>俺の方から、メールで送信する文書を、ミラーサイトの適当な場所に収めてもらえたらと思う
>んだが。
OKです。メールしてくださいませ。
sbさんの記事を読んで、最近考えてたことをひとつ。
「素読って実は近代的な方法なんじゃなかろうか」
ということです。
sbさんの記事によると、言語には必ず文字がセットになって
いるという風に俺には読めたのですが、はたしてそうだろうか?
たとえばアイヌの言葉には固有の文字はないわけです。
「金のしずくふるふるまわりに 銀のしずくふるふるまわりに」
というアイヌの美しい神謡があるのですが、あれも原文は
ローマ字表記で起こしてあります。
前の世代から後の世代へ、口頭で伝えられていったものを
知里さんがローマ字であらわしたんですね。
これは一例なんですが、まあ文字を持たない人々ってのは
歴史上結構いたわけです。
文字はなくても言葉はあるわけで。
で、文字を持っている文化にしても、その黎明期には文字
というのはかなり高度なテクノロジーで、庶民レベルには関係
なかったんじゃないかなあ。歴史を記録するとか、そういう公的
なことにのみ使われていたんじゃないかなあ。もしも庶民レベル
で浸透させるとしても技術(印刷技術)も量産向けではなか
っただろうし。
素読・音読には文字は不可欠ですが、それが庶民レベル
で可能になるのはかなり時代が下ってからだと思いました。
つまり、グーテンベルク以降。中国ではもうちょっと早いらしい
ですが。
印刷という手段・媒体のおかげで私たちは素読・音読という
方法で外国語を習得できるんだなあと思ったのでした。
> チョムスキーが Knowledge of Language と言うとき、knowledge は
>日本語の「言語知識」と言うときの「知識」と同じものであるのだろうかというのが、
>私の疑問です。
たしかに「知識」よりもしっくりくる日本語があるかもしれませんが、英語で
knowledge と言っているものに別の訳語を当てはめるのは、必ずしもいいとはいえないのではないでしょうか。
もちろん英語と日本語が1対1対応しているなどと言うつもりは毛頭ありませんが、
knowledge に「能力」のような意味があるわけではないと思います。
> 私は、言語に関する「知識」が生得的なものであるとはとうてい信じることができないので、
>「言語獲得能力」と言ってきました。
これは knowledge(=知識)という言葉の定義の問題ですよね。つまり、根石さんのおっしゃる「言語獲得能力」(チョムスキーもこの表現を使うこともありますが)という意味でチョムスキーは knowledge という言葉を使っているということだと思います。
>All Black さんが「言語獲得装置」と言っているものとも重なると思いますが、
>人間も生きているわけですから、「装置」よりは「能力」と言う方がいいかとも思います。
チョムスキーの用語でいう Language Acquisition Device のつもりで「装置」といいました。
> いずれにせよ、これが生得的なものであることに私は一切異議がありません。
はい。よくわかりました。言葉の使い方に疑義があっても、理論上の行き違いはないようですね。
> 酒井は明らかに、チョムスキーの理論の物質的根拠をみつけようとしていると思いました。
はい、わたしもそう思いましたし、だからこそ酒井氏の本は面白かったです。科学というのは一種の信仰なので、チョムスキーの仮説を裏付ける事実が見つかれば面白いです。もちろん、覆すような事実が見つかっちゃえば、新しい仮説、理論をたてて、それを信仰すればいいわけです。
> チョムスキーの理論は、ネイティヴ言語に関してだけのものであり、語学の言語に
>適用するのはまったくのとんちんかんなのですが、
たしかにそうですね。生成文法理論は第2言語の獲得には無力です。というよりは、無関係ですね。かといって、子供が母語を身につける環境や段階を模倣するような教授法を否定するわけではありませんよね。ただ、無関係なだけです。この方法でうまくいくかもしれませんが、たとえそうであっても、それはチョムスキーの理論とは全く無関係ですね。
承知しました。
練習は継続していて下さい。
これはかなりあてずっぽうなもの言いになるかも知れませんが、一応耳を傾けてみて欲しいと思って書きます。
英語の knowledge の(元になっている?)動詞は know です。で、私は昔、中学生の頃だったと思いますが、know
に「知る」という意味もあり、「知っている」という意味もあると知ったとき、怪訝な気持ちを抱いたことがありました。「知る」ということと、「知っている」ということはまるで別のことではないか、とその時に思ったのです。know
は、そのどっちにも使えるというのだから変だと思ったのです。
で、それから数十年後の今の私の考えを書くと、know が「知る」という意味になるには、何か助動詞とか副詞(ある時点以後を示唆する語)を必要とし、「知っている」という意味になるには、そういう補助的な語を必要としないのではないか、というものです。
You should know that. 「知る・べき」で、should が必要。
You know it tomorrow. 「あした・わかる(知る)」で、tomorrow が必要。あるいはさらに
You will know it tomorrow. とするなら、will が必要。
How would I know that if he wasn't here? 「どうして知ることができようか」で、
would が必要。
これに対して、「知っている」の know を手元の「ゴースト」のシナリオから拾ってみますが、
I know you're up there.
You know, I called you last night about your friend.
I know about the picture in Reno.
(about the picture で副詞(句)で、know を説明するが、「ある時点
以後」を示唆するような語ではない)
つまり、know が「知る」という意味を表すためには、英語では「ある時点以後を示唆する語」を必要とすると考えているのです。もし、この私の考えが間違っていなければ、その種の語を必要としない know の用法が表しているもの、つまり「知っている」という意味が、know の本来の意味だということになります。他にどんな語も必要とせず、その語だけで表しうる意味は、「知る」ではなく「知っている」の方だと言ってもいいと思います。
日本語の「知る」は、「(ある時点以後)知る」ということですし、「知っている」はいつ知ったかはともかく、「(すでに)知っている」ということです。
英語の know の訳語に「知る」があるのは、日本語への「翻訳の必要上生じた訳語」であって、元々は
know は「知る」ではなく、「知っている」という意味の語なのではないでしょうか。で、さらに、これがこのままそうであった場合に、英語の
know は「既得性」を最初から言い表しうる語なのだということになります。この「既得性」を最初から言い表しうる性質が、knowledge
にもあるのであれば、knowledge of language の knowledge にもその性質があるはずで、「生得的な」ものに対して
knowledge を使うことはまるで変ではありません。そして、これは日本語の「知識」とはまったく別物だろうと・・・。
私は日本語の「知識」という語を「生得的な」ものに関して使うことには、どこまでも逆らいたい。チョムスキーの
knowledge of language に「言語知識」などという訳語をあてて安閑としている人たちには、あんたら、英語なんかやって日本語が駄目になってしまったのかと毒づきたい。
日本語の「知識」は、どう考えても生後「獲得」したものを言うように思います。坊さんのことを「知識」ということもありますが、誰も坊さんとして生まれてくるのではない。坊さんに「なる」のです。日本語の「知識」は獲得されて初めて「知識」ではないでしょうか。そこが、knowledge
とは違う、と。
英語の know を日本語にするには「知っている」の「いる」が必要だということに着目していただきたいのです。英語の know を日本語の「知る」の意味にするには補助的な他の語が必要であるように、know の本来の語義を日本語で言うためには、「知っている」の「いる」が必要だという点です。英語で一語で言うものを、日本語では二語(知る・いる→知っている)で表しているのです。
「普遍文法」を「言語知識」などというふうに、「知識」という語で言えると思うのは、翻訳の問題に限っても、あまりにも雑ぱくな思考だと思うのです。もちろん「能力」という語で置き換えられるなどとも思いませんが、私の「能力」という語は、チョムスキーの用語に代置するために考えたものではなく、私が自分で考える途中で必要になって使用しているものです。チョムスキーを媒介にして、自分で日本語で考える時に、「言語獲得能力」という語が生まれたので、これは私が考えるための私の用語法です。チョムスキーの用語の翻訳語ではありません。
私がチョムスキーに信を置くのは、「普遍文法」というときの「普遍」という考えに対してです。これは人口わずか数百人のアフリカの弱小言語の中に生まれてくる子供に対しても「普遍」的に言えるものです。人間の子供が「普遍文法」を持って生まれてくるからこそ、どんな弱小言語の「磁場」に生まれてくる子供にも、個別言語の文法の爆発的な獲得がある。「普遍文法」というときの「普遍」という語が人間の根底を言い当てていると思うのです。この「普遍」があるからこそ、チョムスキーは「ブッシュのアメリカ」に対して極めて政治的に批判しながら、まったくたじろぐところがないのです。
どんな政治状況の中に生まれようと、どんな宗教事情の中に生まれようと、どんな言語の中に生まれようと、人間は「普遍文法」(私の言い方なら、言語獲得能力という構造体)を持って生まれてくる。この「普遍」を備えている者を、ブッシュのように気楽に殺すようなことはあってはならない。それは、アングロ・アメリカンの「無知=無恥」である、と。
「普遍文法」とチョムスキーが言うとき、その「普遍」という語が、「殺すな、それはアングロ・アメリカンと同じく人間である」と言っているのだと私は読みます。彼の政治的発言と彼の言語理論は太いへその緒で結ばれ、そのへその緒に「人間の」血が通っています。肌の色や政治や宗教や言語によっては変わることのない、「人間の赤い血」がです。
酒井なにがしも、柳瀬なにがしも、その赤い色を見ない。私はそう思っています。
俺は素読っていうのは、まるで近代的だとは思わない。
というか、時間軸で考えるべきではなく、空間軸で考えるべきだと思う。
素読っていうのは、なるほど突然に江戸時代あたりで爆発的に普及した。
木版印刷のせいで。それが、物質的根拠だと思う。物質的根拠というか、
文明的根拠だ。
だけど、素読そのものでなく、素読的な方法は、ずっとずっと古いのだ
と思う。チベットに仏教が伝来した時に、すでに仏典は素読的方法によ
って、身体化されていったのではないのか。
新しい文を5回読んだら、すでにやった文を50回読むというように、
テキストに対して、複層化がなされた時点に、俺は素読的方法の成立を
見るのだが、それは近代なんぞとんでもない、もっとずっとずっと古く
から行われていたと思う。
あるいは、仏教成立以前からそれはあったと思う。
それが、民衆に普及したのが、江戸の文化の中でだった場合、これはま
ったく世界に先駆けていると思うが、そこんところを俺のずたずたの英
語ではうまく言えないので、誰か俺の言いたいところを汲んで英語にし
てみてくれねえかなあと思っている。岡倉天心が俺の弟子であったら、
おめえ、茶のことより先に素読のことをちゃんと書けと命じたところだ
が、生まれた順番が誰が何をどう間違えたか間違えたので、天心君にそ
う言えないところがつらいんだわ。
あああ、今日も気持ちよく酔った。
何はともあれ、村田君、女っていうものはいいものだ。
本題とはいつもながら何の関係もねえ。
ふうう。
たしかに根石さんのおっしゃるとおり、know は状態動詞ですから、「知っている」という状態を表すと思います。そして、他の状態動詞と同じく、時制などの環境によっては、状態の変化を表しうるということだと思います。
そうすると、knowledge というのは「知っているという状態、知っているということ、知っている内容」という意味になるわけですが、このうち「知っている内容」を「知識」という言葉で表すことができないのではないかというのが、根石さんのご意見なわけですね。
たしかに一般的には「知識」は後天的に身につけたものという意味で使いますからね。
この点に関しては、学術用語の翻訳論になってしまうだけですので、これくらいにしたいと思います。つきあっていただいて、どうもありがとうございました。
また別の話題でも参加したいです。ではでは。
所用により本日のレッスンはお休みさせて下さい。あいうえおフォニックスについては後日書き込みをしたいと思います。
>sbさんの記事によると、言語には必ず文字がセットになって
いるという風に俺には読めたのですが、はたしてそうだろうか?
私がこの掲示板で最近「記号」という用語を使うようになったのことは誤解を招く原因にもなっていると思う。確かに「記号」という言葉を使うと何か「数学」や「看板」のようなイメージをもたれてしまうのはしごく当然のことと思う。
「記号」「記号」といっているのは、ヒトが言葉として外に発した瞬間の「固まってしまった一瞬のもの」というイメージである。そのような外にでた瞬間の個人のその時にしか出せない「音声」や「文字」をひっくるめて「記号としての言葉の側面」と言っているのである。
もちろん先日の書きこみの中で述べたように、そして根石さんに教えていただいたように、言葉には「思考(概念)」「記号(音声や文字もひっくるめた個人の)」「文化(個人の思考を背負い、記号として外に放出され、それらのアイデアが共有され、有形無形のモノが創られる)」としてのそれぞれの側面というものがあると思う。
それらをひっくるめてコトバが存在していると思う。だからコトバの学習や教育においては、「思考」「記号」「文化」、それぞれの側面を十分考慮に入れて、偏りのないようにバランス良く配置するのが一番いいと最近考えている。
それにしてもコトバは個人個人捉え方が違うものだ。そのヒトの信じる学習方法や教育方法が「一番良い学習方法であり、教育方法」であるのではないか。ずるい言い方かもしれないが。。。
アメリカのどこにいらっしゃるのかわかりませんが、このページにアクセスできておられます
でしょうか。アクセスできるようでしたら、レッスン開始の日時などおしらせ下さい。
高橋さんから連絡がいただけなかったので、ここへ連絡が欲しい旨を書いたところ、その後、直接にメールが届き、電話番号を教えていただくことができ、今日レッスンすることができた。アメリカにおられる方に対してレッスンするのは初めてであり、長い電話番号を間違えないように電話のボタンを押した。市内電話の3倍から4倍の数字を押した。折り返し高橋さんからこちらに電話がかかり、「電話でレッスン」が初めて太平洋を渡った。電話の状態は非常によく、クリアな音が確保できたのがまず最初にうれしかった。
高橋さんが日本におられた時のレッスンで、すでに「あいうえおフォニックス」は手渡してあるが、ar,
ir, ur, er, or における「狭い音」、つまり、ar 以外の ir, ur, er, or の仲間に、er
をひっくり返した re も加えてくれという指示をした。here の末尾の re を日本語の「あ」で発音されることに対する指示だった。early
における ear も同じく ir, ur, er, or の仲間で「狭い」のだということも伝えた。
明日の朝になれば、いや、アメリカはすでに朝だから、私の指示したものに高橋さんはすぐにぶつかる。この即時性が、日本にいる生徒さんには可能にならない。高橋さんには目の前の事実だ。それが、「電話でレッスン」の「電話で」が海を渡ることの意味だろう。
家庭の中以外では、おそらく高橋さんの体をびっしりと英語の音が取り囲んでいるだろう。私の用語で言えば、「磁場」の磁力のまっただ中に高橋さんはおられる。その磁力に圧倒されずに(いや、ひとまずは圧倒されたとしても)、まずは音としての英語に切り結び、それを「きっかけ」として、単なる言語的「磁場」ではなく、異質文化総体がもつ「文化のシンタックス」に切り結び、対峙し、崩れ落ちながら立ち上がるものを、あるいは立ち上がりながら崩れるものを、はっきりと見て欲しい。果実としての言語スキルを獲得されることはもちろんのことだが、それを通じた異質文化同士の相互理解を進められることを私は強く願っている。日本在住のままの日本人、アメリカ在住のままのアメリカ人に決して見えないものが、そこに見えるはずだ。
おそらくは、身体は強引に意味に満たされるのだ。幸か不幸か、私は英語の磁場で長く生活したことがないが、強引に意味に満たされる高橋さんの身体は生なものとして私に想像できる。わずか1ヶ月余りの私のロンドン滞在を、私は今思い出す。まるで女のおまんこや、女が目を細く細くして、客観としての焦点をなくすのを思い出すように。
「電話でレッスン」が、高橋さんが英語の「磁場」に合い渡り、現地の人との相互理解を可能にすることを応援できたら、このレッスンを始めた私のひとつの願いがかなうのだ。どうか、お体を大切にしていただきたいと願う。
そう思いながらも、来週から復習範囲のテストが10+10から、10+10+5にレベルアップするので、これまでの練習レベルだと、復習範囲のテストだけでレッスン時間の30分が終わってしまい、新しい文を獲得するのが難しくなるとハッパをかけてしまった。もし、仕事があまりにも忙しいようなら、私が自作した「文法解析」のテキストに切り替えたらどうかとアドバイスした。
まだ、アメリカに渡って2週間もたっていないので、アメリカでの生活のペースがつかめていない、どれだけの練習の時間が確保できるかもまだわからない、来週は今週よりも落ち着いてやれるだろう、と高橋さんは言われた。これまで通りのレッスンを継続したいとの希望だった。
私は期待した。そして承知した。
そういえば、何州におられるのかも聞きそびれた。そういえば、私は高橋さんの年齢も知らないのだ。私よりはずっと若い方だということがわかるだけだ。若い人は、繰り返し繰り返し自分を外に向けて開くことができる。若いということが持つこの力を私は信頼している。この信頼は、エネルギーのあらかたを日本在住のままに吸い取られている私が、アメリカに渡っている若い人に託したいものだ。外に向けて開く無意識のパワーに関しては、老兵は去るのみだとして、それでもこの老兵は、コーチとしてプレーヤーを駆使したい。
高橋さんには、「駆使したい」という根石コーチの願いを汲んで、(言語的に)思い切り体を動かしてきて欲しい。はっきりと異質文化と切り結んだプレーヤーとして帰ってきて欲しい。そして、帰国したら、俺んちに遊びにきて欲しい。
高橋さん、くれぐれもお体を大切にしてくださるように。
私は大きく大きく期待しています。
すでに、どっぷりと酔っております。
明日以降に。
目が覚めたら変なタイトルが書いてある。
皆さん、どしどし投稿して、変なタイトルを次のページに送り込んで下さい。
まじい。
それにしても、人は語学をエロスとして語らない。
まあ、語りにくいのも事実だが。
まだある。
もうすでに、おまんこ発言時と同等に酔っているが、なんで俺は酒を飲まなきゃ、語学のことを
しゃべれないのか。気が弱いってのはわかっているが、それだけのことなのか。
おそらくそうじゃない。語学論なんてものは、それで何ができるかってことを娑婆がわかろうと
いう気がないわけだ。だから、語学論てものは、それをやると、現在では、徒労の感覚と無益の
感覚しか得られないわけだ。酔わずにやってられるか。
「あいうえおフォニックス」では、ar が「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」、それ以外
は、「狭い音」。それ以外というのは、ir, ur, er, or。
a i u e o に r をくっつけて、ar, ir, ur, er, or を作る。そのうち、ar
だけを差別す
る。こいつは、邪魔のないところを通る明るい音。ir, ur, er, or は、邪魔にぶつかりながら、
狭いところを通り抜ける音。
er も re もそれが日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる時は、同じ音。
で、ですね。
dollar ですが、do の部分は、「一瞬顎の下がる音」です。発音記号では、[a]です。
英語の o は特にアメリカで、乱れに乱れてしまって、まったく法則性が取り出せませ
ん。これは辞書にあたる以外にない。で、dollar の do の o は、「一瞬顎の下がる音」
です。
さて、dollar の ar ですが、これは「狭い音」です。
おかしいじゃないか。根石吉久考案の「あいうえおフォニックス」では、ar
は「顎の
下がる明るい音(診察室のアー)」だったはずじゃないか。「あいうえおフォニックス」
なんてでたらめじゃないか。そう思う方は沢山おられると思います。
私は、一つ「あいうえおフォニックス」の前提となることを申し忘れておりました。
「あいうえおフォニックス」がどんぴしゃと当たるのは、ar, ir, ur, er,
or に
アクセントがある場合です。特に、ar の場合、そこにアクセントがあると、「顎のさ
がる明るい音」になるということです。 park, car, armond, armlet, cartoon。
dollar ではどうか。dollar の ar は可哀想だが、do のところにアクセントをと
られてしまっている。だから、この ar は ar であるにもかかわらず、明るくなれな
い。
英語では、アクセントのあるところの母音は、きわめて明瞭に本来の綴り通りに発
音され、アクセントがないところの母音は、片っ端から曖昧母音化していくという抜
きがたい癖があります。この癖は、「あいうえおフォニックス」よりずっと強い。
だから、「あいうえおフォニックス」は、前提を二つ必要とすることになりました。
1.日本人の耳に「あ」または「あー」と響く音に関してのものであること。
2.その綴りに、アクセントが来る場合に使える法則であること。
この二つの法則を踏まえると、まず100パーセントに近い的中率です。
誰も投稿してくれない。
まだある。あれが。
まじい。
皆さんは冷たい。
早く隠してくれよ、おれのおまんこを。
こないだのレッスンで、私が ear も狭い音だと言ったのかどうか。
ミッフィーさんは、「あいうえおフォニックス」が使えないという例証として、
heart をあげ
られました。 ir, ur, er, or の他、 ear や re も「狭い音」になりますが、heart
の ear
は、[a:] または、[a:r] の音だからです。
私は学問的根拠を持ちませんが、ear は「狭い音」です。 early, earth
など。
heart と hearth を例外として扱えばいいのです。
学校のくだらない発音テスト問題で、heart が頻出するのは、それが例外
だからです。例外だから、「ひっかけ問題」になるのです。ところが、それ
が「ひっかけ」にすらなっていないのは、生徒も先生も、early, earth と
heart の ear を同じに発音してしまうようなていたらくが学校で頻出して
いるためです。heart が例外だと認識される日はいつ来るのか。
heart, hearth の方が例外なのです。それ以外の ear は「あいうえお
フォニックス」ですべてカバーできます。
皆様
私の・・・・に早くパンティを穿かせてください。
早く隠してくれよ、おれのおまんこを。
→
早く隠してくれよ、おれの・・・・を。
訂正するたびに、おまんこの文字が現れてしまう。
やべ、また書いた。
・・・・のことは私は感知でねえ、関知しません。
・・・・なんて、何の興味もない。
消えた。
ほっとする。
ar, ir, ur, er, or で、 ir, ur, er, or は、そこにアクセントがあってもなくても、
「狭い音」になります。そこにアクセントがある場合の法則だというのは、「あいうえお
フォニックス」の前提ですから、アクセントがある場合に、それが「狭い音」になるのは
法則通りです。
アクセントがない場合に「狭い音」になることの根拠は、アクセントのあるところの音だ
けが明瞭に発音され、アクセントのないところの母音はおざなりに扱われるという英語の
強い癖を根拠としてもいいし、「あいうえおフォニックス」の法則を根拠にしてもいい。
ir,ur,er,or にアクセントがなく、それが日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる
場合は、なにはともあれ、なにがどうであれ、「狭い音」です。
>消えた。ほっとする。
消えてる。 ほっと...
したのもつかの間、また書いてる...
>だけど、素読そのものでなく、素読的な方法は、ずっとずっと古いのだ
>と思う。チベットに仏教が伝来した時に、すでに仏典は素読的方法によ
>って、身体化されていったのではないのか。
素読者(もの)の姿勢の出自はそこにありますね。密教とか。
それからイスラムの人がコーランを指でなぞりながらひたすら読んで
いる姿とか。
まあそこまでいくと、そのテキストも写経したものだったりするわけで、
まさに素読のために自分の手でテキストを作ってるようなものですね。
究極の素読者です。
うーん。
「素読は近代的な方法」って言ってしまうと、違いますね、やっぱり。
江戸時代〜今にいたるまで、
民衆レベルで広がる時に近代的な手段が基礎となっている、とい
うところが面白いなあと思ったんですが…。
しょうがないなあ。隠してあげるか。。。
といっても「頭隠して尻隠さず」か。。。
まじな掲示板ほど、羽目をはずしたくなるのは当たり前。
またやってるわい。。。
まっ、どんどんやってください。
やりまくりましょう。
いっときますけど。。。
私はそんな根石さんが嫌いですから。。。
どんどん書き込めるのが掲示板。
好きなことを書けるのが掲示板。
何でも書けるのが掲示板。
なんだっていいんじゃないの?
楽しければ。。。
ためになれば。。。
みんなが喜んでくれれば。。。
自分がサービス精神に溢れていれば。。。
自分が後悔しさえしなければ。。。
好きになってくれるのも、
嫌いになってくれるのも、
なんとも思わないのも、
判断するのは読んだヒト。
「嫌い」という言葉を受け止めてくれる根石さんであってほしいのは、
おまんこ発言はもう何度もあるけど、同じおまんこでも、「ネット上」と「実際のヒトを目の前にしての」とはずいぶん違うことを伝えたかっただけです。小学生の事件もあったしーーー。
またの根石節をみなさんおおいに期待しましょう!
>しょうがないなあ。隠してあげるか。。。
あたたかいおこころざし、よくわかります。
>といっても「頭隠して尻隠さず」か。。。
どういう意味ですか。まったくわかりません。
それは、「楽しいねえ」というあなたが書いたタイトルのことですか。
> まじな掲示板ほど、羽目をはずしたくなるのは当たり前。
> またやってるわい。。。
> まっ、どんどんやってください。
さすが、常連というか古株のお方の発言だなあ。
sbさんに、俺のおまんこ発言シリーズをダイジェストしてもらいたい。
>やりまくりましょう。
>いっときますけど。。。
>私はそんな根石さんが嫌いですから。。。
わけがわかりません。精神分裂病ですか?
「やりまくりましょう」という言葉と「嫌いですから」という言葉がどう連絡がつくのかまるでわかりません。嫌いだったら、やめましょうと言えばいい。やりまくりましょうと言うのであれば、「好きですから」と言えばいい。好きなくせに、と私は言いたいのですが、まあ、強制はしません。
>どんどん書き込めるのが掲示板。
>好きなことを書けるのが掲示板。
>何でも書けるのが掲示板。
>なんだっていいんじゃないの?
>楽しければ。。。
>ためになれば。。。
>みんなが喜んでくれれば。。。
>自分がサービス精神に溢れていれば。。。
>自分が後悔しさえしなければ。。。
こういう多方向性を言いながら、均一性に収束してしまう物言いが私は嫌いなのです。
これは「みだらな自由」ですね。イギリスにはたらいていた「縛り」からの「自由」がアメリカの自由だったのであって、そこには別に「みだらな」という性質はなかったのですが、戦争でアメリカにずたずたにされた戦後日本では、この「みだらな自由」が瀰漫しました。sbさんは、その大きな信仰体系の中におられる方だとお見受けいたします。
えへへ。「後悔」ですか。「後悔」するふりをして、遊んでるんですが、なにかいけませんか。
>好きになってくれるのも、
>嫌いになってくれるのも、
>なんとも思わないのも、
この三つのうち、あなたの感性にもっとも適合するのは三つ目だと思います。
>「嫌い」という言葉を受け止めてくれる根石さんであってほしいのは、おまんこ発言はもう何度もあるけど、同じおまんこでも、「ネット上」と「実際のヒトを目の前にしての」とはずいぶん違うことを伝えたかっただけです。小学生の事件もあったしーーー。
「嫌い」という言葉はきちんと受け止めています。ああ、そうでしょう、と思っています。「同じおまんこでも」とは、いったいどういうことでしょうか。私の知る限り、おまんこは、ひとつずつまったく別のおまんこです。あ、いや、そういうことではなく、「ネット上」の言葉としてのおまんこと、(私の好きな)具体的なおまんことは違うと言われているのですね。そりゃ、違いますとも。ひとつひとつの具体的なおまんこを私は深く愛してきましたが、「ネット上」の言葉としてのおまんこは、それら全世界の個々のおまんこを貫いて一つの純粋な観念です。それが純粋な観念であれば、縄文のおまんこ崇拝にまで、私はすっとつながれるのです。
うんちくを。昔、方言を詳しく調べている方からお聞きしたことの引き写しではありますが。
「おまんこ」も「おめこ」も同じものです。「おまんこ」の「ま」は「馬」であり、「おめこ」の「め」も「馬」です。「おんまさんごっこ」というときの「ま」は「馬」であり、「駿馬(しゅんめ)」というときの「め」も「馬」です。
「おまんこ」の「こ」は、東北弁で「嫁っこ」というときの「こ」です。この「こ」は愛らしいもの・可愛いものを呼ぶときにつける「こ」です。
和子・郁子・知子・嘉子・花子・道子・貞子など、人名についている「子」も同じ「こ」です。
「おまんこ」でも「おめこ」でも、最初の「お」は敬称です。ものを尊重するときにつける「お」です。「お父さん」「お母さん」の「お」と同じです。
で、「おまんこ」も「おめこ」もまあ意訳すれば、「俺の大事な馬っこ」っていうようなことであろうと思います。「馬っこ」というからには、それは「乗り物」を意味します。で、女より車が好きなアメリカ人が、「my car」と言ったときに、それが「おまんこ」や「おめこ」を意味することがありうるのは、「乗り物」だという一点にあります。いや、実際にそういう用法があるかどうかは保証しません。ありうるということは言えます。
「乗り物」? 失礼な話だ。女は「乗り物」か。こういう反応はよく見られるものであって馬鹿らしい。乗り物呼ばわりの何が悪いか。実際に「乗る」ではないですか。まあ、私の場合は、乗って振り落とされないようにするのに必死ですがね。それと、たまには「乗られる」こともあって、まあ、それは人間が変態だからです。いや、もとい。
ここには明らかに人間的エロスが明確に現れています。「おまんこ」や「おめこ」は生殖のためのものでなく、男から見ての「乗り物」であるということです。「(子供を)産むためのもの」ではなく、あくまでも「乗るためのもの」であるということ。あれ? それは発情期の猿や馬な猫やパンダの雄にとっても同じか? 結構単純だなあ、男の考えることは。と、これも女からよく聞く発言です。
いいですか。「おまんこ」や「おめこ」が「乗り物」を意味したとしても、同じく男の側から、「お」によって、「可愛い」と思われていることが大事です。「俺の大事な」という気持ちがそこにあるのです。この「お」がなかったら、あんな気持ちの悪いものはないと女が思っているように男も思ってしまう可能性がある。変な色して、ぐにゃぐにゃしてるんだから。
ところがねえ、アジアやアフリカでは、このぐにゃぐにゃしたものがとても男から大事にされてきた。南米でもそうだ。それはいいことだ。「おまんこ」呼ばわりや「おめこ」呼ばわりはいいことだ。「俺の大事な」という「お」はいい音だ。
はあ、疲れた。うんちくは疲れる。
馬な猫
→
馬や猫
----------------------------------------------------
でも、「馬な猫」っていうのは、なかなかいい言葉ですね。
うちのにゃにゃ(雄猫)がそうなんです。
あいつは、ほんとに「馬な猫」です。
憎めない。
後日。
>「嫌い」という言葉はきちんと受け止めています。
ホントはそういう「きちんと受け止める根石さん」が嫌いなんだけどなあ。。。
でもそれはボクがそういう所を持っているからか。。。
レジャーはレジャーとして扱ってみてください。「趣味」「発言」「仕事」「プライベート」「誉めコトバ」「トラブル」その全てが、レジャーに属する。。。「楽しいねえ」はそういうくらいの意味です。「頭隠して尻隠さず」は根石さんの連発する「おまんこ」が一部は隠れても全ては隠すことができないというくらいの意味でした。(いちいち解説はいらんか。。。)
>えへへ。「後悔」ですか。「後悔」するふりをして、遊んでるんですが、なにかいけませんか。
いやーー、参りました。。。
それから「うんちく」ありがとうございました。
>>(sb)好きになってくれるのも、
>>(sb)嫌いになってくれるのも、
>>(sb)なんとも思わないのも、
>(根石さん)この三つのうち、あなたの感性にもっとも適合するのは三つ目だと思います。
これは効きましたね。「ガーン」という感じ。カウンターパンチをもらった感じでした。
「好きか」「嫌いか」はっきり言うのが「なんとも思われない」部類から外れる唯一の方法かと思っていたけどそうでもないかもしれない。。。そこが人間の面白さであり、怖さでもあるかもしれません。根石さんから改めて気づかされました。
コトバゲームが「遊び」であれ、「レジャー」であれ、意識であれ無意識であれ、「ぐさり」とくる言葉を投げかけるためには、「不断の鋭い観察力」などが必要だと思います。しかし、ネット上での「観察」には限度があるとも思います。
sbの怒り(不用意におまんこ発言する根石さんを許せないのは私のコンプレックスからくるものもあるでしょう。。。)がいかに正しいかをこの掲示板をご覧下さる皆様に見せ付けたいという邪悪で傲慢なこころも潜んでいたのではないかと反省しています。
>(根石さん)戦争でアメリカにずたずたにされた戦後日本では、この「みだらな自由」が瀰漫しました。sbさんは、その大きな信仰体系の中におられる方だとお見受けいたします。
よく根石さんが「戦後は刻印された!?」という表現を使われているのかなあと思っていました。このコトバもとてもよく効いています。
無意識のうちに私にも刻印されてしまっている「戦後」。。。
「豊かさ」「平和」「自由」「平等」
この4つを一度に手に入れた国は日本が初めてという見方もあるようです。ホントの意味で4つとも一度に手に入れたと思えない部分もおありでしょうが、他にこんな国はないそうです。
無自覚な自分について反省しています。またいろいろ「戦後」については「うんちく」を期待しております。
レッスンお休みの件、承知しました。
練習は継続していて下さい。
今日、ミッフィーさんのレッスンで、「dollar 問題」以後考えてきたことを初めて図式として生徒さんに手渡した。そのとき、「あいうえおフォニックス」と似たようなことが、ミッフィーさんの学校の教科書に出ているという話が出て、私はびっくりした。「あいうえおフォニックス」は私がみつけたものだとばかり思っていたが、すでにそういう説明の仕方があるのであれば、根石吉久考案などという文字は今後「あいうえおフォニックス」の説明から削除しなければならないかもしれない。すでにこの説明の仕方が存在するのであれば、なぜ私はこれまで一度もそれを目にしたことがなかったのか。あるいは、これまでの学校の授業で、なぜこれほどまでに「広い音」と「狭い音」の問題がおざなりにされてきたのか。そういう疑問は残るが。
ミッフィーさんにお手をわずらわせることになるが、その該当の教科書の該当個所をここに書き写していただけたらと願っている。私としては、是非私の「あいうえおフォニックス」と比較してみたいと思っている。また、ここをお読みの皆さんの参考にもなるはずだと思うので、是非お手をわずらわせることをお許しいただき、転載していただくことをお願いしたいと思います。
さて、「dollar 問題」以後に考えてきたことをこれまでの図式を修正することで、新しい図式に反映させてみたい。
----------------------------------------------------
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
----------------------------------------------------
これまでの「あいうえおフォニックス」はそれだけのものだった。
しかしこれでは「dollar 問題」は解けない。そういえば、dollar の ar
は「狭い音」だなあと思い、気を付けていたら、他にも ar が狭い音になる例がたまにみつかる。法則性がないのかと思ってにらんでいたら、法則性は意外と簡単にみつかった。
ar が「狭い音」になる場合は、その綴りのところにアクセントがないのである。アクセントがない(アクセントが前にとられる)場合は、ar
も「狭い音」になる。法則性はある。
であれば、図式を二つ書けばよい。その綴りにアクセントがある場合とアクセントがない場合の図式を二つ書けばよい。で、図式は以下のようになる。
----------------------------------------------------
<<日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別>>
-----------------------
<それぞれの綴りにアクセントがある場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
------------------------
<それぞれの綴りにアクセントがない場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or のすべて大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・全部「狭い音」になる
----------------------------------------------------
これまでの「あいうえおフォニックス」は、そのそれぞれの綴りにアクセントが「ある」場合のものだということが私の中ではっきりした。それがはっきりしてから、アクセントの「ない」場合も意識して、自分の音読の練習の中で英単語の綴りに気を付けていると、ほぼ100パーセントに近い確率で「あいうえおフォニックス」が有効であることに気付いた。これは絶対に使える、という確信に近いものが生じているのである。
そろそろ酒が回ってきたので、中学の教科書を開いて、例を拾ってみたい。
時間がゆっくり流れ出したので、中学の教科書などを広げるのは今の気分に合っている。
ニューホライズンの2年生用あたりでいきますか。
birthday ir にアクセントあり 狭い音
member er にアクセントなし 狭い音
tournament ur にアクセントなし 狭い音
alarm ar にアクセントあり 広い音(診察室のアー)
here re にアクセントなし 狭い音 ( re = er )
are re にアクセントなし 狭い音 ( re = er )
they're re にアクセントなし 狭い音 ( re = er )
were re にアクセントなし 狭い音 ( re = er )
Mark ar にアクセントあり 広い音(診察室のアー)
where re にアクセントなし 狭い音 ( re = er )
forget or にアクセントあり 狭い音
our ur にアクセントなし 狭い音
start ar にアクセントあり 広い音(診察室のアー)
hour ur にアクセントなし 狭い音
少し飽きた。わずか4ページに当たっただけである。
これまでのところでは、昔の「あいうえおフォニックス」で全部解ける。
「dollar 問題」は登場していない。
ear も登場していない。
どかどかとページをめくって、「dollar 問題」や ear だけを探してみる。
learn ear にアクセントあり 狭い音
hear ar にアクセントなし 狭い音
lizard ar にアクセントなし 狭い音
ふう疲れた。教科書の半分はチェックした。しかし、「dollar 問題」はあまりみつからない。昔の「あいうえおフォニックス」でカバーできるものはいくらでもみつかる。ear も learn, earth, early くらいでなかなかみつからない。だから法則を立てるのが難しかったのだ。
しかし、今度の図式は非常に有効なはずである。
日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関してだけなら、ほぼ100パーセントの確率でどんぴしゃと当たるはずだ。
これまでのところ例外が、ear に関しての heart, hearth の他に私は思い当たらないので、これを除くと100パーセントになってしまうのが恐いくらいである。
で、生徒の I 村さんに、私が立てた法則からはみ出す例外があったら是非掲示板上で教えて欲しいと今日のレッスンでお願いした。
再び、ミッフィーさんに。
時間があるときで結構ですので、該当教科書の該当個所の転写をお願い致します。
随分前になるが、NHKの「英語でしゃべらナイト」に菊川怜が出ていた。
見られた方もおられると思う。
その中で私が印象的に思ったのは、
米国で演劇学校の授業を受けた菊川怜が、
「アーリー」
の音を直されたシーンだ。
タレントの彼女は、東大出の才女だそうだ。
番組の中で、日常会話では困らない程度に英語を喋っていた。
彼女の英語は、日本で習得したものだろうと思う。
先に書いた、
「アーリー」
というのは、early のことである。
彼女は、ear を、「明るい音」で発音していた。
これは、私の知る限り、一般的に、日本の学校で教えられている音だ。
その演劇学校では、演劇指導の前に、英語ネイティブでない学生を対象に、
アメリカでも役がもらえる「きれいな英語」を身に付けさせるプログラムがあった。
その講座では、確か自己紹介をすようにと課題を出されていたように思う。
彼女はなんとか及第点をもらったようだったが、ただ一点、
「early」
だけは、かなり厳しく直されていた。
その時、確かに講師は ear を狭い音で発音していた。
これは面白いと思った。
その音は違うといわれて、
菊川怜は、何度か言い直していたが、「狭い音」は思いつかなかったようだった。
何度か講師が発音してみせて、
それをなんとかとらえて、彼女は、何度目かにOKをもらった。
「early」は、中学校でも比較的早く教わる単語ではないかと思う。
これほど日本の学生にとってポピュラーな単語が、
通じないという現実を目の当たりにした1時間だった。
ORにアクセントがあると、狭い音ですが
ORにアクセントがくると、開く音になると
おもいます。
例)
orange
例外)
いじわるwがつくと 狭い音になる。 word
ついでながら、学校で教えないのは
分節法です。(syllabication)
orangeは、o-rangeか、or-angeのいずれでしょうか?
oralは、o-ralか、or-alのいずれでしょうか?
この分節法は、多分簡単な規則からなっているのですが
この規則を公開してしまうと、アクセント問題が
誰でもわかるようになり、テストがつくれなくなるとおもいます。
arにアクセントはありませんが、広い音です。
アクセントがなくても、アクセントが後ろにとられるarは
広い音という事でしょうか。
@音声を聞き込む段階
A素読(授業では実際には「音読」させるが本人にとっては「素読」ということになる)する段階
B視写(テキストの書き写し)する段階
C<日本語訳をみながら時々顔を上げて>音読する段階
D<日本語訳をみながら時々顔を上げて>筆写する段階
E暗誦(イメージ)する段階
F暗写(イデア化)する段階
@ABは人の記号(音声や文字)を扱っている感覚で「ただ受け入れている」段階
CDは自分の記号(音声や文字)を扱っている感覚で「自分の記号になりかかっている」段階
EFは自分の記号(音声や文字)に自分の思考(イメージ)を「混ぜている」段階
とくに、Fは自分の思考に自分の記号を「混ぜなおしている」段階→これが第三項の日本英語
こんな段階を想像してみました。
みなさん、いかがでしょうか?
なぜ、誰も言わなかったか不思議なくらいです。
アーに限らずに汎用性の高いものです。
いま、UDAさんに意見をうかがっているところです。
公開はそれからになるとおもいます。
アーときこえるが、erとスペルして、開く音があります。
sergeant
軍曹
さくらんぼ月曜英会話のみんなでおいしくいただきました。長野で食べるさくらんぼと断然!違いますね。
引用ありがとうございます。
××××な話は実はウけてしまいまいした。まあそのまま書くとさしさわるようなので引用
はしませんが、縄文までつらなる、ってところは感動さえ覚えてしまいまいしたよ。
(まあなんだかんだいっても過去ログには収録してしまいますが)
「女陰型言語」と根石さんが書いてるんで、なんとなく中村雄二郎先生の「術語集」を
ぱらぱらとめくっていると、こんなことが書いてありましたよ。
『…また「芸道」といわれるものも、仏教の修行から影響を受けて成立したものである。
たとえば能の稽古では、自分の身体を一定の「形」にはめこんでいく訓練を行い、その
積み重ねによって芸が「身につく」、つまり身体で覚えこむのである。稽古を通じて心の
動きと身体の働きとを一致させていくことは、自己の主体と客体の分裂を実践的に克
服し、いわば身体を主体化していくことにほかならない。』
(「術語集」20 身体 歴史的身体/社会的身体/精神としての身体 より)
素読という方法にあてはまると思いませんか?
身体を一定の型にはめることは、戦後的な価値観においては「受動的」であり、マイナス
のイメージを伴うと思われるのですが、果たして「受動的」なことはよくないことなのか?
語学に限っていえば、外国語は自分に対しての異物であります。自分にとっての異物を
いったんは取り込み、取り込んだあとで批評すればいい。
「積極的に受動的」になるということです。
以前、根石さんと語学について話をしていたとき、このようなことを頭に描いて話していま
した。
なんでも受け入れてしまうこと、なんでも飲みこんでしまうこと、と言ったらもう俺たち(えっと
根石さん、こういうことに限っては俺たちって言ってしまっていいですよね?)にとっては、
「××××」しか思い浮かべるものはないわけで、グレート・マザーとか玄牝とか女性原
理とかなんとかえらそに言っても、やっぱり「××××」の方がピンと来るのです。
というわけで、俺は「私たちは巨大な××××にならなければならないのですね!」とい
うマニュフェスト(!)を提案したのでした。
「女陰的言語」について語っているときの私の気分は、上のようなものだったのですが、
根石さんは日本語を語る意識自体に、なんでも飲みこむ「場」の設定があると言ってい
たと思います。「お前」も「俺」も「やつら」もすべていったんは飲みこむ「場」。それを「女陰」
と言っていたと思います。
対して「男根的言語」(ほんとはファルス的言語とか言ってた?)は自己が外部を操作
する志向性(嗜好性?)をもつものであるというような話になったような気がします。
今日はもう電池切れなんで、ここでおしまい。
>アーときこえるが、erとスペルして、開く音があります。
>sergeant
>軍曹
今辞書を引いてみました。
たしかに、このerは「a:」と発音するようですね。
ただ、er(あるいはear) の多くは狭い音で発音されます。
例外として、先の例のほかにも、
「heart の、ear は 明るい a:」 のようなものもあります。
例外があって法則性は成立しないとパクパクさんは、おっしゃりたいのかわかりませんが、
これまで英語に触れてきて思うのは、
ある程度の法則性は確かにあり、例外の方がむしろ少ないのではないかという点です。
あいうえおフォニックスの法則性は基本として踏まえ、
例外はそのつど覚えていく方が、効率がいいように思えますが、いかがですか?
> アーときこえるが、erとスペルして、開く音があります。
> sergeant
> 軍曹
ありがとうございます。こういう例外をなるべく多くはっきりさせたいので、非常に助かります。
台風が去って、今日も暑そうなので、暑さで頭をやられないうちに、整理しておきたいと思います。
----------------------------------------------------
<<<「あいうえおフォニックス」の前提>>>
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりとくっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する傾向が強い。(この曖昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
<<日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別>>
----------------------------------------------------
<それぞれの綴りにアクセントがある場合・あるいはそれぞれの綴りがアクセントの前にある場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
------------------------
<それぞれの綴りがアクセントの後ろにくる場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or のすべてを大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・全部「狭い音」になる
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o 」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができた)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭い音」
・re は er と同じく「狭い音」(母音の後で re が現れる・図式の er の下に括弧に入れて
(re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から 「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er
= re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いからである。
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<例外>
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
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「あいうえおフォニックス」のルールがあてはまらない例外をみつけられましたら、是非この
掲示板にご報告下さい。ご協力をお願い致します。
さんくす。
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日本語が形成する凹型思考については、継続して考えたい。
「あいうえおフォニックス」の例外探しにもご協力を願う。
フォrニックスでもそうなんですが、発音と綴りの関係を教えても100パーセントあてはまる事はありません。 sergent が例外なのか否か、私にはわかりませんが、「例外はあるが、あらかたこうだ」と前置きしておけばじゅうぶんだと思います。
先日Q先生の発音セミナー「母音編」に参加して来ました。 アメリカ各地、各人種、メキシコ、イギリス各地、アイルランド、スコットランド、オ−ストラリア、シンガポ−ル、ホンコンなまりの英語を同一文で聞き比べた後、母音の発音指導が始まりました。 1クラス6名で、それぞれ発音のチェックを受けましたが、先生は許容範囲を大きくとっておられました。 「英語として聞こえる最低限」の発音で良しとされている様でした。 「あなたの発音は香港のキャリアウーマンの英語みたいでかっこいいですね。 それで十分立派い通用します」と言う様な調子です。
基本をしっかりと出来ていれば、例外については自分で見い出して矯正していく事でいいのではないでしょうか? 狭いあ音と明るい「あ〜」を出す事が出来ておれば、sergent は「あかるい方だ」と気付く事も出来るし、自分で矯正する事も出来ます。 言葉は四角四面に規則で縛ってしまう事が出来ないし時と共に変化して行く「ナマ物」ですから、重箱の隅から隅までつっつき回す必要はないと思います。
フランス語やラテン語やドイツ語も日常英語に沢山入り込んでるのですから、そんなものまでいちいちカバーしなければならないとすれば、コーチも生徒もお手上げです。
とにかくエッセンスだけは押さえておきたいわけですから、それが出来た上での事です。
sergent → sergeant
コーチや先生がすみずみにまで精通しているのは良い事ですが、レッスンの現場では、とにかくシンプルに分かりやすく効率よく、一度にいっぱい与えて消化不良を起さない様に、後からの自学自習が可能な様に、心を砕くのが渡し共の勤めだと思ってます。
渡し共 → 私共
立派い通用します→立派に通用します
すんません。 疲労困憊してるんです。
>語学の言語と生活の言語の区別ができていない
これは自虐論者か道具論者という議論なのでしょうか?
何かの新書でこの2つを見たときこれは語学の言語と生活言語の区別と関係があるかもしれないと思いました。
自虐論者は音声や文字、修辞などにより美的なものを求めるあまり自虐的になってしまう。
逆に道具論者は、とにかくツールなのでなんでもありと開き直る。
語学の言語として言語を習得する場合はどちらかというと自虐論者に陥る傾向になる。
周りでどうしてもその言語を使う必要がない場合もこちらに含まれる可能性が高い。
趣味として語学をやる場合もこちらに入るかもしれません。
生活言語として言語を獲得する場合はどちらかというと道具論者に陥る傾向になる。
どうしてもその言語を獲得しなければ生活にかかるという場合です。
生活言語だと最初は意識的に学んでも、無意識的に使うことになるのではないかと思うのですが。。。
連続休みで申し訳ありません。よろしくお願いします。練習は継続します。
Tです。活発に難しい議論されているところ失礼します。
電話でレッスンも3月半過ぎようとしています、相変わらず仕事にかまけて回転読みに満足な時間を割けず、通勤電車でブツブツ、帰宅の夜道でブツブツ、トイレでブツブツと細切れ読み状態ですが、何とか小川さんにお付き合い頂いております。そんな中、先日小川さんにメールした内容を根石さんへも報告するよう勧められ、ここに転写します。
>・・・はこの週末にします。
>ちょっと近況報告。
>先週末出張先での接待後、会社の同僚とカラオケに行き
>バラード調のゆっくりした英語の曲を歌ってみました。
>自分でも心なしか以前とは違い、口が回り(?)、ちゃんと
>曲に追いまくられずに歌えてるなー、でも酔ってるから
>気のせいかな?と思いながら歌いました。
>でも、歌い終わったとき、同僚に
>「凄く発音が上手で決まってるね!」
>と誉られました。
>その同僚達の発音はいい加減ですので、鵜呑みにはしま
>せんが、私の中で何かが起こっていることは確かですし
>今後の励みになりました。
>
お恥ずかしいですが、取り急ぎご報告まで。
mailto:0150419501@jcom.home.ne.jp
レッスンお休みの件、承知しました。
私は、信学会に去年入社したものです。
根石さまの記事を拝見させていただき、どうしてもメールを送りたい気持ちで一杯に
なりました。
私は、信学会においては異端のような存在です。というのも、私は信学会にうんざり
しているのです。「子供のため」とは名ばかりの拝金主義の経営方針。上の決定に対
し、逆らうことを知らないそんな場所で。そして、一度短期大学での不祥事があった
というのに、まったく懲りていないというのがまる分かり。私は信学会の塾(ゼミ
ナール中込校)に通い、その後佐久長聖高校へ進学しました。塾の先生はいい人でし
た。高校の先生にも私は幸運なことに恵まれていました。現場の先生方は生徒のため
に粉骨砕身されている片がたくさんいます。しかし、一方でその本部たる、信学会事
務局は腐りきっています。そう、事務が腐っているんです。
その一つが、「出る杭は引っこ抜く」体質ということです。
私は、去年職場でいじめにあい、精神のバランスを崩し仕事を休んだことがありまし
た。それに対し、彼らが下した決定は「リストラ」でした。直接言われたわけではあ
りません。ただ、事務局長のゴミ箱に無造作に捨てられていただけです。たまたま、
ゴミを片付けていた私は偶然にもそれを目にしてしまいました。確かに休みがちでし
たが、仕事に支障をきたしたことはなかったのです。まして、その欠勤理由は上司に
は話してありました。にも関わらずリストラ。そこにきて、一気に信学会に対する不
信感がこみ上げてきました。
信学会は確かに外部と内部を切り離して考えています。その結果をダブルスタンダー
ドで出していることも事実です。特に指示はないのでしょうが、外からの受験者に対
してははっきりと対応が違います。学力テストにしても結局は金儲けの手段なので
す。
彼らは「県内でもっとも歴史ある」塾・テストだと、自分たちのことを評価していま
す。ですが、私に言わせれば過去の栄光の上に胡坐をかき、まったくの経営努力をし
ていない塾です。受験事情は刻一刻と変化を遂げているというのに、それに気がつか
ないカワイそうな塾なのです。
指摘できる人間は内部にもいるでしょう。
ですが、出来ないのです。
それは信学会が「出る杭は引っこ抜く」体質だからなのです。
意見することは、首になることを意味します。私自身、リストラの件で上司に「民
法」・「労働基準法」を掲げ噛み付いたところ、リストラは撤回されましたが、佐久
長聖高校の寮に左遷されました。
さて、話題はかわりますが、この佐久長聖高校もまた腐っています。まあ、同じ信学
会なんでしかたないことなんですが。その一つが、謎の寮の存在です。現在高校には
男子寮・女子寮・野球部のクラブハウスと、公には3つの寮があるとしています。と
ころが、実際はもう一つあるのです。その存在は事務局ですらマル秘扱いで、その実
態は職員すら知らされていません。現在、私はこの寮について調査しています。
生徒には申し訳ないことですが、私はこの学園の信用を地に貶めたいのです。
件の短大不祥事で引責辞任した人間が、今再び理事長に舞い戻るような学校です。
PTAにこの事実を教えてあげたいのです。
最後に、根石様のご意見は本当によかったです。
私は間違っていないと確信できました。
ありがとうございます。
メールありがとうございました。
ホームページをお読みいただいたようで、こちらもお礼申し上げます。
いただいたメールを私の掲示板「大風呂敷」に転載させていただきたく
お願いいたします。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
また、有効に使えるようであれば、この掲示板に、信学会の内部告発を
書いていただいても結構です。
根石吉久
最近まったく更新をしていない私のホームページを今でも読んでいてくれる方がおられるらしく、
ずいぶん前に書いた信学会批判記事についてメールをいただいた。しかも、信学会内部の方から
のメールである。
村田君にお願いしておきたい。
問題の記事のURLをここに書いてもらって、皆さんが簡単に読めるようにしてもらいたいとい
うことです。
「電話でレッスン」の近況報告をありがとうございました。
多分、連続音の処理が上手になったことで歌が歌いやすくなっているのだと思います。
これは、今後の英語学習のさまざまな方面に波及しますので、なるべく時間をみつけて、
激しい練習に突入して下さることを期待しています。
「電話でレッスン」は、確実に「なにごとかが起こる」レッスンです。
学校英語、受験英語からずっぽり抜け落ちているものが、このレッスンのボディですから。
今後も時々、報告をいただけるとうれしく思います。
頑張って練習して下さい。
私がどういうからみで、語学の言語と生活言語の区別ができていないと書いたのか、忘れてしま
いましたので、以前の記事を読み直したいと思っていますが、その時間がとれません。
明日以降にいたしますので、よろしくお願いいたします。
信学会本部への公開質問状
「信学会さん、これではまるで、二枚舌ではありませんか?」
http://f44.aaacafe.ne.jp/~sodoku/kenka/2maijita.htm
「信学会の記事へのクレームとそれへのお返事」
http://f44.aaacafe.ne.jp/~sodoku/kenka/kuroiwa.htm
「BLACK E-MAIL from a junior high school student」
http://f44.aaacafe.ne.jp/~sodoku/gogaku/blackem.htm
>件の短大不祥事で引責辞任した人間が、今再び理事長に舞い戻るような学校です。
そういえばなんか不祥事ありましたね。
でもどんな事件だったか忘れてしまったので、検索してみました。
http://camp.ff.tku.ac.jp/YAMADA-KEN/Y-KEN/fulltext/RandamAccess/RA96.html#961009
↑は東京経済大学の先生のサイトですが、他にはずばり書
いてあるところはなかったなあ。
6月27日は自宅を離れますので、レッスンを受けられなくなりました。お休みとさせてください。
振り替えをさせていただきたく思います。よろしくお願いします。
承知しました。
次回のレッスンの時に、振替を申し出ていただきたくお願いします。
私が忘れているといけませんので。
さんくす。
村田君が探してくれた信学会の助成金だましどり事件の輪郭がよりはっきりする記事を以下に
引用します。素読舎には、助成金のジョの字もないが、信学会には、助成金が出ているらしい。
助成金といえば、女性器とは違って、正体は税金だ。どでかい広告で生徒をかき集めて、塾商
売でもうけた上に、税金から助成金をとる。ただとるだけでなく、だましとる。
以下引用です。
s短大は、信学会短大と読み替えるべきなのか。正式の名前を知らないので断定できませんが、
いずれにせよ信学会の経営する短大です。
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1996/10/ 9
S短大の事件
先日、大きく報道された佐久市のS短大の事件には、私学人の一人として、考えさせられることが多かった。S短大には個人的な知
り合いも関わっていたので、事件は身近に感じられた。渦中の人物となった事務局長氏にも、会議でお会いする機会があり、面識があ
った。人当たりのよい、有能なやり手といった印象だった。
今回の事件では、二つの重大なルール違反が公になった。一つは、S短大が、文部省が認めた入学者定員をはるかに超えて学生
を入学させていた点である。大学には、設置基準が定められており、これに照らして充分な施設や教員等の要件を整えれば、「定員○
○名」といった形で学部学科の設置が認められる。定員を越えて多数の学生を受け入れていれば、学生一人一人が受けるサービス
の水準は低下し、教育にも支障をきたしかねない。(短期)大学を名乗りながら、それに値しない水準の教育をしたとすれば、それは羊
頭狗肉である。
もう一つのルール違反は、実際に入学していた人数とはかけ離れた数を文部省に報告していたという点である。この虚偽の報告によ
って、S短大は、本来なら定員大幅超過を理由に受け取れないはずの私学助成金を、不正に受け取っていたのである。
私学の学費は、決して小さい額ではない。それでも学生(父母)が負担する授業料だけでは、私学の経営は成り立たない。税金から
まかなわれる私学助成金は、私学にとって重要な収入源の一つである。つまり、国公立大学の学生ばかりでなく、私学に学ぶ学生
も、自分の父母の負担に加え、納税者一般の、言い換えれば社会全体の負担があって、はじめて勉強できる仕組みになっているので
ある。
私たち私学に身を置く大学人は、教育の機会平等を旗印に、学生(父母)の負担増を避けるために、私学助成の拡大を求める運動
に取り組んでいる。残念ながら日本の現状は、「高等教育の漸進的無償化」を目指す国際人権規約(A規約第十三条第二項・日本は
この条項を「保留」している)の精神からはもちろん、一九七五年の私立学校振興助成法成立時に参議院が付帯決議した「教育研究
経常費の二分の一助成の早期実現」の精神からもほど遠い。教育研究にかかる経常費に対する助成額の比率は、一時期の三割弱
という水準からも大幅に後退して、一割強という水準に低迷している。こうした厳しい状況の中で運動に取り組んでいる立場からすれ
ば、S短大のような不正受給行為には、憤りを感じざるを得ない。
S短大と同種の事件は過去にもあり、福岡県のD大学や山梨県のT短大などは、悪質な事例だった。同様の不祥事が、先人の築い
た輝かしい伝統を誇る長野県の教育界の一隅で起きたことは、痛恨の極みである。
<<<「あいうえおフォニックス」の前提>>>
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりとくっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する傾向が強い。(この曖昧母音が無視されてなくなることもある。)
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<<日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別>>
----------------------------------------------------
<それぞれの綴りにアクセントがある場合・あるいはそれぞれの綴りがアクセントの前にある場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
------------------------
<それぞれの綴りがアクセントの後ろにくる場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or のすべてを大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・全部「狭い音」になる
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o 」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができた)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭い音」
・re は er と同じく「狭い音」(母音の後で re が現れる・図式の er の下に括弧に入れて
(re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から 「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er
= re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いからである。
----------------------------------------------------
<例外>
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
----------------------------------------------------
今日、I 村さんのレッスンをした。I 村さんには、「あいうえおフォニックス」の例外を探すことにご協力をお願いしてあるので、その後、例外がみつかったかどうかお尋ねした。シナリオ「ゴースト」に関しては、その後も例外はみつかっていないとのことだった。
「cartoon 問題」に関しては、アクセントの「後」で、母音が急激にぼける(曖昧化)するという私の説明で納得してもらえたことも確認できた。
「cartoon 問題」も、「dollar 問題」も、本質は一つであり、cartoon
の ar が「ぼけない」のも、dollar の ar が「ぼける(曖昧化する)」のも、「アクセントの<後で>ぼける」、ということをひとつおさえればいいのである。この観点で見れば、cartoon
の ar も dollar の ar も、「あいうえおフォニックス」の例外にはならない。
「あいうえおフォニックス」の最新版を書いてから、その目で英単語を見ていると、なじみのある英単語が今までと違って見えるくらいに発見がある。今日はミッフィーさんのレッスンもあったが、例えば、ミッフィーさんのレッスンでは、before とか、where とか here とかの最後にある re の音に関して、[j]音が混じることをこれまで指摘しないできた。「あいうえおフォニックス」の最新版以後、そういう細かいところまで指摘することが可能になった。
最新版以後、私自身の音読の練習の音に変化があるのである。
今日、アメリカ在住の高橋さんのレッスンもした。直した音は全部、母音がらみのものばかりだった。その場ですぐに直らないものもあり、この一週間の間に一人で行う練習の中でこなしておいて欲しいと要望した。それをきちんとやっていただくなら、今後、高橋さんが修得した英語音で、英語の磁場に切り込んでいくのに大いに役立つことを確信している。
例えば、hear の ar と here の re が同じ音でいいということは、「あいうえおフォニックス」で完全にカバーできる。この二つの英単語を同じ音で発音していい根拠が「あいうえおフォニックス」で言えてしまう。
アメリカから来たフォニックスは、規則の数がやたら多いことに加えて、例外が多いという欠点がある。また、すでに英語音を「既に獲得した後」のネイティヴ話者(主に学校の生徒)が、自分がすでに持っている音と字の綴りの対応関係を知るためのものであり、英語音を「これから獲得」するための日本人の生徒のためのものではないという本来の目的の違いもある。柴田さんのような優秀な先生以外の人が使っても、ほとんど使い物にならないということは欠点である。なぜなら、先生がまともな音を持っていないのに、フォニックスも糞もないからである。対応させるべき音がない場所で、「音と綴りの対応関係」も糞もないからである。
「既に獲得した後」の英語音というものを持たないだけでなく、組成のまるで違う日本語音を「すでに獲得した後」の日本人の生徒を相手にするのであるなら、日本には日本人向けの独自のフォニックスがなければならないはずだ。
おそらく、「あいうえおフォニックス」にはまだ不備はあるだろうが、日本人による日本人向けのフォニックスの端緒を示してはいるはずである。アメリカから来たフォニックスの短所はすでに克服されている。
「あいうえおフォニックス」は、日本人の最大の難関である「ア系列」の母音に焦点を合わせてある。「あいうえおフォニックス」の作成以前に作成した「発音10のポイント」というものがあるが、この「発音10のポイント」は、「あいうえおフォニックス」の下位に位置づけたいと考えるようになった。あるいは、これまで「あいうえおフォニックス」と呼んできたものと、「発音10のポイント」とを併せて、「あいうえおフォニックス」と総称しようかとも考える。
例外が非常に少ないこと。日本人向けに特化されていること。この二つだけでも、学校の教室その他で、実践の場ですぐに使えるものである。事実の記載だけでできているのではなく、「生徒に・・・と書かせる」など、あくまでも「生徒」のために作られていること、先生がどうすればいいのかがすぐわかることなども、これまでのフォニックスとは違うところだろう。ただし、「狭い音」というときの、狭さの「感覚」を備えていない先生には仕えないが・・・。
なるべく多くの学校の先生が興味をもってくれることを願っている。
実際に体得していただくには、発音の上手な先生よりも発音の下手な先生の方がいいという逆説は何度か書いたが、それは実際にそうなのである。「電話でレッスン」を受けていただく必要はあるが、それによって、実際に自分の音が変わっていく過程を体感していただけば、生徒の音を変えるためのポイントは初めから発音の上手な先生よりもはっきりとつかんで下さるはずだ。
すでに英語音を「既に獲得した後」のネイティヴ話者
→
英語音を「既に獲得した後」のネイティヴ話者
狭さの「感覚」を備えていない先生には仕えないが・・・。
→
狭さの「感覚」を備えていない先生には使えないが・・・。
「あいうえおフォニックス」がどれほどの的中率かを示すために、明日以降、手近な英文を
引用して例示してみたいと思います。
最初の「最大の難関」は「ア系列」の区別
最後の「最大の難関」は、「弱形」
そう思った。
英語音を「これから獲得」するための日本人の生徒のためのものではないという本来
の目的の違いもある。
→
英語音を「これから獲得」する日本人の生徒のためのものではないという本来
の目的の違いもある。
最近、ジャンクメールがやたらに多いので、ほとんどのメールは受信する前に削除してしまって
おります。お問い合わせなど、掲示板でさしつかえない場合は、掲示板の方へ書いてくださるよ
うお願い致します。
今日、小川さんのレッスンをした。「あいうえおフォニックス」の的中率が抜群だという話をして、あまりにも例外がないので自分でびっくりしているのだといった話をしているうちに、小川さんが、forward
の ar はどうかと言った。そうか、と思って頭が一瞬混乱したので、辞書をひいた。
例外である。
もうひとつ例外が見つかった。
heart, hearth, sergeant, forward がいまのところ見つかっている例外である。
皆様も、「あいうえおフォニックス」の例外探しに是非ご協力下さい。
英単語がいくつあるのか知らないが、例外が見つかれば見つかるほど、「あいうえおフォニックス」が100パーセントに「近い」ほどの的中率を示していることがはっきりしていくだろう。
小説を読む人は hearth を知っているかも知れないが、化学論文を読む人はまず知らないだろう。heart、sergeant,
forward は、何を読む人にとっても例外だろう。
sergeant についてパクパクさんに、forward について小川さんに感謝したい。
どこかの出版社が、「あいうえおフォニックス」に食いついてくれねえもんかと思っている。大手だろうが、小出版だろうが、最初にくいついてくれたところを優先したい。
どこも食いつかなければ、しょせん日本の英語の状況はこの程度と私が見てきたところが変わりはせんのだと考えて、自分の印刷機で刷るだけのことだ。
「あいうえおフォニックス」は、実に食いつきが悪い。
鈍いんじゃなかろうか、英語回りの方々は。
酔っているので、間違えました。
>heart, hearth, sergeant, forward がいまのところ見つかっている例外である。
以下のように訂正します。
heart, hearth, sergeant, torward がいまのところ見つかっている例外である。
forward は for の or にアクセントがあるので、ar が「狭い音」になることは例外にならない。
toward は to の o にアクセントがあるので、例外になる。
酔っ払いは学問には向かないようだが、まだ訂正する程度の正気は残っている。
ううっ。変な酔いの回り方が。やべえ、酒飲んで、英語の音なんかまじめに考えてはならない。
吐きたくなってきた。
綴りにおける u が日本人の耳に「あ」と聞こえる場合は、ことごとく「狭い音」。
出版社が食いついてくれた場合のことを考え、タイトル案をひとまず考えました。
(メインタイトル)英語の「広い音」「狭い音」
(サブタイトル) 現場ですぐに使える「あいうえおフォニックス」
いくこの意見を求めます。
いくこはコピーライターの才能がありますゆえ。
私がいつも「狭い音」と言っている「ア系列」の音は、発音記号では、[逆さe] と [逆さv] になる音です。この二つは厳密な音価は違いますが、あえて区別しません。アクセントの有無により、息の勢いが違ってくるので、音価の違いは自然に備わると考えているからです。この認識には、鵜田さんという方からヒントをいただきました。鵜田さんは、[逆さe] と [逆さv] を区別しないとだけ言っておられます。
単独の[逆さe] にはアクセントが来ません。[逆さe + r] にはアクセントが来る場合がしばしばありますが、単独の[逆さe]
にはアクセントが来ません。
単独の[逆さ v] という言い方は変で、[逆さ v] はまずほとんど単独です。
「まずほとんど」と言っているのは、例外がある「かもしれない」という猶予をもうけているだけで、私の中では、[逆さ
v] が単独であるのは、今のところ100パーセントそうです。
で、「狭い音」の中で、「弱い音」とも言っていい音は、アクセント以後の「狭い音」です。つまり、アクセント以後の「狭い音・弱い音」はいわゆる「弱形」になるわけです。
この「弱形」こそ、日本人にとっての英語音の最後の難物です。
「弱形」を体でわかるようにするための入り口は、「狭い音」だということになります。
「狭い音」のうち、アクセント以後の音が「弱形」になります。
で、「狭い音」の「狭さ」の感覚をつかんだ後、それを弱く言えるようにさせられれば、「弱形」への導入ができます。
で、次のように言えます。
「弱形」獲得への導入は「狭い音」にあり。
初心者の難題は、「狭い音」です。
上級者でも、「弱形」は難題であることが多いです。
初心者の難題の「狭い音」を解決できれば、その初心者が上級者になったときに、「弱形」を体得するのは容易になるだろう。
「音づくり」のコーチをやろうとする人は、唇で作る狭さをキープし続けて欲しいと考えています。
ネイティヴは、口の中で舌を持ち上げて、息の通り道を狭くすることができますから、外から口の開きを見ても、狭い感じがあまりありません。
口の中で舌を持ち上げて息の通り道を狭くすることは、すでに日本語音を持っている(日本語音を自然化している)生徒(初心者)には難しい。
それで、ひとまずは唇の開きを狭くして、「狭い音」の狭さの感覚をつかませるのがいい。これなら簡単にできる。その後に、CDなどの複製音声を媒介にしていけば、ネイティヴが口の「中」で狭さを作っていることは、感覚的に割とつかみやすいし、ネイティヴと同じように口の「中」で狭さを作ることができるようになる。
で。
コーチをやる人は、是非、唇の開き加減で作る「狭さ」をキープしていて欲しい。それこそが、生徒が「狭さ」の感覚をつかむためのきっかけですから。
生徒が口の「中」で、「狭さ」の感覚をつかむためには是非必要な口の形ですから。
内側で感覚できるようにするためには、外側をよく耕すこと。
すけべな話ですが、そうなのです。
小川さん
今日解説した、「75歳現象」について、皆様に解説していただけたら幸甚。
torward
→
toward
particular
明日の予定の確認です。
「鰐る」座談会
30日水曜日午後8時〜
稲荷山 お茶処「やじろべえ」
よろしく。
あいうえおフォニックスは、非常に使えるものだと思っている いくこ です。
ただ、以前から思っていたのですが、
or が狭い音になるという点が、実は気になっていました。
というのも、or とつづるものには、
発音が 逆C: となるものが、かなり多いように思われるからです。
つまり、
日本語の「あー」の狭い音でなく、
日本語の「おー」の音を代用すればなんとか通じる、音です。
この実例を挙げていこうと思いますが、
とりいそぎ、問題提起まで。
>sergeant についてパクパクさんに、toward について小川さんに感謝したい。
小川さん、すみません。
肝心なところで間違えました。
酔っ払いは本当に信じられないと自分で自分の書いたものを読み返して思っております。そう書いている今、わたくしは酔っ払いでありますが・・・。
書き込みありがとう。
>ただ、以前から思っていたのですが、
or が狭い音になるという点が、実は気になっていました。
>というのも、or とつづるものには、
発音が 逆C: となるものが、かなり多いように思われるからです。
そうそう。そこんところを誰か突いてくれねえかなあと首を長くして待ってた。
確率的には、or が「鏡文字 C 」になる方が、「狭い音・逆さe」になる確率より大きいと思う。
>つまり、
日本語の「あー」の狭い音でなく、
日本語の「おー」の音を代用すればなんとか通じる、音です。
この点については、俺も気が付いており、「あいうえおフォニックス」の前提として断った断り書きで解決しています。「あいうえおフォニックス」には大前提と小前提の二つがあり、いくこが指摘した問題に触れているのは小前提の方です。以下に再度掲載します。「大前提」という文字と「小前提」という文字を加えておきます。
こうして、「あいうえおフォニックス」が成長していくのがうれしい。再度感謝します。
次の記事で、改訂した「あいうえおフォニックス」を載せます。
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の大前提・・・
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりとくっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する(粗末にされる)傾向が強い。(この曖昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の小前提・・・
・日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別であること
----------------------------------------------------
<それぞれの綴りにアクセントがある場合・あるいはそれぞれの綴りがアクセントの前にある場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
------------------------
<それぞれの綴りがアクセントの後ろにくる場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or のすべてを大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・全部「狭い音」になる
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o 」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができた)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭い音」
・re は er と同じく「狭い音」(母音の後で re が現れる・図式の er の下に括弧に入れて
(re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から 「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er
= re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いからである。
----------------------------------------------------
<例外>
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
----------------------------------------------------
いくらでもありますが、or が「鏡文字c:r」または「鏡文字c:」となる例として、
important の or
order の or
などがあります。これらは、日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音ではあ
りません。
従って、これらは「あいうえおフォニックス」の対象外です。
ありがとう。
またみつかった。何が。例外が。
これ、ランボウのもじりだってことは多分わからないと思いますが、ダジャレー夫人の恋人さん
には絶対にわかるとも思います。
ともあれ、本題に戻ります。
particular
純然たる例外ですね。
ところで、私も今日みつけました。
war です。
ar にアクセントがあるのに、ar は「顎のさがる明るいア(歯医者のアーン)」ではなく、「鏡
文字c:」です。これは、ar の前に w があることで、小川さんがみつけてくれた
toward と
共通します。
さらに例外探しにご協力下さい。
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の大前提・・・
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりとくっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する(粗末にされる)傾向が強い。(この曖昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の小前提・・・
・日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別であること
----------------------------------------------------
<それぞれの綴りにアクセントがある場合・あるいはそれぞれの綴りがアクセントの前にある場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
------------------------
<それぞれの綴りがアクセントの後ろにくる場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or のすべてを大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・全部「狭い音」になる
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o 」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができた)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭い音」
・re は er と同じく「狭い音」(母音の後で re が現れる・図式の er の下に括弧に入れて
(re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から 「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er
= re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いからである。
----------------------------------------------------
<例外>
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
・ar に関して particular (どちらの ar も「狭い音」)
・ar に関して war, toward ( ar が「鏡文字c:」になる
----------------------------------------------------
ところで、「鏡文字c:」は、柴田さんからヒントをもらって私がつけたあだ名が、「ゆでたまご」
です。
これについて解説して下さい。
解説できたら、あんたはこの掲示板をよく読んでいることを証明できます。
「鰐る」座談会の連絡ありがとう。
俺が読むのが遅すぎた。
火曜、水曜、木曜はめったに書かないだけでなく、読みもしないので、ご勘弁を。
火曜、水曜、木曜については、電話連絡がありがたい。
わがままを続けますので、よろしく。
仕事でせっぱつまっています。本日のレッスンは急ですがお休みさせて下さい。
承知しました。
ward, warm, warning, thwart など Wがらみの単語に例外が多いですね。 例外って言うよりすでに規則なのかも
せっかく Naima さんから ward, warm, warning, thwar などの「例外」を報告してもらったばかりですが、先日みつけていただいた toward と 私がみつけた war などとともに例外とは認めないことにしなければならないと今日気が付きました。
「あいうえおフォニックス」の前提が二つあり、そのうちの一つが、
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の小前提・・・
・日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別であること
----------------------------------------------------
というものです。「あいうえおフォニックス」は日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる英語の音に関してだけのものです。音全般からすれば、ごくわずかな範囲しか扱うことができませんが、しかし、ここのところが日本人の英語音の最大の盲点であり、音を攻める時の本丸であることには間違いないと思っています。
で、翻って考えてみれば、war や warning の ar は日本人の耳に最初から「おー」と聞こえていて、「あ」や「あー」とは聞こえていないので、「あいうえおフォニックス」にとっては対象外です。この問題は、or に関してかなり前に、パクパクさんとやりとりしたことで私の中では方がついていたはずですが、なにぶんにも実際にぐてぐてに酔っ払って掲示板を経営しておりますので、自分で間違えてしまいました。
次に、war, toward を例外から排除したものを掲載します。
いずれにせよ、お手数をおかけしたこと、Naima さんに感謝いたします。
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の大前提・・・
・アクセントのあるところの母音は、(比較的綴り通りに)はっきりとくっきりと発音されるが、それ以後の母音はぼける。ぼけて、曖昧母音化する(粗末にされる)傾向が強い。(この曖昧母音が無視されてなくなることもある。)
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の小前提・・・
・日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別であること
----------------------------------------------------
<それぞれの綴りにアクセントがある場合・あるいはそれぞれの綴りがアクセントの前にある場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or の ar だけを○で囲ませる
・残った ir ur er or を大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・これで、ar と他の4つ ir ur er or が別のグループとしてはっきり区別される
・ar は「顎の下がる明るい音(診察室のアー)」
・他の4つ(ir ur er or)は、「狭い音」
------------------------
<それぞれの綴りがアクセントの後ろにくる場合>
・生徒にローマ字で「あいうえお」を書かせる
・それぞれに r をつけさせる
・得られた ar ir ur er or のすべてを大きな一つの楕円でひとくくりに囲ませる
・全部「狭い音」になる
----------------------------------------------------
(以上の図式は「 a i u e o 」に「r」をつけたものだけのものだが、図式が単に図式としてでなく、生徒が英語を音読していく場合に自然に使えるように感覚化された(反射神経ができた)あたりで、ear, re を追加する)
・ear も「狭い音」
・re は er と同じく「狭い音」(母音の後で re が現れる・図式の er の下に括弧に入れて
(re) と生徒に書かせる)
・あるいは、「ar, ir, ur, er, or」だけを扱う段階で、最初から 「er」の下に、括弧に入れて(=re)として、扱うのもいい。「er
= re」が現れる確率は、「ear」が現れる確率よりはるかに高いからである。
----------------------------------------------------
<例外>
・earに関して heart, hearth (ともに 顎の下がる明るい音になる)
・er に関して sergeant (顎の下がる明るい音になる)
・ar に関して particular (どちらの ar も「狭い音」)
----------------------------------------------------
>ward, warm, warning, thwart など Wがらみの単語に例外が多いですね。 例外って言う
よりすでに規則なのかも
「あいうえおフォニックス」の例外からは削除しましたが、これは規則と言っていいのではな
いでしょうか。これだけ出てくれば、規則化していいと思います。
私の音の扱いのどこに記述すればいいのか迷うところですが、
war と綴るときの ar は「鏡文字c:」
という規則を取り出すことができると思うので、どこかに入れようと思います。
追補として、
・ u が「日本人の耳に」「あ」と聞こえる場合、ことごとく「狭い音」(逆さv)
・ war という綴りの中の ar は「鏡文字c:」
今のところ、この二つです。
やります。
今日、いくこと大喧嘩しました。
ミッフィーさんのレッスンがお休みになったので、空き時間に階下の塾に顔を出したら、女房とキリピーといくこがいた。先日いくこが書いた
or 問題について俺が話し出し、いくこが「あいうえおフォニックス」の前提をちゃんと読んでいないということを指摘し出してから、ことが紛糾した。話しているうちに、いくこが「フォニックス」というものを、単に文字の綴りから音を割り出す方法だと考えていることがわかったので、それはそうじゃないことを指摘した。「フォニックス」というのが(多分)アメリカで誕生した経緯には、「子供がすでに持っている音」を綴りに対応させるということが契機としてあったはずだというのが俺の考えなので、あくまでも音から文字へのベクトルなのだと言うのだが、いくこの思いこみは根強いものがあり、何度音から文字へのベクトルなのだと言っても、何度でも文字から音へのベクトルを扱うものだというところに話を戻してしまう。
この強情さにはほとほとまいった。
女が理論を扱うときの下手さ加減というのがよくわかった。
この下手さ加減によって、(女房という女から)どれほどの無駄なエネルギーを消耗させられたかわからないが、女房ではなく、今日は他人からほとほとまいらさられた。
いい加減いやになったので、声が荒くなった。俺はわけのわからんことを言い続けるやつには声を荒くすることはかまわんと考えているので、どんどん声は荒くなった。
そのおかげで、前提を少し精密にすることができた。
----------------------------------------------------
・・・「あいうえおフォニックス」の小前提・・・
・日本人の耳に「あ」または「あー」と聞こえる音に関する「広い・狭い」の区別を綴りから割り出すためのものであること
----------------------------------------------------
この前提のもっと雑な形のものは、いくこが or問題を持ち出す以前にすでに書いてある。
たんにいくこが「ちゃんと読まない」から生じた紛糾であるが、「あいうえおフォニックス」自体をみくびるような調子でものを言いやがったので、そこで俺は「ちゃんと」腹が立った。とぼけんじゃねえ、おめえごときにみくびられるような出来のものじゃねえ、おめえがまともに読めていねえくせに、紛糾の元は、てめえの「軽んじ」なくせに、でけえ口こいて、ゴリッパな理論じみたことをこくな、あほたれが。
ただ強情なだけじゃねえか。
その強情がどれほど人に迷惑か。
で、今日、破門した。