根石さんのようなサイトと、棲み分けをしたいのですが・・・ってなんだかわかんないよね。実はネットストーカーみたいなのがでて「議論」をしたいらしいのだけど、わたしのHPはそういうんじゃないのです。で、わたしのことを、いきなり「冷酷」で「ポルポト」で「反米主義者」だという。怨恨のセンなのですが。そういうおぢさんにわかって貰うにはどうしたらいいでしょう?教えてください。
mailto:peco@dd.iij4u.or.jp
>二度と来るな。二度と「大風呂敷」にアクセスするな、おめえなんぞにゃ、
10年早いんだわ、と言ったところで、おめえはどうせ気になってアクセス
するんだわ。
私は 出来れば 大学での音読について 山縣さんとお話してみたいのです。私もまだ 音読への動機の部分しかかいてはいないのですが。
それでも 山縣さんや皆さんの意見が伺えればと思っています、
「意見がきければ」などとかくと
Jackieは また タダでいろいろとアドバイスを欲しがっていると 山縣さんは 思うのかなあ?
中庭のようにお互いが地位のある教師だと 意見の交換で
山縣さんにとって 私は
「タダで学生と同じ特権を享受しようとしている不埒もの」らしいですからね。
>あと、はじめに申し上げたように、根石さんの音読尊重主義は一理あるのかもしれません。(アルクという会社が同じようなことを安くやっているのを私は知っているので)
音読は とてもポピュラーですし 山縣さんも大学で実践してらっしゃる。
だから 「一理ある」というより 英語は音読抜きにはじまらないといってもいいでしょう。
で アルクの通信教育の音読講座が 根石さんと同じようなことながら安いと 根石さんのレッスンが高いと思われているようですが なにせプライベートコーチですから 30分2500円は高くはありません。 仕込みもしっかりなさっっていますし
そこらへんの外人あんちゃんが レッスンプランもそこそこに
しゃべくるだけで 一時間4千円5千円とるのとくらべたら格安です。
ちなみに 山縣さんのプライベート英語レッスンを 受けるとしたら
おいくらですか?生徒は私として。根石さんの30分2500円を
高いとお感じになるのだから 30分2000円ぐらい?
お金を払えば 「タダで感受」じゃないでしょうから 教えてくださるのなら 受講しようかなあ?
>人のいいNaimaさんやJackieさんがかわいそうに私としては思いました。
一体全体、何で私やJackieさんが哀れまれなければならないんでしょうか?
>根石さんの英語教育の本はアマゾンコムによると絶版です。
なんと嬉しい!根石さん
山縣さんは 根石さんの本が気になって検索したのです。
根石さんの本は 巷の英会話本のように
「これを読めばすぐにペラペラ」「世界一簡単に」などとは書いてないので
すぐに簡単に英語を身につけたい読者にはうけないのでしょう。
語学論がメインです。学校英語関係者は目が痛くてよめないかも。
しかし ぜひ読んで 根石批評をこちらで 展開してほしいですね。
>卑怯なので人道的に認めたくないし
ぜんぜん話しが違いますが スカッド トマホークは人道的で
生物兵器は人道的でないのでしょうか?同じ兵器です。どっちが卑怯という問題でもない、どちらもです。
やもおえないときには 核兵器使用も辞さないと いって イラクのフリーダムのために 道徳的観念をもって爆弾攻撃をしているなどと
矛盾している。
戦争はいやですね。
>大学ではどのように音読させますか? 中高のclass readingの代わりになる、大学生のmotivationがあがる方法は?
役立つと分かっていても中高と同じテクニックは大学ではおそらく幼く見えすぎて使えない。
>音読はもちろんさせるのですが、ほかの音読していない生徒も飽きない方法はと模索中
大学生といっても いろいろな大学もあるので 英語のレベルもまちまちだろう。
一応 センター試験を受けるレベルの生徒の英語力について考える。
Toeicテスト統計によると 大学卒新入社員の英語の平均は463点とか。
5年前が430点レベルだったので 上がってきているとはいえるだろう。
このレベルで意思の疎通をはかるのは 難しい。
社会人になると なにかと忙しいこともあり 大学の間に 少しはまともな英語力をつけることが 要求されているのではないだろうか?
大学とは 教養を身につけるところではあり 英語力をつけるのなら
専門学校にでも英会話学校にでもいけばよい という教員がいるとかいないとか。
しかしやはり ある程度の力を育てることも 大学の大事な役割ではないだろうか?
大学受験をクリアしているのなら ある一定の力はついているともいえる。
学校での英語の授業のほかに受験のために参考書を読み問題集をこなし 予備校や塾でも学習してきたからだ。 中学高校の英語の授業時間数が850時間だが 家での予習復習テスト勉強 塾他の時間を考えれば
文系理系とも 受験科目にはいっている英語には どれほどの時間がついやされているのだろう。
しかし 根石さんがいうように 受験後に多くの生徒の英語がしんでしまう。なんともったいない。今まで英語に費やした時間が無駄になるのだ。
大学入学後目的で 英語学習を手放してしまう学生。これが一番の問題だ。
そして大学での英語の授業にも問題がないとはいえない。
大学合格者にかけているもの。
それは 音読だ。 英語を音として扱ってこなかったことだ。
中学高校で 音の基本をならっていない。そして 音読の授業がなされていない。
あってもたかだか 授業でイチ2回読むのがせいぜい。
いや音読は授業でやるより各自自宅でやるものだったか?
ではその前に 子音 母音の音の出し方 音のつながり 機能語内容語の強弱やイントネーションを 学校で先に教えるべきだ。
教えているだろうか 否。
>仕込みもしっかりなさっっていますし
と、Jackieさんがおっしゃっている通り、私は根石夫妻の仕込みぶりをこの目で見て来て、この値段で受講したいと思ったのです。 この目でレッスン風景や仕込みぶりを確かめてから受講したいし人にも勧めたいと思いましたので、たまたまお盆休みに里帰りした時に長野の素読舎までお邪魔しました。
英語のスコアだけで言えば山縣さんとさして変りはありません。 大学中退の無知蒙昧のバカ女と哀れんでおられるのかもしれませんが、英語学校や塾の内情については、生徒としても講師としても熟知しています。 それでも素読舎のレッスンを受講するだけの値打があるかもしれない、と踏んだから私自身も4月より電話レッスンを申込んでいるのです。 人に勧める以上、自分でも体験しておきたいとも思いましたし。 「あるかもしれない」と控え目に言ったのは、自分がまだレッスンを終了していないからにすぎません。
素読舎の生徒さん達を見て、驚いたのは、どの生徒さんも「よろしくお願いします」と頭を下げて教室に入って来る事です。 レッスンが終われば「ありがとうございました」と言ってまた頭を下げて帰ります。 「そう言う事になってるの?」と聞くと、どうもどの子達も自然にそうしている様子です。 生徒は先生をよく見ているものです。
今、あれやこれやで体力も気力も消耗していますが、これだけはぜひ言っておきたいと思いましたので。 (何度も同じ事ばっかり言ってるんですが...) 根石さんにそそのかされる程、ボケではありませんし、罵倒されてビビるほど腰抜けではありません。これ、根石さんに失礼な言草でしたが、そういう事ですので。
大学は井戸でもなし、根石さんは蛇でもなし、まして山縣さんも私も蛙なんぞではありませんと、思います。 何言うてんだか...
根石さんが「もう来るな」と言われても、ズカズカと大風呂敷にも来て下さる事を願っています。 私の掲示板でもないのに、勝手な事を言ってますが 。
ただ、この掲示板に冷やかしや野次を飛ばしに来られるその道のプロの方にも、わかって頂きたいと思う事がひとつあります。
今やふつ〜のおばはん達の中にも英語上級者やプロも真っ青の指導力を発揮する人達がゴロゴロいます。 私の事ではなく、私の回りのおばちゃん達の事です。 ほんとにゴロゴロしてます。 時間給1500〜3000円あたりで週に数コマ受け持つだけのパートの英語講師であっても、そしてそのほとんどが英語圏に留学したと言う様な立派な経歴などないにも係わらず、大学の講師レベルだと太刀打ち出来ない様なのも一杯います。 そういう人達が、もっと効果的な英語指導法を求めて、その成果が時間給に上乗せされるわけでもないのに、自腹を切って学び続けている御時世です。 何よりそういう人達の多くは英語圏の外で英語を修得する困難さを自ら体験して来ていますので、押さえ所がわかっています。プロだ、その道の権威だ、と言っていられる時ではありません。 まして大学生がちょっとチョムスキ−を齧ったくらいで、そういう人間達をバカあつかいするべきではないでしょう。 読んだ方がいいと思えばアマゾンで取り寄せて原書なりを読む気力や英語力くらいはあるのです。
山縣さんは自己研鑽にも教育にも熱心な方だと拝察しました。 自他共に認めるプロだとしても、巷の塾から学ぶ所が全くないとは思えません。
私は最初「どんでん返し..」を浜谷さんと言うからから紹介されて読んだ時、なんと修行のような学習法だな、と思いました。 しかしこの通りやれば確かに「効く」な、と感じました。 正味数カ月に過ぎませんがドイツ語で試した限りでは効果がありました。
4月から英語を始めますので、それがどういう風に効いたか、効かなかったか、「鬼」に出来る限り具体的に報告して行きたいと思っています。 根石さんの学習法は、素朴なもので玄人受けしないかもしれません。 けれど、それだけの理由で顧みないのは早計に過ぎます。
それじゃ、「ど素人さん」は引っ込みます。 m(__)m
音をないがしろにしたままに 教科書の学習内容はすすんでいく。
文字を目で見て 文を頭で理解するだけで それを何回も何回も口にだしてそして 顔を上げて誰かに話してみるということもせずに。
構文の口答ドリルをくりかえそうともせずに。
だから 通じる音で教科書が読めない。
書いてある字さえもすらすらよめないのに
通じる音で 会話=口でのの英作文ができるわけないではないか。
それにすらすらと読めるようになれば文を読むときも理解しやすくなる。
書くことも欠けている。書くことは知識の定着になる。
振りかえってみると 漢字をならっていた小学生時代
宿題に漢字を十回ほど書いて覚える宿題が毎日でたではないか。
母国語ですら書く。声にだしながら書いて覚える。
まして 他国語の英語を声に出しながらかがずして覚えられるものか。
使えるようになるものか。
学校では英語構文のドリルを発音しながら書いて定着させようともしない。
音読してまた文法的にも理解した教科書本文を筆写をさせようともしない。
いや 宿題に出しているのかもしれない。生徒がやらないだけか?
それなら POPクイズでもだして その定着をテストし 図るべきである。
宿題やりっぱなし だしっぱなしで生徒の自主性なんか重んじていてはだめなのだ。たとえそれが大学生や 大人でも。少なくとも初心者のうちは。
大学生いや多くの英語学習者(英会話学校に通っている者も含む)に圧倒的にかけている学習方法が音読 音の授業なのだ。
だから 音読が短調な作業であろうが 「中学高校で扱うテクニックでは幼すぎて使えない」だろうが MUSTなのだ。
英語を死なせないためには。
英語のためについやしてきた時間を 無駄にしないためには。
それを理解させることが なによりも先にくる。
「君達 今まで何時間ぐらい英語の勉強についやしてきた? 考えてみよう。○百時間?いや千時間はこえているね。
それで 話せるかい?書けるかい?頭からどんどん理解できるかい?
できるとはいえないね。勉強の仕方の何かがたりなかったのだ。
それは基礎だ。音読だ。今までの時間を無駄にしたいかい?
したいのならかまわないが 無駄にしたくないのなら 音読しないか?」
たかが音読とばかにはせずに 音読をやってみよう やらなきゃという気にさせることが まず第一時間目の講師の仕事である。
大学での音読の授業 「音読が短調であろうが MUST」と
かきながら 自らを振りかえる。
生徒に中学の教科書や 構文その他 基礎の本を何度も読ませる。
耳から理解したのち素読やテープといっしょに読んだり 口パクしたり
シャドーイングしたり リテンションをしたり話しかけるようによんだり
スピーチ読みしたり 質問読みしたり act outしながら読んだり
皆さん周知のいろんなテクニックをつかう。
なるべくあきさせないように 繰り返す 繰り返す。
でも それでも 基礎を音読をばかにする入学者が往々といる。
辞めてしまう生徒もいた。そのたびに私はくじけた。
体験入学でこの方法なら独りでできると勘違いしてしまう人もいる。
ピアノだって テニスだって バスケだって 初心者にコーチは必要なのにだ。
語学となると 「ネイティブとふれあい自然にみにつく」信仰がいまだに多い。
コーチなんかいらない 音読なら自分でできると思って結局やらない場合も多い。そしてエー会話学校にいって ネイティブや日本人講師と英語だけで会話している(本当はろくなことを話せていないのだが)気分になって実力はつかずにおしましだ。
ここ大風呂敷の過去ログにも 私の弱音が書いてある。
Naimaさんに叱咤激励されたっけ。
「そりゃ 講師の不徳のいたすところだよ。愚痴をいうな!」と
懐かしい。未だに愚痴る私は Naimaさんや皆さんのお叱りを待っている。
(マゾ?)山縣さんのお叱りもWelcomeなのだ。
懲りずにここに書いてしまう。机上を手放す基礎を手放し「会話」に走ろうとする人々に 落ち込んで。
いつになったら 机上の大切さを生徒に理解させ たとえ中級者になっても基礎トレを続けることを理解してもらうことができるのだろう。私の力量不足 不徳はつづく。
だから えらそうなこと言えた義理じゃないのですが 「音読の大切さを理解させるのが講師の仕事」などと書いてしまった。
これは自分にも書きながら言い聞かせているので 許しておくんない。(山形弁?)
ただいつでも辞めれる英語、英会話教室とちがって
大学の授業の裁量は 講師にあるのではなかったですか?
「やらなきゃ単位をやらないぞお!」で一見落着にはならないですかね?
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/ron/sozai.html
<素材>1
まえがき(学校英語という問題)
> 日本の学校英語が使い物にならないと言われて久しい。どこがどう使い物にならないかというと、話せるようにならないし、聞き取れるようにならないからだと言われてきた。また、一方で、日本人で英語をしっかりやった人は、話したり聞き取ったりはできないけれど、読んだり書いたりはできるとも言われてきた。
どちらもその通りなのかもしれないし、どちらも事の現象面しか言っていないのかもしれない。学校英語をいくらやっても、話せるようにならないし、聞き取れるようにもならないということに関して、現象はまるでその通りである。おじいちゃんも学校で英語をやった。でも英語を使えない。お父さんも学校で英語をやった。でも、使えない。お母さんもやった。でも駄目。私も学校で英語をやってる。使えるようになるのかな。
続きは上記リンクより過去ログでどうぞ
語学論 過去ログ
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/gogakuron.html
村田さん 過去ログわかりやすくまとめてくださり ありがとうございます。
ひ‐きょう【卑×怯】
[名・形動]《本来は「比興」で「卑怯」は当て字か》勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。「―にも真っ先に逃げ出す」「―なやり方」「―者」
というわけで
>題名に書いたように、私は人間として認めたくないというのは、卑怯なので人道的に認めたくないし付き合いたくないということです。
>また、根石さんが気に入らないからといって、私が知識だけで現場で通用しないとうそをつくのは(私は教育者として通用しています)卑怯です。
上の言葉の定義にあてはめると
現場で通用しないと言っただけであり それは 「うそ」とはいえない。
なぜならば根石さんは 山縣さんを知らないから うそはつけないからだ。
ゆえに卑怯にはあてはまらない。
と私は思います。
私はサイバースペース上の「議論」を素材に、人間行動を研究している大学の
研究者です。「その道のプロ」です。研究の必要上、かなりの数の
掲示板を定期的に閲覧していますが、この掲示板での貴殿の書き込みと
それに対する書き込みを読むにいたって、「調査者は調査対象に直接かかわっては
いけない」という掟を破り、貴殿にご忠告申し上げます。(もともと私は
人間味のない、その掟が嫌いですので、そう大した決断でもありませんでした。)
この掲示板とのかかわりを断つべきです。単に書き込みをしないというだけでなく、
閲覧もおやめになるべきです。書き込みから拝察するに、貴殿は学位を有する若手の
研究者で、現在、専任職をお探しの方でしょう。そうであれば、この掲示板に
かかわっている時間と精力を他のところに向けるべきです。この掲示板から
貴殿が得るところは、価値のないものからはなにを得られないという、それ自体
貴重ではありますが、一度得てしまえばそれだけの教訓でしかありません。
失礼ながら、貴殿の学識はそれほど深いものとも、広いものとも私には
感じられません。そのことは貴殿自身がよくご承知のはずです。若い貴殿は
それを恥じる必要はありません。研鑚を怠らない貴殿の姿勢はよく伝わっています。
ただ、それを博識だと言われてしまう場所に貴殿はふさわしくありません。貴殿は学問探究心
のみならず、英語教育に対する情熱や人に対するやさしさに富んでおられる方だと
すぐにわかりました。しかし、すべての人がそうだとは限りません。その
お気持ちを逆手にとって苛め抜く人たちもいるのです。これは貴殿が人がよいと
感じておられる方々も含めての話です。その人たちはほんとうに弱いものの
気持ちがわからないのです。夜も寝られないという山縣さんのお気持ちは
大切です。それを世間知らずとののしることは許されません。付け加えておけば、
在野の研究者や教育者の言うこと一般が価値がないと言っているわけでは
ありません。たとえば、わたくしの研究は多くの民間ボランティアの方々の
協力があって初めて可能になります。事実、この掲示板についての情報も
この方々のお一人からのものでした。また、集めた情報の分析にも民間の
方々の視点はとても貴重です。その反面、大学に身を置くものとして恥ずかしい話ですが、
肩書きを振りかざすだけでなにもしない大学教員は例外とは言えないのが現状です。
山縣さんはそのあたりのことはよくご承知でしょう。私にはわかりませんが、
山縣さんのためになる、民間ベースの英語教育関連掲示板が必ずあるはずです。
もう一つだけ。プロの観察を申し上げます。悪態をつく人、大声で罵倒する人は
だれにでもすぐわかりますから、そんなに心配したものではありません。
単純です。そうそう、こういう親方はこの掲示板だけでなく、たくさんいます。
声は大きくても実質はありませんから、この人たちの言うことを予測するのは
とても簡単です。この間の飲み会の席で、私のゼミの4年生がそういう親方の
書き込みを自動生成する仕掛けをノートで実演してくれました。5回分の
書き込み資料を入力すると、あとは用意してある簡易文法が書き込みの予測を
するのです。イライザのようなものです。問題は、掲示板の常連です。
声は大きくないかわりに、しつこく迫ってきます。
それでも、頭脳が明晰でない人は楽です。同じことを繰り返してくるだけですから、
相手にしなければよいのです。本当の問題は、頭脳明晰で、しかも冷静な常連です。
これは怖いですよ。たぶん、山縣さんを最後まで苦しめるのはこういう人のことばでしょう。
その人がさらに自分たちは弱者の代表、弱者の味方と思い込んでいたら最悪です。
どうぞ、ご研鑚を加えられて、いつの日か、図書館の棚に貴殿のお名前の入ったご著書を
発見できることを楽しみにしております。
中島義道『怒る技術』(PHP研究所・1300円)から引用。
「人々は言葉を奪われるとともに、固有の感受性も奪われている。その典型は怒りを奪われているということです。怒りとは個人のあからさまな表現ですから、ぶっそうなものであり、他人と対立を呼び起こすものであり、抑え込むにかぎる。
こうして、多くの人は人間として、いや生物として怒りを当然発すべきときにも発しない、いや発することができない、という症状に陥っている」
帯より引用。
「たとえ間違っていようと、あなたは怒るべきである。20年にわたる壮絶な対人闘争から掴んだ「怒りの哲学」」
Naima さん(1)
「電話でレッスン」について、すでになんらかのイメージをお持ちであろうとは思いますが、言葉で説明できることについては概略を説明してみたいと思います。
テキスト選択についてですが、「七年目の浮気」でなく、「ゴースト」を選んだのは、私の側に、英語のレッスンというよりはコーチ法のレッスンとしてやりたいというこころづもりがあるためです。英語力自体を増強することは
私のレッスンなど受けていただかなくても、Naima さんは自分でやれる方だと思っています。あるいは、英語力自体の増強だけを考えてレッスンを始めるなら、Naima
さんには、「ゴースト」よりも「七年目の浮気」の方がテキストとして適している。
あえて「ゴースト」からやっていただくのは、私がいずれ Naima さんにコーチをやっていただきたいと願っているからです。
圧倒的に多くの生徒さんが、「七年目の浮気」を最初にてがけることは難しい。難しい大学受験を通ったような人でも、まずたいていは「ゴースト」が適しています。パズルのように文意をとるとか、文法的な知識獲得だけに終わるようなレッスンではなく、「音づくり=インプット → 熟成」という過程を実現するためのレッスンなので、多くの人にとって、「ゴースト」が適しています。
確約はできませんが、私はこれ以上「電話でレッスン」の枠を増やす予定はありませんので、もしもこの後も私の「電話でレッスン」を申し込んで下さる人がおられた場合は、予約しておいていただき、いずれ
Naima さんに Naima さんの生徒さんとして受けていただきたいと願っているのです。この点について、Naima
さんから「よっしゃ、その時が来たら引き受けようじゃないか」というお返事はいまだいただいていません。また、「その時」が確かに来るものかどうかもわかりません。しかし、私の希望の中にはそういうものがあります。
あらかじめ申し上げておきますが、疲れる割に「まうかりません」。仕込みをおやりになればわかりますが、これだけやってたったこれだけの収入?というような世界です。しかし、この仕込みによって、自分の力も生徒の力も伸びます。
Naima さんがどういう英語の発音をされるかが問題です。発音に直すべきところがたくさんあれば、コーチとしては仕事がやりやすい。Naima
さんの側に立てば、直すべきところをたくさん直していく途中で、どういうコーチングが成り立つのかをつかんでもらえる。
私の「電話でレッスン」をコーチングのレッスンとする場合には、発音の下手な人ほど得るところが多い。それで、「発音16のポイント」のすべてについて、生徒の音に即応し、その場で直すことができるようになれば、生徒の音の「直し方」が身に付く。現在は発音が下手な人の方が、コーチとしてはいいコーチになることは十分に考えられます。
発音の下手な先生ほど、それを直す途中経過がわかるので、いいコーチになる可能性が大きいと私は冗談ではなく本気でそう思っています。
ところが、Naima さんの方が私より発音がいいということも十分に考えられます。生徒の発音の方がコーチの発音よりいいとなると、直すべきところがないことになり、そうなると、「発音16のポイント」に基づいたコーチング法を伝えられなくなってしまう。
これが想定できる一つの大きな問題です。これは、sbさんのレッスンをした際にも生じた問題でした。具体的な文を相手にしてレッスンしている途中で、Naima
さんの発音に直すべきところがなかった場合は、この文だとこの場所で、多くの生徒がこう読むことが多いと、私の方から、一般的に生徒さんが多くやるカタカナ発音や、処理ができていない音のぶつかり合いなどを実演して、自分の発音をその場で直すという一種の自作自演をやろうかとも案を練っています。一般的に多発する日本人特有の発音現象を自作自演するものを
Naima さんに真似てもらって、1000それを直すという手順を踏もうかとも思っています。その辺はレッスンをしながら編み出したいと考えています。
「復習範囲を手放さない」という原理によって、もたらすべき「熟成過程」については、上級者の Naima さんにも伝えられるものはあると思っています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
レッスンの成り立ちは非常にシンプルですから、1ヶ月もすればその成り立ち自体は Naima さんにはわかっていただけるものと思います。うまく説明できるかどうか、言葉で言えることはあらかじめ言っておきたいと思います。
具体的な文を相手に、私がその文を一回読みます。その後、生徒さんは、その文を何b回も繰り返し読みます。その途中で、直すべき音や音のぶつかりあいの必要な処理がみつかったら、生徒さんが繰り返し読むのを中断します。「ちょっと待ってください」とか、「えーと」と言って、生徒さんの読みを中断し、「ここのところは、こうこうではなく、こうしてください。口を・・の格好にして言ってみてください」というように、具体的に生徒さんがやるべきことを指示します。この時に、「一瞬、般若の顔」になってくださいとか、「カラスがカーと鳴くときのような音ですが、顎を下げながら出してみてください」などとなるべく具体的に指示します。そして、モデルの読みをコーチがして、再び、生徒さんが同じ文を繰り返し言い続ける過程に入ります。まだ問題点がみ1000つかるようなら、再び、生徒さんの読みを中断し、直す過程に入り、コーチがモデルの読みをし、生徒が繰り返す過程に戻ります。すべての細かいところをその場ですべて直すのではなく、「うん、まあまあかな」というくらいの読みができるようになったら、生徒に5回から10回くらい繰り返し読ませてOKを出します。この「うん、まあまあかな」というレベルの音のことを私は「中間音」と言っています。CDなどの録音教材を媒介にして、ネイティヴの
音と生徒の意識の中で連絡がつけられるレベルの音です。録音教材が媒介物として、すぐに役にたつようなレベルの音です。私の音もそれに毛が生えたようなものだと自覚していますが、「発音16のポイント」と音のぶつかりあいの処理はコーチングの項目から外すことはありません。あとは、耳の良さ悪さの問題はからみますが、生徒は自分で録音教材などを媒介にして、自分でどんどん直していけるものと信じて、私は細部には触りません。柴田さんは、そういう細部にまで触っているようですが、私にはその力がありません。
「うん、まあまあかな」というレベルの音を生徒に要求し続け、直し続けていくと、だんだんと細かいことの指示もできるように生徒の音のレベルがあがっていきます。その頃には、こちらの指示は細かくはなるが指示の回数は非常に減っていきます。「発音16のポイント」は単音の処理に関するものですが、実際は柴田さんの言葉で言う「音のぶつかりあいの処理」の指示が結構多いです。
もっとも単純化すると、コーチが一回読んだものを生徒が5回から10回くらい読むというだけのことです。この過程を「技法グラウンド」と名付けています。「ground ・基礎を据える」というような ground の動詞の意味から名付けています。
当日は、いきなりコーチングに入り、こんなことをやったがそれはどういう理由によるのか等の質問に答える等の作業は、「鬼」でやりたいと思っています。
学校の教室で使える「5分技法グラウンド」という構想があるのですが、「大風呂敷」に学校の先生が(びびらずに)出てきてくれるような日がくれば、書いてみたいと思っています。その構想のためにも、「鬼」で行う説明などは随時「大風呂敷」に転写することをやっていこうと思っています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
Naima さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月27日(木)04時43分43秒
レッスンについては、私はコーチの側にしか立ったことがないので、レッスン自体についてはうまく書けないでいることが多いと思っています。
なんとか書こうとはしてきたのですが、灯台もと暗しは多々あると思っていますので、生徒の側に立たれる
Naima さんの客観化に大いに期待しています。
よろしくお願いいたします。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>こうして、多くの人は人間として、いや生物として怒りを当然発すべきとき
にも発しない、いや発することができない、という症状に陥っている。
まったくこの種の人間が増えていると思います。
柳瀬さんも山縣さんもこの種の人間だと思います。
それを「症状」だと思っていないところが大きな問題です。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
応答しないでおこうと思います。
私があんまりな勢いで山縣さんをどやしつけたので、同情なさった文章だと
読みましたので。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
とは、もちろん、山縣さんを同情なさったということです。言葉が足りませ
んでした。
山縣さんをどやしつけた翌日というものが二日ありましたが、何をする気に
もなれず、なんだかやたらに悲しく、布団から出ることができないような気
持ちをひきちぎって、仕事をしたりしました。
こちらのそういう事情にはもちろん同情など要りません。
身から出た錆という次第ですので。
ついでに宣言しておきます。
体力が許せばですが、今後も腹にすえかねるものは腹にすえるつもりはありま
せん。
「人間性」だの「人間として」だのという大仰な言葉で、人を区分けするよう
な言説が現れたならば、何度でも(脳溢血になる寸前程度で)怒ることをする
だろうと思います。
濡れ衣を着ている気はないというだけの単純な理由によります。
山縣さんはついに自分が根石に濡れ衣を着せているのだとの自覚を持たない
まま退場なされました。
さようなら。
----------------------------------------------------
Jackie さん
すみません。
山縣さんとは今後も他の掲示板でお話できると思います。
申しわけありませんが、そうしていただけますか。
私は、これ以上山縣さんと話したいという気持ちはありません。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
sbさん 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月27日(木)05時13分33秒
>一つの文を単位とする勉強は私にとって「コロンブスのたまご」でした。
「一つの文を単位とする」のは、「音づくり」と「音読」を噛み合わせるのに必要だと思います。「コロンブスのたまご」と言っていただけてうれしく思います。
最近は、「一つの文を単位とする」だけでなく、「一つの文を単位とする」ことによって「こなれ」が生じた文に関しては、二つ三つとつなげて「技法グラウンド」をやることも始めています。
生徒さんは、けっこうひいひい言っています。
六月から「ゴースト」のレッスンに復帰していただけば、こちらのひいひいを味わっていただけるものと存じます。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>この間の飲み会の席で、私のゼミの4年生がそういう親方の書き込みを自
動生成する仕掛けをノートで実演してくれました。
是非、私を対象にして、この掲示板で実演してみてくれるように生徒さん
にお願いしていただけませんでしょうか。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
今のは、その道のプロさんに向けての記事です。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
大学での音読についての試案、読ませてもらいましたが、私の考えでは大学で
も柴田さんが「音作りへの道」で書かれたものをモデルにすべきだと思います。
学校の教室での実践は、柴田さんがやられたことに尽きるのではないかと思い
ます。あれだけのことを生徒に手渡すなら、後は、英語を生かすも殺すも生徒
の責任だと言えると思います。
手渡すべきものを、現在の学校は、手渡していない。手渡していないケースが
圧倒的多数だと思っています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/ron/otomichi2002.html
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
大学生の英語力
大学受験後の新入生の 英語力。 これがピークであとは下がるともきく。
さてどのくらいの底力実力があるのだろう
いくつかのテストが必要だ。
@ テキストの音読
はじめてみる文章 もしくは2,3回目を通して意味を理解した文章の音読。高校英語ぐらいの本文が すらすら読めるか? 通じる音で読めるか?
「耳」のある日本人講師 もしくは すぐに「GOOD!といわない
自分にわからなかった音には「No」わからなかったよと 言える厳しいネイティブ講師(日本人の英語の音になれていない講師がのぞましい。)
に判定をしてもらう。一人あたり5分の時間がとれればいいのだが。
果たして何人が通じる音でよめるだろう。ここで 音が通じなければ 学生はショックを受け 音読するmotivationもうまれるのではないだろうか?
そして それを家で音読して テープに録音することを課す。
これは 学期がおわってから もう一度同じ文を録音して 比べるためにだ。
昔はこんな発音で読んでいたのだ と 思えるような発音で 読めるような学期の終わりでありたい。そのような 授業にするのが 講師の指導力でもあるだろう。
2 中学の基本構文の英文和訳
中学ででてくる基本文とその質問形の 和文英訳。 これも 目で日本語をみてその場で瞬時に 口に出るかどうかテストがしたいところだが 生徒の人数を考えれば時間的に不可能だろう。
だから日本文をみて すぐにそれを英語で書いてみるぐらいの時間配分で50題から百題。中学の構文の和文英訳の正解率はどのくらいだろうか?
受験をとおってるのだから 80%はいくかな?
中学レベルの英語がいかにみつにいているかいないかが これでわかる。
3 中学3年教科書の和文英訳。
もちろんこれが 中学3年の教科書本文の和訳だとは伏せておく。
3年の後半ぐらいの長文がいいだろう。 英文を読んで理解するのは簡単でも日本語を英語に訳するのは それにくらべると難しい。
これも日本語をみて すぐに口から英語で訳したものを手書きするぐらいの時間で解かせる。 熟考する時間をとらせずにとかせる。
さて どれくらいの学生が きちんと英文になおせるだろうか。
これからは 英語で書くことが 仕事で要求されることも増える、
それに もちろん英語で話すこともね。
話すことは口での英作文だから 大学生だもの 中学3年の和文英訳なんて 簡単なはずだよね。これくらいできないで タイムの英語だあ 英語のビジネスライティングだあ 英字新聞をつかっての授業だあ 無駄なんだよ。
いや 無駄とはいいすぎだが。
さあて結果はどうなのだろう。上の3つのテストのできがわるければ
「これは中学レベルだよ!基礎ができてない」はい音読!といえるのだが。
みんな案外できているのかな?
大学生の基礎力はいかに?
通じる音で話せ読めること 中学の構文の血肉化身体化 英作文 これができてからなら 時事英語も 映画を使ってのリスニング TOEIC対策も このごろの大学で行われてるいろんなタイプの英語の授業が生きてくる。
コミュニカティブな授業とやらも しっかりと音を身につけ 音読し 構文を血肉化してからじゃないと 会話した気分になって満足 だけおしまいなのさ。
今大学での英語の授業のシラバスを覗くと とってみたいような楽しそうな授業(映画をつかって、時事英語 会話の時間 シェイクスピア読解 他 )がてんこもりで
大学英語教育も まんざらじゃないなあと思うのだが(十年一日のような退屈授業も残っているようですが)
やはり 多くの学生にに基礎の基礎がかけているため
せっかくの授業も 高校までとはちがった 生きた英語にふれた気分にはなれどそんなに実の力が身につかないのでは と考える。
参考までに
TOEIC2000年の受験者の平均点
高校生345 短大347 大学生428 大卒新入社員450
根石さん
>私の考えでは大学で
も柴田さんが「音作りへの道」で書かれたものをモデルにすべきだと思います。学校の教室での実践は、柴田さんがやられたことに尽きるのではないかと思いまず。
はい 私もそう思います。 柴田さんの実践はよくプランが練られた上でのシンプルです。これが一番です。
教授法 テクニックは数あれど 躍らされていてはなにもならない。
>Jackie さん
すみません。
山縣さんとは今後も他の掲示板でお話できると思います。
申しわけありませんが、そうしていただけますか。
山縣さんももうこちらにはいらっしゃらないようですし
これ以上書いてもお話できそうにないし ここで大学での授業について書くのもやめておきます。
黙っておこうとおもったが いわれっぱなしじゃあ 気がおさまらないので一言。
プロさんは罵倒と見下しを 丁寧な言葉で カモフラージュしていらっしゃるだけ。
投稿 ピントがずれてますね。
>お気持ちを逆手にとって苛め抜く人たちもいるのです。これは貴殿が人がよいと感じておられる方々も含めての話です。その人たちはほんとうに弱いものの気持ちがわからないのです。
山縣さんをいじめてなんかいませんよ。
その人たちは弱いものの気持ちがわからない って 山縣さんは弱いものなのですか?
山縣さんに失礼ではありませんか?
そして その道のプロさんは弱いものの気持ちがわかる方なのですね。
>問題は、掲示板の常連です。
声は大きくないかわりに、しつこく迫ってきます。
それでも、頭脳が明晰でない人は楽です。同じことを繰り返してくるだけですから、相手にしなければよいのです。本当の問題は、頭脳明晰で、しかも冷静な常連です。
しつこいのは私ですね、きっと。でも頭脳明晰というのは私をさしてはいない。うーん 頭脳明晰にいつかはなりたいもんだ。
>その人がさらに自分たちは弱者の代表、弱者の味方と思い込んでいたら最悪です。
弱いものの気持ちがわかるのは プロさんではなかったですか?
私は弱者でもありませんし 代表をきどってもいません。 最悪もなにも ピントずれまくり。国語力大丈夫ですか?
その道のプロさんですよね。
> どうぞ、ご研鑚を加えられて、いつの日か、図書館の棚に貴殿のお名前の入ったご著書を発見できることを楽しみにしております。
価値観は人それぞれですね。
売られた喧嘩をかったまでなので あしからず。
それでは さようなら。
根石さん さすがですね、「同情」ということばをちゃんと原義で使われている。最近、
「あわれみ」という意味で使う人が多くなってるんですよね。あ、例のプログラムのこと、
その学生に話しておきました。近日中に彼のサイトに公開するって言ってました。
場所はこのメイルを送っている場所のすぐそばにある大学の情報関係の学科です。
特定できますね?
Jackieさん
>山縣さんをいじめてなんかいませんよ。
ほんとうにそう思っているのですか?そうなら、もう話すことばもありません。
以下は無視してください。
>その人たちは弱いものの気持ちがわからない って 山縣さんは弱いものなのですか?
山縣さんに失礼ではありませんか?
専任職を得られていない若手の研究者、それがいかに弱いものか、わからないのですかねえ。
弱いものであることは恥ずべきことでもありませんし、弱いものを弱いものと考えるのは
決して失礼ではありません。
>そして その道のプロさんは弱いものの気持ちがわかる方なのですね。
もちろんです。社会心理のプロですから。それに修羅場もたくさんこぐっていますからね。
>しつこいのは私ですね、きっと。
正解。
>でも頭脳明晰というのは私をさしてはいない。
正解!
>その人がさらに自分たちは弱者の代表、弱者の味方と思い込んでいたら最悪です。
弱いものの気持ちがわかるのは プロさんではなかったですか?
読解力を疑われますよ。
>私は弱者でもありませんし
だれがそんなこと言っているのですか。
>国語力大丈夫ですか?
おいおい、いまどき「国語」だなんて言ったら笑われますよ。
>その道のプロさんですよね。
もう一度、前回のかきこを読みなおしてください。「その道」とは「社会心理」以外のなにもの
でもありません。
> どうぞ、ご研鑚を加えられて、いつの日か、図書館の棚に貴殿のお名前の入ったご著書を発見できることを楽しみにしております。
価値観は人それぞれですね。
それまで読んできて考えていた書き手の主張とずれることが書いてあったら、文字どおりとったら
だめなんだと考える。これ、読解のいろは。
山縣さん、プロはこう書いたら、つぎはこの人がこう書いてくるだろうと予測できて、その
予測が4割3分3厘を越えるようにならないとだめです。4割3分3厘、覚えていますか?
最近は、「一つの文を単位とする」だけでなく、「一つの文を単位とする」ことによって「こなれ」が生じた文に関しては、二つ三つとつなげて「技法グラウンド」をやることも始めています。
700選も10回くらい繰り返したでしょうか?かなりの練習力がついてきたと自分でも思います。その成果として「段落技法グラウンド」があります。根石さんの文にもありましたが、経験として私はすでにやってきましたが、とても効果のあがるやり方だと思います。
1→意味がわからなくとも音源を一応頼りに取りあえず1文を5回音読
2→1文がt5回連続で言えるように練習
3→それにイメージを溶かし込む
4→それを段落単位に増やす
5→それを中3程度の1レッスンごとで行う。
5までくると1レッスンですから、300ワード=2分としても5回連続で言うのに10分かかります。それをつっかえることなく言えるようになるためにはやはり1000〜2000回は読み込まないと駄目でしょう。でもTOEIC730を越える頃になると500〜1000回でいえるようになり、パターンプラクティス(部分の言い換えで少しずつ使いこなせるようになる)できるようになります。
>専任職を得られていない若手の研究者、それがいかに弱いものか、わからないのですかねえ。
教授とちがう考えをいおうものなら 上へ上がる道がなくなるという意味での弱いということですか?
それなら わかります。 日本の英語教育がかわらない理由の一つでもありますから。
>もちろんです。社会心理のプロですから。それに修羅場もたくさんこぐっていますからね。
>読解力を疑われますよ。
>おいおい、いまどき「国語」だなんて言ったら笑われますよ。
社会心理学のぷろねえ。
読解力を疑われるだとか(誰に?)
いまどき〜といったら笑われるだとか そんなに人様のいうことを気にしてたらいきていけない。 プロさんは回りを気にしすぎなんですね。
せっかく社会心理学をおさめてらっしゃるというのに。
>この掲示板とのかかわりを断つべきです。単に書き込みをしないというだけでなく、閲覧もおやめになるべきです。
この掲示板にかかわっている時間と精力を他のところに向けるべきです。この掲示板から貴殿が得るところは、価値のないものからはなにを得られないという、それ自体貴重ではありますが、一度得てしまえばそれだけの教訓でしかありません
上の言葉そっくりそのままお返しいたしましょう。
あなたとかかわることは私の時間の無駄遣い
あなたと話して私が得るところは、価値のないものからはなにを得られないという、それ自体貴重ではありますが、一度得てしまえばそれだけの教訓でしかありません から。
Naima さん(1) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月28日(金)05時45分35秒
音読サークルの方も是非試してみて下さい。sbさんの書き込みから推測しているだけですが、これは千田さんかその回りの方が音頭をとっているサークルだと思います。私もNaima さんの経験の報告が楽しみです。私の方法と重なっている部分がある場合も、相互に異なる部分がある場合も、私としては楽しみです。出席してみて下さい。そして、私の方法と音読サークルの方法の相互の報告を是非お願いしたいと願っています。
音読と素読との相違点、そして「回転読み」との関連についてですが、私は以下のように考えてきました。あくまでも、私なりの勝手な定義です。
音読は、読んでその場で意味がとれるような文を相手に、声を出して読む方法。
素読は、一読で意味がとれないような文を相手に、コーチの読みを媒介にして、音声面だけをひとまず完成させてしまう方法。
ひとつの大きな違いは、コーチがいるかいないかです。
英語は外国語ですので、初心者や中級者では、一読してもその場で意味がとれない場面が多々あるので、コーチ付きの練習=素読が適していると思います。この理想的な条件は、一対一の練習となります。
もちろん、「音読」と呼ばれているものの中には、コーチ付きで一対一でやっているものもあるかと思いますが、それが一読で意味がとれないものを対象にしている場合は、むしろ「素読」と呼ぶ方が適当ではないかと思います。
現在の日本に本当に必要なのは、英語の素読よりも、むしろ日本語の素読だと思っています。現在、小学校の「国語」の授業はひどいものが多いですが、それに対する対症療法としても、素読が必要だと思っています。この場合は、対象が日本語ですから、素読と音読の厳密な区別はあまり必要ないかもしれません。
これまで日本人は「日本語なんか、放っておいても自然に身に付く」と考えていたのかどうか、本当にやりたいのは日本語だと私が考えていても、私の塾でも、日本語の素読に関してはまるで需要がありませんでした。しかし、この春、日本語の素読(音読)をやって欲しいという要望が一つあり、お受けすることにしました。小学3年生のお子さんをお持ちのお母さんからの要望です。うれしい兆候だと思っています。斉藤さんの「声に出して読みたい日本語」でしたっけ(正確なタイトル忘失)の功績であろうと思っています。(しかし、いまだ主な需要は日本語ではなく、英語です。こちらを相手にしていかないと私らおまんまにならない。)
素読と音読は、対象とする文が、「その場で意味がとれる」かどうかによって私は区別しています。
「回転読み」は、素読の場合でも音読の場合でも、口の動きの連続性に「こなれ」をもたらすために使えます。
素読も音読も、ある一定の分量(ヴォリューム)を相手にすることになりますが、文字を音に変換することに慣れていない生徒を相手にする場合には、sbさんが書かれた言葉に従えば、「一つの文を単位とする」練習を取り入れるのが有利です。
國弘さんの、「只管朗読」や、多くの音読の練習においては、例えば、英語の教科書の一頁分丸ごととか、ワンレッスンまるごとを繰り返し読むような練習方法をとる場合が多いだろうと思いますが、私の「回転読み」は、あくまでも一つの文にとどまり、その一つの文を対象に少なくとも数十回程度の読み込みを行うものです。
國弘さんは、あくまでもあらかじめ意味のわかっているものについて、あるまとまった分量を相手に数百回から千回声を出して読むものを「只管朗読」としておられると思いますが、千田さんなどの協力の元にいつの間にか「音読」という用語に移行されています。そして、あらかじめ意味のわかっているものだけを対象にするという点で、「只管朗読」を「音読」の方から眺めれば、これは音読の激化と見ていいように思います。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
Naima さん
>もしドイツ語本の素読をやっていいのであれば、いくつか質問があります。
>^ 買って帰った本は「モモ」を除いて、全部日本語でのストーリーを知っているものばかりです。 まったく前知識のない本でやった方がいいのですか?
「素読」は意味を排除しようという方法ではなく、一読で意味がとれなくても「かまわない」というゆるやかな方法です。ですから、前知識がある本でもない本でも構いません。
英語とドイツ語を両方やられるようなら、英語に関してはコーチングの習得の方を主眼とし、ドイツ語の力を伸ばすというようにするのはどうでしょうか。
あくまでも、英語の力ももっと伸ばしたいと考えられるのでしたら、ドイツ語の方はFFだけにとどめおくということもいいと思います。この場合は、これまでやってきたドイツ語関連のテキストを、「素読」あるいは「回転読み」、あるいはまた私が日常的に使用しているような「ちょっと見 → 暗唱回転」だけにしておくというのが賢明かと思います。また、ドイツ語の磁場に渡る時のために、錆だけは寄せ付けないでおくというのが、こちらの主眼です。新しいテキストは、ごく少量ずつ進めるのがいいのではないでしょうか。
このあたりに関しては、Naima さんが日本での暮らしの中で、英語とドイツ語にどれだけの時間を振り分けられるかにかかっています。徐々にご自分で判断されて決めていかれるのがいいと思います。私はずぼらなくせに、やたらいろんなこと(自宅自作、雑貨屋準備など)をしており、英語一つでもなかなか思うように時間がとれないので、英語だけの「回転読み」と「ちょっと見 → 暗唱回転」をやるのが精一杯です。これは、語学にどれだけの時間が割けるかという問題です。
_ 素読はとにかく暇をみつけて1冊の本を文字がいらない状態になるまで音読する、と言う事でいいのですか?
文字がいらない状態になるまで音読するというのは、一冊の本まるごとを対象にすると生活が犠牲になるほどのものですので、気楽にすすめるわけにはいきません。文字を見ながら音読することとそれを終えたものを黙読することとを並行させるだけでいいと思います。
私は、お便所で用を足す間だけ、毎日やさしい英語の本を音読しているだけです。お便所を利用すると、毎日音読をすることになり、とにかく継続には具合がいい。これは、長糞の人に向き、早糞の人に向きません。(尾籠なお話失礼の程)。いずれにせよ、生活の中に組み込んでしまうのがよろしいかと存じます。英語とドイツ語のバランスということで言うなら、ドイツ語をお便所でやると限定されるのはいかがでしょうか。
ついでに書きますが、私はお便所ではやさしい英語の音読、車を運転するときは、映画の音声だけをMDで編集したもの(町の雑踏の音や列車が走るだけの音などを削除したもの)を運転しながら聴くような習慣にしています。糞で音読、車でリスニングと要約できますが、要は、生活の中に組み込むということです。
` 日に最低どのくらいの量をこなせばいいのでしょう?
これも、生活とのからみがあるので一概には言えません。
少量でも継続するのがいいと思っています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
Naima さん(2) 投稿者:根石吉久 投稿日: 3月28日(金)05時46分19秒
私の「回転読み」(技法グラウンド)は、コーチさえいれば、生徒が意味がとれないレベルのものまでも対象にできるというところが違います。ある程度の力が備わってくれば、「回転読み」をやっている途中で、どんどん意味が明らかになるということも生じます。意味が意識に動くようになる過程までも、「回転読み」は射程に入れることができます。
國弘さんの方法だと、最初に意味がわかっていなければならないので、意味がわからないものを対象にすることができません。「回転読み」(それに初動を与えるコーチングの「技法グラウンド」を含む)ですと、あくまでもコーチがいればの話ですが、意味がとれない文にまで対象を広げられ、ひとまず口の筋肉の動きの連続性となめらかさ、正確さだけに生徒は集中することができます。ここが大きな違いかと思います。
國弘さんの「只管朗読」(音読)の利点は、意味の連続性を味わうことができることにあります。あるまとまりのあるヴォリュームを、意味をともなって読んでいくので、興味が持続しやすい。これに対して、素読とその激化としての「回転読み」では、ただ単に、口が音声を発しているだけで、意識に意味が伴わないという事態が発生しやすくなるのが欠点です。これに対処するために、私は「英語どんでん返しのやっつけ方」(小学館文庫)でも書いたように、「切断読み」というものを提唱しています。
「回転読み」で、口の筋肉の動きは口の筋肉の動きとして、意味が伴おうと伴わなかろうと、ひとまず音声面だけで完成させてしまい、その後に、その完成形をわざと「切断」し、時間をわざと間延びさせて、音と意味を合体させるという二段構えとなっています。
音と意味は、語学では当初、まったく分離しています。それがどう合体していくのかについては、國弘さんはあまり意識的ではありません。
「只管朗読」には「只管朗読」の、「回転読み」には「回転読み」の、それぞれの利点と欠点があります。ですから、これらは、相互に補強しあうようなものとして、使いわけるのがいいだろうと考えています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
sbさんは、すでにやっていたのですか。
継続と報告をお願いします。
そうなると、私のレッスンの効用は、強制的に何度も復習範囲にひきもどす
という一点だけになってしまいそうです。
また、sbさんを相手にレッスンするようになり、仕込みがきつくなります
が、私の方も精進しようと思います。よろしくお願いいたします。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>あ、例のプログラムのこと、その学生に話しておきました。近日中に彼の
サイトに公開するって言ってました。場所はこのメイルを送っている場所の
すぐそばにある大学の情報関係の学科です。特定できますね?
学生さんによろしくお伝えください。
私の一方的な希望を述べさせていただくなら、腹にすえかねるものを腹に
すえないと決めている私をモルモットにして、この掲示板で、私を客体化し
ていただくことがもっともありがたいです。
どこの大学であるとか、まるで特定できないでいます。
さしつかえない範囲で、私も皆さんも知ることができるものであるなら、
なるべく身元を明らかにしてやっていただけることを望んでいます。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
私がここに書かないと「鬼」のURLが出ないんでした。 すみません。
根石さんが「ゴースト」や「七年目の浮気」を教材に選ばれた理由を去年の夏にちょっとお聞きした事がありますが、選ぶ基準はどこにあったのかお聞かせ下さい。 テキストを3つにしぼる前は、生徒さんの要望で映画を選ばれたともおっしゃってたと記憶していますが、仕込みの様子を数日拝見していると、とても対応しきれない事が良くわかりました。 それで3本に絞られたとおっしゃってたと思うのですが。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
もう日本におられるものと思います。長旅ごくろう様でした。
選ぶ基準というのは、テキストの難易度のことでしょうか。
それとも、なぜ映画のシナリオであるのかということでしょうか。
多分、難易度に関してのことだろうと推測して書きます。違いましたら、違
うと言ってください。
難易度は、「ゴースト」の方が易しく、「七年目の浮気」の方が難しい。
10本程度のシナリオを手がけてレッスンをしていた時期がありましたが、
どうにも体がきつくて駄目なので、その10本の中から難易度で「ゴースト」
と「七年目の浮気」を残したのでした。
「七年目の浮気」の難度が高いのは、リチャードという主人公が、出版社勤め
のインテリっぽい設定であり、やたらに妄想が激しく独り言をよく言い、その
独り言がそのままシナリオの文章になっているためです。独り言が多いせいか、
ひとつの文の語数も多いと思います。
最初、生徒さんの好きな映画のシナリオを選んでもらっていたなごりで、現
在でも、私の扱うテキストだけでも、「スピード」「ミッション・インポシブ
ル」「ミッドナイト・ラン」などは残っており、扱っています。妻が扱うテキ
ストには、「E.T.」「ボディ・ガード」「逃亡者」などもあります。妻は、
「ゴースト」は扱っておらず、「七年目の浮気」は扱っています。
将来的には、「ゴースト」、「7年目の浮気」だけにしようと思っています。
この他、中学の教科書も扱っていますが、今年高校に合格した「電話でレッ
スン」の生徒がおり、中学の教科書に引き続き、高校の教科書(リーダー)を
扱おうかとも考えています。映画のシナリオは2本程度におさえておかないと、
高校の教科書を扱うなどの余力がどこにもなくなってしまうというような次第
です。ぎりぎりの線をさぐった後に映画のシナリオは2本程度ということにな
りました。
Naima さんのおっしゃる「3つ」というのは?
どこかで私がテキストを「3つ」に絞るというようなことを書いたことが
あったのかもしれません。自分で忘れてしまっておりますので、「3つ」の
中身をお教えいただけたらと思います。
今日は、疲れてしまったので、「鬼」にはうかがわずにこのまま寝てしまい
ます。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
お聞きしたかったのは、難易度の事でした。 説明が不十分でした。
3本だと思っていたのは私の思い違いでした。 すみません。 「ゴースト」と「七年目の浮気」、「ミッドナイトラン」の3本だと思ってました。
4日から生徒としてお世話になります。 あらためて、よろしくお願い致します。
>「ゴースト」と「七年目の浮気」、「ミッドナイトラン」の3本だと思って
ました。
うん、そんなことを言っていたことがあったように思い出しました。
ちょうど、Naima さんが長野に素読舎を見に来てくださっていた時がそん
なふうに考えていた時期だったかもしれません。
実は、「ミッドナイト・ラン」も好きな映画ですので、Oさん(奈良県)
がレッスンを継続してくださって、私がそのレッスンンのための仕込みをや
りおおせるということになりましたら、「ゴースト」を終えた後の生徒さん
の選択肢に残すかもしれません。「ミッドナイト・ラン」は村田君の好きな
ベトナム戦争モノ、えーと、えーと、映画の名前を思い出さないぞ! えー
と、あ、思い出した「フルメタル・ジャケット」。「ミッドナイト・ラン」
は「フルメタル・ジャケット」ほどじゃないが、行儀の悪い英語のオンパレ
ード。
酔ってるから、何の話をしているのかじきに忘れるので、えーと、えーと、
難易度だったっけ?
今現在、残そうと考えているのが、「ゴースト」と「七年目の浮気」で、
少し前は「ミッドナイト・ラン」も残そうと考えていた。それで、今後にわ
たって、「ミッドナイト・ラン」も残す可能性はある、と、そのあたりまで
書いたような。合ってますかね。
つまり、けっこういいかげんなんです。
私は、あくまでも仮構物(生の英語じゃない・本物の英語じゃない)もの
として映画をとらえています。無数の映画の中から、比較的ポピュラーなも
のをスクリーン・プレイ社がシナリオを本にしており、その中から生徒さん
に選んでもらった10本があり、その中から、まあ、割ととっつきやすいも
のと、映画のおもてづらの割に(語学的には)難しいものとを残したという
ことです。
「七年目の浮気」はタイトルで相当損をしていると思います。
実に、礼儀正しいいい英語(ちょっと古い)が学べます。
テキスト選択に関しては、それほど大した理由はないのです。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
ミッドナイトランのデニーロは好きなので、ビデオとスクリーンプレイは持ってます。 残されるんだったらやってみたいですが、その前にくたばってしまってるかも...
ジャッキーブラウンのデニーロも腑抜けみたいで面白かったですが、あ、これは場違いな投稿でした。 「鬼」に持って行きます。 すんません。
朝日新聞・朝刊・2003年4月1日の早野透「ポリティカにっぽん」から引用。
「作家日野葦平(ひのあしへい)が書いた従軍記『麦と兵隊』(新潮文庫)・・・は続ける。「戦争すらも彼らには、ただ農作物を荒らすイナゴか洪水か干ばつと同様に一つの災難に過ぎない。戦争は風のごとく通過する。すると彼らは何事も無かったように、ただぶつぶつと呟きながら、ふたたびその土の生活を続行するに相違ない」
独裁のフセイン氏にしろ民主主義のブッシュ氏にしろ、民衆には風であり一つの災難にに過ぎないのかもしれない。市場に落ちた爆弾。子どもたちの死。劣化ウラン弾によるがん。戦争を始めるパワーエリートたちよ、大儀とか正義を言うな、ただひたすら生きている民衆はそんなものはほとんど信じていない。」
彼らは、朝日記者のように叫ばない。無言であろう。反戦主義すら怪しげなものに感じているだろう。彼らには、そういう健康さがあると思う。地を這う虫である私は、その健康さを信じている。それがいま私のできることだ。
先日は、お忙しいところを時間を割いていただきありがとうございました。
柴田さんの「音作りへの道」は、なるべく多くの方に読んでいただきたいと願っている記事です。「大風呂敷」という掲示板を始めて以後の、最大の収穫だと思っています。現在の学校の教室がやれる最良の授業として、今後の学校の授業を考える際に、現在の中学・高校の授業が目指すべきモデルとしての意味を失うことはないと思っています。
さしあげた「発音要領(素読舎オリジナル)は、柴田さんから大きく示唆をいただいて作ったものです。不備がありましたら、お教えください。大学の授業で使ってみてくださるとのことですが、「技法グラウンド」というレッスン方法も参照していただけるとありがたく存じます。「技法グラウンド」の眼目は、「知識を動きの中に置く」というものです。学生にある一つの文を繰り返し読ませ、その読みの中に問題がみつかれば、読みを中断させ、「一瞬般若だ」とか「ゆで卵」だとかという知識を置き、その後、再びその同じ文を繰り返し読ませ(言わせ)、「これなら通じる」という質の読みが5〜10回ほど(できれば連続で)穫れたら、次の文に進むというものです。学校の教室で使う場合は、次の文に進む前に、教室の全員にそれぞれ音読する時間を与えるといいと思います。
「音作りへの道」に対する感想は是非書いていただけるよう願っておりますので、お時間ができたときにお願いいたします。
私の英語教育界への怒りは、素読舎という私塾の首を締め続けてきた者たちへの怒りなのであって、これは昨日や今日始まったものではありません。大学や文部省が「英語の磁場を欠く場所での英語学習」という条件をまともに授業方法に組み込むことがなかったことに対する怨みは深いものがあります。その第一のものが「音づくり」を欠いた授業です。私自身がその種の授業の犠牲者ですが、大学や文部省のほったらかしのせいで、私自身が「音」の扱いを確立するまでに実に余計な時間がかかりました。
「音づくり」という基礎を欠いた上に知識の楼閣を作らせるのが、これまでの学校の授業であると言っていいと思いますが、その責任は、大学と文部科学省にあるだろうと思っています。
私の素読舎は、その創立時から「音づくり」をずっとやってきましたが、これをやっても、学校のテストの点にならないため、受験が近づくと塾生がやめてしまうようなことが多くありました。いくら生活が苦しくても、私は「音づくり」を手放しませんでしたが、ある種、地獄のような現体制との喧嘩を見続けて、私の娘は英語なんか大嫌いだと言いだし、英語は放棄するに至りました。私の不徳のいたすところも多々あるにせよ、素読舎の首を絞め続けている腐敗やていたらくの力に対する私の憎しみの激しさを見て、英語がそんな憎しみを伴うようなものであるなら大嫌いだと言い出したのです。これも大学や文部省のていたらくの反作用であると考えており、いよいよ私の憎しみは抜きがたいものとなりました。
Nさんとお会いして話したことの中で、もっとも記憶に残ったものは、「音読」をテスト自体に使っているということでした。実は、これは私が以前から主張していたものと同じだったのです。他の大学でも、あるいは中高でもこれはやるべきだと思っています。
NさんはO薬局のお客さんだったんですね。女房は数年前にO薬局をやめました。この春からまた勤めに出ています。今度の職場は屋代駅に近いH薬局です。
Nさんが「へびのおっしゃん」だったら、もっと面白かったのですが、蛇を見たらすぐにつかまえて喰ってしまう大学の先生というのは、文化人類学かなんかの先生にはいそうな気もしないではありませんが、英語の先生にはいない、まずいないだろうと思います。偏見かも。
この「鬼」という掲示板は、Naima さんという方が経営しておられる掲示板で、実は私の掲示板ではありません。
「大風呂敷」は以下のところにあります。
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
「大風呂敷」もよろしくお願いいたします。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
反戦に反対であると書かれたのは、英語嫌い人さんでしたっけ。
アメリカはフセインの独裁体制をつぶすべきである、と。
そんな戦略めいた思考こそ、もっとも民衆から遠いものであり、およそ「地を這う虫」の言葉であるとは思えませんでした。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
アメリカはフセインの独裁をつぶすべきだと書いたのは、英語嫌い人さんで
はなかったかもしれません。私の勘違いでしたらお許しください。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/ron/otomichi2002.html
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/1577/link.html
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>反戦に反対であると書かれたのは、英語嫌い人さんでしたっけ。
アメリカはフセインの独裁体制をつぶすべきである、と。
そんな戦略めいた思考こそ、もっとも民衆から遠いものであり、およ そ「地を這う虫」の言葉であるとは思えませんでした。
マイノリティーさんのお言葉ですね。彼から聞いたのですが、「地を這う虫」とは私でもある。矛盾と分裂の不条理を生きてます。だから言論を保持するのは困難なんだ。こんな趣旨のことを言っていましたね。
私も矛盾と分裂の不条理を生きている。自分が地を這う虫であるのか、わからなくなってきました。
Rosey さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 6日(日)00時35分57秒
お返事が遅くなり申しわけありません。やぼ用で忙殺されております。
「挑戦編」で練習が成立しているなら、迷わず今のものを使い続けることをおすすめします。
送っていただいたもの、なかなか通して読めずにいますが、必ず読みますのでお待ちください。
イメージに関して、正体を言い切れたなどとはとても思いませんが、私は以前に「大風呂敷」でかなり書いた記憶があります。お時間がとれた時にお読みいただけるとありがたく存じます。
ちらっと読んだところによると、千田さんは、本書43pで、
「(CDを)聞く時は、頭の中の白紙に、聞こえてくる音を絵にするようなつもりで聞いてください。聞くということはあまたの中にイメージを作る作業ですから、それを意識してやってみるのです。慣れるとそれほど意識しなくても、頭の中に絵(=イメージ)が浮かんでくるようになります。」
と書かれています。ここには、媒介し、脱ぎ捨てるべきものとしての日本語という項目が抜けているように思うのです。音がそのまま絵になるのは、「音読筆写」の過程で日本語を媒介にして、日本語によるイメージを発生させ、それを煮詰めるようにして英単語(語句群)のイメージを発生させている過程があります。最後は英単語(語句群)のイメージだけが動くようになり、日本語に依存したイメージは脱ぎ捨てられてかえりみられなくなりますが、途中でそれを媒介にしています。
これを否定してしまうと、初心者はイメージに関して何のとっかかりもなくなってしまうのが、日本語の磁場です。日本語の磁場での英語の学習、あるいは日本語で育った人の英語の学習に特有の過程なのですが、千田さんの記述はこの過程をすっとばした記述ではないかと思っているのです。
どうもうまく言えません。言いたいことがうまく伝わりますかどうか。
千田さんの方法論は、語学論としてはともかく、学習法としては、現時点ではもっともすぐれたものだと考えています。
時間がとれましたら、千田さんの方法についてもっと書いてみたいと思っていますが、いくつか原理的に私の方法と重なるところがあり、少し驚いています。
もっとも異なるところは、「切断読み」に含まれる原理を欠いているところかとも思います。
「音と意味の合体=イメージ化」に関して、千田さんには「遅読法」はありません。
ここのところで、私は「遅読法」を強くいいたいのです。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
Rosey さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月 6日(日)00時35分57秒
お返事が遅くなり申しわけありません。やぼ用で忙殺されております。
「挑戦編」で練習が成立しているなら、迷わず今のものを使い続けることをおすすめします。
送っていただいたもの、なかなか通して読めずにいますが、必ず読みますのでお待ちください。
イメージに関して、正体を言い切れたなどとはとても思いませんが、私は以前に「大風呂敷」でかなり書いた記憶があります。お時間がとれた時にお読みいただけるとありがたく存じます。
ちらっと読んだところによると、千田さんは、本書43pで、
「(CDを)聞く時は、頭の中の白紙に、聞こえてくる音を絵にするようなつもりで聞いてください。聞くということはあまたの中にイメージを作る作業ですから、それを意識してやってみるのです。慣れるとそれほど意識しなくても、頭の中に絵(=イメージ)が浮かんでくるようになります。」
と書かれています。ここには、媒介し、脱ぎ捨てるべきものとしての日本語という項目が抜けているように思うのです。音がそのまま絵になるのは、「音読筆写」の過程で日本語を媒介にして、日本語によるイメージを発生させ、それを煮詰めるようにして英単語(語句群)のイメージを発生させている過程があるからです。最後は英単語(語句群)のイメージだけが動くようになり、日本語に依存したイメージは脱ぎ捨てられてかえりみられなくなりますが、途中でそれを媒介にしています。
これを否定してしまうと、初心者はイメージに関して何のとっかかりもなくなってしまうのが、日本語の磁場です。日本語の磁場での英語の学習、あるいは日本語で育った人の英語の学習に特有の過程なのですが、千田さんの記述はこの過程をすっとばした記述ではないかと思っているのです。
どうもうまく言えません。言いたいことがうまく伝わりますかどうか。
千田さんの方法論は、語学論としてはともかく、学習法としては、現時点ではもっともすぐれたものだと考えています。
時間がとれましたら、千田さんの方法についてもっと書いてみたいと思っていますが、いくつか原理的に私の方法と重なるところがあり、少し驚いています。
もっとも異なるところは、「切断読み」に含まれる原理を欠いているところかとも思います。
「音と意味の合体=イメージ化」に関して、千田さんには「遅読法」はありません。
ここのところで、私は「遅読法」を強くいいたいのです。
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Naima さん
初めてのレッスンの感想をお聞きしたいのですが、荷物の整理等でお忙しいでしょうか。
「あいうえお」をローマ字で間をあけて書いて、それぞれに r をくっつけて、ar
だけを仲間外れにするというやり方は、日本製の一種のフォニックスだと思っています。これに関しては、以前「大風呂敷」に書きましたが、反応はありませんでした。
予想通り、単音の発音に関しては、直すところがほとんどないので困っています。しばらくの間は、レッスンの成り立ちをつかんでもらうためにどんどん進めてもらって、だんだんとわざと日本式のカタカナ発音をして、自分で自分の発音を直す一人芝居をやろうかと思っています。
気持ちを入れて読むと文が言いやすいと言われました。下に、いくこもそれに関連したことを書いています。私は感情を込めた読みというものをほとんどやることががないので、さてと思っています。
私は、ここに関しても二段階方式で、ほとんどの場合、自分の場面解釈によって、勝手に「語学的標準形」としての読み(イントネーション)を作ってしまいます。それをひとまず作ってしまいます。それで、CDなどの録音教材を使うときは、それを聞くだけに使います。「語学的標準形」の自作過程と、CDなどの録音教材を流して聞く過程を別々に離してあります。これは、私はかなり意識的にやっているような気がしています。机の上で、ネイティヴの録音教材を最初にお手本にするのがいやなのです。なぜか、非常にいやです。自分なりのものを作っておいてから、ネイティヴの読みというか発話を「媒介」にして、自分の中でマッチさせるということはまるでいやではありません。語学の主体としての、日本人(日本語の磁場で日本語を使う者としての意味に限定した意味での日本人です)というものを意識的に保持しようとしています。
自分なりの読みを最初に作り、ネイティヴの読みを「媒介」にするという順序は崩そうという気がありません。語学の上達が遅れることなんか構わない。これは崩さないのだと決めています。もちろん、これを継続しているうちに、最初に作る自分なりの読みが、CDを聞いてみたら、ほぼネイティヴの読みを媒介にする必要がない程度になっているということはあります。
絶えず、日本に暮らしているのだという現実から出発するのだということでしょうか。
感情に関しても、「語学的標準形」というものしか使用する気がありません。私が芝居や映画が嫌いであることと関係あるのかもしれません。
実際に英語をしゃべるときは、その場その場における自分の感情が乗った英語をしゃべるのは当然ですが、机上では「語学的標準形」としての感情しか使用しません。自分なりの読みを作ることと、CDなどを流して聞くということを別々にやり、それが自然に自分の中でマッチして、CDの読みの感情に統一されていくことは別にかまわないが、日々、日本に暮らしているという現実から出発するのだと覚悟しています。
Rosey さんに、英語(英単語(群))」のイメージに関して、途中で「媒介」にするためのイメージがあり、それは日本語によって発生させるイメージなのだ、それは「媒介」にして、脱ぎ捨てるためのものとして必要なのだという二段階論を書きましたが、感情やイントネーションに関しても、いったんは日本人としての自分の読みを作り、それを媒介にすることで、ネイティヴの読みを媒介にして、自分なりに作った読みを脱いで捨てるということを繰り返しています。
ネイティヴ音コピー方式が嫌いです。
日本人には、二段階方式がいいのだということを少しずつ書いていきたいと思っています。私の語学論とは媒介論なのだと思っています。
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Rosey さん
「英会話・ぜったい・音読・挑戦編」を昨夜読みました。
言っていることの肌理が荒いという印象がありますが、これは、「挑戦編」のせいかもしれません。
「入門編」や「標準編」を読んでいませんので、なんとも言えませんが、イメージの問題に関しては、上級編を読んだ限りの千田さんの言葉では言えないだろうと思っています。非常に戦略的に優れた方法を提示されていますが、語学の過程そのものを言葉にできる方ではないと思っています。
本当の初心者というものは、例えば、I am a bad boy. という文の I も知らないし、am も知らないし、a も知らないし、bad も知らないし、boy も知らない人のことです。初心者の定義として、I am a bad boy. に含まれるひとつひとつを知らない人としなければ、初心者の定義にはなりません。(昔、浜谷さんという方と、「初心者」の定義をめぐって議論しました。)
初心レベル後半あたりで、たまたま bad という単語を知らなかったとします。bad
を除いた、I am a boy. は理解できているとします。bad を知るためには、二つの途があります。
bad を辞書で調べるなり、人に意味を聞くなりして、日本語の「悪い」という語が持つイメージを
bad にかぶせる方法が一つ。これは、「媒介論」による方法です。私は、初心者に限れば、これしかなかろうと考えています。
もうひとつは、I am a bad boy. という文が現れるまでの文脈によって、bad
の意味を類推する方法です。それまでの部分は読みとれており、友達をだましたというような「悪い」ことが書かれていて、少年が反省モードに入っているところに、I
am a bad boy. が現れているとするなら、文脈と、I am a boy. の理解済みという条件によって、bad
が日本語によるイメージを媒介にしないで理解できてしまうということはありえます。多読派の人々はもっぱらこちらをあてにしているのです。この多読派の欠点は、初心者のことがわかっていないというところです。
千田さんは、多読派ではないのですが、千田さんに欠けているのは、「音づくり」と「媒介論」だろうと思います。もし、私と論争することがあるならば、語学における「イメージ」をめぐってのものになるはずだと思っています。
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現在、非常に時間をとられているのは、ひとつ書き物をしているためです。
どうしても許せないものを見つけてしまったためです。
この書き物を現在優先させておりますので、語学論はちょぼちょぼやります。
以下をご参照ください。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
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悪いが、旧掲示板の保存もやってもらえないかな。
これを後で印刷して、森にばらまくことを考えています。
あるいは、この糞大家の住居のまわりにばらまくことも考えています。
許し難い。
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素読舎に伺った時は奥さんの授業ばかり見学していたので、気がつかなかったのですが、
電話で根石さんのレッスンを受講してみて、磁場なしで修得された撥音にしては非常に綺麗だと思いました。 磁場に長年いて学習して来ていても、もっとグズグズの撥音をする人は沢山います。 根石さんのレッスンテープを聞いた私の友人も同様の感想を述べています。
音作り指導も、受講してみてはじめて腑に落ちる所がありました。 初級者にも撥音をおろそかにして来た中級者や上級者にも非常に的を得た指導法でした。 ちょっとコツを言ってもらうだけで撥音が良くなるのであれば、撥音が悪くても通じるなどとタカをくくって来た学習者は考え直した方がいいかもしれません。
と言うのが私の電話レッスン初日の感想です。
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昨年4月からプライベートをはじめ 途中これないときもありながら
正味8ヶ月ほど通ってきた高校生の話の続きです。
二月に 彼女が英会話学校にふらついて音読がおろそかになり 鬼でぼやいていた私ですが、 その後 やはりHWにだしたところの音読が あまりにお粗末だったので喝をいれた。
「書いてある英文がすらすらと読むことができないのに なぜすらすらと会話ができるようになる?音読さぼっているね。」
「はい。」
「いいんだよ。別に こっちは。(本当はよくない。こちとら全力投球しとるんじゃ)
でもお金を払ってきてるんでしょ。もったいないよ。やらなくちゃ。
音読するもしないもあなたの自由だけどね。 もったいない。」
と喝をいれたのがきいたのか 後日の音読はすらすらとよめた。
いつもテーマにそって30秒から1分トークをしているのだが(その後 清書して提出 添削返却 話すように読みこむ)
その日は今までのテーマを総復習。
家族 趣味 ペット 勉強 大学で何をしたいか。など
適当に質問をなげかけると 話すは話す20分。 前にやったこととはいえ
いや やってないことも アドリブで会話が続いた。
おったまげ。そんなに難しいことはもちろん話せないが。
そして 最後のレッスン日 私の友人のネイティブと電話でトーク。
外国人と話すのははじめてという。やはり20分。
何度も聞き返したりしながらも 無事おえた。
рナの聞き取りは 初心者に難しいはず。よくできた。
中学3年の文法項目と その英口文をなんとかクリアし
そして4月 彼女は東京へとたびだった。
向こうで英会話学校をさがすことになった。
机上をてばなさないことを 忘れないでいてくれれば大丈夫。
いままで使った英検5級と4級の問題集の読みこみと日本語から英語に英口文することを 宿題とした。テストうけっぱなしじゃあもったいない。合格したら終わりじゃないんよ。多くの人は受かれば問題集をほおってしまう。
たかだか4級 でも日本語から英語でこのレベルを言えたり手紙文を書けたりしたらたいしたものだ。設問4番の手紙文が読め 問題が解けたからといって 書けるわけじゃないのに はい次の級!と皆 急ぎ足してしまう。
問題集を 読んだり書いたり入れ替えたり日英にしたりして 1000円の元を取るのだ! 死なない英語の基礎を作るのだ。それでこそ合格証書が生きてくる。
六月は英検3級。大丈夫だろう。やればね。 たかだか3級だが実のある3級となるだろう。 机上(基礎訓練)をてばなさなければ。
Rosey さん
もう一つの本をお送りいただいたようでありがとうございます。
「英会話・ぜったい・音読、挑戦編」の英語のテキスト部分をながめています。CDはすでに聞きました。
ひとまず、お奨めの使い方を書いておきます。この本には、千田さんのお奨めの方法が書いてありますが、私のお薦めの方法も試してみて下さい。
トラック2は『「ルーレイルパス」とは何の略称ですか』というタイトルがついています。分量的には少ない。トラック3はトラック2の三倍量くらいあります。全体に、分量の多いものと少ないものが散在しています。
一日分の練習用に、トラック2程度の分量かトラック3の半分程度か、適当に自分で決めてください。トラック3全体くらいの分量でもこなせるなら、それくらいを一日分にしていただいても結構です。
一つの文を基本単位として、「回転読み」に叩き込んでください。初めはゆっくりと、丁寧に間違えないように読みます。ここで、間違えると、けっこう練習が長引きます。
一つの文を繰り返し繰り返し読んで下さい。その文の音の連続の型が安定してきたら、徐々に読むスピードを速めてください。この時のコツは、急に速く言わないことです。徐々に徐々に速めます。スピードが増すと、音が崩れやすくなりますので、「よりはっきりと、より速く」を心がけてください。
自分の口の筋肉にとっての最高速度というものがあります。その速度で読め、音の型が安定していると確認できたら、ひとまず「回転読み」の完成です。間違いなしで、10回程度繰り返せるくらいが目安です。指を折って数え、間違えたら指を開いてご破算にして、最初から数えなおし、10回繰り返せることを確認してください。
「回転読み」は、50回とか100回という回数で読んでも構いませんが、この中には途中でつっかかってしまうところとか、読み違えるものも回数に含まれていると思います。
これまで、あまり書いてきておりませんが、回数という量で判断するより、「間違わず10回繰り返せる」という質で判断する方が本当は確かです。
私の練習でも、総回数で何回かということは気にしていません。「間違わず繰り返し10回」が成立するかしないかで、次の文の処理に移るかどうかを判断しています。
一日分として自分で決めた量に含まれている各文を、文単位でひとつづつ「回転読み」をやったら、それを「T」として扱います。「T」「FN」「FF」の相互関係については、すでに把握されているものと判断していますので、ここでは詳述しません。
FNでは、一文ずつでなく、一日分を単位として、國弘さんの「只管朗読」をやられることをお奨めしますが、その途中でつっかかったり間違えたりするところがあれば、その文を対象に「回転読み」をなさることをお奨めします。ここでも「間違わずに10回繰り返せる」ことを目安にしてください。FNの総量としては3日分です。
FFでも、「只管朗読」をやります。まちがえたりつっかかる文を対象に、1文単位で「回転読み」をする場合、「間違わずに5回繰り返せる」程度が目安になります。FFの総量は6日分です。
FFは量が多いですから、Tの量を欲張ると、いずれ練習が非常にきついものになります。その辺は適量をご自分で判断してください。
FNやFFをどこで切り上げるかですが、「回転読み」をする必要があった回を回数に加えず、一日分全体を間違いなく読めた回数だけ数えて、3回も成立すればいいだろうと思います。
FFが、Tに追いついたら、FFは最初(トラック2)に戻って再び最初から復習になります。一冊全部、TやFNをやる部分がなくなったら、しばらくの間は、FFだけでがんがんやって下さい。この場合は、6日分という分量にこだわらず、10日分でも15日分でも結構です。あるいは、一日のうちで練習に割ける時間の分だけとしてもいいと思います。
不明の点はおたずね下さい。
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おひさしぶりです。
生徒が伸びてよかったですね。
お教えいただいた長崎玄弥の本、オークションで買えました。
ありがとうございました。
まだ読む時間がとれないでいます。
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レッスンの感想をありがとうございます。
今後もお願いしたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
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Rosey さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月11日(金)03時15分47秒
先に書きました練習を継続しながら、机の上でなくて結構ですから(家事をしながら、車を運転しながら、等)CDの全体を絶えず聴いてください。
「回転書き」の時は、必ず、自分の手先から生まれてくる字が形成する英単語(群)のイメージを意識に保持して下さい。書くスピードは読むスピードより、ずっと遅いので、イメージを生じさせることがやりやすいので、これは是非やってください。
イメージの保持 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月11日(金)03時20分32秒
日本語は媒介にしてかまいません。
日本語を媒介にして、イメージを発生させることを意識して下さい。
イメージが確かなものであれば、繰り返し練習している途中で、具体的な日本語は不必要になり、イメージと英単語だけが動くだけになります。これは、イメージの変容過程を生きることと同じです。イメージ自体から見れば、独在しようとするイメージが、に既成の(日本語を媒介にした)イメージを脱皮していく過程です。
英単語から直接にイメージが生じるようにする過程です。
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独在しようとするイメージが、に既成の(日本語を媒介にした)イメージを
脱皮
→
独在しようとするイメージが、既成の(日本語を媒介にした)イメージを
脱皮
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折込広告の件 投稿者:石田勇 投稿日: 4月11日(金)15時38分47秒
今般ご用命ありがとうございます。しかし、チラシの表現に若干問題があり
ますので、このままではお入れできません。悪しからずご了承ください。な
お、あくまでも表現の問題ですので、表現を変えていただければ構いません。
貴塾のご発展を祈念申し上げます。長野オリコミ部長 石田勇
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折り込み広告のこと 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(土)02時17分06秒
地元の更埴市にバラまくつもりで作ったチラシが、信毎販売センターから拒否されました。信毎販売センターは馬鹿ばっかりなのかどうか、自分で折り込みチラシを新聞に入れるべきかどうか判断できず、「長野オリコミ」という会社の石田勇さんという人に判断を仰いだらしいです。
石田さんの判断は、「拒否せよ」というものだったらしく、信毎販売センターから、今日、拒絶の電話が来ました。近頃、松本対大家問題で、けっこう煮詰まった感覚を持っていたせいで、
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
石田さんに電話をしたときは、非常に失礼な態度に出て、私は最初から怒鳴っているような口調でした。石田さんには非常に失礼なことをしたと思いますが、信毎販売センターの親会社が長野オリコミなのか、長野オリコミが信毎販売センターの何なのか、まったく私にはわからず、信毎販売センターの宮下和幸という人が、私の主張に何もまともに答えられず、長野オリコミの石田勇に電話してくれと、サジを投げたのでした。それで、私の頭の中には、宮下和幸さんより、上等な判断を下せる人として石田勇さんという人がいて、その人が私の折り込みチラシの文全体を却下するように判断した当人だと思いました。それで、私は最初から喧嘩腰でした。
最初から喧嘩腰というところに問題はあるものの、私は、電話でやりあった「表現」について、一切妥協するつもりはありません。書き直して、信濃毎日新聞にはさんでもらおうなどという気はまるでありません。
まあ、現在酔っ払っておりますので、後日、きっちりやりたいと思います。
場所は、http://8246.teacup.com/nessy/bbs です。
----------------------------------------------------
(お断り)
上のものは、掲示板「鬼」http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
に書いたものを校正してあります。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
皆様 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(土)02時27分09秒
失礼しました。
この北信地方で起こっている、資本論理による、少数意見の潰し方は、しかし、この地方だけの問題だとはとうてい思えません。
世界規模でも、イラクの潰し方として、現れてきています。
石田さんは、我が身がかわいいので、この娑婆に置かれるべき意見を潰したわけです。
石田さんは言いました。
「わたしどもも、人気商売です」
これは何を意味するかというと、でかい部数の折り込みをやる Nova や信学会という組織体のご機嫌を損ねたくないということです。吹けば飛ぶような素読舎のチラシを新聞にはさんで、信学会や
Nova のごきげんを損ねれば、金にならんということです。
言っていることはそれだけのことです。
私は「それだけのこと」の範囲にとどまるつもりがないことを言明したくて、チラシを作りましたが、資本に言いなりの長野オリコミは少数意見を抹殺する挙に出ました。石田さんは、はっきりと言いました。大多数の人々が正しいと考えている意見を書いた意見広告なら、チラシとして入れる。少数意見はつぶしていいということかと私が言いましたら、石田さんはその通りだと言ったのです。こういうふうに公表されると、石田さんはそんなことは言った覚えがないと言い出すもしれませんが、石田さんは確かにそう言いました。
まあ、とにかく、後日に致します。
長野オリコミという会社の、そのあり方を考えてみたいと思っています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
皆様の判断のために 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月12日(土)03時01分27秒
長野オリコミという会社の石田勇さんという方が、新聞折り込みを拒否せよと信毎販売センターにアドバイスだか指示だかをしたチラシの私の文章は以下のようなものです。
皆様の判断の資料として、掲示いたします1000。
できたら、なるべく多くのご意見をお聞きしたいと思っています。
以下、チラシからの引用です。
----------------------------------------------------
日本在住のままの英語学習においては、「音読」だけがほとんど唯一の突破口です。しかし、英語は外国語ですから、「音づくり」を兼ねた「音読」を行わないと、通じない音、通じないイントネーションが固定するおそれがあります。コーチが必要です。
学校の英語、進学塾の英語は「死ぬ英語」です。
日本には英語という巨大な死体が横たわっています。
これはもはや、誰の目にも明らかです。
素読舎は、現在の音読ブームが訪れるより三十年近い以前から、素読という日本の音読法の精華によって英語力を作り続けてきました。
ご検討下さい。
学校英語によっても、ガイジン信仰の英会話学校によっても、日本の英語が立ち上がることはありえません。
素読舎 更埴市鋳物師屋642−3
電話026−272−4330 携帯 090−3316−4180
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
----------------------------------------------------
(お断り)
学校の英語、進学塾の英語は「死ぬ英語」です。
日本には英語という巨大な死体が横たわっています。
ガイジン信仰の英会話学校によっても、
以上の文は、フォントを変えて、大きな字体で印刷されています。
現物をご覧になりたい方は、ご住所を、
387−0015
長野県更埴市鋳物師屋642−3 根石吉久
までお知らせ下さい。ゴミの山とされる運命をたどりつつあるかもしれないチラシの現物をお送り致します。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>向こうで英会話学校をさがすことになった。
>机上をてばなさないことを 忘れないでいてくれれば大丈夫。
「机上」を手放さない。それこそ、肝心要のことだと思います。
大学受験の大学生に中学の教科書の音読をやらせた勇気に拍手します。
実は私もやっています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
Rosey さん
「頻出英文法・語法問題1000」(桐原書店)届いています。
昼に蕎麦を食いに出て、食い終わって、そば湯を飲みながらパラパラを眺めました。
気になったのは、昔、「大風呂敷」で Eliot さんが指摘した、obsolete な語法がどれほど含まれているかでした。とはいうものの、私には英語の文に含まれる語法のどれがどの程度に obsolete であるか、判断できません。なんとなく、勘で現代英語か、昔の英語かわかる程度です。
で、大学受験生によく使われている「基本英文700選」よりは、はるかにましな本だという判断です。これからの受験生は「700選」を捨てて、この本を使う方がいいと思いました。「700選」のメリットは、抽象的な内容の文を多く含むというところにとどまり、本の出来では「頻出1000」の方がはるかにいい。
この本を Rosey さんは、どういう風に使われているのでしょうか。
一つの文を相手に、100回というような回数を読み込まれているのでしょうか。
もしそうであるなら、「音読」というよりは、「回転読み」に近いと思います。
これまでの「鬼」への練習の報告から判断して、おそらく「回転読み」をやられているのだと思います。「回転読み」については、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」をご参照ください。Naima
さんがお持ちなので、借りることができると思います。
この本に関してなら、私のお奨めの練習手順は以下のようになります。
1.「回転読み」(間違わず10回連続で言えるレベルの確保)
2.「解答・解説編」で、文法的な理解。
3.「切断読み」で、英単語(群)にイメージ(意味)の充電。(徐々に読みを速める)
4.「回転書き」で、日本語を媒介にせずにイメージを独在させる。
5.「回転読み」で記憶保存。
この一連の練習を「一つの文」に対して施し、それを「T]とするのがいいと思います。
「FN」「FF」に関しては、「2」「3」をやらなくてもいいと思います。やらなくてもいい程度の質の練習を「T」をやるときに確保して下さい。
練習は一冊ずつやるのがいいと思います。
現在「1000」の方をやられているのでしたら、それをお続けください。
あぶはちとらず、という言葉がありますから。
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大学受験の大学生に中学の教科書の音読をやらせた勇気に拍手します。
→
大学受験の高校生に中学の教科書の音読をやらせた勇気に拍手します。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
Rosey さん、Naima さん
実は蕎麦屋で蕎麦湯を飲みながら、もう一つのことを考えておりました。
この「頻出英文法・語法問題1000」を「電話でレッスン」のテキストにできないものかということでした。この本を「音づくりによるインプット」のレッスンのテキストにすれば、大学受験と使える英語を結びつけることができるんじゃないかという構想です。
同じ文で時制を様々に変化させる、平叙文←→疑問文←→否定文の変化をパターンプラクティスで生徒にやらせ、同じ作業をやる時間を短縮させるということは別に必要になると思います。それは、Jackie
さんがやっておられ、「大風呂敷」に報告して下さっています。
ひとまず、この本に出ている英文を語数別に分類すると、結構協力な教材ができると思いました。ただ単に語数別に並べなおすだけです。昔、Naima
さんに語数別分類をやってくれないかなあとお願いしたことがありましたが、手分けしてやっていただけると非常にありがたいです。できた教材は、どなたでも使えるように、私のホームページあたりに掲載したいと思います。
なぜ語数別分類などという作業が必要かというと、文法理解や内容理解(意味的理解)の難易度と、「音づくり」の難易度がまったく別物であるという理由によります。
私は素読を原理としておりますので、意味のわからない文を意味がわからないままに音だけで完成させてしまうことにはちゃんと意味があると考えています。この点が、國弘正雄ともっとも対立するところです。國弘の方法は独学法であり、私の方法はやはり素読を原理としているため、コーチ付きの方法です。
ちゃんとしたコーチさえいれば、素読を原理とすることができる。それは凡百の「音読」をはるかに超えると思っています。
さて、素読を元にしたコーチ付きのレッスンをやる場合に、音の完成は、文法的な理解や意味的な理解とはまったく関係なく、語数(文の長さ)が大いに難易度を左右しています。必然性はありませんが、蓋然的にははっきりとそれが言えます。
この「1000」を語数別に分類してしまえば、「音づくり」のために、易から難に向かう配列ができます。そうすると、「音づくりによるインプット」のレッスンに最適な教材ができます。この教材によって、この本に含まれる1200の文を全部インプットしてしまえば、後は、この本の配列通りに読み進めてもいいし、ランダムに読んで理解することを楽しむことができる。
問題は、こういうよく出来た本に、「音づくり」を噛ませることです。
この本の語数別分類が出来、私の「電話でレッスン」が普及してくれれば、闇の中にいる受験生に大いなる福音になると考えます。また、そのことで、大学受験の英語と使える英語が合体するようになるとも考えています。それが、日本人にとっての英語の最短距離だという信念は揺るぎません。
ご意見をお聞かせください。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
協力な教材
→
強力な教材
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
1200の文を全部インプットしてしまえば、後は、この本の配列通りに読
み進めてもいいし、ランダムに読んで理解することを楽しむことができる。
→
>1200の文を全部インプットしてしまえば、後は、この本の配列通りに
読み進めてもいいし、ランダムに読んで理解することを楽しむこともできる。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
以下に、「バカボン大家の策略」という文を掲載しましたので、ご案内いたし
ます。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
以下に、「バカボン大家の策略」という文を掲載しましたので、ご案内いたし
ます。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
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>昔、Naima さんに語数別分類をやってくれないかなあとお願いしたことがありましたが、手分けしてやっていただけると非常にありがたいです。
「頻出英文法・語法問題1000」の語数別分類ですが、私がやってみます。 この教材は勉強会で使っているので容易い事です。 Roseyも手伝ってくれると思いますので。 私は今無職ですし時間がありますので。 私もこの本の回転読みをやっていて思ったのですが、この1000文の内、時代遅れですでに使われていない文、あるいは文法的には正しいが不自然な文があるかどうか、私とRoseyが通っている学校の講師に聞いてみようと思います。 英米豪カナダ人と揃っているので十分なチェックしてもらえると思います。 まとまった時間をとってもらうとすれば授業料が必要なのですが、自分達の勉強の一部ですし、必要でないものまで覚える無駄が省けるなら安いものです。
分類は今週末までに、文章のチェックについては6月初旬までに済ませる様にします。
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問題が2文以上になっている場合は、どうしましょうか?
核になる文の語数で分類するか、あるいは文数にかかわりなく合計語数で分類するか。
お知らせ下さい。
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ひょっとしてもうとりかかっておられるのでしょうか。
一週間でなどと無茶を考えずに、少しずつ空いた時間をみつけて、ただし継続してやっていただくことをお願いします。もし、Rosey
さんが手伝ってくださるなら、是非手分けしてやってください。想像以上に手間がかかります。
これひょっとして、スキャナから読みとってなんとかという処理をすれば、テキストファイルになるんだと思いますが、まあローテクはローテクの良さがあり、途中で何かの発見もあるかもしれませんので、複数の人の手作業に頼りたいと思います。
私も以前、語数別分類を手作業でやり、あまりに手間がかかり、他の仕事と両立しないことを見極めて、途中で断念してあります。これを雛形にしていただけるとありがたい。
http://www.asahi-net.or.jp/%7Eax9y-nis/sodokusy/kazuhyo.htm
5語での分類を例示してみます。
1
腹立ちまぎれにやった。
I acted out of anger.
2
アルコールは脳に作用する。
Alcohol acts on the brain.
3
太郎はたけしの真似がとても上手だ。
Taro does Takeshi very well.
通し番号、日本語、英語の順に一行ずつ与えてあります。それぞれを「改行」で区切ってあります。(改行マークはコンピュータ画面に表示されないかもしれませんが。)
「1000」においても、例えば183番目の文についてなら、
183.
Her mother was busy cooking the dinner.
(彼女の母親は夕食を作るのに忙しかった)
の3つの情報は残して下さい。その他の正解番号、文法解説などの情報は不要です。
彼女の母親は夕食を作るのに忙しかった。
Her mother was busy cooking the dinner.
183
のように、元本の通し番号を後ろに付記するのがいいかと思います。この番号を残しておけば、元本を参照するのに都合がいい。
日本語
英語
元本の通し番号
の順序に並べるのが雛形です。
派生した教材(語数別に整序された教材)の通し番号は、後で英語の前につければいいと思います。
Rosey さんが手伝ってくださるようでしたら、Naima さんが元本の1〜100、Rosey さんが101〜200という具合に、100くらいずつ片づけていき、私の手元にメールで送ってください。私が合体させます。後は、通し番号をつけるだけですので、いくこをこきつかえば完成します。(そのうちに、いくこに相談します)
一つの番号の元に二つの英文がある場合は、二つの英文の総語数を語数としてください。
後で、校正が少なくて済むように、ゆっくりとやっていただくことを希望します。
校正は私がやります。
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obsolete なものの扱いについて。
使っておられる学校の先生に意見を聞く場合ですが、全部を通して見てもらうという手間は必要ないと思います。複数の人にざっとみてもらって、ひどい英語だとか奇妙すぎるとか obsolete なものだらけだという声がなければ全部の文を採用した方がいい。それが元本を作った人たちへの敬意というものだと思います。
ひどい英語や奇妙すぎる英語は排除すべきですが、そういうものは今のところ見あたりません。
obsolete なものは、少しなら混ざっていても構わないと考えています。
100パーセント現代英語でなければ駄目だということはないはずです。
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今やってるのは、語数調べだけです。 これは今日中に終わります。 語数の少ない順から拾って書き写すつもりをしています。
例文をネイティブスピーカーにチェックしてもらう件についてのご主旨、語数別分類法の手順、了解しました。
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電話レッスンではじめての「テスト」を受けました。 毎日100回も回転しているんだから、コーチに与えられたダイアローグを再生するのは容易いだろうとたかをくくっていましたが、3センテンスになると簡単な文なのにスラスラとは出て来ず難儀しました。 唐突にも話がそれますが、パクパクさんが浜谷さんの掲示板に書かれていた様な丸暗記とはまったく違います。 私は回転読みをしている時に、文章を覚え様とした事は一度もありません。 目を頭のてっぺんに置いて、宙にある見えない文を読むなどと言う経過を辿った事も一度もありません。 回転読みをすると、英文が目から口へ直結する感じです。
ピアノレッスンにハノンと言う音階練習と指運びの為の教則本がありますが、これをやっいる様な感じです。 誰も音符を「ドミソドミソドミソ」などと暗記したりはしません。 練習する中で指に覚えさせて行くわけです。 楽譜や指の位置を意識するとかえってつまづいてしまいます。 毎日同じ事を練習する内に、最初の音が決まれば、バカ話をしながらでも指は正確に勝手に音階を刻みます。 このあたりまでは回転読みと音階練習は良く似ています。 復習範囲を手放さないのも同じ。 どんなピアノ曲を練習しても、ハノンは必ず毎日やらなければならない。
何の話だっけ。 そだ、「テスト」の話です。 これを単なる機械的で無意識な口の運動に終わらせてしまわないのが、毎日ある「テスト」なんだと思いました。
自信満々で受けた復習テストも、余計なものがくっついたりダイアローグの順序を変えられると、アタフタしてしまいます。 これが回転読みを流れ作業に終わらせてしまわない為の根石さんの秘策かと思いました。 常に意識を呼び起こしてやる事は大切な事だと思いました。 でなければ単なる口の筋肉の運動に終わってしまいます。
このテストを継続して受ける事で受講者のリテンション(聞いたばかりの文を記憶している能力)が伸びるのではないでしょうか。 リテンションが伸びれば、聴理力も伸びてくるに違い無いと思っています。
何よりも面白いと思ったのは、コーチと受講者でレッスン時間の争奪戦になる、と言われたテスト方式です。 テスト自体は技法グラウンドと同じ形式で、とちればコーチがモデルダイアローグを言い直してくれます。 時間さえあればどの受講者も合格します。 テストとレッスンが表裏一体になっています。 しかし受講者が復習範囲をしっかと握りしめていないと、いくらでもテストに時間を取られてしまい新しい事をやる時間が無くなってしまうのです。 この緊迫感が私の学習意欲を駆り立てます。
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レッスンの感想をありがとうございます。
書いてくださったピアノレッスンの方法と私の方法は同じだと思います。
違うのは、アメリカへ行けば、ただのおっさんやおばちゃんの日常の言葉でも
あるというところだけです。
日本で練習する英語は、仮構物であるというのが私の根本にある考えです。
仮構物を仮構物としてまっとうに仕上げるからこそ、生の英語に渡れるので
あって、仮構物と生の英語を早期に混ぜ込むのはよろしくないと思っていま
す。この観点からすれば、ALTやAETは、大学に配置すべきであって、
中学や高校に配置すべきではない。
話には枝が生えますね。
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レッスンを録音して、掲載しようと計画しています。
言葉で詳しく書こうとしても、生ものはどうにも書きようがない要素を含む
ので、生ものをそのまま掲載し、解説を添えた方がいいと思いました。
----------------------------------------------------
生徒さんにお願いします。
レッスンの様子を録音したものの一部を私のホームページに掲載させてくだ
さい。氏名など個人情報は掲載しません。職業は、「会社員」とか、「外資
系会社員」とか「高校英語教諭」とか、非常におおまかな形で書かせていた
だくことがありえます。
不都合がある場合は、お知らせください。
ひとりひとりの生徒さんに、レッスン終了時にも聞きし、了承していただけた
ら、掲載する手順をとりたいと思います。
よろしくお願いいたします。
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>毎日ある「テスト」なんだと思いました。
毎日→毎週あるいは毎回と書くつもりでした。
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今日初めてこのHPを発見し、興味を持ちました。とりあえず考え方を知りたいと思い「英語どんでんがえしのやっつけ方」の購入をアマゾン等で検討したのですが、販売終了していました。
・この本はまだ販売しているのでしょうか?
・生徒になる場合は「電話でレッスン」からのスタートでよろしいのでしょうか?その前のコースやテキストをこなすのでしょうか?
私は29歳の社会人です。
お問い合わせありがとうございました。掲示板へのお問い合わせは初めてであり、うれしいです。
「英語どんでんがえしのやっつけ方」は、現在品薄で、小学館に問い合わせたところ、ほとんど在庫はないようです。私の手元には著者取り分としていただいた分の残部があります。ax9y-nis@asahi-net.or.jp までメールをいただければ、お送り致します。
>・生徒になる場合は「電話でレッスン」からのスタートでよろしいのでしょうか?その前のコースやテキストをこなすのでしょうか?
「電話でレッスン」でのスタートで結構です。
ただし、テキストに何を選ぶかの問題がありますので、英検の級、TOEIC
の得点など、何か参考になるものをお聞きした方がいいので、始める前にお電話でお話させていただくことになると思います。
現在は、主に
・「ゴースト」(映画のシナリオ)によるレッスン
・中学3年分の教科書(ニューホライズン)によるレッスン
の二つがあります。英語をやり続けてきてこられた方には「ゴースト」を、しばらく放置してしまった方には「ニューホライズン」をおすすめしています。
テキストを決定された上で、予約をしていただく必要があります。現在、予約をされている方が一人おられます。また、土曜日にレッスンを受けておられた方で連絡がつかなくなっている方がおられ、無断欠席が続いています。この方に、今夜これからメールを送り、しばらく休まれることをお奨めしようと思っています。この方が休んでくださると、現在予約待ちしておられる方が、その枠に入られます。その後は、Y@NY様が、第1番目の予約者となります。
最初の予約者ですので、それほどお待ちいただくなくてもレッスンは始められると思いますが、確実なところはお約束できません。
予約されて方が複数おられるようなことになりましたら、予約順に曜日と時間帯の都合をお聞きして、都合のつく方から始めていただくことになると思います。
以上ですが、ご不明の点は再度おたずね下さい。
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T様
3月のレッスンを休みにし、4月から復帰されるとのことでしたが、二回呼び出しの電話にお返事をいただけませんでした。無断欠席はなさらないでいただきたいと再三申し上げております。
欠席が多くレッスンが穴ぼこだらけで、ほとんど成立していない状態に近いと思います。
半年あるいは1年ほど休まれることをお奨めしたいのですがいかがでしょうか。
休まれて、私のレッスンが本当に必要だと思われたら、もう一度始めていただく方がいいように思います。その時は、レッスン枠に空きがありましたら、お受けしますし、空きがない場合は予約待ちをしていただくことになると思います。
無断欠席で穴をあけられることがあまりにも多いと、レッスン枠が非常にもったいないのです。現在、予約待ちをしておられる方が一人いらっしゃいますので、その方に使っていただくのがいいのではないかと考えています。
4月中はお返事をお待ちします。
お返事がいただけない場合は、5月から予約待ちの方に土曜日の該当時間帯を使っていただき、枠を埋めますのでご了承ください。
なお、メールを読んでおられないことも考え合わせ、「大風呂敷」の方にも、このメールを転写し、掲載いたします。
根石吉久
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
訂正させて下さい。
>4月中はお返事をお待ちします。
→
一週間ほどお返事をお待ちします。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
東京にお住いの生徒さんで、火曜日、夜11時〜11半の時間帯でレッスンを受けておられる方がいらっしゃいます。この方のお母さんが倒れられ、東京から静岡県まで、隔週で看病に通われています。従って、レッスンは隔週でしか受けられないというお話を先日のレッスンでお聞きしました。
隔週で休むが、レッスン代金は満額を支払うので、生じる「空き」を「お試しレッスン」に使ってみたらどうかとおっしゃって下さいました。
頭が下がりました。Jさん、申しわけありませんが、ご厚意に甘えさせていただきます。どうかこころおきなく、ご看病をお願い致します。
これまで、「お試しレッスン」は、生徒さんがひと月まるごと休まれる場合に、生徒さんにレッスン代金の半額を、「お試しレッスン」を受けられる方に半額を負担していただくことにしておりましたが、これとは別の枠として、東京・Jさんのご厚意に甘えて、火曜日夜、11時〜11時30分に無料の「お試しレッスン」を致します。
内容は、これまでの「お試しレッスン」と同じですが、隔週のレッスンとなります。
隔週になりますので、期間は二ヶ月限定とさせていただきます。
Jさんが、第一・第三の火曜日を休まれるか、第二・第四の火曜日を休まれるか決定してから再度お知らせいたしますが、ご希望の方は
ax9y-nis@asahi-net.or.jp
までご連絡下さい。
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Rosey さん
>バックビルド方式とか言ってたと思うのですが、フレーズごとに文章の後ろからリピートさせて、1文を完成させる。これも効きました。
これは私はやったことがありませんが、なんとなく想像できます。
また、根拠もあると思います。
日本人は、おおざっぱな状況を言うことから始めて、だんだん細かい部分に入っていくように思考が(日本語によって)できています。日本人が最初に思うものは、英語では、時を表す副詞(句・節)や場所を表す副詞(句・節)などになります。日本語の思考では最初に来るものです。
細かいことで、いくらでも例外は提示できても、基本的な思考順序において、日本語で育った人には、副詞的要素が最初に頭に浮かぶのであり、決して英文における主語なんかではありません。
ここのところをクリアするために、バックビルド方式は有効だと思います。英文を準日本語的に読もうとする方式で、恐らく漢文の返り点などのような工夫に匹敵すると思います。だからこれは和製の技法だと思います。
これはいっとき媒介にするにはいいが、あまりやらない方がいいようにも思います。癖になるとまずいのです。
今は、「切断読み」を強くお薦めします。
「切断読み」はなにがなんでも、英語の語順の通りにイメージを生起させる方法です。また、読むための速度は緩急自在にとれます。この緩急自在を活かして、意識に逆流を生じさせ、英語における思考順序に慣れるのがいいと思います。
逆流をきちんと生じさせるところがポイントです。
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Rosey さん
>4.「回転書き」で日本語を媒介にせずというのができているのか、確信がもてません。
ここのところが、語学を語ろうとするともっとも難しい問題なのだと思います。
私なりに考えてきたことを言いますと、具体的な言葉、すなわち、単語、イディオム等は記録可能です。文も記録可能です。文字に記録でき、録音音声にもできます。標準的な意味も記録可能でしょう。(だから、辞書というものがあります。)
これら記録可能なものの総体に対して、イメージは記録できない。動きやまないので、映像にも文字にも録音にも固定できない。微細なことを言うならば、意識が同一の単語に出会っているのでも、その度に、実はイメージは違っている。微細に違っている。話し手の声の調子によってでも、その度にイメージは変容する。
いちいちのイメージの変容を意識していたら生活が成り立たないので、イメージの変容は日常的には基本的に意識されません。しかし、体調によって同じ詩を読んでもまるで違う詩を読んでいるような気になったりするのは、イメージというものの変幻自在と融通無碍の性質によります。体調によって、イメージが左右されるなどは、文学に限らず、語学においてもあることだと思います。
なんにせよ、イメージは意識されないが、生きている人間とともにある。生きている人間の中で変容を繰り返したり、先祖帰りをやったりするものがイメージである、と、いうことであれば、イメージとは、人間が現に生きていることの、論証不要の証でもあると思います。
つまり、イメージの絶対性などない。瞬間では絶対が成り立つが、イメージの本性は、変幻自在そのものであり融通無碍そのものである、と。一人の人間と同じように「不定」なのだと思います。
だからこそ、語学などという変態行為も成立するのです。誰もこれを変態行為だと思っていないだけで、これは変態行為です。あっしら、語学に魅入られた者どもは、自覚するしないに関わらず、ネイティヴな言語だけによる生活過程に対して変態なのです。
もとい。
記録可能であるから記録されてしまったものは、実は言葉の死体です。
この死体に踊りを踊らせるのが、語学です。ミイラの踊りです。
その踊りの姿態が、真であるか偽であるかは、語学をやっている当人にしかわかりません。いや、当人にもわかりません。それは、読書して「面白いかどうか」、人と話して、「まともに通じるかどうか」というところでしかわかりません。語学の真偽は、語学を出て、語学の対象とした言語を生活言語にしてみないとわからないのです。
私は、イギリス人(日本語の生徒)を、日本人を笑わせるのと同等に笑わせることができるかどうかを近頃の目標にしていますが、うまくいったりうまくいかなかったり、道遠しの感は否めません。同じことをスリランカ人に対してもやっていますが、同じアジア人のせいか、スリランカの人はよく笑ってくれる。
使って見なければ、自分がたった一つの英単語に込めたイメージでさえ、それが真であるか偽であるかがわからない。その意味で、語学は自分を他に対して開く行為であると思っています。蛮勇と繊細さが必要なのが語学です。
練習の途中で、イメージが日本語(具体的な日本語の単語など)を脱皮しているかどうかは、意識的になれば確認できます。それは、瞬時に当人にしかわからない形で確認できます。あるいはまた、普通、生活過程では意識しないイメージの変容を、いちいち意識することが語学だとも言えます。
イメージは、私の中では、あらゆる言語、あらゆる言語のあらゆる記録可能なボディよりも上位にあります。これは、文盲の人の中にも、気が違ってしまった人の中にも、ボケ老人の中にも動くものです。そして、私はそれを具体的な記録可能な、あるいは可視的な言語要素の上位に置きます。
たった一つの単語でも、抱きしめるように感じとること。
そうすると、イメージが動きます。
そうすることを繰り返すことで、徐々に真に核となるイメージが結晶します。
語学の宝とは、その結晶のことだと思います。
コツは、強く思うということです。
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Rosey さん
>千田さんは筆写のとき声を出しながら書くことを奨めておられましたが、根石さんもそう思われますか?声を出すと、どうしても書く早さが追いつかず、声の方が待つようになり、待ってる間に流れが途切れて、違うことを口走ってしまいます。私には、音なしのほうが合ってるような気がします。
「待ってる間に流れが途切れて、違うことを口走ってしまいます」というところがよく理解できません。「違うこと」とはどんなことでしょうか。
先に、イメージを意識に現前させることを書きましたが、ぶつぶつととぎれとぎれにつぶやく単語(群)と現前しているイメージを合体させるように意識を行使するなら、声に出して単語(群)を言うことは非常にいいと思います。
「切断読み」と「回転書き」は原理的には同じものです。
対象が活字であるか、自分の指が生み出す英単語の綴りであるかが違いますが、原理的には、イメージを生じさせるためのものです。
國弘は、「只管筆写」とイメージの関係をいまだ言えていない。千田さんもだと思っています。もちろん、國弘も千田さんもイメージは人並み外れて英語という言語の核に迫っておられるのですが、推奨する方法がどうイメージと関連するのかは、ほとんど何も言えていないと思っています。
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Rosey さん 投稿者:根石吉久 投稿日: 4月15日(火)05時27分29秒
肝心なことを書き忘れました。
イメージは、日本語でもなければ英語でもありません。
「思い」そのものであり、「思考」そのものです。
イメージこそが、あらゆる言語を越え、あらゆる国境を越えるものです。
語学の本体、語学の本当の対象はイメージだと思います。
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想起が回転読みと回転書きの中心にくると思っています。
思い、思考が肝心というか、中心であると私は根石さんから学びました。
3人のいずれも大先生方はその原理を國弘正雄先生においていらっしゃることはほぼ間違いないと思います。
根石さんの「回転読み」と「回転書き」は。。。
國弘先生の「只管朗読」と「只管筆写」に非常に近い。
千田さんの「音読」「筆写」も非常に似ている。
柴田さんの学校での「音作りの実践」もシュリーマンや國弘先生の哲学が元になっている部分がかなりあるようです。
その違いはどこにあるのか。
根石さんは繰り返しを「文単位」を基本にしている。理由はSVOシンタックス。そして意味がわからない段階からどんどんやっていくということ。
千田さん、國弘先生は意味の分かった後の「朗読」「音読」を奨励されている。それは文単位でなくとも段落単位でも文章単位でも、限定はされていないと思います。
柴田さんの「音作り実践」では500ワード程度の1レッスンごととにかくどんどん「朗読」を生徒たちにさせておられます。しかし基礎段階においてはフォニックスにかなりの時間を割き、中高一貫という中で6年計画で実践されている最中なのでテストケースとしては非常に注目すべきものだと思います。
音読するのと筆写するのとでは、当然筆写する方が時間がかかります。約6倍の時間がかかる。私の実践では5回指を折り数えながら音読した後、2回くらい書く。5回音読するのに10秒かかるとすると、同じ長さの文を2回書くのに20秒くらいはかかるということになります。音読と筆写を同時にすることは不可能ですが、音読する速さを筆写する速さに合わせれば可能です。その時、特に脳は活発に動き、効果的な内在化につながるそうです。
根石さんの「切断読み」という言葉は「回転読み」で1つの文をすらすら意味もわかって読めた後、読む速度を落としていって単語を読んだときにイメージがついてきてくれる速さで読むということです。音読を筆写の速さでイメージを伴いながら同時に読みながら書く、いや書きながら読むといったほうがいいのでしょうか?よくわかりませんが、そんな感じだと思います。
記事ありがとうございます。
核心をつかんだものを久しぶりに読みました。
お話したいことがありますので、午後に時間がありましたらお電話をいただ
きたくお願いいたします。
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Rosey さん(1)
>>「切断読み」と「回転書き」は原理的には同じものです。
これは誤解されやすい言い方だと気付きました。
「切断読み」と「回転書き」は、もちろん名前の通り別物です。一方は「読み」であり、一方は「書き」です。しかし、どちらも意識にイメージを喚起するために有効であるという意味で、その作用は共通しているという意味で、原理を共有するということです。
>テキストを見ながら「切断読み」で「回転書き」ですね。
ええと、そうじゃないです。「切断読み」はテキストを見ながらやります。
「回転書き」は、そうじゃなくて、自分の手元から出てくる英単語(群)だけを見てやるのです。そうすると、別の同意表現が口から出てしまうという問題をどうクリアするのか。
おそらくですが、暗記とか意識的に記憶しようという癖があるのではないでしょうか。
國弘正雄がうまく説明していたのですが、今日も酔っ払っているので、面倒だから、國弘の本から引用しないで、私なりに解釈したことを書きます。
記憶しようとか、覚えようとか思う必要はないです。その必要がないのです。
ただただひたすら声に出して読み、その「読み」がこなれて、口の動きが柔らかく連続し、バネが備わるようになるまで、バカになって読み続けることが最大ののコツだと思います。この過程は、「音づくり」でもあるので、音に自信が持てない場合は、コーチを獲得されるのが得策です。Naima
おっしょに、いずれコーチをやるように念を押しておいてください。
もし、口の動きが一連の音の型を獲得してしまっていれば、意味的に似た別の表現が顔を出す余地はなくなります。音が先導するので、別の表現が混ざり込んでくるということはなくなるはずです。しかし、私ども、まだ生きている者が、長い文を扱うことになると、そうそう一連の音で覚えているわけにはいかない。國弘はそれをやった人ですが、國弘は音だけでなく、意味の継起によって覚えたと思います。意味の継起によって、音を連続させることも、音の連続によって意味を継起させることもできるようなレベルのことを日本にいてやってしまったので、アメリカに渡ってからは同時通訳の能力として花が開いたのだと解釈しています。在アメリカで花が開いたのだということをはっきりと言わずに、在日本で「只管朗読」をやれば、國弘と同じような能力が備わるかのような幻想を、在日日本人に与え続けているところが、國弘の罪深いところだと思っています。このあたりには、私は國弘の浅さを感じます。しかし、しかし、この人が、在日本において初心者・中級者のために本当にためになる方法を初めて提示したのですから、このことの意味は決してなくなることはありません。功罪半ばする人です。
えーと、何の話だったか。
えーとですね、素読の考え方では、意味よりも音を先だたせます。
ですが、長い文になると、意味よりも音を先立たせることの難度が増します。
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Rosey さん(2)
これに関しての工夫は、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」に書いてあります。日本語を介在させて意味的な継起を覚えているから、意味的に近いすでになじんでいる語法が顔を出すのですから、機械を使って音に先に行かせることで解決ができます。
すでに「間違わずに連続10回程度回転可能」な質に関しては、理解していただきました。この質が獲得できたら、テープレコーダーを用意して、この質の読みで50回程度をテープに吹き込んで下さい。
90分テープくらいが適すると思いますが、そのテープに「間違わずに連続10回程度回転可能」な質で、同一文を50回くらい吹き込み、テープ一本に入るだけの複数の文を吹き込んでしまいます。このテープを再生して、聞こえてくる文を「回転書き」します。その時、イヤホン、ヘッドホンのたぐいは使わず、音量も絞り気味にして再生させておきます。「回転書き」という練習のBGM程度のものとして使用します。
この状況の下に、「言いながら書く」ということを繰り返し「回転書き」をやります。
言うのは瞬時。書くには時間がかかる。だから、書くスピートと言うスピードにはかなりの「ずれ」が生じます。言うスピードを書くスピードに合わせます。一つの単語を書き始める前に言うのでも、書いている途中で言うのでも、書き終わったと同時に言うのでも構いませんから、とぎれとぎれにぶつぶつと言いながら「回転書き」で書き続けます。そして、肝心なことは、イメージすることです。なるべく、日本語を介在させずにイメージします。
途中で、あれっ? となり、書いている手が止まることがあります。ど忘れです。そしたら、BGMを聴いて下さい。次に書くべき単語(群)が何であるかをBGMが教えてくれます。
先日の手順に書いてありませんが、「回転書き」の前に「電圧装置」で単語一つ一つがすらすらと書けるようにしてあると、「回転書き」では、イメージを生起させることに集中できます。「回転書き」に入る前に、ひとつひとつの単語を各数十回書いて、その単語をつぶやけば、手が勝手にそれが書ける程度の練習をしておくのがいいということです。
「回転読み」「電圧装置」「回転書き」「切断読み」などは相互に有機的に血が通うものです。「英語どんでん・・」は、一見突拍子もないようなことが書いてあるように見えるかもしれませんが、意外にそれぞれの練習は緊密に結びついています。
文庫本を読んで、実験してみて下さい。
やってみてくれるなら、手元に置いてもらうために一冊プレゼントします。
世間では品薄ですが、私の手元にはあります。
友達の手元にも、10冊近くあります。
本当にやってみてくれる人には、プレゼントし続けるつもりです。
この掲示板「鬼」で、ああ、この人はやる気だなと判断でき、ご本人が希望してくだされば、他の方にも喜んでプレゼントしたいと思います。
是非一度、基本通りにやってみていただきたく願っております。
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