これまでロムばかりでもうしわけありません。
はじめて書き込みをさせていただきます。英語は学生時代とってもできませんでした。
でも、社会人になってから、もう一度英語をはじめようかなと、思いつつもじもじしています。
ネットで根石さんのことを知って、掲示板を見させていただくようになりました。まえから不思議だなあと思っていたことを書きます。
数学ができなくても、社会科ができなくても、国語やほかの地味な科目ができなくても、そんなに恥ずかしくないのですが、英語ができないと、自分がとってもどんくさいような劣等感を持ちます。
でも、逆に英語ができる(ぺらぺらしゃべれるとか)ということは、数学や社会や国語やらができるより、かっこよくて鼻が3センチぐらい高くなる感じがしてしまいます。どうしてなんだろう。
英語は、個人の「プライド」とか「ステータス」とか(横文字書いてて意味わかんなくてすみません)に、とっても関わっているのかな。その理由は、どんなところからきてるんでしょ。
それから、う〜ん、と思ったのは、アメリカの西海岸の発音じゃなくちゃだめっていう意見です。
英語には、ニュートラルな英語っていうのがあるんじゃないでしょうか。その英語はべつにはずかしい発音でもないし、どこの国の人とも不自由なく話せる英語です。たしかに、現地企業にいけば、英語がしゃべれることは第1だと思うし、地元の英語がしゃべれなければ、溶け込めないということもあるんじゃないかなとは思いますけど。
蛇足ですけど、掲示板にがんがん書き込む時間があったら、いさぎよく学士会館にほんの少しの時間でも、パクパクさんにお会いになれ ばよいのに、、、。仕事でもなんでも結構できる人って、少ない時間の間でもアグレッシブにスケジュールつめて、なんとかお会いする時間をとってくれると思 うんですが。
偏見かな。
失礼しました。
匿名希望み〜ちゃん 様コメントが遅れております。すみません。
>まえから不思議だなあと思っていたことを書きます。
数学ができなくても、社会科ができなくても、国語やほ
かの地味な科目ができなくても、そんなに恥ずかしくな
いのですが、英語ができないと、自分がとってもどんく
さいような劣等感を持ちます。日本では、英語という言語はニュートラルな外国語ではなくて、日米安保条約という政治的な体制の元にある言語だということが関係あると思います。
単に英語が世界語としての地位を確立しつつあるということではないと思っています。>英語には、ニュートラルな英語っていうのがあるんじゃないでしょうか
これは発音についての発言でした。
これは想定できます。
具体例としては、Eliot さんから、ご自分の声で吹き込んだテープを送っていただいて、聞いてみたときに、「ニュートラルな英語」というのに相当するような感じを持ちました。私は「語学的な標準形」というものがありうると思っています。
個々の生活場面では、個々の発語のイントネーションを本当に決定しているのは、感情ですが、机の上で語学をやる場合に採用すべきものは、「語学的な標準形」でいいのだと思っています。
例えば、私は「電話でレッスン」で映画のシナリオを扱っていますが、一度も映画を見てないものもレッスンします。シナリオで筋を追っていって、内容が把握できていれば、イントネーションは「語学的な標準形」を作ることが可能です。発音やイントネーションなど、総じて「音」に関して「語学的な標準形」を作るためには内容が把握できていなければならないので、これはあくまでも一定の基礎力の上に成り立つものです。しかし、一定の基礎力さえあれば、「語学的な標準形」はできるということです。
初心者が英語をやる場合のひとまずの目標とは、この「語学的な標準形」を自分で作れるというレベルだと思っています。