何かの著書で読みました。普通は、日本 に住む日本人には英語の磁場はまったく欠如するわけですが、松本さんは、小型の磁場は確保した人じゃないかと思っています。
日本に住みながら本当になめらかな英語を使う人は、私の言い方では「磁場持ち」の人だと思います。ほぼ例外はないと思っています。私 の昔の塾生で、アメリカで結婚して、日本に帰ってきた人がいます。亭主と子供をアメリカから連れてきて、私の近所に住んでいます。この人は「磁場持ち」で す。
大型の磁場としては日本語の磁場の中に住んでいるわけですが、家庭では小型の英語の磁場が持続されています。
この家庭ではほとんどのことが英語が話されていますから。日本在住のままでも、結婚や同棲という形でなら、もっとも小型の磁場ながら英語の磁場が持続されることがあります。この形での磁場を 松本さんは持っていたのではないだろうかと私は考えています。
松本道弘が駄目なのは、その日本語です。結構この人の本は見つければ買っていたのですが、大御所扱いされるようになって以後のもの に、こりゃあひでえやとしか言いようがない日本語がありました。それもひとつや二つではありませんでした。
くだらねえ本だと思ったから、大事にせず、従ってみつかりません。みつかったら、是非ここに引用してみたいと思います。以上、ご質問の(1)に関してです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
以下引用させていただきます。
引用開始
浜谷さんが若い頃に通っていた英語道場(正確な名前は忘失)を主宰していた松本道弘さんですが、この人は今、ハワイ大学だかの教授だか助教授 をやっているとどこかで読みました。「ひとりもん」が「磁場持ち」になっちまったわけで、「ひとりもん」としては身を持ち崩したな、と思っています。だい たい、この男の日本語は時に非常に雑ぱくで、本をどれだけ書き、どれだけなめらかに英語をしゃべったところで、それがなんなんだと思ったことがあります。そうですね,確かにあなたは「松本道弘」の英語のことについては言及していませんでしたこの点は私の早とちりでした、すいませんあやま ります。
しかしあなたはなぜ「この男の日本語は非常に雑ばく」というコメントをされたのですかというよりどの部分が「日本語が雑ばくだから,本をどれ だけ書き、どれだけ滑らかに英語をしゃべったところで、それがなんなんだ」とまで不快な気持ちにさせたのでしょうか是非,教えてください。
それともう一点、あなたは先ほどの私へのレスの中で「私は、この方の外人ハントに秘密があると思っています。外人ハントを繰り返したことはこ の人の何かの著書で読みました。普通は、日本に住む日本人には英語の磁場はまったく欠如するわけですが、松本さんは、小型の磁場は確保した人じゃないかと 思っています。」と書いていますが本当に外人ハントが彼が英語が上手になった秘密だと信じているのですか?
もしそうだとしたらそれはとんでもない間違えであると言わせていただきます。
外人ハントなんかで(英語用に)口と耳を鍛え上げられるはずがないと私は断言できます。
それともう一つ、あなたは「外国にいって英語ができるのは当たり前だ」のような事を掲示板で述べておられたが(それは”磁場がある”とかいっ ておられたが・・・)
それも間違いです、外国にいったことだけがその人の英語力を押し上げたのではありません。
その人が努力したからです、したがって外国に行かなくても(あなたの言うところの磁場が外国にいった人より少ない人でも)英語は絶対に上手に なります。
これが私の長年の信念ですが,反論をおまちしています。
以上,生意気な意見かもしれませんがすべて本音です。
Tackchan 様
私がこの掲示板を持つ前に、古川さんの掲示板で浜谷さんが本質的なことを書かれているのを読みました。古川さんの掲示板上で、私と浜 谷さんと何度かやりとりがありました。
そこへ、SPEEDなんとかという人が横槍を入れてきて、こんな議論はどうでもいいと思う人が多いはずだから、どこか他でやれというような ことを言いました。
私はそれに返事を書き、日本には語学論が払底しているが、それがないからこそこれまでの日本の英語のていたらくがあるのだと書きました。
これは私の基本的な考えの一つなので、浜谷さんとのやりとりを私のホームページ上に掲載するに際し、SPEEDなんとかの文も掲載しまし た。SPEEDなんとかに対する対応として、私の基本的な考えの一つが書かれたのであり、私の文だけ掲載してもわけがわからないことになるからです。自分で横槍を入れてきたくせに、私がそれを引用して私のホームページに掲載したら、SPEEDなんとかは、勝手に自分の文を引用する なといちゃもんをつけてきました。著作権のようなことを言い出したのです。あほんだら、掲示板などというまったく公開された場所で、人に「からんで」おい て、そのからみに相手が応じ、からみ返され、からみにからみがからんだ、くんずほぐれつの流れができたその中から、僕の文だけは引用しちゃ駄目!もねえも んだ、この糞おぼっちゃんが。そう思ったので、引用されるのが嫌なら、公開された場所で横槍なんぞ入れるんじゃねえよ、アホか、と私はほとんど一晩つぶし てののしりだけでできた記事を書きました。それがあまりに罵倒語の連続だったためか、発端になったSPEEDなんとかの記事までさかのぼり、古川さんの手 によってごっそり削除される憂き目にあいました。
浜谷さんは、SPEEDなんとかが書いていたことにわずかに触れていただけなのに、まともな論議の長文をひとつそっくり削除されてしまい、 私とSPEEDなんとかとの喧嘩の巻き添えを食いました。(浜谷さん、その当時はご迷惑をおかけしました。)
まあ、しかし、SPEEDなんとかというやつの相手をしているのにつくづく疲れていたところなので、ごっそりと削除していただき、いっそ さっぱりしました、と古川さんにはお礼を言いました。(ここで浜谷さんにお詫びします。すみません。ハードディスクに残っているものは、調べてみたらわずかでした。古川さんに消されてし まったために復元できない記事がいくつかあります。特に、SPEEDなんとかが消される直前に書いたものが復元できず、弱っています。まあ、実にこま しゃっくれた言いぐさで、是非引用したいのですが・・・。時間がなくて、残っているものを復元して私のホームページの記事に追加するというお約束がまだ果 たせていません。しばらくお待ち下さい。しばらくして私が忘れているようでしたら、言ってください。なんだか、掲示板を持つとやたらに忙しく、申し訳あり ません。)
「お前アホか!」などの罵倒は、時と場合によっては、私は今後も使用いたします。話の通じない者に、懇切丁寧につきあい続けるつもり はありませんから、もう話を続けたくない場合は、それらの罵倒語によって、話を打ち切りにします。ところが、相手が打ち切りにしてくれないで、おちょぼぐ ちで反論することがあるんですね。そうするともう、私は罵倒語の雨嵐は平気ですね。いくらでも繰り出します。
まあ、今のところ、ちょっくら人格者などになる気はないということです。
SPEEDなんとかは、横槍を入れてきたのです。
話の内容につっこみを入れたというのではなく、私と浜谷さん達との話の全体を要らないとぬかしたのです。他人の掲示板にのこのこ出てきて、 このテの記事は要らないとぬかすんですから、まあ、たいてい言われた方は腹はたちますね。
その基本だけは押さえておいてくださいね。この掲示板の誕生のきっかけとしては、そんなことがありました。
「成人してた大人の態度としては如何なものか?」とか言われたって、そんなもの、よくねえ態度であるに決まってるじゃねえですか。よ ろしい態度であるなどと、誰に言ってもらえるとも思っていません。
(ところが、Fさんは「よろしい」と言ってくれたので、私としてはめんくらいました。この掲示板が開設されたときの最初の記事として、私が Fさんからのメールを引用させていただきました。この掲示板の記事数は70までですので、すでに読むことができません。いずれ、消えた分を復元し、私の ホームページに転載します)本に関しての質問をお待ちしています。
Tackchan 様
松本道弘のどの本だったかはタイトルを思い出せません。今、それでもと思い探してみましたがみつかりません。文庫本だったと思いま す。出てきたら、例示することをお約束します。
皆さんの中で、松本道弘の文庫をお持ちの方がおられませんでしょうか。中を覗いてみていただいて、これは日本語としてひでえんじゃねえかと いうものを見つけられたなら、お教え下さい。引用していただければ、ああそれだ、とか、いやそれじゃないな、とはすぐにお答えできると思います。Tackchan>どの部分が「日本語が雑ばくだから,本をどれだけ書
き、どれだけ滑らかに英語をしゃべったところで、それがなん
なんだ」とまで不快な気持ちにさせたのでしょうか。是非,教え
てください。自分が英語が上手であることを自負する人がひどい日本語を書くのを見ると、私は松本に限ったことではなく、誰にでも腹がたちます。
Tackchan>本当に外人ハントが彼が英語が上手になった秘密だ
と信じているのですか?もしそうだとしたらそれはとんでもな
い間違えであると言わせていただきます。外人ハントなんかで(英語用)に口と耳を鍛え上げられるはずがないと、あなたがおっしゃることは、まったくその通りです。口と耳を鍛 えるのは、実際に口を激しく動かし、耳を働かせる訓練を自分に課するから実現することです。それを行う場のことを私は「机上」と言っています。松本道弘も 激しい「机上」を持った人です。
私が言っているのは、あくまでも「磁場」のことです。松本は、小型の磁場を絶えず確保する努力を続けていた人ではないかと推測しているので す。それが、彼の外人ハントだったのだろうと推測しているのです。これは松本道弘という人の「私生活」であり、生活言語のことですから、推測するしかでき ません。これもまた本の名前を忘れてしまっていますが、松本が自分で外人ハントを繰り返したと書いていたことは事実です。私が言いたいことは、「磁場」だけが形成しうる言語のスキルは絶対にある、ということです。
Tackchan>それともう一つ、あなたは「外国にいって英語ができるのは当たり前だ」のような事を掲示板で述べておられたが(それ は”磁場がある”とかいっておられたが・・・)それも間違いです、
「磁場」だけが形成しうる言語スキルは絶対にあります。これは、「磁場」を欠いた言語的「ひとりもん」の努力が及ぶことではありませ ん。はるか昔に、吉田健一という人が、日本人が日本に暮らして英語をどれだけやっても、英語ネイティヴと同じようにしゃべるようになることはないと言って います。これは、(言語的、文化的、社会的)磁場の有無の絶対性を言っているのです。磁場は個人の言語を、刺激し、育て、維持する客観的な環境です。
日本に生まれて育って、日本語をしゃべっているのは当たり前だと思います。
英語圏で生まれて育って、英語をしゃべっているのも当たり前だと思います。
英語圏で数年暮らして帰ってきて、英語がまるでしゃべれない実例も私は知っています。だから、「外国に行った」という条件ひとつが英語を しゃべるようにさせているのであるとは思いませんが、外国に行ってしゃべるようになった人のしゃべりというスキルを支えているものが、「日本に生まれて日 本語をしゃべる」ことが当たり前であり、「英語圏に生まれて英語をしゃべる」ことが当たり前であることに働いている磁場」の力に大きく支えられていること は間違いのないことだと思います。個人の努力よりも、「磁場」の恩恵が大きいのだと考えています。Tackchan>外国にいったことだけがその人の英語力を押し上げた
のではありません。その人が努力したからです、もちろんそうです。しかし、「その人が努力したから」というその努力の何倍も、ひょっとすると何十倍も日本で努力しても、日本在住 (英語の磁場の欠如)という条件下からは、ストレスなく、英語が口から出てくることはないと考えています。だから、私は日本人の英語はごつごつしたもの、 とつとつとしたものでいいと考えています。まずは、「ごつごつ」や「とつとつ」を大きく肯定したい。松本なんかとはまるで違う考え方です。
回りから「英語ぺらぺら」とか言われている人も、内心はごつごつしたものを感じながら英語をしゃべっているのだと思っています。そうでない 人は、日本語の磁場を何らかの手段によってスポイルしている人でしょう。
浜谷さん、この点に関してはいかがでしょうか。浜谷さんは、いわゆる「英語ぺらぺら」の方なので、お聞きするのに最適かと思いました。
津田さん行が乱れてしまいました。ごめんなさい。
手元に元のものがあったら、再度投稿して下さい。
乱れた方のやつを削除しますから。
訂正前>外国に行ってしゃべるようになった人のしゃべりというスキル
を支えているものが、「日本に生まれて日本語をしゃべる」こ
とが当たり前であり、「英語圏に生まれて英語をしゃべる」こ
とが当たり前であることに働いている「磁場」の力に大きく支
えられていることは間違いのないことだと思います。訂正後>外国に行ってしゃべるようになった人のしゃべりというスキル
を支えているものが、「日本に生まれて日本語をしゃべる」こ
とが当たり前であり、「英語圏に生まれて英語をしゃべる」こ
とが当たり前であることに働いている「磁場」の力であること
は間違いのないことだと思います。ああ、眠い。
もうろうとしております。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis