私は中学3年生のときから高校3年生まで海外文通をしていました。何人もの人と手紙をやり取りしたのですが、3年間続けたのはただ一人、ミネ ソタ州に住む同い年のPatricia Sindt嬢でした。ハイスクール卒業直後に結婚するという彼女の手紙を受け取って文通をやめるまでの3年間、英語で何通も手紙を書いたことが私の英語力 向上に大きな
貢献をしたことは間違いありません。手紙を書く際に日本語で下書きを書いてから英訳するということは一度もしませんでした。高校二年生のときにとある全国規模の高校生英語弁論大会で二位になったことがあります。自分で書いた原稿をだれにも添削してもらわずに 使いました。もちろんいま考えると不自然な英語も含まれていましたが、それでもその原稿で二位になったのですから、高校生二年生としてはかなり英語が書け ていたという証明でしょう。このスピーチの原稿を作るときも日本語の下書きなしで英訳をしました。
私が中高を通じてやった勉強は主に発音練習、音読、聞き取りでした。学校の英語の成績はよかったですが、英文和訳や和文英訳を一生懸命 にやったという記憶はありません。しかし、教科書の英文の意味を「考える」ことはしておりましたし、英文の構造を考えることもしておりました。教科書の中 の英文を見る際は「ほう、こういう表現があるのか」とか「うん、この表現は手紙で使えるぞ。よし、いただき!」という姿勢でした。大学生になるまで、等位 接接続詞と従位接続詞の違いを説明することはできませんでしたが、soとbecauseの使い分けを間違えることはありま
せんでした。高校三年生のときのテストで「彼は一言も言わなかった」という和訳の問題に He didn't say a simple word.と書いて×をもらったことがありました。何となくそう言うのが正しいような気がしたのです。He didn't say a single word.という表現が不完全な形で頭に浮かんだわけです。一語一語の英訳をしようとしていたわけではなかったわけです。
英語を話したり書いたりするためには、日本語を直訳するのではなく、「こういうこと内容のことがこういう英語で表される」という知識を 多読と多聴と大量の音読で体に蓄積していくことが必要です。そのストックの中から適切な表現を引き出して使うという作業が英語力向上の鍵だと思います。そ のために英語の音を作ることは不可欠です。音ができていないと多読、多聴、音読のすべてに重大な支障が生じます。
このスピーチの原稿を作るときも日本語の下書きなしで英語を書きました。
Eliot様今先生の連載の最終近く(と勝手に思ったのですが・・・、そうでなかったらお許しください)で先生が実際に英語を勉強なさった様子を読 ませて頂きなるほどなあと一人頷いておりました。
>高校三年生のときのテストで「彼は一言も言わなかった」という和訳の問題に He didn't say a simple word.と書いて×をもらったことがありました。何となくそう言うのが正しいような気がしたのです。He didn't say a single word.という表現が不完全な形で頭に浮かんだわけです。一語一語の英訳をしようとしていたわけではなかったわけです
これが本当の和文英訳だと思いました。英会話の際しょっちゅうこういうことをやっているなあと、思い当たったのです。 相手がネイティ ブの場合これぐらいの誤りは話の流れの中できっと理解してくれるでしょう。外国人が日本語を喋っている際常に聞く誤りです。それは外国語を学習する際に避 けて通れない関門です。もうちょっとの学習でクリアー出来る、しかしその「ちょっと」にかなりの労力と時間を要するということだと思います。
>英語を話したり書いたりするためには、日本語を直訳するのではなく、「こういうこと内容のことがこういう英語で表される」という知識 を多読と多聴と大量の音読で体に蓄積していくことが必要です。そのストックの中から適切な表現を引き出して使うという作業が英語力向上の鍵だと思います。 そのために英語の音を作ることは不可欠です。
音ができていないと多読、多聴、音読のすべてに重大な支障が生じますそして先生の極め付きの「英語力向上の鍵」がここに集約されていると思いました。先生の連載の結論と言ってもいいような貴重なご意見だ と思いました。このご意見は英語を教育する人も学習する人も肝に銘ずるべきだと思いました。ありがとうございました。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
Eliot 様1.日本語の下書きなしで英訳をしました。
2.日本語の下書きなしで英語を書きました。おそらく「英訳」は「和文英訳」と読まれるおそれがあると思われ、1を2に訂正されたのだと思いますが、1の言い方も私は語学的には 変ではないと思います。
「英訳」が、日本語を英語にするという意味ではなく、「考え」を英語にするという意味でなら、それもやはり「英訳」だと思うからです。
細かいことを言えば、ここでこうして私が日本語を書いていることも、「考え」の「日本語訳」をやっているのだと言えないこともありません。
「考え」自体は、日本語でも英語でもなく、しかも、日本語にも英語にもなれるものです。これは、「考え」が「情報」に近い性質のものである ほど容易です。
しかし、しっくりする日本語とかぴったりの英語というものとして、実現してしまった後のものを見ていると、実に日本語でしか言えないことが あるし、実に英語でしか言えないことがあるなあとも思います。
「考え」から「具体的な言語」へというベクトルと逆のベクトルが存在すると思います。「具体的な言語」から「考え」や「考え方」へ、という ベクトル。日本人が日本語で日本的な考え方を身につけるのはこのベクトルによります。私が言っている「磁場」というものの繊維はこのベクトルだと思いま す。「もちろんいま考えると不自然な英語も含まれていましたが・・・」ということに関してですが、私は日本人が繰り出すこれらの「不自然な 英語」のファンです。かまわん、どんどん繰り出せと思います。そこにこそ日本人がいるのだと思うからです。欧米の人は、この種の「不自然さ」を通じてし か、本当には日本に出会うことができないはずだとさえ思います。この「不自然さ」は、謙虚さを持つ欧米人にとっては本当に貴重な質であり、日本で自然な英 語を話すことこそとことんおかしな転倒だという考えは、私に抜きがたくあります。だって、ここは英語の磁場じゃないんだから・・・。英語が「自然」であれ ばあるほど「不自然」になる磁場、それが日本語の磁場です。こっちの「不自然」の方がよっぽどほんとに「不自然」だと思うのです。
こんな考え方のおかげで、私の英語は「アメリカの英語」でも「イギリスの英語」でもなく「俺の英語」です。上達するための道を歩きつづけな がらも、不自然な英語で「かまうもんか」というこの気持ちは日本人に大切です。私が英語教育界とかいうご清潔な世界で、「悪たれガキ」であるのは、この転倒を転倒とする視線のせいです。このおかげで、私はこの世 で金を得ることに関しても、きわめて不器用なことを続けてきました。転倒だよ、などと指摘していてもお金は入って来ないわけです。悲しい人生です。
Eliot さんの生徒さんが作った、「不自然な」どころか「荒唐無稽な」英語に関しては、使っちゃまずいと思うレベルのものだと思いますが、私はこの種のものも大好 きです。愛しています。この「荒唐無稽英語」は、コレクションして集大成して欲しいです。私の塾では、ひたすら音づくりとインプットだけやるので、この種 の荒唐無稽英語が採れません。ときどき、報告して下さいませんか。こちらも連載でお願いします。
全国の英語の先生、これらの愛すべき言語現象が多発しているのが学校だと思います。どうぞ、この掲示板にご報告下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis