3052 多読だけでOKか(1) 投稿者:Eliot 投稿日: 5月24日(金)14時18分06秒 
大量のインプットが外国語学習にとって非常に重要だという
ことに異論はありません。一般の学習者にとっては一番の
インプットは英語を読むことでしょう。これにも大賛成です。
しかし、一切の文法的な学習なしに、ただひたすら読むだけで
英語ができるようになるとは必ずしも言えないと思います。

Stephen Krashenというアメリカの学者が The Power of Reading
という本を書いています。(Libraries Unlimited Inc.刊)この
中でクラッシェンは、多読の効用を高く評価し、文法学習や
ドリルは不要という論を展開しています。しかし、これは
アメリカ人の子供たちについて言えることであり、日本の
英語学習者にそのまま当てはめることはできないと思います。

(この本自体は、多読について大変参考になることが書かれており、
特に英語を教えている人たちにお勧めしたいものです。読書を
通じてどのように語彙を増やすことができるのかという点について
の考察は読むに値すると思います)

英語圏の子供たちは母語として英語を身に付けています。日々
英語の世界で生きています。その事実だけで、彼らの英語のインプット
量は日本で英語を学ぶ学習者の何十倍も何百倍もあるだろうという
ことが容易に想像できます。それに加えて多読による良質の英語の
大量インプットを行なえば、彼らの母語である英語の能力が色々な面で
向上するという議論も理解できます。

しかし、日本に住んで日本語を母語とする日本人英語学習者が
いかに英語の本を多読をしようと、しょせん日本語の世界の中に
「小さな小さな英語圏」を設け、そこに疑似体験的に入るという
ことに過ぎないのです。何冊のペーパーバックを読もうが、
それで英語のことが何でもわかるようになるはずないでしょう。
多読によって英語圏の赤ん坊がたどる母語としての英語習得の
道を体験できると考えるのはあまりに楽観に過ぎないでしょうか。

誤解のないように強調しておきますが、私は多読の重要性を十分に
認めた上で、多読だけで英語ができるようになるという議論には
賛成しない立場です。
 
 
 


3053 多読だけでOKか(2) 投稿者:Eliot 投稿日: 5月24日(金)14時36分45秒 
多読では発音は学べません。SSS式英語学習法では発音の訓練
としてシャドウイングを提唱しています。こうじさんもシャドウイング派
のようです。こうじさんの場合はいぜんの書き込みで発音訓練を
徹底的に行なったとか、仕事上「アメリカ西海岸の発音」ができなければ
だめだとか書かれていたので、基本となる音声訓練は十分すぎるほどやって
その基礎の上にシャドウイングがあるのだろうと推察しますが、
SSS式では「音づくり」なしにいきなりテープの通りに言う練習を
勧めますので、まるっきり英語の音が出せない人がいきなり録音の
真似をすることになります。

私の予想では、音づくりの基礎練習をぬかした日本人学習者が
シャドウイングばかりしていても、カタカナ発音から抜け出すことは
難しいでしょう。聞いて真似して見ろと言われてそれで外国語の
発音が身に付くなら、日本にはもっと英語の発音が上手な人が
たくさんいてもおかしくないでしょう。英語のように日本語にない
音をたくさん持つ言語を中学生以上の年齢の人が身につけるためには
根石さんの提唱されている10項目の1〜4を抜かすわけにはいかない
はずです。なぜならそこを抜かすと、残りの5から10までも非常に
困難に、いやほとんど不可能になるからです。

1.  技法グラウンド(コーチ付き)
2.  「回転読み」 
3.  技法グラウンド(ネイティヴの複製音)
4.  只管朗読・只管筆写 
5.  音のこなれた文の文法・構文の解析・総合 
6.  多読
7.  リスニング(努力の伴う聴解)
8.  ヒアリング(流し聞き)
9.  シャドウイング(非必須項目)
10. 英語使用

英語の本を読むときに少なくとも頭の中で英語の音が聞こえない人は
せっかく読んだものを「英語として頭に残す」ことができません。これに
関することを以前SSS式英語学習の掲示板に書いたことがありますので、
↓にコピーします。
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私は自らが英語学習者として英語を学んできた経験と、20年以上学校で
英語を教えてきた経験から、音読と暗唱(暗記)の重要性とその前提となる
英語の発音訓練の必要性を強く感じています。いくら多読が音声を発しない
黙読であろうとも、英語の発音(個々の音と音のつながり)が身についていない
学習者は、そうでない人に比べて大きなハンディを背負っていると思います。

英語を書いたり話したりできるようになるためには、頭の中に英語のストックが
必要です。英語を英語として発音できる人は、黙読で読書したものの中から
単語やフレーズや構文を英語の音とともに自分の頭の中の英語のスペースへと
移し変えることができますが、英語を発音できない学習者は、カタカナ発音で
英語を処理するため、その英語は脳では英語として認知されず、あくまで
カタカナ=日本語を処理する領域に送り込まれるのではないかと思います。

中学生以上の年齢の人が、英語の音声を学習する、あるいは練習するには、
不自然であろうが、個々の音の出し方を日本語で説明したものを読んだり聞いたり
して、機械的な練習を積み重ねていく必要があると思います。それはあたかも
スポーツの基礎練習(ラケットの素振りなど)のごとく、時には単調で、時間が
かかるものかもしれませんが、絶対に必要なことではないでしょうか。

私の学校では中学入学からずっとNHKの英語講座を聞くことを生徒に義務付けて
いますが、放送をただ聞くだけでは、ほとんどの生徒は英語の音を身に付ける
ことができないままであり、カタカナに毛の生えた程度のえせ英語発音しか
身につかないのです。ところが、生徒たちにきちんと音の出し方を教えて、練習を
繰り返させると驚くように英語が読めるようになります。それも音読だけでは
なく、黙読のスピードも上がるのです。同時に聞き取りの能力も向上します。
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3054 多読だけでOKか(3) 投稿者:Eliot 投稿日: 5月24日(金)15時01分38秒 
では多読だけで文法が身に付くか、言い換えれば多読だけで
英語を誤解せずに読み、書き、話す能力が十分につくかという
点はどうでしょうか。これについての私の考えは、やはり多読だけ
では無理というものです。

その理由の最大のものは「絶対量の不足」です。ある構文、例えば
仮定法にせよ、関係代名詞にせよ、その構文を理解し、使えるレベル
まで身に付けることが読書によって可能だと仮定しても、仮定法なら
仮定法の全体像をつかみ、確実な理解に到達するまでには仮定法を
含む文をさまざまな文脈でいくつも読まねばならないでしょう。
What would you be doing if you weren't a movie star?(これは
仮定法過去完了ではなく仮定法過去ですね)とかWhat line of
business would you have chosen if you hadn't become a movie
star?(こちらが仮定法過去完了)とかいう文が理解でき、書ける
までには、どれくらいの回数これに似た文に遭遇せねばならない
でしょうか?

アメリカ人の子供でさえ、小学校の低学年くらいまでは仮定法過去完了
の方はきちんと使えない場合がしばしばあると聞いたことがあります。
その後徐々に正しく使えるようになっていくわけです。英語の世界で生活し
日々英語に囲まれ、英語を使っている子供たちでさえそのように時間が
かかるプロセスを日本の中学生や高校生にどのようにして体験させる
ことができましょうか。

いくつかの使用例をテキストの中で見て、ぼんやりとでも意味が推察
できるようになれば、何らかの形で文法のまとめ、知識の整理を行なう
というのが正しい勉強法でしょう。それまで拒絶するのは非常に効率が
悪い勉強法となるのではないでしょうか。もちろん、一日中日本語絶ちを
して、英語付けの日々を何年も送るというようなことができれば、大量
インプット一本でいけるかもしれませんが、一般人にはそんなことは
不可能です。