188. 実践的外国語学習方法論(その2) 投稿者:Duffy  投稿日: 7月 8日(日)13時42分54秒
 
浜谷さん
 こんにちは、私の発言に注目して頂いてどうもありがとうございます。
浜谷さんの発言
>上記の訂正に賛成していただけますでしょうか? 「その2」でのその他の理由をお聞かせ頂け
>ることを心待ちに願っています。
「真理」であるような気はしますが、真理だと証明を要しますので大変そうです。
「事実」かどうかは私はそれだけの情報収集をおらず、半ば直感で申し上げておりますので、「事実だと思う」ぐらいしか言えません。
まあ、あまり細かい話はこれぐらいにして、その2を紹介させて頂きますが、その他の理由はすぐには出てこないみたいです。

ということで外国語が上手ということはある意味「屈従」を意味するのでしょうか。日本は遠い昔の歴史を振り返ってみるとまず、漢字というも のを中国から輸入しました。日本にはそれまでは文字がなかったとされるのですが、漢字の伝来とともに日本語が中国語で置き換わってしまうということは決し てなく、万葉仮名から始まって平かな、片仮名の発明に見られるように見事に中国のものを完全に吸収して日本オリジナルのものを作り上げてしまいました。
そして遣隋使などは「もう、中国から学ぶべきものは何もない」ということで廃止してしまいました。これは屈従からは遥かに遠い行動であると考えます。
現代で考えてみますと日本は海外から技術を導入するとき、正確なフレーズは良くは覚えていないのですが、「1号機は輸入、2号機はライセ ンス生産で、3号機以降は輸出」というような言葉を聞いたことがあります。これにせよ、古代や平安時代にせよ、日本人がいかに海外の文化や技術をうまく吸 収し、自己流に発展する能力を持ち合わせているということの証だと思います。
 

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/ga2/miyoshi/
 
 
 


223. もどきの価値 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月10日(火)02時04分05秒
 
Duffy 様

Duffy> 現代で考えてみますと日本は海外から技術を導入
するとき、正確なフレーズは良くは覚えていないのですが、
「1号機は輸入、2号機はライセンス生産で、3号機以降は輸
出」というような言葉を聞いたことがあります。これにせよ、
古代や平安時代にせよ、日本人がいかに海外の文化や技術を
うまく吸収し、自己流に発展する能力を持ち合わせていると
いうことの証だと思います。

 種子島に鉄砲が伝わってすぐに、日本の鍛冶屋がそれを分解し、どこがどうなっているのかを見て、じきに鉄砲を作ってしまったという話をどこかで聞いたのか、どこかで読んだのか・・・。
 三菱のジープなんかも、ライセンス生産しましたが、途中から、個人の町工場が小型化した模倣品を作り、(現在はスズキの)ジムニーとい う名機を派生しました。私はジムニーに乗っていましたが、仕事で毎週、高速道路に乗る必要があり、小学館文庫の印税をすべて使ったうえ、150万円の借金 をしてフォルクスワーゲン・ゴルフに乗り換えました。半べそをかきながら、ジムニーを手離したのです。高速を走っているのは退屈なので、高速道路の上で、 時々無性にジムニーに乗りたくなるときがあります。ジムニーは名器、いや、ごほん、失礼、名機です。
 アメリカに「サムライ」とかいう名前でジムニーを輸出したら、アメリカ人は高速でがんがんとばし、急ハンドルを切り、ひっくりかえって 事故を起こし、ジムニーは欠陥車だとされたことがあります。そりゃ、ジムニーに乗って高速道路で急ハンドルを切るのが間違いだ。ひっくりかえるアメリカ人 がお馬鹿です。
 ソニーの小型化技術は、どうにも大型の感性では手に負えないものらしいです。ソニーという会社がアメリカの会社だと思っているアメリカ 人が結構いるらしいですが・・・。ソニー製品は、これはすでに日本のオリジナリティたりえます。この細かさ、小型化は、折り紙、細かい針仕事、(滅びつつ ありますが)建具の細かな正確さなど、日本人の手仕事の正確さに根を持つものだと考えています。トヨタの車の品質だって、日本人の職人気質や手仕事の正確
さに根があると思います。
 この細かさや正確さは、日本が大陸の文化が吹き溜まる場所だったからだと考えています。大陸の文化は日本にまで伝わってそこで止まる。 ハワイまでは行かない。止まった場所に次のものがまた伝わってきて、折り重なる。そのために、それらの一つ一つをしまっておく引き出しの数が多くなり、仕 訳が細かくなる。その細かさが日本人の感性になっていると思います。

 模倣のうまさは日本は世界一だと思います。これをつかまえて、欧米人は真似ばかりうまくオリジナリティのない者どもだと陰口をたたくと思います。
 しかし、模倣こそはすべての文化の根元です。ネイティヴな言語の獲得という、人間が最初に文化を取り入れる場面に必ずこの模倣がありま す。ヨーロッパの文化も、根底はこの赤ん坊の模倣で成立しています。文化が存続するためのひとつの根底的な能力であり、それが日本人は世界でもとびぬけて いるということです。
 能の世界に「もどき」という技術があると聞いています。伝統芸能はよく知らないのですが、これも本物の真似をする技術だと思います。次 郎冠者のまねを次郎冠者がするとかいうようなことだと思います(不確か)。また、コロッケ(って健在か?)などがやる「ものまね」などの技能がこれほど喜 ばれ、大衆に支持される国は他にないのではないかとも思います。「ものまね」というのは日本では積極的な価値なのです。
 「もどき」や「真似」というのは、近代に始まったものではなく、日本の文化の基底にある貴重な価値です。「もどき」や「真似」こそが、 日本のオリジナリティだと言っていいほどのものだと思います。このパラドックスは、自分を相対化することの下手な欧米人が理解するのは少々難しいことだと 思っています。

 「ネイティヴと同じ英語能力幻想」が、最近、この掲示板に踊っておりますが、同じわけがない。もしも、「同じ」だと本当に思っているなら、それこそがにせものです。クリスチャンになったところで、沢庵をかじるクリスチャンですから・・・。

 日本人に欠けているのは、設計思想でしょうか。設計はできるが、設計「思想」があまりない。だから、現在では、積水ハウスなどの プラスチック・ハウスの氾濫です。壊すときに始末におえない物質の山ができかねません。家づくりでも町づくりでも、設計はするが設計思想がない。これが 困ったことです。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis