【7901】
【タイトル】「只管朗読」の洗濯(1)
【 日時 】03/09/21 13:53
【 発言者 】根石吉久

 素読は、基本的に一対一で行う練習方法である。コーチ一人に生徒一人が素読の基本的な場を構成する。語学としての英語学習では、コーチは単音の「音づくり」を行い、文全体の「音づくり」を行い、それらをメンテナンスし、錆び付きを防ぐための管理を行う。コーチ側の意図をくみ取って、メンテナンスの実行や錆び落とし、文の打ち直し(文法媒介)等、必要な練習は普段の生徒の独学による。

 この過程の中で、コーチと生徒とが一対一で行う練習の部分(生徒の独学を除いた部分)だけを取り出して、「技法グラウンド」と呼んでいる。私の「電話でレッスン」の実質部分である。そして、この「技法グラウンド」の根は素読にある。

 國弘正雄の「只管朗読」は、独学法である。「只管朗読」の場には、コーチは存在しない。現代では、コーチの代用品としてCDなどの録音音声を利用することはできるが、英語フリークや音楽センスのいい人など、一部の人にしか独学で「音づくり」はできないことが無視されている。最初から、フリーク性やセンスが前提されている方法であることが「只管朗読」の欠点である。

 また、「只管朗読」だけで國弘の同時通訳の能力ができているわけではないことを人は見落としがちである。國弘が「血のにじむような」訓練を自分に課し続けた人であることは間違いのないところだが、いくら血のにじむような訓練を継続したところで、國弘が日本にだけ居続けたのであったなら、國弘の同時通訳の能力は成立したはずがない。同時通訳どころか、不自由なく話し聞くことだって、日本在住のままでは成り立ちがたい。準磁場(外資系会社の社内など)で仕事で英語を使うとか、結婚相手が英語圏で育った人で家庭内は英語でいくなどの申し合わせがあるなど、日常的な言語の基本の一つに英語が据えられないなら、不自由なく話し聞くことすらほぼ成立しないと言っていい。(松本道弘は準磁場を持っていた人間だと私は考えている。)

 ゴンベが種蒔きゃ、カラスがほじくる。
 なまなかが英語学習など、日本語磁場の日本語シンタックスが片っ端からひっくりかえしてしまう。

 私は、日本にだけ居続けた人間だ。この条件において、國弘のような英語能力が身に付かないことは、私の体がよく知っている。私の練習における血のにじみ加減は、國弘に負けるのかもしれないが、それでも、私の日本在住の体にある苦痛は首を縦に振ることはない。たとえ、國弘よりも多く血のにじむような訓練や練習をしても、私の英語能力が國弘の同時通訳レベルに達することはありえないと、私の体の苦痛は言明し続けるであろう。
 そんなことがありえないことを知っていることこそが、私の英語のアイデンティティなのだ。そこを承知していることこそ、在米で英語に困っている人に、海を越えて電話でレッスンをしようとまで企てることの根拠なのだ。在米での困惑をもっともよく理解するものは、在日英語の英語能力ではない。在日英語の苦痛なのだ。

 言語的に「在米」に渡らせる力は、環境的には英語磁場、方法においては「技法グラウンド」だ。それが極め付きだとまで思っている。
 


【7902】
【タイトル】「只管朗読」の洗濯(2)
【 日時 】03/09/21 13:54
【 発言者 】根石吉久

 國弘は、英語の磁場の磁力を大きく媒介した人である。國弘における在米13年(?)の意味を國弘はほとんど語っていない。しかし、そこに何があったかを言明しないならば、「只管朗読」はむやみな幻想を売ることに一役買ってしまうことを指摘しておかなければならない。

 音読ばやりである。
 素読はいまだほとんどかえりみられていない。
 國弘も、この音読ばやりの中で、「只管朗読」の「朗読」を「音読」という呼び名にシフトしつつある。

 私は、素読によって立つ。
 「只管朗読」という場合に、音読ばやりの中で「朗読」という語ばかりが問題にされて、「音読の一種」と読み替えられ、「只管(ひたすらに)」の意味がほとんど放置されている。

 「只管」の意味を人々に知ってもらうには、「技法グラウンド」における「復習範囲を手離さない」という原則によって具体的に体で知ってもらう以外にはない。特に、仕事を持ちながら英語を練習する人に「只管」の意味を知ってもらうにはそれ以外に方法はなかろうと思う。

 國弘の「朗読」をはやりの「音読」の方へひっぱり、シャドウイングなどを導入して、水で薄めている千田潤一は、人々から「只管朗読」の「只管」の意味を奪っているのである。「只管」というのは、その程度のもんじゃねえよ、という文句が私の側にはっきりとある。

 「声を使うこと」と「意味がわかること」。
 この前後関係はどちらでもよい。
 國弘は、「只管朗読」を提唱して、「意味がわかること」が「声を使うこと」に必ず先立たなければならないと限定した。これによって、國弘は素読という方法を相当程度に水で薄めたと私は考えている。

 音のシーケンスが完成した直後に意味が備わるのでなぜ悪いのか。
 何も悪いことはない。前後関係はどっちだっていいのである。
 問題は、音と意味の一体化の強度にあるのであって、前後関係にあるのではない。

 國弘は、別に素読になど義理はないと言うのかも知れない。
 しかし、國弘は幼児期に素読を施された人だという。素読に義理はないどころの話ではないし、素読などを幼児期に施すような社会的クラスに生まれたことの義理を、素読の原理を水で薄めることで、薄めてはならないはずである。
 多くの人々は、そのような社会的クラスに生まれてくるのではない。そして、その人々に國弘の「只管朗読」の「只管」は伝わっていかない。元々「只管」も、コーチ付きの素読が持つ方法から育った考えに基づいているものだからだ。
 


【7903】
【タイトル】「只管朗読」の洗濯(3)
【 日時 】03/09/21 13:55
【 発言者 】根石吉久

 中学の先生に勧められた音読を、やりとげたのは國弘だけだったということは何を意味するか。國弘に素読の素地があったから、國弘だけが先生が勧める音読を「只管朗読」にまで練り上げることができたということだ。素読の素地が、音読の意味、「只管」の意味を内在的に理解させたのだということだ。

 國弘の「只管」は、もともとは素読から得られたものなのである。

 そもそも、「最初に意味がわかっていなければならない」の意味が不明である。これは人に教わった意味でもいいということなのか、自分で考えて得心した意味のことを言っているのか。この時点で、「意味」というものが水で薄められて考えられている。
 もし、「意味」が自分で考えて得心したもののことを言うのなら、この「意味」は語学の初心者には不可能なものである。それが得られないからこそ、語学をやるのだからだ。この意味での「意味」をつかみ、文の構造(音のシーケンスに内在する構造)と緊密に溶接するためにこそ、「只管朗読」の「只管」が必要なのではないのか。

 國弘の「意味」が、人に教わった意味(外在的な意味)ということなら何も文句はない。語学の当初においては、それでいいのである。

 國弘においては、「意味」というものが内在的理解によって能動的につかむもの(内在的意味)なのか、人から教わったり、英文の隣に並記された日本語から受け取る意味(外在的意味)なのかがまるで区別されていない。
 


【7904】
【タイトル】は と が
【 日時 】03/09/21 17:11
【 発言者 】パクパク

日本語で○が□い の場合
英語では、□○の語順になる場合があります。

りんごが多い   many apples   ×apples are many.
空が青い     a blue sky
 


【7905】
【タイトル】素読の定義
【 日時 】03/09/21 17:23
【 発言者 】パクパク

私は、素読と音読とを議論する場合、素読の定義をきちりと
したほうがいいとおもいます。

 素読とは、そばにコーチがいる。(基本的には1:1)
 意味のわからない文でも、音読でおぼえる。
 文字は見てもよい。
 

ところで、現実には、コーチは、いまの日本では得がたいとおもいます。
生徒ひとりひとりの特徴を見ながら、その場、その時、的確に即座に
音読コーチができるような人は
先生側になかなかいないとおもいます。

また、「まったく意味のわからない文を素読するだけで、なぜ、言語能力がつくのか?」を
素読を主張する側は、科学的に主張しておけばいいとおもいます。
 


【7906】
【タイトル】過去ログ係
【 日時 】03/09/22 1:47
【 発言者 】村田

過去ログ係です。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/index.html
に8月中に掲載する予定だった過去ログを入れました。

根石さん
過去ログに関して、遅れてしまったことについて申し訳ありません。
病気であることなどに甘えていました。今は何を書いても言い訳になります。
途中経過等書くべきだったと思います。今後は遅れないようにします。
すみませんでした。
 


【7907】
【タイトル】村田君
【 日時 】03/09/22 2:21
【 発言者 】根石吉久

やると言ったことをやらないで、長く放置しつづけることに関して、私があなたに文句を言った
ことはこれで二度目です。まったく同じ性質の文句です。

三度目がありましたら、破門するということでお願いしたいと思っております。
 


【7908】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/09/22 2:31
【 発言者 】根石吉久

素読の定義はかつてしたことがあります。

ただいま、過去ログを自分なりにテーマ別に整理しています。
そのうちにみつかると思いますので、みつかったら転写したします。
 


【7909】
【タイトル】いいのかや?!
【 日時 】03/09/22 5:52
【 発言者 】魁101

改めてお久し振りです、空気が重く気まずい感じなのですが能天気に書き込みして行こうとおもいます
常にこの掲示板はそうなので、気まずくて、http://8246.teacup.com/nessy/bbsに地味に書き込みしてました
でもここに書いて良いと云うので書きます、
と云っても語学論は語りませんので読み飛ばしたい方は読み飛ばしてください

にしてももう素読者に通っていたのが4年前・・・早いものです
ワタクシ、4年たって、再び同じ状況に陥っています、進路です
5月からの受験勉強の甲斐もあり、結果は良好で
名大工学研究科、京大理学研究科、2つに合格することが出来ました
でも受験勉強で得たものは合格だけではなく、自分の限界を知った気がしました
説明しにくいのですが・・・

京理の物理学専攻の院試は2日で9時間半物理、1時間半英語という過酷なモノ
と、云うこともあって、受験勉強はほぼ物理しかやってこず、
でも自分のイメージできる範囲を超えてしまったんすよね、物理が
そんなんで、物理を専門にする道に進んでしまって良いのかと・・・
悩んでいるわけです、
工学部に残れば、それなりの就職も出来るはず、でも理学部行ったら学生が伸びる上に、就職は困難に・・・
でも、まぁ理学部でやる方が、自分の興味あるものなのでは(確信は無し)
いやはや、マグレって怖いです

独り言気味・・・、決断は今月中に迫られているのです
よく考えて生きたいとおもいます

フォローとしては
今でも英語読むときは口動かしてますよ

あと、リンク多くてスイマセン
大した意味はございませぬ、なんとなく
 

http://here.is/kabu/
 


【7910】
【タイトル】田中君へ
【 日時 】03/09/22 19:32
【 発言者 】根石吉久

白い小さい字は読みにくいので、黒い大きめの字で書いてください。
俺は歳で、小さい字は駄目です。

興味のある方へ行けと思いましたが・・・。
 


【7911】
【タイトル】素読の目的
【 日時 】03/09/22 20:04
【 発言者 】パクパク

素読の定義をしたら、素読の目的の明記が必要だとおもいます。
わたしは、
素読の目的=イントネーションの自己決定能力の養成
とおもっています。
このために、独学・音読ではダメで、コーチ随伴が不可欠なわけです。

ひるがえって、いまの日本において個別音の矯正や訓練を
しているところはありますが、イントネーションの修得を
売り物に商売しているところは見当たりません。
もちろん皆無ではないですが、一桁レベルの若干はあるとおもいます。
逆に、イントネーションの修得を目的とした場合、
そのための指導方法は、素読にならざるを得ないとおもっています。
では、何を素読の教材にするかですが、これは何でもいい
わけではありません。
700選や、TOEIC音声教材、中学校音声教材では
素読の目的が達成できないのではないかとおもいます。
素読の教材については、四書五経のような定番に相当するものが
英語の場合あるとおもっています。
 


【7912】
【タイトル】ぱくぱくさん(1)
【 日時 】03/09/22 23:56
【 発言者 】根石吉久

 もっとも簡単に定義を書きます。私の勝手な定義です。

素読:一読で意味がとりにくいものを相手にする
音読:一読で意味がとれるものを相手にする

 この定義の根拠は、素読においては、意味がとれているかどうかは、問題にされないからです。辞書の素読の定義においても、それは同じです。

素読の目的について。

 語学に応用した場合に、素読ががもたらすものは、イントネーションの自己決定力だけではありません。素読自体の場では、意味がとれているかどうかは問われないにしても、素読は意味と音が合致することを準備するためにこそあります。単なるイントネーションまで含めた音の問題にとどまるものではありません。素読は意味を強制しないだけであり、いつでも意味に向けて開かれている方法です。

 いや、失礼、ぱくぱくさんは、イントネーションの「自己決定力」と書かれたのでした。イントネーションが独力で決定できるということは意味がとれているということです。これは原理的にそうです。その意味でなら、イントネーションの自己決定力と言えば、意味の問題も解決してしまうように思えます。
 ところが、素読を英語学習に応用する場合、英語と日本語のシンタックスの逆立の問題があり、この逆立が、音と意味を分離させやすいのです。いったん音と意味を合体させた後でさえ、音と意味が分離しやすいのは、言語相互のシンタックスの逆立のせいです。

 意味をまるで考えずに歌を歌っていること、日本語の歌でもよくありますが、これと同じことが素読であろうが音読であろうが朗読であろうが、いつでも生じる可能性があります。素読はひとまずこの状態を許容します。しかし、語学の場面では、これにとどまり続けたらまずい。

 國弘正雄は、素読でもなく音読でもなく、「只管朗読」と言ったのでしたが、私は「只管」こそが國弘の眼目だと思っています。シンタックスの逆立を超えて、分離しがちな音と意味を緊密に合体させるのが、「只管」ということだと思います。そして、私がにらむところでは、國弘の「只管」は素読という方法からもたらされたものです。

 しかし、「只管」においてさえも、音だけの空回りが避けられる保証はありません。本人が自分の意識を意識して、音と意味の合体の度合いを見て調整することをしない限り、「只管」においても、空回りが生じることはありえます。

 それでも、「只管」およびそのルーツとしての素読は、音と意味の合体を成立させるための「準備」を整える作用において、語学の当該言語の「磁場を欠いた場所」で、他に並ぶものがない。それしかないだろうというくらいなものです。英語をものにした人たちのほとんどが、音と意味の合体の「準備」などということを考えずに上達したにしても、やったことを言葉によって展開してみれば、私が言っている語学の繊維が必ず現れるはずです。彼らはやみくもに正道を踏んだだけのことです。やみくもであろうとなかろうと、個の語学力が確かに獲得されるなら、つまり正道さえ踏んでいるならそれでいいと言えますが、先生だのコーチだの指導者だのいう人たちは、自分がやみくもに踏んだ正道では、先生もコーチも指導者もできはしないのだということをわきまえる必要があります。柴田さんのように、ひたむきな探求心によって、やみくもに指導法の正道を確立してしまう人もありますが、本当は柴田さんの方法も語学論によって裏打ちされる必要があります。
 


【7913】
【タイトル】ぱくぱくさん(2)
【 日時 】03/09/22 23:57
【 発言者 】根石吉久

 これまでのところ、柴田さんは音と意味の問題のうち、音だけを大きくとりあげておられ、音と意味を合体させる方法、あるいはそれを準備する方法に関しては、ほとんど触れられておりません。しかし、柴田さんは確実に正道を踏んでおられ、生徒に数百語から成る教科書本文の暗唱発表をさせておられる。学校の授業がやれることは、おそらくこれが最高峰だと思います。音作り、多量の音読、暗唱発表。これが、学校の英語の授業がやれる最高峰だと思います。私はそれを固く信じております。それにも関わらず、柴田さんの方法が普及するためには、それを裏打ちする語学論が必要であり、それがないかぎり、柴田さんの方法は「すぐれた授業」にとどまってしまい、一部からの賞賛の的になるにとどまり、方法として現在の駄目な学校授業を食い破っていく力を備えることにはならないだろうと思っています。つまり、柴田さんの授業を受けることのできた生徒だけが幸せであり、他の圧倒的多数の不幸せを幸せに変える力にはならないだろうということです。

>独学・音読ではダメで、コーチ随伴が不可欠なわけです。

 そうだと思います。学校の授業でこれをやれた人は柴田武史さん以外に知らないと私はずっと以前に書いたことがありますが、今でも私は柴田さん以外には知りません。私の方法は、一対一(「電話でレッスン」など)であり、複数の生徒を相手にする場合でも、せいぜいが数人どまりです。この点で、実に柴田さんはすごいと思っています。私は、現在の学校では、「コーチ随伴」など成立するはずがないと思っていたのですが、たとえ私立の学校であったにせよ、柴田さんはたった一人の信念によってそれをうち立ててしまったのです。この意味は決して小さなものではありません。
 私は、これからも、一対一、せいぜいが数人どまりでやっていくつもりですが、語学論は鍛えていくつもりであり、遠くから間接的にでも、柴田さんの方法を応援しつづけたいと考えています。

 今日はやたらに柴田さんのことを書いておりますが、昨夜、「大風呂敷」の過去ログをテーマ別に整理して、柴田さんの「音作りへの道」を読み直したせいです。やはり、すごい人です。

>逆に、イントネーションの修得を目的とした場合、そのための
 指導方法は、素読にならざるを得ないとおもっています。

 コーチ付きの素読は、単音の音づくりだけでなく、イントネーションの自己決定力を養うためにも、大いに有効ですが、ここでもやはり、柴田さんの存在というものを私は思います。柴田さんは、素読などはあまり意識されず、國弘の「只管朗読」を強く媒介にされたのだと思います。(國弘の方法の元に素読があるのは前述しました。)
 柴田さんの実にユニークなところは、教師用のCDを毎回の授業で生徒に聞かせたところにあります。これは、柴田さんだけの独創です。國弘に負ったものではない。生徒は教科書一冊分の録音音声を毎回の授業で聴いているわけです。これは確実に効くでしょう。
 そして、生徒の口をどんどん動かす(音読させる)ということさえ外さないなら、これによって、イントネーションの自己決定力は形成できます。生徒が個々に音と意味を合体させれば、それは形成できます。
 


【7914】
【タイトル】ぱくぱくさん(3)
【 日時 】03/09/22 23:58
【 発言者 】根石吉久

 今のところ、柴田さんには「遅読法」がないのが残念です。わざとゆっくり読むということが、音と意味の合体には有効であり、緊密に合体されたら、再び徐々にスピードを速めていき、録音音声の速度までスピードアップする。そして、録音音声そのものを聞いて、意味が同時に動くというところまで持ち込むというところまで、方法として意識化(言語化)されるなら、柴田さんの方法に強力な裏打ちができるはずだと思っています。
 ただ、音と意味の合体の具合は、どうにも確認のしようがないのが難点です。
 それは、生徒自身にしかわからない。意識の薄い生徒においては、生徒自身にすら、音と意味の合体の度合いはわからないでしょう。

>  では、何を素読の教材にするかですが、これは何でもいい
   わけではありません。
   700選や、TOEIC音声教材、中学校音声教材では
   素読の目的が達成できないのではないかとおもいます。
   素読の教材については、四書五経のような定番に相当するものが
   英語の場合あるとおもっています。

 イントネーションの自己決定力だけに焦点を絞れば、定番(すぐれた教材)があった方がいいと思います。Naima さんと Rosey さんが作ってくれた、「語数別分類」という教材が近いうちにネット上に掲載される予定です。
 イントネーションの自己決定力を外在的に(コーチが)育てる場合は、語数によって難易をなだらかに形成するのがいい。現在、おおまかな校正をやっておりますが、この教材がネットに載り、これが「技法グラウンド」と組み合わせられるなら、かなり強力なものができると思っています。特に高校生くらいの年齢の人には、受験突破と本物の力を獲得することを両立させる教材になると思っています。
 イントネーションの自己決定力に焦点を絞るのでなく、音と意味の合体の強度に焦点を絞るなら、私は教材は何でもいいと思っています。「擬似磁場」ながら、磁場が得られるという利点をとって、私は今は映画のシナリオを採用しています。この場合は、素読的方法(「技法グラウンド」)による、音づくりを兼ねたインプットを経て、「復習範囲を手離さない」という原理によって、國弘の「只管」がもたらすのと同等の効果をもたらしうるものと思っています。

 音と意味が合体したら、さらにそれを寝かせて、熟成させるのです。これを短期間にやみくもにやるのが國弘正雄の「只管朗読」です。私の方法から國弘の方法を見れば、そういうことになります。
 


【7915】
【タイトル】田中君
【 日時 】03/09/23 0:13
【 発言者 】根石吉久

>今でも英語読むときは口動かしてますよ

 よしよし。
 ただね、しゃべる英語にまで持ち込むなら、再び俺のレッスン(電話でレッスン)を検討す
ることをお願いしておきます。
 将来、アメリカに渡る可能性があるのなら、ゆっくりと準備せよということです。
 宇宙工学の方へもしも行くんなら、やっぱりアメリカだろうとは思うのです。
 


【7916】
【タイトル】音と意味について
【 日時 】03/09/23 0:38
【 発言者 】パクパク

イントネーションの自己決定能力とは、じつは、同時に
シンタックスのわしづかみがなされていると私はおもいます。
イントネーションが語順制御(英単語の並び順)をするからです。

イントネーションの自己決定能力が生まれると、英文が何回も
音読練習しなくてもおぼえやすく、忘れにくくなるとおもいます。
イントネーションの自己決定能力とは、英語の核が頭のなかに
出来て、消えないものとおもわれます。
このため、日本語環境の酸にも強い対抗力ができるとおもいます。
ところで、国弘さんのもとに、漢文素読があったことを知らせたのは
私です。過去ログを調べればわかるとおもいます。
柴田さんについていえば、生徒さんが、練習した教材での音声ではないでしょうか?
初見の英文に対して、どういう音声で読めるか疑問です。
柴田さんは、NHKの英語でしゃべらナイトにでたことがありますが、家のなかで
家族との対話にも英語で四六時中しゃべっていました。
では、イントネーションの自己決定能力をどれだけの時間量をかければ
形成されるのかが残された最後の問題になります。

素読の定義
素読の目的
素読の教材
素読の学習量
 


【7917】
【タイトル】ぱくぱくさん
【 日時 】03/09/23 0:49
【 発言者 】根石吉久

疲れましたので、後日。
 


【7918】
【タイトル】過去ログ、こんな具合に整理しています
【 日時 】03/09/23 1:36
【 発言者 】根石吉久

.学校英語
----------------------------------------------------
..ガイジンの雇い方
----------------------------------------------------
 (1〜100の内・後で検索のこと)
 「英語の磁場の中で=日本語の磁場を欠いた場所で、日本語の基礎を作ったことがある」ということが望ましい。
 それでようやく日本の生徒(日本語の磁場の中で=英語の磁場を欠いた場所で、英語の基礎を作っている)という立場とイーヴンになります。まったくシンタックスが異質である言語を「語学として」扱うことの困難を知っている外人教師が必要です。
 だから、文部科学省がいますぐにでも着手しなければいけないのは、英語圏の国に出先機関を作り、そこで日本で英語を教えたい英語ネイティヴに日本語を教えることです。そこで日本語の基礎を持ったものだけを雇うべきです。
 現在の外人の雇い方は、税金の無駄遣い以外のものではありません。
 英語圏で日本語を身につけた教師を雇うこと。これが実現すれば、本当の意味で語学的にイーヴンな者同士が向かい合うことができるので、交流というものもただのお題目ではなくなるはずです。
 こういう外人に、日本人の「音づくり」をさせるのが一番いい。その場合に、日本の音読法の精華としての素読などもきちんと評価されるべきです。(江戸時代の素読は、例えば現在のニューヨークで日本語を習っているアメリカ人に施しても、絶対に使えると思っています。)
 いずれにせよ、外人に日本語を習得させるような文部科学省の出先機関を英語圏につくるべきだということです。
 そうでなければ、日本人が欧米型の言語を「磁場を欠いたままに」修得しようとする場合に生じる困難を外人が理解することの糸口すら与えることができない。
----------------------------------------------------
..滅びる英語
----------------------------------------------------
48. 学校英語で音作りに励んでいます(その1) 投稿者:Eliot  投稿日: 6月24日(日)13時40分21秒

学校英語は滅びる英語。本当にそうです。ほとんどの学校と塾の教室で行なわれている英語の授業は生徒を欺いています。英語を教えると言いながら、その場限りにのくだらないことをやっていることが普通です。英語の音作りを激しく、厳しくやっている所は極めてまれだと思います。実際、英語の教員の多くにとって英語の発音は、できれば避けて通りたい弱点です。自分自身が通じるレベルの音が出せない教員がたくさんいますし、そこそこ通じる音を出せる教員もその多くが英語の音作り必要な知識を体系的にルール化して生 徒に教えることができません。例えば、根石さんが示しておられるような、音と音がぶつかり合ったときの音の消失とかいうことも生徒に説明できるような知識としては持っていないのが現状です。
----------------------------------------------------
..教員の質・囲い込み
----------------------------------------------------
62. 学校での音読の実践(2) 投稿者:根石吉久  投稿日: 6月27日(水)07時30分57秒

 日本の学校の英語の先生の多くは、日本の学校英語の犠牲者だと思います。学校を出てそのまま学校へ入ってしまうような方がほとんどですから、この方々は学校英語に取り囲まれてしまって、多分、その外へ出ることがどういうことかわからなくなっているのだと思います。
 「囲い込み」というものが、学校制度にはあると思っています。
 それが無効であるということが一番見えやすいのが、英語という教科なのですが。
----------------------------------------------------
 


【7919】
【タイトル】使用ソフト
【 日時 】03/09/23 1:37
【 発言者 】根石吉久

 ピリオドの数で、テーマをアウトライン化できるエディタ(ソフト)・「WZエディタ」でやっています。こうすれば、相互に距離の離れた記事で関連性のあるものを、整序して保存することができます。データが充実してきたら、順次、テーマ別に「大風呂敷」に再掲していきます。これは、「大風呂敷」における「復習範囲を手離さない」ともなるかと思っています。
 


【7920】
【タイトル】素読の効用=磁場の形成
【 日時 】03/09/23 8:31
【 発言者 】パクパク

われわれは、日本の社会に住んでいますので
 1)日本語イントネーション
 2)日本語発想法
をもっています。
そして、この1)と2)とが無意識下にあり、顕在化していません。
この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。
このため、早晩、いまブームの音読も消えていくとおもいます。
一方のブームであった多読も、音の部分や文法の部分がすっぽり抜けて
おり、易しいレベルの本をたくさん買って(薄くて高い本=利益率高い)
業者にお金をつぎこみ、みずからは、ハリーポッターも読めない人が
大半だとおもいます。
日本語の磁場のなかで、英語の磁場のない中で、学習して成果があるのは
テストの英語だとおもいます。
テストはそのようにつくっているからです。

では、磁場とは何か?

 実は、これが、イントネーションの自己決定力、シンタックスのわしづかみだと
おもっています。
英語磁場にいると、無意識下のなかで、自動形成・自然形成されるとおもいます。
このため、生徒に科学的に、イントネーションの自己決定能力、シンタックスの
わしづかみ能力を、プログラム化して外部に教授することが不可能です。

素読とは、これら2つの能力の強制外部形成とも言えます。
強制の部分があるので、辛い、嫌がる生徒もでてきます。
しかし、大半は、楽しいという印象のようです。
ただどちらにしろ、未来永劫、素読学習をするわけではなく、
ある一定期間のみするわけです。

素読の効用とは、自己の脳内に、外部力でもって、英語の磁場を
具体的につくることであるとおもいます。
そして、素読以外には、この英語の磁場をつくる方法はまず存在しないと
おもいます。
いまの日本の英語教育は、素読をしていませんから、まず、英語力が
上達するわけがないとおもいます。
たとえ、外人教師が、教えても、発音は、風邪でないから、うつらないわけです。
また、正確に個別音を合成しても、イントネーションは生成されません。
 


【7921】
【タイトル】英語でしゃべらナイト。
【 日時 】03/09/23 9:51
【 発言者 】Jackie

>柴田さんは、NHKの英語でしゃべらナイトにでたことがありますが、家のなかで
家族との対話にも英語で四六時中しゃべっていました。

パクパクさん 柴田さんがNHK月曜夜の英語でしゃべらナイトに出演されたのですか?
いつごろでしょう? 自宅でのお子さんへの英語での会話以外に
柴田さんの学校での授業なども放送されたのでしょうか?
「音づくりの道」のような授業の放映があったのでしょうか?
だとしたら NHKも やるじゃないか! 

NHK教育テレビの語学番組は 内容が昔よりよくなりました。しかし娯楽化がはげしすぎてうるさいのでみるのに疲れてしまいます。
昨夜久々にNHK総合の英語でしゃべらナイトをみました。 この番組は英語を使ったバラエティー。
英語で観光ガイドやインタビュー有名人の英語にまつわるエピソードなど いろんな形で英語にふれて英語好きになればよいというコンセプトでできているのでしたね。
昨日は映画特集でした。 そういえば 昔は映画や洋楽にはまって英語に興味をもったんだった。しかし映画熱もアメリカンポップスにも冷めてしまった現在の私。
友人からビートルズのテープをきいて ディクテーションしていた昔が懐かしい。レコードが買えなかったから、聞き取ってから歌詞カードを借りて答え合わせをしたのだった。
あの情熱は若さゆえだったのか、アメリカやイギリス西欧や西洋文化へのあこがれゆえだったのか。
今や西欧への憧れはとうに冷め アメリカの傲慢さなど アラのほうが目立ってくるようになった。そうだからか年齢のためか アメリカ文化への熱もさめてしまった。英語を使って活躍する有名人と英語のかかわりを紹介する英語でしゃべらナイトをみると自分の熱の冷めたのがよくわかる。英語ができるとこんなこともできるあんなこともできる。いや先に記述や才能があってついでに英語ができると世界で活躍できるよ、楽しいよといって言うことは理解できるのだ、が。

なんで日本人が英語で観光ガイドせにゃならんのだ。(欧米人にかぎらず「英語は世界の共通語」だが。)なぜに 数学や理科を英語で勉強する高校があるのだ?

NHKはこのごろアメリカ好きだ。 BSなどは大リーグばかり放送している。大リーグに興味がないので 視聴料金半分返せといいたくなる。
私は普通のニュースできょうの松井やイチローダイジェストをみれば充分。

錯覚。 日本人大リーガーにアメリカが 世界が注目しているという錯覚。イチローはすごいが。
日本のニュース番組ばかりみていると 世界中が、アメリカが日本に注目しているという錯覚をうける。しかし世界のニュースやCNNなどををみると けっしてそうではないことがわかる。
アメリカでは 未だに日本がどこにあるのか知らない人も多い。 ましてや日本の首相の名前などしている人は少数だろう。

複眼をもつために英語、他外国語を学ぶことは役に立つ。

なにをいいたいのかよくわからなくなってきた。 
こんなに 英語熱がさめてしまっているのに英語を教えていていいのだろうか?
 
 


【7922】
【タイトル】今夜のレッスン
【 日時 】03/09/23 12:11
【 発言者 】もっこり

すみません。
今夜のレッスンは、所用によりお休みさせてください。
 


【7923】
【タイトル】もっこりさん
【 日時 】03/09/23 18:29
【 発言者 】根石吉久

承知しました。
 


【7924】
【タイトル】なんだかんだで
【 日時 】03/09/25 1:47
【 発言者 】魁101

前の書き込み読めているようなので、前のは前ので置いておきます
京都に行ったら宇宙工学に進むよりは、天文や、宇宙物理に進んでいくのではないでしょうか、どうなるかは判りませぬが、でも、まぁどっちにしろ英語は必要です、
多分ですが、向こうに行ったら、フツーに論文を英語で書くのではないでしょうか?!
やっぱり、英語は出来ると云う前提の世の中に成って行ってるのでしょうね

http://here.is/kabu/
 


【7925】
【タイトル】初めてです
【 日時 】03/09/26 2:22
【 発言者 】ミッフィー

九州のS県で公立高校の英語教員をしています。6月に高校英語教育S県大会で柴田先生の発表をきいて、しびれた人間です。そのご縁でこちらのサイトにおじゃましています。3年生の授業を担当しています。自分で授業をしていての気づき。(一応進学校の肩書きをもっているし、それなりの能力もある)生徒が簡単な単語をきちんと発音できない。音読をなるべく授業で取り入れているけれど、高校3年であろうと、音読するのは好きらしい(これは教える側もうれしい)。今まで自分は「発音記号を読めるようになろう」と言ってきたけど、考えてみれば、あまり発音記号を指導する時間も取らずに発音記号を理解しろと言うのは残酷なのではないかという反省の気持ち。あと、自分のことは相当棚に上げての発言ですが、英語教員の持つ英語の音声があまりにも貧弱で、教育実習生の音声の方が遙かにましだという現実を各自が持っているんだろうかという憤り。あと、他の先生が公立高校で音読についてどのようなアプローチをしていらっしゃるのか知りたいです。高校でフォニックスを取り入れたりしてる人いるかなあ…。柴田先生は中学からだったしなあ…。そりゃあ、S県でも公立の県立中学はありはするし、今後も増える予定だけど、公立高校という土俵でなんとかしたいという野望。ではこれにて今日は失礼します。
 


【7926】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】03/09/27 0:23
【 発言者 】根石吉久

 こちらにお書きいただきうれしく思います。
 私はただ今、ぎっくり腰のリハビリ中で、なさけないことになっております。
 椅子に座っていると、腰が固まってしまい、立ち上がろうとすると腰が伸びません。
 長く書けません。ご容赦ください。

 この掲示板に、もっと学校の先生が書いてくれればいいと思うのですが、ときどき議論が激烈になることがあるせいか、ほとんど書かれません。

 メールに書かせていただいたかと思いますが、公立の進学校での「音づくり」は極度に困難だと思います。柴田さんも書かれていますが、白紙の状態から始めて、「音づくり」は2年から3年はかかると思います。ただ単に音を指示するのではなく、文字通り「音づくり」をやって、「作る」(生徒の体に実現する)ということをするなら、そのくらいかかります。
 私は単音で16ほどのポイントだけは外さないようにして「音づくり」をやっています。16のポイントに関しては、文書化してありますが、連音処理(音と音のぶつかり合いの処理)に関してはいまだ文書化してありません。
 白紙の状態から始めた場合で、単音と連音の両方で、ちゃんとした音を安定させるまでに、3年ほどかかっています(小学校6年生や中学1年生で始めた場合です)。一人でよく音読練習などやってこられた大人の方で、いくつかのポイントを指示するだけでほとんど注意することがなくなってしまう方もおられます。そういう人は、1ヶ月ほどで、「音づくり」の過程を終了してしまわれますが、初心者の場合は、3年はみておく必要があると思っています。
 高校生で、自分の口を激しく動かして練習するということをやってこなかった生徒だと、中学以来の間違った音が固定化されているという事情がからみ、さらにやっかいになると思います。

 単に構想だけですが、「5分間音づくり」というものを試してみられたらどうかと思います。
 私がレッスンで使用している「技法グラウンド」を教室用にアレンジしたものです。興味がおありでしたら、それについて書いてみようかと思っていますが・・・。
 


【7927】
【タイトル】本日お休みさせていただきます。
【 日時 】03/09/27 20:36
【 発言者 】sb

よろしくお願いします。
 


【7928】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/09/27 21:36
【 発言者 】根石吉久

承知しました。
 


【7929】
【タイトル】ぜひぜひ!
【 日時 】03/09/28 11:48
【 発言者 】ミッフィー

1歳2ヶ月の子供が入院している中、寝ている間に『英語どんでん返しのやっつけ方』を楽しく読んでおります。5分間音作り、とても興味があります!よろしくお願いします。
 


【7930】
【タイトル】ミッフィーさん
【 日時 】03/09/29 1:58
【 発言者 】根石吉久

 お子さんが入院と書かれていたのが気になりました。大したことなければいいのですが。

 「5分間音づくり」は、現在の公立の中学・高校の英語の授業、つまり、中間・期末テストが敷き詰められてしまっており、その間を繋ぐものになってしまっている授業をにらんで、ほぼ絶望に近いと考えると同時に、そういう体制下においても、なお、「音づくり」を息づかせることはできないものかと考えて思いついたものでした。誰か実験してみて欲しいと思っていたのですが、やってみていただけませんでしょうか。

 幸いなことに、ミッフィーさんの授業では音読が行われているようです。音読と「音づくり」は非常に相性がいいので、「技法グラウンド」に変形を加えたものを試してみて下さい。

 まずやってみて欲しいのは、私が「ア系列」と呼んでいる母音の「音づくり」です。
 「ア系列」というのは、日本人の耳が「ア」の音だと聞き取る英語の音のグループです。
 発音記号で言うと、[a] [ae] [逆さ e] をひとまず区別できる(言い分ける・聞き分ける)ようにして欲しいと思います。

 つまり、私は、「ア系列」の母音を大きく3つに分けているということになります。

 生徒に指示する時は、手短なコツの決まり文句を常時使って下さい。
 決まり文句にしてしまうと、生徒の側に混乱がなくなります。
 先生が当該の音が出せることが前提となります。

 では、3つの決まり文句を書きます。

 [a]  顎を下げる
 [ae] 口の両端を斜め上に引っ張る
 [逆さ e] 口を狭く

 日本語の「あ」は、ローマ字では 「a」と書くので、発音記号の [a] との間に混乱が生じやすいです。発音記号の [a] は日本語の「あ」より、ぐっとあごが下がります。あごの下がることがポイントだと思います。
 [ae] は、発音の教則本には、[a] のあごの下がりに、[e] の水平方向への開きを加えた音としてあるかと思いますが、中間音(練習途中で、コツを呑み込ませるために使用する媒介音)としては、「口の両端を斜め上に引っ張る」とした方がいい。こうすると、アメリカ的な行儀の悪い感じの音になるが、この音の特徴は、一動作でつかまり、誤解が生じることがない(通じる)からです。この中間音を出すための口の動きが柔らかくなりバネが備わったら、もっと[a] 音の顎の下げを加えてごらんと言えば、いい感じの音が作れます。[ae] 音のコツを一動作にしてあるのは、まずコツをつかませ、近似音を出せるようにするためです。これで、他の音とまぎれない音価を確保しておいてから、「感じのいい音」に移行すればいいと考えています。まず確保すべきなのは、他の音とまぎれない音価だとの考えが元にあります。
 [逆さe]は、まずは、「狭い」ということを意識させるのが先決だと思います。この音と[逆さ v] は初めのうちは区別する必要はなく、両方とも「狭い音」と言えばいい。[逆さ e] にアクセントが来ることもありますが、[逆さ V] にアクセントが来る方が圧倒的に多いです。この両者を区別しないでおいても、アクセントのある[逆さ V] は自然と息を強く使いますから、音価は自然に備わるでしょう。[逆さ e] がうまく出せるようになったレベルになったら、[逆さ V] の時に少しだけ唇に力を入れてごらんと言えば、より区別ははっきりしてきます。しかし、当初はやたら区別しないほうがいい。両方とも「狭い音」と言っておくだけで、誤解の生じない英語の音にはなりますから、まずは「狭い」ということを押さえるのが先決だと思います。
 柴田さんは、この口の狭さを言うのに秀逸なコツを提示されています。風邪をひいて鼻がつまったときに、口で息をしなければならなくなりますが、この時の口の開き程度の狭さだと言っておられます。実に見事なコツだと思います。

 [ae] は [r]音とからむことがないと思いますが、[a] や [逆さe] はよく[r]音とからみます。[a:r] や[逆さe:r] 音です。これらは、それぞれの単音を出したらほぼ同時に舌を中途半端に浮かせると指示すれば出ると思います。
 


【7931】
【タイトル】[ae]音 追補
【 日時 】03/09/29 2:19
【 発言者 】根石吉久

 申し忘れました。[ae] の音に関しては、柴田さんは、「般若の面」の口の形を作れば出ると言われています。私はそれにさらに変形を加え、「一瞬般若」とあだ名をつけています。口の両端を斜め上に引っ張って、一瞬、般若の顔になって、と指示することは、「音づくり」を始めたばかりの人にはよく言います。慣れた人が間違えた場合は、「吊り上げ音ですよ」と言う場合もあります。
 


【7932】
【タイトル】不首尾失礼
【 日時 】03/09/29 2:20
【 発言者 】根石吉久

>一瞬、般若の顔になって、と指示することは、「音づくり」を始めたばかりの人にはよく
言います。

一瞬、般若の顔になって、と「音づくり」を始めたばかりの人にはよく指示します。
 


【7933】
【タイトル】ミッフィーさん(続)
【 日時 】03/09/29 2:30
【 発言者 】根石吉久

 「手短なコツ」の授業での使用方法。

 同時に3つのコツ(の決まり文句)を生徒に言うのではなく、一つづつやってください。

 The cat is sleeping. をやるとして、The 「キャット」is sleeping. とカタカナ発音で読んだ生徒がいたら、そこで、「キャット」が問題だから、「5分間音づくり」に切り替えるからねと生徒全員に告げます。
 「私が一度言うから、同じように何回も言ってみて」と、The 「キャット」is sleeping. と読んだ生徒に指示し、ご自分で読みます。生徒には、同じ文を何回も言い続けさせます(5回程度)。そして、生徒の読みの間違えた直後に「えーと」などと言い、読みを中断し、例のコツの決まり文句を言います。「口の両端を斜め上に引っ張って」と指示してから、「同じように何回も言ってみて」と指示し、ご自分で読みます。音価が違っている場合は、さらに別のコツを加えることもあります。この音の場合だと、「一瞬ね、一瞬のすばやい引っ張りあげだよ」というようなことを私はよく言います。

 「音づくり」のコツは、生徒が口を動かしている最中に中断し、ポンと発音のコツを手短に置いてあげ、再びその生徒の口を動かし続け、音を変化させ、当該の音価になるべく近づけることです。これを一人の生徒に対して行います。ほぼ当該の音価が穫れるまでの過程は、他の生徒たちも聞いていますから、当該の音価が穫れたら、各自全員に練習させる時間を設けます。その時間も含めて、5分あれば一つのコツを教室の生徒全員の把握させることをねらうことができます。一回でコツが飲み込めなかった生徒も出てくるでしょうが、「ア系列」の母音に関しては何回も何回も、別の文を使って同じ音の練習をすることになりますから、そのうちに全員が飲み込んでくれると思います。

 まだいろいろ書けば書けますが、ひとまず以上のものを試してみていただけたらと思います。「ア系列」の基本3つのコツを練習させるのに、授業で3コマ使います。4コマ目には、[ae] と [a]、あるいは[a] と[逆さ e] の混ざった文を使って、それぞれの両者を区別させたりするのもいいと思います。

 試してみられて気付かれたことは、小さなことでも結構ですから是非お書き下さることをお願いします。
 


【7934】
【タイトル】田中君
【 日時 】03/09/29 2:50
【 発言者 】根石吉久

>やっぱり、英語は出来ると云う前提の世の中に成って行ってるのでしょうね

 確か京都大学だったと思うが、養老さんという脳の研究者がいると思います。
 この人は、英語がとてもできる人であるにもかかわらず、日本語で論文を書くと腹を決めたと宣言しています。日本語で書いたものに、価値があると思ったら、アメリカ人でも何人でも日本語を勉強するがいいのだと言っています。
 基本的にこの人の考え方が私は好きです。

 ただし、アメリカに勉強に行くのであれば、英語が前提になると思います。
 俺としては、天文や宇宙物理は、アメリカの研究レベルを媒介にする必要はあるはずだと思うし、是非アメリカへ行って勉強してきてもらいたいと思う。

 俺は、宇宙工学より、天文や宇宙物理やの方が田中には向いてるとなんとなく思っているので(根拠はないが)、名古屋大学より京都大学の大学院の方へ行くのがいいと思っている。

 こせこせと就職のことなんか考えないで、思う存分やりたいことをやるのがよかろうと思う。おふくろさんを説得する必要があれば、俺がやるから。
 


【7935】
【タイトル】三度、ミッフィーさん
【 日時 】03/09/29 3:08
【 発言者 】根石吉久

 私には、自家製のフォニックスがあります。

 黒板に、「 a i u e o 」を、間を大きくあけて書いてください。
 次に、それぞれに r を加えて、
 「 ar  ir  ur  er  or 」とします。

 最初の 「 ar 」 だけを色の違うチョークで丸で囲んで下さい。
 残りの「 ir  ur  er  or 」 全部を別の色のチョークでひとくくりに楕円で囲んで下さい。

 こうしてから、「ar] だけが音が違う、あごが下がる音、と強調して下さい。
 「 ir  ur  er  or 」 は全部「狭い音」だからね、と強調して下さい。

 フォニックスですから、つづりの中の 「ar」であり、「 ir  ur  er  or 」です。

 car, park などの中にある 「ar] 。 あごが下がる。
 birthday, thursday, refer, counselor などにある「 ir  ur  er  or 」。全部「狭い」音でいい。

 これら全ては、「ア系列+ r 」に関しての指示です。
 


【7936】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】03/09/29 3:32
【 発言者 】根石吉久

 柴田さんが NHK に出演されたことはどなたからお聞きしたか忘れましたが、私は耳にしておりました。私は普段はテレビを見ないのですが、柴田さんが出られるなら見たと思います。柴田さんは、放映時刻などここで俺たちに教えてくれてもよかったのにと思っております。水くさい。

>>家族との対話にも英語で四六時中しゃべっていました。

 この辺が私と柴田さんが大きく違うところだと思っています。私はこれはやりたくない。具体的な個人の個の言語は、磁場に浮いているのだと思うので、日本語の磁場でこれをやりたくない。私は日本語を身体と分かちがたい言語とし、英語を異物として使い続けたい。いくら英語商売の人間でも、家庭の中に英語を持ち込むのはやりたくない。
 

>映画熱もアメリカンポップスにも冷めてしまった現在の私。

 この両方に、一度も熱くなったことのない私です。
 私がアメリカに向ける視線の元には、平気で native people を殺すアングロサクソンの根性を見据えてやろうという自家製根性があります。映画や音楽にアメリカを見たことはかつて一度もありません。平気で native たちを殺した流儀が、日本の戦後民主主義にも反映していると思っています。現在の日本の息苦しさは、江戸頃からいい思いをした保守本流の者どもと、支配者としての占領軍の頭領(マッカーサー)が置いていった民主主義(検閲を隠した民主主義)との野合だと考えております。
 私は中学以来、日本の戦後民主主義を斜めにしか見て来なかった。

>あの情熱は若さゆえだったのか、アメリカやイギリス西欧や西洋文化
へのあこがれゆえだったのか。今や西欧への憧れはとうに冷め アメリ
カの傲慢さなどアラのほうが目立ってくるようになった。そうだからか
年齢のためかアメリカ文化への熱もさめてしまった。

 この「醒め」は、正常な現状認識だと思います。

>なぜに 数学や理科を英語で勉強する高校があるのだ?

 私は、数学や理科に限っては、英語で授業してもいいかと思っている人間です。
 ただし、効率が落ちないことが見落とされていないことが前提です。
 だから、実際は現実的ではないかもしれません。
 理念としては、数学や理科に限っては英語でやって構わないと思っています。
 論理を論理そのものとして扱うなら、英語の方が利があるという考えによります。

>NHKはこのごろアメリカ好きだ。

 昔からです。

>錯覚。 日本人大リーガーにアメリカが 世界が注目しているという錯覚。イチローはすごいが。日本のニュース番組ばかりみていると 世界中が、アメリカが日本に注目しているという錯覚をうける。しかし世界のニュースやCNNなどををみると けっしてそうではないことがわかる。

 まったく正確な指摘だと思いました。NHKの番組の作り方がおかしいのです。
 世界に向けて開かれているようにみせかけて、実は日本に向けて閉じている。
 ソフト・ファシズムが始まっているのだと思います。
 芽は昔からあったが、いよいよ始まっているのだと思います。

>複眼をもつために英語、他外国語を学ぶことは役に立つ。

 御意。

>こんなに 英語熱がさめてしまっているのに英語を教えていていいのだろうか?

 いいのです。そうじゃなければ、私もおまんまが食えない。
 私は昔からこれに関しては、醒めまくってきましたから。
 


【7937】
【タイトル】前言、翻します
【 日時 】03/09/29 3:35
【 発言者 】根石吉久

>映画や音楽にアメリカを見たことはかつて一度もありません。

 ありました。JAZZです。
 アメリカン・ポップスには、醒め続けてきました。
 


【7938】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/09/29 3:48
【 発言者 】根石吉久


   われわれは、日本の社会に住んでいますので
    1)日本語イントネーション
    2)日本語発想法
   をもっています。
   そして、この1)と2)とが無意識下にあり、顕在化していません。

 顕在化していないこと、おっしゃる通りです。
 顕在化させるには、語学論が必要です。

>  この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
   けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。

 これは、起こる人もあるし、起こらない人もあります。
 意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させるという過程をきちんと踏まえるならば、量質転換は起こります。

>  このため、早晩、いまブームの音読も消えていくとおもいます。

 私はそのようには見ておりません。音読のブームというものは、日本人の戦後の過程に対する反省として出てきているものであり、素読や音読に関するまともな認識が立ち上がるならば、根付くと思っています。

>  一方のブームであった多読も、音の部分や文法の部分がすっぽり抜けて
   おり、易しいレベルの本をたくさん買って(薄くて高い本=利益率高い)
   業者にお金をつぎこみ、みずからは、ハリーポッターも読めない人が
   大半だとおもいます。

 賛成です。いくら易しいものから読み始めても、音、イントネーションが確かでなく、文法が文法用語を必要としなくなる程度に媒介されないならば、多読推進ブームははあだ花に終わります。

>  日本語の磁場のなかで、英語の磁場のない中で、学習して成果があるのは
   テストの英語だとおもいます。
   テストはそのようにつくっているからです。

 実に学校のテストは両義的です。
 文法など「理解」はさせるでしょう。この点で、まったく役に立たないとは言えませんが、それは途中にあるものを到着点のように思いこませることにおいて、語学的には犯罪に類するものです。
 ここでも、音、イントネーション、それらとの「まともな音」の合体こそが眼目であり、学校はそれに手をつけていません。

>  英語磁場にいると、無意識下のなかで、自動形成・自然形成されるとおもいます。
   このため、生徒に科学的に、イントネーションの自己決定能力、シンタックスの
   わしづかみ能力を、プログラム化して外部に教授することが不可能です。

 見事な認識だと思います。

>  素読の効用とは、自己の脳内に、外部力でもって、英語の磁場を
   具体的につくることであるとおもいます。
   
 磁場は素読によってもできません。磁場とは、個人の脳内に形成されるものではなく、客観的な外在物です。脳内に作れるものは、欧文脈による思考回路程度のものだと思います。この元には、磁場が文を強制するか、文によって磁場を想像するかの違いがあります。生と死が違うほどに違うことです。
 


【7939】
【タイトル】良い音読と悪い音読
【 日時 】03/09/30 21:59
【 発言者 】パクパク


>  この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
   けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。
 これは、起こる人もあるし、起こらない人もあります。
 意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させるという過程をきちんと踏まえる ならば、量質転換は起こります。
 
 この表現は、非常に抽象的です。
 そもそも、量質転換とは、語学の場合に、発生しない概念だとおもいます。
 

具体例からはいりたいとおもいます。

 例)He is no better than a beggar.

この英文を、どうすれば、暗唱できるようになるでしょうか?
 多くの人は、単語分解をします。
 各単語の意味を日本語訳と対応させ、文法適用をします。
 それでも、意味がなんかわからない場合は、
 イディオムとして、暗記します。
 こんな学習法が、いままで、何らの批判を受けず、はびこっているのです。

 音読回数を増やして、覚えたところで、すぐ忘れてしまうでしょう。
 ふだん、使わないものは、どんどん忘れます、
 そもそも、この英文を学校英文法では、第何文型として、教えるのでしょうか?
 thanの品詞は、この場合何でしょうか?
 すべて、簡単な中学英単語から成り立っています。
 しかし、全体の意味は、なかなかわかりません。
 何百回も音読しても、忘れるとおもいます。
 量質転換は、起こるわけがないのです。

 しかし、この英文を、イントネーションに気をつけながら、
 シンタックスのわしづかみに留意しながら、音読すると
 しましょう。
 そうすると、何回も音読しなくても、すぐ暗唱できるように
 なるばかりか、脳内に焼きついてしまうので、なかなか
 忘れないとおもいます。
 この英文の日本語の意味がわからなくても、
 暗唱できてしまうのです。

 いずれの方法が正しいか議論するまでもないことです。
 実験してみればいいことです。
 

 
 


【7940】
【タイトル】パクパクさん(1)
【 日時 】03/09/30 23:52
【 発言者 】根石吉久

>>>  この事実のなかで、一人で英語の音読をして、回数を増やしても
      けして、音読推進派の主張する、量質転換は起こらないとおもいます。

>>  これは、起こる人もあるし、起こらない人もあります。
    意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させると
    いう過程をきちんと踏まえるならば、量質転換は起こります。
    
>   この表現は、非常に抽象的です。
    そもそも、量質転換とは、語学の場合に、発生しない概念だとおもいます。

 どこが抽象的なのでしょうか。「意味」という言葉が抽象的なのですか。「過程」という言葉が抽象的なのですか。あるいは、それらが抽象的だったとして、なぜ語学を抽象的に語ることがいけないのですか。そもそも、机上の行為を語るのです。本質からして、抽象的な行いなのです。

 量を練習することが質の変化をもたらさないならば、誰が量を練習するなどという馬鹿らしいことをやるでしょうか。私は我が身で、量が質に変わることを知っているのでやっているのです。
 そんなことはないと思う人はやらなければいいだけのことです。磁場を欠いた場所で量を馬鹿にして、どうして英語なんぞという異言語が身体化される(無意識化される)ことがあるというのですか。

 再度言います。やりたくなければやらなければいい。それだけのことです。
 どこをどうさまよい続けていただいてもいっこうに構わないことです。

>   具体例からはいりたいとおもいます。

>   例)He is no better than a beggar.

>   この英文を、どうすれば、暗唱できるようになるでしょうか?
    多くの人は、単語分解をします。
    各単語の意味を日本語訳と対応させ、文法適用をします。
    それでも、意味がなんかわからない場合は、
    イディオムとして、暗記します。
    こんな学習法が、いままで、何らの批判を受けず、はびこっているのです。

 単語の意味を調べること、日本語訳と対応させること、文法理解を適用すること、これらすべては必要です。しかし、そこで止まるから駄目なのです。それが感覚に変わるまで、「まるごとひとつかみ」の理解が生じるまで、それらを音読の坩堝でぐつぐつと煮て、煮汁が濃厚になるまでやらないのが駄目なのです。

>   音読回数を増やして、覚えたところで、すぐ忘れてしまうでしょう。

 紙を折ることを喩え話に使いたいと思います。
 しっかり折ったつもりでも、少したてば、折り目が消えているのが、日本語の磁場でやる英語の宿命です。日本語の磁場が、少しくらいの折り目は消してしまうのです。これが英語の磁場でしたら、適当に折ったものでも、回りが(磁場の磁力が)しっかりと折り目がつくまで後押ししてくれますから、紙を広げてみれば、見事に折り目が残るのです。

 忘れることはちっとも構わない。何度でも折るしかないのです。ある域を越えると、折り目が消えなくなるということが生じます。私はこれしかあてにしておりません。
 


【7941】
【タイトル】パクパクさん(2)
【 日時 】03/09/30 23:53
【 発言者 】根石吉久

>   何百回も音読しても、忘れるとおもいます。
    量質転換は、起こるわけがないのです。

>>  意味と合体させるに足る質の音を作り、それに意味を合体させると
    いう過程をきちんと踏まえるならば、量質転換は起こります。

 私が「意味」と言っているのは、個々の単語の意味だけのことではありません。それらのすべてを音読の坩堝で煮て、合体させると、そこから蒸気のように立ち上る意味(文まるごとの意味・全体で一つとしての意味)が生じます。それを生じさせるなら、質量転換が「起こらないわけがない」のです。

>   しかし、この英文を、イントネーションに気をつけながら、
    シンタックスのわしづかみに留意しながら、音読すると
    しましょう。
    そうすると、何回も音読しなくても、すぐ暗唱できるように
    なるばかりか、脳内に焼きついてしまうので、なかなか
    忘れないとおもいます。
    この英文の日本語の意味がわからなくても、
    暗唱できてしまうのです。

 どこが具体的なのかちっともわかりません。
 脳なんぞをこんなふうにあてにしたやり方で、使える英語が身体化されるなどとはとうてい信じられません。そもそも、イントネーション一つでさえ、初心者にとっては、量が質に転じることで獲得されるしろものなのです。
 「暗唱」ひとつでも、暗記して(脳なんぞというちゃちなものを信じて)暗唱するのと、「音づくり」によって、口の筋肉を break in することで、柔らかくバネの備わった動きを作った「結果として」暗唱できるようにしたのとでは、その後の身体化の度合いがまるで違います。
 そもそも、音読は「暗唱」なんぞが目的ではありません。「暗唱」なんかしようとしなくても、まともに量をこなした「結果」として、自然に「暗唱」もできるようになってしまうということです。眼目は身体化(無意識化)にあるのです。そして、英語の磁場の磁力をあてにできないから、「からっぽの電池を無数に作る」ということになるのです。すべては、磁場に渡るか読書に渡るための「準備」です。語学は「準備」を生ききること以外ではありません。

>   いずれの方法が正しいか議論するまでもないことです。
    実験してみればいいことです。

 いずれの方法が正しいかは、両方やってみない人にはわかりませんが、脳なんぞというチャチなものをあてにする人が、まともな「音読」を実験をしたとは信じられません。
 まともな「音読」は脳なんかじゃなくて、心の全体をあてにしているのです。
 質量転換が生じないのは、パクパクさんに生じないのであり、私には生じています。
 覚えるだの暗唱だの脳だの、あたしゃどうでもいい。
 覚えたところで、暗唱したところで、脳をあてにしたところで、使えない英語ができれば元も子もねえや、そう思ってやってきたのです。

 日本で使う英語に限れば、磁場の磁力に触れずに作った英語で言いたいことが言え、相手の言い分が受け止められれば上出来です。変な英語だの、ネイティヴの言わない言い方だの何の遠慮もする気がありません。磁場を欠いて作った英語なのだ。お前さん(英語ネイティヴ)が日本語に渡るまでの間の助力になるだけありがたく思え、でいい。そうして、ぎくしゃくと、ごつごつと英語をしゃべり、私は使っています。このぎくしゃくやごつごつが、英語の磁場に身を置いて生きる(磁力に取り囲まれて生きる)のでなければ、なくなることはないのだと私は見きわめています。
 しかし、使えば使えるだけの質は作ったのです。

 暗唱だの、覚えるだの、脳だの言っている方は、使えば使えるだけの質は作ったのでしょうか。
 


【7942】
【タイトル】失礼、間違えました。
【 日時 】03/10/01 0:04
【 発言者 】根石吉久

>覚えたところで、暗唱したところで、脳をあてにしたところで、使えない英語ができれば元も
 子もねえや、そう思ってやってきたのです。

>覚えたところで、暗唱したところで、脳をあてにしたところで、使えない英語が
 「できなければ」元も子もねえや、そう思ってやってきたのです。
 


【7943】
【タイトル】音読ブームはいまどうなっているのか(1)
【 日時 】03/10/01 0:36
【 発言者 】根石吉久

 「音読」がブームになったのは知っているが、その後、このブームはどうなっているのだろうか。せっかくこういうまともなものがブームになったのだから、各小学校の裁量で使えるようになったなんとかの時間という枠を、日本語の音読や素読に使えばいいのにと思ったことがあったが、英語しか話せないAETを呼んで、楽しいゲームなんぞをやって税金と小学生の時間を無駄にしている学校が多いらしい。
 私は素読という方法を根幹に据えて、英語の教室をやってきた。素読と音読の違いについては、何度か書いたことがあるが、繰り返しを厭わずに書いてみようと思う。素読は、一読で意味がわからないような難度を含む文に対して行うものであり、音読は、一読で意味がとれるような文に対して行うもの、という区別を勝手に設けている。これは私が勝手に設けた区別に過ぎないが、もう10年ほど使用しつづけて、この区別でいいのだろうと今も思っている。
 江戸時代の論語(漢文)を対象にして行われていた素読も、子供にとってテキストは一読で意味がとれるようなものではなかっただろう。素読には、いつもコーチがいたのであり、コーチの読み(音声)を、文字にかぶせていくということが素読の最初にある。音を文字に「かぶせ」るということが、素読の特質である。簡単に言えば、コーチが読むのと同じように生徒が読むということだが、その実質は、「音」を文字に「かぶせ」ていくということに他ならない。何度も同じ文字に同じ「音」をかぶせているうちに、「音」が文字に住みつき、文字から音が出てくるようになる。つまり、コーチが先に読まなくても、子供は文字を見てそれを「音」に変換できるようになっていく。この時点でも、子供に意味を説明するようなことは要求されない。もし、それをする素読のコーチがいたら、素読のコーチとしては二流・三流である。素読の原理をそこで踏みにじるようなことをしていることになる。

・コーチがいること。
・文字に「音」を「かぶせ」ていくこと。
・文字に「音」を住みつかせ、文字から「音」が生じるようにすること。
・意味や解釈を要求しないこと。

 これらが素読という方法の原理である。
 必ず声に出して練習するという一点では、素読と音読には何の違いもない。
 だから、話をわかりやすくするために、素読と言いたいところを、音読という語で代用し、私の方法を説明することもしばしばある。

 素読は意味を放置するのだろうか。一見、そのように見える。しかし、本当は、素読という方法は、意味に関して、生徒の心の成長に任せるのだと言うのが正当だろう。同じ文だって、生徒の心の成長の段階によって、別の意味を帯びることは生じうることだ。だから、素読は意味を解釈として固定しないのである。

 「英会話・ぜったい・音読」という本が売れているようである。これは、千田潤一という商売上手な人が、國弘正雄というすぐれた方法論を持つ人を、「朗読」から「音読」の方へひっぱりこんで成り立った本である。
 これは、シャドウイングという方法を、國弘の方法論と野合させた本だと言える。この本の方法から払底しているのは、コーチによる「音づくり」という過程だが、千田はその過程はなくても済ませられるものと考えているらしい。端的に言いきってしまえば、こういう本は英語フリークにしか向かない。本にCDを付けたところで、複製音声で英語音を作れる人は少ないからである。英語フリークはこの難所を乗り越える。悪く言えば、虚仮の一念であるし、よく言えば、好きこそものの上手なれ、である。
 千田のけったいな先進性の批判は、いずれゆっくりとやるつもりなので、「英会話・ぜったい・音読」に関してはここまでの言及で止めることにする。
 


【7944】
【タイトル】音読ブームはいまどうなっているのか(2)
【 日時 】03/10/01 0:37
【 発言者 】根石吉久

 そもそも、國弘正雄は「只管朗読」を唱えた人である。音読とは言わず、「朗読」と言ったのは、國弘は中学時代にこの練習を楽しんだからだろうと思っている。「朗々と」という言葉でもわかるが、「朗読」は言葉の音楽性を楽しむ方法なのだ。それを英語という言語に対して日々実行したのが國弘正雄だったのである。
 國弘正雄は、中学の英語の教科書を、朗々と声に出して、毎日読んだそうだ。読み込みの回数は500回から1000回に及んだという。中学生という、日本語のシンタックスが固化しきらない年齢で、英語の教科書の全体を500回から1000回読むこと。これは、千田潤一じゃないが、「ぜったい」に有効な方法である。英語のシンタックスを身体に沈めながら、日本語のシンタックスが固化する。これが、後に同時通訳の第一人者として華々しい活躍をした國弘の基底を作ったものである。

 人によっては、苦痛きわまりない方法だろう。人によっては、楽しい方法だろう。
 苦痛きわまりない人は、語学に向いていないだろう。これを楽しむことができる人は語学に向いているだろう。語学は根っこのところで、「音」を楽しむことができるかどうかが、その後の上達を大きく左右するものだ。

 私は小学館の「サピオ」という雑誌の編集者から依頼されて、英語本9冊をとりあげ、書評をやったことがあるが、小学館から送られてきた本の中で、筆頭にとりあげたのは、國弘正雄の「英語の話しかた」という本だった。この本には、國弘の方法の骨髄のようなのが語られている。妻もこの本を読み、「これ、お父さんのやり方と同じじゃないの?」と言った。
 大元では同じである。しかし、違うところがある。今日は、その違うところを少しはっきりさせたいと思って、この記事を書き始めているのである。

 國弘は、声に出して朗々と英語の文を読むことが楽しかったのだろうと私は推測しているが、そしてだから、國弘は自分の方法を「朗読」と言ったのだろうと思うが、「只管朗読」に即して言えば、私は「朗読」よりも、「只管」の方に力点を置いて読む。國弘においてでも、「只管」を言いたいに違いないと読む。「朗読」は、練習が楽しかったことを表したくてそう言うのであり、素のままで方法を名付けるなら「只管音読」でも構わないのだろうと思う。

 この掲示板に登場して下さったパクパクさんという方は、國弘正雄に、なぜ朗読なのかと直接に会って訊ねたことがあると書いてくださった。子供時代に、(祖父からか父からか忘失したが)素読をてほどきされたことがあったのだと國弘は言ったそうである。俺なんぞとは、えらく育ちの違う人なんだなと、それを読んだ時、はっきりと思ったことも覚えている。それはひとまず棚にあげてものを言うが、國弘の方法の原点に素読があるのであれば、國弘は実に実に伝統に根ざしたひとなのだということだけは言えるだろう。これだけは間違いなかろうと思う。中途半端な日本人まがいの英語使いが多い中で、國弘がひときわ光るのはそのせいだろうと思う。
 


【7945】
【タイトル】音読ブームはいまどうなっているのか(3)
【 日時 】03/10/01 0:38
【 発言者 】根石吉久

 私の「電話でレッスン」の生徒さんで、sbさんという方も、この掲示板に登場して下さっているが、この方は、國弘と私の方法のはっきりした違いとして、「國弘さんは、朗読(音読)をする際に、意味がわかっているものでなければ、朗読しても意味がない、と言っている。それに対して、根石さんは、意味がわからなくてもいいと言っている。そこが違う」と指摘して下さった。

 まさにそうである。ここに関してははっきりと言いたい。國弘は素読をなし崩しにしたのだ。素読をなし崩しにして、「朗読」としたのである。
 國弘は、自分のアメリカにおける体験に関しては非常に寡黙である。
 なぜそれを語らないのか。なぜそこにある屈辱と喜びを語らないのか。
 國弘は言いたいことの半分しか言っていないと私はずっと考えてきた。

 つまり、國弘が語らないのは、「磁場」の作用に関してである。
 英語の磁場なくして、國弘正雄は國弘正雄ではないはずなのだ。
 英語の磁場なくして、根石吉久が根石吉久であるのとまるで正反対なのだ。
 


【7946】
【タイトル】二度目訂正
【 日時 】03/10/01 0:47
【 発言者 】根石吉久

 ちゃんと書いていたのだった。

>覚えたところで、暗唱したところで、脳をあてにしたところで、使えない英語ができれば
 元も子もねえや、そう思ってやってきたのです。

元へ戻します。
次のように読んでいただいても、私の言いたいことは同じです。

>覚えたところで、暗唱したところで、脳をあてにしたところで、使える英語ができなければ
 元も子もねえや、そう思ってやってきたのです。
 


【7947】
【タイトル】ぜったい音読
【 日時 】03/10/01 13:09
【 発言者 】Jackie

「ぜったい音読」をやりとげることは難しい。
やり遂げられる人はほんのほんのひとにぎりの人達。よほどの根性の持ち主か 無類の努力好き、英語好き。

やりとげられないのは根性がないからだろうか?
この本は 音読シャドーイングであたかも独学で英語の回路ができるようにうたっている。
トレーニングメニューにしたがって独学で音読すればかなりの力がつきますよ。
そうさ 根性さえあればできるのさ??
ダイエットと同じように。
一昔前にはやったダンベル体操。 この本のトレーニングメニューにしたがって
ダンベルトレーニングを毎日すればおなかはへっこみ体脂肪はへり健康になれますよ。
と書いてあった。私は挫折した。三日坊主なのである。週3日×3ヶ月も続かないのである。

コーチが必要なのだ。 本当は あの順番どうりにただメニューをこなしたところで
さしたる効果はえられない。重要なポイントを指摘してきづかせ あきらめそうになったときに励ますコーチがいないから。
(いや 一冊やりとげることは下手に英会話学校にいくよりずーっと力にはなる) 
前に千田さんのセミナーに行ったことがある。
そこで彼は 独学で勉強すると学校へいって勉強するのの3倍は時間がかかる。とその必要性を語っていたように記憶している。
だから本当は彼もその必要性はわかっているはずだ。

まあ 巷にあふれる英会話本を一冊でも完全にやり遂げることができれば 確かに力にはなる。
英会話学校に予習もせず 週二回 半年かようより力がつくこともありうる。

しかしだいたいの人が一冊をやりとげることができない。
もしかして 他にいい方法や本があるのではないかと探して
別の英会話本を手に取る。そしてまたそれを終えないうちに一冊。
もっと楽に楽しく効率的に英語を身につける方法はないかと探している。
だから日本には英会話本が増殖している。

うちの本棚にも いっぱいいっぱいあります。
あちこちかじり 途中でほうりだした本が。
人のことはいえたもんじゃない。
これすべてやりとげたとしたら すごい英語の使い手になれるのかもしれない。
 


【7948】
【タイトル】ありがとうございます
【 日時 】03/10/01 23:30
【 発言者 】ミッフィー

無事に子供は今日退院しました。ご心配をおかけしました。とにかく健康が一番です。奇遇ですが、今このサイトで話題になっている『英語の話しかた』も読んでおりました。根石さん、5分間音作りの手ほどきありがとうございます。ただそのままの形だと、どんくさい私のことなので5分間でできないかもしれないので、少し手順を考える必要がありそうです。でもまずは自分の音作りから。今UDA式30音DVDの母音のところをやっていますが、特に3種類の「ア」の発音の時、舌の位置がいまいちわかりにくい。「とりあえず下の方に舌を置いておくのかな?」と思いつつ、でもそうとうあやしいです。
 


【7949】
【タイトル】追加
【 日時 】03/10/01 23:36
【 発言者 】ミッフィー

どうでもいいことですが、音読って今ブームなんですね。知らなかった…。
 


【7950】
【タイトル】訂正
【 日時 】03/10/02 3:45
【 発言者 】根石吉久

>ここでも、音、イントネーション、それらとの「まともな音」の合体こそが眼目であり、
 学校はそれに手をつけていません

>ここでも、音、イントネーション、それらと意味の合体こそが眼目であり、学校はそれに手
 をつけていません
 


【7951】
【タイトル】ミッフィーさん(1)
【 日時 】03/10/02 4:53
【 発言者 】根石吉久

 お子さんが退院されてよかったですね。
 うちももうじき娘が出産するので、その後は家族そろってあたふたする予定です。小さい子供が病気になると気が気ではない。子供はすぐに熱を出すし。

>根石さん、5分間音作りの手ほどきありがとうございます。ただそのま
 まの形だと、どんくさい私のことなので5分間でできないかもしれない
 ので、少し手順を考える必要がありそうです。

 案ずるより産むが易しで、5分あれば十分できますよ。これは、私が「電話でレッスン」をやってきた経験から、5分あれば学校の教室ででも、一つの音に関してならできるはずだとにらんでいるのです。まずはやってみてください。これをやるのは、「私の授業では、音を大事にするからね」と生徒たちに宣言することになります。同時に、先生が自分にそう宣言することになります。
 手順は、おいおいに洗練させていけばよろしいではないですか。

>でもまずは自分の音作りから。今UDA式30音DVDの母音のところをやっていますが、特に3種類の「ア」の発音の時、舌の位置がいまいちわかりにくい。「とりあえず下の方に舌を置いておくのかな?」と思いつつ、でもそうとうあやしいです。

 自分の音作りを完了させてから生徒の音づくりをやろうと考えると、いつまでたっても着手できません。英語の先生たちの音も、仕上がっていない人が多いです。また、どの程度で仕上がったとするかというのも難しい問題です。何をもって仕上がったとするのかと考え始めると、実に難しい問題です。英語ネイティヴと同じ口の動きで口が動くのでなければ「音づくり」ができないと考えると、英語の先生たちはいつまでたっても「音づくり」に着手できないでしょう。
 「誤解が生じないだけの音」(通じる音)を確保できさえすればいいので、発音のポイントは少なければ少ないほどいいと私は考えています。単音に関して、私は鵜田さんの30音は多すぎると思い、10程度にできないかと試行錯誤してみましたが、どうにも10では収まりませんでした。現在は16程度にしています。これは鵜田さんの約半分です。残りの半分は、日本語の音の流用で、誤解は生じないし通じるとにらんでおります。
 単音だけで30も設定するより、単音と連音のコツを合わせて、20程度にしておくのがいいだろうというのが私の考えです。
 「音づくり」に関しては、自分も修行中の身だと生徒に宣言し、しかし、誤解が生じない音、通じる音にすることはとことんやりたいのだと言い、自分を鍛え、生徒を鍛えるのがいいと思います。これを基本にするなら、英語の先生たちの多くがすぐに始められるでしょう。「音づくり」については、私もそれをやってきただけです。
 逆説めきますが、私は発音の上手な先生より、発音の下手な先生の方が、日本人向けの英語の「音づくり」には向いていると思っているのです。柴田さんを例外とすれば、多くの発音の上手な先生は、自分の発音が意識化できていません。この無意識状態の最高レベルは、英語ネイティヴに極まるでしょう。ほとんどすべての英語ネイティヴは、発音が意識化されていないので、日本人向けに「音づくり」ができないのです。
 下手な先生が上手をめざして、その途中にあることを意識化できれば、それを言葉にすることができる。だから、当初は下手な方がいいのだと思っています。英語ネイティヴなんかより、よっぽど役に立つはずです。

 「自分の音を完成させてから」と考えない方がいいということです。
 ただし、生徒の音を変えるには、自分で該当の音を言い分けることができることが前提となります。その意味でも、現状では、単音・連音を合わせて20程度のコツにとどめるのがいいと思います。
 


【7952】
【タイトル】ミッフィーさん(2)
【 日時 】03/10/02 4:54
【 発言者 】根石吉久

 3種類の「ア系列」の舌の位置ですが、[ae] と[a] の単音は「下の方に舌を置く」でいいと思います。柴田さんは、「下の歯の裏に舌先をつけたまま」と言われていたと覚えています。この二つは、日本人にとっては「力を感じるア」です。[逆さe] はこれらと異なり、「力が抜けたア」(鼻づまりのア)ですから、舌からも力が抜けています。舌の位置としては、「下の歯の裏に舌先をつけたまま」というより、「下の歯の裏に舌先がついていてもいい、触っていなくてもかまわない」というような指示になります。しかし、細かくなりますので、「ア系列」では「舌は下」とするだけでもいいと思います。
 [逆さe] は力を入れなくていいというのがコツですが、力を入れないコツというのは、力を入れるコツより初心者には難しいです。だから、最初は「狭い」とだけ意識させるのがいいのだと考えています。(「狭い」という観点に関しては、私は鵜田さんから大きくおかげをこうむっています。)それだけで、ほとんどの人が近似音を作れます。真形を求めて徐々に変えていくのでいっこうに構わないと思います。
 これらに[r] がからんだ場合ですが、[ae] にからむことはないので、[a] と [逆さ e] が問題になります。イギリス式だと、「下の歯の裏に舌先をつけたまま」の状態の音を延ばすようになり、アメリカ式だと、[r] のときに舌を浮かせる(口蓋に触れない)ことになるのだろうと思っています。
 


【7953】
【タイトル】追加
【 日時 】03/10/02 5:06
【 発言者 】根石吉久

>どうでもいいことですが、音読って今ブームなんですね。知らなかった…。

 「音読」のブームがはっきりしたのは、斉藤孝さんという方の「声に出して読みたい日本語」
がベストセラーになった時点だったと考えています。

 そうだよな、当然だよな、必要なことだ、とその時点で思ったことを覚えております。

 私としては、もう少し「素読」にも目を向けてもらいたいという希望はありますが、ひ
とまずは、音読ブームに対して首を縦に振りたい。
 


【7954】
【タイトル】Jackie さん
【 日時 】03/10/02 5:16
【 発言者 】根石吉久

>そこで彼は 独学で勉強すると学校へいって勉強するのの3倍は時間がかかる。とその必要
性を語っていたように記憶している。

 私は、独学で勉強すると学校へ行って勉強するのの3分の1の時間で済むと考えています。
 ただし、ものごとの本質を見抜くことが肝要です。

 しかし、それでも「音づくり」に関しては、絶対にコーチがいた方がいい。
 また、一度やったものを何度もやらせることに関してもコーチがいた方がいい。

 私のレッスンには、二本の柱があります。「音づくり」と「復習範囲を手放さ
ない」です。コーチがいた方が圧倒的に有利である場合に、その眼目は何かと考
えて、この二本の柱を立てました。
 「音づくり」は文字通り、音に関してのものであり、「復習範囲を手放さない」
は、音と意味の一体化に関してのものです。

 ほとんどのすべての語学に関する言説が、「意味」を扱えていないという批判
も込めてあります。

 
 
 


【7955】
【タイトル】磁場とは?
【 日時 】03/10/04 0:12
【 発言者 】sb

根石さんが言っている「磁場」というのは、私にも最初はわけがわかりませんでした。でも語学を考える上でとても重要な用語なのです。少なくともこの掲示板では。磁場というのは「その言葉とその言葉が使われる状況が一緒になっている場所」ということです。当たり前です。

日本では日本語が使われる状況は、その日本語と必ずセットになっているからです。例えば「おはようございます」という言葉は、基本的に朝、誰かに会ったときに使われることが多いでしょう。そういう基本的な状況と言葉を元に子供は表現を覚えていきます。成人になってから日本にいらっしゃた外国籍の方々もそういう状況(「おはよう」「おっす」「おはようっす」などという言葉と朝、午前中、人と会った時という状況を自然にセットにする)で新しい言語を学んでいきます。ある外国人(思いだした!ユンソナというタレント?でした)がNHKの昼のトーク番組の中で「夜放送局で「おはようございます」という言葉を何度も聞いてパニックになった」というようなことを言っていたことも思い出しますが。。。(笑)

いずれにしても「磁場」という言葉は語学(外国語として学ぶ場合)を語る場合にはとても重要な言葉なのです。語学に対して「生活言語」という言い方を根石さんはされています。生活言語とは「磁場のある中で生得的に身につける言語」という意味で語学に対する語としてこの掲示板では使われていると私は理解しています。
 


【7956】
【タイトル】磁場とは?」の追加
【 日時 】03/10/04 0:15
【 発言者 】sb

最終行

語→反対語
 


【7957】
【タイトル】音読と素読(その1)
【 日時 】03/10/04 0:46
【 発言者 】sb

>私の「電話でレッスン」の生徒さんで、sbさんという方も、この掲示板に登場して下さっているが、この方は、國弘と私の方法のはっきりした違いとして、「國弘さんは、朗読(音読)をする際に、意味がわかっているものでなければ、朗読しても意味がない、と言っている。それに対して、根石さんは、意味がわからなくてもいいと言っている。そこが違う」と指摘して下さった。

國広さんや千田さんや多くの英語の達人がおっしゃっているのは「意味がわかった後の音読(朗読)でないと意味がないということ」です。
それに対して根石さんがおっしゃっているのは「意味」は後から付いて来るので、まずは「音」をしっかりつくることに専念すればよいということです。「音」がしっかりしてきたら、それから「意味」を「音」にくっつける。こういうことをおっしゃっているのだと思います。これは私にとってはコロンブスの卵的発想でした。

この掲示板にはお馴染みの柴田さんも英語教師と立場で実践されているのがこの「音作り」です。とりあえず「意味」と切り離して「音」の問題を解決してしまう。ところがこれがなかなかたいへんたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいへん、時間のかかることで根石さんも柴田さんもとても苦労されていることと想像します。お二人によればやはり最低の質(いわゆるエルとアール問題やth、bとv、hat,hut,hot,heart,hurtの区別などなどです)を確保するためにはレッスンと各自の練習を含めて2年程度は最低かかるらしい。柴田さんは中1に最初の3ヶ月程度でフォニックスなどを自作プリントでまとめ「音作り」の基礎力をつけることのみに集中されてかなり苦労されたようです。しかしそのかいあってか、私が見学させていただいた授業の中でその生徒さん達は中3の時には本当にびっくりするくらいのきれいな音で、しかも大多数の生徒が、読んでいました。少しくらい遠回りしたって(実際は近道のはずですが。。。)それは語学を身につける点からたいへん「お得」な方法なのです。それくらい「音」というのは大切な問題だと私も思っています。特に初心者にはそうだと思います。中級以上になるとまた力点の置き方が少し違ってくると思いますが。

根石さんがおっしゃていますが「音」といっても実は日本には2種類の「音」があります。「サンキューベリーマッチ」という日本語的な「擬音」ちゃんとした(最低限の質を確保する)英語的な「真音」です。それがごちゃごちゃになったままさらに「意味」のわかった後で音読を訳読した後に「お涙程度」やるというのがまだまだ日本の英語教育の多数を占めて入ると思います。特に中学段階は音をないがしろにしてはいけない。実はそれが日本の英語教育をゆがめているといっても過言ではないと思います。
 


【7958】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/04 1:00
【 発言者 】根石吉久

お書きくださってありがとうございます。
レッスンを中断されるとのこと承知しました。
「音づくり」の過程はほとんど必要としないだけの音をお持ちの方でしたから、「復習範囲を
手放さない」がどれほどのものをもたらすのかを是非知って欲しかったのですが、あまりわか
ってもらえなかったとの思いもあります。

 音と意味の一体化に関して、レッスンの途中で、「ああ、こういうことか」という言葉をお
聞きしたことを覚えております。その後、TOEIC の点が急に伸びたのではなかったと覚えてお
ります。

 今後は、この掲示板の方でおつきあい下さい。
 


【7959】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/04 1:12
【 発言者 】根石吉久

 一人の生徒を相手にして、「音づくり」をし、その後、クラスの全員に練習の時間を設ける
といいと私が言ったとき、それは柴田さんがやっておられましたわ、と言われたのも思い出しま
した。

 私は学校の教室では、この柴田さんのやり方しかないと思っています。
 フォニックスを導入するかしないかより、先生が英語音を備えたうえで、実際に「音づくり」
に着手するかしないかの方がはるかに大事なポイントだと思います。

 フォニックスは、文字を音声化させるのに非常に有効ですが、もともと、アメリカの学校の生
徒に、音を文字に対応させるために開発されたものです。「音を文字に」というベクトルが、日
本で使用する場合は、「文字を音に」という逆ベクトルになります。
 それでもいっこうに構わないのですが、先生が音を言い分け、聞き分けることができないなら
ば、絵に描いた餅です。

 sbさんは、音はいいのですから、学校の教室で「音づくり」を始めてもらいたいもんだと強
く願っています。

 最近登場してくださったミッフィーさんも、高校の英語の先生です。sbさんと、話してもら
えるとうれしく思います。
 


【7960】
【タイトル】素読と音読(その2)
【 日時 】03/10/04 1:30
【 発言者 】sb

>まさにそうである。ここに関してははっきりと言いたい。國弘は素読をなし崩しにしたのだ。素読をなし崩しにして、「朗読」としたのである。

根石さんは「素読舎」という名前をつけておられるくらい「素読」博士だと思います。私には素読に関してわからないことがたくさんあり、根石さんにこれからもいろいろ質問し続けていきたいと思っています。素読の素は「すうどん」の「す=素」という解説をしていただいたことを今思い出しています。素読は読みの中でも一番「もと(元、素)」になる読みであるということです。だからこそまずは「音」に集中してよい。というか自然に「音」の問題をまず片付けているというほうが正確かもしれません。

素読では「音」も「意味や場面」も溶け合っているが、読みの余計なものを取り去った時、そこに残るのは「素読」だということで、自然にまず「音」の問題を解決しているということなのだろうと推測しています。事実、素読というのは「漢文の素読」という時に使うくらい「難解な」ものを読む時によく使われます。そういう難しいものに、またそういう大切な教えをいただける文体(先人の知恵文学など)に感謝の気持ちを込めて向き合った時、ゆっくりゆっくり噛み締めて詠み進めていくとき、まず自然に「音」、それからじっくり「意味場面状況など」を溶け合わせていく、それが「素読」という言葉の意味というふうに現在では理解しています。

それに対して「音読」は、その意味において「音」と「意味」は根っこにおいてつながっていません。「音」と「意味場面」は無機的であるという感じです。無機的ものを無理やりくっつけて「有機的」にあつかってしまう。そのやり方が千田さんらによってなされているような感じがします。シャドーイングは大変有効な方法ですが、それはあくまでも中級以上の学習者にという但し書きが付きます。國広さんの場合は「読み」は有機的なものだと無意識では理解しながら、あくまでも無意識なので「只管朗読」は「素読」から「朗読のようなもの」に変化していったものと考えられます。無関心に放置された「只管朗読」の「朗読」と部分は、無関心で放置されたゆえに、千田さんなどによって次第に「音読」という言葉に変化していき、それが皮肉にもブレイクしたのです。(しかし「ブレイク」するには「ブレイク」した理由(時代背景など)があると思います。その辺りをぜひ根石さんに今後とも教えていただきたいと思っております。)

 >國弘は、自分のアメリカにおける体験に関しては非常に寡黙である。
 なぜそれを語らないのか。なぜそこにある屈辱と喜びを語らないのか。
 國弘は言いたいことの半分しか言っていないと私はずっと考えてきた。

この上3行の根石さんの叫びもここに答えがあります。國広さんは「只管朗読」には意識的であったが、その「朗読」という部分においては「無意識的」であったということです。だからアメリカという「磁場」での、「通じない悔しい思い」や「場面と表現が状況と一体となって重なり合ったというような(語学オタクには震えるようなうれしい)体験」については國広さんはあまり関心が向いていなかったのかもしれません。「朗読」や「音読」や「素読」ということ=「読みそのもの」には興味がなく、よって無意識的だったのかもしれないのです。

 >つまり、國弘が語らないのは、「磁場」の作用に関してである。

だから根石さんが「磁場」についてこれだけはっきりと解説をしてくださったことにはたいへん意味があることなのです。私は語学オタクなので大変感謝しています。

 >英語の磁場なくして、國弘正雄は國弘正雄ではないはずなのだ。

まったくその通りです。つまり日本でいっぱいいっぱい練習していったからこそ、本場アメリカ(=英語の磁場)で花開いたということ自体に國広さんはあまり関心がおありでなかったのでしょう。もっと他に国際情勢やいろんなことに意識が向いていたのだと思っています。

 >英語の磁場なくして、根石吉久が根石吉久であるのとまるで正反対なのだ。

そういうことになります。それが「語学」として学ぶということなのです。根石さんの「語学」の対立用語である「生活言語」を國広さんは「磁場」のあるアメリカへ渡って「以降」獲得されたということなのです。
 


【7961】
【タイトル】TOEICが100点ほど伸びた時
【 日時 】03/10/04 1:43
【 発言者 】sb

それは私が「電話でレッスン」をやって何年か経った時です。

何度かTOEICを受験して50点そしてまた50点ほど合計にして数ヶ月で100点ほど伸びたのは、忘れたような頃でした。練習にたいへん「むら」があり、やったりやらなかったりという私でしたが、同じテキストを何度も何度も「繰り返し」「復習範囲を手放さない」という根石さんのアドバイスを少しずつ実行して、そのことを忘れたような頃です。点数がぐっとアップしてのは。
 


【7962】
【タイトル】根石さんに感謝!
【 日時 】03/10/04 1:46
【 発言者 】sb

ではおやすみなさい。。。
 


【7963】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/04 2:11
【 発言者 】根石吉久

>素読は読みの中でも一番「もと(元、素)」になる読みであるということです。だからこそまずは「音」に集中してよい。というか自然に「音」の問題をまず片付けているというほうが正確かもしれません。

 素うどんの素というのは、余計なものがなくて、まちがいなくうどんであるという意味です。いろんな種類の読みの中で「素」になるかどうかはわかりません。素読舎をやっている私自身が素読のてほどきなどうけることのない階層に生まれて育ったのでした。私の読みの基本は、音読です。小学生の頃に、勝手に自分で声を出して読んでいたのです。誰かに、読むときははっきりと声を出して読むといいとアドバイスされたことがあったかどうかは記憶にありません。何か耳に届いていたはずだとは思います。

 素読を意識したのは、むしろ、英語をやってからです。
 一読で意味がわからないものを扱うには、音読ではなく素読の方がいいと・・・。
 大学受験の時は、自分の方法が「素読」を原理とするものだなどとは知らずに、音の型が安定したら、激的に音と意味を化合させていましたが・・・。

 そうです。先に「音」を片づけるのです。
 その場合に見落としてはならないことは、「素読」はコーチ付きの方法であるというところが、他の音読系の方法と違うことです。「音読」も「朗読」も、一人で勝手にやれる方法です。「素読」はコーチ付きです。
 素読は、基本的にコーチがいて、コーチの読みを生徒が真似ます。

 日本語を弱体化させないためには、私は小学校低学年くらいの子供を相手に、日本語の「電話でレッスン」で素読をやりたいと切に願っていますが、まことに貧しい国であり、こちらの需要はまったくありません。

 素読の場合には、多くの場合で、浅い深いはあるにせよ、コーチはテキストの意味がわかっています。意味がわかっていると、その読みにその人に固有の声の調子などがくっついています。生徒は、声の調子を受け取り、その調子までも含めて真似するでしょう。
 意味はわからなくても、声の調子を受け取り、それを真似します。
 日本語の素読では(漢文の素読も、実際は日本語の素読です)、最初から「声」という有機性が備わります。

 語学はそういうわけにはいかない。語学は、「音」を「声」に渡らせることです。
 日本語の素読と、英語の素読はそこが大きく違います。
 日本語の素読だと、生徒が育つに従って、「音(声のコピー)」は、自分の「声」として自然に育っていきます。それが、日本語の「磁場」がもたらしてくれる大きな恩恵です。

 語学だと、やはり音という無機物を意味と意識的に激的に一体化させるという過程が必要です。「磁場」の磁力をあてにできないからです。多くの人は、それを意識的にやっていませんが、語学に関する認識を得るためには、意識的にやる方がはるかにいい。
 意識的にやろうが、無意識的にやろうが、「やみくもさ」は語学には不可欠です。無意識的にやった人は、自分にもっとも効果をもたらした方法をやはり「やみくも」に信仰してしまう強い傾向があります。それだけやって大丈夫だなどと初心者に向けて言いだしたりするのです。「多読派」などは、その最たるものでしょう。浜谷さんとの議論も、私にしてみれば、ずっとそれへの批判だったのです。
 


【7964】
【タイトル】sbさんは
【 日時 】03/10/04 2:15
【 発言者 】根石吉久

寝ちゃったか。
私もそろそろ寝ます。
 


【7965】
【タイトル】ひぃひぃひぃうへへ、、、
【 日時 】03/10/04 3:06
【 発言者 】ダジャレー夫人の恋人

ネクタイ関係。
 


【7966】
【タイトル】根石さん
【 日時 】03/10/04 9:09
【 発言者 】I村

 都合のため今日のレッスンを休ませていただきます。よろしくお願いいたします。
 


【7967】
【タイトル】I 村さん
【 日時 】03/10/04 19:49
【 発言者 】根石吉久

承知しました。
 


【7968】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/05 0:43
【 発言者 】根石吉久

>國広さんや千田さんや多くの英語の達人がおっしゃっているのは「意味がわかった後の音読(朗読)でないと意味がないということ」です。
 それに対して根石さんがおっしゃっているのは「意味」は後から付いて来るので、まずは「音」をしっかりつくることに専念すればよいということです。「音」がしっかりしてきたら、それから「意味」を「音」にくっつける。こういうことをおっしゃっているのだと思います。これは私にとってはコロンブスの卵的発想でした。

 國弘正雄は「意味がわかった上での音読」と簡単に言ってしまっていますが、「意味がわかる」というのは、大きくわけて二つあります。
 人に説明されて、あるいは教えてもらって「わかる」場合と、自力で意味が決定できて「わかる」場合とです。これは実は根本的に違うことなのですが、國弘正雄の言い方ではこれが区別されません。國弘はどっちを言っているのだろうというのが、私の中でずっとひっかかったままになっています。
 本当に「わかる」というのは、自分で意味が決定できるということの方です。それはその文の内側にもぐって内側から把握しているということです。一方、人に説明されたり教えてもらったりして「わかる」というのは、その文の外側に立ち、人の解釈や理解を外側からあてはめているということです。これは、本当の意味では「わかる」ということではないと思っています。
 國弘はどっちを言っているのだろうと私の中で釈然としないものが残るのです。本来の意味での「わかる」ということを、英語の初心者に求めているのであれば、これは語学論として暴論になります。初心者はそれができない人のことなのですから。そして、「只管朗読」というのは、初心者向けの方法として述べられているのですから。

 だから、「意味がわかった上での音読」の「わかる」は、人に教えられたり説明されたりして、文に対して外在的に理解することの方を言っているはずだと私は現在は理解しています。これだと納得できます。人に説明されるのでもいいし、英文と対になって置かれている日本語から理解するのでもいいが、自分以外の人の解釈を使い、それで「わかる」という手順です。
 「只管朗読」でも「只管筆写」でもいいが、これらの本質は「なぞる」ということです。それに入る前に、意味をなぞれと國弘は言っているのだろうと考えているのです。

 学校の授業で、先生が生徒に先に訳を渡すということをやっている方々がいます。私はこのやり方に賛成です。これは私もやっていることです。生徒のレベルに応じて(例えば中学生を相手にする場合など)、私が先に訳し(直訳体が多いです)、それを同じように生徒に繰りかえさせてから、「技法グラウンド」に入るという手順を踏むことをやる場合があります。

 イントネーションの確立まで含めた意味での「音づくり」においてでも、意味に関してでも、最初は「なぞる」ということでいい。それが、語学の方法の根幹です。

 自分でイントネーションを確定できる力と、意味を自分で決定できる力とは実は連動しています。意味が決められないならば、本当の意味では、イントネーションを決定することはできないはずだからです。この場合の意味は、外在的に文に対してあてはめる意味ではなく、内在的に把握される意味のことです。

 鶏と卵ではありませんが、意味が先か音が先かに関しては、私はどっちが先でも構わないと考えているのです。國弘は、意味が先でなければならないと言ってしまったことにより、素読的方法の根幹を侵したというのはそういうことです。

 どっちでもいいではないか。問題は、意味と音の結合の強度にあるのであり、意味と音の前後関係ではないはずだ。それが國弘に対する批判点です。

 音だけをまず完成させてしまい、外在的な他からの意味をあてはめ、なお音読を続け、文の内側にもぐって、文法的理解など媒介し、内在的に意味を把握し、そしてなおも音読を続け、最終的に感覚的に音と意味が一体化するところまで持ち込む。それで何も悪いことはないはずですし、「只管朗読」の実質は、私がここで言語化したことときわめて近いものであるとも思っています。

 國弘は勘所はまるで間違っていないが、語学論の言葉としては、まるできめが粗いのだと思っているのです。
 


【7969】
【タイトル】ダジャレー様
【 日時 】03/10/05 0:51
【 発言者 】根石吉久

久しぶりのヒットですね。
 


【7970】
【タイトル】訂正
【 日時 】03/10/05 0:55
【 発言者 】根石吉久

>意識的にやろうが、無意識的にやろうが、「やみくもさ」は語学には不可欠です。無意識的にや
った人は、自分にもっとも効果をもたらした方法をやはり「やみくも」に信仰してしまう強い傾
向があります。それだけやって大丈夫だなどと初心者に向けて言いだしたりするのです。「多読
派」などは、その最たるものでしょう。浜谷さんとの議論も、私にしてみれば、ずっとそれへの
批判だったのです。

「それだけやって」 → 「それだけやっていれば」
 


【7971】
【タイトル】sbさん
【 日時 】03/10/05 1:15
【 発言者 】根石吉久

>事実、素読というのは「漢文の素読」という時に使うくらい「難解な」ものを読む時によく使われます。そういう難しいものに、またそういう大切な教えをいただける文体(先人の知恵文学など)に感謝の気持ちを込めて向き合った時、ゆっくりゆっくり噛み締めて詠み進めていくとき、まず自然に「音」、それからじっくり「意味場面状況など」を溶け合わせていく、それが「素読」という言葉の意味というふうに現在では理解しています。

 基本的によく「素読」を理解してくださっていると思います。
 難解なものというのは、(江戸時代の武家の)子供にとっても、論語の語彙などは、実になじみのない語彙であっただろうということです。まして、庶民の子供などには、なじみがない「どころではない」語彙だったろうと思います。そのなじみのなさ、とっつきにくさ、語彙の他者性は、日本人が英語をやる場合には、あらゆる階層に共通します。その点で実に外国語というものは平等です。この平等性は私は好きなのです。戦後民主主義の「アメリカ天下り平等」は大嫌いです。
 感謝の気持ちがあろうがなかろうが、ゆっくりと噛みしめて読むことは実に大事なことです。言葉が自分のものになるかならないかは、それで決まるのだと思っています。
 私が扱っている映画のシナリオなど、「ゆっくりと噛みしめて」読むに価するほどの文がどれほども載ってはいませんが、それでも、練習の途中で、口が柔らかく動き、バネが備わった状態になったら、つまり、音がこなれたら、「ゆっくりと」読むこと、そのことで音と意味を一体化させるということが肝要です。
 英語関係の論者は基本的にあらかたがアメリカかぶれですから、「ゆっくりと」ということを言う人がいません。少なくとも私は知りません。速読の方がいいと思っているような人ばかりです。このことをさして、「英語まわりは馬鹿ばっかし」と私は言ってきました。(地元の生徒には、「自分を含めてだね」と先日念を押されましたが。)

 sbさんもそうだったと思います。
 私のレッスンに触れていただかなければ、「ゆっくりと」の意味へのとっかかりも持っておられなかったと思います。不遜な言い方になるのかもしれませんが・・・。
 


【7972】
【タイトル】音と意味
【 日時 】03/10/05 1:28
【 発言者 】根石吉久

素読だろうが、音読だろうが、朗読だろうが、英語を相手にするんであれば、根っこのところ
で、音と意味は分離しています。それは、読みの方法以前に、英語が外国語であるということ
だと思います。
 


【7973】
【タイトル】2つの読み方
【 日時 】03/10/05 9:21
【 発言者 】パクパク

音と意味について、当然、昔の素読でも、2派あったようである。

漢文の音読み派  イシンデンシン型
漢文の訓読み派  心をもって、心をつたう型

訓読み派は、シンタックスが漢文とちがってくるし、漢字の読みもちがう。

子供は、音読みでも暗唱できたようだ。つまり、意味を知らずとも長い音連鎖を
暗唱できたようであった。
訓読み派は、日本語になっているので、日本語の力で、意味がわかるようになっていると
おもわれる。
音読み派は、いつ意味を獲得するのか、非常に興味あるところである。
仏教経典は、漢語訳されている場合、音読みされていたようである。
 


【7974】
【タイトル】「わかる」と「できる」は大違い
【 日時 】03/10/05 19:39
【 発言者 】sb

>どっちでもいいではないか。問題は、意味と音の結合の強度にあるのであり、意味と音の前後関係ではないはずだ。

そう思います。語学論という点については、確かに初心者には不親切だと思います。現在、日本国内で英語を学習していこうと思っている人々の少なくとも3分の2には不親切だと思います。

最近、公文式の英語教育に興味を持ち、本を読んでいます。「わかる」と「できる」の違いに敏感なのが公文式だと思います。「わかる」は外在的理解、「できる」は内在的理解です。文字と音と意味の合致に語学としての一つの最終目標があることは誰しも認めるところと思います。國広の只管朗読で「意味がわかってから」という場合の意味は、「できるようになった!」理解ではなく、「わかるようになってき始めたかなあ?」という段階の理解レベルのことを言っていると思います。
 


【7975】
【タイトル】電話でレッスンで気がついたこと
【 日時 】03/10/05 19:53
【 発言者 】sb

@意味はあとから自然についてくるから、最初は「音」だけに注意を向けていてもいい。
A「音」がある程度完成したら、「意味」を「人から説明してもらってわかる→人に説明できる」状態(内在的理解)にするために「読む速度」を「理解の程度に応じてスピードを落とす」
BAが自分のものとなればなるほど、自然に「音声(自分の中から意味を本当に理解した)」は速くなる。(千田さんも本当はそのことを言いたいのだと思っていますが、少々舌足らずです。)

これは日本語の素読でも同じことなのですね。
 


【7976】
【タイトル】気がついたこと(2)
【 日時 】03/10/05 20:02
【 発言者 】sb

>素読だろうが、音読だろうが、朗読だろうが、英語を相手にするんであれば、根っこのところ
で、音と意味は分離しています。それは、読みの方法以前に、英語が外国語であるということ
だと思います。

これとまったく同じことが、公文の英語教育論の本に書いてありました。そういうことなのですね。私がさっき書いたことと矛盾しますね。そこ(母国語には音だけに集中しなければならないケースはまずないということ)に母国語と外国語の違いがあるのですね。

母国語の場合は「音」だけに注意を向ける必要がないのでまず、「ゆっくり」「自分が理解できる程度(程度という言葉の中に「わかる」と「できる」の両方の意味が入っているとすれば)」で読むことが大切だということですね。それにたとえ速く読めるようになったとしても、あくまでも「聞き手」のことを考えて「ゆっくり読むこと」はとても大切なことなのですね。
 


【7977】
【タイトル】わたしはできていません
【 日時 】03/10/05 20:08
【 発言者 】sb

だんだん私がいかに出来ていなかったかに気づかされます。英語はおろか日本語でさえも。日本語も英語も英語の音が上滑りしています。内在的理解の上に文字があり、その文字の上に最低限の音がある。特に語学においては「意識的」「強制的」「集中的」にやらなければダメだということにいまさらながら気づきました。根石さんに感謝です。
 


【7978】
【タイトル】チャン・イーモー監督
【 日時 】03/10/05 20:31
【 発言者 】sb

今日チャン・イーモーという中国の映画監督の映画「あの子を探して」のメイキング版を見ていました。

中国内陸部のとある田舎村。そこに一人の小学校の代用教員が派遣されます。ところが、その先生がなんと10代前半。貧しいがために生徒がどんどん都会に出稼ぎにいったりなどで生徒が減っていきます。経験のない若いその先生いろいろ苦労しながら、ひとりでも生徒が学校から去っていかないように奮闘するところからその映画は始まります。

その「あの子を探して」のメイキング版を見ていました。そこで感じたのは監督の考え方が根石さんの考え方を非常に似ていたということです。以下字幕スーパーを少し引用します。

(素人の役者をたくさん使っているのがこの映画の特徴です)
。。。毎日声の出しすぎで3倍は話しているよ。子どもたちにしつこく何度も言うだろう。我慢してるねって言われるけど、(自分は)我慢強いわけじゃない。怒っちゃいけないんだ。自分で選んだのだから。自分が決めたんだから。やってみて駄目ならそれは私の問題だ。。。

。。。頭は刃物と同じで研げば研ぐほど切れる。使わないと鈍くなる。その題材もどの脚本も頭の鍛錬だ。(スタッフ)全員と脚本の話をした。誰も俺にかなわない。アイデア・手法・思いつきでも構成でも。研いだ回数が違うからね。俺は研いでいるからね。張本人だし。みんなが寝ちゃっても俺はひたすら研いでいる。。。

。。。私の映画に出てくる子供は弱々しくない。みんな骨がある。みんな面白い。しっかり形がある。私が撮る子どもたちは劇的でない。みんな不器用。その拙さが好きなんだ。。。

。。。演出は不器用にシンプルに。中国映画では初めてだろう。プロじゃない人たちは自分の役割を果たしさえすればいい。芝居じゃないんだ。変じゃなければ多くは求めない。おどおどしないでやってくれれば。魅力は別にあるんだ。。。

どうですか?私は根石さんにとても似ている部分があると感じました。
 


【7979】
【タイトル】パクパクさん、教えて!
【 日時 】03/10/05 20:36
【 発言者 】sb

漢文を音読みした場合には国語ではなくなる。漢文を訓読みした場合には国語になる。
古文はどちらでもないということになるんですか?それから古文の現代語訳も素読したほうがいいのでしょうか?
 


【7980】
【タイトル】■ごつごつ英語ごっこレポート 9/29 その1
【 日時 】03/10/06 18:42
【 発言者 】村田

 今回は参加者が比較的多かったので、隣あっている人同士でごにょごにょしゃべっている時が多かったのですが、雰囲気としては悪くはないと思います。「ごっこ」の目的はとにかく英語をしゃべることですから。
 練習を始めてだいたい半年くらいになるKさんがCan I close the window?と自然な感じで言っていたらしいのですが、私は聞こえませんでした。とにかく、よいことです。

 後半、いくこさんが、「村田はなぜ英語で話すときに低音になるのか?」ということを言ってきたので、私は困りました。そんなこと考えたこともなかったので、「なんでそんなこと聞くのかな?」と思ったのですが、とっさに、発音するときに、腹とあご、唇、舌を使って発音し、のどを使わないからではないか、と言ってみました。(ここで私はstomachと言ったんですが、それは変ではないかと指摘され、bellyか?などと言っているうちに、いくこさんが、辞書をひいてabdominal breathingという言葉を見つけてきました。)まあ、あとから考えると低音であることとは関係ないですね。
 そこで根石さんが、「村田君は器官の説明だけしてるけど、気持ちの問題もあるんじゃないか。」ということを言ってました。(これはまた後で書きます)
 さて、よくよく考えてみると、私は無意識のうちに小林克也とか伊武正刀なんかをモデルにしていたんだと思えてきました。彼らは低音で英語をしゃべります。「俺、小林克也とかをモデルにしてたんだ。…あとデ・ニーロとか」と言った途端にKさんから「デ・ニーロは言い過ぎ」と激しいツッコミが入ったのは言うまでもありません。

 さて、根石さんが「気持ちの問題もあるんじゃないか」と言っていたのには続きがあります。根石さんは、日本人が英語をしゃべるようになると、おおむね、音程が高くなる傾向がある、と前置きした上で、「以前、NHKの語学講座は異様にハイテンションではありませんか?と大風呂敷に書いていた人がいた(過去ログ『9. NHKラジオの英語』参照)。自分もそう思う。英語をしゃべるとき、ハイテンションにならなければいけないと思っている人が多いのではないか」ということを言っていました。これは自分を見失っているということでありましょう。
 根石さんはさらに続けて、自分は英語をしゃべる時と日本語をしゃべる時に態度・調子をなるべく変えないようにしている、と言っていました。日本人が英語をしゃべるときに「盆踊りリズム」になるのは当たり前で、自分はハイテンションでしゃべるつもりはない。ただし、聞き取るときには英語のリズムをつかまないといけない、と言っていました。英語をしゃべる時も、自分は自分である。そして、My English should be my English.と言うので、みんな笑っていたんですが(私も笑ってましたが)大事なことだと思いました。
 (つづく)
 


【7981】
【タイトル】■ごつごつ英語ごっこレポート 9/29 その2
【 日時 】03/10/06 18:44
【 発言者 】村田

 突然ですが、ここで、腹とリズムについて思うところを書きます。

 根石さんの言うように、英語を聞き取るときには英語のリズムを聞き取らなければならないわけですが、自分のなかに英語のリズム感が内臓されていなかったら、聞き取り=相手のリズムをとらえること、はできません。(ただ、リズム感が自分の中に内臓されているということと、実際にそのリズムでしゃべることができるかどうか、というのはまた別のことだと思います。)

 英語の文を読む練習をするときに、大きく読むべきところはより大きく発音し、小さな音との対比を際立たせるようにしていくと、自然と英語のリズム感で読めるようになります。
 大きく読む部分は、瞬間的に大きく声を出すようにします(点として音を出す感じだと思います)。その時に腹筋が活躍します。大きく読むべき部分を、点として瞬間的に出せると、読むときに「盆踊り」にならず、英語的リズム感をとらえることができると思います。

 英語には腹式呼吸が必要だとよくいわれるようですが、私は英語を使うために腹筋の訓練をしようとか、腹式呼吸の訓練をしようとか、そういうことを言ってるわけではありません。読む練習をするときに、腹筋も意識すると、リズムが作りやすいのではないか、と思うのです。

 最後に、あまり関係ないかもしれないんですが…。昔、テレビで金沢明子がろうそくの前で歌っていて、ろうそくの火がゆれないという場面を見ました。これに対して、オペラ歌手なんかは、ろうそくの火を消す歌い方です。これらの歌唱法の違いは、日本語とヨーロッパ系言語の体の使い方の違いに由来すると思うのですが…。金沢明子はなんでろうそくの火を消さないで歌えるのでしょう?
 


【7982】
【タイトル】訂正
【 日時 】03/10/06 18:52
【 発言者 】村田

実際にそのリズムでしゃべることができるかどうか

実際にそのリズムでしゃべるかどうか
 


【7983】
【タイトル】■補足:ごつごつ英語ごっこ
【 日時 】03/10/06 20:41
【 発言者 】いくこ

先の村田氏のレポート中にありました「ごつごつ英語ごっこ」のことを、少し書きます。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、少し触れておきます。

ごつごつ英語ごっことは、日本語の磁場で育った日本人が英語をしゃべってみるという「英語のままごと遊び」の時間のことです。根石氏の英語塾の地元の生徒を主催者として、毎週月曜日に1時間ほど時間をもうけて開催しています。使用シンタックスと単語は、英語としています。

あくまでも練習であり「架空のこと」「お芝居」「どろんこ遊び」「ままごと」を原理とすること、英語がどれほど下手でもかまわず、英語のシンタックスに慣れることを目的とすること、帰国子女、留学経験者、英語ネイティブは参加できない、などの規約があります。

英語経験者の多い英会話サークルなどでは、英語が流暢でないとなかなか話に加わることができません。また、英語が聞き取れないこと、うまく話せないことがひけめとなって、なかなか分からないことを言い出しにくいなどの状況が多いと思います。
「ごつごつ」した英語でいいこと、あくまでも「練習用」なのだ、「ごっこ」なのだ、ということを前提とした「ごつごつ英語ごっこ」は、インプットした英語を使ってみる場として、大変いい機会になっていると、いくこは考えています。
 


【7984】
【タイトル】先だし音読
【 日時 】03/10/08 20:00
【 発言者 】パクパク

素読のとき、コーチがはじめから、イントネーションと
シンタックスのわしづかみを教えておいて
素読させる(詳細な意味はかんがえない)というのは
ありでしょうか?
私は、100回も500回も1000回も音読するよりも
はじめから、コーチが教えていても何らの害もないとおもうし、
むしろ正しいようにおもう。
読書百ぺん意おのづから通ずというのは、
読み手に、イントネーションの自己決定能力とシンタックスのわしづかみが
内在化している場合には、言える(成立)するかもしれない。
しかし、英語のような外国語には、これら能力の自動形成は、私には懐疑的であるようにおもわれる。
 


【7985】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/09 19:02
【 発言者 】sb

イントネーションの自己決定力は「たくさん聞く中で身につく」という人もいるし、「身につかないのでコーチが必要だ」という人もいる。どちらも本当だと思う。イントネーションなどとイメージをつかむことはまた別問題だ。そこを明らかにしたのが根石さんだと思う。第一人者だと思う。

読書百遍というのは「素読」のことをいっていると思う。
 


【7986】
【タイトル】脚気の原因
【 日時 】03/10/10 20:27
【 発言者 】パクパク

昔、脚気の原因がわからず、森鴎外などは
大権威で、ウィルス説をとなえていました。
しかし、まったく無名の人がビタミン説をとなえ
ほとんど相手にされていませんでした。

英語も、じつは、同じようなことです。
英語のできないのは、イントネーションがないからです。
映画の速い英語が聞き取れないのも、
タイムやニューズウィークの英語が読めないのも
じつは、イントネーションにおおきく関わるわけです。

                つづく
 


【7987】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/10 22:19
【 発言者 】sb

治療と教育は違う。治療に処方があっても、学習アドバイスに絶対的なものはないと思う。
語学教育についてはいろいろ言われても、学習については学習者の特性による部分もあると思う。
リスニングが得意な人。リーディングが得意な人。音声に興味がある人。文字に興味がある人。それぞれの学習形態があると思う。イントネーションがないから読めないということも十分あり得ると思います。身体論的アプローチからそういうこともあると思います。

指導者は自分が信じる語学論をもっている方がいいに決まっているが、それで必ずしも学習者がうまくいくとは限らないのが悔しいところである。

よく言われることですが、コーチは信念を携えていれば、あとはどれだけ選手に対して受身になれるかということが大切だと最近感じる。
 


【7988】
【タイトル】少し休みます
【 日時 】03/10/13 0:20
【 発言者 】根石吉久

ぎっくり腰のその後が思わしくなく、しばらく書けません。
ご容赦ください。
 


【7989】
【タイトル】こんなコトバ見つけました。
【 日時 】03/10/13 15:09
【 発言者 】英語嫌い人

桐田真輔さんの家頁「キキハウス」http://www.linkclub.or.jp/~kiri/ からの引用。

「園田英弘『世界一周の誕生』(2003年7月20日発行・文春新書 1700+税)は、文明史の本。「グローバリズムの起源」というのが副題で、主に蒸気機関車や蒸気船、電信の発明に伴う、路線や航路の開発進展の具体的な検証を通して、「19世紀の中葉に成立した、「丸く」て「小さい」地球大の社会交流圏(グローバリゼーションの初期的な形成)の成立」のプロセスを探る、という内容だ。ジュール・ヴェルヌは『80日間世界一周』(1873)を『ブラッドショー大陸蒸気列車時刻表及び総合ガイド』という「時刻表」を見ながら書いたと言うが、そうした想像の旅行を現実にも可能にした、太平洋横断航路や大陸横断鉄道、スエズ運河の開通などの歴史が、豊富な資料や歴史文献に基づいて詳細に紹介されている。本書の主役はアメリカとイギリスで、西部開拓や日本への黒船到来等も含むアメリカの「西進」ということの背景に、イギリスとの国家ぐるみの激しい競争があったこと、その具体的な様相にも触れられている。」
 


【7990】
【タイトル】電話レッスン
【 日時 】03/10/14 10:12
【 発言者 】Naima

今日のレッスンはお休みさせて下さい。 高校生のテスト対策をしてやらなければなりません。 昨日も祭日でしたがテスト対策で高校生を教えていました。内容はテキストの回転読みと技法グラウンドです。 1人の生徒は私立高校の英語科に通っているのですが、構文の覚え方、英語の勉強法がわかった、と言っています。 それと、とにかくスラスラ読める様になってから、文法的説明や意味の解説をする方が教える側も教わる側も楽です。

いつも小学生の感想文の様な投稿ですみません。
 


【7991】
【タイトル】Naima さん
【 日時 】03/10/14 18:19
【 発言者 】根石吉久

お休みの件、承知しました。
塾で、「回転読み」と「技法グラウンド」を活用されているようでうれしいです。

>とにかくスラスラ読める様になってから、文法的説明や意味の解説をする方が教える
 側も教わる側も楽です。

 実に単純な原理ですが、これをちゃんとやるだけで実質的な力をつけることができます。
 これに「復習範囲を手放さない」を加えると、さらに強力になります。
 「復習範囲を手放さない」で扱うのは、理解を媒介にした後の音だけですから、この過
程はそれほど時間もかかりません。しかし、「電話でレッスン」のような個人指導でなく
これを実現するのは、いろいろ工夫しなければならないかもしれません。

 現在、高校の英語の先生なども生徒さんにおられますが、「回転読み」「技法グラウン
ド」をすぐに活かせる場所としては、塾の方が有利だとNaima さんの記事を読んで改めて
思いました。塾で英語を扱っておられる方に、「電話でレッスン」のことをお話してくだ
さればうれしく思います。
 


【7992】
【タイトル】英語の勘とイントネーションの生理
【 日時 】03/10/14 21:28
【 発言者 】パクパク

中国で、話題になった、クレージーイングリッシュというのが
いよいよ、日本に上陸します。
中国人が英語をしゃべれれば、アメリカ帝国主義の呪縛から
離脱できるという政治的目的をもっています。
その方法は、大声でしゃべることぐらいしかわかりません。
私は、3年前に映画で見ましたが、甲子園球場のようのところに
生徒を何万人も集め、先生一人が教えるものでした。
この先生は、英語がまったくできない貧しい階層の出身者ですが
あるとき、英語上達法を編み出したという映画でした。

さて、私は、つぎのように思っています。
一番大切なことを避けたまま、英語を教えられたきたと。
受験にとおれば良いんだということで、努力の割には
ほとんど成果がなかったとおもいます。
 

日本人が英語ができない理由は、英語の勘の組織的育成という
概念がなく、むしろ、その形成を、学校英文法で破壊してきたと
いえるとおもいます。(別の文法が必要ということです)

例)
come on in over here.

この英文は、映画には多発しますが、学校英文法の視点で
みるともうお手上げです。
個々の単語は易しいけれど、それが文になってしまうともう
わからない。

例)
black and white
日本語で、白黒を、英語では、逆に並べるが、
従来手法では、丸暗記一点張り。
なぜ、こういう語順になるかが解説されていない。

例)
タイム誌に頻繁にでてくる表現構文を、クオリティペーパー特有な
表現として、逃げる姿勢。
じっさいは、USATODAYにも、でてくる構文。
no 比較級、 二重否定、倒置、省略など。
 


【7993】
【タイトル】電話レッスン
【 日時 】03/10/14 23:29
【 発言者 】Naima

今日もほとんど回転読みと技法グラウンドに費やしましたが、これだけで教科書準拠問題集はほとんど間違いなくスラスラ解けてしまいます。 大学受験準備に入る頃には語数別1000の回転読みをさせようかと思います。

実は、昨日補習をした時、高校生達がそれぞれ自分のテキストと文法書の例文を繰返し音読している間、私もちょこちょこっと「ゴースト」のシナリオを見ながら回転をやってたのです。 もちろん正規の授業で、自分の勉強をやったりはしません。 Yukiちゃんと言う子が、「先生、映画の台本読んでるん。 Yukiもそんなんやりたい。 楽しいやろ?」と言ってました。 この子達が大学進学する頃には、私も少しはコーチらしき事も出来るだろうと思うので、「大学に入学したら一緒にやるか?」と言ってあります。
 


【7994】
【タイトル】少しやってみましたが
【 日時 】03/10/16 5:44
【 発言者 】ミッフィー

とほほ英語教員のミッフィーです。現在中間考査のまっただ中、これが終わればセンター対策というところです。先日教えてくださった(せっかく丁寧に教えてくださったのに!)5分間音作り、自分の音を作ってから、ではなく作りながらというアドヴァイスにより「やろう!」と思ったものの、高3のこの時期、そして勤務校の45分授業という制約のなかではサワリしかやる度胸がなかった・・・。高3とはいえ、音を発することの重要さは変わらないと考えてはいるものの、年度当初から導入した方がやりやすそうです。しかし般若の「ア」はよかったです。生徒もよく声を出し、「般若のア!」というと口をつりあげようとしていました。音はまあまあです。ところでうちはyahoo.bb.なのですが、yahoo.bb.に加入されて、電話レッスンをなさっている方はおられますでしょうか?
 またまた話は変わりますが根石さんのお嬢さんのご出産は大丈夫でしたか?元気な赤ちゃんが生まれておられることだと思います。赤ちゃんは大変だけどいいものです。赤ちゃんとお嬢さんのご健康、そして根石さんの腰の具合がよくなることを祈念して、今日の所はおやすみなさい、ではなくごきげんよう。
 


【7995】
【タイトル】パクパクさん
【 日時 】03/10/17 17:05
【 発言者 】sb

例)
black and white
日本語で、白黒を、英語では、逆に並べるが、
従来手法では、丸暗記一点張り。
なぜ、こういう語順になるかが解説されていない。
 


【7996】
【タイトル】black and white
【 日時 】03/10/17 21:03
【 発言者 】Naima

パクパクさん、
日本語では、白黒(しろくろ)と言う語順ですが、黒白(こくびゃく)をつける、と言う場合もありますね。 でもここはそういう問題ではないか...

white and black と言わずに black and white と言うのかについての解説がなされないとおっしゃってますが、どうしてそうなるのか教えて下さい。 リズムがいいから、と言うだけの理由ではないんですか?

http://www004.upp.so-net.ne.jp/pillbug-twins/
 


【7997】
【タイトル】リズムの良さという捉え方で十分か?
【 日時 】03/10/17 22:45
【 発言者 】パクパク

リズムの良さで、かたづけると、抽象的になると
おもいます。

他の例
1)wood,clay
2)bricks,mortar
3)iron,steel
4)bend,bow
5)silver,gold

こう並べると、法則性がわかるとおもいます。
コーチは、この法則性を生徒に考えさせずに
教えてもなんらの副作用もないばかりか
応用がきくとおもいます。

イントネーションとは、語順を制御する力があります。
AとBとをむすんで、A and B というとき、どちらを
先に言うのか法則性があるのです。
法則ですから、例外があるとおもいますが、役に立つ
法則をどんどん教えたほうがいいとおもいます。

on and off なのか off and onなのか
丸暗記するよりは、まず、法則性です。
この法則性を意識して、実際に自分の口で音読すると
音読の回数を少なくしてもフレーズをおぼえやすくなるはずです。
100回も1000回もただ音読しても、英語は風邪ではないから
うつらないとおもいます。
たとえ、その場でおぼえていても、いずれ忘れさるとおもいます。
 


【7998】
【タイトル】わからない。。。
【 日時 】03/10/19 1:36
【 発言者 】いくこ

>他の例
>1)wood,clay
>2)bricks,mortar
>3)iron,steel
>4)bend,bow
>5)silver,gold

>こう並べると、法則性がわかるとおもいます。
>コーチは、この法則性を生徒に考えさせずに
>教えてもなんらの副作用もないばかりか
>応用がきくとおもいます。

う〜ん、すみません、こうならべても法則性がわかりません。
 


【7999】
【タイトル】わたしもわかりません。。。
【 日時 】03/10/19 14:44
【 発言者 】sb

でもblack and whiteとwhite and blackはわかる感じがします。
ckの音/k/の時に舌の後ろが口の内側の上に当たるのでandの/ae/のポジションにより近いからだと思うのですが。。。
whiteの/t/は舌先が上の歯の裏の付け根の辺りなのでandの/ae/に移る時に舌が前上後中→前下後上とシーソーの「ギッタンバッタン状態」なのでロスが大きいということだと思うのですが。。。どうでしょうか?
 


【8000】
【タイトル】もうひとつの例
【 日時 】03/10/19 15:57
【 発言者 】パクパク

Give me half an apple.

この英文の意味は、誰でもわかるとおもいます。
しかし、文法的に説明すると、halfの品詞は何だと
おもいますか?
多くの受験生は、halfの前に冠詞がこの場合なぜないのだろうか?
あるいは、half of an appleの ofが省略されたのか?
などと考えるとおもいます。

語順に文法的違和感がある場合は、
イントネーションが語順を制御していることを考えます。

元の英文  Give me a half apple.