300. 根石先生、イメージがただあるだけなんですね! 投稿者:ST 投稿日: 7月13日(金)06時36分25秒
言葉はイメージだ。イメージが言葉なのだ。日本語も英語も一つの記号にすぎず、頭も含めて体全体でイメージを動かしているにずぎない。その潜在的なイメー
ジを言語という潜在的なフィルターを通して溶かし込む、それが言語の習得なのだ。そこで回転がどうしても必要になる。根石先生だいたいこんな感じですか。
ずれてませんか?私は、上記の根石先生のするどいしてきを91パーセント信用して現在回転読みを激しくやっています。昨日は2時間回転しました。でも少し
のど痛いです。回転書きや切断読みもこれから実践したいと思います。それから電圧装置これは回転読みのために必要なものなのですね。私は電圧装置について
もこれまで真剣にやってこなかったような気がします。今からですよね。英語どんでんがいしのやっつけ方をよんで、学習を自分なりに継続していく勇気のよう
なもが展望のようなものが出て来てうれしいです。
336. イメージ 投稿者:根石吉久 投稿日:
7月16日(月)06時07分13秒
ST 様
>言葉はイメージだ。イメージが言葉なのだ。日本語も英語も一つの
記号にすぎず、頭も含めて体全体でイメージを動かしているにずぎな
い。その潜在的なイメージを言語という顕在的なフィルターを通して
溶かし込む、それが言語の習得なのだ。そこで回転がどうしても必要
になる。根石先生だいたいこんな感じですか。ずれてませんか?
だいたいそんな感じです。
例えば、具体的に日本語と英語という二つの言語を考えた場合に、その双方を「往来」するものが「イメージ」だというような考え方です。位置的には日本語
と英語の「間」にあるものだとも思います。「間」にあって、二つの(あるいはもっと多くの)具体的な言語に出入りするもの、あるいは、どれか一つの具体的
な言語になって(化けて)表出され、理解されたり理解されなかったりするものです。
言語(その他)によって喚起されるものですが、いったん喚起されて以後は、具体的な個々の言語にとっては、「言語以前のもの」でもあります。
いずれにせよ、「イメージ」は生きている人間の中にだけ成立します。古典や名作の著者が死んでしまってこの世にいない場合でも、古典や名作の言葉がリア
ルなイメージを今も喚起するとき、イメージは生きている人(読者)の中に動くものです。
言語そのものは、固定可能です。辞書が成立する根拠も、言語そのものの固定可能性によると思います。古典や名作も本の形で固定されます。厳密には、固定
作用は文字にあります。あるいは録音装置にあります。今後は、0と1の配列(コンピュータに保存可能な情報形態)にあるということにもなると思います。
これに対して、イメージは生きて動きます。あるいは新しく発生します。イメージが動く「場」はどこまでも、生きている人間の意識だろうと思います。
固定されたものから、生きて動くイメージを立ち上らせるのはいつも、生きている人間の意識です。語学も実はこの規定から外れないものではないかと思って
います。
ある一つの語彙でいいのですが、それに関する辞書の定義のような窮屈なものも「回転読み」の「回転」という動態の中でぐつぐつ煮ると、その具体的な文だ
けで見せる「新しい表情」を浮かべたりします。これがイメージだと思います。
「回転」が必要になる根拠は、おっしゃる通り、イメージを発生させ、潜在意識に刷り込む(あるいは溶かしこむ)ためでもありますが、もう一つの理由とし
て、日本人の英語学習は、多くの場合、英語の磁場を欠いて行われるということにあります。
「回転」によって補強されないと、英文はなかなか無意識まで降りてくれないということがもう一つの大きな理由です。当該の磁場を欠く言語(外国語)は、
浮力があって、なかなか潜在意識まで沈んでくれないのです。