>学習者各自がウドの店を持つことは出来ません。
持てても、誰もが根石さんのような人に「関心」を抱かせる性質と話題を
持っているわけでもありません。
私はウドが店を作っている(自作)途中も知っていますが、大工を俺が紹介
して、ウドとトミコと喧嘩をやらかし、二度とおれんちに出入りするな、と申
し渡して、そのご、その大工が私の自宅自作現場を手伝ったら、なにがどうと
ち狂ったのか、でたらめな仕事をした。
それで、その夜、ウドの店に行って、Fucking sorry. と言ったら、ウドも
Fucking sorry, too. と言った。
だけど、俺はさ、ウドの野郎、二度目にあったあたりから、どうも妙に馬が
合うと思って、それから英語をしゃべり始めたんだよ。
32歳ころから、46歳ころまで、俺は英語なんか、一言もしゃべってねえ
だわ。
英語なんざ、そんなもんでいいんだわ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
人様の青春にケチつけちゃいけねえな。
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>たとえ自分たちの英語が「本物の英語」だと勘違いをしてディベートに熱
中していたとしても、誰がそれを嗤うことができるでしょう?
あなたがたより、はるかに罪深い私の青春は、嗤うことをしました。
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>多くの非英語圏の人が基本的な英語を操れているのを見ると、それらの国
の学校英語は「様々な訛のESS英語」ではないのかと私は見るのです。
これは思い違いだと思います。
アジアのいくつもの国は、政治的にまともに植民地にされたのです。
だから、英語が世代間で伝承されるのです。
ESSなんかなくても伝承されるのです。
ぼろぼろにされた国というのはそういうものだと思います。
日本は根性だけが植民地です。
まだ続いています。
日本は、戦後、アメリカ文化を崇めたが、アジアの国が蹂躙されたほどに蹂
躙されていません。そのことの犠牲になったのが、沖縄です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>それ以上を身に付けたものは、ESSの場を発表の場と捉え、独学的なこ
とも激しくやっていた人たちです。
Naima さんです。
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>私のいたESSだと、「突っ込みをしないのは悪」の雰囲気があって、間
違いの指摘のしあいは多かったです。
その空気を作ったのは、恋人ファンさんじゃないのですか。
ESS 育ちでもおもしれえやつがいるというのは、今のところ3,4人です。
Eliot さん
Naima さん(純正essじゃなくて、エーカイワ学校利用?)
恋人ファンさん
深見東州(深見が字が違うかも)
この人たちは面白い。
結局なんなんだ?
自分で場の空気をつくらなきゃ気が済まないわがままなやつらだな。
それでいいのら。
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稲荷山というところへコーヒーを飲みに行ったら、ユミコさんという人が
個展をやっていたので、ユミコさんと話しているうちに、「電話でレッス
ン」の生徒さんになるというのでゲット。
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あしたまた、俺のことをボロクソに言ってくださいませ。
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来年の4月以降に「電話でレッスン」を申し込まれる方は、
月額12000円に値上げさせていただきます。
(現在は10000円です)
よろしくお願いいたします。
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旧掲示板にいたします。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今、寝る前に私の他の二つの掲示板を読んできました。
Eliot さんの生徒さんは学校のコンピュータを好きなようにいじれますか?
いじれるようなら、私の英語用の掲示板に落書きをしていいよと伝えておい
て下さい。
私は Eliot さんが引用したような生徒の英文を本当に愛しています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>Jakieさんだったか、「学校の800時間の学習時間ではたりない」と
書かれていましたが、私の経験では、その800時間の中で、「ことば」
としての英語の時間は見事に0時間でした!!
高校時代を思い出すと そうですね。
私は先生の読む教科書が子守唄にきこえ 文法説明は古文より理解するのが難しく 試験や宿題の穴埋め問題はパズルのようでした。
音読は 授業で あたった人が読むのが一回
クラス全体で読むのが一回あったかどうか
記憶が定かではありません。
恋人ファンさんのおっしゃる通り 音や言葉としての「英語」の授業は
なかったといっても 嘘ではないかもしれません。
>つまり、私は中高と「誰かが伝えたくて仕方のないこと」を英語で
伝えられたり、「自分が伝えたいこと」を他者に伝えた記憶が
一切ないのです。
うーん 基礎力が 欠如している状態では 人に伝えるということは難しい。何度も音読して 音や文が体の中にたまった状態ではじめて発話できると思うのです。 学校の授業で今必要なのはEliotさんのような授業です。
音をつくり テープをきき 何度も音読する。
ほとんどの学校では それが欠如しています。 発話することは無理です。
今コミュニカティブな授業が推進されてます、英語だけで授業をする先生もちらほらでてきているようです、が 本末転倒です。
>実は、私が一番Eliotさんを尊敬するのは、彼の発音に関する学識とそれを
実践されて大きな実績を上げておられることもありますが、なにより私が
Eliotさんの生徒さんが英語で書いた「ジスイズ作文」を読んだからです。
Eliotさんは、いわゆる英作文(=和文英訳=赤の他人のいいたいこと)
ではなくてを生徒に
やらせているんです!私は、そういうことをやっている学校は
一つも知らないので、かなり驚きました。
まあ、人の書いた日本語を英語に直させておいて、「英作文」もないのですが。
授業を研究されながら ご自分の英語にも日々磨きをかけて
学校ということで 日常の生徒指導 その他もろもろの雑事をこなし
その上 受け持ちの生徒の英文日記の添削。
Eliotさんは スーパーティーチャ―です。
生徒が羨ましい。
生徒の日記を全部読むだけで かなりの時間がかかります。
私も宿題で 英文日記を出しましたが そんなに多くない生徒数なのに
結構な時間をとられ こりゃ授業料値上げせにゃ 割にあわん、などと
ぼやいて 後悔しきり、、。
まず生徒の日記を自分で添削し その上ネイティブチェックをかけてました。間違っていたら申し訳ないので。
実は これがまた 私の冠詞や表現の勉強になった。 と言うなんとも情けない話なのですが、、。
英文日記は ともすると 「朝起きて 朝食をたべて 学校へいった。部活をした。」と毎日同じになりがちです。
日本語で日記を書く習慣もないとなおさら。
それをさけるために 私は 「英会話のかんづめ」 浦島久 を使いました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4010522569/qid%3D1032477714/249-9604746-8914754
テーマがいくつもあります。
たとえば 一つが 朝食。そのテーマに4つのモデル作文があります。
各一つに4行の簡単な英文日記のモデルがあります。そして一つDoクエスチョンがあり また関連したWHQがあります。 関連した単語も載っていて
入れ替え作文ができるようになっています。
生徒はいれかえるなり 質問に答えて自分のいいたいことを書くなりさせました。
サンプルがここで 書けるといいのですが 今 生徒に貸したまま戻ってこなく 手元にありません。
今 アマゾンでは 取り扱ってないようです。
簡単な構文が体に染み込んでいないと 「書く」ことができない。
教科書本文の血肉化と入れ替え。
そして基本構文の日→英(まずは 口で英訳し その後書く。)
を 今は先に徹底しています。
自由作文はそれからです。
今年の教科書改定にあたり ホライズンでは 書く セクションが増えました。 ないよりましかもしれませんが しかし なんともうすっぺらい。
高校の 英作文の教科書(文法ごとで 季節のテーマにそっている)が手元に
ありますが 例文もすくない上に 単純な文ではないので
あれで 英作文の力がつくとも 残念ながら思えません。
>私は英語科ですから、周りを見回しましたが、ESSの三人以外、
卒業までに「一人も」まともに話せるようになっていないのです。
まじ?っすかあ?
英語学科 英米文学科?
どちらにしても ネイティブの授業のほかにも英語の授業は多いはず。
英語に関する 国内の大学という最高教育機関での話ね・・・・・・。
Jackieさん、
おはよ〜ございます。 と言っても今こっちは夜中の2時30分です。 回転読みをやってて数文でポトッと寝てしまい、だ〜〜りんのトドの様ないびきで目が覚めました。
あの〜、またしても告白ですが、私は大学中退で(学生運動で学内が荒れていた、などと言い訳してますが、女子大なのが鬱陶しかったと言うのが本音)まがりなりにも英語講師でお金もらってるねんから英語教員免許くらいとっとかないと、と思っておばはんになってから通信教育で卒業しようと決意しました。 ところが夫の海外転勤の煽りを喰ってまたも中退...(ほんとは勉強がつまんなかった)
夏休みや冬休みにはスクーリングと称して大学で実際に授業が受けられるんですが、英語関係に限っていえば、これが、と〜てもショボイ... 教授だか助教授だか講師だかの教え方もショボければ、英語力もショボい。 英文学講読なんぞに至っては、生徒達の方がずっとまし。 英文科の通信過程で専門過程に生き残るのはたいてい中年以上初老未満の女達で、塾などの英語の講師が多いみたいですから。
易しい短編が教材で、生徒がパラグラフ毎に順に朗読し、その後に和訳する形で授業が進むのです。 何の為に教授が前に立ってるのかわからん。 で、課目終了試験の前になると、「あなた達、とにかく単位を取りたいでしょ。 ここからここまでの和訳が試験に出ます」とかご親切にも言ってくれるので、涙が出るほど情けない... 勉強したくて夫と息子を見殺しにして、早朝から遠路はるばる灼熱の京都に出て来た女の向学心を、よくも叩き潰してくれるやんかいさ。
国立1期(そんなんもう言わないですね)の授業も似たり寄ったりだと聞くので、もう東大生や京大生の英文科卒業生なんかでも怖くはない。 大卒と言う葵のご紋も、もういらん。 けっ!
テープの説明を御丁ねいにしていただきありがとうございました。
Eliotさんの「音作りへの道」を読んでいましたので、生徒さん方の朗読を
聴きながら胸にくるものがありました。逆風にもめげずがんばってこられた
ところは、何度読みましてもジーンときます。
それに見事に応えられた生徒さん方の努力もすごいですね。
大きな誇りになられることと思います。
学校が私が住んでいる県だと知った時は、大変びっくり致しました。
またそれと同じ位嬉しく思いました。
9月15日の暗唱大会はせっかくお知らせいただいたのに、敬老会の
接待当番で行くことができず残念でした。
本当はそちらの方に行きたかったのですが・・・
Eliotさんの発音はもちろんですが、声そのものもすてきですね。
それでは生徒さん方にも「すばらしい朗読をありがとうございました」と
よろしくお伝えください。
content-based teaching と experiential learning メソッドについて調べているのですが よくわかりません。
内容重視型 経験に基づく学習?
数学 社会なども 英語で教えるということでしょうか?
ご存知の方がいらしたら 教えてください。
Jackieさん、
content-based teaching と experiential learning という名称を知らなかったので、私も知りたくなって検索してみました。 Jackie さんもすでにアクセス済みかもしれませんがお役に立つかもしれないと思いURLを書いておきます。 回転読みの昨日のノルマを果たした後に、私もじっくり読んでみます。 スカタン(見当はずれ)なサイトだったらごめんなさい。
http://iteslj.org/Articles/Kelly-Experiential/
http://www.ncela.gwu.edu/ncbepubs/pigs/pig7.htm
回転読みの経過を私のHPに毎週報告してます。 もし他に記録すべき事があれば、教えて下さい。 18日から記録を始めました。 子供の夏休み日記みたいで、すみません。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/pillbug-twins/language/deutch_sodoku.html
なんで俺はこれほどまでにディベートが嫌いなのかと、恋人ファンさんとのやりとりをやってから考えている。
雨降りの日に机の上で、It's a beautiful day, isn't it? などと、現実とはまるで切れた文を練習し、何度も同じ文を言ったり、何度も同じ文を書いたりするような変態的なことをするのは、語学がもともと架空の意味を扱う過程だからと自分では納得している。そこまでは何もおかしなものはない。語学の机上で扱うことは、本来、現実とはうらはらなのだ。直接的な結びつきは一切断ち切られている。
この架空の領域で、濃密な意味を産出したりするエネルギーは惜しむべきではない。それこそが語学だからだ。
例えば旅で外国に行った場合でも、街角で英語の新聞を買うことはする。その時、俺はニュースそのものを求めているのであり、語法や語彙を求めているのではない。だから、5年前の新聞がたまたま手の届くところにあっても欲しいとは思わない。印刷されたばかりの「今日の新聞」を求めるだろう。
机上の語学で新聞記事を扱うのだったらどうだろうか。俺は教材や素材が5年前のものでも10年前のものでも、いっこうに構わないと思うだろう。そして、机上ではニュースの内容を読みとることはもちろんするが、その内容が「NEW」である必要はない。むしろ、ここでは、語法や語彙そのものが問題であり、語学的に既知であるか未知であるかが問題なのだ。
街角で新聞を買って読むのは、俺の「関心」が自分がいる場所の動向に向いているからであり、短期間の旅であっても、旅における生活の必要の一つであるからだ。
机上で新聞記事を扱って、未知であったものを既知のものに変えようとするのは、まったく語学的な「関心」でしかない。だから、5年前の記事だろうが10年前の記事だろうがまったく構わない。語学的な難度を含んでさえいれば何でもいい。
この二つが日本における英語のディベートではごちゃまぜになっている。新聞記事をネタにしてディベートをする場合、ディベートをする人たちには、何かこねあげてたくさんくっちゃべり、意見らしいことを言うべきであるという約束ごとがあって、その約束ごとにのっとって、それが自分の関心事であろうとなかろうと、あたかも自分の関心事であるかのように、こねあげてはたくさんくっちゃべるのだろう。用もないのにくっちゃべる、あるいは、自分の意見でもないものを自分の意見のように言い続ける。そこに誕生しているものは、一言で言えば、「下手な芝居」以外のものではない。テレビで、オウムの上祐がくっちゃべるのを見ていたとき、ああ、ディベート野郎なんだなと思い、唾棄すべきものに思えた。アアイエバジョーユウと人々は言ったが、ディベートというものはああいう種類の人間を作る作用があるはずだ。
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語学はもともと変態的な行為なのだ。現実とは切れて、現実とうらはらのことを言い続けたり、書き続けたりする。この変態行為は机上だけでたくさんだという感覚がどうしてもある。人を相手に変態行為をやらかすことが、ESS なんかでやるディベートやフリートーキングなのだ。確かに、語学の力やスキルの発達にこれが有効なのかもしれないが、いくら有効でもやりたくないと思うのは、人は人と普通につきあえばいいので、複数の人間が集まって変態ごっこをやる必要はないという考えがどうしても俺から抜けないからだ。言葉の生態として変態なのだから、言葉にまともな感性を持つ者なら、そんなものに耐えられるはずがないと思うのだ。
大したスキルも持たないが、言葉の生態には俺はどこまでもこだわる。
あんな変態をやるくらいなら、スキルなんか発達しないままでいいやと思い決めているのである。
どんなにごつごつしようが不自由しようが、俺は実際に必要が生じたら、ごつごつと不器用にその場で苦しみながら英語を使おうと決めているのだ。俺は日本人の不自由なごつごつした英語をこそ愛している。
机上ではなめらかに口を回す練習をする。「回転読み」などの変態行為もどんどん行う。机上でなら、思う存分、気の済むまで変態がやれる。机上の言い回しのなめらかさと、生活言語のごつごつさの落差がどんなに大きくてもかまわない。この落差の大きさを自覚し、何度でも語学の机上に戻ること、何度でも生活の場で、そのたびにごつごつや不自由を引き受けていくこと。俺はそこに日本の英語のアイデンティティを見ている者なのだ。
そうやすやすとなめらかになってやるものか、不自由を手放してたまるものかとすら思っている。それは俺が日本語の磁場を生きていることの証なのだ。
日本語でしか言えないことが絶対にある。
英語でしか言えないことが絶対にある。
英語のスキルを絶対価値としてしまった者の中心課題は、英語の思考法で考えるということであるはずである。しかしそれが絶対価値であるならば、アメリカに行って、とことん日本語をスポイルすればいいだけのことだ。日本にいる理由がない。日本にいて英語をやることの意味は、日本語の思考法と英語の思考法が引き起こす摩擦そのものを生きることであるはずなのだ。だからこそ、ごつごつした英語、不器用な英語になる。
ごつごつしても不器用でも、言いたいことは言う英語。これこそが価値なのだとは誰も思っていない。よりなめらかな、より英語の思考法に近い、より不自由を感じない英語が価値だと思っている亡者たちならいくらでもいる。
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日本在住のままに、貧弱な日本語となめらかな英語を持つこと。
これは病気以外のものではない。
「芝居」や「ごっこ」は危ないものなのだ。語学というものは危ないものなのだ。語学に食われて、心に生気が感じられないようになっている人なら何人も見た。この人たちは、英語はしゃべれるが、しゃべっていることのほとんどをまるでよそ事のようにしゃべることが多い。「自分の英語」がしゃべれない。
ごつごつしても、不自由でも、苦渋に満ちていても、それが自分の声と同致するなら、それはその人の英語だ。なめらかでも、スピードがあっても、空疎な響きであるならば、あるいは英語のハイピッチのせいで浮かれポンチになって降りてこれないならば、それは語学に食われていることなのだ。
空疎であっても、浮かれポンチであっても、ディベートの場所やフリートーキングの場所では問題にされないはずだ。急所に直に触ることになるからである。その暗黙の了解が気持ち悪い。一人の机上でイメージを鍛えることでやるべきものを、共同の場所に持ち出していることの無恥というものがそこにあるのだ。
ディベートの場とは本来自分の考えを言う場所であるはずだ。
架空のものであっていいはずがない。
まして、語学のスキルに奉仕するようなものであっていいはずがない。
英語であっても、言葉なのだ。日本語と同じように、人の心に直結していくことが必ずあるはずだ。架空を眞とすることで、心が空疎になる例はいくらでもあるだろう。本来、一人の机上で展開すべきものを共同の場に持ち出すことの危険、その危険によって損なわれるものは多々あるだろうと思う。
芸達者な人や心がタフな人はやるがいいだろう。俺の心はきわめて脆弱であるから、俺はやらない。自分の中で摩擦をそらさずに生きていれば、そんなタフさ加減にまで耐える余力はない。そんなことまでしてスキルを得たいなどとは思わない。俺は、本当に言いたいことをなんとか言うことができればそれでたくさんなのだ。
用を足すくらいの英語はある。仕事で使える程度の英語はある。商品のことがわかっていれば、通訳をすることもある。しかし、これらは人と話して言いたいことを言うのとは、まるで地平が違う。人と直に話すとき、俺はこれからも苦渋に満ちた英語を使い続けるだろう。本当に言いたいことをなんとか言うということだけを続けるだろう。
本当に言いたいことを言おうとすれば、今現在がそうであるように、日本語を使ってだって苦渋の汗は出るのだ。日本語でだって不自由するのだ。英語でだって同じことだ。
それしかやりたいことはない。
スキルが俺の神ではない。
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先日、へたくそな通訳をやった。なんとか取引が成立したらしく、機械をアセンブルする会社の社長が喜んでくれた。そのとき、英語を聞き、日本語を話し、日本語を聞き、英語を話すことを繰り返し、仕事を終えてから、今日俺の口から出たものは、日本語ででも英語ででも言えることを言っただけなのだと思ったことを覚えている。
日本でディベートをやる場合、それ以上の何が扱えるのか。日本語の地平には、英語ででも言える部分と、日本語でしか言えない部分がある。通訳でだったら、その間に摩擦はない。俺の口から出てくるものは自分の考えでなくていいからだ。しかし、自分が言いたいことを言おうとした時に、俺の中で摩擦が生じるのは、日本語でしか言えないものを手放そうとしないからなのだ。
そんなものはあきらめろ。英語モードと日本語モードを切り替えることしかできないのだという結論は知っている。そして、その結論が正しいのも知っている。しかし、そんな正しい結論を知っていたからといって、それが何だというのだろう。俺が今日本に生きて、日本語の磁場を日々呼吸することと何がどう結びつくのか。
自分の中の摩擦やごつごつした感触、不自由な感触を手放さずにものを言うと、英語ネイティヴが考え込むことがある。アメリカに帰ってから、お前の言っていたことをその後も考え続けたというような手紙をくれたやつもいる。英語ででも日本語ででも言えることだけを扱うのなら楽なことだと思う。日本語でしか言えないことを手放さずに英語を使うことは、どこまで行っても苦渋に満ちた行為であり、こんなことをやっても一円にもならない。
それでもなお、ごつごつや、不器用や、苦渋を手放さないことが、俺の英語なのだ。自由に言うとか、なめらかに言うとか、英語の思考法でものを言うことばかりやって、英語のスキルの自在さを至上価値とした者たちは、日本語でしか言えないことは最初から問題にしていないのだ。楽なことだろうと思う。
スキルという至上価値、英語による思考法の方へいっせいに頭を向けて泳ぐメダカたちの集団。日本で英語でディベートなどやる人たちをそんなふうに眺めていたことがある。
本来、机上だけでしか許されないことを集団で行うならば、その変態は病理になるだろう。そういう疑いがどうしても抜けない。
最近、「中間項」というものを考えている。
英和辞典の複数の日本語の訳語から自分なりの一つのイメージを作り、それを徐々に英語ネイティヴがその語に対して持っているイメージの核に核を重ねていくとき、最初に自分なりにつくるイメージというものは「中間項」だろう、と。
コーチの仕事をやり、生徒の口の動かし方を手短なコツで言い、「ひとまず」は日本語に存在しない音の方へ少し口の動きを移動させ、それを安定させるのも、「中間項」を作る仕事なのだ、と。「中間項」を安定させて、さらにそれを揺り動かしていくなら、ネイティヴ音は十分に媒介にできる、と。
だったら、しゃべるためのスキルのために、日本人同士でディベートをやったり、フリートーキングをやったりするのも、英語の磁場で自在にしゃべる方向へ向けての「中間項」としてみたらどうなんだ。「中間項」は必要だと言いながら、日本での英語でのディベートを否定するとはどういうことになるのだ。そういう自問はある。
それが「芝居」であり、「ごっこ」であるという自覚をまともに持っている人たちだけがそれをやるのなら結構かもしれない。しかし、それをやるのであれば、あくまでもスキルを「中間項」として安定させるための「(下手な)芝居」であり、「ごっこ」なのだと成文化すべきだろう。誰にでもわかるように、成文化したルールを確定すべきだろう。 仮の立場でしかないものをいつのまにか自分の本当の立場なのだと錯覚したり、仮の言葉でしかないものに麻痺して、それがあたかもまともな言葉のように思ってしまう人の数は決して少ないものではないだろう。英語フリークには普通に見られる病状ではないか。 そして、この人々の中に日本語の貧しい人や、思考の貧しい人を見るのはまれなことではない。
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あんたはえらい!
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Naimaさん、えらいです。さすがです。
では、私も見習って、記録をつけようと思います。
ここに、用意しました。(今は内容がないです、器だけ)
http://www.memorize.ne.jp/diary/32/58212/
Naimaさんと比べると、あまりに自分がやっていないので恥ずかしいのですが、こうなったらしょうがあるまいと腹をくくって、書いていきます。
おたがい、行き掛りで、えらい事になってしまいましたね。 私はミイラとりがミイラになったみたいな気がします。 たはは、ですわ。 後は実行あるのみなんですが、こうなったらやるしかないですね。 衆目監視の中でやってるという状況が、恐ろしい...
べいべさんのサイト、勝手にリンクしてしまいます。
皆さん、よろしかったら、↓へ行って「日本英語の謎を解く」という
掲示板に行き、
http://www.soejima.to/
No.645,No.676,No.665,No.679を読んでみてください。私の頭が
悪すぎるのか、はたまた私に「学問」がないのか、不明ですが、
いずれにせよ、これらの人の書いていることは私の常識を超えていて、
全く理解不能です。こういう人たちが副島氏を取り巻いているので
あれば、樋口先生や山岸氏が何を言っても無駄だということだけは
わかります。
あの掲示板のタイトルは「日本英語の謎を解く」です。悪い冗談の
ような名前です。
Eliotさん、早速行ってみました。 泥臭い書込みをして来てしまいました...
記憶が不確かなので、お聞きします。
古川さんの掲示板を私が最初に読んだとき、私はまともなことを言っている人が二人いると思いました。一人は浜谷さんで、多読の効用を言われていました。ただ、その後、初心者が多読に至るまでの基礎づくりのことをあまりに軽く考えられていたり、多読万能論のようなことを言われるので、多読のための前提を軽く見るのは上級者の初心者に対する犯罪だと議論の中で言いました。
まともなことを言っていると思ったもう一人の方は、確か恋人ファンさんのあちらでの別人格さんだったと記憶しています。音読せよ、どんどん声を出して読むことで、英語をやっつけるのがいい、と言われていたように覚えているのです。このあたり、記憶でしかありませんので、違っていたらごめんなさい。違う人だったでしょうか。
で、現在の英語教育に欠けているのは、会話ではなく音読だと思っている話をしたかったのです。学校がとことん音読をさせるということは、これまで行われていません。私の知るかぎり、Eliot
さんの教室とそのお弟子さんの教室だけです。Eric さんは、多分、Eliot さんのお弟子さんでしょう。(最近、書かれませんがどうしておられますか?)
そして、学校で音読をするということは、方法的に成立可能なのだということを
Eliot さんの実践は証明しています。その音読に必要な「音作り」まで含めて、すべて
Eliot さんは一人の力で成立させてしまいました。
すでに、学校の英語のあるべき姿というものは Eliot さん一人の力で示されています。
これが学校の英語の授業のモデルとしてきちんと位置づけられないことが日本の悲しい奴隷授業のていたらくです。
問題は、ディベート以前、英語教育全般にあるというご意見に賛成ですが、そうだとすれば、もっとも肝要なものは、「会話」ではなく「音読」だと私が考えているということを言いたいのです。
アウトプットするには、それができるようになるだけのインプットのこなれがなければ、「会話」と言ったところで絵に描いた餅にしかならないことは、Jackie
さんが言われた通りだと思っております。
学校が謙虚に採用しなければならないものは、「コミュニケーション教育」でもなければ「会話」でもない。「音読」(とその前提となる「音づくり」だ)と考えているのです。
現在の英語教育は、ますます的はずれな方向へずれていっていると思っております。
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>Eliotさんの教師自身は発音が良くなかった(=話せなかった?)
>のにカタカナ読みを強制しなかったのは、「自分は発音は良くない。
>Eliotの方がいい」と謙虚に認めていたのかも知れません。
>そうだとすると、その先生は英語教師としての能力は劣っていても
>教師として求められる人間性には問題のない人だったのでしょう。
中学二年生か三年生のときに、私の英語の先生(三年間同じ先生
でした)が、黒板に英単語をいくつか書いて、「Eliot、読んで
みろ」とおっしゃいました。私は精一杯上手に読みました。書かれた
語のひとつだけは覚えています。それは sport でした。私が全部
発音すると、先生は「うん、そうだ。うまいな」というようなことを
おっしゃいました。
私が英語を学び始めて数週間しかたっていなかった頃、先生から
指名されて、Lesson 1のSection 1を声に出して読みました。
This is a fish. This is a dish.
ズィスィザフィッsh. ズィスィザディッsh.
録音を家でよく聞いていたので、個々の音はだめでもリズムは
ターンタタターンと英語らしく言うことができました。すると
先生が「Eliot、上手じゃないか」とほめてくださったのです。
私はとてもうれしくて、「よーし、英語は楽しいぞ。これからも
頑張るぞ」と思いました。今の私があるのは、あのときの先生の
一言のおかげです。とても感謝しています。
>「君の読み方はアメリカ人の英語だ。ここは日本なんだから、
>日本人の英語の読み方をするように」などと、大人が見ていない
>のをいいことに無茶苦茶なことを言う、アホ英語教師が未だに
>生息しているようなんです。
「○○君、アメリカではそうかもしれないけど、日本ではそうは
言いません」という教師のアホ発言について聞いたことがあります。
私の生徒の中にも帰国子女が若干います。彼らは発音のよさを存分に
発揮して、嬉々として音読や暗唱に励んでいます。
>私は中学の時発音の良い「話せる」という噂のあった教師に2年
>習いましたが、彼の良い発音は2年習っていても、誰にも「移り
>ません」でした。
私は時々英語教育研究大会という催しに参加する機会があります。
しばしば公開授業と呼ばれる時間があり、会場の○○ホールまで
中学や高校の1クラスを連れてきて、舞台の上に机を並べ、授業を
するのを見物します。
そういう授業で生徒の口から発せられる音はほとんどすべてカタカナ
英語です。英語の音作りがまったくできていない生徒たちばかりなの
です。
授業の後に引き続き合評会があり、授業をした中学校の先生が「この
中二の生徒たちは中一のときから私がずっと教えてきました」などと
言うのを聞くと、私は「先生、あなた一人だけそんなに発音が上手で
どうする。生徒にちゃんと教えてやれよ」と叫びたくなります。
確かに生徒たちは舞台の上で元気に発表したり、寸劇を演じたりと、
一生懸命なのはわかります。にこやかな笑顔で大きな声を出し、
カタカナ発音をしています。見ているとかわいそうになります。
教師からだまされているのですから。
記憶が不確かなので、お聞きします。
古川さんの掲示板を私が最初に読んだとき、私はまともなことを言っている人が二人いると思いました。一人は浜谷さんで、多読の効用を言われていました。ただ、その後、初心者が多読に至るまでの基礎づくりのことをあまりに軽く考えられていたり、多読万能論のようなことを言われるので、多読のための前提を軽く見るのは上級者の初心者に対する犯罪だと議論の中で言いました。
まともなことを言っていると思ったもう一人の方は、確か恋人ファンさんのあちらでの別人格さんだったと記憶しています。音読せよ、どんどん声を出して読むことで、英語をやっつけるのがいい、と言われていたように覚えているのです。このあたり、記憶でしかありませんので、違っていたらごめんなさい。違う人だったでしょうか。
で、現在の英語教育に欠けているのは、会話ではなく音読だと思っている話をしたかったのです。学校がとことん音読をさせるということは、これまで行われていません。私の知るかぎり、Eliot
さんの教室とそのお弟子さんの教室だけです。Eric さんは、多分、Eliot さんのお弟子さんでしょう。(最近、書かれませんがどうしておられますか?)
そして、学校で音読をするということは、方法的に成立可能なのだということを
Eliot さんの実践は証明しています。その音読に必要な「音作り」まで含めて、すべて
Eliot さんは一人の力で成立させてしまいました。
すでに、学校の英語のあるべき姿というものは Eliot さん一人の力で示されています。
これが学校の英語の授業のモデルとしてきちんと位置づけられないことが日本の悲しい奴隷授業のていたらくです。
問題は、ディベート以前、英語教育全般にあるというご意見に賛成ですが、そうだとすれば、もっとも肝要なものは、「会話」ではなく「音読」だと私が考えているということを言いたいのです。
アウトプットするには、それができるようになるだけのインプットのこなれがなければ、「会話」と言ったところで絵に描いた餅にしかならないことは、Jackie
さんが言われた通りだと思っております。
学校が謙虚に採用しなければならないものは、「コミュニケーション教育」でもなければ「会話」でもない。「音読」(とその前提となる「音づくり」だ)と考えているのです。
現在の英語教育は、ますます的はずれな方向へずれていっていると思っております。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>多読のための前提を軽く見るのは上級者の初心者に対する犯罪だと議論の中で言いました。
私は初心者の定義で、確か社会人を年頭に置いていると申し上げた筈です。中・高生を年頭においていません。ですから「上級者の初心者に対する犯罪」ということにはならないと思います。6−10年英語をやっても喋れない社会人でなんとか喋れるようになりたいと思っている人が対象だということです。仮にその理論がおかしかったとしても社会人であればその善悪の判断はつく筈です。私は根石さんの語学理論はまともなものだと思っていますが、相手の理論を「犯罪」とまでいう議論にはついていけません。SSS方式などもその対象になるというお説のようですが、そこまでいう必要はないように思うのですが?
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
副島の掲示板を少し読んで、ここへ戻ってきて、新しい書き込みを読もうと
したら、なぜだか自分の投稿を二度送ってしまいました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
訂正です。
私は大学でESSに所属していたことはありますが、部長では
ありませんでした。実は部長選挙に担ぎ出されそうになったので、
退部して逃げ出しました。部長になれば英語の勉強よりは部の運営に
かける時間が増えてしまい、私がしたいことができなくなる恐れが
あったので、ESSを去ったのです。
ついでですから、私のESS感を少々。私はどちらかと言えば、恋人
ファンさんの意見に近いものを持っています。すなわち、日本にいて
英語を練習しようと思う学生が勉強仲間を求めて、ESSに入り、
英語を話す練習をすることは決して悪いことではないと思うのです。
話せるようになるには話す練習が必要です。確かに日本語を母語と
して共有する人たちが不自由極まりない英語で話をするというのは
不自然なことに違いありません。しかし、それが駄目だと言えば、
スポーツの練習も他チーム、あるいは他のプレーヤーを相手にして
実際の試合をすること以外はすべて駄目だということになってしまい
ます。
実際に英語を話して今日の新聞を買うという機会が得られない以上、
日本人同士で英語を使ってそのような英語でのやり取りを練習する
しかないのではありませんか。本を相手に音読をするのはOKで、
人を相手に会話練習するのはばかげているというのは理解できません。
当事者同士が練習と思ってやっているのであれば、何の問題もない
でしょう。
>私は初心者の定義で、確か社会人を年頭に置いていると申し上げた筈です。中・高生を年頭においていません。ですから「上級者の初心者に対する犯罪」ということにはならないと思います。
中高生を念頭においていようがいまいが、初心者は初心者です。
じゃあ、中高生は浜谷さんの定義では、「初心者以前」なのでしょうか。「初心者とすら言えないしろもの」だとでも言いたいのでしょうか。
なんで、「初心者」が社会人でなくてはならないのでしょうか。
「多読の初心者」とでも言われたのなら、もっとものごとははっきりしただろうと思っております。
私は、英語をやり始めたばかりの人を初心者ということに何の不都合があるかと思っております。初心者ってそういう人ではないのですか?
私は浜谷さんの初心者という言葉の使い方に違和感があったので、じゃあ、初心者の定義をやりましょうと言い、結局、双方に納得のいく定義はできなかったと思っています。
英語を数年やっているとか、学校を出ているとか条件をつけて「初心者」を定義されたと思いますが、そんな条件は一切要らない。初心者というのは、まったくの白紙から一歩歩き出した人のことだ。私は、世の中の常識のように今でもそう考えております。
英語を始めて数年経つ者、高校を出ている者とか言われていたと思いますが、そんなものは人が初心者であることの条件としてはまるで見当違いなものだと思っております。
しかし、今から、初心者論をやろうとは思いません。
学校時代に学校の成績がよかった人が、多読でブレイクスルーしたからといって、それを万能のように言い、「初心者」にもそれでやれと言うのは、「初心者」に対する犯罪であるという考えは、これまでに何度も書きました。
SSSも浜谷さんも多読だけで行けると思っているとしたら、英語の磁場を欠如している場所に対する認識の甘さ、自分が初心者であった時点に対して、「喉元すぎれば熱さ忘れる」気楽さのせいだと思っております。
初心者から中級者の英語を形成している英語力の繊維を一本ずつ検証することなく、多読万能論のようなことを言うのはよろしくないことだと思っております。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
ううむ。
私は、語学の机上でインプットが熟すなら、それは直に生活言語の場で「話す」ことに行けるだろうと思ってきました。私は、話す機会もなく、話す必要もない期間は、ただ英語を錆び付かせないことをやっていただけで、話す機会や話す必要が生じたら、そのまま話すことに入っていきました。これ、かなりきついですが。
「只管朗読」の「只管」、「回転読み」の「回転」というものは、それをもたらしうると思っています。自分では、「話す練習」というものはやったことがありません。そんなことはやりたくないというかたくなな思いがあるのです。
考えるなら日本語で考える。そうして、考えたことが煮詰められるなら、それは英語にだってなりうるはずだと思ってやってきました。なかなかうまくいきませんが。
語学の一人の机上を離れ、そのまま生活言語の場で、「話す」ことに入りました。旅行以外で「磁場」にいたことはありませんから、いまでもごつごつした、不器用な英語を話しています。
また、それが私の英語の性質となっており、つきあいのある外国人たちは、根石の英語はごつごつしてぶっきらぼうだと知っていて、そのことを踏まえた上でのつきあいが生じています。また根石が何か言うだろうというような、期待の視線を浴びたりして、不発弾をかませたときは、自分でしっかりとがっかりしています。
どうして「話す」ということを練習する必要があるのか、私にはわからないのです。
語学力が熟せば、木の果実が熟して落ちるように、自然に手に入るものだと思っているのです。インプットが熟せば、そのままそれはアウトプットに至ると思っています。
熟させるということをやらないことが問題なのではないかと思います。
近頃、「中間項」という考えが私にとりついております。
これは、私がこれまで抱いてきた「話すことの練習」への反感に異議を唱える性質のもので、ちょっとものを食っても消化が悪くなるくらいに考えています。
それで、ここ2,3日の考えでは、「架空のこと」「お芝居」「仮の言説」「あくまでも練習用」ということを、明確に言明した上でやるのであれば、それはやってもいいのかもしれないというくらいには考えが動いています。恋人ファンさんと議論したおかげだと思って感謝しています。
しかし、どうもいやだ、と感情は私の頭の理屈に反抗しています。
しばらくはこの分裂を生きてみるしかないだろうと思っています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
ドイツ語のプライベートレッスンから戻って来た所なのですが、磁場について感じた事を報告します。
私のドイツ語は、語彙の運用力もなく構文の応用力もありません。 何度も書いた様に出来の悪い高校生レベル、評価は5段階の2の下程度です。(実際通っていたドイツ語学校でも5段階の2をとって来る事が多かったのです。)
私がドイツ語で会話をするとなると、「この字のつづりを教えて下さい」「宿題忘れました」「先週転びました」「ここは読みました」「先生今日は綺麗です」程度の事で、到底会話とは言えません。 それもトツトツとですからお話しになりません。 ここら辺はJackieさんの言われる様にまずは音読によるインップットに徹した方が良い様です。
しかし、ドイツ語圏にいる事の恩恵は、回転読みを始めて身に染みて感じる様になりました。 テキストにある文を試してみる場があらゆる所にあるからです。 「後ろに下がる」「待つ」など習った途端に駅で「後ろに下がってお待ち下さい」と言う言葉を聞く機会を得たりします。 否応なしに復習出来るわけです。 私の立っている場所にドイツ語と言う磁力が働いている事を実感し、これが磁場と言うものかと納得しました。
リスニング力はさすがに毎日ドイツ語に触れていただけあっていいのですが、それもキーワードと相手の動作や状況から類推するコツを得ていると言うだけではない様に思い始めています。つまり、vicarious な状況ではなく、磁場にいるという事が、私のリスニングを有形無形に四方八方から支えてくれるのだと思いました。
また、磁場にいると、根石さんがおっしゃっていた様に言葉は初めは単語単位ではなく、センテンス単位で入って来く事も今回実感しています。 「さがってお待ち下さい」も「ツーリュッブライビテ」と長い一固まりで聞こえます。ずっと何をどう言ってるのかはわからなかったのですが、周囲の状況を見ていると内容はわかるのです。 それが「戻って」「待って」「どうぞ」などの単語単位で解るのは、テキストで各々の単語の発音を知り、意味を知り、文の構造を習ってからの事です。 幼児が「コミ」と言ったのは「コレはミーコ」というセンテンスだった、と言う根石さんのお話もやっと納得出来ました。
>Eliotさん、早速行ってみました。 泥臭い書込みをして来てしまいました...
ありがとうございました。とてもよく理解できる書き込みでした。
ところで、Naimaさん=Mignonさんだったのですか? あれれ?
村田先輩には白状済みなんですが、「きっつい突っ込み」とか「ぼけ」を言いたい時には、Mignonで通してます。
いらん事ばっかりして、化けの皮を剥がし捲ってます。
「Wilhelm Meisterの修行時代」に出て来る薄幸の美少女(^^;; のミニヨンですわ...
もう逃げ隠せん、どうにでもしてくれっ!
>私はウドが店を作っている(自作)途中も知っていますが、大工を俺が紹介して、ウドとトミコと喧嘩をやらかし、二度とおれんちに出入りするな、と申し渡して、そのご、その大工が私の自宅自作現場を手伝ったら、なにがどうとち狂ったのか、でたらめな仕事をした。
それで、その夜、ウドの店に行って、Fucking sorry. と言ったら、ウドも
Fucking sorry, too. と言った。
酔っ払って散漫なことを書きました。(ここでも、「私」と「俺」との間で、私は分裂しています。)
「二度とおれんちへ出入りするな」と私がトミコやウドに言ったのは、ウドとトミコが私が紹介した大工を粗末に扱ったと私が判断したためでした。その大工が、私の自宅自作現場に来て、それを訴えたのでした。それで、ウドの現場をその大工がやめることになったので、紹介した私としては、私の現場をやってもらうことにしたのです。ところが、仕事の質で腹いせをやるような大工だったので、私も私の現場から出てもらうことにしました。
面白くないことがあったにせよ、それを仕事の質を落とすこととして反映させることは、私が許せなかった。
お前の言ったことと似たことが、俺の現場でも起こった。それを俺は確かに見たとウドに言い、Fucking
sorry. とウドに言った。
日本の大工や職人の世界の慣例など、私にはわかっても、ウドやアメリカ基準を信じているトミコにはわからないかもしれないという危惧は最初からあった。ごたごたするかもしれないとも思った。そして案の定だった。途中で、私はウドに「ローマにいる時は、ローマの人たちがやるようにやれ。トミコの親にやり方を教わってやれ」と言ったと思う。
私は私で自分の現場をかかえているので、そうそうウドの店の自作現場に行っているわけにはいかない。
しかし、紹介した大工の仕事が中途で切れてしまうことになったので、その月の大工さんの収入の見込みが違ってしまうからと思って、私の現場を手伝ってもらうことにしたのだが、今度は余所での腹いせを私の現場でやるのを見て、私はこの大工を切ったのだった。
だから、Fucking sorry. だったのだ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今、例の掲示板を見に行ったら、またばかな書き込みをしている人が
います。Mignonさんの批判に書かれているような簡単な道理がわから
ないのですね。なんでだろう。頭が悪いのかなあ。
>今コミュニカティブな授業が推進されてます、英語だけで授業をする先生もちらほら
>でてきているようですが本末転倒です。
ちょっと古いのですが、手元に中1のサンシャインがあります。一課はこれです。
(今でも「会話重視」は続いているようですから、そんなに変わっていないと思うのですが)
Welcome, Emily. I am Kumi. Hello, Kumi. I am Emilly. Hello, Mrs. Oka.
I am Emilly
Oh! You are Emily. Welcome to Japan. Emily, this is my father. How
do you do, Mr.Oka?
How do you do, Emily. Nice to meet you.
>以下、アホ文科省官僚へ!
おいおい、中1の第1課からこれかい?! be動詞が二種類 一般動詞もdoとあろうことか不定詞でto
meet
間投詞の welcome, Oh とか。。。こんなんじゃあ英語のシンタックスなんて分からなくなるに決まってる!!
Mr. Mrs. と綴りの省略までありやがる
この手のエーカイワがコミニカチブな文章だと言い張るんだったら、おめえら文科省の英語科?は全員クビ!!!!
中1の第1課なんて、This is a pen. That is a book. とその疑問文と否定文を数種類ずつ。
二課で、 I am a boy. you are a girl. We are students. と、同上
要するに、昔のがいいんだよ!エーゴの教科書なんて、英語シンタックスの骸骨見え見えの分かりやすくて、大人
が読んだら退屈で死にそうなのでよかったんだよ!!それを面白く教えるのが教師の腕ってもんじゃねえのか??
こんな、無理矢理シチエーション作ったって、中学生が「このとおり外人にあったら言おう」とか思うと
考えてるんだったら、子供のことが何にも分かってねえ証拠だぞ!
こんなとこでぬくぬくしてやがらないで、厚生省にでも行って年寄りの介護でもしてやがれ!
「私は少年です。これは本です。」なんて、ネイチブは一生使わねえだって!!
ネイチブのために、テメーらエーゴやらせてんのか?うん???
日本の中学生のためだろ!このボケが!
このクソ教科書になりやがってから、落ちこぼれ続出なのは知らねえのか??
授業なんてやりにきいったらありゃしねえ。。ガキゃあ、英語嫌いになるし。。
うん?「あんなあり得ない文章でなく将来直ぐに使える文章」にしろって、国会のセンセーに言われた??
あんな、家庭教師何人も付けて何回も留学したようなオボッチャマ連中に、
フツーの公立行ってる貧乏人のガキのことなんて分かるわけねえだろ、タコが!
でえてえよ、「将来すぐ役に立つ勉強」なんて言うんなら、自動車免許の学科でも教えてりゃいいんだ。
ありゃよ、殆どの中学生が何年か先必ずやるんだからな
勉強ってそんな「なんかにすぐ役に立つ」ってもんか?
基本を押さえさせて、 応用が色々に利くようにしておくから、数学とか歴史とか
ちょっとの人に役にしか立たんもんでも、やらせてるんだろ?
役に立つなんて言われて、エーゴの教科書ホイホイ変えるんだったら、その前にまず漢文と古文なくせ!
あんなもん、誰も使わんだろ?古文しゃべるか??漢文書くか?
ったく、そんな単純頭して東大法科だ、国Tだと、よく言ってられんな。。。ケッ!←真似♪
(古文漢文廃止しろって言っているのではありません。念のため。。(^^;; )
コミニカチブだか日舞だか若秩父(古っ!Naimaさんと根石さんは分かるか。。(^^;;)
だか知らねえが、日本人のエーゴてえのはな、ゴツゴツしてて当たりめえなんだよ。
がっこでやった文法とやらに、単語乗っけて言いたいこと言えばいいのさ。
ゲエジンなんか、自分は何にも苦労しちゃいねえんだから、分かるのに苦労したって構うこたあねえんだ。
おめえらだって、電波少年のチューヤンの言ってること、分かりたかったら面倒でも一生懸命聞くだろが。
教科書はそんなゴツゴツエーゴが自分ででっち上げれるようにな、新税だかシンタックスだか
何しろ根石のオッサンが大事だって言ってるヤツが分かりやすけりゃいいんだからよ。
てめえがネイチブみてえにカッコよく喋りてえだの、ネイチブの読んでいる本読みてえとか
抜かしてる物好きは、やめろったってどうせ自分でやりやがんだから、ほっときゃいいのさ。
>Jakieさん ↑で私の言う「英会話」と「エーカイワ」の違いの回答になっているでせうか?(^^;;
>Jakieさん
大学は、神奈川県の一時駅伝が強かった某駅弁私立大学です。((゚〇゚;) 中抜くと大学名になってる。。(^^; )
昔ですから、Naimaさんの書いてくれたのと同じで英会話の二人以外は日本人の訳読です。
外国語学部英語英文科とかいってますが、「警察は警官のため学校は職員のためその他皆同じ」という、日本の
伝統に添った正しい姿ですから、同じ科のESSの連中は授業は単位を取るだけで、ESS卒だと言っていました。
>うーん 基礎力が 欠如している状態では 人に伝えるということは難しい。何度も音読して
>音や文が体の中にたまった状態ではじめて発話できると思うのです。
いやいや、案ずるより生むが安しです!
というのは、私は二浪中に教会の英会話教室に行ったのは以前書きましたが、それまで朗読なんて
まともにしていません。それでも、中学の文法くらいは考えながらなら使えたので、知っている単語
を組み合わせて言ったら、結構通じたので、「英語は単語だ」とその時は単純に思って、受験はその手で
受かりました。会話と同じで訳さないで順番にイメージを作っていくのを学んだみたいです。
アホ大学ですから、ESSの新入生も誰も(といっても大勢いたので訊いたわけではないから分からないが感じで)
朗読なんかやってませんよ!でも、入部一月後にケネディーの就任演説のスピーチを新入生は全部員200人の
前でするとかあるんですよね。ですから、それこそ死に物狂いで何百回以上とか大きな声で練習して暗記しますよね。
プレッシャー凄いですから。ここで朗読が大切なのが分かるんです。指導者なんか一年先輩の二年生が
何回か、発音とかイントネーションのチェックをするくらいで、仲間でやっているわけです。
それから、先輩から上手く文章がでてこなかったり、英語口ができてないと、「アメリカ口語教本」なんか勧められ
るんですね。
だから、何十年たった今でも If you want something done well, you should
do it by yourself.
とか空で言えるわけです。
その頃は皆んな自分が全然ダメなので、話せる先輩が凄く輝いてて、憧れていますから素直に従うんです。
ラジオ・テレビ講座、朝日の英字新聞とみんな同じのやってますから、共通に新しい単語とか表現も覚えて
競争して使いますから、頭に入りましたね。
考えたら、口語教本って根石さんの回転読みのちょっと頭使うヤツです。
だいたい、アホ大学のESS新人って、Eliotさんの中2の今頃の生徒さんと
比べると、文法とかが少し勝っているだけで、作文は、何しろ自分の言いたい
ことを書いたことがありませんから負けるし、発音なんか惨敗でしょうね。
でも、「どろんこ遊び」しているうちになんとかなっちゃうんですよ。ESSの新人は「英語における幼児」
ですから、口で言う英語は何でも珍しくて好奇心を持つし、面白いので凄い吸収が速いんですよ。
根石さんは、教え合い(や間違い等の指摘のし合い)は私が作ったとか言ってましたが、私にそんなリーダーシップが
あったら、苦労していません。ESSの伝統ですし、他のESSも話せていますから、同じようなものでしょう。
紙で独学でやっているのと違って、言いたいことが上手く言えないとき仲間に良い言い方を教えてもらったり、
自分がなんかの本で覚えたものを逆に仲間に教えてると、感情とか情景が一緒に記憶されますから、印象的でよく
身に付くんです、教えるそうも教さわる方も。声に出して言ってますし。
でも今思うと、教え合うより盗み合うの方が多かったかも知れません。
独学をやってからなんていうと、出来る人は一割いるかどうかですし
吸収も遅いです。仲間と一緒は楽しいし競争もする。
地味地味な独学と違って、好きな女の子に格好いいところ見せたい♪
なんて超強力な「不純」な動機がありますしね。。。。
だいたい、勉強なんて独学か良い仲間とやるもので、教さわっているかぎりそんな急激な成長はないのは、
教えていたからよく分かります。受け身の学習と自発的な学習では後者が断然すぐれているんですね。
あの一年生が必死になってやってた雰囲気って、緒方洪庵の適塾なんかに似てたんじゃないかな。
あそこも緒方自身は塾頭を教えるだけで、塾頭がその下のものを教えて、そういう人が新人を教えていたんですからね。
でも、そういう雰囲気は伝統だから出来るんで、一人で作ろうとしてもなかなか出来ません。Eliotさんみたいな
学校だと、生徒がついてきそうなので教師陣が結束してそういう雰囲気作りをしたら出来そうな気もしますが。
先生方も、あのEliotさんが「発音が凄くいい」と書く先生がいるくらいですから。公立だと難しそうですが。。
私の書いたものが、根石さんをはじめとして、Naimaさん、Jakieさんと大きい波紋を呼んでとても、一日では
とても答えられそうにありません。頑張ってみますが。。。。
まず、Naimaさんから
@>>作家でも、英語などをかなりやった人の日本語は小林秀雄でも江藤淳でも村上春樹でも明晰な
気がするので、ディベートはともかく英語をやると「脳内ディベート」の習慣がついて
分かりにくい
のはほっておけなくなるからかもしれません。
>う〜ん。 ひっくり返すと、わかりにくい事をあいまいなままにしておくのが、日本人気質って事ですか?
えっとね、@なんですけど、そう考える人もいるかも知れないから、その数行下に↓を書いています。
>日本語は、論理の通った文章を理解したり書くためには、「多読」でまともな本を
>沢山読むしか手がないので、「論理」の教育の促成栽培ができないんですよね。
>で、まともに本を読んでいない人がネットに来るから、ややこしいことになる。。
>根石さんの「英語をやると日本語が薄っぺらになる」は、本当は「元々日本語が薄っぺらなのが、
>英語をやってもっと薄っぺらな英語を身に付け」ているだけの話しだと思うんですけどねえ。
分かりにくいことをあいまいにしておくというより、斉藤さんや boyさんの文章に代表されるネットに多い
「自己検証/脳内ディベート」をしていない思考のことを指しています。論理的な文相を書く以前に、他人の
書いた文章の論理を捉えられないで、前後で定義されていて単純な辞書の意味ではない言葉をそのように
切り取って勘違い反論してくる思考回路のことですね。
これは別に本からでなくても、職人とか物事の分かっている苦労人の肉親や知り合いと濃い関係を持っている人は
犯さない間違いだと思います。しかしネットで見る限りは、まともな読書をしていない人に顕著に見られる特徴です。
ちゃんとした本でそれを感じないのは、その種の著者はかなりの本を読んだ後に物書きになっているから外国語とは
無関係に、論理の合わない文章は書けなくなっているからと思います。(まともだから出版されているとも言える)
しかし、例えば私の好きな永六輔などは、彼ならの独特の視点に感心させられるとともに、そのスキだらけの検証の
無さが本質的でない部分で目立つのですが不思議と却って愛嬌になっているようです。文章の種類によっては
論理・検証は不要なものもあるんですね。永さんが外国語をやっていないのは明らかですが。
外国語をやって、論理とか検証を無意識に気にかける人には、逆に極めて日本語的な「味のある文章」が
書けなくなるという欠陥がでてきそうな気がするのですが、素人なものでこの辺でお許しをm(_
_)m
脳味噌が熟成しすぎて腐ってしもたんかなぁ? 高卒のおばはんでも解る事、あの人達は何でわからへんのでしょう。
恋人ファンさん、
ハンブルクは今10時20分。 今、起床しはったんですか? 寝てはらへんかったんですか?
>「私は少年です。これは本です。」なんて、ネイチブは一生使わねえだって!!
う、私も英会話教室を始めた頃は、「見たらわかるやろが」と小馬鹿にしていました。
今日は旦那はんが出張なのです。 だからお茶でも入れて大風呂敷にまたすぐ戻ります。
>他人の書いた文章の論理を捉えられないで、前後で定義されていて単純な辞書の意味ではない言葉をそのように切り取って勘違い反論してくる思考回路のことですね。
うん、わかる様な気がしないでもないです。(どっちやねんっ!) 私も時々やる、な...
それって、思い込みが激しい人とか偏見に満ちた人が良くやる「早とちり」とか「早呑み込み」と言う事も出来ますか? (ますます、私、やな。) マルクスの様に、自分のたてた前提に都合の良い様に、歴史や哲学を解釈して理論体系を打ち立てる、みたいな。
話がまたコロッと変わりますけど、英語をやり始めて英字新聞なんかを小脇にかかえる様になった「生意気ざかり」の学習者が「日本人はlogicがない」と良く言うのを聞きますよね。 聞きません? こういう事が根石さんの「英語をやると日本語が薄っぺらになる」説に関係あるのかな、と思ったりもするんですが。 まだ良うわかってませんから、軽々しくは言えませんけど。
「論理的」とか「自己検証」と言うてしまうからそういう事になるのであって、私は「物事の道理がわかる」「本質が見抜ける」と言う事なら日本人だって論理的思考をやってると思うのですけど、違うかな...
本人が即身成仏状態になってしまっているのに(たはは... 斉藤さん、聞いてはったらごめんなさい)、ここで引き合いに出すのはフェアではないと思うのですが、斉藤さんの場合は、無意識の内に、「とにかく自分が認められたい」と言う事で、人の言う事が聞けなくなっている様に思うのです。 「脳内ディベート」が出来ない、と言うよりは、「心の位置がチトずれている」だけなのではないでしょうか?
>、職人とか物事の分かっている苦労人の肉親や知り合いと濃い関係を持っている人は犯さない間違いだと思います。
とおっしゃった事と通じるものがありますか?
私はやっぱり英語を学ぶ事とかディベートと「筋道を立てて話す」能力とは関係ない様な気がするんですけど。
ところで、恋人ファンさん、B型?
本文→本分 m(__)m
くそ真面目にわかったげな事を言うてる自分、嫌いやな。
投稿してる暇あったら回転読みに専念して、被験者としての本文に徹します。 m(__)m
サイトありがとうございます!
今からプリントアウトしてじっくり読んでみます。
画面だと なぜだか 内容が頭に入らないので 理解したいものはプリントアウトします。で 部屋中紙だらけ。
結局このまえ 捨てようと思っていたプリント教材やらも 捨てられず
今だ部屋にあります。 ああ 頭の髪は自然と減っていくのに。
実は アメリカ人の友人(現在日本在住AET―日系2、5世。日本語ペラペラ。日本語教育MA)が今大学講師の口を探していまして
面接をする一つの大学の これからのカリキュラムが using content-based
teaching and experiential learning なのだそうです。
ソニーのパソコンが壊れてしまい休日はKinko's通いではおいつかず
検索の手伝いをしているところなのです。
以下引用。
>体験学習のサイクル 【Experiential Learning Cycle】. 冒験学習プログラムは体験学習です。学習のサイクルを通して体験から得た気付きを
『いかに日常化するか』を考えてプログラムは展開される。
Content−based approach
> Sheltered English (content-based) program: 英語による授業(学習者に合ったレベルの英語で学年年齢相当の内容のものを教える)
※ 目的:英語そのものよりも、英語を通しての授業内容の理解(→ immersion
教育)
>英語を一つの科目として言語そのものについて学習するだけではなく、学習者の専門分野や将来取り組む職種に関連した分野の内容を、英語によって学習するcontent
based方式の指導と学習が必要である。
>日常英会話を上達させるだけでなく、学生の専攻する学問分野との関連性を重視した英語カリキュラム、コンテント・ベース方式(CBI)にもとづく語学教育は、大学生には最適なアプローチで、文法や翻訳に偏重しがちだった従来の語学教育とは対照的に、内容をさらに充実させた専門教育に近い教授法
>学部教学にリンクしたコンテントベースト教材(学部のテーマや専門領域の内容を外国語で教えるといったもの)
英語を学ぶのではなく 英語で何かを学ぶ ことがこれからの大学教育の流れになるということでしょうか。
それにしても コミニカティブアプローチやら オーディオリンガルやら
ミシガンやら いったいどれだけ 教授法が あるのでしょうね。
>英語関係に限っていえば、これが、と〜てもショボイ... 教授だか助教授だか講師だかの教え方もショボければ、英語力もショボい。
英文学講読 易しい短編が教材で、生徒がパラグラフ毎に順に朗読し、その後に和訳する形で授業が進むのです。 何の為に教授が前に立ってるのかわからん。 で、課目終了試験の前になると、「あなた達、とにかく単位を取りたいでしょ。 ここからここまでの和訳が試験に出ます」とかご親切にも言ってくれるので、涙が出るほど情けない...
ほんま しょぼすぎやん。
生徒の大学生に 学校での授業をきいたときは おったまげました。
英語の文学の授業 一学期に進んだのが たったの8P! 授業の方法は
まさに Naimaさんが 受けた授業と同じ!
おんどりゃ わしが 教壇にたったるで!とおもいましたもん。
一応 大学教授 助教授 講師は 修士は最低もってらっしゃる方々のはず。 ご自分の研究や論文に忙しいのかもしれませんが あまりにお粗末。
だから この授業は例外だと思っていました。Naimaさんのケースも
例外だった、、、ことを願う。
ある大学のHPをのぞいてみると
映画を使ってリスニング 新聞を使って講読。 ネットを使って英語で情報収集してレポートを書くなど 多彩なクラスが行われている。
大学によって 違うのかもしれません。
先にあげた友人の大学カリキュラムのとおり これからの英語の授業は 英語で学ぶことが 主流になる模様。
学部に関連した 単語も学べるし よいことですが
英語の基礎力がないのが 多くの学生の現実。
その前に 素読して基礎構文の英作をして 基礎力つけろ!と思うてしまう。
>おんどりゃ わしが 教壇にたったるで!とおもいましたもん。
うん、私も「あんな、に〜ちゃん、おばちゃんがやっといたるからパチンコでもしといで」と思いました。 通信科やから生徒をなめてかかってるねんやろ、と僻んだりしたもんです。
>ミシガンやら いったいどれだけ 教授法が あるのでしょうね。
ミシガンなんてのもあるんですか... たいへんやな。 (
何が大変なのか、ようわからずに言ってますが)
むちゃくちゃ眠いので寝ます。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
Crying for the moon... 切ない...
いつのまにか、この掲示板にアクセス出来るようになりました。何かの間違いでしょうか?
>アホ大学ですから、ESSの新入生も誰も(といっても大勢いたので訊いたわけではないから分からないが感じで)朗読なんかやってませんよ!でも、入部一月後にケネディーの就任演説のスピーチを新入生は全部員200人の前でするとかあるんですよね。ですから、それこそ死に物狂いで何百回以上とか大きな声で練習して暗記しますよね。
プレッシャー凄いですから。ここで朗読が大切なのが分かるんです。指導者なんか一年先輩の二年生が何回か、発音とかイントネーションのチェックをするくらいで、仲間でやっているわけです。
これはいいですね。
Eliot さんも生徒に、500語から600語くらいの長い文を暗唱発表させているようですが、集団的にやる場合にはこれが一番いいと思います。
これをやると、英単語をいちいち日本語に置き換えていたんじゃ覚えられないから、どうしても英単語をそのままイメージに変えるようになる。英単語とイメージの往復だけを成立させられる。
同じように注目しなければいけないのは、そのくらい長い文になると、頭脳的に覚えるわけにはいかなくて、結局「音読」しか有効な方法がなくなるということだと思います。琵琶法師が平家物語を覚える方法や、坊さんがお経を覚えるのと原理的には同じものだと思います。
ESSがそういうことをやっているんだというのは、ようやく知りました。
方法的にきわめてまっとうだと思いました。
「話す」英語に突破口を作るのは、ここでも「音読」なんだということです。
私がESSを嫌ってきたのは、その集団から立ち上る「アメリカは美しい、アメリカはすばらしい、アメリカは正しい」というようなアメリカ翼賛的な空気だったと思います。これは、今でも英語好きの間から、もわもわと立ち登ります。アメリカをきちんと批判するためにこそ英語をやるんだという志はほとんど見られません。
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ドイツ語磁場についての話、とても面白かったです。
個人の言語を育てたり支えたりする場=磁場と言えると思います。
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に入ります。体力が残っていたら、夜中に来ます。
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國弘さんの古い「英語の話し方」届きました。ありがとうございます。
お借りします。
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独学で英語をやられた根石さんは、その過程で辛い思いも沢山あったのかも知れません。
それが、「ラクして楽しく英語を身に付けた(はず)」人への反感になっているのかも知れません。
私は、日本人同士やネイティブでも一対一で話すことに限れば「話す」ことは
英語の中で、もっとも「修行」の必要度の少ない、「楽しく」学べるものだと思います。
教養のあるネイティブの書いたものを読んだり、ネイティブにも自然に読めるものを
書く訓練は、多くの場合独学せざるを得ず、習得する量も「英会話」より膨大に多いので
「修行」的なものをしないといけないのです。
私たちが話すのはTIMEのライターのような表現のエリートのネイティブではありま
せんし、話す内容もTIMEの記事のような、複雑なものではありません。
よく本を読む人がSSSのような、単純なリライトものを読むに耐えないのは、その種の人が、
「知っている物語の粗筋を英語で再確認して喜べる」Sさんのような精神構造を持った人では
ないので、自分の日本語での読書のレベルのものを英語を読むときに求めるからです。
「話す」ことは、そういうものを「読む」ことやそのレベルを求めて「書く」ことと比べて
比較にならないほど易しいことなのです。相手の表情を見ていれば通じなかったことはすぐに
分かりますし、色々な言い方を相手が分かるまで言いかえられます。読み書きでは不可能な
リアルタイムでネイティブに単語や表現の意味を尋ねることまでもできます。
文脈も、遠い国の民族紛争の話や庶民が考えても何もできない世界経済の話ではなく、
仕事や共通の体験に基づくなど、身近な話です。(ネイティブと普通に話す場合)
また「分かるヤツだけ分かればいい」というスタンスで凝った言い回しやネイティブの背景知識を
前提に書いてあるものと違って、会話相手は相手のレベルに合わせて話すことをします。
それに、TIMEのライターにしてからあんな凝った言い方は会話では出来ませんし、しません。
練りに練った文章と、会話出使う即興の文章は容易さにおいて段違いです。
子供に漢語の多い会話を仕掛けることは、日本語でもやらないのですから、自然なことです。
根石さんもここで使っている語彙の殆どは職人さんと話すときはしないに違いないので
それと同じです。
なるべく短く書こうとしたのですが枝葉が生えて、もう200行近くになってしまいました。
言いたいのは、根石さんが回転読みとウドの店の会話で、「練習と試合の行き来」をしているのが
確認できたら、日本人同士であっても英語での会話が意味のあることだと考えて欲しいのです。
ESSでもなんでも、組織は内部に長くいたものが見るのと外からチラリと見るのでは違います。
ご自分の娘さんより若い時に感じた何人かのESS部員への反感の感情をいつまでも
引きずらないで、根石さん本来の透徹した目でこの件を考えて頂けないでしょうか?
ディベートも多くの試合を見て、自分でもやった人間が持つ「感覚」と、通して一試合も見て
おらず内容の理解もあいまいだった、大学生の根石さんが見たものでは、同じ言葉であっても
全く違うものです。(こちらは長い方のレスに詳しく書いています。)
日本で最も英語の朗読をしている集団は実はESSかもしれません。
集まってくっちゃべる(実はこれはやりにくいからしないことが多いが)にしろ、
その元になるものを、各自が家で口に出せるように練習してくるから、それが可能なのです。
朗読や*発音の練習のような、一人で出来ることは家でやるから話し相手のいる活動の時間が
有効に使えるのです。沢山やってきた部員は効果が実感できますし、サボっている部員は
それが皆んなに分かってしまうので、上達した部員を見て発奮します。
*発音には指導者が必要と厳密には言えるが、大学の教員でも発音指導が出来ない人は
多いしESSで発音指導をしても給料は出るわけもなく指導者がいないので独学でも同じ
しかし、明白な欠陥は前に書いたとおり、発音が得意な者に指摘されるということもある。
単独でやるスピーチはともかく、全体で朗読することはないので(学校と同じで個々の発音
などが分からないから無意味)家でやっているアヒルの水掻きの部分が見えないから、
ESSというと軽薄にくっちゃべっているだけに見えるのかも知れません。
根石さんのESS批判を読んでいると、昔懐かしい「内ゲバ」という言葉が思い浮かびます。
根石さんの敵は、無邪気にエーゴの勉強をしている子供の年代の彼らではなく、他にいるはずです。
推敲の時間がとれないので書き殴りになりました。失礼な言い方があったら御容赦下さい。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
だったら、回転読みという「練習」と、実際に使うという「試合」が時をおかずに行き来できた
方がいいというのは、分かっていただけると思います。大分前にやったものがリフレッシュされる
のも会話なら「言いたいこと」のためですから、億劫でなく脳内単語・表現サーチが出来ます。
「ウドの店」を持っていない学生などの生徒さんも「使う場」を持っていれば、
「練習と試合の行き来」ができます。それが日本人同士の「練習試合」でも試合は試合です。
(根石さん自身「実際に英語を『使う』ことが多い電話レッスンの生徒は、回転読みの
効果を実感している」というようなことを以前書かれていたと思います。)
そして、試合は練習試合であっても地味な練習より「楽しい」のです。「華やか」なんです。
根石さんに言わせちゃうと、「軽薄」になるのかも知れませんが、それだけ間口が広いとも言えます。
少なくとも「練習」のみの部活より、練習試合でも「試合」のために「練習」をするのは「自然」です。
以前斉藤さんが使ってはいけない文脈で書いた「人間は感情の動物」だというのは、
人間の本質を示す言葉としては間違ってはいません。
Eliotさんも、英語が好きになったのは、中1のとき家で一生懸命練習した発音が
先生に誉められて「とても嬉しかった」のがきっかけだと書かれています。
現在の自分があるのはその恩師のためだと、敬語まで使ってその先生に対する感謝の
念を述べられています。
(べらんめえ文体でも動員しないと書けない「怨師」しかいない私には羨ましい限りですが)
筋トレをやって次第に筋肉が付いていくのを見る。それは回転読みをして英語がすっと浮かぶ、
発音するのが楽しくなるというのと似ています。
「頭で分かる」地味な楽しさです。それは、感情にじかに訴える程の楽しさではありません。
一定期間、練習ばかりの生活を続けて、その単調さに耐えられるものだけに許された
「楽しみ」ということもあります。
中1の場合だと少なくとも中高の6年間、この「練習ばかり」の生活を続けろということになります。
最近は、ALTとかもあるので、6年間で一時間くらいは試合が出来そうですが、それにしても
可哀相です。沢山の挫折者を生みだしそうでもあります。
根石さんの全体の発言から、一つ気付いたことがあります。
根石さんは「海外留学とかESSとか『楽しい思いしてラク』にエーゴを話せるようになった奴らは『ズルイ』
エーゴって言うのはな、回転読みのような「修行」であるべきなんだ。地味なものであるべきなんだ」
こういう感情が、身近な例だけでESSは軽薄、磁場にいれば自然に英語は「移る」という根石
さんに似合わない、1、2年程度の語学留学をしてきて簡単な買い物程度以外英語が使えない元留学生
がごろごろしている事実を無視した、乱暴な議論に根石さんを導いている気がしてなりません。
私や Eliotさんは、話すことについて、余り「苦しい努力」をした思いがないと思います。
試合が「面白かった」から練習もやる気が出て、練習の結果が試合に出たので、もっと
練習にも身が入ったのです。練習量自体は多くても、「修行」した実感がないと思います。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
で、上に書いたような制約がとけたので、今まで言いたくても言えなかったことが一気に
爆発しているようです。制度批判や教師批判、学校教育への(軽薄なヤツじゃない)
会話教育の導入とか「理想論」やっちゃっているわけです。
しかし、いくら学校教育への会話導入とかの理想論や、ベランメエ文体まで
動員して文科省批判やらかしても、「ごまめの歯ぎしり」ということもあります。
ですから、ここには書きたいけど書いたらこうなることが分かっていたので
書かずにいた期間が長かったんですね。とうとうやっちゃいましたが。。。(^^;;
根石さんの長いレスには別に長いのを書いているんですけど(これが短いと思うようになっている
自分が恐い)「日本人だけでの英会話」の件は急いで書く方がいいと思うので一部抜き出します。
私>(ESSは)日本人同士が外国語で話す不自然さに耐え、その
「こっぱずかしさ、不自由さ」を引き受ける覚悟を決めている集団です。
根石さん>どんな覚悟か想像することしかできませんが、そういう集団だから嫌です。
「覚悟」と書いたのは、初期の段階でのことです。慣れるとIMEの切替になります。
実際私は、IMEを切り換えて日本語と英語でグループチャットしていました。
綴りを間違えてたまるかと思うので、スベルを確認したり、喋るより面倒ですが。
で、「どんな覚悟」かというと、根石さんが知り合いの日本人と話していてウドの店に入るとき、
きっと最初の頃「さあ、エーゴ話すべえ」とした覚悟です。今はIME切替みたいに簡単なはずです。
明日も、日本で何万人かが、ESSではなくて職場で日本人同士で英会話します。海外でも
沢山するでしょう。もちろん、企業ですから勉強のためなんて悠長なものではありません。
何のことだか説明しなくてもお分かりと思うので長々書くことはしません。
ESSの後に私はそういう職場にも一時いたので、日本人同士が英語で話すのが変だと、
英語を話さない人ならともかく話す人にそう言われるのは意外でした。
話すときは、外人相手でも日本人相手でも、自分の持っている
意味のイメージを英語にするので何も変わりません。
聞くときは、外人の方が何をどういう発想で言うか予想が付かないので難しい面が
ありますが、基本は同じです。訛とかがあるとボーッとしてると分からなくなりますが。
抜粋終わり
考えてみると、ESSは家や行き来の電車の中でやる素材の新聞記事等の朗読、スピーチの練習、
アメリカ口語教本などの朗読と、活動でそれを「使う」ことの「行ったり来たり」だったんですね。
だから、身に付くのが速かったし「使える英語」になるんです。
朗読の度合いは最初の頃ほど高くて、後になるほど黙読と書くことが多かったです。
「教え合う」のは、自分の言ったことが相手に通じないと不便で仕方がないので、共通の
語彙や表現を広げているだけで、根石さんの言う偽善のようなものではありません。
小さい子が遊んでいるときに、通じない言葉があるとそれを知らない子に教えるのと同じです。
要するに、ESSって皆んな「英語の幼児」やっているので、無邪気なんですね。
他のことなら結構斜に構えていても、こと英語に関しては無邪気になるようです。
この「教えっこするのが当たり前」が身に付いているから、私や Eliotさんは
色んな掲示板で「教えるくん」やるのが当たり前になっているみたいです。
で、回転読みを3年やっても、「使う場」がなかったら、一年前にやったテキストの表現や単語は
使う必要がでたときに、なかなか出てこないでしょう。
根石さんは、ウドの店で英語を話しているとき、ご自身が回転読みをしている表現や単語が
スッと出てきたのを何回も経験しているはずです。一回目は頭の在庫を探したので少し時間が
かかっても、二回目からはスッと出てきたというリフレッシュ効果の体験もしたと思います。
なかには、昨日初めて回転読みしたテキストの表現などを使うことで、使える表現に加えられた
ということもあると思います。
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
>まともなことを言っていると思ったもう一人の方は、確か恋人ファンさんのあちらでの別人格さん
だったと記憶しています。音読せよ、どんどん声を出して読むことで、英語をやっつけるのがいい、
と言われていたように覚えているのです。このあたり、記憶でしかありませんので、違っていたら
ごめんなさい。違う人だったでしょうか。
同じ人だったようです。たしか、別人格が映画や歌の聞き取りを「日暮れて道遠し」と書いたら
根石さんに「それはドンキホーテの努力だ」と言われたとぼやいていました。
Eliotさんにもこの前書いたのですが、特に別人格の方は、言うことがコロコロ変わります。
でもこれって、当たり前なんですよね。質問者の年齢も習熟度も求めるもの、おカネや
根性のありなし学生・社会人と全部違うんですから、
私自身は多読派とか会話派といっても、そういうのは言わないことが殆どです。
特に会話を言わないのは、話したことがないものが急に街角で外人ハントするなんて
松本道弘でもないと不可能なんですね。
NOVAとかに行くことになるけど、それも、おカネと時間の面で殆どの人に言えないんです。
タダでできる日本人同士での会話をしろというのも、ESS以外は、そんなことをしたら、
英語教師でさえ、「おい、お前悪いものでも食べたんじゃないか?」と言われそうですし
同級生にやったら、「変人扱い」決定ですからね。
(そういえば、ESSは質問してきませんね。疑問が内部で解決できますから当然なんですが。)
英語を教えるプロの根石さんまでが、「日本人同士の英会話を認めない日本の雰囲気」の中で
そんなことをやったって傷ついて英語が嫌いになるのが分かるから、言いたいけど言えないんです。
教科書批判なんかも、言いたかったけど一切言えません。中学生に「君達のやっている教科書はクソだ」
と言って、シンタックスが分かりやすいものをやれといっても、学校の教科書は変わらないわけで、
こっちがクソ教科書だと言ったらやる気がもっとなくなるのは見えていますから、これも言えない。
品の良い古屋さんの掲示板の「雰囲気」もあって、別人格は「現状でなんとかする」という前提で答えていました。
「理想論は言わない」「質問に来る中高生などがビビる英語論・学習論は基本的に論議しない」ということなんですね。
「こんな質問をしてくるのは、学校教育がなっていないから」といっても、質問者には
何の役にも立たないので、もっぱら個別の英文に対する疑問などを「何故こういう疑問の
持ち方をするのか」から始まって長い解説を書いて解きほぐすことをやっていたわけです。
しかし、ミクロを2年とかやっているとマクロが見えてくるということがあるんですよ。
実際に自分で教えている生徒は、長い付き合いになりますから、学校だけでやっていたら
出てくるような問題点は、こっちで事前に解決しちゃうので、そういう場がない人が
どんな疑問の持ち方をするのかが逆に見えなくなります。学校の英語教育の問題点も、
自分の生徒の中には見えにくくなります。
で、沢山ミクロに答えていくうちに、マクロの問題点が明確になっていった別人格が
「マクロを語る私」を作って、こうして私がこちらで長いのを書いているわけです。
ここは、英語論の居酒屋だと思っています。中高生や英語をやり直したいOLなんか
は来ないでしょう。自分も含め、オジン・オバン密度高そうですし。。。(^^;;
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
>「アメリカは美しい、アメリカはすばらしい、アメリカは正しい」というようなアメリカ翼賛的な空気だったと思います。
年代的にも同じようなのに違うんですねえ。うちはデモをするESSだったので反米一色でした。。(^^;;
遊びに来たアメリカの若者と、相当ブロークンな英語でアメリカの対外政策について大論争を
ぶったのは、何あろう私です。見ていたヤツが「あんな下手な英語でよく30分も一人で議論できるな」と
違う意味で感心していました。。。(^^;;
http://www.izu.co.jp/~wizard/english/bbsres1.htm
では、勝手ながら削除させて頂きます。一応投稿内容の方は
こちらで保存しておきます。興味のある方は仰って下さい。
コピペ致します。
なおアクセス制限に関しては皆様のご意見お待ちしております。
Eliotさんに、世界の訛りを収録したテキストを紹介していただいたのに、
ログが流れてしまって書名がわからなくなってしまいました。
せっかく調べて頂いたのにすみません。お手数をおかけしますが、
よろしかったらもう一度教えていただけないでしょうか?
かわりに、インド訛りの英語が聞けるサイトをご紹介します。
"All India Radio"
http://air.kode.net/program.html
"Sur Sangeet Radio"
http://www.sursangeet.com/netradio.html
後者は特に強烈です。
それから、どなたかが(Jackieさんでしたっけ)引用してくださった、
本名信行編「アジア英語辞典」三省堂
を買ってみました。
面白い。発音だけでなく単語の意味や文法まで、国によって、
大きな違いがあることがわかります。
・インドでは、balance をお釣りの意味で使う、とか、
・シンガポールやマレーシアでは、付加疑問は
動詞にかかわらず "is it?"や"isn't it?"でよい、とか、
・はっきりNoを言わないのが礼儀であるフィリピンでは、
"I'll try."は「できません」の意味になる、とか
そういう破格な話が満載で、読んでいて飽きません。
何を謝罪しろというのか言ってくれませんか? それとも言えないのでしょうか?
何か一言ないですか? 私は、締め出しを食うようなひどいことを書いた覚えはまったくないです。確か、「完全主義は英語学習の最大の敵」と書いた直後にEliotさんの横槍が入って、それがきっかけだったと思いますが。あれのどこが、問題なのでしょうか?
管理人様
判断は、管理人様におまかせしてあります。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>ハンブルクは今10時20分。 今、起床しはったんですか? 寝てはらへんかったんですか?
ただ働きが趣味の私は常時接続ではないので、カキコに行って速攻で貼り付けて寝ました。
なんたって、「ネイチブだか日舞だか若秩父だか知らねえが」のフレーズをひねり出すのに30分とか
かかってやるので、他のソフトで書いたのを貼り付けるんですね。ベランメエ文体の微調整は
1時間以上とかかかっているし。。
でも、ああいうあざとい努力って
>あんな、兄ちゃん。おばちゃんがやっといてあげんから、パチンコでもしておいで。
(記憶で書いているので違っているような気がしますが、余りに名文なのでほぼ記憶してしまいました。。(^^;; )
っていう、人情と生活感溢れる一行に負けるんですよね。
ホント、英語やってても、「味のある文章」書ける人が、こんな身近にいましたね!
「完熟女のハンブルグ日記」とかあの文体で出版したら、マジで売れそうですよ。
ものの道理とか本質が見抜けるは、その通りです。
「日本人はロジックがない」という学生は、ロジックのかたまりの数学とかをちょっと前に
そのロジックがないはずの日本語でやっていたわけで、そういう反証を考えないでどっかで
聞いてきたことを真似しているだけですから、それこそロジックが使えてないんですね。
日本語とか英語の問題じゃないでしょう。私的に厳密に言えば、「脳内ディベートをしていない・
自己検証のない」になるんですが、「本質が見えてない」と置き換えられますね。
>斉藤さんの場合は、無意識の内に、「とにかく自分が認められたい」と言う事で、
人の言う事が聞けなくなっている様に思うのです。 「脳内ディベート」が出来ない、
と言うよりは、「心の位置がチトずれている」だけなのではないでしょうか?
あの人、また来ちゃいましたね。ここはまだしも、今は古川さんの掲示板を完全に機能停止させてんですよ。
あそこは週に4,5回は中高生や若い人が質問に来てて斉藤さんが四月に来るまで何年もスムーズに
行ってたんですよね。私の別人格やEliotさんも回答をよく書いたんですが、斉藤さんが「多読荒らし」
したり、例によって罵倒するからほとんど誰も質問しに来なくなっています。
そうすると自分の掲示板みたいにして、今度は得意の独り言書き連ねますからねえ。
リンクのずっと下の四月20日以前とそれ以降を見比べると分かります。ただ斉藤さんが暴れた
(ここで自分で書いてましたね)後は削除されてんですが質問が全然来なくなったのが分かります。
http://www.tk.airnet.ne.jp/furukawa/english/bbs/index.html
>「とにかく自分が認められたい」と言う事で、人の言う事が聞けなくなっている様に思うのです。
幼稚園児が乱暴して注目を浴びたいとか、中学生が夜中に窓ガラス割って歩くとかだったら分かるんですが
あの人、うちらの世代なんですよね。それが中学生に迷惑かけるのが嬉しいんだから、こころがチトずれて
いるというより、大ずれしちゃってるんですね。「そんなことをしている自分をもう一人の自分が批判する」
というのがここで私の言う「脳内ディベート・自己検証」なんですが、それ以前の問題ですなあ。
現実でも30越えた人のこころのズレはなかなか直せないのに、あの歳であのズレは
いくら根石さんやNaimaさんがあれほど優しくしても、最後はあの悪態ですから
誰にも直せないでしょう。まして文字ではどうにもこうにも。。
しかし、私がここにはまったのも、あそこで回答しなくていいようになったせいもあるんですが。。。(^^;;
>ところで、恋人ファンさん、B型?
ここで言いたいこと言ってる私はB型のようです。別人格は古川さんのところで英語だけ
のことを書いて、なるべく押しつけがましくならないようにしてたからA型でしょう。
そして、ネットでビリー・ミリガンをやっている統合人格は・・・ご想像の通りです。
で、NaimaさんはO型かな?
端末:87.196.104.203.livedoor.com
お返事遅くなりました。
身重の妻を抱えて私もそれほどヒマではありません。
貴重な時間は出来るだけ英語に使いたいのですが…。
>何を謝罪しろというのか言ってくれませんか?
>それとも言えないのでしょうか?
斎藤さんは他人に迷惑をかけたことを自覚された事はありますでしょうか?
この掲示板で迷惑を掛けた憶えは一切ありませんでしょうか?
斎藤さんが議論であるから良しとして行った発言が、他人を不快にさせたり
ここに書き込む事を躊躇させたりした事は迷惑を掛けたことにはならないでしょうか?
他人に迷惑をかけたら謝りなさいと教わりませんでしたでしょうか?
Eliotさん 投稿者:斉藤伸夫 投稿日:2002/9/22(日)22:22 [Profile 秘密に住む秘密の男性の方]
何か一言ないですか? 私は、締め出しを食うようなひどいことを書いた覚えはまったくないです。確か、「完全主義は英語学習の最大の敵」と書いた直後にEliotさんの横槍が入って、それがきっかけだったと思いますが。あれのどこが、問題なのでしょうか?
この発言が、自覚の無さの象徴かもしれませんね。ちょっと触れておきますが
この事自体が斎藤さんの締め出し?の原因ではありませんよ。
何度となく皆さんが斎藤さんの正すべき点を丁寧に指摘されて下さったこに。
対して全く聴く耳を持たず、自分の考えには全く持って誤りが無いとする
斎藤さんの自己中心的な発言に嫌気がさしてしまったのです。
議論と言うものはお互いの考えを主張し合うものですから、
幾らでも自己主張されて結構だと思います。
しかし、相手の主張を全く聞き入れ無いと言うのであれば
これは議論でも何でもありません。こんな事は言わずもがなですよ。
御自分が悪い事をした意識が無くても、気が付かないところで
他人をキズつけている事など実社会でも良くある事です。
それに気がつけば頭を下げる事など常識だと思いますがね…。
以前、通りすがりさんと言う方をあなたが罵倒した事で
かなり深くキズつかれていた事を思い出しました。
あなたはあの時ですら、謝罪の一言も無かったと記憶しています。
もし、迷惑や不快感を与えた事など一切ないと言われるのであれば、
これ以上のやりとりは私の貴重な時間のムダ使いとなりますので
レスなされなくて結構です。少なくとも私は多大な迷惑と不快感を
憶えた一人であります。このレスを考えつつ文章におこすだけですでに
1時間が経過しております。1時間あれば回転読みが何回出来た事でしょう。
とりあえず皆さんの代表として、私に謝罪していただけますか?
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
批判するなら私の書いたものに対してして下さい。あなたのは単なる個人攻撃ですよ。議論に負けたからといってそれをしたら駄目です。それでは、人のことを子供っぽいといった言葉がご自分に帰ってきますよ。
端末:YahooBB219184112021.bbtec.net
議論に負けて不快だ謝罪しろとは無茶ですよ。
端末:YahooBB219184112021.bbtec.net
しばらくさぼっているうちに、何人もの方が進級されました。
いまや、<ヒマラヤ>クラスがもっとも人数の多いクラスになりました。
さきほど、旧板へ報告しました。
進級された方は以下の通りです。もしも、書き漏らしている方がおられまし
たら、旧板の方へお知らせください。
埼玉・Oさん 10・10・5 → 10・10・10
山梨・Shima さん 10・10 → 10・10・5
松代・Yさん 10・5 → 10・10
東京・Iさん 5 → 10
佐賀・Kさん 10 → 10・5
<ヒマラヤ>クラスの方々は、「電話でレッスン」で自分の英語がどのよう
に変わるかを体験されたと思います。どうぞ、回りにお話して広めてくださ
るようお願いいたします。来年、4月以降に申し込まれる方は、月額1万2
千円になりますので、それ以前に申し込まれると現在の月額1万円でレッス
ンを受けていただけます。
端末:f092164.ppp.asahi-net.or.jp
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
「電話でレッスン」を来年4月から、月額1万円を1万2千円に値上げさせ
ていただきます。
仕込みをやらないでレッスンをすることが性分でできません。しかし、くた
びれてくたびれてしょうがない歳になってしまいました。
レッスン時にするアドバイスなどは、腕があがっていると思いますので、そ
れらをかんがみて、2千円値上げさせていただきます。
デフレの時代で、英会話学校なども値下げをやっているようですが、「電話
でレッスン」は逆行いたします。
端末:f092164.ppp.asahi-net.or.jp
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>議論に負けたからといってそれをしたら駄目です。
どなたも斎藤さんとは議論が終結を迎えた事はないハズです。
ですから勝ちも負けもないと思います。
恋人ファンさんにしてもレスを引用されたNaimaさんにしても
今までにも散々同じような事を直接斎藤さんに言って来たのですよ。
お忘れですか?
今更何を目クジラ立てているのでしょうか?
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
管理人さんも、「回転読み」をやっておられるのですか。
やっておられるのでしたら、Naima さん、べいべさんがやってくださるよう
にここへご報告くださいませんか。
なるべくアドバイスしたいと思います。
端末:f092164.ppp.asahi-net.or.jp
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>>>>>>>>>>>
少なくとも私は多大な迷惑と不快感を
憶えた一人であります。このレスを考えつつ文章におこすだけですでに
<<<<<<<<<<<<
具体的に指摘して下さいませんか。私の書いた何があなたを不快にさせたのかを?
端末:YahooBB219184112021.bbtec.net
>なるべくアドバイスしたいと思います。
ありがとうございます。
回転読みは妻が寝静まった後に車の中でやっています(笑
毎日はムリですが…。
妊娠中は情緒不安定になるらしく、私にではなく猫にあたっています。
そろそろ私にもトバッチリが来そうなので音読が困難を極めます。
なので車の中なのです(笑
少しづつでもこちらで報告出来るように頑張りたいと思います。
その時はアドバイスよろしくお願い致します。
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
自分の意見の間違いを指摘されて不快だから謝罪しろというのは通りませんよ。念のため。
端末:YahooBB219184112021.bbtec.net
>具体的に指摘して下さいませんか。私の書いた何があなたを不快にさせたのかを?
全てです。
>自分の意見の間違いを指摘されて不快だから謝罪しろというのは通りませんよ。念のため。
>議論に負けて不快だ謝罪しろとは無茶ですよ。
ではお聴きします。私の意見の間違いとはなんでしょうか?
議論に負けたと言うのは何を持ってそう判断されたのでしょうか?
人に具体的に指摘しろと言うからには、ご自分は当然出来るのですよね?
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
管理人さんも、「回転読み」をやっておられるのですか。
やっておられるのでしたら、Naima さん、べいべさんがやってくださるよう
にここへご報告くださいませんか。
なるべくアドバイスしたいと思います。
端末:f092164.ppp.asahi-net.or.jp
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
またやっちゃいました。(同一記事二度投稿)
端末:f092164.ppp.asahi-net.or.jp
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
本当に時間の浪費ですよね?
そう思いませんか、斎藤さん。
あなたがこの掲示板に固執する理由は何なのですか?
保身?プライド?わけ分りません。さみしいのですか?
あなたにレスしている私のことも少しは考えて下さいませんか?
今のこの時間は2度と戻って来ないのですよ。
34歳になってやりなおしの英語をしている私にとって
時間と言うものは貴重なものなのです。
あなたにとってもそうではないですか?
もしまだやりあう気なのでしたら
せめてあるていどの纏まった量の文章にして
レスして頂けませんか?こまぎれの文章では
時間が掛かってしょうがない。
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
おそらく、旧板で起こったことの繰り返しに陥ると思います。
誰の記事でも構いませんから、一存でどかどか削除してください。
端末:f092164.ppp.asahi-net.or.jp
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
3つ下のレスをご覧下さい。
酔っておられますか?
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
>酔っておられますか?
ちょっとだけ。
端末:f092164.ppp.asahi-net.or.jp
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
管理人さんが言い始めたことです。具体的に指摘してください。
議論に負けたというのは断定したわけではありません。
端末:YahooBB219184112021.bbtec.net
>管理人さんが言い始めたことです。具体的に指摘してください。
具体的にもなにも全てですからこれ以上の具体性は無いのではないですか?
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
ちょっと私も酒でも飲みたくなってしました。
作って来ます。
端末:fe070054.fl.FreeBit.NE.JP
私の書いた全てが不快だから謝罪しろと仰るのですか?
端末:YahooBB219184112021.bbtec.net
いま、議論してるのですよね?
でしたら、古い方から先にレスして下さいな。
あなたの投稿がこまぎれだからこういう事になるのですよ。
こちらはまとめて書いてるのですから
あなたも纏めて自分の考えなりを書いていただけませんか。
それから自分の気に食わない発言だけにレスするのは止めましょう。
これは喧嘩ではなく議論ですから。
まあ喧嘩でも構いませんが、あなたとは喧嘩にさえなりそうもない。
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>おそらく、旧板で起こったことの繰り返しに陥ると思います。
>誰の記事でも構いませんから、一存でどかどか削除してください。
いま気がつきました(^^ゞ
充分承知の上でやってるのですが、酒も作ったばっかですし
一度お手合わせしたいなあとは思っていましたから、
試しにやってみます。
皆さんが匙を投げられた方ですから、相当なツワモノなのでしょうね(笑
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あなたが言い始めたことですよ。謝罪しろと仰るから何を謝罪するのか聞いているのです。答えにくいのであれば前言を取り消して謝罪する必要はないと仰ってくれればそれで済むことです。そう仰ってくれれば、私も血も涙もある人間です。こちらも言い過ぎたこともあったかもしれませんと謝る気にもなります。そうしませんか、夜も遅いですし。
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病名→掲示板ストーカー〔僕はなにも悪くないない病〕
心理カウンセラーに相談されることが必要に思えます。
管理人さん、私のも含め、斉藤さんの発言を削除されて、よろしいかと思います。
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今、ちょっと古川さんの掲示板を見てきましたが、Ray さんという人は偉い人だと思いました。ミクロをちゃんとやるんですね。俺は、これはとてもやれない。
Ray さんという方がやっているのが、ESSの伝統であり精神であるのなら、私はESSを見直します。
だけど、私は、むしろ、これ、Ray さんという人間のなせるわざだと思っています。ESSの伝統というより・・・。
ESSがいいんじゃなくて、Ray さんという人間がいいのです。
>年代的にも同じようなのに違うんですねえ。うちはデモをするESSだったので反米一色でした。。(^^;;
>遊びに来たアメリカの若者と、相当ブロークンな英語でアメリカの対外政策について大論争をぶったのは、何あろう私です。見ていたヤツが「あんな下手な英語でよく30分も一人で議論できるな」と違う意味で感心していました。。。(^^;;
反米ESSって美しいと思います。
前に、私がESS部員との間で、よっぽど不愉快なことがあったのではないかという質問がありましたが、それについてちょっと。
私は大学に入った年、長野県が金を出している寮に入りました。その寮で同室になったやつが、どうも私と生活の時間帯が合わず、私はそこを2ヶ月ほどで出ました。なにしろ同室のやつは、私が寮の先輩に可愛がられて飲まされた酒の酔いをさまして水を飲んでいると、朝の5時だというのにガバッと起きて、体操を始めるのでした。君も体操をした方がいいよ、とその彼は言うのですが、てやんでえ、こちとら酔っぱらいだい、ああしんど、とも言えず、「ああ」とぶっきらぼうに返事して、また水を飲みました。
実にきまじめなやつで、人間は実直なやつでしたが、私が寮を出てから、ずっと会いませんでした。それで、2年くらいたって、学校でたまたま出くわしたら、相談があるというので、一緒に喫茶店に入りました。話というのは、「インポになってしまって、私はあれが寝ころんだままである」というのでした。私はすぐに「そんで、女とヤリタイとかっていうヨクボウはあるんか?」と聞きましたら、「ある!」と即答がありました。さすがの私も、困っちゃったね、あんときは。「体操やりすぎたんじゃねえのか?」とも言えず、しかし、それにしても、なんでインポの相談を俺にしたんだろう、俺がインポを直せるとでも思ったのか。「わかんねえなあ、どうすりゃいいんだ」と私は言いましたが、やはり、どうすりゃいいのかまるで見当がつかず、その後どんな調子で別れたのかもよく思い出せません。
どうしてる、N君?
で、ESS野郎がこのインポのN君だと思ったかもしれませんが、そうではありません。寮のことを思い出したら、どうしてもN君を思い出してしまったので、N君のことを書いたまでで、以上はまったくの無駄話です。済みません、お目を汚して。
ESS野郎は別にいて、一年先輩だったと思いますが、その人と少し話を始めてすぐに、「なんだ、この野郎」と思ったのを覚えています。「アメリカはすばらしい、アメリカはすごい、アメリカバンザイ」みたいなことを言って、アメリカ人を見るとすぐにつかまえて話しかけるのだというようなことを言っていました。「そりゃまた、なんで?」とは言わず、私は暗い顔をしていたと思います。別に話はねえなと思いました。で、好きか嫌いかで言うなら、こいつ嫌いだ、とはっきり思っていたのを覚えています。
ESSに対する私の強い偏見は、一部、この人から来ているかもしれません。
しかし、それだけではないと考えています。
言葉に対する認識が、なんか違うなあという感じがESSの人々に対してあるのです。
こうして掲示板など開設して元ESS部員の恋人ファンさんや Eliot さんとやりとりすると、個々の人は魅力のある人がいるんだというのがわかるのですが、ESS全体は、例えば、反米ESSなんてのは、あの時代にちょっと露頭しただけで、それ以前もそれ以後もべったりべったりの親米が基本だと思っています。そこからもわもわとたち登る親米湯気の無邪気さ加減がどうにもいやはやだと思い続けてきました。
ディベートやらフリートーキングに関しては、本物に憧れるにせものの所業であるとも思ってきました。にせもの同士で、本物ごっこをやるんだとちゃんと言明したり、相互に認識してやるのならいいのですが、どうもそう思っている人は少数派ではないかとにらんでいます。
どうも、恋人ファンさんたちは少数派だったみたいですが・・・。
それはESSの良質部分であり、ESSそのものは、気持ち悪い親米人間の集団だという基本的な認識が私にあります。
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http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
私はアメリカ人に友人がいて、こいつのことはとても好きです。しかし、アメリカ人の自己標準化やアメリカの政治はとても嫌いです。アメリカの自己標準化は、無恥と無知を抱え込んでいます。
ESSについても、現在からは同じことが言えると思っています。
ESSに属した人でも好きな人や尊敬できる人はいる。しかし、ESSという集団からたちのぼるべったりべったりの親米垂れ流しはどうにも気持ちが悪い。
アメリカ政治やESS湯気に対する私の反感と、ESSのべったりべったり垂れ流しのどちらが気持ち悪いのかは、読まれている人が判断すればいいと思いますが、私個人に関してなら、やはり私はESSが気持ち悪いのです。
日本人同士で、英語を「話す練習」(ディベート)をするんなら、「架空のこと」「お芝居」「仮の言説」「あくまでも練習用」「どろんこ遊び」「ままごと」などを原理とすると、それをやる前に言明してから始めるべきだと思います。「磁場」に対してなら、「にせもの」であると言明してからやるべきです。
それなのに、先輩は苦労なく英語をしゃべるので、すごい、偉い、と下級生に思わせておいて、「違うんだよ、ちゃんとしたにせものなんだよ」と言明しないのがESSの先輩どものずるいところです。
私は苦労しないで英語がしゃべれるようになることに腹がたつのではありません。苦労しないでしゃべれようになるのは、個人の労力よりもはるかに多く、「磁場」が個人の言語を育て支える力のおかげなのだということを、あんたらアメリカ帰りはちゃんと自覚しろと思っているだけです。
トミコにこれを言うと、「根石さん、私はアメリカにいるときだって、ちゃんと英語を勉強していたんだよ」と反論してくるのですが、「そりゃ、そうだ。お前の英語はそういう英語だ。だけど、日本だけにいて、日本語に個人の英語をぼろぼろにされながらしゃべるようになっただけの苦労は、アメリカで作った英語にはねえんだよ」と言うと、トミコは黙ります。
私は、磁場が個人の言語を育て支える力を自覚しろ、と言っているだけだと思います。
で、私は日本人だけが集まって英語をしゃべること自体は反対しないことにしました。
これまで積極的にそういうことをしてこなかっただけで、今後、私の回りでそういうことをやってみようかと思う人がいたら、助言してみようとまで思うに至りました。
今日の午後、「ごつごつ英語ごっこのやり方」というものを書きましたので、次にUP致します。
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謝罪する内容ですか?
そうですね、例えばこうやって皆さんの時間を浪費させて来たことが
まず第一ですかね。斎藤さんが居なくなったこの掲示板では
誠に有益な議論がテンポ良く展開されています。過去ログご覧になったでしょうから
分かると思います。これが議論というものです。
少なくともここに居られる方々の「議論」とは今の形だと私は思います。
旧大風呂敷においても斎藤サンの関与しない議論では確かに今の形態でした。
ところが斎藤さんがひとたび発言し、それに対する的確なレス(あなた以外の方が見れば)が
為されているにも拘らず、どうにも的を得ないレスが返ってくる。
ここからいつもの堂堂巡りの始まりです。
本人には全く自覚が無いようですが・・・。
このことにより普通なら3分で終わるような話が2〜3日に
及ぶことはザラで、皆さん相手にすることに疲れてしまいました。
あなたが納得しようとしまいとこの点で多大な労力と時間の浪費をさせてしまいました。
今の私の時間も然りですね。
しかし、ここであなたの勘違いが始まります。
皆さんが『呆れて』(最重要)放置したことに対して
あなたは「議論に勝った」としているところです。
素晴らしくポジティヴな方です(笑)
決して褒め言葉ではありませんので(←根石流)
いやはや自覚が全く無いのでしたら、ここに居座らせておくわけには
行きません。アクセス制限を掛ければ済むことです。
ですが、私はあなたがここに固執されることに何らかの
理由があると感じていますから、今まであなたに付き合ってきたのです。
ご理解ください。
次のレスであいも変わらず同じような発言を繰り返すなら
即刻制限を掛け、関連の発言は全て削除いたします。
以降、どうしても私に言いたいことがあるのなら
メールで受け付けます。これが私に出来る最大の譲歩です。
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