1907SAIさん(2)浜谷さんちから 投稿者:根石吉久 投稿日: 2月27日(水)15時17分29秒
ネイティヴ言語習得過程では、音も意味も、水と油をかき混ぜたような状態で混じり合います。激しく交互に入り組み合う。この時、音と意味を媒介に しているのはイメージというものだと思います。どういうわけか、人間という奇妙奇天烈な生物には、イメージの誕生は自然に起こるみたいです。しかし、これ は、語学においては、絶対に「自然には」起こらない。ここを観るなら、ネイティヴ言語習得過程と、語学の言語習得過程は峻別されます。多々似ているところ があるにせよ、原理的にまるで違う過程だと思います。
先日もめました「磁場」ですが、これが日本在住の英語学習(習得)では手に入らないという事実を軽く見ておられるように思いました。映画でもCD
教材でも何でもいいですが、これらはあくまでも音声複製技術による複製物であり、磁場を形成することはありません。(文脈とか映画の中のフィクションとし
ての磁場は形成しますが、これは生の磁場に対して高次磁場だと思っています)。
しょっぱな音声複製物を使って、リピーティングやシャドウイングをやることに私はとても違和感を持ちます。とても奴隷的なものを感じるのです。私は語学
の原理的な部分では、國弘正雄さんと同じで、「音読が最高」主義者ですので、まず日本人がやるべきことは、「わかっているもの・覚えたもの」を声を出して
なおも読み込むことだと思っています。今では教材がいくらでもあるのだから、最初からリピーティングでいいという意見を少し前にこの掲示板で読ませていた
だきましたが、語学をやることは英語ペラペラをやることではなく、語学的主体を作ることだと考えています。その観点を外さないで考えると、初期の「音づく
り」(外科手術)を除外すれば、中心を成すべき方法はやはり「音読」だと思います。
ネイティヴの複製音声は、それに「従い」自分の音を調整するものではなく、それを「媒介にして」自分の音に繰り込むべきものだという考えです。日本語し
かしゃべってこなかった口の筋肉の慣性という実体があるのですから、オウム主義(宗教の方ではなく鳥の方です)によって、一挙に英語音に置き換えるより
も、日本語音から英語音に向かってグラデーションを濃くしていく過程で媒介にすべき参考物です。
音というのは複製でも、音声は感情です。私はこれをコピーすることが嫌いなのです。芸人になりたいわけではないのですから。
私は「音派」ではなく、「音読派」ですので、またしても音読方面から光を当てた記事になってしまいました。
ヒアリングやリスニングについては今後考えますが、ひとまず発声練習(音作り・音読)に関してだけ考えました。繰り込むのならいいが、コピーはやりたく
ないという意見です。