テスト
3番目の「大風呂敷」です。皆様、旧「大風呂敷」同様、よろしくお願いします。
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『英語どんでんがえしのやっつけ方』、他にも欲しい方々がおられるのに、買い占めてしまったようで、申しわけありません。増刷と韓国語への翻訳、是非、実現させて下さい。
◆音読○しゃべり△、しゃべり○音読△、相互に逆の現象となって現れるもの
◆音と意味の分離・背反、音と意味の同致(一致)の問題
→ この話は、「音読だけで、英語のチカラを予測できるか?」から出たものでした。根石さんの言葉を使わせていただくと、音読が○でも、音と意味の分離・背反、音と意味の同致(一致)に問題があるために、しゃべりが△のこともあるので、「音読だけ」では、英語のチカラの全体像は必ずしもつかめないというのが、オレの印象です。
→ 「音と意味の分離・背反・同致・一致」は、言語能力の一部をなすものだと思います。そして、オレのセンモンから考えると、「音と意味」に関する言語能力を、どのようにすれば、測定して評価することができるのか、ということに至り、そうするとまた、言語能力は分解可能な・・・と分解不可能な・・・、を持ち出すことになります...。ともかく、多角的な方法による測定と評価が必要だろう、というのが、現時点のオレの結論です。
◆日本 語学 音と意味の分離・同致の問題
→ オレの知っている範囲で言えば (2003年出版の『応用言語学事典』(研究社)
をちらっと見ての、アサハカな、読みかじりの知識デス)、音と意味の問題の研究は、けっこう取り上げられているようです。しかし、いかんせん、脳というブラックボックスの中で行われることを取り扱う分野であり、いきおい「認知心理学」、「心理言語学」「大脳生理学」などのように、かなり専門的なもののようで、少なくとも、オレにはなかなか理解できません。
→ しかし、ことばの勉強では、音と意味のリンクは大変重要で、避けられない大きな問題だと思います。根石さんのおっしゃるように、ほんとは、この議論が出発となるべきだと思います。議論はしているけれども、なかなかひとつの方向が見えないのも事実のようです。
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◆ネイティヴ言語獲得過程を語学においてもなぞれるものとする
◆言語を獲得しつつある個体をとりまく磁場の力
→ かなりはしょって大ざっぱに言うと、「英語をシャワーのように浴びせ、英語に触れる時間を絶対的に多くとる」というのが、第1言語習得と同様の方法論の基になっているかと思いますが、根石さんのおっしゃるように、日本にいて英語を勉強する場合に、言語の「磁場」は、そんなことでは作れない、と私も考えています。そんなあまいもんじゃぁない、と思っています。
◆しゃべり○音読△ 話がうすっぺら
→ オレも、話しの「ナカミ」があってこその語学だと思います。
→ 「ぺらぺらと、よくまあ、あんた、しゃべるね」という人もたまに見かけますが、純粋にスゴイなぁ、と思います。普段のなんということのない会話を英語でやることは、そんなに簡単なことではないように、オレには思われます。オレなんか、話しが続かずに、スグに黙ってしまいます。だけど、伝えたいことがある時には、なんとか話しは続きます。
◆アメリカの学説 音と意味、この一点に絞ってしばらくは考え続けてみたい
→ 残念ながら、上記の「認知心理学」、「心理言語学」「大脳生理学」もやはり、まだまだ「借り物」の域を出ていないのではないかと、疑っています。
→ 日本人が外国語を勉強する (他に良い表現が見つからないので、「勉強する」を使わせていただきます)
時、どのようにして音 (あるいは文字などの視覚刺激) と意味を結びつけるのか、それは、個人差などあまりなく、一般的・普遍的な過程なのか、その過程が分かれば、それを促す指導方法
(これもあんまり良い表現ではありませんが) にはどのようなものが有効なのかが分かるのか、など課題は大きいですが、より深く考えて行かなければならないことだと思います。なんだか、批評家的、第三者的、エラソー的、タニンゴト的になってしまいました。スミマセン。
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"ditto" でちょっと盛り上がりました。「ゴースト」で出てきた表現ということでした。
「同上」という、書類に使う用語ですが、みなさん洒落で使ってました。
それから、",na?"を文の最後に付けるのも、一部で流行っています。最初、根石さんが
使ってました。日本語っぽく聞こえるんで、それ、日本語じゃないですか?と聞いた
ところ、ドイツ語で否定的な意味合いを表す言葉だということで、付加疑問のような
感じに使ってます。イギリス・スリランカ・オーストリアの人に使っても、普通に
通じてるようです。
根石さんは掲示板で語学論に専念するため、今回で「ごつごつ」のレギュラーから抜け
るそうですが、また、機会を見て参加していただきたく思います。
私がt.A.T.uの話題でネタふりをしてみました。ロシアの子って美人だよね、という
話で盛り上がり、「でも、中年になると太るんだよね」となかなか危ない話題に移行。
(私以外は全員女性なので…。)そこでPさんが「みかけじゃなくてハートだよね」と
言いい、みなさん同意。しかし、私は果敢にさらにネタ振りをしてみました(笑)
私は、Kさん(女性)が先週、友達に「やっぱり人は見た目だよ。あんたもルックス
のいい男が好きでしょ?キムタク好きでしょ?だから男もそうなんだよ」と言われた
という話を持ち出して、「Kさん、それに納得してたじゃない?」と言ってみました。
すると、Pさんが突然目を輝かせて「キムタク好き!」と言い始めます。「ファンな
んだ?」と聞くと、「Lover!」という答え。おいおい、なんかさっき言ってたこと
と違うじゃないの…。そして、"I am one of women of him."というコトバ。なんか
ちょっと気に入りました。
今回は全員がかなりしゃべってよかったと思います。
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むふ〜、新しい木と畳みの匂いのする様な背景色でいいですね〜
ドイツの人達は文の後に"Na?"と良く言います。 これはtag question だと思ってました。 "It's
hot today, isn't it?" とか "You study hard every day, right?" とか言う感じかな〜と...
私も英語でしゃべっていても、この"na" をつける癖が抜けません。 大阪弁みたいで、これをくっつけると納まりがいいんです。
>これはtag question だと思ってました。→ 私もこれはtag question (付加疑問)だと思ってました。
お手をわずらわせました。ありがとう。
メインタイトルの「大風呂敷」は、「大風呂敷」らしく思い切りでかい字にしてください。
「大風呂敷」の前に、「反英語フリーク」の文字を、後に「がちがちの語学論」のサブタイトル
を入れて下さい。
背景色は気に入っています。
お書きくださりありがとうございます。
また少しお時間をください。
今作っている物置小屋ができ、庭に母屋と店をつなぐテラスができ、堆肥小屋ができたら、語学論
に専念したいと思います。
それまでは、しばらくちゃらんぼらんをやります。
寝ます。
根石さん
タイトル文字の大きさ、私も小さいなあ、と思ったんですが、変え方がわからないんです。
サブタイトル、入れてみます。
Naima先輩
おほめいただき、ありがとうございます!
"Na?"はやっぱりそういう文脈で使っているんですね。"Na?"と最後に言うと、「〜な?」
と言ってるのと同じような感じがして、おもしろいです。
大阪弁みたいということは、気持ちの上では「〜 na? (そうやんか?)」と続くのでしょうか?
>「〜 na? (そうやんか?)」と続くのでしょうか?
friendly 「そうやんか?」「そうやろ?」
formal 「そうでっしゃろ?」
derogatory 「そうやんけ?」
Wed, 02 Jul 2003 01:32:06 +0000 の
りそうとおまんま
に関するメールにお答えします。
私もKさんの考えに賛成です。
私は、初めからおまんまのために英語塾をやったので、本当は物書きを
やりたかったのでした。
リソウとゲンジツの間で、私はバランスなどとれていませんでした。
「意地と度胸の人生だ」とは思っていました。
学校を出て、娑婆に出ても、悲惨なことに満ち満ちています。
逃げをうつなら、Kさんの言うような逃げをうつべきです。
あなたのような気が弱くて強情な人は、学校にいてほしい。
Kさんのお手紙を、「KさんからTさんへのお手紙」として、「大風呂
敷」に掲載させていただけないかどうか、Kさんにお尋ねくださいません
か。多くの学校の先生を勇気づけると思います。
NHKの「にほんごであそぼ」という幼児向けの番組。
じゅげむじゅげむを テレビで放送している。
耳からじゅげむをおぼえてしまう子供がけっこういるそうだ。(字がよめないんだもんねーまだ。)音がおもしろいのだろう。
大人は字をみてもなかなか覚えられないのに子供の言語習得まる覚え能力聴解力はすごい。
もちろん意味はわかっていないだろう。
母語で磁場ではあるけれど 音が先に行く例だ。
英語だって 教科書の音をさきに行かせて(字つき)から意味や文法でよいのだと思う。
中学の教科書は薄いのだから。20分もあれば一回読める。
一単元なら1、2分。10分あれば5〜10回読んだり聞いたり出来る。
効率のよい教え方 中学でもっとできないものか?
コミュニカティブや リスニングもどきよりもっと先にやるべきことがあるはずだ。
足腰きたえずして(音読など) 試合(コミュニカティブー本番(ネイティブとの会話の試合ではないが それでも基礎訓練より華やか)しても へたれの力しか身につかない。
この言い方もなかなか人様にはわかってもらえないものでしたが、Jackie
さんにはちゃんと
伝わっていることがわかりうれしく思いました。
「音に先に行かせる」っていうのは、実は日本に古くからある方法(素読が代表的)なのです
が、この手間のかかる方法を、手間がかかるものを排除する効率主義に屈して、明治の学校制度
以降、学校はずっとほったらかしにしてきました。
素読的方法の接ぎ穂を作らなかったこと、それが、今になって学校が膿みただれるに至った原
因につながっているとすら私は考えています。
生徒に考えるための素材を内在化させずに、お行儀めいたことばかり取り締まるのが現今の学
校です。膿みただれるのは当然だと思います。
極論を言えば、学校というものは馬鹿を量産しているだけです。
「音に先に行かせる」ということがどれほどのことかわかっている学校教員がどれほどいるこ
とか、こころもとないことかぎりない。
以前、やっており、近頃さぼっています。
またやろうと思っていますが、この掲示板でやらせていただきたいと思います。
メール転載はご遠慮ください。その旨メールさせていただいたと思うのですが。。。
Naima先輩
私がなじんでたのはfriendlyだったんだ。
そうでっしゃろ、がformalなんですね。
どうもありがとうございました。
部活。
小学生の時、楽しそうに中学の教科書を読んでいた子供。
ガンガン進んでいた。
中学生になって、塾に来る回数が減った。
成績悪いわけじゃない。塾では試験対策はしていないけれど、学年でトップクラスだ。
部活で疲れた。
部活もそりゃいいもんだ。だけども、やりすぎじゃないかい。
小学生の頃はもっとのびのびしてたじゃないの。
内申書。
高校受験では試験5割、内申書5割だそうだ。
「俺、生徒会役員やってるし、ボランティアもやってるから、内申はばっちりだよ。」
塾を始める以前に、そう言う子に会った。
ボランティアは自分のためにやるもんだが、それ、どこか違うぞ。
さらに内申書。
高校受験では試験5割、内申書5割だそうだ。
成績はいいのに、「私、志望校へはいけない」という子がいた。
担任に、「お前の内申点は悪いからな」と言われたそうだ。
じゃあ、文句の言えない成績とろうぜ。この子はがんばった。
面談で内申がダメだと言われた。でもちゃんと志望校に受かった。
中学校は、変だ。
mailto:murataya@avis.ne.jp
●<五(ハイキング)> なし
●<十(里山)> なし
●<十・五(アルプス夏山)>
長野・MR (会社員・技術) ゴースト p.20
東京・KK (会社員・貿易) ゴースト p.15
奈良・OG (塾講師・英検一級) ゴースト P.21
山形・IN (公務員) ゴースト p.23
●<十・十(アルプス冬山)>
長野・HJ(主婦) ゴースト p.22
京都・TK(高校英語科教員) ゴースト p.56(700選終了)
奈良・OO(塾講師・英語) ミッドナイトランp.11(スピード終了)
●<十・十・五(岩登り)>
長野・KR(会社員) 逃亡者 p.62(ゴースト終了)
長野・SK(小学校教員) ミッションインポシブル p.142
●<十・十・十(岩登り・冬山)>
長野・KS(中一) ニューホライズン1 p.77
長野・KB(中一) 基礎問抽出1〜100、1の上
東京・KT(イラストレーター) ゴースト p.19
奈良・OO(会社員) ゴースト p.49
名古屋・KJ(塾経営・講師) ニューホライズン3 p.46
東京・JG(外資・会社員) ゴースト p.63
福岡・MR(短大教員) ゴースト p.100
佐賀・KT(主婦) ゴースト p.46
長野・KTH(中一) 基礎問抽出 101〜200、3中
長野・MR (高校英語科教員) ゴースト p.32
長野・KTN(中3) ニューホライズン3 p.51
長野・YS(高2) ゴースト p.53
奈良・OK(大学生) ゴースト p.30
北海道・OK(塾講師) ゴースト p.96
埼玉・SI(外資・会社員) ゴースト p.44
◆<クラス十・十・十超(ヒマラヤ)> なし
わかりました。Kさんのメールは転写いたしません。
しかし、「その旨」はまったくうかがっておりません。
うかがっておるのでしたら、そのメールを再度お送りください。
文章にけれん味がなくなってよくなったと思いました。
私にメール下さるときは、私が転載したがることをご承知ください。
膿を表に出さないと、学校はどうにもなりません。
教育というものを本気で考えるのでしたら、個人名は伏せて、内実はすべて表にさらし、陽にさら
すのがよろしいかと存じます。
前の掲示板にあったカウンターの数は記録されていますでしょうか。
また、この掲示板にもカウンターが欲しいのですが、可能でしょうか。
私がせっかく「Tさん」と変えておいたのに、作戦部長のことだと自分からバラしてはよくないと
思います。
私は、世に出るべき質に関してなら、Elliot さんを柴田さんだとバラすような人間ですが、Tさ
んは、まだTさんのままでいた方がよかったと思います。
月曜日、私はしばらく欠席が続きますから、部屋の様子のレポートを継続してくれるようお願い
いたします。
「どんでん」の増刷は小学館の文庫編集部の親玉の方針により、無理だと思っています。どこか、出版社をご存じでしたら、ご紹介ください。もっとスリムにして、ページ数を押さえれば、単行本にできると思います。小学館とは3年の契約ですが、先月あたりで契約期間は切れています。小さい出版社で、単行本にしてくれれば、ボチボチと売れていくとは思います。しかし、小出版は大出版にいじめられていますから、倉庫代も出せないような零細な仕事をしているところが多い。
そんなわけで、私の印刷機で復刻して、ネットで関心のある方にお求めいただくしかないのかとも考えています。
韓国語への翻訳は、本当に是非実現してほしいと願っています。まだ、翻訳をやりたいと言ってこられた方から、その後の連絡を待っているところです。
私は英語力は根本のところは、「音読」で測れるという考えです。
なぜなら、「音読」と一言で言うものの、初めての文を「音読」して、おかしなイントネーションにならない場合は、その文全体の意味が把握できている場合に限ると思うのです(コーチ付きレッスンを除く)。その場合、意味と音の同致は、その人の中に必ず存在するはずだと思います。
(賃貸契約書など)論理を論理として言うだけであり、論理さえ伝わればいいという文であれば、棒読みのイントネーションでよろしいかもしれません(IBMのコンピュータ上の文字読み技術のイントネーションは実に棒読みです)。
そういう文章以外(地上の99パーセント以上の文)では、意味は必ず感情がらみの意味であり、そういうものをちゃんと語学的標準型(床の間のお飾り的)で読めるということは、感情がらみの意味がとれているということであり、「異磁場」における語学力を立証するものだと考えます。
意味と音の同致が実現しなければ、初出の文をまともなイントネーションで「音読」することはできないはずだというひとつの原理を提出しておきたいと思います。
初めての文を「音読」して、おかしなイントネーションにならないことは、しかし、文の難易に大きく左右されます。これは、思考の難易度よりも、語彙の抽象度などに大きく左右されてしまいます。易しい言葉で非常に高度なことを言っている文も、語学的にイントネーションを成立させるのは容易であり、駄文だが語彙だけがやたら難しい文は、語学的にイントネーションを成立させるのが困難になります。意味のかたまりがどこでどう固まるのかが、語彙の不明により不明になりがちだからです。これも、地付きの磁場で育ったシンタックスを持っている人には、比較的容易になりますが(読書で難しい語彙に慣れていけば解決する)、シンタックス自体が、「異磁場」で、固定物(印刷物・録音音声)で作られた場合は、まるで容易になりません。
この点で、「生きることの意味」を求める立場の人から見れば、語学の言葉の扱い方は、実に言葉に対して不遜であり、やくざだと思います。これが「英語嫌い人」さんの立場だと思います。また、これは文学から語学に対する視線でもあると思います。
音読○しゃべり△という型が、日本ではもっとも普通の当然の型だと考えることはできないものでしょうか。磁場の質が違う、シンタックスが逆立する、音の組成が根本から違うなどの困難を考えれば、音読○しゃべり△がもっとも普通の日本の英語の型なのだと。
その型が肩身の狭い思いをしてことのほうが、ずっと根の深い問題だと思っています。
(日本語の磁場において、英語しかしゃべれないアメリカ人などがでかいつらをしている理由は何もないと思っています。)
>オレのセンモンから考えると、「音と意味」に関する言語能力を、どのようにすれば、測定して評価することができるのか、ということに至り、そうするとまた、言語能力は分解可能な・・・と分解不可能な・・・、を持ち出すことになります...。
分解不可能な言語能力は、私は人間に普遍的なものであると考えます。なんらかの障碍を前提としなければ、万人に与えられており、鍛えようでどうにでも鍛えることのできるものだと思います。
これの根は語学の領域「以外」にあるものだとも思っています。
学校や入試やらは、これまでひたすら「分解可能」なものだけを扱ってきましたが、分解可能なものを統合する能力はただ生徒の内部にのみあり、試験問題作成者が分解可能なものを問い、それに正解する生徒がいても、その生徒の内部にとどまり続けてきました。
内部にとどまり続けてきたものを露頭させるのは、今のところ「音読」のみだとやはり考えています。そして、語学をめぐるあまたの擬似科学によっては、この内部にとどまってきた能力の構造を把握することはできないのだと思っています。
なぜなら、それは、個々の体験・経験に根を張りながら、イメージの連続(夢の繊維を織る、論理ではなく、イメージからイメージにつながる、連想によるイメージの連続性)が言葉という客体に結びつく瞬間を言語化できない限り、「分解不可能」なものの構造は明らかにならず、それが明らかにならない限り、その過程を外から(例えば、教室のような場所で教員によって)成立させることは不可能だからです。前途多難だと中村さんがおっしゃることの意味は私は理解しているつもりですが、これに関しては、私は無意識の流動は無意識にまかせるということでことを済ませております。人間のやることはそれでいいのだという考えです。あえて言わせていただくなら、この流儀以外だと、ミイラ取りがミイラになり終わるとも思っています。
>しかし、いかんせん、脳というブラックボックスの中で行われることを取り扱う分野であり、いきおい「認知心理学」、「心理言語学」「大脳生理学」などのように、かなり専門的なもののようで、少なくとも、オレにはなかなか理解できません。
私は、この領域における言説の非常に多くが、科学のつらをした迷信だと思っておりますので、この領域の本を買う気がまったく起きません。
無意識の領域のことは、無意識がやるにまかせておけばいい。
人間が意識においてやれることは、意識の激化だけであり、そのことによる無意識の「波だたせ」だけです。直接に無意識を扱うなどということは、人間の思い上がりだと思います。
>そんなあまいもんじゃぁない、と思っています。
自分の回りを、例えば機械を介した英語音声や、印刷を介した英語記事、英語本でみたし、「擬似磁場」や「にせ磁場」を作ることはできても、そんなものが言語の本当の「磁場」であるはずがないという、私の「磁場」という用語の重量をその重量のままに受けてくださったことに深く感謝します。
>「ぺらぺらと、よくまあ、あんた、しゃべるね」という人もたまに見かけますが、純粋にスゴイなぁ、と思います。普段のなんということのない会話を英語でやることは、そんなに簡単なことではないように、オレには思われます。
ここが私と中村さんとで大きく違うところだと思います。
私は純粋にスゴイなぁとは思うことはないのです。
「ぺらぺらと、よくまあ、あんた、しゃべるね」という人たちは、みんな英語磁場で英語にイメージを充電して「もらった」人なのだと思っています。もちろん、自分が思い、感じることがなければ、この充電は起こらないのですが、しかし、思い感じさえすれば、充電自体は磁場がやってくれるのです。
この磁場の作用をとことん欠いているのが、日本語の磁場における英語の「勉強」なのであって、そこでは生ものでない「固定物」だけが相手です。「固定物」を相手に、「自分で自分に」強引にイメージを充電するのが語学です。メタファで述べるなら、独り者の力業です。生身の人間相手でなく、生の磁場の支援を一切あてにできず、文字、録音音声など、複製可能なものが相手にする力業です。
金持ちの有利と貧乏人の不利の関係が、英語磁場における英語と、日本語磁場における英語(学習)との間に厳然と存在すると思います。この一点は、私はどうしても、曖昧にしておくことができません。
英語の磁場にイメージを充電されて「ぺらぺら」としゃべること自体は、貧乏を根本原理とする語学という行為においては、一種の密輸入だとも思っています。私は、むしろ、密輸入を密輸入だと自覚しないアメリカ帰りの意識のていたらくに対して、大したていたらくだ、スゴイナァと思うくらいなものです。
「普段のなんということのない会話を英語でやること」に関しては、磁場という観点、磁場の作用という観点を外すと、のっぺらぼうなフリーク意見になってしまうというところはぶしつけながら、はっきりと指摘しておきたいと思いました。
日本語の磁場だけでその「なんということのない会話を英語でやる」ことを成立させたのなら、それはまったくスゴイことです。
英語磁場からの密輸入であれば、そんなもの、何のスゴイこともない。
磁場に支援された英語、これは、ネイティヴ言語の獲得が意識的な作業でないのと同じような生い立ちで生い立ったものです。
これがもしスゴイことであるなら、日本に生まれた赤ん坊が日本語をしゃべることをもスゴイことだと言わないと、言葉に対する態度としておかしなことになると思います。
>オレなんか、話しが続かずに、スグに黙ってしまいます。だけど、伝えたいことがある時には、なんとか話しは続きます。
私が愛する日本の英語はそういうものです。
私は、この質を破って、アメリカ人みたいに英語をしゃべる人間になることを生涯にわたって拒絶したいです。
これは、不足やら未満などでは決してない。
これが、日本語の磁場における英語の「自然」なのだとずっと考えてきました。
削除ありがとうございます。
人とのやり取りを勝手に根石さんに送付した私が悪かったのだと思います。
もう一点は「削除してくださいとの旨」を伝えていませんでした。私のミスです。申し訳ありません。
Kさんと私とのやり取りには当事者間の文脈があり、その一部分を切り取ることの恐ろしさがあると思います。「私が転載したがることをご承知ください。」というのはずるいと思います。
いつも迷惑ばかりかけている私ですが、今後ともよろしくお願いします。では。
旧掲示板のカウンタの表示がどうだったかは、残念ながらわかりません。
この掲示板にカウンタをつけることはできますので、早速つけてみます。
ごつごつ英語ごっこのレポートは今後も続けていきます。
カウンタをありがとう。
前の「大風呂敷」では4万5千くらいまでいっていたような覚えがあるのだが、どなたか
削除される前の数字を覚えておられる方はいらっしゃらないでしょうか。
>削除ありがとうございます。
どういう意味ですか。私は削除などしていません。掲載していないものを削除などできようはずはありません。Kさんに訊いていただけませんかと書いて、そのお返事を待っていたのであり、それ以前にKさんのメールを掲載したなどという事実はありません。
Kさんが、やめて欲しいとのことですので、掲載は一度もなされておりません。
>「私が転載したがることをご承知ください。」というのはずるいと思います。
公開された場合に、世のためになるだろうと判断したものを「転載したがる」ことのどこがずるいのかご説明を願います。
先日BSで アメリカ人の学生・社会人(人種はさまざま)とイラク人(社会人・学生)が今回の戦争について衛星中継で 英語で討論しているのをみた。出演のイラク人は英文科の学生や英語が堪能な人だった。どうやってネイティブと討論ができるほどの英語力を身につけたのか知りたいところだ。果たして日本の英文科の学生の何割がこのように英語で討論できる力があるのだろうか?
各国の英語教育にはとても興味がある。
おっと 言いたかったことは別。
英語ネイティブのアメリカ人と英語が外国語の人が英語で討論するのはフェアじゃないなあと。
そりゃ通訳なしで話しをしたほうが 自分の言葉で語れるので嬉しい。
しかし この場合はイラク人もイラク語で話すべきだ。英語が堪能なら通訳の約す英語をチェックできる,そして相手のアメリカ人の言葉もダイレクトに理解できるのだから。
かたや母国語で楽してペラペラ かたやいくらペラペラといえども外国語で勝負。
これは対等に討論とは言えない。
コミュニカティブについての 続きの話をよろしく。
英会話学校でインフォーマル ディベートなんかだと 流暢な英語で他をなぎ倒す人がいるんですが、ほんまに自分の言葉で言うて無いやろっ! と思う時があります。 それどっかの英語雑誌で読んだでぇ、とか、NHKの英語番組で言うとったで〜、とか。 英語がしゃべれるからコミュニカティブな会話が出来るかっていうと違う。 なんか欧米人が言うのと同じ様な日本批判をしよる奴が一番、原たつのり。 小さい事ですが、日本は包装過剰やとか... 割り箸が森林破壊に繋がる、とか.. よう日本の事情を知らずに言うたりしてる事って多いですやんか? どっかでやってたけど、日本人は色について微妙な表現を知らない、とか。 英語やる前に日本の事をよ〜くお勉強しなさい、と思う。
立派な聞き手、相手の話を上手に聞き出す人、質問を重ねて行って話し手の矛盾を引き出し自己矛盾に陥っている事に気付かせられる人、の方がやり手やと思う。 一方的に言いたい事をだだだ〜っと機関銃みたいに言える人が必要とされるわけやないやろ、とグチグチ思ったりする毎日ですわ。 ましてや欧米人が自分達と同じ考えをもつ日本人を喜ぶとは思えないし。
それと... 日本で金もうけしよかって外国人は日本語を勉強せ〜、旅行社も片言の日本語くらいは覚えて来い。 英語の表示がないからっちゅうて文句言うな。 英語をやればやるほど、急速にアメリカ人化、イギリス人化する学習者を見てると、頭おかしいんとちゃうやろか、と思います。 1年程アメリカ留学しただけで、ジェスチャーまでアメリカ人になっとるやつもおるし。 家に鏡あるねんやろか? どこから見ても日本人の御面相のくせに、変。 根性が卑屈。
蒸し暑くて、いったい何をヒステリ起してるのかわけワカメ〜
>旅行社→旅行者
おお、そうそう。 自分の英語力を過信するな。
下の根石さんの投稿を私sbが「掲載された」と勘違いしたのでした。
根石さんにはたいへんご迷惑をおかけいたしました。
ごめんなさい。
>Kさんのお手紙を、「KさんからTさんへのお手紙」として、「大風呂
敷」に掲載させていただけないかどうか、Kさんにお尋ねくださいません
か。多くの学校の先生を勇気づけると思います。
Kさんに聞いたところ「掲載はしてもらいたくない」とのことですので、よろしくお願いします。
根石さん、
とうとう、7月になってしまいました。ひぇぇぇ〜っデス。
先週あたりから怒濤の夏が始まりつつあります。それで、まことに申し訳ないのですが、議論の続き、しばらく夏休みにさせていただいて良いですか。ある程度まとまった時間が取れるのは、いつのことになるのか、今のところケントーもつきません。スミマセン。
本当は、ゆっくりビールなんかをご一緒したいのですが...。
mailto:youichi@tokiwa.ac.jp
ええ、時間がとれるようになったらお願いします。
木曜日あたり、時間がとれるような日があったら、いっぱいやりましょう。
すみません。 今月分の授業料を納入し忘れていました。 明日かならず送金します。
授業料は、その月の都合のいい日に納めていただけばいいので、急がなくてもいいです。
今日メールで送りました。
ソラリス 投稿者:Naima 投稿日: 7月 9日(水)04時02分15秒
時々、何の為に英語やってるんだかわからなくなる時がある。 仮に上達したからって、使う場所が年に一度
もあるわけやなし。 映画や小説が原語で理解出来たからって、どうよ、と言う思いもあるし。 「いまさら
こんな所で止められるか」と意地でやってるねんやろか...中毒か...
強迫観念か..心霊現象か...
語学が好きなのか、とあらためて自分に問いつめると...どうもそればかりでもないような... ぜひぜひ親交
を深めたいネイティブスピーカーの知人友人がいるってわけでもあらへんし...日本を離れると「英語みたいな
もん、なしでもやって行けるんやわ」と、憑き物がホロリと落ちる様な気もするし...
英語も煩悩のひとつ
か。
映画「ソラリス」を観て思ったんやけど、英語熱も日本と言うゾーンが人に生みつける幻影みたいなもんか...
一体なんやの英語って。
もうやめたろかな、英語。 と思う時もある
ソラリス 投稿者:Naima 投稿日: 7月 9日(水)04時02分15秒
時々、何の為に英語やってるんだかわからなくなる時がある。 仮に上達したからって、使う場所が年に一度もあるわけやなし。 映画や小説が原語で理解出来たからって、どうよ、と言う思いもあるし。 「いまさらこんな所で止められるか」と意地でやってるねんやろか...中毒か... 強迫観念か..心霊現象か...
語学が好きなのか、とあらためて自分に問いつめると...どうもそればかりでもないような... ぜひぜひ親交を深めたいネイティブスピーカーの知人友人がいるってわけでもあらへんし...日本を離れると「英語みたいなもん、なしでもやって行けるんやわ」と、憑き物がホロリと落ちる様な気もするし... 英語も煩悩のひとつか。
映画「ソラリス」を観て思ったんやけど、英語熱も日本と言うゾーンが人に生みつける幻影みたいなもんか...
一体なんやの英語って。
もうやめたろかな、英語。 と思う時もある。
ありがとう。
ゆっくりやってください。
継続してください。
今夜、BSでアメリカ恋愛映画100選って番組をやってた。 トップはカサブランカ。夫の帰って来るのでアタフタと掃除しながら観てたが、こういうのを見ると「あ〜、また英語の勉強に気合い入れよ!」と元気が回復してくる。
100選で思い出したんだけど、Rosey は95番まで回転がすすんでいるのに、私は55番で止まったまま。 追い付くまで待ってくれるらしい。 最近回転報告をしていなくてすみません。 明日からちゃんと報告します。 べいべさん、元気かな?
http://www004.upp.so-net.ne.jp/pillbug-twins/
鬼と勘違いして投稿してしまいました。 すんません。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
ゆっくりはっきり読むこと 投稿者:いくこ 投稿日: 7月13日(日)00時53分42秒
お久しぶりです。お久しぶりに超(ちょ〜)がつきますね。
いまだ「七年目の浮気」をやっております。
でもこれをみっちり身につけたいです。
最近は、「落ち着いて、ゆっくり、はっきり」を目標に回転読みをしています。
私は「v」の音をしっかり発音できないことがよくわかりました。今は、訳もわからず回転読みしてきたものを、もう一度ゆっくりとはっきりと、正しく発音することに力をいれてやるようにしました。そうすると、少しずつですが意味をとれるようになり、「ああ、こういう意味だったんだ」と思いながら、回転読みできるようになってきました。といってもまだまだですが。
それにしても、文章を口が覚えているのにびっくりします。もう少しだ。終わらせるぞ。
Vの発音
英語発音10のポイント より。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/p10point.htm
>上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。
この間 とある中学校の英語授業が教育テレビでやっていました。
ジェスチャーなどを使って動詞を覚えたり
短いモデルスキットの単語を入れ替えてスキットをつくらせ発表させたりと
わたしが先日参観した授業よりずーっとよい授業でした。
発音も教えていました。
しかしVの発音をさせるとき上の歯で下唇の真中あたりまで思いきり噛んで発音をさせていたのには疑問を持ちました。それではVの入っている単語を発音するたびに力むため 上手く読めないのではないか。
アメリカ人のかみあわせは 上下がほぼ一致している。
日本人の歯の噛み合わせは 上のあごのほうがでている。(たしかUdaさんの30音に書いてありました。)
だからアメリカ人の口の形 発音の仕方をそっくり真似るには無理があります。
しかし Vの発音>上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。
の仕方のほうが思いきり下唇を噛むよりスムーズだし 日本人のかみあせせでも可能なやり方だと思います。
>今は、訳もわからず回転読みしてきたものを、もう一度ゆっくりとはっきりと、正しく発音することに力をいれてやるようにしました。そうすると、少しずつですが意味をとれるようになり、「ああ、こういう意味だったんだ」と思いながら、回転読みできるようになってきました。
音がスムーズによめるようになると意味がクリアに入ってくるようになりますね。
逆に音がとれないものは 意味も入りにくいではないかのかと。
中学生にしっかりとした発音も教えずに やみくもに教科書をおんどくさせるのはかなり遠回り。
リスニングを重視するなら なおさら発音をしっかりと教えなければならない。
テレビの先生は発音を教えていたけれど
中学で発音をおしえているのだろうか?
私は中学生を教えていないのでわかりませんがどうなのでしょう?
>上の歯を下唇の山の頂点より少し内側に押しあてる。
「英語発音の10のポイント」また読み返しました。
Bはたしか破裂音だと昔学校で教わったことがあるような気がしますが、私の場合、かみ合わせの問題もあり、Vの音も上の歯を下唇にあてて空気をせき止めておいたところに、息を強めに押し出すことで唇の上で歯がこすれるような音を発音するようにしてみました。
>逆に音がとれないものは 意味も入りにくいではないかのかと。
やはり意味ははっきりととれていなかったです。延べでですが、かなりの回転読みをして(音がからまったり、それをほぐしたりしながら)音をつかんでから意味にとりかかっています。どちらが先かという問題もありますが、私には意味よりも前に、良いお手本のもとで、文全体の音を身体に入れることを先にした方が、遠回りのようですが結果的には英語が身に付きやすいように思えました。「やみくもな音読(激しく音読するという意味で)」の前提として、正しい発音と良質なお手本は必須だと思います。
横槍になることを恐れつつ。
落ち着いてゆっくりとはっきり言うようにしたら、意味がとれるようになったといういくこの記事を興味深く読みました。これは、「音と意味」の問題として面白いことを提示しているのだと読んでいます。
ともかくやみくもに、大量に口を動かすということをいくこは続けてきたのだと思いますが、このところ、日本語を介在させずに「意味そのもの」が動くようになりかけているという感触をつかんでいます。英語と意味とが直結されるつつあるという感じがあります。なにはともあれ、英語でしゃべり始めたことがその証だろうと考えてもいます。
やみくもに大量にという過程は大事な過程であり、これが結構長く続きます。この過程では、「音」だけが動き、「意味」が音の動きとダイレクトに結びつかないというようなことがあります。それでも構わないから、正しい音とイントネーションで言い続けていると、「音の型」が安定します。この「安定した音の型」を得るか得ないかというところに日本在住の語学が実を結ぶか結ばないかの分岐点があると思っています。
「安定した音の型」を作る場合は、単音の発音の問題でいくつか問題点が残っていてもいい。型が安定していれば、残された少数の単音の問題は、それに関する知識(コツ)さえわかれば、後からでも直せます。しかし、「安定した音の型」ができていなければ、音の問題に関して、いくつかの単音だけを攻めるどころの話ではなく、何もかもがぐらぐらしてしまいます。
「安定した音の(連続の)型」は、意味の受け皿となります。
それができていなければ、意味の受け皿がないか、意味の受け皿が割れているということであり、実際はそれが全般的な日本の英語の状況を作ってしまっています。これを放置してきたのが、文部科学省です。AETなんぞ呼んで、音の問題から逃げたところで、税金の無駄遣いでしかない。
日本語の音と英語の音の狭間に立ち、調音ができる日本人を粗末に扱ってきた文部科学省の罪は決して浅いものではありません。
私一人のことで考えてみても、曖昧母音や ae 、逆さv、逆さ e 、烏のカー、烏の鳴きかけ、などをきちんと全部生徒に指示できるようになったのは、40歳半ばなのです。それまで、中学高校大学を通じて、これの指示方法の知識は学校で一度も教わったことがありません。仕方がないから、「吊り上げ音」だの、「ちょっと唇だけに力を入れる」だの、独自のコツの伝え方を自分で発明しつづけなければなりませんでした。
こんなものは、学校で扱って当然のことであり、扱ってさえいれば、四十代半ばまで不明のままに残ったなどという回り道を私は通らなくて済んだはずです。学校と文部科学省に対する怨みの果てる時はありそうもありません。
これは、私一人の問題などでは決してなく、日本全国津々浦々の英語の授業のあらかたが駄目であるという、国家規模の問題です。
>それにしても、文章を口が覚えているのにびっくりします。
これこそが、素読を原理に据えた方法の果実だと思います。
そして、「安定した音の(連続の)型」ができていることを語っています。
これができて、単音の調整ができれば、音としてはほぼ使えるレベルになります。
「使えるレベル」という時、「通じる音」という意味の他に、私はそれに、「意味と合体させるだけの価値を備えた音」という意味も加えています。
これまでの学校も英会話学校も、生徒の口の筋肉に「意味と合体させるだけの価値を備えた音」を作ってきませんでした。学校も塾も英会話学校も、少数の例外を除いては、意味と合体させるに足るだけの音の質を作ってこなかった。この場合の、音の質とは、「安定した音の(連続の)型」の実質部分です。単音だけ扱ってもしょうがない。文として、連続として、全体として、「音」を扱わないと駄目なのですが、日本の英語教育はまるでこれに関してはおそまつ限りない。
私は、意味の受け皿としての「音の型」を作る方法に関しては、一応のものは確立したと思っています。「音と意味」の問題に関しては、原理的にものを言えるようになったとも思っています。これのエッセンスだけを駆使しているのが「電話でレッスン」ですが、需要が少ないのにはびっくりしています。私は、今後は「電話でレッスン」の生徒の数を減らす方向で動こうと思っています。やめる生徒がいた場合に、募集はしないでおこうと思っています。生活は、英語でなく、他のもので成り立たせたい。
素読舎のやってきた仕事に関する研究が始まらないようでは、今後も日本の英語はどうしようもないていたらくを続けるのであり、そのていたらくを横目にながめながら俺は死ぬのであろうと思うばかりです。
一人で吠えていてもくたびれるばかりです。
今後は、なるべく植物や花とつきあいたい。
学校のていたらくや、その元締めの文部科学省の馬鹿どもや、そのごきげんとりなんぞやっている大学教員の腐れ根性などに悪態をつくために、私は今後も少数の生徒を持ち続け、実践は続けます。しかし、とことん悪態をつくことさえできればいいので、そのための実践に必要なだけの生徒がいればいいので、生活は他のことで成り立たせる方向で動いていきたいと思っています。
つくづく、この国の英語教育をめぐる状況にはあきあきしています。
素読舎のお盆休みのお知らせをいたします。
素読舎は、8月11日(月)〜8月17日(日)の間、一切の活動を停止いたします。
素読舎通塾の方々、「電話でレッスン」の生徒さんの皆様にはよろしくお願いいたします。
なお、この盆休みは、月4回のレッスンの基本に対して、月5回レッスンした場合の剰余をプール
してあるものの消費ではありませんので、この点もご承知おきください。
先生方の研修会。(柳瀬さんも企画参加?)
ついにEliotさんが講師として参加されますね。
参加者の方の反応が楽しみです。
私も言ってみたいですが 福岡。ちょっと今回は無理、残念。
◆達セミHP: http://homepage1.nifty.com/goto/eigo/
◆e-ステップHP: http://e-step.hoops.jp/
◆8月 2日(土) 福岡県福岡市・ももちパレス <5000円>
http://www.try-net.or.jp/~hano/hl-momochi.html
10:00〜11:00 「英語を使う”楽しさ”を体感させる授業づくり
〜スキット発表からジョン・レノンへのメッセージ送信まで〜」
道面 和枝(広島県廿日市市立七尾中学校)
11:15〜12:30 「発音訓練を重視した指導・・・真の基礎力を養成する」
柴田 武史(弘学館中学高校)
12:30〜14:00 ランチ
14:00〜15:15 「和訳先渡し授業:スタンダードからハイレベルまで」
山田 憲昭(高知県立高知西高校)
15:30〜16:45 「英語教師のための TOEIC 得点アップ講座」
鹿野 晴夫(ICC/早稲田大学エクステンションセンター)
>時々、何の為に英語やってるんだかわからなくなる時がある。 仮に上達したからって、使う場所が年に一度もあるわけやなし。 映画や小説が原語で理解出来たからって、どうよ、と言う思いもあるし。
英語なんていくら勉強しても 奥が深すぎて極められない。(極めるなんて程遠いくせによく言うなあ)はじめは英語に熱を上げていたが恋も冷めてしまった。アメリカ社会のあらもみえてきて
ネイティブとペラペラ話せたところでそれがなんぼのもんかときづく。
翻訳をしている知人に同じように相談したことがあります。
「簡単 飯の種。」
まそりゃそうだ。 ラーメン屋ならうまいラーメンをつくらなあかん。
英語を生業にするのだから まー英語せな しかたない。
できれば1、2週間英語にいっさいふれずにすごす。 洋楽もラジオも雑誌も映画も教科書も、もちろん仕事でも。
禁断症状がでてきたら儲けもの。また英語を始めたくなる。
反対に 「英語なんてもう見るのもいやだ。」と頭が英語を拒否したら。
いやあ これがまた母国語ではないなあとつくづく思います。私の頭はときどき英語を拒否します。英語が面倒。
で、英語を休んだあと 気乗りしなくてもカラオケに行く。
洋楽をカラオケで歌いまくる。 あれは歌詞が次々とでてくるからいいですね。
自然とスペルと口の形に意識が行く。くやしいうまく歌えなかった,もう一回。
27点?なんてこっちゃ!そんなわけあらへん、もう一回。
と繰り返すうち 歌詞がダイレクトに伝わってきてじーんとしたり感動したり。
調子がのってきたら知っている曲を片っ端から 歌いまくる。
たいがいこれで スランプ脱出。ついでに大声でストレス解消。
口に英語が戻ってくる。頭に英語が戻ってくる。
家に帰ったら 中学の教科書かお気に入りの優しい本を音読。
ウオームアップ完了。
掲示板大風呂敷過去ログ。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
柴田さんの 「音作りへの道」をごらんになってこちらにいらっしゃった方、
上記の過去ログへも面白いですよ。英語、英語教育に関しての議論です。
掘り返して 語りましょう。
今日、語学というのは、音と意味の二人三脚ではないかと考えた。
二人三脚なので、足並みが揃わないとうまく前へ進まない。
音と意味は紐で縛ってある。
この紐がほどけてしまって、音と意味がばらばらに動いてしまうこともある。
語学においては、音と意味は、本来は別々のものなのだが、それを紐で縛って結合させるのである。人為的である。
これに対して、ネイティヴ言語の使用は、一人の人の両足の一方が音を担い、もう一方が意味を担うので、前に進むには、無意識にリズムを刻んで一連の動きとしてうまく動く。
一人の人の右足と左足が交互に動くのが、無意識が統御するものであるのと同様に、ネイティヴ言語の言語使用は、無意識が統御している。意味と音は気を合わせるなどというような意識的な操作を必要とせず、交互に(電気の交流のように)うまく動いている。
非常に上達した語学においてでも、その使用は、「無意識『的』」なのだ。上達の途上にある語学から生活言語に渡った場合では、言語使用は、むしろ「意識的」である。
うまくしゃべれても、それは、気が合って、非常にスムーズに前に進んでいる二人三脚の足の運びと同じものなのだ。
意味と音が、気を合わせなければ、語学から生活言語に渡るという一事さえ成立しない。
柴田さんの授業は、必ず世に出るべきものだと思っていました。
柳瀬さんが、確かメールで柴田さんに連絡をとってもらえないかと私に依頼されたことがあり、
私は柴田さんの勤務校に電話をして、柳瀬さんがメールをいただきたいと言っている旨を伝えた
ことがありました。
その後、私は柳瀬さんの掲示板運営の方針についてとことんこきおろした経緯があり、その頃か
ら柴田さんは、「大風呂敷」に書かれなくなりました。
今でも、柳瀬さんの他人に対して勝手に自分の基準を押しつけたり、行儀を押しつけたりするや
り方は、思い出せば腹が煮えます。口ではラディカルそうなことを言ってみたりするが、おぼち
ゃんの枠から出ようとすることはない。
たとえ柳瀬さんの口ききであったところで、柴田さんの授業が世に出ることはいいことです。こ
れは掛け値なくいいことだと思います。
過去ログを読まれて、面白いなと思われた記事があった場合は、どかどかとここに引用をお願い
いたします。
私も読み返す時間がとれたらやってみようと思っていますが、ひとまずは人様にお願いしてしま
います。
過去ログの記事に索引をつけて、整理し、問題ごとにアクセスしやすくする作業を依頼してあり
ますが、ひとまずは、今現在人様の目にさらす価値があると思われるものを、過去ログからここ
に引用するような作業をやってもらえないでしょうか。
引用後、それをコンピュータ上のテキストファイルに蓄積すれば、作業がやりやすくなるように
思いますし、うぞうむぞうのごった混ぜである過去ログの記事に全部目を通すような重い作業を
やらなくても人々が、この掲示板が蓄積してきた語学論を読めるメリットも生じます。
音と意味の結合に関して、自然結合と人為結合ということが言えるだろうと思う。
ネイティヴ言語の獲得過程にあるものが自然結合であり、これは人間という生き物の意識の力が「自然に」音と意味を結合させるということである。この場合、そこにある磁力は「自然な磁場」から発生している。「自然な磁場」の磁力と、人間の意識の力(というよりは意識が形成されるための基盤がもつ力そのもの)との融合体として、自然言語は個の体に立ち上がってくる。
意識が形成される過程にある「自然な力」とそれを取り囲んで絶えず磁力として作用する「自然な磁場」とがともにあり、いずれも自然なものである。これがネイティヴ言語の獲得過程にあるものだ。
語学がこれとはほど遠いものであることは自明なことだと思われるにもかかわらず、人々は語学の獲得過程を自然言語の獲得過程に擬するような迷妄に簡単におちいってしまうらしく、自然言語の獲得過程を語学の見習うべきモデルとしているような妄説は絶えることがない。
子供はしゃべり始める前に、回りの大人達の話をじっと聞いている期間があるのだとする説をどこかで読んだことがある。果たしてそうなのか。子供はじっと聞いて、なにかを蓄積してからしゃべり始めるのか。子供が大人の話をじっと聞いているということがないと言おうとしているのではない。子供が大人の話をじっと黙って聞いていることで、自分の言語能力を一挙に拡大してしまう期間はあるのだろう。それでもなお、それは子供が話し始めることの因ではないだろう。
子供が話し始めることの因はそれ以前に遡れるはずである。
それ以前にあるもので、しかも決定的なものがあるはずである。
自分にじかに向けられる感情を備えた声。
この場合の、「自分にじかに向けられる」という性質と「感情を備えた」という性質が、決定的な因となるだろう。感情は、「自分にじかに向けられる感情」となる。
意識と磁場は個に自然言語が立ち上がるための条件となるが、そこに因が要る。
いや、この「自分にじかに向けられる」とか、「感情を備えた」という因の性質こそが、逆に磁場の性質を決定づけているのだと言ったほうがいいかもしれない。自然な磁場とは、この因に満ちている磁場なのである。幼児は、最初から「自分にじかに向けられる」声というのっぴきならない決定的な言葉を生きている。
これが語学とはとことん違うところである。
語学は文字や録音音声として固定されたものを相手に、それを意識において「自分にとっての言葉」としてとらえ直し、抱き取ろうとする作業である。客体にすぎないものを、「自分にとっての言葉」として抱き取ろうとするのだから、これは自分とその客体としての言葉との関係を組み替えるような作業でもあるのだ。
自然言語の獲得過程で、子供はそんなことは決してしていない。子供がしていることは、自分に「じかに」向けられる言葉に「じかに」応じて、笑い怒ることであって、客体としての固定物を「自分にとっての言葉」として抱き取り、言葉との関係を組み替えるなどというようなことをしているのではない。
だから、自然言語の獲得過程を語学のモデルとすることは迷妄でしかない。それをモデルにしてみたところで、意識的な作業のモデルを無意識の働きの中に求めることにしかならないのだから、せんないことである。
Naima さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月30日(水)01時51分22秒
獲らぬ狸の皮算用に類することになることも考えられますが、私のレッスン枠が埋まった場合に、生徒を引き受けていただけるかどうか、ご検討下さい。
私は現在の生徒数程度でやっていきたいので、今後は今の生徒さんの中からコーチを作ることを是非やってみたいのです。
「電話でレッスン」が広がりをもてればいいと考えています。
もし引き受けていただける場合は、以下の条件でお願いしたいと思います。
生徒さんもコーチも、レッスンが終わった後、「鬼」に毎回報告していただき、疑問点があれば書いていただく。私が書くのは主にコーチ法に関してであり、生徒さんからの文法、語法に関する質問には、なるべく「鬼」のつわもの達が答えてあげていただきたい。
レッスンの料金は私と同額でやっていただきたい。
初めの3年間程度は、一人からいただけるのは月額で1万円です。
その後、1万2千円になります。
私は現在、新しく始められる生徒さんからは1万2千円をいただいております。
また、英語の教員免許をお持ちで現在現職で先生をやっておられる方からは、月額1万5千円をいただき、その分、仕込みを厚くしています。
是非、ご検討ください。
先日も書いた通り、労力の割にあまりお金にはなりませんが。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
一部送りました。 今週中に全部送り終わる事ができると思います。 「1000」の訳文をタイプしていて思ったのですが、英文よりも訳の和文の方がひどいです。 直訳だからと言う事だけではなく、語順も句読点の打ち方もいい加減です。 生徒に使わせる機会があれば訳文も練り直したいと思うくらいです。
コーチの件、今はまだ未熟ですが、その方向で練習を続けています。 よろしくお願いします。
先程、残りを送りました。 Rosey と最終的に校正をやらないといけませんが、とりあえず完了です。
巻末の復習テストの文は分類の対象からはずしてるんですが、必要であればお知らせ下さい。 これも英米講師のチェックを受けて分類して送ります。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
急な事で申し訳ありませんが、本日のレッスンはお休みさせて下さい。 姪夫婦と食事に出かける事になってしまいました。 来週よろしくお願いします。
今日は始まる時間が遅かったので、根石さんが初めから参加。
先々週、Kさんが参加していた劇団についての話が出て、Kさん
は、英語で話そうと準備してきたようだが、「写真を見せよう
!」という考えに。
(Kさんは「天井桟敷」のメンバーだった人の主宰する劇団に
いたことがある)
どんな役をやっていたかという問いに、"Snake girl!"というの
で、それはどんな役なのか説明してくれ、というと、難しい、
とのこと。写真を見てくれ、というので、根石さんがいや、写真
は見たくない、演技してくれ、と言う。"Be a snake girl!"
残念ながらKさんは蛇女にはなってくれなかった…。
後半、根石さんから発音についてのレクチャーあり。
母音 a i u e o の後ろにそれぞれ r がついている場合、
(ar / ir / ur / er / or )
ar だけが発音が違うということ。
ar はカラスのカー
その他はこもった音→唇をあまりひらかないのがポイント。
Kさんから根石さんと村田に誕生日プレゼント。(先週が誕生会
だったので、他のみなさんからはもらっていた)色違いの「なま
けたろう」というなまけものをあしらったマスコット。なんか
なごみます。なまけるなよ、ということか?
ところで、更埴近在の読者のみなさん。ごつごつ英語ごっこに参加
しませんか?初心者がアウトプットする機会としては最適です。
english native speaker と一緒にいればしゃべれるということは
ないわけで、話す練習も必要です。英語がどんなに「へたくそ」でも
インプットする気持ちを持っている人ならば、大歓迎されます。
参加希望の方は村田までメールしてください。
mailto:murataya@avis.ne.jp
根石さん
夏期講習スケジュールに入って体調崩してしまってたので、素早いレスポンス
ができませんですみません。
>今現在人様の目にさらす価値があると思われるものを
とのことなのですが、私がおもしろい!と思った発言をコピーしていきます。
倉庫の方では300番台までいってますので、その続きからいきたいと思います。
(ちょうどここらへんが「100%発言」をめぐる発言があいついでいまして、
どうまとめたらよいか困ってしまっていたのでした)
今晩からコピペ開始していきます。
語数別分類、ありがとうございました。
ひとまず、やっていただいた分だけでいいと思います。
いずれ、私のホームページか、村田君の管理するページへ掲載し、どなたにも使えるようにした
後で、利用者の反応があったら、復習テストの分をどうするか考えることにしましょう。
コーチになっていただく方向で考えていただいているとのこと、安心しました。
その時が来ましたらよろしくお願いいたします。
過去ログからの転写、よろしくお願いいたします。
英語だけで考える力
我々日本人が英語を操って、英米人と対等にわたり合えるかが問題である。
「あるべき姿」と「今ある姿」を比較すれば、現実批判は可能になる。「あるべき姿」は、未来構文の内容である。未来形は、英語にあって日本語にはない。日本人が現実批判能力を獲得するには、英語だけで考える力が必要である。
現実批判があれば、その改善は要求できる。批判がなければ、現実に関する発言は趣味の問題である。歌詠みのようなものか。
「上と見るか、下と見るか」の上下判断 (序列判断) を絶えず要請される日本人社会においては、向上心の芽生えは避けられない。
だから、日本人は指導者になりたい。お上のような境地に到達したい。
だが、今の状態では指導性は発揮できない。ただ、高い地位だけを望んでいる。これが、日本人の悩み・矛盾である。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
mailto:terasima@gold.ocn.ne.jp
<<電話でレッスン・進展>>(コーチ・根石吉久)
○<クラス十・十・十超(ヒマラヤ)> なし。
生徒を紹介して下さった場合、お礼としてレッスン時間を毎回5分延長する。その上で、<十・十・十>以上の設定を可能とする。(テキスト2冊目以降で必要な量)
●<十・十・十(岩登り・冬山)>
長野・KS(中一) ニューホライズン1 p.78
長野・KB(中一) 基礎問抽出1〜100、1の中
東京・KT(イラストレーター) ゴースト p.21
奈良・OO(会社員) ゴースト p.51
長野・KR(会社員) 逃亡者 p.62(ゴースト終了)
名古屋・KJ(塾経営・講師) ニューホライズン3 p.46
東京・JG(外資・会社員) ゴースト p.66
福岡・MR(短大教員) ゴースト p.102
佐賀・KT(主婦) ゴースト p.46
長野・KTH(中一) 基礎問抽出 101〜200、4上
長野・MR (高校英語科教員) ゴースト p.38
長野・KTN(中3) ニューホライズン3 p.56
長野・YS(高2) ゴースト p.55
奈良・OK(大学生) ゴースト p.31
↑山形・IN (公務員) ゴースト p.34
北海道・OK(塾講師) ゴースト p.98
埼玉・SI(外資・会社員) ゴースト p.46
長野・SK(小学校教員) ミッションインポシブル p.142
●<十・十・五(岩登り)>
↓京都・TK(高校英語科教員) ゴースト p.56(700選終了)
↑長野・MR (会社員・技術) ゴースト p.39
↑奈良・OO(塾講師・英語) ミッドナイトランp.12(スピード終了)
●<十・十(アルプス冬山)>
↑奈良・OG (塾講師・英検一級) ゴースト P.25 <コーチ候補>
長野・HJ(主婦) ゴースト p.23
↑東京・KK (会社員・貿易) ゴースト p.16
●<十・五(アルプス夏山)>なし
●<十(里山)> なし
●<五(ハイキング)> なし
「電話でレッスン」の進展の発表の形式を変更しました。これまでは、練習レベルが上がるほど下にお名前が移るようになっておりましたが、今回から、練習レベルが上がるほど、上に移るようになっています。同一クラスの中ではレッスンの曜日順にお名前を並べていますので、練習レベルに関しては順不同です。
今回から使っている「↑」「↓」の記号は、前回の発表以後、練習レベルを表すクラスが上に上がったか、下に下がったかを表すものです。ただし、今回は記憶に基づいて使用しておりますので、遺漏があるかもしれません。気付かれた方はご報告下さい。訂正いたします。
今後は、パソコンのファイルで生徒さんのクラス移動があった場合に、「↑」「↓」をつけて記録しますので、遺漏はなくなるものと思います。
「電話でレッスン」の進展を発表するたびに、前回の発表以後でめざ
ましい練習に対して賞を作り、顕彰したいと思います。まずは思いつく
だけのものを、賞の名前に冠して、第一回の発表にします。賞金・賞品
はありませんが、ご容赦下さい。なお、選考委員はコーチ一人だけです。
☆ <安定賞> 東京・JG(外資・会社員) ゴースト p.66
※ 音の連続(型)が非常に安定しています。一回のテストの量
として、平均で4、5行程度を使用しますが、ほとんど5回
の回転でパスされています。
☆ <躍進賞> 山形・IN 公務員) ゴースト p.34
長野・MR (会社員・技術) ゴースト p.39
※ 規定のクラスの練習を軽くクリアされる場合、○の3回連続
で進級の原則を破り、○一つあるいは二つで進級させる場合
があります。このお二人は、短期間にクラス移動を繰り返さ
れ、上級のクラスに早めに移られました。
☆<Naima 賞>
奈良・OG (塾講師・英検一級) ゴースト P.25 <コーチ候補>
東京・KK (会社員・貿易) ゴースト p.16
※ レッスンを受けられての報告を、掲示板「鬼」または「大風呂
敷」に書いてくださり、語学論を前に進めることに貢献されま
した。掲示板「鬼」を主宰して下さる Naima さんのお名前を冠
して賞とします。
305. イメージの生態 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月13日(金)15時53分07秒
ST 様
オーストラリアという英語の磁場のただ中で繰り返し繰り返し読まれている小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」というやつは、幸せ者だと思います。
「イメージ」の位置づけは非常に大事なことです。
音の問題ばかり議論されると、音が解決すれば英語がものになるかのように考えてしまう人が出てきます。パクパクさんはその気味があります。
音の「矯正」や「音づくり」のためのいい機関は、探せば登場していると思います。パクパクさんが入れ込んでいる鵜田式は、もっこりさんも使ったとおっしゃっていたと思います。Eliot
さんのフォニックス(でしたっけ)も、Eliot さんの生徒さんたちの発音を聴かせてもらって、お薦めできると思いましたが、「音のぶつかりあい」をフォローしていないことは欠点です。
津田さんが通われた大阪の学校のことは、学校名とそこでどんなことが行われるのかの記事をここへ書いていただけると皆さんのために共通の知識になりますので、津田さんに記事をお願いしておきます。
宣伝ばかりが上手な英会話学校なんかへ行くのではなく、「音づくり」「音の矯正」をやる機関をうまく探し、自覚的に使うのはいいことでしょう。
私の「電話でレッスン」にもこの機能はありますが、「電話でレッスン」が他のものと違うのは、最後には「音とイメージの同致」というものをねらっていることかと思います。そのための原則が、「復習範囲を手放さない」です。
問題は「イメージ」です。
語学における「イメージ」の問題はこれまでほとんど手つかずの状態だったのではないでしょうか。
人と人が話している場面を外から眺めても、そこにイメージというものは何も見えません。音(声)が聞こえ、人の表情が見え、場の雰囲気のようなものを感じることはできます。「磁場」においては、「イメージ」は潜在的だということです。
「磁場」において、人が相手にしているものは、人であり、要件であり、議論そのものです。(Duffy
さんの言う「コンテンツ」です。)イメージそのものは、人の意識に潜在し動いているだけです。
しかし、ひとたび「机上」(語学の場)に入った場合は、「意識」こそが真の意味での「場」となります。ここではイメージは潜在的なものではなく、非常に顕在的なものになります。いや、顕在的なものにすべきです。
目に見える、手で触れるという意味ではありませんが、目に見えるほどに感じられる、手で触れるほどに感じられるというイメージの顕在性を獲得しようとすべきです。これが顕在的であればあるほど、また「回転」というモメントが激しければ激しいほど、イメージは、無意識にとけ込み、長く潜在するようになります。
私の言っているのは割と単純なことで、語学というものの真の場は「意識」なのだということです。本当は、耳でもなければ口でもない。本物の磁場そのものでもない。それらのあらゆる現象(情報)は、「意識」という場に集約され、さらに無意識化され潜在するようにならなければ、使える英語にはならないということです。難しそうに聞こえるかもしれませんが、語学というものを虚心に見ればそういうものだと思うのです。
「意識」が、「無意識化され潜在するようになった層」とコレスポンドするということが起こらない限り、「英語がしゃべれたらステキ!」なんぞは絶対に実現しないのですが、「ステキ!」なんぞを口走る人たちの無意識化した外国語の層はほとんどの場合、層とも言えないほどに薄いのです。ほとんどの人がおもちゃみたいな練習しかしないから、層が薄くて使い物にならないのです。英会話学校の練習などは、90パーセント以上がおもちゃみたいな練習です。
日本語と英語を媒介するもの、そして、さらに大事なことは顕在的な意識と潜在的な無意識の間を媒介するもの、それをさして私は「イメージ」と言ってきたと考えています。
「イメージ」は英語に化けたり、日本語に化けたりする。あるいは、英語や日本語という具体的な言語は、「イメージ」を強めたり、変容させたりする。このように、「イメージ」の在り様を述べたところで、さて、それをどう引き起こすのかはまた別のことです。それをどう引き起こすのかは、語学の
how to とならなければなりません。
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321. 語学的標準形 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月15日(日)00時09分01秒
匿名希望み〜ちゃん 様
コメントが遅れております。すみません。
>まえから不思議だなあと思っていたことを書きます。
数学ができなくても、社会科ができなくても、国語やほ
かの地味な科目ができなくても、そんなに恥ずかしくな
いのですが、英語ができないと、自分がとってもどんく
さいような劣等感を持ちます。
日本では、英語という言語はニュートラルな外国語ではなくて、日米安保条約という政治的な体制の元にある言語だということが関係あると思います。
単に英語が世界語としての地位を確立しつつあるということではないと思っています。
>英語には、ニュートラルな英語っていうのがあるんじゃないでしょうか
これは発音についての発言でした。
これは想定できます。
具体例としては、Eliot さんから、ご自分の声で吹き込んだテープを送っていただいて、聞いてみたときに、「ニュートラルな英語」というのに相当するような感じを持ちました。
私は「語学的な標準形」というものがありうると思っています。
個々の生活場面では、個々の発語のイントネーションを本当に決定しているのは、感情ですが、机の上で語学をやる場合に採用すべきものは、「語学的な標準形」でいいのだと思っています。
例えば、私は「電話でレッスン」で映画のシナリオを扱っていますが、一度も映画を見てないものもレッスンします。シナリオで筋を追っていって、内容が把握できていれば、イントネーションは「語学的な標準形」を作ることが可能です。
発音やイントネーションなど、総じて「音」に関して「語学的な標準形」を作るためには内容が把握できていなければならないので、これはあくまでも一定の基礎力の上に成り立つものです。しかし、一定の基礎力さえあれば、「語学的な標準形」はできるということです。
初心者が英語をやる場合のひとまずの目標とは、この「語学的な標準形」を自分で作れるというレベルだと思っています。
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323. 繰り返し・蒸し返し 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月15日(日)01時59分45秒
>(今やっている基本英文700選というテキストは2回目か3
回目くらいなのですが、)次の3回目か4回目からは文全体のイ
メージをつかめてから5回連続で読むようにしようと自分で思い
ました。練習すれば練習するほどより強固なものにしようと考え
てしまいますがこれでいいんですよね。
その通りです。
「700選」であれ、「ゴースト」であれ、テスト範囲はそのまま復習範囲となります。私の方法は「復習範囲を手放さない」ので、何度も何度も復習することになります。こうして、「こなれ」を作っています。
しゃべる場面で口に上ってくる文(あるいはその原型)というものは、「こなれ」たものだけです。つまり、もういやんなっちゃった、もうつくづくわかった、飽き飽きした、当たり前のものとしか感じられないというような質を獲得したもの、これが口に上る文(あるいはその原型)です。
この質を獲得するために、「繰り返し」か、その激化されたものとしての「回転」が必要になります。日本には英語が作る磁場がないということが、この「繰り返し」や「回転」を要請しています。
「回転」はそのまま「繰り返し」ですが、「復習範囲を手放さない」は、むしろ、「蒸し返し」と言った方がいいかもしれません。(私が、古い記事にこうしてコメントをしているのも、「蒸し返し」ですが...)
いずれにせよ、「飽き飽きした」「つくづくわかった」「もういいやっていう感じ」というような性質を獲得することは、英語を使うためには積極的なプラスの性質です。
「飽き飽きした」というようになってもまだやるっていうのがコツです。
復習範囲が何度も蒸し返されるたびに、こと新たにしっかり練習して下さい。「音」にせよ、語法への習熟にせよ、意味と音との即時性にせよ、より高いレベルを獲得するように、新しく練習して下さい。本当の「こなれ」を作っていただくためです。
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328. うまい! 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月15日(日)03時03分50秒
Eightball 様
>私も、楽器の練習に似てると思っていました。私は、高校の
時にバンドを組んでいたんですけど、ドラムスがブラバンと兼
任の子だったのです。最初の音合わせの時に、やたらゆっくり
叩くので、こいつ、下手やな、と思っていたんですが、練習を
重ねるごとに、まるでレコードに録音されているような演奏を
するので、参りました。ヘタレは、私の方だったという(^^)
彼らの方法は、最初は、ゆっくり、正確に、そして最後は正確
に速く演奏する、というものでした。
うまいことを言ってくれたものだと思いました。
「最初は、ゆっくり、正確に、そして最後は正確に速く」
これぞ、「回転読み」のコツのコツです。
ただし、「音」に関してだけですが。
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333. 音読・黙読 投稿者:根石吉久 投稿日: 7月16日(月)04時03分47秒
>私は主にペーパーバックの多読により、語彙と構文のインプッ
トを図ったわけですが、現在でも毎週月曜日に私が近所で主宰す
る「英会話学習相談室」の開催日が迫ってくるとそのミーティン
グで使用する読書の為に使用するペーパーバックを求めて読みあ
さりますが、副次的効用として擬似磁場の造成を行っている感覚
をもっています。
一度、議論を交わしたことのある問題ですが、ここで蒸し返しておきたいと思います。
英語の多読(読書)は、中級以上の方には是非おすすめしたいのですが、初心者向けではないと思います。
浜谷さんの「多読」は、「黙読」でしょうか。
読書は黙読になることが多いのですが、初心者のレベルの人が黙読をやると、それぞれの単語の読み(音)がわかっていないので、「音」をスポイルしたまま、単語を文字の組み合わせ(視覚的情報)として見るか、適当に見当をつけた「音」(通じないものとして固定するおそれあり)を「内部音」として使用してしまうのではないかと思います。
初心者はまた、イントネーションやリズムが身についていない人が多いので、黙読の読みのリズムが「盆踊り状態」であることも多々あると思います。ですから、黙読での読書は、語彙、構文等について、すでに相当のインプット量があり、イントネーション(リズム)に関しては「語学的な標準形」が自分で作れる人に適するものだと思います。
浜谷さんはご自分の主宰される教室の生徒さん向けに、テープに吹き込んだものを手渡してあげているとお聞きしていますが、これはどうしても必要だと思います。そちらの開催時間の長さや人数、会場の都合、収入の有無などで、すぐに実現可能なものかどうかはわからないのですが、本当は、「英語の音読教室」そのものをやられるのが初心者には一番ありがたいことなのではないかと思っています。
黙読をやるには、その前段階が必ず必要だと考えていますので、私は初心者にはすぐには読書(黙読)は奨めません。初心者に奨めるのは、あくまでも「音読」です。私の「音読」は複合的で、これは同時に「音づくり」でもあります。「音づくり」をひとつずつ完成させていくことがそのまま「インプット」にもなります。この複合性を次の言い方で言ってきました。
「音読(音づくり)によるインプット」
初心者にとって大事な養分はこれでかなり間に合うと思っています。あるいは、これを外してしまうと、知識が知識にとどまり、センスや感覚が伴わない英語ができてしまい、結局、「使えない英語」になってしまうと思っています。
「音読=音づくり」ですが、この「音づくり」の場面で、私の仕事が生じます。塾にせよ、「電話でレッスン」にせよ、生徒に同じ文を繰り返し「音読」してもらって、その場で直すべきところを直し、再び同じ文を繰り返し「音読」してもらいます。
初心者の練習では、経済的に余裕があるなら、絶対に先生につくのがいいと思っています。語学的なセンスが優れていて、自分で語学教材を使って、通じる音の「音づくり」を成立させることのできる人には必要ありませんが、この場面で自己流に口を動かしてしまうために、通じない英語になってしまう例は非常に多いはずです。
「音読(自己流)によるインプット」
これが日本の英語学習者の大多数だと思いますが、こういう人の場合でも、「電話でレッスン」を一年ほど受けられるとはっきりと音が変わります。多くの人が、「こんなことは学校では教えてくれなかった」と言います。
「音読(音づくり)によるインプット」をそのまま映画のシナリオに対して行い、ヒアリングに直結させていくのが、ある程度基礎力のある人に対する「電話でレッスン」になります。
日本の英語の先生が、Eliot さんのような方ばかりであるなら、私は「音とイメージの同致」の方に専念してみたいものだとも思いますが、現状はそうではなく、絶対に必要であるにも関わらず学校がやらないこと、「音読(音づくり)によるインプット」が仕事の多くを占めています。
個人的には私も浜谷さんにならって、ペーパーバックスを読もうとしているのですが、なかなか時間がとれず思うように進みません。
英語での読書では、私の場合は、新しい語彙や構文のインプットをやっているという自覚があまり生じません。むしろ、英語の構文や語彙に触れ続けることによって、慣れやこなれを作っているという感じの方が強いです。補強、蒸し返し、保存の働きを余計に感じています。語彙に関しては、見当がつくものは見当をつけて読んでいて、ほぼ間違いないなというようなところまで持っていっても、なおも辞書を使いません。辞書を使うと読みのリズムが壊れるので、ペーパーバックスを読むときは辞書は使わないことにしています。
mailto:murataya@avis.ne.jp
非常に恐縮というかプレッシャーでもありますが、ありがとうございます。
これからもはげみます。
期待しています。
あまり自覚はないようですが、「音」に関しては、1ヶ月ほどの間に劇的に変わられた方です。
「音」を「声」にするまでは、なかなか遠い道のりですが、期待しています。
私は、Naima さんという人をコーチに仕立てるつもりでいますので、「電話でレッスン」をど
うか応援してくださるようお願いいたします。
私はもうこれ以上には生徒を増やすつもりはありませんので、今後は「電話でレッスン」の普
及を考えたいと思っています。まるで急ぎませんので、山形県内の開拓をお願いします。
「過去ログ」についての反応がありませんが、俺は面白く読みました。
ゆっくりでいいですから、継続してやってくれるよう頼みます。
>「音読=音づくり」ですが、この「音づくり」の場面で、私の仕事が生じます。塾にせよ、「電話でレッスン」にせよ、生徒に同じ文を繰り返し「音読」してもらって、その場で直すべきところを直し、再び同じ文を繰り返し「音読」してもらいます。
>初心者の練習では、経済的に余裕があるなら、絶対に先生につくのがいいと思っています。語学的なセンスが優れていて、自分で語学教材を使って、通じる音の「音づくり」を成立させることのできる人には必要ありませんが、この場面で自己流に口を動かしてしまうために、通じない英語になってしまう例は非常に多いはずです。
戸倉の花火を見てきて、今夜も酒に酔っていますので、「音読によるインプット」じゃ淋しい気がしました。
「コーチによる音づくり・音読指導によるインプット」としようかと思います。
日本語の磁場じゃ、意識的なインプットなしで英語がしゃべれるようになるわけも聴きとれるようになるわけもないので、現在ではこれが最良の方法かと思っています。
「コーチによる音づくり・音読指導によるインプット」を2年か3年経験してから、國弘正雄の「師管朗読」に入れば、日本に住んでいるだけでもある程度の英語は使えるようになる。國弘は「師管朗読」を根底としたいらしいが、そうではないと思う。学校の教室で柴田さんのような先生にめぐりあえるならともかく、日本全国津々浦々のチャチな学校授業しか受けられない人たちは、今後は
Naima さんの「電話でレッスン」を真剣に検討してほしい。
今、気が付いたが、人様の発言と俺の発言が連続してしまうと非常に読みにくいと思うので、
人様の発言と俺の発言の間に空白行を一行入れて欲しい。
旧大風呂敷の記事も保存してもらいたくなった。
バカホン大家の記事や警察・検察関係の記事も保存しておいた方が世の中のためになると思った
から、お願いする。