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【タイトル】「磁場」は国家名と関係がない
【 日時 】06/02/03 2:05
【 発言者 】根石吉久
昨夜、遠藤尚雄さんについて辛口のことを書いたが、今日、改めて「英語は独学に限る」を読み始めたら、なかなかいい本だと思った。この本は小学館の「サピ
オ」という雑誌に、英語学習法の本9冊をとりあげて、それぞれについて書評を書けという依頼を受けたときに、「サピオ」の編集者から送ってもらったもので
ある。締め切りの一週間前に9冊届いたので、一冊ずつゆっくり読むということはどうにも不可能だったので、遠藤さんの本もざっと目を通して書評した。国弘
正雄の本を除いては、遠藤さんの本についてはもっとも好意をもって読んだことは覚えているので、確か国弘の次にとりあげていたと記憶している。
ゆうべ階下から持ってきて机の上に置いてあった。昨夜はカバーの表紙部分だけを見ただけだったが、今日起きて、表紙を開いて、カバーの紙が折り返してある
部分(袖というのだろうか?)にある記事を見たら、こんなことが書いてある。
私は、49歳でファナックUSAの初代社長
としてシカゴに赴任するまで、海外で暮らし
たことは一度たりともありません。しかし、
すでに海外で暮らしても困らないだけの英語
力はありました。
昼間これを読み、夕方から本の中身をゆっくり読み始めた。なんだ、やっぱりそうか、とサピオの記事を書いたときに思ったことを再度思った。この人は日本が
戦争に負けたとき、駐留軍で働いていた人なのである。その部分を引用する。
働いている環境は相変わらず生のアメリカ英
に四六時中囲まれているので、机に向かった
ままでの勉強では到底得ることができない大
きな収穫があったと言える。
駐留軍関係の職場はいわばミニュチュアのア
メリカ社会で、私はそこで働きながら「聞く」
ことと「話す」ことは十分時間を割いて勉強
したつもりだったが、立ち止まって考えてみ
ると英語で書いたものを「読む」ということ
が、不足しているように思えたのである。
四六時中英語に囲まれている職場で、「仕事」をしているなら、それは「磁場」である。「海外で暮らしたことは一度たりともありません」であろうと、英語で
「仕事」をすることは、言葉の当事者として英語を使い続ける環境にあったということであり、それはまともな「磁場」なのである。
私の理論で遠藤さんのケースも全部説明できる。そこが「海外」でなく、日本であっても、「駐留軍」での仕事は「磁場」での仕事なのだ。「磁場」は国家の名
前とは関係ない。遠藤さんは「磁場」に長くいたことのある人なのである。場が「磁場」であるかそうでないかは、言葉の当事者であるかないかで決まるのであ
り、いる土地が国家の名前で呼ばれる「日本」だとか「アメリカ」だとかは関係のないことなのである。
丸紅だか伊藤忠だか忘れたが、松本道弘も仕事で英語を使っていたはずだ。以前、そういう文章を松本自身の書いた本の中で読んだが、本の名前を忘れてしまっ
て、その後、該当記事をみつけられないままになっているが、私は確かにそういう記事を読み、「それだろ、種明かしは」と思ったことははっきり覚えている。
松本も「当事者」として、英語を使っていたのである。商売だから、キッタハッタがある。松本の「斬れる英語」とは、そのキッタハッタがやれるレベルの英語
のことである。
確かに国家の名前としては、遠藤さんが仕事をしていた場所も松本が仕事をしていた場所も「アメリカ」や「カナダ」でなく「日本」と呼ばれるだろう。しか
し、「仕事」をしていたのであれば、それは正真正銘の「当事者性」を生きていたということなのである。「当事者」として言語を使っている場所、それが「磁
場」である。
それをさらにはっきりさせるために、よくある「英会話学校」を考えればよい。ディベートをやろうが、会話をやろうが、それは「当事者性」としてはニセモノ
になる。それが「学校」というものの本質なのである。ディベートは正確には「ディベートごっこ」であり、必然性もないのに、賛成したり、反対したり、そこ
らの雑誌で読んだ意見を開陳したりしているのであるから、かなり高級な英会話学校の授業であろうと、すべては「ごっこ」なのである。「ごっこ」である限
り、「当事者性」は根本的にニセモノである。こういう授業が作るのは、オウムの上佑みたいな口達者なニセモノだろう。「アアイエバ、ジョーユー」の達者さ
というものをニセモノだと見抜けなくて、何が外国語か。
もとい。
遠藤さんも松本も、「商社」とか「駐留軍」とかいう「磁場」にいつづけたことがある人だということをふまえた上で、「日本を出たことがない」だの「海外に
暮らしたことは一度たりともありません」だのを読まなければならない。つまり、日本における「英語の磁場」という特殊な空間にいつづけた経験のある人たち
なのだ。これが、彼らの売り文句のミソなのである。
そんな「磁場」を欠いて英語をやり続けている普通の日本人には、だから、彼らの方法は有効ではないだろう。ハウツウとしてはどんどん参考にしていいことが
書いてあるが、それをやったところで、遠藤さんや松本や国弘のスキルに達することはない。どいつもこいつも、「磁場」を使ったやつらばかりなのだから。
いけない。また、口きたなくなり始めている。
遠藤さんの文章は、地味で堅実で、好きな文章である。てらいもない。
また、「言語係数0.3」という考えは非常に面白い。これは、ひとつの基準として使えるものだと思う。まだ3分の1ほど読んだだけなので、ひとまずここま
でにしておく。
読み終わってさらに書きたいことが出てきたら、再度書くことにする。