古川さんの掲示板に書いたものの転載です。
----------------------------------------------------akira 様
akira>根石さんのおっしゃっている「音づくり」と同様の意味ととらえて良いかちょっと分かりかねますが、語学学習のできるだけ早い段階で、発音、リズム、イントネーションといったものに目を向けておくと、あとで余計な壁にぶつからなくて良いばかりか、上達の仕方がまるで違うのではないかと思います。
私の「音づくり」は、まさにこの意味です。
私は30音という規定は持ちません。発音(リズム、イントネーションを含めた概念です)では、日本人向けには10余りのポイントが大事だと思っています。それ以外のポイントに関しては、説明するより、「水に入って泳いでもらう」ことで解決すると思っています。(ですから、私はあくまで一対一でレッスンするのが基本です。)akira>発音は話すときだけに関係していると思っている人が多いので
すが、それは大きな間違いだと思います。実際発音が上達するにしたが
って、英語の聞こえ方が変化しましたし、耳から言葉を覚えるっていう
ことをやりだすようになりました。私は小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」を書いてから、ある人に鵜田さんのホームページを紹介されて読みにいきました。鵜田さんのおっしゃっていることのもっともすばらしいところは、akira さんがここに書かれているまさにこの考えです。「きれいな発音」というような、あるいは「本物の発音」というような考え方が私は大嫌いですが、発音(イントネーション・リズムを含む)が上達しないと耳が動くようにならないということはまぎれもないことだと思っています。自分の口をとことん動かした文は、聞き取る場合に、「一挙に丸づかみ」が成立することを私は自分の体験から知りました。鵜田さんを知る前に私は文庫で次のように書いており、鵜田さんのホームページを読んだとき、うむ、いるんだな、世の中には、と思ったことをはっきり覚えています。鵜田さんは、私と一脈通じることを考えておられた方だったのです。
文庫>どうしても聞き取れなかったところは、字を見て調べても
かまいません。その後に「回転読み」に叩き込むことがポイント
です。苦手な部分を、自分の口を動かしてインプットしてしまう
のです。リスリングのコツは、やたらに長時間聞くことにありま
せん。苦手な部分を見つけ、「回転読み」でインプットしてしま
うことにあります。私は、これはコロンブスの卵の一つだと思っ
ています。自分で書いたものを書き写していて、註釈が必要だと思いました。
私の「回転読み」というものは、「音づくり」、「インプット」と一体のものです。
同一の文を言い続けることで「音づくり」をすることが「回転読み」です。このやり方で、音が完成すれば、覚えようとなど思わなくても覚えてしまいます。つまり、インプットが自然に達成されます。「回転」が必要だということの根拠は、日本には英語が形成する言語的磁場が存在しないということにあります。「回転読み」に関しては、詳しくは、小学館文庫をご参照下さい。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
akira>また、音声は「聞く」「話す」のみならず、「読む」
「書く」にも大切なことだと思っています。私たちが日本語の
文を読んだり書いたりしているとき、意識してみると頭の中に
日本語の音声が響いているはずです。やはり言葉は音声第一な
のです。語学において、初心者に言う場合に、「音声第一」で100パーセント正しいと思います。
しかし、「言葉」そのものに関しては異議があります。
「言葉」そのものについて言うなら、「イメージ第一」だ「とも」言えるのです。
「音」と「イメージ」の同時化(同致)こそが問題です。
ここで、私は鵜田さんと別れます。
鵜田さんは、現在の日本の英語状況にとっては絶対に必要な方です。もっともっと広く知られなければいけない方法を持っている方です。しかし、鵜田さんのお弟子さんたちが、あまりに「音」にのみ傾斜されるのは、私は横目で見ています。おいおい、「音」は盆栽じゃねえぞ、と思うことがあるのです。
入れ歯をなくしてしまったが、金がなくて入れ歯が買えず、ふがふがと英語を言っているイギリス人がいたとして、発音はまるで質がよくないが、この駄目な発音でもイントネーションやリズムは何一つ損なわれていないでしょう。正真正銘の骨の髄からの英語です。とりわけ、「音とイメージの同致」において正真正銘です。
「きれいな発音」だの、「本物の発音」だのは、信仰の対象にすぎません。
また、「音」がいくら良くなっても、イメージが同時に動くようにならないと、やはりどうにもなりません。これは鵜田さんに対する批判ではありません。鵜田さんの方法で練習する場合にこの穴に陥る人は多いかもしれないという懸念です。akira>「俺は新聞だってTIMEだって読めるぞ。それでも出来
てないっていうのか。」みたいなことを言われました。学校英語、受験英語の犠牲者です。かわいそうな人です。
ずれています。
再度、でも、音が駄目でも、「本当に読みとれる」なら、それはそれでいいのです。その人一人にとってならそれでもいいのです。生身の人間なんかに興味はない、俺はこれまでに書かれた最良の英語を読み続けたいだけだというなら、これはこれでいいのです。まったくいいのですが、音が駄目だと、英語を読むリズムが「盆踊り」だと思います。そうすっと、もしかしたら、「本当には読めない」かもしれない。
とにかくこういう人が、生徒を持って、人に英語を教えることだけは「やめて欲しい」と願うだけです。長野県の私の住むあたりでは、このことを「やめてむらいたい」と言います。そうすっと、全国の英語の先生の中には「やめてむらいたい」人がうじゃうじゃいて、これは本当に問題です。
私は塾をやっていますが、私の掲示板「大風呂敷」で、まともな授業をしておられる学校の先生が非常に興味深いことを書かれています。是非お読みいただきたく思います。私のホームページから「大風呂敷」にリンクされています。akira>気をつけなければいけないのは、個々の文字の発音だけ
上手くなっても、リズムやイントネーションがガタガタでは宝の
持ち腐れになります。まったく賛同します。
この後です。
同じことを繰り返して言うことになりますが、リズムやイントネーションがそなわっても、イメージの動きが同致しないとやはり駄目です。日本人の英語の最後の課題は、「音」ではなく、「イメージの動きの同致」だと考えています。これは、しかし、本当には「机上」でしか実現しないのではないでしょうか。日本の英語の「かまいたち」あるいは「肉離れ」は、何も恥じるべきものではないと思います。日本語の磁場の中での単独者の英語だということを意味しているだけで、これを恥じたら日本の英語はいつまでもできません。
だから、私の考えは、「ごつごつした、あるいはとつとつとした英語でかまわん」というものです。私はこれを実践しています。あるいは人にも薦めています。日本の英語というものはそういうものだと思っているのです。日本でアメリカ英語なんぞしゃべるのはとことん馬鹿げたことだとも思っています。(アメリカ帰りは得意そうにこれをやりますが、アホかと思っています)
アメリカ英語(イギリス英語その他)は、「机上で」とことん媒介にすべきものですが、媒介物だという自覚が日本人に必要だと思っています。「机上」と「生活」を混同している人、あるいはこの二つを分けることができない人が多すぎます。英語をしゃべることは、「机上」と「生活」をスパークさせることなので、地続きだと考えるのは間違いだと考えます。「地続き幻想」によってエーカイワガッコーが繁盛しています。アホか。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis