ST 様オーストラリアという英語の磁場のただ中で繰り返し繰り返し読まれている小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」というやつ は、幸せ者だと思います。
「イメージ」の位置づけは非常に大事なことです。
音の問題ばかり議論されると、音が解決すれば英語がものになるかのように考えてしまう人が出てきます。パクパクさんはその気味があり ます。
音の「矯正」や「音づくり」のためのいい機関は、探せば登場していると思います。パクパクさんが入れ込んでいる鵜田式は、もっこりさんも 使ったとおっしゃっていたと思います。Eliot さんのフォニックス(でしたっけ)も、Eliot さんの生徒さんたちの発音を聴かせてもらって、お薦めできると思いましたが、「音のぶつかりあい」をフォローしていないことは欠点です。
津田さんが通われた大阪の学校のことは、学校名とそこでどんなことが行われるのかの記事をここへ書いていただけると皆さんのために共通の知 識になりますので、津田さんに記事をお願いしておきます。
宣伝ばかりが上手な英会話学校なんかへ行くのではなく、「音づくり」「音の矯正」をやる機関をうまく探し、自覚的に使うのはいいことでしょ う。
私の「電話でレッスン」にもこの機能はありますが、「電話でレッスン」が他のものと違うのは、最後には「音とイメージの同致」というものを ねらっていることかと思います。そのための原則が、「復習範囲を手放さない」です。問題は「イメージ」です。
語学における「イメージ」の問題はこれまでほとんど手つかずの状態だったのではないでしょうか。
人と人が話している場面を外から眺めても、そこにイメージというものは何も見えません。音(声)が聞こえ、人の表情が見え、場の雰囲 気のようなものを感じることはできます。「磁場」においては、「イメージ」は潜在的だということです。
「磁場」において、人が相手にしているものは、人であり、要件であり、議論そのものです。(Duffy さんの言う「コンテンツ」です。)イメージそのものは、人の意識に潜在し動いているだけです。
しかし、ひとたび「机上」(語学の場)に入った場合は、「意識」こそが真の意味での「場」となります。ここではイメージは潜在的なも のではなく、非常に顕在的なものになります。いや、顕在的なものにすべきです。
目に見える、手で触れるという意味ではありませんが、目に見えるほどに感じられる、手で触れるほどに感じられるというイメージの 顕在性を獲得しようとすべきです。これが顕在的であればあるほど、また「回転」というモメントが激しければ激しいほど、イメージは、無意識にとけ込み、長 く潜在するようになります。
私の言っているのは割と単純なことで、語学というものの真の場は「意識」なのだということです。本当は、耳でもなければ口でもな い。本物の磁場そのものでもない。それらのあらゆる現象(情報)は、「意識」という場に集約され、さらに無意識化され潜在するようにならなければ、使える 英語にはならないということです。難しそうに聞こえるかもしれませんが、語学というものを虚心に見ればそういうものだと思うのです。
「意識」が、「無意識化され潜在するようになった層」とコレスポンドするということが起こらない限り、「英語がしゃべれたらステ キ!」なんぞは絶対に実現しないのですが、「ステキ!」なんぞを口走る人たちの無意識化した外国語の層はほとんどの場合、層とも言えないほどに薄いので す。ほとんどの人がおもちゃみたいな練習しかしないから、層が薄くて使い物にならないのです。英会話学校の練習などは、90パーセント以上がおもちゃみた いな練習です。
日本語と英語を媒介するもの、そして、さらに大事なことは顕在的な意識と潜在的な無意識の間を媒介するもの、それをさして私は「イ メージ」と言ってきたと考えています。
「イメージ」は英語に化けたり、日本語に化けたりする。あるいは、英語や日本語という具体的な言語は、「イメージ」を強めたり、変容させ たりする。このように、「イメージ」の在り様を述べたところで、さて、それをどう引き起こすのかはまた別のことです。それをどう引き起こすのかは、語学の how to とならなければなりません。
今、激しく読んでいる本の著者であり、英語レッスンの先生から直接、解説していただける、、、なんて素晴しい!コンピュータのおかげで すね。残念なことにあまりコンピュータの調子がよくなく、11人目の方の投稿をまだ2回しか読んだことがありません。大風呂敷の2ページ目をみる良い方法 は何かないものでしょうかねえ。
磁場というのは「生活言語が使われる場」ということでしょうか?その磁場においては無意識にイメージが動いている。一方、机上というのは 「語学としての言語が行われる場」ということでしょうか?その机上においては意識的にイメージを動かす。意識的にイメージを動かすためにSOUNDは LETTERよりも第1義的であるので、回転読みの意義が大きいのですね。根石先生を92%信じます!最後にまたまた質問です。どんでん返しにもありまし たが、モメントというのはどういう意味ですか?ずっとどんでんがえしを読み返している時も気になっていました。こういう文脈です。「回転というモメントが 激しければ激しいほど、イメージは無意識に溶け込み、長く潜在するようになります」これが「からっぽの電池」ということになるのでしょうか?
ST 様>大風呂敷の2ページ目をみる良い方法は何かないものでしょうかねえ。
どうして、「次のページ」というボタンが表示されないのでしょうか。テキスト・ファイルを作り、そこへコピー・ペーストの作業をな さって、こまめに蓄積されれば、連続したものとして読めるようになると思いますが面倒ですね。
>磁場というのは「生活言語が使われる場」ということでしょうか?その
>磁場においては無意識にイメージが動いている。一方、机上というのは
>「語学としての言語が行われる場」ということでしょうか?その机上にお
>いては意識的にイメージを動かす。その通りです。
>意識的にイメージを動かすためにSOUNDはLETTERよりも第1義的であるの
>で、回転読みの意義が大きいのですね。Sound と Letter でどちらが一義的か二義的かという考えは私にはありません。ネイティヴ言語の獲得では、Sound が一義的だと思います。
Sound を「通じるもの」として確保しないと、地盤がぐらぐらしたままで建物を建てるようなことになる。それは結果として大損することになる。だから、「音づく り」は必須であり、絶対に外してはならないと考えているだけです。
日本人の学生や社会人が英語に使う時間、金、労力の総量は想像できないほど巨大なものだと思うのです。この時間、金、労力の総量の非常に多 くが、学校英語が Sound を「通じるもの」として確保しないために、「大損」になっています。
とてつもない損だと思っています。国力を損なうほどの損だと思います。
この大損に non を突きつけるために非力ながら「電話でレッスン」という一項目を私の仕事の中に立ててあるわけです。「回転読み」は、音を確保することの他に、英語のシンタックスにイメージ、意味、イデアなどを溶かし混むためのひとつの「坩堝」 のようなものと考えています。「回転読み」という坩堝で、知識、イメージ、シンタックス、語法、イデアなどをごった煮にします。ごった煮ですから、ごった 煮として「ひとつの状態」となります。回転の強さ・激しさによって加熱し、この「ひとつの状態」を作ります。
それが冷めて再び、知識、イメージ、シンタックス、語法、イデアなどに戻ったときの、それぞれの知識、イメージ、その他は、「回転読み」に 入る以前のものとは違っているはずです。そのそれぞれを有機的に結びつけるある種のセンスができているはずです。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
「モメント」というのは、「回転読み」の「回転」というのは、新機軸だという自負があるものですから、ことさらに使っています。moment 積率;〔哲〕契機(ある物の側面)(momentum).
6 モーメント.@〔機〕回転偶力.A〔理〕力率,ベクトル積:〜 of inertia 慣性モーメント.力学の用語で使っているのでなく、哲学の用語の「契機」みたいな意味合いで使っています。「回転」というものを意識せずに練習し てきた方にとって、まったく新しい展望を作り出しうるひとつの「契機」になるものというようなつもりですが、うまく説明できません。哲学の用語として正し い使い方かどうかは自信はありません。また、理学、機械学の方での用法についてはまるでわかりません。用語の意味さえわかりません。Duffy さん、助けていただけますか。
「回転というモメントが激しければ激しいほど、イメージは無意識に溶け込み、長く潜在するようになります」
これに関しては、「回転ということが激しければ激しいほど」と読んでいただいて、練習をする上では何の支障もありません。
>根石先生を92%信じます!
1パーセントずつ増えていっています。うれしいです。しかし、「100パーセント」となるともう信仰ですから、いくら増やしても99 パーセントまでにしておいて下さい。
私の方法は、「回転」というようなところは独自なものですが、その他の基本になっているものは、多くの先達(國弘さんは先達だと思っていま す)の方法と大きく重なるものだと思います。
単純化すれば、うんと読め、うんと書け、強くイメージせよ、くらいに要約されてしまうものです。その入り口に「音づくり」あるいは「音づく りによる音読」がなければならない、というのは、日本の英語の現状に対してどうしても言わかければならないことです。
なかなか理解されなくて、収入が生活費的にピンチに陥ることを繰り返してきました。
試してみていただいたうえで、確信を持たれたら、生徒さんをご紹介いただきたいと願っております。電話さえあれば、この方法は伝えられま す。あと、もうひとつ独自なものがあるとすれば、「復習範囲を手放さない」でしょうか。これは素読という学習法から派生した考え方だと自 分では思っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis