>今ドイツ語の回転読みをやっているのですが、音作りのコーチがおりません。 こちらの先生は、モデル発音をやってみせてくれるだけでコツが解らないのです。
これこそ肝心要のポイントです。
ネイティヴは、コツを言うことができないのです。
私も明日からイギリス人に対して日本語のコーチをやる予定ですが、コツを言うことなどできないなあと思っています。コツというものは、外側から内側に切り込むときの感触を言うのであり、外側に立たないと言えないのです。外側からなら簡単にわかるのに、内側にいると全然自覚不可能ななにかなのです。だけど、俺は、日本語の外側に立てていない。だから、エイミー(生徒)がたまたま上手に日本語の音を出したときをつかまえて、それ、どんな感じ? と聞いてみようと思う。イギリス版「一瞬般若」ができるかもしれない。
「モデル発音をやってみせてくれるだけ」というのは、英会話学校の外人教師の100人のうち99人までがそうでしょう。「モデル発音」なら、複製音声教材でも映画でも手に入る。何であれ、こっちが「モデル」としてしまえばいいだけのことだ。英会話学校の外人教師の「モデル発音」は、ライブで相手の口の動きが身近に見えることくらいしかメリットはなかろう。
「モデル発音をすること」と「音づくり」とは、非常に異なったものですが、これが見えにくいのです。
発音をチェックして注意するとか、モデル発音をするとかのレベルでは駄目なのです。
「音づくり」は、生徒の口の動きに音を受肉させます。それができなければ、「音づくり」の名が泣きます。
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風邪ひかないのは、俺だけなのか。
長野県の北の方では、更埴市というところの私の育った家の中では、そこだ
けに限って通用する言い方なのかどうか、もっと普通に流通する言い方なの
かどうか、なんだか、酒のせいだろうと思うが、頭がぐるぐるするのだが、
何の話をしていたかというと、「馬鹿は風邪をひかない」というのだ。
そういう知識がいつのまにか、俺の中にある。
これは、全国的にそう言っているのか。善光寺盆地だけの限られた知識なの
か。善光寺盆地の馬鹿だけが風邪をひかないなんてことはないだろうと俺は
思うのだ。やはり、日本全国、いや、世界全国、馬鹿は風邪をひかないだろ
うと思うのだ。馬鹿の特色というものは、「やけに元気」ということであっ
て、これはアメリカのブッシュから始まって、至るところにごろごろしてい
る特色なのである。
で、自分のことを考えたばあい、どうなるんだ?
俺は、風邪をひかんのだ。
国民温泉が偉いのか。
俺が馬鹿なのか。
まあ、風邪をひかないやつが風邪をひくと、お大事にね、ってなことを言う
まえに大事に至って、風邪は万病の元をさっさと実行に移していたりするかも
しれんので、風邪は普段からよくひいて、なじんでおく方が得策だろうと思う
のに、俺は風邪をひかんのじゃよ。
とことん、馬鹿ってことか?
それじゃあ、あんまりじゃねえか。
さびし。
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柳瀬さん(1)
私は論点のいくつかは提示したと思っておりました。しかし、柳瀬さんは論点そのものにはほとんど触れられず、私の「文体」についての不快を表明されただけです。それが私には非常に残念です。
柳瀬さんが懸念されるような「反感」は私はすでにたっぷりと買っております。私は、先日書いたような「私立」のすかんぴんを身上として、いつもこの種の「反感」という逆風に向かって歩いてきました。日本の英語教育のていたらくを言うのに、どんな「抑えた表現」が適しているというのでしょうか。「抑えた表現」なんかで、本当に日本の英語教育のていたらくを言えるとお考えですか。どうか、本当に知っていただきたい。役人や大学に向けられるべき怒りは、いまだ言葉にならずに日本中にくすぶっているのです。もし、それが言葉になるならば、人々のその言葉は簡単に私の行儀の悪さなど凌駕するのです。
私は「公立の人間」というような考え方をしていません。私の批判は個々の教師に届いて終わるようなものであるとは考えていません。個々の教師が「あるべき授業の姿」と「現実の授業の姿」との間に分裂して苦しむこと。その分裂のはざまにいる教師の苦しみを作り出しているのは、英語教育界に批評というものが払底しているという一事です。研究あって、批評なし。その無批評という風土病を作り出しているのは、他ならぬ大学と文部科学省です。
そんな大学や文部科学省に向けて、どんな丁寧な言葉づかいをしろとおっしゃるのでしょうか。私の怒りはほぼ煮えきっているのです。怒りそのものがいけないのですか。その怒りを引き起こしている、「音づくり」ひとつまともにできない学校というものは厳然と存在しているではありませんか。そちらをきちんと問題にされず、私の文体の行儀の悪さなどを問題にされているのを見ると、いやはやどうも大学の先生ってのはとんちんかんだなあと思うしかありません。
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柳瀬さん(2)
私は先日の文章で、「その場所からものを言わせていただくなら、少し行儀が悪くなりますが、次のようなことが言えるのです」として、「ことがねえ」「つぶれるんだ」「いやがる」「しやがって」「ねえのだ」「けつかるのだ」という種類の言葉を自分で客体化しておきました。決して生な感情をぶちまけたのではなく、私の好きな下層階級の言葉で演じてみただけです。大学の先生なのに、その程度の客体化構造も読みとれないのですか。
柳瀬さん、あなたが私の文体を不愉快に思うことはそれで結構です。私は大学の先生の趣味に合うようにものを書いている者ではないからです。しかし、はっきり申し上げますが、私は世の中に生きてきて、英語や英語の授業や英語の教師たちに対する怨みの声をどれほど聞いてきたか知れません。そして、私ははっきりとこの怨みを言う人々の側に立ちます。決して文部省や学者の側になど立つ気はありません。
私の行儀の悪さは、切れば血が出るたぐいの生き物です。私が英語塾をやって飲まされた煮え湯は大学のおさぼりが湧かした湯です。その煮え湯を飲まされ続けた私の体と、私の文体の行儀の悪さとは分割できません。切れば血の噴く種類の行儀の悪さだと自負しておりますので、これに触られると、私は私の存在そのものを否定されたように感じるのです。文体というものは、そういうものではないでしょうか。柳瀬さんは、本当に文体というものをマナーの問題かなんかだと思っておられるのですか。それとも、冗談を言われているのですか。
私は煮え湯を飲まされた代償に、大学だの、大学にふさわしい品位だの、そんなものに何の遠慮もしないで生きる場所を手に入れました。そういう場所から出てくるあの程度の行儀の悪さのいったい何が問題なのですか。本当に知りたいのです。教えてください。
何度でも言います。日本人の日本語で育った口の動きを元にすえた、現場用の英語音声学を作らないでおさぼりを続けてきた大学の罪は深いのです。また、単に発音を注意する程度のことではなく、「音づくり」という厚みのあるプロセスをスポイルし続けてきた日本の学校の罪は深いのです。その元締めに文部科学省がありますが、そのあり方を大学の人間こそが批判すべきではないのでしょうか。それをさぼり続けているから、私塾の者が興奮して行儀の悪い文体のだんびらを振り回すような事態を招いているのではないのですか。
単に改良を唱える程度のことを繰り返すのではなく、あなたのような立場におられる人こそ、日本の英語教育のていたらくを批評し、批判しなければならないのではないでしょうか。そこをさぼっておいて、人の行儀の悪さだけ指摘しているなんていうのは、ほっかぶりもいいところです。何が私の行儀の悪さを招いているのか、一度しっかりと胸に手をあててお考えください。
行儀の悪い文体によって、ようやく言い当てているなにごとかはあるはずです。
それを抑圧なさいますか。
「喧嘩」という一語があるだけで、Jackie さんの投稿を削除された行為にあるのと同質の抑圧的な臭いを嗅いでしまうのは私だけでしょうか。
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柴田さん こんにちわ。
英語教育だあ 英語学だあ、学会だあ、
いろんな壁は厚くげんなりしてきて もうやめたあ なんて思っていたところに(おまけに 風邪)
さっそうと 白馬に乗ってあらわれた!
私立の進学校の高校1年生は もう英語Uを勉強しているのですね。
公立中高との差はこれから 開くばかりですかね…。
>外部進学生の授業は英語Tの教科書を使い、同じようにやって
おりますが、彼らは中学のときに音の訓練をまったくといっていい
ほど受けておりませんので、一学期の大半をフォニックスと
基本的な発音練習に当てました。
>九州では指折りの進学校であり、卒業生の一、二割が東大に進学する
この環境で 一学期を フォニックスと音作りに当てるというのはまた
風当たりも激しかったのではと 想像しています。
しかし進学校であろうとも 公立であろうとも
今の学校に必要なのはEliotさんの 音作りの道にあるようなティーティングと基礎訓練です。 これがしっかりしていれば 受験にも英会話にも対応ができる。 これなしにコミュニケーション実践もコミュニカティブ授業もありえない。難しい文法問題も 基礎ができていれば 解ける。理屈でなくてわかるようになる。
根石せんせい
昨晩は本当に失礼をいたしました。
実はこの週末に年に一度の50人規模の
ホームコンサートを控え(この狭い家で!)
その出欠の連絡が今週は多いため、
そのTELと勘違いしてしてしまいました。
本当にごめんなさい。
単語も文章も勉強としてやっていた時は本当に覚えられず、
カタカナ読みやローマ字読みでたどたどしく覚えていて
当然のこと覚え切れずいつも赤点をとり、苦労していました。
この世に英語さえなければ・・! といつも思っていました。
今現在は、その頃よりも格段に記憶力は衰えています。
そして白状しますが、とても今だに100回は読み込めてませんが、
驚くのは以前よりも確実に単語も文章も脳裏に残ってると感じることです。
それからほんの少しですが、聴き取れるようにもなっていることが
本当にびっくりです。
何でそらで覚えないで字を読みながら(見ながら)読みを繰り返せと
おしゃってるかも、ちょっとこの頃分かったような気がします。
私は今回始めるまでは、日本語とちがって英語は
読みと文字が一致しない言語だと思い込んでおりました。
日本語に外来語が多いのは、入り込み易いのは
読みと文字がきちんと一致するからで、
意味がなくとも分からなくとも文字にできるからだと思い、
英語にはその自由さと肝要さの持ち合わせが
ないんだと思っていました。
でも、文字を見ながら読みを繰り返す今は、
なぁんだ、文字の通りに読んでいるやんと感動します。
発音と文字は無関係だと思ったままで単語を覚えようとした
若い頃の自分が愛おしくなっています。
でも、学校の先生だって言葉の端々まできれいに
全部消えることなく真面目に読んでいたよなー。
教室の英語と、ビートルズの話す言葉や歌が
同じものとは絶対に思わなかったですもん。
努力の嫌いな私は、これまた始める前までは
数多くの繰り返しの行為は
拷問にも等しい作業と思っていたのですが、
思いがけなく楽しさもちょっと感じ始めています。
その割りには相変わらず回数を読み込めなく、
早くも落ちこぼれの要素が見え見えで情けないですが、
こんなにも努力しているのはやっぱり
人生で初めてのような気がするヨ。
努力できる自分も存在したことがうれしいです。
K
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最近スラッシュ訳を一部入れたプリントで授業するようになりました。
スラッシュ訳を見ても日本語訳ができない生徒も一部にはいますが、スラッシュ訳から日本語訳ができる生徒というのはスラッシュ訳でも十分意味がとれているという実感を最近得ています。というのはスラッシュ訳をした後、あいもかわらず日本語訳をすると生徒が退屈するのです。当たり前か。。。
しかし音作りからは程遠い授業をしている自分がいます。自分の英語力を部ラッシュアップさせること、音作りの時間を少しでも増やすこと、語彙の範囲を自ら広げる大切さを感じています。
以前柴田さんよりいただいたジーニアスのあるレッスンのスラッシュ訳を参考に試行錯誤していきます。どこでスラッシュを入れるのかということなどまたいろいろご教示いただければ幸いです。
6行目
部ラッシュアップ(×)
ブラッシュアップ(○)
sbさん、ちゃんと先生になってきたじゃねえか。
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猪原教之さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(木)03時21分05秒
貴重なご意見がたくさん含まれている記事をありがとうございました。
ただいまは酔っ払っておりますので、明日もう一度読ませていただきます。
ようやく噛み合わせることのできる歯車を見た思いがいたします。
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私は今日、高知大学の多良さんの掲示板にも書かせていただきました。
お読みいただけたらと想います。
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元気に報告します 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(木)04時03分46秒
英語の勉強はなんにもしませんでしたあ。
でも、今日はエイミーに日本語を教えるレッスンの初日で、おもしろかった。
日本語を「技法グラウンド」で何度も読ませました。同じ文章を10回程度読ませて、一応の意味を英語で言おうとするのだが、どうにもうまく説明できない日本語の言い回しがあって、気持ちは腸捻転。
エイミーはでっかい二十歳の女の子で、私の背丈はエイミーの肩に届くか届かないくらいです。そんで、でっかい女の子なんだが、すごく恥ずかしがり屋で可愛いったらないです。
エイミーはなかなか日本語をしゃべらないのですが、日本語を軽んじているからではなくて、日本人に外人イントネーションを笑われたくないらしい。だから、たまにしゃべる日本語は、まるで日本人がしゃべっているような、見事な日本語イントネーションなのです。こいつは面白い女の子だと思っていました。
しかし、「技法グラウンド」で何度も同じ日本語のセンテンスを読ませると、少しずつ外人イントネーションが現れてきて、エイミーは恥ずかしがったり、読み間違えると自分の間違いをくすくす笑ったりして、こりゃまた、実に実に可愛い。
長生きしてよかったと思いました。
それで奮発して、屋代の自転車屋へ一緒にパスタを食べにいきました。
エイミーは考古学を専攻したと聞いていたが、その大学がウェールズのカーディフにあると初めて聞いた。俺はさ、いつか、女房とイギリスの北の方に向かって、車で旅をしてみたいんだという話をして、イギリスの田舎のホテル事情を聞くことができた。
今日は雪が降って、車のヘッドライトが雪が流れるのを見せて、きれいな一日だった。
今後は、エイミーに電話するときは、Nessy を名乗ることにする。
だけど、エイミーには、「ネイシサン」と呼ばせることにする。
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多良さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月28日(木)04時53分34秒
さしでがましいことを言いますが、佐賀県の中高一貫の私立の先生でいらっ
しゃる柴田武史さんの授業は必ず一見の価値があると思います。
広島大学の柳瀬さんは見に行かれると、柴田さんからお聞きしています。
多良さんにも私は是非見ていただきたいと思っています。
私はまだ見ておらず、柴田さんが私の「大風呂敷」に書いてくださった記事
を読んでの判断ですが、大学の研究に役にたつ授業だと確信しています。
なお、私のホームページに柴田さんが書かれた「音づくりへの道」という記
事があります。
これを現在、柴田さんは実名で掲載してくださる予定で、推敲されています。
今は、Eliot さんという名前で書いてくださった記事が読めるだけですが、
これだけでも読みごたえのある記事ですので、是非お読みになっていただき
たくお願い致します。
お忙しい人に余計な差し出口と受け取られないことと願っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/series/otomichi.htm
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空回りされていらっしゃるようでもったいないですね 投稿者:猪原教之 投稿日:11月27日(水)20時45分32秒
根石さんは何をめざしていらっしゃるのでしょうか。英語教育の変革? それとも愚痴の言いっぱなしでしょうか。
私自身は「音作り」の重要性を認めると同時に根石さん方式を学校現場に入れてほしくないと考えるものです。主な理由としては二つほどあげられます。
1. 授業時間の多くを費やす必要性に対し、限られた授業時間の中では得られるものが少なく犠牲にする部分が多そうなこと。
2. 根石さんにとっては石頭の文部科学省を動かそうと考えるよりも、民間人の意地を発揮していただいたほうがよさそうなこと。
私はイギリスで6年ほど生活したことがありますが、「根石さん方式」を学んでいなくても意思の疎通を滞りなく行いました(正確には2回苦労した記憶がありますが)。そのため根を詰めてやる理由がわかりません。また、現地で英語を学んだ日本人の子供はいい発音でしゃべれるのを確認しました。日本語で教わってないにもかかわらずです。
それに海外で英語を聞いているとすぐわかりますが、発音ははっきりいって千差万別です。そのため自分の言うことが理解される限りにおいて問題はないはずであり、自分の発音にこだわるよりは話す内容を磨いたり、聴く力をつけるほうが大事と考えます。
以上は個人的経験にもとづく思いですが、その他の要因も考えないといけませんね。
a. きっちり教えることのできる人がいないだろう。
b. ある程度の音作りができていたなら中嶋さん式の授業で上等ではないか。
c. 文部科学省の方針に縛られて先生にはそんなに裁量がない。
d. 科学的実証のようなものを確立するまで時間がかかる。
e. 実際に「根石さん方式」を試してみようかというファンがほとんどいない。
柳瀬さんのおっしゃる通り、根石さんが抑えた発言を当掲示板で行っていればもっと関心を示した先生もいらっしゃったでしょうから残念です。渋谷駅前で大声でわめいたとしたらいくら正論を述べていたとしてもまじめに受け取ってもらえないでしょう。やり方を変えられたほうがいいと思います。
いずれにせよ、根石さんが「根石さん方式」に絶大な自信があり、きっと世間に受け入れられるとお思いならば、ブロードバンド通信が一般化しつつある現在、コンテンツとして提供されることをお勧めします。書籍を発売にこぎつけた根石さんのことですからきっと成し遂げられるでしょう。そのほうが建設的だと思います。
http://www.onestopej.com/
mailto:ninohara@onestopej.com
Eliotさんの授業を柳瀬さんは見学にいかれると約束されました。全国には「ここはこうすべきだ」とか「こういうアイデアがあるんだけど」と考えられている先生方は多くいらっしゃると思いますが、そういう方々を発見し紹介することを柳瀬さんは行っており、そういう輪が少しずつ広がりつつある状況が柳瀬さんのHPから伝わってきます(現場の先生方のネットワークなんかもあありますよね)。
たぶん根石さん方式をそのままでは教育現場に持ち込めないと柳瀬さんはお考えでしょう。その代わりEliotさんのやり方を何とか吸収して紹介することを試みられるのでは。「音作り教育」を教育現場にどう取り入れるか、いろいろな制約がある中で前進されることと思います。
柳瀬さんは根石さんにはっとさせられたことがあるはずです。でも根石さんが「中庭掲示板」で誤解を招く言い方を重ねることにより柳瀬さんをがっかりさせるばかりか柳瀬さんファンの先生方をも遠ざけてしまうのではないでしょうか。そして根石さんが放つ重要な提言が埋もれてしまうと危惧していらっしゃるのではないでしょうか。
掲示板は公共の場、という意識はHPを持つ私も共有するものです。結局、挑発的な言葉はここ「大風呂敷」でも使ってほしくないと根石さんもお考えになることでしょう(掲示板管理者だけは自分の庭では王様なわけですが)。
mailto:ninohara@onestopej.com
http://www.onestopej.com
猪原教之氏の投稿を読んで、マリーアントワネットのエピソードを思い出した。 スカタンな連想かも知れない。 「あの者達は何を騒いでおるのか」「民衆はパンを欲しがって騒ぎ立てております」「ではケーキを食べればいいではないか」(ちょっと違ったっけか...)
>私はイギリスで6年ほど生活したことがありますが、
磁場持ちだ。
>「根石さん方式」を学んでいなくても意思の疎通を滞りなく行いました
磁場での意思の疎通は言語外の要素が、どれほど支えになって助けてくれるか計り知れない。 意思の疎通たってピンからキリまで。
>そのため根を詰めてやる理由がわかりません。
英語貴族だ... この人に英語を教える為の個人的経験なんかどこにあるんだろうか。 あるとしたら、「英語が出来ないと騒ぐなら、学校の生徒は皆、英語圏で6年間住わせればいいでは無いか... 」と言う事だけ。 こういう人がいるから英語教育をひっくり返さねばならんと思う人が出てくるんだろう。
これ、中庭に投稿すべきなんでしょうか...
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
>全国には「ここはこうすべきだ」とか「こういうアイデアがあるんだけど」と考えられている先生方は多くいらっしゃると思いますが、
根石さんもEliotさんも「アイデアがあるんだけど」だけの方達などではありません。 歴然とした実績があっての上での学習論です。
英語圏で英語を修得された方が「根をつめてやる理由がわからない」とノーテンキにおっしゃると、私の様に日本を一歩も出ずに英語と格闘しなければならなかった者には、「根を詰めてやらなくていい理由がわからない」のです。
猪原様、ほとんどの英語学習者が英語圏に留学する余裕などありません。 そういう学習者にどういうアドバイスをなさいますでしょうか。 私は英語圏にいてもある程度、根をつめて英語の勉強はすべきだと思っている方です。 幼児期から6年、と言うのであれば自然に身に付くと言う事も期待出来るでしょうが、日本語が身に染みてからだとやはり英語圏でも修得に苦しむと思います。
幼児期にいい発音が身に付いたとしても、語彙や言語の使用域は幼児期のままですから、社会人として通用する英語が身に付くわけではありません。 帰国してからも英語の学習は続けていなければ使い物にはなりません。
そのあたりのご経験を詳しくお聞かせ願えれば参考にもなりますし、猪原さんのおっしゃっりたいポイントもはっきり理解出来ると思うのです.
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
ドイツ語学校で私のドイツ語会話力が一向に上達しないので、先生が冗談で離婚してドイツ人と再婚するか...と言われた事があります。 ほとんどの生徒がドイツに移民して来た人、ドイツ人の伴侶のいる人ばかりのクラスでした。 毎日4時間の授業を終えて帰宅するとそこは日本です。 日本語の磁場は英語を腐食させる酸だという根石さんの言葉は身に染みてよく解ります。 日本語を捨ててかかればドイツ語はもっと早く上達したかもしれません。 私の怠慢を度外視しても、そう思います。 しかしドイツ語上達の為に日本人の夫や友人とドイツ語でしゃべるなんぞ、無意味な事です。
意思の疎通などはそれほどお手軽なものではないと思います。 借り物でない自分の言葉で表現したい。 けれども外国語はいつまでも借り物の様な心地がします。 成人として意思の疎通を外国語でする時に、滞り無く行える、と言うのはどういう場合の意思の疎通を言うのだろうか、と考えています。 ベーカリーに行って「そこのパンを2個下さい」と言うのとは訳が違うのです。
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はじめまして
>私自身は「音作り」の重要性を認めると同時に根石さん方式を学校現場に入れてほしくないと考えるものです。主な理由としては二つほどあげられます。
根石さんは 根石さんの回転読み 他を 学校にとりいれるべきだとはいっていません。 Eliotさんの授業が 学校で広がっていくことが学校での教育の理想といっています。
>私はイギリスで6年ほど生活したことがありますが、「根石さん方式」を学んでいなくても意思の疎通を滞りなく行いました(正確には2回苦労した記憶がありますが)。そのため根を詰めてやる理由がわかりません。
よほど頭がよく 優秀な方だと拝見いたします。
日本にいるときにも かなり勉強してらっしゃったはずで決して既存の学校英語教育だけではなく ご自分で英語を学ばれたはずです。 外国にいかれる前にかなりの力をつけていかれたのだとおもいます。
>私は英語圏にいてもある程度、根をつめて英語の勉強はすべきだと思っている方です。
英語が得意で TOEFLでも高得点をとり渡米した日本からの留学生でも
渡米直後はもちろん 2年すぎても意思の疎通がはかれない人はごろごろいますね。 Naimaさんのおっしゃる通り 磁場にいても ある程度根をつめないと 上達はありえない。
>また、現地で英語を学んだ日本人の子供はいい発音でしゃべれるのを確認しました。日本語で教わってないにもかかわらずです
発音習得に関してですが 子供(特に幼児)と 大人を一緒に考えるのはずれています。幼児期に 英語のシャワーをあびる そして英語Naitiveとの頻発の交流をじかにもつことで きれいな発音は身につけることができるでしょう。(日本にいて週1時間ほど触れ合うだけでは無理)
ということで 多くの日本人に 幼児期でさも 英語の音は身につけることはできず よい指導者が必要となります。
学校の先生は 音をきちんと教える技術をもつ必要があります。
英語の先生なのですから。
>柳瀬さんのおっしゃる通り、根石さんが抑えた発言を当掲示板で行っていればもっと関心を示した先生もいらっしゃったでしょうから残念です。
喧嘩を売りにきました。という事の発端の主の私がいうのも 変なのですが
おさえた発言だけでは 決して まともな返答はかえってこなかったでしょうね。 暖簾に腕押し状態で ひょいひょいかわされつづけ または議論にもあたいしないことと とりあげてもらえず 議論ははじまらなかったでしょう。
>柳瀬さんは根石さんにはっとさせられたことがあるはずです。
もちろんです。逆に 根石さんも私も 皆さんも 柳瀬さんのHPで学べることも多い。
>でも根石さんが「中庭掲示板」で誤解を招く言い方を重ねることにより柳瀬さんをがっかりさせるばかりか柳瀬さんファンの先生方をも遠ざけてしまうのではないでしょうか。
そんなに簡単にとうのいてしまうものですか? ファンって?
どんどん 投稿して 柳瀬さんを擁護するなり
議論を活発にくりひろげるなりするのがファンでは?
>そして根石さんが放つ重要な提言が埋もれてしまうと危惧していらっしゃるのではないでしょうか。
核心をつくときに 時には荒い言葉をつかわなければ たどりつけないことがある。 マナーをまもって言葉を使っても 言葉が埋もれてとどかないことがある。 言葉は届いてなんぼ。
>掲示板は公共の場、という意識はHPを持つ私も共有するものです。結局、挑発的な言葉はここ「大風呂敷」でも使ってほしくないと根石さんもお考えになることでしょう(掲示板管理者だけは自分の庭では王様なわけですが)。
英語についての論議で 挑発的な言葉は使って欲しくないなんて 根石さん思ってませんよね?
思っていたら 私は とっくに こちらに 出入り禁止になっているはず、、。
例のななしの投稿者さん あれは 挑発でもなんでもなく アラシです。
何度も議論をもちかけましたがそれに答えず ヤクザ風な大阪弁でおどしをかけてきたのです。 投稿者さんは結局まともな議論をはじめてはくれませんですが。
私は >英語教育と現場、英語教育と英語学、この深い乖離 について ご本人がどうおもっていらっしゃるのか 知りたいところでした。
英語学会についても。
けれど なにも書かずに 荒らすだけ。 残念でした。
ともあれ Eliotさんの授業を 柳瀬さんが見学してくださることは
嬉しい限りです。
根石さんは語学論 柳瀬さんは 英語教育の哲学と つうじるところがあると思うのは わたしだけでしょうか?
酒をかこんで コミュニケーションが一番てっとりばやそうですね。
渋谷駅前で大声でわめいたとしたらいくら正論を述べていたとしてもまじめに受け取ってもらえないでしょう。やり方を変えられたほうがいいと思います。
ばらしついでに・・・
↓のサイトに行くと私が出ています。顔もわかるし、英語を
しゃべっているところも動画と音でご覧になれます。
http://www22.tok2.com/home/asianhomepage/performance.htm
http://www22.tok2.com/home/asianhomepage/performance.htm
http://www22.tok2.com/home/asianhomepage/performance.htm
>柳瀬さんファンの先生方をも遠ざけてしまうのではないでしょうか。
猪原さんがおっしゃりたいのは、「柳瀬さんファンの先生方をも『根石
さんから』遠ざけてしまうのでは」ということではないでしょうか。
http://www22.tok2.com/home/asianhomepage/performance.htm
行って来ました。 お写真に向かって「あ、はじめまして」と思わず心の中でつぶやいてしまいました。 「私、ついこの間までこの先生に楯突いてたんだ...」 と猛省。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
「柴田さん」と呼ばせていただきたいと存じます。今までこのページでの「音作り」理論、同実践のお話、SSS式英語学習法サイトで多読理論など読ませていただいていました。私のホームページにも何度か来ていただいてありがとうございます。また、是非いらっしてください。まだ開設後日が浅いこともあり、お恥ずかしい内容ですが、おいおい改良していくつもりです。
さて、柴田さんのホームページを拝見、拝聴させていただきました。これまでパソコンの操作方法が未熟で音声を聴けなかったのですが、ボリュームが低かっただけの単純な操作ミスだったことが分かると同時に柴田さんの英語音読のビデオを拝聴出来、根石さんが絶賛されていた訳がやっと分かりました。
ところで、根石さんの方へ送られ生徒さん達の音読テープはネット上では発表されていないのですね。是非発表されてはいかがでしょうか? 多くの先生方の参考になると思うのですが・・・。
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
>渋谷駅前で大声でわめいたとしたらいくら正論を述べていたとしてもまじめに受け取ってもらえないでしょう。やり方を変えられたほうがいいと思います。
これはJackieさんが、猪瀬さんへのレスの際引用なさるおつもりで、そのまま文末に残してしましまわれたものと思いますが、私も猪瀬せんのこのお言葉に納得がいきませんので、一言付け加えさせていただきたいと思います。
駅前での演説会であれ、テレビ討論会であれ、みなさん懸命に自説を力説されています。例え、その訴え方が下手であったとしても、正論であれば良識のある人にはいつの日にかまじめに受け取って貰えると思います。どうせまじめに受け取って貰えないのだからと、正論を述べ伝える努力を惜しんでいるのが昨今の多くの言論人ではないでしょうか?
私は自分が信じる英会話学習法を皆さんに参考にして貰おうと考えてホームページを開いていますが、拙い伝え方で「駅前でわめいている程度」だと反省しています。しかし、現今の英会話教育事情を見ていると(駅前留学だとか、聞き流すだけで英語が話せるようになるなどの巨大広告)少しでも自分の信じていること(それが「正論」であることを信じて)を皆さんにお伝えしたいと思っているのです。勿論ご批判には耳を傾けて、少しづつでも持論を改善していくつもりです。
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
猪原さんを猪瀬さんとお呼びしてしまいました。訂正してお詫びいたします。
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
突然の訪問、失礼いたします。
出社はないのですが、パソコンの好きな方に仕事があります。
まじめで地道な作業ができる方しかできませんが、
そういう事が必要な方のみご覧ください。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~c-05e/
http://www5e.biglobe.ne.jp/~c-05e/
また、生徒を育てるのが好きで、生徒にあっさり負けることを気にしなかったらしい、
Eliotさんの中学の「恩師」は英語の能力もなく難しい語学論もしない人だったようですが、
Eliotさんが英語教育の達人になるきっかけを与えました。いくら能力があっても以前に書いた
私の怨師のように人格に問題がある教師だったら、今のEliotさんはないかも知れないのです。
Eliotさんが書かれていた、「自分だけが発音が良くてどうする!」の教師ではありませんが、
「名プレーヤー、必ずしも名監督ならず」というように、こう考えると英語教師には
「この能力がなければ失格」と一般化できるものはないのかも知れません。
>根石さん
一般化の危険性についてはNaimaさんも以前書かれていましたので、ここからは特に根石さんに
言いたいことですが、ESSでもネイティブ教師でもディベートでも学校/塾教師でも何でも、
人はそれぞれで「ある一つの側面」ではとても斬れないものですし、ましてや一般化なんか
出来るものではありません。。
私の大学時代の英会話の教師は教えるのが嫌いで殆ど役に立たなかったですが、こんなことがありました。
あるとき私が言った We Japanese〜という日本人の感覚では当たり前な言い方を強く叱責されたのです。
彼の言ったDon't generalize!の一言は強く印象に残って、「一般化への警戒」は日本語でも英語でも
それ以来私が人に何かを伝えようとするとき、私が常に肝に銘じているものです。
(多読や多聴すると分かるのですが、向こうのメディアに乗るような文章は一般化を慎重に避けています。)
日本語無教養の私は今頃になってこんな詩を発見して共感しました。詩人の根石さんは
とっくにご存知の有名な詩ですが、もう一度思い出して頂きたいと思い最後に引用します。
私を束ねないで 新川和江
わたしを束ねないで
あらせというの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちている
苦い潮 ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
「、」(コンマ)や「。」(ピリオド) いつくかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
現実と同様、ネットの向こう側には「束ねられてたまるか」と思っている
根石さんと同様の個々人しかいないことを心に留めていただきたいのです。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
>Naimaさん
ちょっと誤解では?
猪原さんがおっしゃっているのは、「国内でしっかりした英語を身に付ければ現地でも十分に通用する」
ということだと思います。
猪原さんは、ご自身が渡英以前に国内でどれだけ英語を勉強したのかは、自慢話になる嫌いもあるからか、
触れておられません。しかし、<意思の疎通を滞りなく行いました(正確には2回苦労した記憶が
ありますが)>と書いておられますので、相当量の英語修行を国内でおこなった方だということが伺えます。
その猪原さんが、イギリスに渡って意志疎通に問題がなかったと仰っているのは、大人の場合
「英語の磁場にいなくては英語が身に付かない、逆に英語の磁場にいさえすれば英語が身に付く」
ということが迷信であることを言外で言っておられるのだと読み取れないでしょうか?
国内での十分な学習を経てない人が海外で生活した場合は、「意志疎通できない」ことが
6年で2回どころか、最初のうちは一分に何回もあるはずだからです。
そういう国内で多くの努力をした方に「なんだ、磁場持ちやん!」と言うことはとても失礼だと思うのです。
そして、猪原さんの国内での英語修行には「回転読み」のように>根を詰めて音声面の修行をする必要は
なかったということでしょう。私も、初期の段階での朗読やパターンブラクティスの繰り返しのような
ものの有効性は体験からも認めるところですが、それは初期にはやった方がいいというものに過ぎません。
(故人になったソニーの盛田会長の堂々としたカタカナ英語の例や、セント・カミュの街角の英会話
でもトツトツとカタカナ英語で話す人が出てこない(通じてしまうのでつまらないのでオンエア
されない)ことからも分かるように、日本人が英語が話せないのは発音のせいより圧倒的に
ネタにされる人たちのように英語の語順や発想法が英語のシンタックスになっていないからです)
今見たら、浜谷さんが> 英語圏で英語を修得された方が「根をつめてやる理由がわからない」と
ノーテンキにおっしゃると、私の様に日本を一歩も出ずに英語と格闘しなければならなかった者には、
「根を詰めてやらなくていい理由がわからない」のです。
と書いておられますがこれも読み違いだと思います。猪原さんは、「回転読み」というハードな「音声修行」
の必要は感じなかったと言っているので、英語自体を「根を詰めてやっていない」と言っているのではあり
ません。
まあ、PBを一日十時間とか読んだりニュースのディクテーションをしても、何回も読んで内容が分かり
切っている音読よりははるかに楽で、ある程度出来てくると日本語で本を読むのと同じで楽しみの部分が大
きいのですから、私も「だらだら時間ばかり掛けてきた」実感はあっても、余り根を詰めた気はしませんが。
で、盛田氏のように英語が仕事の一部になっている人を除くと、国内での英語の独学は毎日数時間の
活字インプットやリスニングを「英語の勉強」という意識ではなく「英語ならではの内容を知りたい・
楽しみたい」という、日本語を読み聞きするのと同じ姿勢でそれができるまで何年間にもわたって
「生活の一部」としてやり続けることだと思います。
「日本にいて仕事でもないのに英語漬けになってるなんて不自然だ」という考え方だと
簡単な会話以上の外国語習得は英語環境のない人には国内で成り立ちません。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
「普通に生きる」こと以外は「不自然」なことだと切り捨てたとしたら、四六時中将棋の手を
考えている将棋差しのプロを目指す人も「普通の生活には何の役にも立たない」不自然なことを
友だちつき合いのような「普通の人としてやるべきこと」を犠牲にしてやっているわけです。
あらゆるスポーツ選手・専門家・学者・職人等の一人前になるまでの長期間に渡る「修行」
も「不自然なもの」として否定しなくてはなりません。
あの田中主任は、高校の友人と新幹線に乗ったときに「質量分析の新手法」について、
とうとうと語り続けたそうです。
化学装置に何の関心もない友人は辟易して「ポカリ」と田中さんの頭を殴って「黙れ!」
と言ったのですが「もう偉くなっちゃったから、次からは頭を殴るわけにはいかないな」と
その友人はインタビューで苦笑して答えていました。
田中さんは一般人には「不自然」な「一日の殆どを化学装置のについて考える」ということを
「自然」になるまで続けた人です。一般の人々にスポーツやうわさ話が自然なように、気を付けないと
門外漢相手にでも、田中さんは自分には「自然」である専門のことが口をついて出てしまうんですね。
田中主任(フェロー?)の化学装置の研究には給料が出ますが、語学修行は「ただ働き」ですので
田中さんまで時間をとれないにしても、国内で「外国語の感覚」を身に付けた人は沢山います。
皆さん、国内で外国語漬けになるという「不自然な」ことを「自然」になるまでやり続けた人でしょう。
よく言われる日本にいて「英語漬けになって英語の感覚を身に付ける」というのは、チョムスキー流に
言うと「外国で(特に活字を中心に音声はメディアから)大量インプットすることにより、生成文法を
獲得する手法」だと柳瀬さんの解説を読んで思いました。
統計があるわけではありません。しかし、留学が大事業であった戦前までにロシア・フランス・
英米文学など多量の翻訳をこなした人たちは、その多くが外国語を上のようなやり方で「感覚で
分かる」まで修行した「国内外国語派」だったはずだということも例に挙げられるでしょう。
(確か大家になって余裕が出来てから初めて海外に行って話すのは全然出来なかった翻訳者がいた
ということですが、外国人に触れる機会も殆どなく音声メディアも無い当時では無理もありません)
「解体新書」レベルの理系の明快な文章なら「暗号解読」のやり方でも何年も時間さえかければ一冊が
翻訳できます。しかし、(書かれていない)背景知識を前提とした文学の微細な心理の機微を表す表現を
理解し膨大な量の翻訳を次々にするためには、少なくとも読み言葉での「外国語の感覚」が必須です。
「外国語の磁場は飛行機で一っ飛びすれば手に入る」という根石さんの断定は、多くの語学留学生
が買い物程度でしか使える外国語が使えないことや、何よりNaimaさん自身がドイツにいるのに
ドイツ語の磁場が手に入っていないことからも、そう簡単に鵜呑みに出来ないことは明らかでしょう。
これは、大人と子供の差・現地の言葉を話さないと生きていけない環境の有無など、色々な要素が
あると思いますが長くなるので察して下さい。
Naimaさんはご主人が日本人で、友人も日本人が多くいるという語学習得の面では
「悪条件」が多いということはあります。
それでも、もしNaimaさんが国内でドイツ語の新聞雑誌や本を毎日何時間か読むことを
「習慣」になるまで続けていた方だったら状況は大きく違っているはずだと思うのです。
読むのを中心に言っているのは、国内で手軽にできて楽しみになるので長続きするのは
何といっても読むことですし、活字を中心に身に付いた単語レベルまでの「シンタックス」
の感覚を音声に結びつけるのは本物の磁場に身を置けば、猪原さんの例で分かるように、
それほど大変なことではないと思われるからです。
>英語貴族だ... この人に英語を教える為の個人的経験なんかどこにあるんだろうか。
また、上で述べたように↑は誤解だと思いますが、教師の資格として「国内で苦労して英語を身に付けた」
ことが、必須だとも思えません。
帰国子女で気がついたらバイリンガルだった人でも、「相手の気持ちを推し量る」優しい心が
あって、「教え好き」だったら、殆どの国内英語派の教師が逆立ちしても太刀打ちできない優秀な
英語教師になるでしょう。
国内英語派で沢山苦労した挙げ句英語をものにし、日本語と英語の違いを考え抜いてきた人でも、
「教えるのが面倒」だったり、人を育てることに興味がなかったら、優秀な英文学者や言語学者
翻訳家になれたとしても、教師の適性があるとは言えません。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
今見たら、浜谷さんが> 英語圏で英語を修得された方が「根をつめてやる理由がわからない」とノーテンキにおっしゃると、私の様に日本を一歩も出ずに英語と格闘しなければならなかった者には、「根を詰めてやらなくていい理由がわからない」のです。
私にはこのようなコメントをした覚えがありません。どこでしたのか教えていただけますでしょうか? 仰ってるようなことは露ほども思ったことはありません。恋人ファンさんと同様私も日本を一歩も出ず主に多読で格闘してきました。多読の量は貴方よりはるかに少ないと思いますが・・・。
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
>英語圏で英語を修得された方が「根をつめてやる理由がわからない」とノーテンキにおっしゃると、私の様に日本を一歩も出ずに英語と格闘しなければならなかった者には、「根を詰めてやらなくていい理由がわからない」のです。
と仰ったのはNaimaさんだったということがもう一度掲示板を見直して分かりました。ご批判をされる場合は対象コメントの投稿者をよく確認してされるようにお願いします。大変迷惑します。
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
もともと柳瀬さんのサイトの「中庭」に以下のものを含む文章を投稿いたしました。
(引用開始)
柳瀬さんのおっしゃる通り、根石さんが抑えた発言を当掲示板で行っていればもっと関心を示した先生もいらっしゃったでしょうから残念です。渋谷駅前で大声でわめいたとしたらいくら正論を述べていたとしてもまじめに受け取ってもらえないでしょう。やり方を変えられたほうがいいと思います。
(引用終わり)
これは根石さんの投稿の仕方に異議を唱えたものであり、浜谷さんには一切関係ありません。マナーといったものを意識しない発言は日本なら容認される余地があるのかもしれませんが、海外ならなおさらのこと許容範囲が狭いです。せっかくいい発音を根石さんから学んだ生徒さんが海外で人目を気にせずに失礼な発言をしたとすると、よいコミュニケーションが生まれるでしょうか。正しい振る舞いを意識させる教育のほうが音作りよりも重要だと私は考えています。
なお念のため浜谷さんのHP等を拝見しましたが、好意的に見ております。恋人ファンさんなどと同様に相当実力がある方だと理解しております。
mailto:ninohara@onestopej.com
http://www.onestopej.com
その時に使われているのが、「技法グラウンド」ですが、簡単に言えば、こちらが一回言ったものを生徒に5回〜10回程度繰り返し言い続けさせる方法です。その途中で、問題がみつかれば、直すためのコツを言い、再び生徒に繰り返し言わせ、直った口の動きで、まともに5回〜10回程度言えたら、次の文に移ります。この過程で、絶えず文全体を言わせますので、「音づくり」がそのまま「インプット」になっていきます。
学校の教室でこれを行うなら、一人の生徒を指名して、「技法グラウンド」を行い、生徒がまともに5回〜10回くらい言えるようになったら、クラス全員に1分とか2分を与えて繰り返し言わせるようなやり方になります。他の生徒も、「音が直っていく過程」を聞いていますから、学校の授業でもやれます。全員に言わせる時は、ひとりづつをチェックできませんが・・・。そういう話を私の生徒の高校の先生にしたところ、「それ、柴田さんがやっておられましたわ」とその方はおっしゃるのでした。私の掲示板をきっかけにして、柴田さん(旧
Eliot さん)とお話しされ、その方は佐賀まで柴田さんの授業を見に出かけられたことがあったのでしたが、その時に見られたということでした。
ですが、学校のクラスを使ったやり方では、私は柴田さんのやり方が総体として先進的なものだと考えており、私自身は学校の先生にアドバイスを求められたら、授業の中に部分的に取り入れるためのものを話すということをしてきただけです。学校のクラスという形態を前提にする場合は、柴田武史さんの方法がいいのだと私はずっと言い続けてきたと思います。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/series/otomichi.ht
>私はイギリスで6年ほど生活したことがありますが、「根石さん方式」を学んでいなくても意思の疎通を滞りなく行いました(正確には2回苦労した記憶がありますが)。そのため根を詰めてやる理由がわかりません。
根を詰めてやるという言い方は、むしろこれまでの知識を知識のレベルにとどめてしまう学校英語に当てはまる言い方であり、私の「回転読み」は、こりゃまた大変な練習だとわかったが、やっていて楽しいという報告をよくいただきます。「回転読み」を試していてくださる方々の掲示板「鬼」があります。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
>現地で英語を学んだ日本人の子供はいい発音でしゃべれるのを確認しました。日本語で教わってないにもかかわらずです。
これは当然の話です。これについては Jackie さんが書いてくれていたと思います。子供は語学においては特殊例になります。ネイティヴ言語の磁場におけるほとんどすべての例が、語学においては特殊例になります。日本で日本語で育って、音も思考もいったんは日本語で形成された後の人の語学(典型的な語学)と言語の磁場における子供の言語形成とははっきりと区別すべきです。これが区別できていないのは、猪原さんの大きな弱点です。「日本語で教わってないにもかかわらずです。」は、「日本語で教わっていないからこそです。」と書き直されるべきです。思考が混乱しています。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
きのう、お返事を書こうかと思っておりましたが、非常に疲れていて、一日を休憩にしました。すぐお返事できず申しわけありません。その後、猪原さんの提示されたことが話題となり、ここでは活発な議論が発生していますが、私も猪原さんのお考えに私の考えを対置してみたいと思います。
また、お返事をこちらに書かせていただくことをご了承いただきたく思います。柳瀬さんの掲示板で、かつてやたらに記事が多くなることは好ましくないという主旨のことを柳瀬さんが書かれていました。私はまるで違ったふうに考えており、記事数なんかいくら増えたって構わない。それらが、過去ログとして保存され、誰もがアクセスできるようにしてさえおけば、記事数なんか気にする必要はないと考えていますので、お返事を「大風呂敷」でさせていただくことでご了承ください。
そうでした。申し遅れました。柳瀬さんの「中庭」からご自身の文をこちらに転写していただきありがとうございました。私も、こちらで猪原さんに反論した旨は、「中庭」にお知らせするつもりです。
>根石さんは何をめざしていらっしゃるのでしょうか。英語教育の変革? それとも
愚痴の言いっぱなしでしょうか。
非常に記事数が多くて恐縮ですが、「大風呂敷」の過去ログをお読みいただければ、おおよそ私が何をしようとしているかはおわかりいただけると思います。猪原さんには、「愚痴の言いっぱなし」とも見えるわけでしょうが、「言いっぱなし」にとどまっているというようなことはありません。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
>私自身は「音作り」の重要性を認めると同時に根石さん方式を学校現場に入れてほしくないと考えるものです。
これについては、Jackie さんが代弁してくださっていますが、私は私の方法を学校現場へそのまま持ち込めるものだとは考えておりません。私の塾は、複数の生徒が一つの部屋にいる場合でも、机をはさんで一人ずつ生徒を見ています。基本的に、生徒がやるべき練習を済ませたと自分で判断したら、妻(現在私は塾をやっておらず妻がやっています)の机の前に座るのです。この「一対一」方式は、私は「電話でレッスン」の方に活かしています。元々、電話は一対一のメディアですので、塾でずっと続けてきた一対一方式はそのまますんなりとやれました。
一対一を基本として開発した方法なので、学校現場へそのまま持ち込めることはないだろうという考えは以前からありました。私の生徒さんに高校の英語の先生が二人おられますが、一人の方が以前、「根石さんのやり方を学校の授業で使ってみたいが、どうしたらできるだろう」と質問してくださったことがありました。主に「音づくり」に関してでした。もし、持ち込めるとしたら塾でやっている方法は無理だ。あれは、せいぜい10人程度までしか見ることができないものだ。持ち込めるとしたら、「技法グラウンド」だけだろう。あれを手直しすれば、使えるが、とその方にはお返事しました。
一般に、学校の授業で「音」を扱うとしたら、ネイティヴ音の複製音声を生徒に聞かせて、「これを真似て同じように言え」ということと、生徒に読ませて(言わせて)、違っている音を注意する程度のことしかやっていないだろうと思います。
これに対して、私の「音づくり」は、「音づくり=インプット」です。「音づくりによるインプット」と言っていいと思います。「音づくり」の過程で、文全体を扱うことによってこれが可能になります。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>それに海外で英語を聞いているとすぐわかりますが、発音ははっきりいって千差万別です。そのため自分の言うことが理解される限りにおいて問題はないはずであり、自分の発音にこだわるよりは話す内容を磨いたり、聴く力をつけるほうが大事と考えます。
発音が千差万別であることはその通りであり、私も「生活言語」における発音は千差万別のうちの一つであればいいのだと考えています。私は「生活言語」における音の現象と語学における発音の問題は別のものだと考えています。ここをちゃんと区別しないと、そもそも語学などというものは成立しなくなります。みんな生活言語にまみれて、言語を獲得すりゃいいので、なんでわざわざ語学なんかやるんだという理屈になります。それは、日本語で育って日本で英語をやっている人に対する暴言となります。日本には英語の磁場がないんだという一事を提示すれば、猪原さんのおっしゃることは全部ひっくりかえると思います。
語学における発音の問題は、決して「自分の言うことが理解される」なら問題がないというようなものではなく、「相手の言うことが理解できる」問題と一人の人間の感覚においてつながっている問題です。
>自分の発音にこだわるよりは話す内容を磨いたり、聴く力をつけるほうが大事と考えます。
これもまた、語学と生活言語を区別できないための暴言と思われます。日本語で形成された日本人の口というものとともに、日本語で形成された日本人の耳というものもあります。私の言う意味での「音づくり」、あるいは柴田武史さんが言われる意味での「音作り」のような過程を省いて、「聴く力」をつけようとしても、日本語で形成された日本人の耳は、「複製音声をむやみに聴く」ということしかできず、これが実に非効率的なものであることは多くの人が大金をどぶに流して知っていることです。
話す内容を磨くなどは、「語学」の範囲をはみ出たことであり、むしろ、広い意味での「生活言語」の「生活」に関することがらです。語学そのものには、内容の深さなどを養成する義理はありません。それは、各自勝手にやれというしかないものでしょう。
総じて、猪原さんは、「生活言語」と語学の対象としての言語との区別がまったく見えておられないために、暴言を繰りかえさざるをえないのだと考えます。
>a. きっちり教えることのできる人がいないだろう。
これについてはその通りです。だから、「音づくり」が必要なのだ。しかも、大学でそれが必要なのだと私は言っているのです。「音づくり」は「教員づくり」でもあるのです。
>b. ある程度の音作りができていたなら中嶋さん式の授業で上等ではないか。
ある程度の音作りというものが、どの程度のものなのか、皆目見当がつきません。これに関しては、以前、柴田さん(当時、Eliot
さん)との間で、私は議論したことがあります。(過去ログにあるはずですが、現在、過去ログの番号を確かめる時間的余裕がありません。)もっとも簡単に要約してしまうと、柴田さんは、「完璧な音」を主張され、私は「通じる音」を主張しました。「しゃべる力」の方を考えれば、私の主張でいいし、「聴く力」のことを考えれば、柴田さんの方に分があると最近では考え直しています。いずれ、私は佐賀を訪れて、柴田さんの授業を見させていただきたいという希望をもっていますし、柴田さんの発音講習会にも出たいものだと考えています。「完璧な音」と「通じる音」に関しては、私はまだ考えていますが、猪原さんの言い方における「ある程度の音作り」というものは、やはりわかりません。それが、「通じる音」のレベルを獲得していないなら、これまでの学校英語の音の扱いをそのまま容認することにしかなりません。もしもそうであるならば、私ははっきりと猪原さんに対立したいと考えます。
猪原さんの言葉には、「しょうがねえじゃねえか、現状がこうなんだから」というような現状容認の響きがあると私は感覚していますが、それは私の感覚とは非常に違ったものです。猪原さんのような感覚でいいのであれば、掲示板まで開設して、こんなご苦労な文を書き続けるような馬鹿な真似を私はやっていないでしょう。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
c. 文部科学省の方針に縛られて先生にはそんなに裁量がない。
縛られて縛られたままになっている先生の主体放棄も言わないと、ただの現状容認です。
d. 科学的実証のようなものを確立するまで時間がかかる。
そんなものは、どんな統計を使っても確立されることはないと思っています。語学が科学的言語で語れるなどと考えるのは迷信に過ぎないと思っています。語学は、「一人」の人間における主体的行為以外のものではないので、意志というものを数学の定理だか公理のように定義できるのでなければ、科学的実証なんかという果実は実ることはありません。
e. 実際に「根石さん方式」を試してみようかというファンがほとんどいない。
ファンなんかいたっていなくたってどうでもいい。しかし、試してみようどころか、実際に激しくやってくれている人たちは、掲示板「鬼」に集まってくれています。また、ここに書かれない私の「電話でレッスン」の生徒さんたちの中にも、激しい練習をしてくれる方が何人もいらっしゃいます。私が何十万単位のベストセラーを私が出していないということを言っておられるのでしたら、文庫本一冊出しただけの私の身においてはすでに決着がついており、私の語学論は微々たる勢力です。しかし、「磁場」という観点にせよ、「技法グラウンド」という方法にせよ、本を上梓した後にうぶ声をあげたものであり、現在もまだ私は語学論を書き続けております。批評の言葉は具体例を貫いて、その背後にそびえるものの心臓を貫くであろうということは、この過程において私が信じているものです。研究だけして澄ましこんでいる大学の教師なんぞとは違うのです。
>柳瀬さんのおっしゃる通り、根石さんが抑えた発言を当掲示板で行っていればもっと関心を示した先生もいらっしゃったでしょうから残念です。
職員室では、相互の発音について何か言うことはタブーになっているという噂を聞いたが本当でしょうかと私は柳瀬さんの掲示板に書きました。その後、不気味な沈黙が続きました。そんなこと一つに、沈黙を続けるような「先生」などというものを私は最初から信用しておりません。だから、何も残念なものはありません。あなたは残念がりたければ、残念がっていてください。私には何の役にもたたないしろものです。
>いずれにせよ、根石さんが「根石さん方式」に絶大な自信があり、きっと世間に受け入れられるとお思いならば、ブロードバンド通信が一般化しつつある現在、コンテンツとして提供されることをお勧めします。書籍を発売にこぎつけた根石さんのことですからきっと成し遂げられるでしょう。そのほうが建設的だと思います。
世間に受け入れられるかどうかも私の本質的な関心ではありません。英語フリークどもによって汚された英語を、語学として洗い出したいというのが私の関心です。ブロードバンド云々については、私の力で使えるものは使うつもりであると申し上げるだけです。書籍を発売にこぎつけたというのが、小学館文庫のことをおっしゃっていると読みましたが、私は20年以上も前に素読舎版の「英語のやっつけ方」を発行しております。小学館の編集の方が、それの復刻をやろうと言われたので、どうせやるんなら、現在の問題意識も盛り込んだものにさせてくれと言っただけです。発行の意志は私にあったのではなく、小学館の編集の方にありましたから、「こぎつけた」というのは私の行為ではありません。
「その方が建設的」に関してですが、掲示板運営は、十分に破壊的であり、破壊的であるがゆえに建設的だとも思っています。単なるひらべったい「建設的」など、私はとうの昔に信じておりません。
柳瀬さんにも申し上げましたが、私の怒りは「煮え切っている」のです。「建設的」なんぞやる気はありません。
以上です。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>せっかくいい発音を根石さんから学んだ生徒さんが海外で人目を気にせず
に失礼な発言をしたとすると、よいコミュニケーションが生まれるでしょう
か。正しい振る舞いを意識させる教育のほうが音作りよりも重要だと私は考
えています。
ご立派な考えだと思いますが、私のレッスンを受けて、発音はよくなった
が行儀が悪くなったなどという人は一人だっておりませんから、ご心配はご
無用です。
人の行儀をよくするのが、教育者であるならば、私は教育者をやるような
気は芥子粒ほども持っていません。
私は語学における職人です。教育者などという気色の悪いものではありま
せん。
よいコミュニケーションも糞もない。コミュニケーションというものがあ
るだけだ。教育者は「よい」コミュニケーションなどというものを信じてい
るがいい。必要なら、ちゃんと喧嘩ができることがコミュニケーションでは
ないのか。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
浜谷さん、私の勘違いでした。申し訳ありません
昨日投稿前に浜谷さんの新しい書き込みがあったのを見て、その後Naimaさんのあの部分が目に
入ったもので>私の様に日本を一歩も出ずに英語と格闘しなければならなかった者 の部分から
てっきり浜谷さんの発言と勘違いしてしまいました。
どうも、商社員の奥さんのNaimaさんは海外行きまくりの筈だと勝手に思いこんでいて「日本を
一歩も出ず」ということはないだろうという決め付けをしてしまったことからの思い違いでした。
「英語と格闘」というのも浜谷さんの苦労を読んでいたので浜谷さんとダブってしまい、
あれを加筆したのが浜谷さんが発言した直後でもあり、勘違い原因になったようです。
発言者の確認をよくしないで、こちらの勘違いで浜谷さんのお名前をあげて反論してしまいました。
誠に申し訳ありませんでしたm(_ _)m
>管理者様
そういうわけで、「ご無沙汰しています1」を訂正して再投稿しますので、
お手数ですが以前の1は削除して下さい。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
>Naimaさん
ちょっと誤解では?
猪原さんがおっしゃっているのは、「国内でしっかりした英語を身に付ければ現地でも十分に通用する」
ということだと思います。
猪原さんは、ご自身が渡英以前に国内でどれだけ英語を勉強したのかは、自慢話になる嫌いもあるからか、
触れておられません。しかし、<意思の疎通を滞りなく行いました(正確には2回苦労した記憶が
ありますが)>と書いておられますので、相当量の英語修行を国内でおこなった方だということが伺えます。
その猪原さんが、イギリスに渡って意志疎通に問題がなかったと仰っているのは、大人の場合
「英語の磁場にいなくては英語が身に付かない、逆に英語の磁場にいさえすれば英語が身に付く」
ということが迷信であることを言外で言っておられるのだと読み取れないでしょうか?
国内での十分な学習を経てない人が海外で生活した場合は、「意志疎通できない」ことが
6年で2回どころか、最初のうちは一分に何回もあるはずだからです。
そういう国内で多くの努力をした方に「なんだ、磁場持ちやん!」と言うことはとても失礼だと思うのです。
そして、猪原さんの国内での英語修行には「回転読み」のように>根を詰めて音声面の修行をする必要は
なかったということでしょう。私も、初期の段階での朗読やパターンブラクティスの繰り返しのような
ものの有効性は体験からも認めるところですが、それは初期にはやった方がいいというものに過ぎません。
(故人になったソニーの盛田会長の堂々としたカタカナ英語の例や、セント・カミュの街角の英会話
でもトツトツとカタカナ英語で話す人が出てこない(通じてしまうのでつまらないのでオンエア
されない)ことからも分かるように、日本人が英語が話せないのは発音のせいより圧倒的に
ネタにされる人たちのように英語の語順や発想法が英語のシンタックスになっていないからです)
> 英語圏で英語を修得された方が「根をつめてやる理由がわからない」と
ノーテンキにおっしゃると、私の様に日本を一歩も出ずに英語と格闘しなければならなかった者には、
「根を詰めてやらなくていい理由がわからない」のです。
ともNaimaさんは書かれておられますがこれも読み違いだと思います。猪原さんは、「回転読み」で
代表されるようなハードな「音声修行」の必要は感じなかったと言っているのです。
別に、英語自体を日本にいるときに「根を詰めてやっていない」と言っているのではありません。
まあ、PBを一日十時間とか読んだりニュースのディクテーションをしても、何回も読んで内容が分かり
切っている音読よりははるかに楽で、ある程度出来てくると日本語で本を読むのと同じで楽しみの部分が大
きいのですから、私も「だらだら時間ばかり掛けてきた」実感はあっても、余り根を詰めた気はしませんが。
で、盛田氏のように英語が仕事の一部になっている人を除くと、国内での英語の独学は毎日数時間の
活字インプットやリスニングを「英語の勉強」という意識ではなく「英語ならではの内容を知りたい・
楽しみたい」という、日本語を読み聞きするのと同じ姿勢でそれができるまで何年間にもわたって
「生活の一部」としてやり続けることだと思います。
「日本にいて仕事でもないのに英語漬けになってるなんて不自然だ」という考え方だと
簡単な会話以上の外国語習得は英語環境のない人には国内で成り立ちません。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
お久しぶりです。
>そういう国内で多くの努力をした方に「なんだ、磁場持ちやん!」と言うことはとても失礼だと思うのです。
私は猪原さんの学習歴をまったく存じ上げませんが、恋人ファンさんが猪原さんの事をよく御存じであれば、私の投稿はまったくのピントはずれだったのかもしれません。 けれど猪原さんのご投稿を読ませて頂いた時、高い所から下される奥歯にもののはさまった様な批判、鼻持ちならない磁場持ち、と感じてしまったのです。
中庭へは行っていないので、過去ログをじっくり読ませて頂くべきだったのかもしれません。
あれ、「ご無沙汰です1」になってますね。 2があるんですね。 それを先に読ませて頂きますね。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
多良さんに、引用させて欲しいとお願いしましたが、お返事がいただけませ
んので、無断引用いたします。もし、抗議があり、それが多良さんその他の
方に害になるものであるとか、損得の損をもたらすものであると納得できま
したら、管理人様に削除をお願いする予定です。
以下に引用する部分が多良さんのご意見ですが、私はこれに賛成です。
----------------------------------------------------
ここで一つ言っておくとすれば、大学側の教員養成課程における発音指導が原因で日本の英語発音指導が空
回りしていることは間違いないと思います。現在、ある方と今後の授業の在り方をここ教育学部で検討中で
す。まだまだ表に出せませんが、そのうち機会があればこんな実践していますよ、と紹介させていただきた
いと思います。
----------------------------------------------------
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
http://8614.teacup.com/tara/bbs
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>日本人が英語が話せないのは発音のせいより圧倒的にネタにされる人たち
のように英語の語順や発想法が英語のシンタックスになっていないからです。
部分的に引用して失礼かとも思いますが、この部分には何の異存もありま
せん。私もこのように考えています。
パターン・プラクティスをやるにせよ、朗読をやるにせよ、シャドウイン
グをやるにせよ、根付きそうで根付かない英語シンタックスを何度も何度も
意識下に沈めてやる行為であろうと思いますが、それら各種の練習方法のど
の過程においても、「音づくり」をやった音でやる方が、二度手間を防げる。
「音づくり」と「シンタックス」を根付かせることは、二つの大きな眼目で
あり、どちらを欠くのもまずいと私は言っているにすぎません。「音づくり」
なんかやらなくていいと言っているのは、ほとんど場合、逃げに過ぎないと
思っています。
また、磁場の有無は、シンタックスを根付かせる場合に大いに違った作用を
及ぼすと考えています。
「英語圏に行きさえすれば・・・」などと私が考えているのでないことは、
これまでに何度も書きましたので、いまさら再説いたしませんが、磁場と机
上との関係で言えば、磁場にいる人は、「磁場と机上を往復せよ」という私
の言い方で、全部言えていると考えています。
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>でも根石さんが「中庭掲示板」で誤解を招く言い方を重ねることにより柳瀬さんをがっかりさせるばかりか柳瀬さんファンの先生方をも遠ざけてしまうのではないでしょうか。
私>そんなに簡単にとうのいてしまうものですか? ファンって?
どんどん 投稿して 柳瀬さんを擁護するなり
議論を活発にくりひろげるなりするのがファンでは?
と柳瀬さんファンが 柳瀬さんを掲示板から遠ざけてしまうという意味ではなく
Eliotさん改め柴田さんがおっしゃっている
>猪原さんがおっしゃりたいのは、「柳瀬さんファンの先生方をも『根石
さんから』遠ざけてしまうのでは」ということではないでしょうか。
という 意味合いということでしょうか?
だとしたら 私が誤解したということで すみません。
どちらでしょうか?
私は英語圏で英語を身につけて来た人達が、英語教師としては不適格だとは言ってないのです。 私は意気地なしのくせしてたびたび人に突っかかったり断定的な物言いをして顰蹙を買ってますが、overgeneralization はあまりやってないと思うのですが... やってました?
猪原さんの大風呂敷でのご投稿だけでの判断で申し訳ないのですが、猪原さんの「根をつめてやる理由がわからない」とのお言葉を受けての事です。 英検1級なんぞ取得してみれば、どうでもいい様な資格です。 いまだに英語に不自由するからです。 滞り無く意志の疎通が出来た試しなどありません。 けれどそこに至るまでに、どれくらい英語と格闘しなければならなかったか計り知れません。 もちろん回転読みなど知らない頃の事です。 回転読みを知らずとも、「根をつめる」学習はしなければなりませんでした。 磁場にいた事がない者の英語は、ちょっと手を緩めると、ズルズルと手から滑り落ちて行ってしまいます。
猪原さんが御自分の英語学習歴について言及されなかったのは、謙虚さ故だったのかもしれません。 学習について論じるにあたって、具体的に、学習歴の起承転結、具体的な到達レベルなどを示す事は、何も偉そうに言う事にはならないと思います。 ファジーな言い方でああだこうだ、と言われると、「ああ、私だって留学出来たら英語に根を詰める事なんかないんだ...」と思う人達も出て来ます。 学習者の足掻きを御存じであれば、それは言ってあげるのが親切ではないでしょうか。
私のドイツ語の学習法についてアドバイスを頂きありがとうございます。 最初の2年間は3〜4ヶ月づつ日本とドイツを行き来する生活でした。 英語でなんとか暮らせるだろう、と思ったのが、間違いでした。 主婦の日常の生活範囲ではまったくと言っていいほど英語が通じません。 それにドイツ語圏に住みながら、ドイツ人に向かって英語で話し掛けるのはとても失礼な事の様に思い始めました。
あわてて昨年の1月にドイツ語学校の集中クラスに入学しました。 3ヶ月で初級のコースを終え、3ヶ月日本に帰ってドイツ語を忘れ、と言う生活です。 ドイツに来るとまた初級をやり直しです。 日本でもドイツ語を学習しておれば、もう少し身に付いたのかもしれません。 学校は毎日4時間、自宅で予習と宿題に4〜5時間、一番大事な復習の時間がほとんど取れない毎日でした。 帰宅後、宿題をし家事をすませて、また宿題をします。 夫が遅い食事を済ませた後片づけものをして、また勉強です。 朝5時に起床して7時に夫が起きるまでまた勉強。 8時30分から授業が始まるので7時前に机の上のテキストや文房具をバッグに放りこんで駅へと向かいます。 2日で1課進み、毎週月曜日は45分間のテストがあります。 2日で1課と言うと簡単な様ですが、新出単語が100ほどになります。 名詞には性がありほとんど規則性はありません。 それでも動詞よりもずっと楽ではあります。 動詞が50以上も出た日にはもう悶絶ものです。 やってられないのです。 時間がない。 しかし予習して行かないと授業にはついていけません。
ドイツ語の新聞を読めば、と言う事ですが、新聞を読めるほどのドイツ語力はありません。
しかし主婦ですから読まなければならないお知らせや電気製品や食品の説明書などが山ほどありました。 それでドイツ語版のドラゴンボールやスヌーピー(日本語版や英語版で内容に「精通」していたので---たかかマンガにご大層な言葉ですが。)を読んでいました。
クラスメートはもともとブロークンであっても日常はドイツ語で暮している人達ばかりなので、どんどん会話力が改善(?)されて行きますが、私はまったくの一からなのでなかなか会話力がつきませんでした。 学校で先生や教務で伝えないといけない事を作文してからでないと話せません。 初級は2期にわかれていますが、後期の授業の半ばあたりからチック症状が出る様になりました。 左瞼が痙攣して止まらなくなったのです。 予習も復習も出来ない日があり、一日さぼると痙攣は止まりましたが、翌日の為の予習を始めるとまたチック症状が出ました。
私は何を書いておるんでしょう。 ちょっと頭冷やします。
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>それでドイツ語版のドラゴンボールやスヌーピー
それで→それと
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浜谷さんは一度も日本を出ずにガイド試験に合格されていますが、その後、アメリカに留学されていたと聞いております。 その頃の事については一度も言及された事がありませんが、磁場での学習はどのようにされていたのでしょうか。 私は英語の基礎があったので、ドイツ語クラスでの文法説明などは難なく理解出来ましたが、(文法用語は英語と酷似しているので)ドイツ語は一からの出発で四苦八苦しました。 ちょうど、猪原さんほど長期にわたる英語圏での滞在ではないにしても、いい機会ですので、お聞かせ下さい。
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>私は何を書いておるんでしょう。 ちょっと頭冷やします。
いやいや、面白いです。もっと書いてください。
それと、「回転読み」をやぶにらみしていた頃と、「回転読み」を始めて
からの違いを対照させてもらえるとありがたいです。
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私>そんなに簡単にとうのいてしまうものですか? ファンって?
どんどん 投稿して 柳瀬さんを擁護するなり
議論を活発にくりひろげるなりするのがファンでは?
と柳瀬さんファンが 柳瀬さんを掲示板から遠ざけてしまうという意味ではなく
→ と柳瀬さんファンが(根石さんのマナー違反?な言葉のために) 柳瀬さんの掲示板での投稿を控えてしまうことになる。
はあ 自分で書きなおしていて 意味がわからなくなってきました。
日本語勉強しなおさんとあかんなあ。
Eliotさんと呼びなれたせいか なにか 本名を呼ぶのがてれくさい、、です。
お写真を拝見しました。 柴田さん、はじめまして。
発音講座の続きを楽しみにしています。
まず私が批判しているからといって早とちりされても困りますが、民間人としての根石さんの活躍に拍手を送りたいと思っています。「音作り」教育が学校現場で疎かにされていたという主張には大賛成ですし、学校教育で見捨てられた生徒の面倒を見て開眼させたことに感服しております。
--Jackieさんの質問に対して--
(私の発言からの引用です)
でも根石さんが「中庭掲示板」で誤解を招く言い方を重ねることにより柳瀬さんをがっかりさせるばかりか柳瀬さんファンの先生方をも遠ざけてしまうのではないでしょうか。そして根石さんが放つ重要な提言が埋もれてしまうと危惧していらっしゃるのではないでしょうか。
(引用終わり)
柴田さんのご理解でいいです。追加になりますが「e. 実際に「根石さん方式」を試してみようかというファンがほとんどいない」のところでも根石さんをご存知ない柳瀬さんのファンということを意図しました。
--「根を詰めてやる」に関して--
(私の発言からの引用です)
私はイギリスで6年ほど生活したことがありますが、「根石さん方式」を学んでいなくても意思の疎通を滞りなく行いました(正確には2回苦労した記憶がありますが)。そのため根を詰めてやる理由がわかりません。
(引用終わり)
ここは言葉が足りなかったかと思います。私の発音が悪かったために相手が理解不能に陥ったことが2回しかなかったという意味です。通じなかったので言い換えたということはよくあります。
ただ、英語を使う場は「パンをください」というようなものは少なく、むしろ日系企業の社員として社内でも公用語たる英語をしゃべり、電話でも頻繁に外国人とやりとりしておりました。
英語学習の中で「根を詰めてやる」ことはもちろんありましたが、「好きなことをやる」を重視したこともあり、正直苦労したという意識はありません。発音に関してはNHKのラジオ講座で学んだものがベースとなっています。
>日本で日本語で育って、音も思考もいったんは日本語で
>形成された後の人の語学(典型的な語学)と言語の磁場に
>おける子供の言語形成とははっきりと区別すべきです。
これは具体的には何歳くらいの子供を想定されているのでしょうか。わたしとしては小学校高学年以降の生徒を例にお話したつもりだったのですが。
>私は「生活言語」における音の現象と語学における発音の
>問題は別のものだと考えています。ここをちゃんと区別し
>ないと、そもそも語学などというものは成立しなくなります。
「語学」とは何でしょう。また生活言語とは何でしょう。定義がはっきりしません。
私はビジネス英語でも生活するのに話すにも発音を区別したわけではありません。一般人の中でどこが区別されるのでしょうか。それとも指導者側のことをおっしゃりたいのでしょうか。
「語学」が方言に対する標準語のようなもの、とおっしゃっているのでしょうか。
>日本には英語の磁場がないんだという一事を提示すれば
このあたりの定義、そして理由が私には不明確です。私の意識としては、日本でも人工的に英語しかない環境に学習者を押し込めることは可能だと思っているのです。
しかも昔ならいざ知らず、現在ならインターネットを使ってでも海外の環境に入り込めるのではないかと思えるのですが。
>もっとも簡単に要約してしまうと、柴田さんは、「完璧な音」
>を主張され、私は「通じる音」を主張しました。
私ならその間を選択します。「完璧な音」の80%、といったところですね。これは「80:20の法則」に基づいての意見です。
また後日カキコいたします。
mailto:ninohara@onestopej.com
http://www.onestopej.com
素直な気持ちで、お聞きしたい事があるのです。
仕事における英語での意思疎通と、プライベートで自分の思いや考えを英語でしゃべる時とでは、もどかしさが違う、と言うか、(うまくは言えませんが)言いたい事が十分に言い得ないと思われた事はないでしょうか。 ビジネス上であれば意思疎通が滞り無く出来る、と言うのはわかる様な気がします。 私は医療器具の輸出入を扱うちいさな商事会社で10年ほど勤めて主にコレポンと翻訳をやっていました。 (但し、実際に英語で話す機会は単なる事務員の私にはまったくと言っていいほどありませんでした。 海外からかかってくる電話を、たまたま誰もいないので、私が上司にしどろもどろで取次いだくらいが関の山です。) ビジネスの内容やお立場にもよりましょうが、ビジネスの英語は限られた状況の中での事務的な処理とかクレーム処理とかが主ですか? それだと、すこし自由な英会話とは意味合いが違ってくる様な気がします。 アフター5でのイギリス人との自由な会話の中での意思疎通とでは、また一味も二味も違ってくる様な気がするのです。
私は自分の英語力が拙い事もありますが、滞りなく意思疎通など出来た試しがありません。 言いたい事が言えた試しがないのです。 日本語と英語のネゴがうまく行かないのです。 それは日本語を旨く英語で言い表わした様に端からは見えていても、どうもしっくりしないのです。 ディベートなんかはいいのです。 あんなものはどっかの借り物の英語で十分に用が足せる。 外国語はいつまでも借り物で、いつまでも自在化など出来ず、いつまでも「滞りなく」意思疎通など出来るものではないと言う気持ちがあります。 それでも「ないものねだり」しないといけないのが、切ないのです。
「滞りなく」と言う表現を聞くと、うらやましさ、疑わしさ、あこがれ、嫉妬、などなどゴッタ混ぜになって、平常心を失ってしまうのです。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
こんな事を言うと誤解されるかもしれませんが、皮肉でもなんでもなく素直な気持ちで言ってるので、ご理解下さい。
ビジネスでの英語のやりとりは、ある意味で、超ハイレベルの「このパン2つ下さい」だと思うのです。 どう表現したらいいのかわからないのですが...
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
>柴田さんのご理解でいいです。追加になりますが. 実際に「根石さん方式」を試してみようかというファンがほとんどいない」のところでも根石さんをご存知ない柳瀬さんのファンということを意図しました。
ありがとうございました。 私が猪原さんの言葉をとりちがえたようです。
>まず私が批判しているからといって早とちりされても困りますが、民間人としての根石さんの活躍に拍手を送りたいと思っています。「音作り」教育が学校現場で疎かにされていたという主張には大賛成ですし、学校教育で見捨てられた生徒の面倒を見て開眼させたことに感服しております。
これについては はやとちりなどしていませんよ。 大丈夫です.
お互い いろいろと はしょらずに 書いていければと思います。
また 行き違いがあったときは こうやって コミュニケーションすれば
OKですよね。 よろしく。
>英語学習の中で「根を詰めてやる」ことはもちろんありましたが、「好きなことをやる」を重視したこともあり、正直苦労したという意識はありません。発音に関してはNHKのラジオ講座で学んだものがベースとなっています
好きなことをやるときは かなりの努力を要することでも 苦労とは思わない、 そういうこともあります。わかります。
しかし 根を詰めてやることはもちろんあった とおっしゃられているように 学校教育外で かなり学習されたはずです。それなしに上達はありえない。
ここのところの 学習量は はっきりとしておいて欲しいです.
でないと テストの日に「おれ ぜんぜん勉強してなかったよ ねちゃたよ。」
といいつつ 実はしっかり勉強していて 普通の子をあざむいている 優等生みたいです。
優秀者の”自分のいつもの勉強時間”も普通の人にとってはかなりの時間と学習量だったりすることもありうるわけです。
いとこが いつかMBA留学したいらしいのですが
ノバのレベル6(初級者)ぐらいの彼は かなり根をつめて学習する必要がありませんか。
それとも 猪原さんのように「好きなことをやる」を重視したこともあり、正直苦労したという意識はありません」 と いくことが 可能でしょうか?
高橋尚子は一日20キロ走ることを苦労しいた意識なくこなしますが
凡人には 苦労のレベルを超えている。
詩集
著者=吉岡 実(よしおか みのる)
発行者=吉岡 陽子
装幀=亞令
本書は、1990年に亡くなった吉岡実氏の十三回忌にあたり、弧木洞(発行人・吉岡陽子)より刊行された。限定72部、非売品。制作・書肆山田、装幀・亞令。2001年に吉岡家から発見された、吉岡実氏の手稿本《詩集 赤鴉》を活字化したもので、第一歌集「戯欷」及び第一句集「奴草」からなる。幾つかの作品は、吉岡実氏によって発表され、活字化されているが、大部分の作品は未発表のものである。
2002年5月31日限定七十二部 弧木洞 発行 B6変袋入(172×105) 100ページ
非売品ISBN4-87995-544-2 C1092
>「音作り」教育が学校現場で疎かにされていたという主張には大賛成ですし、学校教育で見捨てられた生徒の面倒を見て開眼させたことに感服しております。
そうなんですか。「音づくり」なんか適当でいい、それよりも内容のあることを言えるようにすることの方が大事だというご意見かと思っておりましたが・・・。
柴田さんの体現している音などと比べると、私が体現している音などはるかに劣るものだと思っていますが、そんな私が「音づくり」をやらにゃ駄目なんだと口を酸っぱくしたり、生徒さんを相手に「音づくりによるインプット」をやっているのも、学校の音の扱い方があまりにもあまりにもひどいからです。
>でも根石さんが「中庭掲示板」で誤解を招く言い方を重ねることにより柳瀬さんをがっかりさせるばかりか柳瀬さんファンの先生方をも遠ざけてしまうのではないでしょうか。
私は誤解を招くような言い方をした覚えはありません。私はあそこであのようにののしったように、あの通りに考えているのです。日本の英語教育をいじっている連中など、糞くらえだと真っ正直に思っています。誤解されたくないのは、柳瀬さん一人をやり玉にあげているのではないということに関してです。大学の教員たちが日本語で育った人の口の動きを無視した「音声学」ばかりやっていることとか、そんなことをやっている連中を串刺しにして批判したいのです。大学の教員たちが、まともな文部省批判をやれないことも糞くらえだと考えており、私の考えはあそこで行儀悪くだんびらを振り回した通りの考えです。
>私はイギリスで6年ほど生活したことがありますが、「根石さん方式」を学んでいなくても意思の疎通を滞りなく行いました(正確には2回苦労した記憶がありますが)。そのため根を詰めてやる理由がわかりません。
「根を詰めて」に関しての私の考えはすでに書きましたが、別のことが書きたくなってしまいました。
もちろん、「根石さん方式」なんか知らねえよ、だけど英語は使えるよという人がたくさんいることはよく承知しております。その人たちは、自分の英語をどうするかというハウツウに関してはわかっているのですが、それらのさまざまな数多い有効なハウツウの根底に何があるのだろうと私は考えているのです。煮詰めれば、意外と数少ない原理的なものが浮かび上がるのではないか、と。
私はかつて一度でも「根を詰めて」やれと言ったことはなく、とんちんかんなやり方をするなと言ってきただけです。とんちんかんなものの代表は、学校英語と英会話学校英語です。いくつかの大事な原理を取り出すことができれば、とんちんかんなやり方のどこがどうとんちんかんなのかを言えるはずだと考えてきたのです。英語ネイティヴと同じように考えることができないとか、ごつごつした英語しか作れないことを、自分の練習が足りないからだと自分を責め続けるような英語フリーク達の病気も、それ病気だよ、と言えると考えてきたのです。英語フリークの自虐は実にたちの悪い病気だと思っています。
それ、あんたのせいじゃないよ、磁場がないせいだよ、と自虐病の人々に言いたかったということもあります。
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>ただ、英語を使う場は「パンをください」というようなものは少なく、むしろ日系企業の社員として社内でも公用語たる英語をしゃべり、電話でも頻繁に外国人とやりとりしておりました。
イギリスでしたっけ。向こうに行かれてすぐにその日からそういう状態の英語を使っておられたのですか。もし、そうであるなら、日本にいてもそういう状態で英語を使えたということですか。
それとも、向こうに行かれて不自由したが、英語の磁場において英語を使い続け、一人になったら机上でも練習をして、そういう状態になられたのですか。
前者を私はほとんど考えることができないのです。世の中には怪物みたいな人間がおりますので、まったくいないとは思いませんが、まずいないだろうと考えています。
後者でしたら、これはむしろ私の理論を裏書きしてくれる事例です。
>英語学習の中で「根を詰めてやる」ことはもちろんありましたが、「好きなことをやる」を重視したこともあり、正直苦労したという意識はありません。発音に関してはNHKのラジオ講座で学んだものがベースとなっています。
苦労極まりないのは、知識が知識のレベルに止まってしまういわゆる学校英語や受験英語であり、私も「音づくりによるインプット」で本気で英語をやった一年は、苦労した意識はほとんどありません。面白いからどんどんやっただけでした。実態は受験英語でしたが、「音づくりによるインプット」でやれば、受験英語だって面白いものになってしまいました。現在の自分から当時の自分の音を批評するなら、「ア」系列の母音の区別ができていなかったことが最大の難点で、他の発音のポイントはあらかたクリアできていたと思っています。ですから、私は「苦労しろ」とか、「根を詰めろ」と言っているのではなく、学校の英語とつきあうにしろ、大学受験につきあうにしろ、TOEIC
を受けるにしろ、あるいは留学準備をするにしろ、英語圏で働くための準備をするにしろ、「音づくりによるインプット」でいけ、それが一番面白くて楽なやり方だと言っているにすぎません。「音づくり」については、文まるごとを繰り返し言い続けろ、そうして口の筋肉をほぐしてネイティヴの複製音声を媒介にできる状態を作れと言ってきました。この場面で、コーチがいると非常に効率がいいのですが、私自身は若い頃、コーチを得ることができませんでした。私が現在「電話でレッスン」をやっているのは、「音づくりによるインプット」をやるに際して、コーチがいた方が、二度手間、三度手間を省けるからというのが大きな理由です。
猪原さんは、NHKのラジオ講座で身につけた音で英語を使って使い物になったのですから、音に関してはセンスのいい方です。このセンスの良さは、人々の基準になりません。英語の音ひとつが片が付かず、いつまでも自信がもてないで、結局チャンスがあっても使えないでいる人もたくさんいるのです。私の仕事は、そういう人たちのためにあるのだと考えてやっています。とりわけ現在は、準備不足のまま英語圏に渡ってしまって、いつまでも磁場に交われないでいる人を相手に「電話でレッスン」をやりたいと考えています。アメリカ人の英語教師よりも、私の方が日本人がどこでどう苦労して行き詰まるのかをわかっているという自負があるのです。
いつものように、飲みながら書いておりますので、やたら話に枝が生えていますが、お許し下さい。
>日本で日本語で育って、音も思考もいったんは日本語で
>形成された後の人の語学(典型的な語学)と言語の磁場に
>おける子供の言語形成とははっきりと区別すべきです。
>これは具体的には何歳くらいの子供を想定されているのでしょうか。わたしとしては小学校高学年以降の生徒を例にお話したつもりだったのですが。
「音も思考も日本語で形成された後」というのは、15歳くらいをおおよその境目だと考えています。日本人が磁場で英語を身につけるのに、幼児だとむちゃくちゃ楽、小学校低学年も楽、小学校高学年から中学へ入るくらいも比較的楽、中学くらいから15,6くらいまでなら、まだまだいける。それを過ぎると、どんどん苦労になっていって、30を越えるとむっちゃくちゃ苦労。だいたいそんな図式です。
以上は磁場で生活する場合です。磁場がないところで生活していて、机上で語学として英語をやるだけの場合、つまり英語の磁場にいるのではなく、日本にいつづける場合ですが、上に述べた図式はまるで当てはまらないと思っています。
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>日本には英語の磁場がないんだという一事を提示すれば
>このあたりの定義、そして理由が私には不明確です。私の意識としては、日本でも人工的に英語しかない環境に学習者を押し込めることは可能だと思っているのです。
これは、しかし、「押し込めることは可能」であっても、そこで得られるのは、上に述べた意味での「生活言語」ではないし、磁場としても疑似磁場だと思います。
>しかも昔ならいざ知らず、現在ならインターネットを使ってでも海外の環境に入り込めるのではないかと思えるのですが。
じゃあ、今度は私が猪原さんはちゃんと定義していないと言うことができます。「海外の環境」って何ですか。パソコンの電源を自分で切ることは自分の判断でできます。そんなふうに、自分一人が勝手に切ったりつなげたりすることのできるものを「環境」というわけですか。「環境」というのは、逃れようとしてもひとまず逃れようのないものを言うのだと私は理解しています。おたくをやっている人たちだって、いや、おたくをやっている人たちこそ、「環境」が逃れようのないものだと理解していると思います。だからこそ、「おたく」をやるのですし、だからこそ、「おたく文化」は面白いのです。
>もっとも簡単に要約してしまうと、柴田さんは、「完璧な音」
>を主張され、私は「通じる音」を主張しました。
私ならその間を選択します。「完璧な音」の80%、といったところですね。これは「80:20の法則」に基づいての意見です。
このあたりについては、特に異論はありません。
もっともお書きになった法則については私は何も知りませんが。
どうも、俺は酔っ払うと行儀がよくなるみたいだ。
大学の先生の掲示板に書くのに、酒を飲んで書いてちゃいけねえだろうと思って、まじに行儀悪くしちゃったのがまずかったみたい。酒さえあれば、「まじに」じゃなくて、「ちゃんと」行儀悪くなれたのに。それに関しては、私も「残念」です。ああ、酒は偉大だ。
ところで、猪原さんは、現在は教員なんですか。それとも、会社員なのですか。
私はてっきり教員なんだと思って書いていましたが、ご職業によって、私の書くものが微妙に変わってきます。私は(公立学校の)教員より会社員の方に割と優しいです。私は、本当に、根っから、公務員というものに偏見と悪意を持っていて、これはちょっくら私から抜けないものです。
さしつかえなければお教え下さい。
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>私は「生活言語」における音の現象と語学における発音の
>問題は別のものだと考えています。ここをちゃんと区別し
>ないと、そもそも語学などというものは成立しなくなります。
> 「語学」とは何でしょう。また生活言語とは何でしょう。定義がはっきりしません。私はビジネス英語でも生活するのに話すにも発音を区別したわけではありません。一般人の中でどこが区別されるのでしょうか。それとも指導者側のことをおっしゃりたいのでしょうか。 「語学」が方言に対する標準語のようなもの、とおっしゃっているのでしょうか。
まず最初にお断りしなければいけないのは、「指導者側」のことを言っているのではないということです。誰にとっても、語学の英語と生活言語としての英語は別だと考えています。
「生活言語」というのは、みんなが英語で生活している場にある英語です。これは、英語の磁場における英語だと言ってもいいと思います。みんなその言語で生活しているのだから、生活の言葉なわけです。厳密な意味では、アメリカに生まれて育ちつつある幼児にとっての英語、日本に生まれて育ちつつある幼児にとっての日本語も「生活言語」だと思っています。幼児は会社に出かけて金をとってくるわけではないが、笑ったり怒ったりはしています。生な感情をその磁場の言葉を通じて生きています。だから、それも幼児の「生活」なわけです。猪原さんがお書きになった、「ビジネス英語」も私はそれが英語の磁場にある英語なら「生活言語」だと考えています。磁場の中で、具体的な相手を相手にして、喜怒哀楽をわかちあったりすることを仲立ちする言語。それを「生活言語」と名付けています。
こういうものに対して、際だって異質なのが、語学の対象となった言語です。机上の言語といってもいいし、生活の直接性を欠いた言語と言ってもいい。これはあくまでも仮の言語です。もう何度書いたかわからない例をもう一度書きますが、どんよりと雲がたれ込めている日や、どしゃぶりの雨が降っている時に、「机上」で
It's a beautiful day today, isn't it? とか、It's very sunny today. とか言っていても、それが語学の対象となった言語であるかぎり、別に何もおかしなことをやっているのではありません。生活言語はいつでも現実と対応する言語ですが、語学の言語では現実との直接的な対応は問わないのです。どこまでも仮の、架空のことを想定して十分に成り立つ言語です。
語学の対象としての言語は、自分のイマジネーションに発して、自分の理解に帰ってくるだけの言語です。つまり自分に発して自分に帰るだけです。具体的な相手がいなくても成り立ってしまう言語だとも言えます。「机上の言語」と言う所以です。
この言語の特色として、「繰り返し」をしても何の問題もないということが言えます。
昨日は11月29日でしたが、この一日を通じて、日本で「生活言語」で「こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは・・・」と、具体的な一人の相手を相手に10回以上も繰り返し言い続けて挨拶をした人はよっぽどふざけたかった人を除いては、たぶん一人もいなかったのではないかと思います。やった人がいたら、とても問題で、場合によっては気違い扱いされると思います。ところが、日本にいる外人さんで、「こんにちは」の発音を正確に作りたくて、「こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは、こんにちは・・・」と言い続けた人はいないとは限りません。昨日いなかったとしても、今後はいます。私は、イギリスから来た女の子に日本語を教え始めましたが、「こんにちは」の発音に問題があると思えば、「こんにちは」を10回や20回繰り返させることは平気でやります。語学としてはあたりまえの行為だからです。
語学の対象としての言語をもっとも簡単に言えば、「現実を直接に相手にしていない言語」ということになります。
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吉岡実の奥さんが、吉岡の未発表の詩を詩集にされたということですね。
私は、吉岡は大好きですが、生前の吉岡に紹介するから会ってみろと、窪田
さん(私の卒業制作の詩集の担当教官)に言われ、いやあ、などと言い、せ
っかくの機会を逃して会わずにいた者ですので、入手する資格はないものと
思っております。
私は、吉岡の詩は晩年のものはそんなに好きではありません。
詩の世界に、登場しつつあった頃の吉岡をこよなく愛しています。
「僧侶」を含む思潮社版の「吉岡実詩集」一冊あれば、吉岡はわかるものだ
という理解です。
吉岡実!
おお、吉岡実よ!
こんな掲示板でこんなことを書いてもせんないことながら、吉岡実を大事
に思う気持ちは私の中からなくなったものではありません。
なんだか、いい日本語を読みたくてしょうがないです。
英語回りの人は、話が通じない人が多くて疲れます。
英語をやらない人に言えば一発で通じることを、英語をやっている人には
何度も回りくどく説明します。それで、後から後から、迷信が幽霊のように
立ち現れますから、こりゃ、俺は何かにたたられているに違いない。
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しばらく英語を離れて、武田百合子、読もうか。
英語回りは馬鹿らしいことが多すぎる。
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恋人ファンさんが引用されていた新川和江ですが、大したもんじゃないです。
水っぽくて、読んでいて、途中で飽きちゃった。
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>私は自分の英語力が拙い事もありますが、滞りなく意思疎通など出来た試
しがありません。 言いたい事が言えた試しがないのです。
いい言葉だ。
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Naima さん 投稿者:根石吉久 投稿日:11月30日(土)04時30分25秒
「愚痴」は、この仲良し掲示板じゃなくて、「大風呂敷」の載せていいだけ
の質をもった記事だぜ。
あんたが怒っても、俺が転写しちゃうから、いくらでも怒りなさい。
愚痴 投稿者:Naima 投稿日:11月30日(土)02時20分14秒
意思疎通ってそんな簡単に滞り無く出来てしまうもんなんやろか。 Roseyは知ってるのですが、あるアメリ
カ人と口論になり、お互いに言えば言う程、思った事とは違う結果に発展してしまい、こじれにこじれた事
があります。 発想が違う、言葉のニュアンスが違う、文化が違う、表現法が違う、どれだけ日本語で言い
たかったかわからないのです。 相手の言う事も話しが深みに入り込むほど、微妙にズレが生じて来て、そ
れが亀裂になり、クレバスになり谷になり...
そんな簡単に意思疎通が滞り無く出来るんなら、私は根石さんを見限って猪原さんに師事したい。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
Naima しゃんの文の引用が行が乱れちゃった。
皆しゃん。
「鬼」で Naima さんの文章をお読みください。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>私の意識としては、日本でも人工的に英語しかない環境に学習者を押し込めることは可能だと思っているのです。しかも昔ならいざ知らず、現在ならインターネットを使ってでも海外の環境に入り込めるのではないかと思えるのですが。
それはJackieさん言われる所の、「ちょい磁場」だと思うのですが、間違ってたらJackieさん、ごめんなさい。
英国に6年過ごされたのなら、「ちょい磁場」と「磁場」の違いは雲泥の差だと言う事がおわかりになると思います。 いくら洋画やインターネットで人工的な英語圏を作ったとしても、絶対的に欠けているものがあります。
私の英語の先生はアメリカ人で日本に10年近くも住んでいますが、日本語圏で日本語を勉強する事のメリットについて"exposure"と言う言葉を良く使います。 根石さんのおっしゃる磁場に近いかもしれません。 生活そのものが日本語と日本の文化や生活様式やにさらされているのです。 起床して歯をみがけば、歯磨きのチューブに日本語が書いてある。 歯読むともなしに読む。 それが歯磨きの匂いや味と共に空だの中に入ってくる。駅に佇めば、構内放送の日本語が毎日毎日繰り替えし繰り返し耳に入って来る。 雑踏、喧噪、電車が構内に入ってくる時の振動、その中で勉強している日本語とアナウンスが突然核融合を起こす。(ちょっとご大層か...) 役場での応対、宅配の人の言葉、毎月来る請求書やお知らせ、電柱の広告、などなど五感六感で感じ取り理解出来ます。 言葉に手応えと実感がある。 先生は歩きながら無意識に落書きや自動販売機の文字を読んでいる事もあると言います。 これらの事だけを取ってみても、日本語圏で日本語を習う事の恩恵は大きいと言うのです。 私も同じ事を今経験しています。
インターネットや映画の二次元の中に垣間見る外国語とは まるで違います。
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>ビジネスでの英語のやりとりは、ある意味で、超ハイレベルの「このパン
2つ下さい」だと思うのです。どう表現したらいいのかわからないのですが...
見事に表現してると思うな。
ビジネス英語は、「私どもは損したい」なんて言わねえよ。
もし、言っても、それは得したいと言っているんだ。
「パン二つ」とこれだけのお金とを交換するのはいいか悪いかだけ言ってる
のだ。いろいろと、砂糖はまぶしてあるけどさ。
俺は、今日、これだけの英語論みたいなもの書いたけど、パンいくつもらえ
るんだ?
誰もパンをくれねえんだよ。
俺は、レッスンの時はやさしいおじさんなんだから、生徒を紹介してくれよ。
って、俺の空き枠はあと二つだけだ。女房の空き枠ががらがら状態だからよ、
紹介してもらえれば、俺の「髪結いの亭主度」がほんのわずか up 。
頼むよ。
って、誰に頼んだのだ、俺は?
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あ、あは...
たはは...
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けらえいこ、6冊くらい手に入ったよ。
ハンブルクに送った方がいい?
日本に帰ってきてから読む?
遠慮しなくていいから、どっちがいいか言ってください。
ハンブルクの住所、なくしてしまったから、ハンブルクに送る場合は、住所
をメールで知らせてください。
って、これは、「鬼」モードの記事だわな。
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まんが本ですが、あつかましいお願いなのですが、日本の住所に至急宅急便の着払いで送っていただけないでしょうか? 夫が今丁度日本に帰っていて7日までいます。 住所は念の為、メールでお知らせします。 夫も飛行機の中で楽しむ事が出来ますし、一石二鳥です。
ありがとうございます。 奥様にもよろしくお伝え下さいませ。(「ませ」だって。てへ)
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わかった。
奥様にもよろしくお伝えするから、僕。
あああ、酔ったぞお。
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お写真拝見しました。
授業(?)してる写真の方が大きいけど、講演してる小さい写真の方が柴田
さんの顔じゃないかなあ。
授業してるときは、あんなおっかない顔してるんですか。
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恋人ファンさんお久しぶりです。
ここで 恋人ファンさんの過去記事を勝手再掲載させてください。
ちょっと古いのですが、手元に中1のサンシャインがあります。一課はこれです。
(今でも「会話重視」は続いているようですから、そんなに変わっていないと思うのですが)
Welcome, Emily. I am Kumi. Hello, Kumi. I am Emilly. Hello, Mrs. Oka.
I am Emilly
Oh! You are Emily. Welcome to Japan. Emily, this is my father. How
do you do, Mr.Oka?
How do you do, Emily. Nice to meet you.
>以下、アホ文科省官僚へ!
おいおい、中1の第1課からこれかい?! be動詞が二種類 一般動詞もdoとあろうことか不定詞でto
meet
間投詞の welcome, Oh とか。。。こんなんじゃあ英語のシンタックスなんて分からなくなるに決まってる!!
Mr. Mrs. と綴りの省略までありやがる
この手のエーカイワがコミニカチブな文章だと言い張るんだったら、おめえら文科省の英語科?は全員クビ!!!!
中1の第1課なんて、This is a pen. That is a book. とその疑問文と否定文を数種類ずつ。
二課で、 I am a boy. you are a girl. We are students. と、同上
要するに、昔のがいいんだよ!エーゴの教科書なんて、英語シンタックスの骸骨見え見えの分かりやすくて、大人
が読んだら退屈で死にそうなのでよかったんだよ!!それを面白く教えるのが教師の腕ってもんじゃねえのか??
こんな、無理矢理シチエーション作ったって、中学生が「このとおり外人にあったら言おう」とか思うと
考えてるんだったら、子供のことが何にも分かってねえ証拠だぞ!
こんなとこでぬくぬくしてやがらないで、厚生省にでも行って年寄りの介護でもしてやがれ!
「私は少年です。これは本です。」なんて、ネイチブは一生使わねえだって!!
ネイチブのために、テメーらエーゴやらせてんのか?うん???
日本の中学生のためだろ!このボケが!
このクソ教科書になりやがってから、落ちこぼれ続出なのは知らねえのか??
授業なんてやりにきいったらありゃしねえ。。ガキゃあ、英語嫌いになるし。。
うん?「あんなあり得ない文章でなく将来直ぐに使える文章」にしろって、国会のセンセーに言われた??
あんな、家庭教師何人も付けて何回も留学したようなオボッチャマ連中に、
フツーの公立行ってる貧乏人のガキのことなんて分かるわけねえだろ、タコが!
でえてえよ、「将来すぐ役に立つ勉強」なんて言うんなら、自動車免許の学科でも教えてりゃいいんだ。
ありゃよ、殆どの中学生が何年か先必ずやるんだからな
勉強ってそんな「なんかにすぐ役に立つ」ってもんか?
基本を押さえさせて、 応用が色々に利くようにしておくから、数学とか歴史とか
ちょっとの人に役にしか立たんもんでも、やらせてるんだろ?
役に立つなんて言われて、エーゴの教科書ホイホイ変えるんだったら、その前にまず漢文と古文なくせ!
あんなもん、誰も使わんだろ?古文しゃべるか??漢文書くか?
ったく、そんな単純頭して東大法科だ、国Tだと、よく言ってられんな。。。ケッ!←真似♪
(古文漢文廃止しろって言っているのではありません。念のため。。(^^;; )
コミニカチブだか日舞だか若秩父(古っ!Naimaさんと根石さんは分かるか。。(^^;;)
だか知らねえが、日本人のエーゴてえのはな、ゴツゴツしてて当たりめえなんだよ。
がっこでやった文法とやらに、単語乗っけて言いたいこと言えばいいのさ。
ゲエジンなんか、自分は何にも苦労しちゃいねえんだから、分かるのに苦労したって構うこたあねえんだ。
おめえらだって、電波少年のチューヤンの言ってること、分かりたかったら面倒でも一生懸命聞くだろが。
教科書はそんなゴツゴツエーゴが自分ででっち上げれるようにな、新税だかシンタックスだか
何しろ根石のオッサンが大事だって言ってるヤツが分かりやすけりゃいいんだからよ。
てめえがネイチブみてえにカッコよく喋りてえだの、ネイチブの読んでいる本読みてえとか
抜かしてる物好きは、やめろったってどうせ自分でやりやがんだから、ほっときゃいいのさ。
以上でした。
好きなんです、この文章。そして べらんめえ口調。
>「外国語の磁場は飛行機で一っ飛びすれば手に入る」という根石さんの断定は、多くの語学留学生
が買い物程度でしか使える外国語が使えないことや、何よりNaimaさん自身がドイツにいるのに
ドイツ語の磁場が手に入っていないことからも、そう簡単に鵜呑みに出来ないことは明らかでしょう。
磁場は その国にいけば 手に入る、 これは Naimaさんの日本滞在で日本語も学んでいる アメリカ人講師の例があらわしています。 Naimaさんも
ドイツ語の磁場で さまざまの生のドイツ語を あびています。それこそ
シャンプーかリンスか選ぶ、または風邪薬ひとつ選ぶことにも 真剣勝負です(熱さましか咳止めか 服用量は?)今だったらドイツのクリスマスの雰囲気の中で生活をする。 これこそ磁場です。 この感覚を日本で得ることはむずかしい。
Naimaさんは ここで 机上の練習も手放していない(回転読み他)ので
これからの 上達はすばらしいものになると思います。
>多くの語学留学生
が買い物程度でしか使える外国語が使えないことや
これは磁場にいれば 言葉が自然に身につくと錯覚をしている人が
磁場での机上の練習をおろそかにすることから よくおこる話ですね。
短期ホームステイに行って帰ってきた子が たとえ1ヶ月でも目覚しく進歩をするのを目の当たりにすることがあります。上達というよりものおじしなく話すようになるからです。
これは 磁場の作用が大きい. 日本にいるときには 間違うことをおそれしゃべれないが 磁場で 言葉はつうじてなんぼ。に気付く。
たとえハンバーガー一個を買うのでも はじめはどきどき。
声がちいさきゃ通じない。発音がまずすぎても通じない。 滞在するうちに 通じさせるために言いかえることを覚えていく。 間違うことをおそれることがなくなる。
これが 多くの短期語学留学生が得る 一つの成果です。 英語がたいそうなものではなくなる。 日本語と同じ言葉だと気がつく。
で 帰ってきて 「日本で1年も英語勉強して話せなかったのに ただの1ヶ月で 上達した」なんて勘違いしてたりする。
そりゃあんた こっちて基礎訓練しとったから意思の疎通がはかれたとよ。忘れちゃいかんぜよ。それに まだ 会話という会話は 本当はできていない。買い物や乗り物だ乗ることができる サバイバルイングリッシュの世界。
往々にして ここで駅前留学に走る生徒がいます。 机上の練習を手放さなければ効果はあるのですが 外国滞在で上達した→ ネイティブと話したからだ。と短絡的に考え 机上を手放してしまう。
上達は? さあてねえ。
これは、大人と子供の差・現地の言葉を話さないと生きていけない環境の有無など、色々な要素が
あると思いますが長くなるので察して下さい。
一つ前の最後の三行
>これは、大人と子供の差・現地の言葉を話さないと生きていけない環境の有無など、色々な要素が
あると思いますが長くなるので察して下さい。
は 恋人ファンさんの記事を引用して レスを書き忘れたまま 投稿ボタンをおしてしまったものです。 またやらかした、すみません。
ふつうは、発音訓練とは、面白くないものですが、
これが、面白かったのは、どうしてか考察していだけませんか?
子供の場合は、リズムや音調で、喜ぶようです。
だから、意味がわからなくても、素読が、楽しいから継続できる
ようです。
>
「音づくりによるインプット」で本気で英語をやった一年は、苦労した意識はほとんどありません。面白いからどんどんやっただけでした。実態は受験英語でしたが、「音づくりによるインプット」でやれば、受験英語だって面白いものになってしまいました。
「英文法を疑う」松井力也、講談社現代新書、¥640
この本は、けっこう有名らしいですが、
英語の論理と日本語の論理をわかりやすく書いています。
そのうえで、英語の語並びの原理というのがわかりやすく
明示されています。
磁場の有無よりも、英語の異質性を明示しています。
>
それらのさまざまな数多い有効なハウツウの根底に何があるのだろうと私は考えているのです。煮詰めれば、意外と数少ない原理的なものが浮かび上がるのではないか、と
>浜谷さんは一度も日本を出ずにガイド試験に合格されていますが、その後、アメリカに留学されていたと聞いております。 その頃の事については一度も言及された事がありませんが、磁場での学習はどのようにされていたのでしょうか。 私は英語の基礎があったので、ドイツ語クラスでの文法説明などは難なく理解出来ましたが、(文法用語は英語と酷似しているので)ドイツ語は一からの出発で四苦八苦しました。 ちょうど、猪原さんほど長期にわたる英語圏での滞在ではないにしても、いい機会ですので、お聞かせ下さい。
国弘正雄氏や猪原さんのように6−10年という長期ではありませんでした。また目的も、最近英会話学校が日本で教える限界を感じたのか、学習者の目をくらまそうという企みなのか「ちょい海外留学」が横行していますが、それと似たようなものでした。定年退職したので経験を生かして「英語でも教えようか」と色気を出して行ってきただけです。最近それが役に立たないということがやっと分かり、英語を教えることを生業にすることは一応諦めました。(あくまでも「一応」なのですが・・・、ネットを生かして何かしたいというのが本音です。)
4ヶ月ぐらい磁場にいるだけではものにならない、きちっとした目的意識とそれに合った方法が必要であるというのが反省点です。私が在籍したSt. Marry College of California, という大学の本コース必要英語学力習得のためのIntensive English何とかというコースには日本から多くの、主に女子学生も来ていましたが、何年たっても(実際に何年かは訊いていませんが)本コースに進めないと言って(懇親旅行の際のパーティーの席で)泣いていたような環境でした。勿論TOEFLによるクラス分けでは私が彼女らと一緒になることはありませんでした。
もう少し本格的に英語学習に力を注いでいればもっと良い結果を今ごろ出せていたかも知れませんが、所詮人にものを教えるという柄ではないことはよく自覚をしたうえでの留学だったこともあり、もう一つ別の色気を出して、(私のレベルで許された本コース2科目履修可の特権?を生かそうと)スペイン語初級をとったのがもう一つの失敗要因でした。英語とスペイン語の二股をかけた訳ですが、(将来的にはスペイン語も話せるようになりたいと思っていますので全くの失敗でもないのですが・・・。当然のことですが同クラスは私の他は先生も含めて全部アメリカ人でした。)その為に英語学習に注ぐべき時間を大幅に削らなければなりませんでした。
こんなところです。何かの参考になればと思い恥を忍んで駄文でご披露しました。
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
私、恋人ファンさんにはよく叱られてますが、(^^; 英語の学習法については単純明解でわかりやすいので、胸がすく思いがしますね。
浜谷さん、
お返事ありがとうございます。 留学中に日本語磁場で英語を独習していた時とは違う感覚とか、磁場にいた事の利点というのは感じられました?
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
>お返事ありがとうございます。 留学中に日本語磁場で英語を独習していた時とは違う感覚とか、磁場にいた事の利点というのは感じられました?
少し言葉が足りなかったかもしれませんが、結局私がアメリカで過ごした4ヶ月は語学留学というものでさえなかったと言ったほうが適当かもしれません。むしろ永年働いてきてそのご褒美に少しのんびりしに行かせてもらったというべきかも知れません。(妻はじめ家族には感謝しています)ですから自分の日本語磁場で独習した英語が通用した、とにかく喋れる、多読中心の学習で十分だ、という確信が持てたことが大きな収穫だったと思っています。英語磁場にもっと長くいれば国弘氏や猪原さんのように不自由なく英語が出てくる域に近づけたかも? 4ヶ月ぐらいでは「とにかく喋れる英語」、「ごつごつ英語」の域をでないというのが実感です。私も国弘氏や猪原さんのように長期間留学された方にその効果を是非お聴きしたいと思っています。
しかしひょっとするとその方達も日本語磁場での独習の成果と英語磁場での学習での成果にあまり違いはなかったのかもしれませんね。つまり、前者ですでに不自由なく完璧な発音で英語を喋る術を会得していたのかもしれません。私は商社マンとしての松本道弘氏に大阪の英語道場でお会いした時から(といっても直接はお話をすることはあまりなく、常時出席者が50人を悠に超えていた毎週土曜日のミーティングを淀みなく司会されるのを黙って聞いていただけだったのですが)日本人離れした発音や不自由なく英語を操る様を拝見しています。そのような方々は人並みはずれた努力されて高みを極められたと思いますが、我々と違う天才的頭脳の持ち主でもないかと想像しています。それは最近話題になってる日本人少女達の欧州におけるバイオリンコンテストなどを見てもありうることだと思います。
しかし、そうであればその方達はそのことを説明すべきではないでしょうか? いくら努力しても普通の人はその方達の域に達することはないだろう、ということを。私は間違ったことを言っているのでしょうか?
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
恋人ファンさんの、べらんめえを引用してくださりありがとう。
いやあ、いいですねえ。大風呂敷の記事の傑作の一つです。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
私は第二外国語としてドイツ語を選択しましたが、さっぱりでした。あまりやる気がなかったのも事実です。Naimaさんが相当努力されている姿が目に浮かびますが、もう少しご自身のレベルに合うクラスが選べていたらよかったでしょうに。
>言いたい事が十分に言い得ないと思われた事はないでしょうか
もちろんあるのですが、言わなきゃならないと思ったことは最低限しゃべりましたし、相手が私の主張内容を取り違えていないかは常にチェックしていました。
>ビジネスの英語は限られた状況の中での・・・アフター5でのイギリス人
>との自由な会話の中での意思疎通とでは、また一味も二味も違ってくる
>様な気がするのです。
「限られた状況」といえばそうですし、結構幅広いといえば広いでしょうし、jargonなども出てきたりしますから、奥が深いと思います。ローカルスタッフとの自由な会話についてはしっかり楽しみました。まあ、着任当初1か月はユーモアがわからずにぽかんとしていたと思います。
結局、相手のしゃべるロジックがわかってしまえば理解に困ることはありませんが、日本で英語のロジックに慣れていないと泣きを見るでしょうね。
>あるアメリカ人と口論になり、お互いに言えば言う程、思った事とは違う
>結果に発展してしまい、こじれにこじれた事があります。 発想が違う、
>言葉のニュアンスが違う、文化が違う、表現法が違う、どれだけ日本語で
>言いたかったかわからないのです。 相手の言う事も話しが深みに入り
>込むほど、微妙にズレが生じて来て、それが亀裂になり、クレバスに
>なり谷になり...
まず日本語を使うもの同士でもこのようなことはよくあります。相手の話をよく聞いて、言葉を慎重に選び、友好的に振舞っていれば傷口が広がるようなことは起きないと思います。相手に怒りの感情を見せる前に「私はあなたをこう理解したけれども正しいか」と確認できたらいいでしょう。
母国語を使わない会話ならなおさらです。英語がある程度できる人でもなにげない言葉のニュアンスを誤って理解していたりすると相手の意図を取り違えたり相手に誤解されたりする割合が飛躍的に高まるように思います。発火点に立ち戻らないと火は消せませんね。
mailto:ninohara@onestopej.com
http://www.onestopej.com
過去ログ部屋を更新しました。
柴田さんの「音作りへの道」
1〜1000番までの過去ログの移行
なんで500番までのログはこんなに変なんだろ?と思ったが、
根石さんがブラウザ上でコピーしてテキストにしたのを渡さ
れて、ファイルをhtml化したのを思い出した。
過去ログには村田の技術の進化が見て取れる(プ
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
直接に行く場合のURLは以下の通り。
今後、この掲示板や他の掲示板で、紹介するために常連の皆様は単語登録し
ておいていただきたくお願い致します。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/ron/otomichi2002.html
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
柳瀬さん 投稿者:根石吉久 投稿日:12月 1日(日)01時38分56秒
わかりました。
私は修行のつもりで、行儀よくしてみます。
ただ、普段、酒を飲みながら掲示板に書くのが習慣になっております(腹が出ました)ので、
自分に不安を感じております。
努力します。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
この掲示板の運営方法に関して 投稿者:柳瀬陽介 投稿日:12月 1日(日)00時27分46秒
下に根石さんが文体に関して質問をされていますので
お答えします。
まず「行儀の悪い文体によって、ようやく言い当てている
なにごとかはある」というのはその通りだと思います。
ですが、私はそういった文体が重なることにより、せっかくの
英語教育改革の試みが、各方面で不要な感情的反発を生み、それが
感情的対立に固定化してしまうことを恐れています。
もちろん感情的対立を克服してこそ真の問題解決はありうる
という考えもあるかもしれませんが、私はできるだけ冷静に
理性的に問題解決を図ることを自分の方針として、このHP
および掲示板も運営しています。
ただ、根石さんの
>個々の教師が「あるべき授業の姿」と「現実の授業の姿」との間に分裂して苦し
>むこと。その分裂のはざまにいる教師の苦しみを作り出しているのは、英語教育
>界に批評というものが払底しているという一事です。研究あって、
>批評なし。その無批評という風土病を作り出しているのは、他ならぬ大学
>と文部科学省です。
というご指摘は見事に正鵠を射ていると思います。大学や役所は、
「事なかれ主義」におちいるところが多いです。
ただその「無批評という風土病」の要因の一つが、「批評」がしばしば
感情的対立しか生まなかった過去の経験があるのではないかと私は思っています。
ですから私は、できるだけ冷静で理性的な議論を進めようとしてます。
批評の言葉があまりに感情的だと、せっかくのその論点が客観的に認識
される前に、拒否されるからです。冷静で具体的な言い方をすればどんな人も、
耳を傾けざるを得ません。
この方針は研究でも教育でもこのHPでも同じです。(HPでは時に賛辞がすぎる
ところがあるかもしれません。これはできるだけよい試みを励まそうとする
あまりのことです)。
こういった「冷静で理性的」といった言葉に根石さんはおそらく
大学人のゴマカシを感じられるのかもしれませんが、私はこの方針を
本気で信じております。それが私の仕事です。
根石さんがご自分のHPと掲示板で、どのような文体で英語教育を
語ろうが、もちろんそれはまったくかまいません。ですが、
私が管理運営する掲示板では、できるだけ感情的な言い方は控えて
くださるよう、お願い申し上げます。
私は多様性こそが健全さを生み出すと信じていますから、そうやって、
お互いが異なったアプローチでネット社会で活動することにより、
英語教育の改革もより健全なものになると思います。
(その意味で掲示板「大風呂敷」
http://sky.iruka.ne.jp/cgi-bin/a4/iruka.cgi?shigeru
も私のリンク集の中に含めさせていただきました)
なお、根石さんは私が根石さんが出した論点に対してほとんど
触れず、文体のことについてのみ述べたことにご不満だったようですが、
私がほとんど論点に対してコメントをしなかったのは、とくに
反論を述べる必要や意見を表明する必要を感じなかったからです。
私は根石さんの投稿に限らず、特にコメントする必要を感じなければ
コメントしません。私は管理運営人としては、すべての投稿に
目を通しますが、一人の投稿者としては、自分の考えや時間的
余裕などの要因で投稿するかどうかを自由に決めます。(前にも
申し上げましたように、私は掲示板よりもHPを、HPよりも勤務
校での仕事を優先させていますし、家族との時間はそれとは別格に
大事にしようとしています)。
またこの掲示板が混雑することを配慮してくださってありがとう
ございました。私は私のHPおよび掲示板の標準的読者を2週間に
一度ぐらいアクセスする人と設定しています。一つには私がその
ぐらいのペースでしかHPを更新できないからですが、大きくには
私が直接知っている読者の方には、そのぐらいのペースでアクセス
する人が多いからです。そのような人は投稿が連続すると「とても読む気が
しないし、第一読む時間もない」と言います。私は議論はできる
だけ多くの様々な人に共有してもらった方がいいと考えていますので、
あまり投稿が一部の人だけによって集中的に連続することは必ずしも好ましい
とは考えていません。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
ごくろうさまでした。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
>ふつうは、発音訓練とは、面白くないものですが、
これが、面白かったのは、どうしてか考察していだけませんか?
子供の場合は、リズムや音調で、喜ぶようです。
だから、意味がわからなくても、素読が、楽しいから継続できるようです。
私は「音づくりによるインプット」をやっていたとき、発音訓練だとはあ
まり思っていませんでした。音のつながりでおぼえちゃえと思っていただけ
です。
コーチがいれば(「電話でレッスン」のようなものでなら)、発音訓練と、
「音づくりによるインプット」が全部成立します。私は若い頃、そういうコ
ーチが得られなかったので、かたきをとるつもりでコーチをやっています。
かたきをとるだけでなく、お金もとりますが。
>子供の場合は、リズムや音調で、喜ぶようです。
私の場合も、19歳にもなって、リズムや音調を喜んだようです。
音楽そのものよりも、私は言語の音楽性が好きなんだろうなと思います。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
「音作りへの道」の再掲、お手数をかけました。
誤字脱字などの訂正ができてうれしいです。
どうもありがとうございました。
根石さん
英語パフォーマンスクラブのサイトで私が英語を読んでいる動画は
英語朗読の練習風景です。授業ではありません。読んでいる文章が
にこやかな表情で言うような内容のものでないし、目の前に聴衆が
いるわけでもないので、あのような顔で読んでいますが、授業中は
もっとやさしい顔をしていると思いますよ、多分・・・
The Fukuoka English Performance Clubの活動については近いうちに
紹介します。
お返事ありがとうございます。
少なくとも猪原さんは、意思疎通が滞り無くお出来になるのだ、とメッセージは伝わりました。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
お返事ありがとうございます。 私もせっかく磁場にいるので、無駄にしない様にしっかりお勉強致します。
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
>子供の場合は、リズムや音調で、喜ぶようです。
私の場合も、19歳にもなって、リズムや音調を喜んだようです。
音楽そのものよりも、私は言語の音楽性が好きなんだろうなと思います。
その通りだと思います。私は英語では刷り込み効果の精かもしれませんが、米国語が英国語よりも好きです。フランス語も好きです。スペイン語はあまり好きになれませんが、不思議と聞きやすいです。あいまい音があまり無いせいでしょうか? 最近FM放送などで英語でのトークが音楽番組の中にちりばめられて若者に受けているようですが、彼らは音楽として英語を聴いているように思われますがどうでしょうか? 勿論全部が全部そうではない、英語のヒヤリング勉強のために聴いている人も多い、と思いたいですが、ほんとうのところどうなんでしょう?
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
柴田武史さんによる「音作りへの道」が掲載できて私もうれしいです。
http://8246.teacup.com/nessy/bbs
中庭より転載 http://141.teacup.com/nakaniwa/bbs
なぜ 授業は変わらないのでしょう? 投稿者:Jackie 投稿日:11月29日(金)07時58分14秒
「教育」より引用 http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/education.html
4 心身協調メカニズム (psychophysiological mechanisms):心と体を連動させる
>英語が使えるということは、例えば皆さんの心の動きが英語の発音という体の動きにすぐにつながることであり心と体が連動するメカニズム・…
英語の学習というのは技能訓練やスポーツの練習と一緒です。あなたの思いが思わず口から英語でほとばしでるようにあなたは自分自身を訓練しなければなりません。聞こえてくる英語の音声という空気の振動が、日本語と同じように、あなたの心に直接響いてくるように練習を重ねなければなりません。ところが残念なことにこの心身協調メカニズム形成の訓練が、日本の多くの英語の授業で軽視されています。テープを聞くのは一度だけ、音読は一切なしといった授業も珍しくありません。でもこれではあなたの心と体は英語に関して協調し連動することはありません。
解決法は自分でその訓練をやってしまうことです。とくに授業の復習としてテープを使ってください。(1)まずは授業で扱った英文をテープを聞きながら目で追って、そのスピードで直読直解できるようにする。一度でできないなら何度も聞く。(2)次に教科書を閉じて、テープを聞いて、直聞直解できるようになるまで何度も聞く。 −中略ー
(本当はこういった訓練を学校の授業で行えればいいのですが、授業というのはなかなか変わりませんので、ぜひ自分で自分を訓練してください。
引用以上。
柳瀬さんのおっしゃるとおりです。英語学習はスポーツと一緒。ある程度まで訓練が必要。
訓練が学校でかけています。 それは 自分で補えばすむこと、いや 英語の基本は独学なので
自分でやるべきことかもしれません。
しかし 柳瀬さんがおっしゃるような訓練を 学校基礎の段階で行えば かなりの力がつくものとおもわれます。生徒が家で復習をするときにも役に立つ。
「授業はなかなか変わらない」
なぜ 授業はかわらないのでしょう。 変われないのでしょうか?
受験のための勉強やいろいろの制約があるからでしょうか?
それとも変えたくないのでしょうか?
どのように 学習されて また どのくらい学習して 英語の力を身につけられたのか よろしかったら 教えてください。
学校での成績は よかったのでしょうか?
また現在の 学校教育については このままで よいとお考えですか
>最近スラッシュ訳を一部入れたプリントで授業するようになりました。
スラッシュ訳を見ても日本語訳ができない生徒も一部にはいますが、スラッシュ訳から日本語訳ができる生徒というのはスラッシュ訳でも十分意味がとれているという実感を最近得ています。というのはスラッシュ訳をした後、あいもかわらず日本語訳をすると生徒が退屈するのです。当たり前か。。。
しかし音作りからは程遠い授業をしている自分がいます。自分の英語力を部ラッシュアップさせること、音作りの時間を少しでも増やすこと、語彙の範囲を自ら広げる大切さを感じています。
日々の授業を反省して 改善していく 自らの英語力も磨きながら。
これを実践していこうとしているsbさんは 恩師にはなれども 怨師には ならないでしょう。
私の怨師は 高校時代 授業中眠ってしまった私をたたいた。
眠ってしまった私は 悪いが 眠らせるような授業をしていた事に対して
反省など 皆無だった。生徒は 皆眠らないまでも退屈にしていた。
先生は わからせよう 伝えよう 日々授業を改善していこうとは していなかったな。
今 どうしているだろうか。
まったく 自分の 成績の悪さ 授業中寝るなどの態度の悪さを
棚にあげて よくいうな、、自分。
>>お返事ありがとうございます。 留学中に日本語磁場で英語を独習していた時とは違う感覚とか、磁場にいた事の利点というのは感じられました?
>。。。。。。。ですから自分の日本語磁場で独習した英語が通用した、とにかく喋れる、多読中心の学習で十分だ、という確信が持てたことが大きな収穫だったと思っています。
英語国に数年滞在した経験から少しコメントします。私が考えますに、英語ネイティブ磁場に滞在する事の最大のメリットは、何と行ってもその言語を使わなければ生活できない事です。その結果、否応なしに日本語を介在させずに、“直接”英語を使わざるを得ません。この時、それまで学習してきた自分の英語力が試されます。そして、それまである程度英語を自分なりに勉強してきた人は、やってみれば結構自分の英語が通じるものだという事を体験できます。一年以上英語国に滞在する人は、最初の一年は自分なりのブロークンの英語でも何とかなるという、いわば英語を使う度胸をつけるために使われます。この時、自分の語彙力や文法力は一年前とそれ程変わらないかも知れませんが、それまで日本でやってきた、日本語を介在させて、たっぷり時間をかけて英作文する、あるいはリーディングでもまるで昔の日本人が返り点をつけながら漢文を読んでいたような、学校英語的文法知識による暗号解読的な英語の使い方とは本質的に異なる、言語本来の使用法に即した言語の使用を否応無く開始させられる事になります。ここで私が何を言いたいのかというと、皆さん本当はやれば結構英語が使えるという事です。多分中学レベルの文法知識と、ある程度の正しい発音法が身についていれば、あとは適当な機会(今まで述べたような“磁場”)さえあれば、ある日雛鳥が大空に飛び立つように巣立ちできるのだという事です。ネイティブは3歳児でこれができてしまいます。皆さんにできない訳がないと思いませんか?そのような機会を与えるという事が磁場の本質ではないかと思います。逆に言えば、そのような言語の使用機会さえあれば、これは日本ででも可能という事だと思います。
この真の巣立ちから先は本人の努力次第です。ここからあまり努力しない人は、日常会話程度の英語力から脱出できません。本人のたゆまぬ努力と、そして、ここが肝腎なところですが、なるべく自分で英語を使う機会、あるいはその訓練を継続的に行うという事が上達の秘訣ではないでしょうか?