根石様
先日は遅くまでつきあってくださいましてありがとうございました。
根石様のおっしゃりたい事は大筋において理解する事ができたと思います。
ところで、ここで又一つ質問をさせてください。
根石様は、「磁場」だけが形成しうる言語スキルは絶対にあります。」と述べられていますが
この”磁場”というのは”人工的な環境”と言う意味でもよいのでしょうか?
もしそうだとすれば、日本いても勿論言語の習得は可能のように思いますが如何でしょうか?
おう、ちょうど返事を書いていたところだよ。
Tackchan 様
> 根石様は、「磁場」だけが形成しうる言語スキルは絶対にあり
ます。」と述べられていますがこの”磁場”というのは”人工的な
環境”と言う意味でもよいのでしょうか?
もしそうだとすれば、日本いても勿論言語の習得は可能のように
思いますが如何でしょうか?私が「磁場」という語を語学にからめて使う場合、「人工的な環境」のことではありません。人々の日々の生活が営まれている場のことです。英語で営まれる場もあり、日本語で営まれる場もあり、その他、無数の言語で営まれる場があります。
そのそれぞれの具体的な現地の場のことをさして「磁場」と言っています。「人工的な環境」ということについては、「疑似磁場」という語をたまに使いました。各種の英語教材を使って、自分を「英語漬け」 にするとか、FENなどを聞き続けてやはり自分を「英語漬け」にするとかいう場合に、そこにできるものは「疑似磁場」だと考えています。これらは、生活そ のものではないからです。
逆に言えば、「磁場」はあくまで人々の生活とともにあるものであり、むしろ人々の生活が形成するものです。そうして形成されたものは、「場」として客体になり、生活をすっぽり包み込んでいます。「疑似磁場」と本物の「磁場」を結ぶものは、意外と「読書」かもしれません。読書によってできる磁場は、書き言葉に対応した想像 力が作り出す「疑似磁場」ではありますが、これによって人々の生活の感覚に直結する語感を養うことが不可能ではありません。書き言葉ですから、書き言葉で あることをしっかり自覚したうえで、名著の乱読などはお薦めしたいと思います。名著は(その作品自体の力によって)ありがたいことに安くて簡単に手に入り ます。
このあたりのことは、浜谷さんが詳しいです。赤ちゃんが飲むミルクが比喩としてはいいかもしれません。
私が言っている「磁場」というのは「母乳」です。
語学教材や英語放送やあらゆる語学的メソッドは、「粉ミルク」です。
もちろん、私の「回転読み」も「技法グラウンド」も粉ミルクです。私の方法は、日本にいて英語をやることは、積極的に粉ミルクをどう使うかということの自覚のうながしだと思っています。
母乳の成分に似せることはできても、母乳には粉ミルクに含まれていない(もしかしたらまだ名付けられていない)成分が絶対にあると思っ ています。この世界は、実は近代的な分析では分析しきれないもので満ちているという感覚が私にあり、それが私に「絶対に」という言葉を使わせています。磁場だけが作りうる言語スキルは「絶対に」ある、と。
日本にいて、外国語を習得することはもちろん可能です。
しかし、「磁場」(母乳)が作る体質はできません。
そして、再度しかし、この粉ミルクで言語を育てることが語学だとも思っています。
語学とは、偽であることの自覚において偽に徹することです。
徹するということを獲得した場合に、初めて語学は本物になります。語学の本物は、決してしかし、ネイティヴ言語にはなりません。
しかし、再度、三度、しかし、ネイティヴ言語を大きく活性化できるのは、この偽であることに徹した語学の言語ではないのか、と考えてきました。
「ネイティヴと同じ言語能力」などというものは、その「同じ」という幻想によって、とことんタチの悪いものだと思っています。
根石さん、Tackchan様、>「疑似磁場」と本物の「磁場」を結ぶものは、意外と「読書」かもしれません。読書によってできる磁場は、書き言葉に対応した想像力が作り 出す「疑似磁場」ではありますが、これによって人々の生活の感覚に直結する語感を養うことが不可能ではありません。書き言葉ですから、書き言葉であること をしっかり自覚したうえで、名著の乱読などはお薦めしたいと思います。名著は(その作品自体の力によって)ありがたいことに安くて簡単に手に入ります。
このあたりのことは、浜谷さんが詳しいです。根石さんのTackchan様宛の書き込みの中でこの文節がありましたので、今日一日考えておりました。 その結果今たどり着いた 考えを述べてみたいと思います。私は主にペーパーバックの多読により、語彙と構文のインプットを図ったわけですが、現在でも毎週月曜日に私が近所で主宰す る「英会話学習相談室」の開催日が迫ってくるとそのミーティングで使用する読書の為に使用するペーパーバックを求めて読みあさりますが、副次的効用として 擬似磁場の造成を行っている感覚をもっています。 ネイティブの中学・高校生を対象としたPennguin Readers Level 3 等を使って いて読みやすいこともあり、表紙の絵などにより面白そうなものを選んでる精もありますが、その内容に没頭できる場合は「擬似磁場」そのものを実感します。 反対に面白くない場合、辛抱して読んでる場合は「擬似磁場」が欠如していることを感じ、そういうものはミーティングに不向きなので除外します。私が自分の 勉強の為ペーパーバックの乱読をしていた頃は、そのようなものでも会話の練習(相手の言っていることが分らない場合を想定して、分ろうと努力する練習)の ために読みつづけたのですが今から考えれば「擬似磁場」が現われたり消えたりしていたんだろうと考えています。
根石様へ
以下、根石様の文章を引用させていただきます。
人工的な環境」ということについては、「疑似磁場」という語をたまに使いました。各種の英語教材を使って、自分を「英語漬け」にすると か、FENなどを聞き続けてやはり自分を「英語漬け」にするとかいう場合に、そこにできるものは「疑似磁場」だと考えています。これらは、生活そのもので はないからです。
逆に言えば、「磁場」はあくまで人々の生活とともにあるものであり、むしろ人々の生活が形成するものです。そうして形成されたものは、「場」として客体になり、生活をすっぽり包み込んでいます。
この「擬似磁場」と言う言葉ですが私ははじめて耳にしました、が良く考えてみると私も英語を学ぶ過程においてこのようなことをしていたのだと思います。
私は以前,渋谷にあった松本亨先生の学校に通っていましたがこの学校の授業があなたの指摘されている「擬似磁場」を形成していたのでは感じています。
この学校は勿論学内”日本語禁止”で,【英語が音に意味がある】と言う先生の教えのもとに勉強していました、当時は私も夢中で電車のなかでも飲みにいっても英語で話していました。
確かに今落ちついて考えると異常かな・・・・と思いますがこれも懐かしい思い出です。
この学校の勉強方法については又、折を見て書かせていただこうと思います。先日は、この掲示板に対して非常に不適切な書きこみをしてしまい申し訳ありませんでした。
私,個人の感想を述べさせていただければ日本では、松本亨先生が唯一日本人としての”壁”を越えられたのではと感じています。
又、この掲示板の中で学校の”教科書を音読”される効用を述べられている方が多くいますが私も全面的に賛成です、”松本亨先生”も学生の時に同じことをやられた、と先生の本にも書いてありました。
浜谷様へ
はじめまして、Tackchanといいます、浜谷様は「読書は副次的な効用としての擬似磁場の造成を行なっている」との事でしたがある意味では私もそうなのかなと感じています。
私は時間があるときにはなるべく音読するように心がけています、というのも音読してほうが「擬似磁場」への自己移入が形成しやすいと感じているからです。
この点については浜谷様はどのように思われますか?
Tackchan様すみません、寝ぼけて書き間違えました。jisuとthisを間違えたので、落ちが台無しですね。生徒が書いた文は次の
通りです。Then he wrote on my notebook "this", and said "You know this word, don't you?"
"Yes," I said, "I don't know "jisu", but I know "this"."