どうやら酒を飲んで書いたな、と思いましたが、当たってるか?
酒を飲んで書くことは、この掲示板はとても歓迎しています。
飲まずにやってられるかってなもんだわ、英語なんざ。
(生徒さんへ。レッスン時は、私は努力して飲まずにレッスンしていますから、その努力を評価するとともに、安心もしてくださって結構です。それについて言えば、飲んでレッスンなんかしてられるか、となります。愛知県、Kさん、一度だけ過ちを犯しましたが、気付かれましたでしょうか? とても心配です)
>どんなやさしい顔したって、やさしい声したって、やさしいコトバを使っても、教師・先生なんて異物を強制するもんでしかないわ。
教師でもコーチでも、「強制するもんでしかないわ」でいいのです。
それを自覚している教師がろくにいないことと、「強制」を受け止める力が生徒の方になくなってきていることがヤバイのです。あっしらで暴れるしかないでしょう。
>それは悪かもしれないが、必要なものなのですから。
「暴力はイケナイデス」なんてのはみんせいにでもまかしておいて、泣きながら生徒に暴力ふるってください。
「みんせい」ですか。なつかしい響き。みんみん蝉みたいに純粋でない。ほとんど「馬鹿」と同じ響き。うちの女房にも弱ったもんだ。村田君は俺にいったい何を言わせるのかしらねえば、実に弱ったもんだ。「みんせい」だっていいおまんこを持っていることはあるんだけどよ。だけど、俺がそれをきっちり評価しても、みっちり評価しても、何が偉いのか知らないが、きっちり評価された気がしないのだわ、「みんせい」は。頭の中が浮かれているから。
済みませんね。Draft One 二本目で取り乱して。
美しいイメージとしては、「暴力はイケナイデス」と言いながら、泣きながら生徒を殴って欲しいですわね。取り乱して欲しいですわ、センセー方には。
>そして自分に対して、悲鳴をあげながら暴力をふるってください。
いやあ、俺はそうは思わないな。そんなお芝居はやめて欲しい。
語学をやれ、どの科目の教師どもも。そう思います。
>個性なんてものは、たたかれてたたかれて、その後にそれでも残っちゃうのが個性です。
暴力ふるわれて、それで消えてしまうようなものは、個性なんかじゃない。そんなもの、いずれ世間の荒波にもまれて、消えてしまいます。
その通りです。これを明確に最初に言ったのは、私の知る限りでは小田嶋隆(もしかしたら表記が違う)です。
>人間の出来・不出来からいったら、俺の生徒さんの方が出来てるくらいなもんだと思います。
まことにそう思います。
>誰が「先生」というものに「人格」を求めるのでしょう。
今の日本で、先生なんてのは、儒教道徳における先生ではないでしょう。
戦後民主主義自体が、儒教を否定してますから。
うまいことを言うもんです。「人格」なんか求めたって駄目だと生徒が知っているのに、「人格」を演じてしまうのですわ。戦後日本のセンセイたちは。
戦前は、「人格」がありましたが、戦後にはないですな。それを明らかにするために、教員免許は持たないながら、私は「おまんこ」などと叫んでいるのです。切ないです。
「(映画に)幸せに犯されている」
栗本は言葉については天才があります。どんな切ない育ち方をしたのか知らないが、あいつの書き言葉の言語能力は一世を風靡しただけのものがあります
>英語フリークってのは、要するにそういうことだと思いますが、根石さん、どう思いますか?
「(英語に)幸せに犯されてる」。
名言です。
>どうやら酒を飲んで書いたな、と思いましたが、当たってるか?
>酒を飲んで書くことは、この掲示板はとても歓迎しています。
その通りです。なんでわかっちゃうかなあ(笑)
翌日、書いたこと思い出して、やっちまった、と思うのですが、あとのまつり。
「みんせい」は「ふーてんの寅」に出てくるさくらのだんなをイメージして
みましたよ。
>>そして自分に対して、悲鳴をあげながら暴力をふるってください。
>
>いやあ、俺はそうは思わないな。そんなお芝居はやめて欲しい。
>語学をやれ、どの科目の教師どもも。そう思います。
つまりそういうことを書くはずだったのですが、酔っ払いのかなしさですね。
酔っ払ってもちょっとかっこつけようとしてるのがはなはだかっこわるい。
「それでも残ってしまうのが個性」
小田嶋さんのことばでしたか。なんか気に入ったので覚えていました。
だめになりそうなとき、思い出します。
さてさて。
8月4日水曜日 夜8時から根石さん宅で「鰐る」の座談会本番やります。
Sさんも今回はフルスロットルで来るようですよ?
よろしくお願いします。
>いやあ、俺はそうは思わないな。そんなお芝居はやめて欲しい。
>語学をやれ、どの科目の教師どもも。そう思います。
私は「どの科目の教師」も語学をやれ、とは思ってなかったから
全然違う意味になってしまいますね。
そうか、どの科目の教師も「語学」をやれ、か。
なんかこれだけでひとつのテーマになりそうですね。
私も鏡を使ってます。レッスン初めて2〜3回目くらいで、「一瞬般若」の確認用に必要性を感じ、100円ショップ(ダイソー)で四角で蓋が折り畳み式で足になるパステルピンク(家でのレッスン用なので恥ずかしくない)の鏡を買ってきて使ってます。私は、食卓テーブルでレッスンを受けてますが、目の前にテキストと、その先に鏡を置いて、左手で受話器を握り、左手にペンを持って、テキストと鏡に視線を移動させながらレッスンを受けています。その後小川さんにレッスンを受けるようになり、狭い音の時に、「唇をドナルドダックのようにつきだして...。」「もっと狭く、はい、もっと狭く...。」と指導されるたびに、自分で口の形や開き方がどんな風になっているか、わからなくなりますので、確認のため、また「今の良かった!」と言われたときに、口の感覚と目で記憶に残すように活用しています。また、最初に根石さんからレッスンをテープに取ることを勧められ、レッスン後の1週間の練習に活用しています。(小川さんには言ってなかったかも)通しで聞いたり、早送りしたり、スローにしたりして、レッスンで印象が薄かったところが、再認識できたり、読み込むうちにいい加減になってしまっているところに気が付いたりします。褒められたところは2度ニンマリし、励みにもなります。本当は、小川さんが読んでるところだけを編集して「珠玉のテープ」を作りたい気がしますが、そんな時間があれば、流され気味の練習をもっとすべきだと思っています。私も、ゴーストのDVDをたまに見て(最初のところしか進んでないことに愕然としますが)、かなり聞こえることに感動しました。また、カールの方が私は聞き取りにくいです。あと、最近、練習前やレッスン前に般若の口や狭い口の形や、舌を出したり引っ込めたり、上げたり下げたり、丸めたりのばしたり、口蓋に着けたり離したりと準備運動をしています。自分としては音が出しやすいくなるような気がします。
mailto:0150419501@jcom.home.ne.jp
>左手で受話器を握り、左手にペンを持って、
訂正→左手で受話器を握り、右手にペンを持って、
mailto:0150419501@jcom.home.ne.jp
よろしくお願いします。練習は継続しておきます。
根石さん、小川さん、みなさん、
こんばんは(^^)ノ
>あんたのコピーライターの才能を高く買っていますので、小川さんのホームページ作りに協力し
てほしいのですが・・・。
いやいや、またまた。
根石さんも殺し文句が上手過ぎです(^^;。
小川さん、とてもお忙しい生活を送っていらっしゃるようですね。
その中での、HPづくり、ご苦労様でございます。
私は、小川さんほど忙しい生活を送っているということはないのですが、
この6月以降の新生活に、まだ慣れきっていないこともあり、
心身ともに、やや余裕のないありさまです。
根石さんの元で修行している身で、
HPづくりなら私がやりますと言えず、本当に申し訳ありません。
確約できないまま、お手伝いをお引き受けして、
万一皆様にご迷惑がかかってはいけないと思っています。
もしよろしかったら、小川さんと直接ご相談したく思います。
本当に、微力ながらのお手伝いしかできない、なさけない状態ですが、
それでも、もしなにかできることがあったら、
ご指示くださいませ。
承知しました。
お返事が遅れ申しわけありません。
私が当初やっていた学習方法を投稿して欲しいと
根石さんにお願いされておりましたので、以下投稿します。
@ICレコーダーは取り込んだデータをパソコン上で編集できる
物を使用。まずは根石さんとのレッスンを録音する。
A根石さんがしゃべるセンテンスを手本としてとりだす。
B長いセンテンスや自分が苦手だと思うセンテンスは、
さらに編集して複数のセンテンスに分割する。
C編集したセンテンスを繰り返し聞き、繰り返し練習する。
レッスンを始めた当初は、全く音作りができない状態でしたので、
レッスン時にだけ根石さんの手本を聞いただけでは、まったく
覚えられず、私なりに考えて生み出した方法です。
小林秀雄『考えるヒント』(文春文庫)所収の、『言葉』より引用。
「・・・私は、宣長の片言を決して任意に解釈出来るままに解釈して来たのではない。姿は似せがたく、意は似せ易し。言葉は、先ず似せ易い意があって、生まれたのではない。
誰が悲しみを先ず理解してから泣くだろう。先ず動作としての言葉が現れたのである。動作は各人に固有なものであり、似せ難い絶対的な姿を持っている。
生活するとは、人々がこの似せ難い動作を、知らず識らずのうちに、限りなく繰り返す事だ。似せ難い動作を、自ら似せ、人とも互いに似せ合おうとする努力を、知らず識らずのうちに幾度となく繰り返す事だ。その結果、そこから似せ易い意が派生するに至った。
これは極めて考え易い道理だ。実際、子供はそういう経験から言葉を得ている。言葉に習熟して了った大人が、この事実に迂闊になるだけだ。
言葉は変わるが、子供によって繰返されている言葉の出来上り方は変わりはしない。子供は意によって言葉を得やしない。真似によって言葉を得る。この法則に揺るぎはない。大人が外国語を学ぼうとして、なかなかこれを身につける事が出来ないのは、意から言葉に達しようとするからだ。言葉は先ず似せ易い意として映じているからだ。
言うまでもなく、子供の方法は逆である。子供にとって、外国語とは、日本語と同じ意味を持った異った記号ではない。英語とは見た事も聞いた事もない英国人の動作である。これに近附く為には、これに似せた動作を自ら行なうより他はない。まさしく習熟する唯一つのやり方である。」
小林秀雄の若い頃の商売道具はフランス語でしたが、英語もまあまあできた方の人だと思います。
これらの言葉は、小林の三十代の言葉でしょうか。私は書誌学的なことはまるでわからないのですが、三十代の匂いがします。あるいは四十代もありうるかとも思います。
五十代でこんなことを言っていたら、馬鹿かとも思います。
>姿は似せがたく、意は似せ易し。
>誰が悲しみを先ず理解してから泣くだろう。
こういう小林節は今読んでも魅力があります。俺は、若い頃は小林秀雄ばかり読んでいた者です。とりわけ好きなのは、ランボーの翻訳です。
小林でさえ、語学の言語と生活言語の区別をしなかったのだというのが、引用していただいたものを読んでの感想です。小林ほどの男がそんなことがわからないわけはないのですが、言葉としてはそれを書けていない。
>先ず動作としての言葉が現れたのである。動作は各人に固有なものであり、似せ難い絶対的な姿を持っている。
これが生活言語です。しかし、語学においては、「言葉としての動作」が現れる。まったくの逆転が現れる。各人に固有のものは、単なる癖として残るが、まったくその固有性から意味を奪われ、似せ難い絶対的な姿がおちぶれる。
>生活するとは、人々がこの似せ難い動作を、知らず識らずのうちに、限りなく繰り返す事だ。似せ難い動作を、自ら似せ、人とも互いに似せ合おうとする努力を、知らず識らずのうちに幾度となく繰り返す事だ。その結果、そこから似せ易い意が派生するに至った。
そうだと思う。生活がもたらす堕落というものがあるのだと思う。
>言葉は変わるが、子供によって繰返されている言葉の出来上り方は変わりはしない。
本当にその通りです。チョムスキーが言っている「普遍文法」の「普遍」とはそういうことだと思います。
>言うまでもなく、子供の方法は逆である。子供にとって、外国語とは、日本語と同じ意味を持った異った記号ではない。英語とは見た事も聞いた事もない英国人の動作である。これに近附く為には、これに似せた動作を自ら行なうより他はない。まさしく習熟する唯一つのやり方である。
ここですね。俺がふざけんなと思うところは。小林さん、あんたほんとに真似によって外国語をものにした人なのかね。言ってることとやったことが違うじゃねえか、と思うのです。冗談じゃねえ。小林みたいな男が真似から外国語を身につけるなんてするはずがねえのです。そんなことは恥知らずだと思うやつのくせにこんなことを言う。フリークの醜さをまだ見なくていい時代に生きた人のせいですかね。
ものごころついたばかりの子供について言う分には、小林の言う通りでいい。
ものごころついたばかりどころか、日本語を自然として大人として生きているようになってしまった大人がこんなことはできるわけがない。いや、恥知らずな者どもはいつの時代にもいますから、やる者はいるわけですが、普通の人にはとうてい奨められる方法なんかではない。
小林は独学の人ですから、そのもの言いに「コーチ」の存在が抜けているのはしょうがないのかもしれませんが、羞恥心のある大人の男でも「真似」して英語の音を作れるのは、英語の音を自覚として形成した日本人の語学コーチの音を媒介にする場合だけです。私はこの確信を深めています。
初期の頃の学習法を書いていただいてありがとうございました。
I 村さんは、急激に音がよくなった方でした。他の生徒さんに見られないほどの「急激さ」でしたので、何かやってるなと思い、以前のレッスンでお聞きしたら、IC
レコーダーを使っているとのことでしたので、いつか書いて欲しいなと思っていました。
私あるいは小川さんの生徒さんで、IC レコーダーを使った学習法についてもっと知りたい方がおられましたら、I
村さんに質問して下さい。I 村さんは教えてくださると思います。
嘘こけ、と思うところがあるものの、あんたにはコピーライターの才能はある。
小川さんと直接に相談してやって欲しいが、小川さんは今むちゃくちゃ忙しいので、あと二ヶ月
ほどしたら、動いて欲しい。
俺は、ここでがちがちやっていくので、ほとんど宣伝らしい宣伝はやれない。
俺としては、奈良の小川さんのところを生徒でいっぱいにしたい。
俺の方法を伝えてくれる拠点を作っていきたいのだ。
書いていただいてありがとうございます。
鏡を使っておられるとのこと。私は自分でやったことがないので、珍しいものを読む感じで読ませ
ていただきました。石坂君がやっていると書いたときも、ふうん、珍しいことをやるんだなと思っ
たのでした。
確かに私が言っているのは、「狭い音」とか、「顎の下がる音」とか、「口の両端が上に動く音」
とかですから、鏡は有効なのかもしれません。なるほどなあと思っています。
私や小川さんから受けるレッスンは遅々として進まないように思われるかもしれませんが、実質部
分は形成されていきますので、ひとまずは量よりも質を確保していただき、質が備わったところで、
「脱兎の如く」量をかせぐ練習に突入していただくことを望んでいます。
その後も、日本に住み続ける、あるいは日本語による感覚を持ったまま英語圏に住む場合は、英語
をメンテナンスする日本人コーチは必要だと思いますので、私どものレッスンでやることを基本に
据えて、「脱兎の如く」別のテキストに突入していただくようにも望んでいます。
>私も、ゴーストのDVDをたまに見て(最初のところしか進んでないことに愕然としますが)、かなり聞こえることに感動しました。
わたしどものレッスンの特質だと思っております。ほとんどどの生徒さんも、急に英語の音が英語として聞こえてくるようになったという感想を言って下さいます。
ただ多量に聞いていりゃ、英語が聞き取れるようになるなどという人だましの新聞一面を使った広告をようやくあまり目にしないようになってきましたが(俺が新聞を読んでいないせいか)、一頃はやたらにそれでかせいだ人だましがありました。
そんなわけがない。コーチについて、自分の口を実際に動かす他に、(フリークでない)普通の人が英語の音を身につけることは難しいというのが私の考えです。わたしどものレッスンはフリーク相手ではなく、普通の人を相手にしてやっていけるものだとも自負しています。
>また、カールの方が私は聞き取りにくいです。あと、最近、練習前やレッスン前に般若の口や狭い口の形や、舌を出したり引っ込めたり、上げたり下げたり、丸めたりのばしたり、口蓋に着けたり離したりと準備運動をしています。自分としては音が出しやすいくなるような気がします。
カールの音が聞き取りにくいのは、不誠実な人を演じている役柄のせいかとも思います。
私もカールの音は聞き取りにくいです。
準備運動はいいことだと思います。
レッスンの前やレッスンに備えての練習の前に、思い切り大きく顎を下げることをやっておくだけでも音はずいぶんと出しやすくなります。
>準備運動はいいことだと思います。
レッスンの前やレッスンに備えての練習の前に、思い切り大きく顎を下げることをやっておくだ
けでも音はずいぶんと出しやすくなります。
こんなことをやる、あるいはこんなことをやることが有効であるのが語学の特質です。
つまり、意識的な人工的な言語での特質です。
sbさんだって、朝起きて日本語をしゃべるために口の準備体操をやるなんてことはないで
しょう。そんなことをやらないのが、生活言語です。
14日から20日まで、お盆のお休みをいただきます。
素読舎の活動と、「電話でレッスン」がこの間お休みをいただきます。
先の『言葉』の初出は、「文藝春秋」昭和35年2月に掲載されたものです。
小林秀雄の生年月日は、1902年4月11日なので、58歳のときに書かれたものでしょう。
没年は、1983年で81歳です。
小川さんへのメールに、現在私がやっているレッスンの概要を書きました。ほとんどメモ書き程度
のものなので、わかりにくいですが、知りたい方がおられたら、質問していただき、少しずつ明ら
かになればいいかと思い、概要の部分のみ引用しておきます。
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・小学校低学年、日本語素読。「声に出して読みたい日本語」。復習20分。新規部分10分。読みが熟成した部分は一回読み。それ以外は毎回「技法グラウンド」。
・小学校高学年、中学教科書準拠の教科書ガイド。ゆっくりと準備する。「磁場」を欠いたまま、字に音をかぶせていくだけなので、日本語での生活過程に害はない。日本語訳先渡しし、素読(技法グラウンド)。
・中学生、中学教科書準拠の教科書ガイド、授業を受ける前に、教科書の本文をすらすら読めるようにしておく。三冊終わったら、「ゴースト」解析・熟成へ。日本語訳先渡しし、素読(技法グラウンド)。
・高校生、「ゴースト」解析・熟成、大学受験の英語の基礎がためを兼ねて、将来「使える英語」となる部分の基体づくり。終了したら、「七年目の浮気」解析・熟成へ。この段階で、大学受験レベルの英語との相関関係を形成。
・大学生、「ゴースト」解析・総合・熟成。終了したら、「七年目の浮気」解析・熟成へ。
大学受験で得た知識量を、音として蘇らせ、「使える英語」にまで熟成させる。
・社会人、初心者。「ゴースト」解析・総合・熟成。終了したら、「七年目の浮気」解析・熟成へ。
・社会人、中級者。「ゴースト」解析・熟成。終了したら、「七年目の浮気」解析・熟成へ。その後は、「茶の本」解析・熟成。
・社会人、上級者。「ゴースト」素文のみ。三十のテストにはテキストなし。三十分のレッスン時間のうち、テスト終了で余った時間だけ新しい文の素読(「技法グラウンド」)。
・社会人、上級者。「茶の本」 素読。FF(15分)、FN(10分)、N(5分)方式。
小林は、歳をとるほど評価が高まっていったタイプのものかきだったと思いますが、断然若いときに書いたものの方が面白いです。語学と文学が混在していた時期です。
58歳であんな程度の語学の認識だったら、語学に関しては、小林はボケがきていますね。なに言ってんだ、と思ったのでした。多分、長年語学を離れた者のもの言いでしょう。
昨夜、奈良のOさん(小川さんでなく、もう一人のOさん)のレッスンをした。
最後のレッスンだったので、少し長話をさせてもらって、現在の英語の状態をお聞きした。
Oさんは、一部上場の家電メーカーに勤めておられ、ときどき海外に行って、仕事をなされるが、最近は海外に行ってすぐに仕事になると言われたのが私はうれしかった。以前は、海外に出て、しばらく(数日?)、英語に慣れてからようやく仕事になるという状態だったが、私の「電話でレッスン」を受けるようになってから、現地に着いてすぐに仕事になると言われたのだった。
お話がうれしかったので、そのことを是非「大風呂敷」に書いて下さいとお願いしたが、うれしさが持続していて、Oさんが書く前に私が自分で書いてしまう。
Oさん
是非ご本人にも書いていただきたいので、日本人の英語は「仕事がちゃんとできればそれでいい」というご意見と共に是非書いて下さい。
私の思い違いがあったら、訂正して下さい。
効果がないから、害がない。
効果があったら、絶対に害になる。
「電話でレッスン」のお問い合わせは、この掲示板にお願い致します。
最近、ウイルスメールが多く送られてくるため、メールのほとんどを削除しています。
メールでのお問い合わせを打ちきりますので、ご承知のほどお願いいたします。
盆休み・正月休み
素読舎(塾)と根石吉久の「電話でレッスン」は、盆と正月にそれぞれ一週間ずつお休みをいただきます。これは、「有給休暇」としてのお休みとは別にいただきます。
----------------------------------------------------
基本的に月4回
根石吉久の「電話でレッスン」は、基本的に月に4回です。
月に5回同じ曜日があるときは、5回レッスンを致します。
一回多くした分はプールし、後でまとめてお休みをいただくときに使わせていただきます。
ほとんどが、外国に行くために使わせていただくことになると思います。
サラリーマンの「有給休暇」のようなものとご承知いただきたくお願い致します。
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どの曜日でレッスンを受けておられる方も、年に4回は月に5回のレッスンがあります。
あるひとつの曜日だけ、年に5回、月に5回のレッスンがあります。
私が一年分プールした分をまとめて使わせていただくと、年に一回、ひと月まるごとお休みをいた
だける勘定になりますが、お休みに使わせていただくひと月が一年の12ヶ月から外れてしまいま
すので、安全なところを見て、年に一回、3週間まとめてお休みをいただくことは可能であるとさ
せていただきます。
来年2月、雑貨の仕入れにタイに行きますので、3週間まとめてお休みをいただく予定です。
語学を長いことやってきたので、語学のことを考えることがよくある。語学の言語のことを考えていると、語学の言語以外の言語が気になり、語学の言語とそれ以外の言語を対照させて考えたりするような癖もできた。
語学から見たら生活言語がどう見えるかとか、逆に生活言語から見たら語学の言語がどう見えるかというようなことが気になるのである。
語学の言語と対照させるために、生活言語と言ってみたり、ネイティヴ言語と言ってみたり、自然言語と言ってみたりしたいろいろな言語があるが、これらの言語は生きている。書き言葉や、書かれた文学のテキストの問題を持ち出すと、非常に面倒なことになるが、少なくとも、話し言葉としての生活言語、ネイティヴ言語、自然言語というものは生きて動くなまものである。人間の意識の動きと分離しがたいものだから雑多であったり、流動状態であったり、整理されていなかったり、断片ばかりだったり、衝動的だったりするが、みんな生きて動いている。
語学の言語は死んでいる。ある人に、語学の言語というものは死んでいるのだと言ったら、変なことを言う人だという感じの反応が返ってきた。不気味なことを言う人だというような感じでもあった。あからさまな言葉ではなかったものの激しく反発されたので、むしろこちらがびっくりしたのだった。
語学の言語が死んだ言語だというのは、異様な考えなのだろうか。私にはしごく当然のことに思われるのだが、私に反発した人は、「生きた表現」というようなものを信じている人だったということなのだろうか。
私は「電話でレッスン」という英語のレッスンで映画のシナリオを使っているが、テキストには気の利いた言い回しが載っていることがある。また、ことわざ集のようなものには、ツボにはまった言い回しがたくさんあったりする。比喩に面白いものがあったりもする。そういうものを「生きた表現」と呼ぶことに反対はしないが、語学の対象になったとたんに、それらは全部死んでしまう。「生きた表現」は「生きた表現」のままに死んでしまう。語学の対象になったとたんに、言葉がかさぶたのようなものになり、客体化されるのだと言えばいいのか、飛び回る昆虫ではなくピンで止められた標本となるのだと言えばいいのか。
死んでいる言語の一番わかりやすい例は、英語を習い始めたばかりの中学1年生が、「習う
learn 習う learn」などとぶつぶつと唱えて自分に言い聞かせるような場面にみつかる。これは英単語と日本語を単に並列させているように見えるが、実は「音」と「意味」を一体化させようとしているのである。「習う」という日本語から意味を取りだし、「learn
」という「意味のない音」に意味を込めようとしているのである。「音」と「意味」が別々のものとして分離しているから、それらを一体化させようとして呪文のようなぶつぶつを唱えるのである。
「意味」と「音」の分離、あるいは、「音」だけがあり「意味」がそれに伴わないことは、語学の対象としての言語が死んでいることの証拠の一つである。生きて動いている言語において、「音」と「意味」がばらばらであるなどということはない。
言語として死んでいるから、それを生き返らせようとして中学一年生は呪文を唱えるのである。この呪術がうまくいき、「音」と「意味」が合体し、「
learn 」という音に対して、「習う」という日本語の訳語を必要とせずに、「意味そのもの=
learn という語のイメージの核」がただちに生じるようになれば、learn という語は生き返ったのだと考えていいだろう。そこに至る呪術の途中では、語学の机上において、ミイラが踊りを踊っているだけなのである。
こんなことは、生活言語では起こらない。いや、「音」というものひとつだけとりあげても、生活言語には「声」はあるが、「音」というものはないのだと言ったほうがいい。誰も皆、生活では「声」を聞いているのであり、「音」などを聞いているわけではない。例えば、言葉を覚え始めた幼児に母親が話しかけているとき、幼児が聞いているのは、「音」ではなく「声」である。
(私は最近孫を持ったが、孫の顔をみていてわからなくなったことがある。生まれたばかりの赤ん坊が持つ意識の白紙状態は、「声」を聞いているのか、「音」を聞いているのか。それがわからない。この時点では、無機物が有機的であり、有機物が無機的であり、相互に交流しているみたいなのだ。)
なにはともあれ、赤ん坊が母親の言葉に反応するようになった時からは、赤ん坊が聞いているのは母親の気持ちや感情と分離しがたい「声」である。もちろん、この「声」も録音できるので、録音されてしまえば「音」であるだろうが、それでも、言葉が母親から発せられているその時に、話しかけられている幼児にとって、言葉は必ず「声」であって「音」ではない。つまり、自分に直接に話しかけられているという関係が、幼児を言葉の当事者にしているということである。生活言語においては、大人と大人の話でもそうである。話す人もそれを聞く人も言葉の当事者である。
この当事者性とでも言うべきものも、語学にはない。当事者性もなく、言葉は「声」ではなく「音」に過ぎず、そしてそれに意味が伴わないというような事態において、言葉はすでにあらかじめびっしりと死んでいるのである。単純な事実であり、何も気持ち悪がられる必要はない。
「死んだ言語」は詩の雑誌 midnight press に連載している語学論の第一回目のものです。
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ミッドナイトプレス 電話 0484−66−3779
マジで、うそこいてねえんですよ(^^;。
何気にちゃんねるを変えたら 教育テレビで短大の発音の授業をやっていました。
おわりのほうだけだったので、今日もう一度見てみようとおもっています。
http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/jugyo/housou.html#040819
この発音なら英語は通じる!
〜 岩佐玲子先生&クリーブランド先生の英語 〜
(大学生の短期集中授業)
■放送日:平成16年8月19日(午後10:25〜10:50)
■再放送:平成16年8月20日(午後1:35〜2:00)
■再放送:平成16年8月25日(午前2:25〜2:50)
←ここをクリック!
東京都多摩市にある恵泉女学園大学。この夏、この大学で英語の短期集中授業が行われました。英米文化学科助教授の岩佐玲子先生は、以前から大学生に外国人とコミュニケーションをとるだけの英語力がないことを気に掛けていました。そこで今回の授業を計画しました。教えるのは、文法でも読み書きでも会話でもなく、発音です。外国人に通じる発音を手に入れれば、単語だけでもコミュニケーションは出来る、という考えです。
授業期間は2週間。90分の授業が9回です。1年生から4年生まで33人の学生が参加しました。この授業の模様を2回シリーズでご紹介します。
授業は、岩佐先生の徹底した発音矯正トレーニングから始まります。一つ一つの発音を通じる音にするため、口の形を細かく教えていきます。「F」の唇の位置と息の強さ、母音を発音するときの口の大きさなど、具体的な指導が積み重ねられていきます。
わくわく授業<再>情報、ありがとうございました。
結構、再放送もやっているのですね。
私は、その授業の成果が「わくわく授業」の続編でなされるというところを聞いて、次回分だけでも録画してみようと思っていました。
過去ログ 8月1日までを収録しました。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
また、sbさんが紹介された鈴木寿一先生の文章にもリンクしました。
根石さんのミラーサイト入り口に根石さんの写真を掲載。
http://f44.aaacafe.ne.jp/~sodoku/
音の修得を、複製音声で独学で学習している人が
大半だとおもいますが、コーチから習ったほうが
いいとおもいます。
下記は、あるところの掲示板で、私が投稿したものです。
比喩でいえば、病気にかかったとき、マニュアルや薬で自分で
なおすよりも、医者のところに行くのがふつうの選択ですが、
英語学習の場合は、独学信仰が強いようにおもいます。
とくに、音の修得に関しては、独学は不利だとおもいます。
>
投稿内容
Aさん
>
> 発音法の解説の多くは、単音の発音の仕方を説明しているだけで、それが実際の文章になった時に、どうやってネイティブのように高速に音の連鎖を発音できるのか、どうやったらあのモゾモゾとした音の連鎖を再現できるのかは教えてくれません。音声学は、英語の単音をスタティックにそれ単独で発音する時の舌や唇の位置を教えてくれるだけで、実際の発話において、どのようにしたら音の連鎖をスムーズに発音できるのかという動的な唇や舌の動きについては何ら教えてくれません。この分野は今後の研究の発展を待たねばなりません。
>
>
これに対する私の返信
上記のことは、つぎのように言い換えることができますでしょうか?
言語のらしさを習得するには、モデル音を聞いて、真似るわけですが
その方法論がまだ確立していない。
今後の研究をまつしかないと・・・。
確かに、普通の日本人が、何回も回数を聞いても、何回も音読しても
なかなか英語のプロソディを真似ることができない。
もちろん、人によっては、結構、上手に身につける人もいることは確かに
存在します。こういう人は、そう努力しなくても身につけてしまうようです。
(子供、タモリなど)
単音や単語ではなく、文章を、英語のイントネーションやプロソディで
読むためには、我流や独学では極めて困難とおもいます。
どんなに、複製教材を通じて、努力を重ねても、むつかしいとおもいます。
ここは、お母さんのような役割をする生身の人間のコーチをうけて
英語のイントネーションをつかむほうがいいとおもわれます。
また、それ以外にもないとおもいます。
夏休みに旅行に行った同僚の代講で自分の仕事の準備が思うにまかせず、明日からの高槻校の授業の準備がはかどっていません。 今日の電話レッスンをお休みさせて下さい。
9月になるともっとシッチャカメッチャカになると思います。 レッスンのドタキャンが続くかもしれませんが、なにとぞ御理解下さい。
承知しました。
よろしくお願いします。
承知しました。
練習の継続をお願いします。
ならねえ。
庭の欅の枝を3本切った。
丑三つ時に近く。
丑三つ時にノコギリを持って行かれたんですか...こわっ!
長い間お休みして申し訳有りませんでしたが、今日のレッスンよろしく御願い致します。
前回のレッスンで here を「ヒヤ」とyの音を入れてしっていると指摘されたのでそこを重点的に練習しましたので成果を聞いて下さい。
どんどん
でんでん
うちゅってる、うっちゅってる、うちゅってる、うつってる、うっちゅってる
うちゅってる、うっちゅってる、うちゅってる、うつってる、うっちゅってる。。。
先週の木曜のパート2、金曜の再放送をみのがし、
昨晩夜中二時の再放送もすっかり忘れてました。
どなたか 見た方感想をお願いします。
たしか、「わくわく授業」の情報を教えてもらったのはJackieさんだったと思います。
お世話になりありがとうございました。80%くらいはうまく録画できたと思います。
2回目分を中心におもいつくままに私の感想を。
80〜100分の授業を10回程度の短期講座だったと思う。日本人の英語の担当と、その先生自身が留学時に体験してきた授業(ネイティブ言語圏の学校における歌などを使った発音の授業、音声学の方は日本人講師の担当のようだ)を生徒にも受けさせたいという熱意が伝わってくる。
楽しみにしていたのは、1回目放送(出だしやテクニック、目的や経緯)と2回目(結果や感想、学習者自身の伸び感など)である。最後に歌の発表会のようなものがあったが、あれでは「はい、やりました、おわり」の感もぬぐえないのではないだろうか。
折角、最初に個々の生徒の発音アンケートを実施したのに事後アンケートの紹介は直接にはなかったように思う。そのアンケートというのは例えば、名前を英語で書かせた後、アルファベットが書いてあり、そこからきちんと個々の発音がなさせているかがチェックできるようなものだったと思う。問題があるところには日本人の講師の先生が丸印をつけていた。その後そのプリントには、特に日本人が苦手とする3大要素?<th−/
LR/FV>などを含む、coastとghost, rightとlight, feetとheat, seatとsheet,
beatとbit, th-などの具体例が記入されており、そちらもチェックできるような、全体としては「個別にその発音が各学生に課題があるのかを機能的にチェックすることができるもの」だった。せっかくこのようによいものがありながら、その表と10回くらいの短期講座で同じ生徒がどう変わったのかということをカメラで写してもらえるとさらに充実した番組になったことと思う。それから先生がこの講座の期間中個別レッスンまで丁寧にされていた。大きな鏡の前で。鏡で思い出したが、女子大ということもあろうが、全員きちんと指示どおり手鏡や、鏡がついている文具やケータイなどをもってきて自分で確認しているところも好印象だった。
感想ありがとうございました。
一回目の放送で私がみたのはゴスペルが上手そうな黒人の先生が
「La La La」とLの発音のフレーズを 口と下の動きをみせながら指導していたところです。
その前に日本人講師が発音の指導をしていました(ここはちょこっとしか見れませんでした)
>特に日本人が苦手とする3大要素?<th−/ LR/FV>などを含む、coastとghost, rightとlight, feetとheat, seatとsheet, beatとbit, th-などの具体例が記入されており、そちらもチェックできるような、全体としては「個別にその発音が各学生に課題があるのかを機能的にチェックすることができるもの」だった。せっかくこのようによいものがありながら、その表と10回くらいの短期講座で同じ生徒がどう変わったのかということをカメラで写してもらえるとさらに充実した番組になったことと思う。
そうですね10回の指導でどうかわったかが知りたいですね。
>coastとghost, rightとlight, feetとheat, seatとsheet, beatとbit, th-などの具体例が記入されており、
この辺の発音はどこの大学のLLでも行われているのではと思います。
しかし個別の単語をやって これは rightかlightかをききわけて丸をつけるという発音というよりリスニングのクラスになってしまっていますね。単語でやったあと文単位で練習をしていかないと発音は身につかない。
手鏡をつかって発音確認もいい。
>それから先生がこの講座の期間中個別レッスンまで丁寧にされていた
指導方法ををみたかったです。
歌を通してやるのは効果的ですね。
Love me tender, Last Christmas などを教材に
わたしも教えていましたが なにせ音痴なもんで・・・(汗)
1と2を夜中の特集で再再放送ってこともなきにしもあらずなのでこまめにHPをチェックしておきます。今度こそ、見逃すまい。
いやあ 小金、大金、あるところにはあるもんですね。
今日小耳に挟んだはなしです。
カラオケブームはとうにさったとおもいきや、
カラオケ教室がおおはやり。
カルチャーセンターでやる30人クラスのものから 5人ほどの小グループのレッスンや高額個人レッスンなど
主婦、リタイア組でさかんになっているようです。
きいたところの二つのカラオケ教室(個人)では
100人〜150人以上の生徒をかかえているそうです。
よほど指導力のある先生なのでしょうが、 うはうはでんな。羨ましい。
時に小ホールなどで めかしこんで晴れ舞台。
出演するのにも各自相応の出費が必要ですが、
スポットライトをあびることが病みつきになるようです。
びっくらこいたことにはオリジナルCDを東京のプロスタジオで自主製作、約100万。
有閑マダムや退職した記念になど顧客は結構いらっしゃる模様。
いやー 巷の大手英会話学校がすたれないわけと共通するものを感じます。
大手英会話は英語上達よりも「外国人と話すワタシ」に酔うために通う方がいるのですたれないのですね。もちろん英語上達を真剣に望む学生や社会人もいますが、通うだけでなく 日々の練習力がものをいう。
カラオケなどは レッスン後、近くのカラオケボックスに流れて楽しく練習。
練習も苦にならないのはゴルフ好きがゴルフうちっぱなしにいそいそ通うのと似ていますね。
英語もこうであってくれれば、 いやいそいそと練習にいそしむように 興味をもたせて教えることが講師のつとめか。
ジャズを歌う教室、同じくBarで発表会、生演奏のピアノをバックに 英語のスタンダードナンバーを。 本人達は英語で歌っているつもりでしたが、以下略。
ま 楽しいことが第一です。
根石さん 歌はお得意ですか?
こちらのほうがよほど気楽に儲かりマンデー。
じ(磁)場(ば)じば、じーーーばーーー、じいーーーーばあーーーーーー
言葉をのーーーせーーーてえーーーーーー(hU−−−)
じ(爺)ば(婆)じばじーーーばーーーじいいーーーーばーあーーーー
想いがゆーーーーれーーーーーrUっ、 うっ 、 チャン!
いらっしゃいませ。
私は歌は駄目です。特に英語という言語の拍が生み出したと思われる英米系の歌が全部駄目です。人様とカラオケに行って歌うことがごくたまにありますが、私が歌うのは全部演歌です。石狩挽歌、網走番外地、唐獅子牡丹、新潟ブルースくらいしか歌いません。
ウドという外人の義理の父はカラオケ教室の先生で、その先生が経営する店で唐獅子牡丹を歌ったら、ウドが根石はサムライソングを歌うと言ったことがありました。おめえな、あれはサムライソングじゃなくて、ヤクザソングだと教えたことがありました。
私は風体がどう見ても英語でおまんまを食っている人間にはみえないらしく、先日庭先で始めた雑貨屋に、私の英語の生徒(高校生一年生、女)がお母さんと来てくれて初対面をしましたが、後でお母さんから聞いた話によると、「どう見たってあの人が英語を教えているとは思えない。私の電話でレッスンの先生はどこか他にいる別の人に違いない」と言っていたそうです。
歌でまうからんのは初めからわかった話ですが、英語でもまうからんのは困ったものです。風体だけじゃなく、歌も駄目なんですから、なかなかまうかりはしません。で、雑貨屋を始めてみたものの、こちらもいまだまうかりません。
ええい、帰農するぞ、と思っている今日このごろです。
>この辺の発音はどこの大学のLLでも行われているのではと思います。
しかし個別の単語をやって これは rightかlightかをききわけて丸をつけるという発音というよりリスニングのクラスになってしまっていますね。単語でやったあと文単位で練習をしていかないと発音は身につかない。
これはsbさんがテレビを見て書かれた感想の、「特に日本人が苦手とする3大要素?<th−/ LR/FV>など」に対するコメントですが、なんとかというNHKに登場された先生は、母音は扱わなかったのでしょうか。あ、これはsbさんにもお聞きしておきたいと思います。
子音は複製音声やコーチの生の音を聞いて、コツを聞くことで音を身につければ、比較的「先祖帰り」がない。しかし、私が提示している3つのア系列の母音、「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」は先祖帰りがはなはだしい。
地元の高校の英語の先生を生徒に迎えて、2年以上レッスンしてきましたが、一時期非常に上達して、3つのア系列の音もよく出るようになったと思って喜んでいたところ、先日のレッスンで、音の連続性は非常にいいものが穫れているのに、3つのア系列がみんな日本語の「あ」に先祖帰りしているのに気付いて、英語の音のレッスンでは、3つのア系列の音こそが眼目だと改めて思ったのでした。
この3つのア系列を区別しないで長年英語をやってきた人においては、先祖帰りの傾向は非常に強いものがあります。この3つを明確に扱う方法(指示方法)がこれまではなかったと思っています。そのあたりを放送ではどんなふうに扱っていたのか、私としてはそれに非常に興味があります。
>丑三つ時にノコギリを持って行かれたんですか...こわっ!
ときどき酔っ払うと発作的に庭の木の枝を切るのですわ、夜中に。
仕事にならん、は、仕事をする予定でいた日にちょっと酒を飲み過ぎて、仕事ができなかった
ということです。酒がいけないのです。私がいけないのではありません。全部酒のせいにしてし
まう私がいけないのですが、今日も酒が入っているので酒がいけないのです。
> 子音は複製音声やコーチの生の音を聞いて、コツを聞くことで音を身につければ、比較的「先祖帰り」がない。しかし、私が提示している3つのア系列の母音、「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」は先祖帰りがはなはだしい。
それは日本語の母音の口の構えと、英語の母音の口の構えとが根本的に異なるからです。四六時中英語を喋っているネイティブと違って、日本人の英語学習者は英語を発声する時間の割り合いは勉強家の場合ですらせいぜい10%以下で、残り90%は日本語を発声している訳です。例えば、テニスプレーヤーがトップスピンをマスターしようとして10分それを練習したあと、残りの2時間をそれとは全く逆の打ち方であるスライスを打ち続けるようなものです。これでは元に戻ってしまって当たり前です。それ程、英語の発声と日本語の発声とは距離があるという事です。それが嫌ならば、日本語を一切排除するか、日本語を喋る場合でも英語の発声法で通すか(その場合には訛った変な日本語になってしまいますが)いずれかしかないでしょうね。
>それ程、英語の発声と日本語の発声とは距離があるという事です。それが嫌ならば、日本語を一切排除するか、日本語を喋る場合でも英語の発声法で通すか(その場合には訛った変な日本語になってしまいますが)いずれかしかないでしょうね。
いずれしかないということですが、
では、boysome228さんは、
日本語を一切切除したり、
日本語を喋る場合でも英語の発声法で通すか、
してらっしゃるんですね。
ある意味、すごい。
>いずれしかないということですが、
では、boysome228さんは、
日本語を一切切除したり、
日本語を喋る場合でも英語の発声法で通すか、
してらっしゃるんですね。
そうした方がベター程度の意味です。絶対そうしなければならないという訳ではありません。言語、コミュニケーションというのはまずは本人の気持ちです。伝えたい事、熱意があれば、極端に言えば発音の訛り、文法の少々の間違いなどはものの数ではありません。積極性に勝る教師はありません。
根石さん、こんにちは。
先日はいろいろアドバイスをいただきありがとうございました。
9月10日(金)20:00〜のレッスンをお休みさせていただきます。
今後ともよろしくお願いします。
承知しました。
こちらこそよろしくお願い致します。
当日で連絡申し訳ありませんが、今日はレッスンをお休みさせて下さい。
承知しました。
数日前、
根石さんの生徒さんの音の「先祖帰り」への嘆きに対して、
boysome228さんがレスをつけておられました。
それについて、ワタクシは、いいがかりにも似た嫌味を書いたわけですが、
ワタクシなりに「先祖帰り」について、思うところを書くことにします。
boysome228さんは、
音の「先祖帰り」について、
>それは日本語の母音の口の構えと、英語の母音の口の構えとが根本的に異なるからです。
>…これでは元に戻ってしまって当たり前です。それ程、英語の発声と日本語の発声とは距離があるという事です。
と帰結されました。
しかし、ワタクシはこの「ごもっともな」説明が、
「先祖帰り」の主要因だとする説を採用しません。
ワタクシは、根石さんも書かれていたように、
音の「先祖帰り」が、「長年英語をやってきた方」に多く見られるとする点に注目しています。
ワタクシが目の当たりにしたサンプル数が、十分に多いというができない点で残念ですが、
学校で習う以前の早い段階で、3つのア系列の母音「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」を習得した素読舎の生徒さんには、
音の「先祖帰り」はあまりみられないように思われます。
また、素読舎の高校生になってから入塾した生徒さんにおいても、
回転読みで音を体得している英文ならば、
復習段階で「先祖帰り」することは、そう多くはないように思います。
ちなみに、音の「先祖帰り」をしない生徒さんが喋る日本語に、
子音・母音が「アメリカ(あるいはイギリス)渡り」している様子は認められません。
これは、確実にいえます。
これらのことから、
日本人にみられる音の「先祖帰り」は、
英語の音と日本語の発音との乖離という点だけに負うとは到底思えません。
むしろ、音の「先祖帰り」は、
「長年の英語教育」に負うところの方が多いのではないか、とワタクシは思っています。
もっといえば、これは「人災」ではないかと思っています。
恐らく、学校という場所には、今も
「最低限、身に付けるべき音をないがしろにする磁場」が、
ガチガチに張り巡らされているのが現状でしょう。
この磁場に戻ると、せっかく身に付けた通じる音が、再び犯されるのだと思っています。
学校が、日本人の英語の最低限通じる音づくりに取り組んでこなかった怠慢の結果です。
しかし、最低限通じる音づくりへの取り組みは、確実にあります。
素読舎もこれに取り組んでいるわけです。
これは、空しい努力だと、ワタクシは思いません。
結論ですが、ワタクシは、
日本人が、日本語の音を保ちながら、英語の通じる音を持つことは、同時に可能である、
とする説を採用したいと思っております。
また、実際にそれに取り組んでいます。
音の「先祖帰り」をする根石さんの生徒さんについても、
学習段階における揺り返しの一つで、いつからでも再び改めていけばいいことだと思うだけです。
boysome228さんのレスは、もうしわけありませんが、
単なる日本人の「通じる音づくり」を悲観しただけの、一般論としか思えませんでした。
これからの英語学習の方向性に対して、「分かったような口を利く」だけの、
非建設的なものと受け取りました。
P。S。
また、「情熱があれば通じる」論は、英語を実際に使う場で発揮すればよいこと。
英語学習は、現場に出る前にしっかり積み重ねておいて損はないというものであり、
それは、そんな非科学的なものではなく、例文を沢山体内に蓄積するという具体的な訓練をした方が、効率的です。
>学校で習う以前の早い段階で、3つのア系列の母音「一瞬般若、歯医者のアー、狭い音」を習得した素読舎の生徒さんには、
音の「先祖帰り」はあまりみられないように思われます。
また、素読舎の高校生になってから入塾した生徒さんにおいても、
回転読みで音を体得している英文ならば、
復習段階で「先祖帰り」することは、そう多くはないように思います。
以前、Naimaさんが、ちょっと英語から離れていると、すぐ発音がさび付いてしまって元に戻すのに苦労するというような内容のことを言われていましたが。。。。
両言語の口の構え、使用する筋肉が異なるという事は結構言えるように思います。そのため、一方のの言語を話している時、急に他方に切り替えるには、まるで仮面ライダーの変身のようなドラスチックな変化を口腔に生じさせる必要があります。帰国子女の方々でも、長いこと英語から離れていると、発音が日本語化するという現象が見られます。
>以前、Naimaさんが、ちょっと英語から離れていると、すぐ発音がさび付いてしまって元に戻すのに苦労するというような内容のことを言われていましたが。。。。
Naimaさんの書き込みを確認していないので申し訳ないのですが、
恐らくNaimaさんは、「発音がさびつく」ではなく「英語がさびつく」という言い方をしていたと思います。
お手数ですが、ご確認ください。
もちろん、練習をしていなければ「英語」はさびつきます。
日本語の磁場は強力です。
ただ、
素読舎ではじめて英語に触れた生徒さんにおいて言えば、
練習を怠れば「英語」はさび付きますが、
ダイレクトに単語の「発音」がさびつくという現象がおきているかといえば、
それとは少々違うように見受けられます。
ワタクシが注目しているのは、
素読をつづけている人間が、練習を続けているにもかかわらず、
音の「先祖帰り」をするということについていっているのです。
Naimaさんは英語のエキスパートであり、「英語のさびつき」についての記述を、確かな筋からの文章の引用することは悪いことではないと思います。
ただし、それはあくまでもboysome228さん自身の「実感」ではないととりました。
boysome228さん、
提案なんですが、いろいろ言ってないで、実際に素読舎で英語を鍛えてみたらどうでしょう。
そうしたら、「英語がさびつく」という感覚が、もっとはっきりわかると思いますよ。
まあ、boysome228さんは、英語のエキスパートでいらっしゃるのでしょうが。
と書いたと記憶しています。
9月末までお尻に火がついてますので、10月になったらまた書込みしますね。
いくこさんにもホームページの件などで相談もありますし。
今日のレッスンをお休みしなければなりません。 来週よろしく御願い致します。
わかりました。
もうちょっとですので、頑張って助っ人をやりとげて下さい。
10月からは期待しています。
ユングは彼の会ったプエブロの人たちの悠然とした落ち着きに感嘆する。そして、それから逆に
ヨーロッパ人のしてきたことについて考え直してみる。「われわれの観点から植民地とか、異教
徒への宣教、文明の拡張などと呼んでいるものは、別の顔をもっている。つまり、残忍なほどの
集中力で遠くの獲物を探索する猛禽類の顔つきであり、海賊、野蛮といった悪人どもにふさわし
い相貌である」とユングは述べている。現在ならともかく、一九二〇年代に、これだけヨーロッ
パ文明の影の部分をはっきりと認識した人は稀であろう。
------【返信フォーム】(返信先: manabiba@edu21c.net )---------------
都道府県:長野県
団体名:素読舎(そどくしゃ)
担当者名:根石吉久
担当者連絡先(TEL):026-272-4330
担当者連絡先(E-mail):ax9y-nis@asahi-net.or.jp
(携帯メール): 0kw3881209g0r9y@ezweb.ne.jp
【1.学び場データベース掲載情報について】
↓いずれかに○をつけてください。
< 修正なし ・○修正あり >
●修正点
ホームページ上の「項目」と「修正後の文章」をご記入ください。
(例:「ホームページ」→ http://www.edu21c.net/manabinoba/ )
1.「その他活動」
→ 英語「電話でレッスン」(「音づくり」によるシンタックスの内在化、「日本語磁場」における英語のメンテナンス)。「電話でレッスン」のコーチ育成。
2.「所在地」
→ 長野県千曲市鋳物師屋642-3
3.「方針・特色」
→ 英語塾は根石せいが担当。「電話でレッスン」は根石吉久、小川住江が担当。掲示板「大風呂敷」で語学論を展開。学校の英語の授業が、「音づくり」を行わないこと、意味と一致させるに足る音の質を作らないことへの批判を継続。日本人向けに特化した「あいうえおフォニックス」を構想中。現在の語学論の元となる著作は小学館文庫「英語どんでん返しのやっつけ方」(村田晴彦との共著)。
4. 「活動内容」
→ 素読・音読を元にした英語塾を三十数年続けてきました。英語塾で樹立した方法を元に、一般の生徒さんに対し、在宅のままレッスンを受けられる「電話でレッスン」を行っています。不登校の方で将来英語を必要とする可能性を感じておられる方も歓迎します。また、英語科教員、塾講師、外資系社員、在米の日本人を対象に英語のレッスン及びコーチ法のレッスンを電話で行っています。今後は「電話でレッスン」のコーチの養成にとりくむ予定です。
5.「メッセージ」
→ 基礎作りの年齢で素読(音読)による「音づくり」をしないと「使える英語」を身につけるために二度手間になるだけでなく、後々音の修正に手間取ります。小・中・高の年齢の生徒をひきつづき募集します。例えば、中学生が学校の授業を受けるときに、あらかじめ「まともな音」で教科書本文をすらすら読めるようにしておけば、知識を身体化するのがどれほど楽になるかを想像してみて欲しいと思います。授業の消化が非常によくなるだけでなく、「まともな音」という知識の「受け皿」があるので、知識がただちに身体化されていくのは明らかです。そうすることで「音づくり」を欠いている既存の学校の授業でもなんとか役に立てることができます。また、英語を教えておられる方で自分の発音に自信が持てない方は、是非「電話でレッスン」の受講をお願い致します。これは、先生(コーチ)一人の問題ではなく、その先生(コーチ)の生徒全員の問題ですから、真剣に考えていただきたい。在米で仕事をされている方(国家公務員)も、レッスンを始めてくださっています。英語圏にいて英語で苦労されている方にも日本から電話でレッスン致します。(日本人に特有の英語の「音」の問題は英語ネイティヴの講師では解決しません。)
6.「活動形態」
→ 通い 電話を使ったレッスン 国際電話を使ったレッスン
7.「発行通信等」
→ 掲示板「大風呂敷」(http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs)
8.「見学時間」
→ 土曜日・日曜日 18:00〜21:00(塾のみ)
--------【返信フォーム】ここまで------------------------------------
ご連絡ありがとうございました。
以上です。よろしくお願い致します。
連絡先に携帯メールのアドレスを追加しましたが、掲載していただければ幸いです。
書籍への掲載も願い致します。
根石吉久
----------------------------------------------------
<<<「あいうえおフォニックス」の前提1>>>
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する傾向が強い。(この曖昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
<<「あいうえおフォニックス」の前提2>>
・日本人の耳に「ア」「アー」「オー」と聞こえる音に関するフォニックスである。「ア」または「アー」と聞こえる音については、口の構えの「広い・狭い」の区別をするためのものである。「口の両端を斜め上にひっぱった瞬間に出す「ア」(一瞬般若)やその他の母音・子音は、「あいうえおフォニックス」の対象外である。(「あいうえおフォニックス」の註として、「発音10のポイント」を付け、そちらで扱う。)
----------------------------------------------------
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られたものは ar ir ur er or
・ ar を○で囲ませ、「顎の下がる明るいアー(歯医者のアー)」と説明
・ or を○で囲ませ,「ゆで卵(鏡文字c:)」とあだ名を言う。「唇に丸く力が入る(ゆでたまごを唇にくわえた感じのオー)」と説明
・残った三つ ir, ur er を一つの○で囲ませ、「狭くこもったアー」と説明
----------------------------------------------------
(註)
・ w に続く or は「狭くこもったアー(逆さe :)」 word, world, work
・ w に続く ar は「ゆで卵(鏡文字c:)」 war, toward, warning
・アクセント直後の ar は「狭くこもったアー(逆さe:)」
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o 」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができた)あたりで、ear,
re を追加する)
・ear も「狭くこもったア」
・re は er と同じく「狭くこもったア」(母音の後で re が現れる・図式の
er の下に括弧に入れて (=re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から 「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er
= re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いから最初から扱ってしまっても構わない。
----------------------------------------------------
----------------------------------------------------
例外
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
・ar に関して particular (どちらの ar も「狭い音」)
----------------------------------------------------
<参考>
・ 子音に挟まれた u が「日本人の耳に」「あ」と聞こえる場合、ことごとく「狭い音」(逆さv)
>以前、Naimaさんが、ちょっと英語から離れていると、すぐ発音がさび付いてしまって元に戻すのに苦労するというような内容のことを言われていましたが。。。。
両言語の口の構え、使用する筋肉が異なるという事は結構言えるように思います。そのため、一方のの言語を話している時、急に他方に切り替えるには、まるで仮面ライダーの変身のようなドラスチックな変化を口腔に生じさせる必要があります。帰国子女の方々でも、長いこと英語から離れていると、発音が日本語化するという現象が見られます。
このように書かれるのであれば、結局、Naima さんや私が言う「錆び付く」説をご自分から認められたのですか。
あなたは、「私の英語は錆び付かない」みたいなことを言われたのです。よく聞いてみれば、音に関して日本語をスポイルするということをあなたはやっておられる様子です。錆び付かないと言われるのは結構だが、その背後に変態的練習が存在するのだということを明言しないと駄目です。そんなこと、私だって、積極的に日本語の音をスポイルすればできる。それは変態であり、フリークであるから、そんなことは絶対にやりたくないという意志がはっきりあるのでやらないだけのことです。
いくこへ。
boysome228さんといくことの尻切れトンボの論争では、どちらの言っていることも当たりだと思いました。英語と日本語の母音では口の構えが違うから、日本人の英語の母音は先祖帰りの傾向が強いのだということも言えますし、英語のア系列の母音をまともに区別しないで長年英語をやってきたから、先祖帰りが激しいのだということも言えます。
いくこは「人災」だと言いました。それについては、俺はこの掲示板で、「学者災」であり、「文部省災」だと言ってきました。それぞれ、人がやっていることだから、「人災」だと言えば言えるが、でたらめな英語教育法が「贋の標準形」として「制度」化され、「自然」化されているのが、日本の腐れ英語教育なのです。制度の問題でもあるのです。
俺が英語の母音の区別の仕方を言葉で人にはっきり言えるようになったのは、四十代半ばを過ぎたころです。だから、いくこには俺は「人災」を及ぼしています。いくこが中学生だった頃、俺は母音の区別の仕方をはっきり言葉にできなかった。それはつくづくくやしいが、その元に「文部省のでたらめ」が続いてきたという事実がある。埴生中学、屋代高校、早稲田大学のどの授業においても、日本人にとって緊急に必要な母音の区別法に一度も出会ったことがない。
「文部省のでたらめ」がその下にあったのです。そして、いまもその「でたらめ」が続いているのです。
> このように書かれるのであれば、結局、Naima さんや私が言う「錆び付く」説をご自分から認められたのですか。
あなたは、「私の英語は錆び付かない」みたいなことを言われたのです。よく聞いてみれば、音に関して日本語をスポイルするということをあなたはやっておられる様子です。錆び付かないと言われるのは結構だが、その背後に変態的練習が存在するのだということを明言しないと駄目です。
そういう事になるかも知れません。変態的かどうかはともかく。。。。
>そんなこと、私だって、積極的に日本語の音をスポイルすればできる。それは変態であり、フリークであるから、そんなことは絶対にやりたくないという意志がはっきりあるのでやらないだけのことです。
これは何となく、東京弁を使うと自己否定しているようで嫌だという関西人の心理と似ていますね。言語の習得、特に音の習得というのはある程度英語ネイティブになりきって真似するという事も必要となるように思います。まあ、この辺はお互いのイデオロギーの相違かも知れません。
> boysome228さんといくことの尻切れトンボの論争では、どちらの言っていることも当たりだと思いました。英語と日本語の母音では口の構えが違うから、日本人の英語の母音は先祖帰りの傾向が強いのだということも言えますし、英語のア系列の母音をまともに区別しないで長年英語をやってきたから、先祖帰りが激しいのだということも言えます。
この辺りの感性の鋭さ、真実への謙虚さはさすがですね。私としては重要な点をコメントしたつもりですので、ご理解頂いて嬉しく思います。
>変態的かどうかはともかく。。。。
ネイティヴ言語を話す者にとって、「音」などは存在しない。あるのはただ「声」だけだということを私が主張し、sbさんと論争しましたが、あなたが日本語を英語の「音」で置き換えた時に、日本在住という条件下で、どのようにあなたの「声」が確保されるのかがわかりません。ネイティヴ言語を話す者にとって、あるのはただ「声」だけであるのに、あなたがそれを「音」としてとらえたければ、日本語は「音」として立ち現れる。その時にこそ、「声」の自然性は壊れるのではないのでしょうか。「声」は、感情そのものと分離できない。感情と「声」の間には境目がない。その境目のなさが壊れるのだと思います。日本語で育った日本人が、日本在住のままどんな激しい英語の練習をすることもいいが、「声」と感情の境目のなさを壊すようなけじめのないことをしたら駄目ですし、その駄目なことをする者を変態と呼ぶしかありません。私は変態という語を真剣に使っているのです。本気でそう思っているのです。
>これは何となく、東京弁を使うと自己否定しているようで嫌だという関西人の心理と似ていますね。言語の習得、特に音の習得というのはある程度英語ネイティブになりきって真似するという事も必要となるように思います。まあ、この辺はお互いのイデオロギーの相違かも知れません。
関西弁の人が東京弁を使うときの心理は、同一シンタックスの言語内での違和に過ぎません。日本語で育って日本で生きている人が日本在住のままに、日本語を英語の音(だけでなくシンタックスも)に置き換えることに対する私の違和は、似て非なるものだと思っております。
日本在住のままの日本人は、「練習の場面だけで」、英語のシンタックスや音を無意識化することをすればそれで十分です。使うときは、意識的に使えばいい。ごつごつと不器用に使えばいい。私の英語の練習音と使用音はまるで違います。相互に自然に血が通う分だけ血が通えばそれでいい。練習が激しければ、使用音も「自然に」変わります。それで十分です。そのように放置すべきものを放置しないならば、日本語という母語に罅が入る。そんなことはすべきことではありません。そんなことを私が言ったところで、フリークはやる。やりたきゃやってろ、亡者どもが。それが、イデオロギーと言えば私のイデオロギーでしょうが、私はこれを思想だと思っております。イデオロギーと思想も似て非なるものです。
>音の習得というのはある程度英語ネイティブになりきって真似するという事も必要
いいことを書かれました。boysome228 さんは単に必要ということを言われたに過ぎないと思っておられるかもしれませんが、これは私には立派な「定義」です。フリークというものの定義です。フリークはこれをやるんです。私はそれを知っています。そして、そんなものはフリークにとっての必要性でしかないと考えています。フリークだから、普通の人がどうにも恥ずかしくてやれないことを平気でやってしまえるのです。フリーク以外では、意識の希薄な女もこれをやりますね。
ここは実に微細な話なのですが、「ネイティヴになりきって真似する」ということと、ネイティヴ音を練習の「媒介にする」こととは、まるで別の事柄なのです。
みっともないからフリークになるなと私はずっと言っているのです。やみくもなネイティヴぶりは、端から見れば実に実にみっともない猿です。日本で英語をぺらぺらやる輩を見ると、こっちが恥ずかしくなる。あんまり俺を無駄に苦しめるな、と思うのです。
私はフリーク猿達のやみくもさが必要でなくなる方途を探し続けてきたのです。私の「あいうえおフォニックス」は、そのように方途を探してきた結果です。これがあれば、これまでのフリークのやみくもなみっともない可哀想な真似は要らなくなる。
「あいうえおフォニックス」で純粋に練習の場での英語音を作れば、後はネイティヴ音は鼻歌を歌うように自然に口から出てくればいい。そういうことなら私は否定しない。英語音など、鼻歌程度にしておくのがいいのです。
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Jackie さん
以上の意味では、私のレッスンは金にならない「カラオケ教室」かもしれません。
テレビの英語番組にでてくる欧米人とのハーフの人、
ヒロコグレースさんとか その他のバイリンガルの人。
第一言語は英語だからか 英語を母国語の親の影響か、
日本語を話すときも英語の口の開き方ですね。
テレビをみながら彼、彼女たちの口の開き方を真似てみると
英語のときはもちろんですが、
日本語を話すときも 口周りの筋肉の使い方は英語のそれで、
不思議なかんじです。 口周りの筋肉が疲れます。
>テレビの英語番組にでてくる欧米人とのハーフの人、
ヒロコグレースさんとか その他のバイリンガルの人。
第一言語は英語だからか 英語を母国語の親の影響か、
日本語を話すときも英語の口の開き方ですね。
そうなんですね。日英バイリンガルといっても、日本語の口の形か、英語の口の形かどちらか一つなんです。中間というのはあり得ないです。
>「練習の場面だけで」、英語のシンタックスや音を無意識化することをすればそれで十分です。使うときは、意識的に使えばいい。
根石さん。これって矛盾していますよね。意識的に使っている限り、無意識ではあり得ない。それは左脳を使いながら言語を話している事になります。だからフレーズが次々につながって出てこずに、ゴツゴツとした言葉になります。私のイデオロギーでは、右脳を使いながら、スムーズに間髪を入れず、次々言葉が口から出てくる状態こそ、本来の言語の使用条件なのです。これができて初めて英語のシンタックスが無意識領域に入った事になります。これこそ、英語を英語のままで考える、松本亨の世界に他なりません。
>私の英語の練習音と使用音はまるで違います。
これも先祖帰りの例ではないでしょうか?
>中間というのはあり得ないです。
もうどうでもいいはなしですが、
boysome228さん、
世の中広いんですから、簡単に断定しちゃだめですよ。
まず、「中間」って意味が、わかりません。
Jackieさんは違うと言うかもしれないけど、
ヒロコグレースの日本語なんか、「中間」だと思いますよ。
例えばケイン・コスギなんかに比べれば、彼女の日本語はまだマシな方ですよ。
流暢な日本語のようには聞こえるんだから。
もしかしたら、「完璧な」英語口で日本語を喋ってるってわけでもないんじゃないかな。
じゃ、もしboysome228さんが言うように、ひとは1つの発音しか持たない説をとれば、
彼女があの発音で英語も喋ってるなら、彼女は英語もカタワですね。
そうかと思えば、日本での生活が短くても、きれいな日本語を話すハーフのひともいます。
私の友人ですが、彼女のお母さんは、よく彼女の日本語をあそこまで維持したなと思います。
彼女は、音も、言葉の言い回しも、敬語の使い方も、遜色なく日本人ですよ。
日本語口で、日本語を発音してます。
じゃあ、boysome228さんが言うように、ひとは1つの発音しかもたない説をとれば、
私の友人は、日本語口で英語を普段しゃべってるんだろうか。
彼女の英語が「完璧な」英語かを判断する耳を、私は、持ち合わせておりませんが、
スイス人の父親を持ち、その父親は決して日本語を喋ろうとしないひとだし、
彼女がカナダと英国で育ったことを考えると、日本語口で英語を喋ってるひととは思えない。
日本語があれだけ綺麗なことの方が奇跡、ともいえる環境で育っていますし。
彼女は、2つの音を持ってるんじゃないかな。
彼女に関しては、確かに「中間はありえない」ですな。
でも、これって、boysome228さんが言う「中間はありえない」って例に入りますか?
どっちかしかありえない、って言ってるんでしょ? boysome228さん。
まあ、どっちでもいいんです。
通じりゃ。
日本語の壊れたひとが一部いたって問題はないんです。
一部のフリークが、得意がって英語を維持するために日本語を壊しても平気だってだけなら。
ただね、
これが、「国際化の時代だ」なんていって、
これからは英語を喋るのがおしゃれなんて思った母親達が、こぞって子供たちに英語をやらせて、
日本語が壊れてくのを「英語が上手くなった」と手放しで喜ぶような大衆化が起こっちゃったりしたら、
まずいでしょ。
まあ、そこまではいかないでしょうから、日本語口で英語喋ってりゃいいんでしょうけどね。
いつまでたっても、通じない、聞こえない、をやってりゃいいんでしょうけど。
だけど、「奥様は魔女!」のドラマで見たアメリカみたいな生活に憧れても、日本がそうなるのは夢のような話だったのに、
今は、当然のように日本人は手に入れてるんですよ。
あのドラマを今見て、違和感がないんですから。
日本なんか、想像してた以上に変わっちゃうんですよ。
しかも、日本語のシンタックスは「女陰型言語」だし。
日本語なんか、イチコロなんですから。
私は、フリークはフリークにとどめたいんです。
「通じる・聞こえる」と、綺麗な日本語の維持を両立させたいんですよ。
>一種の先祖帰り? 投稿者:boysome228 投稿日: 9月17日(金)05時47分57秒
>>私の英語の練習音と使用音はまるで違います。
> これも先祖帰りの例ではないでしょうか?
根石さんは、先祖帰りしない、とは言ってませんよ。
>もうどうでもいいはなしですが、
boysome228さん、
世の中広いんですから、簡単に断定しちゃだめですよ。
あなたは私にここで何を期待されているのか理解に苦しみます。
黙れと言いたいのでしょうか?
私は他人がどう思おうと、自分が真実と感じるところを述べたまで
です。これは根石さんもおなじとおもいます。(あなただって
同じですよね。)
ものごとの理解に個人差があるのは当然の事です。
そこから何を得るか、これは読む側である各自の自由です。
誹謗中傷でない限り、人の発言を遮ることはできません。
内容についての建設的な批判ならば歓迎いたします。
タレントの早見優さんは、15歳までハワイで暮らしてその後日本でデビューしたと記憶していますが、当時から彼女の話す日本語は日本人のそれと全く同じだったと思います。当時から、「この人本当に英語ペラペラなのかな?見た目も全く日本人なのに。(当たり前だけど)」と思っていました。彼女がデビューして10年以上たったころでしょうか、NHKのラジオ英会話のインタビューに出ていたのを聞きまして、すごくびっくりしたんです。「これ、本当に彼女がしゃべってるの?別人みたい。」と。声の質からして違っていて(普段の声よりもかなり低い)、私の耳にはネイティブと変わらなく聞こえました。インタビューの内容もいかに英語を錆付かせないか、みたいなことを言っていたと思います。
もうひとつだけ参加させてもらうと、私は日本人が英語を話すのを聞いて、すごくいいな、と思うときと、なんとなくむずむずするときがあります。いいな、と思うのは、その人が自分の声を使って、自分の発声器官を使って、自分らしく英語を話しているときで、むずむずするのはむやみやたらにネイティブの音(しかもなぜかアメリカ英語)真似でしかも自分はいかにもアメリカ人だ!みたいにしゃべる人(オーバーリアクションだったり、you
know, を連発したり)の英語を聞いたときです。で、根石さんがおっしゃっているのは日本人が誰の物まねでもなく全世界の人に通じる英語の発音を身につけられるように、がんばっていらっしゃるのかなあ、と掲示板を読んで思いました。とんちんかんな見解だったら、すみません。
>彼女は、2つの音を持ってるんじゃないかな。
>彼女に関しては、確かに「中間はありえない」ですな。
でも、これって、boysome228さんが言う「中間はありえない」って例に入りますか?
どっちかしかありえない、って言ってるんでしょ? boysome228さん。
この点はまじめな質問ですから、ちゃんと答えないといけませんね。
中には、2つの口の形を完璧に使い分けられる人が少数ですが存在するようです。こういう人達は日本語と考えると日本語口、英語と考えると英語口という具合に、両者の間をまるで仮面ライダーかカメレオンであるかの如く一瞬の内に変身できるようです。しかし、この変身には1秒ぐらいかかるようで、変身の瞬間だけ少し時間がかかるようです。一旦変身したら、後は無意識に一つの口の形を保てます。東北弁を駆使するダニエル・カールさんはこの例ですね。多くの普通のバイリンガルは、一方の口の形で他方を話します。私は凡人ですから、どちらか一方のみをずっと保った方が、先祖帰りを防ぐ事が容易になります。
大人の英語独学マニュアル
http://star.ap.teacup.com/applet/hmhm/archive?b=10
ネットをぶらりとしていたらみつけました。
おすすめHPです。
>この点はまじめな質問ですから、ちゃんと答えないといけませんね。
いやいや、全部真面目に書いてますよ。
この点は、なんて限定してもらっちゃ、こまります。
根石さん、
いよいよ来週で仕事の整理がつきます。 もうしばらく勝手させて下さい。 10月より皆勤賞を目指して回転読みに精進します。 よろしく御願いしたします。
いくこさん、
その折りには相談に乗って下さいね。
今、ここの記事を読まずに呼び出しの電話をしてしまいました。
9月いっぱいはお休みと考えていいでしょうか。
今日の後は、27日がありますが、この日もお休みということでよろしいでしょうか。
いずれにせよ、いよいよ10月から頑張っていただきます。
期待しています。
要領を得ない投稿ですみませんでした。 9月27日があるのを忘れていました。 9月27日はレッスン御願い致します。
勝手ばかり申します。
承知しました。
Naimaさん、毎日ご苦労様です。
>その折りには相談に乗って下さいね。
こちらこそ、よろしくお願いいたします<(_._)>
来週の水曜日が仕事の最終日です。 やれやれです。 学校は外国人講師と日本人講師が場所をかえて引き継ぐ事になりました。
先週までなんだかあわただしかったのですが、今週から過去ログ「送信メール」のアドレス等リンクする作業などに入ります。
今日、暴風雨の中最後の仕事を終えて帰って来ました。 母のゴタゴタや友人のゴタゴタでクタクタの半年でしたが、ようやく整理がついたので、明日、さっそくホームページにとりかかります。
Naima さん
私は偉いもんだなあと思って傍観しておりました。後退戦が一番きついです。閉鎖する学校のことをお聞きするたびに、俺だったらやれないなあと思っていました。敬意を表したいです。
私の方は、近頃百姓ばかりしております。今日も、雨の中、畑に花の苗を植えてきました。以下作業記録からの転写です。
...29日
・初雪カズラ二株、土手外へ植える。
・ハマギク一株、土手外へ植える
・ネペタ二株、土手外へ植える(根が弱い)
・キク4株、土手外へ植える(根が弱いのが心配)
・ホトトギス一株、聖へ植える
・アサギリソウ一株、聖へ植える
一種の先祖帰り? 投稿者:boysome228 投稿日: 9月17日(金)05時47分57秒
>私の英語の練習音と使用音はまるで違います。
これも先祖帰りの例ではないでしょうか?
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上の疑問に関してのお答えをしたく思っておりますが、少しお待ち下さい。
お書きいただきありがとうございます。
>で、根石さんがおっしゃっているのは日本人が誰の物まねでもなく全世界の人に通じる英語の発音を身につけられるように、がんばっていらっしゃるのかなあ、と掲示板を読んで思いました。とんちんかんな見解だったら、すみません。
いいえ。まさにお書きいただいたことをやっているつもりです。正確に眼目となるところをつかんでいただいたと思い感謝しております。
是非またこの掲示板にご登場いただくよう願っております。
Naima さんがホームページ作成に着手して下さるようですので、コピーライターとして参加して下さい。ゆっくりでいいですが、着実に集客効果のあるものを作ってもらいたいと思っています。私の空き枠は、女房が勤めている薬局の店長が英語を始めることを検討しておられ、この方が始めるとまた全部埋まることになります。今後は奈良のNaima
さんの生徒数を増やしていきたい。奈良が手一杯になる時がきたら、いくこの塾で生徒として受けてもらいたいと思っていますので、英語の研鑽を積みながら、集客効果という武器を作ってもらいたい。私のレッスンには、これまでこれがなかったと思っています。機能するホームページができれば、一部分をノリピーにレイアウトしてもらい、版下を作成してもらって、私の印刷機で刷れば、「電話でレッスン」のパンフレットができます。それを現在の生徒さんに郵送し、回りに手渡してもらえば、集客用ホームページへのアクセス件数を増やすことができる、などとも考えています。
Naima さんが言われたことによると、口で「電話でレッスン」のことを話した場合に、「いったい電話で何ができる?」という反応と、「週一回30分で一万二千円は高い」という反応があるそうです。ひとまず、この二つの反応をうち破りたい。
私および Naima さんとの連絡は、メールでもいいですし、この掲示板を使ってもらってもいいです。私は基本的に公開主義ですので、ホームページ作成の相互連絡も、掲示板でやっちゃうのがいいと思っていますが、その辺は各自の判断におまかせしたいと思っています。
よろしく。
>先週までなんだかあわただしかったのですが、今週から過去ログ「送信メール」のアドレス等リンクする作業などに入ります。
過去ログ「送信メール」のアドレス等リンクする作業、というのが何のことかわかりません。お教え下さい。
10月1日(金)20:00〜、お休みします。
よろしくお願いします。
根石さん、
回転読み道場みたいなものを開く事は可能でしょうか。 複数の生徒さん相手に技法グラウンドを指南するサークルです。 根石さんの奥様と村田先輩がやっておられるのと同じ方式の道場をやってみたいのですが。 幸い私の通っている英会話学校が、「英語のサ−クル活動や自習の為に空き部屋を使って下さい」と提案して下さったので、週2回ほどやってみようかと思うのです。 会費を徴収してもかまわないとの許可も得ているので、一月6000円以下に押さえてやってみたいのですが、どんなもんでしょうか? 何を教材に使うかも決まっていないし、複数の参加社をどういう風にさばいたらいいのかもわからないので、まことに頼り無い事この上ないんですが。 とりあえず、NHKラジオ講座の Let's Speak が音読で学習する事を奨励していて、中級〜上級の学習者にも人気が高いので、これを使ってみてはどうかと思ったりするんですが。 ここで「回転読み」や「技法グラウンド」の効果を実感された方は電話レッスンにも興味を示されるのではないかと思います。
私の周囲には、「皆が音読は効くと言うので」音読をやってはいるけれど、いろいろ問題をかかえている人が何人もいます。 一番大きな問題は、「ただ漫然と回数をこなしているだけの場合が多く、その効果についても半信半疑なので音読に力が入らない。」事だろうと思います。
時間が出来たので近い内に長野に伺っていろいろご指導頂きたいとは思っていまが、いづれにしろ遅配になってるお給料が出てからですわ....
「回転読み」道場の話、興味深いです。
>複数の参加者をどういう風にさばいたらいいのか
これが一番問題です。私の経験では、5,6人を越えると急に困難が生じてきます。
何人かの学校の先生に提案しましたが採用してもらえなかった「いけにえ方式」を今回試してみてもらえないものかと思いました。村田君や女房がやっているのとは違うやり方になりますが、「いけにえ方式」は、一人の生徒を「いけにえ」にして、技法グラウンドをやり、音に関して問題点が見つかれば、その場で音づくり(手短なコツを伝える)をし、「いけにえ」の生徒の音の変化をその場の他の生徒全員に認識させ、その後、1分とか2分という時間を与え、全員に繰り返し音読させるというものです。
その場合、是非私が作った「ゴースト」の「文法解析」のテキストを使っていただきたいと思っています。このテキストは波状的に何度も同じ文が引用されていますので、同じ文の音づくりに関して、少しずつだんだんと細部に触っていくということができます。この作り方をしてあるテキストでないと、「復習範囲を手放さない」という原理が放置されてしまうだろうとも考えています。
盆栽の仕立てと同じで、まずは太い枝から手をつけていき、最後に細い枝をいじるという手順がこのテキストで可能になります。
This is not brain surgery you're going into.
「いけにえ」になった生徒が、surgery の ur を日本語の「アー」で発音したら、まずはそれを問題にし、「狭くこもったアー」の作り方として、唇の開きの「狭さ」を言い、「狭い音」だと指示します。この文について、それだけ指示して、「いけにえ」の生徒が ur の「狭い音」を作ることができ、まともに5回程度繰り返すことができたら、1分とか2分の時間を与え全員に繰り返し音読(回転読み)させます。それが終わったら、次の文に移ります。テキストが進んでいくと、また、
This is not brain surgery you're going into.
が引用されているのにぶつかりますから、また別の「いけにえ」の生徒と「技法グラウンド」をやります。surgery の ur の「狭い音」が日本語の「アー」に先祖帰りしていたら、ただちに指摘しますが、それ以外に何か問題があったら、今回の「いけにえ」さんには、そちらを重点的に指示します。例えば、you're の re は er と同じく「狭くこもったアー」ですが、それを日本語の「アー」で言っていたら、前回この文を扱った時と同じように、「狭い音」を作らせ、まともに5回程度繰り返させます。その後、全員に回転読みさせます。これで、surgery の ur, you're の re の二つの「狭いこもったアー」がポイントとなりました。テキストが進むと、また、
This is not brain surgery you're going into.
が現れます。今回の「いけにえ」さんが This の th に問題があったら、それを「発音10のポイント」で直します。前回までの二回は、「あいうえおフォニックス」で直してありますが、子音関係は「発音10のポイント」で直します。前回、前々回の ur, re の問題と th の問題を今回の「いけにえ」さんがクリアしたら、いつも通り、全員に時間を与え回転読みさせます。
not のアメリカ発音(顎の下がる明るいア)などに触るのは、その後でいいと思います。
機械的に生徒に順番にあてていき、問題点がなければ、どんどん次の文に移るのでいいと思います。問題点がみつかったときは、「いけにえ」を相手に「音づくり」をやり、全員の生徒に時間を与えて各自「回転読み」をやるというようにするのがいいと思います。
最初に触るべきなのは、「ア系列」の母音と全体のイントネーションだろうと思います。子音の正確な出し方や英米の母音の誤差の扱いはその後でも構わないと思っています。日本人にとって、肝心なところから触っていき、楽に直るものは後回しにしていきます。太い枝からだんだんと細い枝に、というのはそういうことです。
ご検討下さい。
承知しました。